ありふれてないオーバーロードで世界征服 (sahala)
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番外編
登場人物設定


 そろそろ自分の中でもオリキャラの設定を把握しきれなくなってきたので、書き留めてみた。例によって適当に書き散らしているので、場合によっては変えるかも。


ナグモ 

 

種族:人間種

称号:人間嫌いな錬金術師

役職:ナザリック地下大墳墓 第四階層守護者代理兼ナザリック技術研究所所長

住居:第四階層の研究所 所長室

属性:中立(カルマ値0)

種族レベル:人間種の為、無し

職業レベル:アルケミスト<トリスメギストス>(lv.10)、マシーナリー(lv.10)、ドクター<アスクレピオス>(レベル.15)、ガンナー(lv.5)、ウィザード(lv.10)など。合計値100。

武器:魔導銃ドンナー&シュラーク→黒傘シュラーク

 

 本作の主人公であり、至高の四十一人の一人、じゅーる・うぇるずによって作られたNPC。元々、第四階層は攻城兵器用ゴーレム・ガルガンチュアの置き場だったのだが、それではつまらないと思ったじゅーるによって徹底的に化粧直しがされ、第四階層はナザリックに仕える研究者達の秘密研究所として生まれ変わった。その際にナグモは研究所の所長という地位とガルガンチュアを操作するNPCとして生み出された。

 

 『ヴァルキュリアの失墜』で実装された魔導機械を操り、力押しな運用しか出来ないガルガンチュアを補佐する為にバフ・デバフなどを多用するサポータータイプ。その為、ガルガンチュアを使わない場合の戦闘力はナザリックの守護者の中ではヴィクティムを除けば最弱となる。守護者代理というのは、元々の第四階層守護者がガルガンチュアであり、第四階層の最強戦力もまたガルガンチュアである事から「不肖ながら至高の御方よりガルガンチュアの操作権を賜った」とナグモ自身が認識している為である。

 

 性格は学者肌であり、興味の無い物や相手にはとことん冷淡になる。逆に一度興味を持つと深く調べようとしてくるが、その内容が「至高の御方に役立てる為に研究サンプルとして採取しよう」だったりするので、実は興味を持たれた方が危険とも言える。

 

 ナザリックでは珍しく、カルマ値はゼロ。その為、人間を積極的に殺そうとは主張しないが、同族だから人間の味方をしようとも思ってもいない。至高の御方によって人間嫌いと設定されているが、正確には他人が嫌い。中でも「感情的に考えたり、何の進歩も無い」人間は低脳だと思っている。本人曰く、「有象無象の人間には関わりたくないし、関わって欲しくも無い」。

 

 ***

 

 感情が無いのではなく、感情を識らない。香織の決死の魔法によりNPCから人間(プレイヤー)となり、設定された無表情に縛られなくなった為、感情が少しずつ表れる様になった。とはいえ人間としての精神年齢は低い為、色々と子供っぽい面が目立つ。

 

白崎香織

 

種族:人間種→アンデッド・キメラ

称号:神の使徒の聖女→奈落の底の歪な魔物→ナグモ特製アンデッド・キメラ

役職:ナグモ専属のメイド

住居:ナザリック技術研究所オルクス支部 使用人室

属性:善→悪(カルマ値マイナス)

種族レベル: 動死体:Lv.15、屍食鬼:Lv.10、キメラ:Lv.15、???:Lv.?(その他、複数の種族レベルが確認出来るが、ユグドラシルで該当する種族は無し)

職業レベル:クレリック:Lv.7、ストライカー:Lv.3

武器:聖杖→ナザリック製のナックルダスター

 

 本作のメインヒロイン。トータスに転移される前は幼馴染の天之河光輝の暴走の火消し役として八重樫雫と共に奔走しつつ、周りから期待される「清楚可憐な優等生」を演じていた。ナグモの事は中学時代のある事件から意識していたが、王宮でナグモが情報収集の為に香織に近付いた事を切欠にナグモに恋心を抱く様になった。

 クラスメイトがナグモを攻撃しようとしたのを庇い、香織はオルクス迷宮の奈落の底へと落下した。

 

 そこで———香織は一度目の死を迎えた。

 

 それは神の悪戯か、悪魔の企みか。香織はアンデッドとして偽りの生を歩む羽目となり、自分の身体を維持する為に魔物を見境なく喰らった事でユグドラシルですら存在しないアンデッド・キメラへと成り果てた。

 孤独と絶望、そしてこんな目にあう元凶となったクラスメイト達への憎しみから精神を病み、一度は身も心も歪な魔物へと変化した。しかしナグモの決死の覚悟で正気を取り戻し、その後にアインズに保護された事でナザリックに迎え入れられた。

 

 ナグモの改造手術によって元の美しい容姿を取り戻してからは、「ナグモ個人の専属メイド」として仕えている。新たな魔力源となった神結晶の人工心臓は定期的に魔力を注ぐ必要がある為、食事や睡眠……はたまたナグモからの「魔力供給」によって補充を行なっている。その際に気分がとても高まる為、その日の夜はナグモの部屋で寝泊まりしているのだとか。

 

 ***

 

じゅーる・うぇるず

 

種族:機械の偽神(デウス・マキナ)

称号:六本腕のメカガンナー

 

 至高の御方の一人であり、ナグモの創造主。ユグドラシルの大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』から始めたコアなSFファン。名前の元ネタはSF作家の二大巨頭から来ている。戦闘はガチ勢というより、ユニークスキルを如何に役立てるか? を考えたネタ系だったとか。

 

 リアルでは某テーマパーク会社のエンジニア兼デザイナー。2138年の世界ではアーコロジー内で生活する上層階級の扱いだが、この時代においてテーマパークは上層階級の人間しか入園が許されない娯楽であり、当然テーマパークの設計も上層階級に向けた物しか許可されない。そんな上辺だけを綺麗に取り繕った物を作り続ける仕事内容に嫌気がさし、自分の趣味と創作意欲を存分に満たせるユグドラシルに嵌った。リニューアルされた第四階層はじゅーるの趣味以上に、テーマパークでこんな物を作りたかったという意欲を感じさせるエリアとなっている。

 

 そんな勝手は普通ならギルドにおいて難色を示されるが、第四階層のリニューアルに必要なデータクリスタルやアイテムのほとんどを自前で用意し、さらには第四階層のコンセプトアートやキャラクター原画などを二百枚に渡る資料として提出してきた姿を見て、「そこまでやられたら、何も言えないよね……」とアインズ・ウール・ゴウンの一同は苦笑いを浮かべたのだとか(るし☆ふぁーは、じゅーるさんマジ過ぎるでしょ! と爆笑していた)。一方で貸し借りはキチンと返す性格であり、素材集めを手伝ってくれたメンバー達には御礼に、とレアアイテムを渡したり、クエストに同行するなどして概ね好意的に受け止められていた。

 

 

 

 

 

 ………これは極めて余談であるが。じゅーるにはリアルで早くに亡くした息子がいた。生きていれば、十代後半くらいになったであろう息子の姿をNPCとして作ったのではないか、というのはリアルでじゅーると付き合いのある者達の中で固く秘密にしている。

 

 

ミキュルニラ・モルモット

 

種族:人間種(獣人)

称号:第四階層の愉快なアイドルモルモット

役職:ナザリック技術研究所 副所長

 

  ナグモの副官。モルモットの耳を持ったショートカットの人間種の女の子。褐色肌の巨乳系眼鏡女子。ナグモへの呼び方は「しょちょ〜」。袖がダブついた白衣、赤いニットワンピースとあざといくらい可愛い。(じゅーるの性癖)

 

 元ネタがじゅーるが勤めていた会社のマスコットの為か、言動がカートゥーンじみて一々とオーバーアクション。しかし本人はワザとやってるわけではない。噛みそうな名前が嫌で、「ミッキー」という可愛い名前で呼んで欲しいけど、ナザリックの者達は「何故か知らないけど、その名前で呼ぶのはマズイ」と思って誰も呼んでくれないのでションボリしている。

 

 「ナザリックの皆さんは、みんな私のお友達なのです!」と主張し、誰に対してもフレンドリーに接していく。その為、NPC達との交友関係が一番広い。コミュ障なナグモに代わって対外折衝に務めている。

 

 現実で自分が提案した内容を「ゲスト(上流階級)の品位に相応しくない」と何度も会社に駄目出しをくらい、とうとう我慢の限界がきたじゅーるが「そこまで言うなら、あのマスコットも媚び媚びな萌えキャラにでもすれば良いだろ!」と半ば八つ当たり気味に作ったのがミキュルニラ。後になって、やり過ぎた……と後悔したものの、ヘロヘロが文字通りヘロヘロになりながら「いやあ、ポーズパターンのプログラムは苦労しましたよ! でも会心の出来です!」と徹夜明けのテンションで仕上げたのを見て、今更破棄できないと覚悟を決めるしか無かった。

 ギルド長に恥を偲んで謝りにいったところ、「い、いや、良いんじゃないですかね……? 一見して元ネタ分かりませんし、ユグドラシルにも怪獣王が元ネタなモンスターいますし……?」と大変ありがたいフォローを頂き、せめてナザリックに攻めてくるプレイヤーには見つからない様にと生産特化のキャラメイクをしたのだとか(具体的に言うと、ナグモから戦闘系職業スキルを引いたのがミキュルニラとなる)

 

 ***

 

 実は間延びした口調などは全て演技。じゅーるがナザリックを去り際に新たに設定した役割により、物静かで思慮深い性格が素となった。

 しかし、それでも彼女は特にナグモの前では今まで変わらない姿を見せる。まるで親とはぐれて泣きそうになっている子供を笑顔にしようとする、遊園地のマスコットの着ぐるみの様に……。

 

 改変後のカルマ値は極善。その為、ナザリック外の相手とも社交的に接する事が出来るが、ナザリック技術研究所の副所長として人体実験をする必要がある時は、「これはナグモや至高の御方の為に必要な犠牲」と割り切る合理性も併せ持っている。

 

 



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番外編「ある領域守護者の憂慮」

 ずっ〜とやりたかったけど、どのタイミングでやるか迷っていた小話。
 この際だから、番外編という形でやろうかな、と。
 彼の事を調べまくったお陰で、携帯の文字予測欄にGの絵文字が出る様になりましたよ。どうしてくれやがりますか。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……」

 

 明かりの無い部屋で、品格を漂わせる男の声が響く。男の声は部屋の中にいる生物を数えていた。

 その部屋は、一言でいうと黒一色であった。部屋の壁から天井に至るまで、光沢のある黒いナニカがびっしりと張り付き、カサカサと音を立てる。

 その黒いモノの正体を知れば、普通の人間ならば身の毛もよだつ様な悲鳴を上げただろう。頭から生えた二本の触覚、黒光りする翅に、壁や天井も所構わず走り回れる毛の生えた六本肢。

 それは人類が滅亡しても生き残れると言われている生物———すなわち蜚蠊(ゴキブリ)だった。それが広い部屋を埋め尽くす程にカサカサと蠢いていた。

 

「ふむ……ざっと百匹といった所ですかな。これで暫くは足りるでしょう」

 

 常人なら精神を病みそうな部屋の中央———そこに一際大きなゴキブリがいた。しかし普通のゴキブリとは違い、二本の後肢で直立歩行をしていた。頭には王冠を被り、人間の肩に当たる部分には金糸で縁取りされた真紅のマントを羽織っていた。

 彼の名は恐怖公。

 ナザリック地下大墳墓第二階層の領域守護者であり、「拠点最悪」の異名を持つナザリック五大最悪の一人として製作されたNPCだ。

 

「放っておくと眷属同士で勝手に共喰いしてしまいますからなぁ。それにエントマ殿も私の眷属達をおやつにしてしまいますし……」

 

 やれやれ、と溜息を吐きながら恐怖公は新たに生まれた自分の眷属達を数えていた。

 

「何をぶつぶつ言っているんだ?」

 

 眷属達が蠢く音しかしない部屋に、平坦な声が響く。恐怖公が振り向くと、そこにナグモが立っていた。ただし、いつもの格好ではなく、上下共にぴったりと密閉された宇宙服の様な作業着に着替えていた。

 

「おや? これはまた珍しい。ナグモ殿、お久しぶりです」

「ああ、久しいな。実に30日と7時間30分ぶりと記憶している」

 

 ペコリ、と頭を下げる巨大ゴキブリにナグモも挨拶を返す。普通の人間なら嫌悪感を抱きそうな見た目の恐怖公だが、ナグモは何も感じていないかの様に表情を崩さない。

 ナグモが黒一色の部屋に足を踏み入れる。眷属達はナグモが近寄った途端、ザァッとモーセの海割りの様にナグモから遠ざかった。

 

「……相変わらず酷い臭いですな。その香水を付けずにこの部屋に来て頂きたいのに」

「そこは我慢しろ。君の眷属達は勝手にこちらの服や細かい隙間に入り込もうとする。精密機械を扱う以上、故障や誤作動を起こさない為にも一匹も紛れ込ませるわけにいかない」

 

 ハッカ油の様な臭いのするナグモに恐怖公は思わず顔を顰めてしまう。(といっても、ゴキブリの顔なので見た目は分かりづらいが)

 ナグモがこの部屋を訪れる時、彼は眷属達の嫌う臭いがする忌避剤を付けて来るのだ。自分はその程度でどうにかなる程柔な存在ではないが、それでも臭いがキツめの香水を振りかけて来られてる様なもので恐怖公にとっても良い臭いとは言えなかった。

 

「それはそうと、所用がてらにゴーレムのメンテナンスに来た。最終メンテナンスから変わった事は?」

「いえ、特にはないですな。どうぞこちらへ」

 

 恐怖公は王笏を持った前肢を動かしながら部屋の隅へと案内する。

 そこには一体のゴーレムがいた。

 銀色に輝くボディ———ただし金属や銀などの安っぽい金属ではない。

 六本の肢は精密に作り上げられた針金細工の様で継ぎ目なども全く見えず、金属でありながら生物的な躍動感に満ち溢れていた。

 背中の二枚の翅は傷一つなく銀色に輝き、翅を広げれば力強く羽ばたく事を見る者に連想させた。

 それはあまりにも精巧に作られた、銀色に輝く――ゴキブリのゴーレムだった。

 

「……いつ見ても、素晴らしいゴーレムだ。ゴーレムでありながら、これ程までに細部まで緻密に作られたものは他に無い」

「まことに。るし☆ふぁー様が何故これ程のゴーレムを我輩に下賜してくださったのか……今でも恐れ多く、頭が下がる思いです」

 

 二人して感嘆の溜息を漏らす。恐怖公は素晴らしい贈り物を貰った事へ、ナグモは創作者(クリエイター)として自分よりも何段も上にいるるし☆ふぁーの技術に羨望と敬服を示しながら。

 

 このゴーレムの名はシルバーゴーレム・コックローチという。

 るし☆ふぁーがじゅーるからがめ……もとい、譲って貰ったレア素材を使い、自分のゴーレム・クラフトの技術を惜しみなく注ぎ込んだ一品だ。

 ユグドラシルでも頭に超がつくほどの希少金属を内部に使い、さらにはこれまた超希少金属であるスターシルバーで外側をコーティングしているという無駄な凝りっぷりだ。しかもるし☆ふぁーが細部まで拘ったお陰で、見た目がアレな事を除けば本物と見紛う程の精巧な金属ゴーレムという、まさに「なぜベストを尽くしたのか?」と問い詰めたくなる技術の結晶だった。

 

 とはいえ、そういった事情を知らない二人には「至高のゴーレム・クラフターのるし☆ふぁーが、その腕前を惜しみなく注ぎ込んだ如何なる美術品よりも価値があるゴーレム」という認識しかない。

 ナグモは国宝に触れる美術館の研究員の様に慎重な手付きでシルバーゴーレム(巨大ゴキブリ)のメンテナンスを始める。

 

「……ふむ。破損しているパーツは無し。しかし摩耗しているパーツがいくつかあるな。この際だ、一度オーバーホール(分解清掃)を行うか」

「いやはや申し訳ありません、お手を煩わせている様でして」

「気にするな。これはじゅーる様が材料を提供され、るし☆ふぁー様が手掛けた最高傑作。雑に扱う事こそ、最大の不敬だろう」

 

 カチャ、カチャ。

 キュイィィィン。

 黒一色の部屋に工具の音が響く。邪魔をしない様に眷属達を遠ざけながら、恐怖公はナグモへ話し掛けた。

 

「そういえばコキュートス殿からお聞きしましたが、モモンガ様……いえ、今はアインズ様でしたか。アインズ様が支配された国が、外の世界に出来た様で」

「ああ。文明の遅れた亜人族の国だが、アインズ様は慈悲をもって支配されている。今では亜人族達は御方を神だと敬って生活しているぞ」

 

 シルバーゴーレムの部品を丁寧に分解しながら、ナグモは恐怖公との会話に応じた。マルチタスクを持つナグモはその気になれば右手と左手で別々の作業をやる事も可能であり、会話しながらもその手は澱みなくシルバーゴーレムのメンテナンスを行っていた。

 

「なんと、そうでしたか。我輩、この地より出る事があまり無いものですから外の事情にてんで疎いものでして」

「たまには外出してみたらどうだ? ミキュルニラも最近会ってない、と詰まらなそうにボヤいていたぞ」

「そうは言いますものの、我輩の見た目は他の方々……特に女性陣には好かれぬ様でして。ミキュルニラ殿は例外の様ですがね」

 

 見た目からして巨大ゴキブリという恐怖公は、ナザリックのNPC達(主に女性陣)のほとんどが敬遠していた。盟友という設定のコキュートスや、誰とでも仲良しという設定のミキュルニラという数少ない例外以外は、恐怖公を見た途端に引き攣った表情になってしまう。

 無論、恐怖公も“アインズ・ウール・ゴウン"のギルドメンバーに生み出されたNPCだ。至高の御方によって直々に製作されたこの身体に不満などなく、むしろ誇りに思っているくらいだ。

 とはいえ、「性格はとても紳士的」と設定された彼は仲間である他のNPC達が嫌がる事を好き好んでやろうとは思わず、自分を不快に思うNPC達の為にあえて自分に与えられた領域から外へ出る事はしなかった。

 

「まったく……他の奴等には呆れたものだ。恐怖公の性格が悪いというわけでは無いというのに」

「ははは……お気遣い感謝しますよ」

「他の者が良い顔をしないのは、眷属達が勝手に服に入り込むからじゃないか? そんな風にユリ・アルファが言っていたぞ。眷属達をキチンと統制していれば、他の者もとやかく言わないだろう」

「ううむ、そうなのでしょうか……?」

 

 ナグモの意見に恐怖公は首を傾げた。

 悲しいかな、元が「全て合理的に判断するNPC」という設定だったナグモは、普通の人間とはかなり感覚がズレていた。だからこそ、彼にとって恐怖公は「そういう見た目をした生物」という認識しかしていない。

 

「見た目の美醜の優劣に意味などない。大体、肉体のバランスが黄金比で構成されているとかでもない限り、外見など記号の一つに過ぎない。重要なのは、論理的な頭脳を持っているか……頭の中身だけだろう。何だったら、培養槽に浮かんだ脳だけでも良いくらいだ」

「それはそれで少し極端に過ぎますなあ」

「フン。どちらにせよ、僕にとって見た目などどうでもいい。見た目だけを飾り立てようとする者……特に人間など、見ていて吐き気がしてくる」

「やれやれ、人間嫌いは相変わらずの様で……そういえば。コキュートス殿から聞いたのですが、最近アンデッドの娘を娶られたそうで」

 

 ガキュイィン! と工具を持っていた手がズレた。危うく重要なパーツを切断しそうになったが、なんとか事なきを得たナグモは油の切れたブリキ人形のような動きで恐怖公に振り向いた。

 

「な、な、ななな何を言っている? 僕は香織を娶ったわけでは……」

「ええと……そこまで動揺される方が意外なのですが……。いえね、人間嫌いなナグモ殿が伴侶にするくらいだから、どんな相手なのか気になりましてな」

「は、伴……!? いや待て、香織の事は愛しているがまだ正式に婚約をしてはないし、それに僕の身は骨の髄まで至高の御方に仕える為にあるから、この件はアインズ様に御許可を頂いてから婚姻を結ぶべきであって、いや別に将来的にそうなりたくないわけではないが、世界征服計画もまだ中途であるから今はそちらに尽力すべきで、ああ、しかし仮に御許可を頂けるならナザリックの第九階層(ロイヤル・スウィート)の一角をお借りして、いやしかし香織は日本人だから神前結婚が良いか? 神など馬鹿を慰める偶像でしないが、こういうのは形式を重視すべきだな。第八階層の桜花領域を何とか借りれないか……?」

「おおと、これは藪蛇でしたな」

 

 ブツブツと呟くナグモに軽くドン引きしながら、恐怖公は未だかつてここまで激しく動揺する事の無かった人間の少年を微笑ましいものを見る様な目で見ていた。

 

「何にせよ、お祝い申し上げます。ナグモ殿は愛を見つけられた様で、我輩も他人事ながら嬉しいですぞ」

「ま、まあ……その、ありがとう。っと、そうだ。お礼というわけではないが持ってきた物がある」

 

 顔を赤くしてそっぽを向きながらボソボソと答えていたナグモだが、急に思い出したかの様にポケットから何かを取り出した。それは<圧縮空間(ポケットスペース)>と呼ばれる、持ち物を最小サイズまで圧縮できるアイテムだった。ナグモがパチン、と指を鳴らすと圧縮が解凍されて持ってきた物が元の大きさを取り戻す。

 

 すると、そこに。

 

「ァ……ァァ………」

「ゥ……ェ……ゥ…」

 

 ……そこに。見るも歪な生き物が現れた。

 その生き物は、浅黒い肌と尖った耳をしたユグドラシルのダークエルフ、あるいはトータスの魔人族の特徴を持っていた。しかし、それを一目でダークエルフや魔人族だと判別するのは困難だろう。

 ある者は別々の生き物の器官を取り付けた様な不揃いな四肢になっていた。

 ある者は下半身から先が深海の軟体生物の様に不定型な触手になっていた。

 ある者は身体の半分を鱗の様な物で覆われ、背中から鰭や第三の手を生やしていた。

 共通しているのは――どれもこれも、歪な魔物と呼ぶしかない生き物だという事だった。

 

「……………これは?」

「以前、アインズ様が御出陣された折に捕らえていた魔人族だ。トータスの魔物の捕食による強化実験に使っていたのだが、これらはもう使える所が無いから廃棄処分を決定した」

 

 ほんの少し硬くなった恐怖公の声音には気付く事なく、ナグモはまるで時報でも読み上げる様な淡々とした調子で話した。

 

「そこで丁度いいから君の眷属達にくれてやろうと思ったのだ。アインズ様のアンデッドの材料にするのも良いと考えたが、そっちはオルクス迷宮で捕らえた人間達で足りるしな」

「………御心遣い感謝しますぞ」

「ああ、反撃される心配は無いから安心してくれ。投薬の繰り返しで自我はとっくに崩壊しているからな。足りなければ、もっと持って来るぞ? ()()()()()()()()()()()()()()

 

 作り過ぎた惣菜をお裾分けするかの様に、ナグモは恐怖公に頷いた。そして、言うべき事は終わったと言う様にシルバーゴーレムのメンテナンス作業に戻っていた。

 

(………貴方が誰かを愛する感情を学べた事を我輩は嬉しく思いますぞ)

 

 背後で蚊の鳴く様な呻き声を上げる元・魔人族達にもはや興味を失ったかの様に、シルバーゴーレムに取り掛かるナグモの背中を恐怖公は静かに見つめる。

 

(コキュートス殿ほどの付き合いはありませんが、るし☆ふぁー様が遺されたゴーレムをいつも整備してくれるナグモ殿には感謝しております。……だからこそ、貴方が心配でならないのです)

 

 これはミキュルニラから聞いた話だが、ナグモは件のアンデッドの少女をナザリックに迎え入れる前に大層荒れていた様だ。その少女がまだ人間で、至高の御方から任された第四階層の警備を放り出してまで助けに行く決断が出来ず、常軌を逸した量の精神安定剤を常用していたらしい。

 

(それ程までに深く愛する相手が出来た……それは喜ばしい事です。ですが、気付いておられるのですかな? その少女も元は人間で……いまこうして実験動物にした彼等もヒトである事に)

 

 恐怖公は別に人間が好きというわけではない。彼のカルマ値は中立ではあるが、セバスやペストーニャの様にひ弱な人間達を積極的に擁護しようとまでは思っていない。

 だが、ナザリックの仲間である目の前の人間の少年は別だ。そんな彼が至高の御方から定められた性格とはいえ、人間を犠牲にすることに何の痛痒も良心の呵責も抱かない姿を見ていると先行きに不安を感じていた。

 

(はたして人間嫌いと御方より定められた彼がアンデッドになったとはいえ、人間の少女を愛しているのは良かった事なのか……いつか、その事がナグモ殿に大きな呪いとなって降り掛からないか、我輩は心配ですぞ)

 

 そう思いながらも、恐怖公は面と向かって告げる事は出来なかった。いま言っても、人の心を理解しようとしない彼は「何を言ってるんだ?」と怪訝そうな顔になるだけだろう。

 

(ともあれ……せっかくの贈り物です。ありがたく受け取るとしましょう)

 

 恐怖公は眷属達に命令を下す。眷属達は即座に、歪な魔物と化した魔人族達に群がった。

 

「ァ、ァァ……シ……ス……ティ……ナ……」

 

 もはや痛覚すら破壊されてしまったのか、全身の肉を喰べられながら魔人族の一人が悲鳴の代わりに小さく呻き声の様な声を上げた。

 

 カサカサ、カサカサ———。

 

 その声も、やがて眷属達の這いずる音に呑み込まれてしまった。

 

 肉を小さな口で咀嚼する無数の音と、シルバーゴーレムを整備する工具の音だけが部屋に響いていた。




>恐怖公

 ナザリックが誇る我らのジェントル・G。個人的にはオバロでデスナイトくんやベリュース隊長と並んでお気に入りキャラだったりする。
 ナグモとはシルバーゴーレム繋がりで交友がありました。そして紳士な彼は、ナグモの無自覚さを心配していましたとさ。

>歪な魔物と化した魔人族

……Rest in place。彼はナザリックにおける最大の慈悲を賜ったそうです。


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番外編2「スナックぺいんきるへようこそ!」

 本編が盛り上がりを見せる中で、こんなアホな話を書く駄目作者です(土下座)。
 内容的に、R-18版でやれや! と言われそうですが、どうしてもこっちで書いておきたかった。

 一応、後々の展開の為に書いておきたかったかので。


 ナザリック地下大墳 第九階層“ロイヤル・スイート"。

 

 白亜の城を思わせる豪華絢爛な宮殿の様な造りの階層には、かつてのギルドメンバー達の私室の他に、大浴場や食堂、美容院、衣服屋、雑貨屋、エステやネイルサロンといった娯楽施設が密集しているエリアがあった。

 これはギルドメンバー達の中でも建築に拘り抜いた者達がおり、現実世界では無理でもユグドラシル(オンラインゲーム)の中では上流階級のアーコロジーの様な憧れの生活をしてみたいという願いから作られていた。

 そして、その娯楽施設の一室にお洒落なショットバーがある。

 落ち着いた照明に、磨き上げられたカウンター。棚にいくつもの洋酒の瓶。まさに大人が静かに酒を楽しむ理想の空間だった。ここはナザリックの副料理長ピッキーが、通常業務の合間に趣味的にバーテンダーを勤めていた。そのカウンターに———。

 

「あらぁん、いらっしゃい。『スナックぺいんきる』へようこそん❤︎」

「え、えっと……いらっしゃいませ!」

「……ここはピッキーの店では?」

 

 和服を着たニューロニストとメイド服を着た香織の姿を見た途端、執事助手ペンギンのエクレアは来る場所を間違えたと後悔し始めた。

 

 ***

 

「いやねぇん。今日は副料理長が用事で来れないから、代わりにお店をやってるだけよん」

 

 はぁ……とカウンター席に座ったエクレアは、気のない返事をした。親友の店で久々に一杯やろうと思って来たが、予想外の展開だった。

 目の前に梅酒の水割り(ストロー付き)が置かれると同時に、コトリと料理の乗った小皿が置かれた。

 

「どうぞ。突き出しのお料理です」

「おや、これはご丁寧にどうも。しかし、随分と珍しい組み合わせというか……香織は何故ここに?」

 

 栄えあるナザリックに招かれ、第九階層で時折エクレア自身も掃除のやり方などを教えているアンデッド少女がここにいる事にエクレアは小首を傾げた。そもそもニューロニストとの繋がりそのものが不明過ぎた。

 

「ヘルプの子が欲しかったからねん、その辺を歩いていたから、丁度良いと思って手伝って貰ってるのよん」

「それはまた災難……ゲフンゲフン! しかし、香織は良いのかい? あまり帰りが遅くなると、ナグモ様が心配するのでは?」

「大丈夫です。ナグモ君、じゃなくてナグモ様も今日は研究のお仕事で遅くなる、って言ってましたから」

「ちゃんと定時で上がらせるから心配しなくて大丈夫よん。それにしても突然の頼みなのに引き受けてくれるなんて、貴女ってば良い子ねえん。おネエさん、感激だわん♪」

「ありがとうございます、ペインキルさん!」

「イヤねえん、そんな他人行儀な呼び方。私の事はニューロニストで良いわよん。あ、でもここではニューロママとお呼びなさい。良いわねえん?」

「はい、ニューロママ!」

 

 溺死体に蛸の頭部が張り付いた様な見た目のニューロニストに、香織は全く物怖じする事なく元気良く受け応えする。

 

(ううむ、確かこの子はほんの少し前までは人間だったと聞いたが……初対面でニューロニストをここまで恐れないとは意外と大物なのか? あるいは人間嫌いなナグモ様が好まれるくらいだから、普通の人間とは感性がズレているのだろうか?)

 

 側から見るとシュールな光景になんとも言えない気分になりながら、エクレアは突き出しの料理を一口食べた。

 

「おや、これは……」

「あの……どうですか?」

 

 ソワソワと香織はエクレアを見る。エクレアはもう一口食べ、ふむふむと頷いた。

 

「さすがにピッキーには劣るけど、悪くないね。こう、家庭的な味というか……」

「良かったぁ……。えへへ、このお料理、ナグモ君……じゃなくて、ナグモ様も喜んでくれるかな?」

「あらぁん。貴女ってば、愛しの彼の事を思い浮かべながら作っていたのん? ここは大人が一時の癒しを求めてくるお店なのに、いけない子ねん」

 

 幸せ乙女な笑顔を浮かべる香織に、ニューロニストは少しだけ嗜める様な声になるが、すぐにウットリとした表情となる。

 

「でも許してあげるわん。愛する人を四六時中想うのは、乙女なら当然だものねん。ああ、私もアインズ様の為に手料理を作って上げたいわぁん……」

「それにしても、あのナグモ様がねえ……。なんというか、今でも信じられないと申しますか……」

 

 エクレアは梅酒をストローで飲みながら嘆息した。人間嫌い、そして他人嫌いとして至高の御方によって作られた人間(NPC)に、恋人が出来たという事実が未だに信じられなかった。

 

(しかし、これはチャンスなのではないか?)

 

 イワトビペンギンの頭の中を素早く回転させ、エクレアは内心でニヤリと笑った。

 

(ナグモ様はナザリックの製作部門を一手に担う方。彼を味方に引き入れれば、ナザリックの重要な屋台骨を押さえたも同然になる。そう……いずれナザリックを支配する、このエクレア・エクレール・エイクレアーの名の下に!)

 

 ナザリックの執事助手エクレア。

 彼はナザリックのNPCでありながら、創造主の餡ころもっちもちの定めた設定(在り方)により、いずれはナザリックを牛耳ろうと目論んでいた。

 

(その為にも、ナグモ様が溺愛する彼女を取り込むのは必須……フッ、さすがは私だ。自分の頭脳が恐ろしい!)

 

 内心でそんな打算をしているとはおくびにも出さず、エクレアは猫撫で声で香織に話しかけた。

 

「どうだろう、せっかくの機会だ。香織がナグモ様のどこを好きになったのか、教えてくれないかな?」

「ええ!? そんな、恥ずかしいですよ!」

「あらぁん、そういうお話なら私も興味あるわぁん♪」

 

 顔を真っ赤にする香織に対して、ニューロニストも乗り出してきた。

 

「恋する乙女として、一度恋バナとかやってみたかったのよねん。ねえねえ、聞かせなさいよん。私がアインズ様を虜にする時の参考にしたいからん!」

「えっと……じゃあ、ちょっとだけ」

 

 香織は恥ずかしそうにモジモジしながら、語り始めた。

 

「私がナグモ君……ナグモ様と出会ったのは、中学生の時で———」

 

 ***

 

「それでですね! ナグモ君の寝顔が可愛くて、私はいつもナグモ君の後に寝る様にしてるんです!」

「ああ……そうだね………。ナグモ様は、魅力的な人間だからね………」

「ですよね! 他にもナグモ君は甘口のカレーしか食べられないのに、私が間違えて辛口にしちゃって作り直そうとしたら、『ちょうど辛口が食べたい気分だった』って、顔を真っ赤にしてプルプル震えながら全部食べてくれたんです! その時のナグモ君の顔が本当に可愛くて!」

「ああ……そうだね………。ナグモ様は、魅力的な人間だからね………」

「ですよね! あと他にもナグモ君は———」

 

 ———一時間後。

 エクレアは死んだ魚の様な目で、香織の話を聞いていた。ナザリックの者達の前ではナグモを敬称で呼ぶ様にしている配慮すら忘れるくらい、香織は興奮気味に話していた。壊れたレコードの様に同じ相槌しか打たないエクレアの様子にも気付かない様だ。

 

(こ、恋する少女というのは……ここまで暴走するものだったのか!?)

 

 胸焼けする様な甘ったるいオーラに気圧され、エクレアは辛口の焼酎をストレートで飲み干す。このバーにはどうしてブラックコーヒーが置いてないんだ、と益体もない事を考えていた。

 

「はぁん……良いわねえん。甘酸っぱいわぁん……」

 

 しかし、もう一人の聴衆であるニューロニストは違う感想を抱いている様だ。彼女(もしくは彼?)は膨らんだ溺死体の様な身体をクネクネさせた。

 

「私もアインズ様とそんなラブラブな生活を送ってみたいわぁん……いつ閨に呼ばれても良い様に、準備は怠って無いのにねえん」

「アインズ様って、すっごく魅力的で素敵な人ですよね。その気持ち、分かります!」

「あらん……貴女、もしかして。アインズ様の正妃を狙っているのかしらん?」

「そんな事無いですよ! 私が一番大好きなのはナグモ君ですし、アインズ様は私にとっては恩人で、凄い人だから……。私なんかよりニューロニストさんみたいな素敵な人が相応しいというか……」

「あらぁ……あらぁ、あらぁん! 貴女、分かってるじゃないの! 元が人間とは思えない程、本当に良い子ねぇん!」

「ありがとうございます、ニューロニストさん!」

「もう、ニューロママと呼びなさいってばん♪」

「はい、ニューロママ!」

 

 ひょっとして、自分は酔って悪夢を見ているのだろうか?

 純情可憐を形にした様な少女とブヨブヨとした溺死体の様な異形種が笑顔で語り合う光景を見ながら、エクレアは遠い目をしていた。

 

「それにしても良い話だったわぁん。お陰でアインズ様との新婚生活のイメトレが捗るわねん。お礼に何かしてあげたいけど、何か困っている事はないかしらぁん。おネエさんに話してみなさぁい」

「困ってる事、ですか……?」

「そうよん。このスナックぺいんきるはお悩み相談もやってるのん。各階層に名刺をばら撒いたから、貴女が記念すべきお悩み相談一号よん!」

 

 それに気付いていたら、よりによって今日に来なかったのに……。と、エクレアは後悔したが後の祭りだった。

 

「ええと、一つだけ……あるにはありますけど……」

「なぁに? 何でも言ってちょうだい。ニューロママが、にゅるっと解決しちゃうわん」

「………るの、生活の事なんです……」

「んん? 聞こえないわよん」

「……ナグモ君との、夜の生活の事なんです!」

「ゴフォッ!?」

 

 横で聞いていたエクレアは、飲んでいたグラスの中に噴き出した。唐突な爆弾発言に、ニューロニストは「あらぁん……」と目を丸くした。

 

「私の身体は定期的に魔力を取り込む必要があるんですけど、いつもナグモ君にその……手伝って貰ってるんです」

「まあ、そうなのん。夜のお悩みという事は……貴女が満足出来ないくらい、ナグモ様が下手だったとかかしらん?」

「あ、いえ。ソッチは特に不満は無いです。それに……感じてる時のナグモ君はすごく可愛いし、美味しいから……きゃっ♡」

「うわぁ……ある意味、知りたくなかった一面を知ったというか……というか、美味しい?」

 

 頭脳面ではナザリックで指折りで、技術研究所の所長として敏腕を奮っているナグモの知られざる一面を知り、エクレアは乾いた笑いしか出なかった。

 

(………ここでの事は、聞かなかった事にしよう)

 

 ある意味、ナザリックを牛耳る際にナグモを脅せる重大な話を聞いたわけだが、それをネタにするのはさすがのエクレアも気が咎めた。

 

「それで、何度か夜に付き合って貰っているのですけど……最近、ナグモ君は最初の時みたいな可愛い反応をしてくれないんです」

「まあ、そうよねん。そりゃあ、何度も抱いていたら慣れてきちゃうわよねん」

「はい。だから、ナグモ君に飽きられない様にしたいんですけど………」

「むむむ……そうねえん」

 

 私は何も聞いていない。辛口焼酎、美味しいなあー、とエクレアは天を仰ぐ。

 

「———話は聞かせてもらいんした!!」

 

 バンッ! と扉を開ける音に、フェードアウトしていたエクレアの意識が戻された。

 バーの入り口に目を向けると、そこには黒いゴスロリ服を着た色白の少女が実に良い笑顔で立っていた。

 

「あらぁん、シャルティアの小娘じゃない。お帰りは回れ右した方向よん」

「おいコラ、そこのブレイン・イーター。仮にも店だろうが。ちっとは接客する気はないのか? ああん?」

「仕方ないわねん……香織、この小娘にぶぶ漬けを出して貰えるかしらん?」

「あ、あの……その方、シャルティアってもしかして……?」

 

 シッシッと手を振りそうな態度のニューロニストに対して、香織はドギマギしながら目を向けた。心なしか、表情が少し硬くなっている。

 

「ん? そういえば、お前と直接会うのは初めてでありんすね。妾の名はシャルティア・ブラッドフォールン。至高の御方より、第1〜3階層守護者を任された者でありんす。見知りおきなんし」

「は、はい! お目にかかれて、光栄です!」

 

 優雅に微笑むゴスロリ少女———シャルティアに対して、香織はガチガチに緊張した様子で頭を下げた。それを見たエクレアは頭を捻る。

 

(はて、香織はどうしてあそこまで緊張しているのか? 相手が階層守護者だからか? いや、しかし香織の様子からするとシャルティアの事は既に知っていた様な? シャルティアといえば、確か………あ)

 

 そこまで考えを巡らせ、エクレアは重大な事に気付いた。

 シャルティア・ブラッドフォールン。

 至高の御方の一人、ペロロンチーノによって作成された彼女は創造主の性癖をこれでもか、と詰め込まれたNPCだ。

 その性癖は嗜虐趣味にして、両刀使いにして———死体愛好家である。

 

(マ、マズイ……見た目は眉目秀麗なアンデッドの香織をシャルティア様が放って置くわけがない……! 絶対に自分の手元に置きたがるぞ!)

 

 事実、ナグモがナザリックのNPC達を説明する時も、シャルティアに関しては「危険、近寄るな。何がなんでも二人きりになるな。無理やり連れて行かれそうになったら、これを使え。というか僕を呼べ」と、発信機付きペンダント(防犯ブザー付き)を香織に渡す程の徹底ぶりだった。

 ある意味、出会ってはいけない二人が出会ってしまったとエクレアは視線を忙しなく行き来させる。

 

「……ハァ。ナグモの奴から何を聞いたか知りんせんが、そう身構えないでくんなまし。さすがの私も、仲間であるナグモの女まで取ろうとは思わなんし」

 

 無意識にギュッと胸元のペンダントを握り締める香織に、シャルティアはわざとらしく溜め息を吐いた。

 

「でもそれはそれとして……うむ、人工臭いのが玉に瑕でありんすが、まあまあね。どう? 私の愛妾として仕える気はありんして?」

「はーい、お店の子には手を出さない。というか、さっさと帰ってくれないかしらん? 愛妾ならヴァンパイア・ブライドが一杯いるでしょうが」

 

 ジト目で睨むニューロニストに、フンとシャルティアは一瞥した後、香織に向き直る。

 

「そう喧々言わなくても用事が終わったら帰りんす。で、用事というのは……お前の主人であるナグモの事でありんす」

「ナグモく……じゃなくて、ナグモ様ですか?」

「そ。少し前に、あいつから贈り物を受け取りんした。久しぶりに楽しめたから、お礼がしたいでありんす」

「……ナグモ君が、シャルティア様に贈り物……ですか?」

 

 ピシッと何かが張り詰める。「浮気かな? かな?」と呟く香織の後ろに般若の姿が見えたのは、気のせいだとエクレアは震える背筋を無視してそう思う事にした。その様子をシャルティアはクスクスとおかしそうに笑う。

 

「そう嫉妬する事なくてよ。あいつから好きにしていい、とメスのワンちゃんを貰っただけでありんしてよ?」

「……え? 雌の犬、ですか?」

「ええ、メスのワンちゃん。今はアウラに預けてちょっと遠くにいるけど、その内お前にも見せてあげんす。色々と芸を仕込みんしたから」

 

 「ナグモ君が渡した犬? 造ってるキメラか何かかな……?」と香織が疑問符を浮かべる中、シャルティアは本題に入った。

 

「それで良いペットが出来んしたし、ずっと前にオルクス? 迷宮だかで、迷惑をかけたお詫びも兼ねて何か礼を渡そうと思いんしたけど……あの鉄面皮のナグモに何を渡したら良いか、さっぱりでありんした」

 

 そこで、と香織を指差した。

 

「ナグモがお熱なお前の悩みを解決する事で礼をする事にしんした。お前……ナグモとの夜の生活でもっと満足させたいでありんすよね? なら、夜の百戦錬磨の私に任せなんし」

「ひゃ、百戦錬磨!?」

「香織。調子の良い事言ってるけど、この小娘は同性経験しか無いからねん?」

「当たり前でありんしょ? 良い男がいないし、さすがに腐っているのはねえ? 死んでいる男で抱かれても良いのは………ポッ♡」

 

 シャルティアが頬を染める相手に察しがつき、ニューロニストはバチバチと目線から火花を散らす。しかし、その横で香織は「百戦錬磨……経験豊富……」とブツブツと呟いていた。

 

「あ、あの! シャルティア様はその……夜のアレにどんな事をされるんですか!?」

「おやぁ、興味ありんして? なら是非とも実践を、と言いたいところでありんすが、さすがにナグモもキレるだろうから口で言うだけにしんしょ。お前、どんな風にナグモを抱いていんして?」

「えっと、それは……ゴニョゴニョ」

「香織はあんたみたいな淫乱じゃないから、大声で言えるわけないじゃないん。ほら、これでも使いなさいん」

「いや、どうして都合良くメガホンを持ってるんです?」

「あらぁん、お客によっては内緒にしたいお話があるじゃないん? スナックのママとして当然の用意よん」

 

 恥ずかしそうに小声で言おうとする香織を慮って、メガホンを取り出すニューロニストをエクレアは半眼で見つめる。香織はゴニョゴニョとメガホンに耳を当てたシャルティアに向かって呟き———。

 

「ハン! お子ちゃまみたいなプレイでありんすね」

 

 一通り聴き終わり、シャルティアは鼻で笑った。

 

「そんなプレイでよく満足できんしたね。やるなら、例えば××とか」

「ふぇっ!?」

「××プレイとか、××××とかそれくらいやって当然でありんしょ?」

「うわぁ、うわぁ……シャルティア様、大胆です……!」

 

 ピー音で埋め尽くされそうな内容をスラスラと言うシャルティアに、香織は顔を真っ赤にしながら熱い眼差しを向ける。そこに尊敬の色が混じっているのは、きっと気のせいだとエクレアは自分に言い聞かせた。

 

「ちょっと! あんたみたいな変態が香織に吹き込むんじゃないわよん!」

「おやおやぁ? 私は香織の望む知識を伝授しようとしてるだけんしてよ? ま、囚人相手に無理やり喋らせるしか能がないお前には? 難しい話でありんしょうがねえ!」

「ぬわぁんですってぇ!? 舐めんじゃないわよん! 私のテクにかかれば、男の子を昇天させるなんてお茶の子さいさいよん!」

「く、詳しく! ニューロママ、その話を詳しくお願いします!!」

 

 女子(一人怪しいのがいるが)が三人寄れば、姦しいとは言ったもの。「う、後ろも!? そこに入れちゃうんですか!?」、「お前もアンデッドだから、出るもんは無いでありんしょうが。それと、そんな取り繕った言い方じゃなくて×××でありんす。はい、りぴーとあふたーみー」、「そこねん、前立腺と言って男の子でも感じるスポットがあって……え? 貴女、髪の毛でこんな事まで出来ちゃうのん? だったら、色々とやれちゃうわぁん!」などと、ピンク色な会話が展開される。すっかり蚊帳の外になったエクレアはフゥと溜め息を吐いた。

 

(ナグモ様……ファイトです。私がナザリックを支配した暁には、平穏な生活を保証しますので!)

 

 カラン、とグラスの中の氷が音を立てた。

 

 ***

 

「それじゃあ、配下のヴァンパイア・ブライドに玩具を届けさせるでありんす。ナグモにバレない様にするから、心配しないでくんなまし」

「はい、ありがとうございます! シャルティア様!」

「しっかりと()()して、ナグモの奴を骨抜きにしてやりなんし」

 

 ペコペコと香織は何度も頭を下げる。初対面の警戒心は薄れて、シャルティアに尊敬の眼差しを向けていた。その眼差しに純粋な優越感に浸りながら、シャルティアはスナックぺいんきるを後にする。そして———。

 

「くっくっくっ……上手くいったでありんす。これでナグモの奴に貸しを作る事に成功しんした」

 

 自分の階層へと戻る道すがら、ニヤァと口角を上げた。

 

「あのアンデッド娘はちと惜しいでありんすが、これも私が愛しのアインズ様の御寵愛を受ける為の必要な投資でありんしてよ。ナグモは最近何故かアルベドと仲が悪うなった様でありんすからねえ」

 

 くっくっくっ……と邪悪にナザリックの階層守護者は笑う。近くを通った一般メイドのフィースがギョッとした顔になったが、シャルティアは全く気付かなかった。

 

「くっくっくっ………見てるでありんすよアルベド! 妾がアインズ様の御寵愛を受ける様を指を咥えて見るが良いでありんす!」

 

 はー、はっはっはっ! と廊下の真ん中で高笑いする真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)からフィースは精一杯目を逸らしながら、足早に立ち去って行った。




またもや始まるオバロキャラの紹介。あとがきに書く文章に困っているから、定期的にやろうかなと。

>ニューロニスト・ペインキル

 「スナックぺいんきる」のオーナーママ……ではなく、本業はナザリックの拷問官。五大最悪の一人、「役職最悪」。アインズに寝室に呼ばないのは、「アインズ様がストイックなお方だから♪」と心酔している。因みにスナックママのネタは公式スピンオフ「不死者のOh!」から。

>エクレア・エクレール・エイクレアー

 バードマン(イワトビペンギン)の執事助手。創造主により、「ナザリックの支配を目論んでいる」と設定されている。その為、「ナザリックを綺麗に掃除する事こそが、ナザリックの支配に繋がるのです!」と今日も清掃に勤しむ。作者の感想だが、公式スピンオフではツッコミ役を多く務めている気がする……。

>シャルティア・ブラッドフォールン

 ナザリックのすんごい問題児(笑)。
 ナザリックの第1〜3階層「墳墓エリア」の階層守護者。創作者が「エロゲーイズマイライフ!」と豪語するペロロンチーノだった為か、「バイセクシャルで、サドかつマゾ。ついでにネクロフィリア」などエロゲにありがちな性癖にされている。ちょっとオツムが足りない為、彼女の行動は大体大惨事になる。

>フィース

 今回、喋らなかった子。ナザリックの一般メイドは、メイドスキーな創作者達によって作成されたNPC達なので一人一人性格やキャラデザが異なるという手の凝り様である。
 フィースちゃんがどんな子か知りたい人は、各動画サイトで配信中の「オーバーロード Ⅳ」を見よう(ダイマ)。

>香織

 あぶのーまるなぷれいが解禁になりました♪

 ありふれ二次において、香織が夜のアレコレを吸血鬼の王族として嗜んでいたユエに聞くのは鉄板ネタだと思う。だからこの香織も(やべー方の)吸血鬼から色々と教わりましたとさ。


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Ifルート「至高の四十一人ぷらす」

あけましておめでとうございます。

 最近、別の作品を書いておりますが、こちらの作品の書き方とか忘れない様にとIfネタを書いてみました。以前、感想でチョロっと書いた至高の四十一人が一緒に転移したら……みたいな展開です。

 今年もこの作品をよろしくお願いします。


『グオオオオオォォォォッ!!』

 

 巨大な牛頭の魔物が雄叫びをあげる。手に持った棍棒は二メートル近くはあり、人間が当たれば確実にミンチになると伺わせるのに十分な速度で振るわれた。

 

「………フン」

 

 しかし、ナグモはそれをあっさりと躱すと距離を詰めて魔物の手に触れる。

 

「———“錬成"」

『グギャアアアアアッ!?』

 

 バチィッ、という音と共に魔物の手が変形する。骨が自分の身体を突き破り、出鱈目な形で魔物の手から飛び出していた。激痛のあまりに棍棒を取り落とす。

 そして———大きく体勢を崩した魔物に、駆け寄る人影が一つ。

 

「はああああああっ!!」

「天啓よ、かの者に力の加護を! “昇力”!」

 

 ナグモから離れた場所で筋力上昇の補助魔法を唱える香織の援護を受けて、雫は黒刀を居合い斬りの様に素早く抜刀した。

 キンッ、という音に遅れて、牛頭の魔物の喉が斬り裂かれて血が吹き出す。

 

『ゴ、ガッ………!』

 

 牛頭の魔物が白眼を剥いて、ゆっくりと倒れていく。その姿を見て、雫は研ぎ澄ませていた緊張感をほぐす様にゆっくりと息を吐き———。

 

「雫ちゃん、前っ!!」

 

 香織の叫びに雫はハッと顔を上げる。そこには最期の力を振り絞り、雫に向けて手を振り払おうとする牛頭の魔物がいた。

 

「しまっ……くぅ……!」

 

 自分の失態に気付いたが、もう避け切れないと判断した雫はせめてもの抵抗で身構える。

 だが、牛頭の魔物の手が雫に届く事は無かった。

 ドンッ! と鈍い音が雫の目の前で起きた。そこには———牛頭の魔物の最期の一撃を手にしたメイスで防いだナグモがいた。

 

「な、南雲くん!」

「———“錬成”」

 

 ナグモは牛頭の魔物の頭に触れ———牛頭の魔物は、ビクンと痙攣すると目や鼻から血を噴き出しながら絶命した。

 

「雫ちゃん! 大丈夫!?」

「あ……私は大丈夫よ。その……南雲くんは?」

「……服が汚れた」

 

 返り血の付いた服に眉間に皺を寄せながら、ナグモは淡々と答えた。そんなナグモに、雫はすまなそうに頭を下げる。

 

「その……ごめんなさい、南雲くん。私が油断したせいで、南雲くんの手を煩わせてしまって」

「まったくだ。余計な手間を増やす事になったというのは事実として認識すべきだ」

 

 謙遜や慰めを一切交えず、淡々とした口調のナグモに雫は悔しそうにしながはも、目線を落としてしまう。

 

「雫ちゃん……」

 

 そんな親友に香織も憂いる表情になった。

 

「……しかし、連携は悪くない」

 

 え? と二人は顔を上げる。そこにはいつもの様に、「この世全てがつまらない」と言う様に無機質な表情でナグモがいた。

 

「八重樫の剣は力より速さに重点を置いたもの。よって白崎が筋力上昇の補助魔法を唱えたのは理に適っていた。そして八重樫の剣があと数センチ深く斬り込むか、あるいは———」

 

 喋りながら、ナグモは倒れた牛頭の魔物の腹をナイフで捌いていく。その手付きは一流の外科医の様に淀みがない。

 

「……ここだ。胸骨のすぐ真下、人間で言うならば鳩尾の部位。そこに核となる魔石がある。次からはそこを狙え。人型の魔物は細かな部分に差違はあれど、基本的に人間と急所は大差ない」

「わ、分かったわ。次からそれを注意してみる」

 

 雫が頷くのを見て、ナグモは魔物から取り出した魔石を背嚢に入れて立ち上がった。

 

「……君は人間の中ではそれなりに優秀な部類だ。二度目の失敗はしないもの、と期待はできる。……帰還するぞ、目標の魔物は倒した」

 

 そう言って、ナグモは歩き出す。雫と香織達を擦り抜けて、背中だけが見える様になった時——。

 

「……まあ、最後は慢心は論外だが。大甘に見て、怪我が無かった事を誉めるべきだろう」

「え……?」

「それって……」

 

 雫と香織が聞き返すより先に、ナグモはさっさと歩き出していた。

 

 ***

 

「ん〜〜っ、やっぱりお風呂は良いよねぇ」

 

 宿屋の浴場で、香織は湯船の中で手足を伸ばしながらゆったりとしていた。

 旅の最中は簡単に身体を濡れたタオルで拭いていただけなので、それだけに久々に入浴の気持ちよさは別格だ。

 そんな香織の横で、雫は苦笑しながら同じ様に湯に浸かっていた。

 

「香織、他に入浴してる人がいないからって無防備過ぎよ。でもこうしてると、日本にいた時に恵まれた生活だったんだなぁって思うわねぇ」

「そうだよねー」

 

 ふにゃあ〜、とリラックスする香織だが、雫は少しだけ浮かない顔になった。

 

「雫ちゃん? どうかしたの?」

「え? ううん、何でもないわ」

「嘘。雫ちゃんが何でもない、っていう時は周りを心配させない様に不安を押し殺そうとしている時だよ」

 

 じーっ、と香織は雫を見つめる。最初は愛想笑いで誤魔化そうとした雫だが、香織の無言の訴えに耐えかねて、とうとう降参する様に両手を上げた。

 

「ふぅ……分かったわよ、香織には敵わないわね。……その、ね。私は、ここにいて良かったのかな……?」

「どういう事?」

 

 香織が首を傾げる中、雫は自分の迷いを吐露する様にポツポツと話し出した。

 

「昼間の戦闘……私、“剣士”だから前に出て戦わなくちゃいけなかったのに、また南雲くんに助けて貰っちゃって……」

「気にする事無いよ。南雲くんは、“勇者”の光輝くんより強いんだから」

「ん……そうよね」

 

 香織の言葉に、雫は頷く。

 召喚されたクラスメイト達の中で、唯一人の非戦闘職でありながら、ステータスが“勇者”の光輝より強くなった南雲ハジメ―『ナグモ』。

 そんな彼をハイリヒ王国や教会は手のひらを返して、「あなた様こそがエヒト神の恩寵を受けた救世主です!」と崇め奉ったが、クラスメイト達の一部はそれを快く思っていなかった。ナグモ自身、かなり偏屈な性格であり、召喚前から自分達に馴染もうともしなかったクラスのはみ出し者が異世界では周りからチヤホヤされているなど、彼等からすれば面白くない状況だったのだ。

 

 そして、とうとう事件が起きてしまった。

 

 オルクス大迷宮での実戦訓練。そこで今のクラスメイト達では到底敵いそうにない魔物と遭遇してしまった時の事だ。

 誰もが絶体絶命の瞬間に肝を冷やす中、魔物自体はナグモが倒した———しかし、そこで生徒の一人が事故を装ってナグモに攻撃魔法を放ったのだ。

 その攻撃魔法はナグモに当たる事なく、ナグモは彼等の元に戻って攻撃魔法を放ったクラスメイトを問い詰めた。しかし———。

 

「それに……もう光輝くんとは一緒に戦えない。そう思ったから、ナグモくんについて行こうと思ったんだよね?」

「それは……そうだけど……」

 

 ほんの少しだけバツが悪そうに、雫は呟く。

 ナグモが問い詰めた時、件のクラスメイトは「あれは間違いだ! こいつが勝手に射線に割り込んだんだ!」と主張しだしたのだ。状況から見て、かなり無理のある言い訳なのだが、それを光輝は信じたのだ。

 

『檜山はこんなに反省しているのだから許すべきだ! 大体、南雲は俺達が自主練をしている間も図書館でサボって連携を深めようともしなかったじゃないか! 勝手に前に出て戦った南雲の方に問題がある!』

 

 クラスのリーダーの後押しを受け、「そうだ! お前が悪い!」と言い出す檜山。メルドが叱責するのも聞かず、光輝は頑として主張を変えなかった。

 そんな最悪な雰囲気で終えた実戦演習の翌日の事だった。

 

『……よく理解した。お前達が、猿にも劣る低脳な生物だと改めて認識したとも』

 

 ナグモは極寒を思わせる様な視線で光輝達を見ながら、嫌悪感を顕らにしながら言い放つ。

 

『……お前達みたいな低脳生物と共に戦うなど不可能だ。よって僕は王国から出て行かせてもらう』

 

 この宣言にクラスメイト達はともかく、王国の上層部は度肝を抜かれてしまった。彼等にとって、オルクス大迷宮で誰にも倒せなかったベヒモスすら倒したナグモの存在はもはや“勇者”よりも重視すべき存在となっていた。だからこそ、彼に王国から出て行かれては困るのだ。

 紆余曲折を経て、最終的にはリリアーナの取りなしでナグモは光輝達から離れて王国の依頼を受けて魔物を倒す冒険者として単独行動が許される様になった。

 

「あの時は驚いたわよ。香織が突然、『だったら私も南雲くんと一緒に行く!』なんて言い出すんだもの」

「ん……それ以前にも、光輝くんには段々愛想が尽きてきちゃったからね」

 

 必要な荷物を纏め、さっさと出て行こうとするナグモに、同じ様に荷物を纏めた香織が立ち塞がって宣言したのだ。

 当然というべきか、これには光輝は猛反対した。

 あいつはこの世界の人達を救うという使命を放り出した逃げ出す卑怯者だ、香織はそんな奴より俺と一緒にいるべきだ。

 そういった事を並べ立てたが、香織の意志は固かった。そして香織の意志を変えられないと見た光輝は、ナグモに対して一方的に決闘を挑んだ。

 

『武器を抜け、卑怯者! 香織の意思を捻じ曲げてまで、自分の側に侍らそうとするお前なんか、俺が倒す!』

『………白崎がどういう選択をしようが、白崎個人の自由だと思うが?』

『黙れ! 香織の事は俺が一番良く分かっている! 香織はお前みたいな奴より、俺と一緒にいた方が何倍も良いに決まっている!』

『………言いたい事は、それだけか?』

 

 あの瞬間———いつも無表情だったナグモが、明確な怒りを浮かべていたのが印象的だった。

 結果から言うと光輝はボロ負けして、しかも現場に居合わせたリリアーナの宣言の下、香織がナグモに同行する事が正式に許された。そして———。

 

『雫ちゃんも一緒に行こうよ! これから色々な場所に行くって南雲くんが言っていたから、きっと楽しい旅になると思うの!』

『香織……でも………』

 

 親友の誘いに、雫は迷ってしまう。

 幼馴染である光輝をこのまま放置して良いのか、彼が暴走した時に止める者がいなくてはクラスメイト達は空中分解するのではないか……そんな不安が雫の中で渦巻く。

 

『雫……ここは一度、貴女も光輝様からしばらく離れた方が良いと思います』

『リリィ……』

 

 この世界に来て、身分を超えて友人となった王女は雫に優しく微笑む。

 

『貴女の責任感の強さは美徳ですが、それで雫自身を押し殺してしまうくらいなら、重責を共に担ぐ者が必要だと思います。……光輝様については、ご心配なさらず。“アレ”でも我が国の勇者ですから、その自覚をして頂ける様に、しっかりと教育を徹底させますわ』

 

 そう言ってくれるリリアーナに、雫は少しだけ考える。光輝がここまで暴走する様になったのは、ある意味ではすぐにフォローしてなぁなぁで済ませてしまった自分に原因があるかもしれない。地球ではそれでもなんとかなったが、命の危機がすぐ隣り合わせにある異世界でもそれでは、光輝自身はおろか周りの者達まで危なくなる。現にナグモを襲撃した檜山を簡単に許すどころか、嫉妬でナグモを責め立てるなど集団のリーダーとして到底あり得ない事までやらかしたのだ。これ以上、雫が庇い続けるのは不可能だろう。

 

『……ありがとうね。香織、リリィ。その……南雲くん? 迷惑でなければ、ついて行って良いかしら?』

『……好きにしろ』

 

 ドギマギする雫に対して、ナグモはそれだけ答え、雫と香織は光輝達のパーティから離脱して、王国で“神の使徒”の宣伝も兼ねて各地へ魔物退治をするナグモと行動を共にする事になったのだ。

 

「大丈夫だよ、雫ちゃん」

 

 香織が湯船に浸かりながら、雫の側に座る。

 

「雫ちゃんが一緒に来てくれて、私は嬉しいよ。だって、雫ちゃんも最近は光輝くんや皆を纏めなくちゃ、っていつも険しい顔をしていたもの。そんな事で潰れちゃう雫ちゃんなんて見たくないよ」

「香織……」

「それにね……南雲くんも、雫ちゃんがいて迷惑だなんて思ってないよ」

「そう、かしら……? 南雲くん、いつも通りのつまらないって表情だったけど……」

 

 香織の言葉に雫は首を傾げてしまう。旅に同行する様になってから、クラスでも「他人嫌い」で有名な男子生徒と間近で接する様になったが、彼が雫や香織に対して笑顔を向けた事などなかった。

 

「だって本当に嫌なら、南雲くんははっきりと言ってくるもの。それも歯に衣を着せない性格だし」

「あー、確かに。容易に想像できちゃうわねぇ」

「それに昼間、南雲くんは『期待する』と言ってくれてたよ。南雲くんが相手をそう評価するのはすごく珍しい事だと思うの! それに怪我が無くて良かった、なんて……きっと雫ちゃんの事を気にかけ始めているんじゃないかな?」

「またこの子は……すぐに恋愛要素に絡めるんだから。そんなわけ無いでしょうに」

「でもでも! 南雲くんって頼りになるし、雫ちゃんを守ってくれる理想の男の子になると思うの!」

 

 そんな馬鹿な、と言おうとして雫は考えてみる。

 ナグモは常に雫の前に出て傷を負わない様に立ち振る舞ってくれるし、顔立ちはどこか人形じみているが整っている方だ。性格面も、慣れてくれば無愛想ながらに自分や香織を気遣う面もあるなど、意外と優しい所があるのかもしれない。

 

(あ、あれ……? もしかして、南雲くんって意外と良い男子なのかしら?)

 

 それに気付き、雫はボッと顔が赤くなるのを感じた。それを隠す為に、ブクブクと湯船の中に顔を沈める。

 

「あ、雫ちゃんの顔が赤くなった! ふふ〜ん、雫ちゃんも南雲くんの良さに気付いたんだね」

「ち、違うから! ちょっと良いかもしれない、って思っただけだから! 大体、そういう香織はどうなのよ! 南雲くんと付き合いたい、って思ってるのは貴女の方でしょ!」

「う〜ん、もし付き合える様になっても、雫ちゃんだったら一緒に南雲くんをシェアしても良いかなって思ってるけど?」

「ちょっと待ちなさい。彼女公認で浮気OKとか、さすがにインモラルでしょうが」

「嫌だなぁ、雫ちゃん。私だって二股されるのは嫌だよ。ところで話は変わるけど……地球だとアフリカとかって一夫多妻が認められるんだよね?」

「……自重しなさい、この突撃娘!!」

「いひゃひゃひゃっ!?」

 

 香織の頬を両側から引っ張り、ムニムニとする雫。貸切の浴場に、女子二人の姦しい声が響いた。

 

 ***

 

「———報告は以上となります」

 

 香織と雫が仲良く入浴している頃、ナグモは一人部屋で秘密の連絡を取り合っていた。連絡相手は<伝言(メッセージ)>を通じて頷いていた。

 

『うん、冒険者活動は問題ないみたいだな』

「はっ。冒険者組合に提出する物を除いた魔石などのサンプルはいつも通りお送りします。技術研究所に調査を命じ、お役立て下さい」

『分かった。いつもありがとうな』

「礼など畏れ多いです。至高の御方の為に働くなど、ナザリックの者として当然です」

『ん…………そうか』

 

 ナグモの返答に、連絡相手はどこか歯切れの悪い返事をした。話題を変える様に、『ところで……』と何処となくソワソワとした声を出した。

 

『ナグモが今、一緒に冒険者をやっている子達……白崎ちゃんと八重樫ちゃん、だったね? 二人と一緒にいて、どう? 何か変わった事はあった?』

「特段、何も。多少は成長しましが、相変わらず戦闘力はナザリックの下位のシモベ程度です。所詮は人間といった所ですね」

『う、う〜ん……そういう事じゃなくてだな……』

「ただ………あの二人は、何か異なるものがあると思います」

 

 何処となく歯切れの悪い声の主の微妙な声音に気付く事なく、ナグモは思った所感を述べ出す。その表情は———自分でも奇妙だと思っている様な、不思議そうな表情だった。

 

「あの二人……白崎と八重樫は、低脳な人間達が糾弾する中、僕を庇おうとしました。思考回路が理解出来ませんが……あの二人は他の人間達とは違う。そんな風に思えてきます。あの二人が相手だと、人間相手に感じる嫌悪感もあまり感じないです」

『………へ、へぇ。そうか……うん。それはいい事だな、うん………』

 

 表情が見えたら半笑いになっていそうな声で、声の主はナグモの独白に頷いた。

 

『ま、まあ……人間にも色々な人がいるという事だ。人間が嫌い、と言っても、まずは先入観を一旦置いて接してみる事。それと……うん、その二人には優しくする事。白崎ちゃんと八重樫ちゃんに庇ってもらったなら、二人に恩がある様なものだ。受けた恩と借りは必ず返す事! それは相手が誰であれ、必ず守る事だぞ!』

「はっ。心得ております……じゅーる・うぇるず様」

 

 ナグモは目の前にいないと承知しながらも、敬愛する至高の御方にして自らの生みの親とも言える声の主の言葉に深く頭を下げた。

 

 ***

 

 ナグモ達がいる場所から遠く離れた土地。

 そこに忽然と現れた様に周りの風景と噛み合っていない巨大な地下墳墓があった。

 その地下第九階層。白亜の宮殿を思わせる豪奢な内装が施された空間があり、その階層の一室に巨大な円卓が置かれた部屋があった。

 円卓には四十一人分の席があり、その全ての席が埋まっていた。

 ただし———座っているのは全員人間ではない。

 骸骨の頭を覗かせる魔導師、スーツを着た山羊頭の悪魔、金の仮面を被った鳥人間、はたまたコールタールを思わせる色をしたスライムなどなど……。

 いずれもトータスでは見た事の無い様な魔物達であり、誰もが人間では———異世界から来た勇者達であっても———到底及ばない強大な魔力や身体能力、戦闘技術などを感じさせていた。もしもトータスの一般人がこの光景を見れば、「世界の終わりだ」と泣き崩れるか、発狂していただろう。

 

 その円卓の一席に、一人の異形が座っていた。

 金と赤でカラーリングされた金属の身体をしており、六本の腕を持った姿はインドやヒンドゥーの神話の神をロボットで再現した様に神々しい姿だった。

 まさに機械の神と呼ばれるに相応しい彼は————。

 

「———メッチャ意識しているじゃないか!」

 

 ……盛大に頭を抱えていた。

 

「落ち着きなよ、じゅーるさん」

「だって、だって! ウチの子にガールフレンドが出来るかもしれないんですよ!!」

 

 隣に座った天使人形が呆れた様な声を出す中、機神はガバァッ! と頭を上げる。

 

「人間嫌いという設定を作っちゃったせいで、学校の子達と上手く馴染めないみたいで心配していたら、なんか気になる女の子が出来たって! それも二人も!? ど、どうしよう!? どうしたらいいですか、るし☆ふぁーさん!」

「いや、だから落ち着きなって。いいじゃん、別に。青春しちゃってるよね〜」

 

 神々しさを欠片も感じさせずに動揺する機神に、天使人形はケラケラと笑う。

 

「いやぁ、じゅーるさん程じゃないけど確かに驚きましたよね。NPCにも恋愛感情ってあるものなんですかねぇ」

「そりゃあ、あるんじゃない? 彼等だって今は生きているんだし。ほら、アルベドが良い例じゃない?」

「あ、あれはタブラさんが面白半分で設定を書き換えたからで!」

「う〜む、サービス終了までギルマスを務めてくれたモモンガさんへありがとう、の意味を込めて書き換えた設定がああなるとは……まあ、良いじゃないの。ウチのアルベドは可愛いんだし」

「タ、タブラさ〜ん!」

「でも同級生の子と異世界で冒険かぁ……ロマンチックだよね〜」

 

 ワイワイガヤガヤ、この場に居合わせた異形達はナグモを話題に盛り上がっていた。その様は、若者の恋を肴にしている大人達そのものである。

 そんな中、自分の息子(NPC)に彼女が出来るかもしれないという非常事態に機神は六本の腕で頭をガシャガシャと掻きむしる。

 

「うう……本当にどうしよう? 付き合い出したら、ナグモがお世話になっていますって挨拶すべきかな? 相手の親御さんにも挨拶して、ああ、そうだ! 結婚式は第九階層のロイヤルスウィートが良いかな? 第八階層の桜花領域が良いかな?」

「落ち着け、パパ・じゅーる。まだ付き合っても無いでしょうが」

「でもさぁ、相手の子達の様子を聞く限り、満更でも無さそうだよねぇ」

「ふむ……一夫多妻制は妻二人とその家族を養える程の所得が無いと難しいけど。ナグモは我々が給料を払ってないけど、技術研究所の所長だからね。そのくらい簡単に稼げそうではあるよね」

「頭が良くて、一応はレベル100だからそれなりに強い。ついでに女の子二人に言い寄られている、と……爆発しねえかな?」

「ナグモもお前に言われたくないと思うぞ、弟。自分の理想を詰め込んだNPCと毎晩イチャイチャしてるとか、姉ながら本気でドン引きなんだけど?」

「仕方ねーじゃん! シャルティアはマジ天使なんだし! ナザリックで一番可愛いし!」

「あ、ちょっと聞き捨てならないですね。私のソリュシャンこそが全男性の理想の女性だと思いますよ?」

「ルプーの方が可愛いだろ! 褐色元気っ娘とか最強じゃん!」

「私のエントマの良さが分からないとか……素人共め」

「ボクのユリだって可愛いよ!」

 

 ウチの子が可愛い! いいや、ウチの子だね! とNPC自慢を始める異形種(親バカ)達。やがて、手をパンパンと叩きながら骸骨の魔導師が立ち上がる。

 

「ああ、もう! そこまでです! 会議の本題からどんどんズレちゃってますよ!」

「ん? モモンガさんもパンドラズ・アクターについて語っちゃう?」

「あいつの事は少し忘れさせて欲しいというか……じゃなくて! ナグモが冒険者をやって注目を集めて貰ってる間にどこの大迷宮を行くか、って話だったでしょう!!」

「ああ、それですね。やっぱりグリューエン大火山———」

「私はライセン大迷宮の方が良いと思います」

「……ふぅ。たっちさん、ここは皆の事を考えるべきだと思いますよ? 今のメンバー的に、空間魔法の方が重要度が高いでしょう?」

「いや、我儘を言っているのはウルベルトさんですよ。重力魔法の方が応用性が高いから、習得が早い方が良いじゃないですか?」

「魔法職最強と物理職最強が喧嘩すんなって……」

「そういえばさ、アレーティアちゃんの育成はどうする? やっぱり魔法職だよね?」

「それを言ったら、たっちさんが助けたシアちゃんだっけ? 彼女は物理アタッターとタンク職のどっちにするかも決めてないよ」

「タンク役はティオが適任な気もするけど……なんかあの人、模擬戦でも殴られる度に笑顔になってくから正直怖いのだけど!」

「彼女達の育成も兼ねて、となるとやっぱり攻略順は考えた方が良いかなぁ? どう思います、モモンガさん」

「うーん……それじゃあ、たっちさんとウルベルトさんの案を多数決で決めましょう。二人も良いですね?」

「勿論です」

「異存はありません」

「はーい! それじゃあ、新金貨はウルベルトさん。旧金貨はたっちさんでやりましょうか。二人の説明を聞いて、そっちの案が良いと思った金貨を出して下さいねー!」

 

 骸骨の魔導師の宣言に、彼等は頷く。

 今日も至高の四十一人と呼ばれる異形種達は賑やかに過ごしていた。

 

 ***

 

 オマケ

 

「———というわけで、来ちゃいました。お久しぶりです、ミレディさん」

「………うん、ミレディちゃんもね。エヒトのクソ野郎を倒せる人がこんなにいるなんて、喜ぶべきだと思うよ? うん、良かった良かった。本当に……でもさぁ……アスレチック感覚で、何度も大迷宮に来るんじゃなああぁぁぁああいっ!!」

 

 自分が精魂込めて作ったダンジョンを周回プレイの様に何度も突破され、巨大ゴーレムは「うがああああっ!」と両手を上げて嘆くのだった。

 




このルートの場合、ざっくりとこんな感じです。

・鈴木悟の世界の巨大企業の不正が暴かれ、社会や経済にある程度の余裕が出来ている。

・ユグドラシルのサービス終了日、ギルドメンバー達は全員集まって惜しみながらも解散パーティをやっていたら、トータスにナザリックごと転移。この世界に定住するかどうかはともかく、元の世界に帰る方法を確立するに越した事はない、と一致団結して大迷宮の攻略をしている。

・NPC達は相変わらず勘違い&暴走。しかし、たっち・みーの様に良識ある大人が多いので、現地民の被害は最小限に収めている。

・本編ではモモンガが早めに帰還させたナグモも、ナザリックに急いで戻る必要は無くなったからオルクス大迷宮で奈落に落ちる事は無かった。しかし、魔法を撃った檜山を光輝が庇った事でクラスメイト達とは完全に見切りをつけた。モモンガ達もそんな連中と一緒に戦え、というのは難しかろうという事で裏から手を回してナグモが王国から単独行動を出来る様にした。

・香織と雫も一緒について来て、ナグモと一緒に冒険者活動をやっている。そしてナグモの話している様子から、じゅーるは「息子に彼女が!?」と滅茶苦茶テンパってる。


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クロス企画「ありふれた?デジモンテイマーは世界最強を超え究極へ至る」①

 ちょっと手違いがあったので再投稿。

 竜羽さんの『ありふれた?デジモンテイマーは世界最強を超え究極へ至る』とクロスオーバー企画をやりました。
 クロス元である竜羽さんの作品と併せて、是非ともお読み下さい。


『ありふれた?デジモンテイマーは世界最強を超え究極へ至る』
https://syosetu.org/novel/262798/


side:ありふれてないオーバーロードで世界征服

 

 オルクス大迷宮・最奥部――――――ナザリック技術研究所・オルクス支部。

 

 ナグモ率いるナザリックの研究員達によって試練の為のダンジョンから改造され、ナザリックの為に鉱物資源の採掘やトータスに関する様々な研究の拠点となった場所にナグモはいた。

 

「ふぅむ………」

 

 研究室の一室、彼は目の前に置かれた物体を調べながら眉間に皺を寄せていた。

 

 部屋の中央に置かれているのは高さ三メートルくらいの巨大な扉だった。

 重厚な装飾が施された戸枠、最高級の黒檀を思わせる両開きの木の扉には見事な細工が施されたドアノブが付いていた。

 

 それ単体でも美術館に飾れそうな扉には、いまは何本ものケーブルが取り付けられ、ケーブルの先にある様々な計器と繋がっていた。

 

「………駄目か」

 

 計器の数値を見て、ナグモは失意の溜息を吐く。より正確に言うなら、何も反応がない事を示している測定値に対して。

 

 シュッと研究室の自動ドアがナグモの背後で開かれる。ナグモが振り向くと、彼が絶対の忠誠を誓うべき至高の主人―――アインズが部屋に入ってきた。

 

「アインズ様! いらしていたのですか!?」

 

「ああ、楽にしていい。所用がてらに立ち寄っただけだ」

 

 慌てて片膝をつこうとするナグモに対して、支配者らしい優雅な仕草で不要だとアインズは告げる。

 至高の御方の寛大な慈悲に感謝しながらナグモが立ち上がると、アインズの背後にいたユエの存在に気付いた。

 

「お前か………アインズ様に対して無礼な態度は取ってないだろうな?」

「ご心配なく。オルクス支部の現場状況を確認したいと仰ったアインズ様を御案内していただけ」

 

 愛想の欠片もないナグモの態度は、見る者によっては威圧しているように感じるだろう。

 だが、ユエはそんなナグモの無愛想には慣れっこだと言うように頷いた。

 

「お前には依頼した物の調査があるし、香織はペストーニャの下でメイドの研修中。ミキュルニラや他の研究員達もオルクス迷宮の作業で忙しい様だったから、ユエに現場進捗の報告を頼んだのだ。とても分かりやすく、お陰で助かったぞ」

「はっ。ナザリックの全ての者は、アインズ様の御役に立つ事こそが至上の命題であります故に」

 

 それとなくユエの働きを褒めたアインズだが、彼女の直属の上司であるナグモはそれが当然だと頷いた。彼を含めてナザリックのシモベにとって、アインズの為に働いて役立つ事は息をするくらい当然だと思っている様だ。

 

(いやいやちょっとは褒めてやれって。部下の仕事を褒めるのも、出来る上司がやってる事だって本に書いてあったぞ?)

 

 こっそりと読んでいた『出来る上司がやるべき習慣』というハウツー本の内容を思い出して、アインズは心の中でつっこみを入れる。相変わらずの高過ぎる忠誠心に頭が痛くなってくるが、それを押し殺して本来の用事を聞くことにした。

 

「ところで………“旅立ちの扉”は使えそうか?」

「いえ………申し訳ありませんが、今の所は“扉”に反応はありません」

「そうか………」

 

 忸怩たる思いで報告してくるナグモだが、アインズはあまり気にしていなかった。

 このアイテム―――“旅立ちの扉”はアインズがユグドラシル時代に使っていたアイテムだった。

 ユグドラシルは長年続いたMMORPGなだけあって、他作品のコラボイベントもよく行われていた。そのイベントの際に、コラボした作品の世界観のマップやダンジョンに移動するのに『ユグドラシルとは異なる世界を繋げる扉が現れた』という設定で運営から配布されたのが“旅立ちの扉”だった。

 アインズがナザリックごとトータスに来たのも、この“旅立ちの扉”が関係していないか、と思って、宝物庫から引っ張り出してナグモに調査を依頼していたのだが―――。

 

「調べたところ、このアイテムはあくまで転移用のゲートを維持するもの。それも異世界側から働きかけて貰わない限り、ゲートが開く事もありません」

「こちらから起動できないということ?」

 

 ユエの質問にナグモは頷いた。

 

「その通りだ。異世界側から“旅立ちの扉”に向けて空間の繋がりを結ぶ事で初めて起動する。調べてみたが、こちらから異世界に対してコンタクトを取ったり、繋がる異世界を指定したりするような機能が、このアイテムには無い」

「そうか………」

 

 もっともらしく頷くアインズだが、ナグモの報告に対してさほど驚いていなかった。

 

(まあ、あくまでコラボイベント用のアイテムだしなあ。イベントが無い時はただの置物だったし………)

 

 いまアインズ達が敵対するエヒトルジュエはこの世界の神と崇められる存在。神というからにはユグドラシルでいうところのワールド・ボス級を想定するべきだろう。更なるナザリックの強化に異世界で手に入るアイテムなどが役立たないかと思ったものの、無駄骨に終わりそうだ。

 

(もしも異世界に繋がるなら、元いた地球とだって………そうすればギルメン達とも、また………)

 

 アインズは決して叶わぬ願いと知りながら、“旅立ちの扉”をじっと見つめた。

 厳密には願いを叶える方法はある。それをアインズは所持している。

 ただし、そのアイテムはアインズでも一つしか持ってない程に貴重で、エヒトルジュエとの戦いを控えている今は自分の個人的な願いの為に使おうとは思えなかった。ナザリックの皆を守る為―――どうしようもなくなった時の為の切り札として温存すべきだろう。

 

「アインズ様………? やはり、失望されましたでしょうか?」

「………いや、そんな事はない。無いんだ、ナグモ」

 

 黙って“旅立ちの扉”を見つめていたアインズに別の意図を感じたのか、ナグモは顔を青くしながら恐る恐る聞いた。それを安心させる様に首をゆっくり振るアインズだが、この場でただ一人だけ彼の意図を正しく把握したユエは寂しそうに目線を落とした。

 

「アインズ様………」

「ともかく、これは使えないと分かっただけでも収穫だ。すまなかったな、結局徒労に終わる研究をさせてしまって」

「何を仰いますか。至高の御方の為にシモベが働くのは当然のこと。この程度の作業など苦労した内に入りません」

「あー………まあ、ご苦労だった」

 

 いつものナザリックシモベ節に頭を痛めつつ、アインズは鷹揚に頷いた。

 

「さて、そうなるとこの“扉”はまた宝物庫にでもしまっておくか。念の為に厳重に封印処置をして―――なんだ?」

 

 突然、けたたましいアラーム音が響いてアインズは疑問の声を上げた。ユエも辺りを警戒するように見渡す中、ナグモはバッと“旅立ちの扉”に振り向いた。

 

「これは……! 馬鹿な!? “扉”が起動を始めただと!?」

 

 見れば先程まで何も異常がなかった“旅立ちの扉”が淡い光を帯び出し、“扉”に繋げられていた計器が一斉にアラーム音を響かせた。アインズは詳しい意味こそ分からなかったが、計器のメーター針が一斉に振り切れているのを見て異常が起きている事は理解できた。

 ナグモは計器に走り寄り、緊急停止をさせようと素早くキーボードを叩くが“扉”の光は収まるどころか強くなっていく一方だ。その内に計器から電子音声が響き渡った。

 

『時空の乱れ発生。時空の乱れ発生。転移ゲート起動―――3・2・1・GO!!>』

 

 バゴォッ!! と重厚な扉が勢いよく開かれる。扉の奥はブラックホールの様に黒々とした空間が渦巻いており、同時に空間に向かって吸い込まれる様な風が大きく吹き荒れた。

 

(これはヤバい!? 走って逃げる! いや、転移で! いや、他者との場所交換! いや、壁を作って遮断! いや、攻撃魔法で! いや―――!)

 

 様々な方法が瞬時にアインズの頭の中に浮かび、そのどれもが実行するには時間が足りないという事に気付いた。

 

(―――うん、無理だこれ)

 

「おおおおおおおおおっ!?」

「アインズ様―――!!」 

 

 アインズが“旅立ちの扉”に吸い込まれ、ナグモとユエもアインズの後を追うように吸い込まれる。その他にも研究室にあった道具も掃除機で吸い込まれた様に“扉”の中に消えていく。

 そして誰もいなくなった部屋の中―――“旅立ちの扉”は開いた時と同じように唐突に閉まった。

 

 

 

『転移完了―――転移先:“暗黒の海”』

 

 

 

■■■■■

 

side:ありふれた?デジモンテイマーは世界最強を超え究極へ至る

 

 

 一方、ナザリックが飛ばされたトータスと同じでありながら異なるトータスへと視点は移る。

 

 このトータスでも南雲ハジメとそのクラスメイト達は、神エヒトによって召喚された。

 しかし、その内容はナグモ達とは大幅に異なっていた。

 まず、南雲ハジメはユグドラシルのNPCではなく、ごく普通の一般人として生まれ、普通の両親の下で育った。

 しかし、小学生の時、デジタルモンスターと呼ばれる電子生命体と出会い、絆で紡がれたパートナーとなった。デジモンをパートナーとした人間をデジモンテイマーと言い、ハジメもその一員となったのだ。

 パートナーデジモンのガブモンと一緒に時に泣き、時に笑いながらデジモンテイマーの道を歩んだハジメは、遂には世界に迫る破滅を仲間と共に乗り越えた。

 それからも紆余曲折あり、トータスに召喚された後もデジモンテイマーとして、仲間と共に地球への帰還を目指して旅をしていた。

 

 目的地であるウルの町を目指し、拠点であり大型移動車両のアークデッセイ号で旅をするハジメ達。

 今は街道から外れた川辺でキャンプをしていた。

 とっくに日は暮れており、眠りについていた。

 だが、ふと目を覚ましたハジメは寝付けず、横で寝ているガブモンを起こさないようにアークデッセイ号の外に出る。獣型デジモンのガブモンは鋭い感覚を持っているので、何かあれば目を覚ますのだが、テイマーのハジメという事がわかっているのか、眠ったままだった。

 アークデッセイ号を出て川辺に佇む。川のせせらぎと虫の鳴き声を聞きながら、地球とは違うがそっくりな形の月を見上げて、夜風に当たるハジメ。

 これからの旅の事を取りとめもなく考えて感傷に浸っていると、足音が聞こえて振り返る。

 

「何しているの?」

「一人じゃ不用心だよ」

 

 ユエと香織がいた。彼女達の足元には、彼女達のパートナーのテイルモンとルナモンもいる。テイルモンは白い猫のような外見の聖獣型デジモン。ルナモンは兎のような姿をした薄紫色のデジモンだ。

 

「ふあぁ。どうやら何もないみたいね。香織達が心配していたわよ」

「心配、していた」

 

 眠そうな目をこすりながら、ハジメに文句を言う2体。加えて、もう1体。

 

「だから言っただろ。ハジメなら心配いらないって。無理やり起こして」

 

 ハジメのパートナーのガブモンだ。毛皮を被った恥ずかしがり屋な性格だが、顔見知りしかいないのでいつも通りだ。

 話を聞いてみると、ベッドにハジメの姿が無いのに気が付いた香織がテイルモンと探しに行こうとして、ユエとルナモンも起きてしまった。ユエの提案でガブモンも起こして出てきたという。

 なお、シアとコロナモンはアークデッセイ号を留守にするわけにはいかないので、中で待機中だ。

 

「心配かけた。でもさ、俺部屋を出るとき扉は閉めてきたはずだ。なんで香織は俺がいないのに気が付いたんだ?」

「ふぇ?! それは、えっと、その」

「ハジメの部屋に潜り込んで変なことしようとした。状況的にそれしか考えられない」

「そんなことないもん!!……ちょっと寝つきが悪かったから、ハジメ君の寝顔を見れば眠れると思ってゴニョニョ」

「ん? なんだって? もっと大きな声で」

「夜は静かに!」

 

 いや、騒がしいって。そう思いつつも、さっきまでちょっとナイーブになりかけていた気分が良くなった。ハジメは香織達に礼を言って、一緒にアークデッセイ号に戻ろうとする。

 

 その時、彼らの周囲に深い霧が立ち込めてきた。

 

 何故かその霧に不穏なものを感じたハジメは、アークデッセイ号に急ぐ。

 

「アークデッセイ号に戻るぞ。急げ」

「ん? どうしたの」

「なに、この霧」

「香織急いで。嫌な感じだ」

 

 ハジメの様子にユエは首を傾げるが、香織とテイルモンは霧に何かを感じ取っていた。

 アークデッセイ号はすぐそこだ。駆けだして向かうが、まるでハジメ達を逃さないというかのように霧が一気に深くなる。

 一瞬にして視界がホワイトアウトして、傍にいるはずのお互いの姿さえ見えなくなりそうだ。

 

「全員何か掴め!!」

 

 ハジメの声に従い、近くにいた面々の体の一部を掴む。

 そうやってお互いに離れないようにしていると、やがて霧が薄くなっていく。

 

 しかし、その場所はさっきまでいた場所とは全く異なっていた。

 川のせせらぎは、さざ波の音に変わり、さっきまで鳴いていた虫の声も消えている。

 アークデッセイ号の車体も消えている。いや、この場合、ハジメ達の方があの場所から消えたのだろう。

 まるでトータスに召喚された時のような現象だった。

 ハジメ達は全く見知らぬ場所に飛ばされたのだ。

 

「この、海は……」

「ねえ、ハジメ君。この雰囲気、あの海に似ていない?」

 

 静かな、闇色の海を見つめながらハジメと香織は、ある海を連想した。

 

 地球でよく見ていたアニメ「デジモンアドベンチャー02」に登場した、物語の重要な場所でありながら、多くの謎を残している場所。

 地球でもデジタルワールドでもない、人の悲しみや憎しみといった負の感情で成り立っていると言われる、闇の世界。

 

「暗黒の、海だ」

 

 海上の霧の向こうに、巨大な影が映った。

 

 ***

 

 カタカタ―――。

 一緒に吸い込まれた機械から即席で作った測定機械を猛烈な勢いで何やら操作しているナグモを横目で見ながら、アインズは辺りを見渡した。

 

 霧深く、薄暗い海―――気が付けば、アインズ達はその海辺に転移していた。

 

「アインズ様、ここは一体………?」

「………どうやら我々は違う世界に転移させられた様だな」

 

 不安そうに辺りを見渡すユエに、アインズはいつもの支配者ロールで静かに返す。

 

(いや、だからそれが何処だって話だよな。なんだよ、違う世界に転移させられたって。そんなもん見れば分かるわ………)

 

 自分のつまらない回答に自己嫌悪したくなるが、それでもアインズはユエやナグモを不安にさせない為に威厳のある態度で自分の考えを述べていく。

 

「とはいえ、そう決めつけるには早計かもしれんな。私にとってトータスは、まだまだ未知の多い土地だ。ここが私の知らない海岸、あるいは元いた大陸の外にあるという暗黒大陸という可能性も捨てきれないが………」

「いえ、アインズ様。残念ながらその可能性は極めて低いと言わざるを得ません」

 

 ナグモは硬い表情になりながら測定器から顔を上げた。

 

「空気中の大気成分がトータス、そしてユグドラシルとも一致しません。また、空間周波数も見たことの無い数値を示しています。残念ながら“旅立ちの扉”により未知の世界に転移させられたと判断するのが妥当でしょう」

「―――そうか」

 

 予想はしていたが、未知の世界に飛ばされたという事実に一瞬だけ動揺する。それもアンデッドの特性として精神沈静化が起こってすぐに収まってしまった。そんな中でナグモは土下座する勢いで膝を付いて深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありません! “旅立ちの扉”の暴走を想定できず、アインズ様まで巻き込むなどナザリック技術研究所長にあるまじき失態です! この度の失態は………もはや僕の命で―――!」

「止めよ―――許す、ナグモよ。お前の全てを許そう」

 

 自害を申し出ようとしたナグモに先んじて、アインズは威厳ある声で遮った。

 

「………あなたが責任を感じて自害したところで、事態は何も好転しない」

 

 ユエもまた、ナグモに静かに声を掛ける。

 

「アインズ様に償いたい、と思う気持ちがあるならナザリックへ帰還する方法を先に考えるべき。それと………自害するなんて軽々しく言わないで。あなたには帰りを待っている人がいるでしょう?」

 

「ぐっ………分かっている!」

 

 ユエに正論を言われた事が悔しかったのか、ナグモは顔を赤くさせながら立ち上がる。

 さて、これからどうすべきかとアインズが考え出した時―――不意にこちらへ近付く足音が聞こえてきた。

 

「こっち! なんか人の声がした!」

「誰かいるのか?」

 

 霧の向こうから足音と共に声が近付いてくる。ユエとナグモはアインズを守る様に身構える。アインズもまた初見の敵でも効果が望める魔法を頭の中にリストアップして詠唱を開始した。

 

 やがて――――――お互いの姿が見えるくらい両者の距離は縮まった。

 

「私………?」

「え? ユエ? でもユエはさっきから私と一緒にいて………!」

「ルナモン………私も驚いている」

 

 ユエは自分と同じ姿をした少女がウサギの様な生き物を連れている姿に目を瞬かせた。

 

「うわあ、なにこの骸骨! メタルファントモンの亜種?でも、デジモンの感じはしない!?」

「こ、こら! テイルモン!落ち着いて」

「香織か? いや、違う………髪や瞳の色が異なるし、何よりあんな魔物はユグドラシルでも見たことがないな」

 

 自分の良く知る相手と似た少女が猫の様な生き物を連れている姿を見て、アインズは冷静に思考を巡らせていた。そして――――――。

 

「な、なあ、ハジメ。あいつ、ハジメにすごく似てないか? ハジメって、双子の兄弟がいた?」

「いや知っているだろ。俺は一人っ子だ。とりあえず、香織の言うとおり落ち着け」

 

 ナグモの姿に目を見開くのは毛皮を被った獣――ガブモンとナグモそっくりの少年、ハジメ。身に纏っている装備と服装以外は鏡で映したかの様に二人はよく似た姿だった。強いて違いを上げるならば――――――。

 

「………おい」

 

 南雲ハジメならば絶対にしない様な目。まるで全ての人間を見下している様な冷たい目で、ナグモは見たことの無い魔物を連れた自分自身にそっくりな少年を睨んだ。

 

「お前は何だ?」

 

 まるで下手くそに描かれた自画像を見せられたかの様に、ナグモは不機嫌な声を出した。



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本編
プロローグ①


 最近になってありふれにハマり、さらにオーバーロードにハマりました。ナザリックによって為されるトータス征服記。どうぞお楽しみ下さい。


 月曜日。一週間の始まりにある者は気分を高らかに、ある者は不機嫌な面持ちで登校する。南雲ハジメにとって月曜日とは常に後者だった。

 

「よぉ! ガリ勉モヤシ! また徹夜で勉強か?」

「本当は勉強するフリしてエロ本でも見てたんじゃねぇの?」

 

 ゲラゲラと気分の悪くなる様な嘲笑が浴びせられる。それに対して、優男風の少年――南雲ハジメは聞こえていないかの様に素通りしようとした。

 

「あ? てめえ、何シカトこいてんの?」

 

 嘲笑を浴びせていた少年———檜山大介は一転して不愉快な顔になり、南雲の肩を掴もうとした。そこで初めて彼は檜山を見た。

 

「っ………!」

 

 瞬間、檜山の背中に寒気が走る。冷徹な瞳には何の感情も浮かんでいなかった。ネットでどうでもいい映像を流し見ている様な………あるいは、地べたを這いずる虫を見る様なつまらなそうな目。おおよそ人間に対して向けるものではない感情が籠らない南雲の目に、自分の理解を超えた存在に会ったかの様に檜山の生存本能が警鐘を鳴らしていた。

 

「檜山ー、どうしたよ?」

 

 一緒に南雲に絡んでいた近藤礼一が急に黙ってしまった檜山に不審そうに声をかけた。ハッとなった檜山は馬鹿にしていた相手にビビった事に気不味くなり、「なんでもねえよ!」と怒鳴るとそそくさとその場から離れた。その後ろ姿を南雲は不機嫌そうに溜息をついて自分の席へと向かった。

 

「おはよう、南雲くん! 今日はいい天気だね!」

 

 席に座ろうとする途中、南雲に艶やかな黒い髪を伸ばした少女が元気良く声をかける。

 彼女の名前は白崎香織。学校内で二大女神と呼ばれ、類い稀な美貌と人当たりの良い性格で男女問わずに人気の高い女生徒だ。そんな美少女に笑顔で声をかけられたら普通の男子はデレデレと鼻の下を伸ばすだろう。だが南雲は「ああ、おはよう」と短く挨拶を返すとさっさと席に着いた。学校で一、ニを争う美少女に対して無愛想極まりない対応に教室中から非難の視線が集まる。だが南雲はそんな視線を全く気にしていないかの様に鞄の中から本を取り出した。

 

「南雲くんって、いつも難しそうな本を読んでるよね? 今日は何を読んでるの?」

 

 しかし香織は南雲の冷淡な対応を気にしていないかの様に再び話し掛ける。南雲は眉間に皺を寄せた顔でチラッと香織を見るが、やがて億劫そうに口を開いた。

 

「………北欧神話」

「あれ? 珍しいね。南雲くん、図書館から借りてる本は専門書とか医学書とかなのに」

「………なぜそれを知っている?」

「それはこっそり、じゃなくて! たまたま! そう、たまたま私も図書館にいたの!」

 

 胡乱げな視線を向けられ、ワタワタと挙動不審な動きをする香織。そんな二人に男女の三人組が近付いた。

 

「やれやれ……。また南雲に世話を焼いているのか? 香織は優しいな」

「全くだぜ。そんな奴、ほっとけばいいのにな」

「ちょっと、二人とも……ええと、おはよう香織、南雲くん」

 

 三人の中で唯一、南雲に朝の挨拶をしたのは八重樫雫。

 黒髪をポニーテールにした少女で、香織と共に学校の二大女神と呼ばれ、八重樫流という剣道道場の娘として小学生の頃から剣道大会は常に優勝しており、凛とした佇まいから同性からも(些か行き過ぎな)好意を寄せられる剣道少女だ。

 南雲に対してというより、香織に声をかけたのは天乃河光輝。

 高身長にサラサラとした茶髪に整った顔立ちと下手なジャニーズ系アイドル顔負けの容姿で、成績優秀でスポーツ万能と学校中の女子から憧れの視線を一身に受ける少年だ。ちなみに香織と雫の幼馴染でもある。

 もう一人は坂上龍太郎。大柄な身体に短く刈り上げた髪と見るからにスポーツマンといった風貌で、学校の空手部のエースである。細かい事を気にしない豪胆な性格であるが、南雲とは反りが合わない為、今も一瞥しただけで南雲を無視していた。

 

「香織、あまり南雲を甘やかさない方が良い。彼をつけ上がらせるだけだからね」

「? 私がしたいから南雲くんに話しかけているだけだよ?」

「え? あ、ああ、香織は本当に優しいんだな……。おい、南雲! 香織にここまでして貰っているのに、その態度は失礼じゃないか?」

 

 微妙に噛み合わない会話のキャッチボールを光輝と香織がしている間、南雲は我関せずという態度で本を読んでいた。自分達を気にも留めてない態度が癪に障り、光輝は南雲に矛先を向ける。

 ぺらり、とページを捲る音が響く。

 

「聞いているのか! 南雲!」

「ちょっと、光輝!」

 

 険悪になりつつある空気に雫が光輝を制止しようとする。その段階で、ようやく南雲は本から顔を上げた。

 

「話は済んだか?」

「な………」

「話は済んだか、と聞いている」

 

 ジロリ、と温かさの欠片も籠らない目が光輝を射抜く。

 

「見ての通り読書をするのに忙しい。つまらない用事なら後にして貰いたい」

「な、お前の為を思って言ってやってるのに、何だその態度は!」

「なぜ君の指図に従わなくてはならないのか、全く理解できないのだが?」

 

 ハァ、と心底から面倒だと言う様に溜息を吐きながら南雲は本を閉じる。

 

「僕にあれこれ言う暇があるくらいなら少しは勉学をしたらどうだ? 僕に学業成績で勝てないからと一々突っ掛かってくる子供相手に話をするのは酷く時間の無駄だ」

「何だと……!」

「光輝! いい加減にしなさい! ほら、行くわよ!」

「え、ええと……それじゃ、南雲くん、また後でね」

 

 顔を真っ赤にして怒り出しそうになる光輝を雫は慌てて引っ張って行く。龍太郎は息を吐く様に自分の親友(光輝)を侮辱した南雲を殴りたい衝動に襲われるが、結局は舌打ちをしながら光輝達と立ち去った。香織もまた、これ以上は南雲と話すのは無理と悟ってその場を後にする。

 

「………チッ、ちょっと勉強が出来るからって偉そうに」「白崎さんも何であんな奴に話し掛けるのかしら?」「アイツがいるとクラスの雰囲気が悪くなるんだよなぁ」

 

 四人が立ち去った後、ヒソヒソと周りのクラスメイト達が一斉に話し出す。そこに南雲に好意的な見方をする者は一人もいない。

 

 南雲ハジメ。入学して以来、テストは満点以外は取った事がなく、全国模試も全教科満点一位と、県立であるこの高校ではいっそ異質な程の成績を叩き出していた。

 しかしその性格は誰に対しても興味が無いかの様に冷淡であり、口を開けば毒舌が飛んでくるという非常に近寄り難いものだった。クラスメイトがまだお互いの顔と名前を覚え切れて無い頃、南雲の頭の良さを見込んで勉強を教えて貰おうとした女子がいたが、南雲はその女子の間違えている点を徹底的に指摘して最終的に泣かしたという事件もあった。

 そういった経緯もあり、南雲はクラスメイト達から完全に腫れ物扱いされていた。今では徒党を組めば気に入らない南雲を虐められると思っている檜山達か、冷淡にあしらわれても何故か何度も話し掛けに行く香織くらいしか南雲に関わろうとする者はいない。

 

「………」

 

 ぺらり、とページを捲る音が響く。周りの人間から厄介者を見る様な目で見られているというのに、南雲は周りの事が目に入らないかの様に朝の読書を再開する。お世辞にも気持ちの良い朝とは言えないが、今日もまたありふれた平凡な一日が始まろうとしていた。

 

 その日の昼休み。教室全体を覆う魔法陣が現れるまでは。

 

 ***

 

「ふざけないで下さい! この子達に戦争へ参加しろと言うのですか!」

 

 ペチペチ、と机を叩く音と共に幼い少女の様な声が響く。

 真っ白な大理石で作られた豪華な応接間。

 突然、魔法陣が現れたと思ったら気付けば見慣れた教室から大聖堂の様な場所に転移していた。そんな非常事態に生徒達が目を白黒させている間にも、彼等を異世界から召喚したと言う教皇イシュタルの説明はさらに混乱を助長させた。

 

 曰く、この世界はトータスと呼ばれる世界で、貴方達は自分達が崇めている“エヒト神"に召喚された神の使徒である。

 曰く、いま人族は魔族の脅威に晒されており、このままでは人族の滅亡の危機である。

 曰く、“エヒト神"の神託に従い、どうか魔族を打倒して人族を救って欲しい。

 

「貴方達がやってるのはただの誘拐です! そんなの先生は許しません! ええ、許しませんとも! 早く私達を元の場所に帰して下さい!」

 

 ぷりぷりと怒りながらイシュタルに食ってかかっているのは不幸にも教室に残っていた為に一緒に召喚された教師の畑山愛子。百五十センチという低身長に童顔と小学生の様な容姿で、生徒達から「愛ちゃん」という愛称で呼ばれるくらい人気のある教師だ。彼女は突然の事態に混乱しながらも教師としての役目を果たそうとイシュタルに猛抗議していた。もっとも、彼女の容姿では怒っている姿に威厳もへったくれも無いが。

 そんな愛子に対して、イシュタルは皺の深い顔をいかにも残念そうに横に振った。

 

「お気持ちは察しますが………それは出来ぬ相談なのです」

「で、出来ないってどうして!? 私達を呼び出す事が出来るなら帰すのだって簡単な筈じゃ」

「あなた方を召喚したのはエヒト様のご意思。我々、人間には異世界という場所に干渉する術を持ちません。あなた方を元の世界に帰せるのはエヒト様だけでしょうな」

「そんな………そんな………!」

 

 ぺたん、と愛子は脱力した様に椅子に腰を落とす愛子。その姿を見て、事態の深刻さに気付いた生徒達は一斉に騒ぎ出す。

 

「ふざけるなよ! なんで俺達が戦争しなくちゃならないんだよ!」「嫌よ! 家に帰して!」「なんで、なんで、なんで……!」

 

 生徒達のパニックが最高潮に達した時だった。バンッ! と机を叩く音が響く。光輝は生徒達の視線が自分に集まった事を確認すると、おもむろに話し始めた。

 

「皆、色々と言いたい事はあると思う。でも、ここでイシュタルさんに文句を言ってもどうしようも無いだろう。それにこの世界の人達が助けを求めて俺達を召喚したのに、放っておく事なんて俺には出来ない」

 

 光輝はイシュタルにまっすぐ視線を向ける。

 

「イシュタルさん、俺達はエヒト神によって魔人族から人族を救う為に召喚された……という事は魔人族達を倒せば、元の世界に帰れる。そういう事ですね?」

「――おお、そうですな。エヒト様がそう望まれるなら、救世主の皆様の願いを聞き届けてくれるでしょう」

 

 一瞬、イシュタルは怪訝な顔になるが、すぐに光輝の言葉を肯定する様に鷹揚に頷く。しかし光輝にはそれで十分だった様だ。

 

「あと、この世界に来てから身体の奥底から力が漲ってくる気がします。本当に俺達に特別な力があるんですね?」

「左様。このトータスは皆様の世界から見て下位に存在する世界。上位世界から来られた皆様なら、我々の数倍から数十倍の力がある筈です」

「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように、俺が世界も皆も救ってみせる!!」

 

 グッと握り拳を作って光輝は力強く宣言する。固い決意をもって人々を救う、と約束する姿はまるで物語の英雄の様だ。

 

「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな。……俺もやるぜ?」

「龍太郎……」

「今のところ、それしかないわよね。……気に食わないけど……私もやるわ」

「雫……」

「え、えっと、雫ちゃんがやるなら私も頑張るよ!」

「香織……」

 

 ある者は力強く笑い、ある者は迷いながらも戦う決意をする。その姿に光輝が瞳を潤ませていると、今まで黙って事の成り行きを見ていた生徒達から次々と声が上がる。

 

「し、白崎さん達だけに戦わせられない! 俺も戦うぞ!」

「天之河くんがいるなら私も!」

「俺もやる! やってやる!」

「だ、駄目です! 貴方達は何を言っているのですか!? コラ、先生の話を聞きなさい〜!」

 

 熱に浮かされた様に次々と戦争の参戦を宣言する生徒達に愛子がオロオロと止めようとするが、光輝を中心に作られた熱狂的な渦の中では無意味だった。愛子の声は生徒達の参戦を求める声に掻き消されていた。その様子をイシュタルは満足そうに眺めていた。

 

「うう……どうして? どうしてみんな先生の話を聞いてくれないの?」

 

 愛子は涙目になりながら、周りの生徒達を見回す。少しでも自分の味方になってくれそうな生徒はいないかと探すが、誰もが光輝に追従する様に戦争への参戦に興奮している様子だった。

 

(え………?)

 

 そして、見てしまった。誰もが異常な事態に混乱している中、一人だけ全く騒いでいない生徒を。

 

(あの子は確か………南雲くん?)

 

 新任の愛子は受け持ちの授業以外で関わる事は無かったが、職員室でも話題になっていた生徒だった。学校の歴史が始まって以来の天才児でありながら、社会性が皆無な問題児を教師達もどう扱っていいか分からず、紆余曲折を経てほとんどの教師は見て見ぬふりをしてやり過ごしていた。その扱いに愛子は教師としての使命感から抗議したが、新人が出しゃばるなと釘を刺されて結局は何も出来ずにいた。

 その生徒がいま、いつもの様なつまらなそうな表情で生徒達を見ていた。

 

(そうです! 頭の良い南雲くんなら先生の話を分かって………!?)

 

 一瞬、自分の味方になってくれそうな相手を見つけて喜ぶ愛子だったが、南雲の目を見てヒッと悲鳴を呑み込んだ。

 いつもの様な、どころでは無かった。まるで茶番劇を見ている様な表情で生徒達を眺めている目には、人間としての温かさが全く宿っていない。それどころか、何の感情も感じられなかった。

 

 例えるなら――簡単な迷路で出口に行けずにウロウロと這い回るモルモットを見る様な目。

 実験動物の愚かさを嘲るのでなく、「どうしてそんな行動に出るのか?」を観察している様な目。

 

 そんな目で、南雲は生徒達を眺めていた。



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プロローグ②

 南雲ハジメの設定を変えたせいで、すごい難産なシーンになった……。香織さんが何でこのナグモに惚れたのかは後ほどに書くので、どうかご容赦ください。


 パカポコ、パカポコと蹄の音が鳴り響く。

 内部には上質な絹のクッションが敷きつめられ、まるで御伽噺の世界から出てきた様な豪華な馬車の中で香織は南雲と向かい合って座っていた。

 クラスの全員が戦争への参戦を表明した後、香織達はエヒト神を崇める聖教教会の麓にある――召喚された場所は雲海を見下ろせる高山の頂上だった――ハイリヒ王国へと向かっていた。

 いくらこの世界の人間から見て超人的な能力があろうと、ただの高校生である香織達は戦いに関して素人だ。イシュタルもその辺の事情は予測しており、香織達が戦う術を学べる様にハイリヒ王国へ受け入れる準備を整えていた。

 麓まで降りた香織達を何台もの豪華な馬車が待ち構えており、生徒達は何人かで分乗してハイリヒ王国の王城へ向かっていた。案の定、香織が南雲と同乗する事に光輝は力強く抗議したが、馬車の御者から「国王陛下がお待ちですので御急ぎを!」と急かされる形で雫と龍太郎が光輝と同乗する事で事なきを得ていた。

 

(ど、どうしよう!? 南雲くんと二人きりになるなんて思ってなかったから何を話せばいいか分からないよ!?)

 

 自分から望んだ事だが、いざ南雲と二人きりの空間になると頭がテンパってしまう。当の南雲は香織には目もくれず、片手をコメカミに当てて目を閉じていた。まるで何かを念じてる様にも見える。

 

(南雲くん、すごく落ち着いてる……。みんな、異世界に来たなんて事態に混乱しているのに)

 

 こうしてまじまじと見る機会なんて無かったので、香織はじっくりと南雲を観察する。体型は太り過ぎでもなく、痩せ過ぎでもない。髪も校則通りに切り揃えられており、町ですれ違えばあっという間に人混みに埋もれるだろう。

 だが、その顔は理知的に引き締められ、こうして考え込んでいる姿はまるで深い叡智を携えた学者の様に見える。まだまだ子供っぽい所がある同年代の男子達に比べると何段も大人っぽく見えた。その姿に香織の胸に熱い鼓動が流れる。

 

(やっぱり、私達とは違うなぁ………)

 

 南雲がクラスの人間と全く馴染む気がなく、むしろ他人を寄せ付けない態度を取っている事は香織も知っている。しかし香織にはそれが同年代にはない浮世離れした魅力に感じていた。学校の二大女神なんて持て囃されて数え切れない程に男子から告白を受けた香織にとって、南雲は今まで見た事のないタイプの異性だったのだ。

 

(南雲くんは覚えているかな? 二年前のあの日の事………)

 

「――何か?」

「ひゃいっ!?」

「先程から見てるから、何か用かと聞いている」

 

 回想に耽ていた香織だが、気付けば南雲は目を開いて自分をまっすぐに見つめていた。ずっと見ていた事が気不味くなり、明後日の方向を見ながらとりあえずの話題を探す。

 

「え、ええと、そう! 大変な事になっちゃったね、と思って」

「………確かに。予想外の事態ではある」

 

 何故か残念そうな響きで南雲は深い溜息をついた。その事を不思議に思いながらも、教室ではほとんど何も話さない南雲と話す好機と考えて香織はアプローチしていく。

 

「南雲くんは、その……随分と落ち着いてるよね? 私も皆もわけが分からなくて慌ててるのに」

「騒げば事態が好転するならそうしよう。そうでないなら、体力と時間の無駄だ」

「………やっぱり、南雲くんは凄いなぁ」

 

 動揺を微塵も感じさせない平坦な声を聞き、香織は改めて同年代であるはずの目の前の少年との差を痛感した。

 

「うん、本当に凄い。私なんて未だに今起きてる事が現実なのかも自信がないのに………。さっきは戦争に参加するなんて威勢のいい事を言っちゃったけど、本当は雫ちゃんがやると言ったから一緒にやろうと思っただけなの。戦争なんて………怖いよ」

「僕は君の保護者ではない。君の選択に口を挟む気は無いが?」

「うん。そうだよね………」

 

 ある意味予想通りな冷淡な返答だが、香織にとって今はその方がありがたかった。香織とて頭が悪い方ではない。下手に慰めの言葉を言われても何の助けにもならない事は理解できていた。

 

「私達、どうなるのかな? 本当に魔人族を倒したら日本に………家に帰れるのかな?」

「………その可能性は低いと判断する」

「え? だって、イシュタルさんは、」

「あの老人が言っていたのは、“エヒト神がそう望むならば"という仮定での話だ。確約はしてない。仮に魔人族とやらを殲滅したところで帰れるという保証などない」

「そんな………」

「あの老人が僕達を戦争に駆り立てたがっているのは一目瞭然だっただろう。そもそも異世界の神などという存在証明不確かな存在をどうして信じる気になるのか僕には疑問だ。僕達を異世界へ転移するという力があったとしても、ただ強大な力を持っただけの存在だろうに。仮に神を名乗る事を許されるのは、そう、至高の———」

「南雲くん?」

 

 急に黙ってしまった南雲を怪訝に思って香織は見つめる。南雲は喋り過ぎた、とでも言いたげなバツの悪い顔をしていた。

 

「いや………とにかく、あの老人の戯言を真に受ける必要は無いとだけ言っておく」

「………私達、早まった選択をしちゃったのかな?」

「あの場で断った場合、エヒト神とやらの神託に背く異端者として捕らえられたとは思うがね。今は情報を集めるのが先決だろう。だから僕は特に異論を唱えなかった」

「南雲くんは………やっぱり家に帰りたい? 家族が恋しい?」

 

 香織からすれば何気なく聞いた話題だったが、効果は覿面だった。南雲の鉄面皮が一瞬、沈痛に歪められた。

 

「………………僕は養護施設で暮らしているから、親兄弟と呼べる者はいない。施設の職員とは事務的な付き合いしかしてない」

「え? あ、あの、ごめ、」

「だが………戻りたい場所はある」

 

 初耳である南雲の生活環境に軽率な事を聞いてしまったと思い、謝ろうとする香織。それより先に南雲は言葉を続けた。その顔はいつもの様な退屈そうな表情はなく、執念じみた物が浮かんでいた。

 

「そうだ、戻らなくてはならない。僕を不要と判断されて廃棄されたのならそれは仕方ない。だが、そうでないなら僕は必ず戻らなくてはならない。御方の為に僕は………!」

 

 いつになく力の篭った口調になっていた南雲だが、またも喋り過ぎたという顔になる。フッと表情を即座に消した。

 

「いや、君に言っても関係ない事だった。どうやら僕も異常な事態に冷静ではない様だ」

 

 それっきり口を閉ざした南雲に香織はなんとなく確信した。

 ああ、きっと彼はどうしても戻りたい場所があるんだ。自分が思い浮かべられる様な事ではないかもしれないけど、どうしても会いたい人がいるのだろう。そして、それは香織が軽々しく入り込んでいい話では無い。

 静かになった車内の窓から行く手に立派な尖塔がいくつも建った大きな建造物が見えて来た。あれがハイリヒ王国の王城なのだろう。

 

「南雲くん」

 

 意を決して香織は南雲に話し掛ける。

 

「私、頑張るよ」

 

 ピクンと南雲の眉が動く。

 

「確かに南雲くんの言う通り、戦争に駆り立てられてるだけかもしれない。でも、もしかしたら本当に戦争に勝てば帰れるかもしれない。今はそう信じて、頑張る」

 

 むんっと両手の拳を握る香織。

 

「うん、大丈夫。雫ちゃんも、龍太郎くんも、光輝くんもいるし、頭の良い南雲くんだっているんだもん。きっと帰れるよ。だから、絶対に大丈夫。南雲くんが帰りたい家に帰れる様に私、頑張る」

 

 その宣言は先程の光輝の様に何の保証も無いものではあったが、少女の精一杯の気迫を感じるものだった。その気迫に対して南雲はいつもの無表情を崩さなかった。何を感じるものがあったのか? あるいはそうでないのか? それを全く読み取る事は出来ない。だが――。

 

「………気持ちだけは受け取っておく」

 

 しばらくして、南雲は一言だけ返した。

 

 ***

 

 その後、召喚された生徒達は謁見の間でハイリヒ王国の国王エリヒド・S・B・ハイリヒをはじめとした王国の重鎮達から挨拶され、歓迎の宴に招待された。地球では見ないいくつかの料理に驚きながらも、舌が蕩ける様な美味に生徒達は酔いしれた。本格的な訓練は明日からという事で個室を一人一部屋与えられ、生徒達は与えられた部屋の豪華さに戸惑いながらも夢の中に落ちていった。

 だが、一人だけ眠りに入らなかった者がいた。

 

「………」

 

 南雲は天蓋付きのベッドに入らず、灯りも付けずにただ一人机に座っていた。机の上にはトータスに召喚される前から身につけていた腕時計が置かれていた。

 時刻は深夜0時20分。トータスと地球の時刻が一致しているかは不明な為、トータスでの正しい時刻では無い可能性があるが、南雲にとってそれは重要では無かった。トータスに召喚されてから一時間おきに南雲はある事を試していた。

 

「………時間だ」

 

 南雲はコメカミに手を当てる。そして――地球の人間ではあり得ない事象を起こした。

 

「………〈伝言(メッセージ)〉」

 

 瞬間、南雲の頭の中で不可視の糸が伸びる。糸は何かを探る様にどんどんと伸びていき、部屋から飛び出していった。地球の人間には不可能な事象――魔法を引き起こした南雲はまるで祈るかの様に目を閉じた。

 

(これで十二回目………今度こそ、今度こそ繋がってくれっ)

 

 ギリっと奥歯を噛み砕くくらい南雲は強く魔力を込めた。その魔力に呼応して不可視の糸は王城の城壁はおろか、城下町すら飛び越えて四方八方へと伸びていく。

 

 最初、何故か幼年児というべき姿で見覚えの無い場所――地球で目を覚ました時には絶望した。

 次に、創造主から与えられた力は失われていない事に安堵して、必ず元いた場所に戻ると誓って現地の人間達に混ざって生活する事に嫌悪を感じながらも必死に耐えた。

 そして、トータスという異世界に飛ばされ、ここならばあるいはと期待して――それは今、失望に変わりつつあった。

 

(ここまで反応は無い………この世界でも駄目だったと結論を下すべきかもしれない。だが、しかし――!)

 

 諦められない。諦め切れない。魔法という物をまるで感じられなかった地球とは違う。南雲の知る魔法とは全く異なるもので、大神官を名乗るイシュタルや謁見の間で紹介された宮廷魔法師が南雲から見れば鼻で笑う様な魔力しか感じ取れなくてもこのトータスには魔法という文明が息づいている。ここならば。この世界ならあるいは――!

 諦観と渇望。その二つが南雲の中でせめぎ合う。

 

『………誰だ?』

 

 突如、頭の中の不可視の糸が繋がる感覚がした。ガタッ! と南雲は勢いよく立ち上がった。衝撃で椅子が後ろに倒れたが、そんな物は全く気にならなかった。

 

「まさか………モモンガ様? モモンガ様なのですか!?」

『………そうだが。お前は誰だ?』

 

 人が寝静まった深夜という事を忘れ、思わず大声を出してしまう。まるでこちらを探る様に頭の中に響いた声。それこそ南雲がずっと探し求め、絶対に戻ると決めた主の声に他ならない――! 

 

「っ、失礼いたしました。モモンガ様。僕はナザリック地下大墳墓()()()()()()()()()――ナグモであります」

 

 感嘆極まりながらも即座に冷静さを取り戻し、南雲――否、ナグモは仕えるべき主に名乗りを上げた。

 

 

 

 



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プロローグ③

 今回はオーバーロードのターン。原作とほとんど変わらないシーンだけど、アインズ様のナザリックへの執着を見せる為にはどうしても必要だった。


 西暦2138年。

 Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game———通称、DMMO-RPG。

 サイバー技術とナノテクノロジーの粋を終結した脳内ナノコンピューター網であるニューロン・ナノ・インターフェイスと専用コンソールを使うことで仮想世界内で現実にいるかのように遊べる体感型ゲームである。

 そのDMMO-RPGの中で、燦然と輝く『ユグドラシル<Yggdrasil>』というゲームがあった。北欧神話をベースにし、キャラクターやアイテム、住居などを思うがままに作成できる圧倒的な自由度は爆発的なヒットを起こした。

 そして、その『ユグドラシル』にある数多のギルドの中で“アインズ・ウール・ゴウン"というギルドがある。

 

 社会人プレイヤーであること。

 プレイヤーはモンスターの外見をした異形種であること。

 

 その二つを参加条件としたギルドは四十一人のプレイヤーが集い、ナザリック地下大墳墓を拠点に一時は世界ランキング九位まで登り詰めた強大組織だった。

 だが、それも過去の話。『ユグドラシル』の人気が下火となり、サービス終了が決まった今、アインズ・ウール・ゴウンもまた終わりを迎えようとしていた。

 

 ***

 

「本当にお疲れ様です。ヘロヘロさん。ユグドラシルのサービス終了日とはいえ、来て貰えるなんて思いませんでしたよ」

「いやー、本当におひさです、モモンガさん」

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層。かつては四十一人のギルドメンバーが集っていた円卓の間で、悪の魔導師の様なローブを着た骸骨とコールタールを思わせる様なスライムが二人だけで会話していた。

 それぞれ死の支配者(オーバーロード)古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)と呼ばれる異形種であり、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーだ。

 

「リアルで転職されて以来ですから………二年くらいぶりですね」

「うわー、そんなに時間が経っていたのかぁ。やばいなあ、最近残業続きで昼夜の感覚も無いんですよね」

「いや、それ完全にヤバいやつじゃないですか。大丈夫なんですか?」

「体ですか? もう完全にボロボロですよ」

 

 死の支配者(オーバーロード)のモモンガと古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)のヘロヘロはその後も取り留めのない会話で盛り上がる。ゲームの中で現実の話はタブーとされる場合もあるが、社会人である二人は会社の愚痴などは話の肴に丁度良かった。一通り話し終えた後、ヘロヘロがおもむろに時計を確認した。

 

「すいません、モモンガさん。サービス終了までご一緒したいですけど、明日も朝早いので………」

「いえいえ、今日来てくれただけでも本当にありがたかったですよ、ヘロヘロさん。ゆっくり休んで下さい」

「いや、本当にすいません。それにしても………ナザリックがまだ残っているなんて、思ってもみなかったなあ」

 

 こういう時、リアルタイムでの表情までは再現できないゲームである事が幸いした。現実世界の鈴木悟が顔を一瞬歪めても、アバターであるモモンガはいつも通りの骸骨顔でいられた。

 

「ハハハ……ギルドを維持するのはギルド長の務めですから」

「本当にお疲れ様でした、モモンガさん。またどこかで、ユグドラシルⅡとかでお会いしましょう」

 

 それでは、と挨拶した後、ヘロヘロの姿が消えた。と言っても、ログアウトしただけだ。自分以外は誰もいなくなった円卓の間に残されたモモンガはヘロヘロの座っていた席をしばらく見つめ、やがてポツリと独り言を漏らした。

 

「またどこかで、か。どこで会うんだろうね………」

 

 フルフルとモモンガの肩が震える。今まで我慢していた本音が迸った。

 

「ふざけるな! ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! なんで皆そんなに簡単に捨てられるんだ!」

 

 机を叩く音と共にモモンガの怒鳴り声が響く。だが、すぐにモモンガは力無く椅子の背もたれに寄り掛かった。

 

「いや………分かっているんだ。皆にだってリアルの生活がある。皆、別に裏切ったわけじゃないんだ」

 

 ヘロヘロの様に生活環境が変わってログイン出来なくなった者もいる。

 長年の夢を叶えて、第一線でバリバリと働いている者もいる。

 皆、自分や家族の生活が掛かっている以上、ゲームにばかり時間を費やせない。

 それでもモモンガにとってアインズ・ウール・ゴウンは特別な場所だった。唯一の肉親だった母親は既に亡く、仕事以外の人間関係は無かった彼にとってアインズ・ウール・ゴウンは自宅以上に居心地の良い空間であり、ギルドメンバー達は家族と同じくらい親しみのあった仲間だったのだ。だからこそギルドメンバーが去った後も皆がいつ帰って来ても良い様に、と必死でギルドの維持費をソロプレイで稼いでいた。

 そんなアインズ・ウール・ゴウンも今日で無くなる。しがないサラリーマンである鈴木悟にはサービス終了を止める権利も権力など当然ない。

 

「最後くらい、良いよな」

 

 円卓の間に飾られたギルド武器———スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取りながらモモンガは独りごちる。本来は持ち出し厳禁のギルド最強武器だが、最後くらいはギルド長として相応しい姿で終えたかった。

 

「まだサービス終了までは幾分か時間があるよな。せっかくだし、ナザリックを軽く見て回ろうか。共に行こう、我がギルドの証よ」

 

 ***

 

 ナザリック地下大墳墓は全十階層に及び、作り込みも現実でプログラマーや建築士だったギルドメンバーが本気を出して作成した為に広大だ。全部を見て回ろうと思うとサービス終了まで時間が足りないが、それでもモモンガは入り口から最奥まで目指す事にした。少し駆け足気味になっても、かつての仲間達と共に作り上げたナザリックを心に刻み込んでおこうと思ったのだ。

 第一〜三階層の墳墓エリアを通り、『エロゲーイズマイライフ!』と豪語して止まなかったペロロンチーノが作成した階層守護者シャルティアを見ながら彼との思い出に耽ていたモモンガが次の階層に足を運ぶと、そこは先程までの不気味なアンデッド達の巣窟とは全く別世界な光景が広がっていた。

 

「いつ来ても、ここの作り込みはすごいよな」

 

 かつて地底湖エリアとして殺風景な洞窟が広がる第四階層は今では天井のそこかしこに配管が通り、壁に用途不明な機械や恐ろしげなモンスターが入った培養槽がいくつも並ぶエリアと化していた。さながら地底湖に作った秘密基地だ。

 

 ユグドラシルがまだ隆盛を誇っていた頃、『ヴァルキュリアの失墜』という大型アップデートが行われた。シナリオを簡単に説明すると魔法と科学を融合させた古代の超文明の遺跡が発見され、プレイヤーは遺跡の最奥で古代超文明を滅ぼした超大型自律兵器と戦うという内容だった。

 シナリオ自体は匿名掲示板で「星間戦争か!」、「北欧神話どこいったwww」、「運営の間でSFブームが来てるだけだろ」と酷評されたものの、魔銃や自動人形(オートマタ)銃器使い(ガンナー)職、さらにはロボット兵器という新しい要素はその手のマニア達をユグドラシルに勧誘する事に成功していた。

 

『絶対モモンガさんも観た方が良いですって! 星間戦争!』

 

 この階層の設計のメインメンバーであり、SFのコアなファンだった“じゅーる・うぇるず"との思い出が蘇る。殺戮自律兵器(キリング・アンドロイド)の最上級職である機械の偽神(デウス・マキナ)の彼は興奮を示す感情アイコンをピコピコと連発しながらよくモモンガにSF映画を布教していた。

 

『いやあ、そのシリーズ、既に二十本以上出てるじゃないですか。流石に今から追い掛けるのはキツいというか……』

『大丈夫ですって! 今度ナザリックで上映会やりましょうよ! 絶対に皆ハマりますって!』

『なあなあ、じゅーるさん。その作品、幼女出る?』

『アハハ。ロリコンバードは黙ってましょうね』

『よっしゃ、表出ろやガラクタアシュラマン』

 

 などと、SFに情熱を燃やしていた彼はヴァルキュリアの失墜がアップデートされてからユグドラシルを始めたメンバーだった。攻城兵器のゴーレムを置くだけのエリアだった地底湖はじゅーる・うぇるずが音頭を取り、更には設定魔のタブラ・スマラグディナも協力、おまけにゴーレムクラフターのるし☆ふぁーが悪ノリして、と奇跡のコラボレーションを経て、最終的に『人間の世俗を疎んだ魔法・超文明の研究者達が集まる悪の秘密研究所』という体裁になっていた。

 

「でもね、じゅーるさん。墳墓の後が近未来な研究所とかミスマッチだと思いますよ?」

 

 モモンガは苦笑しながら歩を進める。モモンガの横を現実なら実用性皆無と評されそうな二足歩行戦車と白衣を来た魔法詠唱者(マジックキャスター)型のNPCが通り過ぎる。この階層はヴァルキュリアの失墜で実装されたロボット兵器や合成魔獣(キマイラ)といったモンスターと死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や魔法詠唱者職の獣人などが数多く跋扈する。ロボット兵器や合成魔獣といったリポップするモンスターは研究者達が日夜作り出しているという設定だそうだ。

 

 そしてとうとう地下湖エリアの最奥に辿り着いた。一際大きな地底湖には置き場に困ったから置いた攻城用ゴーレム・ガルガンチュアが沈んでおり、地底湖の縁で一人のNPCが何か作業をしている様な動作でコンソールを叩いていた。

 

「確か………ナグモ、だったっけ」

 

 少しの間を置いて、モモンガはようやく目の前のNPCの名前を思い出した。

 これこそがじゅーる・うぇるずがデザインし、第四階層守護者代理という地位にいるNPCのナグモだ。基本的に力押しな運用しか出来ないガルガンチュアを補佐する為に回復や支援、敵のデバフなどに特化した性能を持ち、同時にナザリックでは二人しかいない人間でありながら、第四階層の研究所の所長を務めるという設定があった筈だ。

 

「………………」

 

 まるでガルガンチュアのメンテナンスをしている様な動作をしていたナグモだったが、モモンガが近寄るとプログラムに従って手を止めて一礼した。

 

「お仕事、ご苦労」

 

 つい感傷からそんな言葉をかけてしまう。だがナグモはモモンガに一礼した後、プログラムに従って再びコンソールを叩いていた。

 

「馬鹿だな、NPC相手に話しかけても仕方ないのに………」

 

 自嘲しながら第四階層への出口へとモモンガは歩を進めた。残されたナグモは、まるでそれこそが自分の存在意義であるかの様にずっとガルガンチュアのメンテナンス作業に取り掛かっていた。

 

 ***

 

 その後、第五、第六、第七……と階層を順に降りて行き、途中で侵入者を撃退する役割を与えられながら、ついに出番がなく終わってしまった戦闘メイド(プレアデス)達と執事を付き従えてそこへ辿り着いた。

 

「おおぉ………」

 

 ナザリック地下大墳墓の最奥、玉座の間。その威容さにモモンガの喉から知らず感嘆の声が出た。見上げる様な高さの天井には七色に輝くシャンデリアが複数吊り下げられ、玉座へと続く道の両脇にはギルドメンバー達のエンブレムが印された四十一枚の旗が天井から垂れていた。

 

「待機せよ」

 

 玉座へ繋がる階段の前で付き従っていた執事達へ指令を下す。執事達はプログラムに従って階段の前で控えた。そして玉座へと足を進めたモモンガだが、玉座の横で控えている純白のドレスを着た女性NPC———アルベドが手に持つ杖を見て、首を傾げる。

 

「ん? これは真なる無(ギンヌンガガプ)じゃないか。一体、いつの間に………」

 

 ナザリック内では十一個しかない世界級(ワールド)アイテムが何故かアルベドの手に握られている事に疑問に思いながら、モモンガはアルベドの設定を確認する。途端、長文テキストが画面一杯に映し出された。

 

「うわ、なんだこれ? ああ、そうか。アルベドはタブラさんがデザインしたんだよな」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの設定魔が作ったテキストに辟易しながらもモモンガは斜め読みしていく。だがアルベドが真なる無を持っている事に対する記述は無い。そして、最後の一文には思わず目が点となった。

 

『ちなみにビッチである』

 

「いやいや、ギャップ萌えといってもそれは無いでしょ」

 

 モモンガはあんまりだと思って、その一文を消した。少し考え、新たな一文を加える。

 

『モモンガを愛している』

 

「ま、まあ、最後だし………」

 

 誰に言い訳するまでもなく、モモンガは照れながらコンソールを閉じた。

 そして、静かに玉座に座った。間もなく、ユグドラシルのサービス終了時刻となる。

 

「俺」

 

 すっと玉座から見えるギルドメンバー達の旗を指差していく。

 

「たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっちもち、じゅーる・うぇるず———」

 

 今は去ったギルドメンバー達の名前を静かに並べていく。全員の名前を言い終える頃には終了まで残り一分を切っていた。

 

「ああ………楽しかったんだ」

 

 現実の鈴木悟の目から一筋の涙が溢れる。

 そう、楽しかったのだ。ユグドラシルのゲームが、というより仲間達と一緒に遊んだ日々。ずっと続けていたい、と願うくらいに。

 

 そして———時刻は深夜0時を迎えた。

 

 

 




 はい、これでプロローグはお終いです。ついでに言うと書き溜めもお終いです。社会人をやりつつFGOのイベントもやってるので更新頻度はらあまり期待しないで下さい(笑) むしろ社会人をやりつつオバロを執筆している丸山くがね先生は化け物だと思うの……。

 この小説で出てくる設定とかは基本的に捏造だと思って下さい。ヴァルキュリアの失墜とかこんな感じだったら良いよね、という妄想で書いているので。当然ながら南雲ハジメ改めナグモの製作者であるじゅーる・うぇるずもオリジナル至高の御方です。


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第一話「ナザリックへの帰還」

「ナグモ、だと………?」

『はっ、お久しぶりでございます。長らくナザリックを離れ、申し訳ありませんでした』

 

 頭の中に響いてくる少年の声にモモンガは今は無くなった眉間を寄せた。

 

(一体、どうなっているんだ? サービス終了時刻を過ぎてもユグドラシルが終わってないと思ったら、ゲームのアバターに憑依? して、NPC達が自我があるかの様に動き回って、オマケに〈伝言(メッセージ)〉が来たと思ったら相手はじゅーるさんが作ったナグモだって??)

 

 先程からモモンガの身に降り掛かる異常の数々に混乱して頭痛を感じてくる。だが、すぐに自分の身体が光り、それと同時に精神が沈静化された。アンデッド特有の状態異常無効の効果が働いたのだろう。この光は自分以外には見えないらしく、都合の良い事にモモンガが混乱で取り乱す姿は誰にも見られていなかった。

 

『モモンガ様………まさか、またお声を聞ける日が来るとは思っていませんでしたっ』

 

 感嘆極まった様に〈伝言〉ごしの声が震える。演技とは思えない声を聞きながら、モモンガは素早く思考を巡らせた。

 

(今のところ対情報系魔法の反応は無し、攻勢防御にも引っかからないから普通の〈伝言〉でこちらに話しかけている事は確かだけど………本当にナグモか?)

 

 普通の人間なら、ナグモの感嘆極まった声ですぐに信じてしまうだろう。しかし、そこはかつてギルメンから「石橋を叩いて壊した後に別の橋を架けて、その橋を影武者に渡らせて自分は魔法で空を飛んで河を渡る」と評価された慎重派のモモンガ。今まで一度も声を聞いた事の無いNPCの声に相手が本物かどうか確証を持てなかった。

 

「モモンガ様」

 

 声をかけられ振り向くと、スッと純白のドレスを着た美しい女性———守護者統括のアルベドがモモンガの前に跪いていた。

 

「申し訳ありません。全階層守護者の集合を命じられていましたが、第四階層守護者代理のナグモの姿が見えません。研究所副所長のミキュルニラ並びに第四階層にいるシモベ達を問い詰めましたが、その者達もナグモの行方には心当たりが無いと証言していました」

「ふむ………」

 

 骨そのものになってしまった手で尖った顎骨を撫でながらモモンガは思考する。少なくとも現在のナザリックにナグモがいない事は確かな様だ。

 

『モモンガ様は今どちらに? 場所を教えて頂ければ、必ず———いかなる障害があろうと駆けつけます』

「いかがいたしましょう、モモンガ様。御許可を頂ければ、即座にナグモの捜索部隊を編成いたします。至高の御方に階層守護者代理を任せられながら勝手に持ち場を離れた愚か者を、必ずやモモンガ様の前に引き摺り出してご覧にいれましょう』

「待て、アルベド。ナグモならば今、私と〈伝言〉で話をしている」

 

 剣呑な雰囲気を出すアルベドにモモンガは慌てて制止をかける。放って置くとナザリック全軍を動かしてナグモの捜索ではなく討伐へと行きかねない雰囲気だった。本当ならもう少し〈伝言〉で情報のやり取りをしたかったが仕方ない。

 

「ナグモ、今から私の位置情報を魔法で伝える。確かお前は〈上位転移(グレーター・テレポテーション)〉が使えたな? 大墳墓の地上入り口に迎えの者を寄越す。即座に転移し、その者達と合流せよ」

 

 はっ! と威勢の良い返事と共に〈伝言〉が切れる。すぐにモモンガは地上に情報収集に向わせたセバスへ〈伝言〉を繋げた。

 

 ***

 

 一瞬の浮遊間の後、ナグモの姿が宙から現れる。同時に服が黒いコート姿へと変わる。至高の御方にお会いするのに、学校の制服なんて物でいるわけにいかないのだ。

 

「おお………!」

 

 それを目にした瞬間、ナグモの喉から万感の喜びが漏れる。中央に聳える霊廟を取り囲む様に東西南北に小さな霊廟が並び、古代の神殿を思わせる入り口には六メートル近い高さの戦士像が並ぶ。

 

「帰ってきた……ようやく……! 長かった……!」

 

 ナグモの目に熱い物が込み上げてくる。それをどうにか抑え込むのに、ナグモは全神経を使わなくてはならなかった。

 ナザリック地下大墳墓。

 ナグモは十年の時を経て、ようやく在るべき場所に戻れた感動に打ち震えていた。

 

「失礼します。ナグモ様、でよろしいですかな?」

 

 そんなナグモの感動に水を差す様に渋い老人の声(ただし枯れたイメージは一切感じさせない)がかけられる。少しの苛立ちを感じながらナグモはいつもの鉄面皮の表情になって声の方向へ振り向いた。そこには執事服を着た大柄な初老の男と、黒髪をポニーテールにした武装メイドが立っていた。

 

「人間……いや、竜人とドッペルゲンガーか。君達は?」

「これは失礼しました。私はナザリック地下大墳墓の執事を務めておりますセバス・チャンと申します。こちらはプレアデスのナーベラル・ガンマ」

 

 初老の男———セバスと共にナーベラルは軽く一礼した。

 

「セバスに、プレアデスのナーベラル………確か、第九階層を守護する戦闘メイドがいるとは聞いていたが」

「はい、お初に御目にかかります。ナグモ様」

「様はよして貰いたい。敬称をつけるべきは至高の御方であり、僕ではない」

「ではナグモ殿、そうお呼びいたしたます。これよりモモンガ様の元へ御同行頂きますが、その前に失礼ながら幾つか御質問に御答えお願いします」

 

 ズンっとセバスからの圧力が強くなる。同時にナーベラルもさりげなく距離を取った。仮にナグモがセバスの拳より早く攻撃を仕掛けようとしても、ナーベラルの魔法の援護が即座に襲い、そのナーベラルを先に潰そうとしてもセバスによって叩き潰される。そんな絶妙な距離感を二人は取っていた。

 常人なら卒倒しそうな濃密な殺気が襲うが、ナグモはまるでプレッシャーを感じてないかの様に平然としていた。

 

「………良いだろう。僕に答えられるものなら」

「御理解頂き、大変恐縮です。では、まず貴方を創造された至高の御方の名を教えて頂きたい」

「じゅーる・うぇるず様だ。六本腕の機械の偽神(デウス・マキナ)であり、ガンナーだった」

「ふむ。それでは、じゅーる様が作られた存在は貴方以外にどなたがいらっしゃいますか?」

「ミキュルニラ・モルモット。ネズミの耳を持つ人間種で、ナザリック技術研究所の副所長という肩書きだ。レベルは40と高くはないが、僕の不在時は彼女が第四階層の指揮をとる」

「なるほど。では次に、ナザリックに所属する貴方以外の人間を御答え頂きたい」

 

 むっ、とナグモは言葉に詰まった。

 

「………すまないが、それは御方から与えられた知識に無いな。じゅーる様とモモンガ様の話でチラッと耳にした事はあるが……確か、プレアデスの末妹がそれにあたるという話だったはずだ」

「………よろしいでしょう。では———」

 

 その後もセバスはいくつか質問を重ねていく。その中にはナグモが知らないナザリックに関する質問もあったが、それは「自分の知識には無い」と答えていく。

 

「———質問は以上となります。さすがはナグモ殿。第四階層を貴方に任せられたじゅーる・うぇるず様、タブラ・スマラグディナ様、死獣天朱雀様の御判断はお間違い無かった様です」

「なにか勘違いしているみたいだが………第四階層の製造に関わったのはじゅーる・うぇるず様、タブラ・スマラグディナ様、るし☆ふぁー様の御三方だ。ヘロヘロ様やモモンガ様も素材集めを手伝われたと言っていたが、メインで製造されたのはじゅーる・うぇるず様と聞いている」

「ふむ………」

 

 セバスはしばし目を閉じて———先程までの圧力を消してスッと頭を下げた。同時にナーベラルもまたセバスと共に頭を下げる。

 

「失礼いたしました。モモンガ様の命により、貴方様を試させて頂きました」

「まあ、当然の配慮だろう。僕が答えられない問いをしてきたのも、モモンガ様が?」

「はい。ナグモ殿が知り得ない情報を知っていた場合、偽物と判断せよ、と」

「なるほど………」

 

 もしもナグモが与えられていない情報を得ていた場合、それはナザリックの情報を抜き出してナグモになりすましたスパイと見做される。最後に第四階層の創造主達を間違えて言ったのも、質問に全て答えられたと思って油断した者が馬脚を現す事を狙ったものだろう。

 

(さすがは至高の四十一人の統括であるモモンガ様だ。そこまで考えておられたとは………あの御方を統括に推されたじゅーる様の目に狂いは無かった)

 

 十年間。ナグモから見て、十年を経っても全く隙の無い主に畏敬を禁じ得ない。

 スッと半身を引き、セバスとナーベラルは中央霊廟への道をナグモに示した。

 

「モモンガ様は第六階層の円形闘技場でお待ちです。どうぞこちらへ」

 

 ***

 

「素晴らしいぞ。守護者達よ。お前達ならば私の目的を理解し、失態なくことを運べると今この瞬間、強く確信した」

 

 円形闘技場に集まり、一寸の乱れもなく整列して跪拝する階層守護者達を前にして、モモンガの喜色が大きく出た声が響く。

 生命を吹き込まれた様に動き出したNPC達に「裏切られるんじゃないか?」、「一介のサラリーマンでしかなかった自分に従うなんて嫌がるんじゃないか?」と疑念を抱いていたが、今やそんな思いは朝日が昇った闇夜の様に消えていた。

 

(過去の遺物なんかじゃない……ギルメンの皆が残した結晶がここにいる。皆の想いは……今もここに存在している!)

 

 自分を支配者として拝めるNPC達に優越感を感じる? いや、そんな下衆な考えはない。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆が設定した性格通りに動き、言動の端々に製作者の面影が見える彼等が、モモンガにはギルドメンバー達が残した子供の様に見えていた。

 

「さて心して聞いてほしいが、現在ナザリックは原因不明の事態に陥っている。セバスに地上の偵察へ向かわせたが、外が毒の沼地から普通の草原に変わっているそうだ。また、地上から行方不明だった第四階層守護者代理であるナグモから連絡がきた」

 

 ざわっと守護者達の間に動揺が走る。しかし流石は守護者と言うべきか、誰も跪拝の姿勢を崩せない。そんな中、眼鏡をかけたオレンジ色のスーツの悪魔———デミウルゴスが声を上げる。

 

「モモンガ様。失礼ながらお伺いしたい事があります。つまりナグモは、至高の御方の御命令に逆らって勝手に外に出た、と?」

 

 何処か険のある口調でこの場への召集に応じなかったナグモを責める。他の者達も同様だった。程度の差はあれど、皆、ナグモの謀反とも取れる行動に強い不快感を示す。

 

「待て、デミウルゴス。ナグモが我々に叛旗を翻したかはまだ定かでは無い。セバスと合流してこちらへ向かっているところだ。時間的にはそろそろだと思うが………」

 

 と、まるでタイミングを図ったかの様に小走りで向かってくるセバスの姿が見えた。その後ろにはナグモの姿もある。

 

(あ、来た。やっぱり、じゅーるさんが作ったナグモも普通に動いているんだな。ええと……取り敢えず、支配者っぽいオーラでも出して迎えた方が良いか?)

 

 階層守護者達の忠誠は理解できたものの、何故か一人だけ外に出ていたナグモも自分に従うのかは定かではない。初対面で舐められない様に、という意味合いも込めて特殊能力である黒いオーラをエフェクトとして纏った。

 

「………!」

 

 効果は絶大だった。セバスとナグモは一瞬で足を止め、その場に平伏した。ナグモの顔色は血色が悪いを通り越して土気色に染まっていた。

 

(あ、あれ? もしかしてやり過ぎた?)

 

 恐怖で凍り付いた様に動かなくなった二人を見て、モモンガは慌てて黒いオーラを解除する。先に来ていた階層守護者達も固唾を飲んで見守る中、身体の震えを必死で抑えながらセバスが言葉を発した。

 

「恐れながらモモンガ様……ただ今、周辺の偵察を終えました。それと………ナグモ殿をお連れしました」

「御苦労だった、セバス。さて———」

 

 ビクリ、とナグモの肩が震える。見た目が十代な少年なだけにモモンガは新入社員をいびる嫌な先輩になった気分だった。

 

(いや、そんなに恐縮しないで欲しいんだけど………とりあえず、こういう時はまずあまり怒ってないですよー、という空気を出すべきだよな、うん)

 

 鈴木悟だった頃、何度か後輩を指導した時の要領を思い出してモモンガはナグモに話し掛ける。

 

「面を上げよ、ナグモ」

「は、はっ………」

「まずは私の下に馳せ参じてくれた事に感謝しよう。よく来てくれた」

「感謝など………十年経った今でも、僕は至高の御方に忠誠を誓った身ですから当然の事です」

「うむ………ん? 十年、だと?」

 

 支配者らしいムーブを意識しながら尤もらしく頷いたモモンガだが、聞き逃せない一言に首を傾げる。

 

「どういう事だ? 私がお前を最後に見たのは、確か二時間ほど前だぞ? お前はその間にナザリックの外に出ていたのではないか?」

「………失礼ながら、ご確認させて下さい。それは、ガルガンチュアを整備していた僕にわざわざ仕事の労いに来て頂いた時の事ですか?」

「あ、ああ。その通りだ」

 

 ほんの数時間前の出来事を思い起こしながら答えるモモンガに対して、ナグモは難しい顔になった。やがて、意を決したかの様にナグモはまっすぐとモモンガの顔を見る。

 先程までモモンガのオーラに恐怖していた姿は微塵も無くなっていた。

 

「モモンガ様、是非とも御耳に入れて頂きたい話が御座います。突拍子の無い夢物語に聞こえるかもしれませんが………今から話す事は、僕が見聞きしてきた真実です」

 

 

 

 

 

 

 




 まさか、未だにステータスプレートを貰う所まで来ないとは書いている時には思ってもいませんでした。でもオーバーロードを読み返していると、モモンガ様ことアインズ様は本当に慎重に対応しているから、ナグモを即座に迎え入れるなんてしないと思うんですよね……。
 それとこのSSは基本的にナグモとアインズ様のダブル主人公みたいな感じで書いていこうと思っています。それに伴い、原作のハジメハーレムは崩壊する予定です。こう、別のキャラとくっつくとかそんな感じ。


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第二話「御身の前に、再び」

 書きたい描写がありすぎて、未だにありふれサイドの話が進まない……。もう暫くはオバロのターンですかね。あと今回はある意味ギャグ回かも。


 ナザリック地下大墳墓 第六階層 円形闘技場。

 そこに集まったモモンガと階層守護者達は皆一様に沈黙して、ナグモの話に耳を傾けていた。最初の内は至高の御方の許可無く外出していたナグモに対して敵意を向けていた守護者達も、ナグモの話を聞く内に顔に困惑が浮かんでいた。モモンガも同じ様に困惑していたが、幸いにも骸骨顔だったので表情の変化は悟られずに済んでいた。

 

「———以上が、僕のここに来るまでの経緯です。ご静聴頂き感謝します」

 

 ナグモがそう締め括るのを聞きながら、あまりの出来事にフリーズしていたモモンガの脳がゆっくりと動き出す。

 

(ナグモはさっきの……時刻が深夜0時になった瞬間に突然知らない場所に飛ばされていて、そこは俺の時代から百年以上前の日本だった。で、何故か子供の姿に若返っていたナグモは現地の人間の振りをして十年くらい生活していたけど、今から12時間前にエヒト神とかいう存在によって、トータスと呼ばれるこの世界に一緒にいた学校のクラスメイト達と召喚された、と………)

 

 モモンガは静かに天を仰ぐ。

 

(うん、ワケが分からん)

 

「ねえ、ナグモ。貴方、もしかして意味不明な話で私達やモモンガ様を煙に巻こうとしてるのかしら?」

 

 混乱するモモンガに代わって、アルベドが跪拝を崩さずに詰問した。若干の殺意をも滲ませた口調でナグモを睨む。

 

「モモンガ様を謀ろうという魂胆なら、私にも考えがあるわよ」

「………守護者統括殿の懸念はもっともだ。僕も逆の立場なら相手の正気を疑っていただろう」

 

 ナグモはモモンガをまっすぐと見据えながら宣言する。

 

「しかし誓って僕は嘘や偽りを述べていません。僕の身に起きた事は、モモンガ様にお伝えした通りです」

「ううむ、しかし………」

「お疑いならば、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉で僕の脳内を調べて頂きたい。何ならば、ニューロニストに尋問させて貰っても構いません」

 

 うっ、とモモンガは黙り込んだ。ニューロニストはナザリックの五大最悪の一人で、特別情報収集官を務めるNPCだ。そんな相手に尋問されてもいいと言うナグモの真剣な目にモモンガは反論の言葉が出なかった。

 

「こちらをご覧下さい」

 

 あまりに突拍子の無い話にどうしたものかと悩むモモンガにナグモは懐から一冊の本を取り出した。その本のタイトルを見た瞬間、モモンガはある筈の無い心臓が飛び上がるのを感じた。

 

「そ、それは………!」

「これは地球と呼ばれる僕が最初にいた世界で、町の図書館にあった本です」

 

 モモンガは無い目の剥いて瞠目した。ナグモが差し出した本———ハードカバーで安っぽい印字がされた、『北欧神話』を。

 

(な、何でよりによってその本を持ってんのおおおおっ!? いや確かに図書館に置いてあるだろうけどさ!?)

 

 支配者らしいムーブを崩さずに心の中で大声でツッコむ。ユグドラシルは北欧神話をベースにしたゲームだ。仕様で所々変えてはいるものの、ある意味で最高最悪のネタバレシナリオ集とも言える本をなんでこの場に持って来たのか?

 

「……この本は預かっておこう」

 

 動揺が何度も沈静化されるのを感じながら、(支配者らしく、支配者らしく!)と自分に言い聞かせてナグモから本を受け取る。中身を確認する振りをしながら、巻末に書かれた出版社の名前や発刊年数を見る。

 

(うわー………マジで百年前の日付けだ。というかそんな前からあったんだな、角山書店………)

 

 自分の時代でユグドラシルの攻略本を発刊していた老舗の出版社の歴史に軽く感心しながら、モモンガは裏表紙にラベルされた図書館の地名を確認した。

 

(この地名って、確かS県だよな? 前に営業で行ったよなあ。という事は………ナグモの話は本当だったという事か? え、マジで?)

 

 ある意味決定的な証拠を提出されたにも関わらず、まだ理解が追いついてないモモンガ。そこへナグモが再び話し始めていた。

 

「その本には不完全ながら、ユグドラシルの世界の事が記されていました。地球において北欧と呼ばれる地方で伝えられていた神話だそうです。その本の内容から推測して、僕がいた世界は———」

(……え? ちょっ、待っ——!)

 

 考える時間を稼ぐ為に本をパラ読みしていたモモンガだが、ナグモの話を聞いてヤバイ! と脳内で警鐘が鳴る。

 本の内容から、ユグドラシルが北欧神話を模倣した架空の物語だという結論に辿り着くのは不可能ではない。それをバラされたら、今まで絶対の支配者を演じていたモモンガの立つ瀬が無くなる。今更NPC達の忠誠を疑いはしないが、大仰な身振りや口調でただのサラリーマンが演技していた事を知られるとか穴があったら入りたくなるほど恥ずかしい。

 モモンガは慌てて制止しようと口を開き———。

 

「恐らく、元々僕がいた時代から遥か遠い未来だったのではないか、と考えています」

(…………………は?)

 

 モモンガの無くなった目が点になる。しかしナグモはまるで僅かな痕跡を辿りながら推理していく探偵の様な真剣さで自論を展開していた。

 

「この北欧神話は口伝を後世になってから当時の学者達が編纂したものであり、その編纂も僕がいた時代から700年前に行われている事から情報収集が不十分であったと考えられます。故にこそ、ユグドラシルの歴史を間違った解釈で記しているのでしょう。それを事実だと勘違いされる程の時が経っていたと推測できます」

 

 無表情ながらナグモの目に軽蔑する様な光が灯る。まるで人間達の無知に呆れ返った様な目だった。

 

「また、地球の人間達の歴史には魔法があったとされながら、彼等の不出来な科学によって迷信であったと結論付けられていました。そもそもエーテルすら観測できない様な原始的な科学で何を理解した気でいるのか、甚だしく疑問ですが………。それはともかく、かつてあった魔法を、引いては技術の数々を神話の出来事だと思い込むくらいに文明が衰退し、亜人種や異形種を妄想の産物だと勘違いする程に時間が経った世界。それが、僕が最初に飛ばされた場所だったと思われます」

(え、ええええええええええっ!? 何でそんな解釈になんの!? ってか、逆だから! 北欧神話を元にユグドラシルが作られてるだけだから!)

 

 もっともらしく話されるトンデモ理論に、モモンガは心の中で大声で反論した。先程から何度も精神の沈静化がされて身体がピカピカと光っているが、誰も気付かない様だ。

 

(そ、そういやじゅーるさん、タブラさんと協力してナグモをヴァルキュリアの失墜の古代文明の生き残りとかいう設定にしたと言ってたよな………)

 

 頭痛を感じながらもかつてギルドメンバーが作った設定を思い返す。

 魔法と科学が融合し、およそ不可能な事象が無くなったという超古代文明。その時代の生き残りであるナグモからすれば、ユグドラシルの時代も自分の時代から退化した状態であり、現代の(モモンガからすれば百年前だが)の地球に至っては文明を完全に喪失して原始的な生活に逆戻りした世界に見えていたのだろう。

 

「モモンガ様。ナグモの言っている事は本当でしょうか? やはり、ニューロニストに命じてナグモを調べさせた方が、」

「待て、アルベド。それには及ばん」

 

 疑わしげな視線を崩さないアルベドをモモンガは慌てて制止する。

 

「この本を見て確信した。どうやらナグモの言っている事に嘘は無い様だ」

「では………」

「うむ。ナグモは不慮の事故で遠い未来に飛ばされ、今ようやくナザリックに帰って来たというわけだ」

 

 とりあえずそういう事にしておこう………。モモンガは『北欧神話』の本をアイテムボックスに仕舞いながら、こっそりと心に決めた。そしてナグモへと向き直る。

 

「ナグモよ」

「はっ」

「遠く、言葉に表せない程の時の彼方に飛ばされながらも、再び戻って来てくれた事を私は嬉しく思う。お前を創造したじゅーるさんも、お前の事を誇りに思う事だろう。重ねて言うが………よく戻って来てくれた。感謝する」

 

 支配者らしい言動に気を付けながら、モモンガはナグモへ労いの言葉をかける。とはいえ、労う気持ちは本心だ。

 

(ギルメンの中にはもう何年もログインしてくれなかった人もいるけど………こいつは十年間、ナザリックの事を忘れずにいてくれたんだなぁ)

 

 そう思うと無性にしんみりとしてしまう。そして———。

 

(貴方にも見せてあげたかったですよ、じゅーるさん)

 

 今はもういない、六本腕の機械の偽神を思い出す。自分が苦労して作った通りに動き、そしてそれ以上にナザリックを大切に思ってくれたナグモ(むすこ)を彼はどう思うだろうか?

 そんな事を考えていると、ナグモは顔を伏せて肩を震わせていた。先程みたいに恐怖で震えているわけではない。

 

「十年間………十年間、片時もナザリックを、至高の御方を忘れた日はありませんでした。あの日、僕の仕事を労ってくれたモモンガ様が、僕を廃棄するわけがない………そう、信じて、諦めないでいて、本当に……本当に良かったっ……!」

 

 ポタッ、ポタッと地面に雫が垂れる。その姿に守護者達も警戒を解いていた。「お前もそんな顔するんでありんすねぇ」、「実ニ……実ニ見上ゲタ忠誠心ダ」と口々にナグモを褒め称える。

 

「ナグモ、顔を上げなさい」

 

 未だに肩を震わせるナグモにアルベドが声を掛ける。その口調からは、すっかりと険が取れていた。

 

「まずは至高の御方に対して、忠誠の儀を捧げなさい。そうする事で再び、貴方はナザリックの一員となるの」

「………ああ、その通りだ。守護者統括殿」

 

 スン、と鼻を鳴らしてナグモは顔を上げる。まだ目は赤いが、モモンガへまっすぐ顔を向ける。

 

「第四階層守護者代理、ナグモ———御身の前に。御命令を、至高の御方。今再び、我が身、我が智全てを御身に捧げます」

 

 

 

 




 というわけで、凄まじい勘違いをしてるナグモでありましたとさ。一応言っておくと、ナグモは人智を超えた研究者設定なのでナザリックでもトップクラスの頭脳の持ち主です。ただしナザリックの一員の例に漏れず、至高の御方絶対主義なので、至高の御方を中心に世界が回っていると考えているのでありましたとさ。


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第三話「情報収集開始」

 こんなSSに既に10件も感想を頂き、読者の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
 話の展開が遅いSSですが、皆様に楽しんで貰えれば幸いです。


 ナグモが再びナザリックでモモンガへ忠誠を誓った日から一週間後。

 ハイリヒ王国の王立図書館に彼の姿があった。ナグモは百科事典ほどの厚さもある本を高速でページを捲っていく。

 

(大陸の東に亜人種……いや、亜人族の国があるハルツェナ樹海、ヘルシャー帝国、南に魔人族の王国ガーランド、西にアンカジ公国、グリューエン大火山。その先に海上の町エリセン……ふむ)

 

 一見、本当に読んでいるのか疑わしい速度だが、至高の御方にナザリックの技術研究所のトップとして創造されたナグモは、超人的な早さと頭脳で文章を記憶していく。ものの十分もしない内に、『トータス世界地理』と表紙に書かれた本は読み終えられていた。

 

(これで地理関係の蔵書は網羅したが……しかし、もう少し詳細な地図は無かったのか?)

 

 縮尺も何もあったものではない、絵図と言っても差し支えの無い地図を見ながら溜息を吐く。そもそも内容からして、「亜人はエヒト神の恩恵を受けられなかった為に魔力を持たない劣等種であり、魔人族はエヒト神とは異なる邪神を信奉している唾棄すべき神敵。我々人族はエヒト神の寵愛を一身に受けた優れた人種なので、世界はエヒト神の名の下に人族によって管理されるべきである」と半分以上が著者の主観が入った内容だった。

 それでも異世界の地理を知るのは有益だから、と自分に言い聞かせて読了したが、これでは精神的疲労の方が大きい。そんな内容の本を何十冊も読んでいれば、いい加減嫌にもなってくる。いっそ燃やしてしまえば少しはスッキリするのではないか、と本気で考え始めていた。しかし、ここへ来る前に命じられた事がナグモの理性に歯止めをかけていた。

 

『今の我々は、この世界について右も左も分からない幼児と変わらないと言っていい』

 

 ナザリック地下大墳墓の支配者にして、最後まで残ってくれた至高の御方。モモンガはナグモを加えた階層守護者達を睥睨しながら話した。

 

『我々がこの世界———トータスにいるのはナグモが話したエヒト神とやらが関係しているのか、そしてトータスにいる者達や召喚された人間達の強さはどれくらいなのか? 調べなくてはならない事が多過ぎる。………ナグモよ』

『はっ』

『お前は人間達を救う勇者一味として王国に召喚された、と言っていたな。ある意味、今のナザリックでお前が一番この世界の情報を手に入れ易い位置にいると言っていい。お前は召喚された人間達と共に神の使徒とやらを振る舞いながら、この世界の情報———魔法、地理、モンスターなどあらゆる情報を集めて我々に流すのだ』

『はっ、了解しました』

『デミウルゴス、お前はナグモが集めた情報を分析して纏めよ。またナグモの支援の為に隠密に長けたシモベ達を派遣するのだ』

『承りました、モモンガ様』

 

 ナグモとデミウルゴスの返事にうむ、と頷いてモモンガは他の守護者達を見回す。

 

『他の者達も各階層の警備レベルを一段階上げよ。何が起こるかは不明なので油断はするな。侵入者がいた場合は出来る限り生かして捕えるのだ』

『はっ!』

 

 返答が綺麗に唱和される。偉大なる主人の為、守護者達は使命感に燃えていた。………実の所、当のモモンガは(とりあえず、これでいいよな? 間違ってないよな?)とおっかなびっくりに指示していたのは守護者達の預かり知らぬ事だった。

 

(全てはナザリックの為、ひいてはモモンガ様の為だ)

 

 読み終わった蔵書のページを閉じながらナグモは自分自身に言い聞かせた。

 

(せっかくナザリックに帰れたというのに、また低脳な人間達と過ごさなくてはならないのはイライラするが、僕個人の不平不満など至高の御方を思えば取るに足りない。次はこの世界の技術や文化関連の蔵書を読むとするか。しかし………)

 

 机に高く積まれた本を片付けながら思考する。今までトータスの歴史や魔法など様々な本を読んできたが、どの文書にも必ずと言っていいほどエヒト神を賛辞する内容が書かれていた。歴史書に至ってはエヒト神の信徒達がいかに素晴らしい事を為してきたか、を綴った出来の悪い小説の様だ。まるでそうしなければ許されないかの様に。

 

(しかし、異常に過ぎる。一国の王が教皇に跪いていた事から、この国では聖教教会の権力が大きいのは理解できた。だが、こうも聖教教会の教義が根付いているのは妙だ。地球では同一の神を崇めていても数えてもキリが無いくらい宗派が分かれたというのに………。加えて、歴史にも不自然な空白が複数ある。まるで意図的に削除したかの様に思える)

 

 今まで得てきた情報を元に考察を重ねていく。すぐに報告書を作成したいところだが、さすがに人目のある場所では無理だ。夜中にまた作成してデミウルゴスに送ろうと考えていた矢先だった。

 

(ナグモ様……)

 

 思念を通してカシャカシャと鋏同士が擦れる様な声が響く。人間以外の動物が無理矢理声帯を震わせている様な声だが、ナグモは驚かずに思念を返す。

 

(八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)か。どうした?)

(はっ、至急にお耳に入れたい事が御座いまして……先程からナグモ様を隠れながら覗き見している人間の女です)

 

 ナザリックからのサポートとして付けられたシモベの報告に、ナグモはまたかとうんざりした顔になる。

 

(昨日も一昨日も、その前も来ておりました。気配遮断をしている我々に気付いている様子はありませんが、いかがいたしましょう? 御命令を頂ければ我々の方で処理しますが……)

(不要だ。モモンガ様は目立たずに情報収集せよ、とお命じになった。ここで人間の死体が出れば、騒がれて面倒な事になる)

 

 はっ、と返事をした後に気配が消える。とはいえ、本当に消えたわけではないだろう。今もナグモのすぐ側で待機している様だ。

 

(それにしても毎日毎日飽きもせずに僕を覗き見るばかり……いったい何の用だ?)

 

 地球にいた頃、類い稀なナグモの頭脳には嫉妬や羨望の目が多く向けられていた。そういった視線を弱者の下らない感情として切り捨てていた為に今まで気にも留めていなかったが、今は事情が異なる。

 至高の御方の為に情報収集をしている以上、こちらを探ろうとする者を見過ごすわけにはいかない。エイトエッジ・アサシン達にはああ言ったが、相手の出方次第では()()()()()として姿を眩まして貰った方が良いだろう。そんな事を考えながら、ナグモは覗き見している不審者に近寄っていった。

 

(場所は……あそこの本棚か)

 

 魔力感知で特定し、足音をこっそりと消して近寄って行く。アウラの様にレンジャーのスキルなど持っていないが、100レベルともなれば常人の不意をつくくらいは容易い。

 

「おい」

「ひゃああっ! な、南雲くん!?」

 

 不意打ち気味に声をかけると、覗き見していた不審者こと白崎香織は飛び上がりながら驚いていた。

 

「い、いつからそこにいたの?」

「そんな事より、毎日僕を覗き見して何か用なのか?」

「私は覗き見なんて……え? 毎日って、もしかして気付いてた?」

「隠れる気があったのか?」

 

 ひゃあああっ〜、と真っ赤な顔で呻き声をあげる香織をナグモは訝しそうに見る。魔力も気配も垂れ流しだったのに、どうして気付かれないと思っていたのか?

 

「え、ええと……ここには本を探しに来て……で、でも、もう行くから! それじゃっ!」

 

 真っ赤な顔のまま、香織はナグモの横をすり抜け様とする。ドンっとその進路をナグモは腕で遮った。

 

「待て。先程の答えを聞いていない。僕に、何か用なのか?」

 

 いわゆる壁ドン状態でナグモは香織に迫る。ナグモからすれば逃がさない様に退路を塞いだだけだ。だというのに香織はモジモジと真っ赤な顔を伏せていた。

 

「あの……その………」

「ん、んんっ!」

 

 ゴニョゴニョと喋る香織を観察していたナグモの耳に、わざとらしい咳払いが聞こえた。見れば、図書館の入口にあるカウンターから司書が咎める様な眼差しでナグモ達を睨んでいた。

 

「……ここでは人目につくな。ついて来て貰おうか」

「え? ちょっ、南雲くん!?」

 

 ナグモは香織の手を取り、その場から引っ張っていく。何故か香織はされるがままに付いて来ていた。抵抗がない事に訝しみながらも、これ幸いとナグモは体温が高くなっている香織を図書館の奥へ連れて行った。

 

 ***

 

 ナグモが香織を連れて入ったのは、図書館の奥にある資料室だった。部屋には未整理の本が棚にジャンルを関係なく押し込まれ、作業用の机と椅子が二脚、ポツンと置かれていた。灯り取りの窓がある為に完全な暗闇では無いが、ドアを閉めてしまえば完全な密室となる部屋だった。

 

「さて、ここならゆっくりと話せるだろう」

 

 さり気無く香織を入り口から最も遠い椅子へと誘導し、ナグモは香織と入り口の通路の道を塞ぐ様に椅子に引いて座る。

 ついでにコッソリとモモンガからこの任務にあたって借り受けたマジックアイテムを起動させる。第八位階以上の空間魔法や80レベルの盗賊職などに介入されたらどうしようも無いが、普通の手段ではこの部屋に第三者が入ってもナグモ達の存在はこの次元に居ないものとして気配すら感じ取れないし、触れる事も出来ないだろう。

 つまり、ここで始末しても誰にも気付かれないというわけだ。エイトエッジ・アサシン達も香織からは死角となる位置に配置させ、いつでも襲える様に準備は整えてある。

 そんな風に確実に殺せる準備を整えているナグモに対して、香織はナグモに握られた手を熱に浮かされた様な表情で撫でていたが、ナグモの一言で現実に引き戻された。

 

「その……どうしても言わなきゃ駄目かな?」

「是非とも知りたい。お陰で読書に集中出来ないからな」

 

 あうう、とか、ええと、と呻いていた香織だったが、じっと見るナグモに観念してようやく口を開いた。

 

「その、ね………南雲くんの事が心配で見ていたの」

「僕を心配? 何故?」

「南雲くん、ここに来てから毎日、自由時間になるとずっと図書館に篭って勉強してるし、夜遅くまで部屋に灯りが付いてるから無理してないかな、って……」

 

 舌打ちしたくなる気持ちをナグモは何とか堪えた。香織の言う通り、夜通し自室で起きていたのは事実だ。昼に調べた内容を元に報告書や資料を作成したり、この世界に来て()()()使()()()()()()()()魔法の鍛錬をするなどしていた。

 普通の人間ならば連日の徹夜で健康に支障が出るだろうが、モモンガより疲労と睡眠を無効にするアイテムを与えられていたナグモは人が寝静まった深夜でも平気で作業を行えていた。

 

(失態だ………。皆が寝静まった深夜ならば、と思って作業を進めていたが、見ている人間がいたとは……。今度からモモンガ様から渡されたマジックアイテムで異空間を作ってから作業しなくては)

 

 あるいはそれを見越して至高の御方は自分にマジックアイテムを渡したのかもしれない。そう思うと、自身の浅慮さに自害したくなる。(実際のところ、モモンガはナグモが不測の事態で逃走する場合に備えて、時間稼ぎの為に渡しただけだが)

 内心を悟られない様に、極めて無表情で香織に答えた。

 

「問題ない。休息は十分に取っている」

「でも、本当にいつ休んでるの? って思うくらい、いつも勉強してるみたいだし………」

 

 それに、と香織は顔を上げた。気遣わしげな顔には打算や邪心などが一切浮かんでいなかった。

 

「ひょっとしてステータスの事、気にしてるんじゃないかな、って………」

 

 ああ、とナグモは王宮での訓練初日を思い出す。

 訓練教官の騎士団長のメルド・ロギンスから、自己紹介と共に生徒達はステータスプレートと呼ばれるアーティファクトを手渡されていた。アーティファクトとはこの世界の現代の技術では再現できないマジックアイテムだが、ステータスプレートは複製が可能で、身分証として一般にも出回っているそうだ。そしてステータスプレートは文字通り、所有者の体力や魔力などの数値、天職と呼ばれるその人間の才能、そして技能(スキル)が可視化されるという代物だ。

 生徒達は流石に神の使徒として召喚されただけの事はあり、天職は千人に一人の戦闘系、ステータスもレベル1の段階でこの世界の人間の数倍から十倍はあるという非常に恵まれたものだった。

 ただ一人、ナグモを除いて。

 

「みんな酷いよ、南雲くんのステータスが低いからって悪く言うなんて」

 

 その時を思い出してか、香織の顔が不満気になる。

 

南雲ハジメ 17歳 男 レベル:1

天職:錬成師

筋力:30

体力:30

耐性:30

敏捷:30

魔力:30

魔耐:30

技能:錬成・言語理解

 

 これがナグモがメルドに見せたステータスだった。ステータスこそトータスの一般の人間の三倍だが、非戦闘系で天職は十人に一人はいるというありふれた錬成師。しかも技能は生徒全員が持つ言語理解と、錬成師固有の魔法である錬成だけ。他の生徒達に比べれば、圧倒的に見劣りするステータスだ。

 当然の流れというか、そんなナグモのステータスを檜山を初めとした生徒達は嘲笑った。何人かの生徒はそんな行為に眉を顰めるものの、表立ってナグモを擁護する者などいなかった。今やナグモは召喚された中で一番の無能だと陰口を叩き合い、それに比べて自分のステータスが訓練でどれだけ伸びたかを自慢し合うのがクラスメイト達の密かな楽しみとなっていた。

 

「別に、どうも。連中の陰口程度、何とも思わない」

「でも、人の悪口で盛り上がるなんて最低だと思う。私、今のクラスの雰囲気が好きになれないよ」

 

 ナグモのぶっきらぼうな返答に何を思ったのか、香織は顔を曇らせた。

 

「なんか、みんな変わっちゃった。光輝くんも、龍太郎くんも。前から自信過剰な所はあったけど、ステータスが分かる様になってから態度が更に大きくなった気がするの。他の人達も、召喚された神の使徒だからって、メイドさん達に失礼な態度を取る人もいるみたい」

 

 そう言われてもナザリックの者以外の他人という存在に興味をもたないナグモにはその違いが分からない。適当な相槌を打とうとして、ふとナグモは思い直した。

 

(いや、待て。確か白崎香織は学校のクラスの中では交友関係も広く、クラスの人間達のステータスなどをそれとなく聞くのにうってつけなのでは?)

 

 召喚された人間達を調査するのも命令の一つだが、こちらの方は梃子摺るだろうとナグモは覚悟していた。至高の御方に人間嫌いと定められた自分が、今更人間達と混じってニコニコと応対するなど寒気がはしる思いだ。もちろんモモンガからやれ、と言われれば努力はするが。

 

(そう考えれば、白崎香織と友好関係を結ぶのは悪くない。少なくとも有象無象の低脳達を複数相手にするよりはマシだ)

 

 内心の打算を悟られない様に、ナグモは努めて柔らかい声音(といってもいつも通りの無表情だが)を出した。

 

「君も大変だな。こんな非常事態に周りの人間に気を配るとは」

「え? そんな事ないよ! 大変なのは南雲くんも一緒だよ!」

「僕は別にいい。たとえ異世界だろうと、やる事に変わりはない」

 

 逆に異世界に来てナザリックに帰れたから良かったと言うべきだが。もちろんそれを顔には出さない。

 

「君が良ければ話を聞こう。話をするのはストレス解消にも良い、というのはメンタルヘルスでも実践されている」

「いいの!?」

「ああ、構わない。僕も気分転換になる」

 

 何故か嬉しそうな香織にナグモは内心でほくそ笑む。これで怪しまれずに神の使徒達の情報を手に入れる手段を確立できた。

 

(しかし、ステータスの低い僕を心配とは……見当違いと知ったらどんな顔をするやら)

 

 〈虚偽情報(フォールスデータ)・ステータス〉。

 情報系魔法に対して偽の情報を提示する位階魔法で、ナグモは自身のステータスを誤魔化していた。メルドが光輝のステータスが初期値で100もある事を褒める姿を見て、ナグモは表示された値がトータスにおいて規格外だと知った。その為、他の生徒達のステータスをメルドが読み上げるのを聞きながら、不自然に見えない程度の数値に偽装したに過ぎない。

 無防備に笑顔で話し出す香織を注意深く観察しながら、ナグモはポケットに入ったステータスプレートを握り締めた。

 

ナグモ ?歳 男 レベル:100

天職:錬成師

筋力:500000

体力:600000

耐性:500000

敏捷:500000

魔力:700000

魔耐:700000

技能:錬成・言語理解・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作] [+高速詠唱]・薬物精製[+効能上昇][+精製速度上昇][+毒物百般]・機械操作[+精密操作][+遠隔操作] [+複数操作]etc……。

 

 

 

 




 タグにも書きましたが、ナグモのヒロインは一応香織の予定です。つまりナグモはヒロインを殺そうとしたり、自分の目的の為に利用しようとしているわけなのです。最低だコイツ……(←そんな展開を書いた人)。
 あとナグモのステータスは適当に書いたものなので、あまり深く考えないで下さい。次回あたりにモモンガさんのステータスを書こうと思ってます。


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第四話「ナザリックの現状」

 連休だから久々にゆっくり書く時間が取れました。と言っても相変わらずの説明会ですが……というかいつになったらモモンガさんをアインズ様と呼べるのか?
 あと作中でトータスの地理云々と言っていますが、作者がありふれをweb版しか読んだ事ないので位置関係とか凄く適当に書いてます。


「これがこの世界のステータスプレートか………」

 

 ナザリック地下大墳墓の第九階層。

 モモンガは自分の執務室でナグモからサンプル品として送られてきたステータスプレートをまじまじと見つめていた。

 ユグドラシルには無いトータス固有のアイテムにモモンガのコレクター魂に火が付いていたが………今はすっかり冷めてしまっていた。

 

(ナグモの報告によると所持した相手のステータスを表示できるアイテムという話だったけど………)

 

 溜息をつきながらモモンガはトータスでの自分のステータスを見た。

 

モモンガ ?歳 男 レベル:100

天職:死霊術師

筋力:6000000

体力:10000000

耐性:7000000

敏捷:5000000

魔力:測定不可(MAX)

魔耐:10000000

技能:全属性適正[+闇属性効果上昇][+発動速度上昇]・全属性耐性[+闇属性効果上昇] [+冷気無効][+酸無効][+雷属性無効]・全攻撃耐性[+上位物理攻撃無効][+上位魔法攻撃無効]・絶望のオーラ[+恐怖][+恐慌][+混乱][+狂気][+即死]・死霊術[+消費魔力減少][+魔力効率上昇][+連続発動][+複数同時発動][+遅延発動][+付加発動][+高速詠唱][+上位死霊召喚][+死霊強化]etc…

 

 ずらっ、と手の平大のプレートに羅列された小さな文字に四苦八苦しながら読み進めていく。虫眼鏡でも持って来た方が良かったな、とモモンガは少し後悔した。ユグドラシルで見覚えのあるスキルもあれば、名前が変わった様なスキルもあった。

 

(天職が死霊術師って………いや、確かにオーバーロードだから死霊系魔法は得意だけど。というか何だよ、魔力のステータスが測定不可って。これ本当にちゃんとしたステータスなのか?)

 

 一瞬、壊れてるんじゃないか? と思ったが、送られた複数のステータスプレートで守護者達のステータスを見た時は問題なく数値が表記化されていた。

 ならば何故、自分だけ魔力の数値が測定できないのか? その事にモモンガは一応は心当たりがあった。数値が万単位なのに目を瞑れば、ステータスの比率はユグドラシルの頃とほぼ同じだ。モモンガは魔法詠唱者職である為、レベルアップボーナスの他に課金アイテムを使って魔力にリソースを大量に注ぎ込んでいた。

 

(だから魔力の数値はステータスプレートを表示できないくらい大きい数……最低でも一億という事になるんだろうけど)

 

 細々とした文字で書かれた技能一覧から目を離して溜息を吐く。目新しい技能はない事を確認して、興味の失せたステータスプレートを無造作にアイテムボックスに投げ入れる。

 

(このアイテム、マジで使えねえ。そもそも〈虚偽情報〉で簡単に書き換えられる程度のステータス表記に意味あるのか?)

 

 ユグドラシルにも〈看破〉の様な相手のステータスを把握する魔法はあるし、自分のステータスの数値がはっきりと分からないなんて論外だ。そう考えると、トータスのステータスプレートはそれ程魅力がない様にモモンガには見えていた。

 気を取り直して、今度はナグモからの報告書に目を通す。毎日送られてくる為にずっしりとた厚さの書類を見て、サラリーマンだった鈴木悟の脳が拒絶反応を示すが、そんな場合じゃないと自分に言い聞かせて目を通す。

 

(ナグモが調べた地理情報によれば、いまナザリックが存在している場所はハイリヒ王国とヘルシャー帝国の国境付近。数キロ離れた所にはハルツィナ樹海があり、帝国から亜人族の奴隷狩りなどが頻繁に出没する事から周辺には村落の類いは無い、か………)

 

 近くに人目が無いからナザリックが注目を集める事は無さそうだが、帝国からの奴隷狩りというのが気になる所だ。幸い、ナザリックがある場所は帝国と樹海の直線上から大きく外れた場所にあるから、仮に帝国の奴隷狩りがいてもわざわざ遠回りでもしない限りナザリックが発見される可能性は低いだろう。

 

(とはいえ、油断すべきじゃない。マーレに進めさせている隠蔽工作を急がせた方がいいな)

 

 次にこの世界のステータスについて記された報告書を見る。

 ステータスはトータスの人間ならば平均で10程度。ハイリヒ王国の騎士団長で300程度と、モモンガからすれば低すぎないか? と思う値だった。モモンガの他にも守護者達のステータスを見たが、いずれも10万単位で表記されていた。それに比べればトータスの人間達は文字通り吹けば吹き飛ぶ程度の強さしかないという事になる。

 

(ナグモと一緒に召喚された地球の人間達も気になるけど、報告だと平均で100程度らしいんだよなあ。いや、油断は禁物だ。もしかしたらレベルが上がったら俺達みたいに強くなるのかもしれない。彼等がナザリックに敵対する事も視野に入れて対策を練らないといけない)

 

 実の所、一番ステータスに恵まれている光輝でもレベル100でステータスは1500が限界となるのでどう頑張ってもナザリックの守護者どころかプレアデスにも勝てる要素が無いのだが、その事を知らないモモンガは勇者一行と敵対した場合のケースを頭の中で画策していた。

 今のモモンガにとって一番大切なのはナザリック地下大墳墓であり、かつてのギルドメンバー達が残したNPC(子供)達だ。それ以外はひどくどうでも良いし、彼等に害を為すのならば微塵も容赦する気は無かった。

 そういう意味では報告書にあった聖教教会など最悪だ。人間族唯一主義を唱える教会が、ほとんどが異形種で構成されるナザリックに対してどういう対応するかなど想像に難くない。まるでユグドラシルで異形種を積極的にPKしていたプレイヤー達と姿が重なり、モモンガの中で不快感が募っていく。

 

(まあ、聖教教会は後回しにするとして、ひとまず勇者達は要チェックだな。あ、でも地球にいた時のナグモのクラスメイトなんだっけ? それなら余程の事が無い限りは生かしておく方向が良いのかな?)

 

 ただ、とモモンガは思い直す。ナグモ達が学校で突然消えたという事件について心当たりが無いわけでもなかった。

 S県高校生集団失踪事件。

 西暦2000年代、どこかの高校の生徒が三十余名、突然行方不明になったという事件があった。現代のマリーセレスト号事件としてモモンガの時代でもネット上で時折論争のネタになっている、とタブラ・スマラグディナから聞いた様な気はする。重要なのは———()()()()()()()()()()()()

 

(生徒達は政府の陰謀で殺されたとか、そもそも情報社会で三十人近い人間がいきなりいなくなるなんて有り得ないからデマだとか言われていたらしいけど………あれって、もしかしなくてもこのトータスに召喚されたから、という事だよな。じゃあ、高校生達は誰も現代日本に帰れなかったという事になるのか?)

 

 果たしてそれは戦争で戦死したからか、それとも帰還の方法を最期まで見つけられなかったのか。

 少し考え込むモモンガだが、現状で答えが出そうにないので保留とした。

 時代が違うとはいえ、地球という同郷の人間として親近感が無いわけでもない。しかし身も心もアンデッドと化したモモンガには彼等を積極的に保護しようという感情は湧き起こらなかった。何よりモモンガの時代において帰還者ゼロという結果になっているなら、それに沿う事が歴史的にも正しい筈だ。彼等を安易に日本に帰した事でタイムパラドクスが起きて、鈴木悟の時代が変わってユグドラシルはおろか最悪の場合、自分や友人達が生まれないなんて事態は絶対に嫌だった。

 

(まあ、余裕が出来たらせめて彼等がこの世界で不自由なく暮らせる様な支援はしてもいいかもしれない。ナグモもクラスメイト達が無惨に死ぬのは偲びないだろうし………)

 

 よし、と一応の区切りはつけて次の書類へと目を通した———それがひどい思い違いである事を、モモンガは後になって思い知る事になるのだが。

 

 ***

 

 その後、ナグモからの報告書をどうにか読み終えたモモンガは気分転換にナザリックの外に出ていた。一人で出たかったのだが、途中でデミウルゴスに見つかってお供を申し出られたのは、まあ仕方ない事だろう。

 

「美しい……いや、そんな陳腐な言葉では表現できないな。まるで宝石箱みたいだ」

 

 〈飛行(フライ)〉で上空へと飛び、この世界で初めて見る夜景にモモンガは誰に聞かせるわけでもなくポツリともらした。

 

(空が澄んでいれば、月と星の明かりだけで十分に明るいんです、ってブルー・プラネットさんが言ってたっけ……)

 

 鈴木悟が生活していた時代は環境汚染が酷く、ガスマスク無しでは外出すら出来なかった。工場の排気ガスで煤けた空では絶対に見れない綺麗な星空に、ナザリックの第六階層の夜空を設計したギルドメンバーとの思い出がモモンガの中で甦った。

 

「御許可を頂ければ、ナザリック全軍をもってこの宝石箱を全て献上いたします」

「まだナグモの情報収集が済んでない段階なのに、か?」

 

 モモンガの後ろで半悪魔形態となったデミウルゴスの忠臣めいた言葉に失笑しながらも、ふとアインズ・ウール・ゴウンが賑やかだった頃に、るし☆ふぁーやウルベルト達と冗談で語った事を思い出していた。

 

「ただ………世界征服なんて、面白いかもしれんな」

 

 モモンガからすれば戯れに言ってみただけだった。しかし、その言葉を聞いた途端、デミウルゴスはまるで天啓を受けた様な表情になっていた。その表情に眼前の景色に目を奪われていたモモンガは気付けなかった。

 

「未知の世界か……しかし、本当に来ているのは私だけなのか?」

 

 黒々とした地平線を眺めながら、モモンガはトータスにギルドメンバー達が来ている可能性を考えていた。ひょっとしたら最終日にアカウントを新しく作っていたメンバーがいるかもしれないし、時間帯的にもヘロヘロが来ている可能性だってある。それこそナグモみたいに自分とは違う時間帯に飛ばされているかもしれないのだ。

 

「なら、アインズ・ウール・ゴウンの名を世界に轟かせれば……」

 

 そうすれば、この世界にいるかもしれないギルドメンバー達の耳にも入るのではないか。そんな事をモモンガは考えていたが、ふとナザリックに目を向けると一大スペクタルが始まっていた。

 範囲にして百メートルを超える大地がうねりをあげ、大量の土砂がナザリックの城壁にぶつかっていた。

 

「あれは……〈大地の大波(アースサージ)〉か。という事は……」

 

 モモンガが目を凝らすと、城壁の上に立って魔法を操る女装したダークエルフの少年———マーレがいた。同時にマーレが集めた土に群がる様に土木作業を行う機械のゴーレム達が見えた。

 

「やはりマーレか。それにあれは第四階層の自律兵器達だな」

「はっ。現在、マーレの指揮下でアンデッドやマシン・ゴーレム達などがナザリックの隠蔽作業に取り掛かっております」

 

 しかし、とデミウルゴスは申し訳なさそうに続ける。

 

「範囲が広いだけにマーレの作業量が増え、遅々として作業が進んでおりません。また、第四階層の機械兵器達に至ってはナグモの不在が大きく響いています。中にはナグモにしか扱えない機械も存在しますから……」

 

 ふむ、とモモンガは眼下の光景を見下ろす。2メートル以上の体長を持った重装歩兵の様なパワードスーツのゴーレムもいれば、ショベルカーやブルドーザーによく似た重機の姿もあった。これらだけなら鈴木悟の時代でもよく見た光景なのだが、本来なら操縦席となる場所には何もなく、代わりに全ての機械達には単眼カメラが目の様に光っていた。さらには蜘蛛の様な多脚で動き回っており、キャタピラより効率が悪くないか? と思うモモンガとは裏腹に土砂の上をまるで生き物みたいな滑らかさでひょいひょいと進んでいた。

 これらこそがナザリックの中で唯一近未来的な作りとなっている第四階層のシモベ達だ。そして、それらの自律型機械兵器達の指揮を取るのがナグモの役目でもあった。

 

(マーレも頑張っているみたいだけど、やっぱり慣れてないシモベだからか効率が悪い気がするな。ナグモみたいにマシーナリーの職業を習得してはいないしな……)

 

「ナグモで思い出しましたが、モモンガ様。第四階層に少し問題が生じております」

「どうした? 警備体制に何か不備でも出たのか?」

「いえ、それは問題ありません。ただ、先程も言った様にナグモの不在によってナザリック技術研究所の研究・開発部門に多少の混乱が生じています。現在、副所長のミキュルニラが代理で第四階層の指揮を取っていますが、ナザリック技術研究所は事実上の凍結状態になっていると言えるでしょう」

「そうか……まあ、今すぐに技術研究所に作って貰いたい物があるわけではないしな。彼等には悪いが、今はナザリックの防衛を最優先にする様に伝えてくれ」

 

 はっ、とデミウルゴスの返答を聞きながらモモンガは考える。

 ユグドラシルにおいて拠点の生産系レベルは所属しているプレイヤーやNPC達の生産系スキルの合計値によって決定していた。つまり低レベルの生産職しかいなければ低レベルのアイテムしか作れず、逆に高レベルの生産職が多数所属していればレアアイテムも作製可能となるわけだ。

 

(ナグモのレベルはウィザードやガンナーの戦闘職の他にアルケミスト、マシーナリー、ドクター、ファーマシストとかの生産職で100。そんな高レベルの人材をいきなり引き抜いたら、そうなるよな……)

 

 まだトータスの情報も揃い切っていない今の状況で作りたいアイテムがあるわけではないが、ナザリックの防衛を第一に考えるならこのままにしてはおけないだろう。

 

(そもそも王宮に出入りできるから、という理由で諜報活動に割り振ったけど間違いだった気がしてきた……。近々、ナグモは呼び戻した方が良いかもしれない)

 

 そんな事を考えながら、モモンガは眼下で作業しているマーレを見舞うべく、ゆっくりと高度を下げていった。




 はい、そんなわけでモモンガ様のステータスはまさかの規格外です。ユグドラシルのステータスとの比率が〜、とか言ってますが、これまた適当なので細かいことは気にしないで下さい。強いて言うならオバロのステータスでアインズ様のMPが100%をゆうに超えた数値だったから設定しただけです。

 あとこのSSはありふれアフターには繋がりません。そもそもアフター時空ならオバロみたいなディストピアな未来世界にはならない筈ではあるので。ありふれとオバロの地球は実は似て非なる平行世界とでも思って下さい。


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第五話「逆鱗」

 だからさ……何で予定より展開が進まないの?(鏡を見ながら)
 本当に申し訳ありませんが、原作のナザリック勢がありふれキャラに関わるのはもう少し先になりそうです。



 白崎香織は上機嫌で王宮の渡り廊下を歩いていた。

 突然、異世界に転移させられ、わけの分からないままに戦争に参加する事になって凄まじい心労がのし掛かっていたが、最近は少しだけ心が軽くなった気がしていた。

 

(それもこれも、南雲くんのおかげかな?)

 

 あの日から香織は南雲と図書館の小部屋で話すのが日課となっていた。普通ならば図書館の職員が二人を見咎めて注意をしに来ると思うのだが、何故か南雲と話している時には誰の邪魔も入らず、まるで秘密基地みたいな場所で香織は南雲と毎日ゆっくりとお喋りに興じていた。

 

(本当に人に話すだけで気分が軽くなるなんて………南雲くんって、実は聞き上手だったのかも)

 

 教室ではほとんど何も喋らなかった南雲との会話は、意外な事に香織にとって大変楽しかった。南雲は基本的に香織の会話に相槌を打ち、時折会話の内容を掘り下げる為に質問をしたりと口数は少なかったが、香織自身の気持ちが纏まらなくて長くなってしまった言葉にも最後まで聞き、内容を簡潔に纏めて香織が本当に思っている感情に気付かせてくれていた。それが香織の気持ちに寄り添ってくれている様で、とても嬉しかったのだ。

 

(それに、クラスの皆の話になると興味津々だったなあ。ひょっとして………南雲くん、クラスの皆と仲良くなりたいのかな?)

 

 地球にいた頃は誰に対しても興味が無い様な対応を取っていた南雲だったが、香織が雫や光輝、その他に付き合いのあるクラスメイト達の事を話すと、まるで彼等を深く理解しようとしているかの様に詳しく聞いてくるのだ。

 

(だとしたら、嬉しいな。皆で協力すれば、魔人族だって怖くないよね)

 

 今度、雫ちゃんも交えてお喋りしてみるのも良いかも、と考えていた時だった。

 

「香織!」

 

 通路の向こうから、訓練服に身を包んだ光輝が駆け寄って来る。

 

「光輝くん……」

「ここにいたのか。香織も今から訓練だろ? 一緒に行かないか?」

「え〜と……うん、別にいいよ」

 

 本当は今は光輝とあまり顔を合わせたくなかったのだが、わざわざ遠回りして訓練場に行くのも不自然だ。仕方なく香織は頷くが、光輝は香織のそんな態度に気付かず、満面の笑みでそうする事が当然の様に香織の隣に並んだ。

 

「それにしても、香織は最近自由時間に何処に行ってるんだ? 探しても見つからないし……」

「それは……光輝くんには関係ないよ」

「……ひょっとして、南雲の所か?」

 

 咄嗟に上手い言い訳が思い付かず、口籠もる香織を見て光輝は眉根を寄せた。

 

「香織。もう南雲の所へは行ってはいけないよ。真面目な香織まで怠け者扱いされてしまうからね」

「何でそんな事を言うの? 南雲くんは自由時間も寝る時間も削って勉強を頑張っているんだよ?」

「でも戦闘訓練は最低限しか出てないじゃないか。南雲はステータスが低いから人一倍努力しないといけないのに、楽な読書に逃げているだけだ。俺なら両方頑張るのに」

「南雲くんは錬成師だよ? 私達みたいに戦う天職じゃないんだよ?」

 

 香織の反論に光輝はやれやれと首を振る。まるで聞き分けの無い小さな子を相手にする様な態度に香織の中で不快感が募った。

 

「香織は優しいな………。でも俺達はこの世界の人達を救う勇者として召喚されたんだ。この世界を救わなくちゃいけないのに、南雲みたいに怠けて本ばかり読んでいて良い筈がないだろう?」

 

 これだ、と香織は溜息をつきたくなった。ステータスプレートで自分に勇者の天職があると分かってから、光輝は前にも増して相手の話を聞かなくなっていた。今までも自分が考える正義が絶対に正しく、それに沿わない相手は悪だと決め付ける癖はあったが、勇者という立場を得て、さらに王宮の人々からその事で持て囃される様になってからは尚更悪化していた。

 何かとつけてこの世界の人達の為に、と言っているが、香織には子供が何も考えずに将来の夢を宣言しているみたいに薄っぺらく聞こえていた。

 

(こうして見ると、光輝くんって子供っぽいなあ………ちゃんと考えて言っているのかな?)

 

 香織とてそろそろ大人の仲間入りをする年齢だ。おまけに南雲という同世代とは思えない落ち着きを持った人間と話す機会を経て、彼女の精神は成熟し始めていた。その上で長年連れ添った幼馴染を見ていると小学生の頃から何も変わっておらず、彼女の中で光輝の評価は下方修正されていた。

 

「とにかく、香織はもう南雲なんかと話しちゃ駄目だ。俺達と一緒にいるべきなんだ」

「どうして私が誰かと話すのに光輝くんの許可がいるの?」

「そんな事は言ってないだろう。香織は俺の幼馴染なんだから、俺達といるのは当然だろ?」

 

 まるで自分を所有物の様に扱う光輝に香織の我慢も限界だった。抗議する為に口を開きかけたが、その途中で訓練場が騒がしい事に気付いた。何だろう? と目を向けた先に、噂の人物である南雲が数人の男子生徒に取り囲まれていた。

 

 ***

 

 香織達が訓練場に来る少し前。

 香織達よりも先に訓練場に来ていたナグモは壁に立て掛けられた武器を手にしながら考えていた。

 訓練場には既に何人かの生徒も来ており、ナグモの姿を見るとひそひそと話したり、あからさまな侮蔑の目を向けていた。しかしナグモはそんな視線を無視して思考の海に入り込んでいた。

 

(確か以前、モモンガ様とじゅーる様が話しているのを聞いた内容では、職業(クラス)に合わない武器を通常では装備できないという話だったが………)

 

 試しに訓練用のロングソードを手にしてみる。Lv.100のナグモにとっては小枝ほどの重さも感じないが、どうにも手にしっくりと来ない。剣に関するスキルを持たない自分では装備するだけ無駄だろうと悟り、ロングソードを戻して隣にあった鉄の棒の先端に洋梨の様な鉄塊が付いた武器———戦鎚(メイス)を手に取った。

 先程よりは違和感がない気はする。試しに軽く振ってみると、ビュンっと風切り音と共にメイスはナグモの手からすっぽ抜ける事なく収まっていた。

 

(これなら大丈夫か。まあ、ウィザードのクラスはあるから(スタッフ)扱いとして装備はできるのだろう)

 

 しかし、やはり違和感がある。こうしてメイスを使えるといっても、ただ力任せに振り回しているだけ。十全に扱えてるとはまったく言えない。

 

(ドンナーとシュラークが使えれば………あるいはせめてトータスに原始的なマスケットでも良いから銃があれば良かったものを)

 

 魔導銃ドンナー&シュラーク。

 ナグモの主武装であり、至高の御方であるじゅーる・うぇるずから与えられた兵器だ。そもそもナグモの戦闘スタイルはガルガンチュアを前衛に出し、バフやデバフのサポートをしながら銃撃を加える中〜遠距離のガンナースタイル。剣や弓矢の様な原始的な武器しかないトータスではナグモの実力を半分も出せそうになかった。

 

(モモンガ様に潜入調査を命じられている以上、銃を自作するわけにはいかないし、新たに覚えた錬成という魔法も使えなくはないが、っと)

 

 自分に向かって来る足音と敵意を察知してナグモは振り向いた。視線の先では気付かれるとは思っていなかったのか、檜山大介とその取り巻き達が間の抜けた顔と目があった。

 

「っ、カンが良いヤローだな」

 

 檜山は不意打ちをかけるより先に振り向いたナグモに舌打ちしたが、すぐにニヤニヤと馬鹿にした笑顔を浮かべる。

 

「よう、南雲。お前武器を手にして何しにてんの? 無能なお前が訓練に来ても仕方ないだろ」

「ちょっ、檜山言い過ぎだって。本当の事だけどよ!」

「つうか、よく顔を出せるよな。俺なら恥ずかしくて無理だわー」

 

 ゲラゲラと下衆な笑い声が訓練場に響く。訓練場には檜山達以外にも生徒はいるのだが、彼等は見ているだけでナグモ達との間に入ろうとはしなかった。

 

(こんな靴を履いた猿の様な低脳共が神の使徒、か。エヒト神とやらの目は節穴だな)

 

 そもそも至高の御方を差し置いて神を自称する様な能無しでは無理もないか、とナグモは溜息を吐く。ナグモの心底呆れた顔に何を感じたのか、檜山は一転して不機嫌な顔になった。

 

「あ? なに舐めた態度取ってんの? ステータス雑魚の癖に。学校みたいに勉強が出来ればいい世界じゃないって分かってんの?」

「檜山ー、こいつ雑魚過ぎて可哀想だからさあ、俺達で稽古つけてやろうぜー」

「近藤ってば、優しいよな! 俺達で鍛えればちょっとはマシになるよな!」

 

 檜山の取り巻きである近藤、中野、斎藤がナグモに詰め寄った。トータスに来て光輝程では無いにせよ、丸太を軽くへし折れる様な力を持った彼等はその暴力性を学校にいた頃から気に入らなかったナグモにぶつけようとしていた。

 

 バチン、とナグモの服の襟を掴もうとした近藤の手が振り払われた。

 

「不要だ。汚い手で触るな、低脳が」

「んだとコラ。状況分かってんのか!? ああ!?」

 

 いつもの様に虫を見る様な無関心な目で見てくるナグモに近藤は恫喝する。この頃になるとさすがにマズイと思ったのか、見ている生徒達はソワソワしだしたが、やはり割って入ろうとする者はいない。関わり合いになる事を恐れて、明後日の方向を見る者までいる始末だった。

 そんな四面楚歌の状況だというのに、ナグモはいつも教室で見せている様な無関心な態度を崩さない。それが檜山達を更に苛立たせ、その中で檜山はある事を思い出して、それを口にした。

 

「知ってるぜ。お前、施設で暮らしてるんだってな」

「………それが何か?」

「はっ、所詮は親がいない出来損ないだよな! 勉強ができればどうにかなると勘違いしているみてえだな! パパとママは何も教えてくれなかったのか?」

「何だと………!」

 

 檜山からすれば偶然知ったナグモの生活環境を揶揄したに過ぎない。しかし効果は覿面だった様だ。それまで無表情だったナグモの顔にはっきりとした怒りが浮かんだ。それを見て、檜山達は良い攻撃材料が出来たと判断した。

 

「檜山、それってマジ?」

「マジもマジ! コイツ、親に捨てられた奴等が集まる様な施設で暮らしてるんだぜ!」

「うわ、マジかよ! 本当にそんな奴いるんだな!」

「何? 勉強頑張ってるのは親がいなくても頑張ってるよアピール? 可哀想〜!」

「ってか、こんな奴、捨てられて当然だろ! 天職も雑魚だしな!」

 

「つうかさ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ギャハハ! あり得るー! と檜山の言葉に近藤達が馬鹿笑いした直後だった。

 

「………それ、どういう事?」

 

 馬鹿笑いしていた檜山達に冷水を浴びせる様に怒りを押し殺した声が響いた。檜山達が振り向くと、香織が目を爛々と輝かせながら仁王立ちしていた。

 

「し、白崎さん! これは、その………」

「言い訳はいいよ。それより、あなた達は何をやってるの?」

 

 密かに好意を寄せていた女子の登場に檜山がしどろもどろになるが、香織は険しい顔を崩さずに檜山に問い詰めた。そこにクラスのアイドルだった少女の姿は微塵もない。

 

「南雲くんが施設で暮らしている事を知ってて、あなた達は南雲くんの事を笑ったの?」

「こ、これはその……ちょっとした冗談だよ……なあ?」

 

 「あ、ああ」、「本気じゃないもんな」と檜山達は誤魔化す様に卑屈な笑みを浮かべる。

 

「へえ………そう」

 

 すうっと、香織は大きく息を吸った。

 

「最っ低!」

 

 ビクッと檜山達の身体が震える。

 

「生まれとか人のどうしようもない事を冗談でも笑い者にするなんて何を考えているの!? その上、人のお父さんやお母さんを馬鹿にするなんて! あなた達は最低だよっ!!」

「か、香織………?」

 

 嫌悪感を浮かべて大声で怒鳴る香織に、光輝は戸惑いの声をあげる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()に気圧されていたが、そんな場合じゃないと即座に首を振る。光輝の目から見ても、さすがに檜山達の言動は度が過ぎていた。

 

「そ、そうだぞ、檜山! 人の親を笑うなんて、人として間違っ、て………!?」

 

 説教の為の言葉を言おうとした光輝だったが、突然身体が震え出して舌が動かなくなった。

 

 「ひぃっ!?」「な、何だ!?」と檜山達も悲鳴を上げる。彼等だけではない。香織も、この場を傍観していた生徒達も皆一様に吐き気がする様な悪寒に襲われて、腰が抜けた様に地面にへたり込んだ。

 

「———————」

 

 ただ一人、ナグモだけがその場に立っていた。先程まで怒りを浮かべていたナグモの表情は、今は無表情になっていた。だが、いつもとは違った。

 全身からゾッとする様な冷たい怒りのオーラを滲ませ、額には青筋が浮き出ていた。

 

 ミシッ、ミシッ、べキィッ!!

 

 ナグモが手にしていたメイスの柄が音を立てて握り潰されていた。それでもまだ怒りが収まらないのか、メイスを持ってないもう片方の手からは爪が掌を突き破って血が滴り落ちる。

 

「………いいだろう」

 

 ようやくナグモが口を開いた。いつもの様な興味ない相手をぞんざいに扱う様な無関心さは無く、ただひたすらに怒りを濃縮した様な冷たい声を出していた。

 同時にフッとその場にいた全員が感じていた圧力が無くなる。

 

「ハァ、ハァ……き、消えた?」

「何だったんだよ、今の………」

 

 生徒達が息も絶え絶えに立ち上がっていく中、ナグモが歩き出す。

 訓練場の中心に来ると、柄が短くなったメイスをブンッと振り回して檜山達を指差した。

 

「来い、ド低脳。稽古とやらを付けて貰おうか」

 

 




>香織さん、ナグモにお悩み相談

 ぶっちゃけるとナグモはドクターのクラススキルでカウンセリングをしているだけです。精神カウンセリングの基本である傾聴、質問、要約といった手法で香織から情報を引き出しているだけに過ぎません。

>香織さん、光輝への好感度マイナス修正

 ぶっちゃけると自分はアフターはともかく、天乃河光輝というキャラクターが好きではありません。というか何で彼が転移前でもクラスのリーダーをやれていたか不思議でならないです。彼の独善的な姿勢は学生ならともかく、社会に出たらあっという間に見放されると思っています。

>檜山、ナグモの親を馬鹿にする。

 超A級の自殺フラグ(ナザリック限定)。それはともかく、書いていて心苦しかった。小説とはいえ人の出生を馬鹿にするとか、一番やってはならない事なので。いっそわざとらしいかと思いましたが、奴ならやりかねない、と思ってます。


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第六話「圧倒」

オルクス迷宮に行くまで、あとどのくらいかかるやら……。一応、自分としては一番の見せ所だからさっさと書きたい気持ちもあるんですけどね。でも過程をすっ飛ばして書いても個人的にわけの分からない話になるとは思うのです。


 ヒュンっとナグモの持ったメイスが音を立てて、檜山達に突き出される。

 重量のある打撃武器を軽々と振るう姿がいつも教室の片隅で読書をしている少年の姿と重ならず、香織は思わず声を上げた。

 

「南雲くん………?」

「手出しは無用。狗にも劣るド低脳共には、鞭をもって躾けるべきだ」

 

 ぴしゃりと冷たく言い放つナグモ。その姿に香織は気後れしてしまった。

 

「おい、南雲! 香織はお前の事を心配しているのに、なんだその口の利きか、!?」

 

 説教をしようとした光輝だが、南雲に一睨みされた途端に全身が硬直した様に動かなくなっていた。冷たい殺意すら感じさせるナグモの目を見た途端、光輝の生存本能が全力で警戒信号を発していた。

 

「おい、さっさと来い」

 

 邪魔者がいなくなり、未だに無様に座り込んでいる檜山達にナグモは目を向ける。

 

「ド低脳が」

 

 それまで呆けていた檜山達だったが、ナグモの一言でようやく再起動した。彼等は近くにあった訓練用の武器を各々掴み、ナグモを取り囲む。

 

「んだとコラ……調子こいてんじゃねえ、雑魚がっ!」

 

 歯を剥き出しにした醜悪な顔で檜山はナグモへ距離を詰める。

 檜山の天職は軽戦士。

 光輝に比べれば一回りは劣るステータスだが、それでも一般人からすれば避ける事すら難しい速度でナグモへと槍を突き出した。訓練場で事の成り行きを見ていた生徒達から悲鳴が上がる。

 檜山はナグモが串刺しになる姿を想像して下卑た笑みを浮かべ———あっさりと躱された。

 

「———“錬成"」

 

 ポンっと檜山の持った槍を横から掴んだナグモが一言呟く。バチィっ! という音と共に、檜山の持った槍が半ばから崩れ落ちた。

 

「………へ?」

 

 突然の事態に間抜けな顔で折れた槍をポカンと見つめていた檜山だったが、その顔にナグモのメイスが叩き込まれる。

 

「ブッ!?」

「檜山!? テメエ———!」

 

 歯を撒き散らしながら吹っ飛んでいく檜山を見て、槍術師の近藤が怒りの声を上げながらナグモへと詰め寄る。手にしたハルバードでナグモの頭をカチ割ろうと振り上ろすが、それもアッサリと躱したナグモは今度は近藤の腕に触れた。

 

「“錬成"」

 

 辺りに肉が潰れる様な音が鳴り響く。腕が妙に熱い事に気付いた近藤が自分の腕を見る。

 そこには———腕の肉を突き破って、骨が複数の棘となった自分の腕があった。

 

「ひっ、ぎゃあああああああっ!?」

 

 腕の痛みを自覚して、近藤は品の無い悲鳴を上げた。

 

「こ、ここに焼撃を望む!」

 

 炎術師の中野が慌てて詠唱を開始した。掌に炎球を生み出し、ナグモへと向ける。

 

「“炎きゅっ、ぎえっ!?」

 

 中野の術が完成するより先にナグモは近藤をまるでゴミの様に投げ飛ばした。術が発射されるタイミングで中野と近藤はぶつかり合い、暴発した術が二人に炸裂する。

 

「アチィぃぃぃいっ!? 中野、テメエ!!」

「わざとじゃねえよ! つうかどけよ!!」

 

 黒焦げになりながら転げ回る二人に、ナグモは再び錬成の魔法を使った。今度は震脚する様に地面を踏みつけると、近藤達がいた地面にぽっかりと穴が開き、二人を呑み込む様に地面が閉じた。ご丁寧に二人の首だけ地面から出て、まるで打ち首にされた罪人の様だった。

 

「な、なんだよ………錬成師って鉱物の形を変えるだけの雑魚天職じゃなかったのかよ! 何で無能な筈のお前が俺達を圧倒してるんだよ!」

 

 唯一、無事に残った斎藤が後退りしながらナグモに怒鳴った。その顔には怯えがはっきりと出て、隙あれば逃げ出そうとしているのが目に見えた。

 斎藤とナグモの目があう。虫けらを見る様な目に、斎藤はひぃっ、と情けない悲鳴を上げると後ろを向いて走り出そうとした。

 しかしナグモは一瞬で追い付き、斎藤の肩を握った。

 

「お前は地球にいた時、何を学んでいた? ()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 錬成、という一言と共に斎藤の肩に痛みが走る。歪な形になった骨が斎藤の肩から突き出ていた。

 

「ぎゃあああああああっ!? 痛え、痛えよ! 誰か助けてくれよぅ!!」

 

 肩から血を流しながら斎藤は転げ回って周りの生徒達に助け求めた。

 しかし誰も動かない。目の前で行われた一方的な戦闘もさることながら、最弱だと見下していたナグモの圧倒的な強さに皆ショックを受けていた。

 

「ひっ……ひぃぃぃっ」

 

 斎藤の悲鳴で目が覚めたのか、檜山は折れた鼻からダラダラと流す血も気に留めずに四つん這いになりながらこの場から逃げようとしていた。

 

「“錬成"」

 

 そんな檜山の四肢に地面から鎖が飛び出して絡み付く。あっという間に檜山は斬首刑を受ける罪人の様に縛られて動けなくなる。

 

「ぐっぎぃぃっ!?」

 

 鎖のキツさに虫が潰された様な声を上げる檜山だが、ハッと前を向いた。

 そこにはナグモ(死神)がいた。

 ナグモは見る者に心底から圧倒させる怒りのオーラを纏いながら、檜山へとゆっくりと歩いてくる。

 ナグモの足音がまるで13階段を昇る自分の足音に聞こえ、檜山は股間に生温かい水溜りが拡がっていくのを感じた。

 

「な、南雲……悪かった、マジ悪かったっ」

 

 歯が折れて発音がしにくかったが、檜山は精一杯の命乞いの言葉を口にした。相手が無能と蔑んでいた者だという事は頭から抜け落ちていた。媚びる様な半笑いを死物狂いで浮かべ、口を動かした。

 

「もうお前を苛めたりしねえ、さっき言った事も謝る! だ、だから………!」

 

 檜山の言葉に耳を貸さず、ナグモはメイスに再び錬成を使った。メイスは形を変え、スパイクを生やした凶悪な形状になる。絶望した顔になる檜山の前に立ち、ナグモはメイスを振り上げ———。

 

「何をしているっ!!」

 

 訓練場に突如、男の鋭い声が響いた。ナグモは舌打ちしながら声の方向に振り向くと、生徒達の教官であるメルド・ロギンスが大股で歩いてきた。

 

「この状況はどういう事だ! 誰か説明しろ!」

 

 常は頼れる兄貴分として優しく指導するメルドだったが、この時ばかりは厳しい顔だった。潰れた顔面で鎖に縛られている檜山、罪人の様に埋められた近藤と中野、肩から骨を飛び出させて痛みに転げ回る斎藤を見て、次にこの惨状の中心にいた棘付きメイスを持ったナグモを見る。そして傍観していたであろう生徒達を見回し、怒りを滲ませた顔になっていた。

 

「メ、メルドさん! 助けてくれ! 俺達、南雲に殺されちまう!」

 

 メルドの登場に檜山は希望を見出だしていた。哀れっぽい声を出して、必死にメルドに助けを乞う。

 

「俺達、南雲のステータスが低い事を心配して訓練を手伝おうとしただけなんです! なのに南雲の奴、俺達を殺す気で魔法を使ってきやがったんだ!」

 

 檜山の話にメルドは眉根を寄せた。そして次にナグモへと目を向ける。ナグモはメイスを手にしたまま、地面にぶち撒けられた吐瀉物を見る様な目で檜山を睨んでいた。

 

(あれは確か錬成師の坊主……あいつが戦闘職を四人相手にして圧倒した? あり得ないだろ………)

 

 檜山の言い分が正しいのか不明だが、それ以上にメルドが疑問に思ったのは無傷で立っているナグモの事だった。初日に見せて貰ったステータスでは生徒達の中で目立った物は無く、ましてや技能が二つしかなかった非戦闘職の少年が現場を見る限り四人相手に圧倒したなど到底信じられなかった。

 

「メルドさん、信じてくれよ! 俺達、何も悪い事してねえ!」

「それ、嘘です」

 

 尚も喚く檜山を遮る様に香織が横から口を挟んだ。先程まで香織もナグモの強さに圧倒されていたが、今は屹然とした表情でメルドと向かい合っていた。

 

「檜山くん達は南雲くんを虐めようとしていました。それに南雲くんが孤児だという事を馬鹿にして、両親も無能だったんだって挑発していたんです」

「なに……?」

 

 聞き逃せない事実にメルドの顔が険しくなる。先程までより檜山達に厳しい目を向けていた。

 

「メルドさん、檜山達は言い過ぎかもしれませんが、南雲にも非が———」

「光輝、今はお前には聞いてない。その話は本当か?」

「はい、間違いありません。この目で見ました」

 

 横からしゃしゃり出ようとした光輝にピシャリと言い放ち、メルドは香織の方を見る。まっすぐと見返してくる香織を見て、次は檜山をみた。

 「い、いや、あれはちょっと口が滑ったというか……」とゴニョゴニョと言う檜山に眉を吊り上げ、次に傍観している生徒達に目を走らせた。生徒達は関わり合いになる事を恐れているのか、気不味そうにサッと目を逸らす。そんな生徒達に深い溜息を吐きながら、最後に渦中の人物であるナグモを見た。ナグモはいつもの無表情でメルドを見返していた。

 

(この坊主、いつもこんな顔だな。お陰で何を考えているかイマイチ分からん……)

 

 ともあれ、どうやら香織の話は本当の様だ。そう判断して、メルドは未だに縛られたままの檜山へと目を向ける。

 

「檜山大介。お前は神の使徒以前に、人として最もやってはならない事をした」

 

 ビクッと檜山の肩が震える。

 

「お前の行いは戦友である筈の南雲ハジメの心を深く傷付けるものであり、お前が神の使徒でなければ城から叩き出しているところだ。その怪我に免じて、今はこれ以上追及はせん。だが、お前達全員に何らかの罰を与える」

 

 無惨に潰された顔で同情を誘う様な涙目を向けてきたが、メルドにはそれを哀れに思う気持ちが湧き上がらなかった。

 

「メルドさん! それじゃ檜山達に一方的過ぎるじゃないですか!」

 

 収まりかけた場に水を差す様に光輝が大声を上げた。メルドが強い目線を向けるが、光輝はそれに気付かずに捲し立てる。

 

「確かに檜山達の言動は人として間違っています! でも南雲だってやり過ぎです! もともと檜山達は読書ばかりして怠けて戦闘に不真面目な南雲を心配して訓練に付き合おうとしたんです!」

 

 今の話を聞いたらどうしてそうなるんだ? とメルドは疑問に思ったが、光輝は自分の意見が正しいと思っている様だった。隣にいる香織から怒りの目を向けられている事にすら気付かない勇者の姿に溜息を吐きながら、ナグモへと目を向ける。最低限の戦闘訓練しかしてない錬成師がどうして檜山達を圧倒したのかは気になる所だった。

 

「坊主、スマンがステータスプレートを見せてくれるか?」

 

 ナグモはしばらくじっとメルドを見ていたが、やがて観念した様にゴソゴソとポケットを漁った。ややあってから、ステータスプレートをメルドに差し出した。

 

南雲ハジメ 17歳 男 レベル:10

天職:錬成師

筋力:600

体力:600

耐性:600

敏捷:600

魔力:600

魔耐:600

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査][+鉱物分離][+鉱物融合][+遠隔錬成][+圧縮錬成][+高速錬成][+鉱物分解]・言語理解

 

「なっ……!? ステータスが光輝の三倍だと!?」

 

 それを見た瞬間、メルドは思わず口に出してしまった。それを聞いていた生徒達は一様にまさか、信じられない、とザワザワと騒ぎ出す。

 

「う、嘘だ! きっと読み間違えているんだ!」

 

 中でも光輝の反応が顕著だった。メルドから引ったくる様にステータスプレートを奪い取ると、ステータスプレートを必死に読み込む。だが、どう読んでもナグモのステータスが自分より上だと分かると、呆然とした様子で呟いた。

 

「嘘だろ………なんで南雲なんかが……」

「さあ? 僕にも分からん」

 

 惚けた様子でナグモは言いながら、ステータスプレートを光輝から取り上げた。

 

「仮にも僕も神の使徒だという話だからな。初期ステータスが低い分、レベルアップボーナスが高いとかそういう恩恵でもあったのだろう」

「そんな……そんな馬鹿な………」

 

 尚もブツブツと呟く光輝を無視してステータスプレートをポケットに仕舞い込むナグモを見て、メルドはようやく得心がいった。あれだけのステータスがあれば、今の檜山達など軽く捻られるだろう。

 ともかく、これで疑問は解決した。

 

「坊主、お前さんが檜山大介達を纏めて叩き潰せた理由は分かったし、騎士として家族を侮辱した相手を許せない気持ちも理解できる。ただ光輝を支持するわけじゃないが、少しやり過ぎだ。この場はこれで終いにしろ。それと、事情聴取の為に自室待機を命じる」

 

 頼れる兄貴分ではなく、神の使徒を預かる騎士団長としてナグモに命令する。他の者に否と言わせない響きがそこにあった。

 

「………………」

 

 しばらくナグモはメルドを無表情で見つめたが、やがて溜息を吐きながら足をトンと踏み鳴らす。それだけで檜山を縛っていた鎖は塵となって消えた。

 

「ヒィっ、ゼェ、ゼェ……」

 

 ようやく拘束が解かれ、檜山は喘ぎながら地面へと這いつくばる。とにかくこの場は助かった、と檜山が安堵したその時だった。

 

 ドンッ!!

 

 檜山の目の前に、棘付きメイスが振り下ろされる。

 

「———今は、大事な目的がある」

 

 ガタガタ、と檜山の身体が震える。メルドも本来なら止めに入らなければならなかったが、ナグモの怒りのオーラに圧倒されて動けなくなっていた。

 

「だから本当は殺してやりたいくらい腑が煮えくり返っているが、この程度で済ませておく」

 

 だが、とナグモは檜山を見下ろした。檜山の潰された顔が恐怖でさらに歪み、もはや正視に耐えられない表情になっていた。

 

「次に御方の………じゅーる様の侮辱を口にしてみろ。死すらも救いである様な目に、必ずあわせてやる………!」

 

 まるで地獄から響く様な怒声に檜山の精神は限界を迎えた。白目を剥き、そのままばたりと気絶する。緊張が途切れたのか、股間から再び水溜りが出来て濃いアンモニア臭が辺りに充満した。ナグモは水溜りで汚れたメイスを嫌そうに手放すと、殺気でまだ固まったままの人間達に目をくれずにさっさと訓練場から立ち去った。

 

 ***

 

(やり過ぎた………)

 

 しばらく歩き、人目の無い廊下でナグモは後悔する様に溜息をついた。そんなナグモに姿なき声がかけられる。

 

「ナグモ様っ」

「落ち着け、エイトエッジ・アサシン」

「しかし……!」

「落ち着けと言っている」

 

 カシャカシャと怒りに震えた声が響く。その声に連動する様に、ナグモの影が炎に揺らめく様にぐにゃぐにゃと形を変える。

 

「シャドーデーモンも落ち着け。誰かに見られたらどうする」

「しかし、あの下等生物は! あろう事か至高の御方に暴言を吐いたのです!」

 

 ナザリックのシモベ達にとって、至高の御方は神に等しい存在だ。それを侮辱した檜山を今すぐ八つ裂きにしたい、と隠密に付けられたシモベ達は殺気を隠そうともしなかった。

 

「だから落ち着けと言っている。僕が何の為に位階魔法を使わずにいたと思っている」

「しかし……!」

 

 尚も怒り収まらないシモベ達をナグモは軽く睨む。それでようやく静かになった。

 

「モモンガ様に命じられたのは、この世界の知識と勇者一行の情報収集だ。ここで死人が出れば、騒ぎとなってモモンガ様の御命令を遂行できなくなる」

「っ、……申し訳ありませんでした」

 

 エイトエッジ・アサシンの謝罪を聞きながら、ナグモは先程の出来事を思い出していた。

 至高の御方———あろう事か、自身の創造主であるじゅーる・うぇるずを侮辱され、頭に血が昇っていたのは認める。だが、その後がマズかった。

 この世界の魔法しか使ってないとはいえ、クラス最弱の錬成師とは思えない立ち振る舞いで檜山達を圧倒してしまった。咄嗟にステータスプレートを<虚偽情報>で数値を圧倒できて当然な程度に弄ったものの、これで今後は召喚された神の使徒で一番ステータスの高い存在として注目されるだろう。

 

(これでは目立たずに情報収集せよ、という御命令を破ったも当然だ)

 

 モモンガの命令を破った事に深い後悔の念が生じる。それこそ自害を命じられても致し方なしだろう。

 だが、この事態を報告しないというわけにいかない。

 ナグモはナザリックで情報の分析を行なっているデミウルゴスに報告する為に、暗い顔で自室へと急いだ。

 

 




>ナグモ、檜山達を今は生かしておく

 ナザリックのNPCとしては超激甘対応。でもモモンガより命じられた情報収集の命令を優先して、グッと我慢しました。許可があったら血の雨が降ってます。

>光輝のトンデモ理論

 正直、最初のプロットではここまで馬鹿な発言をさせる気は無かったです。ただ原作でも香織が惚れてたハジメが気に入らないからか、何かとイチャモンをつけていた光輝なら口を挟むだろうなと思って書きました。

>ナグモ、ステータスオール600。

 もちろんこれは偽装した数値です。とりあえず今の檜山達を圧倒できるくらいの数値に<虚偽情報>の位階魔法を使いました。でもこれで目立たずに情報収集せよ、というモモンガ様の命令を破った事になりました。

多分、次回はナザリックのターンになります。


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第七話「モモンガの苛立ち」

 最速で書けた第七話。後書きや感想返しはまた後日にいたします。


「ええと、これがトータスという単語だな。トータス……トータス……」

 

 ナザリック地下大墳墓の第九階層。

 モモンガは自室で机に座って必死に文字の勉強をしていた。製本されたばかりの辞書を片手に一生懸命、ノートに単語を繰り返し書いていく。二十回くらい繰り返し、ウボァーとモモンガは天を仰いだ。

 

「やべーよ、何でこんなに難しいんだよ。日本語が通じるなら文字も平仮名とかで良いだろ……」

 

 異世界モノにあるまじき発言をする地下大墳墓の支配者がそこにいた。いまこの部屋にいるのはモモンガだけだ。よって無理に支配者ムーブをしなくて良いのだが、やはり勉強は疲れる。

 モモンガが自分達に言語理解のスキルが無いと気付いたのはナグモからステータスプレートを送られた時だった。

 ナグモからトータスの文字で書かれた文章を送られたが全く読めなかった。ナグモが現地の人間達が話している言葉を録音した内容を聞いた時はモモンガの耳には日本語に聞こえたが、文字の方はまるで見た事の無い文章に戸惑った。

 会話にだけ翻訳魔法でもかかるのか、はたまた奇跡的に日本語と同じ発音なのか。いずれにせよこの世界の文字が読めないのは大問題だと判断したモモンガは、情報分析担当のデミウルゴスに辞書の作成を命じていた。(ちなみにナザリックで使われている文字はユグドラシルが日本のゲームという事もあって普通に平仮名や漢字だ)

 

(この辞書を渡された時も、「至高の御身であるモモンガ様には不要な代物かもしれませんが」とか言われたけどさ………俺、中身小卒のサラリーマンなんだけど)

 

 アルベドやデミウルゴス達の様な頭脳派達は既に言語を理解したのか、最近ではナグモがトータスの文章で書いた報告書も翻訳を介さずに読んでいる気がする。そうなると彼等の主としてモモンガが読めないというのは格好悪い気がして、彼等の目を盗んでは自室でコッソリと勉強に励んでいた。

 

「それにしてもこれ、どんな文字なんだよ。小学校でチョロっとやった英語とは文法も異なるみたいだし。そもそも何でナグモにだけ言語理解のスキルがあるんだ? ナグモと俺達の違いと言えば、エヒト神という存在に召喚されたかどうかって事か? だとすると、ナザリックがトータスに転移したのはエヒト神とは全く関係ないという事になるのか?」

 

 う〜ん、としばらく考え込んでいたモモンガだが、ハッと気付いて首をブンブンと振った。

 

「いかんいかん、今は文字の勉強時間だ! 集中しろ、俺! 頑張れ俺! ユグドラシルの魔法を700個も覚えた事に比べれば何でもない筈だ!」

 

 よしっ! と心の中で鉢巻を締め直して気合いをいれるナザリックの支配者。しかし、ドアを叩く音が響いて即座に勉強道具をアイテムボックスへと閉まった。(その間2秒)

 

「誰だ?」

「セバスです、モモンガ様」

 

 先程まで単語の書き取りに手間取っていた姿を微塵にも出さず、支配者ムーブでモモンガは外にいるだろう執事長へと声を掛ける。

 

「お休みのところ申し訳ありません。デミウルゴス様から緊急の報告があると伺いました」

 

 セバスの用件に、モモンガは無い目を瞬かせた。

 

 ***

 

 執務室に入ったモモンガは机の横で控えているアルベドと先に来ていたデミウルゴスが恭しく頭を下げる姿につまらなそうに手を振った。元・サラリーマンとしてこの態度はどうかと思うが、どういうわけかこういう絶対支配者的な仕草がNPC達にはウケが良いのだ。

 バサっとローブを翻しながら椅子へと座る。

 

(ぃよしっ! 支配者らしい座り方成功!)

 

 密かに練習していた支配者ムーブが上手くいき、モモンガは心の中でガッツポーズを取る。

 

「面を上げよ!」

『はっ!』

 

 もはや言い慣れてしまった命令に、二人が一分の乱れもなく顔を上げた。最初はNPC達を疑う気持ちもあったが、もはや彼等の忠誠心に偽りは無いとモモンガは判断していた。こうして見てる今も、モモンガの言葉を今か今かと真剣な顔で待ち望んでいる。

 

(あとは彼等に見限られない様に支配者然とした姿を維持しないとなあ………)

 

 今まで誰かに傅かれた事の無いモモンガには何とも胃の痛い話だが、それを頭から追いやって本題に入る。

 

「さて、デミウルゴス。緊急の用件があるという話だったが、どうした?」

「はっ、モモンガ様におかれましてはお休み中のところをお呼び出しして大変申し訳ありません。ですが、ハイリヒ王国で潜入任務にあたっているナグモの事で少し問題が発生致しまして———」

 

 デミウルゴスの言葉に疑問符を浮かべていたモモンガだが、その後の報告を聞く内にどんどんと不機嫌になっていく。デミウルゴスの話が終わる頃には、3度も精神の沈静化が起きていた。

 

「———という次第でありまして、位階魔法は使ってはいないものの、今後はナグモは人間の勇者達の中で最も強者として注目を集める事になりそうです」

 

 そう締め括るデミウルゴスに対して、モモンガはたっぷり十秒くらい沈黙した。そのくらい今聞いた内容は不愉快極まる物だった。

 

「いかが致しましょう、モモンガ様。お望みとあらば、御身の御命令を無視して目立ったナグモに失態の罰を与えますが?」

 

 黙りこくったモモンガの機嫌を察して、アルベドがナグモの処罰を提案するがモモンガは手で遮る。

 

「………なあ、デミウルゴス。そのクズ、ンンッ! その人間達に対して、あくまでこの世界の魔法で叩きのめしたんだな?」

「はっ、その様に報告を聞いております。現場にいたエイトエッジ・アサシン達も同様の証言をしている事から、位階魔法やユグドラシルのスキルの類いは使ってないものと思われます」

 

 そうか、とモモンガは頷いた。少なくともナザリックに繋がる情報を露呈していないのは確かな様だ。

 

「………此度のことをナグモの失態だと責めるのは酷だろう。ナグモからすれば、自分の親であるじゅーるさんを目の前で罵倒された様な物だ。私もその場にいたら冷静でいられた自信が無い」

「御身のご配慮、感謝致します。ナグモも安心するでしょう」

「モモンガ様の御決定であれば異論ありません」

 

 最初からこの結末を予想していたのか、デミウルゴスとアルベドは一礼をもって頷く。それで、とデミウルゴスは眼鏡をクイっと上げる。

 

「不遜にも至高の御方を侮辱した下等生物共の処分はいかが致しましょう?」

 

 眼鏡の奥にある宝石の眼球がギラリと剣呑な輝きを放つ。

 

「ナグモも理解に苦しむわね。至高の御方を侮辱した愚か者共を生かしておくなんて」

「むしろ、そこはよく耐えたと褒めるべきだと思うよ、アルベド。モモンガ様の御命令を最優先して、この世界の魔法を使うに留めたのだろうし。私もウルベルト様を侮辱されれば、その場にいる人間共を恐怖公の眷属達の餌にでもしなければ気が済まなかっただろうからね」

 

 ウッとアルベドは肌を摩る。平たく言えば直立した蜚蠊の姿をした恐怖公は、女性であるアルベドからすれば鳥肌モノだった。

 そんな守護者達のやり取りに少しだけ気持ちを持ち直したモモンガは、ようやく口を開いた。

 

「お前達の怒りもナグモの怒りも、至極尤もだ。だが、あえて今は放置しておけ」

 

 二人が驚いた顔でモモンガを見る。しかし、モモンガにはある懸念があった。

 

(ナグモの報告でこの世界の住人や勇者達の戦力は大体分かった。でも、ステータスが低いからってワールドアイテムの類いまで無いとは限らない)

 

 ユグドラシルにおいて、ゲームバランスを崩壊するレベルの超レアアイテム。アインズ・ウール・ゴウンにも複数所持されてはいるものの、同じ様な物がこの世界には無いとはまだ断言できなかった。

 

(むしろステータスが低い分、そういったアイテムで補っている可能性だってある。いや、そうしてないとおかしい)

 

 モモンガとて、じゅーるを馬鹿にした高校生達には腑が煮えくりかえっている。思い出しただけで怒りが込み上げ、即座に沈静化される程だ。

 しかし、彼等はハイリヒ王国においては賓客扱いの勇者達だ。そんな人間を殺してしまえば、ナザリックと王国の全面戦争は避けられないだろう。少なくともハイリヒ王国にワールドアイテム級の手段が存在しないと断言できない以上は、業腹だが勇者達に害なす行動は取れなかった。

 

(それにしても何なんだよ、百年前の高校生は。高校生というのは、そんなチンピラみたいな連中の集まりなのか?)

 

 鈴木悟がいた現実の時代では巨大企業が政府を牛耳り、国民の愚民化政策が進めらていた。悟も母親が無理をしてようやく小学校を卒業出来たくらいで、高校なんて物は教師を務めているやまいこや警察官を務めているたっち・みーのような上層階級出身にでもならなければ入学なんて夢のまた夢だ。そんな庶民には手が届かない学業をしていた人間が、まるで下品なチンピラの様な行いをしている事にモモンガの中でフツフツと怒りが湧いてくる。

 

(今更、学歴どうこうとか言わないけどさ。他人の親を馬鹿にする様な奴等が高校に通っているのか? ウルベルトさんや朱雀さんが、学問は本来なら平等であるべきだって言ってた理由が身に染みて分かったよ。なんだってそんな奴等が通えて、俺はともかくヘロヘロさん達みたいな良い人達が進学を諦めないといけないんだ?)

 

 イライラと怒りが収まらないモモンガを見て、デミウルゴスはクイっと眼鏡を直しながら呟いた。

 

「———なる程。そういう事でございますか」

 

 いつもなら心の中で「え? 何が?」と聞き返すところだが、じゅーるを侮辱した高校生達に苛立っているモモンガにそんな余裕は無い。条件反射でウム、と尤もらしい支配者ムーブで頷いていた。アルベドもまた、そんなモモンガを見て顔を引き締めてデミウルゴスと目配せする。

 

(前はナグモのクラスメイトだから、って大目に見る気でいたけど……そんな奴等をナグモとパーティに組ませるなんて、罰ゲーム以外の何物でも無いな)

 

 見る人間をゾッとさせる様な笑みを浮かべているデミウルゴスに気付かず、モモンガは今も王国で潜入活動をしているじゅーるのNPCについて考えていた。

 ただ一人のアインズ・ウール・ゴウンのメンバーとなったモモンガは、他のメンバー達が残したNPC(子供)達の父親になったも同然だ。その責任が重くのし掛かる時もあるが、抱え込んだ以上は子供達の幸せを優先してやりたかった。ユグドラシルでも性格の悪い人間がいてパーティを崩壊させて、メンバーが被害を被るなんて話は珍しくもない。

 

(そういえば前にデミウルゴスもナグモが抜けて第四階層が大変だと言ってたしな………)

 

 しばらく頭の中でリスクとリターンの天秤が揺れていたが、やがて結論が出た。モモンガが優先すべきはナザリックの防衛であり、NPC達の幸せだ。

 

「デミウルゴス、シモベ達を使って今後も王国と勇者一味の情報収集が十全に機能する様に編成を行え」

「はっ。という事は、つまり———」

「ああ。お前も同じ考えだろう」

 

 ギシッと背もたれに寄りかかりながらモモンガは宣言した。

 

「近日中にナグモをナザリック地下大墳墓へと帰還させる。今後のハイリヒ王国の諜報活動は、デミウルゴスとそのシモベに一任するものとする」

 



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第八話「カウンセリング」

 自分はユエより白崎さん派です。これをハジカオとは絶対に呼ばないけど。


 王宮の廊下を歩いていたナグモは、自分に突き刺さる視線を感じて心の中で舌打ちする。

 相手の気配の消し方、薄っすらと感じる敵意。それらは白崎香織の様な素人の監視ではない。

 

(ナグモ様……今日も聖教教会の人間が監視しております)

(分かっている。だが、モモンガ様よりこれ以上の目立つ行動は控えろと言われている。手出しはするな)

 

 はっ、とエイトエッジ・アサシン達が念話を打ち切る。未だに自分へ突き刺さる監視の目にナグモは溜息をつく。

 あの訓練場での騒動の後。ナグモが錬成師という平凡な天職なれど現在の勇者の三倍、この国一番の実力者であるメルドの倍のステータスを持つと判明してから周りのナグモを見る目は一変していた。

 生徒達のほとんどは今まで見下していた事が気不味くてナグモをあからさまに避け、影で神の使徒達の出来損ないと噂話をしていた王宮の貴族や使用人達は掌を返してナグモに媚を売る様になった。

 それらはともかく、ナグモが一人になると決まって教会の人間がナグモを探る様に監視する様になったのだ。

 

(やはり目立ち過ぎたか。こうもあからさまに監視してくるとはな)

 

 召喚されてからまだ二週間程度しか経ってないが、ナグモは超人的な頭脳をもって図書館のほとんどの蔵書を読破していた。その上で断言ができる事がある。

 この世界は聖教教会に都合の良い様に作られている。

 歴史も技術も、その全てがエヒト神のおかげで成り立っている様に話が作られており、ほんの少しでも啓蒙思想の兆しが出れば異端裁判にかけられ、エヒト神以外の信仰は徹底的に邪教として排除している。そしていくつかの本と照らし合わせると、歴史にはリセットをしているかの様な空白があからさまに見えてくるのだ。

 

(この世界に僕や他の人間達が召喚された事から、エヒト神なるものは実在はすると仮定はできる。ただし、その実態は巷で信仰されている様な人間に慈悲深い存在ではなく、自身の権威の為に家畜以下ぐらいにしか考えていない俗物だ)

 

 別に人間を玩弄している事に義憤などは感じない。そもそもナザリックの大半が人間を蔑視しているし、ナグモも人間は好きではない。しかし、至高の御方の敵となり得る存在がいる事が分かった以上、ナグモは下手に動けなくなっていた。

 

(エヒト神なる存在が本当に魔人族から人間達を救う気があるのか今となっては疑わしいが、奴が本当に召喚したかったのは勇者の天職を与えられた天乃河光輝だけだ。教室でも奴を中心に転移魔法が展開されていた。その他は巻き込まれたオマケに過ぎない。そして奴にとってその他大勢でありながら、現状で勇者を超えた力を持つ僕はイレギュラーな存在なのだろう。だから監視を始めたのだな。僕だってエヒト神と同じ立場にいれば、そうしている)

 

 もはや聖教教会という組織そのものがエヒト神の息がかかっていると見て良いだろう。魔力探知で探っている限り、監視を行っているのはただの人間だ。恐らく何も知らされてない様な末端なのだろう。しかし、エヒト神にどういうプロセスを経て伝わるのか掴めない以上、ナグモは下手に動けなかった。

 

(デミウルゴスは先日の僕の愚行をモモンガ様はお許しになったと言っていた。だが、これ以上、僕が目立ってナザリックが露見する様な事態は許されない)

 

 聞けばモモンガはナグモがナザリックに帰還できる様に準備を始めたという。しかし、今の様に注目されている現状では即座に実行というわけにはいかない。周りに無能と侮られていた時ならば訓練から逃げ出した様に見せかける事も出来ただろうが、この国で最強の存在として認識されている今は下手に失踪すれば執拗に捜索される可能性が大きい。これ以上、自分の失態で至高の御方に迷惑をかけるぐらいなら自害した方がマシだとナグモは考えていた。

 

(こうなったら捜索など最初からされない状況……僕が死んだと見せかけてからナザリックに帰るしかない)

 

 いっそ城下町から適当な浮浪者でも見繕って、自分の遺体に()()するかと画策し始めた時だった。十字路で見覚えのある背中が曲がり角から出て来て、そのままナグモに気付く事なく図書館の方へ走っていく。

 

(あれは……白崎香織か?)

 

 勇者達の情報源として今まで接して来た少女が、チラッと見えただけだが涙を浮かべて走っていく姿が見えた。

 

(………………)

 

 正直、好き好んで人と関わり合いたくないのだが、彼女は貴重な情報源の一つ。予期せぬ事態があったら自分の、ひいてはナザリックにいらっしゃる至高の御方の不利益になると自分に言い聞かせて、白崎香織の後を追う事にした。

 

 ***

 

 勝手知ったる足取りで図書館の中を歩いていき、いつも白崎香織から情報を聞き出している資料室の書庫に入る。予想通りというべきか、そこには備え付けの粗末な椅子に腰掛け、机に突っ伏して泣いていた彼女の姿があった。

 

「南雲くん!?」

 

 突然入って来たナグモに驚きながらも、香織は慌てて顔を拭って笑顔を作る。

 

「久しぶりだね。あの後、メルドさんから謹慎を言い渡されたって聞いたけど、大丈夫だった?」

「特段、何も。そもそも謹慎と言っても自室から出なかっただけだからな」

 

 あの訓練場での事件の後。檜山達は神の使徒として相応しくない言動で騒ぎを起こしたこと、ナグモは檜山達に非があるとはいえ過剰な怪我をさせたとして双方に罰が下されていた。とはいえ反省文の提出と騎士達の監視下で奉仕活動を命じられた檜山達とは違って、ナグモは三日間の自室謹慎を言い渡されただけだ。その三日間も図書館の蔵書をエイトエッジ・アサシンやシャドーデーモンに命じて無断で拝借してたナグモからすれば、ナザリックへいつもよりゆっくりと報告書を書けたぐらいの認識でしかない。(ちなみにナグモは預かり知らないが、いつもより分厚く、内容が緻密に書かれた報告書の束を見た元サラリーマンのアンデットの精神がオーバーロードされていた事は割愛する)

 

「それで………そちらは何かあったのか?」

「何でもないよ! この部屋にも、いつもみたいに南雲くんいるかな、と思って寄っただけだし……」

「………誤魔化すなら、その充血した目をどうにかすべきだと思うが?」

 

 ナグモの指摘に香織は顔を俯かせる。その暗い顔を見て何もないと言える人間は目が節穴な者だけだろう。

 

「………光輝くんとね、喧嘩したんだ」

 

 ナグモがしばらく観察していると、香織がポツリと話し出した。

 

「南雲みたいな暴力を平気で奮う野蛮な奴なんかに香織は会っちゃいけない、香織は幼馴染の俺と一緒にいるべきだ、って。ここ数日、会う度にずっとそんな事言ってくるの。私、頭にきちゃって、光輝くんにいい加減にして、って怒鳴ったら口論になっちゃって……」

「ほう、僕が野蛮ねえ? まあ、あのド低脳共を痛めつけたのだから、天乃河光輝からそう見えるのは一理はあるだろう」

「そんな事ない!」

 

 至高の御方にナザリック技術研究所の長として作られた自分を野蛮呼ばわりか、という皮肉を込めて呟いたナグモだが、予想外にも香織は全力で否定してきた。

 

「あれは誰が見たって、檜山くん達が悪いよ! 南雲くんの生活環境とか知った上で笑い物にするなんて! その上、南雲くんの生みの親まで馬鹿にするなんて、人として最低だよっ!!」

 

 言った後にすぐに自分が大声を出してしまった事に気付いたのだろう、「ご、ごめんね」と香織は南雲に頭を下げた。だがナグモは、そんな香織をまるで意外な物でも見るかの様な目で見ていた。

 

「南雲くんの親の……ジュールさん、だっけ?」

「じゅーる様、だ。その名を軽々しく口にしないで貰いたい」

 

 少しだけ怒気を込めながら返すナグモに少し気後れしながらも、香織は再び頭を下げた。

 

「う、うん、ごめんね。えっと、とにかく、南雲くんにとってジュールさ———まはお父さんかお母さんか分からないけど、特別な人なんだよね? そんな人を馬鹿にされて怒らないでいる方がおかしいよ」

「ふん、だとしても今となっては自分でもやり過ぎたとは思っている。こんな短気を起こすなど、それこそ僕を生み出してくれたあの方に申し訳ない、というものだ」

 

 お陰でこんな厄介な事態に陥ったのだから。そう心の中でナグモは付け加えたが、香織は別の意味に捉えたのだろう。静かに首を振り、ナグモへと微笑んだ。

 

「そんな事ないよ。南雲くんにそこまで怒って貰えるなんて、その人もきっとすごく嬉しい筈だよ。それこそ、南雲くんを生んで良かったと言うと思うの。それに、南雲くんみたいなすごい人を生んだ人だもん。その人は皆が尊敬するくらいすごい人だったんだね、きっと」

 

 不意に。ナグモの鉄面皮が崩れた。まるで虚をつかれたかの様に、ナグモは香織を見つめる。

 

「………当然だ。この頭脳も、身体も。僕の全ては、あの御方がいたからこそ成り立っている」

 

 しばらくして、ナグモは口を開いた。そこにはいつもの様な他人を寄せ付けない冷たさは無かった。

 

「僕が心底から敬意を抱く方は四十一人いるが、こと創作においては、あの御方こそが一歩抜き出ていると思っている。あの御方………じゅーる様にはもう会う事は適わないが、それでも僕に全てを与えてくれた感謝を忘れた事などない」

 

 ナグモの独白に、香織は「そっか……」とだけ答えた。ナグモの家庭環境を考えるなら、これ以上は踏み入って良い話ではないと考えていた。

 しばらく、二人の間で沈黙が降りる。図書館の静けさだけが二人を包む。ややあってから、ナグモは沈黙を破った。

 

「……話」

「え?」

「話を聞く、と言ったのだ。内容は何でもいい、君の悩み相談ぐらいは受け付ける」

「ええと、嬉しいけど、どうしたの?」

 

 今までも香織はナグモと色々と話していたが、今日はいつもと様子が違う気がして思わず聞き返した。

 

「………別に。ただの礼だ」

 

 それに対してナグモは平坦な声で返した。

 もしも、彼の僅かな変化を見抜ける者がいれば気付いただろう。まるで努めてそうしているかの様な、僅かな声の違いに。

 

「訓練場の一件で、あのド低脳が虚偽の証言をした時に君はロギンス騎士団長に真実を告げてくれた。ならば、その礼として君が抱えているストレスの軽減くらいはするとも。………受けた恩と借りはキチンと返す。それが、あの御方の口癖であったのだから」

 

 ***

 

「———なるほど。では君は、天乃河光輝への窓口として扱われている事に不満を感じているという事か?」

「別に不満だなんて………ただ、私や雫ちゃんが周りに謝ったりしてるのに、どうして光輝くんは話を聞かないんだろうと思うの」

「ふむ……そして、優等生だからと同級生ばかりか教師までもか頼ってくるのに息苦しさを感じてるのだな」

「うん……皆が頼りにしてくれるのは嬉しいけど、ちょっと疲れちゃう時があるんだ」

 

 外の警戒をシモベ達に命じて、ナグモは香織と二人きりで会話していた。ナグモのやっている事は、今までと変わらない。彼は至高の御方から設定されたドクターとしての職業(クラス)スキルを使い、精神科医の真似事をして香織の話を聞いてるに過ぎない。ただし、今回は情報収集というより香織の精神分析に焦点を当てていた。

 

(地球にいた頃、ナザリックに戻った時に至高の御方々の御役に何かしら立つだろうと思って、あらゆる知識を貪った経験がここで役立つとはな……しかし、なんともまあ)

 

 香織の話を聞きながら、ナグモは香織の精神がストレスで限界に近かったと判断した。

 

(学校内ではスポーツ万能、学業優秀で性格に非の打ち所がないと言わられていた天乃河光輝。しかしその実態は、自分の価値観を絶対だと思って他人の意見には耳を貸さない独善的な性格に加えて、何事も自分が中心にいると思っている幼稚な精神の持ち主。その性格で問題が生じた事も少なくはないが、その度に白崎やもう一人の幼馴染である八重樫雫が事態の火消しに奔走しているわけか)

 

 そして当の本人はそんな二人の苦労を知らず、香織達の忠告も笑って受け流すときた。それでも幼馴染だから、と我慢して見捨てずにいるらしい。

 

(さっさと切り捨てれば良かったろうに………。そのお陰で天乃河光輝関連で問題が起きれば、まずは白崎に話がいく様になったわけか)

 

 そんな経験を何度もして問題の処理能力が高くなった為か、同級生達のちょっとした悩みなどを解決した香織は、今ではクラス中がアテにしてきて何かと面倒事の相談をしてくる様になったらしい。それを断りきる事も出来ず、香織は今まで何とか笑顔で対応してきたそうだ。

 そんな物は本来なら教師の仕事の筈だが、その教師自体がクラスの事は香織に任せれば大丈夫と職務放棄しているのであった。教師からの期待を裏切る事も出来ず、そして自分を頼りにしてくる同級生達も無碍には出来ず。結果として、香織は周りから望まれる様な優等生として振る舞うしかなかった。

 

(そしてそれはトータスに召喚された今でも変わらない、か。唯一の教師である畑中愛子は作農師として王都を離れているから、頼ることも出来ない、と)

 

 そもそも担任ですらない新米教師にどこまで頼っていいか、香織も見当がつかないのだろう。結果として、香織は今でも天乃河光輝の窓口兼、光輝に連られて戦争参加を表明したものの不安を感じてる生徒達の相談役になっているというわけだ。

 

(ここまで来ると、白崎もよく保っている方だな。とっくにキャパシティオーバーを起こしているだろうに。その事を八重樫雫以外の人間は気付こうとしないわけか? まったく、これだから低脳な人間は)

 

 同世代の中ではスーパーヒーローであるかの様に扱われている天乃河光輝。そんな彼の幼馴染として、白崎香織にも自分達とは違う特別な存在なんだと認識されているのだろう。それが更に香織を追い詰めているとは知らず、クラスメイト達は無邪気に香織に頼っていたのだ。心配してくる親友の雫に大丈夫だから、と言っているものの香織の精神は既に限界に近かったわけだ。

 

(まあ、だからこそ、こんな初歩的なカウンセリングにありがたみを覚えるのだろうが……)

 

 そう考えるとなんとも微妙な気持ちになる。結局のところ、香織は自分の悩みや愚痴を思いきり言える相手が欲しかったのだろう。その役としてうってつけだったのが、単にナグモだったというだけだ。

 

「ふう………ありがとう、色々と聞いてくれて。こんなに一杯話せたのって、久しぶりだよ」

 

 胸に溜まっていた不満を全て吐き出せたのか、香織は先程よりは明るい顔になっていた。

 

「少しはストレスが軽減された様なら何よりだ。それと、今度から寝る前にミルクココアでも飲むと良い。ココアには、カルシウムやビタミンB1、たんぱく質やカカオポリフェノールなど、ストレス解消に効果がある栄養素が豊富に含まれる上、自律神経を整えるテオブロミンという成分も入っている。カルシウムやトリプトファンが含まれる牛乳と組み合わせることによって、ストレスへの高い効果が期待できる」

「ふふ……なんだかナグモくん、本物のお医者さんみたい。そろそろ行くね、雫ちゃんも心配しているだろうし」

 

 確かココアらしき飲み物をメイドが出していたな、と思い起こすナグモに香織は柔らかく微笑み、出口へと向かう。と、何かを思い出したかの様に振り返った。

 

「あのさ……南雲くんの事、ハジメくん、って呼んで良いかな?」

 

 どこか緊張して上目遣いで聞いてくる香織に、ナグモはいつもの無表情で返した。

 

「……その名は好きじゃない。そもそもハジメという名前自体、施設に登録されたのが一日だったから適当に付けた名だ。僕が御方より賜った名は、ナグモただ一つだ」

「……うん、分かった。ありがとうね、南雲くん」

 

 それで、その……とモジモジする香織を見て、何が言いたいのかさすがのナグモも察した。

 

「ああ。また明日、良ければ来るといい。()()

「っ! うん、また明日! きっとだよ!」

 

 じゃあね、と言って満面の笑みで香織は立ち去った。その後ろ姿が閉まったドアの向こうへ消えたのを確認し、ナグモは一人呟いた。

 

「……まあ、図書館の蔵書はほとんど読み終わった事だし。引き続き、召喚された人間達の情報も必要だしな」

 

 どうせ今の状況ではナザリックに戻るまで、やれる事は限られている。それならば白崎香織と話をするのは、情報収集の面からも悪い話ではない筈だ。そう自分に言い聞かせ、ナグモは資料室を後にした。




>ナグモ、監視のために下手に動けず。

 監視をつけたのはもちろん某戦乙女さん。王宮で判明しているナグモのステータスを見る限りは自分よりも弱くて取るに足りないと判断しているものの、勇者より強いイレギュラーとしてそれとなく教会の人間を作って監視中。その為、ナグモは下手に動けなくなりました。とはいえ極悪ギルドのNPCなので、こっそり誰かの死体を使って自分の死体に見せかけようと考えてるけど。

>香織、実はいっぱいいっぱい。

 これははっきり言ってこのssの独自設定です。強いて言えば「光輝の為に香織や雫が頭を下げて回った」という設定と、加筆されたありふれの書籍版で戦闘放棄した生徒達が「白崎や八重樫は自分達とは違うんだ」とサロンで言い合っていた所を膨らませた感じです。(そのあと、雫の担当メイドに雫も普通の女の子だ、と指摘かれてますが)
 そんな余裕のない精神状態だからこそ、ナグモのカウンセリングはとても効果的に働きました。具体的には顔無しの伝道師の説法ぐらい。



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第九話「限界寸前」

 SSのタグにも書いていますが、このSSはクラスメイトアンチなので、クラスメイトのモブの大半は意図的に酷く書いています。さすがに原作はここまでじゃないだろうとは思いますが、自分の中で彼等は「ハジメが檜山にリンチされそうになるのを見て見ぬ振りをするし、なんならハジメが奈落に落ちたのは自分の魔法が当たったかもしれないと発覚するのが怖くてハジメが勝手に落ちたという事で意見を一致させる性格の悪い集団」と認識しています。

 はっきり言うと、自分が見てきたクラス纏めての転移モノで一番酷いんじゃないか? と思ってたりします。(そういう作風で、そういう書かれ方をしたからと言われれば、否定はできませんけど)

 その事を御了承の上で、お読み下さい。
 


「それでね。雫ちゃんってば、本当は可愛い物が好きなのに自分に似合わないからって結局レジに持っていかなかったの」

「ふむ。彼女とて年頃の女子だ、そういった物に興味があるのはごく自然の事だと思う」

「だよね! 雫ちゃんも剣道をやってる様な無骨な自分には似合わないなんて、そんな事ないのにね〜」

 

 いつもの資料室。笑顔で話す香織に、ナグモは時々相槌を打っていた。

 午後の訓練が終わってから日没までの僅かな自由時間。その時間帯にナグモは毎日、香織と資料室でカウンセリングするのが日課となっていた。とはいえ、最近は悩みの相談を受けるというよりも香織のおしゃべりに付き合っている様な具合だった。

 現に、資料室の机には紅茶とお茶請けの簡単な菓子が置かれている。本来なら図書館に飲食物の持ち込みは厳禁だが、そこは神の使徒の中で一段と王宮の覚えがめでたくなったナグモ、特例でこうした扱いをしょっちゅう受ける様になった。

 むしろ図書館の女性司書が何やらワクワクした顔で毎日来るナグモと香織に、「あ、いつもの資料室ですね。大丈夫、分かってますから! 他の方には黙っておきますので! 特別にお紅茶とお菓子も用意しました! 内緒ですよ?」と興奮気味に言ってきたが、あれは何だったのだろうか?

 

(まあ、教会の監視が付けられた今はモモンガ様から頂いたマジックアイテムも迂闊には使えないから、資料室にいる事を黙って貰えるのはありがたいが………)

 

 それにしても、いま香織から聞いている内容はナザリックの役に立つのだろうか? とナグモは心の中で首を傾げた。今も香織は笑顔で地球にいた時の日常であった事を話している。ナグモが常に纏っている鉄面皮も、いつもの事だとして気にしてない様だ。

 ここ数日で香織の趣味嗜好やら親友の八重樫雫についてやらに否応なく詳しくなったが、それがモモンガ様へどう役立つというのか?

 

(とはいえ、白崎のストレス軽減に務めると言ったのは僕だ。白崎には借りがある以上は、この雑談に付き合って然るべきだろう)

 

 受けた恩と借りはしっかりと返す。

 これは創造主であるじゅーる・うぇるずが口癖の様に言っていた言葉だ。その為か、ナグモにも相手が誰であろうと借りがある以上は何らかの形で返すべきという、ある種の義理堅さが根底にあった。

 

(まあ、ナザリックへの明確な不利益とならない限りは白崎の雑談に付き合うのは構わない筈だ)

 

 そう頭の中で結論付けて、香織の話に再び意識を向けた。

 

「あ、そうだ。私ね、最近新しい魔法を覚えたんだよ?」

「ほう? それは興味深いな。どんな魔法だ?」

「うん、見て見て!」

 

 ようやく実りのある話になりそうだ、と香織が差し出したステータスプレートを覗き込む。ふわっとよく手入れされた香織の髪の毛の匂いがしたが、ナグモは気にせずに近寄った。

 そこには香織の技能欄の回復魔法の派生として、新たに[+身体強化付与]と書かれていた。

 

「強化魔法か。治療師の君が治療魔法以外の魔法を覚えるのは珍しい例だな」

「う、うん。メルドさんも流石は神の使徒だな! と褒めてくれたよ」

 

 ナグモとの距離が近くなって、香織は顔を赤らめながら答えた。

 

「この魔法、自分にもかけられるみたいだから、後衛で魔法を使うだけの今より戦術の幅が広がるかもしれないって、言って貰えたの」

「それは良かったな。前衛が倒れた場合も想定して近接戦闘の技術を磨くのも良いだろう」

「なら、南雲くんが教えてくれる?」

「馬鹿を言うな、僕は錬成師だ。そもそも非戦闘員の筈の僕を戦わせようというのが間違えている」

「でも、いまクラスで一番強いのは南雲くんだよ。模擬戦でも光輝くんに何度も勝ってるくらいだもん」

 

 香織の指摘した通りだった。ナグモが偽装したステータスを見せてからというものの、戦闘訓練の時間になると何かと光輝が絡んでくるのだ。やれあのステータスは何かの間違いだの、やれ読書しかしてないお前なんかには負けないだのとしつこく、ナグモは仕方なく光輝との模擬戦を何度もする羽目になっていた。

 最初はわざと負けようかとは思ったものの、ステータスが三倍も差があるのに負けるのはかえって不自然だと考えて、今のところナグモは光輝相手に全戦全勝していた。

 

(お陰で最初は違和感しかなかったメイスの扱いがそれなりに手に馴染む様になったのは喜ぶべきか、悲しむべきか………)

 

 何が悲しくてナザリック技術研究所所長として創造された自分が近接戦闘の技術を上げているのか? そもそもガンナースタイルだった自分がそれでいいのか? 等と心中複雑なナグモとは裏腹に、勇者よりも強い錬成師として王宮の評価は高くなっていた。

 

「光輝くん、南雲くんに負けてから自由時間にも必死で訓練する様になったの」

 

 光輝の事で思い出したのか、香織がポツリと漏らす。それだけ聞けば殊勝な話なのだが、何故か香織の表情は優れなかった。

 

「でも、それで香織も俺と一緒に訓練しよう、とか、南雲なんかに構うより有意義な時間になるとかしつこくて………。オマケに他の人達も自主練に誘ってるみたいだけど、もともと戦争に乗り気じゃない人には迷惑がられてるの」

「……で、その苦情は君や八重樫雫の所へ来てるわけか」

 

 沈んだ顔になった香織を見て、ナグモは深い溜息を吐いた。また香織達は光輝の火消しに奔走しているというわけだ。そして当の本人は香織や雫が忠告してもいつも通り聞き流しているのだろう。

 

「白崎。いい加減、君は断る事を覚えるべきだ。明らかにそれは君の仕事ではないし、そんな下らない事に労力を割かれる事こそ無意義な時間だ」

「でも……その人達も戦争の不安があって、イライラしてるのかもしれないし……」

「だとしても、それを君にぶつけるのは合理的ではない」

 

 言い淀む香織にナグモはピシャリと返す。

 

「大方、戦争参加を表明した手前、体面上は訓練に積極的なフリをしなくてはならないし、クラスのリーダーである天乃河光輝に意見するのは気が引けるから君や八重樫雫に文句を言っているのだろうが、それこそ八つ当たり以外の何物でもない」

「ん……そう、かもしれないけど…」

「前々から思っているが、クラスの人間達は考え無しな者が多過ぎる。幼稚な正義感で戦争参加を表明した天乃河光輝は言うに及ばず、それに流される様に戦争参加を宣言した他の人間もまた然り。君や八重樫雫の様な例外はいるが、ほとんどが脳をどこに置き忘れた? と聞きたくなる連中しかいない」

「あ、相変わらず凄い毒舌だね……」

 

 スラスラとナグモが光輝やクラスメイト達を貶すが、今となっては香織も強く否定できなかった。慣れない生活や戦争の事で強いストレスを感じているのは香織も同じだ。そこへさらに悩みの種を作られては、香織の中でも彼等に対しての見方が変化してきた。あるいはクラスメイト達と一線を引いたナグモと多く話す事で影響され始めたと言ってもいい。

 

「とにかく、これ以上のタスクは負わないようにする事だ。でなければ、本当に君は潰れると言っておく」

 

***

 

「白崎さん、ちょっといい?」

 

 それは午前中の座学の時間が終わり、昼食へ向かおうとした時だった。香織は三人の女子グループに声をかけられた。声音といい、睨んでる様な顔つきといい、あまり良い話じゃないだろうなと思いつつも香織は普段から教室で見せている笑顔で対応する。

 

「えっと、何かな?」

「相談したい事があるの。ちょっと来てくれる?」

 

 有無を言わせない雰囲気に香織は萎縮する。良からぬ雰囲気を察して雫が横から入ろうとした。

 

「香織に何か用かしら? 良ければ私も、」

「香織、雫! 今から俺と食堂に行かないか?」

 

 話を聞くわと雫が言う前に、折り合い悪く光輝が香織達に話しかけに来た。場の空気などまるで読んでる様子はなく、「ん? 君達は……」と先にいた女子グループに声をかける。

 

「私達ぃ、白崎さんに今の授業で教えて貰いたい所があるの」

 

 光輝に目を向けられた途端、女子達は一瞬にして人の良さそうな笑顔になった。「そうそう」、「白崎さん、頭良いもんねえ〜」と残り二人も追従する。先程までの雰囲気を上手く隠し通す姿に、同性ながら女の子って恐いなと香織は場違いな感想を抱いた。

 

「それで、白崎さんをちょっと借りたいんだけど……良いかな、天乃河君?」

「そっか、香織は優しいからな。そういう事なら俺達は先に行ってるよ」

「ちょっと、光輝!」

 

 あっさりと承諾する光輝に雫は抗議の声を上げる。

 

「この人達は香織から勉強を教わりたいだけだろ? 俺達が邪魔するのは失礼な話じゃないか」

「だから、それなら私が———!」

「ええ〜、でも天乃河くん達の邪魔するのも悪いし〜」

 

 食い下がろうとする雫を女子達は「だよね〜」とわざとらしく同調しながら拒否する。だが、光輝はそんな女子達の影のやりとりに全く気が付いていなかった。

 

「ほら、雫。この人達だって香織と話がしたいのだろうし、俺達には言えない事だってあるかもしれないだろ。我が儘を言って困らせたらいけないよ」

「光輝、アンタ———!」

「大丈夫だよ、雫ちゃん」

 

 いつも香織が南雲と話していると不機嫌な顔で止めさせようとしてる癖に、どうしてこういう時だけ察しが悪いのか? そんな意味も含めて雫が怒声をあげかけるが、その前に香織が止めた。

 

「香織……? でも———」

「うん、大丈夫。ちょっとだけお話しするだけだから」

 

 あのままでは周りに迷惑をかけると思って香織は雫を安心させる様に微笑んだ。その顔に雫は何かを言いたそうに逡巡したが、やがて溜息をつきながら頷いた。

 

「分かったわ。その、先に行って待ってるから」

「ああ、俺も香織も待ってるからな。ああ、そうだ。昼食後の自由時間で自主練をするけど、君達もどうだい? クラスの皆と一緒にやる予定なんだ」

「え? ええと、私達はちょっと………」

「南雲みたいな奴がステータスが高いというだけで大きな顔をしてるのは間違いだと俺は思う。今だって王宮の人達がチヤホヤするから南雲の奴は増長しているんだ。だったら俺達は南雲なんかより更に強くなって、あいつの横暴ぶりを止めないといけない。そう思うだろ?」

「う、うん……ちょっと用事を済ませたら、行けたら行くね?」

「ああ、待っているよ」

 

 傍から見ても乗り気じゃなさそうな女子達の様子を気にする事なく、光輝は満面の笑顔で頷いた。彼女達も自主練に必ず来ると疑いすらしてない様だ。そんな光輝を連れて、雫は後ろ髪を引かれる様に何度も香織を振り返りながら去っていった。

 

 ***

 

「それで、話って何かな?」

 

 香織が女子グループに連れられたのは今日は使われなかった講義室だった。塵一つも落ちてない床を見るに、メイド達が清掃したばかりなのだろう。周りには自分達以外、誰の気配もしなかった。女子達は先程まで光輝に見せていた笑顔から一転して香織を睨みつけた。

 

「白崎さん、天乃河君の事だけどさ。いい加減、自主練に皆を巻き込むの止めさせてくれない?」

「お陰で私達、迷惑してるんだよねー。なんか自主練に参加しないと後で文句言ってくるしさー」

「ウチらだって暇じゃないんですけどぉ?」

 

 口々に言われる文句に、やっぱりと香織は閉口した。彼女達はせっかくの自由時間にまで光輝主催の自主練に参加したくないのだろう。ナグモに連敗続きとはいえ、光輝はここ百年はいなかったという勇者の天職持ち。彼が戦闘の特訓に意欲的になっているのを、教会や王宮の貴族達はさすがはエヒト神に選ばれた勇者だと褒め称え、他の生徒達が自主練に参加してない姿を見ると「勇者様があんなに努力なさっているのに……」とこれ見よがしに目の前でヒソヒソ話をしたり、熱心な教会の信者は魔人族がいかに邪悪で許し難い存在であるかを説教するなどしてくるのだ。

 何より光輝自身が自主練をやらない生徒に対して、「そんなやる気のない姿を見せたら、俺達を頼って召喚してくれた皆に申し訳ないと思わないのか? 南雲みたいにステータスが高い事に胡座をかいて怠けてる様な奴になりたくないだろ?」と発破をかけにくる。結果として、生徒達の大半は光輝や王国の人達に睨まれたくない為に自由時間も訓練する羽目になっていた。

 

「南雲が強くなったとか知らないけどさ、天乃河君が勝てないから特訓したいだけでしょ? じゃあ一人でやって、って言ってよ」

「うん、光輝くんにはちゃんと言っておくから、」

「はあ? この前も同じ事言ったじゃん。それなのに天乃河君、何も変わってないんだけど?」

 

 「そうそう」、「白崎さん幼馴染なんでしょー?」と他の二人も口々に文句を言う。香織は直接的に面識は無いが、彼女達は地球にいた時も学業に熱心ではなく、放課後になると「今日どこ行く?」、「カラオケ行こうよ、男に奢らせてさ!」と繁華街へ繰り出していく様な女子グループだった。そんな彼女達にとってこの世界は大した娯楽もなく、そして自由時間までも拘束されるのは我慢ならない事だった。様々なストレスが溜まり、それを今、香織へとぶつけていた。

 

(そんなの、光輝くんに直接言ってよ………!)

 

 しかしそれは香織だって同じだ。突然の異世界転移、慣れない生活、本当に家に帰れるのかという不安。そして、皆で必死に目を逸らしているが———戦争に参加するという現実味の無い恐怖。ナグモのカウンセリングで大分緩和されたとはいえ、日毎に増していくストレスは香織の中で蓄積されて限界が近かった。

 そこへ光輝のやった事でまた文句を言われるのだ。「知った話じゃない!」と怒鳴りたいくらいだが、自分がイライラしてる感情を他人に八つ当たりの様にぶつけるのは間違いだ。香織の中の良心が最後の一線を保っていた。

 

「———アンタさ、前から思ってたけど調子乗ってない?」

 

 俯いてしまった香織に対して、リーダー格の女子が低い声を出した。その顔は、まるで気に入らない物を見る様に冷ややかだ。

 

「え? 何のこと? 私は調子に乗ってなんて、」

「はあ? その態度がムカつくんですけど。なに良い子ちゃんぶってるわけ? 天乃河君の幼馴染だからって調子乗ってるの?」

「だから、私はそんな———!」

「そうそう! 大体さあ、魔人族の戦争だって白崎さん達が勝手に決めたんじゃん!」

 

 香織が声を上げて否定するのを被せる様に取り巻きの一人がキンキンとした大声を出す。

 

「なんでウチらに相談しなかったわけ? ウチらの行動を勝手に決めないで欲しいんですけどー?」

「ていうかさ、そんなに戦争がしたいなら勝手にやってれば? って感じ。クラスでもいろんな人に良い顔してるけど、何? 異世界の人にも良い子ちゃんぶりたいわけ?」

「な、んで………?」

 

 香織は呆然と呟く。女子達は、やれ香織がクラスの纏め役を気取っているのが気に入らないだの、天乃河光輝の幼馴染という立場を使ってお高くとまっているだの、好き勝手言っていたが、香織はもう聞いていなかった。頭の中ではぐるぐると「なんで?」という言葉が回っていた。

 

(なんで………なんでそんな事言うの? 私だって、好きでやってるんじゃないんだよ? 私だって、いっぱいいっぱいなんだよ? 光輝くんの幼馴染になったのも、偶々なんだよ? なのに、なんで私が責められなきゃいけないの? なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで———!?)

 

 自分の行動が全部正しかったなんて言わない。それでも精一杯の事はやってきたつもりだ。魔人族達との戦争参加を表明したのだって、今となっては早計だったかもしれないとは思っている。でも、あの場では誰も反対しなかったじゃないか。それなのに、何故今になって責められなくてはならないのか?

 

「うっ………!」

 

 もはや自分を責める女子達の声が人間の声には聞こえなくなっていた。ブンブンブンブンと耳障りで、まるで群がる羽虫の音の様。気持ち悪さに香織は強い吐き気を覚える。気持ち悪い、気持ち悪い、キモチワルイ———!

 あまりの気持ち悪さに強い目眩を覚える。もう立ってる感覚すら無くなってきた。耳障りな音を消す為に、喉から叫び声が上がりそうになり———。

 

「———なんとも。聞きしに勝る、ド低脳ぶりだな」

 

 瞬間。人を人と思ってない様な冷たい声が、福音の様に香織の耳に響いた。




 はい、そんなわけで今回はナザリック勢が出て来ない話でした。ナザリック勢が本格的に関わって来るのは、今のプロットだとオルクス迷宮に行ってからですかね。

>ナグモ、実は義理堅い

 創造主のじゅーるが「受けた恩や貸しはキチンと返すのはマナーですよ?」と言う人だった為、NPCであるナグモにもその性質は受け継がれました。ちなみに事ある毎に言っていた為、アインズ様も「恩には恩を、仇には仇を返すべし」と影響を受けているという設定です。

>光輝、自主練強制

 本人は自覚してないけど、もちろんナグモが自分より上のステータスだという事を危惧してです。周りの人達を誘っているのは「一緒にどう?」という善意と、勇者達を戦争の駒にしか見てない様な貴族達に煽てられた結果です。クラスメイトの大半は「何も自由時間まで……」と思ってはいるものの、まだ自分達が苦戦する戦いはしてない為に上がっていくステータスを見るのが楽しい、あるいは参加しないと光輝や貴族達に文句を言われるから仕方なしに参加という理由でやっています。ついでに言うと中世なトータスにはインターネットやゲームみたいな娯楽が無いし、部屋に籠ると元いた世界の事とかで不安で押し潰されそうになるから身体を動かした方がマシという理由もあります。

>香織に文句を言う女子グループ

 はっきり言うと女版檜山。原作では男女問わず人気な白崎さんですが、自分が思ったのは「この子の性格は同性受けするのか?」という事。「清楚で大人しく、学校から二大女神と言われる程に美少女」という設定ですが、悪く言うと男受けを狙った様なキャラだと思いました。雫も光輝の幼馴染という理由で女子からイジメを受けていた時期があったので、香織にもそういう見方をする女子がいてもおかしくないのでは? と思って登場させました。


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第十話「論理的じゃない思考回路」

 そろそろありふれもオバロも関係無いじゃん、と言われそうな気がします。でも、もう暫くは甘い幻想(ユメ)を二人に見させてあげて下さい。

 その方が絶望に叩き落とした時のカタルシスが最っ高になるので(某きのこ御代達を見習いながら)

 あと今まで投稿した作品でもそうですが、自分が書いたキャラは変に理屈っぽかったり、イヤに悲嘆的だったりします。ある意味、自分の性格が出ているのかな………。


 カツン、カツンと硬質な足音が講義室に響く。ナグモはいつもの虫ケラを見る様な目付きで香織を責めていた女子達を一瞥する。女子達はその目で見られた途端、心臓を氷の手で鷲掴みにされた様な感覚が襲い、歩いてくるナグモからザザッと距離を取った。

 

「南雲、くん………?」

「前にも言った筈だが———」

 

 蒼白な顔で視点の定まらない香織を見て、ナグモは呆れながら溜息を吐いた。そろそろ限界だろうとは思っていたが、どうやら今のやり取りがトドメとなった様だ。

 

「余計なタスクは負うな。こんな狗にも劣るド低脳な輩に費やす時間こそ無意義だ」

「なっ———!?」

 

 まるで息をするくらいの当然さで毒を吐かれ、女子達は言葉を失う。だが、ナグモは視界に入れる価値すらないと言う様に彼女達を無視していた。

 

「私……私……!」

「もういい、行くぞ」

 

 俯いたまま小さく震える香織の手を取ると、さっさと立ち去ろうとした。

 

「ま、待ちなさいよ!」

 

 しかし、その背中に鋭い声がかけられた。ナグモはまるで壊れたラジオを見る様な目で煩わしそうに女子達に目を向けた。

 

「私達は白崎さんに用があるの! 横からしゃしゃり出てくるんじゃないわよ!」

「そうよ! ってか、なんで南雲が出てくるの? マジウザいんですけど!」

「関係無い奴は引っ込んでろし!」

 

 ギャーギャーと女子達が騒ぐ。こちらの方が人数は上回っている事もあって、いまこの瞬間だけ女子達はナグモが訓練場で圧倒的な強さを見せていた事を忘れていた。それに彼女達の経験上、こうやって大人数で責め立てれば、大抵の男子はすごすごと尻込みして黙るからだ。

 しかし、それは相手が普通の人間であったらの話だった。

 

「—————」

 

 「ひぃっ!?」と女子達の身体が震え出す。かつて訓練場で味わった身の凍る様な殺気を再び感じ、足がガクガクと面白い程に震え出していた。

 

「———才も無ければ、努力もせず、そのくせ自分より優れた者には難癖つけて足を引っ張る事だけは一人前の低脳共が」

 

 ぺたん、と三人仲良く尻餅をつく。怯える子供の様にお互いを抱き合ったが、身体の震えは一向に止まってくれない。そんな女子達をナグモは嫌悪感を込めて吐き捨てる。

 

「自分で考える事すら放棄して、流されるままでいながら状況が悪くなれば自分以外を責める事には必死になる。ここまで見ていて不快になる生き物は初めてだ。ああ、下等生物と見下したくなる気持ちがよく理解できたとも」

 

 ナザリックで人間を見下す異形種達の姿が脳裏に浮かぶ。こんな人間ばかりならば、彼等の態度にも頷かざる得ないというものだ。むしろ至高の御方にそうあれかしと作られたからとはいえ、人間であるナグモを差別せず対等に接してくれる彼等の方が何倍も優れた知性を持ってる様に感じる。それに———。

 

(こんな屑共にも白崎は労力を割いていたのか? まるで理解できない……)

 

 どうりで最近、目元の隈や肌荒れが酷くなる一方だと納得すると同時に、酷くイライラしてきた。仮にもドクターとして自分が診ている相手を苦しめられるのは、自分の仕事を台無しにされてるみたいで頭にくる。

 

「ただひたすらに目障りだ。今すぐ消えろ」

 

 もはや息をする事すら苦しそうな女子達にナグモは絶対零度の殺気を混じえながら吐き捨てる。涙でアイメイクやチーク等が崩れ、グチャグチャとなった顔には吐き気すら覚えた。そんな見せかけの厚化粧をやる余裕がある癖に、暇じゃないとはよく言ったものだ。香織を八方美人だと言い張るなら、ただひたすら相手に媚びる様な擬態をしている()()()は何だと言うのか?

 

「聞こえなかったか? 三つ数える内に失せろ。一つ、二つ———」

 

 ナグモのカウントダウンに女子達は弾かれた様に動き出した。手足をもつれさせながら、まるで蛸の出来の悪い物真似みたいに講義室から出て行く。その後姿が見えなくなって、ナグモはようやく殺気を消した。

 

「まったく………本当にこのクラスは低脳な人間が多くて頭痛がしてくる。白崎、今後はあんな輩の話など———」

 

 振り向いたナグモの胸に、トンっと軽い衝撃が走った。

 

「………っ、う、ううっ……!」

 

 ナグモが目を向けた先には、香織がナグモの胸に飛び込んでいた。香織はまるで迷子になった子供の様にナグモの胸に縋り付き、ポロポロと涙を零していた。

 

「うっ……ひっく、あ、ああっ……!」

 

 感情というダムが決壊したかの様に声を上げて泣き出す香織。教室でどんな相手にも笑顔を絶やさなかった優等生の姿はそこには無く、小さく震えながら感情のままにナグモに縋り付きながら涙を流す少女がそこにいた。そんな無防備な姿にナグモは———。

 

「は………?」

 

 子供の様に泣きじゃくる香織にどうしていいか分からず、ナグモの脳が思わずフリーズする。ナザリックでトップクラスの頭脳の持ち主として生み出されたナグモだったが、こうして泣き付いて来る相手にどう対応すべきか全く分からなかった。

 かつてナザリックを襲撃してきた1500人の人間達みたいに敵意を持っている相手ならば冷酷に対処できたが、自分を縋って泣く少女の対処法など蓄積されたデータには無い。今までに無い体験に、ナグモは実に一分近く手を中途半端な位置で迷わせ、香織に抱きつかれながら棒立ちになっていた。

 

 ***

 

「………落ち着いたか?」

「うん………」

 

 あの後、泣いてる香織を振り解く事も出来ず、ナグモは仕方なく香織の私室まで連れて行った。いつもの資料室は距離があり過ぎるし、それ以外の場所は誰かしら(特に天乃河)が来て騒ぎ出したら煩わしいと判断しての事だ。もちろん、ナグモの自室は論外だ。見える証拠は残してないが、ナザリックとの連絡に使っている部屋に通すわけにいかない。

 

「ごめんね。洋服、私の涙で汚しちゃって………」

「気にしなくていい。服など洗えば済む話だ」

 

 至高の御方から賜った衣装だったら少し文句を言っていたかもしれないが、幸いな事に今着ているのは王宮から与えられた私服だ。どれだけ汚されようが、ナグモにとってはどうでも良かった。

 

「………………」

 

 部屋に沈黙が落ちる。ここに来るまでの間、香織はずっとナグモの服の端を掴んだまま俯いていた。まるで幼児退行を起こしたみたいに自分に縋ってくる香織にどう対応すべきか分からず、ナグモはとりあえず香織をベッドに腰掛けさせていた。

 

「………私、間違っていたのかな」

 

 しばらくして、香織がポツリと言った。その顔にはいつもの笑顔は無く、今にも消えてしまいそうな程に儚げだった。

 

「この世界に来た時、光輝くんや雫ちゃんが戦うと言ったから、私もやるなんて言っちゃったんだ。戦争をするというのがどういう事かなんて、これっぽっちも分かってなかったのにね」

 

 教会の神官や座学の講師は、生徒達に執拗に魔人族がいかに邪悪で穢れた存在かを説いていた。魔物達を操り、邪神アルヴを信仰してエヒト神を愚弄し続ける不倶戴天の人類の敵。それを打ち倒してトータスに平和を齎すのが神の使徒の使命なのだと。

 だが、彼等の話を聞いていく内に香織は分かってしまった。魔人族とは結局のところ人間とは異なる民族というだけなのだろう、と。信仰が異なるというだけで、本質的には人間と同じ筈だ。王国の人々は耳触りの良い言葉で飾り立てでいるが、自分達がやろうとしているのはヒト同士で殺し合う戦争なのだ、と。

 

「だから、軽はずみな気持ちで言っちゃった以上は責任を取らなくちゃ、って………。みんなの不安を少しでも取り除けたら、って思って………」

 

 生徒達の大多数は、剣と魔法の異世界で人類を救う勇者として召喚されたという事実に浮かれていた。ゲームの様に数値化され、訓練をすればするほど面白い様に上がっていくステータスに一喜一憂し、まるで体験型のファンタジーRPGをやっているかの様に今の状況を楽しんでいる者までいる始末だ。

 だが、少数の聡い者達は分かっていた。自分達が学んでいるのは、元の世界で言うところの銃や爆弾を剣や魔法に変えただけの人殺しの技術という事を。それでも今の生徒達にとって神の使徒として戦いの訓練を受ける事が、衣食住どころか身分すら保証されてない異世界で生きる唯一の術なのだ。

 神の使徒でいれば王宮で暖かいベッドと食事は約束される。しかしいつかは戦争で魔人族を殺さなくてはならない。そんな不安を抱えているクラスメイト達に、香織は光輝と一緒に戦争参加を煽ってしまった責任を感じていたのだ。だからこそ、自分の不安を押し殺しながらも今まで通りにクラスメイト達の良き相談相手で居続けた。しかし———。

 

「でも、私、そんなに強くなかった。みんなの不安を癒やしてあげたいなんて思ったくせに……自分の事でいっぱいいっぱいだったの」

 

 日が経つにつれ、香織も徐々に精神が追い詰められていった。いつ帰れるか分からない異世界での生活は、心優しい彼女の心に暗い影を落としていたのだ。加えて光輝が色々とやらかしているお陰で、もう香織の精神に余裕なんてない。今では責任感からクラスメイト達に笑顔で接しているだけだ。本当は香織も悲鳴を上げたい気持ちでいっぱいだったのだ。

 

「やっぱり、私………」

 

 ギュッと香織の手が膝の上で握り締められる。それでも、と香織は今まで謝罪の意味も込めて光輝の事や不安を訴えてくるクラスメイト達に接していた。明らかに悪感情を持ってると分かっていた女子達の話を聞こうとしたのも、その一環だった。その結果———香織は、自分から話を聞くと言っておきながら吐き気がする程に彼女達を嫌悪してしまった。

 

「あの子達が言ったみたいに、自分勝手で、周りの人に良い子ぶってるだけで———」

「それは違う」

 

 それまで黙って聞いていたナグモが香織の言葉を遮った。香織が顔を上げると、ナグモが真っ直ぐと香織を見つめていた。その目にはいつもの様な冷たさは無い。

 

「全くもってそれは正しくない結論だ。非合理だ、論理的じゃない、理屈に合っていない」

 

 いつもよりどことなく早口でナグモは香織の自虐的な意見に異を唱える。常に事実だけを述べる淡々とした口調も少し崩れていた。

 

「天乃河光輝はトータスに来た直後で情報が出揃ってない中で、全てを救うなどと戯言を吐いた。それに対して吟味もせずに戦争の参加を決めたのは周りの人間達だ。異論があった者は何も言わなかった」

 

 もう少し冷静になって、参加を志願制にするなどすれば良かったのだろう。あるいは即答せずに考える時間を設けるべきだったかもしれない。だが、それらはもう過ぎた話だ。あの場では皆、異様な興奮状態でなし崩しに戦争参加を決めてしまったのだ。それを後になって「実はやりたくなかった」と他者を責めるのは幼稚に過ぎる行動だ。

 

「それにあの低脳な女子達はそんな事より、単に前から君が気に入らないというだけだろう。容姿も頭脳も環境も自分より上だと感じているから、攻撃できる材料が見つかってこれ幸いと数で取り囲んで責める。実に低脳な人間らしい、唾棄すべき行動だ」

「南雲くん………でも………」

「———戦争に参加を促した事に対する責を負え、と言うなら僕にも責任が無くはない」

「え?」

 

 香織の顔に驚きが広がる。あの場で唯一、誰にも流されずに口を閉ざしていたのが目の前の少年の筈だ。そんな彼に、いったい何の責任があると言うのか?

 

「はっきり言って、僕は他人というものが好きじゃない。興味ない物に対してはどこまでも冷淡で、普通の人間に対してとことん冷酷になる。それが僕だ」

 

 その様に創造主であるじゅーる・うぇるずに設定された。人類に貢献すれば、何世代も進歩させる頭脳と技術力を持ちながらも厭世的でナザリック以外の者には指一本も動かす気が無い科学者にて錬金術師。それがナグモというNPCだ。

 

「だから、クラスメイトがどうなろうと知った話ではないし、必要な情報が揃えばさっさと国を出て行く気だった。だからこそ、あの場では何も言わなかっただけだ」

 

 奇跡的にもナザリックがトータスに転移していたからナグモに確固とした目的ができたものの、そうでなければ図書館の蔵書を読み終えた時点で低脳な人間達の尖兵として働くなど真平ごめんと王国を去っていただろう。

 

「君一人に責任を取れ? 酷い勘違いだ。考えがあったにせよ、無かったにせよ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが、あの場にいた全員が出した結論だ。責任を問うならば、全員が等しく負うべきものだ」

 

 まあ、そもそも勝手に喚び出して半ば脅迫じみた内容で参加を促したのだから、そこまで考える必要は無いだろうが。そうナグモは締め括った。香織はいつになく饒舌なナグモをしばらくポカンと見つめていたが、やがてクスクスと笑い出した。

 

「アハハ……何それ? なんか無茶苦茶な理論だね」

「これ以上なく、論理的な結論だと思うが?」

「そう、かな? うん、頭の良い南雲くんの言う事だもん。きっとそうなんだよね」

 

 しばらく香織はおかしそうに笑う。先程までの悲嘆にくれた雰囲気は完全に消えていた。

 

「ねえ、南雲くん」

 

 ふと、何かを思い付いた様に香織はナグモに甘える様な目で見る。

 

「前に、私のストレス軽減に付き合ってくれるって言ったよね?」

「………確かに言ったな」

 

 じゃあ……と、香織は頬を赤らめながら、両手を広げる。

 

「………ギュッって、して下さい」

「何………?」

「ほ、ほら、さっき酷い事言われちゃったから、いつもみたいにお話しするだけじゃストレス解消にならないと思うのっ。ハグされると、副交感神経が優位になって落ち着くとか、なんか読んだ事があるしっ」

 

 それはキチンとした医学的根拠と言えるのか? とナグモは思ったが、香織の目を見るに、断ってもあれやこれやと理由を付けて実行する様に言ってくるだろう。そこに費やされる時間と労力を考えて、今はそうした方が得策か、と判断した。とりあえず、ナグモは軽く香織を抱き寄せた。

 

「んっ………」

 

 香織は気持ち良さそうに目を閉じながら、ナグモの胸板に頬擦りした。光輝の決闘ごっこに付き合わされているとはいえ、最近は戦闘訓練も頻繁に出る様になったからなのか、ナグモの身体は優男風の見た目とは裏腹に逞しくなったと香織は感じていた。

 なんとなく、ナグモは手持ち無沙汰になった手を香織の髪を撫でる様に梳く。サラサラとした絹の様な肌触りが手に感じられた。

 

「暖かい………」

 

 ナグモの胸に顔を埋めながら、夢見心地になった香織は———つい、思った事を口にしてしまった。

 

「南雲くん、自分の事を冷たい人間だなんて言ってるけど、そんな事無いよ。だって———()()()()()()()()()()()

 

 ピタッ、と香織の髪を撫でていたナグモの手が止まった。

 

「僕が………優しい? この僕が……優しい、だと………?」

「南雲くん?」

 

 カタカタ、とナグモの手が小刻みに震え出す。様子のおかしいナグモに、香織は顔を上げようとして———。

 

「え………?」

 

 瞬間、香織の意識は瞬く間に闇へと落ちていった。

 

 ***

 

 トサリ、と香織の身体がベッドの上に崩れ落ちる。まるで疲れ果ててそのまま眠ったかの様な格好となった。

 位階魔法・〈催眠(ヒプノティズム)〉。

 低位だが、相手を強制的に眠らせる魔法は香織の意識を瞬く間に夢の中へと連れ去っていた。それはナグモのステータスが香織を優に上回るからか、はたまたトータスの魔法よりユグドラシルの位階魔法が強力だからか。

 だが———ナグモにはそれを考える余裕など無かった。

 

「………………」

 

 数秒間、()()()()()()使()()()自分の手を見つめる。まるで予期しない誤作動を起こした機械を見る様な目で自分の手を見て、ようやく意識が再起動したナグモは足早に香織の部屋から立ち去った。

 召喚された女子達に割り当てられた区画を抜け、そのまま真っ直ぐに自分の部屋へと入った。バタン、と扉が乱暴に閉められ、鍵を閉めた後にようやくナグモは言葉を発した。

 

「僕が……僕が、優しいだって? 人間嫌いの僕が? じゅーる様にナザリックの技術研究所所長として創られた僕が? ありえない……」

 

 いつもの冷静さを欠き、酷く混乱した表情でナグモは呆然と呟く。エイトエッジ・アサシンやシャドーデーモンを王宮の諜報活動に割り当てていて良かった。こんなナザリックの第四階層守護者代理にあるまじき姿を、誰にも見られたくなかった。

 

(ありえない………至高の御方に………じゅーる様に、人間嫌いと定められた僕が優しいだなんて……それも、ナザリック外の人間相手に? そんなの……あっていい筈がない………!)

 

 では先程の行動は何だったのか? 混乱するナグモの思考に、冷静な声が響く。狼狽えながらも、ナグモのマルチタスクは正常に機能していた。

 香織が女子達に連れて行かれるのを見た時、何故こっそりと後をつけたのか? そして、何でわざわざ助けに入った? 

 

(それは………白崎は、重要な情報源で、一応は僕がカウンセリングを務めているから、勝手に壊されるのは、腹が立ったから………)

 

 ならばその後、泣いている香織を鬱陶しいと振り解かなかったのは? わざわざ部屋にまで送って、いつもの自分なら絶対にしない様な熱弁をしたのは? 香織から抱きしめて欲しいと言われて、それに応じたのは?

 

(それは………あの場を誰かに見られるのは面倒で、白崎の責任感は全く論理的ではなくて、断ると白崎を説得する時間が無駄だと感じた、から………?)

 

 そもそもの話。香織から情報収集をしていると言うが、最近はナザリックに役立つ様な情報を仕入れてないではないか。いかにそれなりの恩があるとはいえ、それは貴重な時間を使ってまでやる事だったか?

 

(それは……それ、は………)

 

 おかしい、噛み合わない、矛盾している、思考がチグハグだ。

 マルチタスクはもはや機能しておらず、ナグモの中で混線とした思考が飛び交う。胸の中で正体不明な騒めきが煩いぐらいに響く。

 それは以前のナグモならば、絶対に抱かなかった筈の感情。まだナグモがナザリックでガルガンチュアを操って侵入者の迎撃をした時も、そして突然の転生で地球の人間として他人を疎みながら生活していた時も、こんな脈絡の無い思考など絶対にしなかった。

 至高の御方から人間嫌いと設定され、人間を虫の様に踏み潰す事を是とするナザリックのNPCならば、抱く事の無い致命的な誤り(Fatal error)をナグモは自分の中に感じていた。

 

『ナグモ様。よろしいでしょうか?』

 

 カシャカシャと硬質な声が頭に響く。それが王宮を探らせていたエイトエッジ・アサシンの声だと気付くのに、数秒かかった。

 

『ナグモ様………?』

『………何でもない。何の用だ?』

 

 いつもならば間を置かずに反応してくるナグモの返事が遅れた事にエイトエッジ・アサシンは訝しむも、ナグモは即座に思考を切り替えていた。今は自分の事を考えている場合ではない。ナザリックの為、ひいては至高の御方であるモモンガの為に働かなくてはならない。

 

『はっ、人間達の情報を入手しました。それによると、ナグモ様を含めた人間の勇者一行は三日後にオルクス迷宮なる場所で実地訓練を行うそうです』

『………そうか』

 

 ふう、と今までの動揺を静める様に溜息を一つ吐く。その情報を基に、即座にナグモの中で作戦の指針が決まった。

 

『ならば、そこで僕の死亡偽装を行う。それに伴い、ハイリヒ王国並びに召喚された人間達の諜報活動はデミウルゴスに委任する』

 

 ギラリ、とナグモの眼に力が籠る。そこには召喚された勇者達の一人ではなく、ナザリック地下大墳墓の階層守護者としての意識に切り替えられていた。

 胸の騒めきは———もう、無い。

 

『………くだらない人間ゴッコも、これで終わりだ』




 カルマ値プラスならば、セバスの様に助ける事にあまり躊躇はしなかった。
 カルマ値マイナスならば、利用し尽くしてやろうと相手を骨の髄までしゃぶり尽くしていた。

 ではカルマ値ゼロなら? それなりに義理堅い性格の持ち主だったなら?


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第十一話「月下の語らい①」

 ちょっと展開がダラダラしてるな、とは自分でも思います。でも後に書きたい展開の為には必要だと思って書いています。自己満足で書いている展開の遅い小説ですが、読者の皆様は今しばらくお付き合いして下されば幸いです。


『ここは………何処?』

 

 気が付いたら、香織は闇の中にいた。見渡す限り灯りとなる物は何もなく、地面も何で出来ているか分からないが、黒一色。壁となる物は何も見当たらず、地平線の先まで闇が広がる空間に一人で立っていた。

 

『雫ちゃん! みんな! 何処にいるの!? 誰か、誰か返事して!』

 

 心細さから大声を出して辺りを見回す。だが、香織の声が響くだけで闇からは何の反応も無かった。ふと肌寒さを感じた。寒さから逃れようと、香織は腕を摩りながら縮こまる。

 

『寒い………暗いよ……寂しいよ……』

 

 肌が震える様な冷気は、香織の心に一層と寂寥感をもたらす。まるで闇夜に一人取り残された様な状況に、香織の目尻に涙が浮かぶ。自然と香織の口から、トータスに来てからよく話す様になった同級生の名前が出て来た。

 

『南雲くん………』

 

 ギュッと自分自身を抱き締める。彼に抱擁された時の暖かさは覚えている。あれは嬉しかった。まるで寒空の中の焚き火の様に心地良くて、香織は胸の鼓動が高まると共に心から休まった。あの後、気付いたら何故かベッドで横になっていたが、きっと泣き疲れて眠ってしまったのだろう。

 その後、彼とは直接会う機会が無くなった。

 

『会いたいよ………会いたいよぅ、南雲くん』

 

 クスン、クスンと香織の肩が震える。寂しさで涙が止まらなくなってきた。

 

 カツン、カツン———。

 

 不意に、香織の背後から足音が聞こえてきた。振り向くと、体型的にはこれといって特徴はなく、しかしその表情は理知的に引き締められた少年が歩いてくる。

 

『南雲くん!』

 

 パァっと香織の表情が明るくなる。ナグモは香織に向かって一定の速度で歩いて来ていた。香織は堪らず、歩いて来るナグモへと駆け寄った。

 

『良かった! ねえ、一体ここは———』

 

 何処なの? と聞こうとした香織だが、ナグモは聞こえていないかの様に歩みを止めない。そして———ナグモの身体が煙の様に香織を擦り抜けた。

 

『え………?』

 

 慌ててナグモの腕を掴もうとするが、まるで蜃気楼の様に香織の手が宙を掴んだ。呆然とする香織をよそに、ナグモは香織が見えてないかの様に通り過ぎていく。

 

『待って、お願い、待って!』

 

 ナグモの背中に向かって香織は走り出す。足を懸命に動かしている筈なのに、ナグモの背中はどんどんと遠ざかっていく。

 

『嫌! 行かないで! お願い、置いていかないで!』

 

 香織が必死に呼びかけるも、ナグモは振り向く事なく闇の中へと進んで行く。走っても、走ってもナグモとの距離は縮まる事なく逆に離されていく。とうとう香織の足が絡れて転倒してしまう。痛みを堪えながら、闇の中へと見えなくなっていくナグモに香織は泣きながら訴えた。

 

『私を……一人にしないで………』

 

 それでも追い掛けようと香織は立ち上がろうとして———突然、地面が崩れ、香織は底のない穴へ落ちていった。

 

『いやあああぁぁあああっ!!』

 

 ***

 

 

「———織、———香織!」

「あ………」

 

 自分を呼ぶ声がして、香織は目が覚めた。視界が明るくなっていき、自分を心配そうに見つめる親友の姿が目に映った。

 

「雫ちゃん………?」

「大丈夫? 凄い汗じゃない」

 

 寝起きのぼうっとした頭で辺りを見回す。見慣れた王宮の自室ではない部屋を見て、ようやく自分が何処にいるのか理解できた。

 

「そっか……ここ、ホルアドだっけ………」

 

 香織達は訓練として七大迷宮の一つであるオルクス大迷宮に挑む事になっていた。それは全百階層からなると言われ、階層が下に行くほどに強力な魔物が出るが、逆に浅い階層では大した魔物は居らず、冒険の初心者や新兵の訓練としてうってつけなのだと言う。ここはオルクス迷宮に挑む冒険者達の為に作られた宿場町・ホルアドの宿屋だ。先程に体験した事が夢だと分かり、香織は深い安堵の溜息を吐いた。

 

「良かった………」

「ねえ、香織。本当に大丈夫? 凄いうなされ方をしてたわよ。体調が悪いなら、メルドさんに言って明日は宿屋で待機していた方がいいんじゃ———」

「大丈夫だよ! 本当に、大丈夫! ちょっと悪い夢を見てただけだから」

 

 気遣わしそうに自分を見る雫に香織は安心させる様に微笑む。だが、雫はその笑顔を痛ましい物を見る様な顔になり、頭を下げた。

 

「ごめんなさい……」

「え? 雫ちゃん、急にどうしたの? 雫ちゃんが謝る事なんて———」

「香織は最近、無理をして笑う様になったわ。そこまで貴方が追い詰められているのに、私は何も出来なかった。それに、光輝のせいであんな事になっちゃって………」

 

 ギュッと香織の拳が膝の上で握られた。

 

「………雫ちゃんが悪いんじゃないよ。光輝くんが人の話を聞いてくれないのは、昔からだったよ」

 

 ナグモから抱きしめて貰った日———香織は何故か夜まで自室でぐっすりと眠ってしまっていた。目を覚ました後、ずっと気になっていた少年から抱きしめて貰えたのはもしかして夢だったんじゃないか、と香織は危惧したが、次の朝にはあれが現実だったと知る事が出来た。

 

 ただし、それは香織にとって最悪な形で、だ。

 

 朝食の席に行くと、クラスメイト達の間で『南雲は自分が高いステータスである事をダシにして、女子達を脅した』という噂が広がっていた。どうやら香織を罵倒した女子達が事実を歪曲して広めた様だ。涙ながらに、自分達は白崎さんとお話してただけなのに南雲が力で脅してきた、と話す三人の女子達の話をクラスメイト達は何も疑わずに信じた。そうでなくとも他人を寄せ付けようとしない南雲ハジメの評判は最悪なのだ。

 もちろん香織は誤解だと訴えた。彼は女子達と口論になってしまった自分を助けてくれただけだ、と。しかし、ここでまた光輝が邪魔をした。

 

『香織。南雲から脅されたのだろうけど、あんな奴を無理に庇う必要は無いよ』

 

 クラス中の女子が憧れる爽やかな———もはや香織には自分の正義を疑ってない薄っぺらな笑顔にしか見えない顔で、無実を訴える香織を否定した。

 

『あいつはやっぱり最悪な奴なんだ。たまたま得た力で我が物顔になって、暴力で相手を従わせる様な最低な人間だよ』

『違うの! 南雲くんは私を庇って、』

『そうなの! 南雲の奴に脅されたの!』

 

 あの場にいた女子生徒の一人が香織を遮る様にワッと泣き出す。両手で顔を覆い、同情を誘う様なしゃっくり声が上がった。

 

『私達、白崎さんに相談しようとしただけなのに、南雲が急に出てきて、自分が白崎さんと話したいからステータスの低い奴は引っ込んでろとか言い出して……! 止めようとしたんだけど、南雲が凄んできて……私、怖くて……!』

『泣かないで、もう大丈夫だ。あいつは俺が正す! 君達はもうあんな奴に怯えなくていいんだ』

 

 まるで聖人君子の様な顔で宣言する光輝に、親友である龍太郎もボキボキと拳を鳴らしながら頷いた。

 

『光輝、俺も手伝うぜ。女を平気で泣かせる様な腐った野郎は俺も許せねえ』

『龍太郎……ああ、一緒に南雲を懲らしめよう!』

『ちょっと、光輝! いくらなんでも一方的過ぎるわ! 香織の話もちゃんと———』

『雫は黙っていてくれ! これは誰かが、いや俺がやらなちゃいけない事なんだ! これ以上、あいつの好き勝手にさせるなんて間違っている!』

 

 雫が止めようとするも、ヒートアップした光輝は聞く耳を持たない。それどころか———。

 

『やっちゃえ、天乃河君! 南雲なんかぶっ飛ばしちゃえ!』

『頼むぜ、坂上! あの野郎をシメられるのはお前達しかいねえ!』

『任せてくれ! 皆の為にも、俺は南雲を必ず倒す!』

 

 周りのクラスメイト達もまるで光輝達をヒーローの様に讃えていた。彼等の声援を受けて、光輝は万雷の拍手を受けた舞台役者の様に力強く笑っていた。

 ———この熱狂には理由がある。光輝主催の自主練習は、確かに乗り気でない生徒達もいた。しかし、お互いに切磋琢磨していく中で自主練に参加した者同士である種の連帯感が生まれたのだ。それだけなら良かったのだが、同時に、自主練に参加しない者=クラスの皆で一致団結する中で足並みを揃えようとしない者、という図式が出来上がってしまっていた。

 自主練に参加した者は鍛えた分、ステータスをメキメキと上げていた為、尚更に参加しない者は怠け者と白い目で見る風潮が出来てしまったのだ。それが嫌で、参加回数に差はあるものの、ほとんどの生徒が自主練に一応は参加はしていた。そして当然というべきか、一度も参加していない(そもそも光輝が誘った事すら無い)ナグモを皆、目の敵にする様になったのだ。

 

『なん……で………? なんで、こんな事になってるの……?』

 

 だが、そんな事はナグモと一緒に自主練に参加しなかった香織に分かる筈がない。香織がナグモと共に非難されないのは、クラスメイト達の相談相手をやっている事、そしてひとえに二大女神と呼ばれる美少女だからだ。光輝を中心としたクラスメイト達の熱狂ぶりを理解できない香織だが、ふと光輝に泣き付いた女子生徒の顔が目に映った。彼女は光輝の後ろで、香織にだけ見える様に声を出さずに口だけ動かした。

 

『ザ マ ア ミ ロ』

 

 ———あの時の醜悪な顔は思い出すのも苦痛だ。光輝に迷惑していると言った彼女だが、キッチリと光輝のクラスの影響力を把握していた。だからこそ、光輝を利用する事であの日に彼女へ屈辱を与えたナグモと、彼が庇った香織に対して意趣返しをしたのだ。

 

 その後、雫の制止を聞かず、訓練場でナグモを待ち構えて光輝と龍太郎は()()を挑んだ。しかし、結果は散々だ。何故かいつも以上にイライラしていた様子のナグモに、二人纏めていつも以上に叩きのめされる羽目となった。

 騒ぎを聞きつけたメルドは勝手な模擬戦に怒髪天を衝き、光輝と龍太郎、ナグモは説教の後に自室謹慎。連帯責任としてその場にいた全員に食事抜きの罰が下された。その罰も、ナグモのせいだとクラスメイト達は憎悪を募らせていた。香織は光輝達が謹慎している間に誤解を解こうとしたが、光輝に泣き真似をした女子達は「余計な事をチクったら許さない」と言わんばかりに終始睨みをきかせ、何よりナグモが悪いで意見が統一したクラスメイト達は香織が脅されているのだという光輝の話を信じきっていた。唯一、話に耳を傾けてくれた雫も香織がまた虐められない様に、と側にいるしかなく、結果として香織はナグモとのお喋りという数少なかった憩いの時間すら失う事となったのであった。

 

「本当に……本当にごめんなさい。光輝は幼馴染だから、私の家の道場の門下生だから。そう思って今までフォローしてきたけど、結果的に光輝を増長させるだけだった。そんな事に、今更になって気付くなんて遅すぎるわよね」

「雫ちゃん………」

「ましてやそれが原因で、貴方を苦しめる事になるなんて……本当にごめんなさい」

 

 沈痛な顔で頭を下げ続ける雫に、いつも通りに大丈夫と言おうとした。だが、代わりに出てきたのは絞り出した様に震えた弱気な声だった。

 

「もう嫌………」

「香織………」

「ごめんね、雫ちゃん……でも、もう嫌なの。光輝くんも、龍太郎くんも、クラスの人達も。みんな、みんな、いつも私を頼るのに、私の話なんて聞かない人達ばかりで、もう嫌……!」

 

 ポロ、ポロ、と香織の目から涙が溢れる。辛いのは雫だって同じだ。それを分かっていても、香織は涙が止まらなかった。

 

 もう、限界だった。

 

 今まで、香織は光輝の幼馴染として、クラスの皆に頼られる優等生として、常に笑顔を絶やさず頑張ってきた。光輝が正義感を暴走させて揉め事を起こした時も、その仲裁役として上がった処理能力でクラス中の纏め役として頼られる様になった時も。

 だが、当の光輝はそんな香織を省みる事なく、新たな厄介事を引き起こし。一部のクラスメイト達はクラス中を笑顔で対応する香織を八方美人呼ばわりして嫌っていたのだ。そしてこの世界での唯一の癒しだったナグモとの面会まで取り上げられたのだ。もう香織の心は悲鳴で、壊れそうだった。

 

「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!」

「謝らないで、雫ちゃんが悪いわけじゃないから。悪いんじゃ、ないから……!」

 

 雫がギュッと抱きしめてくれたが、香織の涙は止まらない。その暖かさが、数日前にナグモがくれた物とは違う。そんな事をちょっぴり考えてしまった自分が嫌で、さらに暗い気持ちになる。

 そんな香織を見て、雫は何かを決心した様に頷いた。

 

「———待ってて、香織。いま、彼を連れて来るから」

「あ………」

 

 離れていく事に罪悪感を感じるが、雫は部屋から出て真っ直ぐと目当ての人物の部屋へ向かう。

 

(正直、香織からの話でもまだ半信半疑だわ。人嫌いで他人を疎ましそうにしてた彼が、香織には優しくてしてたなんて)

 

 だが、いま香織が必要としているのは彼に他ならない。既に多くの者が就寝している時間帯だが、毎夜勉学に励んでいた彼なら遅くまで起きている筈だ。

 雫は意を決して、目当ての人物———ナグモの部屋の戸を叩いた。

 

 

 

 

 




模擬戦場にて。

光輝「お前の横暴で香織を悲しませているんだ! 女の子を平気で泣かせる奴は俺が許さない!」
ナグモ「………………(プッツン)」

ナグモ「つい加減を誤った。反省も後悔もしてない」


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第十二話「月下の語らい②」

 展開が遅い事は自覚しているので、結構描写を端折ったつもりです。まだオルクス迷宮に入ってないけど……。


『———お渡ししたデータは以上となります。その情報を基に、派遣するシモベをお選び下さい』

『ふむ。分かった、すぐに調べて手配しよう。ところでこのマップは本当に正確なのだろうな?』

『はい。オルクス迷宮の二十階層までは王国の兵士の訓練場としても利用されている為、マッピングは怠ってないとの事です』

 

 ホルアドの宿屋の部屋で、ナグモは<伝言>でモモンガへ報告を行なっていた。幸いな事に自分だけ一人部屋を与えられた為、ナグモは周りの目を気にする事なくナザリックと連絡が取れた。

 

『お前が言っていた教会からの監視はどうだ? まだ見張りはついているか?』

『いえ、王宮を出た後は監視や尾行の類いは感じられません。念の為、エイトエッジ・アサシン達に警戒網を敷かせていますが、現在のところは彼等から不審人物の報告は上がっていません』

『そうか……だが、油断はするな。警戒を解かせてから一気呵成に攻めるのはPVPの基本だと、ぷにっと萌えさんも言っていたからな』

『かしこまりました。引き続き、警戒を続けます』

 

 淀みなく進む会話に、ナグモは久しぶりにスッキリした気分になる。

 

(やはり至高の御方は素晴らしい。低脳な人間達と違って、視野を広く持たれている)

 

 つい先日、少し考えれば嘘だと分かる様な情報を鵜呑みにして自分を攻撃してきた愚かな人間達の事が少しだけ意識に上がる。人間というのはやはり愚劣で、低脳な者達ばかりだ。そんな人間達に優しくなど、出来よう筈がない。

 

(……そうだ、だからあれは気の迷いだ。そうでなければ、白崎の考えが間違っていただけだ。じゅーる様に人間嫌いと定められた僕が人間に優しいなど、白崎はストレスで思考が正常でなかったに違いない)

 

 仮に自分が優しく接する事が出来る人間がいるとするなら、ナザリックに所属するもう一人の人間———オーレオール・オメガだけだろう、とナグモは思う。ナグモは直接の面識は無いが、第八階層で聖域を守護するというNPCは、至高の御方が手掛けて生み出された存在なのだから、クラスメイト達みたいな低俗な思考はしない筈だ。きっと至高の御方に創られただけあって、素晴らしい人間に違いない。

 ———もしも冷静な第三者がいれば、ナグモの思考のおかしさを指摘しただろう。

 いかにナザリックの同士とはいえ、何故会った事もない人相手にそこまで高評価をしているのか? 普段のナグモなら、興味は出ても自分の目で見てから最終的な評価をした筈だ。まるで自分がそう思いたいかの様に、ナグモは結論付けていた。何よりも———。

 

(よって、僕が人間に優しいなど勘違いも甚しい。白崎の見解は全くもって正しくない)

 

 何故、そこまで香織から言われた事にムキになっているのか? その思考のおかしさにナグモは気付こうとせず、またそれを指摘する人間はそこにいなかった。

 

『では後は———』

 

 コン、コン、コン。

 

 ノッカーの音が部屋に響く。ナグモは顔を顰めながら無視しようとした。

 

 コン、コン、コン! コン、コン、コン!

 

『………申し訳ありません、モモンガ様。また後ほどにお掛け直しいたします』

 

 御方に断りを入れて<伝言>を切り、ナグモは部屋のドアを開けた。そこには雫がどこか焦燥した顔で立っていた。

 

「南雲くん」

「こんな夜更けに何の用だ? 僕はもう休もうと思っていたところだが?」

 

 至高の御方との対話の邪魔された事で、不機嫌な声色を隠さずにナグモは雫を睨む。しかし、雫はそんなナグモの対応など気にも留めない様にナグモの手を掴んだ。

 

「香織が大変なの。お願い、すぐに来て」

「いや、待て。僕は———」

 

 返事を聞かずに引っ張っていく雫に面食らい、ナグモはされるがままに外へと連れ出されていた。

 

 ***

 

「南雲、くん………?」

 

 香織をお願い。そう言って、雫が外に出た事でナグモは香織と部屋で二人きりにされていた。ベッドの上に腰掛けていた香織は、いつもよりも小さく見えた。それまで暗く沈んだ顔をしていた香織だが、ナグモの姿を見た途端、パァと顔を輝かせて抱きついてきた。

 

「う………」

「えへへ……やっぱり温かいね」

 

 まるで無防備な猫の様に甘えてくる香織に、ナグモはまたも正体不明な胸の騒めきを感じた。先程まで人間は下等だと断じていた筈の思考にノイズが走る。

 

「とりあえず、離れて欲しい。これでは話も出来ない」

「あ……ご、ごめんね! つい興奮しちゃって!」

 

 ようやく自分がどういう状況か理解できたのか、香織は顔を真っ赤にしながらナグモからパッと離れた。そこでようやくナグモはじっくりと香織を観察できた。

 

(………これは酷いな。化粧で誤魔化したつもりだろうが、目元の隈も肌荒れも全く隠せてない。心なしか少し痩せたな。一体、どれほどストレスを溜め込んでいたのやら)

 

 何が原因か、など聞くまでも無い。あの勇者という名の愚物は、香織の精神に決定的なダメージを与えたらしい。あそこまで馬鹿を極められるなら、一周回って貴重では無いか? などとナグモは考えていた。

 

「ずっと会えなかったんだもの。もう嬉しくて……」

「大袈裟な。たかが三日間、謹慎していただけだというのに」

「だって、あれ以来、南雲くんと会えなかったのは寂しかったんだよ」

 

(っ、まただ………)

 

 はにかむ香織を見ていると、どうにも胸が騒つく。今まで感じた事の無い感情の正体が分からず、ナグモの心に動揺が広がる。

 

「……ごめんね。私がクラスの皆を説得出来なかったせいで、南雲くんが悪い事になっちゃって」

「……君の責任ではない。僕は彼等から評価されたいと思っても無いしな」

 

 沈痛な顔で謝る香織に、ナグモは動揺が知られない様に努めて平静な声を出した。香織はふるふると首を横に振る。

 

「ううん。クラスの人達は光輝くんが煽ったせいで誤解しているんだよ。ナグモくんは本当は優しい人なのに」

「———よせ。僕は人に対して優しくしよう、などと思った事はない」

 

 そういう風にじゅーる・うぇるずに創られた。それが誇りだった。だからこそ、地球にいた時も他人を寄せ付けない様に振る舞った。創作者の設定通りに動かないという事は、ナグモに自分自身はおろかじゅーるの事すらも否定している様な強い拒絶感を与えていた。

 だが、香織はそんなナグモの内心を知らず、微笑んだ。

 

「そんな事ないよ。少なくとも、私にとっては南雲くんは不器用だけど、優しい人だったもの。………二年前のあの日から」

「二年、前……?」

 

 何の事か分からず疑問符を浮かべるナグモを他所に、香織は思い出のアルバムを捲る様に目を閉じた。

 

「二年前……私はね、道で恐そうな男の人に絡まれた小学生の子に会ったの。お前のアイスで服が汚れた、親を呼べ、とか、弁償しろとか怒鳴っていた人に。私ね、怖かったけどその男の人を宥めようとしたんだ」

「………随分と無謀な事をしたな」

「あはは……本当にね。小学生の子が可哀想だったし、光輝くんの後始末でよく人を宥めたりしてたから、ちゃんと謝れば許してくれる、なんて思っちゃったんだ」

 

 ある意味、若さ故の無謀と言えるだろう。それまで香織の周りにいたのは、話の分かるしっかりとした大人ばかりだったというのもある。しかし、その時ばかりはそうはいかなかった。

 

「そうしたら男の人は、今度は私に目を付けてきたんだ。じゃあ代わりにお前が弁償しろ、金で払えないなら……って」

 

 その時の恐怖を思い出したのか、香織はギュッと自分の腕を抱き締めた。香織は二大女神と呼ばれる様な美少女だ。中学生の時から既にその美しさは変わらなかったのだろう。

 

「私、怖くなって声が出なくて……周りの人達を見たけど、みんな関わりたくないという風に足早に通り過ぎていったの」

 

 誰だって好き好んで厄介事に首を突っ込もうとはしない。いかに絡まれているのが美少女であっても、ガラの悪そうな相手に立ち向かう勇気を見ず知らずの相手に強要するのは酷だ。ドラマの様に上手くはいかない。しかし———。

 

「そんな時だよ。南雲くんが助けてくれたのは」

 

『おい、ド低脳。往来の邪魔だ。吠えるなら檻の中でやれ』

 

 相手をまるで人間扱いしていない冷たい声が響く。恐怖で縮こまっていた香織が目を向けると、自分と同年代くらいの男の子が、虫を見る様な目付きでガラの悪い男を睨んでいた。

 当然、男はナグモに噛み付いた。俺は服が汚された弁償を女に求めてるだけだの、関係の無い奴は引っ込んでろだの、と騒ぐ男にナグモはハァ、と溜息をつく。

 

『黙って聞いてやっていれば、ごちゃごちゃと……。安物の服程度で騒ぐな。大体、お前の様な猿以下の頭脳で服を着ている方が間違いだ。大人しく野にでも帰れ』

 

 もちろん、このあまりな物言いは男の怒りに油を注いだ。それまで迫っていた香織を突き飛ばした男は、ナグモへと殴りかかる。香織は地面へ転がった痛みに顔を顰めながらも、助けに入った少年が殴られる未来を想像してギュッと目を閉じた。

 だが、その想像はすぐに裏切られた。

 まるで虫を払うかの様な動作で男は吹っ飛ばされ、近くの電柱に頭を打ち付けて気絶した。

 

『まったく、これだから低脳な人間は……』

 

 ぶつぶつと呟きながら、汚い物を拭き取るかの様にハンカチで殴った手を拭うナグモ。そんな背中に香織は一応、礼を言おうとした。

 

『あ、あの………ありがとうございま、痛っ」

 

 立ち上がろうとした香織だが、足の痛みに顔を顰めた。見れば、突き飛ばされた衝撃で擦りむいたのか、膝から血が流れていた。

 

『………………』

 

 香織に呼び止められ、無機質な目を向けていたナグモ。ややあってから、手にしたハンカチをあっさりと破り、即席の包帯を作って香織の傷を塞いだ。

 

『え? あ、あの、』

『動くな。傷が広がる』

 

 幼馴染の光輝以外で、初めて異性に間近に寄られた事でドギマギする香織を余所にナグモは澱みの無い手付きで止血処理を行う。ある程度の処置が終わったところで、とうとう見過ごせなくなった通行人が通報したのか、遠くから警察官がおっとり刀で駆けつけて来ていた。

 

『ちっ、騒ぎになると面倒だな。後の治療はあれらにして貰え』

『ま、待って! せめて名前だけでも!』

 

 香織が呼び止めるも、ナグモはさっさと立ち去り、やがてその背中は雑踏に消えていった。

 

「———だからね、高校で同じクラスになれた時は嬉しかったんだよ。一目で分かったんだ、あの時の男の子だ、って」

 

 香織の思い出話が終わり、ナグモは何かを考え込むかの様に口元を押さえていた。その姿を見て、香織は自分の思いを再確認した。

 ああ、そうだ。きっかけは本当にドラマの様に出来過ぎていて、単純な事だったんだ。あの時に助けられたのがきっかけで、目の前の男の子をもっと知りたいと思ったのだ。学校で他人を寄せ付けない態度を取っていたのを見ても、香織には人への接し方がすごく不器用なだけに見えたのだ。

 そして、トータスに来てから自分へ常に寄り添ってくれたこの少年を、自分は———。

 

「南雲くん。私は貴方の事が、」

「白崎」

 

 胸の想いを語ろうとした香織だが、ナグモは遮る様に口を開いた。その表情は、いつも以上に無表情だった。

 

「明日、君は残れ。その体調では致命的なミスをしかねない」

「え? そんな、どうして………」

 

 急な発言に香織は戸惑う。しかし、ナグモはそんな香織を無視するかの様に言葉を続けた。

 

「そうでなくとも、君はもはや八重樫雫以外のクラスの人間達を快く思っては無いだろう。そんな人間に背中を預けながら戦うのは、君に更なるストレスをかける」

「南雲くん……でも……」

「あるいは、いっそ神の使徒など辞めてしまえ。王国や教会は所詮、召喚された人間達の事など便利な手駒ぐらいにしか考えていない」

「そんな……そんな事をしたら、私はトータスで住む家も食事も無くなっちゃうよ?」

「ヘルシャー帝国にでも行け。あるいはアンカジ公国でもいいかもな。君はトータスでも貴重な治療師だ。どこに行っても、仕事には困らないだろう」

 

 まるで説き伏せる様な言い方をするナグモに、香織は少し想像してしまった。先日の一件で、光輝を始めとしたクラスメイト達の印象は香織の中で悪い方に変化していた。むしろ嫌いになったと言ってもいい。だから、もしも。もしも、親友である雫と目の前の少年と一緒にこの国を出て、冒険に出れるなら———。

 

「ねえ………もしも私が雫ちゃんと一緒にどこかに行きたいと言ったら、南雲くんも来てくれる?」

「………今日はもう休め」

 

 どこか期待する様な目で見てくる香織に、それだけ言うとナグモは背を向けた。背後で香織が寂しそうな目を向けてきたが、ナグモは気付かないフリをして部屋を出た。

 

 ***

 

「勘違いだ………」

 

 自分の部屋のドアを閉めてから、ナグモはポツリと独白した。

 

「全くもって勘違いだ、白崎。僕にそんな意図など無い」

 

 香織の言っていた二年前。ナグモはナザリックに帰還できず、自分が低脳と見下す人間達に囲まれて生活していた事で鬱屈した毎日を過ごしていた。そんな折に、図書館からの帰り道で白崎達に遭遇した。一瞬、回り道をしようと考えたが、低脳な人間の為にそうするのが癪で通り道に邪魔だった人間を払い飛ばしたに過ぎない。香織の治療をしたのも、低脳という言葉すら勿体ない様な人間に触れた手を洗ったハンカチを捨てたくて、ちょうど良い廃棄場所として処置したに過ぎない。

 

(結局、白崎は最初から最後まで勘違いしていたに過ぎない。吊橋効果か何か知らないが、僕に対して間違った印象を抱いていただけだ)

 

 そうだ、だから自分はじゅーるが設定した通りの人間嫌いな人間だ。……そう、思い込もうとしていた。

 

 では、さっき白崎にオルクス迷宮に行くのを止めさせようとしたり、他の国に行く様に勧めたのは?

 

 ナグモの冷静な思考が問いかけてくる。明日、自分がオルクス迷宮で死を偽装したら、ハイリヒ王国へは代わりにデミウルゴスが諜報活動にあたる事になっていた。ナザリックで指折りの悪魔的な頭脳を持つあの悪魔ならば、コミュニケーション能力に著しく問題のある自分よりも数段上手く、至高の御方の為に任務を遂行するだろう———その過程で、王国は人間達にとっての地獄が顕現するだろうが。そこへ見知った顔がいる事にナグモは罪悪感も後悔も湧かないが、香織もいる事に何故か良い気分がしない自分に気付いてしまった。なにより、明日の作戦は下手をすれば———。

 

(………この際だ。業腹だが、認めよう。僕は人間嫌いと定められた身でありながら、白崎香織(あの人間)に対しては例外視している)

 

 それが何と呼ぶべき感情か、ナグモには分からない。人と関わろうとしてこなかった彼には、自分の感じている胸の騒めきの正体の知識が無かった。

 

(だが………だから何だ?)

 

 ナグモはモモンガへの<伝言>を再び繋ぎ直した。

 

『申し訳ありません。少し、人間に呼び出されていました』

『何かトラブルでもあったか? ならば明日の作戦は中止に———』

『いいえ、何も』

 

 モモンガに先んずる様に、ナグモは断言した。

 

『何も、何もありません。至高の御身であるモモンガ様の妨げになる事など、何一つあり得ません』

 

(僕はナザリック地下大墳墓の第四階層守護者代理、ナグモ。じゅーる様に創造して頂き、今はモモンガ様に忠誠を尽くす身)

 

『……? まあ、いい。ならば改めて命じよう、ナグモよ』

 

 いつも以上に硬く、無機質なナグモの声にモモンガは疑問に思ったが、違和感をひとまず置いて命令する。ナグモの目にギラリと力が籠る。

 

(至高の御方に比べれば、僕の感情に価値など———無い)

 

『オルクス迷宮でナザリックのシモベを使って、勇者一行に強襲をかける。お前は激戦の最中、勇者達の殿を買って出て———その果てに、死亡した様に見せかけるのだ』

『畏まりました。僕の全ては、至高の御方の為に………』




>白崎さんがナグモに惚れた理由

 ある意味、これは原作無視になったかもしれません。白崎さんが南雲ハジメに惚れたのは、弱くても相手に立ち向かえる勇気であって、ナグモの様に強くて力で解決する人間は当て嵌まらないですから。

>モモンガ様の作戦

 マッチポンプはオーバーロードの基本ですよ?


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第十三話「オルクス迷宮へ」

 さて……ナグモと香織には今まで甘い体験をさせてきました。
 なので、そろそろ絶望させようと思います。


「本当に大丈夫? やっぱりメルドさんに言って、今日は休んでいた方が良いんじゃ———」

「ううん、大丈夫だよ。雫ちゃんと南雲くんも行くんだもの。私だけ休んでなんかいられないよ」

 

 翌日、香織はオルクス迷宮の入り口にいた。まるで博物館の入り口の様に整備された受付で、メルドが迷宮での注意事項を話しているのを聞きながら生徒達の後ろでこっそりと雫が話し掛けていた。

 

「でも………」

「本当に大丈夫だって。雫ちゃんや南雲くんみたいな強い人がいれば、怖いもの無しだよ」

 

 心配そうな雫に香織はいつもの様な無理をした笑顔ではなく、相手を信頼した本当の笑顔で微笑む。

 結局、香織はオルクス迷宮に行く事にした。皆が頑張る中で自分だけ休むのは気が引けた、というのもある。だが、一番の理由は自分が大好きな二人が自分の預かり知らない所で怪我をしたら嫌だからだ。

 

「———よし、俺からの話は以上だ! お前ら、気を引き締めていけよ!」

「ほら、行こう、雫ちゃん」

「ええ………」

 

 メルドの話が終わり、生徒達はあらかじめ決められたパーティに従って隊列を組み始める。未だに気乗りしない様子の雫と共に、香織も決められた隊列へ向かう。

 

「あ、南雲くん♪」

 

 一人だけ周りのパーティから距離を置いたナグモを見つけ、香織は笑顔で近寄った。彼は戦場へ向かうとは思えない様な軽装で、王宮の宝物庫から支給された銀色に輝くメイスを腰から吊り下げていた。

 

「今日はよろしくね! 私、頑張るから!」

「………ああ」

 

 昨日の弱気な姿を払拭させようと、香織は空元気と自覚しながらも力強く笑った。それに対し、ナグモはいつも以上に硬い無表情で短く返事をする。その姿に香織に少し緊張がはしる。

 

「その………やっぱり、怒って———」

「香織! 雫! 南雲はほっといて、早く行こう!」

 

 昨日の忠告を無視した形になって怒っているのか、と聞こうとした香織だが、前方から光輝の不機嫌な声が響いた。

 クラスの中でもナグモを除けばトップクラスのステータスと天職の香織達は、勇者の光輝と共に最前列のパーティに配属されていた。それに対して、ステータスは高いが誰からも敬遠されていたナグモは遊撃要員として状況を見ながら前衛や後衛を行ったり来たりする様に指示されていたのだ。

 

「………ごめんね。もうちょっとお話ししたいけど、また後でね」

 

 正直、もう光輝と一緒にいるのは嫌だが、これから命懸けの訓練をするのにそんな我儘は言ってられない。香織はナグモに軽く頭を下げると、雫を連れて光輝と龍太郎の所へ向かった。

 

「………忠告はしたぞ」

「え………?」

 

 無機質な声に香織は振り向くが、ナグモは振り返る事なく後方へと歩いて行っていた。

 

 ***

 

 ハイリヒ王国の騎士団長であり、神の使徒達の戦闘教官を任されたメルド・ロギンスは生徒達の様子を見て何度目になるか分からない重い溜息を吐いた。

 とはいえ、それは彼等が弱過ぎるからという理由ではない。実際のところ、生徒達は自由時間にも自主練をしているというだけあって、ステータスは既にメルドに迫る者が多い。道中の魔物も彼等には全く歯が立たず、オーバーキルな火力で魔石ごと魔物を灰にしてしまった以外は戦闘面で文句は無い。彼の溜息の原因は別にある。

 

(何だ……この空気の緩さは?)

 

 今は倒した魔物から魔石を取り出す為の解体のやり方を騎士団員達が各パーティに付いてレクチャーしていた。しかし、生徒達はまるで遊びか何かの様にワーワーキャーキャーと騒ぎながら解体作業をしていた。魔物とはいえ命を奪った、という事実に真剣さはほとんどの生徒に見られず、ともすれば解体した魔物の腸を見せびらかす様に引き摺り出している者までいる始末だ。気持ち悪そうな顔で魔物の死体を触ろうともしない生徒の方がまだマシに見える。

 

(愛子から彼等は戦争とは無縁な国で生まれ育ったと聞いたが、これ程とは………)

 

 トータスでは戦士階級に生まれなくても、ある程度の戦闘訓練は子供の内に行われる。これは長く魔人族との戦争が続き、辺境であっても魔物の脅威に晒され続けている故に自衛をする為に必要だからだ。農民であっても、鉈や斧で害獣や魔物を捌く事で殺し方を学びながら育つ。その為、メルドも無意識のうちに戦争とは無縁と言ってもそのくらいはやれるだろうと考えてしまった。

 

(これではまるで甘やかされて育った貴族の子弟……いや、それ以下ではないか)

 

 然もありなん、彼等の内の大半は異世界に来るまで喧嘩の仕方すら知らないし、ともすれば料理の為に包丁すら持った事も無い者までいる始末だ。そんな彼等が突然、チートパワーを得たのだ。これまでの戦闘が楽勝だったという事もあって、全員に弛緩した空気が流れていた。

 

(一応、雫や香織、重吾や浩介みたいに真剣に取り組んでいる者もいるが………こうなると、今後はどう指導したものかな?)

 

 メルドの教育方針は褒めて伸ばす、だ。褒められて自信を持って貰った方が訓練に前向きになるだろうし、そうすれば指導する側もやり易くなる。しかし、今回は悪い結果になりそうだ。先日、自分が見てない所で勝手な模擬戦をやった光輝といい、生徒達にはもう少し厳しくすべきだったかもしれないとメルドは後悔し始めた。

 

(そういえば、ハジメの方は———)

 

 最初は無能と蔑まれながらも、今や神の使徒の中で最強のステータスの錬成師の様子を見ると、既に割り当てられた魔物の解体を終えていた。綺麗に腑分けされた魔物の死体を余所に、何やら迷宮の壁を調べる様に手を当てていた。

 

(こ、こいつ、本当にあれこれと能力が高いな! 道中も戦闘に全く動じてなかったが………)

 

 後はコミュニケーション能力皆無な性格さえ、どうにかなればなぁと思いつつ、メルドはナグモに話し掛ける。

 

「ハジメ、何をやっているんだ?」

「………ロギンス騎士団長、聞きたい事がある」

 

 生徒達が「メルドさん」と慕う中、唯一人、馴れ合う気は無いと言わんばかりのいつもの態度でナグモは振り向いた。

 

「この迷宮には鉱石や貴金属を始めとしたいくつもの鉱脈がある。何故それを国は掘り返さない?」

「お前、そんな事が分かるのか?」

「僕は錬成師。鉱物については触れていれば分かる」

 

 そうなのか? と思いつつも、そういえばありふれた生産職でも神の使徒だったな、と思い直す。彼には普通の錬成師では無理な芸当も可能なのだろう。

 

「………確かに、以前から地質学者の天職を持った連中が、オルクス迷宮には掘り起こしてない鉱脈がある、とは指摘はしていた。でもな、ハジメ。それを採掘するには、コストが見合わないと結論が出たんだ」

 

 何せ場所は魔物が蔓延る迷宮の中。普通の人間では餌食になり、鉱夫の護衛として冒険者や兵士をつければこれまた莫大な人件費がかかる。そうでなくとも、迷宮にはごく稀に悪辣なトラップが出て来るのだ。そうなると鉱夫達を雇うには「命の危険など惜しく無い!」と言わせる額を提示しなくてはならず、結果的にそこまで人件費をかけてまでやる必要は無し、と結論付けられたのだ。

 

「他にも、オルクス迷宮には数年に一度、大災厄と呼ばれる現象が起きるしな」

「大災厄とは?」

「魔物が大量発生する現象だ。しかも浅い階層でも普段より強力な魔物が出るとまで来た。学者連中に言わせれば、古い血を瀉血する様に迷宮が魔物を排出してるんじゃないか? と議論されてるが、詳しい事は分からずじまいだ。そうなると金ランクの冒険者を雇ってどうにかして貰うしかないしな」

 

 まあ、最後の大災厄は一年少し前だったから、お前達が遭遇する事は無いだろう。そう締め括ってメルドは他の生徒の様子を見に、ナグモから離れていった。

 

「………成る程。実に、有益な情報だ」

 

 ポツリと漏らしたナグモの独白は、誰にも聞かれていなかった。

 

 ***

 

「万翔羽ばたき、天へと至れ――〝天翔閃〟!」

 

 光輝の聖剣が強烈な光が放出され、袈裟斬りに振った剣から光の斬撃が放たれた。斬撃はロックマウントと呼ばれた魔物を斬り裂くに留まらず、貫通して奥の壁に深い亀裂を生じさせた。

 

「ふぅ、みんな、もう大丈、へぶぅ!?」

「この馬鹿者が! こんな狭いところで使う技じゃないだろうが! 崩落でもしたらどうすんだ!」

 

 香織達を怯えさせた(と光輝には見えていた)魔物を倒して、爽やかな笑みを向けようとした光輝だが、その頭にメルドの拳骨が落とされた。そんな光輝をドンマイ、と龍太郎が慰める中、香織はそれに気付いた。

 

「……あれ、何かな? キラキラしてる……」

 

 その言葉に、全員が香織の指差す方へ目を向けた。

 光輝が切り崩した岩盤の上方。そこには青白く発光する鉱物が花咲くように壁から生えていた。今までテレビでしか見た事の無い様な綺麗な宝石に香織を含め女子達は夢見るように、うっとりした表情になった。

 

「ほぉ~、あれはグランツ鉱石だな。大きさも中々だ。こんな浅い階層に珍しいな」

 

 その涼やかな色合いは貴族の令嬢や貴婦人に人気で、加工された装飾品は贈り物として大変喜ばれるのだとか。そんなメルドの説明を聞きながら、あれを南雲くんに贈って貰えたら……なんて、香織は乙女チックな想像に浸っていた。

 

「だったら俺達で回収しようぜ!」

 

 唐突に檜山が動き出す。彼は軽戦士としての身軽さを駆使して崩れた壁をヒョイ、ヒョイと登っていく。

 

「おい、勝手な事はするな! すぐに戻れ!」

チッ、うるせえな……ダイジョーブっすよ、俺こういうの得意なんで!」

「そういう問題じゃない! 安全確認もしてないんだぞ!」

 

 メルドの鋭い叱責を聞こえないふりをしながら、檜山はグランツ鉱石へと手を伸ばした。その直前、罠を見破るマジックアイテムでグランツ鉱石を確認していた騎士団員の焦った声が響く。

 

「団長! あれはトラップです!」

 

 遅かった。メルドが撤退の指示を出す前に、鉱石に触れた檜山を中心に転移の魔法陣が展開される。あっという間に騎士団員達と生徒達は光に包まれ、別の場所へと転移させられた。

 転移した場所は、巨大な石造りの橋の上だった。ざっと百メートルはありそうだ。天井も高く二十メートルはあるだろう。橋の下は川などなく、全く何も見えない深淵の如き闇が広がっていた。まさに落ちれば奈落の底といった様子だ。不幸中の幸いか、メルド達の後ろ側には上の階層への階段が見えた。

 

「お前達! 直ぐに立ち上がって、あの階段の場所まで行け! 急げ!」

 

 未だに尻餅をついたままの生徒達に発破をかけ、撤退を開始する。しかし、すぐにその場に立ち止まる事になった。迷宮の奥側の橋から魔法陣が現れ、巨大な魔力と共に一体の魔物が姿を現す。その姿を見た途端、メルドの口から絶望の呟きが漏れた。

 

「まさか……ベヒモス……なのか……」

 

 さらに追い討ちをかける様に、階段側からも魔法陣が現れ、続々と骸骨姿の魔物が姿を見せた。

 

「こっちはトラウムソルジャーか!? いや……あれは……!」

 

 それはメルドの知る骸骨剣士の魔物とは姿が異なっていた。体長は二メートルは超えており、着ている鎧は悪魔の様な角や棘が装飾に施さられていた。傷口を無惨に引き裂く為の波打つ大剣と、全身をすっぽりと覆い隠せる様なタワーシールドを身に付け、腐り落ちた人間の顔からは生者への憎しみで赤々とした光が眼窩から燃えていた。

 

「オオオァァァアアアアアア――!!」

 

 死の騎士と呼ぶに相応しい魔物達が吠える。

 その姿を見て、ナグモはゆっくりとメイスを構えた。

 

 

 



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第十四話「奈落へと落ちる」

 この展開を……この展開をずっと書きたかった!(やり切った顔)


(どういう事だ………?)

 

 目の前の骸骨騎士と打ち合いながら、ナグモは思考する。周りではクラスメイト達が我先にと逃げ出そうとしたり、滅茶苦茶に武器を振り回したりと大混乱になっていたが、ナグモは全く気にせずに思考を巡らした。

 

(モモンガ様の御計画では、二十階層からの帰り道で襲撃が行われる筈だ。転移トラップなど聞いてなかったが………)

 

 そもそもトラップとして仕掛けられたグランツ鉱石自体が、光輝が偶然攻撃したから出てきたものだ。この時点で疑問に思うべきだったが、それでも作戦の一環なのかと思って大人しく転移されてみた。するとデス・ナイトに酷似した魔物が大量に出てきたので、ナグモはこれこそがモモンガの派遣したシモベかと思ったが、すぐに疑念に変わっていた。

 

(………弱い。弱過ぎる。召喚されるデス・ナイトのレベルは三十五の筈だ。いくらなんでも、ここまで非力な筈がない)

 

 ナグモの目から見ればゆっくりと振り下ろされる剣を受けてみれば、あまりにも貧弱な力がメイスを通して感じられた。ユグドラシルのレベル換算では二十にも満たないだろう。

 

(とすれば、これはこの世界の魔物か)

 

 ナグモには目の前の魔物に心当たりがあった。

 トラウムナイト。

 トラウムソルジャーの上位個体であり、オルクス迷宮では四十階層から出現する。ナグモは今回の作戦の為に、現在まで判明しているオルクス迷宮のマップや出現する魔物を徹底的に調べ上げ、ナザリックのシモベと近似した魔物をリストアップしてモモンガに渡していた。勇者達を襲うシモベが、ナザリックの存在だとバレない様にする偽装工作の一環だ。

 

(トラウムナイトも見た目はデス・ナイトによく似てるから丁度良いと思って候補にあげたが……)

 

 手加減を止めて、目の前の魔物の頭をカチ割る。デス・ナイトならば致命的な一撃を受けても一度は耐えられる筈だが、目の前の魔物はあっさりと動かなくなった。

 

(やはりこれはナザリックのシモベではないな。あのベヒモスという魔物に至ってはリストに上げた覚えもない………しまったな、無駄足を食ってるわけか)

 

 ここにきて、ようやくナグモは自分の見当違いに気付いた。至急、迎えに寄越された筈のナザリックの者と連絡を取りたいが、教会からの監視に警戒せよと厳命されたナグモは万が一の為に<伝言>の遣り取りすら聞かれない様に、来ているナザリックの者が誰なのかすら聞かない様にしていた。それが完全に裏目に出てしまった様だ。

 

(となれば………もはやコイツらには用はない。さっさと倒して、本来の合流ポイントに行かなくては)

 

 ナグモは手加減を止めて———ただし、あくまで召喚された神の使徒の範疇で———魔力を解放させてデス・ナイトモドキ達の掃討に掛かった。

 

 ***

 

 

「ええい、くそ! もうもたんぞ! 光輝、早く撤退しろ! お前達も早く行け!」

「嫌です! メルドさん達を置いていくわけには行きません! 絶対、皆で生き残るんです!」

「くっ、こんな時にわがままを……!」

 

 メルドは騎士達が張った障壁をギシギシと嫌な音を立てるのを聞きながら歯噛みする。相手はかつてこの国最強と言われた冒険者達でも歯が立たなかったベヒモスだ。いかに神の使徒といっても、今の光輝達には荷が重過ぎる。だからこそ自分達が殿をしている間に撤退して貰おうと思っているのだが、勇者として見捨てるわけにいかない! と正義感を暴走させていた。その結果、使用時間に制限のある巻物(スクロール)で稼いだ貴重な時間を無駄な言い争いで過ごしていた。

 

「へっ、光輝の無茶は今に始まったことじゃねぇだろ? 付き合うぜ、光輝!」

「龍太郎……ありがとな」

 

 しかも親友である龍太郎までもが同調してしまい、光輝は尚更に不退転の決意を固めてしまっていた。状況を全く見ようともしない二人に雫は怒鳴り声を上げる。

 

「状況に酔ってんじゃないわよ! この馬鹿ども!」

「大丈夫だ、雫! 皆で力を合わせれば、あんなモンスターくらい———」

 

 パンッ!

 

 いつもの様に爽やかな笑みを浮かべていた光輝だが、その頬が突然張り倒される。香織は平手を大きく振りかぶったまま、光輝へ怒鳴った。

 

「いい加減にして! 光輝くんの我儘のせいで、メルドさん達に迷惑をかけてるのが分からないの!?」

「か、香織……何を言っているんだ、俺はメルドさんを助けようと、」

「助けになんてなってない!」

 

 清楚で大人しかった()()の幼馴染の姿に光輝は呆然とするも、香織は怒りの表情で骸骨騎士の大群に入り乱れて戦っているクラスメイト達を指刺した。

 

「あれを見て! 皆が大変なんだよ! 皆のリーダーだって言い張るなら、ちゃんと後ろを見て! どうして光輝くんはいつも自分の事ばかりで周りを見ないの!? 皆が迷惑しても知らん顔してるの!?」

「香織………」

 

 香織の光輝に対する我慢は今ので限界を迎えてしまった。雫はそんな状況じゃないと知りながらも胸を痛めた。そして未だに呆然としている光輝に説得する様に言い放った。

 

「光輝、ここはメルドさん達に任せて皆の所に向かいましょう。骸骨騎士達を倒した方が、皆の撤退もスムーズに……え、何?」

 

 雫が困惑した声を上げる。雫達が見ている中で、後ろの戦場で骸骨騎士達が次々と倒されていく。ある者は流星の様に煌めくメイスで砕かれ、ある者は地面が隆起して奈落の底へと押し出されていく。はたまた触れると同時に骨がボロリと崩れ落ち、体勢を崩した所へメイスが振るわれ、頭蓋骨を兜ごと砕いていた。あっという間に骸骨騎士達はその数を半分に減らしていく。そして、その中心にいるのが———。

 

「南雲くん……?」

 

 いつもの鉄面皮で、まるでつまらない作業をしていると言わんばかりに骸骨騎士達を次々と打ち倒していく。その圧倒的な姿に、香織は思わずうっとりとした声を出した。

 

「やっぱり……南雲くんは凄いや………」

 

 だが、その声は光輝にしっかりと聞かれており、彼の嫉妬心を煽ってしまった。

 

「あいつが……あいつが何だって言うんだ!」

 

 歯を剥き出しにした顔で、光輝はベヒモスに向かって構えた。

 

「あいつがやれるなら、俺にだって! “限界突破”!」

「光輝! 駄目っ!」

 

 雫の制止を聞く事なく、光輝は奥の手を使った。

 ナグモに模擬戦で負けた事に嫉妬して自主練を必死にやり始めた光輝だが、その努力は確かに身を結んでいた。以前よりもステータスは上昇し、この短期間で派生技能である“限界突破"も身に付けていた。一時的にステータスが三倍化し、光輝は自身の最高の必殺技を詠唱し出す。

 

「神意よ! 全ての邪悪を滅ぼし光をもたらしたまえ! 神の息吹よ! 全ての暗雲を吹き払い、この世を聖浄で満たしたまえ!」

「くっ……こうなったら仕方ない、合図をしたら下がれ、お前達!」

「は、はいっ!」

 

 もはや光輝を止める事は不可能と悟ったメルドは、崩れ落ちそうな障壁を何とか維持している騎士達に命令を出す。ベヒモスはそんな彼等を押し潰さんと突進を繰り返していた。

 

「神の慈悲よ! この一撃を以て全ての罪科を許したまえ!――〝神威〟!」

 

 詠唱と共にまっすぐ突き出した聖剣から極光が迸る。全てを浄化する光は、メルドの合図で飛びのいた騎士達を避けてベヒモスへ真っ直ぐと突き刺さった。光が辺りを満たし白く塗りつぶす。激震する橋に大きく亀裂が入っていく。

 

「ハァ……ハァ……や、やったか?」

 

 “限界突破"による反動、そして全魔力を振り絞っての疲労から光輝は膝をついた。

 あれほどの一撃だ。いかにベヒモスといえど、生きてはいまい……。

 そんな風に思った一同を嘲笑う様に、舞う埃の中から胸に小さな傷口を作ったベヒモスが現れた。

 

「そ、そんな———!?」

「………もういい。下がってろ」

 

 絶望に顔が歪む光輝の後ろで、無機質な声が響く。光輝が振り向くより先に、人影がベヒモスへと飛び出した。突進してきたベヒモスに対して、流星の様に残像を残しながらメイスが振るわれる。

 

 ドンッ、と空気が押し出された様な衝撃が辺りに響く。

 

 たたらを踏み、後方へと押し出されたベヒモスにナグモは片手を突き出した。

 

「———“錬成"」

 

 地面から鎖が生えて、ベヒモスを拘束した。鎖は十重二重に現れ、あっという間にベヒモスを雁字搦めにした。

 

「おい、そこのウドの大木。その無能を連れて、さっさと下がれ」

「な、なんだとテメエ!」

「龍太郎! 今は言い争っている場合じゃないわ! ごめん、南雲くん! 先に行ってるわ!」

 

 こんな時にもナチュラルに毒を吐くナグモに龍太郎は激昂するが、雫が諫める。二人で動けなくなった光輝を肩から担ぎ、その場を後にした。

 

「南雲くん……!」

「白崎。君も下がれ。騎士達の治療に専念しろ」

 

 こちらを振り返る事なくベヒモスを拘束し続けるナグモに、香織は心配そうな表情になる。だが、すぐに決心した様に頷いた。

 

「分かった。絶対、南雲くんも来てね。絶対だからね!」

 

 そうして香織は魔力を使い果たして動けなくなった騎士達に手を貸しながら、メルドと共に撤退した。

 

「これは……全部、ハジメがやったのか?」

 

 香織達が出口のある対岸に着くと、そこには骸骨騎士達がバラバラにされて地面へ転がっていた。驚くメルドに、未だにまごまごとしている生徒達に付いていた騎士が答える。

 

「は、はい! 生徒達も何体か倒していましたが、ほとんどは錬成師の少年が———」

「そ、そうか……さすがだな」

 

 あまりの規格外ぶりにメルドは乾いた笑いを漏らし———すぐに顔を青ざめさせた。

 

「いやいや、ちょっと待て! ここまでの戦闘を繰り広げたなら、いくらハジメのステータスが規格外と言っても、もう残存魔力に余裕は無い筈だぞ!」

 

 ハッ、と全員がナグモを見た。ナグモはその場から一歩も動かず、ベヒモスに片手を突き出したまま止まっていた。ギシギシと悲鳴を上げる鎖の音が、こちらにまで聞こえてくる。その姿はまるで渾身の力で締め殺そうとするも、ギリギリの均衡を何とか保っている様にも見えた。

 

「香織!? 駄目っ!」

 

 その姿を見た途端、香織は走り出していた。雫の制止を背中に感じながら、来た道を引き返してナグモの元へ向かって行った。

 

 ***

 

(さて、どうしたものか………)

 

 メルド達の心配を他所に、ナグモはのんびりと考え込んでいた。ナザリックの守護者として創られたナグモにとっては今までの戦闘も残存魔力の一割すら使っておらず、目の前のベヒモスもその気になれば片手で殺せる様な雑魚だ。しかし、それが出来ない理由がナグモにはあった。

 

(天乃河光輝が“限界突破"してでも、手傷を負わせるのがやっとの相手を殺してしまっては流石に不自然だろうし……)

 

 ベヒモスが拘束を破ろうと鎖を引き千切ろうとする。その前にナグモはこっそりと位階魔法を使って、ベヒモスにデバフをかけた。鎖は千切れる事なく、再びベヒモスは地面へ縫い付けられる。

 

 ナグモが考えているのは、どうやって不自然に見えない様にこの場を切り抜けるか、という事だ。対外的には光輝が“限界突破"した場合のステータスは、今のナグモ以上となる事になっている。そうなるとナグモがベヒモスを倒した場合、光輝では無理だったのに何故……?と周りに違和感を覚えさせてしまう。今日で彼等とは永久に会わなくなるだろうとはいえ、不自然な点を残したままではナザリックへの露見に繋がるかもしれなかった。

 

(どうにか良いタイミングは無いものか………)

 

 再び鎖を引き千切ろうとしたベヒモスにデバフを掛けながら、考えるナグモ。すると———。

 

「天恵よ、神秘をここに! “譲天”!」

 

 ナグモの背から聞き覚えのある少女の声と、魔力によるブーストがかけられる。同時に、ナグモの魔力からすればプールにコップ一杯の水を足した程度の魔力の回復を感じた。

 

「白崎……? 下がれと言った筈だっ」

「南雲くん、本当はもう魔力に余裕が無いんだよね? だったら、私が魔力をあげれば———!」

 

 香織の勘違いに舌打ちしたくなる気持ちを抑えながら、ナグモは自分が時間をかけ過ぎた事を理解した。同時に先程の戦闘が大立ち回り過ぎた事も理解する。ナザリックの者と早く合流する為に手早く片付けたが、普通の人間からすればやり過ぎなレベルだった。

 

「ハジメ、香織! 今から魔法でベヒモスを攻撃する! 合図に合わせて、こっちに向かって走れ!」

「———聞いたな、白崎。行くぞ」

「う、うん!」

 

 メルドの指示でようやく離脱できそうだ、とナグモは安堵する。後は香織を連れてここから去るだけだ。

 

「———今だ! 走れ!」

 

 メルドの合図と共にナグモは錬成とデバフを解除する。鎖はまだ絡まったままだから、暫くの猶予は出来た筈だ。

 香織の背を見ながら、ナグモは人間レベルの速度でゆっくりと走り出す。対岸には魔法の詠唱を終えたクラスメイト達が、各々の魔法を次々と放っていた。

 

(………ん?)

 

 と———ナグモは放たれた魔法弾の一つに目を留める。次々と背後のベヒモスに着弾していく中、一つだけ構築式がおかしい物がある事に気付いた。ナグモの予想では、このままなら自分に直撃するだろう。なんとなく発射地点に目を向けると———そこには檜山大介が下卑た笑みを浮かべていた。

 

(あのド低脳……やっぱり殺しておけばよかったか)

 

 一体、何が理由でこの場で凶行に及んだか? ナグモの合理的な思考では理解出来なかったが、ナグモの目からすればゆっくりと来る炎弾を見ながら思考する。

 

(こんな物、避けて……ああ、いや待て。いっそワザと喰らって、奈落へ落ちた様に見せかけるのはアリか? 僕の魔力抵抗力からすればこんな魔法程度ならノーダメージだし、人間達から見えなくなる距離で〈飛行(フライ)〉を使えば良い話だ。ナザリックの者とは後で〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で合流すれば良い)

 

 こんなクズ相手に死亡する事になるのは本当はプライドが許さないのだが……などと、悠長に考えていたが故に気付かなかった。

 

 香織が自分を庇う様に、手を広げて前に出た事に。

 

 ナグモの目の前で爆発音が起きる。

 

「………………は?」

 

 ナグモは最初、その間抜けた声が自分の物だとは分からなかった。至高の御方から与えられた最高峰の頭脳はこの瞬間、意味を為さず。しかし高いステータスによる動体視力がスローモーションの様に目の前の光景を眺めていた。

 香織の身体が爆発に煽られて、橋の外へと落下していく。

 

「………………!」

 

 その瞬間、ようやくナグモの脳が再起動を果たした。ナグモはこの瞬間、神の使徒という仮初めの役柄を忘れて素早く落ちていく香織の手を掴もうとする。

 

「グオオオオオォォォォッ!」

 

 だが、間の悪い事にベヒモスが苦し紛れの一撃を繰り出していた。灼熱の頭突きが床に叩き付けられた事で橋が崩落し、瓦礫が散弾銃の様に香織に向かった。

 

「っ!」

 

 ナグモは急いで錬成を使い、いくつもの鎖を崩れかけた橋から飛び出させて香織に向かう瓦礫を受け止めた。だが………それは致命的なミスだった。

 振り向いた先で香織の身体はもうナグモの手の届かない所まで落ちていた。

 

「あ……………」

 

 ナグモの口から再び、人智を超えた頭脳の持ち主として相応しくない間抜けな声が出る。

 

 ナグモの目は奈落へと落ちていく香織をしっかりと捉えていた。

 

 落ちていく香織の顔は———心底安堵したものだった。

 まるで、ナグモが無事で良かった。そう言う様に。




 題名に嘘は無いよ? 誰が、落ちるとは言ってないもんっ。


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第十五話「糾弾」

 このSSは自分がありふれのクラスメイト達に良い印象が無いのと、ナザリック側が主人公陣営なのでクラスメイトは原作の五割増で酷く書いたアンチ対象となっています。その事を理解した上で、お読み下さい。

2021/10/30 一部文章差し替え


「いやああぁぁああっ!? 香織っ、香織ぃぃぃっ!!」

「お、おい危ねえって、雫!?」

「シズシズ、駄目っ!!」

「離してよ、香織が、香織があああっ!?」

 

 雫の絶叫が迷宮に響く。今にも奈落へと身を投げそうな雫を龍太郎と鈴は必死に抑え込んだ。

 突然のクラスメイトの、それもクラス内で人気のあった香織の落下に周りは騒然となっていた。男子達はショックを受けて立ち尽くし、女子達も「嫌ぁっ……嫌ぁっ……」と座り込んでしまっていた。光輝ですらも、“限界突破"の反動で膝をついたまま、虚ろな目で「嘘だ……嘘だ……」とブツブツと呟いて茫然自失としていた。

 

「離してよ、龍太郎! 今すぐ香織のところに行かなくちゃいけないの!」

「だから落ち着けって! あんな高さから落ちたんだ、もう香織は……」

「もう!? もうって何!? 香織はまだ生きてる! 離せ、離せええええええっ!!」

 

 一際激しく暴れる雫。もはや龍太郎達でも振り落とし兼ねない勢いだった。すると、そこへメルドが歩み寄り、雫の一瞬の隙をついて首筋に手刀を振り下ろした。

 

「スマンッ」

 

 ビクッと身体を痙攣させて、雫はぐったりと意識を失った。動くなくなった雫を騎士達が連れて行く。

 未だにショックが抜け切れない生徒達を横目に、メルドは未だに奈落の淵に立って、底の無い闇を見続けているナグモに声を掛けた。

 

「ハジメ………」

 

 ナグモは———メルドへゆっくりと振り返った。いつも他人を見下している眼光に力は無く、まるで今見た物が信じられないという様に佇んでいた。こいつでもこんな顔をするんだな、とメルドは場違いな感想を抱いた。

 

「ハジメ、お前はよくやった。香織の事は不幸な事故だったんだ。だから、」

「………んで」

 

 慰めの言葉を言おうとしたメルドだったが、そこへ地の底から響く様な怨嗟の籠った声が響く。

 

「なんで、なんで香織を見捨てた! 南雲ォォォォッ!!」

 

 光輝はガバッと立ち上がると、ナグモの胸倉を掴んだ。

 

「答えろっ! どうして香織を助けなかった!? 何でお前だけおめおめ生きてるんだ!? 説明しろ、南雲ォォォォッ!!」

「光輝、止めろ!!」

 

 ガクガクと揺さぶり、奈落へと突き落としかねない光輝をメルドは慌てて引き剥がす。今の光輝のステータスはメルド以上だが、“限界突破”の反動がまだ抜けきらないのか、どうにか抑え込む事が出来た。

 

「離して下さい、メルドさん! こいつだけは許しちゃいけないんだ、香織を見捨てたこいつだけはあああっ!!」

「何を言っている!? 香織はハジメを庇って———」

「い、いや……俺は見たぜっ」

 

 檜山がナグモを震えながら指差す。その目はまるで危ないクスリでもキメたかの様に血走っていた。

 

「こいつは自分に魔法が当たりそうだからって、白崎を盾にしやがったんだ! 俺は見た! 間違いねえ!」

 

 まさか!? 本当かよ、檜山!? とクラスメイト達は騒然とする。そこでようやく、ナグモは反応した。

 

「……僕が白崎を盾にした? 笑えない冗談だ、檜山大介」

 

 いつもの様に相手を人と認識して無い無機質な目でナグモは檜山を睨む。

 

「あの時、ベヒモスに向かって撃たれる筈の魔法弾が僕へと向かってきた。檜山大介、お前が撃った魔法弾によってな」

「て、適当吹いてんじゃねえぞ、テメェ!!」

 

 口角泡を飛ばしながら、檜山は怒鳴る。

 

「あの時、やたらめったらに撃ってて誰が何の魔法弾を撃ったかなんて、分かる筈ねえだろ!? 白崎に当てた火球を撃ったのは別の奴かもしれねえだろ!! なあ!?」

 

 血走った目で檜山は周りをグルリと見回す。それに対して魔法を撃ったクラスメイト達はサッと目を逸らした。檜山の言う通りだった。彼等は必死に撃った魔法が香織に当たったのかもしれないと考えるのが怖くて、責任を擦りつけようとする檜山の目線から避けていた。

 

(この馬鹿め、墓穴を掘ったな)

 

 ナグモはそんな檜山を冷たく睨んだ。誰も火球が当たったとは言っていない。ならば、何故檜山はそれを知っているのか? その矛盾を指摘しようと口を開きかけ———。

 

「そうか……ようやく、分かった」

 

 メルドに抑え込まれたまま、光輝の怒りに震えた声が響く。光輝の目もまた、正気では無かった。爛々と狂気すら感じる様な目付きで、ナグモを強く睨む。

 

「南雲………お前は、魔人族に与した裏切り者だったんだっ!!」

「………は?」

 

 突飛な言い掛かりが理解出来ず、ナグモは呆気にとられた。だが、光輝は口から唾を飛ばしながら自論を展開し始めた。

 

「だって、おかしいじゃないか!? ありふれた生産職のくせに! 俺より訓練をサボってるくせに! 誰よりも、勇者の俺よりも強いなんて! あいつは魔人族と裏で取り引きして強力な力を得ていたんだ!」

「光輝、お前は自分が何を言っているのか分かってるのか!?」

 

 振り解こうと暴れる光輝を必死で抑えつけながら、メルドが怒鳴る。しかし、光輝は尚も追及をやめない。

 

「だから自分に魔法が当たりそうになった時、香織を盾にしたんだ! 香織を殺そうとする為に!!」

「こ…の……低脳者が……!」

 

 もはや聞くに耐えない雑音だった。ナグモは怒りと共に殺気を放とうとし———。

 

「お前は香織を利用するだけ利用して、その挙句に切り捨てたんだ! この……人間の屑めっ!!」

 

 瞬間。ナグモの脳が凍り付いた。その目には明らかな動揺が浮かぶ。

 ———その姿は、彼等の疑念を大きくするには十分だった。

 

「てめえ……今の話は本当なのかよ?」

 

 黙り込んでしまったナグモに龍太郎が低い唸り声を出す。

 

「俺たちを……クラスのダチを裏切って、今度は香織を殺したのか? ああ!?」

「やっぱり! おかしいと思ったのよ!」

 

 かつてナグモに殺気を向けられて黙らせられた女子達がキンキンとした声を上げる。その顔は鬼の首を取ったかの様に勝ち誇ったものだった。

 

「白崎さんがこんな奴を庇うなんて……白崎さんはこいつに騙されていたのよ!」

「最っ低! それで今度は盾にしたワケ? どんだけ最低なんだし!」

「こんな奴を気にかけようとする方がおかしいじゃん! 最近、白崎さんに付き纏ってたのもどこかで利用する気だったんでしょ!」

 

 いつもは自分達を虫ケラでも見る様な目で見下している相手が、蒼白な顔で言われ放題になっている。その姿はナグモに対して鬱憤が溜まっていたクラスメイト達の攻撃性を刺激するには十分だった。

 

「お前のせいで白崎さんが死んだんだぞ!」

「白崎さんの代わりにあんたが落ちれば良かったのよ!」

「魔力切れを起こしたのだって、テメエがペース配分考えないで戦ってたからだろ!」

 

 気が付けば大半の生徒がナグモに向かって罵声を浴びせていた。一部の生徒達はオロオロしたり、「落ち着け!」と級友達を宥めようとしたが、彼等の勢いは止まらない。先程まで命の危機を感じる極限状態だった事、奈落へ落ちたのがクラスのアイドルである香織だった事が彼等から正常な判断を奪っていた。こんな時にクラスを冷静に纏めてくれる雫は気絶しており、加速したナグモへの敵意は止まらない。興奮のあまり、一部の血の気が多い生徒達が目に危険な光を宿しながら武器を握りしめ———。

 

「いい加減にしないかっ!!」

 

 メルドは持てる力の全てを振り絞って光輝を地面に叩き付け、光輝の首筋に剣を押し当てた。

 

「メルドさん、何を!?」

「黙れ! 命懸けで戦った者に対して全員で罵倒する! それが人間のやる事か!?」

「だってそいつは! 香織を突き落とした裏切り者で、」

「これ以上、妄言を言う様なら容赦なく斬る! 神の使徒だろうと関係ない! カイル、イヴァン、ベイル! 生徒達で暴れる者がいれば即座に切り捨てろ! これは騎士団長としての厳命だ!」

 

 今まで光輝達が聞いた事の無い様な怒気の籠った声に、光輝は圧倒される。同時に騎士達が武器を構えてクラスメイト達を包囲し、その張り詰めた空気にようやく生徒達な静かになった。

 

「な、なあ、もう止めようぜ」

 

 ナグモに罵声を浴びせなかった数少ない生徒である遠藤浩介が口を開く。いつもは影が薄いと揶揄される彼だが、この時ばかりは彼の声はクラスメイト達によく響いた。

 

「こんなところで騒いでたって、またモンスター達を呼び寄せるだけだしよ……。それに、この事は後でゆっくり話しても遅くはないだろ?」

「そうだな、俺たちが四の五の言ったところで始まらねえ」

 

 クラスの中でも思慮深い性格で知られる永山重吾が頷いた。

 

「南雲の奴が本当に裏切ってたかなんて、まだ決まったわけじゃないだろ? ここで憶測で仲間割れなんて、それこそ白崎が浮かばれねえよ。天之河、まだ歩けねえんだろ? 肩貸すぞ」

「待ってくれ、みんなこいつを野放しにしたら駄目だ! 俺の話を聞いて———」

 

 なおも光輝は言い募ろうとしたが、永山や体格の大きい生徒に引っ張られていった。その姿を見て、騎士達の監視の下で生徒達もぞろぞろと

移動を再開する。だが、大半の生徒はナグモを強く睨みながらその場を後にした。

 

「スマン、ハジメ………」

 

 生徒達が立ち去り、二人きりになったメルドはナグモに対して深く頭を下げた。

 

「お前と香織が必死にベヒモスと戦ってくれたのに、こんな事になって……! 俺が馬鹿だった、あいつらを甘やかして育てるべきではなかった……!」

 

 教会から彼等はエヒト神の使徒だから普通の兵士の様に育てるな、と要請されたのもある。彼等には関係ない筈の自分達の世界の戦争に巻き込んでしまったという罪悪感で、少しくらい大目に見るかと甘い顔をしたのもある。

 だがその結果、彼等には戦場に赴く戦士としての心構えを出来てないまま、実戦の場に立たせてしまった。先程の糾弾だってパニックのあまりに口走った者が大半だろうが、そんなパニックを戦場で起こさない様に精神を鍛え上げるのがメルドの役目だった筈だ。自分の指導力の無さを実感し、メルドはナグモに対して低く頭を下げるしか無かった。

 

「……………最初から」

 

 しばらくして、ようやくナグモは口を開いた。その表情は感情という感情が一切抜け落ちた様な能面の様で、言葉はただ喋っているだけの様に何の感情も籠ってなかった。その姿はまさしく———人形(NPC)そのもの。

 

「最初から、僕は人間(彼等)の味方であろうとしてすらいない。ああ、そうだ……僕は……人間が嫌いだ。関わりたくもなかったし……関わっても欲しくなかった……。だから、白……あの人間の事なんて、本当はどうでもいい。都合が良かったから、接触していただけだ………」

「ハジメ………?」

 

 様子のおかしいナグモにメルドは下げていた頭を上げようとし———トンッと地面を蹴る音が響いた。

 

「ハジメ? ハジメえええぇぇぇっ!?」

 

 メルドが奈落に向かって身を乗り出して絶叫する。メルドの見ている先で、ナグモは奈落の闇へと消えていった。

 

 ***

 

 メルドが自分を見失ったのをしっかりと確認して、ナグモは<上位転移>を実行した。瞬く間に二十階層へと戻ったナグモは、そこに足を踏み入れた。

 

「あ、ようやく来たでありんすね。遅すぎんす、ナグモ」

 

 岩場に腰掛けていたゴスロリ姿の吸血鬼———シャルティアはナグモの姿を見て、ヤスリをかけていた爪から目を上げた。

 

「レディを待たせるなんて、男としてなってないでありんせん? いつも引き篭もって研究ばかりしてるから女の子の扱いが下手なんでありんすぇ」

 

 揶揄うようにクスクスと笑うシャルティアに対して、ナグモは石膏の様に顔を動かさなかった。シャルティアの後ろに控えた二体の魔物———ヴァンパイア・ブライドに目を向けて、無機質な声を出した。

 

「………その二人は君が連れて来たシモベか。他のシモベはどうした?」

「は? 連れて来てないでありんすよ。お前がモモンガ様にお願いしたんでありんしょ、ナザリックのシモベを連れて来いって……」

「正確には特定のシモベを、だ」

 

 へ? と間の抜けた顔を浮かべる吸血鬼に、ナグモの中で苛立ちが生まれる。あれほど細心の注意を払ってナザリックの存在が露見しない様に下調べしたのに、シャルティアのうっかりミスで全てご破算になる所だったのだ。ヴァンパイア・ブライドなんてモンスターはトータスに存在してないし、よしんば吸血鬼で押し通すにしてもトータスの吸血鬼は二百年前に絶滅しているので無理があり過ぎる。

 低脳、という言葉が出掛けるが、すぐに自重する。シャルティアの短慮な性格は至高の御方であるペロロンチーノが設定したと聞いている。彼女の短慮さを責めるのは、ペロロンチーノに文句を言うのと同義だ。

 

「もういい……撤退だ」

「は、はあ? まだ人間達を襲ってないでありんしょ? というか一緒に来るはずだった人間はどうしたでありんすぇ?」

「今回の作戦の第一目標は僕が人間達から見て死んだ様に見せかける事。既にそれは為された。これ以上、ここにいるのは無意味だ」

「いや、でも、ちょっとだけ人間達と遊んでいってからでも……」

「これ以上……」

 

 まるで楽しみにしていた遠足が雨で突然中止になった子供の様に不満げなシャルティアに、ナグモは冷たい目を向けた。

 

「これ以上、モモンガ様がナザリックを人間達に露見しない様にと細心の注意を払った気遣いを無駄にしたいなら、好きにするといい」

「ぐっ……わ、分かったでありんす! ホラ、お前達も撤退するぞ!」

 

 モモンガの名前を出されてはシャルティアも強くは出れない。荒い口調で部下のヴァンパイア・ブライド達に命令すると、<転移門>を開いてさっさと入っていった。

 

「……………」

 

 続いて<転移門>に入ろうとしたナグモの足が止まる。彼は振り返り、洞窟の奥を見つめた。

 

「ナグモ様、いかが致しましたか?」

 

 一向に入ろうとしないナグモに、ヴァンパイア・ブライドの一人が小首を傾げる。

 

「何か、お忘れ物でも?」

「いや………」

 

 ナグモはすぐに<転移門>へと向き直る。グズグズしていれば、迷宮から出ようとする勇者一行と鉢合わせになる。

 

「何も———無い」

 

 そのまま、振り返る事なく<転移門>へと入っていった。

 

 




 はい、そんなわけでナグモは香織を助けに行きませんでした。しばらくはナザリック側で話が進んでいきます。
 ただ、仕事の関係で次の投稿は11月中旬以降となりそうです。感想返しは暇を見つけたら順次行います。


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第十六話「モモンガの勘違い」

次の更新は11月後半と言ったな? アレは嘘だ!

いやほんと、何で仕事に専念しないといけない時ほど筆が進むんだろうね?(現実逃避)


「———面を上げよ」

『はっ!』

 

 ナザリック地下大墳墓・第十階層。玉座の間でモモンガは階層守護者達を集めていた。一糸乱れぬ姿で整列し、跪拝する守護者達にモモンガは頼もしさと同時に、もっと気楽にして良いんだけどなあ、と栓のない事を考えていた。

 

「さて、ナグモよ」

「はっ」

 

 居並ぶ異形達の中で唯一の人間NPC———ナグモがモモンガの前に進み出た。彼の顔は彫刻で出来ているかの様に表情が無く、目には何の感情も浮かんでいない。

 

(……何か前より表情が硬くなった様な? いや、前からこうだっけ? 俺が言えた義理じゃないけど、無表情だからさっぱり分からないや……)

 

 骸骨顔の自分よりはマシなんだろうけど、とモモンガは思いつつも支配者としての威厳を取り繕いながら目の前のNPCに話し掛ける。

 

「ナグモよ。まずは長期の任務、御苦労だった」

「……身に余る光栄です」

「うむ。それで、シャルティアから聞いたが、人間達の前から姿を消す時に予定外の事が起きたらしいな」

「………………」

 

 あ、あれ? 何か聞かれたくない事だった? と内心で焦るモモンガに代わり、横に控えていたアルベドがナグモに向かって目線を少し鋭くした。

 

「ナグモ? 至高なるモモンガ様がお聞きしているのよ? 素直に答えなさい」

「……承知致しました」

 

 ナグモが顔を上げる。相変わらず、その表情は微動だにしない。

 

「お話し致します。あの日、何があったのか———」

 

 ***

 

「———という次第でありまして、人間達へナザリックの存在が露見する可能性を考慮し、また奈落へ身を投げた様に見せかけた為に死亡偽装は十分と判断。ナザリックへの撤退を決断致しました」

 

 ナグモはあの日にあった事を話した。

 

 勇者一味の一人の迂闊な行動で転移トラップが発動したこと。

 転移した先にナザリックのシモベに酷似したモンスターがいたので、それがモモンガの仕掛けた物だと勘違いしたこと。

 やむを得ず、戦闘を開始したこと。

 ———その結果、勇者一味の一人が死亡したこと。そして、その責任はナグモにあるとして、更には勇者達から魔人族の裏切り者という汚名を着せられて糾弾されたこと。

 その後、自分は責任を感じて自害した様に見せかけ、シャルティアと合流したら連れていたシモベが予定とは違ったので撤退を優先した。

 

 その様に話した。

 

「シャルティア、あんたって奴は………」

 

 ダークエルフの少女、アウラが呆れた様にシャルティアを睨む。

 

「に、人間達にはバレてないからセーフ! セーフでありんす!」

「いや、ナグモがフォローしたからどうにかなっただけで、完全にアウトでしょ。というか、モモンガ様の御話をちゃんと聞いてなかったわけ?」

「うっ……も、もちろんちゃんと聞いていたでありんす! これはそう……ちょっとしたケアレスミスでありんす!」

 

 そうは言うものの、守護者達の目線は冷たい。彼等とてシャルティアの性格は知っているが、それとこれと話は別だ。至高の御方の御言葉を聞き違えるなんて……と非難の目線がシャルティアに突き刺さる。

 

「静かになさい、シャルティア! 至高の御方の御前である!」

 

 カン! と手にした“真なる無"で床に突き、守護者統括のアルベドが一喝する。

 

「御方の御言葉を聞き違えるなど、言語道断! ナザリックの守護者にあるまじき失態としれ!」

「うっ………」

「それとナグモ、お前もモモンガ様の御立案された作戦から外れた行動、目に余ると知りなさい!」

「……返す言葉も無い」

 

 ナザリックの者には淑女然とした姿を見せるアルベドだが、この時ばかりは厳しい。最高支配者であるモモンガの思惑から外れた行動を取った二人をどう処断すべきか問おうと振り向き———そこでモモンガが小刻みに震えている事に気付いた。

 

「モモンガ様?」

 

 アルベドが不審に思って問いかけるが、モモンガは答えない。

 モモンガはゆっくり深呼吸する。精神が沈静化される。深呼吸する。沈静化される。深呼吸して———限界だった。

 

「———クズ共があああああぁぁぁあああっ!!」

 

 激昂と共にモモンガから黒いオーラが吹き出す。黒いオーラは嵐となって周囲に吹き荒れて、居並ぶ守護者達は主の怒りを恐れて一斉に平身低頭した。

 

「も、申し訳ありません!」

 

 いつもの廓言葉を捨て、シャルティアが恐怖に震えながらモモンガに願い出た。

 

「至高の御身の御機嫌を損ねたのは私の不徳の致すところ! すぐに自害してお詫び申し上げます故、どうか怒りをお沈め下さいませ!」

 

 ガタガタと死人の如き真っ白な肌を更に血の気を無くしながら、シャルティアは必死にモモンガへ詫びる。

 

「ああ、違う。違うんだ、シャルティア。お前達に怒ったんじゃない」

 

 そんな姿を見て、モモンガはようやく精神の沈静化が追い付いていた。

 

「ナグモを糾弾した人間達があまりに身勝手過ぎて、腹を立てただけだ。怖がらせてしまってすまない」

「モモンガ様、僭越ながら申し上げます。御命令さえ頂ければ、至高なる御身の御気分を害した下等生物共を誅殺して参りますが」

 

 スッとナグモに代わってハイリヒ王国の情報収集担当となったデミウルゴスが申し出る。

 

「………………」

 

 だが、モモンガは少し考える素振りを見せると手を横に振った。

 

「いや———デミウルゴスはあくまで情報収集に留めよ。勇者には直接手を出さなくて良い」

「? しかし、」

「勇者には私自らが赴く」

 

 ざわっ、と守護者達が色めき立つ。至高なる御身が直々に手を汚すくらいなら、自分達が代わりにやる。そういう感情が込められた騒めきだったが———。

 

「……なるほど。そういう事でございますか」

「? う、うむ! 理解したな、デミウルゴスよ!」

 

 デミウルゴスが眼鏡をクイっと上げながら頷くのを見て、モモンガは慌てて支配者ムーブで頷く。詳しい理由を聞かれない内に、ここは押し切る所だと判断した。

 

「とにかく、勇者には私自らが対峙すると決めた。異論は許さん」

「畏まりました、モモンガ様。至高なる御自らの手にかかって死ぬなど、下等生物には過ぎた恩寵だと思いますが」

 

 デミウルゴスが下がったのにホッと胸を撫で下ろしながら、モモンガはナグモへと目を向ける。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

「あー……ナグモよ。私はお前にも怒ってないぞ? だから落ち着いて息を整えていいぞ?」

「申し……訳、ありま……せん……お見苦しい、所を…お見せ、して……」

 

 モモンガの怒りを勘違いしたのか、ナグモは顔を土気色にして息を荒げて平伏していた。その姿は死刑を目前にした罪人の様で、モモンガは今更ながらさっきのは大人気ない態度だったと後悔する。

 そして、それはそれとして言わなくてはならない事があった。

 

「ナグモよ」

 

 いまだに呼吸を必死に整えているナグモに———モモンガは頭を下げた。

 

「……すまなかった」

「え…………?」

「な! モモンガ様!?」

『お、お顔をお上げ下さい!』

 

 モモンガを頭を下げた事で、場が騒然とする。アルベドは驚きのあまり杖を取り落としそうになり、デミウルゴスはモモンガ相手には効果が無いと理解しながらも“支配の呪言"を使って止めさせ様とした。

 しかし、モモンガはナグモに頭を下げたまま話し出す。

 

「今回の調査任務、ナザリックで唯一自由に動ける人間であるお前が適任と考えて送り出したが、まさか勇者と呼ばれる人間達がここまで性根の悪い連中だったとは予想外だった。ただひたすらお前を苦しめるだけの任務となった事を謝罪させて欲しい」

「何を仰いますか! 至高なる御身が頭を下げる事など、何一つありません!」

「そうです! 悪いのはモモンガ様を不快にさせた人間達です!」

「ぼ、ぼくもお姉ちゃんと同意見です!」

 

 アルベドの言葉にアウラとマーレが追従するが、モモンガは頭を上げない。アルベドはキッと目を見開いて固まっているナグモを睨む。

 

「ナグモ! 貴方からも言いなさい! モモンガ様が謝罪される事など、何一つ無いと!」

 

 その言葉にナグモはようやく動き出した。いつもの無表情のまま、静かに話し出す。

 

「頭をお上げください、至高の御方。貴方が僕に謝られる事など、何もありません」

「むぅ………しかし、」

「それに———人間達から言われた事など、何一つ気にしてはおりません」

 

 うん? とモモンガはようやく顔を上げてナグモを見た。ナグモは石膏で固められたかの様な表情のまま、とつとつと語り出す。

 

「僕は人間が嫌いです。同族ではありますが、じゅーる・うぇるず様に御創りして貰った僕と彼等は違う生き物………そう認識しております」

 

 吐き捨てる様にナグモはそれは口にした。

 

「有象無象の人間など、大嫌いです。関わりたくないし、関わって欲しくもない。彼等から離れられて、清々としました」

 

 ***

 

「最悪だ………」

 

 玉座の間を後にしたモモンガは、自室でベッドに倒れ込んでいた。何故かフローラルな香りがしたが、今はそんな事を気にしてはいられなかった。

 

「最悪だよ、本当………」

 

 重い溜息と共に枕に頭を押し付ける。最悪最悪と尚もぶつぶつと呟く。ナグモを糾弾した人間達に———ではない。

 

「最悪のクソ上司じゃん、俺………」

 

 先程の謁見を思い出して、深い溜息をついた。

 

「ナグモが人間嫌いという設定は知ってたけどさ、まさかあそこまで毛嫌いするレベルだったのか……こんなの嫌な仕事を押し付けただけじゃん。ナグモのあの顔……絶対、内心でキレてるかも」

 

 モモンガの脳裏に鈴木悟だった頃の思い出が甦る。嫌な仕事を全部部下に押し付け、挙句の果てに自分の思った通りの結果にならないと部下へ当たり散らす最悪な上司が別部署にいた。それを見る度に、仮に自分が出世してもああはなるまいと心に決めていたが、いまモモンガがやった事はそれと何も変わらない気がして自己嫌悪に陥っていた。

 

「こんなのクレームが来ると分かり切った現場に放り込んだ様なもんじゃん……いや、じゅーるさんを馬鹿にした高校生がいた時点でさ、ナグモにとっては罰ゲームみたいな現場だとは思ったよ? でもここまでアレな連中の集まりだとは思わなかったんだってば……というか何なの奴等? コウコウセイ、という名前のDQNギルドだったの?」

 

 あー、うー、と唸りながら足をバタバタさせるDQNギルドの纏め役(ユグドラシル掲示板調べ)。そんな風に際限ない自己嫌悪に陥っていると、ようやく精神の沈静化が働いて冷静になった。

 

「それにしても勇者の……天之河光輝だっけ? 何でナグモを裏切り者だと見抜けたんだ?」

 

 玉座の間で聞いた時から疑問に思っていた事を口にする。

 

「魔人族の、というのが唯一間違っているけど、そんな突飛な発想が急に出てくるわけないよな? まさか……最初からナグモを疑っていたのか?」

 

 有り得そうな話だ。聞けば、光輝は負け続きにも関わらず、何度もナグモに模擬戦を申し出たそうだ。普通に考えて、負けると分かる試合を繰り返すだろうか?

 

「何度も模擬戦をやったのは……ナグモの実力を測るため……?」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの諸葛孔明ことぷにっと萌えが、わざと何度も負ける事で敵を油断させ、手の内を調べ尽くしてから反撃するという戦術があると言っていた気がする。ナグモは知らず知らずのうちに光輝に手の内を晒されて、彼が自分達の仲間ではないと見破られたのではないだろうか? そして信頼できる仲間達と結託して、ナグモが孤立無援となる様に仕向けたのではないか?

 

「もしそうなら、危険だな。頭が回り、しかもいざとなったら仲間を切り捨てて、その罪をナグモに被せる。冷酷で優秀な策略家だな」

 

 モモンガは敵を過小評価などしない。自分こそが強者だと驕った結果、敗れたプレイヤーを何人も見てきた。彼の中で光輝はぷにっと萌え並に優れた軍略家だと情報が更新される。

 

「そうなるとナグモが送ってくれた勇者達のステータス情報も当てにならないかもな。疑っている相手に素直にステータスがバレる様な真似は避けるだろうし……そもそもステータスプレートは<虚偽情報>で簡単に書き換えられるんだ。勇者達も同じ事が出来ない、なんて考えるのは愚かだな」

 

 何より、相手は世界を救う勇者として異世界の神に召喚された人間。そんな人間が並の強さなわけがない。増してやここはユグドラシルの常識が通用しない異世界なのだ。そうなれば勇者達の実力も、もしかしたらモモンガどころかワールドチャンピオンだったたっち・みーをも上回るかもしれない。その推測にモモンガは背筋を凍らせた。

 

「油断は禁物だ……俺が絶対の強者なんて考えは捨てろ。勇者と戦う時が来たら、NPC達には任せられない。俺が直接相手しないと駄目だ」

 

 彼等とてモモンガと同じレベル100。だがその事実はユグドラシルの常識が通用しないトータスでは些か頼りなかった。かつての仲間達が残してくれた大事なNPC(子供)達を守る為、モモンガは決意を固めた。

 

「もう同じ地球出身だから、なんて甘い事は言ってられない。勇者は、絶対に勝てると確信が出来たら、俺が直接相手する」

 

 それと同時に、再び脳裏に彼等に汚名を着せられた少年のNPCを思い出して申し訳ない気持ちになる。

 

「ナグモには本当に可哀想な事をしたな……むしろそんな相手に怪しまれながら、よく帰って来てくれたよ。あいつ……怒ってないよね? よくもこんな案件押し付けやがって、クソ上司が! なんて内心思ってたら、どうしよう……」

 

 あの無表情ではモモンガには胸中など推し量る術などなかった。ましてやナグモには人間嫌いの設定があったのだ。彼にとって、この一ヶ月は実にストレスが溜まるものだったんじゃないか? とモモンガは考える。

 

「もしナグモが何か欲しいとか言ってきたら、可能な限り聞いてあげよ……」




 副題は「思い込み勇者、勘違い魔王にロックオンされる」。
 
 というわけで、光輝達はしばらくは生き長らえる事になりました。
 良かったですね。

 モモンガ様のガチ対策が出来たら、直々に相手をする事になりました。
 ヨカッタデスネ!(満面の笑み)


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第十七話「ナグモというNPC」

 頂いた感想を見ながら今後の展開を考えていく内に、このSSをどういう方向性にしたいか自分の中で朧気に見えてきました。
 つきましてはオーバーロードでありながら、アインズ様やナザリックが軟化するルートにするかもしれません。
 オーバーロードの無慈悲な雰囲気を期待している方には申し訳ないです。
 今回はいつもより短めです。


 モモンガが去った玉座の間。

 居並ぶ階層守護者達は主が去ってしばらくしてから、ようやく動き出した。

 

「モ、モモンガ様、すごく怒ってたね」

「ほんと。あたし押し潰されるかと思った」

 

 ダークエルフの双子、マーレとアウラが頷き合う。それに呼応する様にデミウルゴスは自身の考えを述べた。

 

「あれだけ至高の御身を御不快にさせた下等生物に対し、もはや自身の手で誅殺せねば気が済まないとご判断されたのだろう。いやはや、下等生物達は最期の瞬間を泣いて感謝すべきだよ。あの御方が直々に手を下して頂けるのだから」

 

 デミウルゴスはゆっくりと立ち上がったナグモへ声をかけた。

 

「君も災難だったね、ナグモ。人間というものをそれなりに知っているが、君が関わっていたのはもはや下衆と呼ぶべき生物だったらしい」

「……別に。靴を履いた猿程度の相手に何か期待した事などない」

 

 それだけ言うとナグモは守護者達に背を向けた。

 

「守護者統括殿。重要な連絡事項は特に無いな?」

「ええ、今のところはね」

「ならば僕は第四階層に戻る。御方からのお呼び出しや重要な案件以外はミキュルニラを通してくれ」

 

 それだけ言うと、ナグモは振り向く事なく玉座の間を後にする。

 

「………なんというか、相変わらず付き合いが悪いよね」

 

 立ち去るナグモの背を見ながらポツリとアウラが漏らす。

 

「いやまあ、ナグモもナザリックの仲間だし、至高の御方への忠誠は疑うまでも無いんだけどさ………」

「そう邪険にするものではないよ、アウラ。とはいえ、彼ももう少し私達に胸襟を開いても良いとは思うけどね」

「じゅーる様にそう定められたとはいえ、難儀な奴でありんすねぇ」

 

 集まった守護者一同で溜息を吐いてしまう。そこへマーレがおずおずと手を上げた。

 

「あ、あの、ナグモさんってどういう人なんですか? ぼ、ぼくは人間さんなのに、人間さんの事を嫌ってるぐらいしか知らないんですけど……」

「う〜ん、私も守護者統括ではあるけど、よくは知らないのよねえ。あの子、ほとんど第四階層(技術研究所)から出て来ないし……。そもそも第四階層自体、じゅーる様が手を加えて私が知る物とは完全に別物になってしまったの。こちらに転移してからナグモを探しに初めて第四階層に下りたくらいだもの」

 

 ナザリックの内務担当であり、守護者統括のアルベドも首を捻ってしまう。こちらに来る前までは「そうあれかし」という枷があった為、アルベドも自分よりもずっと後に創られたナグモや第四階層の事はほとんど分からずじまいなのだ。加えてナグモの設定に「他人が嫌い」というものがある為、他のNPCとの面識すら怪しかった。至高の御方達に直々に仲が良い、あるいは悪いと設定された守護者達と違ってこれといって関わりは無く、他の守護者一同にとってナグモというNPCは「ガルガンチュアに代わって第四階層守護者を務め、研究所に引き篭もって研究ばかりしてる人間」という認識ぐらいしか無いのだ。

 

「というか、そもそもナザリックでナグモと仲良い奴って誰よ?」

「え、ええと。確かプレアデスのシズ・デルタさんがよく第四階層に行くって聞いた事があるよ、お姉ちゃん」

「定期的なメンテナンスの為に行ってるのを仲が良いと看做すかは意見が別れる所だがね。あとは技術研究所の副所長のミキュルニラくらいだが……彼女は誰とでもフレンドリーに接していくから除外かな」

「むしろミキュルニラだからこそ、あの偏屈で無表情な人間ゴーレムと付き合っていられるんじゃないでありんせん? 変な愛称で呼ばせようとしてしてくる癖はありんすが、それ以外はあの子は可愛い娘でありんすぇ」

「ウム。アレ程ニ愛嬌ガアル娘ハ珍シイト我ガ友モ言ッテイタナ。自分ノ眷属達ヲ「小サクテ、カサカサシテテ可愛イ」ト褒メラレタソウダ」

「………え? 恐怖公を? マジで?」

 

 一斉に女性陣の顔が引き攣る。あの恐怖公達相手にそう表現できるのは豪胆というか、何というか……。実は第四階層は変人の集まりなんじゃ無いか? とアウラは邪推していた。

 

「えっと……そ、それにしてもナグモさん、何か元気無さそうに見えましたけど……ひょっとして、人間さん達に苛められたのが、ショックだったんでしょうか?」

「いや、マーレ。それは無いと思うわよ。同族とはいえ、あいつが人間どもが言った事に動揺する様に見える?」

「そうでありんすよ」

 

 アウラの言葉にシャルティアもうんうん、と頷いた。

 

「あの研究にしか興味無さそうな人間ゴーレムの顔色を変えさせる奴がいたら、むしろそいつの顔を拝んでやりたいでありんす」

 

 ***

 

 ナザリック地下大墳墓・第九階層 ロイヤルスイート

 

 ナグモは豪奢な絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。他の守護者達はしばらく玉座の間で雑談している様だが、ナグモはそんな時間すら無駄だと考えていた。

 

(そもそも僕達は至高の御方に役立つ為に作られた存在。御方の為にならない行動など、一切も行う無駄など無い)

 

 ましてや自分は『人間嫌いで、他人が嫌い。ナザリックの者ともほとんど関わらない』。そういう風にじゅーるに設定さ(つくら)れた。ならば、それを忠実に守るべきだともはや頑なとしか言えない思考にナグモは従っていた。

 ふいに、図書館の一室で人間の女(白崎香織)と共に過ごした記憶が脳裏に過った。

 

(っ、あれは……、情報収集の一環だ……)

 

 それをナザリックの守護者としての意識で掻き消す。『合理的思考に基づいて判断し、感情による判断は低俗だと思っている』。そう設定さ(つくら)れたのだから。

 

(そうとも……有象無象の人間には関わりたくないし、関わって欲しくもない。この言葉に嘘は無い。勇者達の情報収集の為で無ければ、あんな人間になど———)

 

『南雲くん、自分の事を冷たい人間だなんて言ってるけど、そんな事無いよ。だって———こんなに優しいんだもの』

 

 ギリっとナグモは歯を食い縛った。記憶の中にある人間の女(白崎香織)の声が煩わしく感じた。ナグモは無表情のまま、その場に立ち止まった。

 否———もはや無表情を装っているだけだった。

 

『お前は香織を利用するだけ利用して、その挙句に切り捨てたんだ! この……人間の屑めっ!!』

 

 取るに足らない雑音(天乃河光輝の声)が何故か脳の中で響く。その言葉にナグモは拳を握りしめていた。

 

(それの……それの、どこに問題がある? 全ては至高の御方の為、ナザリックに最後まで残って頂いたモモンガ様の為。それに比べれば、他の一切に価値など……無い)

 

 そもそもあの人間(白崎香織)は、最期まで勘違いしたまま逝った。ナグモを優しい人間だと勘違いし、さらにはナグモが魔力不足になって動けないと勘違いして犯す必要の無い危険を犯した。挙げ句の果てに、あんな低級の魔法弾でナグモに危害が及ぶと思って庇い、奈落へと転落した。

 

(あの高さから落ちたのだ……もはや生きてはいまい)

 

 嗤うべきだ、とナグモは判断する。

 なんと愚かしい人間なのだ、と。何一つ真実を見抜けず、感情に囚われて命を落とした低俗な人間だ、と。

 それが、じゅーるによって創られたナグモ(人間嫌い)の正しい姿なのだから。

 

 ————ズキン。

 

「………っ」

 

 ナグモは掻き毟る様に胸を押さえた。

 

 ズキン、ズキン、ズキン。

 

 突然発生した原因不明の胸痛は一向に収まらず、ナグモの不快感を増大させていた。

 同時に、低俗な筈の人間(白崎香織)の笑顔が脳裏にチラつく。

 

「っ、〈獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)〉」

 

 それを掻き消す様にナグモは自身に恐慌や混乱などを回復させる位階魔法をかける。だが、胸の痛みは全く治らない。

 

「っ……、魔法最強化(マキシマイズ・マジック)・〈獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)〉っ」

 

 もはや効率性など考える事なく、スキルを使って再び位階魔法を使用する。それでようやく胸の不快感は消えた。そしてようやく、ナグモは冷静に思考できた。

 

(そうとも……あの人間は死んだ。それは事実だ。よって、もはや思考を巡らす価値すらない)

 

 チリチリと胸を焦がす様な痛みを感じたが、魔法の効果のお陰で先程よりは痛みは少なく感じた。

 

「……………君は、愚かだ。白崎香織」

 

 ようやく、ナグモは用意した言葉を言えた。

 ———ただし、そこに嘲りの感情は無く。

 

「僕を庇うなど、馬鹿な真似をしなければ………もう暫くは、生き長らえただろうに」

 

 ———まるで、血を吐く様な苦しみに満ちていた。

 溜息を一つ吐き、ナグモは再び歩き出す。余計な事など考えている時間は無い、自分がいない間に滞っていた第四階層を再び正常な形に戻さなくてはならない。

 そう、自分に言い聞かせて。

 

「今のは………ナグモ、様……?」

 

 その背中を。ナザリックの家令(ハウス・スチュワード)は信じられない物を見る顔で見送っていた。

 

 




 家政婦、じゃなくて執事長は見た!
 いやね? アルベドとかに知られたら真面目に粛正ものだし……。

追記:執事長じゃなくて家令だったのね……。


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第十八話「第四階層 ナザリック技術研究所」

 本当にさ、何を考えてこんなオリキャラを作ったんだろうね? ハーメルンの規約的には問題無い筈(何度か読み返しながら)。もしも投稿されなくなったり、この小説が消されたら……うん、まあ、そういう事だと思って。

 あと第四階層は都合により後で構造とか変わったりするかもしれないです。


 そこは洞窟に作られた秘密基地とも言うべき場所だった。

 くり抜かれた岩壁には一見しただけでは用途が不明な機械が並び、電子音を規則正しく奏でていた。その機械に併設される様に作られたベルトコンベアの上にはパーツらしき物が並び、天井から伸びたロボットアームによって次々と組み立てられながら奥へと運ばれていく。その製造ラインを監視する様に、ボール型の飛行機械達が定期的に巡回していた。

 ナグモがそこに足を踏み入れた途端、飛行機械の一つが降下してくる。

 

『スキャンヲ実行シマス――完了。第四階層守護者代理・ナグモ所長ト判断。オ帰リナサイマセ、ナグモ所長』

 

 監視ドロイド(サーチャー)の電子音声をナグモはドアチャイムの様に聞き流しながら先へと進む。

 さらに奥へと進んでいくと、ベルトコンベアの上で組み立てられた機械兵士(マシンゴーレム)達が次々と何処かへと運ばれていく。それらを一瞥して稼働状況に問題がない事を確認し、次のエリアへと入っていく。

 シュッとスライドドアが開くと、先程の工場エリアとは異なる光景が広がっていた。ガラスポッドが規則正しく並べられ、中には獅子と山羊の頭を持つ大型の獣や、巨大な鶏に蝙蝠の様な羽と蛇の頭を持つ尻尾が生えた合成魔獣(キメラ)などが培養液に浸かりながら胎児の様に丸まっていた。所々にある地底湖には魚と山羊を組み合わせた様なキメラが泳ぎ回り、何人かの人型がクリップボードを片手にデータ採取を行なっていた。

 

「こ、これはナグモ所長! お戻りだったのですか!?」

 

 ナグモの姿を見て、異形の人型達が驚きながらナグモへと近寄る。腐りかけた人間の顔を持つエルダーリッチ、幾重にも纏ったローブの奥から鬼火の様な目が光っているだけのエビルメイガスといった魔法詠唱者系のモンスター達に囲まれながらもナグモは顔色一つ変えず、無機質な声を出す。

 

「留守中に何か変わった事は?」

「は、はっ! ミキュルニラ副所長が指揮を執って頂いたおかげで大きな問題点はありません!」

 

 それは普通の人間が見れば異様な光景だっただろう。見るも悍ましいアンデッドの魔法使いや見るからに邪悪そうな魔法詠唱者の異形達が、見た目は人間の少年にしか見えないナグモ相手に姿勢を正していた。

 しかし、それこそがこの第四階層では普通の光景なのだ。

 

 第四階層・地底湖エリア。通称、ナザリック技術研究所。

 

 ナザリック地下大墳墓の中でも特に知能の高いシモベ達が集められ、至高の御方の為に機械兵器やキメラ達を量産し、いかなる禁忌すらも許される研究所。その研究所の所長としてナグモはじゅーるに創られていた。

 

「おい、そこ」

 

 培養槽の一つに取り掛かってコンソールを弄っていたシモベにナグモは無機質な目を向ける。

 

「な、何でしょうか?」

「その溶液配分だと細胞崩壊を起こす。デュ・バリ氏液を15%増量、チオチモリンを5%に下げろ」

「は、はっ! 直ちに!」

「そこのサイボーグ・キメラ、起動実験は済んでいるのか?」

「いえ、これから行う予定です」

「問題が出れば部品にミスリル合金を使え。機動性を重視した構造にしろ」

「了解しました」

 

 すれ違い様にナグモは次々と研究者達に指示を出していく。言葉少なく、愛想の欠片もない話し方だが、研究者達は敬意をもって指示に従って作業に取り掛かった。シモベである彼等にとって、至高の御方を除けば第四階層守護者代理であるナグモの言葉は絶対なのだ。

 

 その後も大型機械兵器達が鎮座する格納庫エリア、キメラや機械兵器の性能試験を行う実験エリアなどを次々と見て周り、ナグモは幾つかの指示を出していく。そしてようやく、じゅーるから与えられた自室――ナザリック技術研究所・所長室へと辿り着いた。

 

 キィと真っ白なデスクに備え付けられたワークチェアの背もたれに寄りかかる。他の階層ならば明らかに浮いた家具だが、ナザリックの中で唯一SF色の強いこの階層では違和感なく溶け込んでいた。

 

「ああ……帰って来たんだな」

 

 ナグモの体感からすれば十年ぶりとなる自室に、なんとなくナグモは呟いた。ふとデスクの後ろにある窓から見える光景へと目を向ける。ブルー・プラネットが丹精を込めて作った第六階層の様に空など見えないが、そこからナグモの部屋から見下ろす形で本来の第四階層守護者――ガルガンチュアを格納した穴が見えた。

 

「久しぶりだな、ガルガンチュア」

 

 意思なき巨大ゴーレムにナグモは声を掛ける。当然、ガルガンチュアからの返事など無い。かつて敵ギルドの攻城兵器として存在した岩のゴーレムもまた、この階層に合わせて様変わりしていた。全身は鈍く光る金属に覆われ、顔はヘルメットに覆われて目の部分にはバイザーが取り付けられていた。

 平たく言うと――巨大人型ロボットである。

 

『ホラ、せっかくSF空間にしてるのに前までの見た目じゃ合わないじゃん?』

 

 ナグモの脳裏に第四階層を作った至高の御方達が目の前で話していた内容が蘇る。

 堕天使人形が六本腕の機神へと語り掛ける。

 

『だからさ、ガルガンチュアも大幅にリニューアルしてみました! いやー、僕は彫刻専門だけどさ、これはこれでやり甲斐があるもんだなあ!』

『あの……るし☆ふぁーさん? これってどう見てもパシフィック――』

『大丈夫だって! 著作権切れてるのは確認済み! それ言ったら、じゅーるさんのミキュルニラだって、あれ………』

『あ、あれはちょっと悪ふざけが過ぎたと思ってますよ! でもここまで作って消しちゃうのも可哀想だし、使っちゃったデータクリスタルも勿体無いし……。というかヘロヘロさん、なんで動作パターンとか既に組み上げちゃってるの? 今更すいません、無かった事に……とか言えないじゃないですか〜!』

『ニシシシ……ヘロヘロさん、リアルの方が結構なデスマーチだったみたいだからねえ。判断力も結構下がってみたいだから、ガルガンチュアの改造案と一緒に出してみました!』

『あ、あんたか! あんたの仕業だったのか!』

 

 いや〜、まさか通るとは僕も思わなかったなあと笑いのアイコンを示するし☆ふぁーに、じゅーるが怒りマークを出しながら掴み掛かる。

 それをナグモは部屋の隅で待機しながら聞いていた。

 

(デスマーチ(死の行軍)とは、いったい何だったのだろう? 至高の御方であるヘロヘロ様を疲弊させる程の軍事行動とは一体……?)

