非きこもり、JDを拾う。そして、育てられる。 (なごみムナカタ)
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序章Ⅰ【遭遇編】
非きこもり、JDと遭遇する。


新シリーズ始めました。

比企谷八幡と川崎沙希の物語。

ちょっとだけ真面目な展開になっていますが導入の一、二話だけで、基本コメディ要素多めにするつもりです。いちゃいちゃさせれれば言うことなし。

2021. 9.30 利息計算がおかしいとのご指摘をいただき、加筆・修正しました。



 清々しい陽の光をその身一杯に浴びながら、街を散策する。

 高校生の頃からは考えられないが、こうなったのには少々事情があるのだ。

 

 俺――比企谷八幡――は総武高校を卒業し、無事大学進学を果たした。

 驚くことに”あの”由比ヶ浜も合格し、合格発表の日は雪ノ下の目から涙を流させたそうな。

 三年になって奉仕部を引退した後も、ずっと部室で受験勉強漬けの日々を過ごしていた成果が出たのだろう。部室での雪ノ下は自分の勉強よりも、むしろ由比ヶ浜に教える時間の方が長かった気がする。雪ノ下ほどではないが協力した俺としても、合格は喜ばしかった。

 

 大学進学と、小町の鶴の一声『出てって』によって一人暮らしを始め二年目。俺はバイトと仕送りで生計を立てている。今日は給料日で、その為の外出でもあった。

 

 わざわざ銀行が混むであろう日に……と言われそうだが、振り込まれたかの確認はせねばなるまい。それに、最近は残高が増えていくのを見ると頬が緩むのが分かった。由比ヶ浜あたりに”キモい”と罵倒される類いの顔だ。うん、それってやばいね。

 

 

 春とはいえ、汗が滲み出す日差しの強さに身体が水分を欲しがる。

 喫茶店かサイゼでもと周囲を見渡すと、腰まで届くポニーテールが目に付いた。青みがかった長い髪と、それを留めるシュシュ。

 彼女と最後に会ったのは、もう一年以上前になる。

 

 あれは……皮裂だ。たぶん。音は合ってる。って字面が最悪だったわ。

 川裂はちらちらとビルを見上げては俯いてを繰り返す。皮崎がどの店に入ろうとしているのか知らないが、そんなに悩むことか。真昼間から酒でも(あお)るつもりか川崎は。……そうだ、川崎だよ。川サキサキ。

 

 ――当時の記憶が甦る。

 忘却の中から懐古を生み出す見事なパラドックスに、ふと笑みが零れた。

 

 名前を思い出せたことに背中を押されたのか、声をかけようと近づく。

 横から顔を確認すると、やはり川崎沙希であることに間違いない。だが、表情を見るとやけに深刻そうであった。

 

 ただならぬ気配を感じ取り、川崎が視線を向けたビルのテナントを確認する。

 

 一階は宝飾品店。川崎のイメージじゃないんだよなぁ。由比ヶ浜とか一色のが似合いそうだ。

 

 二階はマッサージ店。宝飾店より可能性は高いが、入るのに決死の覚悟が必要だろうか。

 

 三階の看板を確認した瞬間、これだと理解してしまう。

 

 

 

(……消費者金融)

 

 出来れば的中して欲しくなかったが、恐らくビンゴだろう。その証拠に、もう一度ビルを見上げる彼女の表情は辛そうで、ひどく痛々しくて、見ていられなかった。

 

 身体を強張らせてビルへと乗り込む姿は、まるでカチコミするかの如くである。

 このままビル内に入られたらまずい。掛ける言葉も用意しないまま、反射的に川崎の右腕を掴む。

 

「っ⁉」

 

 いきなり腕を捕まれた川崎は、こちらを振り向きばっちり目が合った。

 驚きでしばし目を丸くしたが、俺のことを覚えていたようで悲鳴を上げることはない。

 

 泣きぼくろが印象的なその表情は、記憶をより鮮明にする。

 いつしかの深夜バーで見た時とは違って弱々しく、憂色に染まる瞳は今にも零れ落ちそうなくらい潤んでいた。

 

「よ、よう……」 

 

 気の抜けた声に緊張の糸が切れたのか、瞳から雫が零れ落ちる。

 周囲の突き刺すような視線に耐えきれず、なんとか川崎を宥めた俺は近くの喫茶店に連れて行くのであった。

 

 

×  ×  ×

 

 

「……」

「……」

 

 かれこれ10分近くも地蔵タイムが続いてる。

 既に涙も止まっているが、店に入った周囲の視線はえげつなかった。むしろ、場違い過ぎて店を間違えたレベル。

 いや、実際間違っていたと言わざるを得ない。人目を避けて下宿に連れて帰った方が良かったかもと思えるほどに。

 

 冷めた珈琲に口を付ける。猫舌の俺を以ってしても飲めたものじゃない代物だった。お地蔵さんはこんなものをお供えされているのか。転生したら地蔵だった件だけはごめんだな。まてまて、そもそもホット珈琲はお供えされねえよ。

 

 下らないことで気を紛らして緊張を解こうとする作戦は、概ね成功したようだ。対面にいる元クラスメイトに目を向ける余裕が出来た。

 

 目の下に薄っすらとできた隈。髪は少し乱れ、艶がない。疲れ切ったその表情は、高校時代密かに名付けた(さち)薄子(うすこ)さんを想起させた。これで消費者金融をご利用予定なのだから役満成立といっていい。顔や身体に痣などあったらダブル役満。手首に傷痕でもあればトリプル役満の完成である。

 そこまでいくと怖くて逃げ出したいくらいだが、この重要イベントは回避不可だろう。

 やはり、人生というやつはクソゲーだ。

 

 あちらから事情を話してくれるのを待ってみたが、さっきの醜態も尾を引いてるのだろう。俯いたまま微動だにしない。

 

 やれやれ……。

 

「話、聞かせてくれるか?」

 

 観念してこちらから水を向けてやると、川崎もぽつりぽつりと話し始めた。

 

 

 大学進学と同時に一人暮らしを始めた川崎は、仕送りとアルバイトでちゃんとやりくりをしていた。

 だが、昨年末あたりからバイトの給与未払いが始まったことで、歯車が狂い始める。

 

「店長が横領でもしてたと」

「してないから。普通に業績が悪化したせいで未払いになっただけ」

 

 そうして、気づいた頃には家賃の滞納で部屋を追い出されるところまで来てしまったのだという。

 

「別のバイトとか探さなかったのか?」

「他でも働いたんだけど、ちょっと遅すぎた感じ……」

 

 川崎は力なく笑って続けた。

 未払いが続きバイト先を変えようとしたが、一人暮らしを始めてずっと勤めていた職場を見切ることに抵抗があったらしい。要するに、雇い主や従業員達の人柄に絆されたというわけか。

 そういえば高校時代も体育祭やプロムの衣装を頼まれると、文句を言いながらもなんだかんだ手伝ってくれていた。話し掛けんなオーラ出してぼっちしてるわりに義理堅く、情に脆いところがある気がする。

 それで自分が損をするのはどうかと思うが、俺はこういう人間が嫌いではない。

 

「親が保証人だし、迷惑かけたくないから大家さんに連絡しないで欲しいって頼み込んだんだ。そしたら、滞納分を返済するならって条件つけられて……」

 

 保証人制度は貸し主が未払いを防ぐ為のものだし、当然の処置といえよう。

 結局、バイト先は潰れ、給与未払いのまま、親兄弟にも頼れず、あそこで佇んでいたが途方にくれているところを俺に見つけられたというわけだ。

 それを聞き、引き止めれて心底良かったと胸を撫で下ろした。

 

「……お前、仮に借りれたとして、返す当てあるのか? 仕事とか紹介されて強制労働させられる未来しか見えないんだが」

 

 返せる当てもなくそんなところから借金したら、いずれ風俗デビュー待ったなしだぞと言外に匂わす。

 

「未払い分の給料が入ってくれば大丈夫。ちゃんと払うって言ってたし……」

 

 そういうのを当てとは言わねえよ。払えないから未払いしてんだろ。

 友達とか他に助けてくれる人はいないのかと訊くと、大学でも友達作りに失敗したらしく、最低限の付き合いしかない自分にまとまったお金を貸してくれる人などいないそうだ。

 

「……」

「……ちょっと、黙んないでよ」

「いや、なんかすまん」

「だから謝んないで」

「お、おう……」

 

 とりあえず偉そうに説教してしまった手前、このまま無策で別れることなど出来そうにない。

 

「……ちなみに、いくらだ?」

「え?」

「消費者金融からいくら借りるつもりだったんだ?」

「滞納分と今月の生活費合わせて、40万くらいのつもりだけど……」

 

 スマホで調べ、一般的な消費者金融の利率で計算してみる。いくら仕送りしてもらってるかは知らないが、バイトで利息を払いながら元本40万返すとか、いつまでかかるんだよ。日々の生活費だってあるんだぞ。

 

 思案してみるが、安全で即効性のある手段はこれしか見当たらない。俺は通帳を取り出して残高を確認した。

 

「じゃあ、ちょっと待ってろ」

「え? う、うん」

 

 川崎を店に残したまま、最寄りのATMに行って金を下ろす。急いで店に戻って封筒を差し出した。

 

「待たせた。これで足りそうか?」

「…………え」

 

 この状況で封筒を差し出されてなお、自分に宛てられた物と理解できなかったようだ。分かり易く『⁇』に支配されたぽかん顔で俺と封筒を交互に見やる。

 

「中、確認しろよ。急いでたから数えてねえんだ。足りなきゃ、またATMに行かなきゃならん」

「……………………!」

 

 長い長い混乱のトンネルを抜け、沈黙の壁を突き破った声は、言葉になっておらず、図鑑とかでしか見たことのない野生動物は、こんな声で鳴くのかもしれない。なんて心底どうでもいい所感を心の中で呟くのだった。

 

「ちょっ! なんであんたがそんな、えっ⁉」

 

 驚くか批判するかどっちかにしてくれませんかね。要領を得ない川崎の発言に、そう突っ込みそうになってしまうが、茶化していい場面でもないので、ぐっと堪えて話を続ける。

 

「いや、これが一番効率が良かったしな」

 

 相手が見ず知らずの人間なら『お人好し』を通り越し『愚か』の一言で決着するが、目の前にいるのは川崎だ。元クラスメイトであり、元予備校の同輩であり、お互い妹を持つ上の子であり、同郷者でもある。……最後だけなんの意味もないフィルターだった。冷静に考えると他の括りも好誼(こうぎ)と呼べる間柄を顕すかといえば疑問であったが。

 

 しかし、由比ヶ浜は別格として、川崎に対しても俺は親しみを感じていた。元クラスメイトという括りの中で、この金を貸してもいいと思えるくらいには。

 

「だ、だって……」

 

 封筒に手を添え、その厚みに狼狽える。だよなあ。まだ社会人じゃない俺らが、500円玉より簡単に立ちそうな厚みの札束に触れる機会はない。こんな金をぽんと出す俺って、見方によっては闇金より胡散臭く映るかもしれん。

 

「とにかく返済に使ってくれ。お前がバイトで月いくら稼ぐか知らんが、こんだけ借りたら講義休んでバイト漬けしても返済まで相当かかる。それで単位足りなくなって留年とかしたら、それこそ親に負担かけるだけだろ」

 

「……」

 

 図星を突かれたのか俯いてしまう。

 こいつは不器用だが、バカじゃない。そんな簡単なことは織り込み済みで、それでも借りるしかない切羽詰まった状況が今なのだ。家族に言えず困った姿は、初めて出会った頃とダブった。

 

「……お前、確かあの時に言ったよな? あたしのためにお金用意できるんだ、とか、肩代わりしてくれるんだ、とか」

 

 思ったより挑発的な口調になってしまったが、川崎はその言葉で萎縮するよりも驚いた表情を見せた。

 

「あ……。そんな昔のこと、お、覚えてたんだ……」

 

 そういうあなたもよく覚えてますよね、と言ってやりたい。

 かつて年齢を誤魔化し、アルバイトしていた深夜バー。そこで、俺達が通り一遍の説得をして返ってきた言葉である。

 

「あの時は出来なかったが、今はこうしてお前のために用意した。なら使ってくれても構わないだろ」

 

 川崎はばつが悪そうに目を伏せる。

 やっぱりそうか。こいつの人柄を知っていくほど、あれは単なる強がりというか売り言葉なのだと気づかされた。

 仮にあの時、予備校費用を用意してやれたとしても、こいつは手をつけなかったのではないか。全くもって不器用で意地っ張りで捻くれてるけど義理堅い。こうして並べると、ほんと野生動物とかにいそう。つまり、餌を用意しても人間の前で食べず、いなくなったら食べるのかもしれない。このまま俺がいなくなれば、この封筒受け取ってくれるかな……。あっぶね! 40万も入った封筒置き去りにしたら、日本ですら届けられるか分からないっつーの! あ、目の前に川崎さんがいましたね。

 

「……でも、いつ返せるか……分かんない、し……」

 

 ちょっと待て、それって聞き捨てならんのですが。

 そのいつ返せるか分からない金額を、利息付きの消費者金融から借りようとしていたのは何処の誰ですかね。

 自分がどれだけ危なっかしいことを言っているのか分かっているのか。こいつの無自覚さに苛立ち、さきほど暈した部分を言説する。

 

「現状、今すぐお前独力でどうにかするにはパパ活かソープ嬢しかないだろうが」

「っ!」

 

 まるで怒りをぶつけるような険のある言い方だ。その言葉から未来を想像したのか、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。

 脅すような口調になってごめんな。受け取らせるために必要な儀式だからと自分に言い聞かせる。

 

「自分のこととはいえ、嫌だろそういうの」

「うん……」

 

 俺も嫌だし……とは気持ち悪いだろうし、口には出さない。

 

「普通のバイトじゃ、大学休学してフルタイムで働いても返済に半年以上かかるぞ」

「……」

「だったら余計な利子がかからないよう俺から借りて、お前の都合がつく時に返してくれればいい」

 

 今の俺にとって生活さえできれば、預金残高はゲームのスコアみたいなものだ。

 ……ただ、しばらくはマッ缶を控えねばならないだろうが。

 

「………………………………わかった、借りとく」

 

 長い沈黙の後、ようやく首を縦に振ってくれた。両手でしっかりと封筒を握り締め、瞑目する。

 

 これで、一先ず問題の解消が出来た。

 胸を撫で下ろした俺は、頭の中で次の(・・)問題に向けて対策を練り始めるのだった。

 

「あ、あの……さ」

「ん?」

 

 恐る恐る御伺いを立てる川崎の様子に昔の面影はない。こいつも丸くなったもんだ。ジャックナイフのように切れ味鋭い高校時代の思い出に……浸るほど交流があった気がしなくもないでもなかった。

 

「えっと……その……」

 

 おずおずとスマホを取り出し、俺→スマホ→俺→スマホと視線をループさせながらへどもどしている。ふむ、なかなか高度な読解問題だ。『あのさ』『えっと』『その』これらの語句から川なんとかさんが何を訴えようとしているのか答えよ。

 ……難問じゃね? なんだったら、こいつの苗字で穴埋め問題まで発生してるけど。答えは川裂です。はい、不正解! 同じ誤答で学習能力のなさを露見してしまった。漢字の書き取り間違えるとかケアレスミスを減らさないと大学なんて受かりませんよ。おっと、一年前に受かってたわ。

 少し安心したせいか、俺の思考は平常運転だ。常日頃から、こんな果てしなくどうしようもないことを考えてカロリーの無駄遣いしてたのか。そりゃマッ缶も必要だよな。今月は控えなきゃだから、この無駄思考も自重せねばなるまい。

 割と真面目に反省していると、川崎の方から正解発表された。あ、正解は川崎でした。

 

「……連絡先、交換しない? お金返す時、困るから……」

 

 難問どころか、至極当たり前の答えが返ってきた。そういえば、こいつの電話番号知らねえじゃん。

 その当たり前に考えが及ばなくなるほど安心感があったので仕方がない。

 

 まず、あれだけ受け取るのを渋ったことから謙虚さと責任感、義理堅さが窺えたし、むしろいらないと言っても返してきそう。いや、いるんですけどね……。

 

 次に、我が最愛の妹・小町はおぞましいことに川崎の弟・大志の連絡先を知っている。メルアドだけなら俺も知ってるが、高二の時にやり取りして以来、音信不通なので、メーラーデーモンさんへと変貌を遂げていてもおかしくはない。

 

 最後に『まだ終わってない』という懸念材料のせいで、このまま別れることにはならないという強い確信があったからだ。

 

 

 スマホを差し出すと、今日初めて本当の笑顔を見せてくれた。

 しかし、その笑みはすぐ消え去ることになる。

 

 ……番号登録の操作が分からず二人揃って悪戦苦闘したためであった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

タイトルには書いてませんが、この話は導入部の前編で次話が後編となります。

八幡の設定は以下の通りです。


◆比企谷八幡◆

私立大学二年生。高校卒業後一人暮らし。
高校生までと違い、とある理由から家に籠る時間が極端に減り、非きこもり(【非・引きこもり】の意)となる。
外出理由はほぼアルバイト。

高校時代は基本原作通りだが、12~14巻のプロムに介入せず、雪乃を見守ったため、三人の関係には答えがでないまま現在に至る。
プロムが成功したかどうかって? ……さあ?


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非きこもり、JDを拾う。

比企谷八幡と川崎沙希の物語。

今回は、八幡がどうして脱ひきこもりを果たしたのか説明されてます。
原作の八幡は大人びていたけど12巻で大学の学費をよく知らないみたいな描写もあったので、それを利用しました。



「ところで、さ……あんたも一人暮らししてる、でいいの?」

 

 かつての二年F組の人数以上いるであろう福沢達を指で弾きながら、目線を合わせず訊いてきた。

 女子ってなんで他のことしながら話したり出来るんですかね。俺なんて脳内で捻くれ思考展開中は他人の話を拒絶する。なにそれ、絶対不可侵領域(ATフィールド)じゃん。ぼっちが捗る。

 

「そうだな。それで合ってる」

「ふーん……」

 

 女性店員がちらちらとこちらを見てる。珈琲のお代わりを注ぐタイミングを窺ってるのか、川崎の数えてる諭吉達を見ているのか。

 いや、十中八九後者のようだ。女とは金から目を離せない呪いにかかった生き物である(最低の偏見)。俺は目が腐る呪いにかかっているが(ただの事実)。その因果を捻じ曲げるためにもお代わりを頂いた。

 

 川崎がパチンと音を鳴らし札を数え終えた。札勘が様になり過ぎだろ。この後、扇みたいに広げて(横読みで)ダブルチェック始めちゃったらカッコ良過ぎて危うく惚れてるところだわ。

 

「ん、ちゃんと40万あるね。ありがと」

「おう」

 

 封筒を仕舞うと、川崎も珈琲のお代わりを貰う。女性店員は珈琲を注いだ後、まだちらちらと俺達を見ていた。

 

 ……手切れ金支払ってるように見えちゃってます?

 

 いや、俺が川崎に金渡して別れてくれなんて有り得ねーだろ。川崎から借りた金を俺が返済してるダメ男って感じなら分かるが。

 うわー、それある! だよねー、なんか真実よりも事実っぽくてウケる! 俺自身この金って貸したんじゃなく、返済してるって錯覚してきたもん。って、なぜか唐突にさばさば系JD(多分女子大生してると思われる)が憑依した。

 

 女性店員は他の店員のところまで行くと、トレーで口元を隠しているのにダダ洩れな声でひそひそと話し始めた。

『ねーねー、あれってもしかしてパパ活?』

『男が若過ぎるし、パパ活であんな出さないでしょ』

『あー、だよねー。じゃあ、男が逆ナンされて絵とか壺とか買わされた感じ?』

『それあるー! ってかそれ以外ないまであるー! ウケる!』

 などと、俺の中のさばさば系JDが伝染したような口調で、好き放題のゴシップが咲き乱れていた。

 あの、もう少し音量絞っていただけませんかね。親父のありがたい教育を思い出しちまったよ……。

 

 

 

 お昼も近くなり、何か頼もうと考えていると川崎が席を立った。

 

「あ、そろそろ行かなきゃ……大家さんに返済しなきゃいけないし。ここ払っとく。ありがと」

 

 伝票に伸びた左手に俺も手を伸ばす。川崎の手に俺の手を添える形となった。

 

「あ……」

 

 アスファルトに落ちて消える一片の雪のような儚い声が漏れる。

 触れた手はじっとりとして冷たい。自律神経の乱れがこの冷えを生んでいるなら、今も多大なストレスを感じているのだろう。

 やはり、川崎にはまだ懸念材料が残っているようだ。

 

「……」「……」

「……ねえ」

「……ん?」

「離してくれないと、会計できないんだけど……?」

「あ! ああ、すまん、わざとじゃない。っていうか俺まだ頼むし、まとめて払っとくからいい」

 

 手を離すと、自分の左手を押さえて俯く川崎。心なしか顔が赤い。まずい、怒らせたか。奢ると言って怒られるパターンは想定していなかった。小町なら喜んでポイント高いと連呼しそうだし、一色なんて奢りと分かると追加注文してきそうだ。ってかする。

 

「でも……」

 

 大金を無利子で貸してもらったせめてものお返しにと、そんなところだろう。

 だが、それだとこちらとしては困るのだ。これから家賃の返済で多くの諭吉達が命を落とすことが分かっているのに、こんなところで彼等に無駄な血を流させたくない。この先、川崎には物入りな未来が視えていたからだ。

 

「利子代わりとか思ってるなら全然足りんから無理するな」

「……あ」

 

 ……ちょっと酷い言い方だったか。

 気落ちさせちまったようだし、フォローしといた方がいいな。

 

「それならお前に家事とかやってもらった方が全然助かる」

「なっ⁉」

 

 川崎は両腕で身体を抱くようにして、背もたれ一杯まで後ずさる。

 俺にとっては、奢られても大して益がないと比喩したつもりだが、少し気持ち悪い発言だったかもしれん。加減が難しいな……。

 なんとかしないと通報されちゃうぞ☆ という、それこそ気持ち悪い囁きが脳内に響き、さっきのフォローを捻くれ思考でアレンジし、ブラッシュアップする。

 

「言い方は悪いが、もともと無利子で返済義務がないのに、対価として元本返済までお前を使い倒せるとしたら利子分なんかよりも高い労働力と効果が期待できるからな。助かるを通り越して丸儲けと言わざるを得ない」

「ほんとに言い方悪いんだけど……」

 

 警戒レベルは下がったが、俺の人間レベルはもっと下がった。川崎の視線からは呆れを通り越し、蔑視すら感じられる。

 

「……ま、あんたらしいかも」

 

 ふっと笑みを見せ、川崎は席を立つ。

 

「……助かるよ、御馳走様」

「おう」

「今度、なんかお礼するから」

「……じゃあ、落ち着いたら後で電話くれ」

「え?」

 

 俺の言葉をどう解釈したのか、眉根を寄せて見つめてきた。

 もしかして、せっかく下げた警戒レベルまた上がっちゃうのでは……。

 

「……なんで?」

「お前がその金でゲームやフィギュアを買ったりしないよう監視の意味も含めて、大家さんに確認を取っておきたいからな」

「だ、誰が! そんなの買うわけないでしょ! あんたと一緒にしないで!」

 

 それは違う。ゲームはともかくフィギュアを買うのは材木座だ。

 この前など「限定フィギュアの抽選に漏れたが、その直後にメル〇リで買えたのだ! これぞ我が強運!」などと心底どうでもいい自慢話をしてきた。本当に強運ならまず抽選に当たるだろうが。むしろ、メル〇リで割高購入したのだろうから不運でしかない。そんな雑音で俺の記憶領域を侵さないで欲しい。

 アドレス帳からあいつの番号を削除したら本人も召されないでしょうか、心臓麻痺かなんかで。Deathマートフォンかよ、なにそれ欲しい。だが、俺のアドレス帳は登録数が少ないので、やはり新世界の神にはなれなかった。

 

「まあ、一応アフターケアまでしておかないとって感じだな」

「……そう」

 

 含みのある言い方に釈然としない表情で応える川崎。

 出来ればこのアフターケアは杞憂に終わって欲しいと願うのだった。

 

 ……あと店員さんたち、俺がなにも受け取らなかったのを見て「パパ活の方だったかー」とか「後日、壺とか発送されるんでしょ」とか分析しなくていいですから。

 

 

×  ×  ×

 

 

 一旦、アパートに戻った俺はカレンダーを眺めながら、今後の予定を確認する。

 勢いで40万も貸しちゃったが、結構な大金だよな。またバイトを頑張らねばならない。

 

 俺の高校時代までを知っている人間からは考えられないだろうが、こうなったのにはそれなりに理由があるのだ……。

 

 

 このままでは兄が一生実家暮らしをしかねないと危惧した小町は、妹離れを強要するため「出てって」と後押ししたのだ。決して比企谷兄妹不仲説から端を発したわけではない。ないよね?

 

 そして、これに賛同したのが両親である。

 特に親父は力強く同意し、二度と俺が帰って来ないよう破格の仕送りで実家から遠ざけようとした。

 小町の歓心を買いたきゃ俺を金で追い出すより他にやりようあるだろ。だが、そうしないのは俺の親らしく、捻デレであるがゆえなのだと気づいた。

 

 俺が一人暮らしをすることに母ちゃんは多少心配だったようだ。高校を卒業する前あたりから、具体的な金に関する話を聞かされるようになる。

 一人暮らしの生活費を試算され、受験が終わった後にバイトを勧められた。

 

 今までバイトを長く続けたことがなかったので、一ヶ月みっちりと働いて得られた結果に愕然とする。

 給料の少なさに見合わない労力と拘束時間。

 入学料に始まり、後援会費やら同窓会費やら保険やら教科書やらパソコン教材やらと、挙げれば切りがない大学費用。

 俺の一ヶ月のバイト代などなんの足しにもならんような金額がずらりと並んだ。

 一般的な金銭感覚は持っているつもりだったが、表面しか見えていなかったことを思い知らされた。

 大学とはクソほど金が掛かる悪魔の様な搾取施設であったのだ。

 

 こんなのを見て金の重みを知った後で、あの破格の仕送りが俺を遠ざけるためだけのものだとは思えない。これは小町を理由にしてその実、俺の仕送りを増やす親父の捻デレなのだろう。俺はその意図を理解した上で、ありがたく享受した。

 

 一方で、俺から小町との生活を奪う目的も確かに含まれていたため、あまり心は痛まなかった。なんせ盆暮れ以外で迂闊に帰省しようものなら逆に罰金を取ると契約書を書かせてきやがったからだ。感謝と憎悪の入り混じった極大消滅魔法で親父を消滅させたいくらいだが、仕送りも消滅するので我慢した。

 

 こうして金の価値が身に染みた俺は、仕送りで余裕があろうとも安物件を選び、バイトにも精を出した。

 結果、それで川崎を助けることができたのだから、小町と両親には感謝しかない。

 

 

 

 prrrrr...

 

 高校時代までほぼ鳴ったことがないスマホが鳴る。

 最近では、バイト関係者からまあまあ電話がくるので驚きはしない。

 この着信は川崎からだった。

 

「はい、どちら様でしょうか」

『あ、あたしだけど……』

「壺なら間に合ってますんで」

『は?』

 

 ついさっきの女性店員さんがしゃべってた内容がちらつき、妙な返しをしてしまう。

 

「あ、いやすまん。名乗らないから詐欺かと思って」

『詐欺って……名前登録したでしょ』

「電話の持ち主と電話してきた人物が同一とは限らんだろ」

『……屁理屈』

 

 こういう心構えが未然に詐欺を防止するんですよ、と言ったら呆れられた。あれ、内容は至極真面目でまともでしたよね。解せぬ。

 

 律儀に電話をくれた川崎は、ちゃんと返済した旨を伝えてきた。

 もちろん使途に疑いはない。連絡させたのは他に知りたいことがあったからだ。

 

「そうか、良かったな」

『うん、ほんとに助かったよ、ありがと……』

「まあ、なんにせよこれで一件落着、か」

『……あ、あの』

「なんだ?」

『……』

 

 川崎は言い淀み、口を噤んだ。

 電話でそれやられると、連絡網で次の女子宅へ電話した際に「あ……」「うん……」の二言しか返ってこなかった中学の頃を思い出すからやめてほしい。

 だが、急くようなことはせず、川崎が話し始めるのを待った。

 

『えっと、あのさ……』

「……」

『……っ』

 

 へどもどする様子から、俺が予想していた事態に陥っている可能性が高そうだ。もうこちらからはっきりと訊いてしまおうか。

 

「……大家さんとトラブったか」

『っ⁉』

 

 電話越しでもその動揺は感じ取れた。

 先程と同じように待つこと数十秒。川崎はようやく話し始める。

 

『……あんたって、なんでも分かっちゃうんだね』

「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」

『……なにそれ、キモいんだけど?』

 

 冷やかな返しに身体の熱が下がる気がした。

 知らないかー、羽〇。川崎はサブカルに詳しくなさそうだしな。それよりもなにより間が悪い。今は真面目な話なんだから茶化していい場面じゃなかった。

 

「悪かった。ちょっと調子にのったわ。それで、どうなったんだ?」

『……その、実は……ううん、やっぱいい、忘れて』

 

 ここまで引っ張られてやっぱいいとかないわ。俺を悶えさせたいの、この子?

 

「そこまで話しといて『忘れて』とか、むしろ気にしろって言ってるようなもんだろ」

『……だよね、ごめん』

 

 観念したのか、ぽつりぽつり話し始める。

 その内容は俺の想察通りどころか、予知レベルに的中してて怖くなった。

 

 家賃滞納の原因はバイト先の倒産による給料未納状態が続いたせいであり、今後も未納分を回収できる見込みがない。つまり、今回こんなゴタゴタを起こしたにも拘わらず、以降もしばらく家賃滞納が続くことは確実である。

 しかも、こんな時のための保証人である親への連絡を嫌がるのだから、大家さんに地雷借り主と認定されてもおかしくない。このままでは同じ下宿には居づらくなるのは目に見えていた。こうなると最悪……、

 

「……ひょっとすると、まずい感じ……なのか?」

『……できるだけ早くに……って言われた』

 

 二人ともしばらく無言になる。

 最悪のケースだが、話を聞いていた限り想定できたことだ。

 三、四ヶ月分滞納していて保証人が機能しないとなると、法的措置で強制退去させられても文句がいえない。

 俺も一人暮らしを始める前はかなり入念に調べたからな。追い出されないまでも、大家さんの不興を買うと住みづらいし。それもあって、物件選びの条件は家賃ただ一点に絞って吟味した。絶対に滞納しないよう安い物件を探しまくったのだ。

 

『……っ』

 

 時折り、すんっと鼻を鳴らす音が聴こえる。

 泣いているのだろうか。そう思うと街中で遭遇した川崎の姿が浮かぶ。

 

 今後、川崎は実家へ帰るしかない。

 しかし、彼女の家庭は裕福ではないのにわざわざ金のかかる一人暮らし選択をした。ということは、実家通いより相当のメリットがあったのだろう。一人暮らしを断念したとなると、親に知らせず口止めしたことがマイナスに働くし、実家に帰ってもひと悶着ありそうだ。

 

『……あの』

「あ? ああ、なんだ?」

 

 思索に沈潜していると、川崎の方から声がかかる。

 

『えっと、その……せっかくお金貸してくれたのに、こんなことになってごめん……』

「あ、いや、気にすんな」

『……実家ならお金かからないし、年内には必ず返せると思うから……』

「……」

 

 お金がかからないという好内容に相応しくない声音が、惜しむ気持ちを顕していた。

 

「実家に戻るのか……」

『……他にどうにもできないからね』

「別の下宿は探さないのか? 俺への返済はいつでもいいんだぞ」

『……出来るならそうしたいけど、早く退去しないといけないから探してる時間がない、かな。それに……』

 

 大学二年次は単位取得に忙しくなるだろうし、バイトの時間も減るだろうから、経済的にますます下宿先の選択が狭まりそうだと、力なく答える。最後の方は消え入りそうな声であった。

 

 やはりこの手しかないのか……。

 喫茶店で別れる前から考えていた問題の解決……いや、解消方法。

 一番効率がいい方法ではあるものの、お互い譲歩が必要となる。

 

『……あの』「あのな……」

 

 切り出しが被ってしまい「あ、どうぞ」『あんたからでいいよ』という『道でぶつかりそうになってお互い同じ方へ避ける現象』が発生してしまう。

 

「……」『……』

「……お前の下宿先ってあそこから近いのか?」

『え? あ、うん、歩いてすぐだけど』

 

 ということは、こことも近い。物理的な障害はないことが確認できた。

 この部屋で一人暮らしを始めた日のような決意で、川崎に提案する。

 

「……次の下宿見つかるまで……うちに泊まるか?」

『……っ⁉』

 

 次の下宿先が見つかるまでの期限付きなら……川崎にとって悪くない案だと考え抜いた末のアフターケアである。

 無論、男女同じ屋根の下で生活する問題はあるが、ほとんど寝に帰ってくるだけの下宿で間違いなど起ころうはずもない。

 

 川崎さえ了承してくれれば、その間は無賃で寝食する場を提供してやれるのだが、やはり無理か……。

 

『……』 

 

 ゆっくりと返事を待つつもりだったが、冷静に振り返るとあまりに気持ち悪いことを言っている自覚があったので、やっぱりなかったことにしようとする。

 

「あー、……悪い、やっぱ無理……」

『……利息』

「え?」

『……あんた、言ってたよね。利息は家事をやってもらった方が助かるって』

 

 さっき喫茶店でおどけて話した戯言だが、ここへ来て蒸し返されるとは思わなかった。

 

「言ったけどそれは、」

『……あたしが家事してあげる』

 

 冗談だったと続けようとしたが、それを無力化する一撃を放ってきた。

 

「いや、でも……」

『そ、その代わり、あの、』

 

 口調はしどろもどろであったが、核心部分はクリアに届いた。

 

『……す、住み込みでも、いいなら……』

「え、あ……」

 

 予想外の返答に、今度はこっちがへどもどしてしまう。

 かろうじて返事をした俺の言葉は、

 

「お、おう……ま、その、……よろしくな」

 

 なんとも頼りないものであった。

 

 

 ――比企谷八幡、大学生活二年目の春。

 ワンルームアパートで、住み込みJDメイドを雇うことになった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

これで導入は終了です。
明確にプロットを用意していたのはここまで。見切り発車ですからね。

次話から念願の八沙同棲生活がスタートします。
今後は不定期更新&のんびりでやらせていただきます。

沙希の設定は以下の通りです。


◆川崎沙希◆

国立大学二年生。高校卒業後一人暮らし。
バイトに明け暮れていたが、給料未払いが続き、一人暮らしの継続が困難になったところを八幡に救われた。
八幡に対して意識しており、まだ気持ちが残っていた。
今回の出来事で再燃する。

高校時代は原作通りの設定。


お気に入り、感想、ここ好き、誤字報告などありがとうございます!


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序章Ⅱ【同居編】
非きこもり、JDと同居する。


お気に入りが100件を超えました。
皆様、ありがとうございます!

比企谷八幡と川崎沙希の物語。

今回は同居するための準備回、つなぎ回といったところです。
ワンルームではルームシェア×が多いとか、同居の許可は下りづらいよ、など現実的な懸念は無視して気楽にお読みください。

2021. 9.30 利息計算がおかしいとのご指摘をいただき、加筆・修正しました。



 同居人を迎えるに当たり、まずは川崎の下宿の速やかな退去を手伝うことにした。

 こういう時、車を所有していたら優勝請負人がFAでチームに来てくれた、くらいの心強さだが、身一つの俺はドラフト下位指名の高校生ルーキー、いや背番号三桁の育成選手並みの頼りなさである。ってか、背番号三桁じゃ公式戦に出れないのでそもそも戦力枠外だった。

 そして、だらだらしようものならいない方がマシまで降格する。それって解雇されるのでは……。そういえば、実家の掃除でも小町に「お兄ちゃんの掃除、雑だから」って解雇されてましたねー(遠い目)。

 

 

 結論から言うと、俺いらなかった。

 材木座風にいうと「我、不要!」

 ……すっげえ力強い。要らない感が異常。

 

 いや、違うんだ待ってくれ誤解なんだ聞いてくれ。

 俺がだらだらしたせいで懲戒解雇されたのでは決してない。川崎の生活スタイルが俺以上にミニマムで、引越業者要らずどころか俺要らずなほど荷物が少なかったんだよ。俺要らずってなんか語感いいよね。

 

 要らない俺――すごい心に刺さる響き――もとい、俺要らずの川崎宅(下宿)で、俺が何をしていたかといえば誇張でなく、ただ見ていただけ。そりゃもう九割九分九厘見てた。逆に残った一厘てなに? 「あ、ちょっとこれ捨てといて」「わかった」って抓める程度のゴミを捨てたことくらいしか記憶がない。しかも一度だけ。なにその作業量、一毛の可能性出てきた。あと九毛見てた、も追加でお願い。……ツッコミがなげえ。

 

「……我、不要?」

 

 思わず口を吐くと、川崎に「え、なに?」と素で訊き返され、恥ずかしくなったので、黙り込んで素知らぬ顔をした。川崎の聞き間違いであったと錯覚させるために。

 ……うん、俺って結構酷いやつかもしれん。

 

 家具や電化製品が備え付けられた物件だし、物に執着しない性格だからなのか、恐ろしく荷物が少ない。運搬は小型のキャリーバッグで事足りる。

 これ、ほんとに俺いらなかったな。川崎がいいって言ってたの、マジ遠慮だったのか……。

 

『いや、いいよそんなの、悪いし……』

『人手はあった方が良いだろ?』

『ん……じゃあ、そこまでいうなら……』

 

 引越に際し、こんなやりとりで俺の助勢を拒んでいた。これから居候する身だから遠慮しているのだろうと、少々強めに手伝いを買って出たのだ。

 俺自身、今日は暇を持て余していたから良かれと思っていたんだが……その結果がこれである。

 

 これは真に受けていい拒絶だったようだ。対人経験少な過ぎて、言葉の真偽図れねえよ……。エアマスターガハマゆいゆいのスキルを見習いたい。

 ちなみに、バイト仲間は対人経験値が全く稼げない。あくまで仕事上の付き合いしかないので、プライベートなどこちらからは一切漏らさない。俺が大学生と知られているかも怪しいレベル。漏洩対策は完璧である。

 

 そろそろ終わるなと、帰る準備をして外で待っていると、人の好さそうな初老の女性が話し掛けてきた。

 

「あら、もう片付きそう?」

「あ、はあ」

 

 未だに初対面の人間に話し掛けられるとキョドりそうになってしまう。気の利いた返しもできず、聞き役に徹する。

 

「ごめんねぇ、沙希ちゃん真面目でいい子なのに、こんなことになっちゃって」

「あ、いえ」

 

 こんなこととは己の命じた退去勧告を指しているのだろう。

 どうやら、この人は川崎の下宿先の大家さんのようである。シビアな決断をした後でこんなにも人の好さそうな笑顔を向けてくるとは……まさかサイコパス? 雪ノ下陽乃の強化外骨格を彷彿とさせた。

 もしかして、社会に出るとあれってもれなく標準装備なの? 大人ってこえぇぇ……。

 

「今は景気も悪いからねぇ、運が悪かったんだよ」

「はあ、たしかに」

 

 当たり障りなく会話を捌いていく俺の「はあ」「いえ」「たしかに」たちは今日も絶好調だ。いつも以上に心が籠っていないのは、川崎への仕打ちがそうさせているのかもしれない。

 まあ、この人も完全に被害者だし冷遇される謂われはないのだが、心情的には川崎の肩を持ってしまう。

 

「でも、良かったぁ」

 

 あ? なに言ってんだコイツ。

 他人の不幸を喜ぶ醜さ全開の科白に、こめかみの血管がぴくりとした。

 さすがに何か言い返してやろうかと口を開きかけた瞬間、

 

「こんな素敵な彼氏さんが同棲してくれるんだもの」

 

 えげつないカウンターによって黙らされた。

 

「あ、……え、は?」

「心配してたのよ。あんなことになったけど、沙希ちゃんとっても礼儀正しいし、ご近所さんの評判良いし、実家に帰しちゃうのは心苦しかったのよ」

「いえ、まあ、あんなに滞納してたら貸し主としてはどうすることも出来ないでしょうから……」

 

 いつの間にか相手に(おもね)る変わり身の早さに、自分が何者なのかという哲学的な疑問すら湧き上がる。ラーの鏡に写してみたい。

 って、そうじゃなくて!

 

「それから、俺はあいつの彼氏じゃありませんし、同棲じゃなくて同居です」

「え、まだお付き合いしてないの? それじゃあ、これから頑張らないと」

 

 頑張らないとじゃなくて、色恋的な発想から離れてくれませんかね。

 だが、冷静に考えてみると、俺のがよっぽど外聞の悪いことを言ってる気がした。

 

 ――未婚の男女が同じ屋根の下で生活していますが、付き合っていません。

 

 なにそれ、どんな縛りプレイ? 色々と前提条件おかしいことしかしてないんですが。それを平然と初対面の人間に宣う俺が一番おかしいまである。

 

「あ、はあ……」

 

 世間的に見て形勢が不利だと悟った俺は、調子を合わせてやり過ごすことにした。

 

 

 

 

「……大家さん、ごめんなさい。ありがとうございました」

 

 頭を下げて謝罪する川崎につられ、俺も軽く頭を下げた。

 俺たちと向かい合う大家さんは右手で俺の、左手で川崎の肩を抱きながら言う。

 

「いいのよ。ちゃんと返済してくれたし、世の中には踏み倒す奴ばっかりなんだから」

 

 そういう事情は知りたくなかったなぁ、と渇いた笑いで返す俺。川崎も苦笑している。大家さんはそんな俺たちに外面の笑顔を向けていた。三パターンの笑顔どれもがまともじゃない異様な光景に、一刻も早くこの場を離れたい気分になった。

 

 

 ようやく気まずさから解放され、帰路へと着く。

 キャリーカートを女に引かせて俺が手ぶらというのは、どうにも居心地が悪い。それとなくカートを奪おうとすると、やはりというか遠慮された。

 

「じゃあ、半分持つわ」

「え、ちょっ、」

 

 持ち手の空いてるスペースを掴み、二人で引く。川崎は戸惑いを見せたが、辞めさせようとはしてこなかった。

 

 ……なんだろう、さっきより居心地が悪くなった気がした。

 横を通り過ぎるスーツ姿のサラリーマン(36歳・独身男性・営業職)らしき人が舌打ちする。原因は俺じゃないなと思いつつ、足早にアパートへ向かうのだった。

 

 

×  ×  ×

 

 

「この部屋だ」

「う、うん、お、お邪魔します……」

「……」

 

 おそるおそる部屋に上がる川崎。これからここへ住むというのに、そんな緊張してちゃ先が思いやられるな。

 

「……そこは『ただいま』でいいんじゃないのか?」

「え?」

「今日から住むんだし、お前の家でもあるだろ」

 

 短くとも、一時的でも、ここに住むことになった以上、このアパートは川崎の家だ。なら、それに適した挨拶というものがある。同時に彼女の緊張を解してやろうという算段だったのだが、

 

「う、あうぅ……、た、ただいま?」

「なんで疑問形なんだよ……おう、おかえり」

「っ⁉」

 

 一瞬とはいえ、先に帰ってきてるアドバンテージを活かした挨拶に、川崎が息を呑む。

 ああ、分かるぞ。恐らく俺も一人暮らしについては同じ不満を抱いていたからな。少しでもそれが取り除ければとの思いもあったが、想像以上に満たせてやれたらしい。

 

「……」

 

 ただ、緊張は解してやれなかったようで、未だにそわそわと、むしろ初めよりも落ち着きがない。

 川崎は、ちらちらとこちらの様子を窺い、ついに意を決して口を開いた。

 

「お、おかえり……」

 

 耳を疑う言葉に今度はこちらが挙動不審になる。

 

「え、それ、俺に言ってる? 俺のが先に帰ってるんだが……」

「う、うるさい、細かいこと言ってないで他に言うことあるでしょ!」

 

 わざわざ返事をすること自体、細かいことのような気がするんだが。しかし、これも川崎が一人暮らしの中で積もった不満の一つなのだろう。変な意地を張らずこう答えることにした。

 

「まあ、その、なんだ……ただいま」

「う、うん、……おかえり」

 

 改めて口にすると気恥ずかしいもので、俺も川崎もしばらく互いの顔を見れなかった。

 

 玄関でなにをしているのだろうと俺たちは我に返る。

 川崎は部屋に上がるなり、ある場所に目を奪われた。

 

「……ここ、ロフト付いてるんだ」

「ああ、結構いいだろ?」

 

 俺は、基本ロフトに布団を敷いて寝ている。他にも衣類やタブレットを置いてあるせいで、ここだけ駁雑としていた。

 ロフト内は空間が狭いのと、標高が高いせいで冬も暖かい。逆に夏は冷気が届きにくいため、寝る場所を変えている。

 

 さて、喫緊だったとはいえ、ワンルームに同居人を招くのは考えなしと言わざるを得ない。川崎がミニマムな生活スタイルで助かった。この荷物と寝る場所くらいなら確保できるだろう。

 案内するほど広くないが、設備の説明をしてから今後の方針を話し合う。

 

「なにか飲むか? つっても麦茶とMAXコーヒーの二択だが」

「じゃあ、麦茶でおねがい」

「あいよ」

 

 マッ缶を飲まれなくて喜ぶべきところなのだが、こうも飲むやつがいないと逆に寂しい。

 川崎はきょろきょろと物珍しそうに部屋を見回す。実家の頃から他人を部屋に上げたことがないので、妙に気恥ずかしくなる。

 

「あ、あんまり見んなよ……」

「あ、ご、ごめん」

 

 慌ててそっぽを向く川崎。心なしか顔が赤い気がした。

 ……いやいや、冷静に考えれば女子が部屋見られてやる掛け合いだろ、なにが『あ、あんまり見んなよ』だ、気持ち悪っ! ちょっと照れてるところなんか更に気持ち悪い。ってか、今日俺ずっと気持ち悪くね?

 

 ローテーブルに麦茶とマッ缶を置く。

 話す切っ掛けが掴めず、まずなにを話し合うべきか事前に用意するところから始めた。

 

 そういえば家事をしてくれると言っていたが、どこまでやるつもりなのか。多額の貸付で恩義を感じている川崎に頼めば、家事全てを引き受けてくれるだろう。

 しかし、それではいくらなんでも労働が利子分に見合ってない。仕事として厳密に料金設定して公平性を保つ方が良い。

 

 一般的なバイトの時給として換算すると、月の利息代は五時間労働分といったところか。

 

「川崎、家事労働の時給なんだが、こんな感じでどうだ……?」

「え、時給?」

 

 電卓で車の価格を表示するディーラーのように、スマホで時給を提示する。それを見た川崎は眉根を寄せた。

 

「……なにこれ」

「な、なにって、その、時給ですが……」

 

 川崎は低い声で言い放つ。その口調は険があり、控え目にいっても怖い。自発的にジャンプして許しを乞うてしまうくらい怖い。

 もしかして1000円じゃ足りませんかね? 千葉なんて最低賃金953円なんですけど……。現役JDの住み込み家事代行はそれ以上の価値だというのか。あ、言ってて納得だわ。

 将来、社畜(営業職)として生きて行く試金石のつもりで、この労使交渉に挑む。……営業職なら俺も労組側だったわ。

 

「そ、そうか……不満なら、もう少し賃上げを……」

「! ちがっ、そうじゃなくて!」

 

 慌てて胸の前で両の手をぱたぱたする。

 

「こんなに貰えないって言ってんの。利息分で家事全部あたしがやるから」

「は?」

 

 家事全部……だと? 脳内で否定していた申し出に戸惑ってしまう。

 こちらとしては申し訳なさ過ぎるし、なんとかそれらしい理由で説き伏せようとする。

 

「確かにバイトある日とかの飯は賄いで済ますから、少しは負担が減るかもしれんが、それでも毎日やらせるのは悪い」

 

 この時給で毎日八時間も家事をされたら、二ヶ月で利息どころか元本返済まで終わった上、逆に俺が借金を背負うまである。

 

「家じゃ毎日家事してたけど?」

「そうかもしれんが、俺は家族じゃないだろ」

 

 痛いとこを突かれたのか、一瞬悔しそうな表情を見せる。

 しばらくすると、こちらを見据えて反論してきた。心なしか顔が赤い。

 

「……じゃ、じゃあ、あんた洗濯とか出来るわけ?」

「もう一年以上も一人暮らししてるんだが?」

 

 なにその意図が全く読めない質問。ボケろってこと? もうちょっとヒントくれ。

 

「……そうじゃなくて、二人暮らしで洗濯できんのって訊いてんの」

「一人でも二人でも変わら……な………………あ」

 

 ここに至ってようやく得心する。川崎がなにを言いたかったのかを。

 うわっ……俺の神経、鈍すぎ……? と両手で口元を押えながら驚く『某転職サイトの広告』パロディごっこをしたくなったが、なんとか我慢した。うわっ……俺の意志、強すぎぃ……? って、もういいだろ。

 

「……じ、自分の下着は、それぞれで洗うというのはいかがでしょう……」

 

 なぜか敬語で提案してしまう俺を、じと目で睨め付ける川崎。

 

「……一度で洗えるのに、わざわざ分けて洗うとか水も電気も時間も勿体ないでしょ」

 

 見事なまでの正論になにも言い返せない。

 俺が川崎の下着を洗って干すか、川崎が俺の下着を洗って干すかの二択である。どちらがより犯罪色が濃いか問うまでもなかった。

 べ、別に、黒のレースに興味なんてないんだからね!

 

 ……今日イチで気持ち悪かった。

 

「……洗濯、お願いします……」

「ん、わかったよ」

 

 最悪は回避したが、川崎に洗濯させるのも相当ヤバイ気がする。主に俺の精神が変なことに目覚めそう。

 

「じゃあ、料理は俺が……」

「あたしより上手く作れるの?」

 

 そんなわけないじゃないですかー。

 弟妹の面倒を見ていた川崎VS妹に面倒を見てもらっていた俺

 レディィ――ファイッ‼

 

 ……10本先取で一本も取れない未来が視えた。

 

「……料理も……お願いします」

「はいよ」

 

 的確に急所を突いて、俺から仕事を奪っていく。

 ならせめてこれくらいはと、残った項目を口にする。

 

「掃除……は、そこまで汚れてないか……」

「この部屋、物が少ないからね」

 

 俺は実家からほとんど物を持ってこなかった。

 大学在学中のみの仮宿だ。引き払う時のことを思えば、下手に物を増やすと面倒なのは誰もが懸念する。それでも生活していくうちに増えてしまうことは理解している。

 しかし、川崎が指摘するように、この一年で俺は全く物を増やしていなかった。つまり、この部屋の清掃は機械でもいける。ル〇バとか。いや、持ってないけど。

 

 完全降伏した俺をみて、なにかを思い付いた川崎は目を逸らしながら、ぽしょっと呟く。

 

「……じゃあさ、朝のゴミ出しだけしてくんない?」

 

 それは、単なる家事当番を決める内容。

 だが、ほんのりと頬を朱に染めた彼女の面持ちが「これってそういう意味だから」と言外に仄めかしているようで……。

 

 ――仕事に出掛ける前にゴミ出しを頼むつ……

 

 うあああ! なに考えてんだよ! ばっかじゃねーの!

