ようこそしたくなかったわ、こんな教室 (ケツマン)
しおりを挟む

1巻前半
初手、詰み。


不定期更新


目を開けたら知らない天井だった。

 

 

「……はあ?」

 

 

有名な台詞を言ってみたいところだが、思いついても中々咄嗟には口に出ないものである。

 

簡素な作りのベッドから身を起こし、辺りを観察する。

全体を白に統一された室内に、僅かな薬品の匂いが鼻に刺さる。

ベッドの仕切りに大きなカーテンがつけられているところから、此処は保健室なのだろう。

 

 

(嗚呼……そうか)

 

 

水泳の授業中に脚がつって、そのまま溺れたのだ。

熊のような体格の体育教師がすぐに引き上げてくれたものの、体調が悪いことを見抜かれて保健室へ。

実際、慣れない環境への疲労が溜まっていたのか今朝から微熱と倦怠感に苛まれていた『ボク』はあっさりとベッドの上で意識を失った。

 

そうして朦朧とする意識の中。

ゆったりと覚醒し、ようやくしっかりと目を覚ました時。

『俺』という存在が、本当の意味で目を覚ました。

 

 

「……クソ、クソ、クソ。ふざけんなよクソが。『よう実』かよ。しかも転生? 憑依? 何でこのタイミングなんだよクソが」

 

 

16年間、聞き慣れてる筈の『ボク』の喉から響き渡る小鳥のような美しいボーイソプラノが何とも、非常に、心の底から、気色悪い。

両親からはまるで「天使みたい」と称されているこの身体には実際、似合ってるだろう。

だが『俺』の中身は40過ぎのオッサンなのだ。

社内の健康診断に怯え、ビールっ腹のせいで内臓脂肪が気になり。頭頂部と前髪もなんだか怪しくなってきたどこにでもいる一般リーマン。

 

若く美しい『ボク』と、いい歳こいて加齢臭に怯えていた『俺』という存在の何もかもがチグハグで、噛み合うことも無く、どうにも気持ちが悪い。

身体を動かす度、声をあげる度、息をする度に違和感を感じるのだ。

 

 

「つーか、俺。死んだのかなあ」

 

 

トラックに轢かれた覚えも無ければ神さまに出会った覚えもない。

デブでハゲなオッサンとは言え持病は持ってなかったので突然死も考えにくい。

だがこうして16歳の青年の身体の中に記憶が芽生えているのは事実な訳で。

 

 

「呆気ねえ人生だったな」

 

 

なんとも言えない静寂感と虚無感に苛まれて呆けていると、ガラガラと音がした。

保健室の出入り口が開かれる音で意識を取り戻し目をやると、そこには白衣を着た頭の悪そうな女が胡散臭い笑みを浮かべて立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気持ち悪い程に美形だな」

 

 

寮の自室に戻った俺は、備え付けてある風呂場でシャワーを浴びていた。

鏡を見やれば、鳥の巣のような洒落っ気のカケラも無いボサボサの黒髪がしっとりと濡れ、真っ白な顔にへばりついている。

頭からは湯をかける度に黒い液体がドロドロと溶け出し、すっかりと地毛である白金色が雫を反射してはキラキラと輝いている。

 

昨日までの『ボク』は1000円にも満たない。否、1000ポイントにも満たない安物の黒染めを使っていたのだ。

もしかしたら保健室の枕にも溶けだした染料が染みついているかもしれない。

後になってクリーニング代を請求されなければいいのだが。

 

 

「美少年キャラ。っつうか、どっちかと言えば男の娘か。チビだしガリだし。制服着ても男装した女子中学生にしか見えんわな」

 

 

黒縁の伊達眼鏡に隠れていた『ボク』の顔は中性的という言葉では足りないくらいに少女的で美しかった。

神秘的なプラチナブロンドに、非現実的なまでに妖しく煌めく宝石のようなヴァイオレットの瞳。

頰は薔薇色、唇は艶やか。肌は白く、細く、痩身麗人。

 

それでいて下半身にぶら下がる雄の証は『俺』、つまり前世の自分よりも太く雄々しく逞しいものだからミスマッチが半端じゃ無い。

 

 

「これが自分の顔だと思うと、やっぱ違和感凄いよなあ」

 

 

大きく溜め息を一つ。

『俺』は鏡を見ていると落ち着かないので、とっとと浴室から出てバスタオルで乱暴に頭を拭う。

無料支給品の一つである簡素なトランクスを履き、ベッドにどっかりと腰を降ろすと、この身体の持ち主である『ボク』。

つまり今世の自分について考えていた。

 

 

佐城 ハリソン。

家族からは某魔法使い物語の主人公と同じイントネーションでハリーと呼ばれていた、イギリス人の母と日本人の父を持つハーフの青年。

兄と姉が一人ずつの五人家族。

 

華奢な骨格に薄過ぎる筋肉、真珠の如く光って見える白い肌に包まれたこの身体は余りにも細い。

背も低く、下半身にさえ目を瞑ってしまえば、少年どころか貧乳の金髪碧眼正統派の洋モノ美少女にしか見えないナリをしている。

だが、そんな頼りない身体つきに反して運動神経は優れており、体力測定の成績は意外なことに平均以上。

そして学力に関しては群を抜いて優秀で、偏差値の高さで有名だった進学校に通っていた中学時代では学年3位以下を取ったことが無いという秀才ぶり。

さらには男性的な美貌とは言えないものの、ある意味では非常に恵まれたこの容姿のおかげか友人も多く、過去には何人かの女生徒に告白されたりもしていた。

 

 

 

「スペックだけ見りゃBクラス。いや、戸塚だっけ? あんなんでもAクラスに入れるんだからAクラス行けた可能性もあったな」

 

 

だが『ボク』の人生は順風満帆であった訳では無い。

中学2年のある日、ある事件が発覚し警察沙汰となり被害者として悪目立ちしてしまったのだ。

その後、事件の『珍しさ』と加害者側の思わぬ『事情』のせいでマスコミに大きく報道され、地元では知らぬ人など居ない程に大事となった。

佐城少年は騒ぎ立てる周囲の反応やマスコミの報道で情緒不安定になり、やがて登校拒否。

留年すら危ぶまれる程の長期の欠席の末、なんとかカウンセリングを受けながらの保健室登校という形で復帰。

 

事件の当事者として未だ冷めぬマスコミの熱気のせいで地元に居づらくなった事。

更に事情をよく知る当時の学年主任や校長からの勧めもあり、全寮制で周りの人間が知らない人ばかりだという利点から、思い切ってある国立の学校へと進学する。

 

そしてその学校こそが……

 

 

「高度育成高等学校、ね。名前だけはご大層なもので」

 

 

フンと鼻を鳴らしながら部屋に備え付けてあった冷蔵庫を開き、前日に買いこんであった無料の飲料水を取り出す。

蓋を捻じ開けると同時に、開けっ放しだった冷蔵庫の扉に理不尽な現実に対する苛立ちを込めて思いっきり蹴りを入れた。

 

バタンと乱暴な音を立てて閉じた冷蔵庫がその衝撃で大きく位置をずらした。

ゴクリゴクリと喉を鳴らして一気に水を飲み干し、空になったペットボトルをグシャリと潰してゴミ箱に放り投げた。

 

どうにも、この少女的美貌の持ち主であるハリソン君には似合わない行動だが、そんな事を気にしている余裕は無い。

もはや俺は限界だった。溢れ出す苛立ちがそのまま口から漏れ出てくるのが止められないのだ。

 

 

「クソクソクソクソ……クソ‼︎ 何でよりによって『よう実』なんだよ‼︎ つーか前世の記憶が何で今このタイミングで生えてくるんだよ‼︎ 空気読めやクソが‼︎」

 

 

俺が記憶を取り戻した切っ掛けは水泳の授業中に足を吊って溺れ、死にかけた時だ。

当然、とっくに入学式なんて終わってて、授業も本格的に始まっている。

 

今からやっぱヤーメタ。なんて言って舞台からフェードアウトする事は出来ない。

自主退学という形で学校から逃げ出す事は出来るが、地元での事件のことも考えると帰るのはしばらく避けたいので実質、逃げ場は無し。

 

 

「こんな犯罪者養成校みてえな学校。中身を知ってたら入学なんか絶対しなかった……この身体のスペックだったらどんな進学校だって入学出来てたのに」

 

 

進学率、就職率共に100%。

そんな夢のような謳い文句で生徒を集めるこの学校には当然裏がある。

 

優秀な者から順にA〜Dの4つのクラスに分類された生徒の内、その恩恵を享受できるのは卒業時に最も優秀だと認められた、エリートの集まり、Aクラスに在籍している者達だけだ。

それだけならば他の進学校や名門予備校などのシステムと大きくは変わらないのだが、残念ながらこの世界はフィクションだ。

 

つまり、ライトノベルの世界なのだ。

第四の壁の向こう側にいる読者を楽しませる為なのだろう。

イジメは決して認めないと謳いながらもガバガバなセキュリティに、悪事し放題の頭ユルユルな穴だらけのルール。

物語を盛り上げる為だろう特別試験とやらは、騙し討ちで無人島に放り込んでサバイバルをやらせたりと何でもありだ。

 

現に作品内では登場人物の何名かが集団での暴行を受けたり、強姦未遂やネットを使ったイジメの標的にされている。

主人公の『綾小路清隆』に至っては担任である茶柱佐枝から脅迫までされる始末だ。

 

 

「いや、綾小路はどうでもいいんだよ。あいつチートだし。内面はロボットだし。放っておいても無双するし」

 

 

簡単に言うとこの学校は制度を始めとして教師の性質や思想まで、何から何まで頭がおかしいツッコミどころが満載だ。

一読者としてこの世界を読めば実に魅力的で斬新で、とても面白い作品となるだろう。

事実、前世の俺も結構ハマっていたし、二次創作やSSなんかも結構読んでいた口だ。

 

だが、残酷な事ながら、これは現実だ。

16年間、佐城 ハリソンとして生きた記憶と、前世で40数年間生きてきた草臥れたオッサンの記憶が混ざり合った現在、これからの生活は決して他人事では無い。

 

この『ようこそ実力至上主義の教室へ』というタイトルの割には「実力とは?」とツッコミ入れたくなるような、このフィクションの世界こそが、これからの俺にとっての現実なのだ。

 

 

「幸いまだ入学してから1週間。目立たないように生きてきたから、ボッチではあるが動きやすい。誰にも目をつけられてない筈」

 

 

顔を歪ませて舌打ちをする。

 

佐城少年はある理由からこの圧倒的な美貌を隠していた。

髪を黒く染めてボサボサにし、伊達眼鏡をかけて猫背で過ごして来たのも中学時代の事件からのトラウマが原因だ。

原作で佐倉が目立たないように擬態していたのと似た理由である。

 

そのお陰でクラスでは常に孤独だ。友人はおらず端末内の連絡先も寮の管理人と担任の茶柱。クラスのリーダーである平田とアイドルの櫛田以外は真っさら。

現在のクラス内での佐城少年の評価はチビガリの陰キャで統一されており、居ても居なくても変わらないような扱いだ。

きっと学校内の女子による裏ランキングでは上位に位置している事だろう。

大半、碌でもない理由からだろうが。

 

というかこの学園に登場する人物の大半が碌でも無い。

クソクソクソクソ。いっそ前世の記憶が無い方が幸せだったのかもしれない。

現実はいつだってクソゲーなのだ。

 

 

「考えれば考えるほど碌でも無い世界じゃねえか……ラノベとしては最高でも学校としては最悪なんだよこの高校は‼︎」

 

 

国立の学園に務める教師の癖に生徒を脅す喫煙者の教師や、教育者にあるまじき貞操観念ガバガバの酒癖悪い教師が勤めているのも現実。

 

ホワイトルームとかいう人権無視の、もはや半分SFに片足突っ込んでるんじゃないかという怪しい実験施設も現実。

 

障害のせいで運動神経0なら、お前AクラスじゃなくてDクラス在籍が当然だろうとツッコミ入れたくなる、理事長の実の娘であるサディスティックなリトルガールが暗躍するのも現実。

 

紫色の頭髪をした頭のおかしいヤクザ予備軍の陰湿暴力ドラゴンボーイが、証拠が無ければ何しても良いという考えの元に特に罪の無い保護されるべき未成年を暴行して「ククク」ってるのも現実。

 

 

そしてこの佐城 ハリソンが在籍するDクラスに。

他人を利用すべき道具か否かでしか判別しない。

必要とあらば顔色一つ変えず強姦未遂や暴行までやらかす関わりたくない人間、圧倒的ナンバーワン。

あの最強無敵の頭おかしいサイコパス系主人公。

 

綾小路きよぽんがいるのも現実なのだ。

 

 

「原作知識で無双? 主人公が公式チートな時点で無理に決まってるだろボケが‼︎ どんなにハイスペックでもアイツと高円寺には勝てんわ‼︎」

 

 

叫びながら蹴りを入れると、ちゃぶ台がわりの小さなテーブルが勢いよく吹っ飛んで壁に激突した。

ガシャンと何かが割れたような音、自分の荒い吐息の音。心臓の鼓動。

 

 

「クソ‼︎ 落ち着け……落ち着け。別にまだ致命的な何かをやらかしたワケじゃ無ぇんだ。落ち着け」

 

 

しばらく頭を抱えてベッドに蹲る。

自分に言い聞かせながら身体の熱を少しずつ冷ましていく。

ゆっくりと頭の中を整理し、ようやく今後の方針を固めた。

 

 

「退学は避ける。その為には茶柱に目をつけられるのは避ける。当然、綾小路周辺も避ける。平田や櫛田辺りも避ける。頭のおかしい他クラスに目をつけられるのも避けなきゃならねえ」

 

 

この世界で注意すべき人間は多い。

Dクラスの中に限定しても、担任の『茶柱 佐枝』と主人公の『綾小路 清隆』。

それから過去が重いクラスのリーダーである『平田』と、将来は新宿辺りでナンバーワンキャバ嬢になってそうな『櫛田』。

孤独と孤高がナンタラカンタラの『堀北』。あと普通に不良だから関わりたく無い『須藤』。

メインヒロイン予定の『軽井沢』や、力を隠しているらしい『松下』辺りも避けるべきだろう。

 

他クラスは更に頭おかしいのが多い。

Bクラス担任のビッチ『星之宮 知恵』。

Aクラスの未来リーダーの『坂柳 有栖』。

Cクラスの暴君となる『龍園 翔』。

 

 

「危険は避ける。徹底的に避ける。友情? 恋愛? そんなもんより身の安全が第一だ」

 

 

前世では高校時代の友人なんて直ぐに縁が切れた。

卒業式前に「ズッ友だよ‼︎」的な約束しても大学卒業する頃には、すっかり顔と名前すら一致しない過去の記憶に成り果てた。

 

恋人だって何人か居たが長続きしなかった。

金と時間を浪して彼女の御機嫌とりしてウダウダやるよりも、成人を待ってしっかり金を稼いだ後に風俗に通って気分によって色んなタイプの女を抱く方が精神的にも金銭的にも結局は楽だった。

 

 

「期待は、しない。派手な動きも、しない。余計なことは、一切しない。ただ卒業まで、必要最低限な行動以外、一切しない」

 

 

どうせこの学園はフィクションの世界なのだ。

何をやっても構わないだろう。そう考える事も出来る。

だが、だからこそ。逆に何もやらなくても構わないだろう。

 

幸いな事に主人公が同じクラスなのだ。

メタ的な視点から言って、最後の最後で「主人公が負けましたー、はい残念」なんて萎えるようなオチは使わないだろう。

 

この作品における勝利の定義は『卒業時にAクラスに在籍している事』

つまり綾小路に敵対したり、綾小路本人が2000万プライベートポイントを使ったクラスの移籍さえしなければ、彼と同じクラスに在籍しているだけで勝利が約束されている。

要するに、無難に3年間やり過ごせばAクラスで卒業できる筈だ。

 

 

「卒業さえ出来ればいいんだ。別に多くは望まない」

 

 

最悪、何かの事情でAクラス卒業が不可になったとしても別にこちらは困らない。

避けるべきなのはあくまでも退学だけなのだから。

 

 

「……で、だ。目下の急務は金策を練る事だな」

 

 

原作通りならば5月からは茶柱が愉悦の表情でDクラスの評価とSシステムの説明を告げ、評価0となった俺たちは毎月の収入が皆無となる筈だ。

実際は中間テスト後に紆余曲折の後、無事にポイントが支給される訳だが、それにしたって1万ポイントにも満たない。

他クラスと比べるとあまりにも貧しく、無様な生活が始まる訳だ。

 

 

「だが、俺がそれに付き合う義理は無い」

 

 

幸いな事にポイントの稼ぎ方にはいくつか目処が立っている。

二次創作でお馴染みの卓上遊戯における賭博や、情報の売買などは確実な手段だ。

だが余りにも派手に稼ぎ過ぎれば、確実に担任である茶柱に目をつけられるだろう。

作品内ではついぞ明かされる事は無かったが、あの女のAクラスへの執着は半端では無い。

 

作中でも「いい歳こいて仮にも教育者が何やっとんねん」とツッコミたくなる場面は何度もあった。

彼女に目をつけられれば即退学。という事は無くとも情報操作などでクラス内での立ち位置を悪くされる恐れがある。

 

ましてや綾小路と共に放送で呼び出されて堀北に協力するような流れを強制されたら、学園生活の難易度が一気にルナティックへと変貌すること間違い無しだ。

 

 

「金は稼ぐ。だが人目は引かない。両方やらなくっちゃあならないのが……って何かの台詞にあったよな」

 

 

両方の条件を満たすのは難しいが、こなさなければ平穏はやってこない。

目立つ事なく、それでいて確実にプライベートポイントを稼ぐにはどうするべきか。

 

 

「時間はある。ゆっくり考えればいいんだ。ゆっくりと、ゆっくり、と」

 

 

灯りを消して布団に包まると俺は、自分に言い聞かすように目を瞑りながら赤子のように身体を丸めた。

そうして朝日が昇るまで目を閉じて、思考の海に深く深く溺れていった。




不定期で編集します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

目立ちたくない‼︎※無理です

作品の軸がぶれている。話進まないし。
評価、感想ありがとうございます。
とても嬉しいです。感想や評価がそのまま創作意欲になります。


問い。

人は平等であるか否か。

 

 

答え。

人は平等ではない。

 

 

 

そもそも、この質問を投げかけること自体が、どこか情けない『甘え』や無駄な『期待』を含んでいる気がする。

世界中で見ても非常に高い世界平和度指数を誇る我が国、日本に住んでいる人間がこんな質問をすること自体。

何というか、少し烏滸がましい事ではないだろうか?

 

世界中には家もなく、家族もなく、満足な医療福祉施設もなく。

ただ生きる事。生存して命の営みを送る事だけ。それすら出来ない人間が、世界中の其処彼処にいるのだから。

 

 

Mr.一万円札のお偉い様はこう言った。

「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず」。

だが、断言しよう。この言葉は世迷いごとだ。何の根拠も無い真っ赤な嘘であると。

 

例として中世ヨーロッパ時代の裕福な王族に産まれた子供と、毎年口減らしで何人も捨てられるような寒村に産まれた子供の価値が同じな訳が無い。

この世に生を受けたその瞬間から、人の上には人が乗っているし、人の下には人が踏みにじられているのだ。

極論は止めろ。と顔を顰めたくなるかもしれないが、現代日本においても大企業の息子と借金まみれの貧乏人の息子では産まれた瞬間から立場が違うだろう。

 

王には王の。貴人には貴人の。平民には平民の。奴隷には奴隷の。

身分によって幸せの形は様々に変わる訳だから、恵まれた産まれ=幸せの確約という訳ではない。

だが少し考えただけでも『平等』という言葉が如何に薄っぺらく現実味が無いかというのは猿でも分かるだろう。

 

社会的地位だけでは無い。

子供は親を選べない訳だから、この平和な日本においても育児放棄や児童虐待を受けて育つ悲惨な子供。

彼らは果たしてごく普通の一般家庭で、ごく普通に愛された子供と『平等』などと言えるだろうか。

 

産まれた瞬間から人間はその遺伝子や環境のせいで残酷なまでの『不平等』と共に産まれ、共に生ていく事を強制される訳だが、残念な事に『不平等』という厄災は我々の人生に未だしつこく、まとわりついてくる。

 

生まれた時からバラつきがある我々人間のステータスは、恵まれない者に更なる追い打ちをかける為、能力の伸び代に大きな差を作るのだ。

そしてその限界値の差分という、不確かなモノを決定づけるのが、俗に言う『才能』だ。

 

『才能』は理不尽で、『不平等』の極みである。

パッと見は目につき辛いながらも、確実に存在する、生まれつきの『天命』。

『才能』はやがて人間一人一人の『実力』に『不平等』な『絶対的な差』を生みだし、やがてその大きさを社会的『価値』の違いへと精算していくのだ。

 

 

例え話をしよう。

 

ある青年がテスト勉強の為に教科書を3時間ぶっ続けで暗記に励んだとする。

努力家ながら平凡な彼は、長時間勉強に励んだ甲斐あってか、10ページを丸暗記した。

また、別の少女が同じ条件で3時間暗記に励んだ。

努力家という訳では無い彼女は、時折、休憩という名のサボりをいれつつも3時間でなんと100ページを丸暗記してしまった。

 

何故か? それは彼女に『速読』や『暗記』、『集中力』という才能があったからだ。

運動神経が悪いと言われている者が野球選手になろうと毎日5時間練習し、5の能力を身につけたとする。

だが『才能』のある者が半ば鼻歌まじりに毎朝30分の練習しただけで10の能力を身につけてしまったり。

 

残念な事にこれが現実だ。悲しい事にこれが現実なのだ。

『才能』の有無は人間の将来性を大きく決定づける、あまりにも酷い天命なのだ。

 

 

人間の価値や生き様を運命的に決定づけてしまう、目に見えない。けれど確かに存在する。

そんな美しくも眩しく、不確かでありながら、確実に存在する『才能』という秘宝。

 

その中でも例外的に。

一際目立ち、一目で誰にでも理解できる。

そんな特殊なカタチを持った『才能』が一つだけある。

 

それこそが両親の遺伝や体質によって形づけられる、まさに天の采配によってのみ生まれる『才能』。

この世に生を受けた瞬間、誰が見てもハッキリ顕著する『才能』。

 

 

そう、それこそが……

 

 

 

 

 

 

 

「キャアアアアアァァーーーッッ‼︎ スッッゴク‼︎ スッゴク‼︎ もうヤバイぐらい最高に、最上に、最っっっ強にカワイイですよ‼︎ お客様‼︎」

 

「アッハイ」

 

「うっわ無理ヤバッ‼︎ 美し過ぎて尊過ぎて胸キュンしちゃう‼︎ あかん興奮で涎垂れてきたズジュル‼︎ 少女漫画で憧れた理想のお姫様が私の手で今ここにイイイィィッ‼︎ ウヘヘヘヘ……‼︎」

 

「アッハイ」

 

 

それこそが『容姿』だ。

 

……多分。

 

 

 

 

南国の高級スパを意識したオシャレな作りの店内で仕事に励んでくれた、担当の美容師は落ち着いた雰囲気の妙齢の美人である。

だが、瞳をキラキラ。を通り越してギラギラと輝かせ、興奮のせいで顔を真っ赤にしては鼻血と涎を垂れ流し、恍惚の笑みで俺を誉め殺している様は、何というか。

もはや、残念の一言でしかない。

 

さすがフィクションの世界、ラノベの世界。

本来なら登場しないようなモブキャラまでもこんなにしっかりとキャラ付けされてるとは恐れいる。

 

 

(何で髪を切りに来ただけで、こんな騒がれなきゃアカンのだ)

 

 

俺の死んだ目と現実逃避に気付かないのか、美容師のお姉さんはそのまま流れるように髪のケアの仕方や、オススメの整髪剤の紹介。

そしてドライヤーの当て方やヘアアイロン(髪に巻くコテの事らしい。オッサンにはアイロンというとシャツの皺伸ばしのアレしか思い浮かばなかった)のやり方についてマシンガンの如く語り続ける。

 

 

それについてはまだ仕事の一環として理解できるから良いのだが……

何故このゆるふわ系のお姉さんはオススメのブランドの化粧品や、服装のコーディネートまで提案してくるのだろうか?

え? 彼氏がキスしたくなる魅惑のリップメイクのやり方?

要らんわそんなもん。

大体カットの最中の雑談で俺の性別は男だと10回以上は説明しただろうに。

 

 

(まあ、無理もないけどさ。この顔だしなぁ。我ながら何食ったらこんな顔面偏差値になるのかワケ分からんし)

 

 

美容院。否、ヘアサロン(違いは判らんよ。オッサンには)に備え付けられてある大きな姿見に写るのは輝くような美貌を持つ儚げな美少女だった。

 

月明かりを蕩かしたようなプラチナブロンドの頭髪はショートボブをベースに、立体的な仕上がりとなっている。

醜態を現在進行形で晒しているとは言え、美容師の腕自体は確かなのだろう。

レイヤードテクニックを存分に奮い、ナチュラルパーマを最大にまで生かしたふんわりとしたヘアスタイルは、我ながら西洋絵画に出てくる天使の如く神秘的で美しい。

 

前髪は緩くアシンメトリー状。

軽く流しただけの、いっそ寒々しいぐらいのシンプルな作りが素の美しさを最大限に。

つまりはこの佐城 ハリソン少年の最高の美貌を至高の域にまで引き出しているのだ。

 

その魅力や否や。

一度街中を歩けば男子は新たな恋の予感に胸を高鳴らせ、女子は嫉妬の炎にその胸を焦がしつつも思わず視線を奪われる事、間違いなし。

 

 

(この顔で男なんだから詐欺だよなぁ。っつうかどうせ美少年? 美青年? に憑依するんならもっと正統派なイケメンが良かったんだけど。こう、背高くて、筋肉あって、堀りが深い感じの正統派に)

 

 

身長190センチの筋肉モリモリマッチョマンの変態。とまでは高望みしないけどさあ。

キャーキャーと鼻血を吹き出しながらもカシャカシャと勝手に写真を取って盛り上がっている推定年齢20代後半の残念美人の醜態に頰を引攣らせながらも、俺はそんな事を考えて必死に現実から逃避していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タダになるどころか逆にポイントを貰えるとは……美人は得ってよく聞くけど本当だったんだな」

 

 

時刻は夕方。

昼食を始めとして細々とした簡単な買い物を終えた俺は自室に戻って鏡を見ていた。

 

あの後、テンションの振り切った美容師のお姉さんが。

「カット代はタダでいいので‼︎ むしろ此方が5000ポイント払うので‼︎ モデルとして広告に使わせて下さい‼︎ お願いしますううう‼︎ こんな最高のモデルは二度と現れないんですうううぅぅぅ‼︎」

と大声で喚いて五体投地してくるものだから、推しに推されてそういう形になった。

 

明らかに俺のバストアップ画像が男性モデルではなく女性モデルとして扱われそうなのが正直なところ微妙な心境だが、ポイントが貰えるならばそんな些事は水に流す。

 

 

「と言うか16歳にもなって髭どころか無駄毛が一切生えないってどうなってんだ? この身体」

 

 

ライトノベルの世界における男の娘キャラの宿命というやつなのだろうか。

前世では中学3年の時点でスネ毛が濃くなり、薄っすら髭や脇毛が生えてきたというのに、この無駄に美しい身体にはそういったものが一切無い。

鏡に映る美少年の顔面は訝しげに歪んでいるというのに嫌味な程に整っている。

 

天使のようにフワフワと広がる金糸のような髪。

宝石のような瞳は僅かに垂れ、羽のように広がる睫毛が絵画の縁取りの如く。

右目の下にはチャームポイントの泣き黒子。

鼻は筋が通り、耳は平たく象牙の彫刻の様。

頰は薔薇色、唇は桜桃。

そして肌の色は真珠を溶かしたような、煌めく白無垢。

 

 

「……何度見ても我ながら二次元めいた顔の作りだ。いや、此処ってラノベの世界だから二次元であってるのか?」

 

 

メタ的な話をするならば、ライトノベルなどの創作内における『男の娘キャラ』にとって女性らしい美貌はキャラクター的に必須なのだろう。

一読者として見た時に、女性のような外見が最大のウリである筈の男の娘に、髭や無駄毛といった男性らしさを強調する描写がされていたら萎えてしまう。

 

作品によっては性別が男にも関わらず、カワイイは正義と言わんばかりにサブヒロイン扱いされる場合もあるのだから、男を感じさせる要素というのは徹底的に排除されているのだろう。

 

 

「まさかヒロイン扱いされないだろうな。いや、率先して女装とかしなければ大丈夫か? でも原作内で綾小路が沖谷のこと可愛いって言ってた気が……」

 

 

何とも嫌な予感がムクムクともたげて来たところで逃げるようにして頭を何度か振って、鏡から離れて制服を脱ぐ。

部屋着と兼用している学校指定のジャージにさっさと着替えると、帰り際に怖いもの見たさで買ってきた、カエルの卵入りミルクティー(800ポイント‼︎ 紅茶と砂糖と牛乳に‼︎ デンプンの塊を入れただけの代物が800ポイント‼)︎をズゾゾと下品に音立てながら飲んでみる。

 

 

「うーむ……味がしない。タピオカって何が美味いんだ?」

 

 

昨今の女子高生の流行と味覚の異常さに呆れながらも、ベッドに座り込んだ俺はポケットから端末を取り出した。

入学当初支給されたスマフォ型の端末に表示されているポイント残高は96200ポイント。

もともと浪費を嫌う性格だった為に必要最低限の食費、それから安物の黒染めを始めとした細々した雑貨以外、一切の無駄遣いをしなかった『ボク』。

今日は文庫本2冊と必要最低限の身嗜みを整える為の雑貨類。

それから昼にチェーンのハンバーガーを食べ、帰り際に今飲んでいるタピオカミルクティーを購入したものの、臨時収入のお陰で殆どプラスマイナスゼロまで出費を抑えられた。

 

 

(とは言え手持ちの残金だと端金に変わりない。やっぱり金策は必須だよな)

 

 

1ポイント=1円と考えれば実に10万円近いの大金を持っている事になるが、残念ながらこの学校では大した金額ではない。

ポイントで買えないモノは無い。という頭のおかしいルールに支配されているこの高度育成高等学校においては10万ポイント払ったところでテストの点数を1点買うことしか出来ないのが現実なのだから、どうにも遣る瀬ない。

 

 

「一応金策はいくつか考えた。が、やっぱりリスクがある。というか、端末でポイントをやり繰りする縛りがキツイ。確実に茶柱にバレる」

 

 

ガジガジと太めのストローを嚙み潰しながらも、思わず文句が溢れる。

 

単純にポイントを稼ぐだけなら簡単なのだ。

だが悪目立ちしない。というか、担任である茶柱に悟られないように稼がなきゃいけない。という枷があまりにも面倒だ。

 

紫煙が似合うクールな美女である茶柱佐枝という人間は女性として考えると最高に近いかもしれないが、教師として考えると最低な部類だ。

原作において綾小路を脅しているし、堀北の思考を誘導してAクラスに近付こうとしている。

結果的に言えば須藤が救われたり無人島で勝利したりとDクラスに益を齎している。

だがやはりその思惑と行動は、国営の教育機関で働いている一社会人としては失格だ。

 

 

(もしDクラスで大量のポイントを稼いでいる人間がいると分かれば、茶柱なら確実に利用する。退学を仄めかしてでも……いや、退学もあり得る。のか?)