 

 そんな事を考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 

『ミキュルニラです〜。ナグモ所長(しょちょ〜)はいらっしゃいますか〜?』

「入れ」

 

 間延びした声にナグモは入室許可を出した。入ってきたのは、褐色肌の人間種の女性だった。ナグモより少し年上――二十歳くらいの見た目で、まん丸な眼鏡と短い髪からぴょこんと生えたモルモットの耳が特徴的だった。スイカの様な女性の豊かさを主張している赤いニットワンピースに、両手がダボダボな丈の合ってない白衣という奇抜な格好だが、ナグモはそれらにこれといった感想を抱く事なく、その女性にいつもと同じ無味乾燥な挨拶をする。

 

「久しぶりだな、ミキュルニラ」

「はい〜。お久しぶりです、ナグモしょちょ〜。ナザリック技術研究所の副所長のミキュルニラ・モルモットです〜」

 

 間延びしておっとりとした声で、彼女――ミキュルニラはナグモへ微笑む。そして、その場でクルッとターンする。

 

「親しみを込めて、ミッキーちゃん❤︎とお呼び下さ、」

「ミキュルニラ」

「あの、ミッキーちゃんって……」

「ミ・キュ・ル・ニ・ラ」

 

 一切表情を変える事なく無機質な声を出すナグモに、愛らしいポーズのまま固まるミキュルニラ。やがて肩を落として残念そうな顔になる。

 

「シクシク……今日も私の可愛い名前を誰も呼んでくれません〜。ションボリなのです〜……」

「名称は正しく呼称すべきだ、ミキュルニラ・モルモット」

「う〜、だってだって! ミキュルニラって名前、噛みそうで可愛くないじゃないですか〜!」

「……それは、じゅーる様への批判と受け取るが?」

「そんなつもりじゃないです〜! そもそも私の可愛い名前を考えてくれたのも、じゅーる様なんですよ〜!」

 

 誰も呼んでくれませんけど……と彼女は全身でションボリというポーズを取った。

 

 ミキュルニラ・モルモット。

 

 ナザリック技術研究所の副所長という肩書きを持ち、ナグモと同じくじゅーる・うぇるずによって作成されたNPCだ。副所長という肩書き通りに生産職系のレベルは高いが、反面戦闘においては役立たずの一言に尽きるとナグモは思っていた。

 頭の回転は(ナグモから見て)悪くはないものの、動きが一々とオーバーアクションであざといと言うべきだろうか。ところがそんな言動でも何故かナザリックの面々で不快に思う者があまりおらず、むしろ本人が「ナザリックの人達はみんな、私のお友達なのです!」と公言している為、交友関係ではナザリックでも一、ニを争うNPCだった。

 

(なんでじゅーる様は、こんなのを僕の副官に……いや、むしろこういう性格だからか?)

 

 あるいは他人嫌いである自分だからこそ、対外折衝用にこのマスコットじみたNPCが付けられたんじゃないか? とナグモは無機質な目でミキュルニラを見ていた。

 

「大体ですね、しょちょ〜がモモンガ様の御命令とはいえ第四階層の引き継ぎとかしないで外出しちゃったから、私は大変だったんですよ〜? 恩と借りを返す為に、可愛い名前で呼んでくれても良いじゃないですか〜?」

「御方の命令は全てにおいて優先される。あと、その名前で呼ぶのは理由は知らんが何か良くない気がするから却下だ」

「む〜! お久しぶりなのに、しょちょ〜は相変わらず塩対応です〜!」

 

 ペシン、ペシンとダブついた白衣の袖でデスクを叩きながらミキュルニラは抗議する。

 

「私はこの階層で唯一の女の子なんですよ〜! もっと女の子扱いして下さい〜! 可愛いがってく〜だ〜さ〜い〜!」

 

 プンプン! と擬音が聞こえそうな様子で抗議してくるミキュルニラ。そんな自分の副官にナグモはじゅーるに定められた設定(在り方)として「鬱陶しい」と言おうとし――。

 

「………」

「ふぇ?」

 

 気付けばミキュルニラの頭を撫でていた。これには予想外だったのか、ミキュルニラも驚いた顔になる。その顔を見て、ナグモもまた驚いた様に手を引っ込めていた。

 

「っ。ああ、悪い。君の言う通り、少しは優しくすべきかと思っただけだ」

「はあ………」

 

 撫でられた頭をミキュルニラは不思議そうに触っていたが、しばらくすると気を取り直した様にナグモへ話しかける。

 

「う〜ん、まあ、その感謝に免じて可愛い名前で呼んでくれないのは良しとします〜。あ、でもでも! 女の子の身体に勝手に触ったらメッ! ですよ。しょちょ〜は人がお嫌いだから知らないかもしれませんけど、女の子が男の人に触っても良いよ、と言うのは特別な人だけなんですからね!」

「………そう、か。そういう物、だったのか……」

「……ええと、しょちょ〜? ナグモしょちょ〜ですよね? 何かありました? こう、頭打っちゃったとか?」

 

 はて? と首を傾げるミキュルニラを見て、ナグモはようやく自分が設定から外れた(いつもらしくない)事を言ってた事に気付いた。

 

「ただの気紛れだ。それよりも、僕に用があったんじゃないか?」

「あ、はい。まずマシン・ゴーレムの製造ラインなんですけど――」

 

 報告を始めるミキュルニラの声に、ナグモは第四階層守護者代理としての思考に切り替える。今は余計な事など、考える余裕などなかった。

 

 ――かつて撫でた髪と質は違ったな。

 そんな風に考えてしまった思考に全力で目を背けながら。

 

 ***

 

 ミキュルニラの報告に時折指示を交えながら、ナグモは次々と頭の中で情報を整理していく。普通の人間ならば数日はかかる様な案件でも、じゅーるに「人智を超えた頭脳の持ち主」と設定されたナグモには答えを出すのに十秒とかからなかった。

 

「第四階層の報告については以上です〜。あ、そうそう。これ、随分前にモモンガ様から御打診された事なんですけど……」

 

 それまで流暢に報告を行なっていたミキュルニラの声に、初めて困惑した様な色合いが出た。

 

「何でも、ナザリックの皆さんに休日というのを設けたいそうなんです〜。でも、至高の御方の為に働く私達にそんなのいらないですよね〜? アルベド様やデミウルゴス様も、御方の為に働かせて下さいってお断りしているみたいです〜」

「考えるまでもない。僕ももちろん――」

 

――ザザッ。

 

『ねえ、南雲くん。本当にちゃんと寝てるの? いつも遅くまで勉強してる様に見えるけど……』

『心配は無用だ。そもそも地球にいた頃から僕はショートスリーパーだ。三時間程度の睡眠でも充分だ』

『南雲くんって、ナポレオンなのかな? でも駄目だよ、ちゃんと寝ないと。身体もキチンと休めないと、いざという時に動けなくなっちゃうんだからね!』

 

 ――ザザッ。

 

「しょちょ〜?」

 

 ハッとミキュルニラの声にナグモは脳を再起動させた。

 そして、しばらく考え込んだ。

 

「………いや。至高の御方がわざわざ御提案された事案を僕の感情で否定していいものでは無いな。モモンガ様の御提案に従う様に動くべきだ」

 

 ふぇ!? とミキュルニラはビックリした顔になった。

 

「で、ですけど! 御方の為に働くのは当然で」

「モモンガ様は緊急事態でも十全に機能できるよう、僕達に身体や脳を休める機会を下さったのだろう。疲労無効アイテムも全員が持っているわけではないし、脳を十全に動かす為のメンテナンス時間と思えば不要とは言い切れない」

「でも、第四階層の警備とか……」

「もともとこの階層はマシン・ゴーレムやサーチャー達の自動警備システムが働いている。研究所の全職員が一斉に、は無理だが最低限の人員以外は休みに割り当てても問題はない筈だ」

「それは、そうかもしれませんが〜……」

 

 まだ納得いかなそうなミキュルニラにナグモは無機質な声を出す。

 

「………モモンガ様の御提案に反対する、と?」

「わ、分かりました! じゃあ、せめて研究所が二十四時間機能する様に、スタッフの皆さんのシフト調整をします〜!」

 

 至高の御方の名前を出すと、ミキュルニラは慌てた様子で手元の端末を操作し出した。

 

「ええと、それでですね。いま研究所に所属しているのはエルダーリッチさんと、エルダーリッチさんと、エビルメイガスさんと、エルダーリッチさんと………」

「おい、待て」

 

 ミキュルニラの挙げてきたスタッフの一覧にナグモは頭を抑えた。

 

「何だそれは? それだと見分けがつかないだろう」

「だってだって! 研究所のスタッフさん達はシモベだからお名前なんて無いんですってば〜!」

「ハァ……もういい。なら適当に番号でも」

 

 ――ザザッ。

 

『そういえば、南雲くんというのが親から貰った名前なら、どうしてハジメくんって名前なの?』

『養護施設に登録されたのが月初めだからだ。ナグモという名前だけでは書類上に問題があるからと言われたから仕方なくつけた。別に僕はじゅーる様から頂いたナグモという名前さえあれば、ゼロイチとかでも良かったんだがな』

『いやいや……それはどうかと思うよ。南雲くんがじゅーるさ……じゃなくて、じゅーる様から付けてもらった名前を大切にしたいのと同じくらい、名前はその人にとって大事なんだからね』

 

 ――ザザッ。

 

 再び脳裏に走ったノイズにナグモは眉間の皺を寄せる。頭痛を堪える様に目頭を押さえた後、ミキュルニラに指示を出した。

 

「……仕方ない。業務上、今まで通りというわけにはいかない。研究所に所属するシモベ、いやスタッフ達に名乗りたい名前があるなら申し出る様に通達しろ」

「え、ええ!? でも、御方がお名前を決められたのは一部のシモベ達だけで」

「モモンガ様から僕の名前で御提案する。モモンガ様の御提案に沿う形で出される事案だ。一考はしてくださるだろう。駄目なら駄目で、また再考すればいい」

 

 いや、でもそれは、と目を白黒させているミキュルニラを他所に、ナグモはこっそりと胸を押さえた。先程から、何故自分は以前なら考える価値すら無しと思っている事をしようとしているのだろうか?

 

(どうしたというんだ? 僕は………?)

 

 ズキン、と胸が再び痛み出した気がした。

 

 ***

 

「モモンガ様、少しお耳に入れたい事が」

 

 モモンガは執務室で書類仕事をしていた。もっとも書類仕事といっても、基本的にモモンガに仕事をさせたがらないアルベドやデミウルゴスのお陰で決定の判子を押すだけの簡単な仕事になっているのだが。

 とりあえずは一読してから押そうと思いながらやっていると、横に秘書の様に控えていたアルベドが何故か少し険しい顔をしていた。

 

「どうした? アルベドよ。私は何か重要なミスでもしでかしたかな?」

「とんでもありません。至高なる御身のなさる事に御間違いなど、あろう筈がありません」

 

 そういう事じゃないんだけどなあ、とモモンガは思ってしまう。いくら絶対支配者の様に振る舞っていようが、モモンガの中身はただのサラリーマンなのだ。自分よりも優秀なアルベドやデミウルゴスがモモンガのやる事だから間違い無いと言うのは、組織として問題があるのでは? とモモンガは考え込んでしまう。

 

「以前、モモンガ様が御提案された休憩や休日制度ですが……ナグモは導入を考えているそうです。ついては技術研究所の職員として在籍しているシモベ達も識別の為に固有名を付けたいと」

「おお! そうか!」

 

 以前、アルベドやデミウルゴスどころか第九階層の一般メイド達にも「至高の御方の為に仕事をする機会を奪わないで下さい!」と懇願された為になし崩し的に立ち消えてしまった提案を受け入れてくれるNPCがいた事にモモンガは喜びを浮かべる。

 しかし、アルベドはまるで下らない話を聞いたという態度で吐き捨てた。

 

「とんでもありません。ナザリックの者たる者、至高の御方の為に全てを捧げるのは当然の事。休みたいなど、言語道断です。至急、ナグモには処罰を……」

「いや待て、アルベドよ。それはいかん、全くもっていかんぞ」

 

 せっかく提案を聞いてくれたNPCがいたのに罰せられるなんて可哀想だ、とモモンガは止める。何よりも――。

 

(お前達が休んでくれないと、こっちも気が休まらないんだよ……)

 

 疲労無効アイテムなどでNPC達が二十四時間活動していても平気なのは知っているが、彼等を横目に自分だけゆっくりと休む様な図々しい精神をモモンガは持ち合わせていなかった。モモンガとて疲労しないアンデッドの身だが、それでも自室で一人気兼ねなくゆっくり過ごす時間は欲しかった。ところがNPC達はいつでもモモンガに呼び出して欲しいと言う様に常に待機しており、働いている彼等の事を思うととてもではないが休みを取れる精神状況になれなかった。

 

(何より皆が残してくれた子供(NPC)達が働く場所をヘロヘロさんの職場みたいにブラックにしたくないんだってば……)

 

 そういった感情論で語ってもアルベドは納得しないだろうと思い、モモンガは思考をフル回転させながら支配者ロールをする。

 

「良いか、アルベド。これはな、私の狙いの一つなのだ」

「狙い……ですか?」

「うむ。私の言葉にある裏の意味まで読み取り、誰が一番早く実行するか試していたのだよ」

「な、裏の意味……ですか? ナグモはモモンガ様の御真意にいち早く気付いたと仰られると!?」

「う、うむ。その通りだ」

 

 はい、裏の意味なんてありません。等と言えず、モモンガは如何にも意味深な口調で語るしか無かった。

 

「何という事……守護者統括である私がモモンガ様の御真意を見抜けないなど、なんという失態……! 至急、ナグモに問い質して」

「い、いや、それはいかんぞ、アルベドよ。自分で考えて気付く事も、成長する過程に必要だとは思っている。ナグモにすぐに答えを聞くのではなく、まずは私の提案通りに事を進めてみよ。そうしながらじっくりと我が真意を考えれば良い」

「モモンガ様………」

 

 もちろん真意なんて無い。ナグモも単純に休みが欲しかったんだろうなあ、それを説明しろと言われても困るだろうなあと考えながらとりあえず尤もらしい言い訳をするしかなかった。

 しかしアルベドは偉大な師から重要な教えを受けた弟子の様に感動した面持ちになり、モモンガへ頭へ下げた。

 

「守護者統括でありながら、モモンガ様の御言葉を深く考えずに反対した馬鹿な私をお許し下さい。この失態、必ずや挽回致します。今後、ナザリックの者全てに緊急時以外は休憩や休日を取る様に徹底させます」

「う、うむ。それで良い、アルベドよ。それと研究所の職員に名前を付けたいという件だが、必要ならばそうするが良いとナグモに伝えよ」

「かしこまりました! 私も必ずやモモンガ様の御真意に沿った働きが出来る様、精進致します!」

 

 よし、休日制度導入成功! とモモンガは心の中でガッツポーズを取った。

 

(そもそもNPC達は働き過ぎなんだよ。ゆくゆくは有給休暇とか取れる様にしていきたいな。それにしても研究所に所属しているという設定の魔法詠唱者系モンスター達にも名前か……ま、まあ、いざとなったら「その方、名を何と申す?」とか支配者ロールで乗り切れば良いよね?)

 

 何より、ナグモがそんな提案をしてきてくれた事がモモンガには嬉しかった。まるで我が子の成長を見る様な心境でモモンガはやらせてみよう、と思っていた。

 

(人間嫌いのナグモが人間と暮らすのは苦痛だったと思っていたけど、実は色々と得る物があったんだろうなあ。今度、じっくりと聞いてみるのも良いかも)




>第四階層
 
機械兵器製造エリア
 
オートメーション化された工場。日夜、マシンゴーレムやサーチャーといった機械兵器達が製造されている。
 
合成魔獣生産エリア
 
生体ポッドが並ぶエリア。ポッドの中には戦闘用ホムンクルスや合成魔獣が培養されている。
 
格納庫エリア
 
大型の機械兵器達が待機しているエリア。巨大マシンゴーレム、二足歩行戦車などがいるのがここ。
 
ナザリック技術研究所
 
研究所の職員という名目で魔法詠唱者系のシモベが多数所属している。細かく分けて鍛治エリアや魔法研究エリア、キメラ達の状態を見る性能試験エリアなどがある。
 
最奥 ガルガンチュア格納庫

 るし⭐︎ふぁーの悪ノリで巨大ロボットに生まれ変わったガルガンチュアの格納庫。格納庫を見下ろす形でナグモの部屋(所長室)がある。

>ミキュルニラ・モルモット

 マウスじゃねーし! モルモットだし! ミッキーという名前だってありふれてるし!(精一杯の言い訳)

 ナグモの副官。モルモットの耳を持ったショートカットの女の子。巨乳系眼鏡女子。ナグモへの呼び方は「しょちょ〜」。袖がダブついた白衣、赤いニットワンピースとあざといくらい可愛い。(じゅーるの性癖)
 
 元ネタがじゅーるが勤めていた会社のマスコットの為(というかじゅーるの本業は宇宙エリアのイマジニア)、言動がカートゥーンじみて一々オーバー。しかし本人はワザとやってるわけではない。噛みそうな名前が嫌で、「ミッキー」という可愛い名前で呼んで欲しいけど、ナザリックの者達は「何故か知らないけど、その名前で呼ぶのはマズイ」と思って誰も呼んでくれないのでションボリしている。
 
 「ナザリックの皆さんは、みんな私のお友達なのです!」と主張し、誰に対してもフレンドリーに接していく。その為、NPC達との交友関係が一番広い。コミュ障なナグモに代わって対外折衝に務めている。

 現実で自分が提案した内容を「ゲスト(上流階級)の品位に相応しくない」と何度も会社に駄目出しをくらい、とうとう我慢の限界がきたじゅーるが「じゃあ、あのマスコットも媚び媚びなキャラにすれば良いじゃん!」と半ば八つ当たり気味に作ったのがミキュルニラ。後になって、やり過ぎだ……と後悔したものの、ヘロヘロが文字通りヘロヘロになりながら「いやあ、ポーズパターンのプログラムは苦労しましたよ! でも会心の出来です!」と徹夜明けのテンションで仕上げたのを見て、今更破棄できないと覚悟を決めるしか無かった。
 ギルド長に恥を偲んで謝りにいったところ、「い、いや、良いんじゃないですかね……? 一見して元ネタ分かりませんし、ユグドラシルにも怪獣王が元ネタなモンスターいますし……?」と大変ありがたいフォローを頂き、せめてナザリックに責めてくるプレイヤーには見つからない様にと生産特化のキャラメイクをしたのだとか。

>ナザリック、ホワイト企業化。

 これは後々に必要なので。

 次回は多分、奈落に落ちた香織さんの話を書きます。


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第十九話『奈落の底で少女は目覚め、少年は地下墳墓で苦悩する』

 私はハッピーエンドが大好きです。だから必ずハッピーエンドにはしていきたいとは思います。とあるきのこ御代の影響で、過程として主人公達を絶望させたくなるけど。


 それに香織が気付いたのは、全くの偶然だった。

 

(!? あの魔法……様子がおかしい!?)

 

 クラスメイト達の魔法が次々と背後のベヒモスと撃たれていく中、ナグモの前を走る香織は、魔法弾の一つが軌道を変えるのを見てしまった。魔法弾はまるで背後を走っているナグモを狙う様に急降下してくる。

 不意に香織の脳裏に光輝を中心にナグモをリンチしようと意気込むクラスメイト達の姿が思い起こされた。

 

(南雲くん――!)

 

 魔法弾に込められた悪意を察してしまい、自然と身体が動いた。

 

(お願い、間に合って……!)

 

 身体強化魔法・“駿脚"。

 香織が回復魔法の派生技能として、新たに習得した強化魔法。

 通常は他人の治癒力を魔法で活性化させるところを、自分の身体に魔力を流して脚の筋力を増幅させる。本来なら詠唱が必要な魔法は、緊急時で香織の中の才能が目覚めたのか、無詠唱で香織の脚力を増大化させた。

 魔法弾がナグモに当たる前に、香織はその身を盾にする事が出来た。

 

(あ…………)

 

 身を焦がす痛みと共に、身体が宙に浮く。そして自分が奈落へと落ちていくのを感じた。生命の危機に脳が活性化されているのだろうか? 香織は自分に対して必死に手を伸ばそうとするナグモの姿が見えた。

 

(ああ………南雲くんの表情が変わったの、初めて見たかも)

 

 自分に向かってくる瓦礫を焦った表情で“錬成"で防いでいるナグモを見て、香織は場違いな感想を抱いていた。

 やがて自分の身体がもはやナグモの手も届かない所へ落ちていく事を自覚して、とりあえずは南雲くんが無事で良かったなと香織は微笑んだ。

 でも………と、香織は落ちていく自分を絶望した表情で見ているナグモを見ながら思う。

 

(本当はいつか、南雲くんの笑った顔を見てみたかったな………)

 

 ***

 

 ピチョン、ピチョンと顔にかかる水滴で香織は目が覚めた。ボヤける視界の中、自分が洞窟内に流れる川の岸辺で倒れていた事を知った。

 

「ここは………どこ?」

 

 一人呟いてみるが、誰からの返事もない。

 

「私、橋から落ちて……それから——」

 

 それから、どうしたというのだろう? 思い出そうとするが、頭に靄でもかかったかの様に思い出せない。何度か頭を振って、ようやく自分の視界がおかしな事になっている事に気付いた。

 

「……? 左目が、見えない……?」

 

 まるで片目を瞑っているかの様に左側の視界が無くなっていた。どうしたのか、本能的に自分の左目を触ろうとし――。

 

「きゅう」

 

 甲高い鳴き声が聞こえ、香織は後ろを振り向いた。そこには後脚が異様に発達し、赤黒い線が脚を中心に血管の様にドクンドクンと脈打った中型犬並みに大きいウサギがいた。

 

(まさか……魔物……!)

 

 咄嗟に王宮から支給された杖を構えようとしたが、その手に何も無い事に今になって気付いた。川に流された時に落としたのだろうか?

 ドパンッという音と共にウサギの姿が消える。

 香織は反射的に横へ転がる様に跳んだ。

 その横をまるで大砲の様に白い毛玉が通り過ぎた。

 横倒しになった視界で、香織は見てしまった。勢いのまま川に飛び込むかと思われたウサギがまるで宙を蹴るかの様に方向転換しながら、再び香織の下へと向かってくる――!

 

「いや………!」

 

 これから襲い掛かる痛みを前にして香織は思わず目を瞑ってしまった。そんな獲物を前にウサギは容赦なく、香織へ向かい――ゴウッという風と共に真っ二つに切り裂かれた。

 

「グルルル………」

 

 香織が振り向くと、そこには新たな魔物がいた。

 その魔物は巨体だった。二メートルはあるだろう巨躯に白い毛皮。例に漏れず赤黒い線が幾本も体を走っている。その姿は、たとえるなら熊だった。ただし、足元まで伸びた太く長い腕に、三十センチはありそうな鋭い爪が三本生えているが。

 

「あ、ああ………!」

 

 恐怖のあまり、ガタガタと震える香織を爪熊は捕食者の目で見る。その恐ろしさに香織は咄嗟に逃げ出そうとし――ゴウッという風が再び吹いた。

 ボトリ、と何かが落ちる音がした。

 

「え………?」

 

 香織は信じられない顔ですぐ側で落ちた物を見る。

 そこには――自分の左腕が落ちていた。

 

「い、いやあああああぁぁああっ!?」

 

 自分の左腕が切り落とされたという事態に香織は絶叫する。

 

(な、なんで私の腕が!? 嫌、嫌、嫌!)

 

 まともな思考が出来ず、香織の中で現実を必死で否定しようとした。その為か、切り落とされた腕の痛みすら感じられなかった。

 

「グルァッ!!」

 

 そんな香織を見逃すほど爪熊は甘くなどない。一瞬で距離を詰められ、香織は洞窟の壁に身体を叩きつけられた。衝撃のあまり、一瞬意識が飛びかける。そして――目の前に口から鋭い牙を覗かせ、涎を垂らした爪熊の顔があった。

 

「グルルル………」

「い、嫌……食べないで……!」

 

 言葉が通じる筈が無いと知りながらも、香織は震えながら口にするしか無かった。

 

(助けて……助けて……! 南雲くん……!)

 

 祈る様に蹲ってギュッと目を閉じた。こんな事をしても意味はないとは分かっている。だが最期の光景が爪熊に喰われる自分の姿なんて、あんまりで見たくなかった。

 香織の顔に獣の体臭と生暖かい息がかかる。フン、フン、と獲物を見定める様な荒い鼻息がかけられる。

 

「え………?」

 

 唐突に爪熊は香織に興味を失くした様にそっぽを向いた。そして切り落とされた香織の腕にも目もくれず、先に仕留めていた魔物ウサギの肉をバリボリと貪り、そのまま何処かへ行ってしまった。

 

「助かった……の……?」

 

 目の前で起きた事が信じられず、香織は脱力した様に呟く。しばらく呆然としていたが、地面に残された自分の腕を見てようやく意識が覚醒した。

 

「ああ、手! そうだ、私の手が……!」

 

 慌てて駆け寄り、腕を拾い上げる。いくら自分の腕といっても切り落とされた人体を触るのに抵抗感はあったが、この状況で四の五の言っていられなかった。恐々と切り落とされた腕を切断面に付ける。

 

「――天啓よ。かの者に今一度力を――」

 

 魔力を集中させ、香織の天職として最も適性の高い回復呪文の詠唱を始める。切断された腕にも有効なのか? という考えなど無かった。切り落とされた腕をどうにかしようとパニックになった頭で、必死で自分の魔力を振り絞り、全集中して回復呪文を唱えようとしているに過ぎない。

 

 だからこそ、香織は気付かなかった。

 切り落とされた腕がまるで氷の様に冷たく――そして先程から切断面から一切の血が流れ出ていない事に。

 

「“焦て、ああああああっ!?」

 

 回復魔法を発動させた途端、焼ける様な痛みが切断面に奔った。それと同時に、切り落とされた腕がボロボロと灰の様に崩れ落ちる。

 

「なん、で? なんで、なんで!? ちゃんと回復魔法を使ったのに!?」

 

 自分の腕が灰になったという事態に、香織は強い恐怖と混乱で狼狽するしかなかった。ジクジクと火傷の様に切断面が痛み出す。

 

「水……水で冷やさないと!」

 

 とにかく残った腕の痛みをどうにかしようと川に近寄った。

 そして――香織はソレを見てしまった。

 

「え………?」

 

 香織はそれが自分の声だとは分からなかった。

 水面には、鏡で何度も見慣れた顔が映っていた。

 ただし――左半分は無惨に潰れていた。

 潰れた頭蓋からは、脳が見えていた。

 

「あ、あ………」

 

 自分の目に映っているのは、きっと自分の姿を真似た魔物だ。水面に隠れて、自分の姿に変身して恐ろしい幻覚を見せてるに違いない。

 そんな風に考えようとした香織を嘲笑うかの様に、水面に映っている左半分の顔面が潰れた魔物は恐々と割れた頭蓋を触ろうとする香織と鏡写しの様に動いた。

 割れた頭蓋から見える脳に手を触れる。何の痛みも無く、柔らかい感触を感じた。

 そして――思い出してしまった。

 

「あ、あ、ああ………!」

 

 奈落に落ちる途中、岩肌に自分は顔の左側から強く叩きつけられた事に。

 その衝撃で――自分は一度、死んでいた事に。

 

 「い……嫌あああああああああぁぁぁぁああああっ!!」

 

 香織の喉から絶叫が迸る。

 迷宮の奥底。奈落の下で響いた、かつて人間だった少女の慟哭は誰にも届かなかった。

 

***

 

 ナザリックの第四階層で、ナグモは机の上に広げられた様々な薬草を検分していた。傍らにはミキュルニラが電子端末を片手に控えていた。

 

「これがナザリックの近辺に生えていた薬草か……」

「はい〜。アウラ様の調査のお陰で〜、ハルツィナ樹海で見つかった薬草だそうです〜」

 

 いつもの様に間延びした声で報告するミキュルニラを横目に、ナグモは片眼鏡の様な魔法アイテムを片手に次々と薬草の成分を調べていく。傍から見ていると雑に流し見ている様な早さだが、ナグモの頭脳ではそれが標準の早さだった。ミキュルニラにもまた、喋りながらナグモの早さに合わせて次々と調べられた薬草のデータを端末に入力していた。

 

「でもでも〜、しょちょ〜が言っていたフェアベルゲンという亜人さん達の国はまだ見つかって無いそうです〜」

「ふうん……? まあ、トータスでは人間至上主義のエヒト教がのさばっている。その為、亜人族達は余程の事情が無い限りは樹海の奥から出て来ないのだろう。もっとも、アウラのスキルを考えれば見つかるのは時間の問題だろうが」

「そうですね〜。ところで〜……この薬草、使えそうですか〜?」

 

 ハァ、とナグモは片眼鏡から目を離す。

 

「はっきり言って、これらの薬草から作れそうなのは低級ポーションだけだ。ナザリックにある材料無しでは、モモンガ様がサンプルとして下さったマイナー・ヒーリングポーションすら作れないだろう」

「あ〜、やっぱりですか〜」

 

 ミキュルニラもその答えを予想していたのか、ガックリと肩を落とした。

 

「う〜ん……そうなると、ナザリックのポーションの在庫が減る一方になっちゃいますよね〜」

「画期的な材料でも見つかれば話は別だがな。詳しく分析して、調合配分などを変えれば少しはマシになる筈だ」

「はい〜、じゃあ、スタッフの皆さんにそうお伝えします〜」

 

 そう言って、ミキュルニラは机に広げられた薬草を片付けようとした。

 

「………ああ、少し待て。これと、あとこれか。もう少し詳しく調べたい」

「ふぇ? でもそれ、そんなに珍しい成分は検出されてなかった筈ですよ〜?」

「ユグドラシルには無かった薬草には違いない。ならば、僕が調合法を試してみるのも良いだろう」

「は、はあ? じゃあ〜、それらはしょちょ〜にお任せしますけど……」

 

 あまり納得のいかなそうなミキュルニラを残し、ナグモは薬草を片手に自室であるナザリック技術研究所の所長室に入る。所長室には併設される様に、ナグモ個人の研究室が設置されていた。

 手にした薬草を摺鉢で粉末状にし、ビーカーやフラスコへと入れていく。

 

「異世界の材料だろうと職業スキルは働くか。これはモモンガ様にご報告すべきだな」

 

 錬金術師(アルケミスト)として最上位のトリスメギストスの称号を持つナグモの職業スキルは、あっという間に薬草を望み通りのポーションへと変えていく。そして、ポーションの完成まであと一工程となったところで――。

 

 ――ザザッ。

 

『ええと、治療薬のポーションを作る為に必要な材料がこれで、入れちゃ駄目なのが……。うう〜、やっぱり難しいよー!』

『……逆に聞きたい。何でこの程度を理解するのが難しいのだ? 僕には全く理解できない』

『もう……皆が皆、南雲くんみたいな天才じゃないんだよ? 普通の人はこうやってキチンと勉強しないと理解できないの!』

『ふむ……人間というのは大変だな。まあ、僕はじゅーる様が与えて下さった頭脳のお陰で、その手の苦労はした事無いが』

『……なんというか、本当に南雲くんを生んでくれた人は凄い人だったんだね』

『ふん、何を当然の事を。……ところで、その調合だと出来るのは麻痺薬だ。キチンと見直しているのか?』

『え? あ、本当だ……』

 

 ――ザザッ!

 

 ズキリ、とまた胸が痛み出す。

 

「っ、何で今更……!」

 

 ギリっと歯を食いしばる。

 

(あの人間は死んだ……! なのに、何で今更、こんな事を思い出す……! それに……何だ、この痛みは……!)

 

 ズキン、ズキン、ズキンとまるで胸に風穴を開けられたかの様に痛み出す。

 

「いい加減にしろ……! 僕は……至高の御方に仕える第四階層守護者代理だ……! 人間嫌いとして創られた僕が……人間相手に、情など抱くか……!」

 

 出来上がったポーションをナグモは即座に飲み干した。

 ポーションに込められた効能は、状態異常の回復。そして――精神の沈静化。

 ポーションの効能で、ようやくナグモは胸の痛みが治まっていくのを感じた。

 

 

 

 

 




>香織さん、アンデッド化。

 うん、まあ……自分でも鬼かなとは思う。でもホラ、これで空腹では死なないし、死体だから魔物も喰いたがらないし……。
 大丈夫、ちゃんとナグモには助けにはいかせますって!
 スケルトンになる前ぐらいには!

>ナグモ、薬に頼り始める。

 割と影響は深刻だ、と思って頂ければ。


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第二十話『三者三様の苦悩』

 ダンガンロンパのリメイクを買いました。モノクマを見倣って、彼等を絶望させていこうと思いました。読者の皆様は狛枝凪斗の様に希望を信じて上げて下さい。


「聞きましたか? あの錬成師、実は魔人族の裏切り者だったらしいですぞ!」

「なんと、それは本当ですかな? いや、子爵殿をお疑いするわけでは無いのですが……」

「いやいや、男爵殿。これが事実なのですよ! イシュタル教皇にエヒト神の御告げが下ったそうなのです。神の使徒達の中に裏切り者の影あり、とね」

「ほう、教会から……だとすれば、それは絶対の事実というわけですなぁ。王国で聖教教会の言葉を疑うのは愚か者のする所業ですからな」

「はは、全くもってその通り。私は最初から怪しいと思っていたのですよ。あの人を人と思わぬ目つき……野蛮な魔人族に与してなければ、あんな目で人を見ませぬぞ!」

「なんと……いやはや子爵殿の慧眼には頭が下がりますよ。私も仮にも神の使徒という事で、挨拶しようとしましたが、あの錬成師は事もあろうにこの私を無視して素通りしたのです!」

「なんと無礼な! まあ、そんな無礼な裏切り者も勇者様が糾弾してオルクス迷宮で身投げした様ですがな。まったく、人族を裏切った者には相応しい末路と言えましょうな」

「ええ、まさに勇者様はエヒト神に選ばれた真の神の使徒ですな」

 

 オルクス大迷宮の悲劇から数日後。ハイリヒ王国の王宮ではナグモが魔人族に寝返っていたという話で持ち切りだった。同時に、人類の裏切り者を糾弾して死に追いやった勇者・光輝を貴族達や教会の関係者は讃えていた。

 

 あの日、迷宮上層への転移ゲートの前で待機していた生徒達は、いつまでも来ないメルドがようやく来て、やっと帰れると全員が安堵した。

 

『ハジメは……南雲ハジメは、迷宮の奈落に身投げした』

 

 一斉に彼等の顔が凍り付いた。そんな生徒達をメルドは幽鬼の様な顔で見回した。

 

『お前達……これで満足したか? 皆で根拠のない妄言で責め立てて……戦友を自殺させて、これで満足か!?』

 

 悲痛なまでに義憤したメルドの声に、生徒達は皆、顔を伏せるしかなかった。

 

 ………だが、メルドの叫びは届かなかった。

 事の次第が王宮に伝わると、王室は蜂の巣をつついた様な騒ぎになった。

 今回の迷宮での演習は浅い階層までしか行かないから、そんなに危険ではないだろうと誰もが高を括っていた。それが蓋を開けてみれば、迷宮のトラップに嵌った末に、味方からの誤射で一人が死亡。そして内輪揉めの末にもう一人が自殺するという、とてもエヒト神の使徒として相応しくない結果に終わった。

 この事態をどう収束するか? どうすれば、神の使徒という威光を傷付けずに済むか? と悩むハイリヒ王や貴族達。そこへまさに天啓の様に教皇イシュタルから次の様に告げられた。

 

 曰く、神の使徒達の中に裏切り者の影があり。その裏切り者は非戦闘職でありながら、他を隔絶した力を持つ者なり。かの者は魔人族と密約を交わし、魔の力で勇者達を害そうとしていた、と。

 

 驚く王室の面々を前に、イシュタルはいつもの様にエヒト神へ祈りを捧げていたら、エヒト神からの御告げがあったと告げた。その御告げがあった日から教会は独自に神の使徒の裏切り者———南雲ハジメを調べ、彼がいつも図書館の一室に篭って出てこない事や、皆が寝静まった深夜にも活動するなど不審な行動があった事に目を付けていた。

 そしてオルクス迷宮へと演習に行った隙に調べた南雲ハジメの部屋や図書館の一室から、魔人族とのやり取りを記した()()を教会の関係者達が見つけたと話した。後は演習から帰って来た時に捕縛し、異端審問にかけるつもりだった、と。

 

 今の状況で、この出来過ぎた話に違和感を覚えた者はいたが、このハイリヒ王国において聖教教会の言う事は絶対だった。下手に異議を唱えれば今度は自分が異端審問にかけられる事、そして事態の早急的な解決を望んでいた事から次の様に王室は決定した。

 

 召喚された神の使徒の一人、南雲ハジメは自らのステータスの低さから他の神の使徒達に嫉妬して魔人族に寝返った。見返りとして邪神アルヴの力で強大な力を持ち、ある日から突然ステータスが跳ね上がった。

 そしてオルクス迷宮で()()()()()()()()()()()使()()を犠牲にして生き残ろうとしたものの、南雲ハジメの邪悪な魂を見抜いた勇者達の糾弾により、苦し紛れに奈落に身投げして自死した。

 

 この()()にメルドは当然異を唱えたが、教会と王室の意向に逆らった事、本来なら安全な筈の訓練で死者を出した事、さらには教官という立場でありながらナグモの裏切りに気付かなかったという不手際を槍玉に上げられ、メルドは神の使徒達の戦技教官並びに騎士団長を解任され、彼に近しかった部下達と共に辺境へ左遷となった。

 同時に神の使徒達の中で最強()()()ナグモに擦り寄ろうとしていた王宮仕えの貴族達は手のひらを返して、魔人族の裏切り者を死に追いやった英雄(光輝)を褒め称え、ナグモに付かされていた使用人(メイド)や図書館の小部屋を貸していた女性司書は教会騎士に()()の為に引っ捕らえていた。その後、彼女達の行方は杳として知られていないが……。

 

 兄貴分であったメルドが居なくなってしまった事に生徒達はショックを受けたものの、大半の者——ナグモを糾弾した生徒達は安堵していた。

 見ろ、やっぱり奴は裏切り者だった。白崎さんが死んだのはあの裏切り者のせいだ。あの時、皆で責めたのは間違いじゃなかったんだ。それで奴は勝手に飛び降りた。自分達はそんな事をしろとは一言も言ってない。そうだ、だから自分達は悪くない………。

 そう思い込む事で、彼等は自分達の誤射で香織を殺してしまったかもしれないという事実と、嫌われ者とはいえクラスメイトだったナグモを自分達が自殺に追い込んでしまったかもしれないという事実から目を逸らす事が出来た。

 

 ***

 

「う、ん………」

「雫様!? 良かった、目をお覚ましになられたのですね!」

 

 雫がボンヤリと目を開けると、そこは見慣れた王宮の自室だった。すぐ側には王宮から雫付きの使用人(メイド)として付けられたニアの姿があった。濡れたタオルを持っていたニアは、目を覚ました雫に安堵の溜息を漏らした。

 

「ニア……? ここは……王宮?」

「はい! 雫様は五日間も御眠りになっていたのです!」

「五日間? どうしてそんな……」

 

 そこまで言い掛けて、雫は思い出してしまった。自分が意識を失う前に何を見てしまったか。

 

「ニア、香織は……? 香織は何処にいるの?」

 

 ニアは即座に沈痛そうな表情になった。その顔に雫は現実を認めたくなくて、次々と喋り出す。

 

「……嘘、よね? 私が気絶している間に香織も助かったのよね? 香織は? 香織は何処? きっと南雲君の所よね? あの子ってば、最近は南雲君の話しかしないんだもの。惚気話に付き合わされるこっちの身にもなりなさいよ、って一度ガツンと言わなくちゃ」

 

 ナグモの名が出た途端、ニアの顔がさらに引き攣る。どう言うべきか躊躇してしまい、その隙に雫はベッドからパッと起き上がって部屋から出てしまった。

 

「雫様!? お待ち下さい!」

 

 後ろでニアが叫んだが、雫は脇目も振らずに走り出していた。

 

(きっと二人は一緒にいる筈よ。香織は最近、南雲君にべったりだったんだからっ)

 

 五日間も飲食を取らずに動かさせなかった体は悲鳴を上げたものの、雫はその悲鳴を無視してフラつきながら王宮図書館を目指す。

 

(前に香織は言っていたわ、南雲君とは図書館の秘密の場所で会ってるって。香織ってば、私が寝ている間もイチャイチャするなんて……会ったら絶対に文句を言ってやるんだからっ)

 

 鬼気迫る顔で駆けていく雫にすれ違った使用人達は怯えた様に後退りしながら道を譲る。そして雫は図書館に着いた。乱暴にドアを開け、それに対して図書館の職員が文句を言ってきたが、それらすら耳に入らず、雫は目的の小部屋に向かって一直線に走っていく。

 

(絶対に……絶対に、会って文句を言ってやるんだから……!)

 

 ああ、だから、香織は絶対にあの部屋にいる筈だ。きっと突然入ってきた自分を香織は驚いた顔で見つめ、その隣にはあの他人嫌いな男子がいつもの様な無表情で煩わしそうにジトッとした目で見てくるのだろう。そうしたら自分の親友に言ってやろう、見舞いにも来ないで意中の人とデートとか良い度胸じゃないか、と。ああ、だから、だから、だから———!

 

 そして、目的の部屋のドアをパッと開け———誰も居ない空間が雫を出迎えた。

 

「あ……あ、ああ………!」

 

 茫然自失となる雫。しばらくすると、その後ろから複数の足音が聞こえてきた。

 

「雫! 良かった、目を覚ましたんだな!」

「光、輝………?」

 

 そこには自分の幼馴染()()()男がいた。その他にも龍太郎や何人かのクラスメイト達の姿があった。光輝は雫を見て満面の笑みを浮かべていた。

 

「ニアさんから聞いて、驚いたよ。でも駄目じゃないか、病み上がりなんだから急に動き出すなんて。さあ、俺が部屋まで送るから一緒に」

「光輝……香織は……南雲君は何処?」

 

 ペラペラと喋り出す光輝の言葉を遮る様に雫は低い声を出した。その鬼気迫る様子に他の面子が気圧される中、光輝は雫の様子に気付かずに顔を顰めた。

 

「なんで雫まで、あんな裏切り者なんかを……。まあ、いいや。雫、落ち着いて聞いてくれ。南雲は魔人族の裏切り者だったんだ」

「南雲君が裏切り者……? 何を、何を言っているの?」

「信じられないかもしれないけど、事実なんだ。イシュタルさんがそう言っていたんだ」

 

 雫はぐるりと他のクラスメイト達を見回したが、皆気不味そうに目を逸らすだけだった。そんな中、光輝は何故か得意げに語る。

 

「でも安心してくれ! 南雲はもう俺達で追い払ったんだ! 奴は奈落へ飛び降りて逃げ出した! だから雫も身体が治ったら———安心して香織を助けに行こう!」

 

 瞬間。頭を強く殴られた様な衝撃を雫は感じた。

 

「なに………言って、るの?」

「香織はきっと迷宮の底で生きてる! 俺はそう信じてるから雫も諦めたら駄目だ! いや……もしかしたら南雲の奴も飛び降りたと見せかけて、本当は香織を攫う為にしぶとく生きてるのかもしれないな。うん、きっとそうだ! 何せ魔人族なんかに与してステータスを不正に上げていたんだ、それくらいはやってくるかもしれない。でも大丈夫だ! 俺が必ず香織を救ってみせる! だから雫も安心して———」

 

 プツン、と雫の中で何かが切れた。

 

「ふざけるなああああぁぁぁああっ!!」

 

 未だに根拠のない妄想をベラベラと喋り出す光輝を雫は押し倒し、その喉を渾身の力で締め付ける。

 

「ぐっ、げ……じ、ず、ぐ……?」

「お前があああああっ! お前のせいで香織があああああっ!」

「お、おい、何してんだよ! 雫!」

「シズシズ、止めて!」

 

 龍太郎や鈴などその場にいたクラスメイト達が慌てて光輝の首を絞める雫を引き剥がす。

 

「離せ! 私に触るな! 離せ、離せえええええっ!!」

 

 彼等に取り押さえられながらも尚も雫は暴れる。何が起きたのか分からず、呆然と尻餅をつく光輝を他所に何事かと見ていた図書館の職員達は慌てて騎士達を呼びに出て行った。

 

 ———そして彼等は気付かなかった。本棚の陰で、シャドーデーモンが人間達の醜態を嘲笑う様に身をくねらせていた事に。

 

 ***

 

 オルクス迷宮の奈落の底。

 ここに、一匹の魔物がいた。この魔物を仮に二又狼と呼ぼう。二又狼はこの奈落の中では最弱クラスに位置する魔物だった。そんな二又狼達が生きているのは、彼等には“纏雷"という固有魔法がある事、そして集団で狩りを行う習性がある為だ。

 しかし、迷宮で一匹でいるのは群れの中では落ちこぼれに分類される個体だった。彼はいつもボス達が仕留めた魔物を腹一杯喰らい付いた後に、ようやく残飯にありつける有り様だった。その日、空腹感から二又狼は危険と承知しながら単独で狩りに出た。自分が獲物を仕留めれば、腹一杯に喰えると信じて。

 

「グルルル……?」

 

 ふと、二又狼の鼻に僅かに鼻につく臭いがした。

 これは肉の臭い……しかし、腐り始めているか? 

 フンフン、と地面に伏せて臭いの元を探そうとした。もう空腹感も限界だった、この際、死体でも僅かに喰える所があればそれでいいと二又狼は辺りに漂う腐臭に鼻が詰まる思いをしながら探し出した。

 

 その時———突然、背後で音がした。

 

 素早く振り向いた二又狼の目に、彼の生涯で見た事の無い魔物が襲い掛かって来るのが見えた。この一辺のボスである()()()()()()()の様に二本足で立つソイツは、手に何かを持って自分へ殴り掛かってきた。

 

「ああああああっ!!」

 

 グシャ。二又狼の頭に今まで感じた事の無い痛みが奔る。それが持った石で殴られた痛みだと、自分の爪や牙以外の道具を使った事の無い彼には分からなかった。未知の鈍痛に怯む彼に対して、襲ってきた魔物は強い力で首を絞めてきて、尖った石を何度も何度も頭に向かって振り下ろす。

 

「グ、グルアアアアァァアッ!!」

 

 頭から血を流しながら朦朧とした意識で二又狼は振り解く為に“纏雷"の固有魔法を使った。身体に電流が流れ、彼の経験則ならば相手は倒れるとは言わずとも怯んで離れる筈だった。

 

「………っ!」

 

 だが、その魔物は手を離さず、また石を振り下ろす手も止めなかった。まるで()()()()()()()()()の様に二又狼から離れる事なく、何度も何度も二又狼の頭を砕くかの様に石を振り下ろしてきた。

 

「うう、ああああああああっ!!」

 

 一際大きく振り被って降ろされた石の尖った部分が、とうとう二又狼の眉間を貫いた。脳天を貫かれ、二又狼はビクンと痙攣してそれきり動かなくなった。

 

「ハァ、ハァ……勝った……」

 

 魔物———香織は、荒い息で溜息をついた。返り血で水色を基調とした法衣と両手はべっとりと汚れたが、そんな事は気にしていられなかった。

 

「食べ、ないと……」

 

 香織は()()を使って、二又狼の死体を岩場の物陰へと引き摺っていく。あのままでは血に釣られて別の魔物を呼び寄せる事を香織はここ数日の()()で学んでいた。

 二又狼を仕留めた場所から十分に離れ、周りに他の魔物がいない事を確認した香織は———そのまま二又狼の死体に齧り付いた。

 

 バリ、ボリ。迷宮に香織の咀嚼音だけが響く。

 

 火を焚く事は出来なかった。焚き火が原因で、別の魔物を誘き寄せてしまったから。だから香織は仕留めた死体を生のまま、そして別の魔物達に気付かれない内に素早く食べるしか無かった。それでも問題は無い。何故なら———こうして食べていても、何の味もしないのだから。

 

「っ……う、ううっ……」

 

 だが、香織の精神は別問題だ。食器も使わず、獣の様に魔物を貪っていると、自分が人間でなくなった事を尚更に自覚する羽目になり、香織は泣きたくなる程に惨めな気持ちになった。

 

 そして、そんな香織をさらに追い詰める出来事が起きる。

 

「あ、あ、あ……っ」

 

 メキメキ、と音を立てながら香織の肉体が変化し出す。元から身体に走っていた赤黒い線が脈打ちながらさらに広がっていく。同時に腐敗して剥がれ落ちそうだった皮膚が真新しい皮膚へと置き換わっていく。

 ただし……皮膚の色は生者の物とは思えないほど青白く、赤黒い線に覆われていたが。

 

「良かった……これで、また少し保っていられるよね……?」

 

 新しく生えた皮膚を見ながら、香織は両手を抱きしめる。

 爪熊に切り落とされた筈の腕は———毛むくじゃらで、狼の手を無理やり人間の形にした様に歪だった。

 

 香織がそれに気付いたのは、自分が恐ろしいアンデッドに変貌した事に絶望した次の日だった。眠る事も出来ず、岩場の物陰でひたすら泣くしかなかった香織が足に違和感を感じてふと見ると、そこには蛆が湧いていた。半狂乱になりながら足を掻きむしると、まるで腐った桃の様にズルリと足の皮膚が剥がれ落ちたのだ。

 そして香織は自覚してしまった。自分の身体は、時間が経つ毎に崩れ落ちていくのだと。

 

(嫌だ……嫌だ! 死にたくない……消えたく、ないよぉ……!)

 

 絶望に震えながら、それだけを強く思うしかなかった。だが、身体を治すのに回復魔法は使えない。もはや自分の身体が回復魔法を受け付けない事を香織は本能的に悟っていた。そうして半狂乱になった香織の脳に、ある考えが本能的に浮かんだ。

 

 自分の身体は魔力が足りなくなって、崩れ落ちそうなのだ。だから、自分の身体を保ちたいなら魔力を外部から取り入れなければならない。例えば———魔石ごと魔物を喰らう様な方法で。

 

 ……もはや、絶望で香織には正常な思考は残されていなかった。あるいは身体がアンデッド(魔物)となった事で、精神も人間から変調してしまっていたのだろう。いずれにせよ、香織は藁にも縋る思いで魔物狩りを始めた。

 最初の内は魔物に返り討ちに遭っていた。しかし、香織の腐敗した身体は魔物達には魅力的に映らなかったのか、倒した獲物を見ても臭いを嗅ぐと魔物達はそっぽを向いて立ち去った。そうやって何度かのトライ&エラーを繰り返し、香織はどうにか魔物を仕留める事が出来る様になっていた。

 そして魔物の肉を喰らい、はたして香織の望み通りに身体の崩壊は止まった。そしてそれは………香織の身体がさらに人外へと変貌する事を意味した。最初に肉を喰らった時、ドクン! と動かなくなった心臓が再び動いた様な気配と共に身体の変貌が始まった。メキメキと自分の身体が軋む感覚に吐き気を覚えていると、失った筈の腕が生え始めた。ただしそれは、喰らった魔物の肉体の様で歪な形だった。

 ……それでも肉体は再生出来た。その事実に縋って、香織は狩りを続けるしかなかった。さらには喰らった魔物の強さを取り込んでいるのか、魔物を喰らう毎に狩りに苦労する事が無くなって来ていた。

 

「う、うう……」

 

 ……段々と化け物じみていく身体と引き換えに。

 

「あ、ああ、ああああああっ!」

 

 再生し、爬虫類の様に虹彩が縦長くなった左目から涙が溢れる。唯一、人間らしい名残りがある右半分の顔も悲痛に歪んだ。

 

(どうして? どうして私がこんな目に遭わないといけないの?)

 

 自分が考えなしに戦争に参加するなんて言ったせいだろうか? それとも雫やナグモの忠告を聞かずに迷宮に行ったせいだろうか? 香織の中で、何故、何故、という思いがグルグルと回る。

 ステータスプレートは怖くなって捨ててしまった。もしも自分の天職に「魔物」なんて書かれていたら、本当に人間で無くなってしまった事を認めなくてはならない気がしたのだ。

 

「帰りたい……地球に、家に帰りたい……! お父さん……お母さん……!」

 

 優しかった両親の姿が思い浮かぶ。だが、自分の新しく生えた左腕を見て香織の顔が更に歪んだ。

 

(駄目……帰れない……! こんな……こんな化け物みたいな身体で、どうやって地球に帰れば良いの?)

 

 もはや両親ですらも、自分が実の娘だなんて気付いてくれないかもしれない。それを想像して、香織の心が絶望一色に染まる。

 

(私が……私が悪かったの……? ナグモくんや雫ちゃんの忠告を聞かなかったから? 皆を戦争に巻き込んじゃったから?)

 

 クラスメイト達の姿を思い浮かべる。

 ……ナグモに向かって、悪意のある魔法を放った誰かの姿が頭に浮かんだ。

 

(でも……私がこんな目に遭う理由なんて無い! そもそも南雲くんを殺そうとする人がいなければ、私は奈落に落ちなかった!)

 

 誰かは分からない。だが、クラスの大多数が光輝がナグモを懲らしめると言った時に歓声を上げていた。その事を思い出し、香織の中で怒りが荒れ狂う。

 

(光輝くんが……天乃河くんがメルドさんの指示に従っていれば、こんな事にならなかった! 坂上くんが煽らなければ、こんな事にならなかった! 檜山くんが不用意にトラップを発動させなければ、こんな事にならなかった! あの人達が———あの()()達が……!)

 

 かつての香織なら、こんな八つ当たりじみた思考などしなかっただろう。だが、クラスメイト達から常日頃から受けていたストレス、誰もいない奈落で日々化け物へ変わっていくというストレスが、二大女神の片割れなどと呼ばれていた少女の心をドス黒く染め上げていく。

 その姿はまさしく、生者を呪う亡者の様だった。

 だが………。

 

「雫、ちゃん………」

 

 自分の親友の姿が思い浮かぶ。苦楽を共にし、自分の理解者だった彼女は光輝達に苦しめられて無いだろうか? こんな化け物みたいな自分を、彼女は気付いてくれるだろうか? 

 そして………。

 

「南雲、くん………」

 

 いつも無愛想で、無表情な男の子の姿が思い浮かぶ。他人が嫌いという態度を隠さなくて、自分の相談相手になってくれて、虐められていたら普段の姿からは想像出来ないくらい怒って自分を助けてくれた。似合わない熱弁までして、自分を抱き締めてくれた彼を思い出して、香織は涙を流した。こんな風になってしまった自分でも、彼は変わらずに抱き締めてくれるだろうか?

 

「会いたいよ……会いたいよ……南雲くん……南雲、くん……!」

 

 まだ赤黒い線に覆われていない顔の右半分から涙を流して、香織はさめざめと泣いた。

 その泣き声は———まるで墓地に寂しく吹く風の音の様だった。

 

 ***

 

「えっと……これが、今回採取できた薬草です……」

「……そうか。なら、これとこれは僕の方で調べる。残りはお前の指導の下、スタッフ達に調合配分を変えながらポーションを作る様に指示しろ」

「は、はい……あの、しょちょ〜?」

「……何だ?」

「しょちょ〜は……その薬草で作ったポーションを、ちゃんと動物実験に使ってますよね……? ご自身で、実験に使っていたり……しないですよね……?」

「……当然だ。もういいか? お前も、即座に仕事に取り掛かれ」

 

 心配そうな顔をするミキュルニラに背を向けて、ナグモは所長室の個人実験室へと入る。薬草を擦り合わせ、目当てのポーションをすぐに作り上げた。

 

(何も……問題無い……)

 

 自分の錬金術師としてのスキル———創作者であるじゅーるによって、デザインされたスキルに何の不備も無い事を確認しながら、ナグモはポーションを注射器に入れていく。

 

(問題など無い……僕は、じゅーる様に創られた通りに動いている。だから……問題など、有り得ない)

 

 そして、注射器を自身の腕に刺す。ポーションの効能が静脈を駆け巡り、即座に全身へと行き渡っていくのを感じた。

 同時に、心が冷えて思考は冴え渡り———胸の痛みが収まっていく。頭に浮かんでいた人間の女の顔が、薄れていく。

 

(そうだ……僕はナグモ……栄えあるナザリック地下大墳墓の第四階層守護代理にして、ナザリック技術研究所の所長……人間を嫌い、人間に対して同族意識も同情も……何の感情も持たない人間)

 

 ポーションの効果や作用するまでの時間などをデータに纏める。

 

(だから……自分には、何も問題ない)

 

 そう言い聞かせて、ナグモは纏めていたデータファイルを閉じた。

 

 ……ドクターとしてのスキルが、投与した量も頻度も常軌を逸脱していると告げている事に目を背けながら。

 

 

 

 

 




>ハイリヒ王国

 聖教教会の傀儡なので、かなり内面は腐ってます。
 ……ところで王国滅亡とかにならなければ、軟化したと言えるよね?

>メルドさん、クビ

 そりゃあね。原作みたいに落ちたのは無能だから、まあいいやとはならないです。再登場させるかは未定です。見方を変えれば、この時期に王都から離れられて幸運と言えるでしょう(笑)

>光輝

 書いてみると本気で難しいキャラです。最初は正義を盲信して自己中な言動をさせれば良いかと思っていましたが、「いや、御都合主義でもこんな風に考えられる?」と思う様な言動を考える必要があるので。とある作家さんの考察は大変参考になりました。

>この時のモモンガ様

デミ「……という様に、ナグモの死亡は処理されたそうです。いやはや、下等生物達の愚かさは私の予想を上回りましたよ」
モモンガ(王国にワールドアイテム級の反撃手段がある可能性、勇者対策がまだ万全じゃない事などを思い浮かべて、キレたいのを我慢して沈静化が連続している)
デミ「自称勇者の持論など笑えましたよ」
モモンガ(!? ナグモの偽装死も見抜いているのか? やはり……危険な奴!)

 こんな遣り取りがあるとか無いとか。

>香織の現状

 簡単に言うとアンデッド・キメラ状態。既に死亡しているので魔物肉を喰らって身体が崩壊する事は無かったですが、神結晶による再生が無いので喰らえば喰らうほど、魔物の能力やステータスと一緒に外見まで取り込んでるみたいな感じです(この設定は後で変えるかも)
 強いて良かった探しをするなら……ユグドラシルにこんなモンスター、多分いない。

>ナグモ

 ヤク中状態です、はっきり言って。何でそこまで認めたがらないかは、後々書いていきます。

 次回はナザリックで珍しくカルマ値プラスなあの人が登場予定です。



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第二十一話「在り方が崩壊する時」

 さて、そろそろ救済パートに入ります。これは前準備的な感じです。


「………」

「しょちょ〜?」

「………」

「しょちょ〜!」

「………」

「しょちょ〜ってば!」

「………何だ? 騒がしい」

「もう! さっきから呼んでたじゃないですか〜!」

 

 ミキュルニラの声に、ようやくナグモはガルガンチュアのメンテナンスパネルから顔を上げて振り向いた。

 

「シズちゃんが来ましたよ、って。今日はシズちゃんの定期メンテナンスの日ですよ〜」

「……ああ、そうだったな」

 

 頭の中でスケジュールを確認すると、確かにその通りだった。その事を失念していた自分に対してナグモは溜息を吐きながら、コメカミをトントンと叩く。

 

「あの……しょちょ〜? お身体の調子が良くないんじゃないですか? シズちゃんには、また今度来て下さいってお伝えした方が」

「いや、不要だ。すぐに行く」

「でも………」

 

 まだ何か言いたそうなミキュルニラの目線から逃れる様にナグモは歩き出した。

 

(……大丈夫だ、問題ない)

 

 じゅーるによって人智を超えた錬金術師であり、科学者として設定されたナグモ。その手腕は異世界(トータス)であっても遺憾無く発揮されていた。頭の中で何万通りの試算(シミュレート)を行い、それを実証する為の実験を幾度と行なった結果、この世界の薬草———ユグドラシルから見れば、初心者向けの最下級アイテムに分類される———から、どうにか下級(マイナー)ポーションに匹敵する薬品を作り出す事が出来ていた。

 

(そうだ………何も問題ない)

 

 特に精神系のポーションは()()()()()()()()から効果の実証は折り紙付きだ。

 ………あれは必要な実験だった。ナグモはそう思い込んでいた。

 ポーションの過剰摂取(オーバードーズ)によって頭痛に悩まされて睡眠時間が明らかに減り、必要最低限は摂取していた食事の量も見るからに減っていても、自分には維持する腕輪(リング・オブ・サステナンス)があるから大丈夫だと自分に言い聞かせていた。

 

(何も、何の問題などない……僕はじゅーる様に御創造して頂いた通りに動いている)

 

 ……もはや、創造主に設定された(望まれた)通りに機能するという事しか、ナグモの頭には無かった。そして、彼は個人研究室のドアを開け、先に来ていた人物へ声を掛けた。

 

「久しぶりだな。CZ2128・Δ」

「……ん。久しぶり、です」

 

 ストロベリーブランドの髪をした自動人形(オート・マトン)の少女が答えた。

 ———設定として、ナザリックのNPC達との接点が少ないナグモではあるが、例外として数少ない友好関係があるNPCがこのCZ2128・Δこと、シズ・デルタだった。もっとも、ナザリックの機械関係はナグモの管轄という設定が反映されたに過ぎないが。

 

「……でも、その名前で呼ばないで欲しい、です」

「? 名称は正しく呼称すべきだろう。君以外にもCZシリーズはいるのだから」

 

 格納庫の一室に保管された姉妹機達を思い浮かべていると、シズは少しムッとした顔になった。

 

「……その呼び方は、可愛くないから嫌です。……シズと呼んで欲しい、です。……博士には、そう呼んで貰っていたので」

「博士……ああ、ガーネット様か。確かに、配慮が欠けた呼び方だったな。謝罪しよう」

 

 スッと頭を下げたナグモにシズは「……ん」とだけ頷いた。その姿を見て、ナグモは改めてこの自動人形の少女の精巧さを思い知る。構造的にはともかく、ここまで自我の発達した自動人形は自分では製作が難しいと思っていた。

 

(そもそも、自動人形には命令に従う程度のAIプログラムがあれば、自我など不要だと思うのだが………いや、それを簡単に行えるからこそ、至高の御方なのだろう)

 

 あるいはそこが自分と至高の御方の歴然とした差なのだろう。人智を超えた頭脳として設定された(創られた)ナグモも、至高の御方相手には一生足元に及ばない気がしていた。

 

「では改めて、シズ・デルタ。以前のメンテナンスから変わった事は?」

 

 メンテナンス用のデータを立体画像として呼び出し———ナグモの手が止まった。

 

(……以前? 以前は……いつに行っていた?)

 

 いや、そもそも———自分はシズのメンテナンスを今まで行なった事があったのだろうか?

 

「……銃器類は特に問題ない、です。大きな不調は確認されてない、です……ナグモ様?」

「……あ、ああ、そうか。特に問題無い様で何よりだ」

 

 不思議そうに見てくるシズにナグモは頭の中に浮かんだ疑問を即座に打ち消す。いま行っているのは至高の御方によって定められた(設定された)仕事だ。余計な事を考えて、万が一にもミスを起こすなどあってはならない。

 

「……でも、右腕の反応が少し遅れてるかもしれない、です。……あとコアパーツの出力ももう少し上げたい、です」

「なるほど……一度、フルメンテナンスをした方が良いかもしれないな。すぐに始めるが、時間は大丈夫か?」

「……ん。問題無い、です」

 

 シズの報告を受けて、ナグモはメンテナンス用の工具を取り出そうと備え付けの棚へ向かった。すると、後ろから衣擦れの音が聞こえて………。

 

「……待て。何をしている?」

「……? メンテナンスを行うなら、服を脱ごうかと」

「待て。少し、待て……一つ聞くが、以前のメンテナンスもそうだったか?」

「……? はい。時間が惜しいから、早く脱いで横になれと言っていた、と思います」

 

 何で今更? と不思議そうに聞いてくるシズにナグモは頭痛を耐える様にコメカミに手を当てた。至高の御方に定められたなら、そうするべきだろう。しかし、これは、さすがに………。

 ナグモは棚からある物を取り出すと、棚の方を向いたまま肩越しにシズへ投げ渡した。

 

「着ろ」

「……? これは……?」

「検査着。いいから、それを着ろ。着替え終わったら呼べ」

「……分かり、ました」

 

 再びの衣擦れの音を努めて聞かない様にしながら、ナグモはズキズキと痛む頭を抑えた。

 本当に———以前のメンテナンスはどう行っていたのだろうか?

 

 ***

 

「———では、モモンガ様にご報告をお願いする」

「ええ、キチンと伝えておくわ」

 

 パタン、とアルベドの執務室からナグモは退室した。第四階層の収支報告書を提出し終えたところだ。

 

(しかし……あまり芳しくは無いな)

 

 視界の隅で第九階層にいるメイド達がナグモを見て一礼するのを通り過ぎながら、ナグモは先程の報告書について考えていた。

 

(このままではいずれ第四階層の防備が下がるな……いっそシャルティア配下のエルダーリッチを何人か研究所の職員という名目で引き抜くか? しかし、一定以上の頭脳が無ければこっちも雇う気になれないな……)

 

 第四階層以外にも魔法詠唱者のシモベは出現(POP)するのだが、ナグモはそれら全てを自分の階層(技術研究所)に招こうとは思わなかった。あそこはじゅーるが手塩に掛けて作り上げ、また至高の御方達の為に研究やアイテム製作などを行うナザリックの知の粋を集めた場所なのだ。魔法詠唱者なら誰でもいい、と考える気は毛頭無い。

 

(やはり、例の計画を細部までつめて、モモンガ様に提唱すべきか……)

 

 ナザリックに帰還する前、まだナグモがハイリヒ王国の神の使徒として活動していた時に考えついた事を検討していた。

 

(それに……この計画なら、あの人間を大手を振って探しに———)

 

 ——ズキッ。

 

(っ、何を考えている! あの人間は死んだ! 今更探しに行って何になる!)

 

 頭に浮かんだ非合理な考えを振り払う様にナグモは胸を抑えた。もはや自身に害が出るレベルで精神系ポーションを服用している筈なのに、胸の痛みはあの日以来収まる気配が無い。それどころか、日を追う毎に痛みが酷くなってきている気がする。

 

(あの人間……白崎は奈落に落ちた! 生きている筈がない! 第一、『人間嫌い』と定められた僕が、何故あの人間を気にかけている!)

 

 そう自分に言い聞かせているというのに、ズキン、ズキンと心臓をもがれた様な痛みは治らない。それどころか、ポーションの過剰摂取で併発した頭痛もしてくる。

 

(っ……! いい加減に……!)

 

 全く思い通りにならない自分の身体に苛立ち、ナグモは咄嗟に最近服用している精神系ポーションの入った瓶を懐から取り出そうとした。

 

「……ナグモ様?」

 

 声をかけられて振り向く。そこにはナザリックの執事にして、家令(ハウス・スチュワード)のセバス・チャンが立っていた。

 

「っ、セバス・チャンか。久しぶりだな」

「はい。ナザリックがこの地へ転移して以来かと」

「そうか……」

 

 先程までの動揺を悟られたくなくて、ナグモは口少なく返事するだけに留めていた。

 

「前にも言ったとは思うが……敬称は不要だ。御方に仕えるシモベに上下など無いし、役職で語るなら、一応君と僕は同格となるからな」

「では、ナグモ。この場では敢えてそう呼ばせて頂きます」

 

 スッと洗練された礼をするセバスに、ナグモは何となく居心地の悪さを感じていた。セバスは言わば第九階層の守護者であり、ある意味ではナグモの同僚と呼べる存在なのだが、ナグモはセバスとは()()()()()()()()()()()()()。その為、早く会話を切り上げようとナグモは思っていた。

 

「ところでナグモ。お身体の調子がよろしく無い様ですが……」

「気のせいだろう。すまないが、僕は第四階層に戻るからこれで失礼する」

 

 そう言って、ナグモは立ち去ろうとした。

 

「———ナグモ。貴方の不調の原因ですが、ひょっとしてシラサキカオリなる人物が関係されているのでは?」

 

 瞬間。ナグモの胸がドクン、と跳ね上がった。

 

「………………何の話だ?」

「申し訳ありません。貴方がナザリックに帰還された日、第九階層の廊下でその名を呟いていたのを盗み聞きしてしまいました」

 

 あの時か、とナグモは内心で痛烈な舌打ちをした。あの醜態を目の前の執事に見られていたという事実に顔を歪めたい気分だったが、ナグモはいつもの———()()()()()()()()()()()()の無表情で応えた。

 

「あれは僕が至高の御方の御指示で潜入活動をしていた時に利用していた人間だ。それ以上の価値などない」

 

 ズキン。

 

「少し話相手になっただけで、勇者達の情報をペラペラと喋る様な愚かな女だ。全くもって、低脳な人間らしい浅はかさだ」

 

 ズキン、ズキン。

 

「最期は僕を………至高の御方にナザリックの守護者として創られた僕を助けようなどと、勝手な勘違いをして奈落の底へと転落した。もはや、何の思考もかける価値など、無い」

 

 ズキン、ズキン、ズキン!

 

 何かが。ナグモの中で何かが狂い出していた。まるで歯車がズレてしまった様な感覚と共に、ナグモの胸が酷く痛み出す。だがナグモはそれを表面に出す事なく、いつも(設定)通りの無機質な表情と平坦な声で応えていく。

 そうだ、これでいい。自分は『人間嫌い』なのだ。キチンと創造主(じゅーる)に望まれた通りに行動している。そう、ナグモは自分に言い聞かせ、

 

「ナグモ………貴方は何故、ご自分に嘘をつき続けておられるのですか?」

 

 瞬間。何かが罅割れる様な音がナグモの胸の中で響いた。

 

「嘘、だと………? 僕の……僕の言葉に何処が嘘だと言うのだ?」

「……私には貴方が本心で仰っている様には思えないのです。かつて貴方をお見かけした時、貴方は先程の人間の名を酷く悲しそうな様子で呟かれていました」

 

 セバスは見ていた。まるで表情を変えまいと必死な様子で、苦しみに満ちた声で香織の名を呼んでいた彼を。

 

「それにこうして話してる今も、貴方の言葉と本心は乖離している。そう思えてならないのです」

 

 ガイキ・マスターやナイキ・マスターといった氣の使い手としての職業スキルを持つ彼には、相手が嘘をついているかどうかも察知できた。本来なら高レベルの相手には通用しないのだが、目の前の相手はそれを上手く隠し通す事が出来ないくらい動揺しているのだ、と判断していた。

 

「その上で言わせて頂きたいのですが………貴方はその人間に対して何か特別な感情を抱いていたのでは無いのですか?」

 

 ナグモは咄嗟に胸を押さえた。それは胸ポケットに仕舞っていたポーションを取り出そうとしていたのだが、まさしくセバスが見ている目の前で服用など出来ない事にようやく思考が追い付いていた。

 

 ズキン、ズキン、ズキン、ズキン! ———ピシッ!

 

「以前はその人間が死んだ事に悲しまれているのだと思いましたが、先ほど貴方は奈落に転落した、と仰ておりました。ひょっとして、貴方は心の底ではその人間がまだ生きているとご期待されているのではないですか?」

「………さ、い」

「貴方はその人間を助けに行きたいとお思いなのではないですか? それでお気を病まれているのではないですか?」

「……る、さいっ」

「モモンガ様にご相談されてみては如何でしょう。私もご一緒致します。モモンガ様なら、ナグモ様のお話を無碍には———」

「……うるさいと、言ってるだろ! セバス!」

 

 ナグモは周囲を憚る事なく、セバスに怒鳴った。

 

「この僕が! じゅーる様に『人間嫌い』とお創りして頂いた僕が! 人間相手に気を病むだと!? 有り得ない! 僕はあんな人間の女なんか………白崎の事なんて、何とも思ってなんかいない!」

 

 まるで血を吐く様な苦しみに満ちた声で、ナグモは吠えた。

 ———そこに、無表情で冷酷な守護者の姿は無く。まるで見た目相応の少年の様に癇癪を爆発させる人間がいた。

 

「ナグモ……貴方は………」

 

 セバスは驚愕に目を見開いた。普段の姿とはかけ離れたナグモの姿に。そして———嘘に塗れた言葉に込められた、彼の本心を察して。

 

「あ……………」

 

 バッとナグモは言ってはならない事を言ってしまった、という様に自分の口を押さえた。同時に、今の自分の姿を自覚してしまった。感情的になって逆上する———()()()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

「す……すま、ない。僕とした事が、つい、感情的になってしまった」

 

 ナグモは慌てて表情を消して、いつもの様な平坦な声で喋ろうとした。だが、それは誰の目から見ても違和感が浮き彫りになっていた。まるで無理やり演じているか(ロールプレイング)の様な不自然さが、はっきりと出ていた。

 それは———至高の御方に定められた(設定された)在り方とはあまりにかけ離れた姿。

 ナザリックの一部のシモベ達が見れば、粛正を声高に叫ぶだろう姿に、セバスは———。

 

「………いえ、私の方こそ申し訳ありません」

 

 何も言わず、スッと頭を下げた。

 

「出過ぎた真似をして、貴方を御不快にさせた事をお詫び申し上げます」

 

 貴方の心に土足で踏み込んでしまって申し訳ない。それが伝わる心からの謝罪だった。

 

「………っ!」

 

 だがナグモは、それに何も答える事なく背を向けた。

 ここは至高の御方の住まいであり、神域と呼べる第九階層。故にこの場では厳粛な態度で歩くべきである。

 それを頭で理解していながらも、ナグモはまるで逃げる様にその場を足早に立ち去った。

 

 ***

 

 暗い奈落の底。その魔物は下層へと降りていく。

 

「アイタイ………」

 

 ———それは酷く歪な姿をした魔物だった。肌の色は血の気が全く感じられない程に青白く、赤黒い罅の様な紋様が至る所に奔っていた。足は爬虫類の様な鉤爪が靴を突き破り、下腿は兎の様な体毛に覆われていた。左腕は獣の様に毛深く、右腕は魚の様な鱗から羽毛を生やし、両手から鎌の様な爪が伸びていた。腰まで伸びた髪の毛は白く染まり、艶を失って振り乱した髪は老婆の様だ。顔の左半分は虹彩が縦長になり、濁った黄色に変色した瞳と捻れた角が目立っていた。唯一、顔の右半分は人間の少女の様に見えるが……血の様に赤く染まった目から涙の跡の様に赤黒い線が頬に奔っていた。

 

「アイタイ……アイタイノ……」

 

 ———望郷の念はもはや枯れ果てた。身勝手な()()()への憎悪は泥の様に堆積して、本当に憎むべきは誰だったか正常に判断する事も難しい。もはや生きてる者全てがその魔物にとって憎悪の対象になりつつあった。強大な力と引き換えに、異形へと変じていく自分の姿にもはや何の感慨すら浮かばなくなってしまった。孤独と絶望が、人間らしい思考を擦り減らしていた。

 

「アイタイヨ……シ■■、チャン……■■モ、クン……」

 

 ………大切な筈だった人の顔と名前も、はっきりと思い出せなくなってきてしまった。

 もしかして魔物の肉を食べる度に、人間としての記憶すら消えているんじゃないか? 

 残された思考で、そんな思いがふと過った。ああ、でも、この身体を……自分の存在を、維持する為には……。もう一度、あの人達に会うまでに生き続ける為には……。

 

「タベ、ナクチャ……モット、モット強イ魔物ヲ……タベナクチャ……」

 

 腐臭を漂わせながら、その魔物は虚な目でただひたすら下層へと降りて行った。

 

 ———途中、大きな石造りの扉があったが、それすらももはや興味を抱かなかった。

 

 ***




>シズ

 機械関係ということで、例外的にナグモとの交友がありました。とはいえ、以前のナグモは彼女を機械人形の一つとしてしか見てませんでしたが。

>セバス・チャン

 我らがカルマ値極善の執事さんです。ナグモをかつて見かけた伏線をここで回収しました。

>ナグモ

 本心に嘘をつき続けた結果、とうとう後生大事にしていたキャラ設定も崩壊しました。一応、こうなった理由は後々の展開で書いていきます。ヤク中になったり、逆ギレしたりメンタル面が弱いのも理由はあります。

>奈落の魔物

 そりゃあ、ね。不眠不休でゾンビアタックを繰り返せば50階層ぐらい行きますって。強い魔物を食べる事しか興味が無くなってきているので、あの子とはエンカウントしませんでした。あと作者的にそろそろ自重しないと、真面目にラミアとかアラクネみたいなモン娘形態を考えるかも。


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第二十二話「モモンガの気付き」

 なんかこのSSのモモンガ様は出来る上司キャラになってる気がする……。でも原作を見ると、アインズ様はそういう素質があると思うんですよね。


「そういえば………シズは最近、ナグモの所へ行ったのだったな」

 

 モモンガは自室でさり気ない世間話を装って今日の「モモンガ番」であるシズへ問い掛けた。

 

 ナザリックに休日制度をどうにか導入したモモンガであったが、やはり反発の声が出ていた。と言っても、第九階層のメイド達から「御方の為に休み無く働かせて下さい! お願いします!」という現代人からすれば卒倒する様な訴えだが。アルベドから至高御方直々の命令と言われてもまだ納得がいかない様子の彼女達の為に、モモンガは第九階層のメイド達に自分に一日中供回りをさせる「モモンガ番」という仕事を与える事で、どうにか納得させる事に成功した。そんな「モモンガ番」が、今日はシズだったのだ。

 

 ………モモンガがナグモの事を聞いたのは理由がある。デミウルゴスから齎されたハイリヒ王国の情報は、精神の沈静化が無ければ以前の様に周りに当たり散らしてしまうくらい激怒したくなる様な内容だった。

 

(あんな最低な奴等しかいない様な国に行かせたなんて、ナグモが気の毒に過ぎるな………ホント、もういっそ何も考えずに超位魔法をぶち込めたらどんなにスカッとするか)

 

 だが、それはあまりに短慮に過ぎる方法だ。デミウルゴスは下らない冗談を言う様な口調だったが、共に齎された情報がモモンガに一層の警戒心を抱かせた。

 

(天之河光輝……奴は、ナグモが偽装死したという事も見抜いていたのか? やはり、そいつが一番危険だな)

 

 誰もがナグモが自死したと疑っていない状況で、勇者だけがナグモが生きて自分達に牙を剥いてくると確信しているのだと言う。そしてそんな勇者の意見に全員ではないが、仲間達も賛同しているのだとか。唯一、救いなのは未だにナグモを魔人族の手先だと思っている事だ。

 友人(ギルメン)NPC(子供)が受けたあんまりな仕打ちに、グツグツと煮えたぎる様な怒りを感じたが、それだけを理由にモモンガ自身はともかくナザリック全体が返り討ちにされて全滅という事態は許されない。底の知れない勇者達への警戒心がモモンガを冷静にさせていた。

 しかし、ナグモは本当は深く傷付いているんじゃないか? と思ったモモンガは、そういえばシズが第四階層にメンテナンスに行ったという話があったな……と思い出して、思い切って聞いてみたのだ。

 

(本当はナグモに聞いてみるのが一番なんだろうけど………玉座の間みたいに、何とも思ってません、と返されたらそれ以上無理に聞くわけにいかないしなあ………)

 

 あるいは『人間嫌い』設定のあるナグモは、人間達の評判など本当に何とも思ってないかもしれない。そんな事を考えているモモンガにシズは首を傾げながら答えた。

 

「………変、でした」

「変? どの様に変だったのだ?」

「………メンテナンスの時はいつも、時間の無駄だからさっさと服を脱げ、と言って来ます」

「………は?」

「………なのに、今日に限って、検査着に着替える様に言ってきました………それからメンテナンスを、しました」

 

 モモンガに一気に脱力した感覚が襲う。自動人形とはいえ、女の子相手にその扱いはどうなの? とか、いやまあ、機械のメンテナンスをやる感覚だろうからやましい気持ちは無いよな多分! などと内心で納得する様にした。

 

「………それに、ミキュルニラもおかしいと………言ってました」

「ミキュルニラ………確か、技術研究所の副所長だったな」

「………はい。ミキュルニラは、ナグモ様が最近、採取している薬草で精神安定剤を作って服用しているんじゃないか………と言ってました」

「何だと?」

 

 聞き捨てならない情報にモモンガは無い目を剥いた。

 

「それは………確かなのか?」

「………はい。ナグモ様が自分の研究室に持って行く薬草が、精神に作用する物ばかりで……持って行ってる薬草の量に反して、渡してくるポーションの量が少ない………とミキュルニラは言ってました」

「う、む………そうか」

 

 事態の深刻さにモモンガは押し黙ってしまう。だが、シズの情報はこれだけに留まらなかった。

 

「………それに、昼間にナグモ様とセバス様が喧嘩………していました」

「は、はあ? セバスと喧嘩だと? 一体、何故?」

「………分かりません。ナグモ様は見たことないくらい怒っていて………セバス様が謝ってました。何を話していたかは、聞こえなかった………です」

 

 思わずモモンガは支配者ロールを忘れて聞き返してしまったが、シズもどうやら偶々見かけただけで、詳しい話を分からず仕舞いだった。

 

(どういう事だ? セバスとナグモが仲悪い、なんて設定は………無かったよな、多分。それにじゅーるさんだって、たっちさんと仲が悪かったなんて話は無いし………)

 

 転移してからNPC達をモモンガなりに観察していたが、アウラとシャルティアみたいに仲が悪いという設定だからそういう関係になってる者もいれば、創作者同士でウマが合わなかったセバスとデミウルゴスみたいに反目し合っている者もいた。だが、ナグモの場合はそのどちらも当て嵌まらない気がした。ナグモはほとんど自分の階層から出て来ないから人間関係が希薄な様に見えたし、創作者であるじゅーるにしてもSF趣味を啓蒙する以外は周りに誠意的に対応して、あのるし★ふぁーの抑え役として「るし★ふぁー係」なんて呼ばれるくらい周りから親しまれていた筈だった。

 

(これはさすがに何も聞かない、というわけにいかないよな)

 

 モモンガは意を決してセバスに〈伝言〉を繋げた。

 

 ***

 

「セバス、夜分遅く急に呼び出して済まなかったな。」

「いえ、御身の為であれば、いつでも馳せ参じるのがシモベたる者の務めであります故に」

 

 夜九時をゆうに超えた時間帯に呼び出されたにも関わらず、セバスは着衣に乱れすらなく即座に来ていた。

 

「それで呼び出した理由なのだが………今しがた、シズから聞いたが、ナグモと何か言い争いをしていたというのは本当か?」

 

 ハッとした顔でセバスは思わずシズを見る。モモンガの後ろに控えていたシズは、ペコリと頭を下げた。

 

(いえ………シズは職務をこなしただけです。それに文句を言うのはお門違いでしょう)

 

 だが、この件をどう報告すれば……と悩むセバスに、モモンガはいつもより柔らかい口調で聞いた。

 

「セバス、私は喧嘩した事を責めているわけじゃないぞ? 意見の食い違いというのはギルメ、ではなく。我々にもあったのだし、より良い提案の為ならどんどん意見をぶつけるべきだと私は思っている」

 

 かつて炎の巨人と氷の魔龍のどちらのクエストに行くか、で揉めていた二人の仲間達を思い出しながらモモンガは語る。

 

「それにこれもシズから聞いたが、最近のナグモは様子がおかしいそうだな。ひょっとしてお前達が言い争いをしていたのはそれが原因か?」

 

 どうなのだ? と空虚な眼窩から赤い光を真っ直ぐと向けてくる主人に、セバスは観念するしかなかった。

 

(やはり……至高なる御方には全てお見通し、という事ですか……)

 

 そもそも目の前の偉大な主人に対して自分如きの浅慮な知恵で隠し事など出来るはずが無い、とセバスは考えて徐ろに口を開いた。

 

「………ナグモ様はどうやら、ご自身を庇って奈落へ落ちた人間の事でお気を病まれている様なのです」

「ナグモを……庇った? どういう事だ?」

「詳しい事は存じ上げませんが……恐らく、ナグモ様がナザリックへご帰還された際、ナグモ様を守る為にその身を犠牲にされた人間がいた様なのです」

「何だと……?」

 

 確かに、ナグモが勇者達の前から姿を消す前にパーティメンバーの一人が死んだという事は聞いていた。そして、それがナグモの責任という事にされた事も。

 

「ナグモ様はもしかしたらその人間がまだ生きているかもしれない、と御考えのご様子なのです。ならば、探しに行かれては? と私が無遠慮な質問をしてしまい、ナグモ様の御心を深く傷付けてしまった様です。……至高の御身のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」

「ああ、いや……セバスが謝る事でも無いと思うが……」

「……モモンガ様。これだけは言わせて下さい。ナグモ様は、決して御身を裏切って勝手な行動をしようとはされませんでした。御方の一人にして、ナグモ様を御創造したじゅーる・うぇるず様にそうあれ、と御望みされた在り方を守ろうとしていただけなのです。それに対して、私が思慮に欠ける事を言った為に、ナグモ様の御気分を損ねてしまったのです。どうか罰を与えるならば、愚かな私だけにして頂きます様にお願い申し上げます」

「いや、別に罰しようなどと考えてもいないが……」

 

 頭を下げた執事に対して、何とか支配者らしい返事をしたが、モモンガは混乱の極みにあった。

 

(ナグモを……庇った? 勇者パーティの一人が? どういう事だ? 彼等はナグモを裏切り者だと思っていたんじゃないのか?)

 

 いや……とモモンガは思い直す。勇者の言葉を、全員が信じているわけではないという報告を思い出していた。

 

(もしかして……庇った奴はナグモと仲良くしていたんじゃないのか? だから勇者に捨て駒にされたとか? 元を正せば、ナグモの学校のクラスメイトだもんな。さすがに一人か二人くらいは友達はいたよな、多分)

 

 そうなると、何故ナグモはそれを言わなかったのか? と思ったが、その答えは転移した後に観察していたNPC達を見ると分かる気がした。

 

(ナザリックのNPC達はカルマ値がマイナスな奴が多いせいか、人間を見下している奴が多いもんなあ……。例外は仲間であるナグモとオーレオールぐらいで。そんなところで人間に庇われました、だから助けに行きたいです、なんて言えなかったんだろうなあ)

 

 むしろ“アインズ・ウール・ゴウン"が悪の魔王ロールプレイなんてものをやっていたせいで、NPC達が影響を受けているのかもしれない。ある意味、自分達のせいになるのか? とモモンガは考えていた。

 そして、その方針がナグモを薬に頼らせるくらい追い詰めていたのかもしれない。そう思うと、モモンガは今までの方針を改める事を宣言すべきか……と思い始めていた。

 

(あとはナグモに直接聞くしかないのだけど……)

 

 チラッと時計を見ると、夜10時を刺していた。導入された休憩時間として、夜10時から朝6時までは緊急時や夜番でない限りは就寝時間とする事を命じていた。呼び出せば来るだろうが、さすがに気が引けた。

 

(明日、ナグモに聞いてみよう。それでもしもナグモがその人間を探しに行きたいと言うなら、聞いてあげるか。ナグモに潜入調査の褒美をあげようと思っていたしな……)




 はい、というわけでとうとうモモンガ様にもナグモの異常が知られてしまいました。一応、言っておくとこの時点ではモモンガ様はナグモを庇った人間というのが男か女かも知りません。漠然と落ちたのは友達だったのか? ぐらいにしか思ってないです。


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第二十三話「ピノキオ」

設定が 重たい(←書いた張本人)
というかるし★ふぁーが誰これ? 状態です。

白崎さんの早い救出を望んでる人、ごめんなさい。私の主人公はウジウジしまくってるので、なかなか踏ん切りが付かないんです。


「―――これでよし、と。やっと出来たぞ」

 

 その言葉と共に、そのNPCは覚醒した。目の前には六本の腕を持った機械の偽神(デウス・マキナ)と呼ばれる異形種がいた。

 その瞬間、NPCは理解した。自分がナザリック地下大墳墓の第四階層守護者代理として創られた事、そして目の前にいる機神こそが自分が仕える至高の御方であり、自分の創造主なのだと。

 

「やっほー、じゅーるさん。新しい第四階層の守護者は作り終わった?」

「ああ、るし★ふぁーさん。ええ、装備とかはこれから考えますけど、外見はこれで決定ですかね」

 

 部屋に入ってきた天使人形に、機神が応える。天使人形もまた至高の御方なのだと、そのNPCは与えられた知識(インプットされたプログラム)で理解していた。

 

「タブラさんが考えてくれた設定を見て、初期案からかなり変えちゃったんですけどね。でもこれはこれで、よく出来たと思うでしょう? ほら、タブラさんギャップ萌えだから、いかにもなマッドサイエンティストな爺さんより、異形種揃いのナザリックに仕えるのはなんと天才少年科学者とかの方が喜びそうだなと思って。他にもですね―――」

 

 そうして機神は嬉々としてそのNPCの在り方(設定)を語り出した。超科学古代文明の人間のクローンであること、並外れた知能の持ち主である事、それ故に普通の人間を非合理と嫌う人間嫌いであること等………NPCは、それが自身の在り方であるとして了解(インプット)していった。それに対して天使人形はふーん、と気のない返事をしていたが、しばらくして口を挟んだ。

 

「他にもですね、基本的に相手には冷たい対応をするという設定ですけど、実は―――」

「……あのさ、じゅーるさん。そのNPC、年齢は違うけど……じゅーるさんの子供をモデルにしてるんじゃないの?」

 

 それまで饒舌だった機神は口を閉ざした。それを見ながら、天使人形は機神の代わりに喋り出した。

 

「まあ、リアルの方でじゅーるさんの息子さんに会ったのは数えるくらいだったから確信は無かったけどさ、なんとなく似てるよね。……今も生きていたら、ちょうどそのくらいの年齢になってたのかな」

 

 それに、と天使人形はさらに指摘する。

 

「リニューアルした第四階層を見て、何かに似てると思ったけど……あれって、息子さんと一緒に遊びに行ってた頃のテーマパークの星間戦争エリアかい? アーコロジー内のテーマパークに行った事ある人なんて、ウチのギルドにはほとんどいないから、みんな気付かなかったみたいだけど」

 

 ギュッ、と機神の拳が握られる。それを天使人形は感情アイコンを何も出さずに、静かにチャットを送った。

 

「僕も芸術関係の仕事をしてるから、出来の良い作品を自慢の子供と呼んだりしてるけど……それはあくまで、生み出した作品という意味だからね。でもじゅーるさんのそれは、完全にそういった領域を超えてるでしょ。言っちゃ悪いけど、やめた方が良いよ。多分、一番辛くなるのはじゅーるさんだろうから」

 

 どこか諭す様な口調で天使人形は機神へ語り掛ける。

 ……そのNPCには預かり知らぬ事だったが、この二人は同じ大学で学んだ同期だった。性格はまるで違うが、物作りへの情熱が似ていた二人は友となり、卒業後も親交があったのだ。それ故に天使人形は普段のイタズラ好きな態度はなりを潜めて忠告をしていた。

 長年の友人の忠告に機神はしばらく黙っていたが、ようやくチャットを返した。

 

「………分かってますよ、もう息子は……あの子はいないんだって。どんなに似せて作っても、これはあの子じゃない。ちゃんと、ちゃんと分かってますから」

「一つ、聞かせて欲しいんだけど……第四階層のリニューアル案を出した時からそのNPCを作ろうとしてたの?」

「いえ、それは違いますよ。あの殺風景な地底湖をどうせならSF空間にしよう、と思ったのは純粋な趣味ですよ。ただ……どういうSF空間にしようか? と考えていたら、息子とよく遊びに行っていたパークエリアがどうしても頭から離れなかったんですよ」

「……そっか。それで作ってる内に、情が湧いちゃったわけか」

「ええ……馬鹿な話でしょう? もっと上流階級(ゲスト)受けする物に作り直すという会社の方針で、すっかり昔の面影が無くなった思い出の場所を作っていたら、将来は科学者になりたいって息子が言ってたのを思い出したんですよ。それで気付いたら……絵コンテに描いてた科学者キャラを差し替えてたんです」

 

 ……そのNPCには彼等の話の内容があまり分からなかった。ユグドラシルというゲームの中で作れた彼には、それに則した知識しか無かった。だが、自分の姿はどうやら目の前の機神の亡くなった息子を模したものだという事は理解できた。

 

「………せめてユグドラシルの中でその夢を叶えてさせてあげたいってわけか。なんていうか結構ロマンチストだよね、じゅーるさん」

「そうでなきゃテーマパークの設計なんてやってられませんよ。設定的に悪の科学者なんですけどね」

「だって異形種揃いのPKKギルドだもん。どう頑張っても正義の味方にはならないでしょ。いっそ、たっちさんみたいなエフェクト背負わせる?」

「あはは……それはちょっと、ね。………それで、やっぱり消さないと駄目ですか?」

 

 どこか躊躇いがちな様子で機神は天使人形に聞いていた。

 ……息子を模した自分を消すのに躊躇いがあるのだろうか? 正直、そのNPCには何故躊躇うのか理解出来なかった。至高の御方である機神が破棄すると決めたなら自分は破棄されるべきだからだ。

 しかし、天使人形はすぐに返答する事なく、機神と―――そしてNPCをしばらく見つめていた。

 

「……ふう、まあいいよ。今更作り直せ、って言うのも酷だしね。というか、そのキャラでプログラム班にもう発注したんでしょ? 唐突にやっぱり止めた、なんて言われたら良い気分しないでしょうよ」

「……ありがとうございます、るし★ふぁーさん」

「ま、タブラくんには僕の方から誤魔化しとくよ。ただまあ、あまり思い詰めない様にね」

 

 ところで、とるし★ふぁーが唐突にニンマリと笑ったアイコンを出す。

 

「ちょっと面白いゴーレムを作りたいからさ、ホラ、前に二人でクエストに行った時にスターシルバー手に入れたじゃん? あれ、僕に譲ってくれない?」

「え? いやいや、あれは希少金属だから皆に報告しましょうって……」

「へ〜、そっか……。第四階層のマシンゴーレム達のデザイン、手伝ったのになあ」

「うっ」

「その前にもじゅーるさんのレベル上げとか、手伝ってあげたのになあ」

「うぐっ」

「タブラさんの説得も、ちょっと苦労しそうなのになあ……。いや良いんだよ? 僕が勝手にやる事だし? 借りと思ってくれなくても。うん、別に良いよ。借りを返せ、なんて言わないから……ねえ?」

「〜っ、ああ、もう! 分かりました、分かりましたよ! その代わり、これで貸し借り無しですからね!」

「いや〜、悪いね! よっ、さすがは“アインズ・ウール・ゴウン"で一番律儀な男!」

 

 モモンガさんにバレた時どうしよ……と頭を抱える機神の横で、みんなの度肝を抜くやつを作るぞー! と気炎を燃やす天使人形。

 ……NPCは情緒の機微を読む能力は無かった為に分からなかったが。天使人形の出すイタズラ好きな空気が、先程まで悲しい空気を出していた機神を明るくさせていた。

 

「ああ、そうだ。そういえば、この子の名前は何にするの? さすがに息子さんの名前は付けないよね?」

「……さすがにしませんよ、それは」

 

 少し考え込む仕草をして機神は思い付いた様に話し出す。

 

「……ナグモ。うん、ナグモにしましょう」

「それって、ひょっとして大学にいた南雲教授からきてる? あの人もあんな難儀な性格で、よくも授業をやってるよねえ」

「いやまあ……孤高の天才と言うと、あの人が真っ先に浮かぶといいますか。もう少し、学生に優しくても良いんじゃない? と在学中は思いましたけど」

「じゃあ、今度同窓会で伝えとくね。じゅーるさんがそんな事言ってましたよって」

「絶対にやめて下さい!」

 

 ケラケラと笑う天使人形を他所に、機神はNPCの設定欄をコンソールに出して入力した。

 

「ナグモ、っと。それじゃあ……今日からお前が新しい第四階層の守護者だ。よろしくな」

 

 そしてNPC ―――ナグモは、自分の名前を認識した。

 

 ***

 

 それからの日々は、ナグモにとってあまり代わり映えしないものだった。来る日も来る日もガルガンチュアのメンテナンスを続ける。一度、1500人の外敵(プレイヤー)と戦った時もあったが、それ以外は至高の御方(創作者)達が定めた行動(コマンド)に従った生活だった。

 

「ナグモ、元気にしてるか? 今日はモモンガさん達とクエストに行ってな……」

 

 だが―――そんな日常に、変化と呼べるものはあった。毎日ではない。しかし、自分の創作者である至高の御方は、周りに他の御方がいない時は自分へ話し掛けていた。

 

「ナグモ、今度はお前用の部屋を作ってやるからな。茶釜さんがアウラとマーレの家を作ったらしいから、リソースが溜まったら俺も作るからな」

 

 じゅーるの話にナグモは返事をする事は無い。彼には創作者に定められた(プログラムされた)以外の行動を取ってはならないという枷があった。

 

「余ったリソースでお前の友達になりそうな副所長を作ったぞ……まあ、うん。あれはやり過ぎた。反省している」

 

 ……それは傍から見るとさもしい一人芝居に見えただろう。決して返事をする事の無いナグモ(NPC)を相手に、じゅーるはまるで一人の人間を相手にする様に接していたのだから。

 だが、ナグモはそれが何故か嬉しかった。枷がある為に決して感情を表に出せないし、感謝の言葉も伝えられないが、御方達のシモベ(道具)に過ぎない自分を可愛がってくれたのだから。

 

「るし★ふぁーさんには参ったよ……ガルガンチュアを巨大ロボットにしてみたいとは言ったけど、ああ来るとは……。もういっそ鉄○28号でも作るかね。それならお前に合うかもな。……古いアニメなのに、あの子はあれが好きだったんだよな」

 

 ……分かってはいる。創造主が本当に愛情を向けているのは、この姿のモデルとなった亡き息子であり、自分(ナグモ)は代替品に過ぎないという事は。何よりも、自分は至高の御方達の聖地であるナザリック地下大墳墓を守護する為に創られた存在(NPC)。そんな自分が創作者であり、至高の御方であるじゅーるに示すべきは絶対の忠義だけだ。

 ……でも……それでも。もしも、許されるならば。

 

「―――じゃあな、ナグモ。“アインズ・ウール・ゴウン"を……モモンガさんを、よろしくな」

 

 ……あの時の絶望は、今も忘れる事は出来ない。結局、自分は何も出来なかった。創作者(じゅーる)にあれだけ恩を感じながら、何一つ返す事なくじゅーるは去ってしまったのだ。

 ……その後、どういうわけか自分だけナザリックから放り出され、地球という見知らぬ場所に若返って転移した。あの時は発狂しそうだった。

 だが、直前に最後までナザリックに残ってくれた至高の御方―――モモンガに、仕事を労われた事。そしてじゅーるの最後の言葉を胸に、自分は用済みとなった筈はないと奮い立たせ、ナザリックに戻る日が来るまで地球の人間達に混じって過ごすと決めた。

 

 人間に混じって暮らすならば、表面上は人間達に友好的であるべき。

 

 そんな事はナグモにも分かってはいた。だが、ナザリックとの繋がりが絶たれ、この上でじゅーるが残してくれた自分の在り方(設定)すら否定してしまったら、もう自分はナザリックの守護者でも、じゅーるが創り出したNPC(シモベ)ですら無くなってしまう。そんな思いが、ナグモの中に巣食っていた。

 だからこそ、ナグモは地球でも何も変えなかった。『人間を嫌う孤高の天才。同族だろうと何の情も持たない人間』。その姿を保つ事こそが、ナザリックへの、そしてもう居なくなったじゅーるへ示せる唯一の忠義だったのだから。

 ……忠義、だったのだ。

 

 ***

 

「じゅーる、様………」

 

 ナグモはじゅーるから与えられた自分の部屋(所長室)で、静かに涙を流していた。あれだけ薬で抑えつけていた感情の制御は、コントロール出来なくなっていた。じゅーるが創り出してくれた無表情も、もはや保つ事さえ出来ない。

 

「申し、訳、ありません……せっかく、貴方に創って頂いたのに……! 貴方から……モモンガ様を頼むと、お願いされたのに……!」

 

 もはや自分は、じゅーるの定めた在り方(設定)から完全に逸脱した。それをナグモは認める他なかった。

 それは、至高の御方に創られたNPC(シモベ)として、在ってはならない姿。

 

「申し訳、ありません……!」

 

 ナグモはただただ、創作者であるじゅーるに慚愧の思いで謝罪する。

 

 今しがた書き終えた手紙には……「自害届け」と、書かれていた。




>じゅーる・うぇるず

 本作オリジナルの至高の御方の一人であり、ナグモの生みの親。作者的にはゼペット、あるいはゼボットと名付けたかった。

 アーコロジー内に居住する上流階級出身で、現実では某テーマパークの宇宙エリアの設計とデザインを生業としていた。るし★ふぁーとは大学の同期で、家庭を持ってからも交友関係は途切れなかった。……妻を早くに亡くし、シングルファザーで子供を育てる事になっても。そして、一人息子が亡くなった後も。
 “アインズ・ウール・ゴウン"のメンバーには、上流階級出身というのは余計なトラブルの種になる事を危惧して、ギルドマスターであるモモンガと一部のメンバーにしかリアルの事情は明かしていない。ましてや亡くなった息子の事などは、モモンガも知らない。

 ギルドを辞める時、モモンガ達には転勤になったと伝えた。……本当の理由は、最後まで言えず仕舞いだった。

>るし★ふぁー
 
 お馴染み“アインズ・ウール・ゴウン”の問題児天使。本作においては現実でじゅーる・うぇるずと建築大学の同期生だった。本職は建築デザイナー。つまりは富裕層になるわけなのだが、2100年代において建築デザイナーという仕事はさらに上の支配層が喜ぶ様な物を設計するだけの仕事になりつつあった。それに鬱屈して、自分の創造性を自由に発揮できるユグドラシルにハマり、その後に“アインズ・ウール・ゴウン"へ加入した。
 
 じゅーるとは現実でも付き合いがあり、彼の家族とも何度か会ってはいる。じゅーるの息子からは「面白いオジさん」と親しまれていたらしい。

 実のところ、じゅーるがユグドラシルを始めたのはるし★ふぁーに誘われたのがキッカケ。子供を亡くした後、創作意欲をすっかりと無くして日々塞ぎ込んでいたじゅーるを見かね、るし★ふぁーは気晴らしになれば、と自分が遊んでいたゲーム———ユグドラシルへ誘ったのだった。ちょうどSFファン向けのアップデート、『ヴァルキュリアの失墜』が始まった時期でもあった。そしてギルド内では楽しい空気を出そうと、イタズラ(本当に怒られないレベル)を繰り返していたという。

 ……じゅーるが引退してから、彼も程なくして“アインズ・ウール・ゴウン"を脱退した。

「……なんかさ、つまんなくなちゃった」

 そう言い残し、あれだけ拘っていたレメゲトンの悪魔像も67体目で放棄して去ってしまった。

>リニューアル後の第四階層

 言うなれば、じゅーるが亡き息子を偲んで作った思い出のテーマパーク。だが幸運な事に、上流階級しか入れないアーコロジー内のテーマパークに行った事がある人間は“アインズ・ウール・ゴウン"には数える程もいなかった為、一見しただけでは誰にも分からなかった。

>南雲教授

 じゅーる達の大学の教授。平行世界の南雲ハジメではない。自分の研究や論文にしか興味がなく、学生からは冷たい人と認識されていたのだとか。

>自害届け

 私はナザリックのシモベとして在ってはならない存在となりました。よって死んで詫びます。私を復活させるのは至高の御方の財産を無駄に使ってしまうので、決して復活させないで下さい。
 
 そんな旨の謝罪文がモモンガへ宛てられている。
 


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第二十四話「rebuild」

 ようやく。本当にようやく、彼は助けに行く決心がついた様です。

追記:日間ランキングで15位とは……読者の皆様、ありがとうございます!


 カタカタ———。

 

 第四階層の所長室で、ナグモがコンソールにタイピングする音だけが響く。作業は夜通し続いていた。モモンガから定められた就寝時間を無視した結果になったが、ナグモにはもはやどうでも良かった。

 何故ならば。この作業が終われば、ナグモは自死するつもりだからだ。

 

(……ああ、もう朝になっていたか)

 

 ……ナグモの顔は、いつもより酷い有り様だった。

 冷酷な無表情というより、感情が抜け落ちてしまった様に覇気は無く、常に相手を観察している様な目は今やガラス細工の様に無機質で、何を映しているのかも怪しい有り様だ。

 それでも、手だけはじゅーるに設定されたマルチタスクに従って澱みなく動く。

 

(……じゅーる様には感謝の言葉も無いな。こうして、必要最低限の仕事は出来るのだから)

 

 だが自分は、そんなじゅーるの設計思想から外れてしまった。その事実が、ナグモの心に暗い影を落とす。

 今やっているのは、言うなれば後始末の作業だ。自分が居なくても技術研究所の業務が滞りなく動く様に。後継となる者が即座に業務に取り掛かれる様に。そして、防衛も問題が出ない様に機械化されたシモベ達のプログラムを全て組み直していた。

 

(元々、僕は守護者といってもガルガンチュアをサポートする為に後付けで作られた存在。ガルガンチュアが十全に機能すれば………僕は、不要だ)

 

 だからこそ、守護者代理。本来の守護者(意思なきゴーレム)に代わって、第四階層の管理・運営を任された存在。ガルガンチュアの戦闘AIを組み直し、フィールドエフェクトで戦闘時に自動バフ・デバフがかかる様に改造すれば、自分がいる意味なんてない。ナグモはそう思っていた。

 

(申し訳ありません……モモンガ様………)

 

 他の至高の御方々が去られた後も、ナザリックの支配者として残り続けた慈悲深い死の超越者(オーバーロード)の姿が想起される。結局、自分はあの御方に対して何の役にも立てなかった。

 

(申し訳ありません……じゅーる様………)

 

 自分を創造してくれた六本腕の機神の姿が思い浮かぶ。この地を去る時、後は頼むと言われたのに、定められた在り方(設定)から外れた今の自分を見たらきっと失望されるだろう。これ以上、無様を晒してじゅーるの恥となるくらいなら、自分は存在してはならない。

 

 そして————何故か。たった数週間、情報収集の為に親しくした人間の少女が思い浮かんだ。

 

(………何故……あの人間の事を、忘れられないんだろうな)

 

 懐には以前よりも強力な作用となった精神安定ポーションがある。だが、もはや薬を飲んでどうにかなる問題ではないとナグモは気付いていた。

 セバスから指摘され、感情的になった事でようやくナグモは自分の胸の痛みの正体に気付いた。

 

 自分は———あの人間が目の前で奈落に落ちた事に、ひどく悲しんでいるのだ。あまつさえ、万に一つの可能性で生きているかもしれないと、期待していたのだ。そして探しに行きたいが、ナザリックの守護者として勝手な行動をしてはならないと自制する精神が悲鳴を上げていたのだ、と。

 どうして、そう思っているのか……ナグモ自身にはまったく分からないのだが。

 

(……笑い種だ。至高の御方の為に利用しておいて、あまつさえ見捨てたくせに? それに今更? もう何日も経ってるのに?)

 

 なんて醜いのだろう。計算や確率を度外視して、そんな都合良く考えようとしている一面が自分にあるなんて。低脳な人間(天乃河光輝)と同列になった気がして、ナグモは酷く絶望した。

 

 もう、限界だ。

 

 じゅーる(創作者)在り方(設定)から外れ、普通の人間(低脳な有象無象)達みたいな思考をする自分の存在をナグモは許容出来なかった。致命的なバグを抱えた自分は、いずれ第四階層———ひいてはナザリックへの害となる。

 

(それは……それだけは駄目だ。第四階層(ここ)はじゅーる様が手ずから作られた場所だ……それを壊すなんて真似だけは出来ない……)

 

 そして、この地をずっと守り続けたモモンガにも迷惑が掛かる。最後まで残った至高の御方がナザリックを維持する為に、いかに大変な思いで外に出て資金集めに奔走していたかを自分は知っている。どうしてかつての自分はそれを見ても、何もしなかったのだろう? 今となってはナグモの胸に後悔しか無い。

 

(でも、これでもう……モモンガ様の御迷惑となる事も、ない)

 

 いま、最後のプログラムも構築し終わった。あとは壊れた欠陥品である自分を廃棄するだけだ。突然の自害にきっとモモンガは疑問に思うだろうが、残した手紙を見れば破棄して当然だと判断されるだろう。もはやそんな自虐的な考えしか、今のナグモには思い浮かばなかった。

 

 コン、コン、コン。

 

 唐突に、扉をノックする音が響いた。

 

『あの………ミキュルニラです。しょちょ〜、いらっしゃいますか?』

「………入れ」

 

 聞こえてくるミキュルニラの声に、ナグモは努めていつも通りの声音を演じながら入室許可を出した。一瞬、追い返そうかと思ったが、なんとなく最期にじゅーるに自分の補佐に付けられた副所長(NPC)に会っておこうと思い直していた。

 所長室に入ったミキュルニラは、何故かいつもより神妙な面持ちだった。ナグモの顔を見て、何かに驚いた様に目を見開き、次に所長室を見回した。

 

「……お部屋、片付けられたんですね」

「……ああ」

 

 身辺整理の為にいつもよりも片付いた部屋を見て、何か思う所でもあったのだろうか。ミキュルニラはいつもの様な間延びした口調を出さず、静かに喋り始めた。

 

「……あのですね。昨日はお休み、ありがとうございました。今日はしょちょ〜がお休みの日ですよね? だから、業務の引き継ぎ報告に来ました」

 

 そういえば、そうだった。モモンガの提案で始めた技術研究所のスタッフ達の休日制度。慣れない習慣の為に、ナグモは自分の休日をスタッフ達の中で最後になる様に定めていた。同時に研究所のトップ二人が不在という事態を避ける為に、ミキュルニラとは休日が被らない様に調整していたのだ。

 

「……しょちょ〜には感謝しているのです。フィースちゃんとか、シクススちゃんとか、ルプスレギナちゃんとか……みんな、お休みを与えられた事を疑問に思っていましたけど、私は皆とたくさんお喋り出来て楽しかったのです」

「………そうか」

 

 はたして、自分はいつも通りに振る舞えているのだろうか。ミキュルニラの話を聞きながらも、ナグモはそれだけを考えていた。何となく、この相手には自分がじゅーるが定めた在り方(設定)から外れた事を知られるのが嫌だったのだ。

 

(そういえば、こいつもじゅーる様に創造されたんだったな………)

 

 今まで意識した事は無かった事が、目の前のマスコットみたいな副所長と自分は兄妹になるのだろうか。神に等しい筈の至高の御方を親の様に見る不敬な考えを頭に思い浮かべてしまう。もしも自分が死んだ後に技術研究所の所長となる者が選ばれるなら、自分と同じくじゅーる様に創られたこいつが良いな、とナグモはボンヤリと思っていた。

 

「それで……じゃ〜ん! こんなのを作ってみたのです〜!」

 

 いつもの口調で明るく、ミキュルニラは後ろ手に隠していた物をナグモに見せた。

 それは綺麗にラッピングされた紙袋だった。中からは香ばしい匂いが漂ってくる。

 

副料理長(ピッキー)さんにお願いして厨房をお借りして、クッキーを作ってみました〜」

「クッキー………?」

「いや〜、大変でした〜。私には調理スキルなんて無いから、薬剤調合の要領で作ったんですよ〜。ピッキーさんからも、『まあ、食べられないって程じゃないですね』って、お墨付きを貰えたのです〜」

 

 ニコニコと笑いながら手渡された手作りクッキーの袋をナグモは「あ、ああ……」と言いながら受け取る事しか出来なかった。

 ………創造さ(生ま)れてこの方、じゅーる以外の相手から贈り物を貰うという経験が無かった彼は、初めての体験にどう対処すれば良いか分からなかった。

 戸惑った表情を見せるナグモに、ミキュルニラは優しく微笑んだ。

 

「しょちょ〜、最近元気無かったじゃないですか。その……何か精神的にお辛い事があったんだとは思います」

 

 ナグモは一瞬だけ、懐に仕舞っているポーションに手が伸びかける。どうしてミキュルニラがその事を? と疑問が頭に過ぎる。

 

(いや……考えてみれば、当然か。こいつの錬金術師としてのスキルは、僕と同程度だったな……)

 

 ナグモがいつも持ち去っていく薬草を見て、ミキュルニラも何のポーションを作っているか察しはついていたのだろう。それを隠し通せていると思った自分が滑稽過ぎて、愚かだと詰りたい気分だった。

 

「疲れた時や辛い時はですね、甘い物を食べるととっても幸せな気持ちになれるんですよ? 私自身で実験済みだから、効果は実証されてるのです!」

「……それはお前だけだ、馬鹿め」

 

 ハッと胸に溜まった空気を吐き———ナグモは口元に手を抑える。

 今………どうして自分は、口元が緩みかけたのだろう?

 今までに……じゅーるに創られてから、今までに見せなかった表情が浮かびかけたナグモに、ミキュルニラはニコニコとするだけで何も言わなかった。

 ナグモは気不味くなり、咳払いをした。

 

「その………まあ、受け取っておく。しかし……何故、ここまでする……?」

「………私はね、いつもみたいにムスッとした顔をしていても、しょちょ〜にはお元気でいて欲しいと思うのです」

 

 それに、とミキュルニラはいつもの様なカートゥーンみたいなアクションで可愛くウインクした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。当然の事じゃないですか」

 

 瞬間。ナグモの脳裏に、ある光景が浮かんだ。

 ———それは、古い記憶。第四階層(技術研究所)が、今の形に整いつつあった頃の出来事だ。

 

『モモンガさん! この前のクエスト、ありがとうございました!』

 

 ガルガンチュアのメンテナンスを行うナグモの前で、機神が骸骨の魔導師の前で笑顔のアイコンを浮かべていた。ナグモはそれを耳にしながらも、至高の御方達に定められた在り方に従って手を休めない。

 

『お陰で新・第四階層がようやく完成しそうですよ〜。いや、本当にありがとうございます!』

『いえいえ……気にしないで下さいよ、じゅーるさん。私も生まれ変わった第四階層が見てみたかったんですよ』

『ええ、楽しみにしていて下さい! 手伝って貰ったんですから、ギルドに攻めて来るプレイヤーもあっと驚く様な最高のSF空間を作ってやりますよ!』

 

 物作りへの情熱を燃やす機神に、骸骨の魔導師は気を良くしていた。新しく生まれ変わる階層への期待というより、機神と一緒になってクエストへ行った事に満足している様だった。

 

『それで、今回のクエストのお礼に……これ、どうぞ』

『って、これレアアイテムじゃないですか!? いやいや、受け取れませんよ! そんな、悪いですって!』

『う〜ん、自分の都合に付き合わせておいて、何も返さないというのは気が引けるんですよ。それに、自分はこのアイテムの使い道があまり無いですし……』

『いやいや、私が好きでやった事だからそんな気を使われなくても……』

『いえ、だとしてもそれに甘えたらいけないですよ』

 

 尚も渋る骸骨の魔導師に、機神は六本腕の内の一本を人差し指と共にピンと立てた。

 

『どんな相手でも、受けた恩と借りはキチンと返す。これは当然のマナーでしょう?』

 

「しょちょ〜?」

 

 ハッとナグモは回想から帰ってくる。脳裏に写っていた機神の姿は消えて、代わりにミキュルニラが首を傾げながら自分を見ていた。

 

「いや、何でもない……」

 

 ぼうっとしていた頭をハッキリさせる様に少し頭を振り、ナグモはミキュルニラを見返した。

 

「ミキュルニラ」

「はい〜?」

「………ありがとう」

 

 いつものナグモならば、絶対に言わない様な感謝の言葉を聞いてミキュルニラは驚いた顔になる。だが、先程より活力が戻ったナグモの目を見て、すぐにいつもの様な間延びした口調でにっこりと微笑んだ。

 

「いえいえ〜、私はお休みを貰ったお礼をしただけですから〜。じゃあ、後の事は私がやりますから〜、しょちょ〜は今日はゆっくりとお休み下さいね〜♪」

 

 ではでは〜、とミキュルニラは立ち去った。パタン、と締めらたドアをしばらく見つめ、ナグモはミキュルニラが焼いたクッキーに手を付けた。

 

「………何がお墨付きを貰った、だ。気を遣って貰ったの間違いだろうに」

 

 材料の分量を守る事に意識が行き過ぎて、食べ物としては何ともチグハグな味だ、とナグモは思った。かつて、図書館の一室であの人間と食べたクッキーと比べても数段劣る気がした。

 しかし……何故か、そんなクッキーで、じんわりとしたものが胸の中に染みていくのをナグモは感じていた。

 

「………そう、だった」

 

 それはプラシーボ効果か、それとも別の何かなのか。ナグモには分からなかったが、絶望に沈んでいたナグモの精神が再び浮上していく気がした。

 ああ、そうだ。自分はじゅーるが定めた在り方(設定)から外れてしまった。至高の御方が創られたシモベとして、在ってはならない思考を有してしまった。それは許されない事だ。

 でも———それでも。あの御方の言葉を裏切るなんて、()()()()()創作者(じゅーる)の信念を無視して、自分勝手に消えるなんて、()()()()()

 そんな自分を庇って、奈落へ落ちた人間の少女を思い起こす。どうしてあの人間にここまで執着しているか、まだナグモ自身にも分からない。たった一つ、確かなのは———。

 

「僕は、あの人間に……白崎に、まだ何も返していない………!」

 

 ナグモの目に活力が満ちる。即座に今までタイピングしていた画面を消し、新たな画面に猛烈な勢いでタイピングをし始めた。

 

 ***

 

「ひゃっ!? ひゃわわわわっ!? モ、モモンガ様!?」

 

 “リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン"で第四階層に転移したモモンガをモルモットの耳を持ったNPCがオーバーアクションで驚きながら迎え入れた。ナザリック技術研究所に直接転移したのだが、どうやら向こうは仕事中だったらしい。モモンガ様が!? 至高の御方が!? と口々に言いながらも、魔法詠唱者系のモンスター(シモベ)達は手を止めて一斉に平伏する。

 

「あー……楽にしていいぞ」

「で、ですけど!」

「いや、忙しいのに突然来て済まないな。私の事は気にせず、仕事に戻っていいぞ」

「は、はい! ほら、皆さん仕事に戻って、戻って!」

 

 ダブついた白衣の袖をパタパタと振り回しながら、ミキュルニラはエルダーリッチ達を追い払う。そんなじゅーるの遺したNPC(子供)を見ながら、本当にカートゥーンじみてるな……とモモンガは考えていた。

 

(ヘロヘロさんに動作プログラムを発注しちゃったから、今更消せないと謝ってきたじゅーるさんが印象的だったよなあ……いやまあ、これはこれで可愛い、かな?)

 

 鈴木悟が子供の頃に何度か見たネズミのカートゥーンアニメみたいな動きをするミキュルニラを見ながら、モモンガは心の中でウンウンと頷く。

 

 モモンガが第四階層に転移したのは、ナグモに昨日の出来事を問い質す為だ。最初は自分の執務室まで呼び出すべきかと思ったが、内容が内容だけに他のNPCやシモベ達の前では話し辛いんじゃないか、と思ったのだ。

 

(人間の友達を助けたいです、とか思ってても言えないだろうしなあ……。いや、まだ本当にナグモの友達なのか知らないけど)

 

 とりあえず、二人きりで話すべきだろうか? と考えてモモンガは単身で第四階層に来たのだ。けっして、モモンガが何処かに行く度に大名行列の様にお供してくるNPCやシモベ達に辟易しているわけではない。ないったら、ないのである。

 

(うん、ナザリックの中だからセバス的にもセーフだよな! ちょっと、部下のお悩み相談を聞きに来ただけだもんな!)

 

 そんな風に自分に言い聞かせ(言い訳し)ながら、目当てのNPC(人物)がいない事に首を傾げた。

 

「ナグモに用があるのだが……いま、何処にいるのだ?」

「ええと、しょちょ〜は今日はお休みの日で……あの、お待ち頂ければ即座にお呼び致します!」

「よい。私から行こう。確か……所長室にいるのだな?」

「は、はい!」

 

 キチンと自分の提案した休日制度を守ってくれてる様で、モモンガは感心する。それに所長室にいるなら、これはこれで好都合かもしれない。取り敢えず二人きりで話す言い訳を考えずに済みそうだ、と内心で安堵の溜息を吐く。

 

「ではな、仕事を頑張ってくれ、ミキュルニラ。お前達がいるからナザリックの生産系が成り立つのだ」

「も、勿体なき御言葉です! あ、あの! つきましてはお願いが!」

「ん? 何だ?」

「ミッキーちゃん、ってお呼びして欲しいのです!」

「………それは、また今度な」

 

 しょぼん、とモルモットの耳を垂れさせるミキュルニラにモモンガは背を向ける。

 なんつう設定を作ったんだ、じゅーるさん。まさか異世界にまで来て、夢の国から訴えられないよね? と、内心で思いながら。

 

 ***

 

(で、来たは良いんだけどさ……どう切り出すよ?)

 

 『所長室』と書かれたドアの前で、モモンガは考え込んでしまう。

 

(これが会社の後輩とかなら、ちょっとコーヒーでも飲みながら話せない? とか言えるんだけど……それ、支配者っぽく無いよな? もういきなり入っちゃうとか? いやいや、支配者以前に人としてそれはどうよ? ……今はアンデッドだけどな!)

 

 あー、とか、うー、とか周りに人がいない事を良い事に考え込むモモンガ。

 と、突然、ドアがガラッと開けられる。

 

「あ………」

「む………」

 

 中から出てきたナグモにも予想外の事態らしく、数秒くらい二人で見つめ合う状況となった。やがて、ナグモは慌てて片膝をつく。

 

「こ、これはモモンガ様! こんな場所にいらっしゃるとは思わず、とんだ無礼を———!」

「よい、私こそ突然押し掛けて悪かったな」

 

 とりあえずナグモを立たせて、支配者ロールをモモンガはする。

 

「それで、だな……お前に用があるのだが……」

「……それはちょうど良かったかもしれません。僕も、今からモモンガ様の元へ向かおうとしていた所です」

 

 ん? とモモンガは内心で首を傾げた。それに………。

 

(何か……前と雰囲気が変わった様な………?)

 

 改めてナグモの顔を見て、モモンガはそう思った。同時に、分厚い書類をナグモが持っている事に気が付いた。

 ナグモはモモンガを真っ直ぐに見つめ、手にした書類を見せる。

 

「“オルクス迷宮採掘計画"………これを御提唱させて下さい」

 

 




>ミキュルニラ

 何というか……作者のアレな思い付きで作ったオリキャラですが、予想以上の役目を担ってくれました。前に「ナグモにも仲が良いNPCがいれば……」と心配してくれた方、ありがとうございます。彼にも気にかけてくれる相手はいましたよ。

>オルクス迷宮採掘計画

 もちろん建前です。いいから早よ行けや、と思った人。作者も同意見です(笑) 彼的にはこれがナザリックの守護者として抵触しないギリギリのラインなんですってば。とりあえず、メルドにオルクス迷宮の採掘状況とか聞いてた伏線を回収したつもりだったり……。


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第二十五話『出陣』

 原作ならもう少しリスクとリターンを考えると思いますが、この作品のモモンガ様は割とNPCには甘めです。


「———御存知の通り、今のナザリックには外貨を得る手段がありません」

「都市や国を攻め落として掠奪するのは我々ならば簡単に出来ると思いますが、今までナザリックを目立たせない様に細心の注意を払ったモモンガ様の御意向に添わないと愚考致します」

「そこで……僕はこの“オルクス迷宮採掘計画"を提唱致します」

「潜入調査の際に知り得た情報ですが、あの迷宮には手付かずの鉱脈がいくつもありました。人間達には魔物がいる為に採掘不可能だそうですが、現地の魔物の強さを見る限りはナザリックのシモベ達を使えば問題にならないと判断しました」

「また、人間達が今後オルクス迷宮に入って来れない様に、大災厄と呼ばれるスタンピード現象に見せかけたナザリックのシモベ達による警備プランも計画しています。現地の魔物と類似したシモベの一覧は以前、お渡しした資料と併せてご確認下さい」

 

 第四階層の所長室。本来ならナグモが座るデスクチェアに腰掛けながら、モモンガはナグモによるプレゼンを聞いていた。目の前には電話帳くらい分厚い資料が置かれ、ページにはグラフやら魔物の一覧やらが細かく記載されていた。

 はっきり言って、ただのサラリーマンだったモモンガにはこの学術論文じみた資料を読むのはとても難解なのだが、ナザリックの支配者という偶像を壊すわけにいかないので、「ああ、うむ」、「なるほど」と尤もらしい相槌を打つしかなかった。

 

「初期費用が掛かりますが、この計画を実行した場合、現在判明しているだけの鉱脈でも簡単に費用は回収でき———」

「あー………ナグモよ」

 

 まさかこの説明を全ページに渡ってやる気か? とゲンナリしてきたモモンガは、ずっと気になっていた事を聞く事にした。

 

「何か御不明な点でもありましたか? モモンガ様」

「いやまあ、計画の大筋は分かったが………お前はこの計画に乗じて、奈落に落ちた人間を探したいのではないか?」

 

 ナグモは目を見開き、固まった。

 

「な……ぜ……?」

 

 いや、だって………これ、じゅーるさんの手口だし。

 

 モモンガは心の中でそう指摘した。かつてのギルドメンバーであるじゅーる・うぇるずは第四階層を改築する際に、必要なデータクリスタルと共にコンセプトアートなどの資料を大量に書いてきてモモンガ達にプレゼンしたのだった。他にも本当に行きたいクエストとかがあると、「そのクエストに行けば、ギルドにどんな得があるか?」を調べて資料を作って説明に来たりしたものだ。

 

(あの人が口数が多い時は、絶対にやりたい、っていう理由がある時だもんなぁ……。そんな事しなくても、仲間なんだから「お願いします」の一言で良いのに)

 

 あるいはその律儀さがじゅーるらしいと言うべきだろうか? 今のナグモの姿はじゅーるそっくりで、懐かしさからモモンガはしばらく観察してしまっていた。

 

「それで………どうなのだ? ナグモよ。そもそも、お前はその人間の事をどう思っているのだ?」

 

 「人間嫌い」という設定があるはずのNPCが、そこまでして興味を持つ相手への純粋な好奇心から聞いてみる。ナグモはしばらく固まっていたが、おもむろに口を開いた。

 

「……その人間は、白崎香織といって……僕が勇者達の情報を探る時に、話し相手になっていた人間の女です」

「ほう………で、お前はその白崎という者をどう思っているのだ?」

「………分かりません」

「何?」

 

 モモンガは内心で首を傾げながら、ナグモを見る。その顔は今までの様な無表情———ではなく、何かに葛藤する様に苦悩していた。

 

「分からない………分からないのです、モモンガ様。僕は……僕は人間の事など嫌いです。その様にじゅーる様に定められました。なのに……なのに、何故か白崎だけは他の人間とは違う。そんな風に考えている自分がいる。こんな……こんな感情は、じゅーる様に与えられてなどない……!」

「お、おい。ナグモ……?」

「忘れようとしました……! この感情など不要だと、薬で抑えようとしました……! なのに、なのに、白崎の事を忘れる事が出来ない……! もう生きてる可能性など奇跡的な確率でしかないっ! それを承知している筈なのに……探しに行きたいだなんて、思って、」

「ナグモ!」

「っ、申し訳ありません! モモンガ様!」

 

 まるで感情が振り切れたかの様に語り出し、モモンガに声をかけられてようやく自分の状態に気付いた様だった。バッとナグモは頭を下げる。今まで見た事の無い様な表情で苦悩するNPCを見て、モモンガは無い目を瞬かせた。

 

「……もはや、僕はじゅーる様に創られた姿から完全に破綻したのだと思います」

 

 頭を下げたまま、ナグモは静かに語り出した。

 

「……じゅーる様の定めた在り方から外れ、あまつさえモモンガ様を謀ろうとしたのはシモベとして、決して許されない事です。いかなる罰も、進んで受けます」

 

 そしてナグモはモモンガに向かって土下座した。

 その姿は、処刑人に首を差し出す死刑囚そのものだった。

 

「ですが………無理を承知で、お願い申し上げます。どうか、白崎を探しに行く許可を頂けないでしょうか? その後ならば、恐怖公達の餌にでも、ニューロニストの拷問の実験体にでもして頂いて構いません」

 

 そこに、じゅーるの設定した「冷酷な悪の科学者」の姿は無く。ただ一人のちっぽけな人間がモモンガの目の前にいた。

 

「何とぞ……何とぞお願いします。モモンガ様。少なくとも、白崎には命を救われた借りがある。その借りだけは、返したいのです」

 

 その姿に、モモンガはしばし考え込んだ。

 

(『人間嫌い』設定のナグモがここまで入れ込むなんて……一体、どんな相手なんだ? その白崎香織って。NPCを設定レベルから変える様なスキル持ちなのか?)

 

 あるいは目の前のNPCに何か変化を齎したのかもしれない。そう考えると、興味が湧いてきた。

 

「ナグモよ。私はその人間がどんな者か知りたい。今からお前の記憶を覗くが……構わないな?」

 

 ナグモは土下座したまま、了承する。その頭に手を翳して、モモンガは<記憶操作(コントロール・アムネジア)>の魔法を使って、ナグモの記憶を覗き込んだ。通常なら魔力を多大に消費するが、ナグモが潜入調査に行っていたのは一ヶ月くらい前だ。それならさほどの消費にならないだろう、と皮算用しながら。

 

(さて、いったいどんな人間か………)

 

 最初に見えたのは、図書館みたいな場所。美少女といっても過言ではない人間の少女を手を引いていた。少女は嫌がる素振りも見せず、紅潮した顔で付いてくる。

 

(………ん?)

 

 次に見えたのは書庫の様な個室。目の前で輝く様な笑顔で、何かを話し掛けている少女がいた。

 

(………んん?)

 

 そして次に見えたのは何処か豪華な部屋。ベッドの上に座りながら、目を赤くした少女を優しく抱き締めていた。

 

(………んんん!?)

 

 さらに見えてきたのは、安っぽい宿屋みたいな部屋。潤んだ瞳で少女はこちらに何かを伝えようとしていた。

 

(え、ちょっ、これ………)

 

 そして、最後に迫り来る魔法弾を少女が身を挺して庇った光景を見て、モモンガは魔法を解いた。

 

「……如何でしたか、モモンガ様」

「い、いや、もうお腹いっぱい……ではなく、十分だ、うん」

 

 ナグモになんとか支配者らしい演技をしながら、モモンガはそう返した。

 もっとも、内心は動揺しまくりだが。

 

(いや、お前、これ………好きなんじゃん! というかメッチャ好かれてるじゃん! 何が、どう思っているかよく分からないだっ!? というか人間嫌い設定何処いったああぁぁぁっ!?)

 

 え? NPCも恋するの? とか、とうとうあの呪われたマスクを被る時が来たの? とか一頻り混乱した後、ようやく精神の沈静化が追い付いた。

 とりあえず、もしもじゅーると再会したら、真っ先に報告する事が出来た。貴方のNPC(子供)、ガールフレンドが出来ましたよ、と。

 

(誰だよ、特殊なスキル持ちとか考えてた奴……。というか、そりゃ目の前で奈落に落ちたら、動揺するだろこれ。あと薬に頼るレベルで思い悩むくらいなら、まず相談してくれぇ………)

 

 過去の自分を棚に上げながら、モモンガはナグモの最近の不可解な行動に納得した。

 とりあえずゴホン、と咳払いしながらナグモに問い掛ける。

 

「あー、ナグモよ。一つ聞いておきたいが……この採掘計画は、適当にでっち上げた物ではないな?」

「それは……もはや信じては頂けないでしょうが、真面目に考えました。その情報に偽りはありません」

 

 正直、それは疑う気は無い。詳しい事はアルベドあたりに精査させるべきだろうが、ナグモの本心を知ったら絶対に粛正を進言してくるだろう。

 

(何せナグモが休日制度を導入すると進言しただけで、あれだったもんなぁ………よし、それなら)

 

 アンデッドの身体になってから、モモンガには人間に対する親近感は極端に低くなった。

 ただし……仲間が遺した子供(NPC)であるナグモは別だ。そして、そのナグモを好いて、命を張って助けようとした人間も。

 

「……恩には恩を。仇には仇を」

 

 ピクンとナグモの肩が震えた。

 

「じゅーるさんがいつも言っていた言葉だ。あの人はどんな相手でも常に礼儀を尽くす事を忘れなかった。そして……ナザリックのギミックによる福音書にはこんな言葉もある。『人、その友の為に自分の命を捨てる事。これよりも大いなる愛は無し』」

 

 ポン、とモモンガは平伏したままのナグモの肩に手を置く。

 

「お前はその人間に大きな借りと愛を受けた。ならば、お前はそれに応えるべきだろう。恩知らずなど、それこそじゅーるさんは許さないだろうからな」

「愛……? これが、愛……?」

「許す。ナグモよ、お前はこれよりオルクス迷宮に行き、採掘計画の下準備として迷宮を調査せよ! そして、人間がいたならば必ず連れて帰るのだ!」

「ありがとう……ありがとうございます!」

 

 涙を流して平伏するナグモにモモンガは心の中でホッと胸を撫で下ろす。

 

(とりあえず、これで良しっと。何かそれっぽい言葉を並べたけど、支配者らしく見えたよな? まあ、ナザリックの維持の為に資金源は必要だもんな。それにしても鉱山占拠か……カロリックストーンを作った時を思い出すなぁ)

 

 しみじみと昔を思い出していたモモンガだが、ああ、そうだと立ち上がったナグモへ声を掛ける。

 

「そのオルクス迷宮の探索だが、メンバーはどうするつもりだ?」

「もちろん不肖ながら僕が行こうと思います。後は現在警備に使ってないマシンゴーレムやサーチャー達の動員を御許可頂ければ、」

「私も行こう」

 

 ナグモの目が大きく見開かれる。

 

「お、お待ち下さい! 至高の御方が直接行かれる様な案件では、」

「場所は未知なる迷宮。ならば、私自身が出向いて調べるのも悪くはない」

「し、しかし、」

「……私では不満か?」

「いえ、その様な事はありません!」

「ならば決まりだ。出立の準備を整えよ。第四階層の機械化したシモベ(マシンモンスター)達は……うむ、ナザリックの警備に支障が出ないレベルでの動員を許す」

「分かりました! 即座に準備致します!」

「ああ、それと他の人員は私の方で考えておく。一時間後、ナザリックの地表部まで来る様に……一時間で足りるか?」

「お任せ下さい! 40秒で支度してみせます!」

「いや、準備は時間の許す限りしっかりと整えよ。良いな?」

「はっ!」

 

 ナグモが深々と礼をしたのを尻目に、モモンガは頭の中でリストアップを開始した。

 

(ナグモと俺は中衛や後衛職。そうなると前衛が欲しいよな。ただ未知のダンジョンだから念には念を入れて、レベル100(最大戦力)にすべきだ。やる事がやる事だけに、アルベドは却下。というかアルベドがいないとナザリックは誰が指揮とるよ? 探索(シーカー)にアウラを連れて行きたいけど……駄目だな、確かダークエルフの見た目が魔人族に似てるんだっけ? 人間も出入りしているダンジョンで目立ち過ぎるよなあ)

 

 自分に関しては仮面と籠手で骨の部分を隠せば良いよね? とモモンガは考える。結局のところ、モモンガもユグドラシルに無い新たなダンジョンに行きたいというワクワクした気持ちを抑えられないだけだが。

 

(そうなると……見た目が人間で、レベル100の前衛職。ついでに人間を助けるのを嫌がりそうにない奴というと………)

 

 ***

 

 その魔物は最強だった。鬱蒼とした樹海の中に潜み、胞子で他の魔物を問答無用で操る事が出来た。これにより、この魔物———仮にエセアルラウネと呼ぶが。彼女はこの階層の女王として君臨していた。

 その魔物が、現れるまでは。

 

『シィィィィイイイッ!』

 

 エセアルラウネの口から苛立ち様な声が漏れる。残ったラプトル型の魔物を全員特攻させた。傀儡になった証に頭に花を咲かせたラプトル達は、自分の意思とは関係なく女王の敵へと駆けていく。

 酷く歪な姿をした魔物は鋭い爪を振り上げ———一閃。

 それだけでラプトル達は鎌鼬で全員バラバラに裂かれた。

 

『ガアァァァアアアッ………』

 

 傀儡達を全て失ったエセアルラウネが後退りする中、彼女はその魔物と目が合った。生者を憎む血の様な紅い目。牙が生え揃った口から唸り声が漏れる。

 

『キシャアアアァァアッ!!』

 

 生存への本能からエセアルラウネが叫び声を上げる。持てる魔力全てを振り絞り、胞子を全て飛ばした。緑のピンポン玉の様な胞子は歪な魔物を包み込み———その胞子の中から、宙を蹴ってエセアルラウネが飛び掛かった。

 

『グギッ!?』

 

 一撃で喉笛を噛み千切られ、次の一撃で心臓を爪で貫かれてエセアルラウネは絶命した。

 今際の際、薄れていく意識の中でエセアルラウネは自分を食べる魔物の姿を見た。

 

『グルルル……ウッ、ウウッ……』

 

 弱肉強食が全ての魔物の社会で、食糧となった自分を泣きながら食べる、歪な魔物の姿を。

 

 

 




 モモンガ様出陣! モモンガ様出陣! 読者(下等生物)の皆様、『平伏せよっ!』(五身投地)

やっと書けました! これよりモモンガ様によるオルクス迷宮攻略が始まります! 死の支配者であるモモンガ様の前では、どんな魔物でも恐るるに足りません!

>理性を失くした歪な魔物

 ………どんな魔物でも、ね(ニヤニヤ)


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第二十六話「人間嫌い」

 ようやくモモンガ達のオルクス迷宮探索開始です。人選は割と御都合主義です。原作ならもう少しモモンガさんも過剰戦力にする気はします。


オルクス迷宮六十五階層。かつて神の使徒達がトラップに嵌り、今は転移の魔法陣しか作動してない場所にその男はいた。

 

「ハァ……ハァ……やった、やったぞ!」

 

 どこか目に危険な光を宿しながら、その男は血塗られた剣を片手に狂喜していた。

 

「これで僕は金ランクだ! ハハハ、どうだ! やはり僕は特別な人間なんだ!」

 

 すぐ側には未だハイリヒ王国で誰も倒した事のないベヒモスと———一緒に来た冒険者の死体が転がっていた。

 

「いやはや、君は実によく役立ってくれた。神の使徒ですら勝てなかったベヒモスを倒したとなれば、“閃刃"のアベルの名は国中に響く。そんな有能な私に役立って死ねた事を光栄に思い給え」

 

 男———アベルは国内ではそれなりに名の通った冒険者だった。冒険者として二番目の銀ランクまで破竹の勢いで駆け上がったものの、金ランクには後一歩の所でずっと足踏みしていた。そんな折に、聖教教会御墨付きの神の使徒パーティーが迷宮でベヒモスと遭遇して命からがら撤退したという話を聞いて、チャンスだと思ったのだ。

 

 神の使徒すら敗れた魔物を倒せば、自分の名は鰻登りとなる。名誉も美女も、自分の思いのままになる。

 

 そうして欲に駆られた彼は、いまパーティメンバーだった冒険者を盾にしながらも、ベヒモスを打ち倒す事が出来たのだ。ベヒモスまでの道のりは何とも都合の良い事に、神の使徒達がショートカットコースを作ってくれたので、アイテムにもまだ余裕はあった。後は道中のモンスターに気をつけて転移陣まで戻れば、彼はあのベヒモスを倒した冒険者として国中から賞賛と羨望の眼差しを受けるだろう。方法が褒められた手段とはないとはいえ、彼の実力は本物だった。亡くなったパーティメンバーは適当に戦死したとでも言えば、皆納得するだろう。

 

 ————ならば、これは。栄誉の為に仲間を切り捨てた彼への天罰だろうか。突然、彼と上層の階段を区切る様に闇が広がった。

 

「な、なんだ!?」

 

 アベルが警戒している間に、闇の中から人影が現れる。王族が着る様な豪奢なローブを纏い、ガントレットを纏った手には七匹の蛇が絡まった彫刻がされた国宝の様に芸術的な杖。しかしその顔には泣いている様な、怒っている様な奇妙な装飾が施された仮面を身に付けた邪悪な魔法師が闇から出てきた。

 

「ん?」

 

 邪悪な魔法師がアベルを見て、胡乱げな声を上げる。まるでここに誰かいるとは思わなかった、という声だ。

 

「な、なんだお前は!? どうやってここに来た!?」

「チッ、転移前に確認すべきだったか……洞窟内だから遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)が使えなかったのが仇となったか」

「モモンガ様、何かご問題でも?」

 

 狼狽するアベルを無視して、邪悪な魔法師は舌打ちしていた。それを遅れて背後の闇から現れた若者が従者の様に恭しく伺っていた。

 

「人間の冒険者と鉢合わせしただけだ。ところで、これは冒険者としてどのくらいの物なんだ?」

「少々お待ちを………」

 

 顎をしゃくって示す魔法師に、若者は身に付けた片眼鏡でアベルを一瞥した。

 

「雑魚ですね、ただの」

「なっ……!」

 

 路傍の石でも見る様な目で断言する若者に、アベルの頭が沸騰した。何より、自分がパーティメンバーを盾にして戦った所を見られたかもしれないのだ。こいつらを生かして帰すわけにはいかない。

 

「この私に舐めた口をきいた事を後悔したまえよ……あの世でなぁっ!!」

 

 アベルは剣を振り翳して若者へと突撃する。その速度は閃刃の二つ名に恥じない物だった。

 されど、それより早く炸裂音が四度響いた。

 

「ギャアアアアッ!?」

「……この様に、飛び道具対策すら出来てない様です」

「ううむ、そのくらいはユグドラシルでは基本中の基本なんだが……こいつは駆け出しの冒険者だったのか?」

 

 若者が手にした見た事の無い武器から何かが撃ち出され、アベルの両手足に風穴が開けられていた。それを見ながら二人は淡々と話していた。

 

「な、何だ……何なんだよ、お前達は!?」

 

 地面に這いつくばりながら、アベルは二人を睨む。そして、ふと思い出した。若者の顔は見覚えがあった。

 

「お前……そうだ、思い出したぞ。あの時、神の使徒の中にいた奴だ……!」

「? 知り合いか?」

「いえ、全く面識がありませんが……」

 

 怪訝そうな顔をする若者だが、アベルは覚えていた。遠巻きに見ていただけだが、王宮の騎士達と共にオルクス迷宮の前に集まっていた神の使徒の一人だ。

 

「そうか、分かったぞ……神の使徒の中に魔人族に与した裏切り者がいたという噂だったが、お前の事か! そっちの仮面を被った奴の中身は、さては魔人族だな!? それで国内で有数の冒険者である私を殺しに来たのだろう!? 薄汚い魔人族に与したクズに相応しい下劣な発想———」

「もういい、耳障りだ」

 

 邪悪な魔法師がスッとアベルに向かって手を差し出した。

 

「<心臓掌握(グラスプハート)>」

 

 アベルが聞いた事の無い呪文と共に、邪悪な魔法師の手にドクン、ドクンと脈打つ心臓が握られていて———グシャッ。

 胸に奔った痛みと共に、アベルの意識は完全に闇に閉ざされた。

 

 ***

 

「弱いな……この程度で死ぬとは」

 

 事切れた冒険者の死体を前にして、モモンガは淡々と呟いた。そこに人を殺した事による罪悪感も高揚感も全くない。

 

「申し訳ありませんでした。情報は必要だと判断して、口は利ける様に加減してました。薄汚い低脳ごときに御身の手を煩わせてしまった事をお詫び致します」

「よい、許す。気にするな」

 

 魔導銃ドンナー&シュラークを手にしながら深々と頭を下げるナグモに、モモンガは支配者ロールで応えながら別の事を考えていた。

 

(予想はしていたけど……やっぱり俺は肉体だけでなく、心も人間をやめたんだな)

 

 五月蝿い虫を叩き潰した。そんな感慨しか思い浮かばないのだ。改めて自分が人間で無くなった事を思い知った気分だった。

 

(念の為に第九位階魔法を使ったけど、こんなにあっさり即死するなんてな。装備も大した事無さそうだし、国内有数とか絶対に(自称)ってやつだろ。傍に転がっているモンスターはユグドラシルでは見た事無いな……でも、こんな駆け出し冒険者に倒されるという事は、序盤の練習台モンスターか?)

 

 ついついユグドラシルの常識で考えてしまうモモンガだが、今はそんな事を考察している場合じゃないとかぶりを振る。次の魔法の実験を開始すべきだ。

 

 ———中位・アンデッド作成 デスナイト———

 

 モモンガの特殊技能の一つを使用する。未知のダンジョン探索の前に盾役として愛用しているアンデッドをとりあえず出しておこうと思ったのだ。しかし、ここでゲームの時とは違う現象が起きた。黒い泥の様な球体が現れ、先程まで五月蝿かった冒険者の死体に纏わりついた。

 

(げっ……死体に取り憑くのかよ。トータスに来てからスキルが変化しているのか?)

 

 冒険者の死体が泥の中でゴボゴボと泡立ちながら、見慣れたアンデッドモンスターに変化していく。一般人なら吐き気を催す様な光景だが、この場にいる人間(ナグモ)には何の感慨も浮かばない様だった。

 

「デスナイトよ、そこの上層への階段を警戒せよ。人間が来たら殺……いや、決して通さない様に死守せよ」

 

 本来の目的を思い出す。ナグモの探している人間はここより下層にいると思うが、万が一自力で脱出していた場合を考えての命令だった。デスナイトは唸り声を上げながら、階段を昇っていく。

 

(ユグドラシルと違って、召喚モンスターは離れて行動できるのか……こりゃ、引き続き魔法やスキルを要検討だな)

 

 引き続き、もう一体のデスナイトを生み出そうともう一つの死体にスキルを使おうとしたところで、背後の転移門から気配が生じる。

 

「お待たせして申し訳ありません、モモンガ様」

 

 渋みの掛かった男性の声が響く。閉じていく転移門からセバスが現れ、地面に転がった死体に眉を動かした。

 

「そちらの方は?」

「……どうやらそこのモンスターにやられた冒険者の様だ」

「そうでしたか………」

 

 死体に向かって静かに黙祷するセバスを見て、モモンガはスキルを使うのをやめた。たっち・みーの面影のある彼を見てると、どうも罰が悪くなる。気を取り直し、ナグモに命令を下した。

 

「ナグモよ。用意したマシン・モンスター達を展開せよ。不可視化と、念の為に攻性防御を怠るな」

「かしこまりました。……<第五位階機械召喚(サモン・マシン・5th)>」

 

 ナグモの発動したスキルにより、0と1の数字が組み合っていく様な演出と共に、次々とロボットアームを持った宙に浮く小型円盤の様なマシンモンスター達が現れた。

 

(サーチャー……いや、色が違うからステルス・サーチャーだっけ? 懐かしいなあ、不可視化対策してないと、姿が見えないのに次々と仲間モンスターを呼ばれて厄介だったよなぁ……)

 

 かつて『ヴァルキュリアの失墜』であった出来事をしみじみとモモンガが思い出している間に、ナグモはマシン・モンスター達に指示を出していた。

 

「1〜10号機は鉱物資源の探索、11〜15号機はモンスターの生態調査を行え。並行して迷宮内のマップ作成も行う様に……そして16〜30号機は、人間を探索しろ。特徴は、僕の記憶データを同期させる」

『Yes,sir』

 

 短い電子音声と共にステルス・サーチャー達は光学迷彩を発動させながら、散開していく。ナグモはホログラムの画面を出し、何やらタイピングを始めていた。画面にはステルス・サーチャー達の視界と、モモンガにはよく分からないグラフやら数字やらが高速で流れていく。

 

「ふむ……これ程のモンスターを展開して、魔力(MP)は足りているか? それに召喚時間が過ぎたら、消えてしまったりしないか?」

「ご心配なく、モモンガ様。これらは第四階層で製作されたマシン達です。通常の召喚と違って、僕自身の魔力を使っているわけではありません。こちらから命じない限りは、半永久的に稼働します」

「なるほど……媒体があるなら、通常よりも長く召喚できるのか? という事は、アンデッドも———」

 

 ブツブツと考察に入っていたモモンガだが、ナグモを見て口を閉じた。ナグモはいつもの無表情ながらも、鬼気迫るといった様子で画面を見ていた。ナグモの思いを知っているモモンガは気不味くなり、咳払いしながらセバスへと近寄る。

 

「セバス、今回の任務の目的は分かっているな?」

「はい。オルクス迷宮なる場所の調査であり、御身を御守りする為ですね?」

「うむ。同時に、ナグモが潜入調査をしていた折に世話になった人間がいる可能性がある。その者を見つけたら、私の元まで連れて来い。仮に死体だったとしても、蘇生魔法を使って復活させる」

「かしこまりました」

 

 恭しく礼をするナザリックの執事。

 

「「「………………」」」

 

 その後、三人の間に沈黙が流れる。中でもナグモとセバスの間にピリピリとした空気が流れていた。いや、正確には礼儀正しく沈黙を守るセバスに対してナグモは機械の操作に忙しい()()をして、話しかけようとしないのだ。

 

(うう………気不味い)

 

 モモンガも元々饒舌な方ではない。仲違いというより、お互いに触れてはならない一線を踏まない様に沈黙を守り続けるNPC達に、モモンガの無い筈の胃がキリキリと痛むのを感じた。

 

(そういやこの二人が言い争いしていたのが、ある意味、事の発端なんだよな………でも仕方ないだろ? 未知のダンジョンだから、連れて行くのはレベル100じゃないと不安だし、目的が人間の救出だからカルマ値が極悪なアルベドやシャルティアは論外。デミウルゴスは王国の諜報活動に当ててるし、人間が出入りしてるダンジョンだからアウラやマーレ、コキュートスを連れて行ったら目立ち過ぎるし………条件に合ったのがセバスくらいしか居ないんだよ)

 

 誰に言うでもなく、モモンガは心の中で言い訳する。カルマ値極善なセバスならば、人間を助けると言っても不満を言わないだろうという事と、前衛として優秀だという事も踏まえてだ。お陰で三人パーティというユグドラシルなら少ないと言われそうな布陣になったものの、足りない分の火力はナグモのマシン・モンスターやモモンガのアンデッド召喚で補えばいいと考えた。回復に関してはナグモが回復魔法を使えるのと、モモンガの手持ちのポーションを惜しげなく使う気でいるのでどうにかするつもりだ。

 

「………しかしながら、意外に思います」

 

 はたしてセバスも沈黙に耐えかねたのか、モモンガへ話しかけた。

 

「何がだ?」

「いえ……モモンガ様が慈悲深い方だとは理解していたつもりですが、まさか人間を救う為に御自らが動かれるとは。てっきり、人間に対してあまり良い感情を持っていられないのではないかと思っておりました」

「セバス、それは違うぞ。大体、人間を憎んでいるならば、オーレオールやナグモをナザリックに置こうなどとは考えん。アウラとマーレだって、広義的には人間種だろう」

「………そうなのですか?」

 

 ナグモがタイピングしている手を止めないながらも、モモンガに対して振り向いた。先程の事を思い出しているのかもしれない。

 

「不肖ながら、僕は至高の御方であるじゅーる様に『そうあれ』と望まれた故に人間として創られ、特別にナザリックに籍を置く事を許されたのだと考えていました。御方々にとって、人間は虫の様に踏み潰すべき弱者として見ているものかと」

「………あのな、私は何も人間を無差別に殺して回りたい等と思った覚えは無いぞ」

 

 お前もか……とナザリックNPC特有の人間蔑視に頭を痛めながら、モモンガは語り出す。そもそもそういう考えに縛られているから、ナグモは自分がナザリック外の人間を好きになるわけがない、と頑なになって薬に頼ったのかもしれない。

 

「元々、我等“アインズ・ウール・ゴウン"は異形種をPK……あー、迫害していた者達に対抗する為に集ったギルドなのだ。当時は異形種というだけでひたすら狩り尽くそうとする連中が多かったからな。人間だけではなく、亜人種、はたまた同じ異形種だっていたぞ?」

「なんと……その様な事が」

「ああ。懐かしいな…… たっちさん、弐式炎雷さん、ウィッシュⅢさん、武人建御雷さん、エンシェント・ワンさん、フラットフットさん、あまのまひとつさん……一人とは喧嘩別れしてしまったが、俺も入れて“ナインズ・オウン・ゴール(九人の自殺点)"を結成したんだよな。その後にウルベルトさんやペロロンチーノさんが入って……たっちさんが異形種狩りから俺を助けてくれなかったら、今の俺は居ないな」

 

 古い———本当に古い、ユグドラシルでの最初の記憶を思い出して、モモンガは支配者ロールを忘れてしみじみと呟いてしまった。ハッとモモンガが見ると、二人のNPCは驚いた顔でモモンガを見ていた。

 

「ん、んんっ! とにかく! 私はナザリックに敵対する者には容赦を微塵もする気はないが、少なくとも人間というだけで害を為そうとは考える気は無いという事だ! 恩があるならば、礼を尽くそうとは思ってはいる」

 

 気不味くなり、モモンガは支配者ロールをしながら、ナグモに水を向けた。

 

「大体、ナグモよ。お前はどうしてそこまで人間が嫌いなのだ? じゅーるさんにそう設定された、というのもあるだろうが、ナザリックに戻る前は十年間、人間と暮らしていたのだろう? 少しは愛着が湧くのではないか?」

「………人間と暮らしていたからこそですよ、モモンガ様」

 

 つい興味本位で聞いてみたが、ナグモはいつもの無表情で答えた。その声には、隠し切れない嫌悪感が滲み出ている。

 

「あの世界……地球という世界で、僕は人間達の歴史を学びました。そして、身近な場所で人間達を観察しました。どれだけ犠牲を払おうが、間違った選択を繰り返す進歩の無い低脳な生き物。恩も借りも返したがらないくせに、受けた恨みだけは絶対に忘れようとしない。喋らない分、猿の方がまだマシです」

「う、むぅ………」

 

 その言葉に何とも言えなくなるモモンガ(元・地球人)に対して、ナグモは訥々と語る。

 

「冷静に考える事なく、感情論だけの声が大きい意見に、碌に考えもせずに諸手を挙げて賛同する能無しな連中。そして期待通りの結果にならなければ、不平不満を他人にぶつける。自分より優れた相手には徒党を組んで貶めずにはいられない。だからこそ……僕は人間が嫌いです。関わりたくないし、関わって欲しくもない。改めてじゅーる様が定めた在り方(設定)は正しかった、と思いました」

 

 ナグモは愚かな人間達(元・クラスメイト)を思い浮かべながら、そう吐き捨てた。その姿にセバスは何かを言いたそうだったが、結局は目を瞑って沈黙で応えた。モモンガはポリポリと頬骨を掻く。じゅーるの創った設定にケチを付ける気は無いが……それはそれとして、言いたい事があった。

 

「なあ、ナグモ。お前は人間という生き物が嫌いなのではなく………人間のそういった面を嫌悪しているだけではないのか?」

「え………?」

 

 タイピングを行なっていたナグモの手が止まった。まるで初めて言われた、という顔でモモンガを見た。

 

「お前が嫌悪しているのは、そういった人類の悪性と呼ぶべき面であって、白崎香織はお前が嫌悪する人間像には当て嵌まらなかった……という話じゃないのか?」

 

(なんて、そういう感じの設定があったんだよなぁ。じゅーるさんが薦めてきたSF小説に)

 

 後半部分は口に出す事なく、そう思うだけにした。かつてギルドメンバー達にお気に入りのSF作品を啓蒙していたじゅーるだったが、ナグモの「人間嫌い」というのはその作品の中で、人類に対して失望した科学者や非合理と断ずるマザーコンピュータの類いに見えたのだ。恐らくそういった作品から目の前のNPCの設定を作ったんじゃないか? とモモンガは考えていた。

 

「それは……そんな事、考えた事は一度も……」

「まあ、なんだ……無理に人間達を好きになれとは言わんが、人間個人に対しては別の物、と考えてもいいんじゃないか?」

 

 設定に矛盾してるからと、また薬漬けになられても困るし……とモモンガは心の中で呟く。ナグモは戸惑いの表情を浮かべ、今までに無い考えに躊躇している様だった。

 と、突然ナグモが操作していた画面から電子音が流れる。

 

「っ!」

 

 ナグモはバッと振り向き、コンソールを操作した。

 

「これは……!」

「どうした?」

 

 モモンガが後ろから覗き込むと、画面の一つに洞窟内を流れる川だろうか? その川の中にある岩に、装飾が施された杖が引っかかっているのが見えた。

 

「これは……白崎が持っていた(スタッフ)です。間違いありません」

「ほう……幸先よく、手掛かりが見つかったな」

 

 モモンガは内心でホッと胸を撫で下ろす。何も痕跡が見つからないという最悪の事態は避けられた様だ。

 

「場所は……ここよりも、ずっと地下です」

「よろしい。ならば今から向かうぞ。セバス!」

「はっ」

 

 モモンガはセバスを呼ぶと、ナグモと共に奈落へと身を投じた。

 <全体飛行(マス・フライ)>を使用して、ゆっくりと降下していく。

 一瞬、デスナイトはどうしようか? と考えたが、置いて行く事にした。死体を使わずに召喚した場合の実験を行いたかった。

 モモンガ達はオルクス迷宮の深部へと入り込んでいった。

 

 

 




>閃刃のアベル

 原作ではハジメに突っかかていた王国の金ランク冒険者。本作ではモモンガさんのデスナイト作成の為にコロコロされました。合掌。

>ナグモとセバス、ギクシャク

ナグモ「この前は怒鳴って、ごめんね」
セバス「気にしてないからいいよ」

 ぶっちゃけこれで済む話。でもナグモは気不味くて謝れないのです。何せ、こいつ○○的に○○なんで。

>モモンガさん、ギルドの創作時の話をする

 ナザリック、軟化フラグです。

>ナグモの人間嫌い

 要するにね、SF作品の悪の科学者にありがちな人間嫌いなんですよ。というかコイツは自分の気に入らない人間が嫌いなんです。で、その気に入らない人間が人類のほとんどに該当する的な感じです。

次回は多分、ずっと放置していた吸血姫さんの出番です。


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第二十七話「I am “Ainz ooal gown"」

 ずっと書きたかった! ようやくあの方の名前を書けた!

 いつのまにか、お気に入り登録数が2000件を超えてました。読者の皆様、ありがとうございます!


 オルクス迷宮深層。

 そこは表層にいる魔物達とは一線を画す魔物が跋扈しており、表層とは違って階層ごとに様々な環境への対応が試される。その難易度はまさに()()()()()と呼べるだろう。

 しかし———モモンガ達には何の痛痒も感じていない。熱対策、冷気対策、毒対策などあらゆる環境ダメージをスキルやアイテムで無効化できる彼等にとっては、奈落の迷宮は障害足り得なかった。

 

「ふむ……何というか、多種多様な環境が揃ったダンジョンだな」

 

 水棲モンスターが跋扈する地底湖の遥か上を<飛行>しながら、モモンガは独りごちた。

 

「モンスター達もユグドラシルでは見た事の無い物が多いな」

「しかしながら、未知のモンスターであっても至高なる御身のご対応に一切の陰りはございませんな。さすがはモモンガ様です」

「よせ、セバス。私だけの力ではない、お前達の働きが優秀だからでもある」

 

 純粋な賛辞にこそばゆい物を感じながらも、モモンガは気を引き締める。

 

「それと、油断は禁物だ。ここは異世界のダンジョン。警戒は決して怠るな」

「はっ」

 

 セバスが頷くのを見て、モモンガはナグモへと視線を向ける。彼はモモンガ達の後から付いていきながら、ステルス・サーチャー達が集めてきた情報を整理していた。こうして間近で接してみて、モモンガにも彼の無表情の違いも少しずつ分かってきた。その顔は冷静さを保とうとしているが眉間が険しく、あれ以来の手掛かりが見つからない事に焦れてきている。

 

「ナグモ様……まだ迷宮は続いております。もしかしたら、探している人間はその先に」

「気休めは結構だ」

 

 気遣ったセバスに、ナグモは拒絶する様な声音を出す。

 

「そもそもここには資源調査の為に来た。白さ……人間の探索はついでに過ぎない。仮に見つからなかったとしても、当初の目的は達せられる」

 

 そう言いつつも、ナグモは決して画面から目を離そうとしない。その必死な姿に、セバスは何も言わずに下がった。

 

(ここにまで来て意地を張らなくても良いだろうに……あれか? 同僚に人間に恋しました、と知られるのが恥ずかしい的なヤツかね?)

 

 やれやれ、と少し頭を痛めながらモモンガは溜息を吐く。

 

(なんとなく、ナグモの事が分かってきたかも。コイツ、仕事が凄く出来るけどコミュ力ゼロなタイプだわ)

 

 今までNPC達の期待に応える為に支配者としての演技で押し通していたが、他の守護者達と違って人間的な未熟さや精神的な弱さを見せるこのNPCにはモモンガの中の人間の残滓が共感を感じているのだ。ともすれば、鈴木悟の職場にいた気難しい技術職の社員と似た雰囲気を感じていた。

 

(そう考えると同じ頭が良い設定のアルベドやデミウルゴスより、親しみを持てる気がする。あれだ、仕事は出来るけどコミュニケーションが壊滅的に下手な部下が出来たと思えば良いんだな、うん! ……それはそれで別の意味で胃痛案件じゃね?)

 

 今度、最古図書館から『出来る上司のハウツー本』みたいな本をこっそり借りよう。モモンガが密かに決意した、その時だった。

 

「っ、モモンガ様!」

「どうした?」

「この先に生命体の反応を感知しました。これは……人間種の反応です!」

「よし。だが警戒は怠るな。<偽装情報>の様なスキルでモンスターが種族を誤魔化している可能性も考慮して、戦闘体制に即座に入れる様にせよ」

「はっ!」

 

 そうして、その場所にモモンガ達は辿り着いた。巨人でも通れそうな巨大な石扉。両脇には一つ目の巨人の石像が番人の様に置かれていて、今にも襲い掛かってきそうだ。

 

「今までとは違って、明らかな人工物だな。それにしても……いかにも、という感じだな」

「……トラップ反応を感知しました。扉を開けようとすると、石像が襲い掛かってくる仕掛けです。しかし、これを作った者にはるし★ふぁー様程のセンスが無い様ですね」

「そう言うな。第一、あの人と比べるのは他のゴーレムクラフターが気の毒だろう」

「失礼致しました」

 

 マジックアイテムの片眼鏡を掛けながら調べたナグモに、モモンガは少し懐かしい気持ちになりながらそう返した。

 

(あの人、よく俺をからかってくるから苦手だったんだよなぁ。でも、ゴーレム製作に関しては妥協は許さない人だったもんな……)

 

 るし★ふぁーとの思い出に浸っている間に、一つ目の巨人達は二人の守護者によって瞬殺されていた。

 そうして警戒を怠らず、石扉を開けて中に入る。中は聖堂の様な造りになっており、各々が暗視のスキルを使って部屋の全容を見渡していく。すると………。

 

「………誰?」

 

 部屋の最奥、立方体のオブジェに埋まる様に磔に拘束された人型がモモンガ達へ生気の無い瞳を向けてきた。

 人型は12歳前後の少女だった。金色の髪が入口から漏れる灯りで月明かりの様に反射し、ルビーの様な紅い瞳が暗闇の中でも分かるくらい印象的だった。

 

「こんな場所に女の子、だと……?」

「……どうやら先程の人間種の反応はこの少女のようです」

 

 瞠目するモモンガに対して、ナグモは失望感を滲ませた声で報告する。

 

「誰……? ううん、誰でもいい。お願い、私を助けて……!」

 

 ケホケホ、と咳き込みながら金髪の少女が懇願してくる。まるで久しぶりに声を発した様な枯れ果てた声だった。

 セバスが即座に動こうとするのをモモンガは手で制する。

 

「スマンが、我々にメリットが無いな。まだお前がどんな理由で封印を施されているかも分からん。こちらを利用して、封印を解こうと企む邪悪な存在という線もあり得る」

 

 ハッとセバスの顔が驚愕に歪む。同時に、そんな可能性を露ほどにも考えずに迂闊に動こうとした自分を恥じる様に苦渋の面を浮かべた。

 

(ユグドラシルなら、そういう展開もやりかねない。というかやったよ……)

 

 クエストで救出する様に依頼されたNPCの少女が最後の最後で本性を現して見るも邪悪な異形種に変貌した時、ペロロンチーノが「俺の純情を裏切りやがってえええっ! やっぱり運営は糞だチクショオオオッ!!」と泣きながら矢を撃ちまくっていたのは、ある意味で良い思い出だ。

 

「違う……! 私は……裏切られただけ! 私は、吸血鬼の一族で……殺せないから、封印するって……!」

「吸血鬼?」

 

 何とも胡散臭い物を見る様な目で、ナグモは金髪の少女を見た。

 

「どうした?」

「いえ、トータスの吸血鬼は三百年前に絶滅したと文献にはあったので……」

「ほう。つまり、レ……この世界では今はもういない種族という事か」

 

 一瞬、レア物と言おうとした口をモモンガは閉ざした。さすがに人間扱いしてない表現はどうよ? と残された良心が歯止めを掛けていた。

 

(ユグドラシルの吸血鬼と違って、トータスだと人間種になるのか? それに三百年前に滅んだ種族の生き残りか……ナグモが王宮で集められなかった情報も、ひょっとしたらこの吸血鬼は知ってたりしないか?)

 

 そんな打算をしながら考え込むモモンガへ、金髪の少女は必死で訴えかけた。

 自分は吸血鬼の一族の中でも特異な存在で、不老不死の存在であること。陣や詠唱無しでも魔法を操れる事、12歳で女王に即位して国民の為に頑張ってきたのに、信頼していた叔父に裏切られてこの場所に封印された事など。

 魔法の無詠唱発動が出来るという点には少し興味が出たが、それ以外はモモンガにとってさほど惹かれなかった。鈴木悟だった頃ならもう少し同情的になったかもしれないが、今のモモンガにとっては、結構苦労したんだなという感慨しか思い浮かばなかった。

 だが———。

 

「お願い、します……助けて、下さい……」

 

 モモンガの興味無さそうな態度が伝わったのか、金髪の少女がポロポロと涙を流しながら懇願してくる。

 

「もう……ここで一人だけでいるのは嫌なんです……」

 

 その姿が———円卓の間でたった一人で待ち続けた自分の姿と重なった。

 

「………いかが致しましょうか?」

 

 セバスの声にモモンガは現実に引き戻されかけ———彼の面影に、純銀の白騎士の姿が見えた。

 

『誰かが困っているならば、助けるのは当たり前!』

 

 かつての記憶と共に、たっち・みーの力強い宣言が脳裏に蘇った。モモンガは、ふうと溜息を一つ吐く。

 

(………なんか、今日はよくよくギルメンの皆を思い出す事が多いな)

 

 そして、モモンガは少女へと近付く。同時に、被っていた嫉妬マスクを解除する。現れた骸骨の顔に、少女は息を呑んだ。

 

「アンデッド……! トラウムメイジ……違う。まさか……伝説に記されたナイトリッチ……?」

「違う、オーバーロードという種族だ。聞き覚えは?」

 

 ふるふると頭を横に振る少女に、モモンガはそうかとだけ伝える。自分の様なアンデッド種族はトータスでは珍しいのかもしれない。

 

「見ての通り、私はアンデッドだ。それでも、お前は救いを求めるか? 代価として、私に忠誠を誓えるか?」

 

 背後の守護者達の驚いた気配を感じながら、モモンガは金髪の少女に問う。

 たっち・みーへの義理を果たす意味合いで、少女を無償で助けても良かった。しかし、この世界への深い知識を持っていそうな少女を手放すのは何となく惜しくなり、自分の手元に置いておこうと考えたのだ。

 

(それに、二人にはナザリック外の人間種だからといって無闇に差別しないと宣言しちゃったもんなぁ……)

 

 言った事に責任を持たないといけないなんて上司は辛いな、と元の世界なら無縁そうな悩みに内心で苦笑する。金髪の少女は少し迷う素振りを見せ———首を縦に振った。

 

「構わない…です。私は助けてくれるなら、貴方に忠誠を誓います」

「よし。ナグモよ、お前が新しく覚えた魔法で封印を壊せそうか?」

「……少々、お待ち下さい」

 

 ナグモはいつもの無表情で少女を封印した立方体の石に手を当てて瞑目する。しばらくして、モモンガへと向き直る。

 

「魔力を弾く材質で出来ている様なので、高密度の魔力を流し込む必要がありますが……可能です。多少、お時間を頂く事になりますが」

「構わん、実行に移せ。セバス、お前はこの少女が解放されたら気功で癒やしてやれ」

「畏まりました」

 

 どこかホッとした雰囲気を出しながら、セバスも近寄った。ナグモが“錬成"を使い、立方体の形がゆっくりと変わっていく。その間にモモンガはこっそりと魔法を詠唱する。少女の話が嘘で、罠という可能性もまだ零ではない。もしも封印が解かれて襲い掛かられてもNPC達を守れる様に、モモンガは即死魔法の準備をしていた。

 やがて、ナグモの魔法によって立方体が崩れて少女が解放された。少女は襲い掛かる素振りもなく、その場にペタンと座り込んだ。

 

(杞憂だったか……)

 

 モモンガは魔法を解除しようとし———その直後、部屋の入り口を遮る形で一体の魔物が上空から地響きを立てて降ってきた。

 

『キシャアアアアアッ!!』

 

 サソリによく似た形をした体長5メートル程の魔物が威嚇の声を上げ———。

 

「<真なる死(トゥルー・デス)>」

 

 直後、少女に使おうと用意していた魔法によって、モモンガに即死させられた。糸が切れた様にサソリモドキは倒れ伏す。

 

「あれ程の魔物を指先一つで……それにあの魔法……見た事が無い」

 

 突然の魔物の出現に驚いていた少女だが、それを更に上回る展開に瞠目する。その声には畏怖の念が篭っていた。

 

「貴方は、一体………?」

「私か? 私の名は———」

 

 モモンガ。そう名乗ろうとし、何故か言葉が出なかった。

 それはかつてのギルド長としての名前。たった一人、ナザリック地下大墳墓に残った自分が他人へ名乗るべき名があるとするならば———。

 

「———アインズ・ウール・ゴウン」

 

 その名前が自然と口から出ていた。畏敬を込めて自分を見る吸血鬼の少女へ、ナザリックの支配者は高らかに名乗り上げる。

 

「私こそが、アインズ・ウール・ゴウンその人である!」




>一行、驚異的な速さで迷宮を突破中

 そりゃあね。アインズ様がいたらオルクス迷宮はヌルゲー化しますって。

>金髪の吸血鬼の少女

 今の段階ではまだ名無し。ユエにするか、本名にするかは考え中です。アインズ様はたっちさんへの恩を返すのと、この世界特有の吸血鬼という事で救う事にしました。
 彼女の名前はアンケート収集します。(ただし、アンケート通りの結果にするとは限りません)

>アインズ・ウール・ゴウン

 これはずっと書きたかった。これより、アインズ様とお呼び致します。m(_ _)m


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第二十八話「名付け。そして………再会」

アンケートにお答え頂いて、ありがとうございました。
結局、アインズ様と元の名前を捨てた者同士にしたかったので、名前はユエにしました。

自分はどうでもいい事をダラダラと書く癖があるので、色々と描写を端折った結果……ナグモはようやく彼女と再会しました。

是非とも、喜んでくれたまえよ。ナグモ。


「それで、お前は何という名前だ?」

 

 ポーションやセバスの気功によって、すっかりと血色の良くなった金髪の吸血鬼にモモンガ———アインズは質問した。

 一糸纏わぬ裸体だった少女にはアイテムボックスの肥やしになっていた装備品の服を着せた。

 

(500円ガチャのハズレアイテムがここで役立つとはなあ……まあ、俺のボーナスも浮かばれたよな。多分)

 

 遠い目になっていたアインズに、少女はふるふると首を振った。

 

「……名前、つけて下さい。前の名前は、もう名乗りたくないです」

「自分の名前なのにか?」

「……アレーティア・ガルディエ・ウェスペリティリオ・アヴァタールというのが本名です。でも、辛い事しか思い出せないから……もう使いたくないです」

 

 長っ! とアインズは思ったが、そういえばこの少女は吸血鬼の王様だったな……と思い直す。

 

「だから、宜しければお名前を頂きたいです。アインズ・ウール・ゴウン様の臣下として、新しく生きていく為に」

「アインズで構わん」

 

 こっちも名前として呼ばれると長いよなぁ……と思っていると、守護者二人がざわついた。

 

「よろしいのですか? 至高の御方の名を略すなど、この吸血鬼に許しても」

「構わん。お前達もアインズでいいぞ」

 

 無機質な目で少女を見ながら伺うナグモに、アインズは鷹揚に手を振る。

 

「畏まりました。以降、アインズ様と呼称致します」

「うむ。セバスもそれで良いな?」

「偉大なる御身がお決めになった事に異論などありません。たっち・みー様も、その名はアインズ様こそが相応しいと仰るでしょう」

 

 畏まる二人の従者の姿に少女もまた姿勢を正した。王族としての本能がアインズを人の上に立つ人間だと認識しているのかもしれない。

 

(名前か……まあ、名前を変えて心機一転したいという気持ちは分からなくないよな。今の俺が、まさにそれだし。でも名前なあ……)

 

 支配者ロールを意識して、顎に手を当てて考える———フリをした。

 

(俺、名前のセンス無いんだよなあ。ギルド名を変える時に異形種動物園にしたら、皆に総スカン食らったし……何が駄目だったんだろ? 異形種動物園)

 

 まあ、今となってはそれにしなくて良かったとは思う。「我が名は異形種動物園!」とか誰が聞いてもダサい。そしてその名前が世界中に広まるとか、ベッドの上でひたすら悶絶するしかない。

 

「あー……ナグモ、セバス。お前達の意見を聞こう」

「オルクス・サンプル001で良いのでは無いですか?」

「アインズ様が決められた名前以上の名前など無いと存じ上げます」

 

 最終兵器「支配者ロールで他者の案を募る」という作戦も失敗に終わった。というかナグモに至っては完全に実験動物扱いだ。

 

(駄目だコイツら! 俺が考えるしかないのか!? 変な名前付けたら、絶対軽蔑されるううぅぅ!)

 

 無い筈の胃がキリキリ痛むのを感じながら、アインズは必死に知識を総動員させた。

 

(吸血鬼だからカーミラ……いや、ベタ過ぎるから却下だ。ホニョペニョコ……お前は何を言っているんだ? 他に特徴といえば、金髪が月明かりみたいだったな。ドイツ語で月というと……うん、断固却下)

 

 一時期、辞書からカッコ良さそうな単語を調べた経験から名前を付けようとしたが、脳裏に軍服姿の卵頭がビシィッ! と敬礼してきたのでそっと忘れる事にした。

 

(ん? 待てよ、月で外国語と言えば……)

 

「………ユエというのはどうだ?」

 

 ややあってから、アインズは提案した。三人の視線を受けながら、支配者ロールで尤もらしく喋る。

 

「我が盟友、ペロロンチーノさんがかつて恋をした月の精霊の名前だ。お前の髪が月光の様に輝いていたからな。その名をお前にやろう」

 

(という感じのエロゲーの話をしていたよな、確か)

 

 ペロロンチーノが、これぞ俺の嫁です! と熱く語っていたのを思い出した。もっとも、彼の嫁は四半期ぐらいで増えていくのだが、加えて目の前の少女は親友の好みをこれ以上ないほど直撃していることを思うと彼が今この場にいられなかったその巡り合わせの悪さに心中で苦笑を禁じ得ない。

 

「ユエ……月の精霊……」

「気に入らないなら、別の名前にするか?」

 

 『まあ、他に何も思い付かないけどな!』と心の中で冷や汗を流すアインズ。だが、何故か少女は顔を赤くしながらコクン、と頷いた。

 

「……分かりました。私は、今日からユエと名乗ります」

「うむ? そうか、ではユエと呼ぼう」

 

 ヨッシャ! とアインズは心の中でガッツポーズを取る。仮に何か言われても、ペロロンチーノのかつての恋人の名前と言えばナザリックのNPC達は自分のセンスが無いとは言わないだろう。

 とりあえず、NPC(守護者)達に支配者ロールで宣言する。

 

「聞け、我が守護者達よ。これより、この吸血鬼———ユエはアインズ・ウール・ゴウンの保護下に入る。ナザリックに戻った時に、他のシモベ達にも広く伝えよ。ユエはお前達と共に、私の配下として働くと。異論はあるか?」

「アインズ様がそう仰るならば」

「畏まりました。しかと、伝えます」

 

 恭しく頭を下げる二人の守護者に、よしよしと内心で頷く。

 

(ここまで言っておけば、ナザリック外の人間を見下すNPC達もとやかく言わない筈だ。それに人間種であっても理由があればナザリックに保護するという前例を作れば、ナグモが白崎香織を連れて帰った時も周りからあれこれ言われないだろ)

 

 内心の打算をおくびにも出さずに構える。「ユエ……月の精霊みたいなんて……」と少女———ユエは嬉しそうに呟いていたが、小声だった為にアインズには聞こえなかった。

 

「……聞きたい事がある。ここ最近で、人間を見ていないか? こんな見た目だ」

 

 ナグモは自分の記憶データから作った立体画像を出しながら、ユエに話し掛けた。見た事の無い機械に驚きながらも、ユエは首を横に振った。

 

「……見てない、です。私が封印されてから、この部屋に来たのはアインズ様達だけ、です」

「………そうか」

 

 それだけ言うと、興味を無くした様にナグモはユエから離れる。だが、その声には隠しようの無い失望感があった。

 

「ユエよ。私達は迷宮の調査と、先程の人間を探す為にこの場所に来た。お前はこの迷宮について、何か知らないか? 例えば、地上への抜け道とかだ」

「……申し訳ありません、アインズ様。私も気が付いたらこの場所に連れて来られていたので、詳しいことは分かりません」

 

 でも、とユエは区切る。

 

「この迷宮は、神代に神に挑んだ反逆者の一人が作ったと言われています」

「反逆者……?」

「王宮の書物には神の眷属でありながら、世界を滅ぼそうとした邪悪な存在と記されていました。もっとも、例によってエヒト神賛辞の内容が過剰で正確だとは思えませんでしたが」

「ほう……つまり、この迷宮には王国や教会にとって都合の悪い物があるかもしれない、という事か」

 

 ナグモの補足説明にアインズは内心でニヤリと笑った。ナザリックを守る為には、人間族以外を排斥しようとする聖教教会との対立は避けられないだろうとアインズは考えていた。デミウルゴスに王国や教会の事を調査させているが、部下に仕事を任せ切りにしているのが元サラリーマンのアインズには居心地が悪かったのだ。ここで教会の弱みとなる様な成果を持ち帰れば、NPC達も「流石だ」と思ってくれるかも……という微妙な下心があった。

 

(今までのモンスター達がレベル50くらいで少し微妙だったけど、意外とこの迷宮の調査は当たりだったのかもな……)

 

 少なくとも、ユエを助けた価値はあった様だ。内心でそんな事を考えながら、アインズは支配者ロールを意識しながらユエに話し掛けた。

 

「ユエよ。先程も言った様に、我々は先を急がねばならん。よって、お前を今すぐに迷宮からは出さず、同行して貰う事になる。あるいは、この場で待つという選択肢も」

「ついて行きます! 行かせて下さい!」

 

 アインズの言葉を遮る様に、ユエはアインズに跪く。

 

「私はアインズ様にこの身を捧げました! だから、この場所に置いて行かないで下さい! 魔法には心得があります! アインズ様の為に戦わせて下さい!」

 

 長い年月を孤独に過ごしたこの場所にまた一人にされたくない、という一心でユエは願い出る。

 

(え? 会ったばかりなのに、なんで忠誠心MAXなのこの子? ひょっとして、俺の支配者ロールはナザリックのNPCじゃなくても有効なの?)

 

 もっとも、肝心のアインズには意図が伝わってないが。

 

「……まあ、そこまで言うならば良いだろう。セバス、ナグモ。構わないな」

 

 守護者二人が頷くのを見て、アインズはユエを連れて先を急ぐ事にする。

 内心、仮に勝てない様な敵が出たらユエを盾にしつつ撤退するか、というアンデッドらしい打算もあったが。

 

 ***

 

 その後もアインズ達は快進撃を繰り返していたが、その速度は少し鈍化した。といっても、ユエが足手纏いだったわけではない。新たに探索メンバーとして加えたユエは、ユグドラシルのレベルで55〜60くらいだろうとアインズは見立てていた。魔法の無詠唱化という特殊スキルも偽りはなく、位階魔法だと第五〜第六位階程度で威力こそ低いが、この世界にしかない魔法を次々と駆使する姿はアインズのコレクター魂を大いに刺激された。

 しかし、レベル100の守護者二人と比べれば根本的な体力に差があり、疲労無効のアイテムを持っていない為に、アインズは適時休憩を挟む様にしたのだ。

 

「ナザリック地下大墳墓という場所が、アインズ様のお住いなんですか?」

「ええ。アインズ様を始めとした、至高の四十一人と呼ばれる方々によって御作りになられた———」

 

 歩きながらセバスがユエにナザリックの基本的な情報をレクチャーしていた。創造主に似て親切で礼儀正しいセバスに、ユエはすぐに打ち解ける事が出来た。

 

(俺もあんなコミュ力があったらなあ……)

 

 いっそユエの面倒はセバスに頼むか……などと思考を放棄しかけていた。

 

「……………」

 

 そんなセバス達に目もくれず、ナグモはひたすら画面と向き合って情報を纏めていた。ここまでの休憩時間も、一度も休もうとしていなかった。

 

「ナグモよ。あまり根を詰めるのは」

「いえ、大丈夫です」

 

 もはやアインズにも目をくれる事もなく、ナグモは画面を見たまま手を休めようとしない。

 

「疲れなどありません。アインズ様にも出向いて頂いたからには、調査は完璧にしなくてはなりませんので」

 

 そう言っているものの、その表情はアインズでもはっきりと分かるくらい張り詰めている。既に迷宮ももうじき100階層に達しそうだが、白崎香織の手掛かりは一向に見つからない。

 

(これは無理やり止めても逆効果かも……いよいよとなったら、ナザリックに戻ってニグレドを探索に使うしか無いな)

 

 ナザリックの中でも探知に特化したNPCを思い浮かべながら、アインズは溜息を吐く。

 

(ただ情報がナグモの記憶しか無いから、どこまで有効か分からないんだよな……それにしても、なんでここまで何も見つからないんだ? 仮に死んでいたとしても、遺留品の一つくらいは残るもんじゃないのか?)

 

 こんな事ならブループラネットさんに山の遭難事故のノウハウとか聞いておけば良かった、とアインズは独りごちた。

 とにかく、気晴らしになればとナグモへと話し掛ける。

 

「それにしても、本当に多種多様な環境が揃ったダンジョンだな。モンスター達も、色々と種類が異なる様だ」

「ええ。これまで見つかった鉱石や貴金属の量もユグドラシル金貨に換算した場合の査定量は不明ですが、この世界の市場価値に合わせると国家予算クラスの金額は見込めるかと」

「そ、それは凄いな」

 

 国家予算っておいくら万円、いや億円だろう? とアインズは遠い目になる。少なくとも鈴木悟には一生掛かっても稼げないだろう。

 

(とりあえず、ナザリックの金策はこれで心配しなくて良くなったな)

 

 ホッと安堵の溜息を吐く。いよいよとなれば、宝物庫に貯めたユグドラシル金貨や財宝を消費しなくてはならないと思っていたが、その必要は無くなりそうだ。

 

(そういう意味じゃ、大手柄を上げてくれてるんだよな。だから、せめてナグモの希望を叶えてやりたいんだけど……)

 

 この世界ではおそらく手に入らないであろう復活のワンドを使う事もアインズには躊躇いがない。ギルメンのNPC(子供)がここまで必死になっている相手なのだ。多少は見返りとか価値とか考えなくても良い、というくらいにはサービスするつもりだった。

 

 ———そう。ここまで快進撃だった。彼等にとって迷宮の障害は無いに等しく、ダンジョン探索など初めて行うNPC達も、こんな大規模なダンジョン探索は久々に行うアインズも油断してしまうくらいには。

 

 そして、彼等は思い知る。()()()()()は、決して甘くは無いという事に。

 

 100階層目の階段を降りた途端、彼等の足元に転移の魔法陣が現れた。

 

 ***

 

「ん……!」

 

 ユエは浮遊感と共にすぐに床に下ろされた。先程まで隣にいたセバスやアインズの姿は無く、広い空間に転移させられた。

 

「ここは……?」

「……フン。よりによって、一緒に転移したのは君か」

 

 後ろから感情の籠らない無機質な声が響く。振り向くと、無感動な目がユエを射抜いていた。

 

「ナグモ……様……」

「別に。敬称は不要だ」

 

 素気なく、ナグモは答える。

 

「空間転移への耐性は組み立てていた筈だが……この世界の魔法が位階魔法の理を上回ったのか? まさか、これが神代魔法という物か?」

 

 ブツブツとユエに目をくれず、思考の海に入り込むナグモ。

 

(この人……なんとなく苦手)

 

 ついユエはそんな事を考える。アインズによって封印から救い出して貰い、セバスからのレクチャーでユエも短い時間でナザリックの組織構造が大まかに見えてきた。目の前の人間は大恩あるアインズの側近なのだろうが、それでも近寄り難い雰囲気を感じていた。

 

「まずはアインズ様と合流するのが先決か……離れない様に。アインズ様が保護を宣言した以上は、それなりに気を配るが、他人を守る様なスキルはあいにく持ち合わせていない」

 

 まあ、最悪は……とナグモはユエを見る。

 その目は同じ人間として見ておらず、実験動物を観察する様に無機質だった。

 

「死体としてナザリックに連れて行く事になる。アインズ様の手でも蘇生が叶わらなければ、せめて検体として役立って貰いたい」

 

 ただひたすらに自分を研究対象としてしか見てない目に、ユエの中で不快感が募る。

 

(こいつ……嫌い)

 

 目の前の相手は人間と石ころの区別もつけてないだろう、と思わせる目がユエにとって非常に苦手だった。かつて、自分が先祖返りしたと分かった途端に奇異の目を向けてきた城の側近達を思わせた。ユエが思わず顔を顰めそうになると———。

 

 ピチャ、ピチャ、グチュ、グチュ。

 

 何かを咀嚼する様な音が聞こえてきた。ユエとナグモは黙って目配せすると、ナグモが前に出て魔導銃ドンナーを構えながら進んでいく。

 しばらくすると、開けた場所に出た。そこには巨大な多頭蛇(ヒュドラ)の様な魔物が横たわっており———そこに、ユエも見た事の無い歪な姿の魔物がいた。

 全身は赤黒い血管がドクドクと脈打ち、手や足はそれぞれが別の魔物をくっつけた様に鱗や羽毛、あるいは獣の様な体毛に覆われていた。振り乱した髪は真っ白で、まるで嵐にあった幽霊船の帆をユエに連想させていた。そして———ほんの僅かに、肉の腐った様な臭いがユエの鼻についた。

 ガツガツ、とヒュドラの死体を貪っていた魔物がこちらを振り向いた。生者を憎むアンデッドの目が自分達に向き———何故か、ナグモはその顔に見覚えを感じた。

 

「白……崎………?」

 

 隣から聞こえてきた掠れ声にユエが目を向け、信じられない物を目にした。

 先程まで、自分を見下していたナグモの顔は———まるで凍り付いたかの様に目を見開いていた。

 

『■■■■■■■■■ッ!!』

 

 歪な魔物が吼える。それが“威圧"の固有魔法だとユエが気付いた時には身体が麻痺していた。歪な魔物は獣の様に手足を地面につけながら、自分達へ真っ直ぐと向かってくる!

 その姿に、ナグモはハッした様に銃を構えた。“威圧"の効果が大して効いてないのか、その手は澱みなく魔物に標準を合わせていた。

 至近距離に近づいてきた魔物と目が合う。

 その顔の右半分は———人間の少女の面影があった。

 

「あ………」

「っ、ナグモ!」

 

 思わず敬称を忘れてユエは叫ぶ。ナグモは銃を撃つ事なく———銃を握っていた右手ごと、喰い千切られた。まるで噴水の様に手首から出血するナグモを見て、ようやくユエの身体の自由が効いた。“城炎"を使い、ナグモと歪な魔物を区切る様に炎の壁を発生させる。

 歪な魔物は獣の様な動きで飛び退いた。

 グチャ、グチャ、バリン、ボリン。

 炎の壁の向こうから、肉と一緒に硬い物を噛み砕く様な音が響く。

 

「……………何だこれは」

 

 アインズから念の為に、と渡されたポーションを懐から出しながら駆け寄るユエ。

 ———それすらも、今のナグモの目には映らなかった。彼は閉め損なった蛇口の様に血を噴き出す右腕に回復魔法をかける事も忘れて、炎の壁の向こうにいる歪な魔物を見ていた。掛けていたマジックアイテムの片眼鏡が表示した情報を否定する様に、気付けば無表情の仮面を崩して大声で叫んでいた。

 

「何なんだ、これはっ!?」

 

 ***

 

『個体名:白崎香織

 

 種族名:アンデッド、キメラ(特定不可)

 

 レベル:85…90…95…100……エラー。測定不可(100オーバー)』

 




>吸血鬼の名前はユエさん

 アンケートではアレーティアが多かったですが、アインズ様とは元の名前を捨てた者同士という共通点を持たせたくて、ユエにしました。その為に登場しましたペロロンチーノ。ホラ、エロゲでよくありそうな名前じゃない?(恋姫を見ながら)
 後は「アインズが拾い、直々に名前を付けた」相手ならば、先輩吸血鬼も遠慮する……よね? 彼女はナザリックでどういう立ち位置にするかは……まだ不明です。

>ナグモ、ユエの事を人間扱いしてない。

 これがナグモのナザリックのNPCとしての姿。至高の御方の為の研究に役立つか、立たないか。そんな基準でしか人間を見てません。人間嫌いな悪の科学者なので。

>歪な魔物———白崎香織

 だから———唯一、そんな基準で見てなかった人間が変わり果てた姿で襲い掛かりに来るとかどんな気持ち? ねえ、どんな気持ち? それも自分の血肉を喰らってレベルを上回って来るとかさ!
 
 今更、ヒュドラ程度じゃ相手にならないからね。戦力的にも心情的にも厳しい相手を用意しました!


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第二十九話「初めてのPvP」

ん? アインズ様? ヒーロー(カルマ値極悪)は遅れてやってくるものですよ?


 ナグモの戦闘は……守護者としてあるまじき戦い方だった。

 

「っ、<自己時間加速(タイム・アクセラレーター)>!!」

 

 向かってくる歪な魔物に時間魔法を使用する。それは戦う為というより、まるで目の前の事態から逃れようとした使い方だった。時間の流れがナグモを中心に遅くなり、ナグモの無くなった右手を治そうとしていたユエは動きを止めていた。

 しかし———。

 

「あ、ああっ、何故だ何故だ!?」

 

 狼狽した言葉がナグモの口から漏れる。歪な魔物は極限まで加速した時間の中でも速度を変える事なく動いていた。ナグモは残った左手で魔導銃シュラークを撃つ。狙いも何もあったものではない撃ち方だったが、乱射した銃弾のいくつかは歪な魔物へと当たる———前に、勝手に逸れる様に見当違いな方向へ行った。

 

「何故!?」

 

 叫ぶナグモに歪な魔物の爪が振るわれる。ナグモは寸前で地面へと転がりながら、マシン・ゴーレム達を壁代わりに召喚した。だが、歪な魔物の爪がマシン・ゴーレム達を次々と切り裂いていく。

 

 ———もしもナグモが冷静に思考していれば、目の前の相手が時間停止も飛び道具も効かない理由が思い付いただろう。

 ナグモの右手と共に喰われた魔導銃ドンナー。

 これには装備者に時間停止対策や飛び道具対策などの効果が得る様に施されていた。それが今、右手ごと喰らった歪な魔物にも効果を発揮してしまっていたのだ。

 

 だが、そんな事すらも今のナグモには思い当たらない。

 

「サ、<第八位階合成獣召喚(サモン・キメラ・8th)>!!」

 

 マシン・ゴーレムが駄目ならばと、配下の合成獣(キメラ)をナグモは召喚した。魔法陣からフラスコが現れ、中の胎児の様な生き物が膨れ上がる様に姿を変えていく。あっという間に鷲の翼と脚を持つ真紅の大蛇のモンスターが召喚された。召喚キメラは歪な魔物に狙いを定め、溶解液を吐きつけようとする。

 瞬間、ナグモは歪な魔物の右半分の———唯一、人間らしい面影が残った顔がドロドロに溶けてしまう姿を想像してしまった。

 

「や、やめろ! 撃つな! 撃つな!」

 

 召喚主の命令に困惑する様にキメラは溶解液を慌てて飲み込んだ。そして、その隙を歪な魔物は見逃さなかった。

 

『■■■■■■■■ッ!!』

 

 奇声と共に飛び掛かり、キメラの喉笛を噛み千切る。白目を剥きかけたキメラの頭を歪な魔物は両手で握り潰して絶命させた。

 

「あ、ああっ、何を……何をしている!?」

 

 ナグモが自分の失態に悔いるが、そんな暇も歪な魔物は与えてくれない。もはや場当たり的としか言えない使い方でナグモはマシンやキメラを召喚しては、歪な魔物に全て返り討ちにされていた。

 

 ———実のところ、ナグモと歪な魔物とのレベル差はそれ程離れていない。ナグモのマジックアイテムはあくまでユグドラシルのルールに則ったもので、異世界(トータス)においてはLv.100を超える事が出来る為に表示出来なかっただけだ。レベルを上回られたものの、落ち着いて戦えばナグモにも勝機が見えたかもしれない。しかし、彼の苦戦には大きく分けて三つの理由がある。

 

 第一に、ナグモのステータスはレベル100として見るとそれほど高くはない。

 そもそも彼は、攻城ゴーレム・ガルガンチュアと併用しての戦闘を前提に作られたサポーター型の階層守護者。よってナグモ単体でのステータスは特殊な役割のあるヴィクティムを除けば、ナグモが作られる前では階層守護者達中で最もステータスの低かったデミウルゴスよりも低位に位置していた。

 

 第二に、ナグモには同格(レベル100)以上との戦闘経験が圧倒的に不足していた。

 こことは異なる世界で、アインズは守護者達に告げた。力を使えるのと経験するのではまるで違う、と。与えられた役割から生まれた時からナザリックから出て戦闘をした事がなく、かつて1500人という圧倒的な人数差で敗れた経験しかない。言わばこれは、ナグモにとって初めてのPvP(実戦)。もしもアインズが見ていたら能力の活かし方(プレイヤースキル)がまるでなってないと評価したかもしれない。

 

 そして、第三に———。

 

(何を……何をしている!? こんな、守護者としてあるまじき姿を……失態を拭う為には早く()()()()を……! ち、違う! あ、ああっ、白崎、何故、何故、何故!?)

 

 創作者達によって設定されたマルチタスクが告げる。至高の御方の栄光を汚すな。ナザリックの威を示し、目の前の()()を■せ、と。

 それをやりたくないという胸の騒めきが、思考の邪魔をしていた。

 

「何だ……何なんだ!? これは、これはぁっ!?」

 

 焦燥、恐怖、苦悩。

 もはやじゅーるに設定された無表情の顔すら作れず、ナグモはどうすればいいか分からないという様に叫んでいた。

 じゅーるによって「人間嫌い」と作られて、地球でも他人と関わりを持とうとしなかったナグモ。だからこそ、彼には自分の心を初めて動かした相手に感じる胸の騒めき———感情をどう処理すれば良いのか、それが分からない。これはアインズにも正しく理解は出来ていなかっただろう。ただ冷酷な守護者として作られたNPCは、人間との生活で———本人は必死に否定していたが、香織に愛情を抱いた事で———「心」という物が生まれていたのだ。NPCとして、今まで0と1の数列(プログラム)でしか考えられなかったナグモは()()()()()()()()が歪な魔物となって襲い掛かって来る事態に、感情の暴走(Fatal error)を引き起こし、全く制御出来ていなかった。

 

 ドンッとナグモの身体が押し倒される。両手が鋭い鉤爪となった歪な魔物に拘束される様に掴まれて、ナグモが正面から歪な魔物の顔を見た。左半分が捻れた角を持った魔物と化し、右半分は罅割れた赤い血管が涙の跡の様に走る、香織の顔を。

 

「白、崎………」

 

 絶望。その二文字がナグモの心に占めていた。歪な魔物はそんなナグモの喉笛に牙が生え揃った口をゆっくりと開く。

 

「———“緋槍"!」

 

 円錐状の炎が歪な魔物に突き刺さる。ナグモは気がついていなかったが、<自己時間加速>の発動時間は終わっていた。ナグモを喰べる為に隙を晒していた歪な魔物は直撃した炎に押し出され、ナグモから離れた。その隙をユエは見逃さない。

 

「“凍柩"!」

 

 足元から凍り付き、たちまち歪な魔物は氷の檻の中に閉じ込められる。全魔力を使った魔法だが、時間稼ぎにしかならないだろうとユエは判断していた。

 呆然としているナグモを抱え上げると、ユエはその場から急いで離れた。

 

 ***

 

 最初に転移した場所まで戻り、ユエはナグモを迷宮の壁に寄りかからせた。すぐにアインズから貰ったポーションの瓶を開けて、ナグモへ振り掛ける。ようやくナグモの右手が再生された。

 

「肉体まで再生できるポーションなんて、聞いた事ない……」

 

 自分の知識を軽く凌駕したアイテムにユエが呆然と呟くが、すぐに気を取り直す。ナグモを見ると、頭を抱えて蹲っていた。

 

「何故……何故……白崎が……何故……」

 

 ブツブツとユエに目もくれず、只管に自問するナグモ。まるで先程のような対応だが、その意味ははっきりと変化していた。その姿を見て、やっとユエにも思い至った。

 あのアンデッドの魔物こそが、ナグモが探していた人間だったのだと。

 

(なんて、残酷………)

 

 この世界を創り賜うたというエヒト神には血も涙も無いのだろうか? もはや信心など欠片も無いが、心の中で神を呪った。気に入らない相手とはいえ、さすがのユエもナグモに同情してしまう。常に相手を見下していた目に力は無く、予想外の事態に怯える事しか出来ない人間がそこにいた。

 だが、いつまでもそうしてはいられない。

 

「至高の御方を謀って調査しようとしたから……? じゅーる様の信条を破って、見捨てたから……? あの時、即座に助けに行かなかっ——」

「しっかりして、ナグモ!」

 

 ナグモの肩をユエは激しく揺さぶった。もはや相手がアインズの側近だという事も、ユエの頭には無かった。

 

「おま、え……?」

「あなたはどうしても()()()に会いたくて、ここまで来たのでしょう!? ここで貴方が諦めてどうするの……!」

 

 焦点の合わない目で見てきたナグモに、いつもより力強い口調でユエは訴える。

 

「私にはアインズ様以外に助けようとしてくれた人なんていなかった……! でも、あの人には貴方がいる……! それなのに……貴方が手を伸ばさなかったら、誰があの人を助けるの……!」

 

 封印された当初は、ユエも自分を救ってくれる誰かを夢見ていた。暗い闇の中から光を齎し、物語の英雄の様に手を差し伸べる誰かを。だが三百年間、そんな都合の良い救世主など現れてくれなかった。いつしか絶望感すら枯れ果てかけたユエに、ようやく伸ばされた救いの手は思い描いていたものとは大分違ったが、それでもあの瞬間、天にも昇る気持ちだったのだ。それこそアインズ(救世主)に全てを捧げても惜しくは無いと思えるほどに。だからこそ人間性は気に入らないが、アインズの側近であるナグモもユエは見捨てようとは思わなかった。

 

「貴方はあのアインズ様の臣下なのでしょう……! なら……あの人を助けるぐらい、やれて当然……!」

「……お前の口から、至高の御方を語るな。吸血鬼」

 

 ナグモの目に力が戻る。新入りのくせに生意気だ、と視線を込めながら。じゅーるに設定された無表情は作れなかったが、それでも覚悟を決められた。

 

「……無力化だ。あの魔物……白崎を無力化する。手伝え、吸血鬼」

「ん……ナザリックの新米としては、ここで側近の貴方に借りを作るのは、悪くない」

 

 スッとユエの手が差し出される。

 

「それと……キチンと名前で呼んで欲しい。アインズ様から頂いた、私の大切な名前」

 

 グッとナグモは握り返し、立ち上がる。

 

「……フン。ならば、せめてガルガンチュアの十分の一くらいは役に立ってみせろ。()()

 

 ***

 

 パキンと音を立てて、歪な魔物は氷の牢獄から解放された。

 ナグモの右手を喰らった事で彼のステータスとスキルを獲得した魔物には、並みのモンスターなら即死する様な魔法も足止めにしかならかった。

 魔力感知で逃げた獲物を探す。あの右手は美味しかった。今までの魔物達の中ではダントツに魔力があり、自分の身体が今までで一番崩壊から遠ざかった気がした。もしかしたら、あれに■■為に今まで生きていたのかもしれない。

 

(ア……レ……? ア、レ、ハ……ナンダッ、ケ……?)

 

 絶望と孤独で退化して、まともな思考すら難しくなってしまった頭で歪な魔物は考えようとする。

 そうだ、自分は確か、もう一度■■たい人達がいて、その為に今日まで生きていた筈だ。ああ、でも、この身体を———時間が経てば朽ちていく身体を維持する為には———。

 

(■■、タイ……アノ人ヲ、タベ、タイ……?)

 

 何か違う気がする。それでも、アンデッドの———屍食鬼(グール)としてのクラスを得てしまった歪な魔物は、その精神に呑み込まれかけていた。

 やがて魔力感知が探していた相手を捉えた。その相手は、こちらを待ち構えていた。周りには、機械の人形(マシンゴーレム)達が待機している。

 

(アア………)

 

 歪な魔物の口角が吊り上がる。牙を剥き出しにして、獲物(ナグモ)を見た。

 

(ズット、イッショ……ハナレ、ナイデ……)

 

 その為には周りにいる機械達が邪魔だった。歪な魔物は爪を振り上げる。今までの様に、一振りで機械達はバラバラに———-。

 

「<集団出力強化(マス・パワー・ブースト)>!!」

 

 ガキンッ! と歪な魔物の爪が弾かれる。先程よりも強靭さが増した機械達に歪な魔物の本能が警戒心が刺激された。四肢をバネの様に跳ねさせ、まるで猫の様に飛び退く魔物。

 だが、飛び退いた先に、上空から雷撃が降ってきた。

 バチバチという音と共に、歪な魔物の身体に電流が奔る。バッと上を見上げると、そこには———。

 

「……すごい。着ているだけで、本当に魔法の威力が強化されている」

「調子に乗るな。お前の力じゃない。これを創られた、じゅーる様の力だ」

 

 ナグモが気に入らなそうな声をかけた、その先に。

 真紅の機械鎧(パワードスーツ)を纏った吸血鬼が、そこにいた。




例によって適当に書いた設定なので、あまり本気にはしないで下さい。とりあえず書いてみたかった。

モンスターデータ

白崎香織(アンデッド): Lv.102

称号:奈落の底の歪な魔物

職業レベル
クレリック:Lv.7

種族レベル
動死体:Lv.15
屍食鬼:Lv.10
キメラ:Lv.15
???:Lv.?(その他、複数の種族レベルが確認出来るが、ユグドラシルで該当する種族は無し)
 
 アンデッドとなった香織が腐敗が進む自分の身体を保つ為に魔物肉を喰らい続けた姿。さらにナグモの右手を喰らう事でレベルを急激に上昇させた。その見た目は人型ではあるものの、今まで喰らった魔物を混ぜ合わせた様な見るも歪な姿となっている。唯一、顔の右半分だけが人間だった頃の名残りがある。
 もはや名前も顔も思い出せなくなってしまった誰かに会いたいという一心で自分の存在を保つ為により強い魔力の籠った肉を求めて彷徨う歪な造形の魔物。正真正銘、オルクス迷宮で最強の存在。


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第三十話「機械鎧」

 アインズ様とのPT戦を楽しみにしていた方、ごめんなさい。どうしても香織との決着はナグモに着けさせたくて、アインズ様の到着前に終わらせてしまいました。

 一応、裏設定として、『大迷宮は極端な話をすれば、大人数によるゴリ押しで突破できなくはない。そんなやり方では神に勝つ事は不可能なので、ボス相手には少人数で挑ませる様に別空間へ飛ばされて、ボスを倒すまで隔離される』なんて仕掛けがある為に、アインズ様もナグモが戦闘中は入れなかったみたいな感じです。


 歪な魔物が“風爪"を飛ばす。人体など軽くバラバラに切り裂ける鎌鼬は、ナグモに当たる前に強化されたマシン・ゴーレム達に阻まれ、表面に傷痕を残すのみだった。その硬さに苛立ったのか、歪な魔物は“天歩"で距離を詰めようとする。

 

「“緋槍"!」

 

 上空から機械鎧を纏ったユエの魔法が撃ち出される。炎の槍は先程よりも大きく、そして素早く撃たれた。“天歩"で加速していた歪な魔物に避ける術は無く、爆発と共に歪な魔物は大きく後ろに飛ばされた。

 

『ッ……■■■■■■■ッ!!』

 

 歪な魔物はユエに向かって“威圧”を使いながら咆哮する。もはや音響兵器となった魔力の伴った咆哮がユエに向かって放たれたが、先程と違ってユエに効いている様子は無かった。

 その隙をついて、ナグモは残った魔導銃シュラークを発砲する。ハンドガンでは到底不可能な速度で魔力を伴った弾丸が発射され、歪な魔物の手足を撃ち抜いた。撃たれた場所を中心に、歪な魔物の足が火傷を負った様に煙を上げる。

 

『ア、ギッ……■■■■■■ッ!!』

 

 咆哮と共に歪な魔物の足が再生される。だが、その足には古傷の様に弾痕が刻まれていた。

 

「……やはり再生能力を持っているか」

「ナグモ。次はどうする?」

「……火属性の魔法では有効ダメージが認められない。恐らく火属性耐性がある。だが、“白銀の魔弾"は有効ダメージだった。次からは神聖属性を使え。左肩(レフトショルダー)に神聖属性の位階魔法が込められている」

「ん。了解」

 

 ナグモの指示に、流線形の機械鎧を纏ったユエは頷いた。

 

 ———ユエが纏っている機械鎧は、ナグモの創造主であるじゅーる・うぇるずが使っていたものだ。ユグドラシル後発スタート組である彼は、初心者救済措置である機械鎧を使ってレベル上げを行っていた。SF趣味のじゅーるは機械鎧のデザインを大層気に入り、機械鎧が必要無くなったレベルに達してもデータクリスタルや課金パックを組み込んでいた。

 お陰で本来ならレベル80程度の攻撃力や防御力しか発揮しない機械鎧は、レベル100の相手との戦闘でも使える様な特注品となっていた。じゅーる自身がレベル100となった後も、これを着て機械鎧着用者限定の大会に出るなど、まさにじゅーるの創作意欲が籠った一品と言えるだろう。

 

 そして………じゅーるがユグドラシルから引退した日。じゅーる自身の装備やアイテムはギルド長であるモモンガ(現アインズ)に手渡されていたが、この機械鎧だけはナグモの手に渡っていた。亡き息子を模して作ったNPCへ、じゅーるなりに餞別をしたかったのかもしれない。

 NPCである為にじゅーるの現実の事情があまり読み込めないナグモだったが、その機械鎧がじゅーるが自分へ遺した品だという事は理解できた。だからこそ、自分の装備とは別にじゅーるの機械鎧をいつでも喚び出せる様に細工を施していたのであった。

 

(じゅーる様の品を他人に貸すなんて……! それも、今日会ったばかりの吸血鬼に……!)

 

 もしも相手がナザリックのNPC達であっても、アインズの命令でも無ければナグモは拒否しただろう。だが、今は自分の感傷で四の五の言っている場合ではない。

 

(だが、アインズ様に連絡がつかない以上、白崎を無力化する為の手駒が足りないのは事実……背に腹はかえられない!)

 

 先程からアインズに<伝言>で呼びかけているのだが、一向に繋がる気配が無い。どうやらこの空間そのものが遮断されている様で、連絡も転移も出来ないのだ。ナグモがいま戦力として使えるのは自分自身と召喚したマシンゴーレムやキメラ達。そして、ユエだけだ。そのユエ自体のレベルが低く、そのままでは歪な魔物への戦力とはならない。だからこそ、ナグモは断腸の思いでユエにじゅーるの機械鎧を貸し出したのだ。お陰で今のユエは一時的にレベル100クラスのステータスを手に入れていた。

 

(だが……あの機械鎧は体力(HP)魔力(MP)は強化できない)

 

 ナグモは歪な魔物を観察する。彼女は先程の反撃以外はユエには目もくれず、マシンゴーレム達へ———正確にはその奥にいるナグモへ向かって攻撃しようとしていた。

 

(やはり……理由は不明だが、白崎の狙いは僕だ。相手の狙いが分かっているなら、まだ対処は可能だ)

 

 盾役(タンク)を召喚モンスター達、魔法攻撃(マジック・アタッカー)をユエ、そして状況を見ながらバフやデバフをナグモが行う。

 ガルガンチュアこそいないが、創作者達に組まれたいつもの布陣(プログラム)通りにナグモは戦えていた。戦闘経験こそ皆無なナグモだが、この様にプログラムに嵌った戦い方ならば、本来の力を発揮できる。

 

(とにかくユエに攻撃がいかない様にマシンゴーレム達を盾にしつつ、ユエには魔法攻撃に専念させる。僕はマシンゴーレム達やキメラ達を強化しつつ……)

 

「ナグモ」

 

 ユエから声をかけられる。相手のステータスなどが判明する片眼鏡でユエの残存魔力(残りMP)が残り少ない事を確認したナグモは、躊躇なく自分の腕に注射器を刺し、血を抜き取る。そして、注射器ごとユエに投げ渡した。

 

「ん、サンキュ」

「いいからさっさと飲め」

 

 注射器に入った血液をユエが飲み干す。あっという間にユエのMPが回復した。

 

(ユエの回復に専念だ。大丈夫だ……問題ない。ガルガンチュアの代わりがユエという事以外はいつも通りだ)

 

 増血剤代わりのポーションを飲みつつ、ナグモはマルチタスクを展開していく。

 

『■■■■■■■■■■■ッ!!』

 

 歪な魔物が叫ぶ。今の攻防で目の前の()()の脅威度が理解出来たのだろう。咆哮と共に、肉が盛り上がって姿を変えていく。上半身は女性らしい凹凸を残しながらも硬い体毛に覆われて、両手は鋭い鉤爪を生やした野獣の様だ。下半身は鱗を生やした六本脚の爬虫類の様な形状になり、尻尾からは太い龍の尾らしきものが生えてくる。さらには下半身の獣の背中からは蝙蝠の様な翼が生え、まるで動きを確かめる様にピクピクと動く。それは数多のキメラを製造してきたナグモでも見た事がない様な歪な姿だった。有り体に言えば、龍とケンタウロスの合いの子、と表現すべきだろうか。

 

「白崎っ……」

 

 もはや人の形すら留めていない()()を見て、ナグモの胸が締め付けられる様に痛む。そこまでの異形に変じていながら、顔の右半分だけは未だに人間だった頃の面影を残していた。しかし、生あるものを憎むアンデッドの真っ赤な目がナグモを射抜く。まるで、こんな姿になるまで助けに来なかったナグモを責める様に。

 

「……君には、恩を返そうとしないで見捨てた僕に報復する権利がある。でも……至高の御方の為にもここで死ぬわけにはいかない」

 

 ギュッと胸の内ポケットを無意識のうちに握り締める。

 

「だから……君を無力化してから、全ての恨み言を聞く」

「ナグモ……」

「……行くぞ、ユエ。相手はアンデッドだ。疲労しない分、長引けばこちらが不利だ」

「……ん! 了解!」

『■■■■■■■■ッ』

 

 歪な魔物が吼える。ユエが機械鎧のスラスターを噴射させる。ナグモは思考を冷静に沈めながら、マシンゴーレム達に指示を出した。

 

 ***

 

 戦いは徐々にではあるが、ナグモ達に優勢に動いていた。歪な魔物はナグモのみを狙い、その攻め方は単調になりつつあった。その動きに合わせてカウンター気味に攻撃していくのは難しくなかった。だが、言うほどに容易な展開ではない。バフ効果で出力を上げたとはいえ、マシン・モンスター達は歪な展開の攻撃に次々とスクラップにされていき、その数を減らしていた。

 ユエも機械鎧を纏って魔法の威力を上げたとはいえ、高位の位階魔法を使うとその分MPを多く減らし、ナグモの血液を何度も飲んで回復させていた。その度にナグモの手元のポーションが減っていく。

 

(マシン・モンスターの残数……50。キメラは……10)

 

 視界の端で召喚キメラの身体がグズグズと崩れていく。人造キメラ達は自身のレベル帯に合わない高いステータスこそ誇るものの、造られた不完全な生命の定めとして、魔力を使い切ると細胞が崩壊していくという弱点があった。

 そして———その弱点は、目の前の歪な魔物にも当て嵌まる様だった。

 

『■■■、■■■ッ………!』

 

 腐臭が酷くなり、歪な魔物の表皮が崩れ出していた。下半身の足の一本が自重に耐えきれず、グチュリ、と潰れる。

 

「………っ」

 

 その姿にナグモの胸が激しく痛む。だが、ここで手を止めるわけにはいかない。今回の任務でアインズから動員を許されたシモベ達の九割方を使い切った形になったが、その甲斐もあって歪な魔物の動きは弱ってきていた。

 

(あとは、これを使えば……!)

 

 胸の内ポケットに秘めている勝利の鍵をナグモは握り締める。じゅーるによって設定されたマルチタスクも、その方法が有効だと囁いていた。

 

(勝てる……! このままいけば、勝てる……!)

 

 知らず知らず、ナグモは拳を握り締めていた。

 じゅーるによってナザリックの守護者として作られていながら、経験した唯一の戦闘は敗北に終わってしまったナグモ。いま、「心」というものが生まれたNPCには初勝利を前に興奮を抑え切れなかったのだ。

 ………あえて、酷な言い方をするならば。彼はプレイヤーとして初心者過ぎた。トータスに来てからは格下との戦闘しか経験してないが故に、追い詰めた相手から逆転される可能性を見逃していたのだから。

 

『■■■■、ア、アアアッ……!』

 

 とうとう下半身の龍の身体が自重を支え切れず、歪な魔物は崩れ落ちる。そして———下半身の尾から、銀色の龍の首が生えた。

 

「っ!?」

『GEYAAaaaahh!!』

 

 ナグモが咄嗟に防御魔法を唱える。残った召喚モンスター達が盾になり、ユエが魔法で妨害しようとするより先に———尾の龍の首も余波で消しとばしながら極光が空間ごと焼き尽くした。

 

「ガッ……!」

 

 ナグモの身体が迷宮の壁に叩き付けられた。ダメージ軽減できたものの、その被害は甚大だった。片眼鏡のマジックアイテムは完全に消し飛び、ナグモの左目に破片が刺さって視界を奪う。身体の方も肉が焦げる嫌な臭いがした。

 

(状、況は……!?)

 

 残った右目で周囲を素早く見回す。

 マシン・ゴーレム———全て大破。

 人造キメラ———全滅。

 ユエ———同じ様に壁に叩き付けられたまま、動かない。機械鎧が大破しているが、その胸は微かに上下していた。

 

(ぐっ……なんて、失態……! 防御に割き過ぎて、残りMPが、もう……!)

 

最初の錯乱した状態で召喚魔法を無駄打ちしたツケが、ここできてしまった。それでもなんとか起きあがろうと、身体に力を込め———血に染まった右目の視界に、歪な魔物の姿が見えた。

 

「白崎………」

 

 下半身の龍の身体は、魔力を注ぎ込んで作った外装だったのだろうか。所々の肉体が腐り落ちながらも、歪な魔物は最初の人型の姿となっていた。

 

『■■、タカッタ……■■、タカッタノ……』

 

 ここに来て、歪な魔物が初めて言語を発した。片言で聞き取り辛かったが、その声は図書館の個室でナグモが何度も聞いた声のままだった。

 

『ズット……ズット、■■タカッタ……ナ……クン……』

 

 理性を失ったアンデッドの目が、ナグモに向かってギラリと光る。

 

『ナ、グモ、クン………タベ、タカッタ———!』

 

 ドンっという音と共に、歪な魔物は駆け出す。耳まで裂けた口から牙を覗かせて。

 ナグモは左手のシュラークを歪な魔物の右足に向けて撃つ。

 歪な魔物はナグモから見て右に避けながら、疾走する。

 ナグモは右手を突き出した。

 バツンッ、と持っていた物ごとナグモの右手が喰われた。ナグモの腕から血が噴き出す。

 歪な魔物はゆっくりと咀嚼しながら、ナグモの右手を嚥下した。

 腐敗していた身体が回復すると同時に、その目が恍惚する様に細められ———。

 

『……ア、アアッ…………え?」

 

 瞬間。歪な魔物———香織の目に、理性の光が灯った。

 ナグモの右手に持っていた———彼が最近常飲していた、精神安定ポーションごと呑み込んだ事によって。

 

「………南雲、くん………?」

「………ああ、久しぶりだな……白崎」

 

 そうして。久々に理性ある思考を取り戻した香織の目に———右手を失って、血溜まりに沈んだナグモが映った。

 

 




 ……次回、「NPCは今際の際に夢を見るか?」。どうぞお楽しみに。


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第三十一話「色彩」

 タイトル名は、FGOの一期OPから。自分は直前に見た映画とかが、よく作品に影響されます。ちなみに最近見た映画は「ミラベルと魔法だらけの家」です。お陰でアインズ様と守護者達がノリノリで踊りながら自己紹介する姿を思い浮かべてしまった。


「南雲、くん……あ、ああっ……! なんで、なんで!?」

 

 理性を取り戻すと同時に、香織は今までやってきた事を思い出した。右手を失い、血を流し続けるナグモを抱き寄せる

 

「ごめんね……! 南雲くん、ごめんね……!」

「いや………謝るのは、僕の方だ………」

 

 掠れた声でナグモは答える。

 もう、回復魔法を唱えるMPは無かった。手持ちのポーションも、先程の戦闘で使い切ってしまった。いまこうしている間にも減っていく血液(HP)を止める術が無いまま、右腕をどうにか止血しようとする香織に抱き寄せられるがままになっていた。

 

「君には、恩があったのに……あれは明確な借りだったのに、僕は……君を、見捨てた。勝手に庇って死んだ……そんな、恩知らずな思い込みをして……」

 

 言いながらも、それは違うとナグモは考えていた。恩と借りは確かに返すべきだ。だが……何故、自分は命を掛けてまで目の前の()()を救おうとしたのだろう? 最初から殺すつもりで戦えば、こんな様にならなかったのに……。

 そんな事をボンヤリと考えるナグモに、香織は泣きながら首を横に振る。

 

「南雲くんのせいじゃない! 私が、あの人達を……クラスの人達を、説得出来なかったから……! あの人達が皆で南雲くんを傷付けようとするのを止められなくて、私……!」

「だから……それは、君が負うタスクではない、と何度も言っただろうに……」

「会いたかった……会いたかったの……! こんな姿になっちゃったけど、南雲くんに……雫ちゃんに、もう一度会いたかっただけなの……! なのに、食べたいなんて……私……!」

 

 香織に膝枕をされる形となったナグモは、ポロポロと涙を流す人間の面影が残った右半分の顔へ無意識のうちに手を触れていた。

 血が無くなり過ぎて、頭が上手く回らなくなってきた。マルチタスクは次々と閉じていき、思考が単純化していく———だからこそ、思ったままの事を彼は口にしていた。

 

「……綺麗、だ」

「え………?」

「ああ……綺麗だな……そうか。これが、綺麗という感情なんだな……」

 

 もはや、学園の二大女神と呼ばれた美貌は見る影もない。およそ人間とはかけ離れた姿となり、涙を流す香織の姿が———何故か、ナグモには色鮮やかな物に見えていた。

 ———じゅーるに創られてから、人間を嫌い、他人に心を開かなかったナグモ。彼はいま生まれて初めて、誰かに対して美しいという感情を抱いていた。

 香織は顔に添えられたナグモの手を、獣みたいになってしまった手で握りしめる。その手は、刻一刻と冷たくなっていく。

 

「嫌……いかないで……私を、置いていかないで……」

「……安心しろ。僕は、アインズ様がいれば……復活でき———」

 

 そこまで言って、彼はふと気付いてしまった。

 かつての———一度目の死となった、1500人の人間達(プレイヤー)との戦い。その戦いを………何も覚えていない事に。もしも記憶しているならば、人間は侮りがたい存在だと認識を改めていた筈だ。だが、今の今まで敗れたという事実だけしか知らず、その事に疑問を感じていなかったのだ。

 

(………………ああ、そういう事か)

 

 その理由を探ろうとして、彼は自分の設定(在り方)を思い出した。じゅーるは、自分をとある古代人のクローンとして創り上げた。ならば、今ここにいる自分も、かつての自分(ナグモ)のクローンなのだろう。だからこそ、記憶に連続性が無いのだ。その証拠に、シズの以前のメンテナンスを覚えていなかったのだから。

 

(なら、ここで死んだら………やはり、次の『僕』が作られるのだろうか……)

 

 その事にナグモは異論を挟む気は無い。そもそも自分は至高の御方によって創られ、ナザリックを守護する為の存在。御方が次の自分(ナグモ)を作ると言うならば、今の自分(ナグモ)は潔く自害すべきなのだ。

 あるいは、創られた当初の姿に戻るだけなのかもしれない。人間をひたすら嫌い、他人に対して何の感情も浮かばない。じゅーるに『そうあれ』と設定された、元の自分に。

 

(それは………嫌だな……)

 

 何故か、ナグモはそう思ってしまった。かつてポーションに頼ってまで、じゅーるに設定された姿を守ろうとした筈だ。

 でも……こんなにも、綺麗な感情(モノ)を知る事が出来たのに。

 0()1()しか無かった認識(世界)に、色彩をくれた人がいたのに。

 その全てを……忘れてしまうなんて………。

 

(ああ………そうか………)

 

 片眼鏡のマジックアイテムは壊れてもはや残りHP(体力)を知る事も出来ないが、間もなく自分は死ぬだろう。

 それを自覚しながら、彼はようやく目の前の人間に対して抱いていた感情の正体を知る事が出来た。

 恩や借りは関係ない。この人間の———香織の為ならば、命を捨てても構わないと思えた感情。出発前にアインズから教えられた、その感情の名は、きっと———愛。

 

「白崎」

 

 伝えたい。たとえ———全て忘れてしまうとしても。

 

「僕は……君が………」

 

 初めて、色彩をくれた貴女に。

 

「好き……みた……い……だ……」

 

 ***

 

 ぱたり、とナグモの手から力が抜けた。

 

「南雲……くん………?」

 

 香織はナグモを見た。ナグモは目を閉じて———その顔は、静かな至福に満ちていた。

 

「嫌……嫌、嫌! 南雲くん、南雲くん!」

 

 鋭い鉤爪が生えてしまった手で、香織はナグモを抱き寄せる。

 

「大好きだよ……私も、貴方の事が大好きだよ……! 大好きだから、……いかないで、お願い……!」

 

 人間の右目と、魔物になった左目。その両方から涙を流しながら、香織はナグモの胸に縋り付いた。

 もう食欲なんて無い。この時、香織の心はアンデッドと化した精神に打ち勝っていた。

 ずっと、ずっと会いたかったのだ。アンデッドとなって、身体が化け物へと変化してしまっても。死んだ方がマシだ、と何度も思う事もあった。それでも、親友と———自分の想い人に。もう一度だけ、会いたかった。

 あの夜。香織が奈落に落ちる前日の夜に、香織は自分の恋心を伝えるつもりでいた。その恋がようやく叶い———今、目の前で失われていく。その事実に、香織は耐えられなかった。

 

「お願い……目を、開けてよ……」

 

 嗚咽を漏らしながら、香織はギュッとナグモの身体を抱き締めた。

 

 トクン———トクン———。

 

 香織は目を見開き、耳を押し当てる。聞き漏らしの無い様、慎重に。

 ナグモの胸から、小さく、今にも消えそうなだが、鼓動が確かに聞こえていた。

 

「まだ……まだ間に合う!」

 

 香織は自分の歪で、血の気の無い両手を見つめた。葛藤は一瞬だけ。香織は意を決して、本来の天職が得意としていた回復魔法を唱える。

 

「う、あああああっ!?」

 

 両手から暖かな光が満ちる。ナグモの手を再び喰らってレベルアップした香織は、以前よりも魔力が強大になっていた。今も神の使徒として活動していたならば、万病を癒す聖女として崇められたかもしれない———アンデッドの身体でなければ。

 

「うっ、ぐっ、うう……!」

 

 自らの回復魔法にアンデッドの身体が軋みを上げる。レベルが上がったからか、かつての様に一瞬で身体が崩れ去る様な事は無かったが、それでも両手が濃硫酸の中に入れた様に痛みと共に煙を上げた。このまま続ければ、自分の身体は崩れ落ちるかもしれない。

 

(駄目……こんなのじゃ足りない!)

 

 それでも香織は回復魔法をかける手を止めない。自身の回復魔法の威力を高める為に、奈落に落ちる前に覚えた強化魔法も使った。ボロリ、と指先が崩れ落ちた。

 

「絶対に……死なせないっ……! あ、ああああああっ!!」

 

 自分の身体が内側から崩れそうになるのを感じながら、香織は今まで行使すらできない様な強力な回復魔法を使った。

 

 そして———奇跡が起きる。

 いまトータスに伝わっている魔法は、神代魔法が一般に流通していく中で劣化したものだ。言い換えれば、香織が使っている魔法も本を正せば神代魔法の派生と呼べるだろう。

 そして、いま———人ならざる身へと変化し、トータスの人間では到達不可能なステータスを得た香織は、神代魔法の擬似的な再現を行っていた。

 

「南雲くん……っ!」

 

 それは、あらゆる力を昇華させる魔法。それを自身の回復魔法に使用して、さらにはナグモへと使用した。先程まで鼓動が止まりそうだったナグモの心臓が強化魔法の影響で再び動き始める。そして、無くなった右手以外のあらゆる傷が治っていく。

 ただ———ここで一つ、香織も予想だにしない事が起きていた。香織が擬似的に再現した神代魔法。それは、あらゆる物を昇華させる事が出来た。そう———N()P()C()()()()()()()()()

 

「あ、はぁっ………」

 

 とはいえ、その事は今は関係ない。ナグモの命の危機が過ぎ去ったという確信を得て、香織は力を失って倒れ込んだ。両手はもはや動かないくらいボロボロだった。

 

「南雲くん………」

 

 香織はナグモを見る。命の危機は去ったものの、未だに眠り続けていた。ここからどうすればいいか分からないが、キチンとした場所で手当てが必要だろう。

 

「絶対に、私が守ってあげるからね……」

 

「———その気概。確かに見せて貰った」

 

 誰!? と香織は勢いよく振り向いた。そして———死を連想した。

 

「あ………」

 

 今の香織には喰らってきた魔物やナグモの手で得たスキルによって、魔力感知が備わっていた。そして、その魔力感知能力が告げている。

 目の前の相手は迷宮の魔物達など足下にも及ばない相手だ、と。

 豪奢なローブを着た骸骨の魔物は、まるで神話に出て来る冥界の神を香織に連想させた。そんな魔物がいつの間にか後ろに立っていたのだ。体力も魔力を使い果たした今の香織では———いや、たとえ全快してても勝てないと理解するには十分過ぎた。

 

(っ、それでも、南雲くんだけは……!)

 

 悲壮な決意で香織はナグモを庇う様に立ち上がり———。

 

「待て。私は敵ではない。ナグモの味方だ」

「え……?」

 

 深く、威厳のある声で骸骨の魔物が香織を制した。その反応に、香織は今更ながら違和感を覚えた。

 

(この人……じゃなくて、この魔物? 私と会話してる……?)

 

 今まで香織が相対してきた魔物は、全て会話が出来る様な知能など無かった。姿形が唯一似てそうなのがトラウム・ナイト等だが、それよりももっと上等な存在に見えた。

 

「セバス。お前は向こうで倒れているユエの介抱をしてやれ」

「———かしこまりました」

 

 スッと傍で控えていた執事服を着た大柄な老人が骸骨姿の魔物に頭を下げていた。こんなダンジョンに全く似つかわしくない老人だが、香織の魔力感知能力はアレもまた、自分以上の存在だと告げていた。

 執事服の老人が壊れた鎧を着た金髪の女の子に近付くのを横目で見ていた骸骨の魔物が、さて、と香織と再び向き合った。その声は、何故か恐ろしげな見た目と違って優しげだった。

 

「確認するが、君が白崎香織だな?」

「何で、私の名前を……?」

「ナグモから聞いたのだ。ナグモは私の部下……みたいな物だが、どうしても探しに行きたいと頭を必死に下げてきたからな」

 

 まさか、アンデッド化してるとは予想外だったが……と言う骸骨姿の魔物に対して、香織は、南雲くんが目の前の骸骨の魔物の部下? と頭が混乱していた。

 

「南雲くんが、従う人……もしかして、貴方がジュールさ——まなんですか?」

「ん? どうして君がじゅーるさんの名前を知っている?」

 

 不思議そうに骸骨の魔物が見てきたが、香織はそれで目の前の相手がナグモの知り合いだと確信を持てた。そして———何の躊躇いもなく、頭を下げた。

 

「お願いします! 南雲くんを助けてあげて下さい! 南雲くんは私を助けようとしてくれたのに、私が正気を失って、怪我をさせちゃって……! 私の事はどうなっても構いません! だから……だから、南雲くんを助けて……! お願いします!」

 

 香織は必死に懇願する。もう相手が人だろうと魔物だろうと関係無かった。自分の想い人を助けてくれるなら、たとえ悪魔が相手でも香織は取引に応じたい気持ちだった。

 

「………ああ、うむ。落ち着いて良いぞ? ナグモは必ず助ける。だから、安心していいぞ?」

 

 少し間を置いて、骸骨の魔物が何処か威厳の薄れた声で優しく声を掛けてきた。

 

「とりあえず、そうだな……さっき見つけた屋敷で治療するとするか。と、その前に———」

 

 スッと骸骨の魔物が指輪の嵌った骨の指を香織に向けた。

 

「<大致死(グレーターリーサル)>!」

 

 瞬間、香織の身体に負のエネルギーが満ちていく。

 

「嘘……傷が、治っていく?」

 

 香織は信じられない面持ちで自分の両手を見つめた。魔物を喰らわなければ治らなかった筈の傷が、骸骨の魔物の魔法であっという間に治って修復されていく。それも、魔物化のようなデメリットも無しで、だ。生者にとっては害となるエネルギーも、アンデッドと化した今の香織にとっては回復手段となっていた。

 

「貴方は……誰なんですか?」

 

 香織は畏れを含んだ声で聞いた。自分の身体をあっという間に治し、ナグモを救ってくれる救世主の名を。

 

「———アインズ・ウール・ゴウン。じゅーるさんからナグモを託された者だよ」

「アインズ・ウール・ゴウン……様……」

 




香織さんから見て、今のアインズ様は「自分の身体を治してくれて、南雲くんを救ってくれた命の恩人」です。なので、いきなり忠誠心MAXになりましたとさ。

……アインズ様的にはナグモを最初から助ける気でいるから、これはこれでマッチポンプじゃね?


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第三十二話「溢れ出す感情」

ある意味、主人公のキャラ改変かな?


 泥の中から浮上する様に意識が覚醒していく。

 柔らかい羽毛の感触を背中に感じながら、ナグモは目覚めた。

 

「ここは……?」

「お目覚めになられましたか」

 

 セバスの声にナグモは寝台から身を起こした。失った筈の右手は再生されており、身体に倦怠感などは無かった。身体が十全に動く事を確認してから周りを見回した。一見するとそれなりに上品な造りなのだが、ナザリックの第九階層(ロイヤルスイート)よりは数段劣る様な部屋だ。即座にここがナザリックでは無い事を理解できた。

 

「セバス……一体、僕は———」

 

 どうしてここにいるのか? と聞こうとして、意識を失う前にあった事を思い出した。

 

「白崎は!?」

「落ち着いて下さい、ナグモ様。彼女は無事です。今は別室でユエと共にお待ち頂いております」

「そうか……」

 

 ふう、とナグモは安堵の溜息をついた。その姿をセバスは意外な物を見る様な目で見ていた。

 

「どうかしたか?」

「ああ、いえ……貴方もそういう顔をされるのだな、と。ナグモ様は表情があまり無い方だと思っていましたので」

 

 セバスの指摘にナグモはハッとして、いつもの無表情を作ろうとして———何故か上手く作れなかった。

 

(……? どういう、事だ?)

 

 ナグモは自身の変化に戸惑う。今まで、じゅーるに『そうあれかし』と設定されていた表情だった筈なのに、まるで()()()()()()()()()()かの様に、表情を上手く固定できないのだ。

 

「しかし……なるほど。それほど、あの女性を大切に思われていたのですね」

「なっ……!」

 

 ナグモの戸惑いを別の意味に捉えたのか、セバスのその皺のある顔が悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。それを見て、何故かナグモの顔にサッと赤みが差す。

 

「べ、別に……向こうの勘違いとはいえ、命の危機を救われたから恩を返しただけだ」

「おや。そうなのですか? あの場面で、愛の告白をされていらしたのに?」

「あれはっ……待て。何故それを知っている?」

「実を申し上げますと……あの場にアインズ様と共に、気配を消して見ていまして。ナグモ様達と離れた後、アインズ様がヒュドラのモンスターを倒し、急いで探しに行った時にナグモ様が死の間際になりながらあの女性に愛を囁いていた場面に遭遇しました」

 

 今度こそ、ナグモは羞恥のあまり頭を抱えた。冷静になって見ると、あれを他人に———それも自身が敬愛する至高の御方(アインズ)に見られていたとか、()()()()()()()()

 

(さっきから……何なんだ、これは?)

 

 どうにも以前より感情の制御がきかなくなった気がする。マルチタスクは正常に動いているのだが、どの思考も言い訳じみた言葉を捻り出そうとするばかりで役に立ってくれない。

 そんなナグモをセバスは微笑ましい物を見る様な目で見ていたが、コホンと咳払いをするとその声音を真面目な物に変える。

 

「ナグモ様がお目覚めになられたら、アインズ様の所へお連れする様に言われております。お身体に問題がない様なら、お伺いしに参りましょう」

 

 ***

 

「面を上げよ」

「はっ」

 

 貴賓室だろうか———一等に家具が上等な部屋の上座にアインズはいた。許しを得て、ナグモは自らの主人に顔を上げる。

 

「さて、ナグモよ。色々と予定外の事はあったが、まずは目的を達せた事を祝っておこう」

 

 その言葉に、ナグモは逆に身を硬くした。香織との戦闘———はっきり言って、不手際ばかりが目立つ戦闘を思い出してしまった。

 

「この度は……栄えあるナザリックの守護者として作られておきながら、無様な姿を見せてしまい、お詫びしようがありません。この失態は———」

「自害して詫びる、というのは無しだ」

 

 ピシャリとアインズが言い募る。

 

「お前を死の淵から救ったのは白崎香織の力によるもの。お前が自害をするのは、あの少女の気概を踏み躙る物だと心掛けよ」

「はっ、申し訳ありません!」

 

 アインズの慈悲深い言葉に、ナグモは()()()()()

 

(……? 何故、僕は安堵しているんだ?)

 

 ナザリックの者にとって、至高の御方に役立つ為に使われ、御方が望み通りの働きが出来ないなら自害して当然の筈だ。だが、何故か今のナグモには———()()()()()()()()()()()()()()()という想いが心に巣食っているのだ。

 

(何故だ? 至高の御方への忠誠は……消えたわけじゃない、筈なのに……)

 

 今でも目の前のアインズへは深い感謝と、その恩義に報いようという気持ちはある。だが、ナグモには言い表せない何かが、心の中で変化していた。

 その変化をじっくりと考えたいが、それよりもずっと気になっている事があった。

 

「アインズ様、一体ここは何処なのでしょうか? ナザリックではないようですが……」

「ここはユエの言っていた反逆者……いや、解放者の隠れ家だな。詳しい事を説明したい所だが……」

 

 ふむ、と何故かアインズは考え込む様に手を顎にあてた。

 

「いや、それよりもまずはお前の無事をあの少女に知らせてやるといい。大層、心配していたからな」

「お、お待ち下さい!」

 

 ん? とアインズが首を傾げる。無礼と承知しながらも、ナグモは()()()()()言葉を重ねた。何というか……いま香織に会いにいくのは、気持ちの整理がつかないと思ってしまった。

 

「白崎の事は、その……あくまで僕の私的な事情であるため、後にすべきと申し上げたく……その」

「……ひょっとして、お前。照れていたりするのか?」

 

 なっ……と、ナグモは言葉を失ってしまった。それを見たアインズから感じていた絶対支配者のオーラが何故か和らいだ様に見えるのは気のせいだろうか。

 

「何というか、お前もそんな顔が出来るんだな……。まあ、なんだ。私もその手の話に詳しいわけではないが……一方的に告白しておいて、そのままというのは男らしくないんじゃあないか?」

「うっ……」

「失礼ながら横から言わせて頂きますが……あそこまで女性に想われていながら、キチンとお答えしないのは男性として如何なものかと」

「う、ぐぅ……!?」

 

 アインズ(カルマ値マイナス)セバス(カルマ値プラス)の両方から言われ、黙り込むしかないナグモ(カルマ値ゼロ)。ようやく捻り出した言葉は、ナグモ自身にも分かるくらい苦し紛れなものだった。

 

「こんな姿は、じゅーる様に望まれた姿では……」

「そうか? 今まで表情が無くて分かり辛かったが、お前は色々と抱え込む性格みたいだからな。素直な感情を出せる相手が出来た、とじゅーるさんも喜んでくれると思うぞ?」

 

 じゅーるの名前を出されては、ナグモは何も言えなくなる。とうとう苦し紛れの反論すら出来なくなった姿を見て、とにかく、とアインズは膝を叩く。

 

「キチンと白崎香織と話をしてこい。その他の話は、それからだ」

 

 ***

 

 退出した二人の守護者達を見送った後、アインズは解放者の住処で見つけた情報について考え込んでいた。

 

「この世界を玩具にしていた神、エヒトルジュエ……それに神代魔法か……」

 

 ()()()()()()()()と共に、知ってしまったこの世界の真実にアインズは深刻な思いに駆られる。王国や教会に不都合な事実どころではない。ナザリックそのものの存亡すら危ぶまれる内容だった。

 

「本当なら、今すぐナザリックに戻ってアルベドやデミウルゴス達にも知らせて、対策を練るべきなんだけど……」

 

 ただ———そうなるとナグモにも、これから忙しく働いて貰わないといけなくなる。そうなる前に、彼が命を懸けてまで再会したかった少女とゆっくり話をさせてやろう、という親心が優先していた。

 

 あの時はアインズも焦った。精神鎮静化のお陰で即座に冷静さを取り戻し、ボスキャラであろうヒュドラをセバスと共に即座に降したものの、久々のダンジョン攻略で浮かれ気味だったと猛省する羽目になった。そうしてボスが倒れた後に隔離空間からようやく出る事ができ、ナグモとユエを探し当てた時には彼等の戦いは終わっていた。

 

 そこで———アンデッドになってしまったアインズから見ても、美しい愛の形を見た。

 命が尽きようとする中で、今まで見た事の無い至福の表情で自らの想いを告白する人間の少年(NPC)

 死に逝く彼を生かそうと、自らの腕が崩壊する痛みに耐えながら癒やしの魔法を使うアンデッドの少女。

 恐らく、あれこそが真実の愛なのだろう。今まで『ユグドラシル』以外で人間関係の無かったアインズにも、そう思えるくらい綺麗な物を見た。

 

「まあ、今日ぐらいはゆっくりとさせてやるさ」

 

 深刻になりそうな事態の清涼剤として、アインズ(鈴木悟)は二人を想う。なんだか久々に穏やかな気持ちになれた。

 

「俺もあんな彼女欲しかったなあ……。あの二人がデートする時は、嫉妬マスクでも被って尾行してやろうかね?」

 

 ***

 

「失態だ……御方の前であんな感情的に振る舞うなんて、なんて低脳な失態だ……」

「そこまでお悩みにならなくても良いかと思いますが……」

 

 香織達が待つ部屋に案内するセバスは、隣でブツブツと呟くナグモを若干呆れた口調で諭していた。

 

「そもそも迷宮の探索をされている時も、あれほど必死な姿を見せていたのですから、アインズ様は全てお知りになられていたのだと思いますよ?」

 

 それを言われると、ナグモは何も言えなくなる。冷静になって自分の行動を振り返ると、頑なに香織への恋心を否定しようと躍起になってるだけにしか見えない。

 そして———それで随分と、色々な相手に迷惑をかけていた。スッと立ち止まり、ナグモは頭を下げた。

 

「……セバス。君には、この前の事を謝罪する。その……君の好意に対して、あれはとても大人気ない態度だった」

「はて? 何の事でしょうか? 忘れてしまいました」

 

 まるで惚けた態度で、セバスは首を捻った。彼の中では第九階層での出来事は無かった事になっているらしい。しかし、それはナグモの矜持が許さない。

 

「そして今回の事で、君には大きな借りが出来た。この借りは、必ず返すつもりだ」

「借りなど……お気になさらないで下さい」

 

 皺のある顔をニッコリと深めて、セバスは言う。魂に刻まれた、創作者の矜持を。

 

「『困っている方がいるならば、助けるのは当たり前』。かつて、たっち・みー様が仰っていた事を行ったに過ぎません」

 

 だから気にする必要なんてない、とセバスは言う。

 ———それに対して、ナグモが言う事は決まっていた。

 

「それならば、なおさら僕は君に借りを返さなくてはならない。『恩と借りは、必ず返すもの』。じゅーる様は、そう仰っていたのだから」

 

 そう言って、ナグモは———少しだけ笑った。それを見たセバスは驚いた顔をしたものの、連られる様に笑顔を見せた。

 

 未だに、自分の心の変化がナグモにはよく分からない。しかし……何故だろうか。こうして感情を出す事が、少しだけ悪い気はしなかった。

 




とりあえず次回は……香織への告白回ですかね?

ところで、なんで私はオーバーロードのクロスなのに甘酸っぱい純愛を書こうとしてるのでしょうね? いや本当に我ながら謎だわ。


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第三十三話「人間が嫌いで———」

 ああ、頭茹っているな。自分。
 それでは皆様、良いお年をお迎えください。


「南雲くん……」

「香織、元気出して。アインズ様がついているから、絶対に大丈夫」

 

 屋敷の客間で、香織とユエは待機していた。二人の傷はしっかりと癒えており、体力も魔力も満タンだった。これも全て、アインズが二人に渡したポーションに依るものである。ただ———香織の身体は、歪な魔物のままだった。

 

「……魔力、いる?」

「ううん、大丈夫。アインズ様がくれた装備品のおかげで、その……お腹は空いてないから」

 

 魔力(MP)の受け渡しが出来る指輪をしたユエに対して、香織は首を横に振った。香織の身体には複雑な紋様が描かれたゆったりとしたローブが着せられており、歪な形になった手には腕輪や指輪がつけられていた。

 これも全て、アインズに依るものである。ナグモの右手をポーションを振りかけてあっという間に治したのを見た時には香織は安堵の溜息を漏らしたが、すぐに気付いてしまったのだ。

 自分の身体の問題は何も解決していない。時間が経てば、またナグモを襲ってしまうかもしれない。それを訴えて涙を堪えながらその場から離れようとした香織だが、アインズが引き止めた。

 

『ああ、待て。見た目が随分と異なるが、今の君はキメラ……みたいなものか? そこにグールの種族デメリットが加わっているといった所か? ふむ……とすれば、常時MP回復に、空腹無効、あと腐敗ダメージ無効に———』

 

 まるで自分の知識と擦り合わせる様に確認しながら、虚空から次々とマジックアイテムや装備品を取り出した。今の香織には分かる。これら全てが、かつて王宮で見たマジックアイテムが石ころに見える様な逸品揃いであり、まさに一つ一つが国宝の様なアイテムなのだと。

 

『こ、こんな凄い品々を受け取れません!』

『いや、是非とも君には受け取って欲しい。そしてナグモが目を覚ましたら、真っ先に君の所へ向かわせよう。その為にも、ここで立ち去られては困るのだよ』

 

 優しい声で提案するアインズに香織は戸惑いを隠せなかった。まるで悪の大魔王みたいな見た目に反して、何処となく親しみの持てる世話好きなおじさんに思えてしまうくらい気さくに接してくれたのだ。

 

『どうして私にそこまで……』

『ナグモは君にどうしても会いたがっていたからな。だが、自分の都合で私から任された仕事を放り出すわけにいかないと、ずっと我慢していたのだ。だから、これはナグモの為でもあるのだ』

『南雲くん……』

『なに、落ち着いたら君の身体の事もどうにかしよう。アンデッドの種族変更は限られてはいるが……もしくはナグモと相談しても良いだろう。必要な物があるならば言うと良い。大抵の物は用意しよう』

 

 ———実のところ、大事なギルメンのNPC(子供)であるナグモの精神安定の為にも、ガールフレンド(アインズ視点)の香織には死蔵されていたアイテムの大盤振る舞いぐらいしても良いだろう、という意図がアインズにはあった。

 

『アインズ様……ありがとうございます!』

 

 しかし、それを知る由も無い香織にはアインズが慈悲深い存在に見えていた。特に、クラスメイト達の身勝手さに精神を擦り減らし、筆舌にし難い日々を奈落で過ごした香織にとってはまさに地獄に仏という存在だった。

 かくして、「え? なんでこの子も様付け?」と混乱するアインズを他所に、香織は薦めに従って貸してくれたアイテム(500円ガチャのハズレ品)を身に付けてナグモが起きるまで待つ事にしたのであった。

 

(本当に優しい人だったな。魔物なのに……ううん、魔物と言ったら失礼だよね。きっと、大昔の魔法の王様なのかも)

 

 自分の身体にあれほど的確な判断をして、湯水の様に大切なマジックアイテムを貸してくれたのだ。深い魔法の研究の果てに不死の肉体になった偉大な魔法使いなのかもしれない。突拍子もない考えだが、そう言われても香織は信じられる気がした。立ち振る舞いも、教皇へペコペコとしていたハイリヒ国王よりもすごく堂々としている様に見えて、まさにあれこそが理想の王様なんじゃないか、と香織にも感じさせられていた。

 

「ユエ……アインズ様は凄い人だよね」

「ん。私はナザリックの新米だけど、アインズ様の配下になれて凄く良かったと思ってる」

 

 ユエもまた、「お前がナグモと共に戦ってくれたお陰だな」とアインズから直々にお褒めの言葉を貰っていた。アインズの中で自分の株が上昇したのを感じ取り、ユエは上機嫌だった。

 

「そう、だよね……。そんなアインズ様が気に掛けるくらいだから、南雲くんも本当は凄い人だったんだよね……」

 

 しかし、香織はどこか暗い顔だった。その不安を感じ取り、ユエは小首を傾げた。

 

「香織……?」

「だって、ユエやセバスさんの話を聞いてるだけでも凄いと思うの。ナザリック? って、要するにアインズ様のお城だよね? そこで研究所の所長さんをやっているなんて……そんな人と私なんかじゃ、釣り合わないよ」

 

 香織は歪な見た目になってしまった自分の身体を見ながら目を伏せる。

 学園の二大女神なんて噂された容姿を自慢に思っていたわけではない。だが、こんな化け物の混ぜ損ないみたいになってしまった自分よりも、目の前の吸血鬼の少女みたいにナグモにはもっと相応しい相手がいるんじゃないか? そんな卑屈な思いが香織の中に巣食ってしまったのだ。

 自虐的な思いに囚われている香織にユエは何か言おうとしたが、それより先に規則正しいノックの音が響いた。

 

『セバスです。ナグモ様をお連れ致しました。お部屋に入っても宜しいですかな?』

「どうぞお入り下さい、セバス様」

 

 ユエはかつて吸血鬼の王国で仕込まれた礼儀作法に則った丁寧な御辞儀をしてセバスを迎え入れた。ユエのかつての地位を考えるならば、執事相手に頭を下げるのは変な話かもしれない。しかし、吸血鬼の女王としてではなくアインズの臣下として生きていく事を決めたユエは躊躇いなく上位者であるセバスに礼儀を尽くしていた。

 香織もそれを見て、真似する様に慌てて御辞儀する。

 そして———香織がずっと会いたいと願っていた人物が、部屋に入ってきた。

 

「南雲、くん……」

「……その、元気そうで何よりだ」

 

 大柄な執事に連れて来られた少年は、いつもと何故か違って見えた。今まで表情が全く無いと思っていた顔は「どういう顔をすべきが分からない」と言う様にぎこちなく見えた。

 

「ユエ。もう少しナザリックについて教えておきたい事があります。別室へ一緒に来て頂けませんかな?」

「かしこまりました、セバス様」

 

 そう言って退出する前に、ユエは香織の耳元に口を寄せた。

 

「……頑張って。ナグモもずっと、貴方に会いたがっていたから」

 

 え? と聞き返すより先に、ユエはセバスと共に退出してしまった。ドアがパタンと閉められ、部屋には香織とナグモの二人だけにされる。

 二人の間に沈黙が下りてしまう。聞きたい事は山ほどあった筈なのに、いざこうして向かい合ってみると何から話せば良いのか分からないのだ。それでも意を決して、香織は声を掛ける。

 

「あの」

「先に、まずは謝罪する事がある」

 

 スッとナグモが香織へ頭を下げた。香織の知る姿からかけ離れた姿に思わず唖然としてしまった。

 

「……君がそんな姿になってしまったのは、僕の責任だ。君には僕を糾弾する権利がある」

「責めるなんて、そんな……」

「僕はじゅーる様によって創られたクローン人間だ」

 

 続く一言に香織は息を呑んだ。ナグモは目を伏せがちに語り出した。

 

「ナザリックをお創りになられた至高の四十一人……その御一人であるじゅーる・うぇるず様が、とある古代人を基にデザインして僕を創った。並の人間よりも優れた知能と……ナザリックの守護者として、人間を嫌う感情と共に」

 

 ナグモは肩を震わせていた。これから言おうとする事に、緊張する様に。

 

「僕はナザリックの……アインズ様の為に、王宮で白崎に下心をもって近寄った。情報収集には打ってつけだ、とそんな風に考えて」

「………私とは、お仕事で嫌だったけど話していたの?」

「それは違う!!」

 

 香織が驚いてしまう様な大声でバッとナグモは顔を上げた。

 

「違う、違うんだ……! あの時……じゅーる様の事を褒めて貰えて、僕は生まれて初めて嬉しいと感じたんだ。その時から白崎の事が気になり始めて、気が付いたら白崎と話す時間が悪くない様に思えてきて、天乃河光輝や他の低脳達が無意識に白崎を蔑ろにしているのが腹が立って、それから———」

「な、南雲くん? ちょっと落ち着いて。ね?」

「っ! すまない……」

 

 急に必死な顔で喋り出したと思ったら、慌てて口元を隠してしまった。まるで今までの感情を抑えられなくなった様なその姿は、香織が見た事がないくらいに感情的だった。

 

(なんか……ちょっと可愛いかも)

 

 そんな場違いな感想を香織は抱いてしまう。こういうのをギャップ萌えというのかな? と、香織の動かない筈の心臓がドキドキとしている様に思えた。

 

「でも僕は……そんな君を見捨てた」

 

 ナグモの顔に暗い影がさす。

 

「人間を嫌う様に作られた。だから、人間を好きになる筈がない。そう思い込んで、身体を張って庇ってくれた君を、助けに行かなかった」

 

 懺悔する様にナグモは目を伏せた。それを香織は静かに見つめる。

 

「……君の身体は、僕が必ず治す。僕に許された権限を全て使う。必要なら、アインズ様にもお願いする。だから、身体が治ったら君は……」

 

 その提案は、今の———人の「心」を得てしまったナグモにとっては辛いと思えるものだった。再び、香織と別れる事になるから。

 それでも、ナグモは知っていた。

 あの図書館の個室。ナグモにとっては情報収集と銘打った会話の中で、香織がどれだけ地球へ帰りたがっていたか。両親の元へ、帰りたがっていたのか。

 ナザリックこそが帰る家であるナグモと、地球への帰還を願っている香織とでは、目指す先は違う。それをナグモは理解できていた。何よりも———。

 

『―――じゃあな、ナグモ。“アインズ・ウール・ゴウン"を……モモンガさんを、よろしくな』

 

 親と会えなくなるのは、とても悲しい事だから……。

 

「君は……帰還の目処がついたら、あの人間達と」

「それは嫌」

 

 ナグモが言い切る前に、香織はきっぱりと切り捨てた。

 

「南雲くんなりに考えた答えなのかもしれないけど……私はもうあんな人達の所に戻ろうとは思わないよ。もう関わりたくないし、関わって欲しくもないもの」

 

 それに、と香織は続ける。怒りのあまり、肩が震えそうになった。

 

「アインズ様から聞いたよ。光輝く……ううん。()()()()()()()は、皆で私が落ちたのは南雲くんのせいだと責め立てた、って」

 

 奈落の日々の中で、精神をすっかり擦り減らしてしまった香織はかつての様なクラスの相談役としてクラスの人間達を擁護しようなんて気はさらさら無かった。もはやかつてのクラスメイト達には憎しみしか湧かない。むしろ、そこで今でも身勝手な人間(天乃河光輝)の尻拭いをやらされているだろう幼馴染が気の毒に思えるくらいだ。

 

「……うん、決めた。南雲くんに相応しいとか、もう関係ないよね」

 

 一人頷き、香織は歪になってしまった手でナグモの手を握った。

 

「南雲くん。私は、貴方と一緒にいたい。こんな姿になっちゃったけど……貴方の事が、好きです」

 

 ナグモは驚いた顔で、香織を見つめた。

 魔物と化した左半分の目。

 人間のままでいる右半分の目。

 その二つにまっすぐに見つめられ、ナグモの中でかつて香織といた時に何度も感じていた胸の騒めきが———身体が熱くなる様な鼓動が、湧き起こる。

 ナグモは無意識のうちに、香織を抱き締めていた。香織は驚いた顔になったが、すぐに目を閉じてされるがままになった。ナグモの胸に擦り寄せる様に顔を埋める。

 

「……僕で、良いのか? 人間が嫌いで、至高の御方の為なら平気で君を見捨てる様な人間なのに?」

「そう言ってる割には全然平気そうには見えないけど……そういう所も含めて、もっと南雲くんの事を知っていきたいと思うの」

 

 姿形は歪で、学園の二大女神と言われた美貌はもはや無い。

 かつて抱きしめた時の体温の温もりは無くなり、冷たい感触しか伝わってこない。

 それでも———ナグモには目の前の()()が、何よりも愛おしく見えていた。

 

「………ナグモ」

「え?」

「南雲ではなく、僕の名前はナグモだ。じゅーる・うぇるず様に創られた、ナザリック地下大墳墓の第四階層守護者代理だ」

 

 かつて偽りの姿で接していた少年は、創造主に定められた自分の本当の姿を告げる。

 そして、彼は愛しき少女へと宣言した。新しい自分の在り方を。

 

「人間が嫌いで———貴女(キミ)を好きになった人間だよ」

 

 その顔は———今までにない、穏やかな笑顔だった。

 




>香織の中で、アインズ様神格化

イメージ的には古代エジプトのファラオのミイラとかそんな感じ。なんか偉い人のアンデッドと思われてます。アインズ様だから是非も無いよね!

>ナグモ、香織を人間達の元へ帰すか悩む

これは今後もついて回る問題です。アンデッドになっちゃったから、香織と永遠にイチャラブできるぞー! は、流石に幼稚か……と思ったので。親との離別を経験した彼は、密かに香織を地球へ帰す方法を探すかもね。

>人間が嫌いで、香織の事が好きな人間

ま、彼なりに認識が変化したという事で。


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第三十四話「その旗の下へ」

色々と書きたいネタはあるけれど、とりあえず書きやすいものから書く事にしました。エヒト周りについては、独自設定マシマシです。


「面を上げよ!」

『はっ!』

 

 返答は綺麗に唱和され、玉座に座るアインズの前に居並ぶNPC達は一斉に顔を上げる。玉座の間に集められたのは、階層守護者達だけではない。特殊な役割で持ち場を離れられない者を除いて、かつてのギルドメンバー達が作った全てのNPC達がこの場に集められていた。

 こうして見ると、まさに百鬼夜行だ。

 アインズはかつてのギルドメンバー達の創作力に拍手喝采を送りたい気分だった。今や彼等は自律的に動き出し、アインズを絶対の主人として忠誠を尽くしてくれている。それがなんとありがたい事か。

 

(だからこそ、俺は……ギルメンの皆が残してくれた子供(NPC)達を守らないといけない)

 

 アインズは決意を改めて、口を開いた。

 

「まずは私が個人で動いた事を詫びよう」

 

 建前上の謝罪を口にする。オルクス迷宮の探索はあくまでアインズが勝手にやったという事にして、ナグモが自分の私情でアインズを動かした事を不敬と責められない様に。

 

「だが、今回の探索は実り多き物となった。……ナグモ」

「はっ」

 

 居並ぶ異形達の中で唯一の人間であるナグモが進み出る。

 

「オルクス迷宮深層より、多数の鉱石や貴金属などの鉱脈を発見しました。その他、この世界固有の鉱石も発見されており、この先の調査でも更なる発掘が見込まれます。これにより、ナザリックの財政事情の大きな改善が期待できると考えられます」

 

 ほう、とナザリックの防衛を司るデミウルゴスと組織運営を司るアルベドから感嘆の溜息が漏れる。転移してからナザリックの収入源に頭を悩ませていた彼等にとって、この報告はまさしく朗報だった。

 

「———また、アインズ様がオルクス迷宮で保護したこの世界の吸血鬼ユエ。そして……アンデッドの白崎香織。両名はアインズ様に忠誠を誓っており、彼女達の魔法や特異な体質は技術研究所で調べる事により、ナザリックの更なる強化に役立つ物と確信しております」

「……よし。その二人はお前の預かりとしよう。お前の下で二人の事について調べよ。必要なアイテムがあるならば、願い出るといい。ただし、実験動物の様に扱う事は許さん。あくまで実験に協力している人間として扱え」

「———はっ。御拝命、確かに承りました」

 

 アインズはゆっくりと居並ぶNPC達を見回す。

 

「聞け、我がシモベ達よ。アインズ・ウール・ゴウンの名の下に吸血鬼ユエ、白崎香織は今後保護される。異論のある者は、立ってそれを示せ」

 

 当然の様に誰も異議を申し立てない。彼等にとって、アインズの言葉は絶対なのだ。アインズは周りを見回し、その中でナグモがこっそりと安堵した様な顔になっているのを発見した。

 

(安心しちゃって、まあ……。実はこいつの無表情、感情の出し方を知らなかっただけだったんじゃないか?)

 

 思わず苦笑してしまうが、幸いにも骸骨の顔の為にポーカーフェイスは守られていた。

 そして、アインズは真剣な声音で話し出す。新たに得た魔法と共に知った、この世界の真実を。

 

「……オルクス迷宮の深層で、私は解放者と呼ばれる人間達が残した真実を知った。この世界は———神エヒトルジュエによって、遊戯の駒の様に種族同士の争いが繰り返される世界である」

 

 ざわ……と共にオルクス迷宮に赴いたセバスとナグモ以外のNPC達から驚きの声が上がる。

 

「恐れながら、横からの発言をお許し下さい」

 

 スッとデミウルゴスが手を上げる。

 

「つまり……至高の御方を差し置いて、支配者を気取る愚か者がこの世界にはいる、という事でしょうか?」

 

 「身の程を知らない奴でありんす!」「全くです!」「不愉快ナ……」と、詳しい事を知らないNPC達は憤りの声を上げる。彼等にとって自らの主人以外が神を名乗っているのは度し難い事だった。

 

「———静まれ」

 

 アインズの言葉にピタリと騒めきが収まる。

 

「お前達の忠誠は嬉しい。だが、事は慎重に当たらねばならん。その神の力がどれほどかは不明だが……下手をすれば、私より強いかもしれん」

 

 NPC達は一斉に驚きに包まれる。神の如き至高の四十一人。その纏め役であるアインズが、強敵と定める者がいるなんて……という感情が読み取れた。

 

「だが……打つ手が無いわけではない」

 

 彼等を安心させる様に、アインズは言葉を続ける。

 

「解放者達は、神を討つ為の神代魔法を迷宮に残していた。そして……その魔法を私は新たに習得した」

 

 おお! さすがは至高なる御方! とNPC達は歓声のどよめきを上げる。それを見ながら、アインズは宣言した。

 

「これより、我々は残された六つの神代魔法を習得する為に残りの大迷宮の探索を行なっていく! そして全ての準備が終わった時に———私は神エヒトルジュエを討つ!」

 

 ギラリ、とNPC達の目が鋭さを増す。自らの主人が下した命令に応えようとする使命感がそこに燃えていた。

 

「その為に準備せよ! 力を、魔法を、人材を! 人間も亜人も異形も関係ない! ナザリック内外問わずに我が旗の下に集わせ、我らの勢力を大きくせよ! そして天上の神を気取る愚か者に知らしめるのだ! “アインズ・ウール・ゴウン"こそが、最も偉大であると!」

 

 アインズの覇気に満ちた声に、アルベドが真っ先に応えた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳! 必ずや神を詐称する愚か者の首を御身の前に!」

「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳! 恐るべき力の王、アインズ・ウール・ゴウン様こそが真なる神だと証明してみせましょう!」

 

 遅れて、他の守護者達やNPC達が声を上げる。

 必ずや至高の御身の命令を遂行してみせる。彼等の熱気を受けながら、アインズは思考していた。

 

(正直、この選択が正しいかはまだ自信が無い。この世界の神様に喧嘩を売るなんて、大それた事かもしれない)

 

 果たして、エヒトルジュエの強さとはユグドラシルでいうならどのくらいになるのか? それこそ、ワールドエネミーすらも可愛く見えるものかもしれない。本来なら、複数のギルドが連携して倒す相手かもしれない。だからこそ、代わりにこの世界の者でも積極的に仲間にしていく事を宣言したのだ。

 

(はっきり言って、解放者の意志とか、この世界の人間の事とかどうでもいいさ。そんな事まで、俺は背負い込めない)

 

 アンデッドとなったアインズには、人間達が終わりなき戦争を繰り返しているなんて、どうでも良い事だ。

 だが、それでも見過ごせない事がある。

 

(ナグモ達……もしかしたら、俺達も。エヒトルジュエはどうしてわざわざ地球から召喚なんてしたんだ?)

 

 その答えは、既にアインズの中で出ていた。

 恐らく———エヒトルジュエは盤上遊びに飽きてきたのだ。晩年のユグドラシルが他作品コラボを連発したみたいに、新たな刺激を求めて異世界からの召喚なんてものに手を出し始めたのだ。

 では……それすらにも飽きてきたら?

 

(奴の狙いは、必ず地球にいく。ナグモがいた時代か、俺がいた時代か分からないけど……絶対に地球をメチャクチャにする!)

 

 そうなれば、地球にいるかもしれない現実の友人(ギルメン)達が危ない。もしも鈴木悟のいた時代より過去の地球に干渉したならば、ユグドラシルそのものどころか友人達すら生まれなくなるかもしれない。何よりも———!

 

(この世界が人間至上主義なのは、エヒトルジュエがそういう風に歴史を操作しているからだ。そんな奴がナザリックに目を付けたら———!)

 

 友人達がアインズに残してくれた愛すべき子供(NPC)達。彼等や現実にいるその親たる友人達をエヒトルジュエが我が物顔で玩弄する姿を想像してしまい、アインズはギリッと殺意を込めて歯を食いしばる。怒りすらもすぐに沈静化が起きるこの身体が、この時ばかりは恨めしかった。

 

(———やってやる)

 

 アインズの空虚な眼窩に、赤い輝きが一際強く光る。

 

(たとえ相手が神様だろうと、関係ない。俺は———ナザリックの子供達を、そしてギルメン達を守る為に戦う!)

 

 ザッとアインズはギルドの象徴である杖を天上に向ける。まるで、遥か天空にいる相手に宣戦布告する様に。

 

(待っていろ、エヒトルジュエ。俺は、俺の全て(“アインズ・ウール・ゴウン")を賭けて、お前をブッ殺してやる)

 

 ***

 

 アインズが退出した後、玉座の間には熱気が渦巻いていた。絶対なる支配者からの勅命。そして、今こそ創造主から与えられた己が武を以て勅命を果たさんとする意志が、全員に渦巻いていた。

 

「まさか至高なる御身の敵となる者がこの世界にいるとは……」

 

 デミウルゴスがカチャッと眼鏡を上げながら嘆息する。それに対して、コキュートスは鋏を打ち鳴らした。

 

「ダガ、我ラノヤルコトニ変ワリハ無イ。御方ノ御命令トアラバ、タトエ神ガ相手デアロウト立チ向カウノミ」

「その通りでありんすぇ。妾達は至高なる御方に比べれば非力かもしれやせんが、微力ながらもアインズ様の御助力となる様にすべきでありんす」

「シャルティアにしてはいい事言ったじゃん」

「んだと、このチビ?」

 

 バチバチといつもの様な喧嘩をしだしそうな二人に、マーレはオドオドと止めるべきか慌て出す。

 そんな彼等の遣り取りに、デミウルゴスは少しだけ笑った。

 

「ありがとう、コキュートス、シャルティア。確かに我々がやるべき事は何も変わらないな。しかし、そうなるとアインズ様の主たる目的である世界征服計画には大幅な変更の必要が———」

「………世界征服?」

 

 ナグモが声を上げた。今まで重要な話し合いが終われば、さっさと帰ってしまう守護者がまだこの場にいる事に驚きつつも、デミウルゴスは話し出す。

 

「ああ、そういえば君が人間達の国に行っている間の事だったから知らないか。アインズ様はかつて私と共に夜空を見上げながら、世界征服など面白い……と言われたのだよ」

 

 瞬間、デミウルゴスに周りのNPC達から嫉妬と羨望の目が集まる。至高の御方と二人で、そして野望を直々に聞けるなんて、羨ましいにも程がある。

 

「世界征服……御方達の前身であるナインズ・オウン・ゴール……そして、オスカー・オルクスのあの研究成果……」

「あ、あの、ナグモさん……?」

 

 マーレが恐々と声を掛けるが、ナグモは聞こえてないかの様にブツブツと何か呟いていた。そして、考えが纏まった様に顔を上げた。

 

「……デミウルゴス、これを見て欲しい」

 

 ブンッと個人端末から空中に画面を投影するナグモ。そこには複雑な魔法陣と、それを解析した様な文章が映されていた。

 

「これは?」

「アインズ様と共に行った解放者の住処で、人間が残していた研究成果だ。これによると、神の正体は人間だったそうだ」

「……人間が神のフリをして、それを人間達はありがたがって拝んでいるんでありんすか?」

 

 シャルティアの胡乱そうな目を感じながら、ナグモは話す。

 エヒトルジュエの急所と呼ぶべき情報を。

 

「この魔法陣は、恐らくはエヒトルジュエが神となる際に使用した術式だ。ただ……この術は、他人からの信仰心を得てないと成り立たなくなるそうだ」

「っ! まさか……いや、なるほど。そういう事でしたか!」

「ドウイウ事ダ?」

「ちょっと、二人で盛り上がってないで私達にも説明しなさいよ」

 

 疑問符を浮かべているコキュートスとアウラにデミウルゴスは説明する。

 ————自らの主人の恐るべき知謀を。

 

「先程のアインズ様のお話を覚えているかい? あらゆる種族をナザリックの下に集わせよ、と」

「それがどうしたでありんす?」

「アインズ様は神を自称する愚か者の弱点を、最初からご存知だったのだよ。つまり———神を信仰する者が居なくなれば、その力は弱体化していく、と」

「あ、ああ———!」

 

 得心がいった様に、周りの守護者達は息を呑む。

 オスカー・オルクスが晩年に解明した、エヒトルジュエの力の正体。それは人々から偽りの信仰心を得る事で神の座についたエヒトルジュエは、逆に信仰心を失えば神の座から転落していく。それも、元の存在よりもさらに矮小な物へ。肉体を失って魂だけの存在となったエヒトルジュエにとって、それは致命的な弱点なのだ。

 

「だからエヒトルジュエは徹底的に自分以外の宗教を潰していたのだ。王宮で調べていた時に、地方の取るに足らないマイナーな宗教すら潰していたのが疑問だったが、これが理由だったとはな……」

「ナグモ。この事は、もちろんアインズ様も知っているのだね?」

「恐らくは。王宮で得ていた聖教教会の歴史は全てお伝えしてあるし、アインズ様は僕より先に解放者の住処を調べられていた。アインズ様は、既にこの結論をお知りになられているだろう」

 

 実のところ、まだこの世界の文字を勉強中のアインズはオスカーの研究成果を読んでもちんぷんかんぷんだったのだが、それを指摘してくれる者は残念ながら居なかった。

 デミウルゴスは居並ぶNPC達を見回す。その顔には、出来の悪い生徒がようやく教師が用意した問題を解けた達成感があった。

 

「つまりだよ、君達。我々はこれよりアインズ様が世界中を巡る過程で、アインズ様の名声を全ての種族に喧伝していき———そしてあらゆる種族がアインズ様に心酔する様に仕向けていく。そうすれば、アインズ様はより強力な力を得て、神を自称する愚か者は自ずと弱体化していくのだ!」

 

 「おお!」「ナント!」「さすがはアインズ様! そこまで考えられていたなんて!」

 

 NPC達から一斉に歓声が上がる。自らの主人の深淵なる知謀に。

 

「アインズ様は言われた。かつて、至高の四十一人は異種族を差別する者を討つ為に戦われていた、と」

 

 オルクス迷宮で語られたアインズ・ウール・ゴウンの原点。それを思い出しながら、ナグモは語る。

 

「ならば、僕達もその理念に沿うべきだ。今、人間以外を排除して、信仰に従わないなら人間すらも排除するエヒトルジュエ……かの者を討ち、アインズ様の下にあらゆる者が平等となる世界を作り出す。それこそがきっと、アインズ様の望みだ」

 

 その場にいるNPC達は夢見る。人も、亜人も、魔人も、モンスターも。あらゆる者が至高なる御方の威光に平伏し、絶対なる支配者の加護に感謝の祈りを捧げる世界。

 それはまさに————理想郷。

 

「———聞きなさい。ナザリック全てのシモベ達よ」

 

 全てのNPC達を統括するアルベドの声が玉座の間に響く。その後ろには、誉れ高いアインズ・ウール・ゴウンの旗。

 

「アインズ様の真意を受け止め、準備を行う事が優秀な臣下の証。各員、ナザリック地下大墳墓の最終的な目標は神を自称する愚か者を失墜させ、その首をアインズ様に差し出す事と知れ」

 

 アルベドは満面の笑みで、空の玉座へと振り返る。

 

「この世界という宝石箱は、貴方様の物……正当なる支配者たるアインズ様に、トータスの全てを」

 

 ……その後ろ姿を、ナグモは首を——ほんの少し、誰にも気付かれないくらいに傾げた。

 

 果たして……これは本当に、アインズ様がお望みなのだろうか?

 

(……いや、現状、アインズ様の強化とエヒトルジュエの弱体化を一挙両得に出来る案には違いない。ならば、粛々と実行する事が白崎を救ってくれたアインズ様への恩返しの筈だ)

 

 ふと、ナグモは自分と共に世界を救う———という名目で、エヒトルジュエの駒だった元・クラスメイト達を思い出す。

 彼等については、全く慈悲のカケラすら湧かないが……。

 

(アインズ様という真なる救世主が現れた事で、とんでもない不利益となるだろうが……まあ、せいぜいそれまで勇者ゴッコを楽しんでくれ)

 

 

 




トータス「やべー奴からやべー奴に支配者が変わる事になりました。誰かタスケテ」

あれだ、エヒト教を捨ててアインズ教に改宗すれば至高なる御方の保護が約束されるから、原作より軟化してる……よね?

なお、エヒトとやってる事変わらないとは言ってはいけない。


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第三十五話「NPC」

 一部の読者からは不人気なミキュルニラですが、せっかく作った以上は使っていこうと決めました。何というか冗談みたいなキャラ設定ですけど、モモンガさんがパンドラの設定を消さないでいるのと同じ心境なのかな、と勝手に思っていたり。

あと今更ですが、クラスメイト達をどうするか? をアンケートをとる事にしました。またアンケート通りにしないかもしれませんが、気軽にポチッとお願いします。

ちょっと彼等の末路が悲惨になるかもしれないだけなので。


 窓から入ってくる朝日で、ナグモは目を覚ました。即座に寝台から起き上がり、睡眠時には外している維持する腕輪(リング・オブ・サステナンス)を身に付ける。それで残っていた眠気も綺麗に無くなった。身支度を整えて寝室から出る。食堂へ向かうと、良い匂いがしてくる。

 

(腕輪には空腹無効の効果があった筈なんだがな……)

 

 それでも何処となく高揚した気分になるのは何故だろうか? かつては食事なんて、至高の御方から言われたから摂っていただけなのに。そんな事を考えながらナグモは食堂のドアを開ける。そこには出来たばかりの朝食を配膳する———銀髪の美しい少女がいた。

 ()()()()()()()でコーヒーカップを置きながら、香織は微笑んだ。

 

「おはよう、ナグモくん」

「ああ、おはよう。白さ———」

 

 つい今までの呼び方をしようとしたが、香織がじーっと見つめているのに気付いた。アンデッド特有の———それでも磨き上げられたルビーの様に紅い目に見つめられ、ナグモは鼓動が早くなるのを感じながらその名前を呼んだ。

 

「………………か、香織」

「うん♪」

 

 ()()()()()()の花の様な笑顔の前に、ナグモは顔が赤くなっていくのを感じた。

 

 ***

 

 アインズのエヒトルジュエ討滅宣言の後、オルクス迷宮深層の解放者の住処にナグモの姿はあった。アインズから改めてオルクス迷宮の調査を命じられ、第四階層で新たに製造されたマシン・モンスターや技術研究所の研究員達と共にオルクス迷宮をナザリックの資金源とすべく資源の調査や発掘を行っていた。さながら、「ナザリック技術研究所オルクス支部」といった所だろう。

 ナグモはオスカー・オルクスの屋敷を根城にして、彼が遺していた資料の解読や迷宮内の資源やモンスターの調査に勤しんでいた。そして同時に———アンデッド・キメラとなった香織の身体について色々と調べていた。

 

「はい、冷めない内にどうぞ」

「その……いただきます」

「召し上がれ♪」

 

 香織が用意してくれた朝食にナグモは手を付けた。本来ならアイテムのお陰でナグモは飲食は不要なのだが、アインズからキチンと三食と睡眠は取る様に厳命されている為、こうして朝食も摂る様にしているのだ。

 

「お味はどう?」

「……悪くない」

 

 香織の手料理に口を付けながら、ナグモは言葉少なく答える。まだ表情筋にあまり動きは無いが、それでも口元が僅かに緩んでいた。それが理解できている香織はニコニコと一緒に朝食を摂っていた。

 

「僕は飲食不要の身だから、給仕の真似事などしなくても良いのに……」

「そんなわけにいかないよ。私もアインズ様にお仕えしているんだもの。だったら、少しはナザリックの為になる事をしないと」

 

 それに、と香織はナグモを少しだけ咎める様な目で見る。

 

「ナグモくん、放っておいたら10秒ゼリーとかしか食べないでしょう? 地球にいた時もお昼はそんなやつばっかりだったし」

「もともと少食だからな」

「もう……キチンと食べないと、いざという時にアインズ様の御役に立てなくなっちゃうんだからね」

 

 それを言われると弱い。至高の御方の為に身体を十全に保つのは守護者としての義務なのだ。何より———香織の意見なら少しは聞く耳を持つか……と思うのだ。何故か知らないが。

 

「それに、こうやって手先を動かす作業をするのは良いリハビリになるの」

 

 ほんの数日前まで、魔物の手足だった指先を見ながら香織は嬉しそうに微笑む。

 

「ナグモくんは本当に凄いね……私の身体をこんなに綺麗に治しちゃうんだもの」

「感謝はアインズ様に言うべきだ。御方が神結晶を使って良い、と言われたからあの人工心臓を作れたからな」

 

 ———オルクス迷宮の再調査で、現時点で最大の発見と呼べるもの。それが神結晶だ。永い年月を経て蓄積された自然魔力の結晶は、神水と呼ばれるあらゆる傷も毒も癒す水を引き出す事が出来た。神水自体の効果は上級のポーションと同程度だが、ナグモが何よりも目を付けたのは神結晶の加工のし易さだった。

 

(あれ一つで大容量のデータクリスタルに匹敵するとはな……)

 

 それを報告した途端、アインズが「はああああっ!? マジか!?」と普段の威厳に満ちた姿が一瞬薄れた気がしたのは記憶に新しい。即座に咳払いと共にいつもの姿に戻ったが、それほど御方にとっても驚きだったのだろう。

 

(かつてウルベルト様は、ワールドアイテムを模したアイテムを作ろうと試みたそうだが……この神結晶があれば、もしかしたら———)

 

 もっとも、オルクス迷宮で採掘した神結晶の大きさや個数ではとてもではないがワールドアイテム級のアイテムは作れない。別の神結晶の採掘場を見つけるか、どうにかして人工神結晶を量産する方法を見つける必要があるだろう。そこで神結晶を詳しく調べる為に、使用を許されたサンプル品をナグモは香織の身体の修復に使用したのだ。

 万病を癒す神水は魔力が切れれば腐敗が始まる香織の身体を常に最良の状態に保つ血液となり、ナグモがじゅーるから与えられた全ての技術(スキル)。そして———()()()()()()()()()によって作られた人工心臓によって、香織の身体を生者のものと変わらない状態にしていた。

 

「でも、本当に不思議。あんなに魔物が混ぜこぜになってた身体が、新しい心臓を貰ったら綺麗に治るなんて……」

「……調べてみて分かったが、君の身体があそこまで変異したのはこの世界の魔物を喰らった事により、体内魔力の流れが激しくなった事によるものだ」

 

 ナグモはナザリック技術研究所の所長としての顔になりながら、説明を始めた。

 

「トータスでは魔物の毒によって食べた人間は死に至るなど言われているが、それは間違いだ。正確には魔物を食べる事で全身の魔力が活性化され、人間の脆弱な身体では耐えきれない魔力の流れによって自壊しているだけだ」

「ええと……雨で増水して、河が氾濫して堤防が壊れるみたいなものかな?」

 

 その通り、とナグモは頷いて先を続けた。

 

「あるいは崩壊する前に耐え切る様な治療手段でもあれば話は別だっただろうが……香織の場合はアンデッド化した事によって、魔力暴走による崩壊は無かったと見ている。ただ、人間の頃より増大した魔力に耐え切る様に肉体変化も起こしていた、と見ている」

 

 スッとナグモは香織の胸———人工心臓を埋め込んだ辺りを指差した。

 

「魔力を操作して肉体が変化するのは僕と戦った時に分かった。その人工心臓は香織の身体に常に魔力を満たすのと同時に、魔力の流れを正常にする補助道具みたいなものだ。それがある限り、君の身体はキチンとした人間の姿を保てる」

「そうなんだ……あのさ、ひょっとして魔力の制御をキチンと覚えたら身体を変えたりできる?」

 

 む? と予想してなかった質問に疑問符をナグモが上げた時だった。食堂に入ってきた新たな人物が間延びした声を上げた。

 

「理論上は可能ですよ〜。今の香織ちゃんは、ある意味ではドッペルゲンガーさんみたいなものですから〜」

 

 ダブついた白衣をヒラヒラさせながら入ってきたミキュルニラに、香織は挨拶した。

 

「おはようございます、モルモットさん」

「おはようです、香織ちゃん。それと、そんな畏まらなくても良いですよ〜。ミキュルニラで結構です〜。出来れば親しみを込めて、ミッキーちゃん、と呼んで欲しいのです♪」

「ええと……」

 

 見た目的にもあるマスコットキャラを思い出させる様なミキュルニラに、香織は何とも言えない曖昧な顔になった。

 そんな香織に助け船を出すわけではないが、気になった事を聞く事にした。

 

「……お前、いつからそんなに香織と仲良くなったんだ? まだ会ってからそんなに日が経ってない筈だが」

「え? 香織ちゃんはナザリックの新しいお友達なんですよね? だったら、私のお友達なのです!」

 

 えっへん! と胸を張って宣言するミキュルニラに、今度はナグモが微妙な目付きをする事になった。

 

(まあ……下手に仲違いされるよりはマシか。ナザリックの者は、外部の人間を見下す者が多いからな……)

 

 自分自身(人間嫌い)を棚に上げてそんな事を考えているナグモを他所に、それでさっきの話なんですけど、とミキュルニラは話し始める。

 

「香織ちゃんの身体は魔力を制御して、今の形を整えているわけですから〜。香織ちゃんが魔力の使い方をキチンと覚えれば、好きな形になる事も可能なのです〜」

「そうなんだ……良かった……」

「……ひょっとして、その身体は不満だったか?」

 

 安堵の溜息をついた香織に、ナグモは内心で不安になりながら聞いた。

 

「髪や目の色以外は記憶データと一致した造形の筈なんだが……」

「え? ううん、ナグモくんの手術に不満があるわけじゃないよ! ただ、その……」

 

 チラチラッと香織はミキュルニラを見た。

 ………より正確には。その、スイカの様な二つの双丘を。

 

「……はは〜ん♪」

 

 その視線の意味に気付いて、ミキュルニラは口角を上げた。

 

「心配はしなくて大丈夫ですよ〜。しょちょ〜は胸の大きな子じゃないとイヤとか無いと思いますから〜」

 

 ごふっ、ナグモは吹き出したくなるのを何とか堪えた。

 

「ちょっと待て。なんでそんな話になる!」

「うう……だって、アンデッドだからこれ以上の成長とか見込めないし……」

「大丈夫ですってば〜。しょちょ〜は香織ちゃんならどんな身体でも好きだと思いますよ〜。前にシズちゃんの裸を見ても、特に何の感想も無かったみたいですから〜」

「ばっ……! あれはメンテナンスで………っ!?」

 

 ゾクゥ!! とナグモの背筋に寒気が走った。

 そこに———般若がいた。

 

「ねえ、ナグモくん。まだ私、ナザリックの事を詳しく知らないけどシズちゃんって……どちら様かな?」

「……シズは、プレアデスの五女、いや六女? とにかく、僕がメンテナンスを担当していて……」

「へえ……じゃあ、結構小さな子なのかな? そんな小さな子の裸を、何でナグモくんは知っているのかな? かな?」

「い、いや……シズは自動人形……」

 

 おかしい。自分にはスキルや装備で恐怖や幻惑などの状態異常耐性がある筈だ。

 それなのに、この背筋の寒さは何なのか? どうして笑顔の筈の香織の背後に般若の姿を幻視しているのか?

 

(ま、まさか、香織の喰らった魔物の中にユグドラシルのスキルが通じない様な魔法を持つ魔物が……!?)

 

 逃避気味にそんな思考をしたが、すぐにマルチタスクから「そんなわけあるか」と冷静な声が返ってくる。今回ばかりはじゅーるに作られた頭脳が恨めしかった。

 

「ナグモくん……ううん、ナグモ所長。しっかりと、説 明 し て く れ る よ ね?」

「おい、ミキュルニラ! お前からも——」

「あ、私はそろそろ勤務時間なので〜。しょちょ〜も遅刻しないで下さいね〜」

 

 この薄情者! 場をかき混ぜるだけかき混ぜて退出したNPCに、心の中でナグモは怨嗟の声を上げた。

 香織にシズの事をどう説明(言い訳)すべきか、じゅーるによって設定されたマルチタスクを一斉に起動させてナグモは弁明の言葉を考え出した。

 

 ***

 

「うんうん。香織ちゃんが来てくれたお陰で、しょちょ〜は前より楽しそうなのです〜」

 

 以前のナグモからは考えられない様な慌て振りで説明する声を背中で聞きながら、ミキュルニラはオルクス迷宮に作られた研究所エリアへ向かう。

 

「私の役目はナザリック技術研究所の副所長で、しょちょ〜を補佐すること。ナザリックでも仲良しな人がいないしょちょ〜が、寂しくない様にする事なのです」

 

 じゅーるによって「そうであれかし」と定められた役割を、ミキュルニラは口にする。だからこそ、気難しい性格をしたナグモに代わってナザリックの皆と仲が良いという様に作られたのだろう。ミキュルニラはそう納得していた。

 

「……新しくお友達になった香織ちゃんも、ユエちゃんも。アインズ様を敬える良い子達なのです。しょちょ〜がナザリックの外の人でも、仲良しな人が出来たのは良い事なのです」

 

 ふと、ミキュルニラは立ち止まる。

 

「だから………私は寂しくなんて、ないですよ」

 

 ………じゅーるによって「そうであれかし」と定められた、マスコットキャラの様な言動を消して。

 

「………ナグモ所長。じゅーる様の———」

 

 その呟きは、幸いな事に誰も聞かれなかった。

 そして彼女は研究所エリアに入る。先に来ていた研究員のエルダーリッチ達に元気よく挨拶した。

 

「おはようなのです! 皆さん、今日もナザリックの為に元気に頑張りましょ〜!」

 

 「そうであれかし」。創造主(じゅーる)によって設定された在り方に忠実に。それが自分(NPC)の役割だから。

 

 




ナグモは香織の身体を治しましたよ。

その一文にまさか一話使うとはね……。あと神結晶とか魔物化の設定とか、独自設定という事でお願いします。

ついでに香織の般若ネタを使いたかった。それだけ。


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第三十六話「守護者唯一にして、ナザリックで二人目の人間」

 一部の人には予想されていましたが……ようやくこれを書けました。
 
 あとアウラ達のユエへの反応は、オバマスのコラボや異世界かるてっとを参考にしているので割と甘めです。というかリリカルなのはのコラボで、なのはに敬語を使っているデミウルゴスが意外過ぎた……。


「ナグモ所長、データが纏まった」

「ご苦労、ユエ」

 

 オルクス迷宮最下層。オスカー・オルクスの屋敷で、ナグモはユエから渡された資料に目を通す。この世界の魔法が属性別に分けられ、一目で見やすいものとなっていた。

 

「……どう?」

「まあ……及第点はやる。意外と使えるな、お前」

「意外と、は余計」

 

 少しムッとした顔となるユエを見ながらも、ナグモはユエへの評価を改めていた。

 アインズの命令でユエを第四階層に迎え入れてから、ナグモはユエからこの世界の魔法の知識などを提供させていた。「魔法はエヒト神によって齎される奇跡の力であり……」と、愚にもつかない様な内容を大真面目に述べていた王宮の専門書とは違い、キチンと魔法の法則を理解しているユエはナグモから見ても許容できる頭脳の持ち主だった。そして、その頭脳を見込んでナグモはユエに自分の助手を務めさせてみたのだ。

 

(しかしコイツ……下手したら並のエルダーリッチより使えるんじゃないか?)

 

 元王族だけあって教養が豊富であり、書類仕事もお手のもの。戦闘に関しても迷宮内で見せた実力は一対一ならば戦闘メイド(プレアデス)にも引けは取らないだろう。トータスの魔法については手探りで調べていたナグモ達にとって、今のユエは貴重な現地アドバイザーといったところだ。

 

(いっそ位階魔法を覚えさせてみるのも面白いかもな……そうすれば、第四階層の戦力も増すだろう)

 

 今度、アインズ様に進言してみるか、とナグモが考えていると耳に付けていた通信用アイテムにエルダーリッチから念話が届いた。

 

『ナグモ所長。オルクス迷宮の正規ルートを通り、階層守護者シャルティア様。並び、階層守護者アウラ様が最下層エリアに到達しました』

「……よし。ここに来る様に伝えてくれ、アシモフ」

 

 はっ、と短い返答と共に休日制度を導入する際に新たに名付けたエルダーリッチからの通信が切れる。しばらくすると、ナザリックの階層守護者二人が部屋に入ってくる。

 

「やっほー、ナグモ。調子はどう?」

「道中の雑魚はともかく、面倒なダンジョンでありんした。茶の一杯でも入れてくれりんす」

「……ここは喫茶店では無いぞ」

 

 会って早々に無茶な要求をするシャルティアに半眼になっていると、シャルティアが後ろに控えているユエを見て怪訝な顔になる。

 

「ん? お前がひょっとして……」

「ユエ、と申します。シャルティア・ブラッドフォールン様」

 

 セバスから教わったナザリックの事前知識から階層守護者と判断したユエはカーテシー(屈膝礼)で挨拶する。かつて吸血鬼の王族として散々仕込まれた礼儀作法は見事な物で、シャルティアもこれには機嫌を良くした様だ。

 

「へえ、お前が御方が保護した吸血鬼の……」

「はい。偉大なる御方、アインズ様によりナザリックの末席に加えて頂く事になりました」

「へえ、あんた分かってるじゃん」

 

 アウラが感心した様に声を上げる。

 

「アインズ様の偉大さを理解できるとか、外の人間……じゃなくて吸血鬼? にしては見る目があるじゃん」

「恐れ入ります。アウラ・ベラ・フィオーラ様」

「アウラでいいよ。一々、フルネームで呼ばれるのも堅苦しいし」

 

 至高の御方への忠義を確かに感じられるユエに、アウラもユエに対して柔軟な態度を取る。そしてシャルティアはと言うと———。

 

「ええ、本当に。わざわざアインズ様が拾っただけあって、中々良さげな娘でありんすねぇ」

 

 じゅるり、と舌舐めずりするシャルティアにユエはゾクリと背筋を震わせた。完全に新しい玩具を見つけた目のシャルティアに、ナグモは咳払いをする。

 

「先に言っておくが、ユエの身柄はアインズ様から僕に一任されたもの。こいつはまあまあ優秀だから手放す気は無い」

「ちっ、つまらないでありんす。なら、新入りのアンデッドの方を———」

「は?」

 

 僅かに殺意すら感じるナグモの反応に、二人の守護者は意外な物を見る様な目を向けた。

 

「……へえ、ミキュルニラから聞いた時は信じれんせんでしたけど、人間ゴーレムと思っていたナグモがねえ」

 

 クスクス、と新しい玩具を見つけた猫の様な目でシャルティアは笑う。

 

「まあ、アインズ様がお認めになってるみたいだから、あたしは別にいいとは思うけど。なに? 今まで交流が無かったから知らなかったけど、あんたってシャルティアみたいな死体愛好家(ネクロフィリア)だったわけ?」

「コイツと一緒にするな。好意を抱いた相手が偶々アンデッドだっただけだ」

「いやそれ、堂々と言われても反応に困るなぁ……」

 

 非常に微妙な顔付きになるアウラに大きく咳払いをして、ナグモは話を中断させる。

 

「いいから、奥に行くぞ。迷宮内の決められたルートを確かに通ったんだな?」

「まあね。あ、そうだ。なんか面白そうな兎のモンスターがいたからさ、一匹くれない?」

「別に構わないが……兎のモンスター? 深層では弱い部類だった筈だが……」

 

 アウラがそんなに興味を惹く様なモンスターだったか? とナグモは首を傾げながら、アウラとシャルティアを部屋の奥———オスカー・オルクスが遺した魔法陣へと案内する。因みに、魔法陣を起動させる度に何度も再生してくる映像は鬱陶しいので切っていた。

 

「……どうだ?」

 

 魔法陣の上に立ったアウラとシャルティア。オスカー・オルクスの試練の内容からすれば、これで二人にも生成魔法が習得出来る筈だった。

 しかし———。

 

「ん〜……何も変わった感じがありんせん」

 

 あたしも、とアウラも頷くのを見て、ナグモは溜息を吐いた。

 

「これで僕以外の守護者達は全滅、か……」

 

 ***

 

「そうか……シャルティアとアウラも習得出来なかったか」

「はっ。御方のご期待に添えず、大変申し訳ありません」

「良い。お前やシャルティア達の責任ではない」

 

 ナザリック地下大墳墓のアインズの執務室で、アインズはナグモの報告を聞いていた。

 オルクス迷宮を攻略後、神を打倒する為の神代魔法の使い手は多くいた方が良いというアインズの判断の下、階層守護者達を始めとした戦闘が得意なNPC達はオルクス迷宮の試練に挑む様にアインズから言い渡されていた。ところが、どういうわけか今のところはアインズ、ユエ、香織。そして———ナグモ以外に神代魔法を習得できた者がいないのだ。

 

「現在、ユエから教わっているトータスの魔法、そしてトータスのモンスターから確認できる固有魔法を調べ、ナザリックのシモベ達にもトータス固有のスキルや魔法が取得できる様に研究しております」

「うむ。神エヒトルジュエを倒すには戦力は多いに越した事はない。引き続き、技術研究所の皆にトータスの魔法やスキルを詳しく調べる様に指示してくれ」

「はっ。今度こそ御方のご期待に添える様、頑張ります」

 

 スッと頭を下げるナグモを見ながら、アインズはふと違和感を覚えた。それが何かを考え、すぐに思い至った。

 

(あっ、そうか。他のNPC達みたいに自害して詫びるとか言わなくなったからか)

 

 NPC達は常に命を擲つ覚悟でアインズの命令を絶対と考えており、望み通りの結果を出さなければすぐに自害すると言ってくるのだ。篤い忠誠心の表れとも言えるが、それがアインズには精神的に負担だった。彼等を友人達の大事な子供達と見ているアインズにとっては、そこまでして命令を遂行して欲しいとは思ってはいない。だから自分の思い通りに動かなくても、「お前の全てを許そう」と枕詞の様にアインズは言っていたのだが、今回のナグモとの会話ではそれを言わずに済んだのだ。

 

(何だろ? 以前より、ナグモの態度が柔らかくなったというか……こう、少し気軽に話せる様になった的な?)

 

 彼女が出来たから変わったのかね? なんて益体の無い事を考えていたが、アインズはそれを思考の隅に置いておく。

 

「しかし、オルクス迷宮で得られるのが生産系の魔法とはいえ、守護者達も習得できればレベル100を超えられると思ったのだが……」

 

 アインズは自分の手を見ながら独りごちた。それは神代魔法の効果か、はたまたユグドラシルから来たアインズ達固有の現象なのか。生成魔法を習得した時、アインズは自分のレベル限界が上がった感触がしたのだ。ユグドラシルではシステム上、不可能なレベル100以上に今のアインズには到達出来るという予感があった。

 

(迷宮内のモンスター達のステータスを見る限り、今の守護者達でもこの世界なら敵無しの最強クラスだといえる筈だ。ただ……それでもエヒトルジュエ相手にどこまで通用するかは不明だ)

 

 だからこそNPC達もレベル100以上になれるか実験したのだが、結果は芳しくない。もしかしたら、最初から「そうあれかし」とデザインされたNPC達は、今以上に成長したりしないのだろうか? いまアインズと同じ様にレベル100を超えられるのは、ユエと香織、そして恐らくは目の前にいるナグモだけの様だ。

 

「もともと、守護者の皆のステータスは僕より高いですから戦力としては十分とは思いますが……しかし、そうですね。この生成魔法は僕にとってはこれ以上ないという魔法には違いないです」

 

 ナグモがいくつかのマジックアイテムをアインズの机の上に置いた。いずれもトータス固有の鉱石から作られたアイテムであり、ユグドラシルには無いものだった。

 

「こちらは念話石から作られた通信用アイテム。これがあれば、<伝言(メッセージ)>を使う際にスクロールの消費を抑えられます」

「ほう、それはありがたいな。低位魔法のスクロールも在庫が減ってきていたからな」

「それでしたら、生成魔法で増やせるかと。あの魔法は無機物に干渉する性質がある様なので、やろうと思えばその辺の石でもスクロールの代わりにする事も可能かと」

「………え? マジで?」

 

 思わず支配者ロールを忘れてアインズは呟いてしまう。すぐにゴホン! と咳払いをして誤魔化したが。

 

(マジかよ………これ、ユグドラシルで実装されてたら生産チートとか言われるだろ)

 

 あまのまひとつさんにも見せたかったなあ、とかつてギルドの生産職に大きく貢献していたグルメ鍛治師を思い出しながら、他のアイテムを見ていく。その中で片眼鏡の形をしたマジックアイテムを見つけた。

 

「ん? これは確か……」

「はっ。以前、香織との戦闘で壊れた物を修復致しました。その際にステータスプレートやユグドラシルの位階魔法を融合させ、レベル100以上のステータスでも読み取れる様に改造しました」

 

 ほう、どれどれ……とアインズは試しに片眼鏡でナグモを見てみる。

 そして———それに気付いた。

 

 

「これは……?」

「アインズ様?」

「———ナグモよ。このマジックアイテムは……正常に動いているのか?」

「? ナザリックのシモベ達でも試しましたので、間違いなく正常に機能している筈ですが……何か不備がありましたか」

「いや、これは……しかし……」

 

 不安そうな表情になるナグモだが、アインズはいま見ている情報を信じられない気持ちで見ていた。

 

『個体名:ナグモ

  種族:人間種(ヒューマン)

 レベル:101

     ・

     ・

     ・

カルマ値:10』

 

(これは……どういう事だ? ナグモのレベルが100を超えている……うん、それはまだ理解できる。生成魔法を習得したからな。でも、確かナグモのカルマ値は0だった筈だ)

 

 NPC達全員の設定をアインズは細部まで覚えているわけではないが、確かそうだった気がする。いつだったか、じゅーるが「科学者だから善悪の偏見に拘らずに物事を見て欲しいんですよね」と語っていたのを覚えている。

 

(カルマ値が変動した? 一体なんで……香織を助けに行く選択をしたからか?)

 

 確かにそれはカルマ値が上がる行動だろう。ただし、それは自分では行動(コマンド)を選べないNPCでは絶対に不可能だ。

 

(大体、自分の行動でカルマ値が変動するなんて、それじゃまるで———)

 

 瞬間———アインズに雷鳴の様な閃きが走った。

 

(まさか……いや、そんな馬鹿な……)

 

 まず最初にそんなわけがない、という考えがくる。

 だが、そうなると色々な辻褄が合ってくるのだ。

 

 他のNPC達と異なり、アインズと同じく新たな魔法の習得とレベル上限の引き上げが出来た。

 他のNPC達の様に、アインズへ過剰な忠誠心を見せなくなった。

 そして———創作者から「人間嫌い」という設定を与えられていながら、人間(香織)を愛する事ができる。

 その自由度は———作られたNPC(人形)では収まらないもの。

 

(ナグモはもしかして……人間(プレイヤー)になったという事なのか……!?)

 

 それを理解した瞬間———アンデッドとして人間の情が薄れつつあるアインズの中で、ある感情が湧き上がった。それは大きな感情ではない。だが、だからこそ沈静化されない———じんわりとした喜びがあった。

 

「そう、か……そうだったのか……」

「アインズ様……?」

 

 いつになく温かい声を出すアインズに、ナグモは当惑した様な表情になる。

 

(こんなのは、ただの錯覚かもしれない。でも………)

 

 じゅーるの面影が見える目の前の人間(プレイヤー)が———まるで引退したじゅーるに代わって彼の息子がギルドに加入してくれていた。

 そんな風にアインズは思えてしまうのだ。それは友人達(ギルドメンバー)が不在でたった一人で異世界(トータス)でナザリックの支配者として振る舞うしかないアインズ(鈴木悟)にとっては間違い無く、トータスに来てから初めて感じた喜びの感情であった。

 

「あの……如何されましたか? やはり、そのマジックアイテムが何か不備でも———」

「いや……何も問題は無い。ああ、問題なんて無いさ」

 

 片眼鏡を外しながら、アインズはいつもより柔らかい声を出していた。

 

「そうだな……強いて言うなら、お前は私の思惑を超え———そして、おそらくはお前を作ったじゅーるさんが願っていた以上の成長を遂げていた。それをこの目で見られて、私は嬉しい」

「それは……もったいなき御言葉をありがとうございます」

 

 困惑しながらも、ナグモはアインズに頭を下げる。そんなナグモを見て、アインズはある事を思い付いた。

 

「ああ、そうだな。オルクス迷宮の調査の褒美として、これをやろう」

 

 アインズはアイテムボックスから、ソレを取り出した。

 その瞬間、ナグモは目を見開く。

 

「これは……まさかリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン!?」

 

 差し出された指輪にナグモの表情の少ない顔が驚愕に彩られていた。

 

「これは至高の御方しか所持が許されない指輪の筈! この様な物を受け取るなど、僕には分不相応な褒美です!」

「既にマーレやアルベドにも渡している。ならば、同じ階層守護者のお前が持っていても何もおかしな話は無いだろう」

「いえ、ですが……!」

「冷静になるのだ、ナグモ」

 

 じゅーるによって設定された———されど、もはや設定に縛られなくなった表情を出す人間へ、アインズはとっておきの理由を話した。

 

「これはな……かつてじゅーるさんが使っていた指輪だ」

 

 それまで慌てた様子のナグモだったが、その一言で静かになった。

 

「じゅーる様が……?」

「あの人がナザリックを去る時、私はじゅーるさんの装備品やアイテムを預かったが……その一つをお前に渡そう」

 

 そして———アインズはそれを言葉に出す。

 

「じゅーるさんも———息子であるお前に持っていて欲しい、と言うだろう」

 

 その言葉に、ナグモは神妙な表情となった。そして、恐る恐るといった手付きでアインズから指輪を押し戴いた。

 そして、それを右手の小指へと嵌める。それを見てナグモは———アインズも初めて見る、嬉しそうな表情になった。

 

(まるで親から欲しかったプレゼントを貰った子供だな)

 

 思わずアインズは苦笑してしまう。死の支配者(オーバーロード)となったアインズの骸骨の表情は動かない。だが、いつもよりも穏やかな気持ちで今はいないギルドメンバーを思い出す。

 

(これでいいんですよね? ……じゅーるさん)

 

 アインズの思い出の中にいる六本腕の機神が———ピコン、と笑顔の感情マークを出した。そんな気がした。




>生成魔法、割と万能

 お陰で羊皮紙を作る牧場もやらなくて済むかも。そんなわけで、()()も牧場『では』死なないです。多分。まあ、ダイスの結果でそうなっただけですけどね。

>アインズ様の喜び

 もちろん彼は他のNPC達もギルメンの大事な子供だとは思っています。でもナグモがいる事で人間性を薄れさせていた死の支配者も、多少は軟化していくかもしれません。

>右手の小指の指輪

 ナグモ的には作業に邪魔にならない場所に装備しただけ。本来、右手の小指の指輪が意味するのは「自分らしさを発揮」。ある意味、今の彼にはピッタリかもしれない。

>ナグモ
 
 香織が起こした奇跡により、NPC(人形)からプレイヤー(人間)へと昇格した。アインズが「ナザリックの支配者」というロールを演じているプレイヤーならば、ナグモは「ナザリックの守護者」というロールに沿って行動しているプレイヤーと言えるだろう。
 
 白崎香織と触れ合う中で人間としての感情を学習していき、いま真に人間という存在になったのだ。その為に創作者であるじゅーるが作った設定から外れた思考を有する様になり、彼は一人の人間(プレイヤー)として、考え方や価値観が変動する様になったのである。じゅーると行動や思考が似た部分があるのはNPCとしての在り方というより、父親の真似をしたがる子供の様なものかもしれない。

 精神的に未熟なところが目立つのは、NPCとして思考の絶対性を保てなくなったから。言うなれば、「至高の御方の為ならばナザリック外の存在は踏み潰して当然」と考えるカルマ値マイナスの価値観と、「香織を好きになった人間としての心」というカルマ値プラスの価値観が同居している状態である。

 電子のピノキオは、奇跡を経て人間となった。
 至高の御方に創られた者達の中で、彼は唯一成長と変化が許される存在となった彼がキチンと成長できたならば……それは墳墓の墓守りにとって、大きな喜びとなるかもしれない。


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第三十七話「香織のメイド修行 初級編」

 ……酒飲んだ後に小説を書くもんじゃあ無いな。翌朝になってすんごく後悔しております。
 あとアンケートは締め切らせて貰いました。まあ、残念ながら彼等には———。


「………今日はここまで」

「はい! ご指導ありがとうございました! シズ先生!」

「………ん」

 

 メイド服を着た香織に、シズは表情を変えないながらも満足気に頷いた。

 オルクス迷宮の屋敷で、香織は時々行われるナグモの精密検査を受ける以外は彼の身の回りの世話をして日々を過ごしていた。晴れて恋人となったナグモの世話を焼くのは苦ではないが、転移前では家の手伝いぐらいしか経験の無い香織に出来る家事は限られていた。そこでもっと自分が出来る事を増やしたいと思ってミキュルニラに相談したところ、「それでしたら〜、メイドさんのお仕事を教えてくれそうな子にお話ししてみます〜」と彼女の口利きでプレアデスのシズ・デルタを紹介されたのであった。

 

「……ミキュルニラから頼まれた仕事だけど、香織は覚えがいいから教え甲斐がある」

「そんな……シズ先生の教え方が上手なお陰ですよ」

「むぅ……先生……先生かぁ……」

 

 普段は桜花領域から離れられないオーレオールを除けば、姉妹の中で末っ子(本人はエントマが妹だと主張している)の様に扱われるシズからすれば、自分を目上の人間として慕う香織に悪い気はしてない様だった。

 そんなシズを見ながら、香織はなんとなしに考えてしまう。

 

(それにしても……ナグモくんから聞いていたけど、本当にこの人はロボットなのかな?)

 

 ナグモにOHANASHIさせ———ではなく。説明して貰った内容によるとシズは精巧な自動人形らしいが、香織の知る地球のロボットと比べて何段階も進んだ技術で作られたであろうシズを見ていると、実は人間でした、というオチは無いだろうかと思ってしまう。

 

「……どうかした?」

 

 香織の視線に首を傾げる。不躾な視線を向けてしまったと思い、香織は謝罪した。

 

「っ、ごめんなさい。シズ先生は本当にロボ、じゃなくて自動人形なのかな、と思っちゃって……」

「……? 意味不明。どうしてそんな事を聞く?」

「その……本当にシズ先生が自動人形なら、シズ先生を作った人は本当に凄い人なんだろうな、って」

 

 ナグモから至高の四十一人の事は聞いたが、自分を救ってくれたアインズはもちろん、ナグモというクローン人間を作ったじゅーる、そしてシズを製作したガーネットという人物はまさしく神の如き集団だったのだろう。学校では教師ですら下に見ていた様な態度を取っていたナグモが心酔するのも頷けてしまう、と香織は思っていた。

 

「………ん。ガーネット様はとても偉大な御方。それが理解できる香織は好感が持てる」

 

 シズの平坦な声に少し力が入る。よし、と頷き———。

 

「……これ、香織にあげる」

 

 ぺたりと香織の額に何かが貼られる。

 

「って、何これ!?」

「……お気に入りのシール。香織は可愛いとはちょっと違うけど、特別にあげる」

「え、それはありがとうございます……って、剥がれないよコレ!?」

「……博士の特製。簡単に剥がれない」

「あ、あの嬉しいですけど、出来れば額以外に貼って貰えないでしょうか……?」

「……むぅ、仕方ない。でも、目立つ所に貼ること。……御守りだから」

 

 シズから剥離液を貰い、香織の額からようやくシールが剥がれる。改めて見ると、「1円」と書かれたシールが香織の手にあった。

 

(何で1円……? でも御守りという事は、一応は好意なんだよね……?)

 

 とりあえず、ここでいいかな? と香織はアインズから渡された常時MP回復効果の腕輪に貼る。すると、そこでドアがガチャリと開けられた。

 

「ちわーっす! シズちゃん、遊びに来たっすよー!」

「ルプスレギナ……今日、お休み?」

「そうっすよー。でもユリ姉やナーちゃんはお仕事中だから、暇で暇で仕方なくて。だからユリ姉に聞いて、こっちに来てみたっす」

 

 クレリックを基調にしたメイド服を来た褐色肌の女性———ルプスレギナは妹のシズへ笑顔で話しかける。

 

「それで……そいつが例の?」

 

 スッと真顔になるルプスレギナに香織の背筋に冷たい物がはしる。それでも初めて会う相手に対して、シズから習ったスカートの裾を摘んだ御辞儀(カーテシー)で挨拶する。

 

「は、初めまして。白崎香織と申します。ナグモく———ナグモ様の、御世話をさせて貰っています」

 

 ついナグモくん、と呼びそうになったのを言い直した。プライベートでは親しく接しているが、ナグモはナザリック地下大墳墓の幹部だという事を考えての事だ。

 

「へえ……アインズ様が言っていたアンデッドって、アンタの———」

 

 そこまで言いかけたルプスレギナが香織の手元———腕輪に貼られた1円シールに気付いた。

 

「ん? これは……シズちゃん?」

「………お気に入り」

「……ああ、なるほど! そういう事っすか! こちらこそ初めましてっす、私はプレアデスのルプスレギナ・ベータっす! 気軽にルプーさんと呼んでも良いっすよ、カオちゃん!」

「カ、カオちゃん?」

 

 今までの食肉を観察する様な冷たい目線から一転して、ニカッと快活に笑うルプスレギナに香織は困惑する。シズを振り向くと、「だから言ったでしょう?」と言わんばかりに胸を張っていた。

 

「いやー、ナグモ様もスミに置けないっすね。カオちゃんみたいな可愛い子をメイドに雇うとか、あの方も男の子なんすねぇ」

「ええと……ナグモく、じゃなくて、ナグモ様の御世話は私が好きにやってる事で……」

「ああ、いいっすよ。無理に敬語を使わなくても。カオちゃんが話しやすい様に話して大丈夫っす」

 

 ところで……とルプスレギナは右手の人差し指を立て、左手の親指と人差し指で丸を作り———。

 

「ナグモ様の御世話って、アッチの方も含まれるんすか?」

 

 こう、色々と問題があるハンドサインをした。

 

「あ、アッチの……!?」

「……ルプスレギナ、下品」

「えー、いいじゃないっすか。ここにいるのは女の子だけなんすから」

 

 ジト目でルプスレギナを見るシズを他所に、香織は顔を真っ赤にしていた。

 

「ナ、ナグモくんとは、その、まだ、そんな関係じゃなくて!」

()()? という事は、そういう事を致したいというわけっすね」

 

 あう! と悲鳴を上げる香織に、ルプスレギナはニヤニヤとした笑みを強めた。

 

「いやー、初心に見えて意外と好きモノなんすね、カオちゃんは♪」

「う、うう………」

「というか何で躊躇しているんすかねぇ? あの、人付き合いは嫌いですが何か? と全身で訴えてきてる様なナグモ様が側に置いてるくらいだから、後はパクッといっちゃえばいいのに」

「だって……まだ私の年齢で、そういうのは早いかなって……」

「甘い! 甘いっすよ、カオちゃん!」

 

 真っ赤に俯きながら蚊の鳴くような声でブツブツと言う香織に、ルプスレギナはドーン! と擬音が付きそうな声を出す。

 

「ナグモ様は階層守護者代理! 御同僚の方はアルベド様にシャルティア様、アウラ様と絶世の美形揃い! ナグモ様もその内、ふらふら〜っと靡いちゃうかもしれないっす!」

「ふ、ふらふら〜っと?」

「とくにアルベド様はサキュバスっす! いつかナグモ様が襲われるかも! ……そういえば、ナグモ様は今日はナザリックに出張しているんすよねー」

「サキュバス!? 襲われちゃう!?」

 

 香織はつい想像してしまった。一度だけ背中から翼を生やした黒髪の女性がオルクス迷宮に来た事がある。ナグモからは危険だから、と香織を下がらせたので遠目から見ていただけだが、それでも魔性の美を彷彿させる女性だった。あとで、あれがアインズのシモベ達の中で最上位に存在するアルベドだ、と教わったが、きっと傾国の美女とはあの人の為にある言葉なんだろう。そんな女から見ても完璧な美を持ったアルベドが、ナグモへと覆い被さり———。

 

「ダメーっ! そんなの絶対ダメーっ!!」

「だったら、方法は一つしか無いっすよ」

 

 ポン、と実にいい笑顔で香織の肩を叩くルプスレギナ。

 

「先にやっちゃえばいいんすよ」

「先に……やる……ナグモくんを……」

 

 ブツブツ、と香織は俯いてしまう。事の成り行きを見ていたシズはルプスレギナに咎める様な目線を向けていた。

 

「……あまり揶揄わない。香織は結構純情」

「いやー、でも反応が面白くてつい。こんな話、新人さんしか信じないっすから」

 

 ニシシ、と笑うルプスレギナが目に入らず、香織はブツブツと呟いていた。

 

「そう、だよね……ナザリックの人って、何でか美人さん揃いだもん。御世話係だから、ナグモくんが爛れた生活を送らない様にしなくちゃ……」

「あれー? カオちゃん? もしもーし!」

「それに検査の時に、その……見られているから今更だよね? うん、もう一線を越えてるよね? そう言ってもいいよね?」

「おーい、戻っておいでー!」

 

 ルプスレギナが声をかけるが、暴走機関車(香織)は止まらない。アンデッド特有の真っ赤なお目々がグルグルと光る。屍食鬼(グール)としての本能に精神が呑まれかけ、

 

「コレは御世話係として必要な事だから。人嫌いなナグモくんが女の人とのキチンとした付き合い方を学ぶ為だから………食べちゃっても、いいよね?」

 

 るわけでもなく。何か別の本能に呑まれていた。

 

「……これ、どうするの?」

「んー……面白いから放置で♪」

 

 ***

 

 翌朝。今日もナグモの助手を務める為にユエは出勤した。既にナグモは先に来ており、書類の束を何度も読み返していた。

 

「おはよう、ナグモ所長」

「………あ、ああ。おはよう」

 

 何故か歯切れの悪いナグモにユエは怪訝な顔になる。よくよく見ると、いつもしっかりと身支度してから来る筈なのに髪の毛は寝癖がまだついており、服も襟元が微妙にヨレヨレな気がする。

 

「……何かあった?」

「別に、何も」

「……香織と、何かあった?」

「別に、何も。全くもって」

 

 香織の名前を出した途端、声のトーンが一つ上がる。というか書類の束はさっきからページを行ったり来たりしてるだけだ。

 その反応でユエは長年の経験から察した。

 

「……昨夜はお楽しみでしたね?」

 

 バサバサッ! とナグモの手から書類が滑り落ちる。

 

「な、な、あ………!?」

「普段は表情があんまり無いくせに。香織の事になるとすごく分かりやすくなる」

 

 もはや最初に会った時の人形じみた無表情は何処にやら。目を白黒させながら狼狽するアインズの側近に、ユエはニンマリとした。

 

「へえ……時間の問題だとは思っていたけど、そう。とうとうねえ……」

「そのニヤニヤ笑いを止めろ、今すぐに!」

 

 技術研究所の所長としての威厳を出しながら、部下であるユエにナグモは命じる。

 もっとも、耳まで赤い顔で言われても威厳ゼロだった。

 

「というか前から気になっていたが、他の階層守護者には敬語で喋るくせに僕相手には遠慮が無くないか?」

「ん? 迷宮内で色々と情けない姿とか見てるから、貴方相手に敬語は要らないかなあ、っと思って」

「……シャルティアの引き抜きに応じなかったのを心から後悔してきたな」

「貴方には香織の事で貸しがあると思うけど?」

「本気で厄介だなお前は!」

 

 チェシャ猫みたいなスマイルを浮かべるユエに大きく咳払いをする。これ以上の話題はどう考えても泥沼になりそうだった。

 

「いいから! 報告! 留守中に変わった事はあったか?」

「……デミウルゴス様からの至急の報告が一つ」

 

 ペラっと書類を捲りながらユエは伝えた。

 

「神の使徒と呼ばれる人間の中で———死傷者が出たと言ってた」

 




>香織、シズからシール貰う

 ナザリックで一番生存方法が高いやり方が、シズのお気に入りになる事では無いだろうか? まず無断で入る事じたいが死亡フラグだけど。

>食べちゃった人

 ……うん。詳細はR-18版にて。一度、書いてみたいとは思っていたので。

 さて、書きたいネタは粗方は書いたから。そろそろ……。

>クラスメイト達から死傷者

 オーバーロードらしい事でもやろうか、と。


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第三十八話「クラスメイトside オルクス迷宮再攻略」

 はい、ある意味皆様がお待ちかねのクラスメイトsideです。基本的に彼等は、「異世界に来てチートパワーを貰った? それでどうにかなると本気で思ってたの? アインズ様みたいな慎重派でも無いのに?」とアンチ意見たっぷりな対応をさせて貰います。

 というか感想で「彼」を覚えている人が多くいて驚きました。

2022/2/27 一部文書差し替え


「“天翔閃"!」

 

 光の斬撃が魔物を斬り裂く。光輝の聖なる一撃の前に魔物は倒れ伏した。

 

「やったな、光輝!」

「やっぱり天乃河くんって強いよね〜!」

「ありがとう、龍太郎! 鈴! これは皆の力さ!」

 

 パーティーメンバーである龍太郎と鈴の賛辞に、光輝は気を良くした様に礼を言う。そこにパンパン、と手を叩く音が響いた。

 

「素晴らしい! さすがは神の使徒だ! やはり光輝こそがハイリヒ王国を救う真の勇者だな!」

 

 カイゼル髭が特徴的な神殿騎士の鎧を着た男が誇らしげに光輝を誉める。

 彼の名はフレデリック・ヨーク。

 僻地へ左遷されたメルドに代わり、神の使徒達の戦技教官として教会から派遣された神殿騎士だ。新たな教官の褒め言葉に光輝は「いやあ、ははは……」と照れ臭そうに笑った。

 彼の部下達も光輝へ「さすがは勇者様です!」、「エヒト神に選ばれた者はやはり違いますな!」と賛辞を送る。それにつられる様にクラスメイト達も「やっぱり天乃河は凄えな!」、「天乃河くん、カッコいい!」と歓声を上げていた。……一部を除いて。

 

「あの………フレデリックさん」

 

 永山重吾が遠慮がちに声を掛けた。

 

「こっちも魔物を倒し終わりました」

「ああ、ご苦労」

 

 先ほどの光輝を褒め称えていた時とは違い、投げやりな態度でフレデリックが応じる。

 

「引き続き警戒に当たれ。お前のパーティーの暗殺者の……何だったか?」

「………遠藤です」

「ああ、そうだ。そんな名前だった。そのエンドーだかを索敵に出せ。光輝が戦いやすい様に魔物やトラップを見つけ出せ。いいな?」

「………分かりました。遠藤に伝えておきます」

 

 まるで光輝の為に使い走りをしろと言う様な命令だが、永山は唇を噛みながらも承諾した。今までの付き合いで、フレデリックがどんな性格か重々承知していた。

 簡単に言うと、彼はステータス偏重主義なのだ。ステータスの上昇が大きく、勇者という貴重な天職を持った光輝をひたすら褒め称えて、逆にステータスが光輝達より低く、言わば神の使徒“二軍"程度に留まった永山パーティーの面々には冷たい態度しか取らない。個人の能力がステータスプレートで判明するトータスならではの性格と言えよう。

 そんな性格の男が教官となってから、光輝を初めとしたステータスが高い者は優遇される様になった。訓練場の後片付け、野営の準備といった雑用は二軍となった永山達の仕事であり、戦闘においても光輝の露払いに徹底する様に命じられていた。

 この扱いに、最初は永山パーティーは抗議の声を上げた。だが……。

 

『永山……こんな時に我儘は良くないんじゃないか?』

 

 まるで仲間の和を乱す人間を咎める様な口調で、光輝は永山達に厳しい顔を向けた。

 

『ステータスが低いから皆の足並みが揃わないんだ。俺ならもっと努力して、ステータスが伸びる様にするのに。そんな君達をフレデリックさんは皆の役に立てる様に仕事を割り振ってくれているのに、やりたくないなんて言うべきじゃない』

『そうだそうだ! 天乃河の言う通りだぜ!』

 

 檜山が同調する様に声を上げる。彼等のパーティーも光輝には劣るがステータスの伸びは良く、フレデリックに特別扱いを受けていた。

 

『テメエ等が足手纏いだから俺達が迷惑してるんだ! だったらテメエ等は雑用ぐらいやって役に立てよ!』

 

 「そうよ! そうよ!」、「あんまり俺達に迷惑かけるなよな」とその他、特別扱いをされた者達から「空気を読めない」と言わんばかりに抗議の声は黙殺された。

 

(クソ……俺達は光輝の引き立て役の為に戦っているわけじゃねえぞ!)

 

 パーティーリーダーの永山に頼まれ、一人だけクラスメイト達から離れて索敵をする遠藤は内心で毒づいた。光輝がナグモに対抗する為にやっていた合同練習以来、クラスメイト達の中では光輝を中心とした奇妙な連帯感が生まれていた。そしてフレデリックの「特別扱い」により、いまやクラスメイト達は光輝の意見一つで立ち位置が決まるクラスカーストが出来上がっていたのだ。

 

(せめて八重樫がいてくれればな……)

 

 今になってようやく、遠藤は雫がいかに光輝の暴走を抑えていくれたかを思い知る羽目になった。

 その雫の姿は———ここにはない。

 彼女は図書館で暴れて騎士達に取り押さえられた後………全てに無気力となり、寝込んでしまっていた。手足は暴れない様に寝台に縛り付けられていたが、そんな物は雫には不要だ。彼女付きのメイドであるニアが持ってくる食事を手ずから食べさせる以外は、日がな一日ベッドの上でただボンヤリとした目で虚空を見つめるだけだった。こちらが何を言っても、何の反応も示さない。

 

(そりゃそうだろ……目の前で親友(白崎)が死んだんだぜ?)

 

 だが、それすらも光輝の暴走を止めるには至らない。きっかけは、“降霊術師“の中村恵里の一言だった。

 

『みんな、聞いて。白崎さんは……まだ生きてるかもしれないの』

 

 香織が奈落に落ち、ナグモは王宮から人族の裏切り者として公表されてクラスメイト達がショックを受けている中、恵里の一言に皆が驚きを隠せなかった。

 

『恵里……それは本当なのか!?』

『う、うん。降霊術で白崎さんの残留思念に呼びかけているけど、何の反応も無いの』

 

 光輝に詰め寄られながら、恵里は首を縦に振った。

 

『だから……もしかしたら白崎さんはまだ死んでないのかも』

『そう、なのか……ありがとう、恵里!』

 

 光輝はクラスメイト達に振り返る。

 

『皆、聞いてくれ! 香織はまだ生きてるんだ! 俺達の助けを待っている筈だ! 皆で助けに行こう!』

『へっ、光輝が行くなら俺も行くぜ! 希望が見えてきたな!』

『鈴も行く! カオリンは友達だもん! 見捨てられないよ!』

『す、鈴が行くなら私も……』

 

 『俺も行くぞ!』、『私だって!』とクラスメイト達から次々と賛同の声が上がる。クラスのアイドルである香織を救う為に、一度は戦意が折れ掛けていた者も次々と再びオルクス迷宮に行く決意が出ていた。

 

『皆……ありがとう! 香織の無事な姿を見れば、きっと雫も元気に

なる筈だ! でも注意してくれ! もしかしたら、魔人族に寝返った南雲の奴も生きてるかもしれない! オルクス迷宮に潜んで、今も香織を監禁しているかもしれないんだ!』

 

 光輝の言葉が皆に響く。だからこそ、と光輝は強い瞳で訴えかけた。

 

『俺達はもっと強くなろう! 皆で団結して、南雲の奴を倒すんだ!』

 

 おう! と光輝のカリスマに引っ張られたクラスメイト達は拳を突き上げる。

 ———それを遠藤達を含めた何人かの生徒は微妙な顔で眺めていた。

 

「白崎がまだ生きてるとか、南雲が裏切り者とか言われてもよ……本当はどうなんだか」

 

 それを鵜呑みに出来ず、遠藤達やその他の何人かはクラスの熱狂ぶりについて行けなかった。だからこそ彼等は再び始められた光輝主催の自主練に付き合えず、ステータスが他の面子よりも低くなってしまった。それを怠惰だと責める光輝達とソリが合わなくなり、新たな教官であるフレデリックが光輝達を優遇する為に反発心から光輝達と距離を置く様になり……という経緯から、今や遠藤含めた永山パーティーは二軍級の扱いなのだ。

 

(クソ、これならいっそ園部達みたいにはっきりと戦わない宣言をすれば良かったか? でも、あの扱いの悪さはな……)

 

 そんな中で園部優花を含めた何人かの生徒達は、戦いへの恐れから立ち直れないでいた。それを王国の貴族や教会の人間どころか光輝達からも責められていた。作農師である畑中愛子のとりなしでそれ以上の追及はされなかったものの、光輝と共に戦線復帰したクラスメイト達から白い目で見られて、部屋に篭りがちになってしまったと聞いていた。

 

「………もう、駄目かもな」

 

 ついそんな事を呟いてしまう。この世界に来た当初の剣と魔法のファンタジーへの期待感などない。チートパワーを貰って国を救う勇者の一人になれたなんて幻想も醒めてしまった。あるのは自分達は大人達にいい様に使われており、地球で学校の教師がやっていたみたいに光輝という主人公を光らせる為に脇役にされた自分達が割りを食うという現実。

 それでも他に寄る方がない以上、我慢するしか無いのだ。いっそ国の支援など放り捨てて冒険者にでもなった方が良いかも……そんな事を遠藤は真剣に考えていた。そうすれば戦争に勝って地球へ帰還するという道程から遠のくが。

 

「………? 何だあれ?」

 

 気配を消しながら道中の魔物を避けてマッピングしていた遠藤だが、ここで無視できない相手を見つけてしまった。

 それは因縁の第65階層———そこへ続く階段。その前に禍々しい形状の鎧騎士が門番の様に直立していた。

 

(あれ、確かトラウムナイトか? 40階層の魔物がどうして64階層に……)

 

 それもまるで()()()()()()()()()()()()()微動だにせず、後ろへの階段を守るかの様に立っていた。いずれにせよ、避けずに通る事は無理そうだ。

 

(まあ、第40階層の魔物なら光輝達なら楽勝だろ……っ!?)

 

 楽観的に考えていた遠藤だが、その骸骨騎士から何か違和感を感じて暗殺者としての本能が警戒を鳴らした。

 

(違げえ……あれは普通のトラウムナイトじゃねえ!)

 

 理屈は分からない。だが、骸骨騎士の目を見た瞬間、今までのトラウムナイトと違って怖気が走る悪寒がしたのだ。あれは今までの雑魚とは違う。

 それを知らせるべく、遠藤はより一層に気配を消しながらクラスメイト達の元へ戻った。

 

 ***

 

「本当なんだって! あれは普通のトラウムナイトとは何か違うんだって! 信じてくれよ!」

「遠藤………」

 

 見てきた骸骨騎士の危険性を必死に訴えかける遠藤だが、光輝達の反応は良くない。まるで風で飛んでいたシーツをお化けと勘違いした子供を見る様な目で遠藤を見ていた。

 

「君の考え過ぎじゃないか? 今さらトラウムナイト相手に皆が遅れを取るわけないだろ」

「だから! あれは普通のトラウムナイトじゃないんだって、なんか、こう……殺気がヤバかったんだって!」

 

 もどかしい思いになりながらも遠藤は必死に説明する。彼の感じた危険性は残念ながら直接相対してない者には分からない様だった。

 

「———もう良い」

 

 尚も言い募る遠藤にフレデリックは冷たい目を向ける。

 

「貴様が光輝達より弱いからそう感じているだけであろう。貴様は後方に下がっていろ!」

「でもフレデリックさん、あれは本気でヤバそうな、」

「クドい! ステータスが他の者より低い貴様が口答えなどするな! 貴様は黙って言われた事だけをしていろ!」

 

 フレデリックの一喝に遠藤は押し黙る。

 

「大丈夫ですよ、フレデリックさん。たとえ本当にそのトラウムナイトが普通より強くても、俺が皆を守ります!」

「うむ! よく言った! やはり光輝こそが真の神の使徒だな!」

 

 クラスメイト達が「そうだよね〜」、「今さらトラウムナイトごときに俺達が遅れを取るわけ無えじゃん!」と次々と言い合う。顔を真っ赤にした遠藤に永山達が寄り、慰める様に肩を叩いた。結局、永山達は後ろに下がらせられ、光輝達こと「神の使徒一軍」パーティー達が前衛に出て———それに相対した。

 

「こいつが遠藤が言ってた魔物かよ?」

 

 階段の前に陣取る骸骨騎士に檜山達は警戒心なくヘラヘラと笑う。

 

「何だよ、どんなヤバい相手かと思ったら見た目はただの雑魚じゃねえか」

「いやー、遠藤には強敵に見えたんじゃねえの? あいつら俺達よりステータスが雑魚だからよぉ!」

「ギャハハ! ちげえねえ!」

 

 近藤や中野も連れられる様に笑う。その事で何人か顔を顰めたが、訂正させようという者はいなかった。

 

「ようし、じゃあいくぜ!」

 

 近接格闘系の戦闘職の男子生徒が一番槍として前に出た。その構えに油断や慢心はない。クラスメイト等もここまでの戦いで、戦闘者としての振る舞いが一端に出てきていた。

 

「ヤアアアァァァッ!」

 

 槍が骸骨騎士へと迫る。40階層にいたトラウムナイト達みたいに、目の前の魔物は串刺しにされ、

 

 ガキンッ!

 

 ———る事なく。槍は骸骨騎士が構えていたタワーシールドに塞がれていた。

 

「へ?」

 

 防がれると思っていなかった男子生徒の間抜けな声を上げる。

 ———次の瞬間、死の旋風が巻き起こる。

 刀身が歪んだ大剣が動いたと思ったら、あっという間に男子生徒の首は宙を舞っていた。

 その瞬間がスローモーションの様にクラスメイト達には映った。呆気に取られた頭がクルクルと回り———ベシャリ、と地面に落ちる。

 

「てめぇ、よくも!!」

 

 仲間の死に龍太郎がいきり立つ。拳を握り、骸骨騎士へと躍りかかった。

 

「ガアァァァアアアアアアアッ!!」

 

 それを骸骨騎士———デスナイトは、悍ましい叫び声を上げながら迎え撃った。

 

 




>フレデリック・ヨーク

 元ネタは歴史的な愚将フレデリック公から。それこそ名前をあの軍人からムタロとか本気で考慮していた。原作でメルドがいなくなったら「神の使徒」として教育する様な人間が教官になる可能性があるというのを考えた結果です。ステータス偏重主義なのは、ステータスプレートで個人の才覚がはっきりと数値化できる世界ならステータスを見て人間を判断する様な奴がいてもおかしくないよね? という事で。

>クラスメイト達

 原作ではハジメの死に多数の脱落者が出ましたが、今作では奈落に落ちたのがクラスの人気者の白崎さんだったこと、そして恵里から生きてる可能性を示唆された事で多くの人間が助けに行こうとしてます。ちなみに檜山は「あのトラップも南雲に脅されて仕方なく発動させたんだ!」と光輝の前で土下座して許してもらってます。それを信じられず、クラスから浮いてしまった永山や遠藤は彼等から冷遇されてます。
 自分の勝手な推測になりますが、クラスメイト達はハジメがいなくなってイジメの相手が代わるだけだと思うの。光輝というリーダーが容赦なく叩いてる、だから皆でやっていいんだ! みたいに。
 雫は……残念ながら今は廃人化。

>デスナイトくん

アインズ「………オルクス迷宮で、何か忘れ物があった様な?」

RPGで言うと、話しかけなければ襲ってこないボスキャラに「今のレベルでイケる!」と戦いを挑んだ感じです。(最近マリオストーリーでブラックヘイホーにボコられた人並感)


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第三十九話「クラスメイトside 悲劇の幕開け」

 個人的な事になりますが、ハーメルンでとても悲しい報告を目にしました。あの人の作品からありふれの二次を書こうと思っていただけに、とても残念です。
 
 せめて、今後もあの人がハーメルンでこの作品を読んでくれてる事を願うばかりです。

 やってる事は邪悪に過ぎるけど。

追記

 頂いた感想は全部読んでます。時間が無いので感想返しができない場合がありますが、作者のやる気になるので気が向いたら頂けると嬉しいです。


「ウオオオオオッ! “浸透破壊"!」

 

 龍太郎の拳がデスナイトへ突き出される。インパクトした瞬間に内部へと衝撃が伝わる拳は今まで魔物を一撃の下に破壊していた。

 

 ガンッ! 

 

 タワーシールドから鈍い音が響いたが、それだけだ。即座にデスナイトは大剣を翻して龍太郎の腹に剣を突き立てた。

 

「ガハッ……!?」

「龍太郎!? お前えええええっ!!」

「皆の者、光輝に続け! あのトラウムナイトを殲滅せよ!」

 光輝が怒りのあまり聖剣を振り翳し、フレデリックの号令の下にクラスメイト達は慌てながらも武器を手に取り、デスナイトへと襲いかかる。

 

「龍太郎! ねえ、しっかりしてよ!」

 

 そんな中、負傷者である龍太郎を鈴は小さな身体で懸命に後方へと引き摺りながら必死に声を掛けていた。龍太郎は荒い呼吸を繰り返していたが、貫かれた腹から血が次々と流れていく。

 

「綾子! 助けて! 龍太郎が、龍太郎が死んじゃう!」

「いま治療魔法をかけてるの! でも……!」

 

 香織がいない現在、クラスメイト達の中で唯一の治療師である辻綾子が必死に治療魔法をかける。だが、香織よりもステータスが劣っていた彼女では中々思う様に傷が塞がらない。鈴が“聖絶"で安全な治療空間を形成する外では、光輝達がデスナイトへと斬り込んでいく。

 

「ハアアアッ! “光刃"!」

 

 聖なる光を纏った斬撃がデスナイトのタワーシールドに繰り出される。だがデスナイトは煩わしそうに盾を振り、“光刃"ごと光輝を押し戻して宙に舞わせた。

 

「うわぁっ!?」

「光輝くん!」

「くっ、か、かかれぇ!」

 

 恵里が倒れ込みながら光輝を受け止める中、フレデリックは配下の騎士とクラスメイト達に突撃を命じる。だが———。

 

「ギャアアアッ!?」

「グゲェ!?」

 

 デスナイトには攻撃が届かない。ある者は剣で切り裂かれ、ある者はタワーシールドで吹っ飛ばされて頭から着地した時に嫌な音を響かせて動かなくなった。あっという間に五人の生徒と三人の神殿騎士の屍の山が積み上がった。

 

『クゥゥウウウゥッ………』

 

 返り血を浴びたデスナイトから唸り声が響く。それを見てクラスメイト達は悟った。目の前の魔物は殺戮を楽しんでいる。腐りかけた顔は表情が分かりにくいが喜悦に染まり、弱者である自分達を痛ぶっているのだと。

 怖気と共に理解してしまった。目の前の魔物は———自分達の知っている魔物とは違う、と。

 

「よくも……よくも、皆を……っ!」

 

 恵里に介抱されて立ち上がった光輝は、死体へと変えられた仲間達を見てワナワナと震えた。

 

「お前は絶対に許さないっ……! 正義の名の下に、俺はお前を倒すっ!」

 

 光輝は“限界突破"を使い、自身のステータスを三倍化させた。そして、彼の必殺技を詠唱する。

 

「神意よ! 全ての邪悪を滅ぼし光をもたらしたまえ! 神の息吹よ! 全ての暗雲を吹き払い、この世を聖浄で満たしたまえ!」

「魔法支援組は光輝に援護魔法をかけよ! それ以外は下がれっ!」

 

 フレデリックの号令により、クラスメイト達は即座に動く。かつてベヒモスに襲われた時とは比べ物にならない連携を見せるのは、彼等もまた成長した証だろう。フレデリックもまた、持てる魔力の限りで光輝に援護魔法をかける。

 

「神の慈悲よ! この一撃を以て全ての罪科を許したまえ!――〝神威〟!」

 

 クラスメイト達のブースト、そして“限界突破"による強化。光輝がいま出せる最高の一撃が巨大な極光となった。聖なる極光は()()()()()()()()()()()()()()()()()()デスナイトを呑み込んだ。

 目も眩む様な閃光と共に爆発音が起きる。もうもうと土煙が舞い起き、辺りが見えなくなる。

 

「ハァ……ハァ……ッ!」

 

 光輝が膝をつく。今のが光輝の出せる最高の攻撃であり、魔力のほとんどを持っていかれてしまった。それでも手応えを感じていた。

 土煙が晴れる。そこには………タワーシールドを切り裂かれ、巨大な裂傷を作ったデスナイトの姿があった。

 

「やった………」

 

 その姿に光輝が喜びの声を上げる。脳裏にあるのはかつてのベヒモスの戦い。あの時とは違い、今度は自分の手でやり遂げた。

 デスナイトが崩れ落ちていく。その姿に光輝だけでなく、クラスメイト達も歓声を上げる。

 

「やった、やったぞ!」

 

 ザンッ!

 

 倒れそうだったデスナイトが踏み留まった。そして腐り落ちた顔が光輝へ向けられる。

 

「そんな……! 効いてないのか!?」

「て、撤退! 総員、撤退!」

「フレデリックさん!? 待って下さい、仲間を殺したあの魔物を見逃すなんてできない!」

「こ、光輝くん! 今はフレデリックさんの言う通りにしましょう! 龍太郎くんがこのままじゃ———!」

 

 恵里が指を指す先を光輝は見た。そこには———。

 

「龍太郎! だめ、お願い! しっかりして!」

 

 鈴が必死に龍太郎の手を握って呼びかける。白眼を剥き、ピクピクと土気色の顔を痙攣させた龍太郎に綾子は必死に回復魔法を唱えているが、デスナイトの歪んだ大剣(フランベルジュ)によってズタズタに裂かれた深い傷口は綾子の回復魔法では治療が追いつかなかった。

 親友の危篤状態に光輝は顔を青ざめさせる。この時ばかりはすぐに決断した。

 

「わ、分かった。みんな、撤退だ! 一旦、後方で待機している永山達の所まで下がろう!」

 

 何人かの生徒が足止め用の魔法などをかけ、龍太郎を素早く担架に載せると撤退を開始する。デスナイトからの追撃を警戒していた光輝だが、そこである事に気付いた。

 

(追って来ない……? あれはこちらから攻撃しないと反応しないのか?)

 

 何故か、と考えそうになる頭をそんな場合じゃないと打ち消す。そして、龍太郎の元へ戻っていた。

 

 ***

 

『グウウウゥゥゥゥウウウッ……!』

 

 一人残されたデスナイトは自身の身体に刻まれた焼ける様な傷跡に唸り声を上げる。アンデッドである彼に聖なる攻撃は毒に等しい。先程の一撃はデスナイトの偽りの命を刈り取るには十分な一撃だった。だが、デスナイトにはある特殊能力があった。

 それは一度だけならば、どんな攻撃でもHP1を残して耐える能力。それがあるからこそ、アインズもレベル的には35程度のデスナイトを盾役として愛用しているのだ。

 

『カハアアァァアァァアッ……!』

 

 デスナイトは思考する。自らを生み出した御方より下された命令は、「この場所を死守せよ」。いま、御方より守る様に言われた場所を通ろうとした()()()()()()を何匹か叩き潰したが、最後にいた者は危険だった。下手をしたら自分が滅ぼされるかもしれない。

 

『——————!』

 

 デスナイトは声なき声でもう一つの特殊能力を発動させる。そして————命令がある為に動けない自分に代わって、()()()にあの人間を生かして帰すなと命令を下した。

 

 ***

 

「おい、一体何があったんだ!?」

 

 後方で上層への転移門魔法陣の前で待機していた永山達が声を上げる。

 意気揚々と迷宮の奥へ行った筈で勇者パーティーが、今は敗残兵という有り様で顔を青ざめさせながら戻ってきたのだ。見れば、見知った顔の何人かは姿が見えない。

 

「ここにいない奴はどうした!? まさか———!」

「黙っててくれ! 龍太郎が危険なんだ!」

 

 詳しい事情を聞こうとした永山を光輝は怒鳴って遮る。担架の上の龍太郎は腹に急拵えの包帯を巻いているものの、その包帯も赤く染まっていた。血の気が全くなくなった龍太郎の手を鈴は必死に握り、綾子は腹の傷口に向けて癒しの光を放っていた。

 

「………っ」

 

 しかし———綾子は途中で回復魔法を唱えるのを止めた。

 

「あ、綾子? まだ龍太郎の傷は治ってないよ? 何で止めるの!?」

「いえ、谷口さん……坂上くんは、もう………」

 

 綾子が俯きながら力なく首を横に振った。鈴が必死に握っていた手も今は冷たくなり、何の力も入っていない。鈴は顔を青ざめさせる。

 

「嘘だよね? だって、龍太郎だもん。そんな簡単に死ぬわけないじゃん」

「谷口さん………」

「ちょっとしたドッキリだよね? 皆で私をからかっているんだよね? アハハ、ビックリしちゃったなあ。だからさ、もう止めない?」

「谷口さん!」

「だって! さっきまであんなに元気だったじゃん! トラウムナイト相手に、龍太郎が死ぬわけないじゃん!」

 

 周りを見回して訴えるが、誰もが目を逸らすだけだった。光輝は「嘘だ……龍太郎が……そんな……」と焦点の定まらない目で現実逃避する様に視線を彷徨わせていた。

 

「龍太郎……お願いだから、目を開けてよ……元の世界に帰ったら、一杯色々な所に遊びに行こうって、約束したじゃん……!」

 

 嗚咽混じりの声が迷宮の中に響く。悲哀に満ちた鈴の姿に生徒達は沈痛な顔を伏せるしかなかった。こういう時に真っ先に駆け寄るだろう恵里もまた、皆から離れた場所で座り込んで顔を覆ってブツブツと何か呟いていた。

 

「谷口……気持ちは分かる、でも今はとにかくここから出ないと。あのヤバい奴が襲ってきたんだろ?」

 

 遠藤の言葉にビクッ! と前線組達が怯えた表情を見せる。しかし、鈴だけは龍太郎の亡骸に縋りついて、イヤイヤと首を振るだけだった。ここに龍太郎を置いていくという選択肢は彼女の中には無い様だ。

 

「……なあ、どうする?」

「どうするって……フレデリックさんに聞くしかねえよ。なあ、フレデリックさん」

 

 永山はクラスメイト達の教官であるフレデリックに声を掛けた。だが、フレデリックはまるで目の前の事態すら目に入らないかの様に小声でブツブツと呟いていた。

 

「失態だ……イシュタル教皇猊下より管理を任された神の使徒が……龍太郎ほどの出来の良い兵士が……このままでは私が築き上げてきた地位(キャリア)が……私のクビが……!」

「フレデリックさん……?」

 

 小声で何かを呟き続けるフレデリックに、永山は不審そうに再び声を掛ける。ハッと顔を上げたフレデリックは————目尻を吊り上げて、遠藤を睨んだ。

 

「貴様、遠藤……どういうつもりだ!?」

「お、俺!?」

「貴様が曖昧な報告をしたせいで、私の部下と神の使徒達が犠牲となったのだぞ! この責任はどうとるつもりだ!!」

「なっ……!?」

 

 あんまりな物言いに遠藤は顔色を失った。そんな遠藤を庇う様に永山達が声を上げる。

 

「ちょっと待ってくれよ、フレデリックさん! 遠藤は何も悪くねえ!」

「元はと言えば、遠藤が偵察した情報を無視したアンタの責任だろ!」

「黙れ! あんなあやふやな報告しか出来ないのか!? 何の為に“暗殺者"の天職を得たと思っている!」

 

 永山と野村にフレデリックは顔を真っ赤にしながら唾を飛ばす。どうあってもデスナイトで死んだ部下やクラスメイト達を遠藤の責任にしたいという魂胆が見えていた。

 

「そうか……そういう事だったのか……!」

 

 地の底から響く様な声が響く。光輝は怒りに染まった目で遠藤達をキッと睨んだ。

 

「遠藤……お前は俺達を嵌めたんだな!」

「ハァッ!? なんで俺がそんな事しなきゃいけないんだよ!?」

「だって永山達と一緒で戦いに協力する事に消極的だったじゃないか!フレデリックさんが与えてくれた仕事もやりたがらなかった!」

 

 光輝は口角泡を飛ばしながら遠藤へと詰め寄る。親友を失った悲しみから、彼も尋常ではない精神状態だった。ここ最近のフレデリックの「特別扱い」は彼の都合の良い様にしか見ない精神性を増長させ、自分の身に起きた不幸の理由を他人に求めていた。こういう時に嗜める役割の雫は、今はいない。

 

「だから腹いせに俺達を罠に嵌めたんだ!そのせいで龍太郎が……!」

「そ、そうだ、全て奴が悪い! この事は私から教皇猊下に報告させて貰うぞ!」

 

 フレデリックも便乗して騒ぎ出す。彼の頭の中は責任転嫁で一杯だった。

 

「ふ……ふざけんじゃねえぞ、天乃河ァァァァッ!!」

「てめえ、いい加減にしやがれ!」

 

 あまりにも理不尽な扱いにとうとう遠藤の堪忍袋が切れてしまった。遠藤を擁護する為に永山達も怒りの声を上げる。両者とも武器を握りしめて、一発触発な雰囲気となり———。

 

 

「ねえ、待って!」

 

 クラスメイト達が固唾を飲んで見守る中、それまで離れていた場所で俯いていた恵里が声を上げる。

 

「……何か聞こえない?」

 

 全員が辺りを見回す。まさかさっきの骸骨騎士が追ってきたのか!? と身を固くし———暗がりの中からそれは現れた。

 

「エドガー! 生きていたのか!?」

 

 先程、デスナイトに盾で殴られて頭から嫌な音を響かせて動かなくなった自分の部下にフレデリックは驚いた声を上げた。エドガーと呼ばれた神殿騎士は頭をグラグラとさせながら、クラスメイト達に歩み寄る。

 

 

「ちょうどいい、遠藤を拘束しろ! 奴は、私……ではなく、神の使徒を謀って魔物に殺させた裏切りも———」

 

 フレデリックは遠藤達を指差しながら、エドガーへと近寄る。エドガーは手に持っていた剣を掲げ上げ。

 

 ザンッ!

 

「の………?」

 

 最後まで言い終わらない内にフレデリックのクビが斬られた。突然の事に、生徒達は悲鳴を上げた。

 そして———その悲鳴に呼応する様に、ガバッ! と起き上がった者がいた。

 

「りゅ……龍太郎!? 生きてたの!」

 

 それまで縋りついて泣いていた鈴は、驚きながらもすぐに顔が喜びに染まる。

 

「良かった! やっぱり龍太郎が死ぬわけないもんね!」

 

 鈴は抱きつこうとする様に両手を広げた。

 彼はそんな鈴の胸に手を伸ばし———次の瞬間、ザクロが潰れる様な音が響いた。

 

「……りゅ……た……ろ……?」

 

 自分の胸に突き刺さった手刀を鈴は不思議そうな顔で見つめた。

 ザシュッ、と手刀が引き抜かれる。鈴は糸の切れた人形の様に崩れ落ちた。

 

『ヴガアアアアアアッ!!』

 

 龍太郎———否。デスナイトによって生み出された従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)は、鈴の返り血に染まりながら生者を憎む唸り声を上げた。

 




 ……ソーリー、鈴。ダイスの女神は君に微笑まなかったんだ。

 追記

 ありふれのアニメ二期が始まりました! 自分はリアルタイムで見るのは難しいから動画サイトからの視聴ですが、白崎さんがたくさん喋っていて大興奮です。
 あとクラスメイト達は王宮組も訓練はしていたのね……自分の作品はクラスメイトアンチに染まった別作品と割り切って下さい(土下座)


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第四十話「クラスメイトside 闇の中で蠢く」

 一部で、「クラスメイト達が原作とかけ離れているから捏造ヘイトのタグを付けろ」と指摘がありましたが……申し訳ないけど付ける気は無いです。自分の偏見とかが多目な描写は否定しませんが、彼等を性格の良い集団として書くのも何か違うなとは思うので。
 アニメ二期を見て少し考えを改めましたが、web版を読んだ時はハジメ自身の態度がイジメられる原因を作っているという意見を認めるとしても、それ以外の描写がかなり酷くてクラスメイト達を善良な人間と見る事は出来なくなってしまいました。

2022/2/27 一部文書差し替え

 この作品は光輝を始めとしたクラスメイト達の救済はとても難しいので、作品に合わない方は残念ながらお気に入り登録を外された方がよろしいかと思います。


「イ、イヤアアアァァァッ!?」

「く、来るな! 来るんじゃねえ!!」

 

 クラスメイト達の悲鳴がオルクス迷宮内に響き渡る。彼等は武器を滅茶苦茶に振り回しながら、目の前の敵を遠ざけようとしていた。まるでかつてベヒモスと戦った時の焼き直しだ。こんな時に彼等の統率をとるのがフレデリックを始めとした神殿騎士達や光輝の役目だが———彼等にはそれが出来なかった。

 

『アアアアアアッ……!』

 

 首無し死体となったフレデリックがクラスメイト達に襲い掛かる。切断された首の断面からこの世の物とは思えない呻き声を出しながら這い寄る様は、三流のホラー映画の様だ。だが、それでもクラスメイト達を恐怖のどん底に引き落とすのに十分だ。しかも相手はフレデリックだけではない。暗がりの中から先の戦闘で死亡した者達がゾンビとなって、クラスメイト達に襲い掛かっていた。

 ベヒモスの時とは違い、今の彼等はレベルが高く、戦闘技術も格段に向上している。だが、相手が今までの魔物と違って、()()()———それも今まで、苦楽を共にした仲間であったこと。それがクラスメイト達の手元を狂わせていた。

 ……そして、それは光輝も例外では無かった。

 

「りゅ、龍太郎? 止めるんだ! こんな時にふざけている場合じゃないだろ?」

『ガアアアァァァアアアッ!』

 

 光輝の呼びかけに龍太郎(スクワイアゾンビ)は殺意を込めた拳で応じた。光輝は必死で防ぎながらも、親友を止めようとする。その顔は目の前で起きた事実(鈴の死体)を認めたくないかの様に引き攣っていた。

 

「龍太郎! 待ってくれ! 早く鈴の治療をしないと———!」

「何言っているんだよ! 天之河!」

 

 遠藤がダガーを抜き放ち、ゾンビ化した龍太郎へ斬り掛かる。

 

「え、遠藤!? 何をしているんだ!? 何で龍太郎に」

「馬鹿野郎! 現実を見ろ! こいつはもう魔物だ!」

 

 永山達もまた各々の武器を構えながら、龍太郎ゾンビと対峙した。遠藤達とて級友だった龍太郎と戦うのは抵抗がある。だが、目の前で起きた凶行は覚悟を決めるには十分だった。

 

「な、何を言っているんだ? 龍太郎はふざけているだけで」

『グガアアアアアアッ!!』

 

 目の前の現実を認められない光輝を遮る様に、龍太郎ゾンビが襲い掛かってくる。それを永山達は武器を抜いて迎え撃つ。それを皮切りに他のクラスメイト達も攻撃を始めた。

 

「ああああああっ!!」

「死ねえええええっ!!」

 

 誰もが必死だった。同じクラスメイトだった者、自分達の教官だった者へ武器を振るい、魔法で焼き払う。ある者は歯を食い縛り、ある者は狂乱に彩られた顔でゾンビ(元仲間)達に攻撃する。

 

「まだ動くぞ!」

「こ、殺せ! 殺せええっ!」

 

 ゾンビである為に生半可な攻撃では止まらないから、執拗に。そして徹底的に。まさにそれは———地獄絵図のよう。

 

「や、止めろ……皆、止めてくれ……!」

 

 そんな中、光輝だけが剣を振るえないでいた。だが、誰も耳を貸してくれない。彼にとって、異世界(トータス)での戦いは人々を救う正義の戦いだった筈だ。それが何故———クラスメイト同士で殺し合っているのか? 悪夢の中でただ一人、正気のまま取り残されてしまった光輝は震えながら声を絞り出す事しか出来なかった。

 

「キャアアアアアッ!」

 

 ハッと光輝が悲鳴に振り向いた。そこには———。

 

「や、止めて……鈴……正気に戻って……!」

『ア、アアア、アアアッ……!』

 

 胸に風穴を開けた鈴が、恵里に覆い被さる様に襲っていた。小柄な身体で首を絞めてくる鈴に、恵里は必死に身を捩っていた。彼女の顔は息苦しそうに歪んでいた。恵里の目が光輝と合った。

 

「光、輝くん……!」

 

 恵里が息も絶え絶えといった様子で必死に呼びかけた。

 

「た……す……け……て………!」

「うっ……あっ…!」

 

 今まで、自分の正義感で何人もの人間を救ってきた。何故ならそれが祖父に教えられた()()()()だから。

 

「あ、ああ、ああっ……!」

 

 助けを求められたなら———救わなくてはならない。それが、天之河光輝の根幹なのだから。

 

「う、うああああああああっ!!」

 

 光輝は叫びながら聖剣を振るう。かつて仲間()()()少女(ゾンビ)に。

 

「ああああああああっ!!」

 

 かつて親友()()()少年(ゾンビ)に。

 

「ああああああああっ!!」

 

 自分を一番褒めてくれた教官(ゾンビ)に。

 

「ああああああああっ!!」

 

 振るう。振るう。振るう。

 ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ。ザシュ、ガスッ———!

 

 ***

 

 ホルアドの宿屋。オルクス迷宮へ訓練に来る神の使徒達の宿場として使われている宿は、今は重苦しい沈黙に包まれていた。

 迷宮の外で待機していた神殿騎士は満身創痍で帰って来た神の使徒を見て驚愕していたが、事の顛末を聞くとすぐに王宮へと早馬を走らせた。王宮から返事が届くまで待機を命じられたクラスメイト達だったが、皆が部屋に引きこもってしまっていた。自分達がゾンビ化したとはいえ、人を———級友達を殺したという事実に誰もがショックを受けていた。

 

「あ、ああっ……龍太郎……鈴……フレデリックさん……!」

 

 光輝も与えられた自室に引き攣っていた。灯りをつけずにベッドに座り、ワナワナと震える自分の手を見つめた。今にも斬り殺した者達の感触が蘇りそうだった。

 

「うっ………!」

 

 胃の中から込み上げてくる物を感じて、部屋の備え付けの洗面器へ駆け寄る。胃の中の物をそのまま吐き出した。あれから食事など摂る事も出来ず、もはや胃液しか出なかった。

 

「うっ、うう……ああっ……!」

 

 もう喉が腫れるほど吐き尽くしたというのに、嗚咽の声だけは止まらなかった。自分の顔を爪が食い込むほどに手で覆う。

 

(これは夢だ………悪夢を見ているに違いないんだ……)

 

 だが、爪の痛みと流れ出る血が、これは現実だと否応なく突きつけていた。

 

(何でだ……? 何でこんな事になったんだ……? 俺は……正しい事をした筈だろ……?)

 

 ぐるぐると光輝の中で思考が回る。出口の無い暗闇に光輝の思考が引き摺り込まれそうになり———部屋のドアが突然叩かれた。

 

「ひっ……だ、誰だ!?」

「恵里だよ。光輝くん、その……大丈夫?」

 

 身体を震わせた光輝の返事より先に、恵里が部屋に入ってきた。

 

「だ、大丈夫だ……ちょっと疲れてただけだ」

 

 クラスのリーダーとして、光輝はいつも浮かべていたカリスマ性に溢れた笑顔を見せようとした。だが、額から血が滲み、無理やり作った様な笑顔は見ていて痛々しいものだった。

 

「恵里も大変だっただろ? 今日は大事を取ってゆっくり休まないとダメだ」

「光輝くん」

「そうだ、皆の様子を見て回らないと! 俺は勇者だからな! 皆が落ち込んでる時ほど、俺が頑張らないと———」

「光輝くん!」

 

 空回りながらも光輝はクラスのリーダーの務めを果たそうとしたのを、恵里は大声をだして止めた。そして———ギュッと光輝を抱き締める。

 

「恵里………?」

「……辛かったよね? 龍太郎くんがあんな事になって。僕も辛いよ……鈴が……僕の親友が……!」

 

 光輝と恵里とでは身長差がある為、恵里が光輝の胸に顔を埋める様な形になった。クスンクスン、と涙を流す恵里を光輝は戸惑いながら抱き返した。

 

「恵里……でも、俺は龍太郎達を殺して……!」

「ううん! 光輝くんは悪くないよ! 間違ってなんかない!」

 

 その言葉は、いま光輝が一番言って欲しかった言葉だった。

 

「間違ってない……?」

「殺されそうだった僕を救ってくれた! お陰で命を救われた! 光輝くんは僕の勇者だよ!」

「え、恵里……俺は……俺は……!」

「それにこれは遠藤くんが悪いよ! 曖昧な報告しかしなかったから、皆がこんな事になっちゃったんだよ!」

「そう、なのか……? 遠藤、やっぱりアイツが……!」

 

 ギリッと光輝の顔が憎しみに染まる。彼の御都合主義な性格が、今回の間違いは遠藤にある! と判断してしまっていた。

 

「遠藤め、よくも皆を……!」

「落ち着いて。今ここで騒いでも、みんな疲れているから取り合ってくれないかもしれないの」

 

 だから、と恵里は顔を上げる。

 

「王宮に戻ったら、イシュタルさんに相談しよう。大丈夫だよ、光輝くんは勇者だから、きっとイシュタルさんも聞いてくれるよ」

「あ、ああ! そうだな! ありがとう恵里!」

 

 ———そして。光輝はいつもの調子に戻っていた。「自分が正しい」と疑わない、真っ直ぐな正義漢に。

 

「大丈夫だよ、光輝くん」

 

 光輝に抱き着いたまま、恵里は再び光輝の胸に顔を埋める。

 だからこそ、光輝は気付かなかった。

 

「他の人がいなくなっても……僕だけは光輝くんのヒロイン(味方)だよ」

 

 その顔は———邪悪に微笑んでいた。

 

 ***

 

 恵里は自室に戻る。灯りを点けず、鎧戸を締め切った部屋は完全に闇だった。ドアを閉めて———そこで恵里に部屋の空間ごと閉ざされた感覚が襲う。

 

「説得は済みましたか?」

 

 ギシィ、と部屋の中で床板が軋む音と共に、耳に心地良い男の声が響く。突然、部屋の中に現れた男は———否。それは人間ですらなかった。橙色のスーツを纏い、蜥蜴の様な尻尾を生やし、顔には薄笑いを浮かべた様な造形の仮面。その異形に恵里は———躊躇いなく片膝をついた。

 

「はい、ヤルダバオト様。光輝くんは勇者としてまた戦う決意をしてくれました」

「結構。彼はまだまだ役に立ちます。もう暫くは人間達の勇者でいて貰いましょう」

「それで、王宮に帰ったら遠藤くん達を告発する様に誘導しました」

「遠藤………ああ、あの人間でしたか」

 

 ふむ、とヤルダバオトは思案する様な素振りを見せて、すぐに結論を出した。

 

「周りの人間はともかく、彼のスキルは今後役に立つかもしれません。王宮から追放という形に収まる様にしましょう。貴方もそういう風に()()・勇者達を宥める様に」

「はい、ヤルダバオト様」

 

 スッとヤルダバオトが恵里に近寄る。ポンッと肩に置かれた手には氷の様に冷たく、恵里の背筋が震えた。

 

「うまくやりなさい。そうすれば彼が貴方の手に入る様に、私から御方にお願いしましょう。出来なければ———分かっていますね?」

「………はい、ヤルダバオト様」

 

 恵里が返事をした後、気配が消える。そして空間が元に戻ったのを感じて、恵里は大きく溜息を吐いた。

 

「ふ、ふふ……化け物め」

 

 ———恵里があの悪魔に出会ったのは、彼女自身の計画の下準備を実行しようとした矢先だった。突然、現れたヤルダバオトに驚いたものの、彼の話は恵里にとっては甘美で、自分が立てた計画よりも確実に光輝を手に入れられると思えた。

 それ以来、恵里はヤルダバオトと名乗る悪魔の言われるがままに様々な事を行った。香織がまだ生きているなどと嘘の報告をして、光輝達がオルクス迷宮に再び行くように仕向けた。遠藤達を生贄にして、光輝の意見でしか動けない様なクラスの空気を作った。

 そして———自分の親友を含めたクラスメイトの何人かが、ヤルダバオトが言っていた御方のシモベと戦うのを黙殺し、ゾンビに変えた。ヤルダバオトからの連絡で、これ以上は死人は出さなくて良いと言われ、ゾンビ化したクラスメイト達を操って死闘を演じた。

 

「ああ、本当にあれは化け物だ……あんな化け物を飼ってる御方ってどういう奴だよ」

 

 顔を引き攣らせながらも恵里は微笑む。あれは危険だ。人間が関わって良い相手じゃない。だが———。

 

「ふふふ……待っててね、光輝くぅん」

 

 恵里の顔がウットリと陶酔する。あの悪魔に従ってさえいれば、光輝は確実に自分の物になる。その未来に、恵里は邪悪に微笑んでいた。

 

「あの悪魔からは私が守ってあげるから……二人だけで、いつまでも幸せに暮らそうね♪」

 

 ……そこに、計画の過程で自分の親友を犠牲にした罪悪感は欠片も無かった。

 

 

 

 




結論:やっぱりナザリックがわるい!

一言いわせて欲しい。

デミが言われた事しかやらないわけないでしょう(笑)


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第四十一話「ナザリック強化計画」

この作品のナザリックの頭脳労働の得意分野はこんな感じです。
 
内政、組織運営担当:アルベド
知略、軍事作戦担当:デミウルゴス
研究、技術開発担当:ナグモ
財政、宝物管理担当:パンドラズアクター


「———と、そういう事があったのだよ」

 

 ナザリック地下大墳墓・第四階層。そこの研究所エリアで、ナグモはデミウルゴスから事の顛末を聞いていた。ユエから報告を聞き、詳細を聞く為にナザリックへと転移したナグモに、デミウルゴスはまるで最近見た喜劇の台本を教えるかの様に面白おかしく語ったのだ。

 

「君は彼等を脳無しだと評価していたが、いやはや中々どうして弄り甲斐のある下等生物(ニンゲン)の集まりじゃないか」

 

 友人と楽しみを共有しよう、という笑顔でデミウルゴスは声を掛けていた。

 

「君も人間のそういった部分を楽しむといい。玩具と思えば良いのだよ」

「……生憎だが。好き好んで低脳な猿達と関わりたくない」

 

 やれやれ、と肩をすくめるデミウルゴスに対してナグモは頭痛を耐える様に深い溜息を吐いた。いつかは死傷者が出るだろう、と考えていたが、予想以上に内容が酷すぎた。デミウルゴスが暗躍したとはいえ、半ば自業自得な自滅をしている馬鹿達の相談役を買って出ていた香織や雫にはもはや尊敬の念を抱くべきかもしれない。

 

「連れないな。せっかく君に悪感情を抱いていた人間達が死んだというのに」

「……で、それがあれというわけか」

 

 まあ、全員ではないがね、と笑うデミウルゴスと共にナグモは目線をある場所に向けた。そこには———。

 

「ふぅむ……異世界とは言っても人体構造的に極端な変化は無いか。次は脳を切り開いてみるか」

「魔力数値、パターン青。ユグドラシルレベルで25程度と推定。魔力炉心となっていた心臓は摘出後、デュ・バリ氏液にて保存します」

「これが右足、こっちが右手で、胴体はこれじゃから……ん? おかしいのう。何で右手が余るんじゃ?」

「全然違います〜! そもそも男の子と女の子の身体のパーツを混ぜちゃってますよ〜! まったくもう!」

 

 ミキュルニラと共に研究員のエルダーリッチやエビルメイガス達がオルクス迷宮から回収されたクラスメイト達や神殿騎士の死体を解剖していた。戦いでバラバラになった死体を修復し、必要な臓器を抜き取っていく。

 かつてクラスメイトとして同じ学び舎で机を並べていた人間達がホルマリン漬けの標本になっていく———だが、ナグモはその光景に眉ひとつ動かさなかった。何よりも、これはナグモが指示した内容だ。

 

「それで? 何で今さら神の使徒達を殺そうと思ったんだ? まさか僕が受けた仕打ちに対する報復をしてくれたとでも言うのか?」

「まあ、君どころか至高の御方であるじゅーる・うぇるず様を侮辱した彼等の末路としては手温いくらいだが……これはアインズ様の御計画なのだよ」

「アインズ様が?」

「至高の御身の御気分を害された自称・勇者を何故放置しているのか疑問だったが……間近で見て理解できたよ。あれはまさしく、天然の道化だ」

 

 くつくつ、とデミウルゴスは笑う。その顔は悪魔らしく悪意に満ちていた。

 

「あれがハイリヒ王国の、そして聖教教会の勇者という立場にいる限り、見事な醜態を演じてくれて———ひいては神を自称する愚者・エヒトへの人間達の信仰心は下がっていくというものだよ」

「今回、死んだ人間達の人選はやはり……」

「ああ。これで彼の暴走を止める人間は居なくなった、というわけだ。少々、厄介なスキルを持つ人間もいたが、直に王国からいなくなる予定だよ」

 

 ナグモはかつての記憶から、ここに並べられた死体には居ないクラスメイト達の顔触れを思い出す。はっきり言って病床で臥している雫と農地に連れ出されている教師の愛子の二人を除けば、王宮で残った面々は基本的に戦いに怯えて部屋に引きこもっている臆病者たちか、光輝に追従するだけで自分の頭で考えられない脳無しの集まりだとナグモは評価していた。

 

「そして以前にも増して醜く暴走していく勇者達に、愚民共は失望していき———その時こそ、真なる救世主たるアインズ様の出番となるのさ。私はその時まで、情報を集めつつ環境を整えるというわけだ」

 

 デミウルゴスは至福の笑みを浮かべていた。いったいこの悪魔がどういう絵図を思い浮かべているのか、ナグモは聞く気にもなれなかった。どう考えても気持ちの良い話にはならないだろう。

 

「しかしながら、さすがは至高の御身の纏め役であらせられたアインズ様だ。あの勇者達の暴走を促すのに、よりによって仲間同士で殺し合わせるという手段を取るとは……。全てはアインズ様が直々にオルクス迷宮を訪れ、デスナイトを召喚した時から始まっていたというわけだよ」

 

 まったく、非才たるこの身はただ恥じるばかりだ、とかぶりを振るデミウルゴス。それに対して———ナグモは内心で首を傾げていた。

 

(あの御方は、あの時にここまで考えておられたのか……本当に?)

 

 何故かしっくりとこない。以前なら、一も二もなく至高の御方がされる事に、ただひたすら敬服できた筈だ。それなのに、今のナグモにはどうにも漠然とした違和感が付き纏うのだ。

 

(何よりもアインズ様が……あの御方が、こんな計画を立案されるだろうか?)

 

 そっと右手の小指の指輪を撫でる。これを渡した時のアインズは骸骨の顔の為に表情は分からなかったが、それでもとても嬉しそうだったのは理解できた。

 

『お前は私の思惑を超え———そして、おそらくはお前を作ったじゅーるさんが願っていた以上の成長を遂げていた。それをこの目で見られて、私は嬉しい』

 

 あんな風に自分に言ってくれたアインズが、確かにナザリックの利益の観点からそうした方が効率が良いのは事実だが、だからと言ってここまで陰惨な手段を進んで取りたがるのだろうか?

 

(……いや。その考えは不敬だ)

 

 ナグモは内心で自らの考えを打ち消す。

 

(アインズ様は他の御方達が去られた後も、たった一人でナザリックを守り……そして香織を救ってくれた大恩ある御方だ。その御方がなさると言うならば……ただ従うのが、シモベとしてあるべき姿だ)

 

 自身に湧いた疑念をナグモは心の奥底に沈めた。

 

「それにしても……頼まれた通りに人間達の死体を回収したが、いったい何に使うんだい? アンデッドと化しても彼等の強さはたかが知れていたから、アインズ様に献上する死体としても不十分だとは思うがねえ?」

「……今回、調べたいのはトータスの天職という概念についてだ。トータスでは天職は生まれついて持った職業(クラス)スキルだと言われている」

 

 スッとナグモはバラバラ死体となった一人の生徒を指差した。

 

「あの人間は蹴闘師の天職を得ていたが……地球にいた時は武術の素養は全く見られなかった。それどころか魔法の適性も全く見られず、レベルで換算するなら1にすら満たない有様だった」

「ほう? つまり君は人間達は異世界に召喚された際に天職を付与された、と考えているのだね?」

「その通り。何人かは潜在的な才能から天職を得た者もいるだろうが、大半はエヒト神によって付与された職業(クラス)スキルだと僕は考えている」

 

 ここからが本題だが、とナグモは真剣な顔になる。

 

「ただの人間にも天職を付与できたのならば……ナザリックの者達にも天職を付与できるとは思わないか?」

「ほう?」

 

 デミウルゴスが片眉を上げる。ナザリックの防衛戦時の指揮官として設定された大悪魔にとっても、ナグモの話は興味を惹くものらしい。

 

「……結局、生成魔法を取得できたのはアインズ様、ユエ、香織、そして僕だけだ。来たる愚神エヒトとの戦いには、もっと戦力を集める必要があるだろう」

 

 だからこそ、「天職」という概念を調べる必要がある。他の者達が今以上のレベルアップが望めないならば、「天職」という新たなスキルを付与して戦力の質を上げる。既にユグドラシルの職業(クラス)スキルを持っている者には一見、意味がない様に見えるが、「天職」から得られる派生スキルの習得は戦力の増強に大いに役立つ筈だ。

 

「例えばトータスには“限界突破"というスキルがあるが、これをコキュートスが習得すれば一時的にだが従来のステータスの三倍となったナザリック最強の戦士になる。……中々、面白い話だと思わないか?」

「……素晴らしい。実に素晴らしいな、ナグモ。それが叶えば、我々は至高の御方により一層役立てるというものだ」

 

 デミウルゴスは感嘆の溜息を吐いた。彼の脳裏には今より更に強力な存在となり、至高の御方の為にその力を振るうシモベ達の姿が見えているのだろう。その力をもって、偽りの支配者を打ち倒し———真なる支配者アインズへとトータスという宝石箱を献上する。これこそが、至高の四十一人に創られたシモベ達の至上の喜びというものだ。

 

「それならば、もっと彼等の死体を集めるべきだったかな? あまり殺し過ぎると、エヒトが新たな人間を召喚する事を危惧して今の数に留めておいたのだが……」

「いくら神と言えど異世界からの召喚をそう何度も出来るとは思わないが……そうだな」

 

 ふと何かを思案したナグモは、自分の端末機から一人の人間———雫を立体映像として浮かび上がらせた。

 

「今度は生きたサンプルが欲しい。この人間を連れて来て貰えないか?」

「ふむ……その人間はアインズ様の役に立つのかね?」

「確実に。頭の出来もあの低脳な人間達の中ではマシだった。アインズ様の素晴らしさをキチンと理解できる、と確信している」

 

 それに、とナグモは話し出す。香織の体を調べる内に考案した、新たな計画を。

 

「かつてナザリックに攻め入り、第八階層まで突破した1500人の人間達……至高の御方々によって誅殺されたが、見方を変えればあれらはナザリックの防衛力を上回る力を有していた。ならば……あれを作る。あの様な人間達を作り、アインズ様に忠誠を誓う兵士にする。そんな計画を、いま考えている」

「ほほう、それはまた……人間などという下等生物、っと失礼。君やオーレオールは例外だが。人間にそんな大役が務まるとは思えないが……」

「アインズ様はエヒトを討つ為に、あらゆる種族を集めよと仰られた。ならば人間であろうと、有益ならばナザリックの傘下に入れるべきだろう。トータスの魔物の肉によるステータス上昇の仕組みも最近把握してきたから、人間であろうと強力なステータスを得る事は可能だ」

 

 ふむ……とデミウルゴスは思案し、やがて頷いた。

 

「まあ、人間にも多少は使える者がいるという意見には賛同しよう。私も心当たりはあるしね。よろしい、その人間は君の元に届けよう。ただ、不自然にならない方法で回収するから時間がかかるが構わないね?」

「ああ、よろしく頼む」

 

 いつもの無表情で頷くナグモだが、内心で安堵の溜息を吐いていた。

 

(これで、八重樫雫を回収する目処はついた。香織は八重樫雫の事を気にかけていたからな……)

 

 香織が喜ぶ事なら、何でもしたい。そんな風にナグモは思っていた。

 それは好きな子へプレゼントを渡す子供の心境に似ていた。

 

(それに……八重樫雫にとっても悪い話では無い筈だ。偉大なるアインズ様にお仕えできるのだから)

 

 大好きな香織がいて、彼女の友人である雫がいる。そして共に偉大なる支配者アインズの加護の下で素晴らしい日々を送る。ああ、それはなんて———。

 

(……楽しみだ)

 

 ナグモの無表情だった口元が少しだけ緩む。その為にも、まずは目の前の死体(クラスメイト)達を調べ尽くさないといけない。血管を一本ずつ、バラしてでも。ナグモは手術衣に着替え、ミキュルニラ達に指示を出す為にかつてのクラスメイト達の残骸に近寄った。

 

 

 

 後に。彼は思い知る。それが、ひどく幼稚で身勝手な思い込みだったという事に————。




>天職

 これはこの作品の独自の設定です。龍太郎や雫、遠藤は分かりやすいけど、喫茶店の娘だった園部さんとか投げナイフなんて触った事も無いんじゃない? という人が投擲師になっていたり、原作でエヒトがハジメに「神の使徒の中に無能がいても面白いから錬成師にした」と言っていた内容から、「天職は特殊な方法で後付けでも得られるクラススキル」と解釈しました。そして……NPCの時のナグモが天職を得たのだから、他のNPCも出来るよね? みたいな感じです。

>ナグモについて

 確かに人間の心は芽生えました。ただし、生まれた時から持っているNPCとしての常識が、クラスメイト達の死体を実験素材にしてるという悪行を認識させてないです。
 そもそもダイスロールに頼ったのは、「ナグモにナザリックらしくクラスメイトを殺させるかどうか?」でした。
 今回の判定はカルマ値変動は無し。クラスメイト達はあくまで勝手に死んだという扱いなので。

 ちなみにギリギリまで考えていたカルマ値マイナスのプロットが……。

・デミウルゴスから羊皮紙確保の手段として牧場の共同経営を提案される。
・ナグモ、掌握したオルクス迷宮のトラップを使ってクラスメイト達を捕らえる。
・牧場で生きたまま皮を剥がれるクラスメイト。そこでデミウルゴスから実はアインズには今回の事は秘密にしてると告白される。
・アインズは優しいから心を痛めると尤もらしい事を言うデミウルゴスに対して、実はデミウルゴスが楽しみたいだけじゃないか? と疑惑の目を向ける。
・そこで秘密にする代わり、八重樫雫の回収に手を貸す様に依頼する。
・香織の為に、クラスメイト達こと両脚羊の解体を開始する。

 こんな感じでした。しかしこれをやると、せっかく人間になった事を喜んだアインズも良い顔しないのでは? と考えて、最終的にダイスロールでカルマ値プラスルートか、カルマ値マイナスルートを選びました。

 今回、クラスメイト達を直接的に殺しはしませんでしたが、やってる事自体は十分非道な事をしてるナグモ。彼には後ほど、死ぬほど後悔させるのでご安心ください。

 さて、次回は……前に宣言したアレをやります。なので、次の本編の更新は少し時間がかかるかもしれません。ご了承下さいませ。


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第四十二話「創造主と、その子供」

 R-18にうつつを抜かしていたら、いつもより本編が遅くなりました。
 とりあえず、これでオルクス迷宮編はお終いという感じです。次回からフェアベルゲン編をやれそうです。

 フェアベルゲンからすれば、ナザリックに「こっち来るな!」と言いたいでしょうけど。

2022/2/27 一部文書差し替え


「ふむ……随分と集まってきたな」

 

 『オルクス迷宮・深層』改め『ナザリック技術研究所オルクス支部』。迷宮内の魔物やトラップを掌握し、ナザリックの為の採掘場兼研究所となったオルクス迷宮の深層の一角で、ナグモは独りごちた。目の前には金や銀といった普遍的な貴金属から、グランツ鉱石やフラム鉱石といったトータス固有の鉱石が山となって積み上げられていた。これらは全て迷宮内に散らせたマシン・ゴーレム達に採掘させたものだ。

 

「ん……これ程の量があれば、文字通り国が買える」

 

 すっかりナグモの現地助手として板についてきたユエが、かつて王族として身に付けていた知識からそう助言した。

 

「それにまだまだ鉱脈が枯れ果てる気配が無いなんて……このオルクス迷宮が、ここまでの鉱山だとどうして今まで知られていなかったのか意外」

「ふん、所詮は人間達だ。奴等には表層の迷宮の魔物すら梃子摺る相手らしい。何より、人間達には『大災厄』を抑えながら採掘する手段など無かったらしいからな」

 

 かつてメルドから聞いた情報と現地の人間達の強さを照らし合わせながら、ナグモは鼻を鳴らす。

 

「どうやらこの迷宮はオスカー・オルクスが試練場として製作したのと同時に、エヒトに対抗する為の地下基地(シェルター)としての役割もあったらしい。だから迷宮内のトラップや魔物の出現を制御するコア・クリスタルなんて物があったわけだ」

 

 オスカー・オルクスの屋敷を細かく家探しした結果、秘密の地下室をナグモは発見していた。そこには巨大な神結晶が鎮座しており、それがオルクス迷宮の核としての役割を果たしているとナグモ率いるナザリック研究チームは解析していた。

 道理でオルクス迷宮は下の階層に行くほど、魔物の強さが上がるという人間を鍛えるのに都合の良い構造になっていたわけだ。

 

「そのコア・クリスタルも設置されてから大分時間が経って経年劣化した様だな。お陰で表層でも意図しない場所にトラップが出たり、魔物の出現率や規定レベルが狂った『大災厄』などという現象が起きる様になったらしい。まあ、アインズ様が御支配されたからには、そんなバグが出ない様に管理させてもらうがな」

「その言い方だと、もうオルクス迷宮はナザリックの管理下にあるということ?」

「僕はともかく、じゅーる様が作られた技術研究所を嘗めるな。既に設定を書き換え済みだ。表層でも深層クラスの魔物が出現する様にしたし、トラップの難易度も上げさせて貰った。今後は人間達は表層の迷宮にも入らなくなるだろう。それでも入って来るなら、至高の御方の支配地に土足で踏み行った愚行を死で償ってもらうがな」

「ん……そう」

 

 今後はオルクス迷宮はナザリックの支配下に置かれ、迷宮を利用していた冒険者達やハイリヒ王国は大打撃を受ける事になるだろう。しかし、ユエの反応は素っ気なかった。それを疑問に思い、ナグモはユエに聞いてみた。

 

「……意外だな。お前はこの世界の人間種だから、人間達に同情的な意見でも出ると思っていたのだが」

「私は今はアインズ様の臣下。一番に考えるべきはナザリックの利益だから、他の人間達には気の毒だけど必要な犠牲だと思っている」

 

 それに、とかつて王族として国民の上に立っていたユエは自分の経験則から話した。

 

「国や組織を維持する為には綺麗事だけじゃやっていけない。私だって飢饉対策で村一つを枯らした事だってある。だから、アインズ様がそういう判断をするのは理解できる」

「ふうん? そういうものか……」

 

 ナグモはとりあえず頷いておく事にした。とにかくユエがアインズに異を唱えないというならば、文句は無い。

 

(……そうとも。アインズ様の御判断に間違いなどない)

 

 先日、死体を回収した元クラスメイト達を思い浮かべる。あれらは愚かにも御方が召喚したデスナイトをトータスの魔物(トラウムナイト)と勘違いして勝手に死んだのだ。そんな脳無しな連中に同情の余地など無いし、彼等を崇高な目的の為に殺したアインズこそが正しいのだ。

 

(とはいえ、あんな猿以下の者達でも香織のクラスメイトだからな……)

 

 香織には死亡したクラスメイト達の事は言っていない。ユエにも黙っている様に言い含めた。いくら今はクラスメイト達を憎んでいるとはいえ、顔馴染みが死んだというのは良い気分にならないだろう。猿以下の連中(クラスメイト達)の事などどうでも良いが、香織の笑顔を曇らせる事だけはナグモはやりたくなかった。

 だから彼等の死体をわざわざ修復して、ホルマリン漬けで保存しているのだ。その保存場所もナザリックの第四階層の奥深く、研究所長のナグモの許可が無ければ入れない場所だから、香織の目に留まる事は無いだろう。

 

(天職の研究が終わって用済みになったら、蘇生魔法の実験体にでもしてその辺に捨てておくか……もちろん勝手な真似が出来ない様に天職とレベルは取り上げた上で、だが)

 

 はっきり言って恐怖公の眷属の餌にしても良かったが、あんな馬鹿達を喰わせる方が恐怖公達が気の毒というものだ。

 それに考え様によっては、同じ地球人でアンデッドになったクラスメイト達は香織がいつか人間に戻りたいと言った時の種族変更の実験に使えるだろう。死者から生者に戻す実験は困難極まるだろうが、ありがたい事にサンプルは十人以上もいるのだ。

 

(逆に香織が八重樫雫と永遠の時を生きたいと言った時に、八重樫雫に施す異形種改造手術の実験台でも良いか。いずれにせよ、貴重な実験サンプルだから余す事なく使うべきだろう)

 

 クラスメイト達は生前は香織に多大な迷惑をかけたのだから、せめてもの詫びとしてその身体で香織の為に大いに役立つべきなのだ。

 それで思考を打ち切り、ユエと話の続きをした。

 

「まあいいさ。お前もナザリックの一員であるなら、今後もアインズ様の為に励む様に」

「貴方の場合は愛しの香織の為に、が付け加えられるみたいだけど」

「やかましいっ」

「ところで……この鉱石はどうやって売るつもり? 販売ルートは確保してあるの?」

「いや、それはまだだ。それに売るのは一部だけだ。大半はユグドラシル金貨の製造の為に使い、アインズ様がナザリックを強化する為に使うそうだ」

「それならいいけど、外貨を得る為にも販売ルートの確保は必須……いっそ、人間の貴方が街で商会を経営するとか?」

「は? 低脳な猿相手に愛想を振りまけと? 冗談だろう」

「……どうして以前、貴方が潜入調査に当てられたのかすごく疑問に思う」

 

 ナザリックでは希少な人間の街に溶け込める種族なのに、その性格はとことん人付き合いに向いていない。はっきり言って、ナグモを王国の潜入調査に当てていたのはアインズの判断ミスじゃないか? とユエは内心で思っていた。

 

「……まあ、それはセバス様あたりにお願いするとして。ユグドラシル金貨にする分はどうする? 今からナザリックに送る?」

「いや、量が量だからな。まずは一番価値が高い物から送りたいが、さてどうしたものか……」

 

 普通の貴金属とこの世界の鉱石のどれが一番ユグドラシル金貨に換金されそうか? とナグモは考え出し———。

 

ご心配には及びませんっ!!」

 

 唐突に舞台役者の様に大きな声が二人にかけられる。

 

「トウッ!」

 

 掛け声と共に鉱石の山の頂上から人影が飛び出す。この場に審査員がいれば「10点」と書かれたプラカードを掲げそうな見事な回転ジャンプ(ムーンサルト)を決めながら、二人の前にシュタッ! と着地した。現れた異形の人物は軍服の裾を翻し、そして———。

 

「この私が!」

 

 ビシッ!

 

「至高なる御方、アインズ・ウール・ゴウン様にお創り頂いた! この私が!」

 

 ビシィッ!

 

「ユグドラシルとは異なる未知なる世界のアイテムであろうと、完っ璧(Perfekt)に! 査定してご覧にいれましょうっ!!」

 

 ビシイイイイィィィイイッッ!!

 ……そんな擬音が付きそうなくらい見事な決めポーズをしながら宣言した。

 

「「……………………」」

 

 ナグモとユエの間に痛い程の沈黙が下りる。軍服姿の人物は、「決まった……」と満足気な顔だった。のっぺりとした卵頭なのだが。

 

「……………どちら様?」

 

 突然の闖入者にいち早くフリーズしてた脳を動かしたユエが尋ねた。軍服姿は手を大きく振った一礼をして、名乗り上げる。

 

「初めまして、ナザリックの新たな同胞たる可愛らしいお嬢さん(Fräulein)! 私が誰か? そう! 私こそが! 至高の御方々の纏め役たる偉大なりし、アインズ様にお創り頂いたシモベ! パンドラズ・アクターでございます! 以後、お見知り置きを」

 

 一語ごとに大仰な身振りをしながら、闖入者———パンドラズ・アクターは自己紹介する。それに対するユエの反応は鈍い。一言で言うと………「何この人?」である。

 

「パンドラズ・アクター……確か、ナザリックの宝物殿の領域守護者と聞いているが」

「はい! 初めまして、第四階層守護者ナグモ殿! お会いできて光栄の至りです!」

 

 ビシッ! とパンドラズ・アクターは敬礼した。初対面から数分としない内に言動のオーバーさに辟易していたナグモだが、パンドラズ・アクターを見てある事に気付いていた。

 

(この男の格好……それにドイツ語だと?)

 

 パンドラズ・アクターの軍服といい、ところどころ混ざるドイツ語といい、ナグモが地球にいた頃に読んでいた歴史のドイツのナチス親衛隊を連想させた。さもありなん、パンドラズ・アクターの服装のモデルとなったのはネオナチ親衛隊の制服であった。

 

(御方は……アインズ様は、地球の事を知っていた?)