 

 川崎は怪訝そうにこちらを見ている。か、考えてたことがバレたのかしら……。

 すぐに不心得な思惑を捨て、素知らぬ顔でMAXコーヒーを喉奥へ流し込む。既に温くなっていたが、それゆえに甘みがより際立っていた。

 

 MAXコーヒーを飲み終え、缶を水で濯いで捨てる。ローテーブルへ戻るまで、優に40秒を超えていただろう。どんだけ念入りに缶洗ってんだよ。ド〇ラさんも激おこである。バルス! ってド〇ラさんが唱えちゃったよ⁉

 

 再び川崎と正対すると、未だ視線が絡みつき、何か言いたそうにしていた。

 

 ……おかしい、警戒が解かれないんですが。

 マッ缶を洗い流して、徳を積んだ俺には雑念など存在しないはずだが……。

 MAXコーヒーに誓って身の潔白を証明していると、川崎の方から話しかけてきた。

 

「……で、どうなの?」

「ど、どうと言われましても……」

 

 いきなり答えを求められても、全く心当たりのない俺はへどもどすることしかできない。

 

「は? だからゴミ出し、してくれるの? してくれないの?」

「え」

「え」

「……」「……」

 

 ですよねー。

 なに気持ち悪い葛藤して焦ってんだよ、気持ち悪ぅマジ気持ち悪っ!

 

「あ、ああ、ゴミねゴミ出し。やるやる。なんなら自分も一緒に出してくるわ」

 

 自らの恥ずかしい行いを悔い、死にたい気持ちをうっかり答えに込めてしまった。

 川崎は怪訝そうに「そ、わかった」と短く返事をする。

 

 

「……一緒に捨ててこられたら困るんだけど」

 

 不意に零れた呟きは、幸か不幸か俺の耳に届くことはなかった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

今回は二人が同居をするにあたっての準備回なので、あんまりいちゃいちゃしてないと思いますがご容赦ください。

ルームシェアとかしたことないので、ネットとかで調べて書いてるんですが、ワンルームだとなかなか難しいみたいですね。もちろん、SSなのでご都合主義で押し通しますが。

しばらくは『非きこもり』を優先して進めます。
『サキガイル【バレンタイン】』は書くのに労力要り過ぎるし『非きこもり』の方が見てる人が多そうなので。サキガイル読んでくれている方には申し訳ありません。


◆同居アパート情報◆

1Rアパート
洋室 (6帖)
ロフト(6帖)
家具・家電付き
収納付き
バス・トイレ別

ざっくりとですが、軽くイメージしていただければ充分。
見切り発車なので、ある日突然広くも狭くもなります(笑)


お気に入り、感想、ここ好き、誤字報告などありがとうございます!


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非きこもり、JDと初めての出逢いを思い出す。

UA10000突破&お気に入り600件超

……なにが起きたのか?
二年以上連載してる別作品のお気に入り数を10日で凌駕したんですけど……。

本当にありがとうございます!
感想も頂けてメチャクチャ嬉しいです!


比企谷八幡と川崎沙希の物語。

家事のほぼ全てを沙希が担当することになり、そんな申し訳なさもあってか彼女を気遣う八幡。
導入部の総仕上げで詰め込んだため、ちょっと文字数多めです。



『消費者金融借入未遂』

『家賃滞納からの強制退去で引越』

『元クラスメイトの同級生と同居』

 

 という三大事件があったにも拘らず、川崎は今日の夕飯から腕を振るうらしい。

 負担を考えて出前でも取ろうと提案したのだが、頑なに作るからと拒まれた。

 だって食材も全然ないんだよ? これから買い物行くのとセットになってるじゃん……。

 

 

 まだ全部は話し合っていないが、食材費は折半ということで落ち着いた。

 家事はあくまで自分がやるべきだと主張する川崎に申し訳なさを感じている。利子分とか冗談だったんだが、こんなにも拘るとは……。いまさら取り下げたらますます気にするかもしれん。完全に失言だった。

 

 その罪悪感を少しでも埋めるため、買い物へ行く川崎に同伴……同行していた。

 最初は遠慮からかまたも拒否られたのだが、少し食い下がると『じゃあ、頼める?』と折れてくれた。

 

 引越の時もそうだが、この遠慮が『ただ謙虚』なのか『マジ拒否』なのかを判断できないのは意外とストレスを感じる。小町相手なら、この手のクイズには多少自信があるのだが。

 

 

×  ×  ×

 

 

 スーパーに着いた俺たちは互いにカゴを掴んで顔を見合わせた。

 

「荷物は俺が持つから、カゴ戻していいぞ」

「え、いいの?」

「そのために来たからな」

 

 料理するのが川崎だし、何を買うかも分からない俺の存在意義は荷物を持つくらいしかあるまい。

 カゴを戻した川崎は、当然のようにカートを利用しようとする。

 

「……それいる? そんなに買うつもりなのか?」

「え、あ、いや、そこまで買わないけど、軽くてもあった方が楽だし、あと……なんでもない」

「だから途中で止めるなよ、気になるだろ。他に理由あんのか?」

 

 俺は一人で買い物する時、カートを使ったことはない。男女の筋力差が影響しているのかもしれないが、カートで減る労力よりも煩わしさのが勝っていた。

 

「……け、けーちゃんと買い物行く時の癖で……いつもカート使うから……」

「そ、そうか……」

 

 さすがに子供用カートに乗るような年齢ではないにせよ、子供ってカート好きだもんな。

 

「けーちゃんか、懐かしいな。元気なのか?」

 

 その言葉が川崎の表情に影を落とす……どころか絶望の淵に叩き落とした。

 またも失言であったと自覚せざるを得ない。

 

「……もう四ヶ月くらい会ってない……」

 

 四ヶ月といえば、川崎が家賃を滞納し始めた時期である。日々の生活に一杯一杯で、実家に帰る余裕も交通費もなかっただろう。

 やばい、めっちゃ不憫に思えてきた。この子やっぱり(さち)薄子(うすこ)さんなのでは……。

 

 名は体を表すと言うが、逆説的にはその性質から名前が決まるとも言えるだろう。つまり、幸薄子と呼ばれる日は近いのかもしれない。

 俺の中では現時点で『川崎(かわさき) (さち)薄子(うすこ)』だしな。せっかくだし、出身地も付けとくか。

 

川崎(かわさき)(さち)薄子(うすこ)・フォン・千葉』

 

 よし、名前だけは貴族になったわ。逆説的に貴族だ。彼女には、このまま幸せになってほしい。幸薄子って時点で没落してる気がしないでもないが。

 

 千葉に没落貴族が誕生した喜びに浸っていたため、目の前の川崎を放置してしまった。なにかフォローをしなければ申し訳が立たん……。

 

「今年のお盆くらいは帰れるだろ。なんだったら(いとま)をやるから帰れ、帰ってあげてください、お願いします」

「ん、ありがと。……交通費貯まったらね」

 

 もー、サキサ()ったら幸が薄い永久機関やめてよー!

 歩くほど地雷を踏むと判断し、買い物に集中しよう。そう固く心に誓うのだった。

 

 

 

「……なにか食べたい物とか、ある?」

 

 平静を取り戻した川崎は、青果コーナーを見渡しながらそんなことを訊いてきた。何をカゴに入れるのか身構えていたが、何を作るのかも決まっていなかったようだ。

 

 「まかせる」とか言うと嫌な顔されそうだなぁ。女子の言う「なんでもいい」みたいにウザがられそう。

 

 世の主婦たちのお悩みランキング一位は『日々の献立が決まらないこと』らしいが、女子の「なんでもいい」は男子の提案内容で男のレベルを測るためなので、意味合いが違う気もするけど。

 ただ、どちらもプラス査定にはならないであろう。試しに言って反応を見てみた。

 

「……まかせる」

「そ、わかった」

 

 短いやりとりに拍子抜けして、余計に続けてしまう。

 

「ずいぶんあっさりだな……実家の頃、小町に言ったら不機嫌にさせるワードナンバーワンだぞ、これ」

「……シスコン。まあ、うちも大志で慣れてるから、男ってそうなんだろうなって思ってさ」

「ブラコンめ。……で、大志がなんだって?」

「『なに食べたい?』って訊くと『なんでもいい』って返ってくるんだよ。お陰で迷ったら京華に訊くことが多くなった。京華はちゃんと決めてくれるし」

 

 それを聞き、己の言葉がいかに浅はかであったか得心させられる。

 俺が毒虫と同類……つまり、俺にとって駆逐する対象にまで堕ちてしまったことを意味した。

 小町の手は汚させないから俺が駆除するんですが、となるとやっぱりゴミの日に俺も捨ててくるで解決ですね、ありがとうございます。

 

「ま、言ってくれると作り甲斐があるのは確かだけど、献立決めるのもあたしの役目だって……」

「……川崎の得意な物が食いたい」

「え?」

 

 すぐさま心を入れ替えた俺はそう宣言する。

 そもそも俺は川崎がなにを作れるのか分からないのだ。こいつの料理を知っていく上では、このチョイスが最善であろう。

 

「……な、なな、なにいって、っ!」

 

 一拍置いて意味を理解したのか、徐々に慌てふためいていく。釣られて動揺しないよう、努めて冷静に質問を続けた。

 

「なにが得意なんだ?」

 

 えーっと、何処かで聞いたことがあったような……。

 記憶をサルベージしていると、川崎の顔はみるみるうちに赤く染まっていき、消えそうな声で答えた。

 

「……さ、さと、里芋の、にっころがし……」

「……」

「……」

「……地味だ」

 

 地味という言葉に反応して、涙目になる川崎。

 

 あ、俺このやりとり知ってる。

 確かバレンタインの相談で奉仕部へ来た川崎に、同じ反応をした覚えがある。

 振り返ると、あれが奉仕部最後の対外的な依頼だった。プロムは生徒会案件であり、一色もほぼ奉仕部みたいなもんだからな。

 あれ以来、俺たち初期メンバー三人が卒業するまで依頼はなかった。

 はっきりと記憶が呼び起こされ、ノスタルジックな気分にさせられる。

 

「あ、いや……んじゃ、それで頼む」

「……ん」

 

 恨みがましい目で俺を睨め付けながら短く返事をした。

 

 野菜を吟味する川崎を眺めながら、ふと高校時代を思い出す。

 二年の頃は同じクラスだったこともあり、こいつとはたびたび顔を合わせていた気がする。

 三年に進級し、別クラスになっても予備校でよく見かけた。

 

 懐かしむ気持ちから、俺たちには特別な縁があるのではないかと感じていた。

 

 

 カゴに次々と食材を入れていく内に機嫌が直ったのか、その表情には笑みすら浮かんでいる。

 

 街で出逢った顔が嘘のような快活さに、見ているこちらも活力が湧いてきた。

 これが見れただけでも大金と宿を貸した甲斐があったというのに、(あまつさ)え夕飯まで作ってくれるなど楽しみでしかない。

 買い物を終え家路につくと、心躍るのは俺だけでなく俺たち(・・・)なのだと言わんばかりに、揺れるポニーテールが訴えていた。

 

 

×  ×  ×

 

 

「えっ、あたしが……?」

 

 料理を作っている最中の川崎に上から語りかけた。文字通り”上から”である。

 

「色々と考えた末に、ここはお前が使った方がいいだろうと思った。夏は暑いから強制はしないが」

 

 俺は寝室にしていたロフトを片付けながら説明した。夏はエアコンの冷気が届きづらいので下で寝ているが、このアパートで一番のベストプレイスは間違いなくここである。

 川崎も同じことを感じているのだろう。俺がここを明け渡すと聞くと、ただ驚くだけでなく驚怪すらしていた。

 

「いや、いいよ。そこってこの部屋で一番良い場所なんでしょ。あんたの寝床とっちゃ悪いし……」

 

 料理の手を止めず、見上げながら否む意思を示す。

 

「でもなぁ……ワンルームだし、最低限のプライベートを確保するにはこれしかないだろ」

「だったら、あたしが(洋室)で過ごせば……」

「ロフトからだと下が丸見えなんだよなぁ……」

「んなっ⁉」

 

 アラウンドビューだよ、ホークアイだよ、高所からだと敵を捉えやすく下方からは見えづらいんだよ、ってなんで戦場の優劣で語ってんだよ。アラウンドビューだけで伝わるだろ。

 

「ここなら着替えにも使えるからな。わざわざ脱衣所行くのも手間だろ」

 

 男の俺なら最悪パンツさえ穿いていればどうとでもなるが、川崎はそうもいかない。下着姿でもアウトだし、ちょっとした着替えで洗面所を独占されるのは俺が困る。しかも、うっかり見て気まずくなるのも俺であり、最悪通報までされる。地獄だ。

 想定する状況に思い当たったのか、考え込んでいる。

 

 確かにここは気に入っているが、今も料理をしてくれている川崎の負担を思えば、なるべく快適な環境を提供してやりたいと願うのも俺の偽らざる本心だ。

 

 なかなか首肯しない川崎を説得するため、奉仕部へスカウトされる切っ掛けとなった国語学年三位の実力を見せてやろう。物凄く良いように言ってるけど、実際は『犯行声明紛いの作文を見咎められて奉仕部へと隔離された』が正しい。

 うん、普通にやべーやつだった。あの頃に戻って過去の俺を殴ってやりたい。

 

「このロフトと洋室の関係性を二段ベッドで喩えると、上段で寝るのは体重の軽い方と相場が決まっている」

「……いきなりなに言い出すのさ」

「だが、これが兄弟で使うとなると話は別だ。上段の取り合いとなるが、兄という暴君に逆らえない弟は泣く泣く下段を選ばされる。弟の方が身体が小さく、上で寝るのが合理的であるにも拘らず、だ」

「……は?」

「そうして初めての挫折を知り覚えた忍耐力は、社会に出て社畜として働くための必要不可欠な要素となって自らを助ける。つまり、二段ベッドとは子供が理不尽を体験するための教材なのだ」

「……」

 

 途中から、俺の講釈と里芋のくつくつとした音だけが室内に流れるようになった。

 川崎の表情からは興味というものが失われている気がする。

 状況を打破するため、ここで質問タイム。

 

「お前も経験あるだろ、子供の頃の”二段ベッド内戦”」

「あたしは大志に上、譲ってんだけど」

 

 そうだったー、こいつブラコンだったわー。

 

「そういうあんたは兄という暴君だったわけ?」

「俺が小町に対して暴君であろうはずがなかろう。小町を合衆国とするならば、俺は日本。ノーと言えないお兄ちゃん(日本人)だぞ。逆らうことなど出来ようはずもなく、上を寝床として献上し、下も荷物置きとして提供しそうになり危うく床で寝るところだったな」

 

 比企谷兄妹の関係性が妙に納得出来てしまう喩えだった。

 

「……シスコン」

「お前もだろうが……」

 

 ブーメラン発言を咎めても頑なに認めない川崎は、少しだけイライラした様子で詰問する。

 

「結局何が言いたいわけ?」

「つまり、二段ベッドでは兄弟という例外があるが、俺たちは兄妹でもなければ体重もお前の方が軽い。その上、男性よりも女性の方が冷え性であることは揺るぎない事実であり、ロフトの方が暖かいことを加味すれば川崎がロフトを使うのは、むしろ最適解と言わざるを得ない」

「……」

 

 盛大に逸れてしまった話がようやく本題に戻った。

 

「それ言うために里芋が煮えちゃうくらい長々と講説したってわけ? あんた、バカじゃないの?」

 

 川崎は菜箸で里芋を突き刺しながら罵倒してきた。

 字面だけ見ると、これから俺が里芋のようにされる禍々しさを孕んでいる。やべぇ超怖い。

 だが実際には、呆れ顔でおどけているような印象を受けた。菜箸が抵抗なくスッと入るのを確認した川崎は、ふっと笑みをこぼしながら言った。

 

「……ご飯、出来たから食べよ」

「おう……」

 

 『ロフトを使うのは川崎である合理性』を滔々とプレゼンするも、有耶無耶にされてしまった。

 夕飯を食べ終えたら『川崎がロフトを寝室にすべき100の理由』を巧説してやろう。

 

 

 ローテーブルに並べられた料理はご飯に味噌汁、チキン南蛮とサラダ、そして里芋のにっころがし。香ばしい匂いとタルタルソースが食欲をそそる。しかも、ムネ肉で材料費も抑えている。

 一人じゃ食べきる前に痛むので、摂るのを諦めていた野菜が食卓に上がるのはポイントが高い。

 そしてなにより、川崎が得意としている里芋のにっころがしだ。誤解を恐れず言うならば、ここだけお袋を通り越し、お婆ちゃんの風格が漂っていた。

 

「じゃ……いただきます」

「……どうぞ」

 

 まず、本人自慢のにっころがしから箸を付ける。

 実家よりも故郷然とした優しい味が、口の中にじんと広がっていく。郷愁を誘うその味は、一年以上御無沙汰である小町の料理を思い起こさせた。

 ああ……。寝に帰ってくるだけのこの部屋で、こんなにも温かく旨い料理を口にできるとは。自然と表情筋が緩んでいき、箸も止まらない。

 

「っ……⁉」

 

 すごい勢いで箸を伸ばしていると、川崎はそわそわと落ち着きがなくなっていく。

 どのおかずも、それぞれ一つの皿に盛りつけられているため、このままでは川崎が食いっぱくれる心配があった。

 

「……意地汚くてすまん。危うくお前の分まで俺が食うところだった」

 

 麦茶を飲んで落ち着いた俺は、軽く謝罪し川崎を見ながらペースを調整しようとする。

 だが、彼女は最初から箸すら持たず、俺の食事を眺めているだけであった。

 

「……食わないのか? このままだと本当に俺が食べ切るかもしれんぞ」

「え、あ、いや、た、食べる、けど……」

 

 勧めてみるが、箸を持つだけで料理に付けようとはしない。

 うーん、そわそわしてたのは自分の分が無くなる懸念からじゃなかったのか……。

 

 川崎の機微が掴めずにいた俺だが、その様子からようやく察しがついた。

 ただ、口にするのは酷く恥ずかしい……。

 

「あー、えっと……旨いな、里芋のにっころがし」

「っ……そ、そう? それなら、良かった……」

 

 照れながらもにょもにょと感想を述べる俺に、へどもどとした返事をする川崎。

 なにこの『もにょもにょ』と『へどもど』の対決。泥仕合にしかならないじゃん。互いに言い淀む無限ループ。

 

 しかし、口調はともかく内容は正解だったようで、川崎もおかずに箸を付け始めた。

 

 

 シンクで食器を水に浸けながら『川崎がロフトを寝室にすべき100の理由』を思弁する。

 ……100は多過ぎたか。千葉の良いところじゃあるまいし、そこまでは出ないぞ。

 

 それにしても、あれだけ素晴らしいプレゼンをしたのに心動かないのは『マジ拒否』なのでは、との疑念が湧く。いや、きっとそうだ。そうに違いない。

 密かに自得していると背中に視線を感じた。多分、川崎だろう。そうじゃないとホラー案件なので困る。

 

「……ほんとにいいの?」

「え」

「あ、その、……ロフト、使っても」

 

 その言葉は、機微に触れたつもりでいた俺の背中に突き刺さる。

 またも読み違えた俺に、川崎の機微を語る資格などなかった。その蹴りが鋭そうな長くしなやかな脚で、過去の俺を蹴ってはくれないでしょうか……。

 だが、動揺などおくびにも出さず、川崎の要求を受け入れる。

 

「あー、もちろんだ。あれだけ見事なプレゼンが不発したのかと肝を冷やしたぞ」

「あれを見事って言っちゃうとことか、あんたらしいよね……」

 

 呆れを帯びた口調だが、その表情は目尻を下げた優しいものだった。

 

「じゃあ……使わせてもらうよ」

「どうぞ」

 

 脚立のように少し角度のついた梯子を登り、ロフトデビューを果たす。

 登り切らずに上体だけをロフトに乗り入れて中を確認する。梯子にお尻を残しているものだから、後ろ姿が妙に艶めかしい。ぴっちりとしたパンツがそのラインを強調し、気恥ずかしくなった俺は慌てて目を逸らした。

 

「カーテンレールもついてるんだ」

「元々が一人住まいだからカーテンは付けてないけどな」

 

 なくても下からは足場が邪魔でロフトが見づらい。奥の方にいれば、こちらからはほぼ見えないので着替えても問題なさそうだ。

 とはいえ機能的にも気分的にも必要なのは間違いない。

 浸けてある食器を見て、ついでにと思い付いた。

 

「近くに百均あるからカーテンと食器、買いに行くか?」

「え?」

 

 二人なのにシェアしないとやり繰りが厳しい皿の少なさや、個室にロフトを勧めたのにカーテンがないことを懸念し提案する。

 そんなに物は増やしたくないが宿を提供すると言った以上、責任は果たさねばならない。

 

「ロフト使えと言ったのは俺だし、飯はシェアだと川崎の分まで食っちまいそうだし」

「う、あ……」

 

 暗に川崎の飯が旨いと仄めかした科白になってしまい、身の置き所がない。川崎の反応もそれに気づいていると分かる照れ具合だ。なんとか話題を変えようと不自然に声を張る。

 

「ま、まあ、希望さえ言ってくれたら俺だけで買いに行ってもいいが?」

 

 慣れない声量だからか、俺の声ちょっと裏返ってたんじゃない? 大丈夫?

 

「えっ! い、いっしょ、一緒に⁉」

 

 川崎も負けじと声が裏返り、返ってきた答えが三つくらい前のもの。これじゃメッセージ三つ読んだ後の返事だぞ。いつから俺たちはLINEでやりとりを始めたんだよ。

 

「一緒は嫌か。カーテンなんかは現物見た方が選びやすいだろうが嫌ならしょうがな「い、いく! いくから!」っ……お、おう」

 

 叫ぶような声で了承を被せてきた。嫌じゃないなら早いとこ出掛けた方がいいだろう。

 

「じゃあ、すぐ行こうぜ。遅くなってもやだし」

「ま、待って、着替えるから荷物とって!」

 

 川崎はロフトに登り切り、うつ伏せで下を覗き込む。

 早速、更衣室として使おうするところは八幡的にポイントが高い。衣類の入ったバッグを渡してやるとロフトの奥へと引っ込んだ。

 それにしても着替える必要とかあるのか? 冷えそうなら薄手の上着でも羽織れば充分だと思うんだが。

『で、デー、と……』

 それに何か言っているようだが、小声過ぎてよく聴こえない。

 

 その間、食器を洗うことにした。放っておくと家事全てを川崎がこなして何もさせてもらえなくなる。それが退転して押し付けてしまうことを恐れていた。

 

 シンクから右手上方を見上げれば、梯子が掛かるロフトの出入口がある。初めのプレゼン通り、ここからでは着替えなど見えやしない。遠慮なくちらちらと意識を向けるが、川崎はなかなか出てこなかった。

 

「……マジでなにやってんだあいつ」

 

 そも食器が足りなくて買いに行こうとしてるのだから、すぐに洗い終わってしまう。

 手に付いた雫を拭いながら声をかけようとすると、ちょうど川崎が梯子に現れた。

 

「お、お待たせ……」

「おせーよ、なにして、た…………っ⁉」

「ごめん、遅くなっ、て……?」

 

 着替え終えた川崎はロフトの縁に立ち不思議そうにこちらを見下ろしている。当然、俺は川崎を見上げていた。

 『ロフトからだと下が丸見えなんだよなぁ……』とはさっき言ったが、

 

 ――――下からでも丸見えだった。

 

「黒のレース、か……」

「え、……………………っ‼」

 

 パンツはパンツでも、長くしなやかな脚のラインを強調していたさきほどのパンツではなく、ショーツの方のパンツ。……何回パンツ言ってんだよ。

 川崎は、事もあろうにパンツスタイルからスカート(しかもけっこうミニ目のやつ)に着替えて来たのだ。

 俺は高校時代、初めて川崎に出逢った時と同じ言葉を漏らしていた。

 

 違うぞ。決してこうなりたいからロフトを勧めたわけでは断じてない。っていうか、なんでスカートなんだよ、そんなに見せたかったの? 露出魔なの? これで慰謝料なんて請求されたら完全な当たり屋だぞ? いや、ぶつけてないし露出だから露出屋?

 

 デコルテから、かーっと上っていくアニメのような赤面。冬なら湯気さえ立ち昇ってもおかしくない赤味加減と『え』という驚きが、露出屋の可能性を否定していた。よかった。新たな詐欺の手口が世に出回らなくて。

 

 バックステップするように飛び退き、俺の視線から逃れた! ……と表現すると厨二的カッコ良さなのに、目的がパンチラ回避なのがもうダメダメである。

 

「……ば、ばかじゃないの⁉」

 

 ロフトの奥から聞こえてきたその罵倒も、初めて出逢った時と同じであった。

 

 こんなところまで高校時代を再現しなくてもいいだろうに……。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

三年生の時、八幡と沙希が同じ予備校と回想しているのは原作と違いプロムに介入しなかったためです。
雪乃と付き合うことなく三年生となった八幡は予備校を替えませんでした。

これで序章終了です。
次話以降は、基本一話完結形式で作っていきます。


〇次回予告:沙希の新たなメインバイト(仮)

最近、沙希が疲弊して帰ってくる。何事かと心配する八幡だが、なんでもないと突っぱねる沙希。
もやもやが募った八幡は珍しく人に誘われ出掛けることになる。

そして……


はい、こんな感じですー。
この話は久々に挿絵を描きたいけど、CLIPStudioPaintの使い方忘れてるかもしれない……。

これを含めて、四話分くらいは骨組みが出来てますがそこから先がやばいです。
そのストックを書き切ると、元々見切り発車なので更新止まるかもしれません。悪しからず。


お気に入り、感想、ここ好き、誤字報告などありがとうございます!


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麗春の節
非きこもり、JDのバイトを危惧する。


目標にしていたお気に入り1000件超えがたった四話で達成されてしまった……。
皆様には感謝しかないです!
評価と感想ありがとうございます!

そして前回あとがきで『基本一話完結形式で作っていきます』と宣言しましたが、すぐに覆す二話構成となってしまい、申し訳ございません。
前後編に分けさせていただきました。

初めてまともに材木座を出演させてみました。口調が難しすぎてヤバイ……。


2021.10.20 メイドカフェの設定変更に伴い、関連する箇所修正。




「……比企谷、起きなって。今日一限からだって言ってたじゃん」

「……ん」

 

 優しく揺すられ微睡みを振り切ると、エプロン姿の川崎が膝立ちで俺を起こしていた。

 想像以上に顔が近く、どきっと心臓が跳ねる。若いのに不整脈かしら。

 

「……お、おう」

「ん、おはよ」

「お、おう」

 

 まるで前頭連合野が電気刺激されたような言語障害だ。きっと前の不整脈もそのせいだろう。でなければ動揺していると認めることになる。

 ……ごめんなさい、間違いなく動揺してます。

 

 同居が始まり、こうして何度も起こされているのだが全く慣れない。今ですらこれなのだから、夏とか薄着で朝テント張ってたらどうしようか戦々恐々としている。

 

 

「いただきます」

「どうぞ」

 

 一人暮らしになってから朝食などほとんどまともに摂っておらず、小町の有難みを痛感させられていた。それがあってか川崎への感謝もより強く感じられる。

 最初の頃は、味噌汁の味が実家と違って驚いたことを笑われたりもした。

 

 俺が味噌汁に口を付け、おかずを食べたのを確認すると、川崎はようやく手を合わせて食事を始める。

 川崎は何故か俺が食べるまで箸を付けようとしない。これじゃまるで『甲』を立てる『乙』のような立ち居振る舞い。甲乙を別の単語に置き換えると俺の動揺が加速するので理解してほしい。甲乙を用いることで夫婦よりも契約を匂わせたのは秀逸な表現だ。実際、金の貸し借りもしてるし。

 って、夫婦言っちゃってるんですが。隠す気ないだろ俺。

 

「そっちは今日の講義何時までだ?」

「あたしのが早く終わるけど、バイトで遅くなる。夕飯はおかず作ってラップしとくから帰ったら食べて」

「分かった」

 

 川崎は前に掛け持ちしていた職場を辞め、心機一転新しいバイトを始めた。時間給以外のインセンティブも付くいい仕事らしい。

 ……バイトでインセンティブってどんなんだよ?

 

「給料出たら家賃半分払うから」

「いや、別にいいんだが……」

 

 最近、事ある毎にこのやり取りが繰り返されていた。

 確かに生活費を受け取った方が川崎の心情的にも良いのだろうが、今までと家賃が変わったわけでもない。食費は折半だし、光熱費だって大差なく、何よりも家事全般引き受けてもらってるので逆に助かっているくらいだ。

 

「そう言ってくれるのはありがたいんだけど、もう充分お世話になっちゃってるし、ちゃんと払わせてほしい」

「……」

 

 正直なところ家賃には触れてほしくないのが本音であった。知られたら絶対に面倒なことになりそうだし。

 

「……じゃあ、どれくらい給料入るか分かってから考える、でいいか?」

「あ、うん……」

「……」

「……」

 

 それ以降は特に会話もなく、俺たちはゆったり食事をした。

 

 

×  ×  ×

 

 

 講義が終わり帰って来ると鍵が閉まっていた。朝に川崎の言った通り、俺の方が帰りが早かったので鍵を開ける。

 

 使える鍵が一つしかないので、俺たちは必ず互いのスケジュールを確認するようになった。賃貸だから勝手に鍵を複製するわけにもいかない。予備の鍵は何かあった時のため、実家に預けてある。あと一縷の望みを懸けて小町の通い妻を期待していた。

 しかし、その願いも空しく、年明け以来会っていない。川崎に同情していられないくらい俺も妹成分が足りない。次の充電はお盆だ。それまで妹に会わず生きていけるのだろうか……。

 

 

 ここに住むことで落ち着きを取り戻した川崎は、日に日に顔付きが良くなっていった。ぐっすり眠れたのは久しぶりだとこぼすくらい家賃滞納とバイト先の倒産に心を痛め続けていたのだ。

 だが、次のバイトが決まると、その日を境に疲弊していくのが見て取れた。

 

 朝話していた通り、無利子借金と居候――家事はしてもらってるが――で後ろめたさを感じているらしく、早く返済しなければ、早く生活費を支払わねば、との焦燥が見られた。

 その様子と疲弊具合から、川崎が無理なバイトを選んだのではと疑念を抱き始める。

 

 初めて出逢った時もそうだった。こいつは自分ではなく家族のために労を厭わない。再会の様子を鑑みると俺に相当の恩義を感じていることは疑いようがなく、それ故無理をしないかが気掛かりでもあった。

 

 そして、その不安は的中する……。

 

 

 ある日、バイトを終え帰ってきた川崎の目には生気がなかった。

 余程のことがあったのだろうと心配で訊いてみるが、大丈夫の一点張り。

 

 以来、それとなく何度か訊くも頑なに打ち明けてはくれず口を開けば、

 

『大丈夫、慣れたらなんてことないから……』

 

 と余計に不安を募らせる言葉が返ってくる。

 嫌な予感が頭から離れなかった。

 

 

 大学の課題を終えてシャワーを浴びても未だに川崎は帰っていない。

 もう日付が変わっているのに遅過ぎる……と娘を心配するお父さん目線。ウザがる川崎の姿が目に浮かぶが、それでもお父さんは怒らなければならないのだ。また高校の時のような朝帰りをさせるわけにはいかない。

 

『シュポッ』

 

 スマホから特徴的なSEが鳴る。もしやと表示(剣豪将軍)を確認すると、あまりの落差にスマホを投げつけそうになった。

 

「……川崎かと思ったじゃねえかよ」

 

 昔、千葉原人という汚名を着せられ、それを払拭するために交換してしまったIDである。今となっては川崎とLINEで連絡するのに役立っているが。

 画面には見たことを後悔する内容が表示されていた。

 

【八幡よ、良き情報が手に入ったのだ! 刮目せよ!】

【実はな、魔界神殿(パンデモニウム)に棲まう大悪魔長アンジェリナが強力な女悪魔(リリン・デーモン)を召喚したようなのだ!】

【最寄り転移魔法陣から二つ先の近さぞ! 魔王として、どんな女悪魔(リリン・デーモン)なのか視察するのは魔王軍を統べる者の役目であろう!】

 

 未読ならまだしも、こいつに既読スルーは面倒くさい。生来の構ってちゃん気質に加え、こうした目的のある文面だと返ってくるまで送りつけてくるのだ。全く迷惑極まりない中二botである。

 仕方なく返事はするのだが、口調が素に戻るまではスルー安定だ。

 

【ゴラムゴラム、急な報せに言葉も出ぬか。だが、新たなに召喚された悪魔で軍備を増強することは、地上世界征服のための必然なのだ!】

 

 魔王って誰のことですかね。違う意味で衝撃を受けてるわ。

 あと、我ら(・・)って複数形にするの止めてもらっていいですかね。こっち見んな。

 

【うぬぅ、ここは既に魔界外……奴ら人間どもの結界内であったか! 交信が届かぬ! 答えよ、八幡!】

【……おーい? 八幡?】

【ごめん、実は『魔界の憩い』っていうメイドカフェが八幡のアパート最寄り駅の二つ先にあるんだけど、そこのメイドさんが可愛いから行かない?】

 

 初めからそう言えよ。厨二ネイティブを辞めさせないと解読が面倒だからってのもあるが、少し焦らせてやろうという含みもないわけではない。

 

[悪い、寝てた。お前とメイドさんの時間を邪魔しちゃ悪いから遠慮しておく]

 

 解読を不要にした結果、同行も不要だと判断した。しかし、すぐ次のメッセージが飛んでくる。

 

【は、はちまーん! 一人だと緊張してメイドさんと上手く話せないから一緒に来てくれ、という秘めたる想いを解読できんのか⁉ 我とお主の仲であろう!】

 

 悪い、知ってた。

 お前こそ、分かった上でなるべく傷つけないよう気遣った俺の想いを解読しろよ。俺とお前の仲なんだろ?

 

[俺はそれほど暇じゃない]

 

 昔なら、このあとアレだからという言い訳にもならない理由で回避を試みるが、今は本当にバイトと大学で手一杯だ。

 

【そこをなんとか!】

 

 食い下がるなよ面倒くせぇ。

 

[いいか材木座。お前はなぜメイドさんと話すのに緊張するんだ?]

【決まっておる。幼少の頃から女子(おなご)に接する経験がなかったが故、我のステータスに『対女子×』のマイナススキルが付与されてしまったのだ。八幡にも同じく付与されているはずなのだから分かるであろう】

 

 昔はそうかもしれないが、最近は元クラスメイトの女子と同居できるくらいに体質改善がされている。

 まあ、わざわざ言わないが。それどころか小町を以ってしてもアクセスレベルが足りないほどの機密情報だ。

 

[俺にそんな弱点はない。それはお前だけのものだ。大事にしとけ]

【ほげっ】

 

 リアクションまで返すのかよ。電話じゃなくメッセージなんだぞ。

 

[だったら尚のことメイドさんと話す方がイージーモードだぞ]

【なに? それは一体どういうことなのだ、比企谷八幡】

[いかにお前がデブでキモくて発汗量が人の三倍あるキモい中二病であろうとも]

【不必要に貶してない⁉ キモい二回言ってるよね⁉】

[六回言った方がよかったか?]

【なんで増やしたの⁉ まだ足りなかったの⁉ そこも三倍なの⁉】

[お前がどれほど女子に嫌われる体質なのか確認したまでだ。他意しかない]

【他意はない、の間違いだよね⁉】

[まあ聞け。そんなお前が女子と会話など出来る可能性があるだろうか? いや、ない]

【げふんっ】

[だがな、それを可能にするのがメイドさんという存在だ]

【ほう……その真意を問おう】

[メイドさんたちは『お客様に楽しい時間を過ごしてもらう』というサービスを提供している]

【ふむふむ】

[お前がいくら汗をかいてキモいオタク発言をしようと必死に我慢して聞いてくれるということだ。つまり『体質的に女子としゃべれない病罹患者であるお前を治療するセラピスト』という見方をすれば緊張もしないだろう]

【お客を飛び越えて患者になってる⁉ いや、違うぞ八幡、我は治療されたいのではなく癒されたい! 女子とお話をしたいのだ!】

[それならキャバクラの方がいいだろ。分類的にメイドカフェは飲食店であって接待業ではない]

 

 接待は風営法により厳しく規制されているので、実は長時間しゃべるのはメイドカフェとしてグレー運営なのだ。現に秋葉原でメイドカフェが一斉摘発されたという話もある。

 

 もし、執心するメイドカフェが摘発されてしまったとしたら……。こいつの入れ込みようを鑑みて『貴様の心も一緒に連れて行く……』と断末魔を残し、精神崩壊してしまうかもしれない。それだと材木座が死んじゃう側だった。死因は機動隊のジュラルミンシールド突撃。現在はポリカーボネート製だった。

 

【貴様という男は何も分かっておらん! 我は話したいのだ! メイドさんと‼】

 

 無駄な倒置法を使い、これでもかとウザく力説する材木座にイラっとさせられる。

 

【それにいきなりキャバ嬢とかハードルが上がっとるではないか!】

 

 そっちが本音だろと疑いたくなる悲痛な叫びを受け取った。

 

[ま、風営法で裁かれないよう頑張れ]

【なに⁉ メイドさんとおしゃべりすると法令違反になっちゃうの⁉ それって我だから⁉】

[がんばれ]

【ほんとに⁉ ねえ、ほんと? 教えて、はっちまーん!】

 

 この狼狽え様と、身の程を弁え過ぎた『我だから⁉』発言に笑いが込み上げ、少しは溜飲が下がる。風営法で裁かれるのは届け出をしていない経営者だから安心しろ。教えないけど。

 

[それはさておき]

【さて置かれるには致命的な要素を孕んでおるのだが……】

[とにかくバイトが忙しいから一緒に行くのは無理だ。暇で奢りだったら考えなくもないが]

【マジで⁉ 奢る奢る! バイト休みの日程ぷりーず!】

 

 キャラがブレまくる材木座にスケジュールを送り付けると、長いラリーがようやく終わった。

 

 他人の金で食う飯は旨い。心が痛まない相手だとなお旨い。よって材木座は俺の中で最高のシェフである。別に材木座が作るわけじゃないけどな。とはいえ、腹の足しになればいいやくらいにしか思っていないが。

 俺自身、メイドカフェを飲食店と区分したものの、風俗営業に片足を突っ込んだ接待料込みの料理に期待する方が馬鹿げている。それでなくとも最近は川崎の手料理に胃袋を掴まれ始めているのだ。奢りでもなければ絶対に行かない。

 

 

 そういえば川崎はまだ帰らないのか。そろそろ一時になるのに……。

 心配になり、LINEでメッセージを飛ばそうとすると玄関の扉が開いた。

 

「……ただいま」

 

 川崎は囁くような声で言うと、極力物音を立てない所作で靴を脱いだ。俺が寝てないことに気づくと普段の振舞いに戻る。

 

「まだ寝てなかったんだ。……なんで?」

 

 疲れ切った表情を見せられ柄にもないことを言いそうになるが、理性が押し止めた。

 

「観たいテレビがあったからな」

 

 うむ、俺らしい。

 ……これを自画自賛の返しだと思えてしまうくらい今の俺は冷静でなかった。

 

「? ……テレビ点いてないけど」

 

 観てないですからね! と正直なツッコミで詳らかにするところであった。誘導尋問すげえな。

 動揺を隠しつつ、それらしいフォローを捻り出すため、脳漿を絞った。

 

「……スマホでワンセグ観てんだよ」

「テレビあるのに? 観づらいでしょ。テレビ点ければ?」

「こっちのが電気代がかからんからな」

「あ、そ……」

 

 なんとか正論で返せたが、代償に川崎の心を抉ることに成功してしまう。

 ないわー、あれだけ生活費のことを気にしてたこいつに対して、これはないわー。

 しかし、マネーそのものどころかそれを匂わせるワードすら禁止となると会話難易度爆上がりである。ただでさえぼっちの俺は将棋でいう六枚落ちレベルに会話の手駒が少ないのだ。そこへこの禁止ワードが加えられては歩三兵並みのハンデ戦となる。藤井○太並みの棋力があれば……って、欲しいのはコミュ力なんだよなぁ。

 

 険のあるアプローチのせいでしこりを残したのか、以降なにも話せないまま川崎はシャワーを浴びに行ってしまう。

 どうにかして会話の糸口が欲しかった俺は、昔小町と仲直りの切っ掛けを作ったやり方を用いる。

 川崎が浴室から出てくるのを見計らいコーヒーを淹れた。

 

「川崎、コーヒー飲むか?」

 

 驚いた表情でこちらを向き、やがてジト目になっていく。

 

「……これから寝るのにコーヒー?」

 

 おおっと、正論で返されたよ。

 ですよねー、もう二時近いのにカフェイン摂取はなかなかの安眠妨害ですよねー。

 ……マジメか!

 

 風呂上りを迎えるにはやはりフルーツ牛乳一択だったか。だが、そんなものがうちの冷蔵庫にあるわけないだろ。かなり小さいから食材すらあまり入らないのに。

 

「ぎ、牛乳でいいでしょうか……?」

「……ん」

 

 変な空気にしてしまった後ろめたさからつい敬語になってしまう。

 長い髪を乾かすのにドライヤーを当てていたせいか、額に汗が浮き出ている。それに気づきカフェイン云々よりも、ホットはないなと省みる。

 

「……最近はどんな感じだ?」

 

 重々しい雰囲気の中、何かないかと話題を探し、発した言葉がこれだった。

 ただただ漠然とした質問内容。昭和の親父を彷彿とさせるコミュ障な言い方に川崎も同じことを感じたのか、牛乳を飲む音がピタリと止み、きょとんとする。

 

「なにそれ、親父くさ」

「ぐふっ!」

 

 材木座のようなキモい呻き声が漏れてしまう。内心思ってはいたが、改めて指摘されると予想以上にダメージを受けるものだ。ついでに言うと指摘の仕方も想像の遥か上であった。原稿を添削されている時の材木座はこんな気持ちだったのか。今後、添削を希望した時はもう少し優しく説いてやろうと心に誓う。それ以上にもう持ってこないで欲しいと願い続けているのは言うまでもない。

 

「つ、つまり、少しばかり帰ってくるのが遅いと感じ、このままでは門限などを設けねばならないかもと真剣に……」

「……ほんとに父親みたいなんだけど?」

「ぐぼぁっ!」

 

 やめてやめて、それ以上はしんどいからやめて!

 そうでなくても最近大学とバイトでほとんど家に帰れず社畜感醸し出しちゃってて親父のDNA引き継いでるの自覚してるから否定できない!

 っていうか門限てなんだよ、もう大学生だぞこいつ。苦し紛れにしても言葉選べ俺。

 

「……心配ないよ。今日より遅くなることはないから」

 

 先回りするように釘を刺してくる。ということは、バイト先の営業時間が0時くらいなのだろうか。だとすると昔のようにバーではないらしい。朝五時帰宅にはならなそうで、そこだけは安堵する。

 しかし、すぐに別の懸念が浮かび上がった。

 

「前から気になってたんだが、バイトって何やってんだ?」

 

 俺らしくない真っ向勝負。頭に浮かんだ不安がそう言わせたのだ。

 川崎は苦虫を噛み潰し嚥下したような――苦々しいものから虚無になる――顔で答える。

 

「……あんたには関係ないから」

 

 かつて深夜バイトを咎めた大志に向けられた言葉だ。

 こう言われては大志に出来ることはなく、遣る瀬無さと無力感に打ちのめされていたことだろう。大志が味わっていた気持ちの一端を知り、今度会ったらもう少し手厚く扱ってやるかと俺の心は慈愛に満ちていく。当然、今後会わないと思われるからこそ湧いた慈愛だが。

 

「……関係なくはないだろ」

 

 しかし、今の俺はあの時の大志とは違う。金を貸し宿を貸して住まわせ、返済を督促せず、家賃すら要らないと明言しているのだから、立場で言えば川崎の両親や保護者のそれに近いだろう。

 ならば、どんな場所で働いているか教えてもらう権利くらいあるはずだ。

 

「っ! だから、ちゃんと借金と家賃払えるようなバイト選んで……」

「稼ぎがいいのか?」

「……そうだけど、それがなに?」

「それが心配なんだよ……」

 

 川崎は、ぐっと唇を噛んで目を逸らす。

 この憂惧が過去の深夜バイトを指していることに気づいたようだ。

 

 きっと無茶をする。

 いや、恐らくもうしているのだ。

 あの前科が、俺にそう訴えかけていた。頑なにバイトを教えようとしないのが何よりの証左である。

 

「別に無理して返済してもらおうとも家賃をもらおうとも思ってない。ただ俺は……」

「無理なんかしてない。無理なんか……」

 

 言い終える前にそう言い残し、川崎はロフトへ登っていった。

 

 

 分かり易く拒絶された俺は、冷めたコーヒーを啜りながら隠す理由を考察する。

 

 稼ぎがいい。

 インセンティブ。

 0時まで。

 慣れたらなんてことないから。

 

 それら断片的な情報を繋ぎ合わせていくと二択に行き着く。

 

 0時までということは職場が深夜酒類提供飲食店でないと推測できる。それは同時に風俗営業の可能性が成り立ってしまうことを意味した。この二つは兼業できないからだ。

 いや、稼ぎが良くインセンティブがつくとなると、むしろそれ(風俗営業)しかないまである。

 

 ――キャバ嬢

 

 不器用で口下手で、まるで愛想のない川崎に務まるだろうか。

 キャバ嬢に求められるのは容姿より愛敬や聞き上手であったりすると聞いたことがある。

 少なくとも川崎がお客を立てたり、笑顔で話を聞いている姿が俺には想像できない。

 『慣れたらなんてことないから』という言い方にも違和感があった。

 川崎には根本的に向いていないのだから『慣れたらなんとかなる』が正しいのではないか。

 些細な言い間違いならいい。

 しかし、それが言葉通りの意味だったら、もう一つの選択肢に辿り着く。

 

 ――風俗嬢

 

 キャバ嬢よりも、こちらの方が容姿とスタイルを活かせる。

 もしも川崎のプロフ写真を見せられたら、本人が登場するまでパネマジを覚悟するだろう。そのくらい抜きん出た容姿とスタイルを持った彼女に相手をしてもらえるのなら、テクが拙くても喜んで金を払う男は多い。

 最低過ぎることを言っている自覚はあるが、男にとって偽りようのない本心であり事実でもあった。

 

 女子大生が学費を稼ぐために風俗で働く話は、ニュースでも観たことがある。

 境遇があまりに似すぎているからか、憂愁に染まる表情でぎこちなくお客を持て成す。そんな生々しい姿を想像できてしまう。なんだったらその川崎は『慣れたらなんてことないから』と口にしても違和感がないほどだ。

 

 考えが良くない方向へと導かれ不安が増大していく。

 壁に掛かったカレンダーを見ながら、俺はある策謀をするのであった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

溜め回だったのでサキサキ成分薄目ですみません。
材木座は今までのSS通して初登場ですが、しゃべり方が変に感じられたら申し訳ありません。

次話は完結編。
現在、当初用意していた展開をかなり変更して執筆中。
また話数増えないよな……増えないでくれよ……。

材木座の設定は以下の通りです。


◆材木座義輝◆

私立大学二年生。高校卒業後も実家暮らし。
未だ執筆活動に励んでいる。
『八幡案件』と称された原稿の添削は卒業後、自然と八幡だけに見せるようになった。
相変わらず女性としゃべるのが苦手なためと、雪ノ下と由比ヶ浜には個人的な関係性がないから。

13巻~のプロム案件には関わっていないので八幡以外の元総武高生とは疎遠である。


お気に入り、感想、ここ好き、誤字報告などありがとうございます!