 

 

普通に考えれば一教師の私怨で生徒のポイントの使用用途を勝手に決めたり誘導したりすれば懲戒解雇待ったなしだ。

だが此処はフィクションの世界なのだ。頭のおかしい高度育成高等学校なのだ。

 

例え「退学にするぞ」と脅された証拠を録音して上層部。

つまりは理事長辺りに訴えても正当な処分を下してくれるか分からない。

例えば3日間の謹慎。のような、ほぼ名目上でしかない軽い処分で済まされたら最悪だ。

その後の茶柱に目をつけられるどころか怨敵として祟られるかもしれない。

綾小路経由で退学にでも追い込まれたら、ただ顔がいいだけで中身は無能なオッサンに抗いようは無い。

 

 

「担任も信用出来ない。学校自体も信用できない。う〜ん、これはクソゲーですな。間違いない」

 

 

協力者が必要だ。

俺の代わりにポイントをプールしてくれる協力者が。

茶柱を始めとした、他の厄介な生徒の目を逸らす為には1人で稼ぐのは危険だ。

 

だが、他クラスどころか時には同じクラスメートですら押し合いへし合い蹴落とし合い。

それが常識となっている、この『よう実』世界の中では簡単に人を信用できない。

契約でガチガチに縛ったとしても、裏の裏をつくような曲者だらけの世界。

倫理観や道徳観といった小学生でも持ち合わせているものを、すっかり放り棄てたような人間の集まりなのだ。

 

そんな奴らの良心に期待して、信用して信頼して、協力関係を結ぶ。

そんな事は実質、不可能である。

 

 

そう、『ただ1人』を除いて。

 

 

「Bクラスのリーダー。大天使こと、『一之瀬 帆波』。彼女なら、無条件で、確実に、絶対に、信頼できる」

 

 

人間性が腐っていた堀北ですら「本物の善人」と呼ばせた彼女の人の良さは伊達じゃない。

クラスを統率するリーダーとしての素質の有無については賛否両論あるが、その人間性に関しては間違いなく信頼に値する。

 

何故なら『そう作られたキャラクターだから』だ。

 

 

「キャラの内面が読めるっていうのは原作知識の中でも重宝するな。うっかり櫛田に惚れないですむし」

 

 

とは言え、一之瀬はBクラス。

図書館での勉強会イベントが発生するまでは基本的に関わり合いは無いし、本格的にDクラスと協力し始めるのは須藤の暴力事件が発生してからだ。

 

現時点ではDクラスにおいても只の陰キャボッチのモブFぐらいの存在でしかない俺が、いきなり彼女に接触するのはかなりハードルが高い。

 

 

「……どう接触するかは考えてある。が、そうなると多少は目立つリスクを負わなきゃいけないな」

 

 

 

空になったタピオカミルクティーの残骸をゴミ箱に放り投げ、俺は再び頭を抱えた。

背に腹はかえられない。仕方ない事なのだ。

俺は一之瀬と接触する為にも『ある女』と友好を結ばなきゃいけない現実とそのリスクが、どうにも不安だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Looks(ルックス)。容貌、人の見た目というのは実に重要な要素だ。

 

「※ただしイケメンに限る」なんてネットスラングが流行するぐらいに、容姿の良し悪しというのは現代社会において。

否、太古の昔から重要視されている。

クレオパトラがその美貌を利用して類稀なる外交センスを発揮したように、その顔の作りや身体つき。

第三者から見た外見の価値というものは非常に重宝される。

 

それはもちろん女でも男でも変わらない。

男がグラビアアイドルに鼻の下を伸ばすことも、イケメンアイドルグループに若い女性がキャーキャー黄色い声援を送っているのは前世でも今世でも同じだ。

巨乳の美女を遠くから眺めて、あの女を抱いてみたいと男性が劣情を催す事もあるだろう。

筋骨隆々の逞しい男性に本能から惹かれた女性が、あの腕に抱かれたいと妄想する事もあるだろう。

 

つまり何が言いたいのかというと、男性的、女性的との違いはあれど。

優れた容姿を持つものは周囲の本能を刺激して視線を強く引きつける訳だ。

 

そしてそれが絶世の。と言葉が頭につくような美貌ならば、もはやそれは凶器だ。

人目を引きつけるどころか。人目を『惹きつける』こととなるだろう。

 

 

(……うん。こうなると思ってたよ、畜生)

 

 

月曜日の早朝。つまりは今日、この瞬間。

Dクラスの席に座る俺こと、佐城 ハリソンは思いっきり針の筵だった。

 

グサグサと刺さっている。現在進行形でグッサグッサと刺さっている。

そう。視線が、まるで、レーザービームの如く。

それはもう鋼鉄の処女に抱かれるかの如くグサグサと。

 

 

 

(そりゃ、ね。つい先週まで存在感の無いチビガリ陰キャだったのに、金髪碧眼美少女に変身してるんだもんな。二度見どころか三度見するわ。いや、美少女じゃなくて美少年だけど)

 

 

俺はそんな事を考えつつも死んだ目で、必死に周囲の注目に気づかないフリをしながら読書に勤しんでいた。

だが、もはや視線の圧の重さと鋭さに耐えきれそうも無い。

四方八方から浴びるレーザービームによって痛みすら感じ始めていた。

周囲の男子がヒソヒソと「お前行けよ」「いや、お前が行けよ」的な事を話しているのが聞こえてくる。

 

つい先日、「金は稼ぐ。だが人目は引かない。両方やらなくっちゃあならないのが……」なんてカッコつけた宣言をしといたのに、こうしていきなり目立っている。

机に足を乗っけて爪を磨いている唯我独尊自由人よりも、思いっっっきり悪目立ちしている。

 

だが、こんな真似をしたのには一応、理由がある。

主にこれから控えている無人島試験の為だ。

 

夏休みを利用した特別試験中は徹底的に行動を管理されるので、今までの目立たない為の擬態の肝である黒染めを一々やっている時間がない。

 

 

(いっそのこと坊主にして上からウィッグを被ることも考えたけど……ぶっちゃけ目立つのは髪より顔だから、根本的な解決にはならないんだよな)

 

 

それに、これからの体育が暫く水泳になると知っている『俺』からすれば(もちろん、前世の俺が憑依するまで『ボク』は4月の頭から体育で水泳をやるだなんて想像もしてなかった)ふとした拍子に髪を染めている事や、実は乙女ゲーもかくやの美形である事がバレる確率は圧倒的に高くなる。

 

わざわざ隠しているものが発覚するのと、最初からそういうものだったと開き直る事。

果たしてどちらがマシかと考えた末に、俺は後者を選択。

 

どうせやるなら徹底的にと先日、オッサンには縁がないであろうオシャンティーな美容院に行き、髪の毛を整えたのもこの為なのだ。

……まあ、一々擬態するのが単純に面倒だというのが一番大きな理由だったりするのだが。

 

 

(……とは言えここまで目立つのもなぁ。俺なんかより、よっぽど目を引くのがいっぱい居るだろうに)

 

 

溜め息一つ吐くと同時にチラと視線だけで辺りを窺えば、居るわ居るわ。

赤、青、緑。茶色に金に果てにはピンク‼︎

二次元世界ならではの現実ではよっぽど時間と金をかけて脱色染色しなければ実現できない色彩豊かな髪の色。

 

それにラノベの世界だからこそ、登場人物たるクラスメートは圧倒的に美男美女が多い。

自己紹介で失笑を買った池や、不良の須藤ですら、前世の基準で行ったら十分にイケメンの部類に入る筈だ。

 

もちろん、ヒロイン候補たる女子生徒達に関しては言うまでもないだろう。

 

 

(というか、佐倉よ。目立ちたくないなら、そのショッキングピンクの髪を染めろよ。ただでさえ、その乳でアホみたいに目立つんだから……あっ、ブログに自撮り載せるから染色はできないのか)

 

 

閑話休題。

 

とりあえずこの佐城 ハリソン君の劇的ビフォーアフターによって、当初の目立たず稼ぐ計画は修正。

そうして昨日の夜、就寝まで唸りながら考え新たな方針を整えた。

 

そう。大天使たる善の化身、一之瀬との協力関係を結ぶ為の布石。

そしてその作戦の肝となるのが……

 

 

「お、おはよっ。佐城くん……でいいんだよ、ね?」

 

Dクラスが誇る腹黒アイドル。

堀北 鈴音を殺し隊の隊長。『櫛田 桔梗』だ。

 

 

「おはようございます。櫛田さん。佐城であっていますよ」

 

 

俺はそんな彼女にニコリと微笑みながら、しっかりと挨拶を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

……本当は嫌なんだけどなぁ。

 

 

 




なんで8000文字超えて話が進まないんですかねぇ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

女の子に甘い? オッサンなんてそんなもんだよ。

感想、評価めちゃくちゃ嬉しいです。本当にありがとうございます。


Dクラスは端的に言って落ちこぼれの集まりである。

全体的に能力の低い者が中心となって集められているし、一芸特化の者がいても欠点が大き過ぎる者が大半だ。

 

学力が高くても運動神経が酷い『幸村』やその逆パターンの『須藤』。

文武両道で一見、理想的な優等生だとしても致命的なまでに社交性が欠けている『高円寺』や『堀北』など。

 

未だ高校に入学したばかりの未熟者達ばかりなのだから、仕方のない側面もある。

とは言え、あの茶柱が「不良品」だの「評価0のクズ」だとかの罵倒をする気持ちも、多少は理解できる。

教師としては最低な発言であるが、Dクラスによる遅刻欠席を始めとした授業中の私語や居眠り。携帯端末の操作の回数が異常であるのは事実だ。

僅か一ヶ月で事実上の学級崩壊にまで至るDクラスを構成する面子の『実力』が現時点において致命的なまでに低いのは明白だろう。

 

 

だがそんなDクラスの中で、学力、運動神経、社交性を始めとした全ての能力がハイスペックである例外、が主人公たる綾小路を除いて2人いる。

 

1人はDクラスの実質的リーダー『平田 洋介』。

爽やか系イケメンであるサッカーボーイの彼は三馬鹿を中心とした一部男子から僻みとも言える反感を買っているものの、その親しみやすさから男女問わず人気がある。

 

クラスの和と平等を重んじる彼が『個性豊か』という言葉を通り越し、いっそ混沌の域にまで達しているDクラスの面々の統制を仕切っているからこそ、学校生活にありがちなクラスカーストが作られる事を未然に防いでいるとも言える。

そんな優秀な生徒である彼が何故、不良品のバーゲンセールのような扱いをされているDクラスに配属されたのか。

その理由には、そこそこ重たい過去の出来事があったりするせいなのだが、今回は割愛しよう。

彼についてはまたその内、語る機会があるだろうから。

 

 

重要なのはもう1人の方だ。

クラスだけでなく「学園中のみんなと友達になりたい」と無謀とも言える非現実的な目標を豪語し、それを実行するだけの魅力と行動力を兼ね備えたコミュニケーション能力の怪物とも言える存在。

ドロドロとした裏の内面を持ちながらも、クラス内では『堀北』を除いたほぼ全ての人間から好かれているという、極めて絶妙な人付き合いにおけるセンスを持ち合わせているDクラスのアイドル。

 

メリハリのついた魅惑のプロポーションと明るい笑顔で学園中の男子の視線を独り占め。

誰にでも分け隔てなく優しく接する、天使のような美少女。

 

そんな彼女こそ……

 

 

「お、おはよっ。佐城くん……でいいんだよ、ね?」

 

 

『櫛田 桔梗』だ。

 

 

栗色のショートヘアーにカチューシャがトレードマークの彼女は誰がどう贔屓目に見ても美少女だ。

本来なら陰キャのモブからすると高嶺の花である彼女は、入学してからというもの毎日のように『ボク』に対して挨拶をし、一言二言の簡単な会話を投げかけるのを欠かさなかった。

 

猫背で、ボサボサの髪の毛で顔を隠し、一度たりとも目線を合わせず「……はよ」とボソリと呟くのが精一杯のコミュ障に対し、なんと慈悲深い行動だろうか。

擬態していた『ボク』は、どこからどう見ても女に縁の無い、むしろ嫌悪されるまである、根暗男の典型だっただろう。

そんな相手に笑顔で話しかける事のハードルの高さと、彼女が感じたストレスの大きさは想像もできない。

 

 

「おはようございます。櫛田さん。佐城であっていますよ」

 

 

だからこうして俺が笑顔で挨拶を返すのは、彼女の今までの気遣いに対する、礼の気持ちでもあった。

……いや、本当は関わりたく無いんだけどね。

 

 

「えーと、だいぶキャラ変わったみたいだけど……そのっ、イメチェンかな? 凄く似合ってはいるんだけど」

 

「ありがとうございます。イメチェンって言うよりは元に戻した。と言いますか。ちょっと理由があって目立たないように過ごすつもりだったのですが……ほら、水泳で。ね?」

 

「ああっ。あの後、佐城君って早退しちゃったもんね。体調はあれから大丈夫っ?」

 

 

両手を組んで瞳をウルウルさせ、眉尻を下げる様は実にあざと可愛い。心の底からクラスメートの体調を心配しているようにしか見えない。

だが、このハリソン君の劇的ビフォーアフターが余程の衝撃だったのだろう。

いつもの彼女からは想像もできない程に会話の節々にぎこちなさが目立ち、その表情の奥には隠しきれない動揺が見て取れる。

 

きっと腹の中では「はあっ⁉︎ なんであの典型的な根暗野郎がこんな美形になってるのよ⁉︎ なんなのコイツ⁉︎」てな感じで盛大にテンパってる事だろう。

根拠のない妄想だが、そう外れてはいないと思う。

 

 

「体調は大丈夫ですよ。体育が金曜でしたから、土曜日にゆっくり眠って、あっという間に全快です。昨日はヘアサロンとやらに行ける程度には元気になりましたから」

 

「あ、あっー。だから髪色変わってるんだね。いいなー凄く綺麗に染まってるよ。どこのサロン?」

 

「ああ、この髪色は染めた訳じゃないんですよ。実はこれ、地毛でしてね。入学当初は、なんて言うか、そう。変に目立ってしまうんじゃないかって怖くて、黒く染めていただけなんですよ」

 

「えー‼︎ そうなんだ⁉︎ じゃあじゃあっ、名前からもしかしてって思ってたけど、佐城くんってハーフなのっ?」

 

「そうですよ。母がイギリス人でね。……それで、ええと、ヘアサロンの場所でしたよね? 確か、ケヤキモールの奥の方だったような」

 

 

 

櫛田と軽く雑談をかわしていると、先程まで警戒するかのようにこちらを観察していた周囲のクラスメート達が瞬く間に騒めき始めた。

やはりあの美少女? 美少年の正体はあの根暗野郎だったのか。的な野次が其処彼処から聞こえてくる。

 

まあ、うん。

俺がそちら側の人間だったら同じ反応をするだろうから気持ちは分かる。

だがもう少し此方に気を使って声を抑えるとか出来ないのだろうか。

 

……出来ないよな。Dクラスだもん。

 

 

(それにしても、こうして改めて目の前でじっくりと観察すると……やっぱり櫛田は可愛いな〜。まあ、ガワだけは。ガワだけは、だけど)

 

 

入学して僅かな時間しか経っていないというのに、クラスどころか学年のアイドルとして名を馳せている美少女のバストアップは、なかなかに眼福である。

というか、つい先日に櫛田には関わらない‼︎ 的な宣言をしたばっかりな癖してこの有様だ。

だが仕方ないのだ。男は何歳になっても可愛い女の子に弱いのだから。

 

二次元キャラクターだから許される男の妄想を具現化したような美少女が。

しかも現役JKという、スペシャルブランド持ちの相手と、こうしてお話しできている現状に、オッサンは内心ニッコニコなのだ。

 

我ながら掌クルックルな自覚はある。

実は櫛田だけでなく、機を見計らって平田とも仲良くする方針に変更しているので、当初立案した目立たない関わらない計画は全くの時間の無駄となった。

あまりにも早すぎる掌返し。オッサンでなきゃ見逃しちゃうね‼︎

……その内、俺の掌がクルクル回り続けるドリルにならないか心配である。

 

 

(まあ、一之瀬に自然な形で関わりを持つなら櫛田を経由するのが一番だし。原作でも勉強会イベントの時点では既に仲良くなってたっぽいしな)

 

 

俺の新たな計画には一之瀬との協力が不可欠なので、櫛田には結構な面で期待している。

そもそも当初の俺が、櫛田に関わりたくないとわざわざ断言していた理由は二つある。

 

1つは将来的に彼女が綾小路に敵対視されるからだ。

このライトノベルの世界で主人公である綾小路 清隆に敵対する事は=退学。と言っても過言ではない。

俺の薄ぼんやりした原作知識では、1年生編が終了する段階で彼は既に櫛田を退学にすると決意を固めていた筈だ。

櫛田と仲良くなった結果、ついでにとばかりに彼に敵対視される。そんな事故は絶対に避けたい。

 

それから理由のもう1つは、堀北との縁繋ぎに利用される可能性だ。

そもそも櫛田は自身の裏の顔を知っている(可能性がある)同じ中学出身の堀北の事を今すぐに退学させたい程に嫌っている。

その為に堀北の弱みを何としても掴みたい。だからこそ、仲良くなるという形で敵の懐に潜り込んで弱味を握りたい。という、やや斜め上の考えを持っているらしい。

現に原作内では綾小路を経由して堀北と接点を持とうと努力するシーンがちょくちょく登場する。

 

 

(まあ堀北は櫛田に嫌われてる事を最初から悟っていたから、櫛田の行動って意味が無いんだけども)

 

 

綾小路は無人島編の直前に茶柱から脅迫されるまではそれなりに普通の高校生活を送ろうと彼なりに奮起していたし、友人も欲していた筈だ。

原作内でもクラスには可愛い女の子が多いと感じていた旨の記述があるし、自己紹介で盛大に失敗してからボッチ気質だった彼に声をかけてくれた櫛田の事を悪く思ってはいなかった。

なので多少強引に押される形ではあったが堀北との縁繋ぎの作戦に協力している。

……まあ近い内に彼もまた櫛田の内面を知ってしまい、天使だと思っていた相手から脅迫される運命にあるのだが今は触れまい。

 

 

(櫛田って行動力があるからなぁ。俺は今のところ、というか出来ればずーっと堀北との接点は作るつもり無いから櫛田との繋ぎにはなり得ない。とは思うんだが……)

 

 

俺は前世で様々な『よう実』の二次創作を読んできた。

その中でオリ主が綾小路と共に櫛田と堀北のお友達作戦に利用されるパターンを何度も見ている。

所詮は一読者の妄想を形にした二次創作。何の根拠にもなるまい……等と傲慢な態度で吐いて捨てる事は、今の俺には絶対に出来ない。

何故ならば今まさに、俺がそんなオリ主と同じポジションに存在しているのだから。

 

 

(「佐城君もお友達が少ないから、同じ境遇の堀北さんとなら仲良くできると思うの‼︎」なんて無茶な提案されかねない。考え過ぎかもしれんが、可能性は0じゃない)

 

 

原作でも櫛田は堀北関連の事に関しては、かなり無茶な距離の詰め方をしている。

綾小路が堀北と友人でない。と否定しているにも関わらず強引に事を進めていた。

もし。もしもの話だが、彼女のトンチキな提案をきっかけにして、綾小路、堀北、櫛田とまとめて問題児3人と接点を持ってしまいました。なんて展開になったら最悪だ。

もはやただの悪夢である。

 

もちろん将来的には、綾小路も堀北もストーリーの展開上どこかで関わる必要が出てくるかもしれない。

逃れられない原作の修正力のようなものが発生するかもしれない。

 

 

(だけど今は絶対に嫌だ‼︎ 特に堀北‼︎ 初期の堀北とは絡んでも良いこと無い‼︎)

 

 

君子危うきに近寄らず。別にオッサンは君子では無いが、見えてる地雷を踏みつけに行く程バカでは無い。

今の堀北は孤高という言葉を勘違いしている、ぶっちゃけ痛い娘だ。

近づいたところでマシンガンのような罵倒が飛んでくるのは想像に難く無い。

 

別に小娘に罵倒を受けたくらいでムキになるつもりは無いが、それでも全く傷つかないという訳では無いのだ。

オッサンという生き物は繊細で、その心は永遠にガラスの十代なのだから。

被虐的な趣味がある訳でもない俺からすれば、今の彼女は絶対に近づきたく無い相手である。

 

 

(まあ今の櫛田の状態を見れば、そんな無茶振りを吹っかける程の余裕はなさそうだけど。擬態を解いたのが良い奇襲になったな)

 

 

幸い、櫛田は混乱しつつもハリソン少年という存在に興味津々なようだ。

その証拠に、いつもならとっくに他のクラスメート達への挨拶周りに行っている筈なのに、今朝は未だに俺の前から離れようとしない。

この様子ならいきなり堀北関連の話に飛ぶことはないだろう。

櫛田とは程々の距離を保ったお友達。という程度の交友関係を築き上げ、とっとと一之瀬の連絡先を教えて欲しいものだ。

 

 

「あそこにヘアサロンあったんだ‼︎ 知らなかったなぁ、今度行ってみるねっ。ところで佐城君って前々からよく本を読んでるみたいだけど、やっぱり読書が好きなの?」

 

「そうですね。数少ない趣味の一つといったところでしょうか。もっとも、あまり学が無いので古典的な文学作品なんかは苦手なのですが」

 

「今は何を読んでるの?」

 

「コレですか? 団鬼六の著作の『檸檬……」

 

 

 

と、どこか辿々しくも和やかに櫛田と会話をしていたその時だった。

 

 

「おいおい‼︎ サジョーって女の子だったのかよ⁉︎」

 

 

頭の悪そうな大きな声が背後から割り込んできたのだ。

その言葉に俺は背後を振り向くと、そこには予想通りの声の主。

『よう実』世界における、もっとも哀れで、もっとも残念な男の姿があった。

 

 

「……ああ、おはようございます。山内君。何か勘違いなさっているようですが、ボクは男ですよ。それに、一応訂正させて頂くならばボクの名前の読みはサジョウではなく、サショウです」

 

 

『山内 春樹』。

最底辺のDクラス内において最も能力が低く、最も幼稚で、ついでに最も女子から嫌われている男だ。

原作内において彼は坂柳の策略によってDクラス(当時はCクラス)における最初の退学者となる。

だが、例え坂柳の謀略が無かったとしても恐らくはその人間性が足を引っ張り、結果的に学園を去る運命は変わらなかったのではなかろうか。

 

 

「名前なんてどうでも良いんだよ‼︎ どっからどう見ても女じゃん‼︎ アレか? 身体は女だけど心は男みたいな、ドラマとかで見たやつ‼︎ セイドーイツショー何とか‼︎」

 

「もう山内君っ‼︎ いきなり失礼だよっ‼︎」

 

 

鼻の下を伸ばして唾を飛ばしながらこちらに迫ってくる彼の姿は、外面大天使の櫛田が思わず注意してしまう程には気色が悪い。

恐らく彼が言っているのは『性同一性障害』という自身の肉体と精神による性別の不一致による症状の事を指しているのだろうが……。

何というか、本当にズケズケと踏み込んでくるのだな。と一周回って感心してしまう。

 

もしも、本当にハリソン少年が性別不和などの障害を背負っていて、それを無遠慮に指摘したら心に傷をつけてしまうのではないか。と、少しでも考えたりしないのだろうか?

……まあ、しないよな。山内だし。

 

 

(この当時の山内は本当にどうしようもないからな……いや、最後まで人間性が改善しなかったから退学になったんだっけか)

 

 

周りの生徒も山内の面の皮の厚さに顔をしかめながらも、チラチラとこちらを観察している。

どうやら山内の言葉を聞いて、もしかしたら。と疑いを抱いた人間が複数名いるようだ。

まあ、仕方ないか。

せっかくの機会だから説明に使わせてもらおう。

 

俺は「ハァ……」と態とらしく溜息を一つつくと、如何にも面倒だと言わんばかりの表情を作り上げ、山内に言い聞かせるように語った。

 

 

「ボクは産まれた時から心も身体も男ですよ。少なくとも、ボクの頭が自身の性別を認識できない程に狂っていなければの話ですが。……ねぇ?」

 

「いやいや‼︎ その顔で男ってありえないだろ⁉︎」

 

「あり得ない。などと言われましても事実なのですから、言い掛かりをつけられても困ってしまいますよ。というか、山内君。君、水泳の授業でボクの隣のレーンだったんですからボクの性別くらい分かるでしょう?」

 

「えっ? そうだっけ?」

 

 

そう。実は『俺』という存在が目覚めるきっかけとなった、あの水泳の授業中。

つまりポイントをかけた競泳の時に一緒に泳いだメンバーの1人が山内だったのだ。

まあ当の本人は、どうせ櫛田の水着姿の事ばかり考えていて、周りの事など気にしていなかったのだろうが。

とりあえず間抜けな顔で首を傾げている山内は放っておき、俺は改めて櫛田に向き直った。

 

 

「それと櫛田さん。一応説明させていただくと入学当初に目立たないように変装なんてしていたのは、こういう輩が多いからです」

 

「な、なるほど。確かにそんなに可愛い……っていうか綺麗な顔だもん。勘違いする男の子がいてもおかしくないもんねっ」

 

 

俺の言葉に櫛田がウンウンと頷いた。

うーん。やっぱり美少女だよなあ。動作の一つ一つがあざと可愛くて仕方ない。

 

 

「まあ、自分で言うのも変な話ではありますが、こんな顔ですからね。多少は諦めている部分もありますが……ああ、ちなみに言うまでも無いことかもしれませんが、ボクは普通に女性が好きで、過去には女性としか交際経験もありません。無論、今後も男性とお付き合いする気などありませんよ」

 

 

最後に山内の反応があまりにもアレだったので一応、予防線を張っておく。

Bクラスには確か百合っ娘がいた事実から、実はゲイでした。なんてキャラが居る可能性も否定できないので、念を推しただけだが。

 

 

「アハハ……確かに佐城君、男の子に凄くモテそうだもんね。その、誤解される事も、なんだか多そうだし……あ、もちろん佐城君なら女の子からも、間違いなくモテるだろうけどっ」

 

「お世辞でも嬉しいですよ。ありがとうございます」

 

 

ぶっちゃけ俺自身は同性愛やらLGBTに偏見や嫌悪感は無い。

取引先との飲み会でオカマバーとか連れてかれた事もあったし。

だがハリソン少年自身も、その中身に間借りしているオッサンも、至って普通の性癖の持ち主なのだ。

自分自身が同性からそういう対象に見られても、何というか、普通に困る。

 

まあ異性だろうが同性だろうが、そもそもこの学校に在学している間は呑気に恋人など作っている余裕も無いだろうが。

 

 

(ところで一部の女子よ。何故に俺が同性愛者じゃないと宣言した瞬間に落胆の声をあげたのだ)

 

 

少なくない数の女子が残念そうな顔でこちらを眺めているのを、見逃してはいないからな。俺は。

 

 

「えー? でもよー、どっからどう見ても女子じゃん。やっぱただ貧乳なだけで実は女子なんじゃねーの⁉︎」

 

「もう‼︎ 山内君っ。あんまりしつこくしちゃあダメだよっ」

 

「ご、ゴメン櫛田ちゃん。ただサジョーの奴が余りにもオカマっぽいから……」

 

 

未だ山内がごちゃごちゃ言っているが、櫛田の言葉にようやく引き下がる。

作中で高円寺が「醜い」と断言する彼の性格は本当に残念だ。

 

だが実のところ、俺は『よう実』世界のキャラクターにおいて山内春樹という人間がそこまで嫌いじゃなかったりする。

 

 

(普通なんだよなあ、山内の態度って。何ていうか、どこにでもいる普通の奴って感じで……高校に入学した直後の浮かれたモテない男子って、こんな奴が多かったんじゃないか?)