 

 ナグモは驚きと共に納得した。道理で自分がナザリックに帰還した時、第三者から聞けば荒唐無稽な話にしか思えない内容を即座に信じて貰えたわけだ。

 

「ご安心下さい! 私が来たからにはもう大丈夫! 未知の鉱石であっても、この目で! アインズ様より頂きし、この目で! ナザリックの宝物庫に納めるべき宝物を鑑定してご覧にいれましょうっ!」

 

 やかましい……兎にも角にも、やかましい。

 ナグモは相手がナザリックの仲間であり、アインズによって直接創造されたシモベだと理解しつつも、少しばかり鬱陶しさを感じていた。ミキュルニラとは別の意味で一々オーバーアクションな相手である。

 

「……それで? パンドラズ・アクター。今後は君が査定した中で最もユグドラシル金貨への変換率が高そうな貴金属や鉱石を優先的に採掘してナザリックへ送る、という事で良いんだな?」

その通りでございます(Das ist richtig)! ユグドラシルにはない未知の鉱石……もう、私辛抱たまりませんっ!」

 

 なるほど、宝物庫の管理者だからアイテムフェチか。もはやナグモはそう思うだけにした。

 

「しかし、私にこの様な大役を下さるとは……さすがは我が創造主、アインズ様! やはり、至高の四十一人の方々の頂点に立たれた御方!」

 

 ピクリ、とそれまで無表情を貫いていたナグモの眉が少し動いた。

 

「確かに、アインズ様は僕など及びがつかないくらい優れた御方だが……創作という点においては、じゅーる様の方が優れておられた」

「ほう……?」

 

 クルリ、とパンドラズ・アクターが芝居がかった仕草でナグモに振り向く。

 

「アインズ様は至高の御方達をお纏めになられた御方。そのアインズ様の御力に翳りがある、と……?」

「少なくともじゅーる様の創作力を疑うべきじゃないな。じゅーる様がデザインを考えた第四階層を見れば、じゅーる様こそが至高の御方の中で特に優れた建築家でもあらせられたと思い知るだろう」

 

 パンドラズ・アクターの子供が落書きした様な黒い丸の目と、ナグモの無表情の冷たい目がじっと見つめ合う。先程まで喧しかったパンドラズ・アクターが急に静かになり、ユエは二人の間を不安そうに視線を行ったり来たりさせていた。

 

「どうやら……貴方とはじっくりとお話しすべきの様ですね、第四階層守護者代理殿?」

「いいだろう……受けて立つ」

 

 ***

 

 オルクス迷宮深層をアインズは歩いていた。以前はアインズを見ると襲い掛かってきた迷宮の魔物達も、ナグモがコア・クリスタルを書き換えた現在ではアインズの通り道の邪魔にならない様に慌てて身を隠すか、精一杯身を縮こませて平伏しようとしていた。

 

「ふむ……ナグモは順調にやっている様だな。迷宮の魔物達も我々の支配下に入ったのは今後の戦いで大いに役立つだろう」

「は、はいっ、お姉ちゃんも第六階層に新しい魔獣(ペット)が来るって、喜んでますっ」

 

 今回、アインズの供回りとして連れて来ているマーレがオドオドとしながらも、アインズに返答する。

 

「そ、それにしても、異世界の魔物も従えるなんて、さすがはアインズ様ですっ」

「ありがとう、マーレ」

 

 まるで尊敬する父親を見る様な目で純粋な賛辞を向けるマーレに礼を言いながらも、アインズは思考する。

 

(オルクス迷宮が鉱山どころか、ダンジョンとして活用できるならここを第二のナザリックにすべきだな。まあ、道中のトラップの難易度はそれ程じゃないから、絶対に侵入不可能な様に改造する必要があるけど)

 

 その為に今回、視察も兼ねてマーレを連れて来たのだ。マーレの魔法で迷宮内の環境や大地を操り、オルクス迷宮を難攻不落の要塞にしようとアインズは考えていた。

 

(道中の難易度ははっきり言ってユグドラシル基準じゃ、中の下だ。最後の転移トラップは不覚を取られたけど、転移した先にいたヒュドラモドキもレベル80以上なら余裕で倒せた程度だったからな……。エヒトルジュエがナザリックに攻め込む事も考えて、ここが偽のナザリックに見えるぐらいにはトラップやモンスターを強化していかないといけない)

 

 先日、()()()()()()()()()()()()がオルクス迷宮に召喚していたデスナイトを突破しようとしていたとデミウルゴスから報告があった。辛くもデスナイトの耐久力を前に撤退した様だが、今後もナザリックの為にオルクス迷宮を独占し続ける為にはトラップや配置する魔物を強化する必要があった。

 

(あの時は焦った……そもそもデスナイトを置き去りにしてたの、すっかり忘れてた。というか「全てアインズ様のお見込み通りです」って、デミウルゴスの中で俺はどんな頭脳に見えてるんだよ?)

 

 まさか面と向かって聞くわけにもいかず、いつも通りに適当な支配者ロールで乗り切ったアインズだが、これ以上の問題事が起きない様にもオルクス迷宮の大改造に着手する事にしたのだ。

 

「あ、あの……アインズ様? どうかされましたか?」

 

 黙り込んで考えていたアインズに、沈黙に耐え兼ねたマーレがおずおずと聞いてくる。左右で異なる色合いの瞳は、飼い主の機嫌を伺う子犬のように潤んでいた。

 

「ん? ああ、そう緊張しなくていいぞ。この迷宮は、ナザリックに比べるとあまりに脆弱過ぎると考えていただけだ」

「そ、それは当然です! 至高の御方々がお創りになられたナザリックと、人間が作ったダンジョンなんか比べ物になりませんっ!」

「う、うむ、そうか? いや、そうだったな……」

 

 珍しく大声を出して否定するマーレに、アインズは考え直した。かつての仲間達と共に作り上げたナザリックとオルクス迷宮とでは、確かに差があり過ぎる。

 

「とはいえ、この世界に来てからせっかく手に入れた拠点には違いない。オルクス迷宮がいざとなったらナザリックの避難所となる様にして欲しい。頼んだぞ、マーレ」

「は、はいっ! ボク、精一杯やらせて貰いますっ!」

 

 気合いの表れか、ムンッと力瘤を作る仕草をするマーレ。ただ悲しいかな、スカートを履いた男の娘のマーレでは力強さより可愛らしさが目立っていたのだが。

 

「そ、それにしても先の先まで考えているなんて、さすがはアインズ様ですっ。パンドラズ・アクターさんを動かしたのも、アインズ様の御計画の内なんですね!」

「……ああ、うん。()()は、な……うん」

 

 キラキラと無邪気に目を輝かせるマーレに対して、アインズは若干疲れ果てた声になる。心なしか、眼窩の中の赤い輝きがどんよりと澱んだ。

 

(いや、出来れば動かしたくなかったよ……というか、実際動いてるのを見るとだっさいわー。何で俺、あんな設定にしちゃったんだろう……? いやまあ、軍服は? カッコ良いと言えなくもないけどさぁ)

 

 何が悲しくて自分の考えた黒歴史(パンドラズ・アクター)が生き生きと動く様を見せつけられなくてはならないのか? 出来るなら宝物庫にずっと仕舞っておきたい。なんだったら、そのまま鍵をかけたい。

 

(だ、だけど、神様なんかを相手にすると決めた以上は戦力がいくらいても足りないんだ。遊ばせておく余裕なんてない……そう、それが俺の黒歴史であっても!)

 

 今後、エヒトルジュエとの戦いでNPC達には様々な任務に就いてもらう事になるだろう。それこそパンドラズ・アクターも、その変身能力を活かして諜報活動などに赴いてもらうかもしれない。だからこそ断腸の思いで黒歴史(パンドラズ・アクター)を日の目の当たる場所に出したのだ。今回、おつかいみたいな任務を下したのも、どうせ他のNPC達にバレるなら、早めに出した方が傷が浅くて済むと考えた為であった。こう、精神的に。

 

「それにしても……パンドラズ・アクターさん、どこ行っちゃったんでしょうか? ナグモさんの所に行ったって、ミキュルニラさんは言ってましたけど……」

「ううむ、オルクス迷宮の資材貯蔵庫は確かこっちと聞いていたが……」

 

 新たに作られたオルクス迷宮内のマップを片手にアインズ達は迷宮内を歩く。しばらくすると、増設されたのであろう鉄の扉の前に佇んでいたユエをアインズは見つけた。ユエはアインズの姿を見て、優雅に臣下の礼をとる。

 

「ようこそいらっしゃいました、アインズ様。そしてマーレ様」

「うむ、楽にして良いぞ」

「はっ」

 

 頭を上げるユエだが、その立ち振る舞いは元・女王だけあって気品に満ち溢れていた。

 

(こういうのを王族の振舞いと言うんだろうなぁ。というか、冷静に考えると滅んだ国とはいえ女王様が部下とか、大事だよな? 俺の支配者ロール、大丈夫かなぁ……王族だったユエから見て、変な風に見られたりしてないかな? うわー……)

 

 内心、かなり小心者な事を考えているのだが、幸いな事にアンデッドの骸骨顔はポーカーフェイスを作るのに役立っていた。お陰で緊張した顔もおくびにも出ない。

 と、そこでマーレがモジモジとアインズの背に隠れようとしているのに気付いた。まるでユエの目線から逃れようとしている様だった。

 

(ん? ひょっとして恥ずかしがっているのか? まあ、マーレはもともと内向的だもんなあ……)

 

 トータスに来てから新しく加わったとはいえ、ユエも今はナザリックの新たな仲間なのだ。出来れば仲良くして欲しい、とアインズは考えていた。

 

(友人が多い奴が優れてるとか言うつもりはないけど、NPC達はせっかく命が吹き込まれたんだ。ナグモみたいに外の世界で友達を作れる様にしてやりたいんだけどなあ……。トータスだとエルフは亜人族だからフェアベルゲン……いや、確か魔人族がダークエルフに見た目が似てるらしいから、アウラとマーレの友達を作るなら魔人族の方がいいか?)

 

 その為にもエヒトルジュエは是が非でも滅ぼさなくてはならない。アインズは改めてそう決心すると、ユエに話しかける。

 

「ユエ、ナグモはいま何処にいる? それか、パンドラズ・アクターという男……男だよな? うむ……。とにかく、そんな名前の奴を見ていないか?」

 

 一瞬、ドッペルゲンガーに性別あるの? なんて考えていたアインズに対して、ユエは———何故かゲンナリとした顔になった。

 

「……ナグモ所長とパンドラズ・アクター様はかれこれ一時間くらい貯蔵庫にいます。……覗かれますか?」

「うむ? 二人とも揃っているなら話は早いが……」

 

 頭にクエスチョンマークを浮かべながら、アインズはユエに扉を開けて貰った。

 そこには———。

 

「———よろしいですかな? アインズ様はあらゆる死霊系魔法に長け、習得した魔法の数は700以上! これ程の数を習得した魔法詠唱者は前代未聞! まさに至高の中の至高! トップ・オブ・ザ・ワールド(Die Spitze der Welt)!」

「じゅーる様はあらゆるスキルを習得されていた。不肖、僕も習得しているが、マルチタスクという特殊技能を習得されていたのは至高の御方々の中でもじゅーる様、お一人。まさにじゅーる様だからこそ出来た妙技だ」

アインズ様はっ———!」

「じゅーる様は———」

 

 ———瞬間、アインズの精神が沈静化された。

 

「………なあ、ユエ」

 

 片や大仰な身振りをしながら。

 片や無表情で淡々と。

 白熱した議論を交わす二人のNPC達を見ながら、アインズは問い掛ける。

 

「………アイツら何やってんの?」

 

 ユエは小首を傾げ、少ししてから答えた。

 

「………父親自慢?」

 

 アインズの精神が再び沈静化される。ふう、と天を仰いだ。

 この日の為に、支配者ロールの練習をしていてよかった。

 

「———騒々しい! 静かにせよっ!」

 

 自分の創造主(パパ)がスゴいと言い合う守護者(お子様)二人に、アインズの怒号が響き渡った。

 

 ***

 

 ナザリック技術研究所オルクス支部・所長室(旧オスカー・オルクスの研究室)。

 ナグモは頭を抱えながら項垂れていた。

 

「………低脳な失態だ」

「あ、あの、元気出して下さいっ、ナグモさん」

 

 ズゥン、と暗雲を背負いそうなナグモをマーレが慰めていた。ちなみに別室ではパンドラズ・アクターがアインズ直々にお説教されていた。

 

「ええと、ボ、ボクはアインズ様も、じゅーる様も、どっちも凄い方だと思いますっ。も、もちろんぶくぶく茶釜様も凄い方ですけどっ」

「ああ……その通りだな……」

 

 マーレの至って()()()対応にナグモはさらに項垂れる。見た目が自分よりも小さな男の娘なマーレに諭されるとか、もはや穴があったら入って埋めて欲しい気分だった。

 

(………何なんだ? 本当に。僕はどうしたというのだ………?)

 

 どうも香織と出会ってから、自分の感情の制御が下手になった気がする。あんな幼稚な議論に白熱するとか、自分の頭は大丈夫だろうか? とナグモは本気で心配になっていた。

 

「え、えっと、それで、オルクス迷宮をどう拡張するか、ってお話ですけど……」

「ああ、すまない。場所はこの資料を参考にしてくれ。詳しい話はユエに聞くといい」

「ユエさん、ですか……」

 

 マーレがどこか複雑そうな顔になる。その顔にナグモは疑問符を浮かべた。

 

「どうした? ユエに聞くのに、何か抵抗があるのか?」

「い、いえ、別にあの人が苦手というわけではないですけど……」

 

 モジモジと言い辛そうにしていたマーレだったが、やがて意を決したのかナグモをまっすぐと見た。

 

「あ、あの、ナグモさんは嫌じゃないですか?」

「ん?」

「これから至高の御方に生み出された人達以外が、ナザリックを出入りする様になるのは、ボクはちょっと……も、もちろんアインズ様がお決めになった事に文句を言う気はこれっぽっちも無いですけど!」

 

 ふむ……とマーレに言われた事をナグモは考える。マーレの意見も分かる気はする。ナグモ達にとってナザリックは神に等しき至高の四十一人が作り上げた聖地であり、下賎な者が足を踏み入れて良い場所ではない。

 だが———。

 

(……不思議だな。僕はユエや香織が加わる事に、特に嫌悪感は無いな)

 

 以前のナグモなら、マーレと同じ意見を言ったかもしれないが、どういうわけか今はナザリックに新参者が来る事に特に異論は無いのだ。何よりユエには借りがあるし、最愛の人物である香織に至っては言わずもがな。

 とはいえ、それがナグモ個人の感情によるものと理解しているので、別口から切り出す事にした。

 

「マーレ。僕達はナザリックの守護者だ。至高の御方によってナザリックを守護する為に、そして御方の御役に立つ為に創造された」

「は、はいっ。それはそうですけど……」

「ならば、僕達は御方にもっと役立てるには何が必要か? 足りない物は無いか? それを常に考えなくてはならないだろう」

 

 ナグモはかつての香織との戦闘を思い出す。今まで創造主(じゅーる)によって創られた自分は完璧であり、非を言うのは自分を生み出したじゅーるに文句を言うのと同義だと思っていた。

 ところが蓋を開けてみれば、ガルガンチュアがいなかった事を差し引いても自分の戦闘はお粗末の一言に過ぎた。咄嗟の機転でどうにかなったものの、実質的にあれは敗北と言っていいだろう。 

 

「かつての1500人の侵入者達に僕達は一度敗れている。結局は至高の御方々が第八階層で返り討ちにされたそうだが、これは御方々が居たからこそと言うべきだろう。しかし……今のナザリックにはアインズ様しかいらっしゃらない」

 

 ビクッとマーレの耳が動く。目の前の守護者は自分と違って、あの時の記憶を保持しているのだろうか? 仮に無いとしても、1500人の人間達(プレイヤー)にナザリックが攻め落とされかけた事実を知ってはいるだろう。

 

「アインズ様の敵であるエヒトが、あの人間達以上の力があれば今度こそナザリックは滅ぶだろうな」

「そ、そんなの駄目です! ボク達がその身を盾にしてでも、アインズ様を御守りすべきですっ!」

「だが、次に同じ事があれば僕達は盾になる事すら出来ないだろう。至高の御方が複数人いらっしゃったなら、まだ話は別だったが………」

 

 ガクガク、とマーレが恐怖で震えた。自分の命が失われてしまう事に、ではなく、自分が御方の()()()()()()()()()()()事に、小さな大自然の使者は泣きそうな顔になっていた。

 

「———そうはさせない」

 

 その一言にマーレが顔を上げる。ナグモはいつもの無表情にどこか覇気を感じる顔付きになっていた。

 

「あらゆる手段、あらゆる方法を使ってでもアインズ様を御守りする。そして———エヒトを討つ。じゅーる様に頂いた頭脳と力を全て尽くして」

 

 それこそが、大恩あるアインズに返すべき忠義なのだ。ナグモはそう自分に言い聞かせる様に呟いていた。

 

「このトータスにはユグドラシルには無い技術がある。それを調べ、より一層の技術の進歩を行う事こそが技術研究所の所長として生み出された僕の使命なのだろう。そして、その為にはユエや香織が必要なのだよ。あの二人の体質やトータス固有の技術は、必ずやナザリックの———ひいてはアインズ様の御役に立つ。そう思っているからな」

 

 そう締めくくったナグモを、マーレは目を丸くして見つめていた。ややあって、オドオドとしながら頭を下げた。

 

「す、すごいです、ナグモさん。アインズ様の為に、そこまで考えていられるなんて……それなのに、ボクは我儘ばかりで……」

「そう卑下するな。まあ、いずれにせよ、これからトータス全てがアインズ様の支配下になるのだ。ならば、至高の御方に選ばれた者は神聖なるナザリックに招かれる幸運を得られた、というぐらいに考えるべきだろう。僕達は旧臣として、手本となるべき様に示していくまでだ」

「は、はいっ! ボクも、頑張ってアインズ様にお仕えします!」

 

 キュッとマーレは杖を握って頷いた。

 

「そ、それにしても……ナグモさんとこんなにお話しするなんて、意外です。ナグモさん、普段は何も話さない人だと思ってました」

「……そうだな。僕も意外に思っている」

 

 かつて、じゅーるによって創られた通りに行動しようと躍起になっていた時のナグモなら、マーレに自分の考えなど話せなかっただろう。こんな風に変われたのは、きっと———。

 

「………少しずつ、変わっていくべきなのだろうな。僕も」

 

 自分に感情と愛を教えてくれた香織の事を思い浮かべる。未だに人間は嫌いだが、せめて同じナザリックの者達には柔らかく対応すべきだろう。かつて『ナザリックの者達にも必要最低限しか関わらない』という設定があったナグモは、香織が教えてくれた感情を無駄にしない為にもそう頷いた。

 

「変わっていくべき、ですか……」

 

 マーレは少し考える素振りを見せ、やがてよしっと頷いた。

 

「あ、あの、ユエさんにはボクから聞きに行きますっ」

「本当に嫌なら無理はしなくていい。ミキュルニラあたりに説明させるが?」

「で、でも、アインズ様が色々な人達をナザリックの仲間にする、って仰ったのに、ボクだけ嫌がっているのは駄目じゃないかな、って……」

 

 マーレなりに、決心した内容なのだろう。ならばこれ以上、ナグモがあれこれ言うべきではない。

 

「……分かった。ユエから場所を聞いて、迷宮の改築に取り掛かってくれ。必要ならマシン・ゴーレム達も派遣する」

「は、はいっ!」

 

 ナグモに背を向けて所長室から出ようとしたマーレだが、ふと立ち止まった。

 

「あ、あのナグモさんっ。一緒に頑張りましょうねっ。アインズ様が、トータスを支配されるためにもっ」

「ああ、その通りだな」

「ナザリックをもっと大きくして———ぶくぶく茶釜様や、じゅーる・うぇるず様がお帰りになられた時に、びっくりして頂ける様にしましょう!」

 

 ———努めて。ナグモは表情を動かさない様にした。

 

「———そうだな。お隠れになられた御方も、お喜びになるといいな」

「はいっ! えへへ、ぶくぶく茶釜様、喜んでくれるかなぁ?」

 

 楽しそうにはにかみながら、マーレは退室した。パタン、と閉められたドアに、ナグモは聞こえない様に独り言を喋る。

 

「ああ、きっと。喜んで頂けるだろうな……ナザリックにお戻りになられるかは別だが」

 

 ナグモはこの世界に来る前に読んでいた、北欧神話の内容を思い出していた。

 神話の終末———ラグナロク。

 人も、神も、世界の全てが燃え尽きたという大戦があったという記述があった。もしも、あれが事実だと言うならば———いなくなった至高の御方達は、もう既に……。

 

(……いや。あれは、低脳な人間達が編纂した内容だ。絶対の事実ではない)

 

 本の内容はアインズから他の者へ話す事を固く禁じられていた。それがナグモの不安を掻き立てるが、一抹の希望はあった。

 

(北欧神話の後世に編纂された聖書に、るし☆ふぁー様のお名前があった。もしかしたら、御方々は姿形を変えて生存されていらっしゃるのかもしれない)

 

 地球に転移して、何故か若返った姿になっていた自分の様に。万が一という可能性ではあるが、マーレがぶくぶく茶釜と再会する可能性だってゼロでは無いのだ。

 

「でも……じゅーる様がお戻りになられる事は、ない」

 

 ナグモは虚空を見つめながら呟く。その表情は———置き去りにされた子供の様に、ひどく寂しげだった。

 

「じゅーる様は、もう……この世には、いらっしゃらないのだから」

 

 

 

 




ナグモは創造主の帰還を信じているNPC達の中で、唯一「自分の創造主が戻って来ないと確信している」。大事な話はそれだけです。


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第四十三話「そうあれかし」

 何か作中で色々と小難しい事を言ってますけど、自分はこの小説は寝る前の時間帯に書いていて、あまり頭が回ってない状態で書いているので、「へぇ〜、そう」ぐらいの気持ちで読んでくれると幸いです。強さ設定とか、展開次第ではコロコロ変わるだろうし。


 窓から差し込む朝日でナグモは目を覚ました。オルクス迷宮にあるのは太陽光を模した照明アイテムだが、それでも日の光を浴びながら目覚めるのは清々しい気分になれた。

 

(何故だろうな……以前はそんな事を全く気にしていなかったのに)

 

 至高の御方の為に、昼夜を問わずに働く。

 ただそれだけの日々だった筈だ。ところがアインズの方針で睡眠時間や休日を設けられて心に余裕が出来たからか、最近のナグモは今までと違って日々に彩りが満ちた充実感を感じる様になったのだ。

 

(至高の御方に生み出された僕には、御方の為に働くのは当たり前だから休息なんて不要だと思っていたのに……。こんな風に思える様になったのは、きっと———)

 

「う、んっ………」

 

 ナグモが寝ていた横で掛け布団がモゾモゾと動く。人一人分の膨らみから、その人物はぴょこんと頭を出した。白銀の髪は朝日にキラキラと反射して、ナグモにはそれが月光を閉じ込めた様に美しく感じた。掛け布団から見える肌は普通の人間より色素が薄く、まるでミルクを溶かし込んだ様な色白だ。アンデッドの紅いルビー色の瞳をぼんやりと開きながら、彼女———白崎香織はナグモへ微笑んだ。

 

「ふぁ……おはよう、ナグモくん」

「……ああ、おはよう。香織」

 

 自分に感情を教えてくれた少女の寝起きの笑顔に、ナグモはドキドキとした鼓動を感じながら、薄く———しかし確かに笑みを返した。

 

「……んぅ」

 

 香織が少し寝ぼけた顔のまま、ナグモの顔に両手を添えた。驚くナグモの顔をそのまま引き寄せ、そして———。

 

「……ちゅっ♡ 」

 

 軽いリップ音と共に、薄い桜色の唇がナグモの唇と重なった。

 

「えへへ、おはようのチューだよ。どう? 目が覚めた?」

「……………それは反則だ」

 

 顔を真っ赤にしながら、ナグモはそう呟いた。

 

 ***

 

「ナグモくん、今日はナザリックに出張なの?」

「ああ。だから、昼食は用意しなくていい」

 

 メイド服に身を包んだ香織が用意してくれた朝食を食べながら、ナグモは短く頷いた。オルクス迷宮で仕事をしている時は昼休憩には香織と昼食を摂るのがナグモのここ最近の日常だった。香織は少し残念そうに呟く。

 

「そっか……私も、ナグモくんの研究のお仕事を手伝えれば良かったんだけど」

「そこまで気を遣わなくてもいい。今だって僕の身の回りの世話してくれてるだけで、すごくありがたく思う」

 

 これは嘘偽りない本音だ。香織がオスカー・オルクスの屋敷の家事を行ってくれるお陰で、ナグモのオルクス迷宮での生活は至高の御方(アインズ)に命じられたから、という理由以上に充実したものになっていた。

 

「それに空き時間にはメイドの仕事の訓練や戦闘訓練もしているのだろう?」

「うん! 目指せ、ユリ先生だよ!」

 

 ムン、と香織は力瘤をつくる仕草をした。香織は屋敷の家事がひと段落した後は、シズと仲良くなった折に交流する様になった戦闘メイド(プレアデス)達にハウスメイドの仕事を指導して貰ったり、セバスの戦闘訓練を受ける様になっていた。その中でも、まさに出来る女(香織見解)を体現したユリ・アルファを目標にした様だ。ユリもまた、教育者(創造主)の血が騒ぐのか、教師と生徒という立場ながらも二人の仲は良好の様だった。

 

(ふむ……レベル100以上と言っても、竜形態にならないセバスで相手になるレベルか)

 

 つい、ナザリックの技術研究所長としてそんな事を考えてしまう。ナグモの血肉を取り込み、ナザリックでも守護者以外は中々いないレベル100以上に到達した香織だったが、その中身はあまり強いとは言えないものだった。

 人間の時に訓練していた治癒師(クレリック)の職業レベルは中途半端な状態で止まっており、アンデッド化してから得た種族レベルは香織自身の種族である動死体(ゾンビ)屍食鬼(グール)以外は雑多な種族が低レベルで混ざるキメラ状態という有様だった。おそらく存在を維持する為に奈落で色々な魔物を取り込んだ弊害だろう。それをアインズに報告したところ———。

 

『何というか、あれだな……あれもこれもと種族レベルを上げようとして、結局弱いレベル100になったという典型例だな』

 

 と、なんとも微妙そうな声音を出していた。ナグモの手によって人間の見た目を取り戻した今の香織の種族はさしずめ、『人型キメラアンデッド』とでも言うべきだろうか? 

 

(でも香織の身体を調べて、トータスの魔物の因子を取り込んでナザリックのシモベ達を強化する方法が解明できてきた。これならば———)

 

 惜しむらくはオルクス迷宮で最強のヒュドラを使っても、レベル100(最強クラス)に至っている守護者達のステータスを上げる事は叶わないことだ。だが、レベルの低いPOPモンスター(一般のシモベ)ならば、トータスの魔物の因子を付与して強化する事は可能だった。

 ナザリックの第四階層のキメラ製造エリアでは、トータスの魔物因子を取り込んだ新型キメラ達が量産体制に入りつつあった。

 

「まあ……夕食までには帰る予定だ」

「うん、じゃあ美味しい夕飯を作って待ってるね。今日はね、ナグモくんの大好きなハンバーグにしてあげる!……えへへ」

「? どうかしたか?」

 

 頬を赤く染めながら、香織はにへらと笑う。両手でどうにか緩む頬を抑えようとしているが、幸せ全開で抑えられないと表情に出ていた。

 

「なんだかこうしてると、新婚さんみたいだね♪」

 

 ボンッ! と今度はナグモの顔が赤く染まる。「それは……いや……でも……」と視線をあちこちに飛ばしながら譫言の様に呟く。「もう、照れなくていいのに……」とイヤンイヤンと香織は首を振っていた。

 

「あ……甘いのです、甘過ぎなのです〜。胸焼けしそうです〜」

「ん……同意見。毎度毎度見せられる、こっちの身にもなって欲しい」

 

 少し離れた所で一緒に朝食を摂っていたミキュルニラとユエが、砂糖を吐きそうな顔で溜息をついた。オスカーの屋敷はそれなりに食堂は広く、ナザリック技術研究所オルクス支部の職員で食事が可能な種族であるミキュルニラやユエも共に香織の手料理のご相伴に預かっていた。

 

「えっと、今日のパンケーキはそんなに甘かったかな? お砂糖を入れ過ぎちゃったのかも……」

「そんなにシロップをかければ胸焼けぐらいするだろう、馬鹿者め」

「うわあ……ユエちゃん。この人達、無自覚なのです〜」

「頭にバが付く男女二人(カップル)なんて、そんなもの」

 

 冷たい目線を送ってくる上司(ナグモ)にミキュルニラは同席しているユエに助けを求めるが、半ば諦めた様な口調でユエは溜息をついていた。

 

「というか同じ女の子なのに、香織ちゃんと私の扱いに差があり過ぎです〜! 断固抗議します〜!」

「はあ? 香織とお前が同価値なわけないだろう」

「酷いです〜! 仮にも同じじゅーる様に作られたシモベなのに〜!」

「もう、駄目だよ。ナグモくん」

 

 ぷんすか、と全身で怒ってます! とオーバーアクションするミキュルニラへ白い目を向けていたナグモに、香織は嗜める様に言った。

 

「お兄ちゃんなんでしょ? 妹には優しくしてあげなよ」

「……おい、待て。何を、どうすれば、そんな発想になる?」

「え? ミキュルニラさんは、ナグモくんを生んだじゅーる様が創造主様なんだよね? じゃあ、ナグモくんとは兄妹になるんじゃないの?」

「……待て、本当に待て。大体、シモベ風情が至高の御方を親の様に語るのは不敬な」

「ふぇ〜ん! 香織お姉ちゃん〜! ナグモお兄ちゃんが虐めるのです〜!」

「やかましい!」

 

 ダブついた白衣の袖を目に当てて泣き真似するミキュルニラをナグモは一喝する。香織といるといつもの無表情な知的な姿から一転して、表情が豊かになるナザリックの階層守護者代理に、ユエはコーヒーを飲みながら溜息を再び吐いた。

 

「……まあ、感情が表に出せる相手がいるのはいいことだと思う」

 

 ノンシュガーの筈が、何故か甘ったるく感じた。

 

 ***

 

「ん〜、お二人は順調みたいです〜。本当に良かったのです〜」

 

 口直しにコーヒーのおかわりを淹れてくると席を立ったミキュルニラは、厨房で一人呟く。香織が私の仕事だから、というのを丁重に断り、彼女は傍目から見ても甘い生活を送っている二人の事を考えていた。

 

「……うん、本当に良かったです。所長に、大切な人が出来て」

 

 ふと。それまでの道化じみた口調が消える。

 

「……妹、ですか。ふふ、そんな風に考えた事はありませんでした。……ねえ、じゅーる様。所長はね、とても仲良しな人が出来たんですよ。笑ったり、怒ったり、そんな感情を出してくれる人が出来たんですよ」

 

 今はいなくなった創造主の事を思う。

 ———ナザリックから去る前に、「そうあれかし」と新たに定めてくれた設定(在り方)をくれた創造主を。

 

「所長は毎日が楽しそうで、本当に良かったです。……私には所長を笑顔にする事は出来ませんでしたから、香織ちゃんには感謝すべきなのです。恩返しとして、香織ちゃんがナザリックで楽しく過ごせる様にすべきなのです」

 

 新たに淹れ直したコーヒーに口を付ける。

 

「………しょっぱいや」

 

 何も入れてない筈が、何故か塩の味がした。

 

 ***

 

「———今のところ、オルクス迷宮の採掘は順調です。深層へと繋がる道もマーレの働きにより閉ざされ、また掌握したトラップで鉱山ガスに見せかけて表層部の大部分は人間に進行不可能な様に致しました。万が一、毒無効のスキルを持つ者がいても、深層から解き放った魔物やナザリックのシモベ達が行く手を阻むでしょう」

「うむ。我々がオルクス迷宮を独占する事が第一だからな。人間以外の種族の侵攻も考慮したトラップ配置を行え」

 

 ナザリック地下大墳墓のアインズの執務室。

 傍にアルベドを控えさせたアインズに、ナグモは報告を行っていた。

 

「かしこまりました。オルクス迷宮のシステムを掌握した以降に侵入した人間の兵士並びに冒険者の数は104名。その内、天職持ちは20名。戦闘系の天職持ちは6名となります」

「むう……やはり戦闘系の天職を持っている人間は少ないな。しかし、天職がユグドラシルの職業スキルと仮定すれば、この世界の人間のステータスの脆弱さは職業スキルを習得できないからか? あるいは根本的に初期ステータスが低くなる様に作られているのか……ふむ、色々と試してみたいな。その人間達は今はどうしている?」

「八割は迷宮内のモンスターやトラップで死亡。生き残りも毒ガスや麻痺トラップで行動不能にして一箇所に纏めております。如何致しましょう?」

「アンデッド化の実験に使いたい。迷宮内で死亡した人間も遺体は回収して、氷結牢獄に送れ」

 

 かしこまりました、とナグモは返答する。そこに、つい数時間前まで香織達に見せていた人間らしい表情は無い。氷の様な冷たい無表情の面を被り、人間達をナザリックの資源にしか思わない階層守護者代理がそこにいた。

 ———結局のところ。ナグモの人間への見方は変わっていない。香織を愛する事で電子の人形(NPC)から人間(プレイヤー)へと変わりつつも、ナグモの認識(せかい)はナザリックしかない。だからこそ、彼にとって自分が愛している香織や借りが出来たユエ以外は路傍の石に等しい存在なのだ。

 

「……うむ。しかしまあ、なんだな。人間達には少し気の毒かもしれんな」

 

 ついアインズはそんな事を口にしてしまう。アンデッドになり、人間(鈴木悟)の感情が残滓になりつつあるアインズ。彼も人間達が犠牲になっている事に罪悪感など感じず、ナザリックの為に必要なものだと割り切ってはいる。しかし………。

 

(ただなぁ……ナグモに同じ人間を殺させるって、どうなんだ?)

 

 ナグモがプレイヤー(人間)となった事が判明した後、ついそんな事を考えてしまう。外の人間達と違って、友人(じゅーる)の忘れ形見である人間(ナグモ)に非道な事をさせるのは、預かった子供に犯罪に手を染めさせているようでアインズの中にしこりが残った。

 ナグモがまだNPCだったならば「そういう設定で作られたから」と納得できたかもしれない。あるいは人間を捕食する様な異形種ならば、そんなものと納得もしただろう。しかしプレイヤー(人間)となった今は、ナザリックの利益の為とはいえ友人の息子が人間を実験動物くらいにしか思っていないのは問題があるんじゃないか? と思わなくもない。

 

「何を仰いますか。下等生物達は至高の御身に役立って死ねる事を感謝すべきです。むしろ最期の瞬間を感涙で咽び泣きながら迎えるのが当然です」

「至高の御方がわざわざ御支配された地に無断で入り込む低脳な輩に慈悲など不要かと思います」

 

 これだよ、とアルベドとナグモの意見にアインズは頭を抱えたくなる。NPCのアルベドはもとより、プレイヤーとなったナグモもアインズへの忠誠は薄れる事なく、アインズの為ならば外の人間など塵芥同然と思っているフシがあった。周囲に敵となり得る存在がいないならアインズも強く言わないが、対エヒトの為に味方を一人でも増やしたい今はその態度は問題があり過ぎた。

 

「……まあ、運が無かった人間達の死は有効的に使うのがせめてもの供養だとするが。人間達を犠牲にして当然、という考えは改めよ。彼等にも見るべきところがある者はおり、そういった者を今後は我等の仲間として迎え入れる時もあるかもしれん。……分かっているな?」

「……はっ、申し訳ありませんでした」

 

 ナグモはスッと頭を下げる。脳裏にはアインズの命令として自分の預かりとなった少女達を思い浮かべているのだろう。

 

「今後はオルクス迷宮のトラップの難易度を上げ、人間達が決して入ってこられない様にせよ。数人の人間は生かして帰し、彼等にオルクス迷宮が大災厄で死のダンジョンと化したから、命を懸けてまで入るのは割に合わないと思わせるのだ」

「かしこまりました、アインズ様」

 

 特に反論せずに了承したナグモに、アインズは心の中でウンウンと頷く。

 

(素直に受け止めたという事は、コイツなりに変化はしているのかな? そういった意味でも香織とユエを迎え入れたのは良かった事だな)

 

 さて、と気を取り直して、もう一つの報告を聞く事にした。

 

「ユエと香織のステータスや戦闘スキルの調査を依頼していたな。二人の特性など、何か変わった点はあるか?」

「はっ。まずはユエですが、ユグドラシルのレベルで換算した場合は49。特色として魔法の無詠唱化能力は位階魔法でも有効な様です」

「ほう?」

 

 アインズは身を乗り出して詳しい話を聞こうとする。中々に興味深い話だった。

 

「レベル的に扱えたのは第7位階まででしたが、術式への魔力の接続率が非常に高いですね。トータスの魔物因子でステータスを上げられる事を考えるなら、ユエにナザリックに保管されている『上級魔導指南書』、あるいは『錬金奥義書』を読ませてみても良いかもしれません」

 

 ユグドラシルの魔法詠唱者系の上級職業に転職する為のアイテムをナグモは羅列していく。そのくらいユエの腕を見込んでいるのだろう。アインズは自分の考えを述べてみた。

 

「異形種への転生はどうだ? 強力な魔法やスキルは異形種の方が習得しやすいぞ。無論、ユエが望めばだが」

「異形種、ですか……それも一つの選択肢だとは思いますが、個人的にはあまりお薦めしません。ユエの各属性の魔法適性は綺麗な円グラフになっていますから、他種族に転生してこれを崩してしまうのは惜しいかと」

「ふうむ……平均的なエキスパートより、一点特化型のスペシャリストにしてレア職を狙う方がいいと思うが」

「しかし完全耐性とはいかないまでも属性ごとの魔法耐性も綺麗に揃っているので、弱点属性を作ってしまうのは……ステータスの特化は装備で補う事も可能ですから」

 

 ユグドラシルでは一般的に、ステータスが平均的にしか伸びないが幅広い職業スキルを習得できるのが人間種だ。初心者向けのスタンダードなスタイルが目指しやすい。

 それに対して異形種はステータスが特化して伸びやすく、さらに人間種より強力なスキルや魔法を習得しやすい。ただし、アンデッドには火属性や神聖属性、という様に被ダメージが倍化する弱点属性を抱え込んでしまい、習得できる職業スキルも限られてくる玄人向けなスタイルだ。

 

(まあ、それも装備でカバー出来なくはないけど、全部は無理だしな。しかし、何というか……)

 

 ほんの少しだけ、アインズの気持ちが昂揚する。こうやってユエの育成方針について意見を交わすのが、昔を思い出して楽しいのだ。

 

(思い出すなぁ、餡ころもっちもちさんに魔力系魔法詠唱者か信仰系魔法詠唱者のどちらを勧めるかで、たっちさんとウルベルトさんが本人そっちのけで言い合ってたなぁ。そこでペロロンチーノさんが、じゃあエロ系モンスター狩りで決めましょう! とか言って、ぶくぶく茶釜さんにぶん殴られてて……。ナグモの創造主のじゅーるさんはどうだったろ? あの人もステータスは平均的に上げたがる人だったもんなあ。やっぱり子は親に似るのか?)

 

 プレイヤーとなったナグモとこういった会話をすると、かつてのギルメン達との思い出が浮かび上がり、アインズは懐かしさから上機嫌になってくる。

 

「ナグモ。貴方、アインズ様の御提案に異を唱えるというの?」

 

 しかし、そこに冷たい声が割り込んだ。アルベドはナグモに対して口調と同じくらい冷え切った目を向けていた。

 

「アインズ様の御提案に沿う様にするのがシモベたる者の務め。分を弁えなさい」

「……確かに。出過ぎた事を致しました。謝罪致します」

「よい。お前が謝罪する必要はない」

 

 せっかく楽しい思い出に耽っていたのに水を差された気がして、苛立ちを感じながらもアインズは呑み込む。そしてアルベドに咎める様な視線を向けた。

 

「アルベド、私は忌憚の無い意見が欲しいのだ。私とて常に間違わないわけではない。より良い意見があるなら提示して貰う為にも、私に盲目的に従わせる必要はない」

「とんでもありません! アインズ様の御考えに間違いなどあろう筈がございません! 仮に誤りがあるとするなら、命令を実行したシモベ達にこそ問題がありましょう!」

 

 そういう事じゃないんだってば、と支配者ロールを崩して言いたくなるのを我慢する。NPC達が自分を絶対の主人だと思って従ってくれるのは嬉しいが、アインズの命令を実行できないならば自害しようとする忠誠心までは重過ぎた。

 

「……とにかく、ユエに種族変更を行うか否かについてはまた今後の課題でも良いだろう。ユエ自身の意見も聞くべきだろうしな。次に香織の方だが———」

「はっ。以前にもお伝えした通り、トータス固有の様々な異形種が混ざり合っている状態で、レベル100以上と言っても僕はともかく、人間形態のセバスより劣る様です。ただ———」

 

 ナグモは香織に関するレポートをアインズに見せた。

 

「調べたところ、雑多な魔物の組み合わせではありますが、その魔物達の特技や特性を全て取り込んでいる状態です。その為か、アンデッドの弱点属性である火属性に対しても耐性がありました。それどころか、各属性や状態異常に対しても高い耐性があります」

「……という事は、あれか? 色々な異形種の良い所取りみたいなものか?」

 

 頷いたナグモを見ながら、アインズは軽く無い目を剥いた。

 

(俺も装備で火属性に耐性は付けているけど、完全じゃない。だが、香織は装備なしで可能になるのか? それは強力だな……)

 

 異形種プレイヤーは自身の弱点属性を装備やスキルで補うのがセオリーだ。しかし、そうなると貴重な装備スロットを潰してしまう事になる。だが、香織の場合は装備スロットを防御に回す事なく自分の強化などに使えるのだ。それがどれほどアドバンテージになるか、PvPを繰り返してきたアインズには分かる。

 

「迷宮には神聖属性の魔物はいませんでしたが、今後トータスで神聖属性を持つ魔物を発見し、その肉を香織に食べさせた場合……あらゆる耐性を持った理想的な異形種になる可能性があります」

「なんとまあ……」

 

 ナグモの報告に、アインズは溜息を吐くしかなかった。ただの女子高生だった少女が、ここまでとんでもない存在になるなんて誰が予想できただろうか?

 

「アインズ様、そのアンデッドは危険ではないでしょうか?」

 

 アルベドが顔を険しくしながら進言してきた。

 

「至高なる御身に並び立つ者などいない、と思っておりますが、万が一という事もあり得ます。その白崎香織なるアンデッドにはより強い枷を付けるべきでは?」

「……というと?」

 

 アルベドはナグモへと視線を向けた。全NPC達の頂点に立つ守護者統括の威厳を出しながら、ナグモへと命じる。

 

()()はアンデッドなのでしょう。ならば、アインズ様が使役できる様に改造するなりしなさい」

 

 ———瞬間、ナグモの顔が無表情がはっきりと強張った。強い拒絶感を出しながら、声音が低くなる。

 

「不要だ、守護者統括殿。そんな手間を加えなくても、香織はアインズ様に恩義と忠誠を捧げている。恩義に報いる為に働く者に奴隷の様な仕打ちをするなど、低脳な人間がやる事だ」

「ナザリックのシモベ達を管理する者として、新参者に目を光らせておくのは当然の判断よ。貴方、そのアンデッドと恋仲になったと噂になってるけど、その判断が色恋に鈍ってるとは思ってないのかしら? 大体、恩義を返そうとする忠誠なんて、そんな物は夢見がちな理想論よ」

「……()()、じゅーる様の御信念を嘲笑っているのか?」

「貴方こそ……いま私達がお仕えしているのはアインズ様、ただ一人。お隠れになった御方の言葉には従って、この地に残られたアインズ様は蔑ろにするつもりかしら?」

 

 二人の守護者の間に極寒の視線がぶつかり合う。険悪と言っていい雰囲気に、空気がチリチリと軋みを上げていた。

 

「———よせ!!」

「「はっ! 申し訳ありません!」」

 

 アインズの一喝に、二人は即座に頭を下げた。

 

「アルベド、お前の忠誠は嬉しく思う。だが、香織とユエに関してはナグモに一任すると決めた。私はその言を翻すつもりはない」

「それはっ……いえ、申し訳ありません」

 

 絶対支配者であるアインズの言葉に、アルベドは抗議の言葉を呑み込んだ。

 

「ナグモよ。アルベドの心配はナザリックを思ってのもの。ならば、お前はそれを払拭する為に、あの二人にナザリックに対する忠誠を植え付けるのだ。それがお前の仕事でもある」

「はっ、かしこまりました。必ずやアインズ様に仕えられた事は至上の幸福であると、教育致します」

 

 頭を下げて承服するナグモを見て、この話は終わりだと打ち切った。

 

(ほっ……いや、さすがに俺も他人の彼女を取り上げて奴隷扱いとかしたくないよ。というかそれをやったら、ナグモがまた薬漬けになっちゃうってば)

 

 香織を探しに行った時の必死な様子を思い出し、アインズはあれは二度とゴメンだと思っていた。ようやく実った友人(じゅーる)の息子の恋なのだ。二人を引き裂く様な真似はしたくない。

 

(それにしてもアルベド、なんかナグモに敵意があった様な……いや、きっと気のせいだ。製作者のタブラさんとじゅーるさんは仲が良かったもんな)

 

 何せじゅーるはナグモの設定が中々上手く文章にできない、と設定魔のタブラに相談した程だ。ある意味、二人は親戚とも言える間柄の筈だ。NPC達の親愛関係は創造主同士の関係に起因しているものだから、アルベドとナグモも険悪な関係ではない筈だとアインズは自分に言い聞かせた。

 

 ***

 

 アインズの執務室から退出したアルベドは、第九階層の廊下を歩きながら先程の事を考えていた。

 

(……何故かしら? なんであそこまで、ナグモに対して敵意が出たのかしら?)

 

 実の所、アルベドは香織の事をそこまで脅威に思っていない。レベル100以上と言っても、守護者の中で犠牲になる事が前提のヴィクティムを除いて最弱のナグモを少し上回った程度。守護者の中でも三強に数えられる自分からすれば、十回は殺してもお釣りがくる程度の強さだ。

 それでもアルベドは香織をアインズに逆らえなくなる様にする為に進言した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……ええ。アインズ様の御理解は頂けなかったけど、必要な措置なのよ)

 

 オルクス迷宮から帰って来てから、ナグモは以前とは何かが変わった。それをNPC達を統括する守護者として、アルベドは感じていた。アインズからナザリックのNPC一覧が載るマスターソースを見せて貰えなかったが、アレは自分の管理から外れた存在になったのだとアルベドは本能的に理解していた。

 

(それにさっきのナグモの言葉……不愉快ね。いつまで()()()()()()()()()至高の御方を引き摺るつもりなのかしら?)

 

 アルベドの私室として与えられたギルドメンバーの予備部屋に入る。誰も入らせない部屋には、自作のアインズを模した抱き枕やぬいぐるみと———部屋の隅に打ち捨てられた“アインズ・ウール・ゴウン"のギルド旗があった。

 

「このナザリックは貴方様だけの物……そして、トータスという世界を捧げるのは貴方様だけ」

 

 アルベドは陶酔した顔で、絶対支配者である死の支配者(オーバーロード)を想う。

 

「その為に、このアルベド。邪魔となる者はたとえ神であろうと、排除してご覧にいれましょう。そして、貴方様の素敵な名前を取り戻し———御寵愛を受けたく存じ上げます」

 

 何故なら自分は、『モモンガを愛している』。他ならぬアインズ自身の手で、そうあれかしと定めて(設定)貰えたのだから。

 

『アルベドー、ちょっといい?』

 

 不意に外で偵察任務をしているアウラから《伝言》が届いた。アルベドはそれまでの陶酔した顔を即座に消し、外向きの顔を作り上げた。

 

「どうしたのかしら?」

『この世界の亜人族の国……フェアベルゲンだっけ? やっと見つけたんだけど、どうしようか? 滅ぼしちゃう?』

「……へえ、そう。よくやったわ、アウラ」

 

 アルベドは微笑む。それは天使の様に綺麗で———残酷だった。

 

「素晴らしいわ。魔力は劣っていても、屈強な肉体を持つ亜人族達はアインズ様のアンデッドとして、良い素材となるでしょう」




>冒頭の展開

 最近、本編で香織とイチャイチャしてないなあ……せや! 朝チュンさせたろ! という超浅はかな展開。あれだよ、きっと二人は夜通しウマぴょい(笑)してたんだよ。だからナグモは、こんな思いは初めてで、香織だけがチュウしたんだよ。

 何があったか知りたい人は×××版をどうぞ(宣伝)

>ミキュルニラ

 普段は道化を演じるけど、本当は物静かとかギャップ萌えしません?

>作中の人間種の職業スキルと異形種の種族スキル

 これは自分がやってたDQ7(プレステ版)からイメージしました。普通の職業ならモンスター職よりは簡単に上級職になれるけど、マダンテとかビッグバンみたいな極大呪文はモンスター職じゃないと習得できない。そんなイメージです。

>アルベド

 そりゃあね。創造主の意志を継ぐプレイヤーとか、アルベドさん的に邪魔者になるでしょうよ。ちなみにアインズ様は余計な混乱を招かない様に、所属NPC一覧を自分しか見れない様に改造した設定です。それにしてもナグモは直属の上司と仲が悪くなったわけだけど、自分がその立場だったら辞表を書いてるかも……。

>フェアベルゲン

 さあ、お楽しみのダイスの時間だ。前回の失敗を踏まえて、今回は簡単にしました。
 赤なら「生きる」。黒なら「死ぬ」。
 やったね、フェアベルゲンの皆さん。ナザリックと関わって50%も生存できる確率があるなんて、大チャンスじゃないか(ニッコリ)


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第四十四話「フェアベルゲン動乱の始まり」

 今回、はっきり言って自分でも上手く書けた自信が無いです。でも、モチベーションの維持の為、あとは所詮は素人が趣味で書いてるSSだからと開き直って投稿する事にしました。そんなわけでさほど期待せずに読んで下さい。

 あと諸事情により、感想の受付をログインユーザーのみとしました。ご了承下さい。


「ハァ……ハァ……!」

 

 ライセン大峡谷。

 魔力が分解される為に魔法が使えなくなり、峡谷に巣食う凶暴な魔物に見つかれば容赦なく餌食となる地上の地獄と呼ばれる場所で、その少女は走っていた。

 露出の多い民族衣装の様な服、青みがかった銀髪の上に揺れる兎の耳。

 彼女は兎人族と呼ばれる亜人族であり、本来ならハルツィナ樹海の奥にある亜人族の国「フェアベルゲン」で暮らす気弱な種族の筈だ。決してこんな場所にいて良い存在ではない。

 そもそもトータスにおいて亜人族は生まれ付き魔力を持たない為に魔法を行使できず、それが「神の恩恵を受けられなかった穢れた種族」として、人族からも魔人族からも差別される。ヘルシャー帝国など、亜人族を奴隷として酷使している程だ。その為に自分達の国から出る亜人族などいない。

 だが、彼女———シア・ハウリアは何かの確信を持った瞳で峡谷を進んでいた。

 

「急がないと……! 確か、『予知』だとこの辺の場所で……!」

 

 ぶつぶつと何かを呟きながらも、その足取りは逃避行の様に迷ってはおらず、確かなものだ。

 シアは峡谷の魔物に見つからない様に時折、岩陰に身を隠しながらもある場所を目指して進んでいく。

 

「もう少し……もう少しですぅ……!」

 

 まるでその場所にこそ求めている何かがあると確信している様な口ぶりで奥へ奥へと進んでいく。

 彼女———シア・ハウリアは未来が見えていた。魔力を持たない亜人族の隔世遺伝として、稀に魔力操作の技能と固有魔法を持って生まれる場合がある。シアの場合は「未来視」の固有魔法であり、この能力でシアは確定的ではないが、未来の可能性を垣間見る事が出来た。そして、その能力がシアが今求める者がこの先にいると示したのだ。

 だが———目的地にもう少しで着くという焦りが迂闊な行動になってしまった。

 

「あ………」

 

 峡谷の角を曲がると、ちょうど二頭頭のティラノサウルス———ダイへドアの眠っている場所に入り込んでいた。しかも運悪くシアに気付いてパチリと目を覚ましてしまう。ダイへドアはその二つの頭で、「何だコイツ?」と言いたげな目になる。しかも寝起きですごく不機嫌そうだ。

 

「あ、あの〜……起こしてしまってごめんなさい。それじゃ、私はこれで……」

 

 ニヘラ、と笑いながらシアは何事もなく立ち去ろうとする。もちろん、それで済む筈が無く———。

 

「「グルアアアアァァアアアッ!!」」

「ひぎゃあああああっ!?」

 

 勝手に縄張りに入り込んだ余所者(エサ)をダイへドアは追いかけ始めた。

 

「そ、そんな怒んないでくださいよおおおっ!? こんな未来は見えてなかったのにぃぃぃぃっ!?」

 

 余人から聞けば意味不明な事を言いながら、シアは遁走を始める。亜人族の中では最弱と揶揄される兎人族だが、その動きは非常にすばしっこい。ぴゅ〜っ、と擬音が付きそうな速度でシアはダイへドアを引き離そうとする。しかし、ダイへドアもさるもの。咆哮を上げながらシアに劣らぬ速度でぴったりとマークする。

 無限に続くと思われる鬼ごっこは、すぐに終焉を迎えた。ライセン大峡谷に縄張りを持つダイへドアは地理を知り尽くしており、シアはものの数分で袋小路に追い詰められていた。切り立った崖は高く、空でも飛ばない限りはこの場から逃げられそうにない。

 

「あわ、あわわわわ……」

 

 絶体絶命のピンチにシアはガタガタと震える。目の前には追い詰めた獲物を前に、生え揃った牙から涎を垂らす双頭がある。

 

「駄目……!」

 

 自分の死が目前に迫りながらも、シアの口から出たのは命乞いや末期の祈りではなく、否定の言葉だった。

 

「私は……私は、こんな所で死ねない……!」

 

 強い決意を込めて、シアは呟く。その目は生存を諦めてなどいなかった。

 

「ここで私が死んだら、フェアベルゲンの未来が———!」

「「グルアアアアァァアッ!!」」

 

 彼女の決意を掻き消す様にダイへドアが吼える。二つの頭がシアへと殺到する。シアは思わずギュッと目を瞑ってしまい———。

 

「「ギャアアァァアアアッ!?」」

 

 突如、襲い掛かろうとしていた筈のダイへドアの絶叫が聞こえた。シアが驚いて目を開けると、目の前に———ダイへドアの首筋に噛み付く黒龍の姿があった。黒龍は背中の翼を羽ばたかせ、ダイへドアを持ち上げるとそのまま地面へと放り投げた。一頭の首が食い千切られて、ダイへドアは造形が歪なティラノサウルスと化した。

 

「ガアアアァァァアアアッ!!」

 

 失った身体の痛みと生まれた時から一緒だった()()の死に、ダイへドアは怒りの咆哮を上げる。即座に起き上がると、残った頭の口に魔力が充填されていく。

 黒龍はベッ、と咥えていたダイへドアの首を吐き捨て、同じ様に口に魔力を充填させる。

 

「ガアァァァアアアアアッ!!」

「グオオオォォォォオオッ!!」

 

 咆哮と共に二匹の龍からブレスが吐き出される。極光が二匹の間でぶつかり合い———拮抗すらせず、黒龍へと軍配が上がった。

 衝撃と熱波を伴った黒いブレスはダイへドアを呑み込み、それどころか地面にも亀裂を残しながら背後の峡谷の岩壁まで融解させていく。

 

「す、すごい……ダイへドアが一撃で……!」

 

 呆然と呟くシアに、黒龍は頭を向ける。第三者から見れば、次の獲物をジロリと睨め付けている様に見えるだろう。だが黒龍はシアが大きな怪我などしてない事を確認すると、翼を羽ばたかせて飛び立とうとし———。

 

「あ、あの! 待って下さい!」

 

 その背中をシアは呼び止めた。

 

「助けてくれてありがとうございました! それで差し出がましいとは思いますけど、私の話を聞いては貰えないでしょうか!」

 

 凶暴そうな黒龍にシアは懸命に話し掛ける。言葉が通じる筈のない魔物と対話しようとするなど、傍から見ればシアが正気を失った様にしか見えないだろう。

 

『………………おぬし』

 

 だが————信じられない事に黒龍は振り向き、シアに向けて明確に言葉を発した。

 

『もしや、妾が竜人族だと知っておるのか?』

 

 コクン、と頷くシアを黒龍————ティオ・クラルスは信じられない面持ちで見つめた。

 

 ***

 

「お願いします! 信じて下さい!」

 

 それから数日後。シアはフェアベルゲンの長老会議の場にいた。といっても、テーブルに座る各種族の長老達に対してシアは下座で地に額を擦りつけ、必死な面持ちで頭を下げているという有り様だ。

 だが、そんなシアに対して長老衆達の顔は厳しい。

 

「はっ、誰が忌み子の言う事など信じられるか! よくもおめおめと我等の前に姿を表せたな!」

 

 熊人族の族長ジンが嫌悪感を込めた目でシアを睨む。

 

「大方、戯言で我々を混乱させて処刑を免れようという魂胆だろうが、そうはいかんぞ!」

「ち、違います! 私はこの()で確かに」

「ジンの言う通りだ! 掟に従って忌み子を匿っていたハウリア族もろとも処刑しろ!」

 

 土人族の族長グゼもジンに同意する様に大声を上げる。他の族長達も声高に主張はしないものの、シアに助け船を出そうとする者はいなかった。唯一、未来の族長候補として出席を許された森人族のアルテナが気遣わしげな視線をチラチラと送るものの、現族長である祖父アルフレリックの前では何も言えずに口を閉ざすしか無かった。

 

「長老様方、どうかお頼み申し上げます!」

 

 シアの父親———兎人族の族長カム・ハウリアが娘と共に土下座する。

 

「どうか娘の言う事に耳を傾けて頂きたい! 娘は処刑される覚悟でこの国に戻ったのです!」

「黙れ、カム! フェアベルゲンを謀り続けた裏切り者が!」

 

 ジンはカムに罵声を浴びせる。フェアベルゲンにおいて、シアの様に魔力操作をできる亜人族は魔物と同じ事が出来る忌み子と呼ばれ、生まれたら即座に殺すのが習わしだ。ところがカム達ハウリア一族は、シアを殺さずに大事な家族として育て上げ、今までその存在をひた隠しにしてきた。

 

「穢れた忌み子をよくも隠し続け、我等を騙し続けた分際でよくも口が利けたな! 即刻、その忌み子共々、貴様ら一族郎党を処刑して」

 

 ボンッ!

 

 カム達に掴みかかろうとしたジンの身体が黒炎に包まれる。軽く火傷する程度で済んだが、ジンは後ろに押し出されて、尻餅をついた。

 

「先程から黙って聞いていれば、なんと不愉快な……」

 

 シア達の後ろで事の成り行きを見守っていた黒い和服の女性———ティオは顔を不愉快そうに歪めながら居並ぶ長老衆達を睨んだ。

 

「年端もいかぬ少女が命を賭して願い出ているというのに、ただ怒鳴り散らして聞く耳を持たぬとは……それでよく長老などという地位に就けたものじゃな」

「ぐっ……黙れ、余所者! そもそも裏切り者のハウリアが連れた余所者など信用できるか!」

「———よせ、ジン」

 

 それまで目をつぶって事の成り行きを静観していたフェアベルゲンの最長老———アルフレリックが口を開いた。

 

「アルフレリック、貴様———!」

「忌み子が連れて来た余所者とはいえ、歴史の闇に消えた筈の竜人族の話に耳を傾けないわけにはいかないだろう」

 

 グッとジンは黙り込む。竜人族は表舞台に滅多に出ない孤高の一族として有名だ。そんな竜人族を連れてまで、忌み子が処刑される覚悟で自分達の前に姿を現したのだ。アルフレリックとしては、せめて真意を聞いてからでも遅くはないだろうと判断していた。

 

「……確認しよう、ハウリア族の忌み子よ。お前の未来視でフェアベルゲンが滅ぶ未来が見えた。それは確かな話か?」

「は、はいっ」

「このフェアベルゲンに魔物の軍隊が来る、と……そういう予知を見たと?」

「そ、その通りですっ。大勢の魔物を引き連れて、フェアベルゲンを攻める滅びの軍隊が」

「馬鹿馬鹿しいッ! やはり忌み子の言う事など聞く価値が無い! このハルツィナ樹海を迷わずにフェアベルゲンまで来れる者などいるものか!」

 

 シアの言葉を遮る様にジンが怒鳴り散らす。ハルツィナ樹海は年中霧に覆われ、魔物ですら方向感覚が迷う天然の要塞だ。それ故にこの世界で被差別種族である亜人族達は守られ、フェアベルゲンという国を今まで繁栄させてきた。いくら未来視の固有魔法があるとはいえ、シアの———ましてや亜人族にとっては穢れた忌み子の———言った事を鵜呑みに出来る者はいなかった。

 

「ほ、本当です! 誓って私は嘘など」

「黙れ、忌み子風情が!」

 

 外界から閉ざされた国で、国を守る為に代々一族の風習を守ってきたジンは余所者を連れて来た罪人(忌み子)の全てを否定する様に吼え立てた。

 

「今日も明日も明後日も変わらんっ! このフェアベルゲンは、誰からも侵略などされんっ!」

 

 それが————彼らの信じた変わらぬフェアベルゲンの日常の最後だった。まるで計ったかの様なタイミングで、非常事態を知らせる鐘が鳴り響く。

 

「な、なんだ!?」

 

 ジンを含め、その場にいる者達が動揺する中、ティオはいち早く外へ出た。

 

「あれは———!」

 

 空を睨むティオの視線の先に、一体の魔物がいた。まるでカラスを邪悪に歪めた様な巨大な鳥がフェアベルゲンを周回しながら、突然の事態に慌てふためく亜人達を見下ろしていた。

 

『聞け———我は偉大なる主の先触れである!』

 

 鳥が人の声真似をした様な耳障りな声がフェアベルゲン中に響く。よくよく見ると、カラスは何かの意思に操られているかの様に目が無機質だった。

 

『劣等種たる亜人族達に告げる! 貴様達に死を宣告する! 偉大なる主の贄として、潔く死に果てよ!』

 

 ティオの後ろでバタバタと足音がする。長老衆達も遅れながらも外に出て来た様だった。

 

『主は貴様達を滅ぼす為に軍を動かされた! 無駄な抵抗を止め、死の運命を受け入れよ!』

 

 カラスの魔物が長老衆達へ目を向ける。もしも感情を読み取るスキルを持つ者がいれば、無機質な瞳の奥にニヤリと邪悪に笑う者の姿が見えただろう。

 

『だが主は慈悲深くも劣等種の貴様達が生き残る道を示された! 主は“真の大迷宮"の情報を求めている!』

「なん……だと……!?」

 

 アルフレリックを始めとした長老衆達の顔色が変わる。それを見て、カラスの魔物はより一層にけたたましい声を出した。

 

『地に頭を擦り付け、“真の大迷宮"への道筋を示せ! そうすれば偉大なる主の気が変わるやもしれぬ!』

 

 バサリ、とカラスの魔物は天高く飛び立っていく。フェアベルゲン中に響く声で、最終通達の様に告げた。

 

『これより来る軍に服従せよ! 地に伏せ、下等な獣らしく這いつくばるがいい!』

 

 カァ、カァ! とまるで嗤い声の様に鳴きながら、カラスの魔物は去っていった。その背を見つめながら、呆然とアルフレリックは呟いた。

 

「なんという事だ………」

 

 そして———ティオは険しい顔で、カラスの飛び去って行った先を見つめていた。




>シア

 やばい未来を見てしまった子。そんなわけで危険を承知でフェアベルゲンに戻りました。さて、その未来を回避出来るのでしょうか?

>ティオ

 原作のハジメの代わりに連れて来られたみたいな感じです。まだお尻にアッー! されてないので、目覚めてはないです。あとはまあ、ウル編を原作通りにやらなくて良いかと思って、ここでシアと纏めて処r、ゲフンゲフン。出演させておこうかと。

>ジン

 フラグというものをご存知かな?


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第四十五話「ティオの悲願」

 仕事中にギックリ腰になりました。歩けない程じゃ無いけど、痛い……。

 あと本編に詰まったらR-18に書こうとする癖が出来ましたよ。どうしようもねえな、コイツ(鏡見て)


 コポコポ、とガラスポッドの中で泡立つ音が響く。

 ナザリック地下大墳墓第四階層のキメラ製造エリア。並び立つガラスポッドの中で眠る赤黒い線の入ったキメラ達をナグモは無機質な目で見つめていた。その付近では研究員であるエルダーリッチやエビルメイガス達が忙しなく動いていた。

 

「………さて」

 

 モニターに全てのキメラ達が正常に動く事を確認して、短く呟いた。

 

「準備は整った」

 

 ***

 

 亜人族の国———フェアベルゲン。

 樹海の奥深くに存在し、一年を通して霧深い樹海の中でマジックアイテムのお陰で例外的に霧が晴れた亜人族達の集落は自然と一体化して風光明媚な景色であり、もしも外から訪れる者がいればその美しさに感嘆の溜息を漏らしただろう。

 だが、今のフェアベルゲンには重苦しい空気が蔓延していた。

 その中をティオは歩く。道行く者の顔は皆険しく、誰もが剣や弓といった武器を帯びて物々しい雰囲気を出していた。年端もいかない子供は家の奥にでも引っ込まされているのだろう。通りに子供が全くいない光景に一抹の寂しさを覚えながら、ティオは目当ての建物に入る。

 

「触るな、この穢れた忌み子が!」

 

 ガンッと水の入っていた盆が壁に叩き付けられる。シアはウサ耳をびくっとさせながらも、ベッドの上の人物に話しかけていた。

 

「でも、すぐに治療しないと傷が」

「黙れ! ぐっ……これしきの傷など……!」

 

 ベッド上の人物———ジンは起きあがろうとするが、傷の痛みに耐えかねる様に顔を歪ませていた。それも無理はないだろう。身体の至る所に包帯が巻かれ、あまつさえ片腕と片足を失っているという酷い有り様なのだから。

 

「……何をしておる」

 

 そんな有り様になっても悪態だけは立派に吐けるジンをいっそ天晴れと誉めるべきか。そう思いつつも、ティオは呆れた様に溜息を吐きながら話しかけた。

 

「ティオさん……」

「そやつの事は別の者に任せれば良いだろうに。もはやそやつは戦線復帰は叶わん。今のフェアベルゲンはおぬし一人が欠ければ簡単に瓦解するほどじゃよ」

「ふざけるな! 忌み子なんかに任せていられるか! 俺はまだ……うぐっ!」

 

 起き上がって文句を言おうとしたジンだが、傷の痛みに障る様ですぐにうめいた。

 ジンだけではない。ティオが今いる建物には大なり小なり傷を負った亜人族達が運び込まれ、野戦病院さながらの様相になっていた。フェアベルゲンからすれば忌み子であるシアが堂々と表を歩けるのも、今は誰もシアに構う余裕なんてない程に事態は逼迫しているからだ。

 

「このフェアベルゲンが曲がりなりにも迎撃態勢を取れたのはシアの未来視のお陰じゃろう。そして侵攻ルートを予め予知してくれたお陰で、今のところは被害は最小限で済んでおる」

 

 ティオは少し厳しい目付きをしながら、ジンを睨む。この地に連れて来てくれた心優しい兎人族の少女が不当に貶められるのは看過できなかった。

 

「今や妾を除けば、この国で最も強いのはシアとなろう。おぬしも戦士であるなら、国の為に戦う強者を貶めるのが如何に愚かしい行為か分かっておる筈じゃが?」

「ぐっ……!」

「それに……シアに当たり散らした所で、おぬしがもう戦えない事に変わりはないぞ」

「ぐっ、うう……!」

「テ、ティオさん! いくら何でもそれは!」

 

 シアがあまりの物言いに口を挟もうとするが、ティオは強い目線でシアを制する。そしてジンへと向き直った。

 

「今日も明日も明後日も変わらぬ……おぬしは以前、そう申したな? だが、世は常に変化していた。その事から目を背けていたのが……貴様の、否。おぬし達、長老の罪じゃよ」

「う、ううっ、ううっ……!」

 

 まるで審判の様に下された言葉に、ジンは悔し涙を流すしかなかった。一族代々でフェアベルゲンの長老衆の一人として、頑なに掟を守ってきた。その為に亜人族の中では最強種の熊人族に恥じないだけの鍛錬もしてきた。

 だが、それは外から来た軍勢に対してあまりに無力だった。もっと見聞を広めるべきだったのではないか? シアの様な魔力を持つ亜人を殺さず、保護していればこんな事にならなかったのではないか? 自分だけではない、これまでに死んだ者やこの部屋にいる半死半生の者達に、こんな運命を辿らせずに済んだのではないか?

 国の舵取りを誤ってしまった長老衆の一人としてジンの胸に後悔が泥の様に疼いた。それは失ってしまった片腕と片足の様にジクジクと苛んだ。

 

「ああ、ああっ……!」

 

 残った手で顔を覆い、ジンは涙を流した。その嗚咽にジンの様にフェアベルゲンは未来永劫変わらないと信じていた周りの者は何も言えず、ただ目を伏せるしかなかった。

 

「……行くぞ」

「ティオさん……で、でも……」

「あやつにも心の傷を癒やす時間が必要じゃろう。おぬしがここにいてはあやつの気も晴れんよ」

 

 シアは気遣わし気に何度か嗚咽を漏らし続けるジンを見たが、結局はティオの言う通りにした。二人で野戦病院を出て、街道を歩く。

 

「まったく……鍛錬の時間になっても来ぬから、アルテナ殿に聞いてみたら負傷者達の手当てをしておったとは。まだおぬしの事をよく思ってない者も少なくないというのに」

「それは……そうですけど。アルテナちゃんもアルフレリック様が戦死されて族長になったから、負担を減らせたらと思ったんですぅ」

「その気持ちは立派じゃがな……」

 

 ふう、とティオは溜息を吐く。アルフレリックだけではない。フェアベルゲンの長老衆は魔物達の軍勢に戦死するか、ジンの様に再起不能となっているか。いずれにせよ、族長候補だった年若いアルテナが指揮を取らなくてはいけないほど、長老衆の被害は甚大だった。これも「外からの侵略者など来るはずが無い」と長年警戒を怠ったが故の結末だった。

 

「……ティオさんには感謝しています」

 

 後ろからついてくるシアが、突然そんな事を言った。

 

「私の頼みでフェアベルゲンまで付いて来て頂いて、それに今もフェアベルゲンの皆の為に戦ってくれて……本当に感謝の言葉も無いです」

「……なに、乗り掛かった船というヤツじゃよ」

「あの、どうしてそこまでやって頂けるんですか? ティオさんはフェアベルゲンとは関係ないのに」

 

 シアの疑問ももっともだった。もともとはシアがフェアベルゲンの破滅的な未来を視てしまったから、その未来を回避できると踏んだティオを連れて来たに過ぎない。今の状況はティオからすれば、何も旨味がない話だろう。だが、ティオはそれに答えずに質問で返した。

 

「……シアこそ、なぜフェアベルゲンの為に戦おうとするのじゃ? この国の者はおぬしに優しくはないというのに」

 

 ティオは静かにシアを見返す。一族総出で匿って家族同然に接してくれたとはいえ、このフェアベルゲンは忌み子だったシアには肩身が狭い思いで生活していた場所だろう。なんならば、フェアベルゲンの事など見捨ててハウリア族と共に逃げれば良かったのだ。それなのに、危険なライセン大峡谷に入ってまで自分に助けを求めに来たシアが不思議でならなかった。ティオの問いにシアはほんの少し俯く。

 

「……確かに、私はそこまでフェアベルゲンが好きじゃないです。忌み子なんて風習があったから、外にも自由に出歩けなかったし、家族に負担をかけてばかりで、あんな風習が無ければっていつも思っていました」

 

 でも、とシアは顔を上げる。

 

「……死んだ母様はこの国が好きでした。自然豊かで、外では奴隷か家畜扱いされる亜人族が皆で支え合っているフェアベルゲンを、母様は愛していました。母様が好きだった物を嫌いたくはありません。だから、母様が好きだったフェアベルゲンを私は守りたい。ただそれだけなんです」

「………そうか」

「それに嫌なことばかりじゃないですよ! 不謹慎かもしれないですけど、こんな状況になったから私を忌み子だから処刑しろ、と言う人は少ないですし、アルテナちゃんとも友達になれましたし、それから———」

 

 しんみりとした空気を払拭しようと捲し立てるシアにティオは苦笑する。付き合ってみて分かったが、この兎人族の娘は自分の特殊な生い立ちの為か常に人を明るくさせようという気配りができる娘だった。

 

「分かった、分かった……それ、先に鍛錬場に向かってくれるか? こんな時だからこそ、シアには魔力操作のやり方を覚えて貰わなくてはならん」

「はいっ! 今日もよろしくですぅ!」

 

 パタパタと駆けていくシアの背中をしばらく見つめ、周りから人が居なくなった事を確認するとティオは溜息を吐いた。

 

「……本来なら、ここでこんな事をしている場合じゃないのかもしれんがのぅ」

 

 竜人族のティオには一族の使命があった。それは世界(トータス)を弄び、気紛れにその世界に住まう人々を殺す邪神エヒトルジュエを討つこと。その為に竜人族は神敵として滅ぼされた様に見せかけて、隠れ里でひっそりと五百年もの長い時間を過ごして来たのだ。そしてほんの数ヶ月前、神が異質な人間達をトータスへ召喚したと感知した者がいて、その人間達を見極める為にティオは隠れ里から出てきたのだ。あわよくば、その人間達に事情を話して味方になって貰おうという打算もあった。

 

(じゃが……とんだ期待外れじゃった)

 

 聖教教会が認定した異世界の“勇者"達を陰ながら観察していたティオだが、すぐに失望感を覚える事になった。

 切っ掛けはオルクス迷宮でトラウム・ナイト相手に犠牲者を多数出したという時だったか。その時は運が無かっただけで、まだこれから強くなるかもしれないと自分へ言い聞かせた。その直後に起きたオルクス迷宮の“大災厄"も相まって、勇者達は不覚を取っただけだと納得することは出来た。

 ところがその後、オルクス迷宮が人間達が入れなくなったと判明するや否や、教会が“エヒト様に召喚された神の使徒"という威光を守る為に行った各地への遠征の様子を見て、ティオの失望感は強くなった。

 

(あんなものはただ自分より弱い魔物を駆逐して、悦に入っておるだけじゃ。そんな者達に神を倒すなど、期待できよう筈もない)

 

 各地で王国や教会に倒せと言われた魔物を倒し、それを得意気な顔で賞賛されている勇者達を思い出す。あんな物は聖教教会———ひいてはエヒトの威光を守る為のパフォーマンスだ。それに何の疑問も持たずに、周りからの賞賛に気を良くしているだけの人間の勇者(子供)を見て、ティオの中で召喚された勇者達への興味は完全に薄れてしまった。

 せっかく外の世界に出たというのに何の成果も得られなかった事に、失望感を覚えながらも飛んでいた所———ティオはシアと出会ったのだ。

 

「……いや。今やっておる事は、決して無駄というわけでもあるまい」

 

 勇者達がそんな体たらくと何処からか聞き付けたのか、各地では魔人族の侵攻が勢いを増したと聞く。まだ王国の辺境の地以外は戦火に巻き込まれていないが、それも時間の問題だろう。いまフェアベルゲンを攻めている魔物の軍勢も、背後には魔人族がいる可能性が高い。

 

「シアは磨けば輝く原石といったところじゃ。ここで鍛え上げ、フェアベルゲンを守る事で恩を売っておけば、神に一矢報いる勇者となるやもしれん」

 

 それこそが竜人族の悲願。かつてあらゆる種族を受け入れて平和な国を築きながらも、狂った神に神敵と宣言された事で滅亡させられた一族の切なる願い。エヒトルジュエを討ち、かつての様にあらゆる種族が平等に暮らせる世界を取り戻す。その為に———あの少女は必要だ。だから力を貸すのだ。

 

「………浅ましいな、ティオ・クラルス」

 

 フッと自嘲してしまう。一族の悲願はあくまで自分達が負うべきものだ。それに関係ないシアを巻き込もうとしている事に、ティオは自らの心の醜さを自覚せずにはいられなかった。

 

「だが、やらねばならぬ。もはや一刻の猶予もない」

 

 じきに魔物達の軍勢の侵攻も再開されるだろう。その時までに、出来る限りシアを鍛えなくてはならない。そう自分に言い聞かせて、ティオはシアの待っている鍛錬場に向かう。

 

「……願わくば。妾達と同じ様に神を討つ同志がおれば、良いのじゃがな」

 

 どこか祈りにも似た呟きは夜風に紛れて消えた。

 

 ***

 

「———気分はどうだ? コキュートス、アウラ」

「……別ニ悪クハナイ」

 

 床に刻まれた複雑な魔法陣から出て来たコキュートスは、自分の感触を確かめる様に四本の手を握ったり閉じたりしていた。

 でもさー、と共に魔法陣から出てきたアウラが大きく伸びをしながら言う。

 

「天職の付与実験なんて言うから、もっと大掛かりなものだと思ってたけど、意外と簡単に済むんだね。ナグモの事だから、解剖とかやるのかと思ってたんだけど」

「人をマッドサイエンティストみたいに……。大体、僕が錬成師の天職を得た時も肉体改造などされた覚えは無いぞ」

 

 ふうん、とアウラは気のない返事を返した。

 

「……不思議ダナ。身体ニ変ワッタ感覚ナド無イトイウノニ、新タナ技能ニ目覚メタ気ハスル」

「それがトータスの天職というものだ。使いこなせる様に鍛錬はしてくれ」

 

 ナグモはコキュートスに答えながら、それを伝えた。

 

「アインズ様のご用意が出来次第、フェアベルゲンの占領計画に移る。その時の為に、準備は怠らない様に」

 

 

 

 




 割とキングクリムゾンな展開です。まあ、あまり時間かけて描写しなくても……と思ったので。

>ティオ

 対エヒトの為に利用出来そうな人材を探している最中。しかし勇者達はお眼鏡に敵いませんでした。

>今の勇者達

 何でこんな事になってるかはいずれ。具体的に言うと……どこぞの何とかバオトさんのせいだけどな!(やはりナザリックのせい)


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第四十六話「no god」

 実はサブタイトルは自分が後で見返しやすい様に付けてるだけだから、結構適当です。

 それと活動報告でも言いましたが、今後のやりたい展開の為にクラスメイトsideを修正して、小悪党組あたりは死んでない事にするかもです。ダイスで雑に殺したのを今になって後悔し始めたので。

 まあ、あれだ。せっかくナザリックが来てるのだから、ちゃんと()()させようかと。


 その日はどんよりとした曇りだった。一年を通して霧に覆われるフェアベルゲンでは日が差さない空は宵闇の様に暗く、まるで今のフェアベルゲンの先行きを示している様だ。

 そんな風に考えてしまった頭を振り払う様に、シアはブルリとウサ耳を震わせる。そんなシアを見て、隣にいたティオが声をかける。

 

「緊張しておるか?」

「っ! 何の事です!? 私は全然緊張なんてしてないですよ!」

「無理はしなくて良い。シアだけが臆病というわけではない。誰だって緊張はしておるよ」

 

 周りにいるのは生き残りの亜人族の戦士達だ。ここにいるのは謂わばフェアベルゲンの最後の戦力だ。自分達が倒れれば、もう後は無い。それを自覚しているだけあって、皆の表情は険しい。

 

「でも……私達が頑張れば、アルテナちゃん達が避難できる時間は稼げます」

 

 シアの決意にティオは頷く。生き残った族長達の中で大迷宮への道筋を唯一知るアルテナは、戦えない者達を連れてフェアベルゲンを捨てる決意をした。この決断には多くの亜人族が絶句した。だが———。

 

『生きてさえいれば、いつかまた寄り添う事も可能ですわ』

 

 アルテナは反対する亜人族達を説得した。

 

『亡き祖父ならばそう決断されたでしょう。……もしかすると相手は建国以来、現れる事の無かった資格者なのかもしれません。ですが、こうして同胞達を殺し回っている以上は大迷宮の情報を教えたとしても無駄でしょう』

 

 毅然とした目でアルテナは国を捨てる決断をする。

 

『たとえ神や世界が私達(亜人族)を否定したとしても、私達は必ず生き延びて再び亜人族が平和に暮らせる国を築き上げてみせましょう』

 

 そうして最後の長老衆の責任としてフェアベルゲンに残ろうとしたアルテナをシア達は必死に説得して、僅かな護衛と共に避難民達と樹海の更に奥地へ逃げて貰う事にしたのだ。

 

(気概は買うがな、アルテナ殿。神への対抗手段である神代魔法の入手方法を知る其方には逃げ延びて貰わなくてはならんよ)

 

 だからこそ、ティオ達は囮として魔物の軍勢と戦う事にしたのだ。ここにいるのは謂わば陽動部隊。アルテナ達避難民がフェアベルゲンから逃げるまで、出来る限り魔物達を引き付ける役目を担うのだ。

 

「……逃げたくば、避難民と共に行っても良いぞ。おぬしの父達もアルテナと共に避難する事にしたのであろう」

 

 つい打倒エヒトの為にここで死んで欲しくはない為に、そんな事を言ってしまう。シアは驚いた様に目を見開き、しばらく考え———首を横に振った。

 

「お気持ちは嬉しいですぅ。でも……私は行けません。父様やアルテナちゃん達の為にも、私達で時間を稼がないといけません。それに……ここまで御世話になったティオさんを置いて逃げるなんて、それこそ父様達に怒られちゃいますから」

「………そうか」

「大丈夫ですって! アルテナちゃん達が無事に逃げられたら、私達もパッと逃げちゃえば良いだけですから!」

 

 ここにいるのは竜人族の悲願と自分の打算でしかないのに、純粋な好意を向けてくれるシアが眩しくてティオは伏せたくなる顔を必死に我慢する。

 

(ああ、そうじゃ。妾はこの娘を利用しようとしておる)

 

 じゃが、とティオは心を前に向かせる。

 

(だからこそ、妾は全力でシアと……シアが大切にしたいと願うこの国を守らねばならぬ)

 

 それが利用しようとしているシアへの、せめてもの対価なのだ。その気になれば竜化して自分とシアだけでも逃げ出す事も可能だった。それをしなかったのは、自分も知らず知らずのうちにシアに影響されたのかもしれない。

 

「……おぬしは絶対に死なせん。約束しよう」

「ティオさん……?」

 

 不思議そうな目で自分を見てくるシアを余所に、ティオはこの場に残った亜人族の戦士達によく通る声を張り上げる。

 

「聞け! 全ての亜人族達よ!」

 

 凛とした声に戦士達は静まり返る。余所者といえど、これまで数多くの魔物達を屠ってきたティオの言葉に耳を傾けない者はいない。

 

「認めよう、敵は多い! じゃが、恐れる事は無い! この場には妾と———亜人族の奇跡の子であるシア・ハウリアが着いておる!」

 

 ふぇ!? とシアが驚いた顔になるが、あえて無視する。

 「奇跡の子?」「ハウリア族の忌み子が?」と困惑する声が広がるが、ティオはそれよりも大きな声を出した。

 

「確かにそなた達の風習では魔物と同じ様に魔力を直接扱うシアは忌むべき存在かもしれぬ……だが、こうは考えられぬだろうか? シア・ハウリアはこの時の為に、この世に生を受けたのだと! そなた達は知っていよう! フェアベルゲンの危急の事態を最初に知らせてくれたのは誰じゃ! そして、忌み子と白い目で見られながらもフェアベルゲンの為に戦ったのは誰じゃ!」

 

 「確かに……」「あの娘がいなければとうに全滅だった……」などと、ティオの言葉に賛同する声が出てくる。いま生き残っているのは、亜人族の中でも歴戦の戦士達。彼等もこれまでの戦いの中で、シアの未来視がいかに役立ち、また魔力操作を行えるシアが自分達よりどれだけ強いか理解していた。

 

「そう、シア・ハウリアが居なければ妾もここにはおらず、フェアベルゲンも魔物の襲来を予知出来なかった! ならばこそ、シア・ハウリアは亜人族でありながら魔力を授かった奇跡の子と言えよう!」

 

 「おお!」「その通りだ!」と戦士達は騒ぎ出す。この危機下において、忌み子という古くからの慣習は忘れ去られていた。何よりも、穢れた下等種族として人間族のエヒト神や魔人族のアルブ神から見放された亜人族達は自分達が信仰できる分かりやすい象徴を欲していた。この場においてシア=亜人族の奇跡の子という見方が高まっていく。

 

「あ、あの、ティオさん? もう、そこら辺で———」

「奇跡の子であるシア・ハウリアがいれば、妾達に敗北は無い! 必ずやそなた達は勝利するであろう!」

「もう勘弁して下さい!?」

 

 小っ恥ずかしい呼称にシアが涙目になるが、もう遅い。戦争前の緊張感も相まって、戦士達は口々にシアを讃え出した。

 

「そうだ! 俺達には奇跡の子が付いている!」「うおおおっ、やるぞ! 魔物の百や二百ぐらい蹴散らしてやる!」「奇跡の子バンザイ!」

 

 次々と湧き上がる奇跡の子への万歳三唱に、シアは恨めしげな目をティオに向けた。

 

「ティ・オ・さ〜ん……なあに、してくれてやがりますか!?」

「ん〜? 戦意高揚は必要じゃろ? それに妾は本当の事しか言っておらんよ? どう受け取るかは人それぞれじゃがのう?」

「うわ〜ん! こんなの詐欺ですよおおおっ!」

 

 ポカポカと叩いてくるシアに、ティオはホホホホ、と扇子で口元を隠しながら思考する。

 

(これで良い……戦意高揚もそうじゃが、これで亜人族の『奇跡の子』であるシアをどうにかして守ろうという流れになる筈じゃ)

 

 もしもの時は戦士達をシアが生き残る為の盾にする。そんな醜い打算を自覚しながらも、ティオは覚悟を決める。

 

(その為には……一匹でも多く、魔物達を駆逐するまでよ!)

 

「さあっ、征くぞ!」

「「「オオオオオオオオオオッ!!!」」」

「ちょっ、ティオさん! まだ話は終わってないですぅ!? ティオさん! ティオさんってば〜!」

 

 ***

 

「ヤアアァァァアアッ!」

 

 ブンッ! と巨大な木槌が振るわれる。木槌は巨大なカブトムシ型の魔物———ドライガを硬い殻ごと叩き潰し、瞬く間に絶命させていた。

 

「ハァ……ハァ……これで、百五十匹め!」

 

 シアが荒い息を整えようとしたところを蝶型の魔物———スキアーが突撃する。シアは身体能力強化に魔力を使い、大きく跳躍してスキアーの突撃を回避する。そして近くの木に足をつけると、ダンッ! と全身のバネを使ってスキアーに木槌を振り下ろした。

 

「これで……百五十一匹!」

 

 グチャッと潰れたスキアーを見ながら、シアは次の魔物を探す。ティオの指導で魔力操作の技能を覚え、身体能力強化に目覚めたシア。今の彼女は並の魔物では相手にならない程に強力な戦士として覚醒しつつあった。

 

「す、すごい……これが忌み子と呼ばれていた兎人族の力なのか?」

「やはり、あの娘こそ奇跡の子だ……」

 

(うう〜、その呼称は止めて下さいってば〜!)

 

 近くにいる亜人族の戦士達が賞賛するのを聞き、シアは内心で涙目になる。それが隙となったのか、ナナフシ型の魔物———オゾムスが節だった脚をカシャカシャ言わせながらシアの背中に突撃していく。

 

『グオオオオオオッ!』

 

 だが、シアに辿り着くより先に黒炎がオゾムスを包む。オゾムスは後続の魔物と共に灰になって消えた。

 

『油断大敵じゃよ、シア。まだまだじゃのう』

「ティオさん!」

 

 黒竜の姿となったティオにシア達は歓声を上げる。そしてシア達の元にアルテナに付いていた護衛の伝令が走り寄ってくる。

 

「報告します! アルテナ様と避難民達は無事、樹海の奥へ避難致しました!」

「良かった……ティオさん!」

『うむ……』

 

 黒竜の姿のまま、ティオは思考する。黒竜化で大分魔力を使ってしまったが、その甲斐もあって攻めてきた魔物の軍勢はほとんど駆逐出来ていた。ここら辺が潮時だ、とティオは判断する。

 

『よし、妾達もこれより撤退を行う! アルテナ殿にそう伝えて———っ!?』

 

 伝令に伝えようとしていたティオだが、途中で何かに気付いた様にバッと空を見上げ———シア達の前に黒竜の巨体を出した。

 瞬間、ティオの身体に紅蓮の火花がいくつも起きる。

 

『ガアアアァァァッ!』

「ティオさん!?」

 

 シア達も慌てて空を見上げた。そこには———。

 

「———ほう。よもやこんな所で竜人族に遭遇するとはな。それならばタヴァロスが梃子摺っていたのも納得はいく」

 

 上空には夥しい竜の群れ。その中で黒竜化したティオに見劣りしないくらいの巨体を誇る白竜の背から、呆れ半分驚き半分といった声が響く。浅黒い肌に、尖った耳。シア達は初めて見るが、その姿は伝え聞いていた。

 

「魔人族———!」

「……獣風情が神に選ばれた高貴な種族である私に声をかけるな。穢わらしい」

 

 嫌悪感を込めてシア達を見ながら魔人族の男———フリード・バグアーは吐き捨てた。

 

「フン、本当に不愉快だ。我が偉大なる主の命でなければ、こんなケダモノ共が群がる国など来たくもなかった」

「申し訳ありません、フリード様。お手を煩わせてしまった事をお詫び申し上げます」

「構わん。竜人族がいたのならば、手勢の魔物だけでは戦力不足だっただろう。どのみち、大迷宮の攻略の為に赴く必要があったわけだしな」

 

 隣で竜に跨る魔人族の男———タヴァロスの謝罪をフリードは軽く流した。見れば竜達には全員魔人族が騎乗しており、シア達に侮蔑した目を向けていた。

 

『グ、ウゥ……やはり、魔人族が関係しておった、か……!』

「ティオさん、無理に動いたら———!」

 

 竜達の一斉ブレスをその身に受けたティオが肉を焼け焦がす臭いをさせながら、上空のフリード達を睨む。

 

「とはいえ、所詮は神に見放されたトカゲモドキの生き残り。私の白竜や灰竜のブレスには耐え切れない様だな」

「違いありません。フリード様の神代魔法でお作りになられた魔物達では、異教徒どころか畜生共には過ぎた代物でしょう」

 

 「全くです」と部下であろう魔人族達が嘲笑するのをシア達は唇を噛みながら睨む。

 

『おぬし、アルテナ殿に知らせよ! 魔人族が襲来してきたと! 更に樹海の奥地か、最悪はハルツィナ樹海から逃げよと伝えるのじゃ!』

「は、はっ!」

「逃さん。おい、あのケダモノを捕らえろ。ただし殺すな。口だけは利ける様に四肢は斬り取っておけ」

 

 ティオの命令に、アルテナの伝令は素早く走り出そうとする。その背中を魔人族達は嘲笑いながら、魔法を撃とうとする。光弾が伝令の背中に奔る。伝令は思わず後ろを振り返り、絶望した表情になり———。

 

「させませんっ!」

 

 次の瞬間、光弾を追い越して伝令の背中に追い付いたシアによって光弾は叩き落とされていた。

 

「お、お前———!」

「貴方は逃げて下さい! 早く避難してる人達のところへ!」

「っ、分かった! 恩に着る!」

 

 伝令が素早く走り去るのを後ろ目に、シアは上空の魔人族達と対峙した。

 

「その力……もしや、お前が亜人共の長か?」

「へ? いや、私は———」

 

 シアの強さに何か勘違いしたのか、フリードがそう聞いてきたのを否定しようとする。だが、すぐに思い当たった。ここで勘違いして貰えれば、アルテナ達の逃げる時間が増える。

 

「———っ、そうです! 私がフェアベルゲンの族長です!」

『シア……何を……!?』

 

 ティオが苦しそうに声を出すが、痛みに次の言葉を吐けなかった。周りの亜人族の戦士達も驚いた顔になったものの、シアの決意を悟った。そして彼等は頷きあい、口々に声を上げた。

 

「そうだ! この娘……いや、この方こそが我等の族長シア・ハウリア様だ!」

「亜人族でありながら、魔力を宿した奇跡の子だ!」

「だ、だから、その名称は止めて下さいってば〜!」

 

 戦士達が次々と言い張るのにシアは涙目になる。フリードはどこか胡散臭そうに見たものの、シアの言に乗った。

 

「まあいい。おい、そこのケダモノ。真の大迷宮の場所は何処だ?」

「……貴方達に言うと思いますか?」

 

 そもそも真の大迷宮というのが何かシアは知らないが、不敵な笑みを浮かべて誤魔化す。フリードは不満気に鼻を鳴らしてシアを睨んだ。

 

「ケダモノ風情が……ならば、力づくで聞くまでだ」

「やれるもんなら、やってみやがれ! ですぅ!」

『よせ、シア……!』

 

 ティオの制止を振り払い、シアは木槌を振りかぶって亜人族の戦士達と共に魔人族達へ突撃していった。

 

 ***

 

「ハァ……ハァ……う、くっ……!」

「フン、ケダモノにしてはよく保った方だ」

 

 勝敗は決した。フリードの神代魔法によって作られた魔物達はこれまでの魔物とは強さが段違いであり、魔人族の強さは種族的な優位もあって、歴戦の亜人族の戦士達は一人、また一人と倒れていった。そしてまだ地に倒れ伏してない最後の一人となったシアは半ばから折れた木槌を杖にしながら頭から血を流して荒い息を吐いていた。

 

「もうよい……! 妾達を見捨てて、今すぐ逃げよ……!」

「嫌……ですぅ……なんてったって、私は奇跡の子で……フェアベルゲンの族長、ですから……あはは」

 

 既に魔力が切れて竜化が解けてしまったティオは倒れたまま、シアへ悲痛な声をかける。だが、シアは強がりと分かる笑みを浮かべて首を横に振った。

 

「ティオさんに……ここまで戦って貰ったのに……私が忌み子だって、後ろ指を指されなくなる様に、して貰えたのに……ティオさんを……私を信じて、戦ってくれた皆んなの為にも……ここで私だけ逃げるわけには、いかないんです……」

 

 その姿に、ティオは胸をするどく突かれた様に絶句した。

 シアにあれこれ世話を焼いていたのは、全てシアに恩を着せる為にやっていた事だ。いずれエヒトを討つ勇者として戦って貰う為に。奇跡の子なんて方便も、亜人族達がシアを生き残らせようとする事を期待してやった事でしかない。

 そして———シアはティオの思惑通りに恩に感じていた。それも期待以上に。

 

(妾は……何という事を……!)

 

 今更になってティオの胸に後悔が湧き上がる。だが、そんなティオの心情など知らず、シア達を包囲した魔人族達は詰め寄る。

 

「ケダモノ。真の大迷宮は何処だ?」

「言うわけ……ないでしょうが……おととい来やがれ、ですぅ……」

 

 ギリっとフリードは苛立ちに歯を食いしばりながら、シアに歩を進める。その手には剣が握られていて———。

 

「お止めなさいっ!」

 

 突然、品のある女性の声が響く。その場にいる全員が向いた視線の先に、地球でいうところのエルフみたいな容姿の亜人———アルテナが立っていた。

 

「アルテナ、ちゃん……どう……して……?」

「暫定的とはいえフェアベルゲンの族長として、シアちゃん達が戦っているのに私だけ尻尾を巻いて逃げるなんて許されるわけないですわ。安心して下さいまし。避難民の事はカム達に任せましたわ」

 

 シアが息絶え絶えで聞く中、アルテナは震えながらシアに微笑んでみせた。

 

「……貴様が族長だと? この娘では無かったのか?」

「……いえ。私の名はアルテナ・ハイピスト。フェアベルゲンの長老、アルフレリック・ハイピストの孫であり、私こそがフェアベルゲンの族長ですわ」

 

 ジロリ、と睨め付けてきたフリードの気迫に押されまいとするかの様にアルテナは毅然とした態度で言い放った。

 

「……私はあなた方に降伏します。あなた方に祖父より教えられた真の大迷宮への道筋をお教え致します。ですから、どうか……この場にいる皆の命を助けては頂けないでしょうか?」

 

 お願いします、とアルテナは魔人族達に跪いた。それをフリード達は冷ややかな目で見つめる。

 

「タヴァロス」

「はっ」

 

 魔人族の一人がアルテナにツカツカと歩み寄る。そして———跪いたアルテナの金髪をグイッと掴み、無理やり立たせた。

 

「っ」

「おい、ケダモノ。どうして私が最初、貴様らに従属を要求したか。そしてその後の侵攻でも魔物達だけに任せていたか、分かるか?」

 

 分からない、といった表情で見つめるアルテナに、タヴァロスは平手で打った。

 

「ああっ!」

「それはな、我ら選ばれし種族の血をケダモノごときに流したくなかったからだ。そこでここに来て、交換条件だと! ケダモノ風情が! 我々と! 対等だとでも! 言うのか! 不愉快だ! ああ、不愉快だ!」

 

 パン! パン! パン!

 

 一語ごとに力を込めながらアルテナの顔を平手で打っていく。アルテナの美しい顔が青痣で腫れ上がっていく。

 

「止めて……! アルテナちゃんに酷いことするな……! お願い、止めて……!」

 

 シアがふらつきながらもアルテナに近寄ろうとする。その背をフリードは蹴り飛ばし———脇腹に剣を突き刺した。

 

「ああああっ!?」

「劣等種族であるケダモノの分際で、よくも我等を謀ってくれたな。その罪、万死に値する」

 

 ドクドクと腹から血を流すシアのウサ耳を掴み、フリードは未だにタヴァロスに叩かれ続けるアルテナを見せつける様にシアを無理やり立たせた。

 

「貴様は後で魔物達のエサにでもくべてやる。そこで見ておけ、下等生物風情が我等に楯突くとどうなるか。後悔しながら死ね」

「アル……テナ……ちゃ、ん……」

 

 出血で意識が朦朧とするのか、虚ろな目でシアはアルテナを見続ける。叩かれ続け、顔が倍以上に膨れ上がっているアルテナに謝る様な目を向けて涙を流していた。

 

(誰か……誰か、助けてたも……!)

 

 動かない身体に歯軋りしながら、ティオは救いを求めた。

 

(妾はどうなっても構わん! だから、シアは……この心優しい娘だけは、救ってやってくれ……!)

 

 自分が利用しようとしただけなのに、自分や周りの人間を助けようと必死で戦った兎人族の少女の救済をティオは心から願う。だが、同時にティオの冷静な部分が嘲笑う。この世界には亜人族である彼女を救う神など居はしない。

 

(神でも……この際、悪魔でも構わん! だから、シアだけはどうか助けてやってくれ……!)

 

 そして――願いは聞き届けられた。

 

「な、なんだ!?」

 

 タヴァロスが突然、大声を上げる。ハッとティオが見ると、アルテナを中心に発生した光の障壁———"聖絶"にタヴァロスが押し出され、尻餅をついていた。

 

「はいは〜い、そこでストップね」

 

 森の奥から一人の人物が出てくる。金色の髪に、浅黒い肌。そして尖った耳。トータスにおける魔人族の特徴とよく一致していたが、瞳は緑と青のヘテロクロミアだった。

 

「貴様……おい、小僧! どういうつもりだ! どこの部隊の者だ!」

「そう怒鳴んないでよ、うるさいなぁ。そもそも私はあんたらのお仲間じゃないし」

 

 いきり立つタヴァロスに対して、少年の格好をしたその人物は五月蝿そうに顔を顰めていた。

 

「そのエルフさあ、大迷宮への道を知ってるんでしょ? 殺されたら、アインズ様がすごく困るんだよね」

「何だと……?」

 

 聞いたことの無い名前にタヴァロスが困惑を浮かべる。すると、奥から今度は一体の魔物が出てくる。カマキリとアリを合体させた様なライトブルーの魔物は、冷気を漂わせながら魔人族の見た目をした人物の横に並び立つ。

 

「何だ、その魔物は……? そんなもの、作った覚えが無いぞ……?」

 

 見た事の無い魔物に、今度はフリードが困惑の声を上げる。そして、彼を更に驚かせる事態が起きた。

 

「————一同、控エヨ」

 

 喋った!? 魔物が!? と困惑の声を魔人族達が上げる中、ライトブルーの魔物は鋏をカシャカシャと鳴らしながら言葉を発した。

 

「至高ノ御方、アインズ・ウール・ゴウン様ノ御前デアル」

 

 その言葉が合図となったかの様に、新たに現れた二人の背後で闇が生じる。闇はちょうど人一人が通れる様な大きさになり———そして。

 

 フェアベルゲンに、死の支配者()が舞い降りた。

 

 

 

 

 




 前話で感想を書いてくれた方、返信できなくてごめんなさい。どうしてもこのオチの為に下手な事は言えなかったんです。

 というか皆々様。アインズ様を信じてあげて下さいよぅ(原作のあれこれに目を瞑りつつ)


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第四十七話「ナザリックの作戦会議」

 そもそも何でこんな事になったよ? という説明回。割と御都合主義マシマシですけど。

 追記

 クラスメイトsideを修正し、檜山達は死んでない事にしました。今後にやりたい展開の為には必要になったので。

 ……自分で書いててアレだけど、楽に殺さない宣言になってる気がする。



 ———話は魔人族がフェアベルゲンに宣戦布告する前に遡る。

 

「ほう……亜人族達の国を発見したのか。よくやったぞ、アウラ」

「はい! ありがとうございます、アインズ様!」

 

 アインズが褒めると、アウラは父親に褒められた子供の様な笑みを浮かべた。

 ナザリック地下大墳墓第九階層の一室。

 コの字形にテーブルを置いた会議室で、アインズはヴィクティムを除いた各階層守護者達を集めていた。これは謂わば定例会だ。打倒エヒト神という大きなプロジェクトに向かっているナザリックで、各部門の部長ともいえる階層守護者達に報告や意見交換をさせる事で情報共有を図ろうというアインズの試みだった。

 

(転移前は会社の会議とかユグドラシルをやる時間が減るから嫌だったんだけど、いざ管理者の立場になると必要だからやっていたという事がよく分かるなぁ)

 

 社員への連絡事項なんて一斉送信のメールで良いじゃん、と昔はアインズも思っていたが、NPC達に完璧な支配者だと思われている今はそんな怠惰な考えは無い。最古図書館(アッシュールバニパル)で自己啓発本やビジネス書をこっそり借りて読んだり、自室で誰もいない時は鏡の前で支配者らしい振る舞いを練習したりと日々尊敬される上司(支配者)を目指して余念の無いアインズであった。

 

「ただ、ちょっと問題がありまして。樹海の別方向からこの世界のダークエルフ……じゃなくて、魔人族でしたっけ? そいつらがフェアベルゲンに侵攻を仕掛けようとしてるみたいなんです」

 

 きゅっとアウラやマーレ、シャルティアといった(見た目は)年少組達の顔が顰められる。

 

(ん? 亜人族の国が攻め込まれると聞いて同情的になったのか? いやあ、アウラ達も意外と可愛らしい所が――)

 

「アインズ様より先に滅ぼそうとするなんて! 無礼な奴等ですよね!」

「まったくでありんす!」

「え、ええと……ボクも、その人達は失礼だと、思います……」

 

 この子達はすごく理不尽だな、と私は思いました。

 思わず作文口調でアインズは心の中で天を仰いだ。

 

「アインズ様」

 

 アインズの隣(因みに反対側はシャルティア)に座ったアルベドがアインズへと進言してくる。

 

「アインズ様のアンデッド用の死体として、亜人族が殲滅された後に魔人族達を滅ぼしてはいかがでしょうか? そうすれば亜人族と魔人族の死体を一挙両得に入手できると思われます」

 

 ううむ、とアインズは考える———フリをした。

 

(今はそんなに死体が入り用というわけじゃないんだけどなぁ……)

 

 アインズが得た生成魔法———それはアイテム作成効果を上げるのみならず、アンデッド生成にも影響を及ぼしていた。上位個体のアンデッドは無理だが、デスナイトの様な中位以下のアンデッドならば死体無しでも半永久的に召喚を維持できる様になっていた。

 

(ナグモは生成魔法を無機物に干渉する魔法と分析していたな。アンデッドは無機物扱いなのか? いや、生きてないという意味なら有機物とは言わないだろうけど)

 

 頭を捻ってみたものの、そもそも小卒である為に有機物と無機物の知識を正しく理解できてないアインズには難しい内容だ。まさかそんな基本的な科学知識を部下であるナグモに聞くわけにもいかず、アインズはとりあえず『スキルのみで中位以下のアンデッドの召喚時間が無限になった』と解釈していた。

 

(じゃあ、亜人族や魔人族の死体でアンデッド生成したらどうなの? とは思ったけど、ナグモが確保した金ランク(最上級)冒険者達の死体を使っても普通のアンデッドにしかならなかったから望み薄なんだよなぁ……でもどうやってアルベドの提案を断ったらいいんだろう?)

 

 上司としてやってはいけないのは、部下の提案を代案も無しに却下する事だ。鈴木悟だった頃も、「この企画書、ボツだったから明日までに直してきて」としか言わなかった課長にはよく立腹したものだ。だから「今はそんなに死体が要らないからいいや」と言うならば、企画を練ってきたアルベドに対して良い代案を示すべきなのだ。

 

「……それは、問題があるかと」

 

 ざわ、と守護者達が視線を向ける。視線の先にいた人物———ナグモはいつもの無機質な表情で視線を真っ向から受けていた。

 

「……へえ? あなたはアインズ様がアンデッドの作成実験を行う事に反対というの?」

 

 自分の案を真っ向から反対された形になったアルベドが、ナグモに険しい目線を向ける。

 

「それとも……貴方も人間種だから、同じ人間種が犠牲になるのが容認できないのかしら?」

「別にこの世界の亜人族や魔人族、はては人間達がどうなろうがどうでもいい」

 

 いいんかい! とアインズは心の中でつっこむ。

 

「だが……今回は例外だ。フェアベルゲンにはアインズ様がお求めである大迷宮がある可能性がある」

「なに? それは確かなのか?」

「はっ。オスカー・オルクスの手記には全ての場所がはっきりとは書かれていませんが、解放者の一人が亜人族であった事からフェアベルゲンには何かしらの情報があると推測しています」

「じゃあ亜人族を適当に攫って、魅了で吐かせれば良いんじゃありんせん?」

「それも問題がある、シャルティア。いまナザリックの鉱山と化したオルクス迷宮だが、表層の100階層目から「六つの証をかざす」というのが本来の入り口だった。似た様な仕掛けがハルツィナ樹海にあった場合、魅了では正確な情報は掴めない」

 

 むっ、とシャルティアが難しい顔になる。魅了はかけられた相手に術者を信頼の置ける友人だと思い込ませる魔法だ。この友人というのがネックで、友人がしそうにない命令には従わないし、時には友人にも語れない秘密の情報は喋らないという場合がある。

 

「大迷宮の情報を知っている亜人が掴めない以上、それまでは奴等には生きていて貰う必要がある。魔人族が先に大迷宮を掌握するのも面倒な事態になるからな」

「ん〜……じゃあさ、魔人族が亜人族から大迷宮の情報を聞き出した後、奴等を滅ぼしちゃう?」

「……亜人族達に助け舟を出してやってもいいかもしれんな」

 

 え!? とアウラがアインズの方を向いた。他の守護者達も一斉にアインズの方を向く。

 

「確定ではないが、亜人族達が大迷宮の場所を知っているなら友好関係を築くのも悪くはない。それに亜人といえど、トータスに来たばかりの我々にとっては未知の存在だ。生かす価値はあるだろう」

 

 もっともらしい事を言ったが、アインズとしては別の理由もあった。

 

(亜人族達には興味は無いけど、今回の()()()でどうにかNPC達に他者に寛容になる精神性を学ばせられないか?)

 

 プレイヤーとなったナグモを含め、基本的にナザリックの者達は主であるアインズこそが至上であり、その為ならばナザリック外の存在など塵芥以下と思っている節がある。そういった意識改革をする為にも、亜人族の救援を提案してみたのだ。

 

(それにかつて対エヒトの為に集っていた解放者達も、戦いの最中でエヒトによって人々から異端者として迫害されて潰えたんだ。戦いに必要なのはやっぱり数だな。大勢から支持されてる方が、エヒトから見ても潰しにくくなる筈だ)

 

 自分達は強いから大丈夫、などとアインズは慢心はしない。解放者という失敗例がある以上、対エヒト連合を作る為にはナザリック外からも多くの人材が欲しいのだ。その為にも亜人族達を魔人族達から守るのは良い案の筈だ。

 

「アインズ様の御意見に異を唱える愚をお許し下さい。ですが、たかが亜人ごときを保護される必要など———」

「———いや、待ちたまえ。アルベド」

 

 デミウルゴスがすっと手で制する。そして、無言のままアインズを見た。

 

(え? 何? 反対なら反対と言っていいんだよ? 俺が考えてる程度の事なんて、アルベドやデミウルゴスみたいな頭の良い奴等なら欠点をすぐ看破できるだろうし。無言が一番怖いんですけど!?)

 

 などと思っていても、練習してきた支配者ロールは無様な動揺など見せない。デミウルゴスがどんな反対意見を言ってくるか、と身構えていると———。

 

「……なるほど。そういう事でございますか」

 

 いや、何が? そう思っていると、何故かナザリック知者組であるナグモとアルベドも驚愕に目を見開いていた。

 

「———確かに、合理的ですね。まさに神の一手……失礼、魔の一手ですね」

「お許し下さい。守護者統括でありながら、アインズ様の知謀を理解出来なかったなど不徳の極み。この失態は、必ずや命に代えても払拭致します!」

「よ、よい。許そう、アルベド。お前の全てを許す」

 

 だから何を理解したのか説明してくださいお願いします、とアインズの心の中での嘆願も虚しく、コキュートスが追従してきた。

 

「ムウ……ヤハリアインズ様コソガ、ナザリック一ノ知者……」

「その通りだとも、コキュートス。アインズ様は常に一手先どころか、未来を見通しておられる。我々凡俗ごときでは思い付きすらしなかったよ」

「は〜……アインズ様って、やっぱり凄いです」

「ほ、本当だね。お姉ちゃん」

「ああ……まさに麗しの我が君……知謀すらも完璧だなんて」

 

 いや、未来どころか今現在で手一杯ですけど!? 

 そう叫びたいが、アウラとマーレのキラキラした目を見て何も言えなくなる。サンタクロースなんていないよ、と伝えられない父親の気分だ。

 シャルティアに至ってはウットリとこちらを見つめている始末だ。

 

「う、うむ。私の考えを理解してくれた様で何よりだ」

「かしこまりました。亜人族共には飴を、魔人族共には鞭をくれてやる事にしましょう」

 

 とにかく、アインズの意見で決定という流れになった様だ。支配者ロールで鷹揚に頷いていると、デミウルゴスが聞いてきた。

 

「それで、アインズ様。亜人族達にはどのタイミングで救いの手を差し伸ばしてやるべきでしょうか?」

「……今すぐ、とは言えんな。魔人族達がどれ程の強さを持つかも不明だ。下手に全力を出してしまえば、エヒトルジュエにこちらの情報を渡すだけになるやもしれん」

 

 PVP(Player VS Player)において重要なのは、いかに相手に虚偽の情報を掴ませ、こちらが相手の情報を掴んで奇襲するか。

 かつて“アインズ・ウール・ゴウン"で最高の軍師だったぷにっと萌えの『誰でも楽々PK(Player Kill)術』を思い出しながら、アインズはそう答えた。

 

「エヒトルジュエがどういう方法で世界を監視しているかは不明だ。ワールドアイテムの山河社稷図の使用も視野に含めて、対情報収集対策に穴が無い様にしてからにしたい」

「はーい、それでしたらあたしが暫く見張ってます。亜人族達が全滅しそうになるまでは手を出さない様にすれば良いんですよね?」

「うむ。頼んだぞ、アウラ」

 

 アインズが頷いていると、ナグモがスッと手を上げた。

 

「それでしたら戦闘になったら、オルクス迷宮の魔物達を使って作ったキメラ達を使えばよろしいかと。この世界の存在で作った魔物ならば、ユグドラシルの情報を漏らさずに済みます」

「ほう……確かにな」

「加えて、シモベ達(POPモンスター)を使った天職の付与実験にも成功しています。これを出撃する者に施し、ユグドラシルの技能を極力使わずに魔人族達を駆逐すれば良いかと愚行致します」

「なんと……既に成功していたとはな」

「良いサンプルが手に入りましたので」

 

 オルクス迷宮のトラップに掛かった冒険者達の事だろうな、とアインズはぼんやりと考える。何はともあれ、これで方針は決まった。

 

「いいだろう。ナグモ、お前はオルクス迷宮産のキメラ達を投入する準備をせよ。併せて、魔人族達の迎撃を行うメンバーに天職を付与させろ」

「かしこまりました」

 

 アインズは守護者達を見回し、宣言する。

 

「では、亜人族達には魔人族達の情報収集も兼ねて出来る限りまで戦って貰う。それまでに迎撃メンバーは戦闘の準備をせよ」

 

 ギラリ、と空虚な眼窩の中の赤い輝きが光る。

 

「なお、我々の情報が漏れない様に魔人族達は一人たりとも生かして帰すな。いいな?」

『はっ!』




……グッバイ、フェアベルゲンに来た魔人族さん。大丈夫、ちょっとナザリックに住居変更するだけだから。どんな形かは、うん、まぁ……。

ちなみに、アンデッド=無機物という扱いは作者も正しいとは思ってません。じゃあ、なんで生成魔法が有効だったの? という問いは後程の展開で。


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第四十八話「死の嵐 ①」

 ナザリック無双が始まるよー。もうこの際、強さ設定とか両作品の擦り合わせとかぶん投げて書いております。


「なんだ貴様は……?」

 

 魔人族の将軍、フリード・バクアーは困惑の眼差しを向ける。

 突然、空間に生じた闇から現れたのは一見して身分が高いと分かる豪奢なローブを身に纏った人物だった。手には無骨なガントレットを付け、顔には泣いている様な怒っている様な異様な仮面。

 その人物に先に姿を現していた魔人族の見た目の少年と直立した昆虫の様なライトブルーの魔物は臣下の様に礼を取る。仮面の人物は二人に無造作に片手を振った。まるで多くの者から傅かれて当然という様な、絶対的な支配者の威厳が所作の一つ一つから滲み出ていた。

 

「今のは空間魔法? まさか、貴様も大迷宮の攻略者か!」

「———ほう? 神代魔法の一つは空間魔法と言うのか。どうやらお前は神代魔法についての情報を知っている様だな」

 

 ズッ、と仮面を被った人物は一歩踏み出してくる。気圧される物を感じて、シアのウサ耳を握りしめたままフリードは部下達と共に一歩下がった。

 

「初めまして、魔人族の皆さん。私の名前はアインズ・ウール・ゴウン。アインズと親しみを込めて呼んで頂ければ幸いです」

 

 絶対的な威厳を保ったまま、アインズと名乗った人物はフリードに呼びかける。先程とは打って変わって丁寧な口調の筈なのに、フリードには何故か自身の死刑宣告を読み上げられている様に聞こえて怖気が走った。

 

「後ろにいるのはアウラとコキュートス。私の大事な部下達です。さて、本日は皆さんと取り引きしたい事があって来ました」

 

 アインズ・ウール・ゴウンという名前に心当たりは無く、情報を得る為にもう少し喋らせるべきだと判断したフリードは顎をしゃくって先を促す。

 

「素晴らしい。お話を聞いて頂き、感謝します。さて、最初に言っておくべき事があります。皆さんでは私に決して勝てません」

 

 絶対の自信と共に紡がれた宣言にフリードは眉を顰めた。未だかつて、魔人族の英雄である自分にこんな無礼な事を言ってきた者はいない。

 

「無知とは憐れだな。私を恐れ多くも魔王陛下より魔国ガーランドの将軍職を任されたフリード・バクアーと知っての発言か?」

「なんと、魔王の側近とは。初めて知りましたが、それはまた好都合です」

 

 自分で言うのもなんだが、フリードの名は魔人族ならば知らぬ者はいないという程に高名だ。今のやり取りで相手は魔人族ではない、とフリードは判断した。とすれば、人間族か。

 

(いや、もしくは亜人族を助けるタイミングで出て来たから奴も亜人族かもしれない。全身を覆い隠す様な服装はこちらを動揺させる為のハッタリか?)

 

 そこまで考えが及び、フリードの中で正体不明の怖れが消えた。よくよく注視すれば、目の前のアインズからは()()()()()()()()()()()()()。両脇の従者達も同じくらいだ。自分達が恐れる相手ではない。

 

「さて、私の要求はただ一つ。大迷宮の場所を知るこのエルフの身柄を私に引き渡して貰いたい。そうすれば、貴方達は私の住処でキチンと()()()()()しましょう」

 

 ハッと“聖絶"の中にいるアルテナはアインズを見る。だが、それを無視するアインズにフリードは鼻で笑う。

 

「何を言うかと思えば。貴様も神代魔法を求める者か。どこで知り得たか知らんが、選ばれた高貴な種族である魔人族(我々)に対して譲れだと? 身の程を知るがいい、アインズ・ウール・ゴウンとやら!」

 

 フリードの嘲笑に部下達も追従する様に笑い出す。そしてフリードは手でウサ耳を掴んだままのシアをアインズの眼前に出した。

 

「シアちゃん!」

「シア!」

「そら、全身を着飾ったつもりだろうが、本当は貴様もこいつの仲間(亜人族)なのだろう? 我が神どころか人間の神にすら見放された下等種族の分際で取り引きを持ち掛けようなど、虫唾が走る!」

 

 アルテナとティオの呼び掛けにシアは「うぅっ……」とくぐもった声を出す。フリードに斬り裂かれた傷から血がドクドクと流れ、彼女の顔は真っ青になっていた。

 

「シアちゃん……! どこの誰か存じませんが、お願い致します! どうかあの娘を助けて下さいまし! 必ず大迷宮の場所をお教えしますから! お願いしますっ!」

「妾からもお頼み申す! シアを……あの娘を助けてやってくれ!」

 

 アルテナとティオの請願に、アインズは考える素振りを見せた。

 

「———ならば、お前達はあの娘を救う代価に何を差し出す? 大迷宮の場所だけではなく、私の出す要求に従えるか?」

 

 まるで悪魔の契約の様だ。だが、アルテナとティオが躊躇したのは一瞬だった。二人は神妙な顔で頷いた。

 

「……必ずや。亜人族の次期族長、アルテナ・ハイピストの名に懸けて」

「妾も……竜人族の誇りに懸けて誓う!」

 

 すると、まだ息のあった亜人族の戦士達からも次々と声が上がる。

 

「お、俺もだ……! あんたに従うから、あの娘を助けてくれ……!」

「俺達の為に戦った奇跡の子を見殺しにできねえ……! 頼む、お願いだ……!」

「……ほう? あの亜人はそれ程に重要な存在なのか。なるほど、なるほど。良いだろう、アインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて、あの娘の命は救ってやろう」

 

 アウラ、とアインズは呼び掛ける。はーい、とアウラは一歩前に出て、フリード達と対峙した。フリード達の上空にはまだウラノスを含めた飛龍の群れが飛び交い、アインズ達に敵意の唸りを上げていた。

 

「アンタ達さ、さっきから失礼じゃない? アインズ様がわざわざお姿を見せられてるんだよ? それ相応の態度があるんじゃないの?」

「フン、小僧が何を偉そうに———」

「ん? 言い方が回りくどかった?」

 

 鼻で笑い掛けたタヴァロスを遮る様にアウラが先に喋り、そして———。

 

「———降りて来い、って言ってんの」

 

 瞬間、フリード達は殺気で震えた。まるで心臓を氷の手で鷲掴みにされたかの様に、身体に冷たい悪寒が奔る。それは魔人族の英雄として戦場を駆け抜け、万を超える大軍を相手取った事のあるフリードですらも感じた事の無い様なプレッシャーだった。そして、それは魔物達も例外では無かった。

 

「な、何だ!? 龍達が急に!」

「どうしたんだ!?」

 

 空を飛んでいた龍達が次々と地面へと降りてくる。そして、皆が一様に頭を伏せた。

 

「ウラノス! おい、ウラノス! どうした、立て!」

「ク、クルゥゥゥ……」

 

 自身の相棒であり、変成魔法で強化した白竜にフリードは呼び掛ける。だが、ウラノスはフリードの呼び掛けにイヤイヤと頭を振り、まるで天敵と遭遇した小動物の様に身を縮こまらせて必死で頭を伏せていた。

 

(馬鹿な……! ウラノスが怯えるだと! あんな、魔人族の少年一人にか……!?)

 

 ここに至って、ようやくフリードは己の判断の愚を悟った。()()は違う。目の前にいる()()は自分達の常識にはない———化け物だ。

 

「さて、亜人族から大迷宮の場所を教えて貰う確約が出来た以上———お前達との取引は不要となった」

 

 ガラリ、とアインズの口調と雰囲気が変わる。ヒュウゥゥ、と一陣の風が吹き、アインズのローブをはためかせる。その風が身を凍らせる程に冷たく、ローブをはためかせたアインズの姿が死神に見えたのは、きっと気のせいだとフリードは自分に言い聞かせた。

 

「ああ、安心しろ。お前には聞きたい事があるから生かしてやるし、部下共々たっぷりとナザリックで持て成してやる」

 

 ギロリ、とアインズの視線がフリードに向く。それだけでフリードは吐き気を催してきた。

 

「———死はこれ以上、苦痛がないという意味で救いである。そう思えるくらいに、な」

「も、者共っ! かかれぇ!! あの亜人共を殲滅しろぉ!」

 

 フリードの号令が魔人族の部隊に響く。幾度も味方を鼓舞してきた魔人族の英雄の号令は、まるで死の運命から逃れようとするネズミの様に甲高い声となった。それでも部下の魔人族達は動く。()()は亜人族がハッタリをきかせようと変装しているだけだ。その可能性に一縷の望みを託して。

 

「アウラ、コキュートス———やれ。ただし、ウサギ耳の娘とあの魔人族のリーダーは殺すな」

「かしこまりました、アインズ様!」

「オ任セ下サイ、アインズ様」

 

 迫り来る魔人族に、二人の守護者達が躍り出る。

 そして———死の嵐が吹き荒れた。

 

 ***

 

「………は?」

 

 部隊の指揮の為に後方に下がったフリードは、その光景に目を点にした。まず最初に、空間魔法で異空間に仕舞っていた魔物の軍勢を呼び出し、突撃させた。全て変成魔法で作られた魔物であり、地上の魔物など鎧袖一触にできる様な強さを持つ魔物達だ。それをアインズが連れて来た魔物———コキュートスが前に出た時、フリードは内心で嘲笑を浮かべていた。

 

(馬鹿め……魔物一匹で何が出来る!)

 

 見た事の無い魔物だが、自分の魔物達の敵ではない———その予想はすぐに裏切られた。

 

「飛んでる………」

 

 配下の一人が呆然と呟いた。そう、飛んでいるのだ。立ち向かった魔物が、中空へ、無造作に。

 バラバラ、と肉片を撒き散らしながら。

 

「な、なんだあれは!?」

 

 見れば、コキュートスの手にした薄刃の剣———フリードは知らないが、日本刀———で魔物達が全て斬り伏せられていく。その速度は視認すら難しく、フリードの目でも何か光ったと思えば、それは刀身の煌めきだったと理解できる程度だった。魔物達は爪牙や触手などを一指たりとも触れる事なく、まるで鉋屑の様にバラバラにされていく。

 

「フ、フリード様! 何なのですか、あの魔物は!?」

「狼狽えるな、馬鹿者! 精鋭の魔物を出す!」

 

 感情的に配下に怒鳴り、フリードは大迷宮の攻略用に用意していた魔物達を異空間より取り出す。他の魔物より大きく、赤黒い線が入った魔物を見て、迫り来ていた魔物を斬り伏せて一息をつく様に刀に付いた血糊を払い落としていたコキュートスは一言呟いた。

 

「———“限界突破"」

 

 ゴウッ! とコキュートスから感じていた圧が高まる。フシュウウウゥゥッ、と口から吐かれる冷気は極寒の吐息となり、周りの魔物の死骸をパキパキと音を立たせながら凍らせた。

 

「い、行けっ!」

 

 離れた場所にいる自分の所にまで来る冷気にフリードは背筋を凍らせながら、フリードは虎の子とも言える精鋭魔物達に突撃を命じた。フリードが変成魔法で作った中でも一際出来の良い魔物達は、今までの魔物達とは比べ物にならない機敏さでコキュートスに襲い掛かり———今までの魔物達と同じ様に、バラバラと斬り伏せられていた。

 

「フ、フリード様!」

「狼狽えるなと言っている! 奴は“限界突破"を使った! ならば、もうじき奴の活動時間の限界が来る! その隙に一斉に魔法を叩き込め!」

「な、なるほど……!」

 

 “限界突破"は使用者のステータスを一時的に三倍に引き上げるが、スキルの活動時間が過ぎれば使用者はクールダウンの為に暫く動けなくなってしまう。あの強さは“限界突破"を使ったからだ、とフリードは自らを納得させる様に言い聞かせた。

 

「カウントを合わせろ! 十、九、八———」

 

 数多の戦場を駆け抜けた経験から、フリードは“限界突破"の活動時間限界を予想して、配下で魔法攻撃に長けた者達と共に詠唱を開始する。人間族より魔力に優れ、複数の術者が合わさって詠唱する魔法は高密度の魔力で空間をピリピリと震わせる。

 

「———三、二、一、今だ! 撃て!!」

「「「“炎天・豪”!!」」」

 

 詠唱を終えた配下達と共にコキュートスへ向けて、極大魔法を放つ。その練度は恐らくフリードの生涯でもこれ以上に無いというタイミングで、丁度、フリードが予測していた“限界突破"の活動終了時間にピッタリと計算されて発動した。

 コキュートスの見た目や吐いていた息が冷気であった事から撃たれた炎の極大魔法は、本来なら人間の一個中隊相手に撃つ様な範囲殲滅魔法だった。炎は渦巻く嵐となり、足止めの為に放っていた魔物と共にコキュートスを呑み込む。

 

「や、やったか……?」

 

 辺り一帯の樹木を燃やし、天をも焦がす勢いで燃え盛る火焔球にフリードは配下の魔人族と共に息を呑みながら見守った。

 

 そんなフリード達を嘲笑う様に、火焔球が掻き消える。

 

 ブシュウウウウウゥゥッ!! と音を立てながら、冷気が火焔球を押し出し、あまつさえ燃え広がろうとしていた樹木の炎まで鎮火させて極寒の地獄(コキュートス)へと作り変えた。その中心には、凍獄の主である無傷の魔物の姿が。

 

「そんな……馬鹿な……」

 

 今まで人間の軍隊を幾度も消し炭に変えてきた極大魔法を破られて、配下の魔人族は呆然とした呟きを漏らした。

 

 ***

 

(フム……ナグモガ新タニ作ッテイル合成獣(キメラ)ト似テイルカラ警戒シタガ、杞憂ダッタカ)

 

 コキュートスは新たに突撃してきた魔物を斬り伏せながら、そう思考する。赤黒い線の入った魔物を見て、新たに得た天職のスキルの練習相手としてナグモが用意したオルクス産キメラくらいの強さを見積もったが、そこまで強くはない様だ。

 考えてもみれば、至高の四十一人にナザリック随一の技術力を持つ研究所長として生み出されたナグモが作成したキメラと、目の前の魔人族が従える魔物とでは雲泥の差があって当然だったのだろう。

 

(コレナラバ、新タナスキルヲ使ワナクテモ良カッタカ? イヤ、実戦デ試ストイウ意味ナラバ、十分カモシレンガ)

 

 チラリ、と自分の腕にある疲労無効の腕輪に目を向ける。これによってコキュートスは疲れを知る事なく———すなわち、“限界突破"による反動の大きな疲労感を無視する事が出来た。

 

(ナグモニハ感謝スベキダナ。コレデ私モ、アインズ様ノ御役ニ一層立テルトイウモノ)

 

 だが、同時に少しだけ嫉妬してしまう。これで、あの人間の守護者の株は一層上がるというものだ。トータスへ来てからオルクス迷宮をナザリックの資金源としてアインズに献上したのを皮切りに、次々と功績を打ち立てる同僚が羨ましいと思わないわけでもない。

 

(ダカラコソ、アンデッドノ娘ヲ娶ルナドトイウ酔狂ヲアインズ様ハ許サレタノダロウガ……)

 

 そもそもナグモに誰かに好意を持つという感情があった事自体が驚きなのだが。

 関係ない事を考えそうになった思考を振り払い、眼前の戦場に意識を戻す。至高の御方より生かして捕らえる様に命じられた魔人族(フリード)は、もはや必死の形相で中空から様々な魔物を出現させてコキュートスへ差し向けていた。あの様相からして、出してくる魔物にも限界はあるのだろう。

 

(私モ———負ケテハオラレン!)

 

 気迫を漲らせ、コキュートスは活動限界の無くなった“限界突破"を発動させ、目の前の魔物達を駆逐していった。




>フリードの空間魔法

 いま使っているのはハジメの宝物庫みたいな、魔物を別空間に閉まってるみたいな魔法です。要するにモン○ターボール。

>コキュートスの“限界突破"

 大雑把に、コキュートスには戦士系の天職が付与されたと思って下さい。しかも維持する腕輪の効果で、反動の疲労感が無いという非常に都合の良いパワーアップとなっております。魔法系とか新たに習得するより、戦士系を極める方がコキュートスらしいかな、と。

>アインズ様

「オ・モ・テ・ナ・シ♡」

 ……ネタが古いか。


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第四十九話「死の嵐 ②」

日曜日はお気に入りチェックしている多くのありふれ作品が更新するので、自分も投稿しなければ! と思っちゃうなあ。そんな決まりは無いのに。


「よっ、と」

 

 アウラは倒れていたティオや亜人族達を掴み上げると、展開していた“聖絶"の内部へと放り込んだ。

 

「ゴハッ!? おぬし、礼は言うがもう少し丁寧に扱えんかの!」

「あー、ごめんごめん。そこにいたら邪魔だったし」

 

 ティオの抗議にアウラは悪びれる事なくペロッと舌を出した。

 その背中に槍の穂先が何本も突きつけられた。

 

「小僧……どこの隊の者か知らんが、もう言い逃れは出来んぞ」

 

 部下達にアウラを取り囲ませながら、タヴァロスは憤怒と嫌悪に顔を染めながら睨んでいた。その手には人質としてぐったりしたまま掴まれているシアがいた。

 

「神に選ばれた高貴な魔人族でありながら、薄汚い亜人族に与するなど……万死に値する!」

「だからさあ、あたしをあんた達と一緒にするなと言ってるでしょうが」

 

 呆れた様な顔でアウラは魔人族達を見た。タヴァロス率いる魔人族の部隊はアウラに敵意を漲らせながら包囲網を形成していた。先程、殺意を向けられて怯んだが、アウラの見た目が子供であること、そして彼等には人質がいるという事もあって強気に出ていた。

 

「どうやって騎竜達を驚かせたかは知らんが、我ら精鋭部隊には勝てまい! 見よ、この数を!」

 

 タヴァロス率いる魔人族の特殊部隊はフェアベルゲンの制圧も想定していて、二百人を超える大部隊だ。加えて神代魔法を会得したフリードが作成した魔法の筒がある。これにはフリードの変成魔法で作られた魔物が封じられており、地上の魔物とは比べ物にならない強さだ。それらの魔物を筒から出した今のタヴァロス達は、文字通りフェアベルゲンを滅ぼせる程の戦力を有していた。

 

「今すぐ跪いて己の愚を悔いるがいい! そうすれば同族のよしみで苦痛なく———」

「あっそ。数が自慢なわけ? だったら———」

 

 喧しく怒鳴り散らすタヴァロスを面倒そうに一瞥した後、アウラを指で輪っかを作り———。

 

 ピイイイイイィィィィイイイイッ!!

 

 樹海中にアウラの指笛が響き渡る。そして、すぐに地響きがしてきた。何事だ、と魔人族が騒ぐ中、地響きは徐々に大きくなっていき———。

 

『GEYAAAAAaaaaaahhh!!』

「な、何だコイツらは!?」

 

 樹海の霧の奥から続々と魔物達が出てくる。身体には赤黒い線が血管の様に走り、力強く大地を駆け、はたまた翼を大きく羽ばたかせてタヴァロス達へ向かって来ていた。

 

「あれは……あの特徴はフリード様が作られている魔物達では!? 何故あんな小僧が従えているのですか!?」

「ええい、今は疑問は後だ! 応戦しろ!」

 

 副官のセレッカに怒鳴り、タヴァロスは自分の魔物達を差し向ける。

サイ程の大きさのカブトムシ———ドライガを纏めて突撃させる。硬さと機動力を備えた魔物で装甲戦車の様に相手の隊列を押し戻し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()を押し潰そうとし———。

 

「きゅう!」

 

 可愛らしい鳴き声と共に、脚に赤黒い血管を纏った兎が次々とドライガの身体を蹴り砕いていく。

 

「なぁっ!?」

 

 まるで空中を駆けるかの様に蹴り兎は音速の衝撃(ソニックムーブ)を撒き散らしながら、ドパンッ、ドパンッとドライガ達の装甲を踏み潰した。そんなドライガ達を救援しようと、スキアーと呼ばれる蜂型の魔物が群れを為して蹴り兎へと襲い掛かろうとし———。

 

「グガアアアアアッ!!」

 

 爪が異常に発達した巨大な熊が起こした鎌鼬で残らずバラバラにされていた。その他にも二メートル程のトカゲの邪眼で石化させられ、雷を纏いながら徒党で襲い掛かる狼達に消し炭にされるなどして、タヴァロスがフリードから渡されていた魔法の筒にいた魔物達はさほど時間を掛けずに全滅した。そして邪魔者達がいなくなり、アウラが呼び出した魔物達は次の獲物へと標的を移した。

 

「ヒッ、ギ、ギャァアアアアッ!?」

「や、やめ……来るなああああっ!」

 

 魔人族達から次々と悲鳴が上がる。ある者は爪で引き裂かれ、ある者は頭蓋を噛み砕かれて絶命していった。彼等とて精鋭の軍人であり、種族的には魔法に長けた者達だ。だが、魔人族の攻撃が届く前にアウラは“聖絶"を魔物達に掛け、魔物達は無傷のまま魔人族へ肉薄できた。こうなってしまえば味方への誤射を恐れて迂闊に攻撃魔法は放てなくなり、単純な肉弾戦となる。

 魔人族と魔物。どちらが身体能力に優れているかなど、誰の目にも明らかだった。

 

「きゅっ!」

「よ〜しよし、イナバ。お前は優秀だね」

 

 ドライガ達を全滅させた蹴り兎———イナバがアウラへと擦り寄ってくる。その姿は飼い主に甘えたい小動物そのものだ。

 この魔物はアウラがオルクス迷宮攻略の際に見つけた魔物だ。他の魔物とは違って、まるでアウラについて来る様にオルクス迷宮を一緒に下りて行こうとする魔物をアウラは気に入り、ナグモから譲り受けていた。

 ちなみに、このイナバを基にしてナグモによってオルクス産キメラ達が作られていた事は割愛させてもらう。

 

「きゅっ、きゅっ♪」

「コラ、まだ獲物は片付いてないでしょ!」

 

 スリスリと足に擦り寄るイナバをアウラは嗜める。その姿は場所が戦場でなければ、小動物と戯れる少女に見えただろう。

 

「グルルルルルッ……」

「ガウウウウウッ……」

 

 周りにいたオルクス産キメラ達から羨ましそうな唸り声が上がる。見た目は一番弱そうなイナバだが、オルクス産キメラ達の中では一番強い彼に意見できず、ご主人様(アウラ)に戯れるイナバを羨ましそうな目で見つめるしかなかった。

 

「はいはい、みんな嫉妬しないの! イナバも遊ぶのはここまで!」

 

 パンパンとアウラが手を叩くと、魔物達は一斉に整列する———といっても体格差があるので思い思いの場所で姿勢を正すだけだが。

 

「それじゃあ、改めてお仕事の確認です。アインズ様に失礼な態度を取った魔人族達を皆殺しにしちゃいます。あ、ウサギ耳の子は食べちゃ駄目だよ。それと指揮官はナザリックに連れ帰るので、見つけても手足を食い千切るだけにしておくこと。分かった?」

 

 きゅっ! ガウッ! と返事が上がる。

 

「ようし、じゃあ行動開始!」

 

 ***

 

「ギャアアアアアアアッ!?」

「や、やめ、助け、食べないで……ガッ!?」

「腕……俺の腕が、腕がああああっ!」

 

「ハァ、ハァ、ハァッ……!」

 

 霧の中から聞こえてくる断末魔の叫びを背に、タヴァロスは必死で樹海の中を逃げていた。

 もはや戦列は崩壊していた。あの魔人族の少年が使役している魔物達はフリードから貰った魔物とは歴然とした力の差があり、粗方の魔物を喰い尽くした魔物達はメインディッシュとして魔人族達を喰い始めていた。タヴァロスはまさに肉食動物に追われる小動物の様に、森の樹の根に時々躓きかけながら必死で逃走していた。

 

「おい、さっさと歩け! このケダモノがっ!」

「う……うう……」

 

 血の跡を点々と垂らしたシアを引き摺る様にして歩かせる。副官のセレッカとは霧の中で離れてしまった。もはや足手纏いでしかないシアを捨てて全力で逃げたいが、人質として使えるかもしれないから未だに手放せないでいた。

 

「クソッ、クソッ、クソッ! 何故我等がこんな目に!」

 

 フェアベルゲンに来たのは大迷宮の探索のついでに薄汚い亜人族達を滅ぼす筈だった。神に見捨てられ、魔力を持たない下等種族が国を形成しているなど、魔人族としての誇りが人一倍高いタヴァロスにとってはそれだけで耐え難い程に虫唾が走った。地に這う獣らしく、森の中で蛮人らしく暮らしていれば良かったものを。

 それが何故———自分はいま、怯える獣の様に樹海を走っているのか?

 

「あっ……!」

 

 樹の根に足を取られて、シアの身体がバランスを崩す。タヴァロスの手から離れ、地面へと転倒した。

 

「こ、この、手間をかけさせるなケダモノがっ!」

 

 苛立ちながらタヴァロスは地面に転がったシアに手を伸ばし———光の障壁に阻まれた。

 

「な、何だ!?」

「いやー、案外遠くまで逃げたじゃん。凄い、凄い」

 

 霧の中からタヴァロスが今最も聞きたくなかった声が響く。スッと樹々の間からアウラが姿を現した。

 

「でもさあ、その亜人の血の跡のお陰で居場所がバレバレなんだよね。あんたって、ひょっとして凄い馬鹿なの?」

「こ、この……ふざけるなよ、小僧ォォォッ!」

 

 タヴァロスは激昂して、アウラに向けて“風刃"を放った。風属性の初級魔法だが、それだけに詠唱はいらず、不意打ちとして放つ鎌鼬は()()()()()()()()()()()の首を刎ねるには十分な筈だ。

 

「はい、“聖絶"っと」

 

 しかし、アウラが発生させた。光の障壁にあっさりと阻まれてしまう。

 

「意外とこれ、使えるかも。ナグモが比較的マシな人間の死体から剥ぎ取った天職とか言ってたから、正直あまり良い気分じゃなかったけど……ね、このスキル、現地人のあんたから見てどんな感じ?」

「う、うああああああっ!!」

 

 まるで世間話でもする様に話しかけてくるアウラに対して、タヴァロスはヤケを起こした様に次々と魔法を放つ。それはまるで追い詰められた鼠が最後の力を振り絞って逃げようとする有り様に似ていた。

 

「ああ、もう。うるさいなぁ」

 

 そんなタヴァロスにいい加減に鬱陶しくなったのか、アウラが手にしていた鞭が動く。タヴァロスの目には鞭の先が消えた様に見え———次の瞬間、タヴァロスの右手が消失していた。

 

「へ……ぐ、ぎ、ぎゃあああああっ!?」

「だから、うるさいっての!」

 

 砕け散り、血を噴き出す右手を見てタヴァロスが悲鳴を上げる。アウラは距離を詰めると、タヴァロスの首を掴んで、子供の見た目からは想像出来ない様な力で捻り上げた。

 

「ぐげぇ!? ま、待て! 助けてくれ! 望むだけの金をやる、いや用意する!」

「……うわぁ、本当にいるんだ。こんなテンプレみたいなセリフを言う奴」

 

 引き気味ながら呆れた目を向けるアウラに、タヴァロスは必死で命乞いをする。

 

「同じ魔人族じゃないか! こう見えても私は魔国ガーランドでも結構上の地位にいる軍人なんだ! そ、そうだ! 私から魔王陛下に進言して、フェアベルゲンから手を引く様に進言する! いや、引かせてみせる! だ、だから……」

 

 もはや魔人族の誇りすらなく、怯えた目でタヴァロスはアウラを見る。こうして間近で触れられて解った。この()()は見た目が可愛らしいだけで、自分など及びもつかない怪物だ。その怪物から逃れる為なら喜んで靴だって舐める。アウラはそんなタヴァロスをジッと暫く見つめ———。

 

「一つ、何度も言ってるけど私は魔人族じゃない。そもそも至高の御方に御造り頂いたあたしを、あんた等の仲間扱いするな、っての」

 

 グイッとアウラはタヴァロスの首を捻り上げて持ち上げる。「グギィ!」と潰れた虫の様な声が響いたが、無視した。

 

「もう一つ———アインズ様から生かしておけ、と言われたのは赤髪の指揮官だけだから、あんたはいらないんだよね。それと最後に一つ———」

 

 「ひっ」とタヴァロスは息を詰まらせた。アウラから飛竜達を落とした時の冷たい殺意を向けられ、ガタガタと身体が面白い様に震えた。

 そして、タヴァロスは見てしまった。霧の中から、魔物達の目がギラギラと光っているのを———。

 

「個人的な事なんだけどさ……あたし、エルフを虐める奴は好きじゃないんだよね」

 

 思い返すのは、かつて第六階層で自分の創造主であるぶくぶく茶釜とよくお茶会をしていた、やまいこの妹のあけみ。至高の御方の妹君でありながら、人間種(エルフ)である為にナザリックに招かれなかったであろう可哀想な少女だ。

 それ故に、アウラはエルフ相手には少しは優しくしようとは思うのだ。無論、アインズが殺せと言うなら従うが。

 

「というわけで———バイバイ♪」

 

 ブンッとアウラは力任せにタヴァロスを放り投げた。投げる先はもちろん、魔物達が集まっている中心部。

 

「お前達、食べていいよ」

 

 ご主人様の許しを得て、待ってました! と魔物達はタヴァロスへと群がった。

 

「や、やめっ、痛っ、ひっ、ギャアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 辺りにタヴァロスの断末魔が響き渡る。だが、肉を咀嚼する音と共に徐々に小さくなっていった。




>アウラがエルフには少し優しい

 これはweb版設定ですね。知らない人の為に解説すると、“アインズ・ウール・ゴウン"が全盛期の頃、ギルメンの女性陣達で第六階層で集まってお茶会をしていたそうです。女性陣の一人、「やまいこ」の妹「あけみ」もエルフとしてユグドラシルをプレイしており、時々お茶会に参加していました。この時の事をアウラは覚えていて、「あけみ」の事は『至高の御方の妹だけど、異形種じゃないからギルドに加われなかった可哀想な人』と認識してます。


次回予告

お願い、死なないでフリード!

貴方が今ここで倒れたら、魔王アルヴ様や魔人族の未来はどうなっちゃうの?

神代魔法はまだ残ってる。ここを耐えれば、アインズ様に勝てるんだから!

次回「フリード死す」。デュエルスタンバイ!


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第五十話「魔人族の英雄の最後」

 アインズ様の戦闘シーンがあっさりとし過ぎたかも……。まあ、あまり深く書いても可哀想なフリードさん、にしかならないしなあ。でもそれをもう少し微細に書くべきかもしれないし……。


「ギャアアアアアアアッ!!」

「た、助け……誰か、ヒイイィイイッ!?」

 

 霧の中から魔人族達の悲鳴が聞こえる。剣戟の音や肉を断つ音、魔物の唸り声や肉を咀嚼する音と共に悲鳴が上がり、静かになっていく。それをフリード達はジリジリと後退しながら聞いていた。

 

「タ、タヴァロス隊との連絡、途絶えました!」

「変成魔物、いずれも帰還せず!」

「ば、馬鹿な……何故、この様な……!」

 

 将軍として部下達に狼狽えた姿は見せてはならない。そんな基本的な事すら頭から抜け落ち、ただ目の前の事態に呆然とする。今回、フェアベルゲンに連れて来たのはハルツィナ樹海の大迷宮の攻略を想定した魔人族の精鋭達だ。変成魔法で作った魔物も、フリード自身で慎重に慎重を重ねて作った選りすぐりの魔物達だ。

 それが何故、次々と撃破されているのか? 大迷宮を挑む前の片付けついでに行っているフェアベルゲン攻略で、どうしてここまで被害が出ているのか? あの男が現れて、歯車が狂ってしまった。

 

「フ、フリード様! 何を……我々は何を相手にしているのですか!?」

 

 味方の拡大していく被害状況に、直属の部下が顔を青くしながら聞いてくる。だが、フリードはそれに答える術がない。自分達は神に選ばれた最強の種族の筈だ。唯一、気掛かりだった人間の神(エヒト神)が異世界から召喚したという勇者とやらは、諜報員達が持ち帰った情報から大きな脅威にはならないと判断された。だからこそ大迷宮を攻略して神代魔法を手に入れて、圧倒的な軍備を整えてから人間族達の国を根絶やしにするつもりだったのだ。

 

「ま、まさか……奴こそが、人間達の本当の勇者だったのか……?」

「———あんなものと一緒にして欲しくは無いのだがね」

 

 バッとフリード達は振り向く。そこには自分達の目論見を粉微塵にした仮面の男がいた。

 

「お、お前は何者だ!?」

「アインズ・ウール・ゴウン。そう名乗った筈だぞ? 悲しいな、かつてはこの名を知らない者など居ないくらい有名だったのにな……」

 

 フリード達の反応にアインズは寂寥感を僅かに滲ませながら答えた。その手には刀身が黒く、柄に紅い宝珠が嵌まった片手半剣(バスタードソード)が握られていた。

 

「まあ、いい……せっかくだ。お前達には嫌でも私の実験に付き合って貰うぞ」

 

 まるで、ちょっと用事があったから来た、と言わんばかりのアインズの態度にフリード直属隊の魔人族達はどよめく。すると———。

 

「フ、フフフ………!」

「フリード様?」

 

 突然、笑い出したフリードに配下の魔人族が振り向く。そこには恐怖で可笑しくなったわけではなく、余裕の笑みをフリードは浮かべていた。

 

「ハッタリだ。実に……実に下らんハッタリだ」

「ほう………?」

「よく見ろ。奴は剣が武器だ。魔力もほとんど感じない事から、少なくとも奴は魔法師では無い」

 

 「い、言われてみれば確かに」、「ああ、魔力の波長を感じないぞ」と魔人族達は次々に言い出す。人間族より魔力に長けた種族だけに、魔人族には魔力の流れを視覚化する技能が生まれ付き備わっていた。それで見ると、アインズからは魔力の流れが見えないのだ。

 

「やはり、あのローブの中身は人間か、さもなくば亜人族だろう。大仰な格好で意表を突いたつもりだろうが、化けの皮が剥がれたな!」

「……なるほど。魔人族には魔力のステータスを看破するスキルがデフォルトで備わっているのか。しかし……」

「何をゴチャゴチャ言っている! お前達も萎縮するな! この男を人質に取って、この場を離脱する! そうすればあの魔物も、魔人族の小僧も手出しは出来まい!」

 

 フリードの指示に、部下の魔人族達もジリジリとアインズを取り囲み出した。自分達は選ばれた種族であり、その中でも精鋭の軍人だ。この数ならば、噂に聞くハイリヒ王国最強の戦士メルドにも勝てる。そう信じていた。

 ———絶望的な状況を()()()()()()という希望で、必死に目を逸らしている。それを誰もが思いながらも、まるで蜘蛛の糸の様にフリードの推測に誰もが縋っていた。

 

「……はあ、もういい。ハズレだ……ユグドラシルにはいない種族だったから期待してたのに、本当にハズレだ……」

 

 失望した様にアインズが何やら呟いていたが、フリードは弱者がこちらを混乱させる為のブラフと判断して攻撃命令を下した。

 

「撃てええぇぇえっ!!」

「“緋槍"!」

「“雷槍"!」

「“岩牙"!」

 

 フリードの合図で魔人族達は一斉に攻撃魔法を撃ち出す。炎や雷の槍が、地面から突き出す岩がアインズへと次々と襲う。それにアインズは回避すらしようとしない。やはりハッタリだったか、とフリードはほくそ笑み———全ての魔法がアインズに触れるか触れないかの距離で消失した。

 

「魔法無効化だと!? さてはその剣の力か! それほどのアーティファクトを持っているという事は、やはり貴様の正体は勇者か……!」

「五百円ガチャのハズレアイテムがアーティファクト……? ふむ、トータスでは職業(クラス)どころか、装備品の品質も良くないという事か……? まあいい、今度はこちらから行くぞ」

 

 ユラリ、と剣を構えたアインズが動き出す。その足運びは訓練したての戦士の様に少しぎこちないが、速度が速い。

 

「うおおおおおっ!!」

 

 ギィンッ! とフリードの剣とアインズの剣が鍔迫り合う。

 

「フリード様!」

「呆けるな! 魔法が効かないならば、剣で打ち勝つのみ! 攻撃班は“光刃"を武器に纏わせろ! 援護班は攻撃班に補助魔法をかけろ!」

『はっ!』

 

 フリードの号令に部下達が動き出す。接近戦が得意な者達は各々の武器に魔力を纏わせ、斬れ味を強化させた。これならば手に握っている限り常に魔力が供給され、武器に掛かっている魔法という扱いになるので魔力を無効にするアイテムを相手が持っていたとしても関係ない。援護班達もまた、フリードを含めた攻撃班に多種多様な補助魔法を掛ける。一糸乱れない連携は、数々の人間の英雄を葬ってきたフリードの隊だからこそ出来た神業だった。

 

「どれもユグドラシルでは見た事のない魔法だが……ふむ、せっかくだ。私の新しい職業(クラス)の練習台になって貰おうか」

 

 アインズは剣を構えて、フリードへ斬り込む。

 

「“豪撃"!」

「舐めるな!」

 

 キィンッ! と再びアインズとフリードが鍔迫り合う。二撃、三撃、と金属の奏でる協奏曲が響き渡る。

 

「フリード様に加勢しろ!」

「破ァァアッ!」

 

 部下の魔人族達がアインズに斬り込んでいく。アインズはバスタードソードを横薙ぎに振るい、魔人族達の武器を押し戻した。そこにチャンスとばかりに、弓を装備した魔人族が矢を放つ。しかし、アインズに当たる瞬間に矢は勝手な方向に逸れた。

 

「ただの矢を撃つな! 弓兵隊、魔力を纏わせた矢を放て!」

「ほう……飛び道具に対するスキルや防御手段もこの世界にはあるという事か」

 

 今度は魔力を伴い、破壊力を増した矢が撃たれ、アインズはその矢を避ける為に体勢を半身にした。しかし、それを見逃すほどフリード達は甘くない。

 

「貰った……!」

 

 隙を突いて、部下の魔人族二人と共に距離を詰める。そして――!

 

「むっ……」

「ヤアアアァァァッ!」

「チェストオオオッ!」

 

 掛け声と共に迫ってくる剣を、アインズは体勢的に避け切れない。そして———魔力を伴った刃がアインズの腹に突き刺さる。

 

「や、やった……!」

 

 会心の呟きは果たして誰が漏らしたものか。フリードは思わずグッと拳を握り締めてアインズを見て———二人の部下の顔が唐突にアインズの手で握り掴まれていた。

 

「がっ、馬鹿な……!」

「何故動ける……!?」

「上位物理無効化———低レベルのダメージを無効化するパッシブスキルだよ。なるほど、お前達の実力はパッシブスキルで防げる程度という事か」

「無効化……だと!? 下等種族にそんな芸当が出来る筈が……!」

「……ああ、いい加減に種明かしをしようか」

 

 アインズは顔を掴まれてジタバタと動く魔人族達を握ったまま呟き———嫉妬マスクと籠手を解除した。

 骸骨の顔と手が露わになる。

 

「なっ……アン、デッド……!? トラウムナイトか!? いや、馬鹿な! 高度な自我を持ったアンデッドなど、そんなものがいる筈は……!」

「お前達が勝手に人間や亜人と勘違いしただけだろう。さて……いい加減、鬱陶しいな」

 

 恐ろしげな亡者の目が両手に掴まれた魔人族達に向けられる。「ひいぃぃいいっ!?」と二人は死神の手から逃れようともがく。

 

 グシャッ! とザクロの様に二人の頭が握り潰された。

 

「ヴ、ヴァルター……デニス……!」

「やれやれ……汚い血で汚れてしまったな。まあ、これはまだ戦士職が未熟な自分への罰だと思おう」

 

 まるで泥で汚れてしまった手を綺麗にするかの様に、アインズは魔人族の脳漿や血で汚れた両手を振る。それを見て、フリードは悟ってしまった。目の前の相手は、いま殺した二人について虫ケラくらいにしか見てない。お互いに異なる神を崇める異人種として殺し合っている人間達の様な温度は無く————生きとし生ける者全てを等しく殺す、正真正銘の化け物(アンデッド)だ。

 

「アインズ様ー、こっち終わりましたよー」

 

 ハッとフリードが目を向ける。そこには魔人族の少年(アウラ)がまるで父親に褒めてもらいたいかの様にアインズに寄っていた。その後ろには、見た事の無い魔物(コキュートス)の姿も。

 

「アウラ、コキュートス、ご苦労だった。とすると、私が一番最後になってしまったか。お前達の主として不甲斐ないな……」

「そんな事はありません! こいつらが脆過ぎて、予想より早く終わっちゃっただけですから!」

「加エテ、アインズ様ハ不慣レナ戦士トシテ戦ッテオラレルタメニ、コノ者達モ未ダニ息ガアルノデショウ」

 

 今まで自分達の戦いに専念していて気付かなかったが、気付けば辺りは静かになっていた。その意味に気付いてフリードは顔を蒼白にさせた。

 

「やはり私ではたっちさんの様にはいかないな。まあ、ワールドチャンピオンだったあの人と戦士職に成り立ての私では、比較になるわけが無いんだが」

「デスガ、短イヤリ取リノ中デモ一端ノ戦士ノ実力ハ見エマシタ。コノママ鍛錬ヲ続ケレバ、イズレハ武人建御雷様ニ並ブ剣士トシテ大成スルノモ夢デハナイカト」

「ふふ、ありがとう、コキュートス。お世辞でもそう言われるのは嬉しいものだな」

「お世辞なんかじゃありません! あたしはアインズ様なら魔法も剣も極めた最強の支配者になると思ってます! ねっ、コキュートス!」

 

 アウラの言葉にコキュートスは鋏をカチカチと鳴らしながら頷く。そして———その言葉をフリードは思わず否定した。

 

「何を……何を言っている? そいつが魔法など使える筈が……」

 

 止めてくれ。どうか否定させてくれ。もしも、その言葉が本当ならば———自分達の命運は………!

 そんなフリードの哀願を嘲笑うかの様に、アインズは自分の手をフリード達に見える様に掲げた。

 

「ああ、そうか。もう顔をバラした以上、隠蔽の意味など無いか」

 

 左手の薬指以外、全てに嵌まった指輪の一つをアインズは取った。

 その瞬間———フリード達の感覚が死んだ。

 

「———ゲエエェェ!」

「う、うあああああああっ!?」

 

 嘔吐する者、頭を掻き毟って発狂する者。部下達が様々な反応をする中、フリードの膝がストンと抜け落ちた。

 

「あ、あ、ああ………!」

 

 絶望の溜息だけが口から漏れ出す。魔力に関して他の種族よりも敏感な魔人族だからこそ、解放されたアインズの魔力がはっきりと見えてしまった。

 それは天にまで届く様な巨大な魔力の塊。

 見てるだけで目を灼かれそうな閃光が揺らめき、熱波だけで燃え尽きそうになる。例えるなら、地上に降りてきた太陽そのもの。こんなものにどうやって人の身で抗えと言うのか?

 

(バ……カ……な……。かつて謁見した魔王陛下以上……いや、それすらも……!)

 

「うわ、汚っ! ちょっと! アインズ様の前で吐くなんて、失礼じゃないの!」

 

 それだけの魔力を肌に感じていない筈が無いのに、アウラとコキュートスは平然としている。それはつまり———あの二人も、同じくらいの化け物だという事に他ならない。

 

(こんな……こんな化け物が、人の世界に居て良い筈が無い……!)

 

 フリードには愛国心があった。長く戦争が続き、疲弊していく祖国の魔人族達の為に彼は血の滲む様な修練を自身に課した。ついには魔人族の英雄として名を馳せて、神代魔法を会得したのもその為だ。

 

「に……げ、ろ……」

「ふ、フリード様……!」

「逃げろ……! 退却だ! 我等の敵う相手ではない!」

 

 震える足を叱咤して、フリードは立ち上がる。そして、神代魔法の一つである空間魔法で退却用の転移魔法を使おうとする。

 

「な、何故だ!? なぜ空間魔法が使えん!?」

「私の周辺に転移阻害魔法を発動させて貰った。それぐらい警戒して当然だろう。どうやら神代魔法と言っても、当たり外れがあるみたいだな」

 

 事もなげに言うアインズに、フリードの心を絶望が占める。自分が相手にしているのは神代魔法すら効かない様な、文字通り神話の中にいる様な存在だという事に。だが、フリードはそれで諦めたりはしない。自分の側近の一人を無理やり立たせて、肩を大きく揺さぶって正気に戻させる。

 

「おい、お前! すぐに逃げろ! ()()と共に! このハルツィナ樹海から、一刻も早く逃げろ!」

「で、ですが……あんな化け物から逃げる術など……!」

「私が時間を稼ぐ! 良いか、もしもの時はお前だけでも、この事を魔王陛下に伝えろ!」

「そんな……! フリード様が犠牲になど……!」

「議論している時間などない! これは魔人族そのものの存亡に関わる危機だ!」

 

 必死に言い募るフリードに、側近は息を詰まらせる。やがて、泣きそうな顔で頷いた。

 

「……任務、了解しました! どうかご武運を!」

 

 バッと側近が霧の中へと駆け出す。それと同時に、フリードは残っている部下達に号令を出した。

 

「撤退戦! 勝てない! この一戦に、我ら魔人族の命運が掛かっていると知れ!」

 

 それはまさに、死にに行けという非情な命令。しかし、それに配下の魔人族達は震えながらも従う。彼らはフリードの志に憧れて部下になった者達ばかりだ。たとえ死地に飛び込む様な命令であっても、それに従う程の忠誠心が彼等にはあった。

 

「……来い、化け物! 魔国ガーランドの将、フリード・バクアーが我等の同胞の為に、貴様を討つ!」

「……良いだろう。そのPvP(申し出)、確かに受け取った」

「アインズ様ノオ手ヲ煩ワセル程デハアリマセン。私ガ———」

「いや、コキュートス。ここは私が出る」

 

 ブンッとアインズは七匹の蛇が絡まった魔杖を空間から取り出した。

 

「あれ程の覚悟を伴ってくる相手だ。逃げれば、“アインズ・ウール・ゴウン"の名が泣くだろう」

「……ハッ。申シ訳アリマセンデシタ。アインズ様」

 

 コキュートスとアウラが一礼して、後ろへと下がる。それを皮切りに、フリードはアインズへと決死の吶喊を行った。

 

「ウオオオオオオオッ!!」

 

 数秒にも満たない刹那———フリードは後詰として後方部隊にいる魔人族を想った。

 

(頼む……お前だけはどうか逃げ延びてくれ……)

 

 目の前にいたアインズの姿が消えて———まるで瞬間移動したかの様にすぐ横に現れた。闇を濃縮させた様な黒いオーラを纏った骨の手に触れられ、フリードの意識と身体が切り離される。

 

(シス……ティーナ………)

 

 そして———妹の名前を最期に。フリードの意識は闇に閉ざされた。

 

 ***

 

『————<伝言(メッセージ)>』

「アインズ様、いかが致しましたか?」

『ナグモよ、こちらは全て片付いた。一人、後詰にいる部隊に向かった様だ。そいつらが合流したところで———始末しろ。どうするかはお前の好きにしていい。ついでに、()()二人の実力の試金石にしろ』

「……はっ。かしこまりました、アインズ様」

 

 アインズからの通信が切れると同時に、ナグモは自らの新しい武器———黒傘を持ち直して、後ろにいた二人に声を掛けた。

 

「さて……アインズ様から指令が下った。行くぞ———香織、ユエ」

「うん! 頑張ろうね、ナグモくん!」

「んっ。了解」




>アインズ様

天職のお陰で戦士職を習得しました。これにより戦士化の魔法無しで剣が装備可能に。ついでに普通のMMORPGならステータス的にどっちつかずになりがちな魔法剣士職をガチで極められる様になったそうです。

というわけで、次はナグモ達のターン! あとフリードの妹は言うまでなくオリキャラです。

こう、希望なんてないよと伝える為の。


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第五十一話「実戦訓練」

自分「もう無理だよ〜……文章が思い付かないよ〜……」

お気に入り登録しているありふれたSS作家さん達の怒涛の更新ラッシュ

自分「お、面白いぃぃ!? 俺も負けてられるかああああっ!」

そんな感じでバリバリと書いてます。

オーバーロードの新刊、六月に決定! さらにアニメ四期が七月から放送開始! 平伏しながらアインズ様の御勇姿をお待ちしています!


 ハルツィナ樹海の奥———アインズ達とは数キロ程に距離を空けた場所で、ナグモは立体画像のディスプレイとコンソールを立ち上げながら、樹海全体を監視していた。

 

「ふむ……今のところは、第三者による監視は無いな」

「……なんていうか。ナグモくんって、本当に何でもありだよね」

 

 監視ドロイド(ステルス・サーチャー)達から送られてくる映像を次々と確認していくナグモに、横で見ていた香織はポツリと呟く。

 

「トータスは剣と魔法の世界だよね? そこにロボット兵器を持ち出すとか、ルール違反じゃないかな……」

「未だに中途半端な自律型兵器しか作れない科学文明とはいえ、地球人らしくない発言だな。そもそも中世ヨーロッパ程度の流儀にわざわざ合わせる必要なんて無いだろう」

「ああ、うん。言われてみればその通りなんだけど……ナグモくんが勇者だったら、魔王城に核ミサイルを撃った方が早く済むとか言いそうだよね」

「あんなオモチャなどわざわざ作るものじゃない。何だったら神気取りの愚か者を信仰している意趣返しに、神の杖を撃ってもいいかもな」

「………つ、作れるの?」

 

 さすがにそこまで出来ないよね? と半ば冗談で言ってみたが、事も無げに言われて香織は引き攣った半笑いになるしか無かった。

 

「しかし……アインズ様は無駄な破壊を好まれない様だ。だから、わざわざこのワールド・アイテムを使用したのだろう」

 

 ナグモは背中に背負った大きな巻物を親指で差した。 

 この巻物型のワールドアイテム———『山河社稷図』は、使用者を含めたエリア全体を特定空間に隔離する効果を持つ。今回、ナグモは事前にアウラが確認した魔人族全てがハルツィナ樹海に入った事を確認した後、樹海全体を閉鎖空間へと変えていた。これにより亜人族も魔人族も誰も気付く事なく、現実世界から切り離されていた。

 

「それにしても、世界から切り離すなんて……何かもう、すごいよね。うん、すごいって言葉だけじゃ足りないけど」

「ワールド・アイテムとは世界すら改変する力を持つアーティファクトだ。それを十一個も持つじゅーる様を含めた至高の御方がいかに偉大か、理解できるだろう?」

「ふふ、本当だね。うん、じゅーる様もアインズ様もすごい方達だね」

 

 お父さん(じゅーる)の事になると、本当に目が生き生きとするなぁ、と香織は生暖かい目で香織はナグモを見ていた。

 

「ところで……そこの吸血鬼、暇なら少しは手伝ったらどうだ?」

 

 ナグモはジトッとした目をこの場にいるもう一人の少女に向ける。ユエは切り株に座り、優雅に足を組んでいた。木漏れ日が絹糸の様な金髪に反射してキラキラと黄金の様に輝き、まるで一枚の絵画の様な光景だ。

 

「ん……お構いなく。手伝いたいけど、偉大な至高の御方に直接作られた貴方の作業スピードには追い付けない」

「ふん、当然だろ。じゅーる様に作られた僕とお前とでは頭の出来が違う」

「なので、残念だけど足を引っ張らないためにも私はここで日向ぼっこするしかない。うん、本当に残念」

「シャルティアの愛妾にでも転職するか? この役立たず」

 

 いけしゃあしゃあと宣うユエに対して、チベットスナギツネの様な目付きでナグモは睨む。

 

「まあまあ。ナグモくんのお仕事を手伝えてないのは私も同じだから……。それにユエは三百年ぶりの外なんでしょう? 少しはゆっくりさせてあげようよ」

「………まあ、香織がそう言うなら」

「貴方って、本当に分かりやすい。じゅーる様か香織関連になると対応が途端に甘くなる」

「良い評価をありがとう、愛すべき我が現地助手。話は変わるが、僕の新しい武器の試し撃ちをしたかったところだ」

 

 ガシャ、と『黒傘“シュラーク"』を構えるナグモを香織は再びまあまあ、と宥めた。

 この黒傘はナグモがオスカーが遺した武器や研究成果を基に改良したものだ。元々の武器である魔導銃『ドンナー&シュラーク』の内、片方の魔導銃『ドンナー』は香織が歪な魔物だった時に食べられて喪失してしまった。じゅーるから貰った武器だけに、とても残念に思ったものの、今までの巨大ゴーレム『ガルガンチュア』の支援を前提にした戦い方では、同格以上との一対一の戦闘では勝ち目が薄いと香織との戦いで証明されてしまった。

 そこでナグモは新たな戦い方を模索した。従来の様に銃撃戦を行いつつ、近接戦闘もある程度は可能な武器———オスカーの隠れ家に遺されていた黒傘は、ある意味で打ってつけではあった。

 

(人間の知恵など借りたくは無かったが……まあ、オスカーという人間は低脳な猿達の中ではマシな方だったわけか)

 

 そしてアインズの許可を得て、大容量データクリスタルとなる神結晶を使用して黒傘と残った魔導銃『シュラーク』を融合させ、完成したのがギミック型万能兵器『黒傘“シュラーク"』だ。先端には魔導銃が仕込まれ、柄はもちろん生地の部分にも錬成師の天職を得たナグモが精錬に精錬を重ね、七色鉱と同等になるまで錬成した金属がナノミクロン単位で炭素繊維の様に織り込まれている。理論上はシャルティアの神器(ゴッズ)級アイテムのスポイトランスと打ち合っても壊れない筈だ。まさにトータスとナザリックのハイブリッド技術の結晶と言えるだろう。

 

「そもそも日光浴が好きな吸血鬼とか、どうなんだか……」

「でも気持ちは分かるかな。私も久々に本物の太陽の光を浴びれて気持ちいいし」

 

 ん〜、と身体いっぱいに日光を浴びる様に大きく伸びをする香織に、ナグモはほんの少しだけ罪悪感を抱いた。オスカーの屋敷で暮らし始めてから、香織の生活圏は基本的にオルクス迷宮であり、たまにメイド研修でナザリックの第九階層に行くくらいだ。

 香織もナグモも元々はハイリヒ王国の召喚された勇者一行(パーティー)のメンバーであり、ましてやナグモは今や王国から「魔人族に与して勇者達を殺そうとした人間族の裏切り者」という扱いだ。香織共々、生存が絶望視されているとはいえ休日には王都でショッピングを楽しむなど気軽には出来ない。香織に不自由な生活をさせてないか、ナグモの中で不安が募った。とはいえ———。

 

「……これから日光浴くらいいくらでも出来る様になるとも。さすがにハイリヒの王都やホルアドには行けないが、今回の作戦が上手くいけば頻繁に外出する様になる」

「え、本当? そういえば、今回はどうして外に出たの? それもわざわざ新しい服まで貰っちゃったけど」

「ん? ミキュルニラからは何も聞いてないのか?」

「新しいお洋服が出来ましたよ〜、としか言ってなかったし……」

「ん。私も装備の性能テストとしか言われてない」

 

 香織の服はいつものメイド服からブラウスにショートパンツと動き易さを重視した服装になっており、拳にはナックルダスター、脚には輝く銀色の脛当てを装備していた。さながらファンタジー風の女性格闘家と言うべきだろう。

 異形化の影響で従来の治癒師(クレリック)よりも前衛職に適性が出来た香織に合わせた装備となっていた。戦闘訓練の教授をしているセバス・チャンに「意外と格闘技の才能があるのかもしれませんね……」と言われ、彼の様な気功使いの格闘家を目指す事にした様だ。さらにはストライカーであるユリやクレリックでありながら何故か近接戦が得意なルプスレギナの協力も得て、香織はモンクとしての才能を開花させつつあった。

 

 対してユエは、まだユグドラシルのレベルで50に満たない事を考慮して、以前の様に機械鎧を装備していた。ただし、さすがにナグモも再びじゅーるの遺品とも言える機械鎧を貸し出す気にはなれず、代わりにというべきかナザリックの技術研究所の粋を集めて製作された機械鎧だ。

 この世界の魔法や“錬成"の技術を実験的に盛り込み、上半身に幾何学的な紋様が浮かんでいる以外はしっかりとした西洋鎧でありながら、下半身は武装されたバトルスカート、両手にはエネルギー刃を展開できる籠手、顔には機械鎧の状態や周辺の地形情報を映し出すモニターが付けられたバイザーが取り付けられるなど、ユグドラシルの機械鎧とは形がいささか異なっていた。

 

「まったく、あのマスコットは……。まず、現在アインズ様が大迷宮への道を確保する為に亜人族達の救援を行なっている。ここまでは良いな?」

「うん、亜人族の人達を助けようとするなんてアインズ様は優しいお方だよね」

「ん。アンデッドなのに生者に対しても慈悲深いとか、本当に不思議」

 

 アインズに救われた二人の賛辞を当然の事としてナグモは頷く。もしもアインズに殺される者がいるとするならば、至高の御方の慈悲を理解できない殺されて当然の愚か者だけだろう。

 

「まあ、魔人族はもう間も無く駆除されるだろう。その後に大迷宮の攻略が行われるわけだが、そこにアインズ様、香織、ユエ。そして不肖ながら僕が向かう事となるだろう」

「わ、私達も?」

「こればかりは仕方ない。偽神……いや、その名称すら甚だしく不愉快だが。愚神エヒトルジュエが篭っている神域という別空間に行くには、七つの神代魔法が必要だそうだからな」

 

 自分の生みの親(機械の偽神)を思い出し、エヒトに対して唾を吐きたくなる気持ちになりながらナグモは話し続ける。

 

「神代魔法の使い手は多ければ多い方が良いが、現状ではナザリック所属で習得できるのが僕達しかいない。今後、アインズ様が各地の大迷宮へ出向く時の供回りを務める事は確実だ」

「そ、そっか……でも、神様が相手かあ……大丈夫かな?」

 

 きゅっと香織は不安そうに自分の腕を抱き締める。

 香織もナグモから、自分達を含めたクラスメイト達がトータスへ召喚されたのは、神を名乗る邪悪な存在エヒトルジュエの暇潰しの為だと伝えられている。そんな事の為に、自分はオルクス迷宮で地獄の様な目に遭わせられたのかと思うと憤りが湧いてくるが、同時に世界を創った神様が自分達の敵だという途方も無い事態に不安になるのだ。

 

「大丈夫、香織」

 

 ユエが安心させる様に薄く微笑む。

 

「私達にはアインズ様がついている。貴女や私を救ってくれた、アインズ様を信じて」

「ユエ……」

「それに……香織の為なら神様でも倒しに行きそうな素敵な旦那様がいるでしょう?」

「も、もう、ユエったら! 旦那様だなんて……旦那様かあ、うふふ」

 

 かあああっと顔を赤くして乙女の笑みを浮かべる香織。それに対してナグモは咳払いをしながら先を続けた。

 

「ん、んんっ! まあ、至高の御方を差し置いて神を名乗る愚か者の事はひとまず置いておくとして……とにかく、今後の為にも二人には戦闘経験の蓄積やレベルアップが必要なのは確かだ。そういう意味では今回の魔人族の襲撃は、良い経験になるだろう」

「でも……大丈夫なのかな? 王宮にいた時は、魔人族は魔力操作の技能がある分、人間より何倍も強いと習ったけど……」

「君が普通の人間の時ならそうだっただろう。だが、今の君は僕と同じ、レベル100以上だ。ステータス的にどう頑張っても、苦戦する方が難しいだろうさ」

 

 むしろ、ナグモの血肉を食らってステータスと同時に一部のスキルまでもコピーされた分、ナグモより強いと言えるかもしれないのだ。

 

「まあ、今回はナザリックからの援軍も用意されているし、あまり気負わずに戦うといい。むしろ、魔人族達には礼を言うべきだろう。我々の新兵器の()()()()に付き合ってくれてありがとう、と」

「わあ……すごい辛辣……」

「でも……香織は大丈夫?」

 

 表情が薄いながらもあくどい笑みを浮かべるナグモに香織がドン引きする中、ユエが少し心配そうに聞いてきた。

 

「香織は元々は争い事の無い平和な国の出身と聞いた。私は戦場に立つのは初めてじゃないし、アインズ様の為に手を汚す覚悟はあるけど……香織は平気?」

 

 むっ、とナグモはその時になって初めて気付いた。ナザリックの階層守護者代理として戦う為に作られた自分と、平和な現代日本でただの学生だった香織とでは戦いに対する意識が違う。戦う事が当たり前の存在(NPC)として生み出された為に、人間だった香織との価値観の相違を失念していた。精神的な面で問題が出ないだろうか? と今更ながらに心配になってきたが……。

 

「………ううん。大丈夫だよ、ユエ」

 

 香織は静かに首を振る。その目に戦いに対する恐怖や忌避感は無かった。

 

「王宮で訓練してた時から、もしかしたら戦争で人を殺す事になるかもしれないって覚悟はしていたの。元の世界に帰る為にはそういう事も我慢しなきゃ、って………アンデッドになっちゃったから、もう地球で元の生活に戻るのは無理になっちゃったけどね」

 

 しかも蓋を開けてみれば、魔人族との戦争に勝ったところで帰還の保証は無く、エヒトルジュエの遊戯の駒として使い潰される羽目になったのだという。香織にとっては、まさに踏んだり蹴ったりな状況だ。

 しかし———今は違う。

 

「私を保護してくれたアインズ様、私にお仕事の仕方を丁寧に教えてくれるユリ先生やセバスさん。それと———アンデッドになっちゃった私を愛してくれるナグモくんがいる。その人達の為なら……私は、戦う事を迷わない」

 

 異形へと変じた自分に人間らしい生活を用意してくれた恩人達の為に。

 そして———死にかけながらも自分を救い出し、愛を告白してくれた少年の為に。

 香織は戦いへの覚悟を決めていた。

 

「————」

 

 その顔にナグモは不意をつかれる。香織の覚悟に何と返すべきか、すぐに言葉は見つからなかった。これがユエが相手ならば、「ナザリックの一員として恥じない働きをする様に」と言えたが、今の香織にそう返すのは何か違う気がした。

 

「……まあ、その……なんだ……」

 

 後ろ頭を掻きながら、ナグモは呟いた。

 

「戦いの後のメンタルケアなら、いつでも受け持つ。元々は君のストレス軽減に付き合うのが、日課だったしな……」

「ふふ、ありがとうね。ナグモくん」

「それに魔人族もある程度は捕虜にする必要があるから、無理に殺さなくても良いぞ」

「だから大丈夫だって、そんなに気を遣わなくても」

 

 どうせニューロニストか恐怖公の部屋にでも送るわけだし、と心の中で呟く。ナザリックの五大最悪と称される者達をわざわざ語らなくても良いだろう。

 

(とはいえ、恐怖公の人柄は好ましい方だと思うのだが……今度、シルバーゴーレムの整備がてらに久々に会いに行ってみるか?)

 

 彼をどうして毛嫌いする者がナザリックにいるのかさっぱり分からない、とナグモが首を傾げていた時だった。

 

「っ! アインズ様、いかが致しましたか?……はっ。かしこまりました、アインズ様」

 

 アインズからの<伝言>にナグモは短く返答し、二人へと振り向く。

 

「さて……アインズ様から魔人族の残党達を始末せよ、と命が下った。やり方はこちらに一任させていただける様だ。行くぞ、二人とも」

「うん、頑張ろうね! ナグモくん」

「んっ、了解!」

 

 ***

 

「な、何だったのだ……さっきの魔力は……?」

 

 樹海の奥。青みがかった銀髪をポニーテールで纏め、スレンダーな肢体をガーランドの上位の軍服で包んだ魔人族の女性———システィーナ・バクアーは、つい先程に感じた莫大な魔力の奔流に動揺を隠せなかった。それは周りの部下達も例外ではなく、皆不安そうにざわざわとお互いの顔を見合わせる。

 

「システィーナ様、先程の魔力は一体……? もしやフリード様の身に何かあったのでは……?」

「莫迦を言うな! 兄様の身に危険など、そんな事があるものか!」

 

 思わず、部下に反射的に怒鳴ってしまう。「し、失礼しました!」と謝る部下に舌打ちしたい気持ちを抑えながらも、祈る様に心の中で語りかけた。

 

(そうですよね? 兄様……)

 

 システィーナにとって、兄のフリードはまさしく英雄だった。誰よりも魔人族の模範的な軍人たらんと努め、人間達との戦争で頭角を現していき、ついには神代魔法を習得して魔王の側近となったのだ。

 そんな兄に万が一の事態などある筈が無い……いつもは氷の美貌と称えられるシスティーナの表情も、この時ばかりは優れなかった。

 

「システィーナ様、前方から何者かが走って参ります」

 

 ふと目を向けると、フリードの側近だった魔人族の姿が見えた。彼はまるで世にも恐ろしい物にでも出くわした様に顔を恐怖で引き攣らせ、まさに逃走と呼ぶのに相応しい足取りでこちらへ向かってくる。

 

「お前は確か、兄様の……! 兄様はどうした!?」

「シ、シシ、システィーナ様……!? ああ、良かった! 無事だったのですね!? どうか、早くお逃げを! 奴が……奴が来る前に!!」

「落ち着け! 兄様はどうした! 答えろ!」

「だ、駄目です! 説明している時間も惜しい! 早く逃げないと、あの化け物に我々が殺される!」

 

 口調は支離滅裂で、目はまるで地震から逃げ出そうとする鼠の様に恐怖に染まっている。まったく要領を得ないが、それで納得などシスティーナはしない。フリードの側近の肩を掴み、何度か大きく揺さぶった。

 

「落ち着け! それでも貴様は誇りある魔国ガーランドの軍人か!? 何が起こったか、至急報告せよ!」

 

 ヒッ、とフリードの側近は息を詰まらせる。システィーナから、これ以上狼藉を働くなら叩き斬ると言外に言われた気がした。そして、彼は何度か口をパクパクさせた。

 

「わ、我々はフェアベルゲンに侵攻中に、謎の人物と激突。奴は、ア、アンデッドの模様! フリード様を含め、先遣隊は……全滅しました!」

 

 瞬間――システィーナに頭を強く殴られた様な衝撃が走った。

 

「何、を……何を言っている!? 兄様が率いる部隊が、全滅……!? そんな、そんな事があってたまるか!!」

「で、ですが……ですが、システィーナ様も感じたでしょう!? あの魔力を! あれは何だったのですか!?」

 

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらフリードの側近はシスティーナに詰め寄った。もはやその目は正気を失いつつあった。

 

「分からない……分からないんです、直接対峙した私にも! 分かるのは奴が魔王陛下すら超える様な化け物だという事だけ! それ以外、どう報告しろと言うのですか!」

「口を慎め! それは魔王陛下への侮辱発言と受け取るぞ!」

 

 逆上したフリードの側近に、システィーナはベルトに嵌めた剣に手を掛ける。お互いに同士討ちを始めかねない雰囲気に、周りの部下達もフリードの側近を止めようとした。

 

「おい、落ち着け! 何を言ってるのか、さっぱり分からん! まずは落ち着いて、ゆっくりと報告を———」

「そんな時間などない! お前達は直接見てないから知らないんだ、奴の———アインズ・ウール・ゴウンの恐ろしさを!」

「アインズ……何だって? そいつが、どうしたって言うんだ? 大体、フリード様が敗れるなんて、そんな事があるわけ———」

「だから! 現に全滅したと言ってるだろ! どいてくれ、お前達が逃げないなら、私は………私だけでも、魔王陛下の元へ報告しに行かないといけないんだ!」

 

 宥めようと抑えてくる魔人族達を振り払い、フリードの側近は走り出そうとする。その只ならぬ様子に、ようやくシスティーナの冷静な思考が追い付いた。

 今すぐに駆け出し、兄の安否を確かめたい。

 だが、彼女も一軍を預かる将だ。部下達を放り出して、そんな真似は出来ない。唇を強く噛み、一度だけ兄がいるであろう方向を数秒だけ見つめた後に部下達に振り返った。

 

「くっ……どうやら何か不測の事態が起きたのは確かだな。やむを得ん、撤退する!」

「システィーナ様!? しかし、魔王陛下より下された命令は———」

「我が軍で最強だった兄の身に何かあったのは事実! この事態を至急、魔王陛下に報告する必要がある!」

 

 断腸の思いながら、システィーナは空間魔法で転移門を開こうとする。兄と違い、グリューエン火山の大迷宮しか攻略出来なかったが、システィーナもまた神代魔法を会得していた。ところが———。

 

「っ!? 転移門が発動しないだと! 馬鹿な、何故———」

 

 撤退用の神代魔法が何故か発動しない。神代魔法を防げる魔法など、同じ神代魔法ぐらいしかない筈だ。予想外の事態に慌て出すシスティーナに、無機質な声が掛けられた。

 

「———今更になって気付くのか? だからお前達は低脳だというんだ」

 

 システィーナ達は一斉に声のした方向を向く。

 そこには、金と銀の対照的な少女を従えた黒衣の少年が無機質な目でシスティーナを見ていた。

 




・香織とユエ、バトルスタイルが変化。

 香織はドラクエで言うならパラディン(僧侶+武闘家)、ユエは魔法剣士(戦士+魔法使い)かな。香織の服装はちょっと説明が難しいけど、FF7のティファあたりを思い浮かべてくれれば良い感じです。ユエはFGOの妖精騎士ランスロット的な。

・ナグモ、武器にオスカーの黒傘改良型を使う。

銀魂の神楽みたいな? 銃で撃つも良し、殴るも良し。傘は万能兵器なのだよ(ア○ンストラッシュを構えつつ)

・システィーナ・バクアー

えー、今回の可愛そうな人(ネタバレ)。簡単に言うと……くっころ系。というか見た目はまんま、昔読んだキル○イムコミュニケーションのエルフの18禁ヒロインを思い浮かべてたり(笑)

というかまさか新武器とかの説明に丸々一話使う羽目になるとは……!


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第五十二話「ナザリックの新米少女達の初陣」

 お気に入り作者達の怒涛の更新ラッシュ! 乗るしかねえ、このビッグウェーヴに!


「なんだ、貴様等は……?」

 

 システィーナ達、魔人族の後方部隊達は呆気に取られる。現れた人間達は二十歳にも満たない様な少年少女達だ。今の状況でなければ、成り立ての冒険者だとでも思っただろう。

 だが、彼らが身に付けている装備品はただの冒険者にしては異様に過ぎた。銀髪の少女は戦場に出てくるには軽装過ぎるブラウスとショートパンツ姿。金髪の少女は全身鎧だが、少女らしい凹凸に合わせた流線形で一見すれば装飾用ではないかと見紛う程だ。黒衣のコートを羽織った少年に至っては、手にしているのは剣や杖といった武器ではなく黒い傘。はっきり言って、戦場に場違いな仮装集団だった。

 

「ああ、とりあえず初めましてと言うべきか。僕の名前はナグモ。至高の御方———アインズ・ウール・ゴウン様に仕える者だ」

 

 ヒィッ!? とフリードの側近は悲鳴を上げた。もはや彼の中でアインズは名前を聞いただけでも恐怖する対象となった様だ。

 

「お前達はフェアベルゲンに攻め入り、アインズ様のご不興を買った。抵抗するな。跪き、御方に赦しを請え。そうすれば、御方は最後の慈悲を御示しになるだろう」

 

 もちろん、この場合の慈悲とは苦痛なく殺してくれるという意味だ。とはいえ、文面だけなら降伏勧告に聞こえなくもない。事実、システィーナ達はそう受け取っていた。

 

「なんだ、貴様は……道化の類いか? 神に選ばれた高貴な魔人族(種族)である私達に跪けだと? 下賎な人間風情が、身の程を知れ! 」

「システィーナ様! ここは奴の言う通りに! アインズ・ウール・ゴウンは普通の相手では」

「何を馬鹿な事を言っている! 我々はアルヴヘイト様に選ばれし神の尖兵! 降伏などあり得ん!」

 

 弱気なフリードの側近をシスティーナは一喝する。彼女の部下達も同様だった。何より、突然現れた少年少女を恐れる道理など彼等には無かった。

 

「……最終通告だ。跪き、投降しろ。今ならまだ救いのある結末になるだろう」

「くどい! 下等種族の人間風情が戯言を……その対価、命で贖うものと知れ!」

 

 ナグモの言葉に聞く耳など持たない、とシスティーナ達は詠唱を開始した。巨大な魔法陣が宙に展開され、システィーナを中心に魔力が渦巻く。

 

『凍てつく息吹よ、吹き荒べ! 鋭き刃となりて、敵を討て———!』

 

 その早さ、そして複数人の詠唱による魔力の同調。この世界の人間の魔法師がいたならば、これが人間の神敵たる魔人族の力か、と瞠目していただろう。

 

『氷槍・百華!』

 

 魔法陣から冷たい吹雪が吹き荒れる。吹雪は人間の腕より大きな氷柱を何十本も伴い、ナグモ達へと向かった。辺りの気温が一気にマイナスまで下がり、極寒の冷気がナグモ達を呑み込んだ。

 

「システィーナ様!」

「お前もいつまで見えない敵に怯えている! 見ろ! アインズなんとかとかいう者の配下などこの通りに」

 

 死んだ、とフリードの側近に言おうとした。突如、光の膜が吹雪を押しやる。吹雪が止むと、そこには後ろの少女達を庇う様に黒傘を広げたナグモが無傷で立っていた。

 

「ハァ……交渉に応じる頭脳もない低脳だったか」

 

 人間の小隊くらいなら軽く殺せる氷柱の吹雪をまるで通り雨でも来たから傘を差した、と言わんばかりの態度で傘についた水滴をバサバサと払い落とす。

 自身の強力な範囲魔法を破られて、システィーナ達の表情が強張った。

 

「まあ、いい。では予定通り、性能評価試験を開始する。せいぜい役に立て、実験動物(マウス)共」

 

 傘を閉じながら、ナグモは後ろの二人に声をかける。

 

「香織、ユエ。思い切りやってみろ。危なくなったら助けには入るから心配しなくていい」

「分かった。いこう、ユエ!」

「ん! 了解!」

 

 金と銀の少女がナグモの前に出る。少女達はたった二人でありながら、総数二百人を超える魔人族の部隊へと立ち向かう。

 

「くっ、舐めるな! 応戦しろ!」

『はっ!』

 

 システィーナ達もまた一斉に武器を構える。いとも容易く自分達の魔法を防いだナグモに底知れぬ不気味さを感じるが、それだけで引くほど彼女達とて柔な精神はしていない。フリードから預かった魔法の筒から魔物達を出しつつ、システィーナ達は少女達を八つ裂きにせんと戦いを始めた。

 

 ***

 

「私が後衛の魔人族達を相手にする。香織は前衛の魔物達を中心にお願い」

「うん! 気を付けてね、ユエ!」

 

 機械鎧のスラスターを噴射させながらユエは前衛として召喚された魔物達を飛び越し、後衛の魔人族の小隊に向かった。

 

「来たぞ! 十二時の方向!」

 

 魔人族の小隊の隊長が部下達に魔法を唱えさせる。空を飛んできたユエに対して、魔法隊の杖が一斉に向けられた。

 

「撃て!」

『“緋槍"!』

 

 炎の槍が一斉にユエへと向かう。それに対してユエは慌てずに機械鎧の機能を作動させる。

 

「———シールド展開」

 

 ユエのワードと共に、“聖絶”を利用した防御シールドがユエの周りに展開される。

 

「くっ、固い! ならば飛龍や妖鳥(ハルピュイア)達を出せ! 奴を撃ち落とせ!」

 

 魔法ではユエにダメージを与えられないと判断した魔人族の小隊長は、次の手として飛行型魔物をユエに差し向ける。飛竜や醜い女性の上半身に鳥の羽と脚を付けた様なハルピュイアの鋭い爪がユエに迫ってくる。

 

「ん。エナジーブレード展開」

 

 ブンッと音を立てながら手甲からブレードが飛び出す。纏ったエネルギーは極小の刃をチェーンソーの様に回転させ、切断性能を高めていた。ユエは両手のエナジーブレードを振り翳しながら、飛行型魔物へと斬り掛かっていく。

 

「グオオオオオッ!」

「キシャアアアッ!」

「……遅い」

 

 魔物達の爪牙が届くより先に、ユエのエナジーブレードが魔物達を斬り裂く。ブレスを、爪を、スラスターを巧みに動かして避け、曲線的な機動で飛びながら魔物達を斬り裂いていく姿はまるで機械の戦乙女の様だ。

 

「な、何だあの小娘は!? あんな小柄な身体で剣の達人だったとでも言うのか!?」

「……残念だけど見当違い。私はあんまり剣が得意というわけじゃない」

 

 魔人族の小隊長が驚愕に声を上げるが、ユエは否定する。もともとユエは魔法の達人ではあるが、剣に関してはそこまでの腕前はない。

 では、いまユエが接近戦で圧倒しているのはどういうわけか? その秘密はユエが頭に装着しているバイザーにあった。

 

(次は右、その後は左から……後方のセンサーに反応無し。飛竜のブレスを避けた後、次の動作に移る前に硬直するから、そこにエナジーブレードを叩き込む)

 

 バイザーの内側はモニターになっており、センサーを介して表示される情報がユエに拡張現実(Augmented Reality)の様な幅広い視界を与えていた。敵の攻撃の予測軌道線、魔力の収集率から予測される魔法の威力や発動タイミングなど、ユエは表示される情報に従って最適な攻撃手段を導き出していた。鎧を着て剣を振っているというより、小型の戦闘機のコックピットに入って操縦しているという感覚だが、ユエもナグモの研究助手をやる合間に行っている訓練の結果、機械鎧を難なく扱える様になっていた。

 

「ええい、誰かあの小娘を撃ち落とせ! 魔法を絶え間なく撃って、“聖絶"に使っている魔力を削り切るのだ!」

 

 次々と飛行型魔物を撃墜し、制空圏を確保したユエに小隊長は顔を真っ赤にしながら指差す。部下の魔法部隊達は次々と詠唱を開始する。

 

「私の得意分野は魔法。アインズ様配下である私の力、存分に思い知るといい」

 

 威力より速射性を重視した魔法がいくつも向かってくるが、ユエはその全てをスラスターの機動だけで難なく避けた。空を自在に飛び回り、飛行用の銀翼を広げる姿はまさに機械の戦乙女(ヴァルキリー)の様だ。ユエは両手を広げ、魔力を収束させる。機械鎧の補助で元々のユエの巨大な魔力が更に何倍も高められ———。

 

「<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)————連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>!!」

 

 ナザリックの傘下に入り、新たに学んだ魔法———位階魔法を使う。両手から生じた稲妻は二匹の巨大な龍となり、空中を駆けていく。雷龍は魔人族の魔法を呑み込みながら、獲物を食い千切らんと顎を開けて迸る。

 

「に、逃げ———」

 

 魔人族の小隊長が何かを言おうとした。だが、それよりも早く真っ白な雷光が魔人族達を埋め尽くした。

 瞬間————魔人族達の身体が雷光の中で奇怪な踊りをする様にのたうつ。

 雷龍が消え去った後、炭化した死体だけが辺りに残された。

 

 ***

 

「すごい……これが位階魔法……」

 

 ユエは自分が新しく覚えた技能———位階魔法の威力に嘆息した。トータスの魔法よりも遥かに強力であり、魔力に長ける魔人族の魔法を全く寄せ付けない。しかも自分が使っているのは十位階ある魔法の内、第七位階であり、まだ上があるというのだ。

 

「これ程の魔法を普通に使い熟すのがナザリック……アインズ様に忠誠を誓う異形種の集団……」

 

 自分もまた、アインズに選ばれてその末席に加えて貰った事をユエは光栄に思っていた。文字通り神の如き御方に孤独で擦り切れそうだった精神(こころ)を救われて、再び地上で明るい日差しの下に戻れたのだ。アインズにはいくら感謝しても足りないくらいだった。

 

「でも……まだ足りない」

 

 ギュッとユエは自分の手を握り締める。自分の強さはナザリックの基準で考えるなら下から数えた方が早いという程度だという。それこそからかい甲斐のある新しい上司(ナグモ)でさえ、自分の何倍も強いのだ。この機械鎧もステータス的にはユグドラシルのレベルで50に満たないユエを補助する為に作られたのだという。

 

「もっとアインズ様の御役に立ちたい……もっと、強くなりたい……」

 

 女王として民の為に尽くした国に、信頼していた叔父に裏切られて絶望と共に闇に閉ざされた自分に再び光を齎してくれた骸骨姿の優しい王様。短いながらも身近に接して、ユエにもアインズの人間性が朧気ながら見えてきた。彼は一見すると無慈悲だが、自分の支配下にある者———とりわけナザリックの者達を大切に思っているのだ。それはまるで、王というより子供を守ろうとする親の様に。……それが、少しだけ羨ましいと実の家族に裏切られたユエは思ってしまう。

 

(私も……アインズ様の大切になりたい……)

 

 ナグモのいう至高の御方という存在を話しか知らず、新参者である自分には過ぎた望みなのかもしれない。だが、それでもユエはその思いを捨てきれなかった。名前を捨て、過去を捨てたアレーティア(ユエ)モモンガ(アインズ)。たったそれだけの事だが、ユエはアインズにシンパシーを感じた。そんなアインズが大切に思うもの———ナザリックのNPC達の様になりたい、とユエは思っていた。

 

(さっきのナグモの話はある意味、ありがたい。神代魔法を習得する旅の中で、アインズ様と直に接する機会が増える。アインズ様に役立つ存在だと思って貰う為には、もっと強くならないと……)

 

 決意を新たに、ユエは機械鎧のスラスターを噴射させる。そして次の魔人族の小隊へと位階魔法を無詠唱で唱える。

 

「もっと強く……もっと位階魔法を使い熟せる様に……! アインズ様のお役に、もっと立てる様に……!」

 

 アインズの行く道を阻む新たな魔人族(邪魔者)達を焼き払うべく、ユエは魔人族の一団を掃討していった。

 

 ***

 

「破ァァァッ!」

 

 気合い一拍、香織の拳が硬質な甲羅を持った亀型の魔物を貫く。絶命した魔物に目もくれず、香織は次の魔物へと狙いを定める。

 

「せえ、のっ!」

 

 爪を立てた手で宙を掻っ切る様に凪いだ。爪から生じる鎌鼬———“風爪"は迫り来た魔物達をバラバラに引き裂いた。

 

「くっ、人間のくせになんて強さだ!?」

「囲め! 数で囲んで押し潰せ!」

 

 魔物達を指揮する魔人族が香織を包囲せんと魔物達を差し向ける。

 

「立ち位置は常に変えて、自分が有利な位置になる様に考えて動く————!」

 

 セバス達から教わった戦闘の心得を復唱しながら、香織は“天歩"で空中を駆けて包囲網を突破する。通り過ぎ様に、空中にいた魔物達を蹴り砕いていった。

 

「ば、馬鹿な!? フリード様が作った魔物がこれ程容易く———!?」

「ええい、怯むな! きっと“限界突破”でも使っているのだろう! 奴とて魔力切れを起こす筈だ! そこを狙え!」

 

 魔物使い達は香織の魔力切れを狙うべく、波状攻撃を仕掛けてくる。休みなく魔物達の屍が積み上げられていき、香織の周りは足の踏み場も無くなる程だ。

 

「うう、ちょっと数が多くて大変だよ〜……」

 

 言葉とは裏腹に、香織の顔に疲労の色は一切ない。ナグモの言う通り、レベル100以上となったステータスは魔物達の群れが相手でも香織が余裕で対応できる力を与えていた。何より、今の香織の身体はアンデッド。肉体的な疲労とは一切無縁で、息切れ一つ起こす事なく香織は魔物達を屍の山に変えていった。

 

「でもこのままじゃ埒があかないよね。イメージが良くないから、あんまりやりたくないんだけど……」

 

 そんな贅沢は言える状況ではない事は重々承知はしている。香織は魔物達の群れを前にスッと目を閉じ———再び見開いた。その瞳はアンデッドの紅から金に変わり、虹彩が爬虫類の様に縦長になった。

 

『ギ、シャ、ア……!?』

「な、何だ!? 魔物達が……次々と石に……!?」

 

 ピシ、ピシッと香織の“石化の魔眼"で見た先から魔物達が石化していく。物言わぬ石像へと変わった魔物を香織は容赦なく砕いていった。

 

「そ、そんな……奴は……人間、なのか……?」

「怯むな! 攻撃を続けるんだ! 魔力切れをどこかで起こす筈だ!」

「残念だけど、ナグモくんがくれた身体だからまだまだ魔力には余裕があるの。でも、ちょっと減っちゃったのは確かだから———」

 

 そうであって欲しい、という願いが魔人族の叫びの中に込められていた。そんな願いを打ち砕く様に香織は新たな動きを見せた。

 

『なっ———!?』

 

 魔人族達は驚愕に目を見開く。視線の先にいる香織の白銀の髪の毛が———伸びた。髪の毛はシュルシュルと纏まり、何匹もの蛇の頭となったのだ。

 

『シャアアアッ!!』

 

 銀色の蛇の頭が一斉に鳴き声を上げる。そして———魔物達の死骸へと一斉に群がった。

 

 バリ、バリ、ムシャ、ムシャ。

 

 あっという間に魔物の死骸が喰らい尽くされていく。それと同時に、香織の魔力が回復していく。

 

「ううん、ナグモくんを傷付けちゃった時の事を思い出すから、本当はあまりやりたくないんだけどなあ……。でもこれが一番効率のいい回復手段だし……」

 

 魔物達の死骸を頭の蛇達に食べさせながら、香織は悩ましげな顔になる。死骸を喰らうという猟奇的な手段よりも、嫌な記憶を思い出す事に悩んでいる様だった。

 

「ば……化け物……!」

 

 まるでギリシャ神話のメドゥーサ(蛇の女怪)の様な姿に、魔物使いの魔人族は掠れた声を出す。

 その声に反応して、香織は金色の瞳のまま魔人族を見た。

 

「……化け物でいいよ」

 

 ピシ、ピシッと恐怖の表情のまま石となっていく魔人族達に、香織は冷たい声を出した。

 

「私を救ってくれたナグモくんとアインズ様の為なら、私は人間じゃなくてもいい」

 

 全ては自分を愛してくれる少年と、大恩あるアンデッドの王様の為に。その為なら香織は人間でなくなっても構わないと思っていた。

 ピシッと魔人族が完全に石となる。その石像を香織は少しだけ見つめ———容赦なく砕いた。




>ユエ

ナグモの機械分野の結晶。もはやISでやれとか言われそうな戦闘方法です。事実、あの作品を参考にしてるし……。しかもアインズ×ユエという両作品に喧嘩を売る様な物を作者は目指すそうです。大口ゴリラさん? ほら、アインズ様もギルメンの子供達に不埒な真似はできないと言ってたし……(目逸らし)

>香織

ナグモのキメラ分野の結晶。モンクを目指す発言は何だったのか……。イメージ的に金色の闇かな? 作者的にはBLACK CATのイヴがメインイメージだけど。書いてて思ったけど、死徒かつキメラだから、今の香織はネロ・カオス?


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第五十三話「少女の形をした化け物達」

「ば、馬鹿な……何なんだ、こいつ等は!?」

 

 精強を誇る部下達が、兄が用意してくれた強力な魔物達がたった二人の少女になす術なく殺されていく。それをシスティーナはただ呆然と見ている事しか出来なかった。

 だが、彼女を誰が責められよう?

 鎧を着た少女が空を飛びながら、大人数による詠唱で完成させる様な極大呪文級の魔法を連発して軍隊を消し炭にする。

 銀髪の少女がたった一人で素手で魔物達を次々と殺し、殺した先から髪の毛が変じた蛇達に喰われていく。

 問題に適切に対処する為には前提となる知識が必要だ。しかし、こんな常識外れな———他人から聞けば出来の悪い悪夢と一笑に付しそうな———事態に、どうやって対応しろというのか?

 

「システィーナ様! どうか撤退を! ここはもう危険です!」

「そ、それは……だが、しかし……!」

 

 部下の進言が正しいのは理解できている。ここに留まっていたら間も無く兵を全滅させられるだろう。しかし、システィーナはすぐに首を縦に振れなかった。

 魔国ガーランドの軍人としての誇り、兄の安否、何より———あの怪物達から逃げられるのか? という、根源的な恐怖がシスティーナの冷静な思考を奪っていた。

 

「だから言ったんだ……アインズ・ウール・ゴウンから、一刻も早く逃げろって……」

 

 ガタガタと震えながらフリードの側近だった魔人族は呟く。

 

「殺される……我々はあの化け物に一人残らず殺されるんだっ!」

「くっ、静かにしろ! まだ我々にも手が……何か手はある筈だ!」

 

 パニックを起こして騒ぎ出すフリードの側近にシスティーナは怒鳴る。そうしないと自分が恐怖に呑み込まれそうだった。

 

「奴等とて生き物である以上、疲労する筈だ! 疲れ切った瞬間を狙って———」

「———お前は馬鹿か? お前達程度の相手に、二人が損耗する筈ないだろうが」

 

 バッとシスティーナは声のした方向を振り向く。そこにはいつの間に近付いていたのか、開幕で自分達の魔法を事もなく防いだ黒衣の人間族———ナグモがシスティーナ達を見ていた。その目は実験場のマウスでも見ているかの様に冷ややかで、無機質だった。

 

「お前は———!」

「ああ、もう間も無くお前達以外は駆逐されそうだからな。今のうちに二人の実戦演習に付き合ってくれた礼ぐらいは言っておいてやろう、と思ってな」

 

 兄達を全滅させた謎の男———アインズ・ウール・ゴウンの配下を名乗り、圧倒的な実力を示した人間族の少年。システィーナ達は迂闊に攻撃を仕掛ける事も出来ず、ナグモに距離を取りながら睨み付けるしかなかった。

 

「実戦演習だと……!?」

「ああ。あの二人の兵器や武装は今日が初めての実戦投入だったからな。性能評価試験にちょうどいい相手が欲しかったところだ」

 

 黒傘をステッキの様にパン、パン、と自分の手で弄びながらナグモは話し出した。まるで自分の研究成果を誇る学者の様に。

 

「ユエの機械鎧はじゅーる様が遺した機械鎧の模倣品をベースに、僕自らの手で製作したものだ。僕は至高の御方には遠く及ばないが、生成魔法を試す良い実験になった」

 

 この世界にあったアザンチウム鉱石はユグドラシルのアダマンタイトと同程度の硬度でナグモは材質的に不満があったが、そこはユグドラシルの位階魔法を使い、硬度の底上げが行えた。『無機物に魔法を付与する』神代魔法は、位階魔法とも相性が良かったのだ。そしてどうにか納得のいくレベルにまで硬度が上がったアザンチウム鉱石———仮に名付けるならアザンチウム鉱石+100といったところだが———を使って作成した機械鎧は第四階層のマシン・モンスター達の武装やセンサーを応用した特注品だ。言うなれば、ナザリック技術研究所(第四階層)の機械技術の結晶体だ。

 

「香織の身体はこの日の為に調整した。こっちは本当に苦労したぞ、あそこまで特殊なキメラ体は流石に作った事が無かったからな」

 

 かつての香織の肉体はあらゆる魔物を取り込み、その特徴が色濃く出た歪な魔物だった。それを神結晶の人工心臓を作成して元の人間の形を取り戻したが、その時に香織の身体を調べたナグモは驚く羽目になった。数多くの魔物で腐敗していた身体を補った香織の肉体は、あらゆる組織へと変化が可能な細胞———万能細胞と呼べる特殊な細胞で構成されていたのだ。これは恐らく普通の生物に魔物の遺伝子を組み込んでも、こうはならなかっただろう。死体(グール)として既に肉体の限界が無くなった香織だからこそ、際限なく体組織が変化していったのだ。

 

香織(あれ)こそが、この僕———ナザリック技術研究所長ナグモの最高傑作にして、最強のキメラ体。僕の、とっておき(特別)だ」

 

 愛しき香織の為、ナグモは持てる全ての技術を香織の身体に注ぎ込んだ。

 戦闘時に用途に合わせて肉体は変化し、魔物の固有魔法を十全に扱える様にした。魔力切れを起こすと肉体が崩壊していくというグールのデメリットを補う為、倒した生物を捕食して即座に魔力へと変換する改造も行った。

 それは神代魔法の習得の為に再び過酷な戦いへと身を投じる香織を案じて、ナグモが香織に与えた贈り物(ギフト)。そこに嘘偽りは無い。香織を愛しているからこそ、香織が戦いで死ぬ事のない様に最高のキメラ技術を注ぎ込んだのだ。

 

「狂ってる……」

 

 システィーナは思わず呟いた。表情が薄いながら、香織の事を熱く語る姿を見てシスティーナもナグモが銀髪の少女に抱いている想いに、女として気が付いてしまった。そして、遠くで魔物や魔人族達を駆逐している香織の姿を見る。今は腕から翼を生やし、雷を纏いながら羽をレールガンの様に高速で飛ばしていく。そうして殺した魔物や魔人族を、香織の髪が変化した蛇の頭で喰らい尽くして失った魔力を回復させているのだ。

 

「お前は……自分の愛した少女を、あんな()()()()()の身体にしたのか? あんな悍ましい怪物に———!?」

 

 ズンッ、とシスティーナ達に重苦しい重圧がのし掛かる。ガタガタと背筋が震え、歯の根が合わずカチカチと鳴る。歴戦の軍人の筈のシスティーナは、ナグモから人間族の大軍相手でも感じた事のない様な重圧———殺気を感じていた。

 

「……()()()()()? ()()()()()()? それは、香織の事を言っているのか?」

 

 ナグモは低く、重苦しい声を出した。その顔は表情を削ぎ落としたかの様な無表情。

 フッとナグモの姿が消え————距離をあっという間に詰められシスティーナの首が掴まれた。

 

「ガ、アッ……!?」

「おい、もう一度言ってみろド低脳。香織が、化け物だと……? 脳だけでなく、目まで腐っているのか?」

「システィーナ様!? システィーナ様を離せ、人間!」

 

 ギリギリと容赦なくナグモはシスティーナの首を絞めていく。そこには愛している少女を侮辱された事に激怒する少年の姿があった。周りにいた部下達はナグモを引き離そうと武器を振るおうとする。

 

 ドンッ、ドンッと発砲音が響く。

 

 額に風穴を開けられ、システィーナ以外の魔人族達は絶命した。

 

「お前、達……!」

「……せめてもの慈悲で、苦痛なく殺してやろうと思っていた」

 

 黒傘の先から硝煙を揺らめかせながら、底冷えする様な声でナグモはシスティーナを睨んだ。その時になって、システィーナはようやく理解した。目の前の少年は人間の見た目をしているだけで、その中身はあの少女以上の化け物だ、と。

 

()()()。お前は……苦痛と恥辱の中で、絶望して死ね」

 

 バチィ! とシスティーナの身体に電流が走る。身体に襲った痺れにシスティーナの意識は肉体から離れた。

 

 ***

 

「ナグモくん、終わったよ」

「ん……こっちも終わり」

 

 数分後。動く者がいなくなった広場で、香織とユエはナグモに声を掛けた。魔人族や魔物の大群を相手にしたというのに、二人には疲労の色は全く見えない。

 

 

「貴方の作った機械鎧のお陰で、苦戦しなかった。ありがとう」

「私も、魔人族はすごく強いと思ってたけど、楽勝だったよ。ナグモくんが調整してくれたお陰だね」

「……ああ。特に問題は無さそうで良かった」

 

 嬉しそうに礼を言う二人に対して、ナグモは短く答えた。

 

「……ナグモくん、何かあった?」

「……どうしてそう思う?」

「だって、何か元気無さそうだったから。何か私の戦い方に問題でもあったかな?」

 

 一見するといつもの無表情だったが、香織にはナグモの微妙な表情の変化に気付ける様になっていた。

 

「いや、香織もユエも戦闘に特に問題は無い。これならアインズ様の供回りとして及第点だろう。それは階層守護者代理である僕が保証する」

 

 そう言った上で、ナグモは少しだけ———付き合いの長い香織やユエにしか気付けないくらい、ほんの少しだけ悩む表情になった。

 

「……香織は、新しい戦い方に慣れたか?」

「え? うん、問題ないよ。まだ自分の身体が変化する感覚にはちょっと慣れないけど」

 

 デモンストレーションの様に髪の毛を蛇に変化させる。白銀の蛇達は「シュルルルッ」とナグモに向かって鳴き声を上げた。

 

「この子達って、どうなってるんだろ? 私の言う事は聞いてくれるみたいだけど……」

「おそらく百階層目で捕食していたヒュドラの頭が変化したものだろう。君がもっと習熟すれば、ヒュドラの頭と言わず色々な形に変化できる様になる筈だ」

 

 そっかあ、と言いながら香織は蛇達を元の髪の毛に戻す。それを見ながら、ナグモは先程から考えている事を口にした。

 

「……香織は、その姿となった事を後悔していないか?」

「え? どうして?」

「今はキメラアンデッドとはいえ、ほんの数ヶ月前まで君は人間だった。……人間からかけ離れた異形となった事に、後悔はしていないか?」

 

 魔物の身体に変化して、死骸を喰らう。今の香織の身体に合わせた戦闘方法とはいえ、普通の人間ならば忌避感を覚えるだろう。そんな身体に改造した事に、先程システィーナから指摘されてからナグモは後ろめたさを感じていた。

 

(アインズ様のお役に立つ為ならば、いかなる禁忌の研究でも躊躇うつもりはない。だが、しかし……)

 

 本当の事を言うと、香織を———自分の恋人の身体を改造するのは少し抵抗感があった。

 もしもナグモがNPCのままなら、粛々と行っていただろう。しかし、人間(プレイヤー)となった今は———あくまで香織や身近な存在に関してと限るが———至高の御方の為にというナザリックのNPC達ならば何よりも勝る大義名分でも、ナグモを心から納得させる事が出来なくなっていた。

 そんな風に悩むナグモに———香織は静かに首を横に振った。

 

「……後悔なんてないよ。私は、ナグモくんと一緒にいたい。アインズ様に、御恩を返したい。その為なら私は戦う事を迷わないし、たとえ人間じゃなくても……魔物みたいな身体になってもいい。そう決めたの」

 

 真っ直ぐと見つめてくる香織に、ナグモは、そうか、とだけ答えた。香織の気持ちが嬉しくもあり、そんな香織が決めた事に未だに口を挟むのは無粋というものだ。場の空気を変える様に、香織はパン! と手を叩いた。

 

「さて、と! この話はお終い! ところでさ、ナグモくん。やっぱり戦闘の後だから、ちょっとだけお腹が空いてる気がするんだよね」

「ふむ……やはり神結晶を埋め込んでいるとはいえ、魔力の消費量が大きくなれば神水の供給量を上回ってくるか」

 

 香織の身体に埋め込まれ、香織の魔力源となってる神結晶の神水。しかし、神水といえど無限に湧き出てるわけではない。今回の様に魔力を大きく消費すれば、神水による魔力回復が追い付かなくなってくるのだ。

 

「分かった。まずはアインズ様に報告した後、帰って魔力ポッドで神結晶の内蔵魔力の再充填を———」

「ううん、それも良いんだけど……」

 

 何故か香織は気乗りしない様な声を出す。そしてナグモにそっと身を寄せた。そのルビー色の目は、何故か大好物を目の前にしたかの様に爛々と輝いている。

 

「……今日の夜、魔力供給をお願い出来ないかな?」

 

 耳打ちする様に言われた言葉に、ナグモはしばらく考え込む。

 その意味を理解して、ボンッと顔が赤くなった。

 そして一連の流れを見てたユエは———。

 

「……あ、今夜と言わずにそこの茂みでどうぞ。私はちょっと散歩でもしてくるから。アインズ様には私から報告しておく?」

「いらん気遣いはしなくていい!!」

 

 やっぱり香織関連になると非常に分かりやすいなあ、とユエは思いながら、ずっと気になっていた事を聞く事にした。

 

「ところで……その魔人族、どうするの?」

 

 ナグモの足元で気絶している魔人族———システィーナを見て、ユエは首を傾げた。

 

「ああ、()()か」

 

 ナグモはシスティーナを冷たい目で見下ろす。

 

「せっかくだから、ナザリックに連れ帰る。ちょうど良い()()()もいる事だしな……」

 

 ***

 

「うっ……」

 

 システィーナが次に目を覚ました時、そこは薄暗い石造りの部屋だった。ひんやりとした寒さに身震いしながら、システィーナは身を起こした。スレンダーなほっそりとした肢体が松明に照らされ、辺りのツンと鼻につく黴臭さに流麗な眉を寄せた。

 

「ここは……? 私は、確か……兄様は!?」

 

 最初に兄の身を案じる。まるで地下牢のような部屋に、自分は捕虜として囚われたのではないかと判断した。着ている服も魔国ガーランドの軍服から奴隷の様な粗末な布の服に変わっており、最低限の場所しか隠す事ができない。ちょっと動けば、太ももから下着がチラチラと見えてしまいそうだ。ふと首を触れてみると、冷たい鉄の首輪が嵌められていた。どうやら魔法の籠った代物らしく、先程から上手く魔法が発動出来なくなっていた。魔法という魔人族にとって最大の武器が失われた事に歯噛みしたくなるが、同時にまだ希望はある筈だと判断する。自分が生かされているなら、軍の総指揮官であるフリードも生きて囚われた筈だ。

 

「———おや? ようやくお目覚めでありんして?」

 

 バッとシスティーナは振り向く。そこにはフリルとリボンで彩られた漆黒のドレスを着た、十二〜十四歳くらいの銀髪の少女が立っていた。少女はクスクス、と花も恥じらう様な笑顔を浮かべながらシスティーナを見ていた。

 

「……お前は誰だ?」

 

 先程まで人の気配などしなかった筈の場所に突然現れた少女に、システィーナは警戒を顔に浮かべる。武器は取り上げられている様だから、徒手空拳で少女と対峙するしかなかった。

 そんな警戒心を顕にするシスティーナに対し、銀髪の少女はクスクスとした笑顔を崩さない。

 

「そう怖い顔をしないでくんなまし。せっかくの可愛いお顔が台無しでありんすぇ」

「質問に答えろ! お前は何者だ!」

 

 あくまで威圧的にシスティーナは詰問する。虜囚の身に落ちたとはいえ、魔国ガーランドの軍人としての誇りが軟弱な姿を見せる事を良しとしなかった。

 

「おやおや、寝起き直後なのに元気でありんすねえ? まあ、いいんしょう。妾はシャルティア・ブラッドフォールン。お前の飼い主になる者の名前でありんすぇ。キチンと覚えてくんなまし」

「飼い主、だと……?」

 

 聞き捨てならない言葉にシスティーナが戸惑う中、銀髪の少女———シャルティアはシスティーナの事など意に介さないかの様に話し始めた。

 

「それにしてもナグモから()()()()()()()とプレゼントを貰う日が来るとは、思いもよらない事があるもんでありんす。あいつもアンデッドの愛人を囲ってから、レディの扱いが分かってきたんしょうかえ? 今度、同好の士としてお礼でもしてやりんしょうか」

「何を……何を言っている!? 飼い主だと!? 巫山戯るな! 私は魔王アルヴヘイト様に選ばれし、誇り高き軍人だ! 貴様の様な下賎な者に跪くくらいなら、死を選ぶ!」

 

 システィーナは怒りの表情を浮かべながら、シャルティアへと殴りかかる。見た目は十四かそこらの小娘であり、筋肉のつき方などを見ても格闘技には素人同然だと判断した。この少女を人質に取り、フリードの居場所を聞き出す。そして、魔国ガーランドに帰還する。

 そんな思いを込めた拳は———優しくポンッと握られていた。

 

「なっ!?」

「蚊が止まる様な速度でありんすねえ」

 

 瞠目するシスティーナに対して、シャルティアは嘲笑を浮かべていた。

 

「くっ、この……!」

 

 システィーナは次々と拳を、蹴りを、シャルティアへと繰り出していく。女だてらに軍人として鍛えているだけあって、大の男でもノックアウトできそうな威力が拳と蹴りにはあった。しかし、その全てをシャルティアは片手で打ち払う。それもそよ風でも相手にしているかの様な気楽さだ。分かりやすく、「ふぁ〜あ……」と欠伸までする始末だ。

 

「このぉっ!」

 

 プライドを酷く傷付けられ、システィーナはハイキックの回し蹴りを放つ。狙うはシャルティアの頭部。渾身の力と速度が伴った蹴りは———やはり簡単に受け止められた。

 

「おやぁ? 意外と可愛らしい下着を穿いているでありんすねぇ。男言葉だから可愛げのないオトコ女と思ってたでありんす」

 

 捲れ上がった服の裾から見えてしまったショーツに、シャルティアはわざとらしい驚きの表情を見せた。その嘲りの声にシスティーナは顔を赤くした。

 

「〜っ、見るな! この、離せ!」

 

 掴まれた足を戻そうとするが、シャルティアの手は万力の様にびくともしない。そして———突然、システィーナの天地がひっくり返った。

 

「あ、ぐぅっ!?」

 

 受け身も取れず、背中から地面へと叩きつけられた。シャルティアが片足を掴みながら無造作に投げたのだ、とシスティーナはすぐには理解できなかった。

 

「飽きてきたでありんすぇ。もうそろそろ遊んでも良いんでありんしょう?」

 

 ガシッ! と地面に転がったシスティーナに馬乗りになり、シャルティアは両手を掴んだ。システィーナは必死に暴れるが、まるで食器より重たい物を持った事がないという様な細い少女の手を何故か振り解けなかった。

 

「くっ、辱めるくらいならいっそ殺せ!」

「嫌よ、そんな勿体ない。安心しなんし。お前はたっぷりと可愛がってやるでありんすから」

 

 ニィッとシャルティアの口角が吊り上がる。ぬるりと伸びた舌でシスティーナの頬を舐めた。

 

「……塩味」

 

 シャルティアの笑みが更に深くなり————口がパックリと割れた。

 

「ヒッ!?」

 

 文字通りに耳まで裂けた唇を見て、システィーナは初めて恐怖で息を詰まらせる。口蓋の中は鮫の様な歯がズラリと並んでいた。舌は蛇の様に長く、ぬらぬらと動き、目は血の様に赤く染まる。ダラリ、と透明な涎がシスティーナの胸に零れ落ちた。その姿は———ヤツメウナギの様な化け物の顔だ。

 

「あっはっははっはははぁっ!! 気が狂うくらい、いっぱいいっぱい遊びまちょうねええええっ!!」

 

 げたげたと音程の狂った哄笑が響き渡る。システィーナの絶叫は、血の臭いを撒き散らす化け物(シャルティア)によって掻き消された。

 




>ナグモ

(……よし。これでシャルティアはしばらく香織やユエに興味は持たないな)

 ……さらば、システィーナ。シャルティアの玩具として幸せにね。

とりあえず、これでようやくフェアベルゲン編の本題に入れますわ。


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第五十四話「亜人族の救世主」

 なんて、あたまのわるいてんかいなのだろう……。


「シア! しっかりするのじゃ! 眠ってはならん!」

「シアちゃん!」

「あはは……このくらい……大丈夫……ですぅ……」

 

 血の気を失い、顔が土気色になったシアにティオ達は必死で呼び掛ける。アウラが張った聖絶の中でティオ達は怪我の手当てを行えたが、シアの傷が一番深かった。フリードによって抉られた脇腹の傷が深く、更に傷を塞がないままタヴァロスが無理やり動かした為に出血が酷くなったのだ。もはや命の危機に関わるほど、シアの容態は悪くなっていた。

 

「魔人族達はアインズ・ウール・ゴウンなる御仁が退けた! もうフェアベルゲンを脅かす者は居らぬ! それなのにおぬしが死んでは元も子もなかろう!」

「……ああ、良かった……もう、誰も死ななくて済むんだ……」

 

 ティオの言葉にシアは安心した様に微笑んだ。その手をアルテナが必死に握り締める。

 

「シアちゃん! お願いだから目を開けて下さいまし! まだ……まだたくさん、お話ししたい事があるんですの!」

「アルテナちゃん……? 何処……? 何処にいるの……?」

「っ!? ……シアちゃん、私はここにいますわ! 安心して下さいましっ」

 

 もう満足に目も見えなくなってきているのだろう。アルテナは一瞬、泣きそうな顔になるが、シアを安心させる為に無理やり笑顔を作った。

 

「寒い、なぁ……もう、冬になったのかなぁ……」

「おぬしは“奇跡の子"なのじゃろう! こんな事で死ぬほどヤワではなかろう!」

「そうですわ! 貴方はまだこのフェアベルゲンに必要ですわ!」

 

 ティオ達が必死に呼び掛けるが、シアの手はどんどんと冷たくなっていく。必死に手を握る二人の姿も見えなくなっていき、シアは暗くボヤけていく世界に、ふと懐かしい姿が見えた気がした。

 

(かあ……さま……?)

 

 魔力操作の技能を持ち、フェアベルゲンにおいては忌み子として生まれた自分を大切に育ててくれた母親の姿にシアはぼんやりと笑う。

 

(かあ、さま……天国って、あるの、かな……? 亜人の、私、でも……行ける、かな……?)

 

 亜人族に、祈る神はいない。

 人間の世界で広く信仰されているエヒト教も、魔人族が崇拝しているアルヴ教も、亜人族は神の恩恵が与えられなかった種族と教義に定めている。だから亜人族は死後の世界でもどちらの神からも拒絶されるだろう。

 それでも、シアは夢見た。亜人も、人間も、魔人も等しく受け入れてくれる楽園(天国)を。この世界は亜人達に———とりわけ、魔力操作なんて技能を持って生まれた自分には生きるのに厳しいが、天国ならばきっと平和に暮らせる筈だ。

 

(あ………)

 

 ふと、シアの目にある光景が映った。

 人間、亜人族、魔人族……果ては魔物まで、色々な種族がいる。お互いにいがみ合う様子はなく、平和に暮らしている様子だ。そして皆がある人物に祈りを捧げていた。

 そこには、シアが見た事のない様な豪奢な服を着た骸骨の王様がいた。

 ……それは今際の際に発動した“未来視"のスキルで見えた光景だったのか。それともシアが夢現に見た光景だったのか。

 

(もしかして……この人が……天国の……神…様……?)

 

 死者の世界の王様みたいな姿にそんな事を考えて———シアは静かに息を引き取った。

 

 ***

 

「シアちゃん……!」

 

 ダラリと垂れ下がった手をアルテナは握り締めた。しかし新しく出来た兎人族の友人は手を握る返す事なく、眠る様に安らかな顔で目を閉じていた。

 

「すまぬ……すまぬ……シア」

 

 嗚咽を漏らすアルテナの横で、ティオは目を伏せて遠くへ逝ってしまったシアに涙を流した。シアをエヒトを討つ勇者とさせるべく、祭り上げたのは自分だ。自分の目的の為にこの心優しい娘を殺したも同然だ、とティオは慚愧の念に囚われる。もう遅いと知りながらも、シアの亡骸を前に謝る事しか出来なかった。

 周りの亜人族達も皆一様に顔を伏せる。呪われた忌み子といえど、この魔人族の襲撃でフェアベルゲンの為に人一倍戦っていたのがシアなのだ。中にはシアと同年齢くらいの息子や娘がいる者もいる。年長者である自分よりも先に失われた若い命を偲んで、彼等は鎮痛な面持ちになっていた。

 

 ———ザッ、ザッ。

 

 ふとアルテナの嗚咽以外に沈黙が支配する場に足音が響いてきた。ティオ達が目を向けると、そこに自分達を救った人物———アインズ・ウール・ゴウンと名乗った人物がティオ達に近付いて来るのが見えた。その後ろには、最初に連れていた二人の他に黒衣の人間の少年と金と銀の対称的な少女を従者の様に引き連れていた。

 

「アンデッド……! アインズ・ウール・ゴウン殿、そなたは魔物であったのか……!?」

 

 アインズの仮面の下に隠されていた素顔を見て、ティオは驚愕に満ちた声を上げる。他の者達も同様だ。ざわざわと騒ぎ始めるが、命の恩人という事もあって骸骨顔の風貌を見ても逃げ出そうとする者は皆無だった。

 

「会話する魔物など聞いた事も無いぞ……」

「……竜人族である貴方も、アインズ様の様なアンデッドは知らない?」

「竜人族? ユエ、お前はこいつを知っているのか?」

 

 はっ、と見た事の無い造形の鎧を着た金髪の少女がアインズに答えた。

 

「“竜化"という固有魔法を使う種族……高潔で清廉な在り方を良しとする一族で、私達の種族より二百年前に滅んだと聞いていましたが……」

「竜人……セバスみたいなものか? いや、ユエの例もあるから一概にユグドラシルと同じとは限らないか……?」

 

 ブツブツ、と何かを考え込む様に骸骨姿の魔導師は考え込む。その姿にティオは戦うべきか悩んでいた。いかに命の恩人といえど、言葉を話す魔物など彼女の知識には無かった。

 

(もしもの時は、妾が……せめてもの手向けとして、シアが守ろうとしたこの国(フェアベルゲン)だけは……!)

 

 知らず知らずのうちに身構えるティオの敵意を感じ取ったのか、アインズが付き従えている魔人族の少年やライトブルーの魔物、黒衣の少年が武器に手を伸ばしていく。

 

「大丈夫……信じて」

 

 ティオの前にユエが出た。

 

「ちょっと、ユエ。アインズ様に敵意を向けるソイツに———」

「待て、アウラ」

「でもアインズ様」

「戦わずに済むのならば、それに越した事はない。まずは会話を試みるべきだ。ひとまずは現地に詳しいユエに任せてみるとしよう」

「は……はっ! 申し訳ありません! アインズ様!」

 

 アインズの制止に武器を構えていた従者達は一斉に居住まいを正した。

 

「アインズ様は慈悲深い御方。貴方達に危害をくわえたりしない。侵略していた魔人族を倒したアインズ様を信じて欲しい」

「おぬしは……? 何故、竜人族の事を知っておる……?」

「私は吸血鬼族の生き残り。三百年前、王宮で貴方達の在り方はよく聞かされていた」

「三百年前? よもや、おぬしは()()吸血鬼か? 確か、名はアレ———」

「ユエ」

 

 記憶を掘り起こそうとするティオに対して、ユエは誇らしそうに自分の今の名前を名乗る。

 

「ユエ。それが私の名前。私を救ってくれた偉大な王様が付けてくれた大切な名前」

 

 まっすぐに見つめてくる真紅の瞳に、ティオは押し黙る。その目は闇魔法による洗脳などを受けている様子はない。

 この吸血鬼は心からこの骸骨の魔物に敬意を払っている。

 かつて調査していた吸血姫の人となりを考え、彼女の言う事ならばとティオは警戒を解いた。そしてアインズへと頭を下げる。

 

「……失礼した。アインズ・ウール・ゴウン殿。何ぶん、妾の知識にそなたの様に話が出来る魔物が居なかった為、必要以上に警戒してしまった。命の恩人に向ける態度として無礼であった事をお詫び申し上げる」

「いや、構わない。警戒するのは当然だろう。むしろ、ここで無条件に信じる方が無用心というものだ」

 

 スッと優雅に片手を上げてアインズは謝罪に応じた。その所作はティオの目から見ても何度も行ってきたかの様に洗練されており、ティオはユエの言葉も相まってアインズが高い身分にある者なのだろうと当たりをつけた。

 

「さて、君達を襲っていた魔人族達は全て我々で排除させて貰った。君達はもう安全だ。安心して欲しい。とはいえ、タダではない。先程も言ったが、私はハルツィナ樹海の大迷宮の場所を教えて欲しいのだ」

「大迷宮を……」

「ついては大迷宮の場所を知るそこのエルフの少女と話をさせて欲しいのだが……ん? その娘は確か……」

 

 アルテナに視線を向けたアインズだが、そこでアルテナが泣き縋っていたシアの亡骸に気が付いた。アインズに視線を向けられ、アルテナは鼻を鳴らしながら、どうにか立ち上がった。

 

「う、うっ……申し訳、ありません……私が、フェアベルゲンの現族長代理の、アルテナ・ハイピストですわ……この度は、我ら亜人族の危機を救って頂き、感謝、申し上げます……っ」

 

 未だに嗚咽が漏れる涙声ながら、アルテナは懸命に族長代理としての責務を果たそうとした。初めての親友(シア)が亡くなって胸が張り裂けそうだったが、顔を伏せながら必死で耐えようとする。

 

「……その娘は、死んだのか」

「はい……でも、仕方がない事です……むしろ、魔人族と戦ってシアちゃ……彼女だけの犠牲で済んだのだから、ゴウン様には感謝の言葉も———」

「待て。まだ感謝の言葉は不要だ」

 

 え? とアルテナは伏せた顔を上げた。驚くアルテナに対して、アインズ懐から綺麗な青い宝石のついたワンドを取り出していた。それに後ろで控えていた黒衣の人間の少年が驚いた声を上げる。

 

「アインズ様、それは———!?」

「その娘の命を救う事を、私は“アインズ・ウール・ゴウン"の名を懸けて約束した」

 

 骸骨の眼窩から赤く輝く光を覗かせながら、シアの亡骸に歩み寄っていく。

 

「それは私の仲間達に誓ったも同然の事。故に———我が名に懸けて、誓いは必ず果たされる」

 

 ***

 

 暗く、水の底にいる様な空間をシアは彷徨う。何処までも沈んでいき、このまま暗闇に溶けてしまいそうだ。上も下も、右も左も分からないまま、シアは暗闇へと意識を任せていた。

 だが、ふと引っ張られる感覚がした。何か嫌な感覚がして、本能的に拒もうとした。だが、引っ張る先に聞き覚えのある———自分の初めて出来た親友の声が聞こえた気がした。

 シアは少しだけ迷い、引っ張る手を———まるで骨の様な感触がした手を掴んだ。

 

 その瞬間、シアの未来視が再び幻視を映し出す。

 

 引っ張る相手は完結した世界。

 仲間の作り上げた物で完結した哀れな者。

 それ以上の宝などない、と思考を閉ざした者。

 仲間達が遺した物に囲まれて、暗い墳墓の奥で玉座に座る独りぼっちの骸骨の王。

 でも、そこに王様は一人じゃないと告げる様に優しい月の光が差して———。

 

 ***

 

「あ………」

「シアちゃん!」

 

 ぼんやりとした視界の中で、涙でクシャクシャにしたアルテナの姿が映った。シアは目をパチパチと瞬かせながら、アルテナに強く抱き締められた。

 

「ある、てな、ちゃん……?」

「良かった……良かった……! 本当に……!」

 

 まるで長い眠りから覚めた直後の様に口が上手く回らない。ぐす、ぐす、と嬉し涙を流す親友の姿に何があったのか分からず、シアは直前に起きた事を思い出そうとする。

 

(そうだ……確か私……血を流し過ぎて、意識が遠くなって……)

 

 その後の事は……よく覚えていない。何か重要な物を見ていた気がする。だが、全ては夢の中の出来事の様にシアの記憶から薄れていた。

 

「ふむ。キチンと復活できた様だな。レベルの消失も起こっている様だし……ユグドラシルとあまり変わらない様だな」

 

 知らない声がして、シアが目を向けると———そこに豪奢な服を着た骸骨の魔物が立っていた。その姿を、シアは知っている様な気がした。

 

「ひとまず復活おめでとうと言っておこうか、シア・ハウリアよ。私は」

「かみ、さま……?」

「アインズ・ウ……………なんて?」

「かみさまだ……かみさまが、わたしをたすけてくれたんだ……」

 

 未だ舌が上手く動かないまま、シアはぼんやりと呟いた。薄らと覚えている夢で見た光景と、目の前の人物が同一人物だとシアの脳が告げていた。

 

「…………いやいや、ちょっと待て。何でそんな話になる? あー、あれだな。寝起きで夢現とかそんなやつなんだな」

「いえ……貴方は、神だったのですね」

 

 シアを優しく横たえ、アルテナはアインズへと跪いた。

 

「貴方は……貴方様こそが、虐げれてきた亜人族を救う為に天より遣わされた我々の神……」

「へ? ……いやいや、ハイピスト嬢。何をどうしたら、そんな結論に」

「よもや……この様な奇跡を目の当たりにするとは……」

 

 否定しようとするアインズへ、今度はティオが跪いた。

 

「シアは確かに事切れていた筈じゃ……それを容易く蘇らせるとは……アインズ・ウール・ゴウン殿、いや、様! このティオ・クラルス、感謝の言葉も尽きん!」

「あ、ああ、うむ。こちらも蘇生実け……ではなく。彼女が復活して何よりだ……」

 

 今のフェアベルゲンで発言力が最も大きい二人が跪いた姿に、他の亜人族達も次々と平伏し出した。その目は奇跡を目の当たりにした崇拝の念が浮かんでいた。

 

「奇跡だ……神が“奇跡の子"を救った……まさに奇跡だ……!」

「あの魔人族達から俺達を救ってくれた……あの人、いやあのお方こそが、フェアベルゲンの神だったんだ……!」

 

 その場にいる亜人族全てがアインズへと平伏した。救世主を待ち望んでいた敬虔な信徒の様に、彼らは骸骨姿の魔導師を崇め奉っていた。

 

「……………」

 

 アインズはゆっくりと配下達へ振り向いた。

 ナザリックの守護者達はさも当然、と言いたげな満足げな顔(一名は無表情)で頷き、新しく配下となった少女達は奇跡を目の当たりにして驚きながらも尊敬でキラキラと目を輝かせていた。

 アインズは再び亜人族達へと振り向く。自分へと平伏する姿に———天を仰いだ。

 

(……………どうしてこうなったあああっ!?)

 

 心の中でシャウトすると同時に、精神の沈静化が行われた。

 




そんなわけで……アインズ様は亜人族の神様になるそうです。本当に、何でこうなったのでしょうね? きっとデミあたりに聞いたら、優しく解説してくれると思います。


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第五十五話「偉大なる計画の第一歩」

もうじきお気に入り件数も3000に届きそうです。これだけ続けられているのも、応援してくれる読者の皆様のお陰です。


(どうしてこうなったよ………)

 

 大樹をくり抜いた様な建造物が多いフェアベルゲンの、一番立派な大樹に作られた最上階の部屋でアインズは心の中でうめいていた。かつては長老衆達の会議場として使用されていた部屋――それも議長席であろう一番立派な席にアインズは座らされていた。

 

「あー……ハイピスト嬢? 本来、ここは現族長である君が座る場所ではないかな?」

「いえ! 我々の神たるゴウン様こそが上座に座するべきですわ!」

「う、む……そ、そうか……?」

 

 遠慮がちに「自分は下座で良いんだけど?」と言ったのだが、下座———それも席ではなく地面に片膝をついたアルテナに断られた。その目はキラキラと輝いており、まさに神に拝謁を許された信徒の様に光栄だと顔に書かれていた。

 

「我々亜人族は、これからゴウン様に一族を救って戴いた御恩に報い、信仰を捧げますわ!」

「妾も竜人族の誇りに懸けた以上、二言はありませぬ。シアの命を助けて戴いたゴウン様に忠誠を捧げましょうぞ」

「……………ぉぅ」

 

 アルテナと共に跪拝するティオに、アインズは小さく呻き声を漏らすしかなかった。二人に対してアインズの傍で控えているアウラは「こいつら分かってるじゃん」と言いたげな得意顔で頷いており、コキュートスとナグモは表情が読めないながらも不満そうな態度は見せてない。

 

「それにしても、まさかゴウン様が他の大迷宮を突破した資格者でしたとは……」

「妾が各地を巡っている時に、魔人族達の侵攻が激しさを増しておったが、ここに来てゴウン様という資格者が現れた。妾達は長きエヒトの支配から抜け出す歴史の転換期に巡り会ったのやもしれぬな」

「ほう? お前は人間達に信仰されているエヒトルジュエの真実を知っているのか?」

「竜人族は太古より邪神エヒトに対抗すべく、歴史から隠れながらも牙を研いできた一族故に。かの神の邪悪さは誰よりも熟知していると存じ上げまする」

「ほう……それはそれは」

 

 アインズは肘掛けに手をついて頬杖しながら頷く。この仕草が深い考えがある様に見せられるというのは、アルベドやデミウルゴス達で実践済みだ。

 

(この世界の竜人族は、エヒトについて詳しい情報を持っていそうだな……何とか仲間に引き込めないか?)

 

 残念ながらエヒトルジュエについて、アインズ達は情報が少な過ぎる。ユグドラシルのボスならばアインズは何が弱点で、どういう攻撃手段が有効か判断できる。しかしながら、ここはアインズがユグドラシルで培った情報が通用しない異世界。果たして自分達の戦力がトータスではどの程度か、エヒトルジュエに通用するのか見当がつかないのだ。

 

(魔人族が信仰しているアルヴとかいう神様も、ナグモが解読したオスカー・オルクスの研究資料によるとエヒトルジュエの眷属の可能性が高いんだよな。改めて思うけど……敵が多いよなぁ)

 

 下手をすれば、かつての解放者達の様にトータス全てがナザリックの敵に回る可能性が高いのだ。その全てを殲滅するなど、現実的な手段ではないとアインズは考えていた。ユグドラシルで例えるなら、ナザリックという一ギルドに対して、相手は世界全てという超巨大連合を組んでいる様なものだ。

 

(だからこそ、俺達は仲間を積極的に増やしていきたいんだ)

 

 今回のフェアベルゲンの救出劇は、NPC達に亜人族を助けさせる事で「ナザリックこそが至高。それ以外は塵芥」という意識改革を行おうという狙いがあった。しかし、それ以外にも亜人族達をエヒトルジュエに対抗する為に仲間に引き入れ、“対エヒトルジュエ連合"を結成しようという狙いがアインズにはあったのだ。ついでに大迷宮を狙っていた魔人族達を撃破する事で、恩を売ろうという魂胆があったりする。

 

(それなんだけどさぁ……何でこうなったよ……)

 

 こちらを崇拝の眼差しで見てくるフェアベルゲンの代表達を見て、アインズは天を仰ぎたくなる。いったい何をどうすれば、こんな骸骨の魔物な見た目の自分を神様だと思うのか? 宗教に無頓着な国に生まれ、オンラインゲーム(ユグドラシル)にしか関心のないアインズからすれば、アルテナ達の気持ちはさっぱり分からなかった。

 

(ま、まあ、これで対エヒト連合の話は進め易くなった……よな? 結果オーライだと思おう、そうしよう!)

 

 ポジティブシンキングで無理やりそう納得させ、アインズはアルテナ達に向き合った。

 

「先程も言ったが、私は樹海の大迷宮の攻略を行いたいのだ。お前は大迷宮の場所を知っているのだな?」

「はい。亡くなった祖父がフェアベルゲンの長に就く者の口伝として、私に伝えて下さいました。しかし、何故ゴウン様は大迷宮をお求めに……?」

「ソコノエルフ。アインズ様ノ真意ヲ問イ質スナド、無礼千万。聞カレタ事ノミヲ素直ニ———」

「よい、コキュートス」

 

 アインズは鷹揚に手を上げてコキュートスを制した。同時に、ここが正念場と意識を切り替える。

 

「……ハイピスト嬢、そしてクラルス嬢よ。君たちはエヒトによって支配されたこの世界をどう思う?」

 

 アインズの真意が分からず、二人は目を合わせた。ややあってから、二人は自分の意見を話し出す。

 

「……亜人族には優しくない世界だと思いますわ。我々が生きられる場所はフェアベルゲンか、各地にある隠れ里くらいですから」

「妾も同意見じゃ。エヒトによって歪められた信仰心によって、人間族や魔人族以外は……いや、たとえ両種族であってもエヒトの気紛れで滅ぼされる。まさにエヒトが好き勝手に弄ぶ遊戯盤の様な世界と言えましょうぞ」

「そうだ。それが私には我慢ならない」

 

 アインズは目線だけをアウラやコキュートスに向けた。

 

「私の配下には君達が魔人族と勘違いしたアウラの様な種族もいれば、コキュートスの様な異形の者も多数いる。彼等は私の仲間達がそうあれ、と望んで生まれてきたが、この世界ではエヒトのせいで肩身の狭い思いをしなくてはならない。それが私は我慢ならないのだ」

 

 そこでだ、とアインズは区切る。

 

「私はな……平和な世界を作りたいのだ。人間や魔人族、亜人族や異形種という事で差別されず、堂々と大手を振って歩ける世界。そんな世界を私は望むのだ」

「平和な世界……あらゆる種族が平和に暮らせる……かつての竜人族の悲願……」

 

 おっ、これは感触が良さそうだぞ? とティオを見ながらアインズは判断する。

 

「その為にはエヒトルジュエの存在が邪魔なのだよ。だからこそ、狂った神を討つ為に私は更なる力を求めるのだ」

 

 スッとアインズは席から立つ。そして跪いたアルテナ達に目線を合わせる様に膝を屈めた。後ろで守護者達が驚く声を出したが、今は無視した。

 

「どうだろうか? 私に協力してくれないか?」

 

 そうすれば、きっと———トータスに来ているかもしれない異形種(ギルメン)達も、住みやすい世界になる筈だ。

 

(俺が転移した時間帯的に、もしかしたらヘロヘロさんもこっちに来ているかもしれない。あるいはナグモみたいにタイムラグがあって、俺より前に来てるなんて可能性もあるのかも)

 

 だが、この世界はエヒトルジュエによって人間族が至上とされる世界なのだ。トータスに仲間達がいるとしても、何処かに隠れながら暮らすしかない筈だ。

 

(……もしも既に来ていた俺の仲間達に手を出していたら、絶対にブッ殺してやる)

 

 エヒトルジュエに新たな憎悪を募らせ、一定値を超えて怒りを沈静化される自分の身体に苛立ちを感じていると、アルテナとティオが———まるで祈る様にアインズに頭を垂れていた。

 

「我らの神、アインズ・ウール・ゴウン様……どうか貴方の素晴らしき理想に御助力させて下さい」

「そなたこそが、我ら竜人族が探し求めていた救世主。里の者は妾が説得いたしまする。どうか、エヒトを討つ為に協力させて下さらぬか?」

「……良いだろう。狂った神を討つ為に、共に戦おうではないか」

 

 なんか思い描いてた絵図と違うんだけど……。と思いながらも支配者ムーブでアインズは鷹揚に頷いていた。

 

「貴方の様なお方ならば、祖父も喜んで大迷宮の場所へ案内していたでしょう。ただ、大迷宮へと繋がる大樹ウーア・アルトは深い霧に閉ざされ、我々でも方角を見失います。今からですと……十日後で無ければ霧が晴れませんので、それまでお待ち頂く事になりますわ」

「ふうむ……仕方ないか。それまで待つ事にしよう」

 

 そこで、ふと思い出した様にアルテナに聞いた。

 

「ああ、そうだ。ここまで案内される間に見てきたが、戦禍の後があちこちに残っていたな」

「はい……今回の襲撃で働き盛りの年齢の者達も結構亡くなりましたし、恥ずかしながらこれからの復興の事を考えると、気が重くなりそうです」

「ふむ、ならば我々から復興の援助をさせて貰うのはいかがかな?」

 

 え? とアルテナは驚いた様に顔を上げた。

 

「そ、それは……! 大変ありがたい申し出ですが、ゴウン様にそこまでご迷惑をお掛けするわけには……!」

「いや、受けて貰わねば困る。君達にはいち早く、国を立ち直らせて欲しいのだよ」

 

 そうでないと、また魔人族などが襲撃して来て大迷宮を占拠とかされたら困るし。

 アインズは心の中でそう思いながら、別の理由を口にした。

 

「私が手間を掛けてまで救ったのだ。君達の復興に手を惜しまないとも」

 

 手に入れた重要拠点はしっかりと防衛しないとな! と考えるアインズを他所に、アルテナは感嘆極まった様に頭を深々と下げた。

 

「何から何まで……ありがとうございます! 我らが神、ゴウン様!」

「う、うむ。そうとなれば、フェアベルゲンに我らの手の者を置くとしよう。さて、誰がいいか……」

「……恐れながら、進言する事をお許し下さい」

 

 考え込むアインズに、それまで黙って見ていたナグモが口を開く。

 

「フェアベルゲンの陣頭指揮ですが……コキュートスに任せてみてはいかがでしょうか?」

「む? コキュートスにか?」

 

 意外な名前が上がった事にアインズは視線を向ける。そこには名指しされるとは思っていなかったのか、コキュートス自身も驚いた様子の姿があった。

 

「コキュートスの強さは今更説明の必要すら無いとは思います。再び魔人族達が襲撃してきたとしても、コキュートスならば容易く撃退出来るでしょう。加えて、彼ならばアインズ様の目的に打ってつけと判断します」

「ほう……」

 

 顎に手を添えてアインズは考える———フリをした。

 

(え? 俺の目的? ひょっとしてナグモ、俺のNPC温厚化計画に気が付いてたの? うわぁ……なんか恥ずいわ! 秘密裏にやろうとしてたサプライズ・プレゼントがバレた時並みに恥ずいわ!)

 

 ギルド最高齢だった死獣天朱雀の還暦祝いをしようと、皆でレアアイテムのドロップを狙って課金しまくって冗談じゃ済まない額になりそうだった時、本人から「まあまあ、皆の気持ちだけでも嬉しいよ」と嗜められた時を思い出してアインズは心の中で赤面した。しかしながらアンデッドの骸骨顔はこういう事を表に出さなかった。

 

(ま、まあ、コキュートスはカルマ値プラスだし、亜人族を虐待するとか性格的にやらないだろ。これも社会勉強になると思えば良いさ……)

 

 そう結論付けて、アインズはコキュートスに視線を向けた。

「……コキュートス、どうだ?」

「私ハ……」

 

少しだけ悩んだ素振りを見せたが、しばらくしてコキュートスは力強く頷いた。

 

「オ任セ下サイ、アインズ様! 必ズヤ御期待ニ添エル様、尽力致シマス!」

「うむ。資材や食料、人材など多くの物が必要となるだろう。ふむ、防衛戦力としてナグモが今回やった強化実験を亜人族達に付与するのも考えてみるか……その辺りはハイピスト嬢と話し合いながら決める様にな」

「カシコマリマシタ!」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 コキュートスとアルテナが了承したのを見て、ティオがスッと手を上げる。

 

「恐れながら提案させて頂きたいのじゃ、ゴウン様。そなたがフェアベルゲンの守りを固めてくれるというのであれば、妾は一度里へ戻ろうと思う。皆にゴウン様の事を伝えたいのじゃ」

「ふむ……出来れば、竜人族全員がフェアベルゲンに来て貰うのが理想なのだが」

 

 味方の拠点が複数あると防衛とか大変になるし、とアインズが考える中、ティオは難しそうになった。

 

「それは妾の一存だけでは何とも……。妾は直接ゴウン様にお会いしたから素晴らしさを理解できるが、里の者達全てがゴウン様に全幅の信頼を置けるかというと……」

「成る程、確かに道理だな。ならば、そうだな……大使として、私の配下の竜人であるセバスを遣わせよう」

「なんと……妾達以外に竜人族が生き残っているとは思わなんだ」

「お前達とは少し毛色が違うかもしれんが、セバスは私が最も信頼を置く配下の一人。彼ならば私の意を正確に汲んでくれるだろう」

 

 そう頷き、アインズはその他いくつかの取り決めをした。

 

(ひとまず、これで良いとして……樹海の大迷宮が開くまで、他の大迷宮の情報も調べないとな。魔人族の指揮官が知ってたみたいな口振りだったから、そいつから聞き出す様にしよう)

 

 ニューロニストに念入りに()()する様に伝えるか、とアインズはなんとなく考えていた。

 

 ***

 

「ナグモヨ、何故我ヲ推薦シタノダ?」

 

 アインズが退出し、コキュートスはアルテナと話し合いをする前に同僚である守護者の人間に聞いた。それに便乗する様に、アウラも聞いてきた。

 

「そうそう。どうして亜人の国を守るのにさぁ、コキュートスを薦めたわけ? シモベ達を適当に何人か派遣すれば良いんじゃないの?」

「……それが、アインズ様の御計画に最も適していると判断したまでだ」

 

 いつもの無表情でナグモはそう答える。疑問符を浮かべる二人に対して、ナグモは説明を始めた。

 

「まず最初に……何故、アインズ様がわざわざ亜人族達を助けたか説明しよう。アインズ様の目的である世界征服には、エヒトルジュエの信仰を失墜させる必要がある。ここまでは良いか?」

「ああ、確かエヒトとかいう奴は信仰心を失うと弱体化するとか言ってたっけ?」

「然り。だが、腐ってもトータスを長く支配していた神。人間共から信仰心を奪うのは、少し骨が折れる作業となるだろう」

 

 宗教とは権威であり、積み重ねた歴史そのもの。医療や教育なども聖教教会が大きく担うトータスでは、聖職者で無くてもエヒトへの信仰は大きいのだ。

 

「そういう意味では、一番取っ付き易かったのが亜人族なのだよ。この世界の二大宗教のどちらからも差別される彼等はアインズ様という新たな神が現れれば、すぐに信者となるのは自明の理というやつだ」

「そりゃアインズ様だもん。アインズ様の素晴らしさを理解出来ない奴の方が頭おかしいって」

 

 ウンウン、とアウラとコキュートスは頷いた。

 

「そして亜人族達に恩を売った事でアインズ様はフェアベルゲンの神となり、従順な信者達も手に入れた。これで……愚神エヒトに代わるアインズ様の信仰への足掛かりを得たのだ」

 

 薄く、しかし確かにナグモは笑う。それは全てが計算通りにいってると確信した笑顔だった。

 

「アインズ様が焼け野原になってしまったフェアベルゲンをわざわざ手入れするのも良い手だ。ここで復興支援と称して、アインズ様の理想となられる国造りが行える。当然ながら、亜人族達の元の生活どころかこの世界のどの国よりも何倍も良い国を、だ。アインズ様の保護下にあれば、いかに良い暮らし振りになるかを示す良いモデルケースとなるだろう」

「言われてみれば確かに……アインズ様の治める国が、人間の国より良くなるのは当たり前だよね」

「そして聖教教会に頭を下げるよりも遥かに良い暮らしを出来ると知れば、人間共も聖教教会、ひいては愚神エヒトを見限るというものだ」

「ムウ……アインズ様ハ、ソコマデ御考エダッタノカ……」

 

 二人が頷く中、ナグモは更に()()()()()()()アインズの考えを話す。それはまるで、一足早く問題が解けた事を自慢する子供の様でもあった。

 

「今回、アインズ様はあえて今まで通りに亜人族達に防衛させると言った。だが、亜人族達のそのままの強さではまた同じ事が繰り返されるのは理解しているだろう。そこで、僕の強化実験の産物が使われるのさ」

「強化実験って……天職の付与の事?」

「それもそうだが、香織に施した人型キメラ化計画も指しているのだろう。今回の()()で、彼女はよく戦ってくれた」

「あー、はいはい。惚気話は余所でやってよ」

 

 嬉しそうに語るナグモに、アウラはやれやれと肩をすくめた。

 

「……まあ、とにかく。今回の戦闘データを基にトータスの魔物因子を付与して、ステータスを強化させる特殊兵士を量産させる目処が立ちそうだ。そして、その特殊兵士第一号が亜人族というわけだ」

「……トスレバ、第四階層ニイルキメラノ様ナモノニ改造スルノカ?」

 

 鶏と蛇が合体した様な異形のモンスター達などを思い出し、コキュートスは何とも言えない表情となった。さすがに彼も、そんな異形に改造される亜人族達に同情したのだろう。

 

「ん? いや、アインズ様の御命令であればそうするが、基本的にそこまで無茶な改造をする気はないな。あくまで人型のまま、魔物達の固有技能が使える様にしていくつもりだ」

「あ、そうなんだ。というかあんたの自慢の香織みたいな万能キメラにすれば良いんじゃない?」

「香織の身体はかなり特殊で再現が難しいからな……香織のように色々な魔物の因子を付与するのではなく、いくつかの魔物に絞って因子を付与させる、謂わば量産型人型キメラにした方が良いだろう」

 

 例えば、アインズがわざわざ甦らせた兎人族は遺伝子的にも近い蹴り兎あたりを中心に付与させ、肉体能力が優れた兵士にする。そんな計画をナグモは頭の中で練っていた。こうすれば香織が歪な魔物だった時のように、異形化するリスクは低くなる筈だ。

 いつの日だったか、デミウルゴスと話していた特殊兵士計画。八重樫雫をナザリックに招いた時に、アインズに仕える者として相応しいステータスとなる様にする実験の第一段階を亜人族達を使ってナグモは実験する気でいた。

 

(まあ、どれ程やったら異形化するかは今回採集した魔人族(サンプル)達で実験すれば良いか)

 

 肉体や精神が著しく変調をきたす様な実験は捕虜の魔人族で。

 そして問題無いと判断した強化実験はアインズが保護を約束した亜人族で。

 その上で肉体的にも精神的にも安全と言い切れる強化改造は、いつか来る雫に施す。

 より良い医療の為に人体実験を推し進めるマッドドクターさながらの思考でナグモはそうしようと決めていた。

 

「とまあ、特殊兵士となる亜人族達を肉体的に強くする案は問題無いが、精神の方ばかりは専門外だからな。そこで、コキュートスの出番だ」

「我ガ……?」

「アインズ様に仕える兵士として鍛え上げる戦技教導官として、君が一番向いているだろう」

 

 それに、とナグモはコキュートスをまっすぐに見据えながら断言した。

 

「ナザリックの理念を一番理解していて、兵士としての心得を叩き込め、アインズ様の兵士として相応しい育成が出来る者……コキュートス以外に、適任がいるか?」

「ナグモ……オマエハ、私ヲソコマデ買ッテ……」

 

 コキュートスがアイスブルーの複眼を見開いた。今まで他の守護者とも業務以上に接しない機械の様な人間と思っていた相手からの意外な評価に、驚きを隠せなかった。自分でも似合わない事を言った事を自覚したのか、ナグモはそっぽを向いた。

 

「か、勘違いしないで欲しいっ……あくまでアインズ様の為に合理性を追及して、そう判断したまでだっ」

「あ、照れてる。というか、あんたのそんな顔初めて見たわ。やっぱ彼女が出来て変わった?」

「やかましいっ」

「? オ前ハツガイガ欲シクテ、アノアンデッドノ娘ヲ娶ッタノデハナイノカ?」

「お前もか、コキュートス……」

 

 揶揄う様に笑うアウラに、純粋な疑問を口にするコキュートス。

 人外の同僚達に囲まれながら、人形(NPC)から昇格したナグモ(人間)は人間らしい表情を見せていた。




>ナグモ

こいつもデミウルゴス並にアインズの意図を履き違えてますよー。唯一、進歩あったのは同僚に対しては態度が軟化したくらい。

>フェアベルゲン

要するに、カルネ村とリザードマンの村を足して二で割った様な支配下になりましたよ、と。コキュートスの派遣でナザリックの現地兵士の育成機関に(アインズは意図してないけど)早変わり。

>量産型人型キメラ

早い話、原作のハジメみたいなのを亜人族達で量産しようというわけです。で、神水があっても激痛でショック死するかもしれない危険性などは捕虜にした魔人族(サンプル)を使って問題が出ない様に治験すると……やってる事が、どこぞの第三帝国と同レベルだわ、ドン引きだわぁ……。

そしてデメリットが完全に解消されたら、いつか来る八重樫さんにプレゼント♪
ところでアニメで見た八重樫さんの泣き顔に……恥ずかしながら、ふふっ……興奮しちゃいましてねえ……。
ああ……早く八重樫さんもナザリックに招待したいなぁ……きっと、泣いて喜ぶだろうなぁ……(恍惚)


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第五十六話「変化の兆し」

 いつになったらライセン大迷宮に行くか、と思われそうですが、これはどうしても書いておきたかった。
 基本的に思い付いた展開をそのまま書いているから、構成もなにもあったものじゃないんですよ。


 ナグモはいつもの様に無表情で目の前の出来事を眺めていた。

 アインズによってフェアベルゲンの復興支援が決められた翌日、ナグモは副所長のミキュルニラと共にフェアベルゲンに来ていた。

 

(アインズ様は亜人達に強化を施せ、と言っていた……つまり、使える亜人達を改造せよという命令なのだろう)

 

 アインズとしては天職を付与してやれ、という意味だったのだが、残念ながら『フェアベルゲンはトータス征服の為の最初の足掛かり』と思い込んでいるナグモを含めたナザリックのシモベ達は「亜人達をナザリックの兵士となる様に教育せよ」と命令を誤解していた。そして量産型人型キメラ兵士となり得る人材をナグモ達は見に来たのだが……。

 

「う、うぅ……」

「パルくん……」

 

 至高の御方がわざわざ蘇生した兎人族の亜人———シアが即席で作られたであろう粗末な病床で呻き声を上げている兎人族の少年を看病していた。パルと呼ばれた少年の顔色は悪く、ハァハァと苦しそうに呼吸していた。

 

「シアお姉ちゃん……僕、死んじゃうのかな……」

「大丈夫ですよ、もう魔物はフェアベルゲンを襲って来ないですから! 神様が悪い魔物をやっつけちゃいましたから!」

 

 高熱で魘されるパルの汗を拭いながら、シアは必死で励ます。だが、パルの顔色は一向に回復しない。

 ここはフェアベルゲンの仮設病院。今回の襲撃によって負傷した亜人族達が集められていた。

 魔人族が使役していた魔物による負傷者は多く、生き残りの亜人族達の大半が未だに病床についていた。ナグモは改造する亜人族達の身体を調べる為にフェアベルゲンの医療施設に案内する様にアルテナに要求し、アルテナからも「アインズ様の使いの方ならば問題ありませんわ!」と了承されてこの場にいた。なのだが……。

 

「リン……私は死ぬかもしれん……。父さんの遺言を聞きなさい……」

「イヤだイヤだ! 父さんが死ぬなんて、絶対やだぁぁっ!」

「…………」

「すまない、メープル……君を抱き締めたいのに、もう俺の腕は……!」

「いいえ、いいえ。大丈夫よ、あなた……たとえ腕が無くなっても、あなたが生きていてくれれば、私はそれだけで……っ」

「…………っ」

「う、ぐぅ……」

「なあ、いつもの元気はどうした兄弟? お前と俺で、いつか族長の座を獲ってやるって約束したよな? なあ、おい……なんとか言ってくれよ、兄弟……!」

「……っ、……っ」

 

 フェアベルゲンは開国以来、大きな災害とは無縁だった為に今回の様な大勢の負傷者に対応し切れず、更には魔力を持つ者を魔物と同じ穢れた存在だと処刑してきた為に回復魔法を使える者もいない。

 その結果が部屋に所狭しと寝かされた大勢の負傷者だった。彼らは満足な治療も受けられないまま、朽ち果てていく————。

 

「…………この、低脳共が」

「ええと、しょちょ〜?」

 

 イライラとした声にミキュルニラが目を向ける。そこには眉間に皺を寄せたナグモがいた。

 ナグモはミキュルニラに返事をする事なく、我慢ならないとばかりに舌打ちをしながらパルに近付いた。

 

「あ、貴方は……!」

「邪魔だ、退いてろ」

 

 自分達の救世主であるアインズと共にいた人間(ナグモ)の事は耳にしているのか、シアは驚いた様子でナグモに振り向いた。だが、ナグモはシアには目をくれず、床にかがみ込んでパルの腕の脈をとった。

 

「お兄ちゃんは……誰……?」

「喋るな、診察の邪魔だ」

 

 冷たく言い放ちながら、ナグモはパルの瞼を開いて眼球を観察したり、鎖骨部分を軽く叩いたりして納得する様に頷いていた。そしてパルに口を開ける様に命じ、開いた口から喉を見るとフンと鼻を鳴らした。

 

「馬鹿馬鹿しい。魔物の毒で中毒症状になっているだけだ。大方、スキアーの毒鱗粉を吸い込んだのだろう。<解毒(デトックシフィケーション)>!」

 

 ナグモが解毒の位階魔法を使う。するとパルの顔色が穏やかになり、苦しみから解放されて静かな寝息を立て始めた。それを確認すると、ナグモはシアに目を向けた。

 

「おい、そこの兎人族。今から言う薬草を採って来い。フェアベルゲンの近郊に植生しているから、それを磨り潰して五日間はこの兎人族に飲ませ続けろ」

「え、えっと……」

「……二度も同じ事を言わせる気か? お前の脳には大鋸屑が詰まって」

「はいはい〜、大丈夫ですよ〜」

 

 戸惑って動かないシアに苛々と口調がキツくなるナグモの横からミキュルニラが割り込む。

 

「この子はしょちょ〜の言う通りにしてくれれば〜、ちゃんと治りますからね〜。しょちょ〜は御方々を除けばナザリックで一番のドクターだから〜、心配無いですよ〜」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます、ありがとうございます!」

 

 ウサギ耳をブンブンと振りながら頭を下げるシアに、ミキュルニラはニコニコと応対しながら薬草の名前を告げていく。それに余計な手間が省けた、と言わんばかりにナグモは隣の亜人族を診察した。

 

「な、なあ、あんたは神様……ゴウン様の使いなのか? 俺達を助けてくれるのか……?」

 

 

 熊人族の中年男性が縋る様な目でナグモを見る。それをナグモは苛々とした様子を隠さずに答えた。

 

「……お前達は恐れ多くもアインズ様がわざわざ保護を約束した。ならば、この程度の()()で死者を出すなど、御方の名に泥を塗る行為と知れ」

「け、軽傷……?」

「それと、お前達の粗末な治療を見てるとイライラしてくる。風呂場を箒で掃こうとしている馬鹿を見ている気分だ」

 

 亜人族達に回復魔法を使える者が皆無な為、必然的に魔法を頼らない治療を行うしかない。しかし、中世ヨーロッパレベルの文明のトータスの治療は、至高の御方(じゅーる)によって『人智を超えた科学者にして錬金術師』と設定されたナグモからすれば原始的で我慢ならないものだった。

 

(この低脳な野蛮人共が……先程から()()()を延々と見せられるこちらの気持ちになれというものだっ)

 

 この場にいる亜人族達が負っている負傷など、ナグモからすれば擦り傷で今生の別れの様な挨拶を交わしている様なものだ。

 ナグモは人類愛に目覚めたわけではない。これはさながらベテランの職人が、新人からレンチを引ったくって「黙って見てろ」と言い出す様なものだ。

 しかし、熊人族の中年は無表情ながら不機嫌そうな人間の少年に、ガバッと土下座した。

 

「頼む! どうか息子を……俺の息子を助けてくれ!」

 

 熊人族の中年を皮切りに、その場にいる亜人族達は次々とナグモに頭を下げていく。

 

「お願いです! どうか父さんを助けて下さい!」

「あの人を……あの人を治して上げて下さい!」

「なあ、兄弟を助けてくれ! お願いだよ、何でもする!」

「っ、喧しい……黙って見てろ! 順番に診察してやる!」

 

 「おお、ありがたい……」、「さすがはゴウン様の使いの方だ……」と拝み出す亜人族達に辟易するナグモに、ミキュルニラがちょこちょこと近寄ってきた。

 

「しょちょ〜、どういう風の吹き回しですか〜? 亜人の皆さんを治療したいなんて〜、ひょっとして明日は槍が降るんでしょうか〜?」

「……勘違いするな。これも、アインズ様の御計画の為だ」

 

 何故かニコニコとするミキュルニラに苛々———何故そんな事にイライラとしているのか分からないが———しながらも、ナグモは小声で答えた。

 

「この亜人達はアインズ様が御支配された地が、いかに幸福であるかを示すのに必要だ。それと治療と平行して改造計画も進められるから、好都合な機会だからやるだけだ」

「……ん〜、分かりました〜。そういう事にしておきます〜」

 

 ふむふむ、とワザとらしく頷くミキュルニラに何故か憮然とした物を感じながら、ナグモは指示を出し始めた。

 

「と・に・か・く! 人手が足りん。実験的に治癒師の天職を付与した研究員達を第四階層から連れて来い!」

「はい〜、ヴィクターさんに、リヒターさん、フラットライナーさん、それとレイスさんですね〜。回復魔法なら、ペストーニャさんにも応援お願いしますか〜?」

「……いや、第九階層にまで応援を頼むほどじゃないな。代わりにそうだな……香織を呼んで来てくれ」

「香織ちゃんですか〜? 確かに治癒師でしたけど〜、アンデッド化して治癒魔法が使えなくなったんじゃ……」

「僕がそんな欠点をいつまでも残しておくと思うか? 戦闘用に改造した際に、既に克服済みだ」

「なるほど〜、さすがはしょちょ〜です〜」

 

 手配をする為に部屋から出ようとしたミキュルニラだが、ナグモにクルリと振り向いた。

 

「所長」

「何だ? 必要な伝達は済ませた筈だが?」

 

 ナグモは振り向かず、目の前の亜人族を診察しながら返事をする。

 ……ミキュルニラから、いつもの道化じみた様子が消えている事に気付いていなかった。

 

「……以前は誰かと関わる事すら疎ましがっていたのに、優しくなられましたね。ええ、本当に」

 

 弟の成長を目の当たりにした姉の様な目で、亜人達の治療に没頭するナグモを見て……すぐにミキュルニラは道化じみた口調に戻った。

 

「やっぱり香織ちゃんの愛のお陰ですかね〜? いや〜、愛は偉大なのです〜」

「はぁ!?」

 

 それじゃちょっと香織ちゃん達を呼んで来ますね〜! と言い残し、バビュ〜ンッ! と出て行ってしまった副所長にナグモは言い返す機会を逃してしまった。

 

(僕が優しいだと……? あの能天気は、何を言っているんだ?)

 

 苛々とナグモは亜人達の治療を再開した。

 

(僕はじゅーる様から「人間嫌いで他人が嫌い」と定められた身。僕が他人相手に優しくなど、するわけがないだろうに)

 

 じゅーるによって設定された天才的な腕前で、止血しかされてない傷をミシンの様に正確かつ手早く縫合していく。

 

(愛した香織や借りが出来たユエが例外で、こいつらはアインズ様の為に治療しているだけだ)

 

 毒を受けて壊死しかけた腕に手持ちのポーションを振りかけながら、解毒魔法を併用していく。四肢を完全に失った者は、香織の万能細胞を応用して培養したキメラ細胞で新たな四肢を生やしていけば良いだろう。

 

(特殊兵士計画のサンプルは多い方が好ましいし、コキュートスを推薦した以上は彼の顔を立てる為にもこれ以上の戦死者が出ても困るだけだからだ)

 

 苛々と自分に言い訳しながら、ナグモは次々と亜人達に治療を施していく。

 

(よって……僕が他人に優しいなどあり得ない)

 

 その後、ミキュルニラが引き連れて来た香織や研究員達に指示を出しながら、ナグモは亜人達の治療を続けた。

 結局———ナグモが手を休めたのは、全員を治療し終えた後だった。

 

 ***

 

「ふう……疲れた〜」

「ふふ〜、お疲れ様なのです〜」

 

 日が完全に落ち、星明かりだけがフェアベルゲンを照らす外で香織はミキュルニラと共に一息ついた。といっても、本当に疲れたわけではない。アンデッドとなった香織の身体は肉体的な疲労とは無縁な為、精神的な疲労を感じているだけに過ぎない。

 

「でも、私だけ先に休憩しちゃって良かったのかな? ナグモくんはまだ亜人族の人達を診て回っているのに……」

「大丈夫ですよ〜。もう治癒魔法が必要な人はいませんから〜。あとは確認の為に診察されてるだけですから〜」

 

 一仕事を終えた香織を労わりながら、ミキュルニラはスッと頭を下げた。

 

「……ありがとうなのです、香織ちゃん。しょちょ〜を好きになってくれて」

「え? 急にどうしたのかな?」

「以前のしょちょ〜なら、亜人族の皆さんを研究対象として見ても、治療しようなんて言わなかったと思うのです。しょちょ〜が優しくなったのも、きっと香織ちゃんがナザリックに来てくれたからなのです」

「そうかな……? そんな事ないと思うよ。だって、ナグモくんは優しい人だもの。ただほんのちょっと、無愛想に見えるだけだよ」

「ふふ〜、確かに〜。ほんのちょっと無愛想さんなのです〜」

 

 ユエがいれば、「ほんの……ちょっと?」と微妙な顔で首を傾げるだろう。それを知ってて、ミキュルニラは笑う。香織もまたつられる様に笑顔を見せた。

 ———その笑顔に、少しだけ罪悪感を抱く。第四階層の奥、香織の同郷の人間達の死体を保存している事に。

 

(あれは……今後のナザリックの為に必要な実験でした。所長も問題ないとは言ってました……でも……)

 

 真実を知ったら、目の前の彼女は———ナグモに人間を嫌悪する以外の感情を与えてくれた彼女は、決して許さないだろう。もしかしたら、ナグモの事を激しく嫌悪するかもしれない。それを考えると、ミキュルニラは暗い気持ちになるのだ。

 

(何故、でしょうね……。以前は人間さんを実験動物(モルモット)にする事に躊躇いなんて無い筈だったのに……)

 

 『ナザリックの者達には誰でも平等に接するが、それ以外の者達には実験動物(モルモット)として扱う事に躊躇しない』。

 そういう風に創造主(じゅーる)に設定されたのがミキュルニラ・モルモットだった。いつの日だったか、「ホラ、モルモットに実験動物(モルモット)扱いされるとか皮肉が効いてて良くありません?」とじゅーるがるし☆ふぁーに言っていた事を覚えている。

 だからこそ、彼女のカルマ値はマイナス寄りになっており、ナザリックの外の人間などどうでも良かった。

 ……じゅーるがナザリックから去り、自分の設定(在り方)を変えたその日までは。

 

(所長は……きっと気付いてないんでしょうね。あの人達の中に、香織ちゃんのお友達がいたかもしれない事に……。香織ちゃんを人間に戻す時が来た時の為の実験に使うと言ってましたけど……でも……)

 

 果たして、それは本当に可能なのだろうか? 可能だったとして、かつての友人達を犠牲にした実験の賜物だと香織が知ったら、素直に受け取ってくれるのだろうか?

 じゅーるによって、カルマ値を()()に設定し直されたミキュルニラには、ナグモがやっている事が香織との関係を壊してしまうかもしれない事を恐れていた。

 

「ミキュルニラさん? どうかしたの?」

 

 ナザリックの新たな友人であり、ナグモが愛している少女が黙ってしまった自分を怪訝そうに見つめてくる。それに対して、ミキュルニラはいつものマスコットの道化みたいな口調で答えた。

 

「……何でもないですよ〜。香織ちゃんとしょちょ〜は、相変わらずラブラブだな〜、って」

「もう、ミキュルニラさんってば」

 

 照れ笑いする香織に、これ幸いとミキュルニラは話題を変えた。

 

「ああ、そうです〜。香織ちゃんの戦闘用のお洋服〜、どうでした〜? あれ、私が作ったんですよ〜」

「うん、動き易くてとても良かったよ! 今まで治癒師だったから後衛で戦う事が多かったけど、私もナグモくんを守る為に戦っていけそう!」

「それは良かったです〜。でも〜、あまり無理はしないで下さいね〜。香織ちゃんは今まで争い事と無縁な場所で生活していたと聞きましたから〜、戦う事が気付かない内にストレスを溜めちゃっているかもしれないですから〜」

「大丈夫だって、ミキュルニラさん。それに私ね、昨日の戦闘で初めて人を殺したけど———思ってた程に何とも思わなかったの」

「……え? 香織、ちゃん……?」

 

 ミキュルニラは驚きながら、香織を見た。

 星明かりだけが照らす暗い夜———香織の真紅の眼が、いつもよりも鮮明に映った。

 アンデッド特有の赤い眼が……不敬にもアインズみたいだと、ミキュルニラは思ってしまった。

 

「でも、考えてみれば当然だよね。だって———()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ———まるで。害虫が出たから駆除したと言う様な様子で、香織は言った。

 その表情は人を殺す事に躊躇いなど感じてないかの様な普通の——異形種として、普通の表情だった。

 

「…………うん。至高の御方の為だから、きっとその通りですね〜」

 

 ややあってから、ミキュルニラはいつもの道化の笑顔を被って頷いた。

 

 

 ———ほんの少しだけ欠けた月が、二人の少女を照らしていた。




>ナグモ

「僕は他人に優しくなどない! Q.E.D!」(亜人族達の治療をしつつ)
 
 ナグモ・ムジークとでも呼んであげて下さいな。やっている事の元ネタはあれなので。一応、アインズの狙い通りに他人に寛容な心を少しずつ学んでいってるのかも……?

>香織

 ———その一方で。彼女は人間としての精神を薄れさせたけど。鈴木悟がアインズ(異形種)となって人間に対して親近感が湧かなくなった様に、香織もキメラアンデッドとなって人間的な感情を失いました。それに香織はヤンデレ的な部分もあるから、愛しの人の為ならば血で手を染める事も厭わなくなると考えました。ナザリックのシモベらしくなって、良かったね!

 ああ、本当に……早く出番を書きたいなあ、雫ちゃん。楽しみだなぁ、麻婆豆腐を食べたいくらい。


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第五十七話「フェアベルゲンの亜人族部隊」

 まだまだ行けないライセン大迷宮。
 私事になりますが、自分は一度、原作への興味が薄れてしまって連載していた二次創作を投げ出してしまった事があるので、この作品は熱意が冷めない内にやりたいネタを書いていく様にしています。そうすれば楽しく書いていけるので。


「ああ〜! どうか罪深い私を許してくれ〜!」

 

 ナグモが亜人族達の治療を行い、ナグモの驚異の医療技術とキメラ細胞の埋め込み手術により、亜人族達は短期間ですっかりと回復していた。アインズに、そしてナグモに自分や家族の命を救って貰った亜人族達は恩義からアインズ達に「一生を掛けてもこの御恩に報います!」と従順になっていた。

 

(ソレハイイ……アインズ様ガ如何ニ偉大ナル御方カ、亜人達ニモ理解デキタトイウコトダ)

 

 フェアベルゲンの復興支援———という名目の、ナザリックによるフェアベルゲン占領地化計画の指揮官となったコキュートスは、亜人族達をナザリックの兵とすべく戦闘訓練を行っていた。ナグモが治療と同時に行った改造手術のお陰で、亜人族達は以前よりも強靭な肉体といくつかの固有魔法が使える様になった。あとは戦闘技術を教えていけば、彼等はアインズに忠実な兵士として生まれ変わるだろう。その筈だったが……。

 

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! こうするしかなかったの!」

 

 人型キメラ化の証として銀色の髪と手や足に赤黒い血管が浮かんだ兎人族の少女が、まるで狂愛の果てに恋人を刺してしまったかの様に仕留めた魔物に謝り続ける。因みに当人とこの魔物は全くの初対面である。

 

「敵なんだ!今のこいつはもう! なら殺すしかないじゃないか!」

 

 世界の情勢により親友と戦場で敵同士になってしまった兵士の様な言葉と共に悲痛の表情で魔物に突進していく兎人族の青年。因みに当人とこの魔物は全くの初対面である。

 

「どうか……どうか安らかに……ううっ!」

 

 苦痛の果てに死を求めた親友の介錯をしたかの様に、瀕死となった山猫の様な魔物にトドメを刺す兎人族の中年。因みに当人とこの魔物は(以下略)。

 

「………オマエ達ハ、先程カラ何ヲシテイル?」

 

 カチカチ、と顎の鋏を鳴らしながらコキュートスは聞いた。蟲の顔の為に表情が分かりにくいが、人間だったら顔が引き攣っている様子がありありと浮かびそうな声色だった。

 

「すみません! すみません! ウチの家族達が!」

 

 コキュートスの横でシアが必死にペコペコと頭を下げる。亜人族達の中で一番戦闘力のあるシアに目を付けて、ならば彼女の一族であるハウリア族が一番強くなる見込みがあるか? と考えて戦闘訓練を施したコキュートスだが、その目論見は早くも崩れ掛けていた。そんな中、仕留め損なった魔物が最期の一撃とばかりに体当たりをして、シアの父であるカムは倒れた。

 

「ぐっ、これが刃を向けた私への罰か……すまない、私はここまでの様だ……せめて娘を救ってくれたゴウン様に御恩を返したかった……」

 

 自嘲気味に呟くカムに周囲のハウリア族は涙を浮かべながら、倒れたカムに駆け寄った。(断っておくが、カムに外傷は一切ない)

 

「族長! そんなこと言わないで下さい! 罪深いのは皆一緒です!」

「そうです! いつか裁かれるときが来るとしても、それは今じゃない! ゴウン様の為にも立って下さい! 族長!」

「僕達は、もう戻れぬ道に踏み込んでしまったんだ! でもゴウン様の為に戦うと決めたじゃないですか! 僕達はもう途中で投げ出す事なんて許されないんです!」 

「お、お前達……そうだな。こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。死んでしまった彼(小さなネズミっぽい魔物)のためにも、そして我等の神、アインズ・ウール・ゴウン様の為にも、この死を乗り越えて私達は進もう!」

「「「「「「「「族長!」」」」」」」」

「あの、お父様? 怪我が無いなら早く立ちましょうね?」

 

 確かにハウリア族はシアを甦らせた事で、さらにナグモがパルの治療をした事でアインズへの恩を返そうと戦闘訓練を人一倍頑張っているのだが………いかんせん、その気性が戦いに向かない程に優し過ぎた。訓練用の魔物を殺す度に先の様な小芝居を何度もコキュートスは見せられていた。

 

「……先程カラ、何故ソコデ跳ネル?」

 

 走り込みで不自然な場所でぴょんぴょんと跳ねている兎人族を見て、コキュートスが低い声音で聞いた。

 

「はっ、コキュートス様! ここに蟻の行列があったので、踏み潰さない様に注意しながら走っております! あと、咲いてる花も踏み潰さない様に細心の注意を払っております!」

「…………………」

「あ、あわわわ……!」

 

 フシュウウウウゥゥッ、と極寒の吐息がコキュートスから漏れる。背筋が寒くなってくるのは、きっと冷気のせいだけじゃないだろうとシアは本能的に悟った。

 

「………<フロスト・オーラ>」

 

 ビュオオオオッ! と弱めに放った冷気のオーラが辺りを包み込む。ご丁寧にハウリア族達が避けていた花や虫達だけを凍り付かせた。

 

「ああ、虫さん! 花さんまで!」

「ソコニ、直レ……!」

 

 カチカチになった虫や野花に悲鳴を上げる中、コォォォオオッ、と極寒のオーラを纏いながらコキュートスが低い声を出す。

 

「貴様等ヲ一端ノ兵トスル事ヲアインズ様ニ任サレタ以上、半端ナ真似ハ許サレン……!」

 

 ガタガタ、とハウリア族達が震える中、極寒の支配者(鬼教官)コキュートスが君臨する。

 

「貴様等ノ軟弱ナ精神、叩キ直シテクレル———!」

 

 ***

 

「………ト、イウコトガアッタノダ」

「……ああ、うむ。なんというか……大変だったな、君も」

 

 コキュートスから訓練初日の様子を聞いて、フェアベルゲンの仮設病院でナグモも頭痛を耐える様にコメカミを押さえていた。

 

「いっそ、その兎人族達は戦闘訓練から省いた方が良いんじゃないか?」

「否。ハウリア族達ハアインズ様ノ為ニ真面目ニ訓練ニ取リ込モウトスル気概ハアル。加エテ、小サナ虫デモ見逃サナイ程ニ気配察知能力ハ高イ。スピード系ファイタートシテノ素養ハ十分ニアル」

 

 ナニヨリ、とコキュートスは先を続ける。

 

「アノ一族ノ娘……シアニハ戦士ノ輝キヲ感ジテイル。アインズ様ノ為ニモ、コノママ捨テ置クニハ惜シイ才能ダ」

「戦士の輝き、ねえ………?」

 

 そう言われても学者肌のナグモにはピンと来ない話だ。とはいえ、フェアベルゲンの亜人族達の訓練はコキュートスが任された仕事の領分である。そこにナグモの感性であれこれ口を出すのは道理が違うだろう。

 

「……まあ、いいさ。それで? わざわざ茶飲み話をしに来たわけではないだろう?」

「———知恵ヲ貸シテ欲シイ。ハウリア族達ニ戦士トシテノノ心構エヲ叩キ込ミタイ」

「それはまた難しい注文だな」

 

 二人揃って溜息が出てしまう。そもそもナザリックの階層守護者(フィールドボス)として設定された二人が他人を教育するなどやった事がなく、ましてやハウリア族のような戦いに向かない性格の相手を兵士として教育するなど、彼等にとっては難題でしかなかった。

 

(だが、やらねばならない……アインズ様の御計画を一歩目から躓かせる事は許されない)

 

 と、そこでナグモはある事を思い出した。

 

「……ああ、そうだ。僕が地球にいた時に読んだ書物に、人間共の軍隊の教育法としてこんな物があってな———」

「ホウ……興味深イ話ダナ」

 

 ナグモは地球にいた頃、いつかナザリックに戻る日が来たら役立てようとあらゆる書物を読んでいた経験から、とある軍隊の教育の方法を話した。それを聞いたコキュートスは、感心した様に頷いた。

 

「……ナルホド。確カニソノ方法ナラバ効果的カモシレン。シカシ、我ハ演技ニアマリ自信ガナイガ………」

「それなら、そういう演技に詳しそうな相手に聞いた方が良いんじゃないか?」

「? ソンナ者ガナザリックニイタカ?」

 

 コキュートスの疑問に、ナグモはしっかりと———何故か少し嫌そうな顔で頷いた。

 

 ***

 

 コキュートスと別れ、ナグモは目的の相手を探す為にオルクス迷宮に来ていた。

 採掘物集積所へと続く道を歩いていると、前方に見知った姿が見えた。

 

「ミキュルニラ」

「あ……ナグモ所長」

 

 ミキュルニラはここでナグモとバッタリと会うと思っていなかったのか、驚いた顔になった。

 

(どうしたんだ、こいつ? いつもより物静かだな……)

 

 怪訝そうに目を細めるナグモを見て、ミキュルニラはいつもの能天気なマスコットのような口調を出した。

 

「どうかしましたか〜? しょちょ〜、確かフェアベルゲンで亜人さん達の身体を調べるから残ると言ってませんでした〜?」

「急用が出来たから戻っただけだ。そっちはオルクス迷宮で変わった事があったか?」

「いえ〜、特には無いですね〜」

 

 いつもの間延びした話し方を聞いて、ナグモは気のせいだったか? と思いながら頷いた。

 

「そうか。今後は僕はアインズ様の供回りとして外に出る機会が増える。留守中はお前がここを管理する事になるから、手抜かりは無い様に」

「はい〜、了解です〜」

「用が済んだら、僕はフェアベルゲンに戻る……いや、その前に香織に会って行くか」

 

 一緒に食事するくらいの時間はあるだろう、とナグモは考える。その様子は他の人間から見れば表情が薄過ぎて分かり辛いが、彼をよく知る人間からすれば明らかにウキウキとしていた。

 

「………ねえ、所長」

 

 そんなナグモをミキュルニラは見つめながら、聞いてくる。

 

「所長は……香織ちゃんの事が、大好きですか? いつまでも一緒にいたい、って思ってますか?」

「は、はあ? 何をいきなり……」

「答えて欲しいです」

 

 直球な質問にナグモは怪訝な顔になるが、ミキュルニラは真っ直ぐナグモを見つめた。いつもの能天気さが感じられない真剣な目に怯みながら、ナグモは答えた。

 

「ま、まあ……当然、だな。僕は香織が……好きだとも。香織と今の様な生活がいつまでも続くなら、それ以上の幸せなどない」

「………うん、そうですね」

 

 赤面しながら明後日の方向を向きながら答えるナグモに、ミキュルニラは静かに頷いた。そして———唐突に能天気なマスコットの様な笑顔を浮かべた。

 

「いや〜、香織ちゃんは愛されてますね〜。同じ女の子として、羨ましいのです〜」

「……お前、いったい何の用だったんだ?」

「ん〜? 妹として、未来のお義姉(ねえ)さんがどのくらい愛されているのか、気になっただけですよ〜。エヒトとかいう神様が退治されたら〜、お祝いに香織ちゃんとの結婚式やります〜?」

「ばっ……誰が妹だ! さっさと仕事に戻れ!」

 

 つい、ウェディングドレスを着て幸せな笑顔を浮かべる香織を想像してしまい、ナグモは照れ隠しにドカドカと足早にミキュルニラに背を向けて立ち去った。

 

「………うん。所長の幸せが、私の幸せ。所長が心から楽しく過ごせる様にするのが、私の存在意義なのです」

 

 ———だからこそ、ミキュルニラが小さく呟いているのが聞こえなかった。

 

「香織ちゃんがナザリックに馴染んでくれる様になるなら………何も、問題は無いのです………」

 

 ***

 

 十日後。

 アインズは再びフェアベルゲンに赴いていた。

 

(さて、完全じゃないけど大迷宮の場所は魔人族の指揮官から聞き出せたし、とりあえずは目の前の大迷宮からだよな。それにしても他の場所がなあ……。セイインセキ? とかいうヤツを町の人間が採掘してる火山の中とか、オルクス迷宮の時みたいに変装しないと難しいかも……)

 

 いっそ、危険な土地でも出入りしてもおかしくない冒険者にでも変装した方が良いかも、と考えながらアインズは旧長老会議の議会場に転移した。

 

「オ待チシテオリマシタ、アインズ様」

「ゴウン様、拝顔の栄に浴して光栄の至りですわ」

 

 議会場でアインズの到着を待っていたコキュートスとアルテナに跪拝され、アインズはいつも通りの支配者ムーブをしながら頷く。

 

「うむ。コキュートスとハイピスト嬢も、フェアベルゲンの復興作業が上手くいっている様で何よりだ」

「はい。全ては我々に過大な御支援を下さったゴウン様のお陰ですわ」

 

 心からの感謝を述べながら深々と頭を垂れる森人(エルフ)族の少女に支配者らしく頷いていると、そこで彼女の後ろで同じ様に跪拝するウサギ耳の少女の姿が見えた。

 

「ん? その娘は確か———」

「は、はいっ! シア・ハウリアと申しますっ! こ、この度は! 神様の手で生き返らせて頂き、感謝の言葉もありませんですぅ!」

 

 緊張のあまり言葉を噛みながらも自己紹介するシアに、コキュートスが補足する様に説明した。

 

「コノ娘ハナグモガ強化改造シタ亜人族達ノ中デモ一際強イノデ、亜人族部隊ノ纏メ役トシテ任命致シマシタ」

「ほう、ナグモが強化改造した………え? 強化改造? 亜人族部隊?」

 

 何か不穏な言葉を聞いてアインズが聞き返すと、コキュートスは待ち切れなかった様に嬉しそうな声音を出した。

 

「ヤハリ、気ニナリマスカ。是非トモアインズ様ニ、オ見セシタイモノガアリマス」

「ほ、ほう? それは楽しみだな」

 

 ここで何の話よ? と聞く事も出来ず、アインズはとりあえず頷くしかなかった。

 

(いやいや、ちょっと待て! 亜人族の強化改造? 亜人族の部隊? 何でそんな話になってんの!?)

 

 チラリ、とアインズはシアを見た。シアはドギマギしながらも、コキュートスに追従していた。それは良いのだが………。

 

(そういえば……何で軍服なの? というかあの軍服、何処かで見た事ある様な………)

 

 ***

 

「皆さん、我らの神様、アインズ・ウール・ゴウン様がお見えになられました!」

「「「「「ウオオォォォォッ! 万歳! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳!」」」」」

(な………何じゃこりゃあああああっ!?)

 

 壇上のシアの宣言に、その場に整列した亜人族達が一斉に歓声を上げるのを見てアインズは心の中でシャウトした。よくよく見ると亜人族達は全員が軍服――それも“アインズ・ウール・ゴウン"のギルドサインが入った軍帽付き――を被っていた。誰もがアインズに対して絶大な敬意を示しているのが目に見えて、アインズは骨となって無くなった筈の唇がひくつくのを感じていた。

 

「な、なあ、コキュートス。こいつ等は……?」

「ハッ! アインズ様ノ御命令通リ、亜人族達ヲナザリックニ相応シイ兵トシテ教育致シマシタ!」

 

 自信満々に答えるコキュートスに、アインズは「お、おう、そうか……」と何とか答えた。

 

(教育って何!? 俺、そんなの頼んだ覚えないけど!?)

 

 困惑するアインズだが、悲しいかな骨の顔ではそういった動揺は顔に現れない。そして、ここでようやくアインズはシア達が着ている軍服が、非常に見覚えがある事に気付いた。

 

「コ、コキュートス? こいつ等が着ているのは、もしかして………?」

「ハッ! ヤハリ、オ気付キニナラレマシタカ。ソレハ————」

「ン私がデザインした物です! アインズ様!」

「パンドラズ・アクター!?」

 

 いつの間に現れたのか、軍服姿のドッペルゲンガーにアインズは「ゲェ!?」と心の中で叫びを上げた。

 

「お前、どうしてここに!? オルクス迷宮で採掘品の鑑定をしてるんじゃ————」

「はいっ、アインズ様! ナグモ殿とコキュートス殿に頼まれて、亜人族達の新兵教育に携わっておりましたぁっ!」

 

 ビシィ! と敬礼するパンドラズ・アクターに、コキュートスが頷いた。

 

「ハッ、当初ハ兎人族ノ軟弱ナ精神ニ頭ヲ悩マセマシタガ、パンドラズ・アクターニ軍隊式ノ罵倒ノヤリ方ナドヲ指導シテ貰イ、見事ニ兎人族ヲ生マレ変ワラセマシタ!」

 

 アインズが目を向けると、居並ぶ亜人族達の中で野戦服を着たハウリア族達がジョ○ョ立ちのポーズでビシィ! と敬礼してきた。ゴフゥ、とアインズの中で捨て去った筈の心の傷(厨二病)が悲鳴を上げる。

 ………ナグモが参考にした軍隊というのは、とある第三帝国だった。そして制服繋がりでネオナチの軍服を着ていたパンドラズ・アクターを思い出し、彼にコキュートスに協力する様に依頼したのであった。

 そしてパンドラズ・アクターの演技指導の下、見事に某軍曹も真っ青な鬼教官を演じたコキュートスにより、気弱なハウリア族どころか亜人族全体を絶対指導者(アインズ)を敬愛して忠実に動く軍隊を作り上げたのであった。

 

「ささ、コキュートス殿! 今こそ訓練の成果をお見せ致しましょう!」

「ウム、デハ———皆ノ者、アインズ様ニ敬礼!」

(え? 敬礼って、まさか……ちょっ、やめ……!)

 

 パンドラズ・アクターが現れた時点で嫌な予感を感じていたアインズの心の中の叫びも空しく、その場にいたシア達を含めた亜人族達は一斉に軍靴を鳴らしてアインズに向かって唱和した。

 

「「「「「Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)!!」」」」」

 

 アインズに 99999 のダメージ! おお、アインズよ。しんでしまうとはなさけない。

 

 そんなテロップが鎮静化された精神の中で流れた気がした。

 

 ***

 

 ———竜人族の隠れ里。

 

「ムゥンッ!」

「ぐぅっ!?」

 

 セバスの拳が竜化したティオを打ち据え、ティオは苦悶の声を上げた。土煙を上げながら後退りするティオを見て、竜人族の族長であり、ティオの祖父であるアドゥルは唸り声を上げた。

 

「むぅ……よもや、あのティオをここまで手玉に取るとは……」

 

 深い皺の刻まれた顔に驚愕に歪ませながら、アドゥルは自分の知らない竜人族の初老の男を見た。

 

「ティオがエヒトを倒す神を見つけたなどと言うから眉唾に思っていたが、セバス殿の力を見るに強ち嘘では無いのかもしれん……」

「……腕試しという意味なら、これで十分でしょう」

 

 執事服についた土煙を払いながら、セバスは静かに言った。

 

「宜しければ、我が主人であるアインズ様の御言葉をお伝えしたいのですが……」

「……うむ。そなた程の強者の言葉に、耳を傾けぬわけにもいくまいて」

「ま、待って欲しいのじゃ!」

 

 力があっても驕らずに誠実に対応するセバスに、アドゥルも話に応じる態度になったが、ティオが声を上げた。

 

「まだじゃ! まだまだ妾はやれるのじゃ! 爺様、もう少しセバス殿の力試しが必要と存じまする!」

「……と、孫娘は言っておるが、セバス殿はどうか?」

「私は構いませんが……しかし、ティオ様。先程から息が上がっている様ですから、あまり無茶をされない方が宜しいのでは?」

「なに、この程度は疲れた内には入らぬ!」

 

 ハァ、ハァ、と荒い息を上げながらこちらを見てくるティオをセバスは怪訝な顔で見つめる。先程から手加減した拳を何度もティオに打ち込んでいるのだが、打ち込む度にティオの魔力が上がっている気がする。そして荒い息の割には、少し強めに打たないと倒れなくなった気がするのだ。

 

(しかし、気で探ってみた限りではダメージを負う度に興奮状態に陥っている様な……? シャルティア様の“血の狂乱"のようなものでしょうか?)

 

 訝しく思いながらも、セバスは再び拳を握る。先程よりも更に強めに拳に力を込めた。

 

「では———参りますよ、ティオ様!」

「もっとじゃ……もっと、打ち込んで来てたもおおおっ!!」




>亜人族部隊

厨二病(ハウリア族)に、厨二病(パンドラ)を合わせたら、こうなったよ。

これがやりたいだけのネタ。いやー、軍隊として統制が取れて良かったすね!(色々と目逸らし)

>ナグモ

一寸先は闇。こいつは初恋が実った事に浮かれてて、重大な事態に気付いてない。

>セバスの近況

 ……うん、セバスにも春が来たね!(目逸らし)


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第五十八話「クラスメイトSIDE 鍍金の勇達者」

 活動報告やアンケートでも書きましたが、本来なら他の大迷宮に行くべきでしょうが、アインズ様の戦力的に大迷宮はかなり短い展開になりそうです。なので、どこに入れようか迷っていたクラスメイトSIDEやナザリックの日常を少し入れて行こうと思います。

 そんなわけで第一弾、ティオがチラッと言及していた勇者達の現在の様子です。


 ギィ、と古びて建て付けの悪くなった扉が開かれる音がした。

 ホルアドの冒険者ギルド。一階は大衆酒場としても解放されているその場所は、新たに入って来た奴がどんな相手か見ようと昼間から酒を飲んでいた男達の視線が一斉に入り口へと向けられる。ところが視線の先には誰の姿も見えない。少なくとも、()()()()()()()()()

 

「おい、いま誰か入って来なかったか?」

「気のせいじゃねえの? 風で鳴ったとか何かだろ」

 

 そうだな、と頷き合うと男達は酒盛りを再開した。それを入って来た男———遠藤浩介は微妙な顔で見ていた。

 

「……こっちでも俺、影が薄いよな」

 

 地球にいた頃でも、自動ドアに三回に一回は認識されないくらい、浩介は存在感が無く、ともすればクラスの班編成でもいた事すら忘れられた事がある。だからこそ、自分の天職は『暗殺者』なのだろうと納得すると同時に気持ちが凹んでくる。

 

 だが、今は———周りから認識されない存在感の薄さがありがたかった。

 

 浩介はフードを深く被り直し、ギルドのカウンターの前に立った。幸いな事に、今は他の冒険者達はいなかった。

 

「ロアさん、依頼を終わらせて来ました」

「……ん? ああ、コースケか。お疲れさん」

 

 受付で暇そうにパイプを燻らせていた男———ロア・バワビスは声をかけられてから初めて気付いた様に浩介に目を向けてきた。

 

「ロアさんが受付にいるなんて珍しいですね。いつもの受付さんはどうしたんですか?」

「アイツは今日は非番だよ。仕方ねえから俺が代わりにやってるんだよ」

 

 禿頭の厳つい見た目をしたロアは、一見すると近寄り難い雰囲気に見えるが、()()()()冒険者達の養成所として名高いオルクス迷宮の支部長を任されただけの事はあり、冒険者に成り立ての自分にも色々と世話を焼いてくれるぐらい親切心に溢れた男である事を浩介は理解していた。

 

「それにしても早いな。簡単な依頼とはいえ、もう少しかかると思っていたが。さすがは神の……いや、悪い」

「………いえ」

 

 思わず、浩介の()()()()肩書きを言いそうになったロアは彼の心情を知って頭を下げた。浩介が暗い気持ちになりながらも、気にしないで下さい、と口にしようとした時の事だった。

 

「へえ、じゃあお前、噂の勇者様達を見れたのかよ?」

 

 酒場にいた客の声に、浩介の肩がピクリと動く。既にランチタイムを過ぎた時間帯という事もあって、相当飲んでいるだろう二人の男の会話は客がまばらな酒場によく響いた。

 

「おう、見た見た。何かよお、教会の騎士様に囲まれながら金ピカな鎧を着てたぜ。周りの使徒様達も、これまた見栄えのする装備だったなぁ。俺達じゃ、どんなに稼いでも一生手に入らないぜ」

「はっ、流石は教会が宣伝している神の使徒様方だ。羨ましいこった」

 

 言葉とは裏腹に男の口調は皮肉な雰囲気が混じっており、好意的ではなかった。酔いで顔が真っ赤になった相方をもう一人の男が嗜める。

 

「おい、声がでけえよ。教会のヤツらに聞かれたら、俺達しょっ引かれちまう」

「構うもんか。お上の連中は魔人族との戦争が大事だから、こんな町の事なんざ、気にも留めてねえよ」

 

 ぐびりとグラスを煽り、男は不満げな顔となった。

 

「そもそもよぉ、数週間前にオルクス迷宮を這う這うの体で逃げ出して来たガキ共がエヒト神の使徒様だあ? 何かの間違いじゃねえか、って俺は思うね」

「馬鹿、声がでけえよ! あれは……仕方ねえだろ、オルクス迷宮の大災厄が丁度起きちまったんだからよ」

「その大災厄をどうにかするのが、勇者様達の仕事なんじゃねえか? なのに、ホルアドを放って置いて遠くの貴族様の領地へ大名行列たあな。いいご身分だなあ、おい!」

「だから、声がでけえって! 愚痴るならもうちょっと小さい声にしろよ!」

 

 真っ赤な顔で聖教教会、ひいては王国がエヒト神が遣わした神の使徒だと認定した勇者達を男は非難する。それを相方の男は止めさせようとしてはいるものの、男の発言そのものを否定する気は無い様だ。

 

「……………」

「コースケ、気にするなよ」

 

 そんな()()()()()()()の批評を聞いて苦い顔になる浩介にロアは慰める様に言う。

 

「どいつもこいつもホルアドが廃れちまって、ちょっと気が立ってるだけだ。今回の大災厄は今までの比じゃねえんだ、お前や勇者様方のせいでこうなったとか、俺は思ってねえ」

「………ありがとうございます、ロアさん」

 

 浩介は小さな声で、そう言うしかなかった。

 

 クラスメイト達がトラウムナイト(正体はナザリックのデスナイト)に壊滅的な被害を出したあの日———浩介は永山達や居残り組を除く光輝を中心としたクラスメイト達から、お前が索敵を怠ったせいで他のクラスメイト達が死んだ、と責め立てられた。そして聖教教会のトップであるイシュタルからも正式に「遠藤浩介は神の使徒として不適格だった」と宣言され、浩介は王宮から追い出される事となった。

 作農師として王国に多大な貢献をしてきた愛子や永山達が必死にとりなそうとはしたが……。

 

『もういいよ、畑山先生………』

 

 自分の為に小さな身体を更に必死に折り曲げてイシュタル達に頭を下げる姿に、浩介は小さな新任教師へ迷惑をかけた申し訳なさと———そして、クラスメイト達への失望感から暗く澱んだ気持ちとなった。

 

『もう、俺………あいつ等と戦いたくねえ』

 

 ……結局、以前に神の使徒でありながら裏切り者として処理されたナグモの事もあって、これ以上に神の使徒の威光を傷付ける醜聞は避けたいと判断した教会や王国上層部によって浩介は手切れ金として僅かばかりの金銭を渡されて、王宮を出て二度と神の使徒を名乗らない事を条件に今回の処罰は不問とする旨を言い渡された。永山達も付いて来ようとしたが、これ以上の神の使徒の離脱は許さないという教会の意向に逆らえなかった。

 途方に暮れながらも生きる糧の為には働かなくてはならず、浩介は召喚された異世界人として得た高いステータスから冒険者となったのだ。今は冒険者組合を通して定期的に愛子に手紙を書き、無事を知らせていた。

 

「ウチも随分と閑古鳥が鳴く様になっちまったからな……。目ぼしい冒険者は皆他の町に移っちまったから、コースケが来てくれて俺は助かってるよ」

「俺の方こそ助かってますよ。行き場の無い俺が食い扶持を稼げるのも、ロアさんが仕事を紹介してくれるお陰ですから」

 

 王国は即座に箝口令を敷いたが、人の口に戸は立てられないもの。エヒト神の使徒である勇者達がオルクス迷宮でトラウムナイト相手に大きな被害を出した事は即座にホルアド中に広まってしまった。人々の間に、本当に勇者達は大丈夫なのか? と疑問視する声が上がり始めたが、時を同じくして数年に一度しか起こらない筈だったオルクス迷宮の大災厄が起きたのだ。

 鎧を容易く融解させる雷を纏いながら襲い掛かる狼や、音すらも置き去りにして人間をミンチに変えるウサギなど今まで見た事のない魔物を相手にホルアドの冒険者達は歯が立たず、とうとうオルクス迷宮の入り口を固く閉ざして魔物が出て来ない様にするしかなかったのだ。

 

 そして———ホルアドの町は衰退していった。

 

 そもそもホルアドはオルクス迷宮に来る冒険者達を相手に商売をしていた町だ。そのオルクス迷宮が足を踏み入れれば生きては帰れない死の迷宮と化した今、冒険者達はオルクス迷宮に見切りをつけて他の町へと拠点を移し、彼等を客層にしていた商店は次々と店を閉めるしかなかったのだ。ロアの冒険者組合支部もこの不況で人員の削減をせざるを得ず、支部長であるロア自身が受付業務をやる有り様だった。

 

「まあ、なんだ……本来ならお前達みたいな若造達におっ被せる様な話じゃねえんだけどな……」

 

 フゥ、と心労を吐き出そうとするかの様にロアはパイプを燻らせる。

 

「ただ……教会があそこまで宣伝するなら、もう少し何かやってくれるんじゃないか、と期待はしていたんだよ」

 

 日を追う毎に生活が苦しくなっていく中、ホルアドの住民達は勇者達に再び期待した。

 今こそ異世界から来た勇者達がオルクス迷宮の大災厄を鎮めてくれる筈だ。エヒト神の使徒たる勇者達が苦しむ我々を救ってくれるのだ、と。

 

 しかし———その期待は裏切られた。

 

 聖教教会は傷が付いてしまった“神の使徒”の名声を、ひいては自分達の権威を取り戻そうと躍起になっていた。表向きは「邪悪な魔物達に苦しむ民の為の遠征」と称して、勇者達は教会騎士団と共に煌びやかな行軍で遠方の土地へ赴く様になった。

 しかも遠征に行っている土地は王国の大貴族———それも教会に多額の()()()を納めている様な———の領地であり、魔物による直接的な被害は出ていないホルアドは放置されていた。その事を知ったホルアドの住民達の中では、勇者達への期待は段々と失望へと変わりつつあった。

 

「………すいません」

「だからお前が謝る事じゃねえって」

 

 ロアは気にするな、と言うが、浩介は苦しい生活を送る彼等に、元・神の使徒としてただ俯いて謝る事しか出来なかった。

 

 ***

 

 その後、ロアに愛子への手紙を託し、浩介は拠点にしている宿屋へと歩いていた。神の使徒だった時に王国が用意してくれた宿に比べると粗末な木賃宿だったが、消耗した装備やアイテムの購入資金を考えたら、そこしか選択肢は無かった。

 

「神の使徒とか異世界の勇者一行とか煽てられてたけどさ……こういう時、何もしてやれないなんて無力だよな」

 

 以前は賑やかだった大通りを歩きながら独りごちた。冒険者達がいなくなり、威勢の良い呼び声で客寄せをしていた露店商達もいなくなり、元からあった建物は「閉店」を示す札がドアにかけられて静かになってしまった。こういうのをシャッター通りと言うんだろうな、と浩介はボンヤリと考えていた。それでも町のメインストリートというだけあって、それなりに人混みはあった。浩介は“暗殺者”としての歩法でスルスルと人混みを縫う様に歩いていると————。

 

「聞けえ! 皆の者!」

 

 大通りに突然、装飾の見事な鎧を着た騎士が馬で乗り込んできた。

 

「うわぁっ!?」

「おい、あんた! 危ないじゃないか!」

 

 馬に轢かれそうになった住民達が文句を言うが、先触れの騎士は馬から降りずに胴間声を張り上げる。

 

「黙れ、平民共! これより偉大なるエヒト様が遣わした神の使徒御一行がここを通られる!」

 

 ハッと浩介は顔を上げた。

 

「速やかに道を開け、掃き清めろ! そして平伏せよ! 貴様等平民共が神の使徒御一行に御拝謁できる、またとない機会だと心得るのだ!」

 

 住民達の顔に緊張がはしる。いかに勇者達に対して思う所があるとはいえ、未だに聖教教会の権威は絶大だ。無礼があればエヒト神への不敬ありと見做され、自分どころか家族まで審問される。彼等が慌てて道を掃除する中、浩介は路地裏へするりと身を隠した。

 

 そして、しばらくすると————眩い金色の騎馬の一団が大通りに来た。

 

 平民では一頭買うだけで年収のほとんどを使い果たしそうな立派な馬に乗り、馬鎧に至るまで煌びやかな装飾がなされた一団は、確かに見かけだけなら神の使徒と呼ばれるのに相応しい外見だった。

 

(天之河………)

 

 隠れて見ていた浩介は集団の中に見知った顔を見つけて、複雑そうに顔を歪めた。光輝は立派な白馬に跨り、金色に輝く鎧を着込んでいた。大勢の人間が平伏する中、胸を張って堂々と行進する様はよく出来た宗教画の様だ。

 

「あの………ここまでやる必要があるんですか?」

 

 道を空けて平伏するホルアドの住民達に、光輝は疑問の声を上げた。と言っても、住民達には聞こえないぐらいの小声だ。“暗殺者"として耳を澄ませていた浩介だからこそ、その音を拾い上げる事が出来た。

 

「なんだかやり過ぎな様な気も………」

「何を仰いますか。光輝様こそ、ハイリヒ王国の……いえ、人間族の希望の星です」

 

 光輝に教会騎士達の中でも一際立派な鎧兜を着た騎士隊長が答えた。

 

「その光輝様に敬意を示すのは当然のこと。ホルアドの民達も神の使徒様方へ拝顔の栄に浴して、喜びに満ち溢れているでしょう」

「う〜ん……そうかなぁ?」

「そうそう、俺達は国を救ってやってる英雄達なんだぜ!」

 

 騎士隊長に同調する様に軽薄そうな男———檜山の声が響く。

 

「俺達がこいつらを守ってやってるんだからよぉ、感謝されるのは当然だよな!」

「ギャハハ、皆の為に戦ってる大介くんってば、優しー!」

「ってか実際俺達偉いしな! 神の使徒様なんだから、これくらいの扱いは当然だよな!」

「そうそう! モノ共、頭が高ぁい、ってな!」

 

 ゲラゲラと檜山達四人組は笑い合う。彼等はオルクス迷宮で一度危険な目にあったが、その後の遠征で戦ってきた地上の魔物達相手には楽々と連勝続きだった為、気を大きくさせていた。

 

「大介様方の言う通りですぞ。貴方様は我々人間族の勇者なのですから、そんなお方に跪くのは当然でしょう」

「そう……か……。俺は、勇者だからな。期待してくれてる皆の為にも、頑張らないとな」

 

 騎士団長の言葉を受けて、光輝はより一層胸を逸らす。他のクラスメイト達も、平伏している住民達が当然という様に堂々と馬に乗りながら通り過ぎていく。

 

「………何が、勇者だよ」

 

 光輝達遠征団が通り過ぎた後、住民達は立ち上がりながらポツリと言った。

 

「ホルアドの事は放って置いてるクセに……国も教会も、何もしてくれやしねえ」

「あんな豪華なパレードをやるくらいなら、少しくらい私達に恵んでくれたら良いのにね。もうウチの家計は火の車よ……」

「所詮は()()()()()勇者様って事だろ、俺達みたいな貧乏人なんか見向きもしねえよ」

 

 膝の土を払い落としながら言い合う住民達の声を背に、浩介は逃げる様にその場を後にした。

 

「何やってんだよ………」

 

 気付けば、苦渋に満ちた声が出ていた。今しがた見た、金と権力を鼻にかけた嫌味な連中という言葉がピッタリと当て嵌まりそうな元・級友達へ、浩介は失意に満ちた声を上げた。

 

「何やってんだよ、お前ら………」

 

 フードをより深く被り直し、誰にも気付かれないくらい気配を小さくする。

 異世界から迷い込んだ暗殺者の少年は、肩を落としながら雑踏の中へ消えていった。

 

 




>ホルアド

 原作ではオルクス迷宮が観光資源になっていた様な描写があったので、ナザリックによって独占された結果、町の大きな収入源を失った形になります。例えるなら、温泉街で温泉が枯れてしまったみたいなものです。地元の産業からすれば大打撃ですね。

>遠藤くん

 我等の深淵卿、目出度く冒険者へ転職。ぶっちゃけると派遣バイトで食い繋いでいる感じです。

>勇者様方

 一応、先に言っておくとここに永山達や園部優香さん達はいません。そして前に言いましたが、死んでなかった事にされた檜山組。周りが勇者として甘やかしてくれるので、とても有頂天になっております。というかメルドさんみたいなキチンとした大人はいないし、次あたりに書きますが地球の唯一の保護者ともいえる愛子先生も側にいなければ、もはや「神の使徒」として煽ててくれる人間しかいなくなるわけで……。そうなったら余程強い自制心が無ければ、自分達の特別扱いは当然と考える様になるだろうな、と考えた結果です。

オルクス迷宮の魔物と比べると、地上の魔物は格段に弱いです。だから、彼等はあれ以来苦戦した事もありません。


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第五十九話「クラスメイトSIDE 愛子の受難」

 うん……ここまで酷い展開になるとは書いている自分も思わなかったよ。
 あとこの際だから、悔いの無い様に後一話くらいクラスメイトSIDE、というか各陣営の反応的な話を書くかも。


「この度は天之河くん達がそちらに多大な迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 光輝達と共に地球から来た新人教師、畑山愛子は小さな身体を折り曲げた。見た目は十代前半にも見える愛子が必死に頭を下げる姿に普通の人間なら庇護欲が湧くだろうが、愛子の前でデスクに座る男は渋い顔を崩さなかった。

 彼は頭を下げ続ける愛子をしばらく見つめ、腕組みした指をトントンと鳴らしながらおもむろに口を開いた。

 

「………確かに魔物が頻繁に目撃される様になったから、領内の安全を確保する為に退治の依頼を勇者様方にお願いしましたがね」

 

 金髪をオールバックにした貴族風の男はイライラとした口調を隠さず、愛子を睨む。

 

「しかし農地だろうと構わずに大魔法を放つのは、どういう意図があっての事ですかな? お陰で我が領地の特産品であるリンゴ園がほとんど駄目になってしまいましたよ」

「そ、それは……あの子達はほんの数ヶ月前までは只の学生で……だから、力の振るい方を知らなくて……」

「ほう? 魔物の被害で苦しむ我々に、そんな若者を王国は寄越したのですかな? 我がルクセンブルク家は代々ハイリヒ王家に仕えてきたというのに、力を持て余している子供同然の者達を送るなど、あんまりな話だとは思いませんか?」

「も、申し訳ありません!」

 

 一言ごとに冷たい怒りが見え隠れする男の言葉に、愛子は上半身を直角に折り曲げた。そんな愛子を気の毒に思った神殿騎士のデビッドは抗議の声を上げようとした。

 

「ルクセンブルク侯爵、いかに貴方と言えど神の使徒である愛子にこれ以上の暴言は———」

「暴言? 神殿騎士殿は魔物達との戦いの結果とはいえ、農地を焼き払われた私の言葉が、暴言だと仰るか?」

「い、いえ。しかし……」

 

 だが、その抗議は貴族風の男――ルクセンブルク侯がジロリと一睨みする事で消されてしまった。

 ルクセンブルク侯は王国内でも指折りの人物であり、聖教教会にも覚えが目出度い大貴族だ。一介の神殿騎士に過ぎないデビッドが意見するには荷が重過ぎた。既に初老に差し掛かる年齢でありながら、覇気を失わずにこちらを睥睨するルクセンブルク侯に、デビッドは口をモゴモゴと動かした。

 

「し、しかしですな……そうだ、愛子の天職は百年に一人しかいない“作農師”です! 勇者達が不注意にも焼き払ってしまった農地など、愛子の力にかかれば———」

「作物の弁償をすれば済むなどという話ではない!」

 

 ダンッ! とルクセンブルク侯の拳が机に振り下ろされ、愛子達はヒッと息を呑み込む。

 

「農地を焼かれて農民達の生活は儘ならず! 倒した魔物の死体をそのまま放置して報告しなかったから、土壌や水源を汚染されて領民達は未知の感染症を引き起こし! おまけにくれぐれも全滅はさせない様に、と念は押したのに例の魔物を狩り尽くしたせいで天敵となる別の魔物が繁殖して、結局二次被害が出ている! これら全てを貴方達で解決できるというのですか!!」

「も、申し訳ありません!!」

 

 怒髪天を衝いたルクセンブルク侯に、愛子はひたすら頭を下げた。この時ばかりはさすがにデビッドも、愛子と共に平身低頭するしかなかった。

 

「そう言えば貴方は、彼等の教育者だったそうですな?」

 

 ただただ頭を下げ、謝罪するしかない愛子を見ながら、ルクセンブルク侯は冷たく言い放つ。

 

「一体……どういう教育を彼等にしてきたのか。非常に興味深いですな」

 

 痛烈な皮肉が篭った言葉に、愛子は目尻に涙を溜めながら顔を真っ赤にするしかなかった。

 

 ***

 

「すまない、愛子。俺が不用意な事を言ったばかりに……」

「いえ……気にしないで下さい、デビッドさん」

 

 あの後、怒りが収らないルクセンブルク侯に愛子の力で農地の土壌と水源は元通りにしますから、と謝罪をして愛子達はルクセンブルク侯の屋敷から下がった。

 

「元はと言えば、先生なのにあの子達の側にいてあげられなかった私のせいですから………」

「愛子のせいじゃ———」

 

 そう言いかけ、デビッドは口をつぐんでしまう。愛子の顔は酷くやつれており、危機迫る様子は下手な事を言えば崩れ落ちそうだった。

 

「私が……私が、悪かったんです。あの子達はまだ子供なのに……異世界に来て皆不安で一杯だったのに、先生なのに生徒達を放って置いたから……白崎さんも、南雲くんも、みんな、みんな……!」

 

 泣きそうな顔で自分を責め続ける愛子。

 ここは騎士として、惚れた男として、優しく慰めて甘い言葉の一つでも送るべきだ。

 だが、そんな資格は無いとデビッドは悟ってしまった。愛子を苦しめた要因である聖教教会こそが、自分の所属なのだから……。

 ヒロイン(愛した女性)を救う騎士(ナイト)に成り損なったデビッドが何も言えずに愛子と歩いていると、宿泊している宿についてしまった。本来、神の使徒である愛子達ならば領主の屋敷で歓待を受けてもおかしくないのだが、こうして普通の宿屋しか用意されてない現状が領地に被害を出されたルクセンブルク侯の怒りを示している様だった。

 

「愛ちゃん先生………」

 

 宿屋で待っていた女生徒———園部優花が愛子へ心配そうに声を掛ける。優花の姿を見かけると愛子は先程までの悲痛な顔が嘘の様に優しく微笑んだ。

 

「園部さん。お出迎え、ありがとうございます。でも駄目ですよ、こんな遅くまで起きていたら。夜更かしなんて、先生は許しませんからね!」

 

 だが……その笑顔は明らかに無理をしていると分かるものだった。心労が祟り、目元の隈を化粧でも隠せてない愛子に優花は気まずそうに声を掛ける。

 

「先生、やっぱり領主の人は怒って………」

「………園部さんが気にする事じゃないから大丈夫ですよ。天之河くん達はちょっとやり過ぎただけですから。さあ! 明日は大忙しになるから今日はもう寝ましょう! デビッドさんも、お休みなさい」

「あ、ああ………おやすみ、愛子」

 

 この話は終わりとばかりに愛子は笑顔を貼り付けたまま、部屋へと戻ってしまった。その後ろ姿を二人は何かを言おうと迷いながらも見送る事しか出来なかった。

 

「その……デビッドさん。愛ちゃん先生、領主の人に何か言われたんですか……?」

「いや………」

 

 心配そうに聞いてくる優花にデビッドは心配ないと言おうとした。しかし、部屋の窓から見える光景に二の句を告げずにいた。

 

 そこには———深い斬撃の跡や魔法の爆発で穴だらけにされた畑が見えていた。

 

 ***

 

 香織とナグモが奈落へと消えた日———トータスで“作農師"の天職を授かった愛子は遠方の地で農地開拓に務めていた。突然の教え子達の訃報に愛子は顔を真っ青にして寝込んでしまい、しかも運悪く病気に罹ってしまった。突然の異世界転移という事態は愛子の精神に多大なストレスを掛け、知らず知らずのうちに身体が参ってしまった様だ。気力だけで動こうとする愛子を護衛のデビッド達は身体が治るまでは、と押し止めた。

 しかし、ここで愛子に更なる悲劇が襲う。

 それはオルクス迷宮で更にクラスメイト達の数人が死んだというもの。それを聞いて、愛子はもはや病気がどうとか言っていられなかった。未だ熱の引かない身体に鞭打って、デビッド達の説得も頑として聞き入れずに王城へと戻った。

 しかし、そこで彼女が目にしたのは————。

 

「何をやっているんですか!?」

 

 息切れしながらも生徒達がよく集まるサロンに行った愛子。そこには優花を含めた最初の戦いで心が折れてしまった者達———通称、居残り組が、光輝に追従する生徒達に険悪な空気で囲まれていた。

 

「あ、愛ちゃん先生……!」

「……何よ、先生」

 

 憔悴し切った顔で愛子を見る優花達に対し、かつて香織を集団で苛めたリーダー格の少女——— 瑠璃溝(るりみぞ) 英子(えいこ)は不機嫌そうな態度を隠そうともしなかった。

 

「私達は園部さん達に文句があるんです。私達が必死で戦っているのに、園部さん達は城の中で怠けているとか不公平だと思いませんか?」

「そうそう! マジざけんな、って話だよね〜」

 

 取り巻きの一人、小田牧(おだまき) 美伊奈(びいな)が同調する様な声を上げる。

 

「あんた達が怠けているせいで、ウチら超苦労してるですけど〜? よくのうのうと顔を出せるよね〜」

「それは……私達だって、悪いとは思っているけど……でも、もう戦うのは怖くて……」

「はあ!? 我儘言うなし!」

 

 宮崎奈々が遠慮がちに言ってきたが、即座にもう一人の取り巻きである薊野(あざみの) 詩衣(しい)が否定する。

 

「アタシらが魔物退治とか頑張ってるのにさあ、あんた達は王宮で贅沢三昧とかマジあり得ないんですけど!」

 

 「そうだ、そうだ!」、「お前らも働けよな!」と周りの生徒達が次々と優花達に厳しい言葉を投げかける。王宮で贅沢三昧といっても、戦いの恐怖で部屋に閉じ篭りがちになった優花達は城での暮らしを堪能しているわけではない。英子達だって王宮にいる時は、むしろ国の為に戦っている神の使徒として優花達より厚遇されているくらいだ。それでも自分達は皆と一緒に戦っていないという後ろめたさから優花達は俯くしかなかった。

 

「やめなさい! 戦う事が怖くなったのは園部さん達のせいじゃありません! 皆気が立っているのは分かりますけど、こんな時に喧嘩なんてしたら駄目ですよ!!」

 

 愛子は必死に英子達を宥めようとした。しかし———。

 

「………うるっさいわね」

「え? 瑠璃溝さん、どうしまし———」

「うるさいって言ってんのよ。アンタさ、何様のつもり?」

 

 舌打ちをしながら英子は冷たい目をする。そこには教師への敬意など欠片も無かった。

 

「先生は良いよね。私達が魔物と戦っている間も安全なところでのうのうとしているだけで良いしさ」

「そ、そんな……だって、私は“作農師"ですから……」

「はあ? たまたまレアな天職になっただけで戦わなくて良いとか、ズルくない? あたし達はオルクス迷宮で死ぬほど辛い目に遭ってるのにさ」

「英子の言う通りよ! あんたが農地で騎士団に守られている間さあ、こっちはクラスメイトがゾンビになって襲って来たりとかマジ死ぬとか思ったんですけどぉ?」

「……え、クラスメイトが……ゾン、ビ……? う、嘘ですよね? そんなの、先生は聞いてないです!」

 

 愛子が聞いていないのも無理はない。神の使徒同士が殺し合う羽目になったなど、風聞が悪すぎるので教会と王国の上層部の手で真相は握り潰されていた。デビッド達が愛子に伝えた内容も、事実をかなり歪曲した報告になっていたのだ。

 だが、その事を知らない英子達は一斉に眉を吊り上げた。

 

「最っ低。私達がゾンビになった奴を殺すしかなかったのを、何であんたは知らないわけ!?」

「農地で騎士団に媚を売ってた奴が先公面して説教とか、マジあり得ないんですけど!」

「小田牧さん! 愛ちゃん先生にそんな言い方ないじゃない! 先生は私達の為に王国に言われた通りに農地に行って———!」

「はあ!? 戦う事すらしなかった奴等がウチらに意見するなし! ウチらがゾンビになった奴等を殺して、どんだけ苦しんだと思ってんの!?」

 

 英子達を筆頭に、デスナイトによってゾンビ化したクラスメイト達を殺した前線組達の不満が一斉に爆発した。彼等はいかにそうするしかなかったとはいえ、人を殺してしまった事に大きなストレスを抱えていたのだ。

 ああするしかなかった、自分達は何も悪くない。

 そう言い合って慰め合っているものの、ほとんどの者が情緒不安定となってしまい、その苛立ちは同じ経験をしなかった者———優花達居残り組にぶつけられていた。

 そして、それは———()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()愛子もまた標的となった。

 

「てめえらが楽してる間にこっちは死ぬ様な目にあったんだぞ!」

「戦ってない奴等が俺達に意見するんじゃねえ!」

「こんな所に来てまで先生面するんじゃないわよ! 担任でもないくせに!」

 

 気が付けば、前線組と居残り組で真っ二つに分かれて口論が始まっていた。人殺しという一線を越えてしまった前線組と、幸運にもそんな経験をしなかった居残り組には決定的な溝が出来てしまい、そこにかつて同じ学級として肩を並べ共に過ごした姿など見出せなくなっていた。

 

「止めて下さい! 喧嘩しないで! お願い、止めて———!」

 

 もはや学級崩壊などという言葉すら生温く思える対立に、教師歴の浅い愛子の言葉など何の意味も無かった。

 

 ***

 

 結局………あの後、お互いに喧々轟々と言い合っていたクラスメイト達だったが、光輝がイシュタルを伴って場を収めた。

 だが………それは愛子にとって、望ましいものとは言えなかった。

 

「みんな、不安な気持ちになるのは分かる。俺だって……龍太郎が死んで、凄く辛いさ」

 

 光輝の顔が悔恨に歪む。だが、彼はすぐに力強い目線で顔を上げた。

 

「でも安心してくれ! イシュタルさんに言って、皆を危機に陥れた遠藤は追放して貰う事にしたんだ!」

「ちょっ、ちょっと待って下さい! 遠藤君が……追放? いったい何を言っているんですか!?」

「彼は神の使徒として不適格だった、という事ですな」

 

 顔を蒼白にしながら問い詰める愛子に、イシュタルは慌てる様子もなく答えた。

 

「勇者様達はこれより魔人族と過酷な戦いに赴いていくのです。そんな時に嫉妬で他の使徒様の足を引っ張る様な者がいては、安心して戦う事なんて出来ないでしょう」

「そんな……何かの間違いです! 遠藤くんはそんな子じゃありません!」

「そう言われましても、実際に彼が偵察を怠った事で被害が出てしまったのは事実ですし……」

「で、でも!」

「先生は黙ってて下さい! 俺達はこれから勇者として戦って————龍太郎達を生き返らせないといけないんですから!」

 

 え!? と愛子達が声を上げる中、光輝はまるで重要な使命に目覚めた顔で断言した。

 

「イシュタルさんが言っていたんです! 俺達が魔王を倒せば、エヒト神が死んでしまった皆を甦らせてくれるって!」

 

 ですよね、イシュタルさん! と光輝はイシュタルへ振り向いた。イシュタルは人の良いサンタクロースを思わせる様な笑顔で答える。

 

「ええ。エヒト様は皆様方を異世界から召喚する様な全知全能の力を持つ神です。神が勇者である光輝様の願いを無碍になさる筈がありません。使命である魔王の討伐を果たせば、きっと願いは叶えられるでしょう」

「皆、聞いての通りだ! 南雲、遠藤………俺達は不幸にも()()()()()()()で大事な仲間達を失う羽目になった。でも、大丈夫だ! 俺は約束する! 必ず強くなって、魔王を倒して……そして死んでしまった皆を生き返らせて、誰一人欠ける事なく地球に帰ろう!」

「何を……何を言っているんですか、天乃河くん……?」

 

 イシュタルの言った事を欠片も疑っていない光輝に、愛子は呆然としてしまう。傍から聞けば世迷い言の様な内容だ。だが、光輝に従う前線組達はまるで地獄の中で救いの糸が垂らされた様に目の色を変えだした。

 

「ほ、本当に神様がアイツらを生き返らせてくれるのか……?」

「ね、ねえ。生き返るならさ、私達は誰も殺してないって事だよね? そういう事になるよね……?」

「そ、そうだ。俺達は悪くないんだ……剣と魔法の世界なんだから、復活の呪文くらいある筈だよな?」

 

 自分達のクラスメイト達を殺してしまったという罪悪感から逃れたい、死んでしまった友人を生き返らせたいという一心で彼等は光輝の話を信じ始めていた。ここは魔法が普通にあるファンタジー(ゲームみたい)な世界なのだ。きっと自分達の知らない———都合の良い奇跡があるはずなのだ、と。

 

「だ、騙されたらいけません! そんなの、何の保証も無い話じゃないですか!」

 

 まるで怪しい宗教の勧誘の様な話に、愛子は大声を上げた。

 だが、返って来たのは前線組達の睨みつける様な目線だった。

 

「畑山先生、どうしてそういう事を言うんですか? 龍太郎達を死んだままになんて、そんなこと俺には出来ないです!」

「そうよ! そもそも農地でのんびりしてたアンタが偉そうに説教垂れるんじゃないわよ!」

「皆で頑張ろうとしているのに、足を引っ張るとかマジあり得ないんですけど!」

「無能な先公は黙っていろだし! そもそもさあ、ステータスが低いクセに一丁前に意見すんなし!」

 

 「そうだそうだ!」、「とっとと引っ込め!」、「無能!」、「この偽善者教師!」などと前線組達の罵詈雑言が愛子に降り注ぐ。彼等にとって愛子はもはや信頼のできる先生ではなくなっていた。

 

「な……ん、で……? なんで……そんな事を言うんですか……?」

 

 ステータスが低く、皆の足を引っ張る———無能な天職なのだ。

 

「先生は……先生は、頑張って……あ、ああ………う、うああぁああっ………!!」

 

 皆から頼られる先生となりたかった。

 この日———畑山愛子の教師としての矜持はポッキリと折れてしまった。

 

 ***

 

 その日以来、クラスメイト達の発言権は完全に光輝を中心とした物となった。もう愛子の言う事など、ごく僅かな生徒しか耳を傾けてくれない。前線組は光輝に追従し、それに従わない居残り組達を徒党で陰湿なイジメをする様になり、それが当然の報いだという空気が作られてしまった。そんなバラバラに分裂したクラスメイト達を纏め上げる事など、教師としての経歴がまだ三年しかなく、クラス担任の経験すらない愛子には無理な話だった。

 とうとう見かねたリリアーナ王女が、自分達の国の戦いに巻き込んでしまった責任として、戦えなくなった者もハイリヒ王国の客人として丁重に扱うと宣言してから陰湿なイジメは目に見える範囲では無くなったものの、居残り組はますます部屋から出なくなった者が増えてしまった。そんな彼等の立場を保証する為に、愛子は再び“作農師”として農地開墾の遠征に出る羽目となった。しかし———。

 

「天乃河達……何で行く先々で問題を起こしてるのよ……!」

 

 愛子が気の毒で、戦いの恐怖を押し殺しながら愛子の護衛を買って出た優花がギリッと歯を食いしばる。それをデビッドは溜息を吐きながら答えた。

 

「訓練に出てないお前は知らないだろうが、神の使徒達の新しい教官はムタロという奴でな……家柄と教皇猊下に頭を下げた回数くらいしか取り柄の無い奴なのだ。そんな奴が、まともな教育など出来るはずが無いさ」

 

 時を同じくして、大災厄で入れなくなってしまったオルクス迷宮の代わりに、聖教教会の神殿騎士隊と共にレベルアップの為に各地へ魔物退治の遠征を行う様になった光輝達。オルクス迷宮とは違い、魔物の強さがそれ程でもない様で戦闘そのものは今のところは連勝続きだ。しかし———その後始末は、酷いものだった。

 

 冒険者達でも手に余る山道の大型の魔物を退治した———場所を考えずに戦ったせいで、山道が封鎖されてしまった。

 町の水源となる河川で水害を引き起こしていた魔物を退治した———魔物の死体をキチンと処理しなかった為、水質汚染を引き起こしてしまった。

 異常発生した魔物達を全て退治した———その魔物の角は秘薬の材料になっており、全滅させられた事で村は特産品を失ってしまった。

 

 光輝達は一刻も早くレベルアップしようと魔物を積極的に狩っているのだが、それによって齎される被害もまた大きかったのだ。そしてそれを勇者達が戦いから逃げ出す事を嫌がった教会は光輝達の功績のみを讃え、後始末は荒れ果てた土地でも再生できるからと愛子に押し付ける様になったのだ。

 その結果———愛子には、被害にあった住民から「勇者がなんて事をしてくれたんだ!」と抗議を受ける様になっていた。

 

「先生、もうボロボロになってるのに……教皇のジジイは愛ちゃんを虐めて、何が楽しいのよ……!」

「教皇猊下の悪口は言うな。俺も神殿騎士として手打ちにしなくてはいけなくなる。あの方はきっと、何かお考えがあるのだ」

 

 そうは言うものの、デビッドの口調に力は無かった。これ以上の話をすると自分も余計な事を言いそうになるから、無理やり話を切った。

 

「お前ももう休め。明日は早い。教会が派遣した冒険者とも会わないといけないしな」

「……分かりました」

 

 まだ何か言いたそうな優花だったが、これ以上の問答に意味はないと悟ってデビッドに背を向けた。その背中が見えなくなった後、デビッドは聖具を握りしめながら呟いた。

 

「天にまします我らのエヒト神よ……どうかお答え下さい。何故、愛子に———そして、異世界の若者達にこんな試練を与えたのですか?」

 

 聖教教会の神官達が聞けば、エヒト様の神意を疑うなど不敬だ! と糾弾されかねない。それでもデビッドは日に日に窶れていく愛子を、そして同胞である筈の勇者達に酷い仕打ちを受けている優花達の現状を見ていると問わずにはいられなかった。

 

「貴方が異世界から連れて来た彼は………本当に我々の勇者たる者なのですか?」

 

 以前まで聖教教会に絶対的な信仰を捧げられ———月にかかる雲の様に疑心が出てしまった神殿騎士の問いかけに、答える者は居なかった。

 

 ***

 

 翌朝。愛子達は宿屋の食堂に集まっていた。

 

「ねえ、教会から派遣される冒険者ってどんな人なのかな?」

「妙子っちも気になる? 優しい人だと良いよねえ」

「俺はさあ、やっぱ美人が良いと思うわ。こう、守ってあげたくなる系のシスターとかさ」

「あ? 相川、お前シスター好きなの? やっぱさあ、ファンタジーな世界なんだからデカい剣を振り回すちびっ子剣士とかいたら良いよなあ」

「俺さあ、時々教会で見た銀髪のシスターさんとかが良いと思うわ。あの無表情な冷たい目……堪んね〜」

「ちょっと男子〜、そんな話ばっかり!」

 

 愛子と共に遠征に赴いた宮崎奈々、菅原妙子、相川昇、仁村明人、玉井淳史がわいわいと騒ぐ。愛子を元気付けようと、とにかく明るい空気を出そうとしていた。しかし、愛子はあまり眠れていないのか、目に隈を作りながら虚ろな目で椅子に座っていた。

 

「愛ちゃん先生……」

「っ! 大丈夫、大丈夫ですよ! 先生、ちょっとボーっとしちゃっただけですから!」

 

 優花が声を掛けると、愛子は慌てて笑顔を作り上げる。その姿は痛々しく、皆が目を伏せそうになる。

 

「……しかし隊長、なぜ冒険者なのですか?」

 

 場の空気を変えようと、愛子の護衛隊副隊長のチェイスが疑問を口にした。

 

「教会から治癒師の派遣は出来なかったのでしょうか?」

「教会は、まあ……人手が足りないそうだからな」

 

 光輝達の遠征団にほとんどの予算と人員を取られ、愛子達には必要最低限の予算しか割り当てられない。その事をデビッドはボカしながら伝えた。

 

「ホルアドの事もあって、今は仕事にあぶれた冒険者は多いから安く雇えると上は判断したのだろう。もう間もなく到着する予定の筈だが………」

「あの〜、ちょっといいっスかね? 教会が言ってた人達って、あんた達の事っスか?」

 

 唐突に声を掛けられて愛子達が振り向くと、そこに一人の女性が立っていた。

 猫耳みたいな帽子からのぞく綺麗な赤髪を三つ編みにして二つに縛り、シスター服を戦闘用に改造した戦闘修道女(バトルシスター)とでも呼ぶべき若い女性だった。快活そうな笑みを浮かべた顔立ちはすれ違ったら思わず振り向きたくなる様な美人で、際どいスリットの入ったスカートから丸見えとなった太腿に思わず相川達は目線をチラチラとさせてしまう。

 

「お? 気になるっすか? ひょっとして思春期のリビドーがぶつけられちゃうっすか? ホルアドの方からはるばる来たのに、少年達に組み伏せられて私の純潔が散らされちゃうっスか?」

「へ? い、いや、すんません!」

 

 女子達の冷たい目線を受けながら、相川達は慌てて謝る。それを赤髪の女性はケラケラと笑いながら許した。

 

「まあ、お姉さんは寛大だから許してやるっス! でも残ねーん! 私の身体を暴いていいのは、四十一人の方々だけっスから」

 

 多っ!? と全員がつっこむ中、赤髪の女性は人当たりの良い快活な笑顔を浮かべながら自己紹介した。

 

「ルプスレギナというっす! これからよろしくするっすよ、神の使徒サマ方?」




>愛子先生

 今回の犠牲者。時々聞く「原作の愛ちゃんの言ってる事は安全圏からの物言いだから説得力皆無」という意見を自分なりにアレンジした結果、こうなった。そんなわけで愛ちゃん親衛隊達ぐらいしか、もう愛子の話を聞いてくれないです。光輝達からすれば、「自分達が戦っているのに、一人だけ安全な場所でいるだけの無能ステータス」となったので。原作のハジメをステータスが低いから無能だと嘲笑った彼等なら、こういう事もやりかねない気がする。

 学級崩壊を食い止められなかった愛ちゃんですが、彼女は25歳という社会人からすればひよっ子同然だった事、それと悪い言い方をすると原作初期の愛ちゃんみたいな教師は生徒から舐められると教師イジメの対象になるだろうな、と作者が考えた結果です。光輝みたいな教師を無視するクラスのリーダーがいる場合、威厳のあるタイプでもなければ必然的に先生の立場は低くくなるんじゃないかな……。

> 瑠璃溝 英子(るりみぞ えいこ)、小田牧 美伊奈(おだまき びいな)、薊野 詩衣(あざみの しい)

かつて香織を虐めた女子三人組。分かり辛ければ女子A、B、Cでいいや(笑)。自分はどうでも良いモブキャラにもとりあえず名前は付けるタイプなので。

>光輝の遠征

題して「解決した様に見せて、実はもっと悪化している」。原作で香織がハジメが土下座したシーンで、「光輝くんならこういう時、力で解決する」と言っていたのを見て、「いや、相手側に非があろうが暴力で解決したら親御さんとか謝りに行かないといけないから、結局騒ぎを大きくしてない?」と思った結果です。こういう時にフォローする雫もいない為、光輝は正義感のままに勇者の力を思い切り奮って「魔物だけを倒して全部片付けた」気になってます。そして光輝の尻拭いを愛ちゃんがしているから、王国の食糧事情は±0。豊穣の女神信仰も生まれてないです。

>謎の冒険者ルプスレギナ

いまの愛ちゃんに手を貸してくれる様な人だから、きっとこの人は心優しい治癒師のお姉さんに違いないです(棒)

真面目な話、愛ちゃんみたいな天職を放置するわけないじゃないですか(2525)

とりあえず次回あたりに、こんな状況にした某バオトさんの話でも書きます。


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第六十話「クラスメイトSIDE 全てはあの方の掌の上」

 もうこの際だから、とことんまでやってやると開き直りました。まだまだ続くクラスメイトSIDE、お楽しみください。多分、次回も魔人族陣営とか永山達はどうなった? みたいなサイドストーリーをやるかも。

 あと最近、令嬢モノの漫画にハマりました。「31番目のお妃様」は本当におすすめです。


「これが今回の勇者様達の遠征の結果ですか……」

 

 ハイリヒ王国の王女、リリアーナ・S・B・ハイリヒは執務室に置かれた書類の束に頭を抱えたくなった。

 これらは独自に調べた光輝達遠征団が行った魔物退治の報告書だ。それらに記された遠征の内容を読んでいくと、リリアーナは頭と胃が痛くなる思いだった。

 

「ルクセンブルク侯爵、フェルナンド伯爵、そしてド・モール伯爵……どれも王国を支える重鎮ばかりではないですか……」

 

 聖教教会が主催している“神の使徒“遠征団が魔物退治を行う土地は、いずれも聖教教会に出資しているのと同時にハイリヒ王国の屋台骨を支えている大貴族の土地だった。例えば愛子がいま赴いているルクセンブルク侯爵は隣国であるヘルシャー帝国との国境線沿いの土地を任されており、金銭などで他国に寝返らない程の忠義ありと判断されたからこそ先祖代々その土地の統治を任命されている。

 しかし、光輝達の遠征はそんな彼等の忠義を裏切る様な仕打ちだ。確かに領地を襲っていた魔物は倒しているが、その時に起こしている二次災害が貴族達の領地に決して小さくない被害を被らせ、古くからの重臣達に不満を募らせている。

 

「教会からの報告は当てになりませんね。不自然に光輝さん達を持ち上げる内容だったと思えば、実際はこんな事になっているなんて」

 

 まるで吟遊詩人(バード)が謳う英雄譚の様な華々しい遠征の報告に違和感を感じて、リリアーナは自分の伝手を使って遠征の内容を調べてみた。

 そして、その実態を知って愕然としてしまった。これでは『エヒト神が遣わした神の使徒達は偉大なり』という教会のプロパガンダの為に王国の重臣や国民達の信頼を切り売りしている様なものだ。

 

「即座に私の連名で貴族達に謝罪の手紙を送らねば……愛子には本当に申し訳ないです」

 

 ふう、と溜息を吐きながら小さな教師の事を思う。暴走している光輝達のこと。そして彼等に虐められるのが怖くて、未だに部屋から出ない数人の居残り組のこと。それらをあの小さな身体で抱え込んで、最早いつ心労で倒れてもおかしくない状況だった。

 

 だが、それでも貴族達の領地の再生は行って貰わなくてはならない。

 

 ハイリヒ王国は国王が絶対的な権力を持っている中央集権社会ではなく、いくつかの諸侯や貴族達が国王に封土や保護を約束して貰う代わりに忠誠を誓ってもらう封建社会による地方分権だ。聖教教会が主導している遠征ではあるが、光輝達の身柄を預かっているのは王城だ。彼等が迷惑をかけて知らぬ存ぜぬなどと対応すれば、国王の信用と地位は地の底に堕ちて最悪の場合は内乱が勃発してしまう。だからこそ、愛子には本来の農地開拓よりも光輝達の後始末を優先させなくてはならないのだ。お陰で一人いれば食糧事情が一変すると言われる“作農師"がいながら、この国の食糧事情は何も変わっていない。

 

「オルクス迷宮が閉鎖してから良質な魔石の流通量が減り、日用品の魔法具の価格が高騰して庶民の生活も苦しいものになってるというのに……父上も、いくら相手が教会からエヒト神の使徒と名指しされた者だからって、何も言わないのは甘やかし過ぎですわ」

 

 本来なら王国の根幹を揺るがしかねない光輝達の遠征に一言言うべきだろう。しかし相手が絶対的な宗教権力を持つ聖教教会の肝煎りの人物だけに、国王エリヒドはイシュタル教皇に頭を下げるばかりで勇者達に諫言しようともしない。むしろ、「勇者達はエヒト様が地上へ遣わした神の代理人。その神の代理人達の行いを否定するなど信仰心が足りない!」とリリアーナが叱責されてしまった。

 

「父上、どうして……以前は教会に頭が上がらないながらも、民の事を第一に考える王でしたのに……」

 

 エリヒド王はある日を境に、まるで人が変わった様に聖教教会へ狂信的な信仰を捧げる様になってしまった。今では完全に聖教教会の言いなりだ。そのせいで、メルドを始めとした忠臣達も「教会に対して不敬あり」と判断すれば容赦なく遠ざけてしまい、王宮はもはや聖教教会に胡麻をする様な人間しか残っていない。この国の先行きに暗雲が立ち込めるのをリリアーナは感じながらも、何も出来ない事に歯噛みするしかなかった。

 

「しかし、聖教教会……イシュタル教皇は何を考えているのでしょうか? ルクセンブルク侯爵やフェルナンド伯爵達は教会にも多大な寄付金を納めている重要な相手の筈……いくら教会の権威を守る為とはいえ、彼等を怒らせる真似を繰り返していては結果的に教会の権威は保てなくなりますわ」

 

 今は魔人族と戦争状態にあるから、勇者達のレベルアップに必要だからと表立っての不満は教会を恐れて(直接教会に文句を言えば「エヒト様の神託に異を唱えるとは!さては魔族に寝返る気か!?」と神敵と見做され、そのまま信徒達はおろか光輝達をも扇動されて領地ごと消されかねないからルクセンブルク侯爵達も教会に直接は言えないでいるのだ)言って来ていないものの、そう遠くない未来に溜まった不満は爆発するだろう。いくらなんでも短絡的過ぎる手段だとリリアーナは思っていた。

 

「これではまるで……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

 そんな考えが過ぎったが、それが正しいと言う根拠などなかった。リリアーナは頭を横に振る。

 

(……少し、疲れているのかもしれませんね)

 

 教会によって増長してしまった前線組への対応、引き篭もってしまった居残り組の保護、そして遠征で被害が出ている貴族達への対応などに最近は忙殺されていた。そろそろ休憩が必要なのかもしれない。

 

「……ヘリーナ」

「お呼びでしょうか、姫様」

「……雫のお見舞いに行きます。供をしなさい」

 

 部屋の外に控えていた御付きの侍女を連れ立ち、リリアーナは執務室を後にした。

 パタン、と扉が閉まる。

 

 誰もいなくなった部屋で――――シャドウデーモンは机の陰からグニャリと姿を現した。

 

 ***

 

「……? どうしたのでしょう。雫の部屋が騒がしい様ですが……」

 

 王城の一室、雫の為に与えられた部屋の近くまで来たリリアーナ達だったが、部屋の中が何やら騒がしい気配がした。あの日以来、ずっと心神喪失状態となった雫は一日中ベッドの上で過ごしており、会話する事も出来なくなったと聞いている。一体、何事かとリリアーナ達が扉の前まで行くと———。

 

「いやあ、いやああああっ……!!」

「雫、落ち着くんだ! 俺だ、光輝だ! だから落ち着いて話を聞いてくれ!」

「勇者様、お願いですから今日の所はお引き取り下さい!」

 

 中から聞こえてきた声にリリアーナ達は血相を変えた。すぐに扉を開けて、部屋の中に押し入る。そこには以前より窶れ、艶やかだったポニーテールを振り乱しながらベッドの上で子供のように泣きじゃくる雫、その雫に必死に話しかけようとする光輝、そして光輝を押し止めようとするニアの姿があった。

 

 

「どいてくれ、ニア! 俺は雫の幼馴染なんだ! だから落ち込んでいる雫を元気付けないといけないんだ!」

「ですから! 今の雫様に刺激を与える様な事をしない様に、と治癒師の方に厳命されているのです! 勇者様がいては、雫様の心が休まりません!」

「そんな事はない! 香織はちゃんと俺が連れ帰るって言えば、雫は元気になる筈だ!」

 

 二人して部屋に入ってきたリリアーナ達に気付けないくらい大声で言い合い、その声に雫はビクッ! と震えながら耳を塞いでイヤイヤと首を振る。

 それを見て、リリアーナは酷く苛立ちを感じた。

 

「……何をしているのですか」

「ひ、姫様!?」

「リリィ! 丁度良かった、君からも言ってくれ! ニアが雫と話をさせてくれな――」

「何を、しているのですか」

 

 リリアーナの姿を見て味方が来たかの様に光輝は顔を輝かせていたが、リリアーナの低い声音にきょとんとした顔になった。

 

「え? だから、雫を元気付けようと———」

「貴方は、治癒師の方が許可した人間しか面会が許されないという話を聞いていなかったのですか?」

「そ、それは……でもおかしいじゃないか! リリィや畑山先生は会えるのに、俺が会えないなんて!」

「雫は香織が亡くなり、それがトラウマとなっているから戦闘を思い出させる様な内容は極力避ける様に、と治癒師の方は説明されましたよ。光輝様はオルクス迷宮の戦いを思い出してしまうから、まだ許可できないと言われたのを覚えていませんか?」

「でも……俺は雫の幼馴染で……それに香織だって、まだ死んだと決まったわけじゃ……」

「………言いたい事はそれだけですか?」

 

 リリアーナはモゴモゴと言い訳する光輝を一睨みした後、ヘリーナとニアへ命じる。

 

「ヘリーナ、ニア。光輝様がお帰りだそうです。キチンと送り届けて差し上げなさい」

「かしこまりました」

「待ってくれ、俺はまだ雫に————!」

「勇者様、今日の所はお引き取りを。女性の部屋に押し入るなど、殿方のなさる事ではありません」

 

 光輝はまだ納得していない様子で文句を言おうとしたが、ヘリーナとニアが二人がかりで押し出す様に部屋の外に連れ出す。バタン! と扉が閉められ、ようやく静かになった。

 

「雫………」

 

 ベッドの上で体育座りする様に小さく丸まってしまった雫へ声を掛ける。以前の凛々しさは欠片もなくなり、小さな子供の様に涙を流す彼女の隣にそっと座る。

 

「うっ……あ、ああ……かおり……」

 

 目の焦点が合わないまま、幼児の様に舌足らずになってしまった喋り方で雫は手を伸ばした。まるでここではないどこか———奈落の闇へ手を伸ばそうとするかの様に、雫は手を虚空に彷徨わせる。

 

「どこ……? どこなの? かおり……かおりぃ……」

「雫……!」

 

 耐え切れなくなり、リリアーナは雫の手を取って抱き締めた。されるがままになりながらも、雫の目に光が戻る事はない。

 

「ごめんなさい……! 私達の国の戦争に巻き込んだせいで……! ごめんなさい……!」

 

 心を喪ってしまった異世界からの親友に、リリアーナはただ謝る事しか出来なかった。

 

 ***

 

 聖教教会本部・神山

 

 周囲には誰もいない大聖堂の中で、イシュタルは銀髪の修道女へ跪いていた。本来、教皇であるイシュタルが一介の修道女にしか見えない彼女に跪くなど異常な光景なのだが、二人の間にはそれが当然という様な空気があった。

 それもその筈、この修道女———ノイントこそは人間達の神、エヒトルジュエに仕える“真の神の使徒"であり、聖教教会にエヒトルジュエの意向を伝えるメッセンジャーだ。歴代の教皇は教会の表向きの顔役として、ノイントが都合の良さそうな人間を選んでいるに過ぎない。

 

「我らが主は言われました」

 

 文字通り神託を告げる様にノイントは告げる。

 

「魔人族の英雄は倒れた、と。これもまた、我らが主が慈悲深く人間達を見守られていたからだと知りなさい」

「おお、まさに福音です。主の御心に感謝致します」

「これも我らが主の“駒"による働きだと、お前は広く宣伝する様に」

「は、確かに。このイシュタル、主が遣わした勇者達に、そして主への感謝を忘れませぬ!」

 

 平身低頭しながらも、イシュタルは恍惚とした笑顔を浮かべる。だが、絶対的な忠誠を捧げられながらもノイントの表情はピクリとも動かない。無表情に眺める様は、まさに遥かな高みより小さき生き物達を睥睨する神そのものだった。

 

「……主が遣わした“駒"達。彼等の行いを主は慈悲深く見守られる、と主は仰せです」

 

 より正確には、「勇者と崇められた者達が堕落していく様を見るのも一興」とエヒトルジュエはほくそ笑んでいたのだが、そこまで伝える気などノイントには無い。彼女にとって人間は目の前のイシュタルを含めて主を愉しませる為の道具でしかない。

 

「されど、主の威光を穢すと判断した時は容赦なく処断しなさい」

「ははぁっ! それが主の御望みとあらされば!」

 

 だからこそ、彼女はイシュタルの事など気にも掛けない。ただひたすら自分に跪く男を、蟻でも見る様な目で無表情に眺めていた。

 

 ***

 

 ノイントが去った後、イシュタルは自室へと戻る。表向きとは教皇であるイシュタルの部屋は暗殺防止や防諜の為に堅固に作られていた。部屋で暫く休む、と神殿騎士達に告げてイシュタルは鍵を掛けて一息ついた。

 

「かの神は勇者達の有り様を放置すると言われた。それは想定通りなのか、はたまたこの程度で自身の信仰は揺るがないと絶対的な自信があるのか————」

「————なに、それはそれでやり様があります」

 

 イシュタルの独白に応える様に耳に心地良い声が部屋に響く。イシュタルが目を向けると、そこに橙色のスーツを着た悪魔がいた。突然現れたデミウルゴスにイシュタルは――即座に跪いた。

 

「よくぞお越し下さいました、デミウルゴス様」

 

 まるで主従の様にイシュタルは悪魔へ頭を垂れる。そこに先程ノイントに見せていた狂信者としての姿はなかった。

 

「神を自称する愚者————エヒトルジュエが手を下さないというなら、このまま勇者達には道化を演じて貰いましょう。大きな不満は次の支配者を迎え入れる最高のスパイスとなります」

「かしこまりました」

「しかし、“真の神の使徒"と聞いて警戒しましたが、貴方の事を見抜けないのは、言われた通りにしか動かない木偶だからなのか……。まさに至高の御方を差し置いて神を自称する愚者に相応しい僕です」

「まったくもって、その通りです」

 

 くつくつと悪意を形にした様な笑顔を浮かべるデミウルゴスに、イシュタルは追従する。

 デミウルゴス達はナグモに代わってハイリヒ王国を、そして聖教教会を監視していて一つの結論に行き着いていた。

 

 至高の御方の敵であるエヒトルジュエは———決して全知全能な存在ではない。

 

 オルクス迷宮などの自身の反逆者の隠れ家が現在も残っているのが、その証左だ。自分に対して刃となる存在は、真に全知全能ならばとうの昔に察知して潰している筈だ。

 ではどうやって人間達を戦争させる様に操っていたか? それこそノイントの様な自身の代弁者を地上に派遣して、国を裏から操っていたのだろう。

 

(所詮は下等生物(ニンゲン)からの成り上がりですね。アインズ様からすればこんな手法など、児戯にすらならないというのに)

 

 むしろアインズはそれを見抜いていたからこそ、わざわざワールドアイテムを使ってまでフェアベルゲンを占領したのだ。至高の御方にまんまと出し抜かれ、自分の存在を脅かしかねない新しい宗教が生まれたにも関わらず、その事をまったく気付かずに呑気に勇者達の醜態を楽しんでいるのだ。果たしてどちらが真の道化なのやら、とデミウルゴスは神を嗤った(とはいえ、勇者達のあまりに滑稽な有様にはデミウルゴスも見ていて飽きが来ないほど楽しませてもらってるのでその気持ちだけは分からなくもなかったが)。

 

「ところで……この国の王女が今の状況に違和感を感じている様です。まだ我々の存在にまで行き着いていない様ですが、いかが致しましょう? 邪魔ならば教皇の地位を使って始末致しますが……?」

「ふむ……いえ、今は止めておきましょう。いずれアインズ様が御支配される時に、纏め役となる者が無能ばかりでも困ります。“作農師”の人間同様、しばらくは様子を見て決定的に邪魔になると判断した時に始末すれば宜しいでしょう」

「かしこまりました、デミウルゴス様」

「ナグモに頼まれた人間ですが……ふむ、これもまだ放置で良いでしょう。勇者が精神を衰弱させてくれるなら、それはそれでアインズ様に心酔する様に思考誘導させるのも容易になるというものです。それにしても……フフフ、あの勇者はこちらの想定以上に優秀な道化だ。アインズ様が未だに始末されないのも頷けますね」

 

 なにせ勇者(光輝)はデミウルゴス達があまり手を下さなくても勝手に暴走してくれるのだ。しかも周りを扇動する才能がある為に彼に釣られて他の神の使徒達も暴走して、それが神に対する目眩しになると同時に新たな支配者(アインズ)がこの王国に迎え入れる為の土壌作りにもなる。まさにこちらの掌の上で踊ってくれる格好の道化役者だった。

 

「貴方は引き続き、神の木偶人形から情報を引き出し続けなさい。そして彼女の望む通りに勇者(道化)達を厚遇する事を忘れない様に。金銭、酒、高価な品、女などを与えて贅沢三昧な暮らしをさせ、国民の不満が彼等に向いていく様に誘導していきなさい」

 

 了解の意を示すと、デミウルゴスは<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>で姿を消した。イシュタルは気付かないが、周りには隠形を得意とする高レベルのシモベ達が潜んでいるのだろう。

 イシュタルは窓の外———ハイリヒ王国の王城がある方向を眺めた。

 

「———全ては至高の御方の思惑通り。今はまだ道化として踊り続けて下され。我らの勇者様達よ」

 

 そう言って、イシュタルの姿をしたドッペルゲンガーは至福の笑みを浮かべた。




>リリアーナ

 死にたくなければ今すぐ逃げろ(直球)。
 それと頭の良い子なので違和感に気付いたけど、とりあえずの死亡フラグは回避致しました。あとはダイスにでも祈っておいて。

>雫

 久々に書けました。
 ギャハハ! カワイソウ! シズク、カワイソウ! カワイソウナノガ愉シイ!
 おっと、うっかりラ●ム化が。

>ノイント

 エヒトの言う通りにしか動かないお人形さんなので、人間なんか気にも留めてません。人間に羽虫の区別が付かない様に、イシュタルが入れ替わっていようが、気付かないです。で、その主人であるエヒトさんもナザリックの存在にまだ気付けてないです。というか彼がボードゲーム感覚でなく本気で警戒しているなら、原作で反逆者の隠れ家とかハジメ達がパワーアップしていくのを早めに手を打っている筈だと思うので。

>イシュタル・ドッペルゲンガー

 とっくの昔に入換済みだよ、そんなの。死体はもしもの為にちゃんと第五階層で冷凍保存されてるから安心してね!
 なんで前話で教会が雇った冒険者がルプーだったかというと、こいつが手を回したからです。

>デミウルゴス

 光輝達が暴走しているのも、愛ちゃん達が苦しんでいるのも、ハイリヒ王国が滅亡カウントダウンに入っているのも、ぜーんぶこいつのせい。そういう意味じゃ、光輝達は悪くない。デミの掌の上でダンストゥナイトしてるだけだから。
 こんな事を指示するなんて、なんて邪悪な奴なんだアインズ・ウール・ゴウン!


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第六十一話「神の遊戯盤」

 一応、クラスメイトサイドになるのかな?
 そろそろ次回あたりはアインズ様を登場させたいですねー。


「おらあああっ! 食らいやがれ!」

 

 土術師の野村の魔法が、ゴブリンの様な魔物に放たれる。地面が隆起してスパイク状となった岩が突き刺さり、ゴブリン達は耳障りな声を上げながら絶命した。

 

「雑魚は倒した! 重吾、頼む!」

「おうっ! 吉野、俺に支援魔法を!」

「OK! 任せて!」

 

 付与術師の吉野真央の支援を受けて、永山はオークの様な魔物に突進していく。オークは豚の様な鳴き声を上げながら手に持った棍棒を永山に叩きつけた。

 ドンッ! と大砲の衝撃が永山を襲う。

 

「舐めんじゃ————」

 

 永山は真っ向から棍棒を受け止めて、歯を食い縛りながらも耐えた。

 

「ねえええええっ!!」

 

 棍棒を力尽くで押し返し、たたらを踏ませたオークに永山は更に踏み込んでいく。

 

「<重・正拳突き>!」

 

 ドゴォッ! と鈍く大きな音と共にオークの胸に永山の拳が深々と突き刺さった。白目を剥き、オークは地に崩れ落ちる。

 

「はぁっ、はぁっ……」

「大丈夫、永山くん! いま治癒魔法をかけるね!」

 

 治癒師の辻綾子が永山に駆け寄って治癒魔法を行使する。ひとまず周りの敵を掃討して、ようやく一息ついた永山達に一人の騎士が歩み寄る。

 

「重吾! 大丈夫か!」

「メルドさん、大丈夫っすよ。まだまだ全然いけますって!」

 

 綾子に治して貰った傷を見せながら、永山は元気にアピールをする。その姿にホッとメルドは胸を撫で下ろしたが、再び聞こえてきた魔物達の咆哮に顔を引き締めた。

 

「次が来るぞ! お前達、踏ん張れよ!」

「「「「はいっ!」」」」

 

 ***

 

 遠藤が王宮から追放された日———永山達は親友である遠藤の為に、必死に抗議した。だが、光輝を始めとした前線組はおろか、エリヒド王やイシュタルまで聞く耳を持たなかった。その抗議が癪に障ったのか、永山達はメルドが左遷された魔人族の侵攻が激しい辺境の前線地へと追いやられたのだった。

 

「重吾、健太郎。それに真央も綾子もよくやった。今日の戦闘は良かったぞ」

 

 野営地でスープを飲みながら、メルドは重吾達を誉めた。

 

「王宮にいた時よりも連携が良くなっていたな。もう俺など相手にならないかもしれんな」

「そんな……メルドさんの教え方が良かったからっすよ」

「そうそう! やっぱメルドさんが教官じゃないとな!」

 

 永山達が頷きあうのを見てメルドは少しだけ苦笑した。自分は勇者達の指導不足であんな事態を引き起こしたというのに、まだ自分を教官として慕ってくれる彼等に済まない気持ちと同時に嬉しさがあった。

 

「すまなかった……俺が騎士団長だった頃、ステータスや天職ばかりを意識しないでお前達とキチンと向き合っていれば、重吾達も城を追い出される事は無かったかもしれん」

「メルドさんが謝る事じゃねえよ! 全部、天之河の奴が悪いんだ!」

「天之河くんには……もう私達もついて行けない、って思ってましたから」

「そうか……光輝の奴は、そんな事になってるのか……」

 

 自分が“神の使徒"の教育役を解任されてから何があったか、メルドも永山達から粗方は聞いていた。あれ程の才能を持ちながら、正しい道筋を示さなかった自分の不甲斐なさにメルドは沈痛な顔になる。

 

「……私達さ、変わっちゃったよね」

 

 綾子がポツリと溢した。

 

「ほんの少し前まで、なんだかんだでクラスで纏まってたのに、異世界に来てから皆で喧嘩しあったり、イジメが平気で行われる様になって……もしも。もしも、彼が生きていたら……今とは何か違ったのかな?」

 

 永山達はつい暗い顔になった。クラスメイト達の中で最強の存在であり、周りから責められて自殺に追い込まれてしまった錬成師の事をつい思い出してしまう。

 思えば、あれが自分達がバラバラになった最初のキッカケだった気がする。香織が最初の訓練で奈落へ落ちたのを皮切りに、次々と命を失ったクラスメイト。そして、その責任を周りの人間に八つ当たりする様になった光輝達……もう自分達は、ありふれた日常へ戻れないのかもしれないと、永山達はどこか諦観していた。

 

「……本当にすまない。異世界で平和に暮らしていたお前達を、関係ない戦いに巻き込んでしまって」

 

 メルドは永山達に頭を下げた。

 

「今さら遅いと思うかもしれんが、お前達が元の世界に帰れる様に俺も努力する。俺の生命に懸けて約束する」

「メルドさん……」

 

 永山達は改めて、メルドがいかに自分達を思っていてくれたかを知った。

 

「メルドさん、俺達ももっと強くなります。だから、色々と教えて下さい」

「重吾、俺もやるぜ! 俺ももっと努力する!」

「私だって!」

「わ、私も治癒術を頑張る!」

「お前達……」

 

 永山達の心意気にメルドは感極まった様に目頭が熱くなる。

 

「……ああ! 色々と教えてやる! 明日からシゴいてやるから覚悟しろよ!」

「うへえ、もしかして藪蛇だった? 今だって魔物達との戦いがあるのにキツいっすわ」

「そう言うなよ、野村。最近は魔物達の襲撃も回数は減ってきただろ?」

「でも、一体どうしたんだろうね? 最初の頃によく見た赤黒い線の入った強い魔物はあまり見かけなくなった気がするし……」

「うむ……魔物達の統率も取れてない様に見えるから、ひょっとしたら魔人族達の方で何かあったのかもしれんな」

 

 メルドは野営地の遥か遠く、魔人族領の方向を見た。

 

「例えば、敵将に何かあって軍が混乱しているとかな……さすがにそれは都合の良すぎる話だが」

 

 ***

 

 魔人族達の国・ガーランド。

 人間族にとって自らの神エヒトルジュエに仇なす不倶戴天の敵であり、魔人族達を統べる魔王として君臨するアルヴヘイトは人払いを済ませた部屋で跪いていた。

 

『ふん……まさかフリードが反逆者の迷宮で死ぬとはな』

「も、申し訳ありませんっ。エヒトルジュエ様の御遊戯を狂わせた事を深くお詫び申し上げます!」

 

 その場に他の魔人族がいたならば、目を疑っていたであろう。魔王としての威厳を欠片も感じさせない謙った態度で、アルヴヘイトは自分の心に直接語り掛けてくる声に平身低頭していた。

 何を隠そう、世間には魔人族の神として知れ渡っているアルヴヘイトは実際にはエヒトルジュエの眷属であり、エヒトルジュエの指示で魔人族達を煽って人間族との戦争を促している黒幕だった。

 地上に実体として存在する為に()()()()()()の肉体を乗っ取って実体化した神の眷属は、絶対の主人の機嫌を損ねまいと平伏していた。

 

「あの“駒"は出来が良く、反逆者共が遺した神代魔法もいくつか習得できたので今回も大丈夫だと思っていたのですが、まさか一人しか生き残りがいないなどという事態になるとは思わず……」

『そうなるとは思わなかった。だが、実際は違った。そうだな? アルヴヘイト』

「ひぃっ!? も、申し訳ありません!」

 

 アルヴヘイトは額をこれでもかと床に擦り付け、神域より響いてくるエヒトルジュエに陳謝した。この場には実際はいない事など関係ない。アルヴヘイトにとってエヒトルジュエは絶対の存在であり、エヒトルジュエの思い通りに事が運ばないなどあってはならなかった。

 そんな魔王としての威厳をかなぐり捨てた自身の眷属の痴態を愉しむかの様に、エヒトルジュエは余裕を感じさせる声を響かせる。

 

『ん? なぜ謝る? アルヴヘイト。貴様の“駒"が無くなった事で、我が不利益を被ると思ったか?』

「い、いえ! 決して、その様な……エヒト様は絶対の存在でありますからして!」

『ふん、下手くそな世辞だ。我が眷属ながら、つまらん事この上ない』

「も、申し訳ありません!」

 

 ガタガタと震えるアルヴヘイトに、神域から響く声の主は寛大そうに頷いた。

 

『まあ、良い。我、エヒトルジュエの名の下に神の慈悲をもって許そう』

「は、ははあーっ! ありがたき幸せ!」

『それに、フリードが死んだのは考え様によっては良いかもしれん。我が人間達の勇者として召喚した“駒"共が予想以上の弱さであったからな。あれはあれでその醜態が滑稽ではあるが、な』

 

 遥かな高みから冷笑をもって、エヒトルジュエは異世界から召喚した少年少女を嘲笑った。元々、魔人族の中でフリードが突出した実力を持った為に今まで戦争をさせていた人間族と魔人族の戦力バランスが崩れ、フリードに対抗する遊戯の駒として人間族の勇者を召喚したのだ。

 

(誤算だったのは、勇者の滑稽なまでの弱さと幼稚な精神よ……よもやあんな者が人間達の勇者となるとはなぁ)

 

 トラウムソルジャー相手に死者を出し、その後は教会が煽てるままに各地で魔物退治という名目で人間達の失望を買っている事は聖教教会総本山に潜伏させているノイントから報告が来ている。あんな醜態を晒し続ける勇者ならば、フリードの相手には役者不足だ。それはそれで、頼りにしていた勇者が全く役に立たなかったと知った時の人間達の絶望する顔は見応えがあっただろうが。

 

『これで人間族と魔人族の戦力差は元に戻り、戦争は長引くというものだ。とはいえ……ふむ、やはり退屈だな』

 

 まるでゲーム盤(チェス)の駒を並べ直したかの様な口ぶりのエヒトルジュエだったが、退屈そうな声音が混じっていた。エヒトルジュエからすれば、地上の人間達を操って殺し合わせる()()は何度も繰り返してきた。それ故に新しい展開を求めて、わざわざ自身の神力を行使してまで異世界召喚を行ったのだが、どうやら結果はあまり面白くならなくなりそうだ。

 

『人間共が繁栄した世にも飽きてきた事だし……ふむ、今度は人間共が虐げられる世にするのも良いかもしれん』

 

 よし、と気紛れで脚本を書く様な気軽さでエヒトルジュエはアルヴヘイトに命じた。

 

『アルヴヘイト、貴様にトータス全土の王となる権利をくれてやろう。貴様が直接魔人族を指揮して、人間共の国を滅ぼせ。生き残った人間共は魔人族の奴隷にするなり、家畜にするなり好きにしろ』

「そ、それは……ですが、宜しいのでしょうか? そうすれば御身の信仰心が下がられて、御力の減衰に繋がるのでは……」

『忘れたか? 貴様は我の眷属。貴様が信仰されるのは、我が信仰されるのと同じ事。人間共の信仰も、魔人族の信仰も、つまるところ我の力の源となるのだ』

「ははあっ! さすがは我が神! どう転んでも、エヒトルジュエ様の御力に揺るぎはありませんな!」

 

 おべっかを使うアルヴヘイトを神域から漫然と見下ろしながら、エヒトルジュエは嗤う。

 

(まあ……それにも飽きたら、魔人族達が築き上げた文明を崩壊させてゼロからやり直すが)

 

 そうして荒廃して途方に暮れる地上の人間達の前に、“真の神の使徒"と称した木偶人形(ノイント)達を降臨させて、再び自分を唯一無二の神とした世を作り上げるのだ。

 

(何も知らない虫ケラ共が感謝の祈りを捧げる姿はいつ見ても滑稽であるものよ。ふん、我が直接降臨できれば木偶共を使う手間を省けるのだがな)

 

 自身が神となるのに、実体を捨ててしまったエヒトルジュエ。寿命などの肉体的な限界とは無縁な身体となったが、霊的な存在であるが故に人間達の信仰心の影響を非常に受けやすい存在となってしまった。だからこそ、エヒトルジュエは人間達は使って玩ぶ、と決めた時に自分が絶対の神として君臨する世界にしているのだ。

 人間達の間で自分とは関係ない宗教や啓蒙思想が出る度にエヒトルジュエは徹底して叩き潰し、今の人間達の文明に飽きて新しい文明を作る時もノイントの様な使徒達を使って、まずは自分の神話を作り上げる事から始めていた。

 

(三百年前は実に惜しい事になったものだ……あの器があれば、我はこの世界など捨てて別の世界を玩弄していたというのに)

 

 実体の無いエヒトルジュエは自身が作り上げた神域に存在が固定化されてしまい、地上にはアルヴヘイトや使徒達を通してでしか干渉が出来なくなっていた。再び実体を得る為に色々と試行錯誤したが、神となった自分の存在が収まり切る程の器をエヒトルジュエはついぞ作る事が出来なかった。かつて、“神子"の天職をもって生まれた吸血鬼の王女こそが、エヒトルジュエが100%の力を振るっても崩壊しない特別な器だった。

 だが、忌々しい事にその器は失われてしまった。腹いせに吸血鬼の王女を隠した男をアルヴヘイトの器にしたが、やはり溜飲は下がらない。

 

(この溜飲はせめて異世界から来た道化共で下げるとしよう。せいぜい我が手で足掻け、人間達よ……)

 

 この世界を遊戯盤にした神と成り果てた人間は邪悪に嗤う。長年人間達を弄んできたエヒトルジュエは地上の人間達を嘲笑していた。自分を脅かす者など、ついぞ現れた試しがない。かつて愚かにも自身に反逆した者達も、自分を信仰する愚かな人間達の前に敗れた。だからこそエヒトルジュエは次はどんなシナリオを描くか、絶対的な上位者として人間達を見下していた。

 

 

 そう。慢心しているが故に———人間達の世界の地下の奥深く。かつての仲間達が遺した墳墓の中で、神を撃ち墜とそうとする死の支配者の存在に全く気付いていなかった。

 

 ***

 

 魔国ガーランド。

 魔人族軍の特殊部隊に所属するカトレアは、暗い顔で城内を歩いていた。今しがた聞いた内容はそれ程までに衝撃的だった。

 

「フリード様がお亡くなりになるなんて……どうなっちまうんだい、この国は」

 

 魔人族の最強の英雄であるフリード・バクアー。彼が人間達の国へ極秘任務に行き、殉職した事は既に城内に知れ渡っていた。それどころか、所属部隊は違ったが自分の同僚であるタヴァロス達も亡くなり、今の魔人族軍は文字通り何人もの精鋭を失ってしまった状況だった。

 

(魔王陛下はまだ自分がいるから安心しろ、と言っていたけどさ……まだ人間達と戦争している最中だっていうのに、本当に大丈夫なのかい?)

 

 それ程までにフリードの存在は大きかったのだ。まさに彼こそが魔人族の勇者と言えよう。人間達の勇者は各地で着々と力をつけている様だし、いかに魔王陛下が健在とはいえ軍の中心人物を失った魔人族軍は今までの様な快進撃は望めない気がカトレアにはしていた。

 

「とっ、いけないいけない。アタシがこんな暗い顔してどうするんだい。一番辛いのは、あの子なんだからさ」

 

 パンッ! と自分の顔を叩いて気持ちを切り替える。目的の人物の部屋の前に来て、深呼吸を一つしてからドアを叩いた。

 

「システィーナ、入っていいかい?」

「カトレア……」

 

 部屋のドアを開けて、フリードの部隊の唯一の生存者———システィーナ・バクアーが顔を見せた。

 

「その、なんだ……アンタが気落ちしているんじゃないかと思ってね。見舞いに来たんだけど……」

「それは……わざわざありがとう、カトレア。でも、大丈夫です。見ての通り、ピンピンしていますよ」

 

 そう言うシスティーナだが、以前より少しばかり痩せた様にカトレアには見えていた。

 

(無理もないよ……あれだけ慕っていた兄貴(フリード)が死んじまったんだ。本当なら、心の傷が癒えるまで休ませてやりたいよ)

 

 年若い少女でありながら、英雄である兄に憧れて軍人の道に進んだシスティーナ。彼女をカトレアは妹分の様に思っていたのだ。

 

「魔王陛下からアンタの生存は聞いていたけど……その、大丈夫だったのかい?」

「ええ。今回の失態で特殊部隊の隊長を解任されましたが、それ以外は特に叱責されませんでしたよ。来週から資料室の勤務となりました」

「それは……何と言ったらいいか……」

 

 軍人としてエリート街道を進んできた彼女が、出世の道を断たれてしまった事にカトレアはなんとも言えない顔となる。だが、システィーナはカトレアを安心させる様に微笑んだ。

 

「大丈夫、資料室の仕事だってやり甲斐はあります。あの()()のお役に十分に立てるでしょう」

「あ、ああ、そうだね。しばらくは戦場から離れた方が良いだろうしね」

 

 そこまで言ったカトレアだったが、部屋の中にいる人物達にようやく気付いた。そこには左右の瞳の色が異なる魔人族の双子がいた。

 

「ん? アンタ達は誰だい? 見ない顔だけど……」

「この子達は私の新しい部下です。名前は———」

「アウラです。よろしくね」

「マ、マーレと言います。あ、あの、よろしくお願いします」

 

 一人は人懐っこい笑みを浮かべ、もう一人はオドオドとしながらカトレアに挨拶した。

 

「ああ、そうかい。私はカトレア。システィーナの事をよろしく頼むよ」

「うん、分かりました。システィーナさんの事は———私達が()()()()()()()()()()

「う、うん。ぼ、僕もお姉ちゃんと一緒に、()()()()()()()()()

 

 屈託なくニコッと笑うアウラと、頼りなさげながら笑顔を浮かべるマーレにカトレアも笑みを返す。

 

(それにしても、綺麗な双子だね……。男の子に見えたけど、お姉ちゃんって事はアウラの方は動き易い格好をしている女の子だったのかい? 二人とも将来はさぞかし美人になるね。もしもミハイルと結婚したら、こんな双子が欲し……って、何を考えてるんだい私は!?)

 

 ***

 

 カトレアが去った後、システィーナは部屋のドアを念入りに閉ざしてアウラ達に姿勢を正した。

 

「さて、と。それじゃ、()()のシスティーナさん? あんたのお仕事は分かってるね?」

「はっ! 偉大なる御方———アインズ・ウール・ゴウン様の為に、魔人族軍の情報を流させて頂きます!」

 

 システィーナはどこか陶然とした顔でアウラに敬礼した。そこにはかつて、魔人族の軍人として誰よりも誇りに思って軍務に励んだ軍人の姿はなかった。

 

「ん、ぅ……っ」

 

 ふいにシスティーナが胸を押さえる。チャリン、チャリンと微かに金属質な音が鳴った。

 

「あ、あの、どうかしましたか……?」

 

 心配そうに見てくるマーレに、システィーナは熱い吐息を漏らしながら答えた。

 

「い、いえ……御主人様に……シャルティア様に付けて頂いたピアスが、擦れて……は、ぁっ」

「? ピアスは耳に付ける物ですよ?」

「マーレ、あんたはまだ知らなくて良い事だから」

 

 アウラが頭痛を耐える様にコメカミを押さえた。

 二人を他所に、システィーナは息を荒げながら陶酔した表情を浮かべていた。

 

「友人も、魔王陛下も、全て売り渡しますぅ……だから、戻った時にはいっぱい可愛がって下さい……シャルティア様ぁ♡」

 




>永山達

 メルドと一緒に僻地へ左遷。それでもマシに見えるのは何でなのか。このままフェードアウトしてた方が幸せかもね。

 ところでメルドさんとオバロのガゼフさんは似てるよね? いや、深い意味はないよ? 言ってみただけ。

>エヒトルジュエ

 慢心せずして何が神か! 存在の設定とかは独自設定マシマシにした感じです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、エヒトの地位と存在は安泰です。
 
 慢心は後ほど命で支払って頂きましょう♪

>魔人族サイド

 まさかのシスティーナ再登場。魔人族と見た目が似ているアウラ達の監視下で、可愛がってくれた御主人様を想いながら嬉々としてスパイ活動に勤しむのでありましたとさ。

 あとカトレアさん、さっさと逃げた方が良い。


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第六十二話「冒険者モモンと愉快な仲間達」

 はい、そろそろサイドストーリーを書くのに飽きてきたので大迷宮探索に戻ります。ナザリックの日常を楽しみにしていた方、ごめんなさいね。予定的にはライセン大迷宮をクリアした後に、またサイドストーリーをやる予定です。

 あとはとある方のありふれ二次で、香織を含めたクラスメイト達の状況が可哀想な事になっていたから反動で香織がハッピーな状況を書きたくなったと申しますか……。

え? ナザリックに餌食にされそうなクラスメイト? あー、あー、聞こえなーい!


「ふわ〜あ……」

 

 周囲を堀と柵で囲まれた小規模な街、ブルックの正門で衛兵は欠伸をしていた。幸いな事に見咎める者は周囲におらず、彼は暇を持て余す様に手にした槍に寄り掛かっていた。

 王国の一部の地域では魔物達の活動が活性化していると話には聞いているが、幸いな事にここブルック周辺は平和そのものだ。今日も今日とて、衛兵の男は退屈な見張り番をしていた。

 

「………ん?」

 

 ふと、街へ歩いてくる人影に衛兵は気付いた。どうせどこぞの冒険者だろうと何とはなしに見ていたが、その人影の姿格好が分かる距離になると眠気が吹き飛んでしまった。

 

 人影の正体は四人組だった。

 一人は腰まで伸びた銀色の髪を靡かせた少女だ。おっとりとした垂れがちの目は上質なルビーの様に真紅に輝き、少女に神秘的な美しさを与えていた。動き易さを重視したブラウスの下には隠し切れない豊かな二つの膨らみがあり、ショートパンツからは色白だが柔らかそうな太腿が見えていた。衛兵の男は思わず生唾を飲み込む。

 

 二人目はこちらも腰まで伸ばした金色の髪が特徴的な小柄な少女だ。銀髪の少女よりも若過ぎて男の好みから外れるが、まるで高級なビスクドールの様に整ってツンと澄ました顔は良家の子女の様だ。衛兵の男には話し掛ける事すら憚られる様な気品の高さを感じさせていた。純白のコートと黒いミニスカートに包まれた身体はまだ女性らしい凹凸は少ないが、数年後には同性すらも羨望の溜息を漏らす様な美女となるだろう。

 

 残る二人は性別が一見して分からなかった。というのも、その二人の格好は自身の体を完全に覆い隠していたからだ。

 

 一人は全身を漆黒の全身鎧で固めた人物だ。鎧には華美な金色と紫の紋様が描かれ、クローズドヘルムに覆われた頭部は全く分からない。背中に差した二本のグレートソードといい、「漆黒の騎士」という言葉がしっくりくる人物だった。恐らく鎧だけでも自分の年収より高いかもしれない、と衛兵の男はなんとなく考えた。

 

 もう一人は他の三人と比べると酷く地味だった。フード付きの茶色のローブをスッポリと被り、ローブの下には鎧の類いを着ている様には見えない。唯一気になる点があるとするなら、手にしているのが武器ではなく黒い傘という事くらいか。

 

 そんな異質な四人組をしばらく呆気に取られて衛兵は見ていたが、彼等が正門の近くまで来てようやく職務を思い出した。

 

「止まってくれ。ステータスプレートを見せて欲しい。それと街に来た目的は?」

 

 問い掛ける男にスッと銀髪の少女が前に出た。花が咲く様な笑みを向けられ、男は胸がドキッと高鳴った。

 

「私達、この街にある冒険者ギルドへ登録に来たんです。ステータスプレートはこれです」

「あ、ああ、そうか。君みたいな女の子が冒険者になるなんて珍しいな」

 

 ステータスプレートを手渡され、銀髪の少女と手が触れ合う。髪の毛からフワリ、と良い香りがした様な気がして衛兵の男は思わず顔がだらしなく緩んでしまう。

 

「な、なあ。ブルックの街は初めてなんだろう? 良ければ、俺が案内しようか?」

「えー、そんな悪いですよ。お仕事の最中なのに」

「構わないって。どうせ立ち番してるだけの仕事なんだし。だからさ、俺と一緒に———」

 

 銀髪の少女の手を握ろうとした衛兵の男にゾクゥ! と背筋に寒気が走った。ガタガタと身体が笑えるくらいに震えてくる。

 小動物が地震を察知する様に、男は背筋の寒さの正体に気が付いた。

 

(え……何? あのフードの奴、こっちをメッチャ睨んでるんだけど!? というか顔が見えないのに眼光がヤバいなんて分かるってどんだけ!? これが殺気というやつなのか!?)

 

 プルプルと震えていた男だが、唐突に寒気が収まる。

 ゴスッ! とフードの人物の頭に手刀が振り下ろされていた。

 

「無闇に殺気を振り撒くな。気持ちは分かるが自重しろ」

「も、申し訳ありません。モモンさ———ん」

「モモンさん、な。なんかマヌケっぽいぞ、その呼び方」

 

 フードの人物からは少年の声が、全身鎧の人物からは自分より少し年上の様な男の声が響く。

 

「私の仲間が済まない事をした。だが、見たところ君はこの街の守衛の筈。仕事を放り出して、ナンパしようとするのは如何なものだろうか?」

「あ、ああ。その通りだな……申し訳ない」

 

 落ち着き払った全身鎧の男の声に、衛兵の男はすっかり毒気が抜かれてしまった。ゴホン、と大きめの咳払いをすると真面目な顔で職務に戻る。

 

「ええと……魔法戦士・モモン、魔法師・ユエ、聖拳士・ブラン、錬成師・ヴェルヌ、だな。目的は冒険者ギルドへの登録、と。ああ、そうだ。念の為に素顔を見せてくれないか?」

 

 ステータスプレートを確認した衛兵の男は、全身鎧の男(モモン)フードの男(ヴェルヌ)の顔を検めようとする。ステータスプレートに記されている以上、犯罪者が変装している心配などは無いが職務上の規定で素顔を確かめる必要はあった。

 

「ああ、構わないぞ」

 

 あっさりとモモンはクローズドヘルムを外した。黒髪黒目とハイリヒ王国ではあまり見ない顔立ちだが、それ以外は容姿にこれといって特筆する事のない平凡な男の顔だった。もう一人、ヴェルヌがフードを脱いだ。その顔を見た瞬間———衛兵の男は思わず呻き声を上げてしまった。

 ヴェルヌの顔は酷くボロボロだった。まるで硫酸を浴びたかの様に赤く爛れ、元の顔が一目では判りづらくなっていた。あまりの様相に言葉を失ってしまった衛兵の男に、モモンが説明する。

 

「ヴェルヌは魔物の毒液で顔が焼け爛れてしまってな。治癒師でも完全には治せないそうだ。だから常に顔を隠しているのだ」

「………まだ何か?」

「い、いや! もう十分だ!」

 

 硬く、無機質な声を出すヴェルヌは慌てて衛兵の男は首を何度も縦に振る。職務上の決まりとはいえ無神経な事をしたと衛兵の男は恥じ入り、慌てて通行許可を出した。

 

「ブルックへようこそ。冒険者ギルドは中央の道をまっすぐ行った所にある。近くには宿屋もあるから、そこに泊まるといい」

「ん……お仕事、ご苦労様」

 

 金髪の少女———ユエが頷いた後、四人組は衛兵の男の前を通っていく。

 

「あ、そうそう」

 

 銀髪の少女———ブランが振り向いた。何事か? と首を傾げた衛兵の男の前で———ヴェルヌの腕を組んだ。むにゅっ、とブラウスから盛り上がっていた二つの膨らみがヴェルヌの腕に押し付けられる。

 

「んなっ!?」

「さっきのお誘いは嬉しいけど、ごめんなさい。私にはもう愛してる人がいるんです」

「……もう行くぞ、香———ブラン。この人間に用は無い」

「ふふ、嫉妬してくれたの? 大丈夫、他の(ひと)に靡いたりしないから安心していいよ。ナグ、じゃなくてヴェルヌくん」

 

 あんぐりと口を開ける衛兵の男を余所に、二人は腕を組んだままモモン達の所へ戻っていく。

 

「……あー、なんだ。二人とも仲睦まじい様で何よりだぞ、ウン」

「はい! 彼とは仲良くやっています!」

「はっ……これも全てはモモンさ———んのお陰です」

「モモンさん、な。……なあ、ユエ。もしかして、この二人はいつもこんな感じなのか?」

「……モモンさんも早く慣れた方がよろしいかと。私はもう処置なしと諦めているので」

「無礼な……ご安心下さい、キチンと公私は分けておりますので」

「まあ……やる事をやっていれば、別に文句は言わんよ。お前達は若いしな……」

 

 立ち去る四人組の背中を見ながら、今しがた見た衝撃に衛兵の男はしばらく立ち尽くしていた。そして、その背中が見えなくなってからようやくポツリと呟いた。

 

「すげえ……あんな顔でも、彼女は出来るのか」

 

 俺も今夜、酒場でアタックしてみようと思いながら衛兵の男は退屈な立ち番に再び戻った。

 

 ***

 

 冒険者ギルドへの道を歩きながら、モモン———アインズは胸を撫で下ろす様に息を吐いた。

 

「とりあえずは第一関門突破か。ユグドラシルみたいに一部の街は異形種は入れない、という仕様になっていなくて助かったな」

「その心配は無用かと。王都にいる時に結界を作り出しているアーティファクトを調べましたが、あの程度の術式ならば第四位階以上の偽装魔法をかければ簡単に誤認させる事が可能でした」

「へえ。ナグモくん、私の知らないところでも色々調べていたんだね」

「ブラン、今のそいつはナグモではなく冒険者モモンの仲間のヴェルヌだ。そしてお前も白崎香織ではなく、冒険者モモンの仲間のブランだ」

「あ、申し訳ありません! アインズさ、じゃなくてモモンさん!」

「本当は敬語も止めて欲しいんだがな。敬語だと、こう、冒険者仲間なのに隔たりがあるというか……」

「……それはあまり問題ないかと」

 

 それまで黙っていたユエがポツリと呟く。

 

「モモンさんは、外見上は私達の中で一番の年長者。年長者のモモンさんを敬うのは不自然な事ではない、です」

「むっ? そうか。言われてみれば、そっちの方が自然に見えるか……。しかし、お前はすぐにモモンさんと呼ぶのに慣れたな」

「私はこれでも、元・王族なので。腹芸くらい出来ないと、やっていけませんでした」

 

 はあ〜、やっぱり王様は演技力が重要なんだなあ……とアインズはユエの話にそんな感想を抱いていた。毎日やっている支配者ムーブの練習は、王族としても必要な事だった様でアインズは安心した。

 

 ———アインズ達がこうして人間の冒険者に変装しているのには、深い事情があった。

 まず、フェアベルゲンの大迷宮に行こうとしたアインズだが、大迷宮には入る事が出来なかった。入り口にあった石版を要約すると、他の大迷宮を四つ以上クリアしてからでなければ入れないらしい。アインズが持っている盗賊職のアイテムで無理やりこじ開ける事も考えたが、熟慮した上でそれは止めておいた。

 

(運営が予期してないバグ技でダンジョンに入るとか、システムエラーになったら困るしなぁ。ユグドラシルなら、そんな仕様にした方が悪いの一言で片付けられるけど)

 

 そんなわけで捕らえた魔人族(フリード)から()()()()()情報を基に、アインズは先に他の迷宮から片付ける事にしたのだ。各地の大迷宮は人里の近くに存在する物もある以上、ダンジョン周辺で目撃されても誤魔化しがきく存在————冒険者にアインズ達は変装する事にした。ユエ以外は偽名を名乗らせ、ナグモに至っては死亡扱いとはいえ王国から異端認定を受けていたので、薬品で顔を変えさせる徹底ぶりだ。(すぐに戻せるそうだが)

 

(ここに来るまで本当に色々あったなあ……)

 

 アインズはここ最近の出来事を思い出してしんみりとしてしまう。

 亜人族を助けたら何故か彼等から神様扱いされ、コキュートスに復興支援を任せていたら何故か亜人族達が自分の黒歴史(パンドラ)を量産する軍隊となっており、セバスを竜人族の里に行かせたら何故かティオという娘と婚約する事になっていたり……。

 

(ていうか色々ありすぎだろ! 何だよ、このイベント盛り沢山! もうお腹いっぱいだわ!)

 

 もはやストレスで無い胃がキリキリと痛む感じがしてくるアインズ。それも精神の沈静化が行われれば収まるが、キャパオーバーな事態は解決してくれず、その度に「こんな時ギルメンの皆がいてくれたら」と胸の内で既に数え切れないくらい愚痴っていた。そこで細かい事はアルベドに「後は任せた!」と支配者ムーブで仰々しく言った後、アインズは神代魔法の習得の為の旅に出る事を決意したのだった。

 

(これは家出じゃないぞ。ナザリックにはすぐに転移で戻れるからな。打倒エヒトの為に神代魔法の習得は最優先事項だから。それに俺はデスクワークより、外回りの営業の方が向いているからな!)

 

 人はそれを現実逃避と呼ぶのだが、アインズは精一杯の理論武装で「冒険者モモンとして外を探索しなければならない理由」を上げていた。

 そして神代魔法を習得しに行くメンバーとして、ナザリックの中で神代魔法の習得が行えた者———ナグモ、ユエ、香織を冒険者仲間という名目で連れて行く事にしたのだ。

 

「……そろそろ離れろ。さすがに少し恥ずかしい」

「この際だから、街の人達にもう私には彼氏さんがいます、ってアピールしなきゃ。私も男の人に何度も声を掛けられたくないもの」

「……」

 

 ナグモ(ヴェルヌ)は無言で香織(ブラン)の肩を抱き寄せた。それを香織はうっとりとした表情で身体を擦り寄せる。

 

「こンのバカップル共は……」

 

 周りに聞こえない様にアインズはこっそりと呟く。道行く人が驚きながら見てくる事に気付かない(無視してる)ナザリックの新しいカップルに、今こそ嫉妬マスクを装備する時なのかもしれない。

 

(まあ、あれだけ苦しんでいたんだし、じゅーるさんの息子(元NPC)の恋が実って俺も嬉しいさ。デミウルゴスの話だと、既に……に、肉体関係まで行ってるだろうという話だしな)

 

 年相応の清らかな交際を! と注意すべきか、相手がアンデッドだから妊娠しないので大丈夫だよね? と黙認するか、アインズ(カルマ値極悪)は真剣に考え込んだ。

 

(というかデミウルゴスは何で二人が肉体関係まで持った事をあんな嬉しそうに語っていたんだ? 「惜しむらくはあの少女がアンデッドという事ですが、ナグモならその問題も解決するでしょう」って……香織がアンデッドだと何か問題でもあったのか? 異種族交際は難しいけど、ナグモは香織を愛してるから問題ないと言いたかったのか?)

 

 同僚の恋を応援するなんて、デミウルゴスも良いところがあるじゃないか、とアインズは感心する。

 チラリ、と肩越しに振り返る。そこには今がまさに幸せの絶頂というディスイズバカップルがいた。

 

(………別に独り身でも羨ましくなんて、ないからなっ)

 

 もしもじゅーるがこの世界にいたら、思い切り文句を言ってやろうとアインズが決めた時、不意にガントレット越しの手に柔らかい手の感触を感じた。見れば、ユエがアインズの手を握っていた。

 

「あー……ユエ?」

「これも偽装工作の一環。後ろの二人がイチャイチャしてるのに、私達だけ何もないのは不自然、です」

「ええ……そんなものなのか?」

「そんなもの、です」

 

 キュッと小さな手でアインズの手を握ってくる。アインズは何と返すべきか分からず、とりあえずユエに言われるがままに手を握り返していた。

 

(ま、まあ。学校で二人組作ってー、と言われた時に余った子が先生と組む様なものだよな、そういう感じだな、ウン)

 

 アインズもユエと手を繋ぎながら、冒険者ギルドへの道を歩いていく。周りからの目が何故か微笑ましいものが混じっている気がするが、アインズの精神沈静化が平常心を与えていた。

 

(そういえばデミウルゴスで思い出したけど、なんでアイツは俺が冒険者という偽の身分(アンダーカバー)を作るのに、あそこまで賛成したんだろ? アルベドは御身の警護に軍隊の派遣を! なんて言っていたのに……)

 

 いつも通り、「なるほど、そういう事ですか」と頷くデミウルゴスに、詳しく教えてよなんて言えないアインズは、冒険者ギルドに着くまでずっとその事を考えていた。

 

 




>漆黒の英雄モモン

出ました、我らのモモン様。グリューエン火山とか浅い部分はアンカジ公国が採掘を行っていたそうなので、万が一人間とバッタリエンカウントした時を考えて冒険者の身分を作りましたとさ。

>ナグモ達の偽名

 ユエはともかく、ナグモと香織はそのままだとトータスでは目立つ名前だよね? と考えた結果、偽名を名乗らせました。というか原作でも、ハジメのステータスプレートを見た時にトータスの人達は「変わった名前だな。どこの出身だ?」と聞いて来ても良い気はします。

>ユエ

……さてはて?