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非きこもり、JDに殴られる。

2022. 2. 2 一部言い回しを修正。



 あれから数日が過ぎ、気まずさもややマシになってきた頃合いで作戦を決行する。

 

 川崎がバイトというこの日、俺は気づかれないよう後を尾行()けていた。

 俺は遅い時間に講義が入っていたくらいなので、今日は川崎を尾行するのに打って付けであった。

 しかし、大学もバイトもないのに朝から起きるなど、普段と違う行動は怪しまれる恐れがある。そこで昨夜の内に下準備をしておいた。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

 二人で夕飯を済ませた後、それぞれ大学の課題に取り組みながらまったりと過ごす。ロフトにはテーブルがないので、勉強は洋室のローテーブルを二人で囲むのが定番となっていた。

 

『……コーヒー飲むか?』

『ん、ありがと。もらう』

 

 由比ヶ浜や小町と違って川崎は勉強中、最低限の会話しかしない。

 同じ部屋で女子と二人きりという部分にはまだ少し慣れないが、思いの外集中できるので気に入っている。

 コーヒーを淹れようと立った瞬間、俺のスマホが鳴り響く。メールやSNSの類いではなく着信だ。

 

『あ』

『電話? じゃ、あたしが淹れるよ』

『わりぃ、頼んだ』

 

 視線で察してくれた川崎は、こちらが言う前に代わってくれた。片手で謝りながら礼をすると電話に出る。

 

『もしもし。おう、お疲れ……おう…………』

 

 俺が電話で話しているのが気になるのか、ちらちらとこちらの様子を窺っている。

 ですよね。俺が電話なんて珍しいからね。高校時代は両手の指で足りるくらいしか通話したことない気がするし。

 

『分かった。貸しだぞ。んじゃ』

 

 軽く悪態をついて電話を切る。

 コーヒーを渡しながら『なにかあった?』と目線で訴えてくる川崎。どうやら想定通りに事が運んでいるようで、内心ほくそ笑んだ。

 

『大したことじゃない。明日、急用でバイト出れなくなったから代わってくれって電話だった』

『ふーん。何時?』

『そんなに早くはない。お前より後に出ると思う』

『そ。じゃ、朝ご飯は一緒に済ませよっか』

『分かった』

 

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 

 これが昨夜の出来事であり、本来俺はバイトを代わるはずなのだがその約束は存在していない。

 

 実は、あの着信はアプリを使ったダミー着信である。着信音だけでなく通話中もダミー音声を流してくれるので、本当に電話があったように見せることができる。

 こうすることで、早起きが不自然にならぬよう演出したのだ。

 

 駅に着くと、電車でも別車両に乗って尾行を続ける。探偵の真似事をしているようで妙な昂揚感を得てしまうが、実際は完全なるストーカーだ。万が一にもバレることは許されない。

 川崎がどんなバイトをしているのか確かめるためとはいえ、ずいぶんと危ない橋を渡っている。

 しかし、こちらが返済や家賃の督促をしていないにも拘らず無理をされたのでは堪らない。

 

 

 電車を降りてしばらく尾行を続けていると、街の雰囲気が変わり始めた。道を曲がり歓楽街から少し外れると、怪しげな看板が散見される。思い過ごしであって欲しいと願うも、疑いは濃くなる一方だ。

 

 川崎が分かれ道に差し掛かったところで予期せぬ事態に見舞われた。俺のスマホに着信が入ったのだ。

 昨夜の芝居を成功させることばかりに気がいってしまい、マナーモードにし忘れたのが大失敗だった。川崎の耳にも届いてしまったかもしれない。

 俺は慌てて横道に駆け込み、川崎の視線から逃れる。隠密行動中に一体誰がと表示(剣豪将軍)を見ると着信を切りたくなり、ついでに縁そのものも切りたくなった。

 

 落ち着け比企谷八幡。ここで怒鳴ろうものなら俺の存在が川崎に知られ『ストーカー行為がバレて人生終了男』というレッテルが貼られてしまう。なにそれマンガのタイトルみたい。万歩計持ってないし、バレたらウォーキングだって言い訳ができない。いや、代わりにスマホでいけるか。

 見咎められた場合の抜け道を考えつつ、スマホの受話ボタンをタッチする。気持ちを落ち着けるため、深呼吸も忘れない。

 

「ふーっ…………もしもし材木座か。危うく俺の人生が終了するくらいに間が悪かったぞ。切れて欲しい」

『キレていいか、じゃなく⁉ 何が切れて欲しいの⁉』

 

 それはお前との縁だったり、お前の血管だったり、お前のスマホのバッテリーだったりする。特に最後のが切れてくれると、この会話を合理的かつ強制的に終わらせることが出来るのでお勧めだ。次点で縁だが、まだ奢ってもらっていないので、奢りの後に切れるのが望ましい。

 

「こっちの話だ。それよりも、緊急性がないならこちらから連絡してやるが、LINEじゃなく電話してきたということは喫緊なんだろうな?」

 

 じゃなかったら許さんという含みを持たせ、返答を待つ。

 

『それがだな、お主は今日半休であろう? 我も今日は予定が空いておるのだ。しかも、お目当てのメイドさんが今日出勤するという情報を掴んでおるのだ。なので昼からメイドカフェへと乗り込もうではないか!』

 

 思わず我を忘れてしまいそうになるほどの苛立ちが込み上がる。

 ……我慢だ。ここで大声を上げたらまだ近くにいるかもしれない川崎に気付かれて人生終了男になってしまう。

 

「間が悪いと言っただろ、却下だ。それと当日連絡してくんじゃねえよ。都合が良くなったらこっちから連絡してやるから、その時はバイト中だろうと講義中だろうと葬儀中だろうと秒で出ろ」

『ちょっ⁉ は、八幡よ、本気ではないであろう……?』

「まあ、冗談だが。ゲーセンで格ゲー対戦中には掛けるかもしれん。それなら出れるだろ、出ろよ?」

『急に現実的かつ陰湿になった⁉』

 

 電話を切って川崎のいた道の方を覗き見る。あれだけ時間をロスしたら見失うのは必然であった。見失った場所周辺で慎重に探し回っていると、いくつかの……風俗店を発見する。

 無論、その店に入ったかどうか分からないが、ここをうろつく時点で疑惑は限りなく黒に近い。

 暗い考えが頭から離れず、尾行も断念せざるを得なかった。

 

 

×  ×  ×

 

 

 俺はいま喫茶店でコーヒーを飲んでいる。頭に浮かぶのは川崎のことばかりであった。

 

 もし風俗店に勤めているとしたら、こんな時間に営業しているものなのだろうか。ついスマホで調べてみると朝から夕方頃までの勤務もあるらしい。昼間は酔っ払い客がいない代わりに、特殊性癖を持った風俗マニアが多いという情報まで収集してしまう。そんな常識知りたくなかった。

 

 

 そろそろ時間が迫ってきたので店を出る。

 ぼっち喫茶で暇を持て余していたのは、昼の食料(・・)と待ち合わせをしていたためだ。

 相手は材木座。無論、あいつが食料なはずもなく、奴が奢るメイドカフェでの食事を指している。

 いや、デブなだけあって肉は多く取れるだろう。だが、俺は目が腐っているのであってゾンビではない。よってその肉は食えないし、食いたくもない。

 

 あの後、材木座に連絡してメイドカフェに行くことを了承した。今回のようなことを二度と起こさぬために。

 偶然にもメイドカフェ(魔界の憩い)の最寄り駅が川崎を見失ったこの駅であり、こうして待っていたのだ。

 

「ふははは、早いではないか比企谷八幡! さてはお主も抑えきれぬパトスがメイドさんたちを求めておるのだな?」

「俺が早いのは当たり前だろ。連絡入れた時のスタート地点が待ち合わせ場所なんだから。誤解するな」

 

 尾行失敗の代償も含め、必ずこいつの財布を殺してやろうと心に誓う。

 

 見覚えのある道を案内され、恙無く魔界の憩い(メイドカフェ)に到着した。地下に店舗があるのは魔界というコンセプトを意識してなのかもしれない。

 材木座の後に入店しようと待っていると、その動きがピタリと止まる。

 

「は、ははは、八幡よ、先陣はお主に任せよう。見事、我の期待に応えて見せるがいい!」

 

 そういえば、一人じゃ不安だから俺という『盾』を用意したこいつである。しっかりと気後れし、なんだったらちょっと震えていた。この虚勢をどう受け流してやろうか。それを考えると自然に口角が上がる。

 

「いーや、剣豪将軍殿よりも先に足を踏み入れようなど恐れ多い。ここはスポンサー様である我が主に是非漢を見せていただきましょう」

 

 これ以上ないほど慇懃無礼に、レディファーストならぬスポンサーファーストを唱えた。

 扉の磨りガラス越しにはメイドさんが待機しているようだ。こうやって二の足を踏む客が多いんだろうと実物を目にしながら得心する。

 向こうから声をかけられるとなんとなく台無し感が否めないし、さっさと入店してもらおう。

 

「茶番はいいから早く入れ」

 

 やけに重い扉を開き材木座の入店を促す。同時に店内から呪文のような文句(お約束)が聞こえてきた。

 

「おかえりなさいませ、魔王さまぁ!」

 

 待ち構えていたメイドさんのテンションに圧倒されながらも材木座が応じる。

 

「う、うんむ。よ、よよよ、良きに計らえたもううぅぅぅぅ」

 

 ただでさえ怪しいしゃべり方が緊張でもっとやばくなった。なにがやばいって『良きに計らえ(責任を取らず相手に丸投げで任せる意)』の精神性がマジやばい。偉そうなところが魔王っぽくもあるが。

 

 

 席に案内された俺たちはメイドさんが来るまでの間、店内の様子を窺う。

 

 全体的に明るくグレイッシュなトーンでまとめられ、ハロウィンよりもライトな印象を受ける。シックで落ち着いていながら低彩度の紫系で上手く調子を取っていた。

 所々に置かれた観葉植物は魔界に自生する植物を表現しているのだろう。バイオレットカラーに着色されたそれが雰囲気を作り出していた。

 店内を忙しなく移動するメイドさんたちは、小悪魔をイメージしたコスプレのようだ。ゴス系ファッションで背中に蝙蝠のような小さめの羽がついている。

 

 この完成度の高さは、いつぞやの千葉で見た犬だか猫だか方向性の定まらない天使要素皆無な『えんじぇるている』とは一線を画すものであった。未だに店名覚えちゃってるのかよ。俺の千葉知識の一部として血肉となっちゃってるじゃん。

 

 ようやく注文を取りに来たメイドさんは、青みがかった長い髪をツインテールに結っていた。

 

「おかえりなさいませ、魔王さ、ま……⁉」

 

 整った顔立ちをしたメイドさんは酷く驚いた表情を見せる。みるみるうちに顔はおろかデコルテまで赤く染まった。

 

「っ! なんであんたが……」

 

 赤ら顔でわなわなとしながら吐き捨ててきた。

 あれ、急に態度が変わったんだけど、このメイドさん接客大丈夫? ちゃんと研修した?

 

「注文していいですか?」

「あ?」

 

 ひっ⁉ びびりながらお伺いを立てると、さらに不機嫌さが増した。いや、そんなことより『あ?』はないだろ、どういう教育受けてんだよ、ゆとり教育の弊害か?

 

「け、けぷこんけぷこん、ちゅ、注文をしてもよろしいでござるか?」

 

 その迫力を目の当たりにしながらも割り込む材木座。今日初めて見直した。

 

「…………魔王さま、ご入界は初めてでしょうか?」

「そ、その通りでござる」

「本日は、ご入界ありがとうございます。地上世界を支配する旅で、さぞお疲れになられたことでしょう。この『魔界の憩い』でごゆるりと疲れを癒していってくださいませ」

 

 さっきとは一変して丁寧な口調に戻る。

 あの……俺も癒されたいんですが。なんで俺にだけ厳しいの?

 

「……わたしは『魔界の憩い』で働く小悪魔セラです。魔法によって生み出されたわたしたちは魔力素子(マナ)が無くなればこの身を保てず消滅してしまいます。魔王さまをお世話して癒す代わりに魔力素子(マナ)を摂取させていただきますので宜しくお願いいたします」

 

 このカフェの設定を説明する小悪魔セラさん。メイドじゃなくて小悪魔なのね。

 我々魔王たちが小悪魔に捧げる魔力素子ってなんのことだと悩んでいると、頭の中を読み取ったように説明が続いた。

 

「魔力素子とは、魔王さまが魔界の憩いに滞在する間、消費されるものであり、わたしたち小悪魔を従えご奉仕させられる力でもあります。こちらがそのシステムと消費量となっております」

 

 メニュー欄には『当店では1円=1マナとしてご利用いただけます』と載っている。

 

 魔力素子というからにはMP的な何かと思ったが、資本主義社会のHPそのものだった。魔力素子()が無くなるとこの社会では魔王さまも死んでしまうのですがそれは……。

 小悪魔の奉仕と引き替えに()を搾り取ってくるんですね。オブラートに包んだつもりなだけで言い方が最悪だった。

 

 

「……説明は以上となります。メニューがお決まりになりましたら、こちらの魔法陣(ベル)でお呼びください」

 

 サイゼなら暗唱できるほど品を熟知しているが、ここではそうもいかない。

 じっくりとメニューを見ようとすると、耳を疑う言葉が飛び込んできた。

 

「それか、そろそろお会計にしますか?」

「はい?」

「そろそろお会計はいかがでしょうか?」

 

 脳が理解できなかったので聞き直してみたが、やっぱり理解できなかった。

 

「もうお会計にいたしますか?」

 

 ものすっごい笑顔で『お会計』だけを呟くbotと化した小悪魔セラさん。何度話し掛けても同じ会話しかしないゲームのNPCが実在した恐怖を疑似体験した気分。目だけ笑っていないのがそれを助長する。

 隣の材木座も同じ恐怖を体験しているようで、小刻みに震えていた。

 

「(は、ははは八幡よ、このメイドさんは我としゃべるのは法令違反になるから帰らせようとしておるのか⁉)」

「(んなわけねぇだろ。あれは嘘だ)」

「(うそなの⁉)」

「(それよりめっちゃ会計推しされてるんだが、もう出るか?)」

「(何も頼んでおらぬだろうが! それに癒しを求めて来たのに恐怖だけを植え付けられるなど死んでも死に切れぬ! せめて癒されてから死ぬ!)」

 

 受け取り方によっては安楽死死亡(志望)に聞こえる。うっかり二度殺そうとしてしまったが、メイドカフェは死を覚悟して来るところじゃないからな。

 材木座は拳を握り締め、血を吐く勢いで注文を叫ぶ。

 

「……コーヒーを、頼もう!」

「……かしこまりました」

 

 小悪魔セラは意外にも普通に注文を受けていた。さっきまでの感じだと『お会計では?』と注文自体を翻意させてきそうだったからな。どんな店員だよそれ。

 

「……俺もコーヒーお願いします」

「あ?」

 

 殺気再び! なんでだよ、なんで俺の時だけ不機嫌なんだよ⁉ もしやメイドさんと話すと法で裁かれちゃうのは俺の方なのでは⁉

 空気の変化を感じ取った材木座がフォローを入れる。

 

「ここ、コーヒー二つで!」

「……かしこまりました。……っ」

 

 渋々受け入れたセラは厨房へ引き返しながら俺を睨んでいた。……だから、なんで?

 

「は、八幡よ! セラちゃんが我の注文を聞き届けてくれたぞ! なんという良い子なのだ⁉」

「お前、騙されてるぞ」

 

 店員が注文を受けるのは当たり前だろ。目の前で俺が滅多打ちにされたところを見せられ植え付けられた恐怖がハードルを下げる。まさにDV夫、いやDVメイドのやり口。こいつ、洗脳されているな。

 

「……トイレ行ってくる」

 

 緊張のせいか催してしまいトイレを探した。途中セラを見かけるが、先ほどの態度からとても気軽に訊ける相手ではない。むしろびびっている。

 目を合わせないようにしていると肩をとんとんと叩かれた。振り向くと、俺と接すると国に罰せられる扱いをしてきた小悪魔がいた。

 

「……なにしてんの?」

「え、いや、トイレどこかなって……」

「……こっち」

 

 意外にも案内してくれるセラさんに『うわっ、この子実は良い子なのでは?』と感じてしまった。

 うわ、やっべ。正気を失いかけてるのは俺の方だった。危ない危ない。

 

「ど、どうも」

 

 礼を言いながら中に入る。セラは業務に戻ると思ったが、予想外の行動に移った。

 

「っ⁉ ちょっ、」

「しっ! 黙りな」

 

 俺の後からトイレに入り扉を閉めた。このトイレは大人二人が入るには少々窮屈で、密着を避けることが難しい。

 なにこれ、どういう状況? 互いの顔がニ十センチと離れていない距離で見つめられ肌が火照るのを感じた。

 

「……で、どういうつもり?」

「は?」

 

 主語も目的語もない質問に、先ほどまでびびっていたのが嘘のような返しをしてしまう。

 どういうつもりも何も正直に”お小水”です。と答えようものならどんな目に遭わされるか想像がつくので無言安定である。

 

「なんでここが分かったの? それにあんた今日バイトじゃなかった? 代わりに出るって言ってたじゃん」

 

 次々に質問をぶつけられたばかりか、そこには個人情報まで含んでおりパニックに陥る。

 

「その上、知り合いまで連れて来て、そんなにあたしを笑いものにしたかったわけ?」

 

 ドスの利いた声で訳の分からない言い掛かりをつけてくるセラ。ちょっとまて。あれは俺が連れて来たんじゃないぞ。

 

「逆だ、あいつが俺をここに連れて来たんだ」

「え?」

 

 予想外の答えに戸惑うが、俺はその比でないほど困惑していた。

 なぜ俺のことを知っている口調で話し掛けてくるのか。まず、そこから質問する。

 

「っていうか、あんた俺とどっかで会ったことあるのか?」

「え、……は?」

 

 さっき以上に驚き、目を見開くセラ。たっぷりと十秒以上は呆けていた俺たちだが、先に得心したのはセラの方であった。

 

「……えっと、あたしのこと分かんないわけ?」

「この店に来るのは初めてだし、知ってる方が変だろ?」

 

 まるで俺たちが知己だと言わんばかりな言い草。相手の自信から勘違いではなさそうなので、懸命に記憶の中を探し回る。

 そもそも俺には女子の知り合いが両手の指で足りる程度しかいない。照合は一瞬で終わり、なおも該当する人物がいなかった。

 その時、セラの馥郁とした香りが俺の鼻腔をくすぐる。それは嗅覚のみならず記憶をも刺激しプルースト効果を齎した。

 

「っ⁉…………あ、川崎……か?」

「はぁ、やっと気づいたわけ」

 

 毒気を抜かれ呆れ返った表情を見せる。

 え、川崎? だって泣きぼくろないしツインテールだし『おかえりなさいませ魔王さま』とか言っちゃってんだぞ? これもう川崎じゃなくて川崎京華の方が近似値とれてるでしょ? 言説の上ではだけど。

 俺の驚き様から怪訝に思ったのか、胡乱な目で睨め付けてきた。

 

「まあ、確かに厚塗りしてるし髪型も変えてるけど…………それじゃ、あんた今どこであたしのこと判別したわけ?」

 

 あまりにも察しが悪かったせいか、逆に気づいたら気づいたで判別方法に物言いが入った。

 『あなたの匂いで気づきました』なんて正直に言ったら胡乱から汚物を見る目に変わりそうだ。黒のレースで判断してないだけ紳士的ですらあるのだが、それを説明したとしても俺の汚物化は止まらないだろう。むしろ進行する恐れすらあった。

 しかし、しかしですよ? 目撃情報で犯人を特定する場合、背格好の他に服装とかって重要じゃないですかー? なら下着の柄だってその人の特徴だと胸を張って言ってもいいと思うんですよ! って誰に訴えてんだよ。しかも見た体で抗弁してるけど(今回は)見てないからな? 誤解するな。

 

 どう答えるべきか考えるはずの貴重な時間をこんなことで費やした俺はやはりバカなのだろう。川崎の目は雄弁にFAを要求していた。

 

「……その、家で感じた同じ匂いでなんとなく……」

「え……」

 

 追い詰められた俺はなんの捻りもなく正直に答えてしまう。比企谷八幡汚物化計画の始まりである……はずだった。

 

「そ、そう……」

 

 店内の喧騒に打ち消されてしまいそうな声音。少し身を引きはしたが、顔を赤らめ俯く姿から照れているのが窺える。どうやら『Project Waste Hachiman(比企谷八幡汚物化計画)』は発足しないで済みそうだ。危うく『八幡』が汚物として後世に語り継がれるところだが、中国では既にビチグソ(ひきがや)なので手遅れだった。なにそれ。バカ、ボケナス、八幡より酷くね?

 

 前髪を指で弄り無言の時間を埋めていた川崎だが、何かに気づいたように俺を見据えてきた。

 

「……そういえばバイト代わったんじゃないの? なんでいるの?」

 

 前夜の謀りがこんなところで足を引っ張るとは……。

 このバイトが明るみになったのは全くの偶然だが、実際にこれを目的として動いたことに変わりはない。観念した俺は嘘偽りなく全てを打ち明けたのだった。

 

 

 

「……で、その……もしそういうところで川崎が働いてたら、辞めさせようと思ってた」

「……」

 

 最後まで説明を終えると改めて自らの行いを省みた。

 心配だったとはいえアリバイ作りしてまで尾行するとか普通に引くし、なんなら通報案件ですらある。

 恋人でもない相手にされたら束縛キツ! と吐き捨てるレベル。冷静に考えると恋人にされてもキツくない? それを俺にやられたのだから控え目に見て極刑ものでは?

 判決を待つ気鬱さに打ちひしがれていると、恥じらいを含んだ優しい声音が発せられた。

 

「そ、そう、なんだ……そっか……ふーん……」

 

 忙しなく視線を泳がせ、満更でもなさそうにもじもじとしていた。

 反応が予想外過ぎて逆に怖くなる。世の中のありとあらゆる罵倒を浴びせられてアパートから追い出されることも覚悟していたからだ。……俺が追い出されちゃうのかよ。

 

「高校の時と違って年誤魔化さなくても普通に風ぞ……で働けるし、心配してた。疑ってすまん」

「あ、あああ、あたしが、そそ、そんなこと、するわけないでひょ! ……っ」

 

 どもどもからかみかみになりてれてれしながらねめねめしてきた。

 メイドカフェでは割りとポピュラーそうだけどここ(魔界の憩い)には場違いなふわふわぽわぽわした表現で今の川崎を語る。もはや何の説明だか分かんねえよ。けーちゃんに聞かせたら喜んで座右の銘にしちゃいそう。

 正解は『どもって噛んで照れながら睨め付けてくる』でした! うん、やっぱ分からん。

 頬の赤みはまだ引かないが、何事もなかったようにこう続けた。

 

「……それで、心配事はなくなった?」

「……ある程度はな。でも今はぶっちゃけ違う意味で心配してる」

「なにそれ、どういう意味?」

「言わせるのかよ……さっき俺にした酷い接客を思い出せ」

 

 あの対応を見る限り、きちんと接客できているのか疑わざるを得ない。相手が知り合いであるイレギラーはあったが、接客は単純なルーティンワークだけでなくアドリブ力も求められる。その観点から見てさっきのは失格だ。

 

「そ、それは! ……あんたがあたしって知っててお店きた冷やかしだと思って……」

「いや、そうだとしてもあれはないだろ。なにあの接客。お客に対して喧嘩腰とか普通にクビになりそうなんだけど」

「だからあれはあんたをお客って認めてなかっただけ! これからは普通に接客するから席戻ってて」

「ほぉー、言ったな。それじゃお前がメイドとして相応しいか見てやろう」

「なんで上から目線……まあいいけど、あんたもちゃんとお客として相応しくしてなよ? でないと……」

 

 川崎は真剣な表情と鋭い瞳で俺を見据える。

 

「お、おう……」

 

 脅しにも似た釘刺しの意図が読めず、適当な返事をする。

 これが軽率だと気づいたのはしばらく経ってからであった。

 

 

 

 席に戻ってしばらくすると川崎がコーヒーを持って来た。それを俺たちに差し出しながらオプションサービスを提案する。

 

「よろしければ『女悪魔(リリン・デーモン)(アイ)♪』で美味しくする呪いを注ぎ込むことも出来ますが、いかがでしょうか?」

 

 呪いを注ぎ込むという言葉のチョイスをどうにか出来なかったのか。可愛いより禍々しさがアピールされちゃってるんですが。

 

「うむっ、是非もない!」

「かしこまりました。それでは……」

 

 そこはかとなく嫌な予感がする……。

 そんな俺の懸念など気にも留めず『女悪魔(リリン・デーモン)(アイ)♪』とやらが始まろうとしていた。

 川崎はバーで使う物より二回りほど小さいシェイカーを取り出す。両手でハートポーズを作り、間にシェイカーを挟んだ。側面を両親指で、キャップ部を両中指で押さえ持つ。

 瞑目し、ゆっくりと深く息を吐く。

 そして……

 

「リリリン☆萌え萌え♪ アイアイ☆しゃかしゃか♪ 溢れる☆らぶらぶ♪ 届いて☆とろとろ♪」

「んぶふっ⁉」

 

 唇を引き結んでいたため、逃げ場を失った息が鼻から漏れて変な音を出てしまう。

 或いは、あざとい一色なら破壊力抜群の”おまじない”も、川崎がやると違う意味で破壊力が抜群であった。お陰で俺の腹筋はぷるぷると震えて崩壊寸前の悲鳴を上げている。

 しゃかしゃかとシェイクする川崎とノリノリで合いの手を入れる材木座。こんな珍妙な光景があるだなと浮世で新たな発見をしてしまった。

 シェイカーのキャップを開け、再び手ハートポーズを作ると両親指だけで挟み固定する。

 

「――女悪魔(リリン・デーモン)(アイ)♪」

 

 その一声と同時にハートポーズは崩さぬままシェイカーを傾けた。中から黄金色の液体がとろりと流れ、カップに注がれていく。

 

「……儀式は完了です。冷めないうちにお召し上がりください」

 

 川崎はやり切ったように超いい笑顔。でも営業スマイル。でも首真っ赤。耳も真っ赤。

 俺は視線を逸らし口元を隠して心も殺した。だが、油断すると儀式中の川崎が脳内でリフレイン。身体が震えて腹筋がぴくぴくする。鎮まれ俺の腹筋! と願いを込めつつ腹を押さえつけた。

 

「……魔王様、お手洗いはあちらにございますのでどうぞ」

 

 トイレなど一言も発してないのに勧められた。腹を抱えていたのをそういう意味に捉えたのか。

 いや、川崎を見ると顎をくいとしゃくって促してる。どうやら『来い』という意味らしい。

 トイレに行くと、先ほどのように後から川崎が入室し扉を閉めた。

 そして……

 

「今度はなんっ……、ぐぼっ⁉」

 

 一瞬、呼吸が止まった。鋭い突きが俺のボディへ刺さる。

 恩師から衝撃のファーストブリットを食らった経験がなければ耐えられなかったかもしれない。礼を言う気には全然なれんけど。

 

「な、なに……すんだ、よ……?」

「次笑ったらまた殴るから」

 

 おかしいな。ちゃんと堪えたと思ったのに川崎さんの頭には『比企谷、アウトー』というアナウンスが流れていたらしい。

 罰を与え終えると川崎はトイレから出て行った。

 

 ……え、ちょっと待って。これって毎年年末特番で観るシリーズのリアル版じゃない?

 『絶対に笑ってはいけないメイドカフェ24時』なの?

 いや、メイドカフェは0時で営業終わりだから。って問題はそこじゃない。

 

 この先、俺の腹筋が二つの意味で危機に瀕することになる。

 

 

 

 あの”美味しくする儀式”を乗り越え、あれ以上のものはないだろうと勝手に思い込んでいたが、そうもいかなかった。

 この日のために小遣いやバイト代を貯めていたのか、材木座の魔力素子()は膨大でオプションというオプション、その悉くを乗せまくった。ラーメン屋でやったら麺が見えなくなる全部乗せである。

 

 『小悪魔じゃんけん』はちょっとはしゃいでじゃんけんしてただけだからまだ耐えられた。

 

 しかし、川崎ソロの『ラ♪ラ♪ラ♪スイートプ〇キュア♪』オンステージは予想外のハイテンションに「ぶぐふっ⁉」と反応してしまい、闇の世界のア〇ラ・マンユのような視線を向けられた。目が合っていたら数秒後に死んでいるだろう。控え目にサイリウムを振る材木座にも責任の一端はあったと思う。

 

 『チェキ撮影』では、川崎と材木座が互いの手でハートポーズをする際、聖域(手と手の間の空間)を作ってくださいと言われた材木座がガチ凹みしたせいで口元を押さえた。触れないのはルールだから仕方ないだろ。触りたくない意思も感じられたが。

 

 挙句、俺も頼んだ『お絵描きオムライス』では「好きに描いてください」と要望したら、俺のオムライスに”40まん”とか描く自虐ネタのせいで「ぐぶふっ⁉」と吹き出しちまった。なに返済表明してんだよ。もうそれお前の方から笑わせにきてるじゃねえか。反則だろ⁉

 

 

 全く、昼飯を奢らせて食費を浮かす算段だったのに、律儀に三度もトイレ行って腹パンされて何やってんだか……。

 

 ようやくスポンサー様のライフを削り切ることができたので退店することになった。

 俺たちの元へ駆け寄る川崎は、営業スマイルで送り出す。

 

「ありがとうございました、魔王さま! またの憩いをお待ちしております」

「うぬ、勇者を倒して地上を征服した暁にはまた憩いにくると約束しよう」

 

 平常運転の材木座はほっといて、深々と頭を下げた川崎に目をやると耳が赤かった。

 それに気づいてしまうと、店に来たのが偶然であっても罪悪感に苛まれる。

 

 確かに、例えば俺のバイト先に小町が来たと想像したら、何とも言えぬ面映ゆさを感じるだろう。ただのバイトですらそうなのだ。こんなロールプレイさせられる職場とは比較にもならない。

 『厨二病罹患中に書いた政府報告書を身内の前で朗読会させられた』の方が言い得ているだろう。なにそれ、死ねる。魔力素子を全て消費してこの世から消滅したくなる恥辱。

 

 川崎への申し訳なさと疑念の謝罪も込めて、何かしてやれないかと考えながら帰路へと着くのだった。

 

 

×  ×  ×

 

 

 店から出てくるポニーテールの女性――川崎沙希――は疲れた顔で歩き始めた。

 

「……あ」

「……よう。お疲れ」

「わざわざ出待ち? 今度は何企んでるわけ」

 

 夜遅くまで待っていた俺に浴びせられた言葉はそんな冷たいものであった。すっかり信用をなくしてしまったようだが、その割りには声音が優しい気がする。

 

「でも、ま……お迎えごくろー様」

 

 そう口にする川崎はふっと表情を綻ばせ、さっきよりも一層声音が温かなものになっていた。

 機嫌が直りつつあると判断し、予め用意しておいた惹句で心を解す。

 

「飯食ってから帰らないか? なんだ、その……迷惑料ってことで、奢るわ」

「! ……いいよ別に。あたしもあんな深刻そうに隠してたし誤解されても仕方ないのかなって」

「いや、まあ、全面的に俺が悪かったしな。サイゼか居酒屋くらいしか開いてないがどっちがいい?」

「ファミレスはサイゼ一択なんだ……」

「当たり前だ。近郊のサイゼは全て頭の中に入ってるからな。っていうかファミレスといえばサイゼだろ」

 

 なんせ世界のファミレス・サイゼリヤだ。サイゼの前にサイゼなく、サイゼの後にサイゼなし。サイゼを超えるファミレスを俺は知らないし、俺のファミレスはサイゼしかない。ここまで心酔すると、来世はサイゼリヤに生まれ変わってるのではと危惧している。

 

「別に居酒屋がいいならそっちで構わんからな」

「そこまで推されて居酒屋選べるわけないでしょ……」

 

 小さくため息を吐きながら呆れたように眉根を寄せる。なんでだよ、サイゼいいじゃん。安いしドリンク飲み放題なんて業界最安だよ? メイドカフェの四分の一だよ?

 

「……まあ、あんたと行くの久しぶりだからいいけど」

 

 何やら呟いていたが独り言のようで上手く聞き取れなかった。

 

「それで、そんなにメイドカフェ来たかったわけ?」

「いや、だから材木座に誘われたからで……」

「嫌なら断れたでしょ」

「奢りに釣られたんだよ……」

 

 本当にそれ以上の意味などなかったが川崎はやけに絡んできた。

 なおも俺を不機嫌そうに睨め付ける。

 

「オムライスなら、言えば作ってあげるのに……」

 

 口を尖らせながら、ぽしょっと呟いたオムライス。

 その言葉にケチャップで描かれた返済表明(40まん)の文字が思い浮かんだ。

 

「んぶぐっ⁉」

 

 高速で顔を背けるも鼻から漏れ出た音は止まらない。

 川崎ぽかん。

 からの憤怒。

 え、これ俺悪くなくね?

 

「‼ ぐぅおぉ……!」

 

 平塚先生、俺を殴っていいのはあなただけとの誓いを破ってしまったことを許して下さい……。

 両手で腹を押さえ蹲りながら、恩師へ懺悔するのであった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

今回のあとがきは著しく長いです。それでも宜しければご覧ください。


前後編に分割したのに想像以上に長くなってしまいました。
増えたことを楽しみに思える方には朗報かもしれませんが、読みづらく感じる方には申し訳ありません。

前回のあとがきで『当初用意していた展開をかなり変更して執筆中』とお知らせしましたが、まさにそうなりました。

パターンⅠ→Ⅱ→Ⅰ´という感じで迷走して落ち着いた感じです。


ⅠとⅠ´は『メイドカフェでお互い認識し合って沙希メイドの接待を受ける八幡』という形。

Ⅰの終着点は、八幡がいるせいで普段のバイトよりもさらに羞恥が増してテンパる沙希。見兼ねた八幡が普段通りに応対させようとツンデレ・クーデレというプレイを提案する。
結果、それが店長に認められ、精神的な疲労の元である『萌え萌えメイド』のキャラをしなくてよくなり悩みが解消される。というものでした。
当初のプロットであるこのⅠで進めていたら、店長兼メイドのアンさんがしゃしゃり出て動き回ってしまい、今以上に文字が増えそうで没にしました。


そして思い付いたⅡは『八幡が原作ばりの鈍感力を発揮し、小悪魔セラを沙希だと最後まで認識できない』というパターン。

沙希だけ八幡と認識しつつ、メイド接待が続いていき相手が八幡だから普段以上に羞恥に震えながら萌え萌えする沙希。それを見て沙希と分からずに可愛いなと耽る八幡。捻デレな八幡が心の中で、とはいえ沙希を素直に褒め称える進行。
その後お絵描きオムライスで『40まん』と描いて沙希だと認識する・しないの2パターンも考えましたが、認識されるような行動を沙希がわざわざ取るのか? という疑問からここの落としどころが難しくなりました。
えっ? このオムライス40万? 嘘だよね? 駄菓子屋でよくある『はい、100万円(100円)』と同じ感覚のジョークだよね? と沙希に気づかないパターンも考え、物語の最後に家でオムライスを作ってあげてそこでもケチャップで『40まん』と描いてネタばらし。みたいなのも考えました。
しかし、そもそも沙希からメイドだと明かす理由がなくやっぱり落とせなくなったので、Ⅱそのものが没になりました。
その辺をなんとか上手く出来ればこっちのが完成度高かった気がします。
でも『読者が認知していて八幡の反応だけで組み立てて行く』ってツッコミがいないから筆者としてはふわふわして不安なんですよね。ただでさえ前編で沙希の出番少なかったのに、後編も沙希との会話がほぼゼロになるって、この話のヒロイン材木座かよってなるので。
つまり、わたくしの力不足で断念です。申し訳ない。


そして、完成したのがⅠ´の本作というわけです。

沙希は沢山しゃべらせられたし、彼女の座右の銘――顔はやめな、ボディにしな。ボディに――を体現できたのも好きポイント。Ⅱのように沙希のメイド接待を沙希と気づかず褒めるより、沙希と認知していて『笑ってはいけないメイドカフェ』をする方が”らしい”のかなと判断しました。

それじゃ、次話の予告編いきます。


〇次回予告:JDと非きこもり、薄氷を踏む。

ある日の午前、八幡のスマホが鳴る。バイト先の人間かなと呑気に考え電話に出ると、彼の背筋に悪寒が走った。
高校卒業後、偶に連絡は取っていたものの未だ会うことがなかった雪ノ下と由比ヶ浜。彼女たちがこのアパートのすぐ傍まで迫っている。
「川崎起きろ、起きてくれ!」
ロフトに登り、気持ち良く微睡んでいた沙希を揺する。
インターホンが鳴り、八幡の声はもはや悲鳴に近いものであった……。


はい、こんな感じです。ホラーかな?

非きこもりシリーズを立ち上げる時、最初に用意したプロットが実は1,2話とこれだったりします。
この話をやりたいがために始めたといっても過言ではない!
というわけで気合入れて書きます。
オチとか流れも大体決まってるから迷わないとは思いますが、小ネタで苦しむかもしれませんね。


◆魔界の憩い◆
魔界をコンセプトにしたカフェ。

◆値段設定◆
一時間ごとのワンドリンクオーダー制で自動延長。時間とご自身の魔力素子をご管理の上、ご利用ください。

◆入界料◆
♡男性          1200マナ/時間
♡女性           600マナ/時間

◆飲み放題プラン◆
♡ソフトドリンク飲み放題 1200マナ/時間
♡アルコール飲み放題   2500マナ/時間

※当店では1円=1マナとしてご利用いただけます。


◆メイドコンセプト◆
魔界に住む小悪魔。地上の世界征服を目論む魔王が休息のため、魔界へと戻る。その魔王に奉仕して癒し、代わりにマナを搾取することでその身を維持する。

小悪魔セラ (川崎沙希)
大悪魔長アン(メイド兼店長)※未登場(6話時点)


お気に入り、感想、ここ好き、誤字報告などありがとうございます!


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JD、非きこもりと薄氷を踏む。【前編】

メインヒロイン二人が登場。でも準レギュラー枠扱いです。

またも前後編の二部形式になってしまいました。まとめきれない!


「ん……」

 

 ロフトで微睡み、ゆっくりと寝返りを打つ。

 

「……」

 

 今日はバイトも大学もない久しぶりの全休。

 その自覚があたしの意識からストレスを取り除いてくれる。

 

 あまり眠れずにいた先月までが嘘のようだ。

 今はこの幸せを噛み締めている。

 

 昨日は日付が変わる時間までバイトに勤しんでいた。キャラに合わない役を演じることと、衣装が少し恥ずかしいのを除けば特に不満はない。

 むしろ働く時間の融通は利くし、時給以外のバックシステムで収入面も優遇されてる。

 ただこの前、比企谷となんとか座ってのが来た時は普段以上の羞恥心が湧き上がって無性にあいつを殴りたくなったけど。

 

 もう初夏の只中というこの時期は布団が暑い。ロフトは熱が籠るため余計に暑く、タンクトップにショーパン姿でも納涼は不十分だ。布団からはしたなく肢をはみ出させているのがその証左である。

 

 こんなにも油断した姿を晒せるのは比企谷がロフトを譲ってくれたからというのが大きい。梯子を登られれば容易く見られてしまうが、あいつはそんなことをしないという確固たる信頼があった。

 

 ……しかし、その信頼はあっけなく破られる。

 

「――川崎起きてくれ、緊急事態だ!」

 

 あいつの切羽詰まった呼び掛けとゆさゆさ身体を揺すられて、あたしは覚醒した。

 

「……なに?」

 

 自分でも驚くほど低い声が出ていた。久しぶりの安眠を妨げられ(むずか)っていたのかもしれない。

 目を擦るとぼやけた比企谷の顔がはっきりと見える。その表情は含羞(がんしゅう)に染められ、はっとなったあたしは両腕を身体に巻きつけた。少しでも比企谷の視線から逃れるために。

 

「~~~~っ!」

 

 くたびれたタンクトップの肩紐は力なくずり落ち、ショーパンは隙間からショーツが覗けるのではないかというくらいによれよれ。早朝のゴミ出しですらこれよりマシな恰好だと確信するほどにだらしがない。

 そんな風呂上りのバスタオル姿にも比肩しえる恰好を比企谷の前で晒す。耳まで熱を帯びて行くのも当然であった。

 

 お互い顔を見合わせては目を逸らす。そんな膠着状態が続いてからこの状況に一石を投じたのは比企谷だった。

 

「す、すまん。勝手に上がって来たのは悪かった」

「……ん、まあ……、いいんだけど、さ……」

 

 ほんとは全然良くはないけど、比企谷のこんなレアな顔が見れたのでチャラにしてあげる。

 自分が女として見られたことで身体が火照るような昂揚を覚え、そんな風に思ってしまった。

 

 面映ゆい空気に包まれた一瞬の沈黙。それを打ち破ったのもまた比企谷の方からだ。

 

「――って、こんなことしてる場合じゃなかった! 川崎、急いでここから出てってくれ!」

「………………………………え?」

 

 心臓が止まるような宣告を受け、先ほどまで辺りを包んでいた空気が霧散した。感情を夢の中にでも置き忘れてしまったような真顔で固まる。

 

「? ――――あっ⁉ すまん、そういう意味じゃない!」

「お、脅かさないでよ……」

 

 慌てて言い直すその声で緊張が解かれた。あと少し言われるのが遅かったら涙目になっていたところだ。

 

「一体なんなの?」

 

 わざとではないにせよ、悪い意味でどきりとさせられたあたしは恨みがましく訊き返した。

 狼狽しながらも事情説明を始める比企谷だが、

 

「実はな、これから――」

 

 その言葉を遮るようなタイミングでチャイムが鳴った。

 珍しい……というか、ここで同居させてもらってから初めての来客である。

 的外れにも大学で家に呼べる友達が出来たのかと軽く驚いてしまったが、問題はそこでないことにすぐ気づいた。その証拠に比企谷の顔は血の気が失せ、見開かれた目はこちらに向けられているのにまるであたしが見えていない。

 

「早すぎる……」

 

 ぼそりと呟く声は絶望に彩られ顔色が更に悪くなっていく。

 

「(隠れてくれ!)」

「え?」

 

 悲鳴にも似た声で、だが囁くその行動の不釣り合いさに首を傾げた。

 

「なんで?」

「(いいから頼む! 訳は後で説明するから!)」

「全くなんなの……あ」

 

 傍で充電していたスマホからLINEの通知音が鳴った。

 緊迫した空気を感じさせる比企谷とは対照的に、緩慢な動きでLINEのメッセージを確認するあたし。

 その呑気さも癇に障ったのか、普段からは想像も出来ない苛立ちの口調で促してきた。

 

「(早くしてくれ!)」

「ひっ⁉ わ、分かったから」

 

 寝起きで頭が働かないので状況が上手く呑み込めないあたしは、剣幕に圧され比企谷の言いなりとなる。

 

「(えーっと……出口は封鎖されてるし…………ここしかないか)」

「(えっ⁉ ちょっと、なに? 嘘でしょ⁉)」

 

 つられて小声で返すあたしをクローゼットの中へ導こうとする。

 

「(冗談、だよね……?)」

「(すまん、今はとにかく時間がない。絶対に後で説明するからしばらく隠れててくれ)」

「(ちょっ! ……んもうっ!)」

 

 強引に押し込められ思わず毒づく。

 実際にこうされた経験はないが、悪戯でもして親にお仕置きされている気分になった。

 

 

 ――――暗い。

 昼間なのに、閉め切られたクローゼットには僅かな光も差し込まない。

 

 いっ⁉

 床についた手で髪を挟んでしまう。長過ぎる髪が無秩序に散乱しているせいだ。いつもならシュシュかヘアゴムでまとめられているのに、そうする暇もなかった。

 

 薄い壁一つ隔てた向こう側から玄関辺りでがさがさと何かを片付ける音と、比企谷が誰かと話す声が聞こえてくる。

 

『……悪い、出るのが遅くなった。風邪引いてるし勘弁な』

『あ、ヒッキー、やっはろー! ううん、全然気にしないでいいから。しょうがないもん』

『あなたを心配してくれる人間などいないのだから、せめて自愛をなさい』

 

 どくん、と心臓が鳴る。

 緩徐にだが微睡みの残る意識から靄が晴れ、現状への理解が追いついていく。

 懐かしい渾名で心配する声と婉曲に諫める声、どちらも聞き覚えがあり高校時代を思い出す。由比ヶ浜と雪ノ下だ。

 

 ……それよりも、風邪ってなに? 壁に耳を押し当てて外の話を窺う。

 

『よくお見舞いに来てくれた。すげー嬉しい。嬉しくて三時間後くらいには熱も下がってるから、二人はさっき言ってたオサレなカフェでスイーツつまみながら久しぶりの再会を喜び語らうのがいいと思うぞ。俺も後から行くから』

『えへへ、ヒッキー嬉しいんだ……良かったぁ』

『私は別に由比ヶ浜さんと会うのは久しぶりでもないし、そうして語らうのはむしろ比企谷くんの方ではないのかしら?』

『いや、確かに会うのは久しぶりだし嬉しいは嬉しいんだが、やっぱりこの部屋にいると俺の風邪が伝染(うつ)るだろ? だから帰れ』

『ひどっ⁉ せっかくゆきのんと二人で看病しに来たのに……』

『他人の厚意を無碍にするなんて将来碌な死に方をしないわよ。いえ、碌な将来が既に訪れていなければいいのだけれど』

『暗にこの風邪で亡くなるのではと示唆してるよね? 死なないから。今日中に治るからな』

 

 話の内容から、比企谷が風邪を引き二人はその看病をしに来たようだ。

 しかし、比企谷は自分で呼んだとは到底考えられない応対を見せた。風邪なんて引いていないことはあたしがよく知っている。

 

 もしかして仮病?

 一体、なんのために?

 

 疑問が頭を埋め尽くす中、手にしたスマホの存在を思い出した。

 直接問い質したい。その一心でLINEのメッセージ入力を行う。

 この時は気づかなかったが、比企谷のスマホのロック画面通知にメッセージが表示されていたら二人に見られていたかもしれない。そうなっていたらと後から肝を冷やした。

 

『あ、ヒッキー、スマホ鳴ってるよ』

『ああ、すまん。自分で取れる』

 

 送ったメッセージに既読と付く。壁の向こうにいる比企谷の行動を目で見ているように錯覚した。

 

[ねえ、なんで隠れなきゃなんないわけ? あたし間男?]

【本当にすまん。実は妹にすらお前のこと話してないからこの二人は何も知らんし、知られたらどんな反応されるか想像しただけで怖い】

[だからってクローゼットに押し込むとか、バカじゃないの?]

 

 どうやら急に連絡が来た上、断るため仮病を使ったらこうなったらしい。

 あたしにも原因があるのでこれ以上責めることはしないが、もやもやが募る。

 

『今日はもう何か食べたの? まだならお粥でも作りましょうか』

『あ、ゆきのん、あたしも手伝うよ!』

『そう。あまり手伝ってもらうことはないと思うけれど、お願いしようかしら』

『作ってくれる気満々なのはありがたいんだが、腹減ってないから遠慮しとくわ』

『キッチンはさすがに狭いわね。とても二人で調理など出来そうもないから由比ヶ浜さんにお願いしようかしら』

『わるい、めっちゃ腹減ってるわ! 是非、雪ノ下の作ったお粥が食べたい。頼んでいいか?』

『初めからそう言いなさい。今から作るから少し待っていて』

『二人とも酷いよっ⁉』

 

 最初、三人の会話の意味が解らなかったが、よく考えてみると由比ヶ浜の料理を忌避していると推察できた。由比ヶ浜の料理の腕前を知らないし、記憶にあるのはせいぜい高二の時バレンタインイベントでチョコを作っていた、くらいのものだった。しかも一緒に作っていたわけではないので理解には程遠い。

 

 雪ノ下がキッチンでお粥を作っているようだ。手伝いを拒否された由比ヶ浜は比企谷の話し相手になっている。

 

『んー、あんま熱はないみたいだけど測ってみた?』

『測ってない。体温計ないからな』

『うっそ⁉ なんでないの?』

『余計な物は極力減らすようにしてる』

 

 そういえばこの部屋には体温計がなかった。余程のことが無い限り、四年間しか住まない住居で体温計を使う機会はない。そう考えたのはあたしだけではなかったらしい。

 

『確かにかさばるかどうかは別にして、下宿であまり使わない物まで持つ必要はないわね。強いて言えば比企谷菌を上回る風邪を患ってしまったことが不運だわ』

『風邪を引いてしまった不幸を嘆いているのか、比企谷菌を褒め讃えているのか判断に困るな』

 

 不幸を嘆くのも抵抗力を褒め讃えるのもいいことなはずなのに全くそう聞こえない。雪ノ下の言葉が不思議でしかなかった。

 

『じゃあ、あたしが買ってきてあげる。熱冷ましとかスポーツドリンクも』

『いや、悪いし勿体ないからいい』

『もったいないってなんだし⁉ 必要なんだからもったいなくないよ!』

『あ、いや、そうだな。必要、だよな……』

 

 つい口にしてしまった比企谷の気持ちはよく分かる。

 熱もないのに保冷シートを額に貼る間抜けさと、むしろ身体を壊すようなその行いにお金を払うバカらしさが言わせたのだ。

 

『じゃあ、行ってくるね! ゆきのん、ヒッキーのことお願いね。ちゃんと寝てなきゃ駄目だよ』

 

 由比ヶ浜は元気よくアパートから出て行った。

 残された二人(とあたし)は沈黙していたが、しばらくすると料理をしている雪ノ下の声が聞こえてくる。

 

『……それにしても、ちゃんと自炊しているのね』

『え?』

『お酒やみりんはないと思っていたのに、置いてあるばかりか使った形跡もあることに驚いたわ』

『……専業主夫志望だからな』

 

 ここには元々お酒もみりんもなく、あたしが家事をするようになってから買い足したものだ。

 雪ノ下の正しい見立てに内心恐怖しているのか、比企谷の声音がわずかに震えていた。

 

『調味料といえば焼肉のタレで全て済ませているものかと思っていたのに……』

『それ、俺じゃないだろ。記憶が改竄されちゃってるんですが。ここにいない平塚先生を傷つけるのはやめて差し上げろ』

『私は平塚先生とは一言もいっていないのだけれど』

 

 あたしにはよく分からないやりとりだったが、平塚先生は料理が得意ではないことだけはなんとなく解った。

 

 その後も取り留めのない会話が続けられていると、LINEメッセージが入る。

 

【今なら雪ノ下一人だし、隙を見て外に出れないか? お前の靴は靴箱の中だ。二人が帰ったら連絡するから】

[出れるわけないでしょ。財布もないし、あたしの格好考えろ〈スタンプ〉]

 

 まるで風呂上りに近い露出(それ)で街を闊歩できる人間だと思われているようで少し苛ついた。

 あんたが見て照れるようなあたしの姿を忘れたのか、と。そんな悪態をメッセージに込めると共に、リアルな猫が『もっとよく考えろ』と冷罵するスタンプを送る。

 返事を待っていると雪ノ下が話し始めた。

 

『さっきから随分とメッセージが来ているようだけど、猫の額ほどに狭かった交友関係が大学生になって拡大されたのかしら?』

『高校時代に比べれば親父の額くらいには広くなってるな』

『……あなたのお父様の後退具合が分からないのだけれど』

『薄毛に悩まされている前提の言い方はやめろ……』

『それともあなたの額から類推すればいいのかしら?』

『やめてくれ……やめてください、お願いします……』

『自分から持ち出した話題で己を苦しめるとはさすが比企谷くんね』

『お前の発言も苦しめる一助になってるんですが、自覚ないんですかね』

 

 かつてのようにする軽妙なやりとりが、あたしの胸をざわつかせる。

 感情の起伏を均す暇もなく会話は続く。

 

『それにしても、あなたの相手をしてくれる奇特な人間なんているのね。本当に珍しい』

 

 噛み締めるように呟く雪ノ下に心の中で毒づいた。

 ……珍しくて悪かったね。それ、あんたにも当て嵌まってるんだけど。

 

『まあ、代返してくれる知人くらいいないと大学で生活できないしな』

『比企谷くんらしい不正ね。姑息だわ』

『割りとポピュラーな大学生あるあるなんだよなぁ。実際に頼んだことはないが』

『頼みを聞いてもらえない、の間違いではないかしら?』

『それで合ってもいるんだが、知人に不正の片棒を担がせないよう気遣いする俺も褒めて欲しい』

『気遣いの方向性が間違っているのだけれど……。まずは不正を前提にしない誇りを持ちなさい』

 

 雪ノ下は軽くため息を吐き、比企谷の方へと歩み寄る気配がした。

 

『……ところで比企谷くん、あなた本当に発熱しているのかしら? 私への応対を見ても特に調子が悪そうには見えないのだけれど』

『っ! 体調悪いに決まってるだろ。さっきより熱が上がってるまである』

 

 久しぶりに会って饒舌になったせいか仮病を疑われた。実際にそうなのだから、看破されそうになった比企谷は取り繕おうと必死になる。

 

『……まあいいわ。由比ヶ浜さんが体温計を買ってくるだろうし、それまで猶予を与えましょう』

 

 比企谷の懸命な訴えも、仮病だと暴かれることが約束されただけに終わった。

 

 

×  ×  ×

 

 

『ただいまー、遅くなってごめんねー』

『悪いな由比ヶ浜』

『おかえりなさい由比ヶ浜さん。手を洗ってらっしゃい』

『うん』

 

 洗面所に向かった由比ヶ浜が何やら比企谷たちを呼んでいた。

 声が遠くなるがワンルームという狭さのお陰でなんとか会話は聞こえる。

 

『……ヒッキー、その……歯ブラシが二つあるけど、これって……?』

『っ⁉』

 

 それを聞いて胃がきゅっと縮む。あんな分かり易い痕跡を片付け忘れるなど、あいつがいかに慌てていたのかが窺えた。

 

『これはだな……小町のだ。たまに飯作って通い妻してくれるんだよ』

『な、なーんだ、小町ちゃんか。だよねー、あはは』

『あなた、一年以上も一人暮らしをしていて未だ小町さんに世話を焼いてもらっているの? いい加減に妹離れしたらどうかしら』

 

 こういう時に妹がいるのは強みだ。逆の立場なら間違いなくあたしも大志を使ってる。

 

『それよりもヒッキー寝てなきゃだめだよ! ほらほらお布団に戻る!』

『お前が呼んだんだろうが……』

『由比ヶ浜さん、体温計は買って来てくれたかしら?』

『うん、もちろん』

『さっそく体温を測ってあげてちょうだい。私は料理の方を仕上げてしまうから』

 

 いよいよ比企谷の仮病が明るみになる時がきてしまう。

 どうすることも出来ないのは分かっていたが、あたしはLINEでメッセージを送る。すると策があるので心配いらないと返ってきた。正直、不安で仕方がない。

 

 体温計の電子音はただでさえ聞き取りづらいのに、壁を挟むことで拍車がかかる。それでも辛うじて耳に届き、比企谷は審判の時を迎えた。

 

『っ⁉』

『どしたの、何℃だった? ――っ⁉ ヒッキー、大丈夫⁉』

 

 あたしの不安が的中したのか、体温計が表示してはいけない数字であったようで由比ヶ浜は泡を食っている。

 

『ち、ちょっと調子が悪いだけだ、主に体温計が。俺の方にそこまで問題はない』

『買ってきたばっかなんだけど⁉ お店いって交換してもらおっか?』

『いや、いい! もう一回測ってみるから』

 

 慌てて制して測り直す比企谷にあたしはまたメッセージをとばした。

 

[なにしたの?]

【摩擦熱で体温誤魔化そうとしたら43℃を記録した】

[バカじゃないの?]