 

 

自分を良く見せたくて、ついつい余計な見栄を張ってしまい、それがバレて慌てて取り繕ったり。

彼女が欲しい。と日々願いながらも、自分を磨こうと特に行動に移ることも出来ず。

勉強も運動も特にやる気が出ないから、友人とひたすら遊び呆けて日々を無為に過ごしたり。

女子との距離の詰め方が分からず、本人は良かれと思って行動したのに、逆に嫌われて距離を取られてしまったり。

 

山内というキャラクターは未熟な男子高校生の残念な部分を。

男子なら一度は経験してしまう、いわゆる『黒歴史』をそのまま浮き彫りにさせたようなキャラクターだと感じるのだ。

 

 

(此処がラノベの世界じゃなくて、普通の学校で、普通のクラスメートとして知り合ったなら。もしかしたら友人になれたのかもな)

 

 

そもそも男子高校生というのは馬鹿な生き物なのだ。

馬鹿で、阿呆で、無知で、世間知らずで。

だからこそ自由で、だからこそ青春を謳歌できるのだ。

俺は前世の高校時代の友人達を思い出し、少しだけ感傷的な気分になった。

 

 

(懐かしいな。高校時代。もはや記憶は朧げだけど、楽しかったなあ……)

 

 

そんな似合わないサンチマンタリスムに浸っていた俺を叩き起こしたのは、聴き慣れたチャイムの音だった。

同時に、ガラガラという独特の音と共に教室の扉が開く。

 

茶髪のポニーテールにレディーススーツ。

豊満なバストを見せつけるかのように、シャツブラウスの第二ボタンまでを大胆に開けた妙齢の美女。茶柱先生が教室に入って来た。

 

 

「ホームルームを始める。席につくように」

 

 

彼女の号令によってダラダラとではあるが生徒達が己の席に戻って行った。

少なくとも、まだ担任である彼女の言うことを素直に聞く程度の理性がDクラスには残っていた。

 

 

(さて、と。二度目の高校生活。オッサンなりに頑張りますか)

 

 

こうして、ようやく長い前振りが終わる。

今日この日から、1年Dクラス。佐城 ハリソンとしての一日が始まるのだ。

 

 

 

 

 

 

……なお、余談ではあるが、この日をきっかけとして、俺。つまりはハリソン少年の存在は授業中だろうが何だろうが関わらず、主に男子を中心としたクラスメートの視線と興味を一気に奪う事となる。

 

それが結果的に教師達から授業放棄と見なされてしまい、Dクラスのクラスポイント減少速度を著しく加速させてしまった。

という未来の事象については、当初の俺は全く知らなかったし、それについて責任を取るつもりも全くない。

 

 

……いや、何でお前ら男に見惚れてるんだよアホか。

 

 




だんだんとオッサン要素が増えてきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

友達いないぜ‼︎(決め台詞)

感想、評価ありがとうございます。
話が進みません。


前世の話だ。

 

何がきっかけかは忘れたが、酒の席にて各々方の趣味の話になった。

俺の趣味は読書や風俗巡りといった、中年男性にしてはありふれたモノだったので特に話も膨らまずに流されたのだが、中には変わったヤツが居て、自らの趣味を散歩だと宣言したのだ。

 

まあ、別に悪いことではない。

気分転換や暇つぶしに散歩をした経験というのは、余程のヒッキー上級者でなければ誰だってある事だろう。

だが、わざわざ散歩を趣味にしている。と聴かされれば興味がわいた。

 

果たしてその理由を尋ねたところ同僚はハイライトの消えた目で「金がかからない上に運動不足解消になる。それに何より口煩い嫁さんと反抗期の娘の顔を見なくてすむ」と若干、深い闇を感じさせる解答を返した。

更に恐ろしい事に、この話を周りで聞いていた別の同僚達が「分かる。その気持ちは本当に分かる」と強く、強く共感していたのだ。

そんな彼らの趣味は登山や写真、ドライブなど。

より正確に言うならば、そういう名目で家族から離れる事が目的らしい。

 

そこまで家族と過ごしたく無いものなのか、というか何故そんな思いまでして結婚せなアカンのか。

と、独身の身分である自分に心底ホッとして結婚など絶対にしないぞと誓った思い出の瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……うん。ロクな思い出じゃねえな。それに今やってるのって散歩と言うよりは、探索だし)

 

 

『高度育成高等学校』は非常に金のかかった虫籠だ。

入学金、学費無料。更には寮暮らしにおける電気ガス水道代まで無料で負担してくれるという国営の学園に入学した者は、その代償として外部との接触を徹底的に禁止している。

とは言え、いくら大人しいことで有名な日本人でもパッション溢れるティーンエイジャーの集団だ。

授業以外は余計なことするな、等と娯楽の無い室内に生涯閉じ込めておく訳にもいかない。

 

だからこそ、この学園には街がある。

働いている人間は外部の大人達とは言え、通貨は全てポイントで統一されている。

まさに高度育成高等学校に在籍している学生の為だけ、の街が此処にはあるのだ。

 

 

(と言うか本当に広いなこの学園。都市だよね、もはや。学園都市)

 

 

ハリソン君の劇的ビフォーアフターから5日後の今日は金曜日。

放課後の時間をまるまる使ってまで丸5日間も散策しているというのに、未だ周りきれていないこの街の規模と設備の充実さは驚きを超え、呆れを覚える程の広大さだ。

 

 

(カフェやデパート、ファミレスやゲーセンは分かる。水族館や美術館なんかも、まあ、分かる。だけど何で学生の街に高級ジュエリー店や三ツ星フレンチレストランなんか作ったんだよ)

 

 

名のある富豪の産まれでもなければ、一高校生には明らかに縁のなさそうなラグジュアリーでオシャンティーなレストランの外観をチラと眺めて通り過ぎる。

果たしてこんな所で食事をしたら幾らかかるのやら。

 

いや、前世では会食とか取引先の付き合いなんかで美味いモノを。というかやたら高級な懐石料理やらフルコース等を食べた経験はある。

だがそれを自分で稼いだことも無い、ただの高校生が食べている様は、何というか。健全といって良い形なのだろうか?

まあ基本的に制服を纏っている学生の身分だからこそ、ドレスコードに引っかからないという利点もあるのだろうが。

 

 

(ポイント持ってる奴がデートのシメとかに使うのかね? 原作でも堀北兄や南雲なんかはちょっとした屋敷が買えそうな程度にはポイント持ってたっぽいし)

 

 

金の力は偉大だ。

金さえあれば日本社会では大抵のモノは手に入れられるし、大抵の困難は乗り越えられる。

金で幸せは買えない。そんな言葉はあるが、幸せは金が無いと手に入らないものでもある。

力と権威の象徴でもあるのが金、つまりこの学園で言うならばポイントだ。

 

オマケにこの学園では、本来なら単純に金を積んだだけでは買えないような権利や資格なんかも堂々とポイントで買えてしまうルールに支配されている。

もしやこの学園の真の目的は拝金主義者を量産するのが狙いなのか、と穿った目で見てしまいそうだ。

 

 

(原作では南雲が悪役。というか性悪の敵みたいな書き方されてたけど、顔が良くて成績良くてコネもあって……何よりポイントを馬鹿みたいに持ってる。そりゃハーレム作っても文句は言われないだろう)

 

 

ポイント=金。

金=力。

力=実力。

 

そう考えれば南雲のような考えの人間こそが、この実力至上主義の学園を牛耳るに相応しいのかもしれない。

果たしてそれが未来の日本社会を支える人間として本当に相応しいのかは、甚だ疑問ではあるのだが。

 

 

(……にしても広過ぎる。幾ら掛かってるんだよこの街に。絶対に税金の無駄遣いだろ)

 

 

そもそも何故、俺が放課後の貴重なモラトリアムタイムを放り投げてまで、こうして1人寂しく探索しているのか。

それは監視カメラが設置されていない場所や、人目につかない路地裏などを自分の目で確認する為だ。

 

主に、闇討ち不意打ち大好きなドラゴンボーイこと龍園対策が主だが、将来的にはAクラスを統率した坂柳も仕掛けてくる可能性もある。

『坂柳 有栖』という少女は、その人外じみた思考能力の高さに比例するかのごとく嗜虐的な面も強調されて描写されていたキャラクターだ。

まあ可愛らしい外観によって何となく誤魔化されているが、本人の能力とその人間性が比例しない典型的なタイプと見て間違いないだろう。

 

 

(Aクラスは関わるつもりも無いから暫くは大丈夫だと思うけど、結果的に綾小路が在籍しているせいでガッツリ敵対するからなぁ)

 

 

坂柳本人が望んでいるのはあくまで綾小路本人との決着だ。

だが前時代的な決闘で「ハイ。決着」という訳にもいかない。クラス単位での戦いを想定している事だろう。

事実、原作では年度末にそういった特別試験があり、綾小路は敗北する。

 

いわゆる原作ブレイクを恐れている俺としては、坂柳含むAクラスの面々と積極的に絡み、後のストーリーや人間関係を変える事は決して望んでいない。

が、向こうがどう動いてくるかが分からない。

基本的に他人をチェスの駒か路傍の石にしか考えていない坂柳はともかく、葛城や神室、橋本や鬼頭といったキャラの行動指針まで把握している訳では無いのだ。

 

少なくとも、体育祭以降にAクラスが徐々に探りを入れてくるのは知っているが、それ以前に何か仕掛けて来る可能性も0では無い。

 

 

(……そもそも面倒くさい人間が多過ぎるんだよな。いや、キャラの濃さでは佐城少年も負けてはいないんだろうけど。残念な事にクラスで浮いてるし)

 

 

他クラスを警戒して、こうして行動している訳なのだが、こうして独りぼっちでいるのには悲しい事に他の理由もある。

 

誰も。誰も、遊びに誘ってくれなかったからだ。

 

 

(おかしい。根暗キャラは払拭した筈なのに、何で櫛田しか話しかけて来ないんだよ。つーか平田よ。一回ぐらい遊びに誘ってくれる優しさを見せてくれてもいいじゃないか……)

 

 

繰り返すが今日は金曜日。ハナキンなのだ。

Dクラスを始め、殆どの生徒が未だSシステムに気づいていない4月の半ばである現在。

週末を控えた学生はそれはもう楽しそうに遊んでいる。

クラス内でも「今日はカラオケ行こう」だとか、「気になっていたブランドの夏物を見に行きたい」といった放課後の予定を友人達と埋めていく声が聞こえて来た程だ。

 

それが授業中に。という点にはあえて触れないとしても、夢のような学生生活を送れると信じきっている面々からすれば10万ポイントを使い切るまでは、きっと遊び呆ける事だろう。

 

別にそれは咎めない。個人の自由だ。

問題なのはただ一つ。どうして『俺』が誘われないのだろうか。

 

 

(というか約2週間学生やってて、まともに話したのが櫛田オンリーって……次点が山内と池って)

 

 

一応、言っておこう。もうしつこいぐらいに感じるだろうが言っておこう。

『佐城 ハリソン』は美少年である。そしてその中身は社会人歴20年以上のオッサンである。

 

美形と呼んで文句無い外見に、社会の荒波によって鍛えられた社交性まで兼ね備えている。

だと言うのに、どうして友達が出来ないのだろうか。

 

いや、確かに前世の記憶が戻った直後は目立つつもりも無かったし、何だったらボッチでも構わないと思っていた。

だが改めて高校生をやってるのにも関わらず、明らかに浮いている現状は。

何と言うか、その。想像以上に、寂しいのだ。

 

 

(そりゃ櫛田はしつこいぐらいに遊びに誘って来るけど、そこまで深い仲になりたくないから却下だし。山内や池は俺に向ける視線が完璧に女に対するソレだからキモいし)

 

 

現状、佐城少年の交友関係はかなり狭い。

ハッキリと友達だと宣言できるのは櫛田のみである。

だが櫛田という少女は関わりのある全ての人間を友達と豪語する程に懐が大きいので実質ノーカンだ。

 

彼女を除いた結果、挨拶程度の会話が出来るのが『平田』、それから櫛田経由で紹介された『王』と『井の頭』だ。

 

 

平田に関しては擬態を解いた日の放課後、彼の方から俺に話しかけてくれた。

佐城少年の変貌ぶりに驚きの言葉を零す彼に対し、俺の方から今まで非常に無愛想な挨拶程度しか返せなかった事に改めて謝罪をし、改めてクラスメートとして仲良くして下さい。とお願いする感じの無難な会話だった。

 

それ以降、笑顔で挨拶する程度の顔見知りにはなれたのだが、何故かそれ以上の発展が一切無い。

二次創作のよくある展開のように、カラオケ辺りに誘われるだろうと思っていたのに、まあ、ビックリするぐらい進展が無い。

 

 

(嫌われてはいないと思うんだが……何というか、戸惑っている? ハリソン少年というキャラを掴みきれていないからか?)

 

 

どうやら彼にしては珍しく、俺という人間との距離を掴みきれていないらしい。

ならこちらから積極的に、と行きたいところだが彼の周りには軽井沢を始めとした明るい女子達。

いわゆる『パリピ』で『陽キャ』な『ナウでヤング』なギャル達の集団が着いて周っているのだ。

 

 

(ギャルは怖ぇよ。オッサンからしたらギャルは恐怖の象徴なんだよ……パパ活……援助交際……痴漢冤罪……ゔっ、頭が……‼︎)

 

 

『軽井沢 恵』。

櫛田とはまた違った魅力でDクラスの女子をまとめ始めている少女だ。

近い未来、平田とニセコイの関係になり、やがて主人公の綾小路と恋人になる波乱万丈な未来が約束されている彼女とはあまり関わりたくない。

というか中身はともかく外見は完璧にギャルなのだ。

ギャルという生き物はオッサンの天敵だ。

電車で同じ車両に乗っていると、いつ痴漢冤罪に巻き込まれるか気が気でないのだ。(※偏見)

 

そんな恐ろしい生物が常に集団で平田にまとわりついている現状、こちらから彼と距離を詰めるのは非常に困難と言っていい。

 

 

(軽井沢は論外としても平田は普通に良いヤツだし、櫛田とはまた違った広い交友関係を持ってるから仲良くなりたいんだけどなあ)

 

 

平田については将来、山内が退学になり彼のトラウマを刺激されて発狂するまでは非常にいい奴なので櫛田よりも付き合いやすい。

というか最近の櫛田率が酷い。何だったら櫛田としか会話しない日まである。

思ったよりもハリソン少年に興味を抱いているのか、想像以上の勢いでガンガンこちらに距離を詰めて来ているので、ちょっと怖い。

普通に同性の友達が欲しい。いや、マジで。

 

 

(王と井の頭は挨拶ぐらいはするけど、本当に挨拶だけだからなあ)

 

 

みーちゃん、こと『王 美雨』と『井の頭 心』は顔見知りでしかない。

王は基本的に平田に夢中で、熱烈な視線を常に彼に向けているのでまともな会話にならない。

井の頭に関しては彼女の内向的な性格が災いしてか、挨拶する時も顔を合わせてすらくれない。

気軽に仲良くして欲しい旨を笑顔で伝えたところ、「お……恐れ多くて……ごめんなさい」と顔を真っ赤にして机の上に顔を伏せていた。

人見知りもここまで行くと、将来的に非常に厳しいことになりそうだが大丈夫だろうか?

と言うか恐れ多いという台詞の意味が未だに分からない。

 

 

(山内と池はダル絡みってやつばかりだな。俺が女だったら訴えられてもおかしくないぞ、主にセクハラで)

 

 

DクラスのMr.残念男の『山内』とその親友の『池 寛治』。

彼らとの関係は微妙、の一言だ。

山内も池もデリカシーという言葉を知らないのか「本当は女なんだろう?」や「ホモっぽいけどマジなの?」といった質問? を一方的にぶつけて来るので、それを皮肉交じりで適当に流しているのが日常と化している。

 

今日の午前中など2度目の水泳の授業があったのだが、山内も池も人の海パン姿を穴が開く程に凝視し、非常に気持ち悪かった。

まず間違いなくクラスの女子には嫌われただろう。既に彼等の株はストップ安かもしれないが。

 

 

(水泳と言えば、面倒くさいこと頼まれたよなあ。まあ一部の男子の反応を見てれば無理も無いことなんだろうけど)

 

 

前回の失態もあってか、こちらの体調を念入りに確認して来た熊のような熱血体育教師が、一生徒に頭を下げてまでの懇願。

その内容が『佐城 ハリソンのみ特例として水泳時はラッシュガードの着用を義務づける』事なのだから、笑うに笑えない。

確かにハリソン少年の顔は女顔だ。美少女の顔だ。

だがイケメンが多いラノベの世界で可愛らしく中性的な顔をした男などそこら中にいる。

現にDクラス内にもそこらの女子よりよっぽど可愛らしい沖谷がいるのだ。

 

特別扱いなど悪目立ちの極みなので最初は断るつもりだったが、周囲のネットリとした気持ちの悪い熱視線。

それから、一部の、ごく一部のバカが前屈みになって股間を両手で隠していたのを見て、俺は死んだ目で特例措置を受け入れる事にした。

 

 

(ここ『よう実』の世界だよな。実は『よう実』を元にしたBL世界とかじゃないよな。流石の俺も貞操を失う恐怖を感じたぞアレは)

 

 

一部男子の性癖を狂わせてしまった予感に悪寒を覚えつつ、パーカータイプのラッシュガードを購入。ちなみに費用は3000ポイント。

担当教師がこちらに気を使ってか、かかったポイントは後日振り込んでおくと提案して来たが、それはお断りした。

やはりポイント関係はシビアなのか、強制させたのは学校側だから支払いの義務はこちらにある。と体育教師は渋っていた。

が、対価として『とあるお願い』を聞いて貰ったりもしたので、実質的に損ばかりしたという訳では無い。

 

うん。前向きに考えるしか無いだろう。

 

 

(山内はこれからずっと。池は無人島に行くまではクラスの最底辺の扱いだからなー。関わってもいいこと無いんだよな、実際)

 

 

山内、池。それから俺には関わりが無い『須藤 健』のトリオは最近、Dクラス内でも3バカと呼ばれている。

池は無人島編まで、須藤は暴力事件が発生するまでは人間として宜しくない部類といって差し支えない存在だ。

ましてや山内に関しては、将来退学する事が確定しているので仲良くなったとしても意味が無い。

個人的にそこまで嫌いという訳では無いが、積極的に仲良くなろうとは思えない人間達なのだ。

 

 

(気を使わずに話せる友人が欲しい。モブでもいいから欲しい。櫛田と会話してる時は気を張ってるから疲れるんだよなあ)

 

 

櫛田、平田、王、井の頭。おまけに山内、池。

入学してから2週間経って、この人数としか会話をしていない事実。

堀北や綾小路と比べると格段にマシとは言え、コミュニケーション能力に関しては最低辺とも言える人間と比較してる時点で、もうダメだ。

改めて考えてみると、何だか自分自身が可哀相な人間になった気がして溜息が出てきた。

 

 

「……うん、やめよう」

 

 

これ以上、探索を続ける気分でなくなった俺はとっとと切り上げる事にした。

どのみち今日は早めに撤収し、買い物に時間を使うつもりだったのだ。

 

 

「さて、と。電気屋行って、雑貨屋行って、最後にスーパーだな」

 

 

今後の予定を確認するように独り言ち、俺は人気の無い路地裏から踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残りポイント57600ポイント。うーん必要な先行投資とは言え、随分と減っちまったよなあ」

 

 

ジャージ姿でベッドに寝転がりながら端末を弄る俺の目の前には、今日の戦利品が転がっている。

電気屋で購入したスタンガン、防犯ブザー、それからボイスレコーダーが三つ。そして雑貨屋で手に入れた鉄扇だ。

 

 

ぶっちゃけた話、『高度育成高等学校』は基本的に何でもありだ。

監視カメラの無いスポットをわざと作ってあり、生徒の違法行為を推奨している節すら見受けられる。

現に原作では監視カメラの有無を利用した龍園の罠によって、須藤がハメられている。

その際、生徒会を介した裁判に発展したのだが証拠の有無が非常に重要視されていた。

 

疑わしきは罰せず。刑事訴訟法336条の基礎とも言えるこの言葉は実に高潔に聞こえる事だろう。

だが、言い換えればこうなる。『証拠がなければ罪にならない』と。

 

と言うわけで、作中ではその証拠を確保する為にボイスレコーダーやら偽の監視カメラやらポラロイドカメラやらが度々、登場するわけだ。

 

 

「この学園にある電気屋だからこそ、なのかもな。ボイスレコーダーだけでも何十種類もあるとか笑えるな」

 

 

気持ち電圧が強めの護身用スタンガンは12800ポイント。

掌で隠せるタイプの防犯ブザーは2500ポイント。

ボイスレコーダーは小型を2つと、しっかりとした作りのを1つで計8700ポイント。

そして雑貨屋で買った黒無地の鉄扇が7800ポイント。

 

……うん。最後だけ毛色が違う自覚はある。

だが仕方なかったんだ。雑貨屋で一目惚れしてしまったんだ。

確かに俺の中身はオッサンだ。だがいい歳してもライダーや特撮が好きだったり、女児向けアニメが好きだったりする人間もいるのだ。

いいじゃないか‼︎ ちょっと厨二心が残っているオッサンが居たって‼︎

 

 

「高い買い物とは言え後悔はしていない。いや、にしても鉄扇って普通に売ってるんだなー初めて見た」

 

 

ノリノリで買ったばかりの鉄扇を振り回したり、バサっと音立て広げて軽く舞ってみたり。

オッサンボディでやったら通報まった無しだが、この男の娘フェイスの佐城少年のガワなら絵になるのだから不思議だ。

 

 

閑話休題。

一通り、はしゃぎ回って満足した俺は防犯グッズ類を適当にタンスに押し込み、キッチンへと向かった。

何も俺がご機嫌なのは鉄扇を買っただけなのが理由では無い。

スーパーで食品を買い込む時に、目当てのモノが手に入ったからだ。

 

 

「この学校はストレスが溜まる速度が尋常じゃ無いからな。うーん……やっぱストレス発散にはコレですよ、コレ」

 

 

前世では長い間、世話になった人生の友。

おそらく嗜好品としては最も歴史が古く、最も親しまれている飲料。

 

時には薬。

ストレス解消、コミュニケーションの円滑化、疲労回復の効果有り。

 

時には毒。

急性中毒、禁断症状、ハラスメントの一環として取り上げられる事も有る。

 

 

「ふっふっふ〜。自作するのは初めてだけど材料が『水』と『蜂蜜』だけっていうのは有難いね〜」

 

 

容量1リットルの特用ボトルにはドロドロとした黄金の液体、蜂蜜がギッシリと詰まっている。

キッチンの照明を反射して輝く様は、見ているだけで口の中に甘ったるさが広がるような錯覚を覚える。

だが、コレはあくまで材料として買ったものなのだ。

オッサンの人生の友を作る、大切な材料なのだ。

 

 

「さーてと。んじゃ早速『仕込んで』いこうかね〜」

 

 

鼻歌を歌いながら作業を始める俺の顔はきっと満面の笑みを浮かべているだろう。

何故なら前世では毎日のように飲んでいた、オッサンの大好物。

 

 

 

『酒』を作るのだから。

 

 

 

 




この物語はフィクションです。酒の密造は法律違反です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見えてる地雷を踏みに行く馬鹿がいる。

感想、評価ありがとうございます。
賛否両論いただいていますが、どれも目を通しています。
近い内に他人から見たオッサンも書いていきます。

追記、不定期更新となります。
詳しくは活動報告の方へ。


「ま、紛らわしいんだよこのカマ野郎が‼︎」

 

 

そんな捨て台詞を吐いて、俺から逃げるように早足で二人組の青年達が去って行った。

顔も見たことないし、背は高かったから上級生だろうか?

いや、『ボク』の身長は平均と比べてかなり低いから同学年の人間だとしても大概は背が高く見える。

単に他クラスの名無しのモブだったのかもしれない。

学年ごとにブレザーのネクタイや靴の色を変えてくれたら学年の違いが分かりやすいというのに。

 

 

(……ったく。飯ぐらい静かに食わせてくれよ)

 

 

騒ぎの中心にいた俺を周囲の人間が四方八方から視線を寄越しているが、ガン無視だ。

こっちはあくまで人様の性別を勘違いしたバカに巻き込まれた側だし、何より楽しみにしていた食事の最中なのだから。

 

 

(つってもこれで3人目だぞ。まだ席について15分ぐらいしか経ってないっつうのに)

 

 

初めての食堂。

食券を購入して、係のオバちゃんに注文し、あっという間に用意された山菜定食をワクワクした気持ちで食べていると、見知らぬ男子生徒に声を掛けられた。まあ、俗に言うナンパだ。

皮肉混じりで心底丁寧にこちらの性別を説明してやったら先のように逃げ帰った。

まあ、此の所ストレスが溜まっていたので鬱憤ばらしに中々に嫌味な言葉を使った自覚はあるが。

 

 

(こりゃ、食堂には明日以降は来ない方がいいな。教室での視線は多少慣れたが、顔も名前も知らない大多数に監視されながら食事なんてゴメンだ)

 

 

ある意味では『よう実』世界における漫画飯的な扱いをうけている山菜定食の為だけに食堂にやって来た訳だが、ご覧の有様。

とても落ち着いて食事できる環境では無い。

余計なストレスが溜まるだけなのを痛いぐらいに実感している。

よっぽどの事がなければ、俺が今後この食堂に足を運ぶ事は無いだろう。

 

ちなみに予想とは大きく違い、山菜定食の味は普通に美味かった。

そもそも幾ら無料で提供される最低辺扱いされている貧相な料理とは言え、定食の形を取っているのだ。

米と味噌汁は他の定食と兼用しているのだろう。

炊きたてのご飯はふっくらツヤツヤで馴染み深い国産のものだし、ワカメと豆腐のシンプルな汁物は出汁の味がしっかり引き出されていて心が温まった。

山菜定食のメインである茹でた山菜の盛合せは、シャキシャキとした程よい歯ごたえが心地よい。

葉物独特の青臭さは好みが別れるところだろうが、気になるようならば酢醤油をかければ普通に美味い。

 

 

(個人的にはこの山菜の上に鰹節と茹でたシラス。それから白ゴマと刻んだ生姜なんかを散らせば更に美味くなりそうだな)

 

 

エネルギー溢れる十代の身体からすれば毎日コレだと辛いかもしれない。

だが、他所の二次創作のように二度と食べたくない味では無かったので安心だ。

 

 

(これで、もしオッサンボディのままだったら

毎日これでも良いかもな。実質タダって考えると魅力的だし。何より30後半になってから、昼に油物や肉系を食べると胃もたれがなぁ……)

 

 

歳を重ねる事の残酷さに落ち込みながらも手早く定食を掻き込み完食。

ご馳走様でした。と一声かけて食器を返却し、俺は足早に食堂を後にした。

 

 

Dクラスの教室内は常に喧騒に満ちている。大多数の生徒が授業なんか知ったことかとばかりに大声で私語に励み、猿叫のような馬鹿笑いを上げ、遅刻欠席が毎日のように起こっている。

ごく一部の真面目な生徒はこの惨状に迷惑そうに顔を顰めているも、周りのクラスメートに特に指摘や注意をする事もなく、黙々と板書に励んでいる。

その瞳の奥には、周囲の愚者達に対する侮蔑の色が浮かんでいるようだ。

 

 

(うん。やっぱ普通にクソ煩えな、コイツら)

 

 

まるで動物園の猿山だ。心身共に過剰なまでのストレスが蓄積していくのが実感できる。

ここ最近はすっかり眠りが浅くなり、常日頃から軽い頭痛に苛まれているのだが、心なしか痛みが強くなった気がしてくるのだから堪ったものじゃない。

 

担任の茶柱はもちろん、各授業を行う全ての教師がこの無法状態に触れる事はない。

時折、騒いでいる生徒に視線を向けて何やらメモを取っている事から、恐らく私語や携帯端末を弄っている生徒の名前を控えているのだろう。

もっとも、Dクラスの場合は真面目に授業を受けている人間の割合が非常に少ないので一々名前を控える意味すら無いのかもしれないが。

 

 

「……ってなワケよ‼︎ どう思うよ春樹⁉︎」

 

「ギャッハハハハハ‼︎ お前バカすぎだろ寛治‼︎」

 

 

馬鹿はお前もだ。山内。

そんなツッコミを脳内でいれつつも、もはや授業の形を保っていない午後の時間は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(想像以上に規模がデカい。こりゃ読書家にとっては、これ以上ない環境なんだろうな)

 

 

放課後、俺は図書館にいた。

流石は国営の学校。その広さと蔵書の膨大な数に驚きつつも案内図に従って目当ての本を探しに歩き回る。

5分程度かけて、ようやく目当ての歴史や趣向品についての棚を見つけ、めぼしい本をいくつか手元に確保してパラパラと立ち読みする。

本来の『ボク』なら軽く目を通しただけでスポンジが水を吸う如く知識を吸収できる。

それだけのスペックを誇る身体なのだ。

だがどうにも目が滑り、全く集中が出来ない。

 

 

(体調が悪い。確実にストレスのせいだ。今朝は櫛田に顔が青いと指摘された。他人に分かる程度には不調が顔に出ちまってるみたいだな)

 

 

憑依転生という未知なる体験。

元の自分とは何もかもが違う身体の違和感。

クラスメートから感じる若者特有の全能感との温度差。

周囲の男達からの肉欲を滾らせたような気色悪い視線。

崩壊寸前のクラスの喧騒。

……ついでに相変わらず櫛田以外とまともに会話出来てない現状への不満が、ほんの少し。

 

一つ一つなら大した事は無くても、積み重なる事によってダメージの量は膨れ上がる。

そして何より俺の心を苛める重大な事件がある。

それこそが……

 

 

(クソクソクソクソ‼︎ 何で酒が出来ないんだ‼︎ やり方は合っている筈なのに‼︎ 前世では水と蜂蜜だけでちゃんと出来たじゃねえか‼︎)

 

 

酒造りの失敗。

これこそが今の最大のストレス要因なのだ。

 

 

(温度だって暑い中我慢して暖房をガンガンかけて調整した。なのに発酵する素振りすら見せないって、どう言うことだクソ‼︎)

 

 

 

何も俺は知ったかぶった知識だけで実践した訳では無い。

少なくとも前世では、全く同じ方法で問題なく蜂蜜酒を生成できた。

しかも営業職についていた時に知り合った養蜂家の主人から直々に教えて頂いた方法なのだ。

 

当時は夏場に作ったせいなのか、割と早い段階から発酵の証である気泡がプツプツと芽生え、3日もする頃には問題なく酒として美味しく頂いている。

その時に使った材料は間違いなく水と蜂蜜だけだった。

むしろ素人が適当なモノを入れると失敗する率が上がると注意を受けていたので、余計なものは確実に入れなかった筈だ。

 

 

(器具の消毒も熱湯でしっかりやった。温度と湿度の管理も完璧だった。購入した蜂蜜は間違いなく純正で、人工甘味料は入っていない。なのに何で酒にならないんだ‼︎)

 

 

 

未成年が利用する図書館だからだろう、酒に関する書籍は少なかったが、それでも歴史や文化に大きな影響を与えた趣向品ということで、多少の図鑑や解説書は置いてある。

だがその内容については、素人ですらテレビやラジオか何かで、聞いたことがある。そんな程度の薄っぺらい情報程度しか載っていないのだから堪ったものじゃない。

 

ポイントを使ってパソコン等のインターネットに接続できる電子機器を購入して検索するのが一番手っ取り早いが、足がつく危険性がある為、それは避けたい。

今だって、わざわざ監視カメラの死角にそれとなく移動してから立ち読みしているのだ。

本来なら何冊かまとめ借りして、寮の自室でゆっくりと調べたいところだが貸し出し履歴が残ったらお終いだ。

 

スーパーで大量の蜂蜜を購入したものが酒の歴史書を借りている。

ほんの少しでも酒造の知識がある人間なら、その程度のヒントだけでアウトだろう。

 

 

(つか蜂蜜酒だって俺の中ではだいぶ妥協してるんだぞ‼︎ 本来ならもっと飲みたい酒があるんだ‼︎ キンキンに冷えたビール。トワイスアップのウィスキー。クーラーでガンガンに冷やした室内で頂く熱燗の日本酒……)

 

 

白ワインに似た風味の蜂蜜酒は嫌いではないが、どちらかというと俺は洋酒よりも日本の酒が好きなタイプだ。

ビールは当然として、焼酎や日本酒、ウィスキー等。雑食である自覚はあるが、特にこれらの酒が大好物なのである。

……まあ果たしてビールやウィスキーを日本の酒という類にカウントして良いのかは判断に困るところなのだが。

 

 

(考えたら飲みたくなって来たよ畜生。つーか酒がダメ、煙草もダメ、女もダメって地獄かよ。学生の時の俺って、一体どうやってストレス発散してたっけか?)