>デミウルゴス

どうして彼はナグモと香織がよろしくやってるのを嬉しそうに語るのでしょうねえ? 因みに既に×××版で何度も●出ししてますけど、香織の身体はアンデッドだから避妊の心配は無いです。もしも将来的に子供が欲しくなったら、きっとナグモは知恵を絞ってどうにかするだろうなぁ。デミウルゴスも、その研究成果にニッコリするだろうなぁ……。ついでにアルベドとかシャルティアとか、ナグモを詳しく問い詰めるだろうなあ……。

それとアインズ様が冒険者になったら、何が良いのでしょうねえ? 例えば……英雄モモンが活躍すればする程、魔物退治をしているとある人達の名声が地に堕ちちゃったりしても、モモンさんには預かり知らぬ事だよねえ?


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第六十三話「理想の未来」

 展開の遅さは更新頻度の早さでカバーしているつもり。
 そんなわけでナグモと香織のイチャイチャ回。なんかライセンさんのお家の元・お嬢様が待ちくたびれている気がするけど、もう少し待ってね。


 空高く舞い上げてから突き落としたいと作者は思っているから(ニッコリ)


「ブランちゃん、良いアクセサリーがあるよ! ちょっと見ていかないかい?」

「わぁ、綺麗ですね! 試着しても良いですか?」

「そこの新米冒険者さん! 冒険にはポーションは必需品! これがあると無いとじゃ、命運を分けると言っても過言じゃない! 是非とも我が薬品店のポーションをお買い求め下さい!」

「ご親切にありがとうございます。でも大丈夫です。私、治癒術が使えるので。また別の機会に寄りますね♪」

「あら〜ん、ブランちゃんじゃない❤︎ 良い生地が入ったのよ〜ん❤︎ 彼氏のボウヤと一緒にウチに寄って頂戴よぉ〜ん❤︎ お姉さん、サービスしちゃうわぁん❤︎」

「本当ですか!? クリスタベルさんのお店の服、私すごく好きなんです!」

 

 ナグモはブルックの商店街で変装用のローブを深く被りながら、目の前の光景を無表情に眺めていた。ナグモがアインズの供回りとしてブルックに来てから今日で三日目となる。それだけの短期間でありながら、香織は街のアイドルとして人間達の人気を集めていた。

 商店街の店主達は次々と香織に声を掛け、香織はそれに笑顔で応対していく。時には売りつけてくる品をやんわりと断っていたりしているが、香織の笑顔と丁寧な対応の前に店主は気を悪くする事なく「そうか。じゃあ、また今度な!」と笑いながら引き下がった。

 

(というか、最後の奴は何だ? ニューロニストの親戚か?)

 

 「こんなのと一緒にするんじゃないわよん!」とステレオで激怒されそうな事をナグモは逃避気味に考えてしまう。まさに接客のお手本の様な対応を次々としていく香織に、ナグモは何とはなしに呟いた。

 

「何というか……すごく手慣れているな」

「光輝く……()()()()()()が、色々と揉め事を起こす人だったからね」

 

 周りの人間には聞こえないくらいの小声で香織は答えた。

 

「色々な人に謝ったりしている内に、どんな風な態度で相手に接したら良いとか少し分かる様になっちゃったの」

 

 思い出したくもないという声音だったが、嫌な顔を表情に出すことなく周りの人間には笑顔を見せていた。香織の営業スマイルに周りの人間も気を良くして接していく。

 

「だから八方美人なんて、クラスの人達には思われちゃったんだろうけどね……」

「低脳な人間達の戯れ言だ、気にする事はない。相手に合わせて態度を変えるなど、誰もが当然にやる事だ」

 

 それに……とナグモは深くフードを被り直す。

 

「……君が先程からやっている事は、僕には無理な芸当だ」

 

 創造主(じゅーる)から「人間嫌い」と設定されたナグモ。彼にとって、この市場の様に人間の喧騒が激しい場所は非常にストレスの溜まるものだった。普通の人間なら賑やかさに高揚した気分になるかもしれないが、ナグモには一斉に鳴き声を上げた猿の群れの様に耳障りな音の洪水に聞こえていた。先程からフードを深く被っているのは素顔を隠す以上に、少しでも煩わしい音を遮断しようとしての事だった。

 

「ん、そっか……ナグ、じゃなくてヴェルヌくんは騒がしい所があまり好きじゃないんだ」

 

 フードの下で眉間に皺を寄せているであろうナグモの事を思って、香織はナグモの手を握った。

 

「ね、少し休憩しようか。この先にある広場ならあまり人通りがないから静かだよ」

「だが、モモンさ――んから命じられた品が、まだ……」

「モモンさんは夕方までに戻る様に、と言っていたからまだ時間はあるよ。それに今はお昼時だから人の往来が激しいみたい。少し時間が経てば、商店街も空くと思うよ? ほら、こっちこっち!」

 

 ナグモは少し悩んだが、これ以上人間達の喧しい声を聴きたくないという思いから香織に手を引かれるままに商店街を後にした。

 

 ***

 

 香織に連れて行かれた場所は閑静な住宅街にある広場だった。今は家の人間が仕事に行っているからか、広場には昼の散歩に来ている老人くらいしかいなかった。人混みから解放されたナグモは、大きな溜息をつきながらベンチに腰掛ける。その隣に香織はちょこんと腰掛けた。

 

「ほら、ここなら静かだよ。ナグモくん、疲れちゃった?」

「別に。単に精神的に疲労が溜まっただけだ。ついでに改めて君の凄さを再確認したよ」

 

 周りに聞き耳を立てる人間がいない事を確認して本来の名前を呼んでくる香織に、ナグモは応える。ナグモを始めとしたナザリックの者達はセバスのような例外を除けば、人間を踏み潰して当然の弱者としか見ていない。しかし香織は元・人間という事もあって、難なく潜入活動をこなしているのだ。しかも彼女の笑顔に人間達はデレデレとガードを下げて情報収集も捗るというオマケ付きで。

 

(これはこれで、ナザリックの者達には難しかった任務じゃないか? それを容易く行えるとは流石は香織だ。そして———アインズ様もそれを見越して香織を冒険者として連れ出す事を決めたのだろう。さすがは至高の御方。目の付け所に間違いがない)

 

 絶対なる主人の慧眼に、ナグモはただ敬服するしかない。以前の王宮の時の反省点を踏まえて、ナグモには香織が常にフォローする様に命じたのかもしれない。

 

(それにしても……人間というのはどうしてどいつもこいつもこんなに喧しいんだ? 仮にも知能を持った霊長類だろうに……)

 

 理路整然と、必要最低限な情報だけを簡潔に喋って欲しいものだ。あんな大声で喧しく喚き合うなどそれこそ猿以下ではないか。頭痛を鎮める様に眉間の皺を揉んでいると、不意に服の裾をちょんちょんと引っ張られた。

 

「んっ!」

 

 ポンポン、と香織がぴったりと閉じた太腿を差し出してくる。

 

「……いや、さすがにそれは」

「んっ!」(ポンポン)

「気持ちは嬉しいが……」

「したくないの? ……もう、私の身体に飽きちゃった?」

 

 少し悲しそうな顔になる香織を見て、ナグモは何も言えなくなった。

 無言でポフッと香織の膝に頭を乗せる。パッと香織の顔が笑顔になった。

 

「ふふ、お疲れ様。ナグモくんは人間が嫌いなのに、頑張ったもんね」

 

 膝枕をしたナグモの頭を香織は優しく撫でる。

 

「んっ………」

 

 ナグモは少し目を細めると、香織の膝に頭を擦り寄せた。遠くで「あらあ、若いっていいわね〜」と老夫婦の声が聞こえた気がしたが、意識からシャットアウトした。

香織の指がそっと変装の為に赤く爛れたナグモの頬を撫でた。

 

「この傷……大丈夫? すごく痛そうに見えるけど……」

「本当に顔を焼いたわけではない。特殊メイクみたいなものだ」

「だとしても、あれはビックリしたんだからね? 目の前でやられた時、心臓が止まるかと思ったよ」

「……まあ、説明が足りなかった事は認める」

 

 アインズから顔を隠す必要があると伝えられた時、それならばとその場で顔に薬品をかけて変えたら香織が息を詰まらせて座り込んでしまったのだ。アインズも一瞬だけ慌てた様な素振りを見せたものの、すぐに冷静に対処して事なきを得ていた。アインズは仮面や包帯で顔を隠す案を勧めたものの、それでも素顔を確かめられた時に異端認定を受けて死んだ筈のナグモの顔では面倒になると判断しての選択だった。

 

「そういえば、アインズ様はどうしてこの街の色々な商品を買ってくる様に指示したのかな? 武器とか装備品なんて、ナザリックで作って貰った物の方がずっと良いのに……」

「どうやらトータスの品物がユグドラシル金貨でどのくらいの価値になるか調査されたい様だ。だから同じ商品でも、産地ごとに異なる物を購入する様に指示されたのだろう」

 

 香織の膝に頭を預けたまま、ナグモは説明を始めた。

 

「加えて……この世界の外貨を得る為に、今までオルクス迷宮で集めた鉱石を扱う商会を開かれるそうだ。今日の買い物は一種の市場調査だな。これにより———経済的にもトータスを支配する足掛かりを得られるというわけだ」

「トータスを……支配……?」

「ん? そういえば香織には言っていなかったか?」

 

 きょとんとした顔になった香織に、ナグモは少しだけ話して良いか考えた。だが、すぐに香織もナザリックの一員となったのだから良いか、と判断した。

 

「アインズ様は……この世界(トータス)を支配下に治められるおつもりだ。人間、亜人族、魔人族などに関係なく———あらゆる者がアインズ様の素晴らしき統治の下に平等に暮らせる、そんな世界を作るおつもりだ」

 それがかつて、アインズから“アインズ・ウール・ゴウン”の原点たる“九人の自殺点(ナインズ・オウン・ゴール)”の話を聞いたナグモが導き出した答え。至高の御方が望んでいる世界征服の理想像。その為に、いまナザリックの全ての者がアインズの理想を叶えるべく動いているとナグモは信じて疑わなかった。

 

「ナグモくん……それって……」

 

 香織の手がフルフルと震える。周りに人がいない広間で、ナグモから初めて聞く壮大な計画に香織を身を震わせた。

 

「それって……()()()()()()()()()()()! アインズ様みたいな優しい人が王様になるなんて……エヒトなんて偽物の神様に苦しんでいる人達を助けるつもりなんだね!」

「当然だ。愚神に引導を渡すべく、アインズ様自身が神代魔法を習得されようとされている。今回の任務に選ばれたという事は、香織にも大きな期待をされているという事に他ならない」

「うん! 私、アインズ様の為に頑張るよ! もちろん、ナグモくんの為にもね!」

 

 香織のやる気に溢れた笑顔にナグモは満足そうに頷いた。恋人である香織が、至高の御方の素晴らしさを理解してくれているのは、好きな物を共有できたようで非常に嬉しかった。

 

「あ、でも……」

 

 香織の笑顔が唐突に心配そうに曇った。

 

「アインズ様がトータスの色々な国を支配するという事は、王国ともいずれは戦わなくちゃいけないのかな?」

 

 香織が何故ハイリヒ王国と戦う事に難色を示したか、ナグモは少しだけ首を傾げた。だが、すぐに思い当たって、あぁ……と声を上げた。

 

「心配はしなくていい。八重樫雫は、時が来たらナザリックに迎え入れるつもりだ」

「それって本当なの?」

「もちろん。僕も彼女には借りがあると思っている。それを返す為にも、八重樫雫にもアインズ様の庇護下に入る栄誉を与えるべきだろう」

 

 あのホルアドでの夜。八重樫雫がナグモの部屋に訪ねて来なければ、自分は香織への恋心に気付けないままだっただろう。そういう意味では雫はナグモと香織の仲を取り持ってくれた恩人だった。

 

「まあ、()()の使徒達の監視は別の守護者の管轄になってしまったから、八重樫雫がこちらに来るのは少し時間がかかるが……」

「ううん、それでも嬉しいよ。そっか、雫ちゃんとまた会えるんだ」

 

 香織の顔が笑顔に輝く。まるでクリスマス・イヴを待ち侘びる子供の様な顔に、ナグモも自然と嬉しくなってくる。

 

「ふふ、きっと雫ちゃんも喜んでくれるよね。私とナグモくん、それに雫ちゃん。アインズ様の下で三人で———()()()()()()()()()()()()()!」

 

 その笑顔に———毛先ほどの違和感をナグモは感じた。

 

(ん? どういう事だ? てっきり香織は人間の八重樫雫に会いたいと思っていたが……自分と同じ異形種になって欲しいのか?)

 

 アンデッドとなった香織と人間の雫では寿命が異なる。それこそ雫に改造手術でも施さなければ、いつまでも一緒など成立しない。

 

(ふむ……そうなると、トータスの魔物因子を使った改造計画も話が異なってくるか。いっそ、僕の手で八重樫雫を異形種に転生させても良いか)

 

 人造人間の花嫁(フランケン・ブライド)機械の戦女神(マシン・ヴァルキリー)原初の半神半人(イヴ・レプリカ)といったナグモが得意分野とするサイボーグ系やホムンクルス系の中でも見目麗しい異形種達を頭に浮かべる。雫とてスケルトンやスライムの様な異形種は忌避感があるだろうから、ユグドラシルの中でも人気のあった美少女モンスター達をナグモは改造案の候補とした。

 

(香織が一緒なら……僕も………)

 

 異形種揃いのナザリックでは極めて異常な事だが、ナグモはオーレオールと違って不老の存在というわけではない。じゅーるに設定されたこの身体は、正真正銘普通の人間の肉体だった。

 だが、香織が傍にいてくれるなら———生涯の伴侶として、愛した少女がずっといてくれるならば。

 ナグモはじゅーるから貰った自分の肉体を改造しても構わないと思っていた。

 

「そうだな」

 

 香織に膝枕されたナグモは、愛している少女の頬を優しく撫でる。

 

「ずっと一緒だ」

 

 香織は顔に添えられたナグモの手を優しく握り締めた。

 

「うん」

 

 愛している少年に、満面の笑みを浮かべる。

 

「ずっと一緒にいて下さい」

 

 未来の幸せを思い描き、ナグモも薄く———だが、確かに笑みを浮かべた。

 

「もしも雫ちゃんが来たら、私と一緒に大切にしてね。雫ちゃんなら、私はナグモくんをシェアしても良いと思ってるの」

「別に八重樫雫は僕に恋愛感情など抱いてないと思うが……」

「雫ちゃんもきっとナグモくんを好きになるよ。これから時間はたっぷりあるから、ナグモくんの良さを私が一杯教えて上げようと思ってるんだ。それに………はぁむ♡ ナグモくん、こんなに美味しいから私だけで独り占めするのは勿体ないと思うの」

「って、コラ! こんな場所で人の指を舐めるな!」




 知ってる? 理想というのは、叶えられないから綺麗に見えるんだよ?

>香織

 実は異形種になってから、人間だった時の常識や感情が破綻している。だからこそ、雫が本当にそれを喜ぶか理解できてません。
 イメージ元は和月先生の『エンバーミング』のフランケンシュタイン。
 すなわち———生前と同じ様に見えて、何かが狂って蘇った死体。

>ナグモ

 実はオーレオールと違って普通の人間。これはじゅーるが自分の息子を意識して作ったから、人間離れした存在にしたくなかったという親心もありました。
 可愛い彼女に恵まれて、理想の上司がいて、やり甲斐のある最高の仕事に打ち込めて、人生順風満帆で良かったね。



 突き落されるまで楽しんでネ?


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第六十四話「亡国の吸血鬼女王」

さて、こちらもそろそろフラグ構築をしていきますか。

タイトルに深い意味は無いです。ユエが平行世界のキーノとか、そういう話はないです。

追記

アルベドのシーンを加筆しました。本来ならこのシーンも書いてから投稿したかったのですが、休日に出かける用事があって執筆が出来なくなるから「早く投稿したい!」と焦って中途半端なシーンで区切って出してしまいました。


 ナグモと香織が買い物デートをしている頃、アインズは冒険者ギルドにいた。目の前には冒険者への依頼書が張り出された掲示板があった。

 

(やべえ……字が全っ然、分からない)

 

 全身鎧の下で流れる筈のない冷や汗が出てくる。そう、アインズにはトータスの文字が全く読めなかった。もちろん、自主学習はしてきたつもりだ。だが、NPC(子供)達が信じる絶対支配者の姿を守る為に彼等の目を盗みながらやる勉強時間は短く、今でもアインズは自分の名前といくつかの単語が書ける程度の知識しかなかった。

 

(そういや翻訳用のマジックアイテムはセバスに貸したままだったわ。詰んだわ、俺……)

 

 冒険者登録をする時はステータスプレートを受付に出したら、あとはいくつかの書類に名前をサインするだけだったので誤魔化しが利いた。しかし、いざクエストを試しに受けてみようという段階になってようやく字が読めないのはまずいという大問題に気付いてしまった。

 

(ユエの話だと、トータスでの平民の識字率はそんなに高くないという話だよな? じゃあ、俺も文字を勉強する機会が無かったという事にしておくか? いや、でもナグモが見ている前でそれをやったら今まで支配者ロールで押し通していた俺のイメージが……というか)

 

 アインズはチラリと後ろを振り返る。そこにはユエが紅い瞳でじっとアインズを見ていた。

 

(ユエが見てるのに出来るわけがねえ……!)

 

 何故ユエがここにいるかというと、この世界固有のアイテムが無いか買いに行かせたナグモに香織とのデート気分を味あわせてやろうという計らいと、二人でイチャイチャしてユエだけが仲間外れ気分になるのは流石に可哀想だというアインズなりの慈悲だった。

 

(というかこの子もこの子で表情が基本的にあまり動かないから、こっちをどう思っているかさっぱりだ……。こういうのを、何だっけ? クー……クーラー系? とか、ペロロンチーノさんが言っていた様な?)

 

 逃避気味にエロゲーマイスターなギルメンの事を思い返すが、目の前の事態は何も解決してくれない。

 

(ええい、儘よ……!)

 

 アインズは覚悟を決めると、冒険者モモンとして相応しい声でユエに声を掛けた。

 

「……ユエ。お前が選ぶといい。お前の意見を私は尊重しよう」

「……よろしいのですか?」

「構わない。そうだな……出来る限り、今の私達のランクで受けられる中で最も難しいクエストを選んでくれ。銅貨数枚をチマチマ稼ぐ為に冒険者になったわけではないからな」

 

 秘技『お前の意見を尊重しよう』。よく分かっていないが、尤もらしく頷く事で威厳を保つ。ナザリックの配下達に何度もやっている支配者ロールをアインズは実行した。

 

「……かしこまりました」

 

 ペコリ、とユエは頭を下げると掲示板に貼られた一枚の依頼票を手に取り、受付へ持って行った。その所作一つを取っても、上流階級の礼儀作法を学んだ気品が滲み出ていた。そんなユエに遠巻きに見ていた冒険者達はヒソヒソと話し合う。

 

「お、おい。あの子、すんごく綺麗じゃないか?」

「見た目若過ぎる気がするが、新米冒険者か?」

「俺、思い切って声かけてみようかな?」

「やめときな。ありゃあ、きっと上流階級の出身だな。お前じゃ相手にもされんよ」

「一緒にいた奴も立派なフルプレートアーマーだしな。大方、家督を継げなかった貴族の次男か三男坊が冒険者をやってるんだろ」

「そういえばクデタ伯爵の坊ちゃんも冒険者をやってると噂に聞いたな……」

 

 聞こえてくる内緒話にアインズは堂々とした態度を演じながら、内心で首を傾げた。

 

(そんなに目立つか、この鎧? ユグドラシル的には聖遺物(レリック)級だから、そんなに珍しいものじゃないんだけどな……)

 

 いつもの神器(ゴッズ)級よりも遥かに劣る装備を立派と言われてもアインズにはピンと来ない。<完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)>を発動した時に装着される鎧を模してナザリックの鍛治師に作らせた鎧だが、どうにも目立ち過ぎている様な気がする。

 これ以上グレードを下げた装備にすべきか、トータスという未知のフィールドで低ランクの装備品で冒険するリスクをどうするか考えていたアインズのもとに、ユエが受付からトコトコと帰ってくる。

 

「クエストを受理しました、モモンさん。街道に出現する魔獣の討伐クエスト、です」

「ふむ……まあ、最初にやるクエストとして妥当か」

「明日から、すぐに行えます。あの……ところで、モモンさん」

「ん? どうした?」

 

 ユエが何か言いたそうにしている事にアインズは首を傾げる。やがて、彼女は意を決した様に周りに聞こえないくらいの小声で呟いた。

 

「……ひょっとして、文字が読めないのですか?」

「な、あっ!?」

 

 頭を鈍器で殴られる様な衝撃がして、動揺するがすぐに沈静化が行われる。即座にアインズは得意の堂々とした支配者ロールを行った。

 

「ふっ……文字が読めないなど、そんなわけが無いだろう」

「…………」

「わざわざお前に選ばせたのは、私がお前を信頼している証だ」

「…………」

「確かにお前が私の下に来てから日が浅いが、ナグモの下でよく働いているという報告は聞いている。ならば、ユエの判断ならばそう間違いはないだろうと私は判断した」

「…………」

「だから……うむ……」

 

 無言でこちらを見てくるユエに、アインズはとうとう言葉に詰まる。内心では凄く冷や汗をかいていた。

 

(やべえ……バレた。終わった………ああ、そうですよ! 字が読めませんよ! というか小卒のサラリーマンに全然知らない言語を覚えろとか無茶言うな、こんちくしょおおおおっ!!)

 

 心の中でアインズは逆ギレする。とはいえ、さすがにユエにそのまま八つ当たりする様な真似はしない。それくらいの分別はアインズにもあった。

 さぞ失望しただろうなあ、と恐る恐るとアインズはユエを見ると———ユエはむしろ納得がいったという顔で頷いていた。

 

「やはり、そうでしたか……。なんとなく、そんな気はしていました」

「……あー、ユエ? 私の事を……情けないとか、そんな風に思わないのか?」

 

 ふるふる、とユエは首を振った。

 

「とりあえず……ここではなんですから、宿に戻ってからお話しします」

 

 ***

 

「……ナグモから聞いています。アインズ様は、ユグドラシルという異世界から来たのだと」

 

 アインズ達が拠点にしている宿屋の部屋で、ユエは話し始めた。

 

「世界すらも違うなら、トータスの文字を読めないのも当然だと思います」

「う、む……そうか」

 

 至極納得のいく返答を貰って、アインズは歯切れが悪いながらも頷いた。とりあえず、ユエはアインズの無学を嘲笑っているわけでは無い様だ。

 

「むしろ短期間で言語を習得しているナグモ達が異常なだけで、アインズ様がまだトータスの文字を読めないのは仕方のない話かと、思います」

「そうか……そう思うか……」

 

 アインズは心の中で大きな溜息を吐いた。支配者ロールが通じなくても軽蔑されないというのは、日々ナザリックの配下達に「彼等の望む絶対支配者」としての姿を守り続けているアインズにとって大きな安堵感をもたらした。

 

「……ナグモ達には秘密にしておいて貰えるか? 彼等は私が非の打ち所がない完璧な存在だと思っているフシがあるのだ。私とて間違いは犯すし、言うほど完璧でもないというのに」

「分かりました。この事は、私の胸の内に秘めておきます。それに———アインズ様のお気持ちも、理解はできます」

「ほう………どういう意味だ?」

 

 アインズが興味本位で聞いてみると、ユエはどこか遠い———まるで追憶の彼方に消えてしまった光景を見る様な目で語り出した。

 

「……王たる者、国民や従ってくれる臣下達の為に不安な顔など見せてはならない。王が不安な顔をしたら、国民達にも不安が伝播して安心した生活を送れなくなってしまう。だから、たとえ苦しくても彼等の前では毅然とした態度でいる様に。そんな風に私はディン……教育係だった者に教わりました」

「……そうか。そういえば、お前は元は吸血鬼達の女王だったのだな」

 

 アインズはユエの身の上を思い出しながら、やっぱり王様は大変なんだな、となんとなく思った。

 

(俺もナザリックの王様といえば王様だけど……それはNPC達が俺に従ってくれてるだけだからな)

 

 NPCから昇格したナグモを含め、彼等の忠誠を今更疑う気など無い。だが、アインズがアインズ・ウール・ゴウン(彼等を創った至高の御方)などではなく、ただの人間(鈴木悟)だったら自分に従う事など無かっただろうな、と心の隅では思っていた。

 

「だから……アインズ様は臣下であるナグモ達の為に、完璧な姿を演じていたと存じ上げています」

「……うむ。その通り、だな」

 

 守護者達はおろかレベル1の一般メイドに至るまで、ナザリックの配下達はアインズを自分の命すら投げ出してでも忠誠を誓う支配者だと信じて疑っていない。彼等の期待を裏切らない為にもアインズは素の自分(鈴木悟)を殺して、アインズ・ウール・ゴウン(至高の四十一人の纏め役)を演じる必要があった。

 

(いや……それだけじゃないのかもしれない)

 

 アインズはどこか冷めた目で自分を客観視した。

 

(恐いんだ……。NPC(子供)達を……皆の期待を裏切ってしまうのが)

 

 もしも、自分が彼等が信じている様な完璧なリーダーだったならば。“アインズ・ウール・ゴウン"に、ギルドメンバー達は今もいてくれた筈だ。

 

(ぶくぶく茶釜さん、ペロロンチーノさん、ウルベルトさん、じゅーるさん、るし★ふぁーさん、ベルリバーさん……他の皆だって、最終日にログインくらいはしてくれたよな)

 

 ……それは全てを知る第三者からすれば、傲慢な考えだろう。ギルドを去った彼等は、なにもアインズを見限ってユグドラシルを辞めたわけではない。

 現実の生活環境が変わってしまった者、現実の仕事に熱意を傾けた者———そして現実では既に故人となってしまった者。

 そういった事情があり、かつてのギルドメンバー達はログインすら出来なくなったのだが、アインズは彼等がギルドを去ったのは自分が魅力の無いギルド長だったからだと思い込んでいた。

 

(だから……せめて俺を信じてついて来てくれるギルメンのNPC(仲間の子供)達の前では、完璧な姿でいなくちゃいけないんだ)

 

 アインズが改めて覚悟を決めていると、ユエが遠慮がちに切り出した。

 

「あの……差し出がましいかもしれませんが、アインズ様に御提案したい事がございます」

「ん? 何だ?」

「私が……アインズ様に、トータスの文字をお教え致しましょうか?」

「……何?」

 

 意外な申し出にアインズは思わず聞き返した。

 

「今後、冒険者モモンとして活動していく上でも、文字は読めた方が都合が良いと思います。それに今ならば他の臣下達の目を気にされる必要が無いので、勉強するには丁度良いかと思います」

「それは……うむ、確かにそうだな」

「ナグモと香織には今日のように用事を言い付けるか、一緒の部屋に寝泊まりさせれば私が御指導する時間は取れると思います。……どうせあの二人は、二人だけの空間を作るでしょうし」

「う、うむ。確かにな」

 

 フッと遠い目をするユエにアインズも頷いてしまう。

 

(というか……ユエにこう言われるとかどんだけイチャイチャしてるんだ、あのバカップルは)

 

 とりあえず一緒の部屋にしても冒険者として活動している時は自重する様には伝えよう。緊急事態とかで部屋に呼びに行ったら、行為の真っ最中でしたとか気まず過ぎて顔がまともに見れなくなる自信がある。

 

「そうだな、すまんがお願いするとしよう。ユエ、私にトータスの文字を教えてくれるか?」

「……ん。お任せ下さい。その代わりと言ってはなんですが、お願いしたい事があります」

「願い、とは?」

「私に……アインズ様を含めた至高の御方と呼ばれる方達の事を教えて下さい」

「………理由を聞いても良いか?」

 

 意外過ぎる申し出にアインズは少しだけ身を硬くしながら聞いた。ユエは覚悟を決めた表情でアインズの目を真っ直ぐに見た。

 

「私は……ナグモ達の言う至高の四十一人というのを詳しく知りません。新参者の私がナザリックについてもっと詳しく知る為に。アインズ様を御理解する為に、ナザリックを作った至高の四十一人についてアインズ様から直接お話を伺いたい、です」

「ううむ、そういう事か……」

 

 確かになあ、とアインズは内心で頷いてしまう。ユエはアインズが直にナザリックに加えたが、一部のNPC達は「自分達の方が至高の四十一人に直接創造されたから偉く、至高の四十一人すら知らないユエは圧倒的に格下だ」という態度を出す時があるらしい。同じ立場である香織には恋人である階層守護者代理(ナグモ)が睨みを利かせているから表立った態度には出ないらしいが、ユエには後ろ盾となる存在が居ないのだ。

 

(前々から思うけど、やっぱり問題だよなあ。エヒトを倒す為には、ナザリック以外の外部勢力とも協力していかないといけないのに……)

 

 ならば、ユエがナザリックのNPC達と馴染んで貰う為にも、かつてのギルドメンバー達の思い出を語るのは良い事なんじゃないか? 少なくともユエを至高の四十一人すら知らない奴と侮る者は居なくなるだろう。

 

(まあ、もちろんそのまま話すわけにはいかないけど。なんかこう、ユグドラシルがゲームだとバレない様に上手く話していけば……)

 

 何より———自分の仲間達の事をユエにも知って貰いたかった。自分にはこんな素晴らしい仲間達がいたんだ、とアインズは他の人間にも自慢したかった。

 そんな事を考えて、アインズはよしと頷いた。

 

「良いだろう。とはいえ、全てというわけにもいかん。それでも良いか?」

「……ん。分かりました」

「では、私の仲間達の思い出を語る代わりにお前は私に文字を教える。それで契約は成立だ。まあ、なんだ……よろしく頼む」

「……ん。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ユエの口元が少しだけ綻ぶ。

 笑うと意外と可愛いじゃないか。

 そんな場違いな感想をアインズは抱いた。

 

 ***

 

 その夜。ナグモは先に寝た香織を起こさない様に宿の屋根の上で定期報告を行っていた。

 

「———報告は以上だ」

『ええ、ご苦労様』

 

 <伝言メッセージ>で状況報告を行ったナグモに対して、アルベドは短く返答した。

 

「この街で手に入れたアイテム類は種類別、産地別など条件を変えながらエクスチェンジ・ボックスに入れろ、とアインズ様は仰った。ポーション類に関しては幾つかはサンプルとして成分分析をする様に技術研究所に伝えて欲しい」

『分かったわ』

 

 必要な情報を伝えていくナグモに対して、アルベドの返答はとても素っ気なかった。

 

「……………」

『……………』

 

 伝達すべき事を話し終えた二人の間に沈黙が下りる。もしも二人が面と向かって話し合っていたら、ピリピリとした気不味い空気に第三者は胃痛を覚えたかもしれない。

 

 あの日———香織の処遇について揉めた時から、ナグモとアルベドの間に隔たりが出来ていた。表立っての対立はしていない。シモベ同士の不仲でナザリックの業務に支障をきたすなど、至高の支配者(アインズ)の覇道を妨げるに等しいからだ。よって二人はそれぞれの業務には真面目に取り組んでおり、業務連絡などはキチンと取り合ってはいた。

 逆を言えば。極めて事務的な内容でしか、二人は会話しなくなっていた。

 

「………通達すべき事は終わった。また定時連絡をする」

『待ちなさい、ナグモ。まだ伝えるべき事があるでしょう』

 

 これ以上、会話する事などないとナグモは通信を切ろうとした。しかし、アルベドは何故かそこで待ったをかけた。

 

『その………アインズ様は私に対して何か言ってらしたかしら?』

「……はぁ?」

『何かあったでしょう? やはり小娘二人よりも年上の絶世の美女を連れて来れば見栄えしたとか、頼りになる右腕がいなければ駄目だとか』

 

 念話ごしで期待でソワソワとしてる姿が思い浮かぶ声に、身構えていたナグモは思わず脱力した。だが、じゅーるによって設定された天才的な頭脳は即座にアルベドが望む答えを導き出した。以前、アインズからそれとなく聞いたアルベドへの評価をそのまま伝える。

 

「……あれほど信頼できる者は他にいない。だから安心してナザリックから離れられる、だそうだ」

『くふー!』

 

 何か妙な鳴き声が聞こえた気がしたが、ナグモは無視した。音声通信ではないので、バサバサ! と興奮で動く翼の音が聞こえてきたのはきっと気のせいだろう。

 

『よーしよし! その調子でアインズ様に私をアピールしなさい! 難攻不落の要塞と言えど、波状攻撃を仕掛ければいつかは陥落するわ! くふふ、待ってて下さいね! アインズ様ぁ♡』

 

 キンキンと頭に響きそうなピンク色の守護者統括の念話に、ナグモは頭痛を耐える様に顔を顰めた。面と向かっての報告でなくて良かった、とナグモは逃避気味に考えていた。

 

「……これは本当に必要な事か?」

『最優先事項よ! 至高なるアインズ様の正妃を決める事なのだから! シャルティアよりも一歩先に先んじて、私がアインズ様の寵愛をら賜るのよ!』

 

 おかしい……。念話先の相手はナザリックの内政を取り仕切る頭脳を持つ守護者統括だった筈だ。それなのに何故こんな知能指数が低そうな会話をしているのだろう、とナグモは半眼になっていた。

 

『あのアンデッド娘の事を私はわざわざ大目に見てあげたのよ? 貴方には私に協力する義務があるんじゃないかしら?』

「…………」

 

 ナグモは舌打ちしたくなる気持ちを必死に抑えた。苛々としてきた態度が表に出そうなのを何とか我慢した。

 

「………以上だ。アインズ様にはそれとなく聞いておく事にする」

『ええ。将来のナザリックの大局の為に相応しい働きをしなさい』

 

 ブツン、とナグモは<伝言>を切った。電話なら受話器を放り投げている様な乱暴さだった。そして胸の苛立ちを吐き出す様に独り言を呟く。

 

「………自分が大目に見てやった? 香織の事はアインズ様が直々にお認め下さった事だ」

 

 それをさも自分がどうにかしてやったから言う事を聞け、と恩着せがましい事を言ってきたアルベドに腹が立っていた。「恩には恩を」という創作者(じゅーる)のモットーを引き継いでいるナグモだが、こういう恩の押し売りは非常に嫌いだった。

 

 アインズの供回りとして出立する前。ナグモはアルベドから極秘裏にアインズへ「自分がいかにナザリックの正妃として相応しいか」と宣伝する様に命じられていた。この任務にナグモははっきり言って、やる気を感じていなかった。

 

(そもそも守護者統括(自分の上役)と言っても、あくまで至高の御方々が「そうあれ」と定めたから、それに従っているだけだ。本来、至高の御方々に創造された者達に明確な差などない)

 

 それなのに自分の方が立場が上だから、と当然の様に命令してきたアルベドにナグモは不満を募らせていた。(実のところ、アルベドもそういう態度を取るのはある時期から気に入らなくなったナグモだけなわけだが)

 

(何より……僕達の様な臣下風情がアインズ様の伴侶を決めるなど、それこそ不敬というものだろうに)

 

 アルベドとシャルティアがどちらがアインズの寵愛を受けるのに相応しいか、と何かと張り合っているのはナグモも知っている。ついでにデミウルゴスは「偉大なる支配者に御世継ぎは必要だろう」という観点から、二人の恋の鞘当てに興味を示しているらしい。しかし、ナグモにとってはアルベドとシャルティアのどちらが正妃になるとかどうでも良かった。

 

(アインズ様はナザリックの支配者なのだから、アインズ様が好きな様に伴侶を選んでも良い筈だ。正妃だの、側室だのといちいち気にする様な事か?)

 

 それこそ年齢が若過ぎる気もしなくないがアウラを選んでも良いし、なんだったらプレアデス(戦闘メイド)達や一般メイド達からでも相手を選んでも良いのだ。それがナザリックの支配者であるアインズには許される。

 

(まあ、至高の御方の御子がどういう存在になるかは科学的に興味が無いないわけではないが……)

 

 アインズの許可さえあれば、アインズの身体の一部や霊的因子を抽出して母体に人工授精させるなどナグモの技術からすれば造作もない事だった。人間から見ればクローン作製の様な倫理的に問題ある方法だが、ナグモからすれば人間の倫理観など考慮するに値しない事だ。

 

(しかし、自分の世継ぎか……。さすがに今すぐは無理だが、いずれは………)

 

 ふと、ぽっこりと膨らんだお腹を優しく撫でる香織の姿を想像した。そのお腹を興味津々な様子で触ろうとする香織をそのまま小さくした様な幼女の姿まで思い浮かべた所で、ナグモはブンブン! と首を振る。

 

(って、今はそんな事を考えている場合か! 愚神が駆逐されるまでは、アインズ様の世界征服計画の為に奮進する時だ!)

 

 傍から見れば完っ璧に不審者そのものだが、透明化など万全の注意を払って防諜対策をしているので幸いな事に誰にも見られていなかった。もう休もう、と部屋に帰ろうとしたところでナグモはふと気がついた。

 

(ああ、そういえば……ユエがアインズ様と同室になってる事を伝え忘れたな)

 

 しばらく考え、すぐにどうでも良いかと結論した。アインズがアンデッド(骨だけの身体)という事もあるし、ユエがアインズから寵愛を受けようとする姿などナグモには想像できなかった。自分と香織を同室にしてくれたから、たまたま残った二人が同室となっただけだろう。

 

(もしも寵愛されるなら、ユエがアインズ様の正妃となるのか……? ハッ、まさかな)

 

 自分の想像を鼻で笑いながら、ナグモは屋根の上から立ち去った。




>ユエ、アインズからギルメン達の思い出話を聞く。

多分これ、アインズに一番必要な事な気がする。NPC達は「至高の御方は偉大だ!」というフィルターがかかって間違った知識でしか創造主を語れないし、アインズは自分が楽しかったギルド全盛期の思い出を誰とも共有できないまま絶対支配者を演じるしかない。アインズに全く非が無いとは言わないけど、オバロ原作で大量殺戮しているのはNPC達が盲信している支配者像を守る為にやってる様にも見えるんですね。

彼が去ってしまったギルメン達への気持ちの整理をつける為にも、アインズの思い出を聞いてあげる存在が必要なんだと思います。

さて、ユエが等身大のアインズこと鈴木悟に気付く事が出来るのか? それは……今はまだ、何とも言えないです。

>ナグモ、アルベドとは相変わらずギスギス

 以前、アルベドから香織をアインズの手駒に改造しろと言われた時くら二人は仲が悪いです。原作のナーベみたいにアインズの好感度を上げる様に言われているけど、ナグモは嫌いな相手からのお願いというのもあってやる気ないです。
 そして人間嫌いだから他人の心に注目していないから、ユエとアインズが同室になった事も深く考えてないです。


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第六十五話「大迷宮発見」

 自分は基本的にやりたい展開を重視して、キャラの設定とか自分の中で無理がないと思う範囲で変えています。だから解釈違いと思っても、「sahalaの中ではそうなんだろ(ry」ぐらいに思って下さい。こういう予防線を張ってるあたり、自分の小市民ぶりが自分でよく分かる(白眼)


 ナザリック地下大墳墓・第五階層。氷結牢獄内『真実の部屋』。

 

「さぁ、ダーリン? アインズ様の為に貴方の知ってる事を教えてくれるかしらん?」

「ひぃっ!? ラ、ライセン大峡谷だ! ライセン大峡谷に、未攻略の大迷宮がある筈だ!」

 

 魔人族の元・英雄フリードは鎖に繋がれたまま、目の前の人物に答える。

 その人物は、一言で表すと醜悪極まりない異形種だった。膨れ上がった溺死体の頭部に触手が六本のタコが張り付いたような姿に、ハムを縛る糸の様に膨れ上がった身体にボンテージが食い込む。

 ()()こそがニューロニスト・ペインキル。ナザリック地下大墳墓、五大最悪の一人「役職最悪」にして特別情報収集官である。

 

「あら〜ん、それって本当? 神に……じゃなくて、至高の御方であるアインズ様に誓えるぅ?」

「ち、誓う! 偉大なるアインズ・ウール・ゴウン様に誓う! そこに私は部隊を向かわせようとしていた! な、なあ? 知ってる事はもう話したんだ……だ、だから……」

「んもう〜、ダーリンってばせっかちさん❤︎ まだその情報の裏付けが取れてないじゃないのよん。さ、今日もた〜くさんチュウチュウしましょうねえん? 」

「い、嫌だ……や、やめてくれ……!」

「ダイジョ〜ブ、貴方のお友達(部下達)と一緒にアインズ様を讃える歌を唄う聖歌隊になれる様に、私もレッスンに付き合ってあげるからん❤︎ さあ……今日もい〜っぱい、元気良く唄いましょうねえん❤︎」

「お願い……お願いします……! もう……もう殺してくれええぇぇえええっ!!」

 

 フリードの哀願が『真実の部屋』に響き渡る。だが、ナザリックにおける救い()が彼に与えられる事は無かった———。

 

 ***

 

「ふっ!」

 

 アインズの剣が突進してきた猪型の魔物へ突き出される。自動車ほどの大きさもある猪の魔物は、突進した勢いのまま頭から深々と剣が突き刺さって絶命した。

 

「ヴェルヌ、やれ」

「はっ! “錬成”!」

 

 アインズの命を受け、ナグモは黒傘シュラークを地面に突き立てた。地面は次々と陥没して、小型の猪魔物の群れを落とし穴へと嵌めていく。

 

「ユエ」

「ん! “氷槍"」

 

 身動きの取れなくなった魔物達へユエの魔法が放たれる。人間の腕程の氷柱が雨の様に降り注ぎ、魔物達を次々に串刺しにしていく。小型の魔物達が絶命していく中、大型の魔物はまだ息があった。だが、ユエの魔法で手足を氷漬けにされて身動きが取れなくなっていた。

 

「せい、のっ!」

 

 そこに香織が跳び掛かった。大きく振りかぶったナックルダスターを叩きつけ、頭蓋を砕かれた大型魔物は絶命した。

 

「ふう……これで全部かな」

 

 髪の毛をかき上げながら香織が一息ついた。聖拳士として戦っている時は邪魔にならない様に三つ編みにしている銀髪が、太陽の光を受けて水面に映った月の様にキラキラと光った。

 

「モモンさん、こっち終わりました!」

「残敵ゼロ。付近に生命反応も無し……ミッションコンプリートです」

「んっ」

「ご苦労だった。これでクエスト完了だな」

 

 冒険者仲間という事になっている部下達に応えながら、アインズは剣を鞘に戻した。

 

 アインズ達こと冒険者モモンのパーティーは、ブルックを拠点にしながら破格の勢いで冒険者ランクを上げていた。アインズからすれば天職で付与した戦士職の慣らし運転のつもりだが、それでもトータスでは十分過ぎる強さだったらしい。あっという間に上から三番目である“黒”のランクまで跳ね上がり、今日はライセン大峡谷へクエスト依頼された魔物の素材採集に勤しんでいた。

 

「この猪達の牙が今回のクエストの採集物だったな? ギルドに渡す必要分は刈り取った後、余剰分はナザリックに送れ」

「かしこまりました。手配いたします」

「それなら、もう少し捕まえてきましょうか? 私もまだまだいけます!」

 

 命令に承諾するナグモの隣で、香織が提案する。香織の格闘技も大分様になってきた。もっと実戦を経て、アインズ達に役に立つ所を見せようと張り切っているのだろう。しかし、ユエが静かに首を振った。

 

「……それは駄目。ワイルドボアはチョウチンイタチの天敵。チョウチンイタチは繁殖し過ぎると、食べ物を求めて人里まで下りてくる」

「そうなの? ユエ」

「ん……そもそもギルドはそういった二次被害が出ないか判断してからクエストを出している。……クエストの規定を無視して大量に狩るのはマナー違反」

 

 へえ、そういうものか〜。と、アインズは内心で感心の溜息を吐いた。ゲームと違い、とりあえずたくさん魔物を倒せば良いという話でも無いらしい。

 

(確かブルー・プラネットさんも無計画な乱獲のせいで何種類もの動物が絶滅した、って嘆いていたよなあ。魔物といっても、この世界(トータス)じゃ動物みたいなものなのかもな)

 

 アインズの予想とは違って冒険者は未知を追い求める職業では無かったが、これはこれで奥が深い仕事だった様だ。

 

「まあ良い、これでクエスト完了だ。お前達、体力(HP)は大丈夫だろうが魔力(MP)の回復は怠るなよ。突発的な規格外の敵(レイドボス)に遭遇する可能性もあるからな。ギルドに帰るまでがクエストだと心得るのだ」

 

 「はっ」、「はい!」、「んっ」と三者三様に返事がされる。

 

(まるで遠足の引率だな)

 

 思わずアインズは内心で苦笑してしまう。ギルド時代にレベルがまだ低いメンバーの『新人教育』に付き合った事もあるが、ナグモ達の場合は見た目の若さもあって学生達の引率をしている気分になっていた。

 

(やまいこさんもこんな気持ちだったんだろうなあ……)

 

 現実で小学校の教師をしていたというギルメンの事を思い出してしまう。彼女も今のアインズの様に生徒の引率をしていたのだろう。

 

(こうして見ると、やんちゃな生徒達ばかりだけどやり甲斐のある仕事だと言ってたやまいこさんの気持ちも分かるなあ。ユグドラシルにログインしてくれなくなったのは……まあ、仕方ないよな。俺はナグモ達の三人だけだけど、それでも結構大変だし……)

 

 少しだけ寂しく思いながらも、アインズはやまいこがユグドラシルを辞めてしまった事を納得した。やまいこはユグドラシルよりも自分の仕事(生徒の教育)に熱意を注ぎ込んだだけだ。それを否定する権利など、アインズ(鈴木悟)には無いだろう。

 

(何だろうな……以前なら、何で皆で作り上げたナザリックを捨てられるんだ! って八つ当たり気味に考えていたけど、最近は仕方ない事だよなと納得できる様になったというか……)

 

 元々アインズとて辞めていったギルメン達を憎んでいたわけではない。あの日は自分が半生を注ぎ込んでいたユグドラシルのサービス終了が決まってしまい、それがショックでログインしてくれなくなった彼等に恨み言が思わず出てしまっただけだ。

 

 しかし、最近のアインズはある程度自分を客観視できる様になった。ギルドを辞めたのは、皆それぞれに理由があったからだ。誰かが悪かった、というわけではない。

 

(まあ、でも。もしかしたらギルメンの誰かがトータスに来てる可能性もゼロじゃないから、ギルメン探しは継続するけど)

 

 少しだけ、今までよりも吹っ切れたアインズはそう思える様になった相手をチラッと見る。自分に字を教えてくれる代わりにギルメン達の事を少しずつ話す様になった金髪の少女は、渡されたMP回復ポーションをコクコクッと飲んでいた。ふと、アインズの視線に気付いてユエが振り向く。何故かアインズは気恥ずかしい気がして、咳払いしながら視線を慌てて切った。

 

「ん、んんっ! そういえば、このライセン大峡谷にも大迷宮があるという話だったな!」

「はっ、ニューロニストの()()()()によるとその様です」

 

 それまで香織に戦闘後の体調などを聞いていたナグモは、アインズ達に振り返りながら頷いていた。

 

「オスカー・オルクスの隠れ家への裏口もこの近くにあった事を考えれば、解放者同士で連絡を取り合える様に別の解放者が隠れ家を作っていた可能性は高いです」

「ふむ……しかし、大峡谷と一言で言っても範囲が茫洋としているな。それにこの魔力の集中を阻害するフィールドエフェクト……探知系魔法で探すのも難しいか」

 

 ライセン大峡谷は魔力の結合が分割され易く、かつては落ちれば魔物達に喰われて生きては出られない処刑場として使われていた時代もある。

 とはいえ、アインズ達にはあまり問題にならない。ここにいるのは、ユグドラシル(神話の世界)から飛び出した死の支配者とその従者達。魔力が霧散する以上の大魔力で発動させれば、魔法の使用そのものには問題ない。ただ、いつもより魔力の消費が大きいというだけだ。とはいえ魔力で広域探索を行う様な探査系魔法の効果が薄くなるのは迷宮探索に問題がありそうだ。

 

「そうですね……いっそシモベ達による人海戦術で探し出すという手段もありますが、あまりスマートとは言えませんね」

「あ、それでしたら私に考えがあります!」

 

 少し考え込む様に眉根を寄せたナグモの横で、香織が手を上げた。

 

「ちょっと新しく出来る様になった能力で試してみたい事があるんですけど、やってみても良いですか?」

「ほう? 新しい能力か……面白い、やってみると良い」

 

 ナグモ特製のキメラ・アンデッドの香織はアインズから見れば未知の異形種とも言える。ユグドラシルには存在しないモンスターである香織の新能力とは何か、アインズは興味があった。

 

「はい! ナグモくん、この辺りに人は居ないよね?」

「ああ、確認済みだ。正体が露見する心配は無いぞ」

「うん、それじゃあ———」

 

 スッと香織が目を閉じる———すると、髪の毛が伸び始めて生き物の様にうねり始めた。髪の毛が何本か纏まると何匹もの白銀の蛇の群れとなり、毛先がブチッと一人でに切れた。

 

「貴方達、この辺で怪しそうな場所を探して来てくれる? 例えば、そう……洞穴みたいなのとか」

 

 「シュッ、シュッ」と短く鳴くと、蛇の群れは地面を這いずりながら四方八方へと散っていく。それを見ながらアインズは分析する。

 

召喚魔法(サモン・アニマル)……いや、どちらかと言うと低レベルの分身か? 驚いたな、香織はまだその身体になってから日が浅いのにこんな事まで出来る様になっていたのか」

「はい! ナグモくんがくれた身体のお陰です!」

 

 それに……と、香織は何故か意味ありげにナグモに微笑む。

 

「分身を動かす練習にたくさん付き合ってくれたので♪」

「………」

 

 ナグモは何故かフイッと目を逸らした。その顔が微妙に赤い気がするのは気のせいか。

 

(………マジで何やってたの、お前達?)

 

 ちょんちょん、とユエがアインズの背をつつく。

 

「………聞かないであげるのが優しさかと」

「う、うむ。そうか」

 

 ユエの全てを悟り切った様な目を見て、アインズは詮索を止めた。部下の私生活まで細かく報告させるとか、鬼畜上司にアインズはなる気はない。

 

「んん、ゴホン! ま、まあ香織の新能力の御披露目になってちょうど良かったです!」

「うむ、そうだな……お前が前より表情豊かになって、私は嬉しいぞ」

 

 誤魔化す様に咳払いするナグモをアインズは生暖かく見る。この姿をじゅーるに見せたい物だ。

 

「まあ、とはいえ香織の分身による探索でも少し時間はかかるでしょう。今後はライセン大峡谷へ頻繁に赴く様にして———」

「———え? それ、本当なの?」

 

 香織がコメカミに手を当てながら、突然呟き出した。まるで何かと通信している様な仕草だ。驚いた表情のまま、香織はアインズを見た。

 

「アインズ様。いま、分身の子達が報告してきたんですけど……大迷宮の入り口、見つかったそうです」

「……………マジか」

 

 ***

 

 それは、大峡谷の地の底。大迷宮の奥深くに作られた部屋に彼女はいた。

 

「さっきのやつ……何だったのかなあ? この辺じゃ見かけない種類だし、あの蛇は誰かの使い魔かな?」

 

 人間の子供ほどの身長で、黄色のローブを着た彼女は首を傾げながら疑問を口にした。

 だが、その疑問に応えてくれるものなどいない。

 

「誰だろうなあ、私達の意志を継いでくれる人かな? それとも教会のクソヤロー達の手先かな? 人間かな? 亜人族かな? それとも魔人族?」

 

 カタカタと球体関節を動かしながら、彼女は疑問を口にしていく。彼女は人間ではなかった。人の形をした無機物———すなわちゴーレムの身体で、ニコちゃんマークの様なペイントが顔に施されていた。

 

 そのペイントも、長い年月で掠れてよく見えなくなっていた。

 

「私達の意志を継いでくれる人なら嬉しいなあ。うん、でも……()()()()()()! あのクソヤローを……エヒトを殺してくれるなら!」

 

 バッと彼女は壁に振り向いた。その動きは、まるで壊れた人形の様だった。

 

「オーくん、ナッちゃん、メル姉、ヴァンちゃん……他のみんなも、待たせたね。ようやく来たよ……ようやく人が来たよ! 待ったよ、千年間……うん? 二千年? もっと長かったっけ? あはははは、長過ぎて忘れちゃったや!」

 

 その壁には、額縁に飾られた一枚の写真があった。

 

 だが———ボロボロに風化して元の写真が何だったのか、分からなくなっていた。

 

「あはは、あはははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 ————誰もいない大迷宮の底。永い年月で心を擦り減らした少女の壊れた笑い声だけが、闇の中で木霊していた。

 




>フリードさん

 何か字数が足らんなあ……せや、フリードの拷問シーン書いたろ!
 そんな鬼畜ぶりな発想から近況を書いて上げました! 妹は国に帰れたのにね……うぷぷ。

>アインズ様、多少ギルメン達に整理がつく。

 まあ、彼とてギルメン達を憎んでいるわけではないと思うんですよ。そもそもギルメン達もユグドラシルに飽きたというより、生活環境が数年で変わってログイン出来なくなった人が多いそうですから(wikiで調べたからソース不明)。
 だからアインズの思い出話を聞いてくれる相手がいれば、多少は落ち着くかなぁ、と。

 まあ、荒れていた時の想いの一部を設定改変と共に打ち込まれてしまったかもしれないNPCがどう思っているか、知りませんけどね。

>香織、索敵と出来る様になる。

 初期案は蛾の触覚を生やした蛾娘とか、蝙蝠娘になって超音波探索とかやる予定でした。というか設定を考える為にモン娘のイラストを見ていたら、モン娘で●●●させるの良くない? とか考え始めた駄目作者なのでありましたとさ。

>ミレディ

 闇堕ちミレディ。略して闇レディ。もしくは病ミレディ。
 千年や二千年以上の時を経ても、こうならなかったのが原作ミレディの魅力ですけどね。逆に原作ミレディはそんな永い年月、来るかどうか分からない相手をよく待ち続けられたな、と思います。でも、自分の作品ではどうしてもこうする必要があったんですよ。だってホラ、原作そのままならアインズには絶対に協力しないだろうし。



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第六十六話「かつて解放者だった少女の執念」

 自分の中ではアインズって、煽り耐性とか高い気がするんですよね。その代わり、絶対に踏み抜いたらいけない地雷があるけど。
 とりあえず、どうなるか見てみたいから誰かアインズ様の前でギルメンの悪口を言ってみてくれません? 三百円あげるから。


「これが………大迷宮の入り口か?」

 

 香織に案内された先でアインズは戸惑いを隠せなかった。

 ライセン大峡谷の一角、岩肌にちょうど人一人が入れそうな亀裂があり、その奥に袋小路の洞穴があった。そして、そこの壁に文字が彫られていた。

 

『おい…ま……! ミレディ・ライセン…ドキ…ク大迷宮…♪』

 

 所々が掠れているが、いやに女の子らしい丸文字で。

 

「えっと……分身の子達が見つけたのが、これなんですけど」

 

 香織自身もかなり自信無さそうに答える。そりゃそうだろ、とアインズは心の中で頷いた。

 

(この世界の神代魔法が手に入る大迷宮と言うならさ、もっとこういかにもなダンジョンを思い浮かべるじゃん? 普通、こんな風に入り口を書くか?)

 

 クローズドヘルムの中の骨だけの顔でアインズは口をひくつかせる。怪し過ぎて、もう一周回って本物なんじゃないか? と思い始めていた。考える時間を稼ぐ為にも、解放者オスカー・オルクスの事を研究しているナグモに問い掛ける。

 

「……ナグモよ。お前の見立てを聞こう」

「……恐らく本物かと」

「……え? マ、」

「ウソ、本物なの!? これが?」

 

 「マジで?」と思わず素になりかけたアインズに被せる様に香織が叫ぶ。ナグモは懐から出した片眼鏡で壁の文字を調べた後に頷いた。

 

「この石版……書いてある文章はふざけた内容ですが、分析したところ作製から四千年以上は経過しています。年代的にオスカー・オルクスの迷宮の作製年数と一致します。加えてミレディ・ライセン……オスカー・オルクスの手記にあった解放者の一人と名前が一致しています。解放者の情報は世間には流布していない筈なので、ここがミレディ・ライセンの作製した大迷宮である可能性は極めて高いかと」

 

 「ええ……」と香織が引き気味になったのにアインズも同意したかった。確かに理屈は通っているが、未知やダンジョンに心を躍らせていた自分の興奮とかを返して欲しい。

 

「ま、まあ、とにかく探していた大迷宮の入り口が見つかったんだ。よくやったぞ、香織」

「はい、ありがとうございます! アインズ様!」

「ふむ……どうやらここが隠し扉となっている様です」

「あ、待て。迂闊に、」

 

 触るな、と言う前にナグモが壁の窪みに触れて入り口を開けようとして———。

 

「待って」

 

 その手をユエが掴んだ。

 

「いきなり何だ?」

「……未知のダンジョン、とりわけ相手()()()()()が作った物に関しては、入り口から即死型のトラップが仕掛けられている可能性を考慮して、対トラップ対策を十全にしてから侵入するべし。それが基本」

 

 ですよね? と視線で確認を取ってきたユエにアインズは頷いた。

 

「……その通りだ。侵入する敵を減らす為に、入ったと同時にトラップを起動させるダンジョンもある。それと情報収集対策も万全にしろ。雑魚敵を当て、相手チームの情報を抜き取った後に奇襲で一気呵成に終わらせる。それがぷにっと萌えさんが私に教えてくれた『誰でも楽々PK術』の基本だ」

「至高の御方の戦術ですか!?」

「それとダンジョンに潜るなら押し込みPKにも注意しろ。オスカー・オルクスの大迷宮の様に番人を配置しているだけという可能性もあるが、何者かがダンジョンマスターとして此方を伺っている可能性も考慮するのだ」

「は、はっ! 申し訳ありませんでした!」

 

 直角に身体を曲げるナグモによいと答えながら、アインズはユエを見た。ユエは教師のお手本通りにやれた生徒の様に、少しだけ得意そうにアインズを見返していた。

 

(よしよし。きちんとぷにっと萌えさんが話していた事を実践出来ているな。もっと様々な事態を想定すべきだけど、そこはおいおい教えていくべきだな。しかし……うん、そうだな)

 

 アインズの中で一つの考えが浮かんだ。未知のダンジョンを前に決して油断すべきではないが、今後の為には必要だろう。

 

「ナグモ、ユエ、香織。このダンジョンはお前達が中心となって攻略してみろ」

「わ、私達がですか?」

「うむ。今後、各地にあるという大迷宮を攻略していく事を踏まえるなら、ダンジョン攻略のやり方などを学んでいくべきだろう。無論、危険になりそうな場合は私も口出ししていくが」

 

 これはNPC達を観察して分かった事だが、基本的にNPC達は製作された時点で与えられたスキル以上の事は出来ない。例えば料理のスキルを持たないNPCに調理をさせても、必ず失敗に終わった。

 ナグモはNPCから脱却した存在だが、やはり対応力にはまだまだ難があった。そもそもナザリックの外に出て冒険をするなど創造主(じゅーる)は予想だにしていない事だから当然と言えば当然だ。

 

(香織もユエもパーティー戦闘は様になってきたけど、ダンジョン攻略に関しては初心者(ルーキー)だからな。彼女達にも色々と学んで貰わないと)

 

 ギルドメンバー達と数々の冒険をこなしてきたアインズならば、未知の大迷宮にも完璧と言わずとも十分な対応を取れる自信はある。しかし、アインズの言う通りにやるだけではナグモ達はあまり成長しないだろう。言うなれば、習うより慣れよというわけだ。

 

「一先ずは先程言ったトラップ対策と情報収集対策から始めるのだ」

「……かしこまりました」

 

 ナグモは覚悟を決めた様に頷くと、<偽りの情報(フェイクカバー)>や<探知対策(カウンター・ディテクト)>などの情報収集対策の魔法を唱え始める。香織とユエもキュッと顔を引き締めながら、アインズが取り出した巻物(スクロール)で大迷宮の攻略に備えた。

 やがて、アインズが指定した対策魔法を全て使い終わり、ナグモは警戒しながら大迷宮の入り口を開けた。

 

 ヒュン、ヒュン、ヒュン!

 

 風切り音と共に無数の矢がナグモ達へ放たれる。即座にナグモは黒傘を、香織とユエは用意していた“聖絶”を発動させてこれを防いだ。

 

「やはり、か……」

 

 予想通りの展開にアインズはむしろ納得した様に頷く。同時に、ここが本物の大迷宮だという可能性は高まった。

 全ての矢を叩き落とした後、一行が先を進むと十メートル四方の部屋に出た。奥へと真っ直ぐに整備された通路が伸びており、そして部屋の中央にはある石版には入り口と同じ丸っこい女の子文字でとある言葉が彫られていた。

 

『ビビった? ねぇ、ビビっちゃった? チビってたりして、ニヤニヤ』

『それとも怪我した? もしかして誰か死んじゃった? ……ぶふっ』

 

 うわぁ……とアインズは軽く引く。わざわざ『ニヤニヤ』という部分や『ぶふっ』という部分を強調して書いているあたり、書いた人間の性格の悪さが滲み出ている様だ。

 

(なんというか……るし★ふぁーさんを思い出すな。あの人、PVP中でも煽りチャットを同時進行で送っていたしなぁ)

 

 この手の煽り文章などPVPで何度も受けたアインズにとっては挨拶のようなものだ。だが、ナグモ達にはそうでも無いらしい。いつもは無愛想な表情のナグモだが、この時ばかりは何を考えているかアインズにも理解できた。

 

「………何だろうな。この苛立つ様な、胸がムカムカする様な感情は」

「うん、私もちょっとイラッとしちゃったかな? かな?」

「気持ちは分かる。私も少しカチンときた」

 

 すなわち———「うぜぇ……」である。

 

『追伸:入り口を考え無しに開けようとしちゃった子は、可哀想だと思います………おつむが』

 

 ズガガガガガガガッ!

 

 神速の抜き撃ち(クイックドロウ)が黒傘シュラークから放たれる。ガンナーのクラスを得ているだけあって、回転式機関(ガトリング)砲を凌ぐ速度で行われた連射は正確無比かつ最速で石板を粉々に撃ち抜いた。

 

「………申し訳ありません。少しばかり、感情的になってしまいました」

「あー、うむ………まあ、煽りチャットは慣れてないととても苛立つからな。ところで、まだ何か書いてある様だぞ」

 

 アインズが指摘した先にナグモは目を向けた。石板があった部分の床、つまりは石板を砕くかどかすかしないと見えない所にも何か文字が彫られていた。

 

『ざんね~ん♪ この石板は一定時間経つと自動修復するよぉ~。プークスクス!!』

 

 ビキィ!! とナグモのコメカミに青筋が立ったのをアインズは見た。黒傘を持つ手がプルプルと震えるのを見て、アインズはこっそりと溜息を吐いた。

 

「………こりゃ一筋縄じゃいかなそうだな」

 

 ***

 

「アッハッハッハッ! あ〜、おっかし! あの程度でマジギレとか耐性無さ過ぎでしょ!」

 

 ライセン大迷宮の最深部。迷宮の主———ミレディ・ライセンは迷宮内を監視している映像を見ながら、腹を抱えて笑い転げていた。笑い過ぎて出てきた涙を拭おうとして———ゴーレムの身体には涙が流す機能がない事に気付いて、フッと寂しそうに笑った。

 

「ああ、本当に……何千年ぶりかな、こんなに笑えたの」

 

 遥かな昔———神エヒトに敗れ、次代に希望を託すと決めた時からミレディは人の身体を捨て、ゴーレムの身体に魂を移した。老いる事も朽ちる事もなく、食事も摂る必要のないこの身体はエヒト神に歯向かった異端者として地上を追われたミレディにとって都合は良かった。自分の代では無理だったが、きっと次の世代が解放者の意志を継いでくれる筈。その時まで、自分は生き続けて神代魔法を守るのだと。

 

 だが、ミレディの期待に反して次世代の解放者は現れなかった。

 

 ミレディ達にとって誤算だったのは、エヒト神がミレディの時代の文明を完全に消し去ってまで自分を信仰させる事に腐心した事だ。『()()()達のせいで滅茶苦茶に破壊された世界を救った偉大なるエヒト神』という演出をした為に、ミレディ達の名前は後世には全く伝わらなかった。直系の子孫ですら、僅かな口伝のみでミレディ達がやろうとした事の真意など伝わっていないだろう。

 

 そして————数千年に及ぶ孤独がミレディを待ち構えていた。

 

 最初の百年間はきっと来ると期待していた。

 次の三百年間はきっと自分の意志は後世に伝わっている筈だ、と自分に言い聞かせた。

 千年をこえ、もう止めようかと諦観してきた。自分達はどうしようもなく敗北したのだ。もうトータスの人々はエヒトの玩具として生き続ける運命なのだ、と。

 

(……そんな、の……そんなの、出来るわけが無いじゃん! オーくん、ナッちゃん、メル姉、ヴァンちゃん……それにルースくんも、ユンファちゃんも! 皆の……皆の想いを無かった事にするなんて、絶対にしたくないっ!)

 

 もはやそれは、執念と呼ぶべき感情だった。かつての解放者達……そして、自分達を支えた組織のメンバー達の顔を———その末路を思い出す度に、ミレディの中で憎悪が燃え上がった。

 

(生きてやる……! あのクソ神が死ぬ、その日まで……絶対に生きてやる……!)

 

 自分の友人を、そして家族に等しい皆を引き裂いた天上の神に尽きる事の無い憎悪を燃やして、ミレディは数千年に及ぶ孤独に耐えた。

 

(もう相手が悪魔だって、構わない……! アイツを殺してくれるなら、私はなんだってやってやる……!)

 

 もはや、手段と目的が乖離しつつある事はミレディ自身も自覚はしていた。だが神によって無惨な末路を辿った仲間達と数千年の孤独は、かつて自由な意志で人が暮らせる世界を目指した解放者のリーダーの志を変質させつつあった。

 

「ねえ……期待させてよ」

 

 迷宮の中を進む四人組を見ながら、ミレディは呟く。

 それは敬虔な祈りにも、光に縋りつこうとする亡者の呟きにも似ていた。

 

「私達がやってきた事は無駄じゃなかった……私達が残した物は、キチンと形として残るんだ、って」




>ナグモ

 こういう奴って、意外と煽り耐性が低い気がする。それこそねらーになったら、ムキになってアンチを論破しようとするタイプ。

>ミレディ

仲間達の遺志を無にしたくない、仲間達をバラバラに引き裂いたエヒトが憎い、で数千年生き続けてしまった子。ドキュンサーガのマオみたいな感じかも。
もしかしたら、ここで終わらせるのが彼女にとって救いかもしれない。


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第六十七話「炎のチャレンジャー! イライラ大迷宮!」

 仕事で少し嫌な事があって、少し執筆から離れていました。また自分が書いた物語を読んでくれる人がいるなら幸いです。


 カチッと床のスイッチが踏まれた。それに連動して天井が開いて大鎌が振り子の様に向かってくる。人間を一刀両断する凶器が風を唸らせながらナグモに向かい———。

 

「………」

 

 ナグモは黒傘で大鎌を殴り飛ばしてバラバラに砕く。しかし大鎌を砕いた直後、今度は壁から巨大な丸鋸が飛び出した。丸鋸は回転しながらナグモ達を両断せんと迫り———。

 

「せりゃあああっ!」

 

 香織が拳と蹴りを丸鋸へ繰り出す。香織の連撃は丸鋸の回転力に優り、丸鋸は大鎌と同じ様に砕けて誰も切断出来ずに終わった。

 

「ナグモくん、大丈夫?」

「ああ。香織のお陰で何も問題は———」

 

 無い、と続けようとしたナグモだが、頭上でパカッと何かが開く音がした。大量の水がナグモの頭に降り注ぐ。

 

「……………」

 

 ポタポタ、と水滴を垂らしながらナグモは前方を見た。そこにはちょうどトラップを抜け出た先となる場所に合わせて、文字が彫刻されたプレートがあった。

 

『お疲れちゃ〜ん! このお水はミレディちゃんからのサービスだよ♪ 頭も冷えてちょうど良いでしょ? キャハハ❤︎』

 

 ビキ、ビキッ!ナグモの額に青筋が浮かぶ。

 

「ナ、ナグモくん……大丈夫?」

「ああ、大丈夫だとも。ただの水だ」

「その……怒ってない?」

「この程度でキレるものか。僕をキレさせたら大したものだ」

「あ、あはは……どこかで聞いた台詞だね……」

 

 眉間に盛大な皺を作っているナグモに、香織は引き攣った笑顔になるしかなかった。

 ライセン大迷宮はオルクス迷宮と違って人工的な迷宮だった。石造りの通路に階段や道が四方八方にあり、行き止まりや一度来た通路に繋がっている道もある。オルクス迷宮と違って魔物の類いは今のところは確認できていない。だが———。

 

「本当に……本っ当に、作った人間の程度が知れる」

 

 香織から渡されたハンカチで身体を拭きながらナグモは努めて平坦な声を出していた。ただしその口元はかなりひくついていた。

 

「ふうむ。解放者の遺した迷宮と言っても、オルクス迷宮とはかなり違いがあるな」

「ん。それにこの魔法分解作用……地上より強くて私には厄介、です」

 

 ナグモ達の後ろでアインズとユエは頷き合う。ライセン峡谷には魔法分解作用が働いていたが、迷宮内ではさらに強く、ユエは得意の魔法の威力が文字通り半減していた。その為、ユエはナグモと香織に前衛を任せて地図を作りながらマッピングしていた。

 

(まあ、分解されるより先に魔力を込め続ければ問題ないけど、それでも魔力の消費がいつもより大きいからMPの節約はしないとな。それにしても、改めて見るとこのダンジョン……)

 

 アインズは思うところがあって考え込んでいると、その視線に気付いたナグモはアインズへ頭を下げた。彼の顔は羞恥に染まっていた。

 

「申し訳ありません! 先程から守護者にあるまじき失態を……この雪辱は必ず果たしてみせます!」

「ナグモくんだけのせいじゃないよ! アインズ様、私の未熟さでお時間をかけてしまって申し訳ありません! でも、どうかナグモくんだけを責めないで下さい!」

「よい。許そう、ナグモ。そして香織よ」

 

 二人揃って謝罪する姿に、アインズはいつもの様に鷹揚な支配者らしく応じる。

 

「お前達が失敗から学び、それを経験として学習すること。それこそが大きな意味がある。だからこそあえて本来の力を封じて迷宮を探索させているのだ」

「アインズ様……ありがとうございます!」

 

 うむ、と頷きながらもアインズは別の事を考えていた。

 

(まあ、欲を言えばアウラあたりを連れて来れば良かったかも……)

 

 ライセン迷宮の至る所に仕掛けられたトラップは全て物理的な物で、迷宮内の魔法分解作用も働いてナグモのマジックアイテムの片眼鏡や感知系の魔法では全ては発見し辛い。ここに高レベルのレンジャー職であるアウラがいれば、探索はかなりスムーズに行えただろう。

 

「あの……アインズ様」

 

 香織が教師に質問する様に恐る恐る手を上げた。

 

「差し出がましいかもしれませんけど、ナグモくんのロボット達を召喚するとか、私が分身を出して人海戦術で迷宮を探索させた方が捗るんじゃないでしょうか?」

「ふむ。それも一つの手段ではあるが……だが、恐らくこの迷宮のコンセプトから外れてしまう可能性が高いと私は見ている」

「迷宮のコンセプト、ですか……?」

「ナグモ。真のオルクス迷宮の正規の入口には警告文があったそうだな?」

「はっ。“六つの証、全てを示せ。さすれば最後の試練への道は開かれる”。と書かれた碑文が、表層の100階層目に設置されていました」

「つまり、解放者の遺した迷宮とは各々が考え出した試練を授ける場だと私は推測している。順番的にはオルクス迷宮が全ての迷宮を突破した後に行くべき場所だったのかもしれんが……思えば、オルクス迷宮の多彩な環境とモンスターは神代魔法を手に入れた人間達を鍛える意味合いもあったのだろう。ならば、このライセン大迷宮も創作者の試練という意味合いが込められていると私は見ている」

「じゃあ、この迷宮の試練って……?」

「強力な魔法分解作用、そして物理トラップの数々……さしずめ、“魔法使用に制限のある状況で対応力を上げる"といったところではないか?」

 

 ゲーマーとしての経験。そしてナザリック地下大墳墓という巨大ダンジョンの創作者の一人として、アインズは自分の考えを披露した。

 

(まあ、魔法使用不可の縛りプレイで戦え、とかダンジョンとしては珍しくは無いからな……)

 

 そんな風に考えていたアインズだが、香織の反応は劇的だった。キラキラとした目でアインズを見ていた。

 

「すごいです……私、そんな事を全く思いつかなくて……さすがはアインズ様です!」

「う、む? まあ、あくまでこれは私の考えだ。実際は違っているかもしれんぞ?」

「いえ! アインズ様の御推察された通りだと思います! アインズ様の御考えに間違いなんてありません!」

「お、おぅ………」

 

 尊敬の眼差しで見てくる香織にアインズは居心地が悪くなってくる。

 

(やめてー! 予想が外れた時にどんな顔すれば良いか分からなくなるから、そんなキラキラした目で見ないでー!)

 

 香織といい、フェアベルゲンの亜人族達といい、どうしてナザリックで生み出されたわけではない彼等までアインズを崇拝しているのだろうか? 中身は廃課金ゲーマーなただのサラリーマンなのに……とアインズは現実逃避気味に考えた。

 

「……まあ、絶対かは置いておくとして。私もアインズ様の御意見を支持します」

 

 香織のやり取りをジッと見ていたユエは少しだけ何かを言いたそうにしながらも静かに頷く。

 

「この迷宮は明らかに魔力に頼る者に制限をかける構成。試練というのが、魔法に頼らない状況での対応力なのは間違いない、です」

「う、うむ。そうか……とにかく、だ。決定的に行き詰まるまでは、しばらくは迷宮のコンセプトに沿って攻略をしてみるのだ」

「かしこまりました! アインズ様!」

 

 ナグモの威勢の良い返事に、とりあえずこれで良しとアインズは心の中で頷いた。

 

(まあ、所々出る煽り文はともかくとして、レベル100以上のナグモと香織が本気でやったらただの力押しでクリアしちゃいそうだからな。簡単に成功するよりも失敗を重ねながらの方が、得るものが多い筈だ。それにしても縛りプレイでダンジョン攻略かあ……状況が違うけど、ペロロンチーノさんの誕生日にやった蓮レチックダンジョンを思い出すなあ。あの時もちょうど四人だったし)

 

 ***

 

 さて———そんな風に仲間達の思い出に浸りながらナグモ達にダンジョン攻略を任せていたアインズだったが。

 

 カチッ。

 

「ご、ごめんなさい!」

「安心しろ、香織。ふん、毒矢か。このくらい撃ち落として……」

 

バシャ!

 

『ミレディちゃんから再びお水のサービス! お礼なんていいよ〜、好きにやってる事だからさ♪ ……ぶふぉっ!』

 

 ……ピキ、ピキ。

 

 カチッ。

 

「……ふん。スロープで滑った先に麻痺毒の蠍を敷き詰めた様だが、この程度で引っ掛かるわけ———」

 

 バシャ!

 

『はーい♪ 水で滑りを良くしてあげたよ〜。スプラッシュなコースターを楽しんで♪ もしかしたらかける場所を間違えたかもだけど……プギャー!』

 

 ピキ、ピキ!

 

「ええい、なんであそこでトラップを踏む!」

「不可抗力。あなたや香織も引っ掛かってる」

「ううむ、一本道に鉄球が転がって来るとはまたベタな……」

「お下がり下さい、アインズ様! この程度の鉄球など粉砕して」

 

 バシャ!

 

『じゃじゃ〜ん! 実はこれ、鉄球並みに硬度を上げた水風船でした! ビビった? ねえ、ビビった? だ、駄目だ。笑うな……しかし……!』

 

 ビキッビキッ!

 

 致死性のトラップは回避したり、事前に避けたりしているのだが、そこへ図った様に水が掛けられ、ナグモの額の青筋が増えていく。しかもその先で見つかる煽り文がまた的確で、最初は煽り文を見つける度に苦笑を浮かべていた香織も、今や他の人が見れば恐れを抱くほどの物凄く良い笑顔を浮かべている。

 

「あー、何だ……致死トラップは解除できてるし、この程度の事でイライラしなくて良いぞ……?」

「御安心を。この程度の事でキレていません……ええ、キレていませんとも」

 

 いや、どう見てもキレてるって。

 無表情を装いながらギリギリと歯軋りが聞こえてきそうな声音のナグモに、アインズはどうにかその言葉を呑み込んだ。

 

(なんというか……このダンジョンは試練とか関係なしに、相手をおちょくるのが目的になってないか?)

 

 このダンジョンを遺したミレディ・ライセンへの評価を微妙に改めつつも、アインズは先程から気になりだした事を考えた。

 

(それにしても、さっきからナグモに集中攻撃する様に水を掛けられてるよな。これって、もしかして……)

 

「アインズ様、今来た通路が……」

 

 ユエが示した先を見ると、アインズ達が通った道に天井から壁が降りてシャッターの様に閉められた。

 

「む? 後戻り出来なくなったか。こんな事は初めてだな……」

 

 そう言いつつも、この展開になんとなくイヤな予感を覚えるアインズ。この手のトラップだらけのダンジョンで、ユグドラシルならある種のお約束展開があった。アインズが閉まってしまった通路から振り返ると、そこには見覚えのある部屋で固まっているナグモと香織の姿があった。

 

『ねえ、どんな気持ち?』

 

 これまた見覚えのある石碑の足下に文字が浮かび上がる。

 

『苦労して進んだのに、行き着いた先がスタート地点と知った時って、どんな気持ち? ねぇ、ねぇ、どんな気持ち? どんな気持ちなの? ねぇ、ねぇ』

 

 熊的なナマモノが周りをグルグル回る姿をアインズが幻視する中、文字が次々と浮かび上がる。

 

『あっ、言い忘れてたけど、この迷宮は一定時間ごとに変化します。いつでも、新鮮な気持ちで迷宮を楽しんでもらおうというミレディちゃんの心遣いです。嬉しい? 嬉しいよね? お礼なんていいよぉ! 好きでやってるだけだからぁ! ちなみに、常に変化するのでマッピングは無駄です。ひょっとして作っちゃった? 苦労しちゃった? 残念! プギャァー!!』

 

 ドゴオオオォォォォッ!!

 

 ナグモの黒傘シュラークによる砲撃と、香織の“聖爆”の魔法が同時に放たれる。レベル100以上の二人の一撃は、石碑ごと地面を抉り取った。

 

「…………上等だっ……!」

「うふ、うふふふふ……!」

 

 率先して前に出てトラップを解除していた二人の身体が細かく震える。ナグモは能面の様な無表情に青筋を立たせ、香織は背後に般若が見えそうな不気味な笑い声を出していた。

 

「アインズ様」

「な、なんだ?」

「申し訳ありません。少し……僕のやり方でこのクズ、ではなく無礼者が造ったダンジョンを攻略してしまって構わないでしょうか?」

「う、うむ。まあ、許そう」

「手伝うよ、ナグモくん。私の魔力も分けるからね」

 

 二人の覇気に気圧されて、アインズは首を縦に振るしかなかった。マッピングしていた地図を仕舞いながらユエは溜息を吐いた。

 

「……ある意味、対応力の訓練にはなったと思います」

「ああ。そうだといいな………うん」

 

 ***

 

「あひゃひゃひゃひゃっ! あのローブの子、マジ最高っ! いやー、私も苦労して作った甲斐があったよ!」

 

 ヒー、ヒー! と笑い転げながら、ミレディ・ゴーレムは自分の予想以上のリアクションをしてくれるナグモに感謝の念を送った。先程から遠隔操作でナグモに放水トラップのターゲットを絞ってよかった。

 

「それにしても傘を武器にするなんて、オーくんのフォロワーかなあ? ひょっとしてオーくんの子孫とか?」

 

 それだったら、どんなに嬉しい事か。もはや自分達の痕跡など残っていない筈の地上に、仲間達の遺した種があったのだとしたら四千年の孤独すら些細な事に思えてくれる。

 

「まあ……それは無いだろうけどね。オーくん、最後は自分の迷宮内でエヒトの正体を暴いてみせると言ってたしね」

 

 果たして、その研究が実ったかどうかミレディには確かめる事は出来なかった。だが、未だに地上はエヒトが神として君臨しているという事は———つまり、そういう事なのだろう。

 

「もしもオーくんの子孫だったとしても、手は抜かないよ。あのクソヤロー(エヒト)を殺すなら、この程度じゃ———え?」

 

 唐突にダンジョン内を映していた映像が消えて、ミレディは驚きの声を上げた。

 

「一体、何が……まさか故障? こんな時に……っ!?」

 

 頭を捻っていたミレディだが、次の瞬間に迷宮内を管理している魔法道具から響いたアラームに無くなった背筋を震わせた。

 見れば、自分の迷宮が次々と破壊されている。それも入口から一直線に、だ。

 

「な、何これ!? ちょっと待ってよ! ここ、クソヤローに対抗するシェルターも兼ねてるから強度に結構自信あったんだけど!?」

 

 それこそ“真の神の使徒”が万単位で攻めて来ようが、籠城に徹すれば凌ぎ切れる自信はある。だが、現に何者かが迷宮内の壁を破壊しながら一直線に進んでいる。その進行先には———!

 

「っ……!」

 

 それを理解した瞬間のミレディの行動は早かった。直ちに迷宮内のコントロールルームだった自室を離れ、最終試練の部屋に向かう。その決断の早さはかつて神に対抗した解放者のリーダーだけの事はあった。

 宙にいくつもの立方体の足場が浮かぶ部屋———そこの番人であり、かつて神に対抗する為に作り上げた見上げる様な巨大な鎧騎士の内部にミレディは搭乗する。

 

(本来なら安全な場所から操って巨大ゴーレムを戦わせる予定だったけど、侵入者は私の本体を目指して来ている———! それなら……ここで迎え撃つ!)

 

 ミレディが巨大ゴーレムと完全に同調し、迎撃準備を整えると同時に最終試練の部屋の天井に罅が入った。見上げると、地響きと共に巨大なドリルの先端が部屋を突き破ってきた。

 

「見つけたぞ……この、ド低脳……!」

 

 巨大な掘削ドリルがついた機械———地底戦車のコックピットで、ナグモは歯を剥き出しにしながら鎧騎士ミレディを睨み付けた。

 

 




>蓮レチックダンジョン

詳しくは「オーバーロード 不死者のOh! 第九巻」を読んで下さい。お嬢様になった至高の御方達が見れます!(笑)

>地底戦車

サンダーなバードの2号のアレとか、ウルトラなセブンのアレなのかは読者の想像に任せます。好きなやつを思い浮かべてください。(というか自分が真っ先に思い付いたのはアンパ●マンのもぐりん……)
最近、シン・ウルトラマンを観てドリルとかの良さに目覚めました(笑)


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第六十八話「幾千の時に意義ありや?」

 仕事でうまくいかない事があって、執筆モチベーションが大分下がっていました。いつもより短めです。なんというか、ストレスがあると趣味に時間を費やしていても没頭出来なくなるものなんですね。もしかしたら、諸事情で次回の更新が空くかもしれませんが、ご了承下さい。


「見つけたぞ……このド低脳……!」

 

 地底戦車———ペルシダーが掘り当てた部屋にナグモは降り立つ。同時にコックピットからアインズ達も降りてきた。

 

(うわぁ……ダンジョンを掘削するとか、マジでアリなのか。ユグドラシルだったら真剣にクレームものだよな、これ)

 

 ユグドラシルではゲームの仕様上出来なかった解決法を実践されて、アインズは軽くドン引きする。フレンドリーファイアが解禁になったのはアインズも知っていたが、こんなやり方が認められるとは思わなかった。

 

(システム・アリアドネやダンジョン製作規定に引っ掛かると思ったけど、資産金の目減りの様なペナルティは今のところ無し。ユグドラシルのルールが適用されるのはナザリックの中だけなのか、あるいはどこまでトータスで適用されるのか調べたいけども……一先ずは)

 

 アインズは目の前の巨大な鎧騎士に意識を向ける。体長は20メートルはあるだろうか。ヒートナックルの様に赤熱化した右手の鉄球に、体長に合わせた冗談の様に巨大な棘付き鉄球(モーニングスター)

 

「まさかこういう方法で来るとは思わなかったな〜」

 

 巨大ゴーレムが外見に似合わない可愛らしい少女の声を出した。

 

「まあ、とりあえず……やほ〜、はじめまして! 私は———」

「解放者ミレディ・ライセンだな」

 

 アインズの一言で巨大ゴーレム———ミレディの動きが止まった。

 

「………何の事かな? 超絶天才美少女のミレディちゃんなんて、私は知らないなぁ」

「惚けるつもりか? いや、警戒するのは確かだろう。だが、私はある程度の確信を持ってお前がミレディ・ライセン本人だと考えている」

 

 スゥと巨大ゴーレムの眼光が細まる。

 

「ここは解放者だったミレディ・ライセンが遺した大迷宮。入り口のプレートから察するに、私達以外に今まで来訪者はいなかったのだろう。となればお前は、元からこの大迷宮に存在した者だ」

 

 加えて、とアインズは続ける。

 

「道中、ナグモに集中させていたトラップは明らかにこちらを伺いながら遠隔操作されたもの。この地に古くから住み、迷宮のトラップを全て把握している者など大迷宮の製作者であるミレディ・ライセン以外に有り得んよ」

 

 アインズがそう締め括るのをミレディは黙って聞いていた。下手な反論は許さず、威厳をもって示された考察はまさに王者の宣言の様だった。

 

(こいつ………何者?)

 

 冒険者にしては高価そうな漆黒の全身鎧の戦士に、ミレディは内心で疑念を抱いた。

 

(迷宮内でこいつはほとんど何もしていなかったけど、トラップに動じる様子はほとんど無かった。少し慌てたと思ったら、すぐに冷静に対処してたし……こいつがこの集団のリーダーなのは間違いない。ローブの子達に任せていたのは彼等を鍛える為? いや、まさか………)

 

 自分で言うのもなんだが、この大迷宮は狂った神に対抗する力を身に付ける為に難易度はかなり高めに作っている。そんな一歩間違えれば死ぬ様なダンジョンで、若輩への鍛錬の為に攻略を任せるなど普通の人間がするだろうか?

 

(どうやら私は……予想以上の相手を迷宮に入れちゃったみたい)

 

 ミレディの中で漆黒の戦士への警戒を最大限に上げる。それでも待ち望んでいた迷宮への来訪者にミレディは戯けながら挨拶した。

 

「ん〜、バレちゃったらしょうがないなぁ。そだよ〜、私が天才美少女魔法使いミレディ・ライセン。よろしく!」

「ミレディ・ライセンは人間だとオスカー・オルクスの手記にはあったが……」

「……驚いたよ。オーくんの手記を見たという事はオーくんの迷宮の攻略者かな? という事は、私達の事情は知っているよね?」

 

 巨大ミレディ・ゴーレムの眼がギラリと光る。その眼はドロリと澱んだ光を放っていた。絶望で黒々とした闇が渦巻き、それが妖しげな光となった様な眼でミレディはアインズ達を見た。

 

「……ねえ。あんた達は、あのクソ神を殺してくれるんだよね?」

「その前に質問に答えて貰おう。そのゴーレムの身体、それは神代魔法に因るものか?」

「お察しの通り、この身体は神代魔法だよ。それで私は人間の身体からゴーレムの身体に魂を移したんだけどね」

「ほう?」

 

 アインズはナグモをチラッと見る。ナグモはマジックアイテムの片眼鏡でミレディを見ながら頷いた。

 

「……確かに。このゴーレムには人間の魂が宿っています。ハーフゴーレムなどの異形種に転生したわけではない様です」

「なんと……人間の魂のままゴーレムの身体になったという事か?」

「ええ。興味深い事例です」

 

 スッとナグモは香織に視線を向けた。香織は急に視線を向けられた事に疑問符を浮かべたが、ナグモは既にミレディへと視線を戻していた。

 

「……本当に興味深い。是非とも、この人間に詳しい話を聞くべきです」

「ふむ、確かにな」

「ちょっと〜、こっちの質問にも答えてよ。それでエヒトを殺してくれるの? そうじゃないの? どっち?」

「……その前に、私も正体を明かすとしよう」

 

 焦れた様に聞いてくるミレディへ、アインズは静かに頷いた。そして鎧を解除する。現れた骸骨の姿にミレディ・ゴーレムから驚いた気配が伝わった。

 

「アンデッド……!」

「その通り。初めまして、解放者ミレディ・ライセン。私の名はアインズ・ウール・ゴウン。死の支配者(オーバーロード)という種族だが、聞き覚えはあるか?」

「……いや、無いよ。驚いたよ、何千年の時を待っていたけど初めて大迷宮に来たお客さんが魔物とはね」

「そうか」

 

 少しだけアインズは残念に思う。何千年前からいるミレディもアインズの様なアンデッドを知らなかった。トータスではユグドラシルの情報は全く見つからないのかもしれない。

 

(あわよくばギルメン達の情報を掴めるかと思ったけど、都合良くは行かないか)

 

 気を取り直してアインズはミレディへ語りかける。

 

「さて、先程の問いだが一応はイエスだ。私にとってもエヒトルジュエは非常に邪魔な存在だ。かの神の息の根を止めるのは、私の望む平穏を手に入れるのに必要不可欠だと考えている」

 

 アインズが望むのはナザリックの平穏だ。仲間達が遺した愛すべきNPC(子供)達。命を得て自我をもって動き出した彼等の為にも、トータスの全てを玩弄しているエヒトルジュエは真っ先に殺すべき存在だ。

 

「その為に私はいま神代魔法を求める旅をしている。各地の大迷宮を巡るつもりでいるが……エヒトルジュエに敵対した解放者の生き残りがいるなら話は早い」

 

 スッと骨の手をミレディへと差し出す。

 

「解放者ミレディ・ライセン。私に協力しないか? 私と共に狂った神を討ち取り、あらゆる者が平穏に暮らせる世を作り上げてみないか?」

 

 この場合のあらゆる者とは、ナザリックの異形種達を指しているのだがアインズはわざわざ口に出さない。一番大事なのはナザリックのNPC達の幸福であって、他の者は二の次だ。とはいえ、ナグモみたいに外の人間を好きになるNPCもいるかもしれないから、人間達を虐げようとは考えてもないが。

 

(エヒトに対して、俺は無知だ。戦う前に情報収集するのはPKの基本中の基本だ。だから、ミレディは是が非でも仲間に引き入れたい。エヒトと戦った唯一の生き証人なんだ)

 

 最悪、洗脳をしてでもエヒトの情報を引き出そうとアインズが内心で画策する中、ミレディ・ゴーレムは巨大な兜の奥の眼光を瞬かせながら呟き出した。

 

「……驚いた。いや、ホントに驚いた。あんた、本当に魔物? アンデッドが世界平和を目指しているとか、とうとう私は幻覚を見だしたのかな? と思い始めているんだけど?」

「人間にも良い人間もいれば、悪い人間もいるだろう。私は生者に対して友好的なアンデッドというだけだ。それを言ったらエヒトルジュエも人間達の神を自称しているのに、やっている事は邪神そのものだろう」

「おおう、一本取られちゃったぜ。ミレディちゃん、大ショック!」

 

 バンと外国人ばりのオーバーアクションでミレディ・ゴーレムは自分の額を叩く。そしてチラッとアインズが連れている少年少女を見た。

 

「ええと、私は元々は人間だったけど、アンデッドになっちゃって……ナグモくんやアインズ様のお陰で救われました」

「ん……私は吸血鬼の一族。アインズ様によって救われてから、その御恩を返す為にアインズ様に仕えている」

「……人間だ。もっとも、有象無象の低脳共と一緒にして貰いたくないがな」

 

 「へえ、そう」とミレディは頷く。彼等の目を見れば分かる。種族もバラバラな彼等は心からアインズ・ウール・ゴウンと名乗るアンデッドを慕っているのだ。

 

「ん〜、そっか、そっか。なるほど……アインズ・ウール・ゴウンさんだっけ? あんたの話に嘘は無いみたいだね」

「理解して貰えたか? ならば———」

「しか〜し!」

 

 ビシィッ! とミレディは巨大ゴーレムの指を突きつける。先程から思うが、ゴーレムの割にはなんとも人間臭くワキワキと動くものだとアインズは考えていた。

 

「ここでよっしゃ! じゃあ無条件で私の神代魔法をあげます! とはならないのだよアインズ君!」

「アインズ君……」

 

 後ろでナグモが「無礼者が……」と呟いていたが、アインズはフレンドリーな呼び方にある種の懐かしさを覚えていた。

 ふと、それまで騒がしいほどに戯けていたミレディの動きが止まる。先程の様なドロリと澱んだ目でアインズ達を見た。

 

「……私はあのクソ神に敗れてから、何千年も……ずっと、ずっと待っていたんだよ。いつかきっと、あのヤローを殺してくれる奴が現れるって。オーくん達の顔が思い出せなくなっても、保存の魔法が切れて思い出の品も風化して無くなっちゃっても、ずっと、ずっと」

 

 ブンッとミレディは巨大ゴーレムを操って巨大なモーニングスターを振り回す。

 

「だから……ねえ、証明してよ。エヒトを殺せるくらい強いって事を。私が何千年も待っていた価値はあったんだって」

 

 切なる願いすら感じる声で、ミレディは語りかける。

 

「私達がやってきた事は———私達が遺してきたものは、ちゃんと形になったんだって」

 

 その言葉はアインズの心を大きく動かした。自分だって、“アインズ・ウール・ゴウン”の仲間が遺したものをずっと遺していきたい。

 この瞬間、アインズにはミレディの気持ちが痛いほどに分かった。好感度がグンと上がった気がする。

 そして同時に理解した。ミレディは試したいのだ。自分がずっと大切に守ってきた神代魔法を担える相手なのか———そして、かつての仲間達と目指した神殺し(目標)を託せる相手か否か。

 

「……良いだろう」

 

 アインズは静かに頷いた。

 

「ミレディ・ライセン。お前に対戦(PVP)を申し込む。私が勝ったら、私のものになれ」

「……いいよ。アインズ君の足にキスでも何でもしてあげちゃう。だから、期待外れだったとガッカリさせないでね?」

「ははは。そちらこそ、エヒトについて何も知らなかったというオチは止めてくれよ?」

「……よし、ならば戦争だ! 見事、この私を打ち破って、神代魔法を手にするがいい!」

 

 独特のハイテンションにアインズは苦笑しながら、ナグモ達に振り向いた。

 

「お前達、全力でやれ。ただし、殺すな。長き時を待ち続けたかつての解放者に敬意を表して、ナザリックの威を示すのだ!」

「御意に!」

「はい!」

「んっ!」

 

 三者三様に承伏の声が上がる。

 そして、ライセン大迷宮の最深部にて解放者の一人であるミレディ・ライセンとの戦いが始まった……。

 

 

 

 

 

 

 



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第六十九話「VSミレディ」

書きたい内容がどっちらけになってんなー……。なんというか、思いつくままに文章している感じです。


「せえ、の!」

 

 香織は腕を大きく振りかぶり、ミレディ・ゴーレムへと殴り掛かった。

 

「おおっと!」

 

 ミレディ・ゴーレムのモーニングスターが動く。明らかに重力や慣性を無視した動きで鉄球が動き、香織の白銀の拳とぶつかり合う。

 ドオンッ! と衝撃音が辺りに響く。衝撃波を撒き散らしながら二人は蹈鞴を踏んだ。

 

「硬ったあっ……!」

「そりゃこっちの台詞だよ! 予想以上のゴリラさんでミレディちゃんもドン引きなんだけど!?」

 

 「しっか〜し!」とミレディ・ゴーレムは余裕そうな態度を崩さない。

 

「このくらいで天才魔法少女ミレディちゃんは倒れたりしないのだ! オーくんとの愛の結晶であるギガント・ミレディちゃん・スペシャルの力を知れぃ!」

「ふん、その程度のゴーレムで威張るな」

 

 香織が攻撃した隙にナグモがミレディ・ゴーレムの腕に飛び乗った。黒傘シュラークを突き立てる。

 

「“錬成"……っ!」

「無駄無駄無駄ァ!」

 

 バチィッ! と放電しただけで不発に終わった魔法にナグモが眉を顰める中、ミレディ・ゴーレムは腕を振り回してナグモを振り払う。ストン、と地面に着地しながらナグモは呟く。

 

「魔法耐性ありか……」

「そうだよ〜。加えてここはライセン大峡谷の深淵。魔力分散が一番強い場所だから魔法は効かないのだ〜!」

 

 ただし、とミレディはパチンと指を鳴らす。

 

「私は別だけどね♪」

 

 ナグモ達の背後やミレディの周りに甲冑のゴーレムが次々と現れる。さすがにミレディ・ゴーレムほどの大きさは無いが、それでも体長は二メートル以上はあり、数が多い。

 

「途中をすっ飛ばしてくれたからゴーレム達のストックに余裕があるんだよね〜。やっぱズルは駄目だよ、オーくん二世♪」

「あの程度の人間と一緒にするな」

「ん? じゃあオーくんの熱心なフォロワーさん? そう言ってる割には黒傘まで持ち出しちゃって。駄目だよ〜、あんな陰険メガネの真似をしたらロクな大人にならないゾ!」

「………」

 

 イラッとナグモが眉間に皺を寄せながら目を細める中、ミレディは両手を広げて得意げな雰囲気になる。

 

「これが私の神代魔法(チカラ)。空飛ぶゴーレムは見た事ある? これらが一気に襲い掛かるワケ。どう? ビビった———」

 

 直後。レーザーが甲冑ゴーレム達を貫いた。宙に浮いていた甲冑ゴーレム達はバラバラになって地面へ落ちていく。

 

「宙に浮いてるだけなら、ただの的」

 

 機械鎧の籠手からエネルギー刃を飛ばしながら、ユエは呟く。

 

「あと……空飛ぶ機械人形(ゴーレム)なんて、第四階層(訓練場)で飽きるぐらい見ている」

「おおう、こっちが話してる最中なのに容赦ないなあ。というか魔法は使えない筈だけど……秘密はその武器にありかな?」

 

 ミレディにとってユエが使っている機械鎧の籠手は見た事もない武器の筈だ。しかし、解放者としてエヒト神に挑み続けたミレディの戦闘経験は非常に豊富であり、この程度の事態で狼狽えたりはしない。

 

「香織、心臓の位置だ。そこにこいつの核がある。そこを狙え」

「任せて!」

 

 ナグモと香織が散開し、ミレディへと再度襲い掛かる。だが、ミレディはモーニングスターを巧みに操って香織を弾き飛ばした。

 

「あれれ〜? 知らないのかな、ゴーレムは幾らでも再生できるよ」

 

 香織が弾き飛ばされた先に待ち構える様に再生した甲冑ゴーレム達が剣を振り上げた。

 ヒュン、とレーザー光が甲冑ゴーレム達を射抜く。

 

「それぐらい予想の範囲内。驚きもしない」

「ありがとう、ユエ!」

 

 香織は再び走り出し、ミレディ・ゴーレムへと向かう。ダンッと地面が砕ける程に踏み締めながら砲弾の様に飛び出した。

 

「おおっと、させないよ!」

「それは……こっちの台詞だ!」

 

 香織へ向かったモーニングスターの鉄球をナグモは黒傘を叩きつけて軌道を変えさせる。その隙に香織がミレディの拳を思い切り殴り付けると、ついにミレディの拳が砕けた。

 

「うえぇ!? ゴーレムを素手で砕くとかマジ? でも残ね〜ん!」

 

 一瞬、驚いた声を上げたミレディだが、砕けた拳付近にあった足場を引き寄せるとミレディ・ゴーレムの拳が再生した。

 

「ご覧の通り、私も再生可能なのだ。というか君、アンデッドとか言ってたけどゴリラのアンデッドちゃん?」

「ゴ、ゴリラ!? 違いますっ! ナグモくんのアンデッドですっ!」

「いや、そういう事を聞いてるんじゃなくて。というかそこのオー君二世。陰険に加えて死体愛好家(ネクロフィリア)とか拗らせ過ぎじゃない?」

「やかましいぞ! 人を性的倒錯者(シャルティア)みたいに言うな! ……っ!」

 

 ナグモが怒鳴る中、宙に浮いていた足場の一つがナグモに向かって隕石の様に落ちてきた。

 

「ナグモくん!」

「おおっと、彼氏の心配してて良いのかな?」

 

 香織が思わずナグモの方を振り向いた隙をミレディは見逃さなかった。横から飛ばした足場が香織を吹き飛ばし、香織はナグモの所まで飛ばされた。

 

「あ痛〜……感覚無いけど。ナグモくん、大丈夫!?」

「こっちは平気だ。そして読めたぞ……奴の神代魔法は重力に関するものか」

 

 瓦礫の土埃を払いながら、ナグモは考察する。宙を浮くゴーレムや足場、浮いたかと思ったら落ちてきた足場。そしてさっきのまるで横から落ちて来たかのような足場。これらからナグモはミレディの神代魔法の正体を見抜いた。

 

「加えてあのゴーレム……アザンチウム製だが、精錬を重ねて()()()()の硬度となっている。しかも重力を操って重装甲による動きの阻害を克服した様だな」

「えっへん! もっと褒めてくれ給えよ!」

 

 むふー、と胸を張るミレディ・ゴーレムにイラッとしながらもナグモは評価を下す。

 

「ああ、認めてやろう。今の僕達にとって()()()()厄介だな」

「ぶう〜、こっちが押せ押せな状態なのにすんごい偉そう」

 

 ところでさあ、とミレディはナグモ達から視線を切る。

 

「アインズ君はさっきから高みの見物かな?」

「貴様、アインズ様に無礼な」

「いや、良い」

 

 ナグモ達の戦闘を見ていたアインズは冒険者モモンとして装備しているグレートソードを両手に持ったまま答える。

 

「すまないな、ミレディ。この戦闘はナグモ達の連携を確認するテストでもあった。だから今まで手出しは控えさせて貰った」

「……その様子だと、全く本気出してないみたいだね?」

「ほう? 分かるか」

「うん。だってなんだかんだで、そこのゴリラちゃんも彼氏君もノーダメージじゃん」

 

 だからゴリラじゃないってば〜! と抗議する香織を横目にミレディはアインズを真っ直ぐ見る。

 

「あのさ、こっちも真剣なんだよね。何千年もかけてやっと来た迷宮の攻略者がクソヤロー(エヒト)を殺せるか……私の神代魔法を継がせるに値するか、それを見極めないといけないの」

 

 茶化した言葉遣いを捨て、ミレディは訴える。まるで切実な願いの様に。

 

「だから、本気を見せてよ。アインズ君が私達(解放者)が待っていた存在なのか。それを、証明して」

「……良いだろう」

 

 ブンッとアインズはグレートソードを突きつける。ドンッとそれだけで空気が変わった気がした。

 

「ナグモ達は下がれ。周りの雑魚敵(ゴーレム)を掃討しろ」

「はっ!」

「さて……行くぞ、ミレディ・ライセン。PVP(一騎討ち)だ!」

 

 ダンッとアインズが剣を手に持ったまま、駆け出す。その動きは一流の戦士のそれだった。

 

「速いね〜。でも、それだけだよ!」

 

 重力全てを乗せたモーニングスターの鉄球がアインズに繰り出される。鉄球は唸りを上げて、アインズに迫る。

 

「豪撃!」

 

 アインズは天職で得た戦士のスキルを発動させる。振るわれた二刀のグレートソードと鉄球がかち合い、轟音と衝撃波を響かせる。

 バキンッ! と鈍い音がした。鉄球とグレートソードはお互いの衝撃に耐え切れず、バラバラに砕け散った。

 

「これを防ぐとかやるじゃん、アインズ君! でも、武器が無くちゃどうしようもないかな!」

 

 即座にミレディは空いた手でアインズへと殴り掛かる。見れば砕けた鉄球も徐々に再生が始まっていた。巨大な拳がアインズへと迫り———。

 

「ああ———武器ならあるさ。仲間達が残したとっておきがな」

 

 ガゴオンッ! とミレディの拳から轟音が響き———ミレディの拳がバラバラに砕け散った。

 

「んなっ!?」

 

 ミレディは思わず瞠目してしまう。アインズの手———無手になった筈のその手には、トゲの付いた巨大なガントレットが嵌められていた。

 

「せいやっ!」

「みぎゃ!?」

 

 再び振るわれたガントレット。まるで巨人が思い切り殴り飛ばしたかの様にミレディは吹き飛ばされる。

 

「っ、剣は囮だったのかな? でも甘〜い!」

 

 後方へと吹き飛ばされる直前、ミレディは重力をゼロにして衝撃を相殺する。そして自分の身体を一回転させると、重力を再び戻してモーニングスターをアインズへと振り下ろす。

 

「重いけど鈍重だね〜、隙だらけだよ!」

「隙? どこにあるんだ?」

 

 アインズがフッと笑う。ガントレットは宙に溶ける様に消え――――その手には一本の太刀が握られていた。

 

「フンッ!」

 

 スパッと豆腐でも切るかの様にモーニングスターの鎖が断ち切られた。鉄球は勢いのまま、アインズを捉える事なく地面へと落ちていく。

 

「嘘ぉ!?」

 

 ミレディが絶叫する中、甲冑ゴーレム達を相手にしていたナグモは瞠目しながら呟いた。

 

「あれは建御雷八式……! それに先程のはやまいこ様の……!」

 

 ———アインズは天職を付与する際に、自分の本職とも言える魔法使い職ではなく、戦士職を選んだ。

 ユグドラシルの様なMMORPGにおいて、戦士職と魔法職を一緒に極めようとするとレベルやスキルポイントの上限の関係からどっちつかずの中途半端な魔法戦士に終わる事はよくある。アインズも前衛は仲間達が務めてくれるから、と魔法職に全てスキルポイントを割り振っていた。

 

 だが、異世界(トータス)に来て新たに「天職」というシステムを得た事でその概念は取り払われた。冒険者モモンとして戦士の経験を得て、アインズはいまユグドラシルでは有り得ない———戦士と魔法を極めたレベル100(最強の存在)へと進化していた。

 そしてそれは———アインズでは課金アイテムを使わなければ使用不可だった、かつての仲間達の装備を使える様になった事を示していた。

 

(天職を付与する時に真っ先に戦士職を選んだのにはこの理由があったのか……!)

 

 ナグモは瞠目する。アインズの戦いは力を抑えていたとはいえ、ナグモ達と違ってミレディを完封している。それは戦闘経験の差であり、アインズが多くの戦いをこなしたからこその知略の高さから来ていた。次々と至高の御方達の武装に切り替えながらミレディ・ゴーレムを追い詰めていくアインズに、ナグモは知らず知らずのうちに拳を握っていた。

 

(いつか………!)

 

 それは、NPCならばあり得ない思考だった。プレイヤー達の道具として生み出され、生まれた時から完結している彼等には出来ない考えだった。

 

(いつか、アインズ様がいるあの高みに、僕も………!)

 

 すなわち———上昇志向。それを華麗に戦うアインズを見て、ナグモは抱いていた。

 宙の足場を盾代わりにしようと撃ち出すミレディに対して、アインズは白と黒に染められた二丁拳銃を手にして足場を次々と撃ち抜く。

 

「おお、あれは————!」

「そこ、見惚れてるくらいならこっち手伝う!」

「ええい、良いところで!」

 

 ユエの声に現実に引き戻され、ナグモは舌打ちしながら甲冑ゴーレム達を片付けに掛かった。

 

 ***

 

「ハァ、ハァ……!」

 

 ミレディは荒い息を吐く。ゴーレムの身体となって疲労感とは無縁となった筈なのに、何故か息が乱れた。果たしてそれは四千年ぶりに感じる緊張感から来るものなのか。ミレディには判別がつかなかった。

 

「さて、ミレディ。これが私の本気だ。“アインズ・ウール・ゴウン”そのものの力だ」

 

 四千年かけて待ち続けた“神殺し”を為せる者。骸骨姿の魔王は何処か誇る様に宣言する。

 

「敗北を認めるなら、ここまでにするが?」

「ハァ、ハァ……あはは、いや〜優しいなあ、アインズ君は。うん、そうした方が賢明だろうねー」

 

 事実、勝負はついた。巨大ゴーレムの膂力はアインズの脅威足り得ず、とめどなく行われた連撃を回復する為に周りの足場まで吸収したせいで、切り札である重力魔法で一斉に足場を落下させるという手段も使えない。甲冑ゴーレム達もナグモ達によって間も無く全滅するだろう。

 

「でもね……まだまだ足掻かせて貰うよ〜」

「それは何故だ? お前は私に勝てる手段があるのか? ここから逆転できる様な技を」

「……いや、無いよ。ぶっちゃけ投了まで秒読み段階かな〜?」

 

 でもねぇ、とミレディは真っ直ぐとアインズを見る。その目は————濁った色のない、何処か清廉さを感じさせる瞳だった。

 

「かつての“解放者”のリーダーとして……アインズ君に、夢を託す者として、最後の最後まで全力で挑ませて貰うよ。そうしなきゃ……もう、顔も声も思い出せないけど、私に後を託した皆に顔向け出来ない……!」

「そうか……」

 

 ふう、とアインズは息を吐く。

 まるで鏡を見ている様だ。

 仲間達が居なくなっても、ずっとこの地で待ち続けていたミレディ。

 仲間達が居なくなっても、ずっとナザリックで待ち続けているアインズ。

 きっとミレディは、いつか辿る自分の姿なのだろうとアインズは思う。

 

(俺にはナザリックのNPC(子供)達がいたから……でも、ミレディはずっと一人で待ち続けていたんだ)

 

 果たして、どちらが強いと言えるのだろうかとアインズは思う。NPC達にかつての仲間達の面影を重ねているアインズと、未来を信じて何千年と待ち続けたミレディ。アインズは少しだけ、自分が情けなく思えた。

 

(その真っ直ぐな思いに……応えないのは、失礼だよな)

 

 スッとアインズは手にしていた武器を仕舞う。

 

「ん? どったの、アインズ君? もしかして降参とか?」

「違う。解放者———そのリーダー、ミレディ・ライセン。お前が安心出来る様に、私はナザリックの最大戦力を見せるのが礼義だと思ったまでだ。……ナグモよ!」

 

 威厳のある声で呼ばれ、ナグモは最後の甲冑ゴーレムを叩き潰しながら振り向いた。

 

「起動を許す。かつてじゅーるさんが遺した最高のゴーレムを……ナザリックの威を、ミレディに見せよ!」

 

 ナグモは驚いた様に目を見開き————そして頷いた。

 

「かしこまりました……アインズ様」

 

 スッとナグモは片手を上げ———その手がドプン、と宙に沈み込んだ。宙の揺らぎからナグモが手を引き抜くと、その手には幾何学的な造形の鍵が握られていた。

 

「ナグモくん、それは……?」

「……香織達にも見せてやろう。これこそが、僕———第四階層守護者代理、ナグモの真の姿だ」

 

 戸惑う香織をよそに、ナグモは手にした鍵を真っ直ぐに突き出す。そして――――ガチャリ、と宙で捻る様に鍵を回した。

 

「起動せよ————ガルガンチュア」

 

 瞬間———空間が軋みを上げる。鍵を中心に空間の歪みがさざ波の様に広がっていく。

 ピシッ、ピシッ!

 空間が大きくひび割れていき、そして————!

 

「……いやいやいや」

 

 ミレディはゴーレムの身体のまま、どこか引き攣った様な声を出した。

 

「……マジで?」

 

 硝子を叩き割る様な音が辺りに響く。まるで空間を叩き壊す様に、ミレディ・ゴーレムより更に巨大な人型が現れた。

 それは鋼鉄に覆われた巨大なゴーレムだった。かつて攻城兵器として保管されていた岩のゴーレム。じゅーる・うぇるずによって、数々の改造が施され、巨大人型兵器となった鋼鉄のゴーレム(ロボット)はたった一人の操縦者(ナグモ)の命令を受けて、起動の雄叫びを上げる。

 

 

『ooooOOOOOOooooo———!!』

 

 ここに———守護者最強であるシャルティアすら上回るステータスを誇る、鋼の巨人が君臨した。

 

 




>ガルガンチュア

じゅーるが課金装備とか色々やった結果、巨大ロボットになりました。ユグドラシル的にあると思うんですよね、ガルガンチュアの追加武装パックとか。


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第七十話「ライセン大迷宮攻略完了」

 何か家にいるより遠方に出かけた先で書いている方が、執筆が捗る気がする。外出してまでスマホをポチポチやってるとかスマホ中毒な気がするけども。


 空間の歪みから現れたのは全長30メートルはある巨大な人型だった。全体的に紅くカラーリングされ、全身を鋼鉄とは異なる質感の金属で構成し、頭にはモノ・アイが光る。

 

「コア・ユニット、接続開始」

 

 ガルガンチュアの内部、360度のドームスクリーンとなっているコックピットでナグモは装置を起動させていく。周りから伸びてきたコードがナグモの背中に次々と突き刺さった。

 

「ぐ、っ……! ユニット接続完了……! シンクロ率、70%……80%……90%……」

 

 神経が自分の身体以外の場所に繋がる感覚に一瞬だけ苦痛に顔を歪めるが、すぐに治まる。まさに今、ナグモの身体は人間としての機能から、ガルガンチュアを動かす為の一つの部品として切り替わっていく。

 

「……システム、オールグリーン。第四階層守護者・ガルガンチュア、始動」

 

 モノ・アイがギラリと光る。胸のコア・パーツを輝かせながら、ここにナザリックの第四階層を守護する最強戦力が降り立った。

 

「うわぁ………まさかこんなのが出てくるなんて、予想外だなー」

 

 ミレディ・ゴーレムは自分よりも10メートル以上は大きいガルガンチュアを見上げながら引き攣った様な声を出す。

 

「というか、何その巨大ゴーレム!? 君達、神代魔法を手に入れに来たんだよね? 重力魔法を使わないでどうやってその巨体を維持しているのさ!?」

『……言った筈だ。その程度のゴーレムで威張るな、と』

 

 スピーカー越しにナグモの声が響く。巨体故の鈍重さを全く感じさせない動きでミレディ・ゴーレムと対峙した。

 

『巨体の維持に重力を操る必要がある? フン、その発想が既に貧弱だ。せめて動力を核融合炉にしてからゴーレムを語れ』

 

 クイッ、クイッ、とガルガンチュアの手首が挑発する様に動く。

 

『……お前には散々苛つかされた。だが、アインズ様はお前にナザリックの威を見せろ、と仰られた。……来い、ミレディ・ライセン。至高の御方々より栄えあるナザリックの第四階層を任された僕、そしてナザリック最強の兵器であるガルガンチュアの力を見せてやる』

「……アハハ。じゃあ、証明して(みせて)貰おうか。“神殺し”を果たす、君達の力を!」

 

 ミレディは重力魔法で自分の体重をゼロにして空高く飛び上がる。全重量をガルガンチュアへ向ける。そしてモーニングスターを大きく振り回しながら、鉄球を投げつけた。

 高所からの全体重を乗せた振り下ろし。シンプル故に打撃武器として最も強力な一撃となる。

 

「せりゃあああああっ!!」

 

 まるで隕石でも落下した様な衝撃が辺りに響く。衝撃波と突風を生み出し、香織とユエはアインズが展開した防護魔法の中で身をすくめた。

 

「ナグモくん!」

「安心しろ、香織」

 

 アインズは確信を持って指を差す。

 

「じゅーるさんが改造したガルガンチュアは、この程度では倒れない」

 

 モウモウと辺りに土煙が立ち込める。土煙の中から———無傷のガルガンチュアが出てきた。

 

「お、おおう、マジ?」

『……そっちの攻撃は終わりか? ならば———こちらから行くぞ』

 

 ガシャ! と、ガルガンチュアの身体の各部のミサイル・ハッチが開いた。ハッチから射出された誘導ミサイルは次々とミレディ・ゴーレムの身体に突き刺さり、大輪の花の様に爆発を起こしていく。

 

「ぐぅっ!? やるねえ! でもこの程度じゃ、ミレディちゃんは———」

『この程度で済むと思っているのか?』

 

 砕けた装甲をよろけながらも再生させようとするミレディにナグモは追い討ちをかける。

 

『チェーン・ソード展開』

 

 ガルガンチュアの右手首が開く。そこから勢いよく蛇腹状の剣が飛び出し、鞭の様にしなりながらミレディ・ゴーレムのモーニングスターを手首ごと斬り裂いた。

 

「ぐっ!?」

『まだまだ行くぞ。プラズマ・キャノン発射!』

 

 今度はガルガンチュアの左手が立体パズルの様に形を変えていく。左手は巨大な銃口となり、エネルギー弾を次々と撃ち出していく。

 

「っ、やる、ねぇ……! ここでは魔法を使えない筈なんだけどなあ……!」

『これは科学だ。魔力に頼らない叡智の結晶だ』

 

 プラズマ・キャノンがミレディの手足を撃ち抜いていく。再生が追い付かず、ミレディ・ゴーレムはバランスを崩していく。

 

「なんの! 手足が無くなったくらいで!」

『だから、この程度で済ますわけがないと言っている』

 

 重力魔法でゴーレムの巨体を浮かせて、胴体だけの身体でミレディ・ゴーレムは離脱を図ろうとした。だが、ガルガンチュアの背中や足に取り付けられた推進装置(スラスター)が点火し、あっという間にミレディ・ゴーレムへと追い付いた。

 

「嘘ぉ!? もう何でもありだね、そのゴーレム!?」

『終わりだ、ミレディ・ライセン!』

 

 ガルガンチュアの拳がミレディ・ゴーレムを捉え、地面へと叩き落とす。そして————必殺技である武装を解除した。

 

『出力上昇———臨界突破。ブレスト・ブラスター起動』

 

 ガルガンチュアの胸部コアが赤く輝く。空間を軋ませる様な音を響かせながら、胸部コアに魔力が高まっていく。その輝きは小型の太陽の様だった。摂氏15000度を超える火球を充填し、ガルガンチュアは放った。

 

『オメガ・カノン発射————!』

 

 光が奔る。巨大な火球は熱光線となってミレディ・ゴーレムに直撃する。仮想のエヒト神として作り上げた巨大ゴーレムは熱量に耐え切れず蒸発していく。

 

「ああ………」

 

 そんな滅びの光が目の前に迫っているというのに、ミレディには別の物が見えていた。

 それは闇を晴らす太陽の輝き。ミレディにはガルガンチュアが放った熱光線が深い闇夜に終わりを告げる朝日の様に見えていた。

 

(見つけたよ、みんな)

 

 ピシッ、ピシッ! と巨大ゴーレムの外殻が壊れていく中、ミレディは無くなった筈の涙腺から熱いものが溢れる感覚を感じていた。

 それは数千年の悲願が達成される喜び。そして、仲間達の戦いが無意味ではなかったという確信を持った歓喜。

 

(彼等がエヒトの時代を終わらせる、“解放者"———!)

 

 そして————巨大な閃光がミレディ・ゴーレムを呑み込んだ。

 

 ***

 

「いや〜、負け負け。参りましたよ〜」

 

 ローブを煤だらけにしながら子供程の身長をしたミレディの本体は降参という様に両手を上げる。

 

「それじゃ、約束通りアインズ君に協力するよ。天才ミレディちゃんが仲間になった! パンパカパ〜ン♪」

「協力ではなく恭順の間違いだろう、愚か者。アインズ様の下につくというなら、それに相応しい言葉遣いに直せ」

「ん〜、分かりました。これでよろしいですか? アインズ様?」

 

 ナグモがジロリと睨め付けると、ミレディはどこか戯けた態度ながらも丁寧語になる。それをアインズは鷹揚に頷いた。

 

「構わん。それとお前の喋りやすい様にして良い。年齢はそちらの方が上だろうからな」

 

 だって俺の中身は三十路のサラリーマンだしな! とアインズは内心だけでツッコミを入れる。そもそもミレディは年齢四桁の圧倒的歳上(ドシニア)なわけだが。

 

「あ、本当? や〜、理解のある雇用主で嬉しいな〜! ちゃあんとTPOを弁えるからそこら辺安心してね〜」

「貴様、アインズ様に無礼な———」

「あれあれ〜? アインズ様から直々に許可を貰ったのに、君はアインズ様の決定に反対しちゃうんだ? 古参だからって新人に威張り散らしちゃうとか組織の人間として大人気なくない? あ、ごめん。お子様だったわ」

「貴様……っ」

 

 ペイントが掠れたニコちゃんマークの顔でミレディはナグモを煽る。

 

「そもそも迷宮のコンセプト的に『魔法を封じられた状態での対応力を上げる』のが目的だったのに、迷宮をぶち抜いてくるとか力押し過ぎない? 実は脳筋さんだったりする?」

「恨むならあの程度の障壁で迷宮を作り上げた自分の技術力の貧困さを恨め。僕はもっとも効率の良い手段を実行したまでだ」

「え〜、でも結局トラップには悉く引っ掛かってたじゃん。というかずぶ濡れになって威張られても……ねえ?」

「………」

「わー! ナグモくん、ストップストップ!」

 

 ガシャ、と無言で黒傘を構えるナグモに香織が抑える。

 

「どけ、香織。そいつを殺せない……!」

「なんかヤンデレさんみたいになってる!? 落ち着いてってば! ミレディさんはウザいけど! とてもウザい人だけど!」

「わぁ、二回も言ってきたよ。さすがのミレディちゃんも傷付くぞー」

 

 ゴーレムの身体をしたミレディに詰め寄ろうとするナグモ。だが、ミレディは久々に会話が成立するのが楽しいのか、揶揄う様にナグモを弄っていた。

 

(やれやれ……ナグモみたいに生真面目な性格だとミレディみたいな相手は苦労するだろうからな)

 

 ふと———アインズはナグモとミレディのやり取りを見ていて、懐かしい気持ちになる。それはミレディがゴーレムの身体だからか、先程の戦闘の最中で未来の自分の姿を重ねてしまったからか。アインズの脳裏にかつての日々が思い浮かんだ。

 

『るし☆ふぁーさん! 浴場のゴーレムが襲いかかって来たの、あれ貴方の仕業でしょう!』

 

 怒りマークのアイコンを出しながら、六本腕の機神が天使人形へと詰め寄る。

 

『えー? 何のことかなー? あれ、風呂場のマナー違反をした奴にしか襲い掛からない様に設定した筈なんだけどなー?』

『やっぱりるし☆ふぁーさんの仕業じゃないですか! お陰でぶくぶく茶釜さんや餡ころもっちもちさんに私が怒られたんですからね! 相方の手綱はしっかり握ってくれ、って!』

『いや〜、メンゴメンゴ。許して頂戴よ♪ ちゃんと僕から謝っておくからさ。でもゴーレムが起動する程なんて、二人は浴場で何をしていたんだろうねぇ?』

『……まさか浴場のゴーレムにカメラとか仕掛けてないでしょうね?』

『…………シテナイヨ?』

『おい、こっち見ろ。何で片言になった? 白状してみなさい、おじさん怒らないから』

『ウソウソ、冗談に決まってるじゃ〜ん! そもそもユグドラシルじゃ18禁行為は御法度だからねー! え? ひょっとして妄想しちゃった? もう、じゅーるさんってばヤラシイ〜!』

『……うわぁ、本気でイラッときた。今ほどユグドラシルにフレンドリーファイアが無い事を後悔した日は無いです』

 

 ケラケラと笑う天使人形に、六本腕の全てに装飾銃を持ちながらプルプルと機神は震える。それを周りのメンバーは「またやってるよ……じゅーるさんもるし☆ふぁーさん係、大変だなぁ」と苦笑しながら見ていた。

 

『もう、そこまでにしておきましょうよ。二人共』

 

 かつての記憶のままにアインズは二人へと手を伸ばして———機神と天使人形の姿が消えた。

 

「あ…………」

 

 蜃気楼に触れようとするかの様に、アインズの手は虚空を掴んだ。

 いま言い争いをしているのはナグモとミレディだ。じゅーるとるし☆ふぁーではないし、ここはナザリックでは無い。

 そんな当たり前の事実を認識した途端、アインズの心に寂寥感が浮かぶ。胸に穴が空いた様な酷く悲しい気持ちになり———一定以上に振り切れそうになった感情はすぐに沈静化された。

 

「…………」

 

 アインズはミレディを見た。数千年間、かつての仲間達の顔も思い出せなくなっても、この地で“神殺し”を果たせる人間を待ち続けた解放者の成れの果て。

 アインズは自分がこの先どのくらい生きるのか知らない。アンデッドの身体だから、ミレディの様に何千年も生き続けるのかもしれない。

 そうなったら、自分はどうなってしまうのだろうか? 

 遥かな未来。NPC達が死に絶え、誰も居なくなったナザリック。そこでアインズはただ一人、仲間達の墓標となったナザリックを守り続けるのだろうか?

 ……それを寂しいと思う心も、今の様に平坦化されてしまうのだろうか? 身も心も、真の死の支配者(オーバーロード)と成り果てて。

 

(それは…………)

 

 いずれ来る未来をミレディの姿に見出し、アインズは暗い気持ちとなった。かつての仲間達の思い出に縋って、大墳墓の主を演じ続けている自分。今の自分はまさに、未練で生き続ける不死者そのものではないか。

 アインズが力無く手を垂らすと————その手を白磁の様に綺麗で小さな手が掴んだ。

 アインズが顔を上げると、ルビー色の瞳がアインズを見ていた。「どうした?」と問うより先に、ユエはアインズの手を引いた。

 

「どうぞ、アインズ様。そろそろナグモを止めてあげて下さい。放っておくと、神代魔法を貰う前にミレディを壊しかねないので」

 

 見れば、重力魔法でヒラヒラと飛び交いながら煽るミレディにナグモは黒傘から銃弾を撃ち込もうとして、香織に宥められていた。

 

「……大丈夫」

 

 異世界に来て、初めてアインズが自分の新たな仲間とした吸血鬼の少女。彼女の前ではナザリックの絶対的な支配者という姿を無理に見せなくて良くなった。

 ユエはアインズの手を握りながら、小さく微笑む。

 

「私は不死身の吸血鬼。アインズ様が不要と言われるその日まで、私はアインズ様の側に居続けます。それがあの日、三百年の孤独から救い出してくれたアインズ様への、私の恩返し……です」

「———はっ、ははは」

 

 ユエの驚く視線を感じながら、アインズは笑う。口だけでなく、心から。

 

(……ひょっとしたら、もう昔みたいなギルメンの皆がいた日は戻らないかもしれない)

 

 もしも、奇跡的にギルドメンバーの誰かがトータスに来ていたとしても、かつての様に四十一人全員が揃う事は無いだろう。

 だが———新たな地で、新しく出来たものもある。

 

(俺には……守護者達やNPC達だっている。新しい仲間が……ユエや香織もいる)

 

 だから、一人ではない。ギルドメンバー達の思い出は大切に仕舞って、今は前を向いて歩いて行こう。

 

「そこまでにしておけ、ナグモ。ミレディもあまり煽るな」

「っ、申し訳ありません。アインズ様!」

「はいは〜い、了解で〜す」

 

 アインズが声を掛けて二人はようやく(ナグモはかなり口惜しそうに)居住まいを正した。

 

「さて、ミレディ。お前には神代魔法を含めてエヒトについて色々と聞いておきたいところだが……まず最初に、私の居住地に移る気は無いか?」

「ん〜、ありがたい申し出だけど、ちょっと無理かな。神代魔法の魔法陣を守らないといけないし……それに私はこの土地に魂を固定する事で、エヒトのクソヤローに絶対に見つからない様にしてるからね〜」

「そうか………」

 

 それは大きな覚悟で下した判断なのだろう。ミレディは未来の為に、神代魔法の守り人として、ライセン大迷宮という牢獄に永遠と繋がれているのだ。人身御供になってまで、仲間達の想いを守ろうとしたミレディにアインズは敬服する他なかった。

 

「分かった。しかし私達が入る事が出来た以上、もっと守りを強化する必要があるだろう。そうだな……ナザリックから人員を送るとしよう。その者と共に大迷宮を守ってくれ」

「そりゃいいね〜。ミレディちゃんも四千年間一人きりだったから退屈だったし」

 

 ユリ・アルファあたりがミレディの話し相手に丁度いいかもな、とアインズが考える中、ナグモがスッと手を上げる。

 

「よろしいでしょうか? どうやらこの地にも貴重な鉱物が埋蔵されている様です。ここをオルクス迷宮と同様にナザリックの資源地とするのが得策かと」

「ほう……構わないか? ミレディ」

「ん〜、あのクソヤローをぶっ殺す手助けになるなら、いいよ。いくらでも使っちゃって」

 

 さて、とミレディはアインズを真っ直ぐに見る。

 

「アインズ様。貴方が神代魔法を得て、エヒトを倒した後にどんな世界を築くのか……その中で人間達がどうなるのか興味あるけど、私は基本的に否定する気はありません。私の守りたかった世界も人達も、もうとっくに無くなっちゃったしね。過去の遺物である私があれこれ指図するのは違うと思ってる」

 

 でも、とミレディは言葉は切る。かつての解放者のリーダーとしての貫禄を感じさせながら、新しく“神殺し"を為す者へ古き世代として語りかけた。

 

「……どうか、貴方の心が自由の意志の下にあらんことを。仮に人々を敵に回す時が来ても、貴方がそうすると決めたと胸を張って言える様になる事を私は願っているよ」

 

 まあ、“神殺し”を押し付ける私が言えた義理じゃないんだけどね〜。そう、戯けながらミレディは締め括った。

 

 ***

 

 その後、アインズ達はミレディの神代魔法である重力魔法を会得して、ライセン大迷宮を後にした。新たに手に入れた神代魔法を試したい気持ちもあるが、それよりも先にやろうと決めていた事があった。

 

(……そろそろ、一回ナザリックに帰るか)

 

 思えば、半ば家出同然に始めた冒険者稼業だが、ミレディを見てて仲間達を思い出したアインズは、今は無性にナザリックに残してきたNPC(子供)達の顔が見たかった。

 迷宮を出て、すぐにアインズはアルベドへと<伝言(メッセージ)>を繋げた。

 

「———アルベドか。元気にしているか?」

『アインズ様! はい、アインズ様の御帰りをお待ちして、今日も元気にやらせて貰ってます!』

「そうかそうか。それで、何か変わった事はあったか?」

 

 遠方に勤めた(この場合は逆だが)娘が息災か尋ねる親の心境で、アインズはアルベドに語り掛けた。

 

『はっ。実はアインズ様———』

 

 急に真剣みを帯びた声にアインズは何かあったか、と身を硬くした。

 

『ヘルシャー帝国がフェアベルゲンに向かって侵攻を開始しました。滅ぼしてしまってよろしいでしょうか?』

「……………えぇ?」

 

 

 

 

 

 




>ガルガンチュア

イメージ的にはパシ●ィック・リムのジプシー●ンジャー。真っ赤に塗ったりとかシャ●ザク要素も出してるけども。最近見た巨大ロボの映 映画があれだったもので……。

>ユエフラグ

やった事的には原作のシャルティア戦の後にアルベドがやった事。ソーリー、大口ゴリラさん。
アニメ版のワイワイ騒ぐ守護者達に、仲間達の面影を見出して触れようとするけど手が届かない、というあのシーンはオバロの名シーンの一つですね!

>ミレディ、基本的にアインズがやる事に口出しはしない

 実際、神代魔法を手に入れに来た人間が、「エヒトに代わって俺が世界征服するぜ!」みたいな奴だった場合はどうするのか? と真剣に考えました。エヒトの方がマシと判断してその場で処分するのか、それともこれも現代を生きる人間の意志と黙認するか? 自分の作品の場合、ミレディが闇堕ちして“神殺し”に執着しているという事もあって後者と致しました。

>ヘルシャー帝国

アインズ様的には人間を率先して殺そうとか、そんな物騒な事は考えてないです。
でもさ……月並みな言葉だけど、撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけなんですぜ?


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第七十一話「ガハルドの野望」

なしてこのタイミングでヘルシャー帝国は侵攻するんよ? という説明回。ガバ理論なのは、素人の考えだからという事で。

そんなわけでガハルドの遺言……じゃなくて、お考えを聞いて上げて下さい。


 ヘルシャー帝国。

 

 それは今から三百年前、一人の傭兵が興した国だ。傭兵団のリーダーであった始祖は荒くれ者達を纏め上げ、彼の傭兵団は拠点にしていた砦を中心に、いつからか一つの町となり、やがて国家となった。

 今や冒険者や傭兵達の聖地となり、「強い者こそが正義」という実力主義社会となったのも当然の経緯だろう。

 

 しかし、それが故に数千年の歴史を誇るハイリヒ王国からは「ならず者の成り上がり国家」と蔑まれ、外交上では下に見られる事が多かった。ハイリヒ王国には背後に聖教教会がいるという事もあって、ヘルシャー帝国は国の歴史も規模も遥かに格下、というのがハイリヒ王国の見方であった。

 

 その扱いに不満を抱きながらも、歴代の皇帝達は甘んじて受けてきた。ハイリヒ王国に楯突こうものなら聖教教会は黙っておらず、異端指定をされた日には帝国は世界中から孤立無援となって瓦解していくからだ。たとえ国家行事でハイリヒ国王や教皇達と並び立つ事が許されず、従者の様に数歩下がって歩く様な扱いであっても国の為に歴代皇帝達は耐えてきた。

 

 だが———今代のヘルシャー帝国の皇帝、ガハルド・D・ヘルシャーは違う。

 

 ***

 

「はっ、これが王国と教会肝煎りの勇者の活躍ねぇ?」

 

 皇帝の執務室。一際立派な椅子に腰掛けた男は王国に派遣している密偵の報告に、半ば呆れた様な目になった。

 既に五十歳に差し掛かっていながら、がっしりと鍛え上げた肉体は三十代のそれだった。剣の鍛錬も毎日欠かさずに行ってきた身体は、今からでも前線で活躍できそうなくらい若々しく、活力に満ち溢れていた。

 

 彼こそがヘルシャー帝国の現皇帝、ガハルド・D・ヘルシャー。

 “英雄“の天職を持ち、荒くれ者が多い帝国の頂点に君臨する男である。

 

報告書(コイツ)を見る限り、異世界から来た勇者というのは()()()()強いらしいな」

「その様です、皇帝陛下」

 

 傍らに立つ、髪をオールバックにした男は興味無さそうに頷いた。

 彼の名はベスタ。

 家柄は帝国でも有数の貴族であり、“鑑定者”の天職を持ったガハルドの側近だ。

 

「ジャイアント・オーガ、ケルピー、ワイバーンの群れの討伐……いずれも通常ならば一個大隊が必要ですが、それを二十人足らずで成し遂げているのは驚嘆に値するかと」

「ほう……で、お前の見立てでは教会が認定している“神の使徒”をどう見る?」

 

 信頼している右腕へ、ガハルドはニヤニヤと嗤いながら聞いた。それは分かりきった答えを敢えて聞く様な底意地の悪さが見えていた。

 

「はっきり申し上げて――お話になりませんな」

 

 ベスタはフン、と報告書に書かれた勇者達の事を鼻であしらう。

 

「魔物を倒すだけならば、軍隊を動員すれば同じ事は出来ます。ですが、この“神の使徒”達は全ての討伐において周りの土地に被害を与えております。見境なく暴走しているだけ……そう評価しても宜しいでしょうな」

「フン、確かにな。こんなのを勇者と宣伝しなくちゃならんとは……ハイリヒの奴等には同情するぜ」

 

 ガハルドは教会や王国が宣伝を行っている異世界からの勇者達を嘲笑った。

 聖教教会、さらにはハイリヒ国王は異世界から来た勇者達が各地で遠征してから、やたらと喧伝を行っていた。

 彼等こそは我ら人間族の救世主。邪悪な魔人族達に鉄槌を下すべく、エヒト神が異世界より遣わした“神の使徒”。

 いま行っている遠征は邪悪な魔物に苦しめられている無辜の民を救う為に“神の使徒”達が立ち上がられた故に行われている、と。

 

 ところが密偵達を使って詳しく調査させてみれば、ガハルドは失笑しか湧かなかった。

 確かに本来なら軍隊を派遣する様な魔物達を十代の少年少女が倒した事は驚嘆に値するだろう。しかし、蓋を開けてみれば強大な力を周囲の環境に配慮せずに振るっているだけで、魔物を倒した事実のみしか見てない子供の集まりだった。それを聖教教会達は鍍金で飾り立てようとするかの如く過大に宣伝しているだけだった。

 

「そういえば……二ヶ月後のハイリヒ王国建国祭において、聖教教会は聖戦遠征軍の寡兵を行うそうです。式典では件の勇者も檄文を演説するそうですが、御参加されないので?」

「行く価値あるか? トラウム・ナイト相手に死人を出す様なガキ共の戯言をわざわざ聞きに?」

 

 それもそうですな、とベスタは頷く。勇者達がオルクス大迷宮での訓練中に、数名の死傷者を出した事はガハルドの耳にも入っていた。一度目は“神の使徒”の中に魔人族へ寝返った者がいたせいで失敗したらしいが、二回目に至っては迷宮にいたトラウム・ナイト相手に返り討ちにあったと聞いている。その時点で、ガハルドの中で勇者達への興味は薄れていた。

 

(トラウム・ナイトは確かに魔物の中では強い方だが、金ランクの冒険者パーティーならどうにか出来る相手だ。そんな程度の魔物に逃げ帰る様な奴が人間族の勇者、ねえ?)

 

 かつて当時最強だった冒険者パーティーでも倒せなかったベヒモスを倒した、という話ならガハルドも“神の使徒”達がどんな相手か興味ぐらいは持ったかもしれない。しかしトラウム・ナイト相手に被害を出し、その後は各地で周りの被害をお構い無しに戦っているという報告を聞いた今ではもはや眼中にすらなかった。

 ヘルシャー帝国の国是である実力主義が幼い頃から根付いているガハルドからすれば勇者達は、さほどの実力も無いくせに教会と王国の権威の為に仕立て上げられたお飾りの若造達でしかない。

 

「それに……今は他に力を入れたい用事があるからな」

「はっ」

 

 ベスタは短く返答すると、次の書類を捲った。

 

「報告致します。フェアベルゲン侵攻軍、一万人の編成が完了致しました。あとは陛下の御許可を頂ければ、いつでも進軍を開始できます」

「仕事が早いな。お前みたいな優秀な部下を持てて、幸運だと思ってるぜ」

「勿体ない御言葉です。しかし……実に帝国軍の三分の一を投じる形になりますが、そこまでして行う価値があるのでしょうか? 未だ魔人族達の動きも活発だというのに」

「阿呆、だからこそ今やるんだよ」

 

 ニヤリ、とガハルドは笑う。

 

「魔人族達の攻撃が王国に集中している今こそが帝国が領土を拡大するチャンスだ。フェアベルゲンを滅ぼして亜人族の捕虜共で軍事力を蓄えつつ、王国と魔人族の戦争が本格化してきたら頃合いを見て助け舟を出してやる。上手くいけば、魔国ガーランドも帝国の領地になるだろう?」

「魔人族を奴隷にして、ですか……。聖教教会は声高に魔人族の根絶やしを主張しそうですが」

「あん? もうどうでもいいだろ、あんな連中。異世界から来たとかいうガキ共を祭り上げるのに金も権威も散財している様だし、教会に以前程の力は無えよ。イシュタルも歳で耄碌してきたかね?」

 

 左様で、とベスタは頷く。ガハルドの言う事にも一理はある。今まで宗教的な権威や全国の信者からのお布施で圧倒的な財力を誇っていた聖教教会だが、“神の使徒”達の遠征団に掛かっている費用を概算するに相当な金額を掛けている筈だ。そこまでやって結果があの有り様ならばもはや教会は金をドブに捨てているに等しく、無事に魔人族との戦争が終結しても以前ほどの権威は保てないだろう。それは魔人族の侵攻で直接的な被害を受けている王国も同様だ。

 

(そうだ……今こそ、帝国がトータスで最も繁栄する唯一絶好のチャンスだ)

 

 ガハルドには野望があった。それは自分が生まれ育った国、ヘルシャー帝国を強大な軍事国家とする事。

 今のトータスの人間の国では聖教教会の影響が最も大きく、そして彼等をバックにつけているハイリヒ王国が幅をきかせている。歴史的にも浅いヘルシャー帝国は格下に見られ、外交でも苦い思いをする事が何度もあった。

 このまま王国並びに教会との力関係を覆せなければ、遠からず帝国はハイリヒ王国の属国の様になってしまう。そんな危機感を抱いたガハルドは、王国や教会の勢力下から脱却すべく富国強兵政策を積極的に行った。今回のフェアベルゲン侵攻も、帝国の労働力を最大効率化する為に行うのだ。

 

「王国と教会が()()()()()()()()()に散財している今がチャンスだ。帝国の軍事力を最大に高めて、トータス初の統一国家を作るぞ」

 

 それこそが、「英雄」の天職を持って生まれた自分の使命。

 ガハルドの瞳に一際熱い炎が灯る。誇大妄想と笑われそうな理想も、実現可能な未来に聞こえる実力と実績がガハルドにはあった。

 

「かしこまりました、陛下。不肖ながらこのベスタ、どこまでもお供致しましょう」

 

 人一倍の野心に燃える主君に、側近である彼は深く頷いた。

 

「っと、思い出しましたが陛下。此度のフェアベルゲン平定ですが……御子息のバイアス皇太子殿下が自分も参加させろ、と申されまして……」

「あん? 初めて聞いたぞ?」

 

 怪訝な顔になるガハルドだが、ベスタは困った顔になりながら先を続けた。

 

「ここまで大規模な動員をしたため、さすがに皇太子殿下の御耳にも入った様で……相手が亜人族の国と聞いた途端、自分を大将に据えろと言って聞かないのです」

「チッ、愛玩奴隷を捕まえに行くんじゃねえんだぞ、あのボンクラ」

 

 舌打ちしながらもガハルドは深々と溜息が出てしまう。

 バイアスはガハルドの息子———といっても、側室の子だが———であり、ヘルシャー帝国の伝統である“決闘の儀"において実力を示し、次期皇帝候補となった皇太子だ。

 だが、粗野で女癖が悪く、目下の者に傲慢に振る舞うなど上に立つ者として些か問題のある性格だった。今となってはガハルドも“決闘の儀”で次期皇帝を決めるヘルシャー帝国の慣習を改めるべきだ、と考えてしまう。

 

「しかしながら、バウンス少将やファビウス中将などの今回の編成軍の将校にも要求されている様で……あくまで噂ですが。自分を大将に据えた場合、一番槍を果たした隊には掠奪の許可をすると嘯いていて、将校達は皇太子殿下の参戦を支持する者が多く出ております」

「帝国の軍人は馬鹿ばかりか?」

 

 ハァ、とガハルドは大きく溜息を吐いた。

 戦場で食糧や金銭、はたまた捕虜にした女子供の掠奪は軍の士気を上げる常套手段ではあるが、それを目的にされても困る。

 

(まあ、亜人族の女は容姿端麗な者が多いからな……ただで愛玩奴隷を手に入れられると聞けば、やる気は上がるだろうよ)

 

 帝国は奴隷制度を認めていて、亜人族の奴隷も労働力や愛玩用に多く存在する。しかし、自分の野望の第一歩が欲望の発散にギラついた将校達によって行われるというのはガハルドからすれば溜息しか出てこない。

 

「いかが致しましょう、皇帝陛下」

「……仕方ねえ、あのボンクラにも参戦する様に伝えろ。ただし、抑え役として俺の親衛隊を何人かつけろ。あと多少の掠奪は認めるが、大量虐殺する様な真似はするなとだけ伝えておけ。フェアベルゲンの亜人共はこれから労働力として使うからな」

 

 はっ、とベスタが返事する中、ガハルドは遠く———これから侵略するフェアベルゲンに想いを馳せる。

 

(ま、テメェらには気の毒だが……これも弱肉強食の世の理だ。恨むなら、弱者として生まれたテメェら自身を恨みな)

 

 何はともあれ、自分の野望はここから始まる。

 その予感に、ガハルドは胸の中で熱い炎を感じていた。

 

(亜人族も、魔人族も————ついでに王国も平らげて、俺がトータス全土の王になる。ああ、やってやる……やってやるぜ!)

 

 これからの覇道に、野心溢れる英雄は拳を握り締めた。

 

 

 

 だが————彼は知らない。これから侵攻しようとしているフェアベルゲンは、とある死の支配者を崇める国となっている事。そして死の支配者に仕えるに足る兵となるべく、亜人族達が日夜訓練に明け暮れている事を……。




>ヘルシャー帝国

この話を書くにあたり、出来る限りで設定などを見直しましたが……。

・ヘルシャー帝国の建国は三百年前。一人の傭兵が起源だから、素性や血統にそこまで神聖性は無い。
・ハイリヒ王国は解放者ラウス・バーンの三男坊シャルム・バーンが始祖であり、数千年の歴史を誇る。
・ハイリヒ王国の背後には聖教教会があり、国王エリヒドの権力はイシュタルより弱いが、聖教教会のバックにいるというのは権力的に大きい。

以上の理由からヘルシャー帝国は「歴史的に浅く、血統も大した事ないので国としての格はハイリヒ王国より下」と推測しました。

>ガハルド

だからこそ、ガハルドは格下扱いされる自分の祖国を強大にすべく、富国強兵としてフェアベルゲンに侵攻して領土拡大や労働力の確保を狙っています。彼なりに国に為を思っての行動なんです。



とりあえず、墓碑銘には「国を想い、間が悪すぎた男」と刻んでおけばよろし?


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第七十二話「フェアベルゲンの訓練風景」

オーバーロード十周年おめでとうございます! アインズ・ウール・ゴウン様万歳!(魔導国民感)
 
そして7月からアニメ四期が楽しみです! PVを見て、憔悴した顔のジルやヒルマさんがツボでした(笑)
 
こっちの皇帝も、あんな顔にしてあげたいなあ……(ニッコリ)
 
追記
 
劇場版異世界かるてっとを観てきました! すごく面白かったです!
今回のキーキャラになったあの子とか、スゴいツボでした!
そして相変わらずデミの「なるほど……」がツボでした(笑)


 ガンッ! ヒュンッ!

 フェアベルゲン近郊の樹海で、金属同士を打ちつけ合う様な音が響く。西軍の大将である熊人族のジンは目の前の戦いに歯噛みしながら部下に指示を出した。

 

「くっ……止めろ、止めろ! 相手は一人だけだぞ!」

 

 部下達は各々の武器を握って前線から突出してきた人物に襲い掛かる。

 

「でりゃあああぁぁぁッ!!」

「ぐぬぅ!?」

 

 だが、その人物の武器の一振りで部下達は纏めて薙ぎ倒された。ジンもまた、手にした大剣を振ろうとしたが、それより早く距離を詰められて武器を喉元に突きつけられた。

 

「……私の勝ち、ですね?」

「くっ……降参だっ」

 

 ジンが悔しそうに投了した姿を見て、その人物———シア・ハウリアはフゥと息を吐いた。

 

「ソレマデダ」

 

 二人の間に冷気を感じさせる硬質な人外の声が響く。その声にシアとジンは居住まいを正した。

 

「コキュートス様」

「見事ダ、シア。鍛錬ノ仕上ガリヲコノ目デ見セテ貰ッタ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 現れた人物———コキュートスから褒められて、シアは恐縮な面持ちで敬礼した。

 

 ここはフェアベルゲン近郊に作られた練兵場。シアを含めた亜人族達は長きに渡り虐げられ、そして魔人族の襲撃から自分達を救ってくれた、アインズの恩に報いる為に日々鍛錬に励んでいた。彼等の教官であるコキュートスは、いま行われた模擬戦で目覚ましい活躍をしたシアに満足気に頷いた。

 

「コレナラバ、アインズ様モオ喜ビニナラレルダロウ。コノ調子デ鍛錬ニ励メ」

「本当ですか! 私、アインズ様の為に頑張ります!」

 

 ピコピコとウサ耳を動かして嬉しそうなシアを、敗軍の将であるジンは面白くなさそうに睨んだ。

 

「……クソ、“忌み子”風情に遅れを取るとは」

「……っ!」

 

 ジンの一言にシアは顔を強張らせた。

 

「ジン、その言い方はないよ」

 

 今回の模擬戦でジンの副将であり、魔人族の襲撃で数少ない元・長老衆の生き残りだった狐人族のルアは嗜める。

 

「その兎人族の子が強いのは確かだし、魔人族の襲撃があった後にも人一倍コキュートス様の訓練を頑張っていたのを知らないわけじゃないだろ? その彼女を認めないのは流石に心が狭過ぎないかい?」

「っ、分かっているっ」

 

 舌打ちしそうな声音で答えるジンに溜息を吐きながら、ルアはさらに言葉を重ねた。

 

「それに、今更“忌み子”も何もあったものじゃないだろ? 魔力を直接操れるという意味なら、今の僕達はみんな“忌み子"なわけだし」

 

 そう言って、ルアは白銀の尻尾をフリフリと動かした。

 ルアだけではない。ジンも、この場にいる亜人族の誰もが、シアの様に白銀の体毛、さらには身体のどこかに赤黒い血管の模様を浮かび上がらせていた。

 

 魔人族の襲撃後———負傷した亜人族を治療したナグモにより、彼等はトータスの魔物因子を身体に植え付ける改造手術を施されていた。これにより亜人族達は元から人間より優れていた身体能力を更に向上させ、限定的ながら魔物の固有魔法を使える様になっていた。かつてフェアベルゲンでは魔力操作の技能を生まれ持った子供を“忌み子”として処分していたが、今では亜人族の誰もが魔法を扱え、謂わば亜人族全てが“忌み子”となっていた。

 

「そういう伝統を保持してきたのは僕を含めた元・長老衆だけど、時代は変わったんだ。大恩あるアインズ・ウール・ゴウン様の為にもここは考えを改めて———」

「分かっていると言っているだろ! コキュートス殿、これで失礼する!」

 

 尚も言い募ろうとするルアに怒鳴ると、ジンは肩を怒らせながら大股で背を向けて行ってしまった。彼の直属の部下達が慌ててジンを追いかける。

 

「……申し訳ない、コキュートス様。それに……シア・ハウリアだったかな?」

 

 空気の悪くなってしまった練兵場で、ルアは二人に向かって頭を下げた。

 

「彼とてあの戦いで失った筈の手足をナグモ様に元に戻して貰ったから、ゴウン様に忠義は尽くしているんです。ただ、未だに旧い考え方を捨てられないというか……」

「あ、あの……私は別に気にしてなんて」

「実二下ラン」

 

 恐縮するシアとは対称的に、コキュートスはパキパキと凍る様な溜息を吐いた。

 

「オマエ達ハアインズ様ガ恐レ多クモ慈悲ヲカケラレ、アインズ様ノ為ニソノ身ヲ捧ゲルト誓ッタ身。アインズ様ノ為ナラバ、旧来ノ偏見ナド捨テ去ルベキダ」

「いやはや、仰る通りで。ジンには僕からも言って聞かせますから」

 

 コキュートスはルアに頷くと、シアの方を向く。

 

「シア・ハウリア。私ハオ前ガ魔物ト同ジ力ヲ持ツカラトイッテ、差別ハセヌ。何故ナラバ、ソノ力ハアインズ様ノ御役ニ立テルト私ハ確信シテイル。オ役ニ立テル様ニ日々精進セヨ。至高ノ御方ハソレヲ望マレテイル」

「ありがとうございます、コキュートス様。その御言葉を貰えるだけで、身に余る光栄です」

 

 シアが深々と礼をしたのを見て、コキュートスは声を張り上げた。

 

「他ノ者モ鍛錬ニ励メ! 全テハ神ヲモ超エル至高ノ御方ノ為ニ! 答エロ、オ前達ハ誰ニ忠誠ヲ尽クス?」

『我らの神、アインズ・ウール・ゴウン様の為に!』

 

 その場にいる亜人族達から力強く唱和される。コキュートスは一段と声を張り上げた。

 

「アノ御方ニ付イテ行ケバ、モウオ前達ハ亜人ダカラト虐ゲラレル心配ハナイ! 故ニ……献身セヨ! 至高ノ御方、アインズ・ウール・ゴウン様ノ為ニ!」

『万歳! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳!』

 

 亜人族達から万歳三唱が響き渡る。

 全てはフェアベルゲンの救世主、アインズの為に。

 彼等は献身的な信者の様に、アインズの名を歓喜の声で讃えていた。

 

 ***

 

「ふう………」

 

 練兵場からの帰り道で、シアは肩の荷を下ろす様に大きく溜息を吐いた。ほんの少しだけウサ耳がへにょりと垂れていて、それがシアの今の心情を表している様だ。

 

「“忌み子”、か……やっぱり、そういう風に見る人はまだいるんですね……」

 

 何処となく気落ちした様にシアは呟く。

 アインズによってフェアベルゲンが支配されて以来、シアの様に魔力を持つ亜人族は珍しくなくなっていた。しかしながら、従来の差別意識までは拭う事は出来なかった。無論、シアと共に魔人族と戦った亜人族達はシアの事を認めている。しかし、ジンを始めとした古くからの伝統を重んじる一部の亜人族は、未だにシアの事を“忌み子”と呼んで疎んじているのだ。それが長く隠れ潜んで生活してきたシアにとって、小さくない心の傷を作っていた。

 

「どんなに頑張っても、私はフェアベルゲンにとって忌むべき存在なのかな……、」

「おや、シアちゃんじゃないですか〜」

 

 しょんぼりと肩を落としていたシアに、おっとりと間延びした声がかけられる。振り向くと、モルモットの耳を生やしてまん丸眼鏡をかけた少女がそこにいた。

 

「あ、ミキュルニラ様。お久しぶりですぅ」

 

 シアはパッと笑顔になってミキュルニラに挨拶した。ナグモと共に亜人族達の治療を行い、定期的にフェアベルゲンの診療所を訪れてシア達、“改造亜人族"の診察を行うミキュルニラはフェアベルゲンでも良好な関係を築いていた。

 

「はい〜、お久しぶりです〜。それと様付けはしなくていいですからね〜。出来れば親しみを込めてミッキーちゃんと呼んで欲しいのです〜」

「え、ええと……」

 

 ミキュルニラの要求にシアは困った顔になる。ナザリックで至高の御方達に創られた存在(NPC)が他のナザリックのシモベ達よりも上位である事などは、コキュートスの教育でシアも知っている。シアからすれば、そんな偉い相手を愛称で呼ぶのは恐れ多く———それと野生のカンが、何かこう、その呼び方はマズいと警告していた。

 

「ええと、そうですぅ! ミキュルニラさんは何故こちらに? 前の診察の日からあまり日が経ってませんよね?」

「うぅ〜、またもじゅーる様が付けた可愛い名前を呼んで貰えません……。いえね、今日は私のお友達と休日が被ったので〜、せっかくだから案内してあげようかと」

 

 だぶだぶの白衣の袖でわざとらしく目元を覆っていたミキュルニラだったが、一転して泣き真似を止めて後ろにいた人物をシアの前に出した。そこにはストロベリーブロンドの髪を伸ばした少女――シズ・デルタがいた。

 

「この子はシズ・デルタちゃん、というお名前なんです〜。出来れば仲良くしてあげて欲しいです〜」

「は、初めまして! シア・ハウリアと申します!」

 

 ミキュルニラが連れて来たという事は、この少女もナザリックの関係者なのだろう、とアタリをつけたシアはシズに敬礼する。しかしシズは挨拶を返さず、ジーッとシアを見つめていた。

 

「………………」

「……ええと、私が何か、わひゃあ!?」

 

 早業だった。ダンボールをこよなく愛する工作員ばりのCQCで背後に回り込むと、シズはシアのウサ耳を触った。

 

「もふもふ……もふもふ、可愛い……」

「ちょっ、ちょっと! そこは敏感で、ひゃん!?」

 

 表情を全く動かさず、シズはウサ耳をもふもふと触る。心なしか、目がキラキラとしている様に見えるのは気のせいかもしれない。

 

「はいはい〜、シアちゃんが困ってますから、一旦離れましょうね〜」

「……むぅ。仕方ない」

 

 ミキュルニラに嗜められて、ようやくシズは離れた。揉みくちゃに撫で回されたシアは『うう……もうお嫁にいけないですぅ』と涙目になる。

 

「ごめんなさいね〜。シズちゃんは可愛いくてもこもこしたものが好きなので〜。シズちゃんも勝手に触っちゃメッ! ですよ〜」

「……ごめんなさい。もうしない」

 

 ショボンと肩を落としながらシズが謝る。

 

「……」

「ええと……」

 

 表情が全く無いのに、シュンと沈んだ空気がシズの周りを覆う。あからさまに落ち込んだ様子を見かねたシアは、シズに声を掛けた。

 

 

「その……さっきみたいにいきなりでなければ、時々触ってもいいですよ?」

 

 パアアァッと表情を動かさず、シズの纏った空気が明るくなる。

 

「……ありがとう。貴方、とても良い子」

「いえいえ、それ程でも……って、なんか貼られたですぅ!?」

「……お気に入りだから、あげる」

「シズちゃ〜ん、一円シールはキチンと相手の許可を取ってから貼りましょうね〜?」

「……むぅ。こうした方が可愛いのに。香織といい、良さを分かってくれる子が少ないのが最近の悩み」

 

 シアの額に貼られたシールに剥がし液を垂らすミキュルニラに、シズは表情を動かさないまま不満そうな声を上げた。なんというか、表情が無い割にはなんとも感情が分かりやすい人だなぁ、とシアはぼんやりと考える。

 

「ところで〜、元気なかったみたいですけど〜、どうかしたのですか〜? 良ければお話をお聞きしますよ〜?」

「いえ、大した事じゃないんですけどね……」

 

 ミキュルニラのゆるふわな雰囲気がそうさせるのか、シアは先程ジンに言われた事を話した。

 

「そうですか。そんな事が……」

「まぁ、気にしても仕方ないですぅ! 魔力持ちの亜人なんて、もうフェアベルゲンでは珍しくもないですからね!」

 

 いつもの間延びした口調を捨てて真剣に話を聞いてくれたミキュルニラを心配させまいと、シアは明るく振る舞った。

 

「…………」

 

 無言のまま聞いていたシズは、シアの頭をポンポンと撫でる。

 

「シズ、様……?」

「……貴方は“忌み子”なんかじゃない。そんな事を言う奴等なんか、放って置けばいい」

 

 感情の宿らない硬質な自動人形(オートマトン)の瞳で、シズはシアをじっと見つめた。

 

「……コキュートス様は貴方の頑張りを認めている。……貴方を認めてくれる人は、キチンといる」

「そうです、そうです〜。そんな暗い顔をしなくても良いですからね〜」

 

 シズに同調する様にミキュルニラはいつもの口調で頷いた。

 

「コキュートス様の訓練で、貴方が亜人族の皆さんの中で一番強くなっている事は私も知ってますよ〜。きっとアインズ様も、シアちゃんの才能を見込んで貴重な蘇生アイテムを使ったのかもしれませんね〜」

「ゴウン様が……私を……?」

「はい〜、あの御方は私達を最後まで見捨てず、人間のしょちょ〜の為にも香織ちゃんを助けに行く程に慈悲深い方ですから〜。アインズ様から直々に慈悲を賜ったシアちゃんはむしろ、祝福された子と言えるでしょうね〜」

 

 ミキュルニラの言葉に、シズは無表情でウンウンと頷く。

 シアは感服した面持ちで自分の胸に手を当てた。そこに感じる鼓動が、あの恐ろしげな外見に反して慈悲深き死の支配者からの贈り物(ギフト)だと思うと、急に自分の存在が誇らしくなってきた。

 

「だからシアちゃんはもっと自分に自信を持っていいと思いますよ〜」

「……その通り。頑張れ。頑張れば、アインズ様もその働きに見合った恩賞を貴方にお与えになる」

「はい! ゴウン様の為に頑張るですぅ!」

 

 やってやるですよー! と元気になったシアに、ミキュルニラは笑顔で頷いた。シズは無表情のまま、シアに近付く。

 

「……さっきのシール、出来れば目立つ所に貼って欲しい。もしも、シアが困った事になったら、私の姉達も力になってくれる筈」

 

 姉達という事は、シズは末っ子なのだろうか? とシアが首を傾げていたが、ピンとウサ耳を立てた。シアが音を拾った方を向くと、ドタドタと慌てながら走る兎人族の少年が駆け寄ってきた。

 

「シアお姉ちゃん!」

「パルくん? そんなに慌ててどうしましたか? 確か今日は樹海の外縁部の見張り当番だったんじゃ……」

「それどころじゃないんだ!」

 

 ハァハァ、と息を切らし、シアと一緒にいるナザリックの偉い人達(ミキュルニラとシズ)の前で礼儀正しくする事も忘れて兎人族の少年はシアに慌てた様子で話しかけた。

 

「大変なんだ! 帝国が……帝国が攻めてきた!」

 

 瞬間、シアだけでなくミキュルニラやシズも目を丸くした。




>シア

 自分的にはオバロのエンリさん枠にしたいかなー、と。それはそうと、可愛いウサ耳持ちなのでシズに気に入られました。

 どうせならこの騒動で、あまり動かせていなかったプレアデスとかを活躍させていこうかな。


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第七十三話「フェアベルゲンの対策会議」

 事情あって、八月に東京へ転勤する事になりました。今まで「今日の東京都の感染者数は……」というのを鼻ホジしながら聞いていたのが他人事じゃなくなるんだなぁ。


「整理しましょう」

 

 アルテナの声が張り詰めた空気の中で響く。

 かつてはフェアベルゲンの長老衆の会議場として使われた部屋には、現在の族長代理であるアルテナ、先の襲撃で元・長老衆の中で数少ない生き残りメンバーとして狐人族のルアと熊人族のジン、そして帝国侵攻の情報を持ち帰ったパル。彼の種族の族長としてカム。そして———。

 

「何だって、忌み……()()()()がここに……」

「まあ、まあ、ジン。彼女は今のフェアベルゲンで最強の戦力だよ。それなのに何も聞かさないというわけにいかないだろ?」

 

 ルアが宥めながらも苦々しい顔で睨んでくるジンに、シアはビクッと肩を震わせた。ジンが放つプレッシャーに耐えきれずにプルプルと震える姿はまさしく怯えた子ウサギの様だ。これがフェアベルゲンで一番強い亜人族などと言われても、何も知らない第三者は信じないだろう。

 

「ルア様……いえ、ルア()()の言う通りですわ」

 

 まだ何かを言おうとするジンに先んじてアルテナが口を出した。

 

「シアちゃ……彼女はフェアベルゲンで最強の戦士。ならば我々の会議に加わる権利は十分にありますわ。これは、フェアベルゲンの族長代理として私が判断した事です」

「チッ……」

 

 ジンは舌打ちしながらも、アルテナの言葉に押し黙った。本来ならば、いかに前・族長だったアルフレリックの後継とはいえ、年若いアルテナの言う事などジンは無視することも出来なくない。しかし、ジンとルアの生き残りの長老衆は先の魔人族の襲撃において「外からの侵略を想定せず、対応の遅さから多数の同胞を死なせてしまった」ことへの責任を取る形で、フェアベルゲンの政治中枢から手を引いたのだ。

 

(まあ、僕達が()()だったという事が、魔人族の襲撃で証明されちゃった様なものだしねえ……)

 

 ジンの隣でそっとルアは溜息を吐く。狐人族の族長として、そしてフェアベルゲンの長老衆の一人として伝統に則ってこの国を支えてきた。

 だが、時代は変わったのだ。これからはアルテナやシアの様な若い者達が中心に国を治めるべきなのだろう、と彼は考えていた。

 

(果たしてジンはどう思っているやら? アルテナのお嬢さんがフェアベルゲンの族長代表となった事に文句を言わなかったから、彼も自分達の伝統を守るだけじゃ駄目だと気付いてはいると思うのだけど……)

 

 今はあくまでアルテナの補佐として、ルア達は長老衆の席に座っているのだ。族長代表のアルテナが要請した以上、ジンもシアがこの場にいる事にそれ以上の文句は言わない様だ。

 

(もっともゴウン様がこの地に降臨されてから、長老衆自体が形骸化した様なものだけど……)

 

 ルアが内心でそんな事を考えていると、アルテナはこの場で上座に座った人物へと声を掛けていた。

 

「コキュートス様も、それで宜しいでしょうか?」

「……構ワン。会議ヲ始メルガイイ」

 

 会議場の中で最高位の権力を持つ議長席———亜人族達がその人物に感謝と敬意を示す為に一際立派に造り、玉座と呼ぶべき椅子の後ろには“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドサインが垂れ幕に描かれていた。コキュートスはその玉座を護る様に近くの席に座っていた。

 アルテナ達は一度起立し、“アインズ・ウール・ゴウン”の旗とコキュートスへ最敬礼した後に会議を始めた。

 

「では、最初の議題に移りましょう。パル・ハウリア。貴方達、国境警備隊は本日の昼頃に樹海内で帝国の軍勢を発見した。間違いないですか?」

「は、はい! 間違いないです!」

 

 緊張してガチガチになりながらも報告するパルに、ルアは細い糸目を向けた。

 

「帝国が奴隷狩りで来てるという線は無いかな? 奴等は樹海の外側に出た亜人族を狙って、定期的に捕獲専用の部隊で巡廻に来るそうだけど」

「えっと……それは無いと思います。奴隷狩りにしては数がとても多かったし、樹海内で野営地を設営していました。それに手探りな感じでしたけど、フェアベルゲンの方向へ真っ直ぐに進んでいました」

「野営地を? そんな事したら樹海内の魔物にすぐ襲われて……いや、そうか。魔人族の襲撃の後、樹海で魔物を見掛けなくなっていたからな。上手くスキをつかれた形になったか……」

「しかし、どうやってフェアベルゲンの場所を? 今まで所在地がバレた事は無かったのに……」

 

 カムが不思議そうに呟くと、パルが答えにくそうな顔ながらも返答した。

 

「それが……あいつらは魔人族が切り拓いていった侵攻ルートを辿っているみたいで……それと………っ」

「パル? どうしたのですか?」

 

 急に押し黙ったパルにアルテナが不思議そうに聞く。パルは唇を噛んでいたが、しばらくしてようやく声を絞り出した。

 

「あいつらは……あいつらは、亜人族の奴隷達を使ってフェアベルゲンの場所を探し出しているんだ!」

「……っ!」

 

 予想はしていたが、改めて言葉に出されてアルテナ達の顔が強張る。パルは血を吐く様に自分が見てきた物を伝えた。

 

「奴隷にされた亜人族が十数人はいた! 耳とか尻尾を切られて、ボロボロの服を着せられて、鎖に繋がれていたんだ! あいつらはその人達を笑いながら鞭で叩いて、フェアベルゲンの場所を聞き出していた! 絶対に教えない、って抵抗した人もいたけど、帝国の奴等はその人の首を笑いながら斬り落とした! それで生き残りの人達に「逆らったらこうなるぞ?」と首を投げ付けて、それで———!」

「パル、落ち着きなさい」

 

 カムが宥めたが、その手は怒りに震えていた。他の者達も同様だ。フェアベルゲンの外では亜人族は差別されているとは知っていたが、直接見てきたパルの証言は亜人族達に怒りの炎を燃え上がらせていた。

 

「すぐにでも助けたかったけど、奴等の数が多くて、この事を皆に早く知らせなくちゃと思ったから、僕は……あの人達を見捨てて……!」

「貴方が悪いのではありません。そこで軽率な行動を取っていれば、私達はこうして対策を考える時間すら与えられなかったでしょう。冷静な判断を下してくれた事に感謝しますわ」

 

 唇を噛み締めたパルに、アルテナは慰める様に言葉をかけた。それを見ながら、ルアは首を傾げた。

 

「しかし、まだ疑問があるね。彼が伝えてくれた行軍速度からすると、少し早過ぎないかな? その奴隷にされた亜人族達の中で樹海からフェアベルゲンまでの道筋を知っている子がいたのか?」

「……そういえば、帝国の奴等は熊人族の女の人をしきりに拷問していた気がします」

「……何?」

 

 パルの発言に、それまで言葉を発しなかったジンが初めて口を開いた。ジロリとジンの鋭い眼光がパルを射抜く。

 

「おい、兎人族のガキ。ふざけるな、俺の一族に同胞を売る様な真似をする奴はいねえ」

「う、嘘じゃないよ! あれは熊人族のお姉さんだったよ! 名前は確か……アルトって呼ばれてた!」

 

 バンッ!!

 

 ジンは椅子を蹴落とす様に立ち上がった。彼はまるで幽鬼を見たかの様に顔を蒼白にさせ、パルに詰め寄った。

 

「アルト、だと……!? おい、ガキ! それは、聞き間違いじゃないのか!?」

「い、いいえ! 周りの亜人族の人達にそう呼ばれているのちゃんと聞きました!」

「歳は!? そいつの歳はどのくらいだ!?」

「た、多分シアお姉ちゃんと同じくらい……」

「そいつの目の色は! 明るいブラウンだったか!? 目に泣き黒子は無かったか!?」

「い、痛い、痛い!」

「ジン殿!? 落ち着いて下さい!」

「パル君が痛がっています! 離してあげて下さい!」

 

 矢継ぎ早にパルに質問し、興奮のあまりに彼の肩を締めつけていたジンをカムとシアが慌てて引き剥がす。引き剥がされながら、ジンは「いや、まさか……そんな……」と譫言の様に呟く。

 

「どういう事ですの? ジンさん、その熊人族に心当たりでもあるのですか?」

 

 アルテナは不審そうに聞くが、ジンは顔を覆ってブツブツと呟いていた。そんな彼の代わりに、ルアが言い辛そうな表情で口を開いた。

 

「その……兎人族の彼の聞き間違いでなければ、半年前に樹海で行方不明になったジンの娘と同じ名前だね」

「なんて事……」

 

 アルテナは思わず口を覆ってしまう。同時にハッキリとしてしまった。熊人族の族長の娘ならば、樹海の中を迷わずにフェアベルゲンまで案内する事も可能だろう。

 

「すぐに助けに行くべきですぅ! アルトさんや他の人達が酷い事をされる前に!」

「………いや」

 

 シアが椅子から立ち上がって主張したが、ジンは顔を伏せたまま低い声を出した。

 

「………必要ない。通常の作戦行動に則って、防衛ラインで帝国を迎え撃つ」

「なっ……どうしてですか!?」

 

 ジンの発言にシアが驚いた顔になる。ジンは苦渋を滲ませた顔で言葉を絞り出した。

 

「……ガキ、帝国の人間共の数は約10,000人だそうだな?」

「う、うん。多分、そのくらい」

「対してこちらは動ける女子供を集めても、せいぜい300人。その戦力差なら籠城するのが基本だ。迂闊に攻められねえ」

 

 何より、とジンは強い表情で周りを見渡す。だがそれは、まるで怪我を負った獣の様に眼光が鋭く———弱り果てた顔だった。

 

「……樹海の外に出た者はフェアベルゲンでは死んだ者だ。俺に娘なんていなかった。死人相手に生きてる同胞達を危険な目に遭わせられねえ」

「そんな……そんなの、あんまりですぅ!」

 

 ジンの主張にシアは真っ向から異議を唱えた。

 

「死んでなんていません! 同胞の皆は帝国の人間達に苦しめられながらも、助けを求めています!」

「お、おい。シア」

「それなのに、どうして見捨てるなんて選択をするんですか!? 彼等だって、フェアベルゲンの場所を教えまいと必死で抵抗しているのに!」

 

 カムが宥めようとするが、シアは自分を抑え切れなかった。ハウリア族は一族全てが家族という考えが浸透しており、“忌み子”だったシアが今日まで生きてこられたのも一族が総出で自分を大事に育ててくれたからだ。

 

「実の娘なのに、どうして見捨てるなんて言うんですか!」

「っ、知った様な口を聞くなよ“忌み子”の小娘風情があああっ!!」

 

 ダンッと机に拳を振り下ろしてジンは立ち上がった。その目はやるせない怒りや苛立ちなどの感情で燃えていた。

 

「樹海の外で奴隷になった奴は死んだ者として扱うのはフェアベルゲンの伝統だ! 今まで何人もそうやって処理した! “忌み子”が産まれたら、親友や親族の子供だろうと処分した! そうやって同胞達に国の為だからと辛酸を舐めさせてきたのに、今さら俺の娘だけを特別扱いになんて出来るか! 俺は長老衆の一人としてそうやってフェアベルゲンを治めていたんだ! コソコソ隠れて暮らしていた“忌み子"のお前には分からないだろうけどな!」

「分かりません! そんな伝統に拘って、いま苦しんでいる人達をどうして見捨てようとするんですか!」

 

 手負いの獣の様に吼えるジンに対して、シアは一歩も引かずに怒鳴り返した。先程までジンの放つプレッシャーに気圧されていたが、今は一歩も譲らないとばかりに真っ向から意見する。シアも、ジンも、お互いにヒートアップしたその時だった。

 

 カツンッ!!

 

 ハルバードの石突を床に叩きつける音が響く。

 

「双方、抑エヨ。話ガ一向ニ進マン」

 

 コキュートスが冷気を漂わせる吐息を吐きながら、硬質な声を出した。

 

「マズ話シ合ウベキハ、アインズ様ガ手ズカラ救ワレタコノ地ニ進軍シテクル愚カ者共ニドウ対処スルカ、デアル。異論ハアルカ?」

「っ、申し訳ありません!」

 

 ジロリ、と青い複眼で睨みつけられ、シアは慌てて頭を下げた。ジンもシアに対して横目で睨みながらもコキュートスへ頭を下げる。

 

「では、フェアベルゲンの族長代表として決を取りましょう。進軍してくる帝国軍と戦う……それを基本指針として宜しいですか?」

 

 アルテナの凛とした声が響く。

 

「私達はゴウン様に救われた身。帝国に膝を屈するなど、あり得ないでしょう」

「カムに同じく。ゴウン様が赴かれる大迷宮を守るのが僕達の使命だ」

 

 カムとルアが頷く。この場にいる者達は言葉にこそ出さないが、皆アインズの為に帝国と戦おうという意思をはっきりと感じさせた。

 

「では、我々フェアベルゲンはこれより進軍してくる帝国軍に命を賭してでも戦います。帝国軍一万に対して、我々の戦力は三百人。実に圧倒的な人数差ですが、戦うと決めた以上は、これより先に反対意見を述べる者はゴウン様への叛逆と見做しますわ。よろしいですわね?」

 

 「おう」、「はい」と返答されたのを見て、アルテナは頷いた。

 

「そして、いま現在帝国軍に囚われている同胞達についてですが……」

 

 ギュッとジンの拳が握られる。何でもない様に装っているが、落ち着かない様子で肩をソワソワと動かしていた。

 

「私は彼等を助けるべきだと進言致しますわ」

 

 ざわっと会議室の空気が動く。

 

「族長の娘という事は、大迷宮に繋がる大樹への行き方を知っている。そうですわね? ジンさん」

「あ、ああ。いずれは後を継がせようと思って、基本的な口伝くらいは……」

「それならば、いま帝国は大迷宮への鍵を握っているのと同意ですわ。ゴウン様が赴かれる大迷宮が、帝国軍に奪われるなどあってはならない事です」

 

 何より、とアルテナは周りを見渡した。

 

「……かつてゴウン様は、圧倒的な数の魔人族と魔物の軍勢に対して一歩も退かずに我々に救いの手を差し伸ばしてくれました。そして今、苦しめられている同胞達がいる。今度は我々が彼等に手を差し伸べる番です。それこそが、ゴウン様に救われた我々が為すべき事です」

「アルテナちゃん……」

「……方針ハ纏マッタ様ダナ」

 

 戦う覚悟を決めた亜人族達を見ながらコキュートスがカチカチと鋏を鳴らした。

 

「……アインズ様ノ御力ニ縋レバ、囚ワレタ者達モ容易ク救エルダロウガ、貴様等ハドウスル?」

 

 確かに魔人族達を赤子の手を捻る様に全滅させたアインズならば、進軍してくる帝国軍の対処も奴隷にされている亜人族の救出も全て完璧に熟せるだろう。ジンの顔に縋る様な表情が浮かんだのも無理もない話だった。

 しかし———。

 

「それは……甘え過ぎだと思います!」

 

 その場の視線が全てシアに集まった。シアは緊張で口の中が渇きそうになりながらも、はっきりと口にした。

 

「確かにゴウン様にお縋りすれば、どうにかしてくれるかもしれません。でも、ここは私達の国ですぅ! 自分達で出来る限りの事はやるべきだと思います! 偉そうな事を言ってるのは、承知の上ですけど……」

「……いえ、私もシアちゃんと同じ意見ですわ」

 

 尻すぼみになっていく親友の言葉に、アルテナは励ます様に頷いた。

 

「ゴウン様に救われ、その恩義に報いるためフェアベルゲンの大迷宮を死守すると決めたのは私達。何もしていない内からゴウン様にお頼りするのはお門違いですわ」

「私も、だ。大事な一人娘を救われたその恩義を今こそ返すべきだろう」

 

 カムも力強く頷くと、ジンと向かい合った。

 

「ジン殿。掟に背いてシアを匿い続けた我々の一族に対して、思う所があるかもしれない。しかし、子を持つ親として、貴方の苦悩は理解出来るつもりだ。貴方の娘は必ず助け出す。一族総出で、救出に向かう事を約束する」

「………兎人族風情に言われても」

「まあまあ、ここは素直に好意を受け取っておきなよ」

 

 まだ拗ねた様な態度を見せるジンをルアは宥めた。

 それらを見ながら、コキュートスはどこか満足そうに頷く。

 

「……ナルホド。ソレガオマエ達ノ決断カ。ナラバ、余計ナ手出シハ無粋トイウモノ」

 

 コホォオオ、と冷気を吐きながら、コキュートスは声を張り上げた。彼の背後には、この世で最も誉れ高い至高の存在を示す印が描かれた垂れ幕があった。

 

 

「ナラバ、見セテミヨ! 御方ニ恥ジヌ戦イ振リヲモッテ、侵略シテクル愚カナ賊共ヲ殲滅セヨ!」

「「「「「Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)!!」」」」」

 

 シア達は一斉に“アインズ・ウール・ゴウン”の旗に敬礼した。

 

 ***

 

 ハルツィナ樹海内。ヘルシャー帝国軍の野営地。

 天辺にヘルシャー帝国の国旗が翻り、一際立派な天幕の中で肉がぶつかり合う様な音が響く。

 

「オラッ! 啼け! もっと良い声で啼いてみせろ!」

「あぐっ……ぎっ……」

 

 パンッ、パンッ! という音と共に、寝台の上で男が亜人族の少女を組み伏せていた。亜人族の少女の身体は至る所にミミズ腫れの様な赤い線が引かれ、元は熊の耳であったであろう頭部の耳は切断され、見た目だけ人間の様だった。首輪から伸びた鎖を引っ張られ、亜人族の少女は苦しそうに喘ぐ。

 

「お許、しを……どうか、お慈悲を……!」

「あぁん? 人間モドキのケダモノが舐めた事をぬかすなよ? そらっ、<雷罰>!」

「ああああああっ!?」

 

 首輪に掛けられた魔法が発動し、亜人族の少女の身体に電撃が奔る。この首輪は装着した者の筋力を下げ、電流が流れる様に作られた奴隷用の首輪だ。本来は奴隷が逃亡しようとした時や主人に叛逆した時に発動させる罰だが、一際立派な体格の男は容赦なく発動させた。

 

「ギャハハ! 良いぞ、締まりが良くなった! オラッ! もっと俺を楽しませろ!」

「あぐっ!? う、うぅ……!」

 

 男は息も絶え絶えに痙攣していた亜人族の少女の頬を力強く張り倒した。

 その男は、はっきり言うと粗野の一言に尽きた。短く刈り上げた金髪、筋肉が引き締まった大柄な身体。服装は庶民の年収を軽く上回る様な上質な造りでありながら、顔には弱者を甚振る事に快楽を見出した、下卑た笑みを浮かべていた。もしも上質な服を着ていなければ、山賊の頭だと言われても納得してしまう様な雰囲気だった。

 

「バイアス様」

 

 天幕の中に漂う臭いに一瞬だけ顔を顰めながら、初老の男が天幕に入ってきた。

 

「あん? 何だ? 取り込み中なのが見て分からねえか?」

「お戯れは程々に。そもそも次期皇帝ともあろう方が、穢らわしい亜人の牝を抱くなど……」

「ちっ、うるせえな」

 

 男——バイアスは舌打ちしながら初老の男に答えた。この初老の男は父・ガハルドからお目付役としてつけられた皇帝直属の親衛隊だ。その為に、ヘルシャー帝国の皇太子であるバイアスに意見する事が許されていた。

 

「これは尋問だよ、ジ・ン・モ・ン。この亜人はフェアベルゲンまでの道程を知っているんだろ? 皇族たるもの軍の糧食の消耗を抑えないといけないからな。だから俺が直々に最短ルートを聞き出してやってるんだぜ?」

 

 親衛隊の男は深い溜息を吐いた。どう見てもバイアスの欲望の発散に使っているというのに、彼は全く悪びれる様子は無い。

 

「しかしながら、せめてその……もう少し静かにやれませんかな? その——」

 

 親衛隊の男は冷たい目線をボロボロになっている亜人族の少女に向けた。帝国の「弱肉強食」の国是に染まり、亜人族を蔑視するエヒト教の常識を物心ついた頃から教わった彼にとっても、生傷が絶えずに荒い息を上げている彼女は同じ人間とすら見ていなかった。

 

「そこの()()()()の声が、外に漏れていましてな……。将校や兵達の間から不満の声が上がっているのです」

「ギャハハ、なんだよ。お前達も溜まっているのかよ?」

 

 皇族らしからぬ下品な物言いに、親衛隊の男は顔を顰める。しかしながら、バイアスは帝国の伝統に則り、次期皇帝の座を勝ち取ったのだ。それを不満というならば、帝国そのものに不満を言うのと同義だ。

 

「じゃあよ、亜人族の女の奴隷はまだ何人かいたよな? そいつらを使()()()()やれよ」

「なっ……話が違うじゃないですか!?」

 

 それまで寝台の上で受けた痛みに小さく丸まっていた亜人族の少女はガバッと身を起こした。

 

「私がバイアス様の御相手をする代わりに、他の人には手を出さないって約束で、ああっ!?」

 

 バキッ! という音と共に亜人族の少女は床に転がった。顔に青痣を作った少女の髪を掴みながら、バイアスは無理やり引き起こす。

 

「おい、人間モドキの獣風情が何を一丁前に意見してやがる? 約束だぁ? そんなものはな、対等の相手でないと成立しないんだよ。ヘルシャー帝国の次期皇帝の俺と、人間モドキの獣のお前が対等? 舐めてんのか、あぁ? なぁ、言ってみろ、自分はエヒト神からも見捨てられた愚かで下等な獣です、って言ってみろ!」

「あぅっ! う、うぅ……」

 

 バキッ! ドカッ! バキッ!

 

 無抵抗な亜人族の少女をバイアスはひたすら殴りつける。亜人族の少女は身体に新しい青痣を作りながら、ただただ涙を流していた。

 

「バイアス様、それくらいで。侵攻ルート確保の為にもそのケダモノにはまだ生きていて貰わねば困ります」

「チッ、仕方ねえな……とりあえず、適当な女の奴隷数人に首枷でもしてよぉ、誰でもご自由にって使わせてやれよ。舌を噛んで自害できない様に猿轡も忘れるなよ」

「……かしこまりました」

 

 話はそれで終わりだと欠伸するバイアスに、親衛隊の男は溜息を吐きながら背を向けた。結局、彼の態度を糺す事は出来なかったが、兵達のストレス発散という意味ならバイアスの提案は丁度良いだろう。輪姦されて何人かの奴隷は壊れるだろうが、まだ数はいるから大丈夫な筈だ。

 

「うぅ……ひっ、うっ……お父、さん……お父さぁん……!」

 

 床に転がった亜人族の少女が小さな嗚咽を漏らす。切られてしまった熊耳を押さえながら、彼女はひたすら泣き続けた。

 




 さて、一部で色々と言われていましたが、この作品ではシアはアインズ様やナグモ達と旅には出ません。彼女はフェアベルゲンでアインズ様の為に大迷宮の守護を基本的に行います。今回、そんな彼女に焦点を当てた話になる予定です。(だって戦力的にはナザリックだけでもエヒトをぶっ殺せるし……)

>ジン

 一部で悪しき慣習を後生大事にしていると揶揄されてる彼ですが、古い慣習を大事にするのはその人物なりの考え方があると思うんですよね。原作でも「アイツは国を第一に思っていた」と言われてはいたので、彼なりに長としてフェアベルゲンの慣習を守ろうとしているキャラにしました。

>バイアス

 やってる事が完全に薄い本にありそうな人間だわ……(白目)。今は高い酒を飲ませてやろうかと。
 
 ほら、最後の晩餐くらい豪華にしてあげたいじゃない?


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第七十四話「寡黙な表情の底にあるのは」

 時々、展開が頭の中にあっても思う様に書けなくて、イライラする時もあります。
 でも他の人の作品を読んでいると、こんな面白い話が読めるなんて! と思うと同時に、自分が一番読みたいのはやっぱり自分の作品の続きであると実感してきます。

 田吾作Bが現れたさん、竜羽さん、羽織の夢さん、GREEN GREENSさん、三文小説家さん……その他、ありふれの二次創作作家の皆様。そして、この作品を読んでくれる読者の皆様。この場を借りて、お礼を申し上げます。

 
 なんともありふれ側に優しくないクロスオーバー小説ですが、自分も皆様の様な作品をこれからも書いていこうと改めて思う所存です。


 会議が終了し、シアはフェアベルゲンの広場を歩いていた。周りでは急遽決まった防衛戦に多くの亜人族達が戦闘準備の為に忙しく動き回っていた。しかし、彼等の表情に不満や恐怖はない。今こそ大恩あるアインズの為に武器を手に取り、そして愛する家族達の為に今度こそ自分達の国を守ってみせると誰もが気炎に満ち溢れていた。

 

「……少し、無神経だったかもしれないですぅ」

 

 先の会議でジンが見せた表情を思い出して、シアはポツリと呟いた。

 シアはジンの事が苦手だ。未だに自分の事を“忌み子”と呼んで嫌悪感を隠そうとしないし、威圧的な態度で接してくるから苦手意識がある。

 しかし、先の会議でシアの中で少しだけ見方が変わっていた。彼は彼なりにフェアベルゲンの長老衆の一人としての責務を全うしていたのだ。それに対して感情的に反論してしまった事を少しだけ後悔していた。

 

「シアちゃん」

 

 声を掛けられて振り向くと、ミキュルニラが白衣の袖をパタパタとさせながら近寄って来た。その後ろにはシズの姿もあった。

 

「会議はもう終わりですか〜? それで〜、どうされる事になりました〜?」

「はい、ミキュルニラ様。私達、フェアベルゲンの民は総出で帝国軍と戦います。今こそ、アインズ様に救って戴いた御恩に報いる時です」

 

 迷いなく宣言するシアに、ミキュルニラ達は満足そうに頷いた。

 

「そうですか……コホン。きっとあの御方も、あなた方の選択を喜ばれると思います〜」

「……頑張って」

 

 咳払いをして、間延びした口調に戻したミキュルニラの横でシズも短く激励の言葉を送った。シア達、亜人族にとっては(アインズ)が住まう聖地———ナザリックから来訪した二人からの励ましに、シアはペコリと頭を下げた。

 

「ありがとうございます。アインズ様に恥じない様、必ず侵略者達を討ち取ってみせるですよぉ! ところで……差し出がましいのですけど、ミキュルニラ様にお願いがありまして……」

「何でしょう〜? 私に出来る事なら、可能な範囲でやりますけど〜?」

「実は……帝国軍に捕まって奴隷にされている同胞達がいるんです」

 

 ぴくん、とミキュルニラの眉が動いた。それまでニコニコとした温厚な笑顔が曇る。シズもまた、眉を顰めていた。

 

「奴隷……そう、ですか。予想して然るべきでしたけど……」

「……人間達は貴方達を奴隷にしているの? モフモフで可愛い子が一杯なのに?」

「はい……外の世界では、亜人族は基本的に人間扱いされないのですよ」

 

 亜人族は神からの恩恵たる魔法を使えないから、神にも見放された下等種族。

 それがトータスにおける一般常識だ。フェアベルゲンの民はエヒト神やアルヴ神を信仰しているわけではないが、知識の一環として自分達が人間達からどういう扱いを受けるのかは子供の頃から教わっていた。

 

「それで、お願いしたい事というのは、同胞達を救い出せたらその人達をナグモ様に治療して欲しいのです」

「しょちょ〜にですか〜?」

「はい。あの方はちょっと気難しい方ですけど、パルくんや皆を完治させてくれましたから」

 

 ナグモの腕ならば、帝国の人間達に酷い扱いをされている亜人族達も後遺症なく治療できる。そう見込んでの頼みだった。

 

「……ナグモ様にお願いするの? 引き受けてくれるか怪しいと思うけど」

 

 シズは平坦な声でシアに聞く。しかしながら、どこか訝しむ空気が出ていた。

 

「……ナグモ様は基本的に他人が嫌い。アインズ様の御命令でも無ければ、断ると思う」

「う〜ん……そうでしょうか?」

 

 シズの人物評にシアは少しだけ首を傾げた。シアはナグモと僅かにしか接していないが、それでも亜人族の治療を真剣に行っていた姿を見てシズの人物評に素直に頷けなかった。

 

「なんというか……私はそこまで悪い方には見えないですぅ。他人が嫌いな風に意識的に振る舞っているというか……」

 

 先程のジンを思い出す。長老衆の一人という役割(ロール)の為に自分を押し殺して(演じて)いた姿に、何故かナグモの姿が重なった。

 

「きっと、少し不器用なだけで、ナグモ様は根は良い人なんだと思います……あ、いや! 私が勝手にそう思ってるだけなんですけど!」

 

 思った事をそのまま口にしたシアは、ミキュルニラ達の前である事を思い出して慌ててパタパタと手を振った。

 しかし———。

 

「……ええ。あの人は、とても不器用な人なんです」

 

 ミキュルニラは優しく微笑みながらそう宣言した。それは———まるで、弟の成長を見守る姉の様だった。

 

「優しい人なんですよ……感情の出し方が、じゅーる様が定めた通りのやり方しか知らないだけで」

「……ミキュルニラ?」

 

 いつもと違う様子のミキュルニラに、シズは小首を傾げた。だが、シズへ振り向いた時にはいつもの顔に戻っていた。

 

「ん〜? どうかしましたか〜、シズちゃん。あ、いま言った事は内緒ですよ〜? しょちょ〜の耳に入ったら、きっとすごい表情(かお)で睨まれちゃいますから〜」

「は、はあ……?」

 

 いつもの様な気の抜ける間延びした声で言われて、シアはとりあえず頷くしかなかった。コホン、とミキュルニラは咳払いをする。

 

「残念ですけど〜、しょちょ〜は今出張に行っているのですぐに帰って来ないかもしれないです〜。でもご安心下さい〜、助け出した亜人さん達は私が治療しますので〜」

「あ、ありがとうございますですぅ!」

「いえいえ〜、亜人の皆さんを保護するのは至高の御方が決められた事ですから〜」

 

 ブンブンとウサ耳を振りながらお辞儀するシアに、ミキュルニラは笑顔で応えた。

 

「……貴方達だけで大丈夫?」

 

 唐突に、シズが口を開いた。

 

「……侵略してくる人間達の数は貴方達より圧倒的に多いと聞いた。貴方達だけで大丈夫?」

「あはは……確かに厳しいかもしれないですぅ」

 

 ナグモによって改造手術が施され、コキュートスによって戦闘訓練を施されたといっても、兵力差は実に三十倍を超えている。軍隊の常識からすれば、籠城戦に持ち込んでも勝てないと言われるだろう。だが、シアの決意は変わらない。

 

「でも、戦わないといけないです。大切な家族と故郷の為に……そして、私達の神様であるアインズ・ウール・ゴウン様の為に。あの御方に命を救われた恩を返す為に、私は戦います」

 

 それじゃあ、失礼します。と、シアは立ち去った。その背中をシズは黙って見送った。

 

「…………」

 

 シズは、何かを呼び止めようとする中途半端な位置で手を上げていた。

 

「シズちゃん。ひょっとして、何か言いたい事があったんじゃないですか〜?」

「………別に。何もない」

 

 フイッと横を向きながら、シズは応える。それをミキュルニラは少しだけ苦笑しながら優しく話しかけていく。

 

「本当はシアちゃんに力を貸してあげたかったんじゃないですか〜? シールをあげるくらい、気に入ったんでしょう〜?」

「………別に、そんな事なんて」

「ねえ、シズちゃん。寡黙な所がシズちゃんの可愛い所ですけど〜、時々は自分の思ってる事を口にしても良いと思いますよ〜?」

 

 無表情で、それでいながら感情豊かな自動人形(オートマトン)を親戚の歳下の子を見る様な目で、ミキュルニラは優しく話しかけた。

 

「しょちょ〜もいつも鉄面皮で、無愛想ですけど……本当は結構感情豊かな人なんです。でも、真面目な人だから……じゅーる様から任されたご自身の役職や在り方に忠実に遂行されてるのです」

 

 だから一時期は薬漬けになっちゃったんですけどね……と、遠い目をするミキュルニラに、シズは首を傾げた。至高の御方(創造主)が定めた在り方に忠実なのは、ナザリックのNPCならば当然の事だ。何を今更、とシズは不思議に思っていた。

 

「シズちゃんは、しょちょ〜とちょっと似てます。だから、もしもシズちゃんがやりたい事があるなら、我慢しないで言った方が良いですよ」

「……でも、それは……私の我儘」

「大丈夫ですよ〜」

 

 目線を下に落としたシズに、ミキュルニラは微笑んだ。

 

「シズちゃんが我儘を言ったからといって、嫌いになったりする人はいません。少なくとも、シズちゃんのお姉さん達はそうだと思いますよ〜?」

 

 ***

 

 ヒュン、と転移魔法陣が起動してシズの身体が浮かび上がる。次の瞬間には、シズは薄暗い部屋にいた。シズは慣れた様子で部屋のドアを開ける。外は広い草原になっており、少し離れた場所には至高の御方が作り上げた誉れ高い聖地にして、シズの生まれ故郷であるナザリック地下大墳墓が見えた。

 

「あら、シズじゃない。お帰りなさい」

「お帰りぃ」

 

 転移魔法陣が設置されている小屋から出ると、そこの警備をしていた二人の武装メイドがシズを出迎えた。

 一人は黒い髪を夜会巻きにして、細長い楕円形の眼鏡をかけていた。背筋はピンと伸ばされ、立ち振る舞いには隙が一切見当たらない。まさに知的な美女、という理想を形にした様な女性だった。

 もう一人は先の女性よりも背が幾分か小さい少女だ。フリルの付いた可愛らしい着物の様なメイド服を着て、頭には二つに纏めたシニョンで髪を結い上げていた。ただ、彼女の表情はお面であるかの様に全く動かず、瞳も劣悪なガラス玉の様な印象を受けた。

 

 彼女達の名前は、ユリ・アルファとエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。シズと同じ戦闘メイド“プレアデス”の一員であり、シズの姉妹にあたる存在(NPC)だ。

 

「休暇は楽しかったぁ? 妹のシズゥ?」

「……違う。貴方が妹」

 

 両手を広げて威嚇のポーズを取るエントマに対し、シズもシャドーボクシングをしながら応じる。

 そして———二人でチラッとユリに視線を送る。視線の意味を悟ったユリは、溜息を吐きながら二人の間に割って入る。

 

「ハイハイ、喧嘩しないの。二人のどちらが妹にあたるかは、アインズ様もご存知ではないと仰っていたでしょう?」

「むぅ。仕方ないぃ、ユリ姉に免じて許してあげるぅ。寛大な姉に感謝すると良いぃ」

「……だから、貴方が妹。でも私は姉として妹の我儘を聞き入れてやる」

 

 パチパチと軽い火花がエントマとシズの間に散る。とはいえ、お互いにじゃれついている様なものだ。だからこそ仲介を買って出て欲しくてユリをチラチラと見てくるし、それが分かっているからユリもあまり強く説得しないのだ。

 

(まあ、本気で喧嘩する様ならブン殴って説得すれば良いものね)

 

 などと、創造主(やまいこ)譲りの脳筋思考をしながら、ユリは話題を変えた。

 

「それで、確かミキュルニラと一緒にアインズ様が御支配された亜人族の国に行っていたのよね? どうだったの?」

「……モフモフな子が一杯。兎の子は耳を触らせてくれた」

「おぉ〜、ウサギ肉ゥ! 柔らかくて美味しそう!」

「……食べちゃ駄目。その子、私のお気に入り」

「そもそもアインズ様が手ずからお救いした者達よ。勝手に害したら、アインズ様のご不興を買うわよ?」

「ちぇ〜、残念」

 

 気を落とした様にエントマは溜息を吐く。人肉が好物なエントマからすれば、亜人族は獣と人間がミックスされた合い挽き肉といった所だろうか。

 

「そもそもナグモ様が処分するから、とお渡しされた魔人族達がまだ沢山いるでしょう?」

「えぇ〜、でもあれ不味いしぃ。色々な魔物とか混ざってるから、なんか変な味ぃ」

「まったく、貴方って子は……。分かったわよ、今度アインズ様にお願いしてみるから、今は我慢しなさい」

「は〜い」

 

 やれやれ、といった様子でユリは溜息を吐く。彼女のカルマ値はプラス寄りだが、何よりも優先されるのは至高の御方(アインズ)と妹達だ。犠牲になる人間達の事は気の毒に思っても、それ以上の感情は湧かなかった。

 

「…………」

「? どうかしたのかしら?」

 

 そのやり取りをジッと見つめていたシズの視線に気付いて、ユリは不思議そうな表情になる。

 

「……ユリ姉は、私が我儘を言っても怒らない?」

「え? 当然じゃない。あんまりな内容は困るけど、ボク……じゃなくて、私は貴方達の長女ですもの。妹達の面倒を見るのが、私の役目よ」

「そうそうぅ。だから、困ってる事があるなら私に話してみなさいぃ。妹のシズゥ」

 

 またか、と始まるだろう姉妹喧嘩に少しだけうんざりするユリ。だが、予想に反してシズから反論の声は上がらなかった。シズは何かを考え込む様に目を伏せていたが、やがて無表情な———それでいて意志の篭った目を向けてきた。

 

「……ユリ姉、エントマ。力を貸して」

 




今までの感想欄を見ていると、オーバーロード原作は読んでないけどこの作品を見ているという方もいる様なので、ちょっとキャラ解説をやってみます。詳しい事を知りたい人がいたら、是非原作を読んで下さい。

>シズ・デルタ

 ナザリック地下大墳墓の第九階層「ロイヤル・スイート」にいる戦闘メイド「プレアデス」の一人。種族は自動人形であり、職業はガンナー。エントマとはどちらが妹か、と良く口論になる。モコモコとした可愛い物が好き。カルマ値は中立〜善。無表情ながら、感情表現はなんとなく分かりやすい。因みに本名はCZ2128・Δ。
 機械の身体を持つ為、本作では第四階層「ナザリック技術研究所」の面々と関わり深い。

>エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 シズと同じく「プレアデス」の一人であり、種族は蜘蛛人(アラクノイド)。職業は符術師、蟲使い等。ほっそりとした可愛らしい少女の見た目や声をしているが、全て使役している蟲達による擬態。カルマ値は中立〜悪。人間を食糧として見ているが、満腹だったり不味そうな見た目なら見逃してはくれる。

>ユリ・アルファ

 「プレアデス」の副リーダー(リーダーは執事セバス・チャン)であり、戦闘メイド達の長女として設定されたNPC。種族はデュラハンであり、普段は頭が外れない様に固定している。職業はストライカーであり、創作者のやまいこが「未知の敵でもとりあえず殴ってみる」という性格だった為か、若干脳筋思考。普段はボクっ娘のようで、時々「ボ……失礼しました……私は」と言い直す。カルマ値は善であり、ナザリックの中では話が通じる方でもある。


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第七十五話「反撃の刻」

 フェアベルゲンの樹海の中で、木々の枝から枝へと飛び移っていく様に人型の影が複数動く。猿よりも俊敏に動く彼等は目的地でシュタッと木の上から降りた。

 

「偵察ご苦労様です。首尾はどうですか?」

「はい。帝国軍は現在、奴隷の同胞達を先頭に歩かせながら野営地を出ました!」

 

 偵察隊を代表して野戦服を着たパルがアルテナへ報告する。この野戦服はナザリックの技術開発を担当しているナグモが設計した装備であり、周囲の景色に合わせて迷彩柄が切り替わるという代物だった。

 

「霧や樹海の環境の影響で行軍速度はそれ程じゃないですけど、あと一両日以内で関所に辿り着きます!」

「そうか……さて、そろそろどう迎撃するのか最終的な作戦を決めようか」

 

 狐人族のルアは周りを見回した。アルテナ、ジン、シアといった面々が作戦首脳陣として控えていた。

 

「帝国軍10000に対して、こちらは300。地の利は我々にありだけど、正面からぶつかるのは得策じゃない」

 

 テーブルの上でフェアベルゲンの亜人族達だけが知る地図を広げ、帝国軍とフェアベルゲン側に見立てた石を置きながらルアは説明する。

 

「となれば、こちらが取るべき戦い方は樹海に隠れ潜みながらのゲリラ戦となるわけだけど、その前に早急に対処しなくてはならないのが……」

「帝国軍に囚われている同胞達、ですね」

「その通り。彼等を盾や人質にされたら、こちらの動きが制限されてくる。先に何とか彼等を帝国軍から引き離さなくてはならない」

 

 アルテナへ頷きながら、帝国軍側に置かれた十数個の小石をコツコツと指で叩いた。

 

「さて……皆の意見を聞きたい。どうやって彼等を助け出そうか?」

 

 ルアの一言に皆は考え込む。やがてアルテナが手を上げた。

 

「不意を打って、同胞達だけを連れ出す事は出来ませんか?」

「えっと、難しいと思います。同胞達は逃亡防止に全員鎖に繋がれていて、一塊になってでしか動けない様にされていました」

「そうですか……」

 

 パルの報告にアルテナは眉根を寄せる。そうなると奴隷の亜人族達の移動は手間取り、帝国軍はその隙を見逃してはくれないだろう。

 

「考える必要なんてねえ」

 

 ジンが無愛想な声を上げた。心なしか、いつもよりも表情は硬い。

 

「いかなる犠牲を払おうが、大将首を一気呵成に落とす。そうなりゃ10000の大軍だろうと烏合の衆になる。それしかねえだろ」

「ジン、君はまた……」

「これは、フェアベルゲン全体を考えた上での判断だ」

 

 ルアを遮り、ジンは頑なな態度でキッパリと答えた。

 

「俺達はゴウン様に救われた身だ。あの御方が大迷宮で神代魔法を取得するまで、大迷宮を守り通すのが俺達の新たな使命だ。その為なら―――いかなる犠牲を払ってでも、絶対に帝国軍を大迷宮に近寄らせるわけにはいかねえ」

「ジン………でも、大将首だけを狙うと言ってもそう簡単に近寄れるとは思えないよ?」

「それも問題ねえ。……俺が行く。お前達は奴隷にされた同胞達の救助に全力を割け。その間に、俺が敵陣の奥深くまで突っ込んで大将首を刎ねれば良いだけだ」

「なっ……それは、貴方が決死隊として特攻すると言うのですか? そんなの、認められませんわ!」

 

 まるで鉄砲玉の様な扱いを自ら買って出るジンに、アルテナは抗議の声を上げた。だが、ジンの表情は変わらない。彼はシアをジロリと面白くなさそうに睨んだ。しかし、その目にいつもの様な力は感じられなかった。

 

「そこの“忌み子”……ハウリア族の小娘がいなければ、俺はそもそも今日まで生きていねえ。それは分かっている。こいつはもう俺より強えからな。俺がいなくてもフェアベルゲンはどうにかなるだろ。それに、これからのフェアベルゲンに必要なのはアルテナやこいつみたいな若くて柔軟に考えられる奴等だ。俺みたいな、古い考えに縛られた年寄りじゃねえ」

「ジン………」

「……ルア、お前は前の長老衆の中でも一番の若手だ。お前はこれからのフェアベルゲンをアルテナと支えろ。アルテナも族長として大分板に付いてきたしな。古い考え方しか出来ない年寄りは、ここで後進に道を譲るべきだろ」

 

 強い覚悟を持って言われ、ルアは何も言えなくなる。

 彼も、アインズに命を救われた身として、その恩に報いようとする志がある。そして、かつての長老衆として責任を感じていたから、今までフェアベルゲンの守り手とアルテナの補佐を務めていたのだ。

 そして―――シアやアルテナが成長し、自分の役目は終えたと確信した彼は今、最後にフェアベルゲンの為に自らの命を使い果たそうと決意していた。

 

「……奴隷として囚われている君の娘はどうするんだい? 彼女に誰よりも再会したいのは、君自身だろうに」

「ハッ、掟に従って実の娘を死んだ者として探そうともしなかった奴が今更父親面か? それこそアイツにとってもいい迷惑だろうよ」

 

 ジンはアルテナ達に―――そしてシアに向けて、頭を下げた。

 

「……こんな事を俺が言うのは虫が良すぎると分かっているが。もしもアルトを救い出せたら、よろしく頼む。あいつは物分かりの良い子だ。ゴウン様の素晴らしさも、すぐに理解できる筈だ」

「嫌です」

 

 まるで遺言の様に伝えられた言葉に、シアはきっぱりと告げた。

 

「そんなの、ただの逃げじゃないですか。ゴウン様の素晴らしさは貴方の口からアルトさんに伝えて下さい。ていうか、自分勝手に死にに行く癖に後始末を人に押し付けんな、ですぅ」

「シ、シアちゃん……」

 

 遠慮なしにずけずけと言うシアに、アルテナの顔が少しだけ引き攣る。しかし、シアはまっすぐとジンを見つめた。

 

「あなたの言う通り、私はフェアベルゲンにとっては忌むべき存在だったのかもしれません。でも、ゴウン様はそんな私にも慈悲を与えて死から救い上げてくれました。そんな慈悲深い御方が、貴方が死んでまで忠誠を示しても喜ばないと思います」

 

 魔人族の襲撃からフェアベルゲン全体を救った。

 ナグモを派遣してくれて、生き残った亜人族達の重傷を全て完治させて貰えた。

 コキュートスを派遣してくれて、戦う術を指導して貰った。

 

 これ程までに亜人族達に慈悲を示したアインズはとても慈悲深く、偉大にして神の如き御方。それがフェアベルゲン全体の共通認識だった。

 そして、わざわざ自分を蘇らせてくれた事から、命を犠牲にして示す忠誠はアインズの望む物ではないとシアは確信していた。

 

「だから、貴方も生きてゴウン様に御恩を返すべきです。貴方の家族と一緒に」

「彼女の言う通りだと思うよ。大体ね、引退を決めるのは結構だけど最低限の引継ぎはしてくれないかな? 君がいなくなる分、僕の仕事量がさらに増える事になるわけだし」

「祖父や他の長老衆もいなくなった今、古くからのフェアベルゲンの伝統を知っているのは貴方だけですわ」

 

 茶化しながら言うルアに続き、アルテナも深く頷く。

 

「シアちゃんの事や死亡扱いにした貴方の娘など、改革すべき伝統はありますが、それでも良い物は残していくべきです。まだまだ、このフェアベルゲンに貴方の力は必要だから先程の提案は認められませんわ」

「お前達………だが、どうする? 攻めてくる帝国軍から人質を無傷で救えて、奴等を撃退する。そんな都合の良い作戦があるのかよ?」

「あります!」

 

 皆が見る中、シアは緊張で喉がカラカラになりながらも断言した。

 

「今こそ……今こそ、私が“忌み子"として生まれて授かった能力(チカラ)を使う時なのかもしれません」

 

 ***

 

「オラァ! さっさと歩け!」

 

 ヒュン、と鞭がしなる音が鳴り響く。地面に振り下ろされた鞭にビクッ! と震えながら、アルト達はどうにか早歩きで進もうとしていた。

 しかし彼女達の足には枷が嵌められ、鎖がジャラジャラと音を立てながらお互いの身体を繋げている為にムカデ競走の様にノロノロと歩みは速くない。それに苛立った帝国軍兵は思わず舌打ちをした。

 

「なんだって、こんな歩きにくい森の中を行軍する羽目に……」

「でもよ隊長、もうすぐ亜人共の国ですぜ!」

 

 随伴する帝国軍兵の一人が興奮した様に声を上げる。兜の下からでも、下卑たニヤけ笑いが見えそうな粗野な声だった。

 

「亜人共は見た目は良いからよぉ、征服したら俺達の好きに出来るんっすよね?」

「ああ、そうだ。バイアス様が約束して下さった。亜人共の国を一番に見つけた隊には一日の掠奪を許可して下さる」

 

 ウオォォォォッ!! と周りの帝国軍兵士達から飢えた獣の様な歓声が湧く。金目の物は勿論、容姿端麗な者が多い亜人族の女を好き勝手できると思うと彼等は興奮を抑え切れなかった。

 

「マジかよ! 太っ腹じゃねえですか! へへ、バイアス新皇帝万々歳だ」

「連れて来た奴隷達は他の隊の奴等も使ってるから、締まりが無くなっちまっていけねえ。新品の穴を俺達でハメ放題だぜ!」

 

 ギャハハハ! と野太い笑い声が辺りに響く。それを奴隷にされた亜人族達は辛そうな顔で聞いていた。

 

「ああ、今から楽しみで仕方ねえな! その為にも……オイ、こっちで合ってるんだろうな?」

「……っ」

 

 奴隷の亜人族達の先頭を歩かされている熊人族の少女———アルトは帝国軍兵士の顔から目を背ける様に下を向いた。

 ヒュン、と鞭を打つ音が響いた。

 

「あぐぅ!?」

「オラ、答えろよ下等種族(ケダモノ)。お前達の国はこっちで合ってるか、と聞いてんだ。あぁん!?」

 

 バシッ、バシッという音と共にアルトの背中に赤い線が引かれていく。ただでさえボロ切れの様な服が鞭と共に破かれていき、彼女の背中に何本ものミミズ腫れができていく。

 

「アルトお姉ちゃんを苛めないで!!」

 

 アルトを庇う様に、鞭を持った帝国軍兵士の腕に熊人族の小さな女の子がしがみついた。

 

「このガキがっ!!」

「ああっ!?」

「ルル!」

 

 帝国軍兵士は容赦なく少女を足蹴にすると、地面に転がった少女を何度も蹴った。

 

「あ、うっ、ひっ……!」

「止めてくれ! 相手はまだ子供じゃないか!? 私が代わりに罰を受けるから許してやってくれ!」

 

 少女に対して容赦なく行われる暴行を見兼ねて、森人族の男が声を上げた。それを帝国軍兵士は舌打ちすると、奴隷達に付けられた首輪のキーワードを呟く。

 

「———“雷罰”」

「ガアァァァア!?」

「きゃああああっ!!」

 

 バチバチという音と共に奴隷達に電流がはしる。地面に倒れ伏した亜人族達を帝国軍兵士は冷たく見下ろした。

 

「おい、亜人共。弁える、って言葉を知らないのか? 亜人の分際で、人間様の俺達に“許してやれ”だぁ? “許してください"だろうが」

 

 帝国軍兵士は先程まで蹴り続けていた熊人族の少女の背中を踏みつけた。

 

「あぎっ、痛い痛い痛い!」

「調子こいてんじゃねえぞ? エヒト神にすら見捨てられた下等なケダモノを俺達が支配してやるんだからな。相応の態度があるだろうが? あぁん!?」

「隊長、これ以上やったら死んじまうんじゃないですか?」

「ハッ、気にするな。亜人共は身体が丈夫なだけが取り柄だ。少し乱暴に扱うぐらいが丁度良いんだよ!」

「ギャハハ! そうっすよね!」

 

 亜人族は身体の一部に動物的な特徴がある為か、身体能力は人間の数倍はある種族だ。梟の様に夜目が利く者、聴力が異常に良い者など人間より優れた器官を持つ種族は多い。

 これだけ聞けば、人間よりも種族的に優れている様に見えるが、彼等は総じて魔力を持たないという理由で人間よりも劣る存在だとされていた。

 人間は魔力を鍛え上げれば身体能力も補助されてステータスが上がる為に一流の戦士ならば亜人族の身体能力を上回り、遠距離攻撃魔法の使い手達が隊列を組んで魔法の一斉射撃を行えば亜人族達は距離を詰める事も出来ずに射撃の的になる。

 だからこそ帝国では亜人族は『人間よりも丈夫な身体だから、乱暴に扱っても壊れない奴隷』として酷使されているのだ。魔法の掛かった枷を嵌めてしまえば、彼等には魔力が無い為に解除する手段は無いから反乱の心配もない。

 

 帝国軍兵士に踏みつけられた少女はしばらく悲鳴を上げていたが、踏まれる重さに耐えかねて顔を蒼白にしていた。口がパクパクと酸欠になった魚の様に荒い息を吐き———。

 

「やめて……下さい……!」

 

 未だに痺れが残る身体でアルトはフラフラと立ち上がった。手枷が嵌められて動き難そうにしながらも、熊人族の少女を踏みつけている帝国軍兵士に向けて地に額を擦り付けた。

 

「お願いします……! どうか、やめてあげて下さい……! フェアベルゲンまでの道筋をキチンと案内しますから……! どうか、ルルを許してあげて下さい……お願いします……!」

「ハッ、最初からそうやって言う事を聞いていれば良いんだよ!」

 

 ドガッ! と熊人族の少女に蹴りを入れて、帝国軍兵士は地に頭を伏せたアルトに唾を吐いた。

 

「オラァ! さっさと立て、ノロマ共! 今日中にフェアベルゲンに着かなかったら、また一匹殺すからな!」

 

 ヒュン、と鞭が鳴り響き、亜人族の奴隷達は痛みに耐えながらお互いを助け起こした。

 

「ルル……大丈夫?」

「アルトお姉ちゃん……ごめんね、ルルのせいでアルトお姉ちゃんまで捕まっちゃって……私、ママのお誕生日に七色草をあげたくて……言い付けを破って森の奥まで行って、こんな事になって……ごめんなさい……!」

「ううん、気にしないで。ルルのせいだなんて、私は思ってないよ」

 

 グズグス、と泣く熊人族の少女をアルトは慰める。

 熊人族の族長の娘であるアルトがこうして奴隷として捕まったのには理由があった。彼女は娘が居なくなって取り乱すルルの母親を宥める為に、フェアベルゲンから離れた場所———帝国から見れば、樹海の浅い部分まで迷い込んでしまったのだ。そこで奴隷狩りに来ていた帝国軍に捕われたルルを見つけてしまい、無謀にも助けようとした為に逆に捕まってしまったのだ。当初は他の奴隷達と同じ様に扱われていたが、奴隷達のアルトに対する態度を不審に思った帝国軍兵士によって厳しい尋問を受け、アルトがフェアベルゲンの長老衆の娘だとバレてしまった。そうしてアルトの身柄を盾にすればフェアベルゲンの侵略をスムーズに行えると判断した帝国によって、アルトは一緒に連れられた同胞の奴隷達の命を盾にされ、フェアベルゲンまでの道案内をさせられていた。

 

「きっと……きっと、お父さんが私達を救ってくれるから……だから、泣かないで。ルル」

「アルトお姉ちゃん……」

 

 泣きじゃくるルルを元気付けようと精一杯の笑顔を作るアルトだったが、内心では暗い思いで満たされていた。

 

(もしも、フェアベルゲンまで無事に辿り着けても……お父さんは、長老衆は私達を救ってくれない。樹海の外に出てしまった者は、フェアベルゲンでは死んだ者として扱うのが掟だもの……)

 

 アルトとて、いずれは熊人族長老のジンの後継になる者としてフェアベルゲンの掟を教わっている。それ故に、自分達はフェアベルゲンには既に存在しない者として扱われ、フェアベルゲンの同胞達から助ける価値もない者として処理されるだろうとアルトは考えていた。

 

(お父さん……)

 

 掟に厳格だった父が、自分を助けるとは思えない。それでもアルトは、一縷の望みを抱いてしまう。父が助けに来てくれて、温かな腕で抱き締めて貰える自分の姿を想像し、いま現在フェアベルゲンに帝国軍を招き入れようとする自分の姿を思い出してアルトは泣きたくなる気持ちを必死で抑えた。

 

 ガサッ!

 

 不意に、茂みを掻き分ける音が大きく響いた。アルト達のみならず、帝国軍の兵士達も一斉に音のした方向を見る。

 そこに———木々の間からウサギの耳を生やした少女がこちらを見ていた。

 

「兎人族だ!」

 

 帝国軍兵士の一人が声を上げる。兎人族は亜人族の中でも特に力が弱く、しかし容姿の美しさと加虐心をくすぐる様な気弱な性格から帝国の奴隷娼館では人気の高い種族だった。

 兎人族の少女は後ろを向いて駆け出した。

 

「追え! 捕まえろ! あれなら500万ルタ、いや1000万ルタで売れるぞ!」

 

 隊長の命令に帝国軍兵士達の目の色が変わる。彼等は欲望に目をぎらつかせ、兎人族の少女が走り出した方向に馬に乗って駆け出した。

 

(駄目……! 誰だか知らないけど、逃げて……!)

 

 その背中をアルトや他の奴隷達は悲痛な表情で見つめた。

 ()()()()()()()()の兎人族の少女は、後ろから迫る帝国軍兵士達をチラッと振り返りながら森の奥へ消えていった。

 

 ***

 

「へへへッ、もう鬼ごっこはお終いか? ウサちゃん」

 

 兎人族の少女を追っていた帝国軍の兵士達は、本隊からさほど離れてない場所で追い付いた。兎人族の少女は、開けた広場で大樹を背中にして立っていた。それを馬に乗った帝国軍の兵士達はゆっくりと取り囲んでいく。彼等は皆一様に下卑た笑みを浮かべて兎人族の少女の身体を舐め回す様に見ていた。

 

「へへっ、いい身体にしてるじゃねえか……。見ろよ、あのデカい胸。これだけでも良い値段が付くぜ」

「なぁ、どうせなら俺達でちょっと味見しようぜ。なぁに、黙ってりゃバレねえよ」

「よーしよし。いい子にしてろよ、そしたらたっぷりと可愛がってやるぜ。俺のモノで、天国にいけるくらいになぁ!」

 

 ゲラゲラ、と帝国軍兵士達の笑い声が響く。それを兎人族の少女はキュッと顔を顰めた。しかし、帝国軍兵士達はむしろその表情にそそられる様に舌舐めずりする。どんなに強がってみせようが、気弱な兎人族ならば少し脅せばすぐに怯えた表情になるだろうと高を括り――。

 

「———フン、お断りですぅ。この身は偉大なる御方に捧げると誓った身ですから、貴方達みたいな頭の悪そうなお猿さん達には指一本も触れさせたくないですよ」

 

 不意に。気弱な兎人族らしからぬ強気な言葉が帝国軍兵士達の耳に聞こえた。

 

「………あぁ?」

「鏡って知ってます? 自分の姿が見れる便利な道具なんですけど、貴方達みたいな不細工が使ったら割れちゃうかもしれませんね。貴方達みたいなのでも相手にするのは、せいぜいメスのトロールくらいなんじゃないですか? あ、ごめんなさい。失礼でした……トロール達に」

 

 明らかに見下した目でこちらを見る兎人族の少女に、帝国軍兵士達は青筋を立てた。彼等は凶悪な目付きで兎人族の少女に近寄ろうとした。

 

「テメェ……調子に乗ってんじゃ、っ!?」

 

 不意に。帝国軍兵士達の乗っていた馬達がバランスを崩した。落とし穴に嵌り、次々と落馬していく兵士達。そして———。

 

「ガッ、ギャッ!?」

 

 落とし穴の底に竹槍がいくつも敷き詰められた光景を最期に、帝国軍兵士達の意識は閉ざされていった。

 

 ***

 

「どういう事だよ、これは!?」

 

 亜人族の奴隷を引き連れた帝国軍兵士達は、目の前の光景に怒り狂った声を上げた。そこには兎人族の少女を捕まえに行った筈の兵士達の変わり果てた姿があった。

 

 ある者は竹槍の敷き詰められた落とし穴の中で串刺しになって絶命していた。

 ある者は木からぶら下げられた縄に絞首刑の様に括り付けられ絶命していた。

 ある者は網に絡め取られた上に無数の矢が突き刺さって絶命していた。

 

 いずれにせよ、兎人族を追った兵士達は何らかのトラップに掛かった状態で死体になっていた。

 

「おい、テメェ! ワザとトラップだらけの道に案内しようとしていたのか!?」

「し、知らないです! こんな物があるなんて、私も初めて知って……!」

 

 帝国軍兵士に詰め寄られ、アルトは慌てて首を横に振った。他の奴隷達も、アルトと同じ様に目を白黒させながら首を横に振った。それを舌打ちしながら、隊長の帝国軍兵士は頭を回転させる。

 

(この、役立たず共! だが、どうする? フェアベルゲンまでもう少しなんだ。こんな所で引き返すわけにはいかねえ!)

 

 ここで警戒して引き返せば、一番槍の掠奪の報酬(許可)は他の隊に移り、自分達の取り分は大きく減ってしまう。巨額の大金とタダで手に入る美しい女奴隷達をみすみす逃してなるものか、と彼は必死に考えて――やがて悪魔の囁きの様に名案が閃いた。

 

「……テメェらが前を行け」

「え?」

「テメェらが前を行けと言ってんだよ! 俺達の代わりにカナリヤになりやがれ!」

 

 まるで悪魔の様な凶悪な笑みを浮かべながら、彼はぐるりと樹海を見渡した。

 

「おい、聞こえてっかよ! フェアベルゲンの亜人共! 今すぐ出て来ねえと、テメェらが仕掛けた罠で大切な同胞が死ぬぞ! それで良いのか! あぁん!?」

 

 樹海中に響き渡る様な大声で、帝国軍兵士はがなり立てる。しかし、帰ってきたのは痛いほどの静寂だった。

 

「……チッ、一人か二人か死なねえと理解できねえらしいな」

 

 ヒュン、と鞭を打ち鳴らした。

 

「オラァ! 前を歩け、奴隷共! お仲間が仕掛けたトラップを命を張って、俺達の為に場所を教えやがれ!」

 

 亜人族の奴隷達は一斉に顔を青ざめさせる。トラップに嵌って死んだ帝国軍兵士達を見て、それが数秒先の自分の姿になると考えた瞬間に身体が震え出した。一向に動こうとしない奴隷達に苛立ちを募らせ、帝国軍兵士の隊長は再び鞭を振り上げ———。

 

「……私が前を行きます」

 

 スッとアルトが進み出た。

 

「アルトお姉ちゃん……!」

「……大丈夫だよ、ルル。大丈夫」

 

 アルトは震える身体を叱咤してルルに微笑むと、息を大きく吸って先頭を歩き出した。その後ろを亜人族の奴隷達は恐る恐る付いて行く。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……!」

 

 まるで地雷原の中を歩く様に慎重な足取りで、アルトは樹海の広間を歩く。額から大粒の汗を流し、緊張のあまりに呼吸が荒くなっていく。

 一歩一歩が、死刑台の階段を昇っている様な気分で帝国軍兵士達の前を歩くアルト達だったが、何事もなく広間の中心まで来た。

 

「あぁ? 何も無かったのか……?」

 

 帝国軍兵士達は訝しんだ顔で少し先を歩くアルト達を見つめ———突然、アルト達の身体が宙に浮いた。

 

「きゃあああっ!?」

「うわぁあああっ!?」

 

 アルト達は混乱の余りに叫び声を上げる。アルト達は全員が網に掛かり、宙高くへ引き上げられていた。

 そしてそれは――帝国軍兵士達から強制的に引き離された事を意味していた。

 

「なぁ!? お、おい! 降りて来い、テメェ等!」

 

 ここに来て、ようやく帝国軍兵士達はフェアベルゲンに対しての人質達から距離が離れている事に気付いた。慌てて宙吊りにされたアルト達を降ろそうとするが———。

 

「———感謝するですぅ。()()()()()()()()()に、人質の皆さんを歩かせる間抜けさんばかりだった事に」

 

 不意に、帝国軍兵士達の頭上から少女の声が聞こえた。バッと彼等が見上げると、そこに木の枝に立った銀髪の兎人族———シアの姿があった。

 

「でりゃああああっ!!」

 

 ドンッとシアは、ナグモの改造手術で得た力———蹴り兎の“天歩”の固有魔法で、宙を蹴って帝国軍兵士達に急降下する。同時に手に待っていた武器――巨大なウォーハンマーが、ガシャッと音を立ててロケットブースターに点火した。

 

「げ、迎撃し———」

 

 アルト達を執拗に鞭で打っていた隊長が命令を下そうとする。だが、それよりも早くシアは勢いよく地面に着弾し、激しい衝撃音と共にめくり上がった岩盤に貫かれ、帝国軍兵士達は全員絶命した。



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第七十六話「フェアベルゲン防衛戦①」

 久々の連休だから、ゆっくりと書けました! さて、今まで良い思いをしていた彼等をそろそろ片付けちゃおうかな?


「今ですぅ!」

 

 シアの号令と共に茂みに隠れていた人影が次々と飛び出していく。彼等———ハウリア族はブンッという起動音と共にダガーや小太刀を起動させ、生き残りの帝国兵達に襲い掛かった。一見すると槍や剣などの普通の武器だが、よく見ると全体的に機械的な外見をしており、刀身がバチバチと音を立てながら光っている。

 

「ぐぎゃあ!?」

「ぐ、ぶっ……!?」

 

 帝国軍の鎧は軍事国家というだけあって、鉄よりも硬く精錬されたヘルシャニウム鋼が使われている。だが、それもハウリア族達が使っている武器には意味がなかった。ナグモが試験的に量産した武器は、刀身を超振動させ、“纏雷"の固有魔法を得たハウリア族達の生体電気に反応して切断性能を高めていた。

 

「こ、この、兎人族風情が、あっ……!?」

 

 帝国軍兵士の胸から小刀の刃が生える。彼は口から逆流する血反吐を喉に詰まらせながら、胸から生えた刃を見る。

 

「———兎人族風情、か。そうやって侮ったのが貴様の敗因だ」

 

 背中から聞こえてきた声に帝国軍兵士は振り向こうとする。だが、想像を絶する様な痛みで馬上から崩れ落ちた。地面に落下した彼は、そこで自分が騎乗していた馬の背中に曲芸師の様に乗った人物を見た。“気配遮断"の固有魔法を解除したカムは、帝国軍兵士を冷たく見下ろす。

 

「我々は偉大な御方への御恩に報いる為に、魔物の力を取り入れた者達……弱者がいつまでも弱者の地位に甘んじていると思うな」

 

 カムは奪い取った馬に拍車を入れる。馬は前足を振り上げた。

 グシャ、という音を最期に帝国軍兵士の意識は闇に閉ざされた。

 

 ***

 

「報告! ハウリア野戦隊が人質達を救い出したとの事! 全員、無事です!」

 

 伝令の報告に前線隊達が色めき立つ。その中でジンは自分の額に手を当てながら天を仰ぐ。

 

「あのガキ……本当にやりやがったか!」

 

 作戦を聞かされた時は上手くいくか半信半疑だった。シアはともかく、亜人族の中では最弱のハウリア族達に任せられるのか不安だった。しかし、彼等は人質達を救出したのだ。

 

「族長! ご息女は無事に救出されました! 人質達が無事な以上、もはや遠慮の必要などありません!」

 

 ジンの右腕である熊人族のレギンが声を張り上げる。

 

「ハウリア族が戦果を上げたのです! 我々も負けてはいられません!」

「フェアベルゲンに我等バンドン族あり、とゴウン様に見て頂きましょう!」

 

 熊人族の若者達は気炎を燃やしながら次々と声を上げる。

 彼等はジンが自分達の族長だから従っているのではない。掟に厳格ながらも、部族の事を第一に考えて行動するジンだからこそ、熊人族達は従ったのだ。

 そのジンの娘が攫われ、奴隷として虐待されていると聞いた時は熊人族達は自分の事の様に怒りを抱いた。そして、それでも族長として最善の行動をしようとするジンの高潔さを尊敬しながらも、何も出来ない事に歯噛みした。

 だが、もはや彼等を縛る物は無い。今こそ、フェアベルゲンの為に。大恩ありし我等の神の為に。そして———我等の族長の為に。今まで溜めに溜めた激情を帝国軍へ叩きつけようと彼等は誰よりも闘志を燃やしていた。

 

「お前達……!」

 

 ジンは目の奥に熱い物を感じたが、何とか堪える。そして獰猛に笑った。

 

「聞いたな! ハウリア族の小娘が……シア・ハウリアが、俺の娘と人質達を救ったそうだ! 年端も行かない小娘にばかり戦わせて何もしない腰抜けはバンドン族にいないな!?」

 

 「もちろんです!」と返された声に、ジンは威勢よく声を上げる。

 

「これより異常を聞きつけた帝国の人間共が来るぞ! 敵の陣形は縦に伸びて、側面の防御が薄い! 俺達が生まれた時から過ごした樹海が戦場だ! 地形を活かして、各個撃破していくぞ!」

「「「「了解です!」」」」

 

 ジン達は樹海の中を駆ける。同時に着ているスーツの光学迷彩を使用した。姿なく樹海の凸凹した地面を物ともしないジン達の足取りは、まるで大地を駆ける豹の様にしなやかだった。

 

「見つけたぞ……! 散開しろ!」

 

 ガシャガシャと鎧を鳴らしながら救援に向かおうとする帝国軍。その歩みは慣れない地形の為か、ジン達に比べると圧倒的に遅い。

 

「何ださっきの音は!?」

「奴隷達を連れた先遣隊はどうなってやがる!?」

「落ち着け! クソ、歩きにくいじゃねえか! 亜人の奴隷共、こんな道を案内しやがって!」

 

 口々に言いながら、帝国軍の兵士達は隠れたジン達に気付かずに森の大通りを歩いていく。そして、ジン達に無防備な脇腹を見せた。

 

「———喰らいやがれっ!!」

 

 光学迷彩を解除し、突然現れたジン達に帝国軍の兵士達はギョッとした顔になる。その間抜け面にジン達は腕の赤黒い血管を脈動させながら、“風爪"を使った。

 次の瞬間。驚いた表情のまま、兵士達の頭がいくつも地面に転がった。

 

 ***

 

 さて、ここでナグモが亜人族達に施した改造手術について説明しよう。

 ナグモは魔物を喰らって異形化した香織の身体を参考に、トータスの魔物の因子を生命体に植え付けて強化する方法を編み出していた。

 ナザリックの捕虜となった魔人族達の()()の下、どの程度まで魔物因子を付与したら異形化するか把握したナグモは、亜人族達の身体的特徴に近い魔物を中心に数種類程度の魔物因子を付与していた。

 

 例えば、兎人族達には蹴り兎の因子を中心に。

 例えば、熊人族達には爪熊の因子を中心に。

 

 これにより亜人族達は香織と違って数種類程度の固有魔法しか持たないが、元の身体と近い遺伝子を付与された事で異形化する事なく肉体的に更に頑強となった。

 さらにオルクス迷宮で豊富に取れた鉱物資源にナグモが“生成魔法"を使用して亜人族達用の武器を量産し、コキュートスが戦闘の指導を行う事で「魔物の固有魔法と身体能力を併せ持ち、トータスにおいてはオーバーテクノロジーな武器を駆使する強化兵士」がここに誕生した。

 

 トータスにおいて、亜人族は最弱の種族だ。

 身体能力は一般人より優れているが魔力を持たない為に、戦闘系の天職を持って生まれた人間にはステータスで劣る。魔法という遠距離攻撃手段を持たないから、間合いの外から一方的に撃ち殺せる。

 

 では———亜人族が人間以上の魔力を持ったならば?

 亜人族達にも魔法という攻撃手段が出来たならば?

 

 その答えは今、目の前に広がっていた。

 

「ギャアアアアアッ!?」

「ぐげえっ!?」

 

 また一人、帝国軍の兵士が倒れる。チチチ、と鳴きながら鳥人族の少女は羽を散弾銃の様に飛ばして帝国軍の兵士達の鎧を安易と貫いた。

 

「ひ、怯むな! あんな鳥など撃ち落としてしまえ!!」

 

 腕に突き刺さった羽の痛みに耐えながら、隊長格の兵士は怒鳴った。

 弩を構えた兵士達を見て鳥人族の少女はサッと飛んで木々の間に身を隠した。

 

「くっ、駄目です! 当たりません!」

「この、ふざんじゃねえぞ鳥モドキが! 引き摺り出してやる!」

「おい、馬鹿! 勝手に動くな!」

 

 血気に逸った部下の一人が鳥人族を追い掛けようと木々の間に走り出す。しかし———。

 

「ギャッ!?」

 

 帝国軍の兵士が突然、足を押さえて地面に転ぶ。よく見ると、そこには草むらに隠れる様に木の板に打ち付けられたスパイクが突き出しており、靴を突き破って刺さったのだ。そして———-転んだ兵士に“風爪"や羽の弾丸が容赦なく降り注ぐ。

 

「トーマス!? 糞がぁっ!!」

 

 あっという間に死体に変えられた仲間の仇を討とうと、魔法師兵士は“雷撃"を飛ばそうとする。しかし、それより早く亜人族達はサッと森の奥へと姿を消した。

 

「糞が糞が糞がっ!! 出て来やがれ、薄汚い獣共がっ!!」

 

 怒鳴り声を上げるものの、返ってくるのは不気味な沈黙だけだ。しかし、こちらを狙っているのは気配で分かった。背筋に突き刺さるいくつもの殺気に帝国兵達は精神をすり減らしていく。

 

「クソ、なんで俺達がこんな目に……!」

 

 今回のフェアベルゲンの征圧に、帝国軍は10000の兵士を動員した。ただし彼等は平地での戦闘訓練は積んでいるものの、フェアベルゲンの様な視界の悪く、歩くのにも一苦労な地形での戦闘経験は無かった。奴隷にしたアルトを水先案内人として行軍するつもりだったが、そのアルトが奪い返された今、彼等は慣れない地形で右往左往しながらトラップや亜人族の突然の襲撃に怯えながら狩られる立場となっていた。

 

「離れるな! 亜人共は隊から離れた奴から袋叩きにしてるだけだ! 密集して、お互いの死角をカバーし合え!」

 

 隊長の号令の下、帝国兵達は背中合わせになって槍を構える。そんな帝国兵達に森の奥から白い影が飛び出してくる。

 

「でりゃああああっ!!」

「来たぞ! 串刺しにしろ!」

 

 帝国兵達が槍衾を展開する。だがシアの足の赤黒い血管が脈打つと、槍衾に当たる前に空中で方向転換した。

 

「ふき飛びやがれですぅぅぅっ!!」

 

 シアは帝国兵達の背後に回り込むと、ロケットブースターを吹かせながらウォーハンマーを振るう。

 肉を叩き潰す音と共に、密集した帝国兵達は纏めてボーリングのピンの様に弾き飛ばされた。

 

「よしっ、お怪我はないですか?」

「ああ、こっちは大丈夫だよ!」

「へっ、兎人族のくせにやるじゃねえか!」

 

 鳥人族の少女と熊人族の若者が声を上げる。

 

「じゃあ、一旦撤収です。いま、父様達が新しくトラップを仕掛けてます。このまま樹海に隠れながらヒットアンドアウェイで、誘き寄せるですよ!」

 

 「了解!」、「おうっ!」という声と共に、シア達は樹海の奥へ走り去った。

 

 ***

 

「おい……いま、何つった?」

「で、ですから……亜人族共の抵抗が予想以上に激しく、既にかなりの数の兵が犠牲になっておりまして……」

 

 ヘルシャー帝国軍本陣。

 バイアスは前線から戻って来た将校の報告に不機嫌そうに眉根を寄せた。

 

「す、既に奴隷を奪い返され、それに調子付いた亜人共が樹海にトラップを仕掛けてゲリラ戦を仕掛けて来ているせいで、兵達の間に動揺が広まっています! どうか、ここは一度撤退して態勢の立て直しを!」

 

 将校は震えながらバイアスに平身低頭する。自分の隊が先走ったせいでフェアベルゲンと交渉する為の族長の娘(奴隷)を失い、さらには亜人族達に良い様にやられて大きな被害を出しているなど恥以外の何物でもない。しかし、生き残りの自分の兵達の為に彼はバイアスに震えながら進言しに来たのだ。

 

「…………」

 

 バイアスは冷たく見詰めたまま、将校の前に歩み寄る。

 

「顔を上げな」

 

 言われた通りに、将校は震えながらも頭を地面から上げる。

 

 ザンッ!!

 

 次の瞬間、将校の首が地面に転がった。

 

「てめえみたいな愚図は帝国にいらねえ」

 

 血の滴る剣をピッと振るいながら、バイアスは吐き捨てた。

 

「おい、この死体を片して置け」

「は、はいっ!!」

 

 近くで控えていた兵士が震えながら将校の死体を慌てて引っ張っていく。

 それをガハルドの親衛隊の男は眉を顰めながら苦言を呈した。

 

「バイアス様、いくら徒に兵を失ったとはいえ少しばかり酷だったのでは?」

「ああん? 亜人族風情にやられる様な弱者は俺の国に要らねえ、って言ってんだろうが」

 

 全く悪びれる事の無い次期皇帝に、親衛隊の男はため息を何とか抑えた。

 

「しかしながら、今の戦況が厄介なのは確かですぞ。この樹海は謂わば奴等の庭同然です。そこにトラップまで仕掛けられたとあっては、強硬に行軍しても多大な犠牲が出るでしょうな」

「ハッ、馬鹿かよオメエ。何でこんな事も思い付かねえんだ?」

 

 親衛隊の男が怪訝そうな顔をする中、バイアスはギラリと乱杭歯を見せながら笑った。

 

「ここが相手の土俵だってんなら……その土俵ごと壊しちまえば良いじゃねえか」

 

 ***

 

「ようし、次に帝国軍がいるのはこの地点だな。今度はここにトラップを張りに行ってくれ。“土操”が使える子を連れて行くのは忘れずにね」

「了解です!」

 

 ルアは“気配察知"で捉えた帝国軍の居場所を伝え、兎人族達に指示を出していく。改造手術で得た固有魔法のお陰でルアには帝国軍の居場所が手に取る様に分かり、次の進行ルートに合わせて待ち伏せ攻撃を可能にしていた。さらには“土操”や“樹操”などの固有魔法を得た亜人族達を導入する事で、短時間で即席トラップを作成する事を可能にしていたのだ。

 

「状況は?」

「こちらは何人か軽傷者が出てはいるけど、今のところは優勢だよ。帝国兵達は奥の本陣以外は樹海の地形や同胞達に迷わされて、隊がバラバラになってるみたいだからね」

「そうですか……。奴隷となっていた同胞の皆様は、大樹の方まで避難させましたわ。皆様、切断された耳や尻尾以外は私の治療魔法で応急処置致しました」

 

 ルアからの報告にアルテナは安堵の溜め息を吐いた。アルテナは魔物の中でも稀少な治療の固有魔法の因子を植え付けられていた。

 同胞達が緊急を要する怪我を負っていなかった事にルアも安堵したいが、すぐに顔を引き締める。

 

「とはいえ、油断は禁物だね。いま駆除しているのはあくまで先遣隊だろう。本陣にはまだまだ大勢の人間の気配がするからね。それらをどうにかしない限り、彼方さんも諦めてくれないだろう」

「やはり10000全てを倒さなくてはいけませんか? 流石にその数を相手にするのは、皆の体力が持ちませんわ」

「普通の軍隊なら、損耗率が一割を超えたら退却の判断を迫られると聞いた事はあるよ。いずれにせよ、奴等にはフェアベルゲンを攻撃するのは割に合わないと思わせる様な……何だ?」

 

 話の途中でルアが何かを感じて、ピンと耳をそば立てる。

 アルテナもまたある方角に目を向けた。

 

「な……何という事を!!」

 

 その方角には———大きな黒煙が上がっていた。

 

 ***

 

「ヒャハハハハ! 燃やせ燃やせええぇぇぇっ!!」

 

 バイアスは帝国の魔法師兵団を指揮しながら樹海を焼き払っていた。樹々はすぐに燃え移り、火は山火事の様に燃え広がっていく。

 

「亜人共がこそこそと隠れる森を燃やし尽くせ! 焼け野原にして平地に変えちまえば、恐れる事なんかねえ!」

 

 獰猛に嗤うバイアスと共に、帝国兵達も油を撒き、火炎の魔法を使い、風の魔法で自分達が巻き込まれない様にしながら連られて嗤い声を上げる。

 

「男は殺せ! 女は犯せ! ガキ共は奴隷にしろ! 蛮族共の土地を帝国の支配下に収めろ!」

『ウォオオオオオオオオッ!!』

 

 暴力に狂った表情で帝国軍は進軍する。それはまるで、地獄より這い出て来た悪鬼の様だった。

 

 ***

 

「くっ、正気ですかこの人達!」

 

 燃え盛る森の中、シアは跳ね回りながら同胞達の避難誘導をしていた。

 

「シア! ここはもう危ない! すぐに撤退するんだ!」

「駄目ですぅ! これ以上、進軍を許したら避難民の人達が……!」

 

 樹齢何百年という樹々が燃えながら倒れる中でも、帝国軍は進軍を止めない。むしろこの火災に勢い付いたかの様に脇目も振らずにフェアベルゲンを目指していた。

 

「いたぞ! 銀髪の兎人族だ!」

「ギャハハ! 俺だ! あの女は俺が手に入れる!」

「いや、俺の物だ! 俺の奴隷だ!」

 

 帝国兵の一団がシアに向かってくる。彼らの目は戦場の興奮と薄汚い欲望で正気を失った様にギラギラとしていた。

 

「あー、もう! 鬱陶しいですぅ!」

 

 ブンッとウォーハンマーを振り回し、シアは迫って来た一団を吹き飛ばした。

 

「シア!」

 

 カムの声にシアはハッと後ろを振り向く。そこには高さ数十メートルを超える木が、メキメキと音を立てながら倒れ込んできていた。

 

「くっ……!」

 

 シアは咄嗟に蹴り兎の力で跳び退こうとした。だが、その足をガシッと掴まれる。

 

「ひ、ひひっ! 捕まえた……俺の、奴隷だ……!」

 

 先程の一撃で致命傷を受けた筈の帝国兵が、目をギラつかせながらシアの足を頬擦りする様に掴んでいた。

 

「っ、気持ち悪い! 離して下さい!」

 

 シアが蹴り飛ばすと、瀕死の帝国兵はボールの様に転がっていった。だが、その背中に倒れてくる樹木が迫り———。

 

 

「———<魔法二重化(ツインマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>」

 

 瞬間。雷の龍がシアの頭上で駆け巡る。二匹の龍は激しい音を立てながら、シアの頭上に迫っていた樹木を消しとばした。

 

「ッ〜、耳が〜! 耳が死んだですぅ〜!」

 

 いきなり頭上で鳴り響いた雷の音に、一際聴力の鋭い兎人族であるシアは耳を押さえて涙目になる。ゴロゴロと地面を転がる様は、先程まで命の危機が迫っていたとは思えない程に気の抜けた光景だった。

 

「———そこの残念なウサギ。答えなさい」

「誰が残念ウサギですか!! ……え?」

 

 条件反射の様にツッコミをいれたシアだが、声の主に目を大きく見開いた。

 声の主は黒髪の美女だった。黒檀の様に美しい髪をポニーテールにして、武装したメイド服を纏っていた。切長の黒い瞳は冷たくこちらを見ていたが、それが人間には不可能な美の境地をメイド服の女性に与えていた。

 

「シズのお気に入りのウサギというのは、貴方の事かしら?」

「え? シズって……シズ・デルタ様の事ですか? 貴方は、いったい……?」

 

 つい先日、自分のウサ耳を気に入ってくれたナザリックの少女を思い出すシア。だが、黒髪のメイドはシアの問いに答える事なく、シアの服———胸に貼られた一円シールに目を止めて、「そう……」とだけ呟いた。

 

シズはこれのどこが気に入ったのかしら? ……コホン、まあいいわ」

 

 黒髪のメイドは空中からフワリと降りて来た。それだけで、シアはおろか、帝国兵達すらも見惚れてしまった。

 

「私はナーベラル・ガンマ。偉大にして至高なる御方の命により、あの人間(ウジムシ)共の駆逐に手を貸してあげましょう。感謝しなさい」




>ナーベラル・ガンマ

ナザリック地下大墳墓における6人の戦闘メイド「プレアデス」の一人。魔力系魔法詠唱者のクラスを持つドッペルゲンガー(ただし普段の黒髪の女性の姿しか化けられない)。ドッペルゲンガーとしての変身能力が無い代わりに強力な攻撃魔法の使い手であり、人間の事を「ウジムシ」、「ガガンボ」などと言って見下している。


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第七十七話「フェアベルゲン防衛戦②」

 日曜日はチェックしているSSが多く更新されるので、それを見ていると「自分も書くぞー!」という気分になれます。この気分のまま、もっと書き進めたいところ。


「族長! もうここは保ちません!」

「くっ……ここまでか?」

 

 ジンは部下の報告に悔しそうに歯噛みする。帝国軍によって山火事が起きた樹海の消火活動に追われ、これを勝機とばかりに攻め込んでくる帝国軍の相手もしていたが、ただでさえ少ない人員を割いている為にジン達は徐々に追い詰められていった。慣れ親しんだ森が炎に包まれる光景にジンは顔を歪めながらも、断腸の思いで決断する。

 

「やむを得ん、ここは放棄する! お前達は避難民の誘導をしながら撤退しろ!」

「了解です、うわぁっ!?」

「ガロ!?」

 

 突然、燃え盛る木々の間から鎖の付いた鉄球が飛び出してジンの部下をふっ飛ばした。

 

「ぐへへへ……見つけたど、見つけたど。生意気な亜人共ォ」

 

 バキバキと木々を押し破る様に一人の人間が出て来る。

 その人間は常識外れに大きな体格だった。身の丈は三メートルはあろうか、熊人族のジンよりも一回り大きい。着ている鎧を内側から押し上げそうな筋骨隆々とした体格で、両手には鎖付き鉄球(フレイル)を持っていた。

 

「さっきまではコソコソ隠れながらやってくれたど。でもバイアス様のお陰で鬱陶しい森が無くなったど! “帝国の重戦車"と呼ばれた()()……ゴードン様がたっぷりと礼をしてやるど!」

 

 豚鬼(オーク)の血でも混じっているのではないか、と思わせる厳つい顔を醜悪に歪めながらゴードンはニタリと笑った。

 

「ぐへへへ! 亜人共は人間より丈夫だから殴り甲斐があるど! お前達は特別におでのサンドバッグにしてやるど!」

「ちぃ、今はてめえみてえなデカブツを相手にしている暇はないんだよ!」

 

 ジンは舌打ちしながら爪を構える。見た目や言動はともかく、ゴードンと名乗ったこの兵士は強化された自分の部下を一撃でふき飛ばしたのだ。決して油断して良い相手ではない。倒れている部下を回収しつつ、この場を離脱できないかとジンが考えあぐねていると———。

 

「失礼。少しよろしいでしょうか?」

 

 唐突に。透き通った女性の声がその場に響いた。

 

「なっ……」

「あ? 女、いつからそこにいたど?」

 

 ジンとゴードンは同時にバッと振り向いた。そこには二人からちょうど二等辺三角形を描ける様な中心の位置で、メイド服を着た線の細い眼鏡の女性がピンと背筋を伸ばして立っていた。こんな近くにまで近寄られて気付けなかった事に二人が疑問符を浮かべる中、眼鏡のメイドは優雅に一礼する。

 

「お初にお目に掛かります。私はユリ・アルファ。至高の御方に仕える戦闘メイド“プレアデス”の副リーダーを任せられたものです」

 

 言葉の意味はほとんど分からなかったが、ジンは唯一「至高の御方」という単語に反応した。それは自分達の神を表現する言葉に他ならない。

 

「もしや、あんたはゴウン様の……!」

 

 畏敬を込めて呟くジンに対して、眼鏡のメイド———ユリは眼鏡をクイっと上げながら「ふむ……」と頷く。

 

「どうやらそちらの方がコキュートス様が訓練を施している亜人で間違いないですね。となると……こちらのオークっぽい方がアインズ様がお救いした国に侵略した愚か者達でしょうか?」

「……お前、何だど? いや、それ以前に何でこんな場所にメイドがいるんだど?」

 

 燃え盛る森の中。厳ついガントレットで武装しているが、帝国の宮殿にいてもおかしくない様な上等なメイド服を着た女性がいるには余りにミスマッチに過ぎた。ゴードンは筋肉が詰まってそうな足りない頭で考えようとしたが、すぐにニタリと下劣に顔を歪めた。

 

「まあ、いいど。亜人達の味方をするならお前も敵だど! お前、綺麗だからおで様の奴隷にしてやるど! 感謝するど、帝国一の剛力と謳われた“重戦車のゴー——」

 

 ドンッと地面を蹴る音が響いた。ゴードンがそう思った瞬間、大きく拳を振りかぶったユリの姿が目の前にあった。

 

「———は?」

 

 次の瞬間———腹から突き上げる様な衝撃と共にゴードンの身体は宙を舞っていた。特注の鎧はバラバラに砕け、血反吐を吐きながらゴードンの巨体がくの字に折れ曲がっていた。

 バキィッ!! と背後の樹木にぶつかり、ゴードンの身体はようやく重力に従って地面へと落ちた。

 

「失礼しました。アインズ様の敵ならば、取り敢えず殴っても良いと判断しました」

 

 ゴキッと頭から落ちたゴードンの首から音がした。仰向けに倒れたゴードンはピクリとも動かず、その胸は拳の形に陥没していた。

 

「それで———何というお名前でしたでしょうか?」

 

 少しだけずれ落ちた眼鏡をカチャッと直しながら、ユリは優雅さを損なわずに聞き返した。だが、当然ながら大男からの返事はない。

 

「……ゴ、ゴウン様の従者の方はメイドに至るまで強いんだな」

 

 一連の流れを見ていたジンは、口元をひくつかせながらようやくそう呟いた。

 

 ***

 

「ナーベラル・ガンマ、様……」

「ええ。シズのお気に入りだそうだから、ケダ———コホン、貴女には特別に私の名前を呼ぶ事を許しましょう」

 

 一瞬、問題発言があった気がしたが、何事もなくしれっとしたナーベラルにシアも聞き間違いだったのだろうと思い込んだ。

 

「……ナーベラル、追い付いた」

 

 シアが振り返ると、背後の茂みからシズが出て来た。シズはその手にアサルトライフル型の武器を持っていた。

 

「シズ・デルタ様! どうしてここに?」

「…………アインズ様の命令」

 

 何故か不自然な間を空けて、シズが答えた。シアは首を傾げるが、何故かシズはふいっと目線を逸らし、合わせてくれない。

 

「……アインズ様は仰った。フェアベルゲンに侵攻した人間の軍を殲滅せよ、と」

「そ、それは本当ですか!? でも………」

 

 自らの神である恩人がフェアベルゲンを気にかけてくれていた事を嬉しく思う一方で、シアにほんの少し後ろめたい気持ちが出てくる。元々は自分達の国は自分達で守ろう、と始めた戦いだ。またもアインズの威光に縋る様な真似は、抵抗感があった。

 

「……貴女達はよくやった」

 

 シアの沈黙を察したのか、シズは静かに、しかしはっきりと呟く。

 

「……人質達を救出できるとは思わなかった。アインズ様も手を尽くそうと考えていたけど、貴女達のお陰で手間が省けた」

「ゴウン様が……人質の皆さんを……?」

「……ん。だから、ここからはただの掃討戦。アインズ様がお救いしたこの土地を守る」

「感謝しなさい、そこのウサギ。そもそもシズからアインズ様に直々にお願いして、むぐっ!」

「余計なことは言わなくていい」

 

 シズが早業でナーベラルの口を押さえたが、シアはそれよりもアインズが人質達を助けようとしてくれたという事に胸が一杯だった。

 

(やはり、あの御方は私達を常に見守って下さっているのですね!)

 

 まさにアインズこそがフェアベルゲンの守護神。大海の様に深い慈悲にシアの中でアインズへの信仰心が一層に高まる。

 

「分かりました。でも、まずは火の手を止めないと———!?」

 

 シアがそう言いかけると、唐突にビュオオオオッ!! と冷気が辺りに吹き荒れた。冷気は帝国軍がいる方向とは真逆――フェアベルゲンの奥から流れ、燃え上がっていた木々を鎮火させ、冬の森の様に霜を下ろしていく。

 

「こ、これは……!?」

 

 ***

 

「全クモッテ、手間ガ掛カル者達ダ」

 

 フェアベルゲンの奥———コキュートスは“限界突破“で範囲を広げた“フロストオーラ”を展開しながら呟いた。

 

「コノ程度ノ相手ニ遅レヲ取ルナド、マダマダ鍛エル必要ガアル様ダナ」

 

 コォォ、と冷気を吐きながらコキュートスは嘆息する。しかし、その口調にはどこか、不肖の教え子達を見守る様な温かさがあった。

 

「……御膳立テハシタ。後ノ事ハ任セタゾ、プレアデス達ヨ」

 

 ***

 

「これは……コキュートス様が……?」

「……これで、シアの国が無くなる心配は無くなった」

 

 ガチャッとシズはアサルトライフル型の魔導銃の安全装置(セーフティ)を外す。

 

「……私と、私の姉妹達が貴方達に加勢する。だから、アインズ様の敵を殲滅する」

 

 ジッとシズのエメラルドグリーンの瞳がシアを見つめてくる。その瞳はまるで作り物のようで、生物的な反応が全くない。

 しかし、その目には何か強い感情がある様にシアは感じていた。

 

「さっきの吹雪は何だ!? あれは魔法か!?」

「知るかよ!! 亜人共が魔法を使えるわけないだろ!!」

 

 ふいに狼狽した男の声がいくつも聞こえてきた。シアが目を向けると、そこに帝国軍の一団が茂みの中から出てきた。どうやら先程の冷気は鎮火しただけで、人間には被害を及ぼしていない様だ。鎧に霜は下りていたが、彼等はピンピンとしていた。

 

「ん? おい、亜人がいたぞ!」

「あ? ハッ、ついていやがる!」

「一緒にいる奴は何だ? あれは……人間か?」

「構うことは無え! ここは戦場だ! 殺しても犯しても文句は無えだろ!」

 

 欲望に目をギラつかせ、帝国兵達は絶世の美少女であるナーベラル達に殺到しようとし———ナーベラルの手から巨大な雷が迸った。

 

「ほら、さっさとなさい。そこのウサギ」

 

 悲鳴を聞く事すら煩わしいという様子で人間達を消し炭に変えながら、ナーベラルはシアに声を掛ける。

 

「アインズ様はこの愚か者(ガガンボ)共を駆除せよ、と言われたわ。アインズ様はお前達の様な者共にも、御慈悲をかけられたわ。私達が手を貸してあげるから、アインズ様に感謝しながら人間(害虫)共を駆除しなさい」

 

 ナーベラルの言葉にシアのウォーハンマーを握る手に力がこもる。そうだ、あの人間達は侵略者だ。奴隷となった同胞達を笑いながら傷付けたケダモノ以下の人間達だ。そして、そんな人面獣心な者達に襲われた自分達(亜人族)に至高の御方は救いの手を差し伸ばしてくれたのだ。

 そして今、百万の援軍すら上回る味方までつけて貰った。

 

(ゴウン様の為にも……私は戦うですぅ!)

 

「シア! 避難民達の移動は終わった! それにしてもさっきの吹雪は……?」

 

 カムが兎人族の皆と共にシアに近寄る。

 

「父様、今こそが好機です」

 

 シアは決意を固めた表情でカムへ向き直る。

 

「ゴウン様より、ここにいるナーベラル様やシズ様達を援軍につけて貰えるそうです。コキュートス様によって樹海の火災を治められ、敵も混乱している筈……今こそ、敵の本陣まで一気に攻め入るべきです!」

 

 カムは驚いた顔でシアを見る。しかし、シアの言葉に本気の覚悟が見えているのを悟ると、すぐに深く頷いた。

 

「分かった……だが、私達も行くぞ。我々は家族だ。皆でやり遂げるんだ」

「はい!」

「話は聞いたぞ! 俺達も行くぜ!」

 

 シアが振り向くと、そこにはユリと共にジンが部下を引き連れて来ていた。

 

「ユリ姉さん、そっちにいたの」

「それはこちらの台詞よ。人間達を片っ端から殴り飛ばしていたら、遅くなったわ」

「……ユリ姉、相変わらず脳筋」

「の、脳筋とは失礼ね! 僕、じゃなくて私は殴った方が手っ取り早いからそうしてるだけです!」

 

 戦闘メイドの三姉妹達が談笑する中、ジン達は威勢の良い声を上げた。

 

「へ、お前らばかりに活躍はさせねえぞ! 俺の娘を助けてくれたんだ! 手伝わせな、小娘———いや、シア・ハウリア!」

 

 歯を剥き出してジンは笑う。かつてシアを“忌み子”と呼んでいた彼は、そんな過去を吹き飛ばす様に部下達と共にシアへ笑い掛けた。

 

「皆さん……!」

 

 シアの目頭に熱い物がはしる。そんな娘の肩を優しく抱きながら、カムは声を張り上げる。

 

「聞いたな、皆! 準備は良いな? 我々はフェアベルゲンという大きな家族の一員だ! 家族が一つになれば、怖い物なんてない! 我らの神ゴウン様も、私達を後押しして下さる! やるぞ、皆! 我らの神———ゴウン様の為に!!」

「「「「「Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)!!」」」」」

 

 神を讃える祈りの言葉が綺麗に唱和される。心を一つにした彼等に恐れるものなどない。万の大軍だろうと、打ち破ってみせると亜人族の士気は最高潮に達した。

 

「……なんで彼等はパンドラズ・アクター様の物真似をしているのかしら?」

「さあ? 興味無いわ」

「……うわぁ………」

 

 戦闘メイド達にはかなり不評だったが。

 




>神への祈りの言葉

 亜人族達はアーメン、とかそんなノリで言ってるだけなので、どういう意味かも実はよく分かっていません。ただし真剣にアインズを讃える祈りの言葉だと思っています。良かったネ、アインズ様♪


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第七十八話「フェアベルゲン防衛戦③」

 ようやく、このシーンを書けました……。個人的に大満足です♪(ニッコリ)

 ようやくオーバーロードの最新刊が届いたので、次回はちょっと遅れるかも。読みたいのを我慢してこの話を執筆していたので(笑)。


「おい、どうなってやがるんだ!?」

 

 帝国軍の本陣で、バイアスは怒鳴り声を上げる。

 先程、亜人族がゲリラ戦を仕掛けてくる樹海を焼き払っていたら、突然の吹雪に火種が全て凍り付かせられた。

 こんな広範囲で行われる魔法など、トータスの常識には無い。その為に兵達の動揺は大きく、帝国軍は進軍を一時中断せざるを得なかった。

 

「何を止まってやがるテメエ等! たかが火攻めが出来なくなっただけだろうが! 俺達の方が圧倒的に人数が多いだろうが!」

「しかし、バイアス様! これ程の魔法など聞いた事がありませんぞ! 未知の敵がいる事は確かです!」

 

 ガハルドの親衛隊の男がバイアスを諌める様に声を張り上げた。

 

「亜人族にこんな魔法が使えるとは思いません! ましてや森全体を凍らせるなど! これ程の魔法……もしや、ハイリヒ王国に降臨したという“神の使徒”が亜人族の味方をしているのでは!?」

「ああ!? なんで王国の奴等が亜人共に味方してるんだよ!!」

 

 そう言われても親衛隊の男は言葉に詰まるしかない。こんな規模の魔法など、帝国軍の魔法師団にだって不可能だ。それ程の軍隊の目撃情報など無く、残る可能性として一個人でも強大な魔法行使が可能な人間———噂に聞く、エヒト神が異世界から召喚したという“神の使徒”くらいだろう。

 親衛隊の男は唇を噛みながらも、バイアスに進言した。

 

「バイアス様! ここは一度撤退を! 亜人族共に我々の予想を超えた味方がいる事はもはや疑う余地はありません! 戦力の見直しを図る必要があります!」

「ふざけんなよ、テメエ! 亜人族相手に軍を退くなどできるか!!」

 

 亜人族はトータスにおいては最弱の種族。そんな相手に大軍を率いていながら撤退したとあっては、実力を重んじるヘルシャー帝国では恥以外の何物でも無い。これは勝って当然の戦なのだ。そんな相手に撤退などあって良い筈がない。

 

「よく見ろ! この吹雪は火は消せても、俺達に影響なんか無え! こんな虚仮威しにビビって撤退しろと言うのか! ああん!?」

「しかし———!」

 

 親衛隊の男が尚も言い募ろうとするのを見て、バイアスの中でひどい苛立ちが生まれる。お目付役としてつけられたガハルド直属の部下だが、斬り捨ててやろうかと本気で考えていた。

 一触即発な空気に本陣の天幕にいる幕僚達は顔を見合わせる。今回のフェアベルゲン侵攻戦、亜人族の女達を執拗に()()していたバイアスの代わりに実質的な指揮は親衛隊の男がとっていたのだ。

 しかし、バイアスは次期皇帝候補筆頭。決して蔑ろにして良いわけでなく、自分達は実質的な指揮官(親衛隊の男)権威的な象徴(バイアス)のどちらの命令を聞くべきか、幕僚達に迷いが生じていた。

 そんな中、突然帝国軍の鎧を着た男が天幕に割って入る。

 

「ほ、報告します!」

「何だ! 今は取り込み中だ!」

「申し訳ありません! ですが、緊急事態です!」

 

 幕僚の一人が厳しい目線を向けてきたが、伝令の兵士は顔を焦燥に歪めていた。

 

「あ、亜人族が……亜人族共がこの本陣に攻めてきます!」

「なにぃ!?」

 

 伝令の報告に先程まで一触即発の空気で睨み合っていたバイアスと親衛隊の男まで驚愕した。親衛隊の男は伝令に食ってかかる。

 

「馬鹿な! こちらには一万もの兵がいるのだぞ! 奴等は何をしていたのだ!?」

「そ、それが、現場の報告では亜人族共に凄まじい力を持ったメイドがついたとかで……」

「メイド? 何を言っている!? 詳細に説明せよ!」

 

 親衛隊の男が怒鳴るが、伝令の兵士も自分が報告している内容が信じられないのか、目を白黒させるばかりだった。

 

「と、とにかく、亜人族共は一団となってこちらの兵を蹴散らしながら真っ直ぐ本陣に向かっております! 指揮を———!」

 

 ドオオオォォォォンッ!! と激しい音が伝令の言葉を遮った。バイアス達が慌てて天幕の外に出ると、既に剣戟の音が彼等の耳にも届く距離に近付いていた。

 

 ***

 

「インパクト・ブロー!」

 

 ユリの拳が正面の帝国兵達に打ち出される。拳から出た衝撃波は風圧を伴って、帝国兵達をボーリングのピンの様に弾き飛ばした。

 

「ぐっ!? 止めろ止めろぉ!! これ以上、先に行かせる———」

 

 パンッ、と軽い音と共に怒鳴り声を撒き散らしていた隊長格の男の額に穴が空いた。

 

「……ヒット」

 

 シズは魔導銃をリロードしながら静かに呟く。即座に連射モードに切り替えると、眼前の帝国兵達に向けて引き金を引いた。閃光(マズルフラッシュ)と共に、帝国兵達の鎧が穴空きチーズの様になって倒れていく。

 

「中々やるのう! だが、帝国軍一の魔法師隊である儂等に敵う道理など——-」

「五月蝿いわよ、人間(ナメクジ)共」

 

 バリバリバリィッ!! と雷が奔り、帝国軍の部隊を襲う。ナーベラルは眉一つ動かさず、何やら喚いていた人間の一団を消し炭に変えた。

 

「虫は虫らしく、アインズ様の為に黙って踏み潰されなさい」

「ぐっ、せめて……せめて一太刀!」

 

 魔法を撃った隙をついて、破れかぶれで帝国兵がナーベラルに突撃してくる。ナーベラルはそれを舌打ちしながら武器を振り上げようとし———。

 

「でりゃああああっ!!」

 

 シアは素早くナーベラルの前に立つと、ウォーハンマーを振るって帝国兵をピンボールの様に弾き飛ばした。

 

「ナーベラル様、お怪我はありませんか!?」

「余計なことを……お前ごときに庇われる謂れなど———」

「ナーベラル」

 

 いつの間にか近寄ってきたシズがナーベラルを見つめる。表情は変わらないが、何かを言いたそうにジーっと見てくる。無言の圧力に耐えかねて、ナーベラルは気まずそうにしながら咳払いした。

 

「まあ、下等……んん、それなりに良い判断だったと誉めましょう」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 恐縮そうに頭を下げるシアの後ろで、シズはナーベラルに向かって「それで良し」と言いたげに頷く。

 

「……このまま押し切っていく。ユリ姉をカバーして前衛をお願い」

「かしこまりましたですぅ! いくですよおおぉぉっ!!」

「我々も行くぞ! ゴウン様の為に、進めええぇぇぇっ!!」

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)!!』

「……それ、あまり可愛くない」

 

 身体に浮かんだ赤黒い血管を脈動させながら、亜人族達は帝国軍を次々と蹴散らしていく。その中でシズがボソッと呟いた一言は亜人族達の雄叫びにかき消された。

 

 ***

 

「カーネル隊、連絡途絶えました!」

「クソ、前衛に出している奴を全員戻せ! 今すぐにだ!」

「魔法師隊はどうした!? 奴等がいれば亜人族共を焼き払えるのに……!」

「攻めてくる亜人族の数は!? まさか、一万の兵を蹴散らす程の大軍なのか!?」

 

 帝国軍の本陣は蜂の巣をつついた様な騒ぎだった。将兵達は慌てて前線に出している兵達を呼び戻そうと伝令を出しているが、情報が錯綜していて誰も正しい状況を把握できないでいた。そんな中で、親衛隊の男は場をなんとか掌握しようと声を張り上げる。

 

「落ち着け! 今は眼前の敵軍のみを考えるのだ! とにかく、一度状況を立て直す為に撤退を———」

「おい、ざけんなよテメェ!!」

 

 親衛隊の男に食って掛かる様にバイアスが怒鳴り声を上げた。

 

「亜人族風情に撤退しろだぁ? テメェ、それでも帝国の軍人か!」

「ですが! いま我々は奴等の奇襲により、危機的状況にあるのです! ここは退かねば、御身の安全すら危うくなりますぞ!」

「ざけんなよ、オイ! 俺を誰だと思ってやがる!? ヘルシャー帝国の次期皇帝だぞ! そんな俺が率いている軍が亜人族相手に撤退したとか帝国に知られてみろ! 帝国で笑い者にされるだろうがあっ!!」

「しかし! 今はその様な事を言っている場合では———!」

「黙れ! 大将はこの俺だ! 親父の親衛隊風情が意見するんじゃねえ!!」

 

 口角泡を飛ばしてくるバイアスに親衛隊の男は歯をギリッと食い縛る。こうしている間にも亜人族達は真っ直ぐにここを目指しているのだ。そしてそれを食い止めようと帝国兵達は次々と犠牲になっている。これ以上の無為な犠牲を出さない為に、一刻も早く軍を立て直さないとならないのだ。

 それをバイアスに説明する為に親衛隊の男はもう一度、口を開き———地響きと轟音が本陣を襲った。

 

「な、何だよオイ!?」

「くっ、早過ぎる! もうここまで来たというのか!?」

 

 ***

 

「一気に崩します! 貴方達、行きますよ!」

『はい! ユリ・アルファ様!』

「アインズ様がお救いした地を攻めてきた愚か者です! 遠慮はいりません!」

「大将だ! 大将の首を取るぞ! そうすれば後は烏合の衆だ!」

 

 ユリが先導して本陣を攻撃していく。ユリ達と本陣に詰めていた帝国兵達を蹴散らしながら雄叫びを上げるジンの声を聞いて、シアは素早く目線を走らせた。

 

(帝国軍の大将と言うくらいだから、一番威厳のありそうな人間ですよね? この中で一番偉そうな人は……)

 

「くっ、こうなったら迎え撃て! だが敵は少数だ! 援軍が来るまで無理をせず、遅滞戦闘に専念せよ!」

「あぁ!? ざけんな!! この程度の数ぐらいどうにか出来るだろうが!! テメェら、全力で戦え!! 突撃だ!!」

「っ、待て! 命令撤回! 迂闊に攻撃するな!!」

「テメェ、俺の邪魔すんのか!!」

「それよりも貴方は撤退して下さい!! もはやここは危険です!!」

「ふざけんな!! 亜人族相手に背を向けろと言ってんのか!?」

 

 本陣の奥———周りの兵よりも一際、立派な軍服を着た初老の男とこれまた立派な鎧を着た若い男が言い争っている。周りにも将軍格らしき軍人はいるが、二人の争いを見てどちらに加勢すべきか迷っている様だった。

 

「見つけました……あれが、帝国軍の大将首!」

 

 シアは脚に魔力を込める。赤黒い血管が脈打ち、“天歩"の固有魔法の発動が準備される。そしてシアは二人の内のどちらを狙うべきか考えた。

 

(……初老の男です。そっちが大将に間違いありません!)

 

 よくよく聞いていると初老の男の指示の方が具体的で分かり易い。いくらなんでも粗野に喚き散らしているだけの若い男が大将という事はないだろう。

 

(これ以上、時間を掛けたらこちらが不利になるですぅ。その為にも……ここで殺します!!)

 

 シアは決意を込めて、“天歩"を発動させる。量産人型キメラとしての力、そしてシアが元々持っていた身体能力強化の魔法への適性が合わさり、爆発的な脚力を生んだ。

 

 そして———その瞬間、シアの視界に変化が起きた。

 

(……え? これは………?)

 

 周りの時間の流れがゆっくりになった様に感じる。敵も、味方も、飛び交う矢すらもシアの目にはゆっくりと動いている様に見えた。

 

 “天歩”最終派生技能———“瞬歩"。

 

 シアの眠れる才能はこの局面で開花し、超人的な技能を目覚めさせた。

 

(……これならば!!)

 

 数瞬だけ戸惑っていたシアだが、すぐに自分の技能を理解した。音も、時すらも置き去りにした脚力が天を駆ける。

 コンマ一———シアは敵兵達を飛び越す。

 コンマ二———スローモーションの様に言い争う二人の真上の空中で止まった。

 コンマ三———シアはウォーハンマーのロケットギミックに点火した。

 

「りゃあああああぁぁぁあああっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、シアはウォーハンマーを———-初老の男に振り下ろした。今のシアの目には遅すぎる速度で上を見て、目を見開こうとする初老の男は咄嗟に何かを呟き————一瞬後、グチャッという音と共にウォーハンマーによって地面へと潰れていく。

 そして———シアの体感時間は元に戻った。

 

 ドオオオオオオォォォォオオンンッ!!

 

 まるで隕石が落ちたかの様な衝撃が辺りに響く。シアが親衛隊の男を叩き潰した衝撃は辺りを吹き飛ばし、帝国軍の兵達は思わず戦いの手を止めて見てしまった。

 モウモウと土煙が立ち込めた。自分達に命令を下した将軍達のいた場所は爆発の中心地の様に深く地面が抉れ、辺りに広がる真っ赤な血は一面に咲き誇る彼岸花の様だ。

 土煙の中から———ガシャン! とウォーハンマーを抱えるウサ耳少女の影が見えた。

 

「ヴォーパル・バニーだ………」

 

 帝国兵の誰かが呟く。それは帝国の御伽噺に伝わるとある魔物の名前だ。可愛い兎の姿をしているが、悪事を働いた者の所に突然現れては命を奪うという子供の躾にも使われる恐ろしい伝説上の名前だ。彼等の目からすれば、突然爆発した様に見えた司令部と血溜まりの中心に佇むウサ耳はその名前を連想させるのに十分だった。

 

「ヴォーパル・バニーだ!! あ、亜人族に紛れて、あの殺人兎が潜んでいたんだ!!」

「嘘だろ!? 実在したのかよ、あの魔物は!?」

「ま、まさか……さっきの吹雪も、ヴォーパル・バニーの仕業なのか!?」

「に、逃げろ!! 逃げないと俺達はあの殺人兎に殺されるぞ!!」

 

 子供の頃、寝物語に聞いていた恐ろしい魔物の登場に帝国兵達の悲鳴が次々と上がった。何より、指揮官達の消失という事実が彼等の戦意を軒並み圧し折った。帝国兵達は次々と武器を投げ出し、一目散に逃げ出していく。

 

「待ちやがれ!! 俺の娘や同胞に狼藉を働いた分、落とし前をつけさせろや!!」

「追撃なさい! 一人たりとて逃がしてはならないわよ!!」

「ひ、ひぃっ!? た、助けてくれぇ!!」

 

 ユリの号令に「はっ!!」と亜人族達が唱和する。逃げ出そうとする帝国兵達の背に、次々と攻撃していった。

 

「…………」

 

 土煙が晴れ、シアは静かに立ちすくんでいた。

 そして———ガクッと膝をついた。

 

「ア……アイタタタタ!? あ、足が〜! 足が攣ったのですぅ〜!?」

 

 その場で足を押さえてゴロゴロと転げ回る。シアが発動させた“瞬歩”。それはシアの足に凄まじい負担をかけ、シア自身にもダメージが入っていた。とはいえ、人型キメラとして改造されたシアからすれば時間経過と共に回復していく。しかし、それでも痛いものは痛い。

 

「うぐぅ〜……これ、滅茶苦茶痛いから二度とやらないですぅ……あ、でも使い熟せる様になったら、コキュートス様も褒めてくれるかな?」

「………お疲れ様」

 

 しばらく足を押さえて涙目になっていたシアだが、唐突に声をかけられる。振り向くとシズが魔導銃を持ったまま、シアの側にいた。

 

「あ、シズ・デルタ様……」

「……貴方が敵将を討ったお陰で、賊達は壊走し始めた。後は作業の様なもの」

「そ、そうですか? あはは……こんな私でも、少しはゴウン様のお役に立てたでしょうか?」

「ん……きっとアインズ様も、お喜びになると思う」

「良かったですぅ……」

 

 ホッとシアは胸を撫で下ろす。自分の命を救ってくれた恩人へ、ほんの少しでも恩を返せたならそれに勝る喜びはない。

 

「……ありがとうございます、シズ・デルタ様」

「……? 意味不明。どうしてお礼を言う?」

「シズ・デルタ様達が助太刀に入ってくれなければ、私達は勝てませんでした」

「………別に。アインズ様からの命令だから」

 

 プイッとそっぽを向きながら、シズは素っ気なく言う。しかし、言葉の通りではないのだろうとシアは何となく思った。

 

「…………シズ」

「はい?」

「……シズ。そう呼んでいい」

 

 素っ気ない態度を装ったまま、シズは短くそう答えた。

 

「……その代わり、またモフモフさせて欲しい」

「……はい! これからもよろしくお願いします、シズさん!」

 

 シアはニッコリと笑ってシズに手を差し出した。「……ん」とシズは手を握り返した。

 

「……ところで、どれが敵の大将?」

 

 唐突に聞かれて、シアは辺りを見回した。ウォーハンマーを振り下ろし、大きく陥没した地形。そこに広がる血溜まりとミンチの様な複数のナニカ。

 

「…………どれなんでしょうね?」

「……この残念ウサギ」

 

 ボソッと言われた言葉にシアはへにょりとウサ耳を垂らした。

 

 ***

 

「ハァ、ハァ、ハァ……!」

 

 バイアスは森の中を走っていた。

 先程の爆撃の様な衝撃は幸運にも直撃せず、親衛隊の男が咄嗟に唱えた風魔法で空気の膜をエアクッションの様に覆って貰えた事で、バイアスは十数メートル吹き飛ばされるだけで済んだ。その上で擦り傷程度で済んだのはバイアスの着ている鎧が皇族用の特別な物だという理由もあるのだろう。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……!」

 

 そういった理由から、シアがミンチに変えた司令部の中で奇跡的にもバイアスは生き残った。本来ならば帝国軍の大将として、いま亜人族達から逃げ惑っている帝国軍を取り纏めなくてはならないだろう。しかし、彼は戦場から少しでも離れようと手足を必死に動かしていた。

 

「ハァ、ハァ、ヒィ……!」

 

 衝撃で吹き飛ばされた後、何が起きたかも分からずにどうにか起き上がったバイアスは見てしまった。自分達がいた司令部を文字通り消し飛ばし、血塗れの武器を抱えたウサ耳姿を。そして、一瞬でミンチへと変わった親衛隊の男や幕僚達の姿を。

 

(あんな……あんな物が俺に当たっていたら……!)

 

 それを理解できた途端、バイアスの足がガクガクと震え出した。今まで弱者を嬲る事に快楽を見出していた彼は、生まれて初めて自分が狩られる立場にある事をようやく理解したのだ。そして、その事を理解した瞬間の身体の反応は早かった。背を向け、一目散に恐ろしい殺人兎から逃げ出す事を選択していた。

 

「ハァ、ヒィ……クソ、クソクソクソがあっ!!」

 

 木の根に躓きそうになりながら、慣れない樹海をひたすら走る。走りながらも、バイアスの口から呪詛の様に悪態が次々と出た。

 

「クソ、クソ、クソ……何で俺がこんな目に! ヘルシャー帝国の次期皇帝たる俺が、こんな……!」

 

 トータスで最弱の種族として周りから見下されている亜人族相手に逃走しているという事実に、バイアスはギリッと奥歯を噛み砕く勢いで鳴らした。

 

「こうなったのは全部アイツのせいだ……! 親父の親衛隊風情の身分で、横からゴチャゴチャ言いやがったから……! いや、それ以前に奴隷を奪い返される様な無能がいたから……!」

 

 そう考えると、バイアスの溜飲は幾分か下がった。そうだ、自分は悪くない。悪いのは周りの無能な人間のせいであり、帝国で次期皇帝の座を勝ち取った自分がこんな目に遭うのは無能達のせいなのだ。

 遠くで帝国兵達の悲鳴が聞こえる。指揮官不在となり、もはや烏合の衆と化した帝国兵達は亜人族達に狩られて大勢の犠牲が出るだろう。

 

(クズ共が……せいぜい俺の為に囮になって死ね!!)

 

 自分の兵達が犠牲になっている現状でも、バイアスにはそんな考えしか浮かばなかった。自分はヘルシャー帝国の次期皇帝なのだ。自分の様な選ばれた人間は何が何でも生き延びなくてはならない。その為なら一山いくら程度の価値しか無い人間達などどうでも良い。むしろ、自分の為に率先して死ぬべきだ。

 

「ヒィ、ヒッヒヒ! そうだ……これは逃げてるんじゃねえ! 軍の態勢を立て直す為に一時的に撤退しているだけだ! 見てろよ、亜人族のクソ共! 国に帰ったら親父から増援を送って貰って、今度こそ跡形もなく焼き払ってやるぜ!!」

 

「まあ……威勢が良いのねぇ」

 

 唐突に、バイアスに声が掛けられる。バイアスはバッと振り向いた。そこに———こちらを見詰めるメイド服を着た金髪の美女と髪を二つのお団子状に纏めた和服姿の少女がいた。

 

「だ、誰だてめえ等!?」

「貴方ごときに名乗る様な名ではありませんが……まあ、いいでしょう。私はソリュシャン・イプシロンと申しますわ」

「私ぃ、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。よろしくぅ〜」

 

 怯えた野犬の様に威嚇するバイアスに対して、メイド服の少女達———ソリュシャンとエントマは余裕すら感じる態度で自己紹介をした。

 

「あの亜人族の国は至高の御方が治める国で、シズのお気に入りの国なのよ。困りますわぁ、薄汚い人間が大勢来るなんて」

「えー? 私ぃ、いっぱい来て欲しいなぁ。お肉がお腹いっぱい食べられるからぁ」

「私も遊ぶ玩具が沢山欲しいわよ。でもとりあえずは今日来た人間達で我慢しましょう」

「は〜い」

 

 二人のメイドは眼前のバイアスを放って談笑を始めていた。しばらく呆然としていたバイアスだが、まるで路傍の石の様に無視する二人に段々と苛々してきた。

 

「てめえ等……俺がヘルシャー帝国の次期皇帝バイアス・D・ヘルシャーだと知ってての態度か? メイド風情が……弁えやがれ!!」

「はぁ。帝国の……で、それが何か?」

「な、何だと?」

「それが何だと言うのかしら? 所詮は人間でしょう? 私達から見れば、等しく価値はありませんわ」

 

 バイアスは思わず言葉に詰まってしまう。ヘルシャー帝国の皇太子として生まれ、次期皇帝であるバイアスにこんな無礼な態度を取った者などいない。まるで理解不能な生き物を見たかの様に、バイアスは怒りを通り越して珍奇な物を見る目で二人のメイドを見た。

 

「ところで、エントマ。貴女、これ欲しい?」

「う〜ん……今はいいやぁ。もう少し脂がのったのが食べたい気分〜」

「そう……じゃあ、私が貰うわね」

 

 スッとソリュシャンが前に進み出る。

 

「な、何だよ?」

「エントマがいらないそうなので……私が楽しもうかと」

 

 シュルリ、と衣擦れの音が響く。ソリュシャンはメイド服の胸元を緩めていた。

 

「あ、あぁ? 何、してんだ?」

「さあ……何でしょうね?」

 

 ソリュシャンは妖しく微笑む。この異常な事態に、バイアスは呆気に取られた様に見続ける。いきなり出てきて、何故この女は目の前で服を脱ぎ始めたのだろうか? だが、その疑問も段々と顕になっていくソリュシャンの胸元の前で蕩けて消えていった。

 絹糸の様な金髪、非常に整った顔に、豊満な胸。ソリュシャンはバイアスがこれまで抱いてきた女など比較にならないくらい美しい女性だった。

 まさに神———否、至高の存在が与えた美そのもの。

 プルン、と陶磁の様に白い双丘がバイアスの前に差し出される。

 

「どうぞ。優しくして頂けると幸いです」

「へ、へへ……なんだよ、俺に抱かれたいならそう言えよ」

 

 バイアスは下卑た笑みを浮かべながら手を伸ばす。どうしてこの場にメイドがいるのか? などという基本的な疑問すら頭から抜け落ちていた。昨日まで抱いていた亜人族の女よりも何段も上等な女体を味わいたい、と欲望の火がバイアスの脳を埋め尽くしていた。

 ドプン、とバイアスの手がソリュシャンの胸に沈み込む。

 

「ぎゃああああああああああああっ!?」

 

 そして———すぐに手に千本の針を刺したかの様な痛みがバイアスを襲った。

 

「な、何だよこれ!?」

 

 バイアスは自分の手を見て瞠目した。ソリュシャンの胸元に伸ばした手は文字通りソリュシャンの胸の中へと沈み込み、手首から先が呑み込まれていた。

 

「ですから、言ったではないですか……()()()()()、と」

「あぎぃいいいいぃぃぃいいい!?」

 

 悠然とソリュシャンが微笑む中、バイアスは踏み潰された鼠の様な悲鳴を上げた。ソリュシャンの身体に呑み込まれた手首———その先からジュウジュウと音を立てて、煙を上げていた。かつてバイアスが亜人族の奴隷に面白半分で焼きごてを押し付けた時の様な、嗅ぎ慣れた臭いが自分の腕から漂ってくる。

 

「私、実は何かが溶けていくのを観察するのが好きなんです。貴方は私の中へ入りたがっていたみたいなので、丁度良いかと思いまして」

「や、止めろ! クソ、離せ! 離しやがれえええぇぇええっ!!」

 

 自分の手がグズグズと溶かされていく痛みに悶えながら、バイアスは腰の短剣を抜いてソリュシャンの顔面へと振り下ろす。短剣はソリュシャンの顔面へと突き刺さり、ビクンッとソリュシャアンの顔が痙攣した。

 

「ハァ、ヒィ………ざまあみろ、クソがっ!!」

 

 未だに胸元に手を呑み込またまま、バイアスは短剣が突き刺さったソリュシャンの顔を見て痛みに耐えながら吐き捨てた。

 だが———絶命した筈のソリュシャンの顔がグニャリと動き、頭に突き刺さった短剣ごとバイアスの残りの手を呑み込んだ。

 

「あぎゃああああぁああぁああっ!?」

「申し訳ありません。私、捕食型粘体(スライム)ですの」

 

 グニャリ、とソリュシャンは口角を上げる。それは粘土細工で出来た顔を無理やり歪めた様な表情だった。

 

「物理攻撃への完全耐性があるので、この程度ではダメージになりません。でも鬱陶しいので、これは溶かしますね」

 

 ジュウウゥウ! と音を立てて、短剣がソリュシャンの中で溶かされていく。当然、短剣を握っていたバイアスの手も――。

 

「ひっ、ぎぃ!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃいいいっ!?」

「まあ、可哀想。こんなにベソをかいてしまって」

 

 両手から伝わる痛みにバイアスは子供の様に泣き叫んだ。それをソリュシャンはまるで可愛い我が子を抱く母の様な笑みを浮かべて見詰めていた。

 

「な、何だ、今の悲鳴は!?」

「あの声……まさかバイアス様か!?」

 

 近くで帝国兵達の声が響く。亜人族から逃げ惑う中で、たまたまバイアスの近くを通ったのだろうか? 何にせよ、バイアスは九死に一生を得た思いで叫ぼうとした。

 

「た、助け、ぎゃああああああっ!?」

「ねえ、ソリュシャン〜。お肉が焼ける臭いを嗅いでいたら、私もお腹空いてきちゃったぁ。食べていいぃ?」

「良いわよ。でも人間だけですからね。亜人族は食べては駄目よ?」

「オッケー、分かったぁ」

 

 助けを求める声が激痛で塞がれる中、バイアスの両腕を呑み込んだままソリュシャンは先程からお面の様に表情が変わらないエントマと笑顔で会話する。

 それを見て、ようやくバイアスは悟った。目の前にいるのは———人の姿を形取ったモンスター達なのだと。

 

「お肉ぅ〜、食べ放題ぃ♪」

 

 ブウゥゥン! と背中から虫の様な羽根を広げて、エントマは声のした方向へ飛んで行った。

 

「な、何だこいつは!?」

「ひっ!? や、止め———」

 

 グシャ! バリッ、ボリッ、ボキッ!

 

 やや遅れて、肉を硬い顎で潰す様な音がバイアスの耳に聞こえた。自分の救援隊が無惨に食い潰された事を悟り、バイアスは恐怖と絶望で涙や鼻水で顔がグチャグチャになった。

 

「あ、ああ、ああ……!」

「さて、あっちはエントマに任せるとして……そろそろ呑み込ませて頂きますね? アインズ様からは、あなた方を()()()()()()()()()と仰せつかったので、まだまだお仕事が残っていますので」

 

 ずるり、とバイアスの腕がソリュシャンの身体へ呑み込まれていく。その力は圧倒的で、バイアスの抵抗が無意味な程だ。

 

「い、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だやめてやめてやめてやめてぇ!! たすけたすけたすけてぇ! なんでぇ!? おれはなにもわるいことはしてないのにいぃぃいい!?」

 

 泣き喚きながらバイアスはもがくが、ソリュシャンは同性すらもため息を吐きそうな笑顔を崩さず、呑み込まれていくバイアスを見つめる。腕が、肩が、呑み込まれていき、呑み込まれた先から硫酸の中に浸かった様な痛みがバイアスを襲う。

 

「たすけてえぇぇええっ!! たすけてくれよおおっ、親父———」

 

 ドプンッ。

 

 ***

 

「ご安心なさって。久々の獲物ですもの、しばらくは生かしてあげますわ」

 

 バイアスの身体を完全に呑み込んだソリュシャンはうっとりと微笑む。人一人を呑み込みながらも、体型は全く変わっておらず、ソリュシャンは自分のお腹あたりを優しく撫でた。

 

「そうですね……数日くらい、じっくりと溶かして楽しみましょう。バイ……なんでしたっけ? 忘れてしまいました♪」

 

 遠くで、エントマに喰われる人間達の断末魔が鳴り響く。その極上の調べに、ソリュシャンは酔いしれる様に目を閉じた———。




>ソリュシャン・イプシロン

 ナザリック地下大墳墓の戦闘メイド「プレアデス」の一人。六姉妹の内の三女であり、創造主はへろへろ。
 金髪碧眼と美しい外見だが、その正体は捕食型スライム。人間をじっくりと溶かして殺すのが趣味という、嗜虐的な性格の持ち主。

>バイバイ、バイアス

 女の子のナカに入れるのが大好きなバイアスくん。なので、ソリュシャンちゃんの中に入れてあげました♪ ソリュシャンちゃん程の美女に数日も遊んで貰えるなんて良かったネ、バイアスくん!!


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第七十九話「フェアベルゲン防衛戦 終着」

 ゴロゴロしてたって、自動的に小説は書き上がりませんよー。
 それが分かっているけど、休みの日はつい寝転がってスマホやswichを何となくやってしまう。

 最近、ワンピースの映画を見に行きました。Adoの曲とか今まで興味無かったけど、映画を見終わったらCDを即買いしてました(笑) この映画はもう一回見に行っても良いかもしれない。


 フェアベルゲン 臨時避難所

 

 帝国軍から無事に救出されたアルト達の姿はそこにあった。奴隷として過酷な仕打ちを受けた彼女達の傷をミキュルニラが次々と診察していた。

 

「は〜い、とりあえずの応急処置は終わりましたよ〜」

「あ、ありがとうございます……」

「切られちゃった耳とかは〜、しょちょ〜に頼めば元通りになりますからね〜」

「は、はあ……?」

 

 ニコニコと応対するミキュルニラに、アルトはつい気の抜けた返事をしてしまう。そもそも今の状況が未だに把握できていない。突然現れた兎人族の少女が自分達を虐げていた帝国兵達を皆殺しにして、連れて来られた先は帰りたいと夢にまで見ていた故郷だったなど、自分はあり得ない夢を見ているのではないかと実感が湧かないのだ。

 

(このネズミ……ネズミだよね? この亜人女性はどこの氏族の方なんだろう? それに、ここに連れて来られるまで見てきた亜人族はみんな銀髪だったけど、これは一体……?)

 

 フェアベルゲンでは魔物と同じ力———-魔力を持つ者の象徴として忌み嫌われる白銀の体毛。だが、目の前のミキュルニラを除けばここにいる亜人族達は皆が白銀の体毛で、身体のどこかに魔物の様な赤黒い血管を浮き出させていた。

 

「あの……貴方は一体」

「アルト!」

 

 戸惑うアルトに野太い男の声がかけられる。

 

「あっ……」

 

 その声は、アルトにとってとても聞き覚えがあった。ずっと、その声をもう一度聞きたいと願い、辛い奴隷生活でも夢にまで見ていた。

 アルトが振り向いた先————他の亜人族達の様に白銀の体毛と赤黒い血管を腕に浮かび上がらせたジンがそこにいた。

 

「お父、さん……?」

 

 記憶とは少し違う姿にアルトは戸惑った様に声を上げる。ジンは無言のまま、アルトへ歩み寄る。アルトもまた歩み寄ろうとし———途中で思い出してしまった。今回、フェアベルゲンがヘルシャー帝国の侵攻を受けた原因は自分にあるという事に。

 

「……っ!」

 

 アルトの顔が悲痛に歪む。自他共に掟に厳しい父の事だ。樹海の外に出て、帝国軍を引き連れて同胞達を危機に晒した自分を決して許しはしないだろう。そう思うと、アルトは泣きそうな顔で俯くしかなかった。

 気が付けば、ジンは目の前まで来た。手を上げた気配がして、アルトはビクッと身体を固くした。

 ジンは上げた手を振り下ろし———次の瞬間、アルトは毛むくじゃらの腕に抱き締められていた。

 

「え………?」

「このバカ、どこに行ってやがった……! 心配させやがって……!」

 

 アルトは一瞬、何が起きたか理解できなかった。だが、耳元で聞こえる鼻声になった父親の声でようやく父親に抱き締められているのだと理解できた。

 

「ずっと探したんだぞ……! お前がいなくなって、母さんは寝込んじまって……このバカ娘、ようやく帰ってきやがって……!」

「あっ……ああ……!」

 

 痛いくらいに抱き締められ、父親の温もりを全身から感じる。アルトは顔をくしゃくしゃにしながらジンの胸板に顔を擦り寄せた。

 

「ごめんなさい……! ルルを探しに行って、気付いたら樹海の外まで出ちゃって……! 帝国の人間達に捕まって、それで……!」

 

 思い出すのも辛いという様に喉を詰まらせるアルトをジンは強く抱き締めた。

 

「人間達にフェアベルゲンの事は喋ったらいけない、ってお父さんから教わったのに……! あいつら、奴隷にされてた同胞達を笑いながら拷問して……! 喋らなかったら目の前で一人ずつ殺すって言われて、私……私……!」

「バカヤロウ……! もういい、もういいんだ……!」

「お父さん……お父さん……ひぐっ、ああああっ……!」

 

 堰を切った様に泣き出すアルトをジンも涙を流しながら抱き締める。ジンだけではない。無事を聞きつけたのだろう、奴隷にされていた者達の家族は次々と駆け寄って二度と会えないと思っていた子供や兄弟と再会を果たしていた。皆一様に涙を流して、熱い抱擁を交わす。

 

「可哀想に……帝国の奴等、俺の娘の耳を切り落としやがって……! でも安心しな、俺達の神様ならばきっと治してくれるからな」

「お父さん、神様って?」

 

 アルトが不思議そうに父親に聞いた。アルトの知る限り、フェアベルゲンに———というより、亜人族には神に祈る習慣などなかった筈だ。

 そう思っていた矢先だった。

 

「ふむ……君達が奴隷にされていた亜人族か」

 

 威厳を感じさせる男の声が響いた。アルトが声のした方向を向くと、そこに見た事も無い様な豪奢なローブを着た骸骨の魔物がいた。

 

「ア、アンデッド!?」

「待て! 大丈夫だ、このお方はただの魔物じゃねえ!」

 

 突然の魔物の出現に奴隷にされていた亜人族達が色めき立つが、彼等を宥める様にジンが声を張り上げた。そしてジン達は骸骨の魔物———アインズへと跪く。アルト達は何故父親達が骸骨の魔物に跪くのか分からず、「え? え?」と戸惑うしかなかった。

 

「楽にしていい。君達も戦闘をしたばかりで疲れているだろう」

 

 傅かれる事に慣れていながらも、こちらを気遣う様な声が響く。まるでその所作は何度も繰り返されたかの様に自然体であり、アインズを初めて見るアルト達は思わず相手が骸骨の魔物(アンデッド)という事も忘れて見惚れてしまった。

 

「はっ、お気遣いありがとうございます! Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)!」

「…………ぐぼぁっ

 

 ジン達がアルト達には見た事の無い敬礼をする。ビシッと訓練された様に統一された動きにアインズから呻き声が漏れたが、小さ過ぎてアルト達には聞こえなかった。

 アインズが咳払いをすると、先程より威圧感が少し薄れた様にアルト達には感じた。

 

「んっ、んんっ! 気を取り直して……初めまして、諸君。私はアインズ・ウール・ゴウン。このフェアベルゲンの復興支援を行なっている者だ」

 

 「アンデッドが?」、「まさか……」という戸惑いの声が元・奴隷達から上がる。アルトも驚いて父親を見ると、ジンは神妙な顔で頷いた。

 

「君達はヘルシャー帝国の人間達によって、辛く苦しい日々を強いられてきただろう。だが、もう大丈夫だ。君達は私が保護を約束しよう」

 

 そう言われても、アルト達は戸惑った顔でお互いを見合うしかなかった。父親達は何故か信頼している様だが、トータスにおいて魔物は害悪を与える存在なのだ。しかし、この魔物は何かが違うとアルト達は直感的に理解できた。そもそも人間の言葉を話す魔物など聞いた事がなく、自分達の知識に無い未知の存在故にアルト達は逃げ出すべきかどうか判断できなかった。

 

「ふむ……まずは怪我を治すのが、先決だな。ミキュルニラ」

「はい」

 

 ジン達と同じく跪いていたミキュルニラが顔を上げる。

 

「彼等の傷を全て治してやれ。必要ならば、ポーションの使用も許可する」

「かしこまりました」

「それと———ナグモ」

「はっ」

 

 アインズの背後から一人の少年がアルト達の前に進み出た。

 

「に、人間……!」

 

 帝国の人間達に酷い仕打ちを受けてきた彼等は、人間の少年を見て身体を硬くした。そんなアルトの手をジンが安心させる様に握った。

 

「大丈夫だ……すいません、ナグモ様」

「フン……あんなチンパンジー共と同類と思われる事自体、腹が立つがな」

 

 ナグモは眉間に皺を寄せた表情のまま、アルトへ手を翳した。ビクッとアルトは思わず目を瞑った。

 

「———<中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)>」

 

 ナグモの手から暖かな光が出て、アルトに浴びせられる。一瞬だけ頭が熱くなった様な気がして、アルトは頭を押さえて———ふさふさとした手触りを感じた。

 

「え? これって………」

 

 恐る恐るアルトは頭頂部を触る。そこにはバイアスに笑いながら切り落とされた筈の耳が、元通りになって生えていた。それどころか自分の身体のあちこちにあった生傷まで消え、身体から痛みが消えていた。

 

「あ、ああ……私の耳……私の耳が元通りに……!」

「ありがとうごぜえます! ナグモ様、ありがとうごぜえます!」

「感謝の意はアインズ様に述べろ。その恩義には必ず報いろ」

「はい、はい……ありがとうございます……ありがとうございます……!」

 

 無愛想に言い放つナグモへ、ジンは泣きながら感謝を述べる。アルトもまた自分の耳が戻った事に涙を流して感謝した。それを見て、アインズは宣言する様に言い放った。

 

「見ての通りだ。私は君達の怪我を治す事が出来る。それだけではない、君達が今後奴隷狩りに怯えずに暮らせる様に働きかけよう」

 

 「ほ、本当か?」、「あんな治癒魔法は見た事ないぞ」と元・奴隷達は騒めく。しかし、もはや誰も見た目は恐ろしげなアンデッドの言った事を疑っていなかった。

 アルト達は悟った。この()()……アインズこそが、我々の救世主なのだと。

 

「その為に、少し教えて欲しい事がある。今回の帝国の進軍……彼等は何故、誰の命令でフェアベルゲンへ侵攻しようとしたのか。知っている事があったら教えてくれ」

 

 元・奴隷達は顔を見合わせ、やがてアルトが代表して進み出た。

 

「その……どうして、という理由は分かりません。でも、帝国の皇帝が命じたそうです。これは帝国の繁栄の為にやるんだ、って帝国の軍人達は言ってました。だから、奴隷にして貰えるのはありがたく思え、って……!」

 

 捕虜になっていた時の屈辱的な扱いを思い出し、アルトは唇を噛んだ。それに対してアインズは「ほう、帝国の皇帝が……」と何かを考え込む素振りを見せた。

 

「ふむ、やはりその皇帝とは一度会っておくべきか……。よく分かった、ありがとう。早急にやる事が出来たので、私はこれで失礼させて貰おう。後の事はナグモ、ミキュルニラ。お前達に任せる」

「はっ!」

「はい!」

 

 「では……」と立ち去ろうとするアインズの背中に、「あ、あの!」と声が掛けられる。アインズが振り向くと、奴隷にされていた森人族の男が縋る様な目付きをしていた。

 

「あんたは……いや、貴方様は帝国の皇帝と渡り合える様な御方なのですか? だったら、お願いします! 俺の妹はまだ帝国で奴隷にされているんです! どうか奴隷にされた妹達も……!」

「お、おい! そりゃ図々しいだろ! 申し訳ねえです、ゴウン様!」

 

 ジンが慌てて森人族の男を抑えようとする。しかし、それより前にアインズは無造作に———しかし洗練された動きで手を振った。まさに王者の佇まいといった所作に亜人族達は見惚れて黙り込んだ。

 

「ふむ、そうだな。確約はできないが、ヘルシャー帝国の皇帝に話をつけてみよう。出来る限り、フェアベルゲンにいた亜人族は連れ戻しておきたいからな」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 「大迷宮の情報は外に漏らしたくないしな」だとか、「アンデッドを代わりの労働力として派遣すれば……」とアインズはブツブツ言っていたが、亜人族達は聞こえていなかった。慈悲深く救いの手を差し伸ばしてくれたアインズへの感謝のあまりに、感涙で咽び泣く者までいる始末だった。

 

「では今度こそ失礼しよう。これからやる事が山積みとなっているからな」

「はい、はい……ありがとうごぜえます、ゴウン様! この御恩に必ず報います!」

「ありがとうございます……救って頂いた御恩に、必ず報います!」

 

 ジンとアルトは共に跪いて感謝を述べた。彼等親子に続く様にその場にいる亜人族達は皆一様に救いの神であるアインズへ感謝の祈りを捧げていた。

 

「どうか帝国で奴隷にされている同胞達をお願いします! 帝国なんざ、ブッ潰してちまって下せえ! Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)!!」

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)!!』

 

 亜人族達は一斉に、目の前の神に直接創られたという男が口ずさんでいた言葉を口にした。アルト達もまた、見様見真似でジン達と同じく敬礼してみせた。

 

「………ああ、うん。奴隷達の事はどうにかしよう。どうにかするからさ……その敬礼は止めないか?」

 

 その瞬間、アインズに後光が差した様に亜人族達は感じていた。

 

 ***

 

「お帰りなさい〜、しょちょ〜」

 

 アインズが去った後、ミキュルニラはトテトテとナグモに近寄る。

 

「フン、お前は変わりなさそうだな」

「はい〜、元気でやらせて貰ってます〜。しょちょ〜もアインズ様のお供、お疲れ様です〜」

「守護者が御方の為の剣や盾となるのは当然だ。疲労感など感じるわけがない」

 

 気遣うミキュルニラに、ナグモは素っ気なく返した。しかし、ミキュルニラは優しい笑みを浮かべて「そうですか〜」とだけ頷いた。ミキュルニラにとってナグモの反応はある意味、いつも通りだった。

 ふと、ミキュルニラはこれから治療する亜人族達へ目を向ける。ジンとアルトの親娘はまるで会えなかった期間を埋め合わせる様に、笑顔で色々と話し込んでいた。

 

「……良かったです、皆さんが家族とまた会えて」

 

 家族との再会を喜びあう亜人族達。その輪から取り残される様に、ミキュルニラはポツリと呟いた。

 その表情(かお)は彼等の再会を喜んでいる様に静かな微笑みを浮かべ———どこか、自分には手に入れられない物を見つめる様な羨望の混じった眼差しだった。

 

「全く、あの低脳共……さっさと治療室に移動して欲しいというのに」

「……今はもう少し、このままにしてあげましょうよ。しょちょ〜」

「フン、ならこっちは準備に取り掛かるぞ。ポーションの準備をしろ、ミキュルニラ」

「…………はい」

 

 くるりと背を向けて歩き出すナグモに、ミキュルニラはついて行く。ナグモからは死角となって見えなかったが、ほんの少しだけ彼女は寂しそうな表情で再会を喜び合う家族達をチラッと振り返り———。

 

「ああ、そうだ……忘れない内に渡しておくか」

「ふぇ!? な、なんでしょうか〜?」

 

 唐突に足を止めたナグモに、ミキュルニラは慌てていつもの———ナグモの前で振る舞うおっとりとした笑顔を浮かべる。幸いな事に、ナグモはオルクス迷宮で手に入れた“宝物庫”に手を入れて何かを探し込んでいた為に表情の変化は気取られなかった。

 

「ああ、あった……ほら、これをやる」

 

 ナグモは空間から、何かを引き出すとミキュルニラに差し出した。

 それは金属製の栞だった。緻密な細工が施され、端にはカラフルなリボンの装飾が付いていた。

 

「え……ええと〜、これは〜?」

「アインズ様と人間達の町に行った時、市場調査の為に商店をいくつか回った時に見つけたものだ。人間にしてはまあまあ出来が良い物だったから、お前にくれてやる」

「………ひょっとして、私へのプレゼントに?」

 

 ミキュルニラが問い掛けると、ナグモはフンと目を逸らした。その表情はいつも通りの無表情ながら、何処となく照れ臭そうに見えた気がした。

 

「別に……いらないなら捨てていい。お前には副所長としてサポートして貰っているから、気が向いて買っただけだ。まあ、なんだ……詰まらない物だが、土産というか……。香織にも言われたが、一応は同じ創造主から創られた兄妹みたいなものだし……」

 

 ブツブツと言い訳する様に言うナグモをミキュルニラはしばらく目をパチクリさせながら見つめる。そして、差し出された栞をギュッと自分の胸に抱き締めた。

 

「ふふふ……ありがとうございます〜。プレゼントを貰うなんて、生まれて初めてです〜。ありがとうございますね〜、お兄ちゃん♪」

「その呼び方はやめろ。とにかく、さっさと仕事に取り掛かるぞ!」

「は〜い♪ ところで〜、これって香織ちゃんの入れ知恵だったりします〜?」

「まあ、な。品物自体は何を渡せば良いか、香織に聞いてみたりもしたが……」

「やっぱり……駄目ですよ〜、そこは嘘でも自分で選んだ、って言わなきゃ。女の子の扱いというのもちゃんと覚えるべきですよ〜、ナグモお兄ちゃん♪」

「だから、その呼び方は止めろと言っている」

 

 照れ隠しなのか、ナグモはミキュルニラより先にズカズカと歩いて行く。まるで子供の様な行動をする自分の上司の背中が可笑しく、ミキュルニラは栞を大切にポケットに仕舞い込みながら追いかけて行った。

 

 ***

 

「お帰りなさいませ、アインズ様! お風呂にしますか? お食事にしますか? そ・れ・と・も〜?」

「………何の真似だ?」

 

 久方ぶりに戻った自室で、ハートを巻き散らしながら待ち構えていたアルベドにアインズは脱力感を覚えながら聞いた。

 

「はい! 新婚ごっこでございます♡ 単身赴任から帰って来た旦那様を迎えるのに、これ以上の対応は無いと聞きました。はっ!? 嫌だ、私ったら、最終決戦装備である裸エプロンに着替えるべきでしたか?」

「あ、いや、はい……よせ、アルベド。脱がなくていい、脱がなくていいから」

 

 その場でドレスに手を掛けようとするアルベドを何とか宥め、アインズは本題に入った。

 

「さて、此度のフェアベルゲンの防衛戦は見事だった。プレアデス達の力を借りたとはいえ、亜人族達がここまで戦える様になったのは予想以上の出来だ」

「ええ、無力な彼等を一端の兵へと鍛え上げるとは、コキュートスは上々の働きをしたと言えましょう」

「うむ。ナグモの人型キメラ兵士計画も上手くいっている事を確認できた。二人の働きが私の期待を上回ってくれて、嬉しく思う」

「……おっしゃる通りです」

 

 ん? とアインズは内心で首を傾げた。ナグモの話題を出した途端、アルベドの声が一オクターブ下がった様な気がしたのだ。それまで饒舌だったのにナグモに関しては言葉少なく済ませたのが、まるでナグモの活躍ぶりを認める気が無いかの様にアインズは思えた。

 

(いやいや、そんなまさか……何を考えているんだ、俺は? アルベドとナグモは、セバスとデミウルゴスみたいに制作者が仲が悪いわけじゃないし……)

 

 胸の中で疑念が少し生まれたが、いつもの様に淑女然とした微笑みを見せるアルベドを見ているとそれ以上の追及は出来ず、アインズは気のせいだと疑念を振り払った。

 

「まあ、とにかく……目下の問題は今回、侵略してきたヘルシャー帝国だな」

「アインズ様が手ずから救われた地に、軍を差し向けてきた愚か者共達ですね」

 

 アルベドの顔が不快げに歪んだ。

 

「如何致しましょう? アインズ様の御命令があれば、既にナザリック全軍を差し向けるご用意は出来ておりますが?」

「待て、アルベド。それは早計かもしれん」

 

 え? とアルベドはアインズを見た。

 

「つい先日、私は解放者の生き残りであるミレディ・ライセンと出会った」

「解放者……その者達が生きていたのは数千年前と聞きましたが、まさか生きている者がいたとは……」

「うむ。そのミレディの話では、エヒトルジュエは戦争を激化させる手段として自らの配下を使って、権力者を洗脳して戦争の火種を作っているらしい。現に、ハイリヒ王国の国王は以前とは人が変わった様に教会勢力にのめり込む様になったらしいな?」

「はっ。王国の諜報に携わっているデミウルゴスの見立てでは、何らかの精神操作を受けている可能性が高いと。また教皇は飾りに過ぎず、実権は一人の修道女が握っているそうです。その者からは、人間の気配がしないと申しておりました」

「だからこそ、今回の一件もエヒトルジュエが関わっているのではないかと私は思っている」

 

 ピン、と骨の指を立てながらアインズは言った。

 

「そもそも帝国は何故今になって侵攻を始めたのだ? まだ人間達の敵である魔人族の脅威も去ってないというのに? もしかするとエヒトルジュエが裏から操り、大迷宮があるフェアベルゲンを攻め落とそうと考えていたのではないか?」

「では、アインズ様。そうなると帝国は……」

「うむ。恐らくではあるが、そういう事だろう」

 

 アインズは神妙に頷いた。

 

「ヘルシャー帝国の皇帝……奴はエヒトルジュエの手の者に洗脳されて、今回の侵攻を行った。私はそういう可能性を考えている」




 久方ぶりにアインズ様を書いた気がする……。
 そうね、権力者を洗脳して戦争を始めるのはエヒトルジュエの常套手段だよねー。じゃあ、ちょっと皇帝陛下には操られてないか面を貸して貰おうか?

 要するにね、このSSはアインズ様が無駄に警戒しているせいでトータスがヤバい事になるというお話しなんですよ。恨むなら、雑な方法で戦争を煽っているエヒトルジュエを恨んでくだしぃ。


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第八十話「ドラゴン襲来」

 前回、感想をくれた読者の皆様。
 わざわざ感想を頂き、ありがとうございます。せっかくの感想ですが、返信出来なくて申し訳ありません。私事ではありますが、もうすぐ引っ越しが控えているので今のうちに書けるところまで書いておきたいので、執筆だけに専念させて貰います。

 それに個人的にも、帝国の行く末は早く書きたい気分なので。


 ヘルシャー帝国 帝都 皇宮

 

「そろそろバイアスの野郎はフェアベルゲンを征服した頃合いか……」

 

 昼下がり、執務が一段落した休憩時間にガハルドは何気なく呟いた。側に控えていたベスタはガハルドの呟きに深く頷いた。

 

「お間違いないでしょう。あちらには“帝国の重戦車”ことゴードンを始めとした屈強な猛者達、さらには一万もの大軍。亜人族共に万が一の勝機もありません」

「ふん、油断は禁物だ。地の利はフェアベルゲン側にあるからな」

「これは申し訳ありません。ですが、バイアス様の補佐として親衛隊より“智将”ことカーライル殿が出撃されているではありませんか」

「……確かにな。カーライルならキチンと引くべき時は引いて被害は抑えるわな」

 

 さほど心配してない様子でガハルドは頷いた。それ程に自分の親衛隊の実力を買っているという証拠でもあった。

 

「ある意味、此度の戦はバイアス様が次期皇帝候補筆頭に就かれた事に対する良い御披露目になったやもしれません。民は勝ち続ける皇帝を選びますので」

「まあ、な……」

 

 国是として実力主義や弱肉強食を掲げるヘルシャー帝国。農業や炭鉱労働などが課されている亜人族奴隷や工業、商人などを除けば国民の大半は兵士か傭兵、もしくは冒険者に就いている。その為か気質が荒い者が多く、皇帝もまた力をもって「強い王」である事を証明しなければ国民の信用は得られない。だからこそ、皇帝に就くのに「決闘の儀」などという時代錯誤なやり方がまかり通っている。

 

(とはいえ、個人の武力と皇帝の器は別物だと思うんだがな。欲を言えば、トレイシーを次期皇帝にしたかったぜ。バイアスよりは頭の出来が遥かにマシだからな)

 

 ガハルドも若い頃は恵まれた才能と武力をもって、戦場で数々の武勲を立てた。しかし、いざ皇帝の座に就くと武力だけではどうにもならない事があるという事を思い知った。

 

 大陸のほぼ全てに宗教的影響力を及ぼす、聖教教会。

 その聖教教会を後ろ盾に付ける事で、周辺国家に比べて豊かな国となったハイリヒ王国。

 

 その二大組織に比べれば、ヘルシャー帝国は国土が狭く、武力以外に取り柄のない弱小国家だ。その武力も、聖教教会が擁する“神の使徒”達が召喚された事で逆転されている可能性がある。

 だからこそ、ガハルドは今回のフェアベルゲン侵攻に踏み切ったのだ。首尾よく“神の使徒”達が魔人族達を討ち滅ぼした場合、大陸の勢力図が聖教教会とハイリヒ王国に大きく傾くだろう。そうなった時、帝国は今以上に肩身の狭い思いをするのは目に見えている。その時の為に植民地としてフェアベルゲンを占領する必要があったのだ。

 

(まあ、肝心の勇者共が報告を見る限り力を持ったガキの集団だから、魔人族の方が優勢になるパターンもあるが、その場合でも奴隷兵として亜人族を徴収しておきたいしな。バイアスに渡した戦力から鑑みて、亜人族相手に敗北は無えだろ。さて、どのくらいの捕虜を連れ帰って来てくれるやら……)

 

 ガハルドはそれで思考を打ち切ると、肩の凝りをほぐす様に手を伸ばした。

 

「さて、と……そろそろ休憩は終わりだ。午後の執務に取り掛かると———何だ!?」

 

 突然の地響きにガハルドの弛緩していた精神が一気に緊張する。部屋の窓や調度品がガタンガタンと揺れる。だが、地震とは違う。まるで何か大きな物がぶつかった様な衝撃だった。

 即座にガハルドは護身用の剣を手に取り、ベスタが主君を守る為に身構えた所でドアが荒々しく叩かれる。

 

『こ、皇帝陛下! 大変です!』

「何事だ、騒々しい! ここを陛下のお部屋と知っての事か!」

「構わねえ。入れてやれ」

 

 ガハルドが許可を出し、ベスタが扉を開けると皇宮の警備をしている兵士が挨拶もそこそこに入ってきた。

 

「何があった? 状況を知らせろ!」

「は、はっ! 陛下、ドラゴンです! 中庭にドラゴンが降り立って来ました!」

「はあ!? ドラゴンだと?」

「貴様、馬鹿も休み休み言え! ここは帝都の中心である皇宮だぞ! モンスターがこんな場所にまで出現したというのか!」

「ですが、現にドラゴンが空から降り立って来たのです! 私の報告をお疑いならば、ご自身の目でお確かめ下さい!」

 

 必死な様子の兵士を見て、ガハルドはベスタに目配せした。ベスタは一つ頷くと、執務室のバルコニーに繋がる雨戸を開ける。そしてバルコニーに出た。

 

「な……そんな、馬鹿な!?」

 

 すぐにベスタの狼狽する声が聞こえて、ガハルドも剣を帯びてバルコニーへと出た。

 そこに———一匹のドラゴンがいた。

 純白の鱗を持ち、人間など軽く丸呑みに出来そうな程の巨躯を誇るドラゴンだ。

 

「こんな……こんな馬鹿な! 魔人族が皇宮に直接攻めて来たというのか!? 国境の守備兵達からは何の報告も無かったぞ!」

「騒ぐんじゃねえ! 見ろ、あのドラゴンに誰か乗ってるぞ」

 

 非常事態に狼狽するベスタに一喝すると、ガハルドは目を凝らす。すると純白のドラゴンの背中には、背丈の小さな二人の人物が乗っていた。顔は仮面で隠されて分からないが、浅黒く長い耳を見てガハルドは眉を顰める。

 

「あの耳……魔人族か?」

「してみると、やはり魔国ガーランドの襲撃でしょうか?」

「陛下! ここは我々が食い止めます! 御身はどうかご避難を!」

「馬鹿。何処に逃げろ、ってんだ? ここまで侵入された時点である意味詰みなんだよ」

 

 一緒にバルコニーに出た兵士の進言をガハルドは切って捨てた。

 数多いる魔物達の中でも、ドラゴンは最強の一角だ。個体数こそ少ないものの、その硬い鱗は剣も魔法もほとんど通さず、火竜や水龍など種類によって違うが吐き出されるブレスは鉄の鎧も容易く破壊する。過去の被害を紐解けば、ドラゴン一匹によって全滅した都市国家だってあるくらいだ。トータスにとってはまさしく台風や竜巻の様な災害であり、そんな物が帝都のど真ん中に現れたというのは出来の悪い悪夢そのものだ。

 

「よく見ろ。あのドラゴンは中庭に降り立ったまま、動く気配が無え。どうやら、背中のガキ二人はこっちに何か言いてえ事があるんじゃねえか?」

「な、なるほど……」

 

 ガハルドの冷静な姿を見て、兵士はようやく落ち着きを取り戻した。彼等が固唾を飲んで見守る中、二人の人物はドラゴンの背から降りて来た。

 

 ***

 

「お、集まって来た、集まって来た。ウジャウジャといるねえ」

 

 ワラワラとこちらを取り囲もうとする帝国兵達を見て、仮面の人物の一人———アウラはわくわくとした声を上げた。

 

「ね、ねえ、お姉ちゃん。この仮面、やっぱり外しちゃ駄目かな? 今日は暑くて蒸れてきちゃうし……」

 

 気弱そうな声を上げるもう一人の仮面の人物———マーレの発言に、アウラは仮面の下で眉尻を上げた。

 

「駄目に決まってるでしょ! 私達は魔人族達の国で潜入活動しているんだから、万が一に備えて顔は見せない様にってアインズ様が言ってたでしょ!」

「う、うぅ……分かってるけど……」

「わざわざ乗って来たドラゴンも魔人族が乗ってたやつにしてるんだから……もしも何かあったら、こいつを囮にして逃げろって言ったアインズ様の御心遣いを無視する気?」

 

 「クルゥ!?」とアウラ達を乗せていた白竜———ウラノスが声を上げる。そして「どうか見捨てないで下さい!」と言わんばかりに眼をウルウルさせながら、新しいご主人様(アウラ)を見ていた。

 

「はいはい、見た感じだと大して強い奴はいなさそうだから大丈夫だっての………それより、そろそろ始めるわよ!」

 

 「う、うん!」とマーレが頷くのを見て、アウラは向き直る。そこには城の守備兵であろう人間達が、大勢でアウラ達に武器を向けて取り囲んでいた。()()()()()()()()()()とアウラは判断すると、拡声魔法を使って声を張り上げた。

 

「あー、あー! テステス……聞こえますか!? あたしは、とある偉大な御方に仕える使者です!」

 

 突然の大声に守備兵達が顔を顰めるが、アウラは意に介さず一方的に喋った。

 

「つい先日、この国の皇帝が偉大な御方がお救いしたフェアベルゲンに失礼な奴等を差し向けました! そいつらは皆殺しにしましたけど、偉大な御方は大変怒ってます!!」

 

 アウラの発言に守備兵達に動揺が広がった。「フェアベルゲンだと?」、「まさか!?」などと口々に言い出し、見ればバルコニーや窓に張り付きながらこちらを伺っている人間達も表情が明らかに変わった。

 それらを見ながら———アウラは宣言する。

 

「というわけで———手始めにここにいる人間達を皆殺しにします! さ、やっちゃって!」

「う、うん! せえ、の……!」

 

 アウラの合図を見て、マーレは手に持っていた杖を振り上げた。見た目はさほど重くなさそうな杖を両手で振り上げる様は子供が剣の玩具を振り上げている様で、声変わりが始まる前の少年の声も相まって見ている者に微笑ましい気分にさせるくらい可愛らしい動きだった。

 

 トン、とマーレの杖が地面に突き立てられる。

 次の瞬間———中庭に局地的な地震が起きた。

 

『な、あ……!?』

 

 それは誰の悲鳴だったか。守備兵達が悲鳴を上げるのと同時に、地面がアウラ達を中心に蜘蛛の巣状にひび割れた。逃げようとするよりも先に地面はポッカリと割れて、地割れの中に守備兵達は雪崩れ込む様に落ちていく。しかも地割れの深さは底が見えないくらいに深く、守備兵達の悲鳴は奈落の底へと次々と消えていった。

 

「こんなもんでいいかなぁ……? よいしょっ、と」

 

 やがて、自分達を取り囲んでいた人間達が全て地割れに落ちた事を確認したマーレは杖を引き抜いた。すると、時間を巻き戻すかの様に地面が戻っていく。

 

「や、止め……助け、て……!」

 

 ふと、マーレの耳にそんな声が聞こえて来た。普通の人間よりも聴力の良いダークエルフの耳が、地割れに落ちながらも奇跡的に生きていた人間の声を捉えたのだ。その声は生き埋めにされようとして、助けを求めていた。それも何人かの声が重なり、か細いながらも助かりたい一心で必死に声を張り上げていた。

 

 その声にマーレは———うるさいなぁ、と思いながら地割れを完全に閉じた。

 

 ***

 

「なん……だと……」

 

 今し方、目の前で起きた惨状にガハルドは掠れた声でそう言うのが精一杯だった。

 横にいるベスタや兵士は完全に色を失い、まるで目にした物が信じられないかの様に呆然としていた。

 

「はーい! 皆殺しにしました!」

 

 先程から声を張り上げている仮面の子供の声が響き渡る。場違い過ぎる明るい声に、ガハルドは自分は悪夢を見ているのではないかと思い始めていた。

 

「次はこの城にいる人間を皆殺し……は、誰が皇帝か分からないので止めておきます! でも、出て来ない様ならこの国ごと潰しちゃいます! 皇帝! 皇帝はすぐに出て来る様に!!」

「へ、陛下……」

 

 ガクガクと震えた声で、ベスタが問いかける。

 

「……ドラゴンの巣に突っ込んだから、ドラゴンに乗って来た、って話か?」

 

 もはやあの子供の言っている事を疑う余地などない。フェアベルゲンに侵攻に行った軍は、恐らく返り討ちにあって全滅したのだろう。あれ程の魔法を見せられた後では、それも当然の結果だと納得してしまった。ガハルドの背中に冷たい汗が流れる。とはいえ、怯えた顔を見せてはヘルシャー帝国皇帝の名が泣く。覚悟を決めると、ガハルドは声を張り上げた。

 

「俺がヘルシャー帝国皇帝、ガハルド・D・ヘルシャーだ! 話がしたい! こちらに来て貰えるだろうか!」

 

 仮面を被った使者達の目が自分に向くのを感じながら、ガハルドは素早くベスタに声をかけた。

 

「おい、最上級の歓待の準備をしろ! 大至急だ!」

「は、はっ!」

 

 少し遅れながらも、ベスタは反応するとすぐに動き出した。慌てふためきながら出て行く臣下の背中から仮面の使者達に目を移す。

 

(あの使者達の言っていた偉大な御方……まさか、魔王の事か? いずれにせよ、これは俺の生涯で最大の正念場になりそうだぜ……!)

 

 ガハルドは拳を強く握り締める。その震えは武者震いか、それとも恐怖か。ガハルド自身にも分からなかった。




 というわけで、オバロ原作ほぼそのまんまの流れ。……今のところは。

>ウラノス

 フリードの騎竜から、アウラの新しいペットになりました(笑) 初期案はフリードと合体事故して歪なキメラにする予定だったから、救われて良かったね!!

>アウラとマーレ

 本当はコキュートスがフェアベルゲンの代表として帝都に乗り込んで来る予定だったんですよ。でも「そういえば二人の出番が少ないなぁ」と思い、オバロ原作の流れに沿った形に。顔を隠しているのは、魔人族の潜入活動をしてる二人が「なんでここにいるの?」と、帝都にいるかもしれないエヒトのスパイにバレない様に。ついでにホラ、フリードの騎竜で来たから何かあっても魔人族のせいに出来るし(笑)。


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第八十一話「偉大なる御方 “Lord of Death”」

 あ〜あ、お盆休みが終わっちゃう……やっぱり休み終わりは寂しいなあ。しかし、生きる為には働かなくては。また次の連休まで頑張るぞー!


「陛下、間もなくハルツィナ樹海です」

 

 正面から聞こえてきた声にガハルドはうとうととした微睡みから目を覚ました。一瞬、自分の今いる場所が分からなかったが、皇族が乗る大型馬車(キャリオッジ)の豪華な内装を見て思い出してきた。

 

「ああ、そうだったな……ゆっくり昼寝なんざしたのはいつ以来だか。そこだけは“偉大な御方”とやらに感謝だな」

 

 遡ること一週間前。

 

 魔人族と思しき二人の子供により、皇宮の守備にあたっていた騎士団や兵士達のほとんどが全滅させられた。“偉大な御方"の使者を名乗る二人と交渉する事に成功したガハルドは、「“偉大な御方"は自分に縁のあるフェアベルゲンに軍を差し向けられた事に大層立腹しているから、すぐに謝りに来い」という旨を通達されたのだ。

 相手を一国の皇帝と思っていない一方的な対応に、本来なら「ふざけるな!」と一喝すべきだろう。結局、その“偉大な御方”の名前すら明かして貰っていないのだから、ある意味では非礼なのは先方だという見方も出来る。

 

 しかし、皇宮で振るわれた圧倒的な力を目にした後では流石のガハルドも怒りを顕に出来なかった。何より———ガハルド自身、ここまで強大な力を持った魔人族らしき者達を従えている“偉大な御方”に興味が湧いた。

 

(バイアスはオツムは最悪だが、“決闘の儀”で勝ち抜けた程の猛者だ。それにバイアスだけじゃねえ。フェアベルゲンへの侵攻軍はカーライルやゴードンといった強者揃いだったんだぜ? そして一万の大軍……相手方の大将はどんな奴だったんだ?)

 

 この一週間、ガハルドとて時間を無為にしていたわけではない。謝罪の為の贈答品を用意する時間が欲しいなどと理由をつけて稼いだ時間で捜索隊を編成して、ハルツィナ樹海に帝国軍の生き残りがいないか、あわよくば“偉大な御方”について情報が掴めないか調べてみた。

 

 しかし、結果は芳しくなかった。

 まず帝国軍の生き残りだが、一万人の軍を派遣したにも関わらず、数人しか見つけられなかったのだ。大樹の虚や洞穴の中で小動物の様に隠れ潜んでいた生き残りを引っ張り出し、錯乱した様子の彼等をどうにか治療して話を聞き出したが、ガハルドはその証言に大いに首を捻る結果となった。

 

 曰く、魔法を使えない筈の亜人族が魔法を使ってきた。

 曰く、数人のメイドにいくつもの隊が潰された。

 曰く、亜人族に紛れて伝説の魔物“ヴォーパル・バニー”がいて、バイアスを含めた司令官達を皆殺しにした。

 曰く、その魔物が蟲の魔物を率いて生き残りを喰い殺していた……etcetc。

 

 冗談にしか思えない内容だが、証言した者達は皆一様に同じ事をガタガタと震えながら話したのだ。これを嘘だと断ずるのは早計というものだろう。

 

「しかし、“偉大な御方"ですかな? その正体は“ヴォーパル・バニー"なのでしょうか? あれは子供の躾に使われる御伽噺だと思っていましたが……」

 

 ベスタが半信半疑な様子で言ってきた内容に、ガハルドはハッと笑った。

 

「さて、な。異世界とやらから勇者が召喚されるくらいだ。伝説の魔物が現れてもおかしくないだろうよ」

「では陛下は……今回、不遜にもバイアス皇子を弑し、皇宮にドラゴンで乗り込む様に指示した不届き者が“ヴォーパル・バニー”だったと仰るのですか?」

「そこまでは知らねえよ。仮に“ヴォーパル・バニー”だったとして、魔物が魔人族を従えているってのはおかしな話じゃねえか?」

「確かにそうですな……。ならば、相手は魔王という線も考えられるのでしょうか?」

「そういう可能性もあるな。いずれにせよ、謝罪に来いという事は交渉の余地はあるだろ」

 

 ガハルドを殺す気であったなら、皇宮にドラゴンで乗り込んだ時点でそうしていた筈だ。守備兵達を全滅させた二人組の力があれば、ガハルドの暗殺など容易い話だろう。

 

「お前が頼りだぜ、ベスタ。お前の“鑑定眼”で、“偉大な御方"とやらがどれほどのものか測ってくれや」

 

 ガハルドの側近、ベスタ・メイジャー。

 天職は“鑑定士”であり、彼のスキル“鑑定眼”は相手を見ただけで天職やステータスを視る事が出来た。ステータスプレートの様に細かい数値やスキルの全てまでは分からないが、ベスタはこの眼で相手を見極めて上手く立ち振る舞ってきたからこそ、一兵卒からガハルドの側近にまで昇り詰めたのだ。彼がガハルドに従うのも、“鑑定眼”がガハルドの王の資質を見抜いたからこそだ。

 

「お任せ下さい。我が眼で“偉大な御方”とやらの器を白日の下に晒しましょう。もっとも、陛下以上の王などいないと断言致しますが」

「よせよ、照れるぜ」

 

 おべっかなどではない純粋な賛辞にガハルドは当然、という態度で頷いた。そして、ガハルド一行を乗せた馬車はハルツィナ樹海の入り口に辿り着いた。

 

 ***

 

「ここがハルツィナ樹海か……?」

 

 ガハルドは思わず訝しんだ声を出してしまった。本来なら青々とした木々が目に映る筈なのだが、ガハルドの目の前には焼け野原となった森林しかなかった。

 

「おそらく、戦火で焼かれてしまったのではないでしょうか? 少し勿体ないですな、無傷で手に入れれば材木として使えたでしょうに」

「……フン。これをやったのは何処の馬鹿か、凡その見当はつくけどな」

 

 側近のベスタの言葉にガハルドは鼻を鳴らす。その態度にこれから謝罪に行く、という誠実さは見られない。事実、ガハルドは軍を差し向けた事に対して謝罪しようと思って来たわけではない。

 

(まずは相手がどういう奴か見極める必要がある。皇宮に来た魔人族の魔法……あれが長い時間を置いて一発しか撃てないのか、そうでないのか。それで大分話が変わってくるからな)

 

 通常、魔法は詠唱が長ければ長くなる程に強力になっていく。しかし、そのぶん消費魔力も上がっていく為、トータスにおける対軍クラスの魔法は大人数が集まって魔力を束ねて発動させる。それも撃てるのは一日に一度。下手をすれば、数日に一度という戦略級の魔法もあるくらいだ。

 

(あんな規模の地属性魔法は驚いたが、相手が魔人族ならある意味で納得だ。奴等は人間よりも高い魔力を持ってるという話だからな……だが、魔人族といえども過去の戦争の記録を見る限り、対軍クラスの魔法を短期間で何度も撃てねえ。まだ俺にはトータス征服に乗り出す為に集めた兵力があるんだ。この程度で、このガハルド・D・ヘルシャーがビビると思うなよ)

 

 軍事国家ヘルシャー帝国の皇帝として、そしていずれはトータス全土の征服を果たそうとする野望を抱く者として、ガハルドは簡単に頭を下げる気などない。むしろ“偉大な御方”とやらの器を測る為にここに来たと言っても良い。

 

「陛下」

 

 ベスタの声に目を向けると、ガハルド達に近付いてくるメイド服の女の姿があった。背はスラッと高く、黒髪を夜会巻きにした眼鏡の女性だった。その美しさは皇帝として数々の女性と引見したガハルドでもお目にかかれない程だった。

 

「お待ちしておりました。ガハルド・D・ヘルシャー陛下。私は皆様を歓迎する様に任せられましたユリ・アルファと申します。短い間ですが、よろしくお願い致します」

 

 恐らく自分の皇宮に仕えているメイド達よりも遥かに洗練された立ち振る舞いに、ガハルドはしばし呆けた様に見惚れていたが、しばらくしてようやく意識が帰った。動揺を悟られない様に不遜な笑みを浮かべた。

 

「ああ、ご丁寧にありがとうな。あんたみたいな別嬪をつけてくれた“偉大な御方”に感謝するぜ」

「ありがとうございます」

 

 ガハルドからの賛辞にユリは丁寧に頭を下げるだけに留まった。ガハルドは帝国において武力で皇帝の座に就いただけの事はあり、かなりの偉丈夫だ。今まで自分に声を掛けられた女性は自分に対して興味を惹こうとしてきたが、ユリと名乗るメイドは真面目な雰囲気を一切崩さなかった。

 

(これでも女には自信があったが……だが、いいな。簡単に媚びない所が気に入ったぜ。それにあの歩き方……正中線に全くブレが無え。何か武術でもやってるのか?)

 

 先程からユリを見ているが、彼女の立ち振る舞いには一切の隙が無いのだ。

 

「ば、馬鹿な……!」

 

 唐突にベスタが声を上げた。その顔は信じられない物を見る様な目でユリを見ていた。

 

「いかが致しましたでしょうか?」

「い、いえ、何も……失礼致しました!」

 

 ベスタが頭を下げると、ユリはそれ以上追求せずに澄ました顔をするだけだった。ガハルドはこっそりとベスタに話し掛ける。

 

「おい、ベスタ。お前の“眼”で見て、あのメイドはどうだった?」

「そ、それが………」

 

 ベスタは非常に言いにくそうな表情になりながらも、意を決した様にそれを口にした。

 

「お、恐れ多くながらも……あのメイドは帝国のどの騎士達よりも、さらには陛下よりも強いかと……」

「……ほう?」

「で、ですが陛下! 私の“鑑定眼"も決して万能というわけでなく! 単純な魔力の多さだけしか視えていないので実際に戦えば陛下の方がお強いという事も……!」

「よせよせ、俺はお前の“眼”を買って側近にしたんだぜ? お前が俺より強い、と思ったならその通りだろうよ」

 

 自分の主君がメイドより弱い、と鑑定する事に躊躇っているベスタだが、ガハルドはむしろ興味が湧いた様にニヤリと笑った。

 

(そういや生き残りの兵達の話じゃ、とんでもなく強いメイドがいるという話があったが、あれがそうか? 美人で腕っ節も強く、皇帝という権威の前でも簡単に媚びねえときた……良い女じゃねえか)

 

 どうにか交渉して自分の部下兼愛人に出来ないか、とガハルドは野心を抱く。その胸中を知ってか知らずか、ユリは真面目な表情を全く崩さずにガハルド一行に応対した。

 

「それではこれより、皆様を私の主人の住まいまでご案内致します。どうぞこちらへ」

「どうぞ、と言うが……見た所、樹海の中は馬車が通れる様には見えんぞ? まさか、ここから我等に歩けと言うのではないな?」

 

 ガハルドの護衛として同行している騎士の一人が不満げな声をあげる。ハルツィナ樹海は起伏が激しく、また視認できる範囲では焼けて倒木している樹もある事からどう見ても馬車が通れる道は無い。ベスタの様にユリが自分達より強い、という事実を見抜けない騎士達は相手が女性という事から、横柄な態度でユリに迫っていた。

 しかしユリは、そんな騎士達の態度を意にも介さない様に頷いた。

 

「ええ、存じ上げています。ですから———皆様には私の主人の住まいまで、直接行ける様に御手配致しました」

 

 は? とガハルド達が言うより先に、樹海へと続く道の先に突然木枠が現れた。人が余裕で潜れるサイズで、縁は一流の名画を収める額縁の様に見事な装飾が施されている。そして木枠の中は、空間が歪んでいるかの様に黒々とした闇が渦巻いていた。

 

「な、何だ!?」「アーティファクトか!?」

「ではどうぞ、お通り下さい」

 

 初めて見る魔法道具に騎士達が騒然とする。だが、それすらも些事であるかの様にユリは木枠の門を手で示した。まるでこの程度の事など、自分の仕える相手にとっては驚く程でもないという態度だ。

 

「……行くぞ」

「陛下……」

 

 ガハルドは未だに騒いでいる騎士達を一睨みして黙らせると、木枠へと歩き出す。それをやや遅れながら、ベスタや騎士達が続く。

 

(……ビビるな。恐らくは転移魔法に関するアーティファクトだ。相手はそれをどこかで手に入れてるだけだ。そうに違いねえ)

 

 自分に言い聞かせ、虚勢を見抜かれない様に胸を張ってガハルドは木枠の転移門をくぐり抜けた。

 

 そして———くぐり抜けた先の光景に目を奪われた。

 

 そこはまさに別天地だった。天井は見上げる程に高く、床に敷かれた絨毯は足が沈む錯覚がするくらいフカフカと柔らかい。壁側にある調度品は恐らく帝国全ての職人達が集まっても作れないであろう程に精巧で繊細な造りであり、それがいくつも並んでいた。しかも成金趣味の様な嫌らしさは一切感じず、帝国の建築家達では到底及ばない芸術性を感じさせる。

 これこそ、まさしく———至高の存在が住まう宮殿。

 

「さあ、どうぞこちらへ。私の主人が皆様を首を長くしてお待ちしております」

 

 最後に転移門から入ってきたユリは再びガハルド達の前に出て、先導する。

 

「へ、陛下……」

「落ち着け……ビビるんじゃねえ。戦と同じだ。ビビった態度を見せた方が負けだ」

 

 予想外の光景に萎縮する部下達に発破を入れる様に、ガハルドは強い言葉を使う。だが、その声は動揺で微かに震えていた。

 惜しみない財力で建築されたであろう目の前の光景に、今更ながらガハルド達は自覚したのだ。

 自分達は———形容しようが無い程に、とんでもない相手に無礼を働いたのではないか?

 

(落ち着け……落ち着くんだ。ビビるんじゃねえ、財力は確かに凄いかもしれねえが、それだけだ)

 

 カラカラと乾き出す口の中を潤す様に唾を飲み込む。それだけなのに、何故か音が大きく響いた気がした。

 

(俺には……俺にはまだ、トータス全土の征服の為に長年集めた兵力がいる! 兵力は俺の方が上の筈だ……!)

 

 ユリの先導の下、ガハルド達は半球状の大きなドーム状の部屋に辿り着く。精巧に作られた天使と悪魔の彫像が施された巨大な扉が、ガハルドには死後、エヒト神が善悪の魂を選別し、悪しき魂は深い奈落へ突き落とす為に存在するという「審判の門」に見えた。

 ユリが手を触れる事なく、扉がゆっくりと開かれる。

 扉の先は、七色の宝石で作られたシャンデリアがいくつも天井から吊るされた広い部屋だった。扉から真っ直ぐに真紅の絨毯が敷かれ――その両脇には、いくつもの存在がいた。

 悪魔らしき物がいた。巨大なドラゴンがいた。二足歩行をした人型の昆虫らしき物がいた。その他にも、戦場で多くの魔物を狩ってきたガハルドが見た事も無い様な異形の存在がいた。それら全てが普通の魔物とは違い、明らかに知性を感じさせる瞳で広間に入って来たガハルド達を無言で睨んでいた。

 大小様々な魔物達の前には広間の警備兵の様に、鏡の様に磨き上げられた金色の鎧を着た鎧騎士達がいた。だが、その顔は明らかに生者とは違う。

 

「あ……あり得ない……」

 

 不意にガハルドの後ろからカチカチという音と共に、掠れた声が聞こえた。振り向くと側近として重宝している“鑑定士”の男が、歯の根も噛み合わぬまま目の前の現実を否定したいかの様に真っ青な顔でうわ言の様に呟いていた。

 

「あ、あれは……あの鎧騎士達は、トラウム・ソルジャーなのか……? い、いや、あり得ない……あんな、あんなアーティファクト級の装備で全身を固めたトラウム・ソルジャーなんて……それも、何体もいるなんて、そんなの有り得ない………!」

「………なあ、おい。こいつら一匹一匹の強さは、どんなものなんだ?」

 

 聞きたくない。聞かせないでくれ。

 反射的にそう思ってしまったが、ガハルドの中で恐怖からくる好奇心が勝った。手や背中が汗まみれで気持ち悪い。

 ベスタはガハルドの問い掛けに、無理やり引き攣った様な笑顔を浮かべた。

 

「………我等が全員で掛かって……陛下の御寿命が少し延びる程度です」

 

 ……もはや、言葉すらも無かった。それでもガハルドは異形の存在がひしめく広間の中へ足を踏み入れる。本音を言うと今すぐに逃げ出したかったが、帝国の皇帝としての意地がガハルドの中の恐怖をどうにか抑え込んだ。

 

(お……俺には、トータス全土を征服する為に集めてきた兵達が………)

 

 カタカタと背後の騎士達が鎧を鳴らす音がうるさい。それ以上に、自分の心臓の音が耳に大きく響いた。

 

(お、俺は………俺は、トータス全土を統べる為に、“英雄”の天職を持って生まれて……弱肉強食が当たり前の帝国で、実力で皇帝の座を勝ち取って………!)

 

 広間の奥。

 階段となっている場所には、頂上から一段下がった場所に数人の姿があった。

 銀髪の美少女。青白い昆虫の様な直立した異形。蛙とも人とも似つかない仕立ての良い服を来た化け物。皇宮に攻めて来たであろう魔人族の耳を覗かせる仮面を被った二人組。帝国では絶対に作れなさそうな技術力を思わせる造りをした真紅の鎧騎士。執事服を来た大柄な老紳士。

 それらの人影を見た途端、ガハルドは自分の拠り所を探そうとするかの様に脳内で走馬灯が浮かんでいた。

 

 そして、階段の頂上。今いる大広間———玉座の間の最奥。

 

 水晶で出来た巨大な玉座の横に、羽を生やした濡羽色の美女がいた。

 そして玉座には———死の具現がいた。

 七匹の蛇が絡み合った様な異様な杖を持ち、皇帝であるガハルドですら生涯見た事も無い様な豪奢な漆黒のローブ。人間の頭に当たる部分には骸骨の頭部が覗き、流れ出た血の様に赤い光が空虚な眼窩から瞳の様に光っていた。

 ガハルド達はハァハァ、と息切れを起こしたかの様に震えながら死の具現へと近付く。玉座へと歩を進めるガハルド達を見て何を感じたのか、骸骨の化け物から黒いオーラが立ち上がった様にガハルドは感じ取った。

 

(あ………あ、ああ…………!!)

 

 ガタガタとした震えをもはや抑えきれなかった。黒いオーラに当てられた瞬間、ガハルドの目にははっきりと見えた。

 何千、何万という大軍を目の前の化け物に差し向け———そのまま全てが屍の山へと変わる。

 戦場を駆け抜け、戦士としても高い実力を持つガハルドだからこそ、目の前の化け物と自分との超えようのない力量(レベル)差というものをはっきりと感じ取る事が出来た。

 

 ガシャン、と金属質な音が響く。それも一つだけでなく、ガハルドの背後から次々と響いた。

 何の音か———振り返らずとも分かった。そして、それをガハルドは責める気にもなれなかった。ベスタの様に“鑑定眼"を持っていない者でも、目の前の死の具現の恐ろしさが一目見ただけで理解できたのだろう。戦う前から膝を屈してしまった部下達に代わり、せめて自分だけはみっともない姿を見せてたまるか、とガハルドはなけなしの虚勢を振り絞った。

 

「へ……ヘルシャー帝国皇帝……ガハルド・D・ヘルシャーだ……」

 

 戦場でいつもの様に堂々と名乗り上げた時とは程遠い、小さな声がガハルドの喉から絞り出された。

 死の具現はゆっくりと頷き、玉座の上からガハルドを睥睨する。

 

「遠路遥々ようこそ、ヘルシャー帝国皇帝よ。私の名はアインズ・ウール・ゴウン。この地の支配者として君臨する者だ」

 

 ポキン。

 ガハルドの中で、今まで土台にしてきた物がへし折れる音が響いた気がした。




>今回のナグモ

 もち、他の階層守護達と一緒に段上にいます。ただし、元・神の使徒として顔バレしてる可能性を考慮して、じゅーるの機械鎧を着て変装してます。

>ガハルド

 何かとオーバーロード原作の皇帝ジルクニフと比較されますが、彼との能力差はこんな感じ。

賢さ:ジルクニフ>ガハルド
武力:ガハルド>ジルクニフ

 ガハルドは性格的な事もあって、ジルクニフの様に色々と考えを巡らせるより戦場で培った戦士としての直感などで判断します。そして戦士の直感が、アインズの事を「絶対に勝てないから歯向かうな!」と判断しました。なのでジルクニフより早く心が折れちゃいました……気の毒に。

>今回のアインズ様

アインズ(うわぁ……ついに来ちゃったよ、帝国の皇帝。どうしよ、そんな偉い人との会談なんてやった事ないのに……。あ、そうだ! こっちもなんか偉そうに見える様に、オーラを纏ってみるか! 凄い人はオーラが見えるって言うしな!)

 絶望のオーラ:レベルI発動。


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第八十二話「真の支配者」

 ようやく引っ越し作業も一段落してきたので、投稿します。でもそうこうしている内に、アニメのオバロでは王国が……(汗)。


「アインズ……ウール・ゴウン……」

 

 ガハルドは目の前の玉座に座るアンデッドの名を掠れた声で復唱した。

 ここに至って、相手が人間でないなど些末な事でしか無かった。むしろ人間ではないからこそ、これ程までに桁外れな存在なのだと納得してしいた。

 

「———無礼者」

 

 ふいに氷の様に冷たい声がかけられた。玉座の横にいる翼を生やした美女が、美貌を不快げに歪めていた。

 

「下等生物の分際でアインズ様を呼び捨てにするなど……デミウルゴス」

 

 

 呼び掛けに応じて、スーツを着た蛙顔の化け物が進み出た。

 

「『平伏したまえ』」

 

 次の瞬間、ガハルドの身体は膝を地に付けていた。両手も付き、更には額を地面に擦り付けて目の前のアンデッドに土下座した。

 

(ぐぅ!? なんだ、これ……!? 身体が、動かねえ!?)

 

 ヘルシャー帝国の皇帝として暗殺や闇魔法による洗脳などを防ぐために魔除けのアミュレットなどを装飾品に織り交ぜていた。ヘルシャー帝国軍専属の魔法師達の粋を集めた装備品を身に付けた今のガハルドを害するのは、熟練の魔法師が十人掛かりで襲い掛かっても難しいだろう。

 だが、そんな対魔法防御を嘲笑うかの様にガハルドの身体は見えない力によって強制的に地に伏せられていた。ガハルドの後ろから、くぐもった呻き声が聞こえる。呪言による強制力で振り返る事は叶わないが、確認しなくとも部下達が自分の様に地に伏せているのだろうとガハルドは察した。

 

「アインズ様、聞く姿勢が整ったようです」

「うむ———頭を上げさせてやれ」

「『頭を上げる事を許す』」

 

 耳に心地良い男の声が響いた途端、ガハルドの身体は頭だけ自由になった。拝謁する様にガハルドはアインズを見上げる。

 

「さて、本来ならば一国の王に対して行う扱いではないが、そのまま聞いて欲しい。今回、君達がフェアベルゲンへ攻め入った件についてだ」

 

 やはりそれか! とガハルドは心の中で舌打ちする。同時に強い恐怖が湧き起こった。これ程までの力を持った相手の機嫌を損ねたであろう事に。

 

「今、フェアベルゲンは私が復旧の支援を行なっている。これはフェアベルゲン代表のアルテナ・ハイピスト嬢から正式に依頼された事であり、我らナザリック地下大墳墓が全面的に取り組む事項だと思っている」

 

 ナザリック地下大墳墓という言葉に覚えは無いが、ガハルドはフェアベルゲンが帝国より先にアインズの支配下に治まったと瞬時に理解した。自分達はそうとも知らずに、この恐ろしいアンデッドの支配地に軍を差し向けたのだ。

 

(クソがぁ……! そうだと知ってりゃ、もっと穏便にこのアンデッドに近付いたのに……! 亜人族共はどうやってこんな化け物を味方につけやがったんだ!?)

 

 フェアベルゲンの代表から正式に依頼されたという事は、力づくで支配したわけではないのだろう。それどころか侵攻した帝国軍の生き残りの証言通りならば、亜人族はアインズと積極的な協力関係ないし心から従属を誓っている事になる。

 

「そのフェアベルゲンへそちらが進軍して来た為、降り掛かる火の粉を払わせて貰ったわけだが……君達は、どんな意図を持って侵攻したのか聞かせて欲しい」

「そ……れは……!」

 

 未だ頭以外は自由に動かない身体で、ガハルドは真っ青な顔になる。自分の野望の為にフェアベルゲンを———この死が具現化した様な怪物が支配する土地に侵攻したなど、口にしたらどうなるかなど言える筈もなかった。

 

「どうした? まさか何者かから精神支配でも受けているのか? ふむ———デミウルゴス」

「はっ! 『包み隠さず全て話したまえ!』」

 

 また蛙顔の化け物が言葉を発した途端、ガハルドの口は自分の意思とは無関係に開いていた。脳の中に命令をひたすら聞く器官が出来た様な感覚を覚えながら、ガハルドは自分の思っている事を話し出していた。

 

「こ、今回の侵攻は、俺が、トータスを支配する為の足掛かりを得る為だ……! 俺は、トータス全ての王になる為に、フェアベルゲンを征服しようとした……!」

「…………は? トータス全てを、支配? 何故?」

 

 目の前のアインズから、まるで予想だにしなかった事を聞かされた様な意外そうな声が上がったが、ガハルドはそれどころでは無かった。自分の死刑宣告状を読み上げてる様な気分で、背筋に冷たい汗を感じながら口だけが勝手に動いていく

 

「俺は……帝国を、王国や聖教教会の影響下から脱却できる様に、国を強大にしたかった……! 王国と聖教教会が魔人族との戦争にかかりきりになっている今なら、フェアベルゲンを容易に植民地にできると思った……! だから、軍を送った……!」

「………ああ、うむ……つまり、君は自分の意思でフェアベルゲンへ軍を進めた、という事か? その、なんだ……神の啓示が頭に浮かんだとか、教会から何か言われたとか、そういう事は無かったと?」

()え……! 俺の意思で軍を動かした……!」

「………私の事について、何か知っていたとか……」

「知らなかった……! あんたの様な、強大な魔物がいるなんて知らなかった……知っていたら侵攻などしなかった……!」

 

 ああ、言ってしまった。目の前が真っ暗になりそうな絶望を感じながら、ガハルドは後悔で息を呑む。もしもアインズの言う通り、誰かから提案されたのであれば、責任を全てその人間に押し付ける事も出来ただろう。

 しかし、ガハルドはいま自分の口で全くの自由意思でアインズの支配地を侵した事を証明してしまった。言い訳など決して出来ぬ様にあの化け物は呪言を用いたのだ。容赦なく行われた仕打ちに、戦場で勇猛さを誇ったガハルドも恐怖で震えた。

 周りの魔物達や段上にいるアインズの配下達の目が冷たく突き刺さるのを感じる。物理的な力すら感じそうな殺気に、ガハルドは首に絞首刑の縄がかけられたのを感じていた。

 

「そうか……うむ。……そっかぁ………」

 

 アインズはどこか迷う様な声を上げていたが、死の恐怖に打ちのめされたガハルドには、目の前の獲物をどう痛ぶって殺すか? と悩んでいる様にしか見えなかった。

 ふとガハルドの耳に嗚咽を漏らす様な声が聞こえた。振り向く事は叶わないが、自分の部下達が絶望の余りに泣き出しているのだろう。それでもこんな事態に陥る羽目になった原因であるガハルドを罵倒する声は一切聞こえない。聞こえてくるのは、末期の祈りや遺されるだろう家族への謝罪だ。

 

(お前ら……! 済まねえ……!)

 

 せめて自分の首だけで済ませて貰える様にどうにか出来ないかとガハルドは頭を必死で巡らせ———。

 

「まぁ……なんだ。自分の意思でやった結果というならば、仕方ないか……デミウルゴス、解除してやれ」

「かしこまりました、アインズ様。『自由にして良い』」

 

 ふいに見えざる重力が消えた。身体を縛っていた力が無くなり、ガハルド達は床に崩れそうになった身体を何とか支えた。安堵より先に戸惑いの表情を浮かべるガハルド達に玉座から深く落ち着いた声が掛けられる。

 

「……ガハルド・D・ヘルシャー殿。遠方より来られた貴殿に対して、大変失礼な振る舞いをした。どうやら私の想定とは異なった様だ。謝罪しよう」

 

 スッと玉座に座ったまま、骸骨の頭がガハルドに下げられた。突然の事態にガハルド達はおろか異形の配下達もざわめき出した。

 相手の非につけ込む絶好のチャンスだが、ガハルドにはもはやそんな気概すら萎えていた。

 

(何が謝罪する、だ……! この化け物は、今までの遣り取りでどちらが強者かはっきりさせやがった……! あえて飴を与える事で、鞭を振るわれるのとどちらが良いかと示しただけじゃねえか……!)

 

 もはや自分達は目の前の化け物が手に持つ鎖に繋がれた奴隷も同然だ。主人の気分次第で、いつでも鞭が飛んでくる為に機嫌を損ねない様に立ち振る舞うしかない。今まで奴隷(亜人)達に鞭を振るっていた身だからこそ、ガハルドは即座に目の前の化け物の狙いを看破した。

 

「い……いや。知らぬ事とはいえ、()殿()が懇意にしているフェアベルゲンへ軍を進めたのは事実。こちらこそ謝罪しよう」

 

 背後でほんの小さくだが、配下達の驚く声が聞こえた。「弱肉強食」を国是とするヘルシャー帝国の国家元首として、ガハルドは常に強気な態度で相手へ接していた。相手がハイリヒ王国の国王や聖教教会の教皇であっても一歩も引かない姿はともすれば不敬ともとられたが、「強い王」という姿を見せるのは格下の国家として侮られない為に必須であった。

 だが、ガハルドは今回ばかりは横柄な態度は見せない。何故なら————自分よりも「強い王」の前では、虚勢にすらならないからだ。

 

「ふむ、そうか。こちらの謝罪を受けて貰って感謝する、ガハルド・D・ヘルシャー皇帝よ」

「いや、ガハルドで構わない。アインズ・ウール・ゴウン殿」

「そうかね? ならば私もアインズで構わない。立場こそ違うが、我々は共に王という立場にいるのだからな。ガハルド殿と私は対等だろう」

「ああ……その通りだな」

 

 あれ程の力を見せつけておきながら対等などと、皮肉にも程がある。ガハルドは内心で毒づきながらも、どうにか笑顔で対応した。

 

「さて、ガハルド殿がフェアベルゲンへ侵攻したのは知らなかったが故の過失であり、我々に敵対する意思があっての事ではないと証明された。故に今回の戦争も出来る限り穏便な落とし所を見つけたいと思う。そこでだが……現在、貴殿の国に亜人族の奴隷はどのくらいいるのだろうか?」

「亜人族の……奴隷だと?」

 

 戦争の落とし所と言われ、巨額の賠償金や領地の割譲を求められると思って身構えていたガハルドだが、意外な所をつかれて思わず鸚鵡返しに聞き返していた。だが、即座に頭を切り替えて背後のベスタに振り返った。視線を向けられたベスタは目を白黒させながらも、主の意を汲んでしどろもどろながらも答える。

 

「え、えー……亜人族の奴隷は、その……帝国による奴隷狩りの他にも、奴隷商人が個別で調()()するケースもあり、奴隷が産んだ子も労働に従事させているので正確な数は把握していませんが……我が国の人口の一割以上にはなるかと」

「その亜人族の奴隷達だが、私に譲って貰えないだろうか」

 

 「なっ……!?」とガハルド達が驚く中、「無論……」とアインズの言葉が続く。

 

「謝礼はしよう」

 

 スッとアインズは手に持っていた七匹の蛇が絡まった様な杖を地面に向けた。

 

「———<生成魔法・不死の軍勢(アンデス・アーミー)>」

 

 途端、地面に複雑な紋様の魔法陣が浮かび上がる。それは、数多の戦場を駆け抜けてきたガハルドでも知らない魔法だった。魔法陣から黒い光が漏れ出て、そして———。

 

「な………なんだこれはぁ!?」

 

 ベスタから金切り声に近い叫び声が上がった。謁見の前で完全に礼を損なう態度だったが、ガハルドや他の従者達はそれを咎めなかった。

 何故なら、ガハルド達もそうしたかったからだ。

 

 身長二メートルを超す骸骨の剣士がいた。

 長い年月で色褪せたローブを着た死者の魔法使いがいた。

 首の無い馬に跨った幽鬼の様な騎士がいた。

 その他、ガハルド達が知るアンデッド・モンスターとは明らかに格が違う魔物達が、続々と魔法陣の中から現れてきた。

 

「見ての通り、私はアンデッドならばほぼ無制限に召喚できる。彼らと亜人族の奴隷をトレードする、という事でどうだ? アンデッドはいいぞ? 彼らは疲れを知らず、一日中働き続けても不平不満などは言わない———」

 

 アインズの口から「アンデッドを奴隷にしたら、どんなメリットがあるか?」と次々と語られたが、ガハルドの耳にはほとんど入っていなかった。

 

(こ、こんな……こんな強力な魔物を、無制限に……だと? ふざけんじゃねえ!?)

 

 見た目だけのハッタリだと思いたかった。そんな願いを込めてベスタに目線をこっそり向けるが、何度もアテにしてきた“鑑定眼”を持つ側近は、泣きそうな顔で首を横に振った。

 

(う、嘘だろ……本当に……? 本当に、無制限だというなら、こいつは強力な兵隊をいくらでも揃えられるという事に……!)

 

 しかもアインズの戦力は召喚しているアンデッドの兵団だけではない。今もガハルドの周りを取り囲んでいる魔物達の集団、そして段上にいる側近達。そもそも帝国に来た魔人族らしき使者一人に皇宮の守備兵達は全滅しているのだ。アインズの持つ戦力は最早ガハルドが想像できる範疇すら超えている。絶望の余りに卒倒したくなったが、ガハルドは何とか気力で持ち堪える。

 

(これは脅しだ……! 言う事を聞かねえなら、この魔物達の軍勢で帝国を滅ぼすという脅しだ……! そもそも亜人族の奴隷の代わりとして、魔物を奴隷にするなんて出来るわけが無え! これを呑めば、あの化け物の軍勢が帝国内に居座る事を許す事になるじゃねえか!?)

 

 それを分かっていて、アインズは提案しているのだろう。どちらを取っても、ガハルドは苦しむ羽目になる。かつてバイアスが奴隷達を玩具同然に嬲っていた事を思い出し、それの意趣返しなのだとガハルドは悟った。

 

(どうすれば……どうすれば良い? どうすれば、帝国はこの化け物から身を守れる!?)

 

 ガハルドは必死に頭を回転させ———そして、思い付いた。

 

「………亜人族の奴隷達は、速やかにフェアベルゲンに返還しよう。しかし、代わりの奴隷は不要だ」

「へ、陛下!?」

 

 ベスタが驚いた声を上げたが、あえて無視した。アンデッド奴隷のメリットを語っていたアインズは「む?」と意外そうな声を上げた。

 

「ふむ……亜人族の返還はありがたいが、ガハルド殿が損をするだけでは無いのか?」

「ああ、そこでだが……帝国と同盟を組んで貰えないだろうか?」

「はあ? 従属の間違いじゃありんせ、うぎぃ!?」

 

 段上にいた銀髪の少女が嘲笑を混じえながら口を挟み、すぐにミシリという音と共に悲鳴を上げた。銀髪の少女は涙目になって足を押さえながら、隣にいた仮面の魔人族の少年を睨む。

 

「あなたさぁ———」

「騒々しい———静かにせよ」

 

 堂々とした振る舞いで、アインズは手を振るう。それだけで、ピリッと空気が引き締められた。

 

(……分かっちゃいたが、アンデッドとして長年生きてるだけに風格も段違いみてえだな。くそ、こいつこそが本物の魔王じゃねえのか? ……いや、それはねえか。もしもこいつが聖教教会が神敵と定めている魔人族の王なら、人間族はとっくの昔に全滅だ)

 

 この場所は魔人族の国であるガーランドから離れ過ぎているし、聞けば魔人族も亜人族は虫ケラ同然に扱っているという。どう考えても伝え聞く魔人族の王と、目の前のアンデッドの王は人物像が一致しなかった。

 それ故に———()()()()()()とガハルドは判断した。

 

「フェアベルゲンで亜人族達を纏め上げ、アインズ殿を王とした国を造る。とても良い考えだと思わねえか? 俺達帝国は、そのバックアップをして建国の手伝いをしようと思う」

「うぅむ……しかし、ガハルド殿。先程も言ったが、私はフェアベルゲンに復興の支援などを行っているだけであって、フェアベルゲンの代表は別にいるが……」

「いや、いや。それは良くねえ……じゃなかった。良くない、アインズ殿。トータスじゃ、亜人族は聖教教会の教義的に被差別種族だ。そのハイピスト、とかいう奴が代表だとしても誰にもフェアベルゲンの王だとは認められねえ。俺達みたいに、亜人族だからと侮って突っ掛かりに行く馬鹿がまた出てくる」

 

 ここが正念場だ、とガハルドは唾を飲み込む。

 

「だが、アインズ殿の様な強大な王がいるなら話は別だ。アインズ殿程の王がいるという事実は、それだけで抑止力になる。聖教教会や教会にドップリな王国は魔物であるアインズ殿を王として認めないだろうが、帝国は別だ。「力こそ千の言葉に勝る」という諺があるくらいだからな、アインズ殿という強者を王として認めるのに何ら異論は無い。フェアベルゲンをアインズ殿の国として帝国が保証し、帝国は将来を見越してアインズ殿という強者の王の国と友好関係を結ぶ……どうだ?」

「ふむ………」

 

 玉座の肘掛けに頬杖を付き、アインズは考え込んでいた。その姿はさながら頭の中で全てを解決できるという安楽椅子探偵の様で、いまこの瞬間にも様々な可能性を考慮しているのだろうとガハルドは想像していた。

 

「……一つ聞くが。魔物である私を国の王として認めるというのは、聖教教会に背を向ける事に等しいのではないかな? ガハルド殿は、聖教教会———あるいは、彼らが崇める()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「ああ、全く構わねえ。俺達帝国が信じるのは単純明快な力だからな。祈り屋共なんかに従う道理は無え」

 

 ガハルドは迷う事なく頷いた。帝国にも聖教教会の施設は無いわけではないが、施設の維持費として莫大な寄附金を納めなくてはならない事をガハルドは嫌い、教会の影響力を積極的に削いできた。そのお陰で帝国は人間族の国でありながら、エヒト神への信仰心が一番低い国と揶揄されている。

 

(祈り屋共が崇めてるエヒト神がなんだって言うんだ……そもそも、目の前に人智を超えた化け物が存在している時点で、全知全能な慈悲深い神様とかフカシだろうがよ)

 

 あるいはこんな怪物の存在を容認するくらいだから、エヒト神というのは人間が恐怖する様を見て愉しむ様な良い性格をしているのかもしれない。聖教教会の人間が聞けば、斬り捨てられても文句が言えない事をガハルドは考え込んでいた。

 

「ふむ、貴殿の気持ちはよく分かった。同盟を組むとしよう」

 

 あっさりと———あまりにもあっさりと頷かれ、ガハルドは一瞬呆気に取られた。

 

(従属を要求しねえ、だと? 何故だ?)

 

 あるいはわざわざ従属など口にしなくても、どうとでも出来るという自信があるのか。傲慢とも呼べる考えも、この強大なアンデッドならば至極当然の振る舞いだろうとも思えた。

 

「では、これからよろしく。ガハルド殿」

「あ、ああ、こちらこそよろしく。アインズ殿」

 

 ぎこちなく笑みを浮かべるガハルドに対して、アインズはまるで全てお見通しだったと言う様に、最後まで堂々とした態度で応じた。

 

(これこそが……真の支配者、というわけか……)

 

 どうして自分はこのアンデッドの王がいる時代に生まれてしまったのだろう。

 ガハルドは信仰心のカケラもないエヒト神に対して、呪いの念を送りたい気分になった。




>生成魔法・不死の軍団

 トータスの生成魔法と位階魔法の合わせ技。無機物を変質させる魔法が組み合わさって、アインズは一定レベル以下のアンデッドを死体無しでも時間制限無しで召喚できる様になった。
 ……何故、アインズの召喚するモンスターに生成魔法が有効かは、その内に。

>今回のアインズ様

アインズ(帝国にいる亜人族の奴隷をいきなり引き抜くとか、下請け社員がごっそり居なくなる様なものだから大変だよなぁ。だから代わりに召喚したアンデッドを奴隷労働に使ったら? と薦めたのに……俺の営業トークが悪かったせいなのかな?)


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第八十三話「踊る人形達」

 九月より、新しい職場で働く事になりました。つきましては、仕事のやり方を覚える為に更新頻度が下がるかもしれません。趣味に書いているSSですのでエタる気はありませんが、ご了承下さい。


 会談が終わり、玉座の間には階層守護者達———シャルティア、ナグモ、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、セバス———そしてアルベド以外は退出した。

 ナザリックの外で偽装の身分を作っているナグモやアウラとマーレに変装を解いて楽にして良いと告げ、アインズは玉座の上で———無い筈の胃をキリキリと痛ませていた。

 

(やべえ………読み間違えてた)

 

 骨しかない身体だが、額から冷や汗が流れる様な錯覚をする。心境的にはそのくらい切羽詰まっていた。

 

 ヘルシャー帝国の侵攻がエヒトの暗躍によるものと予測していたアインズ。それ故に皇帝をナザリックまで呼び出し、何が起こっても対処出来る様にと高レベル帯のPOPモンスター(シモベ)達でガハルドを取り囲んだのだ。ナザリックの最奥である玉座の間まで通すリスクはかなり高いが、逆に言えばナザリックで一番守りが固いのがこの場所だ。エヒトがガハルドを操りながら監視していたとしても、ナザリックの中で一番守備や防諜能力が高い玉座の間ならばエヒトに情報を抜き取られる事なく、鼠取りに掛かった鼠の様にガハルド達を暗殺する事も可能だった。あわよくば、逆にガハルド達を洗脳して二重スパイに仕立て上げる事も可能だと踏んでの行動だった。

 そんなわけで各階層守護者達にシモベ達を厳選する様に命じ、ガハルド達に洗脳が有効か調べる為にデミウルゴスの「支配の呪言」まで使わせて臨んだ会合だったが————支配した皇帝から、エヒトとは全く無関係だったと伝わったのであった。

 

(エヒト関係無かったじゃん……守護者達に色々と準備させたのにほとんど要らなかったです、とか今度こそ軽蔑されるうぅぅぅ!? しかも何だよ! 何で俺はフェアベルゲンの王様になる事になったの!? 亜人族達に了承取ってないし、やめた方が良いって!!)

 

 場に流されるままに頷いてしまった事に今更ながら後悔してくる。ガハルドが言っていた事も尤もである。アインズがフェアベルゲンの大迷宮で神代魔法を習得する日まで、今回の様にフェアベルゲンを侵攻されるのは困るのだ。そのリスクを減らせるならガハルドの言った通りにフェアベルゲンをアインズの支配下とし、帝国を通じて人間達を牽制する必要があるのは分かっている。

 ただし、頭で理解していても中身が小市民であるアインズには話が大き過ぎた。もはやストレスのあまり、今や一本も生えていない頭髪が抜け落ちる感覚までしてくる。そこでようやく精神の沈静化が働き、冷静になってくる。

 

(いや、待てよ。この際だから守護者達には正直に俺にとって予想外の事態だった、と白状すれば良いんじゃないか? どういうわけか皆は俺が完璧だと思っている節があるけど、俺だって間違える事はあるよと知らしめるべきだよな)

 

 土台、一企業の平社員であったアインズ(鈴木悟)に組織のトップをやれというのが無理のある話だったのだ。自分の無能ぶりが露呈してしまうのは恥ずかしいが、今後にナザリックの舵取りを危うくしない為にも素直に謝るべきだろう。

 

「アインズ様」

 

 スッとデミウルゴスが手を上げた。

 

「まずは先程の帝国の皇帝との交渉、お見事でした。さすがは至高の御方の纏め役であらせられた御方。このデミウルゴス、感服致しました」

 

 ああ、これは皮肉なんだろうなとアインズは覚悟する。自分よりも何倍も頭が良いデミウルゴスがアインズのミスに気付かない筈がない。

 

「つきましては、他の者達とも情報を共有する為に私の口から説明しても宜しいでしょうか?」

「……許そう」

 

 アインズはいつもの癖で支配者ムーブで尤もらしく頷いた。

 これから始まるのは吊るし上げだろう。皆でどんな風にアインズの読み違いをしたか指摘する会議が始まるのだ。社会人一年目のプレゼン発表の練習で、先輩や上司に酷評された時の事を思い出してアインズは胃が痛くなってきていた。

 デミウルゴスは立ち上がると、アインズに背を向けて守護者達を見回せる位置についた。

 

「さて諸君……帝国の皇帝の働きにより、フェアベルゲンにアインズ様を王とした国が作られる事となった。……今のところは全てアインズ様の御計画通りだ」

 

 え? とアインズは声に出さずに首を傾げた。しかしながらアインズに背を向けているデミウルゴスはそれに気付かなかった。

 

「これにより……アインズ様の主たる目的である世界征服計画の足掛かりが得られる。分からなかった愚か者は居ないだろうね?」

 

 デミウルゴスの問いに守護者達は当然、と沈黙で返していた。デミウルゴスからしても軽い冗談のつもりだったのだろう。あのシャルティアですら余裕の笑みを返しているのだから。

 そして玉座には話が見えてないポンコツ・ウール・ゴウンがただ一人。

 

(え……えええぇぇええええっ!? 世界征服ぅ!? なんでそんな話になってんの!?)

 

 ガハルドといい、エヒトルジュエといい、トータスを征服するのが流行りなのか!? とアインズが混乱する中、デミウルゴスは確認する様に守護者達に問い掛けた。

 

「コキュートス、亜人族達の教育の進捗は十分なんだろうね?」

「問題ナイ。彼等ハ元ヨリアインズ様ニ救ワレタ事デ、深イ恩義ヲ感ジテイル。ソノ後ノ軍事教育デ、亜人族達ハアインズ様ヲ神ノゴトク崇メ奉ッテイル。今更、アインズ様ガフェアベルゲンノ王トナル事ニ異論ヲ唱エル者ハイナイダロウ」

「ナグモ、改造した亜人族の強さはどうなんだい?」

「ユグドラシルのレベルで平均して40オーバー。先の戦いで能力を覚醒させた個体———シア・ハウリアはレベル50といったところだ。今後はこの個体情報を基に、アインズ様が帝国から取り戻した奴隷達を改造する予定だ」

「よろしい。アインズ様の働きにより、追加の奴隷達が帝国より来る。これらもアインズ様の御国の国民とし、来たるエヒトルジュエとの決戦における兵力として教育する事で、アインズ様を君主とした千年王国が設立されるのだ!!」

 

 「おお!」、「さすがです、アインズ様!」と守護者達はデミウルゴスの宣言に喜びの騒めきを上げる。まさに一大プロジェクトの決議案が上層部に通ったかの様な喜び様だ。

 

(や、やべえ……いまさらそんなの知らないよ? って絶対に言えない流れだこれ。どうにか大口契約を取ってきた社員達に、「あ? そんな計画したか?」とか言って上司が覚えてないとか悲惨過ぎるぞ!?)

 

 この時ほど骨しかない身体に感謝した時は無い。そうでなければ、真っ青で冷や汗ダラダラになったアインズの表情がバレていただろう。

 ふとデミウルゴスを見ると、先程まで守護者達の方を向いていた筈がいつの間にやらアインズへと振り返っていた。スーツのズボンから生える尻尾が犬の様にブンブンと振られていた。

 覚悟を決めて、アインズは鷹揚に頷いた。

 

「そ、そうか。全て計画通りというわけだな?」

「もちろんでございます。あの時より、アインズ様の御計画通りにナザリックの全ての者が動いております」

「あの時か……」

「ええ、そうでございます」

「……あの時だな?」

「そうでございます!」

 

 どの時だよ!? とアインズは心の中でシャウトする。

 

「質問してもよろしいでありんしょうかえ?」

 

 スッとシャルティアの手が挙げられた。

 

「あの人間の皇帝を脅す際、アインズ様はエヒト……エヒトラ?」

「エヒトルジュエだよ、それくらい覚えなさいって」

「えぇい、分かっているでありんす! 御方に楯突く神の分際で噛みやすい名前なのが悪いでありんす!」

 

 呆れた顔で訂正するアウラに噛み付いた後、シャルティアはコホンと咳払いする。

 

「そのエヒトナントカとかいう神が人間を傀儡にしている可能性を警戒しろとアインズ様は仰っておりんしたが、そちらはどうなっているのでありんして?」

 

 ほら、来た! とアインズは身を固くする。そして意を決して口を開いた。

 

「あ、あれはだな……」

「シャルティア、貴女そんな事も分からなかったの?」

 

 アルベドが挑発的な微笑みを浮かべながら、憐憫すら感じさせる目でシャルティアを見た。

 

「は、はぁ? どういう事でありんすか? あの皇帝は至高の御方を差し置いて世界征服を出来ると愚かにも勘違いしたから、アインズ様の御国となるフェアベルゲンに侵攻したんでありんしょう?」

「まったく、貴女は……。アインズ様は裏の裏まで読まれていたというのに」

「う、裏の裏ですか?」

 

 シャルティアに並び、マーレも驚いた顔になった。そんな二人をアルベドはやれやれという様に頭を振り、アインズを見た。

 

「アインズ様。他の者達にも御身の深淵なる御考えをお話ししても宜しいでしょうか? いざという時に、アインズ様のご真意を勘違いして行動されては困りますので」

 

 現在進行形で、そのご真意とやらを何か勘違いされてるのですが……。とアインズは頭を抱えたくなった。しかし、アルベドの発言を受けてアウラとマーレ、シャルティアは元より、守護者達全員が「さすがはアインズ様……」とキラキラした眼差しで見てくるのを見て、何も言えなくなった。

 

(……無能な上司で本当すいません)

 

 心の中の葛藤は、守護者達の望む支配者像を壊さない事を選んだ。出来る限り、威厳のある声をアインズは振り絞った。

 

「———許す。アルベドよ、お前が理解した事を他の者達にも説明すると良い」

「畏まりました」

 

 アルベドは頷き、仲間達に話し始めた。

 

「良いかしら? 今頃、あの皇帝は———」

 

 ***

 

 ガハルドを乗せた馬車の一団は帝国への帰り道を走っていた。急な旅程にも関わらず、ガハルドが集めた精鋭の騎士団で構成された護衛隊と帝国の一流の職人によって作られた馬車は、見る者に帝国の勇壮さを知らしめるだろう。

 しかし———今や葬儀の参列の様に、重苦しい空気が蔓延していた。

 

「…………」

 

 最も厳重に警備された馬車の中で、ガハルドは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいた。側近のベスタがチラチラと気遣わしげな表情で見てきていたが、ガハルドは無視するかの様に黙り込んでいた。

 

(あれは………魔神の城だ)

 

 思い返すのは、先程までいた荘厳な白亜の宮殿。

 帝国———否、トータス全ての職人が集まってもあれ程の宮殿は決して作れそうになく、そして宮殿にいた異形達はガハルドが今まで対峙してきた魔物など軽く凌駕するだろう。帝国の全兵力を傾けたとしても、軽く蹴散らされるだろうとガハルドは見立てていた。

 そして———玉座に座る「死」。

 いま思い起こしても寒気がしてくる。ガハルドが生涯において死線を潜り抜けたのは一度や二度ではないが、対峙した瞬間に生存への道筋が全く見えなかったのは初めてだった。

 まさにあれこそが魔の神———遍く魔を導く支配者そのもの。

 

(あれ程の魔物が何で今まで存在が露呈しなかった? 過去に聖教教会はエヒト以外の信仰を邪教として、徹底的に資料や宗教施設も焼き払ったと聞いたが……まさか、奴は忘れられていた神だとでも言うのか?)

 

 常ならば誇大妄想と一笑に付す様な考えさえも脳裏に浮かんでくる。

 だが、残念ながらガハルドにはその考察が正しいかどうか検証する術は無い。ヘルシャー帝国の建国は三百年前。積み重ねた歴史ではハイリヒ王国よりも何倍も劣る帝国には、過去の歴史を紐解く資料も学者も全然足りていないのだ。

 

(クソ、軍事にばかりかまけてないでそういった学問方面にも力を入れてりゃ良かったぜ……やっぱり力だけじゃ限界があるか)

 

 自分の失策にガハルドは唇を噛み締めた。ヘルシャー帝国の特色といえば、他国にも轟く自分の勇名さと軍事力だった。良質な魔石が採掘できるオルクス迷宮や観光名所としても名高いウルの町の様な広大な農地を持つハイリヒ王国と曲がりなりにも渡り合えたのは、帝国が(トップ)も身体も強靭な獅子の国だったからこそだ。

 だが、ここに来て頭も身体もドラゴンの国が出現する。それが帝国の今後にどの様な影響を齎すか、今からでも頭が痛くなる思いだった。

 

(いや、まだだ。まだ俺は負けちゃいねえ。力が劣るなら、劣るなりの戦い方がある)

 

 ガハルドは不敵な笑みを浮かべる。それは帝国をトータス最大の軍事国家にのし上げた皇帝に相応しい笑みだった。その笑みにベスタは待っていたとばかりに安堵した。

 

「そうチラチラと見るな。気が散るだろうが」

「陛下……!」

 

 ガハルドは真剣な表情になる。これは戦争だ。直接的に刃を交える様な戦いでなくとも、いかに相手に打ち勝つか? と考えると稀代の戦争屋であるガハルドの脳は冴え渡っていくのだ。

 

「確認するぞ。今回、俺達が対峙したアインズ・ウール・ゴウン……奴の居城から察するに莫大な資産を持っており、軍事力という点を見ても帝国を上回っている。異論はあるか?」

「それは……いえ、ありません。あの場に並んでいた魔物達一匹だけでも、一個中隊以上の戦力があるでしょう」

「それが百匹以上……いや、玉座の間にいただけの数が最大戦力というわけじゃねえだろうから、その数倍は見積もっても良いかもな。そして皇宮に来た奴等は位置的に側近として、それと同レベルの奴が七人。それと玉座の横にいた翼の生えた女は……あれは王妃といったところか? ハン、魔物の王のくせに人材豊富だな」

「陛下、亜人族達もです。あの魔物はフェアベルゲンに復旧支援をしているだけと言っておりましたが、実質的に亜人族はあの化け物の傘下に治まったと見て良いでしょう」

「分かってる。帝国だけじゃ兵力差は絶望的だという事だろ」

 

 改めて言葉にしてみれば、アインズの化け物振りが分かる。しかも本人はアンデッドの兵士をいくらでも召喚できるというのだ。もはや悪夢を見ているとしか思えない出来事だ。

 

「しかし、陛下……そこまで分かっていながら、何故あのアンデッドに協力を申し出たのですか? それに亜人族の奴隷を全て奴に渡すなど……」

 

 帝国では亜人族達は女の兎人族の様な見目麗しい者は娼館や貴族の妾として売り払われるが、それ以外のほとんどは農場や鉱山などで強制労働をさせている。稀に帝国軍の奴隷兵士として組み込まれる場合もあるが、ほとんどは使い捨てられ戦死している。だからこそ帝国の国民は軍人や傭兵といった非生産職に専念でき、ガハルドも帝国の軍事力を高められたのだ。ここで亜人族の奴隷達がいなくなるというのは帝国の一次産業の労働者の大半が消えて、ひいては国力の衰退を意味する。いくら相手との圧倒的な差を見せつけられたとはいえ、祖国の衰退を促す様な協定を結ぶのは側近のベスタであっても苦言を呈さずにはいられなかった。

 

「このままではあの化け物に、我々は子々孫々従わねばならなくなります。これではまだ聖教教会に尻尾を振っていた方がマシだった、という事になりかねません」

「そんなこたぁ、分かってる。だが、あの場でああ言っておかなければ、俺達には反撃の機会すら与えられなかっただろうが」

「反撃、ですか? しかし、どうやって……」

 

 戦場でいかなる窮地に陥っても崩さなかった不敵なガハルドの笑みに、ベスタは頼もしく思うが今回は別だ。兵力も財力も圧倒的な相手にどう反撃するというのだろうか?

 

「良いか? 亜人族の奴隷達の返還は出来る限り引き延ばさせろ。貴族達の一部が反対して中々思う様に進まないとか、色々と理由をつけてな。そして何とか一月先……ハイリヒ王国の式典の日まで粘れ」

「ハイリヒ王国の式典……まさか! ですが、彼等は」

「ああ、伝え聞く限りじゃあまりアテにならないだろうよ。だが、トータスの常識に囚われない相手なら万が一という事もある。そうでなければ、奴等を旗印にして対アインズ・ウール・ゴウン同盟を作って貰う。そういう風に働きかける。帝国は奴等の国をスパイして、聖教教会に売り渡す」

 

 そうでなければ、帝国に生きる道は無い。相手はアンデッド。膝を屈したら最後、生者である人間達をまともに扱うとは思えない。帝国の民が今後も人間としての最低限の生活を送る為にも、アインズ・ウール・ゴウンに屈するわけにいかないのだ。

 

(それに上手くいけば、奴等が共倒れして漁夫の利を狙う事も……)

 

 トータス全土の平定という野望に生涯を賭けると誓ったガハルド。彼の野望の火はこの程度で消えたりはしない。

 

「魔王を倒すのは勇者と物語で決まっているからな。異世界からエヒト神が召喚した神の使徒達……あの魔王を倒す為に、勇者達をぶつける様に式典で働き掛けていくぞ」

 

 ***

 

「なるほど、なるほど……そうですか」

 

 ハイリヒ王国、神山。

 大聖堂でイシュタル——正確にはその姿に化けたドッペルゲンガー——は、手元の紙を見ながら深く頷いた。

 コンコン、とドアがノックされる音がした。入って来た神官が目的の人物の来訪を告げ、イシュタル・ドッペルゲンガーは入室の許可を出した。

 

「失礼します、イシュタルさん!」

 

 入って来た人物は光輝だった。彼はいつも着ている金色に輝くフルプレートメイルから、金の刺繍飾りや飾り紐が目立つ白い軍服姿になっていた。彼の全身からは自信が満ち溢れ、その出で立ちは理想に燃える青年将校といった所だろうか。

 そんな光輝にイシュタル・ドッペルゲンガーは、コピー元の記憶にあった柔和な笑みを浮かべた。

 

「よくぞいらして下さいました。人々を脅かす魔物退治で御多忙を極める中、大変でしたでしょう」

「いえ、気にしないで下さい。俺は勇者として当然の事をしているだけです」

「なんと慈悲深い……光輝様や御仲間の皆様に救われた人々は魔物の脅威に怯えずに済んで、皆様に感謝している事でしょう」

 

 いやー、ははは……と光輝は照れ臭そうに頭を掻く。

 

「あ、でも……この前の戦いでは農園にも被害を出しちゃったけど、大丈夫でしたか? みんな一刻も早くレベルアップしようと張り切っちゃって……」

「ええ、大丈夫です。作農師である愛子殿の御力で全て元通りになりました。彼女が()()()()()()()()、魔物の被害にあった土地など問題になりませぬ」

「そうですか、良かった……畑山先生も、分かってくれたんですね!」

 

 光輝は気難しい相手に自分の意見を理解した貰えた様な、ホッとした表情を浮かべた。

 

「俺達、決めたんです。魔物や魔人族達に苦しめられているトータスの人々の為にも、もっとレベルアップしなければいけないって! そうしたら魔王も倒して、エヒト様が死んだ龍太郎達も生き返らせてくれるんでしょう? だったら、もっともっと魔物を倒してレベルアップしようって決めたんです!」

「その通りです。光輝様の御活躍は、きっとエヒト神も見守っておられるでしょう。光輝様こそ、人々の希望。多くの魔物を倒し、是非とも皆様を御救い下され」

 

 

 はい! と威勢よく返事する光輝に、イシュタル・ドッペルゲンガーは内心でほくそ笑む。自分の上司であるデミウルゴスの言う通り、煽てればどこまでも調子に乗る愚かな勇者(道化)だった事に。

 

「それで、今日はどうしたんですか?」

「おお、そうでしたな。一ヵ月後の式典において、隣国であるヘルシャー帝国の皇帝も参列されるとの事です。これも偏に、光輝様方の御活躍を認めての事でしょうな」

「本当ですか!? 帝国の人達は力が全てと思っている野蛮な人達だと聞いてましたけど、話せば分かる人達だったんですね!」

「ええ、ええ。どうか彼等にもトータスの人々の為に戦う光輝様のお姿を見せて下さい。彼等は力ばかりに囚われ、道を見失ってしまった哀れな兄弟なのです。トータス全ての人々の為に戦う光輝様の御姿を見せ、彼等の目を覚ましてやって下され」

「大丈夫です! きっと話し合えば、分かってくれますよ!」

 

 地球にいた頃の、自分の()()()()から光輝はそう断言した。

 自分の正義を真っ直ぐに疑わない彼に、イシュタル・ドッペルゲンガーはニッコリと微笑む。

 

「式典では、皆様方の御披露目を兼ねております故。期待しておりますぞ、勇者様……いえ。“光の戦士団”団長、天之河光輝様」




>反撃を目論むガハルド

 まず最初に、愚かとは言わないであげて下さい。彼からすれば、自分の国が突然湧いて出た強国に搾取されまいと必死で抗っているだけですから。ぴったりな言葉は……溺れる者は藁をも掴む。

>光輝

 何か久々に書いた気がする……。彼的には「魔物をいっぱい倒す=困っている人達を助けてあげられるし、魔王を倒す為のレベルアップも出来る!」と意気込んでいるんですよ。しかもイシュタル・ドッペルゲンガーは耳触りの良い事しか伝えてないし。
 そして魔王を倒せば、死んだ皆も生き返ってハッピーエンドだと信じてるわけです。ん? 奈落に落ちた香織の事? まあ、おいおいね……作者的にも、もはや理解不能な思考回路で書いているので。

>“光の戦士団”

 で、行き着いたのがこれ。まあ、何です……異世界召喚モノで、自分が特殊部隊の隊長に選ばれるとかアガる展開でしょう?


 上げた分は叩き落とすけど。


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第八十四話「魔を導く王」

 勢い任せで書いていたら、こうなった。
 そうとしか言えないんですよ、本当に。


「――と、そういう流れになっているでしょうね。つまり帝国の皇帝は聖教教会を嫌っている様に見せていても、無意識の内に愚神エヒトルジュエが召喚した人間達に頼ろうとしているのよ」

 

 守護者達とアインズの前で、アルベドは自らの推理を話していた。

 

「要するに……あれだけアインズ様の御力を身近で見ておきながら、まだエヒトナントカに縋ろうとしているでありんすか?」

「そいつってさぁ、ひょっとしてすんごく頭悪いんじゃない?」

「え、えっと……先手を打って殺しちゃった方が良いのかな?」

 

 呆れた口調のシャルティアに続くアウラとマーレからも、怒りの感情は伝わって来ない。まるで羽虫がいるから潰しておこう、というくらいあっさりとしていた。

 

「普通の人間なら、アインズ様という神に等しい御方を前に、自然と頭を垂れるのでしょうけどね。この世界(トータス)では愚神が長く支配していたから、愚神の力に頼れば少しは対抗できると人間達は思っているのよ」

「それで……かつて、ナグモ様を迫害した人間達を頼ろうというのですか」

 

 そう語るセバスの目は少し冷たい。カルマ値が極善である為に人間にも寛容であるが、ナザリックの仲間であるナグモを謂れの無い罪で追い詰めた人間達にはさすがに思う所がある様だ。(それもナグモが決死の恋を実らせた所を目撃していたから、余計に)

 

「ええ。でも、問題ない。そうよね、デミウルゴス?」

「もちろんだとも。いやはや、あの道化……失礼。勇者は私が何もやらずとも動いてくれるから助かるよ。彼がナグモと共に召喚された事は、我々にとって僥倖だった様だ」

「……僕からすれば、あんな低脳共と同じ集団にいたという事実が汚点そのものだ」

「あら? あなたが飼い慣らしているアンデッド娘は、元はその低脳な集団の一員だったのに?」

「あいつらと香織を一緒にするな……!」

 

 嘲笑を交えたアルベドの言葉に、ナグモは低い声を出した。ピリッとした空気が二人の間に流れるが、デミウルゴスの間に入った。

 

「まあまあ、アルベド。栄えあるナザリックに彼女を招くと決めたのは他ならぬアインズ様だよ。それに……部外者を伴侶にしたのは、ナグモだけではないしねえ?」

「……御三方、今はアインズ様の御前です。その様な私事は後に致しましょう」

 

 意味ありげに見てくるデミウルゴスに、セバスは目を閉じながら話の先を促した。もう少しからかいたい様子のデミウルゴスだったが、咳払いを一つするだけに留めていた。

 

「ともかく、私の部下を通して勇者達の行動は筒抜けなのさ。一月後、勇者達が結成した“光の戦士団”が御披露目となるわけだが……」

 

 クククッ、とデミウルゴスは嘲笑(わら)う。それは簡単な迷路の中で這いずり回る虫達を見下ろす様な顔だった。

 

「アインズ様という真の強者を見た後で、愚神が召喚した人間達がどう見えるか……どちらに従うのが賢い選択なのか、あの皇帝もさすがに理解できるだろう」

 

 デミウルゴスはアインズへと振り返る。

 

「さすがはアインズ様です。かの皇帝がエヒトルジュエに頼ろうとする精神の脆弱さを見抜き、無意識の洗脳下にあると仰られたのですね? 絶対的な強者でありながら、弱者の精神すら把握して手玉に取る御慧眼……このデミウルゴス、感服致しました」

 

 深い敬愛の念が込められた言葉にアインズは頷き、そして考え込んだ。

 

(ほう……そうか、エヒトの洗脳というのはそういう類いも含まれるのか。なるほどなあ……ところで誰なんだろうな、そんな事まで見抜いたアインズサマという奴は?)

 

 デミウルゴスがここまで言うくらいだから、自分とは違ってさぞ頭の良い人間に違いない……などと現実逃避をしたい所だが、そうも言ってられない。

 それに、どうしても気になる事があった。

 

「……デミウルゴス、勇者達の行動はキチンと把握できているのだな?」

「はっ。聖教教会の大司教をドッペルゲンガーとすり替え、彼等の行動は必ずそのドッペルゲンガーに報告される様にしております」

 

 え、そうだったの? とアインズは思ったが、骸骨である為に顔色には出なかった。そういえば結構前に、任務に必要と言われたからドッペルゲンガーを一体召喚したっけ……と思い起こしたが、聞きたい事を優先する事にした。

 

「それで……勇者達は我々に勘付いた様子はあったか?」

「今のところはございません。未だにナグモの事は魔人族に寝返った者として勇者は主張しています。なんとも笑える話ですが……ナグモを倒し、白崎香織を取り戻すのだと息巻いているそうです」

 

 嘲笑するデミウルゴスの言葉だが、アインズはむしろ警戒心を強くした。香織とナグモが奈落に落ちてから既に結構な月日が経っている。普通の人間なら、もう生存は絶望的だと諦めているだろう。それなのに勇者は未だに二人が生きていると主張しているのだ。今やオルクス迷宮は人間が入る事も出来ない魔境と化しているのに、どうして生存を確信出来るのだろうか?