 

 言いつつも比企谷らしいと呆れ笑いをしてしまう。

 二回目は無事に体温調整が出来たらしく、今は布団で安静にさせられていた。

 

 クローゼットの中は昼間でも真っ暗で、長時間いるのは些か心細い。このまま眠る手もあったが寝心地は良くないし、万が一いびきや寝返りで音を立ててしまったら比企谷の仮病が台無しになってしまう。

 

 こうしてあたしのクローゼット籠城が始まる。

 暇を潰せて、辺りも照らせるスマホを持ち込めたのが唯一の僥倖だった。

 

 

『そういえば、ヒッキーちゃんと一人暮らしできてる? コンビニ弁当とかで済ませてない?』

『意外にもその心配は必要ないようよ。ちゃんと自炊している形跡が見られたわ』

『へー。……もしかして小町ちゃんがやってたりする?』

『来ることもあるが最近は滅多にないな。実家からここに来る時間と交通費はバカにならんし、来年受験だし』

『あー、そっかー。そうだよねー』

『そんな頻度なのに歯ブラシや食器を用意して妹を心待ちにしている比企谷くんを見ていると、とても不憫ね。小町さんが。あと気持ち悪いわ』

『不憫までで止めとけよ。最後のはいらんだろ』

『あははー、そうかも! 小町ちゃんが関係するとヒッキー、キモいもんね』

『嬉しそうに追い打ちかけないでもらえます? あと小町が関係しなくてもキモいから』

『自分で言っちゃった⁉』

 

 比企谷の声音は優し気でその内容とはあまりに乖離するものだった。内心では二人を歓迎していることがよく分かる。

 ……百歩譲ってそれはいいとしても、あたしをここから出す努力の片鱗くらいは見せて欲しかった。

 

 たまの休日なのに何が悲しくてクローゼットで息を潜めていなければならないのか。

 本来、今日起きたらまずベランダの洗濯物を取り入れることから始めるつもりだった。昨夜も帰宅が遅かったあたしは、今日の休みに取り込めばいいと干しっ放しにしていた。比企谷には洗濯物に触れないよう厳命してある。

 

 ……そこまで考えると、無意識にスマホを操作していた。

 

[緊急事態! 洗濯物干しっ放し!]

【そうか。昨日帰り遅かったもんな。それが?】

[だから、このままだとあた……]

 

 そこまで打ったところで由比ヶ浜の声が聞こえる。手遅れだった。

 

『あ、ヒッキー洗濯物干しっ放し。あたし取り込んで畳んであげる』

『⁉』

 

 窓の外、ベランダに干してあるそれに気づいた由比ヶ浜が提案した。言われて比企谷はようやく事態が危機的状況であると理解したようだ。

 そう、物干し竿にはあたしたちの衣類、つまり”女物の下着”が吊るしてある。

 あいつの妹とは総武高を卒業してから会っていないが、かなり小柄だったのを覚えている。歯ブラシの時と違い、これ(あたしの下着)を妹の下着だと納得させるのは小町の成長にブレイクスルーでも起きない限り無理筋だ。

 

『あー、その、だな……悪いからいい。自分でやる』

『ダメだよ、ヒッキーは風邪なんだから。ゆきのんはお粥作ってくれてるし、あたしもヒッキーのために何かしたいよ』

『うっ……ぐぅ……』

 

 比企谷は真っ直ぐな気持ちをぶつけられ苦しそうに呻く。由比ヶ浜の善意という刃物に良心が切り刻まれているのだろう。血を吐きそうに青息吐息で言葉を吐く。

 

『気持ちは嬉しいが、本当に大丈夫だから……』

『え、でも……』

 

 なおも食い下がる由比ヶ浜を制したのが、

 

『いや、自分でやるからいい。それとも、俺のパンツを畳みたいのか?』

『はっ⁉ パ、パン……ヒッキーのバカ! キモい!』

 

 単なるセクハラ発言だった。

 

『まったく、やはり碌な死に方をしなさそうね』

 

 雪ノ下が深いため息を吐きながら、先ほどの言葉を反芻するように呟いていた。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

初めての沙希視点でした。
二人が唐突に来るのが不自然ですが次回の後編で一応経緯を説明します。あとついでに非きこもりになった原因の一つも。納得できる理由かどうかまでは保障できませんが。

隠れた沙希とLINEでやりとりしてツッコんでもらうのは狙い通り出来たと思います。ちょっとお気に入りの展開。

以下、登場人物紹介。


◆雪ノ下雪乃◆

国立大学二年生。高校卒業後実家暮らし。
姉と同じ地元の国立大学に進学し、実家で暮らし始めてからは前よりも家庭関係は良好になる。
進学先が近い結衣とは現在もよく会っている。

原作12,13,14巻のプロムを改変し、八幡との距離を縮めきれなかったため、14、14.5巻のようにデレることがない。むしろ自信を付けて八幡と出会った頃のような強さを取り戻した。


◆由比ヶ浜結衣◆

私立大学二年生。高校卒業後実家暮らし。
バイトを適当にしながら雪乃との関係を緊密に保っている。
三人のままでいられるよう望み、八幡と同じ大学ではなく雪乃との友情を選び地元に残った。


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非きこもり、JDと薄氷を踏む。【中編】

今回は沙希が出番少な目です。申し訳ない。わたくしも悲しい。

文字数がどうしても抑えられなくて中編に変更。三部作決定。


「……黒のレースか」

 

 そう一人呟きながらベランダで女性物のショーツを畳むDD。

 字面が既にヤバイが、その原因がもっとヤバイ。

 

 由比ヶ浜が取り込もうと言った洗濯物に川崎の黒レースが干されている事実。

 俺は慌てて彼女を止め、自分で取り込みベランダで畳んでいた。部屋で畳むと黒のレースを見咎められると思ったからだ。

 畳み終え、籠に入れてようやく気づく。

 

 ……黒以外のもあるのか。

 当然といえば当然なのだが、今まで見たのが黒のレースのみだったので軽く驚いてしまう。

 

「……黒の時はラッキースケベってジンクスでもあるのか……」

 

 思わず自首してしまいそうになるくらい気持ちの悪い独り言が口を吐いた。

 ちなみに、LINEで川崎に送ったメッセージへの返信がこれである。

 

[洗濯物は畳んでロフトに置いといた]

【変態】

 

 ……え、ベランダでの独り言、聞こえてた? 違うか。川崎の黒い布を畳んだことに対してか。びびった。

 待て待て、そうだとしてもこんなのしょうがないだろ。どうしろってんだよ。

 そもそも論として二人を家に招かなければこんなことになってないんですよね。ほんと、すみません。

 

 どうしてこうなっちまったんだ……。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

 朝のプ〇キュアをオンタイムで鑑賞し、歯を磨き始めた。

 大抵の人は食後にするだろうが、実は虫歯を予防するには何かを食べる前の方が効果的なのだ。虫歯菌を除去しておけば食物が歯に付着しても、それをエネルギーにして歯を攻撃する要素自体が存在しないからである。

 そんな講説を誰にともなく(心の中で)かましてしまったが、目的はどちらかというと口臭ケア。

 

 歯磨きを終えてコップを戻す。そこには俺の分ともう一つの歯ブラシ――川崎の分――が目に留まる。

 

 川崎と暮らし始めてしばらくが経ち、気づけば部屋に同居を意識させる物が増えてきた。特に歯ブラシはそれを象徴している。まるで同棲じゃないかと何度も考え、その度に頭を振った。

 

 ――いやいや変な考えを起こすな! これはただの同居。川崎はルームメイト、ルームメイドサキサキだ。濁点入れたら著しく意味合いが変わってしまった。不思議だ。

 

 当の本人はまだロフトで寝息を立てている。

 少し前までバイト先の倒産や引越し。最近は新たなバイト先に俺が訪れたりと色々疲労が溜まったのだろう。俺よりも遅く起きたことがなかった川崎の姿を見せられ、自然とそう考えるようになる。

 

 利息の代わりに家事をすると言っていたが、俺の方からやる分には問題ない。たまには朝食を作ってやろうかという出来心で冷蔵庫を開いた。同居前にはなかった酒やみりんが並ぶ。

 それまでは料理の『さしすせそ』すら揃っておらず、川崎に苦笑いされてしまった。

 なお、焼タレだけは買ったら負けな気がしたので置いてない。嫁度対けっ……う、頭が……!

 

 そもそもバイトの賄いと、ある事情で家にいないようにしているからあまり自炊が出来ないし、する必要もない。調味料が少ないのは俺のせいではないのだ。

 

 

 冷蔵庫の中身から何を作ろうか思案していると、スマホに通知が届いた。

 高校時代は目覚ましにしか使っていなかったが、今はその頃より人並に近づいている。

 スマホを覗き込むとLINEのメッセージが通知されていた。差出人は世界の妹・比企谷小町である。

 

【おはよー、お兄ちゃん。今日あたり雪乃さんと結衣さんからお誘いがあると思うので、ちゃんとお出掛けするように】

 

 は?

 は?

 はぁ⁉

 

 今日?

 今日ってなんだよ?

 妹が何を言っているのか分からない件。

 

 頭の中で反芻していると、既読を確認したようなタイミングで着信が入った。

 

【☆★ゆい★☆】

 

 おいおいマジかよ。

 電話に出ると久しぶりに由比ヶ浜の「やっはろー」をお見舞いされ、

 

『ヒッキー久しぶり! 元気してる?』

「あー、まあ元気? なのか?」

『なんで疑問形⁉』

「それよりもわざわざ電話してくるくらいだし、なんか用でもあったのか?」

 

 小町の予告済みだし、確実にあるのは知ってたが一応とぼけて訊いてみる。

 

『そ、それなんだけど……えと、……ヒッキー今日って暇?』

 

 その狡猾な訊ね方に警戒心が増した。

 本来ならば用件次第で「今日はちょっとアレだから……」とか「バイトが……」と断りを入れるのが俺であるが、先に暇かと問われてしまうとこの手法は使いづらい。

 いや、ちょっと待てと。それよりもこの質問に対する疑念が頭を擡げた。

 

 小町にはここへ訪れやすいよう普段からバイトのスケジュールを送っている。事前通告の内容から、由比ヶ浜(と雪ノ下)は先に小町と接触しているはずだ。今日はバイトが休みだというのも聞かされているだろう。

 あぶねっ! バイトとか言ったら偽証罪に問われて何かしかのペナルティを負わされるところだった。

 

 俺が面倒がって断るのを織り込み済みということか。

 外堀を埋めるようなやり口、嫌いじゃないぜ。

 

「なんかあるのか?」

 

 トラップだと察知した俺は質問に質問で返す。用件次第で普通に断るつもりだった。例えば、『アパートに来る』とか。

 

『実はさー、今ヒッキーが下宿してる最寄り駅のちょっとオシャレっぽいカフェにいるんだけど……あ、住所は小町ちゃんから聞いたの』

「そうか。で、どした?」

『ちょっとさ、出てこない? 今ゆきのんも一緒にいるんだけど、あ、ゆきのんに替わるね。ほら、ゆきのん』

『ちょ、由比ヶ浜さん⁉』

 

 マイクに流れ込んでくる声は酷く懐かしい。

 総武を卒業してから、こうやって連絡を取ろうとしてくるのは由比ヶ浜であり、俺も雪ノ下もそれに便乗する形で会うくらいだった。

 お互い極度のコミュ障なので、この結果はむしろ納得すらしている。

 

『……んん、ひ、久しぶりね比企谷くん』

「……おう、そうだな」

 

 ぎこちない挨拶を交わし顔が綻ぶのを自覚したが、すぐに無言となった。

 これ人選ミスじゃないの? なんでコミュ力オバケのガハマさんから元総武高コミュ障三銃士の一人と替わったの?

 ちなみに、コミュ障三銃士の残り二人はこのアパートにいる。なにそれ、コミュ障はコミュ障と魅かれ合うのかよ。スタンド使いみたい。

 受話器から雪ノ下の声ではなく、周囲の雑音が聴こえてきた。どこか喫茶店にでもいるのだろうか。

 

「……な、なんだよ?」

 

 我慢できずにこちらから水を向けた。気の利かないあまりに無様な物言いだったが。

 

『あ、ええと、実はあなたのアパートの近くに来ているのよ』

「それは由比ヶ浜から聞いた」

『そうだったわね。それで提案なのだけれど、駅まで出て来てくれないかしら? 三人でお昼を食べてからショッピングやカラオケに行って、その……夕飯をあなたのアパートで作らせてもらおうと思っていたのだけれど』

「……⁉」

 

 当日飛び込み予約って、どんだけ不人気旅館だと思われてるんですかね。こちとらワンルームに二人住まいで客室稼働率200%。忌避すべきお宅訪問のせいで人気の宿っぷりを披露できないのがつらい。

 

『バイトに精を出していて懐の心配がないのと、今日は用事がないことは小町さんから窺っているわ』

 

 休みのスケジュールだけでなく懐具合まで熟知しているとは。やはり外堀が埋められていた。

 しかし、その外堀の内側にもう一つの内堀、川崎という存在までは知られていない。小町には話していなかったし、知ってたら会う機会を作っていないだろう。わざわざ修羅場を演出しようとするほど俺の妹はアホじゃない。

 

 ただ、こうなると金が無いからという断り方が封じられ返答に困る状況となった。さっきまでの会話で断る理由として使えそうなものはなかったか反芻していると、

 

 あー、まあ元気? なのか?

 なんで疑問形⁉

 

 というやりとりが思い浮かび「これだ!」となる。

 

「あー、悪いが今日はあまり体調が良くないみたいでな、風邪かもしれん」

『え』『え⁉』

 

 由比ヶ浜の驚く声まで混在してきた。スピーカーモードか耳を当てて二人で聞いていたのだろう。

 

『本当に?』

『か、風邪なの? 大丈夫?』

 

 訝る雪ノ下と心配する由比ヶ浜の温度差が凄い。疑うことを知らぬ純粋なコミュ力オバケと猜疑心しか持たぬコミュ障という図式。この二人を見ていると、コミュ力とは心の清廉さに比例してると思う。いいえ、妹曰く俺と同類なクズい後輩もコミュ力が高かったですね。はい、証明失敗。

 

「そうなんだ。だから悪いが今日は……」

『じゃあ、あたしたちが今から行って看病してあげる!』

『え、由比ヶ浜さん?』

『いーじゃん、ゆきのんも行きたかったくせに! ってか結局夕飯作りに行くんだし予定が早まっただけじゃん!』

「え、ちょっ⁉」

『じゃー、今駅前だからすぐ着くと思うよ』

「え、いや、待っ、」

 

 そして、一方的に電話は切られた。

 

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 

 冷静に考えると、言われた通り素直に出て三人でお茶でもしてれば良かったと後悔する。外出すると了承しておけば時間的余裕はあったのだし、アパートに来られても証拠隠滅と川崎を外に逃がすことができたはずだ。

 俺の迂闊な嘘でそのチャンスを両方とも潰してしまった。

 

 悔悟の念に苛まれていると心配そうな由比ヶ浜の声で我に返る。

 

「ねえヒッキー、ほんとに大丈夫?」

「……平気だ。ちょっとあちぃけどな」

 

 つい本音が漏れてしまった。

 風邪でもないのに冬の布団に包まれ汗を出し、ありもしないウイルスを殺そうと体温を上げていた。

 観客二人、賞品なし、名誉もなしの一人我慢大会で比企谷菌が死にそうです。誰得なのか。

 クローゼットの川崎は無事だろうかと不安に思うと、心を読んだようなタイミングでLINEが入る。

 

【こっちも暑い。我慢しな】

[すいません許して下さい]

 

 あっちはあっちで狭い空間の中、多環芳香族炭化水素を嗅ぎながらかくれんぼに耐える川崎。

 俺の一人我慢大会とどちらがマシかと思えるほどには過酷だった。

 

 安易に嘘をつくものではないと後悔しつつ、なんの落ち度もない川崎には非常に申し訳ない気持ちになる。

 

 

 それにしても暑い。風邪じゃなくても汗だくになっていた俺は着替えようと布団を剥がした。

 

「あ、ヒッキーだめだよ、布団掛けなきゃ!」

「いい加減暑いし汗だくだから着替えるわ」

 

 上着とTシャツを脱ぐと、由比ヶ浜は慌てて顔を背けた。

 

「き、急に脱ぐなし!」

「え? あ、なんかすまん」

 

 上半身裸くらいで狼狽えるなよ。可愛すぎかお前は、とは口が裂けても言えんけど。

 

「堂々とセクハラをするのはお辞めなさい。羞恥心を家にでも置き忘れてしまったのかしら」

「それなら羞恥心は持ってるだろ。ここも俺の家だしな」

「はぁ……なら羞恥心が機能していないのね。やはり通報するべきなのかしら……」

 

 あらかた料理の終わった雪ノ下は火を止め、会話に入ってきた。

 通報されたとしても自宅で公然猥褻罪は成立するのだろうか。公衆の目に触れないので無理な気がする。

 

 そんな的外れな疑問に思考を奪われていると、いつの間にか洗濯籠を手にした由比ヶ浜が目の前にいた。

 脱いだのが急で本当に驚いただけなのだろう。さっきまでの過剰な恥じらいなどなかったように、平然と脱いだ服を籠に入れる。

 

「じゃー、洗濯しちゃうよー?」

「え、ああ、悪いな。頼むわ」

 

 何も警戒していなかったが、これは俺の窺い知れぬことであり仕方なかった。代わりに危機感を持っていた川崎からまたもLINEメッセージ。

 

【洗濯機もやばい、止めて!】

 

 この家ヤバイもんしかないわけ? なんて一瞬他人事みたいな考えが過ぎるがすぐに緊急事態を自覚した。

 だが、川崎が気づいてからLINEでメッセージ打って届いて俺が認識して、というこれだけのタイムラグが生じてて間に合うわけがあるはずもなく。

 

「洗濯機に水入ってないよね、どれくらい入れればいい、か……な?」

 

 洗濯機の蓋を開け、洗濯物の量と水量を確かめようとする由比ヶ浜が固まる。その反応を見て俺も固まる。

 相当ヤバイもん入ってたのか? なに入れたんだ川崎。あ、洗濯物っすね。口調が大志みたいで軽く死にたくなった。けーちゃんは元気かなー、などと現実逃避まで起こるくらいにはテンパっていた。

 

「……ごめん、これってなに? ヒッキーこんなの着る?」

 

 ヒッキーこんなの着る? こんなのヒッキー着る? こんなヒッキーKILL? 俺、殺されるの? って身の危険を感じた。

 

「なにがあったの?」

 

 由比ヶ浜の問いかけに雪ノ下も加わった。

 あ、雪ノ下への問いかけだったんですね。こんなヒッキー殺そう(KILL)? うん、俺死んだわ。

 

 中身は分からないがこの洗濯機は希望の入っていないパンドラの箱なのだろう。なにそれ、禍100%じゃねえかよ。

 俺の精神が絶望に染められていると、空気を読まず再びLINEメッセージが届く。差出人住所はこの部屋のクローゼット。しゃべれば伝播する距離でなんて電波の無駄遣い、などと詰まらない駄洒落で己の緊張を解した。

 

【ごめん】

 

 洗濯機の中を表した力強い三文字をいただいた。

 いや、ごめんじゃ分からねえよ。洗濯機に何入れたんだよ。中身も気になるけど、どう言えば取り繕えるかのが重要なんだよ。模範解答を示してくれ。

 

「これって……ハロウィンとかの衣装?」

 

 由比ヶ浜が洗濯機の中から取り出したのは背中に蝙蝠の羽がついた黒いコスチューム。彼女は具体的にそれが何なのかまでは分からないようだが、俺には分かった。分かりたくなかった。分からないまま死にたかった。

 

「ハロウィンまではまだ半年もあるじゃない。もしかして日付も分からなくなってしまったの……?」

 

 小首を傾げて、心配そうに俺の顔を覗き込む雪ノ下。その眼差しは幼気で純真、なのに薄っすらと悪意が見え隠れしていた。お前もその衣装着て『魔界の憩い』デビュー出来るぞ。その眼差しは小悪魔そのもの……いや、新人から大悪魔スタートでいける。姉が既に魔王だしな。

 

 LINEメッセージの返信を打ち込んでいた俺は、「ちょっと待て」と二人を制した。言い訳を考える間が欲しかったためだが、指は自然と動きメッセージを送っていた。

 

[悲報・小悪魔セラがうちの洗濯機で衣服を残して消滅した件]

【あんた殴られたいの?】

 

 良かった。魔力素子(マナ)不足で消滅したかと思われた小悪魔セラさん無事だったんすね。うちのクローゼット内で。知ってた。

 しかし、謝罪の後ですかさず恫喝とか感情のジェットコースターがエグすぎない?

 

 思えばこの時から、俺は妙に開き直っていた気がする。

 そして、返信する前から思い浮かんでいた弁明を二人に始めた。

 

「それ、プ〇キュアの円盤に付いてた初回特典の衣装なんだわ」

 

 口に出してから改めて思う。

 ……なにその言い訳。脳に糖分足りてる?

 絶望的な交渉材料を提示した俺であったが、雪ノ下の反応は違った意味で芳しくない。

 

「えん……ば、ん……?」

 

 雪ノ下は呪文でも唱え聞かされたように俺の言葉をなぞり、きょとんとしている。どうやら円盤がDVDやBDだと認識できないのだろう。本題前から早くも齟齬が発生し、この交渉は開始前から難航するだろうという予感をひしひしと感じていた。

 

「……あー、円盤ってのは映像DVDとかBDのことを指すんだ」

「そう……それはいいのだけれど」

 

 さして関心もなさそうに返事をする雪ノ下。あまりの無関心さに俺の説明が間違えているのではと錯覚するほどだ。

 

「それがこの服とどう関係するのかしら?」

 

 なるほど。単語の説明より本題を説明しろということだったらしい。

 だが、円盤で躓いてたら本題も理解できないだろ。英単語の意味も知らずに英文を訳せると思っているのか。などと、元総武高校学年一位に勉強の積み重ねが如何に重要かを講じようとする、そんな身の程知らずなどうも俺です。

 

「つまりアニメ特典ってやつだ。その衣装だな」

「……無駄な物は置かないのではなかったのかしら?」

 

 あまりにも正論過ぎて二の句が継げない。

 自らの発言が己を苦しめる。人、それをブーメランと呼ぶ。心の中で呟いたが、当たり前すぎて口に出していたら赤面待ったなしであった。俺が誰かって? お前たちに名乗る名前はないっ‼

 こうなったらゴリ押しで通すしか……!

 

「何言ってんだ。日本の五大ライフラインといったら電気、水道、ガス、通信、プ〇キュアだ。無駄な物なわけないだろ」

「は?」「へ?」

 

 返事ともつかぬ間の抜けた声を上げ、俺を見つめること約五秒。ネイティブな日本語を知覚するのに充分過ぎる時間を与えられ、なおも二人が取った行動は”ぽかん”であった。

 

「えっと……一体何を言っているのかしら?」

「ヒッキーおかしなものでも食べたの?」

 

 雪ノ下はその表情を言語化した疑問を投げかけてきた。

 由比ヶ浜はお前にだけは言われたくない言葉をぶつけてきた。

 

 プ〇キュア生活必需観について来れない二人の視線が痛い。確かにプ〇キュアは好きだが、川崎を匿う目的がなかったら俺だってここまで超理論を展開しないからな。

 しかし、ここで引くわけにはいかない。真実が暴かれれば川崎の住まい以前に俺の命すらも危うく、運が良くても社会的に抹殺されるレベル。そんな悲劇を避けるべく、俺はプ〇キュアの伝道師として滔々と語った。

 

「女と生まれたからには、一生の内一度はプ〇キュアを観ているはずだ」

 

 まるで『男と生まれたからには、一生の内一度は夢見る地上最強の男』みたいなフレーズのプ〇キュア版である。

 二人は呆れ顔から顰め顔へと推移していく。きっとクローゼットの中でもそれは起こっているだろう。

 

「そして、テレビに映ったひたむきに生きる女の子の『真っ直ぐな想い』を目の当たりにし、いつしか観るだけでは飽き足らず『プ〇キュアになりたい』と強く思い焦がれるようになる。そうだろう? 俺もなった」

「……」「……」

 

 自分で言ってて気持ち悪さを自覚する演説を黙って聞いていた二人だが、表情からは如何なる感情も読み取れない。まさに無である。最強の力! 世界を支配する力! 無の力だっ‼ ……おっと、俺の中のエ〇スデスが迸ってきちまったよ。

 

 どうも誤魔化し方を間違えたのではないかと激しく後悔が襲うが、ここまで来たらもう立ち止まれない。

 

「……そんなプ〇キュアになれる特典衣装が無駄な物だろうか? いや、必要に決まっている」

 

 二人は目を細めて俺……には焦点が合っておらず、俺の後ろの虚空を見つめていた。ハイライトさんはもちろん仕事放棄。逆に俺の汗腺は働きまくり。冷や汗が止まらん。勢いに任せてとんでもないことを口にしたという認識もしていた。

 

 だってそうだろう? プ〇キュアの特典衣装を欲しがる人は存在するので商品として価値がないとは思わない。俺は一般的な意味でそう言ったつもりだった。

 しかし、この流れだと、特典衣装を必要としているのが俺なのだと受け止められかねない。そして、その懸念は現実のものとなる。

 

「誰にとって必要なのかしら……」

「どうしよう……昔よりもずっと心が病んじゃってるよ……」

 

 憐憫と悲しみの表情をそれぞれ浮かべて、ため息を漏らす。

 

「ところで、記念品って洗濯するものなのかしら?」

 

 雪ノ下が痛いところを突いてきた。相変わらず容赦のない女だ。

 俺は何食わぬ顔で一般的な意見を述べる。

 

「新品の服は洗濯して使うだろ? それと同じだ」

 

 新品の衣類だからといって衛生面が保障されているわけではない。また、新品ゆえに糊がついている場合もある。そのための洗濯なのだと、さも当然のように答えた。

 その服の使用感を見て、こんなこと語れる俺はある意味凄いと思う。

 

「それだと着る前提なのだけれど」

 

 ですよねー。俺もそうとしか考えられません。ってかどう見ても使用済みですし。これほどまでに勢いよく墓穴を掘る人間を俺は知らない。俺以外に。

 

 このままでは衣装を着るのは俺、という前提で話が進んでしまう。

 だが、それを否定するには部屋に小悪魔セラがいることを肯定しなければいけない。

 前門の虎、後門の狼状態な俺、逃げ場なし。

 

「あなた、本当にそれを着るつもり? 頭は大丈夫? 男の子はプ〇キュアにはなれないのよ? 現実を見なさい」

 

 女の子でもプ〇キュアにはなれねーよ。なにその女尊男卑。雪ノ下の間違った認識に自分の立場も弁えず是正しそうになる。

 しかし、後に引けない俺は話に乗り続けなければならず、このまま道化とならざるを得なかった。なにそれ、しんどい。

 

「……知ってるか? 『現実なんて変えてみせるもん!』ってキュアド〇ームの言葉なんだぜ?」

「現実よりもまず性別を変えなさい」

 

 ため息交じりにモロッコへの医療渡航を推してくる雪ノ下。何故、女子ならプ〇キュアになれると頑なに信じているのかソースが知りたい。

 

 そもそも本当はプ〇キュアになりたいわけではない俺が、どうしてこんな目に遭わねばならないのだろう。やはりこれは業なのか。掘った墓穴が深すぎて這い上がれる気がしない。

 

「ヒッキー……ちょっと会わない間に中二みたいになっちゃったんだ……」

 

 失望を伴う由比ヶ浜の声音だが、ここでも是正を必要とする誤解が生じていた。材木座はゲーヲタ、アニヲタであってプ〇キュア願望はない。いや、これは是正する価値もないことだからどうでもいい。是非、誤解したままでいてくれ。

 

「家庭を守る専業主夫よりも、世界を守るプ〇キュアを目指す。これは紛れもなく上昇志向ではないだろうか?」

 

 ドヤ顔で恐ろしい持論を展開するが、俺の心は悲鳴を上げていた。

 

「それは上昇なのかしら……三次元から二次元へ下降しているのに滑稽ね。大人しく専業主夫を目指しなさい。……まさか専業主夫を勧める日が来ようとは夢にも思わなかったわ」

「えっと、中二でも目指してないと思うよ……プ〇キュア」

『しゅぽっ』

 

 諦念の声と憐れみの表情で、俺の臓腑がきゅっとなった。バイト先(魔界の憩い)で俺たちを接客した川崎の心情がよく分かる。俺も今まさにプ〇キュア願望という設定の名のもとに同じことを体験しているからだ。

 川崎にはあの時のことを心の底から謝罪しようと固く誓う。

 

 だが、届いたLINEメッセージには、

 

【あたしのせいで、なんかごめん……】

 

 と逆に謝罪されてしまい、罪悪感で軽く死にたくなってしまった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

前編よりちょっと文字多いくらいだったら後編が長めでも完結させようかなと思いましたが、前編と同じだけ文字書いても予定したプロットが三つくらい残ってて、このままだと前編の二倍になる、という危機感から中編に変更しました。
次こそはちょっと長くなっても後編として出します。

次話で初めてアンケートでもとってみようかなと画策中。
このまま現在のコメディ(保険でR-15)のままでいくか、R-18を含むコメディに移行するか、という感じ。

R-18が望まれていなかったら、番外編として別で立てて書いてもいいかなと考えています。
濃厚にエロいの書きたいとかまではないのですが、大学生の男女が同棲しててエロい展開にならないなんてナニコレって。
相手が陽乃とか結衣とかいろはならちょいエロ展開にしていきやすいけど、沙希だから……。なんだったら男友達同士みたいになりそうでそんなの望んでない!

なのでコメディフォーマットのままではエロ無理と判断し、R-18というタグ引っさげて覚悟をしないとこの二人はエロれないんだなーと。

後はちょっとエロ書きたかったというのもそうですが、この健全コメディのままだと展開がマンネリになりそうで、テコ入れ狙いという意図もあります。

何回エロ言ってんだ……。

それでは次回後編も宜しくお願い致します。


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非きこもり、JDと薄氷を踏む。【後編】

実に約8ヶ月振りの更新。
わたくしは元気です。ご心配をおかけいたしました。
推敲不十分でも出せる形になったので急いで投稿しました。
あまりにも更新間隔が長かったため、もう覚えてる人も少ないかもしれませんがこういうのは自己満上等。
またぽつりぽつり更新していく所存です。

さて、三部作で無理矢理終わらせにいったので文字数が凄まじいことになってしまいました。通常回の約三倍です。途中飽きられるのではないかと心配……。



「……比企谷くんがどうやってプ〇キュアに変身するのかはとりあえず置いておきましょうか」

 

 埒が明かないと踏んで説得を保留する雪ノ下。こちらも折れる気はないし、そうならざるを得ないので、この中断は非常に有り難い。

 高校の頃から”目標が専業主夫”は見放されていた感すらあったのに”夢がプ〇キュア”となったらここまで心配されてしまうものなのか。なんでだよ、どう考えても後者は冗談だろ。専業主夫希望よりプ〇キュア願望のが危ぶまれる俺の生き様とは一体……。

 

『しゅぽっ』

 

 幾度目かのLINEメッセージが届く。

 

【ねえ、そろそろ出られる隙つくってくんない? いい加減ちょっと暑いんだけど】

 

 クローゼットの暑さの前には熱いプ〇キュア観のぶつかり合いも敵わなかったようだ。間違いなく今回最大の被害者は川崎であろう。それを思うと胸が痛むし、どうにかしてやりたいと願うも今のところ二人を撤退させる妙案はない。

 

【なんとかする。もう少しだけ待ってくれ】

 

 これが適当な言葉だというのは俺が一番よく分かっている。

 仮病という事実を告げ、謝り倒して二人を喫茶店にでも連れ出すのが現実的な案かもしれない。ただその場合、なぜ病気と偽ったのかを追及されるところまでがセットであり、論破する自信がなかった。

 今まで通り出不精を盾にすればいいのかもしれないが、(頼んだわけではないが)こんな遠方まで足を運ばせて理由がそれではゴミを見る目からハエが集る汚物を見る目に昇格(クラスチェンジ)させてしまいそうだ。我が身可愛さのためにも、この案は最終手段として封印したい。

 他の策はないかと思弁していると、いい匂いを携えながら声がかかった。

 

「お粥、出来たわよ。冷めない内に食べてもらえるかしら?」

「そうか。ありがたく御馳走になるわ」

 

 運ばれてきたお粥を見た俺と由比ヶ浜は感嘆する。

 

「わっ、これってお粥なの? なんかいっぱい乗ってて美味しそー!」

 

 お米の白。玉子の黄。おかかの茶褐色。

 普通のお粥なら精々ここまでだが、そこからさらなる色味としてインゲンの緑。鶏肉の肌色とほぐし明太子の紅梅色。しめじの傘の鶯茶色に柄の砂色。俺の中のお粥像を完全にぶち壊す御馳走がここにある。なんだこれなんだこれ?

 

「前も思ったが、お前の作る料理は嫁っぽさが皆無だな……」

 

 嫁度対決のパエリアでも思ったことを再び口にした。

 

「……それは誉め言葉として受け取っておくわ」

『かり……』

 

 雪ノ下も満更ではないようで頬を朱に染めていた。

 由比ヶ浜はそれを聞いてどこか羨ましそうに俺たちを見ている。

 爪で引っ掻くような音を耳が拾う。発生源はクローゼットの中。

 『聴こえない 俺には何も 聴こえない……』

 瞬時に川崎をいないものとする川柳を生み出した俺。

 

 レンゲで掬ったお粥を恐る恐る口に運ぶ。

 

「っ!」

「ヒッキー、大丈夫⁉」

 

 己が猫舌である事実を忘れるくらいにはテンパっていたらしい。なんとか吐き出すのだけは我慢したが、「カハァ」という情けない声を上げながら舌を出した。呆れながら雪ノ下が声をかける。

 

「盗ったりしないから、とりあえず落ち着きなさい」

ふ、ふまん(す、すまん)

 

 犬のようにパンティングしながら謝罪を述べる俺。それを見て母性が刺激されたのかサブレと勘違いしたのか、由比ヶ浜はどんでもないことを提案する。

 

「あ、じゃあさじゃあさ、あたしが食べさせてあげる!」

ひゃい?(はい?)

「え、ゆ、由比ヶ浜、さん?」

『がり……』

 

 ペットに餌を与える感覚で宣う由比ヶ浜。

 その申し出に戸惑う雪ノ下。 

 爪で引っ掻く音を聞き逃さない俺の耳。

 

 ……川崎さん、気配ダダ洩れなんでかりかり控えていただけませんか?

 

「……いや、ちょっと意味分かんないです」

「意味分かんないってなんだし⁉」

 

 いや、分かるだろ。いや意味分かんないって言ってたわ。どっちだ、訳わからん。

 

「言葉通りだ。食わせてもらう理由がない」

「でも一人で食べて火傷してるし……それに、一回やってみたかったんだよね、こういうの」

 

 俺からレンゲを奪い取り、ふーふーと息で冷ます。その一息おいくら万円? 10魔力素子(マナ)くらいリーズナブルなら助かるのですが。……おっと、うっかり由比ヶ浜を小悪魔おっパイモンとして『魔界の憩い』に召喚してしまうところだった。なにそれ、めっちゃ天職じゃないですか! 特にこの『小悪魔ふーふー』なんて即日新サービスとして採用されるレベル! いかんいかん。新たなサービスまで創出してしまう俺って『魔界の憩い』好き過ぎでは? 

 

「……ふーふー、こんな感じ? はい、あ、あーん?」

 

 レンゲを近付け疑問形で食を促す。

 なんでそんな無邪気に出来るの? 恥ずかしくないの? 二人に見られてるんですよ?

 

「あれ、違った? んっと、じゃあ……」

「……ほ、ほら、お食べ?」

 

 いや、お食べって君ね……やはり俺のことをサブレと勘違いしてる疑惑、確信へ。

 

「っ……比企谷(くん)、お食べなさい?」

 

 雪ノ下は軽く笑いを堪え追従してきた。

 噛んだんですよね? でなければ、だいぶ目付き悪そうなその犬種を愛せる自信がない。

 

 いつものように捻くれ、ゴネて、意地を張り、食べない選択肢もあったが、早く済ませてお引き取り願うのが最良と判断した。無意味な我慢大会を強いられた俺や、社会的に命懸けのかくれんぼを強要させられている川崎のためにも、だ。

 

 一口食んでペット体験。

 普通に旨い。

 雪ノ下が作ったからか、由比ヶ浜が食べさせたからか。配役が逆だったらゾッとする。

 

「……旨い、な」

「そ、そう」

「えへへー」

『がり……』

 

 らしくもなく素直な感想が漏れた。

 それを聞くと照れたような戸惑うような反応の雪ノ下と、嬉しそうに微笑む由比ヶ浜。

 

 ここまではいいのだが、『がり……』っという非言語には背筋がぞくりとさせられる。気づかれたらどうするの? 小悪魔化した川崎が悪戯しちゃってるのかな? ばれたら俺たちは社会的に抹殺されるんですよ? 何のためにこれまで耐え忍んできたと思ってるの?

 

 念入りにお粥を冷まして口へ運んでくれる由比ヶ浜。それが何度目かの時、名案を思い付いたように喜び始めた。

 

「そうだ! ゆきのんもやってみたら?」

「え……。えっ?」

 

 やってみたらって、その言い草どうなの? 完全にペットじゃん。忠犬八幡(ハチ)公。犬種・比企谷犬。♂二歳、人年齢で二十歳程。などという新たなプロフが脳内で形成される。

 

 祝・脱・人・間!

 

 ある意味、由比ヶ浜らしい発想にちょっとした安堵すら湧き上がってしまう。

 

「ちょっと? 俺を差し置いて俺に餌を与える話が進められていくのに異議を唱えたい」

 

 雛鳥じゃねえんだぞ。俺は専業主夫を目指しているのであってヒモになるつもりはない。というか、ヒモどころかバブみ上等、おぎゃって餌付け案件ですね、ありがとうございます。

 

「あたしがあげたんだし、ゆきのんもあげなきゃダメくない?」

「何一つその理屈に賛同できないのだけど……」

「なんだその徒競走で順位を付けない悪しき平等主義に通ずる理論は」

 

 どうにか雪ノ下を援護したかったが、俺が社会の悪と比較して説いたところで由比ヶ浜の暴走が止まるはずもない。

 まあ、こんな提案に乗るような雪ノ下では……

 

「……でも、確かにペットに餌を上げると考えれば許容できないこともないわね」

 

 乗っちゃいましたよ。一体どうしちゃったのゆきのん? 

 

「待て、俺はお前たちのペットでは……」

「ペットならもっと可愛げがあるでしょうし、こんなに濁った目をしていないわ。あくまでも疑似ペット体験ならば許容できると言ったまでよ」

 

 どうもなっていなかった。俺の扱いにおいて抜群の安定感を見せる雪ノ下である。

 

「……さあ、遠慮せずに貪りなさい」

「言い方さぁ、もうちょっと考えて?」

 

 その後『まるで豚のようね』とでも続きそうなフレーズにドン引きする。

 っていうか冷まさんのかい。そのままだと餌付けじゃなく攻撃だからね?

 

 視線がレンゲと雪ノ下を行き来する。俺の言いたいことを察してくれたのか、左手で髪を搔き上げ耳にかけながらふーふーと冷まし始める。それは見惚れるくらい絵になる所作であった。

 

「……今度こそ、観念なさい」

「だから待て。観念という言葉の使いどころもおかしい。それは止めを刺す時に使う言い回しだ」

 

 あらぬ疑念すら抱き始めた俺は戦慄いた。毒殺するつもりならもっと殺気を隠してください。食べるのはご遠慮いたします。既に食ってるんだけど。

 しかし、当然ながらその選択を雪ノ下は許さない。

 

「食事を作らせた上、食べさせて貰うことに異議を唱えるなんて、どう躾けられればそのような恩知らずに成長してしまうのかしら。保護者の妹さんと話し合わなければならないようね」

「なんで小町に育ててもらったことになってるんだよ……」

 

 だが、俺が中学生になってからは小町が家事をしてくれていたので間違ってはいないのか。

 ならば今は事情があるとはいえ川崎に育ててもらっていることに他ならない。

 

 ちなみに、現在その保護者さんはクローゼットの中に隠しているという不敬な扱い。あまりにも扱いが間男過ぎて俺が悲劇のヒロイン説。

 

「由比ヶ浜さんに与えられると食べるのに、私が与えたら食べられないというの……。そう……」

 

 与えるって強調し過ぎてません? そこまでして餌感を醸し出す雪ノ下から強い躾けの意志を感じる。

 

「っ……分かった。食うよ、食う、食べさせてくださいお願いします」

「……そこまでいうのなら誠に遺憾ではあるものの、食べさせるのも吝かではないわね」

 

 半ばヤケクソ気味に了承すると、驚くほど尊大な物言いで返って来た。それを聞いた俺に謎の安心感が湧き上がる。これが雪ノ下雪乃の平常運転なのだ。

 

 雪ノ下は冷ましたお粥をゆっくり俺の口へと運ぶ。態度とは裏腹にレンゲを持つ手が小刻みに震えていた。羞恥心を抑え込んでまで俺をペットとして躾けなくてもいいんですよ?

 手の動きに合わせ、こぼさないよう口で迎えに行く。字面がちょっと変態チックで訴えられないかが心配になる。プリ〇ュアの件もそうだが、俺って通報と紙一重の人生歩み過ぎだろ。

 

「……旨い」

「と、当然ね、私が作ったのだから……さあ、もう一口お上がりなさい」

「あ、ゆきのんずるいよー、次はあたしの番だから!」

 

 二度目となると抵抗感も薄れ、素直に感想を漏らした。それを聞いた雪ノ下の顔が綻ぶ。ちょっと照れながらもドヤ感を含んだその反応に、由比ヶ浜がころころ笑いながら自分もとせっついてきた。

 

 場が温かな空気に包まれ、なんとなく一件落着したように思えたが、

 

『しゅぽっ』

 

 その空気を切り裂いたのは間の抜けた通知音。

 差出人はクローゼットの中にいる存在。

 一見間男風だがその正体は、今の俺の保護者にして魔界に棲まう小悪魔。

 

 ……身分を説明したつもりが、より得体の知れない存在へと昇華させてしまった。

 そんな素性不明(失礼)な人物からはたった一言。

 

【自分で食べな】

 

 その一文には雪ノ下とは違う『躾け』が記されており、彼女の人物像を顕していた。つまり、川崎さんマジ保護者!

 しかし、なんとなく文字から怒気のようなものが感じられるのは気のせいだろうか。

 

 このまま雪ノ下たちに躾けられたらシンクロ率400%よろしくヒトに戻れなくなりかねないので、川崎の躾けに従うことにする。どのみち躾けられるんですねありがとうございます。

 

「あとは自分で食うわ」

「えー、次はあたしの番だってば」

 

 ありもしない権利を主張する由比ヶ浜。残念だったな。次は川崎の番だと心の中で呟いた。その川崎の指令というのが『自分で食べる』という至極当たり前の躾けなのは正直助かる。

 

 レンゲを奪おうと手を伸ばした俺に怪訝な目を向ける雪ノ下。

 

「……目付きだけでなく手癖まで悪くなったのかしら?」

「目付きは関係ないだろ……いや、自分で食うからレンゲをくれ」

「……」

 

 俺の自立を喜んでくれるものだとの予想に反し、思わしくない反応を見せる。

 

「……あなた、変だわ。いえ、変なのは最初からだけど」

「自分でツッコんじゃうのかよ」

「……仮病なのは薄々感付いていたけれど、それならばなぜ食べさせてもらうことを拒むのかしら?」

「えっ、仮病⁉」

 

 ばれていた。

 心臓を鷲掴みされるような不快感に襲われながら、どう切り返すべきか策を巡らせる。

 その間、雪ノ下は追撃の手を緩めない。

 

「由比ヶ浜さん、人間の体温で43度なんて有り得ないのよ。仮にあったら意識はないでしょう。だからすぐに仮病だと察しがついたわ」

「でも二度目に測ったら38度だったよ?」

「大方服でも擦って体温計の数字を上げたのよ。最初は加減が分からなくて43度になってしまったけれど二度目は調整できたというところかしら。比企谷くんらしい作戦ね、姑息だわ」

 

 次々と俺の悪事を暴いていく雪ノ下。まるで国民的名探偵アニメの犯人にでもなった気分だ。見た目は美少女、口調は毒舌、その名は雪ノ下雪乃!

 果たしてこの先、犯人・比企谷八幡は無実を証明できるのか。プ〇キュア生活必需観の時のように理路整然とした弁論を繰り広げなければならない。そもそも無実ではないのだから余計ハードルが高い。

 

「なんなら今度は私たちが見ている前で体温を測ってもらえば熱がないことが証明されるわ。きっと比企谷くんは嫌がるでしょうけど」

 

 ドヤ顔で冷笑する雪ノ下。確かにおっしゃる通りであり、一分の隙も無い論理的思考と要求。だが、そのしたり顔を見て俺の中にふつふつと反骨の策謀が湧き上がる。

 

 俺は雪ノ下に、ちょっとした悪戯心を込めてやり返すことにした。

 

「……確かに仮病だ。嘘を吐いて悪かった」

「あら、やけに素直に認めるのね」

「えー……ホントに嘘だったんだ……」

 

 本当に騙されていた由比ヶ浜には、さらに巻き込んでしまうことへの罪悪感も圧し掛かり、申し訳無さを感じていた。

 

「てっきり私たちに看病させるための仮病だと思ったのだけど、その割りには自分で食べようとするし意味が分からないわ」

 

 確かに、仮病で招き入れた俺が看病を嫌がって自分で食べようとするのは行動原理が破綻している。虚言や偽装の数々は暴かれたものの、俺の思惑まで読み切れていなかったのが、完璧であるはずの論理に影を落としていた。

 ならばそれに乗じ、雪ノ下に一矢報いることは可能である。真実を含ませた俺の策謀、とくと見るがいい。

 

「お見舞いに来て欲しがってしたわけじゃないからな」

「どういう意味かしら?」

「……むしろお前らを遠ざけるための偽装だったと言っていい」

 

 わざと謎めいた語りで興味を引く。

 

「遠ざける? プ〇キュア依存症を隠すために?」

 

 グサッ!

 痛恨の一撃!

 はちまんのライフは残りわずかだ!