 

 

前世では俺が35歳になった夏、親父が肺癌で死んだ事をきっかけに煙草を辞めた。

結局、その影響で週末の暇な時にしか外で飲まなかった酒を毎日自宅で飲むようになったのだから、禁煙が正解だったかは定かでは無いが。

 

入社祝いに先輩に初めて連れてかれたソープで風俗というものを体験してからは世界が変わる。

童貞は高3の時に捨てていたものの、後腐れなく女を抱ける悦楽を知ってしまいすっかりハマった。

若手の頃はひたすら残業して金を稼ぎ、出世してからも碌に貯金もせず娯楽に使っていたのだからダメな大人の典型だろう。

 

だが別にそれでいいでは無いか。

俺はまあ、多分、幸せな生活を送っていた気がするし。

何より、誰にも迷惑をかけてなかったのだから。

 

 

(煙草は今さら吸おうとは思わない。女も……まあ、セフレとかウリやってる女ならともかくとして悠長に恋人なんか作る気も無い。この学校ではむしろ足を引っ張る存在になり兼ねないからな。だからこその、酒‼︎ 酒‼︎ 酒ぇっ‼︎アルコールウウウゥゥ‼︎)

 

 

頭痛が酷い。吐気もだ。

息が荒くなり、目が血走って行くのが分かる。

 

嗚呼、飲みたい。酒が飲みたい。

 

ビールが飲みたい。

山盛りの唐揚げを頬張り、しつこい油を黄金の液体で喉を鳴らしながらゴクゴクと流し込みたい。

 

焼酎が飲みたい。

新鮮な刺身に山葵をたっぷりつけてからムシャムシャ貪り、冷えに冷えた美味い芋をあおり、その甘さに浸りたい。

 

日本酒が飲みたい。

薬味をこれでもかと乗せた冷奴を肴に、大吟醸が醸し出すマスクメロンのような芳香な香りに酔いしれたい。

 

 

(酒‼︎ 酒‼︎ 酒‼︎ 酒‼︎ 酒‼︎ 酒‼︎ さ……ん?)

 

 

と、半ばあまりの欲望に発狂しかけたその時だった。

四冊目へと突入した酒造に関する解説書の中程に気になる記述を見つけた。

 

 

(『発酵を促す酵母の存在こそが、酒という趣向品を産み出した立役者である』。酵母……酵母か‼︎)

 

 

酵母。

パンを膨らませるイースト菌がもっともメジャーなそれは言うまでもなく、発酵という過程を必須とする酒造りにとって重要な存在だ。

本来、蜂蜜酒は発酵が止まっている天然の蜂蜜と水を混ぜ合わせる事によって浸透圧を下げ、アルコール発酵を促して作る酒である。

 

ここで思い出したのだが、前世で酒造りに使用した蜂蜜は製品とは別にとっておいた養蜂家のご主人のプライベートストックからお土産として分けて頂いたものだった。

本来製品として出荷する蜂蜜は製造過程において食品安全の関係で、火入れを行うのではなかっただろうか。

もし、その火入れの作業によって酵母が死んでいたと考えれば……

 

 

(そうか‼︎ 市販の蜂蜜には生きた酵母が入ってない‼︎ なら酵母を足してやればいい‼︎ スーパーやデカいコンビニでも売ってるよな、ドライイーストなら‼︎)

 

 

天啓、得たり。

最低辺だったテンションが最高潮まで爆上がりである。

頭痛を始めとした体調不良が嘘のように消え失せ、心に歓喜の音色が響き渡っていく。

いっそ一曲歌ってやりたい気分だ。

 

ウッヒョルンルンという気分でさっさと本を元の棚にしまい、スキップするかのように弾んだ足でそのまま帰路へつこうとしたその時、もう一つの用事を思い出した。

 

 

(……あっ。教室で読む為の本を適当に見繕うの忘れてたわ)

 

 

酒の事を調べるのが本命だったがそれとは別に、ついでに日頃の読書用に普通の文庫本を借りに来たのだ。

潔癖症という訳では無いとは言え、本来なら誰が触ったのか定かではない図書館の本など好き好んで読みたくない。

だから基本的に教室で読んでいる本は、わざわざ自腹で購入した完璧な俺の私物だ。

言うまで無いが、わざわざポイントを消費して購入したモノなのだから当然俺の好きな作品ばかりである。

が、これが今回ばかりは不味かった。

 

 

(毎日読書に励んでいるせいで、すっかり読書家の印象を櫛田に植え付けちまったからなぁ。1日に1回は絶対にその日に読んでいる本の話を振って来るから困る。流石にJKとの会話のタネに官能小説の話はマズイだろうし)

 

 

 

そう。俺の私物の本は、俗に言う官能小説の類いしか持っていないのだ。

好きな作家は? と聞かれた際、すかさず「団鬼六」と答えてしまう程度には俺は筋金入りの男である。

 

櫛田とまともに会話を始めた当初は深く考えていなかったが、冷静に考えて16歳の美少年が毎日のように教室内で官能小説を読んでいる様は、何というか。

タイヘンにヘンタイな扱いをされかねないだろう。

 

 

(でも俺、エロ小説と漫画ぐらいしか本来は興味ないから自腹切ってまで用意したく無いし。なら図書館で妥協するつもりで借りに来たんだが、どうするかなあ。有名どころを適当に借りるのが無難か?)

 

 

前世の頃から趣味は読書と称しているが、そのきっかけは三十路に差し掛かったあたりの時、お気に入りの風俗嬢に官能小説の素晴らしさを力説されたからだ。

高い買い物では無いし、そこまで言うなら試してみるか。と適当に有名どころを購入して読んでみたら中々にエロく、なかなかに面白かった。

ではこれを機に読書家になろうかと様々なジャンルの本を手に取ったものの、どうにも肌に合わない。

分かりやすい濡れ場が無いと、読んでいる内に飽きて来てしまうのだ。

 

エログロやナンセンスホラーの類なら、まだ官能小説に通ずるところがあるので、どうにか読めるのだが……

 

 

(江戸川乱歩でいいか。短編集なら暇つぶしになるだろ。久々に『人間椅子』読みたいし)

 

 

 

悩んだ挙句、俺は日本でもっとも著名と言っても過言ではないミステリー作家の短編集を探すことにした。

 

ちなみに言っておくと俺はミステリー作品が別に好きではない。むしろ苦手な部類である。

どのぐらい苦手かというと、冒頭で事件が発生したシーンを確認すると、すぐさま一気に巻末をめくって犯人とトリックを確認して読了した事にしてしまう程度には苦手だ。

読書家の同僚に「お前はミステリーを冒涜している」と酒の席でマジギレされたのは未だに覚えている。

 

いや、だって本来なら娯楽の筈である読書で頭を使うというのは疲れてしまって、何というか、本末転倒ではないだろうか?

コミックなんかの某見た目は子供、頭脳は大人な探偵ものなら、どうにか楽しんで読めるのだが。

 

ちなみにミステリーが苦手な俺が、何故ミステリー作家として名を馳せている江戸川乱歩の作品を求めているかというと、単純に乱歩氏はミステリー以外にも色々書いているからである。

特に、エログロ系の作品が多く、またその評価もかなり高い。

『陰獣』や『人間椅子』などが特に有名だろう。

 

 

(ここまで広いと本一冊探すのにもヤケに時間かかるよな。江戸川乱歩、え、え、え。あ、ここか)

 

 

この時、俺は間違いなく浮かれていた。

 

様々なストレスの重圧から解放される兆しが見えたのだ。無理もない。

だが俺はこの時、決して油断などするべきでは無かったのだ。

念には念を入れて、自分の好みから外れていたとしても、ミステリー作家として名高い江戸川乱歩の作品など借りようとするべきではなかったのだ。

 

 

(お。短編集あるじゃん。……うん、これで良いや。んじゃ、とっとと借りてスーパーでドライイースト購入だ‼︎)

 

 

繰り返すが、この時の俺は間違いなく浮かれていた。

 

だからこそ、気づかなかったのだろう。

 

 

(受付カウンターは入り口の方だろ。んじゃ、とっとと借りて……っ⁉︎)

 

 

ーーー学校の『図書館』という場所で。

 

 

「きゃっ⁉︎」

 

「うおっ⁉︎」

 

 

ーーーよりによって『ミステリー作家』として有名な著者の作品を手に取るという意味を。

 

 

(地味に痛え。誰かとぶつかっちまったか)

 

 

突然の衝撃にたたらを踏む。バサリと音立てて手にしていた本が落ちる。

気分が高揚していたせいで、注意力が散漫になっていたのだろう。

どうやら本棚で死角となっていた角に差し掛かった際に、誰かと衝突してしまったらしい。

 

 

(ヤベ。とりあえず相手が誰だか分からないけど謝っとかねえと。面倒事の火種はどんなに小さくても見落とせない)

 

 

どうにか体勢を正し、とりあえず相手に謝罪をしようとした。

 

 

 

「……江戸川乱歩・短編集ですね」

 

「え?」

 

 

 

ーーーそして、何よりこの世界が『ようこそ実力至上主義の教室へ』の世界だという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴の音のような声に導かれるようにして、俺はゆっくりと顔をあげた。

 

流れる銀髪。夜空のような深い群青の瞳。

細い手足に白い肌。

 

そして両手に抱える本の題名はアガサ・クリスティ著『ABC殺人事件』。

 

 

俺は目の前にいる『彼女』を認識したその瞬間、喉の奥がヒュッと音立てて閉まり、顔が青くなり。

何より高揚していたテンションが真っ逆さまに地に落ちた事を自覚した。

 

 

『図書館』×『ミステリー』+『よう実』

その答えが今、まさに目の前で、お目々をキラキラさせて立っているのだから。

 

 

「あなたもミステリーがお好きなんですか⁉︎」

 

 

(イヤあああああああああああああああああああああああああああああっ⁉︎)

 

 

関わってはいけないクラスナンバーワンであるCクラスの才女。

頭のおかしいドラゴンボーイから一目おかれる特急の爆弾フラグ。

 

『椎名ひより』と出会ってしまったのだ。

 

 

 

 




我ながら書いててこのオッサン馬鹿だな。と思いました。

追記
酒を密造する事は法律違反です。飲む、飲まない関係なく免許の無い人間がアルコール度数1パーセント以上の酒を密造する事は犯罪ですので真似しないで下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ボクはにんきもの(笑)

おまたせ。みじかい。


銀。

それは神秘の色だった。

 

 

月明りを反射し、煌めきを放つ星々の如きその色はあまりにも美しく視る者を魅了してやまない。

サラリと揺れる髪の一本一本が、まるで夜空に流線を描く綺羅星のような幻想的な輝きを放っている。

老いを感じさせる薄汚れた白色とは違う。

人工的な、どこかノッペリとした重くるしい灰色とも違う。

フィクション(ライトノベル)の世界だからこそ存在する、ファンタジーなその色彩は筆舌尽くしがたい美しさだった。

 

神秘的なプラチナの髪。

雪のように白い肌。英知を溶かしたディープブルーの瞳は好奇心にキラキラと輝き、その興奮と期待感からか頰は赤く色付いている。

 

『美少女』。

 

果たしてこの言葉がこれ程までに相応しい存在がいるのだろうか?

そんな疑問すら浮かぶ程に見目麗しき、妖精のような文学少女。

 

 

「あなたもミステリーがお好きなんですか⁉︎」

 

 

叫ぶかのような勢いのまま、上目遣いで此方に詰め寄る彼女、『椎名 ひより』。

突然にして偶然、ある意味で運命的で必然。

そんなヒロインと出逢った俺の心境は……

 

 

 

 

 

(くぁwせdrftgyふじこlp)

 

 

 

 

 

それはそれは盛大にパニクっていた。

 

 

(アイエエエ⁉︎ シイナ⁉︎ シイナナンデ⁉︎ コワイ‼︎ ゴボボーッ‼︎)

 

 

何故ならば目の前にいる美少女は俺が『よう実』世界のヒロイン候補の中でも、1、2を争う程に関わりたく無いキャラクターだったのだから。

 

 

「……あ。いきなり失礼しました。私の名前は『椎名 ひより』と申します。趣味は読書を、主にミステリー関連を好んで読んでいます」

 

(聞いてねえよ‼︎ 何を勝手に自己紹介してんだボケ‼︎ 俺まで名乗らなきゃいけない流れじゃねえか‼︎)

 

 

アイサツは大事。古事記にもそう書かれている。が、そんな事はどうでもいい。

俺としては目の前の文学少女に自身の名前を覚えられるのは、どうしても避けたい事態なのだから。

 

 

『椎名 ひより』。

 

『よう実』ヒロインの中でもかなりの人気を博している文学少女だ。

マイペースで本の虫という基本的に害の無い大人しめな性格。

運動は苦手だが、知識や学力はズバ抜けて高水準というしっかりしたキャラづけ。

思わず見惚れるような銀髪蒼眼という儚くもどこか神々しさすら感じさせるその美貌。

美少女だらけのこの世界においても、人気が出るのも納得のキャラクターである。

そんな彼女と知り合えたのは存外の幸運……とは言い切れない理由がある。

 

 

「ちなみに私が今読んでいるのは、このアガサ・クリスティの名作『ABC殺人事件』です。臨場感が溢れる丁寧な心理描写と作中のありとあらゆる箇所に散りばめられた叙述トリックは何度読んでも素晴らしい名作なんです」

 

(本の感想なんか聞いて無ぇから、どうでもいいんだよ‼︎)

 

 

ぶっちゃけ椎名本人は問題ない。だが所属しているクラスが問題なのだ。

 

 

「……あ、それから、私はCクラスに所属しています。クラスは違いますが、どうぞこれからよろしくお願いします」

 

(そこおおおおおお‼︎ そこが一番大事なんだよおおおおお‼︎)

 

 

 

 

 

Cクラス。

 

頭のおかしいドラゴンボーイこと『龍園 翔』が王として君臨する武闘派クラスだ。

いや、武闘派って書くと何だか無駄に雄々しい感じがするが、要するには暴力至上主義のヤンキー共の溜り場と言ってもいいだろう。

龍園は暴力という分かりやすい恐怖政治でクラスをまとめ上げた危険人物だ。

 

基本的に刃向かう奴はぶん殴るの精神で生きているヤバい奴。

ここが普通の学校だったならば他のクラスでどんな人間がどんな統治をしようが所詮は他人事。

別に気にする必要も無い話となるところだが、クラス間闘争が大前提である、この『高度育成高等学校』のシステムを考えると、たまったものじゃない。

 

原作でもCクラスは、いの一番に他クラスへ挑発行為や脅迫などの妨害行為を繰り返し、原作2巻の中核ともおける『須藤暴力事件』を引き起こしている。

そして数々の卑劣な問題行動をクラスメートに指示しているのが、リーダーである龍園なのだ。

 

彼は腕っぷしの強さも十分に脅威だが、その狡猾さと執念深さは作中でもかなり際立った描写がされており、敵対すると考えれば非常に厄介な存在だ。

将来的には成長を見せ始めた堀北をあと一歩のところまで追い込んでいるのだから、かの人物がいかに危険な存在であるかは語るまでもないだろう。

 

まあ、結果的に我らがサイコパスの綾小路きよぽんにボコボコにされ、踏み台のような扱いをされる可哀想な運命ではあるのだが。

 

 

(か、関わりたくねぇ……どうやってこの場を逃げ出す⁉︎)

 

 

話を椎名に戻す。

俺の目の前にてキラキラとした視線を向けて来るミステリー大好きっ娘である彼女こそ、そのリーダーたる龍園から一目置かれているとんでもない厄ネタなのだ。

 

原作における初登場は割と遅い方だったが、そのインパクトはなかなか強い。

龍園は比較的に登場回数が多かった『伊吹』でさえ苗字で呼んでいるにも関わらず、椎名に関しては『ひより』とわざわざ下の名前で呼んでおり、既に信頼を得た幹部扱いをされていた。

物語後半では失脚しかけた龍園本人から後継者として指名される程に暴君からの信頼を得ていた才女こそが、目の前に立つ彼女なのだ。

 

入学して間もない現時点で龍園と椎名の関係がどれほど深いのかは定かでは無いが、彼女と関わりを持つことは将来的に暴力王との接点を持つ事になるだろう。

厄介事に関わりたくない俺としては一刻も早く彼女から逃げるべきだと分かっている。

 

 

「あ、私ったら、いきなりすみません。同じクラスに読書を好む方がいなかったので……。同じ趣味を持つ『佐城くん』とお友達になりたくて。ちょっと騒いでしまいました」

 

 

が、一瞬でその選択肢が潰された。

目の前の美少女がシュンとした表情で落ち込んでいて、心が痛んだ。などという訳では無く。

 

 

「……その、椎名、さん? 何故。ボクの名前を?」

 

 

本来なら先ずはぶつかった事を詫びるのがスジというものだ。それが常識というものだ。

それが分かっているにも関わらず、俺は震えた声でその問いを口にせざるを得なかった。

 

 

(何故、知られている?)

 

 

他クラスの人間との接点は皆無。それどころか同じクラスでも櫛田としかまともに会話をしていないのが俺の現状だ。

そんな孤立に限りなく近い状態である他クラスの男子生徒の名前を椎名は知っている。

断言するが今この瞬間まで、モブ以外の他クラスや他学年の生徒は挨拶どころか正面から顔を合わせたことすら無い。

にも関わらず目の前の女は俺の顔と名前を認識している。会ったことすら無いのに。

 

これで警戒するなという方が無理な話だ。

 

先ほどまでとは全く違った理由で身体が強張り冷や汗が吹き出た。

緊張感を誤魔化すために唾を飲み込むと、喉から想像以上に大きなオノマトペがゴクリと鳴った。

 

だが警戒する俺に対して椎名はどこかキョトンとした表情であっけらかんとこう告げた。

 

 

「えーと。佐城くんは有名人ですから、私以外の人もみんな知っていると思いますよ? Dクラスの『姫王子』様。ですよね?」

 

 

……。

 

 

……ちょっと何言ってるか分からないです。

 

 

「ひめおうじさま」

 

「はい。男性にも関わらず、まるで少女漫画に出てくるお姫様のような美貌を持つ生徒がDクラスに所属している、と最近噂になっていましたので」

 

 

「他人の顔を覚えるのが苦手な私でも一目で佐城くんだと分かりましたよ」と微笑みを浮かべる椎名の言葉に俺はどんな顔をすれば良いのだろう。

 

そもそも姫と王子って対義語みたいなものだから矛盾してるじゃん、とツッコめばいいのか。

その小っ恥ずかしいあだ名が学校中に広まってる事を嘆けばいいのか。

そもそも椎名って少女漫画なんか読むのかと疑問を呈せばいいのか。

 

 

「その。ボク自身は、他クラスの人と挨拶すらした事が無いのですが。にも関わらず、ボクの顔と名前は知られている、という事ですか?」

 

「⁇ はい。学校中で噂になってましたので、恐らくは学年問わず知られているかと」

 

「がくねんとわず」

 

「私は茶道部に所属しているのですが、先輩方も興味津々といった様子でしたので恐らく間違いないかと」

 

「……Jesus」

 

 

結論。

俺こと佐城ハリソンの存在はとっくに噂になっており、椎名との接点云々の前からキチガイドラゴンこと龍園に顔と名前を知られている可能性が大。

おまけに学校中に俺の個人情報が知られているならば、葛城や坂柳。

先輩にあたる南雲や堀北生徒会長にも知られている場合もあり。

 

つまり前世の記憶が戻った直後に目指した目立たないで静かに生きる。というプランは最初っから破綻していたのだ。

 

 

「あ。ですが私は以前から佐城くんとはお話してみたかったんです。つい先日、書店で文庫本を購入しているところを偶然お見かけしまして」

 

「は、はぁ。成る程」

 

「少し離れたところから横顔を見ただけでしたが、噂に違わぬ見惚れてしまうような(かんばせ)でしたので一目で佐城くんだと分かりました。そ、それから……」

 

 

と、ここまでキラキラした目でこちらを伺っていた椎名の視線が落ちていく。

華奢な身体をさらに縮こまらせ、どこかモジモジと恥ずかしがった様子で、頰を染めながらポツリとこう続けた。

 

 

「その。まさか、同年代の方で……官能小説家として名高い『団鬼六』の著作を好んでいる人がいるとは思わなかったので、はい。そのぉ……とても、印象深くて」

 

(エロ小説買ってるところバッチリ見られてるじゃねえかああああああああああああああああ‼︎)

 

 

心の中で嘆きの慟哭をあげる俺の内心は先ほどまでとは別の理由で、大混乱だ。

きっと状況が許すならば俺は頭を抱えて、床をゴロゴロと転がり醜態を晒していたことだろう。

 

そりゃそうだよね。椎名さんは本の虫だもんね。

自分が読んだことは無くても有名どころの作者の名前とその作風は知っていても可笑しくないよね‼︎

……何だろう。この。まるで隠していたエロ本やオナホが母親に見つかった時のような、心臓が掴まれたような恐怖と燃え上がるような羞恥心。

気まずいなんてものじゃない。さっきから冷や汗が滝のように流れている。

 

 

「そ、それは恥ずかしいところを見られてしまいましたね。不快にさせてしまったなら申し訳ありません」

 

「いえ。その、確かに、少し驚きましたが。それはそれとしても、読書を好む方が身近に居ると知れたので嬉しかったですし」

 

 

羞恥に顔を染めながらも、どこか弱々しい微笑みを浮かべる椎名の美貌は、とても尊い何かを感じさせるが、ぶっちゃけた話、こっちはそれどころでは無い。

さっきの姫王子(笑)のインパクトが吹っ飛ぶレベルに動揺している。

というか帰りたい。色んな意味でいっぱいいっぱいだから早く帰りたいが、一応口止めは必要だろう。

 

 

「その、出来ればボクがそういった本を買っていた事は椎名さんの心の内に仕舞っておいて頂けないでしょうか? 情けない話ですが、公にするには、些か恥ずかしい趣味ですので」

 

 

椎名 ひよりというキャラクターに現時点で親しい友人がいないであろう推測は出来るが、既に俺という異物の存在でバタフライエフェクトが発生している可能性もある。

彼女を経由して龍園の耳にでもこの話が伝わったら最悪だ。

 

他人を陥れる為なら何だってやる狡猾なるドラゴンボーイの事だ。

過激なSM描写のある官能小説を購入していた、という事実を面白おかしく脚色してどんな醜悪な噂を流して来てもおかしくない。

不本意な事ながら現時点ですら俺の情報は学校中に出回っており、すっかり有名人の仲間入りをしているらしい。

これ以上の悪目立ちは何としても避けたいのだ。

 

 

「もちろん言い触らしたりするつもりはありませんよ。ですが、その……代わり、といっては何ですが」

 

 

椎名は少し考え込むような仕草をしたと思えば、再び俺と目を合わせて一歩距離を詰めた。

白銀の髪がふわりと揺れ、花のような香りが俺の鼻をふんわりとくすぐる。

彼女の整った顔立ちがグッと近くに寄せて来て、そのラピスラズリの瞳が星々のように煌めいているのが嫌でも分かった。

目の前の銀髪娘が口にするであろう台詞が容易に想像できてしまい、俺は顔面の筋肉が引き攣っていく。

 

 

「私と、お友達になってくれませんか?」

 

(嫌です)

 

 

嫌だよ‼︎ 嫌に決まってんだろバアアアアアアアアカ‼︎‼︎

お前、お前ちょっと自分が美少女だからって俺が何でも言うこと聞くと思っとんのかボケェ‼︎

友人になった後の展開が容易に想像つくわ‼︎

どうせ椎名との仲がいい感じに深まったところでアレだろ?

龍園が横槍を入れて来て「クククッ、クラス闘争は抜きとしての交友を認めてやる代わりスパイになれ。クククッ、もしくはポイントを払え。クククッ」とか脅しに入って来るパターンだろうが‼︎

何回そのパターンの二次創作読んだと思ってんだバアアアアカ‼︎

藪をつついて蛇どころか龍が出て来ちゃうだろうが、このポンコツ文学少女‼︎

大人しく伊吹辺りと百合百合してろこのアマァ‼︎‼︎

 

 

(……って言いたいところだけど‼︎ 言いたいところだけどおおおおお‼︎)

 

 

本来なら椎名とこのタイミングで仲良くなる必要は一切無い。

ボッチ気味の俺にも友人が出来る。しかもそれが美少女である事を加味したとしてもプラスどころかマイナス査定だ。何一つ良いことが無い。

物静かな文学少女で、更に銀髪碧眼という美貌を加味すれば、一読者としては椎名ひよりは魅力的なヒロインだ。それは間違いない。

だが、将来的に頭のおかしいドラゴンボーイと悪魔の契約を迫られるであろう確定した暗黒の未来を背負ってまで近づきたくない。

 

それにメタな話ではヒロインの殆どが、どうせ主人公である綾小路に惚れるんだから意味がない。

どうせみんな綾小路Tレックスの餌食になってアヘ顔ダブルピースがオチだろう。

 

 

「あの……ダメ。で、しょうか?」

 

 

だから目の前の少女が泣きそうな顔でこちらを見上げていたところで、絆されたりしてはいけない。

ましてや連絡先を交換する必要など皆無なのだ。

皆無、なのだが……

 

 

「……いえ、その程度のことでしたら。むしろボクの方からお願いしたいくらいです。改めまして、ボクは佐城 ハリソンです。これからよろしくお願いしますね、椎名さん」

 

「は、はい‼︎ よろしくお願いします、佐城くん‼︎」

 

 

結局、こうして彼女と握手を交わしている俺がいる。

嬉しそうに端末を取り出して連絡先を交換しようとする目の前の椎名の笑顔を見ると、キリキリと胃が痛んだ。

だが、まあ、何も彼女との繋がりを作っておくのは悪いことばかりでは無いのだから。

 

 

(龍園ホイホイの椎名と友人になるのは本来ならば要らないリスクを抱え込む愚行でしかない。だが既に俺という存在を龍園本人が認識しているなら話は変わってくる筈だ)

 

 

争い事を嫌い、マイペースな椎名 ひよりというキャラクターはその実、芯が太く何事にも動じない強さを持っている。

龍園が彼女を気に入っているのは学力や洞察力だけでなく、そういった内面も加味しての事だと俺は予想している。

彼女と繋がりを保っておけば本格的に龍園が俺に対してアクションを起こす際、なんらかのメッセージを送ってくれるだろう。という期待を込めているのだ。

 

流石にクラスを裏切ってまで俺のことを庇いだてしたりはしないだろうが、『龍園くんというクラスのリーダーが佐城くんの事を探っています』程度の情報なら教えてくれるのではないだろうか?

場合によっては『須藤暴力事件』に関する詳細な情報や裏話なんかも得られる可能性も0ではない。

 

 

(まあ、どのみち乗りかかった舟だ。きっかけが事故みたいなもんだとは言え、どうせ椎名と知り合っちまった。なら少しでも俺が有利になるように、せいぜい利用させて貰おうじゃねえか)

 

 

どうせ椎名と交友を深めたところで、そう遠くない未来に龍園にバレて口を挟まれることになるだろう。

そう。そんな、僅かな時間の間だけの関係だ。

王様が出張って来てこちらを脅迫してきたら、こちらが被害者ぶって椎名との関係を切ってしまえばいい。

ただ、それだけの話なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、俺と椎名は互いに目当ての本を借りて図書館を後にした。

 

寮に着くまでの間にたわいのない雑談。

主に椎名からのミステリー小説の布教を俺がのらりくらりと躱すだけの会話。

だが櫛田以外とのまともな話し相手は初めてな俺からすると、そんな下らない話ですらどこか新鮮で、中々に心地良かったのも事実だった。

 

やがて日が落ちる頃には二人揃って寮に到着し、そのままエレベーターへ乗り込む。

椎名の部屋のある階層につき別れが近づく中。

彼女はふいに俺に向き直ると、花開くような鮮やかな笑顔で俺に笑いかけた。

 

 

「佐城くんとお友達になれて、本当に嬉しいです。改めまして、これから『末永く』よろしくおねがいしますね。佐城くん」

 

「……ええ、こちらこそ。椎名さん」

 

 

まあ、短い付き合いになるだろうが、な。

 

そんな事を考えながら俺は機嫌良さそうな椎名に向かって手を振って、別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

なお、既に御察しの方もいるかもしれないが一応、記しておく。

 

 

 

(あ、スーパー行くの忘れてた)

 

 

 

後日、俺は椎名と軽率に友人関係を結んだ事を盛大に。

 

 

それはそれは盛大に、後悔する事になる、と。




感想読んでますよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

独り暮らしが長いと独り言が多くなる。

何故、話が一切進まないのか?
これ無人島編まで飽きずに更新できるのだろうか?