 

(もしかして奴には偽装を看破するスキルとかがあるのか? いや、ドッペルゲンガーに気付いてないなら、それは無い筈……。でも、俺達が帝国に接触しようとしたタイミングで自分の軍団を結成するなんて、対抗勢力を作ろうとしているみたいでタイミングが良過ぎる。クソ、勇者の考えがまるで読めないな)

 

 ユグドラシルで多くのPvP(戦闘)を繰り広げ、仲間(ギルメン)達と共にギルドの攻城戦の経験もあるアインズだが、天之河光輝の思考や行動は今まで見てきたプレイヤー達のどれにも当てはまらない。こんな時に“アインズ・ウール・ゴウン”の諸葛孔明こと、ぷにっと萌えがいれば的確な分析をしてくれただろうが、残念ながら彼はここにいない。

 

(そもそもナグモ達はおまけで、エヒトが本当に召喚したかったのは天之河光輝だったという話だからな……奴がエヒトの手駒である可能性は高い。下手に勇者に勘付かれたら、そのままエヒトへ情報が流れる可能性がある)

 

 かつての解放者であるミレディを仲間にしたとはいえ、まだ二つしか神代魔法を習得していないアインズにとっては今エヒトと対峙する可能性は排除したかった。相手はこの世界(トータス)の創造神なのだ。臆病過ぎるかもしれないが、現実はゲームの様にコンテニュー(やり直し)など無いし、都合の良いイベントなども起きない。負ければ、アインズの命はおろかナザリックのNPC達まで滅ぼされるかもしれない。そう考えると下手に動くわけにはいかない。エヒトや勇者と対峙するのは全ての神代魔法を手に入れ、軍備を十分に整えてからにしたかった。

 

「……デミウルゴス。再度言っておくが、お前が勇者と対峙する様な事態だけは避けろ。召喚したドッペルゲンガーはいくらでも替えはきく。勇者は必ず、私が滅ぼす」

「心得ております。アインズ様の為にも、今後も間接的な接触のみに徹底致します」

 

 スッとデミウルゴスは頭を下げる。まるで最高のイベントを企画しているエンターテイナーの様だったが、万が一の時の勇者対策を考えているアインズはその様子に気付いていなかった。

 

「ところで勇者一行の作農師を監視しているルプスレギナは———」

「あれは囮だ」

 

 自らの仲間を囮にしているという冷徹なアインズの言葉に、守護者達は一つ頷くだけで従属の姿勢を見せた。ナザリックの支配者の意思は仲間の安全よりも優先されるからだ。

 

「本当はやりたくないが……勇者達の教師ならば、いざとなれば人質に使えるかもしれん。丁度よく別行動をとっているから、監視するのも容易だ」

 

 戦闘メイド(プレアデス)であるルプスレギナのレベルは59。ユグドラシルからすれば初心者クラスだが、あえてアインズは勇者一味である作農師の監視という任務に割り振った。エヒトがアインズ達と対峙した時、ルプスレギナ(レベル60前後)の強さを基準としてこちらを侮る可能性がある筈だ。

 

「だが、ルプスレギナをエサとして食い付かせる気は無い。アルベド、ルプスレギナの周辺を極秘裏に監視する要員を編成せよ。監視要員は敵がルプスレギナに近寄ったら、それを阻止する役目があると知らせておけ」

「はっ」

「頼むぞ。この世界でも蘇生魔法が有効であると実験は出来たが、NPC(お前)達にも適用されるかまだ分からない。だからといって、試しに死んでみろとも言えん。仲間達の作り出した大切なお前達が何より大事だ。くれぐれも命を落とさない様に、細心の注意を払うのだ」

「っ! 勿体なき御言葉です、アインズ様!! そこまで私……達を大切に思っていて下さるなんて……!」

 

 アルベドが陶酔した表情を浮かべる中、守護者達も深く感動した面持ちで顔を伏せた。至高の支配者が自分達にそこまで気にかけてくれているなんて……改めて言葉にされると、その破壊力は絶大だった。

 

「———さあ、皆さん。アインズ様の御心遣いに報いる為にも、早急に決めなくてはならない事があります」

「決メナクテハナラヌ事トハ?」

 

 デミウルゴスが感涙しそうな目を押さえる様に眼鏡を押し上げながら周りを見渡す中、コキュートスの声が響いた。

 

「もちろん……アインズ様が治める国と、統治者としての称号の名前です。あの皇帝も言っていましたが、国名がフェアベルゲンのままではこの世界の有象無象共に侮られるでしょう。それに単なる王ではその辺りの虫ケラと同じ様ではありませんか。もっとアインズ様に相応しい名前を考えるべきです」

 

 いや、フェアベルゲンのままでいいんじゃ……と言いかけ、アインズは思い直す。今後、ナザリックを中心に反エヒトルジュエ連合を立ち上げる必要はあるのだ。その時に分かりやすい旗印は必要だろう。もしかするとフェアベルゲンに作ったアインズの国という存在が、神代魔法を手に入れる大迷宮攻略を秘密裏に行える目眩ましになるかもしれない。

 

(そういう意味なら振って湧いた話だけど、国を作るという選択肢はアリだ。それにもしかしたら………仲間達の誰かが、アインズ・ウール・ゴウンの名前に気付いて出て来るかもしれない)

 

 トータスにいるかもしれない仲間(ギルメン)達の捜索は、アインズにとってナザリックの存続と同じくらい優先度の高い事項だった。ナザリックの強化とギルメン捜索の両方をこなせるのであれば、アインズとしては荷が勝ち過ぎる国王になるという選択も忌避感は少し薄れた。

 

「私は異論はない。お前達の意見を参考にしよう」

「はい、はーい! それでは妾から!」

 

 シャルティアが手を上げた。

 

「アインズ様の美貌を讃えて、アインズ・ウール・ゴウン美貌王などがよろしいと思いんす」

(ア、アインズ・ウール・ゴウン美貌王?)

「じゃあ次は私だね。アインズ様の強さをアピールして、強王が良いと思います!」

(ア、アインズ・ウール・ゴウン強王?)

「ぼ、僕も良いですか? えっと、アインズ様は優しい方ですし、そこを皆に知って貰うべきだと思うんです。だから、その、ええと……慈愛王なんて良いと思うんです!」

 

 アウラとマーレが立て続けに出した称号に、アインズの精神が沈静化される。一体、この子達が評価してるアインズサマとはどちら様なんだろう? と現実逃避気味に思うが、守護者達は誰もが今までの案に納得して頷いていた。

 

「私としては———」

 

 デミウルゴスは演出の為に一拍置く。

 

「アインズ様の端倪すべからざる叡智を讃え、賢王がよろしいかと愚考致します」

 

 明日どころか今現在も手一杯な奴が賢王……。アインズは死んだ目付き(眼窩しか無いが)で天を仰いだ。

 

「私はシンプルに王がよろしいかと思っております」

「フン、ある意味では君らしいな」

 

 飾り気の無いセバスの意見に、ナグモは薄く笑った。

 

「アインズ様は力も叡智も、そしてカリスマ性も。全てが人の及ばぬ領域に至った、死の超越者(オーバーロード)……超越王。それこそが、アインズ様に相応しい称号だ」

 

 おお! と守護者達が騒めく。

 

(お前もか、ブルー……ブルー、何だったけ? 前にタブラさんが言っていたローマだかの人)

 

 元NPCであるナグモに一縷の望みを懸けたが、残念ながらプレイヤー(本物の人間)となったナグモもアインズへの重過ぎる評価は変わらないらしい。逃避気味に昔に教わった諺を思い出そうとしていた。

 

「幼稚な発想ね」

 

 ナグモの意見をバッサリと切り捨て、アルベドは自分の意見を発表した。

 

「アインズ様は至高の御方々の頂点に立たれた方。アインズ様以上の方はいないという意味も込めて、至高王とお呼びすべきですわ」

 

 ナグモ以外の守護者達から感嘆の溜息が上がる。無表情ながらも面白くなさそうな様子のナグモを無視して、まだ意見を聞いていない相手にアルベドは意見を求めた。

 

「コキュートスは何かあるのかしら? 私の至高王の後だと、厳しいでしょうけど」

「———フム。アインズ様ハ、今後多クノ者達ヲ支配サレル事ダロウ。故ニ、魔ヲ導ク王……魔導王。ソレガ良イカト思ウ」

 

 その意見に守護者達は即座に反応しなかった。だが、その沈黙が全てを物語っていた。皆が——お互いに微妙な空気を出していたアルベドとナグモさえも——一斉にアインズの方を見る。

 

「よかろう、コキュートスの意見を採用する」

 

 アインズはゆっくりと玉座から立ち上がった。

 

「コキュートス、お前はフェアベルゲンの亜人族達にも採決を取らせよ。私を王とした新たな国とする事に賛成か、反対か、それを聞いてくるのだ」

「アインズ様ノ庇護下ニ入ル事ヲ拒ム愚カ者ナド———」

「いや、民意はしっかりと聞け。彼らは対エヒトルジュエ連合の最初の賛同者であり、兵として働いてくれている。不満を持ったまま戦わせる気は無い」

 

 ギルドでイベントボスに挑む時も、常に多数決を採ってアインズは動いていた。ギルド長に不信感があるチーム戦など、内部分裂を起こしてボスに辿り着けないという愚を犯しかねないのだ。

 

「そうだな、彼らの為にも帝国には奴隷の返還を急いで貰うのが良いか……とにかく、亜人族達からも賛同を得られた暁に私は改めて宣言しよう」

 

 バサッと、漆黒のローブが翻る。アインズは天上の敵へと宣戦布告する様に、手にした杖を掲げた。

 

「———アインズ・ウール・ゴウン魔導国の旗揚げだ!!」




>故リューティリスさん

(フェアベルゲンという国が無くなる事を嘆くべきか、全ての亜人族が安全に暮らせる国となる事を良かったとすべきか分からない顔をしている)

そんなわけで、さよなら亜人族の国フェアベルゲン。
そしてこんにちは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国。
原作とはちょっと形が違うけど、まあ誤差だよ誤差。アインズ様の本音はここを対エヒト連合の本拠地にしたいだけだし。

>まだまだ勘違いされてるアインズ様

誰か……誰か言ってやって下さい。貴方はとても強く、敵と思ってる彼等への警戒はあんまり意味ないって。お陰で書いてる自分もヤベェと言いたくなる展開になりそうなんですが……。


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第八十五話「クラスメイトSIDE:聖戦布告」

 久々のハイリヒ王国。クラスメイトSIDEと言いつつ、出て来るのは光輝だけですけど。


「———我ら人間族は、長く苦しい日々を強いられてきた」

 

 ハイリヒ王国の首都。その中心街にある広場で、イシュタルは壇上から集まった聴衆達に語り掛けていた。その脇に国王エリヒドが並び立つ。立ち位置的に聖教教会の大司教イシュタルの方が上に見えたが、教会の権力が強い王国においてそれを疑問に思う者はいない。ただ、目敏い者がいればその後ろで控える王女リリアーナが口を真一文字にして硬い表情をしている事に気付いただろう。

 

「エヒト神が創り給うこの世界に生まれながら、邪悪なる神アルヴに信仰を捧げる魔人族と争う事、幾星霜……魔人族達により多くの同胞が奪われ、恐怖で夜も眠れぬ日々を送った者もいよう。近年、奴等は邪悪な術を用いて魔物達を従えてこの国を侵そうとしている」

 

 どよっ、どよっ……聴衆が騒めく。よくよく見れば聴衆のほとんどは身なりが良い。彼等の大半は王国の貴族や豪商であり、聖教教会に寄付を行って様々な利権を得ている者達だ。その彼等は噂という形では聞いていたが、イシュタルの口から聞いた事で魔人族の侵攻が事実だったと知ったのだ。彼等は自分の命や家族の命———そして()()()()()()()()()が脅かされないか不安となっていた。

 

「だが———エヒト神は、まだ我らを見捨ててはおられなかった」

 

 魔法道具の拡声器を使ったイシュタルの声が響く。不安で騒めいた聴衆達は水を打った様に静まり返った。

 

「光輝殿、どうぞ此方に」

「はい!」

 

 黄金に輝く鎧を着た若者が壇上に上がり、イシュタルの隣に立つ。精悍に引き締まった美形の顔立ちに、聴衆の中にいた婦女子達は思わず溜息を吐いた。

 

「彼こそは魔人族の暴虐に苦しむ我らを見兼ね、エヒト神が異世界より遣わした勇者! 光輝殿とその仲間達は既に多くの魔物を倒し、村や町を多く救った!」

 

 イシュタルの宣言に聴衆は騒めいた。そこへ聴衆の一人が声を上げた。

 

「おい、あの方はクライン山脈のワイヴァーン達を倒した勇者様じゃないか?」

 

 すると合いの手の様に別の男が声を上げる。

 

「そうだ! カメリア運河に巣食っていた水魔も倒したと聞いたぞ!」

「魔物達に荒らされた土地も、勇者様が遠征をされた後で必ず元通りにされているらしい!」

「自ら辺境に赴かれて、魔物達に苦しむ民を救うとは……あの御方こそ、エヒト神が遣わした神の使徒だ!」

 

 聴衆達から次々と舞台上の台詞の様に息の整った勇者の活躍が口々に上がる。まるで英雄譚をそらんじる様に勇者の活躍が語られたが、この場にいる他の聴衆達には効果的だった。他の者達も、そういえば……と自分が聞いた噂を語り出す。

 

「最近、吟遊詩人達が光り輝く剣で魔物達を斬り裂く剣士の唄を歌っていましたな。それが勇者殿だった、というわけですか」

「私、知っていますわ! 『ハンニバル山の邪竜』でしょう。王都でも人気の観劇ですもの! 元となったのは勇者様の戦いでしたのね!」

「ルクセンブルク侯爵……いや、()・侯爵でしたな。その領地に巣食っていた魔物達を倒し、魔物に荒らされた農地を元通りにしたのも勇者様方の働きだそうですぞ」

 

 口々に()()()()()()()()()()()が上がり、聴衆達の光輝を見る目は次第に尊敬の混じった物になる。イシュタルは騒めきが最大限に大きくなるのを見計らい、「静粛に」と声を上げた。

 

「どうやら皆も勇者・天之河光輝とその仲間達の活躍はご存知の様だ。勇者がいれば、我ら人間族に敗北はない! これを機に我ら人間族は一丸となって魔人族とその首領たる魔王を討つ……それこそが、エヒト神の神意であると私は思う!」

 

 イシュタルは力強く言い放った後、拡声器の魔法具を光輝へと譲った。光輝は少しだけ緊張した顔を見せたが、深呼吸を一つすると聴衆達へ語り掛けた。

 

「皆さん、こんにちは。俺は天之河光輝と言います。異世界から召喚され、勇者に選ばれました」

 

 他の者が言えば、失笑を買いそうな台詞だが聴衆達は年端もいかない若者である光輝の言葉に耳を傾けていた。

 

「突然、異世界に召喚されて最初は混乱しましたけど、短いながらトータスで生活して、トータスの人達が魔物に苦しめられている事を知りました」

 

 それは光輝が人間達の勇者という肩書きを背負っていながら、臆した様子も無く堂々とした姿を見せているからだろう。自信に満ち溢れた表情を見て、確かなリーダーシップやカリスマ性を聴衆達は感じていた。

 

「魔物達に、そして奴等を操る魔人族に苦しめられているこの世界の人達を救う。それが、トータスに勇者として召喚された俺達の使命だと思っています! 今日に至るまで俺も仲間達を……そして親友を戦いの最中で失いました。でも、だからこそ! 俺は死んでしまった彼等の為に、前を向かなくてはいけないんです!」

 

 熱の入った光輝の演説に、聴衆達の一部は思わず涙を流した。彼等も自分達の様に、邪悪な魔人族によって仲間を失ったのだろう。魔人族との戦争が長く続くハイリヒ王国の人間は、魔物や魔人族によって親類縁者を喪った者も少なくはない。それでも前向きな姿勢でいる光輝に、彼等は共感を覚えていた。

 しかし、そこで聴衆達の一人が声を上げた。

 

「勇者様! どうかお答えいただきたい! 貴方達、神の使徒の中に魔人族に与した者がいるという噂は本当か!?」

 

 突然の発言に聴衆達が騒めく。エヒト神の使徒として召喚されながら、オルクス迷宮で勇者達を裏切ったナグモの事は王都では噂に上がっていた。同じ異世界から来た仲間どころか人間族そのものを裏切る神の使徒がいるなんて……と彼等に衝撃がはしる。

 ()()にない聴衆のアドリブ(指摘)に、警備に当たっている神殿騎士達が詰め寄ろうとする。しかし、イシュタルは彼等を手で制した。イシュタルの視線の先では光輝が突然の言葉に目を見開いていたが、やがて苦渋を噛み締めた様な顔で語り出した。

 

「……本当です。俺達と同じく異世界から召喚された南雲ハジメは……皆を裏切って魔人族に取り入り、事故に見せかけて俺の大切な幼馴染を殺そうとしました。その他にも、奴のせいで俺は大切な親友や仲間達を失いました」

 

 聴衆達から一斉に息を呑む音がした。噂が本当であった事、そして犠牲者がよりにもよって勇者と縁が深い関係者だったという()()に、彼等は沈痛の念を覚えていた。

 

「でも俺は大事な幼馴染が……香織が生きている希望を捨ててはいません」

 

 どよっ、と再び騒めきが起こる。聴衆達が壇上の光輝を見上げる。そこには悲嘆にくれず、絶望にあっても挫けぬ心を持った勇者の姿があった。

 

「俺は仲間の降霊術師の子のお陰で、香織がまだ生きている可能性がある事を知りました! きっと香織は、彼女に付き纏っていた南雲に攫われて魔人族達に囚われているんです! 俺は……俺は必ず、魔王とその配下になった南雲を倒して、香織を救ってみせる! そして、魔王に苦しめられている人達も救う! 約束します!」

 

 シン、と聴衆達は静まり返る。光輝の言葉は聞く者に打算や後ろ暗い物を感じさせないくらい真っ直ぐな思いが篭っていた。

 

 パチパチ、パチパチ!

 

 ふいに拍手の音が鳴り響く。光輝と共にいたエリヒド王が感極まる表情で拍手していた。

 

 パチパチ……パチパチ……。

 

 そんな父をリリアーナは一瞬だけ困惑した様な顔を見せたが、父に倣う様に光輝の演説に手を叩いた。

 

 パチパチパチパチパチパチッ!!

 

 この国の貴族達の頂点である国王達が拍手する姿を見て、聴衆達も一斉に光輝に向けて万雷の拍手を轟かせる。

 仲間の裏切りに遭いながらも、人間族の為に———そして大切な少女の為に戦う悲劇の勇者。

 まさに戯曲の主人公の様な光輝へ、聴衆達は惜しみない拍手を送っていた。

 

「皆さん……ありがとうございます!」

 

 光輝は感極まる表情で頭を下げる。強者でありながら決して偉ぶらず、日本人独特の奥ゆかしい姿勢を見せる姿に聴衆達は異世界の勇者を好意的に受け止めていた。

 聴衆達の好感度が高まったのを感じ、イシュタルは再び口を開いた。

 

「神の使徒にして、勇者である天之河光輝殿こそが我ら人間族の希望。勇者様がいる今こそが、邪悪なる魔人族に鉄槌を下す時である! よって、我々聖教教会は……ここに聖戦を宣言する!」

 

 聖戦。

 それはこれまでの小競り合いと違い、魔人族を滅亡させるまで終わらない戦争。ハイリヒ王国の歴史でも何度か宣言されながらも、魔人族達の激しい抵抗にあって泥沼の停戦となって失敗に終わっていた。

 だが、今は違う。自分達には、エヒト神の加護を一身に受けた勇者がいる。自分達は今度こそ、長年の怨敵たる魔人族の国を滅ぼせるのだ。

 教会の熱心な信者は魔人族を滅ぼすという使命感に、そして欲深い者は()()()()()()()()を手に入れる可能性を皮算用して、喜悦の騒めきを上げる。

 

「そしてここに、勇者・天之河光輝殿を団長とした聖戦部隊———“光の戦士団”の設立を宣言する!」

「俺達は必ず、皆さんを魔王の脅威から救います! 約束します! だから、どうか———皆さんの力を俺に貸して下さい! 大丈夫です! 勇者である俺がいます!」

 

 イシュタルに続き、光輝の力強い発言に聴衆達の興奮は頂点に達していた。

 

「今こそ集え、神の子達よ! 勇者の名の下に! 光の戦士達よ、今こそ立ち上がれ! 愛する隣人の為に! 人間族の平和の為に!! 邪悪なる魔王とその手先たる魔人族を討つのだ!!」

 

 「「「「ウオオォォォォォォォォオオオオッ!!」」」」

 

 聴衆達は拳を突き上げ、力の限り叫ぶ。

 

「「「「勇者の名の下に! 勇者の名の下に! 勇者の名の下に!」」」」

 

 老いも若きも、身分の貴賤も、この時ばかりは関係ない。彼等は自分達の希望である勇者の為に戦いへの決意を漲らせていた。自分を讃える聴衆達へ、光輝は力強い笑顔で手を振る。直後、爆発的な歓声が起きた。壇上にいるエリヒド王もまた、勇者へ力強い拍手を送っていた。

 その背後————リリアーナは憂いを帯びた表情で、聖戦へと舵を切った国民達を見つめていた。

 そして、この場でリリアーナの様に勇者に歓声を上げていない者がここに一人。

 

「お、おい……冗談だろ?」

 

 貴賓席に座ったガハルドは掠れた声を上げた。いま見ている物が悪夢ではないか、と疑う様な表情でポツリと呟いた。

 

「あんな………あんなガキが、人間達の希望……?」




>光の戦士団

要するに光輝を団長とした独立騎士団が設立されるというわけですよ。
ん? ハイリヒ王国の戦力を光輝に集める理由?
だって偉大な御方の支配下で邪魔になりそうな戦力を纏めて叩き潰せば、どうやっても敵わないという無力感を国民に植え付けて支配がスムーズに進むじゃないですか(by ヤルダバオト)

>ガハルド

 これで愚鈍な皇帝も、どちらに頭を垂れるべきか理解できたでしょう。さすがは魔導王陛下です(by ヤルダバオト)


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第八十六話「クラスメイトSIDE:天上の美酒」

 ううむ。予定ではガハルドの事を書くつもりが、サラッとやるつもりのクラスメイト達に描写を割いてしまった……。まあ、可哀想な彼については次回という事で。


 ハイリヒ王国・王城。

 かつて召喚された神の使徒達を持て成した大広間では、“光の戦士団”の結成記念パーティーが開かれていた。一皿が庶民の年収に匹敵しそうなご馳走を前に、再び異世界から来た高校生達へ賞賛や崇敬の目が向けられていた。

 

「ほほう! あなた方がエヒト神が召喚された神の使徒様方ですな! 私、王国より伯爵位を頂戴したデルフィニウムという貴族でして———-」

「お美しいお嬢様方、是非ともグロキシニア商店のドレスをお買い求め下さいませ! 王都一と名高い我が商店ならば、異世界より来た皆様方でも満足される品が必ずありますとも!」

「まあ、なんて立派な体格……さすがは勇士の方々ですわ! 是非とも皆様の武勇伝をお聞かせ下さい。私、皆様方とは前からお近付きになりたいと思ってましたの!」

 

 光輝を中心に前線組———“光の戦士団”の団員となった生徒達は晩餐会に出席した貴族や豪商達に囲まれていた。自分の両親くらい年上の人間がこぞって頭を下げて謙り、美しい令嬢達が自分達に少しでも気に入られようと何もせずとも擦り寄ってくる。無論、貴族達も下心があって前線組に取り入ろうとしているのだが、人生経験の薄い生徒達はそんな大人の打算に気付いていなかった。

 生徒達は子供と大人の境界線が曖昧となってくる思春期の年代だ。自分達はもう子供じゃないと主張したいのに、今まで親や教師といった周りの()()()が抑えつけにきていた。だが、この世界(トータス)ではその大人達が特別な力を持った自分達にペコペコと頭を下げ、向こうから機嫌を取りにくる。その事がたまらなく痛快で、光輝を除く前線組の生徒達は優越感で胸が一杯だった。

 

「わーはっはっはっ! そうでしょうとも! 何を隠そう、光輝達を鍛えたのは吾輩なのですからな!」

 

 光輝の横に立った神殿騎士————神の使徒・教導官であるムタロ・インパールは野太い大声で周りの貴族達に誇示する様に光輝の肩をバンバンと叩いた。

 

「ちょっ、痛いですって。ムタロさん!」

「ん? おお、すまんすまん! 勇者であるお前が怪我でもしたら、大事であるしな!」

「いやはや、勇者様の指導教官となられるとは流石はインパール殿です。代々、軍人の家系というのは伊達ではありませんな!」

「はい! ムタロさんの御指導のお陰で、俺達はこれまでやってこれました!」

「はっはっはっ! ワシが育てたのだからな! 当然だろう!」

 

 嫌味などなく心から賛辞する光輝に、軍人としては肥満体に過ぎる樽の様な腹を揺らしながらムタロは笑った。

 

「……ちっ、あのデブ教官。何が、ワシが育てた、だ」

 

 周りの貴族達にしきりに「勇者は自分が育てた」と言っているムタロの背後で、檜山は小さな声で呟いた。

 

「ただ後ろで偉そうに命令してるだけのくせによぉ」

「檜山ー。あのデブ、一回シメねぇか? ステータス雑魚のくせに調子こいて、マジうぜぇわ」

 

 近藤の意見に彼と連む中野と斎藤はおろか、周りの生徒達も同意する様に頷いた。

 

「俺達はこの世界で最強の勇者一行(パーティー)なんだぜ? もうあんなデブ、いらねえよな」

「ステータスは私達の方が圧倒的に上だしぃ? 郷に入っては郷に従え、ってんならステータスが下の奴等が私達に頭を下げる方が当然だし?」

「天之河君もよくあんなデブオヤジを尊敬できるよね〜」

「さっさとクビにしてくれねえかな。王女様も気が利かねえな」

「あたし達のお陰でこの国は守られているのにね。それなのに何で戦えなくなった怠け者な奴等を擁護してるのかしら?」

 

 前線組は口々に自分達がトータスの基準で、いかに偉いかを語り出す。

 前任の教導官であったフレデリックが見せたステータス至上主義。それにより特別扱いを受けていた彼等は、「ステータスに恵まれた自分達は特別扱いを受けて当然」という風に学んでしまっていた。

 子供は大人の背中を見て育つと言うが、そういう意味では彼等の今の環境はあまり良くなかった。何故なら神の使徒である彼等を面と向かって叱る様な大人などおらず、身近な大人であるムタロは大した能力も無い癖に他人の努力を自分の手柄だと吹聴する「無能」そのもの。前線組の生徒達が大人という存在を侮る様になったのも、ある意味では当然の流れだった。

 そんな風に傲慢になってしまった彼等をリリアーナは王族の義務として義理的にしか接しなくなっていたのだが、聖教教会によって「神の使徒に選ばれた自分達は特別な存在である」と教えられた前線組は未だに戦闘放棄をしたクラスメイト達を保護するリリアーナにも不満を募らせていた。

 

「あ、あの、でもあの人は私達の教官なんだし、顔は立ててあげるべきだと思うの」

 

 クラスの中でも一番大人しいと評判の恵里がおどおどとしながら意見を言う。

 

「それに天之河くんがいる時は、あの人は機嫌が良いし……」

「じゃあ、デブオヤジの面倒は天之河君と中村さんで見てよね。私達、あのオヤジにおべっかなんて使いたくないから」

「う、うん。分かったよ……えっと、私、天之河くんの所に行ってくる!」

 

 舌打ちしそうな顔で睨んできた瑠璃溝から逃れる様に、恵里はムタロに連れ回されながら貴族達へ挨拶回りをしている光輝に近寄った。

 

「中村さんもよくやるわよね。まあ、お陰で天之河くんは前みたいにこっちを無理やり自主練させなくなったんだけど」

「ほんとほんと。お守り役ができて助かったわ。お陰でウチらは楽ができるし?」

「天之河くんについて回っていればアタシ等も楽できるけど、合わせるのが大変だもんね〜」

 

 瑠璃溝、薊野、小田牧の女子三人組が口々に言い合う。彼女達にとって一番重要なのは楽な思いをする事なのだ。突然異世界に連れて来られたのに、光輝の様に見ず知らずの人間の為に苦労するなど冗談ではないと思っていた。しかし、いま一番影響力があるのが光輝でもあるのだ。幸いな事にオルクス迷宮以来、魔物との戦闘で苦戦する事も無くなった。光輝のパーティに入って適当に戦っていれば、今の様に周りの大人達がチヤホヤしてくれるから前線組に所属しているだけだった。

 唯一の頭痛の種が正義感と善意から「この世界の人達の為に、皆でもっと強くなろう!」と自主練に誘って自由時間も拘束してくる光輝自身だったが、最近は恵里が光輝に何やら世話を焼いているらしく、お陰で光輝の暴走が自分達に向けられる事は少なくなっていた。

 

「ってかさぁ、なんで中村は天之河に合わせてるんだろうな? 白崎さんがまだ生きてるとか本気かよ? って俺達も思ってんのに」

「知らねえよ。降霊術師の中村が言うならそうなんだろ。わざわざ蒸し返して天乃河に睨まれたくも無えだろ?」

「触らぬ神に祟りなし、ってか? 俺、頭良くね?」

 

 バーカ、そんぐらい高校生なら知ってるだろと近藤達は笑いあった。彼等とてそこまで光輝の話を鵜呑みにしているわけではなかった。もちろんクラスのアイドルであった香織が無事なら喜ばしい事だが、下手に刺激すれば面倒になるから光輝の話に合わせているのがほとんどだった。

 

「まあまあ、中村がやりたいってんならやらせてやろうぜ?」

 

 周りを纏める様に檜山は言った。

 

「デブ教官を天之河が抑えて、天之河を中村が世話するってんなら俺達に面倒は無いだろ? 俺達はこの国の救世主なんだから、もっと堂々としてりゃいい」

 

 「おう」、「そうだな」と前線組は頷き合った。

 地球にいた頃の檜山を知る人間から見れば、意外な事だが———今の檜山は光輝に次いでクラスメイト達の中で発言力が高くなっていた。龍太郎や雫といったかつての光輝パーティーの中で実力があった者がいなくなり、元の世界で片鱗を見せていた攻撃性を異世界の戦闘で遺憾無く発揮する様になった結果、彼は光輝の次にステータスの成長率が高く、前線組の副リーダーの様な地位を確保しつつあった。そして、何より———-。

 

(ひひっ、注文通り天之河と二人きりにしてるんだからよぉ……俺が良い思いをしても良いよな?)

 

 ムタロに連れ回されている光輝を見て、話し掛けるタイミングを失っていた貴族の令嬢達が自分達に近寄って来る。その光景に内心で檜山は下卑た笑みを見せていた。

 

 ***

 

 ナグモを事故に見せかけて殺そうとし、誤って香織が奈落へと落ちたあの日。

 檜山はナグモも奈落へ飛び降りたと聞いて、心から安堵した。これで自分の犯行は全くバレる事なく、全ての責任をナグモへと押し付けられた。不用意にトラップを発動させてしまった事も、()()()()()()()()()ナグモに脅されたからだと言い張り、光輝の前で土下座する事で有耶無耶に出来た。正義感の強い光輝なら、皆の前で反省する姿を見せれば許すだろうと考えた檜山の作戦勝ちと言えるだろう。

 とはいえ、初めての殺人、それも自分が()()()()()香織を自分の手で殺してしまった事に当時はショックを受けた。自分は悪くない、あれは香織が勝手に庇ったのが悪かったんだ、と自己弁護をする檜山の元に恵里が現れたのだ。

 

『な、なんだよ……俺がヘマした事はもう謝っただろ?』

『……あのさぁ、あんな御涙頂戴の演技で本当に騙されると思ったわけ?』

 

 クラスで見せていた大人しくて目立たない図書委員の姿を捨てて、恵里は心底から見下した目で檜山を見ていた。

 

『光輝君はとても優しいからねぇ、君みたいなクズでも情けをかけてあげてるけどさ。僕が君の本性を皆に喋ったら、君の立場はどうなるかな? クラスのアイドルを殺した人殺しクン?』

『な、あっ!? て、てめえ……!!』

 

 この女は知っているのだ。

 そう思い至った檜山は咄嗟に恵里の口を封じようとした。二度目の、それも自分の意思で殺人を犯すなどという考えすらない。とにかく自分の立場を守る為に、こいつを黙らせなくては! 

 それだけしか頭に無く、手を出そうとした檜山に恵里は待ったをかけた。

 

『ストップ。僕は今すぐに君の事を暴露しようとは思ってない。ちょっと僕の言う事を聞いて欲しいんだ』

『……何が望みだ?』

『白崎さんが死んで、八重樫さんはショックで寝込んだ。光輝くんの周りを群がるお邪魔虫がいなくなって、僕としては大チャンスなんだよ。でも光輝くんは皆のリーダーをやろうとするだろうからね。だから……君が代わりにクラスの皆を纏めてよ』

『は、はあ? 何で俺がそんな事やらなきゃならねえんだよ!?』

『ん? 拒否できると思ってるの? 白崎さんの死の責任が君にあると分かったら、皆はどうするだろうねえ? さすがの光輝くんも庇い切れないし、庇ってくれないんじゃないかな?』

 

 獲物を甚振る猫の様な笑みを浮かべる恵里に、檜山は押し黙るしかなかった。

 

『……光輝くんには白崎さんは生きてる、という風に言うつもりだよ。あの女が死んだと知って、八重樫さんの方にベッタリになられても面倒だからね。君は僕の意見をさりげなく支持して、光輝くんがこれからも勇者として戦える様にして欲しいんだ』

『それで……お前に何の得があるんだ?』

『幼馴染を失った可哀想な光輝くんの側に寄り添ってあげる健気な女の子。さすがの光輝くんも僕を意識せざるを得なくなるだろ? 僕と光輝くんの間にお邪魔虫が入らない様に、他のクラスの奴等は君が纏めてよ。()()()()()()()()()()()()()()()から、君にとって悪くない話だと思うんだけどなぁ』

『で、でもよ……坂上の奴とかいるし、天之河は俺よりそいつ等の意見を優先するんじゃ……』

『ああ、その点は大丈夫』

 

 何でもないかの様に恵里は言う。その姿に檜山は思わず、ヒッと息を呑み込んだ。

 

『そいつらは……もうすぐ消える予定だからね♪』

 

 恵里から伸びる影に、悪魔の姿を見た様な気がした。

 

 ***

 

(まさかモンスターの仕業に見せかけて坂上だけじゃなく、親友(谷口)まで殺すなんてな……マジイカレてやがる)

 

 その後、しばらくして起きたオルクス迷宮の惨事を思い出して檜山は背筋に寒気が走った。結局、あの事件で光輝以外のクラスの中心にいた人間達が消えた事で、元の世界では不良グループと言われていた檜山はまんまと前衛組の中心に立つ事が出来た。

 

(だが、あのイカれ女がいる内は俺の地位は安泰だ。せいぜい愛しの光輝クンに振り向いて貰える様に媚び売ってろよ)

 

 見方を変えれば、クラスメイトの大量殺害の片棒を担いだ事になるが、檜山にその自覚は無い。全て恵里のせいだ、と内心で言い訳して檜山は恵里に言われるままに前衛組を纏めていた。

 

「さあさあ、どうぞ! 神の使徒の皆様! 私の領地で取れた上質の蒸留酒です! これで一つ、教会の方によろしくとお伝え頂ければ……」

 

 一人の貴族が謙りながら酒を勧める。トータスでは飲酒に年齢制限は無いが、元の世界なら未成年飲酒として厳しく罰せられる。クラスメイト達が勧められた酒をどうしようか? と顔を見合わせる中、檜山はズイッと前に進み出た。

 

(天之河の野郎が戦争なんてものに巻き込んだんだ……だったら俺達が良い思いをするのは、言うなら当然の報酬だよなぁ?)

 

 周りのクラスメイト達が固唾を呑んで見守る中、檜山はグラスに入った酒を一気に飲み干した。飲み込んだ酒は、親や教師に隠れて飲んだ酒より何倍も美味だった。

 

「おお、気持ちの良い飲みっぷりですな! さすがは勇者様のお仲間だ! ささ、どうぞもう一杯!」

「へへっ……ありがとうよ。おい、お前らも飲めよ。せっかく勧めてもらった酒を飲まないなんてのは、失礼だろ?」

「お、おう……じゃあ、一杯だけ」

 

 檜山の飲みっぷりを見て、近藤達も躊躇いがちにグラスを手に取った。他の生徒達も恐る恐るといった様子で酒に口をつけていく。その様子に檜山は、自分がリスクを恐れずに最初の一歩を踏み出した勇敢な人間の様に思えて得意気になっていた。

 そんな檜山達へ、王国の貴族やその令嬢が次々と寄ってくる。

 

(白崎が死んだのは惜しいけど、今の俺には女なんざ向こうから寄ってくるんだ。一人くらい構う事は無えよな。その白崎が死んだ罪も、自殺した南雲が被ってくれたし、本当に死んでくれてありがとうよ!!)

 

 美酒に、美女に、そして名声に。檜山は酔って、天に昇る様な気持ちで味わい尽くしていた。




>クラスメイト達

 ここまで酷くなる予定は無かったのだけど……。自分の経験から言わせて貰えば、叱る人間がいなくて周りがチヤホヤすれば人は際限なく堕落していく一方ですよ。
 序盤にまだまともだったクラスメイト達を死亡or追放させたお陰で、前線組のネームドは原作キャラだと檜山達くらいになっちゃったんですよ。そして小悪党組も原作だと光輝パーティと並ぶくらいには強かった事を考慮すると、龍太郎や雫がいない今の前衛組なら中心人物になれたんじゃないかな、と。
 酒に女、そして権力。実に見事な堕落っぷりですが、そういう人間が転落していく姿が大好きな、ヤルダバオトとかいう悪魔がいるわけでして……まあ、御方の為に有頂天からつき落としにかかるけど。

>恵里

 以前、何かの感想返信で「恵里がデミに唆されたのは檜山を勧誘した後」とか書いた気がするけど、ごめんなさい忘れて。
 檜山が他のクラスメイト達の纏め役をやる事で、光輝と二人きりになる時間が増える→自分が光輝を籠絡するチャンスという計算で動いています。
 そして———檜山が率いるクラスメイト達は今より更に醜態を加速させるでしょう。そうなった場合、彼女の雇い主である悪魔の主人が王国を支配する時、国の不満分子を叩き潰した英雄として国民から歓迎されるわけですよ。恵里は報酬として光輝を手に入れらるなら、他はどうでも良いし。

>トータスの飲酒規制

 少し調べてみましたが、お酒は一定の年齢になってから! というルールは中世の頃には無かったそうです。トータスではあくまで自己責任の範疇で黙認されるという形にしています。

>ムタロ・インパール

 けっっっして、ムダ口とか無能司令官とか検索しない様に! 
 因みに作者的にはイメージは戦場のヴァルキュリアのダモン将軍。
 何にせよ無能オブ無能が教官になったという事で。


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第八十七話「苦渋の選択」

 ああ、オーバーロード四期が終わってしまった……。でもラナー王女が喜びのあまりに歌って踊るシーンは良かったので、恵里にも最後あたりにミュージカルをやらせようと思いました(笑)

 ありふれは書籍版は完結、WEB版も年内完結されるそうで、ついでにオーバーロードも残り一巻とお気に入りのラノベが次々と終了宣言をしていく事に寂しい気持ちがしています。
 でもこの作品は、自分なりに考えているエンディングを目指して完結まで書き上げます。


 “光の戦士団”結成記念の晩餐会。

 ガハルドは壁際に置かれた休憩用の椅子で、顔色を悪くしながら座り込んでいた。先程までハイリヒ王国の貴族達から挨拶を何度かされていたが、ガハルドの顔色を見て体調が悪いのだろうと気を遣って最低限に留められていた。この様な社交の場では世間話の様に外交や経済の取引が行われる。そんな場所で弱気な姿を見せるなど、国力の低下を周知させる様な真似だと理解しながらもガハルドは胃痛を感じずにいられなかった。

 その原因をガハルドは生気のない目で見つめていた。

 

(あれが……あんな現実を欠片も見てない様なガキに率いられた集団が、エヒト神が遣わした勇者達で、人間達の希望なのか……?)

 

 視線の先では貴族に勧められるままに酒を飲み、騒がしくしている十代の少年少女達がいた。酒を飲み慣れてないのか、少年達は美しい令嬢達にせがまれて泥酔した真っ赤な顔で自分達の()()()を得意気に大声で語り、少女達はキャアキャアと歓声を上げながら豪商達が見本として持ってきた宝石を勧められるままに次々と注文する。しかも話を聞いている限り、代金は全て王室のツケだ。

 そんな享楽のままに溺れている“人類の希望”達を見て、ガハルドは目眩すら覚えていた。

 

(こんなケツの青い甘ったれたガキ共を旗頭にして“聖戦”を行う……だと……? 冗談だよな……? 冗談だと言ってくれ……!)

 

 皇帝であると同時に、一流の戦士であるガハルドには神の使徒達が普通の人間よりも強力なステータスを持っているという事は一目で理解できた。だが、彼等の纏う空気がぬる過ぎる。戦争を遊びと勘違いしてないか? と問いたくなるくらい、ガハルドからすれば未熟な精神の子供集団に見えていた。

 不幸中の幸いか、ガハルドと同意見なのはハイリヒ王国の貴族にも何人かいる様だ。ガハルドも一目置いている大貴族に分類される彼等は、社交のマナーすら弁えずに騒ぐ神の使徒達を表情には出さずとも白い目で遠巻きに見ていた。しかしながら、不満を口に出す者は一人もいない。

 

 その理由は先日に行われたルクセンブルク侯爵の投獄が関係しているのだろう。光輝達の遠征によって領内に被害を出された彼は、王宮へ直接直談判を行っていた。しかし、そのすぐ後にルクセンブルク侯爵は聖教教会の騎士達に捕縛されたのだ。表向きは「エヒト神が遣わした神の使徒達を王の前で名指しで批判し、さらにはその一員である畑山愛子に不敬を働いたため」と説明されたが、古くから仕える重臣だろうと容赦なく処罰する今のエリヒド王の苛烈な姿に他の大貴族達は不信感を抱いた様だ。彼等は次第に王室とは距離を取る様になり、中には王都から完全に手を引いて自分の領地へと戻ってしまった者もいる。

 そして空席となった政治中枢に入り込んで来たのが、いま神の使徒達に贈り物をして気に入られようとしている者達だ。彼等はルクセンブルクの様な旧臣達がいる間は権力を手に出来なかった日陰者の若い貴族達だ。これを機に神の使徒達を通して聖教教会へ取り入り、古くからいる貴族達に代わって自分達が新たな王国の主流派になろうとしているのだろう。そんなハイエナみたいな連中にたかられているというのに、エリヒド国王は何も手を打っていないのだ。

 

(本当にどうしちまったんだ、エリヒド王は……? イシュタルのジジイもあんなクソガキ共を祭り上げるなんて、本当に耄碌したと言うのかよ?)

 

 本来なら魔人族と並んで最大の障害となる王国と教会に凋落の兆しがあるのは、トータスの天下統一を目指すガハルドにとって喜ばしいはず()()()。しかし、今のガハルドには意味合いが全く異なっていた。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 

 ガハルドが一月前に謁見した恐るべきアンデッドの王。武力も知識も財力も、全てにおいてトータス全ての国に優っていると断言できる。アインズ一人ならまだしも、その側近達も同格の怪物ぞろい。そんな奴等が今、人知れずに活動を始めているのだ。

 

(奴に勇者をぶつけて、倒すとはいかないまでも疲弊した所で帝国は反撃をするつもりだった……魔人族は状況を見ながら、秘密同盟を組むなり、噂の魔王にも奴の相手をして貰うつもりでいた……だが、これは………)

 

 はっきり言って、自分の目論見が甘過ぎたとガハルドは後悔していた。聖教教会が流す勇者達の活躍ぶりを鵜呑みにせず、自分なりに情報収集はしていたが実物はガハルドの理解を超えて酷かったのだ。

 

 現実を見ず、理想と妄想の区別すらつけてない異世界の勇者。

 その勇者に取り巻き、享楽のままに振る舞う神の使徒達。

 そして何も知らずに祭り上げる王国の貴族達。

 

 こんな人間達であの力も知謀も優れたアンデッドの王に勝つなど、出来るわけがないと理解するには十分過ぎた。

 

(しかも、このタイミングで聖戦の宣言だと……? 正気かよ……?)

 

 人間族の恒久的な平穏と安寧の為に、邪悪な魔人族達をエヒト神の名の下に滅ぼす。

 一見聞こえは良いが、聖教教会の威信を懸けて行われる遠征は文字通り()()()()()を討ち滅ぼすまで終わりがないのだ。聖戦に消費される莫大な遠征費用や人材は一国が傾くレベルであり、まさに勝って魔人族から全てを奪い取るか、勝てずに莫大な損失を抱えるかの究極のギャンブルだ。

 

(人間族全ての平和のためにという大義名分で行われる以上、帝国も知らぬ存ぜぬで押し通す事は出来ねえ……過去、戦費や資金の供出を渋った都市が「魔人族と内通していた」なんて疑惑をかけられて遠征軍に略奪されて滅んだなんて歴史もあるくらいだ。だが、今回ばかりは……!)

 

 前述の通り、この聖戦は「人間族全ての平和を守る」という大義名分で行われる。その標的は神敵である魔人族に限らず、教会が異端と指定した全ての者が対象となる。

 そして聖教教会は決してアンデッドの王が亜人族を率いて作る国など認めないだろう。エヒトの神敵として、必ず遠征軍の矛先はフェアベルゲンにも向かう。過去の例を見るなら聖戦遠征軍は他国からも戦力をかき集め、十万人以上という数に膨れ上がるだろう。

 

 そして————その十万人は、そっくりそのまま死体の山に変わる。

 

 アインズの力を間近で感じたガハルドは、必ずそうなると断言できた。しかも軍を率いるのが、あの勇者(子供)だというのだ。アインズの事を抜きにしても、もはや不安要素しかない。

 

「ガハルド皇帝陛下、宜しいですかな?」

 

 座り込んだまま項垂れているガハルドが顔を上げると、そこにエリヒド王に連れられて勇者として召喚された天之河光輝がいた。純白のタキシードが眩しく、名前の通りにキラキラとしたオーラを纏っていた。その隣には夜空の様な黒いイブニングドレスを纏った恵里の姿もあった。

 

「彼がエヒト神より異世界から遣わされた勇者、天之河光輝殿です。その隣は光輝殿の仲間であらせる中村恵里殿。是非ともガハルド皇帝陛下にも勇者殿をご紹介したくて参りました」

「初めまして、俺は天之河光輝と言います! お会いできて光栄です!」

 

 キラキラと無邪気な笑顔で挨拶する光輝の横で、恵里が会釈する。光輝達をガハルドの下へ連れて来たエリヒドだったが、すぐにその顔を少しだけ顰めた。

 

「しかし、どうされたのですかな? ガハルド皇帝陛下、随分と趣味が変わられた様で……」

 

 エリヒドがそう言うのも無理はない。今のガハルドの格好というのは王族として相応しい礼服ではあるのだが、身に付けている装飾品の数が尋常では無かった。

 十本の指全てに異なる色の宝石が付いた指環を嵌め、首からは重そうな装飾品の付いたネックレスをジャラジャラと身に付けていた。オマケに頭に被っているサークレットも装飾過多であり、一言で表すと今のガハルドは自分を少しでも飾り立てようとする悪趣味な成金じみたファッションだった。社交のマナーからすれば落第点であり、エリヒドが顔を顰めたのも無理はない。

 しかし、ガハルドは敢えてこの格好を選んだのだ。

 

「まあ、な……。最近、少し色々あってな……」

 

 ガハルドが身に付けている装飾品。それら全てはガハルドの闇魔法に対する抵抗力を上げるか、精神支配を防ぐ効果を持った魔法具だった。

 アインズの側近である蛙顔の化け物(デミウルゴス)に呪言で強制的に跪かせられて以来、ガハルドは日常はおろか入浴や就寝時にも片時も魔法具を手放さなくなっていた。あの化け物達の力の前では気休めにもならないだろうと薄々察しながらも、帝国を預かる身として精神支配を受けて傀儡にされるなど二度とあってはならない。そう考えたガハルドは、帝国に帰った途端に国中の魔法具職人を総動員させ、以前に身に付けていた護身用の魔法具より強力な精神支配防御を行っていた。ただし、そのおかげで他人から見れば四六時中装飾品をジャラジャラと身に付けた悪趣味な装飾センスとなってしまっただけなのだ。

 エリヒドはそんなガハルドを一瞥し、小さく鼻を鳴らした。どこか生気を感じさせない冷たい眼光は、無言で「所詮は野蛮な成り上がり国家の皇帝だ」と訴えている様にも見えた。

 

「……まあ、いいでしょう。それでガハルド皇帝陛下、実力主義の帝国の皇帝たる貴方が此度の式典に列席して頂けたという事は光輝殿を人間族全ての勇者としてお認め頂けたという事ですな?」

 

 寝言は寝て言え。

 どうにかガハルドはその言葉を呑み込んだ。エリヒドの眼は生気を感じさせないながらも危険な眼光を放っており、口調にも是以外の答えを求めていない様に感じた。しかもエリヒドだけではなく、光輝には見えない所で晩餐会の警備に当たっている神殿騎士達も何気ない動きで腰に差した剣を撫でていた。それらを見て、ガハルドは場の空気に合わせる方に動いた。

 

「……う、む。まあ、ここ数百年は現れなかったという勇者の天職を持った人間だからな。この目で確認できて良かったかもしれん」

 

 おお、と周りで聞き耳を立てていた貴族達が湧き上がる。それを光輝は照れ臭そうに頭を掻いていた。

 

「素晴らしい! ガハルド皇帝陛下も光輝殿が真の勇者であると御理解頂けましたか! まさに彼こそが魔人族によって苦しめられてきた我々人間族の希望! 天にまします我らのエヒト神がトータスに遣わした救いの主なのです!」

「陛下、大袈裟ですよ。俺は勇者として当然の事をしているだけです。トータスに住む人達を救う為に、出来る事をやっているだけです」

「いやはや素晴らしい! 光輝殿の様な勇者を我が国に授けて下さったエヒト神に感謝致しましょう!」

 

 勇者として模範的な台詞を言う光輝に対して、エリヒドは感極まった様子で首から下げている聖具を握り締める。ガハルドは茶番劇を見せられている様な気分だったが、当の本人達は真剣で嘘偽りない気持ちで言っているらしい。

 

(お、おい……本当にどうしたんだ? エリヒド王は……?)

 

 

 以前、外交で謁見した時はここまでエヒト教にのめり込んではいなかった筈だ。だが、今は狂信を捧げる信徒の様に何度もエヒト神への感謝を口にしている。もはや正気すら疑いたくなる不気味さから、ガハルドは背筋を寒くしていた。

 

「それで皇帝陛下————聖戦遠征軍に、帝国からはどれ程の援軍を出して頂けるのですかな?」

 

 ほら来た、とガハルドは身構えた。エリヒドはそんなガハルドに気にかける事すらなく、自論を展開させる。

 

「今こそ勇者・光輝殿の旗印の下に、我ら人間族は団結して邪悪なる魔人族……更にはエヒト神の威光を理解せぬ愚か者達に鉄鎚を下す時でしょう。当然、帝国からも聖戦遠征軍に戦力をお出し頂けるのでしょう?」

「ああ、それなんだが……今は少し、難しいかもしれないな」

「何故です? 魔人族を殲滅し、永遠の平穏を世に齎すのは全ての人間族の務めでは無いのですかな? それ以上に優先すべき事など、何があるというのですかな?」

「いや、まあ……」

 

 歯切れの悪いガハルドに、エリヒドは目線を鋭くする。敵意すら感じるエリヒドの目付きを前に、ガハルドは迷っていた。

 

(……どうする? アインズ・ウール・ゴウンの事をここで口にするべきか?)

 

 恐らく聖教教会やハイリヒ王国は、あのアンデッドの王の事をまだ知らないのだろう。そうでなければ、魔人族に全戦力を傾ける様な聖戦遠征軍の発起などしなかった筈だ。ここでアインズの事を話題にして、遠征軍にアインズの相手をして貰う事も今なら出来る。

 ただし———それは完全にアインズを敵に回すという事。亡者の軍勢を際限なく作り出せ、恐ろしい力を持った化け物達を何体も従えている魔物の王を相手に、聖戦遠征軍と共に戦わなくてはならないのだ。それも現実が見えてない様な勇者(子供)の指揮下で。

 

(……駄目だ。今はアインズ・ウール・ゴウンを敵に回す事の方がリスクが大き過ぎる)

 

 そう判断したガハルドは、建前上の理由を口にする事にした。

 

「……実は、な。最近、亜人族共の奴隷狩りをやろうとしたんだが、予想以上に手痛い反撃にあってな……今すぐに新たな戦力を編成するには時間がかかるというか……」

 

 バイアスに率いさせて全滅したフェアベルゲン侵攻軍、そして魔人族の子供二人(アウラとマーレ)によって地割れの中に消えた皇宮の精鋭兵達。これらによって受けた被害は甚大であり、どのみち大規模な軍事行動が出来ないくらい今の帝国軍は弱体化していた。

 

「亜人族、相手にですか……? エヒト神を信仰せぬ野蛮なケダモノ共相手に、帝国が手酷い被害を受けたと?」

「ああ、まあ……意外と奴等も馬鹿にしたものじゃないと認識を改めさせられた」

 

 エリヒドの眼が細まる。聖教教会の教義が深く浸透している王国では、神の奇蹟たる魔力を持たずに生まれる亜人族は関わる事すら穢らわしい生き物という認識だ。そんな亜人族相手に被害を受けたなど、そんな大恥をかきながらよく人前に出れたものだ、とエリヒドの眼が語っていた。事実、周りの貴族達もヒソヒソとガハルドを見ながら噂し合い、中にはあからさまに侮蔑の視線を向けている者までいる。

 

(知らないというのは、幸せな事なんだな……)

 

 だが、ガハルドの中で怒りの感情は湧き上がらない。彼等はその亜人族達が、恐るべきアンデットの王の支配下に入った事をまだ知らないから呑気に笑っていられるのだ。頭上にいる巨人に気付かず、蟻同士がお互いを笑い合っている様なものだ。そう考えると、エリヒドや貴族達の嘲笑など今のガハルドからすれば些細な事に思えてきた。

 

「ちょっと待って下さい。帝国は奴隷なんてものが、まだ存在するんですか?」

 

 ガハルドがどこか達観した気持ちで貴族達を見ていると、光輝が話に横入りしてきた。彼の顔は義憤に燃えた険しい表情をしていた。

 

「そんな野蛮な……! 今すぐ奴隷の人達を解放すべきです、皇帝陛下!」

「あ? 何でお前がそんな事に気をかけるんだ?」

「だって、人を奴隷にするなんて野蛮な行為は正しくないじゃないですか。俺達が元いた世界————日本でも、奴隷労働なんてやってはいけない事だって子供でも教わっています! 皇帝陛下、貴方も理性のある人なら奴隷労働なんて止めさせるべきです!」

「ははは、光輝殿は面白い事を仰いますな。亜人族共にも心を割くなど、なんと慈悲深い」

 

 エリヒドはまるで冗談でも聞いたかの様な笑顔を浮かべたが、義憤に燃える光輝は気付いていない。彼の中で「正しくない事」は悪なのだ。光輝が学んできた常識では奴隷制度は歴史の中で過ちだと判断された事であり、そんな非人道的な行いを平然と行っているガハルドは許されざる存在となっていた。

 

「……おい、勇者。仮に奴隷を解放するとして、お前は俺に何を差し出すんだ?」

「差し出すって……どうしてそんな事を言うんですか? 俺はただ、間違っている事だから止めるべきだと言ってるだけです!」

「……話にならねえ。それで何で俺がお前の言う事を聞く必要がある」

「だって———帝国の人達も、俺達の仲間として遠征軍に入るのでしょう? それなら他の人達が見てて不快な思いをしない様に、間違っている事は堂々とやるべきじゃないんです」

「………あぁ?」

 

 言われた内容が一瞬頭に入らず、ガハルドは胡乱げに光輝を睨め付けた。しかし、当の光輝はきょとんとした顔で見返していた。

 

「えっと……俺、なんか間違った事を言ってますか?」

「いやいや、光輝殿の言っている事は正しい」

 

 唖然とするガハルドを他所にエリヒドが光輝を持ち上げる様に深く頷いた。

 

「確かに、我が国では亜人族の奴隷というものは持つべきでないとされている。ガハルド殿も、その事を留意して援軍を出して頂きたい」

 

 いや全く、勇者様の仰る通りです、と追従の言葉(おべっか)が周りの貴族達から上がる。要するに帝国軍が兵士達の奴隷として亜人族を連れて来ても、そんな穢らわしいケダモノに関わり合いたくないと言いたいのだろう。だが、光輝はそんな言葉の裏に気付かずに周りから自分の言っている事が正しいと賛同を得られた事を喜んでいた。

 

「ありがとうございます、エリヒド陛下! 皇帝陛下、貴方もどうか正しい決断を! 奴隷制度なんて止めて、魔王を倒す為に一緒に戦いましょう!」

 

 一切の下心などなく、いっそ純粋さを感じる様な瞳でガハルドへ訴えかける。そんな光輝をガハルドは数秒間、黙って見つめた。やがて、頭痛を耐える様にコメカミを指で揉んだ。

 

「………まあ、とりあえず。亜人族共を遠征軍に連れて来る真似はしねえ。それは約束してやる。それと……亜人族の奴隷も、近々どうにかする」

「皇帝陛下!」

 

 パッと光輝の顔が明るくなる。

 

「良かった……分かってくれたんですね!」

「ああ、分かったよ……()()()()()()()()()()()、嫌になるくらい理解させられたぜ……」

 

 冷ややかな目でガハルドは目の前の勇者(子供)を見つめた。しかし、光輝は()()()()()()()()()()()()()()()()という喜びで一杯だった。

 

「素晴らしい! さすがは勇者殿です」

「ありがとうございます、エリヒド陛下!」

 

 パチパチ、と周りの貴族達が王と一緒に光輝へ拍手を送る。それをまるで舞台上の出来事の様にガハルドは遠巻きに眺めていた。

 すると、そこに今まで黙って事の成り行きを見ていた恵里がガハルドに近寄る。

 

「あ? 何だ、テメェは?」

「……皇帝陛下がどう決断するか、見張ってろと言われたけどさ。まあ、別にいいんじゃない? ()()()()()()()()()()()()()()()()()は言っていたからね。どう転んでも至高の御方にとって得な事なんだってさ」

 

 ギョッとガハルドは恵里を見る。恵里は周りからは可憐な少女の笑顔にしか見えない表情のまま、呟いた。

 

「でもさ、光輝くんを馬鹿にする事は許さないから。そうしたら御方に殺される前に、僕が始末してあげる」

 

 スッと一礼して、恵里は光輝の下へ戻った。その後ろ姿から伸びた影が、グニャリと蠢いた気がしてガハルドは再び背筋を寒くした。

 

「………は、はは……なんだ……とっくの昔に、俺達(人間)は終わっていたのかよ………」

 

 もはや乾いた笑いしか浮かばず、ガハルドは呆然と呟いた。

 魔王を倒す、魔人族を滅ぼして人間族の平穏を取り戻すなんて絵空事だったのだ。自分達はあのアンデッドの掌の上で、滑稽に踊っていただけに過ぎない。

 その事に気付き、ガハルドは力無く項垂れた。

 ハラリ、と数本の毛が頭から抜け落ちた気がした。




>エリヒド王

 一部、イシュタルみたいにナザリックのドッペルゲンガーと入れ替わったのでは? と言われていましたが、残念ながら彼はエヒトによって狂信者に洗脳されています。お陰で「エヒト神の遣いである勇者は全てにおいて正しい!」で、思考が一色になっています。何でこのタイミングで? というのは、後々に語ります。

>聖戦遠征軍

 戦費を調達する為に異端認定した都市を滅ぼすなどという真似をしていますが、十字軍とか見ていると宗教的な大義で動く軍隊とかこんなものでは? と思いながら書きました。

>ハゲルド

 彼もようやく、どちらの側につくべきか理解できた様です。





 残念ながらまだまだ死体蹴りは終わってないんですけどね?


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第八十八話「ガハルド、死す」

 以前、帝国への対応が手緩いという感想を幾つか頂きました。

 その方達にお聞きしますが……その程度で済ませると、本当に思ってたの?(ニッコリ)


(今頃、ガハルドはハイリヒ王国で式典かなぁ……)

 

 ナザリック地下大墳墓。アインズは自室のベッドの上で『必見! できる上司がやっている100の習慣』と表紙に書かれた本を読みながら、ぼんやりと考えていた。

 

(デミウルゴスの話だとそこで勇者よりも俺に味方する決心をすると言っていたけど、どういう意味なんだろ? 詳しい話を教えてよ、なんて今更聞けないし……)

 

 支配者ロールでそれとなく聞こうとしたが、「全てアインズ様の想定通りです」としかデミウルゴスは言ってこないのだ。その想定が分からないんだよ! とアインズは叫びたかったが、自分をナザリックの完璧な支配者だと全く疑わないデミウルゴスを見ていると結局尤もらしい態度で頷くしかなかった。

 

(もしもガハルドがこちらの味方をしてくれるなら、何か贈り物をした方が良いかな? 新しい人がギルドに加盟した時も、ウェルカムプレゼントとかやったしなぁ。前は断られたけど、やっぱりアンデッドの奴隷とか? 亜人族達を一気に引き抜いちゃうのは迷惑だろし……だからまだ奴隷達を送れない、なんて言ってきてるんだろうなぁ)

 

 そもそもアインズの勘違いで、初対面なのに土下座を強制させたのだ。この時点で「この無礼者!」と怒り出して当然だというのに、ガハルドは大人な対応で事を荒げなかったのだ。他国の王に自分の勘違いで土下座を強要したと分かった瞬間、実はアインズの内心は冷汗でダラダラだった。

 

(意外とあの皇帝は良い人なのかもなぁ。ただ、唯一の懸念が勇者達と接触する事だけど……)

 

 目下最大の敵である勇者・天之河光輝について、アインズも元・仲間である香織に聞いて情報を得ようとした。しかし、あまり芳しい結果は得られなかったのだ。

 

(正義感ばかりが先走って人の話を聞かない、自分にとって都合の良い様な解釈しかしないとか散々な言い様だったけど……本当かこれ?)

 

 「あんな最低な人、思い出したくもないですけど」と枕詞をつけた上で語られた香織の評価は散々なくらい低いものだった。幼馴染であった彼女なら、未だに思考の読めない勇者について何か分かるかと期待していたアインズだったのだが……。

 

(……いくらなんでもこんな性格で集団のリーダーをやってるとか、無理がないか?)

 

 正義感の強いリーダー資質な人間というとたっち・みーを思い起こさせるが、彼がギルドマスターをやっていた時でも周りの意見を全く聞かないなんて真似はしなかった筈だ。香織の話を聞けば聞くほど、こんな性格でリーダーが務まるのか? とアインズは首を傾げるしかなかった。アインズの思い描いた勇者像と大分かけ離れている気がする。

 

(でもなぁ……香織もナグモが虐められていた事もあるから、大分見方に色眼鏡がかかってる気がするんだけど。ナグモはナグモでナチュラルに普通の人間を見下してるし……)

 

 同じクラスにいたナグモの話によれば、「一周回って珍種に認定できる愚物」だそうだが、そもそもからしてナザリック外の人間は猿同然と公言する様な『人間嫌い』の評価をどこまで信用して良いのかアインズには分からなかった。

 

(あの二人はお互いが好き過ぎて自分達を貶めた勇者達を憎んでる節もあるしなぁ……。いくらなんでも高校に行けて、そこでクラスのリーダーをやっている様な人間がそんな子供っぽい性格をしてるわけないだろ)

 

 ————アインズがこう思ってしまうのには理由がある。アインズこと鈴木悟がいた西暦2138年の日本では、巨大企業が政府を牛耳って国民から搾取していたディストピア社会だった。国民を愚民として管理しやすい様に、かつては九年間と定められていた義務教育期間も短縮されて小学校を卒業できるだけでも御の字と言われる程だ。

 高校なんてものはそれこそ上級国民でもなければ入学すら出来ず、また小学校でも卒業したらすぐに社会の歯車として働き出せる様に職業訓練や情操教育が行われる。その為、アインズは「高校生というのは頭の良いエリート集団であり、それに相応しい社会性がある人間達なのだろう」と無意識に思い込んでいるのだ。

 

(というか、あのバカップルはちょっと自重すべきだと思うんだよな。いや別にさ、俺もうるさく言う気は無いよ? でも仮にも上司である俺の前で「はい、ア〜ン♪」とか普通やるか?)

 

 冒険者モモンとして活動している時、幾度となく目の前で行われたイチャつきぶりにアインズは何度も砂糖を吐きたくなった。恋は盲目を地で行っている二人に、アインズもユエと同じ様に処置なしと悟りかけていた。

 

(付き合い始めた頃は浮かれて周りが見えなくなっていたとたっちさんも言っていたしなぁ……。まあ、あの二人が終始イチャついてるお陰で、ユエに勉強を教わる時間が取れるから良いと言えば良いんだけど……って、脇道に逸れたな。今は勇者と、そいつの所に行ってるガハルドの事だ)

 

 結局、香織達の話を聞いても光輝の人物像を掴めないアインズにとって、未だに勇者達は「今までの常識では計り知れない敵」という扱いだった。そして、そんな敵のすぐ側に行った同盟相手(ガハルド)を少しだけ心配していた。

 

(もしかして、天之河光輝が俺達に気付いていたらナグモの時みたいにガハルドも始末するんじゃ……いや、考え過ぎか? とにかくガハルドが無事に帰って来たら奴隷の返還も含めて色々と話し合わないとな)

 

 あぁ、気が重い……とアインズは無い筈の胃を痛ませる。相手は正真正銘の一国の皇帝であり、アインズ(鈴木悟)の様な小市民とは格が圧倒的に異なるのだ。しかし、それでも何とかしなくてはならない。対エヒトルジュエ大連合こと、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の設立にはヘルシャー帝国の助けが必要であり、亜人族達を納得させる為には帝国にいる奴隷の返還は必要なのだ。

 これから作る大連合(魔導国)に待ち受ける苦労を思い、未来の魔導王は大きく溜息を吐いた。

 

 ***

 

「———ああ、俺からの勅命だと発布しろ。帝都に戻り次第、大至急だ」

 

 同時刻。ハイリヒ王国王城に用意された客室で、ガハルドは部下達に命令を下していた。

 

「無駄な時間稼ぎをしちまった分、亜人族の奴隷達は一人残らずフェアベルゲンに送り返せ。帝国はアインズ・ウール・ゴウンに全面的に協力するという姿勢を示すんだ」

 

 晩餐会で聖教教会と王国が旗頭にしようとしている天之河光輝の内面を把握したガハルドの判断は早かった。最低限の護衛だけ残し、副官として連れて来たベスタ達には早馬で帝国に伝令として帰らせようと決断を下した。

 

「皇帝陛下……恐れながら、私めの意見を言わせて下さい。本当にあのアンデッドに降るしか道は無いのでしょうか?」

 

 ベスタ他、近衛騎士達は暗い表情で問い掛けてくる。気持ちは非常に理解できた。これまで、ガハルドがトータスを平定すると疑わずについて来てくれたのに、ここに来て突然現れたアインズに帝国は従わなくてはならないのだ。しかも相手が不死者(アンデッド)であるから、子々孫々どころか未来永劫にかもしれない。

 

「……お前達の気持ちは分かる。だがな、王国と教会が聖戦を発令した以上、アインズ・ウール・ゴウンと人間族の全面戦争は避けられねえ。そこでこのまま王国や教会に与していたら、間違いなくあの勇者(ガキ)は勇者の名の下にアインズ・ウール・ゴウンを倒すとか戯言をほざいて全軍を突撃させるだろうよ」

「それは……悪夢ですね、間違いなく」

 

 そればかりはベスタ達は深く頷いた。ガハルドの近衛に選ばれた彼等は「実力主義」を掲げて脳筋になりがちな帝国の人間でありながら、頭も相当に切れる者達だ。そんな彼等から見ても、光輝を祭り上げて聖戦を行うなど正気の沙汰ではないと実感するには十分過ぎた。

 

「一応、聞いてはおくがな。ベスタ、あの勇者(ガキ)がアインズ・ウール・ゴウンに勝つ可能性はあるか?」

「……今ほど私の『鑑定眼』が狂っていれば、と願わなかった日はありません。いえ、あの化け物の居城に招かれた時以来ですかな」

「ああ……だろうな……」

 

 ガハルド達は揃って乾いた笑いを漏らした。当てにしていた勇者達があのザマなのだ。あんな幼稚な子供勇者達と心中するくらいなら、まだあのアンデッドに自分の首輪を差し出した方がマシだった。

 

「だが、聖戦が発令されたのはある意味でチャンスだ。ここで帝国はアインズ・ウール・ゴウンに人間族の中で唯一の味方だとアピールできる。聖戦遠征軍という大軍に対して、奴は味方を一人でもつけたい筈だからな」

 

 果たして、それはどうだろうか? とガハルドは内心で自問自答する。蟻が千匹集まった所で竜巻でなす術なく吹き飛ばされる様に、如何に聖戦遠征軍といえどもアインズ・ウール・ゴウンには勝てない気がしていた。

 

(まさか……あんな馬鹿なガキが勇者として旗頭になったのは、いらない人間達を駆除しやすくする為か?)

 

 あり得そうな話だ。実際、ガハルドも反抗勢力を粛正する為にあえてある程度の規模に膨れ上がるまで放置していた事がある。自分の支配下に不要な貴族(ゴミ)達が集まった所を全員取り押さえ、纏めて処刑台に送り出した事もあった。

 

(これは俺がやっていた()()を大規模にした分別作業だ……だから“神の使徒”の一人にアインズ・ウール・ゴウンの息が掛かった奴がいたのか)

 

 恐らくハイリヒ王国はあのアンデッドの手によって瓦礫の国へと変わるだろう。それを容易くやってのけるだろうアインズ・ウール・ゴウンの事を思い、ガハルドはまたしても胃痛を感じていた。帝国が———自分の祖国が生き残るには、もはや道は一つしかない。

 

「せめて帝国の自治権は認めて貰える様に上手く立ち回るしかねえな……。とにかく、亜人族の奴隷達は一刻も早くフェアベルゲンに送れ。こっちが時間稼ぎをしようとした事なんざ、奴にはとっくにバレてるだろ。こうなったら精一杯の誠意を見せて、勇者達より奴を選んだと思って貰うしかねえ」

「……かしこまりました」

 

 僅かな逡巡の後、ベスタ達は頷いた。彼等とて馬鹿ではない。ガハルドの言った事が一分の隙もない正論だと悟ったのだろう。無念の表情を浮かべる彼等にガハルドは頭を下げた。

 

「すまねえ……お前達は俺を信じてここまで来たというのに、こんなザマになっちまった」

「陛下、頭をお上げ下さい! 陛下の采配に間違いなどありません! ただ……だからこそ、無念なのです。どうして、こんな事に……!」

「さあな……俺に天運が無かった、という事だろうよ」

 

 以前まで纏っていた覇気を薄れさせ、疲れた笑みでガハルドは呟く。

 トータスを天下統一して、帝国を強大な大国へと生まれ変わらせる。それが出来るのは“英雄”の天職を持って生まれた自分だけと信じて、今まで覇道を突き進んで来た。そして手始めに亜人族達を支配下に置こうとして———最初の一手で詰んでしまったというわけだ。

 

(天にまします我らがエヒトよ……地獄に堕ちろ、クソッタレ)

 

 神話から飛び出た様な怪物を帝国の近くに出現させ、人間族には幼稚に過ぎる勇者達を寄越したエヒト神へガハルドは呪いの言葉を吐いた。元から熱心に信仰したわけではなかったが、もはやエヒトに祈る気持ちすら今回の事で失せてしまった。

 

「とにかく……この馬鹿げた式典は明後日まで続くんだとよ。俺は皇帝として最後まで出席しないとならねえから、お前達はさっさと帝国に帰って奴隷の返還の準備をしろ。アインズ・ウール・ゴウンのスパイがこの場にいる以上、グズグズしていたら帝国も滅ぼす標的だと思われちまうからな」

「ですが、大丈夫なのでしょうか? 陛下の護衛が手薄になるのでは……」

「ハン、俺を誰だと思ってやがる? そこらの奴等に討たれるほど落ちぶれちゃいねえよ。()()同盟国である帝国の皇帝を害するほど、王国も教会も堕ちてはねえだろ……多分な」

 

 少なくとも光輝を旗頭にしようとしている時点で、エリヒド王やイシュタル大司教は判断力が休暇を取っているのでは? と思わなくもない。しかし、今ここで帝国に敵対する様な真似をするメリットなど彼等には無いだろう。

 

「まあ、俺に何かあったらトレイシーを次の皇帝に据えろ。あいつだったら、他の臣下も国民も文句は言わないだろ」

「……かしこまりました。それでは我々は失礼します」

 

 スッと頭を下げると、ベスタ達は下がった。彼等は命令通りにすぐに帝国へと直帰してくれるだろう。だが、ガハルドは不幸のドン底にいる様な溜息を漏らした。

 

「……あいつ等でないと、この手の書類仕事も頼めねえとはな。つくづく、文官も育てれば良かったと思うぜ」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの属国となる以上、今までの様に大勢の武官を育てなくてよくなる。これからは文官の育成にも力を入れられると思う反面、軍事大国()()()帝国の凋落ぶりにガハルドはまた深々と溜息を吐いた。

 

 ***

 

「まだやってやがるな。……浮かれてるな、本当に」

 

 ベスタ達を送り出したガハルドが大広間に戻ろうとすると、部屋から離れた廊下だというのに未だに宴の活気が冷めやらぬ様子が聞こえて来る。既に夜も更けてきており、神の使徒達も招待客も大分酒が入って酔っているだろう。

 

(フン、好きなだけ騒いでろ馬鹿共が。それが人間族が気持ち良く飲める最後の酒になるだろうからな)

 

 そして帝国の皇帝の義務として、これから何も知らずに浮かれ騒ぐ王国の貴族達の相手をしなくてはならない事に再び溜息を吐く。歩く度にジャラジャラと煩わしい装飾品達に苛立ちを感じながらも大広間へ戻ろうとした時だった。

 

「初めまして、ガハルド=D=ヘルシャー皇帝陛下」

 

 ガハルドが振り向くと、そこに聖教教会のシスター服を着た女性が立っていた。背筋がスッと伸びて直立した姿は正中線のブレが一切なく、窓から漏れる月明かりに反射して光る銀髪は美しいが、喜怒哀楽が一切伺えない表情はどこか人形じみた雰囲気をガハルドに感じさせた。

 

「……誰だテメエ? イシュタルの遣いか?」

「主はかの()()が聖戦を行う事がお望みです」

 

 胡乱げなガハルドに対して、シスター服の女———ノイントは抑揚の無い口調で喋り始めた。

 

「人類の希望として祭り上げられ、期待され、有頂天となった彼等が魔王率いる魔人族達になす術なく蹂躙される……その瞬間(とき)に見せる絶望の表情は彼等を異世界から召喚した甲斐があるほどに魅力的になるだろう、と主は楽しみにしております」

「……あ? テメエ、何を言ってやがる?」

 

 不意に、ガハルドの背筋に冷たい汗が奔る。感情を一切交えず、まるで遥かな高みから虫ケラを見つめる様なノイントの様子に警戒心が一気に跳ね上がった。

 

「イシュタルもよくぞ聖戦の開戦を進言してくれました。何も知らずに主を崇めるだけの人形にしては、面白い事を考えたものだと主は言われました。つきましては貴方もあの人形———エリヒド王の様に、主を楽しませる為に踊りなさい」

「っ!?」

 

 ガハルドが身構えるより先に、ノイントの身体から魔力が発せられた。魔力は不可視の光となって脳へと焼き付き、ガハルドの意識は朦朧として多幸感と共にエヒトへの崇拝心に満たされていく———。

 

 パキンッとガハルドの脳が冷水をかけられた様に覚醒した。

 

「? 一体、何故……っ!」

 

 “魅了”が抵抗(レジスト)された感覚に、ノイントが疑念の声を上げると同時にガハルドは動き出していた。護身用に懐中に隠していた短剣を抜き放ち、そのままノイントを壁に押し付けて喉元へ切っ先を突き付ける。

 

「テメエ……どういうつもりだ?」

 

 獣の唸りの様に低い声で、ガハルドはノイントを睨み付けた。

 

「皇帝相手に精神操作をかますとはいい度胸だな、オイ」

「……なるほど。珍妙な身なりだと思いましたが、その装飾品のおかげでしたか」

 

 少しでも力を込められれば喉が抉られるという状況でありながら、ノイントは顔色一つ変えずにガハルドを見ていた。

 ガハルドが最近になって身につけ始めた装飾品———魔法抵抗力や精神操作の耐性を上昇させる効果を持った品々によって、彼はノイントの“魅了”を抵抗(レジスト)したのだ。

 

「質問に答えろ! 誰の差し金だ? イシュタル……いや、違うな。エリヒド王もイシュタルも、主を楽しませる人形だと? あの勇者(ガキ)共を召喚した……? ま、まさか、テメエの言う主という奴は……!」

 

 ガハルドの脳が瞬時に正答を導く中でも、ノイントの表情は変わらなかった———まるで()()()()()

 不意にノイントから衝撃波が繰り出され、ガハルドの身体は吹き飛ばされる。

 

「ぐっ……!?」

「……簡単に“魅了”できるものと思い、喋り過ぎました。こうなっては主の遊戯の妨げとなるでしょう。消えなさい、イレギュラー」

 

 ガハルドを吹き飛ばした際にシスター服が破れ、胸元の谷間が見えそうになるノイントだったが、その事を気にかける様子もなく、ガハルドへ手掌を伸ばし———。

 

「今のは何の音だ!?」

 

 廊下に足音が響き、ガハルド達へ複数の人間が近寄って来た。集団の先頭にいた光輝は、廊下で短剣を握り締めながら起き上がるガハルドと、シスター服が破れてあられもない姿になっているノイントを見て目を驚愕に開いた。

 

「ガハルドさん……!? 一体、これはどういった状況なんですか?」

「ぐっ……聞け、勇者! この女は———」

「皇帝陛下に襲われました」

 

 はぁっ!? とガハルドが声を上げる中、ノイントは抑揚の無い声で喋り始めた。

 

「皇帝陛下は深く酔っていたご様子で、心配になって声をお掛けしたところ、夜伽の相手をしろと迫られました。どうにかお断りしようとしたら、剣を持ち出して衣服を破かれました。咄嗟の事だったので、思わず魔法で突き飛ばしてしまいました」

「テ……テメエ、藪から棒に何を言ってやがる!?」

 

 ガハルドが顔を真っ赤にして怒りの声を上げる中、光輝は目の前の状況を見た。

 

 悪趣味なアクセサリーをいくつも身に付け、()()()()()()()()()()()を体現した様なガハルド。

 彼の手には短剣が握られている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、銀髪の美少女。

 彼女は衣服を斬り裂かれ、胸の谷間が顕になりそうな姿になっている。

 

 そして———光輝の中で、答えは出た。

 

「……シスターさん、俺の後ろに」

「お、おい……まさか、その女の戯言を信じる気じゃねえな?」

 

 ノイントを庇う様に前へ出る光輝に、ガハルドは信じられない物を見る様な目になった。

 

「おい、いくら脳が足りないとはいえ、そこまで馬鹿じゃねえよな?」

「……ガハルドさん、今ならお酒の席でふざけ過ぎただけ、という事に出来ます」

 

 光輝は険しい目付きでガハルドを見る。それは悪に屈しない正義の眼差しだった。

 

「だから、シスターさんに謝ってあげて下さい。俺からも許して貰える様に、頼んでみますから」

「………ふ、ふふ、ふふふ!!」

 

 一瞬、呆気に取られた様にポカンと口を開けていたガハルドだったが、まるで壊れたかの様に笑い声を上げた。

 そして———鮫の乱杭歯の様に、ギラリと鋭い眼光になる。

 

「ふっっっざけんじゃねえぞ!! このクソガキがああああっ!? 自分の正義に酔って、周りを顧みないクズがああああっ!!」

「なっ……どうしたんですか、一体!?」

 

 ガハルドの()()に光輝は驚く。だが、そんな光輝に構う事なく、堰を切った様にガハルドは口角泡を飛ばした。

 

「テメエみたいな頭花畑なガキが! テメエの仲間みたいな甘ったれたガキ共が! 神に選ばれた勇者達だぁ? 馬鹿も休み休み言えや!! 数ヶ月前に死んだ仲間が、まだ生きてるとかほざいてないで現実見ろやあっ!!」

「な……いきなり何でそんな事を!! 俺は香織も、皆も、必ず助けると誓って……」

「いい加減にしろやっ!! そんなザマだから、いい様に踊らされているんだろうが!! 独り善がりな妄想に浸ってないで、状況をよく見て物を喋れ、クソガキ!!」

「なっ……なっ……!」

「———エヒト神に選ばれし勇者殿、そしてお仲間の方々に対して暴言。見過ごす事は出来ん!!」

 

 かつて、他人からここまで()()を言われた事の無い光輝が金魚の様に口をパクパクさせる中、いつの間にか来ていたエリヒド王がガハルドを敵意のこもった目で睨み付ける。

 

「聖戦に非協力的だった事といい、エヒト神への不信心はもはや明確! 異端審問を執り行うまでも無し! 光輝殿、あの()()()をどうかお討ち下され!!」

「ちょっ、ちょっと待って下さい陛下! いくらなんでもそこまでする事は———」

「何を躊躇われる? エヒト神を愚弄する事は、この国では最大の罪! 手討ちにされて当然である! 報酬はいくらでもお積み致しますぞ!」

「いえ、ですからまずは話し合って———」

「だったら、俺達が行くぜ!!」

 

 光輝が躊躇する中、檜山が衛兵から借りた槍を構えた。

 

「檜山!? そんな、ガハルドさんだってお酒に酔って心にも無い事を口にしただけで———」

「ああ!? そこのシスターを襲ったのは事実だろ!? そんなカス野郎を()って、何が悪いんだぁ!?」

 

 先程まで飲んでいた酒の影響もあり、顔を真っ赤にしながら檜山は獰猛に凄んだ。彼にとって、国王から報酬が出るという事だけでガハルドを討つには十分な理由だった。

 

「おい、お前等! あの男の風上に置けねえオッサンをブッ殺すだけで褒美が貰えるんだとよ! 俺達でシメようぜ!」

「お、おう!」

「マジ最低! 女の敵! ぶっ殺して当然の奴よ!」

 

 檜山の号令にクラスメイト達も次々と武器を構え、魔法の詠唱を始める。先程までにペース配分を考えずに飲んでいた酒が、彼等から正常な判断を奪っていた。最初は戸惑っていた者も、やる気になっている者達を見て釣られる様に気付けば武器を握り締めていた。

 そして———頃合いと見たノイントは、自分の声に魔力を乗せた。

 

『お願いします、勇者様方。どうか私をお守り下さい』

 

 彼女の主であるエヒトルジュエやその眷属であるアルヴヘイトは“神言"という聞く者の意思を問答無用に捻じ曲げる神代魔法が使える。しかし、主の使いとして造られた彼女にはそこまでの強制力は発揮できない。これは“魅了”を多人数にかけやすくする為に行う魔力を持った言霊———“煽動”とでも呼ぶべき魔法だった。

 

『殺せ! 殺せ! 殺せ!』

 

 アルコールの酩酊感も手伝い、生徒達は一斉に目の色を変えた。()()は殺されて当然の人間なのだ。国王からも殺して良い、と許可が出た。だから殺そう。だって———()()()()()()()()()()()()()

 

「……クソガキがぁ、今更何を言っても無駄って事か」

 

 周りの人間が武器を突きつけて自分を取り囲む中、ガハルドは短剣を握り締めたまま俯いた。

 次の瞬間———ギンッと殺意が生徒達に奔る。

 

『ひっ……!?』

「上等だ、馬鹿共がっ!! テメェ等にくれてやるほど、俺の首は安くねえぞっ!!」

「ま、待って下さいガハルドさん! まずは武器を置いて釈明して———」

「や、やるぞ!! やらなきゃこっちが()られるぞ!」

 

 この場に及んでも話し合いで解決しようとする光輝を遮るように、殺気に当てられて恐怖した檜山が生徒達に攻撃を命じた。

 

 そして———戦いが始まった。

 

 ***

 

「くっ……陛下! どうか我々から離れないで下さい!」

「テメェらもな! 馬小屋を目指せ! 一丸となって突破するぞ!」

『はっ!!』

 

 護衛達と合流したガハルドは、借りた剣を振るいながら先陣を切る。騒ぎを聞き付けて、衛兵達もガハルドを捕縛しようと次々と現れたが、その全てをガハルドは斬り捨てていた。

 さもありなん、彼は“英雄”の天職を持って生まれ、生涯の半分以上を戦場を駆け抜けた英雄。並の兵士では束になろうと歯が立たなかった。

 

「つ、強い……! 我々では無理だ!」

「使徒様方! どうかお願いします! あの不届きな皇帝に神の鉄槌を!」

「で、でも………!」

 

 仲間がやられていくのを見て、衛兵達は縋る様に光輝達を見る。だが、光輝は動けないでいた。他の生徒達より一回りステータスが高く、ムタロやエリヒド王に挨拶回りの為に連れ回されて然程酒を口にしなかった光輝にはノイントの“煽動”が効いていなかった———だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()と彼の理性が歯止めをかけていた。

 一方、檜山達も先程の狂騒とは打って変わって尻込みしていた。ガハルドの勢いは凄まじく、振り撒く殺意は数々の戦場を乗り越えた者にしか出せない凄みがあった。それは、かつてオルクス迷宮でトラウムナイト(デスナイト)やゾンビ化した級友達と戦った時以来、味わわなかった緊張感———死の予感を否応なく感じさせていた。

 

(じょ、冗談じゃねえ! いま風は俺に吹いているんだ! こんな所で迷宮で死んだクズ共みたいにくたばってたまるか!!)

 

 だからこそ、檜山は動かない。衛兵達が目の前で何人も斬り伏せられようが、隙を窺っている()()をして、ガハルドに立ち向かえないでいた。

 

(クソ、数が多いっ! こりゃ無傷で辿り着くのは無理かもな……!)

 

 一方のガハルドも衛兵達の包囲網から中々抜け出せず、歯噛みしながら剣を振るっていた。

 

(まさかエヒト神は実在して、俺達は人間族もろとも騙されていたのか!? それを、あのアインズ・ウール・ゴウンは……知っていた?)

 

 突然現れた神の使徒達、以前とは豹変して聖教教会にのめり込むエリヒド王、そして先程の攻撃を加えてきた教会のシスター。ここまで証拠が揃えば、ガハルドにも真相に辿り着くのは容易だった。

 

(そうなったら諸々の意味が変わってくるぞ!? とにかく、どうにか脱出して帝国に戻って対策を———!)

 

 ふと、ガハルドの視界にアインズとの繋がりを仄めかした眼鏡の少女———恵里の姿が見えた。

 

(アイツは……!)

 

 まだ自分の考えが正しいという根拠はない。しかし、この場を切り抜ける為には必要だとガハルドは即座に判断した。

 

(こうなったら奴を人質にして、城から切り抜ける! その後、アインズ・ウール・ゴウンがどういうつもりで動いていたのか問い質す!)

 

 ガハルドは周りの衛兵達を薙ぎ払い、恵里へと手を伸ばした。

 

「恵里……!」

 

 その瞬間を、光輝は見ていた。

 

 衛兵達の返り血に染まり、血走った目で恵里に()()()()()()とするガハルド。それを目を見開いて見つめる恵里。

 

 そして———光輝の脳裏に、オルクス迷宮の光景がフラッシュバックした。

 飛び交う魔法弾、それを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして———奈落へと落ちて消えていく大切な幼馴染。

 

 その瞬間———光輝の脳は沸騰した。

 

「———聖剣よ!」

 

 持ち主の呼び掛けに応え、愛用の聖なる剣が窓を突き破って光輝の手の中に飛び込んでくる。

 それと同時に光輝は走り出す。ドンッと音すらも置き去りにした歩法———縮地で距離を詰め、聖剣を振るった。

 

「ガァアアアアッ!?」

「陛下!?」

 

 恵里へと伸ばしていたガハルドの腕が宙を舞う。帝国に護衛達が悲鳴の様な声を上げる中、激痛に歯を食い縛りながら、ガハルドは鬼の様な形相で光輝を睨んだ。

 

「勇、者……テメェ……!」

「俺の仲間は———!」

 

 血飛沫を弧に描きながら、光輝は聖剣の切っ先を再び返す。

 

「もう……誰にも奪わせない!!」

 

 聖なる剣閃が袈裟斬りに振るわれた。

 ザシュッ、と鈍い音がする。

 

「こ……の……クソ、ガキ………!」

 

 血飛沫を溢れさせ———ガハルドはドサリ、と倒れた。

 

「へ、陛下ああああっ!?」

「い、今だぁっ!! 天之河に続けえええっ!!」

 

 帝国の護衛達が絶望の叫びを上げると同時に、檜山の号令が響いた。生徒達は弾かれた様に残った護衛達に武器を、魔法を振るった。

 

「この野郎! よくも殺そうとしやがったな!!」

「死ね! 死んじゃえ!!」

 

 護衛達は必死で抵抗しようとしたが、神の使徒として召喚された彼等とのステータスの差は歴然だった。

 

 一分後———帝国の人間達で、息をしている者は皆無となった。




 喝采あれ! 喝采あれ! 
 仲間の為に「守る殺意」に目覚めた勇者を、そして大戦の前に「人を殺す覚悟」が出来たクラスメイト達に、喝采あれ!!!

 ……うん、本当に私は性格が捻れてるなぁ(笑)


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第八十九話「帝国の斜陽」

 割と御都合主義がマシマシです。でもまぁ、自己満足で書いてる作品だし(逃避)

 光輝ファンの方には申し訳ないけど、この作品で光輝が勇者(真)に覚醒する様な展開は諦めて下さい。何というか、善人になっても容赦なく●んでしまうのがオーバーロードの作風なので。だから光輝を改心させても、ザナックみたいに無惨な最期を遂げる確率が高くなる気がするんですよ。


「光輝くん!」

 

 戦いの終わった王宮の廊下で、恵里は光輝へ駆け寄る。光輝は血に濡れた聖剣を持ったまま、放心した様に立ち尽くしていた。

 

「うっ……」

 

 目の前にはガハルドや帝国兵達()()()モノが転がっていた。檜山達が過剰に攻撃した事により遺体は酷く傷付き、バラバラ死体となった者までいる始末だ。背後ではエリヒド王が、「よくぞエヒト神の敵を成敗してくれました! さすがは神の使徒様方です!」と誉め称え、檜山達はどこか異常な興奮を見せながら周りからの賞賛の声に応えていた。

 

「光輝くん、大丈夫?」

「恵里……」

 

 光輝は()()()()()()少女へと振り返る。幼馴染達が消えて以来、自分の隣りによくいる恵里が無事だった事に安堵を覚える。しかし、手の震えまでは隠せなかった。ガハルドの肉体を断ち斬り、命を奪った感覚がまだこびり付いている気がする。

 

(仕方がなかったんだ……! だって、ガハルドさんは……あの人は恵里を殺そうとしていて……! それで俺は、恵里を守ろうとして……! それにあの人は衛兵の人を何人も殺したんだ……! 俺が止めないと、もっと犠牲が出ていたんだ!)

 

 だから、()()()()()()()()()()()。ガハルドの殺害を責める声が自分の内から聞こえてきそうで、光輝は必死に自分自身へ『あれはああするしかなかった』と言い聞かせていた。

 未だに血塗られた聖剣を持ったまま、手がカタカタと震えて———その手に恵里の手が重ねられた。

 

「恵里……?」

「ごめんね……あそこで私が皇帝に捕まりそうにならなければ、光輝くんはこんな思いをしなかったのに……本当にごめんね」

「そ、そんな事はない! 俺は恵里が無事で本当に良かった! 嘘じゃないさ!」

 

 自分の事を思って涙を浮かべる恵里に、光輝は心配はさせまいと爽やかな笑顔を無理やり浮かべた。

 

「でも……ガハルドさんはどうしてこんな事を………」

「それなんだけどさ……私ね。この人が色々と良くない噂があるのを知ってるんだ」

 

 ガハルドが急に凶行に及んだ理由が理解できない光輝に、心優しい少女が他人の悪口を言う事を躊躇う様に恵里は遠慮がちに告げてきた。

 

「ヘルシャー帝国の皇帝は野心家な人で、最近になって武器を集めていたからトータスの世界征服に乗り出すつもりだったんじゃないか、って」

「何だって? それは本当なのか?」

「う、うん。そんな風に貴族の人達が話していたのを聞いたの。これは私の想像なんだけど……皇帝からしたら、光輝くんは邪魔だったんじゃないかな? 自分がトータス全土の王様になりたかったのに、力も人気も上の光輝くんが出て来ちゃったから……それで自棄酒をして、シスターを襲って、光輝くんに咎められたから頭にきちゃったのかも」

「そう、だったのか……これから世界中の皆と協力して魔王を倒そうという時だったのに、なんて自分勝手な人だったんだ」

 

 ———恵里の説明には所々、おかしな点がある。しかし、「ガハルドは斬られて当然の悪人だった」と()()()()光輝には効果覿面だった。手の震えは収まり、嫌悪感すら滲ませた目でガハルドの遺体を見る。 

 

「ありがとうございます、勇者様」

 

 光輝達の所へノイントが近寄ってくる。

 

「シスターさん、お怪我は?」

「私は大丈夫です。勇者様のお陰で、私はエヒト神への純潔を守る事が出来ました」

 

 ニコリとノイントは口角を上げた。それは人間にしてはどこかぎこちない表情だったが、あんな事があった後だから上手く笑えないのだろうと光輝は解釈していた。

 

「勇者様の行いに、きっとエヒト神もお喜びになるでしょう。だから、どうか———()()()()()()()()()()()()()()()()

「シスターさん……」

 

 ノイントの助言に光輝は改めて思い直す。

 自分は勇者なのだ。ハイリヒ王国の勇者として、そして“光の戦士団”の団長として、迷ってはいけない。正義の味方(亡き祖父)は、いつだって堂々と正しい事をしていた。

 

(だから……俺は迷わない! ガハルドさんの事は気の毒だけど、正義の為なんだ!)

 

 きっと、これからもオルクス迷宮の時や今回の様に人殺しをしなくてはならない事があるだろう。でも、そうなっても自分は常に()()()()()()()()

 新たな決意をする光輝を余所に、ノイントは無機質な目で光輝を見ていた。そして一礼すると、すぐに歩き去っていく。

 

「うん、そうだね……光輝くんはヒーローだもの」

 

 恵里はその後ろ姿を見つめる。気弱そうな少女の表情のまま、目は闇を濃縮した様に濁り切っていた。

 

「だから、光輝くんに擦り寄る悪い女(クズ)は……きっちり始末しないとね」

 

 ノイントを見つめる恵里の影が、一瞬だけ歪んだ事に誰も気付いてなかった。

 

 ***

 

「———よって、故ガハルド・D・ヘルシャー殿が我が国、並びに聖教教会に与えた被害は甚大であり、ハイリヒ王国国王エリヒド・S・B・ハイリヒ陛下並びに聖教教会大司教イシュタル・ランゴバルド猊下の名の下にヘルシャー帝国に対して賠償金の支払いを命じるものとする!」

 

 一週間後。ヘルシャー帝国の宮殿で、ハイリヒ王国の使者が目の前で玉座に座る人間へ不快感を隠す事なく訴えかけていた。

 金髪を縦ロールにし、無駄な贅肉の無い引き締まった身体をした二十歳にも満たないであろう少女。彼女こそが、生前のガハルドから後継者として名指しされていたトレイシー・D・ヘルシャーだった。いつもは男勝りで勝ち気な笑顔を崩さない彼女も、今回ばかりは硬い表情で臨んでいた。

 

「賠償金として120兆ルタ。または領土の一部を498年間の租借を命じるものとする」

「何ですと? それは法外です!」

 

 トレイシーの横に控えていたベスタが、悲鳴の様な声を上げる。帝国の国家予算、それも数十年分にわたる金額を支払えと言われたのだ。そして明け渡す様に言われた領土も、帝国にとって生命線と言える穀倉地帯。こんなものを支払った日には帝国は間違いなく破産する。

 

「そもそもガハルド陛下が手討ちにされるなど、何かの間違いです! いったい何の咎があって———」

「ほう! 間違いですと? ハイリヒ王国の城の衛兵四十七名、我が教会の神殿騎士十七名を殺害しておきながら?」

 

 抗議の声を上げるベスタに、今度は聖教教会の神殿騎士が眉尻を上げた。王国と教会の両方から糾弾する事で、ヘルシャー帝国は孤立無援であると強調する腹積りの様だ。

 

「栄えある勇者様の式典で教会の修道女に手を出し、あまつさえその事に止めに入った勇者様に対して逆上して暴れ出すなど言語道断! 目撃した者は多数いるのですぞ!!」

 

 ぐっ、とベスタは押し黙る。彼がガハルドの訃報を聞いたのは、早馬で帝国に着いた直後だった。突然の事態に混乱する城内に、日が経つ内に続々と教会経由で情報が齎された。

 

 曰く、ガハルドは酒宴の席で酔った挙句、聖教教会の修道女に狼藉を働き、それを止めに入ろうとした勇者を罵倒した。どうにか話し合いをしようとする勇者に対し、ガハルドは剣を抜いて勇者を殺そうとして返り討ちされた。

 

 こんな物は出鱈目だ、とベスタを始めとした生前のガハルドを知る人間達は抗議した。だが、トータスにおいて聖教教会の影響力は絶大だ。真実の追及を叫ぶベスタ達を余所に、今や教会から齎された()()に帝国の国民すらも動揺していた。

 

「我々に……その話を鵜呑みにしろと?」

 

 それまで黙っていたトレイシーが口を開いた。その声音は溢れ出しそうな激情を抑えているかの様に細かく震えていた。

 

「事件が起きたのは、ハイリヒ王国の城内ですわ。貴方達の敷地内で起きた事なら、いくらでも事実を作れるのではなくて?」

「では、何故亡きガハルド陛下は公の場で釈明しなかったのですかな? あまつさえ多数の衛兵を殺すなど、無実の者が行う所業では無いでしょう」

「っ……」

 

 それがトレイシー達にも分からなかった。ガハルドは確かに血気盛んな面はあったが、それでも外交の場である夜会でこんな事をすればどうなるかぐらい分かっていた筈だ。言葉に詰まるトレイシー達を見て、王国の使者ははっきりと侮蔑した表情を見せた。

 

「まあ、ガハルド陛下の御子息であるバイアス殿下は、アー……色を好む方だと専らの噂ですしな。皇帝陛下も愛人を多く囲っていたのだとか? どうやら家系的にふしだらな血が流れていたのでしょうなぁ」

「使者殿、言い過ぎですぞ。トレイシー新皇帝陛下もガハルド陛下の御息女()()()のですぞ。……何番目の奥方の子女だったか知りませんが」

「ああ、これは失礼。口が過ぎましたな」

「貴様っ……!」

 

 明らかにヘルシャー帝国の皇族であるトレイシーを侮蔑した会話に、ベスタの手が細かく震える。本来、他国の王族に対してここまで無礼な態度を取れば斬首に処されても文句は言えない。しかし、王国の使者達が強気に出られるのは理由があった。

 

「御抗議をされたいなら神山に赴いて、存分にどうぞ。ですが、他国の皇族が我が国の人間を———それも人間族の団結を誓う式典の場で殺したのですから、帝国は()()()()()()()()()()()()()()()()()……神殿騎士殿」

「うむ。ここに、聖教教会大司教イシュタル・ランゴバルド猊下の宣言を言い渡す———先の賠償が支払われぬ限り、ヘルシャー帝国及びその国に加担する者全てに破門を言い渡す物とする」

「なんですって!?」

「馬鹿な、それはもはや脅迫だ!!」

 

 トレイシーとベスタが同時に悲鳴を上げる。

 聖教教会からの破門……これは聖教教会の庇護下から強制的に除外される事を意味するが、それだけには留まらない。

 トータスの人間族の中で最大にして唯一の宗教組織である聖教教会は、医療や教育、果ては戸籍の管理や公職の任命権など多岐に渡る。

 その聖教教会から破門されるという事は、同じ人間として扱われなくなる事と同義だ。今後、仮に帝国の人間が王国内で殺されようが、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」という事になる。

 

「これは宣戦布告とみなしますわ! 帝国は理不尽な仕打ちに屈しませんわ!」

「どうぞご自由に。しかし……となれば、教会と完全に袂を分かつという事ですな? とすれば、魔人族と同じ異端者として聖戦遠征軍で対処しなくてはなりませんかな?」

 

 顔を真っ赤にして抗議するトレイシーに対し、王国の使者達は涼しい顔だ。大陸中から教会の号令で集まる十万を超えるだろう軍隊に対して、一国程度で何が出来る? とタカを括っているのだろう。そして、何より———。

 

「既に帝国内でも()()()()()は王国へ帰依すると申し出られておりますので、どうかトレイシー皇帝陛下も()()()()()をして頂きたいものですな」

 

 ギリっとトレイシーは歯を食い縛る。ガハルドの死を聞きつけ、こうなる事を予見していたのか帝国内の有力貴族達はハイリヒ王国の伝手を頼ってヘルシャー帝国から縁を切り出したのだ。ガハルドが生きていた頃ならば纏め上げられていた彼等も、年若いトレイシーが後継者に選ばれた事に不安を覚えたのだろう。それこそトレイシーがすんなりと玉座に就けたのも、ガハルドの遺言以上にトレイシーより上位の皇位継承者達がこぞって「あれは全てガハルドがやった事です。私達が教会に逆らうなんてとんでもない」と逃げ出したからに他ならない。

 それらの理由から帝国はもはや内政を立て直すので手一杯であり、ここで聖戦遠征軍の様な大軍隊を相手にする余力などどこにもない。

 最大の脅威だったガハルドがいなくなり、軍事力の落ちた帝国などもはや取るに足らない小国だ。だから王国の使者達は帝国の新皇帝であるトレイシーへ居丈高に振る舞っているのだった。

 

「では我々はこれで失礼致しますぞ。トレイシー皇帝陛下も、身の振り方をよくお考えになって下さいませ。ああ、それと……」

 

 慇懃無礼に立ち去ろうとした王国の使者達は思い出した様に、傍に置いていた箱から———ソレを取り出した。

 

「ガハルド、陛下……!」

「……お父様っ」

 

 それは、蜜蝋によって丁寧に整えられたガハルドの首だった。ガハルドの首が入った箱を王国の使者達は不快そうに持ちながらトレイシーへ差し出す。

 

「感謝して欲しいものですぞ。皇帝とはいえ、本来なら大罪を犯した者の首など晒し首にして当然だというのに、勇者殿が「せめて御遺体は家族の下へ返すのが情けだ」と仰られるから、()()()()()首をこうしてお返しするのですからな」

「き……貴様あああああぁぁあああっ!!」

 

 とうとうベスタの堪忍袋の緒が切れた。剣を抜き放ち、無礼な王国の使者へと殺気の籠った目を向ける。それを見た神殿騎士も素早く剣を抜き放ち———!

 

「止めなさいっ!!」

 

 トレイシーの一喝が玉座の間に響き渡る。

 

「トレイシー皇帝陛下っ!!」

「止めなさい。他国の使者を斬り捨てたとはあっては、それこそ帝国は外交も出来ぬ国と物笑いの種になりますわ」

「しかし———!」

「耐えなさいっ……! 耐えるのですわっ……!」

 

 玉座の肘掛けを血が滲むくらいに握り締め、トレイシーは唇を噛み締める。

 ここで無礼な使者達を斬り捨てるのは簡単だ。しかし、そうなれば王国ならびに聖教教会の聖戦遠征軍が差し向けられる大義名分を与える事になる。いま、帝国が聖戦遠征軍と戦えば滅亡するのは火を見るよりも明らかだ。だからこそ、屈辱的な扱いにもトレイシーは歯を食いしばって耐えなければならなかった。

 

「は、はは……賢明な判断ですな」

 

 ベスタが剣を抜いた時に顔を青白くさせていた王国の使者は、再び得意げな顔になった。

 

 ***

 

「王国と教会の無礼な無能共っ! そしてあれ程ガハルド陛下に恩を受けながら、寝返った帝国の裏切り者共めっ!!」

「落ち着きなさい、ベスタ……怒鳴っても事態は解決致しませんわ」

 

 王国と教会の使者達が立ち去り、ガハルドの首を丁重に安置して国葬の準備をする様に命令したトレイシー。彼女の前ではベスタが怒り狂って大声を上げていた。

 

「帝国内の商会や行商人達も明らかに目減りしたという報告がありましたわね……彼等からすれば、聖教教会に破門された相手と商売をしていたら目をつけられるから当然の判断といった所ですわね……」

 

 今や帝国は風前の灯火だった。他国にも名が知られたガハルドがいたからこそ保てていた求心力も無くなり、帝国に残されたのは未だに判断の遅い日和見主義者か、「それでも」と帝国に忠義を尽くしてくれる一部の貴族達。そして簡単に住んでいる土地を捨てられない民達———そして、帝国内にいる亜人族の奴隷達くらいだ。

 

「ベスタ。私はお父様……いえ、先帝であるガハルド・D・ヘルシャーに対して、あまり愛情を感じておりませんわ」

 

 ガハルドには多くの愛人がおり、その数だけ子供がいた。しかしながら、ガハルドは子供達に対して一般的な父親らしい一面は見せなかった。

 帝国の国是は「弱肉強食」。

 自分の血を分けた子供といえど、皇帝の座まで這い上がる根性を見せてみろとガハルドは言いたかったのだろう。ガハルド自身が時代遅れと評した「決闘の儀」を執り行ったのも、実の兄弟を蹴落としてでも上に立たんとする気概を期待してのことだ。

 そんなガハルドに対して、トレイシーは一般的な父親への親愛は薄かった。

 

「でも……戦士としては、尊敬していました」

 

 戦では常に先陣を切り、臣下や仲間達を見捨てずに勝利を掴みに行く。帝国を王国や教会の圧力に屈しない大国とする為に野望に燃える姿は眩しく、トレイシーにとってガハルドは自分の父親である以上に尊敬すべき皇帝だった。

 

「だからこそ……戦士には戦士としての死があるべきでしたのにっ……こんな……こんな、最期など………!!」

「トレイシー陛下……」

 

 ベスタは我に返った様にワナワナと震えるトレイシーを見た。

 あの場で、誰よりも怒りに打ち震えていたのはトレイシーだったのだ。だが、彼女は帝国の為に使者達の侮蔑にも湧き上がる怒りに耐えていたのだ。その事に気付き、ようやく彼も頭が冷えた。

 そして———彼は進言する。

 

「トレイシー陛下。王国と教会の要求を呑むのは難しく、まだ帝国内にいる民達もガハルド先帝陛下を亡き者にした彼等に降るのをよしとしないでしょう。ならば……もはや王国と聖教教会とは袂を分かつ他ありませぬ」

「では、聖戦遠征軍と戦うと? 私はともかく、民達にまで勝ち目の無い戦いを強要できませんわ」

「……いえ。彼等に匹敵する、それどころか凌駕する大国の庇護下に入れて貰う様にお願いするのです」

 

 ベスタの進言にトレイシーは眉根を寄せる。このトータスにおいて、人間族の国はハイリヒ王国、ヘルシャー帝国、アンカジ公国の三国しかない。ハイリヒ王国は論外として、アンカジ公国もエリセンから運ばれる海産物の交流の要所として名高いがお世辞にも大国とは言えない。では一体、どこに今のヘルシャー帝国に味方をしてくれる国があるのだろうか?

 

「トレイシー陛下……フェアベルゲンに、新しい国が出来たというのをご存知でしょうか?」




>気の毒だが正義の為だ!

 元ネタは「走れメロス」。でも、あれは友人が身代わりにに処刑されるという事態を軽く見て、昼頃までのんびりと歩いていたから刻限に間に合う様に走る羽目になったんじゃなかろうか?

>光輝、正義の為には綺麗事じゃやっていけない事を学ぶ。

 また一つ、重要な事を学べて良かったね(笑) 
 光輝の性格上、人殺しをしてしまっても「自分が殺さなくてはいけなかった理由」を探し出し、自分を正当化すると思うんですよ。原作でも小悪党組がハジメをリンチしていたのを見てもハジメに原因があると決めつけたり、香織がハジメが好きだと言い出したのは何かしたからだ! と自分の見たい様にしか物事を見ない描写は多々ありましたから。そんなわけでガハルドの死は彼の中では「仕方のない犠牲」です。だから遺体はせめて家族の元へ返してあげよう、と善意でガハルドの首を帝国に送る様にハイリヒ国王に頼みました。


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第九十話「祝宴の裏で」

どうにも上手く書けた自信がない……でも経験上、自分が完璧だと思うまで書かない、なんてやっているとそのままエタる可能性が高いんですよね。
だから自分はモチベーション維持も兼ねて、満足いかない出来でもとりあえずは執筆したものを出す事にしています。後々、気に入らなかったら書き直すかもだけど。


 フェアベルゲン改め、アインズ・ウール・ゴウン魔導国内。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様万歳!!」

「我ら亜人族の救世主に乾杯!!」

 

 街中の至る所で亜人族が祝杯を掲げていた。老若男女、それぞれの部族に関係なく、彼らは歓喜に包まれて祝宴をあげていた。彼等の中には、少しだけやつれていた亜人族達もいた。

 この亜人族達は帝国で奴隷にされていた者達だ。それをフェアベルゲンの滅亡の瀬戸際で現れた救世主・アインズ・ウール・ゴウンは救ったのだ。

 苦難の日々から解放され、もう二度と会う事は無いと思っていた家族との再会に元・奴隷達も家族と一緒になって涙を流しながら互いの無事を喜んでいた。

 これからはもう帝国の奴隷狩りに怯えなくて良い。偉大なる不死者の王の下で、自分達は家族と暮らせる日々を取り戻せるのだ。

 それ故に———彼等は心より歓喜する。自分達を導いてくれる新たな()の存在に。

 

「魔導王万歳!! アインズ・ウール・ゴウン魔導国、万ざぁぁぁぁいっ!!」

 

 この日より、偉大な王が治める国の民となれた事に。

 

 ***

 

「ふふ……暢気なものだ。まあ、気持ちは分からなくもないがね」

 

 フェアベルゲン改めアインズ・ウール・ゴウン魔導国。かつてはフェアベルゲンの長老衆達の会議場に使われ、今はアインズの仮の居城となった大樹の真上からデミウルゴスは眼下で魔導国建国記念の祝宴をあげている亜人族達を見下ろしながら独りごちた。至高の御方にして絶対の支配者である自分の主人の支配下に入ったのだ。下等生物達からすれば望外の喜びであって当然だろう。

 

「アインズ様が存命の限り……すなわち、未来永劫に渡って自らの首輪を差し出したも同然なのだがねえ?」

「———それだけ今まで亜人族達を取り巻く環境が酷かったという事だろう」

 

 デミウルゴスは背後からかけられた声に振り向く。そこには階層守護者達の中で一番歳が若く、唯一の人間がそこにいた。

 

「おや、ナグモ。君はアインズ様から帝国から返還された奴隷達の治療をする様に言いつけられていたと記憶しているのだが?」

「あの程度の()()()達で時間がかかると思うか? 既に全員治療済みだ。治療ついでにキメラ細胞の移植手術も終わらせた」

「結構。さすがはナザリックの研究所長、仕事が早い」

 

 満足気にデミウルゴスは微笑み、彼は再び眼下の亜人族達を目を向けた。

 

「帝国の愚挙より始まった侵攻戦によって帝国の軍事力を削ぐと同時に圧倒的な戦力差を知らしめ、わざわざナザリックに招く事で圧倒的な格差を見せつける。唯一の希望と縋った王国で勇者達の醜態を見せて人間達に失望させ、アインズ様に依存せざるを得ない状況を作り出す。加えて亜人族達には奴隷解放という大義名分で忠誠心を植え付けつつ、自らの兵力の増強を促す……完璧だよ、さすがは至高の御方。ここまで全て計算ずくとは今更ながら恐れ入る」

「帝国の皇帝が天之河光輝によって死ぬのも、策略の内だと?」

「当然だよ。だからこそ、あんな道化勇者を未だに生かしておいているのだろう」

 

 フフフ、とデミウルゴスは嘲笑(わら)う。それはどこまでも滑稽に踊り続ける道化に対して、心から楽しむ悪魔の微笑みだった。

 

「愚神エヒトの支配下である王国に出向いた皇帝はエヒトの手の者に始末されるだろうとは私でも予測は出来たさ。しかし、まさか勇者が殺してくれるとは予想外ではあったかな。だが、これにより帝国と王国の国交は完全に断絶され、帝国が生き残る為には魔導国に頼らざるを得なくなった。いやはや、愚者の暴走まで看破してここまでの策略を立てられるとは流石はアインズ様です」

 

 事実、今の帝国に残った人間達は王国に寝返った貴族達と違って“英雄”ガハルドを尊敬していた者達だ。トレイシーやベスタを始めとして、帝国の英雄(ガハルド)を殺した光輝や王国を決して許さないだろう。そして破門を言い渡され、もはや聖教教会の支配下では人間扱いされなくなった帝国には有り余るほどの軍事力と財力を見せつけたアインズ以外に頼る相手がいなくなった。今後、帝国は国の存続の為にアインズの要求を聞かざるを得ない立場となったのだ。

 

「しかし、帝国に寝返った貴族達は王国の聖戦遠征軍とやらに参加するのだろう? アインズ様の前では羽虫が何匹集まろうが無意味だろうが、愚神側の戦力が増すのは問題があるんじゃないか?」

「いやいや、そこで旗頭である道化勇者の出番となるのだよ。むしろあの道化がいるからこそ、“光の戦士団”などという茶番劇を行わせているのさ」

 

 ナグモの指摘にもデミウルゴスは余裕の笑みを崩さなかった。

 

「私の()()()()()によると、愚神エヒトルジュエはどうやら勇者を祭り上げさせ、人間達の希望が大きく高まった所で魔人族達に滅ぼさせるつもりらしい」

 

 まあまあ趣味は良い、とデミウルゴスは漏らす。この悪魔にそう評価されている時点で、エヒトルジュエの()()()が証明できるとナグモは思った。

 

「ならばここは一つ、その計画に乗ってあげようじゃないか。かの道化勇者の下に愚かな人間達を集めれば、やがて愚民達は勇者達の醜態を目の当たりにして失望していくだろう。そして不満の炎が大きく膨れ上がった所へ……至高の王、アインズ様の出番となるのだよ」

「……そういう事か」

 

 デミウルゴスの計画がナグモにも朧気ながら見えてきた。元・クラスメイトである光輝達は、人類の希望として今まで以上に人々から衆目と期待を寄せられるだろう。

 だが、彼等の中身は万人が思い描く完璧な神の遣いなどではなく、精神的に幼稚な集団だと知った時に人間達は一気に失望する。それも聖教教会が()()()過剰に宣伝しているから、その落差はとても大きくなるだろう。

 そうして光輝達が魔人族達との戦いでどれほど役立てるかは知らないが、エヒトルジュエが手を加えている事もあって人間族は滅亡の瀬戸際まで追い詰められるだろう。

 だから、もしもそこに……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(まさにデミウルゴスらしい悪辣かつ効果的な策略だな。しかし……)

 

 ナザリック一の知謀の持ち主である守護者(同僚)の頭脳に敬服すると同時に、ナグモの中で不安な気持ちが鎌首をもたげた。

 デミウルゴスの策略に使い潰されるだろう、かつてのクラスメイト達に対して————ではなく。

 

「……デミウルゴス。以前、話した八重樫雫という人間だが……その人間の回収を早められないか?」

「おや、どうしてだい? 君が計画していた特殊兵士達は亜人族達がいれば、事足りると思うのだが?」

「それなのだが、実のところ亜人族達には天職の付与実験は芳しい結果が得られていない。代替手段としてキメラ細胞を移植しているが、やはりアインズ様の兵士とする以上は戦闘系の天職も併せ持った完璧なものにしたい。その為、エヒトルジュエに天職を付与されたであろう“神の使徒”は生きたままサンプルが欲しい。八重樫雫である理由は……あの能無しの中で八重樫雫が一番マシ、といった所だが」

 

 ふうむ、とデミウルゴスが顎をさすって考えるのを見ながら、ナグモは他に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を何通りか考え込んでいた。

 ナグモが話した理由は実のところ正確ではない。亜人族達に天職を付与出来なかったのは事実だが、だからといって天職の付与実験に今更サンプルを回収する必要があるか? と言われれば否なのだ。実験材料としてならば、かつてオルクス迷宮で回収した冒険者達やクラスメイト達の死体だけでも事足りる問題ではある。

 

(だが、八重樫雫は香織の為にも何としてでも回収しておきたい。天之河光輝はデミウルゴスの策略によって、もはや正義感を暴走させた危険物と化した。そんな奴の近くに香織の親友を置いておくリスクは大き過ぎる)

 

 愛する香織の為に、八重樫雫は自分の管理下に一刻も早く置いておきたい。その一心で、ナグモは思考を巡らせる。

 

(最悪、死亡したとしてもアインズ様に蘇生をお願いして……いや、それはさすがに不敬に過ぎる。八重樫雫のレベルが低過ぎた場合、蘇生魔法に耐え切れないケースもあるから死体で回収するのは却下だな。いっそ八重樫雫を遺伝子ホストにしたクローン兵士の計画でも進言してみるか……。そういえば、じゅーる様がるし☆ふぁー様に話していたな。遥か昔の銀河の果てにあった帝国は、優れた戦闘能力を持った人間のクローンを作成して兵団を作ったそうだが……)

 

 八重樫雫が()()()()()()()()()()()()()を頭の中で構築するナグモ。

 常人からすれば、倫理観が欠如した生命の冒涜とも言える内容だが、人間を嫌う様に作製されたナグモ(元・NPC)にとってそんな事は考慮する価値すら見出していなかった。

 

「……まあ、いいだろう。今後のナザリックの為になるというならば、その人間を回収するのも吝かではないな」

 

 ゆっくりと、しかし確かにデミウルゴスは頷いた。ナグモはデミウルゴスがすんなりと了承した事に違和感を覚えたが、八重樫雫の回収を確約出来た事に一抹の安堵を覚えた。

 

「しかし、当初より些か手荒な手段になる事は承諾してくれ給えよ? なにせここに来て、神の木偶人形が活発に動き始めたそうだからね。愚神や木偶人形にも不審に思われない形で王宮から姿を消させるとなると、一手間は必要になりそうだからね」

「ああ、構わない。手段は任せる」

 

 仮に身体の何処かが()()していたとしても———最悪、脳さえ無事ならば完璧に復元できる。それを可能とする医療技術がナグモにはあった。だからこそデミウルゴスが言う手荒な手段など問題ない、とナグモは結論付けた。

 

(これで良し……八重樫雫が一緒にいれば、香織は喜んでくれるだろう。しかし、それにしても……)

 

 ふと、気になる事があってナグモはデミウルゴスを見る。彼の悪魔的な頭脳はナグモも認めるものであり、同じナザリックに仕える存在として頼もしくも思っている。

 だからこそ———ナグモは最近になって得られた確証に半信半疑となっていた。

 

(天職の付与が亜人族に作用しなかった理由は明白だ。僕がオルクス迷宮で使える様になった生成魔法は、()()()()()()()()()()。生体である亜人族達には作用しない)

 

 ナグモが行っている天職の移植や付与は特殊ではあるが、魔法の一種だ。人間であるクラスメイト達は召喚時に天職を付与されているが、これは天職を与えたエヒトルジュエがこの世界の神代魔法に精通しているからだろう。曲がりなりにも相手はトータスに長年、神として君臨した者。この世界の神代魔法の扱いは、エヒトルジュエの方が優れていると業腹ながら認めるしか無かった。

 

(あるいは有機物にも作用する神代魔法があるのだろうが……いずれにせよ、まだ生成魔法と重力魔法しか習得していない僕が、ナザリックの者達には天職を付与できた理由として考えられるのは一つ)

 

 つい最近、アインズの威光にひれ伏した解放者の生き残りを思い出す。無機物(ゴーレム)の身体でありながら、生前のままに生き生きとした感情を見せていたミレディ・ライセン。

 彼女の姿を見て、ナグモはナザリックの者達には生成魔法で天職を付与出来なかった理由にある考察が浮かび上がった。

 

(デミウルゴスを含めた守護者達、プレアデスや一般メイド。その他、ナザリックで生み出された者達は………皆、無機生命体だったという事か?)

 

 だとすると、それは凄まじい技術だ。文字通りの意味で()()()でしかない彼等に、ここまでの知性や人間性を与えたのだから。彼等を創造した至高の御方達は、まさに神をも超える所業を易々と行えたという事に他ならない。

 

(でも……だとしたら、尚更疑問だ)

 

 その疑問は、ナグモの中でずっと巣食っていたものだった。おそらくナグモがNPCのままならば、疑う事はなかっただろう。自らの創造主の行いに疑問を持つなど、ナザリックのNPCならば絶対に許されない事だから。

 

(どうして、じゅーる様は……ナザリックの中で僕だけを普通の人間として作ったんだ?)

 

 ***

 

(やれやれ……ナグモも随分と変わったものだ)

 

 一方、デミウルゴスもまたナグモを見ながら思考を巡らせていた。

 

(あの()()()()()からの情報で、君が欲しがっている人間が白崎香織の親友であった事くらい、私はすでに把握しているのだがねえ?)

 

 だが、それを敢えて指摘する事はしない。ナグモがナザリックの為に八重樫雫を活用するのは嘘では無いだろうし、人間一人くらいでナグモのやる気が買えるなら安いものだ。

 

(さすがはアインズ様です。あのナグモに、ここまで感情を呼び起こすとは)

 

 かつてナグモが王国の潜入任務をアインズから命じられた際、デミウルゴスは腑に落ちなかった。ナグモの種族が人間とはいえ、人間嫌いで社交的とはいえない彼を潜入調査に当てるのはミスマッチだと感じていた。それこそセバスにでも命じた方が何倍も上手く人間達に打ち解けただろう。

 

(しかし、ナグモが白崎香織を自分の伴侶にした事で理由が分かりましたよ。アインズ様……貴方はナグモに感情を植え付けたかったのですね?)

 

 以前のナグモは創造主に「そう定められたから行動する」といった感じで、悪く言えば機械的だった。だが、白崎香織という自分が愛する少女が出来て、彼は格段に変わっていった。キメラ兵士を始めとして次々とアインズの為に高いモチベーションで働く様になり、ナザリックの利益に大きく貢献している。

 

(それに白崎香織がナザリックで保護を約束された以上、ナグモは絶対にアインズ様を裏切れまい……いやはや、彼もまた人間らしい所はあったという事ですか)

 

 ナザリックのNPC達には、お互いに至高の御方に創造された者同士として仲間意識がある。しかし、デミウルゴスはそれを過信したりはしない。ナグモは戦闘面に関して自分より劣るものの、彼の技術力は決して侮れない。その人智を超えた技術力をナザリック外に流出させない為にも、彼を精神的に縛る楔が必要だと感じていた。

 

(しかし、その程度の事はアインズ様は既に見抜いていらっしゃった。だから敢えてナグモに人間達の中で暮らす様に命じたのですね。様々な事に無関心な彼をあの幼稚な集団の中に置いて感情を揺さぶらせ、感情に芽生えたナグモが執着する人間(人質)を自分で見つけてくる事を見越していたのでしょう)

 

 白崎香織(あの少女)はナグモをアインズの下で縛り付ける為の楔だ。香織がナザリックにいる限り、ナグモはこれからもアインズの世界征服という大願の為にその頭脳を発揮してくれるだろう。その為の道具として役立つならば、ナザリックの新参者である香織にも紳士的に対応しても良いだろうとデミウルゴスは思っていた。

 

(さて、八重樫雫なる人間をどう回収するかですが、そこはあの人間を使うとしましょう。しかし、なんとまあ……)

 

 自分がハイリヒ王国で現地協力者として見繕った人間を脳裏に浮かべる。彼女に目を付けたのは、ナグモから王国の潜入調査を引き継いだ直後だった。神の使徒達の監視を命じていたシャドウデーモンを通じて、王都の主要な人物を傀儡()に変えて魔人族に寝返る画策を立てている神の使徒がいる事を知った。まさに悪魔の所業を行おうとしている人間に興味を持ち、デミウルゴスは声を掛けたのだ。

 

 魔人族などよりももっと素晴らしい存在の庇護下ならば、君が欲しがっているものは手に入る、と。

 

あんな道化(天之河光輝)を手に入れる為に、同胞達をあっさりと裏切るとは……人間というのは分かりません。そうですね、今後は勇者の意見が通り易い様に王国の首脳陣達を傀儡に変えて貰いましょうか? もちろん魔人族に寝返ろうとした、という裏工作をした上でですが)

 

 あの勇者が軍を率いる様になれば、必ずどこかで大きな失敗をしてくれるだろう。もし仮に首脳陣が傀儡に変わった事が露見したとしても、それを行ったのは神の使徒である彼女の仕業であり、人間達の希望である筈の勇者達から裏切り者が()()出たという事実は、神の使徒という威光を———ひいては魔人族に味方する者を異世界より招いたエヒトの権威を失墜させる格好の材料となる。

 

 デミウルゴスは役に立つ道具ならば、それに相応しい報酬を与えるべきだと考えている。彼女が望む報酬は、光輝を永遠に彼女だけを見て、彼女だけを愛する様にする事。首尾よく仕事を終えてくれたならば、その人間を自分の使い魔にして、光輝の四肢を斬り落として飼わせても良いだろうと考えていた。今は自分の天下であるかの様に振る舞っている勇者が、全てを失って絶望する様を見るのはきっと楽しいだろう。

 

(愛という感情で同胞達を裏切り、愛に縛られて不条理な行動を取る……いやはや、これだから人間は面白い)

 

 自分の知る()()の人間の行動を楽しみ、デミウルゴスはいつもの様に深い笑みを浮かべていた。




>雫ちゃん回収計画

もはやピーチ姫みたいな扱いになってない? と個人的に思っている。囚われのヒロインなんて女の子らしい扱いをされて良かったね、雫ちゃん(笑)
でも早く起きないと、ソウルシスターズならぬ妹達(シスターズ)が出来るかもよ? 多分二万人くらい。
この計画がうまくいった時、どうぞ皆様でナグモを褒めてあげて下さい。

口角を上げて、「そらみろ」と万雷の拍手をしながら。

>ナグモ、ナザリックのNPC達は無機生命体では? と疑う。

色々と勿体ぶってしまいましたが、これがナザリックのNPC達が神代魔法を習得出来なかった事やアインズの召喚したアンデッドに生成魔法が適用された理由です。要するに彼等は肉体を持った電子生命体なんですよ。そう思わせる描写は本編でもいくつかありましたので。(特に嫌いじゃないけど、創造主に決められたから仲が悪い演技をしているシャルティアとアウラや、マーレの気弱そうな態度は見る者によっては演じてる様にしか見えないなど)

ナグモも同じく肉体を持ったプログラム的な存在でしたが、香織の昇華魔法モドキのおかげで生物として昇華された、という扱いです。

>デミウルゴス、色々と考え中

感想で恵里を使い捨てにするだろうな、とは言われていますが、デミウルゴスは働きに応じて報酬を渡す契約は破らないと思うんですよ。その過程がアレなだけで。そんなわけで恵里の頑張り次第では一人ミュージカルが出来ますね。ハッピーエンドを目指して頑張れ、恵里ちゃん。


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第九十一話「魔導王の慈悲と未来を視るウサギ」

 なんか筆が乗りました。
 章区切りはしてないけど、自分としてはこれで第二章目は終了という感じです。

 次はどうしようか……またクラスメイトsideを書くか、ナザリックの拠点イベントをオムニバス形式で書くか? 
 フリードが●●したお陰で、グリューエン火山が真面目に三行くらいで終わりそうだからゆっくり考えます。


 ナザリック地下大墳墓 第十階層 玉座の間

 

 ヘルシャー帝国の新皇帝となったトレイシーは、持ち運ばれたテーブルに置かれた書類にサインをしていた。

 今、行われているのは謂わば調印式だ。これよりヘルシャー帝国はフェアベルゲン改めアインズ・ウール・ゴウン魔導国に亜人族の返還を約束し、その見返りとして代わりとなるアンデッドの労働力を借り入れる。

 その他、聖教教会の破門によって打ち切られてしまった医療機関の援助など、多くの物資をアインズ・ウール・ゴウン魔導国より輸入する事となった。ただし、その代償は安くない。これより先、帝国は実質的に魔導国の属国として振る舞う事になるだろう。

 

(この様な条約、以前の帝国ならば真正面から跳ね除けていましたわ。ですが……)

 

 チラッとトレイシーは玉座に座る存在へと目を向けた。恐らく帝国の一流職人達が集まっても作れそうに無い豪奢なローブ、トレイシーの持つ魔喰大鎌エグゼスすら霞む様なアーティファクトであろう七匹の蛇が絡み合った様な魔杖。

 そして———濃密な死の気配。

 トレイシーはベスタより聞かされていた不死者の王を前に、緊張感で背中に冷や汗が流れるのを感じていた。

 

(あれがアインズ・ウール・ゴウン魔導王……初めてですわ。戦う前から勝てない、と心底から思い知るなんて)

 

 トレイシーは自他共に認める戦闘狂(バトルマニア)だ。相手が強ければ強いほど、自らの腕を試さずにはいられなくて決闘を申し込んできた。しかし、戦士としてのカンがあのアンデッドには絶対に勝てない、と告げていた。事実、先帝であるガハルドも初めて謁見した時に膝を折ったという話だ。アインズを目の前にした今、それを情けないなどとは思わない。むしろこんな相手によくぞ生きて帰って来れたものだ、と感心すらしていた。

 

(王国や聖教教会と断絶した今、もはや背に腹は代えられませんわ)

 

 皇族としての矜持が他国の王に降る事に拒否感を示したが、トレイシーはそれを押し殺して条約文にサインする。

 

(そもそも、「強きに従え」は帝国の国是……ならば、帝国軍を破った魔導王に頭を垂れるべきなのでしょう)

 

 震える手で自分の名前を書き、トレイシーは顔を上げた。

 

「……これで、ヘルシャー帝国皇帝トレイシー・D・ヘルシャーの名の下に、条約は締結となります。ご確認をお願い致しますわ」

「うむ。アルベド」

「はっ」

 

 アインズが顎でしゃくると、傍で控えていた黒髪の美女がトレイシーから条約文を受け取った。言葉少なく、それでいながら絶対の支配者の風格を出す姿に、トレイシーは王としての在るべき姿を見た気がした。

 

「……良いでしょう。これより、アインズ・ウール・ゴウン魔導国はヘルシャー帝国と同盟を結びます。今後はアインズ様の良き同盟者として、適切な対応をしてくれるものと期待します」

「……ええ、両国に繁栄があらん事を」

 

 アルベドの宣言に、トレイシーは硬い顔で頷いた。言外で「実質的に属国となったのだから、これからはそれ相応の態度を見せろ」と言われているのだが、トレイシーはそれを甘んじて受ける。父であるガハルドは聖教教会の支配から抜け出す為に努力してきたというのに、自分は相手が変わっただけでやってる事は歴代の皇帝と変わらないんじゃないか、と唇を噛み締めた。

 

「では、帝国の統治に関してですが———」

「……その事だが、私は現状のままで良いと思っている」

 

 え? とトレイシーは顔を上げた。声を発したアンデッドの王は、赤い光を宿した眼窩をトレイシーに向けていた。

 

「君達もいきなり国内の法律が変わっては色々と混乱して大変だろう。無論、亜人族達を奴隷にする事は禁止して欲しいがそれ以外の部分は現状維持で良いと思う。魔導国の利益が害されない限り、私から特別に要求する事は無い」

 

 アインズの言葉にトレイシーは信じられない面持ちで見つめ返した。属国にする以上、宗主国に有利となる様な不平等条約を押しつけられると覚悟していたのだ。事実、聖教教会を後ろ盾にしたハイリヒ王国は治外法権や関税自主権を認めないなどといった条約を突きつけていた。しかし、目の前の魔導王は自分より圧倒的な強者でありながら横暴に振る舞う気が無い様に見えた。

 

「それは、ありがたいお話ですが……ええと、他には奴隷の代わりとして受け取る魔導王陛下のアンデッド達の賃料などは、」

「ああ、それか。別にタダでも良いぞ? いや、タダだと却って問題があるか……まあ、そんなに高い代金は払わなくて良いだろう」

 

 今度こそトレイシーは衝撃のあまり、頭が真っ白になった。小声で「低位アンデッドくらいいくらでも召喚できるし……」と呟く声すらも、トレイシーの耳には入らなかった。

 

「な、何故でしょうか? その、失礼ながら魔導王陛下のお話は我が国にとって旨みがあり過ぎますわ」

「……ガハルドの事は、本当に気の毒だった」

 

 あまりに良すぎる話に何か裏があるのではないか? と疑ったトレイシーに、アインズはどこか遠くを見る様な目で呟いた。

 

「お父……いえ、先帝陛下、ですか? 失礼ながら、元はといえば魔導王陛下の治めるフェアベルゲンに軍を進めたのが事の発端ですから、魔導王陛下にとって先帝陛下は死を悼む程の関係では無いのでは?」

「あれは既に済んだ事だ。私は対戦の遺恨は後々に引き摺ってまで持ち出すものではないと思っている。彼とは出会う形が違えば、もしかしたら友人となっていたかもしれん」

 

 その感覚はトレイシーにも理解できる気がした。戦場で命のやり取りをした時、剣を交えた相手と時々分かり合えた気がする時があるのだ。まるで無二の親友のように思いながらも、互いの信念を懸けて闘い合う。それこそが戦場に生きる者の醍醐味……それを話すと、殆どの者はトレイシーを奇異な物を見る様な目で見てきた。

 

(お父様は……短い間に魔導王にそう思われるくらい、濃密な時を過ごしたのでしょうか?)

 

 だとしたら、何と羨ましい事だ。戦場に生きる戦士として、トレイシーは今は亡きガハルドを想った。

 

「そう、でしたのね……魔導王陛下にそこまで評価して頂けたなら、先帝陛下も少しは浮かばれるでしょう。お礼を申し上げますわ」

「ああ、ガハルドの死は私にとっても残念でならない。年若い君が皇帝となって、色々と苦労もあるだろう。だから娘である君に色々と便宜をはかる事で、友好を結ぶつもりだったガハルドへの手向けとさせて欲しい。それが異国の地で志半ばに亡くなった彼に見せられる、私の精一杯の誠意だ」

「魔導王、陛下……っ」

 

 アインズの言葉に、トレイシーは言葉を詰まらせた。

 ガハルドの死はトレイシーにとっても大きな衝撃だった。ベスタの前では強がったが、実の父親が殺された事実は彼女にとっても心に穴が空いた様な喪失感を与えていたのだ。

 その上、下手人である教会や王国に頭を下げながらも見捨てられるという事態は男勝りな彼女であっても重責に押し潰されそうだった。

 ベスタ達など古くからの重臣は残ってくれているが、同盟国だった王国や寝返った貴族達に見捨てられたという事実は、周りにもう頼れる者がいないという不安で一杯だった。

 だが、魔導王———否、()()()()()は帝国を見捨てず、手を差し伸ばした。しかも、トレイシーが見る限り言動に()()()()()のだ。彼は真摯にトレイシーの身を案じて、帝国に便宜をはかってくれているのだ。

 

(先日の王国の使者達に比べたら、アンデッドである魔導王陛下の方が何倍も人情がありますわ……ああ、駄目。ひょっとしたらこれは外交の手段の一つかもしれませんのに……!)

 

 頭で理解していても、突然、一国の皇帝という重責を背負った少女の目頭を熱くさせるには十分過ぎた。どうにか涙を堪えて、トレイシーは再び顔を上げる。

 

「感謝いたします、魔導王陛下。先帝陛下を……お父様を、そこまで気に掛けて頂けたならば、巷で噂されるお父様の不名誉も少しは晴れるでしょう」

「……その事だが。ガハルドは恐らく、いや十中八九。勇者や教会によって嵌められたと見ている」

「……どういう事ですの?」

「うむ……これからする話は、この世界の住人である君にとって信じ難い話かもしれないが———」

 

 ***

 

 アインズはエヒトルジュエの正体や聖教教会の裏側を語りながら、目の前の少女といっても過言ではない新たな帝国の皇帝を見つめていた。突然家族を失って、望まざるとも働かなくてはならない少女。

 それは母が病死して、小学校卒業と同時に社会に出るしかなかったかつての自分の姿になんとなく重なった。

 

(気の毒にな……俺はなんちゃって王様だけど、王様になる大変さはほんの少しは理解できるさ)

 

 部下であるNPC達が全肯定してくれているから、一般人であるアインズがトップでもナザリック地下大墳墓という大組織は今のところは問題なく回っているのだ。それに対してトレイシーはガハルドの死と同時に貴族達から離反者が出て、同盟を結んでいた王国からも見捨てられるというハードモード。流石に気の毒だと思い、アインズは帝国と同盟を組む際に便宜をはかった内容にする様にアルベド達に命じていた。そもそもの話、帝国の内政にも口を出すとか小卒のサラリーマンには逆立ちしても無理な話なのだが。

 

(ガハルドとは王様仲間として、気が合う友達になったかもしれないのに……それを、あの勇者は……!)

 

 天之河光輝の事を思い浮かべ、アインズの中で怒りの感情が湧き上がる。しかし、その怒りもアンデッドの特性としてすぐに沈静化された。

 

(冷静に考えよう……天之河光輝は、俺達の同盟の事を読んでいた。だからガハルドを殺したんだ)

 

 そうでなければ、他国の王を殺すなど戦争をふっかける様な真似はしない筈だ。まさか祝典として呼ばれた場が罠だとはガハルドも思わなかっただろう。

 

(ガハルドの首を送ったのは残った帝国を牽制するつもりか? 発想がもうただの学生のやる事じゃない)

 

 甘く見ていた、とアインズは思った。自分より歳下だから、相手はまだ学生だから、と光輝を低く評価していた昨日までの自分を全力で殴りたい。相手は先見の明を持った冷酷な策略家だったのだ。それを甘く見ていたから、同盟相手となる筈だったガハルドが敵地へ行く事を見過ごしたのだ。

 

(デミウルゴスも、ガハルドが勇者に殺されたのは予想外だと言っていた。天之河光輝はデミウルゴスの知略をも上回ったんだ。今はまだ奴等の監視につけたドッペルゲンガーの存在に気付いてないみたいだけど、それも時間の問題だ。あるいは気付いてないフリをしているだけか? いずれにせよ、ルプスレギナには絶対に勇者と遭遇しない様に言い含めないと駄目だ)

 

 さらにガハルドの死には、エヒトルジュエの手先である銀髪のシスターが関わっているという。その銀髪のシスターを守る形で勇者はガハルドを殺したというのだ。これを偶然と片付けるには出来過ぎだとアインズは思っていた。

 

(最悪の場合、天之河光輝はエヒトルジュエと結託してトータスと俺達を滅ぼそうとしている可能性もある。聖戦遠征軍というのは、その為の準備か?)

 

 まるでミレディから聞いた解放者達の戦いの焼き直しだ。エヒト神の名の下に、という大義名分を掲げて力や数で劣る物達をこぞって攻撃する。

 かつてユグドラシルで受けた“異形狩り”と似た手口に、アインズの中で不快感が醸成されていく。

 

「そんな……! エヒト神が、そんな……! 私達、いえ、このトータスに住まう者達は、全員騙されていたというわけですの……!?」

 

 アインズの話が終わり、トレイシーは顔を蒼白にさせながら呆然と呟いた。信仰心の低いヘルシャー帝国の人間とはいえ、人間達の唯一神が自分達を玩具ぐらいにしか思っていないという事実は衝撃が大きかった様だ。

 

「信じられないかもしれないが、事実だ。必要とあれば、解放者の生き残りであるミレディにも証言をさせよう」

「……いえ、不要ですわ。これでお父様が殺された理由が、全て腑に落ちました。教会の者達は……あの勇者達は……! お父様が邪魔になったから殺したのですね……!」

 

 ワナワナと震えながらトレイシーは低い声を出した。そしてアインズに改めて頭を下げた。

 

「魔導王陛下! どうか我々、ヘルシャー帝国も神殺しの軍の末席に加えて下さいませ! 我が父、ガハルド・D・ヘルシャーの無念を晴らす為、帝国は魔導王陛下に全力でご助力致しますわ!」

「———ああ、味方は多いに越した事はない。共に狂った神を打ち倒し、神の気紛れで無駄に散らされる命がない世界を作ろう」

「はい! 感謝申し上げます、魔導王陛下!」

 

 目に気炎を上げながら、トレイシーは力強く頷く。その表情を見ながら、アインズもまた決意を固める。

 

(勇者とエヒトが結託しようが、関係ない。俺の仲間達が作り上げたナザリックを攻める気なら纏めて叩き潰してやる! 俺を解放者達の時みたいに潰せると思うなよ、俺も味方を多く増やして迎え撃つ!)

 

 その為にもエヒトルジュエを倒す鍵である神代魔法を手に入れ、対エヒトルジュエ連合であるアインズ・ウール・ゴウン魔導国を確固とした物にする。これから始まるであろう大戦に、アインズの精神は沈静化が起きるまで熱く燃え滾っていた。

 

 ***

 

「も、もうシズ様〜、いい加減離して下さいってば〜」

「……私は今回の立役者。なので、報酬として思う存分モフモフする権利がある」

「うぅ〜……」

 

 魔導国建国記念日の宴の一席で、シアはシズにひたすらウサ耳を触られていた。椅子に座っているシアに対して、後ろからウサ耳に顔を埋める勢いで頬擦りするシズに気恥ずかしい気持ちがしてくる。

 

「ウサ耳ならお父様達にも生えてますから、そっちを堪能して欲しいですぅ」

「あれは論外。男のウサ耳なんて可愛くない」

 

 即答だった。どうやらモフモフした毛が生えていれば、誰でも良いわけではないらしい。そこまで自分のウサ耳を気に入って貰えた事を光栄に思うべきか、かれこれ三十分近くこうされている事に助けを呼ぶべきか、シアは本気で悩み出していた。

 

「シズ先輩!」

 

 唐突にシア達に声がかけられた。シアが振り向くと、白銀の髪の毛を伸ばした紅い瞳の少女が近寄って来ていた。

 

「む。香織、久しぶり」

「はい! シズ先輩もお変わりなさそうで、何よりです!」

 

 少女に握手する為にシズがシアから離れる。ようやく解放されたシアはホッとしながら、シズの知り合いらしき少女に声を掛けた。

 

「えっと、そちらの方もナザリックの方ですか? 初めまして、私はシア・ハウリアですぅ」

「初めまして、私は白崎香織です。ええと、私はナザリックのナグモ君専属メイドさん、かな?」

「……プラス、ナグモ様の嫁」

「も、もう! シズ先輩ってば! ナグモ君のお嫁さんなんて……お嫁さんかぁ、ふふ、ふふふ♪」

「わぁ……!」

 

 ボソッと呟かれた言葉に顔を赤くしながらくねくねとする香織に、シアの顔が輝く。彼女とて年頃の少女なのだ。身近な恋バナに興味津々となった。

 

「おめでとうございます。一見冷たい人に見えるナグモ様にも、素敵な彼女さんがいらしたんですね!」

「ん。本当に不思議……ナザリック七不思議の一つ」

「もう、からかわないで下さいってば! ナグモ君だって、ああ見えて可愛い所が沢山あるんですよ! 例えばですね——」

 

 「ナグモ君の可愛いところ100選」を語り出す香織を見ながら、シアはナグモの彼女である香織に興味が出て来ていた。亜人族達の治療などでナグモの姿はフェアベルゲンで何度か見ていたが、その時にシア達に見せていた姿は無愛想そのもので、おおよそ人付き合いが良いとは呼べない彼が目の前の美少女とラブラブなデートをしている所とか想像が出来ないのだ。

 

(うぅ〜、気になるですぅ……!)

 

 シアの好奇心がウズウズと疼く。目の前の香織とナグモの恋路がどうなるか、“未来視”で覗いてみたいという気持ちが湧き上がっていた。

 余談ではあるが、かつて友人の恋路の行く先に“未来視”を使った事がフェアベルゲン追放の一因となったのだが、全く懲りていなかった。

 

(えぇい、覗いちゃえ!)

 

 結局、好奇心には勝てずにシアはこっそりと“未来視”を発動させた。

 そして———その光景を見てしまった。

 

 磨き上げられた大理石が並ぶ大聖堂の様な場所。

 真っ白な床を汚す、一面に広がる血溜まり。金ピカの鎧を着た少年や彼と同年代くらいの少年少女達がバラバラな死体となって辺り一面に転がっていた。

 その惨状の中心。

 香織は———真っ赤に染め上げた両手を見て、うっとりと微笑んでいた。

 全身を返り血で真っ赤に染め上げながら、香織は花畑の中心にいるかの様に楽しそうに踊る———少年少女の生首を、グチャグチャと踏み潰しながら。

 

「っ!?」

 

 ガタッと、大きな音を立ててシアは椅子から立ち上がっていた。

 

「……シア?」

「え、ええと、どうかしたのかな? 何かあったの?」

「い、いえ……」

 

 シズと香織が心配そうに見てきたが、シアは真っ青な顔でそう言うのが精一杯だった。

 

「顔色が悪いけど、大丈夫? 一応、私は“治癒師”だから具合が悪ければ、診てあげるよ?」

 

 香織がシアの額に手を伸ばしてくる。

 その手に、べっとりとした返り血がついた姿を幻視してしまい、シアは思わず悲鳴を上げそうになり———。

 

「香織、ここにいたのか」

 

 唐突に香織に声を掛けた人間がいた。

 

「ナグモくん!」

 

 香織はパッと顔を輝かせると、ナグモの腕を組んだ。

 

「ん? シズもいたか。邪魔をしたか?」

「大丈夫……です。雑談をしていただけ、なので」

「そうか。なら、僕は失礼する。ここは騒がしくて敵わん」

「じゃあ、一緒に帰ろうか? シズ先輩、シアさん。またね」

「ん……」

 

 宴会場の雰囲気が好きではないのか、煩そうに顔を顰めているナグモにぴったりと寄り添いながら香織は立ち去っていく。その後ろ姿は仲睦まじいカップルそのもので、見る者を微笑ましい気持ちにさせるものだった。

 

「………」

「シア……?」

 

 それなのに、シアは二人の背中を不安そうに見つめていた。

 

「あの……シズ様。香織さんは、ナグモ様と同じ人間なのですか?」

「……? 元はそうだった、と聞いた。今はナグモ様の手で特殊なアンデッドになったと聞いてる。ナグモ様はメンテナンスを他の人にやらせないくらい、香織の事を大事にしてる」

「アンデッド………」

 

 あれ程に生き生きとしていたのに、魔物(アンデッド)であったという事実に軽くショックを受けるシア。しかし、そんな事よりも自分が視てしまった“未来視”の内容が気になっていた。

 シアの“未来視”は絶対ではない。未来は不確かで、ほんの些細な行動で変わってしまうのだ。それは今よりも先の未来であるほど、的中率は低くなっていく。シアが今見た未来の映像も、全くの的外れになる可能性は大きいのだ。

 

(だから……あり得ない、ですよね? 人間と魔物とはいえ、あんな幸せそうな二人にそんな未来なんか……それに、無愛想なナグモ様があんな表情を浮かべるわけなんて……ない、ですよね……?)

 

 シアにとってフェアベルゲンの亜人族達を治療してくれたナグモは、アインズと同じくらい大恩ある相手だった。だからこそ、彼の未来が幸福である事を願っている。

 

 だから———訪れてはいけないし、訪れる筈がないのだ。

 

 楽しそうに死体を弄ぶ香織を見て、何かを後悔するかの様に泣き崩れるナグモの姿など。

 

 空に浮かんだ下弦の月が、不安で曇るシアを照らしていた————。




 香織が一人ミュージカルをやるそうですよ(挨拶)

 アインズの勘違いが加速するお陰で、光輝達には悲惨な未来が確定していくのにナグモと香織だけラブコメしてるとか不公平じゃないですか?

 だからさ、みーんな不幸になれば平等だよねえ?


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第九十二話「ナザリック・オムニバス①」

 おかしいな……オムニバスと言いながら、全然小話じゃないぞ? 予定では2000文字程度の短編集みたいになる予定だったのに……。

 とりあえず、暫くは時系列とか特に考えてない日常回を載せるつもりです。まあ、なんです?



 ————今は華やかな日常を。いずれ訪れる終末を彩る為に。


『香織のメイド修行 中級編』

 

 戦闘メイド・プレアデスの副リーダーであるユリ・アルファは目の前のメイド服を着た少女の動きを注意深く観察していた。

 正直、自分にこの仕事は向いてないんじゃないか? と思わなくもない。自分達戦闘メイドは戦闘が「主」であり、メイドとしての役割は「副」だ。それこそナザリックのメイド長であるペストーニャの方が適任だろう。

 しかしながら、友人のミキュルニラと妹であるシズの両名から頼まれた以上、断るのも気が引けたのだ。だからこそ、ユリはこの仕事を引き受けていた。

 

「———端がよれていますね。もう一度、最初からやり直して下さい」

「はい、ユリ先生!」

 

 メイド服を着た少女———香織が元気良く返事して、ベッドメイキングをテキパキとやっていく。かれこれ一時間くらいベッドメイキングの練習をしているのだが、彼女の表情には繰り返し作業をやっている事に対する不満や疲労の色は無い。アンデッドだから疲労感と無縁とはいえ、集中力と根気は目を見張るものがある。

 

(中々根性はあるわね……アインズ様がナザリックの保護下に入れる事をお許しになられただけの事はあるのかしら?)

 

 自分達の絶対の主人にして、至高なる御方の纏め役であったアインズ・ウール・ゴウン。

 アインズが栄えあるナザリック地下大墳墓に、二人の少女を保護すると言った時はユリもとても驚いた。しかし、アインズの言葉はユリ個人の意思よりも尊重されるべきもの。今ではユリも、この新たなナザリックの同胞を受け入れつつあった。

 

(元は人間と聞いたけど、アインズ様の素晴らしさを理解できるのだから言う事なんてないわ。そもそもナグモ様やオーちゃん(末の妹)だって、人間だもの……アインズ様の素晴らしさが理解できない人間なんて、それこそ生きる価値も無い様な愚か者だけでしょう)

 

 うんうん、とユリは一人納得する。実際、香織は飲み込みも良く、教えた事をキチンと守る良い生徒だった。創造主(やまいこ)の影響なのか、ユリは何かを教えるとか、そういう仕事が好きだった。そんなユリから見て、香織は生徒として満足できるくらい気に入っていた。

 

「出来ました! あの、どうでしょうか……?」

 

 香織が恐る恐ると言った様子で綺麗に整えたベッドを見せた。ユリは皺や捻れが無いか、しばらく確認した後に頷いた。

 

「少し時間が掛かっていますが、十分に及第点でしょう」

「本当ですか? ありがとうございます!」

「ええ。貴方もよく頑張ったわね。僕……コホン、私も貴方みたいな生徒が持てて良かったわ」

「はい! だって、私はナグモく、じゃなくて……ナグモ様の専属メイドですから!」

「別に言い直さなくても良いわよ、貴方とナグモ様の仲はシズから聞いてるもの」

 

 メイドという立場を自称しながら、仮にも主人であるナグモに馴れ馴れしい呼び方をするのは本来なら言語道断なのだがユリは気にしていなかった。何故なら、香織とナグモが恋仲である事は周知の事実だからだ。

 

(それにしても……()()ナグモ様が、ねえ……)

 

 以前は自分の部下であるミキュルニラ以外、誰に対しても距離を置いていた人間が、いつの間にやら目の前の少女を深く愛しているという事実にユリは未だに半信半疑の思いだった。

 

「ナグモ様とは今も仲良くしているのかしら?」

「はい、今日も朝からナグモくんの可愛い寝顔を見ながら起きました! それでナグモくんの朝食を作ってあげて、いってらっしゃいのキスもして———」

「そ、そう……それは何よりだわ」

 

 放って置くと延々と語り出しそうな雰囲気に、ユリは引き気味になりながら頷いた。

 

(うわぁ……何というか、凄く生き生きしてるわね。というか寝顔を見ながら起きたという事は……ナグモ様って、もしかしてシャルティア様と同じ趣味の持ち主だったのかしら?)

 

事実、シモベ達の中には『人間嫌いのナグモは、アンデッドであるから香織を側に置いているのだ』などと噂している者もいるくらいだ。もしも噂が事実なら、ナグモとの付き合い方はちょっと考えようと首無し騎士(デュラハン)であるユリはこっそりと思った。

 

 ***

 

 香織が次の授業先であるエクレアの場所に向かった後、ユリは自室(正確には戦闘メイドの待機室)へと戻る道を歩いていた。

 

(マズいわ……仕事が無くなってしまったわ。どうしましょう……)

 

 今日のユリの仕事は香織の教育だけだ。これから何時間も何もしない時間が続いてしまうのだ。

 誤解の無い様に言って置くと、これはユリが暇を持て余しているというわけではない。

 彼女の仕事は「第九階層に侵入した敵を迎え撃つこと」。

 これは創造主達に与えられた仕事であり、その為に常に迎撃できる様に待機しているのは理に適った行動の筈だ。

 しかしながら、どこの誰が第九階層まで侵入できるというのか? かつて不敬にもナザリック地下大墳墓に攻めてきた1500人の人間(プレイヤー)も、第八階層で全滅したというのに。

 

(エヒトルジュエとかいう神がこの世界にはいるそうだから、油断して良いわけじゃ無いのだけど……待機時間が長いのも考えものね)

 

 見張り小屋も兼ねた地表部のログハウス勤務は戦闘メイド達の持ち回りであり、残念ながら今日はユリの当番ではない。ならば第九階層の警備やメイドの仕事を、と思った時もあった。

 しかし、第九階層の警備はコキュートスが厳選したシモベが行なっており、メイドの仕事はそれこそ一般メイド達が主としている仕事だ。それをユリが暇潰しの為に奪うのは、彼らの仕事に不満があると言うのも同然だ。ユリも自分の仕事を横から奪われたら、良い気はしないのだから。

 

「はぁ……ん? あれは……」

 

 そういった理由から「至高の御方の為にあくせく働きたいのに、至高の御方達に決められた役職として長時間待機しなくてはならない」という矛盾に頭痛を感じていると、廊下の角で何やら内緒話をしている一般メイド達がいた。掃除道具を手にしている所を見ると、業務の合間のお喋りという所だろうか? 何となく、ユリは気配を殺して彼女達の話し声に耳を傾けていた。

 

「……あのアンデッド娘、どう思う?」

「あの程度の腕でメイドなんて名乗って欲しく無いです。もしも外部の人間に見られたら、ナザリックのメイドはあんなものかと笑われてしまいます」

「アインズ様はどうしてあんな娘がメイド服を着るなんてお許しになられたのかしら?」

 

 何やら香織の事で不穏な噂をしている気配に、ユリは柱の陰からこっそりと覗く。そこにはナザリックの一般メイド達が愚痴を言い合う様に、『最近見かける見習いメイド』について話し合っていた。

 

「そもそも私達のこの衣装は、至高の御方が私達の為に手ずから下賜して下さった特別な物……部外者なんかに着て欲しくないです」

「ミキュルニラ様はもうナザリックの仲間なんだからお友達です、と言っていたけど、こればかりはねえ……」

「そもそもあの程度の腕前でメイドを名乗るなんて、烏滸がましいです! 私なら、あのアンデッド娘の倍の早さで仕事できるのに!」

 

 メイド達の噂話を聞いている内にユリは溜息を吐きたくなった。

 彼女達、一般メイド達がナザリックの外の人間に対して良い感情を持っていない事は知っている。彼女達のレベルは1しかなく、下手をすれば並の人間にすら負ける可能性もあるくらいだ。かつて自分達のすぐ上の階層まで人間達(プレイヤー)が侵入していた事もあって、彼女達にとって「外の人間は怖い」という意見が大半だった。

 

(でも、だからといって新参者である香織に当たるのは違う様な……そもそも、香織は私達と違ってメイドとして働く為に創られたわけではないでしょうに)

 

 彼女達がメイドとして創造主に創られた事に誇りを持っている事は分かる。しかし、創造された時から「メイドである」と定められ、完成された自身とメイドとしての修行を始めたばかりの香織を比べるのは酷だろう。そもそも香織は一般メイド達のようにアインズの側に仕えるわけでもなく、あくまでナグモ個人のハウスメイドなのだ。正直、そこまでの完成度は求めなくて良いんじゃないか? とユリは考えていた。

 

(これはちょっと良くないんじゃないかしら……こういう時、ルプーがいれば上手く場を収めるのでしょうね)

 

 奔放そうに見えて、実は相手を観察する事が得意なプレアデスの次女を思い浮かべる。残念ながら、彼女はアインズから勇者一味の教師の監視を命じられ、ナザリックには戻って来ていない。ユリは香織のフォローをする為にメイド達と少し話をすべきか———そう考えていた時だった。

 

「私、今度のアインズ様当番の時に思い切って言ってみます。あのアンデッド娘をナザリックから追い出して下さい、って……ひぃっ!?」

 

 突然、メイド達の一人が悲鳴をあげる。掃除道具を取り落とし、ペタンとその場に座り込んでしまう。そして離れた場所にいたユリにもはっきりと感じられた。

 それは殺気———それも生半可な実力ではない、手練れの者の———!

 

「貴方達、大丈夫!?」

「ユ、ユリ様……!?」

 

 即座にガンドレットを装着して、ユリは柱から飛び出した。一般メイド達は恐ろしい物を見たかの様に小さく震えていた。ユリは油断なく拳を構えながらメイド達を守る様に立つ。

 

「何があったの? 敵の姿を見た子はいる?」

「わ、分かりません……急に悪寒みたいなのものを感じて……!」

 

 ユリはメイド達の報告に顔を険しくしながらも戦闘態勢を崩さない。鉄壁を誇るナザリック地下大墳墓の警護をすり抜け、第九階層まで入り込む様な敵がいたのだ。油断など出来よう筈もない。

 

「出てきなさい、侵入者! アインズ様の下まで行かせるわけにいきません!」

 

 ユリは声を張り上げるが、殺気の持ち主からは何の返事もない。

 不気味なまでの静寂が場を支配していた。

 

 ***

 

「ああ、待ち給え。銀食器は普通の布ではなく、専用のクロスを使いなさい。それとお湯に重曹を混ぜるのを忘れない様に」

「はい、エクレア先生!」

 

 ナザリックの執事助手エクレアは、目出し帽を被った男性使用人に抱えられながら香織に清掃のやり方を指導していた。貴族風のカールな髪型をしたイワトビペンギンに教えられるというシュールな光景だが、香織は文句一つ言わずに真剣に取り組んでいた。

 

(ふぅむ。意外と筋が良いものだ……まあ、もちろん。この私には劣るがね!)

 

 自慢の髪型を櫛でかき上げながら、エクレアは香織の仕事ぶりを評価する。ナザリックでは珍しくカルマ値:善であるエクレアは、新入りである香織の事も特に差別する事なく接していた。

 

「どうですか?」

「結構、続け給え。ピカピカに、そう舐められるくらいに! 塵一つ残さない丁寧な仕事こそ、私の様にエレガントな作法なのだよ。そう、この私の様に!」

「え、ええと……分かりました!」

 

 ナルシズムに溢れたエクレアの発言にも香織は曖昧な笑みを浮かべながらも、素直に頷く。それだけでエクレアにとって大変満足いくものだった。

 

(実に良い子じゃないか。ナザリックのメイド達は何故か私の事を尊敬していないフシがあるのになぁ……しかし、こんな華奢な少女にしか見えない香織が階層守護者の方々と同じくらい強いとはねえ?)

 

 ナザリックにおいて守護者クラス———レベル100というのは限られた者しか到達していない領域だ。どういう経緯でそうなったのかエクレアは知らないが、目の前の見習いメイドは守護者達と同じレベル100……それどころか、まだまだ伸びる余地があるという。

 

(ナグモ様自らが改造した特殊なアンデッドとも聞いてるが、本当の所はどうなんだろうか? だが……これはチャンスじゃないか? 私がナザリックを支配する為のね!)

 

 内心で腹黒い笑みをエクレアは浮かべる。

 エクレアは創造主である餡ころもっちもちによって、『密かにナザリックの支配を企んでいる』と設定されたNPCだ。その為に日々、自分がナザリックの支配者になる為に他のNPC達の勧誘は惜しまないのだ。(もっとも、至高の御方への忠誠心が強過ぎるNPC達には全く相手にされてないが)

 

(だが、他の守護者達と違って香織ならばナザリックに来て日が浅い分、味方につけられる余地は十分ある筈だ。上手くいけば私の手駒として守護者クラスの者が手に入るぞ。フッ……今日も私は冴えている!)

 

 自らの灰色の脳細胞に酔いしれ、エクレアは香織に優しく声を掛ける。

 

「いやー、ナザリックに来てまだ日は浅いとはいえ、頑張っているじゃないか。この調子なら香織は一流のメイドになれるとも!」

「そんな、ユリ先生達に比べたら私はまだまだですよ。だから、ナグモくんやアインズ様の為にもっと頑張ります!」

「うんうん、良い心掛けだね。ところで物は相談なんだが、私の正式な部下になる気は無いかい? 掃除の仕方だけでなく、ナザリックの未来の支配者として私から手取り足取り教えて———ひぎぃ!?」

 

 突如、エクレアが悲鳴を上げて飛び上がる。エクレアを抱えていた男性使用人も「イーッ!?」と特撮の戦闘員の様な声を上げて背筋を震わせた。

 

「エ、エクレアさん? どうかしたんですか?」

「う、うむ……いや、大丈夫。ちょっと寒気がしただけだよ」

 

 香織は何も感じていないのか、突然声を上げたエクレアを不思議そうに見つめる。エクレアはみっともない声を上げた事を恥ずかしく思い、今さっき感じた殺気の様な物を誤魔化そうとしていた。

 

 ***

 

「妙な気配、ですか……」

 

 ナザリックの執事にして、第九階層の実質的な階層守護者であるセバスは役職上の部下達の報告に渋みのある深い声を出した。

 

「ええ。時折、誰かに監視されてる様な気がするとメイド達から報告が上がって来てます………あ、ワン」

 

 ナザリックのメイド長であるペストーニャ・S・ワンコは真ん中に縫合痕のある犬の顔を不安そうに曇らせながら報告した。その際、創造主に設定された語尾を思い出したかの様に付け足したが、いつもの事なのでセバスは気にしていなかった。

 

「中には殺気を向けられた者もいて、メイド達が動揺していますワン」

「私も似た様な気配を感じましたよ!」

 

 男性使用人に持ってもらいながら、エクレアもセバスに報告した。

 

「この第九階層に何者かが侵入しているんじゃないかい? 警備配置を見直すべきです。具体的には、私を支配者に据えてみるとか!」

「……それはともかく。これは由々しき事態ですね」

 

 エクレアの問題発言を無視して、セバスは渋面を作る。ここ、ナザリックの第九階層は至高の御方の居室もある事から警備は他の階層より一層厳重に行われている筈だ。だが、姿なき招かれざる侵入者はその警備網を突破しているという。今は殺気を感じる以外、人的な被害は無い様だが、今後も同じとは限らない。至急、アインズに報告すべきだろうとセバスは考えた。

 

「あれ〜、セバスさんに、ペストーニャさん〜。それにエクレアさんも〜。みんなで集まってどうかしましたか〜?」

 

 唐突に緊張した場を弛緩させる様な間延びした声がかけられる。そこにはナザリックの副研究所長であるミキュルニラがダブついた白衣をヒラヒラさせながら近寄って来ていた。

 

「やあ、ミキュルニラ。今日も元気そうだね!」

「お変わりない様で、何よりです……あ、ワン!」

「はい〜、今日も元気にやってますよ〜。出来ればミッキーちゃん、と呼んで欲しいです〜」

 

 子供が大人の靴を履いた様にぶかぶかな黄色い靴をペタンペタンと言わせながら、ミキュルニラはヒラヒラと片手を振る。ミキュルニラの要求に微妙な表情をするエクレア達に代わり、セバスが応対した。

 

「お久しぶりです、ミキュルニラ様。本日はどの様なご用件でしょうか?」

「いえいえ〜、用だなんてとんでもありません〜。食堂のデラックスジャンボパフェを食べに来ただけですよ〜。私、あれが大好きなので〜」

「そうですか、ミキュルニラ様にそう言って頂けると料理長も喜ぶでしょう。ところで話は変わりますが……一つご相談したい事があります」

 

 はい〜? とモルモットの耳がついた頭を可愛らしく傾げるミキュルニラに、セバスは「第九階層に現れる姿なき侵入者」について話した。話を聞いていく内に、ミキュルニラの表情もどんどんと真剣みを帯びていく。

 

「———という次第でして……ナザリックの副研究所長としてのご意見をお聞きしたいのですが、この侵入者がアインズ様が敵対しているエヒトルジュエなる神の手先という事は考えられませんか?」

「う〜ん……エヒトルジュエの全てをまだ解明したわけではないですけど〜。その可能性は低いと思われます〜。ミレディちゃんが潜伏している大迷宮とか、正体の研究をしていたオスカーさんの大迷宮にもノータッチでしたし……おそらく、エヒトルジュエは神様と言っても〜、世界全部を見通せる程の全知全能というわけではないと思うんですよね〜。ナザリックの事に気付いているなら、もっと早くに攻撃して来てると思います〜」

 

 眉根を寄せながら答えるミキュルニラに、セバスは納得する様に頷く。自分が親善に赴いた竜人族の隠れ里も、ナザリックより遥かに劣る防備でありながらエヒトルジュエに見つかった事はないという。あえて見逃しているという可能性もあるが、アインズという至高の支配者を相手にそこまで過小評価はしない筈だ。もっと直接的なアプローチをして来なければおかしい。

 

「そもそも〜、第九階層に忍び込む手段なんて限られてます〜。正攻法で来るにしても、上の階層の誰にも気付かれないなんておかしいですし〜、階層間の転移門の管理をしているオーレオールちゃんが異変を感じてる筈です〜。考えられるとしたら〜、アインズ様みたいにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使って直接転移するとか…………あ」

「ミキュルニラ様? どうかされましたか、ワン?」

 

 饒舌に語っていたミキュルニラが急に黙ってしまった事にペストーニャは疑問符を浮かべる。しかし、ミキュルニラは「もしかして……」、「今朝見たあれは……」とブツブツと呟き出した。

 

「ミキュルニラ様。もしかすると、侵入者に心当たりがあるのでしょうか?」

「……確認したいのですけど〜。今日って、香織ちゃんが第九階層で研修を行う日でしたか〜?」

「ああ、その通りだよ。それがどうかしたかい?」

 

 エクレアの答えに「やっぱり……」とミキュルニラは頭を抱える。

 

「あのですね〜……その侵入者さん、もしかしたら私が捕まえられるかもしれないです〜」

 

 ***

 

「それで……何をしていらっしゃるんでしょうか〜?」

 

 数時間後。ミキュルニラはセバス達と共に、侵入者———ナグモを正座させて取り囲んでいた。ナグモはいつもの無表情で、ボソッと呟く。

 

「……何故気付いた。このステルス迷彩『ENDOH三型』は、試作品とはいえ隠密性はかなり高かった筈だというのに」

「しょちょ〜のデスクに広げられた設計図を見てましたから〜、その装置の特性とか弱点とかお見通しです〜」

「チッ……改良の余地があるな、『ENDOH三型』は」

 

 舌打ちしながら発明品らしき機械を取り外すナグモに、セバス達は何とも言えない表情になる。

 侵入者の正体は第四階層守護者代理であるナグモだった。確かにナグモならリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っているからナザリック内を自由に転移できるし、今し方使っていたステルス迷彩はミキュルニラが作った即席の探知機を基にセバスが気配を探らなければ見破れないレベルだったのだ。

 

「そういう事を聞いてるんじゃありません〜。ステルス迷彩まで持ち出して何をやってるんですか」

「別に……試作品のテストを———」

「ナグモ所長」

 

 口から出まかせを言おうとしたナグモをミキュルニラはいつもの戯けた口調を消して、ジッと見つめる。

 その視線に耐え切れなくなったのか、ナグモはそっぽを向きながら不貞腐れた様に答えた。

 

「………香織がナザリックのメイドになった事を快く思ってない者がいる、とシズから聞いた。だから、ちょっと様子を見に来ただけだ」

 

 ナグモの言い分に、セバス達は「ああ……」と頷いた。彼らは一般メイド達を取り仕切る立場として、メイドの新人研修をしている香織の微妙な立場を知っていた。

 

「だからといって、ステルス迷彩まで使ってこっそり見守ろうとするのはやり過ぎだと思います〜。それに悪口を言ったメイドの子まで怖がらせちゃうなんて……」

「仕方ないだろ、僕が目の前にいたら表面上は香織を気遣っているフリをするだろ」

「そういう事じゃありません。香織ちゃんの事が大事なのは分かりますけど、それで他のお友達を傷付けちゃうのがやり過ぎだと言っているんです」

 

 いつもの様に戯けた態度は見せず、まるで悪い事をした子供を叱りつける様な口調でピシャリとミキュルニラは言い放つ。いつもとは何か違う事を感じたのか、さすがのナグモも罰が悪そうに黙り込んだ。

 

「その……香織さんの事にフォローが足りなかったのは私の監督不行き届きです、ワン」

 

 ペストーニャが助け船を出す様にナグモにフォローを入れた。

 

「これからはメイド達の意識改革を徹底させますので、今後はこの様な真似を謹んで頂きたいです……あ、ワン」

「私からも香織に目を配りましょう。ですから、今日の所はお引き取り頂けませんか?」

 

 第九階層の重鎮であるメイド長と執事に丁寧にお願いされ、ナグモは気まずそうな顔を見せる。まるで叱られた子供そのものだったが、しばらくして二人へ頭を下げた。

 

「その……配慮が足りない行為だった事は認める。申し訳なかった」

「大丈夫ですって。ナザリックの次期支配者となる私がいれば、香織を追い出そうとする子はいなくりますとも。あ、ところで香織がナザリックに馴染みやすい様に私の直属の部下にしてみるとか———」

「あぁ……?」

「……調子乗ってすいません」

 

 ***

 

「しょちょ〜がご迷惑をお掛けしました〜」

「いえいえ、お気になさらず……あ、ワン」

 

 食堂への道を歩きながら、ミキュルニラはペストーニャに頭を下げていた。

 

「……本当にごめんなさいです。しょちょ〜は初めて誰かを好きになったから、香織ちゃんに過保護になってるんです」

「分かってますワン。あの様子だと、慶事は近いかもしれませんワン」

 

 シシシ、と犬顔を歪めてペストーニャは笑う。香織にはメイド修行より花嫁修行をさせた方が良いかもしれない。

 

「それにしても、少し意外でしたワン。ミキュルニラ様が、ナグモ様にあそこまではっきりと仰るなんて」

 

 ナザリックのNPC達は基本的に至高の御方達に作成された者同士として平等だ。それぞれの役職は飾りみたいなものだが、創造主に設定さ(定めら)れた役割として敬意を持って職務に取り組む。いつもの誰に対しても笑顔と愛嬌を振り撒くマスコットキャラのようなミキュルニラが、上司であるナグモの行動を強く咎める言動をしたのがペストーニャには驚きだったのだ。

 

「う〜ん……しょちょ〜は子供っぽい所がありますから〜、いけない事は駄目ってちゃんと言ってあげないと〜」

「はあ……なんというか、ミキュルニラ様はナグモ様の事を大切に想っていらっしゃるのですね……ワン」

 

 なんとなしにペストーニャはそう呟いた。

 すると———。

 

「………うん。だって、それがじゅーる様が私にくれた役割ですから。所長の隣にいる娘が、私じゃないとしても———」

 

 いつものマスコットキャラの様な言動から外れた、静かな声でミキュルニラは答えた。

 

「……? ミキュルニラ様?」

「……な〜んて、冗談ですよ〜。これでも私は副所長ですから〜、しょちょ〜がしっかりしてくれないと困っちゃいますからね〜」

 

 違和感を感じたペストーニャが振り返るが、ミキュルニラはニコニコとした笑顔を見せていた。

 

「早く食堂に行きましょうよ〜、私もうお腹ペコペコなんです〜」

 

 ルンルン♪ とスキップする様な足取りでミキュルニラは先を歩く。ペストーニャは先程感じた違和感に首を傾げつつも、ミキュルニラを案内する為に歩を早めた。

 

 ***

 

 オマケ

 

「———という事が、今日あったらしい……」

「あ、やっぱり。ナグモくんが近くにいたんだね」

「……? 香織は気付いていたの?」

「うん。だって掃除をしていた時に見つけたナグモくんの髪の毛はまだ新しく抜けたばかりだったし、ナグモくんの残り香もまだ薄れてなかったもの。それに絨毯に付いた新しい足跡はナグモくんが履いてる靴のものだったし、後は……あれ、どうしたのユエ? 何で頭を抱えているの?」




>ペストーニャ・S・ワンコ

 本名、ペストーニャ・ショートケーキ・ワンコ。
 ナザリック地下大墳墓のメイド長であり、見た目はメイド服を着て直立二足歩行したシェットランド・シープドッグ。とても優しく、慈悲深い性格で原作ではアインズの命令に逆らって人間の子供達を助けようとするほど。語尾に「ワン」と付ける様に設定されているが、時々忘れる。

>ステルス迷彩『ENDOH』

 ナグモがとある人間を参考に開発したステルス迷彩。ナグモ曰く、「あれは得難い珍種だったから採取しておけば良かったな。名前は確か、え……遠藤だったな。………多分」。


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第九十三話「ナザリック・オムニバス②」

 (文字数を見ながら)オムニバスって、何だっけ……?
 今のうちに拠点イベントは済ませておきたいんですよ。多分、次の次の話くらいで、色々な人を突き落とすつもりでいるので。


 ナザリック地下大墳墓・第六階層・円形闘技場(コロッセウム)

 

 キィン、キィン! と剣戟の音が鳴り響く。

 ナグモは黒傘“シュラーク”を振り翳し、コキュートスへと斬り込んでいく。

 

「はぁああっ!」

「フム……キチント重心ヲ考エタ動キハ出来ル様ニナッタナ」

 

 コキュートスは白銀のハルバードでナグモの黒傘を受ける。四本の腕の内の一本しか使っておらず、ナグモが額に汗を浮かべているのに対して冷静にナグモの動きを分析出来るくらいコキュートスは余裕だった。

 

「戦士トシテノ基礎ハ固マッテキテハイル。ダガ……」

「ぐ、うっ……!」

 

 コキュートスがハルバードを一振りする。ナグモは黒傘の手元を両手で持って、どうにか受け止める。しかしコキュートスはハルバードを素早く翻すと、石突で無防備になったナグモの鳩尾を突いた。

 

「カハッ!?」

「マダ甘イ」

 

 地面に転がったナグモの心臓に向けて、コキュートスはピタリと切っ先を突きつけた。

 

「相手ノ一撃ヲ止メタ後、次ノ一撃ニ備エラレル様ニナラナクテハナランナ」

「ゲホッ、ゲホッ……ああ、分かった」

 

 胃がえずく感覚に耐えながら、ナグモは頷いた。

 

「マア、鍛練ヲ始メタ時ヨリハマシナ動キニナッタ。ソコハ評価スル」

「手加減した一撃で無様に転がされたのを評価されてもな……」

 

 起き上がりながらナグモは溜息を吐く。そもそもナザリック一の武器の達人であるコキュートスが本気で突いたなら、ナグモの胴体は真っ二つになっているだろう。

 

「シカシ、意外デアッタ。マサカオ前カラ格闘戦ノ指導ヲ願イ出サレルトハ」

 

 コキュートスがそう驚くのも無理はないだろう。元々のナグモの戦闘スタイルは機械(マシン)モンスターやキメラ、果ては巨大ゴーレム・ガルガンチュアなどを使い、彼等を指揮しつつ補助魔法で強化していくサポーター型だ。その為にナグモ単体での戦闘能力は階層守護者(ヴィクティムを除いて)の中ではぶっちぎりの最下位なのだ。

 もっとも、コキュートスはそれを悪い事だとは思わない。そもそもナグモはナザリック技術研究所の所長も兼任しているのだ。ナグモの役目は頭脳労働であり、武人である自分とは違う形でアインズに貢献する者と認識していた。

 ところが少し前から、そのナグモに格闘戦の指導をして貰う様に請われていたのだ。以来、コキュートスの時間が空いている時にこうしてナグモを鍛え上げる訓練を施していた。

 

「僕の新しい武器、黒傘“シュラーク”は近接戦も視野に入れた万能兵装だ。とはいえ、僕自身に格闘センスが無ければ宝の持ち腐れになるからな……」

「今マデノ様ニ二丁拳銃デ戦エバ良イノデハナイカ? 元々ノ戦法ヲ捨テテマデ、近接戦ヲ極メヨウトスルノハ賢イ判断デハ無イゾ?」

「それも考えたのだが……知っての通り、僕はアインズ様の供回りとして外で活動する様になった。“冒険者ヴェルヌ”がトータスに存在しない筈の銃器を使うわけにはいかない。その点、黒傘は外の世界で使用しても目立つ心配はない」

 

 武器が傘というのも奇妙ではあるが、それでも扱いなれない剣などを使うよりはしっくりと来るのだ。しかも、この黒傘“シュラーク”は神結晶を精錬して神器級の強度を誇り、仕込み銃器などのギミックを備え付けている。

 

(唯一、気に入らないのは人間(オスカー)の発想の真似だという事だが……背に腹は代えられん)

 

 それに、とナグモは思い返す。かつて“歪な魔物”と化した香織を相手にした時、ガルガンチュアがいなかった事を差し引いても戦闘そのものは全くの落第だった。弱点となる近接戦をそのままにしておく事はナグモの技術者としてのプライドが許さず、()()()()()()()()()()()()()()にあんな風に運が良かったからどうにか勝てたという事は繰り返したくなかった。

 

「来たる愚神エヒトとの戦いの為にも、戦力を上げておくに越した事は無い。アインズ様の為にも更なるレベルアップをする必要がある……そう判断したまでだ」

 

 ナグモがそう締めくくると、コキュートスはしばらく無言のままナグモを見る。そして極寒の冷気が混じった溜息を吐いた。

 

「……羨マシイモノダナ」

「なに……?」

「オ前ニハマダ強クナル余地ガアリ、レベルモ我等守護者ノ中デ唯一100ヲ超エタト聞ク。ソレガ私ニハ羨マシク感ジル」

 

 その言葉にナグモはハッとした。神代魔法を行使できる様になった影響か、ナグモを含めてアインズ達のレベルはユグドラシルではシステム上で不可能なレベル100オーバーに到達したのだ。しかも、これは神代魔法を得る度にさらに上がる様なのだ。例えばユエは当初はレベル50に満たない程度だったが、重力魔法を覚えた事でレベル70台の位階魔法も使える様になった。神代魔法は個人によって相性はあるが、適性が噛み合えば今のレベルから大きく引き上げる切っ掛けになるのかもしれない。

 

「私モ神代魔法ヲ習得デキレバ、今ヨリ更ニアインズ様ノ役ニ立テタダロウ……ソレガ堪ラナク口惜シイ」

「コキュートス……」

 

 聞き取りづらい口調ながらも、歯痒さを滲ませるコキュートスにナグモは言葉を失う。つい先日、デミウルゴスと話している時に思った事が頭によぎる。無機生命体として作られた彼等は、作られた当初の姿で完成している状態なのだ。人間である自分の様に成長できる存在ではない。

 

「私ガ訓練ヲ施シテイル亜人族達モダガ、今ハ力ガ弱クトモソノ成長率ニハ目ヲ見張ルモノガアル。短期間ノウチニ成長デキルノガ人間トイウモノノ強ミナノカモシレンナ。何レ、レベルガ上ラヌ我々ハ不要ナ存在ニナルノカモシレンナ……」

「それは違う」

 

 どこか哀愁すら感じるコキュートスの言葉に、ナグモははっきりと宣言した。

 

「アインズ様は、ナザリックに最後まで残っていて下さった慈悲深い御方だ。そのアインズ様がそんな理由で見捨てるわけがない」

「ナグモ……」

「そもそもだな。レベルが100を超えたと言っても、生産職が主である僕より、純粋な戦闘職であるコキュートス達の方がまだステータスが高いくらいだぞ? だからこうして、君に教えを請いに来てる」

 

 いつになく熱弁する『他人嫌い』の守護者をコキュートスは意外そうに見つめる。

 

「それに君はアインズ様から直々に亜人族軍の統括を命じられたのだろう? はっきり言って、僕が同じ事を命じられても君ほどの成果を出せる自信はない。頭の悪い連中と話しているだけで、イライラとしてくるからな。……まあ、だから、なんだ……アインズ様はそのくらい君に期待をかけているから、気落ちする必要など無いというか……」

 

 慣れない励ましの言葉を言おうとしている為か、後半は尻すぼみになりながらナグモは締め括った。

 

「……意外ダ。本当ニ意外ダ。近接戦闘ノ稽古ヲ願イ出タ事トイイ、オ前ニ励マサレル日ガ来ルトハナ。本当ニ、以前ノオ前トハ何ガ変ワッタ気ガスル」

「……別に。確かに以前の僕は、じゅーる様より頂いたこの頭脳さえあれば、何でも出来るから他人など不要と思っていたが……そんな事は無かったと思い知ったというか……」

 

 香織の事を思い出し、しかしそれをはっきりと口にするのが恥ずかしいナグモは決まりが悪そうにぶつぶつと呟く。もう、香織がいないかつての生活など考えられないくらいにナグモの価値観は大きく変動していた。『他人』という概念を初めて知った生まれ立ての元・NPC(少年)は、ナザリック地下大墳墓を大きな家族(ファミリー)の様に感じる様になり、ナザリックに所属する者達には寛容な心が芽生え始めていたのだ。

 

(……そうとも。コキュートス達が無機生命体だろうと関係ない。シズに至っては完全な自動人形(オート・マトン)だしな。だが、それでも僕と同じく至高の御方に創られた存在。生物か非生物かの優劣なんてないし、低脳な外の人間達なんかより全然いい)

 

 そう頭の中で結論付けていると、コキュートスがハルバードを構え直した。

 

「ナラバ———私ハ今出来ル最善ヲ尽クシテ、アインズ様ニ貢献シヨウ。構エロ、ナグモ。オ前ガアインズ様ノ旅ノ護衛トシテ十全ニ果タセル様、鍛エテヤル!」

「ああ———お願いしよう、コキュートス!」

 

 ナグモは再び黒傘“シュラーク”を構え直し、コキュートスへ果敢に斬り込んでいった。

 

 ***

 

「いやはや……アンタもよくやるねぇ」

 

 第六階層にある巨大樹でアウラは丸テーブルに座ったナグモに呆れた様に声を掛けた。ナグモは打ち身やら青痣やらを身体の至る所に作った姿でテーブルに突っ伏していた。

 

「そりゃアインズ様のお役に立ちたいのは分かるけどさ……。コキュートスに武器の訓練を願い出たらこうなるのは分かっていたろうに……」

「全くでありんす。あまり無茶をするもんじゃありんせん。妾達と違って、ぬしは肉体的に脆弱な人間でありんすから」

「……悪かったな、脆弱で」

 

 身体中の痛みに耐えながら、ブスッとした様子でナグモは同席しているシャルティアに返した。守護者達の中で総合力最強であり、真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)であるシャルティアからすればナグモの近接戦闘の特訓は「弱い人間の癖によくやるものだ」と呆れ半分の行いなのだろう。

 

「そう馬鹿にしたものではないよ、二人とも。彼なりにアインズ様のお役に立とうと努力している結果なのだからね。その姿勢は称賛すべきだろう」

「……マア、少シ熱ガ入ッテシマッタ事ハ認メル」

 

 デミウルゴスがいつもの様に紳士的な笑みを浮かべながら評価する中、コキュートスはポリポリと頬を掻きながら呟いた。

 ナグモとコキュートスの訓練が終わった後、二人はアウラのお茶会に誘われていた。お互いの近況を話す事も含めて、この場には手が空いている守護者達が集まっていた。

 

「でも意外だよね。こういう集まり、前のナグモなら絶対に来なかったのに」

「ほんの気紛れだ……しかし、アウラ。君はマーレと魔人族達の所へ潜入捜査に行っている筈だったが、そこはいいのか?」

「ああ、大丈夫。あっちにはマーレを残してきてるし。第六階層もたまには私自身の目でチェックしないとね」

「ぬしに貸した私のペット、役に立ってるでありんすかえ? 久しぶりに遊びたくなってきんした」

「……まあ、一応仕事はしてるけどさ。夜中にアンタの名前を口にしながらゴソゴソしてんの、本気でどうにかなんない?」

 

 ジト目で抗議するアウラに、シャルティアは自分の調教()の成果がキチンと現れている事にドヤッとした顔になった。

 そんな二人を余所に、デミウルゴスは紅茶の香りを楽しむ様にカップを持ち上げる。ズボンから生えた尻尾さえ無ければ、王侯貴族と言われても信じられる優雅な仕草だった。

 

「良い香りだ。これに合うのは、やはり人間の———ああ、すまない」

「……別に。気にしてなどない」

 

 デミウルゴスは自らの失言に悔いる様に謝罪する。別に趣味を隠す理由は無いが、他の守護者を不快にする気も無い。そのためにデミウルゴスは謝罪したのだ。

 

(まあ、人間が牛や魚を食すのと同じ様な物だからな……種族が悪魔という事を考えれば、人間を害するのは当たり前の話だろう)

 

 話題を変える為、ナグモはまだ痛む身体を我慢しながら紅茶に手をつける。

 

「それにしても、こんな茶会を開いていたというのは初めて知ったな」

「ナグモはアインズ様が召集した会議でもなければ、第四階層から出て来なかったもんね。昔、ぶくぶく茶釜様ややまいこ様達がいた頃によく私とマーレもお茶会に参加させて貰ったんだよねえ。だから時々、ここで守護者同士で私的な報告会も兼ねてお茶をしてるんだ」

 

 それはきっと、かつてのナザリックの姿を懐かしんでいるのもあるだろう。アウラの話に、ナグモもかつてじゅーるから聞いた情報を思い出していた。

 

「ああ……確か、やまいこ様の妹君であるあけみ様もよく招待されていたとか……」

 

 チラッとナグモは壁の隅にある人形に目を向ける。そこには獅子に跨ったエルフを象ったヌイグルミが鎮座していた。

 

「姿が違っただけでナザリック———いえ、“アインズ・ウール・ゴウン”の一員になれなかったとは……悲劇的な話です」

「マッタクダナ……」

 

 他の守護者達もしみじみと呟く。その中で、ナグモは内心で首を傾げた。

 

(半魔巨人(ネフィリム)であるやまいこ様の妹君がエルフ? 妙だな……二人は義姉妹だったのか?)

 

 他の守護者達———恐らく直接の面識があるだろうアウラすら、それを疑問に思う様子はない。どこか違和感を感じる話なのだが、至高の御方達のプライベートに関わる話だけに、深く探りを入れるのは躊躇われた。

 

(僕も、オリジナルであるじゅーる様の御子息が人間だったんだ……それを考えれば、おかしくはない……か?)

 

 きっと至高の御方達には、自分には与り知らない深い事情があるのだろう。そう結論付けて、ナグモはそれ以上の思考を打ち切った。

 

「……ああ、そうだ。ちょっとナグモに聞きたい事があったんだけどさ」

 

 しんみりとした場の空気を払拭しようと、アウラはナグモに話題を向けた。

 

「あのさ……アルベドと、何か喧嘩した?」

 

 ピン、とナグモの纏う空気が張り詰める。ナグモはいつもの無表情———ただし、眉間に皺が寄っている———で答えた。

 

「……別に? 守護者統括殿と、少し意見があわなかっただけだ」

「そういえば、あんたってアルベドの事をいつも『守護者統括殿』と呼ぶよね。なんか他人行儀じゃない?」

「名目上は僕の上司だから、敬意ぐらいは示すさ。至高の御方々が定めた役職だしな」

 

 頑なな態度を崩さないナグモに、アウラは困った顔になる。「仲が悪い」と創造主に設定されたシャルティアはともかく、ナザリックの守護者として仲間意識を持つ彼女からすれば、仲間同士の仲が悪いのは見過ごす事が出来なかった。謁見の間や第九階層の執務室など、二人が顔を合わせる度にピリピリとした空気が流れている事を敏感に感じ取っていたのだ。

 

「ナグモが最近飼い始めたアンデッドの娘……その処遇で揉めたそうでありんすよ」

「へ? そうなの?」

「断っておくが、香織の事はアインズ様から直々に僕へ一任されている」

 

 事情を知るシャルティアにナグモは食って掛かる勢いで反論した。

 

「そんな噛み付かないでくんなまし。私はむしろぬしと香織の仲を応援してるんでありんすから」

「……はぁ?」

 

 ニコニコと笑うシャルティアに、ナグモは胡乱な目付きになった。どう考えても胡散臭過ぎる。

 

「……そういえばお前、前に香織に色々と吹き込んだそうだな。何が望みだ? 聞くだけなら聞いてやるぞ」

「そんな下心がある様に言われるのは心外でありんすねぇ。まぁ、そこまで言われたなら、ちょいとぬしに聞きたい事がありんすが……」

 

 ふと、シャルティアは真剣に顔になる。何を要求されるのか、ナグモは身構え———。

 

「ぬし…………ボテ腹プレイとか興味ありんせん?」

「………………………は?」

 

 たっぷりと、十秒くらいナグモはフリーズしていた。

 

「いやね、香織と毎晩の様によろしくやってるそうじゃありんせんか? 私も香織に色々と教授してやったでありんすが、そういうマニアックなプレイにそろそろ興味が出てくる頃じゃありんせん?」

「急用を思い出した。失礼する」

 

 ナグモはにげだした!

 しかしまわりこまれてしまった!

 

「まあまあ。ちょ〜っと、お待ちなんし。同じ死体愛好家(ネクロフィリア)のよしみで、仲良くやろうじゃありんせんか?」

「離せ。あと、何度も言うがお前と一緒にするな」

「いやね? ボテ腹プレイをやろうとするなら、香織を孕ませる必要がありんしょう? アンデッドを妊娠させる研究とか、そろそろやってみたくありんせん?」

「離せ。さっさと、この手をは、な、せ……!」

「ほら、アインズ様の第一王妃を狙う身としては? アインズ様の御子を孕める身体になっておきたいでありんす。ね、ね! ぬしなら分かってくれんしょう?」

「お願いします、離して下さい。僕は貴方みたいな人と関わり合いになりたくないんです」

 

 キャラ崩壊して敬語になるナグモに対して、逃がさないとばかりにシャルティアはギリギリと力を込めていく。

 

「香織にアレコレやられて気持ち良かったでありんしょう? ほら、もっと先の扉を開くでありんす! そして私にアインズ様の子種を仕込むでありんす!」

「最近香織の攻めが激しくなったのはお前が原因か! いや、ちょっと待て———!」

 

 ナグモはふと違和感に気付いた。短絡的なシャルティアがこんな迂遠な計画を思い付くだろうか? 一瞬の内に、シャルティアにこの計画を吹き込むであろう人物を思考回路が割り出した。

 グリン、とナグモの首がある人物へ向く。視線の先で———スーツを着た悪魔がわざとらしく肩をすくめていた。

 

「デミウルゴス……!」

「さあさあ、今すぐアンデッドを孕ませる研究に取り掛かるでありんす! ついでに妾にアインズ様の寵愛を受ける様に取り計らいなんし!」

「本当にいい加減にしろ、このド低脳吸血鬼が!」

 

 ギャーギャーと騒ぎ出す二人にアウラは「うわぁ……」という顔になった。そしてナグモの代わりにデミウルゴスに真意を問い質す事にした。

 

「あー……デミウルゴス?」

「まあ、ナザリック地下大墳墓の将来や戦力増強という意味でも興味がある事だったからね。偉大なる支配者の後継はあるべきだろう? もしも、アインズ様が他の方々の様にナザリックを去られてしまった時……あとは万に一つも有り得ないが、エヒトルジュエに敗れてアインズ様が崩御された場合に私達が忠義を尽くすべき御方を遺して頂ければ、と思ってね」

「ソレハ不敬ナ考エダロウ。ソウナラヌ様ニアインズ様ニ忠義ヲ尽クシ、偽リノ神デアロウト討チ滅ボシテ首ヲ捧ゲルノガ、我ラ守護者ガ果タスベキ責務ダ」

 

 横から口を挟んだコキュートスにデミウルゴスは頷く。

 

「無論、理解しているとも。しかしだね、コキュートス。アインズ様の御子息にも忠義を尽くしたいと思わないかい?」

「ムゥ……ソレハ興味ガアル……」

 

 コキュートスは脳内にアインズの子供を背に乗せて走る姿を思い浮かべる。

 それだけではない。

 剣術を教えるところ。迫り来る敵を打ち払い、尊敬の眼差しで見られるところ。そして大きくなった子供が、立派な支配者となる姿を陰ながら見守るところまで。

 

「……イヤ、素晴ラシイ……素晴ラシイ光景ダ……立派ニナラレテ……爺ハ……爺ハ嬉シイデスゾ……!」

「おーい、コキュートス?」

 

 脳内で「爺や」になり切っているコキュートスに、アウラの声は届いていなかった。そんなコキュートスからデミウルゴスは意識的に目線を切りながら、アウラに向き直った。

 

「……まあ、とにかく。そういった意味では、ナグモがアンデッドの娘を飼い始めたのは丁度良かったのだよ。アインズ様はアンデッドであらせられるから、普通の手段では御子を成す事は出来ないだろう? そういう事もあってか、アインズ様はあまり後継をお作りになられる事に積極的では無いご様子だしね」

「ああ……じゃあ、何? ナグモが自分の研究でどうにかして香織と子供を作った時、その技術でアインズ様に御子息を作って貰おうという事?」

「まあ、そうだね。ついでにナグモの子供がどれ程の強さとなるのか、それはそれでナザリックの強化計画として興味はあるからね」

 

 しれっと答えるデミウルゴスに、アウラは少しだけ眉根を寄せる。確かに他の方々の様にアインズが居なくなったら、自分達は誰に忠義を尽くせば良いのか分からなくなる不安はある。しかし、まだ76歳とはいえ女性として、女を産む機械の様な発言をするデミウルゴスの発言にちょっとだけ嫌気がさしていた。

 

「……まあ、あんたの考えは分かったけどさ。それをシャルティアに話したわけ?」

「私はあくまでそういう可能性がある、としか言ってないのだが……困ったものだね、あそこまで露骨に迫ったら、逆効果だろうに」

 

 やれやれ、とデミウルゴスは溜息を吐いた。シャルティアがここまで暴走するというのは、ある意味で計算外だったのだろう。「私もまだまだだね」とデミウルゴスは頭を振った。

 

「では、私はそろそろ失礼するよ。王国の道化勇者は、細かく監視していないと予想外の暴走を引き起こしそうなのでね」

 

 それだけ言うと、デミウルゴスは立ち去った。その場に残ったのは、未だにギャーギャーと取っ組み合うナグモとシャルティア(お子様二人)と、妄想に浸っているコキュートス(未来の爺や)が一人。

 

「………え? ひょっとして、私がどうにかしないといけない感じ?」

 

 後始末を体よく押し付けられたアウラは、深い溜息を吐いた。



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第九十四話「ナザリック・オムニバス③」

プロローグや番外編を入れて、この話でちょうど100話目となりました。
 
思えば仕事のストレス発散に書き始めた小説ですが、ここまで続けて来られたのは応援してくれる読者の皆様のお陰です。
 
そしてその記念すべき100話目が原作で不死者の王と成り果てていくアインズ様にも救済を、と願った話になるのは感慨深いです。
 
これからも「ありふれてないオーバーロードで世界征服」をよろしくお願いします。


「アインズ・ウール・ゴウン……魔導国……?」

「ああ、これよりフェアベルゲンはアインズ様の治める国として生まれ変わる」

 

 もはやナグモの第二のホームと化したオルクス迷宮最下層の屋敷。ユエはナグモから聞かされた話に目を丸くした。

 

「ようやくアインズ様がトータス全てを支配する足掛かりが得られた、といったところだな」

「さすがはアインズ様だよね。帝国で奴隷にされていた人達も家族のところに帰って来れたし、アインズ様が王様になって皆嬉しそうだったよね」

 

 いつものメイド服に着替えた香織が、ナグモに紅茶を淹れながら頷いた。

 フェアベルゲンの長老会は満場一致でアインズが自分達の君主となる事に同意した。強大な力を持ち、亜人族全てを救ってくれた亜人族の神(アンデッド)が王となって国を治める事に反対の意見など上がる筈も無かった。

 一番大きかったのは、長老会の古参であるジンが同意した事だろう。自分の娘を救われた彼は一生を捧げてもアインズに恩を報いると誓い、同胞たる熊人族に飽き足らずフェアベルゲン全ての部族に魔導王を迎え入れるべきだと説得して回ったのだ。長年フェアベルゲンの屋台骨を支え続けてきたジンの説得に、余所者であるアインズを王にする事に懐疑的だった亜人族達すらも折れたのだ。

 ジンの娘であるアルトも自分達より後にフェアベルゲンへ戻れた元・奴隷達に『魔導王は如何にして自分達に慈悲を与えてくれたか』を語り、彼等にもアインズへの畏敬と深い感謝の念を芽生えさせていた。

 かくして、長老会に飽き足らず亜人族全ての部族からの賛同を得て、『亜人族の国フェアベルゲン』は正式に『アインズ・ウール・ゴウン魔導国』となったのであった。

 

「アインズ様は魔導国へエヒトルジュエに対抗する戦力を集めるおつもりの様だ。その為にも二人には冒険者モモン一行として各地を巡る中で、魔導国の宣伝も行って貰いたい」

「魔導国は良い国ですよ、って周りの人達に言えば良いのかな?」

「まあ、そうだな。今、地方での冒険者の需要が高まっている様だからな。高ランク冒険者チームとなったモモン一行の話に耳を傾けない者はいないだろう」

 

 現在、ハイリヒ王国では聖戦遠征軍の発足が発令された事で様々な村や町から兵士として若い男達が徴兵されていた。それにより各都市にいた常備兵はおろか、村の自警団に至るまで若い男達がいなくなり、王国の警備が行き渡らない地方では連日の様に魔物の脅威に晒されている。しかも聖戦遠征軍の資金調達の為に重税をかけられて、生活に困窮した農民達が野盗となってどうにか食い扶持を確保しようとするなど、冒険者組合へ魔物退治や野盗討伐の依頼が殺到している状況となっているのだ。

 

「その為にも君達にはより一層の奮起を期待する。“人間達の英雄”モモンが薦める魔導国こそが、真の理想国家……そう思われる様に、戦闘技術の向上や手に入れた神代魔法の習熟に力を入れる様に」

「うん、分かったよ! アインズ様とナグモくんの為に、私頑張る!」

 

 香織が力強く頷くのをナグモは満足そうに見ていた。彼は自分が至高の御方の大願に携われる事を誇りに思い、またその様な大仕事を恋人である香織と一緒に行える事を純粋に喜んでいた。

 

「………」

 

 だが、その中でユエだけが難しい顔をして黙り込んでいた。

 

「ユエ、どうかしたの?」

「……一つ、聞きたいのだけど。それは本当に、アインズ様のご意志?」

「当然だろう。トータス全土の世界征服、それはアインズ様がこの地に降り立った時より計画されていた事だ」

 

 何を馬鹿な事を、という口調でいうナグモに、ユエは「そう……」とだけ返した。

 その顔は、どこか腑に落ちないままだった。

 

 ***

 

 それから後日。

 ユエは目の前に置かれた紙と向かい合っていた。自作のテスト用紙には、お世辞にも綺麗とは言い難い癖字がいくつも綴られていた。ユエは細かい見逃しが無い様に、真剣な表情でテスト用紙に書かれた文字や単語の綴りをチェックしていく。

 

「……どうだ?」

 

 対面に座る人物から声が上がった。ナザリック地下大墳墓の支配者にして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の王となった不死者(アンデッド)の王――アインズ。

 しかし、今の彼はその様な大仰な肩書きとは程遠く、ドギマギとした様子で赤ペンを持つユエを見ていた。

 

「……ん。いくつかスペルミスとかありますけど、合格点に達しています」

「そ、そうか……うむ」

 

 はぁ〜っ、とアインズは安堵の溜息を漏らした。採点の終わったテスト用紙を返しながら、ユエは「お疲れ様です」とアインズを労った。

 

「これなら基本文字から応用文字の過程に移っても良さそうです」

「うっ……まだまだあるのか……。な、なあ、ユエ? 基本文字が書ければ、大体の文章は読めるんじゃないのか?」

「そう言われましても、基本文字はそれこそ子供でも読み書き出来て当然ですし……逆に冒険者モモンが『騎士の名家出身』というバックボーンがある事を考えると、応用文字が読み書きできないのは怪しまれるかと」

 

 うぐぅ、とアインズは押し黙ってしまう。

 トータスで流通している文字は五十近くある基本文字と、基本文字を縦横に組み合わせて作られる応用文字の二種類がある。基本文字はそれこそ庶民でも習うものだが、応用文字は貴族や神官などの教養のある者達が扱う文字とされているのだ。

 

(我ながら何でモモンを裕福な家出身なんて面倒な設定にしたのかな……でもそれが一番怪しまれないし……)

 

 難易度Sランクのクエストも軽々とこなし、軍隊を派遣しなければ退治出来ない様な魔物の討伐も幾度もこなす冒険者モモンは、今や冒険者組合から「百年に一度の期待の星」として有名になっていた。金ランクへの昇格も近々行われるのではないか、と他の冒険者達も噂し合っている。

 しかし、そうなると今度は別の問題が起きてしまったのだ。すなわち、彗星の如く現れた冒険者モモンとは何者か? という事だ。

 庶民では買い揃えられない全身甲冑(フル・プレートアーマー)に身を固め、貴族の家宝にでもされてそうな立派な両手剣(グレートソード)を片手ずつに軽々と扱う姿はとても庶民出身には見えず、さらにアインズは字が書けなかった事から書類にサインする必要がある時はユエに任せていたのが、他人からは「細かい仕事は従者に任せるやんごとなき身分」という風に見られたらしい。

 結局、冒険者達の中で「モモンは騎士かそれに準ずる家系の出身であり、冒険者仲間のユエ達は実家からついて来た従者だろう」という予想が一人歩きしていた。

 

(いっそ他の冒険者達みたいにレザーアーマーとか普通の板金鎧とかにすれば良かったのかな? でも骨の全身を覆い隠せる装備なんて全身甲冑ぐらいしかないし……第一、エヒトルジュエやその手下が奇襲を行う可能性とか考えると、最低でも聖遺物(レリック)級で固めておきたかったしなぁ)

 

 ううむ、とアインズは考え込んでしまう。結果として「実力も立ち振る舞いも、全てにおいて完璧な漆黒の騎士」というイメージを守る為に、アインズは地球で見た事の無い記号の様なトータスの文字の勉強をユエの指導下で必死にやる羽目になったのだ。

 

「大丈夫です。これまでの学習の進み具合を見る限り、アインズ様の学習速度が低いわけではないです。私との勉強時間以外もキチンと自習されていたんですね。その成果がテストから伝わってきました」

「いや、まあ……お前と違って睡眠が必要な身体では無いから、夜の暇潰しにやってるだけというか……。人よりも活動時間が長くて、ようやく人並みに字が書ける様になっただけだろう?」

「それでもそれをずっと続けてきた事はすごいです。アインズ様はご自身が思っているよりも、勉学に向いていると思われます」

 

 うっ、と慣れない賛辞にアインズは言葉を詰まらせてしまう。

 トータスに転移する前———西暦2138年の地球において、鈴木悟(アインズ)にそんな評価をされた事は無かった。最終学歴は小卒で、『ユグドラシル』にハマっていた為に仕事に対しては然程熱意も無かった。高卒のエリート思考の強い上司から叱責される時、「これだから小卒は……」だの、「学歴が低いから無気力」だのとよく言われてきたのだ。その為にアインズは無意識の内に「自分は勉強が出来ない方なんだ」と思い込んでいた。

 

(勉強に向いてるなんて褒め過ぎだろう……絶対にそんな事ないのに。まあ、でも———)

 

 きっとユエはお世辞を言っているだけだろう、とアインズは思った。NPC達から誤解や勘違いで賛辞され続けた身としては、ユエもまた自分を勘違いしてるんじゃないかと疑ってしまう。

 ただ———返された答案用紙を見る。幾つかバツがあって完璧ではないが、赤丸が多くつけられた努力の成果。ナザリックの完璧な支配者が書いたものとは思えない答案ながら、教師(ユエ)から頑張った証だと褒められたアインズ自身の努力の結晶。

 

(ちょっとは、自分を褒めても良いよな……?)

 

 ***

 

「私のかつての仲間にやまいこという者がいてな。ユリ・アルファの創造主だが……ユリとは面識があったか?」

「はい。香織がメイドの研修を行う際に何度か」

「ユリの生真面目さはやまいこさんから来てるかもしれないな……ついでに脳筋な部分も」

「脳筋……ですか?」

「ああ、レイドボス……あー、突発的に現れる強力な魔物も、『とりあえず殴って反応を見てみよう』とよく言っていて……」

 

 ユエによるトータス言語講座の後。アインズは今日も授業の対価として、かつて仲間達(至高の御方)の話をしていた。元々はナザリックの新参であるユエを慮って始めたものだが、いつからかアインズがかつて仲間達と過ごした日々の思い出話になっていた。

 

(懐かしいなあ……やまいこさんが流れ星の指輪(シューティングスター)を一回で引き当てたから、一日中悔しがった時もあったなぁ)

 

 さすがに「オンラインゲームの内容です」なんて言えないので言葉選びに気をつけなくてはならないが、それでもユエに仲間達と過ごした日々を話すのは楽しかった。

 

 弐式炎雷が霧の世界で未探索ダンジョンを見つけた時、あまりな方法にぷにっと萌えが絶句していた事があった。

 炎の巨人と氷の魔竜をどちらを倒すかで、たっち・みーとウルベルトが言い争った事があった。

 可愛らしい妖精の少女(NPC)からのクエストを必死でこなしたのに、正体が邪悪な異形種と知った時にペロロンチーノが激怒して、その横でぶくぶく茶釜が呆れていた事があった。

 

 現実(リアル)に繋がりそうな部分をぼかしながら話す内容は、ユエには壮大な神話の世界の冒険の様に思えたのか、アインズの話に目まぐるしく驚いたり、感嘆の溜め息を上げていた。それが嬉しく、自分の最高の仲間達の活躍を自慢したくて、アインズも話の内容についつい熱が入ってしまう。

 

 蓋を開ければ、良い年齢の大人達がオンラインゲームで馬鹿をやっていただけ、という事実。

 しかし、アインズ(鈴木悟)にとっては、初めて出来た友達と一緒になって遊んだ輝かしい思い出。それを大事に仕舞い込んでいたアルバムを捲る様にアインズは話していた。

 

「それでな、じゅーるさんがセレスティアル・ウラニウムを手に入れる為にギルドの皆にプレゼンをして、それが何故か死獣天朱雀さんによる『上手なディスカッション講座』になった事があって———」

「それはまた……お話を聞いていると、死獣天朱雀様はとても教養のある御方だったんですね」

「ああ、何せ彼は大学……あー、うむ。故郷では教育者をやっていた様でな」

 

 創造主達を「至高の四十一人」と崇め奉るNPC達には、「ナザリックの創生神話」とも言えるアインズの話は是が非でも聞きたいだろう。しかし、彼等の前では完全無欠な支配者を演じているアインズにはNPC達とこんな砕けたやり取りは出来なかった。しかし、ユエには一度弱さを見せている事もあり、アインズは気楽な気持ちで仲間達の思い出話を語れた。自分達の()()()に純粋な反応をユエが見せてくれる事が益々嬉しくなり、アインズの中で気持ちが高揚して———不意に、水をかけられたかの様に精神が沈静化された。

 

「………ぅそが」

「ア、アインズ様? どうかされましたか……?」

「……いや、すまない。なんでもない、なんでもないんだ」

 

 楽しい瞬間が感情抑制で邪魔されたアインズは小さく罵る。この能力で恩恵を得る時があるのに、都合の悪い時だけ邪魔に思うのは身勝手だと分かっている。それでもかつての仲間達との思い出が邪魔された事にアインズは苛立ちを感じていた。しかし、それを周りの者にぶつけるなど論外だ。突然不機嫌になってしまったアインズの機嫌を伺うユエに、深呼吸をして怖がらせない様に声をかけた。

 

「……あの、アインズ様。一つ、お聞きしたい事があります」

「うん? どうした?」

 

 理不尽な苛立ちを向けてしまったお詫びもあり、アインズは出来る限り聞きやすそうな態度を取る。

 

「……最近、ナグモから聞かされたアインズ・ウール・ゴウン魔導国。これは、本当にアインズ様がお望みになられた事ですか?」

 

 瞬間。アインズは頭を殴られた様な衝撃が奔り———それすらも即座に沈静化された。

 そんなアインズの内面を知らず、ユエは意を決した様に赤い瞳をまっすぐ向けた。

 

「今まで、アインズ様のお話を聞かせて頂いて、ずっと疑問に思っていました。アインズ様や至高の御方々は、未知の土地へ赴く事を楽しむ冒険者の様な方々だったんだと思います。ナグモが語る人智を超えた支配者達のイメージとアインズ様の語る御方々と、どうしても重ならなかったのです」

 

 ユエという良き聞き手がいた事で、ついつい上機嫌に語ってしまっていたアインズ。骸骨顔だから表情こそ分からないが、その楽しげな様子にユエは自分の中のアインズ像が徐々に変わっていく事を感じ始めていた。

 だからこそ、疑問に思ってしまった。未知の冒険を自由に楽しんでいた彼が、全世界の支配という自由とは程遠いやり方を是とするだろうか?

 

「私はアインズ様に命を救われた身です。その恩をお返しする為に、アインズ様がお望みであるなら世界征服のお手伝いをさせて頂く事も厭みません。だから———どうか、アインズ様自身の御意思をお聞かせ下さい。トータス全てを、アインズ様の支配下に治める事が本望であるのかを」

 

 ……ユエはナグモが非道な実験に手を染めている事に勘付いていた。デミウルゴスが王国で暗躍して加速度的に治安を悪化させている事にも薄々と気付いていた。それらの行いをユエを責めようとは思っていない。国家を運営する上で、綺麗事だけではやっていけない事はユエ自身もよく知っている。

 だが……これが本当に、アインズの望んだ事なのだろうか? 仲間達と自由な冒険を楽しんでいた彼が、こんな真似を許容するのか? それがどうしても気になり、ユエは不敬を承知でアインズの意思を聞いていた。

 カチ、カチ、と時計が鳴る音だけが部屋に響き渡る。しばらくして、ようやくアインズは口を開いた。

 

「………ああ、そうだ。魔導国の設立は、私自身が望んだ事だ」

「アインズ様……」

「エヒトルジュエ、並びに奴の傀儡である教会と王国……それらに対抗する為にも魔導国は必要なのだ」

 

 実際のところ、アインズは世界征服など――ましてや国家を作りたいなどと、考えた事などない。それらはアインズが星空の上で言った何気ない呟きをデミウルゴスが曲解し、それこそがアインズの意思に違いないとNPC達が暴走したに過ぎない。全部あいつらが勝手にやった事です、とアインズは言う事もできた。

 

(……いや、確かに彼等が誤解した結果ではあるけど。それでNPC達が幸せに暮らせるなら、俺は……)

 

 アインズ———いや、鈴木悟にとってユグドラシルというゲームの中で出会った仲間達こそ、人生の全てだった。光り輝く思い出だった。

 サービス終了の日、全てが終わる筈だったのにこの世界(トータス)へと転移して、新たな始まりとなった。

 自我を持って動き出し、一挙手一投足にかつての仲間達の面影を残すNPC達。最初こそは自分を裏切るのではないか、と心配していたが、今はそんな心配など無用だと言い切れる。アインズをナザリックに残ってくれた最後の主人と慕い、絶対の忠義を尽くす彼等にアインズこそ感謝したいくらいだった。

 

(もしかしたら、動き出した子供(NPC)達に会いに、仲間の誰かが来てくれるかもしれない……そんな風に期待してもいるさ)

 

 だが———アインズの中の冷静な部分が、それは無いと告げていた。仲間達がユグドラシルから引退した時、数名以外はアカウントも全て消去しているのだ。その数名も、アインズが転移した時間にログインはしていなかっただろう。まだトータス全土を見たわけではないが、それでも仲間たちが見つかる可能性は砂漠に落とした針を見つけるくらい低い確率の気がする。

 フェアベルゲンを“アインズ・ウール・ゴウン魔導国”なんて名前にしたのも、もしかしたら仲間の誰かが気付いて出て来てくれるんじゃないか、という希望的観測に過ぎない。ユエに仲間達の思い出を聞いて貰った事で、アインズの中でかつての日々は、もう戻らない輝かしい思い出なのだとアインズの中で区切りが付いてきた――付いてきてくれた。

 

(でも、NPC達は別だ。あいつらは、過去の遺物なんかじゃない。今を生きているんだ)

 

 苦悩の果てに、香織と結ばれる事が出来たナグモ。

 政略結婚の意味合いが強いが、ティオと婚姻関係を結んだセバス。

 他のNPC達だって、この世界で新たな関係を構築するかもしれない。新しい出会いが、待っているかもしれない。

 だからこそ、アインズはエヒトルジュエを倒さねばならない。かつての仲間達が遺した子供達の未来を守る為に、他の全てを犠牲にしてでも。ナザリック地下大墳墓が外敵に負けない様に、組織の拡大化は全てにおいて最優先される。

 

「弱い者は強い者から奪われるのが世界の真理だ。それは私であっても例外ではない。だからこそ、力を求め続けなくてはならないのだ。大切な物を奪われたくないなら、な」

「アインズ様……」

 

 ユエは目を伏せる。それは正論であり、世界の真理だった。そんな事はない、幸せは皆で分かち合えるなどと青臭い理論を吐く事はユエには出来ない。何故ならユエ自身も、祖国の為に先頭で戦った女王だっから。

 

「……不躾な事をお聞きしました。申し訳ありません」

「いや……構わないさ」

 

 深々と頭を下げるユエに、アインズは気にするなと告げる。それをユエは少しだけ憂いを帯びた目で見る。恐らく、この世界で誰よりも圧倒的な力を持ちながら子供達の為に不自由を受け入れ、ナザリック地下大墳墓の支配者という玉座に縛られた王を。そんなアインズを見ながら、ユエは内心である確信を得た。

 

(……一つだけ、分かった事がある。アインズ様は……()()()は、人間だ)

 

 確かに外見は悍ましいアンデッドだ。圧倒的な存在感を放ち、見に纏う衣装はどれほどの価値があるか計り知れない。だが、それでも、自らの大切な物の為に幸せを追い求めるのは誰もが持つ欲求だろう。

 恐ろしいアンデッドの王にも、絶対的な支配者でもなく、ありふれた普通の人間の様にユエには見えていた。

 

「……そろそろ、私は戻ります。あまり時間を掛けていると、ナグモも怪しむと思うので」

「ああ、また文字の勉強を頼む」

 

 ユエは一礼し、アインズに背をむけかけ———再び振り向いた。

 

「アインズ様……私は、あの暗い奈落から貴方に再び陽の当たる場所に出して貰えました。そして、行き場の無くなった私に新しい居場所を与えて下さいました。その事は、感謝してもし切れません」

「う、うむ? そうか?」

 

 アインズは少しだけ戸惑う。あの日、ユエを助けたのはほんの気紛れだ。強いて言うならば、たっち・みーに受けた義理を果たす為に目の前の少女を助けただけのこと。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()。私はアインズ様に出会えて良かった。それが私の嘘偽りない本当の気持ちです」

「それは……」

「だから———もう一度、誓わせて下さい。私は、アインズ様が不要と言われるその日まで、この不老の命が尽きるまでお側にいます。……ナザリックの配下としてではなく、私個人(ユエ)として」

 

 数秒間、アインズは虚をつかれた様にユエを見つめた。ユエもまた、目を逸らす事なく真っ直ぐと見返す。

 何かを返すべきだった。魔導国の王となるにあたって、尤もらしい言葉や支配者らしい演技をアインズは身に付けた筈だった。

 だが———何故か、練習を重ねていた演技(虚飾)はユエの前で出なかった。

 

「ああ、その……なんだ……」

 

 代わりに出たのは、支配者らしさがカケラもない———飾り気のない、鈴木悟としての言葉。

 

「その……お前の気持ち、嬉しく思う……礼を言う」

「………はい」

 

 それを笑わずに静かに受け止めるユエを見て、アインズは何故か安堵した気持ちになった。




>トータス文字

皆様にとって、初めての創作の異世界文字は何ですか? 自分はメルニクス語です。
イメージとしてはガッシュの魔界文字。基本文字が平仮名で、応用文字が漢字です。庶民同士では平仮名で書いても問題ないけど、知識層の人々が公文書などを全部平仮名で書いてると格好悪いみたいなものです。

>この作品でのアインズのスタンス

 原作では誰とも分かち合えないで回想するだけのギルメンの思い出ですが、本作ではユエという話し相手がいた事である程度は整理が付いています。プロローグで「みんなリアルを優先しただけだ……誰も裏切ってなんかない」と自分に言い聞かせていたので、彼もギルメン達が去ったのは仕方ない事だ、と一応は納得していると思います。
 だからこそギルメン探しは優先度が下がっているけど、ギルメンが遺した子供達(NPC)がいて、転移先のトータスではエヒトが世界を玩具にしているからNPC達の為に滅ぼさなくてはならない。その為に手段は選ばない、という感じです。



他にも色々と書きたかったけど、今日はここまで。
また次回をお楽しみに。


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第九十五話「クラスメイトSIDE:ロイヤル・プライド」

 さてさて、前話では皆様が温かい気持ちになれた様で本当に良かったです。いやー、アインズ様も救われるかもしれない未来があって良かったねー。


 じゃあ、そろそろ色々な人達をドン底へ突き落としにいきますね?(^^)


「お父様! すぐにヘルシャー帝国に謝罪と弔問の使者を送るべきです!」

「くどい! 余に指図するか、リリアーナっ!!」

 

 ハイリヒ王国の王城。リリアーナは父親であるエリヒド王に必死で訴えかけていた。

 

「ですから! 今回、勇者が行った事はあまりにも帝国に対して無礼が過ぎて———」

「貴様、エヒト神が遣わした神の使徒の皆様を非難するつもりか!?」

「っ……! しかし、他国の王を招待した宴席で斬殺するなど、『ハイリヒ王国は外交もロクに出来ぬ国』と同盟国であるアンカジ公国や王国の諸侯達に不信感を抱かせてしまいます!」

「くどいと言っている! そもそも女風情が政治に口を出すでないわ!!」

「お父様……!」

 

 エリヒド王の暴言にリリアーナは涙を堪えた顔になる。だが、エリヒドは敵意の籠った眼光を実の娘にぶつけながら、近くにいた衛兵に怒鳴った。

 

「衛兵! この()を西の塔に閉じ込めておけ! しばらくは一歩も外に出すな!」

「お、王女様をですか!? し、しかし……!」

「貴様……国王である余の命令が聞けんのか! 勇者様を愚弄したこの女を庇うとは、貴様()エヒト神の威光に背く背教者か!?」

 

 口角泡を飛ばしながら睨み付けるエリヒド王に若い衛兵は顔を蒼白にさせる。その表情にはリリアーナを拘束する事に対して抵抗がある様だった。しかし、命令に背けば処刑を言い渡しかねないエリヒド王に対しての恐怖心が勝っており、その葛藤に彼はどうしたらいいか分からない様子だった。

 

「早くしろ! 貴様どころか、貴様の家族もろとも異端審問にかけても良いのだぞ!?」

「そ、それだけは! どうか、私の家族だけは———!」

「……構いません。()()の言う通りになさい」

 

 ガタガタと震える衛兵を見兼ねて、リリアーナは静かに言った。

 

「王女様……」

「……言葉が過ぎました。失礼致します、国王陛下」

 

 リリアーナは頭を下げ、衛兵に連れられながら退出した。その背中をエリヒド王は最後まで親の仇でも見る様な目で見送った。

 

 ***

 

 バタンッと扉が締められる。西の塔は王城の本城から離れた位置に建てられていた。ここには地位の高い者を監禁する為の部屋があり、牢屋よりはいくらかマシに過ごす事が出来た。とはいえ、塔の天辺にある部屋は窓に鉄格子こそないが地面までかなり高さがあり、下に落ちれば墜落死は免れない。手枷や鎖で身体の自由を奪われてはいないものの、実質的には囚人とあまり変わらない。

 螺旋階段を登り、監禁用の部屋に行くとベッドと机、洋服タンスだけの質素な部屋に先客がいた。

 

「リリアーナ……! そう、貴方まで……」

「お母様……」

 

 先客———ハイリヒ王国の王妃・ルルアリアは新たに監禁部屋に来たリリアーナに一瞬だけ目を見開いたが、すぐにここに来た事情を察して視線を落とした。

 

「ランデルは……弟はどこですの? あの子も、お母様と一緒に閉じ込められたのですか?」

「いえ……あの子は、国王自らがハイリヒ王国の王として相応しい教育をすると言って、引き離されました。エヒト神に対して常に感謝の念を絶やさぬ様にする為に、余計な思想を吹き込むなと私は投獄されたのです」

「そう、ですか……」

 

 リリアーナは目を伏せる。ハイリヒ王国の時期国王でもあるランデルはまだ十一歳の少年だ。王族としてまだまだ至らぬ所があるが、それでも突然母親と引き離されるのは心細いだろう。

 

「リリアーナ、貴方は一体どうしてここに?」

「……お父様に……国王に、ヘルシャー帝国へガハルド皇帝を斬殺した事を謝罪すべきだと意見しました。いくらガハルド皇帝が教会の修道女にふしだらな真似をしたとはいえ、勇者が殺した事を美談であるかの様に吹聴すべきではないと……」

 

 勇者・天之河光輝率いる「光の戦士団」の結成および、聖戦遠征軍の発足の記念式典の夜、ヘルシャー帝国の皇帝ガハルドが「酒に酔った勢いで修道女を強姦しようとして、それを勇者達が止める為に正義の刃を振るった」という()()は聖教教会によって瞬く間に王都に広がった。

 人々はガハルドを「皇帝のくせになんて下衆な人間だ!」、「所詮は野蛮な国家の王族だ」と嫌悪と嘲笑を込めて噂し合い、一方で女性を守る為に恐れずに立ち向かった神の使徒達を「なんて正義感に溢れた方達なんだ!」、「さすがはエヒト神に選ばれた神の使徒様方だ」と讃えているという。この話は既に教会の説法師や吟遊詩人の手によって更に広まっていると聞く。

 

「国王は更にヘルシャー帝国に対して、天文学的な賠償金を請求したと聞きました。そんな真似をすれば、両国に決して埋まる事の無い溝が出来てしまうのに……それなのに、国王は……お父様は……女が政治に意見をするな、と……!」

「リリアーナ……」

 

 エリヒドに言われた事を思い出し、悔し涙を浮かべる娘をルルアリアはそっと抱き締める。

 

「お母様……お父様は、一体どうしたというのですか? 前はあんな風に、聖教教会にのめり込んでいなかった筈ですのに……」

「分かりません……でも、異世界から勇者と呼ばれる若者達が来てから、国王は……あの人は変わってしまいました……」

 

 夫であるエリヒド王の変貌ぶりに、ルルアリアも静かに涙を流した。

 

 現在、ハイリヒ王国はオルクス迷宮の閉鎖によって魔石の流通量は目に見えて減り、聖戦遠征軍の資金や物資の為に魔石はおろか食糧品までも掻き集めている為に市場の価格は高騰していた。更には働き手となる若い男達を徴兵している為に、農村部ではもはや生活が立ち行かなくなってきている地域もあるという。それだというのにエリヒドは狂った様に「全てはエヒト神の為に」と叫び、聖戦遠征軍の軍事費の為に更なる増税を課しているのだ。

 一方で、エヒト神の使徒こと光輝達には何一つ不自由のない贅沢な待遇をさせていた。恐らく聖戦遠征軍の要である彼等を引き止めておくという狙いもあるのだろう。先日もガハルドを討った事に対する褒美として「光の戦士団」の本部ともなる大邸宅を与えたそうだ。

 このあまりにも酷過ぎる待遇の差や増税に苦しむ民を思って、エリヒド王に意見する貴族達もいた。しかし、彼等は例外なく「エヒト神の威光に背く異端者」の烙印を押され、異端審問にかけられて消えていった。そうして空席となった彼等の役職や領地を()()()()()な貴族達に与えて、いつしかエリヒド王に意見する者は居なくなっていた。

 

(一体、どうして……これでは魔王達を倒せたとしても、王国は荒廃してしまいますのに……!)

 

 エヒト神が遣わした勇者達の活躍により、邪悪な魔王は倒れて平和になりました———などと、簡単な話では無いのだ。戦後の魔人族達の扱いをどうするか、魔国ガーランドを併合したとして掛かった戦費を回収できるだけの収益が見込めるか……そういった問題に上手な落とし所を探るのが王の仕事なのだ。

 ところが今のエリヒド王は、まるで戦後の事を考えずに多額の資金を聖戦遠征軍に注ぎ込み、国を傾けようとしている。それも聖教教会に言われるがままにだ。これでは仮に戦争に勝ったとしても、王家の信頼は地に堕ちるだろう。

 

(トレイシー……出来るなら、貴女にも謝りたい。お父様が馬鹿な真似をしたばかりに、こんな事になるなんて……!)

 

 かつて園遊会で初対面のリリアーナに対して、「貴女とはいつか殺し合いをするくらいの関係まで行きそうですわ!」と度肝を抜く様な挨拶をしてきたヘルシャー帝国の皇女を思い出す。リリアーナは驚いたものの、おべっかを使ってくる周りの貴族達とは異なって自分を真っ直ぐに見てくるトレイシーを気に入り、あくまで王族同士の付き合いとしてだが文通をするくらいの友好関係にあった。だが、その関係も今回の事で完全に破綻しただろう。

 皇帝を斬殺して首を送り付けるなどという挑発的な行為までしたのだ。その上、恥知らずにも帝国から寝返ってきた貴族や領主達をエリヒド王は迎え入れていると聞く。ここまでしてヘルシャー帝国は黙ってなどいないだろう。

 残るアンカジ公国は半ばハイリヒ王国の属国のようなものだが、折悪く流行病が蔓延して手一杯のところにエリヒドは救援を送るどころか遠征軍の為に治癒師を含めた人員や資金を徴収したと聞く。ここまでしてアンカジ公国と今までの様に友好的な関係を築くのは難しいだろう。

 今のハイリヒ王国は聖教遠征軍の為に、人間族の国の中で孤立してしまったと言って良い状況なのだ。

 

「……リリアーナ、よく聞きなさい。この国はいま、かつてない程の危機に瀕しています」

 

 ルルアリアは決意を固めた目で、リリアーナの顔を覗き込む様に見た。

 

「国王は乱心し、教会は異界より来た勇者達を祭り上げて権力をほしい儘にして民を苦しめています。このまま黙って見過ごしていれば、この国は魔人族との戦いに勝ったとしても滅びゆくでしょう。ハイリヒの王家の者として、それを断じて許してはなりません」

 

 ハイリヒ王国の国母として、ルルアリアは断固とした口調で告げた。

 

「お母様……しかし、今の私にはどうする事も……」

「……手ならばあります。今夜、この塔の見張りに貴方の近衛騎士だったクゼリーが来ます。その者と……そうね、ヘリーナのように貴方が信頼を置けると判断した者達と共に城を出なさい」

 

 リリアーナは目を見開いた。しかし、ルルアリアの表情から冗談を言っているわけではないと悟り、真剣な表情になる。

 

「城を出たら、まずはシモン・リベラールという司祭を訪ねなさい。聖教教会の者ですが、彼は話の分かる男でした。その為に辺境の地に追いやられたとも言えますが……とにかく、今の教会の腐敗ぶりを聞けば必ず力になってくれるでしょう。それと、可能ならば前騎士団長のメルド・ロギンスにも。彼ならば、貴方の事を見捨てたりはしないでしょう」

「お母様……分かりました」

「貴女の味方となる者を集めて、国王や教会……そして、勇者を名乗る異界の者達の暴走をなんとしてでも止めるのです」

 

 それは現国王に対してクーデターを起こせ、と言っているも同然だった。しかも今のリリアーナの味方はエリヒドに比べて圧倒的に少なく、首尾よく味方を増やせたとしてもハイリヒ王国内はエリヒド派とリリアーナ派に分かれ、内乱へと発展していくかもしれない。それこそ聖戦どころではなくなるだろう。

 だが、それでもルルアリアは自分の娘に命じる。今のまま、破滅への道を歩むよりはいくらか国民が救われる未来を信じて。

 

「貴女には国王を……実の父親である、()()()を討つ事になるやもしれません。それでも……やってくれますね?」

 

 これは形ばかりの問いだ。だが、それでもルルアリアは自分の娘に問い掛けた。せめて、この道は自分で選んだのだと誇って貰う為に。

 そして———リリアーナは、ルルアリアが望んだ通りの王女だった。

 

「……はい、お母様。必ず。必ずや、リリアーナは民の為に最善を尽くします」

 

 真っ直ぐな迷いの無い瞳で、リリアーナは頷いた。その瞳に、ルルアリアは溜息を吐いた。

 

「近くに来なさい」

 

 言われた通りに近寄った娘をルルアリアは再び抱き締める。まるで一生分の温もりを与えるかの様に。

 

「……貴女は本当に、良い王女に育ってくれました。貴女ならば、きっと良き王としてこの国を治められるでしょう。こんな事しかしてあげられない愚かな母を許して頂戴」

「お母様……っ。お母様は、どうされるのですか?」

「……ここに残ります。私がここにいれば、貴女が逃げる時間も多少は稼げるでしょう。リリアーナ……暫しの別れです」

「……はい、お母様」

 

 ———聡明なリリアーナは、ルルアリアが嘘を言った事など見抜いていた。

 そして、理解してしまった。それが最も自分が城から逃げ延びる可能性が高くなる事を。

 

(だから……今は……今だけは、お許し下さい。これが済んだら、ちゃんと……ちゃんとハイリヒ王国の王女に、戻りますからっ……)

 

 リリアーナは母親に甘える子供の様に、ルルアリアに顔を埋める。それを赤子をあやすかの様に、ルルアリアは静かに頭を撫でていた。

 

 ***

 

 翌朝。ルルアリアは監禁部屋に一人で座っていた。簡素な衣服だが身支度を整え、ピンと背筋を伸ばして椅子に座る姿は貴人としての気品に満ち溢れ、部屋の内装が粗末で無ければ並の者は自然と頭を垂れていただろう。

 だが、気品に満ちた静寂は乱暴なノックの音で突然破られた。

 

「ルルアリア王妃! リリアーナ王女! いらっしゃいますか!?」

 

 挨拶もそこそこに扉が乱暴に押し開けられる。神殿騎士達はドカドカとルルアリアを取り囲む様に部屋に入って来た。

 

「何事です、騒々しい! ここを王妃の寝室だと弁えた上での狼藉か!」

「ルルアリア王妃、貴方に逮捕状が出ています」

 

 ルルアリアの一喝に動じず、神殿騎士の一人が国王エリヒドと大司教イシュタルの署名が入った書類を突きつけた。

 

「昨晩、城門の見張りが闇に乗じて城から抜け出す集団を見たとの報告をしました。調べてみると、馬小屋から数頭の馬が消え、さらに今朝方から騎士クゼリー・レイルやリリアーナ王女付きだった使用人、その他リリアーナ王女に近しかった者達の行方が分からなくなっております。ルルアリア王妃……リリアーナ王女は今どこに?」

「知りませんわね。あの子はもう親が手を引かなければならない年齢でもないのですから。出掛けるのに一々、行き先など尋ねてませんわ」

「……貴方には国家反逆罪の疑いが出ているのですぞ?」

 

 しれっと答えるルルアリアを神殿騎士達は睨み付ける。

 

「神の使徒たる勇者様の行いを批判し、人間族全ての願いである聖戦に対してリリアーナ王女は非協力的だったそうですな? その上で此度の脱走……ルルアリア王妃、あなた方はエヒト神の意志の下に一つに束ねられるハイリヒ王国に余計な混乱を齎す気なのですかな?」

 

 突然、場違いな笑い声が部屋に響く。ルルアリアはくだらない冗談でも聞いたかの様に、さも可笑しそうに笑った。

 

「軽率な行いで民を苦しませ! あまつさえ我が国の外交関係までも粉微塵にした若者達を祭り上げ、さらなる苦しみを民に与える事がエヒト神の意志だと申すか! ならばエヒト神は、我らに滅べと仰っているのでしょう! これで人間族の神など片腹痛い!」

「き、貴様ァ! エヒト神を侮辱するか!? もはやこの女の反逆は明白! 王妃とて構うな、引っ捕らえろ!」

 

 神殿騎士達は武器を構えようとし———それより先にルルアリアは懐に隠して持っていた短剣を抜き放った。

 

「……何の真似ですかな?」

 

 神殿騎士達は驚いたものの、すぐに冷静になった。ルルアリアの持っている短剣は護身用の刀身が短いもので、長剣を帯びている神殿騎士達とはリーチ差があり過ぎた。ルルアリアの構え方は素人同然であり、人数差でも神殿騎士の方が圧倒的に有利だった。

 

「最近、王に近しい者達が魂が抜けたかの様に虚ろになり、王の命令に唯唯諾諾と従うだけの人形の様になっていると聞きます。いかなる手段か知りませんが、貴方達に捕まれば私も同じ様になるのでしょう」

 

 何の事か分からない神殿騎士達は思わず顔を見合わせる。彼等は上の命令に従うだけの存在であり、ハイリヒ王国の上層部の事など知る由も無かった。

 

「……そんな風になる事は、丁重にお断り申し上げます。リリアーナの居場所は、あなた達自身で探しなさい」

 

 そう言って、ルルアリアは短剣を自らに向けて———。

 

「っ!? いかん、王妃を止めろォ!!」

 

 躊躇いなく、自らの喉に突き刺した。

 

 ***

 

「おい、聞いたか? 王妃様が病死したという噂」

「ああ。最近お身体を崩したから王様が養生の為に離宮で看病させていた、と聞いたが、その甲斐も無くだってな……」

「リリアーナ様もすっかり気落ちしちまって、表に全く出て来なくなったそうだぜ。噂では遠い地に心の傷を癒しに行ったとか……」

「おいおい、大丈夫かよ? これから聖戦が始まるってのに、王族がそんな調子で」

「なに、心配する事は無え。俺達にはエヒト神様が召喚して下さった勇者様方がいる! 今は生活が苦しいけどよ、勇者様達なら魔人族の奴等をとっちめてくれるさ! そしたら兵隊として連れて行かれた倅達だって帰って来て、また元の生活に戻るさ!」

「ああ、そうだな……そうだと、いいな………」

 

 王都よりかなり離れた宿屋で、クゼリーは酒場で談笑している男達の脇を擦り抜けて階段を上がった。冒険者に見える様に、王宮から支給された物より粗末な革鎧を着た彼女は目当ての部屋の前でノックする。

 

「入りなさい」

 

 クゼリーが部屋を開けると、そこには旅人に変装していつものドレスより粗末な服を着たリリアーナと、同じ様に変装したヘリーナがいた。

 

「姫様……」

「その呼び方は止めなさい。どこに聞き耳を立てている者がいるか分からないのですから。私の事は……そう、リリィと呼ぶ様に」

 

 リリアーナは毅然とした態度でクゼリーに命じる。だが、その表情はまるでこれから凶報を聞くかの様に強張っていた。

 

「それで、クゼリー。お母……ルルアリア王妃の訃報は、事実なのですか?」

「……残念ながら事実です、リリィ様」

「ああ、そんな……ルルアリア王妃様……」

 

 視線を落としながら告げるクゼリーの言葉に、ヘリーナは膝から崩れ落ちた。クゼリーも許されるなら、同じ様に泣き出したい気持ちで胸が一杯だった。

 だが、実の娘であるリリアーナは少しだけ目を伏せるとすぐに顔を上げた。

 

「……ルルアリア王妃は、命を賭して我々を逃してくれました。私達は、あの方の遺志を無駄にしてなりません。今は……今は辛くとも、前に進むべきです」

「リリィ様……っ。はい、その通りです!」

「私も……どこまでもお供致しますっ」

 

 まるで自分に言い聞かせる様に宣言するリリアーナに、クゼリーとヘリーナは涙を拭いながら頷く。

 

「……クゼリー、短剣を貸して下さい」

 

 リリアーナの申し出に、クゼリーは不審な顔をしながらも腰に挿していた短剣を手渡す。リリアーナは短剣を自らの髪に押し当て———。

 

「姫様、何を———!?」

 

 切った。黄金の様に美しかった長髪が切り落とされ、床へ落ちる。

 

「……私の容姿は知れ渡っています」

 

 肩口まで切り落とした金髪に未練を残す様子もなく、リリアーナはクゼリーに短剣を返した。

 

「ならば、こうすれば少しは目立たなくなるでしょう。そして、これは私なりの決意表明です。お母様の遺言通りに国に平穏を取り戻すまで、私は今後髪を伸ばしません」

「姫様………」

 

 リリアーナの髪を毎日の様に手入れしていたヘリーナは、短くなってしまった金髪を見て悲しそうに目を伏せた。

 だが、リリアーナは後悔などしていない。

 

(お母様……リリアーナは、必ずややり遂げてみせます)

 

 切り落とした金髪に想いを込めて、彼女は亡き母へ誓う。

 

(乱心してしまったお父様……エヒト神の名を使って民を苦しめる聖教教会……そして、勇者を名乗って国を荒らした()()()()()()()()()()……! 必ずや……必ずや、彼等からこの国を救ってみせます……!)

 

 王女だった少女の胸に、炎の様に激しい感情が荒れ狂う。それを一切表情に出さず、リリアーナは亡き母への鎮魂の念と共に誓った。

 

 

 

 ———それを影から、シャドウデーモンはグニャリと嘲笑った。




 そんなわけでクラスメイトSIDEというか、ハイリヒ王国SIDEでした! 
 なんかリリアーナの国盗り物語が始まったよ……どうしよう、これ?(書いた張本人)

 そんなわけでチョロっと書いたクラスメイト達ですが、次回あたりにここまで好き勝手やってる責任は取らせます。


 未成年者、ましてや生徒のしでかした事は、引率してる大人が責任を取るのが筋ですよね?(笑)


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第九十六話『クラスメイトSIDE:王都への道』

 今更だけど、このSSは勇者パーティ追放系になるのかなぁ? 『勇者パーティから裏切り者の汚名を着せられて追放されたけど、実は魔王軍幹部な俺』とか、題名にするとすんごいチープになるけども。

 あれです、今回は準備回です。構想は前々から頭にあったけど、いざ書くとなると自分も心の準備がいるので。

 あとポケモンをやり始めたから、ひょっとしたら更新速度が落ちるかも。


『じゃあ、私がいない間に皆で帝国の人間達を駆除したって事っすか?』

『ええ。シズたってのお願いでね。シズはお気に入りの子が無事だったみたいだし、エントマは()()()が大量に手に入って喜んでいたわ」

 

 とある宿屋の一室———愛子の護衛の冒険者に扮したルプスレギナは、耳元のイヤリングに手を当てながら念話で話していた。このイヤリングはナグモが製作したマジックアイテムだ。これにより、ナザリックの者達は<伝言(メッセージ)>でスクロールを使用する事なく、遠く離れた相手でも連絡を取り合う事が出来た。

 

『ずるいっす、ずるいっすー! そんな楽しそうなイベントに私だけ除け者だなんて! 私もユリ姉達と一緒に人間達を殺したかったっすー!』

『我が儘言わないの、勇者達の教師を見張るのはアインズ様直々の御命令でしょう?』

 

 姉の嗜める様な声にルプスレギナは頬を膨らませた。アインズの命で別任務についていたとはいえ、プレアデス(姉妹)の中で自分だけ参加出来なかったのは少し不満だった。

 

『確か貴方が監視している人間は作農師とか言う貴重なスキル所持者でしょう? 御言葉の意味は分からないけど、アインズ様も「レア職は貴重な人材」と仰ってらっしゃったからしっかり見張って頂戴ね』

『うぅ〜……分かってるっすけど。最初は面白かったんすけど、あの人間はいつも周りに頭を下げてばっかりでそろそろ見飽きてきたんすよねぇ。ユリ姉、いっそあの人間を攫ってナグモ様に天職を剥ぎ取って貰うんじゃ駄目っすか?』

『駄目よ。ナグモ様によると、天職にも相性があるそうよ。その人間から作農師のスキルを取り上げても、私達がその人間以上に適合してなければ宝の持ち腐れになるわ』

 

 ナグモがオルクス迷宮などで捕らえた()()()()達を相手に色々と調べた結果、天職というのはただ付与すれば良いわけではないという事が判明した。例えば冒険者達の中で高名だった戦士の天職を配下のエルダーリッチに与えた所、元となった戦士が所持していた技能が一つしか受け継がれず、逆に魔法師の天職を与えたら素材元より多くの技能が現れたのだ。戦士や魔法師といった普遍的な戦闘天職は量産化にこぎつけたものの、今のトータスでは唯一人の作農師である畑中愛子に関しては、オリジナルである愛子の能力はどれ程になるか調べる意味合いも含めてナザリックに拉致するという強行手段はまだ取られていなかった。

 

『いま、アインズ様の魔導国は返還されてきた奴隷達で人口が爆発的に増えて、ちょっと大変なのよ。住居は帝国が焼き払った森林地帯を整備すればまだどうにかなるけど、食糧は一朝一夕では増えないからね……。今は属国となった帝国からアンデッド兵を貸す代わりに余剰食糧を買い上げているそうだけど、もしかしたら作農師の人間に魔導国で働いて貰う日が来るかもしれないから、しっかりと見張っておきなさい』

『ちぇっー、分かったっす』

 

 姉であるユリに嗜められ、ルプスレギナは不承不承ながら頷いた。その時、部屋の外から人間が近付いて来る気配を感じ取った。

 

『ごめん、ユリ姉。人間が来たから、一旦切るっす』

『ええ、またね。ルプー』

 

 プツンと念話が途切れる。久々のユリとの会話を邪魔された事に腹が立っていたが、そんな態度をおくびにも出さずに『快活な冒険者お姉さん』の顔を作り上げ、相手を待ち構える。しばらくすると、バタバタと走る音と共にドアが叩かれた。

 

『ルプスレギナさん! ルプスレギナさん、いますか!?』

「はいはーい、いま開けるっすよー」

 

 ルプスレギナがドアを開けると、そこにはアインズから監視を命じられた作農師に付いてる()()()の一人———園部優花が、息を切らしながら立っていた。

 

「優花っち、どうかしたっすか? そんな取り乱した顔をしたら、美人が台無しっすよ?」

 

 人間達の前で見せている快活な笑みを見せながら、ルプスレギナは問い掛けた。優花はそんなルプスレギナに助けを求める様に叫んだ。

 

「大変なんです、ルプスレギナさん! 愛ちゃんが……先生がいなくなっちゃったの!」

 

 その一言に、ルプスレギナはさも心配そうな表情を作った。

 

 ***

 

 時は少し前に遡る———。

 

「な、なあ、愛ちゃん先生。そんなに急がなくてもさ、大丈夫だって」

「そうだよ。天之河達が帝国の皇帝を、その……斬っちゃった、って噂は聞くけど、逆にやられたって話は聞かないんだからさ」

 

 王都へと繋がる街道を一台の馬車が走っていく。馬が潰れない程度に、しかし現在出せる最高速度で走る馬車の中で愛ちゃん護衛隊こと、玉井淳史と宮崎奈々が同乗している愛子へ心配そうに声をかけた。しかし、愛子は未だに自分を慕う生徒達の心配に首を振った。

 

「いいえ、急がないといけないんです……理由があったとはいえ、人を殺さなくちゃいけなかったあの子達は今頃どんな辛い思いをしているか……私は先生なのに……また側にいてあげられなかった……!」

「愛ちゃん先生……」

 

 愛ちゃん護衛隊の一人、菅原妙子が泣きそうな声を上げる。

 愛子は以前よりも痩せていて、元々小柄だった彼女を更に小さく見せていた。目の下はもはや化粧の様になった隈がくっきりと浮かび上がり、それでいながら目は鬼気迫る眼光を放っていた。

 前線組の生徒達から糾弾されたあの日から、愛子は一度も王都に戻れていなかった。光輝達の遠征の後始末が終わったと思えば、次の遠征先で被害が起きたから現場へ直行し、そこの後始末が終わった頃にまた次の光輝達の遠征先から土地再生の要請が来たので直行———と、各地を休みなく飛び回っていたのだ。

 しかも、着いた先では被害を出された住民達の怒りの目が愛子に向けられるのだ。結果的に光輝達の働きによって魔物が退治された事は確かであり、常に大勢の神殿騎士団に囲まれているから光輝達には面と向かって文句は言えないが、少人数の神殿騎士しか護衛についておらず、見た目は小さな少女に見える愛子ならば攻撃しやすいと判断したのだろう。住民達はこぞって愛子達へ光輝達によって齎された被害の苦情を訴えた。

 

『勇者達がなんて事をしてくれたんだ!』、『アイツ等の教師だと!? 一体どんな教育をしていたんだ!』、『私達の生活を壊してよくのうのうと顔を出せたわね!』

 

『ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!』

 

 ある時はその地の領主から、またある時は村の住民から。愛子は様々な人間から責められ、小さな身体で頭を下げて回った。

 ここまで被害を繰り返せば、普通ならば光輝達に対して悪評が広まっただろう。しかし、遠征が行われたのが王都より遠く離れた辺境の地であり、トータスでは遠距離への連絡手段が限られていた事が災いした。各地にある聖教教会の支部は説法師や子飼いの吟遊詩人を使って光輝達の功績()()を喧伝し、()()()()()()()が魔物によって荒れ果てた地も再生させたと説いていた。結果として被害が出た土地以外には光輝達の失態は伝わる事なく、愛子達が頑張って被害が出た土地を再生させている事で表面上は「勇者様の働きによって、辺境の地は()()()()()()()救われた」と王国の民達は認識していたのだ。

 そんな折に街中で教会の説法師が、「勇者様方は邪悪な魔人族を駆逐する為に“光の戦士団"を結成され、その式典の夜に修道女に不埒な真似をしようとしたヘルシャー帝国の皇帝に正義の裁きを下した」と喧伝していたのを耳にした愛子は、寝る間も惜しんで土地の再生を終わらせ、王都に帰る為にほぼ休み無く馬を走らせていたのだった。

 

「ねえ、愛ちゃん先生。王都に着いたら、まずは少し休もうよ。ここ最近、愛ちゃん先生はロクに寝てもいないんでしょ?」

「そういうわけにいきません。早く……早く、皆の所に戻って上げないと。皆と違って、戦えない先生がしてあげられる事なんてこのくらいしかないから……」

「そんな事は……」

 

 愛子は前衛組達に責められて以来、自分が非戦闘職の天職である事を負い目に思う様になっていた。それを負い目に思う事など無い、と言いたいが、妙子達は何も言えずにいた。戦闘職の天職がある癖に前衛組達と違って戦う事が怖くなって、本来なら神殿騎士達だけで事足りる愛子の護衛に逃げているのが自分達なのだ。異世界に来ても、「教師」という自分の仕事を投げ出さず、さらには「作農師」としての天職も真っ当にこなしている愛子を見ていると妙子達の方が負い目を感じて意見できなかった。

 

「いやはや、愛ちゃんは生徒の事を大切にしてるんすねぇ」

 

 重くなりかけた馬車の空気を読まないかの様に、御者台から明るい声が響いた。

 

「ルプスレギナさん……」

「北へ南へ行ったり来たりだったのに、どうにか都合をつけてまで子供達の様子を見に行くなんて本当に教師の鑑っす」

 

 「聖教教会から愛子の護衛を依頼された冒険者」という名目で、自分達の任務に加わった褐色肌のシスターに愛子は頭を下げる。

 

「すいません、ルプスレギナさん。貴方にも長いこと私達に付き合って貰う事になってしまって……」

「全然気にしなくって良いっすよ〜、私は依頼通りに愛ちゃんの護衛をしてるだけっすから!」

「でも……私なんかの我儘で、こんなに長期間時間を取らせてしまって……」

「はい、謝るのは禁止っす」

 

 重ねて頭を下げ掛ける愛子に、ルプスレギナは御者台に座ったままビシッと指を立てる。

 

「愛ちゃんが卑屈になる事は無いっすよ。実際、愛ちゃんはすごく頑張っているっす。あんなに荒れた土地を再生できるなんて、私も予想外だったんすから。ええ、本当に———大変興味深いと、あの御方も仰っておられました」

「ルプスレギナさん……?」

 

 一瞬、ルプスレギナが別人の様に雰囲気が変わった気がして、愛子は不思議そうに声をかける。しかし、すぐに陽気で軽薄な女性の雰囲気に戻っていた。

 

「偉い人にも、愛ちゃんの凄さが分かる人はいるって話っすよー。その上で王都にいる勇者サマ方の心配までしてあげるなんて、普通の人間には出来ない事っすよ」

「そうだよ、愛ちゃん先生は凄いって!」

 

 ルプスレギナの言葉に同意する様に、優花は愛子に声を掛けた。

 

「天之河達が滅茶苦茶にした畑とか全部直したじゃん! 愛ちゃん先生にしか出来ない事だし、それしか出来ないなんて事は無いって!」

「だよな! というか、天之河達がやった事で愛ちゃん先生が責められるのはおかしいって!」

「実際、愛ちゃん先生がいるから天之河君達があんなに問題を起こしても責められねえんだしな。王都に着いたら、皆で文句を言おうぜ。愛ちゃん先生がどんなに頑張ってるのか、知っててやってるのかよって!」

 

 優花に同意する様に、仁村明人と玉井淳史が頷く。彼等もまた、光輝達のせいで行く先々で批難の目を向けられる貧乏くじを引かされた身だが、自分達よりも愛子が受けている仕打ちに憤りを見せていた。

 

「皆さん……ありがとうございます。でも、今はあまり強く責めてはいけませんよ。天之河君達はきっと、望まない殺人を犯してしまった事にショックを受けている筈ですから」

「いやー、やっぱり愛ちゃんは優しいっすね。こんな良い教師に恵まれて優花っち達も良かったじゃないっすか」

 

 ニカッと快活に笑うルプスレギナに馬車の空気が和らいだ。連日の様に遠征先で白い目で見られ、いつもお通夜みたいな空気が蔓延していた愛子達だったが、ルプスレギナの明るい快活な空気に彼等は救われていた。

 

「それじゃ、傷心の勇者サマ達を一刻も早く慰めてあげる為にもちょっと飛ばすっすよ〜!」

 

 ハイヤッと、ルプスレギナが手綱を握ると馬は先程よりスピードを上げた。少しだけ激しくなった馬車の揺れに翻弄されながら、優花は羨望の混じった目でルプスレギナの背中を見た。

 

(やっぱりルプスレギナさんは凄いなあ。私達、神の使徒なんて持て囃されていながら、愛ちゃん先生を元気にする事も出来なかったのに………)

 

 事実、ルプスレギナは愛子の護衛隊に加わってから様々な面で活躍していた。“治癒師”の天職を持つ彼女は被害にあった農地の住人達の怪我を全て治す事で愛子への不満を軽減させ、戦闘も優花達に全く引けを取らない。それどころか、どこか余裕を感じさせるくらいなのだ。(本人は「年季の違いってヤツっすよ」と飄々と笑うだけだったが)

 

(見た感じ、私達とそんなに歳が変わらないと思うのに……私は……)

 

 愛子が行く先々で光輝の後始末として頭を下げながらも作農師の役割をキチンとこなす中で、優花は戦闘以外は簡単な手伝いしか出来ない自分を恥じていた。こんな有様で、何が「異世界を救いに来た神の使徒」だと言うのか?

 

(でも、だからといって天之河達のパーティに今更入りたくなんかない。一緒になって愛ちゃんをこれ以上苦しめる立場になんか、なりたくないもの)

 

 確かに命懸けの戦争に参加するのが恐い、という事もある。そしてそんな自分達を「臆病な怠け者」と見下す前線組達と反りが合わないというのもある。

 だが、日に日に窶れていく小さな教師を見ていると、愛子を放っておく事など出来ないから優花は愛子の護衛隊についたのだ。

 

(……あんたならさ、どうしていたのかな?)

 

 ふと、かつてクラスメイト達の中で最強のステータスを誇っていた錬成師の事を思い出す。優花がまだ神の使徒としてオルクス迷宮で訓練していた頃、トラップで周りがパニックになっていてもその錬成師は全く動じずに骸骨騎士達を倒したのだ。それにより、自分達は九死に一生を得たと優花は思っていた。

 

(南雲……)

 

 クラスに馴染もうともしなかった彼の事は、優花も好きではない。だが、それでもあの少年は自分達の仲間であり、彼によって自分達は命の危機を脱したのは確かな事だった。

 だが、そんな彼に自分達はクラスのアイドルの死の責任を擦りつけ。責めたてて自殺に追い込んだのだ。その後、聖教教会から正式にナグモは魔人族に寝返っていたと聞かされても、優花の心は晴れなかった。光輝から「香織は南雲の奴に攫われたけど生きている! 皆で南雲を倒そう!」と言われても、全く心に響かなかった。だからこそ前線組と反りが合わなくなり、王城に居場所を無くして愛子と共に農地再生の旅をしていた。

 

(もしも、さ。天之河の言ってる通りあんたが生きていたら……せめて、謝らせてよ)

 

 それは酷く自己満足な考えだろう。自分達の都合で責めたて、死に追いやっておきながら生存を願い、あまつさえ遅過ぎる謝罪をするなど虫が良いにも程がある。それでも優花は、たとえ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、南雲ハジメに対して謝罪したかった。

 

(あの時……ひどい事を言っちゃって、ごめんって)

 

 ***

 

「隊長……あと二日もすれば、王都に着きます」

 

 愛子の乗る馬車と併走する様に馬を走らせながら、チェイスは護衛隊長のデビッドに報告した。しかし、デビッドは硬い表情で応えた。

 

「……ここまで強行突破したからか、馬達の消耗が激しい。確か数キロ先に宿場町があった筈だ。今日はそこで休もう、と愛子に伝えてくれ」

「隊長……その、お気持ちは分かりますが。これ以上、引き延ばすのは無理があるかと……」

「そんな事は分かっているっ!」

 

 気まずい表情になるチェイスに、デビッドは血を吐く様な声で怒鳴り返した。

 

「愛子はもはや、勇者達の教師として振る舞う事が……教え子達にまだ必要とされている事が、唯一の心の拠り所になっているんだぞ……そんな愛子に、なんて伝えればいいんだ……!」

 

 聖教教会本部に勤めている友人から送られた手紙———()()()()()()()()が書かれた内容を、デビッドは伝えられずにいた。




>天職云々かんぬん

 はいはい、後付け乙w
 一応、愛子がまだ無事なのは作農師がレア職過ぎて、下手に移植しても愛子並みに使いこなせるか未知数だからという事なんです。でも実際、原作ハジメを見ているとハジメだけ技能が圧倒的に少ないのはハジメと錬成師の天職が合わなかった結果にも見えます。(地球にいた頃から金属加工が得意だった設定とかないし、何なら両親の仕事を手伝っていた事から天職:絵描きとかの方がピッタリだろうと)

>冒険者ルプスレギナさん

 一体、どこのどなたさんだろうなー? 快活で人当たりが良い人だから、さぞ優しい心の持ち主だろうなー?

>園部さん

 彼女がクラスメイト達と一緒になって、ナグモを責めたてたかはご想像にお任せします。ただ書いてて思うんだけど、ここまで思い詰めさせる事もないんじゃないかな。
 だってマジでクラスメイト達を裏切っていんだし。

>王都の惨状

 ……先に言っておきます。この作品は、ありふれのクラスメイトアンチ作品です。アインズ達が主人公側である為に、クラスメイト達は意図的に悪役に書いています。原作より五割増くらい酷く書いているので、アフター後の光輝が好きな人とか、捏造アンチだと思う方は次回を読まない方が精神的に良いと思います。

 まだ気が早いけど、次回作を書くとしたらクラスメイト達が普通に協力し合う作品にしよう……「ありふれてないオーバーロードで世界征服 至高の四十一人ぷらす」とかどうよ?


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第九十七話 「クラスメイトSIDE:幸福な愛子 from Oscar Wilde 上編」

 ツバメは町の人達の為に、来る日も来る日も王子様の像から宝石や金箔を剥がして与えていました。

 すっかり見窄らしくなった王子様の像と、力尽きたツバメを町の人達はゴミとして捨てました。




 四日後———愛子達はようやく王都に辿り着いた。一同の馬車は王都への大通りに繋がる通行門を通ろうとしていた。

 

「なあ、愛子……生徒達の様子は俺が見てくるから、君は宿舎で休まないか?」

「そうです。ただでさえ遠征地で働き詰めだったのですから、愛子さんはそろそろ休息を取るべきです」

「いいえ、出来ません! あの子達の顔を見るまでは、休んでなんかいられません!」

 

 デビッド達が馬に跨がりながら、愛子に休息を薦めるものの、彼女が聞き入れる様子は無い。ただでさえ当初の予定より遅れてしまったのだ。愛子の頭には一刻も早く生徒達の様子を見に行きたいという思いで一杯だった。

 しかし、デビッドは愛子を心配させない様に精一杯の笑顔を作った。

 

「その、だな……彼等は、教会や貴族達から手厚く扱われているから、愛子があまり心配する様な事にはなってないというか……」

「いいえ、この目で確認するまでは安心出来ません! 私はあの子達の先生なんです!」

「し、しかし………」

「隊長サン……何か隠し事してないっすか?」

 

 なおも食い下がろうとするデビッドに、ルプスレギナが能天気そうな声で聞いた。

 

「ここに来るまで、やれ馬の調子がどうだとか、馬具が壊れてるから代わりを探さないといけないだとか、時間を取らせていたっすよね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そ、それは………」

「あの子達に何かあったんですか!?」

 

 弱った獲物を甚振る肉食獣の気配がルプスレギナの目の奥に浮かんでいたが、しどろもどろになったデビッドに皆が気を取られていた。そんなデビッドを見て、愛子はただでさえ良くない顔色から血の気を引かせる。

 

「また、あの子達は望まない人殺しをさせられているんじゃ……ごめんなさい、私は先に行きます!」

「お、おい! 愛子!」

 

 愛子は馬車から飛び降りると、デビッドの制止を聞かずに走り出して通用門を潜ろうとした。しかし、そこに門番の衛兵が愛子の前に出る。

 

「おっと、待った! 悪いけど、通行証が無い人は通せないよ!」

「どいて下さい、急いでいるんです!」

「おいおい、お嬢ちゃん。王都に来てはしゃぐ気持ちは分かるけど、こっちもお仕事なんでね。大人の人は一緒じゃないのかい?」

 

 衛兵は愛子を見た目から観光に来た子供だと勘違いした様だ。通せんぼする様に立ちはだかり、愛子に優しく話しかけようとした。それが年齢の割に小柄で周囲から子供扱いをされてきた愛子のコンプレックスを刺激してしまい、ここ最近の寝不足も相まって愛子は苛立ちを込めて衛兵に食って掛かる。

 

「私は天之河君……勇者達の教師です! 子供扱いしないで下さい!」

「え……い、いやいや、冗談を言っちゃいけないよ。勇者様方や御仲間の方々は、お嬢ちゃんよりも歳上———」

「愛子!」

「愛ちゃん先生!」

 

 一瞬、引き攣った顔になった衛兵は愛子の言葉を子供の戯言だと思った様だ。だが、愛子に駆け寄るデビッドと優花の姿を見て目を見開いた。

 

「勝手に飛び出さないでくれ! 仮にも愛子の護衛を大司教より任された身だ! 何かあったら、私の首一つで済まされない!」

「愛ちゃん先生、無茶は駄目だって!」

「ですけど———-!」

「し、神殿騎士!? ま、まさか、本当に……!?」

「そうです! だから早く」

 

 愛子が言い終わるより先に、衛兵は崩れ落ち———愛子達に土下座した。

 

「も、申し訳ありません!! 神の使徒様だとは知らず、とんだ御無礼を!」

「え? え?」

「こ、こ、この度は、ひ、“光の戦士団”の方々のご通行を妨げてしまい、大変申し訳ありません!! この通り、反省しておりますので、どうか寛大な御慈悲を!!」

「ちょっ、ちょっと止めて下さい! そんなに謝らなくてもいいですって!」

 

 服が汚れるのも構わず、地面に額を擦り付ける衛兵を愛子は慌てて止めようとする。しかし、衛兵はブルブルと震えながら愛子に謝り続けた。

 

「わ、私は、“光の戦士団”の皆様に対して反抗する気などありません! ですから、どうか、どうか御慈悲を———!」

 

 ひたすら土下座し続ける衛兵に、愛子と優花は何が起きたかさっぱり分からず、顔を見合わせる。

 その背後で———デビッドは苦渋の表情を浮かべていた。

 

 ***

 

「な、なあ……ここ、王都だよな?」

 

 馬車から見える景色に、玉井は皆に恐る恐る聞いた。彼の記憶では、王都の大通りは中世ファンタジー情緒溢れる賑やかさだったはずだ。

 だが、いまは大通りにいた出店は少なく、行き交う人々も買い物の為に必要最低限に出ているという感じだ。

 そして何より目立つのは———。

 

「あれ……天之河、だよな? 何であちこちに顔写真があるんだ?」

 

 玉井が指差した先では、通りの至る所に光輝の顔が刺繍された垂れ幕が下がり、その下には聖教教会のシンボルと共に別のシンボルが描かれていた。

 通りには同じシンボルを鎧に刻んだ騎士達が肩をそびやかして堂々と歩き、通行人は騎士達と目を合わせない様に俯きながら通りの端を足早に通り過ぎていく。

 

「何だよあれ……? あんな騎士団、王都にいたか?」

「……あれは国王陛下と大司教様の承認を得て作られた、“光の戦士団”だ」

 

 ポツリと言ったデビッドの言葉に、愛子達の視線が向けられる。

 

「デビッドさん……どういう事ですか? 光の戦士団って……天之河君達は、いま何をしているんですか?」

「……すまん、愛子にこれ以上の心労はかけられない、と今まで黙っていた」

 

 愛子も王都の異常さに気付いたのだろう。どこか恐々とした様子でデビッドに尋ねた。彼は懺悔する様に苦悩に満ちた表情で語り出した。

 

「……光の戦士団は、勇者様方こと神の使徒を最上位にした独立騎士団だ。だが、その権限は他の騎士団……それこそ神殿騎士団よりも上で、国王陛下と大司教猊下の名の下にあらゆる特権が与えられている」

「あらゆる特権……?」

「ああ……罪人の逮捕権や国民へ寄付を募るという名目での徴収権……その他にも様々な特権が、今の神の使徒達には許されている。社会的地位も、下手な爵位持ちの貴族より上だ」

「な、何それ……そんなの知らない!」

 

 妙子は顔を真っ青にさせる。寝耳に水な話だが、自分の様な十代の学生には身に余る権限を与えられている事に気付いた。地球組が顔を青くさせる中、デビッドは続きを話した。

 

「聖戦を宣言された以上、国民は一丸になって勇者様を支えるべきというのが大司教猊下のお考えらしい……国の為に戦う勇者様には、それに見合った地位と権限があるべきだと国王陛下に主張され、陛下もそれを承諾された。その……愛子、落ち着いて聞いて欲しい。勇者様方は……王都に残った君の生徒達は、その特権を濫用しているらしい」

「嘘です!!」

 

 デビッドの告白に、愛子は反射的に叫んだ。

 

「あの子達は……あの子達はそんな子達じゃありません! デタラメ言わないで下さい!」

「愛子……残念だが、事実なんだ。教会本部に勤めている私の友人が手紙で知らせてくれた事だ。最初は特権を使って何かするという事は無かったが、ヘルシャー帝国の皇帝を誅殺した事で恩賞を賜った事に味を占めたらしい。街で犯罪者達を積極的に取り締まるぐらいだったのが徐々にエスカレートしていって、最近では聖戦に非協力的な不穏分子を次々と逮捕しては財産の没収などを行なっているそうなんだ」

「嘘です、嘘です! あの子達は本当は心優しい子達なんです! きっと異世界に来て、望まない戦いを強いられているから気が立っているだけなんです! そんなひどい事をする様な子達じゃありません!」

「愛ちゃん先生……でも……」

 

 デビッドの言葉を聞き入れたくない様に首を振り続ける愛子。しかし、優花達はむしろそんな愛子を哀れそうに見つめた。

 馬車の外の景色には光輝の顔が描かれた垂れ幕がいくつもあり、その垂れ幕に描かれたシンボルを身に付けた騎士達は平民達に威張り散らしていた。まるで独裁者の国家の様な光景に、優花達はデビッドの話をデタラメだと否定する気になれなかった。

 

「リリアーナ王女様がまだ王都にいらした時は、王女殿下が目を光らせていた事もあってここまで酷くはなかったらしいが……神の使徒達の横暴ぶりが余りに目に余るから、手紙を書いてくれた友人は大司教に抗議しに行くと言っていたよ……それ以来、あいつから手紙が送られなくなったけどな」

「嘘……嘘……そんなはず……」

 

 暗い表情で締め括ったデビッドに、愛子は尚も否定の言葉を吐き続ける。自分の教え子であった生徒達が、そんな真似をする筈なんてない。きっと何かの間違いだ。そんな思いばかりが頭の中でグルグルと回っていた。

 

「あれ、なんすかね? 何か騒がしいっすけど」

 

 それまで我関せずという様に黙っていたルプスレギナが通りの一角を指差した。

 

「何だあれ……人集りが出来てるけど、騒がしいよな。喧嘩か?」

「あれ? 待って、この声って確か———」

 

 仁村と妙子が顔を見合わせる中、馬車よりパッと飛び出す人影があった。

 

「愛ちゃん先生!」

「愛子!」

 

「———さぁて、どうなるんすかねぇ?」

 

 ***

 

「だからよぉ、ツケで払うって言ってるだろぉ? 俺は光の戦士団の一番隊の隊長だぜ? 王様が俺達の身分を保証してるだろ?」

 

 檜山は店先で酒場の店主に絡んでいた。彼の顔は真っ赤であり、酒臭い吐息からかなり酔っている様子が一目瞭然だった。そんな檜山にちょび髭の目立つ店主は非常に緊張した様子ながらも食い下がる。

 

「で、ですが! 前回も、そのまた前回も! 代金をお支払いして貰って無いんです! 先日に戦士団本部のお屋敷に納入したワイン二十樽分の代金もです! こうも何度もツケにされては、店の経営どころか生活が立ち行かなくなります!」

「あぁ? だからよぉ、何度も言わせんじゃねえよ。王様が俺達の身分を保証してるって、言ってんだろ! 文句あるなら王様に直接言って来いよ!」

「檜山ー、無茶言うなって! こんな貧乏人共が王様に会えるわけねぇだろ!」

「俺達は違うけどな! なんてったって、“光の戦士”様だからなぁ!」

「ギャハハハハハッ!!」

 

 近藤、中野、斎藤といった檜山の取り巻き達もまた、酒に酔った真っ赤な顔でゲラゲラと笑い声をあげる。

 彼等は皆揃って光の戦士団のシンボルマークが付いた鎧を着ており、見た目だけならば聖騎士の様な服装だ。だが、こうして酒に酔って店主に絡んでいる様が鎧の神聖さを台無しにしており、足を止めた野次馬達も思わず眉を顰めていた。

 

「ちょっとー、檜山さぁ……いつまで時間かけるつもり?」

 

 一向に終わらない押し問答に飽きてきた様に、瑠璃溝はイライラとした声を出した。

 

「私達さー、これからネイルの予約入れてるんだよね」

「あんた達がご飯奢ってくれると言うから付き合ってやったのにさぁ、時間を取らせないで欲しいんですけどぉ?」

「ってか、もうその親父、不敬罪で逮捕しちゃえばいいしぃ? 神の使徒である私達を泥棒呼ばわりするとか、マジ有り得ないしぃ?」

 

 小田牧、薊野もさっさと済ませたいという思惑を隠す事すらせずに言い放つ。不敬罪と聞き、店主はおろか周りの野次馬達もサッと顔を青褪めさせる。

 

「ちょっと待ってろよ、すぐに話つけっから……おい、聞いたか? この国の為に魔人族と戦う俺達を泥棒みたいにいちゃもんつけるなんて、いい度胸じゃねえか? てめぇ、勇者様一行の俺に歯向かう意思アリって事かぁ?」

「い、いえ! 私は、決してその様な!」

「だったらよぉ、今日もツケにしろって言ってんだろぉ? そもそも俺達はテメェらの戦争の為に異世界から召喚された勇者だぜ? 弱ぇテメェらの為に戦ってやっているんだから、ささやかな協力をするのが筋ってもんじゃねぇのかぁ? あぁん!?」

「ひっ……!」

 

 店主は一層ガタガタと震え出す。野次馬達は恫喝する檜山に対して眉を顰めるが、それ以上は何もしない。彼等は王都において光の戦士団に対して不敬を働いた者がどうなったか、()()()()()()()()()()。気の毒そうな顔を店主に向けながらも一定の距離を取ってただ傍観していた。

 

「———やめなさい!!」

 

 突如、野次馬の中から大声が響いた。愛子は人垣を掻き分けながら、檜山達へ近寄る。

 

「あ? 畑山の先公が何でここにいやがるんだ?」

「チッ……ウザいのが来たわね」

 

 檜山は意外な物を見る目で、瑠璃溝は舌打ちしながら愛子に目を向けた。だが、愛子は前線組の生徒達の視線の冷たさに気付いていなかった。

 

「何を……何をしているんですか!! さっきから聞いていれば、貴方達のやっている事は他人様に迷惑をかける事です! ちゃんとお金を払って、店長さんに謝りなさい!!」

「はぁ? 俺はツケで払うって言ってんのに、ゴネてるのはこの親父の方だぜ? 俺達、なんか悪い事してますぅ?」

「そうだよな、タダにしろなんて言ってないもんな!」

「俺達、王国の救世主様だもんな! こんな端金の支払いくらい支援してくれる王様や教会の奴等が払うしな!」

「何をふざけた事を言っているんですか!! それに貴方達は未成年でしょう! お酒なんか飲んじゃ駄目です!!」

「トータスじゃ合法ですー、俺達違法な事なんてしてませーん!」

 

 ゲラゲラと檜山達は笑い合う。酒に酔って気が大きくなった彼等は、地球にいた時は教師だった愛子の前でもふざけた空気を取り繕う事もしなかった。

 野次馬を掻き分けて、優花や相川、玉井がどうにか愛子に追い付いた。他の面々はまだ人垣の中で悪戦苦闘している様だった。

 

「貴方達が異世界に来てから辛い思いをしているのは先生も知っています! でも、だからってこんな余所の人に迷惑をかける様な真似はしないで下さい!!」

「愛ちゃん先生の言う通りよ! 遠征先であんた達が考えなしに戦ったせいで、どれだけ先生が謝ったと思ってんの!?」

「いい加減にしろよ、お前ら!」

 

 愛子の心からの訴えに、優花や玉井達も加わる。しかし———。

 

「はぁ? なんで無能なあんた等が私達に説教してんの?」

 

 温かみの無い目で、瑠璃溝は愛子達を睨んだ。

 

「私達さあ、異世界に来させられて全く顔も知らない奴等の為に頑張ってるんだよね。それなのにさぁ、何であたし等がケチつけられなきゃいけないの?」

「大体さー、後始末はあんた等の仕事でしょー? 戦えない奴等の代わりに私達が戦ってやってんのに、自分の仕事が大変だからって文句つけるとかあり得ないんですけどー?」

「遠征先で文句言われるのはあんた等が無能なだけだしぃ? アタシ達は文句なんて言われてないしぃ?」

「て、てめぇ……!」

 

 愛子達に対して口々に文句を言い始めた瑠璃溝達に、相川は拳を握り締めた。愛子は面と向かって無能と呼ばれた事に痛みを耐える様な表情になったが、すぐに深呼吸して優しく話しかけ様とした。

 

「確かに貴方達は先生が出来ない戦闘面で活躍しているのかもしれません。でも、だからって何をしても良いというわけではありませんよ。帝国の皇帝を、その……望まざるを得ずに殺めてしまった事で、気が立っているのは分かりますが————」

 

 

「……はぁ? あんなクズ、殺したから何だって言うのよ?」

 

 

「え………?」

 

 愛子は一瞬、何を言われたか分からずに固まってしまう。だが、瑠璃溝達はそんな愛子を馬鹿にした様な目で見ながら、口々に言い合った。

 

「酒に酔って強姦しようとした奴を殺して、何が悪いのよ? むしろ私達は犯されそうになったシスターを助けてあげたんですけどぉ?」

「そうそう、王様が殺せって命令したからやっただけだしねー? そういう意味じゃ、私達何も悪い事してなくない?」

「王様に言われた通りにやっただけだしぃ? そもそも戦争をする為にアタシ達が召喚されたんだから、予行練習になったと思えば良いしぃ?」

「だよなぁ。ていうかさ、悪党ブッ殺してこんな風に褒美を貰えてるんだからよぉ、もっと早くからやっておけば良かったよな!」

「な、何を……何を言ってるの……?」

 

 愛子は信じられないような目で()()()()()()()()を見た。地球において殺人は忌むべき事だ。だからこそ、愛子は生徒達が異世界で戦争に参加するなどという非常事態に心を痛めた。生徒達が望まない戦いをしなくても良い様に、王国での発言力を高めて抗議が出来る様にする為に今まで農地再生を頑張って来たのだ。

 だが、今の前線組達にそんな愛子の想いは届かない。ゾンビ化した元クラスメイト達を相手に最初の殺人を犯した事で彼等の中で今までの常識は壊れてしまい、()()()()()ガハルドを殺した事で国王から直々に褒められた上に今の様な特権を使いたい放題の生活になったのだ。彼等の中で人殺しを正当化させるには十分過ぎた。

 

「それなのにさぁ、日本の常識で上から物を言ってくるとかマジウザいんですけど?」

「ち……違っ、そんなつもりじゃ……」

「ていうかさ……いつまで先生面してるわけ? 役立たずの無能のくせにさぁ!」

「先生が、先生が、っていつも言ってるけどさぁ、役に立ってくれた事ないよねー!」

「おいおい、言い過ぎだろ……本当の事だけどな!」

「ってか、俺達の後始末もロクに出来ねえ先公なんか無能だよな!」

「保護者面してくれなくても、今の俺達は王様や大司教様が認める“光の戦士”様だもんなあ!! もう無能な畑山なんかいらねえよ!」

「あ、あ……う、うう……!」

 

 ギャハハ! ゲラゲラ! と容赦なく浴びせられる嘲笑に愛子は膝を突いた。涙がボロボロと溢れ出してくる。

 

「てめぇら……ふざけんじゃねええええぇぇぇ!!」

 

 とうとう相川の堪忍袋の尾が切れてしまった。恩師を傷つけて笑い合う()クラスメイト達へ拳を握って走り出す。

 振り上げた拳は———近藤にガシッと掴まれた。

 

「おいおい、蚊が止まる様なパンチだな……パンチの打ち方、知ってるか?」

「この、離しやが、ぶっ!?」

「オラァッ!」

 

 近藤の拳が相川の顔面に突き刺さる。相川は地面をゴロゴロと転がった。

 

「相川! 近藤、お前、ぐぁっ!?」

「オラッ! 雑魚が意見してんじゃねえよ! 上下関係をきっちり教えてやるぜ!」

 

 抗議しようとした玉井に先んじて、中野が“炎球”を当てた。玉井は相川と同じ位置に吹き飛ばされ、そこへ近藤達は更に暴行を加えた。

 

「ガッ、ぐっ、かはっ!?」

「ギャハハ! おい、楽ちんな農作業ばっかしてたモヤシ共が俺に勝てると思ったのか!! なあ!?」

「やめて! やめて下さい! 相川君達にひどい事しないで!!」

 

 地面に転がった相川達に殴る蹴るの暴行を加える近藤に、愛子が悲鳴を上げた。

 

「やめて! 瑠璃溝さん、近藤君達を止めて下さい!」

「止めろって……先に手を出したの、相川達でしょ。何で私達が悪いみたいな事を言われないといけないわけ?」

「へー、先生って生徒によって扱いを変えるんだ。すんごい幻滅なんですけどぉ?」

「ていうか、人に頼むなら頼み方があるしぃ?」

 

 瑠璃溝達は愛子を見ながら、地面に指差した。

 

「ホラ。本当に生徒を大事にしているって言うならさ、土下座の一つくらいでもしてみなさいよ。ついでに謝ってよ、無能のくせに私達に意見してすいませんって」

「な……貴方達っ!」

 

 優花が怒りを顕にする。しかし、愛子は黙って手を地面に付けた。

 

「愛ちゃん……? 駄目だよ!」

「この度は……っ」

 

 優花が愛子を立たせようとしたが、愛子は今もなお暴行を加えられている相川達をチラッと見てから地面に頭を下げた。

 

「この度は、無能な先生が意見をして、すいませんでしたっ……! だから、お願いしますっ……近藤君達をやめさせて下さいっ……!」

 

 愛子は情けなくて泣きたい気持ちを堪えながら、瑠璃溝達に土下座した。

 しかし———。

 

「なんかさぁ……ここ、臭くない?」

 

 瑠璃溝が鼻を摘む仕草をしながらわざとらしく言った。

 

「分かる分かる、家畜臭いって言うの? 農地を駆けずり回った様な臭いがするよねえ」

 

 ニヤニヤと愛子を見ながら小田牧は笑った。

 

「王都の治安を守る私達としては? 街の美観も守ってあげないといけないしぃ?」

 

 薊野がそう言うと、三人揃って土下座する愛子へ手を翳し———。

 

「「「せえの———“波濤”!!」」」

「え……ガポッ!?」

 

 瑠璃溝達の手から放たれた水が愛子にかけられた。消防車のホースの様な勢いで放たれた水に愛子はむせ込んだ。

 

「や、め……ガボッ、ゴボッ!?」

「なんか聞こえたー?」

「知らなーい、でもちゃあんと洗い流さないとねー!」

「お客様ー、痒い所はごさいませんかぁ?」

 

 キャハハハハハハハハハッ!!

 

 水流の勢いで小柄な愛子は地面に転がる。それを瑠璃溝達は笑いながら更に放水した。

 

「やめて! 愛ちゃんに酷い事しないで!!」

 

 優花が愛子を庇おうと動こうとするが、それより先に檜山が優花の手を掴んで地面に押し倒した。

 

「離しなさいよ、檜山! こんな事して良いと思ってんの!?」

「うるせえなあ、これは教育的指導ってヤツだよ! 無能なテメェ等が俺達に意見するなんて、百年早いって分からせる為のなぁ!」

「檜山ー。そいつさあ、生意気だからひん剥いて広場に晒してやろうぜ!」

「お、いいな、それ!」

「え……じょ、冗談だよね? 嘘だよね?」

 

 斎藤の提案に檜山はニヤリと笑った。その表情に薄ら寒い物を感じて、優花は縋る様な目を向ける。だが、檜山は欲望に目をギラつかせながら優花の服に手をかけた。

 

「い、イヤイヤイヤァッ!? 止めて、止めてよ!? 檜山ぁっ!!」

「大人しくしろって……言ってるだろうがぁっ!!」

 

 パァンッ! と優花の横面が張り倒される。痛みに意識が飛びそうになる中、優花は助けを求める様に野次馬達を見た。

 だが、彼等は相手が“光の戦士団”である事から手を出す事が出来ず、気不味そうにサッと目を逸らした。

 

「嫌ぁ……助けて、助けてよぉ……!」

「ヒヒヒッ、ほうら、まずは下着をご開ちょ、ぶげらっ!?」

 

 突然。優花のスカートを脱がせようとした檜山が吹き飛んだ。檜山は顔を不自然に歪ませ、鼻や口から血を吹き出しながらゴロゴロと地面を転がり、壁に頭から打ちつけられた。

 

「あー……ちょ〜っと、いいっすかねえ?」

 

 ブンッとクロス・スタッフを振って、檜山を殴り飛ばした人物———ルプスレギナはにこやかに声をかけた。

 

「私、この人間達の護衛を任されている者なんすけど?」




Q.ここまでの惨状に、光輝は何も言わないのか?
A.光輝は見たい様にしか物事を見ない。ならば、見せる物を制限すればコントロールは可能である。

 普段は愉悦部を気取っているけどね……今回はさすがに書いてる私も胸糞悪さに吐きそうですよ……。
 そして、こんな胸糞描写をあと三、四話は書かないといけないのが辛いですわ……。
 自分は丸山くがね先生みたいに善男善女が理不尽に死んでいく展開が、どうしても書けませんわ……。ここまで酷い奴等なら、煮ても焼いても文句言えないよね? という予防線を張らないと無理ですわ……。


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第九十八話 「クラスメイトSIDE:幸福な愛子 from Oscar Wilde 中編」

 もう、本気で書いてる自分にもダメージががががが。
 きっと、次回には改善するから……次回には……きっと……ごふっ。


「ルプスレギナさん……!」

「や〜っと、追いついたっす。先走ったら駄目って隊長サンに言われたじゃないっすか」

 

 いつもの飄々とした笑みを浮かべながら、優花に覆い被さっていた檜山を殴り飛ばした彼女は小さい子供に注意する様に愛子達に話し掛けた。突然の乱入に愛子達を甚振っていた前線組達も手を止めてルプスレギナに注目していた。

 

「檜山! おい、しっかりしろ! テメェ、よくも檜山を!」

「待てよ、近藤。こいつさぁ、結構良い身体してねぇ?」

 

 ぐったりと伸びた檜山を介抱しながら睨む近藤に対して、中野は好色そうな目をルプスレギナに向ける。衣服に隠された豊満な胸の膨らみ、そしてスカートのスリットから見える褐色肌の太腿。最近、“光の戦士団”に入る金を使って()()()()を覚えた近藤達だったが、ルプスレギナは娼館の女達よりも何段も上等な美人だった。

 

「おい、姉ちゃん。俺達が誰だが分かってやってるのか? 王様と大司教様がお墨付きを出した俺達に手を上げたんだから、こりゃ異端者扱いされても文句言えねえな!」

 

 「異端者」という言葉を聞き、野次馬達は一斉にルプスレギナから距離を取った。状況から見ればルプスレギナに非が無い事は分かっているが、今の“光の戦士”が黒と言えば白い物も黒となるのだ。

 

「牢屋で臭い飯を食いたくなきゃ、詫びを入れて貰おうじゃねえか。今晩、俺達と付き合うならそこに転がってる()()()も許してやってもいいぜ?」

「そうよ! 謝んなさいよ!」

 

 キーキーと甲高い声で瑠璃溝達がルプスレギナを非難する。彼女達の中で目の前の美女が近藤達の欲望の捌け口にされる事は大した問題では無い様だ。

 自分達の意にそぐわなかった。自分達の楽しみに水を差した。それこそが許されざる罪であり、暴力や権力を振るうに値する正当な理由になるのだとここ最近の生活で学んでいた。

 

「……うわぁ、こんなのが勇者一行なんすかぁ。凄いっす、チンピラと大差ねえっす」

 

 あっけらかんとした態度を崩さず、ルプスレギナは言い放つ。

 

「なんでこんな人間達を好き放題やらせているのか、()()()()のお考えがよく分からないっす。う〜ん、私が馬鹿だからかなぁ……?」

「何をゴチャゴチャ言ってやがる! いいから詫び入れろよな!」

 

 考え込み仕草をしているルプスレギナに中野は手を伸ばし———その手がガシッと掴まれた。

 

 ゴキャッ!

 

「へ?」

 

 思わず間抜けな声を出して中野は自分の手を見つめる。そこにはルプスレギナに掴まれ———ぶらん、と不自然な方向に揺れる自分の手があった。

 

「ひっ、あぎゃああああああっ!?」

「あ、ごめんっす。汚い手で触られたくないから、つい折っちゃったっす」

 

 折れた手を見ながら奇声を上げる中野に、ルプスレギナは些細な間違いをした様に軽く頭を下げた。

 

「中野! このアマァッ!」

 

 近藤はルプスレギナに対して、警邏用に帯びている剣を抜いて斬り掛かる。野次馬達は悲鳴を上げたが、ルプスレギナはクロス・スタッフであっさりと受け止めた。

 

「ん〜……今は任務中なんすけど、危なくなったら自分の身の安全を最優先にしろと言われているっすから……とりあえず、殺さないならいいっすかね?」

 

 はぁ? と近藤が声を上げる前に、ルプスレギナの手———否、足は動いていた。近藤の股ぐらを思い切り蹴り上げる。

 

「あひゅぅぅぅぅ!?」

 

 痛さのあまり、思わず両手で押さえて前屈みになる近藤の顔へ再びクロス・スタッフを振るう。折れた歯を舞い散らせながら、まるでゴルフボールの様に近藤はゴロゴロと転がっていった。

 ダンッとルプスレギナは次の獲物を目掛けて走り出す。

 

「ちょっ、ちょっと止まりなさいよ!?」

 

 標的にされた瑠璃溝達が慌てて声を掛ける。咄嗟に地面に倒れている愛子を人質に取る為に手を伸ばすが、ルプスレギナの方が早かった。ルプスレギナの振るったクロス・スタッフは、瑠璃溝達を次々と打ち据える。

 

「がふっ!? ふざけんじゃ———」

 

 瑠璃溝は起き上がろとし———その手に容赦なく(加減して)ルプスレギナはクロス・スタッフを振り下ろした。

 

「ひっ、ああああああああっ!?」

「へー、指ってこんな風に曲がる物なんすねぇ。それにしても見事に真っ赤なネイルっす。予約してた店に行かなくていいんじゃないっすか?」

 

 指が()()()()に折れ曲がり、叩き割られた爪から血を流す瑠璃溝を見てルプスレギナは茶化した。その表情はニヤニヤと楽しげだった。

 

「一人だけ、ってのは不公平だからお友達にもやってあげるっすよ!」

「ひっ!? やだやだやだいたぁぁあああっ!?」

「や、やめろし! 私達にこんな真似したら、ぎぃいいいぃぃいいっ!?」

 

 小田牧、薊野の手もまた真っ赤に染められた。

 

「ひ、ひぃ!?」

 

 あっという間に仲間達を叩き潰されたのを見た斎藤は、背中を向けて逃げ出そうとする。

 

「あ、ちょっと待つっす」

 

 ビクッ! と斎藤の背中が震える。ルプスレギナはにこやかな表情のまま、地面に倒れ伏す檜山達を指差した。

 

「邪魔だから、これ片しといて」

 

 斎藤は顔を真っ青にしながら、急いで未だ気絶している檜山と近藤を抱えた。残る斎藤と瑠璃溝達は怪我した手を庇いながら、ルプスレギナへ凶悪な表情を向けた。

 

「このアマッ! 覚えていやがれ!」

「アンタなんかイシュタルに頼んで死刑にして貰うんだから!」

 

 各々が捨て台詞を吐きながら、ルプスレギナから背を向けて逃げ出していた。その背中を見て、野次馬達は歓声を———あげなかった。

 

「あ、あの女……“光の戦士団”に手を上げやがった……!」

「マズイわよ、一緒にいる所を見られたら面倒事になるわ……!」

「お、俺、用事を思い出した!」

 

 ある者は慌てて家の中に入り、ある者は足早にその場を立ち去って行く。そうして人集りが徐々に消えていき、人集りに邪魔されていたデビッド達が遅れて現場に到着できた。

 

「愛子! すまない、大丈夫か!?」

「優花っち!」

「優花ちゃん!」

「相川、玉井! くそ、アイツら……!」

 

 愛子達の介抱に向かう中、ルプスレギナは自分達には関係ないと足早に去っていく人間達へ侮蔑の目線を送る。

 

「やれやれ、あんなガキ(羽虫)達がそんなに恐いんすかねぇ? ……もしも真に恐るべき御方が来たら、人間達はショック死するんじゃないかしら?」

「ルプスレギナさん! 早く来てくれ! 相川達が!」

「はいはい、今行くっすよ!」

 

 ルプスレギナは即座に人当たりの良い笑顔を浮かべて、地面に倒れたままの相川達に近寄った。

 

「ぐっ、ガホッ、ゲホッ!」

「ありゃりゃ……これ、肋骨が折れて肺に刺さってるのかもしれないっすねぇ。応急処置はこの場でやるっすけど、どこかちゃんと横になれる所が欲しいっす」

「そ、そんな……」

「大丈夫っすよ、すぐに死ぬわけじゃないんすから。それにしても手加減の仕方も知らないガキ共は怖いっすねぇ」

 

 顔を青くする仁村にルプスレギナはケラケラと笑いながら相川達へとりあえずの治癒魔法を発動させる。

 

「優花っち、大丈夫?」

「だ、大丈夫……ルプスレギナさんが止めてくれたお陰で、その、手遅れにはならなかったから……」

 

 奈々に助け起こして貰いながら、優花は立ち上がる。だが、その身体は小さく震えていた。

 

「うっ……!」

 

 今し方、クラスメイトの男子に強姦されかけたという事実を思い出してしまい、吐き気を耐える様に口元を押さえた。

 

「優花っち……!」

「檜山のやつ……最低っ! 他の奴等もそうよ! あんな奴等、もう顔も見たくないっ!」

 

 優花を落ち着かせる様に奈々が背中を撫でる中、妙子は嫌悪感に顔を歪めて『元』クラスメイト達を罵った。

 

「あ、愛子……? なあ、大丈夫か……?」

 

 残るデビッド達は愛子に声を掛けた。

 愛子はずぶ濡れのまま、座り込んだままだった。

 デビッド達が差し出したタオルを受け取る事もせず、ただ優花や相川達を———『自分が守ろうとした生徒達』によって、傷付けられた彼等を見ていた。その瞳は光を一切感じないくらいに暗く沈んでいた。

 

「愛子……行こう、ここにいては面倒な事に———」

 

 ヒュンッと飛来した石が愛子の顔に当たった。

 

「出てけ、“光の戦士団”の仲間! エヒト様の名前を使って悪い事する奴!」

 

 石を投げたのは十歳にも満たないだろう小さな少年だった。少年は目に涙を浮かべながら、愛子達に石を投げる。デビッド達は慌てて愛子を庇う様に前に出る。

 

「くっ、こら、止めないか!」

「俺の姉ちゃんは目の前を横切っただけなのに、“光の戦士団”にフケーザイとかいうので捕まった! 姉ちゃんはボロボロの服で帰って来た後、一言も喋らずに三日後に自殺した! 姉ちゃんを……姉ちゃんを返せ、返せよぉっ!」

「ティム!!」

 

 子供の母親らしき女性が出てきて、子供の頬を平手で張り倒した。そして子供の頭を押さえつけ、自分も地面に額を擦り付ける。

 

「申し訳ありませんっ! この子はまだ何も分かってないんです! ど、どうかお許し下さい! 罰なら代わりに私がいくらでも受けますから!」

 

 もがく子供の頭を必死に押さえつけながら、母親は必死で嘆願する。デビッド達が子供が石を投げた理由と母親の必死さに色を失う中、額から血を滲ませた愛子は彼等に語りかけた。

 

「……許します。だから、もう帰って下さい」

「っ! ありがとうございます、ありがとうございます!」

「なんで! 母さん、なんで姉ちゃんを殺した奴等の仲間に許されなきゃいけないの! さっき会ったおじさんが、悪い奴等の仲間だから石を投げるべきだと言っていたよ!」

「やめなさいっ! 申し訳ありません、失礼します!」

 

 尚も憎しみの目を向ける子供を引き摺る様にして、母親は立ち去る。その顔には最後まで怯えた色と———実の娘を殺されたやるせなさが浮かんでいた。

 

「…………」

 

 愛子は額から流れる血を拭う事もせず、ぼんやりと親子の後ろ姿を見ていた。周りの野次馬達は足早に立ち去りながらも、愛子をしっかりと睨み付ける。

 それは愛子が遠征先で何度も見てきた目———すなわち、「こんな事をしでかす生徒達にお前はどんな教育をしていたんだ?」と責める目だ。

 

「ひっ……ぐっ……ううっ、ああっ……!」

 

 愛子の目から涙がポロポロと溢れ出す。顔をくしゃくしゃに歪ませ、見た目相応の幼子の様に泣き出した。

 

「うっ、うっ……! ああああああああっ……!!」

 

 ***

 

「相川達の……容体は?」

 

 とある宿屋の一室で、デビッドは疲れ切った様な声で聞いた。

 

「……ルプスレギナ女史の治癒魔法が迅速だった為、大事には至りませんでした。今はポーションも併用して治療に専念させています」

 

 同じ様に憔悴し切った声で答えるチェイスに、デビッドはとりあえず安堵の溜息を吐いた。

 本来、デビッド達は“神の使徒”の愛子の護衛として王城での滞在が許されていた。しかし、ルプスレギナが愛子達を救う為とはいえ“光の戦士団”に暴力を振るった事を考慮して、デビッドは場末の宿屋に身を隠す様に滞在していた。

 

「その……団長。宿屋の主人に、怪我人がいると伝えたのですが……明朝には出て行ってくれ、と」

「………そうか」

 

 おそらく噂が既に出回っているのだろう。“光の戦士団”に楯突いたルプスレギナを匿ったら、どんなお咎めを受けるか分からないと言った所か。部下のクリスからの報告にデビッドは短く応えるだけにした。

 

「……団長。ルプスレギナ女史は正しい事をしました。あのまま放っておけば、“光の戦士団”は愛子達を嬲り物にしていました」

「……そうだな」

 

 チェイスの進言に、デビッドは力なく返す。愛子の護衛という任務を教会から下された立場でありながら、自分達は何も出来なかったのだ。そんな自分達にルプスレギナを責める権利など、ある筈がない。

 力無く項垂れるデビッドだが、チェイスはそんなデビッドにさらに言葉を重ねる。

 

「団長。これが……こんな事が、エヒト神の意志だというのですか? エヒト神から与えられた力を好き勝手に振るい、弱き者達を踏みにじる様な輩を放置しておく事が?」

「チェイス」

「あの子供の悲痛な訴えだって聞いたでしょう? 権力を笠にきて、何の罪もない人々に非道な仕打ちを強いる。こんな奴等が、本当にエヒト神の使徒だと言うのですか?」

「チェイス!」

「あまつさえ愛子を……奴等にとって恩師の想いすら嘲笑(わら)いながら踏み躙る輩を擁護する事が! 愛子に……たった一人の女性に、こんな苦難を与え続ける事が! こんな物がエヒト神の意志だと言うのですか!!」

「黙れ! 黙れ、チェイス!!」

 

 今まで我慢していた物が堰を切ったように溢れ出すチェイス。彼等とて最初は愛子を籠絡する為に聖教教会から派遣されていた。

 

 貴重な作農師を王国や教会に繋ぎ止め、また“神の使徒”達の教師が戦争に向けて積極的になる様に仕向ける事で、“神の使徒”達に戦争参加を促させる。

 

 それが正しいのだ、とデビッド達も疑っていなかった。

 しかし、異世界の地でありながら持ち前の一生懸命さと誠実さで頑張る愛子を見ていて、デビッド達は徐々に考え方が変わってきていた。時には空回りしながらも、それでも生徒達の為に小さな身体で懸命に働く愛子に、有り体に言うなら惚れてしまったのだ。それこそ任務など二の次にしてしまい、こんな素晴らしい女性と一緒にいられる機会をくれた教会やエヒト神に感謝するくらい当初は舞い上がっていた。

 

 だが、いまデビッド達の所属である聖教教会が愛子を苦しめている。勇者達の後始末とクレーム処理に追われ、日に日に窶れていく彼女を見てデビッド達は教会のやっている事に疑問を持つ様になったのだ。それでも神殿騎士として、忠誠を誓った教会の命令は絶対だ。愛子が少しでも苦労せずに済む様に、デビッド達も慣れない農作業や土地再生に従事してきたのだ。

 そうして———そこまでやってきた愛子達の努力は今日、愛子が守ろうとしていた子供達によって無意味と嘲られ、踏み躙られた。

 

「愛子にあんな想いをさせ続けるくらいなら、もはや神殿騎士である意味もありません! こんなものがエヒト神の意志だと言うなら、エヒト神への信仰など———!」

「それ以上を口にするな! エヒト神を疑うなどもっての……っ!」

 

 想いのままに吐露するチェイスに、デビッドは神殿騎士として警告しようとした。

 だが、出来ない。以前ならば剣を振るってでも守ろうとしていた信仰が、もはやどうしようもないくらい揺らいでしまっていた。

 それでも自分が半生を懸けてまで行ってきた仕事を否定する事も出来ない。それを否定してしまったら、自分が今までやってきた事が無意味になる気がしてデビッドは目の前の不信心者(チェイス)をただ睨み付ける事しか出来なかった。

 不意に、ドンドンと部屋のドアが叩かれた。

 

「何だ!?」

「た、隊長! 大変です! 愛子が……愛子が目を離した隙に!」

 

 入って来たジェイドに苛立ち紛れに当たるデビッドだが、彼が握る手紙をひったくる様にして見て————顔色が無くなった。

 

 安っぽい一枚の藁半紙には、愛子の字で簡素な文が綴られていた。

 

『ごめんなさい。もう全部、疲れてしまいました。先立つ不幸をお許し下さい』

 

 




今更ながら、久々のナザリックNPC紹介〜。ドンドン、パフパフ〜!(無理やりテンション上げてる)

>ルプスレギナ・ベータ

 笑顔仮面のサディスト。人狼(ワーウルフ)の異形種であり、戦闘メイド(プレアデス)の次女。人懐っこく明るい美女に見えるが、その本性は残忍で狡猾。誰かが積み上げた積木を横からバーンと壊すのが好きなタイプ。


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第九十九話「クラスメイトSIDE:幸福な愛子 from Oscar Wilde 後編」

 しばらく妄想クロスネタで現実逃避していたけどね……まあ、やっぱり本編は書かなきゃならんよね。そんなわけで我らがルプー姐さんのご活躍をとくとご覧あれ。


 ざあざあ、と雨が降り注ぐ。突然の大雨に通行人達は慌てて屋内に避難する中、愛子はただ一人で傘も差さずに歩く。

 愛子の有様は酷いものだった。ストレスで食事も満足に取れなくなってから痩せた身体は木の枝の様で、青白い顔は幽鬼の様だ。そんな愛子を通行人達は野良犬の様に煩わしそうに見ながら避けて歩く。しかし、愛子にはそれすらもどうでもよかった。

 

(私が……私がキチンと……あの子達の側にいてあげなかったから……)

 

 数ヶ月前、突然トータスに連れて来られて愛子もかなり混乱していた。しかも未だに事情も飲み込めない内に戦争の参加を促され、帰る方法も確立されていないという。こんな理不尽極まりない事態に愛子も「出来の悪い夢だ」と現実逃避したかったが、パニックに陥る生徒達を見て「自分は教師なのだから、この子達の為にしっかりしないと駄目だ!」と自分を奮い立たせてイシュタルに抗議したのだ。

 

 ところが光輝の一言によって生徒達は戦争への参加を決めてしまい、愛子の意見など誰も耳を貸さなかった。

 生徒達が少しでも王国で良い立場になる様にと『作農師』として王国の依頼を受けて遠方へ農地改革に行けば、愛子の知らない間に何名かの生徒達は亡くなっていた。

 戦いが恐くなって前線組と仲違いしてしまった生徒達を連れて、現地で光輝達の被害を受けた住民の苦情を受けながら土地再生を行っていたら、王都にいる生徒達は他人の事など気にも掛けない人間になってしまっていた。

 一体、自分は何の役に立っていたのだろうか?

 

(………ああ、そうか。檜山君達の言う通り、先生は……私は、役立たずな無能だったんですね………)

 

 自分が教師として有能ならば、光輝達に冷静な判断をする様に毅然と呼びかけられただろう。そうすれば戦争参加を軽々しく考えず、死んだ生徒だってもっと少なかった筈だ。

 自分が教師として有能ならば、仲違いしてしまった生徒達も和解させる事も出来た筈だ。前線組に虐められない様にと優花達を連れ出す必要もなく、前線組の生徒達にも平等に目を向けられていたら、彼等は自分の為なら他人を傷付けて当然なんて歪んだ考えにはならなかった筈だ。

 

(全部………全部、私が先生として……無能だったから………)

 

 冷静な第三者がいれば、全部が全部、愛子に責任があるとは言わないだろう。しかし、遠征先で前線組がやらかした事で常に周囲から責められ、頭を下げ続けてきた為に愛子には自己批判の精神が根付いてしまっていた。

 

(こんな……こんな、無能な教師なんて……もう生徒達からすれば、いらないよね……私なんて、もういらない人なんですね……)

 

 気が付けば、愛子は鐘塔の上に立っていた。どこをどう登ったのか分からない。誰にも見咎められず、さらに建物に入る扉に鍵がかかっていなかったのは奇跡的だろう。愛子にはまるで———神が罪を悔いる為に身を投げなさい、と言っている様に思えた。

 

「…………っ」

 

 ヒュウ、と吹いた雨風に愛子は身を震わせる。地球の建築物からすれば、鐘塔の高さは然程高くもない。だが、下は舗装された石畳だ。身投げすれば、確実に無事には済まない。地面にぶつかって潰れた自分の姿を想像して、愛子は一瞬足がすくんだ。だが———。

 

「もしも……私が死んだら……檜山君達も、考えを改めてくれるでしょうか……?」

 

 教師を虐めた日に自殺したと知ったら、さすがに気不味くなって傍若無人な振る舞いを改めてくれるんじゃないか? ひょっとしたら、目が覚めてくれるんじゃないか? あまりにも都合が良すぎる考えだが、万が一にもそんな可能性があるならばやる価値がある様に思えた。

 それが———無能な教師(自分)に出来る唯一の事だから。

 

「ごめんなさい……お父さん……お母さん……親不孝な娘で、ごめんなさい……」

 

 手摺に手をかけながら、愛子は今となっては遠過ぎる場所にいる両親に謝罪する。上京してからロクに帰省しておらず、親孝行も満足に出来なかった。

 

「先生……ごめんなさい……私は、貴方の様な立派な教師になれませんでした……」

 

 自分が教師を志すキッカケとなった恩師に謝罪する。彼の様に最後まで生徒の味方でいる教師を目指したが、自分は無能過ぎて無理だったのだ。

 愛子は泣きながら、手摺を乗り越えようと足をかけて————。

 

「————あ、見つけた。こんな所にいたんすね、愛ちゃん!」

 

 バッと、愛子が振り向く。そこには教会から派遣された明朗快活な冒険者が、いつもと変わらない笑顔で立っていた。

 

 

「ルプス……レギナさん……」

「もう、勝手にいなくなったら駄目じゃないっすか。あんな置き手紙までして、さすがにお姉さんも一瞬冷や汗が出たっすよ」

 

 今まさに飛び降り自殺しようとしている愛子を見ても、ルプスレギナは気軽に挨拶する様に声を掛けてきた。

 

「こ、来ないで下さい! 私は……私は、もう……!」

 

 自殺しようとした所を見られた気不味さもあって、愛子は思わずルプスレギナを拒絶してしまう。しかし、ルプスレギナにあっさりと距離を詰められ、捕まってしまった。

 

「おおっと、ストップっすよ! 愛ちゃんが死んだら、私がとある方から怒られちゃうっすからねー」

「離して! 離して下さい! 私みたいな無能な教師は、生徒達の為にも生きてちゃいけないんです!」

「ちょっ、大人しくしてってば。ああ、もう……気絶させちゃ駄目っすかねこれ?」

 

 ジタバタと暴れる愛子を子猫の様に首根っこをもちながら、ルプスレギナは鐘塔の中に愛子と共に入っていく。バタン、とドアを閉めると雨風の音が少しだけ収まった。

 

「落ち着いたっすか? まだ暴れる様なら、気絶させてでも引きずって帰るっすからね」

 

 近くにあったランプに火を灯しながら、ルプスレギナは愛子を床に下ろした。愛子はもはや逃げ出そうとする気力も無くなったのか、自分の膝を抱え込む様にして暗い瞳でルプスレギナを見ていた。

 

「どうして……死なせてくれなかったんですか?」

 

 どこか恨みがましい雰囲気で愛子は言った。

 

「私は……私は、もう生きていたらいけなかったのに……」

「ん? そりゃ止めるっすよ、死なれたら困るっすから。愛ちゃんの護衛が私の仕事なんすから」

「……教会からのお仕事だからですか? だったら、いいです。ルプスレギナさんに迷惑がかからない様に遺書に書きますから、もう私の事なんか放って置いて下さい」

「いやいや、そういうわけにいかないんだってば。う〜ん、ここまで投げやりになられちゃってもなぁ……」

 

 ガリガリと頭を掻きながら、ルプスレギナは愛子の側に座った。

 

「そもそも、何で急に自殺したいなんて思ったんすかね? 今まで遠征先で怒号が飛んで来ようが、水をかけられようが前向きにやってたじゃないっすか」

「それは……それが、少しでもあの子達の役に立ってあげられると思ったから……」

 

 戦えない自分が生徒達を地球に無事に帰す手助けになると思って、愛子は周りから罵倒されながらも農地の復興に精を出したのだ。だが、その結果が数人の生徒達の死を見過ごし、放置していた前線組の生徒が堕落した事も見過ごしていたのだ。

 

「あんな風になってしまったあの子達を止められない私なんて、もう教師を名乗る資格なんてありません。あの子達の親御さんや、犠牲になったトータスの人々に何てお詫びすれば良いんですか? もう……もう、死んでお詫びするしかないんです!」

「えぇ……? あのクソガ……コホン。子供達がどうしようもない悪党になったのって、あいつら自身の選択っすよね? 愛ちゃんは何も関係ないと思うんすけど?」

「そんなわけないです! 私は教師として、あの子達を導かなければいけなかったんです! なのに……なのに、私が力不足だったせいで……!」

「……ふぅ。拗らせているとは思っていたけど、ここまでとはね」

 

 ふと、ルプスレギナから普段の天真爛漫さが消えた。丸っこい瞳を細く尖らせ、薄い笑みを浮かべた妖艶な美少女がそこにいた。

 

「あのね、はっきり言うと私は貴女が教師として優秀だとは思っていないわ。威厳が無くて、子供達の意見に簡単に流される。よくて小動物的なマスコットよ、貴女」

 

 愛子は俯いて唇を噛み締める。それはトータスに転移する前から分かっていた事だ。なにせ生徒達からは「愛ちゃん」とまるで同年代の友達に接する様に呼ばれ、目上の人間として敬われてはいない。

 

「まぁ、貴女なりに頑張っている事は認めましょう。聞けば、本来はあの生徒達の担任というわけでもないのでしょう? 共に過ごした時間の短さでも、信頼関係は特に構築されてない相手の言う事を聞けなんて無理な話よ」

「それは……でも………」

「そもそも自分ならもっと上手くやれたなんて、傲慢な考えよ。貴女は人間なのだから、ミスをするのは当然だわ。完璧に全てをやり仰るなんて、私が知る限り四十一人ぐらいしかいないもの。そのちっぽけな手で、全部に手を伸ばそうとするのは愚か者がする事ね」

「それは……私が無能だから、出来なくて当然という意味ですか?」

「貴女が自分を無能だと言うなら、無能なのでしょう。でも、そんな()()がいなければ、農地を直せずに勇者達はとっくの昔に王国中の鼻つまみ者になっていたでしょうね。貴女がいたから、今まで問題にならなかったのよ。そこは素直に誇りなさい。少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()はこの世にいるのだから」

 

 どこか誇らしげにルプスレギナは言い放つ。その方から認められたならば、それ以外に価値などあるか? と言う様に。

 

「それと……貴女について回っている子供達。その子達は無能な貴女についているから同じ様に無能だと言うのかしら? あの子達にも価値なんて無かった。そう言いたいのかしら?」

「そんな事はありません!!」

 

 愛子はバッと顔を上げて、ルプスレギナに食ってかかった。

 

「園部さんは優しい子です! 将来は御両親の洋食屋さんの跡継ぎになる為に、今もお料理の勉強を頑張っているんです! 玉井君は自分の無力さにコンプレックスを感じていても、私と一緒に遠征に行くと言ってくれた優しい子です! それから———!」

「ほら、貴女はあの子達の価値をキチンと認めてあげてるじゃない」

 

 矢継ぎ早に優花達の長所を挙げる愛子に、ルプスレギナは笑った。

 

「あの子達の良い所は色々と認めているのに、あの子達が信頼している貴女を他ならぬ貴女自身が自分を無価値だと貶めるなんて裏切りに等しいわ。まだ貴女の価値を認めている人達がいるのだから、少なくとも彼等からも見放されない限りは貴女が死ぬのは早くないかしら?」

 

 そう言われると、愛子は何も言えなくなった。そんな愛子に、ルプスレギナの表情は、元の明るい性格に変わっていた。

 

「……なーんて、つまんない事を言っちゃったっす。まあ、愛ちゃんが死ぬにはまだ早いという話っすよ。今死んじゃったら、つまんないじゃないっすか」

 

 ヨイショ、と立ち上がるとルプスレギナは手を差し伸べた。

 

「ほら、帰るっすよ。優花っちとか今頃心配してると思うっす」

 

 ルプスレギナの笑顔に、愛子は———小さく頷いた。

 外の雨は、上がっていた。

 

 ***

 

 愛子達が宿屋に戻ると、玄関先には優花達がいた。狼狽して疲れ切った様子の彼女達だったが、愛子の姿を見つけるとすぐに駆け寄った。

 

「愛ちゃん先生! どこに行っていたんですか!?」

「ちょっとお散歩して迷子になっていただけっすよ。怪我とかはないから安心して良いっすよ」

 

 ルプスレギナが何事も無かったかのように言う中、愛子は暗い表情で俯いていた。今は優花達に合わせる顔が無かった。

 そう思っていた愛子だが———ギュッと優花が抱き締めてきた。

 

「え……?」

「先生のバカ! 何で黙って居なくなっちゃうんですか!?」

「私達、先生がいなくなって心配したんですよ!」

「愛ちゃん先生……怪我してなくて、本当に良かった……! いてて……」

「おい、相川。あんまり無理すんなよ、回復魔法だって即座に治るわけじゃないんだからな」

 

 優花だけでなく、怪我をして寝込んでいた相川達までもが愛子を出迎えた。彼等の顔には皆一様に安堵した表情が浮かんでいる。

 

「どうして……? 私の為に、そこまで……」

「先生が心配だからに決まってるじゃないですか! 先生がいなくなったら、私達はどうしたらいいか……」

「愛ちゃん先生がいなかったら、今頃は檜山や天之河みたいなクソヤロー共に俺達は酷い目にあわせられたに違いねぇんです。あんなクソヤロー達の元にいなくて済むのは、愛ちゃん先生のお陰だよ!」

「私達には愛ちゃんが必要なんです! だから……居なくならないで下さい、愛ちゃん先生!」

 

 優花達は口々に先生、先生と愛子の事を呼んだ。

 オルクス迷宮で戦いの恐怖を知り、武器を手に取る事が出来なくなった彼等を前線組の生徒達は差別の対象にした。愛子の親衛隊という名目で前線組と顔を合わせなくて済む様になり、遠征先でも苦情を言う住民達の矢面に立ち、生徒達の前では辛そうな顔を見せない様にした愛子を優花達は心から信頼していたのだ。

 

「皆、さん……私は……う、ううっ、私は……!」

 

 自分をまだ慕ってくれる優花達に、愛子は涙が止まらなかった。子供の様に泣き出す愛子につられて、優花達もわんわんと泣き出した。愛子は愛すべき生徒達を両手で纏めて抱き締める。

 

(私は……私は、この子達の先生です。有能な教師じゃないし、檜山君達の事をどうしようも出来ないダメ教師だけど……それでも、まだ私なんかを頼ってくれる子供達がいる……!)

 

 檜山達から無能な存在として捨てられた以上、もはや彼等は自分を教師として頼りはしないだろう。それでもこの手にはまだ自分の手で掴み上げられる子供達がいるのだ。

 無能で、ちっぽけな手しか持たない教師。それが自分。かつて夢見た理想の教師の姿からは程遠い情けない姿だ。

 それでも、せめてこの両手で抱え切れる生徒達だけは、無事に地球に帰れるようにしよう。見窄らしい姿だから無価値と周りから言われようと、そんな姿でも離れないでいてくれる若い燕達だけは必ず守り抜こう。愛子は泣きながら、心の中で決意した。

 

「ぐすっ……さあ、皆さん。いつまでもこんな所で泣いていたら、お店の人に迷惑ですよ?」

「ぐすん……愛ちゃん先生たら、先生が一番泣いてたクセに」

 

 彼等はまだ涙の残る目で笑いながら、宿屋に入ろうとし———ふと気付いた。

 

「……あれ? ルプスレギナさんは?」

 

 周りを見渡す愛子達だが、いつも笑顔を絶やさない褐色の冒険者シスターの姿は見当たらなかった。

 

 ***

 

 ルプスレギナは王都の裏路地を歩く。道は舗装されておらず、薄汚い通りは夜中に女性が一人歩きするには危険過ぎる場所に見えるが、彼女は鼻唄でも歌い出しそうな気軽な足取りで奥へ奥へと進んだ。

 やがて、裏路地の中で吹き溜まりとなっている場所に辿り着いた。ルプスレギナがそこに入ると———空間ごと遮断される様な感覚が周りを包み込んだ。

 

「これで良かったんですよね? デミウルゴス様」

 

 ルプスレギナが誰もいない空間に問い掛けた。すると建物の影がスルスルと伸び、やがて実体を形作る。

 

「———上々さ、ルプスレギナ。まさにアインズ様のお望み通りの結果だよ」




>愛子

 本気で書いててしんどかったわ……。なんか「全部自分が悪いんだ」と思い込んじゃってますが、実はこれ、私が鬱状態になっていた時に考えていた事なんですよね。周りからアレコレ言われて認知が歪んでしまい、「自分が居なくなれば周りは幸せだったんだ」と一時期は本気で考えていました。

 そんな愛子でしたが、まだ先生として慕ってくれる優花達だけでも守り抜こうと原作よりも守る範囲がスケールダウンしました。というか、これをする為にここまでアレな状況を書いたんです。
 原作だとウルの街でハジメに「大切な人以外を切り捨てるのは寂しい生き方」と訴える愛子ですが、自分はその時の状況も相まって愛子の言葉に未だに共感できていません。そして仮にナグモやアインズに同じ事を言ったとしても、片や「絶対の忠誠を捧げる存在と愛する彼女がいれば人間など石ころ以下にしか見てない奴」。片や「大切なNPC達の幸せの為なら、関係ない者達は不幸になるべきだと言い切る奴」。そんな二人に原作通りの説教をしたところで、何も響かないだろうと判断しました。

 この先、愛子がナグモに再会するかはまだ明かせませんが、仮に会ったとしても原作の様な「寂しい生き方」という説教はさせないつもりです。その為にも、愛子には守る範囲を制限させる様な展開を書きました。

>ルプスレギナ

 いやあ、原作と違って優秀だねー。愛ちゃんの事を気にかけていたんだねー、偉い偉い。

>デミウルゴス

 ———そんなわけないじゃん。要するにこいつのシナリオ通りだったんですよ。例えば、前回に愛子に石を投げた子供。「愛子に石を投げる様に誰かに言われた」……オバロ原作を読んだ事がある人は、なんか似た様なシーンがある気がしませんか? つまり、そういう事ですよ?(笑)


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第百話「クラスメイトSIDE:幸福な愛子 from Oscar Wilde ……その舞台裏」

 デミウルゴス舞台監督による『幸福な愛子 from Oscar Wilde』、お楽しみ頂けましたでしょうか? 最後に舞台監督と女優ルプスレギナ・ベータ氏によるトークショーをご覧下さい!


「この度は私の甥を“光の戦士団"の中隊長に任命して頂きありがとうございました! ささ、もう一杯どうぞ!」

 

 とある屋敷で、光輝達の新たな教導役である神殿騎士・ムタロは貴族の男から接待を受けていた。彼はでっぷりとした太鼓腹を揺らしながら、贅の限りを尽くした料理や酒を楽しんでいた。

 

「ワハハハハ! いやいや私はこれでも神に仕える身でして、あまり派手な飲酒は……」

「まあまあ、固い事を言わずに。ささ、どうぞどうぞ!」

「おっとと、これは酒が勿体無い! ううむ、これは仕方ない……仕方ないですなぁ!」

 

 酔って真っ赤な顔になりながらも、ムタロは勧められるままに杯の酒を飲み干す。肌の露出が極端に多い服を着た若い女達が給仕を務め、彼女達が酒を注ぐ度にチラチラと見える胸の谷間や太腿の際どい部分にムタロは顔をだらしなく緩ませていた。

 “光の戦士団"が結成され、団長であると同時に王国の勇者として多忙な光輝に代わって“光の戦士団"の人事や財政面を管理する事になったムタロ。しかし、彼はその立場を悪用していたのだ。

 “光の戦士団"に入団した一定の役職以上の貴族には、聖戦の徴収税に対する免税の他に様々な権利を与えられる為に王国の貴族達はこぞってムタロに賄賂を贈り、自分の親族を“光の戦士団"に加入させようとしたのだ。一介の神殿騎士に過ぎなかったムタロはこれまでの生涯で手にした事のない大金や過剰な接待を受け、欲望のままに自分の懐に賄賂を仕舞い込んでいたのだ。

 袖の下や縁故採用が当たり前になったお陰で、“光の戦士団"は仮にも神の名の下に集めた軍団とは思えない程に軍規は乱れ、檜山達の様に庶民に対して横暴な振る舞いをする軍人達が横行しているのだが、ムタロは欲に目が眩むあまりにその問題を気にも留めていなかった。

 

「その酒がお気に召した様なら、個人的にお送り致しましょう。実はですな、その酒はフリートホーフという商業ギルドが格安で卸してましてな……」

「フリート……? 知らん名ですが、他よりも格安で済むのですかな? ならば“戦士団"に使う物品もそちらに頼んでも良いかもしれませんなぁ」

「おお! 本当ですか! 今度、担当の者を連れて参りましょう!」

 

 どこか裏のある笑みを浮かべながら貴族の男は微笑んだが、酒に酔ったムタロはその事に気付いていなかった。彼の頭の中は「安く買った物資に裏帳簿をつけて、浮いた金をどうやって懐に入れるか?」という計算で一杯だった。

 

「ところで、モノは相談なのですが……実は私の親族の息子も、是非ともエヒト神の為に戦いたいと申しておりまして。いかがでしょう? 是非とも“光の戦士団"の参列に加えて頂けませんかな?」

「う、む? ん〜、しかしですなぁ……既に将校の定員を大幅にオーバーしてましてなぁ」

 

 パンパン、と貴族の男は手を叩く。すると給仕をしていた娘達は一斉にストリップショーの様に服を脱ぎ出した。艶かしい動きで彼女達はたわわな果実を寄せる。女達の胸の谷間には、金貨の袋があった。

 プルン、と揺さぶられた果実と金貨袋にムタロはゴクリと生唾を飲み込む。

 

「まあまあ。まだまだ夜はこれからですし、ムタロ殿には是非ともゆっくりとお話がしたいのです。ささ、どうぞ遠慮なく!」

「ワハハ! いやいや困ります、困りますなぁ!」

 

 目の前のたわわな果実と金貨の袋に手を伸ばしながら、ムタロの楽しそうな笑い声が部屋に響いた。

 

 ***

 

「ルプスレギナさん……どこに行っちゃったんでしょうか?」

 

 翌朝。愛子と優花は宿屋の前でとうとう昨晩は帰らなかったルプスレギナを待っていた。いつも笑顔を絶やさない冒険者シスターは、愛子達の中では既に大切な仲間の一人になっていたのだ。

 

「まさか昨日、檜山達をぶっ飛ばしたせいで捕まっちゃったんじゃ……」

 

 優花が心配そうに呟く内容に、愛子は顔を暗くする。ルプスレギナは自分達を助けただけで、何も悪い事はしていないのだ。だが、昨日の様子を見る限り、今の王都ではそんな理屈すら通らないだろう。

 

「ルプスレギナさんに何かあったら……! 私、教会に行って聞いてみて———」

「あれ? どうしたんすかね、こんな朝早くに」

「わひゃあああっ!?」

「あひゃひゃひゃっ!! わひゃあああっ、て! わひゃあああっ、だって!」

 

 突然、背後から聞こえた声に優花は奇声を上げながら飛び上がる。いつの間にやら愛子達の背後にいたルプスレギナがお腹を抱えながら、ケラケラと笑っていた。

 

「ル、ルプスレギナさん! 驚かさないで下さい! というかいつの間にいたんですか!?」

「やー、ごめんっす。あんまりに深刻そうな雰囲気だから、場を和ませてあげようと思って」

 

 全く悪びれないルプスレギナだが、愛子達は無事に帰って来てくれた事に安堵のため息を吐いた。

 

「ルプスレギナさん、昨夜は何処に行っていたんですか? 急にいなくなって、心配したんですよ?」

「あー、実は教会の方にちょっと呼び出しを受けちゃったんすよねえ」

「教会……!? まさか、昨日の件で……!」

「ああ、大丈夫っすよ。愛ちゃんを助ける為、って事で無罪放免になったっす」

 

 愛子達が顔を青くする中、ルプスレギナはヒラヒラと手を振った。

 

「ただ、さすがに公衆の面前で“光の戦士団"をぶっ飛ばしちゃったのはマズかったみたいなんすよねぇ……そんなわけで、しばらくは王都を離れるつもりっす」

「王都を離れるって……ルプスレギナさん、これから何処に行くんですか?」

「さあねぇ……まぁ、冒険者だし何とかするっすよ。残念っすけど、愛ちゃん達とはここでお別れになっちゃうっすかねぇ?」

「そんな……」

 

 突然の別れに優花は整理がつかない様に寂しそうな表情になる。ルプスレギナは「じゃあね〜」と気軽な様子で愛子達に背を向けて歩き出そうとし———。

 

「待って下さい!」

 

 愛子は突然、大声を出した。

 

「私も……私達も、ルプスレギナさんと一緒に行って良いでしょうか!?」

「愛ちゃん先生……」

 

 ルプスレギナは愛子達に見えない位置でほくそ笑み———振り向いた時には不思議そうな表情を作っていた。

 

「うん? いいんすかね? 王都にいた子供達が心配じゃなかったんすか?」

 

 ルプスレギナの指摘に、愛子は一瞬だけ辛そうな顔になる。少しだけ逡巡する様に視線を落としたが、やがてルプスレギナの顔を真っ直ぐに見た。

 

「今は、もう……私はあの子達の先生ですらなくなっちゃいましたから……でもせめて、園部さん達だけでもキチンと安全を確保しなくちゃいけないんです。それが情けない私にできる、唯一の責務ですから……」

「愛ちゃん先生は情けなくなんかない! 先生が行くなら、私は何処までもついて行くからね!」

 

 自嘲する様に笑う愛子の手を掴みながら、優花は宣言する。そんな二人にルプスレギナは悩んでいる様な表情を見せた。

 

「う〜ん、確かに昨日の様子を見ていると愛ちゃん達が王都に残るのもベターな選択じゃないっすよねぇ。でも神殿騎士サン達が何と言うか……」

「その心配はしなくていい」

 

 宿屋のドアからデビッド達が出てきた。愛子達が思わず身構えてしまうが……彼等の格好におかしな点がある事に気付いた。

 

「あれ? デビッドさん、いつもの鎧は……?」

 

 聖教教会の神殿騎士を示す紋章を首から下げ、教会支給の磨き上げられたプレートメイルをいつも着ていたデビッド達。しかし、彼等の服装は旅装に最適な革鎧などを身に付けていて、一見して神殿騎士という風体には見えなかったのだ。

 不思議そうな顔をする愛子達を他所に、デビッドはルプスレギナを見ながら口を開いた。

 

「ルプスレギナ嬢。王都から出て行くなら、湖畔の街ウルを行き先にするといい。そこはまだ勇者達が遠征に行ってない地域ではあるし、ウルは王国で有数の穀倉地帯だ。愛子の天職ならば、領主であるクデタ伯爵は喜んで迎え入れる筈だ。聖戦遠征軍の為に冬の蓄えまで徴収されて、余裕が無いそうだからな。愛子の天職で農作物の収穫量を上げられると聞けば、君を匿う事もやぶさかでは無い筈だ」

「それはまた、ご親切にどうもっす。でも良いんすかね? それ、愛ちゃんに逃亡を促してる事にならないっすか? 神殿騎士サン?」

「問題ないさ。昨夜、イシュタル大司教に提案した。遠征軍の編成が急務となる時期に勇者達による遠征よりも、愛子には本来の任務である食糧供給をやって貰うべきだ、とな。イシュタル大司教は御了承下さったよ」

 

 それに……とデビッドは何処か陰のある表情になった。

 

「……聖戦を発令した今は、勇者達の下に戦力を集める方が重要だから、もう愛子の護衛は必要ないと言われた。護衛隊の任務は、昨夜付けで解任されたよ」

「あれだけ愛ちゃん先生を働かせた癖に、天之河達がいれば十分だから要らないって言ってるわけ?」

 

 目を三角にして、優花は怒りの声を上げる。愛子もまた、本当に自分は光輝(生徒)達の役に立たない存在になったのだと突きつけられた様で、唇を噛み締めた。

 

「だから———神殿騎士を辞めてきた」

 

 え……? と愛子と優花がデビッド達を見る。しかし、彼等は冗談を言っている様子はなく、真剣な表情だった。

 

「……俺達は間違っていた。愛子に……惚れた女に、自害を考えさせるくらい追い込ませる教会()()()に、もう忠誠を誓う気になれん」

「騎士として……それ以前に一人の人間として、弱者を虐げる事を良しとする“光の戦士団”を擁護する今の教会は間違っていると断言します」

「最近だと更に市民達に免罪符なんて物を買わせて、戦費を徴収しようとしているしね〜。もうさ、本気でついていけないよ。愛子ちゃんこそが俺達の天使だよ」

「……今まで、済まなかった。教会の命令だからと、愛子が苦しんでいるのを知りながら何もしなかった俺達を許して欲しい」

 

 デビッドにチェイス、クリスとジェイド達は一斉に愛子に頭を下げる。サラッと告白したデビッドを優花はジト目で睨み付けるが、真剣な空気を邪魔しない為にあえて言わないでおいた。彼等は愛子の前で跪くと、腰に挿した剣を鞘に納めたまま愛子に差し出した。

 

「ちょっ、ちょっと皆さん!?」

「もはや騎士という身分すら捨てた我々だが、これからは愛子個人に忠誠を誓わせて欲しい。愛子が元の世界に帰るまで、我々の主となってくれ」

「でも、そんな……私なんかの為に……」

 

 デビッド達の真剣な想いに、愛子は物怖じしてしまう。光輝達がした事に謝罪をし続けていた彼女は、自分を卑下する様になってしまっていた。

 自分は彼等が思う様な立派な人間じゃない。そんな風に思ってしまうのだ。

 

「良いんじゃないっすかね?」

 

 どうすべきか悩む愛子に、ルプスレギナは能天気な声を掛けた。

 

「旅は道連れ、というじゃないっすか? 隊長サン達も一緒に行きたいというなら、連れて行っても良いんじゃないっすか?」

「ふっ……もう隊長では無いぞ」

「それにホラ、ここで断っちゃうとカッコ付けたのにフラれて無職になったオッさん四人が出来ちゃうっす」

「そこはスルーしろぉ!?」

 

 ズケズケと言うルプスレギナに、デビッドは思わず涙目になる。優花も「ああ、仕事を辞めたから無職なんだ……」と可哀想な物を見る目になってしまった。そんな中、愛子はおずおずと頷いた。

 

「……分かりました。その、主とか私なんかに務まるとは思わないですけど、今までデビッドさん達にはお世話になってきましたし……その、これからもよろしくお願いします……」

「……! ああ、よろしく頼む! 愛子! いや、マイマスター!」

「そ、その呼び方はやめて下さい〜!」

 

 犬の尻尾が付いていれば、全力で振っていそうなデビッド達に愛子は涙目になりながら訂正を求めた。

 

「……まあ、愛ちゃんが元気になったから、良いんだよね? うん……でも愛ちゃんは渡さないから」

 

 ムスッとした顔で優花はデビッド達をジト目で睨む。光輝達のクレーム処理に明け暮れ、暗い雰囲気が漂っていた彼等だが、雲の隙間から差し込む陽の光の様に、久しぶりに暖かな雰囲気に包まれていた。

 

 その背後で———ルプスレギナは笑顔で昨夜の事を思い出していた。

 

  ***

 

 深夜。王都の裏路地でデミウルゴスとルプスレギナが対面していた。ルプスレギナは不思議そうな顔で疑問を口にした。

 

「それにしても分からないんですけど、どうしてアインズ様はゴミな人間達をつけ上がらせているんす……んん、ですか?」

「ふふっ、普段通りに喋って構わないよ。御方が定めた役職があるとはいえ、私達の立場は平等だからね」

「じゃあ、お言葉に甘えまして……私にはさっぱり分からないんで、教えて欲しいっす」

「……それが愚神の弱体化とアインズ様の占領地化計画を一挙両得に進められる策だからだよ」

 

 頭の上にクエスチョンマークが浮かびそうなルプスレギナに、デミウルゴスは優しく話し出した。

 

「かの勇者達は()()()()()権力を与えたら暴走を始めた。愚民達の心は徐々に、勇者達と彼等を擁護する王家や教会から離れていっている。膨れ上がった不満が爆発するのも時間の問題だよ」

 

 くつくつ、とデミウルゴスは悪意に満ちた笑顔で微笑んだ。

 

「懸念していたのが君が監視している作農師の人間なのだが……いやはや、勇者達の働きは予想以上だ。アインズ様があの愚者達をあえて放置されているのはこの為だったか、と私も驚いたよ」

「ええと、作農師の人間を魔導国で働かせるという話っすよね?」

 

 ユリに言われた事を思い出すルプスレギナに、デミウルゴスは満足そうに微笑んだ。

 

「その通りだよ。勇者達が荒らした土地へ能力のテストも兼ねて派遣させてみたが、なるほどアインズ様がご注目されるだけの事はある。その人間がいたままでは、食糧事情の改善をなされて愚民達は勇者や教会を支持し続けるだろうからね」

「それじゃあ、今のうちに攫っちゃえば良いんじゃないっすかね? どうせ人間なんだし、手足を折って恐怖公の部屋にでも放り込んでおけば大人しく言う事を聞く様になるんじゃないっすか?」

 

 なんでそうしないの? と言いたげにルプスレギナは聞いた。そこに先程までの愛子に身投げを思い止まらせた姿はない。ルプスレギナにとって、愛子は至高の御方の為の道具に過ぎないのだ。

 

「そこがアインズ様の計算され尽くされた所だよ。亜人族や帝国の時と同じさ。力や恐怖で支配するのは容易いが、困窮している所に救いの手を差し伸べれば彼等は進んで自らの首輪をアインズ様に差し出す様になるのだよ。それが端倪すべからざる御方の策略の内、と知らずにね……」

 

 全てアインズの掌の上と知らずに踊り続ける、滑稽な下等生物(ニンゲン)達にデミウルゴスは笑う。そして同時に演出のプロデュースを任された自分を誇らしく感じていた。

 

「王女は出奔し、愚民達は権力を恣にする勇者達に苦しめられる……最早、この国は凋落の一途を辿るばかりさ。そこへ虐げられた民を救う為という大義名分の下、真なる救世主であるアインズ様が立ち上がられる。アインズ様の支配下に入れば、いかに豊かな暮らしとなるかは魔導国の在り方が示していくだろう。愚民達はどうか隷属させて下さい、とお願いする様になるわけさ」

「はぁ〜、流石はアインズ様。マジパネェっすね!」

 

 デミウルゴスから聞かされた壮大な計画に、ルプスレギナは目を輝かせた。やはり至高の御方は素晴らしい。自分には思い付かない様な計画を打ち立て、それを実現してしまうのだから。

 

「どうやら愚神も魔人族を使って動き出した様だが、それすらもアウラ達を通して筒抜けなのさ。よりにもよって、あそこを攻撃しようとするとはねぇ……?」

 

 含み笑いをする様にデミウルゴスは震えた。それはまだ自分が盤上を完璧に支配していると思っているエヒトルジュエを嘲笑ったものか、それとも天上の神すら手玉に取る自らの支配者の神算鬼謀———否。()算鬼謀に興奮を隠し切れないのか。デミウルゴス自身にも判別がつかなかった。

 

「ああ、そういえば。昼間、“愚神の使徒"達に暴行を加えたそうだが……」

「あ、不味かったっすか? とりあえず殺すのは我慢しといたんすけど?」

「いや、構わないよ。大司教のドッペルゲンガーを通じて、問題にならない様に処理しておこう」

 

 ハイリヒ王国は聖教教会の大司教の権力が非常に大きい。司法で有罪と判決された者も、大司教の口添えがあれば判決は簡単に覆ってしまう。エヒトが自分の信仰を絶対の物とする為に作り上げた歪な支配構造が、今やナザリックの者達が都合良く動く為の舞台装置と化していた。

 

「そうだな……今後は監視し易くなる様に、作農師をどこか一ヶ所に留まらせる様にするか……。君は引き続き、作農師を監視してくれ給え。それにしても、今回はよく自害を思い止まらせてくれたね。これで作農師は君に依存する様になるだろう」

「ああ、だって———ここで死なれてもつまんないじゃないっすか?」

 

 人間達に見せている明るい美貌のまま、亀裂が入った様に口元を吊り上げた。

 

「あの人間は大き過ぎる望みを持つあまり、現実とのギャップに疲弊していった。それはそれで見応えはあったんすけど、徐々に弱っていく獲物を見てるだけなんて退屈でしたっす。真の恐怖は————希望から絶望に変わる瞬間なんすから」

「おや……君はあの人間達と友好的な関係を築いていると思ったのだがね?」

「はい。ですから———私が仲良くしていた人間どもが絶望しながら死んでいく姿を想像するとゾクゾクするじゃないですか。あの作農師も、手元に残った小さな希望すら消え失せた時、どんな表情をしてくれるか楽しみで仕方ないんです」

 

 愛子を諭した時の様に、ルプスレギナは妖艶に微笑む。だが、その表情は誰が見ても邪悪と断言できる悍ましさが溢れ出していた。

 

「サディスト、ここに極まれりだね。実に美しい。プレアデスの中でも、君とはとても気が合いそうだよ」

 

デミウルゴスがウンウンと頷く中、クリスマスを心待ちにする子供の様にルプスレギナは笑った。

 

「ああ……ガキ共を殺せって、命令してくれないかなぁ? アインズ様」




>ムタロ
 
Q.こんな有様で戦争に勝つ気はあるのでしょうか?
A.現場で兵士達が血を流している間、上層部はワインを酌み交わしながら談笑している。よくある事です。
 
>フリートホーフ
 
 誰が何と言おうと真っ当な商会です。人材派遣サービスや真っ白い粉の販売など色々と手広くやっており、親のいない子供に引き取り先と将来を生きてく為の仕事を与える慈善事業も手掛けた真っ当な商会です。王国の貴族のお歴々が懇意にしており、時折査察が入っても違法な証拠が何一つ上がらない真っ当な商会です。
 
 何故か査察に行った人はホクホク顔で事務所から出てきますけど。

>デミとルプー

 組んじゃいけない二人がセットになっちゃった。いやまあ、ナザリックで安牌が少ないのだけども。ルプーより、デミの方が報連相が必要では? と思うこの頃。
 一番の問題は、組織の長なのに部下の仕事をキチンと把握してないし、しっかり教育もしてないポンコツさんだけども!

 あと一話くらいクラスメイトSIDEをやります。具体的には我らがエヒトナントカさんと勇者様の話。それでやっと、アインズ達の視点を書けそうです。


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第百一話「クラスメイトSIDE:盤上の神。そして王子とヒロイン」

 時々、「さすがにクラスメイト達にここまでやらせるのは無理がないか? 十代の子供達がここまで残酷になるか?」と考えますが、ニュースで不登校に追い込んだイジメとかを見ると、十代の少年少女は自分の予想より残酷な事をしでかすものだと思います。

 今回でクラスメイトSIDEは一旦終わりです。一応、これでこの作品で考えているストーリーの半分はいったと思います。(まだ大迷宮を二つしか攻略してない? どうせアインズ達だと残りもモノローグで終わりそうだし……)

 そしてこの節目にあたって、もしかするとこの作品を少しだけお休みするか、今より更新頻度を落とすかもしれないです。あくまで未定ですけど。
 詳しくは後日に活動報告に書くので、そちらをご覧下さい。


『ほう……異世界から召喚した駒達は中々に楽しませてくれるではないか』

 

 神域において、エヒトルジュエはノイントからの報告に愉悦の籠った呟きを漏らした。

 

「はっ。主が異世界より召喚した駒達は“光の戦士団"なるものを結成し、教会より与えられた権力に溺れて暴虐を尽くしております」

『ククク……純粋無垢だった若者達が快楽を知って堕落していく様は、意外と面白いものだな。これはこれで見応えがあるものだ』

 

 顔があったならば悪魔の様な笑みが見えそうな声を出しながら、エヒトルジュエは“光の戦士団"によって悲惨な状況になっているハイリヒ王国の現状を楽しんでいた。今まで人間達から信仰心を独占する為に王国や教会に積極的に干渉していたが、短期間放置しただけでここまでの酷い状況になるとはエヒトルジュエも予想外だった。蟻の巣に水を撒いて楽しむ子供の様に王国の腐敗ぶりを楽しんでいたエヒトだが、ふと思い出した様に呟いた。

 

『ああ、そういえば……貴様が異世界の駒達を扇動して皇帝を殺した帝国はどうなったのだ?』

「はっ。ヘルシャー帝国は聖教教会より見捨てられ、貴族達も帝国を見捨てて教会や王国に恭順している為、最早衰退していくばかりかと。なんでも、亜人族の国に同盟を申し入れたと聞きます」

『ああ、確か失敗作のケダモノ共が樹海に国を作っていたな』

 

 トータスに生きる亜人族や魔人族、さらに魔物達はエヒトルジュエが遥か昔に当時の生物達に手を加えて変質させたものだ。その中でも亜人族は魔力を持たず、エヒトルジュエとしては神代魔法で作った生物の中でも失敗作という扱いだった。

 

「はっ。フェアベルゲンという国でしたが、最近は名前が変わったそうです。帝国から王国に流れた人間達から聞いた話ですが……確かアインズ・ウール・ゴウン魔導国という名になったのだとか……」

『アインズ・ウール……? フン、派手で無駄に仰々しい名を付けたものだ。名を変えた所で下賤なケダモノ共の国に違いあるまいというのに』

「如何いたしましょうか? 主の御命令があれば、即座に神威を以って滅ぼしに参りますが」

『構うまい。その内、王国の人間共が欲を出して“聖戦"とやらを仕掛けるであろう。その方が我にとって楽しめそうだ』

 

 人間の欲など果てがないものだ。聖戦遠征軍の為に莫大な資産を投じている今のハイリヒ王国ならば、その内に維持費を支払う事すら困難になっていくだろう。そうなった時に、どんな大義名分(言い訳)を唱えながら人間同士で殺し合うのか、エヒトルジュエは興味が湧いた。だからこそ、亜人族の国など取るに足りないと思考の片隅に追いやった。

 

「主の御意向のままに……。しかしながら我らが主よ。発言をお許し下さい」

『許す。述べるが良い』

「異世界の駒達ですが……そろそろお諌めになられた方が宜しいのではないでしょうか?」

 

 ほう? とエヒトルジュエが先を促すと、ノイントは人形の様な無表情に僅かに嫌悪感を滲ませながら話した。

 

「あの者達は主のご威光を自分達の力と勘違いしており、好き勝手に振る舞うのを見ているのは甚だしく不愉快です。教会に所属する者も自由に使()()()()()と考えている様で、何度か閨を共にする様に要求されました」

 

 “真の神の使徒”ことノイントの自我は薄い。十万以上いる姉妹達を含めて、エヒトルジュエの意向に忠実に従う為に作られた為に彼女達は人間らしい感情は持ち合わせていなかった。

 しかし、エヒトルジュエを楽しませる為の道具に過ぎない人間達から、下卑た視線を何度も向けられるのはやはり我慢がならなかった。

 

「異世界の駒達の専横ぶりに、最近では神殿騎士も脱退する者が少なくありません。あまり好き勝手にやらせていては、人間達の主への信仰心に影響があるのでは?」

『我が眷属であるアルヴヘイトがいる限り、魔人族からの信仰でも事足りるが……ふうむ』

 

 ノイントからの進言を受けて、エヒトルジュエは思考する。といっても、ノイント個人の事はどうでもいい。エヒトルジュエが命令すれば、異世界の少年達に抱かれて来る事もこの人形は無表情のまま任務としてこなしてくるだろう。

 

(しかしまぁ……取るに足らぬ雑魚共が我が名を使って、好き放題やっているのも確かに不愉快ではあるな……)

 

 所詮、聖教教会などエヒトルジュエが人間達から信仰心を集めやすくする為の方便でしかない。しかし、自分の名前を使って人間達が威張り散らしているのは虎の威を借る狐を見ているようで少しだけ腹だたしい気持ちはした。下等な人間は下等らしく、絶対なる神の威光に平伏するのが正しい在り方というものだ。

 

『……“真の神の使徒”ノイント。貴様はこれより、他の姉妹達と共にアルヴヘイトの下へ行け。そして魔人族達と共に人間達の国を滅ぼし、魔人族にこそ天啓が下ったかの様に演出するのだ』

「かしこまりました。とうとう異世界の駒達を滅ぼすのですね?」

『ククク……そう急くな。ここはあえて、奴等を最後にするのだ』

 

 エヒトルジュエは邪悪な笑い声を出した。彼にとって、この世界(トータス)の全ては遊戯盤なのだ。どうせならば、最高の演出をしようと遊び心が働いていた。

 

『貴様達“真の神の使徒”が魔人族と共に人間達の国を滅ぼす事で、人間共は我の怒りを買ったと解釈するだろう。恐怖した人間共の怒りは、我に召喚されながら堕落の限りを尽くした異世界の勇者達に必ずや向けられる。自分達こそが選ばれた者と思い込んでいた者達が、周りの人間から糾弾されて絶望のままに死に逝く。中々に面白い趣向であろう?』

 

 “真の神の使徒”達は外見上は背中から羽を生やした美しい戦乙女だ。彼女達を人間が見れば、天使だと思う事は間違いない。

 そんな天使達が神敵である筈の魔人族と共に人間族の国を滅ぼしに来るのだ。信心深いトータスの人間達は大混乱となり、“エヒト神に選ばれた”筈の異世界の若者達に寄って集って説明を求め、下手をすれば凄惨なリンチすら引き起こすかもしれない。人間達を自分の愉悦の為に玩具としてきたエヒトルジュエの悪辣さが見て取れる筋書きだった。

 

「はい、その通りであります。さすがは真なる主です」

 

 エヒトの趣向を凝らした提案に、ノイントは表情を変えないままに首肯した。もっともノイントにそれを楽しいと思う感情もない。エヒトルジュエに造られた存在として、機械的に言ったに過ぎない。そんなノイントの反応につまらなそうにエヒトルジュエは鼻を鳴らした。

 

『……まあ、良い。人形たる貴様に期待などしておらん。貴様はただ我の意思の通りに行動せよ』

「はっ。それで真なる主よ、まずはどの国を滅ぼすべきでしょうか?」

 

 エヒトルジュエは考える。いきなりメインディッシュであるハイリヒ王国に行くのは論外であるし、聖教教会から破門を受けたヘルシャー帝国、そしてケダモノ(亜人族)の国では神に見捨てられた国だから当然と思われて王国の人間達の危機感を煽れないだろう。この二国はもっと状況が面白くなってから使うべきだ。

 そうなると……丁度良い国が一つあった。ハイリヒ王国の属国であり、此度の聖戦遠征軍にも国が傾きかねない程に資金や人材を徴収され、もはや民達が神に祈るしか出来ない国。

 そこが滅べば、王国の人間達は対岸の火事だとは思わずに異世界の若者達を責めるだろう。

 

『……アンカジ公国だ。生贄の羊としては丁度良かろうよ』

 

***

 

「ふぅ……さすがに疲れたなぁ」

「え、えっと……お疲れ様、光輝くん」

 

 豪華絢爛な二頭立ての馬車の中で光輝は凝った肩をほぐす様にコキコキと鳴らし、同乗した恵里は労わる様に声を掛けた。

 先程まで聖教教会を支援する大貴族が主催するパーティーに出席して、色々な人間に挨拶をしたり、貴族の令嬢達に代わる代わるダンスを求められていたのだ。元々のスペックの高さから貴族のマナーや社交ダンス等はすぐに覚えられたが、連日の様に貴族主催のパーティーに出席しているお陰で、さすがの光輝にも疲れが見えてきていた。

 

「でも光輝くんの話を聞いて、貴族の人達も一致団結して“聖戦”の為に戦おうと決めたみたい。光輝くんの演説のお陰だよ」

「これくらいは当然だよ。なんていったって、俺は勇者だからね。俺の存在で皆が元気付けられるなら、それに越した事は無いさ」

 

 勇者の模範生の様な台詞をサラッと光輝は口にする。そこに裏表などはなく、彼は本心から人々の役に立っていると思っていた。

 

(くすっ……あの貴族(ブタ)達にそんな殊勝な考えなんてあるわけないのに。光輝くんはおバカさんだなぁ)

 

 貴族達は光輝に取り入り、聖教教会に自分の地位を引き上げて貰おうと躍起になっているのだ。そうすれば聖戦で略奪した土地や財産の取り分が増える為、彼等は自分の娘達にも光輝に気に入られる様に言い含めていた。とはいえ、そんな汚い大人の策略に気付く事なく、光輝は「親切にしてくれる人達なんだなぁ」としか思っていなかった。

 

「それにしても……いくら俺が勇者だからって、ここまでやる事ないのに。有名人になったみたいでちょっと照れるなぁ」

 

 窓の外では自分の肖像画が描かれた旗がいくつも大通りに並び、自分が乗った場所が通る度に拍手をする国民達を見ながら、光輝は照れ臭そうに呟いた。まるで自分がハリウッドの大物スターにでもなった気分だ。まだ“光の戦士団”が結成される前の話だが、街を歩いていたら「勇者様にどうか御目通りを!」と住民達に群がられて大変な思いをした経験から、光輝の移動には馬車が専ら使われる事になっていた。

 ———彼は知らない。王都の住民達は仕事の手を止めてでも“光の戦士団”が通ったら最上の敬意を示す様に命令されていて、その笑顔も強制された様に引き攣った者がほとんどだという事を。だが、恵里は安心させる様に笑顔を作った。

 

「皆、光輝くんを頼りにしている証拠だよ。光輝くんはこの世界を救ってくれる勇者で、“光の戦士団”の団長だもの」

「あはは……神山や王宮を行ったり来たりだから、実際の運営はムタロさんに任せっきりだけどね。戦士団の本部にもあまり顔を出せてないし……恵里が副団長を引き受けてくれて良かったよ。クラスの皆はどうしてる?」

「うん。みんな戦いに備えて、頑張っているよ」

「そっか、皆がトータスの人達の為に頑張ってくれてる様で良かった……恵里も大変だったら俺を頼ってくれ。大切な仲間なのだからね」

「大丈夫だよ、光輝くん。副団長と言っても、そんなに大変じゃないから」

 

 微笑みを崩さず、恵里は心の中で舌を出した。

 

(だって僕……何もしてないからねぇ?)

 

 ……光輝の側に居やすい様に、“光の戦士団”の副団長に就任した恵里だが、彼女はムタロが私腹を肥やしたり、クラスメイト達が庶民に横暴な振る舞いをしている事を敢えて見逃していた。これもまた恵里の“クライアント"であるヤルダバオトの指示だ。光輝は恵里を通してでしか“光の戦士団”の現状を知る事が出来ず、恵里が発する耳触りの良い情報を疑う事なく受け入れていた為に王国の現在の惨状を知りもしないでいた。

 

(可哀想な光輝くん……幼馴染達がいなくなって、本当は周りから都合の良い駒ぐらいにしか思われてないのに、まだ自分が勇者のつもりでいるなんて)

 

 悪魔の策略の片棒を担いでいる事を棚に上げて、恵里は光輝を憐れんだ。

 

 だからこそ———自分が光輝を()()しなくてはならないのだ。

 

(光輝くんはちょっとおバカさんだから、僕がキチンと面倒を見てあげないといけないよねぇ? そうだよ、僕が一番光輝くんの事を分かってあげられるんだから!)

 

 歪んだ恋心と独占欲のまま、光輝に首輪をつけて飼う未来を想像する。ヤルダバオトは自分の言う通りに動けば、光輝を好きにして良いと言ってくれた。そうなった時、これまで灰色だった自分の人生は薔薇色に染まるだろう。

 そして、それ以前に光輝の周りをブンブンと飛び交っていたお邪魔虫達(幼馴染二人)はいなくなっているのだ。今や恵里は、光輝に最も近いヒロインとなったのだ。その事実に恵里は酔いしれていた。

 

(とりあえず、今日のパーティーで光輝くんに色目を使ってきたブス共は頃合いを見て娼館送りにでもしようかな? ()()()()()()()()()()()()、大貴族の主だった派閥は僕の命令通りに動く傀儡()に変えてやったし、光輝くんを利用しようとするブス達なんか脂ぎったオヤジ共に股を開くのがお似合いだよねぇ?)

 

 ドス黒い感情を表情に出す事なく考えていた恵里だが、不意に光輝が声を掛けた。

 

「……ありがとうな、恵里」

「え? きゅ、急に何かな?」

「香織と雫……それに龍太郎までいなくなって、崩れ落ちそうだった俺が再び立ち上がる事が出来たのは恵里のお陰だよ。俺は、君が側にいてくれて本当に良かったと思っている」

「そ、そんな大袈裟だよ! 僕は、光輝くんに元気になって貰いたくて……」

「でも君がいなければ、俺はもしかしたら勇者の役目も放り出していたかもしれない。君がいるから、俺はここまで来れたんだ」

「光輝、くん……」

 

 光輝の真っ直ぐな言葉に、恵里の胸がドキドキと高鳴る。馬車の中は二人だけの世界だ。その事実が恵里の心の中を歓喜で満たしていく。光輝はその名の通りに輝く様な笑顔を浮かべ、そして———。

 

「だから、俺……一刻も早く香織や雫を助けられる様に頑張るよ!」

「……………え?」

 

 ———瞬間。愛の告白をされるものと思っていた恵里の心は、急激に凍り付いた。

 そんな恵里の内心に気付く事なく、光輝は自分の考えを述べ出した。

 

「ここまで恵里や皆に支えて貰ったんだ! 俺は必ず魔王を倒して、エヒト神に死んでしまった皆を生き返らせる様にお願いする! いや、してみせる! だから恵里、君の親友()も必ず戻って来るから安心してくれ!」

「で、でも、白崎さんは……オルクス迷宮はもう入れなくなっちゃったし、こんなに長い時間も経ったから、もう生きてはいないんじゃ……」

 

 何を言われたか分からず、目の前を現実を否定する為に恵里は咄嗟に口にした。しかし、光輝から自信を持った笑顔を奪う事は出来なかった。

 

「オルクス迷宮は閉鎖した後も衛兵達が入口を見張っているけど、誰も出入りしたという話は聞かなかっただろう? きっと香織はそれ以前に南雲の奴に連れ去られて、魔人族の所にいるんだ! むしろ、そう考えるのが自然さ。なにせ南雲の奴は魔王に取り入った裏切り者だからね。それに恵里の降霊術でも香織の魂は呼び出せないんだろ? 食べ物もない迷宮の中でずっと潜んでいるとは思えないから、香織は魔人族に捕まってまだ生きているんだよ!」

「そ、それは………ええと、僕の降霊術はそこまで精度は高くないから、あまり期待し過ぎるのは……」

「恵里……大丈夫だ! もっと自分を信じるんだ! 君が優れた降霊術師という事を俺は知っている! だから、自分の腕を疑わなくていい!」

 

 噛み合わない。ギシギシと不協和音が恵里の中で響く。

 恵里が否定的な事を言っても、光輝はご都合主義で解釈して自分の見たい情報しか見ていなかった。

 自分に不都合な事実なんて起きない。そう信じ切っている顔だった。

 

「魔人族達を倒す為に、いまトータス全ての人が一致団結して遠征軍を結成してくれてる。だから、魔王を倒せる日もそう遠くは無い筈だ! そうしたら南雲の奴を倒して香織を取り戻し、雫も目を覚ましてくれる! それに龍太郎や鈴達もエヒト神が生き返らせてくれて、俺達は皆で元の世界に帰るんだ! その日はきっと、すぐそこに来ているさ!」

 

 ———天之河光輝は正義は勝つと信じている。

 尊敬していた祖父の教えから「悪い者は滅び、正しい者が最後に勝つ」と固く信じており、才能の高さから大きな失敗を経験した事がなかった。両親や雫達が時折苦言を呈する事もあったが、彼の中では「少し対応を間違えたみたいだが、自分は正しい事をしたのだから問題ない」と解釈してしまっていた。

 大きな挫折を知らないが故に幼稚的な万能感を肥大させ、今はファンタジー溢れる異世界にまで来てしまった少年。彼は絵本の物語の様な大団円な結末を本気で信じていた。

 

「だから、これからも頑張ろう! 大丈夫だ。鈴が君の下に戻る様に、俺は頑張るよ!」

 

 恵里が今まで光輝の側で頑張っている姿を見せていたのは、自分の親友を取り戻す為だと彼は解釈していた。

 違う、そんな事の為じゃない。光輝(勇者)の唯一無二のヒロインになりたかった少女は、思わずそう叫びそうになり———。

 

「それでさ……香織と雫が帰ってきたら、俺は……二人に幼馴染以上の存在だった、って伝えようと思うんだ」

 

 ———今度こそ。ヒロインとして見て貰えなかった魔女の頭は真っ白になった。

 

 その後、馬車は王都で一番大きな治療院の前で停まった。

 現在、雫はここに入院していた。お見舞いに行くと言った光輝に、少し気分が悪くなったからここで休む、と断った恵里は一人残された馬車の中で小さく呟いた。

 

「……ああ、うん。光輝くんはおバカさんだもん……うん、仕方ないよね」

 

 そういえば……と恵里は思い出す。ヤルダバオトから新しく下された命令に、「手段は任せるから雫を不自然に思われない方法で蒸発させろ」と言われた事を思い出す。恵里は考えを巡らせ———悪魔的な考えが閃いた。

 

「……ああ、そうだ。ヒロインレースからとっくの昔に脱落したくせに、未だに光輝くんを惑わせる売女を片付ける方法を思いついちゃった。そうすれば、おバカな光輝くんもあの売女が自分のヒロインに相応しくないと気付くよね?」

 

 口角を上げながら、恵里は細部を詰めていく。

 

 ———その顔は、まるで泣き笑いの様な表情だった。

 

 ***

 

 雫が入院している部屋は、本来なら貴人が入院する広い部屋だった。

 リリアーナがいなくなり、光輝は自由に雫のお見舞いに行く事が出来る様になった。しかし、雫は光輝が姿を見せると()()()錯乱した様に暴れ、とうとう雫の身柄は王宮から治療院へと移されたのだ。今や心の病を専門とする治癒師や闇術師達から定期的に闇魔法をかけられ、雫は暴れ出さない様に精神を混濁化させられていた。

 

「雫……」

 

 光輝は雫のベッドまで近付く。雫のベッドには大掛かりな魔法陣が描かれており、この魔法陣が発動している限り、寝たきりの病人であっても健康体が維持できる様になっていた。こんな大掛かりな魔法陣の設置が出来たのも、光輝が勇者という立場にいるからこそだった。

 ボンヤリと焦点の合わない目で虚空を見続ける雫の手を光輝は握る。

 

「もうすぐだ……もうすぐ、俺は香織を南雲の魔の手から救ってみせる。約束するよ。そうしたら……俺の想いを聞いてくれ」

 

 今まで、幼馴染二人が自分の側にいる事が当たり前だった。だが、こうして離れ離れになった事で、光輝は二人がいかに自分にとって大きな存在だったか自覚してきたのだ。ある意味、光輝は幼馴染達へ恋心を抱いていた事を異世界の地で初めて気付いたのだ。

 

「香織と雫は、俺にとって必要な存在なんだ。俺は香織や雫と、幼馴染以上の存在になりたいんだ。いつも俺の側にいてくれた雫なら、俺の気持ちも分かってくれるだろう?」

 

 異世界(トータス)ならともかく、元の世界では香織と雫の両方を彼女にするのは難しいだろう。

 それくらいは光輝も理解できていた。しかし、自分達はずっと一緒にいた幼馴染なのだ。香織と雫と一緒に話し合えば、お互いが納得する結末になる。

 光輝は、それを本気で思っていた。

 

「だから……今はこれで我慢してくれ。想いが通じ合った時、本当のキスをしよう」

 

 光輝は虚な目の雫の手を取り———手の甲に触れ合う様な口付けをした。それは、宮廷マナーで学んだ騎士が貴婦人に行う口付けを真似たものだった。

 

「ゃ……ぁ………っ」

 

 眠り続ける姫に、美しい王子がキスをする。

 物語の様に美しいシチュエーション(光景)に光輝が無意識に陶酔していると、はっきりとした意識が無い筈の雫の目が震えた。その奇跡におどろいたが、目から流れる涙はきっと嬉し涙なのだろうと光輝は解釈した。

 

「雫……」

 

 光輝は雫の目の涙を指で拭い、そっと額を掻き上げる。そして眠り姫に囁く様に、耳元に顔を寄せた。

 

「また来るよ……次に来る時は、きっと香織も一緒さ」

 

 そっと雫の髪を撫でて、光輝は病室を後にした。

 眠り姫は———暗い瞳のまま、再び涙を流した。




 とりあえず、まずは自分で書いていても反吐が出そうな展開を書き切った私を誉めて欲しい……サブイボが立ちましたよ、真面目に。

>エヒト君の演出プラン

①ノイント達が魔人族達と一緒になって人間族を攻撃するよ! 天使みたいなノイント達に、人間達は驚くね!

②神様に見捨てられた、と思って人間達は大混乱になるよ! 勇者様達に、「貴方達こそが神に選ばれた存在だったのではなかったのですか!」と詰め寄るね! 最近、好き勝手やってるから特にね!

③後は流れに任せてみよう! 勇者達が矢面に立たされても、王国の人間達からリンチされても愉悦展開だね!

 以上、エヒトプロデュースの愉悦ショーでした! 
 ん? 亜人族の国? どうせ亜人族が大した事ないなんて長年の経験で知ってるから後回し後回し! 後で帝国共々潰してやるさ!

>恵里

 光輝がガハルドを殺した回で、「恵里が光輝にとって誰かを犠牲にしてでも守りたいヒロインになった」と感想をくれた人がいましたが……そんなわけ無いでしょうよ(無慈悲)
 光輝にとって自分のヒロインは香織と雫ですから。恵里は所詮、香織の生存を知らせてくれる占い師役です(無意識)

>光輝

 本当にさ……本当に、本っっっっ当に、書くのが難しいし、思考回路が自分でも理解不能です!!(笑) 
 まあ……ある意味、彼の存在が無ければ、ありふれも数あるなろう作品の一つとしか見てなかっただろうから、名脇役ではあるんですけどね。
 ちなみに最初は額へのキスでした。書いていたら、本気で気分が悪くなったから止めましたが。

>雫

 殺さないと宣言した。最終的には救われると宣言した。
 うん、確かに言いましたから今更反故にはしませんとも。

 


 ……最終的に救われるならさ、その過程が地獄でも別にいいよね?


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第百二話「アンカジ公国」

 とあるありふれ二次を見て、急にこっちを書きたくなりました。
 ついでに久しぶりな×××版も……(笑)。

 それでは皆々様、久しぶりのありふれオバロをお楽しみ下さい。


 アンカジ公国。

 

 砂漠の真ん中に建国されたその国は、エリセンより運送される海産物の鮮度を極力落とさないまま運ぶための要所で、その海産物の産出量は北大陸の八割を占めている。

 つまり、北大陸における一分野の食料供給において、ほぼ独占的な権限を持っているに等しいという事であり、領主であるランズィ・フォウワード・ゼンゲン公もハイリヒ王国の中で信頼の厚い屈指の大貴族として、領地に『公国』を名乗る事を許されていた。

 

 アンカジ全体を覆う巨大なバリアのお陰で時折来る砂嵐も街に被害は及ぼさず、また街中にあるオアシスから流れる小川のお陰で『砂漠の国』でありながら『水の国』と表現できる程に美しい国だった。オアシスから湧き上がる豊かな水で果物を育て、エリセンの海産物やアンカジの果物を求めて商人達が盛んに交易する活気に満ち溢れた国だった———ついこの間までは。

 

 ***

 

「ビィズ……今日は、どのくらいの民が死んだのだ?」

 

 領主のランズィはベッドに横たわりながら、息子に聞いた。彼の顔色は悪く、重病に侵されている事は明らかだった。

 

「……本日は四百人が死亡しました。これで病気で死んだ患者は二万人を超えました」

「……そう、か」

 

 息子の報告にランズィの顔が沈痛に染まる。それは亡くなった民の事を偲んでおり、このままでは遠からずに国が滅ぶ事を予感しての事だった。

 

「父上……アンカジはこれ程困窮しているというのに、王国はどうして何もしてくれないのですか?」

「よすのだ、ビィズ……国王陛下には、きっとお考えがあっての事なのだ」

「ですが! アンカジに原因不明の病が蔓延していると知っていながら! 何故、王国や教会は“聖戦遠征軍”の為に治癒師達まで徴兵を行ったのですか!?」

 

 父親が嗜めるが、ビィズは堪らない様に内心に秘めていた不満を吐露していた。

 

 ———切っ掛けは数ヶ月前の事だ。

 アンカジ公国において、国民が次々と奇病を発症して倒れる様になった。当初は原因が分からなかったが、時間をかけて精査した事でそれはオアシスから流れる水が原因だと判明した。飲料水の中から毒物が検出され、それを飲んだ者が魔力を暴走させて死に至るのだ。

 とはいえ、それが断定できたのはつい最近の事だ。それまで原因不明の奇病で国民が次々と病に伏せる事態に、ランズィ達は手探りながらも対応していくしか無かった。アンカジの治癒師達の尽力によって、完治させる事は出来ないが症状を遅らせる事は出来ると知り、患者達がまだ生きている間に王国や教会に助けを求めようとしたのだ。

 

 ところが———王国や教会からの返答は冷たいものだった。

 

 王国で勇者が発起したという“聖戦遠征軍”。その人員の為にまだ無事な成人男性や治癒師達にも徴兵令が出たのだ。伝染病が蔓延してそんな余裕など無い! と病に伏せてしまったランズィに代わってビィズが領主代理として抗議したが、聞く耳は持たれなかった。挙げ句の果てには、「人間族が一致団結して平和を取り戻そうする中で、足並みを崩そうとするのは魔人族に通じているからか?」と聖教教会から半ば脅しの様に疑念をかけられ、徴兵された国民達は荒れていく祖国に後ろ髪を引かれながらも従うしか無かったのだ。

 アンカジ公国にいた聖教教会の者達も、「今こそ“聖戦”で魔人族を滅ぼし、我らの信仰心を示すべきだ!」などと尤もらしい事を言って、感染を恐れて逃げる様に去ってしまった。

 

「お陰で治癒師の治療も満足に受けられず、病に侵された民はただ死を待つばかりです。しかも“聖戦遠征軍”の為にアンカジにあった物資もタダ同然で徴収され、もはやこの国は風前の灯火です。こんなものが……こんなものが、エヒト神の神意の下で行われる仕打ちだというのですか!!」

 

 ビィズは拳を震わせながら、大声で怒鳴ってしまう。

 アンカジ存亡の危機にありながら、何もしてくれないどころか死人に鞭打つ行いをするハイリヒ王国と聖教教会。

 そして、“聖戦”などというものを軽々しく宣言した異世界の勇者達に怒りを覚えずにはいられなかった。

 

「落ち着くのだ、ビィズ……神は決して我々をお見捨てにはならぬ……」

 

 呼吸をするのも苦しそうなランズィに、ビィズは無念の表情で顔を伏せてしまう。このままでは自分の父親も遠くない日に息を引き取るだろう。それなのにロクな治療も出来ない事に歯噛みするしかなかった。

 

「現に金ランクの冒険者達が先日に訪れてくれたではないか……彼等のお陰でオアシスを汚染していた魔物も打ち倒された……あとは静因石を持ち帰ってくれれば、いまこの瞬間にも苦しむ民達も救われるのだ」

 

 魔力の暴走を抑える静因石。それはここよりはるか北の採掘場か、グリューエン大火山でしか採掘できない。北の採掘場は往復には時間がかかり過ぎて、待っている間に感染者の大半は死ぬだろう。残るグリューエン大火山は近場ではあるが、年中火山を覆っている砂嵐や火山で出没する魔物のレベルを考えると高ランクの冒険者でもなければ採掘は難しい。採掘に行けそうなアンカジの冒険者達は病に伏せてしまっていて、もはや打つ手は無いとランズィ達が諦めかけていた時———奇跡が舞い降りた。

 

「父上……」

 

 ビィズもまた、同じ様に祈る様な気持ちでその冒険者達を待ち続けていた。もはやこの国を救ってくれるならば、たとえエヒト神に背く魔人族達であっても構わなかった。

 そんな時———部屋のドアが叩かれた。

 

「どうした?」

「病臥のところ、失礼致します! 至急、ランズィ様にご報告したい事があって参りました!」

「構わん、入りなさい」

 

 ランズィが入室許可を出すと、アンカジの兵士が挨拶もそこそこに部屋に入る。彼の顔には興奮と喜悦が入り混じっていた。

 

「報告します! 冒険者・モモン様御一行が帰還されました!」

 

 その報告にランズィとビィズは驚愕した。今し方、彼等の事を話していたが、想定よりも早過ぎる。まさか採掘できなかったという報告に来たのか? と疑念が過ぎったが、兵士の顔を見る限り凶報とは思えなかった。

 

「わ、分かった。私が応対する———父上、失礼致します!」

 

 父への挨拶もそこそこに、ビィズは部屋を出た。公人としてみっともない真似だと頭では理解していたが、逸る気持ちが自然と駆け足にさせていた。

 やがて、ビィズは兵士に案内された場所に辿り着く。

 そこに———漆黒の騎士がいた。

 この国では王国より暑過ぎる気温から、滅多に着る者がいない全身甲冑(フルプレートアーマー)。赤いマントを風に靡かせ、二本のグレートソードを背負った姿は在野の冒険者とは思えない高貴さを醸し出していた。

 彼の周りには従者の様に黄金と白銀の少女二人と、フードで顔を覆い隠した少年が直立していた。そして———彼等の両手には、袋から滾れ落ちそうなくらいの大量の静因石があった。

 

「待たせたな」

 

 漆黒の騎士———モモンはちょっとした用事を済ませてきたかの様に言った。

 

「静因石は……このぐらいあれば足りるだろうか?」

「おお………!!」

 

 ビィズは思わず、モモンに祈る様に両手を組んで膝を地面に付けた。

 

 ***

 

「ありがとうございます! ありがとうございます! モモン殿のお陰で、この国は救われます!!」

 

 その夜。ビィズは屋敷でモモン達に感謝の宴席を設けていた。以前よりも財力は豊かでは無いのでささやかな物ではあるが、それでもアンカジ名産の果物を使った料理の数々がテーブルに並ぶ。立席式の宴席であり、ビィズの他にもアンカジの重鎮達がこぞって国を救ってくれた英雄を一目見ようと出席していた。宴席の主役であるモモンは、頭をずっと下げ続けるビィズに遠慮する様に言った。

 

「ああ、いや……そんなに畏まらなくて構わない。私達もグリューエン大火山に用があったから、ついでに行ったに過ぎないのです」

「だとしても、あなた方は我々にとって救世主そのものです! お陰で父上の容態も回復するでしょう。こんなに早く静因石を持ち帰って来れるとは、さすがは金ランクの冒険者殿だ! さあさあ、こちらの果実酒をどうぞ! 我がアンカジ自慢の一品です!」

「あー……うむ。私は、その……」

 

 興奮気味に酒盃を勧めてくるビィズに、モモンは気乗りしない様子を見せていた。

 それもそのはず、漆黒の騎士・モモン———アインズの鎧の中身は骨しか無い身体(アンデッド)である為、飲食など出来るわけが無かった。

 

(や、やばい……断り切れずに宴会に出る羽目になったけど、マジでどうする? さすがに一口も食わないとか、不自然過ぎるか? そもそも空間魔法を習得しに行ったついでだったのに、ここまで大喜びされるとは思わなかったぞ?)

 

 グリューエン大火山の大迷宮自体は、さほど苦労する事なくアインズ達は突破していた。そもそも熱気対策を万全にしているアインズからすれば、道中の魔物達も想定しているより弱かったので散歩道ぐらいにしかならなかったのだ。そこでモモンとしての名声を上げる為にアンカジ公国の領主の依頼もついでにこなしたのだが、領主達はアインズが引くくらいの感謝感激で出迎え、オタオタしている内に宴席を設けられてしまったのだ。

 サラリーマン時代も無理やり連れて行かされた飲み会でウーロン茶ばかり飲んでいたら、上司に「最近の若い子はノリが悪いねぇ」とイヤミを言われた事があった。その時の経験から『宴会で酒を一杯も飲まないのは失礼』と脳内にインプットされたが、今のアインズは飲みたくても飲めない身体なのだ。どうビィズに返すべきか悩んでいると———スッと横から入る少女の手があった。

 

「失礼します、ビィズ・フォウワード・ゼンゲン公。私も一杯戴いてよろしいでしょうか?」

「あ……ああ、どうぞ! ユエ嬢も是非!」

 

 ユエはごく自然とビィズとアインズの間に入る。まだ幼い風貌ながらも、ビスクドールの様に整ったユエの美貌に見惚れたビィズは思わず持っていた盃を渡してしまっていた。

 ユエは盃を受け取ると、上品に口をつける。その所作は付け焼き刃では絶対に出せない気品に満ちて溢れており、ただ酒を飲んでいるだけなのにまるで一枚の絵画の様に芸術的な光景となった。

 

「……美味しいです。味がまろやかで、それでいて甘味はしつこくはない……これはナツメヤシ酒ですね?」

「ええ! 我が国ではナツメヤシは民の食卓にも並ぶ程に代表的なフルーツで———」

 

 ビィズが自分の国を誇る様に話し出し、ユエはそれに応対した。かつて吸血鬼の女王として社交界で磨いたのであろう会話術は見事と言う他なく、飲食が出来ない事を咎められずに済んだアインズはそっと溜息を吐いた。

 

(助かった……ナイスだ、ユエ! さすがは吸血鬼の女王様!)

 

 ビィズとの会話の途中、ユエが「分かっていますよ」と言いたげにアインズにウインクをした。その姿に無い筈の心臓がドキッと跳ね上がった気がして、何故か気恥ずかしくなったアインズは誤魔化す様に周りを見渡した。

 

(さ、さて、ナグモ達はどうしているかな、と……)

 

 ナグモ達の姿はアインズから然程離れていないテーブルで見つける事が出来た。そこには———。

 

「これ、スイカかな? 瑞々しくて、すっごく美味しい!」

「はは、そうでしょう、そうでしょう! なんといっても我が国の隠れた名産ですからな!」

「ヴェルヌくんも食べてみて。はい、ア〜ン♪」

「……あむっ」

「どう? 美味しいでしょう?」

「……まあ、悪くない品質だ」

「ははは、お褒めに預かり光栄です。しかし、お二人は大変仲が宜しいご様子で」

「そうなんです! ヴェルヌくんと私は相思相愛ですから♪」

「いやはや、ヴェルヌ殿に調合して頂いた薬とブラン殿の治癒術のお陰で、妻も一命を取り留めて感謝しております。つきましては、いかがでしょう? お二人のご結婚の際には、是非とも私の果樹園から祝いの品を贈らせて頂けませんかな?」

「おっと、ズルいですぞラメール殿! ブラン様、ご結婚が決まりましたら、是非とも私の服装店にお声掛け下さい! 最上級のサテン生地をご用意し、一流の針子達に花嫁衣装を縫わせますとも!」

「なんのなんの! ならば我が商会も是非とも御贔屓に! 新婚のお二人にピッタリの家具、そしてお子様が生まれた時のベビー用品も特別価格でご用意させて頂きます!」

「もう、まだ早過ぎますってば! でも……ヴェルヌくんが良ければ、私はすぐにでも……」

「……まあ、なんだ。今は少し忙しいが、落ち着いたらじっくり考える」

 

 顔を赤らめながらモジモジとする香織に、照れ隠しの様にナグモはぶっきらぼうに答える。ナグモが変装として焼け爛れさせた顔も、国の恩人であるという事実の前には些事となった様だ。周りの人間達は若い冒険者カップルを祝福しながら売り込みをかけていた。

 

(こっちはこっちでいつも通りだな。今日は大目に見てやるから、その調子で俺の為にも周りの注目を引いてくれよ。それにしても………)

 

 二人の相思相愛(バカップル)ぶりにいつも通り胸焼けしてきたアインズだが、アンデッドでありながら料理を普通に食べている香織を暇潰しにマジマジと見つめる。

 

(俺と同じアンデッドなのに、香織は普通に飲食できるんだよなぁ。前にナグモに仕組みを説明して貰っても、一割も理解できなかったけど)

 

 専門用語ばかりでほぼ聞き流していたが、確か食べた物を原子レベルまで分解して魔力エネルギーに変換とか、そんな事を言っていた気がする。

 

(そういえば首無し騎士(デュラハン)のユリも食べないだけで、飲食自体は出来たんだっけ? アンデッドだから、全く飲食出来ないというわけじゃ無い筈なんだよなぁ……)

 

 ユグドラシルの時は料理によるバフ効果が受けられないくらいのデメリットしか無かったが、異世界(トータス)でせっかく元の世界では口にする事が出来ない新鮮な食材があっても、アインズには食べられないというのは少しばかりストレスだった。目の前で美味しそうな料理が並ぶ宴席の場では、余計にそう感じてしまう。

 

「俺も香織みたいに飲食できたらなぁ……」

 

 ほんの少し、ポツリと小さな声でアインズは愚痴ってしまう。そのストレスも、やっと働いた精神沈静化である程度は収まり、まあ仕方ないかと自分を納得させる様に言い聞かせて香織から視線を切った。

 ———だからこそ。アインズは気付かなかった。アインズの呟きを偶然耳にしたナグモが、怪訝な表情で振り向いた事に。

 

「———しかし、ユエ嬢やモモン殿方のお陰で本当に助かりました」

 

 ユエと話している内に落ち着いてきたのか、ビィズは先程より冷静に話していた。しかし、その表情にはどこか不安を感じさせていた。

 

「これでこの国も少しは風向きが良くなるでしょう……王国と教会に“聖戦”の為に人員や物資を徴収されて、もはや風前の灯火であった我が国も首の皮一枚が繋がった様なものです」

「……それほどこの国は良くなかったのですか?」

 

 思わず、アインズは口を挟んでしまう。初めてアンカジに来た時、寂れた感じがする国だなと思っていたが、実情は更に酷い様だ。

 

「ええ……日用品に使う魔石の価格は流通量の不足から高騰を続け、さらには“聖戦”が発令された事で他の物資まで遠征軍に買い占められて高騰する始末。唯一、要求する物資の量を揃えられるのが“フリートホーフ”なる新規の商会なのですが、教会がスポンサーになったのが強気にさせているのか輸入する品に法外な値段を要求してくるのです」

 

 本来なら一介の冒険者にする様な話では無いのだろう。だが、ビィズは余程王国や教会に腹を据えているのか、アインズ達が国の恩人だという事もあって国の悩みを話してしまっていた。

 

「そこに来て、オアシスの汚染による伝染病……モモン殿方が来られなければ、公国は遠からずに滅びていたでしょう。まだまだ頭痛の種はありますが……それでも伝染病が無くなっただけでも大きな一歩ですとも」

 

 未だに見通しの悪い公国の先行きへの不安を隠す様に、ビィズは精一杯の笑顔を作った。そして———アインズは不自然にならない様に気を付けながら、それを口にした。

 

「……知っていますか? ハルツィナ樹海にある亜人族の国に、新しい国が出来たそうですよ」

「亜人族の国……ですか? 確か、フェアベルゲンという名前だったと思いますが……」

「新しい君主が現れて、国名が変わったそうですよ。アインズ・ウール・ゴウン魔導国と言うそうです」

「はあ……アインズ・ウール・ゴウン魔導国……」

 

 ビィズが狐につままれた様にオウム返しにする。横でユエが事の成り行きを見守る中。ここからが正念場だぞ、とアインズは自分に言い聞かせた。

 

「亜人族達の国ですが、ヘルシャー帝国と友好条約を結んで正式な国として帝国に認められたそうです。そして魔導国には魔石が余る程に採掘され、帝国は比較的安価で輸入しているそうなのですよ」

「そ、それは本当ですか!?」

 

 思わずビィズは声を上げてしまう。オルクス大迷宮が閉鎖して以来、良質な魔石が市場に出回らなくなったというのに、亜人族の国とはいえ安価で魔石を流通させている国があるとは思ってもみなかったのだろう。

 

(だってなぁ……魔石って、簡単に量産できるし)

 

 オルクス大迷宮を独占している張本人(アインズ)は、ビィズに気付かれない様にそんな事を考えていた。

 オルクス大迷宮の魔物は地上とは比べ物にならないくらいレベルが高く(といってもアインズからすれば弱いが)、さらには大迷宮の仕組みや核となるコア・システムを技術研究所(ナグモ達)が解析したお陰で魔物の出現率も自由に調整できる為にアインズからすれば魔石は売るほどに余る代物となっていた。最近では技術研究所で品種改良を行い、魔石を体内で作る事に特化させた気性の大人しい魔物も畜産できる様になったとも聞く。

 その魔物の飼育を亜人族達に任せ、更には帝国へ余剰分を売る事で亜人族達は以前よりも豊かな生活を送れる様になっていた。

 

「その他の資源も、魔導国では豊富に採れると聞きます。王国や教会を頼りにするのが辛い様であるなら、魔導国に頼ってみては?」

「し、しかし……その、亜人族の国なのですよね? それに帝国が友好条約を結んでいるといっても……」

 

 ビィズは迷う様な表情を見せる。最近の王国や教会に不満はあるとはいえ、生まれた時から聖教教会の教義が根付いているビィズにとっては亜人族は穢れた種族だと教えられてきた。そして帝国は先代皇帝(ガハルド)が王国でふしだらな行いをして、教会から見捨てられた国だ。そんな国に頼って良いものか、ビィズの中で形成された常識が魅力的な提案に頷く事を邪魔していた。

 

(やはり聖教教会の教義が邪魔をするか……これは今後の魔導国の課題だな)

 

 対エヒトルジュエ連合ことアインズ・ウール・ゴウン魔導国に人を集めたいアインズにとって、人間族以外を差別する聖教教会の教義は目の上のたんこぶでしか無かった。しかし、アンカジ公国を魔導国の味方とするチャンスを逃してなるものか、とアインズは更に言葉を重ねようとした所で———それまで黙っていたユエが口を開いた。

 

「……ビィズ・フォウワード・ゼンゲン公。よろしいでしょうか?」

「ユエ嬢……?」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国は、貴方が忌避する様な国ではありません」

 

 ユエはビィズをまっすぐに見ながら意見する。かつて吸血鬼達を率いた女王としての顔を見せながら、ビィズを説得した。

 

「魔導国の王———アインズ・ウール・ゴウン魔導王は見た目こそ恐ろしいですが、本当は優しい心の持ち主。聖教教会の様に種族に囚われず、多くの種族の多様性を認められる方です」

 

 いや、ちょっと待って、と言いたくなる口をアインズ(モモン)は必死に閉じた。どこの誰だよソイツ? と言いたいが、NPC達と違ってユエの言っている事は満更嘘というわけでも無いのが困りものだった。

 

「魔導王陛下にアンカジ公国の困窮している現状を伝えれば、陛下も無下にはなさらない筈……なにせ被差別種族だった亜人族にも救いの手を差し伸ばしたくらいですから」

「ユエ嬢は、その魔導王陛下なる方に会った事があられるのですか? 一体、どんな方なのですか?」

「……会えば、お分かりになると思います。口で説明するには、少し難しいので。でも魔導国に行けば、統治が悪いものだとは思わない筈です」

 

 あえてユエは魔導王の実態について話さなかった。さすがに不死者の魔物(アンデッド)が統治者といきなり言っては、好感は得られないと判断しての事だ。

 

「ま、まあ、ユエが言う様に魔導王はそこまで悪人ではない……ですな」

 

 自分で言うのはイタいが、そういうキャラ付けでアインズは押し通す事にした。

 

「聖教教会の教義から外れた種族や国がいる事に忌避感を感じている様だが……そもそもあなた方がここまで苦しむ羽目になったのは、その聖教教会に拠るものではないですかな?」

「……それは」

 

 ビィズが力なく唇を噛み締めた。アインズは言葉を選びながら、出来る限り優しく言った。

 

「私は一介の冒険者に過ぎませんが、指導者たる方は時には既存のやり方を変えてでも、民の事を第一に考えるべきではないでしょうか? 何故なら、民があってこその国なのですから」

「民あっての国……」

「ええ。今の王国や教会は、はっきり言わせて頂くとアンカジ公国にとって害にしかなっていない。国益の為、そしてこの国に住む民の為にも、魔導国と国交を結ぶのは悪い話では無いのではないでしょうか?」

 

 アインズはまっすぐにビィズを見た。

 

「このまま王国や聖教教会と波風を立てない様に振る舞う。なるほど、そんな選択もあるかもしれません。しかし………どうでしょう? 未来の為に、勇気ある一歩を踏み出してはみませんか?」

 

 どうだ? とアインズは反応を伺う。口から出まかせに言ってみた事だが、急拵えの割にはまあまあ良い事は言えたんじゃないか? と思いながら。

 ビィズは――まるで憑き物が取れた様に明るい表情となっていた。

 

「……ありがとうございます、モモン殿。お陰で私も目が覚めました」

 

 お? これは良さそうだぞ? とアインズは期待に逸る気持ちを抑えながら、ビィズの言葉を待った。

 

「モモン殿の程の方が言われる事です。ひょっとしたら、魔導国は我が国の救いとなるかもしれません。父とも話して、魔導国に使者を送りたいと思います」

 

 やったー、とアインズは心の中でガッツポーズをした。営業が上手くいって、喫茶店で会社に成果を連絡する時の様な気持ちだった。

 

「……それでしたら、ちょうどエリセンで魔導国の商会の店舗が新規開店するので、そこに連絡を取ってみると良いと思います」

 

 へ? そうだっけ? と思いながらも、アインズはユエに任せた。ユエの方がアインズより地理情報などに明るかったからだ。ユエはビィズに、その商会の名前を告げた。

 

「チャン・クラルス商会。そこに行けば、今のアンカジに必要な物資もすぐに購入できると思います」

 

 ***

 

「感謝するぞ、ユエ」

 

 宴が終わり、アインズは用意された部屋で礼を言った。いつもの如く、ナグモと香織は別室だ。

 

「お前のお陰でアンカジ公国は魔導国の味方となりそうだ」

「……お礼なんて言う必要ないです。むしろアインズ様の言葉添えがあって、彼は決心がついた様なものですから」

「う、む……? そうか?」

 

 そんな事無いと思うんだけどなぁ、とアインズは心の中でそう思っていた。自分が言ったのは、「王国や教会より魔導国と組む方がお得ですよー」という事を咄嗟の思い付きで出した言葉でプレゼンしたに過ぎない。

 

「まあ、しかしなんだ……魔導王の人物像とか、誇大広告な気もしたが」

 

 アインズにとって、結局一番大事なのはナザリックだ。亜人族を保護したのも、帝国に助けを差し伸べたのも、ひいてはナザリックの利益となるからと判断したからに過ぎない。

 しかし……何故かユエはフルフルと首を振った。

 

「……私は自分が思った事を口にしたに過ぎないです。アインズ様はご自身が思っているより、統治者に向いていると私は思います」

「む、う……?」

 

 そんな事は無い、NPC達みたいに勘違いしているだけだ。そう否定するのは簡単だったが———何故かユエの前では、それを言う気になれなかった。

 

(何でだろうなぁ……? 俺が統治者とか、絶対に有り得ないのに……)

 

 そう思いながらも———ユエが認めてくる自分自身(アインズ)を、否定はしたくない。

 そんな不思議な感覚に、アインズは戸惑っていた。

 

 ***

 

 同時刻———ナグモは部屋で香織の身体を調べていた。

 

「もう……ナグモくんってば、どうしたの? 部屋に来るなり、私の身体を調べさせてくれなんて。私に触りたいなら、いくらでも触っても良いのに」

「少し自重しろ。……ナザリックに戻ったら、我慢させた分は発散していいから」

 

 香織がくすぐったそうに身動ぎするのを、努めて技術者としての視点で見ながらナグモは簡易的な検査をする。

 香織の身体は元となった人間の肉体がアンデッド化して、さらに多数の魔物を捕食して肉体を補って異形化したキメラアンデッドだ。神結晶で作製した人工心臓で暴走していた肉体を制御している為、同じ様な肉体を作るのは難しいと判断して亜人族のキメラ化は簡易的な物にしていた。コスト的にも、その方が量産化には適していたからだ。

 

(ただ………あくまで量産化が難しいというだけで、時間をかけて良いなら作れない事は無い)

 

 ナグモは先程のアインズの呟きを思い出す。一体、どういう意図であの様な発言を口にしたのかは分からなかったが、ナザリックのシモベとして至高の御方が望む物を用意するのは責務だと感じていた。

 

(考えてみれば、人間達に混じって冒険者として潜伏するならば幻術による変装だけでは不十分か………ならば、御方に相応しい肉体を作製しなくてはならないな)

 

 仮初とはいえ至高の御方の玉体となるのだから、ある意味では雑に作られた香織と同じ様にとはいかない。最上級の魔物や生物を使い、これ以上の出来はないと言える肉体を作製しなくてはならないだろう。

 すぐに技術研究所に指示を出そう。そう考えていると、ナグモに触診されている香織は声を上げた。

 

「ねえ、ナグモくん。一回で良いからさ………シない?」

「………………君、本当に自重し給え」




>グリューエン大火山

 そりゃあね……アインズからすれば、イベント消化ぐらいにしかなりませんって。というか他の大迷宮も、「アインズが規格外過ぎるからトラップとか幻術にかからないです」と強弁しちゃえば簡単に済んじゃうんですよ。

>アインズの統治者としての素質

 原作だと素質ゼロと言われていますけど、魔導国としての冒険者組合の設立とかドワーフ達の引き抜きの時にやった演説を見るに、本当に才能ゼロとは思わないんですよ。多分、経験を積んだら化ける気はする。

>チャン・クラルス商会

 一体、どこの竜人達が営んでいるのでしょうね?(棒読み)
 まあ、奥さんはアフターでは女社長をやっていたし……あといい加減、二人について詳しく書くべきかな? と思ってきたり。

>ナグモ

 はっきり言う。コイツ、余計な事をしようとしている。

 デミ程に残虐な精神じゃないけど、頭が無駄に回る方だから「なるほど、そういう事ですか」と先回りしようとしちゃうんですよ。アレ? デミとあまり変わらないな……。
 そんなわけで「作った後に深刻さに気付く」というプロトタイプなマッドサイエンティストの末路、どうぞお楽しみあれ!