 川崎の隠れ蓑にするため、全面に押し出した急所(恥部)にクリティカルヒットする。

 しかし、なんとか平常を保ちつつ冷静に返す。

 

「……そうじゃない。隠すつもりなら収納にでも仕舞っておけば済むことだろう」

「そうかもしれないけど、まさか由比ヶ浜さんが洗濯機を調べるとも思っていなかったでしょうし、その理屈には疑惑が残るわ」

 

 洗濯担当じゃないとはいえ俺の過失なのは認める。だが、これ以上傷口を広げるのは止めていただきたい。お前の辞書に武士の情けという言葉はないのか。

 

「え、えっと……なんか、ごめんね?」

 

 由比ヶ浜の優しさが塩となり傷口に塗りこまれる。俺を精神的に痛めつけるお前らのコンビネーションと手腕に脱帽せざるを得ない。

 

「ふ……プ〇キュアの素晴らしさを伝えたことに、恥じ入る必要が何処にあるというんだ?」

 

 宣っておきながら、俺の心は羞恥で震えている。そんな魂の叫びに気づかぬ氷の女王はさらに容赦のない言葉責めを繰り広げた。

 

「なにそれ、宗教? 布教活動に私たちを巻き込まないでほしいのだけれど。マルチ商法なら消費者庁への相談かしら? いえ、あの卑猥な衣装を着ろというのなら猥褻罪として通報も辞さないわよ?」

「あ、あれを着るのは……ちょっと恥ずいかも……」

 

 おい、その通報レベルの卑猥な衣装でバイトしてる奴がクローゼットの中にいるんだぞ。猥褻罪とまで断ずるなど、お前には人の心がないのか。あとガハマさん、正直すぎても人は傷つくんですよ? 優しい嘘も覚えてください。

 流れ弾とはいえ軽くはない被害が出てしまい、もはや一刻の猶予もなかった。

 

「お前らが今日夕飯作りに来るとか言ってただろ。それを避けるために嘘を吐いた」

「この衣装を見られないようにするため?」

「違う。まずその発想から離れろ」

 

 なんとしてもプ〇キュアに帰結しようとする論調に、いい加減頭に来ていた俺はぶっきらぼうに答える。

 それと、この衣装はプ〇キュアじゃない。小悪魔だ! ……とは口が裂けても言えないのがつらい。

 

「この部屋に上がってから何かに気づかないか?」

「この部屋? ……そうね、比企谷くんの部屋にしては小綺麗に整頓されているかしら」

「うん、なんか意外かも……」

「褒めてくれているのは分かるが、気づいてほしいのはそこじゃない」

 

 俺の部屋にどんなイメージを持っているのか理解した。確かに実家の部屋に上げたことなんてないが、汚いを前提として話を進めるのは辞めてほしい。

 

「なら……そうね、建物の外観と比較して室内の作り、特にバスルームが随分新しく思えたわ。でも内装はリフォームされるものだし、築年数と比例していなくても普通ではないのかしら?」

「それだ。この物件は俺たちと同世代くらいだがこうして内装がリフォームされて、キッチンもバスルームも新しい物に替わっている」

「……それのどの辺りに私たちを立ち入れさせたくない理由があるのか、見当がつかないのだけれど」

 

 俺の要領を得ない問い掛けに、少しだけ焦れた表情を見せる。

 さあ、ここからだ。

 

「大学生の一人暮らしにしては綺麗すぎるとは思わないか?」

「そうね。ここって家賃はおいくら? 10……いえ、8万くらいかしら」

 

 意外と常識的な金銭感覚を発揮する雪ノ下に感心しつつ、俺は右手で人差指を、左手で人差指と中指を立てた。

 

「えっ、12万円⁉ 確かに綺麗だけどワンルームでそれって高くない?」

「そんな物件に契約させられるなんて、何事にも疑念から入る比企谷くんらしくない醜態ね。あなたから用心深さを取り去ったら何が残るというの?」

 

 褒めているようでディスっている雪ノ下の言葉はさて置き、この後、二人がどのような反応を見せるのか、内心ほくそ笑む。

 

「……三万円だ」

「……」「……」

「は?」「え⁉」

 

 銘々驚きの表情で俺の下心を満たしてくれた。立地と設備次第では由比ヶ浜が勘違いした家賃が一般的だろう。その価格の半分にも満たないのだから誰だってこんな顔にもなる。

 

「なにそれ安すぎっ! ヒッキー大家さんと友達なの⁉」

「友達じゃないし、そうだとしてもお前のお友達価格安過ぎだろ」

「……」

 

 そんなにも割引しなければいけないのなら、やはり俺はぼっちでいい。ぼっち最強。不動産持ってないけど。

 由比ヶ浜とは対照的に雪ノ下のリアクションが薄い。どうやら安い理由を察したようで、その表情は強張り、忙しなく視線を彷徨わせていた。

 

「……」

「どうしたの、ゆきのん?」

「……まさかとは思うけれど……ここって、その……事故物件か何かなのかしら?」

「気づいてしまったか」

「っ!」

「じこぶっけん?」

 

 その言葉の意味を理解していないのか、なぞるように口にした由比ヶ浜はぽかんとしていた。

 

「事故物件というのはな、住人が事件や事故で亡くなった部屋のことをいうんだ」

「へー……って⁉ それやばいじゃん! 110番しなきゃダメじゃん!」

「過去の話な。むしろ殺人事件前提なお前の発想が恐ろしいわ」

「最近多いのは孤独死かしら……心配ね、比企谷くん」

 

 まるで近い将来、俺が事故物件を生み出してしまいそうな言い方は辞めて欲しい。絶対にそんなことにはならない根拠を力強く説明する。

 

「心配はいらん。なぜなら俺には世界で一番可愛いくて出来た妹・小町がいるからな。小町に看取ってもらえるなら、むしろ喜んでぼっちのまま今生に別れを告げようとすら思っている」

「ヒッキー、生きようよ……」

「……それを聞いたら余計心配になってきたわ……小町さんが」

 

 おかしい。安心させようとしたら逆に心配されてしまった。

 

「小町さんにはあとで注意喚起しておくとして…………じ、実際、どうなの、かしら?」

 

 内心は相当動揺しているようで、どんな事故案件だったのか探りを入れてきた。

 

「どうとは?」

「っ! ……どのような告知をされたかと訊いているのよ、可及的速やかに答えなさい!」

 

 意地悪く惚けると食ってかかるように説明を要求してきた。『見た』のか『出る』のかを確認し、不安を打ち消したいのが見て取れる。

 

「……これは大家さんに聞いた話なんだが」

 

 俺が神妙な面持ちで話し始めると二人の表情は硬くなり、場はしんと静まり返った。

 

「この部屋を最初に契約して住み始めた人物は若い女性で、仮にSと呼ぶことにする」

「……」「……」

 

 二人は固唾を飲んで次の言葉を待つ。

 

 俺の弄した策謀。それは瑕疵物件としての曰くを説明することで恐怖心を煽り、自発的にお暇して頂こうというものだ。強がる雪ノ下を引き出せたのは企図した通りと言えよう。このまま瑕疵エピソードで攻め立て気分悪くお帰り願いたい。

 ……だいぶ人間のクズだな俺。

 

「故あってSは部屋を解約したんだが、その後に部屋を借りた住人は出入りが激しく定着しなかった。なんでも住人たちは部屋で妙なモノを見ると口を揃えて言う。部屋で何度も女性の姿を見たとか……」

 

『ガタッ』

 

「っ!」「ひっ!」

 

 誰もいない、というにはあまりに無理がある物音が響いた。大きめの荷物でも落ちなければまず出ない音量。

 犯人は確認するまでもなくクローゼットの中の”(サキサキ)”である。

 あんなにもはっきりと存在を主張して、どう誤魔化せというのか。

 

「い、今の音はなに⁉」

「ガタッていったよ、ガタッて!」

「ラップ音だ。この部屋じゃよくあるから、あまり騒いで霊を刺激するな」

 

 それを聞いて部屋に緊張が走る。

 次の瞬間、静寂に包まれた室内を切り裂いたのは俺のスマホの音である。

 

『しゅぽっ』

 

「ひっ⁉」

「なんでこんなタイミングでLINEくんの⁉」

「お前ら、少し落ち着け」

 

 あまりにも気の抜けたそれは、場の緊張を解すだけでなく謂れのない不興を買う。

 二人の慌てぶりは見ていて面白くすら思えてきたが、送られてきたメッセージもそれに負けないくらいには面白い。

 

【うさだよね? じおだんでしゅお?】

 

 恐らく『嘘だよね? 冗談でしょ?』と入力したつもりなんだろう。お前も落ち着けよ川崎。

 うさだよね? ってなんだよ。物音で危うくバレるところだったぞ。二人が帰ったら、月に代わってお仕置きしてやる。

 

「……だ、誰から?」

「……ああ、同居してる霊からだ。お前らが煩くて眠れないんだとよ」

「っ⁉」「う、うそ⁉」

 

 メッセージの差出人は(サキサキ)。小悪魔(セラ)でもあり、さっきのLINEで(セーラーム〇ン)の可能性も出てきた。いや、セーラージュピ〇ーだな。ポニーテールだし、料理得意だし、そんな彼女をクローゼットに閉じ込めたことを痺れるくらい後悔してる。従って、嘘は言っていない。

 

『ガタッ』

 

「ひぃっ⁉」「いやあっ!」

 

 またしてもクローゼットから響いてきた物音に二人は悲鳴を上げる。

 

「冗談だから落ち着けって。バイト先からだ(嘘だが)」

 

 煽っておいてどの口が言うのか。音響(川崎)さんのタイミングがばっちりすぎて、もはや狙ってやっているとしか思えないレベル。

 気を取り直して続けようとするが、川崎の行動により状況がよろしくない方向へと流れつつある。

 

 

 ――付き合っていた男性に振られ傷心の末、Sはロフトで首を吊って自殺。

 

 当初、そんな痴情の縺れからくるストーリーを用意していたのだが、こう何度もクローゼットから物音が聞こえてはロフトよりむしろクローゼットの方がハザードポイントなのでは、という印象を与えてしまっているだろう。だがこんな狭いクローゼットの中では首吊れんだろうし。ってか、首吊りに固執する必要もないのだが、どうしたものか。急遽、クローゼットにもなにか曰くを用意しなければならないと考えるようになった。

 元々、自殺まで追い込むには動機付けが弱いと感じていたし、シナリオの書き換えもやむなしか。男に振られたくらいで首を吊るというなら、俺の知っている女教師Sのように家財道具一式をヒモ男に持ち逃げされたらどうなってしまうのか。よほど平塚()先生のメンタリティーが強靭だという証だろう。平塚先生って言っちゃったよ。

 

 新たなる曰くを捻り出すため、脳漿を絞る。時間稼ぎを兼ねてLINEの返信を打ち込んだ。

 

[頼むから物音を立てるな、バレる。これからなんとか誤魔化す方法を考えるからじっとしてろ]

 

 川崎にはこれ以上彼女自身の存在をアピールしないように厳命しておいた。

 メッセージを送信し終えると、二人へ向き直る。

 

 ――クローゼット、若い女性、事故物件。

 

 ……なんだか大喜利をさせられている気分だ。なんにせよ、なるべく強烈なインパクトを与える曰くを考える必要がある。

 この物件がいかに危険で、二人にどれだけの恐怖を植え付けられるかが帰らせられるポイントになるからだ。となれば、やはり男に振られたくらいでは生ぬるい。どうせ一部(・・)フィクションなのだから怪談話をベースにしたとびきり恐ろしい曰くを作り上げてしまえ。

 

 方針が決まるとインスピレーションが次々と迸り、頭の中で構成されていく。早速二人に聞かせてお帰り願おう。万全を期すためには丑三つ時にでも聞かせてやりたいところだが、クローゼットの中のSには未だ絶賛DV中(間男的扱い)なため、そんな時間的余裕はない。

 

 俺は深いため息と共に、ゆっくりとこの部屋の曰くについて話し始めた。

 

「……話はSが住み始めた頃まで遡る」

 

 二人とも真剣に耳を傾ける。実際には聞こえていないが、俺の耳がごくりと唾を飲み込む音を拾った気がした。

 

「今日よりも暑さの厳しい季節。Sは若い女性であると同時に乳幼児を持つ一児の母でもあった。しかし、赤ん坊は不倫の末に生まれた子で、その父親である男にも遊びだったとあっさり捨てられたそうだ。

 Sの親は健在であったが、同居はもとより育児のサポートすら拒否され、ほぼ絶縁状態でのアパート暮らし。まあ、不倫の代償ってやつだな。不倫相手の奥さんからは当然慰謝料を請求されたが、不倫相手が支払う子供の養育費を一括請求させ、それで相殺したらしい」

 

 当意ではあるが、細かな設定まで練る俺のストーリーテラーっぷりを心の中で自賛する。

 

「……そのSという女性、最低ね。子供のための養育費をなんだと思っているの。それって横領じゃない。それとも養育費錬金術とでも言うのかしら?」

 

 雪ノ下の言う最低とは俺の生み出したストーリーに対するものであり、決して俺が過去行ったスカラシップ錬金術に対してではないと信じたい。

 ともあれスカラシップ錬金術を当て擦るような発言に余裕すら感じられる。お帰り頂くにはもっと恐怖を煽ってやらなければ。でなければ実在する(川崎)を救えない。こうしている間にも彼女はクローゼットで蒸されているのだから。

 俺は心を鬼にして怪談話を続行した。

 

「親にも頼れず、一人で赤子の面倒を見なければならない不安からかSは典型的な産後鬱に陥ってしまい、日に日に精神を病んでいった」

 

 シングルマザーとなって経済的にも不安なところに初めての子育て。産後鬱の条件として役満である。知らんけど。っていうかこれ創作だし。などとは噯にも出さず当事者であるかのように諳んじた。

 

「なかなか泣き止まない赤子を見るたび、暴力を振るいそうになることに気づいた彼女は懸命に自分を抑えていた。だが、授乳や一日中休みない赤子の世話に加え夜泣きもあり、日増しに疲労が蓄積していったSは心に余裕がなくなっていく」

「はぁー、赤ちゃんって可愛いけど、やっぱ大変なんだねぇ」

 

 共感性の高い由比ヶ浜は早くもSに同情的な感想を述べる。Sの行いに怒りを覚えていた雪ノ下も、母親としてのリアルな苦悩を聞くとその意気は消沈していった。フィクションですけど。

 

「育児の疲労とストレスが限界に達してしまった彼女はある日、何を思ったのかクローゼットの中に赤子を閉じ込めてしまう」

「うぁ……」

「それってもう虐待じゃないのかしら……」

「Sにとってそんなつもりはなく、ただ赤ん坊の泣き声を少しでも遠ざけるための防衛行動だったんだろう。しかしながら、赤ん坊は泣き止むどころか一層激しく泣き叫んだ。当然だよな。母親の手から離れるどころか光すら差し込まない閉鎖空間に閉じ込められ、不安にならないはずがない」

 

 状況を想像し、悲壮な表情を見せる二人。ここまで作り話を信じてくれるとは思っていなかったため、俺は罪悪感から顔を歪めてしまう。それすらもこの話に説得力を持たせるアクセントとなっていた。

 

「赤ん坊にとって不幸にも、ここはそもそも単身者用アパートで昼間は子供の泣き声に苦情を訴える隣人もいなかった。だが、耳を塞ごうがクローゼットに閉じ込めようが赤ん坊の泣き声を完全には遮断できるはずもない。耐えられなくなったSはとうとう部屋から飛び出した」

「え? う、嘘でしょ?」

「赤ちゃんを閉じ込めたままなのよ⁉」

「そんな判断もできないほど追い詰められていたんだろうな。しばらくして落ち着きを取り戻したSは自分がどれだけ愚かなことをしているのか自覚する。だが、彼女はその日以降アパートに帰ることはなかった」

「えっ⁉」「なんでっ⁉」

 

 予想外だったのか驚愕の声は同時に響いた。

 重苦しい雰囲気に二人は沈黙する。同じくクローゼットの中からも音が漏れてくることはなく、静寂が室内を支配した。

 

「正気に戻ったSは急いでアパートへと向かった。しかし、慌てていたため周りに気を配る余裕がなかった彼女は道路を横断しようとして……」

「……どう、なったの?」

「……車に轢かれてしまう」

「うそ⁉」

「……病院での治療も虚しく、目を覚まさないまま帰らぬ人となったそうだ」

「そんな……」

 

 消沈する二人にさらなる追い打ちをかけるように続ける。

 

「それだけじゃない。衝動的に部屋を飛び出した彼女は身分を証明できる物を所持していなかった」

 

 その意味に気がついた雪ノ下は驚愕し、由比ヶ浜も呼応するように切羽詰まった声を上げた。

 

「‼ 赤ちゃんはどうなったの⁉」

「え? あっ!」

 

 つまり、Sが身元不明の間、この部屋には誰も立ち寄らず赤子が放置されたままだったのだ。ただでさえ気温が高いのに、クローゼットの中という熱が籠る閉鎖空間で何時間も乳児を閉じ込めたらどうなるか。

 

「被害女性がSだと確認され連絡を受けた両親は慌ててアパートを訪れた。病院に娘が運び込まれていたが赤子が行方不明なのが気になったからだ。部屋の中に入ると激しい異臭に襲われて顔色が変わる」

「それって……⁉」

「まさか……?」

 

 二人は最悪の事態を想像する。少々溜めて、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……クローゼットの中から変わり果てた赤ん坊が発見された」

「っ‼」「ひっ!」

 

 雪ノ下は口元を覆い顔面蒼白となり、由比ヶ浜は短い悲鳴を上げた。哀しい結末にショックを受けた二人。心苦しいが更なる追い打ちを掛けねばならない。

 

「――そのことから、何度も女性を見かけたのはおそらく……」

 

 話を最初の『女性を見た』に戻すと、由比ヶ浜が疑問をぶつけてくる。

 

「え、ちょっと待って。もしかして後に住んだ人達が見た女性って……」

「そうなんだ、実は……」

 

『目撃された女性は、我が子の身を案じて自身が亡くなったことにも気づかず部屋を探し続けているSなのでは?』

 

 策謀大喜利で創作したストーリーを(あたか)も心霊現象の原因として話そうとしたが、俺が口を開くよりも早く由比ヶ浜が続ける。

 

「クローゼットの中で亡くなった赤ちゃんの霊が部屋に住みついちゃったのかも⁉」

 

 由比ヶ浜は独自のストーリーで俺の言葉を遮った。待って待って。それだと赤ちゃんの霊クローゼットの中ですくすく成長しちゃってませんか? しかも、女児とは一言も言っていないのにこの自由な発想力。そんな由比ヶ浜に感心していると、

 

『ガタッ』

 

「ひっ⁉」「っ⁉」

 

 クローゼットの中から妨害行為に見舞われた。

 ……川崎よ、なぜ釘刺されたことを守れない。そして雪ノ下と由比ヶ浜よ、もう三度目なのにいつまでも新鮮なリアクションありがとうございます。

 

「……や、やっぱり赤ちゃんが成長してクローゼットから出たいんだよ! お母さん帰って来ないから、部屋の中を探し回ろうとしてんだよ!」

 

 俺の策謀大喜利は一体なんだったのかと思わせるほどに瑕疵物件事情を熱弁する由比ヶ浜。お前は大家かよ。

 

「も、物音くらいで幽霊を疑うなんて想像力が豊か過ぎるのではないかしら? ましてや霊なのよ? 成長するわけがないでしょう。いえ、霊なんてもの自体、非科学的で存在するはずのないものね。比企谷くんの存在感と比肩しうる存在よ」

 

 存在感の無さで霊と同格扱いされたが、俺は物音も立てないし気配すら無に出来る。むしろ霊の方が自己主張強いだろ、舐めるな。

 それはさて置き、雪ノ下の否定はあまりに必死過ぎた。むしろ誰よりも霊の存在を畏れているように見える。もうひと押しでお引き取り願えるかもしれない。

 由比ヶ浜が生み出した『クローゼット赤ちゃん(仮)(ストーリー)』だが、川崎が何度も物音を立てたことでクローゼットに曰くを付けしようとしたのは事実。ならばこれに乗るのも悪くないのかもしれない。

 

「……確かに雪ノ下の言う通り、霊が成長するなど荒唐無稽だな」

「そ、そうよ、全く馬鹿げた話だわ」

 

 そもそも幽霊自体が荒唐無稽なのですが。それを棚上げし、同調する雪ノ下に軽く爆弾を投下する。

 

「万が一、成長してたとしてもクローゼットの中には御神札が貼ってあるから霊も出て来れんだろうよ」

「えっ⁉」

「! お、おふ、だ……?」

 

 まあ、御神札の話は嘘だが、この内容だとなんだかクローゼットの中にいるのが『S』じゃなくて『P』な気がしてきた。クローゼットに封印とか、さぞ魔封波がしやすかっただろう。って、電子ジャーに魔封波し損ねて命落とした亀〇人をディスるのはやめたれ。

 

「……つまり、赤ん坊の霊だけじゃないのかもしれない」

「え?」

「ど、どういうことかしら……?」

 

 息を呑む二人を見据え、ゆっくりと口を開く。

 

「部屋で目撃された女性が『母を探す成長した赤ん坊』ではなく『母親が赤ん坊を探している姿』だとしたら?」

「――っ!」「!」

 

 由比ヶ浜の怪談『封じられた赤子』を肯定しつつ、さらに心理的瑕疵のトッピング。すると二人の顔が引き攣った。なおも恐怖を煽るため、感情を込めて話すピッチを上げる。

 

「赤子を閉じ込めて置き去りにしたSが悔悟の念を抱かないと思うか? この部屋で見た女性の姿はそんなSが地縛霊となって赤子を迎えに部屋を彷徨っているのだとしたら……」

「っ‼」「ひっ……」

 

 そう言葉を濁すと表情からは色が失われ固まってしまう二人。暗に「この部屋にいるとその霊が何かするかもしれないから帰ったらどうか?」という俺の企図を汲み取ってくれたようだ。これなら二人が部屋を後にするのも時間の問題だろう。

 

 だが、そう確信したのは早計だった。

 はっと何かに気づいたのか、雪ノ下の顔は徐々に不信感を増していき、胡乱な眼差しを向けて切り返す。

 

「……ちょっと待ちなさい。あなたはこの話を大家さんから聞いたというけれど、Sは事故から息を引き取るまで目が覚めなかったと言っていたわね。なら、Sが赤子をクローゼットの中に閉じ込めた経緯を他人に話せぬまま亡くなったのに、何故そこまで詳細な事情を知っているのかしら?」

 

 息継ぎも忘れて一気に捲し立ててきた。本来、分かるのはクローゼットに赤子が閉じ込められていたという結果であって、当事者でもないのにそこまでの仔細を話す俺に違和感を覚えたようだ。

 そもそもこれフィクションだし、怪談話の要領で淡々と語ってしまったこちらにも落ち度はあるが、そこに行き着いた彼女を褒めてやりたい。つまり、俺は悪くない。怜悧な雪ノ下が悪い。

 

「いや、そこはほら、それしかないというか豊かな想像力で穴埋めしたというか、ね?」

「……想像なんだ」

「語るに落ちるとはこのことかしら?」

 

 苦し紛れで一部認めてしまい一気に嘘くさくなった。これは俺が悪かった。雪ノ下に罪はない。

 だが、説明の都合上そうなってしまっただけで歴とした瑕疵物件であることに胸を張りたい。

 

「やはり適当なことを言って私たちが怖がる姿を見て愉しもうという魂胆だったのね。目付きだけでなく底意地も悪いなんて、自然に任せず自ら頭を丸めて性根を改め反省なさい」

「ヒッキー、さいてー」

 

 味方であったはずの由比ヶ浜にまで罵られて辛いのに、俺の頭皮が自然に丸まる未来を匂わせて反省を促すのは辞めてください。現在ばかりか未来までもがしんどい。

 

「待て待て、確かに赤子を閉じ込めてからSが事故に遭うまでの間は俺の想像で補完したが、この部屋が事故物件であることには変わりない」

 

 部屋に来られぬよう風邪と偽るも成果なく、事故物件と知らしめてもお引き取りは叶わない。せめて最終防衛線(クローゼット)を死守しようと瑕疵物件であることを訴え続けたが、

 

「どうかしら。風邪だと偽り、物件事情では妄言と、私たちはあなたの言葉の何を信じればいいの?」

 

 今日引き起こした数々の失態が美しい弧を描き返って来た。反論しようにも証明する手段が思い浮かばない。そもそも事故物件って証明のしようがないだろ。通帳の家賃引き落としでも見せるか。いや、それは単なる安さの証明に他ならん。もっと紛れなく、自らの目で確かめられるものでないと……っ⁉

 

 今、俺の中で何かが引っ掛かった。見過ごすにはあまりに危険だと心が警鐘を鳴らしているのか、胸が早鐘を打つ。これまでの会話にとてつもなくヤバい地雷が埋まっている予感。

 そう顧みていると、美しい黒髪がふわりと棚引く。流麗な動きで雪ノ下が玄関へと歩み始めたのだ。え、急にどうしたの? 帰るの? 是非是非!

 ――そんな淡い期待に縋る俺をせせら笑う様に歩みが止まる。眼前には件のクローゼットが聳え立つ。いつだって世界は俺に厳しい。

 

「どうせ、御神札が貼ってあるというのも虚言なのでしょう?」

 

 クローゼットから視線を外さずに宣った。

 

 御神札? おふだ……O・FU・DA‼

 

 頭の中で唱え反芻する。

 これかぁ……得体の知れぬ懸念の正体。なんだよ、自分で地雷設置してんじゃん。バカなの?

 話のリアリティのために、ありもしない御神札の存在を知らしめる己の迂闊さに臍を噛んだ。

 

 クローゼットに雪ノ下の手が伸び、背中に冷水どころか氷柱がぶちこまれたような悪寒が走る。きっと俺の顔からは血の気が引いているだろう。嫋やかな所作とは裏腹に、それは俺たちを破滅へと導く死神の手に見えた。

 

 やだちょっと待って開ける気? それ開けたら洗濯機の時(メイド衣装)と比にならない高純度の禍まき散らすから「ホントやめてマジやめて」

「……やはり御神札というのは嘘なのね」

 

 必死過ぎて思わず心の声が漏れ出てしまったようだ。それに狼狽えた俺の態度で不信感がさらに加速、という猜疑の悪循環が完成する。

 

「いやっ、嘘じゃないぞ!」

 

 そう返しながら彼女の傍まで駆け寄りクローゼットの門扉を手で押さえた。自身の発言を白々しくさせるこの行動に雪ノ下の眼がスッと細まる。目が合ってしまった俺、恐怖で身震いが止まらない。

 

「御神札とやらを見せてくれれば真実の証明となるのに、なぜ頑なに拒むのかしら?」

 

 ごもっとも。批難めいた雪ノ下の言葉には全面的に同意しかない。内心、俺もそう思う。しかし、こちらとしても引けないのだ。引けばクローゼットの(サキサキ)をお披露目することに他ならず、そこから雪崩式にDV、監禁、強要罪と、冤罪コンボのリンチに遭う未来しか視えない。

 過去、幾度となく会話に出てきた『通報』という言葉を今日ほどリアルに感じたことはない。中を見たらこの女は息を吐くように通報するだろう。それだけは絶対に阻止する。強い決意の顕れか、クローゼットを押さえる手に力がこもる。

 

 俺の変化を敏感に察知した雪ノ下は胡乱な目から、侮蔑を含んだものに変わっていく。

 そして、予想だにしなかったすれ違いが生まれてしまう。

 

「……あなた、まさかクローゼットにいかがわしい物でも保管しているのではないでしょうね」

「えっ、イカガワシイ?」

 

 由比ヶ浜が訊き返した「イカガワシイ」という言葉に、俺の思考は一瞬停止する。だが、次の瞬間「いかがわしい」の定義について頭がフル回転していた。

 えーっと、つまりあれか。いかがわしいとは一人暮らしの男が致すための夜のお共というか、食欲とは違う欲に使うおかず的な何かのことですかね? 婉曲とは程遠いド直球なこの表現ではとても訊き返すことなどできない。

 

「そうね……男子特有の欲求を発散させるモノ、とでも言えばいいのかしら」

「え? あぁ! そっかそっか。…………雑誌とかに書いてあったやつね」

 

 俺の気遣いを台無しにする雪ノ下の豪速球と、それに負けない由比ヶ浜の呟きに意識を奪われた。未だに偏差値低そうな雑誌読んでんのかよ。

 それにしても隠しているのはお宝ではなく住み込みJDメイドなんだが、これっていかがわしい存在になるか?

 確かにタンクトップから溢れんばかりの豊満なバストはけしからんし、ヨレヨレのショーパンから覗く黒のレースなど言語道断。これだけ聞くと満場一致でいかがわしいが、俺自身が川崎で致した(・・・)ことがないので未だ審議中だと言い張れないこともない。

 ってなに力説してんだよ、八幡のHは変態のHか? 小学生の頃にこんな弄られ方してたら今以上のエリートぼっちに成長してたぞ。

 だってしょうがないじゃないおとこのこだもの。相田み〇を風味にすれば変態成分が薄まるかと思ったが、どんな言い回しをしても正真正銘の変態ですありがとうございます。

 

「いかがわしいモノでないと言い張るのなら、ここを開けて見せるべきだわ」

 

 とてつもなく上から目線で情報開示を要求してきた。見透かしたように嗜虐的な笑みを浮かべ、薄い胸を張り勝ち誇る。瑕疵物件話をしていた時は震えて挙動不審だったくせに、弱点を見つけた途端この変わり身とは……。雪ノ下ってこえぇ……。

 知らぬ間に傍らにいた由比ヶ浜からは、

 

「そ、そーだそーだ! イカガワシイよ、ヒッキー! 罰として見せてくれなきゃダメだからね! ……参考にしたいし……」

 

 同い年の異性に性癖を晒すとか(男なら)誰もが犯す罪にしては罰が重すぎません?

 あと最後のツイートばっちり聞こえたからな? なんの参考だよ。由比ヶ浜もこえぇよ……。

 

 いつの間にかクローゼットを開ける流れが作り出されているが、先程発生した『メイド衣装プ〇キュア詐称事件』に比肩しうる重大事案。断固拒否を貫かなければならない。でなければ俺が二人に軽侮の視線で貫かれる。

 

「待て待て、何か勘違いしてるぞ。この中にあるのは御神札であってお前らが考えてるようないかがわしいものじゃない」

「何度も言っているけど、そう主張するのなら中を見せて証明すればいいことではないのかしら?」

 

 言いながら雪ノ下の視線がクローゼットを押さえる手に突き刺さる。その先に居る(川崎)に届くのではと思えるくらいの鋭さに危機感を覚えた。

 俺はクローゼットの中を二人に見せないため、今一度メイド衣装疑惑を躱したプレゼン(屁理屈)で説き伏せようと挑む。

 

「いいか。御神札には神様の力が宿ると言われている。つまり、御神札とは神様そのものなわけだ。その神様をみだりに見たり、触れたりすることは不遜極まりない行いであることを自覚しろ!」

「なんか予想外の怒り方された⁉」

 

 切々と御神札について語ってやった。神仏は信じない性質だが、御神札に(戸塚)が宿ると思えば自然と言葉にも熱が入る。由比ヶ浜はその熱量に引いていたが、雪ノ下は違う所感を持ったようだ。

 

「驚いた……あなたがそこまで信心深いとは想像していなかったわ」

「なんか納得してる⁉」

 

 不覚にも同じツッコミをしそうになった。いや、有耶無耶にするのが狙いなのにこの考えは身勝手だな。このまま納得して御神札を見せずにお引き取り願おう。そう水を向けようとしたら、会話の流れと真逆の言葉が紡がれる。

 

「それで? 早く中を見せてもらえないかしら?」

「ふぇ?」

 

 あまりにも前言を無視したその問いに、数瞬の時を経てようやく理解が追い付いた。

 まだクローゼットの中を見るつもりでいるのかこの女……? 前後の会話でそういう流れになってなかっただろ。俺より国語の成績良いくせに読解問題苦手なの? 敢えてなの? 敢えてなんだろうな。もはや俺の思惑には決して屈しないという強い意志すら感じさせる。

 そう簡単に御神札(戸塚)のご尊顔を拝めると思うなよ。拝覧するにはそれなりの供物くらい用意しやがれ、畏れ多いぞ?

 ……ごめんなさい。中にいるのは川崎です。御神札=戸塚という脳内設定のせいで暴走気味だったことは反省している。

 だが、ちょうどよかった。暴走のお陰で閃いた妙案をそのまま採用するとしよう。

 

「御神札を拝覧するにはそれなりの準備が必要なことは理解できるか? 御神札には戸塚()が宿っているからな」

「は? なんでさいちゃん?」

「どうして、急に戸塚くんが出てくるのかしら……」

「いや、(戸塚)が宿っているの言い間違いだ」

 

 つい本音が漏れてしまったが、神と戸塚に大差はないから気にしないでいただきたい。……おい、チベットスナギツネのような顔してこっち見んな。

 そんな彼女たちを尻目に御神札を見せる条件を提示する。

 

「まずは御神札に捧げる供物を用意するところからだな。米と酒、あと水と塩」

「えっ⁉ 御神札ってご飯食べるの?」

 

 由比ヶ浜らしい質問をやり過ごし、滔々と続けた。

 

「それと海の幸、山の幸、野の幸も必要だな」

「……まるで神酒神饌(みきしんせん)ね。地鎮祭でもするつもりかしら」

 

 さすがにユキペディアさんは原案を存じていらっしゃる。供物は、実際に地鎮祭で使われる物を参考に指定した。仮にクローゼットをお祓いするため、本当に使用されるかどうかは問題ではない。それっぽさが大事。

 

「それが用意できるなら中を見せるのも吝かではない」

「その上から目線な言い方は心底不愉快だけど、用意すれば見てもいいのね?」

 

 乗って来たと内心ほくそ笑む。実は、これこそが俺の狙いであった。

 二人のクローゼットに対する疑心が強いのは分かっていた。こうして押さえている手を離せば勝手に開けられても不思議ではないくらい執着している。

 だから、供物の条件を出しても諦めないだろう。ならば雪ノ下はこう考える。

 『用意すると思わずに吹っ掛けたのでしょうけど、本当に用意されたら逆に拒めなくなるのでは?』と。そのつもりで出た『用意すれば見てもいいのね?』発言だろう。

 となれば次は材料を買いに行くと言うだろう。無論、三人で。

 さっき保冷剤や飲み物を一人で買ってきてくれた由比ヶ浜にまた行かせるのは忍びないし、雪ノ下一人だとここに戻って来れないばかりか店まで辿り着けない可能性もある。

 しかし、じゃあ二人で行けば? とはならない。二人で買い物に行くと俺がフリーに動けてクローゼットの中を隠滅すると疑われるからだ。逆に、由比ヶ浜と雪ノ下のどちらかと俺の二人で出掛けると一方がフリーになり、クローゼットの中を見られてしまう。公正を期すためには三人で出掛けるしかない。

 そうして部屋が留守になったことで(トラップ)カード『クローゼットの中の御神札(川崎)』が発動する。俺たちが帰ってくるまでに川崎が御神札を用意出来れば言うことなしだが、出来なくても別に問題はない。川崎が部屋から出てくれさえすれば、最悪御神札も瑕疵物件話も嘘でした、ごめんなさい。で済むのだから。

 俺クラスのデュエリストともなると、このように完璧な戦略を打ち出すことができる。……ここまでめんどくさいことしなくても二人がすんなり諦めてくれれば楽なんだがな。

 

 そう思ってげんなりしていると、雪ノ下はこの完璧な戦略を打ち破る想定外の行動に出る。俺たちを置き去りにしてキッチンへ向かうと、トレーに何か乗せて持って来た。「さ、これを」と有無を言わさず押し付けられ、流されるままに受け取る。

 それはさっきまで俺の舌を火傷寸前まで追い込んだ『雪ノ下特製具だくさんのお粥』と、冷蔵庫に保管してあった料理酒と食卓塩だ。

 

「これで御神札を拝覧させてもらえるということでいいかしら?」

「は? え、これ俺に作ってくれたお粥だろ?」

 

 意図が掴めずトレーを持たされたまま立ち尽くしていると、料理酒を真顔で指差し、

 

「お酒」

 

 ぽつりとだが、はっきりとした意志を感じさせる。更にお粥を指差して「お米」「お水」と、点呼するように続けた。

 訳も分からず聞き役に徹していたが、途中から嫌でも気付かされる。こちらの機微を察したのか、不敵な笑みを浮かべながら指差喚呼が続く。

 

「海の幸、山の幸、野の幸……」

 

 ちなみに、おかかと明太子が海の幸で、しめじが山の幸、インゲンは野の幸、とは雪ノ下の弁である。

 

 ……いやいや、百歩譲って「~の幸」は許容できたとしても、お粥を指差して「米・水」はないない。これを供物と言い張るのならタイム風呂敷で素材に戻せ。それともク〇イジー・ダイヤモンド使えるの? お前に髪型貶されたら切れ散らかす設定とかないだろ? お酒に至っては料理酒で代用とか、カップ酒のがまだマシなレベルに不遜。

 どこからツッコんでいいのか迷っていると、是認されたと勘違いしたのか得意気な表情でこちらを見返していた。

 

「供物は揃っていると思うのだけれど。早くクローゼットを開けてくれないかしら?」

「え、待って、こういうの普通は生饌(せいせん)で用意するでしょ? なに調理済み持ってきてるわけ?」

 

 それ以前に、俺の残飯を供物として御神札(神様)に献上しようとするとかあまりに不敬過ぎてヤバい。用意したのは雪ノ下なのになんか俺が祟られそうなのがマジヤバい。

 そんな恨み節を含む異議に対し、雪ノ下は莞爾(かんじ)としながら返答する。

 

「あら、私の知っている比企谷くんなら『料理酒とはいえ酒と冠する以上、これは酒であり、むしろ米と水で作られている点からお粥すら必要ないまである』くらい斜め上な発言で同意してくれそうだけど?」

 

 うわっ、言いそう。俺なら言いそう。川崎を隠していなければ絶対言ってた。由比ヶ浜も同感なのか、こくこくと首肯する。

 それにしても、普段の雪ノ下ならこんな無作法はしないはず。クローゼットの中に御神札はないと確信した非礼なのは明らか。何とか代案を捻り出そうと思考に意識を取られていると、雪ノ下がクローゼットに手を掛けながら言う。

 

「では、拝覧させてもらうわ」

「え、やっ、ちょ、」

 

 返事を待たず門扉を開こうとするのを肘で阻む。不意を突かれたせいで危うくトレーを落とすところだった。

 

「いやいや、なに事後承諾で開けようとしてんだよ。俺は拝覧を許可した覚えはないぞ」

「そこまで必死に止めるなんて、益々怪しい……。やっぱり御神札ではなく、いかがわしい物を隠しているのね?」

「断じていかがわしい物などない!」

 

 川崎をいかがわしい物扱いするのは酷過ぎだろ。致してないから! 審議中だから!

 

「イカガワシイモノがないなら見せてくれてもいいじゃん!」

「見せる判断基準にいかがわしいかどうかは関係ねえよ」

 

 由比ヶ浜まで追随し、門扉に手を掛ける。まるで喉元に刃を押し当てられているような緊迫した状況。中を見せれば全てが終わるし、見せないままでも風評被害甚大だ。

 だが、もう不名誉を甘受して帰らせるしか選択肢がないのかもしれない。そもそも今の時代、そういう物をアナログで保管してあると思う時点で情報古すぎだ。PC内の隠しフォルダに入れてあるに決まっ……げふんげふん!

 

「さあ、観念して中を見せるのよ!」

「ちょっと見るだけだから! せめて大きいか小さいかだけでも!」

 

 俺の慌てふためく様を弱味と受け止めたのか、もしくは焦れていたのか、あるいはその両方かもしれない。二人の攻勢が一層激しくなる。それにしても、由比ヶ浜の大小発言は何に対してなんですかね。ハチマンワカンナイヨー。

 段々とヒートアップしていく二人を見て危機感を覚えた俺は本気で拒絶しようと大きく息を吸い込んだ。その時、数奇は唐突に訪れた。

 

「お前らいい加減にっ――、うおっ⁉」

 

 狭い廊下で軽く揉み合いになりかけ、トレーを持ったままふらついた。お粥を落とす大惨事が脳裏を過り、一瞬クローゼットから意識を手放してしまう。それが仇となった。

 

『ガチャッ』

 

「あっ」

「「え?」」

 

 俺の間の抜けた叫び声は、二人の疑問符によって打ち消される。

 

 

 ――クローゼット(パンドラの匣)が開いてしまった。

 

 急速に血の気が引き、体温が下がっていく。臓腑がきりりと締まり、心臓が数瞬は止まっていたのではというほど得も言われぬ不快感が襲う。

 二人の顔は見えない。俺を押し退けるように開け放たれた門扉が視界を遮っているからだ。

 

 どうする? どう理論立てれば『クローゼットの中に川崎が居るのは仕方がないこと』に出来る? そんな奇跡みたいな状況あるのか? さっきの『プ〇キュア五大ライフライン化超理論』より難度高いんじゃないか? しかも、碌に考える時間もない。

 そんな悪条件の中、反射的に閃いてしまう。それも三つ。

 

 

1.『川崎が猫アレルギーだから、一時的にクローゼットの中に退避してもらってたんだ』

 

 実家じゃないのでカマクラいないじゃん。そもそも何故ここに川崎が居るのかの説明になってない。

 

2.『川崎が石仮面で人間やめて陽の光に弱いから、夜までクローゼットの中に退避してもらってたんだ』

 

 繰り返しになるが、ここに川崎が居る理由が説明出来ない。ってか、それどこのディ〇様? 時が止めれそうだし、なんだったら『クローゼットを開けたら何故か二人がクローゼットの中に居た』みたいなポルナ〇フ状態作って脱出してくれれば解決ですよ?

 

3.『川崎はこの部屋をシェアしてるルームメイトなんだ』

 

 ふむ、これなら川崎がここに居る理由の説明になっあぶねー! それ事実だから言っちゃダメなやつ! 危うく自白してしまうところだった。

 

 

 この間、約2秒。その僅かな時間で『ソクラテス式一人(ぼっち)問答』を繰り広げてしまうあたり、俺こそ時を止める能力者だったのかと自らに畏怖してしまいそうだ。

 しかし、脳内問答の結果は全没で、依然として解決策は見出せない。

 

 ……いや、無理だよこれ、無理ぃ……。もう誤魔化せねえだろ。当のご本人が登場しちゃってるし、詰んでるわ。はい、終わり。俺の人生終了しました。ごめんな小町、願わくば来世もお兄ちゃんの妹になってくれることを夢見て逝ってくるわ。……それと、どうにかして川崎だけはダメージを抑えてやりたいものだ……。

 

 遠い千葉に向け今生の想いを馳せている最中、ふと異変に気づいた。クローゼットが開いてから数秒以上経っているのに、雪ノ下たちの反応がない。

 まさか本当に時を止めるスタ〇ドに目覚めてしまったのか? などと愚にもつかぬ心配をするより、目ぼしい方策のない現状を憂慮しとけと心の中で己を責めた。

 

 恐々と門扉の向こう側を覗き込む。すると、時は止まってないが、そうと錯覚するほどに硬直した二人の姿があった。

 

 クローゼットの中を凝視する二人の表情が引き攣っている。いや、そりゃ引き攣るかもしれないけど、『イカガワシイ物が収納されてるつもりで開けたら川崎が入ってた』なら、もっとこう驚愕の表情寄りに引き攣らないか?

 今の二人は、驚いて固まるっていうよりも、なんというか、恐怖? みたいなのが色濃く滲み出てるというか……。

 

「……はぁ……はぁ………………あ?」

 

「――――ひっ⁉」「――――っ⁉」

 

 川崎がドスの利いた声で威嚇すると、二人は糸が切れた人形のように、ふっと崩れ落ちる。俺は慌てて傍に寄った。どうやら気を失っているだけらしい。幸いにも倒れた時、どこもぶつけていないのと、バレなかったことに胸を撫で下ろす。

 

 助かったことを喜ぶべきだが、何故こんなことに……。二人同時に失神していることから心原性のものではないだろう。直前の表情から、強い感情……恐らく過度の恐怖によって失神した可能性が疑われる。

 確かに川崎の『あ?』は威圧感抜群だが、知り合いの二人、特に雪ノ下が失神するほどの恐怖を感じるだろうか。こいつの場合、自分の身に迫った脅威に対して抵抗どころか返り討ちにするタイプのはずだが……。

 

 疑問を抱きながらも、このまま二人を廊下で転がしておくわけにはいかない。だが、無防備な二人を俺が運ぶのも躊躇われた。ここは同性の手を借りるのがベストだと判断して川崎に声をかける。

 

「川崎、ちょっと手を貸してく、れ…………っ⁉」

 

 視線を向けると、少々異様な光景があった。そこには両腕で両脚を抱えて座る、所謂『三角座り』をする川崎の姿。顔を伏して、「……はぁはぁ」と荒い息遣いが聞こえる。それだけで充分異常なのだが、髪の乱れが拍車をかけていた。ただの寝起きヘアも彼女の長い髪だとその範疇を疾うに超え、違った趣を醸し出す。この光景が恐怖の源となったのだと理解した。

 

 そう、いつもの『顔はやめな、ボディにしな。ボディに』の怖さでなく、俯いた姿勢と乱れ髪が相俟って顔が全く見えない毛倡妓(けじょろう)のようなホラー的怖さ。その姿が燻っていた瑕疵物件話と結びつき、倍増した恐怖心がクローゼット内の川崎を別の何かに見誤らせたのかもしれない。

 

 二人の目には川崎が『(サキサキ)』でも『小悪魔(セラ)』でも『(セーラージュピ〇ー)』でもなく、『(貞子)』として映ったのだろう。

 つまり、失神の原因は『オカズのつもりが開けたら貞子』で間違いない。心の準備もなくこの状況に直面したら、そりゃ失神もする。二人にとっては不運だが、俺たちにとっては僥倖以外の何物でもなかった。

 

「はぁ……はぁ……、なに? もう出ても良いの?」

「あ、ああ、大丈夫だ。いきなり押し込めて悪かったな」

 

 川崎から声を掛けられ我に返ると、朝のことを謝罪した。巻き込んでしまって本当にすまないことをしたと反省している。責任の大部分は小町にあったが、ルームメイト(メイド)サキサキのことを伝えなかった俺も悪いので不問とした。

 取り分け被害に遭った『かくれんぼっち川崎』には冷たい水を献上しようと思う。暑い中、マジで悪かった。他に欲しい供物とかあったら遠慮なく言ってください本当にありがとうございました。

 

「はぁ……途中から暑くてぼーっとなってたよ。……で、二人はもう帰った?」

 

 俺は床に転がった二人の存在をすっかり忘れていた。どのような経緯でこうなったか説明しようとするも、上手い言葉が出てこない。取り合えず二人を指差して居場所だけは明示した。

 

「っ⁉ あ、あんた、隙を作れとは言ったけど、何もそこまで…………」

「へ? …………あっ‼」

 

 待て待て待て待て! その返しは大いなる誤解を孕んでいるぞ。これは俺の暴力的要素ではなく、お前のホラー的要素の結果なのだが? まあ、説明は後にして二人を布団に運んでもらおう。

 

 他にも話さなければいけないことは多く、今日は長い一日になりそうだ。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

前回の後書きで『次こそはちょっと長くなっても後編として出します』
とか宣ってましたが、ちょっとじゃねえよ、三倍だよ。赤い彗星かよ。

激長文になってしまいましたが、なんとか最後まで読んでいただけてホッとしております。さすがに本編読まずに後書きが読みたくてスクロールさせる人はいないと信じたい。

瑕疵物件話で紆余曲折あったのが遅筆の原因です。

初期案では、
育児ノイローゼでクローゼットに赤ん坊を閉じ込めた。

Sが発散のため夜通し遊び歩いて数日帰らない。

我に返って家に戻るとクローゼットの中に赤ん坊はいない。

失踪や誘拐を疑い、大家さんや親に連絡した。

この部屋にはSの一人暮らしで初めから赤ん坊などいなかったと聞かされる。

赤ちゃんの痕跡を探すも、母子手帳などが見つからず、住民票を確認しても赤子が存在せず。

赤子の存在が消えたことで精神を病んでしまったSが自ら命を絶ち、霊となってこの部屋に固執する。

……みたいなミステリーなのを考えてたんですが、結局オーソドックスな形に落ち着きました。
存在が消えたとか伝聞も出来ない状況を八幡が話すのも不自然だし、形にするのは難し過ぎました。
物語的にはそちらの展開が好みなんですけどね。


前回、アンケートでもとってみようかなとか書いてましたが、次話がまだ続く(おまけ的要素)のでアンケートも順延します。

現在のコメディ(保険でR-15)のままでいくか、R-18を含むコメディに移行するか、もしくはこのままのでパラレルワールドとしてR-18を追加するか、という感じ。
パラレルワールドなんてしたらただでさえ遅筆なのに一生更新されない気がするので、多分ないとは思いますが……。

それでは次回も宜しくお願い致します。


お気に入り、感想、ここ好き、誤字報告などありがとうございます!


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非きこもり、JDと薄氷を渡り切る。

UA100000突破&お気に入り2400件超

本当にありがとうございます! 励みになります!


出来れば隔週か三週で投稿したかったのですが、四週かかってしまいました。

『薄氷シリーズ三部作』の後日談みたなものです。
前回、前々回はゲストのせいで長かったですが、今回の文字数は通常ボリュームに収まりました。


これは比企谷八幡が大学二年生の物語。
八幡と沙希は同居することになり、様々な出来事が起こっていく。


 休日の夜。

 まったりと過ごしていると、向かい合わせに座った川崎がちらちらとこちらを窺っていた。何か言いたいことでもあるのか。それにしては妙に瞳が潤んでおり、視線も熱っぽい。

 

「……ねえ」

「ん?」

 

 恐る恐る声をかけた川崎が、とんでもないことを口にした。

 

「……今日から下に布団敷いて一緒に寝ていい……?」

 

 消え入りそうな声音と少し怯えた表情に、俺の庇護欲が刺激される。こんなの「いいぞ」一択しかないだろ。

 

「……まあ、別に構わんけど」

「! あ、ありがと」

 

 ぱっと花が咲いたような笑顔を見せる。この顔を見れただけでも承諾した甲斐があったというもの。……俺は一体何目線で話してるんだ。

 

 衝撃的なやり取りを終え、ロフトの布団を降ろす作業を手伝う。俺の布団から一尺ほど離して隣に敷くと、川崎は布団を引っ張ってぴたりとくっつける。おいおい、なにその行動。勘違いしちゃうだろ。……しないけど。

 俺の制止を無視して布団配置を決定すると、川崎は梯子を上り何か探し始める。上体だけがロフトに突っ込む形で探すものだから、こちらに突き出た臀部があまりに煽情的であった。

 

「……シャワー、浴びてくる……」

 

 手にはバスタオルとパジャマ、それに包み込んで隠しているであろう肌着(黒のレースかな?)を持って浴室へ向かう。ドアノブに手を掛けながら、ぽつりと漏らした。

 

「あの……。一緒に、入ってくんない?」

 

 川崎さん、それはちと大胆過ぎでは? 自分がどれだけトンデモ発言をしているか分かってる? 最近の条例では七歳以上混浴不可なんですよ?

 

「それはダメだろ……」

「そ、そっか……そう、だよね…………も、もちろん、ちゃんとバスタオル巻いて入るけど、それでも、だめ?」

 

 なおも食い下がる川崎。どこかに羞恥心を置き忘れてしまったのか。置き忘れたのが俺の性欲だったら無警戒のまま、願いを叶えてしまったかもしれない。

 しかし、いつからか期待を持たず勘違いと諫め、希望すら持つことを諦めた俺とて健全なDD(男子大学生)である。色欲までは失っていないのだ。

 

「いや、お前がよくても俺がね、ほら、タオルで隠しきれなかったりする可能性あるでしょ。形状とか……」

「え、あ、うぅ……」

 

 理解してくれたのか、湯気が吹き出すくらい顔を真っ赤にして俯いてしまう。形状とか直截過ぎでは? バカ、すけべ、八幡! って小町のツッコミが聞こえてきそう。罵倒の代名詞に続いて卑猥の代名詞賜っちゃいましたよ。

 

「廊下で待っててやるから、何かあったらすぐ呼べ」

「あ、う、うん、わかった……」

 

 途中、何度もこちらを振り向いては不安げな表情を見せ、後ろ髪を引かれる思いで浴室に消えた。

 ここまでされても勘違いしない俺マジ理性の化物! まあ、川崎の言わんとする真意を察しているからこそだけどな。

 

 その真意については、雪ノ下たちが帰った後まで遡る。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

 色々な事件に塗れた一日であったが、暮れ泥む今はようやく落ち着いていた。

 

 あの後、二人が目を覚ますとそれぞれが口にしたのは、微妙に違いのある心霊体験だった。

 

『ひ、比企谷くん! く、くろ、クローゼットに、え、Sが、Sの地縛霊が!』

『ヒ、ヒッキー! く、クローゼット! 中で、あ、赤ちゃん、育ってる! 育ってるぅ!』

 

 クローゼットに置き去りにした赤ん坊に未練を残し、地縛霊として棲みついたS。雪ノ下はそう認識し、頑なに幽霊成長説を唱える由比ヶ浜の目には、川崎が亡くなった赤ちゃんの成長した姿に見えたようだ。

 やはり強い恐怖により引き起こされた失神、という俺の見解は間違っていなかった。

 

 二人が目覚めてからは、あれほど苦戦したのが嘘のようにすんなりとお暇していただけた。

 

 

 遅めの夕飯を終え人心地つき、ようやく落ち着いて話せる。

 事の始まりを丁寧に説明して真摯に謝罪する。普段なら小恥ずかしくてお道化たり斜に構えるが、今日の出来事は比企谷兄妹(主に妹)が引き起こした事件。責任を感じていた。

 

「…………ま、いいけどさ。あたしにも責任あるし……」

 

 川崎はその寛大すぎる一言であっさりと謝罪を受け入れる。確かに同居してなければ起こらなかった事件だし、同居したのも川崎の事情に因るところが大きい。それでも迷惑を被ったのだし、恨み言の一つも出るのは覚悟していたが、聞き分けが良くて助かる。

 

「それより、今日お金下ろしてきたから家賃とか生活費、渡そうと思うんだけど……」

「お、おう」

 

 そういえば、その辺の細かいところを全然決めてなかった。ルームシェアだし、ちゃんと払わせるべきか……。

 家賃なー、絶対ひと悶着あるんだろうなー。昼間の出来事を顧みるとこれからの話し合いに戦々恐々する。

 

「じゃあ、家賃と水道光熱費も折半でいいよね?」

 

 遠い目をして耽っている俺を現実の世界に引き摺り戻した。川崎は封筒からそれなりの札をチラつかせ契約更改の席に着く。あれ、俺が雇用側だよね? 払わせちゃっていいの?