玄関の扉を叩きつけるように閉じ、手に持ったレジ袋を適当に放り投げると、ガツリと何かがひしゃげるような鈍い音がした。

椎名と別れた後にわざわざスーパーまで出向いて買い直した大事な戦利品の外装が凹んだかもしれない。

もしくは新品同然だったピカピカのフローリングに早くも傷がついてしまったのかもしれない。

 

だが、結局のところ、今の俺にはそんな些事に構っている余裕が一切なかったのだ。

 

 

(クソクソクソクソ‼︎ 台無し‼︎ 何もかもが台無し‼︎ 俺の計画は、全部が台無しだ‼︎‼︎)

 

 

怒り、緊張、それから恐怖。ネガティブなありとあらゆる感情がまるで津波のように押し寄せ、嵐のように吹き荒ぶ。

それらに酷く揺さぶられ、耐え切れずに痙攣する掌を強引に抑えるかのようにしてキッチンへ向かう。

コンロ脇の小さなスペースに、やはり記憶通りに目的の物が鎮座していた。

 

『仕込み』の為に放置していた巨大な保存瓶の蓋、それを力一杯こじ開ける。

乾燥ラックにひっくり返してあった小さめのプラスチックコップを手に取り、黄金色の液体が並々と注がれた2リットルのガラス瓶の口にねじ込む。

やや粘性を残した黄金水を掬い出すと、未だ雫をバシャバシャと溢れ落ちている事にすら構わず、その中身を自身の口へガブガブと流し込んだ。

 

 

「酒‼︎ 飲まずにはいられないッ‼︎」

 

 

俺の心境はまさにこの台詞に要約されている。つまり、飲まなきゃやってられないのだ。

 

とは言え、何時だって現実というのは都合が悪い。

いくら口に液体を含んだところで口内に広がるのはアルコールの熱ではなく、微妙に薄味になって中途半端な味わいとなった蜂蜜の香りと、そのモッタリとした癖のある甘さのみ。

 

 

「不味い! これはただの蜂蜜水‼︎ 」

 

 

思わず咆哮。まあ酵母が入っていなきゃ、そりゃそうなるのは当たり前なのだが。

こうして今まで仕込んでいた酒が、貴重な材料費もろともめでたく無駄になった瞬間だ。

全く、阿呆らしくて笑いすらおきない。

 

ただ、ただ。ただ腹立たしい。

 

 

「畜生がっ‼︎」

 

 

理不尽な現実と、間抜けな自分自身への八つ当たりを込め、右手に持っていたコップを思いっきり壁にぶん投げた。

小さなクリアカップはポカンと間抜けた音を立てて、バドミントンの羽のようにポテポテと足元に転がり落ちる。

 

クソ‼︎ クソ‼︎ クソ‼︎ クソッタレ‼︎ 何もかもがうまくいかない。

脳内でひたすらに呪詛を吐く俺の顔は果たして、どこまで歪んでいる事だろう。

荒ぶる衝動のままベッドに飛び込み、頭を抱えて苦悩した。

 

 

「とにかく、現状の確認だ。それから新しく今後の身の振り方を考えねえと……」

 

 

『姫王子』だなんてふざけたアダ名は色々な意味で大ダメージだが、そんな事よりも痛いのが、俺の顔と名前が不特定多数に既に知られている事。

更にそれが学年問わずというのだから、溜まったものではない。

とは言え、いつまでも現実逃避はしてられない。新しいプランを考えて行動しなければこの先の学園生活で生き残る事はできないだろう。

 

 

「目立たないポジションにさり気なく居座りながら、櫛田を経由して一之瀬と渡りをつける。そして個人的な協力関係を結び、情報提供を引き換えにプライベートポイントをプールして貰う。……って言うのが当初の計画な訳だが。クソ‼︎ 改めて考えると見事に前提が崩壊したな」

 

 

現時点で有名人の仲間入りをしているのだ。

ならばいっそのこと、自分の実力をある程度曝け出してDクラスや1年生間における発言権や影響力を得るべくして行動するのが吉であろう。

 

 

「となると、最初のイベントは小テスト。適当にやり過ごすつもりだったが、それも勿体ないか」

 

 

本来なら月末に抜き打ちで行われるであろう小テストでは80点前後の無難な点数に落ち着け、やがて行われるであろうDクラス勉強会イベントをサラッと受け流すつもりだった。

だが、どうせ名前が知られている現状ならば満点、もしくはそれに近い圧倒的な高得点を取る事で、学力面での実力を誇示した方が今後の展開に有利ではなかろうか。

 

 

「いや、逆に赤点スレスレの点数を取る事で無能アピールをして陰キャラに返り咲くのも有りか?……いや、ダメだな。その場合、有無を言わさず勉強会イベントに巻き込まされそうだ」

 

 

今後の学校生活を生き残る為にも時間は幾らあっても足りないぐらいなのだ。

これから起こるであろう様々な理不尽イベントに備える為の前準備や仕込みは手が抜けないし、万が一にも赤点に引っかからないように、日々の予習復習は欠かせない

それから折角の2回目の学生生活なので、今の内に様々な資格なんかも取得してみたいので、その為の勉強時間だって確保しなければならない。

 

これらの事情から、わざわざ無能を装ってまでして、放課後の時間を無駄に浪費するのだけは絶対に避けたいのだ。

 

 

「ならば寧ろいっその事、思い切って平田を説き伏せてDクラスのリーダーポジションを奪っちまうというのはどうだ?」

 

 

Dクラスの顔役は『平田 洋介』、『櫛田 桔梗』、『軽井沢 恵』の3人だ。

だが近い将来、軽井沢は自己の保身の為に平田に寄生して依存する形で、彼と偽の恋人関係となるので、一番の影響力を持ったリーダーは自然と平田になる。

平田 洋介という人間は、和を以ってして集団を纏める事に関しては素晴らしい適性を持っているが、その力は統率者としてのものではない。

言ってしまえば彼の適性は調停者寄りだし、クラス内の不和をいっそ病的なまでに嫌悪して、ナアナアで済ませてしまう様は、ハッキリ言って劣化版の一之瀬だ。

 

原作においては一年生編の中半以降、ズバズバと物を言う堀北がリーダー候補として頭角を表して来た為、ようやくクラスのバランスが取れたぐらいだ。

平田一人で能力の低いDクラスの舵取りをするのは、メタ読みから考えても不可能だろう。

 

「次のポイント支給日のタイミングに俺自らSシステムの裏側を暴露し、小テストで頭脳面をアピールしてクラス内における影響力を得る。その後は櫛田と平田、場合によっては軽井沢辺りと話し合ってリーダーポジションを譲ってもらう。……どうだ?」

 

 

一筋縄では行かないだろうが、恐らく不可能ではないだろう。

だがそこまで考えて、とっとと先までの妄想を打ち消した。

冷静になって考えてみると、クラスのリーダーになってもリスクとリターンが釣り合わない。

 

 

「いや、無いな。リスクが大きいし、堀北と綾小路の動きが読めなくなる。それにリーダーになったらイベントの度に自由に動けなくなる」

 

 

そもそも協調性もなければ能力も低いDクラスのリーダーになったところで得られる物が少ない。

不良品と称されるDクラスの顔役になったところで、面倒事ばかり押し付けられる事になるだろう。それこそ原作の平田のように。

 

 

「それに、リーダーになったら龍園との真っ向対決は避けられなくなるしなぁ」

 

 

体育祭編では龍園のターゲットは無人島の特別試験で頭角を現した理由で堀北だったが、俺がリーダーになってしまえば彼女の代わりにCクラスから狙われる可能性だって大いにあり得る。

現時点で名前が知られている事から、今後目をつけられる可能性については諦めているが、堀北ポジや平田ポジに居座った結果、龍園率いるCクラスと真っ向勝負なんて堪ったものじゃない。

勝てもしない戦いに赴くのは自信過剰な馬鹿だけだ。

 

 

「実力を見せつけ、それとなくクラスの中心から外れる。外野というか、オブザーバーというか。カースト外のポジション……つまり『高円寺』の立ち位置か」

 

 

唯我独尊自由人の代名詞である『高円寺 六助』は協調性が皆無、おまけに常識外れのナルシストっぷりでクラスから完璧に浮いている。

だがそのスペックは頭脳肉体共に綾小路に匹敵するバケモノであり、底知れぬ実力と圧倒的な存在感は強者としての立ち位置を確固たるものとしている。

彼のようなスクールカースト外でいながら、発言力のあるポジションこそが、俺の理想に近い。

 

だが高円寺本人に成り代わるのは物理的に不可能だ。

原作知識のおかげで知能面は何とかなってもフィジカル面では精々が上の下である佐城少年では追いつけない。

前世のオッサンボディと比べれば、この身体のスペックは格段に高性能ではあるが、龍園どころか須藤とすらタイマンを張ったら瞬殺されてしまうだろう。

 

 

「あー‼︎ アレも駄目‼ コレも駄目‼︎ 一体どうすればいいっつうんだ畜生め⁉︎」

 

 

無様に溺れるようにしてベッドの上でジタバタする俺の姿は第三者が居たとしたら酷く滑稽に映っていた事だろう。

暴れ、唸り、それでもどうにもならず。そうして頭を抱え、ベッドに寝転んではジタバタと踠き続けた

 

 

Sシステム、クラスの格差、プライベートポイント、各クラスのリーダー、特別試験、不正行為、クラスポイント、暴力、抜け道、退学、実力主義、etc……

 

 

ぐるぐると脳内を様々な単語と、それに連なる心象風景が巡っては消え、巡ってはまた消え、走馬灯のように駆けていく。

 

 

そもそも何故、俺は目立ちたくなかったのか?

何故、俺は平穏に暮らしたかったのか?

何故、俺はAクラスを目指す必要が無いのか?

何故、俺は今まで積極的に原作に介入して行かなかったのか?

何故、何故、何故?

 

 

深海にどっぷりと溺れるような感覚の中、ふいに某有名コミックの台詞が頭に浮かんだ、

 

 

『逆に考えればいいんだ』

 

 

そうして、1分か、10分か、1時間か。

 

少なくとも脳内では呆れる程に長いと時間をかけ、瞼の奥の暗闇から覚醒した。

 

 

「……色々と不安な点はあるが、新たな指針にとりあえずの目処は立った」

 

 

 

予定は未定。既に一寸先は闇どころか混沌だ。

ベストな結果は望めない。だが諦めて損切りするにはまだ早い。

少なくとも新たに立てた目標は憑依当初に立てたものと比べれば堅実で、身の振り方さえ弁えれば、十分に達成可能だろう。

この時、たしかに俺の心は決まったのだ。

 

 

「そうと決まれば今まで以上に積極的に動かなければならないんだが……ん?」

 

 

 

決意を新たに具体的な今後の計画を立てようとしたまさにその時、枕元に放り投げていた端末が震え、メッセージの通知を知らせた。

起き上がって確認すると相手は然もありなん。

小一時間前に別れたばかりの新たな友人からだ。

 

 

「友人に飢えてたのは本当だったんだな」

 

 

送り主は『椎名 ひより』。

 

画面のスクロールが必要な程の長文を流し読んだところ、友人になってくれた事に対する御礼。それから現在、彼女がハマっている小説を是非とも読んで欲しいから良かったら貸し出したいという事。

それから良かったらまた明日の放課後に一緒に図書館に行かないかというお誘いだった。

 

もしも俺に原作知識がなかったら、幸運にもお近づきになる事が出来た美少女からの図書館デートのお誘いに無邪気に、はしゃぎ回っていたことだろう。

 

 

「にしてもCクラスにも探せば読書家なんて幾らでも居そうだけどな、金田とか。龍園ですら失脚しかけた時は一人で読書に励んでた訳だし」

 

 

そもそも、椎名ほどの美貌があれば放っておいても男が寄って来る。

それこそ椎名にアピールする為に、読書を始めて話を合わせようとする奴だってごまんと居そうなのだが。

それとも、そういう下心は自慢の洞察力で察してしまうのだろうか。

 

そんな事を考えながら俺は挨拶混じりの軽いお世辞と小説の話題を少々、放課後については時間が合えば。と無難な事を書いて返信。

彼女とはボッチ仲間として、そして他クラスの人間として程々には仲良くするつもりだ。

 

そう、あくまで、程々に。

 

 

「他クラスよりも今はDクラスに根を張らないと、な。今後のクラス内での発言権や影響力を考えると今みたいな受け身な態度ではダメだな」

 

 

今の俺には椎名の存在よりも優先すべき事が山ほどあるのだから。

 

 

「手始めに櫛田の誘いを断るのをそろそろ辞めて、放課後辺りに遊んでみるか?」

 

 

もともと俺にとっての櫛田はあくまで一之瀬との繋ぎの為の存在で、それ以上でもそれ以下でもない。

むしろ利用した後に関しては、必要以上に関わりたく無い存在だった。

 

だが俺自身の知名度を踏まえた上での今後の目標を考えると、櫛田 桔梗という大駒である女をこれ以上粗雑に扱うのは愚行だ。

散々、彼女からの誘いを断っておいて、いきなり他所のクラスの女子の連絡先を聞き出し、それが終わったらポイ捨て、では幾ら何でも印象も悪くなる。

昨日までならそれで良かったが、今後は駄目だ。

とりあえず、それは避けたい。

 

 

 

「どうせ行き先は原作でも出て来た喫茶店のパレット? だっけ。そこら辺だろうし、2、3回は櫛田と茶でも飲んでダベってれば十分だろう」

 

 

ならばどうするか? 簡単だ。普通にお話して、普通に遊んで、普通にお友達になればいいのだ。

それとどうせなら櫛田経由で紹介してもらったあの娘とも仲良くなっておくべきだろう。

 

 

「……個人的に『王』とも縁を結んでおきたいな。そうなると『井の頭』辺りも誘えば自然か」

 

 

櫛田との付き合いはあくまでも自分の将来的な立ち位置を確保する為の仕事半分の部分が大きいが、『王 美雨』に関しては別件である。

中国からの留学生である彼女だからこそ、頼みたい事があるのだ。

彼女が恋慕している平田は近いうちに軽井沢と恋仲(という設定)になり、王は失恋する。

その時期にでも、櫛田を焚き付けて失恋パーティーのような場でも設けてもらうとしよう。

 

 

「女子生徒はこれで良いとして、平田ともある程度は話が出来る仲にしておきたいんだよな」

 

 

ある程度、俺の発言がクラスに受け入れられる為には最低限の地位を確立し実力を示さなければならない。

となると、櫛田の好感度は当然として平田との交友も避けては通れない。

 

 

「奴に着き纏うギャルグループは恐ろしいが、ポイントを浪費するハメになっても誘いをかけるべきか?」

 

 

熱を帯びた頭のまま、どう平田達を遊びに誘うかと考えていたところで、俺はかぶりを振って先の考えを却下した。

 

 

「……いや、誰とでも仲のいい櫛田ならともかく、平田と個人的な付き合いをするのは悪手だな。仲良くなり過ぎてクラスの中心メンバーにカウントされると本末転倒だし」

 

 

平田にある程度信頼されるのは有難いが行き過ぎた結果、相棒ポジションのような位置付けになるのも困る。

0ポイントになった当日の放課後の話し合いや勉強会、須藤事件の聞き込みなどに巻き込まれるのはゴメンだ。

 

俺が求めるのはあくまで外野ポジ、クラスの中心から外れて、それでもある程度の影響力を持てる位置付けなのだから

 

 

「いつもの挨拶の時に含みを持たせた会話でもしてみるか? 『クラスメイトと仲を深めるのも良いけどポイントは節約した方がいいよ。少なくとも来月の支給日までは、ね?』みたいな感じで」

 

 

わざわざミステリアスなキャラクターを演出するのも厨二病のようで気恥ずかしいが、この台詞を予め平田が聞いていれば、後々俺という男が早い段階でSシステムに気づいていた。という有能さのアピールにはなるだろう。

 

平田から一目置かれれば、軽井沢からも軽視される事は無くなる筈だ。

今のDクラスの女子において、櫛田に勝るとも劣らない影響力を持っている彼女もまた、軽視できない存在だ。

 

 

「櫛田とはある程度、積極的に。そんで平田には軽い忠告。ついでに堀北にも何かしらのアピールをしておく必要もある。か?……いや、やっぱいいや」

 

 

将来的にDクラスの顔となるであろう『堀北 鈴音』とも交友を深める事も考えたが、無駄だから止めた。

そもそもプライドが馬鹿みたいに高い彼女に仲間、もしくは友人として認められるまでのハードルが異様に高いので労力が馬鹿にならずに、単純に面倒くさい。

会話の最中にいちいち罵詈雑言を組み込まなければコミュニケーションが取れない相手と関わりあいになりたくないのがオッサンの本音だ。

 

更に言えば彼女の影に着いて来るサイコパス、綾小路の存在があまりにも恐ろしい。

堀北、そして綾小路周辺はこちらからは関わりあいにならない方向で確定だ。

 

と、ここで綾小路の名前から連想して、原作内の懸念事項をふと思い出した。

 

 

「ああ、そうだ。明日にでも管理人に、誰にも部屋の鍵の予備を渡さないように念押しが必要か」

 

 

今俺を含めた学生達が暮らしているこの寮は、国営の名に恥じぬ最高の設備と光熱費無料という贅沢な環境となっている。

にも関わらず防犯面だけは馬鹿らしい程にザル警備なのだ。

ポイントさえ払って適当な言い訳さえしてしまえば誰でもサブの鍵を手に入れられるというセキュリティ意識の低さは、原作を読んでいた前世の当時、理解できずに何度も首を傾げた程。

 

 

「俺の場合、他人が部屋に入ってきた瞬間にアウトだからな。ポイントに余裕が出たら現状の物とは別に追加で鍵をつけて貰うのも考えるか」

 

 

仮に少なくないポイントを失う事になろうとも、自衛の為にも管理人には徹底させなければならない。

俺の部屋にはバレたら退学待った無しの、酒造器具が。

そして予定通りにいけば来週には冷蔵庫にぎっしりと自作の蜂蜜酒が詰まっている事になるのだろうから。

 

 

「……酒のこと考えたらまた飲みたくなって来た」

 

 

俺はベッドから立ち上がると、放り投げたビニール袋を漁り、目当てのドライイーストを手に取った。

 

 

「とっとと仕込んで今日は早く寝よう。このままじゃアルコール不足で発作がまた起きかねん」

 

 

より良い未来の為、充実した学園生活の為。

予定がギッシリ詰まった明日からの生活に力なく溜息を吐き、蜂蜜酒の仕込みに移る。

 

 

「……明日から面倒だなあ」

 

 

先ずは明日わざわざ早起きまでして、慣れない場所に顔を出さなければならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けて翌日。

 

俺はこうして見慣れない扉の前にて大きく深呼吸をしていた。

散々放課後の時間を活用して学校内の施設や学生の為の街の中を探索してきたものの、目の前の部屋にお邪魔したことは一度も無い。

例え精神年齢が幾つになったとしても、未知の場所に赴くのは、どうしても緊張してしまうものだ。

 

 

(小心者は死んでも治らないのか。まあ、今さら嘆いたところでどうにもならないけどな)

 

 

瞳を閉じて、大きく首を回す。コキリコキリと小気味良い音が体内に響き渡り、じんわりとした快感と共に心が落ち着いていく。

目を開けて気を取り直すようにして軽く咳払い一つ。前世の癖でノックはゆっくりと3回叩く。

 

 

「失礼します」

 

 

俺はホームルームが始まる約1時間前に職員室を訪ねていた。

突然の来客に、教師陣の興味と疑問が綯い交ぜになった視線が俺に集まる。

それらをやんわりと微笑んで受け流しつつ、俺は静かに。

それでいて、室内の全員に聞こえるようにハッキリとした声でこう告げた。

 

 

「1年Dクラス、佐城と申します。『星之宮先生』にお話があるのですが、お時間頂けますでしょうか」

 

 

きっと今の俺は天使の如き白無垢の笑顔を浮かべて、『姫王子』なる愛称に相応しい魅力を周囲に振り撒いているのだろう。

その顔面の正体こそ、真っ黒な腹の奥に孕んだ薄汚い陰謀を隠す為の歪な仮面だったとしても。

 

 

(さて、と。面倒だけど頑張りますかね)

 

 

怪訝な顔でこちらに近づいて来る茶柱と、キョトンとした表情を此方に向ける星之宮の姿を視界に入れつつ。

 

 

(酒の仕込みも、策の仕込みも。事前準備が一番大切。なんてな)

 

 

俺はそんな醜悪な思考を誰にも気取られないように。

 

自身の長い舌で、乾いた唇をイヤラしく舐め回した。




次回から原作キャラどんどん出していきたい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ようこそ実力至上主義のキャバクラへ(仮)

10000字こえて話が進まない。もうやだー


憑依という形で、いたいけな少年の身体に寄生している中年ゴーストらしきオッサンだが、この肉体の持ち主であるハリソン少年に大きな尊敬の念を抱くことが度々ある。

 

 

「うわぁ……近くで見ると本当に綺麗‼︎ 信じられないぐらいの美形よね〜‼︎」

 

 

例えばその記憶力。

前世の俺も大学で遊び呆けるまでは、そこそこに真面目な学生をやっていた自覚はあるが、いくら努力したところで目立った成績を修めることの出来ない没個性的な凡人だった。

 

だがハリソン少年の頭脳は非常に聡明だ。

教科書を流し読みしただけでスラスラと内容を暗記できるのだから、憑依した当初はこれが頭脳チートか。と驚愕したものだ。

入学して一ヶ月も経っていないにも関わらず、基礎の5科目に関しては3年生に習う範囲にまで差し掛かっている。と言えばその頭脳のハイスペックさが。

何より勉強を苦としない、少年本人の勤勉さというものが理解出来るだろう。

 

 

「肌の透明感が凄いし、色だってまるで雪みたいに白いし。外人の遺伝子って卑怯よね〜……本当に羨ましい」

 

 

また、その身体能力も凄まじい。

イギリス出身である母の意向で、それなりに名高いバレエスクールで学んでいたからだろう。

一見して少女にしか見えない彼の身体には薄く、それでいて柔靭な筋肉が全身をスラリと覆っている。

俗に言う細マッチョ。と称するにはやはり身体のラインが薄過ぎるが、無駄な贅肉が一切無い。

それでいてしっかりと筋肉の凹凸が浮かびあがる白磁のような肉体は、華奢でありながらも芯が通った凛々しさが映る絶妙なバランスだった。

 

バレエ自体は中学時代の事件に巻き込まれてから、なし崩しに辞めてしまったが身体に染み付いた柔軟運動や基礎トレーニングは日課となっており、不登校の時代でも自室に篭りつつ毎日続けていた。

こうしてオッサンが憑依してからだって何だかんだで毎晩こなしているのは、面倒だからとサボって寝ようとしても、身体が変にウズウズして眠れなくなる程に、トレーニングの習慣がすっかり染み付いている。

 

 

「シワは当然として本当にシミ一つ無い。こ、これでスッピンなんて……うわっ、スベスベモチモチ‼︎」

 

 

そんなハリソン少年の肉体はその柔軟性がバネになっているからか、全体の筋肉量からは考えられない程にフレキシブルで力強い。

ちなみに水泳の授業で測り直した時のタイムは27秒。平均以上、平田未満という結果は十分に誇っても良い数字だ。

 

ここまで高水準な能力の持ち主が依代では、むしろ取り憑いたオッサンの無能さが脚を引っ張っているのでは無いかと不安になってしまう。

頭脳でも肉体でも。また、言うまでもなく外見でも内面でもハリソン少年に劣っているのは明白なのだから。

 

 

「何なのよこの手触り……こんなのズルいわ‼︎ 全女性の理想形よ‼︎ 何時までも触っていたくなっちゃう‼︎」

 

 

だが如何に薄汚いオッサンとは言え、俺という人間だって丸っきりの無能という訳では無い。と主張したい。

前世の遺産として脳内にインプットされている原作知識はもちろん。前世の特技や経験だってしっかりと受け継いでいるのだから。

 

例えば、会議の最中に気難しい顔で、いかにも考え事してます。という無言のアピールをしながらボーっとするコツだとか。

誰にもバレないようにさり気なくデスクワーク中にこっそりと居眠りする秘訣だとか。

それから業務中に気になる女性社員の胸をごく自然な動作でチラ見する技術だとか。

 

……と、まあ大半がロクでも無い。こうして羅列してみると下らないにも程があるゴミスキルばかりだ。

頭を捻った挙句にこんな残念な特技しか出てこないのだから、我ながら中身の無い人生をおくって来たと悲しくなってしまう。

 

 

「髪の毛もふわふわにカールしてるのに手触りサラサラ。本当に理想の天使様って感じよねぇ。これで男の子って……ある意味、反則よ」

 

 

あとは、癇癪持ちの上司に八つ当たりとして理不尽に蹴られ殴られ怒鳴られた際に身についた我慢強さだとか。

風俗通いで鍛えに鍛えた108の性的なテクニックぐらいだろうか。

……うん、やっぱりロクでもなかった。

 

 

「それにしても、こんな可愛い子がクラスに居たんじゃ、周りの女の子達も放っておけないわよね。……うーん、女の子だけじゃないわね。きっと思春期真っ只中の男子高校生だって、イケない扉を開きかねないわ‼︎」

 

 

閑話休題。

 

ここは生徒指導室。

その名称から、違法行為を働いた生徒に対する罰則を告げる擬似的な裁判所のような寒々しい牢獄。などと見当違いな想像をしてしまう人もいるのでは無いだろうか?

 

部屋に置かれているのは、部屋の中央に陣取る大きな長方形のテーブルと、それを挟むようにしてパイプ椅子が二つだけ。

壁や天井はテーブルと同じく真っ白で飾りっ気は皆無。

原作知識でこの部屋の奥に給湯室がある事を知らなかったら刑事ドラマに良くある取調室と勘違いしたかも知れない。

だが実際のところ、この部屋で行われているのは厳粛たる空気の過酷な取り調べ。何てものでは当然、無い訳で。

 

 

「あの、くすぐったいですよ、星之宮先生。それに、そんなに触られますと気恥ずかしいのですが」

 

「えぇ〜もうちょっといいでしょう? こんな綺麗な子を見たの、教師やってて初めてなんだから……ふわぁ〜頰っぺもスベスベモチモチ〜」

 

 

厳粛のゲの字も無い、実にゆるふわな雰囲気の中。

これまたユルフワな女教師によるサービス満載のボディタッチが繰り広げられていた。

 

 

「それにしても噂の佐城くんが私に会いに来てくれるなんてビックリしちゃったわ。……あ、唇もプルプル。つんつんっ。うわっ、この艶で本当にリップ使ってないの?」

 

「んっ、使ってませんよ……ええと、噂。ですか?」

 

 

頰を両手で挟み込むようにスリスリと撫で回し。

髪の毛で遊ぶようにワシャワシャと掻き回し。

ついでとばかりに指先で唇をツンツンと、揶揄うように弾ませる。

 

 

「そうそう、噂の『姫王子様』。どんな女の子よりも綺麗で可愛い男の子がいつの間にDクラスに現れた‼︎ってね。職員室でも話題になったんだから‼︎ 凄いわよね〜ウチの学校って可愛い娘が多いのに、まさか男の子がそれ以上に綺麗なお顔をしてるなんて‼︎」

 

「……何とも反応に困る呼び名ですよね。そのあだ名」

 

 

俺と向かい合って座るBクラス担任の女教師『星之宮 知恵』先生は弾むような声色でそう語った。

 

ピンク色のシャツに窮屈そうに閉じ込められた見事な双丘をテーブルに押し潰すようにしてまで、身を乗り出し俺の顔をペタペタと。

いや、むしろベタベタと触る彼女の様子は何と表現すべきだろうか。

非常に楽しそうな笑顔は一見して無邪気だが、その指先が俺の肌を撫で回す度に恍惚な溜息を漏らしているものだから、どこか色っぽい。

もしも、こうしてボディタッチを受けている人間がごく普通の男子生徒だったら、果たしてどう感じていたのだろう?

 

美人で年上のお姉さんからの思わぬ接近によって困惑し、赤面でもして縮こまるだろうか。

それとも、距離感の近過ぎる年増の過剰な接触に腹を立て、ウザったいとばかりに手を振り払って悪態をつくところだろうか。

 

だが今こうして妙齢の女性に遠慮なく身体を撫で回されている俺は、普通の男子高校生ではないのだ。

 

 

「……その、先生。あまり撫で回されるとボクとしても反応に困ってしまいます……んっ」

 

「ああ〜声まで色っぽい〜‼︎ もう何か私まで禁じられた果実に手を伸ばしちゃいそう……ねぇねぇ‼︎ どうしてBクラスに来てくれなかったの⁉︎ そしたらもっと早く仲良くなれたのに〜‼︎」

 

「あっ、あの。あまり唇を撫でないで下さい……んぅ……くすぐったい、です」

 

「はわわわわ〜〜〜‼︎」

 

 

 

もはや完璧にセクハラの域に達している星之宮の濃密なボディタッチ。

この手を振り払う? 鬱陶しいと悪態をつく?

もしくはいい加減にしろと怒鳴りつける?