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第百三話「チャン・クラルス商会 前編」

 久々のオバロクロスの執筆………投稿期間を見返すと、久々とは言わないのかもしれない。ニトちゃんオルタの育成とかしながら、ポチポチ書いてます。
 内容的には幕間なのかな? 予想より長くなりそうなので、前後編に分けました。今まで放置していたセバスの近況話です。


 中立商業都市フューレン。

 

 大陸一の商業都市と名高いその都市は、ハイリヒ王国内にありながら、国内はおろかヘルシャー帝国との物流拠点としてどちらの勢力にも依らずに商人達による自治が認められていた。彼等はギルドを作る事で団結し、その豊富な資金力で両国からしても無視できない程の権力を有していた。都市を囲う外壁も城壁の様に巨大で、仮に都市を攻め落とそうとしてもちょっとやそっとの兵力ではビクともしないだろう。

 今、巷では“聖戦遠征軍”によって各都市から資金や人員などを徴収されているが、フューレンだけはその有り余る資金力のお陰で徴収金を支払っても、まだ住民の生活に余裕はあった。しかしながら、フューレンの豪商達は遠征軍によって物資を大量に徴収された事で影響力を落とし、その隙間から入り込む様に新参の商会の台頭を許す事になってしまった———。

 

 ***

 

「ほう………これは見事な純度の魔石ですなぁ」

 

 フューレンに本拠地を構えるユンケル商会の長、モットー・ユンケルは目の前に置かれた魔石をルーペの様な魔法具で見ながら呟く。

 

「ホルアドのオルクス大迷宮が閉鎖して以来、良質な魔石はどこも品薄だというのに」

「———私達には独自の伝手がありますから」

 

 テーブルを挟んで向かい側に座った初老の男———セバスが深みのある声で応えた。仕立ての良いスーツを着て、品良くソファに腰掛ける姿は高貴な身分を思わせる姿だった。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国———その国より、取り寄せたものです」

「魔導国………確か帝国と協定を結んだという亜人族の新たな国でしたかな? いやはや、盲点でした。国として未知数であった為に我が商会は様子見していましたが、どうやらリスクを恐れずに行動した貴方達が正しかった様ですな」

「………亜人族と取り引きを行った事を咎めないのですか? ハイリヒ王国では、亜人族は関わるべきでない者とされているそうですが」

「王国では、というより教会では、と言うべきでしょう。私にとっては相手が教会から破門された帝国であろうが、教会から差別される亜人族であろうが、支払いをキチンと戴ければ等しく“お客様”ですから」

 

 サラッと聖教教会からすれば大問題な発言をするモットー。彼がここまで胸襟を開くのも、セバスならば無闇に告げ口をしないと人柄を信用したからだろう。そして、声を潜めながら更に話した。

 

「………実のところ、私共は今の王国や教会とは少し距離を置きたい、というのが本音ですな。大規模な遠征軍だからと纏め買いするのを理由に、商品をかなり安く買い叩かれる羽目になりました。その値段に文句を言おうものなら、教会からも睨まれるものですからたまったものではありません」

「そうなのですか?」

「ええ。しかも最近は教会はフリートホーフなる新参の商会ばかりを贔屓する様になりまして………このフリートホーフ商会がまたきな臭いのですよ。かなり阿漕な商売をして市場を荒らし回っているというのに、王国の貴族の皆様方は我々が訴え出ても素知らぬ顔をしているのです。信用が第一の商売でそんな真似を許せば、我々商人全員が顧客達からの信用を失うというのに………」

 

 ふう、とモットーは溜め息を吐いた。

 

「エヒト神が召喚されたという“神の使徒”様方も嗜好品をお売りしたのに、権力を笠にして支払いを踏み倒されたという同業者が多くいますし………はっきり申し上げて、今の王国や教会に付き合っていると破滅の未来が待っているのでは? と思うのです。恐らくは我々は分水嶺にいるのでしょうな」

 

 長年の商人としての勘が囁くのか、物憂げな表情でそう呟いた。

 

「しかし、ここに来て私はセバスさん達という新たな岐路を見つけられた様だ。新参でありながらフリートホーフと違い、貴方達は信用できる方達の様だ。今後とも長く付き合っていきたいものです」

「身に余るお言葉です。先程の魔石の卸売りの値段ですが………これで如何でしょうか?」

「拝見しましょう………これは、ふむ。オルクス大迷宮の閉鎖以前よりも安く仕入れられそうですが、本当によろしいので?」

「ええ、問題ありません」

 

 驚くモットーにセバスは即答する。そもそも、彼が———正確には彼の主人が欲しているのは、()()()()()()()ではなく………。

 

「その代わりといってはなんですが、我々の商会の評判を広く宣伝して頂きたいのです。支店を他の町にも出そうと考えているのですが、この国では無名な我々では顧客を呼び寄せるのも簡単ではありませんから」

「ああ、その程度の事で良いならいくらでもお力添えしますとも。今度、私の知り合いの商人達にも声を掛けましょう」

 

 スッとモットーが手を差し出す。それをセバスは握手して、皺のある顔を微笑ませた。

 

「今後とも、我々“チャン・クラルス商会”を御贔屓下さい」

 

 ***

 

 モットーとの会談を終え、セバスは大通りを歩いて帰路につく。

 通行人達は颯爽と歩くセバスとすれ違うと、思わず振り返っていた。見た目は初老の年齢に差し掛かりながら、顔立ちはナイスミドルを絵に描いた様に整っており、醸し出される気品はそこらの男では真似できない様な魅力を彼から感じさせていた。事実、女性達はセバスへ熱い眼差しを送り、ともすれば男性もセバスを見て「歳を取っても、あんな風にありたい」という羨望の眼差しを送っていた。

 まっすぐとした迷いの無い足取りだったが、急に足が止まる。セバスは大通りを横切ると、通りの端で座り込んでいた老婆に近寄った。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 突然声を掛けられて、老婆の顔に警戒心が浮かぶ。しかし、セバスの容姿や品の良い服装を見て、少しだけ警戒を解いていた。

 

「何かお困り事ですか? 私にお手伝いできる事はありますか?」

「い、いえ。旦那様に手助けして貰う事など………」

「気になさらないで下さい。どうか話してみて頂けませんか?」

 

 セバスがニコリと笑うと、老婆の最後の防波堤が崩れた。顔を赤らめながら、老婆は事情を話した。

 老婆は露店商で、商品を売り終わったので帰ろうとしたが、途中で足を挫いてしまったらしい。見れば、老婆の横にある背負子には荷物はほとんど無いが、それでも痛んだ足で背負って帰るには難儀するだろう大きさだった。

 大通りの治安はそこまで悪くはないが、だからといって通行人全員が善良とは限らない。親切な人間を装って、荷物や金銭を奪う人間もいる。そんな事件が前にあったと聞いた老婆は、下手に助けを求める事も出来ずに通りの端で足の痛みが治るのを待つしかなかったそうだ。

 

(このくらいであれば、気功で治せますが………)

 

 セバスは老婆の内出血した足を見ながら考え込む。既にこの都市でのセバスはあくまで“商人”だ。トータスでは詠唱を介さない魔法行使は“神の使徒”でもなければ無理だという話だから、ここで使えば余計な詮索を招く事になる。それならば———セバスはいま取るべき行動を迷わず選んだ。

 

「私が貴方の家までお連れしましょう。案内して頂けますか?」

「旦那様、よろしいのですか!?」

「もちろんです。さあ、どうぞ。私の背におぶさって下さい」

 

 躊躇いなく腰を落として老婆を背負おうとするセバスに、当の老婆自身が困惑した声を出した。

 

「そんな、悪いです! 私の汚れた服では旦那様のお召し物が汚れてしまいます!」

 

 老婆の服は洗濯は怠っていないのだろうが、ツギハギの目立つ着古した服だった。仕立ての良いスーツを着たセバスが横に並ぶと、一層と貧相さが目立つ。

 しかし、セバスは安心させる様に微笑んだ。

 

「服ぐらい汚れる事なんて構いませんとも。困っている方がいれば、助けるのは当たり前。私は尊敬する方から、その様に教えられましたので」

 

 その後も老婆は何度か遠慮したが、結局はセバスの好意に甘える事になった。老婆を背負い、背負子を脇に軽々と抱えるセバスの姿に誰もが感嘆の溜息を漏らしていた。

 

「あの方は一体、どちらの紳士なのかしら?」

 

 一連の出来事を見ていた通行人の女性が、ほんの少しだけ老婆を羨ましそうに見ながら呟く。それを聞いた露店の男性が口を出した。

 

「あれは確か、最近新規開店した商店の店員さんだよ。確かセバスさん、という名前だったかな?」

「まあ、そうですの? 立ち振る舞いが綺麗でしたし、ひょっとして貴族の方なのかしら?」

「そこまでは知らないが………きっとかなりの大貴族に仕えていた方かもしれないな。あの人自身がそこそこの貴族の三男だったと言われても驚かないよ」

 

 貴族でも家を継げない者が大貴族の家の使用人となったり、はたまた実家から貰った資金で商売を始めたりするのは珍しくない。もっとも商売に手を出す大半の者は軌道に乗せる事が出来ず、逆に借金を抱える様になったりするが、セバスの人柄を見ているとそんな酷い未来にはならないんじゃないか? と思わなくもない。

 

「あの方、もしかして独身なのかしら? 少し歳を取られているけど、上手くいけば玉の輿なんて事も———」

「そりゃ残念だったな、あの人にはちゃんと奥さんがいるよ。しかもかなりの別嬪さんのな」

 

 分かりやすくショックを受けている女性に笑いながら、露店の男は続きを話した。

 

「どうやら商店の切り盛りは主にその奥さんがやっているみたいでな。遠目に見ただけだが、気品があって理知的な女性(ヒト)だったよ。おまけに身体付きも抜群で、まさに才色兼備とはあの事だろうね」

「そんな……うぅ、セバス様を独り占めしてるなんて羨ましいぃ………」

「ははは、まあ良い男というのは大体既に美人さんがいるものだ、って話だね。逆もしかりだがね。しかしまぁ、見ての通りにやんごとなき身分だろうし、お金に困っている様子はなし。美人な奥さんがいて、あの店は売り子さん達もエキゾチックな美人さんばかりだったし、やっぱり持っている人は持っているものなんだねぇ」

 

 おおよそ世の男性が望む物のほとんどを兼ね備えているだろうセバスに対して、露店の男は羨望を交えながら呟いた。

 

 ***

 

 老婆を背負いながら、セバスは歩く。彼のこの様な行動はこの都市の住人には珍しくないのか、すれ違う人間達はセバスに和かな笑顔で挨拶していた。彼等にも笑顔を返しながら、セバスは思考する。

 

(………本来、ナザリックに属さない者に哀れみという感情を持つのは正しくない)

 

 至高の御方達から命じられれば、たとえ親友であろうと殺すべきであり、自死を命じられれば即座に自害するべきだ。それこそが真の忠義である、とセバスは思っていた。

 

(ですが、今は別に良いでしょう。ティオ達と共に“人間の商人”として振る舞うのは、他ならぬアインズ様からの御命令です。街の方達に親切をするのは、人間として周囲に溶け込みやすくなりますから)

 

 言い訳の様に心の中で弁明するセバスだが、ふとナザリックの同僚達の顔が浮かんだ。

 怪訝そうな顔をする者、眉を顰める者、明らかな侮蔑を浮かべる者。

 その筆頭であるデミウルゴスの顔が浮かんだが、セバスはこれが正しい行為だと確信していた。そもそも、セバスがこうして人間の商人———それも妻帯者の———フリをする事になったのも、ある意味では彼がアインズに入れ知恵したせいだ。文句を言われる筋合いなどない、と少しだけ反感を覚えながら心の中のデミウルゴスを無視した。

 

(そういえば………彼ならば、どう思うのでしょうか?)

 

 ナザリックの同僚達の顔を思い浮かべていたセバスは、守護者の中で唯一の人間を思い浮かべた。

 人間でありながら同族の事を「低脳な猿」と忌み嫌い———それでいながら、ナザリックの外の人間を愛している天才科学者。愛した少女は数奇な運命の果てに異形種(アンデッド)へと変わってしまったが、彼等の仲睦まじい様子はセバスもよく知っていた。

 

(彼はやはり人間嫌いですから、私がやっている事に良い顔はしないでしょうね………)

 

 そう思いながらも———何故か強くは批判して来ないだろう、と思えた。それこそ今この場にいれば、ブツクサと文句を言いながらも自分の後を付いてくるんじゃないか? そんな風に思えていた。

 セバスは自分の勝手な想像であると知りながら、その光景に内心で苦笑しながら老婆を送り届ける為に大通りを歩いた。




>セバス

 現在、アインズの命令で人間の商人をやってます………夫婦経営で。
 何でこうなった? は次回あたりに書きます。それにしても、何処ぞの階層守護者代理と違ってキチンと人間達に溶け込んでいるというね。いやホント、図書館に引き篭もって本を読む事しかしてない奴とえらい違いだわ。


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第百四話「チャン・クラルス商会 後編」

 こちらの方を書きたい気分だったので、書きました。
 またもや、やりたい展開ありきで書いてますが。


 老婆を家まで送り届け、セバスは帰路に就いた。フューレンの都市内でも高級店が並ぶ様な一等地にその店はあった。真新しい看板には『チャン・クラルス商会』と書かれており、店舗も周りの老舗の商店に見劣りしないくらいに大きい。

 セバスが扉を開けると、様々な品が置かれた広い店内が迎えた。衣服、調度品、ポーション類などと商品の種類はかなり豊富だ。しかし、雑貨屋の様な庶民的なイメージは無く、綺麗に整理整頓された店内は地球で例えるなら総合デパートを連想させた。奥へと進むと、ピカピカに磨き上げられたカウンターから複数人の声が聞こえてきた。

 

「———この染め物は本当に綺麗ね。王都でもこんな物は手に入らないわ」

「そうでしょうとも。妾達には独自のルートがあります故」

「ねえ、あなた。これを買って下さらない?」

「ふぅむ、どれ値段は……おお、結構安いな」

 

 富裕層らしき夫婦の接客をしているのは、黒い艶やかな着物を着こなす黒髪の美女———ティオ・クラルスだった。彼女は上品な笑顔を浮かべ、商品を売り込む。

 

「奥様にぴったりな品と存じ上げまする。ご注文を頂ければ、当店の一流の針子達が奥様のドレスを数日以内にお届けしましょう」

 

 ティオが指し示す先にはガラス張りで来客からもよく見える工房スペースがあり、その一角ではティオと同じ着物の美女達が洋服を縫ったり、生地の裁断などを行っていた。彼女達の手付きに澱みはなく、確かな技術を感じさせていた。

 

「よし、この値段なら三着程買おう」

「まあ、よろしいの? あなた」

「構わんとも、もうすぐ結婚記念日なのだ。ああ、そういえば娘の誕生日も近かったな。何か良い品はあるかね?」

「それでしたら………む?」

 

 ティオがセバスに気付く。そして夫婦の接客を別の者に任せた。

 

「申し訳ありませぬ、ここからはこちらの者が応対します故。……これ、妾の代わりに頼んだぞよ」

「はいっ! お任せ下さい、お嬢………ではなく店長!」

 

 着物を着た別の女性が夫婦に接客するのを見た後、ティオはセバスに向かって深々とお辞儀した。

 

「お帰りなさいませ、旦那様。ユンケル殿との商談は如何なりましたかや?」

「ええ、とても綺麗に纏まりました。それと頭を下げなくて結構ですよ。この商店では貴女が店長なのですから」

「何を申しますやら。我が“チャン・クラルス商会”の代表は支配人は旦那様であります故。それと同時に妾は妻でありますから、夫たる旦那様を礼をもってお出迎えするのは当然でしょう」

 

 スラスラと言われるティオの言葉に、セバスは逆に言葉に詰まってしまう。すると、そこへ目的の品を買えたらしい夫婦達が近寄ってきた。

 

「店長さん、そちらの方はどちら様かしら?」

「こちらは我が“チャン・クラルス商会”の支配人であるセバス様なのですじゃ。そして———妾の旦那様です」

「ほう、貴方が………この店は本当に良い。品揃えはとても豊富で、店員達は見目麗しい者が多く、対応もとても丁寧だ。いやはや良い店を開いたものですな」

「………ええ、ティオはとても良くやってくれています」

 

 セバスは一瞬だけ間を置いてから返事した。()()()()()そうなっているのだから、ここで余計な事を言うのは得策ではない。そんなセバスに対して、ティオは顔を少し赤らめながらセバスの横に並び立つ。凛とした姿は高級店を切り盛りする女主人であり、そして夫を支える良き妻を彷彿させた。

 

「今後とも、我々夫婦の“チャン・クラルス商会”をよろしくお願い致します」

 

 ***

 

 その後、“チャン・クラルス商会”は賑わいを見せ、日が落ちて通りから人の往来が無くなった頃に閉店した。そして――。

 

「さあ、セバス殿! 今日こそ妾と閨を共にして頂きたいのじゃ!」

 

 ドドンッ! と擬音が付きそうなくらいの勢いでティオはセバスに迫る。昼間、客の前で見せていた貞淑な姿から、完全に男を狙う飢えた龍となった()にセバスは内心で冷や汗を流す。

 

「いえ、しかしですね………ティオ様、夫婦というのはあくまで人間達に向けた演技ですから、そこまでやる必要はないかと………」

(さま)、など他人行儀ですじゃ! それに妾は真剣にセバス殿の御子を孕みたいと思っているのじゃ! ささ、妾を好きに………出来るなら、激しく抱いてたも〜♡」

 

 ハァハァと息を荒げ、着物の上からでもはっきりと自己主張する双丘を寄せながら迫るティオに、セバスは少し後退る。しかし、その退路に今度は竜人族の女性店員達が迫った。

 

「セバス様程に強い竜人族は、お嬢様の御相手として問題などない………それどころか、これ以上は無いと存じ上げます!」

「お嬢様にようやく出来た運命の御相手………逃しはしませぬわ!」

「お嬢様だけではご不満なら、私達も御相手させて下さいまし! セバス様なら………ポッ♡」

 

 ジリジリと女性店員達も迫ってくる。ティオ程では無いが、彼女達もかなりの綺麗所だ。複数の美女達から迫られるという、全世界の男達から嫉妬される様な状況に陥ったセバスだが———その姿が突然、フッと消えた。

 

「なっ! 消えた!?」

「窓の方じゃ!」

 

 ティオが指を差した先で、文字通りに目にも止まらぬ速さで擦り抜けたセバスが、開け放った窓から身体を乗り出していた。

 

「少々、深夜の散歩に行って参ります。朝方には戻りますので」

 

 それでは、とセバスはバッと窓から外へ飛び出した。

 

「逃げられた!」

「ああん、セバス様〜!」

「追うわよ! アドゥル様に何としてもひ孫の顔を見せるのよ!」

 

 女性店員達がバタバタとセバスを追う中、今日も夜伽を果たせなかったティオは残念そうな顔になる。

 

「相変わらずいけずじゃのう。でも、こうして放置されると………はぅ♡」

 

 熱った身体を持て余す様に、ティオは身悶えした。

 

 ***

 

 話は魔導国の建国より前に遡る———。

 

「よくぞいらして下さいました、アインズ・ウール・ゴウン殿。儂が竜人族の族長、アドゥル・クラルスと申す」

 

 深い山合いにあり、和風な家屋が立ち並ぶ竜人族の隠れ里。その中でも一際大きな屋敷で、畳の上で正座した着物姿の竜人族にアインズは出迎えられていた。

 

「ティオとセバス殿よりお話は伺っていたが………なるほど、これほどに強大な力を感じさせる者は儂の生涯で初めてお会いする」

「竜人風情がアインズ様を値踏みするなど無礼な――」

 

 人外であるアインズ達を前にしてもアドゥルは遜った態度は取らず、どっしりと構えて鋭い眼光を向けていた。長年の風月と共に磨き上げられた威厳は、まさに天然の巨岩の様に堂々としていた。しかし、それがデミウルゴスには不敬な態度に見えたらしい。

 

『平伏———』

「待て」

 

 アインズはデミウルゴスを手で制した。主人の意図を察したデミウルゴスは、即座に<支配の呪言>を使おうとした口を閉じる。

 

「今日は話し合いに来たのだ。その程度の事で、一々腹を立てては話が進まん」

「はっ。申し訳ありません、アインズ様! 私めの浅はかな配慮をお許し下さい」

「構わん、デミウルゴス。私の為に常に働くお前に免じて、全てを許そう」

 

 深々と頭を下げるデミウルゴスに、アインズは鷹揚に頷いた。アインズに負けず劣らずの力を持つだろう悪魔を完全に従え、それでいながら無闇に偉ぶる事の無いナザリックの支配者を見て、アドゥルは「ふむ………」と興味深そうに頷いた。

 

(ホッ………良かった。ここはセバスが話を通してくれた案件だからな。営業が頑張って相手側の社長の面談を取り付けてくれたのに、こっちの社長が出て来た途端に御破算になったとか目も当てられないぞ………)

 

 内心、かなり小心者な考えをしながらアインズは傍に控えるセバスを見る。竜人族の族長とのトップ会談において、アインズは先に派遣して信頼を得たセバスと、自分より何倍も頭が良いからミスをしても指摘してくれるだろうという理由でデミウルゴスを連れていた。

 

「ゴウン殿、とお呼びしてよろしいであろうか?」

「構わない、アドゥル・クラルス殿。呼び難いならば、アインズでも良い」

「ではアインズ殿。まずは御礼を申し上げまする。我が孫、ティオの命の危機をよくぞ救って下さった」

 

 アドゥルはここで初めて、頭を深々と下げた。それは孫娘を助けたアインズに対して、嘘偽り無い感謝が籠っていた。

 

「そう畏まらないで良い、アドゥル殿。私からすれば、亜人族のついでで助けたに過ぎないのだから」

「しからば———そのティオから聞いたのじゃが、貴方はエヒトルジュエを倒し、あらゆる種族が平等に暮らせる世を目指しているとな?」

 

 アドゥルは再びアインズに対して、目線を鋭くした。一族を預かる長として、目の前のアンデッドにどう対応すべきか見定めるように。

 その目にアインズは真っ向から受けながら答える。

 

「当然だ。私の配下にはここにいるセバスやデミウルゴスを始め、人ならざる者が多数いる。エヒトルジュエがいる限り、私達の安全は保証されない。だからこそ、エヒトルジュエは亡き者にしなくてはならない」

「かの神は強大な力を持つ。故にこそ、我ら竜人族はこの様な隠れ里に身を隠す羽目になった。それでも尚、神に対して剣を向けると?」

「そうだ」

 

 じっ、とアドゥルはアインズを見る。アインズは緊張で唾を飲み込みたくなったが、アンデッドの身体では唾など出る筈もなく、見た目は平然としていられた。そうやってしばらく無言の睨み合いをしていると、やがてアドゥルの方から折れた。

 

「………よそう。貴方が不断の決意と、それに足る力を持つ事はティオの話やセバス殿が力を示してくれた事で証明してくれている」

 

 スッとアドゥルは改めて頭を下げる。

 

「失礼した。アインズ()。かの神を討つは、竜人族の悲願。その為であれば、我ら一族は貴方の為に力をお貸ししましょうぞ」

「———うむ。共に狂った神を倒し、平和な世を築こう」

 

 え? なんか最初から話がすんなり通る感じ? とアインズは思ったが、いつもの支配者ロールで鷹揚に頷いてみせた。

 

「しからば———ティオ、入って参れ」

「はっ。爺様」

 

 スッと襖が開けられ、アインズがフェアベルゲンで出会った竜人族———ティオが部屋に入ってきた。なのだが………。

 

(………何、あの格好? 竜人族は客人を迎える時は白い着物を着る風習でもあるのか?)

 

 ティオの服装を見て、アインズの無い目が点になる。ティオは以前会った時とは異なり、表裏を白一色で染めた着物を着ていた。髪を結い上げ、その姿は知識でしか知らない白無垢衣装の様———などど悠長に考えていたアインズに、アドゥルは爆弾発言をした。

 

「我ら竜人族がアインズ様の傘下に入る証として———孫娘のティオをセバス殿の嫁に貰って下され」

「………………はぁっ!?

 

 思わず、素でリアクションしてしまうアインズ。だが精神沈静化がすぐに働き、どうにか落ち着く事が出来た。セバスの方を見ると、セバス自身も寝耳に水なのか、驚いた顔をしていた。

 

「は………話が見えないのだが、アドゥル殿。何故、君達が私の傘下に入るのに君の孫娘が、セバスの………あー、花嫁に?」

「これは我々の忠誠の証。ティオは我が孫娘にして、儂の亡き後に竜人族の長となる者。人質として差し出す者として、適格かと思いまする」

「は? 人質?」

 

 竜人族と同盟を組む話でなんで人質の話が出るの? とアインズの頭に疑問符が浮かぶ。

 

「アインズ様………貴方はエヒトを倒し、いずれは凡ゆる種族が平等に暮らせる様な御国を作られるとセバス殿からお聞きしました。どうかその庇護下に、我ら竜人族も加えて頂きたいのですじゃ」

 

(お………お前もかセバスゥゥゥゥゥゥッ!?)

 

 ナザリックのNPC達は何故かアインズに過大な評価をしているが、まともだと思っていたセバスも例外では無かった様だ。果たして今日来るまでに、セバスがどんな風に自分を宣伝していたのか。アインズは無い筈の胃が痛くなる気がした。

 

「その為の約束の保証として、ティオを差し出しまする。何よりセバス殿程の方ならば、祖父としても安心で孫娘を嫁に出せるというもの」

「い、いや、別に人質など………あー、ティオ嬢の気持ちはどうなのだ? こういうのは本人の気持ちが重要というからな?」

 

 いくら一族の為とはいえ、祖父の命令で結婚させられるとか嫌だろう。そう思って、ティオに水を向けるが———。

 

「妾は………嫁になるなら、セバス殿の他に居ないと存じ上げるのじゃ」

 

 へ!? とアインズが内心で仰天する中、白無垢姿のティオは頬を赤らめる。

 

「あれ程の衝撃、生まれて初めてなのじゃ。今まで妾の身体の奥底にまで響かせる同族など居なかったというのに………あんな快感を知ってしまったら、もうセバス殿以外の殿方など考えられませぬ!」

 

 瞬間———アインズの時間が止まった。精神の沈静化を何度も感じながら、セバスに油の切れた機械の様に振り向く。

 

「セバス………お前、何やった?」

「いえ、ただ何度か彼女と手合わせしただけです。誓って、何もふしだらな事はしていません」

 

 思わず片言になってしまうアインズに、セバスは毅然と答えた。その態度はやましい事など何一つ無かった、と何も知らない者でも信じられるくらいに清廉だった。しかし――。

 

「———なるほど。そういう事でしたか」

 

 デミウルゴスの声が静かに響く。「なるほどって何が!?」とアインズは内心で思いながら振り向くと、奸智に長けた悪魔はいつもよりも口角を少し上げながら進言した。

 

「アインズ様、横から進言する愚をお許し下さい。この話、受けるのが良いかと存じ上げます」

「デミウルゴス、一体何を———」

「黙っていたまえ、セバス。これはナザリック全体の利益を考慮しての事だ。そもそも君の行動が原因となったのだろう?」

 

(セ、セバスが原因!? やっぱり何かやっちゃったの!? や、やばい、どうしようこれ!!)

 

 アインズが混乱する中、デミウルゴスはまさしく悪魔の笑みを浮かべながら意見を述べた。

 

()()()()()()()()()はともかく………この話、悪いものでは無いと判断致しました。ナザリックの防衛という観点から見ても、亜人族に続いて竜人族が傘下に入るのは好都合だと愚考致します。もっとも、アインズ様ならば全て見抜かれていると思われますが」

「う………うむ。お前も見抜いたか。その上でそう判断するとは、さすがだなデミウルゴス!」

「勿体なきお言葉です」

 

 デミウルゴスが深々と頭を下げる中、アドゥルはほんの少しだけ眉を動かした。しかし、アインズはそれに気付くどころでは無く支配者ムーブでスルーしてしまっていた。

 

(思惑って、何かあったの? い、いや、でもデミウルゴスがそれを見抜いた上で判断したなら、問題ない………か? 重要なのはナザリックを守る事だし!)

 

 とりあえず、コホンと咳払いをしてアインズはセバスに向き合う。鋼の執事は、主人からの沙汰を待つ様に姿勢良く控えていた。

 

「あー、セバス。お前の意見を聞こう。お前は、今後のナザリックの為にティオと婚姻を結ぶ事になる………のか? ともかく、お前に異論があるなら、この話は無かった事にしようと思うが?」

「………執事たる者、主が決断された事に自分の感情で異論を唱えるなどあってはなりません。私は、どの様な命令でもアインズ様に従います」

 

 そういう事じゃないんだってばあっ! と叫びたくなるのをアインズは何とか我慢した。『執事である』と創造主から設定された彼は、こんな時でもアインズの命令を第一とする姿勢を崩さなかった。

 

(ど、どうする!? いくらナザリックの為だからって、セバスを政略結婚の道具に使って良いのか? 相手方は悪い気はしてないみたいだけど………というか、セバスの方から何かしちゃったんだよなぁ! え? ナグモに続いて二人目のカップル誕生? ナザリックにマリッジブームが来ちゃった? 嫉妬マスク必要? ああ、もう………どうしたらいいんですか、たっちさーーーんっ!!)

 

 心の中でセバスの創造主に泣きつく死の支配者(オーバーロード)の叫びは、誰にも知られる事なく精神沈静化が起きるまで木霊していた。

 

 ***

 

「ふぅ………」

 

 時は戻り、女性店員達の追っ手を撒いたセバスは、一人寝静まった街を歩きながら溜め息を吐いた。

 アドゥルとの会談の後———アインズは心無しか、いつもよりも威厳を抑えてセバスに言った。

 

『ま、まあ………こういうのはお互いの気持ちが大事というからな。婚姻するかどうかはさておき、二人が一緒になれそうな仕事とかあったら頼むから、その時に付き合いをしてみると良いかもしれんな。うむ』

 

 恐らく、セバス自身に感情の整理をつけさせる為に言ってくれたのだろう。他の至高の御方達が何処かに去った後も、慈悲深くナザリックに留まってくれた様な御方だ。シモベに過ぎない自分の心を慮ってくれたのだろう、とセバスは解釈していた。

 

(恐れ多い事です。御方の御命令とあらば、たとえ老婆であっても閨を共にする事になっても従いますのに………)

 

 それでこそ忠義である。創造主のたっち・みーより『執事である』と設定された彼は、主人の為ならば我が身をも犠牲にする覚悟を普段からしていた。もっとも、幸いな事にティオは十人の内の十人が美人だと断言する美貌であり、性格も………まあ、一部分に目を瞑るなら、気立ての良い女性だった。それはセバスでも、十分に理解していた。

 

(そう、ティオは良い女性です………私などには、勿体ないくらいに)

 

 一体、自分が何故ティオに気に入られたのか。セバスは今でもイマイチ理解できない。なんでも、彼女はこれまで里の男達に一度も負けた事が無く、それ故に同じ竜人であるセバスの拳に圧倒された事で一目惚れしたと言われた。しかし、単に強さだけならば、それこそアインズの方が遥かに上だ。自分である必要など無いのでは? とセバスは首を傾げざるをえなかった。何よりも———。

 

(私はナザリックの執事………至高の御方々に絶対の忠誠を尽くす者。そこは変えられない。もし仮に、アインズ様よりティオを殺せと命じられれば、即座に殺さなくてはならない)

 

 恐らく、自分はそれを必ず実行するだろう。

 だからこそ———セバスにはティオを愛する資格など無いと思っている。

 命令があれば妻となる女性を殺せる様な男が、一体どの口で愛を語るというのか?

 

『別に、そう難しく考える必要はないとも』

 

 アドゥルとの会談後、アインズがいない場所でデミウルゴスに発言の真意をセバスは問い質していた。

 すると、かの悪魔は笑顔を崩す事なく言い放った。

 

『所詮は人間よりはマシ、という程度の下等な竜人族だろう? 適当に孕ませて、使えそうな子供は選別してナザリックで鍛え上げれば良いだろうさ』

 

 ———あの時程、あの悪魔を殴りたいと思った日は無いだろう。

 デミウルゴスとて、彼なりにナザリックの今後を考えての発言だとは理解はしている。しかし、彼の悪趣味に過ぎる提案に手を貸す気など毛頭無かった。ティオの好意に甘えて抱いた後、彼女が産んだ子供を取り上げる事になるかもしれないと思うとセバスは心が痛んだ。

 

「………彼女は、私などを好いてくれている。それは、分かってはいるのです」

 

 しかし、自分はティオをどう思っているのか?

 至高の御方とナザリックを第一とするなら、適当に愛に応えるフリでもして役立つ子供を産ませれば良いだろう。だが、セバスの性格的にそれは逆立ちしても出来そうになかった。

 

「どうしたら、いいのでしょうね………?」

 

 それは創造主から設定された性格(カルマ値)の為か、はたまた自分に愛を捧げてくれる女性を想った為か。

 愛を知らない執事(NPC)の呟きは夜の闇に消えていった———。




>アドゥル

 ティオをセバスの嫁に出したのは、戦国時代に武家が人質として娘を大名に嫁がせる様な感じです。ついでにアインズの側近であるセバスが親族となる事で、アインズが作る国(魔導国)での竜人族の地位も悪くない物になるだろうという強かな思惑もあったりする。何よりティオ自身はベタ惚れだし。
 因みにティオに付いている女性店員達こと竜人族の女性達は、アドゥルの命令を受けてセバスとティオをくっつける様に動いています。ついでに竜人の本能として、強い同族に惹かれてますけど。(裏設定的に竜人族は一夫多妻がOK。エヒトを倒す為に力強い子孫を残す為にも、強い同族に皆群がる傾向があるとか)

>デミウルゴス

 アドゥルの思惑などお見通し。そもそもアインズの命令一つで下等生物の運命など決まるのに、無駄な事を。
 そう思いつつも、ナザリックの防衛力の底上げなどを考えるとセバスの血を引いた子供を()()するのは悪くはない。そんなわけでアインズに進言しました。ついでにセバスの焦る顔が見れたので、とても満足。

>セバス

 我らの正義の執事、絶賛恋のお悩み中。そもそもセバスからすれば、会ったばかりの相手に「一目惚れしました!」と言われている状況なんです。しかし、アインズの命令(勘違い)で同居する事になり、グイグイと迫ってくるからどうしたものやら……。
 ティオの事は嫌いではないよ? でも、どうして好かれたのか分からないし、好きになってもアインズ第一の自分が彼女を幸せに出来るの? と色々と考えちゃってます。アインズから「いや別に妻子を殺せとか言わないから、幸せな家庭を築けよ」と言われたら一発解決するけど。

>ティオ

 昼は出来る女店主。夜は夫の(夜の)生活も支えるドラゴンワイフ。しかして、その正体は————!?

 とりあえず、このままでは終わらせないので彼女の恋路も見守ってあげて下さいな。共依存になりつつある、どこぞの主人公とアンデッドよりはいくらか真っ当なので。


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第百五話「食い違う歯車」

 今の心境を述べると———リボルバーに弾を丁寧に詰めていくというか、あるいは導火線の前でライターを弄っているというか。


『本当にアインズ様に伝えているのでしょうね? いいこと、アインズ様に誰が正妃に相応しいのかをキチンと宣伝して———』

「いい加減にしつこいぞ、守護者統括!」

 

 冒険者ヴェルヌに変装したナグモは、とある街の路地裏で念話用のアイテムに向かって敬称すら付けずに苛々とした声を出した。念話相手のアルベドは、ナグモに劣らずに不機嫌さを滲ませた声を出す。

 

『しつこい、ですって? これは魔導国の将来をも左右する重要な案件なのよ。大体、誰のお陰であのアンデッド娘の()()が貴方に一任されていると———』

「香織の事はアインズ様から直々に僕に任された事だ、お前の功績ではない! もう切るぞ、規定の報告以外で頻繁に念話をかけるな!」

『待ちなさい! 話はまだ———』

 

 ブツン、とナグモは念話を打ち切る。しばらく何度か念話を繋げようとしてくる感覚があったが、ナグモは無視した。

 

「クソ、こんな事なら着信拒否機能も付けておくんだった」

 

 眉間に皺を寄せながら念話用のアイテムを懐に仕舞う。素早い情報伝達の為に、と生成魔法を使ってナザリックの全員に行き渡るくらい量産したアイテムだったが、こんな下らない用事で頻繁に呼び出す相手がいたのは想定外だ。

 冒険者モモン(アインズ)のお供として行動しているナグモ。最上位の金ランクに至った彼等には冒険者組合から多くの依頼が入る様になり、魔導国の宣伝も兼ねて各地を巡る様になった。しかし、そこでアルベドが定時連絡の時以外にも連絡を入れてくる為にナグモはかなり辟易していた。しかも内容が『魔導王の横には黒髪の絶世の美女がおり、あれこそが魔導王の妃に違いないという風に人間達に宣伝せよ』という様な心底からどうでも良い内容だった。

 

「そんなに御方の寵愛を賜りたいなら、自分で言えば良いだろう………!」

 

 苛々とした口調を隠す事なく、ナグモは路地裏から出る。人間達の前で念話を使っている所を見せるわけにもいかないから薄汚い路地裏に入ったのだ。そこまでして聞いた連絡の内容が内容だけに、ナグモはかなり不機嫌になっていた。

 そもそもアルベドがここまで必死になり始めたのにも理由はある。いつものシャルティアとの恋の鞘当てで、シャルティアが『ナグモの手を借りれば妾でもアインズ様の御子を孕めるでありんす!』と言ってしまったのだ。如何なる手段かはアルベドも思い当たらないが、ナグモがアンデッド(香織)を溺愛しているならばいずれはアンデッドに妊娠させる技術を作り出すと確信したのだろう。前にも増して、シャルティアより先んじてアインズの正妃となるべくアプローチをかける様になったのだ。

 しかし、そんな事情を知らないナグモからすれば、ただでさえ香織の処遇で揉めたというのに、その上でアルベドがいかに正妃として相応しいかをアインズや人間達に四六時中宣伝しろなど、最早やる気にもなれなかった。

 

「クソ。こんな低俗な事に時間を割くなど、まさに時間の浪費だっ」

 

 周りの人間達が奇異な目を向けている事にも気付かず、ナグモは変装用のフードを被ったままブツブツと呟きながら歩く。『如何なる時も冷静で合理的に判断する』と創造主に創られた筈なのに、香織と共にいる事を『飼育』と言い放ったアルベドの事を思い出すと、苛々とした感情が抑えられなかった。

 

(落ち着け、ナグモ………こんな風に感情に振り回されるなど、それこそ低脳な人間達と同じじゃないか)

 

 立ち止まり、何度か深呼吸をする。アルベドに対する怒りは収まらないが、それでも少しだけ冷静になれた。

 

(そうとも。僕は至高の御方(じゅーる様)によってデザインされた人間。こいつ等とは違う)

 

 雑踏には大声を張り上げる露店商や、買い物でごった返す主婦達、そして大人達の間をすり抜けて走り回る人間達がいた。

 それらを———周りで蠢く有象無象(人間達)をナグモは下らない物を見るかの様に冷たく睨む。

 

 これこそが『ナザリックの人間嫌いな科学者』であるナグモの根幹だ。

 自分は神すらも陳腐に思える至高の御方の手で直接創られ、優秀な頭脳と一般人よりも強力な身体(レベル)を与えられた。そしてナザリックの第四階層守護者代理にして、技術研究所の所長として至高の御方に奉仕すべしという絶対的な使命感も与えられた事を誇りに思っていた。

 だからこそ———身体も頭脳のスペックが低く、それでいながらそれを恥じる事も改善する事もなく、日々を漫然と過ごしている様な人間達を『低脳』と見下していた。彼にとって普通の人間達は知能の足りない猿の様に見えて、自分と同じ種族だと思うと寒気すら覚える程だった。

 

(まあ、人間の中には香織や八重樫みたいにマシな分類はいるにはいるが………そんな人間がいても、気に入らないからと寄って集って排除して、声が大きいだけの馬鹿な奴を祭り上げるから人間達は低脳なのだ)

 

 光輝を含めた元・クラスメイト達の事を思い出してしまい、ナグモはまたもや苛立ちを募らせてしまう。

 地球に転移していた時、ナグモの年齢は十歳程若返ってしまった為に義務教育として学校に通わざるをえなかった。天才的な頭脳を持ちながら、幼稚な子供達に混じって授業を受けなればいけない苦痛の日々は、日本の学校が飛び級制度を導入していない事を不満に思わなかった日は無かったくらいだった。海外の学校に通おうにも、ナグモが暮らしていた養護施設にはそんな資金的な余裕は無く、結局ナグモは奨学金で通える近場の学校を選ぶしかなかった。

 そうやって苛立ちながらもどうにか我慢しながら通った高等教育学校。地球の()()()学問などさほど参考にもならないが、養護施設の職員達がナグモの中学までの成績を見て、「これ程頭が良いなら義務教育で終わるのは勿体ない!」としつこく言う為に、煩わしく思いながらも高校に入学した。

 義務教育では無くなったのだから、仮にも学徒としての自覚ぐらいは猿以下の人間でも出るだろうと思っていたが、クラスメイト達のほとんどが幼稚で馬鹿な人間(天之河光輝)を考えなしに持て囃して思考を放棄している烏合の集だった事は、ナグモに『人間はやはり低脳』と再認識させるには十分だった。

 

(やはり愚かな人間(低脳)達は至高の御方によって、全て管理される事こそが、理想の社会———)

 

 ドンッとナグモの足に軽く何かがぶつかった。考え事をしていた為に無意識で歩いていたナグモが目を向けると、七歳程度の人間の小さな少年が水桶をひっくり返して地面に倒れていた。水桶から溢れた水が自分の靴を濡らした事に腹を立て、アルベドの件もあって不機嫌だったナグモはフードの奥から苛ついた声を出す。

 

「っ、前を見て歩け! 不注意だ———」

「ひぐっ………」

 

 少年は突然、目端に涙を浮かべる。転んだ際に擦り傷などが出来たわけではないが、アルベドの件で不機嫌だったナグモの怒りのオーラを感じ取った為に泣き出してしまった。

 

「う、うう、うわあああっん!」

 

 こうなってしまうと、通行人達は何事かと足を止めた。そして年端もいかない子供が()()()()()()()という状況に、泣かせたであろうフードの男に冷たい目線を向けた。

 

「っ、何故泣き出す! ただ転んだだけ———」

「う、ひぐっ、ええん!」

 

 周りから白い目で見られている事に流石に居た堪れなくなったナグモが声を掛けるが、少年は泣くだけで会話が成立しなかった。そうしている内にも何事か? と人集りが出来てくる。

 

「〜〜っ、こっちに来い!」

 

 人の目が集まっている事に苛ついたナグモは、少年と水桶を抱えると人集りから逃げ出す様に足早に立ち去った。

 

 ***

 

 どうしてこんな事になった? 

 そんな事をブチブチと不満に思いながら、ナグモは水を入れた水桶を運んでいた。後ろから、少年が涙を拭った赤い目でついてくる。

 

「ぐすっ………あの、さっきはお洋服濡らしちゃってごめんなさい」

 

 蚊の鳴く様な小さな声で少年は話しかける。しかし、不機嫌そうな雰囲気を隠そうともしないナグモを見て、少年はぐすんっと鼻を鳴らしていた。

 

(これだから人間、それも子供は嫌なんだ………)

 

 ナグモは盛大に溜息を吐く。地球の養護施設で暮らしている時、施設の職員から年少者の面倒を見る様に言われた事もある。しかし、人間嫌いなナグモからすれば論理的な思考よりも感情を優先させる子供達など関わるのも嫌な相手の筆頭だった。

 

(これもアインズ様の為………冒険者モモンの名誉を守る為だ)

 

 冒険者モモンのパーティメンバーであるヴェルヌが子供を泣かせたなど、モモンの名声に泥を塗る行為だ。それを弁えているからこそ、ナグモは人間の子供相手に溢した水を代わりに汲んで家まで送り届ける事にしたのだ。もっとも、その態度はかなり不満気だったが。

 そんな大人気ないナグモ(0歳児)と人間の少年は、街外れの家に辿り着いた。その家は小さく、外壁もかなり荒れ果てていた。

 

「………ここか?」

 

 一瞬、家畜小屋じゃないのか? と思ったが、少年の方を振り向くとコクリと頷いた。こんな場所に入らないといけないのか、とナグモが溜息を吐きそうになっていると、少年は小屋のドアを開けていた。

 

「お母さん、ただいま!」

「お帰り、オリバー………ケホッ、ケホッ」

 

 小屋の奥(といっても狭い家だから戸口から入ってすぐだが)から、嗄れた女性の声が聞こえる。粗末なベッドに寝込んだ女性は、喘息を起こした様な苦しそうな吐息をしていた。

 

「お水、汲んできたよ」

「ありがとうね………そちらの方は?」

 

 起き上がるのも辛いのか、ベッドの上にいた女性が首だけ向けて戸口で水桶を立ったままのナグモを見る。それに対してナグモは水桶を置いて、さっさと用事を済ませて出て行こうとして———。

 

「その………通りでぶつかっちゃって、この人のお洋服を濡らしちゃって………」

「………はぁ?」

 

 オドオドと告白する少年に、ナグモは思わず声を上げてしまう。事実とは異なる内容だったが、少年の母親は疑わなかった様だ。

 

「まあ、なんて事をしたの! ごめんなさい、ウチの子がそそっかしいばかりに」

「いや、待て。この子供が言っている事には、かなり齟齬が———」

「それに、もしかしてこの子の代わりに水を汲んできて頂いたの? ウチの子の為にそこまでして貰うなんて、本当に………ゲホッ、ゲホッ!」

「お母さん!」

 

 ベッドの上の母親が激しく咳き込む。子供は慌てて近寄り、母親を心配そうに見る。

 それらを見ながら、ナグモは拳を握り締めた。

 

(この人間達は………一体、何を考えているんだ? この僕が、人間の子供なんかの為に動くわけないだろう………!)

 

 何より、ここに来る羽目になったのは自分が子供にぶつかったのが原因だ。紛れもなく、ナグモ自身のミスの筈だ。それを()()()()()()()()()()()()()()()というのは、人間嫌いなナグモからすればかなり屈辱的だった。

 水桶を玄関に置くと、ナグモはズカズカとベッドに近寄る。

 

「おい———少し診せてみろ」

「え………?」

「咳の頻度は? 痰は出るか? 痰の色は? 出来る限り詳しく話せ」

 

 矢継ぎ早に聞くナグモに、少年は目を丸くする。

 

「お兄さんはお医者さんなの?」

「そんな事はどうでも良い。さっさと話せ、母親を死なせたくないならな」

 

 ナグモは母親の脈の状態や喉を見ながら、冷たい声で聞いた。必死で母親の症状を伝えようとする子供を横目で見ながら、ナグモは診察を始めた。

 

(こんな人間の子供にミスを庇われるなど屈辱だ………! だが、借りとなった以上は返さなくてはならない。返さないのはじゅーる様のご信念に対しての不義だ………これは人間なんかの為じゃない、僕の創造主であるじゅーる様の為だっ!)

 

 ***

 

「フン、つまらん。いっそ未知の病原体でも出れば、話は別だったのに」

 

 少年から聞いた僅かな問診と、母親自身を診察した後にナグモは鼻を鳴らした。結果として非常にありきたりな病気で、ナザリックの医療技術からすれば一瞬で快癒する程度のものでしかなかった。

 

「この丸薬を飲め。一日意識が無くなる様に眠るが、次の日には咳は治まる筈だ。身体に倦怠感が残る様なら、こっちのポーションも服用する様に」

「あ………ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

 ナグモが懐から薬を取り出すと、子供と母親はペコペコと頭を下げる。

 

「フン………だが、その喘息は栄養失調も原因の一つだから、食生活を改善しないと根治療法にはならんぞ。そもそもこの小屋は衛生環境が悪い」

 

 窓を閉めても隙間風がしきりに吹く屋内をナグモが見渡すと、母親は恥じる様に顔を伏せた。

 

「恥ずかしながら………我が家にはお金があまりなくて」

「この家の家主はどうした? 病人がいるのに家の環境を改善しようともしないのか?」

「主人の事ですか? 主人は………“聖戦遠征軍"に徴兵されました」

「………ふん、なるほどな」

 

 子供の母親の言葉に、ナグモはようやく思い出した。王国によって———より正確に言うなら裏で糸を引いているデミウルゴスによって———発足された聖戦遠征軍。都市や街では冒険者以外の若い男性が徴兵され、即席の兵士となるべく各地の練兵場に送られていた。いくら王国ではエヒト神への信仰が篤いといっても、彼等にだって生活はある。本当ならば断りたい者も多いだろうが、住んでいる土地の領主の命令に従わなくてはならず、さらに従軍によって今年の納税を多少軽減できるという事もあって行かざるを得ない者は多かった。この家の様に貧しい家庭では尚更だろう。

 

「お父さんはね、勇者様達と一緒に悪い魔人族と戦うんだ!」

 

 子供が興奮した様子でナグモに話し掛ける。

 

「だからね、お父さんが帰るまでは僕がお母さんの事を守るの! お父さんにも、お母さんを頼む、と言われたからね!」

 

『―――じゃあな、ナグモ。“アインズ・ウール・ゴウン"を……モモンガさんを、よろしくな』

 瞬間———ナグモの脳裏に、今となってはかなり昔の光景が思い出された。

 

「……………」

「お兄さん?」

 

 急に黙ってしまったナグモに、子供が不思議そうに首を傾げる。しかし、ナグモは返事をせずに立ち上がった。

 

「………帰る。邪魔をしたな」

「まあ、そうですか? ごめんなさい。何から何までお世話になったのに、大したおもてなしも出来ずに………オリバー、せめてお見送りしてあげなさい」

「はい、お母さん!」

 

 薬はキチンと飲む様に、と伝えてナグモはベッドに寝たままの母親に背を向けて玄関から出た。その後ろから子供がパタパタとついてくる。

 

「あ、あの! お母さんのこと、ありがとうございました!」

 

 玄関の外で、子供が頭を下げてくる。声をかけられたナグモは立ち止まり――子供に向き直った。

 

「———お前。父親から家を任された、と言っていたな」

「え? は、はい………」

「任された以上は必ず守り抜け。それをやるには何が必要で、何が足りないのか常に考えろ。言われたからそこにいるだけなど、猿にも出来る」

 

 無愛想という表現がピッタリな様子でナグモは子供に言い放つ。しかし、先程よりはいくらか不機嫌の度合いが少なくなっている様には見えた。言われた事を考えている子供に、ナグモは懐に入っていた金貨の袋を押し付ける。

 

「これをくれてやる。お前の母親に、栄養のつく物でも食べさせろ」

「こ、こんな大金、受け取れないです!」

「僕にとっては端金だ」

 

 至高の御方が命じてセバスに始めさせたという商店のお陰で、トータスの外貨も簡単に手に入る様になった。そもそもナグモにとって、トータスの金貨などあまり価値がないものだった。

 

「でも、その………」

 

 一向に受け取ろうとしない少年に押し付ける様に持たせ、ナグモは黙って背を向けて歩き出した。

 ………大分、時間を無駄にした。これ以上、この人間に用など無かった。

 

「あの!」

 

 金貨の袋を持ったまま、少年はナグモの背に向けて大声を出した。

 

「ありがとうございました! 僕、お兄さんの事を忘れません! いつか、ちゃんと恩返しします!」

「………まあ、期待しないで待ってはやる」

 

 今度こそ、ナグモは振り向く事なく少年の元から立ち去った。

 

 ***

 

(………何故、あんな事をしたのだろうか?)

 

 帰り道で、ナグモは今更ながらに自分の先程までの行動に疑問を覚えていた。

 

(人間の子供に対する詫びという意味なら、母親の病気に薬を処方したことで貸し借りは無くなったと言って良い筈なのに………)

 

 その後、子供に金貨をくれてやったのは………いくらナグモには不要だったとはいえ、サービスが過ぎるのではないか?

 

「必要経費だ。あの子供が、冒険者ヴェルヌに施しを受けたと周りの人間に宣伝すれば、それは延いては冒険者モモンの名誉となる」

 

 口に出して言ってみたが、どうにも違う気はする。そもそも自分はあの母子に結局名前を名乗ってはいないし、どう見ても彼等が人間達に広く喧伝できる様な人脈を持っているとも思えなかった。

 

(ならば、何故………まさか、あの子供に同情したというのか? たかが人間の子供なんかに?)

 

 いつ帰るかも分からない父親を、健気に待ち続ける子供。

 その姿は———じゅーるがナザリックからいなくなってからも、第四階層に居続けた自分の姿と重なる気がした。それに思い至り、ナグモは自分の内心を鏡で見せられた様な気持ちになった。人間相手にそう思ってしまった事に不快だったが、それは自分自身を不快に思っている様で益々面白くない気分になった。

 

(人間なんかと、似た物があるなんて………)

 

 去り際に人間の子供が言ったことを思い出す。恩義に必ず報いるという姿勢は、じゅーるが常日頃から言っていた事だから否定する事も出来なかった。

 元・クラスメイト(有象無象の人間)達は愚かだ。過ちを犯しながらも顧みる事なく、自分より優れた人間がいたら寄って集って攻撃せずにはいられない低脳な生物だ。

 しかしながら、今、じゅーるの様に“恩には恩を返す”という精神を見せた少年は人間だった。

 そして———人間嫌いな自分に愛情を抱いた香織もまた、人間だったのだ。

 ふと、ナグモは立ち止まる。先程、アルベドとの通信で心がささくれ立ち、敵視する様に見下していた人間達の雑踏が周りにあった。

 だが———何故か、今は先程とは違って見える気がしていた。

 

(人間とは………何なのだ?)

 

 思えば、じゅーるによって創られた感情(設定)に従って人間を嫌っていた。だが、人間という生物はそれだけで判断するには不十分な気がしてきた。

 

「ナグ———ヴェルヌくん!」

 

 雑踏の中で立ち止まっていたナグモに、聞き覚えのある声がかけられた。振り向くと、香織がこちらへ駆け寄ってきた。

 

「ここにいたんだね。ナザ………ええと、急に呼ばれた用事は済んだの?」

「………別に。どうでも良い内容だったさ」

 

 人間達の前でナザリックの名前を出さずに誤魔化す香織。ナグモは、そんな自分の恋人をじっと見つめる。

 

「ん? どうかしたのかな?」

「いや………ブランは何をしていたんだ?」

「さっきまで診療所で治癒のお手伝いをしていたよ。遠征軍に“治癒師”の人達も連れて行かれちゃったから、今はお医者さんも人手不足なんだって。だから、私の治癒魔法の出番だと思ったの。あ、治した人には『魔導国なら腕の良いお医者さんがいっぱいいますよ』って、宣伝もしたから心配しないでね」

 

 確かに嘘では無いだろう。今の魔導国にはミキュルニラを始めとしたナザリックの医療チームが必ず常駐しており、彼等の腕前と比べればトータスの一般的な医者など月とスッポンだ。

 

「そうか………なんというか、君は本当に優しいんだな」

「そう? このくらい普通だよ?」

 

 不思議そうな顔をする香織を見て、ナグモは彼女にとっては人間を助ける事は特別な事では無いのだろうと判断した。先程、たった一人の子供を助ける事を不満に思っていた自分とは雲泥の差だった。

 

「………いや。本当に凄いとも」

 

 香織がなんとなく眩しく見えた気がして、ナグモは目を背ける様に香織に背を向けた。

 

「ヴェルヌくん………?」

「そろそろモモンさ———んの所に帰還しよう。少し、時間をかけ過ぎた」

「あ、うん。そうだね」

 

 ナグモは背を向けたまま、香織に寄り添う事なく歩き出した。なんとなく、今は香織の側にいる資格が無い気がしていた。

 

(ナグモくん、どうしたんだろう? 何かあったのかな?)

 

 そんなナグモの三歩ぐらい後ろを歩きながら、香織は考えていた。無理に聞き出しても、きっと話さないだろう。ナグモから打ち明けるまで、香織は待つ事にした。

 

(でも、どうして人間達を治してあげる事がすごい事なんだろう? だって———()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()())

 

 ギチリッ———ナグモの知らぬ所で人の感情の歯車が狂ってしまったアンデッド(少女)は、純粋に不思議にそう思った。




>ナグモ

 前々話でナグモはブツクサ言いながら人助けをすると書きましたが、まあこんな感じです。今まで嫌ってけど、色々な感情が芽生える事で人間とは何か? を考え出しました。きっと彼は、多くの感情と共に『人間嫌いの設定のNPC』から『本当の人間』へと成長するかもしれません。

>香織

 でも———どうか忘れずに。人間としての感情が芽生える程、ナザリックでの所業は罪の形で現れていく事を。
 かつての香織なら、人間達に優しくするのは彼女の精神性からくる行動でした。しかし、今となってはアインズが人間達を支配しやすくなる様に、と考えて擬態しているだけしかありません。


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第百六話「アンカジ使節団」

 そろそろオバロらしく蹂躙とかをやりたいなー、と思う。
 これはその為の準備回なのです。


「ここが魔導国か………」

 

 ビィズ達、アンカジ公国の使節団は目の前の光景に目を奪われていた。

 フェアベルゲンことアインズ・ウール・ゴウン魔導国はハルツェナ樹海の奥地にある国だと聞いていたので、おそらく文明程度は低いだろうとビィズ達は予想していた。しかし、その考えは最初に樹海の入り口で覆された。

 

「ビィズ様。この地面は、石畳なのでしょうか? それにしては何とも平らで歩き易い………」

「それに樹海の入り口からここまで我々を運んだ馬車………燃え盛る骨の馬というのがなんとも不気味でしたが、速度が我々の知る馬車とは段違いです」

「うむ………」

 

 アスファルトに覆われた地面に立ちながら、ビィズは何とか供回りの者達に頷く。

 

 フェアベルゲンは魔導国となってから、かなり様変わりしていた。

 かつてバイアス達が侵攻の際に切り拓いた道は整備されて立派な街道となり、焼き払った森には帝国から連れ戻された元・奴隷達の為の新たな家屋や畑が作られていた。

 何よりもビィズ達の目を引いたのは建物の奇怪さだった。亜人族達の元々の棲家であるツリーハウスなどは変わらないが、それらの家には巨大な鏡らしきもの――太陽光パネルが取り付けられており、街道にはマジックアイテムの街灯よりも明るい電灯が等間隔で建てられていた。それにより既に日が暮れた時間帯であるというのに街は明るく、通行人達が夜の闇を恐れる事なく過ごす姿は治安の良さを感じさせていた。

 

「驚かれましたか?」

 

 ビィズ達を案内する熊の耳を持つ亜人族の女性———アルト・バンドンは、にこやかに説明した。

 

「これも全て、魔導王陛下のお力によるものです。魔導王陛下は我ら亜人族の王となられた後、魔導王陛下の配下であらせるミキュルニラ・モルモット様に命じて帝国から帰れた私達の為に新たな住居をお作りになりました。そのお陰で、昔よりもずっと便利な生活を送れる様になりました」

「そ、そうか。すごいのだな、魔導王という御方は………」

 

 トータスにおいては遥かに文明の進んだ街に圧倒されながらも、ビィズはどうにか言葉を返した。ここに来る前は亜人族達の国と聞いて内心で侮る感情はあったが、ビィズを含めたアンカジ公国の使節団達は目の前の光景を前にしてそんな感情はすっかりと消え失せていた。

 

「な、なあ、君………あの魔物は、本当に我々には襲って来ないのだろうね?」

 

 使節団の一人が、街道を歩く一団を指差しながら少しだけ震えた声を出す。そこにはビィズ達が知る魔物より凶悪そうなアンデッド———デス・ナイト、デス・ウォーリア、デス・プリースト、デス・アサシンが隊列を組んで巡回兵の様に警備を行っていた。

 

「ご心配には及びません。我が国で見かける魔物達は全て魔導王陛下の支配下にあります。こちらから攻撃を仕掛けたり、街中で犯罪行為を行うといった事をしなければ、私達に危害を加えたりしません。また、ミキュルニラ様が作られた結界のお陰で外の魔物達も魔導国内には入れませんから」

「う、ううむ……しかし………」

 

 説明をされても渋面を崩さない使節団の男を見て、アルトは少しだけ苦笑しながら頷く。

 

「確かに、私も最初はアンデッドが街中を普通に歩く姿に驚きました。ですが、一月もしない内に慣れましたよ。彼等は普通の人間より力強く、疲れを知らない優れた労働者ですから」

「なっ、この国では魔物を労働に使っているのかね!?」

「ええ。そんな事が行えるのも、魔導王陛下の御力があればこそですから」

 

 ほら、とアルトがある場所を指し示す。そこには建築中の建物に亜人族の男が指示を出して、その指示通りにスケルトン達がキビキビと働く姿があった。

 

「帝国でも不休兵士としてアンデッド兵は広まりつつありますし、この便利さを知ったら以前の生活に戻れないと思います」

「て、帝国にもいるのか? なんというか………君達や帝国の人間は結構肝が据わっているのだな」

「しかし、決して暴れ出さないというなら確かにアンデッド達は労働力として魅力的ですぞ。アンカジも伝染病で労働力となる国民がかなり減ってしまいましたから………」

 

 ううむ、とビィズは唸ってしまう。部下達の言う通り、今のアンカジ公国の労働力はかなり不足していた。冒険者モモンが伝染病を解決してくれたとはいえ、多数の病死者が出たので元の国力に戻るまでかなりの年月がかかるだろう。おまけに聖戦遠征軍によって働き盛りの男達や復興に必要な物資まで徴収された為に、今の国民達に貧しい生活を強いている事に領主代行のビィズは心を痛めていた。

 

(父上。私は、必ずや魔導国を見定めてみせます。あわよくば、どうにか我々に支援の約束を………)

 

 国に残してきた父親を想い、ビィズは決意を改める。病み上がりのランズィに代わり、ビィズは今回の使節団において全権を任されていた。彼の一存でアンカジ公国の今後が決まるといっても過言ではないのだ。

 

「魔導王陛下との謁見は明日となります。こちらで宿を用意しましたので、今日はそちらにお泊まり下さい」

 

 ***

 

 アルトに案内された宿泊施設は木の上に作られた立派なコテージだった。本来なら階段や梯子を使っても昇り降りするのも大変そうな高さにありながら、ビィズ達は木のすぐ横に取り付けられた一人でに動く奇妙な箱に乗る事で、何の苦労もなくコテージまで辿り着けていた。

 

「一体、これはどんなマジックアイテムなのだ………こんな物、王都にだって無いぞ?」

「神山にある聖教教会本部に似た仕掛けはあるが、あれよりずっとコンパクトで乗り心地が良いな」

「部屋の中を見たか? ボタン一つで天井の照明が部屋全体を明るくして、壁には暖かい風や涼しい風を吹き出すマジックアイテムもあったぞ。これが我が国にあったら、熱帯夜でも過ごしやすくなるぞ」

 

 木々の間に作られた吊り橋———これもかなりしっかりとして、歩いていても全く揺れない———を渡って、使節団の面々は与えられた内の一つのコテージの前に集まっていた。未知の技術をひっきりなしに目の当たりにしたお陰で、彼等の表情は乗馬を初めて経験した子供の様に興奮で輝いていた。

 

 亜人族の国は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国となってから劇的に変わっていた。ヘルシャー帝国から大勢の奴隷が返還されたが、それ以前にあった魔人族の襲撃や帝国軍の焼き討ちで家屋の数が足りなくなったので、魔導国の王となったアインズは大幅な復興計画を行わなくてはならなかった。

 もちろん、中身がただの営業マンであるアインズにそんな都市開発に関する知識は無く、悩んだ挙句にナザリック技術研究所の副所長であるミキュルニラに都市開発を一任したのだ。もっとも、アインズ自身に深い考えがあったわけではない。冒険者活動で忙しくなったナグモに次いでナザリック内で製作職のレベルが高い為、まあどうにかなるだろうぐらいにしか考えていなかった。

 

 しかし、これがかなり良い結果となってしまった。

 元々、ミキュルニラは創造主(じゅーる)がとあるテーマパークのマスコットを模して作ったNPC。その為か、街作りにおいて訪れた者が楽しく快適に暮らせる空間にするべく自分の技術を注ぎ込んでいた。

 

『アインズ様。色々と改築する必要があるので、オルクス迷宮で得た資材などを使ってよろしいでしょうか?』

『む? まあ、ナザリックの宝物庫が目減りする様な事で無いなら構わないぞ』

 

 そんな調子でいつもの様に支配者ロールで書類の承認印を押した結果、ミキュルニラはかつてじゅーるが第四階層をリニューアルした様に、旧フェアベルゲンの街中を抜本的に変えたのだ。

 階段を使わねば登れなかったツリーハウスにはエレベーターを作り、電気やガス、水道を通した。さらには街中を明るくライトアップさせ、それらのエネルギー源は地球の物より何倍も効率の良い太陽光発電などのクリーンエネルギーで賄っていた。お陰で今や魔導国は『自然と科学が見事に調和した未来都市』という趣となり、住民である亜人族はおろか、訪れる者が快適に過ごせる国となっていた。もちろんの事だが、これによって亜人族達のアインズへの崇拝心が更に上がった事は言うまでもない。

 

「これ程の便利なマジックアイテムに囲まれて豊かな生活ができるとは………正直、亜人族達が羨ましくなってきましたよ」

「うむ。今や聖戦遠征軍の為にアンカジのみならず、多くの都市や町は財政難で困窮していると聞くが、魔導国ではその様な心配は無用の様だな」

「まったく、亜人族達は良い指導者に恵まれた様ですな。魔導王とやらがハイリヒ王国に君臨してくれればと思わずには………あ、いえ、申し訳ありません!」

「………いや」

 

 部下の一人が口が過ぎたという様に慌てて謝罪するが、ビィズは短く返答するだけに留めた。ハイリヒ王国から公国の統治を任された大貴族の跡取りとして、今の部下の発言は強く諌めないとならなかった。しかし、不思議とそんな気にはなれなかった。

 

「その………領主代行。意見を申し上げても宜しいでしょうか?」

 

 使節団の中で一番年若い男は、意を決した表情でビィズに言葉を発した。

 

「魔導王は、その………アンデッドと聞きました。正直、知性のある魔物がいるというのが未だに信じられません。しかし、この街を見る限りは我々が想像していているより、話が分かる相手ではないのでしょうか?」

「うむ………確かにそうかもしれん」

 

 ビィズは魔導国に訪れる前に通りがかった帝国領の町を思い出す。聖教教会から破門を受け、帝国の人間達は教会から人間扱いされなくなったから国の雰囲気は暗いだろうと思っていたが、予想に反して街の雰囲気は明るかった。

 不思議に思って帝国の人間達に聞いてみると、魔導国と国交を結んだ事で魔導国産のマジックアイテムが輸入される様になって生活がかなり楽になったらしい。その時はどんな物か分からなかったが、実際に魔導国に来てみて実態を知ったビィズは納得せざるを得なかった。また帝国内の聖教教会の神官達が引き上げた事で大幅に低下すると思われた医療も、これまた魔導国から輸入されるポーションの効果が神官達の治癒魔法を軽く上回り、むしろ毎月支払っていた莫大な寄附金も無くなったから縁を切れて清々とした、と言う者までいる始末だった。

 

「しかしながら、聖教教会は魔物を穢れた存在として教義から見ても魔導王を認めないと思います。ですから――我々も、帝国の様に教会と袂を別つ事を視野に入れるべきではないでしょうか?」

「貴殿は何を言っている! それは王国に背を向けるも同じ———」

「お言葉ですが! 王国や教会が、何をしてくれたというのでしょうか!?」

 

 批難する様に声を上げた同僚に対して、彼は声を一段高くして反論した。

 

「私の母は先の伝染病で亡くなりました! あの時、王国が聖戦遠征軍として街の治癒師まで徴兵しなければ、母は助かったのかもしれないのです! それこそ、本来なら治療院で治療をすべき聖教教会の神官達も逃げ出さなければ――!」

 

 拳を固く握り締める男の言葉に皆は押し黙ってしまう。

 

「まあ………貴殿の気持ちは分かる。私も、息子が聖戦遠征軍に無理やり徴兵されたのだ。あの子は戦いなんて向いている様な子じゃないのに」

「私もだ………弟が王国の御用商人をやっていたが、“神の使徒”を名乗る若者達にあらぬ罪で商品を取り上げられて、無一文で放り出されたらしい。教会に訴え出たが、門前払いを受けたと言っていたよ」

「こんな横暴が罷り通っているというのに、エリヒド陛下は何をしてらっしゃるのか? 亡くなられたルルアリア王妃か、遠方に行かれてしまったというリリアーナ王女様さえいればこんな事には………」

 

 他の使節団の男達は暗い面持ちになりながら、ポツポツと王国や教会への不満を述べ出した。彼等は皆、身内に王国や教会によって何らかの被害を被っていた。そうでなくとも、先の伝染病騒動で本来なら支援するべき両組織は公国を見捨てるどころか死体蹴りをする様な仕打ちまでしたのだ。もはや彼等に王国への忠誠心や教会に対する信仰心など最底辺まで落ち込んでいた。

 そんな部下達をビィズは静かに見つめる。何より、彼も部下達の心情が痛いほどに理解できてしまった。偶然通り掛かった冒険者モモン一行の働きによって伝染病騒動は収まったものの、彼等が来なければ父の命は無かっただろう。

 

「………貴公の言いたい事は分かる。だが、まずは魔導王がどんな人物なのかを見定めなくてはならない」

 

 だからこそ、ビィズはそう言うだけに留めた。

 果たして、亜人族にここまで豊かな生活をさせて統治している魔導王とは何者なのか? ビィズ達は疑問が尽きないながらも、柔らかいベッドで眠りに就いた。

 

 ***

 

 翌朝、ビィズ達使節団は魔導国の中心部———一番巨大な大樹に来ていた。この大樹の中が魔導王の居城となるという。アルトに案内され、ビィズ達は大樹の入り口で警備兵の様に立っている兎人族の少女に会っていた。

 

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)! アンカジ公国領主代行ビィズ・フォウワード・ゼンゲン公、並びに使節団の皆様をお連れしました」

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みのままに)! ここからは、このシア・ハウリアが案内を引き継ぐですぅ」

 

 ビィズ達が聞き慣れない言葉を言いながら、シアと名乗った兎人族の少女がビシッと敬礼し、アルトも同じ様に敬礼を返した。彼女の服装は背広やネクタイなど、ビィズ達には馴染みが無いながらも洗練されていると思わせる軍服だった。何よりシアの様な美少女がかっちりした軍服を着こなす様は不思議な魅力があり、ビィズは思わず胸が高鳴るのを感じてしまった。

 

「どうかされましたか?」

「あ………い、いや。何も」

 

 見惚れたとはいえ女性をジロジロと見てしまった事に気不味さを感じてビィズは慌てて目線を逸らす。それを不思議そうに見ながらも、シアは先導して大樹へと繋がる門を潜る。

 

「アンカジ公国大使の皆様に———敬礼!」

 

 シアが可愛らしい容姿とはギャップのあるハキハキとした声を張り上げると、門の前で整列した軍服姿の兎人族達が一斉にビィズ達にビシッと敬礼した。彼等は儀仗兵の様に魔導国とアンカジ公国の旗を掲げ、旗の先端を交差させてビィズ達に国旗の道を作る。その一糸乱れぬ動きは、ビィズがかつてハイリヒ王国で見た騎士団の演習よりも整っていた。

 

「こ、これ程とは………」

「こんなに統率された兵士など見た事がないぞ」

「軍の統率者が、かなり良いのだろうな………」

 

 使節団達は兎人族達の間を通りながら、こっそりと内緒話をする。もはや亜人族の国と侮る気持ちなど毛頭無い。

 文明も、資金も、そして軍事力も。全てにおいて、魔導国は自分達より上回る国と彼等は認識していた。

 そしてシアに連れられ、またも一人でに上に動く奇妙な箱(エレベーター)に乗ったビィズ達は、最上階に辿り着いた。大きな扉の前では白いドレスを着た絶世の美女が待ち構えていた。まさに天使と見紛う様な美女だが、頭の角と黒い翼が天使ではないと証明していた。

 

「アルベド様。アンカジ公国の方々をお連れ致しました!」

「ご苦労。あなたは下がりなさい」

 

 はっ! とシアは短く答え、ビィズ達に一礼した後に来た道を戻った。それを少し残念に思いながら、ビィズは目の前の黒髪の美女に注目する。

 

「ようこそ、アンカジ公国の皆様。僭越ながら、アインズ・ウール・ゴウン魔導国における階層守護者および領域守護者、全統括という地位を頂いておりますアルベドと申します。皆様に分かり易くいえば、宰相となります」

「こ、これはご丁寧にありがとうございます。私はアンカジ公国の領主代行のビィズ・フォウワード・ゼンゲンと申します。本日は私共の為にお時間を作って頂き、感謝申し上げます」

「感謝など必要ありません。偉大なる魔導王陛下はあらゆる種族の来客を拒みません。皆様の為に時間を割くのは当然の事と、仰っていました」

 

 美しい微笑みはまさに聖画に描かれた聖女の様で、来客に対する好意しか感じ取れなかった。ビィズはおろか、使節団の全員がアルベドの笑顔に呑まれてしまっていた。

 

(もはや美女の見本市だな………)

 

 先程のシアを思い出しながら、そんな事をビィズは考えてしまう。まるで戦いなどとは無縁な場所で育てられた様な美貌の宰相が優しく微笑んだ。

 

「さぁ、皆様。魔導王陛下がお待ちです。どうぞこちらへ」

 

 ***

 

 玉座の間は外観から予想していた通り、樹をくり抜いた様な部屋だった。ただし、置かれた玉座は煌びやかな黄金で出来ており、仮に金箔を貼っただけだとしてもかなりの費用が費やされていると十分に理解させられた。そして玉座の後ろにある国旗も素晴らしい。何の糸かは分からないが、単なる黒では出せない深みがあり、僅かな光の加減で紫にも見えた。

 

「これより、魔導王陛下が参ります。頭を下げてお待ち下さい」

 

 アルベドの指示に、ビィズ達は躊躇いなく従った。仮にも聖教教会の信者である自分がアンデッド相手に………などと考える者はいなかった。

 

「———アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の入室です」

 

 アルベドの声と共に、玉座の間の扉が再び開けられた音がした。

 

 カツン、カツン———。

 

 玉座の間に足音と共に、硬質な何かが床を叩く音がする。やがて、玉座に腰掛ける様な気配がした。

 

「頭を上げて結構です」

 

 アルベドの宣言を受け、ビィズ達は数秒待ってから、ゆっくりと頭を上げた。

 そして———玉座に座る存在に、目を奪われた。

 

(あ、あれが、魔導王………アインズ・ウール・ゴウン!)

 

 頭蓋骨が剥き出しの頭。虚ろな眼窩から赤い光が漏れ、まさにアンデッドに相応しい外見だ。

 だが、着ている服はトラウムソルジャーの様な襤褸切れや錆びついた鎧などでなく、ビィズが見た事もない様な高価そうな服だった。

 着丈の長いゆったりした衣服で、袖の部分が驚くほど広い。汚れ一つない純白の布地で、袖や裾の部分に金や紫で細かな装飾が施されている。腰の辺りを帯で締めているようだが、それが異国情緒が漂う見事な正装となっていた。

 そして、服と同じ色の手袋には、七色に輝くプレートのようなものがはめ込まれていた。そんな手で持っているのは七匹の蛇が絡み合ったような芸術的な杖だ。それがカツンという硬質な音の正体だろう。

 

(何がアンデッドだ………これが、いや。()()()()が魔物なんて範疇に収まるわけがない!)

 

 かつてパーティーの場でユエが言っていた意味が今、ようやく理解出来た。直接会った者でなければ、この神々しさは理解出来ないだろう。

 人の考えられる領域を超えた者———すなわち、超越者(オーバーロード)

 この時、ビィズはもはやエヒト神への信仰すら忘れてしまっていた。

 

「魔導王()()………」

 

 部下達が僅かな驚く様な声が聞こえたが、関係なかった。無知な者でも、素晴らしい絵画を前にすれば心を打たれる様に。ビィズは神々しい姿をしたアンデッドに敬称をつけて平伏した。

 

「御拝謁を賜り、感謝申し上げます」

「ようこそ、ビィズ・フォウワード・ゼンゲン公。並びに使節団の方々。魔導国は貴殿達を歓迎しよう」

 

 ***

 

「いやはや、話が綺麗に纏まって良かったですな!」

「魔導王陛下はなんと慈悲深い………これでアンカジの復興も目処が付きそうです!」

 

 謁見を終え、宿泊しているコテージに戻った使節団の面々は喜悦と安堵の混じった表情でアンデッドの王を讃えていた。

 

「まさか通常よりも安く魔石を輸出して貰えるなら、どうにか冬を越せそうです!」

「それに国内で見たマジックアイテムも、いくつかお売りして貰えるとは………まさに今日がアンカジの夜明けとなりそうですな!」

 

 疲弊した公国へ支援をお願いしたところ、魔導王は快く応じてくれた。彼等は祖国へ良い報告が出来るとあって、アンデッドである魔導王に対して感謝の念が尽きなかった。ビィズもまた、心から安堵して慈悲深い魔導王を讃えていた。

 

(魔導王陛下の存在を教えて頂いたモモン殿達には感謝が尽きないな………今度会ったら、是非ともお礼を申し上げよう)

 

 唯一、気になる事と言えば、支援の見返りとしてアンカジ公国と正式な同盟を結びたいと言ってきた事だ。

 

『私はこの通りの見た目なのでな。人間達からは恐れられている』

 

 魔導王は謁見において、ビィズにそう切り出した。いざ話してみると緊張しているビィズを気遣ってか、王とは思えない気さくな様子で話してくれた。

 

『私は多くの種族が共存できる様な社会を作りたいと思っている。そこでだが………人間達に対しては、君達に仲介を頼みたいのだよ。異種族は悪と断じる聖教教会よりは話が通じそうだからな』

 

 確かに筋が通っている話だ。おそらく、いや十中八九。聖教教会とその支配下にあるハイリヒ王国は魔導王の事を邪悪な魔物と言って、話を聞きすらしないだろう。それどころか亜人族の国がこれ程までに栄えていると知れば、教会が何かしらの教義(言い訳)を唱えて王国の軍を使って全て奪おうとする事くらい簡単に予想できた。それこそ“()()()()の為に、アンカジから治癒師達を奪った様に。

 

(こんな事を考えてしまうくらいなら、もう私の中で答えは決まっているのだろうなぁ)

 

 もはや王国や教会に対して、忠誠心や信仰心を感じる事が出来ない。彼等に比べれば、アンデッドの王の方が如何に慈悲深い事か。

 さて、国に残されている父に対してどうやって説得しようか………と考えていると、ビィズ達のいるコテージの扉が乱暴に叩かれた。

 

「む、誰だ?」

 

 ビィズが疑問に思っていると、コテージの扉が勢いよく開けられた。突然の事に身構えるビィズ達だったが、入ってきた人物の服装が見慣れたアンカジ公国の兵士の物と知って目を見開いた。

 

「お前は確か父上の近衛の………何故こんな所にいる?」

「ビィズ様、どうかアンカジにお戻り下さい! 一大事でございます!」

 

 ビィズが怪訝な顔になる中、ランズィの近衛兵は真っ青な顔で報告した。

 

「魔人族が………魔人族が、我々の国に向かって軍を進めております! しかも、何故か奴等に———天使の様な軍勢まで同行しております!!」

 




オマケ

ミキュルニラ「どうでしょうか、アインズ様! 御命令通り、訪れる人が楽しい街にしました!」(えっへん)
アインズ(………何という事でしょう。適当に許可印を押しちゃったら、牧歌的なフェアベルゲンが知らない内に近代化しちゃった)
アインズ「う、うむ! よくやったぞ、ミキュルニラよ。お前に任せて正解だった。じゅーるさんがこの場にいたら、きっとこの街を気に入っただろう」
ミキュルニラ「アインズ様……! ええ、これからも創造主のじゅーる様に恥じない様に尽力します! それで、今度はアインズ様のブロンズ像を広場に設置しようと思いまして………」
アインズ「ブロンズ像って………あー、うむ。その様な物で偉大さを宣伝するのはあまり好ましくないと思うが………」
ミキュルニラ「え? でもパンドラズ・アクターさんが是非作って欲しいとお願いしてましたよ? デザイン案を見せたら、大喜びでしたし」

(パンドラズ・アクターの手を引き、遥か先を指差す様なアインズのパートナーズ像)

アインズ「………うん、却下」


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第百七話「学ぶ者、壊れた物」

 じっくり、じっくり煮込みましょう。
 味も絶望も、その方が深みが増していくから。

 あともうすぐあの天使達と接敵するかもしれませんが、懲りもなくアインズ無双になる予定です。書きたい展開ありきで書いているから、強さ考察とか真面目に考えて無いのですよ。

 あとFGOに七章を進めたいから、次の更新は遅れるかも。


 ナザリック地下大墳墓 第十階層・最古図書館(アッシュールバニパル)

 

 図書館というより、本の美術館と呼ぶべきその空間にナグモの姿はあった。アインズが魔導王としてアンカジ公国の使節団に応対する為に、久々にナザリックに戻って来ていた。

 ここに収められている本は傭兵モンスターの召喚に使うアイテムから特定の職業へ転職する為の魔導書など、アインズを含めた至高の四十一人(ギルドメンバー)達が集めた、あるいは製作したものだ。ゲーム内ではただのアイテムデータに過ぎなかったそれらもトータスに転移した事で歴とした本となり、その蔵書量はトータスにおいて世界一と冠する事が出来るだろう。

 

(人間………人の住むところ。世の中。世間。人が生きている人と人の関係の世界。またそうした人間社会の中で脆く儚い様を概念的に表す言葉………)

 

 しかしながら、今のナグモに用があるのはそういった本では無かった。彼が机に山積みにして読んでいる本は、とあるギルドメンバーが趣味で蒐集したテキストデータ———現実世界において、著作権が切れた書籍類だった。

 

「………駄目だ。知りたいのはこんな情報ではない」

 

 ナグモは溜息を吐きながら読んでいた本を閉じる。至高の御方が集めた物である為、丁寧に傍へと寄せる。

 あの日———冒険者として立ち寄った街で、人間という生物を改めて考え直す機会があって以来、ナグモは『人間とは何なのか?』という疑問を解決しようとしていた。そこで取った行動がやはりと言うべきか、本を読んで調べ上げる事だった。

 本来なら、元・人間である香織に聞くのが手っ取り早い方法だろう。しかし、自分の恋人にそんな情けない質問はしたくない、カッコ良い姿を見せていたいという、ある意味で子供っぽいプライドが邪魔をしてナグモは素直に聞きに行けなかった。その結果、本で調べ上げるという方法を取ったのだが、あまり芳しく無かった。

 

 ある本では、人間は生まれながらにして平等であると説いていた———それならば、何故人間達は自分で身分差を作っているのだろうか?

 ある本では、隣人を愛する事が人間として正しいと説いていた———それならば、何故人間達は競争相手は徹底的に叩き潰そうとしているのだろうか?

 

 『人間とは斯くの如くあるべし』という規範は知ることが出来た。しかし、今まで見てきた人間達を思い返してみるとその規範通りにやれている者はほとんどいなかった。

 

(人間はやはり愚かな猿以下の生物………そう判断して良いのだろうか?)

 

 賢人が十の金言を教えても、二か三で飽きて遊び始め、しまいには忘れて何度も同じ間違いを犯す進歩しない生物。だからこそ至高の御方(アインズ)の様な絶対的な支配者によって管理されるべきである。

 そう思っているが———あの街で出会った人間の少年を思い出すと、それだけで決め付けるのはどうしても納得がいかなかった。

 

「ナグモ様。こちらの本は片付けてよろしいでしょうか?」

 

 図書館の司書であり、腕章に『司書J』と書かれたエルダーリッチが嗄れた声を掛けてきた。読了済みの積み上げた本をチラッと見て、ナグモは頷いた。

 

「ああ、頼む」

「先程から何やら熱心に読み込んでいますが、目的の書物は見つかりましたでしょうか?」

「いや………まだだな」

「よろしければ、どの様な本をお探しなのか教えて頂けませんか? 必ずナグモ様の目的に合った本をご用意します」

 

 ナザリックの司書としての矜持か、その様に言ってくる司書Jにナグモは考え込んでしまう。人間とは何かを知りたい、という疑問は改めて思うと漠然とし過ぎて、ナグモ自身もどんな本を読むべきか分からなかった。

 

「あ、ナグモさん」

 

 どう返答すべきか考えていたナグモに、唐突に声がかけられた。振り向くとスカートを履いた少年ダークエルフ———マーレが本を片手にトコトコと近寄ってきた。

 

「マーレか。久しぶりだな」

「は、はい。お久しぶりです」

「これはようこそマーレ様。今日はそちらの本のご返却ですか?」

「うん! 面白かったって、ティトゥスさんに伝えて下さい。あと、またお薦めの本があったら教えて下さい」

「かしこまりました」

 

 一礼してマーレから『トム・ソーヤの冒険』と表紙に書かれた本を司書Jは受け取る。その本を元あった本棚に戻しに行った司書Jの後ろ姿を見ながら、ナグモはマーレに話し掛けた。

 

「図書館をよく利用しているのか?」

「は、はい。至高の御方々が集めた御本は面白い物が多くて」

 

 おどおどと答えるマーレに、もっと堂々としても良いのにとナグモは詮無い事を思っていた。そこでふと、ナグモは思い付いた事を聞いてみた。

 

「なあ、マーレ。君は人間についてどう思う?」

「に、人間ですか? ナグモさんも、オーレオールさんも至高の御方々の生み出された素晴らしい人達で———」

「僕達の事ではない。外の世界に蔓延る人間という生き物についての意見が欲しい」

「え? 外の人間………? え、ええと、ごめんなさい。ちょっとよく分からないです」

 

 マーレは心底から質問の意図が分からないという表情になった。それは『あなたは地面のアリについてどう思いますか?』と聞かれて戸惑っている様でもあった。

 

「その、ナグモさんはどうして人間について調べようと思ったんですか?」

「………別に。今後の為に学ぶ必要があると思ったからだ」

 

 切っ掛けとなった出来事を話すのは流石に躊躇いがあった為、ナグモはもっともらしい理由付けを話した。

 

「亜人族の国、ヘルシャー帝国とアインズ様の世界征服は着々と進んでいる。今後は人間達も統治下に入る事を考えると、奴等の習性や行動原理を知っておく事はアインズ様の支配を受け入れさせる為に役立つと判断したまでだ」

「はぁ、そうなんですか?」

 

 マーレは気の無い返事をする。

 

(そんな事まで気にする必要があるのかな? 至高の御方が支配されるというなら、人間達は喜んで受け入れるべきなのに………でもナグモさんは頭が良いから、きっとボクとは別の視点から考えているんだよね)

 

 マーレにとってナザリックに所属していない相手など、どうでも良いものだった。だからこそナグモの行動が理解できなかったが、きっとアインズの為にやっている事なのだろうと結論付けた。

 

「まあ、とにかく………普通の人間達が何を考えて生きているかを知りたくて本を読んでいるが、どうも目的にあった本が見つからない」

 

 『ユング心理学』と表紙に書かれた本を閉じながら、ナグモは嘆息する。

 

「おそらく視点を変えてみる必要があるのだろう。マーレ、君は何か推薦できる様な本を知らないか?」

「で、でも、ボクはナグモさんみたいに難しい専門書とか知ってるわけじゃなくて………」

「参考までに聞きたいだけだ。建設的な意見を出せと命令しているわけではない」

「う、う〜ん………それだったら、ボクが読んでいる本を幾つか———」

 

 おどおどしながらも、マーレは自分が図書館から借りている本の題名や簡単なあらすじを紹介した。マーレの挙げた本のタイトルは、主に小説(大抵が少年が主人公のもの)ばかりだった。

 

「えっと、こんな所です………参考になりましたか?」

「ん………そうだな。今度、読んでみるか」

 

 小説など所詮は作り話と思っていたので、ナグモは地球でも小説に触れた事は無かった。しかし、同僚であるマーレにここまで丁寧に説明して貰った以上、読まないというのは失礼だろうとナグモは判断して頷いた。すると、マーレは嬉しそうに表情を輝かせる。

 

「あ、あの! 良かったら、読み終わった後に感想会とかやりませんか? お姉ちゃんは外で活動する方が好きだから、本なんてほとんど読まないし………」

「ああ、構わないぞ。読解力の確認にもなりそうだからな」

「本当ですか! えへへ、楽しみだなぁ」

 

 共通の趣味を持った友人が出来た様に嬉しそうにマーレは表情を綻ばせた。こうして見ていると、見た目は本当に可愛らしい少女の様だ———だが男だ。

 

「ところで、マーレがナザリックにいるのは珍しいな。魔人族の国にはアウラが留守番をしているのか?」

 

 会った時から気になっていた事をナグモは聞いた。アウラとマーレは、本来なら魔人族の国で諜報活動を命じられていた筈だ。以前、アウラが自分の階層の定期確認で帰って来ていた事を思い出し、なんと無しに聞いてみた。

 

「そ、その、お姉ちゃんも一緒に帰って来ています。魔人族の国は、シャルティアさんから貸して貰ったペットさんと、見張りの為にシモベの皆さんが残っています」

「アレ、か………良いのか? 躾けられたとはいえ、君達の監視は継続しておくべきだと思うぞ」

 

 香織に対して無礼な———それこそ苦しませた上で殺してやりたいと思う程の事を口にした魔人族を思い出し、ナグモは少しだけ眉間に皺を寄せた。しばらく弄ばれた後に飽きて殺されるもの、と思ってシャルティアに身柄を引き渡したが、どんな経緯があったのかシャルティアの狗となって魔人族の国へのスパイ活動に従事していた。もっとも、()()()()を詳しく知りたいとも思わないが。

 

「あ、は、はい。元々はアインズ様を差し置いて魔王を名乗っている失礼な人を監視する為にお姉ちゃんと一緒に行っていたんですけど、魔王が魔人族達と一緒に人間族の国に進軍しちゃったから、もう監視はいらなくなったみたいです」

「人間の国だと? 何処の国だ?」

 

 しばらくアインズと共に冒険者活動をしていた為に、初耳である情報にナグモは気を引かれた。もしもハイリヒ王国に侵攻したのならば、香織の為にも雫をすぐにでもナザリックに連れて来なければならない。

 

「え、えっと、アンカジ公国という国だそうです。最初はそこを攻め落とす、って魔王は演説してましたよ?」

「何だそこか………それにしても、あの国もよくよく災害に巻き込まれるものだ」

 

 とりあえず雫は関係無さそうなので、ナグモはすぐに興味を失った。グリューエン大火山の神代魔法を手に入れる為に立ち寄った国ではあるが、関係無い人間しかいないなら、どうでも良かった。

 

「“天は我々魔人族を選んだ。魔王にしてアルヴヘイト神である私は、今こそ天啓に従って人間達を滅ぼす”とか言って、ほとんどの魔人族を連れて行っちゃったんです。でも、結局ボクやお姉ちゃんの事に気付いて無いのにどうして偉そうだったんだろう………?」

「フン、アインズ様の存在に気付きもしない癖にな」

「そ、それと、通り掛かった街も全部滅ぼしていく、とか言ってました。確か最初は———」

 

 アインズの掌の上と知らずに踊っている()()魔王を内心でナグモは嘲笑い———マーレが告げた街の名前を聞いた途端に、目を見開いた。

 

「それで、公国まで掛かる日数とかシャルティアさんのペットに計算して貰って、それが丁度、公国の人間達とアインズ様に謁見する日だったんです。それをデミウルゴスさんに言ったら、“至高の御方は全てを計算された上で、この日を選んだのだ”と言っていて、ボ、ボク、アインズ様はやっぱりすごいなって————」

「すまん、マーレ。少し確認したい事が出来た」

 

 アインズの()()()()を嬉しそうに話していたマーレだが、ナグモは突然立ち上がった。そしてマーレが聞き返すより先に、ナグモは“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”を使って転移してしまっていた。

 

「ナグモさん? ………急にどうしたんだろう?」

 

 いつもの無表情ではなく、どこか強張った表情だった事にマーレは少しの間、首を傾げ続けていた。

 

 ***

 

 ———徹底的に破壊し尽くされていた。

 ナグモが転移で降り立った街は、以前の人間達で賑わっていた姿を思い出せなくなる程、瓦礫の山と化していた。街中には家が焼かれた跡や、凄まじい力で壊された跡があり――広場には人間達の焼死体と、無造作に臓物をぶち撒けられた死体が山の様に積まれていた。

 穴を掘り、その上から油を撒いて焼いたのか。腹を裂かれている死体は裸の女ばかりの所を見ると、彼女達は性的な暴行を受けた上で無惨に殺されたのか。いずれにせよ、惨状と呼ぶべき光景が目の前に広がっていた。

 

 ナグモはそれらの死体には関心を寄せずに、一直線に歩き出す。

 ———以前、アルベドからの通信を聞く為に入った薄汚い路地裏も、不満を押し殺しながら水桶に水を汲んでいた井戸端も、例外なく人間達の無惨な死体が転がっていた。

 やがて、ナグモはそこに辿り着いた。

 街外れにあった為か、その家は他の家よりも焼失はしていなかった。

 しかし、建て付けの悪かった扉は打ち壊され、隙間風が絶え間なく入って来た外壁は半壊してもはや人の住める物ではなかった。ナグモは構わず、半壊した小屋へと入る。

 

 そこに———二人の人間の死体があった。

 

 死体は火魔法で炙られたのか。黒く炭化しているが、大人と子供だろうという事だけは体格で見て取れた。ベッドに横たわった大人の死体に、覆い被さる様に子供の死体が転がっていた。

 まるで———ベッドにいた人間を守ろうとして、一緒に殺された様にも見えた。

 二つの焼死体をナグモは黙ったまま見つめていた。それからどのくらいの時間が経っただろうか。不意に、背後の壊れた戸口から音がした。

 

「あ? 生き残りの人間がいやがったのか?」

「隊長、どうしやした?」

 

 振り向くと、そこに人間族の国では絶対に見かける事のない褐色の肌と尖った耳を持つ種族———魔人族達が数人いた。

 彼等は鎧こそ立派だが揃いも揃って人相が悪く、いっそ小綺麗にした野盗という方がしっくりと来る。

 

「人間じゃねえですか! この街の人間は皆殺しにしたと思っていたのに、まだいたんすね!」

「へへへ……まだこの家に金目の物はねえかと思って、本隊から離れたが思わぬ収穫があったじゃねえか。まさにアルヴ様々、いや天使様々だな」

 

 彼等は暴力に酔いしれた笑顔を浮かべながら、ナグモをゆっくりと取り囲む。動かないナグモを見て、こちらを恐れていると思った隊長格の魔人族がナグモに剣を突きつける。

 

「おい、人間のガキ。お前はこの家のガキか何か? まあ、なんでも良いけどよ。金目の物の在処を教えな。そうしたら楽に殺してやるよ」

「ギャハハ! 隊長、そこは生かしてやるじゃねえんですかい?」

「あん? 生かしておく価値も無えだろ。神様や天使様は魔人族(俺達)を選んだんだぜ? 天に見捨てられた人間(ゴミ)共を生かしておいちゃ、神様に悪いだろう?」

「違えねえ! ギャハハハハ!」

 

 品の無い罵声がナグモに浴びせられる。そこで初めて、ナグモは口を開いた。

 

「………お前達は、何故この家に来た?」

「あん? そりゃあ、この家が略奪した中で一番金を持っていたからだぜ? まさかこんなしみったれた家に()()()()()()()()()()なんて思っても無かったからな!」

 

 押し殺した様な平坦な声を出すナグモの様子に気付かず、魔人族は部下達と共に下卑た笑い声を出す。

 

「ひょっとしたらまだ隠し金庫でもあるか、と思って来てみたらよぉ………ひょっとして、テメェは()()()()()の兄貴か? 傑作だったぜ、お前の弟はよぉ! “フードの兄ちゃんがきっと助けに来る! それまで僕がお母さんを守るんだ!”とか最期まで叫んでいやがったからなぁ!!」

 

 ドンッ、と地面を蹴る音が鳴り響く。それと同時に、馬鹿笑いをしていた魔人族の隊長の頭に傘の切先が刺さって弾け飛んだ。

 

「「「……………はぇ?」」」

 

 部下達が間抜けな声を出すと同時に、ナグモは黒傘“シュラーク”を翻した。鋭く切先を尖らせた黒傘はそのまま隣りの魔人族の首を刎ね飛ばし、ナグモは勢いのまま次の魔人族の頭を掴んだ。

 

「“錬成”」

 

 バチィッ、という音と共に魔人族の脳を突き破って骨が針山の様に頭から飛び出した。目玉や脳漿を撒き散らし、魔人族は絶命して崩れ落ちた。

 

「ひ、ひぃ!?」

 

 一人だけ残った魔人族が、背を向けて逃げ出そうとする。しかし、それより先に銃声が二発鳴り響いた。

 

「ギャアッ!? な、何だよこれ!?」

 

 初めて知る銃弾の痛みに、魔人族は両足を貫かれて地面に転んだ。それでも何とか這ってでも逃げようとした魔人族だが———その後頭部に、カチャッと黒傘の切先が突きつけられた。

 

「ま、待て………待ってくれ!」

 

 銃という概念すら知らない魔人族だが、背後から突きつけられたソレが自分の命を奪う物だとは理解出来た様だ。彼は地面に這いつくばったまま、背後にいるナグモに命乞いをした。

 

「た、頼む。殺さないでくれ! わ、私は命令されて仕方なくやったんだ! 君の弟については残念だった………そ、そうだ! 私には国に君の弟ぐらいの息子がいるんだ! だ、だから頼む! ここは見逃し」

 

 パァン! 炸裂音が魔人族の頭に響いた。

 

「お前達は………」

 

 返り血を浴びて、幽鬼の様に佇むナグモは溢れ出る感情を押し殺した様な低い声を出した。

 

「やはりお前達人間は、何処までいっても下等で、低脳な害獣(さる)ばかりだ………!」

 

 そうして———生きている者がいなくなった廃墟で、人間の精神を学ぼうとした作り物の少年(元・NPC)は震えた呼吸が落ち着くまで佇んでいた。




 とある作者さんがやっていた、原作と自作の同一人物が出会ったら? な内容。適当に書き散らかしたので、話半分で見てもらえると助かります。

・ナグモ(南雲ハジメ)
 
 犬猿の仲。お互いに会ったら殺し合いをしかねない。
 
ハジメ「は? こんな幼稚で捻くれたファザコン野郎が俺? あり得ねえだろ」
ナグモ「こんな粗野で野蛮で、多数の異性を侍らす愚かそうな男が平行世界の僕……だと……?」
 
 それはそれとして、ガルガンチュアに関しては素直にハジメは目をキラキラさせ、ナグモは父親に買って貰った自慢の玩具を見せびらかす様なス○夫顔になる。
 
・白崎香織
 
香織(原作)「向こうの私はゾンビになっちゃったの!?」
香織(アンデッド)「え? 向こうのナグモ君はユエが本命で、その他にもシアとかティオさんとかいる? うわぁ………」
 
 あまりの待遇の違いにお互い唖然としてしまう。ありふれオバロの香織がアンデッドになった経緯を聞けば、原作香織は少し同情してしまう。それはそれとして、別人とはいえハジメ(ナグモ)の唯一無二の存在となれた事に羨ましくて原作香織の背後には般若さんが見え隠れするとか。
 
 ただ———詳しく聞いていくと、香織アンデッドの愛情は何かがおかしい様な………?

・ユエ

原作ユエ「ええ………私がアンデッドの配下?」
自作ユエ「ええ………私がナグモのハーレムの一員?」

 お互いに殺し合うとかは無いものの、こいつ頭大丈夫か? と微妙な表情になる。因みに自作ユエがアインズに淡い想いがあるのを知ると、もはや宇宙ネコ状態になる。

・アインズ

原作アインズ「………大変そうだな」
自作アインズ「………そっちもな」

 ある意味、一番仲良くやれる。どうしてNPC達はあんな盲目的に慕ってくるんだ? と溜息に吐き、愚痴を言い合う仲に。ところでユエの事について一言どうぞ。

原作アインズ「え? 俺ロリコンだったの!?」
自作アインズ「いやifルートだとそっちも金髪吸血鬼とイチャイチャしてたでしょうが!!」


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第百八話「全面戦争の幕開け」

「“真の神の使徒”だと?」

「そう。それがエヒトのクソヤローの手駒だよ」

 

 魔導国建国宣言より以前。配下に引き入れたばかりのミレディに、アインズは聞いていた。

 

「見た目は鎧を着て羽を生やした銀髪少女だけど、力とか魔力が普通の人間とは段違いなんだよねぇ。以前、オーくんと一緒に戦った時はミレディちゃんもちょっと危なかったかな?」

「加えて、奴等には『魅了』で人を操る能力がありまする」

 

 ミレディの言葉に、同じくナザリックの保護を約束した竜人族の族長アドゥルが情報を付け加える。いつもの様に戯けた態度を崩さないミレディに対して、アドゥルは臣下の姿勢を崩さずに証言していた。

 

「ある程度の魔力がある者ならば抵抗は可能ですが、並の人間ではまず抗えますまい。それによって奴等は常に人間の権力者達を操っておりました」

「天使やヴァルキリー型のモンスターと同系統か? 加えて洗脳能力持ち………なるほど、確かに厄介だな。アンデッドである私には精神操作は効かないが………」

 

 かつて“真の神の使徒”達と戦った事がある二人の証言から、アインズは頭の中で対策を練り始めた。

 

「いや、油断は禁物だな。精神操作対策のアイテムの増産を第四階層(技術研究所)に命じるとしよう。他にその“真の神の使徒”について、分かる事は無いか?」

「以前、儂は奴等と戦いましたが………どうにか数人は倒せたものの、千どころか万を超えようかという使徒達の大軍を前に敗れ――」

 

 ふと、そこでアドゥルが何かを思い出した様な表情になる。

 

「そういえば、使徒達の中でも指揮官と思しき者………確かノイントと呼ばれておりましたが。奴は使徒達に命令する際に、何やら特殊な音を発しておりました」

「音、だと?」

「はっ。といっても、竜人族である我らでもなければ聞き取れぬ様な高い音でしたが………おそらく、あの音を通して他の使徒達に命令を下していると思われまする」

「ふむ………高周波、というやつか? まるでラジコン………ああ、いや。命令通りに動く人形みたいな物というわけか?」

「その認識は間違っては無い様に思われます。どうにも、儂らと同じ生き物を相手にしている感触が無かった故に」

 

 思った事をそのまま口にしたアインズに、アドゥルは頷く。話を聞く限り、“真の神の使徒”達はユグドラシルで例えるなら傭兵モンスターみたいにある程度のコマンドで動くNPCみたいなものじゃないか? と推測した。そこで、それまで聞き手に徹していたミレディが声を上げた。

 

「ねえ、竜人のおじいちゃん。さっきの話って、本当の事?」

「お、おじいちゃん………さっきとは?」

「だからさ、あのデク人形達が特別な音で動いてるという話」

「うむ、間違いあるまい。かつての時も高齢ではあったが、儂の耳はまだ遠くなっておらんのでな」

 

 頷くアドゥルを見て、ミレディは何かを考え込み———そして、顔を上げた。

 

「あのさ、アインズくん」

 

 元はニコちゃんマークだったであろう、ペイントが擦れてしまったゴーレムの顔をアインズに向けた。

 

「実は………こんな事もあるかと思って、取って置いた物があるのだけど」

「………ほう?」

 

 ***

 

 そして、現在。

 

「そうか。とうとう魔王、それに“真の神の使徒”達が軍を発したか」

 

 ナザリックの玉座の間で、アウラとマーレの報告にアインズは頷いた。

 

「はい! 魔王は自分こそが魔人族の神アルヴヘイトだった、と首都の演説の場で宣言。その後、天使の軍勢が空から現れて『魔人族こそがこの世界に選ばれた種族である』と宣言した事で、魔人族達は士気高くアンカジ公国への進軍を開始しました!」

「ま、魔人族達は少数の兵士と戦えない女の人や子供を残して、ほとんどが今回の遠征に参加しました。軍の編成は、シャルティアさんのペットが調べ上げました。えっと、念の為にシモベ達に探らせましたから、間違いないと思いますっ」

「ふふん。妾のペットが役立ったでありんしょう?」

 

 ドヤ顔するシャルティアにアウラが微妙な表情になる。咳払いしながら、今度はデミウルゴスが発言した。

 

「魔人族達、並びに神の木偶人形達は国境を越えた後、通り掛かりの人間達の町や村を破壊しながら、アンカジ公国に侵攻中です。どうやら人間達から目立つ様に意識している為か、転移系魔法は使用していない様です。今はまだハイリヒ王国内に被害は及んでおりませんが、時間が経てば王国にも神の木偶人形が魔人族に味方した事は知れ渡りましょう」

 

 そこでデミウルゴスは悪魔らしい笑みを深めた。

 

「さすがはアインズ様です。魔人族がアンカジ公国に侵攻するタイミングに合わせ、アンカジ公国の使節団に謁見させたのですね? アインズ様の目論見通り、あの人間達はアインズ様の慈悲に縋りたいと土下座して参りました。これで益々、人間達はエヒトルジュエよりもアインズ様を信仰する様になりましょう」

 

 いや、そんな意図は全く無いんだってば。

 思わずそう言いかけ、アインズは何とか呑み込んだ。そもそもアンカジ公国に魔導国を宣伝したのは自分だが、まさかこんなに早く来るとは予想していなかったのだ。

 

(結局、ユエに色々聞いて謁見時のマナーとか付け焼き刃で身に付ける時間が欲しくて、あの日に指定しただけだしなあ………でも、まさかアンカジ公国と友好条約を結んだその日に侵攻されるなんて)

 

 同盟を結んだその日に、同盟国を潰す軍勢が派遣される。

 エヒトルジュエはガハルドの時の様に、先回りして自分達の勢力を削る気なのだとアインズは確信していた。もはや、お前達の行動などお見通しだ、という挑発的なメッセージすらアインズは感じていた。

 

(未だ七つある神代魔法の全てを修得したわけじゃない。でも、だからといって相手は待ってくれるわけじゃない)

 

 現実はゲームとは違うのだ。どこの世界にプレイヤーが順調にレベルアップしているのをみすみす見逃し、ダンジョンで待ち構えるだけの()()なボスがいるというのか?

 

(はっきり言って、アンカジ公国そのものはどうでもいい。でも同盟国を簡単に見捨てるなんて噂が立ったら、対エヒト同盟(魔導国)の前提が崩れてしまう)

 

 そうなれば魔導国に味方する者は減り、かつての解放者達の様に数の暴力でナザリックも押し潰されるだろう。それは絶対に看過できない。

 

「アインズ様」

 

 玉座の横に控えているアルベドが声を掛けてきた。

 

「至高なる御身を差し置いて、魔の王を僭称する愚神の眷属。そしてそれらに付き従う虫ケラ(魔人族)蚊トンボ(天使達)に対して、我々はどの様に致すべきでしょうか?」

 

 彼女にとって、アインズ以外の者が“魔王”を自称するなど、あってはならない事らしい。嫌悪感をありありと滲ませながら聞いてくるアルベドに、アインズは答えようとして———。

 

「決まっている———殲滅だ」

 

 玉座の間に無機質な声が響く。他の守護者達に目を向けられながら、ナグモは静かに、しかし低い声で淡々と話した。

 

「殲滅だ。魔王も、魔人族も、木偶人形も。アインズ様の敵は悉く殺し尽くすべきだ」

「ナグモ、お前には聞いていないわ」

「守護者統括。これはアインズ様、そして魔導国の沽券に関わる問題だ」

 

 冷たい目で睨むアルベドに対して、ナグモはいつもよりも低い声を出した。それはどこか感情を押し殺した様な声だった。

 

「奴等が破壊した街や村には()()()()()()()()()()()()も含まれる。謂わば、アインズ様の功績を踏み躙ったも同然。そんな奴等は、死すらもまだ生温い」

「珍しくお前と意見が合うでありんすねえ。私もナグモに賛成でありんす」

「シャルティア!」

「アルベド、お前とてアインズ様を差し置いて魔王などと名乗る輩は殺すべきと思っているでありんしょう? 其奴を放置していては、『魔導王』の名前そのもののイメージが悪くなるでありんす」

「ウム。亜人族ハ元ヨリ、帝国モ魔導王ノ名ノ下ニ纏マッテキテイル。ソコニ名前ガ似テイル魔人族ノ王ガノサバッテイテハ、アインズ様ノ尊キ称号ニ泥ヲ塗ラレルモ同ジ」

「シャルティアと同じ意見というのが気に入らないけど………私も賛成かな。アインズ様以外で魔王を名乗る様な恥知らずな奴は、殺すべきだと思います」

「ボ、ボクもお姉ちゃんと同じです! つ、ついでに偽物の魔王なんかに従っている人達も、皆殺しちゃえば良いと、あの、思います!」

 

 次々と『魔王とその一派、死すべし』という意見が上がる。守護者達の苛烈な考え方は予想はしていたが、アインズは少しだけ違和感を抱いた。

 

(な、なんだ? シャルティアとかはまだ分かるけど、ナグモってここまで過激派だったか? らしくない、というか………)

 

 以前、亜人族を保護する時は心底どうでもいいと言い放っていたのに、今は強い言葉で魔人族達の殲滅を進言している。それがどうにも気になってしまった。

 

「君達、落ち着き給え。魔王軍にどう対応するかはアインズ様がお決めになる事だ」

 

 デミウルゴスの一言に、アインズは思考を戻した。ナグモの事は気になるが、今はそれよりもとうとう現れた魔王と真の神の使徒達の事だ。

 

(俺が優先するのは、ナザリックと仲間達が遺してくれたNPC(子供)達の幸せだ)

 

 それを踏み躙ろうとする者。そしてこれから踏み躙りに来るであろう者。

 ナザリックの敵にかける情けなど———微塵も無い。

 

「アルベド、ヴィクティムに出陣の用意をする様に伝えろ」

 

 ヴィクティムは第八階層守護者であり、ある特殊な力を持ったNPCだ。アインズの命令に僅かに驚きながらも、アルベドは微笑んで頭を下げた。

 

「かしこまりました。その他、第八階層の()()()は如何しましょう?」

「いや、彼等には代わりにナザリックを守護して貰う役目がある。その代わり———各守護者達は持てる最高戦力のシモベ達を用意せよ」

 

 アインズの言葉の意味を悟り、全ての階層守護者が平伏する。

 アインズは虚ろな眼窩に宿る赤い光をギラリと輝かせ、それを命じた。

 

「まずはエヒトの眷族である魔王から潰すぞ。パンドラズ・アクターにも宝物庫の武器やアイテムを惜しみなく放出する様に伝えろ。ナザリックの総力をもって———全面戦争を始めようじゃないか」

 

 ***

 

「ふんふんふ〜ん、ふんふんふ〜ん、ふんふふふ〜ん♪」

 

 ナザリック地下大墳墓・第四階層。

 何処かで聞いた事のある様なマーチ曲のメロディをミキュルニラは鼻歌で口ずさんでいた。目の前には旧フェアベルゲンこと魔導国の全体図の模型があり、アインズから命じられた都市開発プランを新たに考えていた。

 

「ここに花壇を作って、お年寄りの人も移動しやすい様に魔導国を一周する様なモノレールも作って、あとは————」

 

 町作りというより遊園地の設計みたいになっているが、ミキュルニラは楽しかった。それはミキュルニラがとあるマスコットキャラクターを模して作られたからか、あるいは創造主(じゅーる)がテーマパークの建設に携わる職業だったからか。ミキュルニラは何かを作り、それで誰もが楽しく笑顔になれる様な空間にするのが好きだった。

 

「魔導国の都市開発を任せて頂いたアインズ様には感謝が尽きないです〜。私にとっては天職です〜」

 

 資金や資材はオルクス大迷宮から取れる為に惜しまずに使える為、訪れるゲストも住民も、全ての人が楽しく過ごせる創作活動に伸び伸びと打ち込めていた。

 奇しくも、それはかつて創造主(じゅーる)がやりたかった事であった。一部の上流階級だけでなく、様々な人が一緒に楽しく過ごせるパークを作る。その為に建築や設計に情熱を捧げたものの、上流階級である雇用主の意向という現実の前に果たせなかった夢。それをミキュルニラは魔導国の都市開発という形で実現させていた。

 

「こんなに楽しい街なら、所長や香織ちゃんもきっと笑顔に………」

 

 誰よりも笑顔でいて欲しい人達の事を思い、ミキュルニラが新たな設計案を考えていた時の事だった。

 ナグモが部屋に入って来たのを見て、ミキュルニラはいつもの戯けた態度になる。

 

「あ、しょちょ〜。お帰りなさいです〜、いま新しくエレクトリカル・アインズ様の設計を考えていたのですけど、しょちょ〜にも意見を………所長?」

 

 ミキュルニラは思わず、いつもの呼び方を忘れてしまう。

 ナグモの表情は、いつもの様に無表情だった。だが、いつもに増して近寄り難い———それこそ寄らば斬る、という様な張り詰めた空気を纏っていた。

 

「アインズ様と共に魔人族の軍勢を討伐する事になった。すぐに準備しろ」

「……そう、ですか。魔人族達を………」

 

 ナグモの言葉に、ミキュルニラはほんの少しだけ目を伏せる。かつての実験では、ナザリックの為とはいえ随分と酷い仕打ちをした。正直な所、カルマ値が極善となった彼女には非常に心苦しい行いだった。今回も、以前と同じ様にしなくてはならないのだろうか。

 

「すぐにキラーマシーン達を出動できる様にしろ。MG-REX、MG-RAY、それにヴェノムキマイラもだ」

「え、キラーマシーンをですか!?」

 

 キャラ付けの喋り方すら忘れて、ミキュルニラは思わず聞き返してしまう。

 ナグモが言ったモンスター達は、第四階層でも高レベル帯に位置するマシン・モンスターやキメラ・モンスター達だ。それこそ、ただひたすら相手を殺す事に特化して研究員達に作られたモンスターと言っても良い。

 

「その、さすがにやり過ぎなんじゃ………まさか魔人族達を一人残らず殺すつもりで」

「あいつ等を………あんなゴミ屑共を、生かしておけというのか?」

「所長………?」

 

 様子のおかしいナグモに、ミキュルニラは心配そうに声をかける。だが、ナグモは無表情――まるで爆発寸前の激情を無理やり押し込めた様な表情で、低い声を出す。

 

「あのゴミ屑共は、あの街を………アインズ様が冒険者として救った街を滅ぼした。僕がわざわざ救ってやった人間達を、踏み躙った。あんなゴミ屑共など、生かす価値すらない………! すぐにだ! すぐに準備しろ!!」

 

 最後はもはや怒鳴り散らし、ナグモはミキュルニラに背を向けた。それはまるで、大切にしていた玩具を壊されて癇癪を起こした子供の様にも見えた。

 そんなナグモを、ミキュルニラは悲しそうに見つめる。

 

「所長………せっかく、人間を嫌う以外の感情が芽生えたのに。こんな事になるなんて………」

 

 創造主(じゅーる)が遺した亡き息子を模した忘れ形見。それが負の感情に囚われているのが悲しくて、ミキュルニラは笑顔になって貰おうと作っていた都市(パーク)の模型の前で立ち尽くしていた。

 

 だが、憎悪に囚われたナグモはそんな自分の副所長の事に全く気付いていなかった。

 

(———殺す)

 

 アインズ(モモン)の働きを無為にした魔人族を、魔人族に味方した“真の神の使徒”を、それを命じた魔王アルヴヘイトを。

 折り重なる親子の焼死体を思い出し、いま胸の内に宿る憎悪はアインズに逆らう愚か者達への怒りだとナグモは自分に言い聞かせていた。

 

(殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス殺すコロス———!!)

 

 人間となり、生まれて初めての感情を抑える術を彼は知らなかった。




 先に言っちゃいますが、ナグモが感情で先走ってアインズの足を引っ張るとかそういう展開は今回はありません。なので———。

 Hey,SIRI。Alexa、あるいはOK,Google。
 魔人族達が生き残る方法を教えて?


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第百九話「会議は踊る。されど、糸引くままに進む」

 ハイリヒ王国ではこうなりましたよ、という回。
 こんなシナリオを糸引く至高の御方とかいう奴は、きっと端倪すべからざる頭脳の持ち主なのでしょうねー(棒)


 ハイリヒ王国・王城。

 

「ま、魔人族の大規模な侵攻だと!?」

「奴等の軍勢に天使らしき軍勢がついているというのは本当か!?」

「くだらんデマだ! 邪悪な魔人族共こそが天に選ばれた存在だと言うのか!?」

 

 会議室では王国の貴族達が紛糾していた。議題はもちろん突然大規模な侵攻を始めた魔人族達と、彼等に付き従う様に行動している天使の軍勢の事だ。魔人族達と天使達はハイリヒ王国の領土にこそ侵攻はしていないが、彼等が一緒になって街や都市を破壊する姿は数少ない生存者によって目撃され、ハイリヒ王国にも情報は伝わっていた。

 

「ありえん! きっと魔人族が幻術か何かで天使様の姿に似せただけの魔物だ! 悪質な偽装工作だ!」

「だ、だが、生き残りの庶民共の目撃証言を聞く限り、聖典で伝えられるエヒト神の天使の姿そのものですぞ? 現に庶民達の間にも動揺が広がっている………エヒト神は我らをお見捨てになり、魔人族に祝福を与えたのではないかと……」

「ならば魔人族達は我々の聖典を盗み見して魔物を作ったに違いない! 貴様、人間族の守護神であるエヒト様を疑うというのか!!」

「わ、私の発言ではない! 庶民共が言っていた事を代弁しただけだ!」

「国王陛下! 勇者・光輝様こそがエヒト神の御使いではなかったのですか!? 一体、これはどういう事なのですか!?」

「ぐっ………イ、イシュタル大司教! 説明を! あれは本物の天使様だと思われるか!?」

 

 自分達が信仰している神に見捨てられたのか、と貴族達は混乱したままエリヒド王に詰め寄る。しかし、エリヒド王にとってもまさに晴天の霹靂であり、この場で宗教関係に一番詳しいイシュタルに説明を丸投げした。イシュタルはパニック状態に陥っている彼等をゆっくりと見渡す。

 

「皆様、まずは落ち着かれよ。エヒト神は人間族の守護神。敬虔なる信徒である皆様をお見捨てになる筈はないではありませんか」

「し、しかし! 現に魔人族に、天使様達が!」

「何かの間違いでありましょう。仮に本物の天使様方だとしても、ハイリヒ王国———それも皆様方の領土には、まだ何の被害も及ぼしてはないでしょう」

 

 「う、む……」、「それは確かに」と貴族達は少しだけ安心する。トータスにおいて、魔物や魔人族、さもなくば天災の類いで街や村が壊滅するのは珍しくなどない。ここにいる彼等にとって、自分の領地ではない都市や街が被害に遭おうが対岸の火事の様に受け止められていた。

 そんな自分達の事しか頭に無い貴族達を見ながら、イシュタルはさも憂いている様な表情を見せながら呟く。

 

「魔人族達の目指す先、アンカジ公国は聖戦遠征軍の結成において、最後まで協力的ではありませんでした。きっと神も、その事に御怒りになってこの様な仕打ちをなさったのでしょう」

「そ、そうでしたな! ゼンゲン公は病気を理由に出兵を拒んでおられましたからな!」

「人間族が一致団結しなくてはならない時なのに、なんと身勝手な! 神が御怒りになるのも当然だ!」

「民など所詮は雨後のキノコの様に勝手に生えるというのに、何をそんなに躊躇していたのか………」

「伝染病が蔓延したなどと言っていたが、私の領土ではそんな事は無かった! ゼンゲン公の統治に問題があったのだろう!」

 

 貴族達は次々と“遠征軍に協力的でなかったアンカジ公国領主”について、好き勝手な批判中傷を言い出した。自分達は何も悪い事はしていないのに、まるで彼のせいでエヒト神の怒りを買ったとでも言いたげな有様だ。

 

「皆様、そこまでにしておきましょう。ゼンゲン公は()()()()()()()を考えて、道を誤ったのですから。まずはこれ以上、天使が魔人族を選んだなどという根も葉もない噂が流れぬ様に箝口令を敷くべきでしょう。それと魔人族の軍を捨て置く事は出来ませぬ。今こそ、聖戦遠征軍を動かすべきでしょう」

「おお、そうですな! その為の遠征軍でしょう!」

 

 国王や貴族達は希望を見出した様に表情を明るくさせた。こんな時の為の聖戦遠征軍であり、光輝が率いる“光の戦士団”なのだ。彼等の目が一斉に総指揮官であるムタロに向けられる。

 

「ムタロ・インパール。“光の戦士団”や聖戦遠征軍の準備は万端であろうな?」

「は………はっ、陛下! 私の教え子である光輝とその他の者達は真面目に訓練に取り組んでおり……えー、とにかく大丈夫ですとも!」

 

 エリヒド王の質問にムタロが答えるが、その目線は泳いでいて何処か落ち着きがなかった。

 ———それもその筈。ムタロは総指揮官という立場にいながら、遠征軍や“光の戦士団”の現状をほとんど把握していなかった。最近の彼は賄賂を贈ってくる貴族達の接待を受ける事に忙しく、面倒な書類仕事なども身分がずっと低い部下達に丸投げしている為に御飾り以下の総指揮官という有様だったのだ。

 しかし、エヒトルジュエによって判断力が狂ってしまったエリヒド王の目は、ムタロの挙動不審な態度すら見抜けないくらいに曇ってしまっていた。

 

「今こそ、勇者・天之河光輝が率いる“光の戦士団”で邪悪な魔人族を討つべき時である! 天使の姿をした魔物の軍勢など何するものぞ! 我らにはエヒト神より選ばれし“神の使徒”がついている!」

 

 エリヒド王の力強い発言に貴族達は「おお!」と沸く。

 

「ついてはムタロよ、そなたは“光の戦士団”並びに聖戦遠征軍を率いて邪悪なる魔人族の軍勢を討つのだ!」

「は………はっ! 陛下、御意のままに」

「お待ち下され、陛下」

 

 ムタロが額に脂汗を流しながら頷く。全容を全く把握してすらない軍をこれから動かすのには、かなり時間がかかるだろう。しかし、まるで助け船を出すかの様なタイミングでイシュタルが割って入った。

 

「今や聖戦遠征軍は十三万を超える大所帯。各地の練兵場より集めるにも、少し時間がかかるでしょう」

「じゅ、十三万?………あ、いえ! そうですとも! なにせ大所帯でありますから、はい!」

 

 今、初めて総数を把握した様子のムタロだが、それがバレない様に慌てて頷いていた。そんなムタロを顧みる事なく、イシュタルはさらに続けた。

 

「勇者・光輝様の名の下に各地より王都に集結させ、それから魔人族の軍勢に立ち向かった方がよろしいでしょう。万が一、光輝様の身に何かあったら、遠征軍そのものの士気に関わりますからな」

「だが、イシュタル大司教。アンカジ公国は如何とする? 魔人族の軍勢は律儀に待ってはくれないですぞ」

「何も見捨てるわけではありませぬ。確か近くに元・騎士団長のメルド・ロギンス率いる国境警備隊がいた筈でしたな」

「おお、あのメルド・ロギンスか!」

「そして彼の下には光輝様と同じ“神の使徒”が数名いた筈です。“神の使徒”様方の力はまさに一騎当千。彼等ならば、きっと遠征軍が着くまでの時間を稼いでくれるでしょう」

 

 「おお、確かに」、「さすがはイシュタル大司教」と貴族達は追従する。もっとも彼等は軍事に詳しいわけではなく、イシュタルの御機嫌取りの為にもっともらしく頷いているだけなのだが。

 

「うむ、ではその様にいたそう。ムタロよ、そなたは勇者・天之河光輝に号令を掛けさせ、王都に遠征軍全てを集結させるのだ」

「は、はっ!」

「そなた達、遠征軍の本隊が到着するまでの先遣隊として、メルド・ロギンス率いる国境警備隊に時間稼ぎを行わせるものとする! 今こそ、邪悪なる魔人族を討ち、エヒト神に我らの信仰を示すのだ!!」

 

 国王の号令に、貴族達は一斉に頭を下げる。ムタロはとりあえず時間稼ぎが出来た事に露骨にホッとした表情をしていたが、貴族達と共に頭を下げた為に誰にも気付かれていなかった。

 ただし———国王の横で、こっそりとほくそ笑むイシュタル・ドッペルゲンガーを除いて。

 

 ***

 

 会議が終わり、イシュタルは王城の廊下を歩いていた。すると前方から走り寄ってくる人影が見え、その人物に気付いたイシュタルはコピー元の記憶にあった柔和な作り笑顔になった。

 

「イシュタルさん!」

「おや、光輝様。お久しぶりですな」

「あ、はい。こちらこそ……じゃなくて! 魔人族達が動き始めたというのは本当ですか!?」

 

 イシュタルの柔和な笑顔に流されかけた光輝だが、その表情はいつもより厳しかった。さすがの光輝にも、魔人族達がアンカジ公国へ侵攻しているという噂は耳に入っていた様だ。そんな光輝に対して、イシュタルは世を憂う聖人の様な表情を作ってみせた。

 

「残念ながら、本当の様です。既にアンカジ公国領内の街のいくつかは犠牲になってしまったとか………」

「そんな………クソ、邪悪な魔人族達め! 平和に暮らしているだけの人々を手に掛けるなんて!」

 

 義憤に満ちた表情を見せる光輝。その姿はまさしく非道を許さない正義の勇者(ヒーロー)そのものだった。

 

「イシュタルさん! どうか俺に行かせて下さい! 俺はこの世界の人達を救う為に勇者になったんです! これ以上、魔人族達による犠牲者を増やすわけにいかない!」

「お待ち下さい、光輝様。ここはどうか冷静に。魔人族の軍勢には、天使らしき者もいると聞きます」

「そんなのデタラメに決まっているじゃないですか! この世界の神様が、こんな非道な事をする魔人族達に味方するわけがありません!」

 

 イシュタルは心の中でニンマリと笑った。この道化の勇者は、自分のご都合主義な考えをさも自信ありげに周りに演説するのだ。最近、“光の戦士団”の団員達が横暴な振る舞いをして国民から失望されてきているとはいえ、彼が勝手に演説してくれれば国民達は、まさか本当に天使が魔人族に味方したとは思わないだろう。

 

(どこまでも、どこまでも思惑通りに滑稽に踊り続ける人形だ。だからこそ、至高の御方はこの人間を未だに始末されないのだろう)

 

 先の先まで読んでいる死の支配者の叡智と計略に敬服しながらも、イシュタルは柔和な笑みのまま優しく語りかける。

 

「落ち着いて下され、光輝様。先程の会議で、アンカジ公国へ救援を送る事が決定致しました。とはいえ、救援となる遠征軍を送るにも少しばかり時間がかかるというもの。そこで、かつて光輝様方の教官であったメルド・ロギンス殿が率いる隊に先行して貰う事になったのですよ。彼の強さは光輝様もご存知でしょう?」

「メルドさんですか? それはまあ………」

「ですから、光輝様は今は決戦の時まで英気を養って下さいませ。そうですな………天使の偽者について民達に動揺が広がっておりますから、彼等の不安を和らげる様に周りにお話しして下さいませぬか?」

 

 イシュタルが優しく説得すると、光輝はどこか納得がいかないながらもようやく頷いた。

 

「分かりました。メルドさんがいるなら、大丈夫とは思いますけど………でも、出来る限りメルドさんやアンカジ公国の人達を助けに行ける様にして下さい。それまで俺も、出来る限りの事はしますから!」

「ええ、もちろん」

 

 イシュタルが頷くのを見て、光輝は立ち去った。その後ろ姿を見て———イシュタル・ドッペルゲンガーは悪魔の様な笑顔(嘲笑)を浮かべた。

 

「どうか出番がある時まで踊り続けて下さい、勇者様。もっとも、貴方の出番が来る頃には魔人族の国など無くなっているでしょうがね?」

 

***

 

「待ってくれ、陛下は本気でこれを命令されたのか?」

 

 ハイリヒ王国の国境沿い。メルドは渡された司令書を信じられない思いで見つめていた。それに対し、王城からの伝令は尊大な態度を崩さずに高圧的に言い放つ。

 

「国王陛下並びにイシュタル大司教からの御命令だ! 速やかに実行する様に!」

「いや、待て! 魔人族は推定でも十五万以上の軍勢に対して、俺の隊は千人しかいないんだぞ! いくら重吾達が“神の使徒”といっても、これだけの数でアンカジ公国の兵達と共に魔人族達の足止めをしろなんて無茶だ! せめて王都から援軍を———」

「私の知った話ではない! 確かに司令書は渡したぞ! いいな、速やかに命令を実行しろ!」

 

 まさにお役所仕事という有様で、伝令は言いたい事だけ言って立ち去った。

 メルドはまさに“これから死にに行け”と言われたも同然の司令書を握り締め———。

 

「ふ………ふざけるなああああっ!!」

 

 拳を力の限り、壁に叩きつけた。




 というわけで、ハイリヒ王国はイシュタル・ドッペルゲンガーによってアンカジ公国にはロクに援軍を送らない事になりましたとさ。
 ついでに光輝が「魔人族の天使はデタラメ」と国民を安心させようと広めるらしいけど………もしもこれが嘘だったら、稀代の狼少年になっとしまうねえ?

>メルドさん

 敢えて主語は言わないけど………そろそろ、片しておこうかなぁと思って。


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第百十話「魔導国の援軍」

 とあるソシャゲ事情で少し遅くなりました。バレンタインイベントが始まったから、また次回も遅くなるかもですが。しかし、呼符で来たは都市伝説じゃなかったのか……(その前のククルカンで三万使ってるけどw)


「無茶だろ………無理に決まってるだろ、そんなの!!」

 

 永山はメルドから聞いた王室からの命令に呆然としながらも叫び声を上げた。室内には野村や吉野、辻のメルドの下へ左遷された“神の使徒”達がいたが、皆一様に真っ青な顔色になっていた。

 

「俺達だけで魔人族の軍勢を相手にしろって! 出来るわけねえよ!」

「………正確には光輝達を含めた聖戦遠征軍が来るまでだ。何も馬鹿正直に相手をしろというわけじゃない」

 

 そう言ったものの、メルド自身もこの任務がいかに不可能に近いか分かっていた。

 聖戦遠征軍の様な大所帯は号令をかけるだけでもかなり時間がかかる。王都からアンカジ公国まで到着するのに、どんなに頑張っても行軍は一ヵ月以上は掛かるだろう。

 

「ここでも天之河かよ………俺達はアイツの為の捨て駒じゃねえんだぞ!」

「私達………今度こそ死んじゃうよね?」

 

 光輝の為に時間稼ぎをしろ、という命令に野村が憤慨する中、吉野は震える声でポツリと呟いた。恐怖に震える吉野の手を辻はそっと握った。

 王都に残っているクラスメイト達から追い出される形でメルドが左遷された土地に来て以来、ほぼ毎日が激戦だった。王都にいた時は自由に使えていた宝物庫の武器も取り上げられ、一般の兵士と同じ普通の装備に格下げされても“神の使徒”としての高いステータスとメルドの訓練で上がった戦闘技術があったから今日まで誰も死ぬ事なく戦えていた。

 だが、今回はいつもとは違う。襲撃された街の生存者や遠くから偵察した者達の証言から推測された魔人族の軍は十五万以上。しかも戦闘力が桁違いな天使らしき者まで大勢いるという。

 対してメルド達は永山達を入れても千人程度。あまりにも絶望的過ぎる人数差だ。

 

(おそらく上層部(うえ)は………アンカジを切り捨てる気なのだろうな)

 

 十三万人を超える聖戦遠征軍は、今は王都に集結させる様に命令が下ったらしい。遠征軍全てが集まった後に一丸となって魔人族軍に当たると説明されたが、メルドには王国だけの守りを固めている様にしか見えなかった。となれば自分達は、王国の他の貴族達に対して『決して公国を見捨てようとしたわけではない』というポーズの為に送られる捨て駒か。

 

「重吾、健太郎、綾子、真央………」

 

 メルドは自分が長く接してきた教え子達の名前をゆっくりと呼ぶ。そして———頭を深く下げた。

 

「すまなかった………元々、これは俺達の世界の戦いだ。異世界で平和な暮らしをしていたお前達には何の関係もない事だ。巻き込んで済まなかった」

「メルドさん………」

「………お前達は戦死扱いにしておく。だからお前達は自由だ。これ以上、無謀な戦いに付き合う必要などない」

 

 覚悟を決めた顔でメルドは告げる。メルドは騎士だ。たとえ今の状況が王から不遇の扱いを受けているとしても、祖国の為に戦うと誓って騎士叙勲を受けた以上は力無き民の為に身体を張るのは当然だと思っている。

 しかし、永山達は違う。話でしか聞いた事は無いが、彼等は剣を持たずに生きていける様な平和な国で生まれ育ち、エヒト神によって突然トータスに連れて来られたのだ。今まで強力なステータスに頼って共に戦って貰ってきたが、今回の様な死地に飛び込む様な任務にまで付き合わせる道理など無い筈だ。

 

「どうか達者でな。お前達が元の世界に帰れる事を祈っている」

 

 それ以上に———メルドは永山達に対して情が芽生えていた。管理不行届きで“神の使徒”を二人も死なせて左遷されたというのに、未だに自分を教官として慕ってくれた彼等にただの教え子以上の親愛感が芽生えたのだ。だからこそ永山達を無為に死なせたくはないと思っていた。

 しかし———そんな風に情に芽生えたのはメルドだけではなかった。永山達はお互いの顔を見合わせて、頷き合った。

 

「メルドさん、俺達にも戦わせて下さい!」

 

 永山がはっきりと宣言する。その表情は召喚された直後の周りの空気に流されるだけの少年ではなく、一端に精悍な顔付きになっていた。

 

「無謀な戦いだとは分かってはいるけど………俺だって、メルドさんに無惨に死んで欲しくは無えんだ!」

「天之河なんかの為に戦うのは御免だけど、メルドさんや隊の仲間達の為に戦わせてくれよ!」

「ここで逃げても、脱走兵扱いされて王国に裁かれちゃいそうだもんね」

「どうせお先真っ暗なら………私はメルドさん達の為に戦いたいです!」

 

 永山達もまた、情が芽生えていた。

 光輝達に口答えしたという程度の理由で辺境に飛ばされ、“神の使徒”として周りがチヤホヤされる暮らしぶりから一転して命懸けの毎日となった。しかし、そんな永山達が生き残れる様にメルドは常に本気で生き残る為の技術を教えてくれた。

 メルドの隊の兵士達も同様だ。彼等も永山達が“神の使徒”だからと色眼鏡で見る事なく、同じ釜の飯を食う戦友として接してくれた。

 

「確かにさ………俺達は平和な日本から来て、たまたまチート能力を貰っただけのガキに過ぎねえのかもしれないけど。でも、恩師達を平気で見捨てる様な屑にもなりたく無えんだ」

「お前達っ………」

 

 メルドは感極まった様に涙を堪える。メルドがまだ王都にいた頃は、クラスメイト達はステータスは高けれど精神面に不安が残る者が多かった。しかし、今の永山達は一端の戦士としての風格を身に付け、騎士道精神に則る精神性まで目覚めさせてくれていた。教官として自分は無能だったと思っていたメルドにとって、それは望外の褒美だった。

 

「すまないっ……すまないっ……!」

「っ、へへ。泣かないで下さいよ、メルドさん。泣くのは、勝ってからにしようぜ!」

「そういう重吾君だって! あ、あれ? 何か私も目にゴミが入ったかも」

「ああ、もう泣け泣け! 俺達はみんな馬鹿ばっかりだ!」

「も、もう健太郎君ってば! そんな事ばかり言って!」

 

 教え子の成長を涙を流して喜ぶメルドに、永山達も貰い泣きしていた。

 自分達は、これから死戦へと身を投じる。恐怖が無いわけではない。それでも、彼等はお互いの為に戦う事を決心して心は一つとなっていた。

 

 ***

 

 数日後———メルド達はアンカジ公国に到着していた。魔人族軍より少人数である為に行軍速度は上回ったのか、どうにか魔人族軍が来る前に間に合った様だ。そして領主であるランズィ=フォウワード=ゼンゲンと謁見したが………。

 

「領主の人………あまり嬉しそうじゃなかったね」

「気にするな。ゼンゲン公も、お前達が来てくれた事に感謝はしているさ」

 

 少しだけ気落ちした様に呟く辻に、メルドは慰めた。

 

「まあ………向こうさんの気持ちも分からなくも無いけどなぁ」

 

 その隣で野村も小さく溜め息を吐いた。

 ハイリヒ王国からの援軍として軍の総責任者であるメルドと共にランズィに挨拶に行った永山達だったが、ランズィは表面上は丁寧に対応したものの目には失望の色を隠せていなかった。

 

「そりゃ俺だって十五万の敵に対して千人でどうすんの? と聞きたくなるわ」

「せめて俺達がもう少しマシな格好だったら、領主様も少しは安心したのかねぇ?」

 

 永山達はメルドにエヒト神が異世界から召喚した“神の使徒”と紹介されたが、それでもランズィの反応はあまり良くなかった。王宮の宝物庫の装備を自由に使えた時はまだ“神の使徒”に相応しい格好が出来たが、光輝達や王国の上層部に嫌われた彼等は宝物庫の装備を借り受けられなくなっていたのだ、

 今、永山達が身に付けているのは王国の一般の兵士と同じ普通の鎧や武器だ。永山達の事を知らなければ、まだ兵士になりたての若者にしか見えない。その事もあってか、ランズィは「王国に長年尽くし、今や公国は風前の灯だというのにこの程度の兵しか寄越してくれないのか………」と本格的に気落ちしてしまったのだ。

 

「なに、大事なのは中身だ。俺はお前達こそが、最高の戦士達だと胸を張って言えるさ」

「でもさ、メルドさん。マジでどうする? 最初はアンカジ公国に籠城しながら王国からの援軍を待つという作戦だったけど、それは難しいと言われちゃったし………」

 

 永山の指摘にメルドも押し黙ってしまう。さすがにメルドも圧倒的な兵力差がある中で正面から戦おうとは思っていなかった。アンカジ公国の首都に全兵士を入れて守備を固めた上で、どうにか王国から援軍を引き出す為に消極的な籠城戦に持ち込もうと考えていた。

 ところが、それは領主のランズィから伝えられた情報で棄却せざるを得なくなっていた。

 公国はメルド達の予想を遥かに下回るくらいに食糧事情が芳しくなかった。これは先の伝染病で働き手の数が著しく減り、おまけに備蓄していた食糧も聖戦遠征軍によって徴収されてしまった為だ。伝染病は通りすがりの冒険者によって解決したらしいが、国民達は今もどうにか飢えをしのぐ生活をしているのだ。この上で千人の兵士を入れての籠城など出来よう筈が無い。

 

「こんな所でも天之河がやった事で苦しめられるわけか。マジであいつ、厄病神なんじゃね?」

「………言うなよ。あんな奴について行けば問題無い、とか思っていた過去の俺を殴り飛ばしたくなるから」

 

 光輝が設立を宣言した聖戦遠征軍。それによって自分達はおろか、公国の人間まで苦しんでいるという現状に永山と野村は重い溜め息を吐いてしまう。そんな二人に対して、メルドも口を固く閉ざすしかなかった。それはともかく、メルドがどうするべきかと悩み始めた矢先だった。

 

「うん? 急に城内が騒がしくなったぞ」

 

 メルドが見渡すとアンカジ公国に残っている警備兵達が慌てて門へと向かって行く。まさか魔人族達がもう来たのか、と嫌な予感がしてきたメルドはすぐに近くの警備兵を呼び止めた。警備兵の一人はハイリヒ王国の紋章が刻まれた鎧のメルド達がこの場にいる事に驚きながらも足を止めた。

 

「おい、一体何があった? 魔人族軍が到着したのか?」

「いえ、違います! 領主御子息のビィズ様がお帰りになられました! それも我が国の救援を引き連れて!」

 

 警備兵の発言にメルド達は驚いた。今まさにメルド達の少ない戦力でどうするべきか考えていた所に齎された朗報に、喜びより驚きの方が先に出た。

 

「救援だと? もしかして王国………聖戦遠征軍が来てくれたのか!」

「いえ、違います!」

「何? じゃあ、一体どこの軍だ? まさか帝国か?」

 

 怪訝な顔になりながらメルドは聞いた。しかし、アンカジ公国の警備兵もまた怪訝な顔になっていた。

 

「私も話を聞いただけで詳細を存じ上げないのですが………なんでも、魔導国という国からだそうです!」

「魔導国………?」

 

***

 

 黒い馬車がビィズ達に先導され、城の門から入って来る。その馬車はかつてメルドがエリヒド王の護衛を務めた時に見た馬車よりも立派で、驚くべき事に御者がいなくても馬は行くべき方向が分かっているかの様に進んでいた。

 

「あれが魔導国か………」

 

 領主のランズィが援軍を送ってくれた魔導国の馬車を出迎える為、メルド達も頼み込んで魔導国の馬車を迎える参列に加えて貰ったのだ。

 

「メルドさん、魔導国って何処の国なんですか? 王宮での座学で習った時に聞いた覚えは無かったと思うんですけど………」

「私も詳しくは知らないが………元々は亜人族達の国フェアベルゲンが改名したらしいな」

 

 小声で聞いてくる永山にメルドもこっそりと答える。もっとも、彼等は辺境の前戦地に左遷されていた為に魔導国についての知識は先程ランズィに尋ねて知ったくらいだった。詳細の分からない国だが、アンカジ公国に援軍を送ってくれたならば自分達と共に戦う事になるだろう。そう思い、メルドは相手を確認する意味合いも含めて出迎えの参列に加えて貰った。

 

「ね、ねえ………あの馬、普通の馬じゃない気がするのは気のせいだよね?」

 

 吉野がこっそりと魔導国の馬車の馬を指差す。

 それは果たして馬と呼べるのか? 馬車を引いていた生き物は形こそ馬に近いが、近付いて来た姿は馬の割には筋骨隆々としており、全身を爬虫類の様な鱗で覆われていた。「グルルル」と唸る口の隙間からは鋭い牙まで覗いている。

 まるで暴力を形にした様な馬にメルド達の警戒心が上がる。そんな中、馬から降りたビィズは出迎えの兵達に告げた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国国王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が参られた!」

 

 その一言にメルド達はおろか、公国の兵士達もざわつく。こんな戦地に一国の王が来るなど、聞き間違えたのではないかと皆がお互いの顔を見合わせる中、ビィズは声を張り上げる。

 

「各員、最上位の敬礼をもってお出迎えせよ!」

 

 ビィズの一言に公国の兵士達が慌てて敬礼の姿勢をとる。メルド達彼等にも倣って姿勢を正すと———馬車のドアが開かれた。

 

「アインズ様。到着した様でありんすぇ」

 

 最初に降り立ったのは肌がいやに白い可憐な少女だった。外見的には十四か十五歳くらいか。大人の階段を昇り始めた可愛らしさと美しさの境界を見事なバランスで保った彼女は絶世の美女という単語すらも陳腐に思える様な端正な顔立ちをしており、この場には似つかわしくない漆黒のボールガウンを着ていた。しかし、少女の醸し出す雰囲気が場を舞踏会の会場の様に錯覚させた。

 

「ありがとう。シャルティア」

 

 続いて馬車から姿を見せる者が現れた途端———空気が軋んだ。

 鳥肌がメルド達の身体を覆う。殺気とは異なる、形容しがたい気配が満ちた。

 馬車から現れたのは豪奢な漆黒のローブを首が見えないくらいにぴったりと前を閉じて着ている人物だった。手は鉄のガントレットに覆われ、宝石を咥えた七匹の蛇が絡まり合ってから黄金に変えられた様な杖を持っていた。顔は奇怪な仮面に覆われていたが、その人物から感じ取る気配の前では些細な事に思えた。

 

(あれが……魔導王………!)

 

「さて———」

 

 カツンとアインズが杖を地面につける。それだけの動作なのに、まるでドラゴンの様に巨大な魔物が身動ぎした様に感じられた。

 

「出迎えを感謝する………アンカジ公国諸君」

 

 威厳を感じさせる声が仮面の奥から響く。絶対的な支配者という立場にある事に、微塵も疑いを持たせない様な所作だった。馬車から降り立ったアインズにしばらく呆けた様に見ていたランズィだが、アインズの一言でハッとした様に頭を下げた。

 

「よ、よくぞいらして下さいました。ビィズから魔導国から救援を送って頂けると聞いておりましたが、まさか魔導王陛下御自らが来られるとは」

「そう構えなくていい。先日、同盟を結んだばかりとはいえ、アンカジ公国は魔導国の友好国だ。友の為に私自らが出向く事くらい、当然の事だとも」

 

 先程の威厳ある支配者の姿から一転して、アインズは気さくな様子で声を掛ける。それは一国の王でありながら、公国とはいえハイリヒ王国の属国の領主に過ぎないランズィを気遣った寛大な態度に見えた。

 

(これは………亜人族の国の王とはいえ、油断は出来ないぞ)

 

 メルドがアインズに対しての評価を一段上げていると、ランズィは深い敬意を顔に浮かべながら頷く。

 

「お心遣い感謝致します………もはやこの国は滅ぶ運命にあったのだと覚悟をしておりましたが、どうやらエヒト神はまだ我々をお見捨てには———」

「かの神に感謝するべきでは無いと思うぞ。ランズィ=フォウワード=ゼンゲン公。その神が遣わした天使こそが、今の我らの敵なのだから」

 

 アインズの一言にランズィは押し黙ってしまう。必死で目を逸らそうとしていた事実を改めて口に出されると、やはり気後れしてしまう様だ。

 

「横から失礼する。よろしいだろうか? 魔導王陛下。私はハイリヒ王国国境警備隊の隊長を務めるメルド・ロギンスと申す者です」

 

 暗い表情で口を閉ざしてしまったランズィに代わり、メルドは名乗り出た。

 

「メルド・ロギンス………はて、何処かで聞いた様な?」

「まずはアンカジ公国の為に陛下御自らの御出陣に感謝申し上げるが………魔導王陛下は本当にエヒト神の御遣いである天使が魔人族に味方していると信じられるのか? 私としてもさすがに信じ難いのだが」

 

 ハイリヒ王国で生まれ育ち、聖教教会の教義を子供の頃から教わってきたメルドにとって天使が魔人族に味方しているというのはとてもではないが信じられない気持ちだった。まだ天使のフリをした魔物を魔人族が従えているという方が現実味があるくらいだ。しかし、アインズは落ち着き払っていた。

 

「聖戦教会が身近だった君達にはとても拒否感があるだろう。だが、事実として魔人族達と天使の混成軍によっていくつもの街が滅んでいる。その脅威に対して、我々は抵抗しなくてはならない。申し訳ないが、私が治める亜人族達はエヒト神が祝福しなかった存在だ。エヒト神に対して信仰心など欠片も感じないな」

 

 そう言われると、メルドも何も言えなくなる。メルドは聖教教会の神官達の様に異種族排斥主義者というわけでもない。人間族の優位のみをしきりに訴える聖教教会の歪みには薄々気付いていた。メルドは聖教教会の信者としての自分の主張を隅に追いやって、実務的な話を切り出した。

 

「………魔導王陛下はどのくらいの兵を引き連れて来られたので?」

「総勢にして六万くらいだな。残念だが、魔人族軍十五万と同数にはならなかった」

 

 六万という数にメルドは疑念の表情を浮かべた。確かに魔人族軍の数に劣るとはいえ、今のメルド達にとっては心強い援軍だ。しかし、それ程の大軍ならば必ず目立つ筈だというのに周辺にそれらしき軍勢の報告は上がっていない。

 

「近日中、早ければ明後日にも魔人族軍はこちらに辿り着きます。魔導王陛下の軍勢はどちらに来ておられるので?」

「問題無い。すぐに来られるからな」

 

 アインズがそう言うと、後ろに控えているシャルティアと呼ばれていた少女が不敵な笑みを浮かべていた。

 

「ただ、私の軍については参戦のタイミングを合わせたい。最初の一撃に巻き込まれてしまっては、元も子も無いからな」

「最初の一撃?」

 

 ああ、とアインズは頷く。その瞬間———何故かメルドの背筋に冷たいものが走った。

 

「超位魔法———私の切り札の一つで、戦端を切らせて貰いたい」




>永山達

 光輝達や王宮から鼻摘み者の扱いな為、装備も普通の者しか貸して貰えてないです。見た目は完全に新米兵士。まあ、そのおかげでとある御方に友人の息子を虐めた集団の一人だと気付かれなかったから結果オーライ。

>最初の一撃

 ………原作を知ってる人は、知らない人の為にここは知らないフリをしてあげて下さい。
 そりゃあね。六万VS十五万なんて人数差(not戦力差)があり過ぎるじゃないですか? 
 
 だからさ———最初の一撃で、とにかく数を削らないとね?


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第百十一話「黒き豊穣への贄」

 魔王さんからお手紙着いた♪
 黒山羊さんったら、皆を食べた♪
 仕方がないので皆殺しにしよう♪
 あなたの遺言、なあに?


 砂漠の平野を魔人族の軍勢が進む。

 魔人族の軍勢は数にして約五万。種族としての総人口は人間族に劣る為、聖戦遠征軍に比べると半分にも満たない。しかし、生まれながらにして魔力の扱いに長けている魔人族達は言わば全員が練達の魔法師であり、普通の人間族よりもステータスに恵まれていた。事実、過去の聖戦遠征軍十八万に対して魔人族軍六万で食い止めた事がある程だ。

 加えて魔人族の国は軍人社会だ。農民達を徴兵して構成される聖戦遠征軍と違い、魔人族達は国民全員が兵役として戦闘訓練の経験がある者ばかりだった。武器を持っただけの人間族の農民と戦闘訓練をしっかりと施された魔人族とでは、どちらに分があるかは明白だろう。

 とはいえ、やはり兵力差というのは大きな要因だった。今までの両種族間の戦争は質で勝る魔人族軍に、数で勝る人間族軍が農民兵達で人海戦術を仕掛け、両者共に損害が大きくなって疲弊したら停戦するという流れだった。

 しかし、今回は例年通りにはならなかった。

 

「間も無くアンカジ公国に着くぞ!」

 

 先導部隊の魔人族の将校が声を張り上げる。

 

「これより我らの歴史に輝かしい一ページが刻まれる! 我らを迫害してきた邪悪な人間族の国を滅ぼすのだ!」

『おおっ!!』

 

 魔人国ガーランドからかなりの長旅となっているのが、魔人族の兵達に疲労感は見られない。彼等は士気高く、勇ましい足取りで行軍していた。その理由は———彼等の頭上にあった。

 

「この戦には我らの魔王陛下———否! 魔神アルヴヘイト様と天の御遣い達がついていて下さる! 案ずるな! 天は我ら魔人族をお選びになられたのだ!」

『おおおおおおっ!!』

 

 魔人族軍の頭上———そこに魔人族とは明らかに異なる人型の生物がいた。全員が輝く白銀の甲冑を着た女性であり、顔付きは美しいが皆一様に同じ顔で見分けがつかない程だ。彼女達は背中から生やした白い翼で飛び、まるで魔人族達を見守る様に併走していた。

 その数は約十万。魔人族達より多く、さらに強大な力を持った彼女達が自分達の味方であるという事実が魔人族達に高い士気を与えていた。

 

『アルヴヘイト様万歳! 天使様万歳! アルヴヘイト様万歳! 天使様万歳!』

 

 総勢十五万の大行軍。魔人族達は声高らかに歓声を上げながら進軍していく。そんな魔人族達を天使達は無表情に見下ろしていた。

 

 ***

 

「アルヴヘイト様。間も無く、アンカジ公国の首都に辿り着きます」

 

 魔人族の行軍の中で後方の中枢。司令部が固まる場所で、ノイントが話し掛ける。その人物は戦場でありながら機動力を重視した馬などではなく、貴人や神聖な物を運ぶ様な御輿に乗っていた。歴戦の軍人がいれば緊張感に欠けると眉を顰めるだろうが、その事に言及する魔人族など一人もいない。何故ならば、神輿に乗るのがまさしく()()()()()だからだ。

 

「ようやくか。どうだ? 人間共に何か動きはあるか?」

「はっ。人間達は結界の外周部に軍を展開させています。その数は千人程度です」

「王国からの援軍か? やっと王国にエヒトルジュエ様の意向を直接伝える事が出来そうだな。しかし、たったの千人とはな!」

 

 神輿に乗る人物———現・魔王にして、魔人族達の神・アルヴヘイトは邪悪な笑みを浮かべた。アルヴヘイトの神輿はノイントの姉妹達が担ぎ、さらにはアルヴヘイトを守護する様に周りを固めていた。それを魔人族達は「やはり天は我らの魔王陛下に祝福を与えたのだ!」と浮かれている為に会話を聞かれる可能性は皆無だった。

 

「ククク、エヒトルジュエ様には改めて感謝を申し上げねばならないな。よもや神域にいた“使徒”のほとんどを動員させて下さるとは」

 

 今回の魔人族の大行軍で、エヒトルジュエから十万体の“真の神の使徒”をアルヴヘイトは借り受けていた。これは現在の“盤上遊び”に飽きたエヒトルジュエが、どうせ最後になるならば盛大に幕を下ろそう、という趣向で神域で作り出していた“使徒”のほぼ全てを動員させたのだ。翼を生やした美しき戦乙女達の大軍はまさに最後の審判の様だ。

 その光景にアルヴヘイトは満足感を覚えながら、輿の上から“使徒”達が味方についている事で浮かれながら行軍する魔人族達を見下ろす。

 

「フン、良い気な物だ。人間だろうと魔人族だろうと、所詮は我らが主の遊戯の駒に過ぎないのだがな」

「仰る通りです」

 

 嘲笑を浮かべるアルヴヘイトにノイントは同意した。ノイント達にとってはアルヴヘイトもエヒトルジュエの眷族に過ぎないのだが、他ならぬ自分達の主から「此度の遠征ではアルヴヘイトの指示に従え」と命令されているので、アルヴヘイトの従者の様に振る舞っていた。もっとも、エヒトルジュエの命令を実行する為だけに作られたノイントにはアルヴヘイトの様に豊かな感情表現は見せなかった。

 ノイント(人形)の反応に然程興味を持たず、アルヴヘイトは偉大なる主が描いたシナリオ通りに進んでいる事態に満足感を覚えていた。彼にとって自分を信仰している魔人族だろうと、エヒトルジュエを満足させる為の駒に過ぎなかった。

 

「せいぜい束の間の繁栄を噛み締めるが良い………この世界の全ては、我らの主の遊戯盤に過ぎぬのだからなぁ」

 

 ***

 

 時刻にして正午の頃。魔人族軍はアンカジ公国首都に辿り着いた。ドーム状の結界で覆われた首都から数キロ離れた地点で布陣した。陣形は縦は三列、横は五列に広がった単純な横陣だ。前軍に機動力のある“使徒”と魔人族の騎馬部隊が合わせて五万人、中軍には魔人族の中で広範囲攻撃魔法に長けた砲撃部隊や彼等を守護する“使徒”を合わせて五万人、そして最後方である後軍には魔人族軍を指揮する将校や精兵からなる魔人族のエリート部隊。そして大将であるアルヴヘイトと彼を護衛するノイントを含んだ“使徒”達五万人が布陣していた。

 単にアンカジ公国首都を包囲するならばもっと適した陣形があるが、ノイントから首都を守護する人間の人数を聞き、アルヴヘイトは小細工は必要無いと判断していた。何より人間達に絶望感を味わわせる為にも、分かりやすく大軍を象徴できる陣形の方が良いだろう。

 

「さて———では一仕事するとしようか。ノイント、ついて来い」

「はっ」

 

 陣形を崩さずに進み、公国首都が肉眼でも視認可能な地点まで来た所でアルヴヘイトは一旦行軍を停止させた。そして護衛となるノイントと数体の“使徒”を引き連れ、軍の先頭へと魔法で飛んだ。そこまで行くと公国首都の外縁部にいる人間達の顔も確認できる距離となり、眼下で自分を指差しながら泡を食った様に狼狽える姿に嘲笑を浮かべながらアルヴヘイトは拡声魔法を使って声を出した。

 

「聞け———下等にして、愚かなる人間族よ。我は魔人族の神アルヴヘイト」

 

 アルヴヘイトの名を告げた途端、人間達の騒めきが大きくなる。「馬鹿な!?」、「信じられない!」という叫び声が天上まで届き、アルヴヘイトはますます尊大な態度となった。

 

「ふん、仮にも神を前にして礼儀を弁えぬとはな」

 

 スゥと息を吸い、アルヴヘイトは自分の声に魔力を乗せる。

 

『アルヴヘイトの名において命ずる———跪け』

 

 次の瞬間、アルヴヘイトの“神言”によって人間達が一斉に片膝をついた。何とか身体を動かそうと身を捩る者もいるが、まるで見えない力で押さえつけられているかの様に動かなかった。

 

「ククク………む?」

 

 人間達が自分に向かって平伏する姿に優越感を覚えていたアルヴヘイトだが、視界の端に妙な物が見えた気がした。ハイリヒ王国の兵士達の後ろで仮面をしている黒いローブの人物が周りからやや遅れて片膝をついていたのだが、その人物の隣にいる真紅の全身鎧を着た少女は片膝をついた黒いローブの人物を前にオタオタとしていた。しかしアルヴヘイトが視線を向ける前に、黒いローブの人物は真紅の鎧の少女の身体を引っ張り、無理やり平伏させた。

 

(………気のせいか?)

 

 一瞬、自分の“神言”を破る者がいたのか? と思ったアルヴヘイトだが、誰も立ち上がる者がいない光景にすぐに肩をすくめた。エヒトルジュエに劣るとはいえ、神である自分に抵抗できる者など地上に現れた試しが無い。気を取り直して宣言する。

 

「まあ、良かろう。体裁だけとはいえ、神の言葉を聞く姿勢は整った様であるな。では改めて告げよう、人間達よ———死ね」

 

 アルヴヘイトの一言に、人間達が片膝をついたままどよめいた。

 

「貴様等はこの地上を穢す害虫そのものだ………一片の価値すらない」

 

 高らかに、そして尊大なまでの威厳をもってアルヴヘイトは宣言する。それはまさしく、神の宣告と呼ぶに相応しい姿だった。

 

「せめてもの情けとして、最期の抵抗を試みる機会は与えてやろう。しかし、降伏は許さん。この国ごと地上から消えよ」

 

 一方的な宣言の後に、アルヴヘイトは“神言"を解除した。人間達は強制されていた姿勢が崩れて蹌踉めく中で、言いたい事を言い終えたアルヴヘイトは背を向けて魔人族達の陣地に戻ろうとし———。

 

「お、お待ち下さい!!」

 

 人間達の中で、軍の隊長らしき中年の男が立ち去ろうとするアルヴヘイト達の背中に声を掛ける。

 

「天使様! 貴方がたは本当に我々の知る天使様なのですか!? 何故、魔人族達に味方するのですか!!」

 

 アルヴヘイトにではなく、供としているノイント達に向かって中年の男は悲痛なまでの叫び声を上げる。それは一人の信徒として、神に縋ろうとする心からの訴えだった。そんな人間をノイント達は冷酷なまでの無表情を向ける。

 

「………“天”は偽りの勇者達を持て囃す貴方達に怒り、正しき者達を祝福せよと仰られました」

 

 ビクッと中年の男性の周りにいた若い四人の兵士達の肩が震える。

 

「祈りなさい。そして神の裁きに身を委ねなさい。それが最後の審判を迎える貴方達に出来る唯一の事です」

 

 ノイントの言葉に中年の男性は力無く膝から崩れ落ちた。絶望を浮かべた人間達の表情に愉悦を覚えながら、アルヴヘイトはノイント達を引き連れて陣地へと戻っていった。

 

 ***

 

「クハハハハ!! あの人間の顔! まさしく痛烈この上ない!」

 

 自陣に戻ったアルヴヘイトは、先程の人間達の表情を思い出しながら機嫌良く笑っていた。いつの時代でも、自分達が神に見捨てられたと思って絶望する人間達ほど痛快な物はない。

 

「褒めてやろう、ノイント。よくぞあの様な台詞を思い付いたものだ!」

「ありがとうございます」

 

 上機嫌なアルヴヘイトに対して、ノイントはやはり表情を変えないままに頭を下げた。彼女はアルヴヘイトの様に愉悦感などは感じておらず、機械的に頭を下げただけだがアルヴヘイトは気にしていなかった。そんなアルヴヘイトへ、魔人族軍の将校達が近寄る。

 

「魔王陛下………いえ、アルヴヘイト様。各隊の戦闘準備が整いました」

 

 かつての称号で呼びかけ、その正体が自分達が信仰する神の化身だった事を思い出した将校は平伏しながら報告する。

 

「アンカジ公国の結界は強度が高く、我々だけでは突破に少しお時間を頂くかと存じ上げます。そこで天使様方にお力添えをして頂く様にお願い出来ないでしょうか?」

「構わん。“使徒”達が結界を破壊して後、貴様等は公国に集まった軍を蹴散らし、公国を灰に変えよ」

「はっ! それならば人間共を確実に殲滅する為に包囲網を形成致しますか?」

「いや、良い。今の陣形のまま、公国を滅ぼせ」

「しかし、今のままでは王国へと逃げる者が出るかと———」

「良い、と我は言った」

 

 もう一度、アルヴヘイトが強めに言い放つとそれ以上は反論せずに将校達は頭を下げた後に命令通りに動き出した。

 

(エヒトルジュエ様はこの魔人族の遠征の最後に、異世界より召喚した駒達が同じ人間達から糾弾される姿を見たいと仰られた。公国から生き残って、此度の“神託”を王国に伝える者がいなくてならん)

 

 果たして、その時が来たらどうなるか? 今まで自分達がエヒト神に選ばれた救世の勇者と疑っていなかった人間達が、天使達からはっきりと「偽りである」と告げられるのだ。

 「そんな事はない!」と無謀にも戦場に出てくるか、あるいはペテン師として王国や教会の人間達から裁かれるのか。エヒトルジュエが思い描いたシナリオに、アルヴヘイトも早く見たいと楽しくなり始めていた。

 そして、アンカジ公国の結界を破壊する為に前軍の“使徒”達を動かそうとし————。

 

「な………何だアレは?」

 

 次の瞬間、アンカジ公国の結界の外縁部を中心に展開されたドーム状の巨大な魔法陣に、アルヴヘイトは目を剥いた。

 

 ***

 

(やはり来たな………)

 

 魔法陣を展開したアインズは、こちらに向かって動き始めた魔人族と天使の混成軍に対して冷静に判断した。

 

(ユグドラシルでは超位魔法を使えば、転移魔法による突貫や魔法の絨毯爆撃で詠唱を妨害して来ようとする。相手は曲がりなりにも超位魔法への対処法を知っているみたいだな)

 

 縦三列の軍の内、前方の軍が向かって来る。天使達は高速で———ただし、レベル100であるアインズからすれば遅い速度だ———羽ばたき、魔人族達は天使達の後を追う様に騎馬や歩兵による突貫でアインズに向かって来る。アンカジ公国に張られた結界があるとはいえ、詠唱が終わる前に突破されてしまうだろう。

 

(まさか相手に“支配の呪言”が使える奴がいたのは予想外だった。低く見積もっても、デミウルゴス級を覚悟すべきだな)

 

 これから始めるのは、アインズにとって初めての勝算が確立していない戦いだ。ユグドラシルにおけるアインズの強さは、基本的に一戦目は捨てて相手の情報を引き出した上で勝利を掴み取るものだ。いざとなったらアンカジ公国を見捨てて逃げる事も考えた上で、この場には“転移門”を使えるシャルティアだけを連れていた。

 

(それならば———もはや加減など必要がない)

 

 アインズは手の中にある砂時計の形をしたアイテムを握り締める。ユグドラシルの課金アイテムであり、おそらくはこの世界で手に入れる事など不可能な物を———躊躇いなく握り潰した。

 

(きっと多くの魔人族達が死ぬだろうな………でも)

 

 でも、()()()()()()()()()()()()()? 

 いま、自分の心の中にあるのはナザリック地下大墳墓に所属する者達が得られる利益への追求———そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その為ならば、魔人族達がいくら死のうとアインズの心に何の痛痒も齎さないのだ。

 砕けた砂時計から零れ落ちた砂が魔法陣へと纏わりつく。その刹那———アインズの脳裏に、金髪の吸血鬼の姿が浮かんできた。

 “これが本当に貴方のしたかった事か?"

 その質問をしてきた姿に———ほんの少しだけ、アインズに躊躇いが生じた。

 

「ああ———」

 

 脳裏に浮かんだユエの言葉に、アインズは硬く拳を握り締める。

 

「これは———ナザリックの為に必要な事だ」

 

 眼前にまで迫って来た天使達。その後ろから迫る魔人族軍に、アインズは課金アイテムによって詠唱が破棄された超位魔法を使用した。

 

「超位魔法———<黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)>!!」

 

 瞬間———黒い風がアインズから吹き荒れる。

 いや、実際に風が吹いたわけではない。その証拠に迫っていた“使徒”達や魔人族達の髪は揺れ動いたりはしなかった。

 しかし、不可視の黒い風を吹いた後。

 魔人族、そして“使徒”達を含めた前軍五万。

 その命は———一瞬で奪われていた。

 

 ***

 

「な……に……が……?」

 

 魔人族軍の最後方。アルヴヘイトは眼前で起きた事態に呆然としていた。何が起きたかは、一人残らず倒れて動かない魔人族の前軍を見れば一目瞭然だ。だが、その事実を受け入れる事を頭が拒んでいた。

 

「前軍の姉妹達、応答しなさい。何が起きたか報告しなさい!」

 

 隣でノイントが前軍に布陣されていた姉妹機の“使徒”達に呼び掛ける。その表情は相変わらず無表情だったが、声は僅かながら震えていた。

 一向にノイントに返答しない前軍の“使徒”達だったが、空中にいた彼女達は一斉に動き始めた。

 

 グシャ———グシャ、グシャ。グシャ、グシャ、グシャ———。

 

 ノイントの姉妹機達は、一斉に地面へと落ちていく。彼女達はまるで殺虫剤を撒かれた虫の様に落ちていき、地面に次々と激突して肉が潰れる音が折り重なる。

 それはある意味では幻想的な光景だった。見目麗しい天使達が、何の傷もなく地面に次々と落ちていく様子に魔人族はおろか、アルヴヘイトすらも夢を見ている様な現実感の喪失を感じていた。

 次々と落ちる天使達を見ながら、呆然と空を見上げていた魔人族達だったが、ふと異変に気が付いた。

 それは前軍五万の死体が折り重なる上空———そこに黒い球体が浮かんでいた。

 闇を凝縮した黒い球体は、どんどんと大きくなっていく。しかしながら、あまりの異常事態に魔人族達は逃げるか、戦うかといった建設的な考えが思い浮かばなかった。ただ、呆けた様に口をポカンと開けて見上げる事しか出来なかった。

 やがて、大きくなった黒い球体が落ちる———まるで熟れた果実が地面に落ちる様に。

 バシャン、と水が弾ける様な音と共に黒い球体が弾け、コールタールの様にドロドロとした液体が前軍の死体全てを覆い尽くした。そして———。

 

「な………何だあれはっ!?」

 

 アルヴヘイトが金切り声を上げた。それはエヒトルジュエの眷族とはいえ、神である彼でも未知のものだった。

 コールタールの地平から、ぼこりと黒い触手が生える。それも一本や二本どころではない。まるで乱立する林の様に、天へと何本も伸びていく。

 無数の触手を生やし、小山の様な大きさの粟立つ肉塊に幾つもの口が現れ、山羊の蹄を持った五本の足で()()は大地を踏み締めた。

 

『メェェェェエエエエエエエエ!!』

 

 絶望が———五匹の山羊の産声と共に生まれた。




>アルヴヘイトの“神言"

 もちろん、アインズ様には効いてません。でも初見のアルヴヘイトに実力を悟らせない為に、効いたフリをしていました。この人、原作でも必要なら土下座して相手の油断を誘うべきと考える人なので。シャルティアは低レベルの相手しか効かない筈の“支配の呪言”にアインズが従っているのに慌てて、アインズに無理やり効いてるフリをさせられました。

>黒き豊穣への贄(イア・シュブニグラス)

 アインズの超位魔法。発動後、即死判定のある黒い風が敵陣を駆け、その時の犠牲者の数に応じてレベル90以上の「黒い仔山羊」が召喚される。どんな見た目かは、ググった方が分かりやすい。
 ユグドラシルでは二体呼べれば御の字だったが、今回は五万人の贄が捧げられた事で五体召喚された。おそらく五体が最大上限数。


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第百十二話「無慈悲なる蹂躙」

 はい、懲りもせずにナザリック無双が始まります。こんなのありふれアンチじゃん、と思う方はブラウザバックした方がストレスにならないと思います。この作品、終始こんな感じなので。


 山羊の可愛らしい、気持ち悪いくらい可愛らしい鳴き声が砂漠の平野に響き渡る。普通の人間ならば仔山羊達の可愛らしい鳴き声に微笑ましさを覚えるかもしれない———それが巨大な肉塊についた無数の口から漏れていなければ。

 目の前に現れた悍ましい五匹の化け物(仔山羊)達に、魔人族達はおろか王国の兵士達は誰一人として声を発していなかった。

 

「五体も召喚できたのか! すごいな、新記録だぞ!」

 

 その中でアインズは楽しげに笑った。

 

「これは嬉しい誤算だ。やはりこの魔法を選んで良かったな。おそらく五体も召喚できたのは古今東西でも私しかいないぞ」

 

 <黒き豊穣への貢>で召喚される『黒い仔山羊』は、ユグドラシルでは二体出れば御の字だった。まるでゲーマーがハイスコアを更新した時の様に、アインズは現れた五体の仔山羊達に無邪気に喜んでいた。数万の死者の事など、どうでも良くなっていた。

 

「しかし、もっと現れても良い筈だよなぁ………ひょっとして五体が最大上限数なのか? だとしたら、これは新発見になるだろうな」

「おめでとうございます、アインズ様! 流石は至高なる我が君でありんす!!」

「ありがとう、シャルティア」

 

 いつものドレス姿から戦装束に着替えたシャルティアの賞賛に、アインズは仮面の下で笑顔を見せていた。

 

(な、なんだよ、こいつら………なんであんな化け物を召喚して、嬉しそうなんだよ!?)

 

 兵士達に混じった永山はアインズ達の様子に恐怖を覚えていた。先程、天使から“偽りの勇者”と言われた時の衝撃などもう頭から吹き飛んでしまった。

 最前線に左遷されてから、永山達も厳しい戦いをいくつも乗り越えてきた。戦いの日々の中で、これは召喚当初に思い描いていた魔王を退治する華々しい戦いなどではなく、人同士が争い合う戦争なのだと知った。だからこそ、自分の友人や恩師であるメルド達を守る為に両手を血で染める覚悟もしてきたつもりだった。たとえ仲間達やメルドが目の前で魔人族を殺したとしても、その事を責める言動はしないと心に誓っていた。

 だが、いま目の前で行われた事はそんな永山の覚悟など容易く打ち砕いた。

 地平線を覆い尽くすほどの大軍が、空を覆う程にいた天使達が。黒いローブの人物が放った魔法で全体の三分の一は死んだ。そして数万の死体を覆い尽くした黒い泥から、巨大な悍ましい化け物達が現れた。その巨体は数キロは離れている永山の目でもはっきりと分かる程だ。

 ガチャガチャ———隣から聞こえてきた音に永山は目を向けた。そこには自分と同じ兵士の鎧を着た野村がはっきりと分かる程に震えていた。よくよく聞けば、その音は周りの兵士達からもしていた。自分達の恩師であるメルドすらも震えている姿に、永山はどうかあのローブの人物の力が頭上に落ちて来ない様にと祈り出していた。

 

「まずは———頭数を減らすのが先だな」

 

 アインズの呟きに、永山の肩が大袈裟なくらいビクッと震える。決して自分達に向けられたものではないと理解しながらも、まるで死刑宣告を読み上げられた様に恐怖が湧き上がったのだ。

 

「追撃の一手を開始せよ。可愛らしい仔山羊達よ」

 

 ***

 

「なぁ……あれ、夢だよな?」

 

 異形の魔を遠くに、魔人族の一人が呟く。しかし、答える者はいなかった。誰もが前軍にいた同胞や天使達を喰らうようにして現れた五体の仔山羊達を見て魂が抜け出た様に呆然としていた。

 

「なぁ、夢なんだよな? 俺達、夢を見ているんだよなぁ!?」

 

 魔人族の一人は半狂乱になりながら喚き声を上げる。

 あり得ない。信じたくない。

 そんな想いが込められた叫びに、隣にいた同僚がポツリと返した。

 

「ああ。きっと俺達は、目を開けたまま悪夢を見ているんだ」

 

 それは半ば以上に現実を逃避した様な呟きだった。

 フリードが存命だった頃、様々な魔物を自軍として使役していた魔人族達だったが、そんな彼等をもってしても目の前の魔物はサイズも存在感も異常過ぎた。ましてや自分達を守護していた天使達すらも殺した後に出てきた魔物が、ただの魔物である筈が無い。徐々に近付いてくる姿を見ても、魔人族達は巨大な竜巻を前にした様に武器を構える事なく棒立ちで見つめていた。

 

「武器を構えよ!!」

 

 音程の狂った声が響く。血走った目で中軍の一隊を指揮するミハイルは周りの兵士達に怒鳴っていた。

 

「武器を構えよ! た、助かりたくば、ぶきじゃまえよ!!」

 

 錯乱のあまりに本人ですら何を言っているか分からない様だが、とりあえず「武器を構えろ」と言っている事はなんとなく分かった。それがこの場で最も正しい判断だという事も。

 中軍の魔人族の兵士達は一斉に先端が尖った錫杖を構える。中軍は前衛となる前軍を支援する為に、攻撃や補助の種類を問わない魔法のエキスパート達で構成されていた。人間族よりも遥かに高い魔力を持った彼等は、トータスで随一の火力を誇る部隊と言って良いだろう。魔力を高めて詠唱を始める彼等を守る様に“使徒”達が前に出た。

 

「見よ! 我らにはまだ天使様達がついている!」

 

 守護天使の様に上空に並んだ“使徒”達の姿に落ち着きを取り戻したのか、ミハイルは先程よりは聞き取りやすい声で部下達を鼓舞した。“使徒”達も魔法の詠唱を始めた姿を見て、ミハイルはどんどんと近付いて来る異形の仔山羊達から逃げ出したい気持ちに懸命に蓋をして指示を出した。

 

「天使様達に合わせて、最大火力を叩き込め! 臆するな! 我らは世界一の魔法部隊だ!」

 

 勇ましい言葉に中軍の兵士達は自分自身を鼓舞しながら、頭の血管が切れるのではないかと思うくらいに精神を集中させて詠唱する。

 きっと大丈夫。自分達の魔法は今までも人間族の軍をいくつも焼き殺したし、天使達だってついている。

 そう思いながら目を閉じて詠唱する様子は、まるで神に対して懸命に祈ろうとする姿に似ていた。

 

『メェェェエエエエエエッ!!』

 

 ついさっきまで遠くに見えていた仔山羊達が、もはや歩く度に地響きを感じる距離まで迫っていた。鈍重そうな見た目で、五本の足を懸命に動かしている姿はけっして素早そうには見えないのに、見上げる程の巨体の前ではそんな事はまるで関係無い様に思えた。

 小山の様に巨大な仔山羊達を前にしても、“使徒”達は臆する様子もなく羽を広げて魔法陣を目の前に一斉に展開する。恐怖を感じないかの様に異形の化け物に立ち向かう天の遣い達の姿に、魔人族達もなけなしの勇気を振り絞った。

 

『———“劫火浪”!』

「撃てええぇぇっ!!」

『“極大・爆炎竜”!!』

 

 “使徒”達が魔法を撃ったタイミングを見計らい、魔人族達も魔法を撃った。“使徒”達の巨大な炎の津波と、魔人族達が力を合わせて詠唱して作り上げた爆炎の巨大な竜が異形の仔山羊達に放たれた。街一つを塵も残さずに燃やし尽くす火力が仔山羊達を呑み込む、辺り一面の温度を一気に上昇させた。

 

「こ、これならさすがにあのデカブツも………」

 

 轟轟と立ち込める火柱に、ミハイルは汗を流しながら自分を安心させる様に呟く。その汗が冷たく感じる気がしたが、きっと炎の魔法で一気に上がったせいだと言い聞かせた。部下達も、化け物は自分達の魔法で焼け死んだと安堵し始め———。

 

 ビュンッ!!   ビチャッ!!

 

 巨大な風切り音がしたと思ったら、何か生暖かい液体がミハイルの顔にかかった。

 不思議に思い、ミハイルが顔を拭って手を見てみると、それは赤い血だった。

 どうしてこんなものが空から、と思いながらミハイルが空を見上げると———前方の上空にいた“使徒”達の死体が、バラバラと降ってきた。

 

「………………はぁ?」

 

 思わず間の抜けた声を出すミハイルだったが、そんな事をしている間にも火柱から黒い触手が鞭の様に伸びて、上空にいた“使徒”達を次々と打ち据え、その衝撃で“使徒”達は手足や胴をバラバラにされて墜落していく。

 

「はああああああああっ!!」

 

 姉妹達が次々と落とされていく様子を見た一人の“使徒”が、双剣を振り翳して触手へと飛んで行く。その身体は“限界突破”の様な輝きに覆われ、手にした双剣も銀色の魔力に覆われていた。

 これこそは“真の神の使徒”の固有魔法の“分解”だ。その名の通りに触れる物全てを分解させる魔法は、彼女達が主であるエヒトルジュエやその眷族のアルヴヘイトを除いて、トータスで最強の生物として君臨してきた要因でもあった。

 銀色の魔力を全身から輝かせながら、“使徒”は黒い触手へと向かう。

 その姿は邪悪な存在に鉄槌を下す天使を描いた宗教画の様だった。

 

 だが———忘れてはならない、“真の神の使徒”よ。

 魔法の大原則として、神秘はより強い神秘の前では脆く崩れ去るという事を。

 

 パシッと、軽く摘む様に触手が突進してきた“使徒”に絡み付いた。

 そして———金属を潰す様な音が辺りに響いた。

 

「ガッ———!?」

 

 鎧ごと内臓を圧し潰された“使徒”が血反吐を吐く。それでも残された力で銀色の魔力を纏った剣を触手に突き立てるが、“分解”の固有魔法が付与された筈の剣は、まるで硬いゴムの様に触手に突き刺さりもしなかった。

 超位魔法・“黒き豊穣への貢"。

 異形の黒き豊穣神の仔共である黒山羊達は、神の遣いを模して作られただけの戦乙女達より遥かに強力な神秘であった。

 

「あ、ああ、何故、何故、何故———!?」

 

 この世界の唯一神であるエヒトルジュエから与えられた力が何も通用しない事に、“使徒”は無表情だった顔に困惑の表情を浮かべながらも剣を突き立てようとする。

 まるで蜘蛛の巣にかかった蝶の様に暴れる“使徒”を触手で掴みながら———火柱から異形の仔山羊が現れた。

 

「ひっ———!?」

 

 極大の炎魔法をくらいながら、何の傷も負った様子も無い姿に触手に掴まれている“使徒”は生まれて初めて恐怖の感情を感じていた。

 黒い仔山羊は身体の触手を器用に動かして、身体中にある無数の口の一つに“使徒”を放り込んだ。

 

「ぎぃっ!? い、いや………こんなの、やだ………!」

 

 ベキベキッ、と身体中の骨が歯で潰される音がする。“使徒”は生まれて初めて感じる痛みと、死への恐怖に涙を流した。その様子はもはや天使の様な神々しい存在ではなく、死を前にして泣き叫ぶただの人間の様だった。

 ぼとり。

 仔山羊の口から“使徒”の生首が零れ落ちた。

 その表情は———絶望を浮かべ、神聖さの欠片も無い少女そのものだった。

 火柱の中から残りの仔山羊達も現れる。彼等は一様に無傷であり、まるで地面の蟻の群れを気にせずに歩くかの様に巨大な足を魔人族達へ振り上げた。

 

 そして———蹂躙が開始される。

 

「ぎゃああああああああっ!!」

「いやだあああああああっ!!」

「たすけてええええええっ!!」

「やめてえええええええっ!!」

 

『メェェェエエエエエエっ!!』

 

 グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。

 

 肉が引き潰される音が絶え間なく響く中、ミハイルは呆然と立ち尽くしていた。

 

(そうだ———これは夢だ)

 

 屈強で知られる魔人族軍の兵士達が涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら逃げ惑い、上空では“使徒”達が立ち向かっては次々と肉片を撒き散らす中で、ミハイルは唐突にそう思った。

 

(これは夢なんだ。こんな事、現実にある筈がない………そもそも魔王陛下がアルヴヘイト神そのもので、しかも天使達が我々の味方をしてくれるなんて、現実感が無さ過ぎる展開じゃないか)

 

 周りの部下達が一目散に逃げ出す中、ミハイルは現実逃避をして立ち尽くしていた。

 ああ、これは夢だ。こんな悪夢を見てないで、早く目覚めなくては。

 

(起きたら書類をチェックして、それから新兵達の訓練をして………フリード様が亡くなってから忙しくて、カトレアとは最近会っていないな。今度、食事くらいは一緒に出来ないか聞いてみよう)

 

 仔山羊の化け物達がこちらへ向かってくる。魔人族達は逃げようと必死で走っていたが、彼等の巨体の一歩の前では意味がなく踏み潰されていた。

 こんな荒唐無稽な夢を見たなんて話をしたら、恋人はどんな表情になるだろう?

 

(きっと疲れているんだよ、と優しく言ってくれるだろうな………思えば、仕事の忙しさを理由に結婚の約束も随分と先延ばしにしてしまった。いっそ軍を退いて、田舎で家業を継ごう。そうしたらカトレアと幸せな家庭を築こう。子供は二人くらいが良いだろうな………システィーナ様の新しい部下の双子が可愛いかった、とカトレアが前に言っていた気もするしな。それから———)

 

 自分とカトレアの間に生まれた双子を抱き上げる姿を想像して、ミハイルは自然と笑顔が浮かぶ。きっと彼女に似た可愛い子供だろう。

 

『メェェェエエエエエエッ!!』

 

 次の瞬間———ミハイルの意識は、頭上から降ってきた巨大な足で永遠に閉ざされた。

 

 ***

 

 遠くから仔山羊の鳴き声に混じって、幾百幾千もの絶叫が聞こえる。それを王国の兵士達は震えながら聞いていた。

 彼等とて軍人だ。戦場である以上は人が死ぬのは当然の事だと割り切っていたし、決死の覚悟で魔人族達の軍勢と戦う気でいた。だが、こんな展開は予想など全くしていなかった。

 長年の宿敵であった筈の魔人族、そして聖典や教会のステンドグラスで描かれた姿そのものの天使達。

 それらが等しく、仔山羊の鳴き声がする巨大な化け物に殺されていく。

 恐怖とショックが彼等の許容範囲を振り切れ、ただ呆然と眺めている事しか出来なかった。

 不意に、断末魔の絶叫が響く戦場から一人の人影が飛んで来る。

 

「天使様———!」

 

 飛来してくる“使徒”に、思わずメルドは声を上げた。先程、人間族を見捨てる発言をされたが、それでもエヒト神の宗教が根深いハイリヒ王国の人間として、まだ僅かながらも神の遣いとして敬う心があった。

 だが、メルド達に向かってくる“使徒”は先程まで浮かべていた厳かな無表情を崩していた。もっとも、全員同じ顔だった故に見分けはつかないが。“使徒”は生き残りたいと願う様な必死な表情で羽を大きく広げ———。

 

『人間達! その黒いローブの人間を殺しなさい!! それはエヒトルジュエ様の神敵! その人間を殺す事が、貴方達が助かる唯一の方法です!!』

 

 瞬間———メルド達の意識が酩酊する。“魅了”を最大出力で放たれ、メルド達は“使徒”の言っている事は、疑うまでもなく正しいのだと感じ始めた。

 召喚者である黒いローブの人間を殺せば、仔山羊達は消える筈だと考えた“使徒"は今までそうして来た様に人間達を操ろうとした。

 

『早く! 早く、その人間を殺し———ブッ!?』

 

 “使徒”の“魅了”が途切れ、メルド達は突然冷水を浴びせられた様に意識が覚醒した。ハッとして、メルド達が空を見上げると———。

 

「………はぁ。至高なる御身を人間如きが束になっても殺せる筈が無いでありんしょうに」

 

 真紅の鎧を着たシャルティアが背中の翼を広げ、背後から特殊な形状のランスで“使徒”を串刺しにした。

 まるで、偽りの天使を誅する真なる戦乙女の様に。

 

「な………ぜ………?」

「そもそも妾には精神操作は効かないでありんす。まあ、お前の拙い“魅了”では人間を操るのが精々でありんしょうがねぇ?」

 

 自分の渾身の“魅了”が全く効いた様子がなく、それどころか人間達から仰ぎ見られる立場にいる自分の頭上を飛んだシャルティアを見ながら、“使徒"は絶命した。ブンッとスポイトランスを振るい、シャルティアは地面に落ちた“使徒”を見下ろす。

 

「近くで見ると、それなりに整った造形でありんすねぇ………アインズ様、余裕があったら一体貰ってもよろしいでありんしょうか?」

「後にしろ、後に………それにしても、やはり精神操作を使って来たか」

 

 嬉々とした様子のシャルティアに呆れながらも、アインズは腹に風穴を開けた“使徒”の死体を見つめる。

 

「ゴ、ゴウン陛下………精神操作とは、一体どういう事だ? 天使様は………彼女は、一体我々に何をしたんだ?」

 

 震える声でメルドが話しかける。自分達の聖典に伝わる“天使”の言葉を聞いた途端、闇魔法を食らった時の様に精神が酩酊する感覚がしたのは覚えている。それが何を意味するかを認められず、メルドはシャルティアと同じく全く効いた様子の無いアインズに勇気を出して聞いていた。

 

「ゆっくりと説明したい所だが………すまないが、今はその時間は無いな。“真の神の使徒”がその手段に訴えるというならば、こちらも次の手を発動させなくてはならない」

 

 恐ろしい事実を前にした様に真っ青な顔になるメルドを尻目に、アインズはコメカミに手を当てて、“伝言(メッセージ)"を使用した。

 

「私だ………計画の第二段階を発動させろ」

 

 ***

 

 魔人族・後軍。アルヴヘイトは混乱の極みにいた。

 

「何なのだ、あの化け物は!? 一体何だというのだ!?」

「目下、姉妹達に攻撃させながら正体を探らせています。しばらくお待ち下さい」

 

 泡を食った様に狼狽えるアルヴヘイトに対して、ノイントは無機質な声で答える。彼女がここまで冷静なのも、エヒトルジュエの遣いとして余計な感情が表に出ない様に調整された為だ。そんなノイントがカンに障るのか、アルヴヘイトは血走った目を向ける。

 

「“使徒”達を遠距離から攻撃させろ! 魔人族など所詮は駒だ! 奴等を盾にしながら、あの化け物の弱点を探らせるのだ!」

「かしこまりした」

 

 仮にも魔人族の王とは思えない発言だが、アルヴヘイトからすれば主の遊戯として叩き潰す筈だったアンカジ公国から予想外の被害を受けている事が問題だった。既に主から借り受けた“使徒”は三割以上が死んでいる。あの化け物をどうにかしなければ、アルヴヘイト自身がエヒトルジュエに消されかねない。

 そんな仮の主人の醜悪極まる姿を見ながらも、ノイントは感情の無い無表情で残りの姉妹達に呼び掛ける。異形の仔山羊達は対空手段は身体の触手を振り回して攻撃する以外は無い様で、逃げ惑う魔人族達が仔山羊達に踏み潰される間に触手の射程範囲外となる高々度まで飛べば姉妹達は無事に済むだろう。そうやって射程外から魔法で攻撃を加えつつ、反撃の手段を探れば良い。

 

『姉妹達に告げます。魔人族達を盾にしながら、はるか上空を———』

 

 ノイントが口を開くと、姉妹同士で繋がるテレパシーと共に普通の人間では聞き取れない甲高い音———高周波の様な音が響いた。

 

 唐突ではあるが、ここで“真の神の使徒”達について話そう。

 “真の神の使徒”達は天使の様な見た目はしているが、けっして超常的な存在ではなく一応は歴とした生き物だ。

 かつて肉体を失ったエヒトルジュエが、自分の新たな肉体の器とするべく当時のトータスに生息していた生物達を変成魔法で改造して様々な種類を作り出していた。その中で後の魔人族や亜人族よりも、高い生物的なスペックを持って生まれたのが“真の神の使徒”だ。

 結局、エヒトルジュエ自身の肉体となる様なスペックには至れなかったものの、その生物達はエヒトルジュエの尖兵として更に改良を重ねられ、今の“真の神の使徒”達へとなった。

 エヒトルジュエが目を付けたのは高いスペックもそうだが、同個体同士が特殊な音で連絡を取り合う性質だった。ある種のクジラやコウモリの様に、“真の神の使徒”達は超音波の様な物でお互いの情報を交換し合っていた。

 それを知ったエヒトルジュエは、自分の代わりに人間達の監査をしやすい様に“真の神の使徒”を一種類のみに絞って連絡を取り易い様にしたのだ。“使徒”達が判を押した様に同じ顔をした少女なのも、そういった理由からだ。また自分の命令に疑いなく実行する様に、自我も薄く作っていた。

 そして———それが今、裏目となって現れた。

 

「……? この音は、誰からの………っ!?」

 

 初め、ノイントは頭に響いて来た音を姉妹達からの通信だと思った。しかし、すぐにそれが姉妹の誰でもない事に気付いた。

 その音は“真の神の使徒”の中でも自分の様な上級個体が発する音よりも、遥かに強力に頭の中に響いた。

 

「あ、ああ、あああああああっ!?」

 

 頭の中に響き渡る怪音波に、ノイントのみならず“使徒”達は頭を掻きむしりながらその場で身悶えした。

 

 ***

 

 アンカジ公国の戦場より離れた地点。

 そこでナザリック技術研究所のエンブレムを着けたエルダーリッチやエビルメイガス達が、様々な機械を操作しながら戦場をモニタリングしていた。

 

「“真の神の使徒”、一斉に行動不能! “堕天の歌"、効果を認める!」

「同調率八十九パーセント。このまま歌い続けて下さい!」

「これ程の出力とは………さすがはナグモ所長自らが作り出したキメラアンデッドだ」

 

 ある者は計器を見て興奮して、ある者は自らの研究所長の成果に嘆息していた。

 彼等を横目に見ながら、その少女の護衛として控えたセバスが話しかける。

 

「万が一、エヒトルジュエの手先が来ても貴女の身は私が守ります。ですから、アインズ様達を助ける為に存分に力を奮って下さい」

「はい、任せて下さい! ナグモくんとアインズ様の為に、精一杯歌います!!」

 

 増幅機の様な装置の中心———香織は笑顔で魔力を伴った歌声を響かせた。

 血に濡れた様に紅い翼を背中から生やし、魔力を伴う歌声を響かせる姿は———魔に魅入られた堕天使の様だった。




>真の神の使徒

 黒い仔山羊達に容赦なく蹂躙されてるけど、強さ議論とか真面目に考えないアホな作者の作品だからという事でお願いします。分解魔法あるじゃんと思ったけどね、どう頑張っても仔山羊に勝つ姿を思い浮かべられなかったの……。

 あと、このSSで言っている事はあくまでも作者の独自設定です。
 要するにノイント達は元はクジラやコウモリみたいな超音波を発する生物だったのをエヒトルジュエが神代魔法で色々と改造した結果、今の様な生き物になったという事で。同じ顔の少女ばかりでそもそも男性体が居ないじゃんというのは、エヒトルジュエにハーレム願望があったとか面倒だからコピペしたとかで無ければ、同一個体にした方が超音波で連絡を取りやすかったという事で。

>堕天使香織

香織「ボエ〜♪」

 何でこうなったかは、次回にやりますとも。
 ところでまた人間から遠ざかったけど、そこんとこどうなの、0歳児君?

 まあ、後々にたっぷりと後悔させますけど。


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第百十三話「堕天の魔歌」

花粉症が辛くて頭が上手く回らないです………。しかもスギとヒノキにアレルギー反応があるから、梅雨入りまで目と鼻がボロボロになってるのですよ……。


 数日前。ナザリック技術研究所。

 

「ふむ……これが件の“使徒”か」

 

 研究員であるエルダーリッチやエビルメイガス達は、手術台に置かれた死体を解剖しながら、興味深そうに頷いていた。その死体は背中から羽を生やし、人形と見紛う程に均整の取れた顔をした少女——エヒトルジュエの“真の神の使徒”だった。

 

「至高の御方に感謝しなくてはならぬ。よもや生きていた“解放者”が保存していた遺体の解剖を我々に任せて頂けるとは」

「これで愚神の兵の構造を暴けば、愚神の兵を率いている魔王軍の兵力を大幅に削げるであろうな」

「もしやとは思うが……至高の御方はこれを見越して、“解放者”の生き残りを配下にされたのではないか?」

「うむ、あり得る。あの御方の判断は常に合理的で、我々より数手先をお読みになられているのだろう」

「さすがは至高の御方だ……我々の頭脳とは比べ物にならない」

 

 ナザリックの頭脳労働者の中でもトップクラスにいる研究員達は、口々に自分達より遥かに頭の良いアインズを褒め称えていた。

 

「おい! 無駄口を叩いている暇があるなら手を動かせ!」

「は、はっ! 申し訳ありません!」

 

 ナグモの不機嫌な声が飛び、研究員達は慌てて天使の様に神々しい外見の少女の身体にメスを入れた。

 今、彼等が解剖している“使徒"の遺体はアインズがミレディから譲り受けた物だった。かつて“解放者"として“使徒”達と戦い、“使徒”について詳しく調べる為にミレディは遺体の一つを回収していたのだ。結局、詳しく調査する前にエヒトルジュエに敗れ、仲間達とは散り散りになって大迷宮に潜伏した為に遺体は何千年も冷凍保存されたままだったが、いま新たに“神殺し”を行おうとするアインズへミレディから譲渡されたのであった。

 

「魔人族の()()()がアンカジ公国に到達する日は近い! それまでに愚神の木偶人形の仕組みを全て把握しろ!」

 

 ナグモらしからぬ強い負の感情が籠った言葉に、研究員達は怒りのとばっちりを恐れながら“使徒”の解剖に専念する。少し離れた所で端末に解剖されて明らかとなったデータを纏めているミキュルニラがチラチラと気遣わしげな目線を送っているのだが、魔人族達に対する怒りで周りが見えていないナグモは全く気付いていなかった。

 

「ナグモ所長! これを見て下さい」

 

 “使徒”の解剖をしていたエルダーリッチの一人が声を上げる。

 

「ここに反響定位を利用した跡があります。どうやらこの生物は特定の音波を利用して、コミュニケーションを取っていた様です」

「……蝙蝠の様なものか? すぐに木偶人形共が使っていた音波の固有周波数を特定しろ」

「はっ、直ちに行います」

 

 エルダーリッチは恭しく頭を下げる。彼等の技術力からすれば、死体と言えど脳が記憶していた情報を抜き取るなど朝飯前だった。

 

「上手くいけば、木偶人形共の波長を乱す妨害音波装置を作れるな」

「その……しょちょ〜。仮に“使徒”達の妨害音波の周波数が分かっても、今回の作戦に使える程の出力の装置を今から作るのは時間が足りないです〜」

 

 ミキュルニラの報告にナグモは舌打ちする。魔王軍として随伴している“使徒”は約十万人。これだけの大人数全てに効果が出る様な音波装置を一から作るとなると、どうしても数日後に予定されている開戦までに間に合いそうになかった。

 

「あの……私に提案があるのですが」

 

 研究員の一人、エビルメイガスが手を上げる。ナグモが睨みながら無言で促すと、エビルメイガスは恐る恐る発言した。

 

「所長の作成したキメラアンデッド……白崎香織殿をお使いするのはいかがでしょうか?」

「香織を? どういう意味だ」

「残念ながら、我々では期日までに妨害音波の出力装置を製作する事は不可能です。ですが、白崎香織殿は捕食した生物の特徴を再現できる万能型のキメラアンデッドです。“使徒”の因子を白崎香織殿の身体に移植し、“使徒”達の音波を再現して貰えば宜しいのではないでしょうか? 所長と同程度(レベル100以上)ならば、高出力で音波を発生させられると思いますし」

 

 その提案にナグモは少し考え込む。確かに香織ならば“使徒”の因子から身体的特徴や固有能力の再現は可能だろう。解剖した死体から予測される“使徒”のレベルはユグドラシル換算で60〜70程度。レベル100以上となる香織が出力する音波はそれらより遥かに強力となる筈だ。

 

「………良いだろう、香織には僕が話しておく。改造手術の準備をしろ」

「お待ち下さい、しょちょ〜! その……本当に宜しいのですか?」

 

 ミキュルニラが迷う様な表情を浮かべる。技術者として香織に改造手術をするのが一番理に適うというのは理解している。

 だが、それが香織を更に人間からかけ離れた存在へと変えてしまう気がして、気が付けばナグモを制止しようとしてしていた。

 そんなミキュルニラをナグモは苛立ちを込めた視線で睨み付ける。

 

「なんだ。僕の決定に異論があるか?」

「それは……でも……」

 

 やるべきではない、と言いたかった。だが、それが自分の感情(極善のカルマ値)に依る物だと理解しているからこそ、ナグモを補佐する副所長としての在り方(役割)とナグモの為にも、やりたくないという自分の感情がせめぎ合って言葉にできなかった。一向に話そうとしないミキュルニラに、ナグモは苛々とした声を出す。

 

「異論が無いなら黙って従え! いま重要なのは魔人族のクズ共を皆殺しにする事だ! さっさと準備に取り掛かれッ!」

 

 周りが自分の言う通りに動かない事に癇癪を起こす子供の様にナグモは怒鳴り散らす。異形種の研究員達は驚きながら、慌てて指示通りに動き始めた。

 

「ナグモ所長……」

 

 ミキュルニラの悲しそうな目に、ナグモは最後まで気付く事は無かった。

 

 ***

 

 そして——現在。

 

(大丈夫……私、ナグモくんの設計通りにやれてるよ!)

 

 香織は戦場の遠くから“使徒”達へ妨害音波を出しながら、喜びに胸を躍らせていた。

 ナグモの改造手術は成功した。新たに“使徒”の因子を取り込み、その能力を獲得した香織は“使徒”達を無力化する妨害音波を歌という形で出力していた。

 聖教教会の司祭達が使う魔法で“覇堕の聖歌”というものがある。これは邪悪な神敵を拘束しつつ衰弱させる効果を持つ魔法だが、ナザリック技術研究所はこれを参考にして、死体から解析した“使徒”の固有周波数に合わせた旋律を香織に歌って貰っていた。

 謂わば、これは対“真の神の使徒”用にアレンジされた“堕天の魔歌”。

 “使徒”の能力を取り入れ、高レベル故に“使徒”達より遥かに強力な音波を出せる香織が歌う事で、“使徒”達は一斉に力を失っていた。

 

(それにしても変なの。ナグモくん、あんな真剣に「頼む」なんて)

 

 また改造手術を行わせて欲しいとナグモが頭を下げに来た事に、香織は“堕天の魔歌"を歌いながら内心で頭を捻っていた。

 

(ナグモくんやアインズ様の為なら、()()()()()()()()()だからお願いする必要なんて無いのに)

 

 香織は——それを本気で思っていた。

 ナグモに対する恋心は確かにある。命を救ってくれたアインズへの恩義もある。

 しかし、それ以上に。ナグモが人間となった事で——変則的ながら“アインズ・ウール・ゴウン”所属のプレイヤーとなり、更にナグモがナザリック(ユグドラシル)の技術で香織の身体を作り直した事で、香織にナグモ(プレイヤー)が製作した異形種(半NPC)と呼ぶべき存在になっていた。だからこそ、香織は製作者であるナグモやギルドマスターであるアインズへ絶対の忠誠を捧げる事に疑問など無かった。さらにはオルクス大迷宮で彷徨っていた時に人間としての精神を擦り減らしてしまった事で、今や香織は身も心も完全に異形種へと成り果てていた。

 

(帰ったら、ご褒美にいっぱいナグモくんに甘えようかな)

 

 “使徒”達へ破滅の歌を唄いながら、新たに生えた紅い翼を広げて魔に堕ちた堕天使は歌う。

 

(その為にも……たくさん死んでね、“偽の神の使徒”さん達)

 

 くすっ、と微笑(嘲笑)む姿に護衛としてつけられたセバスは妙な違和感を感じていた。だが、アインズの作戦が進行している状況で聞くのは躊躇われていた。

 自らの手で心優しかった少女を怪物へと変えてしまった事を——人の心に無理解な少年はまだ気付いていない……。

 

 ***

 

「あ、ああ、ぐぅ……!」

 

 ノイントは脳を掻き毟る様な音に苦悶の表情を浮かべていた。その音は“真の神の使徒”達に生まれつき備わっている音波の受信器官を通して、頭の中に不快な音として直接響いていた。科学的な表現をすれば、それは害獣対策などに使われるモスキート音に近かったのだろう。それを高出力で流され、ノイント達は一斉に頭を押さえて蹲ってしまっていた。

 

「何をしている、ノイント!」

 

 だが、そんな事はアルヴヘイトには関係ない。“使徒”ではないアルヴヘイトは“堕天の魔歌”の効果は受けず、何故か突然動かなくなったノイント達に苛立った声を上げた。

 

「貴様等は私の兵としてエヒトルジュエ様に遣わされたのであろう! さっさと、あの化け物をどうにかしろ!」

「う、うぅ……はぁ……!」

 

 頭の中に直接響く音に苦しみながらも、ノイントはどうにかアルヴヘイトからの命令を実行しようとする。しかし、“堕天の魔歌”は妨害音波だけでなく、魔法によるデバフ効果もあった。ノロノロと動きの遅いノイントに苛立ち、アルヴヘイトはとうとう彼女に向けて“神言”を使った。

 

『神・アルヴヘイトが命じる! 貴様等、木偶同士で情報を共有し合い、あの山羊の化け物の正体を必ず探れ! それが出来ないなら、朽ちるまで戦えッ!』

 

 その“神言”は“堕天の魔歌”に侵されていたノイントの脳にも響いた。

 

「あ……」

 

 ノイントは“神言”の命令によって、自分の意思とは無関係に姉妹達と脳内で繋げていた。通常は特殊な音波に加えて、この様に意識をネットワーク化して姉妹達と情報を共有する事でエヒトルジュエから命じられていた人間達の監視に役立てていた。ただし———今回は妨害音波でネットワークが乱された所に“神言”で無理やり接続された為、歪んだ形で発動してしまっていた。

 

「あ……あ、ああ………っ」

 

 それは最前線———すなわち仔山羊達と直接戦っている姉妹達が得ている情報だった。

 唯一無二の支配者たるエヒトルジュエから与えられた力が何も通じず、ただ圧倒的な暴力の前に命を散らしていく姉妹達。

 

「ああ……いや……ああ……ッ!」

 

 鞭の様にしなる触手でバラバラにされた姉妹がいた。巨大な足によって虫の様に潰された姉妹がいた。初めて感じる痛みに涙を流しながら歯で擦り潰された姉妹がいた。

 彼女達が感じた痛み、苦しみ、恐怖——それら全ての情報(感情)がノイント達の脳に共有され、彼女達がエヒトルジュエによって改造された時に封じられた筈の感情を呼び起こしていく。

 

「いや……いやああああああああああっ!」

 

 生物的な原初の恐怖を思い出し、ノイントは絶叫した。

 そして恐怖は他の“使徒”達にも伝染していく。

 

「嫌だ、嫌だっ!」

「怖い、怖い! 助けて! 助けてええっ!」

「な、何だ!? おい、木偶達! 言う事を聞け!」

 

 少女の様に泣き叫び出した“使徒”達に、アルヴヘイトは狼狽えながら怒鳴り散らす。しかし、黒い仔山羊達に殺される姉妹達が感じている恐怖を共有してしまった“使徒”達は、一斉に恐怖や絶望を表情に浮かべていた。エヒトルジュエによって余計な自我や感情を封じられていた彼女達は、いま初めて感じる感情に振り回されてしまったのだ。

 

「ああああああああっ!」

「ひぐっ、うぐっ! ああっ!」

 

 気が付けば、“使徒”達は信じられない事にお互いを剣で斬りつけ合ったり、自分の身体に剣を何度も突き付けるという行動を始めていた。

 それは、恐い父親に見つかった出来の悪い兄弟がお互いに責任を擦りつけ合って喧嘩をする様に。

 あるいは、父親から痛い拳骨を貰う前に自分で自分をお仕置きするかの様に。

 アルヴヘイトからの命令で逃げ出す事は許されない彼女達がとった、苦し紛れの行動が自らを殺傷し合う事だった。

 

「な、何をしている!? おい、ノイント! すぐに止めさせろッ!」

 

 突然、理解不能な行動に出た“使徒”達を止めさせようと、アルヴヘイトは統率役であるノイントに怒鳴りつける。しかし、ノイントはアルヴヘイトの命令を聞くどころではなくなっていた。

 

「いやぁああっ……いや、いやああああああっ!」

 

 何万もの姉妹達が死ぬ時に感じた恐怖を共有してしまい、生まれて初めて感じる感情に頭の整理が追い付かない。更に姉妹達が恐怖から逃れる為に殺し合いや自殺を始めた事も頭の中を揺さぶり、初めての感情(恐怖)の前にもはやノイントは無表情だった表情をくしゃくしゃに歪め、バリバリと血が滲む程に頭を掻き毟りながら幼子の様に泣き叫ぶ事しか出来なくなっていた。

 

「いやああああああああああっ!」

 

 ***

 

 魔人族達の軍はもはや潰走を始めていた。前方には五体の黒い仔山羊が全てを踏み潰して暴れ回り、自分達を守護していてくれた天使達はどういうわけか錯乱した様にお互いを殺し合ったり、自傷したりしている。昨日まで神に選ばれた軍隊だと勇ましく行進していた魔人族軍は、今や天災の前に逃げ惑うだけの集団と化していた。

 

「逃げろっ! あの化け物に踏み潰されるぞ!」

「で、でも、まだ魔王陛下が!」

「馬鹿、そんな事を言っている場合か! 魔王陛下でもあんな化け物に敵う筈が無いだろ!」

 

 魔人族の兵士は躊躇する親友を引っ張り、隊列を乱して走り出していた。本来なら懲罰が下るだろうが、上司である隊長達も逃げ出している為に彼等を咎める者はいなかった。

 幸いにも黒い仔山羊達は魔人族達に狙いを定めているわけでは無い様だ。上空でお互いを殺し合っている為にその場で留まっている“使徒”達を攻撃している為に、魔人族達は仔山羊達が“使徒"達に気を取られている間に走って逃げる事が出来そうだった。

 だが——死を司る支配者は、そんな儚い希望すらも容赦なく打ち砕いた。

 

「な、なんだ……?」

 

 逃げようとした魔人族の兵士の遥か前方に、空間に穴が空いた様に巨大な黒々とした門が開く。しかもそれは、彼とは別方向に逃げようとした魔人族達の前にも開いた。魔人族軍を四方から取り囲む様に開いた“転移門”の中から、ナザリックのギルドサインが掲げられた軍旗が現れる。

 

「敵ハ最早、算ヲ乱シタ烏合ノ衆。オ前達、手抜カリハ許サレヌト心得ヨ!」

「Wenn es meines Gottes Wille! 了解しました、コキュートス様!」

 

 砂漠の地も凍える様な冷気を纏いながら、亜人族の兵士達や雪女郎(フロスト・ヴァージン)を率いたコキュートスの軍が北方より現れる。

 

「殺す……殺すっ! 全火器システム解禁! 奴等を一人残らず、殺せっ!!」

『Yes,sir! Kill them all!!』

 

 ドス黒い殺気を感じる声で、自律型殺人兵器達に抹殺命令を下したナグモが東方より現れる。

 

「さぁて、それじゃあ行くよ! 貴方達、今日は皆殺しにしちゃって良いからね!」

「え、ええと……頑張って殺そう! えいえい、おー!!」

『ギャオオオオオッ!!』

 

 気安く号令を掛けるアウラと、頼りない雰囲気ながら精一杯の気迫で拳を突き上げるマーレに、西方から現れた魔獣達は一斉に咆哮した。

 

「さて……至高の御方も見ておられます。勝って当然の戦いです。貴方達、ナザリックの威を知らしめる為にも圧倒的に、そしてアインズ様に歯向かえばこうなると人間達にも理解して貰える様、徹底的にやりなさい」

『グオオォォォォッ!』

 

 優雅に命令するデミウルゴスに、南方より現れた悪魔の軍勢は雄叫びをあげた。

 その数、総勢にして六万。既に軍の三分の一以上が消失し、頼みである天使達も錯乱している魔人族達に、もはや抗う力は残されなかった。

 

「あ、ああ……!」

 

 魔人族の兵士の顔に絶望が浮かぶ。彼は天を仰ぎ、涙を流した。

 

「コウゲキカイシ!」

「攻撃開始だ!」

「攻撃開始だよ!」「ええと、こ、攻撃開始!」

「攻撃開始です」

 

 ナザリックの守護者達が一斉にシモベの軍勢に命令を下す。

 そして——魔人族軍の運命は決まった。

 

「あ、ああ、あああ……ぎゃあああああああああっ!?」

 




>香織

 以前、感想返しで書いた「香織は半NPCと化している」という案で行こうかなと。よくラノベの感想とかで、「こんな主人公に何でヒロインが惚れるか分からない。ヒロインは主人公に都合の良い人形だ」という意見を聞きますから、もういっそ主人公を全肯定する人形(NPC)になったヒロインという方向で書いてやろうかな、と。

>ノイント

 初めて感情を知ることが出来て良かったね(笑)。まあ、ここで終わらせてあげる気は無いけど。

>ナザリック軍

 逃走する魔人族達に紛れてアルヴヘイトが逃げ出しても困るやん? なので、一人たりとも逃がさない為に包囲網を作って皆殺しで。“転移門”があるから部隊展開は楽に済むし。


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第百十四話「魔王との対面」

 買ったからには積みゲーを消費せねばと思いつつも、休日は一日中スマホで作品を書いていたり、YouTubeを見てしまう。
 時間とお金の使い方が勿体ねえな、ホント。


「アインズ様、守護者各軍の転移が終わりんした」

「御苦労、シャルティア。アルベドをここに呼んでくれないか?」

「かしこまりんした」

 

 魔導王を名乗る男が静かに頷いているのを見て、メルドは眼前の惨状はこの男が起こしたものだと確信が持てた。

 まるで悪夢の世界に迷い込んだ様な光景だ。地上では仔山羊の鳴き声を上げる巨大な怪物が暴れ回り、空では天使達がお互いを殺し合っている。

 

「いやだああああああっ!!」

「た、助けて……ぎゃあああああっ!!」

 

 魔人族達は四方から現れた軍によって為す術なく蹴散らされていく。砂漠の乾いた風が、血の匂いが混じった湿り気のある風に感じてしまった。その度に魔人族達の声は徐々に小さくなっていくのだ。

 

「やめて………」

 

 ふいにメルドの耳にか細い声が聞こえた。振り向くと辻綾子が真っ青な唇を震えさせながら、嗚咽を漏らしていた。

 

「もうやめて………やめてあげてよぉ………!」

「辻………」

 

 隣にいた野村が泣き始めた綾子の肩を抱き寄せる。彼の身体も、限界を突破した恐怖で震えていた。

 

「逃げろ……逃げるんだ………!」

「頼む……逃げてくれ………!」

 

 気が付けば、初めて戦争を経験する異世界組はおろか、歴戦の兵士揃いであるメルドの部下達からも嗚咽が漏れていた。

 彼等は殺し合いに来ている。相手は不倶戴天の敵である魔人族であり、最初はあまりの戦力差から自らの死も覚悟していた。

 しかし、目の前で行われているのは一方的な殺戮だ。たとえ相手が宗教上で相容れない魔人族だとしても、こんな惨劇を前に何も感じない者はそれこそ人面獣心の人に非ざる者だけだろう。

 

「神よ……どうか彼等をお救い下さい………!」

 

 別の方向から嗚咽混じりの声が聞こえて、メルドが目を向けると部下の一人が聖具を握り締めていた。起床時や食事前にエヒト神への祈りを常に忘れない信心深い男だ。彼もまた断末魔の叫びを上げながら殺されていく魔人族達へ、どうか一人でも助かって欲しいと必死に祈っていた。だが、彼の祈りも虚しく魔人族達も天使達も仔山羊の化け物や魔導国の軍勢に殺されていく。

 

「………っ!」

 

 無惨に殺される彼等を見兼ねた様に、とうとう男は大事にしていた聖具を投げ捨てた。しかし、その気持ちはメルドにも痛い程に分かってしまった。

 

 人間族の神、エヒト神は———魔人族を救わない。

 

 先程の天使の話が本当ならば、人間族を見捨ててまで祝福を与えていたのに魔人族は無惨に殺されている事になる。

 逆に天使の話が嘘だったならば、人間族しか祝福しないエヒト神はいま虫の様に潰されて死んでいく魔人族など救わない。

 その事に気付いてしまったメルド達はもはや祈る神すら無く、大災害に巻き込まれる様に惨殺される魔人族達にせめて一人でも助かって欲しいと願うしかなかった。

 

「遅くなりました。アインズ様」

 

 こんな地獄の光景を作り出した張本人、アインズ・ウール・ゴウンの側で新たな女の声が聞こえてメルド達は一斉に視線を向けた。漆黒の全身甲冑に身を包んだ人物が空間の穴より出て、アインズに対して臣下の礼をとっていた。その手には天使の手と悪魔の手を象った様な籠手が嵌められていた。

 

「守護者各軍、魔人族軍へ攻撃を始めました。また“エヒトルジュエの使徒”達は………()()()()()()()()により、全員機能を停止致しました」

「よし………これで、魔王への邪魔者は居なくなったな。アルベド、“強欲と無欲”をシャルティアに渡し、“真なる無”を装備しておけ」

「はっ!」

「かしこまりんした」

「さて………私も出るとしよう」

 

 二人の臣下に深々と頭を下げられながら———アインズは仮面を外した。

 皮も肉も無い、骨だけの頭蓋が現れる。続いて両手を覆っていた籠手が消え、左手の薬指以外に指輪をした骨の手が顕となった。

 もしもこんな状況でなければ、仮面の下に別の仮面を被っていたと思うだろう。しかし、メルド達はごく自然に胸にすとんと落ちた。

 これは素顔であり———アインズ・ウール・ゴウンは正真正銘の化け物だ、と。

 あれ程の力を行使できる存在が人間である筈がない。そう予感していたからこそ、メルド達はアインズの正体をすんなりと受け入れる事が出来てしまった。

 

「シャルティア、さっそく“強欲”を使え。まずは実験だ」

「了解しんした」

 

 シャルティアが“強欲”———悪魔の手の様な籠手を先程倒した“使徒”の死体に向ける。すると“使徒”の死体から透けるように青い光の玉が抜け出て、籠手へと吸い込まれた。

 “強欲と無欲”は着用者が本来であれば手に入れることが出来た経験値を横取りして貯蔵するという能力を持ち、“無欲”の名を付けられた籠手が強欲が溜め込んだ分を吐き出して、特殊な魔法やスキルなど経験値の消費を必要とする様々なときに、代わりとなってくれるというワールドアイテムだ。青い光はその経験値回収のエフェクトにしか過ぎない。

 だが、そんな事など知らないメルド達からすれば、その光景はどう見えたか? アインズがいま“使徒"の遺骸から何を刈り取った様に見えたか?

 

 無論———魂だ。

 

 その光景は冥府を司る魔王が天使達を殺し、死した魂すらも掠奪している様にしか見えなかった。

 

「アインズ様、“強欲”はキチンと作動しておりんす。人形とはいえ、神の使徒を称するだけあって普通より溜まりんすねぇ」

「よしよし、狙い通りだな。では魔王までの道中も経験値を回収しておいてくれ。せっかくあれ程死んでくれたんだ、全て有効活用するべきだろう」

「さすがは至高の御方。エヒトルジュエなどという愚物に仕えていた木偶達も、アインズ様のお役に立てて死ねた事に感謝するでしょう!」

 

 もはやメルドにはアインズ達の会話が理解すら出来なかった。自分達の神が貶められている事に、本来なら聖教教会の信者として強く抗議すべきだろう。しかし、目の前で力をまざまざと見せつけられ、その上で抗議する勇気などメルドには欠片も湧かなかった。

 

「なんで………なんで貴方達は、そんな簡単に人を殺せるんですか!?」

 

 先程まで嗚咽を漏らしていた綾子が、堪りかねた様にアインズをキッと睨み付けて大声を張り上げた。

 

「ばっ、やめろって!」

「ダメッ!」

「こんな残虐な事をして、まだ殺し足りないと言うの! この悪魔!」

 

 野村や永山、そして真央が食って掛かりそうな綾子を抑えようとする。だが、綾子は止まらない。実態は召喚時にエヒトルジュエに天職を付与されただけとはいえ、“治癒師”として人を癒し、助ける事に使命を見出した彼女にとってアインズ達がやっている事は自制が利かなくなる程に邪悪な仕打ちだった。

 綾子の糾弾の叫びに、シャルティアとアルベドの目がスッと細まる。彼女達が動き出すより先に、メルドは慌てて前に出た。

 

「申し訳ない! 私の部下が失礼した! この子達はまだ新兵なんだ! 戦場にまだ慣れてないから、気が動転しているだけだ!」

 

 平伏するメルドの前に、アルベドが立つ。全身甲冑の為に顔は見れないが、まるで天使の様に綺麗な声を兜の奥から響かせ———。

 

「アインズ様への不敬、万死に値するわ。出来の悪い家畜を育てたものね。キロ単価が安いのは生産者として恥と知りなさい」

 

 その手には殴るには適していない様な魔杖が握られていた。だが、あれ程の力を見せつけたアインズの側近が持つ武器がただの魔杖である筈がない。太陽光に反射した宝玉の輝きがギロチンの刃に見えて、メルドは額を地面にめり込む勢いで土下座した。

 

「頼む! 隊長として私が責任を取る! だから、この子達だけはどうか見逃してくれ!」

「何を言っているの? アインズ様は無益な殺生を好まない方。罰はキチンと罪ある者だけに執行するから、そこでミンチ肉が出来上がるのを待ってなさい。個人的にはメンチカツとか良いんじゃないかしら?」

 

 綾子の目に強い恐怖が浮かぶ。永山達は悲壮な表情になりながら、綾子の前に立った。

 

「そう………そこまで覚悟があるなら、お望み通りお友達と仲良く———」

「そこまでだ。控えよ、アルベド」

 

 深く、威厳のある声が響く。アインズはまさに支配者と呼ぶに相応しい所作で手を振るい、“真なる無”を振るおうとしたアルベドを止めた。

 

「初心者が初めての戦場で狼狽えてしまうのはよくある事。その程度で目くじらを立てても仕方あるまい」

「はっ………申し訳ありませんでした」

 

 アルベドを下がらせ、アインズは綾子の前に立つ。骸骨の顔に綾子は悲鳴をなんとか呑み込む。

 

「勘違いしないで欲しいが………」

 

 眼窩の中に灯る血の様に紅い光が向けられる。それを見た途端、綾子は心臓を氷の手で鷲掴みされた様な錯覚を起こした。

 

「私はアンデッドだ」

 

 ペタン、と綾子は腰を抜かした。

 アンデッドだからこそ———生ある者は全て殺す。

 言外にそう言われた気がしたのだ。

 永山達はガタガタと震えながら綾子を庇う様に立ち塞がったが、アインズは興味を失くした様に綾子から視線を切っていた。

 

「君達はここでアンカジ公国を守っていてくれ。私の部下達が魔人族達や天使達を攻撃しているが、もしかすると一人か二人くらいは逃げ出して来るかもしれない………ふむ、そう考えると念の為に仔山羊を一体はこっちに寄越しておいた方が良いか?」

「い、いや! 大丈夫です!」

 

 メルドは慌てて首を横に振った。あんな化け物を目の前に連れて来るなど、冗談ではない。恐怖のあまり逃げ出そうとする部下達で死人が出るかもしれない。

 

「む? そうか。アンカジ公国に結界があるから、少しは耐えられる……か? まあ、何にせよ私はこれから魔王を仕留めて来る。そこで少し待っていると良い」

 

 それだけ言って、アインズは宙に飛び上がる。魔人族の断末魔や“使徒”達の絶叫が鳴り止まない戦場へと飛んで行く。

 アルベドとシャルティアは綾子に極寒の一瞥をくれたが、それ以上は何も言わずにアインズの後を追って飛んで行った。綾子は恐怖でしばらく震えていたが、アインズ達が遠くへ行った後に戦場に向かって大きく叫んだ。

 

「逃げてっ! みんな逃げてえええっ!!」

 

 ***

 

「神よ! 我らの神、アルヴヘイト神よ! どうかお助けを! 我々をお救い下され!!」

「くっ、少し黙っていろクズ共!!」

 

 五体の仔山羊に蹂躙され、さらには異形の軍勢に包囲された魔人族達。頼みの綱であった“使徒”達は同士討ちや自決を始めてしまった為に、最後の希望とばかりにアルヴヘイトに縋っていた。しかし、アルヴヘイトは自分に縋る魔人族達を足蹴にしながら混乱の極みにいた。

 

(何なのだ!? 何故こんな事態になった! エヒトルジュエ様の威光を示す為に、人間共を皆殺しにするだけの作業であったのに!?)

 

 アルヴヘイトはエヒトルジュエより劣るとはいえ、神として作られた為に最初から完全無欠だった。苦戦や予想外の事態など生まれてから数千年、経験した事などない。だからこそ、エヒトルジュエが用意してくれた盤面が完全にひっくり返された今の事態にどう対処すれば良いか分からなかった。

 

(あの軍勢が現れた魔法は空間魔法ではないか? 我が神以外に神代魔法の使い手がいたというのか? それにあの旗……あれは確か、最近亜人族共が建国した魔導国とかいう国ではないか!?)

 

 どうして主であるエヒトルジュエから取るに足りない亜人族共の国、と言われていた魔導国が突然現れたのか、また仔山羊達は魔導国の仕業だったのか、と分からない事が多過ぎる。事態は完全にアルヴヘイトの手に余っていた。

 

(この場はっ……この場をどうにか脱して我が主にお伝えするしかないっ! くそ、神たる私が撤退するしかないなど、何という屈辱だ!!)

 

 歯軋りをしながらもアルヴヘイトは決断する。エヒトルジュエの望み通りにアンカジ公国を滅ぼせなかったばかりか、借り受けた“使徒”達に莫大な被害を出してしまったのだ。このままエヒトルジュエの下に戻れば、アルヴヘイトに待つ運命は死だけだろう。それでも、この事態をエヒトルジュエに報告しなければならない。アルヴヘイトが魔人族達を見捨てて、転移しようとした時の事だった。

 

「わ、我が神! あれを! あれをご覧下さい!!」

 

 周りで縋っていた魔人族達が一斉に天を指差す。アルヴヘイトが思わず見上げると、背中から黒い翼を生やした漆黒の鎧の人物と真紅の甲冑を着た年若い少女。そして———黒いローブを着た骸骨が自分に向かって降りてきた。

 

「アンデッドだと!? 何だ貴様は!」

「……ほう? 魔の王と呼ばれるからには、もしかしたら魔物や異形種に詳しいかもしれないと思ったが………お前は私の様な存在を知らないのか?」

 

 予想外の相手に思わず叫んでしまったが、ふてぶてしい態度を取るアンデッドにアルヴヘイトは思わず苛立ちを覚えた。神である彼からすれば、魔物など家畜以下の存在だ。先程の物言いは、アルヴヘイトからすれば家畜から「私を誰だと思っている?」と横柄に言われた様に感じていた。予想外の事態の連続で苛立っている心境も含めて、アルヴヘイトは目の前に現れた魔物へ剣呑な声を出す。

 

「貴様っ………魔物風情が神たる私に口をきくなど、不敬な。知能を持つほどに成熟した魔物とは珍しいが、神に対して無礼であろう!」

「ううむ、普通に聞いただけなのだが………確認するぞ? お前は私を……私の様な種族に見覚えは無いんだな?」

 

 何故か念を押して聞いて来るアンデッドに、アルヴヘイトはさらに苛立ちを募らせた。質問の意図が分からないが、こんな事をしている場合ではなかった。

 

「くっ、今は貴様の様な珍種を相手にしている暇などない! 喜べ、珍種! 貴様の事は我が主に直々に伝えてやろう!」

 

 捨て台詞を吐き、アルヴヘイトは“神域”に繋がる転移門を開こうとする。しかし———。

 

「な、何だ!? 何故、転移門が起動しない!」

 

 普段ならば息を吸う様に自在に使えた空間魔法。それが何か別の力に阻害されている様な感覚に、アルヴヘイトは驚愕のあまりに叫んだ。それに応える様にアンデッドの魔物は言葉を発した。

 

「無駄だ。ここら辺一帯に、転移阻害が発動されている。残念だが、転移魔法で逃げるのは不可能なのだよ」

「何だと………?」

 

 アンデッドの魔物の言った内容にアルヴヘイトは顔を青くする。神である自分の転移魔法に妨害をかけるなど、人間には不可能な筈だ。それを考えながら、アルヴヘイトはふとアンデッドの魔物の後ろにいる真紅の甲冑の少女を見て思い出した。それはつい先程、気のせいだと見逃してしまった不可解な出来事だ。

 

「なるほど、分かったぞ……その紅い甲冑の女、私の“神言”を不完全ながらも防いでいたな。つまり、貴様が神代魔法の使い手か! 察するに、そのアンデッドは変成魔法で作り出した魔物といった所か!」

「……はぁ? お前、何を言って———」

「その通り。彼女こそが私の主人だ」

「へ? ……んぎっ!?」

 

 アンデッドが首肯したのに間の抜けた声を出し掛けた紅い甲冑の少女は隣にいた黒い甲冑の人物に足を踏まれていたが、アルヴヘイトは自分の推理に納得して思考に埋没した為に気が付かなかった。

 

(そうか……! かつて人間の身でありながら、不遜にも我が主と同じく神代魔法を行使した“反逆者”がいたと聞いたが、こやつはその子孫……いや、あるいは“反逆者”そのものか!)

 

 生憎と自分がエヒトルジュエに作られる前の出来事なのでアルヴヘイトには面識は無いが、神たる自分の力に抗う程の力の持ち主ならば納得はいった。神代魔法を修得したならば寿命を伸ばす事は可能だし、それにアルヴヘイトの空間魔法に干渉する事も不可能ではない。エヒトルジュエの話では確か“反逆者”の一人に若い少女がいたという話だ。それを裏付ける様にアンデッドの魔物が挑発的な声を出した。

 

「この御方こそが神代魔法の使い手にして、“解放者”達の遺志を受け継ぐ者。そして私はこの御方、そして“解放者"達が遺した力によって生み出された守護者である。いま、貴様の空間魔法はこの御方によって封じられた。この御方を倒せば空間魔法は解除されるが、その前に私を倒さなくては指一本触れる事は叶わないと知れ」

 

 そこで、アンデッドの魔物がわざとらしく肩をすくめた。

 

「まぁ、エヒトルジュエの使い魔風情に出来るわけがないがね」

 

 その一言は、アルヴヘイトの自尊心をひどく傷付けた。たかが魔物風情に、そこまで言われる道理などない。アルヴヘイトは胸の中で煮えたぎる怒りを顕にして、アンデッドの魔物を睨み付けた。

 

「ほう………よく言った。神を相手に、そこまで不遜な態度を取った代償は覚悟しているのであろうな?」

 

 ズン、と空気が重くなる。それは重力となって、アルヴヘイトの周りを押し潰す様に現れた。

 創造主であるエヒトルジュエに劣るとはいえ、腐っても神の一柱。

 神の怒りを前にして、アルヴヘイトの周りにいた魔人族達は顔を青くして膝から崩れ落ちた。

 

「神の怒りを思い知るが良い! どの道、このまま“神域”に戻っても私に待つ運命は破滅だけだ! ならば、貴様を縊り殺し、貴様の主はエヒトルジュエ様への捧げ物として、持ち帰るとしよう!」

 

 空気が放電させながら、アルヴヘイトは魔力を解放させる。その魔力は圧倒的で、それこそ魔人族達を圧倒している仔山羊達にも見劣りしない程であった。

 アルヴヘイトは口元を吊り上げる。先程から観察しているが、アンデッドの魔物達の魔力は自分より()()()()()()()()()。仔山羊の化け物には驚いたものの、あれ程の規模の大魔法だ。それで力を使い果たしたのだろう。

 そして()()()()()()ながらも、この中ではアンデッドの魔物が一番強かった。あの魔物が“反逆者”達の力を束ねて作られたというのは嘘ではないのだろう。それでも()()()()()()()()()()()()()()()()なら、切り札であるアンデッドの魔物を倒せば主人である紅い甲冑の少女を殺してこの場から離脱する事は難しくはない。

 

「ならば、正々堂々と一対一で戦おうじゃないか。エヒトルジュエや“解放者”達に作られた者同士、どちらが優れていたか明白になるだろう」

「神を前にして、どこまでも不遜な態度………もはや慈悲は無いと思え、アンデッド!!」

 

 邪悪なアンデッドの魔物に、魔人族の神アルヴヘイトは神罰を執行する様に光のエネルギーを宿した手を振り上げる。

 

 不死の支配者にして魔導の王。

 この世界の唯一神に創られた魔人族の王。

 二人の魔の王の戦いが、いま幕を開けた。




>綾子&永山達

 トラウマレベルの体験になったけど、ラッキー中のラッキーを引けた人達。流石に彼等が無惨に殺されるのはなぁ、と作者も仏心が出た。

>アインズ

「対戦相手に偽の情報を掴ませるのは基本中の基本だぞ?」

 描写の都合上で書けなかったけど、ちゃんと道中でバフや情報隠蔽系に魔法は使用済みです。

>魔導王VS魔王

 次回、世紀の対戦が幕を開ける!
 魔の王としての格の違いを見せてやれ!
 アルヴヘイトの戦いはこれからだ! エヒトルジュエから貰った力が、魔導王を打ち破ると信じて……!!


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第百十五話『魔王VS魔導王 ①』

 戦闘描写が上手な人が羨ましい。ほぼご都合主義な展開ですが、アインズVSアルヴヘイトの戦いをお楽しみ下さい。


『神たるアルヴヘイトが命じる! 平伏せよ!!』

「ぐぅ!? ……魂絶!」

 

 アルヴヘイトが“神言”で命じると、アインズが大きな声を上げながらよろめいたが、呪文らしき単語を唱えると持ち直した様にしっかりと立つ。

 

「無駄だ、先程とは違うぞ! 精神防御対策はしてきた!」

「神の言葉に抗うとは生意気な! だが、完全に防げては無いようだな、アンデッド! 目に見えて動きが悪くなってるぞ!」

「ちぃっ! 黒騎士、私の主人を守ってくれ! 私の主人は転移を防ぐ結界を張っているから動けん! 私が全力で魔王を討ってみせる!」

「そうそう。あの御……あの者の言う通りに、妾の事を全力で守りなんし! 妾は動けないでありんすからね!」

「……かしこまりました。どうか貴方様もお気をつけて」

 

 素顔が見えていれば、横目で調子に乗っているシャルティアを睨んでいるであろう苦々しい声を出しながらアルベドは前に出る。それを見ながらアルヴヘイトは嘲笑を浮かべた。

 

(馬鹿め! 自分の状況をわざわざ知らせるなど、所詮はアンデッドの浅知恵だ!)

 

 神である自分の転移を封印する程の神代魔法だ。その魔法の維持には術者は近くにいなくてはならず、その間に“解放者”達の魔力を束ねて作ったというアンデッドでどうにかこちらを倒すつもりだったのだろう。しかし、先程の人間達を跪かせた時とは違い、アルヴヘイトが本気で魔力を込めた“神言”にはどうにか抗うので精一杯の様だ。苦しげな声を上げているアインズを見て、先程から予想外の事態の連続で溜まっていた鬱憤が晴れるのを感じていた。

 

(とはいえ、やはり神域への“転移”は封じられたままか……まあ、いい。あの山羊の魔物が来るまでの時間で、こやつらを殺すには十分だろう)

 

 遠くに見える仔山羊達は脅威ではあるが、たった五匹しかいない。“真の神の使徒”達は混乱を起こして使い物にならなくなったとはいえ、まだ数万体はいる彼女達自身が“肉の壁”となっている事でアルヴヘイトの所まではまだ到達出来ていなかった。

 魔導国の軍もまた同様だ。これも魔人族達が“肉の壁”となり、アルヴヘイトの所に来るまでまだ猶予はあった。

 そう考えると、状況はまだアルヴヘイトにも分がある。今後、主であるエヒトルジュエの障害となりそうな“神代魔法の使い手の少女”の首を持ち帰れば、魔人族や“使徒”(役に立たないゴミ)達の犠牲ぐらい安い物だとアルヴヘイトは考えていた。

 しかも、その少女は転移魔法を封じる為に動けず、自分を倒す為に当ててきたアンデッドは“神言”の効き具合から明らかに自分より弱いだろう。唯一、少女の護衛役としている“黒騎士”と呼ばれた女の実力は分からないが、相手にしているアンデッドより強いという事は無い筈だ。自分を殺せる千載一遇のチャンスに戦力の出し惜しみなどするとは考えられないからだ。

 

(まずは“反逆者”共の力を束ねて作ったというアンデッドから殺してくれる! クズの寄せ集めで作った魔物など神たる私からすれば無惨に破壊される程度だったと知り、神に挑んだ愚かさを身に刻むが良い!)

 

 アルヴヘイトは無詠唱で魔法を放ちながら、嗜虐的な笑みでアインズを殺すべく動き出した。

 

 ***

 

「“天灼”!!」

「〈魔法三重化(トリプレットマジック)〉——“重力壁(グラヴィティ・ウォール)”!」

 

 アルヴヘイトの手から雷が迸る。その名の通り、天を灼く様な雷霆はアインズが発生させた重力の力場の壁に阻まれた。三重に張った重力の壁は二枚貫通され、三枚目は硝子が罅割れる音と共に辛くもアルヴヘイトの魔法を防いだ。

 

「小癪な! だが、“天灼”はまだまだ撃てるぞ! そらそらぁっ!」

「ぐぬぅっ……!」

 

 獲物を甚振る様に、アルヴヘイトは次々と雷霆を放つ。

 アインズはもう一度三重に発動させた“重力壁”を発動させながら、苦悶の声を上げる——振りをした。

 

(さて……まずは思惑通りにいったか)

 

 アルヴヘイトが撃ってくる魔法を重力魔法——トータスの魔法で防ぐ。アインズが魔法詠唱者(マジックキャスター)系の職業レベルが高いからか、ミレディの迷宮で習得した重力魔法は特に相性が良く、アインズは研究や実験の末に魔法三重化(トリプレットマジック)などのユグドラシルのスキルを組み合わせる事に成功していた。

 

『——アルベド、一対一と言ったがあれは嘘だ。もし私が不利になったら、協力して奴を殺すぞ。シャルティアにもこっそりと伝えておいてくれ。それと不可視化させたヴィクティムも近くにいるな? いざとなったらヴィクティムの足止めスキルも使うぞ』

 

 無詠唱化した〈伝言(メッセージ)〉でアインズは伝えた。

 命の奪い合いで正々堂々一対一で戦うなど愚の骨頂だ。本来なら背後にいるアルベド達と共に、三人掛かりで全力でアルヴヘイトを叩き潰した方が手っ取り早いだろう。

 

 しかし、それをしなかったのには理由がある。

 

 ユグドラシルにおいて、神と名の付くボスキャラはギルドが連合を組んで戦う程のレイドボスから、雑魚イベントのボス程度までピンキリだ。〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉などの探知系魔法で見たアルヴヘイトの体力(HP)量や魔力(MP)量はレイドボスとは呼べない程度だが、アインズの様に〈虚偽情報(フォールスデータ)魔力(マナ)〉などでステータスを偽装している可能性がある。相手の態度から欺瞞の可能性は低そうだが、万が一アインズ達では削り切れない様な体力だったならば撤退を第一に考えるべきだろう。この場から全力で逃げる時の為に、ナザリックでも最強格である二人には力を温存して貰いたかった。

 

(それにアルヴヘイトが私の未知のスキルなり、魔法を使って来るとも限らん。以前、捕まえた魔人族(フリード)でユグドラシルの魔法やスキルでも神代魔法を防げると実験できたが、油断すべきじゃないな)

 

 だからこそ、まずはアルヴヘイトから出来る限りの情報を引き出す必要がある。情報が分からないアルヴヘイトに対して、こちらがギリギリで猛攻を凌いでいる様に演じて良い気分になってもらい、手の内を晒させる必要があるのだ。

 アインズが先程から“神言”の効果で動きが悪くなった様に見せているのも、アルヴヘイトにとっては既知であるトータスの魔法のみを使用しているのも、全ては油断を誘う為だ。

 

(無論、〈時間停止(タイムストップ)〉などの強力な魔法を使って初見殺しをするのも手だが……相手が時間停止対策をしていた場合、俺を未知の強敵と判断して逃げの一手を取られたら面倒だ)

 

 ここで逃さず、確実に殺す。

 

 アインズは改めて決心する。

 シャルティアを“解放者”と騙り、さらには転移魔法を防ぐ為に動けないと嘘をついた。シャルティアへの障害であるアインズが苦戦を演じる事で、アルヴヘイトは簡単に片付くものと判断して先程からアインズばかりを標的にしている。

 相手の行動を縛り、一目散に撤退するよりも障害の撃破が容易に見える様に、アインズは慎重にブラフを重ねたのだ。

 

(サ、サ……なんだったか。そうだ。サンキューコスト効果だ。これを上手く積み重ねられるかどうか……。見破られないと良いんだが……。相手の戦闘経験値が低い事を期待するしかないな)

 

 ***

 

(なんという事……)

 

 シャルティアの護衛の為に動けない振りをしながら、アルベドは自分達の主人の神算鬼謀に絶句していた。

 

『アルベド、どうしてアインズ様は私達に待機する様に命じられたでありんすか? あの程度の敵、ぬしと私がアインズ様にお力添えすればすぐに片付くでありんしょうに?』

『あら? 貴方、分からないというの? 演技とはいえ、アインズ様の主人なのに?』

 

 うぐっ、と念話を通じてシャルティアの気不味い沈黙が流れる。先程の意趣返しが出来て溜飲が下がったアルベドは優しく教える様に念話で話した。

 

『良いかしら? アインズ様の狙いは一つ……魔王を名乗る不届き者を逃さず、確実に始末する為に泥沼に引き摺り込む事よ』

 

 未知の敵と遭遇し、どうしても戦わざるを得ない状況の場合、どこで撤退の判断をすべきだろうか。

 様々な意見はあるだろうが、分かりやすいのは自分の体力が一定ラインを下回った時だろう。

 しかし、ここで体力が十分にあり、魔力だけしか減っていない時はどうだろうか?

 あともう少しで勝てそうで、時間制限もまだ致命的ではなかったら?

 それはギャンブルで必要以上に賭け金を上乗せ(ベット)してしまう様なものだ。頭では理解していても、ここで止めるのは勿体無いと冷静な判断が出来ない。経験者は過去の失敗で得た教訓や自分なりの線引きを決めて、どこで損切りを行うか判断するだろう。

 つまり、戦闘経験が少なく、対戦相手の情報収集を怠っている者は損切りの判断が上手く行えないのだ。

 

『アインズ様はそれを最初から見抜いていたのよ。魔王を名乗る不届き者が、戦闘に関して素人同然だという事に』

『ま、まさか………最初にわざわざ自分の様な種族を見た事はないか? と聞いていたのも、この為でありんすか!?』

 

 アルベドの指摘の通り、アルヴヘイトの戦い方は然程洗練されていなかった。

 無詠唱で放たれる魔法の威力こそ目を見張るものがあるものの、特に考えなしに威力の高い魔法を放っているだけだ。しかもアインズが“天灼”で苦悶の声を上げていたから有効だと判断したのか、先程から雷属性の魔法を連発している。手品のタネが分かっている立場からすれば、これ程滑稽な場面は無いだろう。そもそもアインズの様なスケルトン系のアンデッドには冷気や雷への完全耐性があるというのに。

 

 エヒトルジュエによって作られた魔人族の神・アルヴヘイト。

 彼はエヒトルジュエを除けば、この世界では最強のステータスを持って生まれた。

 しかし、だからこそアルヴヘイトは戦闘を経験した事など無かった。

 エヒトルジュエによって“解放者"の様な抵抗勢力は徹底的に潰され、その後の盤面を維持する為だけに生み出された彼の敵となる者などトータスにはおらず、エヒトルジュエ(自分の創造主)を除けばまさしく無敵であったが故に、生まれ持ったスペックだけで全てゴリ押せると疑う事すらしない。それがアルヴヘイトだったのだ。

 

(さすがはアインズ様……やはり貴方こそが、ナザリックの唯一の支配者……!)

 

 アルベドの身体がぶるりと震える。それは絶対の力を持ちながら格下相手でも決して慢心せず、何重もの罠を張って確実に殺しにかかるアインズに対する畏怖であり、そんな神算鬼謀の頭脳の持ち主に自分が支配されているという喜びからくるものだった。そして——。

 

『ああ、至高なる我が君! 演技の為と分かっていても、私を守る為に戦われるなんて……その御姿も、なんと勇ましい! やはり貴方こそが私の全てを捧げるに相応しい御方……!』

 

 シャルティアが念話で熱の籠った声を上げる。スポイトランスを握ってない手でしきりに下腹部を摩っているが、さすがに今の状況では()()している様だ。アルベドはそれを憐れみすら籠った優越感を感じながら見つめる。

 

(馬鹿ね、シャルティア。アインズ様は既にこの私に御寵愛を下さると約束されているのに)

 

 何故なら自分は他ならぬアインズ自身に『モモンガを愛している』と在り方(設定)を定められたのだ。だからこそ、アインズから最初に寵愛を賜るのは自分だとアルベドは疑っていなかった。

 

(まあ、いいわ。アインズ様の第二王妃としてなら、許しましょう。これより世界(トータス)を支配される偉大な御方が一人しか妃がいないというのは奇妙な話ですもの)

 

 アルベドはそこで思考を打ち切り、目の前のアインズの戦いに集中する。

 アインズが大々的にトータスの支配者として名乗り上げる為に、贄として捧げられる偽りの魔王の最期を。

 自らが既に断頭台に上っていると知らず、アインズの思惑通りに踊っている神の最期を見届ける為に。

 

 ***

 

「ええい、いい加減にしろ雑魚がッ!」

 

 もはや何発、何十発目の魔法なのか分からず、アルヴヘイトは苛立った声を上げた。アルヴヘイトの魔法は強力だ。魔人族はおろか、“使徒”すらも軽く超える威力の魔法を息切れする事なく次々と放っているのは、エヒトルジュエに造られたとはいえ神の一柱だけの事はあるだろう。

 しかし、今の状況にはアルヴヘイトも疲労感を覚えずにはいられなかった。

 先程から“天灼”に限らず、炎、氷、風と様々な最上級魔法でアインズを攻撃しているのだが、その全てが“重力壁”に阻まれていた。“重力壁”の一枚の強度は脆く、アルヴヘイトにとって簡単に壊せる程度だが、それを何枚も重ねる事でアインズは攻撃を受けない様に立ち回っていたのだ。

 初めは「雑魚なりに工夫したものだ」とアルヴヘイトは冷笑と共に感心したが、それを何度も続けられるともはや苛立ちしか湧かない。

 

「神の前で下らない小細工をするな! 堂々と戦う気は無いのか!」

「——戦いにおいて、策を練るのは当然じゃないか? 分かりきった事を聞かないでくれ」

「っ、アンデッドの分際で減らず口を……ッ!」

 

 淡々と返すアインズに対して、アルヴヘイトの額に青筋が浮かぶ。千日手の様な状況に苛立ちが顔に浮かんでいる自分に対して、アインズは攻撃の度にくもぐった声を上げるものの、それ以外は全く痛痒している様子は無いのだ。そもそも表情の無い骸骨の顔である為に、今の状況で本当にアインズを苦しめられているかどうかすら分からない。それがアルヴヘイトを尚の事苛立たせていた。

 

(くっ、これ以上グズグズしていては奴等の味方が“使徒(木偶)”や魔人族(駒達)を潰してこちらに来てしまう! まさか最初からそれが狙いだったのか?)

 

 未だに“使徒“達や魔人族の絶叫や悲鳴が聞こえるから()()()はまだ保っている様だが、それとて無限ではない。自分のプライドを優先するあまり、貴重な時間を浪費してしまった事にアルヴヘイトはようやく気付けていた。

 

(ならば、気に食わぬが……こんな取るに足らない下等生物共に策を弄するなど、本当に気に食わぬが。奴の主人を狙い撃ちして、隙を——)

 

「——そろそろか」

 

 不意に——アインズが小さく、しかしはっきりと呟く。アインズの背後にいるシャルティア達を狙って魔法を撃とうとしたアルヴヘイトは、肩透かしを食らった形となってアインズを睨んだ。

 

「ああ、お前の事は()()()()()()()()()。とりあえず、魔力は十分に減ったしな」

「……何?」

 

 アインズの言っている事が分からず、アルヴヘイトは怪訝な顔になった。確かに先程から魔法を連発してかなり魔力は減った。しかし、それが何だと言うのか? 神であるアルヴヘイトが内蔵している魔力量は魔人族はおろか“使徒”を束にしても尚大きく、そして未だに()()()()()()()()()()()()()()。何より擦り傷すら負っていないから体力は減ってすらいない。状況はアルヴヘイトが有利である事実しか示していない筈だ。

 

(私の魔力が多少減ったから何だと……いや、待て)

 

 ここでようやく、アルヴヘイトは奇妙な事に気付いた。

 相手のアンデッドは自分より弱い。それは魔力を見て、そう判断した。

 だが——そんな弱い魔力で、どうやって自分の魔力が目減りする程に“重力壁”を何枚も展開する事が出来たのだろうか?

 

「いや、まさか……ありえん! 下らない欺瞞だ、アンデッドッ!」

 

 瞬間、神である自分がまんまと謀られたという可能性が頭に過ぎり、それを否定する様にアルヴヘイトは両手に魔力を集中させる。今まで撃った中で、最も相手が苦悶の声を上げていた“天灼”を最大威力で放とうと、振り上げた両手に巨大な雷霆を集中させ——。

 

「——“圧縮”」

 

 クシャ、と何かが潰れる音がアルヴヘイトの頭上で響いた。それと同時に頭上でバチバチと放電していた雷霆の音も途切れた。

 何事か、とアルヴヘイトは思わず視線を上に向ける。そこに先程までアインズに目掛けて撃とうとした“天灼”の姿は無く——代わりに手首から先が消失した自分の両腕が見えた。

 

「……は? ぎぃああああああああっ!?」

()()()()()など、全くもって趣味じゃないんだが——」

 

 突然起きた不可思議な現象と、生まれて初めて感じる痛みにアルヴヘイトが絶叫を上げる中、アインズの静かな声が響く。

 アインズの片手は持ち上げられていて、不自然な位置で拳を固く閉じていた——まるでアルヴヘイトの“天灼”と両手を空間ごと握り潰した様に。

 

「恨むなら戦闘経験を積まないまま、PVPをやろうとした自分自身を恨め。今日は遠慮なく養分にさせて貰うぞ」




>アルヴヘイト戦

 オーバーロード原作でのエルフ王デケム戦とほぼ同じ流れです。今まで圧倒的なステータスでゴリ押ししても困る様な事態なんて無かっただろうし、そもそも人間達を洗脳して戦争し合っているのを高みの見物していただけだから戦闘経験など皆無だろうと考えました。相手の弱点属性とか考えずに強い魔法をぶっ放すだけの戦法に、慎重派のアインズ様もPVP初心者と気付いた様です。

>サンキューコスト効果

 正確にはサンクコスト効果。そもそも英語表記はsunk costだから、thankではない。原作にもあったけど、ここら辺はアインズがうろ覚えの知識だったからという事で。
 簡単に言うと掛かった費用や時間が大きいほど、損切りが容易に行えなくなる状態の事。だから自分がガチャで●万円爆死したのもサンクコスト効果のせいなのだよ……(白目)

>“重力壁”、“圧縮”

 アインズが習得した重力魔法や空間魔法から作り出したオリジナル魔法。原作でもユエが神代魔法を組み合わせてオリジナル呪文を作っていたし、魔法の研究に熱心なアインズなら自分が使いやすい様にオリジナル魔法くらい作るだろうなと考えました。
 “重力壁”はその名の通り、重力波でバリアーやシールドを作る魔法。無属性で空中でも展開できるから“骸骨壁(スケルトンウォール)”より使い勝手は良いとか。
 “圧縮”は重力魔法と空間魔法の組み合わせ。極小のブラックホールを発生させ、対象を超重力で圧縮する。やってる事はFateのパッションリップと同じ感じ。


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第百十六話『魔王VS魔導王 ②』

 予定ではスパッと終わるつもりだったけど、書いてみると何故か長引く……そんな経験ありません? 自分のプロットが甘いだけかもしれないけど。なんならプロットとは別の展開に収まっちゃったし。


「がああああああっ!? おのれっ、アンデッド風情がっ!!」

「ふむ? 回復魔法……いや、これは時間の巻き戻しか? 私の知らない神代魔法と見るべきか」

 

 消失した筈のアルヴヘイトの両手が動画を逆再生した様に元通りになる。しかし、アインズはそれを見ても予想していたかの様に冷静な声を出すだけだった。それを見て、アルヴヘイトは目を血走らせながら激昂した。

 

「図に乗るな、アンデッド! 神たる私に血を流させた罪は重いぞっ!!」

 

 生まれて初めて“痛い”という感情を味わい、神として作られた自分がそんな思いをした事にアルヴヘイトは怒り狂っていた。

 そうだ。自分はこの世界(トータス)の唯一神エヒトルジュエに作られた魔人族の神だ。そんな自分が、こんな思いをするなど間違っている。だから、こんな取るに足らないアンデッド相手に傷を負わせられたのは間違いだ。油断していただけだ。先程のは……何かの間違いだ!

 

 アルヴヘイトは再生させた両手を指揮者の様に高く上げる。するとアルヴヘイトの背に白金の魔力光が収束し、光り輝く巨大な翼が生えた。アルヴヘイトを中心に魔力光を放つ翼を広げる姿は、外面だけは神と呼ぶに相応しいものだった。神としての力を全面に出したアルヴヘイトが腕を一振りすると満天の星の様に光弾が浮かび、アインズはおろか背後にいるシャルティア達も取り囲んだ。

 

「もはや容赦はせんっ! 貴様の主諸共、消え失せろおおおおっ!!」

 

 アルヴヘイトが腕を振り下ろすと、光弾がアインズ達へ殺到する。まさに流星群の様に全ての光弾が降り注ごうとし——。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)——超・重力渦(グラヴィティメイルシュトローム)〉」

 

 アインズがスタッフを掲げると、スタッフの先に漆黒の球体が生じる。球体は大玉を形成し、回転を始めると光弾は一斉に軌道を変えた。まるで星々を呑み込むブラックホールの様に、超重力の渦は光弾を全て自分の元へと吸い寄せた。

 

「な、あ……っ!?」

「やはり重力魔法を組み合わせると、既存の属性魔法でも強力な効果になるな。“重力”と銘打っているが、実質は物質エネルギーに干渉する様な魔法なのだろうな」

 

 自分の光弾が全て無効化された事にアルヴヘイトが言葉を失う中、アインズは〈重力渦〉によって引き寄せられた光弾の群れを見ながら興味深く観察した。

 

「さて……せっかくの贈り物だが、これはお返ししよう」

 

 アインズがスタッフを振ると、光弾を吸引したままの〈重力渦〉がバットで打ち返された様にアルヴヘイトに迫る。

 

「な……舐めるなっ!」

 

 アルヴヘイトは迫り来る重力球を迎撃する為に再び手を振り上げる。

 先程、アインズがやった様に重力魔法で〈重力渦〉ごと空間を握り潰そうとした。

 

「〈大顎の竜巻(シャークスサイクロン)〉!」

 

 だが、それより先にアインズの魔法が発動される。砂漠の地に突然、巨大な鮫を伴った竜巻が現れ、アルヴヘイトの身体を呑み込む。

 

「ぐぬっ!? がああああああっ!!」

 

 アルヴヘイトが竜巻に驚くのも束の間、〈重力渦〉が追いつき、魔法が発動する。超重力の渦と留められていた無数の光弾、そして大鮫の竜巻に巻き込まれ、アルヴヘイトの身体をズタズタに引き裂いていく。

 

「か、神たる私にこの様な無礼をおおおおっ!!」

 

 アルヴヘイトが大きく翼を動かすと、突風と共に周りの魔法が弾け飛んだ。そして魔法の爆発から逃れる様にアルヴヘイトは空へと上昇する。

 

「許さぬぅぅ、許さんぞアンデッ、ガハッ!?」

「言い忘れていたがな、その辺りには罠があるから危ないぞ」

 

 再び爆発音が響く。上空へと逃れようとしたアルヴヘイトに仕掛けられていた〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)爆撃機雷(エクスプロードマイン)〉が起動する。

 生じた三重の衝撃波により、アルヴヘイトの身体は地面へと押し戻される。その姿にアインズは優しく声を掛けた。

 

「ああ、すまない。忠告が遅かった事を許してくれ——〈魔法最強化(マキシマイズマジック)負の爆裂(ネガティブバースト)〉!」

 

 謝る様な口調と共にアインズは黒い光の波動を放つ。〈爆撃機雷(エクスプロードマイン)〉によって地面へと落とされたアルヴヘイトは、ギョッとした顔になりながらガードする様に光翼を身体の前で閉じる。それを見たアインズはアルヴヘイトを呼び止める様に手を伸ばし——。

 

「〈圧縮(コンプレッション)〉!」

 

 次の瞬間、アルヴヘイトを覆い隠していた光翼が空間ごと握り潰される。防御を担う筈だった光翼が消えて、無防備となったアルヴヘイトに負のエネルギーの波動が衝突する。

 

「ぎゃあああああああっ!! なんだこれはッ!?」

「予想はしていたが、やはり闇属性が弱点か。そこら辺はユグドラシルの神聖属性のモンスターと変わらない様だな」

 

 光を喰らう闇のエネルギーというトータスでは未知の属性攻撃を受けて、アルヴヘイトは悶絶する。その様子にアインズは変わらず淡々と呟いた。

 

「しかし、トータスの重力魔法を使うと魔力(MP)消費量が大きくなるか。濫用は避けなくてはならないな……こういった事も知れるから、実戦は非常に勉強になる」

「ふ……ふざけるなよアンデッドォォォォォッ!!」

 

 淡々と——それも自分の技術を確かめる様に淡々と呟くアインズに、アルヴヘイトは痛みすら忘れて激昂した。光翼が再び強く輝き、時間を巻き戻す様に傷付いたアルヴヘイトの身体が再生していく。

 

「ふむ。やはりただの回復魔法では無いな。だが、再生する度に魔力(MP)が減っているのは確かだな。忠告してやるが、魔力はもっと計画的に使った方が良いぞ?」

「黙れ、アンデッドッ! 神たる私に対する数々の狼藉! もはや許さんッ!!」

「おや? 他人の忠告は素直に聞いた方が良いと思うがね。ああ、すまない。無理な話だな。自分よりレベルの低い人間達を玩具にして遊んでいただけの、エヒトルジュエの使()()()でしかない君にそこまでの器量を期待できるわけがないか。しかし、なんだな……君の主人を見ていると、幼児が集まる砂場を占拠して威張り散らしている小学生を見ている気分になるな」

「貴様ッ! エヒトルジュエ様を侮辱するかッ!!」

 

 傷一つ無い美しい元の姿に戻りながらも、アルヴヘイトは怒り狂った。まるで上級者が初心者(ルーキー)にアドバイスする様な物言いをするアインズに腹が立ち、何より自分の主人を貶された事に沸騰した脳はアルヴヘイトから正常な判断能力を奪っていた。

 アルヴヘイトは再び光翼を広げる。すると翼の羽が抜け落ちる様に何枚も舞い、そこへ更にアルヴヘイトが魔力を込めると羽は次々と光り輝く人型を形作っていく。光り輝く人型の両手には双大剣が握られており、まるで“使徒”達を模して作った様な人型の兵士が次々と出来上がっていく。

 

「召喚? いや、これは……生成魔法で自分の魔力からエレメンタル系の魔物を作り出したのか? 生成魔法にはこんな使い方もあったのか……なるほど、これは勉強になる」

「いつまでも良い気になってるなよ、アンデッド! 神である私の魔力を使って作られた“使徒"だ! 勝手に狂い出した木偶人形共とはワケが違うぞっ!」

 

 アルヴヘイトの叫びに応える様に、光の人型達は双大剣を構える。その数は百を超えており、彼等が発する圧力は“使徒”を上回っている。アルヴヘイトが宣言するだけの実力はあるのだろう。

 

「かかれっ!!」

 

 “光の使徒”達は一斉にアインズに殺到する。それにアインズが対処する為にスタッフを振り上げるのを見て、アルヴヘイトはニヤリと嘲笑った。

 

(馬鹿め、掛かったな!)

 

 アインズが大勢の“光の使徒”達に囲まれて視界が塞がれた瞬間に、アルヴヘイトは“天在”を使った。

 “天在”は空間魔法とは異なる原理で空間を捻じ曲げる魔法だ。これを使い、アルヴヘイトは通常の空間魔法の様に転移門を使用しない空間転移や離れた場所にある物体の引き寄せ(アポート)転送(アスポート)などを可能にしていた。

 

(あのアンデッドの力は想像以上だ! そこは認めてやる! だが……奴の主達は別だ!)

 

 激昂し、我を忘れた様に“光の使徒”達にアインズの攻撃を命じたアルヴヘイト。しかし、彼は考え無しに行動に移したわけではない。“光の使徒”達も、アルヴヘイトの魔力を直接使ったとはいえ()()()()()()ぐらいにしか機能しないだろうと判断していた。だが、ほんの少しの間アインズを足止め出来れば十分だった。

 

(確かに“神域”への転移は封じられたが、見える距離程度ならば転移は可能だ!)

 

 アルヴヘイトはアインズに全て突撃させたと見せかけ、手元に残した数体の“光の使徒”達をシャルティア達の背後に転移させた。気配を感じ取ったのか、シャルティアとアルベドが同時に“光の使徒”達に振り返ったが、もう遅いとほくそ笑む。

 

「死ねえええぇぇぇええッ!!」

 

 アルヴヘイトの号令と共に“光の使徒”達が双大剣を振りかぶる。人間には決して反応できない速度で振るわれ、次の瞬間にはアンデッドの主である“解放者”達の首は飛んでいるものと確信し———それより早く、スポイトランスと“真なる無”が“光の使徒”達を消失させていた。

 

「……………あ?」

「ちょいと、護衛役。結局私が戦う事になりんしたけど、弁明はありんすかえ?」

「あら、御免なさいね。あの程度を敵とは思えなかったのよ。あ、貴方にとっては敵という認識だったのかしら? なにせ貧弱な“解放者”様だものねぇ?」

 

 自分の作り出した“光の使徒”が、貧弱な筈の()()達に一撃で消された事にアルヴヘイトの脳は理解を拒んでいた。しかも先程の出来事を無かった様に二人で睨み合いを始めたシャルティアとアルベドに、アルヴヘイトは数秒の思考の空白が生まれ——次の瞬間、光を塗り潰す様な巨大な闇が爆発して地を揺るがす。

 

「……なるほど、少しは考えたじゃないか」

 

 爆発の中心地——“光の使徒”達を全て消し飛ばし、アインズはアルヴヘイトへ声を掛けた。だが、アルヴヘイトには理解できた。その声は先程と違い、永久凍土すら尚生温く感じる程に底冷えしている事に。

 

「私も慢心が過ぎたな。こんな単純な手に引っ掛かるなど、ぷにっと萌えさんに叱られてしまう。ところで……私の大切な者達を傷付けようとした報いを受ける覚悟はあるんだろうな?」

「ア、アインズ様……! いま、私を大切と仰いましたか!?」

「無論、私の方でありんすよね!!」

「……ああ、うん。ちょっと黙ってような、二人共」

 

 ほんの少しだけ脱力した様な声をアインズは出したが、それはアルヴヘイトには何の救いにもならなかった。自分の魔法、戦術……その悉くが相手に何の効果も齎さず、アルヴヘイトの背に冷たい汗を感じ、胸の内側からゾクゾクと身体が震える様な感情――恐怖が湧き上がってくる。

 

(あ、あり得ない……私は……私は神だ! 唯一神エヒトルジュエ様に次ぎ、この世界(トータス)で最も優れた個体だ! その私が、こんなアンデッドなどに及ばないなど、ある……筈が………!)

 

 じり、とアインズが一歩踏み出す。それに対してアルヴヘイトは無意識に一歩後退した。

 

(な……何故私はいま後退した!? 私が……神である私が恐れたというのか!? アンデッドの魔物風情に? あり得ない……あってはならない!!)

 

 湧き上がる恐怖は、生まれて初めて感じる屈辱感で押し殺された。羞恥と憤怒で顔を染め上げ、アルヴヘイトは光翼を再び大きく広げた。

 

「おおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 光翼が強く光り輝く。アルヴヘイト自身のみならず、周囲の魔力が光翼へと集まり、巨大な光の剣を形成していった。

 

「ぐっ、おおおおおおっ……!?」

「お、お待ち下さい! アルヴヘイト神様!!」

 

 アルヴヘイトが周囲の魔力を根こそぎ集めていく中、未だに周囲にいた魔人族達が悲鳴が上がる。彼等の身体から魔力が強制的に抜け出て、アルヴヘイトの光翼へと吸い込まれていく。

 

「お待ち下さい……! こ、これ以上、魔力を吸われると我等が死んでしまいます……!」

「黙れッ! 貴様等などいくら死んでも構わん!」

「な……何を……!?」

 

 身体中の魔力が抜き取られる中、魔人族達は信じられない様な面持ちで自分達が崇めていた神を見つめた。

 

「所詮、貴様等は我が主の遊戯の駒だ! むしろ神の為に命を捧げられる事に感謝しろ! そして死ねッ!」

「ア……アルヴヘイト様っ……!!」

 

 魔人族達は絶望の表情を浮かべ、やがて身体の魔力を全て抜き取られて息を引き取った。

 そして味方すらも犠牲にして、まさに天を裂くかの様な巨大な光剣が形成される。

 

「……味方の魔力全てを集めた極大の神聖属性魔法か。なるほど、方法の是非はともかく、それなら私を滅ぼす事も可能だろうな」

「その余裕もここまでだっ! 私の全魔力を乗せた断罪の剣で、主諸共消え失せろおおおおぉぉぉっ!!」

 

 闇を全て晴らす様な巨大で神聖な光を剣の形に宿して、アルヴヘイトは吼える。それは光輝が切り札とする“神威”に似ていた。しかし、込められた魔力や熱量は桁外れだ。まさに神が悪しき者へ審判を下す断罪の剣の様に、上空の雲すらも蒸発させて聳え立つ。巨大な光の剣は、アンカジ公国は元より遠く離れた地でもはっきりと見えただろう。

 これぞ神の力。神の威光と全魔力を湛えた光の剣を前に、アインズは——。

 

「私も……超位魔法を使わずに神を倒せるなどと過小評価はしてないさ」

 

 そう言った瞬間——アインズがつけていた腕輪がピロリン♪ と安っぽい電子音と共に、幼い少女を演じた様な女の声を響かせた。

 

『予定したお時間が経過したよ! モモンガお兄ちゃん!』




 次回あたりにアンカジ公国の戦いが終わると良いなぁ……よし、頑張れ明日以降の自分(笑)


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第百十七話『魔王VS魔導王 ③』

 はい、いよいよ決着です。果たしてアルヴヘイトは、アインズに勝つ事が出来るのでしょうか? 泥で作ったタイタニック号に乗った気持ちで結末を見届けて下さい!


「アルベド、シャルティア。念の為に下がっていろ」

『はっ』

 

 アインズの命令を受けて、二人の従者は下がった。それを巨大な光剣を形成したアルヴヘイトは鼻で笑う。

 

「何だ? 今更()を逃した所でもう遅いわ! この魔法は貴様はおろか、戦場全てを焼き払う! 無駄な足掻きだぞ、アンデッド!!」

「そうか」

 

 自信をもって宣言するアルヴヘイトに対して、アインズは短く呟くだけだった。まるで神の威光そのものが地上に現れて、光すらも熱線となる様な断罪の光剣を前にしてアインズは冷静さを失わなかった。

 

「先程、時計が指定した時間の経過を教えてくれた。なあ、それは何の時間だと思う?」

「何を……?」

 

 質問の意図が分からず、アルヴヘイトは光剣に魔力を込めながら困惑した表情になる。

 

「質問を変えよう。この戦争の最初に私が使った〈黒き豊穣への贄(イア・シュブニグラス)〉。あれをどうして私は連発しなかったと思う?」

「お前が……使った……?」

 

 アルヴヘイトは鸚鵡返しに呟きながら、ふと考えてしまう。

 確かに魔人族や“使徒”達の数万人を一度に殺せた魔法を何度も使われていれば、肉の壁となっている残りの魔人族や“使徒”達すら死に絶えており、仔山羊達はアルヴヘイトへ一直線に来ていただろう。それをせず、魔人族達の相手は魔導国軍が行っている為にアルヴヘイトはあれ程の魔法は連発できないと思ったのだ。

 

「ああ、お前の予想通りだ。私はあの魔法を連発する事は出来ない——一定時間が経たなければな」

「…………は?」

 

 一瞬、言っている事が理解できずにアルヴヘイトは間の抜けた声を上げた。魔法は強力であればある程、魔力を多大に消費するものだ。それは神である自分やエヒトルジュエであろうと例外は無い摂理だ。あれ程の規模の魔法を発動させる魔力が短時間で回復するなど、それこそ自分の様に他者から奪わない限り無理な筈だ。

 ()()()()()()()でそう考える魔王に対して、ユグドラシル(異世界)から来た魔導王は種明かしをした。

 

「超位魔法は強力だが、発動後に大きなクールタイムが必要になる。だから先に使った方が不利になると言われるが——スキルの様に扱えるから、魔力(MP)を消費しないという利点もあるのだよ」

 

 サァッとアルヴヘイトは血の気を引くのを感じた。巨大な熱量を持った光剣が近くにあるというのに、背筋に冷たい汗が流れてくる。

 

「お前がユグドラシルの知識を持ってない事は戦っている内に確信が持てた。オーバーロード(私の種族)を知らなかった事、弱点属性も考えずに魔法を見せびらかす様に乱発していた事、そしてPVPの基本中の基本である情報隠蔽系の魔法を使った形跡すらない事……これだけ揃えば十分だよ」

「何を言って……ユグ、ドラシル? オーバーロード? 何だそれは? 知らん、そんな物は知らんぞ……!」

 

 トータスの唯一神であるエヒトルジュエの眷族神であるが故に、自分の主を除けば全知全能に限りなく近いと思っていたアルヴヘイトはアインズが次々と喋る未知の単語に狼狽えた。まるで、その無知が自分に破滅を齎すと理解したかの様に。

 

「後は再生能力のあるお前の魔力を如何に削り、再生が不可能なくらいのダメージ……それも一撃で喰らわせるか。それが肝心だった。唯一、誤算だったのはお前が味方を犠牲にしてまで発動する切り札があった事くらいだが……その魔法は味方すらも犠牲にしなければ発動出来ないなら、文字通りの意味で()()という事になるだろうな?」

「……あ、ああ、ああああっ!!」

「……()()()の超位魔法を撃てる時間は稼げた。魔力を全て攻撃に注ぎ込んだお前に、ガードされる心配も無くなった。忠告しただろう? 魔力は計画的に使え、と」

 

 全てアインズの計算ずくだった。最初、重力魔法で魔力を節約した弱い防御で耐え忍んだのも、その後の攻防で時間をかけていたのも。それにようやく気付いたアルヴヘイトの口から絶望の喘ぎ声が漏れた。

 

(ま、魔力を……! 何でも良い、こいつが出すという一撃を耐えられるぐらいの防御魔法を張らなくては! ああ、だが、もう残り魔力が……!? クソ、クソ、クソクソクソクソォォォォッ!!)

 

 神である自分をここまで追い詰めた相手が、無意味なハッタリを言う筈が無い。これから出す超位魔法とやらは、確実に自分に致命的な一撃となるだろう。

 しかし、それを理解した所でアルヴヘイトにはどうしようもなかった。持てる魔力は手加減していたアインズを甚振ろうとして魔法を無闇に乱発したり、先の攻防で身体を何度も再生させられたり、あるいは“光の使徒”を作る際に大幅に使ってしまっていた。

 そして今、アインズを消し飛ばす為に光剣を作り出してしまったから防御にまで回す余裕など無かった。最終手段として他者から奪うという方法があるが……たった今、その最終手段である魔人族達を自分の手で殺したのだ。

 アルヴヘイトに残された手は——もはや全魔力を載せてしまった光剣をアインズへ振り抜く事だけだ。

 

「ああああああああああああっ!!」

 

 アルヴヘイトが吠える。それは神の威厳など無く、死の間際を予感した生物が最後の悪足掻きをする様に必死な叫びだった。

 

「消エロオオオオオオォォォォォォォォッ!!」

 

 アルヴヘイトの光剣が振り下ろされる。

 巨大な光の柱を形成していた光剣は、まさに地上に降りた太陽の様だ。

 神の裁きを具現化した一撃は、神を殺そうとする邪悪なアンデッドを消滅させんと迫り——。

 

「超位魔法——」

 

 自らの弱点である聖なる裁きの光が迫る中、アインズは手元に出した砂時計をパキンッと割った。砂時計の効果により、膨大な詠唱時間が必要だった魔法は即座に発動した。

 

「〈星の孵化(アルス・ノヴァ)〉」

 

 その声と同時に、アインズのスタッフの先に黒い球体が生じた。

 それは先程の〈重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉に似ていた。だが、それよりも尚黒々とした球体で、まるで全てを吸い込まれそうな闇そのものだ。そして——それは何の比喩でも無かった。

 球体は徐々に大きくなり、やがて巨大な空間の虚となって全てを呑み込みだす。

 

「ああ、あああっ! 私の裁きの光剣がああああっ!?」

 

 アルヴヘイトが絶叫する中、神の裁きを宿した光剣が空間の虚に呑み込まれていく。

 それは光すらも逃れる事の出来ないブラックホールの様だ。空間の虚は巨大な光剣を歪曲させ、スパゲティの様に引き伸ばしながら闇へと引き摺り込んでいく。アルヴヘイトは自分の最大の攻撃がアインズに届く事なく呑み込まれていくのを見ながらも、自分が空間の虚に引き摺り込まれない様に精一杯に背中の光翼を羽ばたかせるので精一杯だった。

 

「うおおおおおおおっ!?」

 

 空間を歪ませ、全てを吸引する虚に吸い込まれまいとアルヴヘイトは必死に踏ん張る。今すぐ光剣を手放して逃走に全エネルギーを使いたかったが、空間の虚は戦場全てを焼き払う光剣のエネルギーを吸い込んでいるからこそ、()()自分を呑み込む程の吸引力を発揮していない事を本能的に理解してしまった。自分が呑み込まれない為にも、アルヴヘイトはアインズを倒す為に振り絞った光剣のエネルギーが無駄になっていると知りながらも空間の虚へ放出するしかなかった。

 アルヴヘイトの全魔力を込めた光剣が根こそぎ吸い尽かされていく中、無限に思えた時間にも終わりが来た。光剣のエネルギーを呑み込みながら、空間の虚は徐々に小さくなって拳大程の球体へと戻っていった。

 

「ああ……? 助かった、のか……?」

 

 光剣のエネルギーが全て吸い尽くされたが、空間の虚からの吸引が収まった事にアルヴヘイトは九死に一生を得た思いで安堵しかけた。

 

「——いや。私の魔法はまだ終わっていない」

 

 アインズの一言に、アルヴヘイトは顔を上げる。これ以上、何が起こるというのか? 

 そして——気付いてしまった。黒い球体は小さくなってはいるが、まだ変わらずに存在していた。

 ピシッと、黒い球体に罅が入る。そこから僅かに白い光が見えていた。

 

「エネルギーを極限にまで収束させた星は、やがて大きな爆発的なエネルギーとなって広がっていく」

 

 ピシッ、ピシッ! アインズが静かに説明する最中にも、黒い球体の罅は大きくなっていった。それは卵が孵化する様子に似ている、とアルヴヘイトは直感的に考えていた。

 

混沌(カオス)が収束した極小の宇宙卵から、天地開闢のエネルギーが生まれるそうだが……まあ、所詮は私個人の力で行われる魔法だ。そこまでの規模にはならないと思うがね」

 

 黒い球体の罅から大きな光が漏れ出す。生まれ出るエネルギーは、きっと自らに破滅を齎すのだと理解しながらも、魔力の尽きたアルヴヘイトはもはや地に膝を突いて見ている事しか出来なかった。

 

「さて……私の魔法はトータスの神を滅ぼすに足るか。そうである事を()()()()()、結末を見届けるとしよう」

 

 アインズが痛烈な皮肉を呟いた、その時——宇宙卵は一際大きな音と共に完全に割れた。

 そして——宇宙卵から強い光が割れて出た。光と闇が入り混じったエネルギーが膨張して、辺りを白い閃光で染め上げる。それは遥かな昔、宇宙に混沌しか無かった時代を終わらせたビッグバンを彷彿させた。

 普通の人間なら直視するだけで目が焼かれる閃光という意味なら、アルヴヘイトの光剣と似た様な物だろう。だが、アルヴヘイトの光剣が神の威光を具現化した様な神聖な光だったのに対して、宇宙卵から孵化した光はどこまでも白く、全てを呑み込む様な光だった。周りの全てを白く染め上げる強い光は、ともすれば白い闇と表現するべきだろう。

 アルヴヘイトが視界が全て白く染まると同時に——巨大な熱量が全てを呑み込んだ。

 

 ***

 

 絶死の光景は実際は十秒にも満たなかったのだろう。しかし、実際にはその何十倍にも感じられた。

 天地開闢のエネルギーはアルヴヘイトを中心とした魔法の効果範囲内で荒れ狂い、白い闇が天へと一直線に伸びる。爆発で起きた突風も、余波だけで肌が爛れそうな熱風も全て効果範囲内に収められた。範囲外となる円の外側には何も変化がない。今までと変わらない砂漠が広がっているだけだ。

 だが、効果範囲内の景色は一変していた。まるで巨人がスプーンで抉ったかの様に巨大なクレーターが作られ、あまりの熱量に砂漠の砂は炭化を通り越して結晶化されていた。

 

「ぁ……ぁ、がっ……」

 

 そんな生者の存在が許されない筈の爆心地の中心で、アルヴヘイトは生きていた。とはいえ、その身体は酷い有様だ。下半身は胴体から下が焼失し、それでいながら傷口は火傷の様に爛れた為に血止めとなってしまっていた。残る上半身も背中の光翼が原形すら留めずに焼失し、皮膚は高温の為にケロイド状になっていた。

 あれだけの爆発を間近で受け、通常の人間なら既に死んでいる様な重傷でありながら生きているのは理由があった。彼がエヒトルジュエの眷族神として通常の生物よりも高い生命力を宿している事——そして“今の”肉体が魔力が完全に尽きない限りは自動再生する吸血鬼であった事で、虫の息ながらも辛うじて死ぬ事はなかったのだ。

 

「やれやれ……相手の魔法のカウンターとしては使えるが、光属性と闇属性の魔法攻撃しか返せないのがこの魔法の難点だな」

 

 ザッ、ザッ——。

 

 結晶化した砂を踏みしめる音と共に聞こえた声に、辛うじて意識を保っていたアルヴヘイトの脳が恐怖一色に染まる。もしも下半身がまだあれば、みっともなく失禁してしまったかもしれない。

 もはや絶対の恐怖の対象であるアンデッド——アインズは、アルヴヘイトの側まで歩み寄っていた。アンカジの砂漠に差し込む太陽が、アインズの顔に影を作る。その姿が黄泉から来た死神を思わせて、アルヴヘイトは上半身だけ残った背筋をガタガタと震わせた。

 

「な……なぜ、これ程の魔法がありながら……最初に、使わなかった?」

 

 アルヴヘイトは震える声で、辛うじて呟く。それに対してアインズは軽く肩をすくめた。

 

「エヒトルジュエやお前は、私にとって未知の種族だ。神と名の付く相手はユグドラシルで色々と相手をしてきたが、お前達がそれらと同じとは限らない。トータスの神はどんな攻撃手段があり、逆にどんな攻撃手段なら有効打になるか。それを知っているか否かで勝敗が分けられると思わないか? エヒトルジュエの眷族であるお前は、練習相手として打ってつけだろうと考えた。だからこそ、出来る限りお前の攻撃を正面から受けていたわけだが……お前は全てを見せてくれたんだな?」

 

 ビクッ! とアルヴヘイトが震える。自分の創造主であり、唯一神であるエヒトルジュエと戦うなど、本来なら下等生物の叶わぬ妄想だと一笑に付しただろう。だが、この相手ならば本気でやれると身を以て証明された今は笑う事など出来なかった。そして――そんな絶大な力を持つ相手が、自分への興味を失くした事で待ち受けるだろう運命に強い恐怖感が湧き上がった。

 

「であれば——これ以上はお互いに無駄な時間だろう」

 

 スッと、スタッフを構えるアインズに、アルヴヘイトは上半身だけの身体を捩らせた。

 

「ま……待て。本当に待ってくれ、頼む」

 

 残った上半身を使い、どうにかアインズに平伏する様なポーズを取った。腹這いになって顔ごと地面の砂に埋める様な格好だが、もはや体面など気にしてはいられなかった。

 

「こ、降参だ。降参、する」

「ふむ」

「おま……貴方はエヒトルジュエ様、じゃなくてエヒトルジュエを倒そうとしているのだろう? 私はエヒトルジュエの情報を持っている。絶対に役に立つ」

「なるほど」

「……そ、それにだ。私は強いぞ。無論、貴方には劣るが……それに、そうだ! 私は魔人族の王だ! 私を配下にすれば、魔人族達も味方につける事が出来る! エヒトルジュエとの戦いで私は必ず魔人族達と先陣を切る事を約束するぞ。これでどうだ?」

「ほう」

「………ま、待って下さい! それだけじゃない! ほ、欲しい物があれば、魔人族の城の宝物庫から幾らでも持っていて構わな——いえ、是非持っていて下さい! 一つ残らず貴方様の物です!」

「そんなところか。売り込みは終わったか?」

「え、あ、いや………」

 

 アルヴヘイトの目が落ち着きなく泳ぐ。

 

「そ、そう。いや、違う。そ、それ以外にもいろ、色々ある、あるんだ。ほ、欲しい物があれば、絶対に手に入れてくる! 嘘ではない!」

「ふん。私が本当に欲しい物は、お前などに手に入れられる物なんかじゃない」

 

 それまで無関心だったアインズの口調に苛立ちが混じる。それを感じ取ったアルヴヘイトの顔は更に血の気を失くした。

 

「ま、待って……待って、ね? へ、へへ、へへへ」

 

 もはや神の威厳すら捨て、アルヴヘイトは卑屈な笑いで媚びようとした。何より大事なのは自分の命だ。自分が助かるなら、アインズの靴を舐める事だって喜んでやりたい気分だ。

 

「わ、私が愚かでした。自分を神などと驕り高ぶって、貴方様や反逆、いや解放者様に敵対しようとしたのはとんだ間違いでした! そ、それで、どうでしょう? わ、私を配下、いえ奴隷でも構いません! 生きて過ちを正す機会を頂きたく……へへ。お願いします!」

 

 アルヴヘイトは両手を組み合わせて懇願する。神がアンデッドに祈り縋るなど、この場を魔人族が見ていれば卒倒する様な光景だ。そんな哀れな元・魔人族の神を見つめたアインズは——。

 

「ふむ……自分のミスを認め、正そうとする姿勢は非常に好ましい。社会人としてそうあるべきだな」

「な、ならば!」

 

 シャカイジン、という言葉の意味こそ分からなかったが、アルヴヘイトは希望を見出した様に喜悦満面となる。

 

「ただ……これ以上、イエスマンが増えてもな。それに一つ聞くが……お前は今まで同じ様な懇願をされて、聞き届けた事はあったか?」

「え? ……あ、あります! ありますとも!」

 

 咄嗟にそう答えたアルヴヘイトだが、忙しなく泳ぐ両目が真実を雄弁に語っていた。

 

「……安心しろ。私はお前やエヒトルジュエの様に、玩弄して使い捨てる様な勿体無い真似はしない。出来る限り有意義に全てを使ってやろう」

 

 スタッフを真っ直ぐに突き付けられる。それは死神が鎌を振り上げた様にも見えた。

 

「ひ、ひぃっ!? 嫌だ、私は死にたくない! お願い、助けて! 殺すのは止めて! 止めて下さい! じ、慈悲を! 貴方が真の強者なら、弱者である私にも慈悲を下さい!」

「呆れたな……それをお前が言うか? 大体な、強ければ何をしても構わない。それが世の理だ。お前だって強かったから、今まで弱者から様々な物を奪い取ったのだろう?」

「止めて! その目で私を見ないでっ! 殺さないでっ!!」

 

 屠殺される家畜を見るかの様な眼窩の紅い眼光に耐え切れず、アルヴヘイトは上半身だけの身体で這いずりながら逃げようとした。

 

「さて、ここまで弱ったとはいえ神に効くかどうか……〈(デス)〉」

 

 まるで試しにやってみよう、という気軽な様子で即死呪文が放たれた。それだけでアルヴヘイトは……魔人族の王にして、エヒトルジュエに次ぐ神の生命は絶たれた。

 あまりにも呆気なく、そして何の余韻も無く、トータスの神の一柱は死の支配者によって崩されてしまった。

 

「力が無ければ、ただ奪われるだけでしかない」

 

 白目を剥いてピクリとも動かなくなった神の亡骸を見ながら、アインズは独り言を呟いた。

 

「それは私であっても例外ではない。だからこそ、常に力を求め続けなくてはならないのだ。大事なナザリックを……友人の子供達を奪われない為にもな」




>超位魔法・星の孵化(アルス・ノヴァ)

 原作にはないオリジナルの超位魔法です。
 ついにやっちゃったよ……個人的に二次創作で原作キャラにオリジナルの必殺技を考えるとか、あまりやりたくないのですけど。どうしても原作の超位魔法で丁度良いのが無かったから作らざる得なかったと申しますか……。

 まあ、それはともかく……この魔法の設定を語ります。

 魔法発動後、通常の暗黒孔(ブラックホール)と違い、相手の超位魔法すら呑み込む巨大な重力球——極小の宇宙卵が発生。宇宙卵は相手の攻撃を吸収しながら徐々に小さくなった後に一気に解放し、光と闇の入り混じった光属性と闇属性の大爆発が起きる。
 相手の超位魔法のカウンター魔法としてユグドラシルでは認知度が高く、これがあるから「超位魔法は先に撃ったら負けるから後出しジャンケンになる」と言われる様になった。
 ただし、どんな属性の魔法を吸い込んでも相手に放たれる攻撃は光属性と闇属性であり、属性に合わせた耐性装備で防ぐ事で対処は容易となってしまう。例えばアインズはアンデッドだから闇耐性はあるが光耐性が無い為、一見有効そうに見えても光耐性の装備を身に付けてしまえば期待程のダメージは与えられなくなる。
 熟練者からすれば防ぐ手段が分かり切ったカウンターになってしまう為、一日に三回しか使えない貴重な超位魔法の枠をそれで使ってしまうのは勿体ない(セオリー通りに詠唱者に対してピンポイント狙撃や空間転移からの絨毯爆撃の方がコストが良い)、そもそも課金アイテムで詠唱を短縮しなければタイミングの合ったカウンターにはならないなどの理由から好んで使う者は少なかったとか。


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第百十八話「虐殺の戦場」

 本当はヴィクティムの台詞をエノグ語にしたかったけど、上手くルビ振りが出来なかったので断念しました。


 砂漠に一陣の風が吹く。砂塵が舞い、永い年月をエヒトルジュエの片腕としてトータスを弄んだ神——アルヴヘイトの死体に降り掛かる。

 地面に落ちた襤褸切れの様になったアルヴヘイトを見ても、アインズの心に高揚や歓喜はなかった。表情の無い骸骨の顔で静かに遺体を見下ろす様は、ただ粛々と死の判決を下した冥府の魔王を思わせた。

 

「アインズ様!」

 

 アルヴヘイトとの戦いが終わった事を察知して、アルベドとシャルティアが駆け寄る。彼女達は地面に横たわるアルヴヘイトの死体を見た後、恭しくアインズに平伏した。

 

「おめでとうございます、アインズ様。魔王を自称していた愚か者を見事に誅された事をお祝い申し上げます」

「やはりアインズ様こそが真なる魔の王たる御方。流石は我らの支配者でありんす」

「ありがとう。アルベド、シャルティア。しかし、この勝利は相手が知らない事をやったから勝てたというだけの事だ。向こうも私の知らない魔法をいくつか使ってきたからな。それを前面に出して立ち回られたら、勝敗は分からなくなったかもしれん」

 

 二人の賛辞に礼を言いつつも、アインズはアルヴヘイトの死体を見つめながら言った。

 見事、魔王アルヴヘイトを降したアインズだが、その事で増長する気持ちなど皆無だった。ユグドラシルでは昨日までランキング上位にいたプレイヤーが、対策を立てられた途端に一気に急落する事など珍しくもなかった。今回の勝利はあくまでも相手の戦闘経験が薄い事につけ込んだ初見殺しが上手くいっただけだ、とアインズは思っていた。

 

(本丸であるエヒトルジュエもこいつと同じ様に倒せる、と思うのは慢心が過ぎるよな。出来る限り位階魔法は制限したけど、もしも相手が見ていたら次に戦う時は今回の戦いを見て対策ぐらいは立てる筈だ。むしろ、しないと考える方が不自然だ)

 

 勝って兜の緒を締めよ。

 初見の相手への対策を怠ったが故に、無惨な死体と化したアルヴヘイトを一手間違えた時の自分の姿だったかもしれないと自戒した後、アインズは声を張り上げる。

 

「ヴィクティム!」

『お呼びでしょうか? アインズ様』

 

 奇怪な発音と共にアルベド達の近くの空間が歪んで、今まで姿を消していた天使の輪と羽が抜け落ちた様な翼を持つピンク色の胎児の異形種が姿を現した。

 

「待機の任、ご苦労。お前はこれから魔王の死体と共にナザリックに帰り、第八階層のあれらと共にこの死体を見張ってくれ。万が一、復活する様な事があった場合はお前のスキルを使って足止めをした後にあれらで確実に止めを刺せ。……すまないな、絶対に復活させる事を約束するから許して欲しい」

 

 『生贄の赤子』の異名を持つヴィクティムは、自身が死亡すると同時に敵に強力な足止めを行うスキルがあった。しかし、いくら犠牲を前提に作られたとはいえNPCを死なせる事になる命令にアインズが心苦しそうにしていると、ヴィクティムは短い手足をワタワタと動かしながら応えた。

 

『お気になさらず、アインズ様。私もアインズ様のしもべ、それに死ぬ為に生み出されたのです。この力で至高の御方の御役に立てるなら、これ以上の喜びはありません』

「そうか……お前の忠義に感謝しよう」

 

 アインズがヴィクティムに感謝の意を示した、その時だった。上空で陶器が割れる様な音が響き、空間が一瞬だけ歪む。それを見て、シャルティアが不思議そうに空を見上げた。

 

「アインズ様、今のは一体何でありんしょうか?」

「どうやら何者かが情報系魔法を使って、こちらを探ろうとしたのに対して仕掛けた攻性防壁が発動したようだな。どうせならもっと上位の攻撃魔法と連動する様にするべきだったな」

 

 誰が、というのは考えるまでも無かった。眷族が死んだ事を感知して、こちらを探ろうとしたのだろう。先程のアルヴヘイトの耐久力を考えるなら、広範囲に影響を与える様に強化した〈爆裂(エクスプロージョン)〉程度では手傷を負う程度にしかならないだろう、とアインズは攻性防壁に掛けた魔法の選択に後悔した。

 

(だが、同時にこれはエヒトルジュエが今になって慌てて俺達を探ろうとしたという事の証明だ。相手は俺の戦闘スタイルを……まだ知っていない)

 

 それを理解した後のアインズの行動は早かった。即座にアルベド達に命令する。

 

「シャルティア、〈転移門(ゲート)〉を使ってすぐにアルベドと共にナザリックに戻れ。アルベド、残りのシモベ達を使ってナザリックの警戒レベルを最大限まで上げろ。アルヴヘイトの死体を絶対にエヒトルジュエに取り返されない様にするのだ!」

「「『かしこまりました、アインズ様!』」」

 

 もしもエヒトルジュエがアルヴヘイトの死体を取り返して復活でもさせられたら、復活させたアルヴヘイトから聞き出してアインズの戦闘情報が筒抜けになってしまう。既に魔導王としてアインズの存在は知られただろうが、今後の優位(アドバンテージ)の為にも戦闘情報の露見は出来るだけ避けなくてはならない。

 アルベド、シャルティア、ヴィクティムがアルヴヘイトの死体を持って〈転移門(ゲート)〉に入ったのを見届けた後、アインズは独りごちた。

 

「さて、後は魔人族軍の相手をしてもらっている守護者達をどうするか。とりあえず、天使達はエヒトルジュエ直属の使徒だから全員殺すとして、魔人族達は……う〜ん、全滅にしても良いけど魔導国が出してる全種族平等のプロパガンダとしてそれは風聞が悪くなる……か? それと、その後は………あ」

 

 そこまで呟いて、ようやく戦後処理をどうするかという問題に頭が回った。この後、アンカジ公国の領主達に戦後報告を兼ねて会談しなくてはならない事に気付いたのだ。偉い相手と会談など出来るなら遠慮したい所だが、ここまでやっておきながら「あ、私は先に帰るので……」なんて真似をすれば相手側の印象が悪くなるのは社会人経験から理解できていた。

 

「ああ……アルベドは残っておいて貰った方が良かったかなあ……」

 

 この後始末をどうするべきか。今になって考え始めた死の支配者(元サラリーマン)は頭を抱えた。

 

 ***

 

「た、頼む! もう許し——ギャアッ!?」

「降参だ! 降参す——ガッ!?」

 

 自分達の王にして神であるアルヴヘイトが敗れた事は、ナザリック軍に包囲されている魔人族達にも知れ渡っていた。遠くから見れば、神聖な光の剣が巨大な闇の球体に引き摺り込まれた後に大爆発が起きたのだ。何が起きたか詳細は分からずとも、神の敗北を悟るには十分な光景だった。

 彼らはアルヴヘイトからは距離が離れていた為、魔力の強制収集も範囲外となって死ぬ事は無かった。しかし、だからこそ彼等はもはや戦意が完全に挫けたというのにナザリック軍に四方から擦り潰されていく、という絶望を味わいながら死ぬ事になっていた。

 

「死ねっ……死ねっ……死ねっ……!」

 

 マシンモンスター達を率いたナグモは、ロボット兵器のコックピットの中で憎悪の宿った声で銃火器のトリガーを引いていた。彼の周りに随伴している無人兵器達もプログラムに従って次々と魔人族達を殺していく。

 最初は魔人族達も突然現れたナザリックの軍勢に狼狽えながらも応戦しようとしていた。しかし、自分達を虫を駆逐するかの様に蹴散らすナザリックの兵達とのレベル差をすぐに思い知る事となり、今となってはただ逃げ回るだけの烏合の衆と化していた。中には武器を放り捨て、その場で平伏して命乞いする者まで現れたが、ナグモはそんな魔人族達も容赦なく射殺した。

 

「お前達みたいなクズに生きる価値なんか無いっ! 死ねっ、死んでしまえっ!」

 

 脳裏に親子の無惨な焼死体が浮かび上がる。あらゆる事を低俗と見下した様な無表情は、憎悪で怒り狂った凶相へと変わっていた。ナグモは目に入る魔人族達に銃弾やレーザーを容赦なく浴びせていく。

 

「助け、ギャアアアッ!!」

「嫌だ! 死にたくな、ごぶっ!?」

 

 男がいた。

 女がいた。

 十代半ば程度の若者がいた。

 顔に深い皺のある老人がいた。

 生き延びる為に必死に逃げようとした者がいた。

 膝をついて涙ながら命乞いをする者がいた。

 前行く者を突き飛ばしながら逃げようとした者がいた。

 他の者を生かす為に無謀を承知で特攻した者がいた。

 

 その全てが——無惨な死体へと成り果てた。

 

「死ねっ、死ねっ、死ねっ!!」

 

 彼等はアインズの命令があるから殺すのだ。

 彼等は生かすに値しない畜生以下だから殺すのだ。

 だから彼等は死んで当然の害虫であり、考えるまでもなく殺すべきなのだ。

 ナグモの頭の中はそんな考えで埋め尽くされ、彼はロボット兵器を操りながらまさに害虫駆除の様に魔人族達に重火器を惜しみなく使っていた。

 

「ぐあああっ!?」

 

 前方にいた魔人族の一団にレーザー砲の爆発が当たる。その爆風に煽られて、一人の魔人族の老兵が地面に投げ出された。幸い、レーザー砲の直撃を受けなかったから即死はしなかったものの、足に酷い傷を負ってその場で蹲ってしまった。

 それを見たナグモは肉食獣の様に歯を剥き出しにしながら、ロボット兵器を銃口を魔人族の老兵に向け——。

 

「やめろおおおおおおっ!!」

 

 ナグモが今まさに銃口のトリガーを引こうとした瞬間、一人の魔人族の若者が老兵を庇う様に立ち塞がった。彼は震えながらも、剣を構えてナグモが乗ったロボット兵器に立ち向かった。

 

「父上に手を出すなっ! 殺したいなら代わりに私を殺せっ!!」

「なっ……」

「ピエトロ、馬鹿な事を申すな!!」

 

 突然の事態にナグモのトリガーを握った指が一瞬、躊躇してしまう。そんなナグモの事情を知らず、老兵(父親)は足の傷も構わずに若者(息子)へ怒鳴った。

 

「儂はもう十分に生きた! 儂の事は見捨てて逃げるのだ!」

「嫌だ! 父上を置いて逃げられない!」

「くっ、こんな時にまで意地を張りおって! この親不孝者めが!!」

「だったら最後くらい親孝行させてくれ! 父上を見殺しにして生き延びて、何の意味があるんだ!!」

 

 親子二人が口論を始める。

 父親を守る為に震えながらロボット兵器に立ち向かう息子。

 息子を守る為に自分を見捨てて逃げろと必死に叫ぶ父親。

 その姿を見て——ナグモは発射トリガーを引く指に躊躇いが生じてしまった。

 

「くっ……クズのくせに……! 下等な低脳共のくせに……!」

 

 ほんの少し指に力を掛ければ、それで終わりだ。父親を守ろうとした若者の決意も虚しく、親子共々にレーザー銃やガトリング砲の餌食となる。この茶番には何の意味も無い。

 それを頭で理解しながら——ナグモの手は小刻みに震えて、それ以上に引き金を引く事を躊躇っていた。

 そして何故か、眼前の二人の魔人族の姿が——あばら屋で一度会っただけの親子と重なった。

 

「ふざけるな………」

 

 無意識のうちにナグモはそう呟いていた。

 それが何を指したものかは分からない。

 ガルガンチュア程ではないが、魔人族達には決して傷付けられない耐久力を持ったロボット兵器のコックピット——この戦場で最も安全な場所にいるというのに、まるで燃え盛る小屋の中に閉じ込められてキャンキャンと吠える犬の様に余裕の無い表情になっていた。

 

「ふざけるなああああああっ!!」

 

 ナグモは叫びながら、銃器のトリガーを引こうと指に力を込めようとした。

 

 ——パァン!

 

 唐突に乾いた音が鳴り響く。同時に魔人族の老兵の身体が糸が切れた様に崩れ落ちた。

 

「父……上……?」

 

 若者が呆然とした様子で父親に振り返る。彼は頭から血を流して動かなくなっていた。

 ナグモは——何が起きたか分からない、といった表情で()()()()()()()()()()自分の手を見つめた。

 

『敵、生命反応消失——次弾装填』

 

 ナグモが搭乗しているロボット兵器のすぐ側——無人兵器であるキラーマシーンが、腕の銃器から硝煙を出しながら機械的な電子音声を響かせる。

 

「う……ううっ、……うわああああああああぁぁぁあああああっ!!」

 

 魔人族の若者が奇声を上げながら、ナグモの乗ったロボット兵器へと斬り掛かる。父親を目の前で殺されたショックで、彼は泣いているとも怒り狂っているとも取れる表情で剣を振り上げていた。

 そして——再びパァン、と乾いた音が響く。

 

『敵、右脚部損傷を確認。残弾数節約の為、近接モードに移行』

「ぐうっ……クソ、ガハッ!?」

 

 片足を撃ち抜かれ、地面に這い蹲った若者の背中にキラーマシーンは近接戦闘用に取り付けられたブレードを突き刺した。そして、そのまま何度も突き刺した。

 

『敵、生命反応あり——排除する、排除する、排除する——』

「ぐっ、ガッ、殺、してやる……! 父上の……敵……! 呪って、やる……父上を奪った、悪魔めええええっ!!」

 

 キラーマシーンのブレードに滅多刺しにされ、血の涙を流しながら魔人族の若者は怨嗟の籠った顔で眼前のロボット兵器を見上げていた。

 その表情は、メインカメラ越しに見ていたナグモにもはっきりと見えていた。まるで地獄の悪鬼の様に歪んだ表情。それが——コックピットのディスプレイに映った自分の表情にそっくりに見えてしまった。

 

「あ………っ!?」

 

 バッとナグモは自分の顔を抑える。自分の表情だというのに、それが何故かとても恐ろしい物を見た気がしたのだ。

 

(恐、ろしい……? 何故……だって、あいつらは殺して当然の低脳な害虫で……アインズ様が……そうしろと命令したから、これは正しい事で……!)

 

 ナグモは必死に心の中で自分に言い聞かせる。そんな風に自分の感情に戸惑っている間に、キラーマシーンの人工知能は獲物がようやく事切れた事を確認した。

 

『敵、生命反応消失——索敵モードへ移行。発見次第、排除する』

 

 ブンッと、死体に突き刺さったブレードを抜く。魔人族の若者の死体はその勢いで転がり、父親の遺体と折り重なる様にして地面に投げ捨てられた。

 奇しくも——その構図は焼け死んだ人間の母子達と同じ形となった。

 

「あ………」

 

 ナグモが声を上げる。

 低俗な魔人族達に無惨に殺された人間の母子。

 母親を守ろうとして、最期まで抵抗しようとした子供。

 そして今——ナグモがやっている事は、彼等を殺した低俗な魔人族達と違いがない。

 それに、気付いてしまった。

 

「ち、違う……違う、違う、違うっ!」

 

 ナグモは必死になって、胸の内に湧き上がった思いを否定しようとする。そうしている間にも——キラーマシーン達は次々と魔人族を殺していった。

 

「止めろおおおっ! これ以上、私の部下を死なせてたま、ギャッ!?」

「返事をして! アンディ、お願いだから……返事をしてよおおっ!! ごふっ!?」

「兄ちゃん……あの世でまた、一緒に飲もうな……うぐっ!?」

 

 逃げる部下の為に身体を張った将校がいた。

 恋人の亡骸を抱えて泣き叫ぶ女兵士がいた。

 双子の様にそっくりな顔の男の手をしっかりと握っていた兵士がいた。

 

『排除する——排除する——排除する——』

 

 その全てを、キラーマシーンは製作者(ナグモ)が組んだプログラム通りに全て抹殺した。

 

「違うっ……違うっ……違うっ……」

 

 コックピットのスピーカー越しに聞こえる魔人族達の断末魔に、ナグモは耳を塞ぎながら「違う」と言い続けていた———。




>ヴィクティム

 ナザリック地下大墳墓の第八階層守護者。
 守護者の中で唯一レベル35と低めだが、死ぬ事で強力な足止めスキルが発生する。天使の異形種であり、生贄の赤子。

>ナグモ

 非戦闘民の人間達を殺した魔人族軍と事情が違うのは確かですけどね……怒りの感情のままに皆殺しをやるなら、それは低脳と見下している人間達とは何が違うの? と気付かせてあげました。ましてや、既に戦意の無い相手を皆殺しにしているのにね。
 ナザリックのNPCとしては間違いなく正しい。しかし、人間としては——。


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第百十九話「fallen」

 冒頭の展開とか過程をキチンと書くべきなんですけどね……文章が思い付かないというか、書く気力が何故か湧いてこないというか、そんな感じで書けないのですよ。自分の場合、こんなプチ・スランプ状態によくよく陥る気がします。


 ———魔人族の国・ガーランド。

 

「ゴボッ……!?」

「な……何故、です……システィーナ、様……?」

 

 城に集められた魔人族の将校や貴族達は、議事堂で信じられないという面持ちで血溜まりに倒れていった。彼等は人間族の国へ遠征したアルヴヘイトや同胞達の代わりに国に残っていた魔人族軍の中枢だ。不倶戴天の敵である人間達を直接屠れない事を不満に思いながらも本土防衛の任務に就き、不在となった魔王アルヴヘイトの代わりに一般市民達の統治を任されていた。

 

「ふふ……決まっているではありませんか」

 

 システィーナ・バクアーは彼等を自分の名前で城の議事堂へと集めていた。左遷されたとはいえ、魔人族の英雄だったフリードの妹という事でまだそれだけの影響力はあったのだ。

 そして——見事に現在の魔人族の政治中枢部を一網打尽にした彼女は、返り血で身体を真っ赤に染めながらにこやかに微笑んだ。システィーナの傍らには魔人族達が見た事の無い魔物——ナザリックのシモベ達が控えていた。

 

「この国を真の神へお渡しする為……至高の御方にお治め頂く為の掃除です」

「シス……ティーナ、様……!」

 

 バンッ。

 システィーナの掌から出た魔法弾がまだ息のあった魔人族の貴族の胸を貫いた。絶望の表情で息絶えた死体を貪り喰らうナザリックのシモベ達を見ながらシスティーナは艶っぽい息を吐く。

 

「これで魔人族は指導者を失い、残されたのは一般市民か僅かばかりの兵ばかり……生き残る為には魔導王陛下の御慈悲に縋る他ありません」

 

 チリンチリン、と彼女の服の中から金属的な音が鳴る。胸に伝わる感触に背筋を震わせ、陶酔した笑みで天を仰いだ。

 

「ああ、堪らない……言われた通りに致しましたから、ご褒美を下さいぃ……シャルティア様ぁ♡」

 

 ***

 

 その後——魔人族と“真の神の使徒”の軍勢は一時間足らずで壊滅した。

 これはトータスの歴史において、魔人族と戦争して終結するのに掛かった時間の最短記録になるだろう。過去の例を見ても、魔人族達が大規模な動員をした戦争は何年もかかってから停戦協定が結ばれたのに対して、魔導国は合戦を始めたその日に魔人族軍を殲滅したのであった。

 戦後処理もアインズが心配していた程、複雑にはならなかった。それどころかアンカジ公国の領主ランズィは「対談はどうしよう……」と内心で憂鬱になっていたアインズに対して真っ先に膝を折り、魔導国への属国を願い出たのだ。

 

(え……先日に同盟を結んだよな? なのに属国宣言? なんで??)

 

 しかもアインズが話したエヒトルジュエの真相に疑う素振りすら見せず、ランズィはその話を鵜吞みするかの様に頷いたのだ。

 何故か顔色を悪くさせているアンカジ公国の領主に「貴方は疲れて正常な判断が出来てないのでは?」なんて指摘を公の場でするわけもいかず、結局訳知り顔のデミウルゴス達に見守られながらアインズはアンカジ公国を魔導国の傘下とする事を了承する事になったのであった。

 

 ***

 

「ナグモくん、今日はお疲れ様!」

 

 その夜——オルクス迷宮の屋敷にあるナグモの部屋で、香織はナグモに笑顔で話しかけた。

 彼女の背には“使徒”の因子を取り込んだ事で新たに翼が生えていた。オリジナルの“使徒”達とは違い、血に濡れた様な真紅の翼は魔に魅入られた堕天使を彷彿させる姿だが、ナザリック地下大墳墓(魔物達の巣窟)に所属する者としてこれ以上なく相応しい姿ともいえた。

 

「魔人族達の()()、大変だったでしょ? 私は後方で“堕天の魔歌”を歌っていただけだけど、『よくやってくれた』ってアインズ様に直々に褒められたよ! これもナグモくんが私を改造してくれたお陰だね!」

 

 香織はアインズに褒められた事がとても光栄だという様に表情を輝かせていた。

 今回の戦争において、エヒトルジュエの“使徒”達を全員無力化するという大役を見事に果たせた香織は、アインズ直々にお褒めの言葉を貰っていたのだ。これには階層守護者達も羨ましそうな目線を香織に向け、ある意味では香織がナザリックに正式に迎え入れられた瞬間となったのだ。

 その瞬間をナグモはいつもの様に無表情で―――しかし、どこか上の空で見ていた。

 

「あ、そうそう。まだ息があった“偽の神の使徒”達が何人かいたけど、私の支配下にあるから安心してね。ナグモくんが前に言った通り、より大きな波長を出す個体に従う性質があるみたい。その子達は実験動物として第四階層の研究所に送ったけど、シャルティア様が一体欲しいって——ナグモくん?」

 

 興奮気味に話していた香織だが、ずっと黙ったままのナグモに違和感を感じて不思議そうな表情になった。

 

「どうしたの? お腹でも痛いの?」

「……違う。違うんだ、香織」

 

 ナグモは俯きながら、呟く様に言った。その表情はどこか気落ちした様に沈んだものだった。

 

「なあ、香織……今回、僕がやった事は……何か間違いがあったか?」

「……? どうして? ナグモくんに何も間違いなんてなかったとは思うけど」

 

 言葉の意味が分からないという様に香織は首を傾げたが、ナグモの表情は晴れなかった。それはまるで、今まで歩いていた道を突然見失って迷子になってしまった子供の様だった。

 

「……今回の魔人族軍の殲滅は、奴等にとって大打撃だ。まともな軍隊が壊滅した今、魔人族の国も直にアインズ様の手に落ちる」

 

 アルヴヘイトがアインズに敗れ、遠征軍にほぼ全軍を注ぎ込んでいた魔人族達は今回の壊滅で組織立っての抵抗すら出来なくなった。しかもアインズという絶大な力を目の当たりにして、アンカジ公国も無条件で平伏した。もはやトータスの国の内、ハイリヒ王国以外はアインズの傘下となって世界征服計画の成就も目前に迫ったのだ。

 

「だから……これはナザリックの……アインズ様の利益となる事だったんだ」

 

 そう呟くナグモだが、まるで自分に言い聞かせている様で何処か弱々しい口調だった。

 

(そうだ……これは、正しい事なんだ。魔人族達は……アインズ様の為に死ぬべき奴等だったんだ)

 

 自分に言い聞かせるナグモだが……脳裏には父親を庇おうとした魔人族の青年が、キラーマシーン達に殺されていった姿が思い浮かんでいた。それがかつて焼け落ちた人間の町で見た母子の焼死体と重なり——彼等を殺した魔人族の兵士達と変わらない行動をした、と思うと胃の中に鉛を入れられた様な重苦しい気持ちになるのだ。

 

(だから……だから僕は、何も間違った事なんか……)

 

 していない、と何故か胸を張って言う事が出来なかった。

 それどころか自分の中で、必死になって正当化しようとしている事に気付いてしまった。それが何故か堪らなく嫌で、胸が苦しくて——。

 

「………」

「香織……?」

「ナグモくんは何も間違ってなんかないよ」

 

 不安に怯える子供の様に震えるナグモを香織はそっと抱き締めた。背中から生やした翼も使って包み込む姿は、母性溢れる天使の様だ。

 

「ナグモくんが何に苦しんでいるかは分からないけど……ナグモくんはアインズ様の為に頑張ったんだもんね。だから、何も間違った事なんてしてないと思うの」

「……そう、だろうか?」

「うん。それに——きっと、あの人達も感謝していると思うよ。アインズ様の世界征服の為に死ねたんだから」

「………え?」

 

 ナグモは思わず目を見開き、香織を見る。彼女は天使の様な微笑みを浮かべたまま、当たり前の様に言った。

 

「魔人族や“偽の神の使徒”達は、エヒトルジュエの手下の神様に従っていたんだよね? そんな間違った神様なんかを信仰していたから、今回の戦争で死ぬ事になっちゃったんだよ。でもアインズ様によって命をもって間違いを償う機会を得られたから、きっと天国で感謝していると思うの」

「それは……でも……。香織……だよな?」

「? 私が別の人に見えたの? おかしなナグモくん」

 

 くすくす、と可笑しそうに香織は笑う。その愛らしい姿は、何度も見た筈のものだ。その筈、なのに……別の人間——否、()()()()()()()()()()()()()()()様に感じてしまったのだ。

 

「ねえ、ナグモくん。私、今日はいっぱい魔力を使ったからお腹空いちゃった」

 

 ナグモを抱き締めたまま、香織は目尻を下げて蕩ける様な笑みを浮かべた。胸の双丘の柔らかさが伝わるくらい密着し、スリスリと身体を寄せる。

 

「今日はいっぱいナグモくんに可愛がって欲しいなぁ……♡」

「あ……ああ、そうだな。魔力を補充しないとな……」

 

 ナグモが頷くと、香織は紅い目を輝かせてナグモをベッドに押し倒した。

 

「はぁむ、ちゅっ——♡」

 

 舐る様に香織はナグモと舌を絡ませる。身体の温もりも、柔らかさも、ナグモが何度も肌を重ねた香織の感触そのものだ。

 

(さっきの違和感は……きっと気のせいだ)

 

 ナグモはいつも以上に激しいキスをしながら、そう思った。

 

(香織は……香織は、ナザリックの一員として馴染んできたという事だけなんだ。魔人族なんかに……ナザリック以外の者に感情を乱される事は、正しくない。アインズ様の事が第一であって、自分の感情なんかに振り回されている僕の方がおかしい……だから、香織の言っている事は間違いなんかじゃ……)

 

 熱い吐息を漏らしながら、香織はナグモの衣服に手をかける。

 ナグモはまるで溺れる様に———あるいは縋る様に。香織の肉体を求めていった。

 

 ***

 

「いやはや、さすがは至高の御方であるな。超位魔法など初めて見ましたぞ」

「私もだ、同輩。やはり、あの御方こそが真の魔の王なのだよ」

 

 戦争の終わったアンカジ公国の戦場で、複数のエルダーリッチやエビルメイガス達の姿があった。ナザリック技術研究所のエンブレムをローブに付けた彼等は、とある作業の為に戦場に残っていた。

 

「ふむ。魔人族達の死体を見る限り、我らが作ったキラーマシーン達は問題なく性能を発揮した様だな」

「しかし、ナグモ所長はどうされたのだろうか? 何やらお元気が無かった様だが……」

「ううむ、キラーマシーン達の性能に不満があったというわけでは無いと思う。まあ、あの方の事は伴侶である白崎香織殿にお任せすれば良かろう」

「確かに……しかし、所長も素晴らしいキメラアンデッドを作成されたものだ。さすがはナザリック技術研究所の所長であるな」

「いや、まったく……あ、コラコラ!」

 

 雑談をしていたエルダーリッチの一人が声を上げる。彼等の指示に従って作業していた血の様に赤い身体をした異形種——血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)は、「ゔ?」と唸りながら手を止めた。

 ぼとり、と血肉の大男が持っていたズダ袋から何が落ちた。

 それは———絶望の表情を浮かべた“使徒”の生首だった。

 

「ただ詰めれば良いというものではない。もっと丁寧に扱いたまえ。使えるパーツは大事な資源となるのだから」

 

 エルダーリッチの言葉に、唸り声を上げながら再び血肉の大男は再び作業に取り掛かった。乱暴に袋へ押し込まれていく“使徒”達の死体を見ながら、エルダーリッチ達は溜息を吐いた。

 

「やれやれ、分かっているのか分かっていないのか……これだから低級アンデッドは困る」

「まあまあ、生きたサンプルは白崎香織殿によって数体は確保したという。あまり目くじらを立てなくても良いではないか」

「しかしだな……ひょっとするとこれらは至高の御方の肉体の材料になるのかもしれんのだぞ?」

「おお! 所長より聞かされたプロジェクトをついに実施するのか! 確かに天使達の肉体ならば、アインズ様の仮初の肉体の材料には申し分ない!」

「しかし、こやつらが特殊な音波が弱点というのはどうするのだ? それに天使達を作ったのは愚神であろう。その弱点をそのままにしていては、愚神に操られてしまう危険もあるぞ?」

「うむ、確かに。いっそ元の形が失われるくらいに溶かして鋳型に流し込む方が安全か……」

 

 ナザリックの研究員達は意気揚々と議論を交わす。少し前にナグモが指示したアインズの仮初の肉体の製作計画。それに取り掛かる事は彼等にとって最大の栄誉であり、最大の喜びだった。

 当然ながら———その為に犠牲となるモルモット(“真の神の使徒”)達を悼む気持ちなど、彼等には皆無だった。

 

「おお……見たまえ、同輩!」

 

 血肉の大男に命じて死体漁りをしていたエビルメイガスの一人が興奮した様に声を上げる。彼が使役している血肉の大男が他の“使徒”達とは違って四肢や頭が綺麗に残っている死体を死体の山から引き摺り出していた。

 

「これは中々に状態の良いサンプルだぞ。早速、研究所に送って標本に———」

 

 突然、死体を持っていた血肉の大男が両手が“分解”された。痛みはないのか、「ゔ?」と不思議そうに無くなった両手を見つめる血肉の大男だが、今度は首を大剣によって斬り落とされていた。

 

「な……何事だ!?」

 

 エビルメイガスが泡を食った様に驚きながら、〈電撃(ライトニング)〉を放つ。だが、それより早く死体———否、ノイントはエビルメイガスの胸に大剣を突き刺した。

 

「ガハァッ!?」

「ヴィクター!!」

「馬鹿な、先程まで生命反応は無かった筈だ!?」

 

 同僚のエビルメイガスが殺されたのを見て、異形種の研究員達は慌てながら攻撃魔法を放とうとする。

 

「………っ!」

 

 だが、それより早く。ノイントは背中の翼を大きく羽ばたかせ、高速飛行で何処かへ飛び去っていた。

 

 ***

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 アンカジ公国の戦場から飛び去り、山間の深い森の中に入ったノイントは必死に息を整えていた。その表情はかつての様な無機質さを感じさせず、命からがらに逃げ出した逃亡者の様に恐怖が色濃く出ていた。

 ———ノイントが生きていたのは、奇跡などではない。姉妹達同士で死の恐怖を共有し合ってしまい、恐怖から逃れる為にお互いに殺し合い始めた姉妹達に殺されない様にノイントは自らを仮死状態にしていたのだ。そのまま姉妹達の死体に埋もれてしばらくやり過ごそうとしたところ、ナザリックの研究員達に運悪く見つかってしまったのだ。

 

「はぁ、はぁ……ひっ!?」

 

 ノイントは恐怖に震えながら、自分の身体を見てある事に気付いた。

 エヒトルジュエから“真の神の使徒”を演じる為に贈られた白銀の鎧。その姿は薄暗い森の中でも非常に目立っていた。

 

「あ、ああ、脱がないと……早く脱がないと!」

 

 ノイントは放り捨てる様に乱暴さで白銀の鎧を脱ぐ。そして地面に脱ぎ捨てた鎧を“分解"で砂状になるまで跡形もなく壊した。

 

「こ、これも……これも駄目! 見つかってしまう!」

 

 続いて背中から生えた純白の翼に触れた。やや躊躇う素振りを見せ——意を決した様に背中の翼を“分解"した。

 

「あ、ぎぃっ!?」

 

 “真の神の使徒”の象徴でもあった翼が消えた痛みでノイントは泣きそうになりながらも、即座に回復魔法を使って背中の傷を塞いだ。早く、早くと逸る気持ちでやった為か、翼があった場所にはまるで大きな切り傷を負った様な跡が残ってしまった。

 

「はぁ、はぁ……うぅ……!」

 

 続いて、ノイントは自分の喉辺りを触る。そこは“真の神の使徒”同士で連絡を取り合い、エヒトルジュエからの指令を受け取る器官———超音波の発信や受信を司る器官があった。

 まさにノイントがエヒトルジュエの使徒である事を示す最後の砦とも言える物を壊すのは、さすがにノイントも気が引けた。だが———。

 

 ガサガサッ!

 

 森の木立から聞こえた音に、ノイントは大袈裟なくらい肩をビクッと震わせた。それは鳥が飛び立っただけなのだが———今のノイントには、暗い森の中から仔山羊の鳴き声が聞こえてきそうに思えたのだ。

 

「う、うう……うぐっ!? ゴホッ、ゴホッ!!」

 

 ノイントは震える手で魔力を内部に浸透させ、自らの超音波器官を“分解”した。血反吐が出て、すぐに回復魔法で傷は塞いだが失われてしまった超音波器官は二度と元に戻らないだろう。

 

「逃げ、ないと……」

 

 簡素な白い貫頭衣姿だけが残ったノイントは、喉や背中の痛みがまだ引かないながらも歩き出した。

 

「あの化け物達に見つかる前に……逃げないと、殺される……!」

 

 まるで天敵に怯えながら逃げる小動物の様に、ノイントは震える足で森の奥へと歩き出した。

 

 ***

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 もう何時間歩いただろうか。衣服は既に泥や埃で純白さを失い、端正な顔も汚しながらもノイントは逃走をやめなかった。背中の翼が失われたとはいえ、魔法で飛行する事もまだ出来た。だが、魔法を使えば魔力の痕跡から骸骨の魔法師(恐ろしい化け物)にバレる気がして、先程の回復魔法を最後にノイントは魔法を使っていなかった。

 

「はぁ……はぁ……うっ……!」

 

 森の木の根に足を取られて、ノイントの身体は地面に投げ出された。エヒトルジュエから与えられたステータスからすればこの程度の事など大した事も無い筈なのに、ノイントは起き上がる気力も無いまま地面に横たわった。

 

(もう……疲れました………)

 

 ノイントはボンヤリと空を見上げる。

 出来るだけ遠くへ逃げなくては、アルヴヘイトすらも殺した化け物達に捕まってしまう。それを理解していたが、もはやノイントにはどうでも良く思えてきた。

 

(私が殺されるから……何だというのでしょうか? 私や姉妹達が死に掛けた所で、エヒトルジュエ様は顧みないでしょうに)

 

 恐らく自分達の主でも、あの化け物達には勝てないだろう。仮に万が一にも勝機があったとしても、手駒の一つでしかない“真の神の使徒(じぶん)”を助ける為にエヒトルジュエは指一本足りとて動かす事は無いだろう。その事に思い至った途端、何かもどうでも良いと投げやりな気持ちになってしまった。

 

(……何故でしょうね? エヒトルジュエ様にとって、我ら“使徒”達が道具に過ぎないことは承知の上でしたのに……これは悲しい、でしょうか? どうして私に、そんな感情が……)

 

 崇敬する神にも、誰にも看取られる事なく薄暗い森の中で朽ち果てる様に死ぬ。そんな未来を想像した途端、ノイントの目の端に何か熱い物が流れた気がした。

 “真の神の使徒”はエヒトルジュエにとって都合の良い手駒となる様に作られた生物だ。命令に従いやすい様に、自我や感情も芽生えにくい様に調整されている。

 だが、アルヴヘイトの“神言”によって姉妹同士で恐怖の感情を共有してしまった事が、ある種のショック療法となってノイントには感情が芽生えつつあった。

 生まれて初めて感じる感情に戸惑いながらも、もはや生きる気力の無くなったノイントは目を瞑ろうとした。

 

「おい、アンタ! 大丈夫か!?」

 

 次の瞬間、ノイントの耳に男の若い声が聞こえた。

 視線だけ向けた先に、地面に倒れているノイントに驚きながらも介抱しようと寄ってくる少年がいた。

 

「何でこんな所に女の人が……? 待ってろ、いまポーションを飲ませてやるから」

 

 “神の使徒"として異世界より招かれ、今は冒険者として放浪する少年———遠藤浩介は、こうして“真の神の使徒”だったノイントと出会った。




 その日、少年は運命に出会う———ただし、それが良い運命とは約束されていない。
 我らがアビスゲートに、死の支配者の慈悲あれ。


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第百二十話「戦後のアンカジ公国」

 自分の中では、この物語も中盤を過ぎました。しばらくは各陣営の動きを説明する回となります。
 まずは魔導国の属国となったアンカジ公国とメルド達からです。


「……我々、アンカジ公国はハイリヒ王国の保護下を抜け、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の傘下に降るものとする」

 

 執務室でアンカジ公国領主ランズィは静かに宣言した。それをメルドは硬い表情で聞いていた。

 

「……ご冗談、では無いのですね? ゼンゲン公」

 

 王国への背信を堂々と宣言された事に、本来ならメルドは強く批難するべきだろう。しかし、今のメルドには不思議とそれ程の怒りは湧かなかった。

 

「申し訳ない……王国最強の騎士であり、陛下の信任も厚い貴方に言うべき言葉ではないと理解している」

 

 正しくは信任が()()()()と言うべきだが、メルドが今は辺境に左遷された事を知らないランズィは頭を下げた。

 

「だが……魔物の毒による疫病で苦しんでいた我々を見捨てた事、此度の戦において王国からは僅かな兵しか送って頂けなかった事。魔人族達についていた天使様達が本物であった事に加えて、王国が擁立されている勇者様達が偽りだとはっきり言われた事……もはや、今までの様に王国に対して忠義を持つ事は難しいのだ」

 

 王国へ不信感を持った理由を指折りに述べるランズィに、メルドは何も言えなかった。メルドから見てもハイリヒ王国がした仕打ちは忠義を失わせるには十分であり、天使達の事も未だにメルドの中で整理がついていなかった。その力の一端を見たメルドは、あの天使達が偽者だとは到底思えなかったのだ。

 

「何より……私は魔人族達を……天使様達も、魔王すらも殺した魔導王が恐ろしい」

 

 ランズィは顔を青くして、震えの収まらない声で言った。

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王。

 

 魔法一つで数万の兵士や天使達を殺してみせ、更には人間族にとっては不倶戴天の敵であると同時に恐怖の象徴だったアルヴヘイト神を殺したアンデッドの王。

 自分達が目にしたアルヴヘイト神を名乗る魔王が偽者ではない事は、力の一端を見せつけられたメルド自身が一番分かっていた。そして———その魔王すらも殺したアンデッドの王の恐ろしさも。

 

(あのアンデッドの方が本物の魔王だった……いや、それはない。それなら魔人族達と敵対して我々に味方する事は無かった筈だ。それに何も出来なかった我々が何を言っても空しいだけだ……)

 

 相手は人間では無いから傘下に入るなど危険だと言おうとしたメルドだが、すぐにその言葉に何の説得力も無い事に気付いてしまった。

 先の戦争で色々と理由を付けて鈍重だった聖戦遠征軍に対して、同盟を結んだばかりのアンカジ公国に王自らが即座に駆け付けて国を守った魔導国。

 メルド達は黒い仔山羊達を目にしたから魔導王の圧倒的な魔法に対して畏怖や恐怖を感じているが、実際に戦闘を目にしていない一般民の間では『魔人族から自分達を救ってくれた魔導王』に感謝している者もいると聞いている。

 さらにランズィからの属国の申し出を受けた以外は、魔導国は今回の戦争に対して公国に見返りの恩賞や掛かった戦費の請求などをしてきていないのだ。それどころか同盟を結んだ時に約束していた復興支援も予定通りに行うと言ってきたらしい。ここまでやってくれている相手に、先の戦争で何も出来なかったメルドが何を言っても当て擦りにしかならないだろう。

 

「あの戦争で魔導国に敵対した者がどうなるかをよく理解した……理解させられてしまった。魔導王……いや、魔導王陛下は自らの傘下にした亜人族や帝国には繁栄を約束されるが、敵対した魔人族には微塵も容赦をしなかった。きっと教会の教義に則って王国は将来的に魔導王と対立するだろう。その時に公国の領主として民が無為に死ぬ事は避けねばならないのだ」

 

 傘下に降る者には豊かな生活と平和を。

 敵対した者には死後の魂すら奪い尽くす徹底的な破滅を。

 ビィズが魔導国で見聞きした亜人族の暮らしぶりと今回の戦争で圧倒的な暴力の前に殲滅された魔人族の軍勢。これ程までに分かりやすい飴と鞭を提示され、ランズィは領民達の安全を第一に考えた選択をしただけの話だ。

 

「とはいえ……王国を裏切ったのは事実。ロギンス殿もこのままおめおめと王国へ帰るわけにもいかぬだろう」

 

 ランズィはメルドの前で首を差し出す様に深く頭を下げた。

 

「どうかこの老いぼれの皺首一つで許して頂けないだろうか? 儂を手打ちにする事で、ビィズや民達が魔導国の属国として平穏な暮らしを取り戻す事を良しとして欲しい」

 

 自らの命すら差し出す覚悟を持ったランズィに、メルドは何も言えなくなっていた———。

 

 ***

 

 結局、メルドはランズィを断罪する事は出来なかった。

 その後、メルドは永山達や部下達と共に再び戦場跡に赴いていた。

 

「うっ………」

「ひでぇ………」

 

 永山と野村は思わず顔を顰めてしまう。砂漠には魔人族の無惨な死体が見渡す限りに転がっており、臭気除けの布で鼻を覆っていても腐臭が鼻についていた。

 

「重吾! 健太郎! 途方に暮れている暇は無いぞ!」

 

 立ち尽くしている永山達にメルドの声が飛ぶ。

 

「死体を野晒しのまま放置していたら疫病の発生源や死体を漁りにくる魔物の発生、更には死体がアンデッド化して付近の住民を襲う可能性も出てくる! 戦場掃除も国を守る兵士の立派な仕事だと忘れるな!」

「すいません、メルドさん!」

 

 永山は大きな声を出すと、覚悟を決めて魔人族の死体の片付けに掛かった。

 

「野村、そっちを持ってくれ」

「ああ。吉野達は向こうで鹵獲品の選別をしてろよ。力仕事は俺達に任せとけって」

「え? う、うん。ほら、綾子も行こうよ」

 

 野村の提案に真央は頷いたが、綾子は首を横に振った。

 

「気を遣わなくても大丈夫だよ。皆でやった方が早く終わるでしょ? 私も手伝うよ」

「でもよ………」

「ほら、早くしないとまたメルドさんに怒られるよ? あ、真央は無理しなくて良いからね?」

「無理なんて……綾子がやるなら私も手伝う!」

 

 心配そうな永山達を余所に、綾子は魔人族の死体運びを始めた。

 

「……なあ、辻は大丈夫なのか?」

「分からないの。その、昨晩は一応は眠れたみたいだけど……」

「俺だってしばらくは悪夢に魘されそうだよ……辻の奴はあのアンデッドの化け物に正面からくって掛かったもんな。というか、よく生きていたよな俺達」

 

 永山の言葉に三人はブルッと震える。今でも冥府の魔王みたいなアンデッドの顔を思い出すだけで、背筋が寒くなるのだ。その中でも綾子はあの場で魔導王相手に正面から怒鳴り、その後は綾子の必死な叫びも虚しく魔導国の軍勢によって魔人族達が全滅する様を見せられた。綾子の心労を考えて無理はさせたくなかった永山達だが、綾子本人が何ともない様に振る舞っている以上は彼女の意思を尊重するしかないだろう。

 

「矢筒や帯革、使えそうな装具は外せ。鹵獲した武器も貴重な資源だ。それと遺体は出来る限り丁寧に運べよ? 相手が魔人族とはいえ死んだら文字通り恨みっこ無しだ。せめて安らかに眠れる様に丁寧に弔うんだ」

「……といっても、これはなぁ………」

 

 メルドの号令を聞きながら、永山は思わず溜息を吐いてしまう。昨晩、魔導国の軍勢が何やら作業をして天使達の遺体は全て片付けられ、この場に残っているのは魔人族の死体だけだ。しかし、その遺体も大半が四肢が残っていれば御の字で、巨大な獣に食い千切られた様に身体の左半分が無くなっている者、恐らくは巨大な化け物(黒い仔山羊)に踏み潰されて文字通り潰れたパンケーキの様になっている者など無事な遺体を探す方が困難なくらいだ。あまりに人の形を保ててない者が多過ぎて、死体の山の中にいるという実感すら麻痺しているくらいだ。

 

「……なあ、確か魔人族達だけでも五万人はいたという話だよな? それにしては死体の数が少ない気がしねえか? 残りの死体は……やっぱりあの山羊の化け物とかに———」

「言うなよ。マジで気分が悪くなるから」

 

 野村が考えている事を察したが、永山はそれ以上は聞きたくないという様に死体の片付けに取り掛かった。

 それからしばらく、皆は無言で魔人族達の死体を片付けた。“土術師”の野村が大きな穴を作り、そこに魔人族達の死体を積み重ねていく。上から油をかけて火を付けて、彼等の冥福を祈った後に地面を被せ直せばお終いだ。

 ただし———冥福を祈っても本当に意味があるかどうか。目の前で死体から魂すらも奪い取っていた魔導王の姿を見ていた彼等は、そんな疑問を感じながらも黙って作業に没頭する。

 そして死体運びの作業も終わりが見えてきた頃の時だった。

 

「………う、うぅ………」

「っ! おい、ここに生きてる奴がいるぞ!!」

 

 永山が声を上げる。それは積み重なっていた死体の山を片付けていた時の事だった。死体や柔らかい砂の地面がクッション代わりとなったのか、半ば地面に埋もれる様に全身が傷付いた魔人族の兵士を永山は掘り当てたのだ。

 

「痛い……痛いよぉ……」

 

 その兵士はまだ年若く、永山達よりも一年か二年くらいは下———地球で言うなら中学生くらいの年齢だった。トータスでは地球より早く成人として働き始めるとはいえ、自分よりも歳下の少年が半死半生の傷を負っている姿は永山達の胸にくるものがあった。

 

「まだ息がある者がいたとは………」

「メルドさん………その、どうしますか………?」

 

 永山の声に集まったメルド達は難しい顔になった。聖教教会において魔人族達は不倶戴天の敵だ。彼等を殺し尽くさねば、エヒト神による真の平和は訪れない。そんな風に幼い頃から教えられてきた。

 だが、今回においては――魔導王(アンデッド)によって戦争とは呼べない一方的な殺戮となった今回においては、奇跡的に生き残った少年を即座に殺そうと言い出せないでいた。例えるなら、人の身で抗い様の無かった天災の生存者を見つけた様なものだ。敵国とはいえ、それ程の目に遭いながら生き残る事が出来た相手にトドメを刺せる様な非情さを彼等は持ち合わせていなかった。

 そして皆が顔を見合わせる中――綾子が魔人族の少年の下へ歩み寄った。

 

「お、おい、辻………」

「大丈夫。今、助けてあげるからね」

 

 野村が咎める様に声を掛けるが、綾子は振り返らずに魔人族の少年へ治癒魔法を使った。

 

「痛いよ……怖いよ……母さん……」

「……うん、お母さんはここにいるよ。だから大丈夫」

 

 意識が朦朧としているのか、悪夢に魘される様に目を閉じている魔人族の少年に綾子は優しく話し掛ける。服が汚れるのも構わずに膝枕をして、治癒魔法を使う姿は———まさに“神の遣い”の様だった。

 傷が癒えてきて、魔人族の少年は痛みが無くなったのか安心した顔になった。少年を優しく横たえ、綾子はメルド達に向き直った。

 

「……見ての通り、私はいま魔人族を助けました。私を罰するなら、甘んじて受けます」

「綾子……」

「……何故、そんな事をしたか理由を聞かせて貰って良いか?」

 

 メルドが静かに聞くと、綾子はメルドから視線を切らずに言った。

 

「……私は“治癒師”ですから。あの天使達に私達は“神の使徒”として偽物だと言われたけど……」

 

 トータスの人間族を救う為に“神の使徒”として異世界から召喚された。

 だが、それは神々しい姿をした天使達によって偽りだと言われてしまった。

 突然、異世界なんて場所に強制的に連れて来られ、家に帰りたい気持ちを必死で我慢しながら辛い生活にも耐えてきたというのに、お前達は偽物の勇者だと天上の存在に断言されてしまった。それは綾子のみならず、同じ“神の使徒”である永山達にとってもショックが大き過ぎた。

 

「でも……それでも、目の前で苦しんでいる人が助けたい。それが私がこの世界で“治癒師”になった意味だと思うんです」

 

 召喚されたクラスメイト達の殆どは、エヒトルジュエによって天職を与えられていた。所詮はエヒトルジュエの盤上遊びが盛り上がる様に戦う力や魔法の才能を授けられただけに過ぎない。

 だが、それでも———始まりが偽りだったとしても、目覚めた意志は偽物などではない。

 この世界に来て、“治癒師”としてその力を奮ってきた綾子は今、“治癒師”としての使命に目覚めていた。

 

「だから、私は一人でも多くの人達の命を救いたい! お願いします、メルドさん! 魔人族達もまだ生きてる人がいるかもしれないんです! 助ける許可を下さい!」

 

 綾子は頭を深く下げる。それを見た永山達は一度だけお互いの顔を見合わせると、綾子に続いてメルドに頭を下げた。

 

「メルドさん……俺からもお願いします! 辻の頼みを聞いてやって下さい!」

「もうここまで酷い目に遭ったのに、今更魔人族も何も無いですよね? だから、俺達も辻を手伝ってやりたいんです!」

「綾子を罰するなら、私達も! 戦友は見捨てるな、ってメルドさんもいつも言っていたでしょう?」

 

 永山達は次々にメルドに頼み込んだ。その表情はついこの間まで学生だったとは思えない程に真剣で、誰かから言われたからといった理由ではなく、自分の意志でしっかりと考えて行動を始めた大人の表情だった。

 

「言うまでもないが………魔人族を助ける事は大罪だ。王国への反逆であり、聖教教会の教義を裏切る行動に等しい」

「メルドさん………」

 

 厳しい顔をしながら言うメルドに、永山達は縋る様に見る。周りの兵士達は、そんな両者を固唾を呑みながら見守った。

 

「だが………私も先程、王国を裏切った大罪人を見逃したばかりだ」

 

 え? と周りの者達が見る中、メルドはフッと笑った。

 

「王からは死んで来いと言われたも同然で、王国に戻っても我々は戦わなかった事を咎に裁きを受けるだろう。今更、罪の一つが増えた所で何も変わらないだろうな」

 

 メルドは周りを見渡し、大声を上げた。

 

「お前達! 残念ながら、いま言った通りだ! もはや我々は王国から見捨てられてしまった! 天使達も……残念ながら、聖典にある様な慈悲深い存在ではないと今回の戦で証明されてしまった! ならば、我々は……聖教教会の教義に縛られず、人として正しいと思う行いをしよう! 異論のある者は名乗り出てくれ! 隊からすぐに抜けて、逃げた先で俺とは無関係だったと宣言するんだ!」

 

 メルドの言葉が隊全体に聞こえるくらい響き渡る。

 だが———メルドの言葉通りに動く者は誰もいなかった。

 

「今更ですよ、隊長!」

「あんたは王都から左遷されたのに、場末の隊である俺達が死なない様に指揮してくれた!」

「俺達は王国の為に戦っているんじゃない! あんたがやってるから戦っていたんだ!」

「おい、新入り! 言ったからには責任取れよ? 隊の仲間は家族同然だ! 都合が悪くなったからやっぱり止めるとか言い出したら、ブッ飛ばすからな!」

 

 次々と勇ましい声を上げるメルドの部下達。彼等の言葉に永山達はおろか、メルド達も目頭が熱くなった。

 

「よし……ならば、命令を追加する! 魔人族の生き残りがいたら、手厚く保護しろ! 傷薬やポーションも惜しむな! 戦わなかった分、在庫が有り余っているんだ。どうせなら存分に使え!」

『はっ!』

 

 メルドの号令の下、永山達や兵士達が動き始める。殺戮のあった戦場の死体を片付ける為ではなく、生き残りを一人でも多く探す為に動き始めた。

 

「おい、ここにも生き残りがいたぞ! 誰か手を貸してくれ!」

「あ、あんた達……人間なのに、俺を助けてくれるのか……?」

 

「腕が……私の腕が無い……! 死なせてくれ……お願い、いっそ殺して……!」

「貴方の生死を私に委ねないで! 私に助ける事だけに集中させて!」

 

「うぅ……すまない……ここに来る前に、俺達は人間達の街を面白半分に焼いた……! あんた達は助けてくれるのに、俺は……なんて、なんで馬鹿な事を……!」

「クソ、そう思うなら生きて償えよ! 死んで楽になろうとするんじゃねえぞ!!」

 

 死体が折り重なって出来た隙間にいた、爆風で吹き飛んで砂の中に埋もれていた………そんな奇跡的な偶然によって、黒い仔山羊や魔導国軍の殺戮を逃れた魔人族達が次々と発見される。結果としてそれは二十人にも満たない少人数であり、五体満足な者となると片手で数えられる程度だ。しかし、それでもメルド隊の者達は生き残りを救う為に必死に行動した。

 助けられた魔人族達も、今さら人間族に助けられた事に不満を述べる者など誰一人もいなかった。彼等の中には圧倒的な暴虐の嵐にあった後に自分達の命を救おうとしてくれるメルド達への圧倒的な感謝しかなかった。数少ない魔人族の生き残り達は、ただただメルド達に涙を流しながら感謝と自分達が人間族にしてきた事への後悔を心から口にしていた。

 

 ***

 

 ———その後の話をしよう。生き残りの魔人族達を保護する為に、メルドはランズィに衣食住の提供を求めた。自国の領内に被害を出されたとはいえ、魔導国によって酷い有様となった魔人族達を見てランズィも流石に思う所があったのだろう。メルド達の監視の下、魔人族達にも刑務として復興の為に労働力を提供する事を条件に要求を受け入れた。

 

 そして———後年において、アンカジ公国は長く憎しみ合っていた人間族と魔人族が初めて和解した記念都市となり、メルド達の隊が国境や人種を越えて災害救助や医療支援を行う『国境なき医療騎士団』の前身となるのは、また別の話である。




>アンカジ公国

 アインズの圧倒的な力を見て、賢明な選択をする事にしたそうです。ビィズ達が魔導国の使節団として赴いたお陰で、『魔導国の支配下に入れば幸せな未来、歯向かえば死すらも救いとなる程に蹂躙される』とはっきりと理解(わか)らせられてしまいました。
 
デミ「あの時期にアンカジ公国の使節団と謁見したのも、全て計算通りでしたか……まさにアインズ様は端倪すべからざる頭脳の持ち主です」
元・サラリーマン(いや、だからさ……マジで何の事よ?)

>メルド&永山達

 そんなわけで、彼等の出番はここで終わりです。
 うん、まあ日和ったと言われればその通り。さすがに丸山くがね先生みたいに善人も悪人も分け隔てなく殺す平等さは書けなかったよ……。
 魔人族達を助けた事を糾弾されて、「彼等は魔人族達に寝返った!」と唆された勇者に断罪されるなんて展開を書きたいと作者の気が変わらなければ、このまま平和的にフェードアウトです。

 永山達はこの作品ではクラスメイト達の中で一番真っ当に精神的な成長を果たしたんじゃないかな? いや本当に……一時の感情で魔人族皆殺しをやろうとした奴とは違ってキチンと考えて魔人族を助けて、「崇敬してる上司の為だから、恋人が問題ないと言ってくれてるから」と目を背けようとしてる奴とは違って自分達で考えた上で行動してるからね。本当、エライ違いですわ。

次回あたりは多分、王国サイドかな?


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第百二十一話「戦後のハイリヒ王国 前編」

 予想以上に長くなったので前後編で分割しました。続きは水曜日か木曜日あたりに投稿します。


『おのれ、あのアンデッドめがあああああっ!!』

 

 トータスの通常空間とは異なる位相にある神域。

 人間達からトータスの創造主と認識されているエヒトルジュエは、神としては似つかわしくない怨嗟の籠った声で怒り狂っていた。

 神域にはエヒトルジュエが“トータスの神"を演出する為に作った巨大な純白の玉座があり、そこで下界の人間達が苦しむ様を見るのが彼の楽しみだった。

 だが、その玉座はもう無い。まるで大きな爆発を受けたかの様に、バラバラになった玉座の残骸だけがエヒトルジュエの周りに散らばっていた。

 

『アルヴヘイトォォォォッ!! あの役立たずがああああっ!! “人形”共を全て使い潰しおって……!!』

 

 以前ならば、玉座の周りには神に侍る天使の様に大勢の“真の神の使徒”達がいた。だが、それも今や数える程にしかいない。この場に残った数少ない“真の神の使徒”のエーアスト達は、激昂している主を恐れて表情の乏しい顔を青くしていた。

 

 アンカジ公国への魔人族達による侵攻戦———最初はエヒトルジュエも高みの見物を決め込んでいた。魔人族達には自らの眷族であるアルヴヘイトを始め、神域にいて“使徒達”の殆んどを大盤振る舞いしたのだ。今の盤面に飽きてしまったが故に一度リセットする様な心算で人間族の国や社会を崩壊させるには余りある程の戦力を動員した為、エヒトルジュエはアンカジ公国の滅亡を信じて疑わなかった。

 

 しかし――それはアンカジ公国に魔導国の援軍が現れた事で覆されてしまった。

 

 巨大な魔法陣の出現と瞬く間に死んだ魔人族と“使徒“達、死体を贄にして現れた五体の巨大な魔物、突然狂い出した“使徒”達、そして空間魔法で現れた魔導国の国旗を掲げた軍勢………全てがエヒトルジュエの予測の範疇外であり、どうにか事態を把握しようとしている内にとうとうアルヴヘイトまで殺されてしまったのだ。

 アルヴヘイトを殺した魔道王(アインズ)の存在を初めて見たエヒトルジュエはその正体を暴こうと魔法を使い———アインズが仕掛けていた攻性防壁により、玉座ごと爆裂魔法で吹き飛ばされる羽目になったのであった。

 

『お、おおおおおおっ……! 我が力が減っていく……! おのれえええええっ!!』

 

 かつては“神域”全てに圧倒的な存在感を出していたエヒトルジュエ。だがその存在感は以前より薄れており、エヒトルジュエの核である人型の光もかつてより小さな物になっていた。

 エヒトルジュエは元々は人間だ。幾千に及ぶ年月の果て、自身の秘技や他者からの信仰によって魂魄を神へと昇華させたが、肉体は数千年の年月に耐え切れずに崩壊してしまった。自身の存在を確固とした物として繋ぎ止める肉体が無い今のエヒトルジュエは常に膨大な魔力を得ていなければ、風によって散らされる煙の様に消失してしまう不安定な存在となってしまったのだ。だからこそ、エヒトルジュエは神となった自分自身を維持する為に信仰という形でトータス中の人間から魔力を供給させていたのだ。

 

 もしもの可能性(とある平行世界)の話だが———神となったエヒトルジュエの魂魄に耐え切れる様な“神子”の肉体が目の前にあったならば、エヒトルジュエは神の力を維持したままに完全な生命として再び大地に降り立つ事も出来ただろう。

 しかし、その肉体が見つからないままで自分の眷族であるアルヴヘイトが何処の馬の骨とも分からないアンデッドに敗北したのだ。今までアルヴヘイトを通して得ていた魔人族達の信仰は戦争の敗北を受けてほとんど無くなってしまい、供給される魔力量は文字通り半減してしまった。

 それでもまだ、魔人族より総数の多い人間族からの信仰があれば、自身の維持には問題無かった筈だが———その人間族からの信仰心は()()()()()から日を追うごとに落ち込んで来ているのだ。

 

『おのれおのれおのれおのれオノレオノレオノレエエエエエエッ!!』

 

 自らの居城であり、天上の存在となった自分が君臨する場所として相応しい様に作った“神域”の中。

 人々の信仰の失墜を示す様にバラバラとなった玉座の上で、トータスの創造主を気取っていた偽りの神(エヒトルジュエ)は日毎に小さくなっていく自らの存在(魂魄)を感じながら怨嗟の声を上げていた———。

 

 ***

 

 ハイリヒ王国の城内で光輝はやきもきしながら出陣を待っていた。

 聖剣やアーティファクトの鎧の手入れ等の自分の準備はとうに終わっている。気力や体力、装備も準備万端でありながら、光輝が待たされているのは足並みが揃っていない聖戦遠征軍の為であった。何せ軍団を管理する立場にいるムタロが先日まで内情を全く把握しておらず、エリヒド王から出陣を命じられて慌てて号令を発した為に現場が混乱して統率が取れていなかったのだ。

 

「くっ、もどかしいな。俺一人なら、メルドさん達の救援にすぐ向かえるのにっ……」

 

 そんな事情は露とも知らず、爪を噛みながら光輝は焦れた様な声を出す。メルドとは半ば喧嘩別れの様な形で別れてしまったが、光輝の中では今でもトータスに来てからの初めての教官として尊敬の念を抱いていた。

 

(あの時はメルドさんは何故か怒っていたけど、きっと目の前で香織が落ちたから気が動転していたんだろうな……あれは裏切り者の南雲のせいなのに。メルドさんは優しい人だったから、とても心を傷めていたんだ)

 

 その後、メルドは左遷されて光輝達の下には新しい教官が来たが、光輝は心の隅ではメルドの事が気になっていたのだ。

 

(メルドさんの所には確か永山達がいるという話を小耳に挟んだけど、やっぱり心配だな。永山達は他の皆とは違って、訓練に積極的じゃなかったんだ。今頃、メルドさんに迷惑を掛けてないと良いけど……)

 

 やはり、自分と仲間達の“光の戦士団”だけでも先に出陣する様に進言しよう。

 かつての恩師の為に光輝はそう思った。敵に魔人族や()使()()()()()()()がいたとしても、自分と仲間達が力を合わせれば勝てない敵なんていない。何より、皆に率先して勇ましく戦う姿を見せるのが勇者の役割の筈だ。

 

(よし、イシュタルさんに頼もう。メルドさんだって、俺を待ち望んでくれている筈なんだ! それにもしかしたら、あの時に俺達と喧嘩別れしちゃった事を後悔してるかもしれない)

 

 もしもメルドが謝罪してきたら、“誰にだって間違いはあるんだ”と寛大な精神で許そう。光輝も地球に帰る時にメルドと喧嘩別れしたままでは後味が悪かった。

 そんな事を考えながら城の廊下を歩いていた光輝は、まるで渡りに船と言わんばかりのタイミングでイシュタルの姿を見つけた。

 

「イシュタルさん!」

「おお、光輝様。探しておりましたぞ」

 

 イシュタル(ドッペルゲンガー)は一瞬、獲物を見つけた悪魔の様な笑みを浮かべたが、逸る気持ちを抑えようとする光輝は気付いていなかった。

 

「イシュタルさん、聞いて下さい! アンカジ公国の人々やメルドさん達の為に“光の戦士団”だけでも先に行かせて下さい! 俺がいれば、邪悪な魔人族が何人いたって———」

「ああ、光輝様……それはもう終わってしまったのですよ」

 

 いつもの好々爺の笑顔を貼り付けたまま、イシュタルはそう言った。

 

「え……終わった、って………まさか、アンカジ公国は既に落とされたのですか!?」

「いえ、アンカジ公国は無事ですな。天使を従えていた魔人族の軍は壊滅したそうです」

「………え? 何を言って……アンカジ公国は、無事だった? 魔人族達は……もしかしてメルドさん達が倒したんですか?」

 

 イシュタルの言った事に理解が追いつかず、光輝はポカンとした表情のまま茫然と呟く。それはアンカジ公国が無事だった事よりも、勇者である自分が居なかったのにどうやって危機を脱したのか? と不思議がっている様な雰囲気だった。

 

「どうやらアンカジ公国にはアインズ・ウール・ゴウン魔導国が王自ら軍を率いて現れ、魔人族の軍を撃破したそうですな。お陰で先遣隊であるメルド・ロギンス達も死傷者ゼロで戦争は終息したのだとか」

「ア、アインズ・ウール……?」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国です、光輝様」

「ええと。イシュタルさん、すいません。そんな名前の国は初めて聞いたのですけど、何処の国なんですか? そのアインズ・ウール・ゴウン魔導国って?」

 

 時期的には魔導国が建国された後、光輝は“光の戦士団”に出資してくれる貴族達が連日開く夜会やパーティーに引っ張りだこになっていた為、今まで魔導国について全く知る機会が無かった。それに対してイシュタルは素知らぬ顔を作りながら説明した。

 

「私も詳しい事は存じ上げないのですが……何でも亜人族達のフェアベルゲンが新たに改名した国だと聞きますな。魔導国の王であるアインズ・ウール・ゴウンは、凡ゆる種族に分け隔てなく接する御方だそうです」

 

 はあ、と光輝は気のない返事をする。同時に何処か面白くない気持ちになっていた。

 

(何で………俺は勇者なのに……俺がアンカジ公国やメルドさん達を助ける筈だったのに……。仲間達や王国の皆とアンカジ公国を助けに行こうとしていたのに……魔人族達は人間達の最大の敵だから、皆で足並みを揃えないといけなかったのに、魔導国とかいう国が勝手に戦い始めていたなんて……)

 

 自分が勇者として戦う最大の見せ場を奪われ、それを不満に思っているのだが光輝の思考は別の見解を示していた。

 自分はトータスを救う勇者として召喚されたのだ。邪悪な魔人族を打ち倒し、人間達の希望としてエヒト神によって選ばれた存在なのだ。だからこそ、自分はトータスの人々の勇者(リーダー)として、皆を導かなければならなかったのだ。そんな自分に今まで一言の断りもなく、魔人族達と勝手に戦った魔導国の存在が光輝は気に入らなかった。アンカジ公国が無事だったのは良かったが、先走って失敗していたらどうするつもりだったのか? 自分達に迷惑をかけるとは考えなかったのか? 光輝の中では魔導国、そしてその国の王であるアインズ・ウール・ゴウンは他人との協調性が無い自分勝手な存在だとインプットされた。

 

「とりあえず……アンカジ公国やメルドさんが無事で良かったです。邪悪な魔人族達も打ち倒されて、トータスの人々も平和に———って、そうだ! 魔人族が居なくなったなら、香織は! 香織は無事なんですか!? それと香織を攫った南雲の奴も、魔人族達と一緒に死んだのですか!?」

 

 重要な事に気付いた光輝はイシュタルに詰め寄った。大事な幼馴染を攫った裏切り者は魔人族達と共に行動している筈なのだ。その魔人族達が居なくなった今、裏切り者は死んで幼馴染は自由の身になっている筈だと光輝は考えていた。

 

「落ち着きなされ、光輝殿。此度の戦場で私が()()()()()()()では、白崎香織殿や南雲ハジメの存在は確認されておりません」

 

 しれっと嘘を交えながら言ったイシュタルに、光輝は目に見えるくらいに落胆した。

 

「そんな……じゃあ、香織は何処に? きっと何処かで生きている筈なのに……イシュタルさん、俺をアンカジ公国に行かせて下さい! 俺が直接、香織を探しに行きます!」

「その気持ちを汲みたい所ですが、少々厄介な事になっていましてなぁ……」

 

 イシュタルはわざとらしく困惑した様な表情を作った。

 

「件のアンカジ公国ですが……どういうわけか戦争が終わった後に魔導国の属国を宣言して、今後はハイリヒ王国に干渉無用と言って来ているそうなのですよ」

「な、何ですかそれ!?」

「しかもメルド・ロギンス達の隊もアンカジ公国を支持する姿勢を見せていまして、彼等も王国への帰国を拒んでいるのです。エリヒド王が使者を向かわせたそうですが、門前払いの扱いを受けて帰されたそうなのです」

「そんな……メルドさんまで、一体どうして……?」

 

 恩師として尊敬していた騎士が王国を裏切る様な真似をした事に、光輝はショックを受けていた。そんな光輝に畳み掛ける様にイシュタルは言葉を重ねた。

 

「先程、エリヒド王がアンカジ公国に近い土地にいた聖戦遠征軍の部隊に再び問い合わせる様に命じられた所です。公国については今しばらく結果をお待ち下され」

 

 ***

 

 闇の中———デミウルゴスはハイリヒ王国の現状に様々な可能性を考慮しながら、アインズの為に用意すべき状況を作り出す為に策を巡らしていた。

 

「さて………ちゃんと狙った所にボールが落ちてくれれば良いのですが」

 

 これから始まるのはハイリヒ王国全土を巻き込んだ一大スペクタクル。至高の御方に捧げる最高のエンターテイメントだ。それをデミウルゴス自らが監督するのだ。そう思うとデミウルゴスの胸に高揚感が湧いてくる。

 

「ふふっ、思わず小躍りしたくなるというのはこの様な気持ちを指すのでしょうか? いけませんね、そんな浮かれ方などウルベルト・アレイン・オードル様に創造(設定)された私らくしない……」

 

 自重する様に呟くが、ウキウキとした気持ちは抑えられない。

 役者は揃い、準備も整った。

 時間をかけて作った最高の舞台を至高の支配者であるアインズに捧げ、オマケとして偽りとはいえ神が失墜していく様を特等席で見られるのだ。

 エヒトルジュエが神の座から転げ落ちてアインズの前にひれ伏す姿は、悪魔であるデミウルゴスにとって何よりも楽しみな未来図だった。

 

「王国の皆さん、道化の勇者様、そして愚かな神よ。どうかアインズ様を楽しませてあげて下さい。哀れなあなた達の姿で、ね……」




>エヒトルジュエ

 今作では肉体を失っている為に人間達から信仰心という形で魔力を常に貰わないと存在が弱体化するという設定です。魂魄だけの存在は肉体という限界値が無い分、外部から魔力を得て強くなる事が出来ても、肉体という確固とした楔が無いから魔力を得られなくなると弱体化が著しくなるとう形ですかね?
 魔人族達からもアルヴヘイトが集めていた信仰心を献上して貰っていましたが、そのアルヴヘイトがアインズに負けた為に魔人族の信仰心は最低レベルまで落ち込んでしまいましたとさ。残りの人間族から得ていた信仰心については……後編でお話しします(ニッコリ)。

 因みに原作の場合、ユエの身体を奪った時は真実を知る者がハジメ達だけだったから人間族の大半からはまだ“エヒト神”として認識されていて、アルヴヘイトも健在だった為に信仰心(魔力)が神として十分にあった状態で肉体を得る事が出来たと解釈しています。仮に今の状態でユエの肉体を奪おうとしても、弱った状態で固定化されるか、そもそもユエの魂魄に力負けして乗っ取れないという風に考えています。まずもって、ユエがナザリックにいる事すら知らない、というね……。


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第百二十二話「戦後のハイリヒ王国 後編」

 箪笥の角に足の小指をぶつけて骨折しました……マジでこんな事ってあるんだなぁ。
 今期のアニメは江戸前エルフがお気に入りです。


「良いか! これはエヒト神の為の正しき行いだ!」

 

 アンカジ公国近郊のハイリヒ王国の領内。

 聖戦遠征軍の練兵場で聖教教会からアンカジ公国に派遣されていたフォルビン司教はがなり声を上げていた。

 

 聖戦遠征軍は大きく分けて三つの構造からなる。

 頂点に立つのはエヒト神が召喚した異世界からの勇者達こと“神の使徒“。彼等は歳が若く、十数名程ではあるがエヒト神の名の下に集った聖戦遠征軍の象徴として高い地位に就いていた。全員の天職が貴重な戦闘職であり、ステータスもトータスの人間の数十倍はある彼等はまさしくエヒト神自らが奇跡を与えた存在として“光の戦士団”や聖戦遠征軍の象徴となっていた。

 

 二番目は“神の使徒”達の教官であるムタロが選んだ貴族や軍人、神殿騎士といった兵達を指揮する立場にいる者達だ。ただし、彼等のほとんどが家柄やムタロへの献金の額の大きさから選ばれており、フォルビンの様に本来なら軍隊の指揮を任せられない者までが所属していた。

 以上の二つが“光の戦士団”と呼ばれる者達であり、聖戦遠征軍の中核を担う者達だ。人数的にもちょうどピラミッドの様に頂点から下へ裾を広げる形となっていた。

 

 そして———ピラミッド構造の土台部分。すなわち一番下であり、一番人数の多い階級に聖戦遠征軍の一般兵達がいた。彼等の大半は農民や一般市民であり、領主の命令や税の免除を目的として遠征軍に参加した者が多い。中にはエヒト神への純粋な信仰心から参加した者もいる。彼等は聖戦遠征軍に所属していても“光の戦士団”としては数えられておらず、悪く言えば十把一絡げの雑兵達であった。

 

 そんな一般兵達はフォルビンの前で整列させられていたが、彼等の顔には困惑の表情が多く浮かんでいた。一般兵達の様子を気遣う様子もなく、フォルビンは威圧的に言い放つ。

 

「アンカジ公国は何を血迷ったか、王国と聖教教会に背を向けて魔導国なる国に帰順した! 薄汚い亜人族共の国だ! 同時に先の“光の戦士団”の結成式において、愚帝ガハルド・D・ヘルシャーが不埒な真似をして教会より破門されたヘルシャー帝国が同盟を結んでいる国とも聞く! この様な国をのさばらせておく事をエヒト神はお許しにならない! 諸君等はアンカジ公国の目を覚まさせる為に進軍するのだ!!」

 

 力強くアンカジ公国への進軍の重要性を訴えるフォルビンだが、兵達はお互いの顔を見合わせながら困惑していた。その中で一人の兵士が、意を決した様に手を挙げた。

 

「その……フォルビン司教? 我々は噂という形でしか聞いてないですけど、侵略してきた魔人族達はマドー国? とかいう国のお陰で壊滅したのですよね? なのに、何故我々はアンカジ公国と戦わなくてはならないのですか?」

「それに魔人族達と一緒にいた天使様達はどうなったんだ? 勇者様は偽物だって言っていたけど、それなら天使様の偽物と魔人族達を倒した魔導国こそが正しいんじゃないのか?」

「もう魔人族の脅威は無くなったんだよな? だったら、遠征軍も解散して良い筈だよな? なあ、俺は病気の妻と小さな息子を家に残しているんだ。家に帰らせてくれ!」

「なっ……貴様等! それでもエヒト神の信徒か!! 黙って教会の司教たる私に従わんか!!」

 

 フォルビンが怒りを顕にして一喝するが、兵士達は従う様子は見せなかった。それどころか、フォルビンに対して冷たい目を向けて睨み出した。

 

「何だその目は!? 私は教会の司教であり、“光の戦士団”の一員なのだぞ!」

「……俺はアンカジ公国の出身だ。あんたは俺達が伝染病で苦しんでいた時、自分達だけさっさと逃げ出したじゃないか! その上、今度はアンカジ公国に進軍しろだって? 人を馬鹿にするのも良い加減にしろ!!」

「“光の戦士団”とやらは結局何もしなかったじゃないか!! 魔人族達を倒してくれるというから、税金が高くなっても我慢していたのに! 魔人族を倒したのは全然関係ない魔導国とかいう国だろ!!」

「テメェ等は権力を盾にして威張っていただけじゃねえか、この役立たず! こんな事なら“光の戦士団”より魔導国とやらについて行けば良かった!」

 

 次々と兵達から怒りの声が上がる。この練兵場はアンカジ公国の近郊———当然、集められた兵達もアンカジ公国の出身者も多い。彼等に自分の故郷へ進軍しろという命令は到底受け入れられる筈も無かった。

 そしてアンカジ公国と関係ない者にとっても、“光の戦士団”の専横ぶりは苛立ちを募らせていたのだ。新たに設立された為に例年よりも重い税金が課せられ、家族を飢えさせない為にも生きて帰れるか分からない聖戦遠征軍に参加した。戦争が終わったというのに、今度は魔人族ではなく同じ人間達と戦えというのは彼等の怒りを爆発させるには十分過ぎた。

 

「き……貴様等ァァァッ!! 良いだろう、纏めて異端者になりたいというわけだな!? 神殿騎士達よ、異端者共を全て血祭りに上げろ!!」

 

 激昂したフォルビンが配下の神殿騎士達に命令する。

 だが、何人かは渋々といった様子で剣の柄に手を掛けたが……大半の神殿騎士は俯いたまま、剣を抜こうともしなかった。

 

「なっ……どうした貴様等! 私の命令が聞けないのか!?」

「……フォルビン司教、これは本当にエヒト神の意思に沿うものでしょうか?」

 

 神殿騎士の一人が静かに聞き返した。彼は迷いを浮かべた表情のまま、話し出した。

 

「王都にいた時、“神の使徒”様方が“光の戦士団”となってからの振る舞いを目にしました。はっきり言って、あれは……エヒト神が召喚したという話を疑いたくなる程に横暴です。あんな風に弱き人々を足蹴にして、贅沢のままに振る舞っている者達の命令を聞いて、亜人族の国への帰属を宣言したとはいえ、やっと戦争が終わったアンカジ公国へ進軍するのが本当にエヒト神が望まれる事なのでしょうか?」

「き、貴様……何を言っているのか理解しているのか!?」

 

 口角泡を飛ばしながら怒鳴るフォルビンだが、神殿騎士達はフォルビンの為に動こうとしなかった。むしろ、意見をした神殿騎士に同意するという様に頷いていた。

 彼等とて、真っ当な精神を持った人間達だ。だからこそ“光の戦士団”が権威を笠に好き勝手やっているのは非常に心苦しい思いで見ていた。“神の使徒”の内、四人組の少年達は毎夜の様に街から若い娘を権力で脅して連れ去り、欲望の捌け口にしているという噂を聞いた時は、これが本当にエヒト神が召喚した救世主なのか? と自問自答した程だ。

 加えて聖教教会が“聖戦遠征軍”の戦費回収の為に始めた免罪符の発行なども良くなかった。神殿騎士達は本来、神に仕える騎士として清貧が尊ばれていた。現世で清く正しく生きてこそ、エヒト神は魂の救済を行うと教義にもある。しかし、“光の戦士団”の設立と共に新たに神殿騎士団長に任命されたムタロは清貧とは程遠く、賄賂や聖戦遠征軍の活動資金の横流しをして自分の私腹を肥やしていた。

 その資金の一部となっている免罪符も、これを買うだけで魂の救済が行われると教会の説法師が信者達に購入を勧める光景は、自分達が信じていた教義とは何だったのか? と神殿騎士達の信仰心を揺るがせるには十分だった。

 

 そして今、聖教教会にとって最大の敵だった魔人族の脅威が無くなったのだ。これからは人間族にとって平和な世になる筈なのに、それでもまだ新たな異端者を見つけては攻撃しようとしている“光の戦士団”のやり方に、とうとうエヒト神や聖教教会に忠誠を誓っていた彼等も疑問を抱き始めていた。

 

「ぐっ、ぐうううぅぅ、この異端者共がああああああっ!!」

 

 もはや凶相と呼ぶに相応しい表情でフォルビンは歯軋りした。

 聖教教会中央の権力争いに負けてアンカジ公国へ左遷されたフォルビンにとって、“光の戦士団”は中央へ返り咲けるチャンスなのだ。上手く行けば、次期大司教の座だって夢ではない。ここで成果を上げなくては、何の為に高い賄賂をムタロに送ったのか分からなくなる。

 自分の輝かしい未来を思い描いているフォルビンにとって、命令通りに動こうとしない一般兵や神殿騎士達は美しい未来絵図(キャンバス)に汚い足跡をつける害獣に見えていた。

 

「貴様等の様な薄汚い下民達は何も考えずに言われた通りにすれば良いのだ!! さっさと動かんか、この屑共がっ!!」

「なっ……テメェ、誰が屑だって!?」

 

 一般兵士の一人が、フォルビンの物言いにとうとう堪忍袋の緒が切れて掴み掛かろうとした。

 その瞬間———集まった人間達から死角となる建物の陰。

 まるで図った様なタイミングで、影の一部が実体を持った様に動いた。

 悪魔の姿をした影は、素早く手元にスクロールを広げた。

 魔法が発動し、スクロールが灰となって消えると同時に———フォルビンの目が一瞬、虚ろになった。

 

「ひっ!? わ、私に触るなドブネズミめっ!!」

「ガフッ———!?」

 

 次の瞬間、フォルビンの目には巨大なドブネズミが自分の手を噛みつこうとした様に見えて、思わず魔法を放ってしまった。魔法は属性も何もないただの魔力弾だったが———仮にも聖教教会の司教として強力な魔法の使い手であったフォルビンの撃った魔力弾は、掴み掛かろうとした一般兵士の胸を容赦なく貫いた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……あ?」

 

 辺りが沈黙に包まれる。建物の陰にいた悪魔が素早く実体を解いて影に戻る中、辺りにはフォルビンの荒い息の音だけが響いていた。地面に倒れて動かなくなった一般兵士の胸から血溜まりが広がっていく。

 フォルビンはしばらく信じられない面持ちで衝動的に殺してしまった兵士を見ていた。自分の手で人間の命を初めて殺めたという事実に、手がワナワナと震える。今更になって、恐怖が湧き上がってきたフォルビンの精神は———自分の行いを正当化する為に自己防衛にはしった。

 

「ふ……ふんっ! 異端者め、聖教教会の司教である私に手を上げようなど死んで当然だ! “光の戦士”たる私の行いはエヒト様のご意思そのものだっ!」

 

 瞬間———練兵場に沸き上がるような怒りの感情が爆発した。

 

「てめええええ、よくもヨハンをっ!!」

「ふざけんなあああっ!!」

「ひ、ひぃっ!?」

 

 一般兵士達は完全に殺気立ち、フォルビンを取り囲もうとした。フォルビンは練兵場の端にある壁へジリジリと後退りしながら、自分の護衛である神殿騎士達に助けを求める様に声を掛けた。

 

「お、おい、神殿騎士達! 私を護れ! ひ、“光の戦士団”に所属する私に何かあったら、お前達の首程度では償い切れないと分かっているだろうな!?」

「……お断りします」

「な、なあっ!?」

 

 フォルビンが真っ青な顔になる中、神殿騎士達はまるで穢らわしい魔物を見るかの様に嫌悪感を込めた目付きで見ていた。

 

「よく分かった……“光の戦士団"こそが我々にとっての害悪だ! 貴方達はエヒト神の名を盾にして人間を喰い物にしているだけだ!」

「な、何を言っている!? 国王陛下とイシュタル大司教が直々にエヒト神の代行者とお認めになられた“光の戦士団”だぞ!? わ、私を殺すという事は、エヒト神の意向に逆らうのと同じ———」

「ならば! 我々はもう信仰など捨てる!! 人の命を何とも思っていない横暴な者達を庇護する神などあってたまるか!!」

 

 神殿騎士達は一斉に首から下げていた聖具を引き千切った。聖教教会に所属する証———エヒト神への信仰を示す証そのものを捨てて、神殿騎士達は一般兵士達と一緒になってフォルビンを取り囲んだ。

 

「やっちまえ!」

「この悪党を吊るし上げろ!」

「や、やめろ! 私は“光の戦士団”所属の大司教だぞ!! ひっ……ぎゃあああああああああああっ!?」

 

 ***

 

 アンカジ公国近郊の聖戦遠征軍の練兵場にて、聖教教会の大司教であり、“光の戦士団”に所属していたフォルビンが兵士達や神殿騎士達にリンチを受けて死んだ事件は瞬く間にハイリヒ王国内に広まった。

 これを聞いた王国の上層部はすぐに事件に関わった兵士や神殿騎士を全員縛り首にしたものの、捕まる前に脱走した者達によってフォルビンの横暴な振る舞いは明るみに出て、“光の戦士団”がエヒト神の威光と権力を笠に着た横暴な集団という実態も出回ってしまった。

 ただでさえ、聖戦遠征軍を結成した為に国民達は重税に苦しみ、多くの貴族達が“光の戦士団”に取り入る為に領民から更に税金を巻き上げていたのだ。魔人族といった当面の脅威が居なくなった事で、国民達は苦しい生活の原因は“光の戦士団”にあるとして今までの不満が爆発したのだ。

 

 これを機に各地の練兵場にいた聖戦遠征軍()()()兵士達も次々と反乱を起こしてしまい、更には王国で良識ある一部の領主達も苦しむ民の為に武装蜂起するなど、ハイリヒ王国内では山火事が広がる様に次々とエリヒド王や教会に対する反抗戦力が立ち上がった。これに対してエリヒド王は徹底的に対抗する姿勢を見せたが、全国各地に湧き出た反乱分子に対処は後手へ後手へと回り、王国の最大の裏切り者であるアンカジ公国への派兵も見通しが立たなくなってしまった。

 

 中でもエリヒド王を支援している教会勢力が深刻だった。始まりの事件となった練兵場の指揮官のフォルビンが現役の司教であった事に加えて、そもそもの原因である“光の戦士団”のトップにいるのがエヒト神が異世界より召喚した勇者達という事もあって、『聖教教会は我々を苦しめるだけの存在だ! エヒト神は我らを見捨てたのだ!』と叫びながら暴動を起こした市民達によって街の教会が破壊されるという事件まで地方では起こってしまったのだ。

 

 長く人間族の敵だった魔人族の脅威が無くなり、平和になる筈だったハイリヒ王国。

 今では同じ国の人間同士で内乱が起こり、先の見えない暗雲が立ち込め始めていた。

 

 後世の歴史において———『ハイリヒ革命』と呼ばれる動乱が、いま幕を開けたのである。




>内乱が勃発した王国

 ほら、楽しめよエヒト。お前の大好きな人間同士が争い合う展開だぞ?
 何度も見たから飽きたとか言ってるお前の為に、お前自身の信仰も賭けられている展開にしておいたぞ? 下手したら身の破滅だけど、今までと違ってハラハラするから別に良いよね?
 まさにギャンブル……! 故に……楽しめ……! ギャンブルは……狂気の沙汰ほど面白い……!(福本伸行顔)

>ハイリヒ革命

 なんと都合の良い事に、各地に武器を持って訓練していた兵士がいて、しかも彼等の現政府への不満が高まっていたから反乱の芽が一気に出ました(笑) 一体、何処の何バオトのせいなんだろう?

 こういう展開を書く時に歴史の出来事は勉強になるなぁ、と思っています。そんなわけでフランス革命について勉強中。
 ただね……このままだと、ランデル王子あたりがルイ17世と同じ末路になりそうなんですよね……さすがにあれは胸糞案件過ぎて、書く気になれないですけど。


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第百二十三話「戦後のガーランド国」

 最近、メトロイドプライムのリマスター版をやりました。メトロイドはやっぱりオモロイド。スペースパイレーツの研究所とか、ナグモの第四階層はこんな感じかなあ、とイメージが膨らみました。


 その日、魔人国ガーランドの首都は住民達が死に絶えたかの様な沈黙に包まれていた。とは言っても、言葉通りに住民がいなくなったわけではない。ほんの僅かだけ開いたドアや窓の隙間——戦う力が無かった為に、遠征軍に加わる事が出来なかった女子供の魔人族達が、息を潜めながら大通りを見ていた。

 

 彼等が逃げ出さなかったのは、逃げ出したとしても絶望的な生活しか送れないと理解している為だ。

 ガーランド国は広い国土の割には凍土地帯がほとんどであり、人間が暮らせる土地は少ない。各地に点在している集落に逃げ込んでも受け入れられる余裕などあるわけがなく、避難民のほとんどが仕事も住む所もない貧民生活を余儀なくされるだろう。もちろん国外など論外だ。彼等とて自分達が人間族にどのように見られているか知っているし、先の戦争では遠征軍が人間族の村や街を破壊したのだ。魔人族軍がいなくなった今、今度は自分達がその報復を恐れなくてはならない身である事を十分に理解していた。

 そういった理由から、逃げ場の無い魔人族の住民達は大通りを見ながら切実に願っているのだ。

 どうか——()()()()()()()()()()()()が、我々を皆殺しにしたりはしません様に、と。

 

 ガシャン、ガシャン———。

 

 大通りを鎧の具足で踏みしめる音がいくつも響く。

 ほんの少し前に出征する遠征軍を歓呼の声で見送った時と、同じ音を聞いていた。だが、今は絶望を告げる足音の様に住民達は聞こえていた。

 大通りに現れたのは、名付けるならば死の軍隊だろう。

 まず最初に大通りに入って来たのは、立派な甲冑を着た兵士達だ。だが、その顔は腐りかけた人間のそれであり、生者への憎しみを眼窩から赤い光として出しながら隊列を組んで行進していた。

 次に現れたのは死の騎士団と言うべきだろうか。

 手にはフランベルジュとタワーシールド。二メートルを超える巨体を悪魔の様な意匠の漆黒の鎧で包み、漆黒のマントをたなびかせながら行進していた。

 その他にも、彼等が見た事の無い魔獣、悪魔、金属で出来たゴーレム……数々の異形の存在が大通りを肩で風を切りながら行進していく。

 魔人族達は生まれ付き、魔力を感知する能力が備わった種族だ。その為に目の前を横切っていく異形達が、見掛け倒しではない事を感じる魔力で理解させられてしまった。魔王や遠征軍の全滅をまだ受け入れられなかった魔人族達も、並々ならぬ魔力を漂わせながら行進する異形種の軍隊を見て納得せざるを得なくなった。

 

 そして——異形種達の行進の中。金色の鎧を来たアンデッド騎士達が担ぐ輿の上。それを見た瞬間、魔人族達に魂が震える様な衝撃が走った。

 豪奢なローブに、手には七匹の黄金の蛇が絡み合った様な杖。そして——骸骨の身体から滲み出る圧倒的な死のオーラ。渦巻く様な黒い魔力の光を感じて、魔人族達は誰もが理解する。

 

 あれこそが、魔導王アインズ・ウール・ゴウンだと。

 

 そして、魔導王の輿の前。魔導王に見下ろされる形で、磔台ごと運ばれる下半身の無い男の死体があった。まるで全身に酷い火傷を負ったかのような無惨な姿だが、その顔立ちは見間違えようがない。

 

 それはほんの数週間前、魔人族こそが神の祝福を受けた種族だと宣言して、この遠征は魔人族の繁栄を約束するものだと演説した男——魔王アルヴヘイト本人だ。

 自分達の王であり、また生き神だった男が無惨な晒し者になっている姿を見て、魔人族達は絶望の色を濃くした。

 自分達はもはや、生かす殺すもアインズ・ウール・ゴウンの掌の上である。それを心から理解させられてしまった。

 

 ***

 

 魔人族の城――玉座の間。

 かつてアルヴヘイトが腰掛けていた玉座に座ったアインズは、大きく息を吐いた。

 

(つ、疲れた〜……パレードなんて生まれて初めてやったよ。うう、上手くいったのかなぁ?)

 

 緊張のあまりにガチガチに固まった身体を解そうとする。骨しかない身体なのに、身体中の筋肉が凝り固まった気がするのは何故だろうか?

 

「お疲れ様でした、アインズ様」

 

 玉座に座ったアインズを労わる様に、傍に控えたアルベドが声をかける。その側には階層守護者達も控えていた。

 

「アインズ様の玉体をお見せになり、そして不遜ながらも魔の王を自称していた愚神の眷族の末路を見た事で、魔人族達は自分達の真の支配者が誰かを理解した事でしょう」

 

 居並ぶ階層守護者達もほとんどがその通りだ、と言っているのが沈黙を通して伝わってきた。

 

(そういうもの……か? まあ、これで残った魔人族達がエヒトルジュエの味方をしようと思わなくなるなら、グロい死体を見ながら座ってなきゃいけない甲斐はあったか? うん……)

 

 顔がはっきりと分かるくらいには死化粧を整えたとはいえ、何が悲しくて溶鉱炉に落ちた様な無惨な死体を見ながら輿の上で晒し者な扱いをされなくてはならないのか。アンデッドの特性として精神が沈静化されるとはいえ、大勢から注目されて恥ずかしかったやら、目の前で死体をずっと眺めていて気が滅入ってくるやらで、アルベドやデミウルゴスが提案した凱旋パレードを行った事をアインズは内心で後悔していた。

 とはいえ、アルベド達が言ってきた事も尤もではあった。魔人族達はアルヴヘイトが直接支配していただけに、神への依存度は大きい。その為にアインズがアルヴヘイトに勝利した事をはっきりと形に示す事で、今後エヒトルジュエが何らかの形で魔人族に接触しても、神に味方しても得な事は何一つ無いと知って貰う必要があったのだ。それともう一つ——。

 

「デミウルゴス、教会側や勇者側に特に動きは無かったのだな?」

「ええ、アインズ様。どうやらあちら側は()()()()()()()()()()()様ですから」

「ふむ……」

「アインズ様。“愚神の使徒”の生き残りがいて逃げ出したのも、元はといえば()()()()()()()()が仕損じたからです。やはり、あの小娘の支配権はアインズ様が直接握るべきだったのではないでしょうか?」

「香織がしくじったわけじゃない! 戦闘終了後に生命反応が無かったのは僕とナザリックの研究所チーム全員で確認した事だ!」

「よせ、アルベド、ナグモ。双方とも控えよ!」

 

 アルベドとナグモが睨み合いを始めるのを、アインズはいつもの支配者ムーヴで止める。

 アインズがアルヴヘイトの死体を市中引き回しにしたもう一つの理由。それはアルヴヘイトの死体をこれ見よがしに晒して、エヒトルジュエの反応を見定めようとしたのだ。

 アンカジの戦場から皆殺しにしたと思っていた“真の神の使徒(ノイント)”が逃亡した事は、アインズの耳にもすぐに入った。黒い仔山羊に優先的に攻撃する様に命じたのにも関わらず、生き残りがいたのはアインズもさすがに予想外だった。

 逃亡した“使徒”は、エヒトルジュエの下に戻ってアインズの情報を伝えた筈だ。もしそうならば、戦闘情報を隠蔽していたアドバンテージは無くなったと見るべきだろう。

 それならば、今度はどのタイミングで仕掛けてくるか?

 今まではアインズが徹底的に自分の情報を隠した上で仕掛けられたが、さすがにエヒトルジュエもこのまま手をこまねいているだけという事は無いだろう。そこでアルヴヘイトの死体をエサにして、回収しに来たエヒトルジュエを迎え撃つ作戦が立案されていた。そしてアインズは、その作戦通りに対情報系魔法の攻性防御や迎撃部隊をパレードに扮して配置していたのだ。

 

「元はといえば、香織には足止めしか命じておらず、“使徒”達を攻撃するのは私が召喚した“黒い仔山羊”の役目。殺し損ねたのは私に落ち度があったという事になるだろう」

「アインズ様に落ち度など……! 責があるとするならば、()()()()()アンデッド娘を満足に躾けられなかったナグモが負うべきものです!」

「貴様、香織の事をよくも……!」

「やめなよ、二人とも。アインズ様の御前だよ?」

 

 険悪な空気が流れる二人の間にアウラが割って入る。他の守護者達も心なしか、『またか』とうんざりしているように見えた。

 

(うーん、この二人……薄々思っていたけど、仲が悪いのか? タブラさんとじゅーるさん、そんなに仲が悪かった筈はないんだけどなぁ……?)

 

 部下であり、大事な友人達の子供に等しい存在が仲が悪い事にアインズは考え込んでしまう。アウラとシャルティアも仲が悪いのだが、この二人の場合はそれとは全く違う気がする。

 アインズは咳払いを一つすると、睨み合う二人を止める様に声を掛けた。

 

「ともかく、アルヴヘイトの死体をエサにしたのにエヒトルジュエが動かなかったのは何故か? アルヴヘイトはエヒトルジュエから見れば取り返す価値の無い重要な駒では無かったか、あるいはまだ逃げ出した“使徒”の情報がエヒトルジュエに伝わっていないのか……様々な可能性は考えられるが、私にとってもまだ状況は致命的では無いと考えても良いだろう。デミウルゴス、王国で内乱が起きているというのは本当か?」

「はい、アインズ様。これも、全てはアインズ様の想定通りであります」

「……う、うむ! そうだな!」

 

 その想定とやらに全く心当たりが無いんですけど……とは言えず、アインズはとりあえず頷いた。とにかく、ハイリヒ王国で内乱が起き始めたというのはナザリックにとって良い事なのだろうとアインズは納得する事にした。

 

(そもそも何で内乱が起き始めたんだ? エヒトルジュエの勢力も一枚岩じゃないという事か? いや、ミレディの話だとエヒトルジュエは“神域”という安全な場所にいながら、人間達を戦争させて眺めるのが好きだという話だったな。じゃあ、これもエヒトルジュエが趣味で始めた事か? ううん、でもこのタイミングでやるかぁ?)

 

 無い頭を何とか捻ろうとしたが、アインズには一向に分からなかった。ハイリヒ王国を担当しているデミウルゴスに聞こうにも、『そのお話は以前渡した書類に記載しましたよ?』と言われるのは書類に判子を適当に押してしまった手前、聞くのも憚られてしまった。

 

(結局、俺の自業自得だこれ……もう臨機応変にどうにかするしか無い……)

 

 自らの支配者としての無能ぶりに頭を抱えながらも、後で考えようと問題を棚上げにする事にした。

 

「まあ良い。とにかく、エヒトルジュエは未だに“神域”というホームギルドがあるから我々から攻めに行く事が出来ないのだ。今の様に仕掛けてくるエヒトルジュエの手下を迎え撃つばかりでは後手に回る他ない。奴の根城へ攻め込む為にも、神代魔法の習得は急務だ。私やナグモ達は引き続き大迷宮の探索に精を出す」

「はっ!」

「……はっ」

 

 ナグモが深々と頭を下げ、アルベドもまたアインズの決定に頭を下げた。

 

「さて、後は占領したガーランドをどうするかだが……」

「アインズ様、それでしたら恐れながら一つ提案がありんす」

 

 シャルティアがスッと手を上げる。

 

「今回、魔王が留守中だった魔人族達の首脳陣を私のペットが壊滅させんした。どうせ魔人族達も残っているのは戦えない女子供だけでありんすし、私のペットに管理を任せてはいかがでありんしょう?」

「ああ、ペット……ペットな、うん……」

 

 シャルティアのペット——かつてハルツィナ樹海でナグモ達と交戦した、システィーナ・バクアーの事を思い出してアインズは微妙な声音になった。ナグモが生け捕りにした魔人族達を『好きにして良い』と命じたら、どういう経緯があったか知らないが、その内の一人であるシスティーナはシャルティアに忠誠を尽くす様になったそうだ。

 

「まあ……とりあえず、その、あー、ペット? とやらをここに連れて来てくれるか?」

 

 まずは実物を見てから判断しよう。そう思ってアインズは、システィーナを呼ぶ様にシャルティアに命じた。

 

 ***

 

 シャルティアに連れて来られ、システィーナは玉座に座ったアインズに平伏していた。彼女を見てナグモが少しだけ眉間に皺を寄せるのを視界の端に見ながら、アインズは鷹揚に頷いた。

 

「名を聞こう」

「はっ。偉大にして至高なる死の支配者であらせます魔導王陛下。私はシャルティア・ブラッドフォールン様の忠実なシモベ、システィーナ・バクアーでございます」

 

 形容詞長っ! と思いつつも、アインズは冷静な王に相応しい態度で応じる。

 

「お前達の王、アルヴヘイトは私が討ち取った。そしてアルヴヘイトが留守の間、魔人族達の首脳陣はお前が討ち取ったそうだな?」

「はっ! 全ては偉大なる魔導王陛下の為、そして我が主シャルティア・ブラッドフォールン様の為にございます! アルヴヘイトなどという偽りの神に忠誠を誓っていた者など、これより魔導王陛下が治められるガーランドには不要と思い、魔導王陛下に代わって征伐致しました!」

 

 かつてはガーランドで将来有望だったエリート軍人らしく、システィーナはハキハキと答える。その表情は重大な任務を果たした様に喜びに溢れていて、嘘を言っている様には見受けられなかった。

 

「ふむ……お前の働きにより、魔人族達は我々に対して抵抗する手段すら失った事にはなるが、問題はお前が我々を裏切らないという確証が必要となる。よって——」

「ああ、そういう事でしたら大丈夫でありんす。今からお見せしんしょう」

 

 へ? もうあるの? とアインズは思わずシャルティアを見る。ナグモに頼んで行動を常時監視する発信機付きの首輪でも作って貰おうか……と考えていたアインズに、シャルティアは淑女の様な可愛らしい微笑みで一礼しては、システィーナの方を向いた。

 

「おすわり!」

「わん!」

 

 瞬間——システィーナはシャルティアの命令通りに座った……もちろん四つん這いで。

 

「伏せ!」

「わん!」

 

 今度は手足を地面に付けて腹這いの様な姿勢になる。その拍子にシスティーナの胸の膨らみが、ぐにゅっと潰れているのだが、システィーナはむしろ興奮した様に息を上気させた。

 

「うわあ……」

「え、えっと、その……よく躾けられてますね……?」

「ふふん、そうでありんしょう! 調教の腕ならアウラに劣らないでありんしてよ。ほうれ、取ってこーい!」

「きゃん、きゃん!……ハァ、ハァ♡」

「……ああ、うん。これはあんたの勝ちでいいよ、張り合う気も無いし」

 

 潜入活動中は演技とはいえ上司だった女軍人の痴態を見て、アウラとマーレは顔を引き攣らせる。他の守護者達も人として、女として色々と終わっているシスティーナを見て視界に収めない様に明後日の方向を向いたり、可哀想なものを見る様な目付きで見ていた。しかし、システィーナはそれすらも快楽を感じている様に……シャルティアの命令を嬉々として聞いていた。

 

「まだまだこんなものじゃ終わらないでありんす! 次はちんち——」

「もういい。もういいです、はい」

 

 シャルティアが命じる前に、思わず素に戻ったアインズは慌てて止める。そのまま引き攣った様な声を何とか絞り出した。

 

「うん、まあ……シャルティアに忠実なのは良く分かった………分かりたくなかったけど。んん、ゴホンッ! 我々の命令を聞く限り、魔人族達を皆殺しにする様な真似はしないと誓おう。私は私の為に働く者に報酬は必ず支払う事にしている。今回の首脳陣の抹殺の報酬として、何か欲しい物はあるか?」

「くぅん?」

「人間の言葉を喋って良いでありんす。さっさと答えなんし」

「それでは二つほどお願いがあります」

 

 今の今まで牝犬になり切っていたシスティーナが、許可を得た途端に真面目な声音となった事にアインズはずっこけそうになる。しかし、何とか我慢してシスティーナの言葉を待った。

 

「一つ目に、私をシャルティア様の完全な下僕として吸血鬼にして下さい。そうすれば、シャルティア様の支配下として目に見える形で縛られるので、魔導王陛下も安心だと思われます」

「あー……シャルティア?」

「アインズ様にご許可を頂けるのでありんしたら」

「それともう一つ……」

 

 システィーナは跪いたまま、シャルティアに熱い視線を送った。

 

「私を——正式にシャルティア様の側女にして下さい」

 

 時間にして十秒くらいだろうか。アインズは骨になった手を自分の額に当てていた。頭痛が痛い……という頭の悪いワードを思い浮かべながら、精神が沈静化されるのを感じた。

 

「…それが、お前の望みであるなら」

「ありがとうございます! 魔導王陛下!」

「あん? ペットの分際で愛人に立候補するとか良い度胸でありんす。どうやらもう一回、上下関係をきっちり教えなくてはいけない様でありんすねぇ?」

「あん、申し訳ありません! シャルティア様ぁ!」

「アインズ様、私はこれで失礼するでありんす。新しく手に入れた()()()使()共々、しっかりと調教してくるでありんすぇ」

「ああ、うん……程々にな……」

「ほら、さっさと行きんしょうか。ついて来い、牝犬」

「はい!」

 

 喜悦を浮かべながら、システィーナはシャルティアと共に歩き出そうとする。

 

「待ちなんし。どうして牝犬が二本足で立っているでありんしょう?」

「っ! わん、わんわん!」

 

 即座に四つん這いになって歩き出すシスティーナ。その背に腰掛けながら、シャルティアはぺしん、と尻を叩いた。それと同時に嬉しそうな鳴き声が響く。

 なんか歩いた後の床にキラキラとした液体が垂れている様な気がしたが、アインズは見なかった事にした。

 

(拝啓、ペロロンチーノさん。貴方の一人娘はとても元気にやっています。きっとこれも貴方が望んでいた光景なのでしょうね……すごくドン引きだけど)

 

 今は遠くにいるだろう友を思いながら、アインズは目の前の現実から逃避する様に天を仰いでいた。

 

 ***

 

 その後、魔人族達はナザリックに忠誠を誓ったシスティーナによって管理される事になった。システィーナの手で魔人族の政治中枢を担っていた者達はいなくなり、他に国の舵取りを出来る者がいない以上、生き残りの魔人族達は思う所があってもナザリックを後ろ盾にしたシスティーナに従うしかなかったのだ。それに異を唱えて反旗を翻そうとした者もいたが、シャルティアによってヴァンパイア化したシスティーナは以前より大幅にステータスを上げていた。彼女一人の手により反乱組織が壊滅するという事態を見て、魔人族達はもはや反逆を起こそうという気持ちすら折れてしまった。そうして、魔人族の国ガーランドはナザリックの支配下へ治まっていたのであった。

 

 だが———。

 

「はあ、はあ……くっ!」

 

 一人の魔人族の女が、ガーランドの国境から抜け出そうとしていた。国道を避けている為に舗装されていない険しい山道を歩く事になったが、彼女の深い執念のオーラの前では障害と感じさせない様だった。

 

「許さない……許さないぃ……! システィーナ……あの売国奴がああああっ……!」

 

 恋人の遺品となったロケットを握り締め、カトレアは怨念に塗れた幽鬼の様な顔でガーランドから立ち去った……。




>システィーナ

 本当に何でこうなった……。詳しく書くとね、本気でキルタイムなコミュニケーションにしかならないんですわ。

>復讐鬼カトレア

 因果応報、人を呪えば穴二つと言う様に、やった事には必ず報いが返る。覚悟しておけ、ナザリック。そしてどこぞの0歳児よ。


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第百二十四話『神子の真相』

 やったあ! アルヴヘイトくんはもう一回遊べるドン!