 

「光熱費とかの支払い明細あったら出して」

 

 現実を突き付けすぎたその一言に、何となく暗い気分になってしまう。

 こいつのことだからキッチリ半分ずつとか細かいこと言いそうだなぁ。毎月明細合計して財布から一円単位の金まで出して折半とか面倒なことこの上ない。

 

「あー、光熱費のことなんだが、俺が全負担のままでいいわ」

「え」

 

 呆けた顔で聞いていた川崎は、意味を理解するにつれ徐々に険しい表情となっていく。

 

「やっ、だって、そんなの悪いし、ちゃんと払うから!」

「実は同居を始めた時から考えていたことなんだが……」

 

 元々借金は法定利息分相当で考えると微々たるものだし、それと引き替えに家事全般をやってもらう現状はあまりに釣り合いが取れてなさ過ぎる。この二週間で改めて川崎の家事能力(実力)を体感し、更にその思いを強くしていた。

 そう訴えるも川崎はなかなか首肯しない。借金して住まわせてもらってるのにとか、そこまでしてもらう義理はないとか、律儀なのが仇となっている。

 

「別に遠慮しなくていい。そもそも一人の時と大差ない」

「でも……」

 

 川崎を説得するため、それらしい正当性を主張する。

 

「まあ聞け。これはな、言うなればインセンティブなんだ」

「は?」

「プロ野球でも年間の試合出場数やタイトルの有無で年俸が増えたりするだろ」

「は?」

「二軍だと交渉材料がないから提示額に黙って判子を押すそう……ですよ?」

「は?」

 

 途中から『は?』の圧に負け敬語になってしまったが、川崎がプロ野球を見ない人なのは分かった。プリ〇ュアをライフライン認定させる交渉術でも契約更改を擬する以上、川崎には伝わらない。

 

「結局何が言いたいわけ?」

 

 俺の迂遠な物言いに、川崎はイライラした様子で詰問する。さっき水に流してくれた今日の『かくれんぼっち川崎』の遺恨が再燃しそうな勢いだ。

 焦った俺は、飾ることなくぽろりと口にしてしまう。

 

「い、いや、つまりだ。お前の働き(家事)を正当に評価すると家事代行サービス並みのサラリーが発生してしまい、そこまではさすがに払えないから、せめて光熱費を負担すること(インセンティブ)で納得してもらえないかと言いたかったわけで……」

 

 振り返るとなかなかのグダグダさである。とても『プリ〇ュア五大ライフライン化超理論』を提唱した人物とは思えない。正直過ぎたせいか、褒めているのか報酬を誤魔化したいのかよく分からないネゴシエートになってしまう。

 失言だったかと身構えていると、意外にも顔を赤くしてへどもどしていた。

 

「そ、そう? そ、そんなこと、ない、と思う、けど……」

 

 自分の働きを貶める彼女の発言は、俺の下した評価を否定しているようで納得がいかない。

 如何に川崎の家事が秀でているかを彼女自身に分からせてやるため『川崎沙希の家事が凄いところ独演会』を開催することにした。

 

「いや、充分に凄い。バイトで忙しい中、家事を見事にこなしてると思うぞ」

「なっ、そ、そんなの、それがあたしの役目だし、当たり前、だから……」

 

「しかも、朝夕の食事と昼の弁当まで用意してくれるとか専業並みに働いてるだろ」

「そ、それは、その、実家でもしてた、ことだし……」

 

「その食事も食べる人の健康を考えてるだけでなく、味も申し分ない」

「う、あうぅ、ちょっ、も、もういいから……」

 

 両手で顔を覆うが、隠し切れずに覗く耳が朱に染まっていた。

 気の毒に思えるくらいの狼狽え様に、もっと見たいという意地悪な考えが浮かぶ。俺は更なる褒め殺しで揺さぶりを試みた。

 

「派手さはないものの、特に煮物は絶品だった」

「……そ、そう」

 

 一瞬、川崎の顔が曇った気がしたが構わず続ける。

 

「ああいうのがお袋の味なんだろうな。飾り気のないところがまた郷愁を誘うというか……」

「……好きでそうしてるわけじゃないんだけど」

 

 褒め方が微妙だったのか、じとっとした湿度の高い眼差しを向け、声のトーンは低くなっていた。

 やはりお袋の味というのはマザコンを想起させ、印象が良くないのかもしれない。別の切り口から訴えるべく、拳をぐっと突き出して、なおも高らかに褒めたたえる。

 

「彩りを犠牲にしてでも味と栄養を追求するその姿勢! 地味な見た目をものともしない! そこに痺れる憧れる!」

「……いや、犠牲にしてるつもりないし、見た目も気にしてんだけど?」

 

 川崎は顔を引き攣らせながら、渾身の誉れを一切合切否定した。

 そんなバカな。料理は旨さが全てだろ。仮に、見た目が由比ヶ浜の作ったハンバーグでも、それが川崎の料理なら喜んで食せるぞ。

 俺は拳を握り締めたまま目を瞑り、聞かなかった振りをして続けた。

 

「地味と思われても旨い料理を貫く川崎、いつもかっこいいなぁと、俺は常々思っていたぞ」

「…………もういいって言ってるでしょ」

 

 ひぃ! 怒気を孕んだ声音で呟かれたそれは、さっきの『もういいから』とは全くの別物であった。見れば朱に染まっていたはずの顔色も元に戻っている。あれ、俺なんかやらかしちゃった? 俺にしては割と素直に、本気で料理を褒めてたつもりだったのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。

 

 これ以上、地雷を踏まないよう地蔵タイムに突入して嵐が過ぎ去るのを待った。

 沈黙は金、とはまさに今の俺にピッタリの言葉である。

 

 

 沈黙の時間。それはあまりにも長く、無意識にトリプルスタグネイトを発動したのかと錯覚してしまう。なにそれ、いつの間に体内で固有結界展開しちゃったの? 肋骨削って銃弾作らなきゃ!

 

「……で、家賃いくらなの」

「あ」

 

 この一言が、肋骨の使い道で悩む俺を現実に引き戻す。そういう話だったのをすっかり忘れていた。

 

「あー、じゃあ光熱費は俺持ちってことでいいんだな?」

「……そこまで言うならね。でも、毎月明細は見るから」

 

 いざとなったら補填するつもりでいるのか、川崎らしい律儀な答えだ。

 

「で、家賃は?」

「…………家賃か。家賃なぁ……」

 

 俺の歯切れの悪さを別の意味に受け取ってしまったのか、凄み迫って来た。

 

「なに? 折半だっつったでしょ。まさか家賃まであんたが全部持つとか言わないよね?」

 

 そんなつもりはないんだが、それならそれでお前の出費減るじゃん。どんだけ義理堅いんだよ。

 

「いや、そういう意味じゃない。家賃はちゃんと折半してもらう」

「そ。じゃあ、勿体ぶってないでいくらか教えてくんない?」

 

 勿体ぶりたくもなるんだよなぁ。これから打ち明けたくない真実を聞かせなきゃならないんだから。

 

「……三万円」

「ん、分かったよ。……はい」

 

 封筒から三枚抜いて差し出してきた。しかし、俺が受け取らずにいると怪訝そうな表情を見せる。

 

「…………ちょっと。受け取ってくんない?」

「……折半だから、一万五千円な」

「……は」

「だから折半。一万五千でいい」

 

 一瞬、ぽかんとした顔をするも、理解が追い付くと驚愕の声を上げた。

 

「えっ、三万って、ここの家賃が三万円ってこと⁉」

「昼間に二人が来てた時にもそう言っただろ」

 

 三万円と聞いて折半分と想定するのは理解できる。それなら家賃は六万円だし、至極妥当と言えよう。話していた時、川崎はクローゼットで蒸し煮にされてる最中だったし、聞いてなくても無理はない。

 川崎は俄かに室内を見渡しながら訊き返してきた。

 

「だって、それって二人を追い返すための作り話じゃ……。え、この部屋、三万って、それマジで言ってんの?」

 

 そうへどもどと確認してくる。内装の綺麗さから、家賃三万で住める物件じゃないと改めて驚愕したのだろう。ましてや折半で一万五千円なら、大学の寮費並みになる。

 

 怪訝な表情で理由を知りたがる川崎に対して隠し通せるはずもなく、ついに事実を打ち明けた。

 

「……実はな、ここ、事故物件なんだよ」

「――っ⁉」

 

 川崎はびくーんと背筋を伸ばし、目を見開いて固まった。

 

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 

 浴室から水音がするのを確認して洋室に戻る。狭い部屋だし、すぐ傍待機じゃなくてもいいだろうという勝手な自己判断と、ある理由(・・・・・)から些か緊張していた。

 冷蔵庫からマッ缶を取り出してプルタブを開ける。一口付け、大きく息を吐くとローテーブルに缶を置いて腰を下ろした。

 

 

 あの後、川崎に詳細を説明すると顔を青くさせ、ガタガタと震えていた。

 

 雪ノ下たちに話したそれは一部実話で、具体的にはクローゼットに閉じ込められた赤ちゃんは存在しないが、実際にこの部屋で人が亡くなる事件が起こっている。亡くなったのは若い女性。以来、この部屋では時々女性の霊が出ると噂になっていた。

 しかも、よりによって死因は浴槽でのリストカット。こんな話を聞かされれば、これから入る風呂に俺を連れ込もうとするのも分かる……いや、やっぱ分からん。ないわー、ないない。

 

 そんなことを考えながらぼんやり浴室の方を眺めていると、俺を呼ぶ声がけたたましく響いた。

 

『ね、ねえ、あんた、そこにいる?』

「テーブルでマッ缶飲んでる」

『ほ、ほんとに……? なんかドアの向こうから変な気配がするんだけど……物音とか聞こえない?』

 

 ドアの向こう側の気配感じ取るとか円の使い手かよ。しかも、物音なんてしてないし、憂懼の末の幻聴かな? お前それ、プラセボ効果患ってるぞ。……ちょっと違うか。知らんけど。

 まぁ、外から見ていた俺が何もなかったと証言すれば、少しは落ち着いてくれるだろう。

 

「なんだよそれ。別に何もいないが?」

『そ、そう、だよね……。ううぅ……すぐ出るから、ちゃんと見張ってて』

「分かった分かった」

 

 軽い返事をして再びマッ缶をくぴっと呷る。

 恐怖心から生み出された幻聴だと思うが、川崎が風呂から上がれば納得するだろう。いや、場合によっては悪化するかも。なるべく隣を見ないようにして、その時を待った。

 

 

×  ×  ×

 

 

 浴室のドアが少しだけ開き、中から川崎が顔を覗かせる。

 

「……ほんとに、何も、なかった……?」

 

 髪を乾かす間すら惜しんだのか、頭にはタオルが巻かれたままで恐る恐る尋ねてきた。

 

「ああ、ドアの前には(・・)何もいなかった」

 

 俺は念押しするように繰り返した。おずおずと出てきた川崎はローテーブルを挟んで向かい側に座る。

 

「で、でも、さっき変な音が……」

 

 二度の否定にも屈せず、なおも食い下がる川崎を落ち着いて宥め諭す。

 

「それは気のせいだ。気にし過ぎてるからありもしない物音が聞こえちまうんだよ」

 

 幻聴だと強く言い聞かせるが、表情を見ると納得してくれたようには思えない。やはり瑕疵物件である事実が想起されてしまうのだろう。川崎がどれほど怯えているのかが窺える。

 しかし、俺が霊の仕業でないと断言したため、胡乱な目で見ながら言葉の真意を問うてきた。

 

「……なんでそう言い切れるわけ?」

 

 なんでかって?

 

 

 ――そりゃ、お前がシャワーを浴びてる間、ずっと俺の隣に女の霊が居たから(・・・・・・・・・・・・・)だよ。だから、浴室にちょっかい出せるわけないだろ。

 

 ……とは口が裂けても言えないけどな。川崎には視えないようだし。

 

 

 

 そう、俺はこのアパートに住んですぐ霊の存在を信じるようになった。当然だよな。はっきりと視えちまってるんだから。

 だが、視えていることを悟らせないよう立ち回ってきた。それが功を奏したのか霊が絡んで来たことはなく、今のところ霊障などの実害はない。

 しかし、あの()を極力見ないに越したことはない。これが、家大好きな俺の『非きこもり』となった理由である。

 

 ちなみに、今も俺の隣に女の幽霊(それ)が居るせいで、内心はかなりの緊張状態。川崎には視えないと確認できたのはこのためだ。俺と同じように視えていないのが芝居でなければの話だが。まぁ、これだけ幽霊を怖がっていながら視えてしまったそれを無視していたとしたら、そのとてつもない演技力に女優も真っ青である。

 

 それはさて置き、川崎の疑問にどう答えるべきか。

 気のせいだと言い切る根拠を口にしたら、ここに住み始めてから課してきた視えない振舞いが偽りだったと示すことになる。何がやばいって、それをお隣の生前女性であったモノに聞かれてしまうことが最大級にやばい。一年以上もの間、無視し続けたと知られれば、その恨み如何ばかりか。想像するのも憚られる。俺、呪い殺されるのでは?

 

 お隣を刺激しないようにする川崎への返答はこれしかない。

 

「いいか。俺はもう一年はここに住んでるが、霊とかそういうのは見たことがない。事故物件だからといって必ずしもそういうのが居るとは限らないってことだろ」

「そ、そう、なんだ、見たことないんだ……」

 

 ほっと胸を撫で下ろす川崎。

 

 ……嘘です。メッチャ見てます。なんなら今も視えてるし、見られてます。むしろ、この科白はお隣に聞かせるための返答と言っても過言ではない。視えてませんよー、という全力のメッセージ。その想いが届いたのか、目の端に映り込んでいた霊がふっと消えていた。

 ちょうど俺もシャワーを浴びようと思っていたので都合が良い。一度消えたらしばらく出てこないのは経験上知っていたが、霊のすることに確証はないし、そんな場所に川崎を一人残していくのは心苦しくもあったのだ。

 

「んじゃ、俺もシャワー浴びてくるわ」

「え、あ、う、うん、ごゆっくり……………………なるべく早く出てきて」

 

 まだ完全には安心できないのか、送り出す言葉に矛盾が生じてしまうくらい動揺しているようだ。

 しかし、俺の方も違った意味で動揺を禁じ得ない。

 

 ……今日から洋室で川崎と隣り合わせに寝るのだから。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

さて、賢明な読者様は既にお気づきだと思いますが『川崎沙希の家事が凄いところ独演会』は、原作14.5巻にある『一色いろはの好きなところ発表合戦』のオマージュです。
完全に思い付きでしたが、やったみたら意外と面白くて、サキサキは叩けば響くんだなと楽しく書けました。


〇次回予告:沙希、初めての合コン(仮)

瑕疵物件事情を聞かされてからというもの、一人でアパートにいることを嫌がるようになった沙希。どうしても八幡より早く帰宅する日ができてしまい、その日の予定をどう埋めようかと必死だった。
そんな時、大学の同級生に合コンのお誘いを受ける。
そこまで親しくなかったのに何故? と疑問を感じたが、タダ酒タダ飯に釣られて参加を了承した。


はい、こんな感じですー。

それでは次回も宜しくお願い致します。


お気に入り、感想、ここ好き、誤字報告などありがとうございます!


しれっとアンケート終了いたしました。

80%近くがエロ要望とは……。
なお、結果が反映されるとは言っていない。(キリッ


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JD、非きこもりの留守を懼れる。

お待たせ致しました。
二ヶ月くらい空いてしまいましたが、訳あっていつもよりちょっと短いです。

それではどうぞ。


「ん…………ぅえっ⁉」

 

 目を覚まし、ぼんやりとした頭で辺りを見渡すと、隣の布団には男が眠っていた。いつもと景色が違うことで軽くパニックを起こしたが、すぐ現状を理解する。

 

 そうだ。数日前からロフトでなく(洋室)で寝るようにしたんだった。朝起きてすぐ隣に男が眠る姿は物理的な距離以上にインパクトがある。その寝顔をぼんやりと見つめていると、ふと我に返った。

 

 比企谷を起こさないよう朝食の準備を始める。途中、事情を打ち明けられた日のことを思い出す。

 

「……………………っ」

 

 ぶるりと身震いしてしまう。幽霊だなんて悪い冗談だと思いたかったけど、三万円が引き落とされた通帳を証拠として提示されたら反論もできない。

 確かに同居してから今日までの間、別段おかしなことは起きてないが、そんなことを聞かされ意識しないなんて無理だ。

 でも、だからといって引っ越す費用も捻出できないわけで、当分はここに住み続けるしかない。

 

 あの日から、あたしはこの部屋で一人になるのを避け続けた。常に比企谷よりも遅く帰ることを心掛けてスケジュールを調整する。夕飯は比企谷が帰ってから作ると遅くなってしまうので、昼間に作り置きしておくことが多くなった。

 帰りが何時頃になるかを密に連絡させる様は、まるでふう……。

 

 ぶんぶんと頭を振って考えを打ち消し、自分を諫める。

 一緒に暮らして距離感曖昧になってるからって流され過ぎ。あたしはただの同居人。比企谷の温情で住まわせてもらってるだけ。

 

 気を取り直してフライパンに卵を割り入れる瞬間、後ろから声がした。

 

「……うす」

「っ‼」

 

 肩がびくんと跳ねた拍子に卵の中身が落ちる。フライパンには割れた黄味が白身と混ざってだらしなく広がった。声の主をじとっと睨め付けるが、なんとか落ち着いて挨拶を返す。

 

「……おはよ」

「お、おお……」

 

 声の主――比企谷――は顔を引き攣らせながら応える。

 何でびびってんの? 失礼な奴だね。黄味が割れたのは事実だけど、このくらいで目くじら立てるほど子供じゃないよ。挨拶に心無しか怨嗟が籠ったような気もするけどね。

 

 朝食の準備を再開すると、普段あまり喋らない比企谷が何かと話し掛けてくる。その不自然さを怪訝に思い、当たり障りのない話でも注意深く聞く姿勢を作った。

 

「……そういえば、明後日の夕方からとか暇か?」

 

 暇か? って、コーヒー飲みに来るどこぞの課長じゃないんだから。急に予定訊いてくるとか、不自然を凝縮したこの質問に意図を推し量る。ここで良い顔すると付け込まれる気がして、意味もなく強がってみせた。

 

「暇そうに見える?」

「そうか……そうだよな」

 

 朝食を作っている姿でそれ――家事代行――を主張する。まるで、やらされているかのような嫌味な言い方。その意地悪な返答で落ち込む比企谷をみて、後悔の念が浮かぶ。

 

「ならちょうど良かったな。明後日は帰り遅いから夕飯いらないわ」

 

 ……何それ。暇だって言ったら夕飯までに帰って来たわけ? それとも、どっかに誘ってくれたりとか……。まぁ、それはないか。どちらにしろ、この比企谷の言葉に違う意味で後悔していた。

 だって、帰りが遅いってことはこの部屋であたし一人留守番する(・・・・・・・・・・)ことになる。今までずっと避けてきたのにだ。

 

 この部屋に? 一人で? むりむりむりむり! あの曰く話を聞いてから、おちおち長湯も出来なくなったのに夜一人とか……考えただけでも鳥肌が立つ。

 料理の手を止め、身体ごと向ける勢いで比企谷に食って掛かった。

 

「ち、ちょっと待って、それ何時くらいになりそうなの?」

「飲み会だし、その後は成り行きだから分からん。まぁ、最悪電車なくなる前には帰ると思うが……辞めといた方がいいか?」

 

 心配そうな表情で翻意を匂わせる。あたしの憂懼を見越して、部屋で一人にしておくことを懸念しているように思えた。直接あの話題(瑕疵物件)を口にすることはなかったが、こうした気遣いから嫌でも拾い上げてしまう。

 

 本心では家で一緒に夕飯を食べたい。というか、夜この部屋で一人にしないで欲しい。

 しかし、あの比企谷が(・・・・・・)飲み会に行くというのだから、断れない理由があるのだろう。あたしの我が儘でキャンセルさせるのは忍びなかった。

 大金を借りて、部屋に住まわせてもらった上、自由すら奪ってはいけない。申し訳なさと、あたしの意地が強がりを続けさせた。

 

「……たまには外で食べるのもいいんじゃないの? 遠慮しないで行ってきなよ」

「いいのかよ。お前は飯どうすんの?」

「一人で作るのもなんだし、あたしも外で済ますよ」

「そうか。まぁ、それがいいよな」

 

 それは一人部屋に取り残される心配がなくなったことへの安堵か、飲み会に行けることへの喜びか。どちらにせよ、あたしの言葉を受け、どこか比企谷の声が弾む。

 

「帰る時はLINEして。部屋にいるか分からないけど」

「おう、そうするわ」

 

 内心、連絡があるまで部屋に戻るつもりなかったけど、比企谷の気遣いを無碍にしないためにも言わぬが花。問題はそれまでどうやって時間を潰すかだが、観たい映画なんかないし、一人カラオケとかハードルが高すぎる。

 それ以上に、夕飯の材料があるのに作らず外食なんて懐具合より罪悪感のが先に立つ。かと言って、今さら飲み会をなしにしてくれとは死んでも言えない。

 そんなもやもやを抱えながら、切り替えようと何気なく会話を続ける。

 

「それにしてもあんたが飲み会とか珍しいじゃん。サークル?」

「あー、いや……」

 

 あたしと同じく人付き合いを億劫としているこいつが飲み会なんて違和感しかなく、実は無性に気になっていた。純粋に理由を知りたかっただけだが、何故か口籠る様子からある疑惑が浮かび上がる。

 

「なに? もしかして女とか?」

「いや男だ。……違う意味に取るなよ。誘ってきたのが男ってだけだ」

「それ、念押ししてるようにしか聞こえない」

「違いない。日本語って難しいな」

 

 否定の仕方が下手過ぎて、むしろ男色を強調してるのかって返しに顔を引き攣らせる。誤解したままだと感じたのか、比企谷は慌てて詳細を話し出した。

 

「別に親しいわけでもない同じ学部の奴が、合コンの頭数揃えるために声をかけてきたってだけだ」

「そ、合コンねぇ……」

「いや、俺も本当は行きたくないが、頼まれて仕方なしにだな……」

「……へー」

 

 ふーん。あたし一人を部屋に残してあんたは女と飲みに行くんだ。

 あー、やめやめ。比企谷が誰と飲もうがあたしには関係ない。さっきまでの葛藤がバカバカしく思え、返事の声が一段と低くなる。

 

「ほ、ほんとだぞ。大体、知らない奴と喋らなきゃいけないなんて単なる罰ゲームだろ。頑張って話そうと思った結果、余計なことを喋るコミュ障あるあるはお前にも経験があるはずだ」

「いや、そんな同類扱いされても困るんだけど。あたしなら頑張って話そうとしないし」

「そ、そうか……。お前の場合、話さなくて済むよう睨んで相手を黙らせそうだしな」

「あ?」

「それな。そーゆーとこだから」

「う……」

 

 つい睨んでしまったことで、比企谷の持論を証明する形となった。

 毒気を抜かれ、言い合う気がなくなったあたしは朝食の支度に戻る。そして、出来たばかりの目玉焼きを比企谷の前に並べると、反撃は意図せず成されてしまう。

 

「じゃ、いただきます」

「どうぞ」

「……ん⁉」

 

 目玉焼きを一口含むと、比企谷は妙な声を上げた。

 固まった表情のまま、濁った双眸をこちらに向ける。

 

「…………あの」

「なに?」

「……なんでもないです」

 

 一瞥すると、比企谷は何か言いたそうにしながらも押し黙る。

 なんだろうと疑問を抱きつつ、あたしも目玉焼きを一口含んだ。

 

 ガリッ

 

「ん⁉」

 

 比企谷と全く同じリアクションが出てしまい、何を言い淀んだのか理解した。手元が狂って黄味が割れた上、殻まで混入したらしい。まぁ、元はと言えば、比企谷が背後から声を掛けてきたことにより混入した卵殻だが、謝らずにはいられなかった。

 

「…………ごめん」

「え? あ、いや。……別に害はないから問題ないぞ。むしろ、カルシウムが摂取できるまである」

「それサルモネラ菌まで摂取しちゃうでしょ……」

「安心しろ。日本の衛生管理でそれは有り得ん」

 

 万が一あったらやり込められた報復にしては強力過ぎるし、あたしまで返り血浴びちゃってるから絶対そうであってほしい。って、そういうこと言ってんじゃないんだよね。

 

「……わざとじゃないから」

「分かってるよ。お前は食べ物で遊んだりしないからな。俺がさっき声かけたせいで手元が狂ったんだろ? 責任とって食うから、お前も協力してくれ」

 

 そう言って、真剣な表情で目玉焼きを貪る比企谷に倣い、あたしも食べ続けた。

 

 そこまであたしのこと解ってんなら、何で不機嫌なのかも気づいてよ…………ばか。

 

 

×  ×  ×

 

 

「……実質賃金の変化と一時的に錯覚する、これを貨幣錯覚といいます。……えーと、そろそろ時間なので本日の講義はここまでとします。お疲れ様でした」

「…………はぁ」

 

 久々の講義もあまり集中できず、聞き流している間に終了した。総武高校を選んだのも国公立大学進学を見据えてのことなので、中学時代からの念願と言ってもいい。それをこのように消費するなど、本来許されないことだ。

 しかし、そんな事情を押してまで漫ろとなるのにも理由があった。

 

 明日、比企谷が飲み会で遅くなる。少し前に、アパートの心理的瑕疵を聞かされてから、部屋に一人で居ることを避けてきた。その日(明日)も、いつものように回避出来ると軽く考えていたが、それは大きな間違いであった。

 

 まず、バイト先にLINEしてシフトに入れないか相談してみたが、人手は足りてるし急な話過ぎて無理だと返信がきた。かといって、時間潰しのしたくもない遊行をするのも悩ましい。

 比企谷から借りたお金は家賃滞納分と大学の教材費に充て、残りを返済にまわした。バイトも始めたばかりだし、その給料も共同生活費としていくらか出してしまっている。正直、無駄遣い出来る金銭的余裕はない。

 こう考えると、むしろ瑕疵物件で良かったとすら思えてくる経済状況である。無論、それに感謝することはできないが。

 

 スマホを見ながら単発バイトでも探そうとしていると、背後から声が掛けられた。反射的に肩がびくりと跳ねる。隠し切れぬ動揺を、さもなかったかのようにゆっくり振り返った。

 

「あっ、急に声かけちゃってごめんねー」

 

 講義でよく見かける女子が軽い調子で謝罪する。目立つ容姿で、他人に興味ないあたしでも覚えていた。

 セミロングな髪はナチュラル感のあるグレージュ色に彩られ、ふんわりとしたウェーブがかかっている。くりっとした大きな瞳は小動物めいていて可愛らしい。

 初めて話すのに馴れ馴れしいこの感じ。あたし、苦手だ……。

 

「なに?」

 

 不機嫌さを隠すことなく、低い声を投げ付ける。彼女はほんの一瞬表情を歪めたが、すぐに何事もなかったように笑みを返す。

 

 その笑顔にあたしの警戒が解かれることはなかった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

振り返ると次回予告の内容に沿ってないですね。予告詐欺かな?
というか、最初はそこを書いてたんですが、沙希視点がないと唐突過ぎて読者様を置いてけぼりにしそうだったのと、一話の中で複数の視点変更を行うのは避けたかったので、急遽沙希視点の11話を挿入しました。
いつもよりも文字数が少ないのは急いで追加したせいです。


それでは、次回も宜しくお願いいたします。


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GJD、JDの懼れを払う。

意図せず書き貯めとなった分なので、いつもより投稿が早いです。

何を思ったか、初のオリキャラ視点。
だいぶ毛色が違う印象ですが、沙希視点だとここまで遊べないので書いてる側は意外と楽しかったりします。


2022.11.13 後書きに真鶴の設定を追記。


『――だから無理になっちゃったの。ごめんね、真菜』

「――う、うん、そっかー。じゃ、残念だけどまた今度誘うねー」

 

 スマホの通話終了をタッチした瞬間、あらん限りの罵詈雑言が口を吐いた。

 

「っ! ざっけんなよ! イケメンあり、医学部あり、会費男持ちの合コンブッチするとか正気の沙汰とは思えねえよ! お前如きの顔でこの機を逃がしたら一生男出来ねえわ! ってか、逃がさなくても出来るわけねえけどな!」

 

 叫ぶ勢いで一頻り吐き出すと、乱れた呼吸を整えて平静に戻る。無論、周囲に人がいないことは確認済みのご乱心。

 

 こんな直前になって欠員を出すなど、幹事としての沽券に関わる。下手をすれば信頼を失い、今後合コンを開催できなくなるのでは……?

 

 ――って、それはダメだ。

 

 うちは専業主婦になるため、合コンで将来の伴侶と出逢わなければならないんだ。年収一千万以上、イケメン高身長、うちのお願いを何でも聞いてくれることが最低条件。出来れば両親と別居の三男坊あたり、義親の介護なしで遺産相続を貰えるのが理想。

 そんな専業主婦ドリームを謳ってみたものの、焦りは隠せない。なんせ、補充人員の当てが全くないのだ。

 

 強烈な毒を吐いたが、ドタキャンした彼女は、……井、中井? 大井? ……まぁなんでもいいか。なんとか井さんで。そのなんとか井さんはうちの主催する合コンにおいて、なくてはならない存在であった。

 

 慣れれば隣にいるのが我慢できないこともない有り寄りの無しな顔面レベル。

 明るく、ノリよく、ウザ過ぎず、置いとくだけで場が持つ反応力。

 実家が金持ちで、バイトをしてないが故のフットワークの軽さ。

 

 それらが噛み合い、合コンではどんな面子であろうとも頭数を埋められるアダプタビリティを発揮し、同時にその容姿でうちを引き立たせるハイブリッドな人材。こんなにも都合の良い女がいるだろうか。いや、いない。

 そんな最強サポートカードなんとか井さんに代われる人材など、手持ちの友達(うちのデッキ)には存在しない。となれば友達の当てを頼るか、大学内で声をかけるしかないが、選定条件がネックとなっている。

 

 まず、うちよりも顔面レベルの低い女であることが大前提。幸いなことに、うちは大学でもトップカーストと呼べる容姿の持ち主だと自負しているし、選択の幅は広いはずだ。だが、低すぎてもダメ。あんまりな顔面だと、相手グループに詐欺扱いされてしまうし、今後合コンをセッティングするのにも影響が出る。

 過去、絶対に落とすと意気込み、周りを引き立て役で固めた合コンでは、うちまで男が辿り着けなかったという事例がある。うちだけ際立ちモテモテ作戦……だったはずなのに、ブスの穴熊囲いが絶対防御過ぎて自滅した件。

 モテたいと願う余り、引き連れたブス共にうちの良さをも殺されるとは、過ぎたるは猶及ばざるが如し。ツマ(・・)も多過ぎれば刺身を隠すということだ。恐るべしブスの壁。

 

 他には、あんまりやる気を出されるのもNG。うちがうちのために主催し、用意した男共(獲物)を勝手に貪るとか倫理観ぶっ壊れてんじゃないの? って女はノーサンキューだ。

 まぁ、アルバイト感覚で接待合コンさせるのが賢明か。報酬はタダ飯タダ酒。払いは男陣だし、うちの懐は痛まない完璧な雇用計画。

 

 さて、そうと決まれば条件が合いそうなのを見繕ってみようかね。ちょうど今は講義中で、教室にはいくらでも人がいる。

 大教室内を首の運動かと見紛うくらいぐるりと見渡し、いくつか目ぼしいのをチェックしていると、あることに気づく。

 親しくない同級生に声をかけるだけならまだしも、それが複数人だった場合、その中の有り寄りの無しだけを呼び出すなど不審過ぎて、逃げられ待ったなし。つまり、勧誘するのはお一人様に限定されるということだ。

 

 講義の時間が終わって教室を出ようとする生徒たちを目で追うと、動きからぼっちと分かる女子を見つけた。その女は講義が終わっても誰とも話さず、一人で教室を出ようとする。

 たが、こいつはヤバい……。何がヤバいってこのオンナ、ひょっとすると顔面レベルがうちよりも……いやいや、確かにいいセンいってるとは思うよ? 思いますよ? でも、うちだってまぁまぁレベル高いしぃ? うちといい勝負なんじゃないかなぁと認めるのも吝かでないが、スタイルまで良いのはちょっと癪に障る。

 

 本来なら、容姿で完全に上に立てるレベルの女にしか声を掛けないが、合コンまで時間がなく、見渡す限り他にぼっちが存在しない以上、誘わないという選択肢がないのがツライ。

 くぅ……お前、なんでその顔面とスタイルでぼっちしてんだよ。大学生にもなって一匹狼気取りやがって、遅れてきた高二病かよ。さむっ!

 

 葛藤を覚えつつ、目標との距離を徐々に縮めて行く。

 ……ん? コイツ見覚えあんじゃね? いくつか同じ講義取ってる気がする。講義終わりに(男から)声掛けられてるの見た記憶あるぞ? ほら、今も男が近寄ってんじゃん。シカトしてっけど。

 あのさー、男に無関心決め込むならそれなりに地味な擬態とか出来ないわけ? これみよがしに超絶ロングのポニーテールって態度と容姿が真逆なんですけど? 男に興味ない素振りしといてシュシュとか、見てくださいオーラがダダ漏れなんだけどぉ? こういうの腹黒いっていうんじゃない? いやだわー、こうはなりたくないわー。

 

 おっと、感情が顔に出るとこだった。危ない危ない。

 うちは男に媚びて女を敵にするなどという稚拙な立ち回りはしない。踏み台にされたことにすら気づかせず上手く操る、まさに手塚ゾーン。それがうちのスタイル。ちょっと違うか。知らんけど。

 

 ゆっくりと息を吐いて深呼吸。今まで抱いた負の感情を吐き出すように。

 吐き切ったら、にぱっと笑顔でロックオン・ザ・ポニーテール・アンド・シュシュ。

 普段よりも一オクターブ高い声音でいざ初対面の邂逅。

 

「あのー、ちょっといいですかー?」

 

 振り向く女……名前まで分かんねぇな。ポニーテールとシュシュ……ポッシュでいいや。ポッシュと目が合うと、両手で軽く胸を押さえて身を縮める。怯えた小動物の構えで対峙した。

 人は高圧的な態度に心を開かない。害意は全く無いとアピールすることで警戒心を解く。こうして下手に出る芝居はいつものことだが、本日のはガチだ。この女、普通に怖い。

 

「……なに?」

 

 返事も強面。軽く下着の替え心配しちゃうくらいに恐怖。

 何この威圧感ヤバ過ぎ。これはナンパ師共なんぞ一蹴ですわ。

 

「え、えぇっとぉ、よく講義被りますよね。あなたも二年生ですか?」

 

 大学のシステム上、講義が被る=同学年と決まってはいないが、ある程度の指標にはなる。

 

「……そうだけど」

 

 うわっ、メッチャ不機嫌。早く会話切り上げたいの見え見え。隠そうともしてないところがなおヤバいよね。

 この人、高二病ってより、ただのコミュ障な気がしてきた。まぁ、突然見知らぬ人に声かけられたら、そうなるのも自然だけど。

 とにかく、同級生という情報は手に入れた。もう少しフランクに話してみようか。謙り過ぎても不興を買う場合があるし。

 

「え、えぇっとぉ……この後、時間あったらでいいんだけど、お昼ご一緒しない?」

「はっ? 嫌だけど」

 

 イラッ。

 こぉんの……!

 こちとら緊急事態だから下手に出てやってるってーのに、チョーシこきやがって!

 

 ――はっ⁉ やっべ、うち血管ぴくぴくしてね? 不満を漏らすとか社会人として三流以下なんですけど? 今は営業中なんだから感情殺して契約させなきゃだよね、テヘペロ♡

 

「え、えー、話だけでも聞いて欲しいんだけどぉ?」

「興味ない」

 

 こんのアマぁ……。

 今度は表情筋がひくついてるのが分かる。ア○ルに指突っ込んでアンアン言わせたろか⁉ って快楽を与えてどーすんだよ! それ、ご褒美じゃん! 奥歯ガタガタいわせたろか、でした。脳みそバイオレンスならぬ脳みそピンクかよ。

 

「じゃ、もう行くから」

 

 もうイクからとか、うちまだ何もしてねえだろ勝手にイクんじゃねよインランビッチが! って、いつまでも脳みそピンクなのうちじゃん。

 にべもなく立ち去ろうとする背中に向かって、思わず声を上げてしまう。

 

「ちょ、ちょっと待って、別に怪しくないから! 簡単なバイトだから!」

 

 うっわ、こんな謳い文句じゃ怪しくないどころか怪しさしかないでしょ。ってか、もっと世間話から入って徐々に緊張を解していくもんなのに、こんな直截にとかこっちが引くわ。

 焦っていたとはいえ、初歩的なミスを犯してしまい潮時かと諦念すると、情の欠片もなかった女が振り返った。

 

「……バイト?」

 

 いや、聞くのかよ。うちが言えた立場じゃないけど、こんな怪しい話に聞く耳持つなって。詐欺耐性ガバガバじゃん。

 実際、報酬は単なる奢り(・・)であり、これをバイトと呼ぶのかも怪しい。このままじゃ、ホントに詐欺ろうとしてるみたくなってるし、取り繕うように事情を説明する。

 

「あ、いや、バイトっていうか、そんな大袈裟じゃなくって、ただ皆で遊びに行くだけだし、お金の代わりにご飯代で支給っていうか……」

 

 それを聞いたポッシュの顔からは落胆の色が見て取れた。ありゃ、割りと金に汚いタイプ? だったらうちが幹事だし、水増し請求してその分ポッシュに回してやれば説得できんじゃね?(※完全に詐取です。絶対に真似しないでください)

 いや、穴埋め要員のために現金払いで報酬出してやるなんてどんな仏だよ。無理無理、そこまでお人好しじゃないわ。

 

「そーゆーのなら遠慮しとく。普段、バイトしてるし」

「そ、そう言わずに、明日の18時から二時間程度なんだけど、来れないかなぁ?」

 

 聞いた瞬間、驚きつつも表情がふわりと緩んだ。さっきまでと真逆な反応に、ここしかない! と思って畳みかける。

 

「そーなの、個室の鉄板焼きで飲み放題付き!」

 

 ついでに男付き! ……なんだけど、それだとまるで店側のサービスみたいに聞こえるから口にはしない。いずれは言わなきゃいけないんだけど、情報を小出しにしてポッシュがどれに食い付くか反応を見る狙いがあった。

 これで誘いに乗ってきたら金より食い気となるし、後出し情報(男付き)で釣れたら男目当てになる。

 

「……それって、ただ普通に食べるだけじゃないんでしょ。何させる気?」

 

 おっ、もう乗って来た。意外にも食い気が優先か。あれ、じゃあなんで最初食い付き悪かったんだろ。それとも鉄板焼きが刺さった?

 どっちにしても、ポッシュが後出し情報(男付き)の前に靡いたのは朗報。男に興味が薄いかもしれない。このまま、望み通りに展開してくれれば楽なんだけどなぁ。

 そんな期待を抱きながら、詳細を伝える。

 

「実は、ただの飲み会じゃなくて合コンなんだよね。そのアシストをして欲しいんだけど」

「はっ⁉ ご、合、コン……?」

 

 なにその、まるで初めて聞く単語を復唱するようなたどたどしさ。いまどき中学生だってコンパくらい当たり前でしょ。浮世離れし過ぎ。修道院暮らしが長かったの?

 まぁ、この感じなら男にがっつくなんて有り得ないし、顔面レベル以外は概ねうちの要求を満たしてる。顔面レベル以外は。重要なので二回言いました。ほんと、ここ重要だよねぇ……。

 

 このポッシュ、キツそうだけど顔立ちは整ってやがるんです。うちとはタイプ違うから競合しないと思いたいが、少しでも男を逃がす憂いは摘み取っておきたいのも事実。

 しかし、次の言葉でうちの警戒が杞憂だったと知る。

 

「……それ、コンパニオンみたく男に(かしず)けっていうわけ?」

「…………へ?」

 

 想定外の質問に思わず変な声が出てしまう。

 そんなんして好感度上げられたら逆効果なんですけど? アシストって言ったら彼氏ゲットのサポート役に決まってんじゃん!

 

 ……って、もしや一般的な感性だと向こうが正解なのでは?

 確かに、飲みの席で報酬払ってアシストして欲しいって言われたら、真っ先に思い付くのはコンパニオンとしての労働力だよね。

 認識のずれに気づき、うちの解釈する正しいアシスト(・・・・・・・)について説弁する。

 

「いや、そんなことしないでも、普通に食べて普通に飲んでくれていいから」

「は?」

 

 ポッシュは、うちの言葉に目を白黒させてたが、我に返るとすぐに問い質してきた。

 

「や、だって、それじゃただで奢られてるだけじゃん。何かさせたかったんじゃないの?」

「むしろ、何もしないでいてくれれば、それでいいんだけど」

 

 理解が追い付かず、訳が分からないといった表情のポッシュ。ならば、具体的な活動内容を示せば納得してくれるだろうと期待して、バイトに当たっての要求を並べ立てた。

 

「そうねぇ、強いて言うなら、同席した男共と目を合わせないで欲しいかな。あと、なるべく口も利かないでいてくれると助かるかも。あ、笑顔は禁止ね」

 

 我ながらメチャクチャなことを言ってる自覚はある。本来、こんなことをされたら確実に場の雰囲気は悪くなるだろう。そこをうちがフォローすることにより、男共のポイントが爆上げされるまでがセット。

 ただ、実際はそこまでやってくれると期待していない。そのくらい有り得ない要望なのが分かっていたから。出来ても笑顔を禁止させるくらいか。

 そう思っていたんだけど、またしても想定外の答えが返って来た。

 

「は? そんなんでいいの?」

 

 拍子抜けしたみたいな物言いに、こっちがびびる。

 いやいやいや、うちから言い出したことだけど、あれ全部やられたらアシストというより合コンクラッシャーですけど? それが何か? みたく言うなよ。こいつ、普段どんな人付き合いしてんだよ。逆に興味湧いてきたわ。

 

 軽く引きつつも、そこまで言うなら少し内容をマイルドにすれば、うちのアシストとして使えるんじゃね? 当然、そんな塩対応で男共が靡くはずもないため、結果ポッシュを観賞用に貶めることが出来る。これはもう、うちにとってはメリットでしかない。

 

 今までのやり取りでポッシュの対人能力に一抹の不安を覚えたが、()えるアシスタントが手に入るなら、そこには目を瞑ろうと思う。

 

「いいのいいの、そんなんが大事だから。あ、でも場の流れによっては”この人とちょっと話してて”ってお願いすることはあるかも。それくらいは平気だよね?」

「……まぁ、それくらいなら」

 

 有り体に言うと、うちが複数の男に言い寄られた時、囮となって興味のない男の気を引いてくれよという意味。知ってか知らずか、ポッシュは不承不承に了解してくれた。

 男なんぞ、にこにこ相槌を打つだけで勘違いする生き物である。人当たりに甚だしく難ありのポッシュでも、あの顔面レベルなら余裕だろう。

 

「やったぁ、助かる! それじゃ、連絡先教えてくれる?」

「ん」

 

 番号交換すると穴埋めが見つかった喜びで、すぐ男側の幹事にLINEしようと踵を返す。だが、ポッシュがそれに待ったをかける。

 

「ちょっと。まだ名前聞いてないんだけど」

 

 スマホを手にしたまま、批難めいた声で引き止められた。登録名で困っているのが瞭然としていた。

 そういえば、お互い名前訊いてなかったっけ。ちなみにうちのスマホには”ポッシュ”で登録している。もうポッシュでいいんだけど? まぁ、そうもいかないので遅ればせながら自己紹介するんだけどね。

 

「ごめんごめん、わたし真鶴(まなづる)真菜(まな)っていうの。あなたは?」

「……川崎。川崎沙希」

 

 川……崎さんね。威圧感凄すぎて皮裂きって字面のがしっくりくるなぁ。口には出さないけど。出したらボディが無事じゃ済まない予感するし。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

11話のつもりで執筆中、6300文字くらいでフィニッシュしたけど結果、最初に書いてた部分は丸まる書き貯めになったのがこの12話になりました。
本当は二週間空けようかと思っていましたが、前回二ヶ月空いてしまったので、その埋め合わせも兼ねて一週更新です。


今回はなんとオリキャラ視点です。今までの型を破る超変化球で困惑されるかもしれませんが、気楽に読めるものとしてどうかご了承くださいw
書く側も制約がなくて気楽で助かる……っていうか、沙希が合コンに誘われるまでの間、八幡視点が使えないわけで、そうすると消去法で沙希視点の展開になります。
しかし、沙希視点は正直言って書きづらい。

沙希は俺ガイルキャラの中で、戸塚などと並ぶトップクラスの常識人。なので語り手としてははっちゃけたコメディ語りをするとキャラが壊れるし、また言葉に出さず行動の端々で八幡にデレるのが最大の魅力なわけです。彼女はあくまでも外から愛でて面白く(ツンデレる)するキャラだと思っています。よって語り手には不向き。
よほど沙希だけが知る情景を読ませたい場面(たとえば薄氷シリーズ編の時のクローゼットの中の状況みたいな)があるならともかく、合コンに誘われるのは八幡以外のキャラなら出来ますしね。というわけでのオリキャラです。

真鶴真菜という名は、被らないか心配するくらい俺ガイルキャラ名作法としてはありきたりでした。
案の定、ググったらかなり上の方で出てきちゃいまして、モロ被りすぎて漢字だけ変えました。

八幡のクズ要素をイメージベースで作ったので、性格がゴミでゲスいです。
でもこの子、もうちょい腹黒く作りたかったけどわたくしの頭だとこれが限界。もっと闇を孕んでいてほしかった。以降、まだ出番あるのでもうちょっと面白く料理できればなと思います。

当初『BJD、JDの懼れを払う。』ってタイトルでしたが、真鶴が”びっち”や”ブラック”よりも、”ゴミ”とか”ゲス”のがしっくりくるので『GJD、JDの懼れを払う。』に変更しました。


13話はまた八幡視点に戻ります。こっちのが制約なく書けるから真鶴とは違う意味で気楽ですw


真鶴の設定

◆真鶴 真菜◆(まなづる まな)

国立大学二年生。高校卒業後一人暮らし。

沙希と同じ大学で同級生のオリキャラ。
外見的には折本かおりの上位互換であり、内面的には女子に敵を作らず上手くやるところから、『一色いろは以上、雪ノ下陽乃未満』という感じ。


それでは次もお楽しみに。


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非きこもり、初めての合コンに挑む。

久しぶりの八幡視点に戻りました。
筆が乗ったのか、文字数が10000文字に到達。
やっぱり八幡は、沙希よりオリキャラよりも書きやすいですね。


2022.11.20 後書きに新戸部の設定を追記。
2022.11.13 非戸部の呼び方を修正しました。


「……格差縮小により、社会に信頼関係が回復し、犯罪やストレスによる病気が減少し、経済も安定して快適な社会が実現する……」

 

 人間科学……それは、俺が人生で経験したことを学問として昇華させ結実した科目。初めて受講した時、大学にはこんなにも興味深い講義があったのかと瞠目したものだ。が、それほど好きな講義も今は頭に入ってこない。

 

 原因は三日前まで遡る。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

「……格差社会の実態を明らかにするためには、科学的な理論と方法が必要です。では今日の講義はここまで。皆さん、お疲れさまでした」

 

 90分間集中していた証なのか、講義を終えると独特の虚脱感に襲われた。脳内のブドウ糖はあらかた使い尽くされ、頭にじんわりとした靄がかかる感じがする。

 それもそのはず。今日はバイトがないので、出れる講義を詰め込んだ結果だ。

 

 よく聞く話だが、三年生になるとゼミや就活で忙しくなるので、二年生の内に出来る限り単位を修得しておかなければならない。なんせ、「浪人は認めん、受かったところへ行け」という方針だった両親だ。留年なんぞしようものなら、「留年は認めん、そのまま辞めて自立しろ」と家を追い出される未来が視える。破格の仕送りが情状酌量の余地をさらに無くしていた。

 それを回避するため、単位はしっかりと修得しておく。手段は選ばない。

 しかし、その代償が思わぬ形で振りかかってきた。

 

 枯渇したブドウ糖の補給にMAXコーヒーを欲する俺のボディ。地元以外で販売している僥倖に咽び泣きながら自販機へ向かうと、見知った顔に遭遇する。

 

「あ、いたいた。ヒキタニくーん」

「……おう、お疲れさん」

 

 こいつは入学してすぐ知り合った同じ学部の新戸部(にとべ)軽佻浮薄(けいちょうふはく)が服を着て歩いてるような印象。呼び方のせいか圧倒的な戸部(・・)感だが、紛うことなく似戸部だ。いや、新戸部だった。どちらにせよ非戸部なのだが、戸部に似ているから似戸部なのか、新たな戸部だから新戸部なのか、もはや俺の中では川なんとかさんを凌ぐ記憶問題となっていた。

 

 それよりも、うちの大学ってそれなりに偏差値高いはずなのに俺の苗字読めないのかよ。ヒキタニって万国共通なの? 俺の認識のが間違ってんの? いや、もはや俺をヒキタニとして世界が誤解するよう何か大きな力が働いている気がする。

 

 普段ならテキトーに相手をしてやり過ごすのだが、今日はちゃんとした用事なので邪険にはできない。むしろ、したら俺が損をする。何しろ、さっきの講義を安心して受けられたのもこいつのお陰と言えなくもないからだ。

 

「これ、今日の分のノートね」

「ああ、いつもすまん」

 

 必修科目の授業内容を記したノートを手渡され、礼を言う。さっきの講義とは時間割が被っていたためだ。

 

 いくら興味を惹かれたとはいえ、必修科目と被っていたら自由科目を犠牲にせざるを得ない。時間割を書き出した当初は愕然としたものだ。そして、苦悶の表情で時間割を睨んでいるところ、現れたのがこいつだった。

 さっきのような軽薄な口調で話し掛けられ、俺も時間割に関する悩みを口にしてしまう。その日はそれで終わったが、以降ちょっとしたことで話をする関係となった。

 

 ある日、何気なく会話(一方的に話し掛けられていたのだが)が始まると、受けたい講義と被った必修科目でノートを取ってくれると言い出したのだ。あまりにも怪しい申し出に最初は遠慮したが、一度乗ってしまうとある程度自由に講義を受けられる喜びで、いつの間にか重宝するようになっていた。

 

「飲み物くらい奢るわ」

「えー、いーって、そんなの」

「丁度俺も飲もうと思ってたところだ。ついでだよ」

「ますますいーわ。ナントかコーヒーとかいうコーヒーモドキの練乳っしょ? 飲めんて」

「お、千葉を愚弄するとはいい度胸だな」

「なんで千葉なん……?」

 

 都度、こうして礼をしようとしても断られる。

 謝礼も受け取らず、何が目的なのか理解できないでいると、それは唐突に訪れた。

 

「ところでヒキタニくん、明々後日の夕方暇?」

 

 え、これ暇って言っちゃったらどっか誘われるパターン? 取りあえず、断るときの常套句『いやこのあとちょっとアレだから』が発動しそうになる。

 しかし、ここでそれを口にしようものなら渡されたノートを返さなければならないのでは? そこまでいかなくとも、今後講義が被った時のノート取りをしてくれなくなるのは確実。それを懸念し、自己保身で発動をキャンセルする。

 いや、待て。俺には仮に誘われた時のため、第二の常套句(トラップカード)『行けたら行く』があるではないか。それを場に伏せ、ターンエンド!

 

「明々後日の夕方は講義もバイトもないが……」

 

 それを聞いた似戸部の口元がにぃっと歪んだ。

 

「じゃー、合コン行くべー」

 

 なんの力みもない自然体で提案され、脳が理解しきれない。

 は、合コン? なんで? Why? 俺がそんなパリピの社交場に参加しても内面のドレスコード足りないんですけど?

 ここは予定通り、第二の常套句(トラップカード)を発動!