否。そんな勿体ない事する訳が無い‼︎

 

 

(いやー‼︎ 巨乳の女教師からの遠慮の無いボディタッチとかご褒美どころじゃないよね‼︎ こんなの痴女モノAVでしか観たことない夢の光景ですわ‼︎ イメクラやセクキャバだったら間違いなくガッポリ金取れるぜ、コレ‼︎)

 

 

歓喜である。内心ニッコニコである。

ウェルカム逆セクハラ‼︎ 大歓喜である‼︎

何故ならこちとら中身は40過ぎのオッサンなのだ‼︎

 

俺は顔を赤らめ、目線を落とし、如何にも気恥ずかしい。といった表情は浮かべているものの、それは大学時代の演劇サークルで学んだオッサン渾身の演技である。

櫛田や椎名との会話で御察しであろうが、オッサンは演技派なのだ。

 

流石は二次元の世界、人気ライトノベルの世界。出てくる女性が漏れなく全員美女ばかりなのだから、ちゃっかり紛れ込んだ異物からすれば大変眼福な世界である。

 

 

(原作の綾小路は星之宮に絡まれてあからさまに迷惑そうな反応していたが……俺からすれば勿体ない話だよなあ)

 

 

丹念に手入れをされたのだろう桜貝のような艶やかな爪先で、俺の唇を掠めるようにして愛撫する彼女の顔を眺めながら考える。

 

綾小路は星之宮の外見自体、初対面の時に大人っぽくて魅力的だと感じていた筈だ。

とは言え、確かにこの距離感は一教育者が初対面の異性の生徒に対して接するには近過ぎる。

俗に言う、ダル絡み。と受け取られ、辟易されても無理はない。

そもそも年頃の男子高校生の青い性を無遠慮に刺激するような、この小悪魔的な揶揄い方はそれなりに人生経験を積むか余程の女好きでもなければ、卒なく対処することは難しいだろう。

 

 

「その、星之宮先生。ボクも照れてしまいますので、これ以上は御勘弁願います……」

 

「えへへ〜ごめんねぇ? あまりにも佐城くんが可愛くてね。君がBクラスの子だったら毎日こうして可愛がってあげられるのにな〜」

 

「それは、その。魅力的ではありますが……やはり、恥ずかしいですよ」

 

「きゃあ〜魅力的だなんて可愛いコト言っちゃってぇ。もしかして佐城くんは意外とレディキラーなのかな?」

 

「いえ、いえ、まさか。こんな女みたいな顔ですので……残念ながらボクは女性にモテるタイプの男ではありませんよ」

 

 

だがオッサンたる俺からすれば、彼女は非常に魅力的な女性だ。

先ずは単純にその外見。彼女の美貌。そしてその魅力的なスタイル。

キャバクラだったらこのレベルの女性を指名するのに1時間幾らかかる事だろうか。

彼女が風俗嬢だったなら、多少年齢がネックとは言えども一晩最低でも六桁は必要な高級店の看板嬢の扱いでもおかしくないだろう。

 

 

(いやー前に保健室で見かけた時にも薄っすら思ったけど、やっぱ近くで見ると偉い美人だよなー星之宮って。顔の造形は当然にしても、髪の艶と言い、目の色と言い、肌のキメ細かさと言い)

 

 

ウェーブがかった髪の色は甘く蕩けるキャラメルブラウン。

蕩ける瞳の色はパルフェ・タ・ムール。匂い立つ色気はまさにニオイスミレの香り。

これぞまさに、青少年が憧れる大人の魅力。

 

こうして対面に座るからこそ断言するが、星之宮知恵という女性は、それ程までに美しいのだ。

 

 

星之宮というキャラクターは前世でちょくちょく読んできた『よう実』二次創作内で、酒浸りなイメージと、パーソナルスペースをガン無視した強引なコミュニケーションのせいで邪険で嫌な教師というキャラにされがちであった。

原作内では彼女の内面なんかは掘り下げられる事は無かったが、恐らくは櫛田 桔梗と似かよった。

もしくは年の功を考えると彼女をアップグレードしたスペックの持ち主と考えて間違いは無いだろう。

つまり目の前の女教師はその可愛いらしい外見に反するように計算高く、腹黒い面を持っているに違いない。

 

 

(でもそんなの関係ねえ‼︎ でもそんなの関係ねえ‼︎)

 

 

だが担任でも無ければ、別に彼女と特別な関係になりたい訳でもない俺からすれば、そこまで深く関わるキャラクターでは無い。

実害が無ければ只の美人。単なる目の保養だ。

 

もしかしたら俺が死んだ後に続いた原作にて、綾小路や茶柱と決定的に敵対するイベント等が発生していたのかもしれない。

だがそんなIFの話など俺には当然、関係が無い訳で。

 

 

「こうして先生みたいな方に気安く触れられてしまいますと……分不相応にも舞い上がってしまいます。ですから、その。あまり、ボクを揶揄わないで下さい」

 

「はうっ。今の反応……ドキッと来ちゃった。ねえねえ、私のコト下の名前でチエ先生って呼んでみてよ〜。あっ、これは佐城くんに特別だからね?」

 

 

美人でゆるふわで巨乳という完璧な外見に、気安く明るい人好きのする性格。

教職についておきながら度々二日酔いで出勤する程に深酒する悪癖は如何なモノかと思うが、単純に酒が好きな女の子という点はオッサン的にポイント高い。

もしも前世の会社に彼女が居たならば飲み会で大人気だろう。

酒好きのオッサン連中からすればニコニコと楽しそうに、美味しそうに酒を飲んでくれる女性程、有り難いものは無いのだから。

 

もっとも、彼女のスペックがあればわざわざ俺が務めていたような三流企業で働かなくとも、その美貌と頭の回転を活かして金持ちの隠居爺を何人か引っ掛けられるだろうが。

そのままマンションや会社を貢がせて、気楽な愛人生活なんかも卒なくこなしていそうだ。

 

 

(まあ、俺から見たら星之宮の年齢って子供とは言わないまでも、十分に若々しい女の子の部類なんだけどね)

 

 

一般的な男子高校生から見た二十代後半の星之宮は、年上好きでもなければ単なるBBAに片足突っ込んだ痛い女として扱われるのかもしれない。

だが、しつこいようだがこちとら中身は脂ギッシュな40代のクソジジイだ。

構ってくれるだけでなく、自発的にボディタッチまでしてくれるなんてサービスの良いキャバ嬢……じゃなくて教師なのだろうか。

彼女の為なら奮発してドンペリやモエシャンを開けてやるのも吝かではない。

 

 

「いくら先生がお優しい方とは言え、馴れ馴れしく下の名前で呼ぶのは……その。仮に、他の生徒から誤解されたらマズイですし」

 

「んふふ、見かけによらずウブなのかなぁ? 大丈夫よ〜プライベートでだって親しい人にはチエちゃんって呼ばれてるんだから。佐城くんの担任の茶柱先生なんかは、お互いにチエちゃんサエちゃん。って呼び合う仲なのよ?」

 

 

そう語る星之宮はニンマリとした笑顔のまま俺の両手をギュッと握った。

彼女の髪の毛がサラリと揺れて、媚薬のような香りが広がる。

 

色気付いたティーンエイジャーが知ったかぶったような顔でつけている、コットンキャンディーを溶かしたような胸焼けする甘ったるいだけのチープな香水とは違う。

仄かに甘く、胸の奥を優しく擽ぐる春風のような。そんな微かで上品な芳香に癒されていく。

 

 

(揶揄い半分とは言え、商売女を除外したら前世でもここまで綺麗どころにアプローチされた事なんて無かったよな。やっぱ顔の良さと若さって偉大だわ)

 

 

そもそも若い女性にとって、オッサンという生き物は蛇蝎の如く嫌悪される存在だ。

中には女の子の中にも年上好き。という奇矯な存在がいない訳でも無い。

だがそんな彼女らが示す年上の男性像というのは、映画俳優やハリウッドモデルみたいな長身で整った目鼻立ちをしたダンディーな美男の事を指している。現実は残酷だ。

 

ワンチャン、金さえ持っていればデブだろうがハゲだろうがチビだろうが少女達もチヤホヤしてくれるかもしれない。

だが、金があるなら夜の店にお世話になった方がオッサン供の自尊心やその為諸々もノーリスクでスッキリと満たされる訳で。

そして大半のオッサンは金はあっても時間が無い。もしくは暇はあっても金が無い。

 

現実なんて、所詮そんなもんである。

 

 

「……えぇ〜〜〜⁉︎ 水泳の授業で無理して溺れたって男の子が佐城くんだったの⁉︎ あの黒髪眼鏡のモッサリくん⁉︎ 全っ然、面影ないじゃない‼︎ 」

 

「ええ、一応。先ずはその時の御礼をしなければと思いまして。あの時は下校時刻が過ぎていたせいで、碌に御礼も謝罪も出来ずに失礼してしまいましたから」

 

 

さて、再び閑話休題。

 

あの後ひたすら撫でられ、突つかれ、さすられ、摘まれ、揉まれ。

グイグイと押しに押されて人目の無いところでは『チエ先生』と呼ぶ事を何故か強要されつつも、ようやく話を切り出すことが出来た。

ちなみに現時点でこの部屋に案内されてから既に三十分は経過している。

その間ひたすら星之宮からのボディタッチを堪能していた訳だ。

 

これがもし綾小路だったらゲッソリとした顔で早々に逃げ出していたかもしれないが、オッサンたる俺からすれば思わぬ肉体サービスのお陰で気分は爽快。

バレないようにチラ見した巨乳の視覚効果でライフポイントとやる気はマックスである。

 

 

「あの時は全然気づかなかったな〜。佐城くんは絶対に今のままがいいよ。うん、間違いないわ」

 

「ありがとうございます。ええと、まあ。ボクの髪型は置いておいて……改めまして、あの時は本当にありがとうございました。チエ先生の適切な対応のお陰で翌日には熱も引き、体調はすっかり回復致しました」

 

「佐城くんは律儀な良い子ね〜。礼儀正しいところはお姉さん的にもポイント高いわよぉ」

 

 

立ち上がって頭を下げる俺の頭をポンポンと撫でる星之宮の声色は明るい。

まあ彼女の立場からしたら、保険医として当然の仕事をしただけなのだから、わざわざ改めて礼を言われるような事でも無かったのだろう。

 

 

「でも、そんな事の為にこんな朝早くから私を訪ねて来たの? 保健室に来ればいつでも会えたのに……あっ‼︎ それとも先生に会った時に一目惚れしちゃったとか? ……ごめんね。佐城くんはとってもステキな子だけれど、私と貴方は教師と生徒。禁じられた関係なのよ」

 

 

ヨヨヨ。と態とらしく泣き真似を始めた星之宮の寸劇は兎も角、言っていることはその通りだ。

礼を言うだけならば暇な時にでも保険室に顔出しすれば済む話なのだから。

もちろん、俺としてもそんな些事の為に朝早くから他クラスの担任を呼び出してまで、こうして要らぬ愛想を振舞っていた訳では無い。

 

 

「チエ先生が魅力的な女性だというのは事実ですが、ボクなんかでは貴女のような方に釣り合いが取れませんよ……ええと、もちろん先ほどの話も大切な用事ではあるのですが、それとは別に保険医である先生に相談があるのです」

 

 

ぶっちゃけ感謝云々はただの会話の取っ掛かり兼、社交辞令だ。

俺の本題はこれからなのだから。

 

 

「むぅ。なんかサラッと流されちゃったわねぇ……さて、と。生徒からの相談ならもちろん受け付けてるわよ? ひょっとして恋の相談? ちなみに私の好みは女性をしっかりと立てる事が出来て、なおかつ頼り甲斐のある礼儀正しい可愛い男の子かな〜?」

 

 

未だニヤついた星之宮の表情と揶揄うような言葉は変わらないが、室内の空気がほんの少しだけピリッと引き締まった。

やはり国立の学校に勤めているだけはあって、多少なりとも職業意識はあるのだろう。

『保険医として』の生徒からの相談という点に、彼女の中の何かに触れたのだろうか。

 

 

「恋の相談は相手が出来たらお願いするとして……先ず前提としてですが、ボクの出身中学では保険医の先生がスクールカウンセラーを兼任していたのですが、それはこの学校でも同じでしょうか?」

 

「あら、また流されちゃったわぁ、残念……さて、では真面目にお話しするとしますか。結論から言って佐城くんの質問に対する答えはNoね」

 

 

俺の質問に簡潔に答える彼女の顔はいつの間にか知的な教育者のものになっていた。

 

 

「そもそもこの東京都高度育成高等学校には、専門のスクールカウンセラーが常駐している訳ではないの。理由は分かるかしら?」

 

 

過去に佐城少年が通っていた私立の中学はそれなりの偏差値を誇っていただけあり、そこそこの金持ち。つまり上流や中流階級出身の子供達が集まっていた。

その影響か学内の施設もそれなりに充実しており、スクールカウンセラーの資格を持った保険医が男女一人ずつ常駐していた。

ちなみに何で少年がこんな事を知っているかというと、不登校から脱却する際に何度もお世話になっていたからだ。

 

だが一私立に過ぎない中学校とは比較するのも烏滸がましい程の、圧倒的な敷地と予算を誇る国立の高等学校である筈の当校には専門のカウンセラーの一人も居ないという。

とは言え、その理由もこれまで街の中を隈なく探索していた俺には察しがついていたのだが。

 

 

「外部との接触が不可能であるにも関わらずスクールカウンセラーが居ない、ですか。慣れない環境でメンタルを病んでしまう生徒が皆無な訳もありませんし……となると、その理由は、学外の街の中に十分な医療施設があるからですか? 心療内科や精神科を含めて」

 

「ええ、その通りよ」

 

 

この学校には街がある。当然、街があるのは人の営みが存在するから。

人々の健康を守る為だろう、医療機関も充実していた。

中には産婦人科の専門病院まであったのは驚きだが。

 

 

「もちろん当校が有する膨大な敷地内には『無料』のカウンセリング専門施設だってあるわよ。病院に苦手意識を感じていたり、諸事情でポイント不足だったりする生徒達の為にあるわ」

 

 

サラリとポイントが不足する事態に触れた星之宮。

将来的にDクラスの面々がお世話になりそうなイメージが湧き、どんよりとした気持ちになりつつも、とりあえず話を進める。

 

 

「成る程。つまりカウンセラーに相談すべきプライベートな相談事は星之宮先生……あ、失礼しました。チエ先生に打ち明けるのは御迷惑をお掛けする事になるのでしょうか」

 

 

苗字で呼んだ瞬間に分かりやすく頰を膨らませる星之宮に苦笑しつつも俺が尋ねると、彼女はゆっくりと首を横に振った。

 

 

「確かに私は一保健医でしか無いけど、それ以前に教師なんだから。可愛い生徒からの相談はもちろん大歓迎よ〜。それに教師と生徒との円滑なコミュニケーションこそが、人間関係のトラブルやイジメ問題の早期発見に繋がるからね」

 

 

冗談抜きで、恋の相談も歓迎よ〜。とお茶目にウィンクを飛ばす星之宮の言葉を噛み砕きながら思案する。

ここまでは粗方、俺の予想通りとは言え気掛かりな点がまだ一つ残っている。

 

 

「そうですか……あの、ちなみに何ですけど」

 

「うん? 疑問があるなら何でも聞いて構わないわよぉ」

 

「ありがとうございます。例えばチエ先生にボクの悩み事を相談したとして、その内容なんかは一応プライベートというか、個人情報に当たる訳ですよね? そう言ったセンシティブな内容は秘密として扱ってくれるのでしょうか?」

 

 

恐る恐ると言った表情で尋ねた俺の疑問に、一瞬だけキョトンとした顔になった星之宮は取り繕うように笑顔になって、こう答えた。

 

 

「心配しないで。生徒の個人情報は『当校の規則に則り、正しく取り扱われる』決まりになっているの。だから佐城くんも困ったことがあったら遠慮無く相談してくれていいのよ〜?』

 

(嗚呼、やっぱりそういう扱いね。そりゃスクールカウンセラーなんか置く意味が無いよなー、この学校なら)

 

 

ニコニコ笑顔の妙齢の美女は確かに嘘はついていないのだろう。

だが、相談内容を秘密にしてくれるか? というイエスかノーで答えられる簡単な質問に、ここまで回りくどい答えをするとは。

つまりは、そういう事なのだろう。

 

 

(要するにポイント払えば個人情報なんか簡単に売買されますよ。と、そういう意味合いだろうな。そりゃ、わざわざ学校にカウンセラー置かない訳だ。個人情報のブラックマーケットになり兼ねないし)

 

 

個人情報保護法は果たして一体どこに行ってしまったのやら。

いや、現在の法律では漏洩した者を直接罰する決まりは無かったのだったか?

そんな事を考えだんまりと口を閉じた俺に対し、どう受け取ったのだろうか。星之宮はやや重くなった空気を吹き飛ばすかのように努めて明るい調子で口を開いた。

 

 

「それで〜佐城くんの相談事って何かな? 何でも相談に乗るわよ? あ、先生とのデートプランの相談だったり〜?」

 

 

ニコニコとした笑みでジョークを飛ばす彼女の顔からは一切の邪気が見られない。

その様子から見るに、こちらが先程の言葉からSシステムの根幹を知っている事をバレた様子は無さそうだ。

 

 

(まあ、いいか。個人情報の扱いについても予想通り。やっぱここの教師は信用出来ねえなぁ)

 

 

内心で溜息を一つついて、気持ちを切り替える。

今までお話していたのはサービス精神旺盛な美人キャバ嬢だが、これから話すのは一癖も二癖もある『よう実』世界の一教育者だ。

 

俺はスラックスの右ポケットからある物を取り出すと、目の前の彼女によく見えるようにテーブルの中央に置いた。

一見すると太めのボールペンにも見える、黒い棒状である小型の機械。

 

 

「ではチエ先生。先ずは、これを聴いて下さい」

 

 

カチリと音を立てて先端のスイッチを押す。

保険医として、Bクラスの担任として。

 

わざわざ星之宮知恵という女に聴かせる為だけに準備したボイスレコーダーが再生を始めた。

 

 




感想返信、遅れてごめんなさい。全部読んでます。とっても嬉しいです。
一言でもいいのです。評価、感想、励みになります。もっと下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あの日見たゴリラの名前を僕達はまだ知らない。

難産な上に繋ぎの回です。申し訳ない。


 

 

「本日はありがとうございました」

 

 

ガラリと音を立てて指導室の扉を開けると同時に、職員室中の視線がこちらに集まる。

顔と名前が一致しないモブ教員からの不躾な視線にやや気後れするも、俺に続いた星之宮は何処吹く風で御機嫌な様子だった。

 

 

「佐城くんからの相談なら、私はいつでも大歓迎よ〜」

 

 

改めて深々と頭を下げた俺の頭を彼女は優しく撫でている。

夜の店顔負けの濃密な接待にも、本来の目的である相談事が無事に終わった事にも満足だ。

 

 

「それと、さっきも言ったけど」

 

 

ふと星之宮が俺の耳元に口を寄せた。

コンマ数センチ踏み出せば口付け出来るほどに近い距離。

彼女の艶やかな唇がその形を変える度に、どうにも落ち着かない気持ちになるのは、思春期真っ最中である少年の肉体を間借りしているデメリットなのだろう。

 

 

「また何か『進展』があったらいつでも相談していいからね? 勿論、それ以外の悩み事なんかでも」

 

 

近づく距離と、ふわりと広がる女の香り。

囁く彼女の一言で、ほんのりと俺の頰が熱くなる。

彼女の艶かしい吐息混じりのウィスパーヴォイスに、胸の奥がムズムズと掻き乱された。

 

 

「私で良かったら、喜んで佐城くんの力になるから……ね?」

 

 

ハリソン少年の綺麗な顔が好みに当て嵌まったからなのか。それとも、誰にでもこのような距離感で接しているのだろうか。

 

少なくとも、女教師と男子生徒としての距離感は、側から見てはあまりにも近過ぎて、不適切に映ったのだろう。

訝しむような顔で彼女を咎める女が現れた。

 

 

「先ほどからうちの生徒に何をしている。星之宮」

 

 

我がDクラスの担任、『茶柱 紗枝』だ。

 

 

「ん〜? 前に体調不良で彼が保健室に運ばれて来た時の御礼に来てくれたの。まあ、そのついでにちょっとした相談にも乗ったけどね〜。佐城くんって本当にイイ子よねぇ」

 

 

俺の頭を撫でながらニコニコと笑う星之宮の言動に思うところがあったのだろう。

茶柱は眉間に皺を寄せると同時に、右手に持っていたクリップボードを躊躇なく振り下ろし制裁を加えた。

ゴツンという鈍い音と星之宮の甲高い悲鳴が職員室に響いた。

 

 

「いった〜い‼︎ ちょっと酷いじゃないサエ‼︎ いきなり何するのよ⁉︎」

 

「黙れ星之宮。前々から言っているが生徒との過度な接触は控えろ。セクハラで訴えられても文句は言えんぞ」

 

 

じゃれあいと言うには少々姦しい美女二人のやり取りに、周囲の教職員が何事かと視線を向けた。

だが、彼女らが気安い関係なのは周知の事実なのだろう。

周りの職員は何だいつもの事か。とばかりに直ぐに此方から視線を逸らすと、各々のデスクに向き直っては仕事を再開していく。

 

 

「褒めるためにちょっと頭を撫でただけじゃない‼︎」

 

「それにしたって態々、生徒の身体に触れる必要は無いだろう。お前のその態度は悪影響を及ぼしかねん」

 

 

俺を挟んで唐突に繰り広げられる口論に、何か原作でもこんなシーンあったなぁ。と俺は遠い目で考えていた。

茶柱が放送で綾小路を呼び出した時だったか。

あの時は食い下がる星之宮を一之瀬が訪ねてきた事で退散したが、今回はそれは望めないだろう。

 

 

「はは〜ん? も・し・か・し・て?」

 

 

ふと、背後で喚いていた星之宮が表情を変えた。

何を思ったのか俺の両肩に手を乗せて密着するかのように半歩、俺との距離を詰める。

その拍子に俺の背中に柔らかな双丘がムニュリと押し付けられた。

 

 

「サエったら妬いてるのぉ? 佐城くんが担任である自分よりも私に懐いちゃったからぁ。 そうなんでしょ〜?」

 

 

背中越しの声から察するに、星之宮は悪戯気に笑っているのだろう。

だが、唐突にもピンク色のハプニングに襲われたこっちは堪ったものではない。

互いの洋服越しだというのに彼女の豊満な母性は、しっかりとその暖かさと蕩けるような柔らかさをダイレクトに伝えて来た。

 

 

「……っ⁉︎」

 

 

その瞬間、俺の心臓が爆発するように激しく高鳴った。

極度の緊張に息が詰まり、喉の奥が締まる。

冷や汗が身体から流れて急速に体温が下がっていくと共に、金縛りにあったかのように身体が石膏のように固まった。

 

 

(……これ、は?)

 

 

恐らく、背後にいる星之宮に悪気は一切無いのだろう。

彼女はただ、生徒越しに目の前に佇んでいる親友もどきを挑発するついでに、お気に入りの男子生徒にほんの少しだけ大人のサービスをしてあげた。

ただ、それだけのつもりなのだろう。

 

その何気ない行為が。『佐城 ハリソン』という少年に、どんな意味を持つか知らないまま。

 

 

(……あ)

 

 

柔らかな肉の感触に。

蕩けるような女の香りに。

 

引き摺り出されるようにして蘇る。悪い夢。

 

 

(……ヤベェ……息、出来ねぇ……)

 

 

 

突如。バチンッと何かが弾ける激しい音。

走馬灯のように駆け巡っていた悪夢のような記憶は、炸裂した音の爆撃と共にシャボンのように弾け飛んだ。

 

 

(……あ?)

 

 

ふと目の焦点を合わせて見れば、そこには青筋を浮かべて茶柱がクリップボードを振り下ろした姿勢で固まっている。

いつの間にか離れていた人肌を不思議に思ってゆっくりと振り返れば、星之宮は頭を両手で抱えこみ、倒れ込むようにして半ベソで痛みを堪えていた。

 

 

「じょっ、冗談なのに‼︎ 痛った〜い……酷いわっ、サエの馬鹿‼︎」

 

「馬鹿はお前だ‼︎いい加減に自分の年齢と立場を考えた言動を心掛けろこの馬鹿」

 

「酷い‼︎ 二回も馬鹿って言うことないじゃない‼︎」

 

 

なんて事は無い。星之宮の態度に痺れを切らした茶柱が再び制裁を加えただけだった。

半ば夢現の状態である俺の目の前で繰り広げられているのはつい先ほども見た、妙齢の美女二人による出来の悪いコントの様なじゃれ合いの繰り返しだ。

 

やがて疲労と怒りが込もっているであろう、重い溜め息を吐きながら、星之宮に悪態をついていた茶柱が不意に俺に視線を向ける。

 

 

「嗚呼、まったく。もうこんな時間じゃないか。佐城、お前もそろそろ教室に……」

 

 

 

だが茶柱は直ぐに、驚いたような表情で俺の顔を覗き込んだ。

 

 

「どうした、佐城? 顔色が悪いぞ。星之宮の相手はそんなに疲れたか?」

 

「えっ?」

 

 

そんな担任の気遣いの言葉に、俺は無意識の内に自分の頰を右手で抑えた。

冷や汗に濡れる己の顔は、確かに冷ややかで。

鏡を覗き込めば、きっと青白く生気の無い人形のような顔をしている事だろう。

 

 

「嗚呼、いえ、はい。何でも、ありません。ではホームルームの時間も近づいてますので、ボクはこれにて失礼します」

 

 

強引に話をぶった切った俺は再び星之宮に「ありがとうございました」と頭を下げ、そのまま逃げるように教師二人に背を向けた。

 

 

「……ああ。遅刻はしないように、な」

 

 

背中越しに刺さる訝しむような担任の視線には当然、気づかないフリをしたままで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(思ったよりもホームルームまでには余裕があるな)

 

 

職員室から早足で退出した俺は、教室に向かう前に男子トイレに入った。

チンパンジーの群れが占領する五月蝿い教室の中では、落ち着いて考え事も出来やしない。

どうしても一人の時間が欲しかった今、トイレの個室はおあつらえ向きな避難所だった。

 

 

(とりあえず星之宮への接触は成功した。想像以上に……いや、ホント想像の10倍以上はベタベタ引っ付かれたが、まあ単なる御褒美だからそれは良しとしよう)

 

 

そもそも。俺が態々、朝早くから星之宮に近づいたのはいくつかの理由がある。

まず一つは他クラスの教師がハリソン少年の過去を知っているか? という疑問を解消する為だ。

 

成績優秀である佐城少年がDクラスに落とされた要因となった『過去の事件』。

在校生全ての情報を手に入れている生徒会長と、担任の茶柱については確実に知られている筈なので諦めている。

が、この情報が果たして他の教師にまで共有されているのかが分からなかった。

 

これに関して結論を言うなら、答えは『少なくとも他クラスの担任は佐城少年の過去を知らない』と確定した。

もしも星之宮が、中学時代に登校拒否にまで追い込まれたあの『事件』を知っていたなら。

その後の苦難に満ちたリハビリの日々を知っていたなら。

 

 

(いくら空気の読めない星之宮だって『密室内で過剰なボディータッチ』は絶対にしない筈だよな。オマケに星之宮は保険医だ。生徒の健康に関する問題点は無視できない筈だ)

 

 

フレンドリーで距離感の近い星之宮だが、あんなんでも高度育成高等学校を生き延びた歴戦のOGで、ましてや現在は比較的優秀と判断された生徒の集まるBクラスの担任だ。

佐城少年の過去を知っていたら、あんな『思いっきりトラウマを抉るような態度と行動』はとらないだろう。

 

 

(まあ、ここら辺は概ね予想通り。とは言え、録音の件が予想以上に食い付かれたのは誤算だったな)

 

 

そして二つ目。悩み相談の証拠品として星之宮に聴かせたボイスレコーダーの件。

簡単に言うと、この中には『Dクラスのある人物の犯罪行為の証拠』が録音されている。

 

 

(機会があったら利用してやろうと嫌がらせ半分に録音していただけの音声だったんだが……まさか下手したら相手を『退学』にさせる武器にまで化けるとは)

 

 

この音声を証拠として訴えれば処分は確実。

最低でも『停学』。今後、更に根回しを進めて更なる証拠を証言を集めた上で告発すれば『退学』処分もあり得る。

録音を聴かせた上で俺の悩みという名の訴えを聞いた星之宮は、そのキャラクターにそぐわぬ真剣な眼差しでハッキリとそう言った。

 

この録音を証拠として直ぐにでも起訴するかと尋ねられたが「確実に退学処分に持ち込めるまで、今後とも証拠を固めたいから」と、とりあえず保留にしておいた。

別に本気でクラスメイトを退学にさせたい訳では無い。が、停学処分になる証拠と、退学処分になる証拠では武器としての強さが大違いだ。

身を守る為にも武器は大きく、強い方がいい。

とは言え、俺からすれば、まさかそこまでの大事になるとは思っていなかったのだ。

 

何故なら、星之宮と親密な関係になる事こそが、本命の目的であって、相談する内容なんて『第三者から見て違和感さえ抱かれなければどうだって良かった』のが本音だったのだから。

 

 

(録音の件は嬉しい誤算だ。が、とりあえず本命の種は蒔き終えた)

 

 

三つ目にして今回の本命の目的。

それはDクラス担任である『茶柱 紗枝』に対し、俺というイレギュラーが星之宮に親しくしている様子を堂々と見せつける事だ。

 

 

この身体に憑依した当初の指針では、目立たず騒がずひっそりと生きるつもりだった。

だが、まだ何も目立った行動をしていないにも関わらず、学年問わず名前が知られている現状、そんなものは諦めざるを得ない。

 

新たに掲げた俺の『最終目標』の為にもポイントはガンガン稼いでいかなければならない。

ハリソン少年の頭脳でどこまで稼げるかは分からないが、必要となったら二次創作お馴染みの卓上遊戯での賭博なんかにも躊躇なく手を出していくつもりだ。

 

 

(月末辺りからは派手に動く事になる。欲を言えば月50万PPは稼いでおきたい。が、常に貧困に喘ぐハメになるDクラスの中に大量のポイントを貯蓄している生徒を見つけたならば、あの茶柱が放って置く筈が無い)

 

 

キャッシュならともかく、Sシステムというデジタルマネーでやり取りする都合上、金銭のやり取りはしっかりと記録に残されるだろう。

果たして担任に何処までの権利があるかはハッキリしないが、Aクラス昇進の為、躊躇なく綾小路を脅迫した茶柱だ。

大量のポイントを稼いだ時点で、彼女に目をつけられるのは絶対に避けられない。

場合によっては、せっかく稼いだポイントもAクラス昇進の為の策謀の軍資金に使われる可能性がある。

 

つまりはDクラスの財布扱いにされてしまう危険性だって考えなければならない。

 

 

(だからこそ。だからこその『星之宮 知恵』)

 

 

星之宮と親密な関係である事をアピール出来れば、茶柱からすれば、駒として利用するには動かし辛い生徒である。

と思わせる牽制になるのでは。と、俺は睨んでいた。

 

茶柱は現時点では下克上の野望を隠している。

周囲の教師陣に悟らせるような行動には出る事はないだろう。

原作知識を持つ俺としても、彼女と星之宮との複雑な関係の全貌は分からない。

だが察するに、過去に何かしらの事件やら因縁やらがあって、拗らせに拗らせてるのは間違いないだろう。

 

 

(案外、過去に男の取り合いでもしていたりな。それか特別試験で茶柱が何かしらヤラかしたとか)

 

 

互いに弱みを見せたがらないだろう。

原作でも茶柱が綾小路を放送で呼び出した時でさえ、星之宮は探りと挑発を行なっているように読み取れた。

先程の面談でも「名前で呼び合う親友」と仲の良さを窺わせていたが、原作知識から考えるとその言葉を鵜呑みには出来ない。

 

少なくとも星之宮は近い将来、茶柱の呼び出しを通して綾小路を警戒するようになるし、茶柱も星之宮に自分の野望を悟らせないように努めていた。

 

 

(とりあえず、今後も相談っていう名目で何度か星之宮とやり取りして、いかにも美人の保険医に懐いてる思春期の少年アピール。を繰り返せば茶柱も俺の事を簡単に利用しようとは思わないだろう)

 

 

今後とも星之宮とはやり取りを続けていかなくてはならないのが億劫ではあるが、結果的に今回の工作は無事に終わった。

ボイスレコーダーの一件が想像以上の爆弾に化けたお陰で、今後に行う予定であるDクラス全体への牽制と交渉が想定したよりもスムーズに進む事になるだろう。

 

 

(とは言え、浮かれてもいられないな。茶柱の出方もSシステムの種明かしが始まる5月にならないと分からないし、クラス内で理想のポジションをキープ出来るかについては俺の今後の交渉次第だ)

 

 

茶柱への警戒。Dクラスにおける自身の理想的立ち位置の確保。

今後ともやらなければならない事は沢山あるが、少なくとも現時点での滑り出しは上々だろう。

 

 

(……と。そろそろ時間か)

 

 

気がつけば外からの喧騒はすっかり大きくなっている。

夢のような学園生活を存分に謳歌しているのだろう、学生達の若々しい声が弾むようにして廊下の向こうから響いて来た。

端末を眺めれば、朝のホームルームが始まるまで、もう10分を切っていた。

 

俺は個室から出ると、洗面台の蛇口を捻り、両手で水を掬っては顔面に叩きつけるようにして顔を洗った。

ポタポタと水滴が滴るのも無視して鏡を覗き込むと、そこに映る顔。

つまりハリソン少年の表情は、やはり何度見ても異様な程に整っている。

 

 

(やっぱ顔色悪いな)

 

 

だが、その顔色は病人のように青白かった。

 

 

(どうにも妙な感覚だよな。女の、それもとびっきりの美人の女体に密着したら、そりゃ嬉しいさ。嬉しい、筈なのに。同時に固まっちまう程に、ビビっちまうっていうのは)

 

 

もっと触れたいと思うと同時に、逃げ出したいと恐怖する矛盾したこの感情。

 

思い出すのは先程の光景だ。

星之宮が茶柱を挑発する為に、俺の背後からもたれ掛かるようにしてそのバストを押し付けた時。

あの時の、柔らかで、温かな感触だ。

 

美女からの奇襲じみたサービス。思春期の青少年からすれば御褒美でしか無い行動。

だが結果的にその不意打ちは俺の意識を彼方に吹っ飛ばし、フラッシュのように『佐城 ハリソン』という少年の悪夢を。記憶を。過去を、抉り出した。

 

 

 

踊るように弾む白い裸体。

 

乱れ飛び回る黒い長髪。

 

まろみをおびた柔らかな乳房。

 

はち切れんばかりに実った重厚な臀部。

 

白魚のような指先が『ボク』の身体を芋虫のように這い回り。

 

桜の花びらのような爪先が薄皮抉って血潮に染まる。

 

ヌラリと滑る舌先が唾液をこびり付けるようにして裸体を蹂躙し。

 

獣のような八重歯が血肉貪るようにボクという存在を。

 

己の玩具だと示す為だけに首筋に吸い付いた。

 

 

(……先生)

 

 