 ナザリックによって征圧されたガーランドの城。そこにナグモとユエの姿があった。

 

「それで私は何をすれば良いの?」

「お前には宝物庫に収められた国宝のマジックアイテム類の鑑定をしてもらう。一つくらいは使える物はある筈だからな」

 

 アルヴヘイトがいなくなり、ガーランドの城にある国宝なども全てナザリックの物となった。単純に宝の鑑定をさせるならパンドラズアクターだけでも事足りるのだが、トータスの現地文化に詳しいユエの意見も参考にするべきだろうと判断してナグモが呼びつけたのであった。

 

「もっともハイリヒ王国の宝物庫にあったマジックアイテムの質からして、ナザリックにとって大した物は無いと思うがな」

「……本当に魔人族達を平定するなんてね」

 

 既に話を聞き及んでいるのか、城に勤務している魔人族のメイドがナザリックの人間であるナグモの姿を見た途端に、顔を青くしながらガタガタと震えて平伏する姿を見てユエはポツリと言った。

 

「ナザリックの軍事力なら不可能ではないと思っていたけど、魔人族軍全員を皆殺しにするとは思わなかった」

「……奴等はアインズ様の世界征服の大願の為に殺す必要があった。それだけだ」

 

 ナグモはいつも以上にぶっきらぼうに言葉を返した。ユエの言葉が、まるで戦場で魔人族達を皆殺しにした事を責めている様に感じたのだ。

 

「奴等は……ナザリックと交戦する前にも異種族である人間達の街をいくつも焼き払った。奴等は蛮民だ。恐怖という知識が欠けた愚者達をアインズ様の支配下に入れるには、まずは鞭の痛みをもって理解させる必要があった」

「……貴方達がやった事を責めたいわけじゃないけど」

 

 ユエとて、かつては吸血鬼の国の女王として戦争の指示を出した事もある。流石に今回のナザリックの規模とは比べ物にならないが、敵軍を自分の魔法で焼き払った事だってある。国を運営するという事は、時には血生臭い事に手を染めなければならないのだ。だからこそ、今回の戦争で魔人族達に甚大な被害を出したナザリックの所業を一方的に悪だと断じるつもりはない。しかし、自分に言い聞かせている様に言い訳がましいナグモに対して、ユエは少しだけ眉を顰めた。

 

「でも……行った事実に対して、逃げるべきじゃないと思う」

「僕は逃げてなんか———」

「敵兵にだって、帰りを待つ人がいた」

 

 一緒、ナグモの息が止まった。ユエは静かに、しかしまっすぐな瞳でナグモを見ていた。

 

「……貴方にとっては敵を排除しただけなのかもしれない。でも、目的の為に大勢を殺した。それと同時に親しい誰かを亡くして不幸になった人も生み出した。アインズ様の為という大義があったとしても、それは確かな事……だから、その事実から逃げては駄目。キチンと受け止めておいて。それが誰かを犠牲にしてでも前へ進んだ者としての、最低限の義務だと私は思っている」

 

 ユエのまっすぐな瞳に、ナグモは気圧された様に何も言えなくなる。

 低脳な人間達など害獣(サル)同然だからいくら死んでも問題ない。

 いつもの様にそう言おうとしたが、今のユエの言葉の前ではそれが薄っぺらい言葉に思えて反論が上手く紡げないのだ。

 ナグモがNPCのままだったならば、AIの定型文の様にナザリックへの忠誠や創造主によって設定された性格のままに出た言葉で言い返す事も出来ただろう。

 だが、人間(プレイヤー)となり、人間の心を学び始めた彼にはユエの言葉に反論できる程の精神性は無かった。オルクス大迷宮に三百年間も封じられたとはいえ吸血鬼の女王として人生経験を積んだユエと、人間になったばかりで精神的に未熟過ぎるナグモでは言葉の重みに差があって当然だった。

 

「……魔人族軍の殲滅は、正しい事だったんだ。もう終わった話を今更蒸し返すな」

 

 だからこそ、ナグモは負け惜しみの様にそう返すしか無かった。ユエにプイッと背を向け、目的の場所へ行こうと足早に歩き出す様はまるで逃げ出している様にも見えた。

 しばらく、二人の間に会話は無かった。ナグモはユエの方を振り向こうとはせず、ユエもナグモの背中を見たまま何も言わない。何かを言えば、綻びを生じてしまう様な気不味い沈黙が二人の間に流れていた。

 やがて、城の廊下を進んだ先———ソレを見た瞬間、ユエの足がピタリと止まった。

 

「………………え?」

「……何だ? まだ何か言いたい事でもあるのか?」

 

 ユエが足を止めたのを察知して、ナグモは不機嫌そうに振り向いた。しかし、ユエはナグモを気にかける事なく、ある一点を見つめて表情すらも凍り付いた様に動かなかった。

 

「おい、本当に何だ? グズグズしてる暇なんて無いのだが?」

「嘘……どうして……この人が………」

 

 イライラとした口調のナグモに、ユエは掠れた声で答えた。ようやくナグモはユエの視線の先にあるものに気付いた。

 

「ああ、それか? その男がアインズ様を差し置いて、魔の王を自称していたアルヴヘイトだ。ふん、こんな趣味の悪い肖像画がまだ城に残っていたとはな。さっさと処分する様に言っておかなくては———」

「ディンリード……叔父様………?」

「………何だと?」

 

 廊下に飾られた()魔王の肖像画。そこに描かれていた叔父の顔に、ユエは幽霊を見たかの様に呆然と立ち尽くしていた。

 

 ***

 

「———本当にこれで問題無いのだな?」

「はっ。復活におけるレベルダウン後の予測ステータス、アインズ様よりお借りした装備に掛かるデバフ効果……様々な要素を検証しましたが、これでアルヴヘイトが復活しても身動きが取れる確率は0.0001%以下です」

 

 オルクス大迷宮の深層———かつてユエが封印されていた部屋で、アインズはナグモに念を押す様に聞いていた。

 魔王アルヴヘイトがユエの親族だったというナグモの報告を聞き、アインズはアルヴヘイトに蘇生魔法をかけて事情聴取を行おうと判断したのだ。ただし、まだ完全にアルヴヘイトを信用したわけではない。ユグドラシルには魔法やスキル、ステータスを封印するデバフ専用の装備があり、アルヴヘイトの身体にはそれが自分の意思では外れない様に取り付けられていた。

 

「加えて———アルヴヘイトの肉体がトータスの吸血鬼族である限り、この魔法具の拘束からは抜け出せません。……()()()()()()()ですから」

 

 チラッとナグモは共にこの場にいるユエを見ながら断言した。アルヴヘイトは、かつてユエがそうされていた様に魔力を常に吸収される鉱石で作られた立方体に両手や下半身が埋まった状態で磔にされていた。まるでアインズ達が初めてオルクス大迷宮に来た時の焼き直しの様だ。違うのはユエの代わりにアルヴヘイトが封印されている事と、アルヴヘイトの周りを万が一の為にと配置された高レベル帯のモンスター達で埋め尽くされている事か。

 

「ユエ………」

「……大丈夫です」

 

 アインズはユエに声を掛けた。これから裏切られたとはいえ、彼女の実の叔父と話をするのだ。何と言えば良いのかアインズも分からなかったが、ユエは覚悟を決めた様に頷いた。

 

「……お願いします」

「うむ……では、これより魔王アルヴヘイトの蘇生を行う! レベルダウンや拘束具があるとはいえ気を抜くな! 万が一逃げ出そうとしたら、殺害を許可する!」

『はっ!』

 

 ナグモや周りの高レベルモンスター達が一斉に唱和する。アインズ自身も即座に攻撃魔法が撃てる様に準備しながら、蘇生の短杖(ワンド)をアルヴヘイトに使った。

 

「うっ……かはっ……」

 

 すると、死体だったアルヴヘイトの身体が甦る。長く動いていなかった為に固まっていた喉の筋肉を動かす様に咳き込みながら、アルヴヘイトはボンヤリと目を開ける。

 

「あ……アンデッド!? ア、アインズ・ウール・ゴウン……!」

「叔父様……!」

 

 アルヴヘイトは意識が覚醒すると、自分の視界にいたアインズの姿を見てトラウマを想起した様に恐怖の表情に歪んだ。だが、ユエが声を上げるとアルヴヘイトは初めてユエに気付いた様に視線を向けた。

 

「……お前は、確か……アレーティア? まさかお前はアレーティアなのか!?」

 

 まるで記憶を掘り起こす様に目を細めていたアルヴヘイトだが、ユエの姿を見て驚愕していた。

 

「叔父様……貴方は本当にディン叔父様なの?」

「そ、そうだ! 私はお前の叔父、ディンリード・ガルディア・ウェスペリティリオ・アヴァタールだ!」

 

 金髪紅眼の男は一般的には知られていなかったミドルネームも含めて正確に名前を言い切った。ユエの表情に動揺がはしる中、アルヴヘイト———ディンリードはユエを見て感激している様に涙を流した。

 

「ああ、アレーティア……私の可愛い姪よ。まさか生きているとは思わなかった……今はもしかしてアインズ・ウール・ゴウン……いや、ゴウン様にお仕えしているのか? それは良かった……」

 

 ユエの傍らに立っているアインズを恐々と見ながらも、ディンリードは安堵の溜息を漏らす。それはまるで、地獄の中で蜘蛛の糸を見つけた様な表情だった。

 

「頼む、アレーティア……どうかこの拘束を解いてくれ。もう私はゴウン様と戦う気なんて無いんだ。私も君と一緒にゴウン様にお仕え出来る様に取り計らってくれ……お願いだ」

 

 ディンリードは、かつてユエの教育係として何度も見せていた優しい笑顔で話しかけてくる。それは遠い記憶となった姿と同じ顔で、ユエの中で迷いが生じる。だが、そこでアインズがユエの前に出た。

 

「待て。ユエの叔父だというなら、いくつか疑問に答えて貰おう」

「な、何でしょうか……?」

「まず最初に、吸血鬼族であるお前がなぜ魔人族の王となっていた? それもエヒトルジュエの手下として」

「し、仕方がなかったのです! エヒト神……エヒトルジュエは、アレーティアを手に入れられなかった腹いせとして、アルヴヘイトを私に取り憑かせていたのだから!」

「……どういうこと?」

 

 ユエ自身も覚えがない様で、ディンリードを驚いた様に見つめる。その姿を見たディンリードは必死で話した。

 

 エヒトルジュエは肉体を失っており、新たな自分の器となる者を探している事。

 ユエは神の魂を内包しても崩壊しない、貴重な“神子”の天職を持って生まれた事。

 その為にエヒトルジュエの信仰に染まりつつあった吸血鬼族の上層部は、ユエを殺して肉体に神を降臨させる儀式を強行しようとしていた事。

 ———已むを得ず、ユエを封印してエヒトルジュエが完全体となる機会を邪魔した事を。

 

「そん、な………そんな話、信じられないっ! 叔父様は……貴方は私や祖国を裏切った!!」

「アレーティア、信じられないのは無理もない……だからこそ、君の両親とは教育方針でよく揉めていたんだ。実の子を神の生贄にするなど親のする事ではない、と私は言ったが……残念ながら、エヒト神の信仰に染まった彼等は聞き入れてくれなかった。神の肉体となる事は名誉な事だ、とアレーティアに教育する様にと迫っていたのだ」

 

 ユエは一瞬、足元がぐらりと大きく揺れた気がした。

 それはユエの記憶でも確かな事実だった。ユエの天職が初めて明らかになった途端、それまで普通に接していた両親や周りの者達は急に余所余所しく———まるで御神体でも取り扱うかの様に、自分を恭しく扱い出したのだ。唯一、今までと変わらずに接してくれたのがディンリードであり、それで両親達とよく口論している姿を見かけていたのだ。

 

「許してくれとは言わない……だが、全ては君を守る為の行動だったのだ。そうして君を上手く隠して、念入りに自分の記憶すら封じてエヒトルジュエの企みを阻止できたのだが、その事に怒り狂ったエヒトルジュエによって私の肉体は奴の眷族であるアルヴヘイトの器にされていたのだ」

 

 しかし、とディンリードは繋がれたまま、アインズや周りのモンスター達を恐々と見つつも背後にいるユエに視線を向けようとしていた。

 

「ゴウン様によって一度殺された事でアルヴヘイトの魂は死に、肉体の奥底に眠っていた私の魂が主導権を取り戻せた様だ。これは奇跡だ。億に一つもない筈だった奇跡をゴウン様は起こしてくれたのだ!」

 

 ディンリードの賛辞を聞いても、アインズは無反応だった。表情の無い骸骨の顔は、さながら豚に話しかけられた精肉機械のようだった。ディンリードは気まずそうに咳払いをしつつ、ユエに頼み込んだ。

 

「頼む、アレーティア。どうか私に謝罪をする機会を与えてくれ。何だってする。また昔の様に、君を支えさせてくれる様にゴウン様に御頼みして貰えないか?」

「わ、私は………っ」

 

 ディンリードの切実な姿を見て、ユエはどうしたら良いか分からなくなった。

 今まで自分を裏切っていたと思っていた最愛の叔父は、実はずっと自分の味方であった。語っている話を嘘だと言うには筋が立っており、信じて良いのか分からなくて頭がグチャグチャになりそうだ。

 ユエの脳裏に、“ディン叔父様"と慕っていた頃の記憶が甦る。

 幼いユエが座学や魔法の勉強で結果を出した時、いつも“頑張ったな”と優しく頭を撫でてくれたのがディンリードだったのだ。

 その叔父が生きていた。自分を裏切ってなどいなかった。

 ユエの瞳が揺れて、()()へ何か言葉を掛けようと口を開き掛け———。

 

「いや、実に感動的だ。我が身すら犠牲にして、自分の姪を守るとは見上げた心意気だ」

 

 不意にそれまで黙って事の成り行きを見ていたアインズの声が割って入る。

 

「人、その友の為に自らの命を捨てること。これよりも大いなる愛はなし……ナザリックのギミックにも用いられている福音書だ。()()()()()()殿()の素晴らしい愛に、私は敬意を表しよう」

「あ……ありがとうございます! では……!」

「ああ。ただ、その前に———“記憶操作(コントロール・アムネジア)”で記憶を閲覧させて貰っても構わないな?」

 

 ディンリードの表情がたちまち凍り付いた。アインズは眼窩に宿る赤い光でまっすぐ見据えながら、ディンリードに話し掛ける。

 

「私は魔法で記憶を読み取れるのだ。今の話が嘘でないか、お前が本当にユエの叔父なら確認させて貰っても大丈夫だな?」

「そ、それは、その………」

「どうした? お前はアルヴヘイトではなく、ディンリード殿なのだろう? それとも記憶を読まれると何か不都合な事でもあるのか?」

 

 まあ、本当は無理なんだけどな。と、アインズは内心で付け加える。

 確かに“記憶操作(コントロール・アムネジア)”で相手の記憶を読み取れるのは事実だが、消費する魔力が大き過ぎて三百年前の記憶などアインズでも遡らせるのは無理だ。

 しかし、アインズのブラフの効果は十分だった。「いや、だが、しかし……」とディンリードはモゴモゴと言い出す。息が荒くなり、目もキョドキョドと忙しない。様子のおかしいディンリードに、先程まで動揺していたユエも疑惑の目を向け出した。それに気付き、金髪紅眼の男は慌てた様に甲高い声を上げた。

 

「ち、違う! 信じてくれ! そうだ、アレーティア! 君との思い出を全部語ろう! それなら私がディンリード・ガルディア・ウェスペリティリオ・アヴァタールだと証明でき———」

「ふん。対象の記憶を読み取って、その人物のフリをするなどドッペルゲンガーでも可能だ」

 

 今度はそれまで黙っていたナグモが口を開く。ナグモは簡単な公式すら知らなかった相手を見下す様な目で、金髪紅顔の男を見ていた。

 

「大体、魂に関する基本法則を知らないのか? お前の肉体が仮にユエの叔父本人だとしても、既に数百年もアルヴヘイト(神霊)の魂を宿しているんだ。神霊という自らより大きな魂魄(エネルギー)に、元の魂はとっくに塗り替えられているだろうさ」

 

 それはコップの中の水に墨汁を垂らすと色が変化してしまう様に。

 ユエの様に“神子”では無く、一介の吸血鬼族でしかなかったディンリードの魂は、自分よりも巨大なアルヴヘイトという神霊の魂に既に呑み込まれてしまっている。肉体に入っていた時間が短ければ、まだディンリードの魂が残っている可能性もあったが、ユエが封印されていた年月からしてその可能性も無いとナグモは断言した。

 

「ち、ちが……わ、私は……私は………!」

 

 しどろもどろになりながら、金髪紅眼の男———アルヴヘイトは口篭る。それは自分が助かりたいが為に仕掛けた芝居(茶番劇)を見破られ、無様に狼狽えている神の姿だった。

 

「———つきっ

 

 ユエの声がポツリと響く。顔を伏せ、ユエは拳を握り締めて小刻みに震えていた。

 

「嘘つき、嘘つきっ!!」

 

 次の瞬間、ユエは怒りの表情で磔にされているアルヴヘイトに魔法を撃とうとした。

 

「この馬鹿者、冷静になれ!」

「放して! コイツが、コイツが私の叔父様を……!」

 

 ナグモや周りのモンスター達がユエを取り押さえる。彼等のレベルやステータスはユエより高いが、そんな事すら頭から抜け落ちた様に暴れてナグモ達の拘束を振り解こうとした。

 

「叔父様の身体も! 私と叔父様の思い出すらもコイツは利用しようとした! コイツだけは、絶対に許さない! 放して、放してええっ!!」

「止めよっ!!」

 

 アインズの声が大きく響く。ユエはビクッと肩を震わせる。暴れる事をやめたユエから離れる様にナグモ達に指示して、アインズはユエに向き直った。

 

「ユエ。親しい者を装って、謀られた事に怒り狂う気持ちは分かる。だが、ここでアルヴヘイトを再び殺したところで何も得られない」

「アインズ様っ……でも……!」

「お前の天職の件といい、この男には聞かねばならない事がまだある様だ。だから怒りに任せて殺す事は残念だが許可できぬのだ。ここは抑えてくれ」

 

 ユエの天職について、アインズは前々から気にはなっていた。“神子”と言うからには何か特別なクラススキルを持って生まれたのか? などと考えていたものの、今まで手に入れてきた情報では結局判明する事がなかった。今になって思えば、当然の話だ。トータスの歴史の中でユエしか“神子”の天職を得た者はおらず、だからこそ情報など残っているわけがなかったのだ。

 

「う、ううっ………!」

 

 いつもの冷静な表情を歪め、ユエはアルヴヘイトを憎々しい表情で見つめた。自分の感情と、大恩あるアインズの命令。その二つが心の中で激しく揺れ動く。

 

「ううっ……うああっ、うっ、うっ……!」

 

 最終的にユエは自分の感情よりも、アインズの言う事を尊重した。叔父の仇をこの場では殺せないと理解したユエは、その場で蹲って泣き出してしまった。

 

「……ここは任せる。ユエ、私が付き添うからこの場を離れるぞ」

「……はっ」

「うっ、ううっ……はい……」

 

 アインズはナグモ達に告げ、ユエと付き添う様に部屋を出て行こうとした。ユエもこのままいても邪魔になると理解したのか、嗚咽を漏らしながら部屋を出る。

 

「………ああ、言い忘れていたが」

 

 ユエが先に部屋を出たのを確認して、アインズはナグモ達に振り返った。

 その瞬間———ナグモ達、そしてアルヴヘイトすらも背筋に氷の柱を突き刺された様に感じた。

 

「そのペテン師は、()()()()()()。ニューロニスト、恐怖公、餓食狐蟲王……ナザリックのありとあらゆる者達の手を借りる事を許す。情報という情報を全て絞り出し、その後に苦痛という苦痛を最大限に与え続けろ」

 

 燃え盛る地獄の劫火の様に赤々とした光を骸骨の眼窩から輝かせ、アインズは部屋に残っている者達を睥睨する。

 

「死はこれ以上の苦痛が与えられないという意味で慈悲()()()……それを心の奥底まで刻み込ませろ」

『は………はっ!!』

 

 死の支配者の怒りのオーラに震えながら、ナグモ達は平伏する。アインズはそれを見た後、今度こそ部屋を後にした。

 かつて吸血鬼の少女を封印していた部屋を閉ざしていた扉が、重々しい音と共に閉まっていく。

 ステータスや魔法を封印する拘束具をつけられ、吸血鬼の肉体を得た為に自分を磔にしている立方体の鉱石から逃れる事も出来なくなったアルヴヘイトには、その音が自分の未来を鎖ざす音に聞こえた———。

 




 やったあ! アルヴヘイトくんは無限に遊べるドン!
 死亡フラグがなくなって良かったネ(笑)!

 次回はアインズ様がユエを慰めるお話っす。お口直しにどうぞ。


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第百二十五話「本当の名前」

アインズ×ユエのフラグ、続々と製作中。
あまりの焦ったさに、ちょっとエロい空気にしてくる! と本気で言いたい。でもアインズ様に精神操作は効かないのでありましとさ(苦笑)


 アインズはユエを連れて、オルクス大迷宮内にある作業員詰所に来ていた。

 ここはオルクス大迷宮で行っている採掘作業の為に各所に作られたスペースだ。とはいえ、ナザリックの管理下になった当初は第四階層の研究員達が大迷宮の内部を把握する為に訪れていたが、マップ構築が済んで採掘作業をマシン・ゴーレム達によって自動化をしてからは半ば放棄された様な場所となっていた。だからこそ、アインズはユエと文字の勉強をする際にこの場所を使っていた。謂わば、ここはアインズとユエだけが知る秘密の場所と言えるだろう。

 

「………飲むか?」

 

 ユエを座らせたアインズは、アイテムボックスから無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)を取り出し、グラスに水を注いだ。差し出されたグラスをユエは受け取ったが、俯いたまま口をつけなかった。

 

「私………本当は分かっていた」

 

 ユエはポツリと漏らす。俯いている為に表情は見えないが、その声は深い後悔に塗れていた。

 

「あの人が……ディン叔父様が玉座を奪いたいなんて理由で、私を殺しに来るなんてあり得ないって………そもそも私の“自動再生”の弱点を知ってるのに、殺せなかったから封印するだけなんて聡明な叔父様らしくない判断だったのに………」

 

 ユエの固有スキル“自動再生”は確かに強力な回復スキルだ。魔力が尽きない限り、たとえ頭を潰されてもユエは死なない。しかし、逆を言えば魔力さえ尽きてしまえば再生する事なく死に至るのだ。ディンリードはユエを殺す手段を知っていた筈だというのに、わざわざ大迷宮の奥深くで封印するという措置を取った。

 

「叔父様はずっと私の事を想っていてくれたのに………本当に裏切られたと思って、見当違いな恨みを抱いて………」

 

 それはディンリードの狙い通りであったのだろう。エヒトルジェエの目から隠す為とはいえ、ただ一人で大迷宮の部屋に取り残されるユエに自分を恨ませる事で、憎悪に身を焦がしながらも生き続ける目的を与えようとしたのだ。

 

「私……私っ……」

 

 ピチョン、とユエが持ったグラスに水滴が垂れる。

 

「ディン叔父様に……今までの事を謝りたかった……!」

 

 ただただ後悔を滲みだして、ユエは涙を流した。

 こんな時、アインズはどう言えば正解かなど分からない。鈴木悟として生きていた時も、異性との付き合いなどまるで縁が無かった為に泣いている女の子の正しい慰め方など知る機会は無かった。

 

 だが、ここで何も言わないのはアインズの心が拒否していた。

 それはアンデッドとなり、人間の感情など無くなった筈のアインズに残っていた鈴木悟(人間)の残滓だろうか。気が付けば、アインズはユエの隣にそっと腰を下ろしていた。

 

「………私にはな、かつて母親がいたんだ」

 

 え? とユエが顔が上げるのを感じる。しかし、アインズはユエの方を向かず、まるで遠い記憶を辿る様に宙を見ながら語り出した。

 

「生前……と、言っていいのか。ともかく私がまだ普通の人間だった頃、お世辞にも裕福とは言えない生活であってな。それでも私の母は女手一つで、私を育ててくれたんだ」

 

 西暦2100年代―――巨大企業が政府を牛耳り、国民の大半が安い賃金でも働かなければならない社会で女手一つで子育てをするのは並大抵の苦労ではないだろう。母親がいかに大変な思いで自分の養育費を稼いでいたか、アインズも社会に出て働いてから垣間見えた気がしていた。

 

「本当は仕事で疲れていた筈なのに………いつも夕飯を作ってくれて、学校から帰った私の話も聞いてくれて———」

 

 それは長い間、埃を被らせていた日記を捲る様に。もう十年以上も前の記憶だというのに、話し始めると意外とスルスルと出て来ていた。

 

(ああ………意外と覚えているものなんだな)

 

 まだ、家に帰ったら「おかえり」と言ってくれる人がいた時………もう自分でも忘れたと思っていた時の記憶をまだ思い出せる事に、アインズは軽い驚きを覚えていた。さほど強い感情ではない為か、この時ばかりはいつもの精神の沈静化も起きなかった。

 

「いま思えば、あの人には感謝を伝えたい事がたくさんあった………死んでしまう前に親孝行をしておくべきだったよ、本当に」

「アインズ様………」

 

 時間が経って大分悲しみは薄れたとはいえ、やはり一抹の寂しさはある。いつも見せている堂々とした支配者の姿から考えられない、どこか寂寥感を感じさせる死の支配者にユエは涙を手で拭いながら声を掛けた。

 

「きっと……きっとアインズ様の御母上様は、アインズ様が立派に成長された事に喜ばれていると思います。だって、そんなに自分の子供を大切にしていた母親ならば、子供の幸福を願わなかった筈は無かったのですから」

「ああ………そうだな」

 

 過労死する直前―――本でしか見たことなかったオムライスを食べたい、と言った鈴木悟(アインズ)の為にオムライスを作ろうとしてくれたのだ。最期まで自分の事を案じていてくれた事くらいアインズにも分かっていた。

 

「きっと、ディンリード殿も私の母親と同じだった筈だ。ユエの事を最期まで愛していたのだと思う」

 

 そうでなければ、わざわざ恨まれ役を買って出ないだろう。それにユエを隠せばエヒトルジュエの怒りを買う事くらい、容易に想像できた筈なのだ。それでもディンリードは愛した姪の為に行動したのだ。

 

「ディンリード殿がやった事は紛れもない家族の愛だ。彼が命懸けで遺したお前や情報を決して無碍にはしない。全ての元凶であるエヒトルジュエを私は倒すと誓う。だから………泣き止んでくれ、ユエ」

「………ええ、そうですね。いつまでも泣いたままだと、叔父様に叱られてしまいますから」

 

 もう一度顔を拭おうとするユエに、アインズはそっとハンカチを差し出した。ユエは少し驚いた顔をしたが、受け取ったハンカチで涙を拭き取った。

 

「……ありがとうございます。アインズ様のお陰で、叔父様への誤解が解けました」

「いや、礼を言われる事ではないさ。それに、その……すまなかった。知らなかったとはいえ、君の叔父上の死体に鞭打つ様な真似をした」

 

 魔人国ガーランドで市中引き摺り回しにした事を思い出し、アインズは気不味そうに頭を下げた。しかし、ユエは首を横に振った。

 

「もうあの身体の中にいるのはディン叔父様ではありませんから……だから、あの()()()の身体がどう扱われようが私には関係無いです」

「そうか………」

「それに……ディン叔父様との思い出はキチンと私の胸の中にあります。叔父様が育んでくれた私が生きている限り、叔父様がの全てが消えてなくなるわけではないと思います」

 

 未だに目が涙で赤くなりながらも、ユエは顔を上げてそう言った。

 

(ユエは………強いんだな)

 

 最愛の家族を失った悲しみに暮れながらも、それでも前を進もうとする彼女を見て直感的にそう思った。

 この世界に来てからアインズはユエと二人きりになる機会が多く、色々な事を話した。かけがえのない友人達であるギルドメンバー達との思い出もだ。もはや懐かしむ事しか出来ない記憶も、話を聞いてくれる相手がいるだけで寂しさが和らぐ様な気がしていた。

 

(ユエだって、ずっと一人ぼっちで寂しくも前を向いているんだ。俺は……俺はいつまで、過去(むかし)の事に拘り続けるのだろう?)

 

 “アインズ・ウール・ゴウン”のギルドメンバー達は大切な仲間達だ。たとえ最後が望んでいなかった別れ方であっても、それは今でも変わらない。

 

 だが———望んだ通りに終われるなど、この世にどれだけあったというのか?

 エヒトルジュエから守る為に、ディンリードが断腸の思いで芝居を打って封印されたユエ。

 エヒトルジュエによって仲間達も全て奪われ、それでも未来へ意志を託す為に大迷宮で何千年も生きる事を選んだミレディ。

 そして———日々の感謝の言葉も伝えられず、母親と死別して社会の荒波に揉まれていった鈴木悟(かつての自分)

 

 誰もが自分の思った通りの結末は迎えられなかった。しかし、それでも足を止めずに歩き続ける事を選んだのだ。その意志の強さを見ていると、アインズは急に自分が情けなくてちっぽけな存在に思えてきた。

 かつての友人達との輝かしい思い出が忘れられず、NPC達に友人達の姿を重ねて、異世界でいる筈もない友人達を探し続ける………ユエやミレディに比べれば、なんともちっぽけなのだろうか。

 

「本当に………敵わないな、ユエには」

「アインズ様………?」

 

 どこか自嘲気味にポツリと漏らされた呟きに、ユエは不思議そうな表情になった。

 骸骨の顔である為に表情など分かる筈も無い………だが、何故かユエにはアインズが何処か寂しい表情をしている様に見えていた。今この瞬間、ナザリック地下大墳墓の支配者も、魔導国の王という肩書きの無い一人ぼっちの男の姿を垣間見えた気がしていた。

 

「………アインズ様。人間だった時は、何というお名前だったのですか?」

 

 気が付けば、ユエはそれを口にしていた。アインズが驚く気配を感じながらも、ユエは思った事を口にしていた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンというお名前は、かつての至高の御方々を示す団体の名前だったとは聞いています。それ以前の………アインズ様が人間だった時にお母様から貰った名前。それが知りたいです」

 

 それは、場合によっては不敬な申し出と見られるかもしれない。それを理解しながらも、ユエはアインズの事を知りたかった。そうでなければ———目の前の相手はかつての自分の様に、周りから傅かれながらも叔父以外に理解者となる者がいなかった孤独な王になってしまう………そんな気がしたのだ。

 

「それは……元々の私の名前はモモンガ………いや」

 

 アインズは元々のプレイヤーネームを言おうとして、何故か喉に小骨が引っ掛かった様に黙った。

 モモンガ。

 それは確かに、かつてのアインズの名前だ。だが、それはユグドラシルでの名前であって、本当の名前じゃない。

 

(………さすがに失礼だよな、ユエには色々と聞いてもらったりしていたのに)

 

 ユエの叔父の事に深く踏み込んでおきながら、自分は偽りの名前で誤魔化す事は不誠実だとアインズは思った。

 本来のアインズなら、慎重を期して自分の情報は徹底的に隠し通す選択をしただろう。だが、今のアインズはそれを良しとしなかった。

 それは———アインズもまた、ユエに心を開き始めていた証拠だった。

 

「………鈴木悟」

 

 異世界に来て、アンデッド(死の超越者)の身体となり、かつての栄華を想ってギルドの名前を名乗っていた男。

 この瞬間、自分が背負い込んだ重荷を下ろし、正直な気持ちで心を許した少女に名乗った。

 

「鈴木悟。それがかつての私の……()が、生まれた時に母から貰った名前だ」

 

 ***

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

 

 ナザリック地下大墳墓の執務室に戻ったアインズをアルベドが出迎えた。

 アインズが鷹揚に頷くと、アルベドはアインズの決裁が必要な案件を切り出した。

 

「愚神の眷族はアインズ様の御要望通り、ニューロニストの下へ送りました。ニューロニストは恐怖公と協力しながら、情報を吐かせると言っていました」

「そうか」

「それとデミウルゴスからアルヴヘイトが用済みとなったら、引き取りたいと申し出がありました。何でもあるアイテムを生み出す家畜に出来るかもしれないと言ってましたが……」

「任せる」

「それと……以前、ご提案した至高の御方々の捜索チームについてですが」

 

 それまで言葉少なくアルベドの報告にただ頷くだけのアインズだったが、そこで初めて動きが止まった。

 それは以前、アルベドからこの世界で至高の御方達を捜索、発見する部隊を編成すべきだと提案されたものだ。

 アルベドを部隊長として、副官にパンドラズアクター、更に腕の立つ者として最高位のモンスター達で編成される事になっていた。また、自分の創造主を見つけたいと暴走する可能性を考えて、防御に長けたアルベドならば仮に罠だったとしても一人で逃げ帰れる自信はあるから他の守護者達には内密にして欲しいと願い出されたものだった。

 

「………アルベド。その件なんだが、今はあまり優先させなくても良いんじゃないか?」

「アインズ様?」

 

 アルベドは驚いた様な表情になる。アインズは言葉を選びながら、慎重に話し出した。

 

「その、なんだ………今はエヒトルジュエ対策に専念すべきだと思うし、仲間探しという意味ならアインズ・ウール・ゴウン魔導国の名前が広まっているから、仲間達がいるなら向こうから来る筈だろう」

「………アインズ様は、至高の御方々をお探しになるのを諦められたのですか?」

「え? ああ、いや! そういうわけじゃないぞ! やはりアルベドもタブラさんには会いたいだろうしな!」

「……………ええ、そうですね」

 

 静かに聞いてきたアルベドに慌てて答えた。自分の発言が「お前達の親を探すつもりはない」という風に聞こえてしまっただろうか、とアインズは焦る。だからこそ———アルベドの返答に妙な間があった事に気付けなかった。

 

「もちろん、NPC達の為にも仲間達を探すのは前向きに検討すべきだ。すべきだが………だが、少なくともエヒトルジュエの事について片をつけるまで捜索隊は延期という事で………駄目か?」

 

 捜索隊の打診をしておきながら、自分の一言で中止にする事にアインズは少しだけ罪悪感を覚える。それこそ元の世界で会社の上司にやられた事を思い出し、「今までの企画に費やした時間は何だったんだよ?」と文句を言われないかとヒヤヒヤしながらアルベドの様子を恐る恐る窺う。すると………。

 

「いえ、アインズ様がそう仰るならば仕方ありません」

 

 アルベドはいつもの様に完璧な淑女の微笑みを浮かべていた。

 

「あー、すまない………お前には色々と準備をさせていたというのに」

「アインズ様が謝罪される事など何一つございません。私がアインズ様の為に動くのは当然の事ですので」

 

 バツが悪そうに謝るアインズに、アルベドは顔を伏せて平伏する。

 だからこそ———アインズは最後まで気が付けなかった。

 

「———このナザリックは貴方様の所有物。ナザリックにいる者全てが、最後まで留まられたアインズ様の為()()に存在すべきなのですから」

 

 伏せたアルベドの表情に、暗い喜びが浮かんでいる事に。




自分は何か火種を作っておかないと、話が作れない病気にかかっているのか? と本気で思う。次あたり、大迷宮探索を再開しようと思います。


そこでも火種を作るけど(ボソッ)


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第百二十六話「氷雪洞窟」

 ゼルダの伝説の新作が面白くて更新が遅れました……こんな面白いゲームを作り、あまつさえマリオの映画を大ヒットさせた任天堂のせいだ!(笑)


 ユエの真相をアルヴヘイトから聞き出した数日後———アインズ達は大迷宮探索の旅を再開していた。

 エヒトルジュエが肉体の無い存在である事などアインズにとって初めて知る情報もあったが、やる事に変わりはない。最初はエヒトルジュエが肉体を狙っていたユエをナザリックで厳重に警護すべきとも考えたが、他ならぬユエ自身がどうしても大迷宮探索の旅について行かせて欲しいと願い出たのだ。

 

「私の事はまだエヒトルジュエには伝わっていない筈です」

 

 ユエはアインズをまっすぐに見ながら言った。

 

「アルヴヘイトが今まで私を知らなかった事、それがエヒトルジュエに私の情報が隠蔽されていた事の証拠になります。だから———もしも私の肉体を奪いに来たら、アインズ様がすぐ側にいて下さる方が確実に殺せると思います」

 

 それはエヒトルジュエをおびき寄せる為に自らを囮にすると言っている様なものだ。エヒトルジュエは現世に干渉する肉体が無いからこそ“神域”から出て来る事が出来ず、だからこそ“神域”へ干渉する手段の無いアインズ達はエヒトルジュエを仕留めに行く事も出来なかった。神代魔法をまだ全て習得できてないアインズ達は、向こうから行動を起こして貰う以外にエヒトルジュエを攻撃する機会が無いのだ。

 

「……お願いします。アインズ様に全て任せて、自分は安全な場所で守られているだけなんて出来ません。私もアインズ様と共に戦わせて下さい。それがあの日、封印から解いてもらった私に出来る唯一の恩返しです」

 

 叔父や滅ぼされた祖国の為にも。そして———アインズの為にも。

 頭を下げて頼み込むユエに、アインズもとうとう折れた。結局、ユエに外では精神防御の装備品を絶対に外さない事、エヒトルジュエの手勢が来たら即座にナザリックへ撤退する事などを取り決め、アインズはユエを再び連れて大迷宮探索への旅に赴いていた。

 

 ***

 

『———貴方はまた裏切られる』

 

 唐突に聞こえた囁き声にユエは顔を顰めた。

 ナザリックの支配下に収まったガーランド領のシュネー雪原。そこに神代魔法を授かる大迷宮がある、とシャルティアの奴隷(ペット)となったシスティーナから聞き出したアインズ達は雪原の中の峡谷に隠された“氷雪洞窟”に来ていた。

 冷気による環境ダメージはナザリック製の防具によって完全にシャットダウンされ、時折出て来る魔物もアインズは元より、神代魔法を三つ習得してレベルが上がったユエでも問題にならない程度だ。

 だが、いま囁かれる様に聞こえた声は………。

 

「どうした、ユエ?」

 

 突然足を止めたユエにアインズが振り向く。人目のない迷宮内で冒険者の変装を解き、表情の無い骸骨の素顔を見せているアインズだが、ユエにはこちらを気遣う優しさを声から感じ取っていた。

 

「アインズ様、いま何か囁き声の様な物が聞こえました」

「何? 私には何も聞こえなかったが……香織はどうだ?」

「私も特に聞こえなかったです。ユエ、風の音とかじゃないの?」

 

 香織は不思議そうな顔になりながらも耳を澄ます。アンデッドでありながら魔獣の集合体とも言える香織は、このメンバーの中で最も感覚器官が優れているのだ。その香織が聞こえなかったとなると、この囁き声は一体………?

 

「ナグモ、お前は何か聞いたか………ナグモ?」

 

 ユエが考え込む中、アインズは後ろを振り返って残り一人に聞こうとする。

 しかし、いつもならアインズの言葉には即座に返答するナグモは何故か返事をしなかった。ナグモはNPCだった時の頃と同じように表情の変化はあまりない。だが、今はまるで強張っているかの様に硬い表情になっていた。

 

「どうかしたのか、ナグモ」

「いえ………」

 

 ナグモは一度目を閉じて、深呼吸した後にようやくいつもの無表情に戻った。

 

「アインズ様、どうやら僕にもユエと同様の現象が起きている様です。おそらくこれは精神攻撃の一種だと思われます」

「何? それは本当か?」

「え……でも私には何の影響も無いよ?」

「いや、私や香織はアンデッドだ。ナグモとユエだけに聞こえる声となると、人間にだけ作用する幻覚か? あるいはこれこそがこの迷宮の試練なのか……それでどんな囁き声が聞こえるのだ?」

 

 アインズの推察通り、“氷雪洞窟”を作った解放者・ヴァンドゥル・シュネーが大迷宮の試練として課したのが、「自分の負の心に打ち勝てるか」という内容だった。迷宮内では自分の心の奥底にある暗い感情が浮き彫りとなる様な魔術的な仕掛けが施されており、神代魔法を手に入れようとする挑戦者の行く手を阻むのだ。

 ただし、アインズと香織には何の効果も齎さなかった。アンデッドの種族特性として精神作用が無効化される二人には、ユエとナグモが聞こえている囁き声など全く聞こえないのだ。

 

「私には………“また裏切られる”、と。同時に叔父様にオルクス大迷宮に幽閉された時の思い出が蘇りました」

「そうか……対象のトラウマを想起させる精神魔法か。それはキツイな………」

 

 誰だって嫌な思い出を思い起こしたくは無いだろう。アインズはユエに気遣う様に気の毒そうな声を出したが、ユエはゆっくりと首を横に振った

 

「いえ……大丈夫です。叔父様の真意を知った今は、こんな幻聴に惑わされたりはしません」

 

 以前のユエならば、この幻聴に多少なりとも動揺はしただろう。だが、ディンリードが我が身を犠牲にしてでも自分を生かそうとしてくれた事を知った今では、こんな幻聴程度ではユエの心を揺るがす事は出来なかった。ユエの迷いの無い瞳に、アインズはゆっくりと頷く。

 

「そうか………それでナグモ。お前にはどんな風に聞こえているのだ?」

 

 なんとなしにアインズは聞いた。とはいえ、それ程深刻に考えていなかった。

 

(ナグモはユエよりも魔法抵抗値のステータスは上だから、精神魔法攻撃でもあまり通用しないと思うけど……それにユエみたいにトラウマを刺激される過去なんて……まあ、香織を助けに行かなかった事だよな。多分)

 

 元は拠点防衛用のNPCである為に生まれて(創られて)からナザリックも一歩も出ずに育ち、この世界に来て唯一心が荒れる様な出来事というとオルクス大迷宮で香織を即座に助けに行けなかった事だろう。その香織も今はナグモの隣にいて、いつも新婚生活の様な甘い空気を出しているのだ。謂わば苦難の果てに幸せ絶頂な生活を送っているナグモは、ユエと同じでトラウマなど過去の物になっているだろうとアインズは思っていた。

 

「………………」

「……ナグモ?」

「ナグモくん、どうかしたの?」

 

 だが、ナグモは何故か答えなかった。いつもの無表情のまま、だんまりしていたが、アインズと香織が聞くとようやく首を横に振った。

 

「いえ、大した内容ではありません。あまりにくだらない精神攻撃に、思わず唖然としてしまいました。申し訳ありません」

「そうか……? 本当に大丈夫か?」

「解放者達も相変わらず低脳ですね。ダンジョン作成者としても至高の御方達には遠く及ばない。この程度の精神魔法トラップなど、低位の精神防御魔法を使えば問題になりません。アインズ様、念の為に精神防御魔法の使用許可をお願いします」

「む………まあ、そうだな。ユエもスクロールで精神防御魔法を使っておく様に」

 

 はい、とユエがスクロールを取り出し、ナグモも自分に精神防御魔法を使う。ナグモの返答に何か違和感を覚えたものの、アインズはナグモに根掘り葉掘り聞く事はしなかった。

 

(ううん、まあ、ナグモにだって嫌な思い出の一つくらいはあるよな………それを無理やり聞き出すのは、さすがにデリカシーがないよなぁ?)

 

 部下のプライバシーを事細かく聞き出そうとするなど、上司のパワハラ以外の何物でもないだろう。そう思ってアインズはそれ以上の追及はしなかった。

 

 ―――あるいは。ここで無理やりにでも問い詰めていれば、未来は違ったものになったかもしれない。

 

 ***

 

「う〜む………これは参ったな」

 

 周り一面がミラーハウスの様に自分の姿を映し出す氷の部屋。そこでアインズは独りごちた。

 あれからしばらく経った後。アインズ達は転移魔法で各々が分断されてしまっていた。それ自体はオルクス大迷宮でも似た様なトラップがあったから、これも試練の一つだと思うべきだろう。

 一人だけでこの部屋に転移させられたアインズに、氷の鏡の中から自分の姿とそっくりな存在が滲み出てきたのだ。

 だが———そっくりなのは見た目だけだった。最初は自分のコピーに警戒していたアインズだが、鏡像のアインズの強さは想定よりもずっと弱かったのだ。

 

「エレメンタル系のモンスターか? それにしても相手の精神に作用して姿形を変える、か………この世界にもドッペルゲンガーみたいなモンスターはいるのだな」

 

 戦いの最中に解析魔法を使ったアインズは鏡像の正体を看破し、()()()()()()()戦闘する鏡像を倒す事は出来た。しかし、アインズは鏡像が使ってきた魔法から立てた推測に、その選択は()()()()()()()()()正しいのか自信がなくなって来ていた。

 

「アインズ様!」

 

 アインズのいる部屋に香織が入ってくる。香織が跪こうとするのをアインズは手で制した。

 

「ふむ、香織が一番か………香織はここに来るまで、何かモンスターに襲われなかったか?」

「はい! 鏡の中から私にそっくりなモンスターが出て来ましたよ。とりあえず、食べちゃいましたけど」

「やはり………へ? 食べた? あれを?」

 

 というか食えんの? と素に戻った言葉をどうにか飲み込んだアインズに、香織は何故か胸を張って言った。

 

「だって、たくさん魔物を食べて強くなれば、さらにナグモくんとアインズ様のお役に立てるじゃないですか? もっと、も〜っと、私のキメラとしての機能を拡張させたいと思うんです!」

「う、うむ、そうか………」

「アンカジで天使の生き残りがいたのは、本当なら自害してお詫びするべきだったのに……アインズ様は許してくれましたから、私、今度は失敗しない様に頑張ります!」

「自害など軽々しく言うんじゃない。お前が私のせいで死んだら、ナグモに一生恨まれそうだ」

 

 はい、分かりました! と香織は返事をする。それは優等生が教師の言った事に返答する様に礼儀正しく、地球でも学校でこんな遣り取りをしていたのだろう。そう思ったアインズだが………。

 

(う〜ん、何だかな………香織もナザリックのNPC達に染まってきたのか? なんというか、こんな感じだったっけ?)

 

 最近の香織と話していると、まるで自分を敬愛(盲信)しているNPC達と話をしている様な気分になるのだ。いくら自分が命の恩人だからといっても、少し行き過ぎなんじゃないか? とアインズは考えてしまう。

 

「それにしても、この魔物は何だったのでしょうか? 食べたら変身能力は身に付きましたけど、私は元から身体を自由に変えられるし………」

 

 鏡像のモンスターの能力を考える香織だが、アインズはある予感をして質問した。

 

「香織、一つ聞きたいのだがお前が戦った鏡像は何か喋ったか?」

「いえ、何も喋りませんでしたよ? なんというか、見た目だけを真似た様な偽物みたいな感じでした」

「そうか……そうなると、やはり………」

 

 アインズがしばらく考え込んでいると、再び誰かが近付いてくる気配を感じた。アインズ達が振り向くと、今度はユエが合流してきた。

 

「アインズ様……! 香織……!」

「ユエ……怪我は無かったか?」

「はっ。鏡像の言葉に少し揺らぎましたけど、なんとか勝てました」

 

 ユエが無事だった事に少し胸を撫で下ろしたアインズだったが、香織はユエの報告に怪訝そうな顔になった。

 

「鏡像の言葉? ユエ、あの鏡像は何も喋らずに襲いかかってくるんじゃないの?」

 

 今度は逆にユエが怪訝な顔になった。しかし、アインズはユエの報告を聞いてようやく確信を持てた様に喋り始めた。

 

「これはあくまで私の予想だが………氷雪洞窟の大迷宮のコンセプトは、“自分の精神に打ち勝つ事”なんじゃないか?」

「自分の精神に………ですか?」

「うむ。ここまでのトラップは、ユエやナグモに精神攻撃を行っている物がほとんどだった。そうなれば、この大迷宮の制作者は意図的に挑戦者の精神を試しているのは明白だ。あの鏡像も本来なら自分の負の面を強調した様な存在になったのだろうな………おそらく、半端な精神ではエヒトルジュエにつけ込まれるから気を付けろ、という警告も兼ねているのだろうな」

「なるほど………確かに力があっても、心が弱ければ意味は無いです」

 

 ユエは得心がいった様に頷いていたが、香織はピンと来てない様だ。道中の精神的なトラップにも引っ掛からず、本来ならば自分の負の面を象徴した筈の鏡像もただの敵として処理してしまったから当然の反応だった。その姿を見て、アインズはため息は吐いた。

 

「今回の試練………もしかすると、私や香織は突破できてないかもしれんな」

「そんなっ!? 私はともかく、アインズ様がどうして………!」

「いや、香織の対応に落ち度があるわけではない。問題は、私と香織がアンデッドだという事にあるのだ」

 

 氷雪洞窟の試練は、精神の強さが問われる大迷宮だ。己の負の面、目を逸らしている醜い感情、認めがたい感情………そういった物を浮き彫りにされて尚、自分に打ち勝てるのかを重視している。

 ただし———それはあくまで、挑戦者が()()()()()()を前提にして作られた試練だ。

 異世界の異形種(モンスター)、ましてや精神作用が人間と異なる存在などヴァンドゥル・シュネーが想定している筈もなかったのだ。

 

「道中のトラップも、試練の最大の相手となるであろう鏡像も我々は精神作用が働かなかったからな………鏡像が何も喋らなかったのも、アンデッドの精神を正しく読み取れなかったのだろう」

 

 おそらく、本来ならば氷雪洞窟に入った時点で挑戦者の精神を読み取り、それを基にしたコピーが鏡像となったのだろう。しかし、精神作用が無効化されてしまうアンデッドのアインズ達の精神はコピーできず、仕方なしにそれまで大迷宮内で記録した姿形だけを鏡像はコピーしていたのだ。

 だからアインズの鏡像は弱かったのだろう。アインズは大迷宮のモンスターには、全力には程遠い力でしか相手をしていなかったのだから。

 

「そんな………」

 

 香織は絶句してしまう。それは自分が大迷宮の攻略条件を満たしてないかもしれないというよりも、自分がアインズの役に立たなかったのかもしれないという事にショックを受けた様子だった。

 

「あくまで可能性の話だ。だが、もしそうなるとユエとナグモだけが頼りだな。人間の種族に分類されるお前達ならば、確実に大迷宮の攻略条件を満たせるだろう」

「アインズ様………ナグモはクリアできると思いますか?」

「大丈夫だよ! だって、ナグモくんはアインズ様程じゃなくても強いんだから!」

 

 香織は全く疑う様子もなく反射的に答えたが、ユエはどこか不安そうな表情だった。アインズはユエの表情に疑問を覚えたものの、香織の前で不安にさせる様な事を言うより安心させる方を選んだ。

 

「まあ………大丈夫だろう。精神防御魔法はナグモは習得しているし、こういった精神系攻撃を防ぐ方法というのは色々とあるものだぞ? 例えば、自分の言語能力にデバフをかけて相手の言葉を認識しない様にするとかな———」

 

 ユグドラシルであった変わり種の精神系攻撃の対策法をアインズは話そうとし———。

 

 直後、洞窟全体を揺るがす様な轟音がアインズ達の耳に響いた。

 

「今のは………?」

「ナグモくん!?」

 

 香織が轟音が響いた方向へ走り出す。アインズとユエも、顔を見合わせると香織の後を追うように走り出した。




 そんなわけで氷雪洞窟です。原作ならメルジーネ海底遺跡が四番目ですけど、普通に考えると探すのがちょっと骨が折れる場所にあると思うんですよね。というか原作ハジメみたいに潜水艦を作れない現地人にはどうやって行けと………。
 というわけで、今作ではシスティーナから聞き出して場所がはっきりとしている氷雪洞窟から行きました。原作ではユエは鏡像に苦戦しますけど、今作ではディンリードの真相をアインズに暴いてもらった事もあって迷わずにクリア出来ました。

 たださ………あの0歳児が精神的に強いと思う?


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第百二十七話「ロストチャイルドの慟哭」

 ゼル伝ティアキンが本当に面白くて……自分は前作をプレイしてないけど、それでも楽しくやれてます。短髪ゼルダがマジ可愛い(笑)

 あとゲーム内で瘴気を纏った触手群を高所から爆弾花でチマチマ倒して、その後に出て来たファントムガノンも同じ方法でイケる! と思っていたら、テレポートしてきて一方的にボコられたのは私だけだと思う。「舐めた口聞いてマジサーセンした!」と思わず画面前で叫びましたとも……。


 視界を白く染め上げた光はすぐに収まった。空間転移した時の独特の感覚を感じたナグモが素早く周りを見回すと、アインズや香織達がいなくなっている事に気付いた。

 

「分断されたか……ふん、これも試練か。低脳な人間風情が僕やアインズ様を試そうなど不敬極まる」

 

 どこか苛立った様子でナグモは呟く。それは面倒な大迷宮の仕掛けに付き合わされる事に辟易したものだ———と、()()()()()()()()()()()

 

「香織は……アインズ様は無事か? ユエは……まあ、一応は心配してやるか」

 

 気配や魔力を探ろうとするが、周りを取り囲んでいる氷壁の魔力が邪魔をしてアインズ達の正確な居場所が掴めなかった。

 

「………仕方ない。先に進むか」

 

 ナグモは溜息を吐きながら氷の通路を進む事にした。

 

 カツン、カツン———。

 

 壁や床が氷に覆われ、歪んだミラーハウスの様な通路をナグモは一人きりで進む。

 

「………この程度の迷宮など大した事はない。コキュートスがいる第五階層に比べれば、気温も全然過ごしやすいくらいだ」

 

 カツン、カツン———。

 

「精神に働きかけるトラップなど……そんな低俗な物が第四階層守護者代理である僕に通用すると思うな」

 

 カツン、カツン———。

 ———カツン、カツン。

 

「……そうとも。こんな物、恐れる必要なんか———」

 

『―――いつまで、目を逸らすつもりだ?』

 

 それは―――酷く冷たい声だった。相手を同じ生物だと思っていないかの様に感情が篭らない声が、ナグモの耳に響く。

 ナグモはバッと振り向いた。だが、そこには誰もいない。あるのは自分の姿を映している氷の鏡だけだ。氷の壁は普通の鏡の様に平面ではない為、自分の姿が歪んで映し出されていた。

 歪んだ姿の鏡像のナグモは———冷たくナグモを見つめていた。

 

「……っ、くだらない幻術だ」

 

 しばらく鏡像を警戒していたナグモだが、鏡像が襲い掛かる気配が無いと判断すると苛立ちを込めて吐き捨てた。ナグモは再び歩き出す。

 

 カツン、カツン———。

 カツン、カツン———。

 

 氷の通路に足音が二重に響く。苛立った様子のナグモの背中を鏡像のナグモは冷笑する様に見つめていた。

 

 ***

 

 ナグモがしばらく歩くと、ドーム状になった広い部屋に出た。部屋の中央で足を止めて、ナグモは背後を振り向いた。

 

「……いい加減、出て来たらどうだ?」

『ふん———ようやく直視する気になったか、低脳』

 

 カツン、カツン———。

 それは氷の壁から出て来る様に現れた。

 黒い髪は白髪に、肌は白磁の様に透き通る純白に。

 着ている服もまた雪の様に純白だ。まるでナグモを鏡映しに作った姿であったが、ナグモが黒傘“シュラーク”を握っているのに対して鏡像ナグモが持っているのは二丁拳銃―――歪な魔物だった時の香織に食べられて失った筈の“魔導銃ドンナー”も片手に握っていた。その姿にナグモは心がささくれ立つのを感じる。

 

「大迷宮内で僕の精神に干渉して作り上げたコピー体か……だが、不愉快だ。化けるつもりなら完璧にやれ。武器の違いなどという、あからさまな差異を残して僕に化けた姿を見せられるのはストレスが溜まる」

 

 下級のドッペルゲンガーでもやらない様な間違いを残して変身した姿にナグモは眉間に皺を寄せた。だが、鏡像ナグモは表情を人形の様に全く変えずに無機質な声を出した。

 

『これが僕のあるべき姿だ。じゅーる様によって創造された、ナザリックの第四階層守護者代理としてあるべき姿だ』

「……偽者風情がじゅーる様やナザリックを語るな」

 

 自分の創造主、そして誇りに思っている役職を語る鏡像にナグモは怒りの表情で殺気を向けた。だが、鏡像ナグモはそんなナグモを冷たく睨む。

 

『偽者? それはお前こそがそう断言されるべきだ。今のお前は何だ? じゅーる様より与えられた“魔導銃ドンナー”を失い、あまつさえ低脳な人間達と同じ様に感情をすぐに露にする……じゅーる様に“そう在れかし”と望まれた姿を損なったお前が本物だと? いつから僕はそんな低脳な答えを良しとする様になった?』

「武装の変更は状況に対応してのものだ。不出来なコピー風情が栄えあるナザリックの守護者を騙るなら、怒りを覚えて当然だ」

 

 ナグモが歯を剥き出しにした険しい顔で語るのに対して、鏡像のナグモはあくまで淡々と感情の篭らない声で語っていた。

 鏡像のナグモは髪の色などの差異を除けば、まるでかつてのナグモ———第四階層守護者代理として、じゅーるに設定された時の姿そのものだ。ナグモは鏡像ナグモが偽者だと頭では理解していながらも、その姿に酷く苛立ちを感じずにはいられなかった。

 

『あまつさえ、人間如きの低脳な存在に感情が揺れ動くなど………お前は最早、じゅーる様に創造された姿からかけ離れた』

「っ、香織の事を言っているのか? それならばアインズ様が直々にお認め下さった事だ。何より……今の香織はキメラアンデッドだ。僕がじゅーる様によって定められた在り方(人間嫌い)とは何も矛盾などしてないっ」

 

 だから、自分は創造主(じゅーる)から望まれた通りの姿のままに———。

 

『―――いつまで、目を逸らすつもりだ?』

 

 鏡像ナグモの冷たい声に、ナグモの胸に得体の知れない不安が湧き上がった。

 

「何の話だ? 僕は目を逸らしている事など———」

『僕が指摘した人間というのは白崎香織の事ではない……ナザリックの支配下ですら無い人間の子供やお前が殺した魔人族達の事だ』

 

 瞬間、ナグモの表情が凍りついた。その表情を見ながら、鏡像ナグモは冷たく言い放つ。

 

『何の価値も無いただの人間の子供……お前はそれに自分と重ね合わせて同情した。自分と低脳な人間を同一視したのだ』

「違う! あれは、あの子供がじゅーる様の信念に基づく行動を示したから気紛れを起こしただけだ!」

『あまつさえ、その子供が魔人族達に無惨に殺されたと知って魔人族達を怒りのままに殺した』

「あれは……! “仇には仇を返す”というアインズ様の言葉に基づいて!」

『ほう、そうか。ならば、その後にアインズ様に魔人族達の皆殺しを進言したのはどうだ? そして魔人族達が降伏しても、キラーマシーン達に殺させたのは? あの行動がじゅーる様がかつて設定した通り、“あらゆる物事を合理的思考に基づいて判断した”……そう思っているのか?』

「あれは………あれはっ……!」

 

 ナグモの負の感情、あるいは認め難い心の葛藤……それらを読み取って作り上げられた鏡像の容赦の無い指摘にナグモの精神は激しく揺さぶられる。

 ナグモには精神に干渉する魔法やスキルを遮断するスキルは確かにある。だが、それはあくまで創造主(じゅーる)から与えられたから持っているだけだ。いかに精神干渉を遮断するスキルがあろうが、ましてや人間(プレイヤー)となってから日が浅く、未成熟な精神しか持たないナグモは今まで見ない振りをしていた内心を暴かれた事に動揺していた。そして、それを抑える方法など幼い精神の彼は知らなかった。

 

『認めろ、低脳。お前もまた、低脳な人間へと成り下がった。だからこそ、自分と同じ人間達の死に動揺する様になったのだ』

 

 鏡像は冷酷な目で動揺する人間の少年にそれを告げた。

 

『そんな事だから———じゅーる様はお前を置いて去ったのだ』

 

 瞬間、ナグモは心臓に罅が入った様な錯覚に陥る。

 

「あ………」

『忘れたとは言わせない………じゅーる様がナザリックより去られた日———お前を置いていった日の事を』

「あ……ああ………っ!」

 

 大迷宮の試練として作られた鏡像の言葉が精神に直接作用する。本来なら防げた筈の精神作用も、精神が不安定となったナグモの心を大きく揺さぶった。ナグモの脳裏に彼が一番思い出したくない記憶———じゅーるがナザリックを去った日の出来事が蘇った。

 

 ***

 

 その日、ナグモはいつもの様にガルガンチュアのメンテナンス作業に勤しんでいた。NPCとして作られた彼は来る日も来る日も同じ動作しかしていないが、創造主からプログラミングされた(与えられた)役目に不満などある筈もない。ナグモはただ決められた通りの動作をただ忠実にこなしていた。

 

『ナグモ。元気にしているか?』

 

 不意にナグモに声がかけられる。ナグモは自分の創造主が近付いてきた事を感知して、プログラムに従ってメンテナンスの手を止めて一礼した。

 

『ははっ……ナグモは礼儀正しいな』

 

 ナグモに対して六本腕の機神は目を細める様に顔にあたる場所のセンサーカメラの光を弱めた。

 

『うん……本当に良い子だったよ。あの子が今も生きていたら、こんな感じだったんだろうなぁ………』

 

 いつもならじゅーるは最近あった出来事を息子を模したNPC(ナグモ)に話し出す筈だったが、今日は何か様子が違った。ナグモはじゅーるの命令があるまで直立不動のまま待機していた。

 

『本当に……ここに来れるのが、今日で最後だなんてな………』

 

 ポツリとじゅーるはそう呟いた。だが、ナグモはそれを聞いても微動だにしなかった。NPCとして作られたが故に、命令(コマンド)されていない動作をする自由などナグモには許されていなかった。

 

『騙し騙しで働いてきたんだけどな………とうとう医者から余命宣告をされたよ。電脳ダイブも治療用ナノマシンが誤作動する可能性があるから止めろってさ』

 

 ふう、とじゅーるは溜め息を吐く。寂寥感を滲ませながら天を仰いだ。

 

『本当に残念だよ。ここは、とても居心地の良い場所だったのにな……。モモンガさんも、俺がアーコロジーの出身だと知っても色眼鏡で見ない良い人だったのに……。同じアーコロジー出身のるし★ふぁーさんやたっちさん、アーコロジー外に住んでるペロロンチーノさんやヘロヘロさん……生まれも育ちも違う人達が、楽しく過ごせる場所だったのにな……』

 

 多くの人間が訪れる事が出来て、皆が一緒に楽しく遊べる場所を作る………テーマパークのクリエイターとして、じゅーるはその信念を胸に仕事をしていた。

 残念ながら現実では上層部の意向などから叶わぬ夢となったが、様々な出自の人間が一緒になって全力で遊んだ“アインズ・ウール・ゴウン”はじゅーるの夢を実現した様な場所だったのだ。

 

『モモンガさんには………結局本当の事を言えなかったな。彼は優しい人だからね………俺の事で気に病んで欲しくはないしな』

 

 だからこそ、じゅーるは自分の病気の事をギルドメンバー達には伝えなかった。夢の様に楽しい場所だからこそ———楽しい思い出を残したまま、去るべきだと思ったのだ。特にあのお人好しで、自分の事より友人達の事を第一に考えるギルドマスターは、きっと真実を告げたら我が身に起きた事の様に嘆き悲しむだろう。残った仲間達が彼を支えてくれるだろうが、楽しい時間を提供してくれた彼が一時的にでも悲嘆に暮れる姿など見たくはなかった。だからこそ、じゅーるは転勤になってユグドラシルにログインする時間を取るのも難しくなった、と適当な理由をでっち上げたのだ。

 

『だからな……今日でお前ともお別れなんだ』

 

 六本の腕に内の一本を動かして、じゅーるは亡き息子を模したNPCの頭を撫でた。ナグモは微動だにせず、されるがままにじゅーるを見ていた。

 

『………あの子が生きていたら、きっと第四階層(この場所)を気に入ってくれただろうな。モモンガさん達も、きっと仲良くしてくれたかもしれないな……ああ、そうだ』

 

 不意にじゅーるは余った手でコンソールを開き、いくつか操作をした。するとナグモの目の前に真紅の機械鎧———じゅーるがユグドラシルを遊び始めてから大事に持っていたパワードスーツが現れた。

 

『レア装備とかはモモンガさんに渡す予定だけど、これはお前にやるよ。モモンガさんは今更、パワードスーツなんて必要無いだろうしな』

 

 再びじゅーるがコンソールを操作すると、パワードスーツはナグモのアイテムの空きスロットに収まった。

 

「あとは………そうだな、ミキュルニラの方にも寄っておかないとな。どうせ最後なんだから………少し書き直すくらいは構わないだろう」

 

 そう独りごちて、じゅーるはナグモを撫でていた手を放す。そして名残惜しそうに見つめながら、もう一人の息子と呼ぶべきNPCに声を掛けた。

 

「―――じゃあな、ナグモ。“アインズ・ウール・ゴウン"を……モモンガさんを、よろしくな」

 

 それだけ言い残して、じゅーるはナグモから背を向けて部屋から去った。部屋にはじゅーるが手塩にかけて改造したガルガンチュア(鋼鉄の人形)と、創造主が去ってプログラム通りにメンテナンス作業に戻るナグモだけが取り残されていた—―――。

 

 ***

 

「ああ、あああっ……!!」

『思い出したか? じゅーる様がお前を置き去りにした日の事を』

 

 最も思い出したくない記憶が蘇り、ナグモの身体が震える。じゅーるに設定された無表情を崩してみっともなく動揺しているナグモは鏡像は冷たく見据えた。

 

「ち、違う……じゅーる様は、病気で……」

『ならば何故、じゅーる様はお前を頼らなかったのだろうな? 超古代文明の遺児(クローン)であるお前なら、不老不死にする医療技術も身につけているのに』

「そ、それは……きっと、至高の御方達には及ばない僕ごときにはどうしようもない問題だったからで……!」

 

 真相として、ナグモはあくまでユグドラシル(オンラインゲーム)のNPCの設定として“人智を超えた科学技術と医療技術の持ち主”と設定されただけなのだから、現実(リアル)に生きるじゅーるの病気などどうしようもなかった。だが、ナグモは元・NPCである故にそんな事情など知らない。その為にナグモのコピーである鏡像は、ナグモが恐れている事———考えない様にしていた可能性を容赦なく指摘していく。

 

『誰がお前などに至高の御方の治療を任せるものか! 見下している低脳(人間)共の様に感情的に振る舞い、論理的な判断が出来ないお前などに!』

「黙れ……」

『じゅーる様は正しい判断をした! お前などに治療を任せたら、確実に致命的な間違いを起こす! 自分の同類と気付かずに魔人族達を皆殺しにした時の様にな!』

「黙れっ……黙れっ……!」

『じゅーる様が“そうあれかし”と求めていたのは完全な人間! そして亡きじゅーる様の御子息! 本来からしてお前は所詮代替品として作られたに過ぎない!』

「黙れっ、黙れっ!!」

『そして低俗な感情に振り回される様になったお前は、その役目すら果たせていない! それを見越したからこそ―――』

 

 鏡像の口が三日月の様に裂ける。瞳が赤黒く光り、大迷宮の魔物としての本性を顕にした。

 

『じゅーる様はお前を捨ててナザリックを去った。御子息の代わりにすらならない偽者などに用はないからなぁっ!!』

「黙れええええええええええええっ!!」

 

 激昂して黒傘“シュラーク”を振りかぶったナグモに、鏡像はニタリと笑う。この試練の特性として挑戦者の負の感情が強くなれば、鏡像もまた力を増すのだ。

 

『はっ、やはり低脳だな! お前が心を乱せば、僕もまた———っ!?』

 

 ナグモの負の感情を読み取って力を増していく鏡像だが、すぐに違和感に気付いた。

 

『この力……馬鹿な、コピーし切れていないだと!?』

 

 ナグモの力をコピーしてパワーアップしている筈だというのに、目の前のナグモの魔力はそれ以上に上がっているのだ。それこそ強化された鏡像よりも、激昂して昂ったナグモの魔力の方が遥かに大きい。

 

 ———これは謂わば裏技の様な攻略法だが……鏡像の魔物は挑戦者が大迷宮に入った時点で読み取った精神や実力をコピーしている。鏡像の元の力は挑戦者が大迷宮内で見せた実力を基準にしており、後は実際に相対した時に負の感情を読み取って強化がかかるのだ。

 

 ならば、鏡像を倒す事だけを目的とするなら。

 自分の実力を圧倒的にセーブした状態で戦い、ワザと弱い実力をコピーさせるという手段もあった。そうすれば鏡像が強化されても、地力で上回っているなら鏡像を倒す事は可能だ。

 無論、普通の人間ならばここまでの道のりで全力を出さずに来るなど不可能だ。ヴァンドゥル・シュネーもそれをさせない様に、強靭な精神を見ることが目的の試練でありながら、大迷宮内に強力な魔物を放って戦闘も疎かにさせない様にしていたのだ。

 ところが、ナグモは……というより、アインズ達はそんなヴァンドゥル・シュネーの思惑を超えてしまった存在だった。ユエを除いて文字通りに人智を超えた戦闘力を持った彼等は、道中の魔物を実力の一割も出さずに倒しているのだ。それを基に鏡像がコピーした所で、況してや負の感情を読み取って強化されたとて本体に及ぶ筈もなかった。

 

『ふむ………』

 

 ナグモの頭脳をコピーしていた鏡像は、激昂したナグモから湧き出る魔力から限界まで強化した所で自分に勝利の可能性がない事を瞬時に悟った。

 コピーした二丁拳銃を構える事もせず、せめてもの抵抗の様に嘲笑った表情になった。

 

『やはりお前()は低脳だな』

 

 次の瞬間———黒傘“シュラーク”が振り下ろされ、鏡像の頭が砕かれた。

 

 ***

 

 アインズ達が音のした方向に向かうと、氷のドームの様な部屋に出た。

 

「ナグモくん……!」

 

 目的の人物を見つけ、香織が嬉しそうな声を上げる。見たところ、特に外傷はないようでアインズも胸を撫で下ろしかけた。

 

「待って、香織………何か様子がおかしい」

 

 駆け寄ろうとした香織をユエが制止する。ナグモはいま部屋に入ってきたアインズ達に気付く様子すらなく———。

 

「ハァッ……ハァッ……ッ!!」

 

 両手で黒傘を振り下ろした様なポーズのまま、荒い息を吐いていたナグモ。ナグモのいつもの様な無表情を崩して、鬼気迫る表情になっていた。そして床に散らばった鏡像の残骸に目を向けて―――ギリッと歯を食い縛りながら再び黒傘を振り下ろした。

 

「ナ、ナグモくん……?」

「捨てられてなんてない……捨てられてなんてない……!」

「お、おい! ナグモ! 止めんか!」

 

 香織やアインズの呼びかけに応えず、既に動かなくなっている鏡像の残骸に黒傘を振り下ろし続ける。ようやくただならない様子を悟ったアインズは、咄嗟に精神を沈静化させる魔法を唱えようして———。

 

「じゅーる様にっ! 僕はじゅーる様に、捨てられてなんてないっ!!」

 

 瞬間———アインズの頭が真っ白になった。

 

「ナグモくん、落ち着いて! もう終わっているから!」

「アインズ様、早く精神沈静の魔法を……! ……アインズ様!?」

 

 香織とユエがどうにかしようと動き出す中、アインズは衝撃を受けた様に立ち尽くしていた。

 かつての友人が遺した元・NPCの心からの慟哭に、ナザリックの支配者を演じている彼は言うべき言葉が何も出なかった———。




>大迷宮の鏡像

 まずはこういう方法で倒せる事にした事を土下座します。サーセン……。
 いやね? メタい事を言うとここでナグモはクリア出来なかった事にしたら、もう一度氷雪洞窟に来ないといけなくなるので……予定しているタイムスケジュール的にそんな暇無いのですよ。
 一応の理由付けをすると、原作のハジメが「お前が大迷宮に入った時の俺自身なら、俺がそれより強くなればいい」という理論で倒せたのがまず一点。
 それとこれは揚げ足取りになりますけど、そもそも鏡像が相手の実力を必ずコピー出来るなら解放者達も自分のコピー軍団を作るとか、エヒトコピーを従えて戦わせるとかやれば良いじゃんと考え、「鏡像にもコピーできる限界がある」という事にしました。
 こういった事から、「大迷宮内で手加減して戦い、弱いコピーにして鏡像を倒す」という裏技な攻略法が出来ました。試練的には鏡像を倒せばクリア扱いにはなるという事で。もっとも、ヴァン君がミレディみたいに生きてジャッジを務めたらアウト判定になりましたけどね。

>じゅーるの引退理由

 一部の人は予想していましたが、病気による引退です。自分はもうすぐ死ぬかもしれない、とモモンガ達には言えず、転勤と偽りました。事情を知っていたのはリアルでも友人なるし★ふぁーだけど、彼もじゅーるの意向を受けてギルメン達には喋りませんでした。その後、リアルが彼でどうなったかは……ご想像に任せます。

 もっとも、リアルの世界があるとは知らないナグモからすれば、「何でも病気を治せる自分に任せず、ナザリックを永遠に去った」と認識されたわけですが……もういっそ、笑い話と認識してあげよう。その方が心が軽くなるから(笑)

>アインズ

 ほれ、何か言うてみ? ナザリックの支配者様? 演技をしてでも遺されたNPC達の面倒を見ると決めたんですよね? 親に捨てられたと思って泣き叫ぶ子供をどうにかするくらい、完璧な支配者様には簡単でしょう?(全方位で曇らせると決めた人並感)


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第百二十八話「自己嫌悪」

 誰か助けて……ハッピーエンドが大好きな筈なのに、主人公達を絶望に突き落としたくて仕方ないの……。
 真面目に煽り抜きで、自分は何でこんなに屈折した性格なんだろう………。


 その後———香織達の必死の呼び掛けにより、なんとか正気を取り戻したナグモを連れてアインズ達は大迷宮の最奥部に辿り着いた。

 予想通りというべきか、アインズと香織は神代魔法の習得が出来なかった。その代わりユエは当然だったとして、鏡像の試練の様子から無理だろうと思っていたナグモも神代魔法が習得できていた。おそらく『精神的干渉を受けた状態で鏡像を倒す事』が最低限のクリア条件だったのだろうか。

 

 しかし、アインズはそれを詳しく考察するどころではなかった。

 試練の間でナグモが見せた慟哭———自分が創造主から見捨てられた筈は無いと嘆く姿に、アインズもまた深く考え込んでしまっていた。今まで薄っすらと考えながらも、アインズの為に忙しく働くNPC達には直接聞けなかった事……それをはっきりと目に見える形で突き付けられ、アインズは自分が今まで有耶無耶にして聞かなかった事に大きな後悔をする羽目になった。

 

 ***

 

「ナグモは……どうしている?」

「……今は香織が側に付いています。彼女がいれば、ナグモの精神も慰撫されるとは思います」

 

 そうか……と、アインズは少し疲れた声で頷く。

 氷雪洞窟をクリアして、次の大迷宮へ行く為にアインズ一行は人間族の国へ戻っていた。本来なら転移魔法で残る大迷宮がある近くの街などに行くべきなのだが、アインズはそれをせずにモモンの姿で適当な都市の宿屋で一晩を過ごしていた。

 今のナグモの精神状態で再び大迷宮の攻略をさせるのは危険だと判断しており———何より、アインズ自身も気持ちを整理する時間が欲しかった。

 

「アインズ様……どうかお聞かせ下さい」

 

 いつも通りに同室になったユエは、アインズを見ながら聞いてきた。

 

「今までアインズ様がお話ししてくださった至高の御方達……皆様が仲間思いで素晴らしい方々だったのだと思います。それなのに何故、かの方々はナザリックを去られたのですか?」

「それは………」

「きっと深いご事情があって、ナザリックで新参者の私が深入りして良いものでは無いとは存じています。それでも伏してお願いします。せめて……ナグモの創造主のじゅーる・うぇるず様の事だけでも」

 

 今回、ナグモが暴走する事になった原因。あれ程に取り乱したナグモをユエも見た事がなく、再びこの様な事が起きない様に———あるいは起きても対処できる様に。ユエはアインズから聞かなければならないと判断していた。

 

「ナグモは……はっきり言って、あまり好きな性格とは言えないです。でも、あの日にアインズ様と一緒に私を封印から解き放ってくれた恩人です。だから、お願いします。じゅーる・うぇるず様が……ナグモの親とも言える方が、何故ナグモを置いて去られたのか教えて下さい」

 

 興味本位ではなく、あくまでナグモの事を想って聞いてくる質問に真摯に向き合わないのは不人情というものだろう。しかし、それを理解していながらも———アインズは力無く首を横に振るしかなかった。

 

「すまない……私には答えられない」

「アインズ様……」

「いや、本当に分からないのだ……分からないんだ」

 

 ユエが少しだけ咎める様な視線を送ってくるのを感じながらも、アインズはそう答えるしかなかった。

 どうしてギルドメンバー達が次々と辞めていったのか……「仕事が忙しくなったから」、「生活環境が変化してしまったから」などと辞めていった彼等は言っていたが、それ以外の理由があったとしてもアインズには答えられなかった。

 

「じゅーるさんは………遠い所へ行かなければならない、と最後に言っていた。それ以外は私も詳しく知らない」

 

 いつもの様にリアルの事情を誤魔化して言ったものの、アインズは自らの言葉に自己嫌悪に陥った。

 

(何が大事な仲間達だ………ユグドラシル以外で彼等の事を深く知らなかったくせに)

 

 ギルドメンバー達は鈴木悟の生涯の中で初めて出来た友人達だ。だが、ユグドラシルの外———すなわち現実で彼等とは深い付き合いは無かった。だが、今となっては仲間だと言いながら彼等について深く知ろうとしなかったと自分を責めていた。

 

「………とんだお笑い種だな。こんな様で、何がナザリックの支配者なんだろうな」

 

 ポツリとアインズは弱音を漏らしていた。常日頃から被っている支配者の仮面すら忘れ、弱気で小心者な鈴木悟としての心情が気付いたら漏れ出てしまっていた。

 

「ナグモは本当はじゅーるさんがいなくなった事に苦しんでいたのに……ナグモだけじゃない。きっと他のNPC達だって自分の創造主と会えなくなった事を寂しがっているに違いないのに、俺は彼等にまともな説明すら出来やしない……! 所詮、俺なんかがナザリックの支配者になんかなるべきじゃ———」

「アインズ様っ!!」

 

 ユエは大きな声を出してアインズの言葉を遮った。ユエはいつもよりも厳しい表情でアインズをまっすぐと見る。

 

「その言葉だけは言っては駄目。アインズ様を信じて、貴方について行こうと決めた人達の為にも」

「ユエ……だが………」

「アインズ様………いいえ、サトル様。貴方が本当は王なんて、やりたくなかったというのは知っています」

 

 あえてアインズの本名で呼びながら、ユエは今まで考えていた事を言った。

 かつては仲間達と自由に冒険をしていた事、アンカジ公国の使者が訪問した時に謁見上でのマナーなどを聞いてきた事、そして生前は普通の家庭で生まれ育った事………今までのアインズの身の上話を聞いていれば、アインズが支配者になりたかったわけではないと推察するには十分だった。

 

「でも、貴方が王になったからこそ救われた者だっています。サトル様が王になってくれなければ、ナザリックの人達はきっと暴走していました」

 

 それは容易に想像できる可能性だった。人間を下等生物だと公言して憚らない者が殆どのNPC達は、アインズがいなければ人間達の国を積極的に滅ぼしに行っただろう。

 

「それに亜人族達もサトル様が魔導国を作らなければ、奴隷のまま生涯を終える者がほとんどでした。そしてトータスを弄んでいるエヒトルジュエを倒そうとする組織立った勢力も魔導国がなければ難しかった……サトル様が王になったのは無意味なんかじゃない、サトル様が王になったのが後悔しかない選択だったなんて間違いです」

 

 何よりも、とユエはアインズの手を握る。モモンの鎧を着ていて、硬い籠手に覆われた手。その中もアンデッドである為に冷たい感触しかない骨だけの手を。

 それでも、自分の気持ちを伝える為にしっかりと握った。

 

「たった一人で王の重責を抱えても、創造主()がいなくなったナグモ達の為に……そして寄るべの無くなった私に対しても、保護者として守ると自分に誓っている貴方が間違いだったなんて、誰にも言わせない……!」

「ユエ………」

 

 ユエはいつもより必死にアインズに訴えかける。涙が潤むくらい熱い瞳に、アインズは自分の心が動くのを感じた。未だかつて、ここまで自分に想いをぶつけてくれた相手がいただろうか? かつてのギルドメンバー達ですらも感じた事のない温かい想いがアインズの胸を駆け巡り———急に感情が沈静化されるのを感じた。

 

(っ……! クソがぁ……!)

 

 アンデッドの種族特性として、怒りや動揺どころか喜びすらも沈静化される身体に舌打ちしたくなる。ユエが素直な気持ちをアインズにぶつけてくれているのに、その事に対して嬉しいと思う気持ちすらも平坦化される今の身体をアインズは本気で疎ましく思った。

 

「………ありがとう、ユエ。お陰で動揺が収まった」

 

 本当は精神沈静化が働いただけだが、先程の弱気な態度から一転してアインズは落ち着いた声を出した。

 

「いいえ。私は思っていた事を伝えたまでです」

 

 ユエがペコリと頭を下げる姿を見て、アインズの胸に自分への嫌悪感が募る。それを何とか心の隅に追いやった。

 

「………明日の朝、ナグモと話をしてみようと思う。じゅーるさんの事は満足のいく回答ができるとは思わないが……それでも何もしないよりはマシな筈だ」

「ええ、きっと」

 

 ユエが頷くのを見て、アインズは明朝にナグモにどう声を掛けるべきか考え始めた。大切な友人の遺児の為にどんなに悩み抜いても———ある一定のラインを超えると感情が平坦化されてしまう、自分の身体を呪いながら。

 

 ***

 

「ナグモくん、元気出して。結果的に神代魔法を手に入れられたんだからさ」

「………あんなものは試練を攻略したとは言わない」

 

 アインズ達とは別室。氷雪洞窟を出てからずっと落ち込んだままのナグモを元気付けようと香織は色々と話しかけていた。

 

「ほら、私なんて神代魔法を手に入れられなかったんだからさ。アインズ様のお役に立てたのはナグモくんの方だよ!」

「君のは種族の特性上、たまたま習得条件が合致しなかっただけだ。それを言ったら、アインズ様だって………」

「だからさ、アインズ様がクリア出来なかった事になっちゃう大迷宮の方が欠陥品だったというか———」

「僕はそんな欠陥品相手に取り乱したとでも言うのか!? ……あ」

 

 ムキになって怒鳴ったナグモだが、すぐに自分の癇癪に気付いた。香織は悲しそうな顔で目を伏せる。

 

「ごめんね、ナグモくんに不愉快な思いをさせちゃって」

「いや、その………僕も言い過ぎた」

 

 ナグモが不器用ながら謝罪の言葉を口にするが、香織はそれで済まなかった様だ。

 

「ナグモくんを不愉快にさせたお詫びに何でもするよ。どんな事でもするから……お願い、許して下さい」

 

 香織の身体が小さく震える。一連のやり取りは客観的に見れば、ナグモの方に非がある筈だ。だが、香織はまるで飼い主の機嫌を伺うペットの様に小さく震えながらナグモに許しを乞う。そんな事をさせている自分がたまらなく嫌で、ナグモは顔を歪めた。

 

「……香織のせいなんかじゃない。すまない、少し頭を冷やしてくる」

 

 頭を下げ続ける香織に居た堪れず、ナグモは逃げる様に部屋から足早に飛び出した。

 

「何をしているんだ、僕は………」

 

 宿屋の外に出て、月の出ている夜の街を歩きながらナグモは沈んだ声を出した。既に時刻は深夜を回っており、憂鬱な顔をしたナグモを見咎める者はいなかった。

 

「香織に苛立ちをぶつけるなんて………これでは低脳な人間そのものだ………」

 

 ふとナグモは試練の鏡像に言われた言葉を思い出してしまう。

 

「違う……違う! 僕は低脳な人間なんかじゃない! じゅーる様は僕を見捨ててなんかいない!」

 

 胸の内に宿った不安を掻き消そうとする様にナグモは叫ぶ。そんな風にみっともなく叫ぶ自分の姿が嫌で、ナグモは更なる自己嫌悪に陥った。

 

「僕は……低脳な人間なんかじゃない………」

 

 本当はナグモも分かっていた。この世界に来てから、自分の心に様々な変化が生じている。香織を好きになった事を始め、魔人族達に激しい憎悪に抱いた事など喜怒哀楽の感情が表面によく出る様になっていた。

 だが、それはじゅーるが当初に設定した姿からはかけ離れたものだ。じゅーるから「こうあれかし」と望まれた姿以外の感情を見せている事に、ナグモは罪悪感を感じていた。それを大迷宮の試練で浮き彫りにされ、人間(プレイヤー)となって生まれたばかりの心は未だかつて無い程に荒れ狂っていたのだ。

 

「じゅーる様………何故、僕を置いて行かれたのですか?」

 

 縋る様に自らの創造主の名前を呼ぶ。だが、返ってくるのは寝静まった夜の街の沈黙だけだ。それがナグモの心に寂寥感を感じさせた。

 

「………帰ろう。香織に謝らないと」

 

 虚しい気持ちのまま、ナグモは宿屋に戻ろうとした時———ふと水が跳ねる様な音がナグモの耳に聞こえた。

 

「………何の音だ?」

 

 普段なら特に気にもせず、聞き流していただろう。しかし、香織に一方的に怒鳴ってしまった手前、宿屋に直帰する事に気が引けていたナグモは音の出所を調べようと足を運んでいた。そうして街の用水路に辿り着き———それを見つけた。

 

「あれは………」

 

 街の水洗い場となる用水路の岸辺に倒れていたのは、小さな人影だった。背丈からして人間の子供くらいだろう。だが、普通の人間とは違う部分があった。エメラルドグリーンの髪から人間の耳の代わりに魚のヒレの様な物が覗いていた。

 

「海人族か……何故こんな所に」

 

 まだナグモがハイリヒ王国にいた時、図書館の本に書かれていた王国で唯一保護を受けている亜人族の姿にナグモは訝しむ様に目を細める。

 

「うぅ……っ」

 

 海人族の子供が呻き声を上げる。よくよく見れば、身体中が傷だらけだった。その傷の付き方はナグモにも見覚えがあった。それは帝国から魔導国へ送られた亜人族達に多く見られたもの———すなわち、奴隷が折檻された時に出来た傷だ。

 

「………」

 

 深夜の時間帯に、明らかに普通でない傷の付けられ方をした海人族の子供。

 どう見ても厄介事のありそうな事情のある子供だ。ここで見なかった事にするのが一番無難な筈だ。

 理性ではそう判断しておきながら———気が付けば、ナグモは倒れた海人族の子供の側に寄っていた。

 

「おい」

 

 ナグモが声を掛けると、海人族の子供の目が弱々しく開けられた。ぼんやりとした目で、その少女はナグモを見た。

 

「お兄、ちゃんは……誰………?」

「……僕の事はどうでもいい。お前は何だ?」

 

 少女の質問を無視して、ナグモは素っ気なく聞いた。すると息も絶え絶えといった様子で、少女は自分の名前を名乗った。

 

「……ミュウは……ミュウという、お名前なの……」




 というわけで、今まで出番の無かったミュウの出番でありんす。次回はレミアさんの事でも書きますかね?


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第百二十九話「善きサマリア人の法」

 題名の元ネタは、「窮地の人を救った時の行動に対して、それが無償の善意によって行われるなら行動の責任は問われない」という趣旨の法律。当初はセバスが地球の現代知識を学んでいたナグモからその話を聞き、今回の話で出まかせでそれを言うという展開でした。


 ————数ヶ月前。海上の街・エリセン。

 

「お願いします、子供達を捜して下さい!」

「ええい、黙れ! 捜索は既に行ったと、言っておろうが!」

 

 海人族達が揃って身なりの良い男に嘆願する。その男は若いがかなりの肥満体型で、豚に金髪のカツラを被せたと言われたらしっくり来る様な見た目だった。

 

「どうか領主様の力でもう一度、もう一度だけ捜索をお願いします!」

「うるさいぞ! 行方不明になった子供らは海難事故で死亡した! その様に捜査結果は出ている! 今更蒸し返すな!」

「そんな! 納得できません! お願いします、もう一度捜索を———」

「触るな、魚モドキがっ!!」

 

 土下座しながらも足に縋りつこうとした海人族の女性を肥満体型の領主は足蹴にした。

 

「あぐぅっ!?」

「ミリー!! がっ!?」

 

 妻を助けようと男が駆け寄ろうとするが、領主の護衛に付いていた兵士達に槍の柄で殴られて地面に押さえつけられた。そうしている間にも、領主の男は海人族の女性を何度も蹴り続けた。

 

「領主である私が海難事故と言っているのだ! 貴様等魚モドキ共は黙って税を納めていれば良い!」

「いっ、うっ……!」

「くっ、このぉ……!」

「何だ? 私に逆らうか? 貴様等の様な魚モドキ共が、王国で人間扱いされるのは誰のお陰だと思っている! 私はハイリヒ王国よりこの地を任せられたカルミア家の次男だぞ! 貴様等など私が王都にいる父に言えば、“光の戦士団”を派遣して貰って潰せるのだぞ!」

 

 周りにいる海人族はヒステリックに叫ぶ領主の男を悔しそうに見るものの、手を出す事ができなかった。その事に満足したのか、領主の男は海人族の女性をしばらく蹴った後、最後に唾を吐き捨てて立ち去った。

 

「ミリー、アラン! 大丈夫か!?」

「クソ……あの豚野郎! カンパニュラ様がいてくれれば、こんな事には……!」

 

 領主の男や兵士達に痛めつけられていた海人族の夫婦を介抱しながら、海人族達は口惜しそうに拳を握り締めた。

 

 海人族は異種族排斥を唱える聖教教会の影響が強いハイリヒ王国において、唯一保護を約束された種族である。

 ただし———それは種族として泳ぐ事が得意な彼等が漁業で魚介食材を王国に提供できるから、という損得勘定を計算しただけの結果だ。

 その恩恵をキチンと理解していない者、特に王国の領土の中心地にいる様な貴族達にとって食材など下々の者達が料理して自分達に提供するのは当たり前だと考えているのだ。その為、王都に近い貴族達は海人族にも他の亜人族と変わらずに差別意識を持って見下していた。

 

 無論、領主にそんな差別意識があってはエリセンの統治など上手くいく筈がない。だからこそ、かつてエリセンを治めていた貴族・カンパニュラは海人族達も領民の一人として誠実な対応をしていた。

 ところが、トータスに“神の使徒”が召喚されてから彼等の関係は崩れてしまった。かつて光輝達が行っていた魔物退治の遠征において、エリセンも他の土地と同じ様に二次被害を起こされていた。周辺海域を荒らしていた魔物を倒したものの、その時に魔物の死体を放置して漁場の魚が全滅した事にカンパニュラは王国へ抗議したが、これを『神の使徒達の行いを否定する不敬罪』とされ、投獄されてしまったのだ。

 そして代わりにエリセンを治める事になったのが、王都から派遣された貴族だった。今の王国の政治中枢は聖教教会に忠実であるか、多額の賄賂を渡すかで決まり、そんな王都から派遣された彼が領地経営をマトモに出来るはずもなく、海人族達はかつてより苦しい生活を強いられていたのだ。

 

「あの豚貴族、絶対に捜索なんてしてないだろ!」

「近場の海に出て遊んでいただけの子供達が、いつの間にかいなくなって海難事故に遭った事になってるなんて……あり得ないわ!」

「レミアさんみたいな若い女性もいなくなっているんだぞ……絶対に何か裏があるに違いないんだ!」

 

 新しい領主が来てから、海人族の子供や若い女性が行方不明になるという事故が次々と起こっていた。だが、いくら訴えても新しい領主は海難事故で死んだ、の一点張りでマトモに取り合おうとはしなかった。噂では裏で良からぬ組織と繋がりがあると言われているものの、それを確かめる術など一領民でしかない海人族にある筈もなかった。

 

「生きてるわよ……子供達も、いなくなった人達も必ず生きてる……どこかで、必ず……!」

 

 海人族達はそうであって欲しい、という様に涙を流しながら願い続ける。この苦しい生活も、いなくなった者達が帰って来れば報われる。それだけを信じて。

 

 ***

 

「フリートホーフ……?」

「うむ。ここ最近、店にちょっかいを出してくる輩ですじゃ」

 

 チャン・クラルス商店の一室。新たな街で支店の開店準備を終えたセバスは、ティオからその話を聞いていた。

 

「自分達は地域の自警団も担っているから警備代を払え、だのと迫ってきておりまする。もちろん、丁重にお帰り頂いたがの」

「それはまた……街の衛兵達は何も言わないのですか?」

「それが何度か訴え出たものの、あくまで()()()()()()()であるから民事不介入である、などと言って相手をして下さらんのじゃ。これは予想じゃが……フリートホーフ商会の者から賄賂でも受け取っているのではないかの?」

 

 ふむ、とセバスはティオの考えに頷く。

 魔導国への情報収集や資金調達の為に行なっているチャン・クラルス商会は、今や多くの都市に支店を構える程の大商店へと成長していた。セバス達が支店を出している都市ではまだ大きな混乱は無いものの、ハイリヒ王国では各地で反乱が起きて流通が不安定となっていた。それでいながらチャン・クラルス商会は魔導国の後ろ盾がある為に安い価格で豊富な商品を提供できるのだから影響力は大きくなって当然だ。

 しかし、ハイリヒ王国の政情が不安定となって影響力が大きくなったのはチャン・クラルス商会だけではない。聖戦遠征軍の結成において聖教教会を後ろ盾に出来たフリートホーフもまた組織の規模を拡大させていた。

 実の所、フリートホーフは犯罪組織だ。そうとは気付かずにムタロが彼等を懇意にした事で資金をたっぷりと吸い上げたフリートホーフは、かつては地方都市の犯罪組織程度だったのが、今や王国全体の裏社会を牛耳るほどに急成長していた。そうして力を蓄えたフリートホーフは内乱によって生じた混乱に付け込み、今度は表社会にも勢力を伸ばそうと困窮した商店を次々と乗っ取り始めていた。

 

「聞けば、フリートホーフ商会は裏では人身売買や麻薬取引などに手を染めているという噂もあるそうじゃ。話をしに来た者も、堅気らしからぬ空気を漂わせておりましたぞよ」

「………大丈夫なのですか? 従業員達に危険はありませんか?」

「ご心配なさらず。各支店には用心棒として腕の立つ里の者達を配置しました故」

 

 自分の事より真っ先に商会の従業員達の心配をするセバスに、ティオは満足そうに頷いた。

 

「ただ、先程も言った様にフリートホーフ達は権力者達とも黒い繋がりがある様じゃから、力押しに効果が無いと分かれば搦め手で来るやもしれぬ。セバス殿も気を付けて下され」

「かしこまりました。ティオ、貴方も困った事があったら遠慮なく言って下さい」

「それはありがたい。では早速一つあるのじゃが………」

 

 ティオの困り事とは何だろうか、とセバスは身構える。すると———。

 

「そろそろ旦那様との御子を孕みたいのじゃが、いつ閨にお越し頂けるのかのう?」

「………その話はまた今度にしましょう」

 

 ***

 

「やれやれ、すっかり遅くなってしまいました」

 

 数日後、セバスは暗くなった街道を歩いていた。仕事が長引いてしまい、辺りはすっかりと陽が落ちてしまっていた。

 

(しかし……こうして見ると、確かに街の治安も悪くなっている様に感じます)

 

 辺りを見回すと、街の中心からそれほど離れていない通りだというのにいかがわしい雰囲気の店が立ち並んでいる。今の支店を建てる前に下見に訪れた時は、この様な店はあまり無かった筈だ。店の前に立っているボディガードの男達も堅気とは思えない空気を出して、通りを歩くセバスを値踏みする様に見ていた。

 こんな場所を身なりの良い初老の男性が歩くなど、余計なトラブルを招くだろう。しかし、セバスの身体能力からすれば周りにいる屈強な男達など赤子同然だ。

 

(とはいえ、アインズ様の御命令で潜入調査をしている以上は目立つ真似は避けるべきです。早く立ち去るとしましょう)

 

 セバスは足早に帰路に就こうとした。やがて、辺りから人気の無くなった通りに差し掛かった所で―――唐突にセバスから少し離れた所にある建物の扉が開いた。セバスが足を止めて見ていると、扉からガタイの良い男が辺りを窺う様に見渡す素振りを見せた。しかし、セバスの姿を発見出来なかった様で、男は誰も見ている者はいないと思ったのか、どさりとドアから大きな布袋をゴミの様に投げ捨てた。

 

「………」

 

 セバスは一瞬だけ眉を顰める。男は灯りを取りに戻ったのか、ドアを開けたまま再び建物の中に戻って行った。男が捨てた布袋は人間一人が入りそうな程に大きく、布袋がほんの少しだけ一人でに動いたのを見た途端、セバスは行動を起こしていた。

 

「———行きなさい」

 

 瞬間、セバスの影がグニャリと蠢く。アインズからセバスの護衛としてつけられたシャドウデーモンは、布袋の口を切り裂いた。そして布袋の中から———若い成人女性の上半身が転がり出た。

 元は美しかったであろうエメラルドグリーンの髪はやつれてボロボロになっており、その顔は無惨なくらい青痣で膨れ上がっている。上半身しか見えないが、身体もまた酷い有様だ。殴られた様な跡はおろか、焼きごてを押し付けた様な火傷跡や鞭によるみみず腫れの跡などが体中に見られた。

 そんなボロ雑巾の様になった女性の姿にセバスは眉間の皺を更に深くしたが、普通の人間とは異なる部分がある事に気がついた。

 

「この耳のヒレ……海人族でしたか? 何故こんな所に……」

「———おい、ジジイ。何処から湧いて出やがった?」

 

 セバスが女性の近くへ寄ると、開け放たれていた扉が閉められ、続いてドスの効いた男の声がした。セバスが振り向くと、そこには盛り上がった筋肉に、顔に古傷が目立つ大柄な男がランタンを持って立っていた。男は大きな舌打ちをしながら、ランタンを地面に置いてセバスに近寄る。

 

「おう、おう、おう。何見てやがるんだ? 失せな、ジジイ。今なら無事に帰してやるよ」

 

 わざとらしく顎をしゃくりながら、男は筋肉で太くなった腕を見せびらかす。暴力の行使を躊躇わないタイプなのは明白だ。

 

「ふむ………」

 

 セバスはニコッと微笑む。老紳士という言葉が似合うセバスの微笑みは、見る者に親しみや安心感を覚えさせる筈だった。だが、何故か男には巨大な肉食獣が目の前に現れた様に感じた。

 

「お、おう、なんだよ———ぐぅっ!?」

 

 次の瞬間。男は地面から宙に浮いていた。

 セバスは目にも留まらぬ速さで男との距離を詰め、胸倉を掴んで易々と持ち上げていた。

 

「………彼女は『何』ですか?」

 

 セバスが静かに問う。男を見つめる瞳は、寒気が走る程に冷ややかだ。その目を見た瞬間、暴力の世界に生きる者のカンとして男は悟った。

 目の前の老紳士は———自分よりも圧倒的な強者なのだと。

 

「もう一度、聞きます。彼女は『何』でしょうか?」

「う、うちの従業員だ!」

 

 男はセバスを怒らせまいと、必死に答える。

 

「従業員、ですか………私は『何』ですか、と貴方に聞きました。私の仲間にも、人間を物の様に扱う者達はいます。貴方がその認識であるなら、罪の意識など無いでしょう。しかし、貴方は彼女を従業員であると答えました。彼女を人と認識した上での行動だというのですね? それで、彼女をこれからどうするつもりですか?」

「………びょ、病気だから治療院に連れて行こうと、うぐっ!?」

 

 少し間を置いて、口から出まかせを言った男をセバスは捻りあげる。

 

「———嘘はあまり好みませんね」

「ほ、本当だ! 本当に俺は治療院に行くつもりだった!」

 

 セバスの静かな迫力に押された男だが、彼は泣きそうな顔になりながらもそう言った。

 

(明らかな嘘です……しかし、意外と折れませんね)

 

 恐怖に耐える特別な訓練をしている様には見えない。おそらく、それだけ第三者に情報を漏らすのが危険だと教え込まれているのか。

 暴力による脅しに効果は無いと悟ったセバスは、男から手を離す。地面に転がった男が痛みに呻き声を上げた。

 

「……ならば、私が治療院まで運んでも問題ありませんね?」

「な……そんなの許されるわけないだろ!? あ、アンタが治療院に連れて行くという保証も無えじゃねえか! それに……そうだ、それは法律上、俺たちの物だ! アンタが俺たちの許可なく連れて行くって言うなら、うちの従業員を誘拐した事になるぜ!」

 

 男は目を泳がせながら、早口で捲し立てる。だが、それはセバスに効果覿面だった。

 セバスがこの街にいるのは、あくまで商人の偽装身分を通じて情報収集と資金調達を行う為だ。ここで騒ぎを起こせば、自分の主人(アインズ)に命令された任務に支障をきたすかもしれない。

 セバスが渋面を作ったのを見て、男は勝ち誇った様に下卑た笑みを浮かべた。

 

「どこの金持ちか知らねえけどなあ、大事になったら困るのはアンタだぜ? 俺たちには偉い御方々がバックにいるんだ。ただの金持ちジジイくらい、簡単に吹き飛ばせるぜ?」

「……その程度の脅しが、私に……私の上にいる御方に通用するとでも? 強者にとってルールなど、簡単に破れるものですよ?」

「……な、なら、やってみろってんだ」

 

 セバスが暗に自分の背後に大きな存在がいる事を仄めかすが、男は不貞腐れた態度を崩そうとしない。それだけ男は自分達の後ろ盾にいる存在の権力に自信があるのだろう。

 

「なるほど……確かに法律上、厄介な事になるでしょう。ただし、同じく法律上、助けを求めた者を無償の善意で救った場合、その者の行動は罪に問われないとあります。私はそれに従って彼女を治癒院まで連れて行くだけです。問題はありませんね?」

「い、いや……それは……うむ……」

 

 男は明らかにしどろもどろな様子で口篭る。セバスの言った事はハッタリだ。実際にそんな法律があるかセバスは知らない。しかし、男があまり学がある様に見られなかった為、男の言った法律も誰かからの入れ知恵で知っただけの知識だろうと推察したのだ。案の定、男の聞き齧っただけの法律の知識ではセバスの言った事の真偽を確かめる術はない様だった。

 黙り込んだ男を無視して、セバスは跪いて海人族の女性の頭を抱き起こす。

 

「助けて欲しいですか?」

 

 返事はない。そもそも意識があるかも分からない程の重体なのだ。呼吸と呼ぶにはか細い息の音だけが女性の口から漏れ出ていた。

 

「貴方は助けて欲しいですか?」

 

 セバスはもう一度、女性に尋ねた。それを見ていた男は下卑た笑みを浮かべる。女性の置かれていた地獄の様な環境を知っている身からすれば、返事など出来るはずが無いと分かり切った顔だ。そうでなければ、廃棄処分にするわけがなかった。

 ならば———これは地獄に堕ちても、尚も生きようとした者が起こした奇跡だろう。

 

「………す………け……て………」

 

 女性の口から、呼吸とは明らかに異なる音が漏れ出る。殴られ過ぎて腫れ上がった顔で喋るのも辛い筈だというのに、女性ははっきりとセバスに向かって言葉を発した。

 

「………」

 

 海人族の女性に言葉を聞き、セバスは静かに瞑目する。セバスがやろうとしている事は、明らかにアインズから許された裁量を超える事だろう。

 しかし———それでも胸に宿る想いは消せなかった。

 

「……大丈夫です。困っている方がいれば、助けるのは当たり前です」

 

 女性に優しく呟き、セバスは強い意志を込めた目で男に向き直った。

 

「助けを求められました。よって、この女性は私の保護下に入ります」

「う……嘘だ! そいつが口を利ける筈は……!」

「嘘? 私があなた如きに嘘をついたと言いたいのですか?」

 

 セバスが少し力を込めて睨むと、男は怯んだ様にたじろいだ。男にもう用は無いと、セバスは海人族の女性を抱き抱える。

 

「では彼女を連れて行きます。失礼致します」

「ま……待て! いや、待ってください!」

「……まだ何か?」

「た、頼む! そいつを連れて行かれると面倒な事になるんだ! あ、アンタもフリートホーフの名前くらい知ってるだろ?」

 

 やはり、とセバスは心の中で呟いた。ティオの話を思い出して、明らかに非合法な女性の扱いからそんな予感はしていた。男は哀れみを誘う様な声でセバスに懇願した。

 

「な、なあ、頼むよ。その女の始末に問題が出たら、俺が仕事を失敗した事になって罰を喰らっちまう。だから、な? ここは何も見なかった事にしてくれ……お願いだ!」

「……彼女は連れて行きます」

「勘弁してくれ! 俺が殺されちまう!」

「では逃げてはいかがですか?」

「簡単に言うなよ! 逃げるたって……そんな金、どこにあるんだよ!?」

 

 逆ギレする様に喚く男をセバスは冷ややかな目で見つめていたが、少しだけ考える。

 ここで男を殺して黙らせるのは簡単だ。しかし、男が生きて逃げれば海人族の女性を安全な場所へ連れて行く時間稼ぎに使えるのではないだろうか?

 

「貴方の命にそこまでの価値があるとは思いませんが……私が出しましょう」

 

 セバスは懐から活動資金として持っていた金貨の袋を男の足元へ放った。

 

「これは……ルタ金貨が、こんなにも!?」

「その金で冒険者でも雇いなさい。それといくつか質問があります。答える時間は?」

「あ……女の処分、じゃなかった。治療院に連れて行くという事で外に出ました。しばらくは大丈夫な筈です……」

「分かりました。では行きましょう」

 

 ついて来い、とセバスは顎でしゃくる。男は辺りをコソコソと見回しながら、黙って頷いた。

 

「…………ミュ…………ウ…………」

 

 セバスの抱き抱えた海人族の女性———レミアは、腫れ上がって満足に開けられなくなった目から涙を流して小さく呟いた。




>海人族達の現状

 原作ではここまで差別されてる描写は無いです。でも亜人族達の中で海人族だけが「漁業で貢献しているから」という理由で差別を免れているとしても、一次産業の重要性を理解してない者は聖教教会の教義で考えてしまうのではないかと思いました。我々も普段食べている食材が、農家や漁師の人が提供しているからという事実を常に考える人は少ないですから。(農家や漁師の皆様、いつもありがとうございます)
 そして半ばデミウルゴスのせいで腐敗した王国では、海人族の扱いは原作よりも悪くなりました。

>セバスとレミア

 オーバーロード原作を知っている方はご存知な展開でしょうが、ツアレの立ち位置がレミアになっただけです。しかし仮にも原作ヒロインの一人(?)がここまでリョナ展開になるとは、ナザリックが関わると本当にロクな事が無えや……(笑)


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第百三十話「ティオの心情」

前半:何でこんなクソ展開を書いちゃったんだろ……。
後半:誰だコイツ?


 ハイリヒ王国・王都の城下町———そこの一等地にある屋敷で檜山達は寛いでいた。この屋敷は元々は地方領主が王都に宿泊する際に使われる別荘だったが、屋敷の持ち主は『神の使徒への不敬罪』で投獄された為、家主のいなくなった屋敷を檜山達は譲り受けたのだ。

 こんな事が出来るのも、檜山達が“光の戦士団”として権力を好き勝手に行使できるからだ。檜山達を含めて現在王都に残っているクラスメイト達の大半は、王城から出てこの様な別荘に住み出していた。

 

「ったく、いい加減ウゼェよな。反乱を起こしている奴等」

 

 屋敷の居間で檜山はいつも連んでいる悪友達とくだを巻いていた。部屋にあるテーブルは以前の家主が使っていた品の良い物だが、それを台無しとするかの様に檜山はドカリと足を乗せていた。

 

「俺達がテメェ等の為に魔物を倒してやったのによぉ、なに俺達に逆らってんの? って話だよな!」

「本当だよなぁ、俺等はクソ雑魚な村人共に代わって戦ってやってるのにな!」

 

 檜山の言った事に近藤は同意する。彼等の手には酒の入ったジョッキと煙草が握られており、テーブルが汚れるのも構わずに空き瓶や吸殻を散らかしていた。

 これが檜山達が城下町の屋敷に住み出した理由だ。異世界に来て酒や煙草を自由に嗜める様になった彼等だが、王宮のサロンでそれをやるとたまに光輝に見咎められて注意されるのだ。

 

 確かに現代日本で自分達の年齢で喫煙や飲酒をするのは違法だが、ここは異世界だ。この世界では自分達は一端の大人として扱われるし、“神の使徒”なんて面倒な事をやって働いているのに何故地球のルールで口煩く言われなければならないのか?

 

 そうして未だに地球の常識を持ち出して説教する光輝を煩わしく思い、檜山達は王宮から出て豪華な屋敷に拠点を移したのだ。無論、光輝には『街の警備をするのに近くに住んでる方が住民達も安心する』といった理由で伝えている。他人の悪意を気付こうともしない光輝は、そんなでっち上げの理由をあっさりと信じていた。檜山達以外のクラスメイトも、似たり寄ったりの理由で自由に羽を伸ばせる空間として王宮から出て家主のいない屋敷などに住み出していた。

 

「なんか俺達が贅沢してるのが気に入らないとか言ってやがるけどさぁ、この世界の奴等より強い俺達が高い金を貰うのは当然だもんな!」

「そんな雑魚共が集まった所で俺達に敵うわけねえのに身の程知らずだよな!」

 

 中野と斎藤は最近駆り出される様になった反乱の鎮圧について思い思いの感想を言い合う。魔人族の遠征がアンカジ公国で撃退されたと聞いてしばらくして、王国内で現王政府に対する反乱が各地で勃発していた。その為に檜山達を含めた“光の戦士団”は、国内の治安維持を名目に反乱鎮圧に行かされる様になっていた。反乱は各地で起きた為、クラスメイト達も何人かのグループ分けされて鎮圧部隊に派遣される様になったのだ。

 その反乱自体は今のところ、“光の戦士団”の手で簡単に鎮圧されていた。そもそもクラスメイト達はエヒトルジュエからチートパワーを貰って異世界から召喚された人間だ。この世界の人間の数十倍のステータスを持つ彼等にはトータスの人間が百人や二百人集まった所で歯が立たず、地方の反乱くらいすぐに武力鎮圧が行えていた。

 

「そういえばさ、聞いたか? 別グループにいた天之河の奴、反乱してる農民共に『何か誤解があっただけだ、話し合えば分かり合える筈だ!』とか言って止めようとしたらしいぜ?」

「マジかよ! 天之河も分かってねえな、俺達に武器を向けたんだから遠慮なくブッ殺しちまえば良いのによぉ!!」

 

 ゲラゲラ、と四人は自分達の仲間である勇者の行動を嘲笑した。オルクス大迷宮でゾンビ化したクラスメイト達、そして王城で自分達に襲い掛かったガハルドと部下達と経験を積んだ彼等は、既に地球にいた時の様に殺人に対して忌避感は無くなっていた。それどころか“光の戦士団”の設立を経て、自分達に敵対する者や意にそぐわない者を自由に裁ける快楽まで知った。だからこそ、たとえ反乱を起こした農民達が重税に耐えかねたという理由があったとしても、自分達に歯向かう方が悪なのだから、と殺すのに躊躇など無かった。

 

「それにしてもよー、タバコはこの世界に来て初めて吸ってみたけど、案外美味いものなんだな」

「だろ? 地球にいた時は先公や親がうるさくて隠れて吸ってたけど、異世界じゃ大っぴらに吸えるから気持ち良いぜ」

「あ? 檜山、地球でも吸ってたのかよ? ワルだな、お前」

 

 言葉とは裏腹に咎める気は無いのか、檜山の話に近藤はケラケラと笑う。彼等は思春期の少年として、喫煙を『大人の仲間入りしたステータス』という様に捉えていた。トータスでは地球の様に大人と子供の境界を一定の年齢では定めておらず、檜山達でも煙草は気軽に購入できていた。

 そんな中で今日で初めての喫煙となる中野や斎藤は少しだけ躊躇いを見せたが、友人二人が吸っている姿に好奇心から煙草を吸ってみていた。

 

「っ、ゲホッ、ゲホッ!?」

「ギャハハ、だせえな! 吸い方くらい高校生なら普通に知っとけよ!」

「ゲホッ、うるせえ! それにしてもよぉ、こんなタバコどこで買ったんだよ?」

デブ教官(ムタロ)が取引してるフリートホーフとかいう奴等からだよ。あいつ等、『神の使徒の皆様とは今後ともお付き合いしたい』とか言って、俺等に酒とかタバコとか格安で売ってくれるからな」

 

 ふぅん、と気のない返事をしながら中野は再び煙草を口につける。今度は煙を肺の中に入れる様にゆっくりと吸った。すると、頭の中で甘く痺れる様な感覚が生じた。

 

「あー……なんか気持ち良いわ」

「だろう? これでお前も一人前の大人だな」

 

 初めての喫煙の快楽に中野はリラックスした表情になり、檜山はそれを満足そうに見ていた。

 ———彼等は知らない。フリートホーフが売った煙草は麻薬成分がある葉、地球でいう所の大麻が混ぜられているという事を。

 下手な貴族達よりも金銭を持ち、聖教教会の資金も自由に扱える“光の戦士団”にフリートホーフは目を付けていた。彼等から更なる金銭を引き出す為、麻薬成分のある煙草を最初は格安で提供して、彼等が依存症になった頃合いを見て値を吊り上げて売るつもりなのだ。

 だが、汚い大人達に食い物にされているという事実を知らず、檜山達は地球では出来ない娯楽(喫煙)を楽しんでいた。

 

「あ、あの………お酒のお代わりをお持ちしました」

 

 不意にドアがノックされ、部屋に新たなボトルを運んできたメイドの少女が入ってくる。

 このメイドはこの屋敷に元から勤めていた者だ。檜山達が屋敷を接収すると同時に、そこで働いていた使用人達も自動的に檜山達に仕える事になった。

 

「遅えぞ! 気が利かねえメイドだな!」

「す、すいません!」

 

 檜山の怒鳴り声にメイドはビクビクしながら酒を注ぐ。王都に住む人間ならば、“光の戦士団”の機嫌を損ねたらどうなるかは学習させられていた。しかし、緊張のあまりか手元が狂い、檜山の手をワインで濡らしてしまった。

 

「おい、何やってんだテメェ!」

「ひっ!? も、申し訳ありません!」

「まあ、待てよ。おい、アンタ。エヒト神の使徒で、“光の戦士団”の俺達の仲間にとんでもない事をしちまったなあ?」

 

 その場で土下座したメイドに対して、斎藤はニヤニヤとしながら気安く肩に触れた。

 

「だからよぉ、ちゃんとした詫びの仕方という物があるよなぁ?」

 

 斎藤の手が肩からスルスルと降りて、メイドの胸の膨らみを掴む。メイドはビクッと身体を震わせたが、振り解く事はしなかった。

 

「おい、斎藤。昨日も俺達に()()()を働いた女を抱いたじゃねえか。ちょっとお盛ん過ぎねえ?」

「へへへ、別に良いだろ。なんかこの煙草を吸ってるとよぉ、頭がフワフワして、ついでにアソコもビンビンになってきたんだよ」

「あー……言われてみりゃ、俺もそんな気がしてきたわ」

 

 アルコール、そして麻薬を吸引した事による多幸感と酩酊感が手伝い、檜山達は目をギラつかせながらメイドを取り囲む。少女はこれから起こる事に背筋に怖気が走ったが、ここで拒否すれば自分はおろか、家族にまで危害が加えられる未来を想像してしまった。彼女が出来るのは、泣きそうになるのを堪えて、精一杯媚びる様な笑みを浮かべて起こる運命を受け入れる事だけだった。

 

「ど、どうぞ……“光の戦士団”の皆様に、不詳ながら私の身体でお詫びをさせて下さい……!」

 

 その夜———4匹の獣物によって、一輪の花が散らされた。

 

 ***

 

「お帰りなさいませ、旦那さ———」

 

 セバスが商人として滞在している貸屋敷。商店の従業員兼使用人という名目でいる竜人族の女性達と共に出迎えをしたティオは、セバスが手に抱いている海人族を見て目を丸くする。

 

「………セバス様、その女子(おなご)は?」

「拾いました」

 

 短く返答するセバスだが、ティオと共にいた竜人族達は抱えられている海人族の女性にざわざわと騒ぎ出す。一見からして酷い有様の女性にただならぬ様子を感じた様だ。

 そんな中、ティオがパン、パン! と手を叩く。

 

「これ、何を呆けておる! 見たところ、その者は酷い怪我を負っておる! すぐに湯を沸かし、治療の準備をするのじゃ!」

「は……はい!」

 

 ティオの一言に竜人族の女性達はバタバタと動き出す。それを尻目にティオはセバスへ歩み寄った。

 

「普段は使ってない客間がありまする。そこで治療を行いましょうぞ」

「……治せますか?」

「それは傷の具合を見てみないと何とも……しかし、それ程の重傷ならばどうして治療院に預けなさらぬのじゃ?」

「それは………」

 

 セバスは思わず言葉に詰まってしまう。女性を拾った時の状況は簡単に説明できる事ではなく、何よりセバス自身も何故彼女を治療院に置いてくるだけで良しとしなかったか……それが分からなかった。

 

「ふむ………何やら複雑な事情がありそうじゃな」

 

 セバスの態度を見て、ティオは何か察した様に頷いた。自分の服が汚れるのも構わず、セバスから海人族の女性を受け取った。

 

「とにかく、まずはこの者の治療が最優先じゃな」

 

 ***

 

「どうでしたか?」

「その……はっきり申し上げますと、かなり酷い状態です」

 

 医療に心得があった為に診察を任された竜人族の女性は、一通りの診察を終えてセバスとティオに海人族の女性の状態を報告した。

 

「全身にある殴打や火傷痕がまだマシな方で、その他にも肋骨や指に骨折が見られました。それも杜撰な応急処置をしたのか、骨が変形してしまっています。右足の腱は切られていて、前歯の上下も抜かれていました。太腿の付け根の状態から性病も確認されました。顔の斑点などから何らかの薬物中毒も疑われます。それと………その、膣口にも酷い火傷の痕が。恐らくですが、避妊を目的に焼鏝を挿れて———」

「もう良い」

 

 あまりにも酷い仕打ちを受けた有様に、同じ女性として気分が悪くなったティオは不機嫌な顔で遮った。セバスもまた、捜査撹乱の為とはいえ男に金貨をくれてやった事に後悔し始めていた。

 

「それで、あの者の身体を健康な状態まで治せるのかの?」

「申し訳ありません、ティオお嬢様。私の治癒の腕では死から遠ざける様にするので精一杯です」

 

 竜人族の女性が苦渋に満ちた表情になる。トータスの治癒術では、今の海人族の女性を身体を完全に治すのは無理なのだろう。

 

(ですが、アインズ様からお預かりした巻物(スクロール)を使えば……。しかし………)

 

 もしもの為に、セバスはアインズから治癒魔法が込められたスクロールをいくつか持たされていた。トータスの治癒術では無理でも、ユグドラシルの治癒術ならば女性の身体を完治させる事は容易い筈だ。

 しかし、あれは仮にも至高の御方(アインズ)から与えられたナザリックの品物である。それを独断で、しかも自分の勝手な行動の為に使う事にセバスは躊躇ってしまう。だが———。

 

「確か……倉庫にゴウン様より授けられた治癒術のスクロールがあったであろう」

 

 唐突にティオが呟く。セバスが瞠目する中、ティオは竜人族の女性に命じた。

 

「ゴウン様はかつて死の運命にあった兎人族(シア)すらも蘇らせた。ゴウン様の治癒術が込められたスクロールならば、今の海人族の身体すらも治せる筈じゃ」

「よろしいのでしょうか? あれはゴウン様より頂いた物で、勝手な事に使ってしまっては———」

「構わん。妾が許可する」

 

 ティオは毅然とした口調で言い、セバスへ振り向いた。

 

「セバス様もそれで宜しいな?」

「……お願い致します」

 

 セバスが頭を下げたのを見て、竜人族の女性はティオの言う通りにスクロールを取りに行く。その姿が見えなくなった後、セバスは頭を上げる。

 

「ティオ、先程の事は———」

「もしもゴウン様にスクロールの無断使用を咎められた時は、妾が独断で行った。その様に証言なされよ」

「……ティオ、さすがにそれは違います。全ては私の勝手な行動で招いた事です。あの女性にスクロールを使って欲しい、と私も思っていました」

「妾はセバス様の意を汲んで気を利かせたまでじゃよ。夫の意を汲んでこそ、妻たる者の務めじゃからな」

 

 ティオは事もなげに言うが、セバスは表情を少し曇らせる。自分の主人は慈悲深い所はあるが、それでもティオに対してどう判断するのか分からない。まだセバスとは正式に婚姻を結んだわけではないからナザリックの身内とは言えないし、下手をしたら竜人族そのものにまで処罰が下る可能性もあるのだ。

 

「前から疑問だったのですが……何故、貴方は私の妻になりたいと思ったのですか?」

 

 セバスは何となしにそれを聞いた。今でこそお互いの性格などを知り合っているが、そもそもティオが自分に惚れた経緯がよく分からないのだ。ただ何度か手合わせしただけだというのに、何処に自分を好きになる要素があったのだろう?

 

「ふむ? 妾にとって、セバス様は今までになかった衝撃を与えてくれたからじゃが? 身体を何度も突き抜けた、あの時のセバス様の手の感触……今でもはっきりと思い出せまする。有り体に言えば、一目惚れなのじゃ〜♡」

「………ティオ、私は真面目に聞いて———」

「———妾は至って真面目に申しておるよ」

 

 ゾクゾクと身体を震わせながら蕩ける様な表情から一転、ティオは静かにセバスを真っ直ぐに見る。

 

「竜人族の生涯は長い……だからこそ、一生の伴侶には末永く共にいたいと思える運命の相手を選ぶのじゃ」

 

 商店の女主人としてでもなく、痛みに快楽を感じるヘンタ……もとい、特殊な性癖の持ち主としでもなく、ティオは竜人族の姫としての顔を見せながらセバスと向き合った。

 

「一目で見て、運命を感じる者……その者こそが一生を添い遂げる相手となるであろう、と亡くなった母上は申されていたよ。妾にとって、それがセバス様だったというだけの話じゃ」

 

 パチン、と扇子を開きながらティオは優雅に微笑む。

 それは度量とたおやかさを兼ね備えた———武家の妻を思わせる様な笑みだった。

 

「セバス様。そなたとの婚姻を望んでいる事に、竜人族としての思惑が全く無いとは申しませぬ。じゃが、妾はたとえ一族の為であろうと好きでもない男に自分を安売りする気もありませぬ。妾が夫にしたいと思った者には一生をかけて妻として尽くし、共に在りたい……そう思っておるのじゃ」

「ティオ………貴方は………」

 

 セバスはティオをまじまじと見つめる。この異世界の竜人族は、それ程の覚悟をもってセバスに嫁ぎに来たのだ。今までは向けられる好意にただ戸惑っていただけのセバスにとって、今のティオの姿は気高く見えていた。

 

「故にセバス様があの者を助けたいと思われるなら、妾は妻たる女性として最大限に応えるまで……それだけの事じゃ」

 

 パチン、と扇子を閉じてティオは歩き出す。

 

「さて、あの者の治療が終わるまでしばらくは掛かりましょう。それまでの間、あの者を助けた経緯をゆっくりと聞かせて頂こうかのう? 茶でも淹れて参ります故、先に部屋でお待ち下され」

 

 それだけ言ってティオは台所へと繋がる通路へ歩いて行った。その背中を見ながら、セバスは考え込む。

 

(ティオは……あれ程の覚悟をもって、私の判断に従ってくれました。ならば、私は………)

 

 一生を捧げても自分に添い遂げる、といった相手に何が出来るだろう?

 セバスはそれをしばらく考えていた————。




>前半

 フリートホーフが原作よりも大きな影響力を持っている事を示す目的で書きましたがね……もうここまで来ると、クラスメイト達に対してのアンチ・ヘイトと言われても何も言えないわ。一応、ここでの設定がエンディングに影響するので必要な工程だと自分は割り切っています。自分が通っていた高校でも、駅のホームの片隅でこっそりと喫煙しているクラスメイトが何人かいたし……。
 彼等は権力や力に溺れるに溺れていると思って下さい。
 
>ティオ

 我らがドMドラゴンですが、彼女なりに真剣な理由でセバスに惚れています。精神イメージ的には武家の妻。
 仮にセバスが複数の女性を囲った場合、大奥を作って御台所として取り仕切るくらいの肝っ玉を見せます。


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第百三十一話「0歳児と四歳児」

 今回はあんまり上手く出来た気がしないなあ……ちょっと行き当たりばったり気味で書いた感じです。


「……ミュウは……ミュウという、お名前なの……」

 

 ミュウ、と名乗った海人族の子供をナグモは見つめる。この子供について、具体的にどうしたいという考えがあったわけではない。ナグモからすれば、ただ目に付いたから声を掛けてみたというだけだ。

 

「……お兄さんは、私をぶたないの……?」

 

 無言で観察してくるナグモを最初は怖がりなら反応を伺っていたミュウだが、()()()()()()()()()()自分に暴力を振るってこないナグモを不思議そうに見つめた。

 ………ミュウがどんな目に遭ってきたかは、ボロ布の様な服とミミズ腫れだらけの身体を見れば一目瞭然だ。両足には枷と鎖が付けられており、満足に動けない足で水路を泳いできたのか。

 

「……僕を低脳な人間達と一緒にするな」

 

 ナグモは低い声で小さく呟く。ただでさえ氷雪洞窟の事で心中が穏やかでないというのに、小さな子供にこんな真似をする人間と一瞬でも同じ様に見られたのは、自分が低脳な人間達の同類と思われた様で心がささくれ立った。ナグモは不機嫌な表情のまま、ミュウに背中を向けて立ち去ろうとする。

 

「いや……行かないで……助けてなの……」

 

 弱々しい声でミュウが引き止めようとするが、ナグモは振り向かない。

 今のナグモは冒険者モモン(アインズ)のパーティーメンバーとして、ナザリックの外に出ているのだ。アインズの為に冒険者活動をしつつ、一刻も早く大迷宮に行かなければならない。こんなあからさまに厄介事がありそうな子供に構う暇など無い。

 

「お願い……助けて……」

 

 ナグモはミュウの声を振り払う様に足を早め———。

 

「お家に……ママの所に帰りたい………」

 

 瞬間———ナグモの足が止まった。

 

「ママ………」

 

 もはや意識も朦朧としているのか、先程よりも弱々しい声でうわ言の様に呟く。どういう経緯かは知らないが、四歳の少女が傷だらけの身体で水路を泳いできたのだ。いかに泳ぎが得意な海人族といえど体力を著しく消耗しており、このまま放っておけば衰弱死するだろう。

 今は深夜の時間帯。辺りにナグモ以外に人影は無く、ここでナグモが去れば、ミュウは朝になってようやく死体が発見される事になるだろうか。

 

「………」

 

 ギリっと、ナグモは歯を食い縛る。ナグモは再びミュウの下へ歩み寄った。

 

「あ………」

 

 ミュウは朦朧とした意識のまま、ナグモを見上げる。ナグモは黒傘“シュラーク”を振り上げ————ヒュン、と振り下ろした。

 

 ***

 

 香織はナグモが出て行った部屋で、一人立ち竦んでいた。ナグモが部屋を出たのは時間にして三十分前だが、その間香織は一歩も動かずに待ち続けた。

 

(ナグモくん……まだ帰って来ないのかな。もしかして、私に怒って何処かに行っちゃったとか……)

 

 アインズと任務を遂行しているのに途中で放り出すなど、ナザリックの者ならばあり得ないだろう。しかし、万が一でもそうだったらと考えると、香織は恐怖で震えた。

 

(もしもナグモくんに嫌われたら……ナグモくんが私を捨てると言ったら………!)

 

 今の香織(NPC)にとってナグモ(創造主)から捨てられるのは何をも勝る恐怖だった。だからこそ、香織は飼い主を待つ忠犬の様にその場で待ち続けていたのだ。

 自分の失言で嫌われたかもしれない、と恐怖に震えていた香織だったが、やがて彼女の耳に宿屋の廊下を歩く音が響いた。それが自分の待ち望んだ人物(主人)の足音だと分かると、香織の胸に安堵と喜びが広がる。

 

「ナグモくん! さっきの事は———」

 

 ドアが開けられると同時に、香織はナグモを不愉快にさせた言動について謝ろうとした。しかし、その言葉はナグモが抱えている物を見て途中で掻き消えた。目をパチクリと瞬かせ、香織はナグモに聞いた。

 

「ええと………どうしたの、それ?」

「………拾った」

 

 ナグモは()()()()()()を付けたミュウを抱えたまま、ブスッと答えた。

 

 ***

 

「それで……その子を連れて来た、というわけか……」

「申し訳ありません、アイン———ではなくモモンさ……ん」

 

 翌朝の宿屋の食堂で、アインズは頭を下げるナグモを見ていた。夜の内に傷を癒やし、服は“錬成”で直したのか、すっかりと綺麗になったミュウがナグモの背に隠れながらアインズ達をチラチラと窺っていた。

 

「……子供を助けたの? 貴方が?」

 

 ユエが目を丸くしながら意外そうにナグモとミュウを交互に見る。そんなユエをナグモはムスッとした顔で一瞬だけ睨むが、視界から外す様にアインズだけを真っ直ぐに見ながら再び頭を下げた。

 

「余計な事をしでかした事をお詫び申し上げます」

「ああ、いや……別に謝る様な事でもないとは思うが……」

 

 アインズはとりあえずそう言ったものの、ユエと同じ様に意外な物を見る目でナグモを見ていた。骨しかない顔でなければ、クローズヘルムの中はユエと同じ表情になっていただろう。お陰で夜通しでナグモにどう話すべきか、と考えていた内容も頭から吹き飛んでしまっていた。

 

(NPC達は基本、ナザリック外の人間を虫ケラくらいにしか見てないと思っていたけど……いや、ナグモは最初から人間の頃の香織を好きになっていたから外の人間に対して比較的寛容な方か)

 

「えっと、ミュウちゃんだっけ? ミュウちゃんはどうして、夜中に街にいたのかな?」

 

 香織がミュウを見ながら優しく問い掛ける。しかし、ミュウは香織に対してビクッと震えるとナグモの服をギュッと掴んで隠れてしまった。

 

「う〜ん………恥ずかしがり屋さんなのかな?」

「おい、海人族。モモンさ……んに余計な時間を取らせるな。お前の情報を速やかに———」

「ナグモ」

 

 刺々しい口調でミュウに話させようとするナグモに、ユエは批難する目付きを向ける。ナグモが「何か文句あるか?」という目付きで睨み返しているのを見て、アインズも咳払いした。

 

「まあ………さすがに大人気ないと思うぞ」

「………話してみろ、特別に聞いてやるから」

 

 至高の御方(アインズ)からの諫言に、ナグモは彼なりに口調を柔らかくしてミュウに促した。ナグモを見ながら、ミュウは口を開き———きゅるるる、と可愛くお腹が鳴った。

 

「あー……そういえば、朝食がまだだったか」

「お前っ……どれだけ手間をかけさせ———」

「まあまあ、ナグモくん。モモンさん、ちょっと朝御飯を取って来てますね?」

 

 ナグモの額に青筋が浮かぶ前に、香織が率先して動いた。

 

「……これだから子供は嫌いなんだ」

 

 カウンターへ食事を取りに行った香織の後ろ姿を見ながら、ナグモは盛大に溜め息を吐く。

 

「………駄目なの」

「………あ?」

 

 それまで静かにしていたミュウが、ナグモを見ながらポツリと言った。

 

「溜息を吐くと、幸せが逃げちゃうってママが言っていたの」

「………誰のせいだと思ってる」

 

 不機嫌な表情のまま、ミュウにそう返すナグモを見ながらアインズは思わず呟いてしまう。

 

「子供だな………」

「子供ですね……」

 

 誰が、とは言わない。しかしながら、この瞬間に言葉を交わさずともアインズとユエは意見を一致させた。そうしている内に香織が人数分(ただしアインズは食べられないので四人分)の料理をトレーに載せて運んできた。

 

「とりあえず、食事をしてから話を聞いても遅くならないだろう。君も食べるといい」

「……おじちゃんは一緒にゴハンを食べないの?」

「おじ………私は先に食べてしまったのでな。………そうか、おじちゃんか……そっかぁ………」

 

 幼い少女の何気ない一言がクリティカルヒットしたアインズを尻目に、ユエ達は朝食を食べ始めた。ナグモも不機嫌そうな顔ながら、仕方なくといった様子で食器を手に取る。

 

「はぐ、はぐ………」

「……ゆっくり食べていい。足りなければ、私のも分けてあげるから」

 

 ユエがそう声をかけるが、ミュウは小さな口を一杯にして頬張る様に食べていた。まるで何日も満足に食事をしていなかった様な食い付きぶりだった。そんなミュウを横目に、ナグモは自分の朝食を見る。

 宿屋が提供した朝食は野菜とソーセージの煮込み料理———地球でいう所のポトフに酷似していた。スプーンを押し当てると弾力が伝わるくらい柔らかく煮込まれた具材や、黄金色に透き通ったスープは調理をした者が宿泊客の為に手間暇をかけた事を窺わせる程に美味しそうな見た目だ。

 しかし、ナグモはそれを眉間に皺をよせながら見た。ナザリックで出される最高級の食材で作られる普段の料理より劣るから、あるいは香織が作った料理ではないから———などという理由ではない。

 

「………」

 

 ナグモは無言でポトフからニンジンをスプーンで掬って、次々と別の皿にどかせる。その作業をしばらくやっていたが、ミュウが食事の手を止めて自分の手元を見ている事に気が付いた。

 

「………何だ? まだ食べたいならユエに言えばいいだろ」

「ニンジンさん………残したら駄目なの」

 

 ピシッとナグモの手が止まる。ミュウはマリンブルーの瞳で、じーっとナグモを見つめる。

 

「好き嫌いすると大きくなれない、ってママが言っていたの」

「ふ……ふん、必要な栄養価は別の物で摂っているからお前と違ってそんな心配は無用だ。β-カロテンくらい、タブレット剤で摂れる」

「あのね、ミュウちゃん。ナグモくんはミュウちゃんより身体が大きいから、野菜はあまり食べなくても良いというか………」

「香織……さすがにナグモを甘やかし過ぎだと思う。普段ナグモに作っている食事だって、極力野菜を入れてない様にしてる」

「う……だって、野菜を入れたらあまり食べてくれないし……」

「お前……普段の食生活からそんな感じか」

 

 アインズも思わず呆れた声を出してしまう。今まで冒険者として旅をする中で、食事は依頼主の接待などを除けば食べる必要が無かった為に気を配っていなかったが、ナグモの偏食度合いはさすがに予想外だった。

 

「どうしても身体が受け付けない、というなら無理する必要はないが……野菜はキチンと摂っておいた方が良いぞ。年齢的にもお前はまだ成長期なのだから………それにせっかくの生の食材なのだから、食べないのは勿体無いだろうに」

 

 後半、思わず鈴木悟としての本音が漏れてしまう。鈴木悟のいた時代は環境がほぼ死滅しており、生の食材などアーコロジーに生まれてない鈴木悟からすれば高価過ぎて手が出せない代物だった。

 

「ぐっ……分かりました………」

 

 アインズからも指摘され、とうとうナグモは渋々といった様子で別の皿に移したニンジンに手を付ける。ニンジンをフォークに刺し、しばらく躊躇っていたが意を決した様に口を付けた。

 

「うぐっ……!」

 

 ナグモは一瞬、吐き出しそうな顔になるが、それでもアインズや香織の前でそんな真似は出来ないと思ったのか無理やり飲み込む様にして食べた。

 

「っ……これで文句ないだろ……」

 

 少し涙目になりながら、ナグモはミュウを睨む。そんなナグモの頭をミュウは撫で始めた。

 

「……………おい、何の真似だ」

「ママはちゃんとお野菜を食べたら、いつもミュウにいい子いい子してくれたの! だから、ニンジンさんを食べたお兄ちゃんもいい子いい子なの!」

 

 純粋な笑顔でナグモの頭を撫でるミュウ。身長差がある為、椅子の上に立って背伸びをしながら撫でる姿は大変微笑ましいものだ。ナグモは手を振り払おうとするが、ユエがジト目で見ている事に気付いて嫌そうな顔をしながら黙ってされるがままになっていた。

 

「ナグモくん……後で私もいっぱい撫でてあげるからね!」

「絶っ対にやめろ」

 

 ミュウを羨ましそうに見ながら申し出た香織に、ナグモはきっぱりと断る。

 

「………本当に子供なんだな」

 

 アインズはポツリと呟いた。NPC達が望む支配者像を演じる為、今まで彼等とは『上司と部下』という形でしか接していなかった。もちろん、その形を望んでいたのはNPC達の方だ。彼等の期待に応える為、アインズは自分で考えられる限りの『理想的な支配者』を演じようとしていたのだ。

 

(でも………もっと彼等を知る努力をすべきだったのかもしれない。人間(プレイヤー)になったナグモは当然だけど、NPC達だって一人の生き物なんだ)

 

 ギルドメンバー達が創作時に作った設定で、NPC達の事を理解している気になっていた。しかし、それは間違いだったと眼前のナグモを見ながらアインズはそう思った。




どうでもいい設定ですけど、ナグモは子供舌です。甘いの好き、辛いの駄目で、ニンジンやピーマンは嫌い。コーヒーも砂糖とミルクを引くほどに入れないと飲めないのです。

>ミュウ

要するに……この作品では主人公が0歳児だから、四歳のミュウの方がお姉ちゃんという事になるのです。お陰でロリなのにお姉ちゃん枠というイミフな事態が出来ました。

>香織

おかしいな……自分は香織推しなのに、最近書いていて辛い子になりつつあるぞ? いや、こんな事になったのは私の自業自得だけども(笑)


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第百三十二話「見守る人々」

 凍結極上ケモノ肉金策に味を占めたsahalaです(挨拶)
 稼いだルピーでマイホーム建築に凝り出し、未だにゼルダ姫に会いに行く予定がないです。いやその、マスターソードを貰った時はね……メインクエストを一刻も早くやらねば! と思ったんだけどね……ネタバレになるから言わないけど、龍の泪を見た上でやってるから外道リンクになってる気がする(笑)


「ミュウはね、エリセンという所にママと住んでたの」

 

 朝食を食べ終わり、アインズ達はナグモに保護されるまでの経緯について聞いていた。

 

「ママと一緒に海を泳いでいたら、気が付いたらママがいなくなって……海岸でママを待とうと思ったら、領主様の兵隊さんが来たの。兵隊さんが“ママの所まで連れて行ってあげる”と言ってくれて、馬車に乗ったら知らない場所にいたの……」

「領主の兵隊……それは確かなのか?」

「うん。その人は初めて見る人だったけど、いつも街の見廻りをしているおじちゃん達と同じ格好だったの」

 

 アインズの質問にミュウが頷く。トータスでは大きな街の治安組織は、その土地の領主の衛兵が務めている。ミュウも“街のお巡りさん”と同じ格好をした大人だから、気を許してしまったのだろう。

 

(衛兵に扮した奴隷商人の類いか……あるいは、領主が直接人攫いに加担しているのか? まさか……)

 

 様々な可能性がアインズの中で思い浮かぶが、いま考えるべき事ではないとして思考を中断してミュウの話の続きを聞く事にした。

 

「そうしたらミュウは……っ、知らないお屋敷にいて、その家の人がミュウに“今日からお前はペットだ”って言って、それで……うう、あぁっ……!!」

「大丈夫、無理に話さないで良いから」

 

 苦痛の日々を思い出したくないのか、ミュウの表情が苦痛に歪むのを見てユエが慌てて宥める。ミュウはしゃくり上げながらも、話を続けた。

 

「ひっく……それで、それでミュウは……毎日……痛くて、恐くて……! ミュウのいた地下のお部屋で、水の音がした所があったから飛び込んだの……それで泳いで……」

 

 チラッとミュウはナグモを見る。つまり、地下水道に繋がる排水口にでも飛び込んで逃げた後、ナグモに拾われたという事なのだろう。

 

「可哀想……ミュウちゃん、小さいのに頑張ったんだね」

 

 香織がミュウを撫でようとするが、何故かミュウは香織を怖がる様に避けてナグモの背に隠れてしまった。香織は残念そうな表情になるが、当のナグモは憮然とした表情のままだった。

 

「なあ、ユエ……念の為に聞くが、ヴェルヌが他人の奴隷を盗んだという事にならないな?」

 

 アインズはこっそりとユエに聞いた。いくらアインズ(鈴木悟)の元いた世界で子供の労働者が珍しくないと言っても、ミュウほどの幼い少女が奴隷にされるなど酷に過ぎるとは思っている。ただし、それはアインズ個人の考えだ。地球の一般常識など通用しないトータスでは問題にならないどころか、連れ帰ったナグモの方こそが誘拐犯という扱いにならないか確認する必要があった。しかし、アインズの質問に対してユエは首を横に振った。

 

「海人族はハイリヒ王国の法律で保護が明言された種族です。むしろ、それを奴隷として売買した人間の方が違法です」

「そうか………」

 

 もしも冒険者ヴェルヌ(ナグモ)が犯罪者として手配されたりするなら、アインズは事態解決の為に魔導国やナザリックの力を使う事も考えていたが、そうならずに済みそうな事に安堵した。アインズは改めてナグモにぴったりと付いたままのミュウを見る。

 

「とにかく、君の話は分かった。さて、そうなるとどうしたものか………」

 

 アインズはそう言いつつも、ナグモの反応を伺った。ミュウを助けたのは彼だ。だからこそ、ナグモの意思を尊重しようとしたのだが———。

 

「保安署に預けましょう。それで問題ありません」

 

 ナグモはミュウの方を見る事なく、アインズに対してそう提案した。

 

「……良いのか?」

「僕達は重要な任務をこなしている最中です。こんな海人族の子供に構っている時間などありません」

「ヴェルヌくん……それはそうだけど……」

 

 周りから冒険者の依頼の最中に聞こえる様に大迷宮の事を伏せて言うナグモに、香織は少しだけ迷う表情になる。香織に残った人間性が小さな女の子をここで放り出してしまう事に忌避感を覚えていた。

 

「海人族は王国の保護を受けた亜人族です。保安署に預ければ、正規の手続きに則ってエリセンまで送り返される筈です。保安署まで連れて行けば、この件はそれで済みます」

「うむ………確かにその通りであるが………」

 

 ナグモの言っている事は正論ではある。アインズが頷く中、ミュウは自分の事で雲行きが怪しくなっているのを察したのか、ナグモを不安そうに見た。

 

「お兄ちゃんは……? お兄ちゃんはミュウと一緒にいてくれないの?」

「あのね、ミュウちゃん。今からミュウちゃんをお家に帰してくれる人達の所に行くから、その人達と一緒に帰ろうね?」

「……やっ!」

「やっ、て………」

「やー、なの! ミュウはお兄ちゃんと一緒がいいの!」

 

 香織が優しく言うが、ミュウは強い拒絶を示してナグモの腕を掴もうとする。

 その手を———ナグモは振り払った。

 

「縋りつくな、海人族の子供。僕はお前に関わっている時間などない」

 

 ビクッとミュウが肩を震わせる。ナグモはそんなミュウを冷たい無表情で———ナザリックの守護者としての顔で拒絶した。

 

「……お前を助けたのはただの気紛れだ。それ以上にかける慈悲などありはしない」

「っ、ヴェルヌ!」

 

 ミュウに対する態度を見かねて、ユエは批難の声を上げる。だが、ナグモはユエに対しても冷たい目線を向けた。

 

「お前も分を弁えろ。()()()の分際で、僕に意見などするな……!」

 

 ナザリックの階層守護者代理としての威厳で、新参者のユエの意見を黙殺しようとする。さすがにパワハラだろう、とアインズはナグモに苦言を言おうとして———。

 

「ひっく……うっ、ひっく………」

 

 唐突に泣き声がアインズ達の間に響く。ミュウは両目を押さえながら、さめざめと泣き出した。

 

「ごめんなさい……我儘を言って、ごめんなさいなの……! だから、ケンカしないで……!」

 

 ナグモと一緒にいたいという自分の要望が叶えられなかった事より、目の前でナグモとユエが自分の事で揉めている雰囲気を察してミュウは泣いていた。

 これにはアインズ達もさすがに気まずくなり、どう声を掛けるべきか迷ってしまう。その中で、ナグモはガタッと席を立つ。

 

「………すぐに保安署に行ける様、チェックアウトの手続きをして参ります」

「あ、ナグ……ヴェルヌくん! えっと……ごめんなさい、アイ……モモンさん!」

 

 アインズの返事も聞かず、ナグモは食堂を出る。香織は泣いているミュウを見て迷う素振りを見せたが、アインズ達に頭を下げると慌ててナグモの後を追った。残ったのは泣いているミュウと、気まずい沈黙に包まれたアインズとユエだけとなっていた。

 

 ***

 

「本当にこれで良かったのだな?」

「……僕は最善の方法を取ったまでです」

 

 あの後、ミュウはまだ泣き止まないながらも俯いてアインズ達に連れて行かれるままに保安署に預けられた。転移魔法で移動する為に街の外へ歩いて行く道すがら、アインズはナグモに再確認する様に聞いたものの、返ってきたのは頑なな声だった。そんなナグモをユエは不満がありありと浮かんだ目で見ており、香織はナグモとユエに目線を行ったり来たりさせながら、どちらにどう話しかければ良いか迷う様な表情をしていた。はっきり言って、アインズがユグドラシル時代の時でも味わった事の無いほどパーティー内の空気はギスギスしていたが、それでもアインズはナグモに話し掛ける。

 

「確か残る大迷宮がある場所の一つは、エリセン近海の海底遺跡だろう? あの子供をついでにエリセンまで送り届けるのも可能だぞ?」

「世界征服計画もそろそろ大詰めです。アインズ様の覇道を思えば、あんな海人族の子供に関わるのが間違いでした」

 

 ナグモは自分に言い聞かせる様にアインズにそう返す。その間にもまるで保安署から一刻も早く離れようとするかの様に、街の外へ出ようとする足は止まらない。

 

(そもそも世界征服なんて、俺からすればどうでもいいんだよ………なんて、今更言えないけどさ)

 

 アインズからすれば、NPC達が何故か勘違いして計画を進められ、エヒトルジュエへの対抗勢力を作るのに丁度良いと思ったから了承したに過ぎない。 

 

(それがエヒトルジュエの手からナザリックの皆を守る事に繋がるなら、俺は王様でも何でもやってやるさ。だけど———)

 

 アインズはナグモを見る。以前ならば、ナグモの発言は自分への高過ぎる忠誠心から、と思っていただろう。だが、氷雪洞窟や先程の朝食の時の姿を見た後では、ナグモの態度が意固地になっている子供そのものに感じていた。

 アインズは足を止める。それに合わせてユエ達も足を止めた。

 

「ヴェルヌ……いや、ナグモ。少し話がある」

 

 周りに盗み聞きしている者がいない事を確認して、敢えて冒険者の偽名ではなく本名を呼んだ。アインズ達が足を止めた為に先を歩く形となったナグモは、足を止めてゆっくりと振り返る。その表情が心なしか硬く見えたが、アインズには教師から叱られる事を恐れた小学生に見えていた。

 

(こんな所も子供っぽいんだな………やまいこさんも、こんな気持ちだったのかもな)

 

 小学校の教師だった仲間の事をふと思い出して、アインズは内心で苦笑する。そしてナグモに対して———アインズは優しく声を掛けた。

 

「ナグモ。私はお前をじゅーるさんの息子の様なものだと思っている」

 

 ナグモの目が見開かれる。だが、すぐに目を伏せてアインズに頭を下げた。

 

「過分な評価をして頂き、ありがとうございます。でも、じゅーる様からすれば僕なんて………」

「じゅーるさんがどう思っていたか、ではない。()()そう思っているのだ」

 

 顔を上げるナグモに、アインズは少ししゃがんで目線の高さを合わせた。

 

「私にとって、ナザリックの皆は去ってしまった仲間達の子供の様なものだ。私が一方的にそう感じているだけだが……仲間達から自分の子供を託されたと思っている」

 

 最初はNPC達の中にギルドメンバー達の面影が見えた事が純粋に嬉しかった。仲間達との黄金の日々は、今も尚続いているのだとアインズは思えた。

 だが、あくまで彼等は創造主と似ている所があるだけだ。かつての仲間達そのものではない。ユエと話していく内に、アインズはユグドラシル時代は輝かしい思い出であっても、それは戻らない過去なのだと悟り始めていた。

 

「だからこそ……私はナザリックの子供達の幸せを第一に考えたい。お前達の幸せに比べれば、はっきり言って世界征服計画など取るに足らない」

「それは……それは間違っています! ナザリックのシモベは至高の御方の為に存在していて、アインズ様のご意思がシモベ風情に捻じ曲げられるなど、あってはなりません!」

「私は、そうしたいのだ。それこそが私の意思だ」

 

 驚愕するナグモに対して、アインズははっきりとそう言った。今までNPC達の意見に流される形で話を進められる事が多かったが、アインズは初めて自分の願望をはっきりと口にした。そして、昨夜から言おうと決めていた事を口にする。

 

「……じゅーるさんが、どうしてあれだけ思い入れのあったナザリックを去ったのか。私は遠くへ行く必要がある、としか言われなかったが、他に理由があったのかもしれない」

「…………え?」

「だが、あの人は最後に私にこう言った………自分が手塩にかけて作った第四階層———そして自分の子供(NPC)達をよろしくお願いします、と」

 

 アインズの言葉にきょとんとした顔になったナグモだったが、それは更なる驚愕に塗り潰された。

 

「それは……じゅーる様が……本当に?」

「ああ。ナザリックを去る事をひたすら詫びながら、それを私に頼んだよ」

 

 NPCを子供だなんて、大袈裟な表現だと当時は思っていた。るし★ふぁーの様に、芸術家が自分の作品を子供と呼ぶ様な物だとアインズは思っていた。だが、今になって分かる。じゅーるにとって、ナグモやミキュルニラはただのNPC以上に何か思い入れのあった存在なのだろう。だからこそ、わざわざ引退前にアインズにそう言ったのだろう。

 

「………じゅーる様………っ」

「だからこそ、大事な友人の息子が私の為に自分の意思を封じようとするのが見ていて気の毒になる。『人間嫌い』だったお前が、ナザリックの為ではなく子供を助けた……それはきっと心が成長した証なのだろう。その心を私は大事にしてもらいたいと思っている」

 

 それが、一方的とはいえNPC達の面倒を見ると誓った者として。一部のギルドメンバー達からすれば、そこまで思い入れは無かったかもしれないが、NPC達の父親代わりになった者としてアインズはそう思っていた。

 

「………私はあなたの幼稚な態度に、一言言いたくなる時が沢山ある」

 

 ユエは静かにナグモに話しかける。深く息を吐きながら、年長者が少年に助言する様に。

 

「でも、あなたは今まで精神を成長させる機会を得られなかっただけなんだと思う………だから()()()()()()忠告するけど、周囲の人間に当たり散らすより、相談した方がいい。どうするべきか、一緒に考えてあげられるから」

「ナグモくん、私はいつでもナグモくんの為にありたいと思うの」

 

 香織が優しく声を掛ける。それはナグモに忠実なNPCとして————それ以前に、ナグモを愛した少女として。

 

「ナグモくんの恋人だもの、私は誰よりもナグモくんの味方でいたい。だからさ、本当にしたい事があるなら言ってみて。何でもやってあげるから」

「それは……でも……」

 

 ナグモは俯きながら、自分を気に掛けるアインズ達の言葉を噛み締める。

 『人間嫌い』でいる事が、いなくなってしまったじゅーるの遺志を守る事だと思っていた。だからこそ、人間(プレイヤー)となってから人間に対して認識が変化していく事に戸惑っていた。

 あの海人族の子供をどうしたかったのか? 

 ミュウを助けた時、ナグモの脳裏にはかつて立ち寄った街で出会った人間の子供を思い起こしていた。あの子供みたいな結末にならない様に、本当は————。

 

「あれ………ちょっと待って。この声………ミュウちゃん?」

 

 ふいに香織が耳を澄ませる様に今来た道———保安署の方向を振り向く。数多の魔獣の集合体であるキメラアンデッドの香織は、アインズ達よりも遥かに優れた聴力でそれに気付いた。

 

「どうした?」

「ミュウちゃんの声……怯えてます。それに、複数の男の人が言い争っている声が———」

 

 それを聞いた途端、ナグモの顔色がはっきりと変わる。ナグモは走り出しかけ———すぐに自制する様に足を止めた。そして縋る様にアインズの方を見る。

 

「……行くといい」

 

 その心情を察してアインズは頷く。ナグモは目を見開き———アインズに頭を下げた。

 

「ありがとうございます、アインズ様」

 

 ナグモはすぐに保安署に向かって走り出した。




>じゅーるさん

 息子扱いしていたNPCを置いていく事に、モモンガに対して何も言わないというのもおかしいよね? という事でモモンガに言付けをしていた事にしました。

>ナグモ

 自分で書いていながら、本当に面倒くさい奴です。反抗期というか、駄々を捏ねてる子供を相手にしている気分になる時があります。まあ、これからちょっとは良い子になるかもしれません。いやー、良い子、良い子。




 改心しても犯した罪は消えないけどネ?


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第百三十三話「思わぬ再会」

 香織が保安署の異変に気付いた頃———そこではミュウの手を無理矢理引っ張ろうとする肥満の男がいた。身なりの良い服装だったが、内側から贅肉で押し上げてピチピチとなった服はまるでサーカスのピエロの衣装のようだった。

 

「だ、だから、これは私の家の使用人だと言っているだろ?」

「しかし、その海人族の子供は送還の手続きが決まっておりまして!」

「ひ、必要ないと言っているんだ。こいつは、ミン子爵家のプーム・ミンが責任持って身柄をあず、預かるからな!」

「で、ですが……!」

「おいおい、ミン子爵の坊っちゃんがこう言っているんだぜ? あんた、貴族様に楯突くのかよ?」

 

 プームと名乗った男に保安署の職員は食い下がろうとするが、ボディガードの様に控えていた大剣を背負ったガタイの良い男が凄んだ。

 

「貴族様が慈悲深くも海人族のガキに親切してやろうと言っているんだぜ? あんた、坊っちゃんを疑うのか?」

「しかし……」

「……何だ? わ、私の言う事が聞けないと言うのか?」

 

 吃音混じりの声を低くして、太い指をプームは突き付けた。

 

「誰のお陰でこの庁舎が建ったと思っている! お、お前の給料は? 全部私の家のお陰であろうが! 貴様、顔を覚えたぞ! こ、これ以上文句を言うなら父上に言って、ク、クビにしてやるからな!」

 

 プームの言葉に職員は顔面蒼白になった。街や都市の公共施設の運営資金はそこを治める領主や貴族達の出資に頼っている所が大きく、その中の一職員でしかない彼にとってスポンサーである貴族は最も怒らせてはいけない相手だった。

 尻込みして黙ってしまった職員に鼻を鳴らし、プームは片手で掴んでいるミュウを見る。ミュウは保安署の職員が自分を庇ってくれないと話の流れで分かり、ビクビクと震えていた。

 

「このガキっ!!」

 

 バシンッ!

 

「ぃうっ!?」

「お、お前が逃げ出したせいで、父上に怒られたんだぞ! 亜人族の分際で! わ、私のペットの分際で!」

「ひっ、ご、ごめんなさいっ……!」

 

 バシンッ、バシンッとプームはミュウの顔を平手で打つ。

 

「お、おい、いくらなんでもやり過ぎじゃ……」

「馬鹿、相手は貴族だぞ!」

 

 保安署の職員達は目の前で行われている折檻に声を上げようとしたものの、貴族相手に口を挟む勇気などなく、目を逸らしたり見ない振りをしていた。

 

(痛い……痛いの……ママ……お兄ちゃん……)

 

 プームに打たれながら、ミュウは床に伏せてひたすら痛みに耐えていた。大きな泣き声を上げたり、痛がったりすると、相手が喜んでさらに痛い事をされるとミュウは誘拐されてからの生活で()()()()()。過酷な生活が辛くて逃げ出した筈なのに、その場所へまた連れ戻される事にミュウは声を押し殺して泣く。

 

(ミュウが……ミュウがワガママを言ったから、お兄ちゃんは怒ったの……?)

 

 地下水路から抜けて必死に泳いで辿り着いた夜の街でナグモと出会った。最初は自分を冷たく見つめて背を向けたが、何故か戻って来て自分の足枷を壊してくれた。そして連れて行かれた先で怪我を治して貰い、襤褸しか着せて貰えなかった自分の服も魔法で綺麗にしてくれた。母親と別れて以来、初めて自分に優しくしてくれた人間にミュウはすっかり警戒心を解いていたのだ。

 だからこそ、保安署という場所に預けると言われた時にミュウは抵抗したのだ。母親と引き離され、奴隷生活を強いられたミュウにとって優しくしてくれたお兄ちゃんと離れるのは耐え難い事だったのだ。だが、それを口にしたらナグモは怒った。そして一緒にいた金髪のお姉ちゃんと喧嘩を始めたのが悲しくなって、ミュウは自分の我儘のせいでナグモが怒ったのだと思っていた。

 

(ごめんなさいっ……ワガママを言ってごめんなさいっ! ちゃんとごめんなさいするから、だから———!)

 

「ひっ、ひひ、今度は逃げようと思わないくらいに躾けてやるからな! とりあえず家に戻ったら鞭打ち百回からだ、ばぁっ!?」

 

 突然、プームの身体が吹っ飛ぶ。ミュウは自分に振り下ろされていた平手が止んだのを感じて、恐る恐る顔を上げた。

 

「あ………」

 

 そこに———1人の少年が立っていた。自分の怪我を治してくれて、自分より大人なのにニンジンが嫌いなフードを被った年上の男の子。彼は黒い傘をヒュン、と振り回しながら、その場に立っていた。

 

「あ、あんた、さっきの……!」

「………これはどういう事だ」

 

 ミュウが保安署に預けられた時に手続きをした職員が驚く中、ナグモは低い声を出した。

 

「この海人族をエリセンまで無事送り届ける……それがお前達の仕事だった筈だ」

 

 冷たく、怒りを濃縮した様な声に職員達は一斉に気まずそうに目を逸らした。そんな頼りにならない保安署の職員達にナグモは舌打ちする。

 

「よ……よくも、私を殴ったなあああぁぁああっ!!」

 

 黒傘で殴られたプームが起き上がる。殴られた顔を酷く腫れ上がっていた。

 

「ち、父上にも打たれた事なんて無いのにぃっ! き、貴族である私に手を上げたらどうなるか分かっているんだろうなぁっ!!」

 

 豚の鳴き声の様な甲高い声に、ナグモは顔を顰めた。街中では人間を殺さない様に、と以前にアインズから言い含められていた為に手加減して“黒傘シュラーク”で殴ったが、耳障りな声に殺せば良かったと思っていた。プームは殴られた顔を押さえながら、自分の護衛に振り向いた。

 

「レガニドォォォォッ! こいつを殺せ! こいつは私に暴行を働いたっ! 嬲り殺しにしろおおおっ!!」

「はいよ、坊っちゃん」

 

 護衛の男———レガニドは大剣を抜きながら、前に出る。ナグモはミュウを庇う様に前に出た。

 

「たかが海人族の為に馬鹿な事をしたな、ガキ。貴族を殴るなんざ、普通の奴には出来ねえ」

 

 馬鹿にした様にナグモを見るレガニドだが、その立ち振る舞いには隙がない。職員達はレガニドを見て思い出した様に囁き出した。

 

「お、おい。あの黒剣……もしかして“暴虐のレガニド”じゃないか?」

「確か最近金ランクに昇格したという話を聞いたが、金次第であんな貴族の護衛までするのかよ?」

 

 ひそひそと聞こえてくる話を総括すると、レガニドは冒険者として最高ランクの実力者の様だ。だが、それを聞いてもナグモに狼狽えた様子は無い。若いくせに肝が据わっている、と思いながらレガニドは話し掛ける。

 

「だがな、勇者というのは早死にするって相場が決まってるんだぜ? 海人族のガキを差し出して坊っちゃんに土下座しな、今なら半殺しで済ませてやる様に話をつけてやるよ」

 

 差し出せ、という言葉にミュウの肩がビクッと震える。ナグモの背に隠れようとして、しかし先程ナグモを怒らせてしまった出来事を思い出した。ミュウは泣きそうな顔になりながら、涙を堪えて俯き———。

 

「助けて欲しいか?」

 

 え? とミュウは声を上げる。ナグモはミュウを振り向かず、背中を見せたまま語り掛けた。

 

「まだ僕に……助けて欲しいか?」

 

 ナグモは静かに聞いた。先程とは違って、拒絶の意思を感じさせない。

 その背中に———ミュウの抑え込んでいた想いが溢れ出す。

 

「……助けて」

 

 ミュウの目から涙がこぼれる。そして、大きな声で想いを口にした。

 

「助けて、お兄ちゃん!!」

 

「———よく言葉にしてくれた。もう大丈夫だ」

 

 ふいにミュウ達の間に第三者の声が入った。ミュウが振り向くと、そこに“鎧のおじちゃん”達の姿があった。

 

「ヴェルヌ、ブランと一緒にミュウの怪我を見てやれ」

「はっ」

「はい!」

 

 ナグモがミュウを抱えて、香織の所へ行く。そしてナグモと入れ替わる様にアインズはレガニドと対峙した。

 

「さて、私の仲間が失礼した様だな。代わりに私が話を聞くとしよう」

「あん? 何だテメェ、あのガキの保護者か……いや、ちょっと待て。漆黒の鎧に、二本のグレートソード……まさか、“漆黒のモモン"か!」

 

 それは冒険者達の中で噂になっている存在だ。彗星の如く現れ、瞬く間に金ランクまで上り詰めた冒険者をレガニドも同業者として知っていた。

 

「レ、レガニド! 何をしている!? さっさと、あのフードのガキを殺せっ!!」

「坊っちゃん、やれと言われればやりますがね……思わぬ大物が出て来やがった。報酬は上乗せさせて貰いますぜ?」

「か、構わん! 私に歯向かうクズは全員殺せええっ!!」

 

 貴族としてのプライドを踏み躙られた事に腹を立て、プームは周りが見えなくなっていた。仮にも保安署の中だというのに殺人の命令をする雇い主にやれやれと肩をすくめながら、レガニドは改めて剣を構える。

 

「というわけだ。アンタには悪いが、雇い主の意向を優先させてもらうぜ」

「……お前は冒険者だろう? あんなクズの言いなりになって働くのか?」

「はっ、冒険者の心得でも説いてくれるのか? あんな一銭にならない物より、俺は落ちてる金貨をキッチリと拾い上げる主義なんでね」

 

 何より、とレガニドは片足を後ろに下げながら地面を踏み締める。

 

「“漆黒のモモン”を仕留めたとなれば、俺の名前は鰻登りだ。そうなったらどれだけの大金が懐に転がり込んでくるか……楽しみで堪んねえなあああああっ!!」

 

 レガニドは大剣を大上段に構え、距離を詰めた。その速さは冒険者最高峰の金ランクなだけあって、トータスの人間からすればレガニドの姿が一瞬消えた様に見えただろう。

 “漆黒のモモン”が数々の武勇伝を持つ事は知っている。だが、今は自分も彼と同じ金ランクだ。実力的にはそう差がある筈は無い。そう思いながら、レガニドは慢心する事なく自分が出せる最高の一撃をモモンに振るった。

 

「“剛砕剣”!!」

 

 気力と魔力を瞬間的に解放し、レガニドの剣の威力が三倍以上に高まる。その一撃を受けて今まで無事に済んだ者はおらず、受け止めようとした者は盾や鎧ごと粉砕されてきた。

 鋭敏化された感覚の中、レガニドは“漆黒のモモン”が自分の剣を避ける素振りがない事を見て口元を吊り上がらせる。自分の剣がモモンの兜を唐竹割りにし、それによって自分が“モモンを倒した者”として有名になる未来に胸を躍らせ———。

 

 ———パシッ。

 

 その瞬間は———永遠に引き延ばされた。

 

「なっ……!?」

「どうした? 随分とゆっくり剣を振っていたな」

 

 レガニドが瞠目する中、アインズは自分に迫っていた剣を片手で掴みながら挑発的な声を出した。アインズのレベルからすれば、レガニドの剣を白刃取りするなど造作もない事だった。

 

「まさかと思うが、今のが全力か? お前は本当に金ランク冒険者か?」

「くっ、この! 離しやがれ!」

 

 レガニドはアインズに掴まれた手を振り解こうと剣に力を込める。だが、剣はまるでアインズの手に接着剤でつけられた様にビクともせず、苦し紛れに足蹴りを喰らわせたものの、アインズの身体は山の様に身動ぎもしなかった。

 

「一つ言っておこう」

 

 空いている手をグッとアインズは握り締める。

 

「―――お前ごときが冒険者を名乗るな」

 

 握り締めた拳がレガニドの腹を直撃した。

 

「ブッ————!?」

 

 レガニドの手が剣から離れ、殴られた衝撃で吹き飛ぶ。もちろんアインズは手加減している。だが、一撃の下に意識を刈り取られたレガニドは、壁まで吹き飛んだ後に地面にベシャッと潰れた。

 

「ひ、ひぃいいいいっ!?」

 

 自分の護衛が呆気なくノックアウトされた事にプームはガタガタと震える。だが、それには目をくれずにアインズはナグモ達へ振り向いた。

 

「大丈夫? ミュウちゃん、もう痛い所ない?」

「う、うん……ありがとうなの、お姉ちゃん」

「……よく頑張った。良い子、良い子」

 

 香織が治癒魔法をかけて傷を癒やしており、ミュウは香織を恐々と見ながらもお礼を言う。そんなミュウを抱き締め、ユエは頭を撫でていた。

 

「こ………これは重罪だぞ!!」

 

 暖かな空気に水を差す様に、プームが顔を真っ赤にして立ち上がりながら言い放つ。

 

「き、貴族である私に歯向かったんだ! お、お前達は父上に言いつけて全員縛り首にしてやる!!」

「……もういっそ絵にしたいくらいの悪役貴族だな」

「ア……モモンさ——ん、このブタを屠殺しても宜しいでしょうか?」

「か、覚悟しろ! お前達が、金ランク冒険者だろうが関係ないっ! 貴族である私が一言言えば、冒険者ギルドから討伐隊が出るからなっ!!」

 

「———へぇ、知らなかったねえ。いつから冒険者ギルドは貴族達の私兵になったんだい?」

 

 アインズが呆れ果てた様子で溜息を吐き、ナグモが冷え切った目で睨んでいたその時だった。喚き散らすプームに冷ややかな声が浴びせられた。アインズ達が振り向くと、保安署の入り口の扉に二人の人影が立っていた。

 一人は恰幅の良い中年の女性だ。しかし、年齢による身体の弛みを感じさせず、立っている姿も正中線に揺らぎが見えない綺麗な姿勢だった。

 そしてもう一人が………。

 

「あれ……ひょっとしてクリスタベルさん?」

「あら〜ん、ブランちゃんじゃない❤︎ 久しぶりね〜ん!」

 

 化け物がいた。いや、この表現は失礼だろう。

 しかし、身長二メートル強、動く度に全身の筋肉が脈打っている様な錯覚をするマッチョ、禿頭の天辺からちょこんとした三つ編みの髪が垂れた男……? の姿に、アインズは思わず精神の沈静化が働いた。

 

(え……何コイツ。香織の知り合いなのか……?)

 

 喋り方といい、雰囲気といい、頭の中でアインズはニューロニストを思い出していた。それこそナザリックでニューロニストを見慣れていなければ、アインズはこのオネエ系マッチョにいらぬ事を言っただろう。しかし、アインズの様に見慣れていない者がそれを口走った。

 

「な………なんだっ、この気色悪い化け物は!?」

 

「だぁ〜れが、ドラゴンも裸足で逃げ出す様な不気味で正気が失われる化け物だゴルァァァァァァッ!!」

 

 瞬間———クリスタベルと呼ばれたマッチョの姿が消えた。豪腕のラリアットが唸り、プームは「プギャ!?」という声を上げて吹き飛ばされる。倒れたレガニドの上に落ち、二人仲良く地面にのびていた。

 

(は……はぁ!? 何だ今の! アイツ、メッチャ強くね!? まさかこの世界のまだ見ぬ強者だったのか!)

 

 漢女(おとめ)の怒りのパワーを目の当たりにしたアインズが瞠目していると、クリスタベルは意識を失ったプーム達に近寄る。

 

「キャサリ〜ン。この子達、アタシが預かって良いかしらん?」

「色々と事情聴取しなきゃいけないんだけどね……まあ、良いよ。この保安署の職員じゃ、ソイツらに対処し切れないだろうからね」

「あら〜ん、酷い事なんてしないわよん。ちゃ〜んと女の子に優しく出来る様に教育するだけよん❤︎」

 

 バチンッとウインクをして、クリスタベルはプームとレガニドを片手ずつヒョイッと抱える。そして呆気に取られる保安署の職員達を余所に、保安署から出てしまった。

 

「さて……何やら騒がしかったから来たけど、こんな所で思わぬ再会を果たすとはねえ」

「む? すまないが、何処かで………いや、確かブルックで会ったか?」

 

 一瞬、首を傾げたアインズだが、目の前の女性に見覚えがある事に気付いた。

 

「そ。ブルックの冒険者ギルドにいたキャサリンだよ。久しぶりだねえ、あんた達」

 

 それはかつて“冒険者モモン”達の冒険者登録を行った、ギルドの職員———キャサリンだった。

 

 




 珍しく平和に終わったなぁ……自分もびっくりだよ(笑)

>プーム

 地味に原作より爵位が上がってますが、これはデミウルゴスの裏工作で王国の腐敗が進んだ結果、有能な貴族は投獄される等でポストが空いた為だと思って下さい。因みにレガニドも原作より冒険者ランクが上がりましたが、次回あたりに詳しく説明します。

>クリスタベル

 本来は再登場の予定が無かったのだけど、書いている内にあれよあれよと再登場させる展開になりました。
 原作なら彼女(?)の弟子となる筈だった“閃刃のアベル”が序盤でデスナイトにされちゃったし、代わりの弟子を用意してあげようと私なりに心遣い致しました。
 そんなわけで皆様も祝ってあげて下さい———新たな漢女となるプームベルとレガニドベルの門出を。


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第百三十四話「冒険者ギルドの会議」

 今回、トータスの冒険者ギルドの設定についてはオーバーロードの冒険者設定や田吾作Bが現れたさんが考えてくれたアイディアを使いました。田吾作Bが現れたさんにこの場を借りてお礼を申し上げます。


(ど……どうしてこうなった……?)

 

 アインズは鎧の中の身体をカチンコチンに固まらせながら椅子に座っていた。周りにはコの字形に置かれたテーブルがあり、何人もの人間が席についていた。その中で中央に座っているキャサリンがアインズに話し掛ける。

 

「まずは急な申し出に応じてくれた事にお礼を言うよ。冒険者モモン殿」

「いえ、構いません。こちらこそ、先程は保安署に話を通していただき、ありがとうございました」

 

 アインズはこればかりは本心で頭を下げた。

 あの後、キャサリンが保安署の署長に掛け合い、ナグモが貴族(プーム)に暴力を振るった事を『子供を助ける為の緊急措置』として不問にして貰ったのだ。保安署の署長はキャサリンと知り合いらしく、今回の職員達の体たらくをキャサリンが指摘すると真っ青な顔で何度も頭を下げていた。

 

(ていうか……現実で例えると警察署の署長がペコペコするって。何者なんだよ、このおばちゃん)

 

 そしてナグモの件の話を片付けた後、キャサリンはアインズに「自分がこれから出席する会合に参加して欲しい」と言ってきたのだ。さすがにここまでやって貰って知らん顔というわけにもいかないので、ミュウの面倒を見る為にナグモ達には別室で待機してもらい、現在に至るというわけだ。

 

「キャサリン先生。ひょっとして、その人が……?」

「ああ。皆、名前ぐらいは知ってるね? 彼がギルド史上最速で金ランクに駆け上がった“漆黒のモモン”殿だよ」

「なんと………」

 

 キャサリンの紹介に金髪をオールバックにした三十代後半の男が瞠目する。周りの人間もヒソヒソと話し出すが、その視線に悪意の類いは感じられない。テレビの中の有名人に会えた様な珍しい物を見る目がほとんどだ。

 

(うう、気不味い………こいつら、俺に何の用があるんだ? なんか会社の重役会議なのに、平社員が呼び出されたみたいで落ち着かないんだけど)

 

 元・サラリーマンの視点から、ついそんな事をアインズは考えていた。よくよく見れば、周りを取り囲んでいる人間達は上司にこき使われる平社員の様な雰囲気はない。どちらかというと、彼等は使う方———現場叩き上げのリーダーの様なオーラをアインズは感じていた。

 

「さて、モモン殿の事は皆知っている様だから自己紹介は省かせて貰って、私達の紹介をしようか。ここにいるのは各町に派遣されている冒険者ギルドの支部長達さ……あたしは違うけどね」

「何を言いますか。我々は先生に御指導頂いた生徒達ですよ。先生がいなければ、今の私はいませんでした」

 

 金髪オールバックの男の発言に周りの者達も深く頷く。どうやら、このキャサリンという女性はアインズが思っていた以上に大物の様だ。

 

「それに冒険者ギルドだけに留まりません。当時の王都で先生の名前を知らない者はおらず、今の行政組織にも先生の教え子は沢山います」

「ありがとう、イルワ。といっても、今は引退してギルド運営の裏方に徹していたんだけどねえ」

「失礼。私が初めて会った時、確か受付嬢をやっていたと思うが……」

「ああ、あれは趣味だよ」

 

 あっさりと言われ、アインズは「さいですか……」と心の中で呟いた。

 

「それで冒険者ギルドの上層部にあたる方達が、一介の冒険者に過ぎない私に何か御用なのでしょうか?」

 

 アインズは元の世界で社外の相手に接する様に聞くと、何故かキャサリン達は驚いた表情になった。一同を代表する様に金髪の男(イルワ)が口を開く。

 

「その………モモン殿は随分と謙虚なのだな。冒険者達のほとんどは、ランクが上がると態度も大きくなる者が多いというのに」

 

 はぁ、とアインズはよく分からずに返事をする。魔物の脅威が常に隣り合わせのトータスにおいて、命の危険を顧みずに魔物と戦う冒険者は周りからの称賛を得られやすい。その過程で自尊心を肥大させ、相手に対して横柄な態度になる冒険者が多いのだが、元・営業マンだったアインズには初対面の相手にそんな態度で接するという発想も無かった。しかし、それがギルドの支部長達には『最上位冒険者でありながら、相手への礼儀を損なわない人物』という様に見えたようだ。彼等がアインズに向ける視線は先程より好意的になっていた。

 

「まだモモン殿の様な冒険者だっている……それが分かっただけでも十分だけど、本題に入ろうか。モモン殿も是非聞いていっておくれよ。あんたにも無関係というわけじゃないからさ」

 

 キャサリンの一言で支部長達の顔が引き締まる。アインズも失礼がない様に、と椅子に座り直した。

 

「各街の支部長達には周知の事実だろうけど、モモン殿もいる事だから現状を振り返ろうか……今、冒険者ギルドは経営危機に陥りつつある。それに伴って冒険者達もギルドから離れて、ギルド規定に違反した仕事に手を染める者も出てきた。つい先程も、“暴虐のレガニド”がギルドを通さずにミン家の護衛をやっていたくらいだからね。しかも違法な海人族の奴隷を見ても、金銭を優先して知らん顔していた」

 

 え? そうだったの? とアインズは驚くものの、鎧の中でポーカーフェイスを保っていた。しかし、イルワを始めとした支部長達は事態を重く受け止めたようで渋面を作っていた。

 

「レガニドめ……あんな奴を金ランクに格上げしたのが間違いだったんだ」

「しかしだな、金ランク冒険者の人数が減る事はギルドの人材不足を周知する様なものだ。今となっては、彼のように問題ある人間でもランク上げしなくてはならないのだよ。金ランク候補となる筈だった“閃刃のアベル”も、消息が分からなくなって随分経つしな……」

「ミン子爵も、ミン子爵だ! 確かにギルドは貴族達から活動資金を援助して貰っているが、ギルドを通さない勝手な依頼を冒険者にされては困る!」

「だがな……今回の件はレガニドやミン子爵に問題があるとしても、ギルド側も冒険者達に依頼任務(クエスト)に見合った報酬を支払えてない事には変わりないぞ。今後はレガニドの様に、ギルドから小銭を貰うよりは……と考える冒険者達がもっと増えるかもしれない」

 

 真剣な顔で議論を始めるギルドの支部長達。それを見てアインズは内心では恐る恐る、外見では堂々と質問した。

 

「素人質問で申し訳ないが………要するに冒険者ギルドは人材不足と資金不足に陥っているのでしょうか? どうしてそんな事に?」

「それは………」

「それもこれも全部、教会や勇者のせいだっ!!」

 

 イルワが言葉に詰まる中、頬に大きな古傷がある歴戦の傭兵のような男がドンッとテーブルに握り拳を振り下ろした。

 

「エイモス、落ち着け!」

「でもよ、あいつらが魔物討伐を横取りしたから多くの冒険者達の稼ぎ口が無くなっちまったんだ! 奴等の雑な後始末で魔物が異常発生した所もあるけどよ、聖戦遠征軍で国の予算も削られたってのにどうやって冒険者達に報酬を払えってんだ!」

「エイモス!!」

 

 キャサリンの一喝に、エイモスと呼ばれた支部長はシュンとなる。

 

「す、すまねえ、キャサリン先生。つい熱くなっちまった……」

「まったく……すぐカッとなる癖は直せと言ったろうに。すまないね、モモン殿。身内の恥ずかしい所を見せたね」

「ああ、いや……気にしてないが……」

「まあ、大体はエイモスの言った通りだよ。魔物退治は本来はギルドの専売特許だったのだけど、教会に仕事を奪われた形になってね……オマケに国から割り当てられていた予算も削られたものだから、ギルドの経営は本当に火の車なんだよ。現にホルアドを始めとした幾つかの支部を閉める羽目になったしね……」

 

 通常、冒険者ギルドの活動資金には国からの予算や貴族達の支援金が出されている。とはいえ、それだけでは賄い切れないので魔物を倒した際に得られる遺留品(ドロップ・アイテム)———魔石や魔物の爪、牙、毛皮といった物を商人ギルドに卸し、それで運営を成り立たせていた。

 ところが、異世界から“神の使徒”達が召喚されて———より正確に言うと彼等が聖教教会主導の魔物退治の遠征を初めてから、状況がおかしくなり出していた。

 冒険者ギルドへの依頼として出された魔物退治を教会が強引に横取りした事で冒険者達は仕事が無くなり、ギルドも魔物の遺留品を商人ギルドへ納入する量がグンと減っていた。光輝達の雑な後始末のお陰で別の魔物が大量発生したケースもあるが、その魔物は魔石以外は素材に使える部位がほぼ無いなどと却って被害が大きいくらいだ。何よりその大量発生した魔物を退治した時の報酬金はギルドの方で全額用意しなくてはならず、結局ギルドの金庫が目減りする結果となったのだ。

 

 そしてトドメを刺すかの様に聖戦遠征軍の結成が宣言された。

 聖戦遠征軍の軍資金の為にそれ以外の国家予算は削られ、貴族達は“光の戦士団”に与しようとこぞって賄賂を送った結果、国や貴族から支払われていた冒険者ギルドへの支援金は激減した。そしてギルドは依頼が来ても冒険者達に満足な報酬額を提示出来なくなり、結果として多くの冒険者達がギルドから離れてしまった。

 とはいえ、今まで冒険者として生きてきた者が別の仕事を見つけるなど簡単な話ではない。今さら故郷に戻った所で、余計な食い扶持が増えたと歓迎されない者が大半だろう。その為に盗賊に身を窶す者、ギルドが今まで仲介しなかった違法な仕事に手を染める者などが続出したのだ。この事態にギルド側も苦肉の策として本来なら厳格な審査が行われる冒険者ランクの格上げの条件を緩めるなどして冒険者達を引き止める行動を起こしたが、その結果としてレガニドの様に実力も品性も伴わない者が幅を利かせる事態を招いてしまっていた。

 

「最近になって以前から裏社会に通じてると睨んでいたフリートホーフが急激に力をつけたものだから、奴等の構成員に鞍替えする冒険者達も増えたもんでね………引退したクリスタベルにも声を掛けなきゃならないくらい、今の冒険者ギルドは人材も何もかも不足してるんだよ」

「………それで、私にどうしろと? 貴方達の事情は分かったが、私にどうこう出来る話では無いと思うのだが」

 

 キャサリンの話が終わって、アインズは訝しげな声を出した。冒険者ギルドの逼迫した状況は分かったが、それが自分にどう関係するのか全く分からなかった。

 

(冒険者を辞めないでくれって話なら、別に辞める理由は無いと言えば済むけど………まさか経営のアドバイスが欲しいとか言わないよな? 無理だぞ。俺はただのサラリーマンで、ビジネスマンじゃないからな!)

 

 どこぞの幼女軍人の様なエリートサラリーマンなどではなく、ユグドラシルの課金の為に日々の労働をやっているしがない営業マン。それが鈴木悟なのだ。そんな自分が冒険者ギルドの経営について聞かれた所で、満足な答えが返せるとは全く思っていない。

 

「いやね、本来は今回の緊急ギルド会議で議題に上げようと思っていたのだけど………まさかこんな所で本人に会えたのは、天の思し召しというやつかねえ」

 

 含みのある言い方にアインズが疑問符を浮かべる中、キャサリンは手を組み直す。

 

「モモン殿……あんた、魔導国について詳しいよね?」

「……………それが何か?」

 

 自分の正体が看破された可能性が頭に浮かび、つい硬い声が出てしまっていた。冒険者モモンと魔導王アインズ・ウール・ゴウンが同一人物だとバレるのは、今後の行動に支障をきたす。一瞬、魔導国など知らないと言い張ろうとも思ったが、アンカジ公国でモモンの姿で魔導国の宣伝をした事を思い出した。ここでシラを切るのは発言に矛盾が生じてしまう。キャサリン達の口を永遠に封じる事も考慮しながら身構えていると、キャサリンは苦笑しながら手を振った。

 

「そう恐い声を出さないでおくれ。ギルドとして冒険者がどこの国に出入りしてようが咎めるつもりなんてないよ。国境を跨いでの依頼任務なんて珍しくもないからね。あたし達が聞きたいのは………噂の魔導王がどんな奴か、という話さ」

 

 キャサリンの発言に周りがザワつき出した。

 

「先生、それは————」

「イルワ、あたし達は冒険者ギルドだ。まず最初にギルドに所属している冒険者達の事を考えないといけない」

 

 ハイリヒ王国でも魔導国が魔人族達を打ち破った話は既に伝わっている。だが、それに対して聖教教会は悪意のある噂を流していた。

 

 曰く、魔導王は殺戮を楽しみたいから魔人族達を皆殺しにした。

 曰く、魔導国の傘下は人間族がひたすらに虐げられる地獄の様な国だ。

 曰く、曰く———。

 

 今まで教会はエヒト神が異世界より遣わした“神の使徒”達こそが魔人族から我々を救うのだ、と説いてきた。だが、その魔人族を教会とは何も関係ない魔導国が倒した事で国民の教会への不信感は高まっており、失われた信用を取り戻そうと躍起になって魔導国に対するネガティヴキャンペーンを行っていたのだ。

 

「教会の言い分じゃ、魔導国は人間にとって地獄だと言うけどね……そもそも冒険者達やギルドを真っ先に見捨てた王国や貴族達の後ろ盾が言ってる事なんて、もうあたし達には何の説得力も無いんだよ」

 

 イルワを始めとした支部長達はキャサリンの言葉に誰も反論の声を上げなかった。それが彼等の王国や教会に対する考えを何より雄弁に語っていた。

 

「王国や教会があたし達より勇者の方が大事だと言うなら、冒険者ギルドは新しいスポンサーを見つけなくちゃいけない。そこで魔導国に詳しいモモン殿に聞きたいのだけど………魔導国に冒険者の需要はあるのかい?」

 

 どうやらモモンの正体を見抜いたわけではない様で、ひとまずアインズは胸を撫で下ろした。同時にキャサリンの問いに対して、どう答えるべきか全力で考える。しかし、先程から話を聞いていてアインズには気になる点があった。

 

(う〜ん、なんかこう聞いているとトータスの冒険者は魔物ハンターみたいなイメージだよな……冒険者ってさ、もっとこう、ユグドラシルみたいに未知を求めて旅する様な……うん? 夢や未知を求めて旅する……待てよ、それなら………)

 

 ふとアインズの脳裏に閃くものがあった。その考えを具体的に纏めようとしていると、沈黙してしまったアインズにキャサリン達が怪訝な顔を向けていた。

 

「モモン殿?」

「ん? ああ、すまない。どう答えるべきか、少し迷っていた」

 

 もっと自分のアイディアを詰めていきたかったが、今はキャサリン達への対応を優先する事にした。

 

「そうだな………まず、魔導王は教会が喧伝している様な存在ではないと言っておこう」

 

 これは本当だろう。少なくともアインズは人間達を殺して楽しいなどと思っていない。目的の為に殺す必要があった、というぐらいの認識しか無いのだ。

 

「次に魔導国はそんな酷い国では無かったぞ? 私の言葉を疑うなら、そうだな………確かアンカジ公国が使節団を派遣したと聞くから、アンカジ公国にも問い合わせてみるといい」

「ふむ………いや、モモン殿の言葉を疑いはしないよ。むしろ、信じられないのは教会や勇者の方さ」

 

 なんか勇者はトータスの人達から嫌われ過ぎじゃないか? とアインズは思う。エヒトルジュエと並んで目下の敵である勇者達に味方する者が少ないのは自分達にとって都合は良いのだが。

 

「まあ、ともかく………君達の予想通り、確かに私には魔導国に独自の伝手がある。かの魔導王には私から一筆したためてみよう。キャサリン殿達はいつまでこちらにいられるのだ?」

「うん? まあ、他にも議題はあるからね。あと三日くらいはこの街にいるだろうね」

「ほう、三日………ふむ」

「まあ、もしも魔導国と連絡がついたら、ブルックの冒険者ギルドにでも顔を出しておくれよ」

 

 キャサリンはそこまで早く返事が来るとは思ってないのか、気軽な様子でそう伝えた。

 

「………まあ、出来る限りあちらに早く対応して貰える様に手紙には書いておくさ。ところで、この件に対する礼として物は相談なんだが………あの海人族の子供についてお願いしたい事がある」

 

 アインズの申し出にキャサリンは少し驚いた顔をした。




>冒険者ギルド

 元々は村や街を魔物の被害から守る自警団が原型である。軍の到着が間に合わない、あるいは派遣が難しい地域へ魔物を倒せる力を持った人間を送り込める様に組織化していく内に今の形となった。基本理念は「魔物の脅威から人々を守ること」とされている。ただし、設立から長い年月を経てほとんどの冒険者達の中ではその理念は形骸化しており、レガニドの様に金や名誉を第一とする者も少なくない。魔物を倒しに遠方まで派遣される関係で旅人生活になる事から、国家への帰属意識はあまり無い者が多い。

 魔物退治は普通の軍隊と違って多種多様な知識が必要となる。それは長年の経験則でなければ培われない為、人材損失を避ける意味合いで冒険者は人間同士の戦争には基本的に参加しないという不文律がある。(つい最近までの魔人族との戦争は、魔人族が魔物を引き連れている事から一応例外とされていた)

 光輝達が遠征を始めた事で冒険者達は仕事を奪われた形となり、さらには聖戦遠征軍の資金の為に冒険者ギルドに割り当てられていた予算を削られた事で現在は苦境に陥っている。

 運営資金が減る→魔物を倒しても満足な懸賞金が出せない→冒険者達がギルドを離れる→今まで受注していたクエストをこなせる者がいなくなる→ギルドの収入源が減る→運営資金が更に減る……という負の連鎖を招いてしまった。

 それをどうにかしようとギルドも現在残っている冒険者達にランク上げをして待遇改善しようとしたり、クリスタベルの様な引退した冒険者に復帰してもらう様に願い出るなどしているものの、焼け石に水というのが現状である。なお、ギルドから抜け出た冒険者達は技能を買われてとある違法組織に鞍替えしている者もいる。

 余談ではあるが、魔物退治の主な収入源である魔石は一時は高騰していたものの、チャン・クラルス商会から安価で良質な魔石が供給された事で値崩れを起こしてしまった。お陰で冒険者からすれば魔石は「魔物を倒して苦労して取っても二足三文で買い叩かれる物」に成り下がってしまったのだとか。これにより、さらに冒険者ギルドは経営が苦しくなってしまった。
 冒険者ギルド……というより、ハイリヒ王国の経済に大打撃を与える形となっているが、この策略の裏にはとある地下大墳墓の悪魔がいるとか。


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第百三十五話「サブクエスト発生」

 や〜っとティアキンをクリアしました。ジャスト回避が下手くそな人なので、ガノンドロフを壁際に追い詰めて回復しながら剣を振り回して倒した脳筋プレイでした。さて、これで心置きなく地底探索に打ち込める。
 とりあえず、マリオRPGリメイクが出る前にクリア出来て良かったよ……絶対にマリオRPGに夢中になってゼルダを放置すると思うから(笑)


「あら〜ん、とっても可愛くなったわよん❤︎」

 

 アインズがキャサリン達と会談している頃、別室でナグモ達はミュウとクリスタベルと共にいた。

 

「わぁ、ミュウちゃん可愛い!」

「……ん、将来は美人さんになる。間違いない」

 

 大きめなフリル襟、カジュアルながらもシャツワンピの様な前開きディテールの子供用ワンピースを着たミュウを見て、香織とユエは目を輝かせた。ミュウが着ていた奴隷服を見て思う所があったのか、クリスタベルが無償で新しい衣服を揃えてくれると申し出てきたのだ。

 

「クリスタベルお姉ちゃん……本当にこのお洋服、貰っていいの?」

「もちろんよん! 私が腕によりをかけて作ったお洋服は、ミュウちゃんみたいな食べちゃいたいくらい可愛い子の為にあるんだからん❤︎」

 

 身長二メートルを超える筋肉マッチョが幼女に言うと洒落にならないのだが、ミュウはクリスタベルから貰った新しい服に笑顔を見せていた。

 

「このお帽子も素敵なの! ありがとうなの、クリスタベルお姉ちゃん!」

「もうこの子ったら……本当に良い子なんだからん❤︎」

 

 リボンのついた麦わら帽子———耳のヒレが隠れるくらい鍔の大きい———を嬉しそうに被るミュウの姿に筋肉をクネクネさせていたクリスタベルだが、唐突に顔を曇らせた。

 

「……御免なさいね。今の王国はあまり良い国じゃないの。その帽子を被っていれば、周りにあなたが海人族だとバレないわ」

 

 今のハイリヒ王国は内乱が起き始めた事もあって治安は悪化している。ミュウが海人族の子供だと分かったらプームの様なよからぬ輩を引き寄せる事を危惧して、変装の意味も込めてクリスタベルは新しい服を用意したのだ。

 

「あなたを虐めていた子達の事は心配しなくていいわよん。私がたっぷりと漢女(オトメ)の素晴らしさを叩き込んで矯正(去勢)しとくからん❤︎」

 

 発音が若干おかしい単語があった気がしたが、香織達はスルーする事にした。新しい服に着替えたミュウはトテトテとナグモに近寄る。

 

「お兄ちゃん。ミュウ、似合ってる?」

 

 それまで我関せずとナグモは興味無さそうな態度をしていた。しかし、女性陣(約一名は漢女)が無言でナグモを見つめて圧力を掛ける。その視線を煩わしく思い、上目遣いに見てくるミュウへ言って欲しいだろう言葉を口にした。

 

「……いいんじゃないか?」

 

 どうでも、という言葉はつけないでおいた。しかし、ミュウには効果覿面だった様だ。

 

「えへへ、ありがとうなの! お兄ちゃんに褒められたの!」

 

 ミュウはくるくると踊る様にステップする。何がそんなに嬉しいのか? と訝しげになるナグモを見ながら、クリスタベル達は溜息は吐いた。

 

「もう……女心が分かってない子ねえん? 女の子がわざわざ新しい服を男の子に見せに来たのだから、もっと褒めてあげなきゃ❤︎」

「ええと、ナ……ヴェルヌくんにも良い所は沢山あるよ! ただちょっと、ほとんどの人間に興味が無くて人の心に対して無頓着というか………」

「………ブラン。それ、フォローになってない」

「あらぁ、そうなの? お姉さんが付きっきりで漢女(オトメ)ゴコロを教えてあげたいのだけど、先に指導しなきゃいけない子がいるのよねえ」

 

 クリスタベルは残念そうな顔になりながら、ミュウの洋服製作に使っていた裁縫道具を片付けていく。

 

「それじゃ、私はここら辺でお暇するわん❤︎ しばらくは冒険者活動でお店を閉めちゃってるけど、ブルックに来たら遊びに来てねえん❤︎」

「はい、ありがとうございました! クリスタベルさん」

 

 香織が礼を言って見送り、室内にはナグモ達三人とミュウだけになった。賑やかだったクリスタベルがいなくなった途端、部屋がとても静かになる。その中でミュウはどこかオドオドとしながらナグモに聞いた。

 

「お兄ちゃん……ミュウ、またどこかに預けられるの?」

「それは………」

「あのね………ミュウ、お兄ちゃんに言いたい事があるの」

 

 口篭るナグモに対して———ミュウは何故か頭を下げた。

 

「ごめんなさい………」

「………何故、頭を下げるか分からない」

「ミュウがワガママを言ったの、ごめんなさいって言おうと思ってたの。だから………ユエお姉ちゃんと仲直りして」

 

 ミュウくらいの年齢なら、まだ親に甘えたい年頃だ。自分の要求を周りの大人達に素直に伝えてもおかしくないだろう。

 ところがミュウが生まれる前に父親が亡くなり、母親が女手一つで家事や育児、そして仕事までこなしている姿をずっと見てきていた。その為に物心ついた時には母親に余計な心労は掛けまいと、欲しい物があっても我慢したり、遠慮したりするという大人びた感情を同年代の子供達より早く身につけていた。

 さらには奴隷生活で常に主人の顔色を伺わなくてはいけなかった経験から、周りの大人達の反応を見て自分を抑える年齢不相応の気遣いが出来る子供となってしまっていたのだ。

 

「………っ」

 

 ナグモは何故かそれが気に入らなかった。それ以前に、今回に限ってはミュウに落ち度は無いのに、歳下の少女に頭を下げさせている自分が酷くみっともなく思えた。

 

「お前が謝る必要なんてない。その……今回においては、僕が浅薄過ぎたというか……判断を誤っていた事には違いないというか……」

「ヴェルヌくん……難しく言っても、ミュウちゃんに伝わらないと思うよ?」

 

 気不味そうにゴニョゴニョと言葉を重ねるナグモに、香織は少し苦笑した。事実、ミュウはキョトンとした顔になった。

 

「えっと………ユエお姉ちゃんと仲直りできたの?」

「いや………」

「あのね、喧嘩をしちゃったら、ごめんなさいって言えばいいと思うの。ミュウもね、お友達と喧嘩したらちゃんと謝りなさいってママに教わったの」

 

 口篭ったナグモを見て、ミュウはまだユエと喧嘩をしていると思ったのだろう。あくまで自分がいつもやっている仲直りの方法を話しているだけだ。ナグモは自分より小さな女の子から忠告される事に屈辱的な気分になったが、ここで忠告を聞かずに無視したりするのはミュウよりも更に幼稚な態度に思えた。

 

「……………さっきは言い過ぎた。謝罪する」

「ん………ミュウもこう言ってる事だし、()()()してもいい」

 

 明らかに無理をしていると分かる表情で謝るナグモに対して、ユエもやれやれという表情で頷いた。

 

「ミュウちゃん、ヴェルヌくんとユエは仲直りしたって。良かったね」

「う、うん………」

 

 香織に話しかけられ、ミュウは何処か硬い表情ながらも小さく頷いた。先程、傷の治療をして貰ったからか、初めて会った時よりはいくらか香織に対しての態度は軟化していた。

 

「それでヴェルヌくん、ミュウちゃんはこれからどうするの? また保安署に預ける?」

「………さすがにあの人間達にもう任せる気は無い。とはいえ、僕達の行動方針はモモンさ……ん次第だ。だから、モモンさんの決定に従う他は———」

「その事なら問題は無いぞ」

 

 ナグモの話してる内容を引き継ぐ様にアインズが部屋に入ってくる。その姿を見て、ミュウは声を上げた。

 

「鎧のおじちゃん!」

「おじ………そうだよなぁ、ミュウからしたらおっさんだよなぁ……もう俺も若くはないんだよなぁ………そっかぁ………」

 

 何故か草臥れた声を出すアインズをミュウは不思議そうに見つめる。しばらくして、精神の鎮静化が起きたアインズは咳払いをした。

 

「んん、それはさておき……先程、冒険者ギルドと君の今後の扱いについて話してきた」

 

 ミュウが思わずナグモの服の裾をギュッと掴む。ナグモもまた、裁判官から判決を聞く被告人の様に硬い表情になった。

 

「まず、君をエリセンまで送り届けてくれるそうだ。君を奴隷として買った貴族の方は、ギルドを通して正式に抗議するから心配しないで良い。ちょうど明日、商業ギルドの隊商が出る。キャサリン達にも信用されている商人達だから人柄は大丈夫だ」

「……お兄ちゃん達とは、やっぱりお別れなの?」

 

 ミュウが寂しそうな顔でナグモを見る。ナグモは努めてミュウを見ない様にしながら、視線を落として頷いた。

 

「………分かりました。モモンさ……んの決定に従います」

「ふむ………私の決定に従う、確かにそう言ったな?」

 

 アインズは何故か面白そうな声を出した。ナグモ個人の心情などより、ナザリックのシモベとしてアインズの決定が優先されるのは当然の事の筈だ。どうして今更そんな当たり前の事を……と思っていると、アインズは悪戯を思い付いた少年の様に楽しげな声を鎧の奥から響かせる。

 

「実はな……最近、王国の内乱やら何やらで街道の治安も悪化しているそうだ。隊商としても護衛の冒険者を雇いたいそうだが、生憎と冒険者ギルドには人手が足りてないらしい」

 

 え? とナグモは顔を上げる。そこにアインズはさらに畳み掛ける様に言葉を重ねた。

 

「そんなわけで冒険者ギルドから隊商の護衛任務を“モモン達”に依頼したい、という話をされたのだ。そして……私はギルド所属の冒険者として、それを受諾した」

「それって……!」

「し……しかし、モモンさ……ん! 僕達には、その……先を急ぐ理由が!」

 

 香織が顔を輝かせる中、ナグモは驚愕しながらも反論しようとする。

 

「どのみちエリセンには行く予定があっただろう? 目的地が同じなら、サブクエストもついでにこなすのは基本……コホン。とにかく私は冒険者をやる上で、ギルドからの依頼を受けると決定した。私の決定には従うのだろう?」

「……言いましたね。さっき、はっきりと」

 

 うぐっ、とナグモは言葉に詰まる。意図に気付いたユエも、アインズに援護射撃をした。

 

「というわけで、しばらくは隊商に厄介になる。だが、彼等にも仕事があるだろう。だから……同乗している子供の世話くらい、買って出るべきだと私は思うがなぁ?」

 

 今や、クックック……と笑い声が聞こえそうな悪い声を響かせるアインズ。至高の御方(絶対の主人)がそう言う以上、ナグモには反論できず、ぐぬぬ……と言いたげな表情になるしかなかった。

 

「おじちゃん……ミュウ、お兄ちゃんと一緒にお家に帰れるの?」

 

 話の流れを読み取り、ミュウは期待する様な表情でアインズを見た。そんなミュウに、アインズは優しい声を出した。

 

「ああ。君が家に帰るまでは、もうしばらく一緒だな」

「……! ありがとうなの、おじちゃん!」

「おじちゃん……もういいや、それで」

 

 アインズが諦観した声を出す中、ミュウは嬉しそうにナグモに抱きついた。

 

「えへへ、お兄ちゃんと一緒! ミュウ、とっても嬉しいの!」

「ええい、分かったから引っ付くな!」

「………いいなぁ」

 

 嫌そうな顔ながらも、()()()振り解かずにいるナグモ。抱きついているミュウを羨ましそうに見ている香織を横目に見ながら、ユエは小声でこっそりとアインズに話しかけた。

 

「………ナグモの為に冒険者ギルドに掛け合ったのですね?」

「ん? いや、ギルドが隊商の護衛を探していたのは本当だ。向こうも俺がいて渡りに船だったみたいだしな」

 

 そうは言うものの、本来なら隊商の護衛程度、金ランクの冒険者に依頼される様な内容では無かっただろう。それでもアインズはナグモの事を思って引き受けたのだ。

 

「彼女はナグモに特に懐いているし、ナグモも何か思う所があるみたいだからな。まあ、ナグモの情操教育の一環になるだろうと思っただけさ」

「……やっぱり、サトル様は優しい人です」

 

 温かな笑みを浮かべるユエにそう言われ、アインズはポリポリと頬をかいた。

 

「ただ、ミュウをエリセンまで送るとしてもそれだけで済むかどうか……ミュウの話からすると、エリセンの領主そのものが人身売買に関与している可能性もあります」

「そうだよなあ……そっちも出来れば何とかしてやりたいが……」

 

 ミュウを無事にエリセンに帰したけどまた何処かに売られてしまいました、ではナグモも安心できないだろう。だからこそ、アインズはミュウを誘拐した連中にも何かしら手を打つべきだろうと考えていた。

 

(そっちは追々考えるしかないか。でも、この事をアルベドやデミウルゴスに相談するのもなぁ………二人ともカルマ値が極悪(マイナス)に振り切れてるからか、人助けをする事に懐疑的だし……)

 

 いつかのフェアベルゲンを助けようとした時の会議を思い出し、アインズは内心で溜息を吐いた。ナザリック最高の頭脳を持つ彼等なら、エリセンの問題をどうにかする方法など瞬時に提案してくれるだろう。しかし、ナザリックと関係ない人間を虫ケラぐらいにしか思っていない彼等を説得する方法などアインズは思い付かなかった。

 

(さっき考えていた内容も、多分政治とかそういうのを知らないと具体的な案に出来なそうだし……ああ、もう。政治とか法律とかさ、もっと俺が気軽に相談できる相手とか何処かにいない……もの、か……)

 

 半ば愚痴の様に考えていたアインズだが、途中で何かに気付いた様に思考を止めた。ユエは自分をマジマジと見つめるアインズに、不思議そうな顔になる。

 

「サトル様……?」

「………なあ、ユエ。ちょっと相談があるのだけど、今晩いいか?」

 

 ***

 

「———さて、皆。他に議論すべき事は無いかい?」

 

 冒険者ギルド長達による会議の締め括りに、キャサリンは周りを見回しながらそう言った。

 新しくランク上げする冒険者の審議、魔物の目撃情報を基にした素材採集のクエスト作成、規定に違反した冒険者に対する処分など……議論すべき事は山ほどあり、会議は数日にも渡っていた。

 これもギルドを運営していく上で重要な事だ。今まで何度となく繰り返されてきた会議ではあるのだが……今回はギルド長達の顔色が優れなかった。

 

(まあ、無理もないね………結局、資金不足という根本的な問題は解決されてないんだからね)

 

 今のギルド長のほとんどが教え子だった事から、彼等の元締め役となったキャサリンはこっそりと溜息を吐く。この会議でも資金不足を理由に、またいくつかの支部の閉鎖が決まった。そこの職員達の再就職先は何とか斡旋できるものの、所属する冒険者達までは手が回らない。またギルドから離れる冒険者が増える事だろう。

 

(もう本気で残る頼りは魔導国くらいしか無いのかもね。と言っても、向こうから本当に色良い返事が来るかどうか………)

 

 噂によると魔導国の王は人ならざる存在らしい。ヘルシャー帝国やアンカジ公国と友好条約を結んでいる事から人間族が交渉する余地はあると睨んだものの、人ならざる者が治める未知の新興国相手に冒険者ギルドが売り込む事が出来るか、キャサリンも全く分からなかった。とはいえ、魔導国に伝手があるというモモンに口利きを依頼したのは数日前だ。向こうから返事が来るとしても、まだまだ先の話だろうとキャサリンは思っていた。

 

「………特に無いみたいだね? じゃあ、皆。数日に渡ってお疲れ様———」

 

 ギルド長達に会議の閉会を告げる挨拶をしようとした矢先だった。会議室のドアがノックされた。

 

「失礼します。あの……まだ会議の途中でしたでしょうか?」

「ドット? いや、いま会議は終わった所だが………何か緊急の用事でもあったか?」

 

 自分の秘書を務める男———ドットの入室に、イルワはキャサリンをチラッと伺う。キャサリンが構わないと首肯すると、ドットはかなり緊張した様子で話し出した。

 

「その………ギルド長達に、魔導国から来たという方が面会したいと訪ねて来ています」

「………何だって?」

 

 キャサリンを始め、ギルド長達がざわざわと話し出す。モモンに依頼したのは数日前だ。いくら何でも早過ぎる。

 

「どう致しますか?」

「いや………面会を求めたのはこちらだよ。むしろ、渡りに船だと思おう」

 

 少し考えて、キャサリンは頷いた。ギルド長達を代表してドットに指示を出す。

 

「すぐに魔導国の使者殿を通して貰えるかい? それと、使者殿はどんな人……いや、相手だったんだい?」

 

 一瞬、どんな人間かと聞こうとしたキャサリンだが、魔導国が人ならざる者が治める国だという噂を思い出して言い方を変えた。相手が亜人族、はたまたそれ以外の種族だとしても目の前で驚くのは失礼になるだろう。

 

「それが……その………」

 

 しかし、何故かドットは言い辛そうに口澱んだ。少ししてから、ようやく意を決した様に口を開いた。

 

「その……聞き間違いでは、と思っているのですが……その使者は、自らを魔導王本人だと自称しております」

 

 今度こそ、キャサリン達は度肝を抜かれてしまった。




>少し大人びてるミュウ

 どうせ自分の文章力じゃ、子供らしいリアルさとか書けないし……メタな理由はともかく、自分の作品ではレミアが苦労しながらも自分を育てる姿を見ているので、ミュウはレミアに負担を掛けない為にも一般的に「いい子」と呼ばれる子であろうとしています。
 これはこれで、ナグモの情操教育にはプラスになると思うんですよね。精神はともかく、歳下の子がちゃんとしてるのに自分が子供っぽい振る舞いはするのはみっともないと彼も学習するから(笑)

>冒険者ギルド長達に面会しに来た者

倒産しかけてる派遣会社「新たな取引先を作りたいのだけどさ、君のコネで何とか口利きして貰えない?」
派遣社員「良いですよ、対応して貰う様に言ってみますから少し待ってて下さいね」

 数日後

大企業のCEO「言われたから来たぞ」

 自分は営業職をやった事ないけど、リアルにこんな事あったら胃痛になると思う………。


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第百三十六話「魔導王の演説」

 今期のアニメは「七つの魔剣が支配する」がオススメです。久しぶりに正統派の異世界ファンタジーを見た気になれました。ナナオとカティ、そしてピートが可愛い(笑)


 キャサリン達は短い話し合いの末、魔導国から来たという魔導王に自分達の会議室まで来て貰う事にした。もしも相手が本当に一国の王ならば、むしろ自分達から参じるのが当然の礼儀だろう。しかし、未だに冒険者ギルド相手に王自らが足を運んで来たという事が信じられず、まだ魔導国の使者を騙る偽者ではないか? という疑念もあった為にキャサリン一人ではなくギルド長全員で面会して見極めようと判断された。

 

 会議で散らかったテーブルの書類などを片付け、出来る限り綺麗にした部屋でキャサリン達が待っているとドアがノックされた。

 

「………魔導王陛下をお連れしました」

「———お通ししておくれ」

 

 緊張で固まったドットの声に、キャサリンも息を吐きながら答えた。念の為に全員が起立して待ち構える中、ドットが観音開きのドアを開ける。

 その途端———何の変哲もないドアが玉座の間の扉になった様な錯覚に陥った。

 開け放たれた扉の先にいたのは、豪奢なローブを身に付けた仮面の人物だった。手には七匹の蛇が絡まり合って黄金と化した様な錫杖を握り、カツン、カツンと音を立てながら会議室に入って来る。その様は多くの相手から傅かれなければ得られない気品で満ち溢れており、まさに支配者のオーラと呼ぶべき物をキャサリン達は感じていた。衝撃を受けて呆けた様に黙っていると、仮面の人物は軽く頭を下げた。

 

「まずは急な来訪にも関わらず、応じてくれた事に感謝する」

「……! いえ、此方の方こそ魔導国より遥々御足労頂き、ありがとうございます」

 

 素早く意識を回復させたキャサリンが頭を下げると、ギルド長達も慌てて頭を下げる。彼等の中で最早この人物が偽者ではないか、という意識など無かった。キャサリン達を見て仮面の人物は鷹揚に頷いた。

 

「楽にして貰いたい。今日、私は君達を平伏させる為にここに来たわけではない」

「ドット、魔導王———陛下に椅子を。それと最高級の茶葉を用意をしておくれ」

「は、はいっ!」

「ああ、待って欲しい。椅子はともかく、茶菓子の類いは不要だ」

 

 キャサリンの指示に動こうとするドットを仮面の人物はやんわりと止めた。

 

「そもそも———この様に飲食が出来ない身なのでな」

 

 ゆっくりと仮面に手をかけ、そこから骨だけの顔———アンデッドの素顔が顕になった。

 

「ア……アンデッド!?」

「お止めっ!!」

 

 冒険者経験のあるギルド長達の何人かが護身用の武器を抜き掛けたのをキャサリンは制した。

 

「申し訳ない。彼等は陛下の素顔に驚いただけなので、どうかお許し頂きたい」

「構わないさ。君達にとって、アンデッドは本来なら退治するべき魔物だろう。だが、これで私が本物の魔導王だと理解できたのではないかね? 私の様に人語を話すアンデッドなど他にいないだろう」

 

 謝罪の為に深々と頭を下げるキャサリンに対して、アインズは然程気にしてない様に応じた。ここに至って、キャサリン達はようやく目の前の人物が噂の魔導王そのものだと確信した。

 

(アンカジ公国の調査結果は聞いた時は眉唾だと思ったけど、本当にアンデッドだったとはね……それにしても噂を聞くのと実際に目にするのとでは全然違う)

 

 アンデッドとはいえ一国の王であるというのにキャサリン達に丁寧な対応を崩さない魔導王の姿を目の当たりにして、聖教教会が如何に悪質なデマを流しているか垣間見えた気がした。

 その後、ドットが持って来た椅子に腰掛けて貰い、魔導王からも着席の許可をもらってキャサリン達は会議のテーブルを囲んだ。

 

「改めて自己紹介しよう。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の国王、アインズ・ウール・ゴウン。モモンからの言伝により、此度は冒険者ギルドの交渉に来た」

「魔導王陛下、失礼ながらお聞かせ願います。確かに我々はモモン殿に魔導国と話し合いの場を設けて欲しいと依頼しましたが、その……いくら何でも早過ぎるのでは? モモン殿が早馬を飛ばしてくれたのでしょうか?」

 

 そうは言ったものの、イルワ自身が自分の考えに納得がいってない様だ。今いる都市から魔導国の距離を考えると早馬でも数日で連絡がいくとは思えないし、第一、そのモモンが数日前に隊商の護衛に出たばかりだ。訝しむイルワに対して頷くと、魔導王はローブの中に手を入れると一つの装置を取り出した。

 それはイルワ達が見た事のない装置だった。箱にラッパの様な形の筒が取り付けられ、横から管が伸びてコップの様な筒と繋がっていた。どう見ても懐に仕舞える大きさではないのだが、そんな事よりも珍奇な物体にイルワ達の意識は持って行かれた。

 

「ええと、それは何でしょうか?」

「電話機……いや、この場合は念話機か? とにかく、これは我が魔導国で開発された遠くにいる人間と話せるマジックアイテムだ」

「そ……そんな事が可能なのですか!?」

「嘘だと思うなら試してみるといい。装置をもう一つ持って来ているから、隣の部屋にでも行って声が届くか実験すれば分かる筈だ」

 

 そう言って魔導王がもう一つの念話機を取り出す。それをイルワ達はおっかなびっくりで触りながら、使い方を魔導王から説明された。試しに一つを離れた部屋に持って行き、言われた通りに使ってみると別室にいる者の声が装置から響いた。

 

「す、すごい……! こんなマジックアイテム、見た事が無い!」

「私の国の技術研究所は優秀でな。最近、()()()()()の生態を調べてこれを作ったそうだ。以前、魔導国で仕事をして貰った時にモモンにも簡易的だが似た様な品を持たせていて、それで私の下へ連絡が来たのだよ」

 

 なんとも信じられない話だが、実物を見せられたら納得するしかなかった。こんな物が流通した暁にはトータスの情報伝達手段は根本からひっくり返るだろう。イルワ達は今まで不確かな噂でしか聞いた事の無い魔導国の凄さを実感できた様な気がしていた。

 

「そしてモモンから連絡を貰った私は転移魔法で君達の所へ伺った、というわけだ」

「て、転移魔法……? そんな魔法、神話でしか聞いた事が……」

「いや………きっと、()()()()なら可能な事だろうね」

 

 言葉を失うイルワに対してキャサリンは畏敬を含みながら呟いた。アンカジでの戦争において、魔導国の軍勢が空間を飛び越えたかの様に突然現れた話はキャサリンも聞き及んでいた。最初に聞いた時はさすがに有り得ないと信じられなかったものの、実際に魔導王を目にしたら「この相手なら不可能な事など無いんじゃないか?」と思わせられていた。

 

(モモン殿……あんた、本当に何者だい? こんな神様みたいな相手にどうやってコネを持ったのさ……)

 

 魔導国と渡りをつけて欲しいと願い出たのは自分達だが、交渉に来たのがまさかの国家元首。それも神話の登場人物みたいな相手と知り、キャサリンは半ば思考放棄して半笑いになるしかなかった。だが、いつまでもそうしてはいられない。気を引き締め直して魔導王と向き直った。

 

「まさか魔導王陛下ご自身にお越し頂けるとは思ってもおりませんでした……しかし、陛下お一人でしょうか? お付きの方は一体どちらに?」

「いや、この場では私が一人で来た。今回は軍勢を引き連れて君達を威圧するのが目的ではない。何より、君達もこの会合は秘密裏に行いたいだろう? それならば私一人の方が身軽で良い」

 

 キャサリン達は息を呑む。最近の扱いが悪いとはいえ、冒険者ギルドはまだ王国に籍を置いている組織だ。国の騎士団の様に王国へ忠誠を誓っているわけではないが、冒険者ギルドが魔導国と関係を持とうとしているなど聖教教会の言いなりである王国からすれば潰しにかかる格好の口実を与える事になるだろう。下手をすれば、キャサリン達が異端審問にかけられるかもしれない。だからこそ、魔導国と接触するにしても秘密裏に行うつもりでいた。

 

(そこまで見抜いて……! そうか、だから敢えて使者を出す様な目立つ真似はしないで魔導王陛下自らが来たんだね……! これは……本気で油断出来ない相手だよ)

 

 事前に日取りを決めて面会の予定を立てていたら、何処からか情報が漏れてキャサリン達は聖教教会に捕縛される可能性がある。だから魔導王は事を早急かつ隠密に進める為に転移魔法で単独で来たのだろう。大胆でありながら先を見据えていた魔導王の行動にキャサリンは並々ならぬ叡智の持ち主だと脳内の評価に書き加えた。

 

「さて、あまり長居をするのも時間の無駄だから本題に入るとしよう。モモンから大体の経緯は聞いているが、魔導国に冒険者の仕事があるかという話だったな?」

 

 魔導王の一言にキャサリン達は一斉に顔が引き締まる。冒険者ギルドの幹部達の視線が集まる中、魔導王は深みのある声を響かせた。

 

「結論から言おう———需要は無い」

「………理由をお聞きしても?」

「今の冒険者達の活動はほとんどが魔物の退治屋。魔物を倒すだけなら、既に問題ない兵力を私は既に持っている」

「し……しかし、お言葉ですが魔導王陛下! 冒険者達の活動には魔物の退治以外にも、辺鄙な土地にしか生えない薬草などの採取や魔石を始めとした魔物の素材の回収も含まれており———」

「それも必要ない。最近、技術研究所で薬草や家畜化魔物の品種改良に成功したと報告がある。薬草の類いにせよ魔石の類いにせよ、我が魔導国で流通させるには十分な量を量産できる」

「ま……魔物を家畜にしているのですか!?」

 

 イルワが食い下がろうとしたが、魔導王から齎された情報に驚きの声を上げた。聞いただけでは信じられない様な話だが、それが可能に思える様な技術力を既に見せられてしまった。

 

「では魔導王陛下は………魔導国には冒険者ギルドは必要無いという事を言う為だけに、わざわざお越しになられたと?」

 

 ギュッと膝の上で拳を握り締めながら、キャサリンは魔導王に聞いた。

 

「その通り。残念だが、君達は魔導国では必要とされない………今のままでは」

 

 含みのある言い方にキャサリン達の視線が魔導王に集まる。

 

「まず最初に、冒険者とは何なのかを聞かせて貰おう。先程に金髪の彼———」

 

 チラッと魔導王はイルワを見た。

 

「彼が言っていたが、魔物退治や素材の収集が主な仕事か?」

「その通りです、魔導王陛下。我ら冒険者ギルドは人々を魔物の脅威から守る事を理念としております」

「なるほど………しかし、ならば疑問だな。人々を守るというなら、無報酬でも率先して行うべきだろう。なのにお前達は魔物を倒すのに金銭を要求しているな」

「それは………やはり、ギルドを運営する上で無償奉仕というのは行えませんから。冒険者達にも身体を張って貰う以上……いえ、身体を張って貰うからこそ適正な報酬を用意しなくてはなりませんから」

 

 そしてそれが出来なくなったからこそ、今の苦境に陥っているのだ。資金が足りなくなり、依頼が達成されても冒険者達には以前よりも安い報酬しか用意できなくなった。今は各ギルドで昔馴染みの冒険者達が好意で頑張ってくれているものの、人の好意を前提にして回している組織など遠からぬ内に立ち行かなくなるとキャサリンは考えていた。

 

「だからこそ、我々は魔導国に新たな支援者となって頂きたいのです。残念ながら王国では我々は必要とされなくなった様ですから………」

「ふむ、当然だな。給料無しの労働などあってはならない……うん。いや、本来はそうなんだけどな………」

 

 魔導王が小声で何かを呟いていたが、キャサリンが聞き直すより先に咳払いの音に消された。

 

「だからこその魔物退治や素材収集で金銭を稼がなくてはならないか。しかし、これではただの便利屋ではないか。王国では需要が無くなったから余所の国に退治できる魔物を求めて東奔西走しなくてはならない………私は冒険者はもっと別の仕事を行うべきだと思っている」

「別の仕事、ですか………?」

 

 キャサリン達の視線が集まる中———魔導王はそれを宣言した。

 

「私が冒険者に求めるのは、未知を見つけ出し、世界を狭めて欲しいという事だ。例えば南方の地、シュネー雪原にはどんな地形や魔物がいるか知っているか?」

「いえ、あの地は魔人国ガーランドがすぐ近くにあるので冒険者達を派遣した事はありません」

「ではその逆、北方はどうだ? 険しい山脈が連なる土地があるが、そこの植生や魔物の生息に詳しいか?」

「いえ、詳しい情報はありません」

「ならば、いま我々がいる大陸の外に別の大陸があるそうだが、そこがどんな場所でどんな種族が暮らしているか。答えられる者はいるか」

「それは………申し訳ありません。別の大陸がある事自体、いま初めて知りました」

「なんとも情けない知識だとは思わないか? いや、冒険者の仕事を考えるならそれで当然か。人々を守る為の組織なのだから、人のいない所の知識など不要というわけだ。そこに万病を癒やす薬草があるのかもしれないのにな」

 

 魔導王の皮肉にギルド長達の反応は様々だった。視線を逸らす者、ムッとした表情になりながらも口を閉ざすしかない者………それらを見据え、魔導王は更に言葉を続けた。

 

「私は魔導国において冒険者達にはそういった空白を埋める存在にしたいと思っている。我が魔導国において、ただの魔物退治や既存の素材を採取するだけの冒険者など不要。そんな物は我が配下だけで事足りる。何より、民の暮らしの安寧を守るのは王として当然の仕事だ」

 

 ギュッとキャサリン達は唇を噛み締めた。冒険者ギルドは国から見捨てられた存在である故に、魔導王の宣言は他国の王だとしても眩しく感じた。

 

「だからこそ、魔導国の支配が及ばない土地に未知の領域にどんな存在がいるか。その者は敵となるか、はたまた味方となるか……それを私に知らせてくれる目となる者が欲しいのだ。恥ずかしながら私の部下達は忠誠心は高いが、未知の相手と友好関係を築くのが下手な者が多いのでな」

 

 フッと魔導王は笑う。もっとも骸骨の顔は変わらない。魔導王なりの冗談なのか判断がつかず、どんな表情をすれば良いか分からないキャサリンは代わりに質問する事にした。

 

「その……魔導王陛下のお話は分かりましたが、それならば通常の依頼をして頂ければ良いのではないですか?」

「それは確かにな。だが、未知を発見してそれが異なる文化圏との衝突になった場合、君達で対処できるか? 魔導国に一切の損失を出さないで問題を解決すると約束できるか?」

「それは………」

 

 キャサリン達は口を閉ざすしかなかった。王国がまだ正常だった時なら、冒険者ギルドとして打つ手が無くなれば国を頼る事も出来た。しかし、今となっては国に見捨てられたも同然なのだ。そんな保証をキャサリン達だけで出来る筈もない。

 

「そう。仮にそういった問題が出たとしたら、私が魔導国の王として対処する必要がある。故に———冒険者ギルドには私の傘下に入って貰いたい」

「何を———!?」

「当然の話だろう。代わりに冒険者ギルドには金銭面のバックアップはもちろん、必要な装備は魔導国製の物を貸し出す様にしよう。それと、そうだな………冒険者の訓練所を作ろうと思う。魔物との戦闘に実戦形式で慣れて貰うダンジョンの様な物も作る予定だ」

 

 魔導王の提案にギルド長達は唾を飲み込んだ。金銭面のバックアップはもちろん、装備の貸し出しや訓練所の設営をギルドからしてもありがたい申し出だった。

 新たに冒険者を始めようとする者は、大抵は一攫千金を夢見てギルドの扉を叩いてくる。しかし、そこで最初に自分で装備一式を揃えなくてはならないという現実的な壁にぶつかるのだ。それを軽視して魔物狩りに行く者もいるが、そういう者の大半は生きて帰らない。こういった問題がある為に冒険者になるには初期投資がある程度出来る者———金銭的に余裕がある者に限られ、気軽に新米が入れない空気を出してしまっていた。

 それを解決する為の訓練所を作ろうとした事もあったが、訓練に丁度良い弱い魔物が常に出現する様な都合の良い場所など無い事などを理由に実現出来ずにいた。唯一、その条件を満たしていたのがオルクス大迷宮だったものの、大厄災で閉鎖してから新たに冒険者となった者は数える程しかいなくなっていた。

 それら全てを魔導国が支援してくれるというのは、冒険者ギルドが他国の傘下に入る事に対する反対意見を呑み込んでしまうくらいには魅力的な条件だった。

 

「非常に魅力あふれる提案です、魔導王陛下」

 

 キャサリンが静かに頷く。

 

「ですが………一つ、質問をさせて下さい。未知を知るというのは魔導国が侵攻を行う時の一助となるのでしょうか?」

「それは難しい質問だな。絶対に無いとは言い切れない。未知の場所にいる者が侵攻計画を練っていた場合、こちらが先手を打って攻撃する必要もあるだろう。場合によっては力を見せつける事を前提にした侵攻をするかもしれない。だが、これだけは約束しよう。私は冒険者達に直接戦争に参加させる真似はしない。何故なら単純に力を見せつけるだけなら問題ない兵力を私は持っている」

 

 それは正しいだろう。長く人間族にとって恐怖の象徴でもあった魔人族達を倒した魔導国は、今やトータスで最強の国家と言っても良い。だからこそ冒険者を戦争に使用しないという魔導王の言葉には信憑性が感じられた。

 

「私は厭わしい………君達がただの退治屋である事が」

 

 魔導王は立ち上がり、グッと拳を握る。生者への憎しみを思わせるアンデッドの眼光………だが、キャサリン達には大きな理想に燃える熱い瞳に見えていた。

 

「私は嘆かわしい。そんな君達が冒険者を名乗っている事に。故に———私は望んでいる。君達が真の冒険者となる事を!!」

 

 ***

 

「なんてこったい………」

 

 魔導王が去り、未だに誰も席を立たない会議室でキャサリンは長い溜息を吐いた。魔導王の要求に対して、返事はまだこの場で決められないと保留したキャサリン達は魔導王は構わないと鷹揚に頷いた。王たる者の余裕、そして気高い理想………キャサリンは真の意味で王と呼ばれる存在を間近で見た気がして、力が抜けていた。

 

「かの魔導王陛下が只者じゃない事くらいは予想できたけど……まさかあそこまで人を魅了する術にも長けた王だったとはね」

 

 キャサリンの発言に反論は上がらない。それどころかギルド長達は遠く憧れていた光景を目にした様に放心した表情を見せていた。

 

「キャサリン先生、魔導王陛下の話が本当なら………冒険者にとってこれ程ありがてえ話は無えと思います」

 

 ようやくポツリとギルド長の一人が呟いた。

 

「エイモス……そういやあんたは元冒険者だったね」

「へぇ、まあ………知っての通りですけど、後進の冒険者育成ってもんは金は掛かるし、すぐに結果は出ねえもんだから中々難しい話でして」

 

 エイモスは顔の古傷をポリポリと掻く。そもそも彼は自分のギルドに所属する冒険者達———かつての仲間や後輩達を見捨てられず、駆け出しの頃の苦労を知っているが故に新しく冒険者になる者にも手厚く支援するから平時でも資金繰りに苦労しているくらいなのだ。

 

「でも魔導国が………魔導王陛下が冒険者達をバックアップしてくれるって言うなら、一人の元冒険者から言わせて貰うと本気でありがてえです」

 

 エイモス以外にも元冒険者だったギルド長の何人かは同意する様に頷く。そうでない者からしても、今の資金が全く足りてない冒険者ギルドからすれば魔導王の申し出は魅力的だった。

 

 何より———彼等は魔導王の語った理想に心を奪われていた。

 

 あの山の向こうに何が見えるか———。

 冒険の先に何が見つかるか———。

 

 それは全ての男達が、かつて少年の時に思いを馳せた夢では無かったか。

 今の地位を築き上げる前。金や名誉などまだ知らず、故郷の村で外の世界を夢見ていた少年の時に思い描いていた夢。それを見せられた気がして、男達はそんなかつての憧憬(ユメ)を見せてくれた魔導王に少年のような純粋な憧れを抱いていた。

 

(いや本当に………なんてこったよ)

 

 教え子であるギルド長達をこの短時間で心酔させられた事に、キャサリンは内心で苦笑した。これが計算ずくでやられた事なら、もはやお手上げだとキャサリンは白旗を上げたい気分だった。

 

「まあ、魔導王の申し出がギルドにとってありがたい事は確かだね………とはいえ、まだ結論を決めるのは早計だよ。その点も含めて、もう少し話し合いをするとしようか」

 

 今日で終了する筈だったギルド長会議の延長を告げられたが、誰も不満の声を上げる者はいない。この議題は早く終わりそうだ、と考えながらキャサリンは議論を推し進めた。

 

 ***

 

 キャサリン達がいる街から離れた街道———そこで数台の馬車で組まれた隊商がいた。

 

「や、野盗だ! 野盗が出たぞっ!」

 

 馬車の中の若い商人は遠くに見える馬に乗った一団に大声を上げた。全員が人相悪く、略奪や暴力に快楽を見出した表情で隊商に向かって来ていた。しかし、彼を安心させる様に中年の商人は微笑んだ。

 

「なぁに、心配はない! こっちには“漆黒のモモン”がいるんだ。モモンさん、お願いします!」

「フッ………任せたまえ」

 

 馬車の中に控えていた漆黒の鎧を着た人物が余裕を感じさせる声を上げる。

 

「この私………そう! “漆黒のモモン”の手にかかれば、君達の安全は約束されたも同然! 安心して見ていたまえ!」

 

 おおっ! と商人達から感嘆の声が上がる。鎧の人物は歌劇団の役者さながらの動きで馬車の外に躍り出た。

 

「さぁ、行こう我が仲間達よ! 悪を蹴散らして、正義を示すのだ!」

「えっと………は、はい!」

「……………ん」

 

 まさしく歌う様な宣言に香織は戸惑いながら、ユエは辟易した様子を見せながらも鎧の人物の後を追って野盗達へ向かっていく。

 

「お兄ちゃん。鎧のおじちゃん、なんか今日は変なの」

「……………知らん」

 

 馬車の護衛の為に残ったナグモは、頭を傾げるミュウに素っ気なく返答するだけに留めた。

 

(お前………本気で演じる気があるのか?)

 

 鎧の人物———パンドラズ・アクターの演技ぶりに、ナグモは口元がひくつくのを精一杯我慢していた。




 魔導王陛下が冒険者ギルドにプレゼンしてる間、モモンの護衛任務はどうしてたの? というとパンちゃんが代わってくれてました。次回あたり、パンちゃんと未来のお義母さんの対談とかやろうかな。

>念話機

 見た目はレトロな壁掛け電話機。シアやミキュルニラの様に耳の位置が人間とは異なる種族の事を考えてこの形がベストになったらしい。ナザリック技術研究所が“真の神の使徒”を解剖した時に、高周波で連絡を取り合っている能力を再現してミキュルニラが作成した。新技術の軍事転用を真っ先に思い付くのがナグモであり、平和利用が先に思い付くのがミキュルニラである。


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第百三十七話「幕間の舞台役者」

 難産でした……久々に酒の力を借りて書いたくらいに。頭痛え……(下戸)


 ナグモ達が護衛している隊商は街道沿いでキャンプ地を設営していた。

 本来、商人達は長距離の行商では出来る限り宿場町に泊まる様にするのが基本だ。しかし、この隊商は大陸の端にあるエリセンまでの行商という事で荷物や商品を多く積んでいる為、馬車の移動速度も普段より落ちてしまっていた。その為、予定している宿場町まで今日中に着かないと判断して街道沿いで野営する事になったのだ。

 内乱が起きてから治安が悪化した王国で、この様な場所で野宿をするなど普通なら野盗達に餌食にして下さいと言っているのと変わらないだろう。しかし、隊商の商人達に不安は無かった。何故なら———今の彼等には最強の冒険者が護衛についているからだ。

 

「いやはや、昼間はお見事でした。さすがはモモン殿、噂通りの腕前ですな!」

 

 隊商のリーダーは野盗達に襲われながらも、人命はおろか積荷が無事だった事に鎧の人物を褒めちぎっていた。

 

「お陰で従業員達も商品も無事でした! 野盗達に一歩も引かず、襲い掛かる者達をばったばったと斬り伏せる姿……まさに伝説の英雄ですな!」

「ははは、大した事などありませんとも! 私……“漆黒のモモン”の手に掛かれば、これくらいは当然の事!」

 

 グッとサムズアップしながら鎧の人物は答える。フルフェイスの兜で顔は見えないが、もしも見えたならキラーンと輝く歯でも見せそうな様子だ。

 

「この私がいる限り! 君達は大船に乗った気分でいてくれたまえ! そして、“漆黒のモモン”の活躍を是非ともォ! その目に焼き付けて頂きたい!」

「おお! モモン殿の勇姿を間近で見れるとは……私、感激ですぞ!」

 

 感極まった様に隊商のリーダーが頭を下げる。それを少し離れた場所で見ていたナグモは、野営の為に魔物避けの香を焚きながら苦々しく呟いた。

 

「あの過剰役者が……だからあいつは嫌なんだ」

 

 鎧の人物———パンドラズ・アクターのオーバーな演技に何度目か分からない溜息を吐きたくなる。アインズが新たな冒険者像の売り込みをしている間、モモンの影武者としてパンドラズ・アクターが派遣されていた。ドッペルゲンガーであるパンドラズ・アクターは冒険者モモンの姿に完璧に化けてはいるのだが……いかんせん、演技が所々オーバー過ぎてナグモはかなり辟易していた。

 

「な、なんと………チャン・クラルス商会では魔石がそんなに安く手に入るのですか!?」

「その通ォり! さ~ら~に! 今なら年間契約を結んだ方には仕入れ値から更に二割引き! 二割引きのサービスをしているそうです! 先着十組まで! お試し頂いては?」

「モ、モモン殿の程の方が言われるなら………これはエリセンの帰りに魔導国へ寄らなくては!」

 

 地球の通販番組を思わせるセールストークでパンドラズ・アクターは商人に宣伝する。ちゃっかりと魔導国の利になる宣伝をしているあたり彼は非常に良くやっており、その点においてはナグモは文句を言えるはずも無かった。

 

(本当にこのオーバーアクションさえ無ければ………)

 

 奈落の底を思わせるような深々とした溜息をナグモは吐く。

 

「お兄ちゃん、溜息は幸せが逃げちゃうからメッ! なの!」

「うるさい……溜息ぐらい好きにさせろ………」

 

 ミュウのお小言にも、ナグモは力なく返すだけだった。

 

 ***

 

「ンお疲れ様です、ユエ殿!」

 

 深夜。隊商の商人達が寝静まり、見張りの為に寝ずの番をしているユエにパンドラズ・アクターは声を掛けた。当然、周りに盗み聞きしている者がいない事は確認済みだ。

 

「……そちらもお疲れ様です、パンドラズ・アクター様」

「ノンノン、謙る必要はナッシング! 何故なら私達はアインズ様にお仕えする同士なのですから! ところでナグモ殿と香織殿はどちらに?」

「……二人ともミュウを見ている。というより、ミュウが寝る時にナグモの側を離れたがらないから仕方なく、という感じだけど」

 

 パンドラズ・アクターの許しを貰い、ユエは敬語を止める。基本的にナザリックのNPC達には新参者なので目上の相手に接する様にしているが、パンドラズ・アクターはそういった事を気にするタイプではなかった。

 

「そうでしたか! お二人は相変わらず仲がよろしい様で!」

「……用があるなら呼びますけど」

「いえいえ、大した用事ではなく………アインズ様が明日お戻りになられるので、私も宝物庫に戻りますからご挨拶でも、と」

「そう………ところで冒険者ギルドの説得はどうなったか、アインズ様は何か仰ってた?」

「はい! どうやら好感触だった様で、近いうちに冒険者ギルドも魔導国へ与するでしょう」

「そう……良かった」

 

 ユエは安堵する様に溜息を吐く。それを見てパンドラズ・アクターは頷いた。

 

「……ひょっとしてユエ殿だったのですかな? 今回の冒険者ギルドの取り込みをご提案されたのは?」

「え………いや、それはアインズ様がお考えになった事で———」

「隠さなくとも良いでしょう。私はアインズ様から概要を聞いただけですが、この世界の冒険者のニーズに精通した立案でしたので、アインズ様にどなたからか助言されたのかと思いまして」

 

 パンドラズ・アクターの指摘に、ウッとユエは黙り込む。

 実際のところ、アインズから相談を受けたのは事実だ。冒険者ギルドを魔導国へ取り込むにあたって、かつて国を治めていた経験から自分の国で冒険者ギルドからよく来ていた嘆願の内容を教えたのだ。当時と状況が全く同じというわけではないが、冒険者ギルドが常に抱えている問題と対処法となる支援について詳しく話していき、アインズが思い描いていた案を具体的な草案にして行ったのだ。

 

「確かに私はご相談を受けたけど……でも、説得が上手くいったのはアインズ様御自身の御力。多分、冒険者に対して熱い想いを語れるアインズ様でなければ、冒険者ギルドもこんな簡単に靡かなかったと思う」

「ええ、まさしく! 至高にして、我が創造主たるアインズ様だからこそ! 冒険者ギルドの説得は相成りました! だからこそ、その一助を担われた貴方に万来の感謝をお送りします!」

「パンドラズ・アクター様、もう少し静かに……」

 

 一言ごとに起こるオーバーアクションに、ユエは少し引き気味になる。しかし、そこでふとパンドラズ・アクターはオーバーな動きを止めた。

 

「………感謝申し上げます、ユエ殿。アインズ様……いえ、モモンガ様にお力添えして頂いて」

「パンドラズ・アクター様?」

「恐らく、今回の冒険者についての取り組みはモモンガ様が()()()()()()()なのでしょう。モモンガ様がユエ殿とご一緒にいる様になってから、あの御方は気持ちが安らいだ様に思われます」

「いえ、そんな………え? 一緒にいる、って何故知って……」

「おや? オルクス大迷宮でよく御密会されているではないですか? 中で何をしていらっしゃるかまでは知りませんけど」

「な、な、ななな………っ!?」

 

 壊れたレコードの様にユエは譫言を呟く。考えてみれば、パンドラズ・アクターも採掘物の鑑定でオルクス大迷宮に出入りしていた。アインズの希望もあって周りにバレない様に細心の注意を払っていたが、パンドラズ・アクターにはお見通しだった様だ。

 

(ア、アインズ様との御密会がバレてたの………? え、待って。サトル様とお二人でいる所を見られたって………)

 

 今更になってユエは重大な事に気付いた。種族に違いがあるとはいえ、男女が二人で人知れずに逢瀬を重ねている。それが第三者から見るとどう見えるか………。

 

(い、いやサトル様にはあくまで文字の勉強を教えていただけで、変な意味は………でもサトル様は別に悪い方じゃないし………って、そうじゃなくて!)

 

 何故か顔が赤くなる気がして、「あうぅ……」とユエは小さく呻く。普段、表情をあまり崩さないユエの珍しい表情にパンドラズ・アクターは変身した全身鎧の姿でジッと見つめていたが、さも気にしていないかの様に話を続けた。

 

「御安心を! モモンガ様が秘密にされている事ですから、私も誰にも喋りませんとも! それに………最近のモモンガ様は、何処か張り詰めていた空気が和らぎました。まるでかつて至高の御方達がお隠れになる前のようでした」

「私が至高の御方達の代わりになんて………そういう意味ならナグモや階層守護者の皆様の方が適任だと思うけど」

 

 アインズが如何にかつての仲間達(至高の御方)を大切に想っているか知っているだけに、ユエはつい謙遜してしまう。それこそ、かつての仲間達が創り出したNPC達の方がアインズは仲間を身近に感じられるのではないか。

 しかし———何故かパンドラズ・アクターはフッと……寂しそうに笑った。

 

「残念ながら至高の御方々と、創られた我々とでは天地の差があるのですよ………きっと、我々では真の意味でモモンガ様の御心に添えないのでしょう」

 

 ユエが不思議そうな顔をする中、パンドラズ・アクターの脳裏には一つの光景が思い出されていた。

 

 ***

 

 それはトータスへ転移する前。至高の御方(ギルドメンバー)達の姿を見なくなって久しい時期だった。

 

『………パンドラズ・アクター。変身しろ』

 

 宝物庫に来たモモンガの命令に、彼によって創られた軍服姿のドッペルゲンガーは従う。数秒後、ドッペルゲンガーの姿は金色の仮面をしたバードマンに切り替わった。

 

『………ペロロンチーノさん、今日はアルヴヘイムのクエストを受けて来ましたよ。あの領域にはペロロンチーノさんが好きそうな女の子モンスターが一杯いて————』

 

 かつての仲間の姿になったNPCへ、骸骨の魔導師は語り掛ける。しかしながら、ドッペルゲンガーは自分の主人に対して返答はしない。そんな命令(コマンド)は彼には設定されていなかった。

 

『………もういい、変身を解け』

 

 やがて、骸骨の魔導師は唐突に変身を解除させた。

 

『何をやってるんだろうな………NPCに話しかけたって、何も返って来る筈ないのに』

 

 骸骨顔の表情は変わらないながら、虚しさを感じる声を出した。

 

『仕方ないんだ………みんな、現実(リアル)が忙しいんだ………』

 

 まるで自分に言い聞かせる様に呟きながら、骸骨の魔導師は宝物庫にソロクエストで稼いだユグドラシル金貨を放り込んでいく。その手付きは作業の様に淡々としていて、楽しさを全く感じられなかった。

 

『傭兵NPCの戦闘AI、もうちょっとどうにかなんないかな………いないよりマシだけどさぁ。ナザリックの維持費を稼ぐのに、もっと効率の良い狩場を探した方が良いか……? とにかく、俺だけでも頑張ってナザリックを維持するんだ。いつ皆が帰って来ても良い様に』

 

 やがて金貨を放り込み終わった骸骨の魔導師はドッペルゲンガーに背を向けて宝物庫から立ち去っていく。その背中をドッペルゲンガーは最後まで言葉を発する事なく見送った。

 

 ***

 

「パンドラズ・アクター様?」

「———ああ、失礼。少し感傷に浸っておりました」

 

 ユエの呼び掛けにパンドラズ・アクターは回想の海から帰った。

 

「何はともあれ、モモンガ様の事を今後とも宜しくお願い致します。恐らく、これはナザリックの外から来たユエ殿だからこそ出来る事なのでしょう。香織殿は………何というか、ナグモ殿に一途過ぎている気がしますので」

「………ん。私に出来る事は精一杯やって、アインズ様をお支えします」

 

 いつもの喧しさを潜めたパンドラズ・アクターに、ユエも神妙に頷いた。

 

「まあ、ひょっとすると末永くというお話になるかもしれませんがねえ?」

「パ、パンドラズ・アクター様!」

 

 顔を赤くなるユエを見ながら、パンドラズ・アクターはバッとポーズを決めた。

 

「そして———その暁には私をこう呼んで頂きたい! 我が息子(Mein sohn)と!!」

「それは絶っ対に嫌です」

 

 ドイツ語は分からないが、ユエは即座にそう答えた。

 

 ***

 

「お帰りなさいませ、モモンさ———ん」

「相変わらず慣れないんだな、それ………」

 

 翌朝、商人達が起き出す前のタイミングで、アインズはパンドラズ・アクターと入れ替わった。未だに「モモンさん」と呼ぶ事に抵抗があるナグモに溜息を吐きながら、アインズは留守中の事を聞いた。

 

「何か変わった事はあったか?」

「いえ、特には。強いて申し上げるなら………パンドラズ・アクターが商人達に魔導国の宣伝をしていた事でしょうか」

「ふむ………まあ、今回の事で“冒険者モモン”が魔導国と深い繋がりがある事は周知された様な物だし、今後は私も冒険者活動をしている時は積極的に魔導国の宣伝をしてみるか」

「あ、おじちゃん! お兄ちゃん!」

 

 アインズが頷いていると、早起きしたのかミュウがアインズとナグモに向かってトテトテと近寄る。

 おじちゃん呼ばわりされている事は最早諦観の域に達していたアインズだったが———。

 

「えっと……… プレーマイナスゴッデスベンヌ(Wenn es meines Gottes Wille)、なの!」

「ぐぼあっ!?」

 

 ミュウの放った辿々しいドイツ語に精神が沈静化された。

 

「おい………何だ、その聞くに耐えないドイツ語は?」

「みゅ? 昨日、おじちゃんが教えてくれたの! この挨拶をすれば、マドー国の一員と思われるから覚えておきなさいって。おじちゃんが教えてくれたから、頑張って覚えたの!」

 

 ナグモが嫌そうな顔をする中、ミュウは純真な表情で小首を傾げた。なるほど、海人族であるミュウが亜人族を国民にしている魔導国と関係あると思われれば、魔導国の威名に尻込みして下手に手を出そうと思わなくなる者もいるだろう。そしてミュウはナグモと同じく恩人である“おじちゃん”の言う事をちゃんと聞いただけだ。

 しかし、それとこれとは別の話だった。

 

(パンドラズ・アクタアアアアアアァァァッ!!)

 

 自らが創り出した生ける黒歴史に、アインズは心の中で怨嗟の声を上げた。




>パンドラズ・アクター

 原作では他のNPC達と同じくアインズ様信者ですが、このSSではアインズがユグドラシル時代に寂しい思いをしている姿を直に見てきたからアインズを無闇に神聖化して見てないです。そんなわけでアインズとユエの仲を応援する立場になりました。
 あとアインズがパンドラをギルメンに変身させて語りかけるとか病みすぎだろ、と思いましたが、そもそも宝物庫に去ったギルメンの彫像を作る様な人が病んでないわけわけないよね……と考えてこんな描写をやりましたとさ。

>ユエ

 とうとう自覚しちゃった娘。というかユエの恋模様を書くのが難しくて、いつも頭から湯気を出してます。恋愛描写をアプデさせる為にも少女漫画を読み込んだ方が良いかなぁ……。


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第百三十八話「クラスメイトSIDE:ヒロインの目覚め」

 ここ最近は大人しい展開を書いていた為か、邪悪ゲージを発散させたくなりました。
 ついでに今まで、ず〜っと放置していた彼女にそろそろ触れてあげよう……そう思いました。
 
 誰が何と言おうと、これは自分の作品には必要な展開です。


「おらァッ!!」

「うぐっ!?」

 

 ハイリヒ王国の王城。そこの訓練場で清水幸利は呻き声を上げながら地面に転がされていた。

 

「お〜い、清水く〜ん? まだおねんねの時間じゃねえぞ〜!」

 

 檜山はニヤニヤとしながら倒れている清水の腹を蹴り上げる。

 

「ゲボッ! ゴホッ、ゴホッ……!」

「引き篭もりだった清水くんに俺が直々に稽古つけてやってるんだからよぉ、やる気見せろよな!」

「キャハハハ! 檜山ってば、優しい〜!」

 

 近くにいた瑠璃溝達がキンキンと耳障りな笑い声を上げる。地面にボロボロになって転ばされている清水を周りのクラスメイト達はクスクスと可笑しそうに見ていた。

 清水を含めた数人の生徒達は、かつてオルクス大迷宮で香織が奈落に落ちてから今まで戦いを放棄していた者達だ。異世界に召喚されて待っていたのは冒険ファンタジーなどではなく、死の危機が隣り合わせにあると知った彼等は自室に籠ってしまっていた。愛子について行った優花達の様に僅かな勇気も奮い立たせられなかった清水達をリリアーナが保護していたのだが、彼女が出奔してから清水達は自動的に“光の戦士団”の一員として組み込まれていた。

 

 そして———清水にとって苦難の日々が始まった。

 

 かつて教官であったフレデリックはクラスメイト達のステータスを見て扱いを変えていた。その“ステータス偏重主義”を見て学んだ生徒達は、『ステータスが高い自分達は、ステータスの低い奴等に何をしても許される』と思う様になっていたのだ。かつては永山達がそうされていた様に、清水達“居残り組”は檜山達“前線組”の召使いの様にこき使われていたのだ。本来なら教官として指導する立場にいるムタロはこれを黙認するどころか、自分の懐に入った賄賂で接待や夜遊びに耽って訓練場にはロクに顔を見せない始末だった。そうして檜山達は今まで引き篭もっていた“居残り組”が自分達に追いつける様に指導するという名目で、訓練に見せかけた暴力を振るう様になっていた。

 

「う、うぅ……!」

「ほら、なに寝てんだよ? 中野〜、ちょっと活入れてくれよ」

「おうよ。ここに焼撃を望む――〝火球〟」

「はぁ、はぁ……ぎゃっ!?」

「あははは! 清水くん可哀想だし〜! ほら、“水球”!」

「ゴボッ、ゴボッ!?」

 

 中でも清水の扱いは格段に悪かった。トータスの転移前でも彼は中学で受けたいじめの経験から、クラスメイト達と積極的に関わらないでいた。その為に親しい友人などいない清水は、異世界に来てから檜山に『サンドバッグにしても誰も文句を言わない人物』として目を付けられてしまったのだ。今やクラスメイト達の纏め役である檜山がやり出せば、他の者も真似をして清水をイジメの標的にするのは時間の問題だった。何より檜山達はフリートホーフが嗜好品の中に混ぜた麻薬による症状が出始めていた。麻薬が切れてしまった時のイライラした気分を解消するのに、清水に皆で暴力を振るうのは打ってつけだったのだ。

 

「何をしているんだ!」

 

 唐突に訓練場に鋭い声が響く。倒れた清水を取り囲んで魔法を撃っていた檜山達だったが、声の主に気付いて面倒そうな顔になった。

 

「チッ、天之河かよ………遠征から戻って来てやがったか」

「皆で寄ってたかって何をしているんだ! もう清水はボロボロじゃないか!」

 

 義憤に燃える光輝に対して、清水を九死に一生を得た思いで助けを求めようとした。

 

「あ、天之河………」

「私達さぁ、清水くんに強くなって欲しくて模擬戦をしていただけなんだよねー!」

 

 だが、それより先に瑠璃溝がわざとらしく声を上げながら遮った。

 

「そうそう! 最近さ、皆で反乱の鎮圧とかに行くじゃん? 清水は今までサボって……じゃなくて、部屋に篭りきりだったからステータスが低いじゃん? 万が一があったら困るから皆で戦闘訓練してあげようと思ったの!」

「全部清水の為にやってあげてる事だし〜! ちょっとやり過ぎだったのは認めるけど〜!」

 

 小田牧と薊野が自分を正当化させる様に声を上げ、清水を攻撃していた他のクラスメイト達も「そうそう」、「だよな〜」と皆で頷き合った。

 

「ち……違……」

「だとしても、これはやり過ぎだ! いくら清水のステータスが低いからと言っても、ここまでやるのは可哀想だろ! 俺達は仲間なんだ!」

 

 清水の声は正義感に溢れる光輝の声に掻き消された。「はーい」、「反省してますゴメンナサイ」と瑠璃溝達は誠意の欠片も見られない返事をしたが、謝罪の言葉を聞けて光輝は納得した様だ。地面に這いつくばっている清水に手を伸ばす。

 

「立てるか? 大丈夫だったか、清水」

「あ、ああ……なあ、天之河———」

「でも、清水。英子達が言う事だってもっともだと思うぞ」

 

 真実を訴えようとした清水だったが、光輝の発言に呆気に取られてしまう。そうしている間に光輝はまるで堕落した人間を叱る様な目付きで、清水に善意からの忠告をした。

 

「君は皆が頑張っている間もずっと引き篭もっていたのだろう? 皆から遅れた分、何倍も努力しないと駄目だ。魔人族の危機が無くなったとはいえ、まだ香織を攫った南雲がいるんだ。香織を救い出して皆で地球に帰る為にも、足手纏いにならない様に自分でも努力しないと。檜山や英子達だって、清水の事をどうにかしようと思ったかもしれないだろう?」

「な……何でそんな結論になるんだよ!? 俺はこいつらにリンチされて———」

「おい、なに逆ギレしたんだよ! 俺達は()()()()()面倒みてやったんだぜえ? ちょ〜っとやり過ぎたけどよぉ、謝ってやっただろうが!」

 

 「そうだそうだ!」、「お前も謝れよ!」と檜山達からブーイングが向けられる。場の流れは『謝っているのに許そうとしない清水が悪い』という空気になっていた。清水は助けを求めて、自分と同じ様に引き篭もっていた“居残り組”の生徒達に目を向ける。しかし、彼等はサッと目を逸らした。彼等からすれば清水が檜山達の標的になっている限り、自分達は目立たずにいれば被害は小さくて済むのだ。況してやこんな状況で清水を味方しようと思う物好きな者など皆無だった。

 

「ほら、檜山達だってこう言っているんだ。君も謝って、この場は喧嘩両成敗という事にしよう」

 

 光輝は駄々を捏ねる子供を相手するかの様に言い放つ。彼の中ではこの問題は、後は清水が謝れば解決すると信じて疑ってない様だった。

 異世界に来て周りから虐められても誰も味方してくれない状況に、清水はただ立ち尽くすしかなかった———。

 

 ***

 

「クソ、クソクソクソッ!! ふざけんなよ、どいつもこいつも!!」

 

 医務室からの帰り道、清水はひたすら悪態を吐いていた。

 

「どいつもこいつも俺をバカにしやがって! クソクソクソクソッ!! 大体、異世界でこんな事になったのは全部天之河達のせいだ! あいつらが勝手に戦争参加なんか決めたからっ……!」

 

 ドス黒い感情を剥き出しにしながら、異世界(トータス)に来た初日の事を思い出す。

 清水も最初は異世界転移に興奮を覚えていた。むしろ待ち望んでいた、と言っても良いだろう。いわゆるオタク趣味で、それが原因で兄妹とも仲が拗れた彼は漫画やアニメの様な世界に行って自分が大活躍する展開を何度も夢に見た程だ。

 

 しかし、現実は異世界に来てチートパワーを貰った所で香織の様に死ぬ時はあっさりと死ぬ、という命の危機を思い知らされ、それが恐くて自室のベッドの中で蹲るという情けない展開だった。今やそれすらも許されなくなり、中学の時以上のイジメを日常的に受ける日々だ。こんな事なら園部達みたいに愛子について行けば良かったと思うものの、もはや後の祭りだ。今や聖教教会はこれ以上権威を失墜させまいと、“光の戦士団”から脱走者を出すなど断じて許さないと頑なになっていた。そもそも逃げ出した所で、危険な異世界の地をあてもなく彷徨うしかないという現実に清水は二の足を踏んでいた。

 

 だからこそ、周りから虐められている日々から逃げ出す事も叶わなくなった清水は暴力を振るってくる檜山達の事はもちろんだが、それ以上に今の状況を招く原因となった光輝達を憎んだ。正義感を暴走させ、異世界での戦争なんてものに自分を巻き込んだ光輝。そして光輝を止めるどころか、煽る様に戦争参加を決めた光輝の幼馴染達。香織や坂上は死んだが、それでも残りの二人が生きている間は清水の深い怨みは消えそうにない。

 

「天之河めっ………絶対に、絶対にいつかあいつを後悔させてやるっ!」

「———威勢が良いねぇ。本当はそんな事やる勇気も無いくせに」

 

 バッと清水は振り向いた。そこにはいつからいたのか、“光の戦士団”副団長である恵里がニヤニヤと笑いながら立っていた。

 

「お、お前………聞いてたのかよ!?」

「隠すつもりがあった? だったら、もうちょっと小さな声でやるべきだね。一人でブツブツ言ってて、根暗なオーラがこっちまで漂ってきてたよ」

 

 クスクス、と恵里は笑う。その姿は地球にいた頃に見せていた地味な図書委員とはかけ離れた物だったが、そんな事より清水は自分の醜態を見られた事に耳まで赤くなった。

 

「あ、天之河にチクるんじゃねえぞ!」

「おいおい、光輝くんを後悔させたいんじゃないのかい? ヘタレだなぁ、この程度でビビるなよ………もっとすごい事をやって貰いたいんだからさぁ」

「は? 何を言って………」

 

 ここに来て、ようやく清水は恵里の様子がおかしい事に気付いた。どこか気圧される様なオーラに尻込みしていると、恵里はさも哀れんでいる様な声を出した。

 

「ホント最悪だよねぇ……光輝くん達が気軽に戦争参加なんて決めちゃったから、僕達には全く関係ない異世界の戦いに巻き込まれる羽目になった。最近なんて、王国に反乱した奴等の掃除までしなくちゃいけなくなった。そんな事までやるなんて召喚された時には言われなかったのにさぁ」

 

 クスクス、と恵里は笑う。その表情は悪魔じみていて、清水は危険を感じながらも蛇に睨まれた蛙の様に動けなかった。

 

「オマケに“光の戦士団”なんて物を作ってさぁ、クラスメイト達の中でも上下関係を作るなんて最低だよね? しかもそれを光輝くんが制御し切れてないから、清水くんはこんな酷い目に遭っているわけだ」

「お、お前だって“光の戦士団”の副団長だろうがよ……」

「僕をあんな奴等と一緒にするなよ。清水くんを虐めるなんて、くだらない真似を一度でもしたかい?」

 

 そう言われて思い返してみると、清水は恵里からは攻撃された事はない。周りが敵だらけだと思っていただけに、それだけでも清水は恵里に関しては敵愾心が薄れた。その心の動きを察知したのか、恵里は清水にゆっくりと歩み寄っていく。

 

「まあ、あのバカ達を制御しようなんて気も僕には無いんだけどね。最近じゃ、フリートホーフからそれと気付かずに麻薬を吸わされてるくらいだからねぇ。権力を使って好き勝手やってるくせに、実際はこの国の人間から金蔓にされてるなんて本当滑稽だよ」

 

 恐ろしい話を聞かされていると理解しながら、清水はその場を逃げ出そうとは思わなかった。ただ恵里の話に聞き入る様に立ち尽くす。

 一歩、二歩………恵里が清水に近寄ってくる。異性とここまで近い距離になった事などなく、どこか甘い香りのする恵里に清水の脳は痺れる。

 

「どいつもこいつも好き勝手やってるんだからさ……清水くんも好きにやって良いと思わない?」

 

 ススッ、と恵里は清水の身体に擦り寄せる。異性にまるで耐性の無い清水は、それだけで胸が苦しいほど高鳴った。

 だが———その様子は第三者から見ると、堕落を誘う楽園の蛇に巻き付かれている様に見えた。

 

「ねえ………清水くん」

 

 耳元で恵里が囁く。耳に吹きかけられた息に、ゾワゾワと清水の背筋が震えた。

 

「光輝くんに復讐したいならさぁ………大切な(もの)を穢してやりたいと思わない?」

 

 悪魔の囁きに———清水は思わず首を縦に振った。

 

 ***

 

 晴れた日の昼下がり――清水は王宮の廊下を歩いていた。今までコソコソと周りを伺う様に歩いていたが、そんな卑屈な態度は鳴りを顰めて今は足取りが堂々としていた。

 

「よう、清水っ!」

 

 突然、檜山達から声を掛けられる。清水は震えそうになるが、精一杯の虚勢を張って振り向いた。

 

「な、なんだよ……」

「ちょうど良いからよぉ、また模擬戦をやろうぜ? 天之河も言ってたろ、引き篭もりの雑魚なんだから努力しないといけないもんなぁ!」

 

 ゲラゲラ、と檜山達は笑い声を上げる。今までの清水なら、卑屈そうな笑みを浮かべてどうにかやり過ごそうとしていた。だが、今は卑屈な笑みは変わらないが、少し震えながらはっきりと拒否した。

 

「こ、断る………訓練相手は間に合ってるからな」

「あ………? なに舐めた態度取ってんの? 雑魚のくせに生意気なんだよ!」

 

 予想外の返事に苛立った檜山達は凶悪な表情で詰め寄ろうとする。

 しかし、それより前に———鋭い女の声が響いた。

 

「何をしているの!!」

「あん? ………チッ、八重樫かよ」

 

 声の正体———八重樫雫がこちらへ駆け寄ってくる事に、檜山達は舌打ちした。雫は清水を庇う様に立ち、怒りの形相で檜山達に立ち向かった。

 

「清水くんを虐めるのは許さないわよ! どうしても、というなら私が相手してあげましょうか?」

「んだと、生意気な口を利きやがって! この間まで寝込んでいたくせによぉ!!」

「あら? その寝込んでいた人間にあっという間にステータスを追い越されたのは、何処の誰だったかしら?」

 

 挑発的な目線を向ける雫に檜山達は舌打ちした。香織がオルクス大迷宮で行方不明になっていたから意識不明だった雫だが、元々の素質は光輝のパーティーメンバーを務めるくらい檜山達より優れていたのだ。リハビリを兼ねた短期間の訓練でメキメキとステータスを上げ、今や檜山達が力ずくで来ても跳ね除けられるくらいになっていた。

 

「待ってくれ、雫! 話はまだ終わってないんだ!」

 

 そしてもう一つ、檜山達が雫に強く出られない理由がこちらへ来た。光輝の声に檜山達は顔を顰めたが――雫はそれ以上に敵意の籠った目線で光輝へ振り向く。

 

「………何? ()()()()()

 

 小さい頃からの幼馴染に名前を呼ばれなくなったどころか、仇を見る様な目で睨まれている事に光輝は怯みそうになる。しかし、雫に庇われている清水を見て、必死に訴える様に話しかけた。

 

「雫、考え直すんだ! もうステータスだって俺と肩を並べるくらい成長したのだから、また俺と一緒にパーティーを組もう!」

「しつこいわよ、天之河くん。もう貴方とは関わり合いになりたくないの。それに私はまだステータスの低い清水くん達を指導する様に言われているの。これはムタロ教官から直々に頼まれた事よ」

「雫、君が面倒見の良い女の子だというのは知ってる。でも、何も君が清水()()()に構う必要はないじゃないか! 雫は俺と一緒にいるべきだろ? だって俺達は幼馴染じゃないか!」

 

 光輝なりの善意が半分、嫉妬が半分混じった表情で幼馴染の少女に忠告する。しかし、雫は冷たい目で光輝を睨む。

 

「幼馴染? 馬鹿言わないで。もう貴方なんか私にとって顔も見たくない相手よ。香織を死なせておいて、よくのうのうと私の前に顔を見せられたわね?」

「香織は生きているんだ! きっと南雲が連れ去って、何処かに閉じめていて———!」

「いい加減にして! いつまでそんな寝言を言っているの!? 香織は死んだ! あんな奈落に落ちて生きている筈がない! メルドさんの言う事も聞かず、無謀にもベヒモスと戦おうとした誰かさんのせいでね!!」

 

 怒髪天を衝く勢いで雫は怒鳴った。地球では誰も見た事がない程に激怒する雫に、光輝はおろか檜山達まで気圧されてしまう。それ程までに親友が亡くなった事に彼女は怒り狂っていた。

 

「で、でも………“降霊術師”の恵里が香織の残留思念を捉えてないんだ……それに龍太郎みたいに死んだ仲間だって、エヒト神がきっと生き返らせてくれて———」

「そんな夢物語なんかに付き合う気は無いわ」

 

 せめてもの希望を言ってみるも、雫はピシャリと断じた。

 

「仮にそうだったとしても、貴方の手なんて借りない。俺が皆を守ってみせる! とか偉そうな事を言っていたくせに、もう死人を何人も出してる()()()()なんか信用できないわ」

「ま、待ってくれ! 雫———」

 

 パンッ!

 

 縋り付く様に伸ばした手を叩かれ、光輝はショックを受けて呆然とした顔になる。そんな元・幼馴染を雫は穢らわしいゴミでも見る様な目で睨んだ。

 

「———二度と話し掛けないで。()()()()()。行きましょう、清水くん」

「ひ、ひひっ………じゃあな、天之河」

 

 卑屈そうな———しかし、どこか勝ち誇った笑みを浮かべながら清水は天之河を一瞥して立ち去る。その横に自分の幼馴染が並び立つ姿に、光輝はいつもの様に引き止める事が出来ず、まさに女子にフラレた無様な男の様に立ち尽くしていた。

 

「チッ………八重樫の奴も、調子こきやがって………」

 

 それまで蚊帳の外にされていた檜山達は立ち去る二人の後ろ姿を見ながら舌打ちした。

 

「檜山、マジであいつらシメようぜ。八重樫の奴も、ステータスが俺達より高くなったからって調子こき過ぎだろ。俺達四人でやればよ———」

「駄目だ!!」

 

 自分達の事を棚上げにして、雫をリンチする計画を練ろうとしたが光輝は大声を上げる。

 

「雫は………雫はちょっと、今は不安定になっているだけなんだ! 少し経てば、きっといつもの雫に戻ってくれる。雫を虐めるなんて、俺が絶対に許さない!!」

 

 光輝の宣言に檜山達は本気で舌打ちしそうになった。少し前に雫が目覚めて以来、彼女は何故か清水のボディガードの様にぴったりと付いており、清水に暴力を振るう機会が無くなってしまった。その雫を排除しようにも、彼女自身のステータスが檜山達より高く、また嫌われているにもかかわらず光輝が雫に目を光らせている為に邪魔されてしまうのだ。

 

(クソ………マジでイライラするわ)

 

 自分の思い通りにいかなかった苛立ちを城下町の適当な女にでもぶつけるか………麻薬によってイライラとした気持ちを抑えられなくなった檜山達はそんな事を考えていた。

 

 ***

 

 その夜———清水は自室でベッドの上に腰掛けていた。既に夜が更けた時間でありながら、清水は何かを心待ちにする様な表情でまだ起きていた。不意にドアがノックされる。

 

「………入れよ」

 

 来客が誰か分かっているのか、清水は横柄に言い放つ。そしてドアが開けられ———雫が部屋に入って来た。

 

「ひひっ……おい、昼間は天之河の顔が傑作だったなぁ?」

「ええ、そうね。でも良い薬よ、あんな奴のせいで清水くんは今まで虐められていたんだもの」

「ああ、そうだ………でもよぉ、お前も俺に言うべき事があるよなぁ?」

 

 清水は暗い笑みを浮かべながら、雫に意味深に言い放つ。

 そして雫は———清水の前で土下座した。

 

「———申し訳ありませんでした」

 

 膝を折り畳み、三つ指を付けながら雫は額を床に擦り付ける。トレードマークでもあるポニーテールも床に広がったが、雫は構わずにベッドに座っている清水へ土下座する。

 

「私が天之河光輝を煽ったせいで、清水()が異世界に来てから不快な日々を過ごす羽目になった事を深くお詫び申し上げます」

 

 実情を知れば雫の責任では無い筈の内容を雫は心から詫びていた。

 雫の土下座を見ながら、清水は汚泥の様に濁った瞳を喜悦に輝かせる。スッと自分の足を土下座している雫の顔の前に差し出した。一日中の汗や垢がつき、どこか酸っぱい様な臭いすらする足が目の前にあるなど、年頃の女子でなくても顔を顰めたくなるだろう。ところが、雫は清水の意を汲んだ様に足に両手を壊れ物でも扱う様な丁寧な手付きで添わせ———。

 

「んっ……ちゅっ………」

 

 ———清水の足を丹念に舐め始めた。足にこびり付いた垢を一生懸命に綺麗にするかの様に、そして従順な奴隷の様に舌を添わせていく。

 

「ひ、ひひっ……! こんな上手くいくなんてなぁ……!」

 

 『学園の二大女神』と呼ばれ、同性すらも憧れの的だった美少女に屈辱的な行為をさせている征服感から清水は背筋を震わせた。

 

 ———清水の天職は“闇術師”だ。闇系統の魔法は、相手の精神や意識に作用する系統の魔法で、実戦などでは基本的に対象にバッドステータスを与える魔法と認識されている。

 だが、清水はトータスで引き篭もりの日々を過ごす中、暇潰しに読んでいた闇系統の魔術書から気が付いてしまった。闇系統魔法は———極めれば対象を洗脳支配できるのではないか、と。

 そう思い立った清水は密かに闇系統の魔法を鍛錬していたが、話は簡単ではなかった。まず、人の様に自我の強い生き物は十数時間に渡って闇魔法をかけ続けでもしないと洗脳支配など出来ない。それも相手が無抵抗に受け入れてくれる事が前提条件だ。当然ながら、そんな風に魔法をかけられて抵抗しない相手などいるわけがない———そう思っていた。

 

『八重樫さんさぁ………今、白崎さんが死んだショックで寝込んでいるじゃない?』

 

あの日、恵里は耳元でそう囁いた。その囁き声に清水は聞き入ってしまった。

 

『今なら精神が空っぽみたいな物だからさ………清水くんが洗脳するのに打ってつけだと思わない? 八重樫さんが味方になれば、光輝くんも君に強く出れなくなると思うけどなぁ?』

 

 そして———清水は、その悪魔の囁きに乗ってしまった。

 恵里に言われた時間に雫の病室に行くと、どういう手段を使ったのか邪魔者は誰もいなかったのだ。しかも雫の精神は傷心で壊れかけていた事も手伝い、通常よりも容易く闇魔法がかかる様になっていた。そうして———清水は雫の洗脳支配に成功した。

 

「おい、八重樫………いや、雫。お前は俺の何だ?」

 

 気を良くした清水は雫に語り掛ける。友人でもない同世代の異性に馴れ馴れしく名前を呼ばれながらも、雫は光の無い瞳で恍惚した笑みを浮かべた。

 

「私、八重樫雫は……清水幸利様のヒロインです。従順な奴隷ですぅ……」

 

 魔法で思考を捻じ曲げられ、薄汚い性根をした少年のヒロイン(奉仕人形)となった美少女。それに清水は満足そうに喉を鳴らす。

 

「ひひっ……じゃあよぉ、何をすべきか分かるよなぁ?」

「はい……準備致します……」

 

 足舐めを中断して、雫は立ち上がる。

 そして清水に見せ付ける様に、服を脱ぎ出した。

 

 ———パサリッ。

 

 顕になっていく雫の白い肌に、清水は股間を膨らませた———。




>清水

 ありふれ二次では何かと救われる展開の多い彼ですが……自分はあまりそう思わないんですよ。中学時代に虐められたという過去はあれど、今の高校ではハジメが檜山達の標的になっているからクラスで目立たない存在になってますし、原作で魔人族の誘いに乗ったのも光輝の様に特別視されたいという虚栄心による物でした。その為に愛子を含めたクラスメイト達を殺そうとした辺り、下手したら檜山並みに邪悪な性根だったんじゃないかと思います。そんなわけで自分の作品では雫を洗脳したド外道になりました。あしからず。

>雫

 最後には救う、と確かに言った。だから———過程が地獄でも、最終的に救われるならALL OKだよね? ナザリックに関わりながらも死なない運命が約束されてるなら、それまで清水の●奴隷でいる事くらい大した事ないよね?

 ×××版? もちろん書く。書くけども……いっそリクエスト企画でもやろうかなぁ、と思ってる。最新話のネタバレを避ける為に数日は空けますが、詳しい募集要項などは活動報告をご覧下さいませ。

追記・リクエスト企画を始めました。詳しくは活動報告をご覧下さい(成人のみ)


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第百三十九話「旅の途中で」

 なんか心赴くままにあちこちの作品を書いている様な感じです。今まで以上に不定期更新になるかも。エタらせる気はないですけど。


「わあっ……!」

 

 幌馬車から見える景色にミュウは目を輝かせる。アインズ達と共に行く隊商の旅は奴隷として拉致された時の馬車よりずっと快適で、今までエリセンを出た事が無かったミュウには雄大な大自然の光景は目新しく映っていた。

 

「見て見て、お兄ちゃん! 綺麗な鳥さん達なの!」

「………分かったから騒ぐな」

 

 湖から飛び立つ白鳥の群れを指差して興奮するミュウに対して、ナグモは溜息を吐きながら応じる。最初は景色に一々歓声を上げるミュウをうるさく思っていたものの、飽きずに何度も話し掛けられるのでもはや慣れと諦観の領域に達しつつあった。

 

「ははは、良かったなお嬢ちゃん」

 

 馬車を運転している青年商人が声を掛けてきた。今この馬車にいるのは彼とナグモとミュウだけで、アインズ達は隊列の護衛の為に別々の馬車に乗っていた。

 

「こうやって色々な景色が見られるのが旅商人の醍醐味さ。モモンさん達のお陰で道中の心配も無いし、ゆっくりと見ていきな」

「うん! お兄ちゃん達のお陰でいっぱい綺麗なものが見られるの!」

「ははは、妹さんが喜んでて良かったな!」

「……騒がしい妹分ならもう間に合ってる」

 

 ボソッとナグモは呟いたが、商人の男には聞こえなかった様だった。ミュウは変装用の麦わら帽子を被っているから海人族の耳のヒレは見えず、商人にはナグモに懐いているミュウが本当の兄妹に見えたのだろう。

 

「えへへ………」

 

 胡座をかいて座っているナグモの足の間に、ミュウがストンと座る。ミュウは身長が低いので、ちょうどナグモの股ぐらにすっぽりと収まった。

 

「………何だ?」

「ミュウね。ママがいない時はお家だといつも一人だったから、お兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しかったの! ミュウにもお兄ちゃんが出来たの!」

 

 懐いた猫の様にミュウは身体を擦り寄せてくる。正直、うっとうしいと思っているのだが、人間の商人が見ている前でミュウを突き飛ばすなど出来る筈もない。

 何より―――何故かナグモはそうする気になれなかった。

 

「はぁ………」

 

 ナグモは溜息を吐く。それは懐いてくるミュウを突き放せない事か、以前と変わってしまった自分自身に対してか。『人間嫌い』の元・NPCにはよく分からなかった。

 

 ***

 

 日が暮れて、一行は宿場町で一泊する事になった。しかしながら、隊商の商人達はどこか困った様な表情で宿屋に集まっていた。

 

「ううむ………どうも予定の行程より大幅に遅れている様だな」

 

 商人達が地図を広げながら話し合っている様子を横目に見ながら、冒険者モモンに扮したアインズは呟いた。

 

「その様ですね。予定なら既にエリセンに辿り着いていた筈でした」

「仕方あるまい。まさか野盗の類いがあれほど出て来るとはなぁ」

 

 ナグモの返事にアインズはぼやき気味に返した。

 これまでの旅程で隊商は魔物だけに飽き足らず、幾度となく野盗の襲撃を受けていたのだ。

 当然、アインズ達がいるから怪我人も積荷の被害も無いものの、お陰で馬車の速度は遅れに遅れ、とうとう行商ルートを見直さなければならない事態にまで陥っていたのだ。予定通りにいかない冒険者の任務に、ナグモは不満げにナザリックの同僚の顔を思い浮かべていた。

 

(デミウルゴスめ………王国の治安を悪化させているとは聞いていたが、それでアインズ様のお手を煩わせるなど不敬だろう)

 

 ハイリヒ王国の裏工作を担当しているデミウルゴスにより、王国の治安は悪化の一途を辿っていた。

 内乱が起きた事で各地の流通は滞り、それ以前の“聖戦遠征軍”の結成による重税で村民達が餓死した村もあると聞く。隊商を襲って来た野盗達も、そんな食うに困った者達の集まりが大半だった。もはや奪わねば死が待つだけとある種の覚悟を決めた彼等は、護衛に“漆黒のモモン”がいると分かっていながら自暴自棄となって隊商に襲いかかっていたのであった。

 

「どうしますか? 必要ならばナザリックより軍を派遣して、先回りして道中の野盗達を排除いたしますが」

 

 声を潜めてナグモは提案したが、アインズは首を横に振った。

 

「いや、それには及ばない。既に商人達の間で行商ルートを変える事は決定事項の様だし、それで野盗達が一斉にいなくなればモモンのマッチポンプが疑われる。冒険者モモンは野盗達と通じていた、などとあらぬ噂を立てられても面倒だ」

「……かしこまりました」

 

 残念ながら、この茶番劇の様な冒険者任務はまだまだ続くらしい。内心でそう思ったもののアインズの手前で言葉にするわけにもいかないので、いつもの無表情で頷くだけに留めた。

 

「ところで、ミュウとは打ち解けたみたいだな?」

 

 突然話題を変えたアインズに対し、ここで初めてナグモの表情が変わった。

 扱いに困っている様な、返答に困っている様な、なんとも形容し難い表情に。

 

「その………モモンさ―――ん。あの海人族の面倒は、やはり僕が見てないと駄目でしょうか?」

「それはそうだろう。ミュウを最初に助けたのはお前なのだし」

「ユエかブラン(香織)に任せては駄目でしょうか? 相手は幼いとはいえ、同性ではありますから」

「しかしだな。香織は何故か少し怖がられている様だし、ユエは問題ない様に思われるが、ミュウはお前から離れたがらないのだろう? 結局お前が一番という事になると思うぞ」

 

 当然、私は論外だ、とアインズは主張した。アインズ自身は子供が嫌いというわけではないが、変装用に纏っている全身鎧が問題だった。四六時中、鎧を脱がないのは何故か? とミュウに疑問を抱かせない為に長時間関わるのは避けたかった。そうでなくても、食事の時に「モモンおじちゃんは一緒にご飯を食べないの?」と聞かれて返答に困ったのは記憶に新しい。

 

「まあ、これもナザリックでは出来ない経験を積んでいると思うべきだ。その、なんだ………今後、もしかしたらお前も子持ちになるのかもしれないしな」

 

 暗に香織の事を言われて、ナグモはなんとも言えない表情で反論を飲み込むしかなかった。

 

 ***

 

 アインズとの話が終わった後、ナグモは宿屋の割り当てられた部屋へ戻る。今は隊商の護衛任務中なので、宿泊費は隊商達が払ってくれている。ただし、宿屋の広さの関係などから一人一部屋などという贅沢は出来るわけもなく―――。

 

「あ、お帰り。ナグモくん」

「お兄ちゃん!」

 

 部屋に入るとツインベッドの片方に香織が座っており、もう片方に座っていたミュウが顔をパァッと輝かせてナグモに抱きついた。

 

「もう、ミュウちゃんってばナグモくんに懐いてばっかり………お姉さんにもそろそろ打ち解けてくれてもいいのになぁ?」

 

 香織が少しだけ頬を膨らませながら言うと、ミュウは気まずそうな顔をしながらもナグモの背に隠れた。それは首輪をつけられているから安全、と言われても大型の肉食獣を見て怖がっている子供の様だった。しかし、香織には「人見知りする子なのかなぁ?」としか思われてない様だ。

 

「………とりあえず、隊商のルートが見直される事が決まったぞ」

 

 もう抱きつくミュウを引き剥がすのも億劫になっているナグモは二人に告げた。

 

「今のままだとエリセンに行くまで時間が掛かり過ぎる。予定していた行商ルートを変更して目的地を目指すそうだ」

「そっか、まあ仕方ないよね」

「………もう少しだけお兄ちゃん達と一緒なの?」

「そうだ。だからさっさと寝ろ。遅れた分、明日は早く出発すると言っていた」

 

 ほんの少しだけ嬉しそうなミュウにぞんざいに答えながら、ナグモは上着を脱いでベッドに横になろうとする。すると、ミュウがポフッとナグモのベッドに入ってきた。

 

「………だから、何故いつも僕の横で寝たがる?」

「みゅぅ………ダメ?」

「まあまあ、ミュウちゃんはまだ四歳だよ? でも……いいなぁ。ミュウちゃんばっかり………」

「………子供相手に嫉妬しないでくれ」

 

 ベッドの大きさは残念ながら三人が川の字で寝るには手狭過ぎるので、香織は仕方なくもう一つのベッドに入ったがナグモの隣を確保しているミュウを羨ましそうに見ていた。寝るときも自分にぴったりと付いてくるミュウにナグモは盛大に溜息を吐きたくなる。

 

(これだから子供は嫌なんだ………どんなに論理的な説明をしようが、全く理解しない上に感情を優先させたがる)

 

 ナグモの中でミュウに別の場所で寝るように説得する労力とさっさと寝かし付ける労力が天秤に掛けられる。残念ながら説得に費やす時間と労力の方が大きいと彼の頭脳は判断した。創造主(じゅーる)から合理的思考を第一とする、と設定された性格故に労力の少ない選択肢を選ぶべきだと考えた。

 苦虫を噛み潰した様な表情になりながら、ナグモはランタンを消して部屋の灯りを消そうとする。

 

「ねえ、お兄ちゃん………寝る前のお話をしてなの」

 

 ナグモの隣で布団を被ったミュウが、甘える様な声を出した。

 

「………お前。普通に目を閉じてれば眠れるだろ」

「ママはいつも、ミュウが寝る前にお話を聞かせてくれたの」

 

 エリセンが近くなった事で、ミュウもホームシックが出てきたのだろうか。いつになく甘えるミュウだが、面倒になってきたナグモは催眠魔法で強制的に眠らせようかと本気で考え始め―――。

 

「私も聞きたいなあ。ナグモくんのお話、どんなのを聞かせてくれるの?」

「お前もか、香織………」

 

 腹心に裏切られたローマの独裁官の様にナグモは呻き声を上げる。隣のベッドで興味津々な様子で見てくる香織の視線を受けながら、ナグモは仏頂面で話し始めた。

 

「その昔、トム・ソーヤーという人間の少年がいて――――――」

 

 それは以前、ナザリックでマーレから薦められた本の内容だった。

 いつの日だったか、最古図書館(アッシュールバニパル)で交わした会話を覚えていたマーレはお薦めの小説や物語を持って来たのだ。

 正直、魔人族の件があってから人間を深く知りたいとは思わなくなったのだが、ナザリックの仲間であるマーレの好意を無下にするのも躊躇われてしまった。結局、全て読破した上でマーレに本に対する感想をナグモは送っていた。(ただし、その感想内容は「現実的に考えてこういう内容はあり得ない」という批評めいた物だが)

 

(まあ、ミュキュルニラが薦めた物語よりはマシか………主人公がネズミのくせに犬をペットにしているとか、もはや狂気の沙汰だろう)

 

 そんなわけで一度読んだ本の内容は暗記できる頭脳の持ち主である為、ナグモは教科書の音読の様に淡々とした口調ながらミュウに自分が読んだ物語を話す事は出来た。

 

「―――そして祖母から言いつけられたペンキ塗りを友人達に押しつけたトム・ソーヤーは………む?」

 

 抑揚も何もあったものではないナグモの朗読が止まる。隣を見ると、ミュウはいつの間にやら目を閉じて静かに寝息を立てていた。

 

「まったく………人に話をさせたなら、せめて最後まで聞くべきだろう」

「ふふふ。ミュウちゃん、とても安心したんだね」

 

 ミュウに避けられているとはいえ、元来の性格は子供が好きなのだ。香織はナグモの横で安心して寝ているミュウを微笑ましい物を見る様な目になっていた。

 

「ナグモくんって、意外と子供に好かれやすいのかも。こうして見ていると、なんだか私達に子供が出来たみたいだよね!」

「君までシャルティアみたいな事を言わないでくれ………というか育児というのはこんなに面倒なものなのか?」

 

アンデッドでも生殖出来る様になる研究をしろ、と迫ったナザリックの守護者の顔を思い出してナグモは頭痛を覚える。香織と幸せ家族計画はナグモも心躍るものの、子供の世話がここまで大変だとは思わなかった。

 

「男の人は奥さんに家事を任せて仕事だけやっていればいい、という時代はもう古いよ。最近だと夫婦で仕事も家事も分担する家だって増えたんだから。私のお父さんもね、普段は忙しそうにしてるけど日曜日になったら私とお母さんを連れて、いつも………」

「香織?」

 

 ふいにそこで香織は口を閉ざしてしまう。香織の顔に一瞬だけ寂しそうな表情が過った。まるでもう戻れない日々と、会えない家族を懐かしがっている様な表情に。

 

「………ううん、何でもない。とにかく、子供が出来たらナグモくんだって研究のお仕事ばっかりしてればいいわけじゃないからね? ちゃんと子供の面倒は見てもらうから」

「そうなのか………僕は今、初めて世の中の人間の親達を尊敬したくなったぞ。こんな面倒な事をよくもまあ、毎日やれるものだ」

 

 香織の反応が少し気になったが、ナグモは肩をすくめながら胸の内を吐露した。

 

(考えてみれば、じゅーる様も僕のオリジナル(人間の子供)の親だったものな………親というのは、それだけで特別な職業(クラス)なのではないか?)

 

 きっと忍耐強さとか、そういうスキルを持っているに違いない………などと、詮のない事をナグモは考え始めていた。

 

「ねえ、ナグモくん……ミュウちゃんは寝ちゃったし、そろそろいいかな?」

 

 香織が何かを期待する様な声を出す。瞳は紅く爛々と輝き、頬もわずかに上気していた。

 

「冒険者の任務中はあまり好ましいとは思わないんだが………我慢できそうにないか?」

「ごめんね………でも、ずっと我慢していたからどうしても欲しいの」

 

 お願い、と香織はベッドの上で懇願する。寝間着から見える肌はしっとりと汗ばみ、深い息遣いには艶っぽさを感じる程だ。

 

「………仕方ない。ただし、手早く済ませよう」

 

 ナグモはミュウを起こさない様にそっとベッドから抜け出し、香織のベッドに座る。香織は嬉しそうな表情で隣に座ったナグモにしなだれる様に抱きつき、そして―――。

 

「っ、………」

 

 首に僅かな痛み。香織の鋭い歯がナグモの皮膚を突き破り、温かな血が香織の口内に入っていく。

 

「はぁ………じゅる、ごくっ、ごくっ……」

 

 喉を潤す赤い液体を香織は恍惚とした表情で飲み始める。アンデッドの紅い目は潤み、うっとりと細められていた。

 

 今の香織の身体はアンデッドキメラだ。魔力が不足したら腐敗が始まる肉体を維持する為にも、定期的な魔力供給が必要となる。いつもなら拠点に戻って行えるが、今回の様に長期間の冒険者任務は初めてだった。人間の冒険者として戦っている以上、魔物達を喰らって魔力を回復させる事も出来ず、ミュウが横で寝泊まりしているので香織もナグモから()()()()()()()魔力供給が行えなかったのだ。その為に今、香織はナグモの魔力が籠った体液―――血液を飲んで魔力を回復させていた。

 

「ちゅうっ、ごくっ、じゅるっ………」

「っ、香織。少し痛い」

「あ………ごめんね。強く噛みすぎちゃった?」

 

 ナグモが少しだけ顔を顰める。知らず知らずのうちに犬歯を深く食い込ませていた事に気付き、香織はすまなそうな顔になる。だが―――。

 

「でも、ナグモくんの身体………とっても美味しいの♡」

 

 血で寝間着を汚さない様に注意しながらも、香織は上気した顔でナグモの血を味わっていた。

 その表情は――――――まさしく、血の味を覚えた獣そのものの様だった。

 




仮にバッドエンドルートを実装するなら、自分が作った怪物を制御できなくなったマッドサイエンティストみたいにナグモの最期は香織に食われて死ぬ展開ですね。アインズ様がいる以上、死んでも蘇生して貰えるから安心だね!(笑)

 因みに香織が人喰いアンデッドとして覚醒する展開ですけど、本来ならもっとドぎつい展開にするつもりでした。

 ミュウを助け出す時、キャサリン達が出てこずに普通にナグモ達がレガニドをぶっ飛ばす。

 ↓

 逃げるプーム。「父上に言って、あいつらを縛り首にしてやる!」と言いながら必死で走る内に、いつの間にか人気のない路地裏へ。

 ↓

 そこへ香織が登場。「困るなあ。ナグモくんはあの海人族の子を助けたいみたいなのに、あなたみたいな人間(ゴミ)がナグモくんの邪魔をするなんて」。香織から危険な空気を察して、プームは逃げようとするが香織の髪の毛で足を斬り落とされる。悲鳴を上げようとするが、無数の蛇に変わった香織の髪の毛によって猿轡を嵌められて身動きが出来ない状態に。

 ↓

「こんな人間、生かしておいてもナグモくんの為にならないよね? あ、でも一応は貴族なんだっけ? 殺してナグモくんのせいにされても面倒かな? かな?」
「あ、そうだ」

「死体も残らないくらいに食べ尽くしちゃえば、殺人事件とは思われないよね」

 香織の蛇が一斉にプームに牙を剥く。プームは死ぬほどの痛みに苦しみながら、文字通りに骨も残さず食われる。

 ↓

 その時、香織は気付く。さほど期待もしていなかったプームの肉。それが死の間際で味が跳ね上がった事に。

「ああ、そうなんだ………クズみたいな人間でも、絶望させて殺せば美味しくなるんだ」

 

 こんな内容を一時期は嬉々として書こうとしていた。そろそろ脳の病院にでも行くべきだと思う。
 


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第百四十話「神の使徒だった者達」

さて、彼等の話がこの先でどう繋がるのか……いつも通りノープランですが、やるだけやってみます。


「ハァ……ハァ……!」

 

 闇の中を“真の神の使徒”であるノイントは飛んでいた。

 エヒトルジュエの遣いとして作られた彼女は輝く白銀の鎧に身を包んだ美しい少女の姿をしており、背中から生やした翼を雄大に羽ばたかせて空を征く様は地を這う人間達に神への畏敬を知らしめただろう。

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 だが、今のノイントの様子は神聖さとは程遠い姿だった。彼女は何かに怯える様な表情で翼を必死に動かして逃げようとしていた。

 

 ————ズシン、ズシン。

 

 背後から何か大きな物が動く足音がする。その音を聞いたノイントは、顔を青ざめさせながら更に翼を羽ばたかせて逃避行を試みた。

 

 ————ズシン、ズシン!

 

「ハァ、ハァ、ひっ……!」

 

 背後から迫る足音が大きくなる。全速力で飛んでいる筈なのに、それ以上の速さで相手はこちらへ向かってくる気がした。息が上がり、とうとう身につけている鎧が邪魔に感じて脱ぎ捨てた。創造主であるエヒトルジュエから下賜された鎧を一顧だにせず、ノイントはただひたすら飛び続ける。

 それなのに————背後から近付いて来る気配は全く消えない。

 

「いやっ……いやあぁぁああっ………!!」

 

 恐怖の余りに涙がボロボロと出てくる。神の遣いとして作られた自分にはそんな機能(感情)など無い筈なのに、ノイントは背後にいる存在がただただ恐ろしくて涙が止まらなかった。

 

 ズシン、ズシン、ズシン! ————ビュンッ!!

 

「ぎぃっ!?」

 

 背後から迫る足音が大きくなったと思ったら、大きな風切り音が響く。それと同時に鋭い痛みと共にノイントの背中の翼が消失した。地面に落ち、墜落した衝撃で背中の痛みでノイントは顔を歪めながらも立ち上がろうとした。

 そして————背後を振り返ってしまった。

 

 ズシン、ズシン、ズシン!!

 

『メェェェェエエエエエエエエ!!』

 

 それは山の様に大きな仔山羊の化け物だった。コールタールを思わせる黒々とした肉塊からは巨体を支える山羊の足が生え、身体には不揃いな歯が生え揃った口が無数にあった。まるで球根から生えた芽の様に黒い触手を無数に生やし、その内の一本が鞭の様に振るわれて自分の翼を消し飛ばしたのだとノイントは瞬時に理解した。

 

「あ……ああっ………!!」

 

 すぐにでも走って逃げないといけないのに、ノイントの身体は言うことを聞かない。足はガタガタと震え、腰が抜けた様に下半身は力が入らなかった。黒い仔山羊は足音を響かせながら近寄り、恐怖で身動きが取れなくなったノイントを身体に生えた触手で掴み上げた。

 

「いや! 放しなさいっ! 放してっ!!」

 

 ノイントは力の限り抵抗するが、自分を掴む触手はびくともしない。黒い仔山羊はノイントを掴んだまま、身体にある無数の口の一つを開いた。

 

「ひっ!? いやだいやだっ!! 助けてっ!! 誰かっ!!」

 

 触手に掴まれたノイントは泣きながら“使徒”の能力————高周波による伝達で助けを求める。すると————。

 

『死にたくないのですか?』

 

 高周波による伝達の声が響く。感情が一切篭らない声だが、ノイントは藁をも掴む思いで声の方向に目を向けた。

 

『私達は————エヒトルジュエ様に作られた人形()に過ぎないというのに』

 

 黒い仔山羊の口の中。自分と同じ顔をした大勢の姉妹達がいた。

 ある者はバラバラな死体となり、ある者は姉妹の剣に貫かれて死んでいた。

 生気の無い目が、自分と同じ顔をした少女の生首がこちらを見つめていて—————。

 

「いやああああああぁぁぁぁあああああああっ!!」

 

 ***

 

 ガバッとノイントは勢いよく起き上がる。全身は汗だらけで、まるで何百キロと走らされたかの様に荒い呼吸が出た。

 

「ハァ、ハァ……! ここは……?」

 

 一瞬、何処にいるか分からなくなって辺りを見回す。

 そこはエヒトルジュエがいる神域でも、先程の闇の中でもなく、粗末な部屋の中だった。切妻の斜め天井がすぐ頭の上に見えて、屋根裏部屋というのがしっくりとくる。自分が寝ていたベッドも羽毛の代わりに藁を詰めていて、それを上から薄い毛布を被せただけの粗末に過ぎる物だ。

 

「夢、だったのですか……?」

 

 先程まで見ていたものが悪夢だと分かり、ノイントは呆然と呟く。

 よくよく見れば、自分の格好もいつもとは違っていた。いま着ているのは“使徒”としての白銀の鎧ではなく、粗末な布で作られた寝間着だ。背中に生えていた純白の翼もなく、無惨な傷跡の様な痕跡が服の裾から見えていた。

 ノイントがどうして自分がここにいるのか思い出そうとしていると、ギシ……ギシ……と床が軋む様な音が聞こえてきた。ドアがガチャリと開かれ、ノイントはビクッと肩を震わせる。

 

「あ……起きてたんですね」

 

 部屋に入って来たのは、イヤに存在感の無い少年だった。前髪は目元を隠すほどに長く、ハイリヒ王国ではあまり見ない黒髪であるという点を除けば没個性を絵に描いた様な少年だった。だが、その少年を見た瞬間にノイントは全てを思い出した。

 

「良かったです。その……ずっと横になっているとはいえ、何か食べた方が良いと思って食事を————」

「どうして………助けたのですか?」

 

 湯気の立ったスープらしきものをトレイに乗せてきた少年————遠藤浩介に、ノイントはポツリと呟いた。それはどこか、恨みがましさを感じる響きだった。

 

「あなたに私を助ける理由なんて無かったのに」

「それは………だって、目の前で怪我をしていかたら」

「私なんかを助けたところで、何の意味もなかった………放っておけば良かった………死なせてくれれば良かったのです」

「そんなの出来るわけないだろ! 何があったかは知らないけど、死に掛けていた人を放って置く事なんか————」

「私にはもう生きてる意味がない!!」

 

 突然大声を出したノイントに浩介はたじろいでしまう。ノイントはベッドの上で俯いたまま、拳を握り締めていた。

 

「生きてる意味なんて無いのです………恐怖の余りに偉大なる主の拝命から逃げ出し、死んでいく姉妹達すら置き去りにした私に生きてる意味なんて………!」

 

 自分で言っている内に耐え切れなくなったのか、ノイントの目からポロポロと涙が溢れ始めた。

 

「え……? 何故、こんな………私には、こんな機能(感情)は無い筈なのに………」

 

 自分の内から出てくる感情に戸惑いながら、ノイントは涙を拭おうとする。だが、涙は次々と溢れ出て止まらなかった。

 エヒトルジュエから下賜された鎧も天の遣いを象徴する翼も失い、ヒステリックな感情をも顕にする自分はもはや“真の神の使徒”たり得ない。そう思えてしまって、ノイントは悲しくなってしまった。

 

「ノイントさん………」

 

 浩介は何故ノイントが出会った時にあんな場所にいたのか、ノイント自身が口を閉ざしているので詳しくは知らなかった。ノイントが口にする数少ない断片的な情報から、誰かに仕える様な戦士や騎士だったのだろうと勝手に考えていた。恐らくは魔物との戦いで仲間を置いて自分だけ逃げてしまい、その時のショックから未だに立ち直れないのだろうとも考えていた。

 

「………食事、置いておきますね。その、一応はお腹に入れておいた方が良いですよ」

 

 今は下手に慰めの言葉を掛けても逆効果だと悟り、浩介はベッド脇のテーブルにスープの乗ったトレイを置いた。そのまま部屋から出ようとしたが、戸口で思い直した様にノイントに振り返る。

 

「俺は………ノイントさんに生きてる意味が無いなんて思わないです。だって、あの時の貴方は必死で生きようとしていたと思うんです。だから俺は貴方を助けられて良かった、って思っています」

 

 失礼しました、と言って浩介は今度こそ部屋を出て行く。遠ざかって行く足音を聞きながら、かつて“真の神の使徒"()()()少女はベッドの上で自らを哀れむ様に泣いていた。

 

 ***

 

 ノイントがいる部屋から出た浩介は、階段を下りていく。歩く度にギシギシと木が軋む様な音がして、いつか床が抜けてしまうのでは? と少しだけ心配になってしまう。階段を下りた先のドアを開けると、部屋にいた複数の人間達が振り向いてきた。

 

「コースケさん。ノイントさんのご様子は?」

 

 着古した尼僧服姿の女性が嗄れた声を掛けてきた。浩介の祖母より尚も高齢で、曲がった背中から背骨が浮き出る程の老婆の修道女だ。

 

「べレアさん………まだ、あまり良くないみたいです」

「そうですか………早く良くなってくれると良いのですけれど」

「すいません。べレアさん達だって余裕が無いのに、俺達を置いてもらって」

「いいえ、気になさらないで。困っている時はお互いに助け合うのは当然ですから」

 

 すまなそうな顔をする浩介に対して、シスター・べレアは皺だらけの顔を微笑ませる。その表情は慈愛に満ちており、聖母とはこういう人の事を言うんだろうなと浩介は考えていた。

 

「マザー、今日もお姉ちゃんはお夕飯に来ないのー?」

 

 長テーブルに座っている子供の一人が声を掛けてきた。テーブルを囲んでいるのは複数の人間は全員が十歳より下くらいの子供達で、ツギハギが目立つ部屋着を着ていた。

 

「ええ。まだ体調が良くなってないみたいね」

「そうなんだ。早く良くなるといいね」

「そうね………さあ、みんな。ノイントさんが元気になる事もお願いして、お食事前のお祈りをエヒト様に捧げましょう」

 

 はーい! と子供達の元気な声が響く。浩介も食卓の席に着くと、べレア達は目を閉じて手を組み合わせる。

 

「天に在しますエヒト神様。あなたの慈しみに感謝して、この食事を頂きます。今日も我々にささやかな糧を与えて下さり————」

 

 正直、浩介はエヒト神に対する信仰心など欠片も持ち合わせていなかった。地球で暮らしていた自分が異世界に迷い込む羽目になったのはエヒト神のせいだし、そもそも目の前の食卓に並んだ食事はパン一つと豆のスープだけという質素にも過ぎる食事だ。これで与えたのだから感謝しろ、というのはエヒト神に対して文句の一つも言いたくなる。とはいえ、さすがに真剣に祈りの言葉を口にしているべレア達の前でそれを言うわけにもいかないので静かに黙祷していた。

 

「ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧として下さい。私達の主エヒト様によって」

『いただきます!』

 

 子供達が一斉に声を上げて、待ち切れなかった様に食器を手に取る。やはり食事の時間は楽しみだった様で、小学校の時の給食を思い出して浩介も微笑ましくなった。

 

 浩介がここにいるのは怪我をしていたノイントの手当てが出来る場所を探して、偶然見つけたからだ。元は聖教教会の修道院だったそうで人里離れた辺鄙な場所にあり、修道女も高齢のシスター・べレア以外はいないという有様だった。その修道院もべレアが身寄りの無い子供達を拾って育てている孤児院と化しており、聖教教会の本部からは半ば忘れられた様に放置されていた。本来なら行き倒れの浩介達に宿を貸す余裕など無い筈なのだが、べレアは嫌な顔を一つもせずに浩介達を受け入れてくれたのだ。

 ふと浩介が隣の席に目を向けると、既に自分の分を食べ終わってしまった少年がいた。彼は物足りなさそうな顔をしていたが、べレアの手前で言い出す事も出来ない様だ。浩介はまだ手を付けてないパンを子供の前に差し出した。

 

「ほら、やるよ」

「………いいの?」

「チビ助が遠慮するなよ。子供の内はちゃんと食っとけって」

「……うん! ありがとうな、コースケ兄ちゃん!」

「それに心配しなくてもお金ならまた稼いできてやるよ。そうしたら腹一杯に食えるからな」

「本当にありがとうございます、コースケさん」

 

 横で二人のやり取りを見ていたべレアが浩介に頭を下げた。

 

「私達の為にお金を持って来てくれるなんて」

「いえいえ………宿を貸して貰っているのだから、このくらいは当然ですよ」

「でも、危険な事はしないで下さいね? 浩介さんの身が一番大事なのですから」

「………大丈夫ですよ、べレアさん。ちょっと割の良い仕事をやってるだけなんです。それにこう見えて、結構ステータスは高いんです。まあ、何かあっても大丈夫ですって」

 

 べレアを心配させない様に浩介は笑顔を作った。

 

 あまり他人様に誇れる仕事ではない、という事を悟られない様に。




>ノイント

すっかりと黒い仔山羊がトラウマになってしまいました。多分、山羊の鳴き声を聞いただけで怯えて蹲るんじゃないかな……。
毎夜の様に黒い仔山羊の悪夢を見て、エヒトルジュエから与えられた使命と姉妹達を捨てて逃げたという罪悪感から意気消沈しています。こうまでくるとキャラ改変が著しい……まあ、香織をアンデッドにしてるくらいだなら今更だわ(笑)

>遠藤

親切なシスターさんのお陰で、貧しいながらも人の温かさに触れています。それで恩返しの為に何の仕事をやっているかというと………。

>真の神の使徒

 今になって、こういう事にしておけば良かったと考えている設定があります。時間があったら、何処かに加筆修正したいですね。

・元々の姿は、今は絶滅した鳥の魔物。それをエヒトルジュエが変成魔法で人間と組み合わせて作った為に天使の様な見た目になった。
・特に超音波器官が優れており、これによって仲間への伝達はもちろん獲物を誘き寄せる音を発したり、振動数を上げて敵を破壊する共振現象も起こせる。“魅了”や“分解”はこの能力が強化された事で使える様になった。
・使徒の象徴とも言える翼や超音波器官を失ったノイントは、ステータス以外は構造的に人間と大差ない存在である。


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第百四十一話「深淵から運命は交叉する」

 pixivでAIイラストを投稿する様になってから、執筆に費やす時間が少し減ったかも。とりあえずエタらせる気は無いので、気長に付き合って下され。


 シスター・べレアの修道院は街から歩いて三十分くらい離れた丘にあった。世俗を離れて禁欲生活を送る為にそんな辺鄙な場所に建てられたそうだ。トータスの技術は中世レベルである為に街へと繋がる道もロクに舗装されてない山道だが、“神の使徒”として一般人より高いステータスを持つ浩介には苦にならなかった。街はそれなりに栄えた地方都市といった風情で、ここに来るとシスター・べレアの修道院がいかに外界と切り離されているか嫌でも思い知ってしまう。

 

 賑やかな大通りを抜け、浩介は裏路地へと入っていく。少し歩けば辺りの雰囲気はすっかりと変わり、通行人もいかにも堅気ではない人間が増えていた。本来、こんな場所を十代の少年が歩いているのはある意味目立ってしまうのだが、誰も浩介を気に留めなかった。彼は元々の気配の薄さ、そして“暗殺者”の天職で身に付いた特殊な歩法で周囲の人間の意識から外れた移動をも可能にしていた。そうして周りから()()()浩介はとある建物の前で足を止めた。そこは路地裏にある薄汚れた看板を下げた酒場で、浩介は何となく地球にあった場末のスナックを連想していた。地球にいた頃なら絶対に入らなかった場所だが、浩介は深呼吸一つすると酒場のドアを開けた。

 

「……てめえか」

 

 気配遮断を解除しながら入ると、外見通りの薄汚れた店内が浩介を迎えた。カウンターバーにいるのは厳つい筋肉をした人相の悪い男で、入って来た浩介に愛想もなくフンと鼻を鳴らした。

 

「どうもっす、バラダックさん」

「てめえ宛に依頼が来てる。さっさと選びな。仲介手数料はいつも通り引いとくからな」

 

 バサッと投げ出す様な乱暴さで紙束がカウンターに広げられる。

 紙に書かれているのは仕事の依頼内容だ。ただし、その内容は普通の冒険者ギルドでは扱われない様な物だ。

 強盗の逃走経路の確認、脱獄の手伝い。そして―――殺人の依頼などなど。

 どれもが明らかに法に触れる物であり、明るみになれば依頼をした者も依頼を受けた者も等しく犯罪者として裁かれるだろう。

 その中で浩介は―――1枚の依頼書を手に取った。

 

「………これにします」

「あいよ、期限は三日後までだ。さっさとやれよ」

 

 浩介は出来る限り表情に出さずに頷いた。しかし、浩介が手にした依頼書を見たバーのマスターは気に入らなさそうに舌打ちした。

 

「またつまらない依頼を受けやがって……なあ、いつになったら殺しとかを受ける様になるんだ?」

「………どんな依頼を受けるかは俺の自由じゃないですか? それに仕事は確実にこなしているんです。バラダックさんの顔もそれで立つでしょう?」

「チッ、ガキが……一丁前に口を利きやがって。俺が言いたいのはな、何の為の“暗殺者”の天職だって聞いているんだよ」

 

 バラダックが仲介している違法な仕事は、時には依頼を受けた者が逮捕される事もある。無論、そうなった場合にバラダックや依頼主に捜査の手が及ばない様に保安署に賄賂を贈ったりしているものの、それでも依頼主からすればドジを踏む様な者に仕事を任せたいとは思わない。その点、浩介は仕事を優秀にこなすのでバラダックも強くは出られなかった。しかしながら、“暗殺者”の天職を活かさない仕事ばかりしている浩介に不満がある様だった。

 

「金が入り用なんだろ? だったら殺しの依頼を受ければ、今の倍以上は稼げるぜ。それをせっかく戦闘系の天職を持って生まれたというのに、逃走経路の下見だの、麻薬(ヤク)の運び屋の護衛だのとシケた依頼ばっか受けやがって……」

「ハハハ……あまり危ない橋は渡りたくないですから。それじゃ、仕事をこなしてきます」

 

 バラダックのグチに浩介は愛想笑いを浮かべながら、薄汚れたバーを出た。扉が背後でバタンと閉まり―――拳を強く握りしめた。

 

「………好きで持ったんじゃねえよ、こんな天職(チカラ)

 

 歯を食い縛りながら呟いた言葉は、風の中に消えていった。

 

 ***

 

 少し前までは浩介も真っ当な冒険者をやっていた。しかし、とうとうホルアドの冒険者ギルドが閉鎖したのを切っ掛けに浩介の異世界生活は転落していった。

 ホルアドのギルド長のロアはもう浩介に仕事を紹介できない事を謝りながらも、他の支部への紹介状を書いてくれてはいた。しかし、そこでもまた冒険者ギルドは潰れ、さらには別のギルドに行っても浩介が“元・神の使徒”だと分かると露骨に嫌な顔をするギルド長まで出始めたのだ。彼等にとって自分達の仕事を奪った“神の使徒”達はもはや疫病神であり、そんな連中の仲間であった浩介に仕事を回さなくなったのだ。もっとも、そもそも冒険者ギルドには紹介できるクエスト自体が激減していたのだが。

 

 そうして安定した収入が得られなくなった浩介は冒険者に限らず日雇いの仕事を転々とするしかなかった。王都に帰ろうと思った時もあったが、伝え聞く元・クラスメイト達の醜聞に“あんな連中と一緒の扱いにされるのは御免だ”と戻る事を拒否していた。冒険者ギルドを通して手紙のやり取りをしていた愛子とも連絡が途絶えてしまい、浩介は異世界の地で当てもなく放浪するしかなくなったのだ。

 

「何をやっているんだろうな………」

 

 その日の違法クエストを終え、報酬を受け取った浩介は暗い表情で街の広場に座り込んでいた。今回のクエストはとある組織が新たに作った建物の逃走経路に問題がないか調べるという内容だ。懐にはまあまあの重さの金貨の袋が入っているが、それを素直に喜べなかった。

 

「異世界に来て、金欲しさに闇バイトか………はは、俺も堕ちたよな」

 

 自嘲する様に呟くが、内心では情けなさと悲しみで泣きそうになるのを堪えていた。

 ノイントを拾い、シスター・べレアの修道院にお世話になってから、浩介はそれまで以上の収入が見込める日雇い仕事を求める様になっていた。修道院は浩介の目から見ても本当に余裕が無かった。自分一人だけなら今まで通り日雇いの仕事で何とか食い繋げるが、寝込んでいるノイントの為に宿を提供してくれるべレアやお腹を空かせた子供達の為に大金が必要となったのだ。

 そうして浩介はとうとうギルドからドロップアウトした冒険者達と同じ様に、違法なクエストを金目当てに始めていた。裏仕事の仲介人からは天職が“暗殺者”だった事から、浩介が()()()()()()をしてくれるものと期待されてすぐに仕事にありつけていた。ただし、浩介は誰かを傷付ける様な仕事だけはやらなかった。そこまでやってしまうと、自分の中で何かが壊れてしまうと本能的に悟っていたからだ。お陰で手勢に“暗殺者”の天職がいると宣伝したいバラダックからは面白くない顔をされているが、浩介なりに最後の一線を守っていた。

 

「父さん……母さん……」

 

 ただし、最後の一線を越えてないというだけで浩介の内心はかなりボロボロだった。地球にいる両親や家族達を思い出す度に、自分が生活の為とはいえ犯罪行為に手を染めていると知ったらどんな表情をするだろうと思うと暗い気持ちになった。

 

「………帰らねえと。べレアさん達が、それにノイントさんも待っているんだ」

 

 それだけがよすがである様に浩介は自分に言い聞かせながら、浩介は立ち上がろうとした。

 

「―――だから、結構だと申し上げております」

「ああ? なあ、姉ちゃん。こっちは善意で提案してやっているんだぜ?」

 

 ふと通りで何やら騒ぎが起きている事に浩介は気が付いた。何となく気になって近付いてみると、着物姿の女性にガラの悪いチンピラの様な男が言い寄っていた。

 

「ここら辺は最近治安が悪いと聞くからよぉ、ボディガードをしてやるぜ? 女の一人歩きは危ないからなぁ?」

「不要です。あなたの様な方に守って欲しいなど微塵も思いませんので」

 

 着物姿の女性が迷惑そうに断っているにも関わらず、チンピラの男は一向に諦めようとしない。それだけに着物姿の女性はそこらの女性より上玉であり、何としても手に入れたいと思ったのかそれまで猫撫で声を出していた男は目つきを鋭くした。

 

「……おい、アマ。あんまり調子に乗るんじゃねえぞ? 俺のバックに誰がいるか分かってんのか? フリートホーフの名前ぐらい知ってるよなぁ?」

 

 フリートホーフと聞いて盗み聞きしていた浩介も思わず身を固くする。最近、王国で幅を利かせ始めた何かと黒い噂の絶えない商会の名は浩介でも知っていた。何より―――彼らから何度か仕事を受けていた。

 

「あんまり怒らせねえ方がいいぞ? 俺のバックは荒っぽい連中が多いからよぉ?」

「………私を脅す気ですか?」

「だからよぉ、ちょ~っと俺に付き合うだけでいいんだって。でなけりゃ………そっちの店に恐いお兄さん方が行っちまうかもなぁ?」

 

 軽蔑しきった目で睨む着物の女性だが、チンピラの男は尊大な態度を崩そうとしない。それだけ自分のバックにいるフリートホーフの権力を信じている様だった。まさに虎の威を借りる狐の様にチンピラの男は着物の女性に脅迫まがいの手口で言い寄っていた。

 

(お、おい……これヤバいんじゃないか? 誰か……保安員とかいねえのか?)

 

 ただならぬ様子を察して浩介は思わず辺りを見回す。だが、周りの人間もフリートホーフと関わり合いになることを恐れる様にサッと目を逸らしていた。

 

(おい、いねえのかよ誰か! いや………)

 

 お前(自分)が行けよ。

 

 それは浩介の心の中から聞こえてきた。しかし、浩介は二の足を踏んでいた。男のバックにフリートホーフがいると聞いて恐いのは浩介だって同じだ。何より裏仕事をしている浩介からすれば、今後仕事を回して貰えなくなる可能性だってある。

 

(出来ねえ……出来ねえよ! でも………!)

 

 それでも浩介の良心は目の前の事態を見過ごす事を良しとはしなかった。自問自答する様にその場で葛藤する。

 

(どうしたらいい? 俺はどうすればいい?)

(決まっている。あの女の人を助ければいい)

(でも、もしもフリートホーフの人間に手を出したとバレたら……!)

(それならばバレなければいい。闇夜の狩人の様に一瞬で済ませてしまえば、誰の目にも留まらない)

(そんなの無理だ……俺にそんな事は……)

(いいや、出来る。遠藤浩介には出来なくても―――)

 

(この俺……深淵(アビスゲート)卿ならばっ!!)

 

 瞬間、浩介の身体は動いた。

 冒険者で鍛えられた身体能力、裏稼業で鍛えられた“暗殺者”の技能(スキル)、そして生来の気配(カゲ)の薄さ。

 三位一体となった能力は浩介の脳機能まで変化させ、別人格とも呼べる認識さえも作り出していた。

 

「へへ、可愛がってやるからよ、がっ!?」

 

 

 着物の女性の胸元に汚い手で触ろうとしたチンピラの男に一陣の風が吹く。漆黒の風となった浩介はチンピラの男に一瞬で詰め寄ると顎を強打して脳震盪を起こさせた。それはまさしく目にも止まらぬ速さで行われており、男は意識を失う最後まで浩介の姿を認識すら出来なかっただろう。

 突然の突風に思わず目をつぶってしまった着物の女性だが、次に目を開けた時はさっきまでしつこく言い寄っていた男が意識を失って倒れている姿を目にしていた。

 

「何が……?」

 

 驚いた様に辺りを見回すものの、遠巻きに見ていた通行人達も()()倒れた男を見てざわざわと困惑するだけだった。

 

 ***

 

 一瞬の内でチンピラの男の意識を刈り取った浩介はそのまま路地裏に姿を隠した。影の様にスルリと入り込み、建物の隙間が作り出した暗がりに溶け込む様はまさに闇より出でし深淵(アビスゲート)卿。

 

「フッ……闇に抱かれて眠るがいい、不埒なりしケダモノよ」

 

 深淵卿の意識のまま、浩介は一仕事を終えた余韻に浸っていた。そして深呼吸する様に深淵卿の意識をカットしようして―――。

 

「―――失礼。少しよろしいでしょうか?」

 

 誰の目に見つからずに入った筈の路地裏。そこで声を掛けられて浩介は飛び上がらんばかりに驚きながら振り向く。

 そこには大柄で白髪と髭を生やした男―――執事という言葉が似合いそうな老紳士が浩介のすぐ背後に立っていた。

 

「先ほど、私の従業員を救ってくれたのは貴方でしょうか?」

 

 ナザリックの執事セバス・チャンは、元・神の使徒だった“暗殺者”の少年に声を掛けた。




>浩介の裏稼業

 一応、彼の名誉の為に入っておくと傷害や殺人などは犯していません。しかし、やっている事は闇バイトそのものなので地球の一般人だった浩介の良心は悲鳴を上げていってます。

>深淵卿

 アフターを読んでないから、ぶっちゃけ他作品のSSでしか知らないのだけど……この作品の場合、ウソップが勇気を出す時にそげキングに変身するとかそういう感じのアレです。

>ナザリックの執事さん

 我らのナザリックの良心回路さん、深淵卿と出会う。まあ、ア・リトルはマシな関わり方かな……。


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第百四十二話「執事はこうして深淵に出会った」

 やはりお気に入りの作者の更新こそが、執筆の一番の原動力になる。「やべえ、俺も書かなくては!」とケツを叩かれる気になるので。


 遡る事、数日――セバスは仕事を終えて拠点としている借家の邸宅に帰宅した。借家はそれなりの広さの屋敷といった風情で、家賃自体もかなり高めだ。しかし、セバスは“チャン・クラルス商会”のオーナーという建前で人間の街に潜入している以上は、それなりの住居に住む必要があった。仮にも商会のオーナーが出費を渋って安い住居に住んでいるなど、周りの人間から侮られたり不信感を抱かれたりするだろう。

 

「お帰りなさいませ、旦那様」

 

 帰宅したセバスをティオが出迎える。いつもは『セバスの妻』としてティオと、竜人族の里から派遣されたティオの侍女達が出迎えるのだがこの日は少しだけ異なった。

 

「お……お帰りなさいませ、セバス様」

 

 ティオの後ろに控えた海人族の女性――レミアがティオと共にセバスを出迎えた。ナザリック製のスクロールのお陰で傷はすっかりと癒え、娼館で受けた暴行のトラウマからかまだ他人に対してオドオドとした態度があるものの、今ではセバスに助けて貰った恩から屋敷での家事や清掃などの手伝いをしたいと願い出るまでに回復していた。もっとも、レミアがセバスの下で働き出したのはそれだけが理由ではなく――。

 

「セバス様、ミュウは……娘の事について何かお聞きしていませんか?」

 

 メイド服に身を包んだレミアが縋る様に聞いてくる。しかし、セバスは静かに首を横に振った。

 

「いえ、残念ながら特には」

「そう、ですか……」

 

 消沈した様に俯くレミアに、セバスもまた心を傷める様に目を閉じた。

 レミアの傷が癒えた当初、セバス達はレミアをエリセンへ送り返そうとした。しかし、他ならぬレミア自身がそれを拒否したのだ。自分の娘も奴隷にされている可能性が高く、娘を見つけるまでは帰れない、と。

 

 何より、レミアが娼館送りにされた経緯が酷過ぎた。海で迷子になった娘を探したが見つからず、エリセンの保安署に駆け込んだ所、保安署の職員はミュウは別の町で保護されていると言ってきたのだ。手続きに必要だから、とレミアは言われるがままに書類にサインして、職員達が親切にも馬車で送ろうと言ってくれたので乗り込んだ結果……送られた先が娼館で、自分がサインした書類は奴隷として働く契約書だったという顛末だったのだ。

 

『まず間違いなく、保安署の者はクロじゃな』

 

 レミアの話を聞いたティオは不快感を顕にしながら断言した。

 

『保安署までそうなっているとなると、エリセンの領主もどこまで信用して良いものやら……。セバス殿、レミア殿をエリセンへ送り返すのはあまり得策ではないと思われまする。ひょっとすると、送還された先でまた奴隷として売られる事になるやもしれぬ故に』

 

 ティオの進言にセバスは反対などなかった。他のナザリックの守護者達とは違い、カルマ値が極善である彼は自分が救った女性が再び酷い目に遭わされる事など許容できる筈も無い。何より、我が子を探したいというレミアの心意気を汲んでやりたかったのだ。

 そして話し合いの末、レミアを邸宅内で匿いながらミュウの居場所の情報を探るという事になったのだ。レミアは自分も探しに行きたいというのが本音だろうが、働かされていた娼館の人間に見つかるといらぬ面倒事になるのでセバスが仕事の合間に奴隷商人などから情報を探っていた。

 

「そう気を落とすでない。大丈夫じゃ」

 

 沈痛な表情をするレミアに、ティオは慰めの言葉を掛ける。

 

「いま、商館の者達にも奴隷として売られた海人族の子供の情報を集めさせておる。そなたの娘もきっと見つかる筈じゃ」

「そうですね………何から何までありがとうございます、ティオ様」

「よい。困っている者がおるなら、助けるのは当たり前と常日頃から旦那様も仰っておるからな」

 

 大事にしている創造主(たっち・みー)のモットーを言われ、セバスは少しだけこそばゆい気持ちになる。だが、レミアを安心させる為にも微笑みを浮かべた。

 

「ええ、必ず貴方のお子さんの居場所は探し出しましょう。だから今は私にお任せ下さい」

「………あ、ありがとうございます、セバス様」

 

 見た目こそ初老の男性だが、ナイスミドルを絵にした様なセバスの紳士的な微笑みにレミアは顔を赤くする。何より、レミアにとってセバスは地獄の様な日々から救い出してくれた救世主なのだ。レミアの中でセバスに対して恩人以上の想いが募るのに時間はあまり要らなかった。

 

「レミアさん、どうかされましたか? お顔が赤い様ですが……」

「い、いえ! 大丈夫です! あの、お夕飯を用意しますね!」

 

 セバスが不思議そうな顔で覗き込む様に見ようとすると、レミアは真っ赤な顔のまま厨房へと行ってしまった。

 

「……案外、すけこましの才能があるのかもしれんのう」

「何でしょうか?」

 

 ジト目で見てくるティオにセバスは何か失礼な事をしたのか、と動揺するが、ティオは咳払いするだけに留めた。

 

「まあ、旦那様が凡ゆる者に優しいのは今更じゃとして……少し真面目な話を良いかの?」

 

 レミアの前では出来ない話だったのか、真剣な表情になるティオにセバスも表情を引き締めた。

 

「ここ最近、フリートホーフの連中が店に嫌がらせをしたり、従業員達に狼藉を働こうとしたという報告が増えておりまする。保安署には何度も訴え出ているものの、彼等は何かと理由をつけて動こうともしませぬ」

「そうですか……やはり、フリートホーフなる者達の背後には大きな権力者がいるという事ですね?」

 

 今や王国で急発展を遂げたチャン・クラルス商会。しかし、その成功を面白くないと思っているのがフリートホーフだ。せっかく聖教教会から金を引き出して表社会の市場すらも手中に収めかけているというのに、自分達に従う姿勢を見せない商会が大きくなっているなど目の上のタンコブなのだろう。それでならず者を使ってチャン・クラルス商会の支店に営業妨害を行ったり、もっと直接的に従業員を恫喝して商会を辞める様に仕向けるなどといった行動に出始めていた。これを取り締まるべき保安署はフリートホーフから甘い汁を吸っている貴族達からの命令で捜査の差し止めをされたり、保安署の上層部は賄賂を受け取っていたりするのでフリートホーフ関連の事件には見て見ぬふりをする有様だった。

 

「現在、竜人族の里にも要請して腕の立つ者達に支店の用心棒をして貰っておるが、手が回り切らぬ所が出るやもしれぬ。魔導国からも応援を頼めぬかお聞きして貰えぬか?」

「分かりました。従業員の安全を第一としましょう」

 

 セバス達のチャン・クラルス商会は魔導国の援助もあって支店の数を一気に増やせる程に急成長したが、それがかえって仇になっていた。ティオの伝手で集めている用心棒達では支店全てをカバーし切れず、この屋敷もティオの侍女達にも出払って貰わなくてはならない程に人手が足りなくなっていた。そういう意味ではレミアが屋敷の家事を担ってくれるのはありがたかったわけだが………。

 

「そうして頂けると助かる。ところで……この事はゴウン様にお伺いを立てなくて宜しいのかの?」

 

 さりげなく言ったティオの指摘に、セバスの肩がピクリと動いた。だが、すぐに首をゆっくりと横に振った。

 

「必要ないでしょう。この程度の事でアインズ様の時間を割くのは申し訳ないと思います」

「………旦那様、妾は婚約者として旦那様を最大限に立てるべきとは心得ておる。しかしながら、レミア殿の件も含めて一度報告はすべきだと存じ上げまする」

 

 もっともな正論だろう。チャン・クラルス商会は謂わば魔導国のフロント企業であり、セバスはあくまで名代としてオーナーを名乗っているに過ぎない。いま商会を取り巻く事情はセバス個人の裁量を超えてきており、ミュウの情報を探る為にレミアが売られていた娼館の周りを独自に調査していると聞く。それが何かしらトラブルの種になるのではないかとティオは懸念していた。もちろんティオとて、我が子の生存を願うレミアに同情していないわけでない。だからこそ、一度彼の上司であるアインズに報告すべきだと考えているのだ。

 

「……いえ、この程度の事でアインズ様のお手を煩わせるまでもないでしょう。何らかの問題が生じる様ならば、私自らの手で処理するので問題ありませんよ」

 

 しかし、セバスはやんわりと拒否した。

 残念ながら、ナザリックはそこに属さない者に対して慈悲を見せる事は無い(ペストーニャの様な例外もいるが)。それこそナザリックの利益と天秤にかけるならば、レミアの事など放り捨てるべきだと言われるだろう。

 

(本来、ナザリックに属さない者に憐れみの感情を持つ事は正しくない。しかし………)

 

 しかし、である。ナザリックの執事としてアインズに絶対の忠義を捧げるべきと誓っているセバスでも、心の奥で渦巻く物があった。

 

 至高の四十一人の一人、たっち・みー。

 

 弱者救済を掲げ、“アインズ・ウール・ゴウン"の原点(ナインズ・オウン・ゴール)を築いたセバスの創造主。アインズより“ナインズ・オウン・ゴール”の話を聞き、セバスにはたっち・みーの遺志とでも呼ぶべき心が芽生えていた。だからこそ、レミアを見捨てろと言われるのが怖くてアインズへの報告を躊躇していたのだ。

 

「旦那様………」

「これは私の独断で行っている事です。もしも貴方達が咎められる様な事があれば、その様に証言なさい」

「……いや、妾とてレミア殿を助ける為に貴重なスクロールを使う様に指示したのじゃ。旦那様一人に咎は負わせとうない」

 

 セバスの葛藤を知ってか知らずか、ティオは静かに頷いた。それはまさしく———夫に寄り添う事を覚悟した女の表情だった。

 だからこそ———セバスはティオを守りたい、と思える様になっていた。

 

「まあ、もしもの為にも竜人族の後継ぎとなる者を孕ませてくれれば、後顧の憂いは無いのじゃが」

 

 

 戯ける様に言われた一言に、セバスは難しい表情で黙り込んだ。

 

 ***

 

 翌日、セバスはミュウの情報を探す為に今日も街に出ていた。

 フリートホーフの影響力が強くなった為か、街もすっかりと様変わりしてきていた。さすがに表通りではやらないものの、裏通りでは奴隷市場が当たり前の様に開かれて首輪や足枷を付けられた子供や女が死んだ様な目で競りにかけられていた。その光景にセバスの中に強い嫌悪感が滲み出るものの、グッと堪えてレミアから聞いた特徴の海人族の子供がいないか注意深く観察する。残念ながらミュウらしき子供の姿はなく、買取主である貴族や富豪達に鎖を引っ張られて泣きながら連れて行かれる奴隷達の姿に後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。

 

「……おい、アマ。あんまり調子に乗るんじゃねえぞ? 俺のバックに誰がいるか分かってんのか? フリートホーフの名前ぐらい知ってるよなぁ?」

 

 セバスが表通りに戻ると、少し離れた所から喧騒が聞こえてきた。聞き捨てならない名前にセバスが振り向くと、そこでチンピラ風の男が着物を着た女性を恫喝していた。

 

(あれは………)

 

 その女性には見覚えがあった。チャン・クラルス商会の従業員であり、ティオの侍女の一人だ。ティオの侍女だけあって、彼女には武の心得があった。あんなチンピラなどその気になれば鎧袖一触に出来るだろう。しかし、それは見過ごして良い理由にはならなかった。

 

(本当に治安が悪くなったものです)

 

 すぐそこで立番をしているのに見て見ぬ振りをしている衛兵に溜め息を吐きながら、セバスは女従業員を救う為に近寄ろうとする。すると———。

 

「あれは………」

 

 セバスの視界の端で黒い影———十代半ばくらいの少年が動いた。少年の気配は注視していなければ見逃しそうになる程に薄く、その動きは普通の人間では目にも止まらない程に速かった。気配の薄い少年は女従業員やチンピラ、更には周りの野次馬達にも気付かれずにチンピラへと近寄り———。

 

「がっ!?」

 

 少年はチンピラの顎をピンポイントで打ち抜き、脳を揺らしていた。だが、周りの者達には突然チンピラが崩れ落ちた様に見えただろう。目の前にいた女従業員でさえ、少年が動いた時に巻き起こした突風で目を瞑ってしまったのだから。そうして倒れたチンピラに全員が目を奪われる中、少年は誰にも気付かれずに路地裏へと入って行った。

 

「驚きました………あれ程の実力者が人間の中にいたなんて」

 

 まさに手練れの暗殺者の様な手腕にセバスも驚嘆していた。今の一撃を見るなら、自分はともかくプレアデス(武装メイド達)と良い勝負が出来るだろうと思わせた。セバスは思いもよらない場所で見つけた強者を、何より自分の従業員を助けてくれた相手の後を追って人混みをすり抜ける様に抜けながら路地裏に入った。

 

「フッ……闇に抱かれて眠るがいい、不埒なりしケダモノよ」

 

 路地裏に入ると、件の少年がニヒルに笑いながら何やら呟いていた。なんとなくパンドラズ・アクターを思い出しながらも、セバスは彼に声を掛けた。

 

「失礼。少しよろしいでしょうか?」




>レミアさん

 現在、セバスの所でメイドとして働いてます。エリセンに帰らなかったのは作中で説明した通り。送り返されても再び奴隷として売られるし、ミュウが見つかってないので帰れない。それはそうと、何やらセバスに対して……?

>セバス

 この無自覚天然タラシが!(笑) 仮にセバスの見た目が若かったらギャルゲーの主人公とかやれそうな気はする。レミアを見捨てろと言われるのが怖くて、アインズ様に報告して無いです。ここで報告していれば、諸々が解決しましたけど。

>ティオ

妻の内助の功としてセバスを支える側へ。因みにハーレムOKな人です。もともとティオの侍女達もセバスの側妻にする予定で送り込まれているので。


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第百四十三話「合縁奇縁の裏で進む企み」

もうじき色々と爆発させたいなー、と思いつつも下拵えはキチンとすべきだよね? と粛々と書いています。


「先ほど、私の従業員を救ってくれたのは貴方でしょうか?」

 

 突然、背後に現れた老紳士(セバス)に浩介は飛び上がりそうになる程に驚いていた。

 浩介は仮にも“暗殺者”だ。天職のスキルによって人間の気配というのが分かるようになり、さらにはトータスの一般人より数十倍以上優れているステータスによって今まで人間を相手に不意をつかれるという事は無かった。ところが目の前の老紳士は声を掛けられるまで全く気配を感じず、さらに立ち振る舞いにも全く隙が無い様に浩介の目には見えていた。

 

「な、何の事だよ? 俺はさっきからずっとここにいただけの通行人だぜ?」

「どうして嘘をつかれるのですか? 先ほどの貴方の行動は見ていました」

 

 フリートホーフ(自分のお得意先)の下っ端を倒してしまった事を他人に知られたくなくて、つい口からでまかせを言った浩介だが、セバスには通じなかった。

 

「彼女を守る為に男を倒し、ここに入った姿も見ています。あれは間違いなく貴方でしたよ」

「いや、だから俺は……え? ちょっと待て。ここに俺が入った姿も見ていた……?」

 

 なおも否定しようとした浩介だが、セバスの言葉に血の気が引いていくのを感じた。それは自分の嘘がばれたという下らない物ではなく―――。

 

「ええ。『フッ……闇に抱かれて眠るがいい、不埒なりしケダモノよ』と呟かれていた姿も私はこの目で目撃しています」

「ぎゃああああああああああっ!!??」

 

 至極真面目な表情で証言するセバスに対して、浩介はその場で身悶えした。今更になって深淵卿モードに入っていた自分を思い出し、浩介の心に羞恥心が芽生えていた。

 

(何だよ、闇に抱かれて眠るがいい……って!! 今時の厨二でももっとマシな台詞を吐くわ!!)

 

 高校に入ってとっくに卒業したと思っていた思春期病を発症していた自分に、母親に隠していたエロ本を見つけられたかの様に浩介は頭を抱えてゴロゴロと転げ回る。突然始まった浩介の奇行にセバスは純粋に不思議そうな顔をした。

 

「はて、どうして恥ずかしがられているのですか? 『フッ……闇に抱かれて眠るがいい、不埒なりしケダモノよ』と言われていただけでしょう?」

「やめろおおおおっ! 真顔でリピートするんじゃねえええ!!」

「そこまで恥ずかしがる言動でしょうか? 私の仲間に似たような言葉遣いをされる方がいるので、てっきりそういう方言なのかと………」

「無えよ、そんな方言! その仲間、普通に言動がアレだからな!?」

 

 その瞬間、はるか遠くの宝物殿でくしゃみをしたドッペルゲンガーがいたのだが、そんな事には気付かずに浩介は顔を覆いながら地面に伏せた。

 

「忘れて……お願い、さっきの事は忘れて………」

「そう仰られましても、従業員を助けてくれた貴方の活躍を知らぬフリをする方が不義理でしょう」

 

 一切の邪気はなく、セバスは浩介に手を差し伸ばした。

 

「どうかお礼をさせて下さい。私の屋敷までご同行を願えませんか?」

 

 ***

 

「この度の事は妾からもお礼を申し上げる」

 

 セバスに連れられ、浩介は屋敷に来ていた。さすがに“神の使徒”をやっていた頃に寝泊まりしていた王宮には劣るものの、それでも庶民の目から見て立派な応接室で美しい黒髪の女性に頭を下げられていた。

 

「妾はチャン・クラルス商会の副支配人であり、セバス様の妻のティオ・クラルスじゃ。そなたは何と申す?」

「え、えっと……浩介と言います」

 

 庶民から見ても気品のある高貴な女性に見えるティオにドギマギしながら、浩介は自分の名前を名乗った。

 

「コースケさん、ですか………」

 

 セバスが紅茶を淹れながら呟いた。「茶くらい妾が淹れますのに……」と少し不満顔のティオをまあまあと宥めながらも給仕する姿が、何故か商会の支配人と紹介された時よりも似合っている様に浩介は感じていた。

 

「ああ、失礼。こちらではあまり馴染みがない名だと思いまして」

「………まあ、ちょっと遠い地方の出身なんで」

 

 遠藤浩介という和名は西洋風の名前が多い王国では当然目立ち、一時期はステータスプレートを確認されて召喚された異世界人だとバレた途端に門前払いされた経験があった。その為に最近は浩介も本名を正直に名乗らず、ステータスプレートもわざと持ち歩かない様にして自分の素性を隠すようになっていた。本当は適当な偽名でも名乗りたい所だが、セバスの紳士的な態度に流石にそれは気が引けていた。幸いなことに、セバスはそれ以上の追及はしない様だった。

 

「コースケさん、改めてお礼を申し上げます。当店の従業員を危機から救っていただき、ありがとうございました」

「妾からも感謝申し上げる。最近ではフリートホーフの名を聞いただけで恐れて手を出さぬ者も多いというのに見上げた若人じゃ」

「いや、まあ………」

 

 立派な商会の支配人夫妻に深々と頭を下げられ、浩介は気まずそうに頬をポリポリと掻く。こんな風に人から感謝されるのは久々の体験だった。

 

「何かお礼をさせて頂きたいのですが、いかがでしょうか?」

「いや、お礼なんて………」

 

 奥ゆかしい日本人としての癖で遠慮しそうになる浩介だが、ついつい今いる応接室の高価な調度品の数々に目がいってしまう。

 

(これ一つでベレアさんやチビ達を一ヶ月は食わせられるよな………)

 

 違法クエストで稼いだ金はまだ懐にあるものの、バラダックに仲介料として半分以上は取られているので然程の金額では無かった。それも二十人近い人数の食費となると一週間も保たないだろう。そんなわけで浩介は金が欲しいと思っていたわけだが、それを素直に言うのはさすがに憚られていた。

 

「………おぬし、ひょっとして金に困っておるのかの?」

「え? いや、その………」

「ふむ………」

 

 浩介の視線からティオが察し、それを見たセバスが何やら思案顔になった後に頷いた。

 

「それならば、どうでしょう? 私の下で働いてみる気はありませんか?」

「い、いいんですか!?」

「ええ。実は先程の様に悪質な嫌がらせを受ける事が増えてきまして、コースケさんの様に腕の立つ方を必要としているのです。当然、仕事に見合った給料はお支払いします。ティオもよろしいですか?」

「支配人である旦那様がそう決められたのなら、妾に異論はありませぬ」

 

 セバスの提案に浩介の心に喜びが満ち溢れる。本当はやりたくもない裏稼業をしていた浩介からすれば、セバスの提案は非常に魅力的だ。提示された給料も良く、何よりも罪悪感を抱きながら仕事をしなくて済むのだ。

 

「よろしくお願いします!」

 

 渡りに船の商会の主人達に、浩介は深々と頭を下げた。

 

 ***

 

「なんというか旦那様はよくよく拾われるのが好きじゃのう」

 

 浩介が去った後の応接室でティオは空になったティーカップを片付けながら半ば呆れ気味に呟いた。

 

「レミア殿といい、先程の少年といい、変わった相手に変わった出会い方をする星の下にでも生まれたのかの?」

「いえ、さすがにこの様な奇特な事はそうそう無いと思いますが……」

「どうかの? 二度あることは三度あるとも言うじゃろう」

 

 そう言われるとセバスも気まずそうに目線を逸らすしかなかった。さすがに自重しようと思うものの、再び同じ様な状況が起きても二度とやらないとは約束できそうに無い。

 

「それで? どうしてあの少年を雇おうと思ったのじゃ?」

 

 ティオの声音に真面目な物が混ざる。竜人族の次期族長として、そして商会の副支配人としてセバスに真意を尋ねた。

 

「妾の侍女を暴漢の手から助けたのは事実。それに関しては礼を言うべきではありまする。しかしながら、今の時勢に素性の分からぬ者を雇う危険性を知らぬわけではありますまい?」

 

 至る所にフリートホーフの魔の手が伸びている今、彼等が無関係の人間を装って取り入ろうとするのは珍しくなくなっていた。その為にティオは商会を運営するにあたって出入りする業者や雇用する従業員に対して厳正な調査を行っているのだ。

 因みに素性を確かめる手段としてステータスプレートを使うという手もあるのだが、ステータスプレートには当然フリートホーフと関係あるか等までは記されず、また持ち主が強く念じれば生来の名前とは別の名前が記される様になるのであまり当てにはならなかった。

 

「勝手に決めてしまった事は謝罪します。ただ………それでも彼を間近で観察する必要があると判断致しました」

「観察? どういう事かの?」

「アインズ様は我々に商会を運営を命じられたと同時に、現地の人間達の珍しい魔法やスキルの調査も命じられました」

 

 アインズ達が元から使っているユグドラシルの魔法やスキルは、トータスの物より基本的に優れている。しかし、ティオの『痛覚変換』の様に一部はユグドラシルにも無い魔法やスキルが存在している。未知の手段を警戒するアインズにとって、現地の魔法やスキルの情報を集める事はナザリックを守る為に必要な事だった。

 

「先程、あの少年が貴方の侍女を助ける際に動いた時に彼のステータスが数倍以上に跳ね上がった様に見えました」

「なんと……それ程の強者がまだ人間族にいたとはのう」

「ええ。ですから彼を観察する事はアインズ様の御役に立つと考えております」

 

 なにより、とセバスは言葉を区切る。

 

「周囲の方達が見て見ぬフリをする中、彼だけは真っ先に動いてくれました。彼の善性を私は信じたいと思います」

 

 まっすぐな、それこそ老齢な見た目に似合わない純粋な少年の様な目でセバスは語った。要するに先程に語った内容は方便で、むしろこちらの方が主体なのだろう。

 

(甘いのう、旦那様は………)

 

 しかし、ティオはそれに対して少しだけ危機感を抱いた。何も自分の侍女を助けた浩介の行動に感謝してないわけではない。だが、それだけで全面的に信用するのは早計ではないかと考えていた。それこそフリートホーフの者と打ち合わせをして、自分達の懐に潜り込んだという可能性もゼロではないのだ。

 

(レミア殿の件といい、旦那様は物事の判断に感情を優先させてしまうきらいがあるようじゃ。なんというか……あまり人生経験が豊富でないのかもしれんのう)

 

 あるいは、それは少し前まで自律思考をする事のないプログラム(拠点のNPC)であった事も起因するのだろう。もっともその事情までティオが知るわけは無いのだが。

 

(とはいえ、旦那様がそうすると決めたならば問題ない様にするのが妻の務めじゃ)

 

 少なくとも浩介の人間性は悪いものでは無いだろう。意味合いは違うが、セバスはあの少年から目を離さない様にするから自分もそれとなく見張れば良い。そう思ってティオはティーカップを片付け始めた。

 

 ***

 

 その円卓には九人の人物が座っていた。

 彼等こそが王国の裏社会を牛耳っているフリートホーフの中心人物達だ。彼等は同じ卓を囲んでいながら、一触即発とまではいかないまでもお互いを探り合う様な空気が流れていた。

 フリートホーフは元々はフューレンの裏組織だ。フューレンにはそれまで三つの裏組織があり、聖教教会から引き出した資金で組織を拡大させたフリートホーフが組織の吸収や買収を経て、今の形に収まっていた。ここにいる人物も内三人はフリートホーフから元々いた幹部ではあるもの、残りの六人はそれぞれ別組織から来た者であるため、今は同じ組織にいても仲間意識など最初から皆無だった。ともすれば、元・同僚であっても隙あらば蹴り落とそうという空気が流れている中、円卓の一角から一人の男が発言した。

 

「では定例会を始めよう。最初の議題だが………我々にとって目障りな“チャン・クラルス商会”の事だ」

 

 円卓の人物達の表情に程度の差はあれ、不快の色が浮かぶ。王国の内乱に乗じて勢力を増しているフリートホーフにとって、他の商会と違って自分達の要求に応じようとしない“チャン・クラルス商会”は目の上のたん瘤だった。

 

「それについてだが、突破口が出来たかもしれねえ」

「突破口だと?」

「ああ。処分する予定だった奴隷について、ちょっと気になることがあったから調べたんだが、面白い事になってるみたいでな」

 

 円卓に座る一人の男―――組織における風俗部門を取り仕切る部門長がニヤリと笑みを浮かべる。

 

「ついては腕の立つ用心棒を雇いたいんだが……デイモス、お前の所の部下を貸してくれるか?」

「ほう?」

 

 声を掛けられた幹部―――デイモスが興味深そうな声を出す。

 デイモスは筋骨隆々とした男であり、かつては金ランクにまで上り詰めたと噂される元・冒険者だ。それがどうして裏組織に身を窶す事になったか知る者は少ないが、彼は飢えた獣の様な鋭い目で風俗部門の幹部を睨む。

 

「俺の手勢を使う程か? 最近になって入ってきた冒険者(雑魚共)でも十分だろう」

「念には念を入れておきたいんだよ。あのジジイは確実に消しておきたいからな。何なら、あの商会を手に入れた後に女店長はお前が好きにしてもいいぜ?」

「フン、興味ないな。それより金だ。きちんと用意できるんだろうな?」

 

 チッ、と風俗部門の幹部は舌打ちしながらも頷く。どうやら彼の中で新しく奴隷にする予定の女をチラつかせて安く済ませようという算段があった様だった。

 

「………いいだろう。その代わりに精鋭中の精鋭を寄越せ」

「ならば、“六獣”の一人を寄越してやる」

 

 デイモスの言葉に風俗部門だけでなく他の部門の幹部達までざわついた。

 “六獣”はフリートホーフの中でデイモスを含めた最強の戦闘メンバーだ。神話においてエヒト神に退治されるまで多くの人間達を喰らった六匹の魔物に由来して名付けられた彼等は、ともすれば王国最強の騎士だったメルド・ロギンスに匹敵する力を持つと噂されていた。

 

「その代わりに事が済んだら、さらに報酬を上乗せして貰おう」

「チッ………分かった」

「話は済んだか? では“チャン・クラルス商会”の事はデイモス達に一任するとして、次に他国に売りさばく麻薬についてだが―――」

 

 司会役の幹部が次の議題に移る。ハイリヒ王国を蝕み、他国すらも毒牙にかけようとする犯罪組織の会合はその後も滞りなく進行した。




>ステータスプレート

 今回の話を考えるにあたり、浩介の身元確認はステータスプレートを見れば一発じゃんと思いましたが……ただ、ステータスプレートがそこまで便利なら原作でユエの名前が『アレーティア』と表示されなかった事におかしな点が出てくるんですよね。そして勝手に名前を変更できるなら、身分証として機能しているとは言い辛いかなと思いました。そういった事を考えて、浩介自身がステータスプレートを持ち歩かなくなったという展開にしました。

>フリートホーフの"六獣”

 まあ、素直にオーバーロード原作から“六碗”を登場させても良かったのですけどね………。神話でよくありがちな神に退治される怪物達から由来した用心棒集団だと思って下さい。まさしく裏社会で最強の戦闘集団です。きっと商会の老紳士主人くらい一捻りにするに違いない(棒)


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第百四十四話「天使は人となりて」

 活動報告に書きましたが、先週にコロナにかかって寝込んでいました。まだ喉の痛みとか取れずに本調子が出ないけど、また執筆を頑張りたいと思います。
 今回もちょっと自分的には微妙な気がするけど、開き直って投稿することにしました。


 浩介が街へ仕事に出掛けている間もノイントは屋根裏部屋のベッドに横になっていた。彼女は日がな一日をベッドの上で無気力な目をして天井を眺めているだけで過ごしていた。

 何度か修道院の孤児達が食事を運びに来てくれたものの、ノイントは目を瞑って寝たふりをしてやり過ごしていた。背中の翼や高周波発生器を失った今でもノイントの身体は普通の人間とは異なり、何日も絶食していても問題無かったのだ。

 

(放っておいて下さい………もうエヒトルジュエ様の使徒でも何でもない私に価値なんてないんですから)

 

 こうして何もしないでいる内に自分という存在が消えてくれればいいのに。

 そんな自虐的な思いで食事を持ってくる度に声を掛けてくる人間達を無視し続けていた。その日も不貞寝していたノイントだったが、ふと明かり取りの窓から差し込む光が鬱陶しくなり、ベッドから起き上がっていた。窓の鎧戸を閉めようと近寄ると―――ふと外の景色が見えた。

 

「あれは………」

 

 窓の外、眼下ではベレアが子供達と洗濯物を干していた。二十人近い子供達の洗濯物は数が多く、ベレアは額から汗を流しながら働き、十歳近い年齢の年長組の子供達も手伝っているものの人数は数人程度だった。その他の子供達は五歳未満の年少組の子供達の面倒を見ているなど、余裕の無い生活ぶりが見て取れる光景だった。

 

「ァツッ」

「マザー!」

「大丈夫、ちょっと腰を痛めただけよ」

 

 大きなシーツを干そうと曲がっている腰を無理に伸ばした為か、ベレアは腰を押さえて座り込んでしまう。駆け寄った子供達になんとか笑顔を見せたものの、立ち上がれずにいた。こうなると遊んでいた年少組も、彼等の相手をしていた年中組も心配そうな顔でベレアの周りに集まって来ていた。

 

「………うるさいですね」

 

 ちょっとした騒ぎになっている外にノイントはそう呟く。窓をピシャッと閉めてベッドに戻ろうとも思ったが、集まって来た子供達の声は窓を閉めてもうるさく響きそうだった。ノイントは無表情な―――それでいて不機嫌な顔で部屋から出て階段を下りた。修道院はさほど広くない為、あっという間に外に出られた。

 

「ノイントさん………?」

「じっとしてなさい」

 

 ベレアや子供達はこれまで寝たきりだったノイントが外に出てきた事に驚いたが、ノイントは彼等の視線を無視してベレアの腰に手を当てる。そして―――ノイントの手から温かな光が漏れ出した。

 

「……天の息吹、満ち満ちて、聖浄と癒しをもたらさん」

 

 少し遅れてノイントの口から詠唱の呪文が紡がれる。本来、“真の神の使徒”であるノイントは簡単な魔法ならば詠唱は必要としない。しかし途中で今の自分はただの人間としてこの修道院に入り込んだ事を思い出し、形だけの詠唱を唱える。そして光が収まった後、ベレアは自分の腰に驚きながら触れた。

 

「痛みが引いた……?」

 

 べレアは立ち上がって自分の腰を伸ばしたりする。今まで腰痛で悩まされていた身体が、まるで嘘の様に軽くなっていた。

 

「……もういいですね? 失礼します」

 

 これでうるさかった子供達も静かになる筈だ。そう思ってノイントは自分の部屋に戻ろうとして———。

 

「すごーい!」

「それ魔法なの? ねえねえ、どうやるの?」

「お姉ちゃん、天使様みたい!」

 

 あっという間に子供達に取り囲まれて、ノイントは表情が薄いながら困惑を浮かべていた。

 

 ***

 

「ノイントお姉ちゃん、こっちこっち!」

 

 数日後、ノイントは修道院から一キロくらい離れた川へ子供達と水汲みに来ていた。ノイントの内心では鬱陶しく思っているものの、子供達は「ノイントお姉ちゃん」と一緒にいる事が嬉しくて気付かれてない様だった。

 ノイントが魔法を見せて以来、子供達は何かとノイントに纏わり付く様になっていた。お陰で今までの様に部屋に籠もる事は出来なくなり、仕方なく日中は子供達と共に過ごす羽目になったのだ。

 

(でも………ここで人間の修道女のフリをしていれば、あの化け物達にも見つからないはずです)

 

 ベレアから貰った着古した修道服に身を包んだノイントはそんな打算を思い浮かべる。もはやエヒトルジュエの遣いではない自分自身に価値など無いと思っているが、それでもあの化け物(アインズ)達に見つかって死ぬのはとても恐ろしかった。

 

 何より―――ノイントはアンカジの戦場で見てしまった。

 

 同士討ちや黒い仔山羊によって死んでいく姉妹達。その骸から青白い光―――魂を抜き取りながら空を征く魔導王。

 いま思い出しても寒気がする光景であり、死後の魂すらも陵辱されるなら化け物(魔導王)達に見つからない様に人間のフリをして隠れていた方がマシだとノイントは思っていた。

 

「ノイントお姉ちゃん、早く行こうよ!」

「………いま行きますよ」

 

 子供達の声に思考を中断して、ノイントは水桶を運びながら応える。何も知らずに自分に纏わり付く子供達は鬱陶しいものの、まさかあの化け物達も自分がこんな鄙びた修道院にいるなどとは思わないだろう。隠れ蓑を維持する為にも、ノイントは『孤児達に優しいお姉さん』を演じていた。

 

「なあなあ、ノイントお姉ちゃん! 魔法でさあ、水とかパッと出さねえの?」

「駄目だよ! 魔法はエヒト様が与えてくれた奇跡の力だ、ってマザーに習ったでしょ! そんな事に使ったらエヒト様のバチが当たるんだからね!」

「ちぇ~っ」

 

 ベレアの受け売りであろう聖教教会の教義を語る女の子に、男の子は残念そうな顔になる。

 

「エヒト様にお祈りして、ちゃんと勉強を頑張れば、いつかノイントお姉ちゃんみたいな魔法が使えるようになるよね!」

 

 女の子が無邪気な瞳をノイントに向ける。穢れのない―――悪く言うなら、世間を知らない人間の目だ。かつてのノイントならば、そんな人間達を内心で嘲笑っていただろう。

 魔法の才能は生まれた時の才能でほとんどが決まる。本当に才能があるならば、こんな辺境の修道院で孤児になどなっておらず、生まれた時に教会によって親元から離されて専用の教育機関に入れられている筈だ。

 そもそもこの世界の全ては主たるエヒトルジュエの玩具に過ぎず、人間がどう過ごしていようが神は一切顧みる事などない。人間達がどれだけ祈ろうが、努力しようが主に決して届く事などないのだ。

 だが―――それは今となってはノイント自身にも当てはまる事だった。エヒトルジュエから授かった鎧や銀翼を失い、人間のフリをして魔導王の目から逃れようとしている自分を神は決して気に掛けてはくれない。そもそも“真の神の使徒”の存在そのものが所詮はエヒトルジュエが人間達の神を演出する為に作り出した駒だ。子供達を嘲笑う事は自分の事も嘲笑う事になる気がした。

 

「………そうですね。善き行いを務めれば、きっと神は見て下さるでしょう」

「うん!」

 

 その場凌ぎで言ったノイントの適当な言葉に、女の子は笑顔で頷く。

 

 その笑顔に―――ズキン、と何故か胸の奥底が痛んだ気がした。

 

 ***

 

「ふう、今日も働いたなあ」

 

 夜中に浩介は一日の疲れを解すように肩をコキコキと鳴らした。

 セバス達の好意で“チャン・クラルス”商会で働き始め、浩介の生活は劇的に改善していた。仕事自体は店員を兼ねたガードマンといった所で、店に陳列されている商品をお客から聞かれても答えられる様に覚える事は多いものの、充実感を持って働けていた。何より、違法な仕事をやっていた時の様に後ろめたさを感じなくて良いのだ。しかも給料自体もかなり良く、修道院の生活も上向きに修正されつつあった。

 

(それにしてもノイントさんも元気になってくれて良かったよ………)

 

 ずっと寝たきりだったノイントが最近は日中に子供達の面倒を見るようになったそうだ。ずっと失意のままにベッドに籠もっていた彼女の事を浩介は気に掛けていた。

 

 初めて会った時は、綺麗な女性(ひと)だと浩介は思った。

 

 傷だらけで、着ていた服も泥塗れになりながらも美しさを損なわない銀髪。顔もまるで上等な職人が手掛けたフランス人形の様で、まさに地上から落ちてきた天使を思わず連想してしまった。

 気が付いたら浩介は少ない稼ぎで非常用に持っていったポーションを使ってノイントを懸命に生かそうとしていた。そうまでした助けた女性が回復した事は浩介にとってとても喜ばしい事だったのだ。

 

(まあ、異世界にいきなり飛ばされて良い事なんてあんまり無かったけどよ、ノイントさんみたいな美人と知り合えたのだから悪い事ばかりじゃないよな)

 

 自分のいま置かれた状況に楽観的にそう考えながらも浩介は脱衣所で服を脱ぐ。

 今日は久々のお風呂の日だ。薪を焚くのにも一苦労になるトータスでは現代日本と違って入浴も毎日できる物ではない。子供達を先に入れる為に遅い時間になってしまったが、久々の入浴で一日の疲れを癒そうと裸になった浩介はタオルを腰に巻いて浴室のドアを開け―――。

 

「あ………………」

 

 瞬間―――時が静止する。

 浴室には先客がいた。美しい銀髪から水を滴らせ、そちらも予想外だったかの様に目を見開いて浩介を見ていた。 

 ぴちょん、とノイントの白い肌から水滴が落ちる。

 

「え、あ、いや、その………い、いるとは思わなくて………」

「私も………気配を全く感じませんでした」

「そ、そうなんすよ! 俺ってば本当に影が薄くて、クラスの班分けでも忘れられたくらいで!」

 

 気まずさを誤魔化そうと浩介はどうでもいい事を口走る。対するノイントはそんな浩介を無表情にじっと見つめる。湯気であまり見えないが、裸体を隠す素振りもないノイントに見つめられている事に段々と気恥ずかしい気持ちになってきた。

 

「そ、そのう………俺は後で入るんで………どうぞごゆっくり!」

 

 浩介は慌てて浴室から出ようとして―――濡れたタイルで足を滑らせた。

 

「え、ちょっ………!?」

「なっ………」

 

 あっという間にバランスを崩し、すってーん! と擬音が似合いそうな程に浩介は転んだ。しかも運悪く、ノイントを巻き込んで二人は浴室の床に尻餅をついた。

 

「痛てて………ん? 何だこれ?」

 

 起き上がろうとした浩介は手を床に付こうとして、むにゅんとした感触を感じた。それはつき立ての餅の様に柔らかく、浩介の手の中に収まって動かす度に自在に形を変え―――。

 

「……………()()()()()反応として、ここは悲鳴の一つでも上げるべきでしょうか?」

「すんませんっした!!」

 

 絶対零度のノイントの視線に、浩介は素早く土下座した。

 

 ***

 

「入浴を終えました」

「あ、ハイ………」

 

 着替えて脱衣所から出てきたノイントに浩介は、沙汰を申しつけられる罪人の様にきっちりとした正座で出迎えた。

 

「あ、あの………さっきは本当にすいませんでした」

「……………別に。貴方の様な下等な人間に私の裸体を見られようが、触られようが、何とも思っておりませんので」

 

 相手を見下した様な発言だが、浩介は不埒な真似(ラッキースケベ)の代償として甘んじて受け入れる。穴があったら入りたい気持ちで地面に目線を向けていた為に―――ノイントの顔が何故か赤くなっている事に気付かなかった。

 

「………頭を上げなさい。こんな所を修道院の人間に見られたらいらぬ誤解を受けます」

「うう………はい」

 

 溜息を吐きながらノイントが呟き、ようやく浩介は顔を上げた。

 

「今度からは先に入浴している者がいないか、ノックしてから入る様に。ただでさえ貴方は“暗殺者”の天職があるから、気配が分からなくて困ります」

「分かりました………って、あれ? 俺の天職、ノイントさんに言った事ありましたっけ?」

 

 会話の中で不自然な点に気付いた浩介が疑問の声を上げる。少なくとも自分のステータスプレートを見せた事など無かった筈だ。

 

「…………以前、王宮で貴方と勇者達を遠目で見る機会がありました」

「王宮って………ノイントさんは一体………」

「私の過去はどうでも良いです。どうせもう戻る事も出来ませんから」

 

 浩介の疑問を遮る様にノイントは頑とした口調で言った。言った内容に嘘は無い。“真の神の使徒”として勇者達の事をしばらく観察していたし、今となっては戻った所でエヒトルジュエは自分を受け入れたりはしないからだ。しかし、ノイントの事情を知らない浩介は別の意味で捉えたのか、沈痛そうな顔で頷いた。

 

「そうですか……。あの、出来れば俺が“神の使徒”だった事は他の人達には言わないで下さい」

「……いいでしょう。貴方も、私の過去について詮索しない様に」

 

 二人の間に取引が成立した事に浩介は少しだけ胸を撫で下ろした。

 

「助かります……今となっては“元・勇者”の仲間というだけで周りから色々と言われるし、俺のゴタゴタでべレアさんやチビ達に面倒は掛けたくねえから」

 

 以前ならば、エヒト神が異世界より召喚した勇者達という事で周りから手厚く扱われていた。だが、光輝達が各地で様々な迷惑をかけた今は“神の使徒”の評判は地に落ちている。ベレア達の人間性からして浩介への見る目は変わらないと思うものの、“神の使徒”に対して恨みを持つ者の怒りがベレア達に向けられる事だけは避けたかった。

 そんな浩介を見て―――ノイントは心に浮かんだ疑問を口にした。

 

「貴方は何故……他の人間の心配をするのですか?」

「ノイントさん……?」

「理解できないです。貴方の置かれた環境は客観的に見ても、他人の心配をする余裕などない筈です。それなのに……何故、貴方は他の人間達の事を考えられるのですか?」

 

 “真の神の使徒”として生まれたノイントによって、エヒトルジュエの命令を遂行する事は何よりも優先される。自分と同じく作られた姉妹達も同様であり、お互いにエヒトルジュエからの命令を果たす道具と認識し合っているから助け合うなどという感情は無かった。そんなノイントにとって、極貧な状況に陥っても他者に気を配る浩介の行動は理解できないものだったのだ。

 浩介は一瞬、ノイントがいきなり言い出した事に面食らったものの、じっと見つめてくるノイントを見て考えながら言葉を紡ぎ出した。

 

「……そうっすね。まあ、俺自身の状況は余裕なんて無いですけどね」

 

 でも、と浩介は言葉を区切る。

 

「自分自身の事しか考えられなくなったら、本当に一人ぼっちになると思うんです」

「……それは何故?」

「俺が地球………故郷にいた時の話なんすけど。俺には兄貴と妹がいて、小さい頃に大喧嘩したんですよ。まあ、喧嘩の原因自体は本気で下らない事だったんすけど」

 

 ははは、と照れくさそうに浩介は笑う。それは兄妹間によくある思い出の一コマなのだろう。それを浩介を思い返していた。

 

「それで、もう絶対にあいつらと口を利くもんかと拗ねていたら、親父に言われたんですよ。『人間ってのは、たった一人で生きていくものじゃない。必ず誰かの世話になり、他人を傷つけながら生きていくものだ。だから自分の事しか考えられないのは、寂しい生き方だぞ』って」

 

 浩介は昔の記憶を掘り返す様に遠い目になる。それは今や遠い場所となった故郷を、そして家族を思い出している様な目だった。

 

「だから………俺は金が無いからって、寂しい生き方をしたくはねえと思うんです。俺自身の事しか考えていなかったら、ベレアさんやチビ達、それにノイントさんとも会えなかったと思うんです。異世界に来て嫌な事ばかりだったけど、それでもノイントさん達に会えた事は良かった事だったと思うから」

 

 それだけは胸を張って言える。クラスメイト達から裏切り者の汚名を着せられ、さらには彼等のせいで貧困に喘ぐ事になってもその後に出来た良い事まで否定したくない。浩介はそう思っていた。

 

「それに、最近はセバスさんっていう親切な商人が俺を雇ってくれたし、まあ異世界に来て悪い事ばかりでも無いと思える様になったというか……」

 

 真面目な話をした事がなんとなく照れくさくなり、浩介は笑いながら誤魔化すようにあれこれと喋ろうとした。

 しかし、ノイントはそんな浩介を無表情のまま見つめる。ノイント程の美人に見つめられていると浩介も顔が赤くなってくるが……ノイントはふと背を向けた。

 

「えっと、ノイントさん………?」

「………早く入浴して下さい。お湯が冷めてしまいます」

「あ、はい………」

 

 唐突な話題の切り方に疑問を感じたものの、言っている事は尤もなので浩介は頷いた。ノイントはそのまま立ち去ろうとして―――背を向けたまま、呟く様に言った。

 

「貴方の考えは理解できませんが、分かりました。それと………遅くなりましたが、あの時に助けて貰った事を感謝します」

「え? ノイントさん、いま……」

 

 浩介は驚いた声を上げたものの、ノイントはすぐにその場を立ち去る。その最中、ノイントは先程の話を思い返していた。

 

(やはり人間の考えなど理解できません……他者を助けるなど、何の得にもならない筈なのに)

 

 だが、その行動によってノイントの命は救われたのだ。その事実だけは動かし様がない。

 

(人間達など、“真の神の使徒”だった私に理解できる筈が………)

 

 ノイントにとって、人間達などエヒトルジュエの遊戯の為にいくらでも使い潰して良い駒だと思っていた。種族を超えて和平を結ぼうとした人間の王を“魅了”で操り、平和になりかけたトータスを再び泥沼の戦争へと引きずり込んだ事だってある。

 

(私が……今更、人間達に理解なんて………)

 

 自分達を慕っている孤児達。そして貧しさにありながらも自分を救ってくれた浩介。

 その顔を思い出す度に――――――ノイントの胸は、ズキンと痛む気がした。 



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第百四十五話「“チャン・クラルス”商店の日常」

前々回でフリートホーフの暗躍を臭わせたのだから、そろそろ本格的に話を進めるべきだとは思うのですけど……もう少しだけ遠藤くんの日常回にお付き合い下さい。考えている展開上、キチンと書いておきたい所があるので。


「だからよぉ、こいつは不良品だと言ってるだろうがっ!!」

 

 昼下がりの“チャン・クラルス”商店で、男がカウンターにいる女性店員に詰め寄っていた。男は人相が悪く、堅気ではない雰囲気が隠し切れない粗暴さが目立っており、まるで恫喝する様に女性店員に向かって何やら墨汁の様な染みがべっとりと付いた服を突き付けていた。

 

「見ろよ、この汚れ! この店でさっき買ったばかりの新品だというのによぉ、こんな物を平気で客に売りつけてたのかぁっ!?」

「ですから、先程も仰っている様にお売りした時にはこの様な汚れはありませんでした」

「あぁん!? 俺が嘘を言ってるってのかっ!! 不良品だったから交換してくれ、って頼んでいるだけなのに客を嘘吐き呼ばわりするとはとんだ商店だなぁっ!!」

 

 毅然とした態度で応じる女性店員に対して、男はいちゃもんをつける様に大声を張り上げた。騒ぎ立てる男に周りの客は迷惑そうにしているのだが、それを見て寧ろ男は益々と声を張り上げた。

 

「あ~あ! 客にこんな物を売りつけた上に嘘つき呼ばわりしやがってよぉ! ここの店は本当にクズだなっ! それなのに支店を増やせるなんざ、貴族様に高い金でも積んで―――」

「あー、ちょっといいっすかね。お客様」

 

 騒ぎ立てていた男の後ろから唐突に声を掛けられる。男はおろか、側で見ていた他の客も気配をまるで感じさせずに現れた店員―――浩介に飛び上がらんばかりに驚いた。

 

「な……なんだテメェはっ!」

「いえいえ、俺もここの店員なんですけどね。なんか当店の商品にクレームがあるみたいですけど?」

「そ………そうだよっ! 見ろよ、この染み! こんな物を売りつけるなんざ、テメェらの店は客に対して———」

「ああ、そうですか。ところで……ウチの商品、会計が済んでない場合はタグが付けられているんですけどね。その商品はタグが付いてないですよね?」

「は……タグ……?」

 

 男は聞き慣れない単語にポカンとした表情になる。“チャン・クラルス"商会には全ての商品に商品タグが付いており、それをカウンターまで持って行って店員にタグを外してもらうというシステムが取られていた。現代ならば珍しくもない方法だが、トータスでは馴染みの無かったシステムだった為に男も予想外だった様だ。

 

「という事はそれ、一度お会計が済んでる商品ですよね? 商品はカウンターでもお取り違えの無い様にお客様自身にも確認して貰っている筈ですけど、こんな大きな染みがあったのにそのまま買われたんですか? それに随分と新しい染みですね。まるでさっきつけたばかりみたいに」

「だから何だよっ! この店が不良品を俺に売り付けたのには変わらないだろうがっ!」

 

 男は恫喝する様に迫るが、浩介は顔色は全く変わらない。少し前まで裏稼業をしていた彼にとって、男の恫喝など物怖じする程では無くなっていた。

 

「そうですか……ところでこれ、何でしょうね?」

 

 スッと浩介が手の上に乗せた品を見て、男の顔色が素早く変わる。

 それは真新しいインク瓶だった。瓶の口には使った後があり、中身も少し減っていた。

 

「お客様のポケットから落ちた品なんですけどね。このインク、お客様が買った商品に付いた染みと同じ色ですね?」

「し……知らねぇ! そんな物、俺が持っているわけねぇだろ!!」

 

 ポケットの中に仕舞い込んでいたはずの品を見せられ、男は動揺するが何とかシラを切ろうとした。

 

「そうでしたか、すいません。じゃあ、一緒に落ちとたこれもお客様と無関係な物ですよね」

「あっ、俺の財布!!」

 

 浩介が続け様に見せた年季の入った巾着を見て、男は思わず声を上げてしまった。その財布にもインクの染みがついているのを見て、男はしまったという顔になるが遅かった。

 

「おい、アンタ! 自分でインクで汚して因縁をつけてたのか!?」

「そんな真似をして恥ずかしくないのか!」

「セバス様の店でそんな事を……みっともないったら、ありゃしないわね」

 

 それまで遣り取りを見ていた周りの客達も真相に気付き、口々に男を責め立てた。他の客からしても男が騒ぎ立てていたのは迷惑行為でしかなかった。周りから責められた男は顔を真っ赤にして、歯軋りしながら浩介を睨み付けた。

 

「こ、この………ざけんなよクソガキがあああっ!!」

 

 突然、ポケットからナイフを取り出した男に周りの客から悲鳴が上がる。逆上した男は浩介の顔を目掛けてナイフを振り———。

 

「よっ、と」

「がっ!?」

 

 一瞬の早技だった。顔に迫ったナイフを首の動きだけで避け、浩介は伸ばされた無防備な腕を捻り上げ、男を地面へと押し倒していた。まるで柔道の模範演技の様に鮮やかな手口だ。

 

「イテテテテッ! くそ、離せっ! 離しやがれっ!」

「———静かにして頂けますか? 他のお客様の迷惑になります」

 

 カツンッ、と地面に組み伏せられた男の目の前に、磨き上げられた高級そうな革靴が見えた。男は反射的に見上げ———そこにいたセバスを見て、急激に背筋が寒くなっていた。セバスは丁寧な口調のまま、浩介に捻り上げれられた男に威圧感を持って見下した。

 

「お買い上げ頂いた商品をどの様に扱ってもお客様の自由ですが……あらぬ嫌疑をかけられるのは見過ごせませんね」

「あ……いや、その………」

「少し奥に来て頂けますかな?」

 

 冷たい怒りのオーラを感じさせるセバスに、男は真っ青な顔で頷くしかなかった。

 

 ***

 

「逮捕のご協力感謝致します」

 

 数時間後、店内で暴行未遂を犯した男を引き取りに来た保安署の職員がセバスに頭を下げていた。

 その職員はセバスと顔見知りなのか、セバスに対して親しげな雰囲気を出していた。

 

「セバス殿の店で狼藉を働いた男はキッチリと絞り上げますのでご安心ください!」

「法に則った適正な刑罰を与えてくれれば十分ですよ、スタンフォードさん。ただ……出来るなら、この様な事はこれっきりにしたいものです」

 

 セバスの言った事に保安署の職員―――スタンフォードは顔を俯かせる。

 

「今月に入って似たような揉め事が既に六回は起きています。()()()()()()()が未然に防いでくれていますが、他のお客様の為にも保安署にもご協力をお願いしたいのです」

「……セバス殿の仰っていることは理解しております。ですが………申し訳ありません、保安署から人を出せないのです」

 

 ギリッと歯を食い縛りながらスタンフォードは言葉を吐き出した。それを見て、セバスは大体の事情を察していた。

 

「……あなたの上の立場の者から止められているのですね?」

「はい……上層部(うえ)はフリートホーフの連中から賄賂を受け取って、奴等が介入している事件が起きても捜査を中止する様に現場に命じているんです。今回の奴だって、フリートホーフがセバス殿の店に営業妨害を仕掛けているに違いないのに……いつの間にか、我々は奴等の飼い犬にされているんだ!」

 

 今まで血眼になって追う立場にあった筈の裏組織の言いなりになっている事が、保安署の職員として許せないのだろう。スタンフォードは掌に爪が食い込むくらいに拳を握りしめていた。

 

「すみません。セバス殿には街中で起きている事件にも協力して頂いているのに………」

「いえ、たまたま通り掛かったので少し手を貸しただけですよ。お気になさらないで下さい」

 

 セバスは街を歩いている時、揉めている人間に介入したり、困っている人間を見過ごせずに手を貸すといった人助けを繰り返していた。彼からすればミュウの情報を得る為にやっている巡回のついでなのだが、お陰で保安署はおろか街の人間達に顔を覚えられる程になっていたのだ。

 大商店を営む富豪でありながらそれを鼻にかけず、誰に対しても紳士的な態度で接して人助けを行ってくれる。フリートホーフが街で横暴を働いている今、街の者達にとってセバスは彼が市長ならば、と望まれる程に親しまれていたのだ。

 

「セバス殿……今の我々が言っても虚しい言葉かもしれませんが、このままにはしておきません。今、上層部とフリートホーフの繋がりを告発する為に仲間内で準備しております」

 

 声を潜めながらスタンフォードは言った。彼のみならず、市民を蔑ろにして裏組織のやりたい放題にさせている事に憤りを覚えている職員は多い様だ。

 

「こんな事しか言えずに心苦しいですが……どうかそれまでご辛抱下さい。お願いします!」

 

 スタンフォードは腰を直角に曲げて頭を下げた。

 

 ***

 

「コースケくん、今日もお疲れ様でした」

 

 スタンフォードが男を連行した後、閉店準備で働いていた浩介にセバスは声をかけた。

 

「セバス店長! お疲れ様です! 昼間はありがとうございました!」

「いえ、コースケくんがいてくれたから他のお客様も怪我をせずに済みました。コースケくんのお陰ですよ」

 

 老紳士の賛辞に浩介は照れ臭そうに笑う。違法クエストをしている時に比べて、浩介の精神は晴れやかになっていた。

 

(しかし。あの程度の相手では、スキルを発動してくれませんか………)

 

 

セバスは浩介を見ながらこっそりとそんな事を考えていた。これまで店で狼藉を働こうとした悪漢は浩介に処理して貰っているのだが、セバスが初めて会った時に見たスキル(深淵卿)を発動している様子は見られなかった。何か特殊な条件でも必要なのだろうか? と考えながらも、それとなく聞く事にした。

 

「それにしてもコースケくんはお強いですね。何か武術でも習っていたのですか?」

「いや、武術なんて習い事でもやった事は無いんですけどね。何というか、俺の天職のお陰というか………」

 

 浩介は自分の事を思い起こす様に考え込む。今まであまり意識していなかったが、“天職”で授かった力について彼なりに説明しようとした。

 

「俺の影が薄いのは元からですけど……さっきの奴とかポケットの中身をスるとか器用な真似なんて出来なかった筈なのに、なんか出来そう! と思ったんです。天職に目覚めてから、相手の気配とか意識の隙とか、そういうのが分かる様になったというか………」

「ふむ………そういう物なのですか」

「店長は天職とかに興味あるんですか?」

「ああ、いえ……私ではなく、そういった物を研究してる友人がいるので、気になっただけです」

「へぇ〜、なんかすごい研究をしている人がいるんですね」

「ええ、まあ………」

 

 ふとセバスの表情が少しだけ暗くなる。それはナザリックの為とはいえ、研究の実験動物にされた人間達の事を思っての物だが、それを知る由も無い浩介は表情を曇らせたセバスを不思議そうに見る。

 

「店長……?」

「っと、すみません。少しぼうっとしてしまいました」

 

 浩介の天職に探りを入れるつもりが、逆にセバスの内心を気取られそうになった事を恥じながら微笑みで誤魔化した。

 

「まあ、とにかく俺の強さというのは天職のお陰な所がありまして……その点で言ったら、店長の方こそ何か武術をやってたんですか? なんか普段も立ち振る舞いに全く隙が見当たらないんですけど」

「まあ………嗜み程度ですよ」

「嗜みですか………」

 

 セバスは笑って誤魔化すものの、浩介は頭を捻っていた。

 

(いや、“暗殺者”の俺から見ても隙なしに見える程の嗜みって何だよ?)

 

 それこそ“神の使徒”だった自分より強いのでは? と浩介は思ったものの、まさかな、とその予感を思考の隅に追いやった。

 

「あ、そうだ。店長、実はちょっと聞きたい事がありまして」

「何でしょうか?」

 

 先程の話の内容が内容だけに、セバスはほんの少しだけ身構える。浩介は真剣な表情になり———。

 

「その………女の人への贈り物って、何が良いと思います?」

「………女性への、ですか?」

 

 拍子抜けした様にセバスは鸚鵡返しするが、浩介は照れ臭そうにしながら話し出した。

 

「その、ちょっと気になる人が出来たというか、失礼な事をしちゃったからお詫びに何かプレゼントでも贈ろうと思ったというか………」

 

 はぁ、とセバスはなんとも言えない声を出す。

 

「それで、店長は奥さんもいるし、何か女性に贈るプレゼントに何が良いかとかアドバイスを頂きたいと思いまして」

「なるほど。事情は分かりましたが、しかし………」

 

 目の前の少年にとっては真剣な話なのだろうと思いながらも、セバスは言葉に詰まる。対外的にはティオはセバスの妻という事になっているが、内情は魔導国の諜報活動の為にそういう形になったとしか言えないし、一般人が思い描く様な綺麗な恋愛ではないとセバスは思っていた。その為に少年の純粋な初恋に対して、どう助言したものやらと考え込んでしまう。

 

「………花とかどうでしょうか?」

「普通過ぎません?」

 

 う〜む、とこれまで異性と付き合いの無かった二人は同じ表情で悩んでいた。




>天職の力

 遠藤の気配遮断は元からだとして(笑)……。スキルツリーでスリとか覚えた感じです。自分の中で暗殺者と言われるとアサシンクリードが真っ先に出るので、そのうちに遠藤はイーグルダイブとか出来るようになったりして(笑)

>セバスの腹芸

 似合わない事はしなさんな、って話ですよ。


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第百四十六話「人となった天使は、己が罪業を知る」

 本当なら今回の話を144話と繋げたかったです。でもまあ、これでようやく日常回を終わらせる準備は出来ました。


 シスター・べレアの修道院に流れ着いてから、ノイントにとって穏やかな日々が過ぎていった。

 最初の内はノイントも修道院の生活に戸惑っていた。エヒトルジュエの命令で神山で修道女(シスター)のフリをしていたとはいえ、主な仕事は教会全体の監視であった為に人間達とはあまり接してこなかった。だからこそ、この修道院の様に大勢の子供達に囲まれて暮らすなどノイントにとって初めての経験だった。

 

「ノイントお姉ちゃん!」

「遊ぼ、遊ぼ!」

「……今日の勉強が終わってからですよ。それと今は芋の皮剥きをしていて包丁を持っているから、危ないので下がってなさい」

 

 纏わりついてくる子供達に、炊事場に立ったノイントは溜息を吐きながら応じる。しかし、その表情は以前よりも柔らかくなっており、少なくとも声色からは嫌々やっているとは感じられなかった。

 

「あらあら……この子達ったら、もうすっかりノイントさんに懐いてるのね」

 

 べレアが柔和な笑みを浮かべながら歩み寄ると、子供達も笑顔になった。

 

「うん! だってノイントお姉ちゃん、優しいんだもん!」

「とても綺麗で、死んでしまったお母様に似てる気がするの!」

「ふふ、そうなの? でもこれからお勉強の時間よ。今日は算数のお勉強をしましょうね」

 

 はーい、と子供達はノイントから離れていく。ようやく子供達から解放されたノイントに、べレアが声を掛けた。

 

「ごめんなさいね、ノイントさん。あの子達ったら、私以外の大人が珍しいみたいで……ご迷惑ではなかったかしら?」

「いえ、別に………宿を提供して貰っている礼をしているだけですから」

 

 ノイントは社交辞令として答えたが、それでも満足のいく答えだったらしい。べレアはニッコリと皺の深い顔を微笑ませた。

 

「ノイントさんやコースケさんが来てから、子供達も笑顔で過ごせる様になって何よりですよ。………これなら、私にいつエヒト様のお迎えが来ても、いくらか快く逝けるかもしれませんね」

 

 ノイントは不意に手を止めて、べレアを見る。彼女は子供達が出て行った戸口を寂しそうながらも静かな微笑みで見ていた。

 

「私ももう歳ですからねえ。せめて今いる子達が成人するまでは見守ってあげたいけど、それまで身体がもつかどうか………」

 

 腰が曲がり、皺だらけの小さな身体。先日に腰を痛めた事もあり、べレアから感じる生気は以前よりも弱くなっている様に見えた。これは回復魔法などではどうしようもなく、生物としての寿命が近付いているのだとノイントは感じていた。

 

「……中央の教会に頼ろうとは思わないのですか?」

 

 気が付けば、ノイントはそう話し掛けていた。

 

「中央の教会は各地にある修道院に対して援助を行う様に、と総本山から通達されている筈です。貴方から中央の教会に援助を願い出れば、向こうも応じるのではないですか?」

 

 かつて聖教教会で潜入活動をしていた時、随分と前にイシュタルがそんな事を言っていた気がする。それを思い出して言ってみたが、べレアは困った様な顔で首を横に振った。

 

「残念ですけど……そう簡単な話ではないの。確かに各地にエヒト様の教えを広める為に援助金はあるみたいだけど………それも中央の方が決めた人でないと受け取れないのよ。私みたいな凡百の修道院長では相手にもされないの」

 

 要するに中央に対してコネがある者にしか援助金は配られないという事だろう。エヒト神の教えを遍く広める為に制度された筈なのに、これでは一部の者だけが金を独占しやすくなっているだけだ。

 

「それに………仮に私に中央への伝手があっても難しいでしょうね」

「……それは何故?」

 

 ノイントが聞くと、べレアは少しだけ迷う表情になったが打ち明けた。

 

「この修道院で預かっている子達はね、親が異端者の疑いを掛けられた子達ばかりなの」

 

 え? とノイントが思わず声を上げる。

 

「魔人族と通じているなんて疑われて親が神殿騎士に連行されたり、エヒト様ではなく自分の土地の守り神を信仰していたから村ごと取り潰しになってしまったり………そんな事情があって親と引き離された子を預かっているのよ」

 

 ハイリヒ王国において聖教教会の権威は大きい。その中で異端者という烙印はそれこそ大罪人と変わらず、そんな親を持つ子を誰も預かろうと思わないだろう。むしろそんな経歴を持った子供達を育てているベレアこそ、聖教教会からすれば異端と言うべきだ。

 

「生涯をエヒト様にお仕えすると決めた身で言うのは難だけど……私は中央のやっている事が好きになれない。神の愛は誰にでも等しく与えられる物なのに、自分達と考え方が少しでも違えば異端者だと烙印を押して、関係ない子供達まで苦しめるなんて」

 

 ベレアの考えは人として真っ当な物だ。だが、だからこそ()()()()()()()()()()正しいものではなかった。そんな風に中央の教会と相容れないからこそ、こんな場末の修道院に追いやられたのだろう。

 

「だからこそ、私はそんな子達にこそエヒト様の愛を与えるべきだと思うの。教会によって親や家も奪われた子達だけど……それでも差し伸べられる手はあるのだと教えてあげたい。あの子達が憎しみに囚われて未来を誤らない様に。それが私の老い先短い信仰の道なのでしょうね」

 

 そう言うベレアの言葉に、嘘や欺瞞は感じられなかった。子供達の未来を願って慈愛に満ちた微笑みを浮かべる姿は、もしも聖教教会が真っ当な組織ならば聖母と周りから呼ばれるものなのだろう。

 それを見てて―――ノイントの胸はひどく痛んだ。

 

「あなたは………」

 

 ノイントは呟く様に声を出した。

 

「あなたは………どうして神の愛を信じられるのですか? 神がどんな相手か、知らないのに? 神は……エヒト神は、人間を顧みてなどいない。そうは思わないのですか………?」

 

 気が付けば、ノイントは震える様な声で聞いていた。聞きようによってはノイントが言った事は、神への不敬とも取れる言葉だ。そんなノイントをベレアは驚いた様に見つめたが、すぐに慈愛の表情を浮かべた。

 

「ええ。きっと神は常に見守って下さいます」

 

 それは迷える仔羊に教えを説く聖者か、それとも生涯を信仰に捧げた者だけが持ち得る気質か。

 ノイントはベレアの姿に―――それこそ、自分の創造主である神以上に尊い姿を感じていた。

 

「天上の神からすれば、いつも私達は間違った方向へ進んでいると思われているのでしょう。それでも常に見ている。手は出せなくても、我々を見守って下さる。そう思って、善き行いをすべきだと私は信じております。神はいつだって、私達の心と共に在りますもの」

 

 それは、言い換えるならば『良心』と呼ぶべきものだろう。ベレアは聖教教会の様に権威としてエヒト神を信仰しているのではなく、“空の上から誰かが見守っているから、清く正しい行いをしよう”という考えでエヒト神を信仰しているのだ。

 

「………………」

 

 カタン、とノイントは芋剥きが終わった包丁を置く。だが、その顔色は……何故か蒼白になっていた。

 

「申し訳ありません。少し体調が優れないので、部屋で休みます」

 

 

 言い終わると同時にノイントは炊事場を出た。後ろでベレアが心配する声を上げたが、それすらもロクに聞いていなかった。

 

(私は………)

 

 ノイントは蒼白な顔のまま、私室としてあてがわれた屋根裏部屋へ急ごうとする。だが、その途中で予想外の人物に出くわしてしまった。

 

「あれ? ノイントさん」

 

 今日は仕事が早く終わったのか、帰ってきた浩介は廊下でバッタリと出くわしたノイントを見て目を丸くした。

 

「あなたは………」

「ちょうど良かった。実は……その……ノイントさんに渡したい物があって」

 

 ノイントの顔色は悪いままだったが、浩介は浮かれた様子でそれに気付いていなかった。そして持っていた袋から何かを取り出した。

 

「その……この前の事は本当にすいませんでした。それでお詫びというか……これ、ノイントさんに似合うかな、と思って」

 

 浩介は綺麗にラッピングされた包みを手渡した。ノイントは突然渡された物に戸惑いながらも包みを開けた。

 包みから出てきたのは、一本の櫛だった。

 お世辞にも高価そうとは言えないものの、表面には職人の丁寧な仕事が覗える彫刻が施された木製の櫛だ。

 

「えっと、いま働いている店で女の人に人気の商品で、女将さんに相談したらこれが良いって薦めて貰って……。その、ノイントさんの髪は初めて会った時から……き、綺麗だと思っていて、だから、その……」

 

 家族以外の異性へ初めてプレゼントを贈る事に、浩介は照れ隠しで色々と喋り出す。まさに初恋をした少年が、精一杯の気持ちで自分の想いを告げようとしている微笑ましさがそこにあった。

 

「………っ」

 

 浩介から贈られた櫛を手にしたノイントの表情が何故か悲痛そうに歪む。それを見て、ようやく浩介はノイントの様子がおかしい事に気付いた。

 

「ノ、ノイントさん……? あの、もしかして気に入らなかったですか……?」

「………いえ、そんな事はありません。誰かから贈り物を貰うなんて、初めての経験だから嬉しいです」

 

 “真の神の使徒”はエヒトルジュエの命令を遂行する為だけに作られた存在(道具)だ。エヒトルジュエからはもちろん、他人から自分の為にプレゼントをされるという事などノイントにとって生まれて初めての経験だ。

 だからこそ―――ノイントの胸に温かな物と同時に、鋭い痛みが奔った。

 

「………ごめんなさい。私には……人間から、()()()()()()()()()()()()()()()

「え? それってどういう―――あ、ノイントさん!?」

 

 予想外の返答に戸惑う浩介にプレゼントの櫛を突っ返し、ノイントは屋根裏部屋へと通じる階段へ逃げるように駆け上がっていく。浩介は咄嗟にそのノイントを追い掛けようとした。

 

「………え?」

 

 そして―――ノイントが背を向ける瞬間に見てしまった。

 今まで神秘的なまでにクールだったノイントの表情。

 それが崩れて、まるで泣きそうな表情になっていた事に戸惑ってしまい、浩介はノイントの後ろ姿をそのまま見送ってしまっていた。

 

 ***

 

 バタン、とドアが閉められる。屋根裏部屋に戻ったノイントは、フラフラと頼りない足取りでベッドへ向かっていた。

 

「……っ、……っ」

 

 胸元をギュッと握りしめながら、ベッドに突っ伏す様に倒れ込んだ。それはまるで、心臓が張り裂けそうな痛みに耐えている様だった。

 

「あ……ああっ………!」

 

 痛みに呻く様にノイントは声を上げる。脳裏には先程までのベレアとの会話が思い起こされていた。

 ………ベレアの語った神の姿は間違いだ。エヒトルジュエは人間など見守っておらず、自分の退屈を紛らわせる玩具ぐらいにしか思っていない。信仰にひたむきな善き行いをしていたとしても、むしろそんな人間が絶望に沈む様を見て愉悦に浸る様な性格だ。だからベレアが信じている神の姿など的外れだ。それを“真の神の使徒”だったノイントは断言する事が出来る。

 

 そして、この修道院に集められた孤児達の経緯。

 これもノイントには覚えがあった。人間達がエヒトルジュエへの信仰に依存しやすくする為、あるいはエヒトルジュエの目に偶然留まった為に、ノイントが“魅了”を用いて教会の人間を操って“異端者狩り”を行わせたのだ。

 エヒトルジュエの―――自分の創造主が退()()()()()に命じた。それだけの理由で。

 

「私はっ……私は………なんて、事を……!」

 

 “黒い仔山羊”への恐怖で封じられていた感情が揺さぶられ、そして逃げ込んだ先の修道院で出会った人々の温かな心に触れた。それによってノイントも、まるで木の人形が様々な出来事を経て人間へとなった様に“人間の心”が生まれていたのだ。

 

 そして―――“真の神の使徒”としてやってきた事が、ノイントの胸を痛ませた。

 

 以前までのノイントならば、自分はエヒトルジュエの命令に従っていれば良いと顧みる事などしなかっただろう。だが、エヒトルジュエの支配が無くなって自我が芽生えた今―――過去の罪業は罪の形となって、ノイントの生まれたばかりの心を責め苛んでいた。

 

(彼等は……エヒトルジュエ様に見捨てられた私に、あんなに優しくしてくれたのに……! 人間達は、こんなにも温かな物だったのに……私は………!)

 

 種族を超えて和平を結ぼうとした王を洗脳して、戦争が泥沼化する様に仕向けた。

 神の真実に気が付きそうな賢い者、あるいは盤上で予定通りに動かないと判断した人間がいれば神罰の名の下に刈り取った。

 異世界から召喚した少年少女を操り、皇帝を殺させた。

 全ては―――エヒトルジュエ(創造主)がそう命じたから、ただそれだけの理由で。

 

「ごめん……なさいっ……!」

 

 気が付けば、嗚咽と共にノイントは謝罪していた。

 それはエヒトルジュエの遊興などの為に殺してきた人間に対してか、それとも自分に優しくしてくれるというのに人生を狂わせたベレアや子供達―――そして浩介に対してか。

 

「ごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……!」

 

 かつて邪神の愉悦の為に、多くの人間達を殺してきた神の操り人形。

 糸が切られ、心を得て人間へと堕ちた天使はただひたすらに泣きながら自らの行いを悔いていた―――。

 




>ノイント

 悪逆に生きた者が光の中で生きようとするなら、それまでの行いが罪となって苛んでくる。

 Fate/EXTRA CCCでエリザベートと共闘した時のモノローグで初めて知った言葉ですけど、今まさにノイントの状態がそれです。

 エヒトルジュエの人形のままなら、人間達を殺そうが操ろうが良心など痛まなかった。そもそも“心”など無いのだから。
 しかし、人間としての心に目覚めてしまえば、自分がエヒトルジュエの暇潰しなんかの為にやってきた事を自覚してしまい、罪悪感が芽生えて苦しむ事となる。
(まあ、そうなる様にノイントが心を手に入れやすい環境にしたわけだけど)

 そんなわけで罪悪感で押しつぶされそうなノイントですが、とある0歳児にも同じ事が当て嵌まるのよなぁ……あっちはあっちで、バッキバキにへし折るつもりでやるけどね!