 

「ああ、行けたら行く」

「それはダメっしょー。予約あるし、会費いるし、女の子と頭数合わせんとー」

 

 俺の常套句は、『予約』、『会費』、『頭数』の合コンコンボであっさりと無効化された。そりゃそうだと聞いてから気づく自分のバカさ加減を呪う。

 

「いやー、無理ならいーんよ無理なら。マジ全然いーからさー、だってどーしても無理なんでしょーよー?」

「お、おう……」

 

 これほどまでに信用できない”いーから”は聞いたことがない。絶対よくない雰囲気駄々洩れだし、行かなきゃ二度とノート取ってくれないって言外に滲みまくってんじゃん。

 

「……………………で、ほんとに無理なん?」

 

 明るい調子のままだが、目が笑ってない。冷え切ってる。目からダイヤモンドダスト出てる。問い質すその視線の先には、俺の手に収まる渡されたノート。来ないならノート返せの圧が凄い。

 心の中の小町が俺に、「是非また今度是非是非ほんと今度絶対また!」と言わせようとしてきたが、ぐっと堪えた。これ言ったら確実にノート返品待ったなし。

 

「……それ、行かないとダメか?」

「……べー、無理かー、そっかー。べー……」

 

 翻訳すると、「行かなきゃ今後ノート貰えないのか?」という意味だが、悄然と答える似戸部も理解しているようだった。現に、俺の顔と手元のノートを交互に見やる様がそれを物語っている。

 

「すっげー可愛い子が幹事なんだけど、ダメかー。べー……」

 

 さも惜しませる口振りで呟いていた。普通なら食い付くのかもしれないが、相手は猜疑心が擬人化したような()である。この発言には地雷臭しか感じない。

 

 幹事の女子がめっちゃ可愛いと、その友達も皆可愛いだろうと思ってしまうが、それは往々に勘違いである。

 人間は比べることで対象の良し悪しを判断する。では、合コンの場で比較される対象とは何か? 芸能人? アイドル? 過去の学生時代における学校一の美少女? いや、そのどれでもなく対象は参加している他の女子である。

 つまり、比較対象の参加者たちに任意の容姿(ブス)を配置することで、自分を一番魅力的に見せることが可能。幹事はそれが出来る立場であり、これが俗に言う『幹事MAXの法則』である。是非、大学でも人間科学に組み込み、一分野として定義してほしい。

 

 男とは哀しい生き物で、こんな法則があると分かっていても、合コンが楽園(エデン)になるか、はたまた戦場となるかは女子の顔面レベル次第なのだ。見た目が九割。表紙が違うだけで売り上げがよくなったライトノベルは枚挙にいとまがない。合コンもそういうことだ。知らんけど。

 

 しかし、俺も鬼ではない。あからさま過ぎてちょっと引くほどだが、似戸部がノートに向けた視線に込める想いは察している。その要求が合コンの頭数確保であることも。

 むしろ、何ヶ月もノートを取らせておいて要求がこれ(合コンの穴埋め)なら安いまである。

 

「……まぁ、行けなくは、ない」

 

 絞り出すような俺の返事を聞き、顔に喜色が浮かぶ。

 

「まじ⁉ じーまー⁉ やっぱ、持つべきものはヒキタニくんだわぁー」

 

 俺をことわざに組み込むほどの礼讃が妙に空々しい。強制というか、半ば脅迫ではないか。だが、これを取引と考えればすんなりと受け入れられた。

 そう、世の中ギブアンドテイク。善意や信頼などという不確かなもので支え合うよりも、よほど真実がある。責任、契約、ほんと最高。是非、人間科学の一分野として以下略。

 

 俺は人生で初めての合コン参加を決めた。

 

 

 ――

 ――――

 ――――――

 

 

「……格差社会の克服には人間科学的なアプローチが必要といえるでしょう。では今日の講義はここまで。皆さん、お疲れさまでした」

 

 講義が終わると手早く荷物を片付け、一旦部屋へ戻る。大学よりアパートの方が予約された店に近いためだ。鍵を開けると川崎は帰っていないが留守ではなかった。

 そう、恐らく俺よりも二十年はこの部屋の先輩であろう女(であったモノ)がそこにいた。洋室の、普段は川崎が座っている場所にである。

 一瞬、顔が引き攣るがすぐ平静を取り戻し、無視して定位置に座る。

 ……今のはやばかったか? その懸念は正しく、女(の霊)は身を乗り出して俺の顔を覗き込んできた。

 

 この一年間、視える素振りを微塵も見せず過ごしてきたのに、何たる油断。大体、まだ日も沈んでいないのに出るとか節操なさ過ぎだろ。その間抜けっぷりと付き合いが長過ぎるせいで、恐怖より怒りが勝っていた。

 それにしても最近は頻出度が高すぎる。幽霊ってのはRPGの通常エンカウントみたいなたまに突然、のはずだろ。あまりの頻度に、シンボルエンカウントに仕様変更されたのかと疑う。それって常に視えちゃってますけど? 幽霊とは……?

 霊感が強くなったせいかとか、正解のない問題に頭を悩ませていると玄関の方から気配がする。それは扉の鍵を開けて入って来る音、この部屋一番の後輩である川崎の帰宅だった。

 

「……ひっ⁉ あ、い、いたんだ?」

「ああ。……えっと、おかえり」

「……ん、ただいま」

 

 俺が部屋にいたのが予想外だったのか、はたまた俺の顔を覗き込む人ならざるモノに恐怖を覚えたのか、川崎は息を呑んだ。

 しかし、すぐ平常に保つところを見るに、やはり視えてないようだ。こういうのを怖がるくせに視えないとか、じゃあ一体なんで怖がるのかが理解できん。

 いや、視えないからこそ怖いのか? 俺なんか視えてるけど、慣れさせられ過ぎてあんま怖くなくなってるしな。

 

「……そういえば、なんでいるわけ。今日帰り遅いんじゃなかったの?」

「あ、いや、その予定だが飲み会前に色々と準備があってな……」

 

 川崎の声音にたじろぎながら、俺はありのままを伝える。それと、その言い方だとまるで俺が邪魔者みたいに聞こえるからもっと労わって? 

 

「そっちこそ外で食べてくるとか言ってなかったか?」

「うっ……あたしも準備してから行こうかって思って……」

 

 本当に何気なく訊いてみただけだったが、思わぬ反応に触れちゃいけなかったのかと逆に狼狽えてしまう。

 わざわざこの部屋に戻ってまで準備が必要な外食ってなんだよ。ガチのドレスコード? 俺がこれから向かう外食に必要なのは、心のドレスコードだけどな。陽キャに囲まれながら飯を喰らう二時間とかぼっちにとって修行でしかない。やはり今からでも、「行けたら行く」のスタンスを貫いていいだろうか。これは単に合コンが嫌だからというわけではない。

 

 『働きアリの法則』というものをご存知だろうか? 集団の中には必ず二割ほど働かないアリがいるという。彼らは他のアリが疲れて動けなくなった時、代わりに仕事をして集団を維持存続させる役割を担っている。それは自然界に組み込まれたバックアップ機能。『働かない』とは集団において救世主たる存在なのだ。

 よって、常套句(行けたら行く)で合コンを回避しようとする俺の考えは、『働かない』という役割がそうさせているに過ぎず、人間に組み込まれた機能として酷く真っ当である。これを悪と断ずることは集団の維持存続の否定であり、滅びを是とした人類の敵とも言えよう。つまり、俺は悪くない。自然界が悪い。

 

 さて、あまりだらだらしてると時間なんぞすぐ経ってしまうので身支度を急ぐ。洋間に川崎と霊を二人きり(?)にしてしまうのは心苦しいが、何かあっても扉一つ隔てただけなのですぐ対処出来るだろう。いや、実際何か起きたらなにを対処するんだって話だが。

 洗面所で洗顔を済ますと次はドライヤー。こだわりのナチュラル(ボサボサ)ヘアを崩すのに抵抗はあるが、これはマストである。

 似戸部によると、穴埋めとはいえ合コンに参加するのなら最低限の身嗜みと清潔感は必須だそうだ。これはイケメンであろうと絶対外せない要素で、むしろ女うけにおいては顔面よりも重要だという。あまつさえ無し寄りの顔面レベルでこれを外そうものなら、ノーチャンスどころか合コン会場をお通夜にする自爆テロと批難されても反論出来ないらしい。

 

 一通り身嗜みを整えると、最後に去年の盆帰省で小町に貰った誕プレ(コロン)を取り出す。これを貰った日は、喜んだと同時に複雑な気持ちになった。

 もうね、こんなんプレゼントされたら加齢臭の容疑が掛けられてるのと同義でしょ。数年前、小町が親父に上げてた誕プレと同じなんだもの。

 小町からの無言のメッセージと受け止めて、その日は枕を濡らしたものだ。役に立つ日が来てしまったのが、ある意味皮肉である。

 

 洋間に戻ると、まだ霊がいた。頻出度だけでなく滞在時間も増してません? 入居当初は週に一度視るか視ないかだったのに、ここ最近は二、三日に一度以上は視てる気がする。

 川崎から共同生活の費用と家賃を貰っているんだし、この霊にも家賃を請求するべきなのかもしれない。……支払い嫌がって退去してくれませんかね。

 

 こっちの準備は整ったが、このまま川崎(と霊)を残して先に出るのは忍びない。ギリギリまで部屋に居てやることにする。時間が合うなら、一緒に出て送ってやるのがいいかもしれん。

 そんな仏心が湧いてロフトの方に視線を向ける。現在は洋間に布団を敷き、二人並んで寝ているが、ロフトを明け渡したことに変わりはなく、引き続き川崎のプライベートスペース兼脱衣室として使われていた。

 

「なあ、何時くらいに出掛ける予定だ?」

「え、ど、どうして?」

 

 ロフトに向かって声を掛けると、何故か焦った声がカーテンの向こう側から返ってきた。予定訊いちゃう俺ってキモい? いや、キモいか。

 

 ①予定時間を教える

 ②じゃあ、送ってく

 ③目的地着く

 ④ストーカー

 

 っていう未来を想像したのだろう。そんなつもりはないけど。③と④の間が唐突過ぎてキ〇グクリムゾン発動疑惑すらあるが、概ね川崎は正しい。そんなつもりはないけど。大事なことなので二回言いました。

 

「あー……、そろそろ暗くなってくだろうし、俺も出るついでに途中まで送るくらいはしようかと……」

「ほ、ほんとに⁉」

 

 キモいと思われてる相手には言い訳にしか聞こえんだろうなと、諦念混じりに答えると予想外な食い付き。今にも飛び出しそうな感情の籠った叫びとでも言おうか。驚いてロフトを見上げると、忌まわしい(淫まわしい)記憶が甦った。

 

 ちょっと待て。このまま此処に居たら、同居初日の事故――――今俺たちを隔てるカーテンを買いに行こうと提案し、何故かスカート(しかも結構ミニ)に着替えた川崎がロフトを降りようとするところを見上げ、黒のレースで眼福してしまった事件(長ぇわ!)――――が再び起こってしまうのではないか?

 そう気づき、ロフト下から離れようとするも間に合わなかった。

 

 しゃっ! というカーテンレールを滑る音が鳴ると同時に、着替え終えた川崎の御尊体が濁った双眸の下に晒される。

 

「うぉっ⁉ ……っと?」

 

 顔を背けようとはしたものの、そこはそれ、だってぼくおとこのこだもの(byみ〇を)。腐った瞳はちゃっかりと川崎を捉えていた。

 結果として、再犯は未然に防がれることとなる。ロフトを降りてきた川崎の服装がパーカー&スキニージーンズだったからだ。…………残念ながら。

 

 ――って、おい、ドレスコードどこ行った。

 ドレスとまではいかなくても、普段着で入れない店に行くんじゃなかったの? その恰好って大学行く時よりグレード落ちてるよね? 近所のコンビニ行くの?

 ふと高二の夏休みに結婚式の二次会逃れのダシにされて、平塚先生とラーメン屋に入ったことを思い出す。ドレス姿が豪華過ぎて店内で浮いてた逆ドレスコード状態だったやつ。川崎のこれは、そうならないために敢えてのラフな格好なのかも。それなら、ちょっとだけ理解出来なくもな……いや、ないわ。やっぱないわ。

 いくら考えても、本人から聞けなければ分かるはずのない難問。ここはスルーが得策だろう。

 

「じ、じゃあ、17:50に〇〇駅で待ち合わせだから、三十分後くらいに出るつもりだけど……」

 

 待ち合わせ店の最寄り駅と同じだが、川崎に合わせたら俺が遅刻する。しかし、調整すれば同伴可能だろう。同伴て言っちゃったよ。

 

「少し早めに出てくれるなら大丈夫だ」

「いいの? もう準備できたし、そっちに合せるよ」

 

 それを聞き、すぐにでも出掛けようと思ったが、いつの間にか霊の姿は消えていた。これで急かす理由もなくなったので、安心して時間までゆっくり過ごすことにする。

 

 

×  ×  ×

 

 

 電車から降りると、川崎の待ち合わせ場所へと向かう。下宿から電車で二つ先の駅。相手は大学の同級生だが、それ以外は要領を得なかった。よく知らない相手らしい。

 ……よく知らない相手と飯を食いに行くってどういう状況だよ。そこまで考えて、俺もこれからよく知らない奴らと合コンするという同じ状況であったのを思い出した。

 

 俺としてはちょうど良くても、川崎にとっては早く着き過ぎたようで、待ち合わせ場所にまだ同級生はいなかった。

 まぁ、こちらとて初対面の人間を何より忌避するぼっちなので、いないのは好都合だ。

 

「……それじゃ、俺も待ち合わせあるんで行くわ。帰る前にはLINEしと……」

「あれ、早いねー。ポッシ……川崎さん」

 

 立ち去ろうとする直前、声が掛かった。川崎と別れる前である以上、俺も当事者の一員として巻き込まれた形になる。それとポッシってなんだよ。お前、子持ちか? さぞ、歯磨きでご苦労なさってるんでしょうね。

 

「あ、ああ、真鶴も早いね」

 

 真鶴と呼ばれた女は、川崎と俺を交互に見てからほっぺに指を当てる。「んー」と考える仕草を見せ、とんでもないことを口にした。

 

「……彼氏?」

「ち、ちちち、違うから! 全っ然! 知らない奴だから‼」

 

 間髪入れず、力強い否定のお言葉を賜りました。そこまで否定していただけると、俺自身が川崎を知らない人だと信じてしまいそうになるレベル。嘘だと分かっていてもメンタルに多大な影響がありそうです本当にありがとうございます。

 知らない奴宣言されたことだし、何も言わず立ち去るのが正解だろう。ソースは高二の夏祭り、由比ヶ浜と二人でいるところに相模と遭遇した時の俺。そう考え、挨拶もせずその場を後にした。

 

 ……真鶴ねぇ。整った端正な顔立ちで朗らかな笑みを浮かべ、人懐っこさを演出している。魅力的な笑顔だが、雪ノ下陽乃の強化外骨格を見抜いたぼっちスカウター(腐った目)を通すと、わざとらしく映った。

 一瞬の邂逅だし、断定はできないがそこはかとなく地雷臭のする女だったな。

 

 まぁ、俺と川崎は大学が違うから、真鶴とは二度と会うこともないだろう。グッバイ真鶴。

 そんなことより、こちらも早いとこ合流しなければならない。

 

 

 

「おー、ヒキタニくーん、こっちこっち」

 

 迷わず店に到着すると、似戸部と他三名が既に待っており、会釈して合流する。

 

「初めましてヒキタニ君」

「ヒキタニくん、今日は宜しく」

「おなしゃーっす、ヒキタニくん」

「お、おう、今日はどうも……」

 

 ……このヒキタニっていつ是正しようかな。見事に浸透してるせいで、指摘する方が空気読めてないみたいな扱いになる気がしてきた。

 いやいや、騙されるな。俺の名はヒキタ……って洗脳されんなよ俺!

 意を決して訂正を申し出ようとすると、タイミング良く遮られる。

 

「ほんじゃ、会費ちょーしゅーしまーす」

 

 似戸部は折り畳み財布をぱかぱかして会費を待ち受けていた。女子の分を含む二人分を貪ろうとする強欲なパック〇ンウォレットといったところか。会費は高いが、講義のノートを盾にされては聞かない訳にもいかず、契約だと思えば割り切れた。

 

「……おーし、会費おっけー。んじゃ、揃ったところで先にお店入ってんべー」

 

 店内に入り、俺たち五人は個室へ案内される。そこは四人掛けの鉄板付きテーブルを三つ並べた最大12人部屋で、高級鉄板焼き屋というよりもお好み焼き屋というイメージが正しい。シェフが目の前で焼いてくれるわけではなく、セルフスタイルのようだ。

 まぁ、部外者が傍にいたら個室とった意味がないしな。

 

 穴埋めとはいえ、初の合コンに沸き立つものというか昂揚するのが分かった。顔が強張っていた俺を気遣ってか、隣のパリピが声を掛けてくる。

 

「なに? 緊張してるの? もしかしてヒキタニくん、合コン童貞?」

「ど、どどど、童貞ちゃうわ!」

「大学生で合コン童貞とかウケる。(大学生)DT(童貞)ってやつ?」

 

 お約束の空〇アワーネタを披露する余裕を見せるも、まさかのスルーでボケ殺し。

 ちょっとだけイラついた俺は全力でツッコんでやることにした。

 

「ってかDDTってなに? デンジャラス()ドライバー()・オブ・テ〇リュー()の略? いつからプロレスの話になったの?」

「え? DDTってそっち……?」

「ちなみに、デンジャラス・ドライバー・オブ・テン〇ューとは天龍源〇郎が作り出したバクロニムであり、本来の由来はジクロロ・ジフェニル・トリクロロエタンという殺虫剤だそうだ。これマメな」

「ぶっ! ……くく、ヒキタニくん、なんでそんなこと知ってるん? プロレスマニア? つーてかヒキペディア? なーんだ、ヒキタニくん面白い奴じゃん、俺ちょっと緊張してたんだよねー、人見知りだし」

 

 本物の人見知りに謝れと小一時間説教したくなる自虐ネタで返してくるパリピ。お前、絶対そんなこと思ってないだろ。あとヒキペディアって呼ばれると氷の女王を連想して寒気がするので辞めてくださいお願いします。

 

 アウェー感マックスだったが、似戸部から紹介されていたこともあって、すんなり馴染むことが出来たようだ。

 ここ一年以上のバイトと大学生活で非きこもっていた(出ずっぱりだった)のが幸いし、自分で思う以上にコミュ力が上がっていたのかもしれない。

 

「べー、そろそろ時間だし、女の子たち迎えに行ってくるっしょ」

 

 そう言い残し、似戸部は部屋を出ていく。

 

 いよいよか……。

 結局、ヒキタニを訂正できなかったが、どうせ揃ったら自己紹介するだろう。ささやかなサプライズのため、俺の胸に比企谷という名を秘めておこう。

 ……まるで比企谷ってみだりに話しちゃいけない名前みたく思えてきた。雪ノ下に忌み名とか言われた過去を思い出す。

 

 己の名に畏怖を覚えていると、似戸部が部屋に戻ってくる。その後ろの女子たちの声で個室内は華やかに彩られた。

 

「お待たせー、女のコたちのごとーちゃくよー」

「こんにちはー、初め、ま……し、て?」

「⁉」

 

 気持ちの良い挨拶がこちらを認識するにつれてへどもどし始め、最後は疑問形で結ばれた。

 

 似戸部の連れてきた女性陣。

 その先頭に立つのは俺の知った顔であった。

 

 確か……真鶴だよな。

 グッバイ真鶴がシーユーアゲイン真鶴の間違いとなった。

 これ、俺も初めましてで返していいのか?

 まぁ、一瞬の顔見知りだし、このまま初めましてで問題なかろう。そう逡巡していると、重大な疑問が浮かび上がる。

 

 ……ちょっと待て。このタイミングで真鶴と再会するということは、さっきグッバイしてから飯を食う時間的猶予が一切ないということで、つまり川崎が予定していた外食とはこの合コ……

 

 思考の帰結と同時に、真鶴の背後から覗く長身の女子と目が合う。

 青みがかった髪、腰まで届くポニーテール、それを纏めるピンクのシュシュ。

 

 それが答えとなり、全てを理解した俺は後の展開予想に悩まされるのであった。

 

 

 

つづく

 




いかがでしたでしょうか。

大方の予想通り、真鶴率いる女性陣と非戸部率いる男性陣の合コンが邂逅する運びとなりました。

真鶴はちゃんと名前まで作ったオリキャラなのに、非戸部って(笑)。
戸部でもよかったけどよくなかったので(どっちだよ)こうなりました。

これから合コンが開戦するわけですが、川崎を知る人物であってほしくなかったというのが一点。あとは八幡と同じ大学に戸部が受かるか? 答えはノー。ご都合主義を許さないくらいに戸部が勉強できるイメージがなかった……。

そして前者の場合、戸部だったら沙希とは同窓生どころかクラスメイトだったので、普通に知り合いとして接してしまう。結果、その後の展開的に困ってしまうのでパチモンの戸部にしたという経緯です。

※追記:非戸部、改め『似戸部(本名:新戸部)』に変更しました。


一応、合コン話は一、二話程度で終わらせる予定です。その後の展開も用意しています。ご期待ください。

あと今更ですが、5話で家の鍵が一つしかなくて~とか書いてあったのに、この話で普通に沙希が鍵開けて入って来てる矛盾。
どこかで修正か追加入れて辻褄合わせておきます。


新戸部の設定

◆新戸部 恩生◆(にとべ おんしょう)

私立大学二年生。

八幡と同じ大学に通うチャラい同級生男子。
戸部に似ているが列記とした非戸部。
合コンメンバー確保のため、必修科目のノートを取って恩を売る地道な努力を怠らない。八幡もその罠にかかった。


それでは次もお楽しみに。


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GJD、合コンで非きこもりと出遭う。

性懲りもなくGJD視点。
仕方なかったんだ……短いから許して下さい……。


 幹事なりに気を遣い、かなり早く待ち合わせ場所に到着する。殊勝な態度に映るかもしれないが、今日の見た目(男受け)を測るためでもあった。

 待ち合わせの間にナンパの一つでもされ、それで気持ちを高めておく。というのがうちなりの合コンに臨むルーティンだ。

 

 しかし、この日はなかなか声を掛けられず、退屈な思いをしていた。

 程なくして、待ち合わせにはかなり早いが、ポッシュが到着する。……男連れで。

 

 はっ、え? これから男誑かしにいくのにその前からつまみ食い? 男に興味なさげなこと言ってたくせにどんだけ男好きなんだよ。引くわ、ほんと。ドン引きだよ。

 だが、それを面に出さないのはコミュニケーションの基本。朗ら仮面を着けて何気なく迎えた。

 

「あれ、早いねー。ポッシ……川崎さん」

 

 あぶねーあぶねー、心の中の二つ名(ポッシュ)が漏れそうになったわ。……九割漏れ出てたけど。

 

「あ、ああ、真鶴も早いね」

 

 見られた⁉ って顔でうちに返事をするポッシュ。

 連れてる男は、顔の造詣自体はまぁまぁだが、それを台無しにする目付きの悪さ。猫背なのも減点対象。

 ポッシュ→目付きの悪い男→ポッシュ→猫背な男と交互に見てほっぺに指を当てる。「んー」と考える仕草をして、有り勝ちな結論に辿り着いた。

 

「……彼氏?」

「ち、ちちち、違うから! 全っ然! 知らない奴だから‼」

 

 動揺しすぎでしょ。相手がコレだし、誤解されて怒りたくなる気持ちは分かるけど。

 ってか、ほんとに知らない奴だったら待ち合わせ場所まで付き纏われてるのヤバ過ぎるでしょ。

 しかし、気づけば反論どころか一言も残さず消えていた。その鮮やかな男の引き際に、本気でストーカーの疑いを持ってしまう。

 

「……大丈夫? ストーカーなら警察に相談した方がよくない?」

「だいじょ……え、ストーカーって……、ち、違うから! 全っ然! そういうんじゃないから!」

 

 じゃあ、どういうんだよ。彼氏でもストーカーでもない待ち合わせ場所まで随伴する男って。まぁ、知りたくもないから触れないでおいてやるけど。

 それよりも、ファッションチェックだ。

 

 今日の合コンに当たって、ポッシュに服装の要求をしていた。肌の過度な露出禁止、パンツ必須、ワンピとスカートのNG等々。嫌がらせでなく、合コンコーデのアドバイスとしては玉石混淆(ぎょくせきこんこう)だと思う。

 薄着の方が男受けしそうだが、実は合コンでは悪手である。全ての男が下半身に正直なわけではないし、紳士的に振舞う方が女子に対しては好印象だ。露出過多だと視線が本能に従ってしまい、むしろ紳士ぶりたい男側にとって有害ですらある。それに女側としても、みだりに肌を晒すのは軽い女に思われたりと良いことがない。

 

 それなのに、うちの要求通りのパーカー&スキニーというカジュアル仕様にもかかわらず、見栄えの良い仕上がりなのがムカつく。

 パーカーとはいえ、ウエストを絞ることで豊満なバストを強調し、裾にあしらわれたフリルがAラインを作り出している。ぴっちりとフィットしたスキニージーンズはシルエットを鮮明にし、ポッシュのしなやかな美脚を演出していた。……足細くてなげぇなこいつ。

 カジュアル仕様でこれだ。合コン定番のワンピを女性らしく着こなされたらマジでヤバかった。周りの女子ばかりかうちまで霞む。

 

 余談だが、ポッシュと二人で残りの女子三人を待っている間、男に声を掛けられたのがうちの中での修羅場だった。

 

 

×  ×  ×

 

 

 三人と合流し、予約されたお店に向かう。店の前で男側の幹事である新戸部が待っていた。挨拶もそこそこに個室へ案内され、新戸部の背中越しに中を覗くと、他の四人は席に付いてる。

 

「お待たせー、女のコたちのごとーちゃくよー」

 

 視線を一瞬だけ男共に向けると、速読するが如くイケメン度を視読し右脳で処理する。じろじろダラダラと視線をやれば不審がられてしまうため、そのリスクを最小限に抑える合コン必須の人面速読術だ。……脳機能の無駄遣いがあまりにも酷い。

 

 ふむ……中の下か、いいとこ中の中。無し寄りの有りってとこね。

 でも男子の奢りってオプション付きだし、それ込みなら総合的に見て余裕で有りだわ。

 

 って、そんな下衆な脳内判定の中に一人異物が混ざっていた。

 丸まった背中に特徴的なあの目付きは忘れようがない。

 

「こんにちはー、初め、ま……し、て?」

「⁉」

 

 ん?

 んんー?

 うちは端の席に座る人物を視界に捉えると、どこかで見覚えがある気がする。マスカラに構わず目を擦って二度見した。

 …………いるよー、やっぱいるよー、なんでいるのよー⁉ 参加メンバーの一人に一服盛って合法的に潜り込んだのかしら。ってか、合法じゃないし。もしそうだとしたらストーカー防止法を掻い潜るより毒物混入罪で罰せられる方がやべーだろ。もっとロジカルシンキングして!

 直後、ポッシュを見ると驚愕の表情を浮かべていた。もちろん、この目付きの悪い男がここにいるせいでだろうが、もしこの驚愕がうちの睫毛の乱れに対してだったら確実に今日の合コンはドタキャンしてリモート合コン待ったなし。

 いや、やっぱ待って、睫毛隠しが前提のリモートって顔が上半分見切れてね? 匿名性守られ過ぎでしょ。リモート合コンっていうより、証人保護されてて今後出逢うことがないまであるんですけど?

 予想外の事態に固まっているうちらを尻目に、新戸部が席に着いてと促してくる。

 

「そんじゃー、座って座って。後で席替えするからテキトーでいいべー」

 

 そうは言っても、パッと見で気に入った男の前に座りたいのは皆同じ。席替えでなるべく平等になるよう打ち合わせしていたものの、最初の席順だけは淑女協定から抜けてた。

 

 少しでも意中の相手の前に座りたい女子たち。互いに牽制し合う中、取り扱いに困る席が存在した。

 

 そう、ストーカー(っぽい奴)の前の席である。しかも、ご丁寧に四人テーブルの鉄板をそいつと二人だけで使うカップル席。それだと厚意的に表現しすぎか。はぶられ席で”ふたりぼっち”が的確だろう。

 せめて四人で鉄板使える位置に座れよ。お前、なんでよりによってあぶれてんだよ。

 

 事情を知らない女三人は嫌悪がない分、他の男とフラットに比べれるかもしれないが、それでもあの目付きと猫背では印象が悪い。敢えてこの男の前を選ぶ奴はいないだろう。

 とはいえ、ストーカーされてる(であろう)張本人(ポッシュ)に処理してもらうのは人倫に(もと)る。うちの僅かな良心がそう訴えていた。

 

 席替えまでの短い時間だし、幹事(責任者)としてうちが行くべきなんだろうが、あんな末席にうち(クイーン)が座るとか有り得ない。

 そう葛藤していると何故か当たり前のようにポッシュが末席へ。

 

 えーと……、あなたマゾヒスト?

 

 この行動には女子たちよりも男子の方が愕然としていた。

 眉目の整ったポッシュは目を惹くし、見た目の印象から自分の前に座って欲しい男は多かっただろう。よりにもよってそこなのかと。

 まぁ、単純に端から席を埋めたと取れなくもないが。

 

 満場一致のハズレ席が埋められたことで、他の女子たちも自然と席に着いた。

 唯一の知り合いで、この合コンに誘った張本人であるうちはポッシュの隣へ座る。これくらいの責任は負わなきゃと、それなりに前向きな覚悟を持つうちなのであった。

 

 末席の隣に座るうちの前は新戸部。男幹事と女幹事が互いに末席の隣とか、これだと全体に気を配るのが難しい。出来なくはないけど、また中途半端な席順だこと。

 ということは、もしかして……。

 

「(……ねぇ、新戸部くん。隣の人ってもしかしてピンチヒッター?)」

「お、なんで分かるん? そーそー、急遽来れなくなった奴の代わりに来てくれたヒキタニくん」

 

 なるほど。つまり、新戸部とヒキタニ? の関係性はうちとポッシュみたいなものなんだ。だから、孤立させないよう隣に座ったというわけか。

 それはそうと声のボリューム絞れよ、隣に聞こえるでしょ。ほら見てみ、そのヒキタニくんのしかめっ面を。

 別に陰口を話していたわけではないのだが、筒抜けになってしまったばつの悪さに閉口してしまう。それを見兼ねてか、天然なのか、新戸部がテンション高く話し始めた。

 

「んじゃ、揃ったんで自己紹介いっちゃいますかー! 普通にやってもつまんないし、リズムに乗ってぽんぽん答えていただきましょー!」

 

 言いながら一人手拍子を始める新戸部に、軽い衝撃を覚えた。自己紹介という最初の最初で、皆が雰囲気も掴めてないのにいきなりぶっこんでくるその胆力。うちには真似できない。

 それにしてもこの速い手拍子は、演技力じゃがり〇面接と同じリズム? こんなので急に振られたら絶対リズムに乗れない奴いるでしょ。突っ走り過ぎててこの先のぐだぐだが目に浮かぶ。

 そんな大惨事が引き起こされては堪らないので、うちも手拍子に追従して盛り上げに加担した。

 

「ほんじゃ、俺から時計回りに行くべー、次ヒキタニくんだから俺の真似してテンポよく頼むわー」

「え、おい、そんなの聞いてな……」

 

 ヒキタニが反論しようとするも新戸部の手拍子に掻き消された。

 いやいや、せめて仲間内で打ち合わせはしておけよ。最初の犠牲者たるヒキタニに同情の念を禁じ得ないわ。

 

「スリー、ツー、ワン、ごー! お名前は?」「新戸部・恩生♪」

「趣味・特技」「テニサーです♪」

 

 自分で質問して自分で答えるスタイルがシュールすぎて感情の行き場に困る。

 いつの間にか他の皆も調子を合わせて手拍子を打つが、次のヒキタニは戸惑いまくっておどおどしていた。その姿にますます憐憫の情が抑えられない。

 

「お名前は?」

「ひ、ヒ、ヒキタニ・ハチマン……」

「趣味・特技」

「に、人間観察?」

 

 うちは光の速さで顔を背けた。ヒキタニの答えに嘲笑で歪む表情(かお)を見られぬように。もっとコンパ受けの良い趣味とかあっただろうに、なんでそれ?

 ……そっか。新戸部はこれを見越してたんだ。準備不足の人間にこのテンポで質問すれば嘘が吐けないと。

 そして、真の標的はヒキタニではなく、次に順番の回る女子なのだろう。気づけば男共がその標的に熱視線を送っていた。

 

「お名前は?」

「か、かか、川崎沙希っ!」

「趣味・特技」

「し、しゅ、手芸?」

 

 お前らなんで揃って疑問形なんだよ、仲良しか!

 それにしても手芸とか……めっちゃ女らしい。そんなん言ったら男が集るだろうが。競馬とかパチンコとかテキトーに吹かしとけよ、真面目かっ!

 ポッシュの答えに批難の意味で、軽く足を蹴る。ああ、そうさせないためのリズムゲームなんだっけ。新戸部の奴も存外食わせ者だね。向こうも我に返って自得したのか、申し訳なさそうにこちらを見ていた。

 ふむ、分かればよろしい。あんたは人数合わせのバイトなんだから、必要以上の男受けはその主旨に反するからね。

 

 そんなやりとりを水面下で行っている間も自己紹介リズムゲームは続き、うちの番が回ってくる。

 

「お名前は?」

 

 朗ら仮面を装着し、最高に可愛く心地良い声で自分の名前を告げた。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

GJD視点は不評かなとも思いましたが、沙希に与えられた合コンドレスコード話を真鶴視点で喋って欲しくてこうなりました。
必要以上の露出はうんぬんとか書きましたけど、一人もスカート穿いてる子がいなかったら男からやる気ない判定とかされんじゃ? という考え方もあったり、まあ真鶴の解釈なのでってことで深く悩まないようにしました。

最後の方で自己紹介だけやりましたが、非戸部改め新戸部(似戸部)というオリキャラが恩生という名まで賜る快挙。
原作の戸部翔の元ネタが戸部町(公式で調べたわけじゃないけど恐らくそれなはず)なので、似戸部は戸部本町の本町からとって、似た響きで恩生(おんしょう)としました。


それでは次もお楽しみに。


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非きこもり、合コンの闇を知る。【前編】

ようやく八幡視点に戻りました。
もう少し会話増やしたかったかな。

推敲不足ですが、取り合えず出します。
気になるところは後日修正予定。


2022.12.4 本編と後書きに一部追記。


 自己紹介リズムゲームで全員の名前を把握した後、飲み物を注文する。待っている間、似戸部を始めとする男連中の視線が、俺の対面の女子に向けられていることに気づいた。

 長く背中にまで垂れ下がり、一つに纏められている青みがかった黒髪。

 この女こそ、何を隠そう俺が住み込みで雇っているJDメイド・川崎沙希その人である。

 余談だが、その隣に座るふんわりとウェーブがかったセミロング髪の女子も俺は知っていた。

 

 ……いやいや、五人いる女子のうち二人と知り合いとかおかしいだろ。穴埋め合コンで知り合い率40%って。違う言い方するなら5打数二安打の固め打ち。なぜ野球で言い換えたのかは自分でも謎。

 見渡すと、この安打二人の顔面レベルは頭一つ抜け出て男の視線も集中しているのが分かった。それをものともせず、スマホに目を落とす対面の女。その鋼のメンタルでスマホを操作する。

 

『しゅぽっ』

 

 俺のスマホにLINEメッセージが届く。

 勘弁してくれ。俺はお前みたいにメンタル強くねぇんだよ。合コン中にスマホいじるとか、今後似戸部にノート写させてもらえなくなるんだわ。

 頑なに通知を無視するが、それに不満を持った川崎はスマホから俺に視線を向けた。いや、向けるとか甘いもんじゃなく睥睨である。周りもビビりそうなくらいに圧が凄い。

 睨みながら指でスマホをトントンと叩く。『見ろ』のジェスチャーに仕方なくLINEメッセージを見てみるが、概ね予想通りの内容が送られていた。

 

【なんでいるわけ?】

[こっちが聞きたい]

 

 質問に質問で返すという吉良〇影を怒らせていくスタイルでシンプルに返答した。

 

【それと、なんでヒキタニ?】

[つい出来心で]

 

 似戸部のリズムゲームで戸惑っていたとはいえ、自ら名乗ってしまった己にびっくりしてる。

 俺の返答を見て呆れ顔の川崎に、今度はこちらから疑問をぶつけてみた。

 

[ところで、合コン中なのにスマホなんかいじってていいのか?]

【あんたもでしょ】

 

 いや、俺のはお前が強要したようなもんだろうが。文句の一つでも言おうと文字入力していると、間髪入れずに次が届く。

 

【なんか知らないけど、幹事の子に愛想良くするなって言われたから別にいいんじゃないの?】

 

 なんだその注意事項は? 普通逆だろ。

 だが、この面子を見てると妙に納得する。川崎の存在だけが『幹事MAXの法則』に反するのだ。要するに、客観的に見て幹事並みか、それ以上に川崎が美人なんじゃないかと思えるわけですよ。恥ずかしくて本人には言えないが。

 って、そんな美人さんと同居していることを自覚するとなんだか無性に気恥ずかしくなってくる。まぁ、セットで女の霊まで思い浮かぶので全然色気のある妄想にならないんですけどね。

 ともあれ、他に都合がつく女子がいないための苦肉の選択だったのだろう。塩対応厳守で参加させたということか。

 

[そうか。無愛想は得意だもんな]

「あ?」

 

 思っていたことをそのまま送信したら肉声で返って来た。しかも、睥睨のおまけ付き。

 俺の指摘を秒で証明する川崎に内心びびりながらも苦笑していると、ドリンクが運ばれてきた。

 

「お、飲み物きたきた。ほんじゃ、カンパイしよーカンパイ!」

 

 似戸部の言葉で川崎の睨め付けが有耶無耶になり、合コン開始の『カンパーイ!』(ゴング)が鳴り響いた。

 

 

 ぐいっとビールを一口。飲み慣れてないせいか、正直旨いと感じないがこの味が分かる頃には社畜となっているのだろうと、近い未来に思いを馳せる。

 対面の川崎も同じ考えなのか、置いたビールを不思議そうな表情で一瞥していた。

 

『しゅぽっ』

 

 その川崎からまたもLINEが届く。むしろ、今それ以外から届くとしたら家族の緊急事態くらいしか思い浮かばないので、川崎からであることに感謝すら覚える。

 

【ビールって、あんま美味しくはないね。あんたもそんな顔してるし】

[いつか『この一杯のために生きてる』って胸を張れる時が来るかもしれないぞ。その頃にはもう社畜道を邁進してそうだが]

【あんた働く気あったんだ?】

 

 さすが元クラスメイト。俺の内情を知らなければ撃てないカウンターを放ってきた。まぁこんなもの罵倒ですらないただの事実なのでダメージはゼロだが。

 

[働く気はないが、うちの両親は大学卒業した後も養ってくれることは絶対ないので働かざるを得ない]

 

 俺が両親に寵愛されていたなら生涯ニート生活が約束されただろう。だが、小町と俺の扱いの差は実子と血の繋がらない子レベルなので、その可能性はない。

 

【養われなくても働きな。ってか養うために働くもんでしょ】

 

 ぐ……物凄い正論で返す言葉が出ない。それなのに、つまらない意地のせいで大人しく従うことを良しとしない俺がいる。抵抗の証として実に自分らしく、こう答えるのであった。

 

[小町のためなら働くことも吝かではない]

 

 川崎はメッセージを見た後、しかめっ面で俺の顔を見ながら再びスマホを操作した。

 

【シスコン】

 

 それ、お前だから。なんだったら、シスコンとブラコンの両刀使い(バイ)なくせに。と、死んでも口に出来ない言葉を思い浮かべた時、横から肘で小突かれた。

 

「ヒキタニくん、スマホばっか見てないで女の子見よーぜ。なに? そんなじゅーよーなLINEなん?」

 

 おっと、幹事のオーダー通り塩対応する川崎に合わせてたら見咎められてもしょうがない。こっちにそんな免罪符はないしな。

 

「あ、いや、すまん。妹から連絡入ったんでちょっとな」

 

 話の流れから、つい小町を理由に使ってしてしまう。この時の何気ない発言をかなり後悔した。

 

「えっ、ヒキタニくん妹いるん?」

 

 似戸部の目の色が変わり食い付いてくる。お前こそ目の前の女の子見よーぜ?

 

「へー、妹ちゃんいるなら早くゆってよー。次の合コン参加かんげーよ!」

 

 その双眸は、まだ見ぬ小町に狙いを定めるケダモノのそれであった。

 貴様のようなどこの馬の骨ともつかん男に小町を紹介するわけがなかろう。見ることすら不敬に値する。

 

「やだよなんでだよ、なんで妹をお前に会わせなきゃいけねぇんだよ、でも妹と合コンできるのは嬉しいありがとう」

 

 拒絶、擯斥(ひんせき)、肯定、感謝と、無秩序に感情を詰め込んだせいで情報の処理が追いつかず、似戸部どころか周りもぽかんとしていた。

 逸早く我に返った似戸部が軽く引きながら言葉を返す。

 

「え、あ、……いやー、妹ちゃんに来てもらう合コンにはさすがにヒキタニくん誘わないっしょ……妹と合コンとか無理くね?」

「なにを言ってる! 妹一人で合コンに参加させる方がよっぽど有り得んだろうが! なんだったら合コンで意気投合した妹をお持ち帰りするまである」

「えー……、それってヤバくね? ……あ、でも兄妹で一緒に帰るだけだし合法なんか……?」

 

 普通、そう(後者)としか思わんだろ。『お持ち帰り』という言い方も悪かったが、妹相手にそんな発想をする似戸部に引くわ。

 しかし、全員が引いているのを見ると俺の方がマイノリティなの? 解せぬ。

 

 どちらが多数派かの議論は置いておくとして、大切なのは本人の意志である。この場にいない小町の言葉を伝えるべく、決して旨いと思えないビールで喉を潤してからゆっくりと告げた。

 

「下衆の勘繰りだな。そもそもお前は妹のタイプじゃない。諦めろ」

「え、妹ちゃんどんな男がタイプなん?」

 

 なおも食い下がる似戸部に対し、滔々としゃべり始める。以前小町が口にしていた好みの話を思い出したからだ。

 

「妹が好きになる人は変に律儀で真面目な浮気しそうにない捻デレだそうだ。いないだろ、そんな奴。つまりそういうことだ」

「なにそのよくわからん奴……、ってかヒキタニくん、妹ちゃんと好みについて話したりしてるん? 仲よすぎじゃね?」

「家に帰れば飯を作って待っている愛すべき妹だぞ。仲が良いのは当然だろう」

 

 そうドヤって見せたが、全員が「あ、こいつシスコンやべーな」という顔でドン引きしていることに気づいた。どんどん引き方の重度が増していく。っていうかこれ、”未”を”家”に置き換えたら夫婦の惚気みたいだ。そりゃ、引かれるわな。

 内心、省みていると、またしても川崎からLINE通知が届いた。

 

【ブラコン】

 

 全く予想外な内容にたっぷりと数秒間固まってしまう。

 ブラコン? 誰が? いや、ブラコンはお前だから。

 

[俺がブラコンなわけないだろ]

 

 脊髄反射で返信すると、返って来た言葉がこれである。

 

【あんたはシスコン】

 

 確かに見る人が見ればシスコンに見られるのは仕方がないと思えなくもないが、どうにも会話が噛み合わない。俺をシスコンと断ずるなら、さっきのブラコンは誰を評した言葉なのか。

 答えを求めて文字を打ち込もうとすると、斜向かいの真鶴が口を開いた。

 

「じ、じゃあ、軽く自己紹介しただけだったし、今度はもうちょっと掘り下げよっか。リズムに乗って」

 

 そう言って会話の主導権を無理矢理奪っていく。

 雑談中ならLINEも出来ようが、リズムゲーム再開となれば漫ろに参加するわけにもいかない。先程と同じ轍を踏むことになる。追及はひとまず諦め、スマホを伏せた。

 

 ったく、誰がブラコンだよ……。

 

 

 女側の幹事である真鶴の提案に戦々恐々とする俺……と、恐らく川崎もだ。さっきの失態はまだ記憶に新しいはず。俺の『人間観察』はまだしも、川崎の『手芸』はあまりにも契約違反。こんな時は『空手』もしくは『ボディを殴る』とでも言っておけばいいのに、なぜ選択を誤るのか。

 しかし、趣味がボディブローは二つの意味でパンチが効き過ぎててやばい。川崎のボディブローが物理的に効くのもそうだが、他人(ひと)の腹でドラミングするという告白(パンチ力)が特にやばい。それは女子力以前にホモサピエンスであることへの否定。タダ飯のために川崎が人としての尊厳を捨てなくて良かったと胸を撫で下ろした。

 川崎の矜持について考察している間も、真鶴のルール説明は続いている。

 

「――で、答えた人が次の人に訊きたいお題を出す方式で行ってみない?」

 

 聞いている間、俺の表情が徐々に険しくなっていくのが分かる。

 ……別に訊きたいことなんてねぇんだけどな。この合コン自体、頭数を埋めるために参加した人助けみたいなもんだし。

 そんな事情もあって、女子たちにあまり興味も湧かず、あちらも俺をシスコン認定して引いていた。これってお互いにwin-winな関係だと思うのですよ? 違うか。違うな。

 まぁ、場を回すため、無難に答えておけばいいか。質問も同じのを引用すればいいし。

 まさに適当・オブ・テキトーと呼ぶに相応しい心構えで事に当たろうとする。

 

「今度は私から時計回りに始めましょーか。じゃ、いくよー」

 

 真鶴は左隣の女子に目配せをしてから、手拍子とコールを開始した。

 

「スリー、ツー、ワン、ごー! 就きたいお仕事」「マーケティング」

 

 俺は顔を伏せて含み笑いを隠した。自らコールし、自ら答える。初手のみ起こるこのスタイルがシュールで、どうしても笑いが込み上げてくるからだ。

 だが、ゲームが続いていくとその笑いは苦笑いへと変わる。

 

「就きたいお仕事」

「えっと、薬剤師」「就きたいお仕事」

「うーんと事務職、経理事務!」「就きたいお仕事」

「看護師です」

 

 唐突に始まった自己紹介の掘り下げは、大学生のなりたい仕事ランキングトップ10クイズと化していた。

 こういう席で話す”就きたい仕事”ってアイドルとか女子アナとか夢見がちなので場を盛り上げたりするもんじゃないの? 職選びがガチすぎて、茶化せない雰囲気が醸し出されている。

 

「就きたいお仕事」

 

 川崎以外の女子の順番が終わり、男子側にバトンが渡された。その瞬間、周りの空気が張り詰め、彼女たちは真剣な眼差しになる。獲物に狙いを定める肉食獣のようですらあった。

 これ絶対、物件としての価値測ってるだろ。質問の仕方がマジだし。せめて”将来の夢”とか暈した訊き方で遊びを作れよ。なんだったら次は志望動機とか訊かれそう。合コンの名を借りたステルス集団面接なのではと疑いを持つほど本気度が伝わる。

 そんな女子たちの熱い視線を受け、似戸部と並ぶムードメーカー山北が放った答えはこれであった。

 

「ゆーちゅーばー!」

 

 残念! 今はそういう空気じゃないんだよ。途端に女子たちの目がどんよりと曇り、表情が消えていったのがその証左だ。中には薄ら笑いを浮かべる者もいる。

 だが、山北は意に介した様子もなく、気勢を上げて質問(バトン)を渡す。もし俺が山北の立場なら、気勢を上げるどころか布団の中で奇声を上げていたかもしれない。

 次の順番に当たった松田(医学部)を不憫に思ったが、こいつの答えが場を一変する。

 

「就きたいお仕事!」

「あ、げ、外科医」

 

 女子たちの目がドロドロと腐ったものから、キラキラと輝いたものへと変わった。山北との緩急がエグい。その弛緩と緊張の振り幅たるや、郭〇皇の消力(シャオリー)並み。完璧にロックオンされた松田が次の清川にバトンを渡す。

 

「就きたい職業」

「弁護士、かな?」

 

 外科医からロックオンがいくつか剥がれ、清川を捉える。

 ……お前ら分かり易いな。

 

 しかし、お前たちは大いなる勘違いをしている。

 質問内容はあくまでも『就きたい(・・・・)職業』であり、在職中ではないのだ。言ってしまえば願望を持っただけの大学生。そんな不確かな情報に食い付く彼女たちの将来が非常に不安である。詐欺とか気をつけろよマジで……。

 

「就きたい職業」

「公務員♪」

 

 バトンを受けた似戸部の答えは意外にも堅実派であった。このパリピが……公務員?

 いや、真面目に講義を受けてノート取るあたり、意外でもないのか……。合コン面子確保にその成果を消費したから印象が悪かったんだな。消費先が他ならぬ俺だし。

 

 そして、いよいよ自分の番が回って来る。すぐに思い浮かんだのが二十五歳でバッファ〇ーマン(一千万パワー)になれる夢の職業。誤解しか生まない言い方だな。年収がバッファ〇ーマンって意味ね。ただ採用倍率は三百倍なので就けるかどうか分からないが問題ない。就きたい(・・・・)職業だからな。

 

 既に答えが用意されているからか、川崎を気に掛ける余裕があった。見ると、なにやら難しい顔で思い悩んでいる。もしかして、就きたい仕事が思い浮かばない、のか?

 そういえばこいつは将来の夢とかで大学を選んだわけじゃないんだった。志望動機は家の経済的事情な部分が大きいだろうし、むしろ国公立ならどこでも良かったのかもしれない。なら急に訊かれて出てこないのも無理からぬことだ。

 

 別にちゃんと答えなくてもいいんだぞ。だが、そこは同居後に家賃・光熱費の折半を逆要求する川崎。嘘を吐くことが出来ない律儀な性格なのは明らかだった。

 そんな川崎にこんな答えもあるのだと道を指し示すべく、今からヒントを出してやることにする。

 

「就きたいお仕事♪」

「大手出版編集者()

「の?」

 

 思わず訊き返す似戸部。声には出さないが他の奴らも同じ気持ちだったはず。その先を口にするのに少々勇気がいるが、心の中で両の手を天に伸ばし、こう祈った。

 実家の小町ちゃん! オラに悠木を分けてくれ!

 

 ……勇気違いである。

 

 小町から受け取った悠木……ではなく、勇気を持って俺はこの言葉を口にした。

 

「――お婿さん」

 

 手拍子がぴたりと止まり、山北が答えた時(ゆーちゅーばー)とはまた違った空気が室内を支配した。

 久々にかつて奉仕部で味わった心地好い蔑視をひしひしと感じている。形容詞のチョイスが極めておかしいが俺にとっては平常運転だ。これも捻くれの賜物。おっ、これって小町のタイプなんじゃね? なんてな。

 

 止まっていた手拍子を自ら再開する。未だ、場の空気は酷い有り様だが、リズムを取り始めると何だかんだで皆流され追従してくれた。誰一人、場を盛り下げたいとは思っていないだろうし、ツッコむよりベターな選択だ。

 ……ツッコませるような発言をした俺が言うことではないが。

 

 そうして殿(しんがり)に控えし川崎へと水を向け、コールする。

 

「将来の夢」

 

 それを聞き、川崎ははっとした表情を見せた。なんで驚くんだよ。俺の答えで出版業界というヒントは与えたろ? 後はそこから関連業種を思い浮かべて答えればいい。広告代理店とか、Webデザイナーとか、ライターとか、色々あるよね?