初恋が見せた都合の良い幻夢か。夢魔が見せた穢らわしい淫夢か。

白い霧がかった思考の世界で走馬灯のように瞬いた記憶の数々。

下腹部の雄に燃えたぎるような熱と芯が篭っていくと同時に、心臓が不規則に脈打っては身体中から滑つく冷や汗がどろどろと染み出していく。

 

決して消えない佐城ハリソンという少年にこびりついた、悍ましく忌まわしい『過去』。

 

 

悪寒が走り、思わずブルリと身体が震えた。

ハリソン少年のこの身体は間違いなく桁違いのスペックを誇っている。

更にそのメンタルは、打たれ踏まれ社会のサンドバックとなって鍛え上げられたオッサン特有の強靭なる雑草魂で支えられている。

 

 

だが決して、無敵ではないのだ。

 

 

 

「身体に刻み込まれた(トラウマ)は残っている……か。まあ、そりゃ全部が全部、都合よくは行かねぇよな」

 

 

右手を眼前に持ち上げマジマジと眺める。少女のようにか細い掌は、無様にも恐怖に震えているのだから。

 

 

「……ふう」

 

 

目を閉じて深呼吸一つ。たったそれだけの動作。

気持ちを切り替えるのは十分だ。

 

 

「うん。まあ、何はともかく先ずは病院だな。」

 

 

『星之宮のアドバイス通り、診断書と処方箋を貰う為にも』放課後の予定は既に決めていた。

今後の仕込みの為とは言え、只でさえ減って来たポイントが更に減ることが憂鬱だが、これもまた必要経費。

金をケチって策が不発する無様を晒したくない。

 

 

「嗚呼、あとは体育担当のゴリラみたいな先生にも協力を頼んどいた方がいいか。てか考えれば考える程、やる事が増えてくよなぁ」

 

 

ハンカチで手を拭きすっかり慣れた動きで端末を弄り、放課後に予定が出来たから図書館は無理だという旨のメッセージを椎名に送る。

 

今日もまた猿山のように騒がしい教室に向かい、学級崩壊真っ只中で一日を過ごさなければいけない。

放課後もまた、今後の学校生活を快適なものにする為の仕込みで、あちこち顔を出さなければいけない。

 

 

「面倒くせぇ。マジでこんな学校に来たくなかった」

 

 

鬱屈した文句と現状への憂鬱を溜息と共に吐き出した。

俺は浮かない足取りのまま、不良品が蔓延るDクラスの教室へと足を運ぶ。

 

 

「……ところであのゴリラみたいな先生。名前、何ていうんだっけ?」

 

 

背を向けた御手洗いの蛇口からピチョリと水滴が垂れる音がした。

 

一日はまだ、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 




ぼちぼち更新していきたいです(願望
感想ください(願望


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

コミュ障の距離感、近過ぎになりがち問題。

久々過ぎて文章の書き方忘れました。


 

 

「体調は大丈夫ですか? 佐城くん」

 

 

暖かな風が葉桜を揺らし、春の陽気にも何処か初夏の香りが混ざった季節。

ケヤキモール近くの大通りを歩いていると隣から耳をくすぐる少女の声。

ゆらりと俺が視線を向ける先には、つい最近友人となった銀髪の美少女。

 

 

「ええ。あくまで保健医の指示に従って、念の為にお薬を頂きに来ただけのようなものですから」

 

「そうですか。佐城くんが風邪を引いてしまったのかと心配しました」

 

 

まあ、つまるところ。何故か俺の通院にまで同行して来た『椎名 ひより』の姿だった。

 

 

「ご心配おかけして申し訳ありません椎名さん。新しい環境に未だ慣れていないせいか、少し寝不足気味なぐらいですよ」

 

「なるほど。確かに見知らぬ場所での一人暮らしには慣れるまで時間がかかりそうですよね」

 

「ええ。全く」

 

 

今日も今日とて、そこらの幼稚園児よりも精神年齢の低いDクラスの喧騒の中にてストレスを抱えながら一日を過ごした放課後のこと。

朝のホームルーム前に『申し訳ありませんが今日は病院に行く為、放課後は図書館に行けません』と、簡素なメッセージを送ったのが悪かったのだろう。

 

椎名は『お身体は大丈夫ですか? もし佐城くんの体調が悪いなら、お見舞いに行きますので部屋を教えて下さい』と直ぐに返信して来た。

昨日知り合ったばかりなのに何言ってんだコイツ。と驚いてメッセージを三度見した俺は間違ってないと思う。

 

果たして彼女の中で俺がどれほど重篤な症状に思われているかも分からなかったので、素直に。

 

『特に熱がある訳でもなく、風邪っぽい訳でもありません。環境の変化のせいか微弱な不調が続いており、保険医の星之宮先生に相談したところ通院を提案されたので、あくまでその指示に従って、念のために診断書とお薬を頂くだけ。体調はさほど悪い訳では無いし、学校にも出席しています。ですのでお気づかい無く』

 

と、らしくもない長文で返事を返すも。

 

『なら念の為に病院に行く際は付き添います。Dクラスに迎えに行けば良いですか? 』

 

と、何故か椎名が同行を要請してきたのだ。

美少女じゃなかったらストーカー扱いされてもおかしくない食い付き方だと思う。

 

その後も時間を置きつつも何度かメッセージ上でやんわりとお断りをしたのだが、何故か彼女は一切折れる事なく頑なに同行する旨を主張。

どれだけ俺に懐いてるんだこの娘は。と若干の恐怖すら抱いた。

 

 

「わざわざ付き合って頂いてありがとうございます。椎名さんの貴重なお時間を長々と頂いてしまい申し訳ない」

 

「いえ。私の我儘で勝手に付いてきただけですので気にしないでください。それに、待合室では読書をしていたので退屈などしませんでしたよ」

 

「そう言って頂けると幸いです」

 

 

 

結局、彼女の同行を認めざるを得なかった俺は最後の悪あがきも兼ねて

 

『せめてクラスに迎えに来るのだけは止めて下さい。本当に止めて下さい。フリじゃなくて止めて下さい。頼むから、ねえ、本気で止めろ』

 

といった趣旨を、これでもかとオブラートに包みまくって訴えた結果。

こうして昨日知りあったばかりの美少女と、何故かわざわざ図書館前で待ち合わせしてから二人並んで一緒に病院に行く。

という、よく分からん放課後の過ごし方となった。

……改めて思い起こせば非常にシュールな光景だと思う。

可愛い女の子と二人きりのお出かけだというのに全く心が躍らないのは何故だろうか。

まあ、少なくともこれがデートだとしたらその中身が赤点退学モノというのは分かる。

 

というか、椎名も椎名だ。いくら友達に飢えていたとは言え、つい先日知り合ったばかりの異性の私事にわざわざ同行するのは如何なものか。

 

 

(なんつーか天然というか、人付き合いの下手くそさ加減がよく分かるな。まあ、クラス内で殆どボッチの俺が言えた事じゃ無いんだけど)

 

 

俺と放課後に一緒に図書館に出かける約束を、よほど楽しみにしてくれていたのだろうか。

こちらとしては確約していた訳では無かったとは言え、こうして健気に体調を気遣ってくる様を見ているとどうにも罪悪感が湧いてくる。

 

 

「椎名さん、今日は何を読んでいらしたんですか?」

 

「レイモンド・チャンドラー著作の『大いなる眠り』という作品ですね。ジャンルとしてはハードボイルドになるかと。確か原題は……」

 

「『The Big Sleep』ですね。チャンドラーと言うことはフィリップ・マーロウシリーズの?」

 

「ご存知でしたか?」

 

 

日も暮れ始めたこの時間から改めて図書館に行くのには時間的に無理。

という訳で彼女の読書談義に付き合ってやるのは、俺なりのせめてもの償いだった。

 

 

「『大いなる眠り』では無く、別の作品なら少しだけ目を通した事がありまして『The Long Goodbye』という作品ですが」

 

「邦題は『長いお別れ』ですね。私も読んだ事があります。確かにチャンドラー氏の作品の中でも特に知名度が高いイメージがあります」

 

「過去には日本でドラマ化までしたらしいですね。ボクは推理小説にそこまで詳しい人間ではありませんが、それでも個人的には印象に残る名言が多い作品だと思っています」

 

 

ゆったりと歩きながら話題にあがっている、正統派ハードボイルドミステリーとの出会いはまだ二十台の頃だったか。

当時の同僚に押し付けられて半ば嫌々に読まされた作品だが、こうして話のタネになってくれるのだから面倒臭がらずにもっとしっかり読んでおけば良かったかもしれない。

俺はそんな事を考えながら、うろ覚えの知識をどうにか捻り出しては椎名のご機嫌取りを続けた。

 

 

「『I suppose it's a bit too early for a gimlet……』翻訳すると『ギムレットには早すぎる』。作品には詳しくなくてもこの台詞だけなら知っている人は多いかと」

 

「確かに有名なシーンですね。お酒には興味はありませんでしたけど、私も氏の作品を読んでから、どんな味がするのかほんの少しだけ興味がわきました」

 

「成人した後、『長いお別れ』を読みながらギムレットを嗜む。なんていうのも浪漫があって面白いかもしれませんね」

 

「それはとても素敵な提案ですね」

 

 

まあ、実は『長いお別れ』に登場するレシピを指定してギムレットを作るのは非常に面倒くさいのが現実なのだが。

 

 

閑話休題。

しばらくの間、こうして接待気分で椎名とのミステリー(本日はハードボイルド作品中心)談義に付き合っていたのだが、長々と続けるとあっという間に俺の知識が底をつく。

という訳でタイミングを見計らい、せっかくなので以前から気になっていた事を訪ねてみた。

 

 

「クラスの様子。ですか?」

 

「ええ。Cクラスはどのような雰囲気で授業を受けているのかと」

 

 

俺の唐突な質問に椎名は不思議そうに小首を傾げる。

前々から他クラスの授業風景が気になっていた俺としてはこれだけは確認しておきたかった。

 

 

「実はDクラスには個性的な方々が非常に多いようでして。日々の授業中にも、個性の主張が激しいと言いますか……まあ、端的に言ってしまうと五月蝿いのですよ。非常に」

 

「Cクラスでも授業中にも関わらず私語をする方や端末を弄っている人も何人かは居ますけど。Dクラスはそんなに酷いのですか?」

 

「ええ、酷いですね。授業中と休み時間の喧騒が殆ど変わらないと言えば想像し易いかと」

 

「ええと、それは、その。……控えめに言って学級崩壊、と言うものではありませんか?」

 

「ええ。全くもって」

 

 

俺の返答にどこか恐れ慄いたような表情をした椎名は、やがて静かに思考に没頭した。

数秒の沈黙の末、考えが纏まったのだろう。

己の考えを補足するかのように、彼女は俺に質問して来た。

 

 

「……入学式の直前」

 

「はい?」

 

「入学式の直前です。担任の先生から簡単な自己紹介と、Sシステムについての説明がありませんでしたか?」

 

 

何故か急に話が飛んだ。

 

 

(何でクラスの様子を聞いただけなのにSシステムの話にぶっ飛んだんだ?)

 

 

疑問に思いながら俺は少々怪訝な顔で椎名の顔を見た。

しかと俺を見つめる彼女の瞳には、先程までのぽんやりとした柔らかさとは打って変わり深い叡智が綺羅星のように輝いている。

思わず飲み込まれてしまいそうな、その美しさに何処か慄きながらも、俺は何とか言葉を返した

 

 

「え、ええ。担任の茶柱先生から主にポイントの支給額と支給日について。あとは禁則事項に対する注意等がありましたが」

 

「やはりシステムの説明は全クラス共通なのですね。……佐城くん、覚えている限りで構いませんので先生が言っていたその説明。教えて頂けますか?」

 

「構いませんよ。まるっきり暗記している訳ではないので要所要所に欠けているところがあるかもしれませんが。確かあの時茶柱先生は……」

 

 

いかにも必死こいて思い出してます。みたいな演技をしながら俺は記憶の中の茶柱先生の説明文を暗唱する。

とは言っても原作知識を持っているだけでなく、様々な二次創作を読んでいた身としては要点は抑えているのだが。

 

 

・1ポイントは1円の価値。現金交換は不可。

 

・入学を果たした実力と可能性を評価して、入学時に10万ポイント支給されている。

 

・ポイント支給日は毎月一日。

 

・苛めカツアゲは即退学。

 

 

と言ったところだろうか。

まあ要するに今月は10万あげるし、毎月一日にポイント支給するけど、毎月10万やるとは言ってないからね? 勘違いしても学校側は責任取らないからね? という悪意丸出しの説明だ。

 

恵まれた環境に疑問を持たせる。そして疑問を解消する為に自分の意思で行動させる。

つまり教師や先輩方に質問させる事を目的として、あえて勘違いされやすい文章にしてるのだろう。

だが、冷静に考えてみればやってる事が普通に詐欺師のそれである。

 

 

「やはりCクラスでも同様の説明を?」

 

「はい。坂上先生も同じ説明をしていました。本当に、全く同じ説明です」

 

 

ついにはゆったりと続いていた歩みすら止めて、椎名は真剣な表情でこう続けた。

 

 

「奇妙なくらいに『台詞が完全に同じ』なんです。Dクラスの先生は日本史担当の茶柱先生ですよね? 坂上先生は数学担当の男性教師です」

 

「ええ、存じ上げていますよ」

 

 

Cクラス担任の『坂上 数馬』は痩せぎすで、鋭い目つきとシャープなフレームの眼鏡が特徴の中年男性だ。

暴力的な面々が多い担当クラスのダーティーな雰囲気に引き摺られているせいか、個人的には教師というよりも悪徳弁護士やインテリヤクザの方が似合っていると思っている。

 

 

「勿論、Sシステムについて説明する為の文面自体は、担任教師よりも立場が上の理事会や学校運営関係者が用意したものでしょう。ですが、説明する際の口上が全く同じと言うのは違和感があります。

坂上先生と茶柱先生。つまりは男性と女性がそれぞれ語るならば、多少は語り口に違いが出てもおかしくは無い筈。いえ、むしろ違いが無い方がおかしい気がするのですが」

 

「成る程。確かにそう言われれば」

 

 

なかなか面白い着眼点だと素直に感心する。

性別の違いから生じるであろう語り口の違いに目をつけ、ここまで鋭く考察するとは。

……だが待ってほしい。元はと言えば俺が彼女に尋ねたのはCクラスの様子だというのに、どうして話がSシステムの事までぶっ飛んだ?

 

 

「それにお二人とも入学直後に振り込まれている10万ポイントが生徒達評価や将来への可能性を考慮して、という点に言及している事。それから毎月一日のポイント支給日について触れているにも関わらず、毎月の支給額については一切触れていません。

この説明では無条件で毎月10万ポイント振り込まれると大多数の方が誤解するでしょう。いえ、これは寧ろ……」

 

 

そんな俺の疑問はさておき、椎名の推理はますます熱を帯びて冴えていく。

 

 

「つまり椎名さん。学校側は生徒にあえて誤解させる為に、わざわざこのような文面で説明している。そう言いたいのですね?」

 

 

とりあえず会話をぶった切るわけにもいかないので、彼女の推理を補足するようにして適当な相槌を打つことにした。

 

 

「はい。改めて考えると、そうとしか思えません。それに敷地内のコンビニやスーパーに必ず設置されている不自然な無料商品や、食堂の無料の定食についても説明がつきます」

 

「支給されるポイントが一律ではない。即ち増減する事によって、最悪は支給額が0ポイントになってしまう可能性がある。ポイントが所持金と同等のこの学校内において無一文となった哀れな生徒への救済処置こそが無料商品。となる訳ですね?」

 

「はい。10万ポイントも支給されるにも関わらず電気代や水道代といった光熱費まで学校側が負担している理由も、恐らく救済措置の一環かと思います」

 

「我々は学生ですから制服やジャージを着ていればTPOにも大抵困らないですしね。仮に0ポイントの生活を強いられても衣食住には困らない。と」

 

「はい。それと、ここで話はクラスの様子についてに戻るのですが」

 

 

椎名は白魚のような人差し指をピンと立てて、一歩俺に近寄った。

自論にますます熱がこもると同時に彼女の体温も上がったのだろう。

甘い砂糖菓子のような少女の香りと、仄かに古びた紙とインクの香りがした。

 

 

「Cクラスはお世辞にも授業態度が良くありません。佐城くんの証言からして学級崩壊中のDクラスよりはマシとは言え、それでも不真面目な方や、どことなく荒っぽい雰囲気の方ばかりが纏められている気がするのです。」

 

 

(うん、それ正解)

 

 

内心、スタンディングオベーションで拍手を送りながら話の続きを促した。

 

 

「俗に言う、不良。と呼ばれる方が多いのでしょうか?」

 

「ええ。改めて思い出してみれば最近はまるで怪我を隠す様にして不自然にマスクやガーゼで顔を隠している男子生徒が多いですし、恐らくは教師の見えないところで暴力沙汰を起こしているのかもしれません」

 

「それは穏やかではありませんね」

 

 

どうやら入学して半月程度なのにもうCクラスはバチボコに喧嘩しまくってるらしい。

今頃は石崎辺りが龍園の犬になっている頃合いなのだろうか。

 

 

「ここで話は戻りますが、佐城くんは入学式の光景を覚えていますか?」

 

 

今度は入学式にまで話が飛んだ。

 

オッサンの魂が憑依する以前のハリソン少年の記憶を漁るようにして思い返してみるも特に印象に残っている事は無い。

強いて言うならお偉いさん方の挨拶よりも眼鏡の生徒会長。今となっては『堀北 学』の事だと分かるが、彼の威圧感が何か凄かった事ぐらいか。

前世でお世話になった、強面でゴリマッチョな建設会社の社長さんを思い出すプレッシャーを感じたものだ。

 

 

「クラス毎に整列していた時の光景に、ほんの僅かですが違和感があったんです。

私も偶然目に入っただけなのでしっかりと観察はできなかったのですが、今思えばAクラスやBクラスの生徒は落ち着いていて、しっかりと話を聞いていた人が多かった気がするのです」

 

「成る程。話の展開から察するにCクラスやDクラスの面子はその逆だったという事でしょうか?」

 

「はい。Dクラスの方はともかく、少なくともCクラスの生徒はダラしない態度の人が多かったように思えるのです」

 

 

入学式の事など多くの人間が気にも留めないないだろうに、目の前の文学少女はしっかりと推理の材料にしてしまうのだから恐ろしい。

とは言え俺も無言で思考停止してばかりでは不審に思われる。

彼女の推理を正解に誘導する為にも如何にも「たった今思い出した」と言った表情を作った。

 

 

「今の椎名さんの話を聴いてボクも思い出した事があります。Dクラスに赤髪が特徴的な粗暴な生徒が在籍しているのですが……」

 

 

要するに椎名の言葉に便乗し、彼女の推理のピースをでっち上げた訳だ。

 

 

「彼が入学初日に上級生と激しい口論を交わしていたのです。そしてその拍子に先輩方の方から件の生徒に対して『お前みたいな不良品。どうせDクラスだろう』と嘲笑していたのです」

 

 

当時の俺はまだハリソン少年に憑依してなかったので、もちろん実際にその場に居合わせた訳では無い。これは完璧に原作知識の引用だ。

とは言え、クラス内の須藤の様子(遅刻常習犯の上に授業中は爆睡。廊下では肩がぶつかったと因縁をふっかけ他クラスの生徒に怒鳴り散らして胸ぐらを掴み上げる。等々)から見るに原作通りの動きをなぞっているのは間違いないだろうから、利用させて貰おう。

 

 

「その口ぶりですと、先輩方は不良品。つまり優秀でない、問題のある生徒は『Dクラスに在籍していて当然』だと確信していたんですね」

 

 

俺の予想通りに椎名は何かしらの確信を得たようで、真剣な面持ちで推理を進めた。

 

 

「ええ、恐らくは。先ほどの椎名さんの推理も加味して考慮するならばDクラスは劣等生が集められる掃き溜めのようなクラス。

そしてC、B、Aとアルファベットが昇っていく毎に優等生が集められている。という事ですね」

 

「はい、恐らくは。そして今までの推論を纏めて考えると……」

 

 

ふう。と火照った頭脳と身体を冷ますように軽く一つ息をついた椎名は、改めて俺の瞳を力強く見つめながら結論を述べた。

 

 

「毎月貰えるポイントは確実に増減が。いえ、来月分だけと限定するなら恐らく減額されるのでしょう。そしてその単位は……」

 

「学校側の何らかの評価によって固められたクラスから察するに、ポイントはクラス共有。つまり今後貰えるポイントはクラス単位で増減する。Aクラス等の優秀なクラスは多く、そして劣等たるDクラスに近づくにつれて僅かなポイントしか貰えなくなる。という訳ですね?」

 

「……ええ。尤も、可能性の話です。唯の私の妄想の可能性も、十分にあります」

 

 

はぇー。すっごい。いや、マジで凄いわこの娘。

高一だよ? 16歳のJKだよ?

 

 

(いやいやこのレベルになると凄いって感心するよりも普通に恐いわ。むしろキモいわ。何だよこの女、現代に蘇ったホームズか何かかよ)

 

 

いや、確かに酷い言い方かもしれないけどさあ‼︎

考えてもみてよ⁉︎ だってノーヒントだよ⁉︎

 

俺みたいに原作知識がある訳でも無いのに、世間話の一環でクラスの様子に軽く触れただけ。

たったそれだけでSシステムの根幹とクラス分けの理由まで当てちゃったんだよ?

Aクラスのみの進路の保証という特典については気付いてないっぽいにしろ、それでも此処まで気づけるって頭良いにも程があるだろ‼︎

 

 

「妄想だなんてとんでもない。椎名さんの推理のお陰で、ボクの心の中の蟠りがすっかりと消えてなくなりましたよ」

 

 

そんな言葉で誤魔化すように微笑む俺の顔は多分だけど少しだけ引き攣ってると思う

だって目の前の女の頭脳がヤバいんだよ。普通に恐いんだよ。何だよこのリアルチート女。

 

 

「そうでしょうか? 具体的な証拠も、決定的な根拠も無い推理なのですが」

 

 

小首を傾げて此方を覗き込む椎名の顔は何処となく腑に落ちないような、引っ掛かりが見てとれた。

あそこまでスラスラと推理を披露してくれたという割には、本人的には確信が持てないのだろう。

答えを知っている俺からすれば百点満点だというのに。

 

 

「確かに答えは来月のポイント支給日にならなければ分かりません。ですが、椎名さんの説明で、点と点が繋がったような。蒙が啓けたような。ボクはそんなスッキリした気持ちになりました」

 

 

俺は目の前に佇む令和の女ホームズに対する恐怖をどうにか押し殺して、柔らかい微笑みを作り直す。

ぶっちゃけ内心はスッキリどころか心がポッキリ逝きそうだが、そんな事はおくびにも出さない。

椎名の細い手を両手でそっと握り、彼女の瞳をしっかりと見つめてから言い聞かせた。

 

 

「椎名さん、ボクは貴女の推理を。いえ、貴女の言葉だからこそ信じます。他クラスに関わらず、こうして貴重な情報を共有して頂き、本当にありがとうございました」

 

「……いえ。佐城くんはお友達ですから。その、お役に立てたなら。嬉しいです」

 

 

真摯に頭を下げてからの礼の言葉に悪い気はしなかったのだろう。

真剣な面持ちが溶けるように、ふにゃりと柔らかく笑う椎名の顔は僅かに赤らみ、すっかり疑念の色は消えていた。

 

 

 

 

 

 

その後は再び読書の話やら、互いの得意な授業の話やらを交えて帰路についた。

寮内のエレベーターで椎名と別れる直前。

「先程の推理はクラス内で共有するのか?」という旨の質問をすると、彼女は困ったような顔をして。

 

「佐城くんは信用してくれましたが、あの推理はあくまで証拠の無い妄想でしかありません。それに、あまり目立つような真似はしたくありませんので」と言った。

 

どうやら彼女自身は自分の推理に確信が持てていない為か、ひっそりと自分の胸の内に納めておく事にしたようだ。

確かに彼女の性格を考えれば、声を大にしてクラスに呼びかける。という行いは似合わない。

 

ちなみに椎名からも「佐城くんはどうしますか?」と聞き返されたりもしたのだが、これ以上は目立ちたくないのは俺も一緒な訳で。

「椎名さんの推理を自らの手柄のように語るような浅ましい真似はしたくないので」と無難な答えで公表するつもりがない事を伝えた。

 

そもそも俺の新たな計画の為には、Dクラスは原作通りの0ポイントスタートを切ってくれた方が都合が良い。

むしろ下手にクラスの為になるような発言をして、将来的にDクラスの中心メンバー入りしてしまったら非常に困る事になるのだから。

 

 

「では椎名さん、今日はありがとうございました。また週末に」

 

「はい、楽しみにしていますね。佐城くんもお大事に」

 

 

別れの言葉は短めに。エレベーターの扉越しに小さく手を振る椎名の可愛らしい姿も、今の俺の頭には入って来なかった。

 

 

(実験も兼ねて椎名の両手を握ってみたは良いものの、『発作』は全く出なかった。やっぱり自発的な接触ならセーフなのか?

それとも単純に歳上の女限定のトラウマ?いや、でも星之宮に顔を触られても平気だったし……歳上の女でなおかつ、不意打ちされた場合にだけフラッシュバックするとか? う〜ん、サンプルケースが少な過ぎて流石に分からんぞ)

 

 

表情には出さぬまま、内心では自分のトラウマについて呑気に熟考していたのだから。

だからこそ、別れ際の椎名の頰が赤く染まっていた事にも気づけなかった。

 

そして何より。

まるで好みのミステリー小説を見つけた時のような。そんな抑えきれない好奇心と、震え立つような昂揚感が焚火のようにキラキラと輝いた眼差しを向ける。そんな彼女が呟いた意味深な台詞に。

 

 

「……やはり……最初から……誘導するように……」

 

 

どこまでも間抜けな俺は結局、最後まで気づかなかった。

 

 

 




次回は下ネタ回の予定でしたが椎名が人気過ぎたので、そろそろ櫛田さんに触れたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

歳を取るとついつい親目線で考えてしまいがち。

短いし話が進まない。早く5月1日の茶柱劇場が書きたい。


 

関西を中心に展開しているらしい、ちょっと高級志向で日本茶専門を売りにした某有名な喫茶店。

懐古的な和の雰囲気を残しつつ、それでいて洗練されたモダンなデザインが特徴の店内には他の客が居ない。

どうやら運良く貸切状態のようだった。

 

井草が薫る畳の上にひかれた赤と青の煎餅座布団の上に向かい合うように俺達は座っている。

既に適当に注文を済ませていた俺がふらりと周囲を見渡せば、奥まった半個室を隔てるよう障子戸やインテリアであろう和紙をあしらった日傘や桃色の蹴鞠。

まるで京都の老舗の喫茶にでも迷い込んだのか。と錯覚してしまいそうだ。

 

これでもしも、目の前で白玉クリーム餡蜜を美味しそうに味わっている『彼女』の服装が、前衛的デザインの赤いブレザー姿ではなく華やかな着物に身を包んでいたならば。

きっとこの芸術的な空間を更に昇華させるアクセントになるに違いない。

 

そんな事をぼんやりと考えながら高級感ある天目茶碗に注がれた玉露を啜っていると、対面に座る美少女の弾むような声が響いた。

 

 

「何だかすっごく雰囲気のあるお店だねっ。佐城くん、こんなお店どうやって見つけたの?」

 

 

ヘーゼルブラウンのショートボブ。キラキラと光り輝くガーネットの瞳。

天使のような美少女。『櫛田 桔梗』がそこに居た。

 

 

「入学してから今まで敷地内を隈なく探索していましたのでその時に、ですね。喫茶店、軽食屋、雑貨屋、電気屋、病院。本当にこの島には何でもあるみたいですよ」

 

 

俺の言葉に櫛田は興味深そうな顔でズイッと此方に身を寄せる。

椎名とはまた違った種類の少女の甘い香りが鼻先をくすぐると同時に、彼女の見事なたわわが漆塗りの見事な食卓の上でポヨリとこれまた見事に弾んで形を変えた。

 

 

「佐城くんって意外と行動力があるんだねっ。クラスでは落ち着いて読書をしてる様子が印象的だったから、ちょっとギャップ萌えかも」

 

「インドア派なのは間違い無いのですが、三年間は嫌でもこの島で暮らす訳ですからね。柄にもなく、少し張り切って探索していたんですよ」

 

「そうなんだっ。私も友達と遊んだ時に色んなところを回ってみたけど、こういうお洒落なところは初めてだからドキドキしちゃうよ」

 

 

向日葵のような眩しい笑顔は満悦を表現している。

きっと俺に原作知識が無ければ素直に彼女の言葉を信じ、ダラシない顔で美少女からのお世辞に舞い上がっていた事だろう。

 

 

「櫛田さんに喜んで頂けて幸いです。このお店も路地裏にあるからか、お客は少ないみたいですね。初めて入りましたが中々の穴場なようで安心しました」

 

 

波紋を象った涼しげなデザインの小皿の上に鎮座するのは俺が注文していた琥珀糖だ。

アメジストのような神秘的な美しさを放つ食べる宝石を一口放り込む。

脳髄を蕩かすような官能的な砂糖の甘味。それから舌先に残っていた日本茶独特の上品な余韻。

美味い。無意識の内に頰が緩み、ウンウンと頷いてしまう。

 

 

(あ、イカンイカン。普通に甘味を楽しんでたわ。油断は禁物っと)

 

 

昇天してもおかしくないような幸福のマリアージュに浸りたい。そんな欲望にかられつつも、俺はバレないように目の前の櫛田を観察していた。

 

櫛田の表情はニコニコと擬音が鳴りそうな程に可愛らしい笑顔で彩られている。

だが、これが莫大なストレスを代償に生み出した強靭な『ガワ』である事は俺は原作知識で知っているわけだ。

そう考えるとこの笑顔ですら氷で象った仮面を被っているように見えて、何処か痛々しくすら思えて来る。

 

 

(改めてしっかり絡むと、やっぱり櫛田って面倒くさいキャラなんだよなぁ。見た目は百点満点だし、裏表あるキャラは別に個人的にそこまで嫌いじゃないんだけど、でもやっぱ本音を言えば積極的に絡みたく無いっていうか)

 

 

1学年の間ではその名を知らない者は居ないであろう圧倒的な知名度と人気を誇る天使のような美少女。

それが櫛田 桔梗という女優が『演じている』キャラクターだ。

 

彼女の内面は面倒くさい。非常に、異常に、面倒くさい。

兎にも角にも承認欲求が強く、自分が一番であり、常に周囲からチヤホヤされて持ち上げられていないと気が済まないという異常なまでの我儘さ。

全身全霊を懸けて善人を演じているが、その内心では自分以外の全ての人間を見下し、更にはどんな人間にも一切の信用を見せない傲慢さ。

 

 

(確か、幼い頃は勉強も運動も一番だったけど成長するに連れてその地位が崩れた。だから代わりにクラスで一番の人気者のポジションに収まる事で承認欲求を満たしている……だっけ?)