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第百四十七話「崩れる商店の日常」

 最近、アインズ様のフィギュアがやっと届きました。魔導王陛下の至高なる玉体を拝みながら、これからも執筆を頑張るでありんす。

 あと今まで何とでも取れる様にセバスが今いる街をぼかして書いていましたけど、やはり中立都市フューレンという事にしようと思います。その方が後々の展開に繋ぎやすくなるので。


「そういえば……コースケくんの贈り物は上手くいったのでしょうか?」

 

 その日の営業が終わり、仮住まいの屋敷に帰ったセバスは一服しながら何となしに呟いた。

 

「きっと喜ばれたであろう。あの少年も真剣に選んでいたのあるからな」

「初めての告白みたいでしたもの。何だか若い頃を思い出してしまいましたわ」

 

 茶の席に相伴するティオとレミアが頷く。二人もまた、浩介のプレゼント選びに協力しており、少年の初恋が実る事を楽しみにしていた。

 

「それしても旦那様、初恋の贈り物の助言が薔薇の花束とは……少しセンスを疑うぞよ?」

「そうなのですか? 女性には花を贈るものだと聞きましたが……」

 

 なんの疑いもなく首を傾げるセバスに、ティオはやれやれと溜息を吐く。浩介と二人で女性への贈り物を考えていたセバスだが、何分異性と付き合った事の無い二人のプレゼントのチョイスは何とも微妙な物だった。結局、見るに見かねてティオが二人に助言していたのだった。

 

 

「まあ、妾は旦那様から頂けるなら何であれ文句は言わんがのう」

「ふふ、分かりますわ。私の亡くなった夫も初めてのプレゼントはちょっと派手でしたもの。でもその気持ちだけでも心がときめましたから」

「ほう? いいのう……交際したての男性の初々しさとは、やはり微笑ましいものじゃな」

「ええ、精一杯に考えてくれたのが愛らしいですよねえ」

 

 初恋談義に花を咲かせる女性二人に、セバスは少しだけ肩身が狭くなる。今度から女性への贈り物についてはキチンと勉強しよう………そう思った矢先の事だった。

 

 コン、コン、コン———。

 

 玄関から硬質な物を叩く音が響いた。音は不規則に繰り返され、それが玄関のドアノッカーの音だとセバスはすぐに気が付いた。

 

「どちら様かしら? ちょっと出て来ますね」

「いえ………待って下さい、私が出ます」

「え? でも………」

「私が出ます」

 

 このセバス達が仮屋敷に住み出してから、今日まで来客が来た事はなかった。仮にも魔導国の拠点でもある為に一般人には見せられない書類やアイテム類があり、取引などもセバスから先方に赴いて決して屋敷に人を招こうとしなかったのだ。そんな屋敷に今日に限って人が来たという事に、セバスの第六感が嫌な予感を感じさせていた。

 立ち上がりかけたレミアを強い言葉で制すると、セバスの表情を見てティオも顔を引き締めていた。セバスは玄関に向かうと、ドアに付けられた覗き窓の天蓋を開いた。すると、最初に見慣れた保安署の職員が目に入った。

 

「スタンフォードさん? どうかされましたかな」

「セバス殿………その………」

 

 スタンフォードは何故か歯切れの悪い様子で覗き窓から顔を覗かせるセバスを見る。まるで本当は訪ねたくなかった、とでも言いたげだ。しかし、そんなスタンフォードが押し除けられ、別の男が割り込んできた。

 

「失礼、私は法廷弁護士のハルモニアと申します。以後お見知りおきを」

 

 ハルモニアと名乗った男は一見すると仕立ての良いスーツを着た細身の男性だった。だが、纏う空気には何処か血の臭いを感じ、糸の様に細い目も相まってセバスは獲物を残酷に食い殺す狐の様な印象を受けていた。

 

「法廷弁護士の方が何か御用でしょうか? 私には全く身に覚えがありませんが」

「ある貴族の方が訴えを出しておりましてねえ……今日はその件で伺ったのですよ」

 

 ハルモニアの後ろには、スタンフォード以外にもう一人の男がいた。その男は身なりの良い貴族の様だったが、贅肉で顎が三重になる程に弛んだ顔をしていて、豚がカツラを着けている様だとセバスは本能的に思った。

 

「こちらはエリセン領主のカルミア男爵様です。男爵様の訴えによれば、貴方がエリセンの領民を拉致したという疑いが出ているのですよ」

 

 エリセン、と聞いてセバスの背中に嫌な汗が一筋流れた。レミアの元いた街であり、ティオによればそこの領主がレミアやミュウの奴隷売買に一枚噛んでいると見ていた筈だ。

 しかし、何故自分がレミアを拉致した事になっているのか。身に覚えの無いセバスは断り文句をいくつか考えるが、相手も保安署の職員を連れて来ているあたり冗談などではないだろう。ここで追い返せば、更なる厄介事を引き寄せるというのはセバスでも理解できた。

 頭の中で素早く考えを巡らせているセバスの沈黙をどう受け取ったのか、ハルモニアは勝ち誇った様な表情になる。

 

「つきましてはお互いの認識の擦り合わせの為に話し合いの場を設けるべきだと思うのですが……お宅に上がらせて貰ってもよろしいですよねぇ?」

 

 ***

 

 仕方なくセバスは三人を応接室に通し、レミアを隠れさせてからティオと一緒に対峙していた。ティオを見た途端、初対面であるハルモニアとカルミア男爵の表情が驚愕に染まる。こんな美人が出て来るとは思わなかった、という顔だ。カルミア男爵の顔は徐々にだらしなく弛み、ティオの顔と豊満な胸に視線を行ったり来たりさせていた。対してハルモニアの表情は引き締められていき、この時点でどちらを警戒すべきか答えが出た。

 セバスがソファーに座る様に促すと、カルミア男爵とハルモニアが席に着き、スタンフォードは彼等の後ろで控える様に立った。どうやら今回の件で彼に話の主導権は無いらしい。

 

「それで一体何事なのかの? 妾の旦那様を誘拐犯呼ばわりとは穏やかではありませぬな」

 

 ティオが口火を切り、会談が始まった。カルミア男爵はわざとらしく咳払いをして口を開いた。

 

「ある人間から通報があってだね。その男が我が領地で保護している海人族を不当な金銭を払って買ったとか……これではまるで奴隷売買した様じゃないか?」

 

 徐々に興奮した様に口調が強くなるカルミア男爵に補足する様に、ハルモニアが薄笑いを浮かべながら話し出す。

 

「ええ、カルミア男爵様の言う通りです。海人族の保護はハイリヒ王国法・第三章第十一条で明記されており、奴隷としての売買を禁じられています。これはヘルシャー帝国、そしてここ中立都市フューレンでも合意されています」

「その通り! 我が領民である海人族が奴隷として売買されるなど、あってはならん事なのだ!」

 

 茶番だ。そう思いながら、ティオはカルミア男爵達を険しい顔で見つめる。相手はセバスがレミアを保護した事を確実に掴んでおり、入念な準備をした上でこちらに来たのだろう。それでも反撃の糸口を探るべく、ティオは口を開いた。

 

「旦那様が海人族を奴隷として買った……その証拠はあるのかや?」

「海人族を売った男が保安署に出頭されましてねぇ。その時の証言から売った相手がセバス殿だと判明したのですよ」

「……その件の男は?」

「留置所内で自殺されたそうです。きっと自らの罪の重さに耐えかねたのでしょうねぇ。また店の方はずいぶん前にその男を退職させていた様で、今回の事件はその男とは無関係と判断されました」

 

 チラッとスタンフォードに目を向けると、彼は唇を噛み締めていた。男が捕まった後、留置所内でどう処理されたか……おそらく彼からしても納得のいかない事があったのだろう。そして、あからさまな不正をしていた店に対して捜査すら出来なかった事に、彼は怒り狂いたいのを必死に我慢している様だった。

 

「彼の遺された証言を元に保安署の方で捜査をしてくれましたねぇ。その結果、そちらの御主人は海人族を不正な金銭で買ったばかりか、連日の様に非合法な奴隷市場に赴いているそうではありませんか?」

「なんと! 奴隷市場に足繁く通うなど人間として恥を知るべきだ!」

 

 確かにセバスがレミアの娘を探す為に奴隷市場を見廻っていたのは事実だ。だが、それをこの様に解釈してセバスへの攻撃に使うなど慮外の事だったのだろう。カルミア男爵がわざとらしく糾弾する中、スタンフォードの握り締めた拳は自分の指を握り潰しかねないくらいにブルブルと震えていた。

 同時にティオはレミアの件について誤魔化しは出来ないと悟った。ここでゴネたとして、屋敷の中を強制捜査をされたりすれば厄介な事になる。“チャン・クラルス"商会が魔導国と繋がりがあるのは一部の取引先の商人達も知っているが、それでも魔導国からのスパイ企業だと万が一にも疑われるのは大きな痛手となる。証拠となる資料を隠す時間を与えない為にも保安署の職員であるスタンフォードを連れて来たのだろう。

 ティオは目配せをして、これ以上の隠し立ては不可能だとセバスに告げた。セバスはそれを見て、渋面のまま頷く。

 

「……確かに私が海人族の女性をある店より連れ出したのは事実です。しかしながら、彼女はその時に酷い傷を負っており、生命の危機に対してそうせざるを得なかったのです。また、私が奴隷市場に出入りしていたのはその女性の娘も奴隷として売られているかもしれないと聞いて探しに行っていただけです」

「つまり、その海人族を金銭で買ったという事実を認めるという事でよろしいでしょうか?」

「………その前に、エリセンの領主である男爵閣下に一つ聞かせて頂きたい。彼女は私が連れ出した店で、言葉にするのも憚れる扱いを受けていました。そして彼女がその様な扱いを受ける事になったのも、エリセンの保安署で娘の居場所を知っていると騙されて店に奴隷として売られたと言っておりました。その事についてはどうお考えでしょうか?」

「そんなことは私は知らん。私の役目は王国より任せられたエリセンの統治とそこに住む海人族共を管理することだ。その海人族が働かされていた店はフューレンの店だろう? そちらについては私の知る事ではない」

 

 あれだけ海人族を奴隷として連れ出した事でセバスを責めておきながら、素知らぬ顔で横柄に言い放つカルミア男爵を見て、即座にこの男も店側と通じていた事をセバスは悟った。同時に怒りを抑える為に拳を固く握り締める。

 

「加えて保安署の件だが、それはエリセンの保安署の連中が勝手にやった事だろう? まあ、こんな事があったというのは領主として私の不手際だと言えなくもない。厳重に()()はしておくから安心したまえ」

「……男爵閣下、そろそろ本題に」

「おお、そうであったな」

 

 領民の信頼を裏切る真似をして、注意するだけなのか? そう思ったものの、セバス達が黙って話を聞いているとハルモニアは慇懃無礼な笑顔のまま話し出した。

 

「今回、男爵閣下の治めるエリセンから領民である海人族が奴隷として売買された事は法律に反しており、また領民にその様な無体な真似をされたと知らされた男爵閣下の精神的苦痛は大変大きいものと判断致しました。よって“チャン・クラルス"商会に対して、男爵閣下へ一億ルタを慰謝料として請求致します」

「それは―――」

「馬鹿な!? それはいくらなんでも横暴だ!」

 

 ティオが口を開く前に、とうとうスタンフォードが目の前の事態を看過出来なくなった様に大声を出した。それに対してハルモニアとカルミア男爵がジロリと睨めつける。

 

「これは裁判所を通じて出された正当な賠償額ですよ。どうして保安署の職員である貴方が意見するのでしょうか?」

「いや、しかし……」

「街の治安を守るのがあなた方の仕事でしょう? それなのに法を犯した“チャン・クラルス商会”は庇われるのですか?」

「そうだぞ! 被害者は私の方だ! 貴様は保安署の職員のくせに犯罪者の肩を持つのか!」

 

 バンバン! と脂ぎった手をテーブルに叩き付けながらカルミア男爵がスタンフォードに吼える。貴族に対して意見ができないスタンフォードの顔色は真っ赤にしながらも、唇をブルブルと震わせながら黙り込んでいた。

 

「さすがに慰謝料として高額過ぎるのではないのかや? これは本当に裁判所から提示された額かの?」

 

 ティオもまたセバスも見たことが無いほどに顔を険しくさせながら意見する。王国の法律についてある程度は知っている彼女だが、それでも慰謝料としてこんな高額になる判例は聞いた事がなかった。だが、ハルモニアは全く動じる事無く笑みを崩さなかった。

 

「ええ、間違いなく。不服と申し上げるならば、そちらから裁判所に訴えて頂いても結構ですよ。ただしその場合、裁判によって遅延した時間の分、慰謝料は増額させて頂きますがね?」

 

 ハルモニアの自信ありげな態度が崩れない所から察するに、仮に裁判所に上申しても自分達の訴えが却下されるとティオは即座に判断した。

 

(旦那様はレミア殿を連れてくる時、店の者がフリートホーフの名を出したと言うておった。ならば、この男や貴族も恐らく……)

 

 フリートホーフの手は自分が思った以上に広い様だ。ティオは自分の認識の甘さに歯噛みしたが、その様子を見ていたハルモニアは勝ち誇った様に言い放つ。

 

「それでは期日までに慰謝料をお支払いをお願いします。ああ、お金の工面が難しい様ならば知り合いの金融業の方をご紹介致しましょう。彼なら()()融資に応じると思いますので」

 

 その金融業の知り合いとやらも、確実にフリートホーフが一枚噛んでいるだろう。借り入れをしたが最後、高利で骨の髄までしゃぶり尽くされるのは目に見えていた。するとカルミア男爵はティオの肢体をねちっこく見ながら笑った。

 

「まあ、私も鬼ではないのでな。そちらの奥方が私に()()()をしてくれると言うなら、少しくらいは慰謝料を安くしてやるのも吝かではないがなぁ?」

「……妾の身も心も、旦那様の物。他の男に許す事などありませぬ」

 

 豚の様な男の欲望の籠もった視線に、ティオを憤怒の感情を押し殺しながら毅然と応えた。

 

「まあまあ、男爵閣下。そちらは双方の話し合いで解決して頂きましょう」

「むぅ。しかしだね、ハルモニア君………」

「男爵閣下、とりあえずはこちらの言うべき事は全て言いました。後日、結果を聞きに来たいと思います。よろしいですね?」

 

 カルミア男爵はティオを手に入れる機会が先延ばしになった事に不服そうだったが、ハルモニアの言葉を最後に会談は終了した。玄関までセバスとティオが案内すると、カルミア男爵が出た後にハルモニアがこっそりとセバスに耳打ちする様に言った。

 

「それにしても彼女には感謝しなくてなりませんねぇ……廃棄処分する予定だった魚モドキが金の卵を産んでくれるとは。()()()()、良い金になった。とある方が、そう仰っていましたよ」

 

 その言葉を残して、バタン、と玄関の扉が閉められる。ハルモニアは最後まで、獲物が罠に掛かった事に悦ぶ残虐な獣の様な笑顔を崩さなかった。

 そしてハルモニア達が出て行った後、事情聴取という名目で残ったスタンフォードが泣きながらセバス達に土下座した。

 

「申し訳ない! 我々が……我々のせいでセバス殿にこんな仕打ちがされる羽目になるなんて!」

「おぬしが嘆く事ではない。おぬしは自分の仕事をしただけであろう」

 

 ティオが慰める様に声を掛けるものの、スタンフォードは「すまない……すまない……!」と謝り続けた。街の治安を守る筈の自分が、フリートホーフの片棒を担がされて恩人でもあるセバスを追い詰めている事に彼は耐え切れない様だった。

 スタンフォードの嗚咽が響く中、セバスは今し方ハルモニア達が出て行った玄関の扉を見つめる。その表情には特別な感情は一切浮かんでいなかった。しかし、その瞳の奥にははっきりとした感情が見て取れた。

 怒り、などと生温いものではない。憤怒、激怒、そういった感情が渦巻いていた。

 

 だからこそ―――生まれて初めての強い感情に支配されているセバスは気付けなかった。玄関ホールをこっそりと伺い、セバス達の話を聞いてしまった者がいる事を。

 

「私の……私のせいで、セバス様が……? それに……ミュウ……!?」




 どういう経緯があれ、先にゴングを鳴らしたのは向こうですので。いかなる結果になろうと、文句も遺言も一切受け付けませんので。


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第百四十八話「崩れる少年達の日常」

 ハロウィンに投稿されたオバロと陰の実力者のコラボ動画を見ました!
 久々に動いて喋るアインズ様を見れて大満足です。

 今回、ちょっと展開に無理があるなと思いつつも開き直って書く事にしました。


 気が付けば、室内はすっかりと暗くなっていた。明かり取りの窓から見える空に星が瞬いているのが見えて、ノイントは昼から今まで泣き続けていたのだとようやく理解した。

 だが、どれ程の涙を流してもノイントの心は晴れなかった。シスター・べレアや孤児の子供達、そして浩介から優しくされる事によって芽生えた“人間の心”は、“エヒトルジュエの使徒”として今まで行ってきた所業に深い後悔と自責の念を感じさせていた。

 

(私は……なんて愚かな事を………)

 

 打ち返される波の様に自責の念がノイントを苛む。“エヒトルジュエの使徒”として生まれてから数千年、エヒトルジュエの命令に従うこそが自分の使命であり、それに疑いなど持っていなかった。人間達などエヒトルジュエが愉しむ為の駒であり、エヒトルジュエに命じられるままに人間達を“魅了"で操って殺し合わせ、あるいは自分の手でも殺してきた。

 だが、今となっては―――黒い仔山羊によって恐怖を知って感情に目覚め、人間の温かさに触れて心が目覚めてしまった今となっては―――エヒトルジュエや自分がやってきた事が邪悪であり、取り返しのつかない事だとノイントは思っていた。

 エヒトルジュエにこの身を創造されてから数千年。今まで何も疑問に思わず、エヒトルジュエの命令にただ従って生きていた。

 それだけの時間があったらば———気が付けた筈だ。人間達はエヒトルジュエが弄ぶ為の駒ではなく、自分よりも優れた“心"を持っていた生き物だという事に。決してエヒトルジュエの娯楽なんかの為に使い潰して良い物ではなかった事に。それなのに自分は気付かなかった。何も知らずに自分達を崇める人間達を見て、愚かだと見下して人間達を見ようともしなかった。

 

(私にはもう………生きてる価値なんてない………)

 

 以前、浩介に向かって同じ事を言ったが、今は意味合いが違う。エヒトルジュエの使徒として積み上げてきた屍の数は数え切れず、そんな自分が生きたいと思うのは間違いだと思えてきた。懺悔しようにもノイントは神が邪悪である事を知っている。犯した罪に対して償う方法など思い付かなかった。

 ここから出て行こう。ノイントはそう思った。

 この修道院の人間は優しい人間達ばかりで、自分の様な大罪人がいて良い場所じゃない。だから出て行こう。何処か誰も来ない様な場所に行こう。

 そして———自らの命を絶つのだ。

 それが神に命じられるままに多くの命を踏み躙ってきた自分が出来る精一杯の謝罪だ。

 

「………お世話になりました」

 

 べレアから貰ったシスター服をベッドの上で綺麗に畳み、修道院に来た当初の簡素な貫頭衣姿となったノイントは自分の部屋となっていた屋根裏部屋に一度だけ頭を下げる。涙を流しながらパタンとドアが閉じられる。住人を失って部屋は急に寒々しい雰囲気になった様に感じた。

 

 ***

 

 修道院の皆は寝静まっている様で、ノイントは足音を立てない様に注意すれば外まで出られた。外に出る前にノイントは一度だけ修道院を振り返る。べレアや子供達、そして浩介の顔が思い浮かんだが、泣きそうな顔で振り払う様に前を向いた。

 

(最期に………沢山の事を学べました)

 

 修道院を取り囲む石を積み上げただけの低い塀から敷地の外へ出ながらノイントはそう思った。

 

(エヒトルジュエ様に従っているだけでいい、と空っぽだった私に………ここの人間達から色々な物を貰いました)

 

 それは他者を思い遣る心であり、平穏な生活であり………ノイントにとって言葉にしきれない程の物だ。いずれにせよ、エヒトルジュエの使徒(道具)だった時ではノイントが手に入れる事は出来なかった。

 

(こんなに素晴らしい物を受け取ったのに……でも………)

 

 べレア達や浩介に対して恩知らずな真似をしているとは分かっている。しかし、ノイントの脳裏にアンカジで見た恐ろしい化け物達の姿が過ぎった。

 あの化け物達はもしかしたら自分を探しに来るかもしれない。アンカジの戦場を逃げ出した時から既にノイントが生存していた事は知れ渡っている筈だ。追手が差し向けられた時、自分なんかの為に修道院の人間達が犠牲になるのは偲びない。だからこそ、修道院から出来るだけ離れた所へ行く必要があった。自害したノイントを見れば、さすがにあの化け物達もそれ以上の追及はしない筈で、修道院はいつも通りの平和な日常を送れるだろう。もしかしたら自害しても死後の魂すらも陵辱されるかもしれないが———そうなっても自業自得だとノイントは思っていた。

 

(あんな化け物達など見た事がありません………もしかしたら、魔導王は人間達を弄んでいた私達に裁きを下すべく降臨した“真の神”だったのかもしれないです)

 

 かつてなら自らの創造主以外に神は無し、と一蹴しただろう。しかし、あの圧倒的な———それこそ神秘性を感じるまでに圧倒的な力を見せられた後では、魔導王が黄泉より来た地獄の神だとでも言われた方が納得できるとノイントは思った。だからこそ、自分が彼等によってどんな末路を辿る事になったとしても天命だと思って諦められる。しかし、自分の巻き添えでべレア達や浩介が死ぬ羽目になるのだけは許容できなかったのだ。

 

(ここの人間達には沢山の物を貰いました。だからこそ、魔導王の裁きを受けるのは私だけで……)

 

 修道院がどんどんと小さくなる山道を歩いていき、ふとノイントは浩介の事を思い出した。

 思えば、あの人間が自分を拾ってくれなければ、自分はエヒトルジュエの人形のまま朽ちて終わっていただろう。最期の短い間だったが、人間らしい生活を送れたのは彼のお陰だと思う。

 

(私には過ぎた物をたくさん貰えたから、もう何の未練も無いです……でも………)

 

 昼間に浩介が渡そうとしてくれた櫛。あれは本当に綺麗な物だった。エヒトルジュエからすれば人形の一つに過ぎないノイントには贈り物など貰った事があるわけがなく、おしゃれなど必要性すら感じていなかった。だからこそ、初めて他人から贈れたプレゼントというのは心がときめいた。何より———。

 

(私の髪を綺麗だと………そう言ってくれました)

 

 自分の容姿を褒められるのもまた、ノイントにとって生まれて初めての経験だった。エヒトルジュエによって与えられた姿に過ぎないが、そんな自分を美しいと言ってくれた事に、あの瞬間にノイントは胸が高鳴り、熱くなる感覚———嬉しさを確かに感じたのだ。

 だが、同時に「罪深い自分などがこんな贈り物を受け取って良いわけが無い」と思ってしまい、結局受け取れなかった。

 それが何故か、とても心残りになっていた。

 

「コースケ……」

 

 ノイントはポツリと自分に初めての贈り物をしてくれた人間の名前を呼ぶ。それだけで何故か胸が締め付けられる様に感じた。

 

「コースケっ……コースケっ……!」

 

 自分はこれから死ぬ。のうのうと生きているなど許されない。

 それなのに―――どうしてあの人間にもう一度会いたいと思うのだろうか?

 

 

「―――へえ。あんた、あのガキのオンナか? あんな寂れた修道院にこんな上玉がいるなんてなぁ」

 

 ハッとノイントは顔を上げる。普段ならばもっと早く気付いただろうが、悲しみに暮れる今のノイントの精神が反応を遅らせていた。

 いつの間にか、ノイントの周りをガラの悪い男達が取り囲んでおり、獲物を狙うハイエナの様な笑みを浮かべていた。

 

 ***

 

「ノイントさん……どこ行ったんだよ」

 

 翌日、浩介はフューレンの街をあちこち駆け回っていた。今朝になってノイントがいなくなっていた事が分かり、何か手掛かりはないかと朝から探し回っていたのだ。べレアの修道院から近い街はここしか無く、何処かへ行くにしても必ずフューレンに立ち寄るだろうと考えての事だった。セバスの店を無断欠勤してしまった事を後で謝らないと、と頭で思いつつも浩介の足はノイントを探す事を選んでいた。

 

「ノイントさん………」

 

 ギュッと思わず懐にあるプレゼントの櫛を握り締めた。浩介にとっては一世一代の告白と共に渡そうとしたプレゼントを受け取って貰えなかったのはショックだったが、それでも最後に見せたノイントの涙がどうしても気になっていた。あの涙の理由を聞かない限り、納得が出来そうにない。

 

(何してるんだろうな……これじゃまるでストーカーじゃねえか……)

 

 ほぼフラれた様なものなのに、女の子の後をつけ回している自分に思わず苦笑したくなる。だが、それでも浩介にとってはノイントの存在はそのくらい大きくなっていた。

 異世界に自分の意思とは無関係に召喚され、光輝達によって追放されてから放浪生活を強いられた。生きるために違法なクエストにも手を染めざるを得ず、日を追うごとに心が荒みそうになる中でのノイントとの出会いは浩介にとって衝撃的だったのだ。

 服も肌も泥だらけになりながら、決して美しさを損なわないビスク・ドールの様な外見。

 月明かりが溶け込んだ様な銀色の髪。

 初めて会った時、まるで天使が地上へ落下してしまったのかと浩介は錯覚してしまった程だった。

 気が付けば、倒れていたノイントを抱えて浩介は避難場所を探していた。行き着いた先のべレアの修道院で悲嘆に暮れる彼女に生きて欲しいからと懸命に声を掛け続けていた。

 全ては一目惚れした銀髪の天使に振り向いて貰いたい為に。

 

(とにかく、今はノイントさんを探さないと―――)

 

「よう。久しぶりじゃねえか、コースケ」

 

 突然、声を掛けられて浩介は思わず振り向く。建前と建物の間、薄暗い影となって他の人間から目立たない様な場所。まさに裏稼業を生業とする人間に相応しいそこに浩介が知っている人物がいた。

 

「バラダックさん……」

「本当に久しぶりじゃねえか。てめえが顔を見せなくなってから随分と経つよなぁ。仕事が出来る奴がいなくなって、俺は寂しかったぜ?」

 

 かつて浩介に違法クエストを斡旋していた仲介人のバラダックは、明らかに嘘と分かる笑みを浮かべながら浩介に話しかけてきた。それに対して浩介は嫌そうな顔を隠さなかった。

 

「……悪いんですけど、今は忙しいので」

「おい、待てよ。是非ともお前に引き受けて欲しい仕事があるんだよ」

「もう俺は違法な仕事とは手を切ったんだ。あんたとはもう関わりたくないんで」

「冷てえな。金が無い時に仕事を斡旋してやったのによぉ?」

 

 馴れ馴れしく話してくるバラダックを無視する様に浩介は背を向ける。こんな相手に関わる時間すら惜しいのだ。再びノイントを探すために歩き出そうとした。

 

「そんなに急いで何を探しているんだよ? 例えば………お前の彼女とかか?」

 

 挑発する様に言われた言葉に浩介はバッと振り向いた。

 

「ノイントさんがどこにいるのか知ってるのか!?」

「そんな大声を出すなって。ここじゃカタギの迷惑になるだろ? 奥に行こうぜ」

 

 バラダックは浩介の必死な表情を愉しんでいる様に笑いながら、路地裏へと歩き出す。警戒心が赤信号で鳴り出したものの、今まで探して見つからなかったノイントの情報は無視できなかった。唾を飲み込むながら、浩介も路地裏へと入った。

 

「それでノイントさんは何処にいるんだ!」

「おいおい、そう慌てんなよ。お前、早漏だったのか? それじゃあお前の女もベッドの上で満足できなかったんじゃねえか?」

「あんたの下らない話に付き合う為に来たんじゃねえよ! 答えろよっ!」

 

 周りに誰もおらず、ドブネズミが住み着きそうな路地の吹き溜まりに辿り着き、浩介は辛抱堪らなくなった様に詰め寄った。それに対してバラダックは余裕そうな笑みを崩さない。それは圧倒的に有利な立場に立った捕食者が、獲物をどうやって甚振るか思案している様な顔だった。

 

「教えてやってもいいけどよぉ。その代わり、俺の頼み事を聞いてくれねえか?」

「くっ……だから、違法な仕事はもうしねえ、って言ってるだろ!」

 

 浩介は反射的に声を上げていた。セバス達に雇って貰い、やっとべレア達に胸を張れる様な仕事が出来る様になったのだ。違法クエストで働いていた時は世間に顔向け出来ない事をしているという罪悪感が本当に辛くて、いまさらバラダックが紹介する仕事などやりたいとは思わなかった。

 

「あぁん? 良いのか、そんな口を利いて? 彼女が心配じゃねえのか? それに……てめえが寝泊まりしている修道院にも良くない事が起きるかもなぁ?」

「………どういう事だよ」

 

 瞬間。浩介の顔から血の気が引いた。その顔にバラダックはニヤリと笑いながら、まるで面白い話を聞かせるかの様に話し出した。

 

「最初はよ、貧乏修道院のババアかガキの一人でも攫って来ようと思ったんだけどな。そしたら思いがけない上玉がいるじゃねえか。いや、最初はその女も嫌がっていたぜ? でもなぁ………“断ったら、俺の仲間が修道院に火をつけるかもしれねえぜ?”と言ったら、是非とも俺達の所に来たいって言いだしたんだよ!」

「てめえええええええええええっ!!」

 

 怒りを爆発させた浩介はバラダックの胸ぐらを掴み上げる。生まれて初めて、人間相手に殺意を抱いた浩介の腕力は体格差を物ともせず、バラダックを捻り上げて壁に押し付けた。

 

「ぐっ……いいのかよ? ここで俺を殺したら、てめえの彼女の居場所が分からなくなるぜ? 女だけじゃねえぞ! 俺のバックにフリートホーフがいるのは知ってるよなぁ? 教会本部から見捨てられた貧乏修道院ぐらい、俺のバックにかかれば潰す事くらいわけねえぞっ!!」

 

 浩介に締め上げられながらもバラダックは不遜な態度を崩さなかった。今やハイリヒ王国を裏社会から侵す癌そのものとなったフリートホーフの権力に余程の自信がある様だ。

 

「それになあ、俺が死んだところで別の奴がやるだけなんだよ。お前の女、修道院のババアやガキ共。それら全部をフリートホーフの手から守れると思うか? 王国の裏社会を牛耳っている巨大裏組織に、てめえ一人で何が出来るんだ?」

 

 ギリィッ、と浩介は奥歯を砕かんばかりに食い縛った。同時に気付いてしまったのだ。きっとノイントもこうして脅され、言う事を聞かざるを得なくなったのだと。浩介はバラダックを絞め殺したい衝動に襲われながらも―――バラダックから手を離した。

 

「へへ……話が分かるじゃねえか。なあに、長い物には巻かれるのは当然なんだからよ。ヘルシャー帝国の金言にもあるだろ? “強きに従え”ってな」

 

 解放されたバラダックは馴れ馴れしく浩介に話し掛ける。それを吐き気がする程に不快に思いながらも、浩介は手を握りしめる事しか出来なかった。

 

「安心しろよ。お前が俺の依頼を受けてくれりゃ、女も貧乏修道院も無事に済むんだからよ」

 

 だからな、とバラダックは言葉を切った。

 

「お前、最近“チャン・クラルス”商会に出入りしてるだろ? そこのオーナーのジジイ………セバスって奴を殺せ。お前なら簡単だよなぁ? “暗殺者”なんだからよ」




>フリートホーフに拉致されたノイント

 ちょっと説明が足りないと思うので、補足説明を。
 当然ながら本来の彼女なら人間のチンピラ達なんか鎧袖一触できますし、なんなら“魅了”を使って洗脳も出来ます。しかしながら、アンカジから逃げた時に“魅了”等の発生源である超音波器官を自分で破壊して使えなくしてしまった事。そしてここで自分を襲うチンピラを倒しても別の人間が次々とべレアの修道院や浩介を襲うと言われて、彼等に特別な感情を抱いてしまったノイントはここで抵抗しても無駄と悟って言う事を聞かざるを得なくなりました。付け加えるなら、もはや自害も考えるくらいに自暴自棄となったノイントは、『自分“なんか”が犠牲になれば救えるなら』と自己犠牲精神も発動させています。これは後の展開でもう少し詳しく書いていこうと思います。



 まあ、とりあえず………深淵卿モードが間近で見れるよ! やったね、セバス!!


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第百四十九話「人を助くるは創造主の行」

 マリオワンダーとかfgoをやっていたら、投稿が遅くなっちゃいました。すいません。
 それと今週のワンピースを読んで改めて思いました。

 やっぱり登場人物は曇らせてなんぼだな、と。


 フリートホーフの息が掛かったエリセン領主から訴訟をされた翌日。セバスは街を歩いていた。とはいえ、何か目的があったわけではない。身体を動かせば、今の状況を打破できる名案が浮かぶのではないかという、謂わば現実逃避だった。

 

(あの人間達などその気になれば、殺す事くらい容易いです。しかし……)

 

 至高の創造主(たっち・みー)から与えられたステータスを以てすれば、自分を脅しているエリセン領主にいくら護衛がいようが首を捻じ切るくらい片手間でも出来る。

 しかし、である。それを実行に移せば、このフューレンで築き上げた“チャン・クラルス"商会の立場が即座に崩壊するだろう。そしてそれは、アインズより命じられた諜報活動や魔導国の資金調達が不可能になる事を意味していた。

 

 もはや事態はセバスの裁量でどうにか出来る範囲を超えており、一刻も早くアインズに指示を仰がなければならないのだが、セバスは未だにアインズや魔導国へ連絡を入れていなかった。

 至高の御方より託された任務を果たせず、無能な自分が叱責されるのは良い。仮に自害を命じられたとしても仕方なしと納得はできる。だが、自分が罰せられるとなると同じく任務を受けていたティオはどうなるのか? 彼女は竜人族を代表して来ており、ここでセバスと共に罰せられれば竜人族そのものがアインズの庇護を受けられなくなるかもしれない。それこそティオはずっとアインズへの報告を進言していたのに、それを独断で行わなかったのは自分だ。罰を受けるならば、自分だけになる様に立ち回らなくてはならない。

 

 そして保護しているレミアについても考えなくてはならない。エリセンの領主がフリートホーフと繋がっていると分かった以上、レミアをエリセンに帰す線は消えた。すぐにでも安全な場所―――セバスが思いつく場所など限られているが―――へ連れて行かなければならないが、それもエリセンの領主達が去り際にレミアの子供の居場所を知っていると仄めかした事で難しくしていた。出来るならば親子共々助けてやりたい。そんな場合ではないと頭の片隅で理解しつつも、レミアにどうやって言い訳をして先に避難して貰うかとセバスは悩んでいたのだ。

 

(もう時間はありません。どうにか上手い手立てを考えなくては………。ただ、その前に―――)

 

 雁字搦めの思考に陥っていたセバスだが、背後から感じる気配に意識を向けた。館を出た辺りからずっとセバスの後をつけているのだ。足音や気配の消し方は一般人のそれではなく、手練れの“暗殺者”の様に先程からこちらへ殺気を向けていた。

 人外のセバスならば尾行者を振り切るのは容易いものの、相手もそれなりの準備をして狙いに来たのだろう。ここで撒いてもティオやレミア達がいる館に強襲を掛けられると面倒だと判断してセバスは敢えてゆっくりと歩を進めた。

 大通りから外れ、薄暗い路地へ。一般人が巻き添えにならない様にセバスは人気の無い路地裏へと入っていった。やがて辺りに通行人が全く無くなった事を確認して足を止めて、背後を振り返った。

 

「………ここならば構わないでしょう。そろそろ出て来てはいかがですか?」

 

 辺りに誰もいないのに急にこんな事を言い出す者がいれば奇異に映るだろう。しかし、セバスは確信している様な口調で堂々と言い放った。その立ち姿は姿無き暗殺者の影に怯える様子は微塵も無く、通りの角から人影が観念したかの様に姿を現した。

 

「コースケくん?」

「そ……その、どうも………」

 

 姿を現した浩介をセバスは意外そうな表情で見た。浩介は何処かぎこちない笑顔を浮かべながら、セバスへ歩み寄った。

 

「こんな所でどうされたのですか? 昨日、出勤して来なかったと聞いてティオも心配していましたよ」

「ええと……昨日はすいませんでした。その……ちょっと行けなくなった事情があって………」

 

 こちらを案じる様なセバスの誠実な態度に対して、浩介はどうにか動揺を悟られまいとぎこちない愛想笑いをする。彼の懐には冒険者活動をしていた時に使っていた短剣が入っていた。

 

「そうですか。コースケくんは街の郊外に住んでいるんでしたね。急な用事があっても、こちらに連絡するのは難しかったでしょう。ふむ、今度からその様な場合の対策を考えなくては」

 

 浩介の無断欠勤を咎めるのではなく、職場のシステムに問題があったかと考えるセバスに浩介の良心が痛む。これ程に優しくしてくれる上司など、地球でも中々お目にかかれないだろう。

 

(でも……それでもやらないと、ノイントさんが……!)

 

 人質にとられてしまったノイントの事を思い浮かべ、浩介は悲壮な覚悟でセバスへの恩義を忘れようとした。こうして近くまで寄ったというのに、セバスはこちらを警戒している様子はまるで無い。泣き出したい気持ちを表情に出さない様にしながら、セバスの隙を伺いながら懐の短剣に手を伸ばし―――。

 

「あ、そうそう。思い出しましたが、贈り物は上手くいきましたか?」

「え!? あ、その………」

 

 唐突に掛けられた言葉に浩介は飛び上がりそうになった。そんな浩介の内心を知ってか知らずか、セバスはいつもと変わらない様子で話し掛けてきた。

 

「結局、ティオに選んで貰った様なものですが……あの件は申し訳ありませんでした。恥ずかしながら、私はそういった知識に疎いものでして」

「そ、そうだったんですか。意外ですね」

 

 浩介は上の空で答えながら、懐の短剣に触れようとする。だが、慌てる余りに別の物を握りしめていた。

 

「あ………」

 

 それは昨日から懐に入れたままにしていたノイントへのプレゼントだった。呆れた顔のティオに指導して貰いながら、セバスと共に散々に悩みながら選んだ櫛。まるでセバスを殺そうとする事を咎めるかの様に、浩介の指に櫛の感触が伝わってきた。

 

「私とティオの出会いは謂わばお見合いでした。そこに不満などありませんが……やはり、君の様な若者の恋は実って欲しいと願っておりますよ」

 

 暖かくそう言われて、浩介は胸を撃ち抜かれた様な衝撃が奔った。同時に浩介の中で“チャン・クラルス商会”で働いた日々―――異世界に来てから、浩介の中で一番平穏だった日々の記憶が思い起こされる。

 

「どうして………」

 

 気が付けば、浩介は声を震わせながら絞り出していた。

 

「どうして………セバスさんは、見ず知らずだった俺にそこまで優しいんですか?」

 

 そう問われてセバスは少しだけ考え込む素振りをする。

 浩介が未知のスキルを持っているから? 確かにそれもある。

 だが、それ以上に。セバスの中にある思い―――創造主より与えられた誇りある在り方。彼自身の行動を方向付ける物を口にするならば。

 

「困っている方がいれば、助けるのは当たり前。そう在りたいと私は思っています」

 

 純粋に―――本当に純粋な少年の様にセバスはそれを口にしていた。その純粋さは、あるいは自我を持って間もないNPCだからこそかもしれない。しかし、それは浩介の胸を打つには十分だった。

 浩介の中でセバス達と過ごした“チャン・クラルス商会”の日々が巡る。同時にノイント達と過ごした修道院の日々も巡る。温かった事、嬉しかった事、ありがたかった事、そして生まれて初めて異性を好きになった事———。

 浩介は懐から短剣を取り出した。それに対してセバスは驚く事もなく浩介を見つめていた。

 震える手で浩介は短剣を構えようとして———ガラン、と地面に落とした。

 

「出来ねえ……出来ねえよ……!」

 

 地面に膝を突きながら、浩介は泣きながら吐露した。

 

「こんな事、出来るわけねえだろ! セバスさんは恩人なのにっ………殺せとかやれるわけないだろ!!」

「……理由を聞かせて頂けますか?」

「フリートホーフの奴等が脅してきたんだっ! セバスさんを殺せって! 言う事を聞かないならノイントさんが……でもっ………!」

 

 まるで血を吐く様に浩介は吐き出した。

 

「セバスさんを殺すなんて出来ねえよ! 冒険者組合からも干された俺に仕事をくれた恩人なんだぞ! “暗殺者”の天職だから出来るだろうって!? ふざけんなよ!! こっちはついこの間までただの学生だったんだよ!! なのにっ……何で俺ばかりこんな目に遭うんだよっ!!」

 

 堰が切れた様に浩介は今まで自分が受けた仕打ちに対して不満をぶち撒けていた。泣き喚き、拳を地面に叩きつける姿は側から見れば子供の様に見えるだろう。しかし、セバスの事とノイントの事で板挟みになっていた浩介はもはやそれしか出来なかった。そうして地面に伏せて泣く浩介にセバスは声を掛けた。

 

「君は脅されていただけなのですね。それで私の後をつけていたのですか」

「うぅっ……はい。街でセバスさんを偶然見つけて、それでどうしたら良いか分からなくて、それで………」

 

 なるほど、と泣きじゃくる浩介を前にしてセバスは頷いた。

 

「つまり———先程から殺気を向けているのは貴方のお友達ではないというわけですね」

 

 え? と浩介が顔を上げ———次の瞬間、ヒュンと風切り音がした。咄嗟に浩介が振り向くと、顔に目掛けて何かが飛来して迫って来ていた。

 

「え……うわぁ!?」

 

 一瞬だけ虚を取られていた浩介だが、彼が天職を得てから上がった直感がすぐに働いた。首を最小限の動きだけで動かし、飛来した物を躱した。標的を失い、建物の壁に黒塗りの矢が突き刺さる。

 ほんの数センチの誤差で助かった浩介が目を白黒させていると、彼等がいる路地裏に新たな人影が現れた。

 それは三人の男達だった。フードを被った上に布を口元に巻いて顔を隠し、厚手の手袋をした手には黒塗りのダガーを握っており、彼等の中の一人はボウガンを持っていた。先程の矢はそのボウガンで撃たれた物だったのだろう。

 

「な、なんだよこいつら!?」

()()()()時から私をつけていた者達でしょう。途中で殺気が全く無い者が加わった事を疑問に思いましたが、その様子だとコースケくんは彼等について知らされていなかったのですね?」

 

 そう言われて浩介は咄嗟に首を横に振った。セバスの暗殺はバラダックから直接依頼された事で、他の人間も関わるなど浩介には知らされてなどいなかった。

 

「どうやら目的は私の命の様ですが……解せませんね、それならば何故コースケくんも狙ったのでしょうか?」

 

 明らかに堅気には見えない男達を前にしても、セバスは商店で客を相手にしている時と変わらない様な物腰を崩さずに聞いた。しかし、彼等から返って来たのは明らかな殺気だった。その姿は標的は確実に殺す、と雄弁に物語っていた。しかも先の三人に加えて、セバス達を挟み撃ちする様に路地の奥から新たに二人の男が出て来た。

 

「ふむ、袋の鼠といった所ですかな……コースケくん」

 

 絶体絶命の状況を他人事の様に分析したセバスは、地面にへたり込んだままの浩介に声を掛けた。

 

「立てますか?」

「え? は、はい!」

「何の目的で君まで襲ったのか、彼等に聞かなくてはなりません。とはいえ、相手は五人。一人でも逃げられると面倒な事になるので、後ろの二人をお願い出来ますか?」

 

 そう言って、セバスは最初に現れた三人と対峙する。必然的に路地の奥から来た二人に背を向ける形となり―――同時に浩介へ無防備な背中を晒していた。それを浩介は信じられない様な面持ちで見つめた。

 

「どうして……俺、さっきまでセバスさんを殺そうとして……」

「街中で私をつけていた時も、君からは全く殺意を感じられませんでしたから。それに店での勤務態度から君が信用に足る人物だと私は知っています」

 

 サラリと一般人が真似できない様な事を言った気がしたが、セバスの言葉に胸を打たれた浩介はそれどころではなかった。未だに地面にへたり込んだままの自分を見て、セバスは少しだけ微笑んだ。

 

「お願いしますよ、コースケくん」

 

 それはいつも通りの、まるで店で品出しを頼む時の様にいつも通りの態度だった。やる気が無かったとはいえ、命を狙いに来た浩介に対してセバスはこれまでと変わらずに接していたのだ。

 セバスが背を向けている男達二人が動く。彼等はセバスの背中を目掛けて、二人は投げナイフを投擲した。それに対してセバスは特に警戒していないかの様に振り向かず———。

 

 キィン、キィン!

 

 硬質な音が立て続けざまに二回響いた。

 

「我が恩人に下賎な刃を向けるな……!」

 

 地面に落としていた短剣を拾い上げ、男達の投げナイフを防いだ浩介がセバスの背を守る様に立ち塞がる。男達は思わず目を見張った。先程まで泣き喚いていた少年の雰囲気がガラリと変わり、今や歴戦の暗殺者である男達でも油断ならないと判断する程に身のこなしまで変わっていたのだ。

 

「もはや我に迷い無し……貴様等が薄汚い手段で害なすなら、我はセバス殿の為に断罪の刃を振るおう!」

 

 意識の変革———深淵卿モードを発動させ、浩介は男達に斬り掛かった。動きや気配が劇的に変わった浩介を見て、残りの三人も予想外の事態にフードの下の表情が焦り出した。彼等は“商店の老店主"を手早く殺して仲間の援護に向かおうとダガーを握り直し———。

 

「———さて」

 

 次の瞬間、男達の背筋に寒気が走った。標的であるセバスは男達に向かって一歩歩み寄っただけだ。

 

「安心して下さい。殺しはしません———ですが、私はいま非常に不愉快な気持ちになっています」

 

 それなのに———何故かそれが、彼等には巨大なドラゴンが自分達を睨んだ様に感じていた。

 かちかちかち……。

 今まで何人もの人間を殺してきた彼等だが、“商店の老店主"を相手に全員が震えが止まらないかの様に歯を鳴らしていた。

 

「力加減を誤るかもしれませんが……その時は諦めて下さい」




……この作品の主人公って、誰でしたっけ?(自虐ネタ)


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第百五十話「深淵の暗殺者は覚悟を決める」

 やったー! 最新話を書き上がったぞー!
 これで執筆のために我慢していたマリオRPGがやれる!(笑)


 三撃。

 男達の懐に踏み込み、セバスは拳を振るう。それで終わりだった。

 当然の結果だ。ナザリックの中でもトップクラスの戦闘力を持つセバスからすれば、小指一本でも男達の相手は十分なのだ。

 鳩尾に拳を叩き込まれて気絶した男達から視線を外し、セバスは後ろを振り返った。

 浩介はニ対一という不利な戦いながら渡り合っていた。男達は間断なくダガーを振るって浩介に一撃を与えようとする。彼等の攻撃は一撃の重さより手数を重視した物だが、ダガーの刃には何やらヌルヌルとした液体が塗られていた。恐らくは毒武器。鎧など着ていない浩介は、毒ダガーのかすり傷でも不利になるだろう。

 しかし、それは相手も一緒だ。男達の戦闘方法は素早い動きで相手を翻弄するステレオな暗殺者(アサシン)タイプだ。その為に一撃でも四肢に傷を負えば、戦闘力は激減してしまう。その上、ステータスはセバスの見立てでは浩介の方が倍以上に高く、毒武器とニ対一というアドバンテージがありながら男達は攻め切れていない。それによって彼等の戦いは拮抗状態となっていた。

 

(とりあえず今すぐ加勢しなくてはならない程に不利というわけではない。それに………)

 

 つい先程、一瞬だけ浩介の雰囲気が変わった事にセバスは気付いていた。恐らくはあれが出会った時に見せていた本気の戦闘モードなのだろう。戦闘によって性格などが変化するというのは奇妙だが、よくよく考えれば仲間のシャルティアも『血の狂乱』という姿形まで変わる戦闘形態があるのだ。浩介もきっとそういうスキルを持っているのだろう。

 

(危なくなったら助けましょう。この際ですから、彼のスキルがどういったもかのか見極めなくては)

 

 セバスは髭を撫でながら浩介の戦いを見守った。

 

 ***

 

 浩介は斬り払いにきたダガーをバックステップで避ける。それを追撃する様にもう一人のダガーの突きを短剣で防いだ。

 冷や汗が流れる。相手は獲物を捉えたという酷薄な笑みから一瞬だけ失望の色に変えると、すぐに下がって別の男が前に出た。

 ステータスだけ見るならば、元・“神の使徒"である浩介の方が有利だ。曲がりなりにも王国の第一線で戦う光輝達と違って鉄火場の経験は少ないものの、それでも異世界人としてステータスの成長はこの世界の人間よりは高かった。

 しかし、それでも浩介は男二人を相手に圧倒しきれていなかった。

 まず男達が使っている毒武器。浩介の“暗殺者”のスキルはすぐに男達の武器が危険だと気付いていた。かすれば殺せるという自信から相手は立ち回りに余裕があり、逆に浩介は一撃でもくらえば危険だという緊張から消極的な攻勢にしか出られなかった。

 

 そしてもう一つ―――これは浩介にとって初めての対人戦だった。無論、浩介も王宮にいた時に訓練でメルド達と組み手は行っていたし、裏稼業時代に人間を相手にした事が無いわけではない。しかし、前者はあくまで命の懸かっていない訓練であり、後者も麻薬の運び屋の護衛が優先で追っ手を撒く為に戦っただけなど、浩介自身の命が懸かった物ではなかった。対して今は二人の暗殺者―――“天職”がそうだっただけの浩介とは違う―――人を殺してきたプロの殺気にあてられてしまい、浩介は全力を出し切れていないのだ。

 

「ふっ、ふっ……!」

 

 荒い呼吸が浩介から漏れる。魔物との戦いとは違う本物の殺気は浩介の身体を萎縮させる。一方で暗殺者達も予想以上に渡り合ってくる浩介に内心で歯噛みしていた。彼等が事前に知らされていた浩介の情報は『“元・神の使徒”ではあるものの、王宮から追い出されて冒険者組合からも落伍した若造』というものだった。トータスでは冒険者を夢見て故郷を出たものの、現実の壁を思い知ってゴロツキへと転落する者は珍しくない。また闇ギルドでも殺人の依頼は受けていなかった事から、彼等は浩介を『実力が無くて流されて転落した若造』だと思い込んでしまったのだ。

 ところがいざ戦闘となれば彼等が思った以上に浩介のステータスが高く、不意を打っての暗殺が主な手段である“暗殺者”達からすれば不得意な正面戦闘を強いられる羽目になったのだ。結果として、両者共に相手に攻め切れない均衡状態に陥っていた。

 

(クソ、どうすりゃいい? どうすればこの状況を打破できる!?)

 

 毒ダガーの連続攻撃を避け、あるいは短剣で防ぎながら浩介は考える。セバスが襲われそうになった時に深淵郷モード(暗殺者の意識)が立ち上がったものの、初めての命の懸かった殺し合いに浩介の素の思考(地球での良識)が混じってしまっていた。

 

(殺すしかあるまい……奴等には死の制裁が必要だ)

(っ、出来るか! 人殺しなんて―――!)

(否、やらねばならぬ! 相手は我ばかりか、セバス殿も手に掛けようとした外道共。断罪の刃を以て正義を示すのだ!)

(でも―――!)

 

 “天職”によって生まれた深淵郷としての自分が男達の排除を、地球で平和に暮らしていた学生としての自分が殺人への忌避感を心の中で訴える。内心の葛藤は二重の人格で言い争っている様な状況になり、浩介の刃を鈍らせていた。そして―――それを見逃すほどプロの暗殺者は甘くない。

 

「しぃっ!」

 

 暗殺者の一人がダガーで斬り込んでくる。あまり力が入ってない振りの小さな攻撃だ。内心の葛藤で迷いながらも、“神の使徒”として与えられた高い身体能力で浩介は避ける。

 そして避けた先で再び殺気を感じた。仲間の斬撃を避けられるのを見越したもう一人の暗殺者は、今まで使わなかったボウガンで浩介の顔を目がけて射ったのだ。

 間一髪、殺気を感知した浩介は短剣でボウガンの矢を弾き―――ダガーを避けられた暗殺者が滑り込むような低い姿勢で踏み込んできたのが見えた。

 

(まずい!)

 

 ゾワッと死の気配を首筋に感じる。暗殺者が持つ毒ダガーが浩介の腹に迫る。矢を弾く為に振ってしまった短剣では防御も間に合いそうにない。刃に毒が塗られていると分かっていながらも、何とか致命傷だけは避けようと浩介は腕を盾にしようとして―――。

 次の瞬間。勝利を確信して口角を吊り上げた暗殺者が、片目を押さえながら飛び退いた。

 浩介の目には見えた。暗殺者の顔。その目に目がけて、豆粒程度の小石が背後から飛んできたのを。

 

「君の優しい性格は美徳とすべき点です。ですが、この場においては致命的な隙となります」

 

 振り返らなくても分かった。自分の大恩ある老店主。彼が助けてくれたのだ。

 

「自分が守りたい者の為には、時には非情な手段を取らねばなりません。そうしなくては大切な者を取りこぼしてしまいますから」

 

 その言葉に浩介はハッと思い出す。シスター・べレアや孤児達、そしてノイントの顔を。

 

「肉体能力では君が優っています。だから心でも勝ちなさい。肉体と精神、その両方が揃えば君は勝てます」

 

 まるで教師の様に助言してくれた言葉に、浩介は心の中で頷く。

 深呼吸を一つした。すると、先程までの内心の葛藤が凪の様に収まっていくのを感じた。

 

「俺は……“我”はもう迷わぬ!」

 

 その瞬間、思考がクリアになる。心の中の“深淵卿”と浩介の意識は一つとなり、浩介の脳はかつてない程に活性化していく。

 そんな浩介を見て暗殺者の男達も瞳に力が入る。ステータスが高いだけで、人殺しの決意が出来ない甘っちょろいガキ。そう思っていた相手がセバスの助言を受けて雰囲気が変わったのを見て、彼等も獲物ではなく最強の敵だと認識を改めたのだ。

 浩介が走り出す。それはまるでオリンピック選手のスプリントの様に美しく、無駄のないフォームだった。だが、どんなに速かろうと軌道は直線的だ。それを読んでいた暗殺者の一人が、ダガーを浩介の顔に目掛けて突き刺す。自分の速度のままに貫かれに来る浩介の未来の姿を幻視して———浩介の姿が突然消えた。

 

「っ!? ガッ———!」

 

 消えた浩介に驚くのも束の間、暗殺者は顎を下から打ち上げられる衝撃に苦悶の声を漏らした。

 暗殺者が突き出したダガーが当たる瞬間。浩介は上体を地面スレスレになる程の低空姿勢のまま疾走し、暗殺者の懐に潜り込んだのだ。直前まで自分のダガーに注目していた暗殺者の目からすれば、浩介の姿が突然消えた様に感じただろう。そして意識の外から無防備な顎をアッパーカットされ、暗殺者の意識は脳の外へと飛び出していった。

 

「っ!」

 

 仲間がやられたのを見て、もう一人の暗殺者が浩介を目掛けて再びボウガンを撃ち出す。だが、その狙いは焦って発射したのか先程より狙いが甘い。浩介は再び走り出し、矢の軌道からズレた位置に動く。耳のすぐ横で矢が通り過ぎる音がして――暗殺者の男が踏み込んで来ていた。

 先程の矢は囮だ。当たらないのを承知の上で浩介の行動を制限する為に打ち、浩介の喉を斬り裂かんと刃が迫る。そして――浩介の姿が再び消えた。

 バッ、と衝撃的に暗殺者は視線を下に下げる。仲間がやられた姿を見ていた彼は、先程と同じく浩介が下に潜り込んだのだと思っていた。そして、彼は気付いた。いつの間にか地面に影が出来ている事に。

 

「ふっ———!」

 

 浩介が短い呼吸を吐いて飛び出す。暗殺者に見えない速度で路地裏の壁を蹴り、三角跳びの要領で空中に上がった彼は勢いのまま頭上から襲い掛かったのだ。死角となる頭上を取られ、暗殺者が目を見開く中で浩介は短剣の刃を———クルリと反転させ、柄の頭を暗殺者の肩に振り下ろした。

 

「〜〜っ!?」

 

 暗殺者から声なき悲鳴が漏れる。彼は外套の下に鎖帷子(チェインシャツ)を着ていたものの、重力と共に振り下ろされた一撃は鎖帷子の防御を貫き、衝撃で鎖骨ばかりか肩甲骨まで砕いたのだ。痛みのあまりに無事な手で負傷した肩を庇いながら、暗殺者は地面にもんどりうって転がった。

 

「お見事です」

 

 いつの間にか後ろから現れたセバスが、逃げられない様に地面に転がった暗殺者の膝を蹴った。骨の折れた音が響き、暗殺者は再び押し殺した様な悲鳴を上げながらのたうち回る。そこで初めて背後を振り返り、浩介はセバスの背後で崩れ落ちている暗殺者達を見て目を丸くした。

 

「セバスさん……その、すごく強かったんですね」

「ええ。ほんの嗜み程度の武術ですよ」

「……ありがとうございます。セバスさん」

 

 もはやお馴染みのしれっとした言葉だが、浩介はそれよりもセバスに礼を言いたかった。暗殺未遂を許して貰ったばかりか、彼の助言が無ければ地に伏していたのは浩介の方だっただろう。

 

「セバスさんのお陰で助かりました。本当にありがとうございます]

「いいえ、お礼を言われる程の事ではありません。私も再び君の珍しいスキルを見られて良かったですよ。もしかすると、誰かを守りたいと思う心がトリガーなのかもしませんね。良いスキルを持てたと思いますよ」

 

 うっ、と浩介は言葉に詰まる。どういうわけか言動が厨二病臭くなる深淵郷モードは今でも悶絶ものなのだが、セバス程の人物にそう評価されるとほんの少しだけ恥ずかしさは和らいだ。

 

「さて、これから尋問を始めましょう。聞きたい事があったら、遠慮なく聞いて下さい」

 

 セバスがまだ意識のある暗殺者に歩み寄り、その男の額に手を当てた。途端、ビクンと震えて男が仰け反る。だが、次の瞬間には焦点の合わぬ目で糸で引き上げられる様にセバス達に顔を向けた。

 

「何をしたんですか?」

「“傀儡掌”というスキルです。上手くいった様で安心しました」

 

 浩介が聞いた事のないスキルであり、それを使われた男はセバスの問いにペラペラと喋り出していた。だが、話を聞く内にセバスのスキルの異常さはどうでも良くなってしまった。そのくらい衝撃的な内容だったのだ。

 やはりというべきか、男達はバラダックの子飼いの暗殺者達だった。彼等はセバス暗殺の任務と同時に、浩介の口封じも命じられていたのだ。浩介が当初のバラダックの依頼通りにセバスを暗殺できるなら良し、駄目でもセバス諸共に葬る事でフリートホーフがセバスを暗殺した証拠を握り潰そうとしていたのだ。仮に浩介がセバス暗殺を成し遂げたとしても秘密裏に殺し、『店の金を勝手に使い込んでしまった上、それを咎めに来たセバスを衝動的に殺してしまったので自殺してお詫びする』という偽の遺書を保安署に発見させ、事件を全て浩介の仕業になすりつける手筈だったそうだ。

 

「あの野郎っ……! 最初から約束なんて守る気が無かったっていうのか!!」

 

 浩介が怒りに吼える。セバスもまた、フリートホーフの仕掛けた悪辣な手口に顔を顰めていた。

 さらに詳しく聞いていくと、浩介の人質として預かったノイントは既に奴隷オークションに売り出す予定であるそうだ。そこまで聞き終わると、浩介は立ち上がった。

 

「どちらへ?」

「ノイントさんを助けに行きます。あいつらが最初(はな)から約束を守る気が無いなら、もう奴等の言いなりになんてならねえ!」

 

 歩き出そうとした浩介の腕をセバスが掴んだ。

 

「待ちなさい。相手は下請けとはいえ、犯罪組織の一端。君一人では分が悪いでしょう」

「セバスさん……でも………!」

「ですから、私も一緒に行きましょう」

 

 え? と浩介は驚いた様にセバスを見る。彼はいつもの好々爺然とした笑みを浮かべながら言った。

 

「大層なご挨拶をされた上に、ウチの従業員であるコースケくんがお世話になった様です。生憎と菓子折り等の用意はありませんが―――お礼の挨拶に行かねばなりませんね」

 

 ***

 

 フリートホーフの下請けであるバラダックの店には、秘密の地下通路があった。この通路はフューレンの地下に張り巡らされた下水道網と繋がっており、それがフリートホーフにとって絶好の逃走経路や隠れ家となっていた。

 そして下水道の一角―――フリートホーフの手の者によって作られた秘密の部屋にバラダックは一人の男といた。

 

「相変わらずここは酷い臭いですね」

 

 バラダックと共にいる男が下水道独特の据えた臭気に顔を顰める。

 男の正体はセバスの屋敷へ法廷弁護士として来たハルモニアだった。彼は下水道には場違いなスーツ姿でいながら、椅子に座って優雅に足を組んでいた。

 

「それで? あなたの計画とやらは上手くいきそうなのですか?」

「へ、へい! それはもうバッチリで!」

 

 椅子に座るハルモニアに対して、バラダックは媚びる様に揉み手をしながら立っていた。彼等の姿を見れば、二人の上下関係ははっきりと分かるだろう。

 

「ウチに出入りしていた小僧を脅して、“チャン・クラルス商会”のジジイを暗殺する様に仕向けましたんで。といっても、奴は殺しが出来ねえ様な半端者なんですわ。まあ、奴は万が一にでも殺ってくれたらいいぐらいなもんで………ジジイ諸共に葬れるウチの暗殺者達も仕向けたんで大丈夫ですぜ! 何せ奴等は―――」

「余計なお喋りは結構。私が聞きたいのは希望的観測ではなく、確たる結果です」

「も、もちろんです! “六獣”の一人であるハルモニア様に満足いく報告が必ず出来まさぁ!」

 

 糸の様に細められた目のまま、指でトントンと苛立たし気に腕組みした腕を叩くハルモニアにバラダックは慌てて頭を下げる。彼にとってフリートホーフ内で最強と言われる“六獣”の一人であるハルモニアは絶対に怒らせたくない相手だった。そんな相手と同じ空間にいる事にバラダックが多大な重圧を感じていると、部屋のドアが取り決められた符丁でノックされた。

 

「入んな!」

「し、失礼しやす!」

 

 バラダックが野太い声を許可を出した途端、彼の部下が入って来た。その男は連絡役としてセバスを見張っていた男で、彼はどこか焦った様な表情を浮かべていた。

 

「どうした! あのガキがジジイを殺ったか! それともガキ諸共、あいつらが殺ったか!?」

「ち、違いやす! ガキもジジイも無事です! あ、あいつら、しくじりやがったんです!」

「な……ば、馬鹿言うな! たかがガキ一人とジジイ一人だろうがっ! 暗殺者を五人も送って殺せねえわけねえだろうがっ!!」

「う、嘘じゃねえんです! 路地裏に入ったジジイ共を追ってあいつらも行ったけど、ジジイとガキだけがピンピンとして出て来やがった! それにどういうわけか、ジジイ共はバラダックさんの店に向かってやがるんです!」

「てめぇ、適当な事を抜かしてんじゃ―――」

 

 信じられない報告に口角泡を飛ばすバラダックだが、ダンッ! という音に遮られた。バラダックが飛び上がりながら振り向くと、ハルモニアが組んでいた足を振り下ろして立ち上がっていた。

 

「もう結構。要するに、君は失敗したというわけですね?」

「ま、待って下せえ! これは何かの間違いだっ! あ、あいつらが裏切ったのかもしれねえ!」

「だとしても致命的でしょう? 君は簡単に寝返る様な暗殺者を彼等に送り込んだのだから」

 

 バラダックが真っ青な顔で震える中、ハルモニアは目を細めた笑顔のまま歩み寄ってくる。

 

「ち、ちが………ヒィッ!!」

 

 恐怖に耐えきれず、バラダックは背を向けて逃げだそうとした。だが―――。

 

「ごぶ、っ!?」

「こらこら、駄目じゃないですか。死ぬときはちゃんと私の方を向いてくれなくちゃ」

 

 バラダックの胸から銀色の刃が飛び出す。ハルモニアのスーツの袖の下から飛び出た刃―――ジャマダハルと呼ばれる厚みのある短剣が、彼の背中から突き刺さっていた。

 

「私は法廷でも相手が苦悶を浮かべる表情を見るのが好きでしてねえ。役立たずはせめて私を楽しませて死んで下さいよ」

 

 ザシュッとハルモニアの短剣が引き抜かれる。そして地面にバラダックの死体が転がった。足で死体を仰向けにさせると、絶望した死に顔をはっきりと見える様にした。

 

「ああ、堪らない………どんなに下らない人間でも、絶望を浮かべた顔だけは美しい。況してやそれが死の絶望ともなれば、最高の芸術となる。そうは思いませんか?」

「ひ、ひぃっ!?」

 

 何のためらいも無く人を殺したばかりか、うっとりと酔い痴れるハルモニアに生き残りの部下は悲鳴を上げる。怯えた彼を無視して、ハルモニアは思考する。

 

(二人は保安署に通報するわけでもなく、こちらへ向かっていると言っていましたね。狙いは十中八九、少年の人質に取ったという女性の救出でしょうか? いずれにせよ、暗殺者を五人も相手にして無事だったという事は腕に覚えがある様ですね)

 

 そこまで思考すると、短剣に付いた血をベロリと舐め上げた。

 

「楽しみですねえ。出来れば少年の方を殺したいものです。前途ある若者が未来を鎖されて死に逝く表情は何よりの娯楽ですから」

 

 糸目だった彼の目は今や見開かれていて、瞳は隠しきれない喜悦の色に染まっていた。その表情は法廷弁護士という肩書きからかけ離れた快楽殺人鬼(シリアルキラー)そのものだ。

 

「せっかく“暗殺者”の天職に生まれたのです。私にこの様な才能を与えてくれたエヒト神に感謝して殺すとしましょう」




>ハルモニア

 いわゆるシリアルキラー。こんな奴が法廷弁護士をやってるとか……と思うだろうけど、殺人ピエロで有名なシリアルキラーしかり、社会的に見れば成功を収めてる人がなるパターンもあります。彼もそういうタイプです。


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第百五十一話「突入開始」

 風邪引きました……。本当に今年はあれこれと病気にかかるなあ。


「こっちです、セバスさん」

 

 浩介はセバスと共に闇ギルドの前に来ていた。以前は浩介も何度も足を運んだ場所であり、あの時のままに一般人なら避けて通る店構えが二人を出迎えた。浩介の話や暗殺者の尋問で事前に建物や地理の事などはセバスも聞けたが、やはり現場を直接見ないと決められない事はいくつかあった。闇ギルドの建物を見ながらセバスは髭を撫でて頷く。

 

「男達の話では警備の為に護衛が数人おり、更に店内には裏口と秘密の地下通路があるそうですね。そうなると一人が正面で注意を引き付け、もう一人が女性の探索をした方が良いでしょう」

「二手に別れるんですか?」

「ええ。安全を考えれば、二人一緒に探索すべきかもしれません。しかし、優先すべきは君の人質の身柄です。早く救出する為にも一人が囮を、もう一人が探索を行った方が効率が良い」

 

 セバスと別々になる事に少しだけ心細さを感じるが、それを押し殺して浩介は頷く。ノイントの救出の為には今は不安など我慢すべき時だ。

 

「先程の戦いぶりを見るに、君は盗賊系の“天職”の持ち主だと思っています。探索はむしろ君の方が適任でしょう。私が囮役を引き受けます」

 

 敵陣に正面から攻撃を仕掛けるという一番危険な役目をセバスが引き受けると言われても、もう浩介は驚かなかった。自分よりも人数の多い暗殺者達を瞬時に倒したのだ。疑い様なく、セバスの方が“神の使徒”だった自分よりも強い。

 

「すいません、俺の事で迷惑を掛けてしまって……」

「迷惑などとんでもない事です。それに君には以前、従業員を助けてくれた恩があります。私の友人がいれば、“恩には恩を”と言うでしょう」

 

 自分の面倒事に巻き込んでしまった事に浩介はすまなそうな顔になるが、セバスは気にしていない様ににっこりと微笑む。

 

「それと出来る限りこちらへ引き付ける為にも、そして君の所へ逃がさない為にも容赦なく殺していきます。君も敵に遭遇したら躊躇わないで下さい」

 

 浩介はほんの少しだけ背筋が寒くなる。それが現時点において最善の方法だとは分かる。しかし、それを昨日まで人柄の良い老店主だと思っていた相手から言われ、セバスが二重人格者の様に思えたのだ。

 寛容で紳士的な老人と、冷徹で容赦のない戦士。相反する筈の性格が極端なレベルで同居している。このままセバスを送り出せば、建物内にいる敵を全て血の海に沈める光景まで浮かび上がりそうだった。

 

(いや、迷うんじゃない……さっき、それでセバスさんに助けられたばかりじゃないか)

 

 ここは法と秩序に守られた現代日本では無いのだ。手を血に染める覚悟をしなければ、誰も守る事が出来ない。地球ではセバスのやり方は非難されるかもしれないが、この世界においては浩介の考え方こそが異端なのだ。その事を自覚して、浩介は固く―――しかし確かに頷いた。

 

「……分かりました。でもバラダックがいたら生かしておいて下さい。ノイントさんの居場所を聞き出すまで、死なれると困りますから」

「ええ、そうですね。彼の人相を教えて頂けますでしょうか?」

 

 バラダックの特徴を伝え、セバスが何度か呟いて覚えた。そして救出作戦が開始された。

 

 ***

 

 バラダックの闇ギルド店内。酒場も兼ねているラウンジで男達が屯していた。彼等は浩介の様に仕方なく闇ギルドに在籍しているのではなく、犯罪行為を重ねて冒険者ギルドから追い出された元・冒険者達だ。根からのゴロツキである彼等は、店から通じる秘密通路の警備の為に呼ばれていた。

 

「遅えな、バラダックさん」

 

 人相の悪い一人の男がなんとなしに呟く。

 

「さっき連絡役が慌ててとんで行ったけどよ、何かあったのか?」

「知らねえよ。気になるなら後を追えばいいだろ」

「冗談だろ? “殺人卿”のハルモニア様と居合わせるなんて御免だ」

「ギルマスもついてねえな。よりによって“六獣”の一人と一緒にいなきゃいけねえなんてよぉ」

 

 軽口を叩きあう彼等だが、言葉とは裏腹に誰もバラダックの様子を見に行こうとはしなかった。彼等からすればフリートホーフ最強の殺し屋集団の一人であるハルモニアの方が恐ろしく、気の毒だとは思うがバラダックが相手をしている為に自分達が彼の近くで待機する羽目にならなくて良かったという思いの方が強かった。

 

「というかよ、相手は商会のジジイとガキ一匹だろ? わざわざ“六獣”の一人が動くほどか?」

「俺に聞くなよ。上の連中の考えてる事なんざ分かるわけねえだろ」

「なあ、ちょっといいか? ハルモニア様は何で法廷弁護士なんて立派な仕事に就いてるのに殺し屋なんてやってるんだ?」

 

 仲間の一人が暇つぶしに聞いてきた事に男達は顔を見合わせる。その中で一人が朧気な記憶を思い出す様に口を開いた。

 

「詳しい話は知らねえが……なんでもハルモニア様は貴族の生まれらしいぜ?  ただよ、“暗殺者”の天職を持って生まれた事で実家と一悶着あったとかなんとか……」

「あん? なんで戦闘系の天職に生まれた事で揉めるんだよ? 色々つい優遇されて引く手数多じゃねえか」

「馬鹿、そりゃ冒険者や兵士とかの場合だ。やんごとなき貴族様の家に生まれたのが、よりによって“暗殺者”とか家にとっては恥だろうが」

「ふ〜ん、そういうもんかねえ……」

 

 そう言われても彼にはピンと来ない様だ。トータスでは天職によって就ける仕事が左右されやすく、大した天職ではなかったから希望した職業に就けずに落ちぶれた彼からすれば、戦闘系の天職に生まれた事で起こる不都合など思い浮かばない様だ。

 

「まあ、ともかく。家を出て法廷弁護士なんざ立派な職業にハルモニア様はなったが……これはあくまで噂だけどよ。ハルモニア様は平民相手に慈善事業もやってるんだよ。チャリティだとか、そういうやつ。ただな、その中で気に入った少年を見つけると自分の助手にするとか言って家に連れ帰るそうなんだよ」

「連れ帰って……どうするんだよ?」

「その先は知らねえ。ただ、その助手とやらは割と頻繁に変わるし、元・助手だった少年達は誰も帰って来てねえんだよ」

「おいおい……そんなのそいつらの親とか不審に思わないのか?」

「といってもハルモニア様は今でも一応貴族だからな……平民がどんなに声を上げようが、貴族が一言言えば保安署もそれ以上は調べねえよ。それに平民からすりゃ、貴族様から仕事を貰えると聞いて成り上がるチャンスと思うからな。こんな噂があっても気のせいだと自分に言い聞かせて、話を断る奴はほとんどいないんだよ」

「……やべえんじゃねえか、それ」

「だろ? 上からのお達しだか何だか知らねえが、そんなイカれた奴の相手をさせられるバラダックさんも気の毒にな」

 

 話を聞いた男は背筋に冷たい物が奔る。彼等はハルモニアと共にいるだろうバラダックに同情した。もっとも、ある意味で彼等の予感は既に的中していたのだが。

 そして―――すぐに彼等もバラダックと同じ運命を辿る羽目になる。

 

「な……なんだ!?」

 

 突然、大きな音が響いて全員が寝ている所に冷水をかけられた様に弛緩していた空気が霧散した。

 音の出所は店の入口だった。この店の様な非合法な商売をしている建物の当然の備えとして、扉は簡単に叩き壊されない様に中に鉄板が仕込まれた頑丈な造りだ。

 その扉に今、有り得ない事が起きていた。扉と戸枠の間―――そこから白い手袋をつけた手が差し込まれ、扉を変形させていた。貫き手の様に差し込まれた手はそのまま扉を掴み、男達の目の前でメキッ、メキッと音を立てながら扉を引き剝がしていく。あまりの出来事に男達は唖然としながら見守る事しか出来なかった。

 やがて蝶番が壊れ、扉がむしり取られる様に開けられた。そして戸枠しか残っていない戸口には身なりの良いスーツを着た老人―――セバスが立っていた。

 

「失礼。鍵がかかっている様なので強引に開けさせて頂きました」

 

 まるで落とし物を拾って指摘するかの様な紳士的な態度でセバスは言った。薄汚い安酒場という表現がしっくり来る場所に、爵位持ちの貴族でも無ければ着られない様な高級そうなスーツを纏った老人。あまりのミスマッチさに、男達は未だに現実感を取り戻せていなかった。そんな男達をしばらく見渡し、セバスは確認が終わった様に頷いた。

 

「ふむ………貴方達の中にバラダックなる方はいない様ですね」

 

 あ? と男の一人が声を上げようとした瞬間―――男の頭が弾け飛んだ。

 

「………は?」

 

 突然首無し死体となって、断面から鮮血を噴出させる仲間を男達は間の抜けた声を上げながら見つめる。男達はおろか、首無し死体となった彼も最期まで認識できなかっただろう。セバスが男に向かって、高速で拳を振るった事に。文字通りの神速の拳はセバスの服はもちろん、男の頭を打ち抜いた手袋すらも一切汚していなかった。もっとも、至高の御方(自分の創造主)より与えられた衣装をこんな薄汚い男達の血で汚したくないと思ったセバスが細心の注意を払った結果なのだが。

 

「一人いれば十分でしょう。後の方は申し訳ありませんが、死んで頂きます」

「ふ………ふざけ―――」

 

 再び神速の拳。それはボクシングで言うところのジャブに近かった。腰に力を入れず、小刻みに打って相手への牽制とする為の拳。しかし、ナザリックで三本の指に入る白兵戦最強のセバスがやれば必殺の拳となった。

 音にすれば、パパパンッ! という軽快なリズムが正しいか。一人だけ残して残った男達も首から上が吹き飛んでいた。

 

「―――るなっ! ………え?」

 

 抗議の声を上げた男は、周りにいた仲間達の頭が消し飛んでいる事にようやく気付いた。一拍遅れて、司令塔である脳を失った身体がぐらりと揺れて倒れていく。肉が床にぶつかる音が折り重なり、辺りを血の池で染め上げた。

 

「ひ……ひぃぃぃいいっ!?」

 

 あっという間に仲間達を首無し死体に変えた老人に、生き残った男はもはや戦意を挫かれていた。彼がまだ真っ当な冒険者達だった時に味わった感覚―――自分のレベルでは敵わない凶暴なモンスターと遭遇した時の様に、明確な死を間近に感じていた。

 

「貴方にお聞きしたい事があります」

 

 仲間を血溜まりに変えながらも、自分には一切の返り血を浴びてないままに執事服を着た死神が聞いてきた。

 

「バラダックという男はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

「あ………あっちだ! 向こうの部屋に隠し地下室への階段がある! バ、バラダックはそこに行った!」

「そうですか。では―――行きなさい」

 

 ガタガタと震えながら居場所を吐いた男を見て、セバスが男にではなく背後にいる人物に頷く。男は自分の差し迫った死の気配に怯えてそれどころではなかったが、何やら影の薄い人影が隠し地下室へ走っていく様に感じた。

 

「もう一つ。地下にいる貴方の仲間達をこちらまで御呼びする方法はありますか?」

「あ、あるっ! 呼びますっ! すぐに呼びますからっ!」

 

 男は足をもつれさせながら、カウンターの後ろにある秘密の伝声管に慌てて駆け寄った。この伝声管は地下の秘密通路に繋がっており、保安署の手入れなどがあった場合はここから地下の仲間達に連絡して危険を知らせる手筈になっていた。

 

「し、侵入者だ! ジジイ……いや、爺さんが一人、カチコミに来やがった! 上の仲間はみんな殺された! た、頼む! 誰か……誰か来てくれっ!!」

 

 相手との対話など全く考えてない支離滅裂な早口に、伝声管の向こうで確認を求める怒鳴り声が鳴り響く。異変を察知して地下で待機している仲間が直にこちらへ来るだろう。だが、その事実は男には何の救いにもならなかった。男の救いはただ一つ、目の前の執事服の死神が気まぐれで自分を見逃してくれる可能性だけだった。

 

「い、言われた通りにしたぞ! だ、だから……なあ、もういいよな?」

「ええ、ありがとうございます―――では、あなたの役目も終わりましたね」

 

 セバスが微笑みを浮かべる。だが、その目に好意的な感情は全くない。そして、不幸な事にそれを読み取れない程に男は愚かではなかった。

 

「………じょ、冗談ですよね?」

「そう思われるのは勝手ですが、私が取るべき行動は変わりませんよ?」

「だって、言われた通りにやったじゃないか! なあ、頼むよ! 何でもするから助けてくれ!」

「駄目です。それにこの様な結末も、あなたがこんな仕事に加担した時から覚悟して然るべきだったのでは?」

「……あ、ああっ………!」

 

 セバスに言われ、男は走馬灯の様に自分の人生を振り返った。

 幼い頃の夢だった騎士を目指し、故郷の村を飛び出した日の事。

 天職もステータスも目を引く物がなく、騎士団への入隊を拒まれた日の事。

 上京したのにタダでは帰れないと意地になって、冒険者になった日の事。

 冒険者になってもやはり大成せず、大金に目がくらんでに悪事に手を染めだした日の事―――。

 

「かみ……さま……」

 

 もはや死を逃れられぬと悟った男は、最後の縁である様に人間族の唯一神に救いを求めた。

 生まれた時から運に恵まれず、ただひたすらに転落していくだけの自分の人生に最後の救いを求める様に。

 

「エヒトさま……たすけてください……」

 

 だが、それを見たセバスの目が僅かに細まる。

 浩介の様な純朴な少年に無理やり悪事をやらせた上に、彼の恋人を人質にした事に加担していた者が神に縋る。そんな権利があるわけがない。

 何より―――セバスにとっての神とは至高の四十一人だけが名乗る事を許される存在だ。男の行為は、自分の主達を軽んじている様に感じてしまうのだ。

 

「自業自得です。赦しはあなたの神とやらに請いなさい」

 

 斯くて―――断罪の刃の様に、セバスの回し蹴りは男の首を刈り取った。

 

 ***

 

「上の建物に侵入者がいるらしいぞ!」

「相手はジジイ一人だと!? 情報が錯綜しているぞ!」

「くそ、とにかく確認に急げ!」

 

 男達がバタバタと地上に繋がる通路を走っていく。やがて足音が消えた後、それまで気配を消していた浩介が男達が出て来た地下通路へと入っていった。

 

(セバスさんが上手くやってくれたんだ。だから俺もノイントさんを絶対に救うんだ)

 

 決意を新たにして、浩介はフリートホーフの秘密経路である下水道網に進んだ。

 この下水道網は元々はフューレンが発展していく中で作られた物だ。商業の中心地として街の人口が増えるに連れて、必要に応じて増設されたのだが、その中で今では使われなかった古い下水道をフリートホーフは自分達の秘密通路として使っていた。その為にかなり入り組んだ形となっている上に、杜撰な都市開発計画の名残で増築した為か下水道内もかなり広いのだ。まさにフューレンの地下に張り巡らされた迷路というべき場所なのだが―――。

 

(分かる……何だろう。ノイントさんの気配というか、残滓というか……とにかくノイントさんはここを通って行ったんだ)

 

 それは僅かに残された痕跡か、あるいは魔力の残り香とでも言うべきものか。浩介が目を凝らすと、そういった物が目に浮かび上がる様な感覚がしてくるのだ。それを頼りにして、浩介は迷路の様に複雑な下水道網を迷いなく進めていた。

 それは一種の共感覚と表現すべき現象だった。浩介が“暗殺者”の天職によって別人格を作り上げるまでに刺激を受けた脳神経。それは鋭敏化され、浩介の脳に変化を齎していた。

 微細な温度の変化に色を感じたり、人間には探知不可能な筈の電磁波を視覚イメージとして捉える。そういった事を浩介の脳は行っていたのだ。

 先ほどの戦いで深淵卿(別人格)を受け入れ、文字通りの意味で一皮むけた浩介の脳は活性化され、今や新たな能力(スキル)を獲得するまでに至っていた。

 

(ふっ、さすがは深淵卿()………惚れた女の気配ならば、たとえ僅かな残滓だろうと感知してみせる! ……それはそれで変態じみてねえか?)

 

 もっとも、浩介は自分の新たなスキルについてはっきりと自覚していない。ノイントが通った後の気配を何となく感じ取って追っている自分が、傍から見たらストーカーみたいじゃないか? という考えで気落ちしそうになるが、セバスが稼いでくれた時間を無駄にしない為に先を急ごうとした。

 

 そして―――鋭敏化した今の感覚だからこそ、気が付けた。

 自分の頭上。人間にとって死角となる場所から、突然降って湧いた様に自分に殺気が向かっている事に。

 

「っ!?」

 

 キィンッ! と金属的な音が鳴り響く。首筋に寒気を感じた浩介が反射的に短剣を振るい、自分の頸動脈を狙っていたジャマダハル(握り短剣)を防いだ。

 

「おや、残念。一息で仕留めて差し上げようと思いましたのに」

 

 言葉とは裏腹に然程落胆した様子もなく、ハルモニアは防がれたジャマダハルを引いてバックステップで浩介から少し距離を取った。まさに軽業師の様な身のこなしは、法廷弁護士という肩書きが不似合いな物だった。

 

「バラダックの飼い犬達が失敗したからこちらに来るだろうとは思っていましたが、望んでいた少年の方に当たるとは私も運が良い」

「………そこをどけ! 俺が用があるのはノイントさんだけだ!」

 

 ちょうどノイントへの道筋を遮る形で立ち塞がったハルモニアを見ながら、浩介は低い声を出す。咄嗟に気付けたものの、後少しでも遅れていれば自分の命が絶たれていた。その事実に恐怖する気持ちはあるものの、ノイントを救出したい気持ちの方が勝った。彼は短剣を油断なく構えながら、ハルモニアと対峙する。

 

「俺はあんたには用がない。だから、そこをどけっ!」

「人質にされた女性の為に、ですか。美しいですねえ、若者の恋心は時に無謀な事にも身を投じられる。でもね、それは叶わないのですよ。バラダックの後始末の為にも君には死んで貰わなくてはなりませんから」

「………ならば。我が深淵の刃に斃れるがいいっ!」

 

 浩介の脳が再び“暗殺者”としての自分(深淵卿モード)に切り替わる。活性化した脳細胞は意識のリミッターを解除させ、最短最速の動きでハルモニアとの距離を詰めた。

 狙うは鳩尾。

 人体の急所であり、打たれれば悶絶する箇所へ拳を突き立てるつもりだ。

 浩介を迎え撃つ為にハルモニアも右手に持ったジャマダハルを振るう。しかし、深淵卿モードで活性化した浩介の脳にはジャマダハルの刃の軌道も見えていた。短剣でジャマダハルを防ぎ、ガラ空きとなった鳩尾へ浩介は短剣を持っていないもう片方の手を伸ばした。

 

 瞬間―――伸ばした手に、ゾワッと怖気が走った。

 

「っ!?」

「おや、残念。手首を斬り落とせると思いましたのに」

 

 浩介が咄嗟に腕を引っ込めると同時に手首に痛みが走った。ハルモニアの()()。それまでスーツの袖の内側に隠し持っていたもう一本のジャマダハルが浩介の手の甲を斬り裂いたのだ。

 

「確かバラダックの情報によると、君は“暗殺者”の天職でしたか。だとしたら同じ天職も持つ者同士で分かるでしょう? 私もね、人を殺す時になると脳が熱くなって()()()()()()()()()()()()()()()

 

 刃に付いた浩介の血をハルモニアはベロリと舐め上げた。糸の様に細かった目は見開かれ、猟奇的な光を宿した瞳に法廷弁護士の姿などなかった。

 ニィッ、とハルモニアは口を三日月の様に歪めて笑う。

 

「―――我は“殺人卿”。その血を我が刃に濡らし、朽ち果てるがいい」

 

 まるでそれは、深淵卿モードを発動させた浩介の様に人格が切り替わっていた。

 




>殺人卿

 最初は考えがあって名付けたわけでは無いんですがね。浩介VS“六獣”の構図を考え、ハルモニアに殺人卿の異名を付けた時に「あ、これは深淵卿VS
殺人卿という形に出来るじゃん」と思い付いて採用しました。因みにですがハルモニアがやっていた悪事は、殺人ピエロの元ネタとなったとある連続殺人犯の手口を真似ました。
 そんなわけで浩介の相手は同じ“暗殺者”、しかも自分の様に人格変化でステータスが上がるタイプです。“殺人”の経験が豊富な分、ある意味で上位互換な相手との戦闘です。

 厨二病異種格闘技大会とは言わない様に。


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第百五十二話「深淵郷VS殺人卿①」

 キィン、キィン! と断続的な金属音が鳴り響く。 

 下水道内で二つの人影が何度も交差し、手にした刃物から刃がぶつかり合う音を合唱させていた。

 

「くっ……我が深淵の刃についてくるとは!」

「くくく……」

 

 浩介は額に汗を浮かべながら短剣を必死で振るう。それに対してハルモニアは余裕すら感じる笑みで、二刀流のジャマダハルを振るう。

 

「君は“暗殺者”にしては太刀筋が真っ当過ぎますねえ………そらっ!」

 

 ハルモニアがジャマダハルを突いてくる。刃から漲る殺気。深淵卿モードになって活性化した浩介の超感覚は、狙いが自分の心臓だと看破した。まっすぐに突き伸ばされるジャマダハルの軌道に合わせて、短剣を振るった。浩介の心臓を狙っていたジャマダハルは―――予想以上に軽い衝撃であっさりと狙いが逸れ、逆に弾こうとして振るった浩介の短剣の力が流されてしまった。

 

「なっ!? く、ぅっ!」

 

 浩介は身を捻る。ハルモニアはもう片方のジャマダハル、すなわち本命の斬撃を無防備な脇腹へ繰り出していた。致命傷は避けられたものの、掠った脇腹から鮮血がにじむ。

 

「ああ、残念。臓腑(はらわた)を斬れると思ったのに」

 

 言葉とは裏腹に、愉しそうにハルモニアは笑った。浩介は傷の痛みに耐えながら再び距離を取る。

 突発的に始まった戦闘は浩介が劣勢となっていた。単純なステータスならば、元・“神の使徒”である浩介の方が勝ってはいる。しかし、王宮から追放されてからはほぼ日雇い仕事で生活をしていた浩介のステータスは遠征で魔物退治をしていた光輝達の様に急激な上昇はしていない。身体能力だけでハルモニアを圧倒できる程では無かった。

 加えて持っている武器の差も大きい。浩介が短剣一つに対して、ハルモニアは二刀流のジャマダハル。先程の様に片方の刃で浩介の短剣を引きつけ、もう片方の刃で斬り裂きに来るといった二刀流の利を生かしていた。

 

(くっ………ここでこいつと戦う必要なんてないんだ! 今は―――愛する者の為に駆け抜けるのみ!)

 

 戦闘の不利を悟った浩介は深淵卿モードを発動させ、戦闘離脱を試みる。活性化した脳は身体のリミッターを外し、静止状態から一気にトップギアまで加速させた。一般人から見れば、瞬時に浩介が消えた様に見えただろう。だが、浩介はその速度でハルモニアには向かわず、下水道の壁へと向かっていた。

 “暗殺者"のスキル:〝影舞〟。

 その場に止まる事こそ出来ないが、壁を地面の様に走れるスキルだ。浩介は下水道の壁を忍者の様に走り、ハルモニアの後方へと走り去ろうとした。加速した視界の中で、周囲の景色が後ろへ流れていく。

 

「壁走りですか………結構楽しいですよね、これ」

 

 加速した景色の中。後ろから唐突に声がかけられる。同時に悪寒を感じて、浩介は咄嗟に声がした方向へ短剣を振り抜いた。

 

「ぐ、ぅ!?」

 

 金属音。そして肩に鋭い痛み。

 ハルモニアが同じ様に壁を走って浩介に追いつき、再び二刀の刃を振るったのだ。一刀は防いだものの、もう一刀が浩介の肩口に切り傷をつくる。

 

「ああ、楽しい………“暗殺者”に生まれて良かった、と思いませんか?」

 

 失速して地面に落ちた浩介へ、ハルモニアが親しげに語りかける。それは実力差を確信して余裕の態度を見せている様でもあり、熟練の選手が初心者へアドバイスを行おうとしている様にも見えた。

 

「くそ!」

 

 相手は自分よりも強い。それを確信しながらも、浩介は再び短剣を構える。それを見たハルモニアは、余裕の笑みを浮かべながら二刀の刃を振るった。

 

「私はこれでも貴族の家に生まれましてねえ」

 

 短剣と二刀の刃が連続的にぶつかり合う。その剣戟の中でハルモニアは笑顔を浮かべながら話し出した。

 

「しかし、私が“暗殺者”の天職を持って生まれた事を父は喜んでくれませんでした。貴族の家、況してや代々が法廷に携わる仕事をしている一族の跡取りに生まれたのが“暗殺者"というのは外聞が悪くなりますからねえ。外見だけでも立派な貴族になる様に、幼い頃は厳しい教育を受けましたよ」

 

 刃がぶつかり合う度、相手の二刀流を捌き切れない浩介は擦り傷程度だが傷を負っていく。ハルモニアは話を優先させたいのか、相手を甚振る様に刃を振るっていた。

 

「きっと貴族としての心構えを叩き込めば、“暗殺者”の技能(スキル)は芽が出ないとでも思っていたんでしょうね。毎日の様に鞭を振るわれた時もありましったけ………そんなある日、鞭を振るう父を見てふと思ったのです。私なら―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ハルモニアが口角を上げる。それは人間、況してや貴族なんて人種が到底しない様な喜悦と狂気を孕んだ笑みだった。

 

「最初に試したのは奉公に来ていた使用人の少年です。毎日の様に父に折檻されていた私に同情的でしてねえ、一人っ子の私にとって兄みたいなものでしたよ。だからこそ………誰も来ない地下室に誘き寄せるのは簡単でした。そこで父の様に鞭を振るい、()()()()()()()()()()、と試したのです。結論を言うと私は父より上手に彼を痛めつける事が出来ました。まあ、上手くやり過ぎて彼は死んでしまいましたがねえ」

 

 ただね、とハルモニアは刃を振るいながら言葉を切る。

 

「その時に、私の中でもう一人の私が現れたのですよ。彼は私にこう言ってくれました。“お前は暗殺者として生まれた。だからこそ、持てる技能を存分に使う権利がある”、と」

「う、くっ!」

 

 二刀の刃を浩介は必死で捌く。その中でハルモニアは段々と興奮しながら自らの回想を語っていた。

 

「そうして私は()と共に多くの技能を目覚めさせていきました。使用人に、領民に、母親に、そして父親に! 誰もが皆、良い実験台になってくれましたよ! 殴殺、刺殺、絞殺、毒殺、焼殺………色々な殺し方を試す内に私は()と真理に辿り着いたのです!」

 

 ギィンッ! と一際強く火花が飛ぶ。浩介は傷だらけの身体の痛みに耐えながら、ハルモニアを見た。

 見開いた目を爛々と輝かせ、三日月の様に吊り上がった口元。

 まるでピエロの様だ。浩介は咄嗟にそう思ってしまった。そしてハルモニア―――殺人卿は、満面の笑みで宣言した。

 

「“我、殺す故に我在り”! それが“暗殺者”に生まれた()の生きる意味! この世に生まれ落ちた理由! 殺人卿たる()存在証明(レゾンデートル)!」

 

 だから、とハルモニア(殺人卿)は狂気の笑みを浩介に向けた。

 

「もっと楽しませて下さいよ。同じ“暗殺者”を殺すのは、()も初めてなのですから」

「我とお前を……一緒にするなぁっ!!」

 

 浩介は深淵郷モードを再び発動させ、ハルモニアへと斬り込んだ。

 違う。自分はこんな奴なんかと違う。

 “暗殺者”の天職を持ち、別人格が宿っていても殺人を愉しむ嗜好など持ち合わせていない。

 そんな思いを込めて、浩介はハルモニアへ短剣を振るっていた。しかし―――。

 

「ほらっ! だから太刀筋が単純過ぎますって!」

「くっ、この………!」

 

 ハルモニアが再び浩介の急所に目掛けて振るった刃を短刀で防ぎ、その隙にもう片方の刃が襲いかかって浩介の身体を斬り裂きにくる。先程と同じ手段でありながら、浩介は容易く引っ掛かってしまった。

 これは何も浩介の学習能力が低いわけではない。

 “暗殺者”のスキル:幻踏。

 気配を残したり、自分に残像を重ねて姿をぶれさせるというスキルであり、ハルモニアはこれを使いこなしていた。

 強く殺気を込めた片方の刃を急所に目掛けて振るう事で相手は否が応でも反応せざるを得ず、その隙に気配を消した本命のもう片方の刃で斬り裂く。それこそがハルモニアの“暗殺者”としての戦法だったのだ。

 

(落ち着け! いちいち殺気に反応していたら、相手の思う壺だ!)

 

 ハルモニアの戦法に翻弄されながらも、浩介は状況を立て直す為に必死で思考する。

 

(相手は殺気で俺に過剰反応させているんだ! 気配に惑わされるな!)

 

 浩介もまた“暗殺者”の天職を持った者。それ故に徐々にハルモニアの戦法を見抜く事が出来た。

 

(ああ、そうだ。こんなイカレ野郎なんかには負けない。俺は………我はこの男を倒してノイントさんを救う!)

 

 逃走の選択肢を捨て、戦闘へ全意識を傾ける。そうして意識を集中させた途端、浩介に変化が生じた。

 

「む?」

 

 二刀の刃を振るっていたハルモニアが怪訝そうな声を上げる。それまで殺気を操ったフェイントに浩介は翻弄されていた。しかし、そのフェイントに浩介は引っ掛からなくなってきた。

 

「ふむ……これは……」

 

 試しに再び殺気を交えたフェイントを放ってみる。狙うは頭。人体の急所の一つであり、脳という大事な器官がある以上、普通の人間なら頭への攻撃はどうしても庇いたくなる。そうして頭への防御に集中させ、その隙にもう片方の刃で無防備な胴体を狙い打つつもりだった。

 

 ギィンッ! ギィインッ!

 

 二連撃の金属音が鳴る。浩介はフェイントの刃を最小限の力で弾き、本命である胴体への斬撃を返す刃で弾いたのだ。

 

「おや、見抜かれましたか。それに先程までの怯えのオーラが消えましたね」

「ふぅ、ふっ!」

 

 短い吐息と共に浩介は短剣を振るう。フェイントの刃は最小限の力で、本命の刃は力を込めて。一本しかない武器の数の差をスピードで補っていた。

 

(見える……あいつの殺気の質が、武器に込められている意図が!)

 

 浩介がノイントの痕跡を辿れる程に発達した超感覚。それが今、戦闘においても発揮されていた。

 意識を集中させた浩介の目は、一般人では捉えられない電磁波(殺気)を映し出していたのだ。その電磁波にも色が付いている様に浩介は感じており、その色の違いでフェイントの攻撃なのか、本命の攻撃なのか見抜いていた。

 

「はは、楽しい! 良いです! やはりいつもの獲物とは違う! 貴方と戦っていると()も研ぎ澄まされていくのを感じますよ!」

「ハアアアァッ!」

 

 最高のゲームに興じている様なハルモニアに対して、浩介は脳を沸騰させながら気炎を上げていた。

 交じり合う三本の刃。一本の短剣と二対の刃による合唱が鳴り響き、下水道内に火花を散らす。

 初めは互角に見えた二人の剣戟だが、形勢は徐々に浩介に傾いてきた。

 先程までフェイントで不意を打てたからこそ有利に進められたハルモニアだったが、そのフェイントが通じなくなった今、単純な力やスピードの勝負―――すなわちステータスの差が出始めたのだ。単純なステータス差ならば、“神の使徒”だった浩介の方に分があった。

 そして―――とうとう拮抗が崩れる時がきた。

 

「むぅ!?」

「ここだ―――!」

 

 浩介の短剣がハルモニアの二対の刃の速度を上回る。浩介は短剣を振り、ハルモニアの胴を袈裟斬りに斬り裂いた。

 

「カハッ!!」

 

 仕立ての良いスーツから鮮血が吹き上げ、ハルモニアが呻き声を上げる。

 ドウッ、と床に倒れて動かなくなった男を見て浩介は荒い息を弾ませた。

 

「ハァ、ハァ………やった、のか?」

 

 思わず言った独り言に、死亡フラグだろそれと内心でツッコミながらハルモニアを見る。

 彼は両手や両足をダランと投げ出したまま、地面からピクリとも動かなかった

 だが、浩介の目には彼がまだ弱々しいながらも電磁波を放っている事を捉えていた。すなわち死んではいないのだ。

 

「………っ」

 

 血溜まりを作りながら下水道の床に倒れているハルモニアから思わず目を逸らしてしまう。下水道の独特の臭気が強くて血の臭いまでして来ないのが幸いだった。

 こういう事がこの世界(トータス)では当たり前だという事は理解している。セバスからももしもの時は躊躇うなと言われたし、そのセバスも自分に道を切り開く為に悪漢達を殺していた所も見ていた。

 だが、平和な日本で生まれ育った浩介にとって無我夢中とはいえ、初めて人を殺す気で刃を振るったという事実は気分を悪くさせるには十分だった。

 

「………行こう。今はノイントさんの救出を優先させないと」

 

 浩介は倒れたまま動かないハルモニアから視線を切り、先へ歩こうとした。

 自分はこの男の様に殺人鬼では無いのだ。トドメを刺して息の根を止めたいとは思わなかった。

 

 

 

「――――――やはり、君は“暗殺者”として真っ当過ぎますねえ」

 

 

 

 唐突に、浩介の腹を熱い感触が貫いた。

 糸が切れた様に身体の力が抜け、気が付いたら床に倒れていた。

 何が起きたか理解できない。腹部は焼き鏝でも入れられた様に熱く、息が荒く吐き出される。

 痛みのあまりに明滅する視界の中。必死に見上げると、そこに無傷のハルモニアがいた。

 

「“暗殺者”のスキルにはね、分身を作れる物もあるんですよ。勉強になりましたか?」

 

 彼はとうとう仕留められた獲物に、殺人の悦びを噛み締めた顔で語りかけていた。




>殺人卿

 幼少期の半ば虐待だった教育を経て生み出されたハルモニアの“暗殺者”の人格。
 因みに彼が起こした殺人は世間的には事故ないし行方不明事件となっており、今まで彼の犯行だとバレた事は一度も無い。親を殺した後、法廷弁護士となったのは社会的ステータスがあった方が自分が殺人をしているとは周りから思われないという打算のため。やがてフリートホーフと接触し、彼等に協力する代わりに好きなだけ人を殺せる地位も手に入れた。


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第百五十三話「深淵郷VS殺人卿②」

 ②、と言いつつ決着なのですが。
 ちょっと来週の更新は遅れるかもしれません。FGOのクリスマスイベントの参加の為に、急いでトラオムを攻略しないといけないので。


 ―――痛い。

 腹を刺された浩介は自らの血で服が濡れていくのを感じながら、頭の中はそれだけで占められていた。

 

「ああ、やはりいい……。人肉を斬る感覚は何にも代え難い……」

 

 倒れた浩介の耳にハルモニアの恍惚とした呟きが聞こえる。どうにか顔だけ動かすと、先程まで地面に倒れたハルモニアがいた場所には何も無くなっていた。

 

「驚きましたか? 実体のある分身など、幻影魔法では不可能ですからね。まさに“暗殺者"だけに可能な妙技なのですよ。まあ、分身の数だけ魔力が等分されてしまうという欠点がありますがね」

 

 ハルモニアは得意気に話しているが、浩介は聞いてなどいなかった。

 痛い。腹の傷口が燃える様に痛い。それなのに身体が寒い。血の気がどんどんと引いていく感触に、浩介は吐き気を催す寒さを感じていた。

 ―――死ぬ。

 かつてオルクス迷宮でレベルが違いすぎる骸骨騎士(トラウムナイト)と遭遇した時。その時よりも明確な死の気配を浩介は感じていた。

 

「いやはや、ともかく。君はとても頑張りました」

 

 パン、パン、とハルモニアが拍手をする。それを浩介は薄れそうになる意識の中で聞いていた。

 

「いつもは逃げようとする獲物を狩ってばかりなのですが、偶には戦闘も悪くない。君との戦いはとても愉しめましたよ」

 

 称賛するような口振りだが、浩介はまともに聞いていなかった。流れていく血液に自らの命の終わりを予感していた。

 

(もう………終わりにしてもいいよな? 頑張ったんだ……でも、無理なんだ。漫画の主人公みたいに異世界で戦うとか、無理だったんだよ………)

 

 ボンヤリと浩介は思ってしまう。ワケの分からぬまま異世界に連れて来られて、クラスメイト達からは濡れ衣を着せられてパーティーを追放された。異世界の生活は浩介にとって辛い事の方が多く、腹の出血の痛みから逃れられるならここで意識を手放した方がマシだとすら思い出していた。

 

「ええ、本当に君は“殺人卿”の()を相手に頑張りましたとも。ですから、ご褒美に———君と君の恋人を私のコレクションに加えてあげましょう」

 

 死に逝く浩介を見ながら、ハルモニアは得意気に話し出した。

 

「私は今まで多くの人間を殺してきましたがね、特に気に入った人間は屋敷の地下室に保管しているのですよ。一月前に殺した兄弟達など、最期までお互いを庇い合って感動的でしたよ……だから寂しくならない様に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それはきっと、普通の人間が見れば吐き気を催す様な光景だろう。

 だが、ハルモニアは涙さえ浮かべた感動の面持ちで自分が作り上げた地下室の光景を思い浮かべていた。

 

「人というものは死の間際において極限の美しさが現れるのです! これこそはまさしく魂の昇華! 私はエヒト神に代わり、神の国に招かれる様に魂を浄化してあげているだけなのです!」

 

 ピエロの様に狂った笑みを浮かべながら、ハルモニアは演説する。

 キンキンと音程の狂った声に―――力の抜けかけた浩介の指が、ピクリと動いた。

 

「だから感謝をして下さい! 死とは救いに他ならないのですから! ああ、心配せずとも大丈夫! 売りに出された君の恋人は、私が買い上げましょう! そうしてあの兄弟達の様に、二人仲良く首を並べてあげて―――」

 

 ギィンッ!

 

 突然だった。もはや息絶えたと思っていた浩介の身体が再び動いた。まるでバネ仕掛けの様に身体が起き上がり、短剣がハルモニアへと一閃されたのだ。演説に夢中だったハルモニアは驚きながらも、手にした二刀の刃(ジャマダハル)を交差させて死にかけだった筈の浩介の刃を防いだ。

 

「っ、驚きました。これが火事場の馬鹿力というやつですか? しかし―――」

 

 ギィンッ!

 

 再び繰り出された短剣の斬撃をハルモニアは防ぐ。だが、その速度は死にかけの人間が放つ物では無かった。

 

「なっ―――」

 

 ギィンッ! ギィンッ! ギィンッ!

 下水道路に連続的に火花が散り、辺りが瞬間的に明るくなる。三度、四度と繰り返された斬撃をハルモニアは防いだが、その表情から徐々に余裕が消えていった。

 

(馬鹿なっ……あの出血量ではもはや動けない筈。いや、むしろ刃を振るうごとに動きが洗練されて………!?)

 

 ハルモニアは浩介を見た。血の気を失った半死人の様な顔。しかし、身体は機敏に動いており、確かな体術でハルモニアは受けるのに精一杯になっていた。それは先程までの“暗殺者”の能力を持っただけの一般人ではない。まさに自動機械(キリングマシーン)の様にハルモニアへ淡々と、しかし着実に追い詰める為に刃を振るっていた。

 その内にハルモニアは気付いてしまった。浩介は―――呼吸をしていない。それどころか、腹の傷は塞がってないというのに流れる血が止まっていた。

 

「馬鹿なっ、不死者だとでもいうのか!?」

 

 瞠目しながらハルモニアは浩介の短剣を必死で受けた。

 ―――これは浩介がゾンビなどになったわけではない。遥かな昔、武芸者達は武器を抜いた瞬間に精神が切り替わったという。それは心構えの話だけでなく、文字通りの意味で彼等は覚醒するのだ。

 殺し合う為だけの肉体、生き残る為だけの頭脳に。

 試合の前に気を引き締める、などという次元ではない。武芸者達は脳の神経(サーキット)を変え、肉体もそれに呼応して変化する。筋肉は生物が使用するべきでない用途で活動し、血液は巡回ルートを変えて呼吸すらも必要としない戦い続けられる肉体を造り出す。

 異世界で“暗殺者”の天職に目覚め、過酷な生活から人格変化をも齎した浩介の脳神経。その特殊な脳神経は電磁波の様に目に見えぬ物を知覚させ、肉体は人間の常識を凌駕した機能を発揮していた。

 

「っ、だが、技術ならまだ()の方に分が……っ!?」

 

 “暗殺者”としての経歴(キャリア)が長く、()()も豊富なのは自分だ。そう思おうとしたハルモニアだが、ゾクッ! と殺気を自分の左目に感じた。反射的に左目を庇う様に左手の刃を上げる。だが―――。

 

「な、ぁっ……!?」

 

 刹那。がら空きだった脇腹に向かって浩介の短剣が振るわれた。もう片手の刃を保険に残していた為に防げたものの、あと数瞬でも遅ければハルモニアの脇腹は抉られていただろう。

 

「これは……()の技術!? 学んだというのですか、この短時間で……!」

 

 “暗殺者”のスキル:幻踏。

 先程まで幻惑の殺気で浩介を翻弄していたハルモニアだったが、今度は浩介がそれを行っていたのだ。それは武術で言うならば気当たりと言うべきだろう。ハルモニアは浩介の放つ殺気によるフェイントにかかり、来るはずの無い刃に無駄な動きを強いられていた。

 

 そもそもの話として、ハルモニアはミスを犯していた。最初から浩介を殺すのならば、手早く殺すべきだったのだ。

 だが、獲物を甚振ってから殺すという彼の嗜虐的な性格、そして浩介が自分と同じ“暗殺者”と聞いて技術差を見せつけてから殺そうという遊び心が仇となった。

 オルクス大迷宮の悲劇以来、追放された浩介は王宮にいる他の“神の使徒”達に比べて戦闘経験が不足している。

 だが、命懸けの死闘は時に訓練よりも密度の濃い経験となる。

 自分より格上の、それも同じ天職との戦闘は浩介のレベルを格段と引き上げる切っ掛けとなったのだ。

 

 二刀の刃で必死で受ける中、ハルモニアは浩介の顔を見た。血の気が失せてきた青白い顔。だが、その眼光だけは決して死んでおらず、戦いながら自分を見ていた。

 ゾクリ、とハルモニアの背筋に寒気が走る。

 まさしく深淵。

 こうして向かい合っているというのに生気どころか気配すら感じさせず、ただ淡々と自分の命を刈り取ろうとしてくる。まるで闇の深淵を覗き込んだ様にハルモニアの背筋を震わせた。今まで数多の人間を"暗殺者(殺人卿)"として狩ってきていた彼は、生まれて初めて狩られる立場になったのだ。

 

「ふ、ふふっ……ありえない」

 

 受け止めるので精一杯の剣戟の中、ハルモニアからふと呟きが漏れる。

 

「こんな事が……あっていい筈がないっ!!」

 

 狂ったピエロの様な笑みを浮かべ、ハルモニアは自分の奥の手である分身体を実体化させた。残った魔力が等分され、かつてない程の虚脱感を感じる。だが、それを浩介への殺意で捻じ伏せた。

 

()は殺人卿! 誰よりも何よりも殺人を愛する者!』

 

 二人に増えたハルモニアにより、四刀の刃が浩介に襲い掛かる。手数が増え、押され気味だったハルモニアは浩介の刃と拮抗した。

 

『我殺す故に我在り! 故に私こそが……我こそが生まれついての狩人なのだっ!!』

 

 四方八方から四対の刃が振るわれる。浩介の命を刈り取らんと振るれた刃は―――二対の刃によって阻まれた。

 

「はっ―――!?」

 

 ハルモニアは見た。浩介の身体―――それが今、二人に増えてハルモニア達の刃を防いだ。分身の浩介が、ハルモニアの分身体の喉を短剣で斬り裂いた。

 

「嗚呼………」

 

 身体を維持できなくなり、霧散した分身体を見ながらハルモニアは呟く。分身と本体……二人の浩介が短剣を振るう。

 

『―――深淵に眠れ』

 

 二人の浩介が断罪の刃を振るう。ハルモニアは二刀の刃で身体を守ろうとしながらも、その目は浩介の振るう刃に見惚れていた。

 

「なんて美しい………」

 

 次の瞬間。ジャマダハルがバラバラに斬り裂かれ、二対の刃が描く幾閃もの斬撃にハルモニアは全身から血を流して地面に倒れた。

 

 ***

 

 セバスがその場に来たのは、全てが終わってからであった。

 囮として引き付けていたフリートホーフの用心棒を全員始末し、浩介の援護の為に下水道の通路へと入ったのだ。これがアウラならば浩介が残した足跡などの痕跡を頼りにすぐに追いつけただろう。しかし、その様な斥候(スカウト)のスキルを持たないセバスは、結局浩介の気配を頼りに入り組んだ下水道網を探すしか無かったのだ。それでようやくの思いで浩介のいる場所に辿り着いたのだ。

 そこには浩介とスーツを着た男が地面に倒れていた。セバスは浩介の元へ駆け寄る。背筋に冷たい汗が流れるセバスだったが、浩介の身体に触れて安堵の溜息を漏らした。

 傷は浅くない。だが息はきちんとしており、これならば気功で治せば助かるだろう。

 浩介の腹の傷をとりあえず塞いでいると、地面に倒れたもう一人の男がセバスに声を掛けてきた。

 

「ふっ……まさか貴方が報告にあった侵入者の老人とはね。こんな所でお会いするとは思いませんでしたよ、セバスさん」

 

 地面に倒れたまま、ハルモニアは苦しそうな顔ながらも笑ってみせた。ハルモニアの傷も中々に深い。特に両手足から出血しており、力が全く入ってない所を見るに腱を切られて動かす事が出来ないのだろう。

 だが見た目の出血こそ酷いものの、こうして口が利けるくらいには命が繋ぎ止められている。ある意味で理想的な手加減(半殺し)具合だった。

 

「何でしょうね……この少年と戦った事で私のレベルも引き上げられたのか、今の私なら分かりますよ……セバスさん、貴方は実はとても強いでしょう?」

 

 浩介が深淵郷モードで備わっていた電磁波を見る程の眼力。そのスキルを今になって、ハルモニアも目覚めていた。その目で視えるセバスの電磁波は隠しているのか感じ辛いが、それでも得体の知れない―――それこそ、()()()()()()()を前にしたかの様な威圧感を感じ取ったのだ。

 結局、自分の命運はこの化け物(セバス)に敵対した時点で尽きていたのだ。そんな事にも気付かずに殺人の愉悦に浸っていたなど、今となっては失笑するしかない。

 

「その少年も天職だけが取り柄の有象無象と変わらないと思っていましたがね………貴方達を侮ったのがフリートホーフ(我々)の運の尽きの様です。しかし………彼には少しガッカリさせられましたよ」

 

 浩介を見直す発言をしたと思えば一転、ハルモニアは自分の身体の傷を見て失望した声を漏らした。

 

「ええ、ガッカリです。短剣術、幻踏、夢幻(分身)……あれ程に鮮やかな技は初めて見ました。彼は私などよりずっと“暗殺者”の素質に恵まれているのでしょう。それなのに………私を殺していないなんて。全く以て理解できない」

「………それが彼の人間としての魂の本質なのでしょう」

 

 応急措置を終えたセバスは、浩介を優しく地面に横たえながらハルモニアに言った。

 もしもの時は躊躇うな、とセバスは言った。それは浩介が生き残る為に必要な事だと思ったからだし、仮に殺人を犯したとしても状況から見れば浩介を責める者はまずいないだろう。

 だが、浩介は最後まで敵を殺すという手段を取らなかった。自分が殺されるかもしれない、という状況にも関わらずだ。人間は極限の状況になると本質が浮かび上がると言うが、この選択こそが浩介の人間としての本質なのだろう。

 

「彼はとても優しい心を持った人間です。貴方の様に、血の臭いを香水と履き違える……下衆な人間では理解出来ないでしょう。そして………私も貴方の様な人など、理解したいとは思いません」

「………はっ」

 

 瞬間。ハルモニアの表情が何故か寂しげな色を見せた。だが、次の瞬間には法廷弁護士としてセバスの前に現れた笑顔の仮面を纏っていた。

 

「貴方には聞きたい事があります。貴方の口から伺えるなら、私も手間が省けるのですが」

「ふ、ふふ……残念ですが、これでも私は弁護士ですので。顧客の情報をおいそれと漏らすわけにいかないのですよ」

 

 セバスは溜息を吐きながら、ハルモニアに近寄る。彼の意思など関係ない。“傀儡掌”で操れば、ハルモニアは自分の意思と無関係に情報を話すだろう。

 そうして―――セバスが浩介から離れようとした時。セバス程の達人であっても、緊張が緩むほんの刹那の隙。

 ハルモニアは最後の力を振り絞って分身を顕現させた。

 

「っ!」

 

 セバスは即座に臨戦態勢に入る。その背にいる浩介を守る為に分身のハルモニアがどんな手段で浩介を狙おうとも、即座に迎え撃てる構えを取った。ナザリックでも指折りの実力を持つセバスが守りに入れば、ハルモニアの分身はどう足掻こうと浩介に指一本も触れる事なく拳で打ち砕かれるだろう。

 だが、そうして浩介を守ろうとしたからこそハルモニアの狙いを看破出来なかった。

 

「なっ………」

 

 セバスが驚きの声を上げる。ハルモニアの分身はセバスや浩介に向かわず―――本体の胸に刃を突き刺した。

 

「ぐ、ぶっ―――!」

 

 心臓を貫かれ、ハルモニアが断末魔の呻きを上げる。

 

(これで、いい……! 私からの最期の嫌がらせです。貴方達の探している恋人の居場所は、私ごと葬らせて頂きます……!)

 

 それが“殺人卿”だった自分の名を地に付けた罰だ。人質の少女が何処に運ばれたかなど自分以外は知らず、フリートホーフの人身売買所などフューレンにはいくつもあるのだ。その全てを一斉に摘発でもしない限り、彼等は人質の少女が売られる前に取り返すなど不可能となる。最期の悪足掻きに成功して、ハルモニアは笑顔を浮かべた。

 

(ははは………ああ、でも……残念だ……)

 

 本体であるハルモニアが致命傷を負った事で、分身体が消滅していく。

 狂ったピエロの様な笑顔―――幼少期、父親に毎日の様に折檻される中で出会えた自分の唯一の理解者であり、長年連れ添った唯一無二の親友でもある“殺人卿”。分身体の中に彼はその姿を見出していた。

 

(彼とお別れだなんて……それに……やっと、殺人卿()以外で、私を理解できる同族と……出会えたと……思った………のに……………)

 

 そうして。誰にも理解されなかった殺人鬼は一人きりのまま、この世から去った――――――。

 

 ***

 

「しまった……まんまとしてやられました」

 

 急いでハルモニアに駆け寄ったセバスだが、既に脈が無い事を確認して苦渋の面を浮かべていた。

 セバスが引きつけていた用心棒達は誰も浩介の人質である少女の居場所を知らず、唯一知っているとすればこの男だったのだ。その男が自ら命を絶った今、セバスは人質の少女―――ノイントへの手がかりを失ったも同然だ。それこそ浩介は何を頼りにしてこの場所まで辿り着いたのか、セバスの方が聞きたいくらいだった。

 セバスは渋面のまま、地面に横たわっている浩介を見る。腹の傷は気功で癒やしたものの、戦闘で無理をしたのか未だに目覚める気配は無い。このまま目覚めるのを待ちたい所ではあるが、そうしている間にも彼の人質は何処か知らない場所に連れて行かれる可能性がある。

 

「………致し方ありません。コースケくんには悪いですが、まずは彼の身を最優先にしなくては」

 

 浩介を背負い、セバスは下水道網を後にする決断をする。この場所は酷く入り組んでおり、セバス一人で探そうともしても見つからないだろう。そして敵地とも言えるこの場所に浩介を放置したままにはしておけない。とにかく地上に上がり、浩介を安全な場所に置いて手を講じなくては―――。

 そう思っていると、突然セバスに〈伝言(メッセージ)〉の魔法が呼びかける感触がした。

 

『セバス殿っ! いま何処におられるか!?』

 

 受信するとセバスの頭の中にティオの声が響いてきた。彼女は緊急連絡用にとナグモが作ったマジックアイテムを所持していた為に、セバスとだけは〈伝言(メッセージ)〉の遣り取りが行えたのだ。

 

「ティオ? どうしたのです、そんな慌てた声で―――」

『レミア殿が……レミア殿がいなくなったのじゃ!』

「なんですって!?」

 

 ティオらしからぬ冷静さを欠いた声に訝しんだセバスだったが、齎された報告にセバスも驚愕の声を上げていた。

 

『妾も今になってようやく気付いたのじゃが、レミア殿の部屋に書き置きが残されていて、妾達にはこれ以上迷惑はかけられぬと………とにかく、すぐに屋敷に戻って欲しいのじゃ!!』

 

 ティオも混乱しているのか、話の内容が要領を得なかった。しかし、切迫した声にセバスは自分の知らない所で事態が大きく動いていると知った。

 

「分かりました、すぐに向かいます!」

 

 セバスは〈伝言(メッセージ)〉を切り、浩介を抱えたまま地上への道を急ごうとした。こうなっては仕方がない。地上に出たら浩介は近くの救護院にでも預け、自分は屋敷へすぐにでも戻らなければならない。

 しかし、走りだそうとしたセバスに再び〈伝言(メッセージ)〉が掛かった。ティオから何か追加の報告かとセバスは受信し―――その声を聞いた。

 

『セバス。お前は今、何処にいる?』

「ア、アインズ……様………」

 

 それはセバスにとって何よりも優先しなくてはならない絶対の支配者の声。

 その声にセバスは走る事すら忘れ、しばし呆然としてしまった。




>浩介の覚醒

 元ネタは空の境界で刀を持った時の両儀式。あんな感じの自己暗示による変化が深淵郷モードの時に発動したと思って下さい。十分に人間を辞めてる気がするけども。

>我らがアインズ様

 来ちゃったよ……最悪のタイミングで、最凶な御方が。
 何しに来たよアインズ様? というのは次の話でやります。
 これでやっと……三ヶ月ぶりくらいに、本当にやっっっっっと! 主人公サイドにスポットライトを当てられますわ(笑)。
 いやもう、主人公は浩介で良いんじゃね? と作者も思いましたけどね?


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第百五十四話『緊急クエスト』

年末になると見たい映画がたくさん出てくるから執筆時間を取るのが大変。
サ、サボってたわけじゃないんだからね!(笑)


「ふ、ふざけるな! それはいくら何でも暴利だっ!」

「そう言いましてもねえ、こちらもフューレンに暮らす人々の安全の為に、仕方なくやってるもんでして」

 

 隊商のリーダーである商人とフューレンの門番が揉めている。より正確に言うなら、抗議している商人に対してチンピラ一歩手前な風体の門番が慇懃無礼に応対していると言うべきか。冒険者ヴェルヌに変装しているナグモはそれを離れた所から見ていた。

 

「王国の内乱やら何やらで最近物騒でしょう? こちらも治安維持の為に通行料を値上げしなくてはならなかったんですよ。そこの所を理解してくれませんかねぇ? いやね、無理ならいいんですよ? 別の街にでも行かれては?」

「くっ……足元を見おって……!」

 

 煽る様な物言いに商人は歯軋りをしそうな声を出した。だが、強くは出られていない。それを見たナグモは、アインズ達が待機している幌馬車に戻った。

 

「どうだ? 商人達の様子は」

 

 戻ってきたナグモに冒険者モモンに変装したアインズが声を掛ける。

 

「守衛と通行料の事で揉めていますね。どうやら通行料が高くて支払いが難しいそうです」

「それじゃ、また通る道が変更になるの?」

 

 冒険者ブランに変装した香織に対して、同じく冒険者に変装しているユエが首を横に振った。

 

「多分、それはない。これ以上のルート変更は商品の保存状態や今までの費用から見て無理だと思う」

「確かにな。遠回りして今より日程が伸びるとなると、生鮮食品類の積荷は諦めなくてはならないだろうな」

 

 ナグモもまた頷く。ナグモ達が同乗している隊商は元々はエリセンに食料品や日用品を売りに行く為のものだ。隊商達は度重なる盗賊の襲撃に遠回りを余儀なくされて、期日ギリギリになるが間に合う行程を組み直したのだ。ここでまた遠回りすると商品のいくつかは駄目になったり、遅延した分の損害賠償を支払わなくてはならない。それだけは隊商達も避けたい筈だ。

 

「それにしてもついこの前も、そのまた前も関所で通行料を取られていたよね? いくらなんでも多過ぎじゃないかな」

「ん……。その土地の安全保障や犯罪者の出入りを防ぐ為に関所は設けられるけど、これはさすがに………。商業の街でこんな事をしてもリスクが大きくなる……それでもやっているのは、不当に金銭を独占したい者がいるから……?」

 

 香織の疑問にユエは難しい顔で頷いた。長くなってしまった行商の旅で消費した物資をフューレンで補給しようとした隊商一行だが、ここに来るまでに既に三度も関所を通り、その度に通行料を請求されているのだ。ハイリヒ王国で勃発した内乱によって街道の治安が悪化しているのは確かだが、それでもやり過ぎだとユエは思っていた。これではフューレンへの流通に支障をきたしているだろう。

 一国の元・女王として興味が出たのか、フューレンの今の状況を考察しようとするユエだが――――。

 

 きゅるるるるるるる。

 

 可愛らしいお腹の音に思考を中断させられた。

 

「みゅぅ……ごめんなさい」

「そういえばお昼まだだったもんねぇ」

 

 顔を真っ赤にしてお腹を押さえるミュウに、香織が苦笑しながら頷いた。

 時刻は既に昼過ぎ。隊商一行はフューレンで宿泊の手続きをしてから昼食にする予定だったのだが、入り口で守衛と揉めてしまった為にミュウはお腹が空いた様だ。すると―――。

 

「ほら、これでも食べてろ」

「いいの? ありがとうなの、お兄ちゃん!」

「ふん………」

 

 ナグモがポケットから携行食糧を出し、ミュウに手渡した。相変わらず無愛想な表情ではあるものの、ミュウに対して特に文句を言うでも無く鼻を鳴らしただけだ。

 

「………いいなぁ、ミュウちゃん」

「子供相手に嫉妬しない」

 

 少し羨ましそうに見ている香織に、ユエは溜息を吐く。

 

(へぇ………この旅を始めてからナグモも随分と丸くなったじゃないか)

 

 アインズはそのやり取りを微笑ましい気持ちで見ていた。現実世界で子供と関わった事など無いが、親戚の子供の成長を見守るおじさんとはきっとこんな感じだろう。

 

(うんうん、ナグモも自分より歳下の子が出来たからお兄ちゃんという自覚が出来たのかもな。何にせよ、情操教育としてミュウの存在は良かったんだな。ただ、そうなるとエリセンに着いた時にミュウと別れるのが辛くなるかもなあ)

 

 不測の事態で旅程が遅れているとはいえ、目的地(エリセン)に着けばミュウは母親の元へ帰さないといけないのだ。さすがに駄々をこねたりはしないだろうが、それでもナグモは寂しがるだろうなぁとアインズは何となく思っていた。

 

(それにエリセンの領主は迷子のミュウを奴隷として売り出す様な奴かもしれないんだよな……そんな領主がいたんじゃ、ナグモも安心出来ないだろうしな。いっそ、エリセンを魔導国に組み込む様に働きかけるか。方法は………うん、ユエに任せよう)

 

 自分では上手い方法を思い付くわけがなく、アルベドやデミウルゴスに任せたらまた下手な勘違いをされてエリセンを武力支配するかもしれない。そうなると冒険者ギルドの時の様にユエに相談した方がまだ穏便な方法を考えてくれるだろうとアインズは思っていた。

 

「それにしても遅い……まだ交渉は纏まらないのか?」

「ヴェルヌくん、いっそ門番の人を消しちゃおうか?」

「そこ! 子供の前で物騒な事を言わない!」

「ふむ……まあ、少し様子を見てこよう」

「モモンさ―――ん? それでしたらもう一度、僕が……」

「いや、構わない。私も少し身体を動かしたい気分だったからな」

 

 ナグモの申し出をやんわりと断り、アインズは馬車の外に出る。エリセンを魔導国の管理下に置く計画。ユエを頼ろうとは思うものの、それでも根幹は決めておきたかった。

 

(そりゃ上司からプロジェクトの思い付きだけ聞かされて、『じゃ、後は任せたぞ!』とか言われたらキレたくなるからな………さて、どうしたものか?)

 

 何となく身体を動かしながらの方が良い案が思い付くんじゃないか? と思いながらフューレンの門の様子を見に行く。

 

「………ん?」

 

 ナグモの話では隊商のリーダーと門番が揉めているという話だったが、アインズが見に行くと少し状況が違っていた。

 

「―――彼は私の友人でしてね。身元は私が保証いたしますので、通して上げて頂けませんかな?」

「あん? 駄目だ、駄目だ! フューレンを出入りするなら人間一人に付き、三万ルタ! 馬車一台に付き、十万ルタだ! これは保安署の取り決めだ!」

「まあまあ、そう硬い事は言わず……これはほんのお気持ちでして」

 

 隊商のリーダーとは別の見慣れない商人が新たに増えており、その商人は門番の懐へジャラッと重さのある袋を入れた。

 

「いや、こんな金で……」

「ええ、ええ。分かっております。通行料が値上がりしたと言っても、得をしているのは貴方より()()()()だけで、末端の貴方にはまるで旨味が無い。ささ、これもどうぞ」

 

 商人は人の良い笑みを浮かべながら、更にジャラジャラと音のする袋を門番に差し出した。すると門番は露骨にソワソワとし出していた。

 

「あー………まあ、フューレンの住人の知り合いなら身元は確認されてると言えなくも……よ、よし! 通っていいぞ!」

 

 あっさりと賄賂に応じた門番にアインズは呆れたくなったが、ふと話が済んだ商人と隊商のリーダーがアインズに気付いた。

 

「ん? なあ、リー。ひょっとして彼が……」

「ああ、彼があの“漆黒のモモン”さんだよ。モットーは会うのは初めてか?」

「なんと彼が噂の……」

 

 二人がいくつか言葉を交わした後、商人はアインズに歩み寄って挨拶をした。

 

「はじめまして、モモンさん。私、このフューレンで卸売業を営むモットー・ユンケルと申します。以後、お見知りおきを」

「ああ、これはどうもご丁寧に。モモンと申します」

 

 サラリーマンの時のクセで挨拶を返す。すると商人―――モットーは隊商のリーダーに耳打ちする様に何やら話し出した。

 

「なあ、リー……実はだね、ちょっと頼みたい事があってだな……」

「先程の礼もあるし、友人の君の頼みならある程度は融通を利かせたいが……。私は商売の途中で、この街には補給に来ただけなんだが……」

「しかしだな、これは我々に限らず君にも関係することで―――」

 

 いや、内緒話なら余所でやれよ。

 そう思ったものの、旧知の間柄らしい二人は何やらモモンを前にして話し込みだした。

 そしていくつか言葉を交わすと、モットーは改めてモモンの方を向いた。

 

「モモンさん。この後、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 ***

 

(……で、またこのパターンだよ)

 

 フューレンのとある建物の一室。会議室の様な場所で大勢の人間―――それも人の上に立つ立場だろうという雰囲気を感じさせる―――が集まっている光景に、アインズは鎧の中でゲンナリとした溜息を漏らした。

 モットーに声をかけられた時からある程度は予想していたものの、以前の冒険者ギルドの会議の時の様な光景に“重役会議慣れ”をしていない元・サラリーマンの精神が胃痛を覚えていた。

 しかし、そんな席に見知った人間が一人いることに気が付いた。

 

「む? 貴方は確か……」

「ええ、お久しぶりです。モモンさん」

 

 金髪のオールバックの男―――イルワ・チャングの姿にアインズは少しだけ驚いた。

 

「確かギルド長会議で会ってましたね……フューレンのギルド長だったのですか?」

「ええ、まあ……“例の件”は本当にありがとうございました」

 

 こっそりとイルワはモモンに耳打ちする様に言った。魔導王に口利きした事に対する礼だろうが、堂々と言うわけにもいなかいのでボカした様だ。当然、魔導王との会議の結果まではモモンは知らない事になっているので、アインズはそのつもりで応えた。

 

「いえ、私は“先方”に話だけでも聞いて欲しいとお願いしただけですから。あなた方が“先方”と上手く話をつけられた事を願うばかりですよ」

「ええ。とても有意義な会議になりましたよ」

「イルワさん。ひょっとして、貴方はモモン殿とお知り合いなのですかな?」

 

 内緒話をしていた二人を見て、会議に集まった一人であるモットーが声を掛けた。

 

「ええ。以前、キャサリン先生との会合の時に顔を合わせた事がありましてね」

「そうでしたか……ですが、それは心強い。冒険者ギルド長のお墨付きとあらば、信用できるでしょう。皆さん、彼こそがいま冒険者の中で名高い“漆黒のモモン”殿です」

 

 「おお、彼が……」と驚嘆の声が全員から上がる。モモンとしての名声は今までの活動で着実に上がっていた事にアインズはそれなりに気を良くしたものの、本題に入る事にした。

 

「それであなた方はどういった集まりなのでしょうか? そして私に何の御用でしょう?」

「一先ずは自己紹介からさせて下さい。我々はフューレンの街を取り仕切る合議会のメンバーなのです」

 

 モットーが簡単なメンバーの紹介と共に行った説明によると、このフューレンは複数の豪商や役人達が合議によって施策を決める商業都市であり、目の前にいるモットー達は謂わばフューレンの市議会の議員の様な物らしい。

 その説明で彼等から感じていた“お偉いさん”のオーラに納得はしたものの、益々どうして自分が呼ばれたのかアインズは分からなくなっていた。

 

「もう一人、今回の会議に参加して頂きたかった方がいるのですが……いえ、それは置いておいて本題に入りましょう」

 

 モットー並びにイルワ達は顔を一層に引き締めて話し出した。

 

「実は今、フューレンは未曾有の危機に晒されているのです。先程、モモン殿を御雇いしているリー・ポーディの隊商が法外な通行料を請求された様に我々合議会に話を通さずに勝手にフューレンの法を敷いている者がおるのです」

「それもこれも全部フリートホーフのせいだよ!」

 

 合議会の一人、女商人のショコラ・ヴィーヴィが甲高い声を響かせた。

 

「あのマフィア共! あちこちに賄賂を流したり、暴力を脅して幅をきかせる様になってから、こっちは商売あがったりだよ!」

「フリートホーフは以前から冒険者ギルドとしても注視していたのだが……どうにも聖教教会が彼等に資金を横流ししているという噂があってね。真偽はともかく彼等は潤沢な資金を使って裁判所や保安署に圧力をかけているから、こちらが訴訟を起こしても相手にされない」

 

 イルワが引き継いだ言葉に合議会のメンバー達は苦虫を潰した様な顔になる。それだけフリートホーフという組織に苦汁を飲まされてきたのだろう。

 

「とうとう向こうは司法に手を回してフューレンへの通行税の値上げを強行しました。このままでは我々は遠からずに干上がる事になりましょう。昨日も我々にとって重要な取引先である“チャン・クラルス商会”に言い掛かりに近い圧力をかけたそうですからな」

 

 ん? とアインズは内心で首を傾げる。どうにも聞いた事のある名前だった。

 

「ええ、セバスさんの所には本当に御世話になりましたからなあ……」

「一時は魔石も碌に入荷出来なかったというのに、安い値段で仕入れさせてくれたからねえ」

「あそこの旦那さんも奥さんも本当に気の良い方達で……この前など、祖母が足を挫いて難儀していた時にわざわざ家まで背負ってくださったのですよ」

「いずれは彼も合議会に参加して貰おう、と思っていた矢先にフリートホーフめ……」

 

 合議会のメンバー達が次々と新たな街の名士であるセバスについて話し合う。

 

(あ、思い出した。セバスにティオという竜人族の子とやらせてる商会がそれじゃん)

 

 フューレンの面々の反応を見る限り、セバスは上手く人間達に溶け込めている様だ。しかし、どうしても聞き逃せない部分があった。

 

(でも商会がフリートホーフから脅しを受けているだって? そんな報告は無かった……無かったよな? 多分……)

 

 アルベド達に支配者らしい姿を見せる事を優先して、アインズはいつも書類に適当に判子を押すだけしかしてない。自分が報告書をまともに読んでなかったから気付けなかったのか、と今更ながら反省していた。

 

「もはや向こうは手段を選ばない様ですからな。ならば、こちらも強硬策で対抗しようと決断しました」

 

 モットーの発言を受け、一人の若い男が立ち上がる。アインズに面識こそ無かったが、その服装は他の街で何度も見た保安署の職員の制服だった。

 

「保安署職員のスタンフォードと申します。我々保安署にとっても、セバス殿は恩義のある方です。ですが、現署長は賄賂欲しさにとうとうセバス殿をあらぬ罪で立件しました。我々は水面下でフリートホーフの影響から脱却する為に密かに現署長の悪事の証拠を集めていましたが、そこでフリートホーフの重要なアジトの場所を特定しました」

 

 そう言ってスタンフォードが広げた地図には、フューレンの街の何ヶ所かに赤い丸印がつけられていた。そこがフリートホーフの重要なアジトの場所なのだろう。

 

「ただ、そこにはフリートホーフが雇った用心棒などがいると予測されます。恥ずかしながら署長がフリートホーフに与している以上、彼に気付かれない様に我々保安署は最低限の人員しか向かわせられません」

「本来なら冒険者ギルドとしても協力すべきなのだが……すまない。こちらもフリートホーフに鞍替えした冒険者が予想以上に多く、信頼できる者となると僅かしかいないんだ」

 

 イルワは口惜しそうに言う。だが、とすぐに顔を上げた。

 

「今日ここで、モモン殿に会えた事は僥倖と言う他に無い。モモン殿、どうかフリートホーフの一斉摘発に力添えして頂けないだろうか?」

「ちょっと待ってください。私は今は別の依頼を受けて、この街に寄っただけですよ?」

 

 話の流れから何となく察していたが、いざ言葉にされてアインズは戸惑った様な声を上げた。

 

「もちろんモモン殿の依頼主には我々からお話しします。こちらからも謝礼をお支払い致しますので、どうかお願いできませんか?」

「ううむ、しかし最初に受けた依頼を中途半端に投げ出すのは……」

 

 渋る様な声を出すアインズだが、任務として命じたセバスの商会にちょっかいを出しているフリートホーフという組織の事も気にはなってはいた。どうしたものか、と考える時間を稼ぐ為にも渋っているフリをしているアインズだったが……。

 

「モモン殿。確か貴方は元は海人族の子をエリセンまで送り届ける為に依頼を受けたのでしたよね?」

 

 イルワが確認する様に聞いてきた。そもそも、エリセンまでミュウを送るのに丁度良い依頼はないか? とキャサリン達に聞いたのはアインズだ。隠す事でも無いのでアインズは頷いた。

 

「でしたら、ある意味ちょうど良いかもしれません。今、この街にエリセンの領主が来ているのです。ただし……フリートホーフ側に与して、ですが」

「……それは本当ですか?」

「ええ。エリセン領主のカルミア男爵は、以前からフリートホーフへ海人族を奴隷売買しているという噂がありました。そのカルミア男爵はセバス殿が保護した海人族が、自分の所から拉致されたと訴える為にフューレンに来ている様なのです。彼を逮捕し、必ず海人族の奴隷売買を止めさせます」

 

 その言葉でアインズのフリートホーフへの興味は最大限に高まった。ちょっかいをかけられているセバスの件もあるが、ナグモがミュウに懐かれている今、ただミュウをエリセンに送り届けて終わりでは良くないのだ。ナグモの為にもミュウが安全に母親と暮らせる事を確認しなくてはならない。エリセンの領主がこの街に来ているというなら―――()()()()()()()()ミュウの身の安全を確保するのも可能だ。

 

「分かりました。ただ、仲間達とも相談したいので少し時間を下さい」

「どうか何卒……何卒よろしくお願い致します」

 

 頼み込んでくるモットー達を尻目にアインズは一端、外に出た。

 まずはより正確な情報が欲しい。そう思ってアインズは近況報告を聞くつもりでセバスに〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

「セバス。お前は今、何処にいる?」

『ア、アインズ……様………』

 

 何故かセバスの狼狽えた様な声が〈伝言(メッセージ)〉を通してアインズの頭に響き渡った。

 

 

 




アインズ「セバスー、最近会ってなかったけど元気にしてるー?」

 本人的にはこのくらいの気安さだった。


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第百五十五話「たちの悪い運命の悪戯」

 ちょっと今回はいつもより遅れちゃいました……。なかなか文章が捗らなかったのもそうだけど、見たい映画がたくさんある物だから休日に執筆時間があまり取れなくて……。
 冬休みも旅行の予定があったり、姉の子供が生まれたりと色々あるのでこれが今年最後の投稿になるかもです。


「ア、アインズ……様………」

 

 <伝言(メッセージ)>越しに聞こえたアインズの声にセバスは一瞬、息を詰まらせた。それだけアインズの存在はセバスにとって絶対であり、何を置いても優先しなくてはならない事項だった。

 

『久しいな、セバス。少し聞きたい事があるのだが、いま話をしても構わないか?』

「それは………」

 

 重ねて言うがナザリックの(NPC)にとって至高の御方の意思は何よりも優先される。自分の主人が聞きたいと言ったなら、セバスはナザリックの執事(バトラー)として速やかに応えなくてはならないのだ。

 だが―――セバスはチラッと意識を失った浩介を見る。

 つい今し方までセバスは浩介の人質を助ける為に行動していた。至高の御方から情報収集の為にフューレンの人間達と友好な関係を築けとは命令されているものの、自分の身を守る以外での戦闘までは許可されていない。はっきり言って今の状況はセバスの独断によるものだった。

 

(まさか……アインズ様は全てをご存じの上で聞かれているのでしょうか?)

 

 セバスの背中に冷たい汗が流れる。ティオからレミア失踪の報告を受けて、然程時間も経たずに来たアインズからの<伝言(メッセージ)>。あまりにも出来過ぎたタイミングであり、偶然ではないと考えるべきだろう。

 

『どうした? もしかして今は手が離せない状況か? ふむ……それならば、ティオの方にでも問い合わせた方が良いか』

 

 瞬間、セバスの背筋が凍り付く。自分の独断行動に叱責を受けるのは良い。仮に自害を命じられたとしても至高の御方の命令ならば致し方ないと納得は出来る。

 しかし、仮初とはいえ自分の伴侶であるティオにまで叱責が及ぶのは容認出来なかった。ティオは無能な自分に付き従っていただけだ。全ての責任は自分にある。そう説明しなければならない。

 

(すみません、コースケくん。貴方の人質を助けられそうにないです)

 

 セバスは心の中で気を失っている少年に詫びる。どうにか彼を安全な場所に置いた後、自分はアインズの下へ出頭しなければならない。十中八九、自分は叱責されるだろう。最悪の場合―――否、()()()()()自分だけの命で償い切れるか。いずれにせよ浩介が意識を失った今、人質の少女を捜索する手段は皆無になる事を意味していた。

 

「……………」

『セバス?』

「いえ………アインズ様。私の方から御報告しなくてはならない事があります」

 

 セバスは深呼吸を一つして、今までの経緯を話し出した。どうにか咎は自分だけに向けられる事を祈りながら。

 

 ***

 

「つまり……今までセバスは独断行動を行っていたという事ですか?」

「う、む……まあ、そうなるか?」

 

 フューレンの宿屋の一室。つい先程にセバスが話したこれまでの経緯に対してナグモが言った事に、アインズは少し悩む様な声音で返した。

 セバスからの告白―――海人族を違法な娼館から保護した事を切っ掛けにフリートホーフと繋がりのあるエリセン領主から訴訟を起こされ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その様にセバスから説明された。

 正直、アインズからすれば寝耳に水なのだが、セバスが陥っている状況は先程にモットー達から冒険者モモンへ依頼された内容にも関わってくる事態だった。今後の為にもどうするか相談する為にナグモ達にも相談していた。

 

「ア……モモンさん。セバス様は今まで情報をわざと隠していたという事ですか?」

「香織……?」

 

 少し険のある言葉にユエは驚いた様に香織を見る。ナグモは何かを考え込んでいる様な顔で香織の様子に気付かない様だった。

 

「セバスさんがそんな事をするなんて……それに海人族の人を助けた事で商会を危機に陥らせるなんて、セバスさんを信頼されている()()への裏切りだと思います」

 

 暗にセバスがやった事はアインズへの背任行為だと告げる香織の表情は険しかった。

 

(まあ、香織はナザリックのNPCの中だとメイド修行とかでセバスに会う機会は多かったもんな。だから尊敬していた上司がミスを意図的に隠してた様な物だから、そのぶん失望感が大きい……のか?)

 

 そんな風に考えるアインズだが、どうにもセバスを責める香織に対して違和感が拭えなかった。というより香織の言った内容は、アルベドやデミウルゴスが言いそうな事だ。香織からどこかナザリックのNPC達の様な雰囲気を感じる事に首を傾げたくなったアインズだったが……。

 

「……いえ、モモンさ―――ん。セバスが裏切った可能性は低いと思います」

 

 それまで考え事をしていたナグモが声を上げた。

 

「ナ……ヴェルヌくん。でも……」

「ブラン、セバスはそんな男ではない。というより、そんな大それた不義理を行える男でもない」

 

 ナグモははっきりとそう口にする。

 

「セバスは……あの男ははっきり言ってかなりのお人好しです。本人の性格がそうなのか、たっち・みー様にそう定められたからかは分かりませんが」

 

 ナグモは思い出す。以前、オルクス大迷宮で行方不明となった香織をナザリックの守護者という立場から探しに行けなかった時、見兼ねてアインズに自分からも進言すると言ってくれたセバスの姿を。

 だからこそ、そんな彼が私的な理由でナザリックを裏切るは筈ないとナグモの中で結論付けられた。

 

「大方、その海人族を偶然拾い、大事無いと判断した為に人間達に付け入る隙を与えたのでしょう。セバスが悪意を以てアインズ様に仇そうとしたわけではない。僕はそう思っております」

 

 セバスに対して一切の疑念なく、ナグモはそう断言する。

 ナザリックの者達は至高の御方に仕える者(NPC)同士として仲間意識はある。しかし、それも至高の御方の意思に反したと判断されるなら別だ。自分達にとって神に等しい至高の御方に対する裏切りは、死を以って償うべきだとほとんどのNPC達は主張するだろう。

 しかし、ナグモは違った。それどころかセバスを擁護する様な発言をした。それは仲間に対する信頼感を伺わせ、今までのナグモでは絶対に言わなかっただろう。それがアインズにとっても驚きだった。

 

「みゅ……お兄ちゃん達、どうかしたの?」

 

 離れた所で待っていたミュウだが、トコトコとナグモに近寄って来る。難しい話をしているから邪魔しちゃいけない、と子供ながらに判断していたが、ナグモの真剣な表情にさすがに気になった様だった。

 

「お兄ちゃん達のお話は難しくてミュウにはよく分からないけど、お兄ちゃんのお友達は悪い事をしたの?」

「………いや、多分違うだろう。そして、悪事が出来る様な奴でもない」

「だったらね、お友達のお話も聞いてあげないといけないの。お友達のお話を聞かないで悪い子だと決めつけるのはいけない事だ、ってママはいつも言ってたの」

「………ふん」

 

 ミュウの純粋な意見にナグモは面白くなさそうに鼻を鳴らした。しかし、特段異論を述べる気は無い様だ。その様子を見ていたアインズは溜息を吐きながら頷いた。

 

「子供というのは時々核心を突くものだな……」

「ええ、本当に」

 

 ユエも苦笑する様に頷く。そしてアインズの行動方針は定まった。

 

「とりあえず、セバスから事情を聞くとしよう。フューレンの合議会から依頼された件もあるしな。セバスの事についてはそれから判断しても遅くは無いだろう」

 

 アインズの鶴の一声にナグモ達は頷く。

 

「ブラン。セバスを信じてやってくれ。まあ、至高の御方の手を患わせたのは論外ではあるし、君の心配も分かるが……」

「ううん、大丈夫だよ」

 

 香織の進言を却下した形になった事にナグモはフォローしようとした。だが、香織はナグモの気遣いに首を横に振った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私に反対意見なんてないよ」

 

 それはまさしく———主人に忠実な人形(NPC)の様だった。

 

 ***

 

「今回は私の不始末でアインズ様にお手間を取らせてしまい、謝罪しようがありません」

 

 セバスが逗留している屋敷。連れて来たミュウは別室で待たせ、屋敷の客間で冒険者モモンの姿のままのアインズはセバスに頭を下げられた。

 一方のセバスは冷や汗が止まらなかった。セバスにとってはここが分水嶺だ。

 浩介はフリートホーフの地下水道から出た後、すぐに最寄りの救護院に放り込む様にして入れた。いかにフリートホーフから脅されていたとはいえ、任務の邪魔をしようとした彼をアインズがどう判断するか分からなかった。だからこそ、今回の問題はたとえどんな罰を受けようともセバスが()()で、そして独断専行で行ったという事にしなくてはならないのだ。

 

「この度の失態は全て私の独断に因るものです。ですから、どうか愚かな私の命だけでアインズ様の御怒りを鎮めて頂きたく———」

「いえ、旦那様だけの咎ではありませぬ!」

 

 セバスの横に並んだティオから声が上がった。彼女もまた土下座しかねない勢いで頭を下げていた。

 

「海人族にゴウン様より賜ったスクロールを使う様に指示し、更に匿うと指示したのは妾であります! 故に罰するのであらば、どうか妾の首一つで収めて頂けませぬか」

「ティオ。貴方には関係ない事です。これはアインズ様の執事(バトラー)として、私の不手際によるもの―――」

「関係ない事などありませぬ!」

 

 あくまで自分だけが罪を被ろうとするセバスに、ティオは涙を浮かべながら声を上げた。

 

「妾は旦那様の妻でありまする! 仮初めの形でしかないとしても、愛した夫が失われそうになるのに黙っている妻などおりませぬ!」

「ティオ……」

 

 涙ながらに訴えるティオにセバスの心は揺れ動く。その様子を応接間の椅子に座りながら眺めていたアインズは……。

 

(え……えええええぇぇぇっ!? なんでこの二人はここまで覚悟ガン決まりなのおおっ!? ただ事情を聞きたいだけなんだけどぉぉぉっ!!)

 

 お互いを庇い合おうとする二人を前に無くなった筈の胃がキリキリと痛む。最初からそんな気は無いが、ここでセバスを厳罰に処そうものならアインズは愛し合った二人を引き裂く悪役だ。かと言ってティオを責めるのも出来ない。“チャン・クラルス商会”の実質的なリーダーはセバスであり、元をただせばセバスが起こした問題で部下であるティオを責めるというのもおかしな話だ。何よりティオはアインズから見れば同盟相手である竜人族の族長の娘―――言い換えれば取引先の社長令嬢だ。いくら魔導国の方が規模が大きいと言っても、無体な扱いなど出来ないと元サラリーマンの精神が判断していた。

 

「あー……んんっ! とりあえず、セバス。一つ聞きたい。お前が件の海人族を助けようと思ったのは何故だ?」

「はっ。私の身勝手な判断で御座います」

「そういう事を聞いているのではない。お前がどうしてその海人族を助けようと思ったのか。その理由を尋ねている」

「それは………」

 

 セバスが言葉に詰まる。ティオが何か言おうとしたが、アインズは目配せで黙っている様に告げた。セバスの口から直接聞きたい内容だ。長い沈黙の後、セバスは絞り出す様に告げた。

 

「助けて欲しい、と……願われたからです」

「それだけか?」

「はっ。困っている方を助けるのは当然のこと……そう思って彼女に手を差し伸べました」

 

 緊張しながらも、セバスははっきりとアインズにそう告げた。

 その言葉にアインズの中で歓喜が湧き上がる。

 かつて初心者だったアインズを助けてくれた純白の騎士。

 彼の面影がセバスの中に見えた気がした。

 

「そうか……そういう事なら、まあ仕方ないか。うん、あの人ならきっと同じ事をするもんな……」

 

 昔を思い出し、アインズは思わず温かい声で呟く。突然、雰囲気が柔らかくなったアインズにセバス達は呆気に取られた。アインズは咳払いを一つすると、いつもの支配者然とした声に戻る。

 

「セバス、そしてティオ。此度の件について私はお前達を厳しく罰するつもりはない。私も冒険者活動にかまけて、商会の近況の確認を怠っていたからな。よって今回の件は私にも落ち度があったとして、お前達に厳しい咎を追及しないものとする」

「アインズ様……!」

「なんと慈悲深い……ありがとうございまする、ゴウン様!」

 

 セバスどころかティオも感涙しそうな表情で頭を下げる。

 

「それで? セバスが救った海人族というのは何処にいる? 奇遇な事に私も冒険者モモンとして海人族をエリセンまで送り届ける予定だったのでな。お前達が良ければ、私がついでにエリセンまで送っておくぞ」

「ゴウン様、それが………」

 

 ティオが言い辛そうにセバスがいない間に起きた事を話す。

 セバスが救った海人族はしばらく屋敷に滞在していたのだが、先日にエリセン領主が来てから明らかに様子がおかしくなっていた。それが気掛かりではあったものの、フリートホーフが本格的に“チャン・クラルス商会”を攻撃し始めたと見たティオは商会に勤めている竜人族や従業員達の安全確保に目を配らせざるを得ず、ティオの知らない内に置き手紙を残して屋敷を出て行ってしまったらしい。手紙によれば、“誘拐された”事になっている自分から領主の勘違いだと訴え出て、訴訟を取り下げる様に願い出るつもりらしい。

 

「タイミングから見てレミア殿はセバス殿がエリセンの領主から訴訟された事を気に病んでいたと思われまする。手紙でセバス殿にお礼を言っておりました………助けて貰った上に、ミュウを探そうとしてくれてありがとうございます、と」

「レミアさん……」

「………待て。その海人族にはミュウという娘がいるのか?」

 

 セバスが沈痛な顔になる中、アインズは硬い声を上げた。

 

「え? ええ、レミア殿は元々は海ではぐれた娘を探しておりまして………」

「……ナグモを呼べ」

「? アインズ様、何故ナグモ殿を……」

「いいから。すぐにナグモを呼んでこい」

「は……はっ!」

 

 ティオの説明にアインズは先程よりも緊張した声を出す。それは絶対の支配者として君臨する姿を何度も見ているセバスからすれば、見たことの無い焦った様な姿だった。再度の主人からの命令にセバスは小走りで別室で待機しているナグモを呼びに行く。そして一分もしない内にナグモがアインズ達のいる部屋に来た。

 

「アインズ様。一体、どうされたのでしょうか? セバスの件で何か……」

「ナグモ、率直に聞くぞ。ミュウの母親の名前だが、ミュウは何と言っていた?」

 

 セバスの処罰の事についてかと少し硬い表情だったナグモだったが、アインズの質問に虚を突かれた様に目を瞬かせた。どうしてそんな質問が出てきたのか、分からなかった様だ。

 

「え? 確か……レミアという名前だったと記憶していますが」

「ま、まさか……という事は、セバスが保護していたレミアという海人族は……!」

「レミアはミュウのママなの!」

 

 あまりの偶然の巡り合わせにアインズは愕然とした声を上げかけるが、部屋の入り口から響いた無邪気な声にかき消された。部屋にいる全員が視線を向けると、海人族の少女がトテトテと部屋に入ってきた所だった。

 

「こら、ミュウちゃん!」

「申し訳ありません、モモンさん。ヴェルヌが突然部屋を出たのが気になってしまったみたいで……」

 

 香織とユエがミュウを引き止めようと遅れて部屋に入って来る。だが、ミュウは部屋に入る前に聞こえたアインズの呟きに敏感に反応していた。

 

「モモンおじちゃん! ママがここにいるの?」

「あ、ああ……それは……」

「アイン―――いえ、モモン様。この少女はもしかすると……!」

「………私がエリセンまで送り届ける予定だった海人族の少女だ。名前はミュウという」

「な……なんという事……!」

 

 アインズの言葉にセバスとティオは全てを察する。偶然という言葉では片付けられない運命の悪戯に、そして運命の悪戯と呼ぶにもたちの悪い巡り合わせの悪さに絶句するしかなかった。

 

「おじちゃん……? それにお髭のお爺ちゃんやお姉さんもどうして黙ってるの? ママは……? ママはどこ?」

 

 アインズ達が黙りこくったのを見て、ミュウは何かを察した様だった。不安な顔でアインズ達を見上げた。

 

「ママに何かあったの……?」

 

 せっかく再会できる筈だった母親と行き違いになったどころか、領主の魔の手に掛かってしまった事をどう告げるべきか。アインズ達は咄嗟に言葉が出なかった。だが―――。

 

「心配しなくていい」

「ナグ……ヴェルヌ様?」

 

 真っ先にミュウに声を掛けたナグモをセバスは驚いた様に見る。ナグモはいつもの仏頂面ながら、ミュウと目線を合わせる様にしゃがんだ。

 

「お兄ちゃん……?」

「お前の母親は行き違いになっただけだ。必ず連れて帰る。だからそんな顔をするな。モモンさ―――んが困る」

「本当? 本当にママを連れて来てくれるの?」

 

 ミュウが涙を堪える様な顔で俯く。アインズ達の旅路の道中で明るく振る舞っていても、四歳の子供に母親と離れ離れだった日々は多少なりとも辛かったのだろう。そこに母親と会えるかもしれないという希望が見えて、しかしそれがアインズ達の態度から叶わないかもしれないと思って不安が過ったのだ。

 

「………」

「みゅっ……!?」

 

 ナグモがミュウの頭に手を置く。それは今までやった事ない為に無造作で、ミュウの髪をぐしゃぐしゃに梳いているという表現が似合いそうな手の動かし方だが、ナグモはミュウの頭を撫でていた。

 

「今さら疑うな。僕やモモンさ―――んを信じられないか?」

「ううん……お兄ちゃんがそう言うなら」

 

 泣くのを堪える様に目を拭い、ミュウはナグモに向かって頷いた。

 その後、香織とユエに連れられてミュウが部屋を出た後、アインズはようやく口を開いた。

 

「まさかお前がミュウを宥めるとはな………」

「出過ぎた真似をお許し下さい」

「いや、はっきり言って助かった。それにすぐに嘘では無くなるからな」

 

 フッ、とアインズは短く笑うと未だに呆気に取られた様にナグモを見つめるセバスに向き直る。アインズの視線を感じてセバスは慌てて姿勢を正した。

 

「セバス、お前はこれからエリセンの領主の所へ向かえ。ティオは今すぐ集められる範囲で竜人族の中で戦える者を招集しろ」

「………はっ!」

「了解しましたのじゃ!」

「私はこれからナザリックと連絡を取り、アルベドに援軍を要請する。ナグモ、お前はユエと香織と共に援軍と連携を取りながら冒険者モモンのパーティーとして戦って貰うぞ」

「かしこまりました」

 

 アインズの命令の意図を察し、三者三様に敬服を以て頷く。

 冒険者モモンとして身につけている鎧のクローズヘルムの奥。アインズは血の様な真紅の光を目から光らせた。

 

「フリートホーフとかいうふざけた連中………奴等を骨の欠片すらも残すな」




>フリートホーフ

 まあ、そんなわけで……今まで散々、そして原作よりも肥え太らせて上げたから、そろそろフォアグラの収穫シーズンに入ろうというわけなんですよ。
 あ、でもご心配なく。アインズ様はああ言ったけど、骨くらいは残してあげようと思います。


 だって―――骨も残らなかったら、アンデッドの素材に出来ないじゃないですか?(ニッコリ)


 これで私は部屋の大掃除に専念できます。そんなわけで皆様もいらない()()はきちんと片付け、気持ちの良い年越しをお迎え下さいませ!

 それではよい御年を! そして来年も拙作をよろしくお願いします!


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第百五十六話「開幕前の悪魔の囁き」

 新年も明けて世間では大変な事が起こったりと激動の始まりとなりました。
 私も自分に出来る事を考えながら、今年も完結を目指して執筆していきます。よろしくお願いします。


「ふんふんふ〜ん♪」

 

 上機嫌な鼻唄が室内に響く。アルベドはアインズより与えられた自室のベッドの上で刺繍をしていた。布を縫っていく手はプロの縫い子には劣るが澱み無く、アルベドの美貌も相まって一枚の絵画として完成する様な光景だった。

 

「出来たわ……アインズ様の抱き枕よ!!」

 

 出来上がった物にアルベドは満面の笑みを浮かべる。それはアインズの身体が精巧に刺繍された等身大の抱き枕だった。表面にはアインズの裸体(当然ながら骨だが)が刺繍されており、裏面にもアインズの後ろ姿がプリントではなく精巧に刺繍されていた。しかも裏面は尻を少し突き出して肩越しに振り返っている様な姿であり、これが人間の女ならばさぞかし扇情的な姿となっていただろう。しかしながら骸骨姿のアインズではどう頑張っても骨格標本の後ろ姿と言う他無いのだが、アルベドは大変満足そうだった。

 

「アインズ様のシーツから作った抱き枕……これって添い寝した事になるのかしら? くふううう~っ!!」

 

 パタパタと腰から生えた翼を動かしながらアルベドは出来上がった抱き枕に顔を埋める。よくよく見れば、ベッドの上だけではない。部屋の至る所にアインズの姿を盗撮したポスターや自作のアインズぬいぐるみ等が所狭しと置かれ、寒気がする程にアインズへの偏執的な愛が覗える内装だった。

 

「はぁ……アインズ様。会いたい、会いたい、会いたいわ……」

 

 自作の抱き枕に頬ずりしながらアルベドは恋する乙女の様に呟く。アインズが神代魔法を入手する旅に出ている為に、魔導国の宰相として働くアルベドは定時連絡を除けばアインズと接触する機会が最近はほとんど無かったのだ。

 

「私も人間の遺した神代魔法を取得できたらアインズ様の御供が出来たのに………そうすればアインズ様は吸血鬼の小娘やナグモの子飼いのアンデッドより私を連れて行って下さったのに」

 

 そこまで呟くと、それまでアインズ抱き枕に包まれて上機嫌だったアルベドの顔が不快気に歪んだ。

 

「それもこれもナグモが神代魔法の研究を怠っているからだわ。ナザリックの研究所長としてあるまじき有様ね」

 

 トータスの神代魔法についての研究。これもまたエヒトルジュエと対決する日の為にナザリックで研究が推し進められていた。ナザリックの配下達がアインズの為に更なる力を手に入れる為にも、守護者のみならずナザリックのシモベ(POPモンスター)でも神代魔法が習得できないか調査を命じた事もあった。

 しかし、その成果は得られていない。アルベドやシャルティア等はおろか戦闘メイド(プレアデス)がどれほど大迷宮を突破しようが、未だにアインズやナグモ達以外で神代魔法を取得できた者は皆無だった。

 

 実のところ―――これには歴とした理由がある。オスカーやミレディ達が遺した神代魔法の試練は人間やそれに近い種族が取得する事を前提にしたものだ。少なくとも人間の魂を持った存在でなければ大迷宮の試練は受けられず、異形種、それも異世界から来た存在が取得しようとするなど解放者達からすれば想定外だったのだ。

 そして根本的な問題として―――ナザリックのNPC達は厳密的に生物と定義できる存在ではなかった。傍目から見れば彼等も食事や睡眠などの三大欲求はあるし、様々な感情を見せてはいる。

 しかしながら、元が電脳空間(ユグドラシル)のNPCとして作られた彼等に生命としての魂と呼べる物は無く、ある意味では精巧な人形と大差ない存在であった。彼等の趣味嗜好などは創造主が設定したからその様に思考する、あるいは創作時に焼き付いた創造主の性格を模した物でしか無い。残念ながら神代魔法の試練はそういった()()()にも取得させられる様な万能性は無かったのだ。

 

「いえ、ただの怠慢かしら……ナグモは何かに気付いている? あるいは……意図的に隠している?」

 

 そのナザリックのNPC達の中で唯一神代魔法を取得できる様になったのが、香織の決死の疑似神代魔法によって人間(プレイヤー)へと()()したナグモだった。彼もまた研究を進めていく内にNPC達の真相までは見抜けなかったものの、NPC達が生物ではない人工物であるとは気付いていた。だが、ナグモはそれを公表しなかったのだ。

 あるいはこれは()()となったナグモなりの優しさだったのかもしれない。彼にとってナザリックの同僚達は仮に人形であっても仲間である事には違いない。お前達は生物ではなく人工物だと指摘するのを良しとせず、彼は神代魔法の取得条件についてはサンプル数が少ない為に調査中と誤魔化していたのだ。しかし、その誤魔化しもナザリックで指折りの頭脳を持つアルベドには不信感を持たれていた。

 

「もしもアインズ様に対して隠し事をしているなら………そんな不敬者は処刑するべきよね」

 

 室内にアルベドの冷え切った独り言が響く。そこにナザリックの同僚として思う気持ちは欠片も無い。彼女にとって()()()アインズを煩わせる者は全て排除対象であり、何よりナグモは個人的に気に入らない相手となっていた。だからこそナグモの行動に対して何かと目くじらを立てる様になっていたのだ。

 何よりもアルベドにとっては―――アインズに『モモンガの事を愛している』と設定を書き換えられ、その時にアインズ(モモンガ)が心の奥底に感じていた辞めたギルメン達への悪感情が焼き付いてしまったアルベドにとっては―――未だあずかり知らぬ事とはいえ、“アインズ・ウール・ゴウン”の所属プレイヤーとなったナグモは心の奥底から敵意を抱き、邪魔と思う相手とすらなっていたのだ。

 

「ああ、モモンガ様……私に愛を与えてくれた御方……」

 

 陶酔しながらアルベドは出来立てのアインズ抱き枕を抱き締める。部屋の隅に元々この部屋にあった“アインズ・ウール・ゴウン”のギルド旗が打ち捨てられて、代わりにかつて玉座の間に飾られていたモモンガのギルドサインが壁に掛けられていた。

 

「このナザリック地下大墳墓は貴方様だけのもの。愚神も邪魔者も、貴方様の為に排除してご覧に入れます……だからどうか、あの素敵な名前をもう一度お聞かせ下さい……」

 

 次第にアルベドの吐息が熱を帯びていく。アインズのベッドのシーツから作った抱き枕は、気のせいかもしれないがアインズの残り香が薄らとする様な気がしていた。アインズの香りに包まれていると錯覚したアルベドは、抱き枕を抱き締めたまま昂る炎を収めようと指が身体の下の方へと伸びていき――――――。

 

『―――アルベド』

 

 ビクン! とアルベドの身体が震える。慌てて周囲を見回し、その声が念話によるものだと分かって安堵しつつも、即座に守護者統括に相応しい冷静な声を出した。

 

「これはアインズ様。一体どうなされましたか?」

『セバスが保護していた海人族の女が人間の犯罪組織の手に落ちた。セバスを支援する部隊の編成を早急で頼む』

 

突然のアインズの命令にアルベドは困惑した表情になる。セバスが人間達の街で潜入任務を行っているのは把握しているが、そこで何故海人族が関係するのか分からなかった。しかし、すぐにナザリックの守護者統括としての冷静な思考に切り替えた。

 

「アインズ様の御決定に異を唱える愚かさをお許し下さい。しかし、ナザリックの外の存在など部隊を作ってまで助ける価値はあるのでしょうか?」

『アルベドよ。その海人族の女はセバスが手ずから助けた者だ。同時にナグモが保護し、私が故郷まで送り届けると約束した少女の母親でもある。それにも関わらず、その親子を引き裂こうとするクズ共がいる』

 

 念話越しにアルベドの背筋が震える。

 この世で誰よりも怒らせてはいけない死の支配者。彼の憤怒が声からも伝わって。

 

『その親子を助けたセバスやナグモの想いを……たっちさんやじゅーるさんの子供の想いを踏みにじったも同然だ。分かるか? 分かるよな!? そんなクズ共を絶対に許せる筈が無いッ!!』

 

 そこまで断言して、ふと憎悪が緩む気配がした。おそらく感情が一定レベルを超えて抑制化されたのだろう。

 

『………済まない、アルベド。少し興奮し過ぎた。許してくれ』

「………いえ、アインズ様が謝罪される事など何一つございません」

 

 僅かな沈黙の後、アルベドは顔を引き締めた。

 

「分かりました。海人族を救出すると同時に、アインズ様をご不快にさせた愚か者達へ鉄槌を下します! 私が現場に直接行って指揮を―――」

『いや、それはマズい。フリートホーフを潰すに当たり、私も冒険者モモンとして冒険者ギルドや保安署の人間達と参加するのだ。モモンと魔導国に繋がりがあるのは冒険者ギルドに知られているが、魔導国が直接的にフューレンに関与するのは怪しまれる。秘密裏に海人族の救出やフリートホーフの壊滅を行える人員を選定して欲しい。正体がバレない様にと注意しておいてくれ』

「かしこまりました。至急、人員の選定を行います」

 

 目の前にいないと分かっていながら、アルベドは深々と頭を下げる。そして念話が切れたのを感じ、アインズの気配が完全に無くなった事を確認した後―――奥歯をギリッと噛み締めた。

 

「またあの男がっ……!」

 

 頭の片隅でアインズの命令を実行しようと思考を巡らせる中、この騒動の原因となったであろう人間の守護者に対して彼女は憎しみを抱いていた。

 

 ***

 

「ふーむ………」

 

 “チャン・クラルス商会”の本拠地となっているセバスの屋敷。その一室に集まったナザリックのメンバー達に、デミウルゴスは感嘆の溜息を漏らした。

 アルベドがアインズの命令を受けてから三十分後。その短時間でありながら元からフューレンにいたナグモやセバスは当然として、デミウルゴス、シャルティア、マーレといった守護者達。戦闘メイド(プレアデス)からはソリュシャン、エントマ。その他にナグモの付き添いとして香織がおり、一国どころか世界を滅ぼすに足る戦力が集められていた。

 

「さて、今回の作戦の指揮権はアインズ様よりこの私が承ったわけだが。セバス、異論は?」

「もちろんありません」

「なら勘違いしないで欲しいがね。これ程のメンバーを集めて貰えたのは、君が助けた海人族とやらの救出以上に至高の御方のご尊顔に唾を吐いた愚かなフリートホーフなる者達を誅殺する為なのだよ?」

 

 デミウルゴスの言葉に一同は―――香織までも―――深く頷く。彼等にとってアインズを不快にさせたというのは万死に値する大罪であり、アインズの気分を害したフリートホーフ達はもはや一秒足りとてこの世に存在させてはならない害虫だった。

 

「だが、アインズ様は海人族を確かに助けろと仰った」

 

 その言葉にその場に居合わせた者達は振り向く。セバスもほんの僅かな驚きを顔に浮かべながらナグモを見た。

 

「その命令も軽んじてはならない。対象の海人族を無傷で救出してフリートホーフの目論見を潰し―――その上で完全抹消する。奴等には何一つ自らの望みは叶わないと知らしめた上で、絶望させながら殺すべきだ」

「ふむ……まあ、当然そちらの目的も忘れてはいないさ。その海人族を助けるのはアインズ様より命じられた事。それを失敗するなどあり得ないとも。まあ、出来る限り生きている内に助けたい所だがね?」

 

 嫌味な言い方をしながらデミウルゴスはセバスを見る。

 

「私が敵であれば、愚かにも助けようと出向いてきた相手に人質の首を投げるだろう」

「デミウルゴスならば見せしめとして甚振る所から見せつけるのでは?」

「ふむ、違いない。もっと言うならば、捕虜を連れて逃げさせる所まで演出するね。運良く助けられたと思った所で罠に嵌まって動けなくなり、目の前で救ったはずの捕虜がジワジワと殺されていくところを見せられる……最高のショーじゃないか」

「へえ、それは面白そうでありんすね。妾も一度やってみたいでありんす」

 

デミウルゴスの趣向にシャルティアは空気を読まずに興味深そうな声を上げる。セバスとデミウルゴスの間に不穏な空気が流れているのを感じているマーレは、二人を交互に見ながらおろおろとしていた。

 

「デミウルゴス。無駄話は後にしろ」

 

 ナグモが溜息を吐きながら言った。

 

「僕と香織はモモンのパーティーメンバーとして、人間達のフリートホーフ襲撃作戦に加わらなくてはならない。あまり時間をかけていると現場にいない事を怪しまれる可能性がある」

「おや、残念」

 

 デミウルゴスは肩を軽くすくめながら先を続けた。

 

「フリートホーフの拠点の情報は既に入手済みだ。アインズ様が冒険者モモンとして人間達から知らされた情報とも一致する。あとはその場所で情報を持っていそうな者達を複数名捕虜として、情報を引き出して行けばいいだけだ」

 

 おお、とその場に居合わせた者達から感嘆の声が上がる。デミウルゴスがここへ来たのはほんの少し前だ。それでいながら既にそこまで情報を掴んでいる事に驚きを禁じ得なかった。

 

「我々以外にもティオ・クラルスが率いる竜人族の増援、そしてアインズ様が冒険者モモンとして率いる人間達もいる。彼等も上手く使いながら、フリートホーフの愚か者達を刈り取っていく。異論はあるかね?」

「ございません」

「ない」

「了解でありんすぇ」

「わ、分かりました!」

「了解ぃ~」

「かしこまりましたわ」

「はい!」

 

 デミウルゴスの作戦方針に守護者達は頷く。その他、プレアデス達や香織も頷いた。そしてデミウルゴスがそれぞれの任務の役割を言い渡し、各々が動き始めていく中―――。

 

「ああ、すまない。ナグモと香織は残って貰えるかな? 君達には別で頼みたい事があるのだよ」

 

 デミウルゴスに呼び止められ、ナグモは怪訝な顔になる。香織もナザリックの最高幹部とも言える守護者から呼び止めれるとは思わなかったのか緊張した顔になる。

 他の者達が準備の為に出て行き、三人だけが残った室内でナグモは胡乱げな声を上げる。

 

「それで? 僕ばかりか香織に何の用なんだ?」

「いや、本当にそう難しい事を頼むわけではないよ。それはそうと香織。少し前のアンカジではアインズ様からの大役、ご苦労だったね」

「は、はい! ありがとうございます! でも私は結局アインズ様の御命令を完璧にこなせなくて……」

 

 突然のデミウルゴスからの賛辞に香織は笑顔を浮かべたが、すぐにシュンとした顔になる。今の香織にとってアインズからの命令を完璧にこなせないというのは恥ずべき事だった。

 

「それならば……アインズ様の為に挽回する機会が欲しいとは思わないか?」

「え?」

「……何を考えている?」

 

 落ち込んだ表情を見せる香織にデミウルゴスが優しげな声を掛ける。だが、ナグモにはそれが言葉巧みに悪事を唆す様に見えて警戒した声を出した。

 

「せっかくアインズ様がハイリヒ王国の癌とも言える犯罪組織を潰すんだ。これを機に魔導国に、ひいてはアインズ様に最大限の利益となる様に演出を加えるべきだとは思わないかい?」

 

 デミウルゴスは二人へ笑顔を向けた。

 だが、それは――――――まさしくアダムとイヴに禁断の果実を口にさせる蛇そのものの様な表情だった。

 

「そうだな………題して、“失楽園”作戦とでも呼称しようか」




>アルベド関連

 よく考察で上がる「アルベドが至高の御方達を憎んでいるのは、サービス終了前で荒れた気持ちだったモモンガがその時に設定を弄ったから」という線でいこうと思います。そしてアインズ以外の至高の御方が大嫌いなアルベドからすれば、曲がりなりもAOG所属プレイヤーとなったナグモは無意識下でも憎む相手となったわけです。

>失楽園作戦

 今回は基本的にオバロ原作沿いな展開です。でもまあ……やっぱ原作を書き直しただけの二次創作とかつまらないじゃないですか?(2525)
 ゲヘナから失楽園と変わった意味を愉しみにしていて下さい。 


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第百五十七話「討伐開始」

 しばらくの間、更新頻度が落ちるかも……。
 マイペースにぽちぽちやっていきます。


 フューレンのとある屋敷の一室。

 名目上はとある富豪の別荘となっているが、実際はフリートホーフのアジトとなっている場所に怪しげな一団の姿があった。

 それぞれが武装しているが、兵士らしい雰囲気など皆無だ。敢えて近い物をあげるなら冒険者だろうか。しかし、闇に溶け込む様な佇まいは彼等が真っ当な職業でない事を思わせるには十分だった。その内の一人が筋骨隆々とした男へ声を掛けた。

 

「ボス、保安署に潜り込ませたネズミからのタレコミだ。どうやら冒険者ギルドと手を組んで、ウチの組織を襲撃する予定みたいだぜ?」

 

 ほう? とボスと呼ばれた男———デイモスは興味深そうに片眉を吊り上げた。

 

「あそこの署長(ブタ)にはたっぷり賄賂を送ってる筈だが?」

「どうやら一部の保安官達が署長(ブタ)に話を通さずに独断で動いてるみたいだ。少人数で動いているからか、ネズミも気付くのが遅れたらしい」

「フン………」

 

 デイモスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。保安署や司法の役人達にはたっぷりと鼻薬を嗅がせて骨抜きにした筈だが、それでもまだ自分達を捕まえようという気骨のある者がいたらしい。

 

「加えて“チャン・クラルス商会”の会長(ジジイ)の暗殺を任せていた闇ギルドからも連絡が途絶えた……どころか、ハルモニアからも連絡が無え」

「あら? やられちゃったのかしら、“殺人卿”ともあろう方が。だらしないわね」

「そう責めるものでは無いよ、エリス。所詮、奴は趣味で人殺しをやっていただけの“暗殺者"。きっと弁護士の仕事にかまけて腕を鈍らせていたのさ」

「ええ、その通りですわね。エイロス兄様」

 

 双子の様にそっくりな男女がクスクスとした笑い声を上げた。

 

「それでボス、どうするのかのう?」

 

 嗄れた老婆の声が更に加わった。ヒッヒッヒッと嗤う姿は童話に出てくる魔女の様だ。

 

「我らの中で最弱とはいえハルモニアを倒したとなると、どうやら向こうもただの商会じゃないようだがね? 加えてこちらに楯突こうという冒険者共……アタシゃ歳でね、面倒な事になりそうならお暇させて貰いたいんだけど?」

「おい、婆さん。ボケるにはまだ早いだろ。決まってるじゃねえか……殲滅だ」

 

 デイモスは乱杭歯を見せながらニヤリと笑う。それは血に飢えた獣が牙を剥いた様にも見えた。

 

「冒険者や保安署の連中は俺達に気取られないくらいというなら少人数だろ? こっちには金で転がってきた元・冒険者達もいるんだ。頭数ならこっちの方が多い。連中を叩き潰して、俺達に逆らう事が愚かだという見せしめになって貰おうじゃねえか」

「ふむ……首領が何と言うかのう?」

「首領には俺から言っておくさ。ついでに邪魔な商会のジジイ諸共ブッ殺せば、俺達に刃向かう奴はいなくなる。未だにフリートホーフに協力しねえ商人連中の脅しにも使えるだろ」

 

 その言葉に彼等は一様に嗜虐的な笑みを浮かべた。彼等は通常の冒険者活動では満足できず、血を求めて裏稼業へと堕ちた者達ばかりだ。だからこそ大義名分を得て暴れられるデイモスの命令は彼等にとっては朗報だった。

 

「だがよ、ボス。ちょいと問題があるぜ。向こうには助っ人として、金ランクの冒険者パーティーが加わったそうだぜ。で、その冒険者パーティーというのが……“漆黒のモモン”だそうだ」

「モモン? はっ、随分な大物が出て来たじゃねえか!」

「噂の“漆黒のモモン”を倒せば、どれ程の賞金を出して貰えるかしら?」

「フフフ……私達兄妹の剣の錆にしてやろうではないか」

「こりゃあ久しぶりに活きの良い死体が手に入りそうだねえ、イッヒッヒッ……」

 

 彗星の如く突然現れ、冒険者達の間で話題となっている金ランク冒険者の名を聞いても彼等の闘志は萎えない。むしろ誰がモモンの首級を上げるか、と楽しみにしている節まであった。彼等は冒険者だった時には金ランクまで昇り詰めた者達ばかりであり、そしてフリートホーフの豊富な資金と裏の流通網によって一般では出回らない装備やマジックアイテムで身を固めているのだ。何より対人戦ならば仕事柄で魔物達の相手ばかりしている冒険者よりも、自分達の方が分がある。金ランクの冒険者であるモモンは噂通りなら油断ならない相手だが、それでも負ける気はしなかった。

 

「“千剣”フーガ」

「へい」

 

 重鎧を着てベルトに何本もの剣を帯刀している男が応えた。

 

「“死屍魔女”モイラ」

「ヒヒッ」

 

 闇の様に黒いローブを毒々しい色合いの宝飾で着飾った老婆が気味悪い声を上げる。

 

「“双子剣”エイロス、エリス」

 

「ふふん」

「何かしら?」

 

 チェインシャツを身に纏い、左右対称にサーベルを帯刀した美男美女の双子が恋人の様に腕を組みながら応える。

 彼等を見渡しながら、常人よりも二回りどころか三回りくらい筋肉をパンプアップさせた禿頭の男がギラリと犬歯を見せた。

 

「そしてこの俺、“闘鬼”デイモス……ここでコケにされたまま尻尾を巻いたとなれば、俺達の評価にも関わる。残った“六獣”全員で勝利を収めるぞ」

 

 ***

 

フリートホーフ掃討部隊は冒険者ギルド本部に集められていた。賄賂を貰ってフューレンの惨状を見て見ぬ振りをする事を良しとしないスタンフォードを含む保安署の職員達、そして冒険者ギルド本部長のイルワがフリートホーフの息が掛かってないと判断して集めた信頼のおける冒険者達。その数は決して多くは無いものの、自分達の街を犯罪組織の手から取り返すという決意で来た彼等の士気は高かった。

 

「皆、よく集まってくれた。フリートホーフの脅しにも屈せず、フューレンの苦境を救うためにこれ程の人間が集まってくれた事を嬉しく思う」

 

 今回の掃討作戦の指揮を任せられたイルワが一同を見回しながら発言した。

 

「我々の目標は一つ。フリートホーフの撲滅だ。その為にもフリートホーフの複数のアジトにほぼ同時に攻撃を仕掛けていかなければならない。敵はフリートホーフの構成員の他にも金で雇われたならず者、彼等のアジトに出入りしている貴族の用心棒などを考えれば我々の十倍はいると見ていいだろう。だが、心配しないでくれ。我々には心強い味方がいる」

 

 「モモンさん!」とイルワが呼ぶと、漆黒の鎧を着た人物が前へ進み出た。「モモンって、あの?」、「本当に本物なのか?」と周りがざわつく中、イルワは再び声を張り上げた。

 

「皆も噂に聞いた事はあるだろう。彼がギルド史上最速で金ランクに昇り詰めた冒険者、“漆黒のモモン”だ。今回の作戦では彼と、彼のパーティーメンバー達が我々に手を貸してくれる事となった」

 

 「おお!」と事情を知らなかった冒険者達は歓声を上げる。最近では冒険者ギルドが人材流出を防ぐ為に昇格条件は緩くなったが、それでも彼等にとって金ランク冒険者とは凡人では手の届かない高みに至った憧れだった。モモンは彼等の歓声に応える様に手を軽く挙げ、そして鎧の中から渋い男の声を出した。

 

「初めまして、私がモモンだ。急な参加にも関わらずに温かく受け入れて貰えた事に感謝すると同時に、私を知ってくれている人が意外と多いことを嬉しく思う」

 

 モモンなりのジョークと判断して集まった者達は笑った。今や王国一と名高い冒険者の名前を知らない人間がいるとするなら、その者の無知を指摘するくらいに彼は有名なのだ。

 

「今回、私は個人的な事情で参加する事となったが私からもこの作戦に加えて欲しい人物を紹介したい。君達が良ければ、彼の参加も許可して貰いたい」

 

 突然のモモンの申し出に集まった者達は再びざわつく。イルワも寝耳に水だった様で頭に疑問符を浮かべていた。

 

「それは………失礼ですが、その方は信用できる人物なのですか? フリートホーフに不意打ちをかける為にも、出来る限り奴等との関係がシロだと断言できる者達で行いたいのですが」

「それは大丈夫だ。何より、彼の事なら皆知っているだろうから」

 

 モモンの言葉に頭を傾げる一同だったが、ノックの後に部屋に入ってきた人物に一斉に驚愕の表情となった。

 

「セバスさん……!?」

「こんばんは。スタンフォードさん」

 

 現れた老紳士に顔なじみのスタンフォードはおろか、保安署の職員達はざわついた。今やフューレンで一番の名士と言うべきセバスの顔を知らない者はフューレンにはいない。

 

「一体、どうしてこちらに」

「モモンさ———いえ、モモン殿は以前に私もお世話になった事がありまして。それと実は本日、フリートホーフから私へ刺客が差し向けられました」

 

 突然の情報に一同は息を呑む。フリートホーフが“チャン・クラルス商会"に数々の嫌がらせを行っているのは周知の事実だったが、こんな直接的な手段に出るとは思わなかったのだろう。

 

「刺客達は私の方で対処しましたが、彼等の娼館から保護していた海人族の女性が手に落ちてしまいました。これ以上、フリートホーフをのさばらせておくわけにいきません。彼女を救う為にもどうか私も掃討作戦にお力添えさせてくれませんか?」

「それは願ってもない事です! セバスさん程の方も加わって頂けるなら、恐い物などありません!」

 

 スタンフォードは嬉しそうな表情で頷いた。彼はセバスがフューレンでの数々の揉め事を解決する姿を見ており、ここに来てモモンと共に頼もしい味方が加わった事を喜んでいる様だ。

 

「……というわけだ。どうかセバス———殿と彼の従業員達も作戦に加えて貰いたい。皆、武に心得がある者達ばかりだから問題無いだろう」

「いや、驚いたよ……モモン殿は本当に色々な伝手をお持ちみたいですね」

 

 魔導国に続き、予想外の相手を連れてきたモモンにイルワは感心した様に呟いた。だが、少人数で動くしかないと思っていた所にセバスの申し出はありがたかった。

 

「では、セバス殿達を含めて班編成を行う。各班のリーダーは拠点を制圧次第、残りの一箇所へ応援に向かってくれ。班員達は制圧した拠点の維持を。拠点にいる構成員達は出来る限り無力化して欲しいが、やむを得ない場合は殺害も許可する。その代わり貴族や役人などかいれば、彼等は必ず捕縛してくれ。彼等には司法取引などを通して、この騒動のツケを支払わせる」

 

 イルワの指示でフリートホーフの拠点襲撃班が次々と決まっていき、集まった一同は気を引き締め直した。彼等を見渡しながら、モモンは宣言する様に言った。

 

()()()()()()()()()()()()。この街を、そして様々な者達に悪事を働いたフリートホーフを滅ぼし、平和を取り戻すのだ!!」

『応ッ!!』

 

 ***

 

「先程はありがとうございました」

「……何の話だ?」

 

 アジトの襲撃班が編成され、奇しくも同じ班となったナグモへアジトへの道すがらセバスは唐突に礼を言ってきた。他の班員にはティオが今回の為に呼び寄せた竜人族しかおらず、事情を知っている彼等の前で二人は偽装身分を気にせずに話せていた。

 

「デミウルゴスにレミアの救出を再三に訴えてくれた事です。ユエからも聞きましたが、私の独断行動に対してアインズ様に庇い立て頂いたのもナグモ様のお陰と聞いています」

「別に……。あんな物、君の性格を知っていれば簡単に推察できる程度の事だ」

 

 ぶっきらぼうにナグモは言い放つが、セバスにはそれがどこか素直になれない子供の様に見えていた。

 

「それに君が保護していた女性はミュウの……アインズ様が保護した海人族の母親だ。あれにあそこまで言った以上、無事に救出しなくてはアインズ様の沽券に関わる」

「……貴方は本当に変わられましたね」

 

 ナグモとセバス達が襲撃するアジトはフリートホーフが貴族の接待の為に作った違法なサロンであり、エリセンの領主もそこにいる可能性が高いそうだ。必然的にレミアもそこに行った可能性は高いだろう。アジトへの道を急ぎながらも、ナザリックの中で『人間嫌い』で知られていた人間に対してセバスはそう呟かずにいられなかった。

 

「ええ、本当に変わられましたよ、ナグモ様。かつての貴方なら、他人が何をしていようが、そして他人からどう思われていようが無頓着だった様に思えます。どうやら私の知らぬ間に、何か変化があった様ですね。……あくまで私個人の感想ですが。ナグモ様の変化は大変喜ばしいものと思います」

 

 そう言われ、ナグモは一瞬だけ虚をつかれた様な顔になる。ナザリックの仲間であるセバスに言われ、自分の変化という物をはっきりと自覚した様だった。

 以前、氷雪洞窟で出会った自分の虚像から変化した事で脆弱になったと告げられた。あの虚像はナグモの負の側面だ。ナグモもまた自分が変わった事で弱くなったと思い込んでいた。だが、その変化は喜ばしいものだとセバスは言った。じゅーるによって創造された時から変わった自分を良かったと言ってくれる相手がいた事が、ナグモの心に衝撃を与えていた。

 

「何より私が驚いたのはレミアさんの娘を気に掛けていた事ですよ。きっと彼女が貴方にといって良い変化を齎してくれたのでしょうね」

「………ふん、誰があんな喧しい子供なんかに。っ、おい。出て来たぞ」

 

 ぶっきらぼうに応えていたナグモだが、前方にアジトへの道を封鎖するように現れた一団を見つけた。そこにはフリートホーフに与した元・冒険者達と、彼等の中心に黒いローブを着た魔女―――“死屍魔女”モイラがいた。

 

「ヒヒヒッ……なんだい。老体に鞭打って出て来てみりゃ、商会のジジイに、取り巻き共かい? こりゃアタシははずれくじだったかねえ?」

 

 モイラは嘲笑する様にナグモ達を見る。()()()()老人のセバスと護衛である商会の従業員達、そして少年のナグモしかいないのだ。歴戦の魔女である彼女からすれば、歯応えを感じさせない相手だったのだ。

 

「まあ、ともかくここから先は通行止めだよ。帰んなよ。ただし……命は置いてからねえ?」

 

 モイラが水晶の髑髏がついた杖を一振りした。するとセバス達の背後、彼等を挟み撃ちする様に地面から骸骨の剣士の一団が現れた。

 

「降霊術士か」

 

 現れた大量のスケルトン達を見て、ナグモはつまらなさそうに呟いた。

 

「それにこの数……()()()()()()()()()まあまあの強者の様だな」

「舐めた口を利いてんじゃないよ、若いの」

 

 ナグモの評価にモイラは皺だらけの顔を歪めた。まだ十代半ばの無礼な若造に対して、居丈高に説教する老人の様に。

 

「こちとらアンタが生きた倍にすら及ばない年月を死霊魔法の研究に費やしているんだよ? 分かるかい? 魔法師としてのキャリアが違うんだ。それをじっくりと噛み締めながら死にな」

「……一つ聞きたい。これから行く先にエリセンの領主はいるか?」

「あん? あのブタ貴族がどうしたって? まあ、いるけどここで死ぬアンタには関係ないだろ」

「……だそうだ、セバス」

「分かりました。私はレミアさんを救出して参ります。ナグモ様には御面倒をお掛けしますが……」

「気にするな———すぐに終わる」

 

 ドンッ! と地面を蹴る音が響く。あっという間に距離を詰め、ナグモはモイラの胸に黒傘"シュラーク"を突き立てた。

 

「………………あ?」

「非常に興味深い意見だ。それで? もう一度言って貰えるか?」

 

 ナグモは黒傘を引き抜く。ベシャッ、とモイラの死体が地面に転がった。同時に魔力の供給源が切れたスケルトン達はカラカラと音を響かせながら崩れ落ちた。

 最大の戦力だった筈の“六獣"の一人があっさりと死んでフリートホーフ側の護衛が狼狽える中、ナグモの冷たい声が響いた。

 

「キャリアが………何だったか?」




>冒険者達の命を保証してくれるアインズ様

 無関係な人死には(極力)出さないってさ。原作より優しくなったね!(笑)

>“死屍魔女"モイラ

 元々はハイリヒ王国の魔法研究所の筆頭魔法師だった。しかし、派閥闘争に敗れた末に居場所を失い、周囲を見返す為に自分の天職である死霊魔法の研究にのめり込んだ結果、死者を冒涜する非道な実験を繰り返す魔女と化した。そもそも彼女が研究所で居場所を失ったのは、派閥争いで負けた以上に若手や実力が低いと見下した相手にパワハラを行う態度が原因だったのだが……。
 彼女が操っているスケルトン達はフリートホーフの伝手も借りて集めた有名な冒険者達が素体であり、謂わばモイラは歴戦の強者達を不死の兵士として操れる優れた死霊術師ではあった。


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第百五十八話「レミア救出」

 認めますよ……こんな展開を楽しいと思ってる人間ですよ。そういう奴なんですよ。どうせ性根が腐ってるヤローですよー、だ。
 だからこんなに早く書けたというか……。


 ナグモ達が目的地としているフリートホーフが経営しているサロン―――表向きは会員制の高級酒場であり、貴族や富豪達が美しい女性達に接待して貰いながら酒と談話を楽しむ場所であった。

 だが、その実態はフリートホーフに多額の出資をしている者のみが出入りを許され非合法な取引や密談が行える闇の社交場というべき場所だった。そしてここで働いている女性達はフリートホーフに借金をしていたり、あるいは奴隷として買われた者達ばかりの為に客が女性達に不埒な事をしても―――それこそ普通の風俗店なら禁止される様な過激な事をしても―――咎められる事がないというまさに欲に塗れた男達の為に作られた堕落の園であった。

 

「………で? 貴様はあの商店の男に拉致されたわけではないから、訴えを取り下げて欲しいだと?」

「はい」

 

 そのサロンの一室。客同士で更に内密な会話をする為に、あるいは下のホールで気に入った女性店員を連れ込む為に作られた個室でエリセンの領主のカルミア男爵とレミアが二人きりでいた。

 セバスの屋敷を飛び出した後、レミアはカルミアを探し回ってここに辿り着いたのだ。最初はサロンの入り口で門前払いされたものの、あまりにもしつこく食い下がった為、仮にもエリセンの領主である自分がこんな場所にいる事を周りに知られたくないと思ったカルミアはレミアを店内にいれて騒ぎを大きくしない事を選んだのだ。

 

「セバス様は怪我をした私を保護してくれただけです。断じてセバス様が私を攫ったわけではありません。裁判でも私が証言します。ですからどうか、領主様の寛大な慈悲を……お願いします。それとミュウの事も、私の娘について何か知っているならどうかお教え下さい!」

 

 土下座をしてレミアは頼み込む。レミアにとって地獄の様な場所から救い出してくれたセバスは大恩ある相手だ。そして同時に、仄かな恋心を抱いた相手でもある。そのセバスが自分のせいで領主から訴えられ、更に領主達が探していた娘の行方を知っていると聞いてしまい、もは居ても立っても居られなくなったのだ。そうしてレミアはほぼ無策のまま領主へ直談判するという暴挙に出てしまっていた。

 

「私に支払える物なら何でもお支払いします。私の……か、身体も喜んで捧げますっ……! ですから、どうか……!」

 

 目の前の醜悪な豚の様な貴族に抱かれる未来を想像して、レミアは生理的嫌悪感を覚えるがどうにか押し殺した。ミュウとセバスの為だ。その二人の為なら抜け出せた筈の地獄へ再び足を踏み入れる事になろうと、レミアは歯を食い縛って耐えるつもりでいた。

 我が子の為、そして愛する人の為に自分の全てを擲つ覚悟でレミアは額を地面に擦り合わせる。

 そんなレミアにカルミアは歩み寄り――――――その頭に蹴りを入れた。

 

「この無礼者がっ!!」

「あぐうッ!?」

「海人族の分際で裁判に証言するだと? あまつさえ貴族である私に頼み事だと? 身の程を弁えろ! 魚モドキがッ!!」

 

 罵声と共に容赦のない踏みつけが行われていく。土下座したレミアの背中が、手や腕が青痣を作っていくが、カルミアは構うこと無く足蹴にしていた。

 

「亜人族の分際で! オマケに磯臭い魚モドキの身体を使()()()()やるから許せだと! ふざけるな、どこまで私を侮辱する気だ!!」

 

 ハイリヒ王国の貴族であり、同時に聖教教会の信徒であるカルミアにとって亜人族とは穢れた人間モドキという認識だ。それは自分の領民である海人族であっても例外ではなかった。

 そもそも彼はエリセンの領主になりたくてなったわけではない。次男坊である為に家督を継げず、既に成人を過ぎた歳でありながら実家に寄生する様に居座る彼を見かねて、父親が聖教教会のコネを通じてエリセンの領主に赴任させたのだ。

 中央の聖教教会の信徒の常として亜人族を蔑視しているカルミアにとっては漁村として有名なエリセンも魚モドキ(海人族)が大勢いて吐き気がする様な場所であり、ストレス解消に女遊びをしようにも魚臭い女など抱く気にもなれなかった。そうした経緯があってフリートホーフに海人族を売り飛ばす事で大金と共にフューレンの風俗店で半ばフリーパスを貰える様になった彼からすれば、レミアの提案など一考の価値もないどころか自分を侮辱しているとすら思えていた。

 

「貴様のガキがなんだ! 魚モドキの子供を売り捌いて何が悪いと言うのか! 貴様等の様な魚モドキは私の端金になるだけでも感謝しろ!!」

「そんな……酷い……!」

 

 豚の様な顔を醜悪に歪めながら足蹴してくるカルミアにレミアは息も絶え絶えになりながら抗議した。それが気に障ったのか、カルミアは一際強く蹴ってレミアを床に転がせると馬乗りになって首を絞めた。

 

「あ……ぎ、ぅ……!!」

「苦しいか? どうだ苦しいか! ああ、魚モドキでも苦しむ顔を見るのは最高だなっ!」

 

 酸素が足りなくなり、レミアは顔を歪めながらどうにか息継ぎをしようとする。口をパクパクとさせる様が本当の魚のようで、カルミアは嗤いたくなる気持ちになりながら更にレミアの首を絞めた。

 このままではレミアは死んでしまうだろう。だが、そんな事が問題になるとは思っていない。このサロンでも行為に夢中になる余りに従業員の女が()()される事など珍しくはないし、それなりの違約金を払えば後は全て店側で片付けてくれるのだ。

 カルミアは馬乗りになったまま、レミアの顔に拳を振るった。

 

「うぅっ……!」

「ほら! どうした! 魚モドキが! 生意気な口を! 利くんじゃない!!」

 

 一言ごとに拳が振るわれる。レミアの美しい顔を殴るなど普通の男なら躊躇いそうなものだが、カルミアはむしろ自分の手で穢せるのだという事実に興奮して容赦なく殴っていた。

 これは躾だ。この女は自分の領民でありながら、そして人間未満の海人族でありながら身の程を弁えない発言をしてきた。うるさく吠える家畜には鞭で躾けなくてはならない。それをするのは貴族としての義務であり、大金を持つ自分の当然の権利なのだ。肉を殴る音に酔いしれながらカルミアは下卑た笑みで拳を振り上げた。

 

「ああ、いいものだ……ほら! 魚モドキ! もっと良い音で啼いてみろっ!!」

 

「———殴る音がお好きなのですか?」

 

 それは唐突にかけられた声だった。自分達以外は居ない筈の部屋に響いた声にカルミアは驚いて振り向こうとして———。

 

「ブッ!?」

 

 瞬間。パンッという音と共にカルミアの視界が大きく揺らいだ。同時に頬に奔る熱い痛みを自覚して、殴られたのだと気付けたのは衝撃で床に転がされたと同時だった。

 馬乗りになっていたレミアからどかされ、頬を抑えながら起き上ろうとしたカルミアは自分の目の前に見覚えのある人物が立っている事に気付いた。

 

「お……お前、ばっ!?」

 

 パンッ、と再びカルミアの頬から音が鳴る。カルミアの頬を平手打ちした人物———セバスは冷え切った目でカルミアを睨んでいた。

 

「ではご自身で響かせてはどうですか?」

「き、貴様ァ、こんな事を、ぼっ!? べっ!? がっ!?」

 

 パンッ、とカルミアの頬が鳴る。それも一度でない。

 右、左、右、左、右、左、右、左――――――。

 

「や、や()ろっ! や()()れっ!!」

 

 痛い。痛い。痛い。

 両頬が腫れるくらいに打たれたカルミアは子供の様に頭を抱えて蹲る。父親にだって殴られた事は無いのに、何故自分がこんな仕打ちを受けなければならないのか。

 膨れ上がった顔で満足に喋れずに蹲るカルミアを一瞥した後、セバスは身体中が青痣だらけになったレミアに歩み寄った。

 

「セバ、ス様……?」

 

 酸欠でまだ頭がボンヤリするのか、レミアは焦点の定まらない目でセバスを見つめた。

 

「どうして……ここに……?」

「貴女を迎えに来ました。もう大丈夫ですよ」

「ごめんなさい……勝手な事をして……セバス様に御迷惑を……」

「もう終わった事です……一緒に帰りましょう。皆がレミアさんの帰りを待ち侘びています」

 

 結局、自分がやった事はセバスの手を煩わせただけだ。そう思ってレミアは涙を浮かべるが、セバスは優しく微笑み、レミアの傷を癒やすために屈んだ。

 そして―――それを見てカルミアは膨れ上がった顔を醜悪に歪めた。

 

()かめ!!」

 

 痛む頬を抑えながら、カルミアは素早く部屋の外に出る。

 なんて馬鹿な男だ。あんな魚モドキに構って隙を見せるなんて。

 このサロンには屈強な警備達がいる。どうやって彼等の目を盗んでここまで来たか知らないが、自分が大声で呼べばすぐに駆け付けてくれる筈だ。

 貴族である自分に暴行を加えたのだ。それだけで普通に裁判所に訴え出ても処罰されるが、カルミアはその程度で済ませる気は無かった。ここの警備兵達であの男を死が慈悲に思える様な私刑(リンチ)にあわせ、そしてこの腹いせに商店にいた女店主の身体で支払わせる。誰に無礼を働いたか思い知らせてやるのだ。

 

けいひへえ(警備兵)! けいひへえ(警備兵)はい()いか!!」

 

 廊下に出てカルミアは大声を出した。叫べばすぐにでも警備の人間が来るはずだ。

 しかし、その考えはすぐに裏切られる事になる。廊下に響き渡るくらいの大声でカルミアは叫んだ。

 それなのに―――自分の声以外、何の音もしなかったのだ。まるで無人の館となったかの様に。

 カルミアは怯えた様に辺りをキョロキョロと見回した。廊下には自分がいたさっきまでいた部屋と同じ造りの部屋に繋がるドアが並んでいる。それらの部屋は用途からして中の音が漏れない様に防音設備は完璧だ。だからそれらの部屋から物音がしないのは理解できる。

 しかし、従業員の姿が全く見えないのはどういう事か? この部屋に案内される時、見張りも兼ねて廊下の脇に屈強な男が何人かいた筈だった。彼等は持ち場を離れてどこに行ってしまったというのか?

 

「お、おい……()れか、()れかい()いのかっ!!」

「―――無駄ですよ。他の方は私の仲間達が捕まえたか、意識を失わせましたから」

 

 慌ててカルミアは振り返る。そこには部屋から出て来たセバスが静かな表情で立っていた。

 

「ほ……()んな、でた()め―――」

「護衛らしき従業員が二十数名。貴方の様な客が七名。後はきっと無理やり働かせられていた方でしょうね。六名の女性は安全な場所に避難させました」

 

 淡々と述べるセバスを信じられない面持ちで見つめた。嘘だ、信じたくない、という言葉がカルミアの頭の中でぐるぐると回る。

 

「とりあえず貴方がこのフロアにいる最後の人間ですよ。レミアさんを探す為に部屋を総当たりした結果、時間を掛けてしまったのは私の落ち度です」

 

 コツ、コツ、コツ―――。

 セバスの革靴の音が廊下に響く。セバスはカルミアに向かって数歩だけ歩いてきた。

 それなのにカルミアにはその音が死刑台の階段を上る音に聞こえていた。

 

「スタンフォードさんからは貴族は出来る限り生け捕りにして欲しいと頼まれましたが……申し訳ありません。私の()()からの命令では貴方は()()()()()()方が都合が良いそうです」

 

 その言葉の意味にさすがのカルミアも察した。セバスに主人がいるというのは初耳だが、そんな事より自分の命が危機に瀕しているという事実の方が重要だった。

 

「ま、ま()! おはへにいいはなひがある!」

「聴き取りづらいですが……良い話がある、でしょうか? なるほど、興味ありません」

「なら()んでこんふぁ()ことを()る!」

 

 おかしい。不条理だ。どうして自分がこんな目に遭わなければならない? 

 カルミアの必死な訴えはセバスに届いた。

 

「何故、ですか……ご自身がこれまでやってきた事を思い返してはいかがですか?」

 

 そう言われてカルミアはキョトンとした表情になる。本当に、自分が何か悪い事をした覚えが無いのだ。強いて言うなら王国で保護されている海人族達の奴隷売買だろうが、聖教教会から見捨てられた亜人族を売って何が悪いのだろう? 親も、学校の教師も、教会の神父も亜人族はエヒト神から失敗作として加護が与えられなかった劣等種と教えていたのに。

 

「………私の友人ならば、貴方をこう評価するでしょうね」

 

 スッとセバスの目が細まった。

 

「———ド低脳。貴方に相応しい言葉です」

 

 次の瞬間。セバスはカルミアの弛んだ腹を蹴り上げた。

 

「ごぶうぅぅうううっ!?」

 

 カルミアの身体が廊下に転がっていく。脂肪で丸々とした身体が転がっていく様は弾力の無いゴム毬の様だった。

 

「———もう出て来て大丈夫ですよ」

 

 セバスが声を掛けると部屋のドアが開けられる。中から恐る恐るといった様子でレミアが顔を出した。

 レミアは床に転がったカルミアを見て驚いた顔になるが、すぐに心配そうな表情でセバスを見た。

 

「セバス様……領主様を殴ってしまったのですか? その……大丈夫なんでしょうか?」

 

 セバスの身を案じての事だろう。しかし、セバスはすぐに頭を振った。

 

「問題ありませんよ。明日には彼の悪事は人々に知れ渡る事となります。もう貴方はこの男に怯える必要などありません」

「それでしたらいいのですけど……」

 

 貴族に手を上げたという事実にレミアは心配するものの、セバスが穏やかな口調で断言するのでそれ以上の考え事は止めた。何よりこの男はエリセンの領主でありながら、自分達(海人族)を奴隷として売り払っていた悪人なのだ。床に転がって痙攣しているカルミアを一度だけキッと睨みつけ、レミアは彼を意識から外した。セバスももはや視界に入れたくすら無いのか、倒れているカルミアに背を向けながら話し出した。

 

「ああ、そうそう。レミアさんに良い報せがありますよ。貴女が探していたお子さんですが、先程見つかりました」

「え……? それは本当なんですか!? ミュウは、あの子は無事でしたか!?」

「ええ、アイ―――コホン。()()()()()()()()()()の方達が、売られた先の貴族から助け出してお子さんをエリセンまで送り届けようとしていたそうです。今は私の屋敷にいらっしゃいますよ」

「ああ、ミュウ……良かった……!」

 

 我が子の無事を聞かされ、レミアは涙を流して喜ぶ。そして力が抜けた様にストンと腰を下ろしてしまった。

 

「ご、ごめんなさい。ミュウが無事だと分かったら、急に力が抜けてしまって……」

「無理もありませんよ。でもいつまでここにいるわけにいきませんから……失礼しますね」

「え? ちょっと、セバス様!?」

 

 セバスは腰を屈めるとレミアを抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこをされてレミアは顔を赤くするが、腰が抜けてしまった為にされるがままになっていた。

 

「その………重く、ないですか?」

「いいえ、ちっとも。それに私は力持ちに()()()()()()から」

 

 

 恥ずかしそうに聞いてくる腕の中のレミアへ、セバスは安心させる様な笑顔で応える。見た目は少し歳は取っているものの、容姿端麗な男性に抱き上げられるという女ならば憧れる様な状況にレミアの胸の鼓動が早くなる。

 

「屋敷まで送りましょう。私はまたすぐに行かなくてはなりませんが、お子さんと待っていて下さい」

「ええ………じゃあ、御言葉に甘えちゃいますね」

 

 すぐそこに精悍なセバスの顔が見える。その事に胸が熱くなるのを感じながら、レミアはセバスの胸板に照れ隠しの様に顔を埋めた。

 

 そうして、セバス達が立ち去った後。

 

(痛い……痛いぃ……!)

 

 一人残されたカルミアは床の上で腹からくる痛みに喘いでいた。

 僅かに痙攣していたのでレミアは殴られて気絶しただけ、と勘違いした様だがそれは間違いだ。

 セバスの一撃は容赦なく肝臓や脾臓といった血液が豊富な臓器を破裂させ、カルミアは激痛と共に冷や汗が止まらなくなっていた。

 

(熱い……痛い……寒い……痛い……)

 

 殴られた腹は焼鏝を押し付けられたかの様に痛いのに、身体は真冬のように凍える程に寒い。血液が全身に上手く行き渡らず、既にチアノーゼすらも起こしていた。汗が目に入り、更には涙まで出て視界が滲む。全身の血の気が抜けていく様な気がして、カルミアは必死に喉を動かそうとした。

 

「だず、げろ……だれが、わだじを……だずげろぉ……っ」

 

 真っ赤に腫れ上がった頬と、猛烈な吐き気が邪魔して上手く喋れない。

 そうでなくてもここには既にカルミアの助けを呼ぶ声を聞く者などいなくなっている。

 あるいは、これはセバスの怒りの意思表示なのだろう。今まで敵も出来る限り苦しませずに殺してきたセバスだが、レミアを傷付けたこの男だけは例外とした様だ。

 死に際の豚の様に濁った声を出しながら、腹から込み上げる激痛にカルミアは最期まで苦しみ抜いた。

 

 ***

 

「それがあいつの母親か?」

 

 セバスがレミアを抱えたまま建物の外に出ると、ナグモがレミアを見ながら声を掛けてきた。周りには共に来ていた竜人族、そして彼等によって制圧されたサロンの客や従業員達が縛られたり、気絶させられて身動きが出来ない状態になっていた。唯一、無理やり働かされていただろう女達だけは縛られたりしてはいないものの、周りを取り囲む竜人族達を見て怯えた様に大人しくしていた。

 

「ええ、この方がレミアさんです。レミアさん、こちらはお子さんを助けた冒険者の方です」

「あなたが……娘を救ってくれてありがとうございます」

 

 セバスからの紹介にレミアを抱き抱えられたまま、ナグモに礼を言った。

 

「別に……成り行き上でそうなっただけだ」

「だとしても、私にとっては娘を救ってくれた恩人ですわ。きっとミュウもあなたに懐いていたでしょう?」

 

 ぶっきらぼうに答えるナグモに対して、レミアは笑顔を崩さなかった。その顔は親子なだけにミュウに似ていて、ナグモは気まずそうに咳払いして会話を打ち切った。

 

「……まあ、とにかく。セバス、そいつをさっさとミュウの所に連れて行け。後始末は僕がやっておく」

「かしこまりました」

 

 セバスは一礼だけすると、レミアを抱えたまま立ち去った。去り際にレミアに会釈してきたのを尻目に見ていると、ナグモにセバスの部下である竜人族が声を掛けてきた。

 

「ナグモ様。建物は制圧が完了致しました。中にいた人間はこの場にいるので全員です。フリートホーフの構成員と貴族達はすぐに冒険者ギルドに引き渡して―――」

「必要ない」

「は?」

「必要ない、と言った。貴族共は僕が()()しておく。この建物には末端の構成員しかいなかった。その様に冒険者ギルドには報告しろ」

 

 有無を言わさぬナグモの様子に一瞬だけ竜人族は怪訝な顔をするものの、すぐに「はっ!」と返事をした。彼等にとっては冒険者ギルドより、自分達の後継であるティオが付き従っているナザリックの方が命令の優先度が高かった。

 

「あとは……そうだな、とりあえずお前達はそこにいる奴隷の女達でも保護しておけ。もちろん、そいつらにも先の事を言いくるめておけ。無理な様なら記憶操作も許可する」

『はっ!』

 

 竜人族達は一礼すると、サロンで働かされていた女達や下っ端の構成員達を連れて立ち去った。その場に残ったナグモは、縛られて身動き出来ない貴族達に向き直った。

 

「き、きみ……私が誰か分かっているんだろうね?」

 

 縛られている貴族の一人が吃りながら話しかけてきた。その顔は罪を逃れたい一心で、ナグモへ媚びようとする卑屈な笑みを浮かべていた。

 

「わ、私は王国の中央にも覚えめでたい伯爵家の者だ。なあ、君。私は運悪くこの場に居合わせただけなんだ! 見たところ冒険者の様だが、私を見逃してくれるなら特別に仕事を融通してやれるぞ? 日銭稼ぎの冒険者などでは、こんな話など滅多に―――」

「黙れ」

 

 ドンッ! とナグモは近くにあった建物の壁を殴る。それだけで建物の壁は大きな亀裂が入り、更にはまるで食パンを毟る様に壁から人間の頭大の石をナグモは毟り取っていた。

 

「お前達の命運など御方が決める事だ。無駄に囀るな」

 

 貴族達の目の前でナグモは握っていた石の塊を片手で握り潰す。普通の人間では不可能な芸当を見せられ、貴族達は顔を青くして一斉に口を閉ざした。

 ナグモは彼等を一顧だにする事なく、〈転移門(ゲート)〉を起動させた。本来はシャルティアやアインズの専売特許だが、グリューエン大火山の大迷宮を突破して空間魔法を取得したナグモも、この様に大人数を輸送する〈転移門(ゲート)〉が開ける様になっていた。

 

「な、何をする!?」

「貴様、こんな事をしてタダで―――!」

 

 放り込む。あるいは投げ捨てる。

 そんな表現がしっくりとくる程の無造作さでナグモは文句を言う貴族達を次々と〈転移門(ゲート)〉へ入れた。貴族達が全て〈転移門(ゲート)〉に入った後、ナグモは手をパンパンと払いながらナザリックへ〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

「アウラか? 留守番ご苦労。さっき送った人間達だが、氷結牢獄に送っておいてくれるか? ……魔獣の餌にしていいか? それはアインズ様の御許可次第だが、まあ僕からも進言はしておこう。()()()()()()()()ではあるから、皆で分けても足りると思うぞ。確か餓食狐蟲王が新しい巣を欲しがっていた筈だ。………いや、彼は君の階層の領域守護者だろう? まあ、僕から届けに行っても構わないが。ああ、そうだ。さっき死んだばかりの死体があるから、そいつは餌にしても良いぞ。丸々と太っているから、フェン達も食べ甲斐はあるんじゃないか? とにかくシャルティア達からも送られてくるから、受け取りは頼んだ。では、また後でな」




留守番してる同僚にもお土産を忘れないなんて、ナグモはなんて良い子なんでしょ!(笑)


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第百五十九話「ナザリックの暗躍」

 書いちった♡(てへぺろ)
 やっぱりさ、ハッピーエンドの為には一生モノのトラウマと絶望を味わうべきだと思うんすよ。


 冒険者ギルドと保安署の連携によるフリートホーフのアジト襲撃は優勢に行えていた。

 当初は寝返った冒険者達などで数の利があるフリートホーフに苦戦すると思われたが、冒険者モモン一行やセバスと共に参加した竜人族達が獅子奮迅の働きをしてくれていた。並の冒険者よりも遥かに強い彼等はフリートホーフの用心棒達を鎧袖一触すると次のアジト襲撃へ応援に行ってくれる為、劣勢になりそうだった襲撃班もすぐに持ち直せるのだ。

 そうして地上にあるアジトを次々と占拠されていってるのだが、フリートホーフ達もさる者。表には捨て駒の用心棒達で時間を稼がせ、フューレンの下水道網を利用した秘密の地下通路で重要な証拠や上客の貴族達を逃がそうとしていた。

 

「急げ! 上の連中にここが悟られる前にズラかるぞ!」

 

 野太い男のダミ声が地下通路に響く。上の店で違法カジノの店長を任されていた彼は、信用のおける部下達と共に顧客リストや裏帳簿などを持って逃げていた。

 

「おい、本当にこの道は安全なんだろうな!?」

 

 部下達に護衛されながら進む身なりの良い男達が上擦った声を上げる。彼等はカジノの上客であり、フリートホーフにとって大事なスポンサーであった。

 

「我々が逮捕されたらお前達も困る事になるんだぞ!!」

「御安心下さい。ここは俺達だけが知ってる通路だ。万が一追って来ようが、この入り組んだ通路で迷うだろうから時間は稼げますよ」

「本当だろうな!? フリートホーフ(お前達)には今まで大金を払ってきたんだぞ!! 絶対に我々を安全な場所まで逃がせ!!」

 

 じゃあ無駄口を叩かずさっさと歩けよ。

 男はどうにかその言葉を呑み込んだ。庶民達から巻き上げていた金を違法な賭博に注ぎ込んでいたと知られれば、彼等も破滅は免れないだろう。フリートホーフにとってはスポンサー達を失う事を意味しており、貴族達を最優先で逃がさなくてはならないのは理解している。しかし、文句ばかり言って足の遅い彼等に苛立ちを感じずにはいられなかった。

 

「チッ……大丈夫ですから、我々について来て―――ん?」

 

 聞かれない様に舌打ちしながら誘導していた男だが、ふと耳にカサカサと這いずる音が聞こえた。ここは下水道網を利用した地下通路だ。衛生的とは言えないこの場所にネズミや虫がいるのは珍しくないが、貴族達のヒステリックな喚き声で気が立っていた男は苛立ち混じりに音がした方向に目を向けた。

 そこには見た事が無い虫が―――まるで目玉に翅や触覚が生えた様な虫が、壁に張り付いてこちらを見ていた。

 

「何だ? あれは……!?」

 

 次の瞬間。地下通路の壁がうねる様に動き、彼等は前後の道を閉ざされて完全に閉じ込められてしまった。

 

「な、何だ!?」

「ちくしょう、罠か!?」

「おい、どういう事だね! 安全だと言ったじゃないか!!」

 

 貴族達が騒ぐ中、フリートホーフの構成員は粘土の様に形を変える地下通路の壁を睨む。彼等の中には元・冒険者もいるが、これ程の規模で壁の形を急速に変えさせる土魔法など見たことが無かった。

 

「ぎゃっ!?」

「どうした!?」

 

 部下の一人が悲鳴を上げた為に振り返る。すると地下通路の壁の一部が棘の様に鋭く突き出し、部下を串刺しにしていた。

 

「ガハッ!?」

「ごぶっ!?」

「ひ、ヒィィィィッ!?」

 

 次々と壁から棘が生え、フリートホーフの構成員が串刺しにされていく。自分の周りにいた護衛が次々と刺し貫かれていく姿に貴族達は腰を抜かして地面にペタンと座り込んだ。だが、それだけでは終わらなかった。

 

「え………ぬわあぁぁあああっ!?」

 

 突然、貴族達が座り込んだ床に穴が開き、まるで落とし穴に落ちる様に貴族達の叫び声が暗い穴の中へ消えていく。

 

「クソ! 嵌められたか!? おい、まだ生きてる奴は―――!?」

 

 生き残りの部下達を確認しようとした男だが、すぐに異変に気が付いた。

 自分達を取り囲む四方の壁。それが小刻みに揺れながら音を立てていた。

 

「ま、まさか………おまえら、すぐにその穴にっ!」

 

 次の瞬間。四方の壁が急速に迫り、グチャッと肉が潰れる音と共に彼等の意識は永遠に閉ざされた。

 

 ***

 

「よいしょ、っと。これでここの拠点はお終いですよね?」

「お見事ですぅ、マーレ様ぁ」

 

 地面に突き刺していた杖を引き抜いて一息ついたマーレの隣で、エントマがパチパチと手を叩いた。

 

「ごめんなさい。エントマさんの蟲も一緒に潰しちゃって……」

「気にしないで下さいぃ、この子達は使い捨て用に召喚した子だからぁ。でも()()()()()、食べたかったなぁ」

 

 潰された人間達にエントマは想いを馳せながら残念そうに呟いた。

 マーレとエントマは地下通路に逃げ込んだフリートホーフの構成員や貴族達の排除や誘拐を行っていた。フリートホーフの人間達は隠し地下通路で逃げ込めるとセバスから示唆され、エントマが監視用の蟲達を放ち、索敵して齎された情報を元に大地を操る魔法を使ってマーレが地下通路の壁や地面を動かしていたのだ。

 

「えっと……捕まえた人間達は後で使()()()()()()()()()()()にデミウルゴスさんが振り分けるって言ってましたから、いらなかった人達はエントマさんにも分けてくれると思いますよ?」

「本当ですかぁ? やったぁ!」

 

 エントマが嬉しそうな声を上げた。仮面である為に表情に変化は無いが、仲間の嬉しそうな声にマーレも嬉しくなってきた。

 

(よ、よおし……頑張るぞぉ!)

 

 ふんすっ! と可愛らしくマーレは自らを鼓舞した。

 本来、マーレのクラススキルは広域殲滅に特化している。魔法で地下通路を全て崩壊させるくらい難しくはないのだが、今回の様に指定された人間のみを捕らえたりするのは大変手間が掛かる作業だった。マーレ一人だったなら、恐らく任務の遂行は困難だっただろう。

 しかし、その欠点をエントマが補ってくれていた。エントマの召喚蟲達による広域索敵によって居場所を特定して、地面を操る魔法を使えば良いのだ。これによって地下通路に逃げ込んだフリートホーフの人間達を次々と捕まえ、あるいは壁や地面で押し潰して殺した。アインズから殺さない様に、と言われた冒険者達も後から追って来るだろうが、まさか追っていた人間が壁や地面の中に埋まったとは気が付きもしないだろう。

 

(本当は邪魔だから、入って来て欲しくないんだけど……でも、アインズ様がその人間達は殺しちゃ駄目、って言ってたから気をつけないと)

 

 まとめて潰せないなんて面倒だな、と思いつつもマーレはやり甲斐を感じていた。ぶくぶく茶釜(創造主)に広域殲滅用のNPCとして作られたマーレにとって、今回の任務は今までにやった事が無かった魔法の精密操作だ。新しい技能が出来る様になるのは、至高の御方の為に出来る事が増えたみたいで嬉しかった。これからもっともっとやれる事を増やしていけば、更に至高の御方に役立つ事が出来るのだ。

 

(そうしたら、ぶくぶく茶釜様も褒めてくれるかなぁ……?)

 

 今は遠くへ行ってしまった自らの創造主。自分がこんな事も出来る様になったと知ったら、喜んでくれるだろうか。こんな事もやれる様になれて偉いね、と言ってくれるだろうか。その時を想像してマーレはギュッと杖を握る力が強くなった。

 

「マーレ様ぁ、次はこっちの人間ですぅ」

「よぉし! 頑張って人間を殺すぞー! えいえい、おー!」

「お~♪」

 

 普段のマーレから信じれないくらい力の籠もった気勢に、エントマも可愛らしく手を上げて応えていた。

 

 ***

 

「こっちだ!」

「あいつら、こんな逃走通路をいつの間に……」

 

 フューレンの保安官達が地下通路へと入っていく。地上の建物でフリートホーフの構成員達を無力化したものの、下っ端の人間しかいない事を不審に思って家捜しをして、ついに地下通路への入り口を発見できたのだ。フューレンの旧い下水道網を使った地下通路は存在自体を知らなかった保安官も多く、目の前に広がる入り組んだ地下通路に保安官達は途方に暮れた様に立ち尽くしていた。

 

「どうしますか? 手分けして追うべきでは?」

「うむ、だが……」

 

 班長の保安官は眉間に皺を寄せながら唇を噛んだ。下っ端の構成員達をいくら捕まえても意味が無い。フリートホーフを壊滅に追い込むには、直属の幹部達や彼等に資金提供をしている貴族達を確保しなくてはならない。しかし、ここにいる保安官達の人数も多くはない。ここで更に捜索の為に小分けすると、迷路の様な地下通路の中で各個撃破されていく可能性があった。何より地の利はフリートホーフ側にあるのだ。待ち伏せを行うのも簡単だろう。

 

「―――フン、鼠が入り込んで来たか」

「本当ですわね。上の連中は時間稼ぎもロクに出来ないのかしら?」

 

 判断に迷っていた保安官達に唐突に闇の中から声がかけられる。カツン、カツンと靴音を高く鳴らしながら彼等に近付く者達がいた。

 現れたのは金髪碧眼の一組の男女だ。双子の様によく似た顔立ちをしており、輝く銀鎧は聖騎士の様に立派な物で冒険者には見えなかった。

 

「所詮は寄せ集めたクズ達だよ。彼等に期待する方が間違っているさ、我が最愛なる妹エリスよ」

「そうでしたわね。エイロス兄様の仰る通りでしたわ」

 

 言葉振りからして二人は兄妹なのだろう。しかし、兄妹にしては二人の距離感は近過ぎだ。レイピアを持つ手以外は絡み付く様にお互いの手を組み、寄り添い合う姿はむしろ恋人の様だ。

 

「何だお前達は! いや、待て……エイロスとエリスだと?」

「ま、まさか……“双子剣”のエイロスとエリス兄妹なのか?」

 

 二人の正体にすぐに思い当たり、保安官達はたじろいだ。かつては神殿騎士であり、フリートホーフ最強の傭兵集団である“六獣”に名を連ねる兄妹を知らぬ者はいなかった。

 

「だ、だが……数は我々の方が上だ! 行くぞっ!!」

 

 班長の号令の下、魔法の心得のある保安官達が一斉に詠唱を始める。

 

「「「風撃!」」」

 

 威力よりも速射性を重視した魔法で弾幕を張る。風の弾丸が迫り来るが、“双子剣”の二人は余裕の表情を全く崩さなかった。

 

「ふっ!」

「はっ!」

 

 息の合った二人のレイピアが同時に振るわれる。それは双子同士による絶妙のコンビネーションであり、風の弾幕は二刀のレイピアで作り出した斬撃によって阻まれた。

 

「ば、馬鹿な!?」

「くっ……怯むな! もう一度……なぁ!?」

 

 魔法を剣で叩き切られるという常識外れな光景に保安官達がどよめく。班長が叱責しようとするが、それより早く“双子剣”達は踏み込んできた。

 

「エリス!」

「ええ!」

 

 兄の呼びかけにエリスが応える。二人で手を繋いだまま舞う様に剣を振るう。その姿はクラシックバレエの様に美しく、保安官達は場違いと理解しながらも見蕩れてしまう程だった。そしてその隙を見逃さないかの様に―――前に出ていた保安官の腕が切り落とされた。

 

「ぐああああっ!?」

「ビンス!」

「負傷した者は下がれ! 他の者は応戦するんだ!」

 

 腕を切られた保安官を引っ張って後ろに下げる中、他の保安官達が官製の剣を抜いて“双子剣”達に斬りかかる。

 

「兄様」

「ああ!」

 

 だが、兄妹は腕を組んだまま背中でお互いをローリングさせるアクロバットな動きで保安官達の剣を防ぐ。それどころかお互いの隙を補完し合う様に繰り出される剣戟に、数に優るはずの保安官達が圧され始めていた。

 

「ぐっ、こんな馬鹿な!」

「怯むな! フューレンの平和の為、市民の安全の為! 我々は命に代えても立ち向かうんだ!」

「ふっ……勝てぬと知りながら戦う雑魚の戦い振りも見応えがあるじゃあないか」

「そうですわね。では……望み通り死になさいっ!」

 

『剣技! “紅薔薇”!』

 

 兄妹の掛け声と共にレイピアの剣閃が加速する。二人を中心に斬撃を身体に纏う様に展開させ、返り血がついたレイピアで描かれる剣のドームはまさに大輪の花が咲いた薔薇を思わせた。

 

「ぎゃあああっ!?」

「ば、化け物……こんなの剣術ではない!」

 

 “双子剣”の剣技の前にある者は先の者と同じ様に腕を切り落とされ、ある者は肩から激しく出血した。あっという間に班の大多数が重傷を負い、残りの保安官達も顔を青ざめさせてたじろいだ。

 

「まずは、一人目!」

「さようならですわ!」

 

 動けなくなった保安官の一人に目を付け、“双子剣”兄妹の剣が首へと振るわれた。

 

「あ………」

 

 まるで鋏の様に左右から迫る剣筋が、死を目前にした保安官の目にはゆっくりと見える気がしていた。その刹那、彼の中で走馬灯の様に様々な思い出が脳裏に駆け巡る。だが、無常にもギロチンの刃の様に二刀のレイピアが迫り―――パァンッ!! という閃光と音で白く塗りつぶされた。

 

「なんだっ!」

「くっ!」

 

 突然、閃光弾の様に発生した光と音に“双子剣”兄妹は目を押さえながら素早く後退する。そのお陰で死の淵にいた保安官の首は刎ねられずに済んだ。

 

「大丈夫ですか!」

 

 保安官達へ新たな声が掛けられる。それは涼やかな少女の声で、美しい銀髪をなびかせて颯爽と現れた姿に、九死に一生を得た保安官達には女神が舞い降りた様に見えていた。

 

「おお、君はモモンさんのパーティーの……!」

「ここは危険です! 怪我をした人を連れて地上まで撤退して下さい! この人達の相手は私がします!」

「し、しかし……!」

 

 香織の進言に保安官達は迷った表情になる。フューレンの治安を守る人間として、冒険者に任せきりにするのは気が引けるという葛藤が出たが、重傷を負った多くの仲間達を見て唇を噛み締めた。出血がひどい負傷者も多く、すぐに手当てをしなくては命に関わりそうな者もいるのにプライドを優先させる程に愚かではなかった。

 

「大丈夫です! すぐに私の応援も来ますから!」

「くっ……すまない! すぐに我々も救援を呼ぶから持ち堪えていてくれ!」

 

 保安官達は悔しそうな顔をしながら負傷した者の肩を貸したり、傷口を押さえながら地下通路の出口を目指して行った。その背を見送っている“双子剣"兄妹に香織は不思議そうな顔になる。

 

「追わないんですね?」

「別段、彼等の抹殺命令が出ているわけではないからね」

「ボスから出された指令は“フリートホーフの力を見せつけろ”との事ですもの。あんな雑魚達がさらに束になろうといつでも殺せますわ」

 

 何より、と二人は香織に対して剣を向けた。その表情は先程の保安官達を相手にしていた時より引き締まっており、彼等は保安官達より今し方現れた少女一人を警戒しているのが明白だった。

 

「どうやらお嬢さんが見逃してくれそうにないからね」

「あ、バレちゃいました?」

「久々に強者の気配を感じますわね。それ程の強者でありながら、雑魚達のお守りなんて理解出来ませんけど」

「ううん、別にお守りをしてあげてる気は無いんだけど……だって、()()()()()()()()()()()()()()

 

 なに? と“双子剣”達は怪訝な顔になる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そういう風に思って貰わないと、この街が至高の御方へ差し出される時に余計な手間がかかるでしょう?」

「至高の御方……? 一体、何を……」

「ああ、貴方達は別に理解しないでいいよ。だって、ここで死ぬ人達には関係ないよね?」

 

 まるで天気の話をするかの様に香織は語っていた。

 今回の襲撃に冒険者モモンのパーティーも参加している事は“双子剣”達も知っている。目の前の少女は保安官達より強そうな身のこなしや口ぶりからして、モモンに縁ある冒険者―――それこそモモンのパーティーの一人だろうと当たりをつけていた。

 だが、至高の御方とは何か? モモンの雇い主か何か? いや、それよりも保安官達の命やこちらを然程気にかけてない様子に違和感を感じるのだ。金や名誉の為に冒険者をやっている者は珍しくはないし、その為に人命救助を二の次にする者もいる。しかし、長年に渡って冒険者達の相手をしてきた“双子剣"達には、目の前の少女はそういった俗物と違う気がした。

 まるで―――人間でない者が人間の振りをしているかの様な……。

 

「あら? 香織じゃない」

「あ、ソリュシャンさん」

 

 ハッ、と“双子剣”達は振り向いた。そこにはいつの間にか、メイド服を着た金髪の女性がいた。旧い下水道を改築した地下通路にメイド服の女というミスマッチな組み合わせもさながら、自分達に気配を悟らせる事なく近付いてきたメイド服の女に彼等の警戒心が一気に高まる。

 

「気配がすると思って来てみれば、人間達と遊んでいたのかしら? ちょうど二人いるのだし、私にも分けなさいよ」

「いいですよ。この人達は()()()()()の人ですし」

 

 メイド服の女と親しげに冒険者の少女が話している。それを見て、彼等が仲間なのだとエイロスは判断した。

 

「これは驚いた……まさか今回の敵にこんな美女が二人もいるとはな」

「兄様……っ」

「おっと。ごめんよ、エリス」

 

 エイロスからすれば何気ない軽口のつもりだろう。だが、エリスは最愛の兄が自分以外の女性を褒めた事が気に入らなかった。確かに目の前の女達はタイプは違うが、両方とも男達が声を掛けたくなる程に整った顔立ちはしている。だが、兄の愛を独占するのは自分だけの筈だ。胸の内から生じた嫉妬心から、エリスは女達の粗探しをする険しい目付きになる。

 そして香織やソリュシャンが来ている冒険者服やメイド服に目を付けた。どちらも豊満な胸の谷間が見えていたり、太腿が大胆に見える様なデザインであり、かつては淑女の教育を受けていたエリスからすれば破廉恥な格好だった。

 

「ふんっ! あんな下品な女達の何処が良いのですかっ。あんな者達を好むのは下劣で愚かな者だけ―――っ!?」

 

 嫉妬のあまりに貶める言葉を口にしていたエリスだが、次の瞬間に額から冷や汗を流して黙ってしまった。エイロスもまた、周囲の温度が一気に下がった様な感覚に襲われた。

 

「……いま、この人間はヘロヘロ様の事を侮辱したのかしら?」

「……ナグモくんの事も馬鹿にしてましたね」

「そう。とりあえず、やるべき事は一つね」

「ええ。最初からそう命じられてますから」

「そうだったわね。それじゃあ―――」

 

「「殺しましょう」」

 

 瞬間、香織とソリュシャンから殺気が膨れ上がる。空間が歪んでいる様な感覚までしてくる程の感情の昂りに兄妹の背中に冷たい汗が奔る。二人はギュッとお互いの手を握る。先程の曲芸の様な剣技の準備ではなく、それが最後の触れ合いになると無意識の内に理解してしまった様に。

 

「私がやりますね。また保安署の人達が来るから、()()()()()手早く済ませないと」

「確かにそれは残念ね。じゃあ、()()()()()()()……女の方を私にくれるかしら?」

「ええ、どうぞ」

 

 品定めする様にソリュシャンが“双子剣”達を見た後、香織が彼等の前に進み出る。見かけは年端もいかない冒険者の少女の筈なのに、兄妹の目には巨大なモンスターが現れた様に見えていた。

 

「に、兄様………」

「………大丈夫だ。私達は、“双子剣”なんだ。二人一緒にいれば、どんな障害だって乗り越えられる」

 

 真っ青な顔になる妹を励ます様に、あるいは自分に言い聞かせる様にエイロスは言葉を口にする。

 そうだ。自分達はいつだって二人で乗り越えてきた。愛し合ったのが()()()()という禁忌を咎め、罰しようとする実家や同僚の騎士達を切り払って前に進んできた。

 愛し合った二人ならば乗り越えられる。なんだって出来る。

 その想いを胸に今日まで生きてきたのだ。

 

「……後ろの女も未知数だ。あの女に一太刀を浴びせて、隙を見て一気に離脱するぞ」

「ええ……分かりましたわ」

 

 小声で短く伝え、二人は香織へ斬り掛かる。その連携は双子だからこそ、そして愛している者同士だからこその完璧な剣技だった。

 

『剣技! 金閃華!!』

 

 手を繋いだまま、二刀のレイピアが香織に迫る。それを避ける素振りもない香織に、二人は必殺の確信をした。

 ヒュッ、と視界の端で何かが動いた。

 次の瞬間―――繋いでいた手が離れ、二人はバランスを崩して地面へと転がった。

 

「な……!?」

 

 突然、地面に投げ出されて二人は痛みと共に驚愕に包まれた。

 まるで繋いだ手がすっぽ抜けた様なバランスの崩し方だ。だが、自分達が極めた連携剣技はそんな基本的なミスを起こす筈がない。そう思ってエリスは手を見て―――手首から先が無くなっている事に気付いた。

 

「あ、あああああぁぁぁっ!?」

「エリス!?」

「どう? さっき保安官の人達が手を斬り落とされてたから、今度は貴方達が手を斬られる番だよね」

 

 無くなった手首から血を流して二人は絶叫する。香織は伸びた髪の毛を触手のように動かしながら、切り取った手首をベシャッと投げ捨てた。

 

「こ、この化け物ォォォォッ!!」

 

 妹の手首が切り落とされた事に激昂し、エイロスは香織へ斬り掛かる。

 ヒュン、ヒュン、と香織の髪の毛が再び鞭のようにしなる。

 そしてエイロスの四肢が斬り落とされた。

 

「がああああああああっ!?」

「ああ、あの人達は何人も腕を斬られたんだっけ? じゃあ、本数としてはこれでおあいこかな」

「ちょっと香織。あまり血を撒き散らさないでちょうだい。マーレ様だって、地面の中に埋めてキチンと死体を隠しているんだから」

「あ! ごめんなさい!」

 

 四肢を失って転げ回るエイロスを余所に、まるで掃除の仕方を指導している先輩メイドの様にソリュシャンが叱る。

 

「兄様っ!」

 

 斬り落とされた手首の痛みに耐えながら、エリスが残った手でエイロスに手を伸ばそうとする。

 今になって分かった。目の前にいる相手は人間じゃない。いや、魔物の方がまだ可愛げがある。自分達はこいつらの姿を見た時点で一目散に逃げるべきだった。だから早く、早く兄を連れて逃げなくては!

 既に失した判断だったが、それでもエリスは愛しい兄の為に手を伸ばした。そして最愛の兄を救う為の手は―――ドロリとした粘体に包まれた。

 

「あぎっ!? んむうううぅぅぅううっ!!」

「とりあえず貴女は私が抱き締めてあげましょう。大丈夫、窒息する心配はありませんわ」

 

 強酸に手を焼かれる感覚にエリスは悲鳴を上げようとしたが、ソリュシャンが自分の粘体(スライム)の身体を変化させて口を塞いだ。ソリュシャンはあっという間にエリスの下半身を身体へ引き摺り込み、猿轡を噛ませる様に口の周りを粘体で覆った。

 

「このまま私の中に取り込んでも良いけど、貴女はヘロヘロ様の事を侮辱したんですもの………せっかくだからお兄様が死んでいく所でもご覧なさいな」

「っ!? んむぅ、むぅっ、んむぅぅぅうううっ!!」

 

 エリスは自分の死刑宣告を読み上げられたかの様に暴れた。だが、ソリュシャンの中に引き摺り込まれた身体はびくともしない。身体が酸で焼ける痛みを感じながらも、涙を流してせめて兄には逃げてくれと伝えようとしていた。

 そんな哀れな獲物へニッコリと微笑み、ソリュシャンは香織へ話し掛けた。

 

「さ、香織。その男を片付けなさい。至高の御方を侮辱した大罪を理解できる様に、でも後から来る人間達に痕跡が辿られない様にね」

「痕跡が辿られない様にって………」

 

 手足を失くして芋虫の様に蠢くエイロスを前に、少しだけ迷う様な表情になる。至高の御方を、そして何よりもナグモの事を侮辱したのだ。身体を少しずつバラバラに刻んで見せしめにしてやりたい所だが、それをやると出血の量が増えて死体の痕跡が残ってしまう。さっきソリュシャンに怒られたばかりで同じ間違いをする気はなかった。

 こうして悩んでいる間にも、さっきの保安官達が呼んだ応援が来てしまうかもしれない。そうなると面倒だと香織は考えて、考え抜いて――――――。

 

「あ、そうだ」

 

 パチン、と香織の中で電球がついた気がした。

 普通の人間なら決して頭に浮かべたりしない、異形種となった身体だからこそ至ってしまった思い付きに。

 

「跡形もなく食べちゃえばいいんだ」

 

「………は?」

 

 その一言に今まで呻いていたエイロスは、失くした四肢の痛みすら忘れて思考を凍りつかせた。

 今、この少女はなんと言った? 食べる? まさか………自分を? いや、聞き違いの筈だ。

 

「ま、待て………冗談だろう?」

 

 芋虫の様に這いずりながら、エイロスは縋る様に見上げた。

 そこには女神と称される様な銀髪の少女が微笑んでいて―――美しい銀髪が無数の蛇に変わった。

 

「ヒッ―――!!」

 

 絶叫を上げるより先に咽喉に蛇が噛み付いていた。そうして断末魔の叫びすらあげられなくなったエイロスに、無数の蛇が殺到した――――――。

 

 ***

 

「けぷっ………ご馳走様でした」

「あらあら、女の子なのにはしたないわよ」

 

 全ての肉を食い尽くすのに五分も掛からなかった。可愛らしく空気を吐き出した香織に下の妹(エントマ)を思い出しながらソリュシャンは苦笑する。

 

「それにしても貴女、意外と良い趣味をしてたじゃない。じっくりと溶かすのが私の趣味だけど、踊り食いとか一度挑戦してみようかしら?」

「いや、死体を早く片付ける為にやっただけで趣味というわけじゃ………」

 

 香織が恥ずかしそうに笑う。冷静になってみれば、女の子としてちょっとはしたなかった事に今になって気付いてしまった。

 

「でも………」

「どうかしたかしら?」

「あ、ううん。何でもありません。それより残ってる手も片付けておきますね」

「ええ。それじゃあ、この子は帰った後でじっくりと遊ぶ事にしましょう」

 

 ソリュシャンは満足した様に微笑むと、今まで上半身だけ出ていたエリスを身体に取り込み始めた。

 強酸による激痛も、底なし沼に浸かっていく様な感覚もエリスには未だに伝わっている。だが、もはやエリスにとってそれらはどうでも良い事だった。

 最愛の兄が目の前で貪り食われて()くなった。その光景をまざまざと見せつけられてエリスの頭は思考を止めていた。涙すらも枯れ果てた光の無い目でソリュシャンの身体へ呑み込まれていく。

 そんなエリスを全く気に留めず、香織は今し方に感じた不思議な感覚に首を捻っていた。

 

(でも………どうしてかな? この人達、ナグモくんに比べたら全然低い魔力だった筈なのに)

 

 最近、ナグモから血を吸わせて貰って魔力を補充している。その血が美味しいと思うのは、ナグモが高い魔力を持っているからだと香織は考えていた。

 その筈なのに。この人間達は香織からすれば、屑同然の魔力量だった筈なのに。然程も期待していなかった人間が、何故―――。

 香織はこの場に残ったエリスの斬り落とされた手を拾い上げる。もうじき来るだろう保安官達の応援に、こんな物が残っていたら説明がややこしくなる。飛び切った血はこの際仕方ないので、『手傷を負わせたが逃げられてしまった』という風にすれば良いだろう。ちょうど保安官達が負った傷により血痕もあるから誤魔化しは容易だろう。そう考えながら拾い上げた手を―――香織は口に含み、チョコレートの様にパキッと指を食い千切った。

 

(あ………そっか)

 

 再び広がる口の中の風味に香織の中で電流が走った。先程の男が最期に浮かべていた表情。女が手を斬り落とされた時、自分達は捕食者ではなく贄に過ぎなかったと悟った時の表情。それによって齎される肉の変化。すなわち………。

 

「ん、美味しい♪」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 それを理解して、まるでクレープを頬張る女子高生の様に香織はエリスの手を食べ尽くした。




>“双子剣”のエイロスとエリス兄妹

 フリートホーフ最強の戦闘集団“六獣”の一員。“双子剣”とはそっくりな容姿と共に多彩な連携剣技を披露する二人を指しての異名である。
 二人とも実の兄妹であり、元々は代々が神殿騎士を輩出している家柄の生まれだった。兄妹共に“天職”にも才能にも恵まれ、順調な出世コースを歩んでいた――――――お互いが家族を超えた愛情を感じている事に気付くまでは。

 苦悩の末に二人は禁断の愛に手を染めた。トータスにおいても実の兄妹で交わり合うなど禁忌とされている。二人の愛はついに実家や同僚達に知られ、仲を引き裂かれそうになった為に二人は追っ手を振り切って暗黒の世界へと身を投じた。愛した相手がいるなら、どんな地の果てでも天国になる。そう信じて。

 彼等の願いは二人だけの王国を作り、誰にも邪魔されずにいつまでも愛し合う事。
 その為の資金稼ぎとして裏稼業に精を出していた。

 二人の願いは、あと少しで叶う筈だった。


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第百六十話「好きだからこそ」

 諸事情により執筆速度が落ちております。待っている読者の皆様には御迷惑かけますが、御了承下さい。今のところ休日ぐらいしかガッツリ書ける時間が取れないので。


 イルワが率いる冒険者ギルドとスタンフォードが率いる保安署の連携、さらにナザリックの者達の暗躍によってフリートホーフのアジトや構成員は迅速に排除されていた。これに対してフリートホーフも何もしていないわけではない。ギルドから鞍替えした冒険者や“六獣”達に命じて返り討ちを画策しているのだが、中にはそれでこの件は片付いたと楽観的に考えている者もいた。

 片や冒険者ギルドは資金難から離脱者が多く、片や保安署は署長がフリートホーフ側である為にスタンフォード含めた一部の者が独断で動いているだけで全体的に少数なのだ。それに対して自分達は金で寝返った冒険者達が多数、さらには一人一人が一騎当千である“六獣”まで全員出ているのだ。戦力差からして自分達が負けるとは微塵も思っておらず、むしろこの機会にフリートホーフに逆らう者達を一掃してフューレンの支配を確固たる物にしようと皮算用する考えもさもありなんという有様だった。

 それがまさか“六獣”達の半数以上が瞬殺されているなんて誰も思ってもいなかっただろう。さらには迅速すぎる襲撃で情報そのものが行き届いてないアジトもあった。

 

『さあ、次はエリセンより来てくれた海人族の女! 年齢は17歳で、なんとこれまで男との経験は無し! さらに亜人族なので人間より頑丈というオマケ付きです! 殴って良し! 夜伽をさせるのも良し! まずは特別価格の1000万ルタから! お求めの方はプラカードで意思表示をお願い致します!』

 

 魔法の拡声器によって拡張された司会の明るい声が場内に鳴り響く。ステージの上に立たされた海人族の女は鎖の付いた手枷や足枷を付けられ、泣きそうな表情になっていた。そんな女を客席の男達はニヤニヤと笑いながら見ており、何人かは持っていたプラカードを上げて競りに参加していた。

 ここはフューレンの歴史ある劇場だ。本来なら格調高いオペラやクラシック演劇などが催されるこの場所で、フリートホーフが主催する奴隷オークションが行われていた。本来ならこんな違法なオークションを開催するなど許される筈は無いのだが、保安署の署長がフリートホーフから賄賂を受け取って黙認している事で表向きは『高貴な方々の為の夜の演劇会』として劇場を使用していた。その為にこの場にいる客達は身元がバレない様に仮面こそしているものの、着ている服は庶民では手が届かない様な上質な物で彼等の身分や資産の高さを伺わせていた。

 

「どうだ? ノルマは到達できそうか?」

 

 海人族の女がほどほどの値段で売れ、舞台袖に入った司会の男は仲間達に声をかけた。仕事中の為に小綺麗なタキシードを着ている司会とは違い、いかにもチンピラ然とした男達はニンマリと笑った。

 

「へへっ、バッチリだ。やっぱり海人族は高く売れるな。まだメインが控えてるってのにノルマ金額より二割増しで笑いが止まらねえよ」

「それにしてもいいのか? なんか保安署と冒険者達が一斉摘発をやってるんだろ。俺達、ここで金勘定してる場合か?」

「あん? なんかあったら地下通路を通じて伝令が来るだろ。そいつが来てねえって事は逆に保安官共を返り討ちにしたんじゃねえか?」

「そりゃそうだけどよ………」

 

 釈然としない顔をしながらも誰も奴隷オークションの中止を積極的には言い出さない。ここでの売り上げは本部に納めるノルマを除けば、数割はそのまま男達への報酬となるのだ。今日はいつもより稼ぎが多く、大金のボーナスのチャンスを棒に振りたい者などいなかった。

 もしも彼等が用心深ければ、あるいはマーレが人間達を潰す過程で地下通路を寸断したりしなければ、彼等は他のアジトの異変を気付いて撤収していただろう。しかし、欲に目が眩んだが故に危機感が働いておらず、その結果が今も暢気に奴隷オークションをやっているという有様だった。

 

「なあ。結構稼いだんだしよ、そろそろ目玉商品を出そうぜ」

「まあ、それもそうだな……おい、女! 出番だ!」

 

 司会の男が粗野に呼び、奥にあった鉄格子の檻に入れられた人影が僅かに身じろぎした。

 その人物こそが、浩介の前から姿を消したノイントだった。彼女は他の奴隷達と同じように首輪や鉄枷を嵌められ、身体のラインがくっきりと浮かび上がる扇情的な薄絹の様な衣装を着せられていた。

 

「こんな上玉、どこで捕まえて来たんだ? 俺が相手したいくらいだぜ」

「おい、余計なことするなよ。こいつなら一億ルタは固いんだからよ」

 

 絶世の美女と言っても差し支えないノイントを見て下卑た笑みを浮かべる男達に対して、ノイントは諦観した様な目で男達になすがままに首輪の鎖を引っ張られていった。

 

(これで……これでいいのです………)

 

 ノイントがステージに上がった途端、客席が俄かにざわめき立つ。エヒトルジュエが自分の使徒として作ったノイントは神秘的な美を携えており、人形の様に整った顔立ちも身体も今まで出品された奴隷など比べ物にならない程に美しい少女だったのだ。

 

(私が犠牲になれば、あの修道院は救われます……。私()()()が彼等の役に立てるなら、これでいいのです……)

 

 本来のノイントなら、いま身に付けている拘束など何の意味もない。手枷に付けられた鎖など、紐を引き千切るくらい簡単に壊せる物だ。

 しかし、彼女を本当に縛っている物は心理的な枷だ。流れ着いた修道院での暮らしで人の心に目覚め、自分が“真の神の使徒”だった時にやってきた事に後悔を抱く様になった。罪悪感から自害しようとした所に修道院を襲おうとしたフリートホーフの構成員達と鉢合わせしたのだ。彼等はノイントが身を差し出せば修道院にいる者達には手を出さない、と言った為にノイントは自分よりも遥かに弱い彼等の言いなりになっていた。

 

(私は人形……エヒトルジュエ様の駒として作られた人形。エヒトルジュエ様に見捨てられて、姉妹達も見捨てて逃げ出した私はただの捨てられた人形……)

 

 客席の男達が熱狂を帯びて自分を競り落とそうとしている。それをノイントは他人事の様に眺めながら、捨て鉢の様に自分を卑下していた。

 

(あの修道院に留まっていても、いずれは魔導王の追っ手に見つかって被害が及ぶ可能性もありました。いつまでもあそこにはいられない………捨てられた人形が他の人間に拾われるだけ。何も関係ない………)

 

 数え切れないほど罪を犯し、そして創造主からも見捨てられた自分などに価値なんて無い。捨てられた人形ならば、自分の身などどうなってもいい。いっそ最後くらいはそんな人形を拾ってくれた修道院の人間達の役に立つべきだ。

 

「五億! 五億払うえ!」

 

 オークション客の中から一際大きく、粘着質な声が響いた。その相手は身なりこそ宝石をジャラジャラと身に纏っていたが、醜いにも程がある貴族だった。あまりの大金にオークションを盛り上げる役割の司会もあんぐりと口を開けてしまった。

 

『え……ええと……会場が言葉を失っております。えー、一応確認します。五億以上! 五億以上はありますでしょうか! 無ければ五億ルタで落札となります!』

 

 オークション客を見回すが、誰も手を上げようとしない。彼は大金をポンと出せる様な家柄なのか、相手が悪いという顔で諦めた様に項垂れていた。

 

『えー、いませんようなので! それでは本日の目玉商品、五億で落札となります!』

 

 司会がハンマーを叩く音と共にノイントの売却先が決まった。落札した貴族が弛んだ腹を弾ませながらノイントに近付いてきた。

 

「久々に良い買い物をしたえ~。お前はわちしの十二番目の妻にしてやるえ~!」

 

 ブヨブヨと太った手が谷間が顕わになっているノイントの胸に伸ばされる。生理的な嫌悪感を覚えたノイントは反射的に胸を庇う様に後退りした。

 

「うん? なんだえ、お前。わちしが買った奴隷のくせに嫌がるのかえ?」

「い、いえ………」

 

 ノイントは震えながらも手を下ろした。自分は人形だ。こんな事で嫌悪感を感じる方がおかしい。

 

「むふ~ん。それでいいえ」

 

 抵抗を止めたノイントを見て貴族はニンマリと笑いながら、たわわに実った胸を鷲掴みにした。

 

「っ……!」

 

 ぐにぐにと押し潰されて形を変えられる胸に、ノイントは性感よりも気持ち悪さの方が勝った。

 以前、浩介に不可抗力で胸を触られた事がある。だが、あの時はこんな風に乱暴な手付きではなかった。何よりも―――()()()()()()()()()()()()を一切感じないのだ。

 

「おい。この女、味見しても構わないえ?」

「どうぞどうぞ! もうこの商品は貴方様の物ですから!」

 

 司会の男は揉み手をしながら頷く。大金を気前よく払ってくれた上客の要望に快く応じない筈がなかった。

 

「よおし、じゃあ女。わちしにキスするえ~」

 

 首輪の鎖を引っ張り、貴族はノイントの顔を近付けさせる。唇を突き出した醜悪な顔から漂うドブの様な口臭にノイントは吐き気を覚えながらもされるがままになった。

 この世に生まれ落ちて(作り出されて)から数千年余り、捧げる相手もいなかった為に守ってきた純潔がいま無残に散らされようとしている。以前ならば下等な人間達が自分に触れる事に対する嫌悪感こそあれど、今はそれが何故かとても嫌で悲しくなっていた。既にこの身は存在価値のない人形の筈なのに。

 

(コースケ………)

 

 こんな時だというのに何故かノイントの脳裏に浮かんだのは、自分を最初に拾ってくれた人間の少年の顔だった。修道院から去る直前、贈り物をしようとしてくれた。それが何を意味するのか、ノイントにだって理解できる。あの時はそんな物を貰う価値など自分にはないと突き返してしまったが、エヒトルジュエの駒でしかなかったノイントにとって生まれて初めて貰う贈り物だったのだ。

 本当はそれが嬉しくて―――その為に自分は既に壊れた人形だったと思い知らされてしまったのだ。

 おそらくはあの時。魔導王への恐怖から逃げ出して、森の中でひっそりと息絶えようと全てを投げ出そうとした時。壊れていた人形を必死に生かそうとしてくれて、どうにか命を繋げられそうと分かった時に心の底から安堵した顔を見せてくれた時に。

 

(コースケっ………!)

 

 顎をグイッと掴まれ、貴族の唇がノイントの人形の様に美しい顔に迫る。男の欲望に自分が蹂躙される事にノイントはギュッと目を閉じた。

 

「むふふ! たっぷりと可愛がってやるえ、ぶべらあああっ!!」

 

瞬間。何かを殴る様な音と共に貴族の身体が横に吹っ飛ぶ気配がした。ノイントは何事かと目を開けて―――。

 

「あ………」

「―――ごめん、ノイントさん。遅くなった」

 

 そこに、一人の少年が立っていた。身体の至る所に包帯を巻きながらも、黒い冒険者の装束に身を包んだ影の薄そうな少年。だが、今のノイントには戦場に駆け付けてくれた聖騎士の様な存在感を感じていた。

 オークション会場にいる他の客や司会達も、突然の闖入者に呆気に取られてしまっていた。

 

「タイミングを見計らっていたんだけど、思わず手が出ちまった」

「どう……して……?」

 

 明らかに傷をおしてまで来た彼に、ノイントは掠れた声で聞いた。

 

「どうして、そうまでして来たのですか? 私なんかの、為に………」

「なんか、なんて言わないでくれよ。助けたいから……いや、この際はっきりと言葉にするよ」

 

 

 自らを卑下し続けるノイントに、少年―――遠藤浩介は言った。

 

「好きだから―――俺にとって、ノイントさんが必要だから助けたいと思ったんだ」

 

 その言葉は、ノイントの心を穿った。

 大罪人であり、捨てられた人形である自分に価値などない。そう思って凍り付かせていたノイントの心に急速に温かい物が流れていく気がした。

 

「私、は………っ」

「こ……この無礼者を殺すええええええっ!!」

 

 言葉に詰まったノイントを遮る様に、殴られた貴族が金切り声を上げた。それに弾かれる様に客席は騒然となり、オークション会場の警備や貴族の護衛達が武器を抜いて浩介達を取り囲んだ。

 

「ごめん、ノイントさん。こうなったら正面突破で行くしかねえ! 離れないでくれよ!」

「コースケ!」

 

 ダガーを抜き、浩介はノイントを守る様に男達に立ち塞がった。男達に向かって不敵な表情を見せたものの、内心では痛む身体に冷や汗を流していた。

 

(やべえな………治療院から抜け出して来たはいいものの、この人数相手にやれるのか?)

 

 ハルモニアとの戦いで気配を探るスキルを開花させ、浩介はどうにかノイントが売られているオークション会場を探り当てられた。しかし、セバスによって応急措置を施されたとはいえハルモニアとの戦いで消耗した体力までは戻らず、本来なら隙を見てこっそりとノイントを救出するつもりだった。それがノイントが手篭めにされそうになったのを見て、つい飛び出してしまった事に今更ながら軽率だったと思い始めていた。周りを取り囲む男達はハルモニアより弱いだろうが、今の浩介に全員を相手にする体力は無かった。

 

(いや、やるんだっ! 俺は……絶対にノイントさんと一緒に帰るんだっ!)

 

 浩介はダガーを握り直し、覚悟を決めた様に息を吐く。一方のノイントもまた、浩介を見て別の覚悟を抱いていた。

 

(コースケ……何があったか分かりませんが、あの傷の様子だと相当無理をしている筈です。かくなる上は私が……!)

 

 ノイントが全力を出せば、ここにいる男達など容易く一掃できる。だが、それでは修道院の皆にも隠し続けたノイントの正体がバレる可能性があった。万が一、あの魔導王の耳に入れば、今度こそ自分を殺しに来るかもしれない。

 だが、それでもノイントは構わないと思った。あの魔導王と再び対峙するのは死んでも嫌だ。だが、それでも―――。

 

(コースケを……彼を死なせたくないっ!)

 

 生まれて初めて、ノイントは一人の人間に生きて欲しいと願っていた。この少年を失う事の方がたまらなく嫌だとすら思っていた。

 二人は内容は異なるながらも、取り囲む男達と対峙して覚悟を決めた表情になる。

 そして、二人と男達との間で緊張感がジリジリと高まった瞬間―――。

 

「な………何が起きたんだえ!?」

 

 突然、轟音が響いて貴族の男が叫び声を上げる。浩介達もつられる様に轟音がした方向を振り向いた。

 オークション会場の入り口。重厚な扉がバラバラに壊され、新たな人物が入ってきていた。

 真紅のマントを靡かせ、扉を斬り裂くのに使ったであろう二本のグレートソードをブンッと軽々と振るって肩に担ぎ直した。

 

「さて………」

 

 舞い上がる粉塵すら、この男の為に用意された演出に思えた。劇場という空間も相まって、まるで千両役者が登場した様に全員が見守る中、漆黒の戦士―――モモンは声を上げた。

 

「それで………これはどういう状況かな?」

 




>だえだえ言ってる貴族

 きっとシャボンでも被ってるんじゃないですかね? 知らんけど(笑)

>愛してるから必要

 とある映画からの引用だけど、本当に印象に残った言葉だなと。二十年前に連ザを少しやった程度の自分でも楽しめた映画でしたよ。

>浩介くん

 もうさ、本当にこいつが主人公でいいんじゃない? で、とうとうというか漆黒の英雄とエンカウントしちゃったわけですよ。いやー、どうなるんでしょうね?(無責任)


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第百六十一話「堕天使」

 「もうちょっと時間かけて最高の出来にした方がが良いんじゃない?」 と半分思い、もう半分は「これ以上時間をかけてもクオリティは上がらないかも」と思っている。だから妥協とモチベーション維持で更新している。
 まあ、細かく見直してないから誤字脱字が多いのだけど(笑)


「保安署だ! 全員大人しくしろ!」

 

 モモンが切り拓いた道から続々と男達が流れ込んでくる。保安官の制服を着ている彼等を見て、オークション会場は騒然となった。

 

「保安署だと!?」

「どういう事だ! ここは安全だと言っていた筈だろ!?」

「クソ、なんで本部から連絡がなかったんだ!」

 

 客席から逃げ出そうとする者、会場のスタッフにつかみ掛かる勢いで文句を言う者、流れ込んできた人間に対抗しようとする者。

 突然の事態にオークション会場にいた者達はお互いを押し合う様な烏合の衆と化し、さらに保安署の職員達が加わる事で場は混沌と化していた。

 

「ノイントさん、こっちに!」

 

 浩介はノイントの手を引いた。何が起きたか分からないが、この好機を見逃すわけにいかなかった。ノイントを連れて逃げ出そうとしたが、ドンッ! と床に拳大の穴が空いた。

 

「下々民、その奴隷はわちしの物だえ! わちしが買った女だえ!」

「くっ、邪魔すんなよ!」

 

 ノイントを競り落とした貴族は怒りで顔を真っ赤にして杖を構える。どうやらこんな見た目でも魔法を使えるらしい。構えからして戦闘では素人同然だろうが、今の浩介の体力では少し厳しかった。

 

(コースケ……! かくなる上は……!)

 

 ノイントは“使徒”としての力を振るおうと身体に魔力を込めようとする。だが、それより早く―――。

 

魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)―――“凍棺(フロスト・コフィン)

「ほぶうううぅぅぅぅっ!?」

 

 浩介とノイントを避ける様に地面から冷気が立ち上がる。吹雪の様に吹き荒れた冷気は貴族を含めた周りの男達を凍らせ、杖を構えた格好のまま貴族は醜い霜柱と化した。

 

「さ……さぶい、え……」

「……そこで頭を冷やすといい、女の敵」

 

 ユエはカチンコチンに凍った貴族達を氷よりもなお冷たい目で一瞥した後に浩介達を見た。

 

「大丈夫?」

「あ……ああ、助かった」

 

 突然現れた金髪の美少女の魔法に驚きながら、浩介は何とか返事する。これ程の魔法はかつての仲間達だった“神の使徒”にだって難しいだろう。それを容易くやったユエを見て驚いていた浩介だが、ノイントは彼女を見て目を丸くしていた。

 

「あなたは……まさか」

 

 遠い記憶を掘り起こす様にノイントは自らの記憶に埋没する。あれは確か数百年前……かつての主だったエヒトルジュエが特に注目していた人間。監視を命じられた姉妹の誰かの記憶に、こんな少女がいた様な―――。

 

「それで……あなたは奴等の仲間? それとも違う?」

「ち、違う! 俺はノイントさんを助けに来ただけだ!」

 

 探る様な目付きのユエに浩介は大声で否定する。それを見てノイントは思考を打ち切って、浩介を庇う為に証言した。

 

「本当です。彼は……コースケは奴隷にされそうだった私を助ける為に、傷を負ってまで来てくれたのです」

「………そう」

 

 首輪や手枷を付けられ、身体のラインや胸の突起が透けて見えそうになってしまう薄衣を着せられているノイントを見て、ユエはとりあえず嘘ではないと判断していた。

 

「でも、コースケ……? どこかで聞いた様な―――」

「ユエ」

 

 首を傾げかけたユエに、いつの間にか近寄っていたモモンが声をかけた。見れば会場はほぼ保安官達に制圧されており、数名の構成員達が無駄を承知でジタバタともがく程度だった。

 

「ここはこれで終わりのようだ。次の拠点襲撃に行くぞ……ん? その二人は?」

「オークションで売られていた奴隷と、彼女を助けにきた冒険者みたいです」

「ほう……勇敢だな、少年」

「ど、どうも」

 

 浩介は頭を下げる。まるで絵に描いた様な立派な鎧を着た黒騎士に、浩介は少しだけ気圧されていた。

 

「いや、でも……俺はむしろそこの女の子に助けられただけみたいなものだし……」

「謙遜しなくていい。誰かを救おうと君は立ち上がったのだ。君もまた、私の知る人物の様に正義の心を宿した戦士なのだろう」

「は、はあ……ありがとうございます」

 

 モモンの賛辞を受け、浩介は頭を掻いた。モモンはどこか遠くの人物を思い浮かべている様だが、高潔な騎士を絵に描いた様な彼に褒められるのは気恥ずかしいやら誇らしいやら、と複雑な気持ちだった。

 

「その少女が………む?」

 

 浩介から視線を移し、モモンは何やら妙な物を見た様に声を上げた。ノイントはその視線から逃れようとするかの様に、浩介の背中に隠れようとした。

 

「はて。君はどこかで………」

「ん、んんっ!」

 

 何かを思い出そうとするかの様にモモンは銀髪の少女をじっと見つめる。その横でユエはわざとらしく咳払いをした。

 

「サ……モモンさん。女性をあまりジロジロと見るべきではない、かと存じ上げます」

「へ? あ………」

 

 ユエからジト目で睨まれ、ようやくモモンはノイントのあられもない格好に気付いた様だ。ノイントもまた、顔を赤らめながらサッと胸を腕で隠した。

 

「あ、あー、すまない。とりあえず、これを着ているといい」

「……ありがとうございます」

 

 気まずい声を出しながら、モモンは顔を横に向けて自分のマントをノイントに手渡す。ノイントはローブの様に頭からスッポリとマントを被って自分の身体を隠した。そうして顔が見えなくなり、モモンはノイントに対してそれ以上の興味が無くなってしまった。

 

「モモン殿! こちらでしたか」

 

 保安署の職員の一人がモモン達に近寄る。しかし、その人物は浩介にとってもよく知る相手だった。

 

「あんた、確か店によく来てた……」

「そういう君は確かセバス殿の所の……」

「スタンフォード殿、彼を知っているのですか?」

「ええ、彼はセバスさんの店で働いていた従業員です。店に嫌がらせをしていたフリートホーフの構成員の逮捕にも、よく協力して貰っていました」

「なるほど。セバスの所の……」

 

 保安署の職員―――スタンフォードの説明にモモンは納得した様に頷いた。実のところ、モモン(アインズ)の中で浩介達をフリートホーフの一員がその場しのぎで逃げようとしているのではないか? と疑う気持ちもあったが、スタンフォードの証言でその疑念も解消された。

 

「それでスタンフォード殿、どうかされたかな?」

「はい! 別の拠点で“六獣”の一人が現れたと報告がありました! こちらは後は我々が処理しますので、モモン殿とユエ殿はすぐにそちらに向かって下さい!」

「分かった、すぐに向かおう。行くぞ、ユエ」

「ん、了解です」

 

 モモンとユエが頷き、次の現場へ向かおうとする。だが、モモンは歩き出す前に浩介達に振り向いた。

 

「ああ、そうだ。見た所、君は怪我をしている様だからこれを使うといい」

 

 そう言って浩介にポーションの瓶を手渡した。それは浩介がセバスの店でもよく見た魔導国製のポーションだった。浩介の記憶では、これ一本の値段はかなり高かった筈だ。

 

「従業員が怪我をしたと知れば、セバスも心配するだろう。これを使って傷を治したら彼女と一緒に安全な場所まで避難していてくれ」

「そんな何から何まで……本当にありがとうございます!」

「うむ。では、またな」

 

 貴重なポーションをポンと渡してくれた漆黒の騎士に、浩介は感謝を込めて頭を下げた。

 物語の英雄の様な立ち振る舞いのモモン―――アインズと、神の使徒“だった”浩介達の邂逅はこれで終わった。

 

 ***

 

「すげえ……一気に傷が治っていく」

 

 ポーションを振り掛けた途端、塞がり切ってない切り傷や失った体力が急速に回復していく。

 後日に事情聴取は受けないといけないが、スタンフォードの口利きで浩介達はそのまま帰る事を許されていた。フリートホーフの拠点が密集していて、今は鉄火場となっている風俗街を抜け、浩介達はフューレンの夜の道を歩いていた。

 

「ノイントさんもケガしていたら……ノイントさん? どうかしたのか?」

「え………いえ、なんでもないです」

 

 浩介から声を掛けられ、先程から黙っていたノイントは慌てて顔を上げる。しかし、頭の中では先程見た金髪の少女の事を考えていた。

 

(あの少女はかつてエヒトルジュエ様が器として注目していた吸血鬼………あの魔法力からして他人の空似という事もないはず。まさか生きていたとは………)

 

 確か彼女の叔父がクーデターに見せかけて少女をどこかへ封印し、それに怒り狂ったエヒトルジュエによって吸血鬼の一族は滅んだ。これは恐らく、エヒトルジュエだって予想だにしていなかった事だろう。

 

(これをエヒトルジュエ様にお伝えすれば、きっと………)

 

 エヒトルジュエからすれば、失ったと思った器が見つかった事に喜んでくれるだろう。それこそノイントの失態など帳消しにして貰える程に。

 そして———実体を得たエヒトルジュエはノイントや姉妹達を引き連れて、この世界(トータス)を滅亡させるのだろう。

 もうこの盤上遊びに飽きた。ただ、それだけの理由で。

 

「………………」

 

 そこまで思い至った途端、ノイントの中で器の吸血鬼の存在をエヒトルジュエに知らせようという気持ちは失せてしまった。同時にノイントは立ち止まってしまう。

 

「ノイントさん?」

「私は………あなた達の場所に帰って良いのでしょうか?」

 

 浩介が不思議そうに見つめる中、ノイントは独白する様に呟く。

 

「どうして? べレアさんやチビ達だって心配していたんだぜ?」

「でも………私には、彼等の元に戻る資格なんて………」

 

 元々は修道院にいるべレア達が聖教教会の歪んだ教義の犠牲者だと知り、それを主導したのが自分だったからノイントは耐えられずに出て行ったのだ。今更、顔を合わせられない。そんな思いが強かった。

 

「……なあ、ノイントさん」

 

 浩介は未だに俯くノイントに近寄り———そっと抱き締めた。

 

「あ………」

「俺は遠藤浩介。地球という異世界から来て、元は勇者一行(パーティー)の一員だった。地球では両親と、兄貴と妹がいる」

 

 突然の自己紹介にノイントは戸惑う。だが、抱き締められた身体を拒絶しようとは思わなかった。

 

「俺の事を話すとこんな感じかな。それで……俺はノイントさんの事が好きだ。どうして、とか聞かないでくれよ? だって一目惚れしちゃったんだからしょうがないじゃないか」

 

 ドクン、ドクン、ドクン。

 浩介の胸の鼓動がノイントに伝わる。その音と同じくらいノイントの胸も高鳴っているのを感じていた。

 

「だから、いなくならないでくれ。俺はノイントさんの事をもっと知りたいし、もっとたくさんの事を話したいんだ」

 

 ギュッと抱きしめる力が強くなる。

 引き離さなくてはいけない。拒まなくてはいけない。

 だって、こんな感情は罪人の自分が受け取って良い物ではないから。

 それなのに………。

 

「ノイントさんが出て行くなら、俺は何度だって探し出しに行く。だって、俺にとってノイントさんはこの世界で見つけたたった一つの光なんだから。どうしてもべレアさん達の所に戻れないというなら、俺もノイントさんについて行くよ。だって、失くしたくないから」

「そんな事………言わないで下さい」

 

 ノイントがギュッと浩介を抱き締め返す。その目から、かつてなら流れる筈がない涙が伝っていた。

 

「そんな事を言われたら……もう、どこにも行けないではありませんか………」

 

 かつて神の遣いだった人形は思い知る。自分はもう、とっくに壊れていたのだ。背中の翼を失くして、この身は自由に飛べなくなっていた。たった一人の少年の元から飛び去ろうと思えないくらい、自分はどうしようもなく天使(人形)として壊れていたのだ。

 天使(人形)から人間へと堕ちた少女は、涙を流しながらその事実を噛み締めていた。

 

「………家に帰ろう。皆、待ってるから」

 

 浩介の言葉にノイントはコクリと頷く。そうして二人で再び歩き出そうとして———。

 

「……? 何だ、なんか変な音が———!?」

 

 ふと浩介の耳に何か低い音が響いた。それはどこか旋律を伴っていて、まるで誰かが遠くで歌っている様な……。そこまで思い至った途端、浩介の身体から力が抜けていくのを感じた。

 

「なんだよ、この音……!? ノイントさんっ……!」

 

 貧血を起こした様にふらつきそうになりながら、浩介は蹲ってしまったノイントを支える。彼女もこの音の影響を受けていると考えた様だ。

 だが、それは彼の勘違いだった。頭の中まで響き、背筋を凍らせる様な旋律。それを思い出し、ノイントの震えが止まらなくなったのだ。

 

「こ、この歌は………!?」

 

 ***

 

「クソがクソがクソがクソがクソがああああっ!!」

 

 “六獣”の一人、“千剣"のフーガは苛立ちを隠し切れずに吠える。そのくらいフリートホーフの形勢は悪くなっていた。

 

「他の“六獣”どころかボスまでやられただと!? 噂の“漆黒のモモン”はそこまで化け物だってのか!!」

 

 今し方、自分達のボスである“闘鬼”デイモスがモモンと一騎打ちして敗れたと報告があった。それどころか違法サロンで迎撃に出ていた“死屍魔女”モイラは死体が確認され、“双子剣”のエイロス・エリス兄妹に至っては全く連絡がつかない。さらにはモモンの仲間達の働きにより、次々とフリートホーフの拠点が落とされているという。

 

「冗談じゃねぇ! こんな所で負けを認められるか!!」

 

 フーガは事実を認められない様に血走った目でフリートホーフの保管庫を目指していた。

 元々、フーガは王国の騎士だった。だが、暴力に酔って魔人族や犯罪者に対して残忍な振る舞いをする事が多く、それが理由で騎士団を追放されていた。ほぼ同時に同期だったメルド・ロギンスが騎士団長に就任したと聞き、そしてそのメルドが“王国最強の騎士"と人々から持て囃されているのを見て逆恨みに近い感情を抱いた彼は強さを求めて闇の世界へと身を投じたのだ。そこには表には出ない強者達が自分以外にも五人もおり、今の組織で力を蓄えたらメルドを倒して自分こそが王国最強だと名乗り上げようとしていた。

 だからこそ、今の状況など認められない。取るに足らない雑魚と思っていた冒険者や保安官達に追い詰められているなど、そして彼等に対して尻尾を巻いて逃げるなどフーガのプライドが許さなかった。少なくともこの騒動で最強格であるモモンの首を取れなければ、彼の気は済まなかった。

 

「確かここにあった筈だ! どこだ?」

 

 保管庫に押し入る様にして侵入する。本来なら厳重に鍵が掛かっており、たとえ“六獣"であっても許可なく立ち入りは許されないのだが、あちこちで起きている拠点の襲撃で不利を悟ったか、見張り番などの姿はなくフーガは保管庫に立ち入っていた。

 フリートホーフの保管庫は彼等が掻き集めた資金は元より、表では捌けない違法なマジックアイテムや呪物の類いも収められている。

 例えば、理性や寿命と引き換えに凄まじくステータスがあがる禁呪の薬品の類いであったり、王国や帝国の宝物庫からこっそりと横流しされた曰く付きのアーティファクトといった物だ。それらを使えば、モモンをも超える力が手に入る筈だ。

 

「あった! これを使えば……!」

 

 目的の物を見つけてフーガは手を伸ばす。

 だが———まさに測ったかの様なタイミングで、突然保管庫に轟音が響いた。

 

「な、何だっ!?」

 

 鋼鉄で覆われた壁が、まるで“分解"されたかの様に砂となって崩れ去る。崩れ去った壁から保管庫に入ってきた人影を見て、フーガは反射的に保管庫の壁にかかっていた剣で斬りかかった。

 フーガは自らのスキルで、使用した武器が破壊される代わりにステータスの十倍近い一撃を出せた。だからこその“千剣"。いくつも帯刀しているのは武器の数だけ、必殺の一撃を“限界突破”のリスク無しに繰り出せ、この保管庫の様に武器が転がっている場所はさらには弾数が跳ね上がる事を意味していた。

 

「がはっ!?」

 

 たが、それよりも早く。侵入者の剣はフーガの心臓を貫いた。

 

「La……La、La……LaLaLa……♪」

 

 フーガが事切れる前。彼は侵入者の姿を見た。

 背中から黒い翼を生やし、事切れたフーガを見ながら微笑んで歌っている、人形の様に端正な顔立ちをした堕天使の姿を。




>ナレ死した“六獣"

 スマン、飽きた(笑)。どうせナザリックの餌食になるだけだし、書くのが面倒になったというか……。まあ、ナレ死したボスについては設定ぐらいはいつか書く。多分。

>堕天使さん

 浩介とノイントが綺麗に恋が実った所を自ら台無しにしてくスタイル(笑)。
 ところで関係ない話で恐縮なんですけどね、失楽園というのは堕天使ルシファーによって天使達の三分の一が一緒に堕天するそうですよ。


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第百六十二話「茶番の使徒」

 今年も花粉症が辛い時期がやって来ましたよ……仕事中も咳や鼻水が止まらないわと本気で辛いです。
 
 なんか前話で勘違いしている方が多かったので、そのまま推し進める事にしましたとさ。


 フリートホーフと保安署・冒険者ギルド連合の戦いは熾烈を極めていた。主だった幹部やスポンサーである貴族達は地下通路で逃げ出したが(それも実はマーレによって拉致ないし殺害されているが)、彼等を逃がす為に足止めを命じられた下っ端達は保安官や組合の冒険者達を相手に戦っていた。

 

「くっ、カシム! いい加減降参するんだ!」

「クソがっ! 誰が大人しく捕まるかってんだ!」

 

 冒険者達は保安官達と連携を取りながら、フリートホーフの構成員達と斬り結ぶ。フリートホーフの構成員の大半は、冒険者ギルドが経営難の為に見切りをつけて鞍替えした元・冒険者だ。中には知り合いもいる為に冒険者達の中には投降を呼び掛ける者もいた。

 

「こちらには“漆黒のモモン”も味方についているんだぞ! 彼を敵に回してまでフリートホーフに与する理由があるのか!」

「うるせえ! まだ数はこっちが多いんだ! 今さら後戻りなんて出来るかよ!」

 

 カシムと呼ばれた男は自棄を起こした様に口角泡を飛ばしていた。彼とてフリートホーフにそこまで忠誠を誓ってなどいない。だが、自分と同じ様に冒険者ギルドから鞍替えしている者が多いこと、そしてここで投降した所で自分の新たな収入源が見つからないという事実があった。冒険者ギルドが規模を縮小させ、人員整理が行われた事で彼は仕事を失い、そこにフリートホーフがそれなりの収入を提示したからカシムはギルドから鞍替えしたのだ。

 仮に今回の事を罪に問われなかったとしても、待っているのは仕事が見つからない極貧生活だ。今まで冒険者以外の仕事をやってこなかった彼が再就職先を探すなど容易な話ではなく、精々が飢えを凌ぐのがやっとな賃金で肉体労働するくらいしかアテは無い。内乱で荒れている王国ではそれすらもとても難しいだろう。

 そういった事情を持つ者はカシム以外にも多く、明らかな劣勢であってもフリートホーフ側に鞍替えした冒険者達は手を引こうとしなかった。

 

「この分からず屋が! ……なんだ?」

 

 うまくいかない説得に冒険者が毒づいた時だった。唐突に彼等の耳に何か耳障りな音が響いた。それはフリートホーフの構成員達も同じだ。彼等もまた、耳に響いた不思議な音に怪訝そうに顔を見合わせた。

 耳の奥まで響いてくる様な、そして背筋が寒くなってくる様な音。

 気が付けば乱戦をしていた全員が手を止めて、音の出所を探る様に空を見上げていた。

 

「一体、何の音だ……っ!?」

 

 突然、彼等に立ちくらみを起こしてふらついた。まるで三半規管が狂った様に立っているのも難しくなった。一瞬、敵の魔法によるものか! とお互いが相手を見るが、敵味方関係なく地面にへたり込む様に手を突く姿に困惑した表情になった。

 

「おい、どうなってやがる!?」

「お前達の仕業じゃないのか!」

「知らねえよ、こんなの!」

「お、おい。あれは何だ?」

 

 混乱して双方が怒鳴り合う中、冒険者の一人が何かに気付いて空に向けて指差した。それにつられて周りの者も上を見上げた。

 フューレンの夜空。街の灯りに負けずに輝く満天の星に、月の光に照らされながら佇む人影があった。

 

「天使……様……?」

 

 誰かがポツリとそう呟いた。月光でくっきりと浮かび上がった人影は、()()の銀髪の女性達だった。人間が宙にいるというだけでも非現実的な光景だが、背中から黒い翼を生やして浮かんでいる姿はそういった違和感が頭から抜け落ちてしまうくらい神秘的な姿だった。

 

『La〜♪ La,La〜♪ LaLaLa〜♪ LaLaLa……♫』

 

 翼を生やした女性達が夜空を背に歌う。それはここにいる全員が、教会のステンドグラスや聖書の挿し絵などで一度は見た事のあるエヒト神の遣い―――天使の姿に酷似していた。だが彼等の記憶にある姿とは違って、背中の翼は鴉の様な濡羽色であり、身に付けている鎧も細部が異なっていた。鏡の様に輝く金属の胸当ては胸の谷間どころか下乳まで見える形状をしており、本来ならば内臓があるから重厚に守るべき腹は臍が丸出しで艶めかしい腰のくびれがはっきりと見え、女性の貞淑な部分を隠すショーツは必要最低限な布面積しかなく鼠径部は外気に晒されており、それが天使の神聖さと共に淫靡さを与えていていた。

 

『La〜♪ La,La〜♪ LaLa〜……♫』

 

 天使達は歌う。それは耳どころか脳にまで浸透する様な声で、いま自分達に起きている立ちくらみはそれが原因だと理解するには十分だった。だが、それを頭で理解しても身体が動かなかった。夜空をステージにして歌う天使達の姿はそれだけでも美しく、淫靡で退廃的な姿から紡がれる聖歌隊の様な美声は魔性の美でこの場にいる全員を魅了していた。

 まるでセイレーンだ。船乗り達の間でまことしやかに噂され、美しい歌声で船乗り達を海へ引き込もうとする女の姿をした魔物。真相は海で歌っていた海人族を見間違えただけではないか? と言われながらも、今もなお船乗り達の間で存在を信じられている海難事故の立役者。その姿を冒険者達は目の当たりにした様な気分になっていた。

 ふと宙に浮かんでいた天使の一団がゆっくりと降りてくる。その中の一人がフリートホーフの構成員の一人の元に舞い降りてきた。

 

「あ、ああ………」

 

 魔性の美を携えた天使の降臨に彼は口を開けながら辛うじて呻き声を上げた。天使の顔はどこか人形の様に作り物めいているが、それも人間には出せない神秘的な美貌を感じさせた。男の生涯において、これ程の美女が自分のすぐ側に近寄った経験など無く、男はただ呆けた様に天使を見つめる事しか出来なかった。

 天使は歌いながら男の頬に両手を添える。それは聖書の挿し絵に描かれた、死した勇者を天上のエヒトの国へ迎え入れる為に降臨した場面を思わせた。

 天使は我が子を慈しむ様に男の頭を自分に引き寄せ———ニィッと口の端を吊り上げた。

 

「えっ」

 

 パァンッ、と水風船が破裂した様な音が辺りに響く。それと同時に辺りに真っ赤な液体が飛び散った。突然の事態に冒険者達が呆気に取られる中、天使は握り潰した頭を見て楽しそうな笑顔を浮かべていた。

 

「な………なんっ、」

『LaAAAAAaaaaah!!』

 

 突然、天使が先程の美声のままに大音量を上げた。冒険者達が耳を押さえながら苦しむ中、上空にいた天使達も次々と急降下してきた。

 

「ひっ、ぎゃああああっ!?」

「や、やめ……ぐああぁぁっ!?」

 

 天使達は一斉に笑顔を浮かべながら、集まった人間達を攻撃しだす。どこからか取り出した双剣で斬り刻まれ、あるいは魔法で火だるまにされ、フリートホーフの構成員達は悲鳴と断末魔をあげた。

 

「やめろおおおおっ!!」

 

 ギルドの冒険者達が天使達に武器を振りかぶる。いかに相手が天使とはいえ、目の前で暴れ出したならば放置できない。まだ天使の歌の影響でふらつく身体を叱咤して、虐殺を行う天使達を止めようとした。

 

『AaaahhhAaaahaaa!!』

「ぐわっ!?」

 

 だが、天使が再び大音量をあげた。もはやそれは音響兵器と呼ぶべき物で、黒翼を振るわせながら出された衝撃波(ソニックブーム)を受けて冒険者達は遠くまで飛ばされた。

 

「ジェイコブ、無事か!?」

「ぐっ……大丈夫だ! うっ……!?」

 

 仲間に無事な事をアピールしようと立ち上がろうとしたが、彼はすぐに力が抜けた様に膝をつく。天使達の歌声はまだ続いており、力が抜けていく感覚に苛まれたのだ。

 

「ひぃ、ひゃああああああっ!?」

「カシム!?」

 

 天使の一人がカシムの身体を掴み、そのまま上空へと飛び始めた。まるで射ち出された様な速度で一気に空高く舞上がり、急激な上昇で頭痛や眩暈を彼は感じていた。

 

「お、下ろせ! 下ろしやがれっ!!」

 

 天使に身体を掴まれたまま、カシムはジタバタともがく。もはや相手が天使なのか、美女であるかなど関係ない。目の前で仲間を殺された姿を見て、彼にはもはや恐ろしい魔物にしか見えなかった。

 

『――――――』

 

 もがくカシムを見て、天使がニィッと笑う。最初に見た神々しさなど感じさせない嗜虐的な笑顔に、カシムの背筋にゾッとしたものが奔る。

 

「っ!? ちょっ、まっ———!?」

 

 カシムが言い切る寸前。天使は掴んでいた手を離した。同時に重力に従って、カシムの身体が地上へと落下を始める。

 

「あ……ああ、あああぁぁぁああああっ~~!?」

 

 ビュウビュウと風の音を耳に感じながら、カシムはあらん限りの声で絶叫した。

 周りを見渡せば満天の星。約十秒の夢の様な瞬間(ファンタスティック・フライト)

 だが、そんな物など目に入らず、カシムの脳裏にはフリートホーフに鞍替えしてからも送金を続けていた相手が浮かんでいた。

 

「おっ(かあ)~~っ!!」

 

 ―――グシャッ!!

 

 ***

 

「ふんふん、ふんふ~ん♪」

 

 フューレンのとある屋敷の一室。元はフリートホーフの首領の邸宅だったが、その首領をナザリックへ()()()後、屋敷を占拠したシャルティアが上機嫌で鼻歌を歌っていた。その手にはタクトの様な物が握られており、さながらオーケストラの指揮者の様に振るっていた。

 

「意外とこういう趣向も楽しい物でありんすね。礼を言うでありんすよ、ナグモ」

 

 傍らにいるナグモに声を掛けたが、ナグモはフンと不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。彼の前にはいくつもの映像が宙に浮かび上がっており、その映像には“天使達”が暴れる姿が映し出されていた。

 

「シャルティア。何度も言うが、殺して良いのはフリートホーフの構成員だけだ。絶対に――――――」

「はいはい、分かっていんす。赤いバンダナを腕に巻いてる人間共は殺さない様にでありんしょう? 耳にタコができるほど聞きんした」

 

 煩わしそうな顔になるシャルティアだが、オルクス大迷宮で一度やらかしているからこそナグモは信用していなかった。だからこそ、シャルティアを見張る為にここにいるのだ。本当に大丈夫か、ともう一度聞こうとしたが横から待ったをかける人物がいた。

 

「大丈夫だよ、ナグモくん。何か緊急事態が起きても私が“使徒”の能力で停止命令を出すからね」

「香織………」

()()()()ナグモくんが設計してくれた通りにやり遂げるからね」

「……あ、ああ。そうか」

 

 ナグモにとって最愛の恋人である香織が安心させる様な笑顔を浮かべる。

 だが―――何故かナグモはその笑顔を見ても心が安らがなかった。

 

「やれやれ、相変わらず相思相愛で結構なこと。こっちはやっと調教が終わった“お人形”達を使わなきゃいけないというのに」

「あはは、ごめんなさい。でもシャルティア様、あの“使徒”達はいい加減飽きてきたとか言っていませんでした?」

「そうでありんすよねえ。最初は何も知らない無垢な存在に快楽を教え込むのも楽しかったのでありんすが、同じのが何体もいてもねえ……。最初の一体以外はもうほとんどただの作業になりんしたもの」

「へえ……因みにどんな調教をしていたんですか?」

「おや? お前も興味がありんして? 例えばでありんすね―――」

 

 シャルティアと香織が和気藹々としながら、エヒトルジュエの“真の神の使徒”について話し出した。

 いま冒険者達やフリートホーフの構成員達を相手に暴れ回っている天使―――その正体はナザリックによって捕獲されていた“真の神の使徒”だった。

 先のアンカジ公国での戦争の際、“真の神の使徒"達のほとんどは香織の『堕天の魔歌』によって同士討ちや自害させられたが、その中で奇跡的に生き残った個体はナザリックに連れて帰られていたのだ。そしてナザリックの技術研究所で研究サンプルや実験材料にする物以外、数体の“真の神の使徒”がシャルティアに預けられ、今に至っていた。

 香織の能力を介さずとも直接的な命令が出来る様に、シャルティアには“使徒”を解剖した際に解読した固有周波数を発生するマジックアイテムが渡されていた。これによりシャルティアはまさにオーケストラの指揮者の様に“使徒”達を操っていたのであった。

 

「―――だから人形同士で調教役と奴隷役をやらせてみたりしたんでありんすが、どいつもこいつも似た反応しかしないから飽きんしたのよ」

「仕方ないですよ、だって作ったのが偽物の神様(エヒトルジュエ)ですから。“使徒”達も可哀想ですよね、至高の御方達に作られなくて」

「ふぅむ。作り手が三流なら、人形も三流という事でありんすか。まあ、至高の御方と並ぶべくもないんしょうけどね」

 

 二人は和気藹々とした雰囲気で雑談に興じる。最初はナザリックにとって異物でしかなかった香織だが、最近ではセバスやプレアデス達以外にもこうして話が出来るくらい受け入れられていた。シャルティアに至っては、本人が死体愛好家(ネクロフィリア)という事もあって何かと気にかけているらしい。

 その事は………ナザリックに香織が迎え入れられた事を示す、喜ばしい事の筈なのに。

 

「………………」

「どうかしたの? ナグモくん」

「いや………それよりシャルティア。“使徒”達が攻撃する街の区画は覚えているな? 万が一にもセバスの商店や屋敷には被害を出すな」

「あー、もう分かってるでありんす! 妾だってセバスの努力を無下にしない気遣いぐらいありんしてよ!」

()()()()()()()()()()の為にもセバスさんのお店は必要だもの。壊れちゃったらセバスさんが可哀想だよね。それにそこにいるミュウちゃんやミュウちゃんのお母さんが怪我したら、ナグモくんは嫌だもんね」

 

 香織が頷きながら同意する。少し前までセバスを批難していたが、アインズによってそれが誤解だと分かった今はセバスがフューレンでしてきた努力を否定する気は無い様だ。

 だが、そこに今現在も“天使”達に殺されている人間を気にかける様子など全くなかった。

 ナグモは目の前の映像を見る。そこにはフリートホーフの構成員達が―――多くの人間達がシャルティアに操られた“天使”達によって死んでいく。はっきり言って、こんな物は茶番だ。エヒトルジュエの使徒を装い、人間達を殺す事で絶望的な状況を演出している。()()()()()()()()()とはいえ、こんな猿芝居などナグモは付き合いたくなかった。

 何より―――何故かこの光景を面白くないと思っている自分がいた。

 

(これがアインズ様の支配に役立つ事は理解できる………だが、こんな茶番を本当にやる意味があったのか? それに香織は………香織は、これを見ても何とも感じないのか?)

 

 元が人間である彼女には、相手がフリートホーフに与した悪党とはいえ人間が大量に死ぬ光景など気分を害するだろうと思っていた。だが、デミウルゴスから作戦の概要を聞かされた時、香織はむしろ嬉々として承諾したのだ。

 至高の御方(アインズ)に今度こそ役立てる。そう言って。

 そうして香織がナグモの予想に反してやる気を見せる中、“人間嫌い”な筈の自分が目の前の光景に抵抗感を覚えているのだ。フリートホーフの構成員達などナグモにとっては赤の他人だし、そんな彼等が死んでいく事に対しては何とも思ってはいない。先程、セバスと共に片付けたフリートホーフの用心棒達だって、そうする必要があったから殺したのだと胸を張って弁明できる。

 だが―――この事を胸を張ってやれるかというと。自分を慕うあの少女が、もしも真相を知ったらと思うと………そして、この身を創り出した六本腕の機神に胸を張れるかというと………そう考えると、どうにも嫌な気分だけしか胸に残らない気がしていた。

 しかし、これを最愛の彼女は嬉々として行っている。アインズの為に役立つ。それはナグモだって同じ想いだ。そうなると間違っているのは自分なのか、それとも………。

 

(僕は……何を………)

 

 何か間違えてしまったのか。もしそうだとして、その間違いとは何だったのか。人智を超越して創られた筈の頭脳は、ナグモが望む答えを出してくれそうになかった。

 そうして答えの出ない袋小路の思考に陥りそうになったナグモだが、ふと画面の端で違和感に気付いて思考がそちらに逸れた。

 

「シャルティア。お前が連れて来た“使徒”は全てあそこにいるんだな?」

「だーかーらー、何度もしつこいと言ってんしょうに………妾が指揮しているので全部でありんす!」

「まあまあ、シャルティア様。ナグモくんはミュウちゃんの事があるからちょっと神経質になっているんですよ」

 

 香織がシャルティアを宥めているが、ナグモはその遣り取りに注意を払っていなかった。“使徒”を介しての中継映像とは別に、街全体に広域レーダーを展開させて“使徒”達の現在地を把握していた。

 それにも関わらず。“使徒”の反応が一体、作戦予定に無い地点に見つかったのだ。

 それが何か、ナグモは即座に判明させようとする。ステルス型のマシン・ゴーレムを操り、カメラ・アイから現場の状況を脳内ネットワークに直接映し出させて―――。

 

「これは……確か、あいつは……!」

 

 そうして――――――とうとう彼は楽園から逃げ出した者達をその目で発見した。




エヒト「これは悪質なデマだ! ナザリックによる風評被害だ!」

 なお、自分が解放者にしてきたこと(ry

 懲りないマッチポンプです。まあ、自国に核を落とすゆかりん王国よりはマシじゃないかな多分。
 因みに作中であれこれ書いてますけど、要するに“真の神の使徒”改めて“ナザリックの使徒”が着ているのはエロビキニアーマーです。完全にシャルティアの趣味です。

>ナグモが最後に見たもの

 み~つけた♪


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第百六十三話「端倪すべからざる知謀」

 半ば無理やり。しかして、これ以上に上手い展開を思いつかない。無い頭を絞って、これが限界。


 フューレンの街は大混乱に陥っていた。街の上空に現れた天使達は至る所に現れて、多くの人間にその姿が目撃されていた。その正体は“真の神の使徒”をナザリックによって改造した“ナザリックの使徒”なのだが、事情を知らない人間達には聖書で描かれた天使達が降臨した様に見えていたのだ。その天使達が今、生命力を奪っていく様な歌を唄いながら人間達を殺し回り、建物を次々と破壊している。その光景を見て恐怖を覚えない人間などいなかった。

 もちろんこれはナザリックが行っている演出だ。“ナザリックの使徒”達が標的にしているのはフリートホーフの構成員達であり、破壊している建物にも命令があった場所以外では行っていない。

 しかし、そんな事など知らない人間達からすれば天使達が無差別に人間や街を襲っている様にしか見えない。折しも天使達が魔人族と共にアンカジ公国へ侵攻した出来事も相まって、『天使達が今度はフューレンを滅ぼしに来た』、『我々はエヒト神から見捨てられたのだ』と恐慌状態に陥るのも無理は無かった。

 

「どけええええっ!」

「早くこっちへ!」

「くそ、押すな! 押すなって言ってるだろ!」

「ええ~ん! ママー! ママ、どこにいるの~!」

 

 大通りには多くの人間の怒号や悲鳴、そして子供の泣き声が飛び交っていた。天使達が街を滅ぼしに来たと思い込んだ住民達が、天使達の呪歌で力が抜けそうになりながらも必死で逃げようとしていたのだ。中には家財道具を持って逃げようとしている者もおり、それが通行の妨げになって避難は遅々として進んでいなかった。

 

「落ち着いて下さい! こちらの指示に従って下さい!」

 

 保安官のスタンフォード達が避難誘導をしようと声を張り上げたが、混乱した住民達の声にかき消されていた。そもそも彼等はフリートホーフ側である署長を欺く為に少人数で出張っていたのだ。状況が状況だけに保安署本部へ応援は要請しているものの、この場にいる保安官の数に対して避難させる住民の数が多過ぎて指示が上手く行き届いていなかった。

 

「くそっ! 俺達だけじゃ無理だ! 上層部(うえ)はこの期に及んで何をしているんだ!?」

「弱音を言うな! 何としてでも一人でも多くの市民の安全を守るのが我々の使命だ!!」

 

 中々来ない応援につい苛立った声を上げた部下をスタンフォードが叱責する。フリートホーフ関連の事件の捜査にはすぐに横槍を入れてくるくせに、こういう時に限って行動の遅い上層部達に文句を言いたい気持ちはスタンフォードにも理解できた。

 

「セバス殿やモモン殿達も頑張っているんだ! 我々とてフューレンの治安を守る保安官だ! 彼等に頼り切りでは―――」

 

『LaaaAAaaahhh!!』

 

 空より脳を揺さぶる様な声が降って来て、スタンフォード達は身体がふらついた。上空を見ると、そこに黒い翼を広げた天使達が見下ろしていた。

 

「で、出たぁっ!!」

「助けてくれえっ!!」

「エヒト様! どうか御慈悲を! どうか、どうかぁ!」

 

 天使の姿を見たフューレンの住民達はパニックに陥る。呪歌で力が奪われながらも逃げ出そうとする者、その場に蹲って念仏を唱え出す者。大通りとはいえ、お互いを押し合ったり、突き飛ばしたりして怪我人が出そうな有様となった。

 

「皆さん落ち着いて! 押し合わないで!」

「くっ、かくなる上は我々が盾になっても住民達を守るのだ!」

 

 混沌の坩堝と化した人混みに揉みくちゃにされながらも、前に出ようとする。住民達の為に覚悟を決めながらも立ちはだかる保安官達を天使は人形の様な目で見下ろし―――その身体が突然、紅蓮の爆炎に包まれた。

 

『グオオォォォッ!!』

 

 突然、街中に力強い咆吼が鳴り響いた。空に現れた黒い竜達を見て、新手の魔物かとスタンフォード達に緊張感が奔るが、黒竜達はまるでフューレンの住民達を守る様に空にいる天使達を攻撃し始めた。

 

「な……なにが……?」

『今の内じゃ! おぬし達、すぐに避難せよ!』

 

 竜達の中で一際大きい黒い竜から女の声が発せられた。その声にはスタンフォードも聞き覚えがあった。

 

「まさか……ティオ殿!? 一体、これは……」

『説明は後じゃ! 妾達が天使を抑える! そなた等はすぐに避難するのじゃ! ヴェンリ、動けぬ者はそなた達で運べ!』

「かしこまりました! お嬢様、どうかお気を付けて!」

 

 空から見覚えのあるチャン・クラルス商会の女性店員達が降りてくる。彼女達の背にも竜の翼が生えており、突然の事態にスタンフォードは何を言えばいいのか分からなくなってしまった。

 

「どうか我々をご信頼下さい。今は一人でも多くの民を避難させるのが先決です」

「う、うむ。それはそうだが……」

「怪我人や動けない者は私達で運びます。ですから貴方は避難の指示をお願いします」

「……分かった。おい、お前達! 彼等と協力して避難させるぞ!」

 

 女性店員―――ヴェンリの真摯な言葉にスタンフォードの心が動いた。いま一番に優先すべきは住民達の避難だ。何より彼等はこれまでフリートホーフの逮捕にも協力してくれたチャン・クラルス商会の者達だ。色々と聞きたい事はあるが、街を破壊して人を殺し回っている天使達よりも彼等の方が信頼できた。

 ヴェンリ達こと竜人族の手も借りて、再び避難指示が開始される。動けない者は荷車や馬車などに乗せて、竜の姿となった竜人族がまとめて運ぶ事で先程よりもスムーズに避難が開始されていた。それらを尻目に天使達を出来るだけ避難民から遠ざけながらティオは戦う。

 

(こやつらがお祖父様が話していた“エヒト神の使徒”か……! 一体、何故こんな所に……)

 

 かつて祖父アドゥルから聞いた“真の神の使徒”。その存在を目の当たりにして、ティオは戦慄を覚えながらも対峙する。アンカジ公国で魔導国が倒したと聞いたが、その時の生き残りの天使がいたというのだろうか。

 

(ならば奴等の狙いは商会(妾達)か? チャン・クラルス商会が魔導国の先兵組織であるなど、勘の良い者なら気付ける程じゃ)

 

 商品として卸している物のほとんどが魔導国製であり、それが普通の取引では説明がつかない量が商会に入っている。目をつけられない筈が無い。そしていま天使達が襲っている建物。一見すると無差別に見えるが、そこは“チャン・クラルス商会”の倉庫も含まれており、これを無関係と見るには天使達の破壊工作は的確過ぎた。戻って来たレミアとその娘は既に避難させたが、いつ“チャン・クラルス商会”の本店が標的にされるか分からなかった。

 

『やらせはせぬ……セバス殿の為にも、そしてゴウン様の為にも!』

 

 こうして天使達に襲われる街を見ると、同じ様にエヒトルジュエによって焼き払われた故郷を思い出してしまう。幼かったティオは戦場に出なかったものの、街を破壊していく天使達を見てかつての光景を想起せずにはいられなかった。フューレンを故郷の二の舞にしてはならない、とティオはいてもたってもいられなかったのだ。

 

『グオオォォォッ!!』

 

 黒竜化したティオが吼える。その咆哮は天使達の呪歌を掻き消す程であり、自分達の歌が邪魔された天使達は脅威と見做したのかティオへと標的を変えた。

 

 ***

 

「御足労頂き感謝申し上げます。アインズ様」

 

 フューレンのとある倉庫。デミウルゴスは冒険者モモンの姿をしたアインズに頭を垂れていた。アインズの傍らにはユエがおり、ユエが引いた椅子にアインズは座った。

 

「まず、この部屋は安全なのだな?」

「ご心配には及びません。エントマによる監視蟲の索敵、マーレによる結界、さらには範囲外にはナグモがステルス系のマシン・ゴーレムで監視しているのでこの場を盗み聞きするのは不可能かと」

「よろしい。ではお前の計画について話して貰うぞ」

 

 今回のデミウルゴスの計画についてアインズは何も知らされていない。会った時に全てお話しします、と言われていたので自分の行動がデミウルゴスの計画を狂わせていないかと内心でヒヤヒヤしていた。

 

「この一連の計画には四つほど利点がありました。まず第一にアインズ様の御命令通り、エリセンの領主を始末致しました」

 

 それはアインズ自身が命じた事だ。ミュウを送り届ける予定であるエリセン。その領主がセバスの報告を聞く限り、あまりに悪徳貴族だった為に消えて貰うしかないと判断していた。領民の海人族を奴隷に売り飛ばす様な領主では、ナグモもミュウの事で安心できないだろうと思っての事だ。

 

「そしてエリセンの領主だけ死んだのでは、その男から訴訟を起こされたセバスの商店に疑惑の目が向けられかねないと判断し、目眩ましの為にもフリートホーフと関連のある貴族達を拉致致しました」

「そうか。その貴族達は何か役立てるのか?」

「はい。これが二つ目の利点となります。今回、拉致した者は有能な者なら魔導国への寝返りを。無能な者ならナザリックの()()として活用致します」

 

 資源、という言葉に後ろで控えているユエがキュッと拳を握ったのをアインズは感じていた。彼等は事情はどうあれ、フリートホーフに与して悪事を行っていた者達だ。そういう意味では彼等の末路も自業自得となるだろう。

 この身体になってから、アインズは人間に対して親近感は覚えなくなった。別の種族の様に突き放して考えられ、ナザリックの利益の為ならいくら死のうが構わないとも思っていた。

 しかし―――やはり不快感はある。それは人間だった頃の残滓か、鈴木悟としての自分を繋ぎ止めてくれている少女の影響か……。

 

「……デミウルゴス。ナザリック地下大墳墓、そして私に無礼を働いてない者は苦痛なき死を与えよ」

 

 何も言わずにデミウルゴスは深々と頭を下げる。

 アインズが優先するのは魔導国の安寧であり、ナザリックに所属する者達の平穏だ。

 拉致した貴族達を解放するのは、情報漏洩に繋がる可能性があるので出来ない。ならば与えられる最大の慈悲はそのくらいだ。

 

「では三つ目の利点についてですが。今回、我々が拉致する貴族。そして愚かなフリートホーフの構成員達。彼等の死について全てエヒトルジュエに悪評を被って貰う事にあります」

「あの天使達はその為か……しかし、そう上手くいくのか?」

「それについてはこれをご覧下さい」

 

 空より突然現れた“真の神の使徒”達。姿こそ変わっているものの、エヒトルジュエの襲撃かと身構えたアインズだったが、デミウルゴスからの連絡でナザリックが用意したものだと知ったのだ。

 

(それはそれとして、あの天使達の顔……なんか見覚えがある様な)

 

 はて、どこでだろうと考え込みかけたが、デミウルゴスが机の上に取り出した物に思考を中断させられた。

 それは一体の悪魔像だった。六つの腕に宝石が握られ、その宝石から脈動する様な妖しい輝きが放たれていた。

 

「この宝石に付与されているのは〈最終決戦(アーマゲドン)(イビル)〉の魔法です。ナグモの研究でこの世界の魔法でも位階魔法の解析は可能だと判明しております。これがフリートホーフの保管庫から発見される手筈となっております。幸いにもフリートホーフの保管庫に入った人間もいたので、追い詰められたフリートホーフがこの悪魔像を暴走させて天使達を召喚したという筋書きです」

 

 トータスの魔法は位階魔法とも作用する。これは神代魔法を習得する中でアインズ自身も実験していた事であり、その逆として位階魔法もトータスの魔法の効果を受ける。もちろん魔力量の違いで防がれるが、トータスの解析魔法でもユグドラシルのマジックアイテムの解析が可能ではあった。

 

「エヒトルジュエの人形(天使)達は、魔物を使役していた魔人族に味方していました。この悪魔像を見れば、エヒトルジュエの遣いの正体が邪悪な魔物だったと人間達も認識するでしょう」

 

 アンカジ公国の事もあり、エヒトルジュエの宗教の影響力は急激に衰えていると聞く。ここでエヒトルジュエの天使が神の遣いなどではなく、堕天使(魔物)だと認識されれば聖教教会の権威は完全に失墜する。しかも悪魔を召喚できるマジックアイテムが聖教教会が懇意にしていたフリートホーフから見つかったとあっては、トータスで唯一の宗教とあっても誰もが信じられなくなってしまうだろう。

 

「これはウルベルト様がお作りになったアイテムですが、ここで使うべきでしょう」

 

 名残惜しさを感じさせるデミウルゴスの言葉にアインズも思い出した。この悪魔像はかつてギルメンの一人であるウルベルトが、とあるワールドアイテムを模して作った物だ。結局、何度作っても期待通りの出来にならなかったので興味を失ってしまったと聞いたが、デミウルゴスが持っていたというのはアインズも驚きだった。

 

「そして四つ目の利点が今回の事件は王国で起こす革命のテストケースとして……と、失礼致します」

 

 デミウルゴスが急にコメカミに手を当てた。「ふむ」、「そうか」と誰かと話している様な独り言を呟いた後、再びアインズと向き直った。

 

「アインズ様、エントマからの報告です。木偶人形達と竜人族の一部が交戦を始めたようです」

 

 その言葉に背後でユエが息を呑む音を立てた。アインズからしても“真の神の使徒”の登場は知らなかった為に竜人族については完全に計算外だった。

 

「これはこれで好都合な事態だと思われます。アインズ様の御命令通りに冒険者ギルドや保安署は攻撃対象外としていますが、さすがにフリートホーフの構成員だけが犠牲になっていては怪しむ者も出るでしょう。ここは竜人族の何人かは交戦の結果の犠牲とする方が得策かと存じ上げます」

「……待って下さい。アインズ様」

 

 それまで黙っていたユエが声を上げた。アインズ達が視線を向ける中、ユエは口を開いた。

 

「竜人族はアインズ様自らが保護を約束した種族です。彼等から犠牲を出す事は、アインズ様が彼等と交わした約束を違える事となります」

「ほお?」

 

 デミウルゴスがジロリと睨めつける。眼鏡の奥、宝石の眼球がユエを捉えた。うっすらと殺意すらも感じる恐ろしい悪魔の視線に背筋が寒くなるが、ユエは毅然とした態度を崩さなかった。

 

「確かにアインズ様は竜人族を庇護下には入れたがね。今回は彼等が勝手に先走ったという事を理解した上での発言だろうね?」

「すぐに竜人族達に指示を出せば問題ありません。彼等との関係を今後も良好にする為にも、犠牲は避けるべきだと存じ上げます。それに竜人族の次期族長がセバス様の伴侶となると聞いています。ここで竜人族の犠牲を出さないのは、セバス様と奥方の関係を保つためにも有効です」

「勘違いして貰っては困るな。セバスの、況してや我々の事情などアインズ様は一切考慮される必要がない。何故ならナザリックにいる者はすべからく至高の御方の所有物であるし、主人が道具をどう扱おうと自由というものだよ」

「っ、しかし……!」

「もうよい」

 

 自他共にあまりに価値を軽んじた言葉にユエは一瞬言葉に詰まるが、反論するより先にアインズが制した。

 

「アインズ様……」

「デミウルゴス。私はお前達を道具として使い潰そうなどと考えてはいない。私が望むのはかつての仲間達が創造したお前達の幸福だ」

「勿体なきお言葉です」

「それは私にとっても嘘偽りない気持ちだ。そうだな……」

 

 アインズはアイテムボックスを開け、目的の物を取り出した。

 

「そのアイテムはしまっておけ。代わりにこれを使うといい」

 

 アインズが取り出したのは、デミウルゴスが持っている悪魔像と似た形をしていた。ただし、こちらは悪魔像が手に持つ宝石が三つしかないなど全体的に造形が劣っている。

 

「これはかつてウルベルトさんが失敗作だから破棄しようとした物だが、私が勿体ないからと保管していた物だ。こちらを使おう」

「ア、アインズ様のお手持ちの品を使うなど!」

「そうか? ならば、これはお前にやろう。どちらでも好きな方を使うといい。ただ、失敗作がいつまでも残っているのはウルベルトさんも恥ずかしいかもしれんぞ?」

「なんという……! これ程の品を下賜して頂けるとは、感無量でございます!」

 

 椅子から立ち上がり、デミウルゴスは跪く。ややオーバーだが、デミウルゴスへのフォローは出来たと判断したアインズは再び話し出す。

 

「私はお前達の幸福の為なら、代償を支払っても構わないと思っている。同時にお前達の幸福の為にも、他の人間も考慮すべきだと考えているのだ」

 

 それは香織やミュウに手を差し伸べたナグモの様に。ナザリックと一見関わりが無いと思っていた相手も、かつての仲間達の遺児(NPC)の成長の切っ掛けとなるなら可能性の芽を潰してしまうのは勿体ないだろう。

 

「セバスの為にも竜人族は犠牲にすべきではないと私も思う。代案は無いだろうか?」

「アインズ様。しかしながら、やはりフリートホーフ側だけが損害を被っているというのは第三者から見れば怪しいと思われるかと……」

「本当にそう思うか?」

 

 これはただの確認だ。本当にそれしか無いのか、とデミウルゴスに聞く為の。出来る限り、ティオを妻に迎えたセバス様の為にも竜人族から犠牲が出ない様にすべきだろう。万が一、死人が出るしかないとなっても蘇生させれば問題ないよね? とアインズは思っていた。なのだが……。

 

「………っ! なるほど、そういう事でしたか」

 

 え、とアインズは言いかける。しかし、デミウルゴスは眼鏡の奥の宝石の瞳を見開き、驚愕の表情を作っていた。

 

「そうでした、全てはこの為に……冒険者ギルドを魔導国を取り込む工作をされたのも、この時の為だったのですね?」

 

 いや、ちょっと待て。だから、何がそういう事だったのか自分にも分かる様に説明して欲しい。

 その言葉が喉から出かけるが、デミウルゴスは全てを察したという顔で頷いていた。

 

「君にも謝罪しよう、ユエ。どうやら君の方がアインズ様の意図を正しく理解していた様だ。くやしいが、アインズ様が供回りを許された事だけはあった様だ」

「え、ええ……お褒めに預かり恐縮です……?」

 

 ユエもさっぱり分からないという表情になりかけたが、何とかポーカーフェイスを保っていた。

 

「そうなればいっそセバスにも……。アインズ様、至急準備致しますのでしばらくお待ち頂けないでしょうか?」

「あ、あー……構わんぞ? とにかく、竜人族達にも犠牲を出さないなら」

「かしこまりました。アインズ様の御計画の為にも、彼等は生きて貰わねばなりませんね。それでは失礼します」

 

 だからその計画って何? そう聞くより前にデミウルゴスは一礼して退出してしまった。

 残されたアインズへ、ユエはポツリと聞く。

 

「アインズ様……ひょっとして本当にデミウルゴス様の言う通り、全て計算尽くだったのですか?」

「………そう見えるか?」

 

 アインズは空っぽの眼窩で天を仰ぎながら、そう呟くしかなかった。




なるほど、そういう事でしたか。さすがはアインズ様です。


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第百六十四話「竜人族の戦い」

 また作中で“使徒”関連の設定を変えてますが……すまん、前回のは忘れて(土下座)
 こっちの方が良いと思ったら過去に出した設定でも変えたくなるので。


 フューレン観光区。

 フューレンは商業の街であると同時に、闘技場や水族館、サーカスや音楽ホールなどの娯楽施設が揃った観光街としての側面もあった。

 多くの人間を収容できるという面から、避難民達は観光区の闘技場に集められていた。いつもは血湧き肉躍る剣闘士達の戦いが見られる闘技場は、客席はおろかフィールドにも避難してきたフューレンの住民達が詰め掛け、外から聞こえる天使達が街を破壊している音に人々は怯えた顔を見合わせながら身を震わせていた。

 

「避難所はこちらです! 慌てず、周りをよく見て我々の指示に従って下さい!」

 

 そんな中、竜人族達が背中の竜翼で飛び回りながら避難指示を出す。闘技場の外壁に避難してきた住民達を守る様に武装した竜人族が立ち、ヴェンリは闘技場全体に聞こえる様に声を上げながら指示を出していた。

 

「怪我をしている方はボックス席へ! 医療に心得がある者がいますので、そちらを仮設診療所とします!」

「医者がいたら名乗り出てくれ! どうか協力をお願いする!」

 

 ヴェンリと共に保安官のスタンフォードの声が響く。最初は人間ではない竜人族達を警戒する者もいたが、避難民を救助しようとする姿を見て大人しく指示に従っていた。何より外ではまだ天使達が街の破壊を続けており、差し迫った危機から脱するには彼等を頼りにするしかないという理由もあった。

 

「ヴェンリさん!」

 

 指示を出していたヴェンリに声を掛ける者がいた。

 

「ユンケル様」

「いやはや、大変な事になりましたな」

 

 そこにモットー・ユンケルを含めたフューレン合議会の商人達がいた。商店でもセバスやティオが不在時に応対を任された事もあり、ヴェンリは顔馴染みのモットーの元へ降り立った。

 

「あれは……エヒト様の天使なのですかな? まさか聖書の存在が実在するとは思いませんでしたが」

「ええ、おそらくは。ですが、聖書に描かれている様な慈悲深い存在などではありません。現にアンカジ公国は魔人族に与した天使達によって、いくつかの村が焼き払われたと聞きます」

「その話は私も聞いております。魔導国が救援を送らなければ、公国そのものが危なかったとか。ところで……あなた方は竜人族なのですか?」

 

 ティオの声がした黒竜、そして目の前のヴェンリ達の背中から生えた鱗のある翼。これだけ見れば、ティオ達が聖教教会において異端として五百年前に滅亡した筈の竜人族だと推測するのは容易かった。ヴェンリは少しだけ目を伏せながら頭を下げた。

 

「……今まで素性を隠していた事は申し訳ありません。ですが、我々も理由あっての事です。御容赦下さい」

「いえいえ、それは別に良いのです。貴方達“チャン・クラルス”商会は我々に誠実だった。今もフューレンの街の為に必死で戦ってくれている……街を襲っている天使達などより、ずっと信頼が置ける方なのですよ」

 

 モットーの言葉に周りの合議会の商人達も頷く。彼等は商人の気質として信仰心より実利を優先させる考え方をしているというのもあるが、それ以上に“チャン・クラルス”商会がこの街で培ってきた信頼が大きかった。

 王国の“聖戦遠征軍”によって物資を安く買い叩かれて困窮しそうだった他の商会に魔石や商品を低価で卸し、フリートホーフの台頭によって脅しをかけられていた所にも毅然とした態度で屈しなかった。何より、店主であるセバスは街で困っている人がいれば手を差し伸べてくれる善人だ。それに本人や親族などを助けられた者も多く、それを思えばティオ達が竜人族だったという事実など些細な事だ。

 

「ところでセバス殿はどちらに? あの方も竜人族だったのですか?」

「セバス様は………」

 

 ヴェンリは一瞬、言葉に詰まる。まず、セバスがいま何処にいるかは分からない。フリートホーフのアジトを潰すまでは一緒にいたが、念話で緊急の用事を受けた様で途中で別れたのだ。その後に天使の襲撃があり、街を襲っている姿を見て緊急事態としてティオが行動を起こしていたのだ。

 そしてセバスの素性についてだが、ヴェンリは上手く説明できそうになかった。セバス自身は自らを竜人と言っていたが、厳密には異形種という自分達と異なる種族らしい。また普通の人間の様に父母の間から生まれたわけではなく、至高の御方と呼ばれる存在に創られたという話だ。いずれにせよ、ヴェンリの知識ではナザリックのNPCとして創造されたセバスの話を半分も理解できていなかった。

 だが、ここで正直に話しても避難民達の不安を煽るだけだろう。そう判断したヴェンリは適当な受け答えをする事にした。

 

「セバス様は所用がある為に途中で別れました。ですが、あの方はきっと今もフューレンの人々を守る為に行動されていると思います」

「うむ。違いないですな、セバス殿はそういう御方ですから」

 

 セバスの性格を知るモットー達は納得する様に頷いた。

 

「ともあれ、セバス様が戻るまではあなた方の身の安全は我々が守ります。ティオお嬢様も戦っていますので、どうかご安心下さい」

「ありがとうございます。私達も何かお手伝いできる事はありませんかな? 同じフューレンの住民として、今は協力を惜しみませんよ」

「それでしたら———」

 

 モットー達の申し出に感謝しながら、ヴェンリは細かい指示を出す。避難民の為の医療品や食料品、それに衣類や毛布などは自分達だけでは賄い切れず、他の商会の協力も必要なのだ。

 様々な指示を出しながらも、ヴェンリは遠くで戦っているティオについて考えていた。

 

(お嬢様………どうかご無事で)

 

 ***

 

『LaaaAAAAAhhhhhh!!』

 

 フューレンの上空で淫靡な恰好をした“使徒”達が歌う。魔力が籠り、脳を揺さぶられる様な高音で出されたそれはもはや音響兵器に等しかった。

 

『グオオオオオォォォッ!!』

 

 黒竜に変身したティオが咆哮する。その咆哮は雷鳴の様に響き渡り、“使徒”の魔歌が搔き消されていた。同時に体に感じていた脱力感が抜ける。

 

『今じゃ! 妾達が奴らの歌を抑えている間に下がれ!』

「くっ……すまない! 恩に着る!」

 

 ティオの号令に地上にいたイルワ達冒険者は負傷者達を引きずりながら下がる。この期に及んでもう敵味方を区別する気は無い様で、フリートホーフ側についていた冒険者達もイルワの指示に従って負傷者を運んで逃げ出そうとしていた。それを見た“使徒”達がフリートホーフの冒険者達の背中へと急降下しようとした。

 

『おっと! やらせぬよ!』

 

 ティオや他の竜化した竜人族がブレスを吐いて“使徒”達の行く手を遮る。邪魔されて進行方向が逸れた“使徒”達を爪牙やブレスで冒険者達から引き離しながら、ティオは思考する。

 

(やはり……奴等の“歌”は他の攻撃と併用できぬ様じゃな)

 

 先程、ブレスで攻撃した時に“使徒”の一体によって防がれてしまったが、その時は“使徒”は銀色の魔力を纏っていた。同時に身体全体を人間の耳には聞こえない様な高音の膜で覆っている事をティオは見抜いていた。どうやらこれは音による鎧の様で、触れた物は“分解”されてしまうが、この鎧を纏う時は“歌”の効果が弱くなっていた。

 

(おそらくは“歌”も“分解”も同じ能力から派生したもの。そして、その能力とは音に関する物……お祖父様の言った通りじゃ。そこに注意すれば我らにも勝機がある!)

 

 かつてアドゥルが戦った時に聞いた情報から、ティオは目の前の“使徒”達の情報を組み立てる。ティオが推察した通り、“真の神の使徒”の能力とは特殊な音波に関係するものだった。

 元々の姿は絶滅したコウモリの魔物であり、その魔物は特殊な超音波を操る能力があった。それが獲物を誘き寄せる“魅了”であったり、超音波カッターの原理で敵を破壊する“分解”を行っているのだ。そういった幅広い能力の使い方に目をつけて、エヒトルジュエはその魔物を改良して“真の神の使徒”へと変えていた。しかし、弱点として音波の使用は両立ができないという点が残ってしまっていたのだ。

 つまり“魅了”の為に音波を使っている時は“分解”の出力が下がり、逆に“分解”を行っている時は“魅了”の効果が下がる。さらに“分解”でこちらの攻撃を防御する場合、直接触れたりしなければ攻撃へと転じられないのだ。

 

(奴等の能力は攻防一体というわけではない。そこにつけいる隙が必ず生まれる筈じゃ!)

 

 そう判断してティオは周りの竜人族達に声を掛ける。

 

『皆の者! 耳を澄まし、奴等の身体を注意して見るのじゃ! 甲高い音を響かせながら身体に魔力を纏っている時は迂闊に触れるな! “分解”されるぞ!』

『『『はっ!!』』』

 

 竜人族達がティオの指示に呼応した。“使徒”達は“魅了”の歌に効果が無いと悟ったか、身体に“分解”の魔力を纏いながら双剣で斬り掛かってくる。

 

『来るぞ! 皆の者、一斉にブレスを吐け!』

『『『グオオォォォォッ!!』』』

 

 竜人族達から紅蓮の火炎が吐かれる。並の人間なら骨も残らない火力が同時に向けられたが、“使徒”は自分の音波周波数を上げて火炎の息吹を“分解”した。だが、竜人族の一斉攻撃による圧が強く、“使徒”はその場から動けなくなっていた。

 

『GRAAAAAAAAAAR!!』

 

 ティオが咆哮する。だが、それは先程の様な“魅了”の歌を打ち消す咆哮ではない。体内で魔力を増幅させ、落雷の様に吐き出された大音量の咆哮は超音速の衝撃(ソニックブーム)となり、“使徒"が纏っていた音波の鎧を打ち崩した。

 

『La……!?』

 

 衝撃と同時に生じた鎌鼬に天使の身体が胴体を切り裂かれる。痛みを感じるより先に、竜人族達の火炎の吐息によって天使は消し炭と化した。

 

『まずは一体!』

 

 炭化しながら墜落する天使を見て、ティオと竜人族達は手応えを感じた。“エヒトルジュエの使徒”達は決して打倒できない存在ではない。故郷を滅ぼされてから五百年の間に研いできた力や戦術は決して無駄ではなかった。それを確信してティオ達は士気を高くしていた。

 

『LaaaAAAAAhhhhhh!!』

 

 仲間の一体が死んだのを見て、“使徒”達が怒りとも取れる甲高い声を響かせた。全身を覆う程の“分解”ではなく、自分達の剣だけに魔力を集中させて攻撃力を高めていた。

 

『させぬ! コォォォォォッ!!』

 

 竜人族達を守る様にティオは妙な呼吸音を響かせながら盾になった。それは空手で言う“息吹”に近いのだろう。呼吸と共に全身に気を巡らせる武術の技法だが、それを黒竜の息吹(ドラゴンブレス)で行えばどうなるか。たちまち体内に気と魔力を巡らせたティオの身体は鉄壁の様になり、“使徒”達の剣はティオの鱗に僅かに傷をつけるだけに止まった。

 

『お嬢様!』

『おぬし達の鱗ではこの剣は防げん! 妾が奴等の剣を止める故、その隙に魔力を高めて火炎の息吹を溜めるのじゃ!』

『っ、恩に着ます!』

 

 本来なら自分達が身を盾にして護らなければならない次期族長に、逆に身体を張って護られている状況に竜人族達は歯噛みするも言われた通りに動く。それこそが現状で最善の策であり、それを任せられるだけの信頼がティオにはあった。

 

『AAAaaaaah!!』

『緩い……緩いわっ!』

 

 “使徒”達がティオへ双剣を振るう。しかし、その全てを受けてもティオは揺るがなかった。

 

『この程度の痛み……旦那様の拳に比べたら全く感じぬわああああっ!!』

 

 ティオの固有スキル―――“痛覚変換”。

 受ける痛みが大きければ大きい程、彼女の魔力は更に出力が上がる。このスキルが目覚めるキッカケとなった婚約者の拳に比べたら、“使徒”達が振るう剣など御褒美にもならない。

 

『お嬢様! 魔力の充填完了しました!』

『よし、放て!!』

 

 竜人族達の号令にティオは斬り掛かった“使徒”にカウンターをくらわせる様に竜の尻尾を振るって引き離す。そして距離を取った“使徒”へ、再び竜の火炎と黒竜の咆哮が同時に浴びせられた。

 

『これで……二体目!』

 

 いける。ティオ達はそう確信する。竜化は魔力消費が大きくて長期戦に向かず、先程から全力のブレスを放つ為に消耗が大きいが“使徒”達を確実に倒している。かつてアドゥルが惨敗を喫した“使徒”達に自分達は勝利できる。まだ油断は出来ないながらも、ティオ達の胸に高揚が奔るのは無理はなかった。

 だからこそ―――ティオは気付くべきだった。“真の神の使徒”達が、どうして同じ顔をした少女ばかりなのか。エヒトルジュエが単に神の遣いを演出したいだけなら、多種多様な見た目でも問題無かった筈だ。それなのに同一個体の“使徒”にしたのは何故だったのか、と。

 

『Laaaaaa!!』

 

 “使徒”の一人が甲高い歌声を響かせる。だが、先程の様に“分解”の魔法を身体に纏った様子は無い。まさか今更“魅了”の歌か? と訝しむティオだったが、その“使徒”と合唱する様に別の“使徒”達も歌い出す。

 

『こいつら、一体何を……?』

『これは……っ!? いかん! 身体に魔力を巡らせるのじゃ!!』

 

 竜人族の一人が困惑した声を上げた所に、ティオが何かに気付いた様に焦った声を上げる。先程の攻防で気を取られていたが、気付けば“使徒”達は自分達を取り囲む様に布陣を変えていた。ティオがその意味を察したが、時は既に遅く―――。

 

 

『『『LaAAAAAAAaaaaaah!!』』』

『ガハッ………!?』

 

 “使徒”達の歌声が重なり、巨大なスピーカーの様に響き渡る。その衝撃によってティオ達は身体全体はおろか、一斉に口から夥しく出血した。

 共振現象という物がある。物体には一定の固有振動数があり、その振動数と同じ振動を与えると硬い物体でも破壊されてしまうという自然現象だ。現実においても巨大な橋が風の振動で倒壊する例がある。

 いまティオ達がくらったのはそれと似た現象だ。同一個体として揃えられた事で同じ周波数を出せる“使徒”達が一斉に歌声の振動を浴びせ、それによりティオ達の身体は外部どころか内臓から破壊されていたのだ。しかも“使徒”同士が共鳴する事で何倍も威力が高められ、地震のエネルギーに等しい衝撃を身体全体に受けたティオ達の身体は急速に墜落していく。

 

「ぐっ……うぅ……」

「お前、達………!」

 

 フューレンの街の地面に激突すると同時にティオ達の竜化が解けてしまった。内部破壊や落下時のダメージは竜化していた身体が幸いし致命傷には至らなかったものの、もはや起き上がる体力は残されていなかった。

 空に浮かんだ“使徒”達が取り囲む。それは愚かにも神に刃向かった異端者達へ審判を下そうとする光景の様で、ティオは地面に伏したまま悔しそうに天使達を睨むしかなかった。

 そうしてティオ達を見下ろす“使徒”達。だが、その身体に突然、攻撃魔法が飛び交った。

 

「今だ! 彼等を救うんだ!」

「おぬし達……!」

 

 イルワの号令の下、冒険者達が“使徒”達へ一斉に攻撃魔法を放ったり、弓矢や投石で立ち向かった。今までの戦いを見て、自分達の聖書に描かれていた“使徒”より、フューレンの為に戦うティオ達を味方すべきだと判断したのだ。中にはフリートホーフ側についていた冒険者もいる。彼等とて困窮の為に仕方なくフリートホーフについた者が多く、自分達の為に戦っているティオ達を見捨てて逃げる程に善性まで捨てていなかった。

 

「馬鹿者……! よせっ……!」

『LaAAAAAAAaaaaaah!!』

 

 “使徒”達が再び“魅了”の歌を響かせる。たちまち脱力感が襲い、ティオ達を含めて冒険者達も動けなくなってしまった。

 

『LaaAAAh!』

「くっ……!」

 

 “使徒”達が双剣を手に急降下してくる。それでも最期まで目を逸らすものか、とティオは覚悟を決め―――。

 

『Laaa、GA!?』

 

 次の瞬間。横合いからもの凄い速度で飛んで来た竜に、“使徒”の胴体が食い千切られた。

 それは竜化したティオよりも一回り大きな竜だった。黒色の鱗は黒檀の様な高貴さを伺わせながらも年季の入った大樹を思わせる重厚さを同時に出していた。瞳は赤々と宝石の様に輝き、しかし本能で戦う魔物ではあり得ない人間以上の知性を確かに感じさせた。

 “真なる黒竜(グランドドラゴン)”。

 そう呼ぶに相応しい黒竜を見て、ティオはふと思い当たったままの事を口にした。

 

「………旦那、様?」

『―――遅くなりました。申し訳ありません、ティオ』

 

 黒竜から自分が魂から惚れた男―――セバスの声が響く。

 周りの冒険者達から戸惑うどよめき声が聞こえたが、それでもティオはストンと心に落ちた。

 この姿こそが、セバスの真なる姿なのだと。

 

「ふっ……うむ、大遅刻じゃ……。女子を待たせるなど、男の風上にも置けませぬ………」

『………今はゆっくり休みなさい。あとは私が』

「すまない。君達には迷惑をかけた」

 

 真竜の姿となったセバスの背から別の男の声が響く。

 そこに黒い鎧を着た騎士がいた。

 セバスの背に跨った騎士―――モモンの姿をティオだけでなく、その場にいる全員が目撃した。

 

「この茶番は私が幕を引こう。征くぞ、セバス!」

『はっ!』

 

 まるで伝説に登場する真竜の騎士(ドラゴンライダー)の様にモモンはセバスの背に乗り、空中にいる“使徒”達へ立ち向かっていった。




>セバスの真の姿

 もちろんオリ設定です。原作では『とてもモンクには見えない姿』としか言われてないです。

>竜騎士モモン

 これがマッチポンプでなければ普通に格好良かったのだけども。


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幕間「クラスメイトSIDE:シンデレラになりたい魔女」

 元々はR-18版で書いた内容です。前回の内容の次がこれとかどうよ? と思わなくもないけど、読み直していた時に「この設定は本編でも書いた方が良いのでは?」と思い直して幕間として公開する事にしました。
 全年齢版である本編で掲載するにあたって、いくつか文章を変えているので成人の読者さんはR-18版と何処が違うのか探してみるのも面白いかもしれません。


「ちょ、ちょっと止めて! 光輝!」

 

 深夜。雫は自室で大声を上げた。そこにはもはや顔も見たくない幼馴染みの少年が雫を押さえつけていた。思わず以前の呼び名で怒鳴った雫は、目尻を鋭く上げてキッと光輝を睨んだ。

 

「いきなり来て何よ!? もう顔も見たくないと言った筈よ!」

「雫、君は誤解しているんだ。雫は清水達なんかより、俺と一緒にいるのが相応しいんだ」

 

 光輝は雫の手を掴んだまま、後ろから抱きつく様にして囁いた。学園にいた彼のファンクラブの少女達からすれば垂涎のシチュエーションだろうが、今の雫には気持ち悪さしか感じなかった。

 

「俺が雫の目を覚まさせる。これは雫の為なんだよ」

「何を言っているの!? んっ、ちょっと触らないでよ!」

 

 戯れ言にしか聞こえない台詞を吐きながら、光輝が雫の身体に触れる。本能的に感じた気持ち悪さに雫は振りほどこうとしたが、それより早く光輝は雫の唇を奪った。

 

「んううううっ!?」

 

 熱に浮かされた瞳で光輝はキスに没頭する。地球でも道端で芸能事務所から声を掛けられるくらい美男子な光輝にここまで求められるなど、普通の少女ならばときめく光景だろう。だが、光輝を嫌っている雫からすれば嫌悪感しか湧かない状況だ。口の中に入ってくるナメクジの様な舌に雫は涙を浮かべたが、それと同時に光輝の舌を通じて何かを飲まされてしまった。

 

「は、あっ……何を……!?」

 

 光輝の身体を押し除けようとした雫だが、何かを飲まされたと同時に急に身体から力が抜けてしまった。手足に力が入らず、しなだれかかる様にして倒れそうになる身体を光輝は恋人の様に抱き締めた。

 

「何を……何を飲ませたの……?」

「大丈夫だよ。雫が素直になれる様になるだけの薬さ」

「っ……最低っ……!」

 

 光輝は力の入らなくなった雫をベッドへと運ぶ。その間もずっと甘いスマイルを浮かべていたが、雫は唾を吐きかけたくなる程に寒気がしていた。おそらくは筋弛緩薬の類いを飲まされたのだろう。そんな物を使ってまで女の子を自分の物にしようとする幼馴染に対して、雫は精一杯の侮蔑を込めて睨んだ。

 

「大丈夫だよ……俺がちゃんと雫を気持ち良くさせてあげるから」

「いや………いやあああああっ……!!」

 

 雫はあらん限りの声で叫び声を上げようする。しかし、薬のせいか雫の喉は満足に動かず、弱々しい声で痙攣する彼女へ光輝は覆い被さった……。

 

 ***

 

「おお、やってるねえ」

 

 あの後………女としての尊厳を徹底的に奪われ、雫の意識が朦朧とする中。

 見覚えのある少女がいつの間にか部屋の戸口に立っていた。

 

「それにしても……ぷっ、アッハッハッハッ! これが“学園の二大女神”と言われていた八重樫さんの姿かい? こんな無様な顔を晒してる女が? こいつのファンクラブの女の子達に見せてあげたいくらいだよね!」

「……なあ、本当にこんな事をやる意味があったのかよ?」

「もちろんあるさ。君もいつもみたいに八重樫さんを犯せて満足だったろう?」

 

 光輝が少女に対して釈然としない様な声を掛ける。だが、その口調は普段の彼と違っており、まるで今までが演技だったかの様な不自然さが目立っていた。

 

「ほら、続けなよ。改竄しても八重樫さんの記憶に残る様に徹底的に犯してよね」

「へいへい……じゃあ、次は………」

「あ、あなた……一体だれ……?」

 

 光輝ならば絶対にしない下卑た笑みを浮かべる男に、雫は息も絶え絶えに正体を聞こうとした。だが、すぐにまた始まった性の暴力に雫の意識は閉ざされた………。

 

 ***

 

 早朝の時間帯。光輝は城の廊下を歩いていた。地球にいた頃の彼を知る人物がいたら、これがあの光輝かと目を疑っていただろう。常に自分の正しさを信じて自信に満ちていた顔は疲れ切って覇気が無く、目の下には傍目でも分かる程に隈が出来ていた。足取りも泥の中を歩いている様に重苦しいもので、“光の戦士団”団長として着ている純白の軍服は手入れを怠っている様に襟元がよれてる上に色も燻んでいた。

 まるで激務に疲れ果てたサラリーマンだ。度重なる残業で身支度を整える暇も無く、日々の仕事に心身共にすり減らされているブラック企業のサラリーマン。光輝の学校での活躍ぶりから将来はエリートコースを歩むだろうと想像していた人間からすれば、いまの落ちぶれた様な姿はさぞかし驚くだろう。

 

「どうして……どうして皆、俺の話を聞いてくれないんだ……」

 

 重苦しい心情を吐き出す様にどんよりとした声が光輝から呟かれる。それは頑張っているのに望んだ結果にならないという、今までの光輝の人生では無縁な不満だった。

 アンカジ公国近辺の練兵場での反乱を皮切りに、ハイリヒ王国は各地で農民や諸侯の貴族達がエリヒド王に対して反旗を翻す内乱の絶えない国となっていた。その反乱の鎮圧に光輝達も駆り出される様になり、それが光輝に重い心労を与えていた。

 

 どうして自分は同じ人間達と戦っているのだろうか。

 自分達は魔人族から人間達を救う勇者として異世界に召喚された筈だ。

 それなのに今は何故、その人間達に剣を向けなくてはならないのか。

 

(きっと……皆、きっと何か誤解をしているだけなんだ。落ち着いて話し合えば分かり合える筈なんだ。それなのに何で………)

 

 反乱を鎮圧する為とはいえ、本来なら自分が守るべき王国の人間達と戦いたくはなかった。だからこそ光輝は鎮圧部隊と共に赴いた先々で必死に反乱を起こした人々に呼び掛けたのだ。

 

 こんな事は止めるべきだ。

 自分は貴方達とは戦いたくない。

 きっと話し合えば分かり合える筈だ。

 

 だが、そんな風に必死に説得しようとしても彼等は落ち着いて話を聞くどころか、怒り狂った様に武器や投石で光輝を攻撃してくるのだ。そしてやむを得ずに光輝が反撃に応じるというのがもはや定番の流れだった。“神の使徒"としての圧倒的なステータスがあるからトータスの一般人達などすぐに無力化できるものの、そうして生かして捕らえた反乱の首謀者達を監獄へ連行し、その度に恨みのこもった目を向けられる事に光輝の精神はすり減らされていた。

 

(人間同士が争い合うなんて野蛮で無意味な事なんだ……そんな事くらい子供にだって分かる様な話なのに、どうしてあの人達は………)

 

 もちろん反乱を起こした民衆達の恨み言は光輝にも届いていた。

 お前のせいだ。お前が考えなしに戦ったから自分達の土地が荒れた。“光の戦士団”のせいで生活が苦しくなった。魔人族との戦いに何も役立たなかった役立たずの勇者め。

 だが、光輝からすれば全て謂れのない誹謗中傷だったのだ。

 

(確かに遠征した時にちょっとやり過ぎた時もあったさ……でも、あれは魔物を倒す為に仕方がなかったじゃないか! その後に畑山先生が被害に遭った土地を直した、ってイシュタルさんも言ってたじゃないか!)

 

 だから何も問題は無い筈なのだ。自分達は人命に被害を出した事はないし、取り返しのつかない過ちを起こしたわけではない。壊してしまった土地も直しているのにどうして未だに怒っているのか。

 

(“光の戦士団”だって……皆で魔人族に立ち向かおうと言ったら、皆諸手を挙げて賛成しただろ! そりゃあ()()()()()()で魔人族との戦いに参加できなかったけど……でも、お金はちゃんと返すと何度も言ってるじゃないか!)

 

 “光の戦士団”や“聖戦遠征軍”の結成や維持費に大きなお金が動いた事は光輝でも理解できた。だが、魔導国が()()()()()()()()()()した為に結局戦争には行かなかったのだ。だから、使わずに余ったお金は国民達に平等に返せば問題ない。そうする様に自分もエリヒド王達に掛け合うつもりだ。

 そう言っているのに………反乱を起こしている民衆達は光輝の話を聞こうともしないのだ。

 向けられる謂れのない悪意、各地で反乱が勃発している為に休む間も無いくらい連続する出撃命令。そして会話をしようともしてくれない民衆達。それらに光輝は身も心も疲れ果てていて、今日は本当に久々に王宮に帰ってこられたという有様だった。

 

(あの人達はどうして話し合いに応じてくれないんだ………いや、きっと何かワケがあるんだ。そうに違いない)

 

 こんな時でも光輝の思考は自分に都合の良い解釈を求めていた。彼なりに考え、納得のできる理由を頭の中で作り出す。

 

(そうだ……この反乱は何故か急に各地で起き始めたんだ。きっと裏で糸を引いている黒幕がいる筈だ! それこそ魔導国の仕業に違いないんだ!)

 

 魔導国は人間達が魔物に支配されている地獄の様な国だ、と光輝は聞いていた。アンカジ公国を魔人族から守ったのも魔導王が殺戮を楽しみたいだけだった、と聖教教会の人間や王宮の貴族達が言っていた。この世界に来てから、ずっとお世話になっている彼等を疑う気持ちなど光輝にはなかった。

 

(きっと魔導王こそが本物の魔王なんだ! そいつを倒してトータスに平和を齎すのが“勇者”である俺の使命なんだ! そうすればエヒト神も龍太郎達を生き返らせてくれる筈だ!)

 

 そしてオルクス迷宮で攫われた幼馴染も魔導国にいるだろう。アンカジ公国の戦いで、香織を攫った裏切り者は姿を見せなかった。ならば何処にいるかというなら、やはり魔導国だろう。自分達や王国の人間達を裏切った様な奴なら魔導王に媚び諂って手下にしてもらい、香織を監禁できる様にしているのだと光輝は予測していた。

 

(だから人々を守る為にもいつかは魔導国と戦わなきゃいけないんだ! アンカジ公国やヘルシャー帝国も支配した様な国だ、きっとハイリヒ王国にも矛先を向けてくる! その為にも人間同士で争い合ってる場合じゃないのに……!)

 

 人類の平和の為に魔導国に対して一致団結して戦わなくてはならない。しかし、その為にも各地の反乱を鎮圧して人々を説得しなければならない。

 おそらくこうしている間にも魔導国の企みは進んでいる。それなのに事態を止められないもどかしさに光輝が歯噛みしていると、廊下の先で見知った後ろ姿を見つけた。

 

「雫!」

 

 それまで暗澹としていた光輝の表情がパッと明るくなる。こうして雫と会うのもいつ以来だっただろうか。呼ばれた途端、雫の肩がビクッと震えたが久しぶりに会えた嬉しさに光輝は気付かなかった。

 

「久しぶり! なあ、雫。聞いて欲しい……香織の事だけど、きっと魔導国に―――」

「触らないで!!」

 

 バシンッ! と肩に触れようとした手が強く叩かれた。かつてない程に強い拒絶に光輝の表情が固まった。

 

「え………ど、どうしたんだ? まだ俺の事を誤解しているのか?」

「誤解……? あんな………あんな事をして、よく誤解だなんて言えたわね!!」

 

 雫は自分の身体を庇う様に抱き締めながら、光輝から距離を取って怒鳴った。まるで痴漢にでもあった様な反応だった。

 

「昨日の夜に私の部屋に突然押し入って、無理やり薬を飲ませて、それで……それで……! あんな事する様な男だったなんて見下げ果てたわよ!!」

「お、落ち着いてくれ! 昨夜? 一体、何の話をしているんだ……?」

 

 涙すら浮かべて雫は怒鳴るが、光輝には話の内容が掴めない。そもそも先程に王宮に着いたばかりなのだ。それなのに何故、雫は自分が何かした様に語るのか意味が分からなかった。

 

「と、ともかく何か誤解をしているんだ! 雫、落ち着いて話をしよう!」

「いやあああっ! やめて、近寄らないで!!」

 

 光輝は雫を落ち着かせる為に肩を掴もうとしたが、雫はまさに光輝に犯されそうになっているかの様に金切り声を上げた。

 

「雫様! どうされたのですか!?」

 

 あまりに騒いでいたからか、近くにいたメイド達がバタバタと駆け寄る。その中には雫付きのメイドであるニアの姿もあった。

 

「ニアさん! 雫の様子がおかしいんだ、一体―――」

「助けて!! ニア、助けてっ!!」

 

 光輝の言葉を遮る様に雫がニア達に助けを求める。

 雫の肩を無理やり掴もうとしている光輝。そして涙目になりながら自分の身体を守ろうとしている雫。

 その光景を見て、ニア達はしばらく驚きに固まっていたが―――すぐにキッと表情を鋭くさせた。雫がまだ寝込んでいた時、お見舞いと称して部屋に無理やり押し入ろうとした光輝の姿が思い起しこていた。

 

「雫様から離れて下さい!!」

「なっ……!?」

 

 メイドの一人が雫を庇う様に光輝の前に立ち塞がる。その隙にニアが雫を保護する様に手を引き、光輝から逃げる様に連れ出した。

 

「雫様、こちらに!」

「ま、待ってくれ! 誤解だ! 俺は何も―――」

「言い訳など聞きたくありません!」

「勇者様が女性に乱暴を行う様な人だなんて幻滅しましたわ!」

「貴方も他の“戦士団”の男達と変わらなかったのですね!」

 

 光輝は弁明しようと声を上げるが、雫を守る様に立ち塞がったメイド達はまるで女の敵を見るかの様に睨んでいた。たったいま見た光景はどう見ても雫に狼藉を働こうとした様にしか見えないのだ。何よりニアを始めとして彼女達は“ソウル・シスターズ”を自称するくらい雫を好いている者達だ。そしてこの後に雫から事情を聞けば、もはや光輝は彼女達に蛇蝎のごとく忌み嫌う存在となるだろう。

 

「どうか………どうか俺の話を聞いてくれっ!!」

 

 周りから責められた光輝は必死に真実を訴えようとしたが、誰も聞く耳は持たなかった。

 

 ***

 

「あは、あはははははは!! 良いよ、最高の展開だよ!!」

 

 光輝がメイド達に責められている姿を見て、物陰から恵里は腹を抱えていた。

 

「ここまで思い通りになるなんてねえ。いやあ、八重樫さんも最高の役者だったよ。本当は清水に好き放題されてるクセにさあ!」

 

 望み通りに振る舞ってくれた雫に対して、恵里は嘲笑をもって讃えていた。

 昨夜、雫の部屋に押し入った光輝の正体―――それは清水だった。彼は闇魔法で雫の認識を改竄して、自分が光輝に見える様に仕向けていた。そして、そうする様に指示をしたのが恵里だったのだ。

 

「それにしても……ブフッ! 何を今更、生娘みたいな反応をしてるんだろうね? もう既に色々な男に抱かれてるのにさぁ!!」

 

 闇魔法で意識や記憶を改竄されている雫はその事実を知らないのだが、真実を知っている恵里は雫の状況を悪魔の様な笑顔で嘲笑っていた。

 まだだ。まだ足りない。あの女は長年に渡って幼馴染というだけで光輝を誑かし続けていたのだ。だから女として、そして人間としての尊厳を粉微塵にする様な仕打ちをしないと恵里は気が済まなかった。

 

(ヤルダバオトは、その時が来るまで八重樫さんが急に消えても不自然にならない状況を作れ、と言ってたからね。じゃあさ……周りからいなくなっても気にも止められない最低の女にしてやれば、何も問題ないよねえ?)

 

 今はメイド達は光輝を一方的に責めているが、冷静になれば昨夜に光輝が雫の部屋を訪ねるなど無理だと気付く者が出るだろう。そうでなくてもこんな事があった後ならば、夜中にも雫の様子に気を配る様になる筈だ。

 だが、雫は今まで通りに清水のおもちゃとして抱かれてもらう。他にも雫が夜の街に繰り出し、金の為にふしだらな事をしているという事実を知れば彼女達も雫に幻滅する筈だ。現にクラスメイト達も薄々と気付いている者が出始め、ひそひそと雫のいない所で噂し合っていた。男子達は好色の目を向け、女子達は軽蔑の目で雫を見ている者もいる。いま雫が蒸発したとしても、周りからは『虚言癖のある少女がどこぞの男と夜逃げした』と判断されるのがオチだ。

 ヤルダバオトの命令もこなせ、自分だけの王子様(天之河光輝)を誑かしていた売女に復讐もできる一石二鳥の策だと恵里は思っていた。

 

「あぁ……可哀想な光輝くん。あんな嘘つきビッチの為に誤解されるなんて」

 

 こっそりと伺っている視界の先では、光輝が必死にメイド達に弁明しようとしている。しかし“光の戦士団”の横暴さを知っている彼女達からすれば、光輝も檜山達と同じ部類だと思われてしまった様だった。これで周りからの信用を無くした光輝の彼女(ヒロイン)になりたい者など、もう誰もいないだろう。

 

「たとえ世界中の人間が君を嫌っても、僕だけはずっと光輝くんのヒロイン(唯一の味方)だよ」

 

 だから、と恵里は呟く。

 それは―――まるで切なる願いを口にする様に。

 

「今度こそ………僕に振り向いてくれるよね?」

 

 悪魔に魂を売った魔女は、王子様から愛されたい為に陰で暗躍する。

 

 邪魔者であるプリンセスを―――深い悪夢へと蹴落として。




>光輝

 お前は光輝に何か恨みでもあるのか?(鏡を見ながら)
 実は正解に辿り着いているけど、結局のところ「自分の活躍を奪った魔導国が嫌いでFA」なので妄想の域を出てないです。
 もう今からでも遅くないから光輝更生ルートを入れてあげようよ、と思うこの頃。ただね……それをやっても魔導国と王国の戦争が本格化した時、檜山辺りがアインズに自分の身の安全を約束して貰う為に、光輝を背中から刺すという展開になりそうなんですよ……。

>恵里

 今回のタイトルが示しているのはこの子の事です。今までの人生が悲惨だった彼女はシンデレラの様に王子様によって自分の人生が薔薇色になる事を夢見ており、その為にも王子様が好きな他のヒロインなんて邪魔なんです。
 ぶっちゃけ雫をここまで酷い目にあわせているのは完全に恵里の八つ当たり。ヤルダバオトからすれば、誰がそこまでやれと言ったよ案件。(デミは雫の心情とか全く考慮しないけど)
 本作ではただの眠り姫だったのに、愛しの光輝から愛を告げられる予定だった雫を徹底的に貶めたいと思っています。仮に光輝が雫の状況に気付いたとしても、実際にやってるのは清水だから彼に全ての罪を被せるつもりです。
 こんな風に文字通り悪魔に魂を売った邪悪な魔女となった恵里ですが、ご安心下さい。


 基本的に登場人物は“みんな”不幸な目に遭わせるつもりなので。


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第百六十五話『二人の温度差』

 アインズと“使徒”達の戦いをちゃんと書け? すまん、途中で飽きた(オイ)

 どうせアインズ様無双にしかならなそうだから、省略で良いかなって。



 本命の戦いは、別にあるので。


 フューレンの空を巨大な黒竜に乗ったモモンが征く。月と満天の星を背景に天を翔ける竜騎士の姿はティオ達だけでなく、闘技場に避難したヴェンリ達や未だに避難が済んでいないフューレンの住民達も目撃していた。

 対するは黒い翼を生やし、淫らな格好で宙を飛ぶ邪悪な堕天使達。街を壊し、人間に危害を加えた彼女達をもはや“エヒト神の遣い"として見る者はおらず、自分達の為に戦ってくれたティオ達が倒れた今、正義の竜騎士が悪の堕天使達を退治する事を望んで皆が声援を送っていた。

 

(なんちゅう茶番だよ………)

 

 かなりの高度に昇ったというのに地面から聞こえる声援に、モモンことアインズは微妙な気持ちになっていた。

 

(いやまぁ、フリートホーフを潰すのに守護者達を暗躍させといて、今さら何言ってんの? とは思うけどさ………でも、ここまでやるつもりは無かったんだってば)

 

 勝手に何かを納得したデミウルゴスが出て行った後。

 再び<伝言(メッセージ)>で呼ばれたアインズが行くと、そこに何故か竜化したセバスがいたのだ。デミウルゴスから事情を聞こうとしたが、「全てアインズ様の御計画通りです」の一点張りで聞けなかったのだ。もちろん「いやいや、具体的に何をさせたいか指示してくれない?」とそれとなく言ってみたが、「聡明なアインズ様にそんな失礼な事は出来ません」という謙遜で聞いて貰えなかった。

 これがデミウルゴスが嫌がらせで言っているならアインズも文句を言っていたが、純粋な尊敬と忠誠心の結果だから始末が悪かった。「アインズ様であれば最上の結果をお出しになるので、自分ごときの言葉で行動を縛るのはまずい」という考えが透けて見えるとどうしようもなくなってしまう。

 

『アインズ様、改めましてありがとうございます』

 

 黒竜に姿を変えているセバスが、背に乗せているアインズへ話しかけた。

 

『失礼ながらティオ達を見捨てられるのかと私は思い違いをしておりました。やはり至高の御方には深い考えがあっての事だったのですね』

「いや………」

 

 感謝を述べてくるセバスに、アインズは歯切れの悪い返事をした。

 

(考えてもみれば、ティオ達にも悪い事をしたな。こっちの悪巧みに巻き込まれたも同然だしなぁ………)

 

 ナザリック外の存在はどうでも良いと思っているアインズでさえ、相手がセバスの身内というだけあってさすがに罪悪感が出ていた。その上にセバスからティオを救った事に対する謝辞を述べられるというのは、もはや穴があったら入りたいくらいには恥ずかしいくらいだ。外から見れば立派な黒竜に跨る勇壮な騎士なのだが、中身は「この始末はどうしよう………」と小市民さながらに頭を痛ませていた。

 と、そんな風に悩んでいたアインズに小さな手が重ねられた。

 

『大丈夫。サトル様』

 

 アインズの後ろにちょこんと座っているユエが声を掛けてきた。セバスが目の前にいる事を慮ってか、アインズの不安を和らげる様に念話を通していた。

 

『事態はまだ、サトル様が心配する程に悪い状況では無いです。まずは目の前の事から片付けていきましょう』

『ユエ………』

『今、おそらくは竜人族の事で悩まれていませんでしたか?』

『まあな………しかし、よく分かったな』

『セバス様ではないですけど、サトル様は優しい方ですから。きっと今回の謀略に巻き込まれた竜人族の事について色々と考えられていると思いました』

 

 優しい、と言われてもアインズはそうだろうか? と頭を傾げてしまう。自分の持つ優しさというのはナザリックの者達だけに向けられるもので、彼等以外に向けられる事などない。かつての仲間達が残した子供(NPC)達。彼等の幸福が約束されるというなら、それ以外の者達など不幸になっても構わないのだ。

 

(いや………それはきっと、違うんだろうな)

 

 極端に振り切れそうだった思考をアインズは思い直した。

 ナザリックの中だけで世界は完結しない。ナグモがミュウを拾った様に、セバスがティオという花嫁を得た様に。きっと外の人間であっても、これからナザリックの者達が交流を持つ様になるかもしれない。

 今は難しい話でも未来は分からないのだ。ならば、ナザリック外の者だからと平気で切り捨てるのは、そういった未来の可能性まで摘み取ってしまう様に感じていた。以前のアインズならもっとドライに考えていただろうが、今はナザリック外の者だからと平気で殺すのはどうにも勿体無い気がしていた。

 

『……それで良いんです』

 

 アインズの心中を見透かした様にユエは念話で語りかけていた。

 

『誰もが幸福を得られる世界なんて存在しない。だから自国の民を優先させるのは当然のこと』

 

 でも、とユエは続ける。

 

『自国だけが世界の全てじゃない。ほんの少しの譲歩、僅かな共感と利益の共有。そうして他者と手を取り合おうとする者だけが、明日を作れるんです』

 

 かつて吸血鬼族の女王として心掛けていた事。今は亡き、ディンリードからの教え。裏切られたと思い、胸の奥底へと仕舞い込んでいた王の心得をユエはアインズに話していた。

 

『ナザリックの者達の幸福が前提とはいえ、その他の者にも最低限の幸福を追求できる。だから、サトル様は優しい王様です』

『いや、さすがに褒めすぎだろう。デミウルゴスの企みも分かっていなかったのだ』

『そこはさすがに擁護できないです。そもそもサトル様、ちゃんと上げられた報告書は読んでいましたか?』

 

 うぐぅ、とアインズは黙り込む。そもそもの話、アルベド達から上げられている書類に適当に判子を押しているだけなのだ。アルベド達には迅速な判断で決済していると思われているが、字の勉強を教えているからアインズの習熟度を知っているユエには真相がお見通しだった様だ。

 

『………今度は字だけでなく、そういった書類の読み方も教えた方が良さそうですね』

『ホントにすんません………』

 

 さすがに支配者ロールを維持できず、念話越しに平謝りした。

 とにかく、とユエは念話を続ける。

 

『幸い竜人族には死者は出ていなかったみたいです。だから良かった、とは言えないですけど、後始末をきちんと保障してあげれば、セバス様との関係もこじれずに済むはずです』

『ううむ、そうか?』

『事が事だけに真相を明かすわけにいきませんが……でも、これでエヒトルジュエの信仰に決定的な罅を入れられるのは確かです。今まで迫害されていた竜人族を含めた亜人族が、それにエヒトルジュエに騙されていた人間族や魔人族が平和に暮らせる世界が来る。それなら、結果的にはプラスだと思うしかないです』

『………改めて聞くと、なんかズルいな』

『清濁併せ呑まなければ王なんてやっていられませんから』

 

 しれっとユエは答える。あるいはそう割り切れるのが人の上に立つ者の素質なのだろうか。最初から分かっていたが、アインズは王としての才覚の差を感じ取っていた。

 

『とにかく後の事は私も一緒に考えます。こうなったら乗りかかった船というものですから、せめて派手に立ち振る舞いましょう。モモンが天使達から街を守った、という評判作りの為に』

『はあ、それしかないか………なら、行くぞ!』

 

 アインズは思考を切り替える。以前ならば、この後にデミウルゴス達にどう指示するかと気が重くなっていただろう。だが、ユエも一緒に考えてくれるというだけでその重さは幾分か軽減される気がしていた。同時に今回の騒動に対して、“魔導王”として出来る事はないか? と前向きに考え始めていた。

 

(きっと、これがユエが前まで見ていた視点なんだろうなぁ)

 

 少しだけ為政者(ユエ)との温度に近付けた気がするも気持ちを切り替え、黒竜となったセバスに跨がった竜騎士モモン(アインズ)は空に浮かぶ“ナザリックの使徒”達に立ち向かっていった。

 

 ***

 

「そっちに飛んで―――ああ、読まれておりんした! さすがはアインズ様でありんす!」

「今度は“使徒”達の魔法詠唱が……あ、ユエが防いだ。その隙にアインズ様が斬り伏せましたよ!」

 

 ステルス型のマシンゴーレムから送られてきた映像にシャルティアと香織が歓声をあげる。まるでお気に入りのサッカーチームの応援でもしている様な二人を横目で眺めながら、ナグモはシャルティアから取り上げた“指揮棒”を使って“ナザリックの使徒”達を操作していた。

 映像の中では伝説の竜騎士の様にセバス(黒竜)に跨る黒鎧の騎士(モモン)と、邪悪で淫靡な堕天使である“ナザリックの使徒”達が空中戦を繰り広げていた。“ナザリックの使徒”達が使ってくる様々な魔法をユエの魔法やセバスのドラゴンブレスが防ぎ、大剣で斬り掛かってくる"使徒”はモモンが手にした二刀のグレートソードで斬り伏せていた。

 

「ナグモ! この戦いはちゃんと録画されてるんでありんすか!?」

「大丈夫です、シャルティア様! この映像の他にも別の角度から数体が撮っていて画角はバッチリです!」

「でかしたでありんす、香織! 後で録画データを寄越すでありんすよ!」

 

 興奮している二人にナグモは溜め息を吐きたくなる。とはいえ、その気持ちも分からないでもなかった。

 彩とりどりの魔法が花火の様に飛び交い、剣戟と共に繰り広げられるドッグファイト(空中戦)は地球でもハリウッド映画の様な派手さがあった。そして映画など無いトータス(異世界)の住人からすれば、空で行われる戦いはもはや言葉に出来ない程のスペクタルであり、まさに英雄譚として広く永遠に語り継がれる戦いだろう。見れば、観衆となるフューレンの住民達は皆が空を見上げて“冒険者モモン”の戦いに声援を送っていた。

 

(まあ、そういう演出にしろというのがデミウルゴスの注文だからな………)

 

 デミウルゴスから来た追加の指示を受け、シャルティアでは“ナザリック外の使徒”達の細かい指示が出来ない為にナグモが指揮を代わったのだ。ナザリックで研究し尽くされ、同時に実験的にキメラ化させられた“使徒”達を操作するなどナグモには造作も無い事だった。その結果として“ナザリックの使徒”を使ってアインズやユエ達と派手な戦いを演出し、『邪悪な天使達から街を守る漆黒の竜騎士』という図式を見事に完成させつつあった。

 

 だというのに―――何故かナグモの心は冷めていく一方だった。

 

「ところでナグモ。ちゃんと“人形”達を操作できてるんでありんしょうね? 万が一にでもアインズ様が傷付いたら……分かってるだろうな?」

「もう。大丈夫ですってば、シャルティア様。私のこの身体を()()()程に繊細な腕を持つナグモくんが、失敗するわけないじゃないですか」

 

 ドスのきいた声で脅してくるシャルティアを宥める様に香織が言う。それは愛するナグモに全幅の信頼を置いた言葉であり―――同時に()()()を称える言葉だった。香織からの信頼は嬉しい筈なのに、何故かナグモは嬉しい気持ちになれなかった。

 

「……言っておくが、あの木偶人形のステータスや能力も僕は把握済みだからな。あんな木偶人形が何体束になろうが、アインズ様を倒すなど出来るわけがない」

「ほら、ナグモくんもこう言ってるんですから。それに、いざとなったら私があの人形達から取得した“音波”のスキルで自殺命令を出します」

「ああ。そういえば、あの人形共も食ってスキルを得たでありんしたっけ?」

「ええ、お陰で更に強くなれちゃいました」

 

 香織が鮮血の様な真紅の翼を広げながら笑う。それはナグモやアインズへ更に役立てる事を物語っている笑顔であり、それはナザリックの者(アインズの配下)として何もおかしい所などない。

 

(それなのに………何故。何故、僕は嬉しいと感じてないんだ?)

 

 かつてのナグモならば、香織がアインズへ一層役立てる事に誇らしさをも感じていただろう。しかし、ナグモは変化していた。ミュウという純粋無垢な少女と触れ合う事で、ナグモの中にあった人間としての心は成長しており、“ナザリックこそが至高で、それ以外は塵芥”という常識が揺らぎつつあったのだ。

 

 人間(ヒト)としての自我(こころ)が芽生えていく一方、異形種(NPC)達と共有できていた価値観が崩れていく。

 

 この茶番劇の様な戦いを楽しんでいる事といい、ナグモは今まで感じていなかった(問題にしてなかった)香織との温度差を今になって感じていた。

 

「………そろそろ終わりだな」

 

 一度も高揚する事なく眺めていたアインズ達の戦い。見れば、最後の“ナザリックの使徒”がアインズによって斬り伏せられていた。

 

「行くぞ、香織。僕達は空中戦に参加出来なかった分、街の人間達を治療して“漆黒のモモン”パーティーの名声を上げる事になっている」

「やれやれ、人間共の面倒も見なきゃいけないなんて二人も大変でありんすねえ」

「まあまあ……これもナグモくんとアインズ様の為の()()()ですから」

 

 ………かつての香織ならば。きっとこんな風に面倒な仕事を片付ける様な物言いはしなかっただろう。それをなんとなく考えていたナグモだったが、唐突にシャルティアが声を掛けてきた。

 

「それにしても、あの人形………やっぱり使い切っちゃったのは惜しかったでありんすねえ。一体ぐらいは手元に置いておけば良うありんした」

「今更か………奴等の遺伝子情報なら取得済みだから、クローンならすぐに用意できるぞ」

 

 それに、とナグモはマシンゴーレム達に映させていた映像を消しながら呟く。

 二人がアインズの戦いに注視していた為、最後まで気付かずにいたとある監視映像。

 

「………新しく採取できるかもしれないしな」

 

 一組の男女の映像を、消え際にチラッと目を向けながら。




 この展開で書いて良いのか、と思う時もある。だけど、もはや作者である自分にも事態は止められない気がしている。

 坂を転がり、奈落へ落ちるまで加速していく大岩の様に。


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第百六十六話「愛を感じて」

 本当はキリの良いところまで書きたかったけど、思った以上に長くなりそうだから分割する事にしました。その為に少し中途半端な場所で終わります。


 モモン(アインズ)達を背に乗せたセバスはフューレンの闘技場に降り立つ。黒竜の姿から人間に戻ると同時に、歓声を上げながら闘技場に避難していた市民達が駆け寄ってきた。

 

「さすがはモモン殿です!」

「セバス様もお疲れ様でした!」

「金髪のお嬢ちゃんもありがとうな!」

「街が守られたのはあなた方のお陰です!」

 

 各々が口にするのは“邪悪な天使”から街を守る為に戦ってくれたモモン達に対する感謝だ。空でくり広げられていた勇壮な竜騎士の戦いを見て、後世にまで残る“伝説”の目撃者となれた事への興奮も冷めやらぬまま、市民達は英雄達を歓呼の声で迎え入れていた。

 その光景にアインズは骸骨である為に表情は浮かばないものの、気まずそうな曖昧な笑みを浮かべていた。事の真相を知る立場からすると、彼等の感謝はなんとも受け取り辛い。

 トントン、と背中を叩かれる。振り向くとユエが目配せしてきた。その意味を悟り、アインズはぎこちないながらも市民達に向かって手を振る。すると歓声が更に大きくなった。

 

(おっふ……胃が痛い……)

(これもマッチポンプの対価です)

 

 “伝言(メッセージ)”を使わずとも、二人の間で意思疎通が成立していた。

 そうして興奮した市民達に囲まれる中、人混みを掻き分けながら進み出る一団があった。

 

「旦那様! 見事な戦いぶりだったのじゃ!」

「ティオ!」

 

 身体の至る所に包帯を巻かれたティオに、セバスが歩み寄る。まだ少しふらついている彼女をセバスは抱き止める様に支えた。

 

「おい、あの女性は確か“チャン・クラルス”商会の女店主の………」

「あの方も街を守る為に戦ってくれた人だ。夫婦共々、なんて立派な方達なんだ」

「そ、そんな……! 既に奥方がいらしたなんて……セバス様ぁ……!」

 

 情報に疎い一部のマダムが悲鳴を上げながらも、市民達は二人を揃って讃える中でセバスはしっかりとティオを抱き締める。

 

「なんという無茶を……! 命を落とさなかったのが奇跡です」

「アイタタ……こういう痛みも……コホン、ではなく。街の皆が危険だったので、いてもたってもいれなかったのじゃ」

 

 セバスに抱き締められながら、ティオは悪戯っぽく微笑む。

 

「“困っている者がいれば、助けるのは当たり前”。そう言われておられたからのう」

「っ! 貴女という人は………」

 

 創造主(たっち・みー)が見せていた在り方であり、自分の矜持である言葉を言われてセバスは強く言えなくなる。同時に自分が大事にしている心意気を酌んでくれていた事に対する嬉しさも込み上げてくる。婚約相手としてただ一緒にいたのではなく、ティオはセバスの心に寄り添ってくれていたのだ。

 

「ティオ……」

「旦那様……」

 

 二人が見つめ合う。見た目はセバスがかなり高齢だが、美男美女が抱き合う姿は映画のワンシーンの様に絵になっていた。

 

「んっ、んん! ゴホン!」

 

 二人の世界に咳払いの音が混じる。アインズの咳払いにセバスは顔を少し赤らめながらティオから離れた。

 

「も、申し訳ありません、モモン―――殿。つい………」

「まあ、大事な奥方が無事だったのだからな。気持ちは分かる」

「誰かがイチャつく姿も見飽きてはいますけど………」

 

 ユエもどこか遠い目をしながらセバスを半眼で見ていた。仲睦まじいのは結構だがTPOは弁えて欲しい。

 

「セバス殿! モモン殿!」

 

 再び人混みをかき分けてアインズ達に声を掛ける人物がいた。フューレンの保安官のスタンフォードは、彼等に駆け寄ると頭を深々と下げた。

 

「ご無事でしたか! 本来なら街の治安を任された我々があの邪悪な天使達に立ち向かわねばならなかったというのに………ご協力を感謝します!」

「気にしないで下さい。それより、私の方こそあなた方に正体を隠していた事をお詫びしなくてはなりません」

「何を申されますか! 先程、モモン殿達と一緒にあの邪悪な天使達に立ち向かう姿を我々は見ております。それにセバス殿がこの街で貢献されてきた事を思えば、正体が竜人族であった事など些細な問題です!」

 

 厳密にはセバスはティオ達と違う種族なのだが、それをわざわざ話したとしてもスタンフォードは気にしないだろう。セバスの人柄を知る周りの市民達も、スタンフォードに同意する様に頷いていた。

 

「ありがとうございます。とはいえ、まだ騒動が完全に収束したわけではありません。避難を行った際の二次災害などもあるでしょう。我々に出来る事ならば協力致しますが、保安署の皆様の御力も借りたいです。署長はどちらに?」

 

 今回のフリートホーフの捕物騒動において、保安署長はフリートホーフとの癒着を疑われていた為に作戦から外されていた。しかし、今となってはそうも言っていられない。避難した市民達の統制は元より、“使徒”によって倒壊した建物もあるのだ。文字通りに猫の手も借りたい状況の中、保安署全体を動かす為にも署長に指示させる必要があった。

 そう考えていたセバスであったが、何故かティオとスタンフォードは表情を暗くさせた。

 

「その………旦那様。ちょうど、その事でスタンフォード殿と話していたのじゃが………」

「………逃げました」

「え?」

「だから、奴達は逃げ出していたのです! 我々が市民の避難をさせている最中に! 市民の安全を投げ出して!」

 

 開いた口が塞がらない、というのはこの事を言うのだろう。セバスがそんな顔をする中、アインズはスタンフォード達に遅れて来たユンケル達に視線を向けた。

 

「今の話は……本当なのか?」

「ええ。どうやらあの“天使”達から皆が逃げている間に、フリートホーフと繋がっていた役人達は逃げ出した様ですな。我々が避難した先とは反対方向に夜逃げする姿を目撃した者もおります」

「それだけじゃない! 奴等は自分達が逃げる為に馬や馬車も根こそぎ持って行ったのだ!」

 

 アインズ達の元の依頼者である行商人、リー・ポーディが怒りも顕に怒鳴った。

 

「あれは我々の馬だったのだぞ! 残った馬も“天使”達が襲った際に怪我をしていて、もう期日までに積荷を運べないではないか!」

「それは……すまない、私がもっと早く解決していればこんな事にはならなかったな」

 

 これで破産だ、と頭を抱えるポーディにアインズは頭を下げる。元々はミュウを送り届ける為に相乗りさせて貰っただけに、彼が悲嘆に暮れる様子は心が痛んだ。

 

「いや……モモン殿のせいでは無いでしょう。この街に寄ると判断したのは私ですからな……」

「リー、そんな気を落とさないでくれ。我々、他の商人からしても流通の足が奪われたのは問題なのだ。すぐに他所から馬車を手配しよう」

 

 そう言って慰めるユンケルだが、やはり彼も表情は優れない。トータスの物流は馬車に依る物が大きく、その馬車が全て無くなってしまった今のフューレンは商業の流通が完全にストップしたと言っても過言ではなかった。他の街へ馬を融通して貰うにしても時間がかかり、そもそも国中で内乱が起きているハイリヒ王国内では他の街へ馬や馬車を快く貸し出して貰えるかも怪しい。

 

『なあ、ユエ。彼等を手助けするのに、何か良い案はないか?』

 

 アインズはユエにこっそりと念話で聞いてみる。今回の騒動の原因はフリートホーフとはいえ、半分くらいはナザリックの者達を暗躍させた結果でもあるのでアインズもいたたまれないと思って何かしらの手助けをしようと思ったのだ。

 

『………あるにはありますけど。でも………ああ、なるほど。デミウルゴス様が狙っていたのはそういう事……』

『………いや、何が?』

 

 ユエが独り言の様に呟いた内容にアインズは思わず素の反応で聞き返す。

 

『実行するにはセバス様やティオ達の助けが必要ですけど……後程に順序立てて説明しますので、とりあえずこの場は解散させた方がいいです』

『そうか……頼むぞ』

 

 まさかユエまでデミウルゴスみたいに「なるほど、そういう事でしたか」で片づけないよな? と不安になりながらも、アインズは声を上げる。

 

「一先ず、それらの事は後で考えましょう。今は市民の皆さんの安全確保が先ではないでしょうか」

「確かに……モモン殿の言う通りですね」

「この街から動けない以上、私も出来る限りの協力はしましょう。私の仲間のヴェルヌは医学に長け、ブランは治癒術に長けている。彼等にも怪我の手当を要請するので怪我人の心配はしないで下さい」

「なんと……! そこまでして頂けるとはさすがは“漆黒の英雄”モモン殿。感謝致しますぞ!」

「私からもお礼申し上げます! 本当にありがとうございます!」

「ええ、モモン―――殿は慈悲深い御方なのですよ」

「うむ……なんとも懐深き御仁じゃのう、旦那様」

 

 ユンケルとスタンフォードが頭を下げる。それに追従する様にセバスとティオが頷き、周りにいた市民達も「さすがはモモン殿」、「噂に違わない英雄だ!」と称賛する声が相次いだ。

 ごふぅ、とアインズは胃が抉られる思いがする。

 

(や、やめてえ……! これほとんどマッチポンプだから! せめてもの罪滅ぼしにやってるだけだから! すっごく気まずいから、べた褒めしないでくれぇ……!)

(………ある意味、自業自得では?)

 

 またも念話なしで二人の意思疎通が完璧に行われていた。

 

 ***

 

「ふう………やっと帰ってこれたな」

 

 フューレンの街外れの修道院。浩介は寝室として使っている粗末な部屋で、安堵の息と共にベッドに倒れこんだ。黒鎧の冒険者から貰ったポーションのお陰で身体の傷が無くなったとはいえ、もはや精神的にクタクタだった。

 

「それにしても、何だったんだろうな? あの“天使”達……というか、竜騎士なんてものもいたのか……なんでもありだな、異世界は」

 

 一人ごちる様に浩介は先程の光景を思い出す。こちらの体力を奪う歌声を響かせながら夜空に浮かぶ“天使”達と、それらから街を守る様に戦っていた黒竜の騎士。その姿は浩介も目撃しており、空中で行われた英雄譚の様な戦いに心を奪われていたものの、終始震えていたノイントが気になってそこまでの感動はしていなかった。

 

(ノイントさん、大丈夫かな………なんだか竜騎士と“天使”達の戦いを見て怖がっていたみたいだけど……)

 

 そうでなくても今日は色々とあったのだ。心中穏やかというわけにはいかないだろう。

 

(でも……この場所に帰って来れたんだ)

 

 “天使”達が竜騎士によって全て倒され、やっと体の自由がきく様になった浩介はノイントを連れて修道院まで戻って来られた。突然出て行ったノイントをシスター・べレアは怒るどころか、涙ながらに無事に戻ってきた事を喜んでくれていた。孤児達も“ノイントお姉ちゃん”が帰ってきた事を喜び、そこで初めてノイントは戸惑う様な―――しかし、暖かさが混じった表情を浮かべてくれた。

 

 終わり良ければ全て良し。

 

 何度か命の危機を感じる出来事もあったが、それでも浩介はノイントが帰って来てくれた事で全てチャラだと思う事にした。

 

(それにしても俺………ノイントさんに告白したんだよな)

 

 その事を思い出し、今更ながらに気恥ずかしさがこみ上げてくる。場の雰囲気に流されて、かなり臭いセリフも言ってた気がする。ああああっ、と浩介はベッドの上で身悶えした。

 

(やべえよ、なんかすげえ厨二臭い事も言ってた気がするぞ? 俺ってこんなに厨二全開なキャラだったのか? というかノイントさんの方はどう思っているんだろ………)

 

 勢い余って愛の告白をしたのは百歩譲って良いとして、肝心の相手がどう思ったかまでは確認していない。こんな形になってしまったが、浩介にとっては一世一代の告白だったのだ。それだけにノイントはどうだったのか、呆れられてないか、それとも本当は嫌だったりしないか……などと、グルグルと頭の中を巡ってしまう。

 考え過ぎて自己嫌悪に陥りそうな浩介だったが、唐突にドアをノックされた音で思考を中断させられた。

 

「うん? 誰か用か?」

『……ノイントです。入ってもよろしいでしょうか』

 

 浩介の胸が大きく跳ね上がる。いま正に考えていた意中の相手が訪ねてくるとは予想外にも程がある。

 

「………どうぞ」

 

 心の準備が欲しいところだが、夜も遅い時間なので待たせるも悪いと思い直して入室の許可を出す。するとノイントが浩介の部屋に入って来た………純白のネグリジェ姿で。

 

「……なんでやねん」

「え?」

「あ、いや……こっちの話です」

 

 思わず関西弁で突っ込んでしまう浩介だが、ノイントのキョトンとした表情に慌てて首を振った。

 

「……隣、座ってもいいでしょうか」

「えっ……あ、いや、どうぞ?」

 

 部屋には椅子もあるのだが、咄嗟に返事してしまった事でノイントはベッドの上に腰掛けた。ギシィッと二人分の体重でベッドが沈み、ノイントのきめ細かなまつ毛が数えられるくらい近寄られていた。薄着のネグリジェ姿、そしてすぐ隣にある人形と見紛う程に美しいノイントの顔。浩介の胸の鼓動はもはや早鐘の様に脈打ち、身体が熱くなってきていた。

 

「そ……それで、何か用ですかね? いやー、それにしても今夜は暑いなあ!」

「………私は、今まで人間に……というより、誰かから好意を向けられた事なんてありませんでした」

 

 気恥ずかしさを誤魔化そうと上擦った声を上げる浩介に対して、ノイントはポツリ、ポツリと語り出した。

 

「いえ、もしかしたら好意を抱かれた事はあったのかもしれません。でも、それを私は今まで気付こうとはしませんでした。神から与えられた物以外には価値がない………そう、思っていましたから」

「………ええと、ノイントさんは神殿騎士とかだったんですか?」

 

 真面目な話をしていると判断して、ようやく浩介の中で浮ついていた気持ちが落ち着いた。以前に聞いた身の上話の内容も併せて、ノイントの前の職業を推察したが彼女は肯定も否定もしなかった。

 

「………ここに来る前、私は生まれて初めて魔物との戦いで恐怖を覚えました。姉妹達も錯乱する中、私は死んだフリをしてやり過ごそうとしたのです。そうして……逃げ出して、とある御方から私に下賜された物も全て投げ捨てて、倒れていた所を貴方に拾われたのです」

「ノイントさん………」

 

 それを臆病だとか卑怯だとか責める気は浩介に無かった。生命の危機から逃れようと彼女は必死だったのだろう。そしてだからこそ、ここに連れて来た当初にノイントは無気力になってしまったのだろう。自分が今まで大切にしていた物も、そして姉妹達も全て見捨てて自分だけ生き残ってしまったのだから。

 

「だから……自分にはもう価値がない、そう思っていました。ここで暮らす内に、今まで神を疑う事もせずに多くの人間を傷付けていた事も知って、もう自分なんてどうでも良い……そう、思ったのに」

 

 ノイントは浩介へ向き直る。

 人形の様に整った顔立ち。だが、そのアイスブルーの瞳は人形では宿せない感情が揺れ動いていた。

 

「あなたが奴隷オークションから助けに来てくれた時、嬉しかった」

「………」

「もう価値など無くなったと思った私を必要だと言ってくれて……そんな私を好きだと言ってくれて、胸が高鳴ったのです。だから……もう一度、聞かせて下さい。こんな私を……愛してくれるのですか?」

 

 今まで表情に乏しいと思っていたノイントの顔だったが、今の浩介には微妙な差異も分かる様な気がしていた。不安に揺れた目をするノイントを見て、先程まで恥ずかしくて二度と言わないと思った台詞がサラッと浩介の口から出た。

 

「ああ、何度でも言うよ。俺は……遠藤浩介は、ノイントさんの事が好きだ。ノイントさんが必要だ。ノイントさんの事を……心から愛している」

 

 恥ずかしさで顔が真っ赤になりそうだ。しかし、それでも浩介は心からの言葉を彼女へと贈った。生まれて初めて、共にいたいと思う異性に対して。

 

「………ありがとう、コースケ」

 

 ノイントは涙を浮かべながら―――笑った。神の尖兵として造られ、人形だった彼女が生まれて初めて浮かべる笑顔は、浩介にとっては何よりも綺麗なものに見えた。

 ふとノイントが目を閉じる。何処か戸惑いながらも、何かを期待しながら唇を突き出している様な顔だ。それを見て、浩介はそうするのが自然であるかの様に―――唇を重ねた。

 

「んっ………」

 

 ファーストキスはレモンの味というのは嘘だな、と浩介は場違いに思ってしまう。

 だって、こんなに柔らかくて、胸が高鳴って幸せになる気分はレモン程度では味わえないからだ。

 どのくらいの時間をそうしていたか、名残惜しさを残しながら唇が離れ、浩介はノイントの身体を抱き寄せていた。

 

「……不思議です。誰かとこんな事をするなんて、思ってもみなかったのに。でも、これ以上にないくらい高揚しています」

「俺もだよ……きっと幸せって、今みたいな気持ちの事を言うんだろうな」

「……本当はあなたにまだ話さないといけない事があります。でも……今だけは忘れさせて下さい」

 

 ノイントが再び浩介と唇を重ねる。今度は触れ合う様なキスではなく、お互いの口内を味わう様な深いキスだ。くちゅ、くちゅ。舌同士が絡み合い、粘膜質な音と共にお互いの身体が熱っていく気がした。キスに没頭するあまり、浩介はベッドの上でノイントを押し倒していた。ノイントも押し退ける事はせず、むしろお互いの指を絡ませる様に手を握りながら浩介を潤んだ瞳で見つめた。

 

「その………嫌だったら言って下さい。もう俺、自分で止まりそうにないから」

「……嫌ではないです。人間の男女は、愛し合う時にこういう行為をするんですよね? だから……私に教えて下さい」

 

 ノイントが熱っぽく言うと同時に―――浩介の中で理性がダムの崩壊の様に決壊した。

 

 ***

 

「ん………」

 

 暗い室内でノイントが目覚める。いつの間にか、眠ってしまっていた様だ。毎晩の様に魘されていた黒い仔山羊の悪夢も今日に限っては見る事なく、久方ぶりにスッキリとした目覚めを迎えられていた。ふと隣を見ると、そこには寝る前まで身体を重ねていた少年がいた。あれから何度達したのか覚えてはいないが、彼も疲れ果てて眠っている様だ。あられもない姿になっている自分に少し顔を赤らめながら、ノイントは衣服を直した。

 

「これが………愛なんですね」

 

 温かくて、幸せで、空っぽだった心が満たされて――もう思い残す事などない。そう思えてしまった。

 

「コースケ。ありがとう………大好きですよ。ずっと、ずっと一緒にいたかったと思えるくらい」

 

 そっと寝ている浩介にキスをする。その感触を名残惜しみながらも離れ、ノイントは静かに部屋を出た。

 既に時刻は深夜を回っている。修道院の皆も眠りについており、ノイントは昨日の様に誰にも見つからずに外に出る事が出来た。修道院を離れ、さらに街道からも離れ、道なき道を進む。やがて深い森の中へと入り、修道院からかなり離れた場所へと歩く。

 

「っ………」

 

 途中で振り返りたくなる衝動に駆られる。今すぐ来た道を戻り、またあの修道院に戻りたい。浩介の胸の中で朝までまどろみ、幸福な気持ちで朝日を迎えたいと思う。

 だが―――それは駄目だ。このまま逃げようとすれば、()()()()は容赦なくノイントのいる修道院ごと攻撃するだろう。恐ろしさでいうならフリートホーフの比ではない。それをノイントは()()()()()()()()()()。だからこそ、ノイントは浩介がしてくれた事を無駄にしていると知りながらも、再び修道院を抜け出すという暴挙を行っていた。泣きたくなる様な気持ちを堪え、まるで死刑台の階段を昇る囚人の様な面持ちでノイントは指定されていた場所まで歩く。そして―――。

 

「―――フン、時間通りに来たか」

 

 森の中にある木々がそこだけ生えていない広場。そこに辿り着いたノイントを冷淡な声で迎える人物がいた。

 

「一先ず、こちらの命令通りに来た事は褒めてやろう。木偶人形」

 

 月明かりがその人物を照らす。夜の闇に溶け込む様な黒衣の人物―――ナグモは冬の月よりも寒々とした目でノイントを睨んでいた。

 




>ナグモ

 主人公です。
 愛した二人の仲を引き裂こうとしている悪魔にしか見えないけど、この作品の主人公です(強調)。
 まあ、ナザリックがやってる事は誰がどう見たって悪役だし……うん、是非も無いよね!


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第百六十七話「生きる意志」

 月明かりに照らされる森の中。ノイントはナグモと対峙する。ナグモが不機嫌さを感じさせる仏頂面なのに対して、ノイントは裁判官の前に連れて来られた罪人の様に緊張した面持ちだ。

 

「……約束通りに来ました。だから、どうか私がいた修道院には………」

「お前の潜伏先にいた人間など興味は無い。まさか、アンカジの戦場から逃げ出した個体がこんな場所で隠れていたとはな」

 

 ナグモの視線にノイントはギュッと身体を縮こませる。相手をただの石ころの様な物としか見てない目。かつては自分が人間達に向けていただろう目で自分が見られている事が恐ろしかった。

 

 ノイントがフューレンの上空で行われた戦いを見ていた時。聞き覚えのある呪歌、そして淫靡な格好をさせられて竜騎士に斬り伏せられる()()()()()()()を見て、すぐに事の真相を知った。それでも恐怖で震える事しか出来なかったノイントへ、かつては姉妹達と連絡を取り合っていた超音波と同じ周波数で脳内へ語りかける声が来たのだ。

 

『今から指定する場所と時間に来い―――魔導国の者だ、と言えば用件は分かるな?』

 

 ………自分の逃避行は終わってしまった。それを悟ったノイントは、抵抗する事なく声が告げてきた場所へ行く事を決めていた。だが、それでも最後に愛という感情を知りたかった。自分を必要だと言ってくれた少年。彼からの愛情が欲しくて、ノイントは最後に彼の元へ訪れたのだ。

 

「お前が逃げ出した際に、僕の部下が一人消失した。強さは然程でも無いけどな。だが、損失である事には違いない」

 

 苛立たしげにナグモは冷たく言い放つ。ナザリックの一般モンスターは、一定時間が経てばリポップする。しかし、第四階層の場合はナザリック技術研究所として見ると事情が異なってくるのだ。

 ノイントが逃亡する際に殺したエビルメイガスは普通の一般モンスターだ。しかし、普通のモンスターを研究員として使える様にするには教育を行わなくてはならず、その分の手間や時間は当然かかった。たとえ研究員の一人の雑魚モンスターという位置付けであっても、ノイントがした事は技術研究所の所長であるナグモからすれば許しがたい損失を与えていたのだ。

 

「この損失はお前がその身体で支払って貰うしかない。喜べ、木偶人形。お前の献身は僕が役立て、そしてアインズ様の偉業の礎となれる様にしてやる」

 

 その献身がどういう意味を示すか。それは改造されて邪悪に歪められた姉妹達を見れば一目瞭然だろう。だが、それでもノイントは震える声でナグモを睨んだ。

 

「あなたが……私の姉妹達をあんな姿にしたというのですか?」

「何だその目は? エヒトルジュエが使っていた木偶人形共を有効的に再利用しただけだ。むしろ感謝すべきだろう。愚神の木偶人形が至高の御方の為に働けたのだから」

 

 ギリっとノイントを思わず奥歯を食いしばる。ナグモが言っている事は間違っていない。自分達は“真の神の使徒”という名前の駒としてエヒトルジュエに造られたのだ。自由意思など最初からなく、鹵獲された人形(姉妹)達がどう扱われようが持ち主の勝手とは言える。だが………。

 

「……私を人形と呼ばないで下さい」

「驚いたな。木偶人形風情が一丁前に人格を語るか。あるいは人間共に対して擬態する為にそんな機能があるのか………」

 

 以前のノイントならば、自分を人形扱いされても何も思わなかっただろう。だが、感情を知った今の彼女からすれば、自分や姉妹達を使い捨ての道具の様に言われるのは深く心が傷ついた。

 ノイントの心からの言葉だったが、ナグモはまるで変わった行動を取る実験動物でも見る様な目になっていた。ナグモからすれば、“真の神の使徒”達は研究所で散々と調べ尽くした人形だ。研究サンプルにした個体はどれも自我と呼べる程の物は無く、だからこそ彼の中で自動人形と大差ない物ぐらいにしかノイントを見ていなかった。

 

「他の個体には見られなかった反応だが………まあ、いい。それもついでに調べておくか。抵抗はするな。大人しく従えば、実験動物として丁重に扱ってやろう」

 

 ズイ、とナグモは一歩踏み出す。女性に対する遠慮や他人に対しての礼儀など考えていない、落ちている人形を拾う様な無遠慮さでノイントに近付き―――その足が止まった。

 

「………何の真似だ?」

 

 ナグモが不機嫌な声を出す。ノイントは魔力を編み上げて剣を実体化させ、ナグモに向かって突き付けていた。

 

「一応聞くが………僕に勝てる、と認知が狂っているわけではないな?」

「………ええ。あなたは私より遥かに強いのでしょう」

「当然だ」

 

 ノイントの指摘にナグモは即答する。そしてそれは事実だ。ナザリックの階層守護者代理として至高の四十一人の一人に創造され、この世界に来てから神代魔法を取得してレベルが上がったナグモのステータスはノイントなど及ばない。それはノイントも魔力を感知して理解している。だが………。

 

「でも、抗います。一人の人間として、何もせずに生を諦めたくないのです」

 

 自分を人間と言い張るノイントに、ナグモの眉がピクリと動く。

 現実は物語の様に甘くはない。どんなに虚勢を張ろうが、ナグモとの戦力差が埋まる事など有り得ない。必死に戦ったとしても、抗い様のない未来が待つだけだろう。

 だが、それでもノイントは強大な力(ナグモ)に為すがままに身を委ねる事をよしとしなかった。

 それは―――生き抜くという意志の力。

 ただ神の命令を遂行する人形としてではなく、一個の生命として喜びを、怒りを、嘆きを全力で謳う。その為に障害に抗うという意志。自分の為に身体を張り、それを目覚めさせてくれた人間がいた。その背中から、ノイントの中で“生き抜く”為に試練を突破するという意志が生まれていた。

 

「一人の人間として? 愚神の木偶人形の分際で随分と虫の良い話をするものだ。その人間共を愚神の為に殺し回っていたのはお前自身だろう?」

「………ええ、自分でも虫の良い事を言っているとは思います。でも―――覚悟の上です」

 

 犯した罪は消えない。たとえ生みの親(エヒト)からそれ以外の生き方を教わらなかったとしても、自分が積み上げていた人間達の死体が無かった事にはならない。かつての所業は罪の炎となって、人間の心に目覚めたノイントを永遠に苛むだろう。

 だが、その事を悲観して自らの命を絶つ事などもうしたくない。こんな自分を愛して、その為に身体を張ってくれた彼の為にも。

 ノイントはナグモに屈する為にこの場に来たのではない。彼女は自らの生を掴み取る為にここに来たのだ。

 

「私は………もう自分で自分を投げ捨てたりなんかしない!」

 

 相手は自分に恐怖という感情を呼び覚まさせた魔導王の配下。あの時の恐怖で震えそうになる。だが、ノイントは息を吐いて自らの心を落ち着かせた。

 魔力を実体化させ、捨て去った鎧を纏う。それはかつて“真の神の使徒”と呼ばれていた時の姿。“魅了”や“分解”の補助に使っていた超音波器官はもうノイントの身体には無く、魔力で再現した剣や鎧も形だけの偽物だ。

 だが、その目はかつてにない強い意志を込めた瞳をしていた。

 

 

「私は生きる! その為にあなたをここで倒します!」

 

 銀色の魔力―――“限界突破”を纏いながら、ノイントはナグモに向かって宣言する。その姿は他の“真の神の使徒”にはない気力に満ちていた。吹き上がる銀色の魔力は背中から大きく放出され、失った筈の銀翼にも見える姿はまさに真の戦乙女(ヴァルキリー)の様だった。それを見たナグモは、ノイントをじっと見つめた。

 

「………お前、名前は?」

「え?」

「名前だ。個体名ぐらい、お前にもあるだろう」

「………ノイントです」

「そうか。覚えておこう………あとで標本のラベルを付ける為にもな」

 

 ガシャン! と黒傘“シュラーク”をナグモは構える。それを合図に、ノイントは“限界突破”の魔力を纏いながらナグモに斬りかかった。

 

「はあああああああっ!!」

 

 ***

 

 これが物語であれば、きっと勝利の女神はノイントに微笑んでいただろう。

 人形だった少女が生きる意志に目覚め、あるいはそれが引き金となって眠っていた力を引き起こす展開もあっただろう。

 だが―――現実はどこまでも非情だった。

 

「―――五分二十四秒。よくもった方だ」

「うう、っ………!」

 

 地に倒れ伏したノイントから銀色の魔力が霧散していく。それと同時に剣や鎧を実体化させていた魔力も途切れて消えていく。

 事実、ノイントはよくもった。たとえ“限界突破”を使ってもナグモとのステータス差は歴然としたものであり、超音波器官を失った今では“真の神の使徒”としての能力も半減しているに等しかった。

 そんな彼女に力を与えたのは生きる為の意志の力に他ならず、それがノイントを最後まで諦めさせなかったのだ。

 

「………本当によくもった。予想ではもっと早くに無力化できると思っていたんだがな」

 

 ナグモは淡々と地面に這いつくばるノイントを見ながら言う。それはかなり遠回しであるものの、予想を上回る力を見せたノイントに対して驚きと僅かながらの敬意を表している様でもあった。

 

「まだ……私は………!」

 

 血反吐を吐く様な声でノイントは消えかけそうな剣を無理やり実体化させる。剣はまるで明滅するかの様に不確かな存在になりながらも、それを支えにノイントは立ち上ろうとしていた。

 

「………………」

「ああああっ!?」

 

 パンッ、パンッ、パンッ、パンッと黒傘“シュラーク”の銃撃が鳴る。神速で放たれた四つの銃声はほぼ一つの銃声となり、ノイントの両手足を撃ち抜く。手足を動かす為の神経や骨を物理的に砕かれ、ノイントは顔から地面へ崩れ落ちた。

 

「もういい、よくやった。最初からこの結果は分かり切っていただろう。これ以上は手間をかけさせるな」

 

 ナグモは完全に手足が動かなくなったノイントに歩み寄り、首根っこを掴んで無理やり引き起こそうとした。しかし、その手に僅かな違和感を感じた。

 

「んうううっ……!」

 

 地面に埋まっている石。先端が少し地表に飛び出て容易には動かせないそれに、ノイントは文字通り齧りついていた。それによってナグモはすぐに引き上げられなかったのだ。

 

(生きたいっ……生きたいっ……!)

 

 端正な顔を泥で汚し、涙でぐちゃぐちゃになりながらもノイントの目は生の執着を諦めていなかった。

 スッとナグモは目を細める。そしてさらに力を込めてノイントの頭を持ち上げた。

 

「あぐっ―――!」

 

 無理やり引き剥がされて歯が折れたのかもしれない。口の中を切って出血するノイントの頭を掴み、ナグモは地面に叩きつけようと力を込めて―――。

 

 ヒュン、ヒュン!

 

 突然、ノイントの頭を掴んで持ち上がっていたナグモの腕に投擲用のダガーが迫る。だが、“飛び道具無効化”の装備をしているナグモの腕に当たる事なく、ダガーは勝手に軌道が逸れた。

 

「ノイントさん!」

 

 ダガーが当たらなかった事を受けてか、その人物は大声で叫びながら出て来た。

 

「コー……スケ……」

 

 それはノイントが一番会いたくて、そしてこの場にいて欲しくなかった人物だ。息も絶え絶えのノイントの頭を掴んだまま、ナグモは浩介の方を振り向いた。

 

「………南雲? お前、南雲なのか!?」

「………久しぶりだな。遠藤浩介」

 

 月明りに照らされて見えた顔に浩介は幽霊でも見た様な顔になる。オルクス大迷宮で身投げした筈のクラスメイトを見て愕然となる浩介に対して、ナグモは無機質な声を出した。

 

「お前……生きてて……! いや、そんな事よりノイントさんに何をしているんだよ!?」

 

 一瞬だけ浩介の目元が安堵する様に緩む。だが、ナグモが片手で掴んでいる傷だらけのノイントを見て厳しい声を上げた。

 

「こいつは始末する必要がある女だ。人間達にとって、これは害悪にしかならん」

「何を言ってやがるんだ!? なんでノイントさんが害悪なんだよ!!」

 

 自分の愛した女を害悪呼ばわりされ、浩介は怒りに吼える。相手が元・クラスメイトでなければ、既に殴りかかっていただろう。だが、そんな浩介を見てもナグモは能面の様な無表情を崩さなかった。

 

「簡単に言ってやろう。お前や他のクラスメイト共をトータスへ召喚した者がいて、この女はその元凶の手下だ。奴は神を名乗り、多くの人間達を操って戦争を繰り返させていた」

「か、神……? おい、適当な事を言ってるんじゃねえ! そんなのがいるわけないだろ!」

「だが、異世界からお前達を召喚した存在がいるのは事実。それは召喚された直後、大司教達が説明していただろう」

「仮にそうだとして、ノイントさんがそんな悪い奴の手下だなんてあるか! そうだよな、ノイントさん?」

 

 同意を求める様に視線を向けるが―――ノイントは辛そうな表情になって浩介から目を背けた。

 

「ノイントさん……? 嘘、だよな? そんな……南雲が与太話を言っているだけだよな?」

「どうやら、その様子だとお前は何も知らされていなかったみたいだな。当然か………潜伏先で自分の素性を正直に語る馬鹿などいない」

 

 一縷の望みに縋ろうとする浩介をバッサリと切り捨てる様にナグモは言い放つ。そしてショックを受けた様に立ち尽くす浩介を余所に、ナグモはノイントを冷たく見下ろした。

 

「人間を篭絡すれば絶好の隠れ蓑になるとでも思ったか? ああ、()()()()()()でお前達は人間共を操ってきたわけか………フン、やはり木偶人形だな。手段が創造主に似て下劣そのものだ」

「ちがっ……私は……!」

 

 泣きそうな表情でノイントは弱々しく喋る。だが、そんな姿を見てもナグモは極寒の視線で見ていた。まるで何か期待を裏切られて失望したかの様に、声に苛立たしさが混じっていた。

 

「やはり愚神も、その眷族も生かしておく価値など無いな。こんな毒虫共が蔓延っていては、トータスの人間共もいつまでも安心など出来な―――」

「止めろ」

 

 低い声が響く。ナグモが煩わしそうな視線を向ける中、浩介は目付きを鋭くしながら睨んでいた。

 

「ノイントさんを………俺が好きな女をそんな風に言うな」

「………驚いた。そこまで愚かだったのか? この人形がお前に見せていた好意など見せかけだけの物だ。自分の追跡を逃れようと利用しただけのものだ。それを知って、尚もこの人形を擁護するのか?」

「人形なんて呼ぶな! 俺は……ノイントさんを愛しているんだ! この気持ちは嘘なんかじゃない!」

 

 浩介が愛用の短剣を構える。もう相手がかつてのクラスメイトでも関係なかった。自分が愛した女性を泣かせる人間は、誰であっても許せはしない。

 そんな浩介をナグモは詰まらない物でも見るかの様な目付きになり―――魔力を解放した。

 

「うっ……!?」

「一度しか言わないぞ、低能。僕はこの木偶人形を始末する。邪魔をするな」

 

 絶対零度の視線でナグモは言い放つ。対して浩介はまるで謎の圧力が掛かった様に息を荒くさせた。

 ハルモニアとの戦いで開花した電磁波(気配)を見る眼力。その眼をもってしても、ナグモの身体からハルモニアなど比べ物にならない巨大な電磁波を発しているのが見え、自分が戦ったどんな相手よりも規格外だと知るには十分だった。

 それは人間が途方もなく巨大な怪獣にする様なものだ。怪獣に睨まれただけで、生存本能が警鐘を鳴らして脳が麻痺して動けなくなる。それが当然の反応であり、脳の働きとして正常のものだ。

 

「お、俺は………否。我は―――」

 

 だが―――ここに例外が存在する。正常にはない脳の働きをする者。それこそ、脳の回路(サーキット)を組み換え、戦う為の意識と肉体に変革できる者。それが行える者は、恐怖による重圧など打ち破れた。

 

「我は恐れぬ! 愛した女を守る! どうしても彼女を殺めるならば―――今日が別れの日だ! かつての学友よ!!」

 

 深淵卿モードを発動させ、芝居がかった台詞ながらも浩介はナグモに向かってまっすぐに短剣を突き付けた。その手には怯えなど微塵も感じられない。

 

「―――いいだろう」

 

 ナグモは手に持っていたノイントを投げ捨てる。十メートルほど飛び、地面に叩きつけられて痛みに喘ぐが、ノイントは生きていた。だが、浩介はノイントの元へすぐに駆け寄る事はできなかった。ナグモから放たれる殺気。それが今、自分に向けられている状況でコンマ一秒の隙も許されない。

 

「そこまで言うなら相手をしてやる………最期に自らの愚かしさを自省しながら逝け、人間っ!!」

 

 ガシャン! とナグモの手に黒傘“シュラーク”が再び握られる。

 そうして、かつてのクラスメイト同士の戦いが幕を開けた。




ちょっと補足。ナグモが「エヒトの眷族を生かしていたらトータスの人間達は安心できない」と言っていますが、はっきり言うとミュウ達の為です。ミュウが平和に暮らせる為にも、戦争を引き起こす“真の神の使徒”は●す精神です。因みにノイントは人形から脱却した精神を見せて見直しかけたけど、遠藤にハニトラしてたんじゃね? という疑惑で、やっぱ生かす価値ないわと思っております。


>次回、ナグモVS浩介

なんというか………ここまで主人公に勝って欲しくない戦いは珍しいんじゃないかな。
参考までにそういう戦いに心当たりがある方は教えて欲しいです。そして見守ってあげてください。


深淵卿の最後の戦いを。


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