 

 この時、俺は気づいていなかったが無意識に『将来の夢』とコールしていたようだ。ただの言い間違いだったのか、『編集者のお婿さん』が職業というより夢なのかもと無意識で訂正したからか。

 

 どちらにせよ、この言葉の変化が俺の思惑とは違う結果を齎すことになる。

 リズムに乗ろうと慌てて口を吐いた答えが、まさにそれであった。

 

「お、お、お、お、お嫁さん?」

 

 ――そっちかい。

 参考にされたのは『編集者』の方ではなく、『お婿さん』であった。

 

 本来、就きたい職業の答えは他人と被ってもいいはずだ。むしろ人気の職業なら被らない方が不自然といえる。しかも酒の席での会話だし、嘘でも問題はない。

 だが、良くも悪くも川崎は真面目であった。

 

 本当に就きたい職業を考えて答えようとしていたが、些細な質問の変化――将来の夢――で虚を突かれてしまう。軽くパニックに陥った川崎は、俺の『お婿さん』発言に引っ張られ、咄嗟に出たのが『お嫁さん』なのではないだろうか。

 その証拠に川崎の顔は言い終えた後、急速に赤らんでいく。顔ばかりか耳やデコルテまで真っ赤にしている様子から、羞恥具合が見て取れた。追い打ちを掛けるように周り(主に男側)から歓声が上がり、より一層赤味が増していく。とても臨んで答えた反応ではない。

 それにしても照れてる姿がまたなんというか……うーん、これは女子社会から弾かれて当たり前ですわ。美人さんが普通に可愛い反応しちゃうのは良くないなって思います。

 

 なんにせよ場が盛り上がったのだから結果オーライに思えるが、これって無愛想条約違反にならないの? 男に受けるの禁止なのに全力でアピっちゃってるんですけど。

 ほら、真鶴の顔かお。笑顔なのに目が笑ってねぇよ、こえーって。

 

 不安を抱きつつも、合コンはまだ始まったばかりなのであった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

次々とオリモブが出現してしまい、収拾に困ってしまいます。
次回からはもっと沙希との絡みを増やしますのでご勘弁ください。

『実家の小町ちゃん! オラに悠木を分けてくれ!』 はメタネタ過ぎたと反省している。

ちなみに、似戸部が妹を紹介してとせっついてきたところ八幡が返した「やだよなんでだよ、なんで妹をお前に会わせなきゃいけねぇんだよ、でも妹と合コンできるのは嬉しいありがとう」は、原作12巻164pで葉山に返した「やだよなんでだよ、なんでお前の言葉伝えなきゃいけねぇんだよ、でも気持ちは嬉しいありがとう」のオマージュでした。
『うーん、これは女子社会から弾かれて当たり前ですわ~』の件も12巻からです。このSSを読んでくださっているサキサキ好きには言わずとも御存じでしょうけどね。

書いてる時にこうやってちょいちょい原作参考にして拾ってくるんですけど、二十五歳編集者(年収一千万)も10.5巻からです。

参考を探している時に、その10.5巻の60pでいろはが「先輩。編集者おすすめですよ、編集者」と言ったくだりが、56pの「わたし、編集者と結婚します」と相俟って、いろは式逆プロポーズになってるんだなぁと、にんまりしてしまったのは内緒。


それでは次もお楽しみに。


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非きこもり、合コンの闇を知る。【後編】

いつもよりちゃんと推敲してからの投下です。
やっと事態が動き出したよ、長かった……。

2022.12.28 原作との齟齬を修正。
2022.12.25 一部言い回しを修正。


 コース料理が運ばれてきても、俺を恨めしそうに見ながら憮然とする川崎。

 いや、なんでだよ。俺悪くねぇだろ。罪があるとすればロマンティックに『将来の夢』と訊いたことだろうか。だとしたらすまない。俺のロマンティック(専業主夫)は止まらないので、胸が胸が苦しくなる。

 

 そんな胸の苦しさも旬の刺身が運ばれてくるまでだった。合コンが始まって以来ずっと気だるげだった川崎の表情に生気が戻る。

 

「……おいし」

 

 口元に手をやり、ぽしょっと呟くその所作に内心ぐっときていた。

 俺も刺身を口に運び、川崎と同様の感想に至る。味がどうこう言えるほど舌に自信はないが、それでもスーパーの刺身より旨いのは分かる。普段、刺身なんてスーパーのすら買ってないけどな。

 

 こう考えると、いやー俺マジ甲斐性なし。まるでコント「ゴホゴホ……いつもすまないねぇ、おとっつぁんの稼ぎが少ないばっかりにお前に刺身の一つも食わせてやれなくって……」「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ!」みたいだな。

 

 ……言っててツラくなってきた。

 

 しかし、今回女子の会費分は男子が払っているので、逆説的にこの刺身は俺が食わせてやったと強弁してもいいのではないだろうか?

 うむ、態度の大きさとは反比例する器の小ささである。

 

 生野菜盛り合わせが届く頃には川崎の機嫌も完全に直っていたが、俺のテンションは駄々下がった。トマトが盛り合わせてあるので……。

 鉄板に油を延ばす川崎のエリアへそれ(トマト)を滑らせる。

 

「……!」

「ひゃぃ⁉」

 

 ほんの出来心だったのがすっげぇ睨まれた。直った機嫌をすぐに悪くする俺、感情を弄ぶ天才。

 川崎は短く嘆息し、トマトをヘラで打ち返してきた。

 

「あちっ!」

「あっ」

 

 グチャッ! という音と共に俺の顔面が赤く染まった。言い方はスプラッターだが潰れたのはただのトマトである。断じて俺の顔面ではない。

 

「ご、ごめ」

 

 慌てて謝罪する川崎。そんなつもりがなかったにしては手首のスナップを利かせたショットに氷上……いや、鉄板上の格闘技を彷彿とさせられた。

 

「おわっ、ヒキタニくんダイジョーブ? 川崎さんて、もしかして料理苦手?」

 

 川崎の料理を食べたことがない故の軽口だろうが、冗談でも俺には言えない。

 

「……ちょっと手が滑っただけだから」

 

 憮然と答えながら何故か俺を睨む川崎。

 いや、なんでだよ。俺悪く……なくはねぇか。発端は俺がトマト滑らせたせいだし。でもワンチャン長崎にトマト伝来したオランダ人が悪いってことに……はならねぇわ。やっぱ俺が悪い。

 

 川崎も幹事に義理立てて、普段から料理していることを吹聴せずに往なしている。料理上手(女子力アピール)なんて無愛想契約違反も甚だしいからな。その代わりに睥睨される俺は堪ったものではないが。

 

 

 川崎はその後も似戸部に度々話し掛けられ、辟易としていた。

 どうやら似戸部は川崎を標的に選んだようだ。席が近いとはいえ『幹事MAXの法則』を覆す川崎に惹かれるのは無理からぬことだろう。

 しかし、不機嫌そうに鉄板の食材をヘラでいじくる川崎は、俺にとって恐怖でしかない。似戸部がさっきのトマトのようにならないことを願う。

 そんな俺の心配を他所に似戸部の猛アタックは続いた。

 

「川崎さんはサキちゃんて呼んでいーのかな? あ、俺のことはオンショーでいーから」

 

 こいつ、攻めるなぁ。オンショーってハー〇ットパープルでも使うつもりかよ。破壊力D、スピードCだが、持続力Aで似戸部にウザ絡みされるのはより鬱陶しい。って、そりゃ石〇運昇(ウンショー)でした。

 なおもウザ絡みする似戸部に対して、川崎は温度の低い視線を向けて言い放つ。

 

「川崎で」

「あ、う、はい……」

 

 毅然とした反応に分かり易くびびる似戸部。こんなところまで戸部に似てるとは、生き別れた兄弟か何かなの?

 調子に乗るなと似戸部に釘を刺し牽制した川崎は、物凄い勢いでスマホに何か打ち始めた。

 

『しゅぽっ』

 

 俺のスマホが鳴る。

 ですよね、知ってた。

 俺は苦虫を噛み潰した顔で川崎を一瞥し、清水の舞台から飛び降りる覚悟を以ってスマホ画面を見る。

 

【あたしも偽名にしとけば良かった。名前呼びとか有り得ないんだけど】

 

 いや、俺も望んで名を偽っているわけではないのですが……。

 

 何はともあれ良かった。思ったより普通の内容で。川崎の心中を察すれば良くはないんだろうが、もっと理不尽な物言いをされるんじゃないかと警戒していた俺にとってはホントに良かった。

 だが、酷くご機嫌斜めでいらっしゃる川崎に適当な返信をすると事態が悪化した。

 

[そうだな。偽名なら川越とか川島とか島崎とか岡崎とか。なんだったら岡島なんかいいんじゃないか?]

【他はまだしも岡島ってなに? 掠りもしないじゃん。それ、どっからでてきたわけ?】

 

 言えない……、高二の頃、心の中で呼んで遊んでいた名前だとはとても言えない。ここは既読スルー一択だ。

 ……いやいや、本人を目の前に既読スルーとか正気か俺。なんでもいいからと打ち込んで返すが、悪気なく地雷を踏み抜く才能が発揮される。

 

[名前が嫌なら『小悪魔セラ』と呼ばせる手もあるぞ?]

「あ?」

「ひゃぃっ!」

 

 軽い冗談なのに、似戸部を睨んだ時より八万倍鋭い視線が突き刺さる。目がマジだった。生声で恫喝されたのがその証左である。

 ただ、不穏な空気は俺たち一帯だけだったようで、他所では普通に閑談が見られた。

 

「そういえば、二次会ってどこ行くんだっけ」

「カラオケ」

「うっそ、最近の流行り調べてないよー」

「好きなの歌えばいいんじゃね?」

「とか言っといて好きな曲入れたらボロクソに下げるでしょ」

 

 そんな当たり障りない話題が耳に入ってくる。俺には初耳で当たり障りまくるが、このまま食事だけで終わるということがないのも予測はしていた。俺と同じく数合わせの川崎は聞いているのか、何気なくLINEで密談する。

 

[お前はこの後、カラオケ行くのか?]

【行くわけないでしょ。これだって奢りで呼ばれたから来ただけだし】

 

 まぁ、そうだろうな。俺もノート目当てでのこのこ付いてきたわけで、カラオケなんて行く気もない。

 カラオケかぁ。あの忌まわしきクリスマス合同イベントの打ち上げ名目以来、行った記憶ないな。

 ……俺、ホントに若者か?

 

 二年以上前まで遡らなければならないほどカラオケから遠退く生活に、自分が若者であるかの疑いすら生まれてくる。フリータイムで歌う時間があれば、その分バイトした方が……などと、昔の俺ならこの思考回路に嘔吐寸前である。完全に苦学生が板についてきた比企谷八幡大学二年生、夢は専業主夫であった。

 同じく苦学生の住み込みJD、夢はお嫁さんはどう考えているのか興味がある。

 

[カラオケなんて二年前に行ったきりだわ。お前は?]

 

 メッセージを見た川崎は、何やら難しい顔で返信してくる。

 

【……行ったことない】

 

 は? 行ったことない? カラオケに?

 衝撃的な告白に固まる俺。大学二年でカラオケヴァージンかよ、と口には出さない分別のあった自分を褒めてやりたい。

 

【行ったってなに歌えばいいか分かんないし】

 

 俺ならあまりオタクっぽくなく、かつ直接的なラブソングでないアニソンを歌うがな。なんでもその曲は中学時代、好きな子(山下さん)の誕生日にプレゼントしたアニソン集らしい。誤解するなよ。俺の話ではない。オタガヤくんの話な。

 アニソンといえば、川崎にも歌える曲があることを思い出した。

 

[ラ♪ラ♪ラ♪ スイートプ〇キュア歌えば? バイト先で歌ってただろ](※第六話参照)

 

 画面を見た川崎は固まった。眉間には深い皺が刻まれており、一目で怒りの感情を宿しているのが分かる。

 俺が思ってる以上にバイトのことは触れて欲しくないらしい。またやったと激しく後悔しながら、その怒りを少しでも鎮めようとフォローを送った。

 

[いや、結構上手かったと思うが?]

 

 眉間の皺に加え、額の血管が浮かび上がったような気がする。どうやらフォローの方向性が間違っていたらしい。そう理解せざるを得ない返事が届いたからだ。

 

【魔王様、お手洗いへどうぞ】

 

 俺の発言に魔界の憩い(メイドカフェ)をあてこすってきた。この文を見て胃がきゅっと締まる。

 知ってるぞ、その科白の行き着く先を。比喩的な意味でなく、物理的な意味での腹筋崩壊だろ。絶対にトイレなんかには行かねぇからな。

 しかし、その決断はあまりに無謀だと目の前のビールが訴えていた。メインもまだなのに食い終わるまでノートイレって、ボトラーでない限り無理だ。

 いや、それってペットボトルが受け止めてくれるだけで決壊済みだからやっぱ無理じゃねぇか。人としての尊厳まで決壊してんな。焼き土下座で許してくれませんかね。目の前に鉄板もあることだし。

 焼き土下座で一生の傷を負うか、ボトラーとして社会的に死ぬかだが、両方とも被害がボディーブローを軽く凌駕していた件。

 大人しく小悪魔セラの案内に従えという天啓のような二択であった。

 

 って、バイトのことに触れて欲しくない割りに、お前があてこするのはいいのかよ。俺の腹筋は崩壊させようとするくせに……。

 

 ちなみに遺憾ではあったが、やはりビールには勝てなかった。

 その後、どうなったのか説明の要はないだろう。

 

 

×  ×  ×

 

 

「……ヒキタニくん、あーん」

「……………………あ、あーん」

「……っ」

 

 あ、ありのまま、今起こっていることを話すぜ! 斜向かいの真鶴が澱んだ目で俺に餌付け……もとい、『あーん』というテンプレいちゃいちゃを仕掛けていた。どうしてこうなったのかわからねーとは思うが、俺も何でこうなったのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……。

 ……どうかしているのは似戸部の頭だった。

 

 それは数分前に似戸部が放った言葉で確信した。

 

『んじゃ、王様ゲームやるっしょー!』

 

 こいつはバカなんじゃなかろうかと思えた瞬間である。

 

 王様ゲーム? そういうのは二次会からやるべきだろうが。一次会で、しかも席替え前にぶっこむとか距離の詰め方バグってんじゃねぇの?

 第一、そんなリア充御用達なゲームに俺が参加できるとでも? 最底辺ゲームの間違いだろ。ええ、そうですとも。そのゲームは俺が常に最底辺。掛け声は『上位カーストだーれ?』である。クジ引きで選ばれた上位カースト様に命令され、俺の人権が踏みにじられるという禁じられた遊び。なにそのゲーム、一生封じとけよ。誰得なの? 俺損しかないんだが。

 

 事の発端について回想していると、『タンッ』という強めの音で現実に引き戻された。

 びくっと肩を竦める俺。叩きつけるとまでは言わないが、それはテーブルにジョッキを置く音。普段の立ち居振る舞いを知っている身とすれば予想外に感じる強さ。

 そう、音の発生源は川崎であった。

 

 あんなにビールが美味しくないと批判していた割りに、王様ゲームが始まった途端がぶ飲みである。この短い時間で社畜となり果てたのかと疑うくらいの飲みっぷりだ。

 

 あの……川崎さん、さっきよりも視線の温度低いんですが。それ以上に目が据わっていらっしゃる。

 これは酒量が増えたことに因るものであり、特に女子たちの間で顕著だ。それも全て似戸部のせいだ。後から考えると狙っていたのかとすら思えてくる。

 

 似戸部が提案した王様ゲームにはちょっとしたハウスルールが設けてあり、それが女子たちの酒量を増やす原因となっていたのだ。

 実際に行ってみて、どうなったかと言うと…………それはそれは酷い有り様であった。

 

 

 ――――――――

 ――――

 ――

 

 

『王様だーれだ?』

『あ、わたしが王様ね。命令は……十秒ハグだって。これ、有り無しどっちだと思う?』

 

 王様の女子が周囲にコンセンサスを得ようと訴える。

 概ね良好な反応を見て、次は命令対象者の選出。とはいえ、普通の王様ゲームと同じで誰がどの番号かは分からない。ここからが地獄である。俺にとっての。

 

『じゃあ~、二番が六番に十秒ハグ!』

『あ……あたし二番』

『……六番』

 

 ピシッと周囲の空間に亀裂が入ったような錯覚が起こる。

 

 濁った目で六番のクジを見せる俺。

 そして、二番を引いた女――川崎だった――の目が大きく見開かれた。次第にぷるぷると震え出し、急激にアルコールが回り始めたのか、湯気が出そうなほど顔中が赤くなる。

 二人とも、しばし見つめ合い地蔵となっていたが、先に動いたのは川崎だった。沙希だけに。

 

『…………飲むんで』

『え、あ、コールコール! 川崎ちゃんの、ちょっとイイとこ見てみたい!』

 

 といった具合に、従わない代わりの一気飲みが始まった。

 

 そう、この王様ゲームは命令を達成出来なかった場合、一杯飲むペナルティを負う。悪いことに、俺はその後も何度か王様ではなく命令を実行する側、される側に当たってしまう。その都度、一気飲みが始まる。

 

 つまり、『この命令は有りだけど六番(ヒキタニ)には無しね』と言外に匂わされたも同然。言うなればこれは『ヒキタニくんゴメンナサイイッキ』なのである。このルール、俺の心を抉るためにあるとしか思えんのだが?

 っていうかお前らこれヒキ・ハラだぞ、ヒキタニ・ハラスメント。

 

 ヒキタニ・ハラスメント。俺に対するハラスメント行為……に聞こえるが、ヒキタニが居ることによって周りにハラスメントを与えている、と説明しても自然であり、まるで壁画に描かれたマッスル・リベ〇ジャーのような解釈が成り立つ。

 むしろ、そっちが正答なのではという疑惑が晴れない。

 

 ――俺の周り被害者だらけかよ。

 

 

 ――

 ――――

 ――――――――

 

 

 今、真鶴が目を腐らせながら『あーん』してくるのも、あまりに一気飲みする奴が多すぎて気を遣った結果であろう。

 って、真鶴まで罰ゲームの犠牲者になってんじゃねぇか。恐るべしヒキタニ・ハラスメント。こうやって後者の説が立証されていくのである。

 

 そんな俺と真鶴のヒキ・ハラを酒のあてにする川崎よ、お前もか。

 川崎に命令を拒絶されたのは少なからず思うところはあるが、衆人環視でハグは確かに罰ゲームだ。……俺にとってもな。なので、特に腹が立つという感情はなかった。

 

 真鶴の尊い犠牲によって、王様ゲーム(戦犯:似戸部)は恙無く終焉を迎えた。

 つい最近、お粥で同じことをしてもらった経験が活き、真鶴相手のあーんに思ったよりも動揺せずに済んだのは密やかな僥倖である。

 

「どう? ヒキタニくん、美味しかった?」

 

 真鶴は命令が終わった途端、活き活きと揶揄ってくる。

 

「まぁ、旨いんじゃねぇの。知らんけど」

「素直じゃないなぁ、ヒキタニくんは」

 

 語尾に意味の分からない呟きを添えて、いつものように返す。こんなふざけた答えにも笑顔を絶やさないとは、命令完遂によってどれだけのカタルシスを得たのか。そんなに俺へのあーんは苦痛でしたか、そうですか。

 身構えていたのに反して柔和な態度を崩さぬ真鶴。むしろ、機嫌が悪くなったのはなぜか川崎の方であった。

 

「……そう、あたしがつくったのよりも旨いんら?」

 

 咎めるような調子で疑問を口にする。

 あたかも俺が川崎の料理を食べているように言わないで欲しい。雪ノ下にされた時の『自分で食べな』という躾けに逆らった戒めですか?

 

「おー、川崎さん料理するん?」

 

 すかさず似戸部がダボハゼのように食い付き、今度は真鶴が眉根を寄せて川崎を睨む。色々めんどくせえな、こいつら。

 

「まぁ……バイトれもつくるし」

「やっべー、川崎さんの料理食ってみたいわー。お店教えてよー?」

 

 やめとけ似戸部。バイト先の料理に川崎がすることはケチャップで『40まん』と描くことくらいだぞ。

 ……なんか40万払わされるわけじゃないのに、高額請求されるぼったくり店みたいな風評被害が発生してるな。

 

「店りゃつくってないから。つくってるのは住み込みさき」

「え、住み込みで働いてるん?」

「そ、寮よりやふいし」

 

 メイドカフェかと思ったら住み込みJDメイドの話だった。

 それ、喋っちゃっていいわけ? やけに口軽くない? 所々舌足らずだし、よく見るとジョッキは空である。

 言うまでもなく、川崎沙希は酔っている。どこかのラノベのサブタイみたいだな。

 酔って何か失言が飛び出さないか、肝を冷やしながら川崎への警戒を続けた。

 

 

 

 あとはデザートが来れば一次会は終了する。だが、俺の存在がヒキ・ハラとなってしまっているこの流れで二次会とか言い出す幹事が居るとすれば、頭の中が似戸部過ぎて救い様がない。その似戸部が幹事なので、やっぱり救いなどなかった。

 後日、似戸部にはノートだけでなく、レポートも写させるよう要求しよう。拒否権などない。

 

 ただ、これ二次会に行けるのかと懸念するほど女性陣の酒量が多い。特に深刻なのが川崎だった。

 なにせ命令を与えられれば酒を飲み、俺が命令を受けても酒を飲む。ちょっとしたアル中ムーブをかます川崎。呂律も回らなくなるほど飲む姿を見て、何か嫌なことでもあったのかと本気で心配になってきた。

 

[おい、ちょっと飲み過ぎじゃないのか?]

【だれのせいだとおもってんの?】

 

 いや、誰のって、俺のせいなの?

 まぁ、ハグしろと言われればヒキ・ハラが発動して飲むしかなくなるし、やっぱ俺のせいか。でも、関係ない時もなぜか飲んでた気がするんですけど?

 

 理不尽な言い分に批難めいた目で睨むと、そこには〆のお好み焼きを切り刻……切り分ける川崎の姿があった。酔って力加減ができないのか、突き立てたヘラが生地の下の鉄板を擦る。

 その目の据わり具合から、ここで迂闊なことをしゃべれば魔界の憩い(メイドカフェ)の時のような目に遭うかもしれない。酔ってリミッターが外れた『撃滅のセカンド・ブリット』は、想像しただけでお好み焼きがリバースし、もんじゃ焼きとなって再出現するまである。せめて酔いを覚まさせることで殴打にも優しさが欲しい。

 ……殴られるのは確定なんですね。

 

「……ねぇ、川崎さん、もう少し抑えた方が……お水たのも? ね?」

 

 俺の考えを代弁する真鶴さんマジ天使。嫌々ながら俺への命令(あーん)も実行してくれたし、この子、思ったよりもイイ子なのでは?

 初遭遇の悪いイメージを見直していたその時、不意に川崎が爆弾を投下した。

 

「……比企谷と帰うかあ、らいじょうぶ……」

「っ⁈」

「……え?」

 

 …………うん、ちょっと黙ろうか?

 

 最も恐れていた瞬間(失言)は唐突に訪れた。

 酒が齎す悲劇の結末は、まだ始まったばかりである。

 

 

 

 つづく




いかがでしたでしょうか。

ヒキタニ・ハラスメントネタはお気に入り。なかなかいい思い付きだったなと。
壁画のマッスル・リ〇ンジャーとか分かる人多くないのでは……?
前回の年収バッファ〇ーマンといい、今回といい、歳がバレるな……(;^_^A

今回も原作で見られたネタをちょこちょこと引っ張ってきましたが、全て分かったあなたはかなりの俺ガイル好きかと。
サキサキの名前誤解ネタ(川越とか岡島とか)はわたくしのSS読んでくださるような方なら分かりそうですが、オタガヤくんの中学時代の好きな子が山下さん、とか誰が覚えてるんだよ。エピソードもぼーなすとらっくですし。

次回は八幡が沙希をお持ち帰れるかどうかをやっていきます。


それでは次もお楽しみに。


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非きこもり、JDのお持ち帰りを巧む。

お待たせいたしました。
投稿間隔が開いてしまいましたが、八ヶ月沈黙していた9話目と比べれば早い早い(開き直り)。

本当はここで合コン話を終わらせるつもりでしたが、予定通りにはいかないものです。


『……比企谷と帰うかあ、らいじょうぶ……』

 

 この”お持ち帰られ予告”と取れ兼ねない爆弾発言に肝を冷やす。液体窒素がなみなみと注がれたジョッキを一気飲みした気分。それ死ぬやつだろ。そうでなくても数秒後に俺の世間体が死ぬ。

 いや、世間体だけでなく物理的にも死ねる気がする。主に男連中からの嫉妬による暴行で。

 ……比喩ではなく、普通に傷害致死だった。

 

「か、川崎さん、一緒に帰るって、も、も、もしかして、その、つ、つ、付き合っちゃってる、みたいな⁉」

 

 似戸部、興奮し過ぎだ。吃音症罹患者みたくなってる。ショックなのは分かるが落ち着け。

 

「ちがふ、ふみ込み(住み込み)

 

 川崎、お前には慎重という言葉を贈りたい。綿毛のように軽いその口を無理矢理にでも塞ぎたくなる。

 

「え、住み込みって寮とかじゃなかったの? それって、もしかして…………同棲?」

 

 真鶴が恐る恐る呟いたそれは、この場にいる俺以外全員の気持ちを代弁した質問であった。

 

「ちがふ、ご飯つくって、掃除ひて、洗濯ひてあげうためにふんれるらけ」

 

 周りから悲鳴が上がる。男女でその性質は全く違い、特に男の悲鳴は俺に向けられる怨嗟に等しい。俺の心も悲鳴を上げている。

 

「あ、うん……、知ってる? それ、同棲っていうんだよ……?」

「ちがふ、ふみ込み」

「はぁ……、そうなんだ。うん、分かった、……もういいや」

 

 諦念を込めた真鶴の言葉は、酔っ払いを扱うそれである。

 

「で、なんで住み込み? もしかして高校卒業前から予定してたとか?」

 

 さらっと掘り下げようとする真鶴の顔は先程までと違い、にやにやしていた。直截に言わずとも『大学生になったら同棲する約束したの?』という意味の訊き方である。

 無論、そんな事実はないし、ただの偶然が重なった結果だ。しかし、込み入った話なのであまり吹聴されても困る。

 

 ……まさか答えないよね? 酔ってヘリウムガスより口が軽くなった今の川崎なら、ないとも言えない。机の下で足を蹴ってサインしても、黙るどころか攻撃と認識して蹴り返してきそうなくらい頭メダパニ状態。

 そして、まさかの√に飛び込むのが今の川崎クオリティである。

 

「うぅん、ふつぅに一人暮らししてたんらけろ、バイトさきつぶれたんらよね」

「うわぁ……それ、給料未払いでしょ。悲惨……」

 

 一同がうんうんと頷く。これには俺も含まれた。

 

「家賃たいのぅして親にも頼れなひから、消費ひゃ金融にお金借りにいったの」

 

 会話が生々しくなるにつれ、川崎を見る目も痛ましくなっていく。口は軽いのに内容がヘビィである。

 

「そしたら、ひきがゃに声かけられて……、お金貸してくれた」

「……え、どんな関係?」

 

 お金を貸す時点で見ず知らずの仲でないのは察しただろうが、真鶴は本人の口から詳しく聞きたかったようだ。

 

「……高校の、同級生、らけろ……」

「――ふ~ん?」

 

 川崎は酔いが一段と回ったのか、より一層顔が紅潮する。それを見て、訳知り顔でにやにやと相槌を返す真鶴。他の女子たちも川崎に生温かい視線を送っていた。

 え、なにこれ? 女子たちって俺の聞こえない周波数帯で喋ってるわけ? 会話成立しちゃってるみたいだけど、何のことかさっぱりだぞ。

 

「それでお礼に住み込んで家事をしてると」

 

 真鶴、これ以上掘り下げる発言は控えてくれ。俺のライフはもうゼロだし、なんならその後、男共にリンチ(オーバーキル)されるまである。

 約束されたリンチの刑。なにそれ、約束された勝利の剣(エクスカリバー)みたいでカッコイイ! だが、響きはともかく、ただの刑事事件なんだよなぁ……。

 

「何も住み込みじゃなくても普通に通えばいーしょっ⁉」

「たいのぅ分払ったら余裕ないひ、時期がハンパで寮も空きないひ……」

「じ、じゃあさ、もし仮に、仮によ? 俺がお金貸したら、俺んちで住み込みとか有り系な感じ?」

 

 似戸部、お前必死すぎだから。必死すぎて言ってることのゲスさに気づいてないし。

 

「あんらから借りるわけないれしょ」

 

 酔ってても容赦のない川崎である。

 

「だいたぃ、よんじゅぅ万も用意れきないれしょ?」

「よっ⁉」

「よんじゅぅっ⁉」

 

 その負債額に全員言葉を失った。空気よりも軽い口がどんどん信用情報を垂れ流していく。マジで黙って欲しい。このままいけば俺まで情報漏洩に巻き込まれるのも時間の問題である。

 

「なっ⁉ それ、ボンボンじゃん! ないわー、金チラつかせるとかないわー」

「えっ! 資産家なの⁉」

 

 お前が言うな。ブーメランぶっ刺さってるぞ似戸部。

 真鶴、お前もゲスさが漏れてる。やはり、俺の警戒警報は間違っていなかった。こいつは地雷だ。やべー奴だ。

 色めき立つ面々をスルーして川崎は話を続ける。

 

「らから、利子のつもりで家事してんろ。家じゃ妹の面倒もよく見てたひ」

「‼ 川崎さんも妹ちゃんいるの⁈ っべー! 紹介してくれっしょ!」

 

 あー……、やっちまったな似戸部。アンタッチャブルなんだよそこは。ほら、川崎がこれ以上ないくらい眉根を寄せてるだろ? おまわりさんこいつです。

 

「……あんら、けーちゃんをどーする気?」

 

 ガタッと立ち上がり、似戸部を睨め付けた。

 

「妹ちゃんの名前、けーちゃんっていうの? 何系? 可愛い系? 綺麗系? うわやば、ぜひぜひ紹介して欲しい系! みたいなっ‼」

 

 うわやばっ……数秒後のお前がな。

 お前が『紹介して欲しい系』ってより、お前を『公開処して欲しい刑』って方がしっくりくる。

 

「去年卒園した妹を紹介しれ欲しいとか本気れ言ってるわけ……?」

 

 場が凍り付き、全員の視線は似戸部に向いた。似戸ペドさん事案です。

 

「え、え? うぇーい⁈ 妹ちゃん、小学生⁉ じーまー? ……べー、俺やっちまった系……?」

 

 そうだな。取り返しが付かないくらいにはやっちまったな。

 さらば似戸ペド。ようこそ塀の向こう側へ。

 

 普段されそうなことを俺がするのは些か面映ゆいが、あまねく妹という存在を守るため避けては通れない。なにをするかって? 通報に決まってるじゃないですか。まぁ、立件も出来ないからさすがにしねぇけど。

 でも、逆に言えば起訴まで持っていけるほどの証拠があれば通報も辞さない。俺もけーちゃんのためなら容赦はせん。

 

 真鶴が興奮する川崎を宥めてなんとか座らせると、女子の一人が誰に言うともなく呟いた。

 

「でもいーなー、同棲。私もしたーい」

「同棲じゃらいから」

「はいはい、私も同居したいなー」

 

 違いの分からない言い直しを何故か黙認する川崎。

 このやり取りだけ見ても相当酔っ払っているのが分かる。

 

 頼むから余計なこと喋って俺を社会的に抹殺しないでくれよ……。屋上で専業主夫志望の紙を拾ってやったらパンツ見られたとか、遅刻したら教室で寝転んでてパンツ覗かれたとか。

 ……こうして振り返ると、俺の高校生活って割りとギリギリ感あったな。むしろ酌量の余地なく有罪まである。白か黒かと問われれば間違いなく黒だろう。

 

 …………いや、黒って隠喩だからな? 見たまんまとか言うんじゃねぇよ。なんなら白も清純な感じでいいよなぁ……って、こんな思考だから有罪なんだよ、バカ、ボケナス、八幡、出家しろ!

 

 

 川崎の動向に激しく心かき乱されていると、懸念したのと少し違った方向に話が流れていく。

 

「ところで、そんな大金ポンと貸してくれるなんて愛されてるよね川崎さん」

「え?」

 

 思ってもいなかったのか、川崎が呆けた声を上げた。俺も声を上げそうになったが、ぐっと堪えた自分を褒めてやりたい。

 

「だって、そーでしょ。ただの同級生に貸さないよね。40万って多分社会人してても悩むくらいの大金だよ。大学生ならなおさらじゃん」

「あー……、そう、らよね。……れも、そんらころなぃろ思ぅ」

 

 なおも酷くなっていく呂律だが、周りも慣れてきてネイティブ感すらでてきた。

 ここまで酷いと酔いもかなりのものだと推察できる。だから、これから川崎の返す言葉にどんな危険なものが潜んでも不思議ではない。むしろ、必然といえよう。

 そんなふうに身構えていたが、備えを軽く凌駕するほどの発言(爆弾)が飛び出したのだ。

 

 

らって(だって)、お風呂一緒に入っれっれ頼んらら(入ってって頼んだら)ことわられらし(断られたし)……」

 

 ぴしっ、という場の空気が凍り付く音が聴こえた。

 

 瑕疵物件の元凶たる風呂場に独りで入るのが不安でな!

 という、そこに至る経緯や事情の一切をすっ飛ばした告白。敢えて誤解を招くよう恣意的に切り抜いたのではと悪意すら感じられる言葉選びだった。

 効果は絶大で、そのあまりの破壊力に皆動転し、次の瞬間、場は蜂の巣を突いたような騒ぎが起こる。

 

「⁉ ごっほごほっ、ち、ちょっと悪い……」

 

 威力が想定外過ぎて、俺は堪らずトイレに避難した。

 

「えっ、それって……」

「きゃー、川崎さんだいたぁーん!」

「う、う、うそだ!」

「でも断られたならノーカンだろ」

「断るとかオトコじゃねぇよ……ってか、見せられないほど粗末なんじゃ……?」

 

 席を立つ途中、思い思いの歓喜や嘆きが耳朶に触れた。最後のやつなど俺の息子を測る立派なセクハラである。いや、ヒキ・ハラだった。俺が被害者の方のな。マッスルリベンジャー・マリポーサヴァージョンと言い換えることもできる。

 ……余計に分かりづらくなった。

 

 まぁ、俺を貶めたくなる気持ちは分かる。川崎と同居し、あまつさえ一緒の風呂を断って恥をかかせた男など恨めしくて当然か。だが、もし一緒に入ったら入ったで、今より悪罵に晒されていただろうことは用意に想像できた。俺にどーしろってんだよ。

 

 どう転んでもリンチ不可避なこの状況、俺はトイレの天井を見つめて現実逃避中であった。

 

 

 どーすっかなー……会費前払いだしこのままブッチが一番平和な気がする。

 ……そうだよ! 財布は持ってるし、他に荷物なく身軽なんだからそうすりゃいーんじゃん。あったまイー!(字面は頭悪そう)

 しかし、打開策と同時に、酔いどれ住み込みJDの顔が思い浮かんだ。

 

 泥酔状態に近い今の川崎をこの場に置いてとんずらする。そんな鬼畜の所業をすれば罪悪感が自らを蝕む。罪悪感で、小町から呼ばれる”おにいちゃん”が”鬼いちゃん”と聞こえてしまうくらいに心が病んでしまうかもしれん。

 成り行きとはいえ、居を共にした俺が果たすべき責任に思えた。

 

 ……やはり、奴らの私刑(リンチ)を甘んじて受け入れるのが最善かもしれん。そうすれば、堂々と川崎をお持ち帰り出来るはず。

 うわぁ、お持ち帰りとか言っちゃったよ……、俺らしくねぇ……死にたい。

 

 トイレで懊悩していると執行人の足音が聞こえてくる。ノックの後、扉越しに似戸部が話し掛けてきた。

 

「ヒキタニくん、トイレ済んだ? 話あっから出て来てくんない?」

 

 似戸部の私刑宣告に暗澹とした気持ちになるが、川崎を連れ帰るためにもドアを開ける。目の前にはこの世の終わりみたいな顔した四人がいた。

 ……全員川崎狙いかよ。真鶴がいるだろ、俺は狙わないけど。絶対に狙わないけど。大事なことなので二回言いました。ついさっきのマジ天使発言をあっさりと翻す清々しさである。

 

 

 男共は血走った視線で互いを見ていた。これはもうどうやって屠ってやろうかと目で打ち合わせてるのだ。

 俺はというと、私刑なら頑張れる。死刑なら訴える。の腹積もり。

 ……訴えちゃうのかよ。死んじゃったら訴えれねぇし、殺人はそもそも非親告罪だ。

 

「……で、どんな刑か決まったか?」

 

 似戸部にそう切り出し、自分から促していくスタイル。覚悟が出来ている証左でもある。

 

「あー……、ヒキタニくんはどうしたいん?」

 

 処する方法を本人に訊いちゃうの? 選択制とか、なんで刑執行が海外方式なんだよ。

 慈悲深いのか、それとも俺がどれだけ懺悔しているのかを測っているのか。だとすると随分と残酷な仕打ちである。より苦しむ刑を自ら選んでこその贖罪だと言わんばかりだ。恐るべし、この世の終わり四人衆。

 

「俺は川崎さんを迎えに来たひきがや? って奴を労う名目で一杯奢ろうと思う」

 

 俺が答える前に松田が言葉を引き継いで話し始める。

 

 ん? ひきがやって奴?

 

 ……あっ‼

 

 そうか。俺は自己紹介をヒキタニ(・・・・)のまま通したんだ。道理で川崎が爆弾発言してた時、こっちに追及が来なかったわけだ。俺を比企谷と認識してなかったんだもんな。危うくこの場で処されるところだった。

 

 ふふん、馬鹿め! そっちは本名だ‼

 

 ……囮にする方、間違ってません?

 仕方なく本名を犠牲にしたまま、こいつらに最後まで喋らせようと調子を合わせる。

 

「その酒に将来外科医の俺が持つ睡眠薬を混ぜてお持ち帰りを失敗させてやろうかと。なし崩しで川崎さんもカラオケに連れて行けるし、一石二鳥だろ? 川崎さんの酔い覚ましのためとか言って薬が効くまで引き止めてやればいい」

 

 普通に犯罪計画だった。というか将来外科医って……薬扱うのは薬剤師だろ。いや、そもそも将来外科医じゃ医者ですらないし、薬剤師だとしても睡眠薬を持ってることとの因果関係もないし、色々とツッコミどころ満載である。その発想から睡眠薬を用意していた本来の目的まで見て取れた。故に思う。こいつはゲスだと。

 もし将来この医者に当たったら、担当医変更ありきのセカンドオピニオンを決意する。

 

「俺はひきがや? が川崎さんに貸した金と返済手段に対して追及する」

 

 弁護士志望の清川らしいアプローチに耳を欹てた。

 

「大学生で40万も貸すなど窃盗か親からの援助だろ。窃盗なら言わずもがなだし、親の援助であっても川崎さんを買ったという事実から人身売買罪が適用される。むしろ親の援助なら、親が共犯であると訴追することも可能なはず!」

 

 主張が事実無根過ぎて聞いていた時間を返せと怒りが込み上げてくるほどであった。

 

「返済にしろ、利子にしろ、一緒に暮らして家事で払う? 川崎さんの手料理を毎日食べてたりうらやましい、朝の生理現象を包んだパンツを洗濯させてたりけしからん、お風呂に誘われたり許されない、これを人身売買と言わずして何と言うんだ⁉」

 

 感情を漏らすな。所々私情が混じってて内容が頭に入ってこない。それに訴えるならありもしない私怨塗れの人身売買罪より、清川の睡眠薬混入計画事件にしろ。忖度するんじゃねぇよ。

 お前がもし司法試験に合格したらこの計画を暴露証言し、懲戒請求してやろうと心に誓った。

 

 残る山北はスマホを手にしながら、こう言い放つ。

 

「ひきがや? ってのが迎えに来たら、これで撮りながらあと尾行()けて晒せば川崎さんも同居出来なくなんじゃね?」

 

 こいつもガチだ。ガチの犯罪者がいる。

 知ってしまえば容易に対策できる清川睡眠薬混入計画より山北(ユーチューバー志望)の方が大ダメージだった。こいつこそ訴えられて然るべきだろう。是非訴えられるべきだ。お前の動画をネットで見かけたら、必ず運営に報告すると約束しよう。

 

 尾行されたら俺よりも川崎の方が困るだろう。名を偽った意味――こうなると見越してたわけではないが――もなくなるし、何とか妙案はないものか……。

 

 

×  ×  ×

 

 

 制裁の打ち合わせが終わって個室に戻ると、俺たちにとって、というより俺にとっての修羅場が展開される。

 

「ひきがゃ、今夜飲み会でご飯いらないっれいっれら」

 

 川崎の発声はますます解読困難になっており、内容も俺の理解を超えていた。だって、俺ここにいるからね?

 

 話を合わせるためにわざとそう言っているならまだしも、本気で別の飲み会に参加してると思い込んでたら普通に心配である。俺の存在が記憶から抹消されてるんだよなぁ……。

 

「はいはい、それじゃそのヒキガヤくん? に迎えに来てもらうから電話して」

「ん……」

 

 やばいっ!

 

「またトイレ行ってくる。どうも腹の調子が悪いみたいだ」

 

 この『やばいっ!』はもちろん腹の調子のことではないのだが、きっと他の連中には(くだ)シタニくんと呼ばれることだろう。……名前の原型がなくなっていた。

 

 外に出ると、ちょうどスマホに着信が入る。発信者は当然川崎。

 恐る恐る通話を受けると、いつもの彼女からは想像できない陽気な声が聞こえてきた。

 

『あ、ひきがゃ、ろこ行っらの? これからデラート食べらら帰るんらけろ』

 

 内容があまりに暢気過ぎて力が抜ける。さっきまでの俺の緊張を返せ。

 

「あのな、いま……」

『もしもし、ヒキガヤくん? ですか?』

「っ⁉」

 

 舌足らずな口調から、甘ったるい声に変わった。当たり前だがこの声には聞き覚えがある。

 

『わたし、川崎さんの友達の真鶴っていうんですけどぉ』

「はぁ」

 

 でしょうね。知ってる。

 

『彼女ちょっと飲み過ぎちゃってて……』

 

 でしょうね。見てたし。

 

『これから二次会に行くんですけどぉ、これじゃ川崎さんは無理そうだし……』

 

 でしょうね。聞いてた。

 

『ヒキガヤくんも今日飲み会って聞いたんですけどぉ、出来れば今から川崎さんのこと迎えに来てくれませんか?』

 

 確かに飲み会中だが迎えというか、むしろお持ち帰り可能な場所に居ますけど。

 川崎が何をどこまで話したのか分からないが、まだ奇跡的にヒキタニ=比企谷とバレてはいないようだ。

 

 当然、お持ち帰り……ではなく迎えに行きたいところだが、真鶴の要求に応えると俺が比企谷だと確実にバレてしまう。そうなったら何をされるかこの世の終わり四人衆に嫌というほど聞かされていた。

 

 現状を乗り切るためにどう返答すればいいか頭をフル回転させていると、真鶴が強い調子で言い放つ。

 

『……彼氏ですよね?』

 

 同時に電話口から男共の嘆きが聞こえた。

 待て、それは俺よりもこの世の終わり四人衆に効く。迎えに来させようと煽ったつもりなら逆効果だ。こんなこと言われたら(四人衆に聞かれたら)余計迎えに行きづらくなる。

 いや、比企谷=ヒキタニと認識されてない以上、真鶴を責めるのは酷というものだが。

 

『あっ、と……ちょっと場所変えます』

 

 そうしてやってくれ。無駄に四人衆のヘイトを高める必要はない。

 

 

『お待たせ。……で、彼氏なら迎えに来ますよね?』

 

 彼氏じゃねぇよ……。

 口から出かかるも、次の言葉がそれを飲み込ませた。

 

『川崎さん彼氏じゃないとか言ってましたけど、住み込みで家事までしててただの同級生とか信じられるわけないです』

 

 客観的に説明され、状況の異常性に初めて気づかされた。

 確かに一緒に住んでると聞けば大学生同士の恋愛同棲を思い浮かべるのが自然だ。住み込みJDメイドを雇っていると発想する方がおかしい。むしろ恋愛関係を否定したら、宿を貸し与える代わりに性を搾取する泊め男に思われてしまいそう。これだと外聞が悪いを通り越し、事案待ったなしである。

 ここは嘘でも彼氏ムーブしといた方が誤解を生まなくて良いのかもしれない。嘘の彼氏とかいう新たな問題が生まれてしまうが……。

 しかし、そうやって偽ると俺は予定通り処されることになる。嫉妬に狂ったこの世の終わり四人衆に。

 なかなかの詰んだ状態に辟易していると、真鶴はお構いなしに話を続ける。

 

『それより、今日川崎さんが待ち合わせ場所に来る時、付いてきた男が合コンにも参加してたんですけど、その人物に心当たりとかありませんか? もしかしてストーカー?』

 

 はい、心当たりありますよ。その人物、俺ですから。と本人が答えるわけにもいかず、黙り込んでしまう。

 ってか、俺ストーカー疑惑かかってたのか。そんなのがいる合コンにお前どんな気持ちで参加してたんだよ……、心の底からすみません!

 

『川崎さん合コンでも人気だし、こんな状態で二次会に連れて行ってなにかあったらと思うと……』

 

 確かに、疑いようのない川崎人気をこの目で見届けた。彼女を気遣うようなその言動に、真鶴を少し見直……

 

『……こんなに酔ってる川崎さんに甘えられたら、男共は簡単に落とされちゃいます。彼氏持ちでそんなの許されないでしょ、早く引き取ってください』

 

 ……すのを思い直した。

 こいつ、結局自分のことしか考えてねぇ……。

 

 いや、それは俺も同じか。川崎が泥酔して帰れないのに、男共の制裁を恐れて自己保身に走ってやがるこの俺と。

 こんなの彼氏じゃなかろうと迎えに行くしかないだろ。一瞬でも放置しようと考えた自分に激しい嫌悪を抱く。

 

 どんな形であれ、選択を正してくれた真鶴に心の中で礼を言うと、川崎を迎えに行くことへの抵抗はなくなった。

 

 

×  ×  ×

 

 

 個室に戻ると、全員の視線がこちらを向く。

 

「あの……どなたでしょうか?」

 

 皆を代表して不安気に問うてくる真鶴に説明する。

 

「電話で迎えに来てくれと言われた比企谷ですが……」

 

 自己紹介して不審者から比企谷への転身を試みた。この言い方だと、不審者が成長すると比企谷に呼び名が変わる、みたいな誤解を生みそう。実に不名誉な出世魚である。

 

 比企谷と口にした瞬間、電車内で『この人、痴漢です!』と叫ばれた男レベルに注目された。それ、潔白であろうと動揺するやつだから。つまり、俺もちょっとキョドった。

 特に男性陣は様々な思惑があるのか、じっとりとした視線が絡みつく。中には、下の方に目線が向く者もいる。いや、粗末じゃないからね。……多分。

 そんな中、真鶴は意外にも嬉々として迎えてくれた。

 

「ヒキガヤくんですか⁉ お待ちしてました! 川崎さん今こんなで、迎えに来てくださって助かります!」

 

 証明の必要もなく不審者扱いは回避。合コンの時とは真逆の歓迎っぷりに、思わず力のない笑みが零れてしまう。

 

 

 

 ――あの後、俺は囮にした己の名と川崎を取り戻すため、一計を案じた。

 腹痛と偽って抜け出すと、変装するための服を買って姿勢を正し、セットしていた髪を乱す。そして、変装といえばメガネだろう。

 いつぞやの『意外に似合う、かも』と由比ヶ浜に言わしめたメガネと似たデザインの物をチョイス。高校時代の知り合いならともかく、付き合いの浅いこいつらなら騙せると踏み、”比企谷”に扮したのだ。

 結果、俺の見立ては正しかったと証明されたのだが、本人が比企谷に扮するという正気とは思えない作戦を実行してしまうあたり、今夜の俺は酔っていると言わざるを得ない。

 

 まぁ、比企谷に戻ったところで男子受けが悪いのは先の不安通りだが、大学で今後一生ヒキタニとして生を全うすれば問題ない。いや、本来は大問題だが、基本ぼっちな俺の大学生活で関わるのは似戸部くらいなので、似戸部にそう思わせていればいいだけだから、やはり問題などなかった。ぼっちが最強。またしても、それが証明されてしまったな。

 

 とは言え、長い時間滞在すると襤褸が出る可能性は大いにある。俺は目的である川崎――テーブルで突っ伏すポニーテール――を捉えて彼女に近づこうとしたが、それを阻んだのは松田(外科医志望)だった。

 

「いま川崎さん気分悪そうだし、落ち着くまでちょっとだけ待ってあげてくれないかな? ほら、比企谷くんも迎えに来て喉渇いたでしょ。これでもどう?」

 

 そう言って差し出されたビールには、恐らく睡眠導入剤が混入しているだろう。

 

「いや、有り難いんだが、俺は客じゃないからこの個室で飲む権利がないんで遠慮させてもらう」

 

 社会規範に則ってやんわり拒むと、松田は悔しそうに俺と酒を交互に見やる。ぶっちゃけ酒に薬入れるとか普通に危険だからやめとけ、マジで。

 

「川崎さんまともに歩けないっぽくないすか? 俺も一緒に送ってきますよ」

 

 それはユーチューバー志望山北が口にした助勢の言葉。だが、住所の拡散が目的だろ?

 

「大丈夫、タクシーで帰るから。気遣いありがとうな」

 

 住所漏洩の可能性を一刀両断する。

 

「タクシーで大丈夫ですか? 結構お金かかっちゃいますよ」

 

 清川(弁護士志望)はそう言って俺の懐を心配するが、金の出処を突きたがっているのは知っている。

 

「講義以外の時間はバイト入れまくってるから懐に余裕はある。こんな状態の川崎を電車になんて乗せれん」

 

 資金は窃盗でも援助でもなく、愚直なアルバイトだとはっきり教えてやる。おまけにタクシーで迎えに来ることで勤務形態超ホワイトアピール。人身売買などという事実無根を挟む隙は与えない。

 悉く狙いを躱す人生二度目のような立ち回り。それを支えたヒキタニの素晴らしき諜報活動に、心の中で賞賛する(比企谷)がいた。

 

 後は川崎を起こして連れ帰ればミッション終了。そう思い、テーブルから生えるポニーテールを見下ろし佇んでいた。すると、真鶴が隣へちょこんと寄り添う。

 そして、小さく秘め事めいた囁きを俺の耳へ送り届けた。

 

「……実は、合コンに参加してたヒキタニ? っていうストーカーはお腹が痛いって言って先に帰っちゃいました」

 

 律儀にも、電話で話していた要注意人物(俺なんですけど)の報告をしてくれた。その時はストーカー疑惑だったのに、今ではストーカー認定済みの口振りなのにちょっと傷ついたのはここだけの話。

 

 今後、女子の前でヒキタニと名乗りたくねぇなこれ。でも、男子の前では比企谷を名乗ると身の危険を感じるんですがね。これは、いよいよオタガヤとして再デビューする日が訪れたか……、ってオタガヤは社会的に仮死状態。ヒキハラは……存在が被ハラスメントで名乗りたくねぇし。なにそれ、俺の人生詰んでるじゃん。

 どの名前も世間体は虫の息で、人生の絶望に打ちひしがれていると、真鶴の言葉がぽしょぽしょと続いた。

 

「……引き留めた方が良かったです?」

 

 恐ろしい気の回し方をしないでくれ。引き留めていたらこうして迎えに来ることは出来なかっただろう。

 

「引き留めなくて良かったと思うぞ。別の問題が発生しそうだし」

 

 主に俺がここに来れない問題がな、とは口にしないが。それは真鶴にとって窺い知れぬ部分だし。

 だが、彼女は別の意味に受け取ったらしく、妙に納得する。

 

「そうですよね、鉢合わせて刃傷沙汰になられても困りますし」

「そ、そうそう……」

 

 返答が物騒すぎて俺の方が言葉に詰まった。刃物はいかん。せめて平塚先生好みの男同士肉体言語で語り合う展開止まりにして欲しい。俺がノックアウトされる展開は避けられないがな。避けられないのかよ。

 

 避けられない世界線を勝手に妄想し、味わわなくてもいい辛酸を舐めていると、未だ吐息がかかる距離に真鶴の顔があった。

 すんと軽く鼻を鳴らすと、目を丸くする。

 

「……っ?」

 

 え、もしかして俺臭かった?

 おかしいな。そう思われないために合コン前から小町特選コロンを吹き掛けてきたのだが、これで掻き消せないほどの成長を遂げてしまったのか俺の加齢臭。今年の誕生日も小町特選コロンをプレゼントされるかもしれん。

 

 そんな益体もないお盆帰省を夢想していると、真鶴は驚いた表情で固まっていた。しばらくすると、記憶が呼び起こされたのか、無意識に洩れた呟きが俺の耳朶を打つ。

 

「……ヒキタニ?」

「⁈」

 

 まさかの一言に、俺の心臓は大きく跳ね上がる。

 努めて無反応を装うも、全身の毛穴は開き、汗腺からぶわりと汗が吹き出す。

 

 激しく猛る心音が傍らの真鶴に聞かれないかと気が気ではなかった。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

またサブキャラたちとのやり取りがくど過ぎないか心配ですが、それも次話では落ち着くんで御辛抱ください。
今回から伏字やめました。原作も伏字してないし、問題あったらその時直そうの精神。

次回、いよいよお持ち帰り!

 ……出来るのだろうか?


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