 

 

脳内で必死に原作知識と彼女のプロフィールを思い返しながら考える。

何というか、一言で表すならば非常に『生き辛そう』な少女だと思うのだ。

 

承認欲求は誰しもが持つ人間として当然の生理的欲求だが、それが肥大化するとこんなにも哀れな少女になってしまうのか。

そう思うと、いっそ恐怖すら感じて背筋が寒くなった。

 

 

「佐城くん。こんな素敵なところに連れて来て貰えたのは嬉しいんだけど……本当にご馳走してもらって大丈夫なの?」

 

 

月末が近くなった放課後に俺からお誘いした今回の食事は、全て俺が奢るから是非に。と言う謳い文句で実現したものだ。

お馴染みのパレットではなく態々ちょっとお高めのこの店にした理由は、人気者である櫛田を目当てにした野次馬を避ける為。

それから今までの誘いを不意にして来たことへの謝罪も込めてだ。

 

茶を飲みながら甘味を楽しむにしては割高な料金が請求されるだろうが、これも必要経費。

もしも今から前言撤回してワリカンで。何て言ってやったら彼女の内心でどんな罵詈雑言の嵐が飛んでくるのだろうか。等と下らない事を妄想しつつ、俺は彼女の疑問にやんわりと肯定した。

 

 

「もちろんですよ。今まで散々に櫛田さんからお誘いをお断りさせていただいた事へのお詫びなんですから」

 

「そんな……別に気にしなくてもいいのに。佐城くんが忙しいのに強引に誘っちゃった私が悪かったんだから」

 

 

眉尻を下げ、大きな瞳を涙で潤ませるその顔は心の底から申し訳なさそうな表情だ。

その顔面偏差値だからこそ許されるあざとくも可愛らしい姿は男の庇護欲を誘い、胸をときめかせる魅力を持っている。

 

 

「いえ、お誘い自体はとても嬉しかったので、櫛田さんは気に病まないで下さい。むしろこうしてお時間を頂いたボクの方こそ謝らなければならない立場かと」

 

「そんな事ないよっ。私はずっと前から佐城くんと一緒に遊んでみたかったんだから」

 

「人気者の櫛田さんにそう言われると舞い上がってしまいそうですね。ですがクラスの男子に今日のことが発覚したら恨まれてしまいそうです」

 

「人気者だなんて‼︎ 私はただ沢山の人と友達になりたいだけだよー」

 

 

俺は櫛田を適度に持ち上げながら、穏やかな微笑みを意識して彼女と会話を続けていた。

コロコロと表情を変える櫛田からはネガティブな感情は察知できない。

だがそれも鉄壁の擬態の成果なのだろう。

きっと腹の中では誘いを断り続けていた事に激怒しているだろうし、こうして俺が彼女を褒め称えたところで嬉しくも何ともないに違いない。

 

 

(俺の中身が歳くってるからか、何つーか、櫛田見てると哀れに思えてきちゃうんだよな)

 

 

彼女の笑顔は完璧だ。死ぬほど嫌っていた堀北や、下衆な目線を隠そうともしない山内や池にすら一切の嫌悪感を露わにしない完璧過ぎる仮面だ。

 

Dクラス内の女子ほぼ全員から慕われている櫛田は、きっと女子グループ内のドロドロとしている内情なんかにも適切な心配りをする為に常に気を張り続けているのだろう。

それでも彼女は完璧な笑顔を浮かべている。不満や疲弊も一ミリも外に出さず、ただひたすらに莫大なストレスを孕みながら完璧な笑顔を浮かべている。

 

だが、自分を押し殺してまで彼女は『善い人』をやらなければならないのだろうか?

 

 

(学生の頃からこんな生活って……下手なキャバ嬢や風俗嬢よりもストレス溜まるぞ。マジでいつ身体壊してもおかしくない気がする)

 

 

誰だってそうだが将来的に社会に出れば、殺してやりたいぐらいムカつく上司や生理的に無理な同僚とすら、腹の中で殺意を抱きつつもニコニコと笑顔で接してペコペコと頭を下げなければならない。

 

それも、とてつもなく長い間。働く必要がなくなるまで。ずっとだ。

 

 

「ボクはあまり積極的に人付き合いができるタイプの人間ではないので、こうして櫛田さんに親しくして頂けて本当に感謝していますよ」

 

「感謝なんて大袈裟だよー。きっと佐城くんと仲良くしたい人は多いと思うよ? 今度誰か誘ってカラオケとかどうかな?」

 

「ええ、是非とも。櫛田さんさえ良ければ」

 

 

前世では独身だったし、結婚願望すらなかった身だ。

だがもしも、もしも俺が家庭を築き娘が産まれていたとしたら。

あまりにも痛々しい作られた笑顔を浮かべている、哀れな少女の様には絶対になって欲しくない。

 

自分の欲望の為に本当の自己をすり減らし、他人の信頼を得る為だけに他人に望まれた虚像を演じ続ける。

そんな姿は、あまりにも哀れでは無いだろうか。

 

 

(まあ、櫛田本人からしたら他人に哀れまれた所で余計な憎悪を生むだけなんだろうけどさ)

 

 

仮に俺の方から最大限の譲歩と同情を持ってして櫛田と仲良くなろうとしたところで結局、生まれる絆は偽物だろう。

全てを見下し自分以外の何者をも信頼できない彼女からすれば、他人との関わり自体が負担にしかならない。

きっとこうして楽しそうに端末をスワイプしながら「誰を誘おうか?」何て微笑みながら次回の遊びのメンバーを吟味している今ですら、内心では友人が少ない俺のことを嘲笑って侮蔑しているのではないだろうか。

 

 

(いっそ過去や本性を知ってる事をバラして本音を曝け出せる親友ポジでも狙ってみるか?……いや、普通に無理だな)

 

 

此方側も裏の顔。と言うほどのものでも無いが敬語をやめて前世と同じように普通のオッサンとして猫をかぶるのを止めて接してみたとしよう。

ついでにハリソン少年のトラウマとなった過去の事件だって暴露してもいいかもしれない。

 

互いに忌々しい過去を打ち明けて擬態の為の猫の皮を剥ぎ取りあい、古傷を舐めあい孤独を癒しやがて二人は掛け替えのないパートナーとなりましたとさ。めでたしめでたし。

……いや、白々しいにも程がある。何て空虚な妄想か。

そんな都合良く物事が上手くいく事なんて絶対にあり得ないだろうに。

 

いくつかの二次創作では櫛田と仲良くなったり恋人になったりするifを読んだ事もあったが、中身がオッサンの男の娘がDクラス入りしている事以外は原作に忠実なこの世界。

うろ覚えの知識になりつつあるが、原作での櫛田は堀北を退学させる為に龍園と組み、なおかつ協力者となった龍園本人すら退学させようと企んでいたイカレ女だ。

仮にこちら側が心の内や過去の事件を曝け出し「裏表があるのは同じだ」と共感を煽ったところで「俺だけは君のこと分かってるよアピール? ハハッ、キモッ」と嘲笑されて終わるだろう。

ただの妄想だと言うのにやけに鮮明なイメージがすんなり浮かぶのだから不思議な話だ。

 

 

「じゃあみーちゃんと……あ、王さんのことね? みーちゃんと心ちゃんと四人でどうかな? あの二人だったら大人しめで優しい娘達だから、佐城くんも疲れることもないと思うの」

 

「そうですね。お二人とは挨拶程度ではありますが顔見知りですし、何の関わりもない方達よりもずっと気楽です。お気遣いありがとうございます」

 

「全然大丈夫だよっ‼︎ 特に心ちゃんは佐城くんとお近づきになりたくてソワソワしてたんだから」

 

「そうなんですか? 挨拶をしても目を逸らされてしまうので、嫌われてないかと少々不安だったのですが」

 

「あはは……心ちゃんは照れ屋さんだからね」

 

 

結局こちらがどんなアクションを取ったって櫛田にはストレスにしかならないだろう。

ならばもう、仕方ない。彼女からは恨まれようが嫌われようが割り切るしかないだろう。

幸いにして櫛田の外面は完璧だし、どんなに嫌われようと表面上は完璧なアイドルを演じてくれる。

 

 

(要するに櫛田の事は格安でお話や食事に付き合ってくれるキャバ嬢みたいなもんだって割り切っちまった方がいいか)

 

 

風俗ほどでは無いが会社の付き合いで散々にお世話になった華やかな夜の蝶達は、どんな客でも気持ちよく褒めて煽てて持ち上げてくれる。

だがその内心では客を殺してやりたい程のストレスに襲われているらしい。

その精神的負担は半端ではなく、せっかく稼いだ金の大半をホストクラブに貢いでしまう人間も珍しく無いんだとか。

櫛田本人は金を稼ぐ為に善い人を演じている訳では無いが、他人の信頼を獲得し秘密を握る事が彼女にとっての給料代わりだ。

 

 

(現役JKというブランドつきの文句無しの美少女。お巡りさんに怯える事なく合法的に未成年とお喋り出来ると思えば、まあ考え方によっちゃあ役得かもな)

 

 

当たり前ではあるが普通のオッサンは歳を重ねれば重ねる程に若い女の子、それも女子高生というスペシャルブランド持ちとの関わりが減っていく。というか滅多に無い。

それこそ教師や塾講師でなければ皆無の可能性もある。

ならば二回目の高校生活。色んな意味で楽しまなきゃ損だろう。

 

 

「それにしても櫛田さんは本当に人望の厚い女性ですね。クラスどころか学年一の交友関係をお持ちなのではないですか?」

 

「そんなことないよー‼︎ クラスでもまだ一緒に遊んだ事の無い人達だっているし、他のクラスの人は……うーん。連絡先の交換ぐらいがメインかな?」

 

「他クラスならば物理的にも心理的にも距離がある訳ですし、それでも十分だと思いますけどね」

 

「でも、せっかく同じ学校で出逢えたなら友達になりたいと思わない? 自己紹介でも言ったけど、私の目標は学年全ての人と友達になる事だから」

 

「櫛田さんでしたら学年の枠を飛び越えて、校内の全ての先輩方とも絆を育んでしまえそうですね」

 

「えへへっ。そうなるといいなー」

 

 

それに下世話な理由を差し置いたとしても、何より櫛田 桔梗はコミュニケーション能力が人外のレベルで高い。

彼女に頼めばよっぽどのボッチ上級者でもない限り、どんな人間の連絡先も手に入れる事ができるだろう。

顔が広い。コネを持つ。というのは非常に有力な武器となる。

俺が初めて櫛田との交流を決意したきっかけも他クラスに在籍している一之瀬との繋ぎが目的だった。

とは言え入学当初から迷走に迷走を重ねて七転八倒してようやく立ち上がり、方針がグルリと変わった今、無理にBクラスと顔を繋げる必要も無くなってしまったのだが。

 

 

(ガンガン稼ぐって決意しちまったからには茶柱に悟られるのも承知の上。まあ態々Bクラスに喧嘩売る真似はしないけども別に仲良しごっこする必要も無いんだよなー。一之瀬に絡み過ぎると南雲が出てくるかもだし)

 

 

貯金箱代わりに俺のプライベートポイントを一之瀬にプールして貰う必要も無くなった現在、ぶっちゃけ早期に彼女に接触するメリットは無い。

どうせ須藤事件で堀北と綾小路辺りが勝手に同盟を結ぶだろうし、遅かれ早かれ接点は出来る筈だ。

まあ、強いて言うなら佐倉や長谷部に勝るとも劣らぬ巨乳を早く眺めてみたいぐらいか。

 

 

(目の前の櫛田の胸ですら動く度にポヨンポヨン跳ねてる。これ以上の爆乳……是非一度は拝んでみたい)

 

 

普通に最低な理由である。

 

そんな下世話な妄想と荒ぶって来た下半身の煩悩を鎮めながら、俺は小皿に残っていた最後の琥珀糖を噛み砕いた。

ふと見れば櫛田が食べていた餡蜜の皿も空になっている。

味は上々、高級志向の強い店に有りがちで一皿一皿が程よく小さめな和菓子がメインの店なので、食べようと思えばあと二、三皿いけるだろう。

 

 

(前世では甘いものは得意じゃなかったのに、この身体に憑依してからすっかり甘党になっちまったからなあ)

 

 

菓子作りが得意な母親の影響か、大の甘党に育ったハリソン少年の身体は櫛田の食べていた白玉クリーム餡蜜や、メニューに載っていた特上わらび餅に甘味を求める食指が動かされつつあった。

だが、こうしている内にも障子窓からぼんやり漏れ出る陽光は徐々に焼け付くようにして、じんわりと赤く染まっている。

この後に夕食を控えているのだ。あまり甘味を食べ過ぎるのは身体に良くない。それは年頃の少女である櫛田としても、きっと同じ考えだろう。

今日はここらでお開きだ。

 

 

「……ご馳走様‼︎ お茶も餡蜜もすっごくおいしかったよ‼︎ 今日は本当にありがとう佐城くん」

 

「ああ、櫛田さんに喜んで頂けたのなら幸いです。ボクも貴女とご一緒出来て光栄でした」

 

「もうっ揶揄わないでよ‼︎ それに、それは私の台詞かな? 他の女の子に佐城くんと二人っきりでお出掛けしたなんて知られたら嫉妬されちゃうかも」

 

「まさか。クラスでボクに構って頂けるのは櫛田さんぐらいですよ」

 

「またまた〜」

 

 

互いに互いを褒め合い、ニコニコと微笑み合いながら帰路に就く。

側から見た俺達二人は、きっと幸せな学生生活を何不自由なく満喫しているように映るのだろう。

 

 

「櫛田さん」

 

「なぁに?」

 

 

茜色の空の下、俺の声に櫛田が振り向いた。

ヘーゼルブラウンのショートボブ。キラキラと光り輝くガーネットの瞳。

天使のような美少女。

『櫛田 桔梗』が小首を傾げて俺を見つめている。

 

 

「これからも。どうか『友人』として、末永くよろしくお願いします」

 

 

俺の唐突な願いと共に差し出された右手にキョトンとして表情を浮かべた彼女は、その後照りつける太陽すら霞む輝く笑みと共に両手で俺の手を握った。

 

 

「こちらこそ、これからも宜しくね‼︎ 佐城くんっ‼︎」

 

 

天使のような彼女の裏に、どす黒い悪魔の影がチラついたのを気づかないフリして。

 

こうして笑顔で、俺達は歩いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお余談だが、その場のノリで次の土曜日に櫛田とその他のメンバーでカラオケに行く事を約束してしまったのを思い出した俺は自室で頭を抱えるハメになる。

 

 

(カラオケ……⁉︎ 酒も入ってないのに人前で歌うの⁉︎ っていうか曲どうしよう⁉︎ 今の若い子って何聴いてるんだ⁉︎ ビリーバンバンや人間椅子じゃダメだよな⁉︎……モー娘も……ダメだ‼︎ 多分古い‼︎‼︎)

 

 

当日、結局洋楽でゴリ押しした。

英語ペラペラなのは強い。本当にそう思った。




櫛田視点は後日書きます。

感想全部読んでます。とても嬉しい。
一言でも良いのです。感想、評価よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

男の脳内は九割以上が下ネタで出来ている。

下ネタ苦手な人は前半読み飛ばして下さいね。


 

 

おっぱい。

それは究極の母性。

 

おっぱい。

それは魅惑の果実。

 

おっぱい。

それは全男子の大好物。

 

 

OPPAI。

最早その音の響きすら愛おしい、女性の乳房を指す言葉。

幼稚園児から老人まで皆が大好きなボインでタユンなおっぱいは、とても偉大な存在だ。

 

大きさ、形、色。

上級者になると味や香りすらも評価の対象になるらしいが、一概に言える事は男はみんな女性の双丘に興味津々という事だろう。

もちろん俺だって大好きだ。男はみんなおっぱいが好きだが、赤ん坊と高校生と四十代に差しかかったオッサン共は特におっぱいが大好きなのだ(偏見)。

 

前世でお世話になったお気に入りの風俗嬢の大半は巨乳だった。

出張先で利用した格安デリヘルで某ウルトラシリーズに出てくる三面怪人そっくりの大外れを引いた時も、顔の残念さを打ち消す程の爆乳だったので苦渋の決断の末にノーチェンジでお楽しみをした事だってある。

前世の同僚にも、酔っ払った勢いとは言え普段なら絶対に手を出さないような個性的な顔面のお嬢さんの巨乳に釣られて、ホテルでしけ込んだ事もあったそうだ。

 

どこかのふざけた深夜番組で調べた統計では美人な貧乳よりも、地味顔の巨乳の方が男性にモテるとまで報道していた。

果たしてどこまで本当かは知らないが豊満なバストは男の目を惹きつけて止まないセックスアピールである事は間違い無いだろう。

 

 

だが待って欲しい。

確かにおっぱいは大事だ。巨乳は正義だ。

それは揺るぎない事実であるし、全男性(貧乳好き。若しくはロリコン含む特殊性壁持ちを除く)が頷く鉄壁の法則であると自負している。

 

だが女体に実った魅惑の果実はおっぱい。つまり乳房だけでは無い。

男子諸君、一度考えてみて欲しい。

おっぱいに勝るとも劣らない。否。人によっては乳房以上に女性の性的魅力を存分に引き立てると断言するであろう、甘い媚肉の果実の名を。

 

 

 

 

 

そう。それこそが『尻』だ。

 

 

何を隠そうオッサンは圧倒的『尻派』だ。

女性のお尻が大好きなのだ。ボディラインを強調する細めのスカートやデニムズボンを鉢切らんばかりに、こんもりと盛り上がる豊満なヒップラインを拝見してしまった日には堪らない。

オッサンのオッサンが年甲斐もなくオッサンらしからぬ暴発を起こそうとするのを抑えるのは大変だ。

 

人生舐め腐ってるようなチャラチャラしたコギャルが素肌に張り付くような小さめのホットパンツを装備してる様を見れば、その時の興奮はヤバイなんてもんじゃない。

危うく普通のオッサンから俗に言う『わからせオジサン』にジョブチェンジしてしまうところだ。

 

これらは決して大袈裟な表現では無い。

嗚呼、諸君。如何に俺が女性の尻を愛しているかが、ほんの少しでも伝わっただろうか。

 

 

……何? 先程まで散々おっぱいおっぱい騒いでいたのに秒で矛盾しているじゃないかって?

そういう訳ではない。もちろん俺はおっぱいも好きだ。おっぱいが大好きだ。

特にDカップ以上の巨乳に目がない。バストサイズとカップ数はデカければデカい程イイ(但しデブは除く)と考える巨乳爆乳大好き男だ。

 

つまり、単純な話なのだ。俺はとてつもなくおっぱい。女性の乳房が大好きだ。

 

だが‼︎ それ以上に‼︎

夢見るほどに愛して止まないおっぱい以上にヒップ‼︎

つまり女性のお尻がおっぱい以上に大好きと言うだけなのだ‼︎‼︎

 

俺だって若い頃。具体的には二十代半ばまではひたすらにおっぱいに魅了されていた。

認めよう。確かに若かりし頃の俺はおっぱいにしか興味がなかったし、「女は尻だ‼︎」と語る男共を冷めた目で見ていた。

 

 

だがしかし、時間は人を変えていく。

 

燃え上がるような恋心が、次第に冷めていくように。

 

血が噴き出るような傷が、やがて塞がり傷痕となるように。

 

たまにコーラやシャンメリーを飲むだけで幸せだったのに、いつの間にか酒を飲まないと幸福を感じなくなったように。

 

若い頃は焼き鳥も皮が好きだったけど、ネギまとかささみの方が美味しく感じて来たように。

 

徹夜で遊び呆けてても楽勝だったのに、いつの間にか身体が持たなくなってしまったように。

 

優しくも残酷である時間。

それらがもたらすゆったりとしていて確実に起こりうる変化。

そう。成長して大人になるにつれ、胸派だった俺もいつのまにか尻派に変わったのだ。

……なんか前半の例えと後半の例えのニュアンスがズレている気がするがスルーして欲しい。

 

 

さて、話を戻す。

勘違いしないで欲しいのは先も言った通り、尻派の俺でも胸は好きだ。特に巨乳が好きだという事。

この情熱と肉欲に嘘は無い。前世のパソコンの秘蔵フォルダの中に眠る数多の巨乳モノの裏ビデオファイルの中身全てを賭けても良い。

 

おっぱいもお尻も大好きだ。

と言うか単純に顔が綺麗な女性にはもちろん惹かれてしまう。

そして大前提として、どんなに巨乳で巨尻で。そしてパーフェクトなプロポーションを持ち、絶世の美貌を誇る女性だったとしてもだ。その肌に俺自身が触れる事が叶わないならば、というかその身体を味わえなければ意味が無い。

 

 

結論を述べよう。

 

もしも俺が好きな女性のタイプを尋ねられたらこう答える。それは………

 

 

胸も尻も大きくて、顔も性格もよくて、なおかつヤりたい時にヤらせてくれる女である‼︎

なお、ついでに大金持ち、もしくはバリバリ金を稼いで来てくれて俺がヒモになっても文句を言わない都合の良い女だと尚のこと良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり一緒に居て落ち着ける人。ですかね? フィーリングが合う女性とでも言えば良いのでしょうか?」

 

 

佐城 ハリソン16歳。ボクは産まれてから一度もえっちな事なんて考えたことも御座いません。

 

 

「成る程ー、落ち着ける人か。佐城くんらしい言葉だねっ。確かに恋人になるなら内面での相性って大事だもんね」

 

 

そんな事を自分に言い聞かせるようにして俺は無垢な笑顔を作り、向かいに座る櫛田に。

 

 

「す、凄く大人っぽい、答えだと思います……!」

 

「やっぱり経験者が言うからか、説得力がありますよね」

 

 

それから一緒にテーブルを囲んでいる『井の頭 心』と『王 美雨』にニコリと笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

ここは校舎に併設された喫茶店。高度育成高等学校、全在校生の行きつけと言っても過言では無いその場所の名は『パレット』。

店内は学生達で賑わっているが、偶然にも奥まった所にあるテーブル席は空いており、そこで一息つきながら女子高生達に混ざってマッタリと恋バナに興じていた。

ちなみにメンバーは櫛田、井の頭、王。そこに異物混入したオッサンの計四名。

 

面子だけ見れば女子会に空気読まない馬鹿な男が入り込んだ。もしくはいけ好かない男のハーレムパーティーに見えるかもしれないが、側から見たらハリソン少年の顔はどっからどう見ても美少女にしか見えないのでセーフであろう。全く嬉しくない。

男子生徒の制服をしっかり着てるにも関わらず、見知らぬ男からナンパされる事にもすっかり慣れてしまった。

 

先週末に櫛田の誘いをきっかけにカラオケで遊んだ結果、俺の友人が増えた。

つまり挨拶程度の関係にしかなれていなかった王、井の頭、両名と無事に友好を結ぶ事が出来たのだ。

今では王と英語で互いの実家について(王は中国。ハリソン少年は母方の実家がイギリス)語り合ったり、井の頭に英語を中心に軽く勉強を教える程度の仲にまで進展している。

もちろん互いの連絡先も交換済だ。挨拶程度しか関わりの無かった頃とは雲泥の差だと思う。

 

 

(これについては素直に櫛田に感謝だな。またその内どこかで奢ってあげよう。前は甘味処だったし……次はもうちょいグレード上げて高級志向のイタリアンレストラン辺りなら、背伸びした高校生でもおかしくないか?)

 

 

ちなみに今回こうして放課後にわざわざ喫茶店に集まった理由。

それはDクラスの誇るイケメンリーダーこと『平田 洋介』がついに恋人を作った事がきっかけだ。

ちなみにお相手はDクラスの女王蜂。イケイケギャルの『軽井沢 恵』。

 

ある日の登校時に二人仲良く手を繋いで歩いていた姿を多数のクラスメートが目撃し、何人かの男子生徒が平田に詰問。

ケロリとした顔で平田があっさりと交際を認めた為、男子はリア充への道を先んじて進んだイケメンに嫉妬して阿鼻叫喚。

女子は狙っていたイケメンが彼女持ちになった事を嘆きつつも、クラス初のカップルの誕生という桃色の恋バナにどこか浮き足立った。

 

常日頃から馬鹿みたいに五月蝿いDクラスがまるで爆発するように騒ぎ出したのが今朝の話。

ホームルームで連絡事項を話す茶柱の声がまともに聞こえなかったと言えば、その熱狂っぷりが分かるだろうか。

 

 

「うぅ……平田くん……」

 

 

そして目の前にいる小動物。マリンブルーのショートヘアーをちょこんとツインテールにまとめたロリっ娘にして俺の新たな友人の一人。

『王 美雨』がこうして見るも無惨にガッツリ失恋してしまい、失意のドン底で潰れているのが現在進行形の話。

もともと櫛田から誘われていた四人でのケヤキモールのウインドショッピング巡りの予定は急遽、失恋した『みーちゃん』こと王を慰める会となったのだ。

 

 

「げ、元気出してみーちゃん。その、辛いかもしれないけど私達、まだ入学したばかりだし……ね?」

 

「そうだけど……でも、でも初恋だったんですぅ」

 

 

辿々しくも王を慰めるもう一人の少女、井の頭の顔をぼんやり眺めながら俺はアイスティーで唇を湿らせた。

 

不可思議なグラデーションのセミロングを緩く巻いた井の頭 心という少女は『よう実』世界の女性キャラの法則から外れる事なく、これまた文句なしの美少女だった。

原作では名前のあるモブでしかない雑な扱いを受けていた彼女だが、その透き通った白い肌と細い手足。

スッキリとした形のいい眉に、菫色が映える大きな垂れ目。

あがり症で内気なところが玉に瑕とは言え、視点を変えれば庇護欲の沸いて来る小動物的な雰囲気と言える訳で。

 

 

(これでクラスカーストは低い方なんだっていうから分からねーよなあ。前世ではこんなレベルの美少女、テレビ越しでしか見たこと無いっつうのに)

 

 

 

最近ようやくまともに会話が出来るようになった井の頭だが、残念ながら彼女はDクラスの女子カーストでは下位の扱いをされている。

櫛田と仲が良いから存在は認めておいてやろう。そんな言葉で聞いた訳では無いが、軽井沢や篠原なんかを観察していると、そう言った雰囲気が漂っており、あからさまに軽井沢グループを中心とした声の大きい女子達からは見下されている。

 

堀北、佐倉、長谷部等のボッチ達よりは多少は上。と言ったところだろうか。

尤もそのボッチ組の中でも堀北の嫌われ具合は半端じゃ無い。

ソースは櫛田に愚痴っているクラスの女子達。その内容だって殆どは見下したような態度を取る堀北に対し、あえて聴こえるような絶妙な声量での口撃に他ならない。

入学して一月も経たない内に女子の派閥を越えてまでの、堀北の異様な嫌われっぷりはいっそ清々しさすら感じる。流石は孤高の女と言ったところか。

 

 

「あ、あの? 佐城くん? わ、私の顔に何かついてます、か?」

 

 

ボンヤリと下らない事を考えていたせいか、ついついガン見してしまった井の頭と目が合った。

 

 

「……ああ、いえ。ただ井の頭さんはお優しい方だな。と。御友人を心から大切にしている様子が伝わって来たので思わず魅入ってしまいまして」

 

「へっ⁉︎ あ、あのっ、べ、別に私は……その、あの……‼︎」

 

 

当たり障りのない返事を適当に返すと、井の頭は案の定、直ぐに顔を真っ赤に沸騰して顔を伏せてしまう。

Dクラス全員に気を遣って声をかけている平田を除けば、俺と言う存在は彼女にとって唯一の異性の友人となる筈だ。

そう考えれば俺と井の頭は結構、仲の良い関係になれたと思うのだがこうして赤面する癖は変わらずじまい。

普通に会話をする分には通じるのだが、ふと視線があった瞬間に顔を真っ赤にしてそっぽを向かれてしまう事もしばしば。

 

 

(うーん。ベタな展開で考えるんなら井の頭が俺に一眼惚れした。とかいうパターンなんだが……無いよな、うん)

 

 

確かに俺の顔。というかハリソン少年の顔は整っている。

ふと鏡を見た時に我ながら引いちゃうくらいには美しい顔立ちをしている。

だが残念ながらその美貌は女性的な意味だ。

 

 

「わわっ‼︎ 心ちゃん落ち着いて‼︎ 佐城くんに他意はないんだからっ。そうだよねっ?」

 

「他意? ええ、もちろん。ですが女性の顔をまじまじと見つめるのは無礼でしたね。井の頭さん、申し訳ございませんでした」

 

「そ、そんな無礼だなんてっ‼︎ た、ただ恐れ多くてっ……ううっ、と、尊い……眩しい……」

 

 

一応うっすらと筋肉はついているが間近で観察しなければ分からない程度のもの。

おまけに身長は櫛田と大して変わらない程度と、男としてはあまりにも低い。

基本的に前世のオッサンよりも高いスペックを誇るハリソン少年の身体の唯一の不満点が身長だと言えばその小ささが伝わるだろうか。

 

 

(見た目は女。声も高い。筋肉は薄い。極め付けにチビ。……うん。潜在的な同性愛気質でも無い限り、年頃の女の子がわざわざ俺みたいな女なんだか男なんだか分からないイロモノに惚れやしないだろう)

 

 

現に沖谷なんかもクラスのイケイケ系女子達に可愛いらしい。と弄られる事はあるが、どちらかというと愛玩動物的な扱いだ。

中性的な彼ですらそんな扱いなのだから、外見だけは美少女の俺が女に惚れられる事は残念ながら皆無だろう。

記憶を漁ったところ男女の体格の違いが少ない中学前半時代までなら、顔が整っているからかハリソン少年もモテていたようだが……

 

 

「わ、私の目の前でイチャイチャするなんて酷いです……い、イチャイチャ。手を、繋いで……うぅ……平田くん……」

 

「今度はみーちゃんまで‼︎ こっ、心ちゃんもみーちゃんも一旦落ち着こうよっ⁉︎ ねっ⁉︎」

 

 

 

何故か揃って撃沈した二人を今度は櫛田が必死に慰めるというコントのような様を眺めながら、俺はボンヤリと考え込んでいた。

 

 

(モテないのは男として悲しくはあるが、ハリソン少年は童貞も中学時代に捨ててるし。そもそも高校在学中に彼女作るつもりは皆無だし……まあ、別にいいか)

 

 

五月に明らかになるであろうクラス間闘争を予め知っている俺からすれば恋人を作るつもりは一切無い。

他クラスは以ての外、Dクラス内で恋人を作ったところで龍園や坂柳の一部性根の腐った強キャラ辺りに人質にされかねない。

恋愛は青春の醍醐味とは言え、そこら辺はキッパリと諦めている。

女子からの好感度はそれこそ最低の山内レベルにさえならなければそれでいいだろう。

 

むしろ俺としては女子からの好感度よりも男子からのを何とかしたい。

もちろん、外見だけで勘違いして下衆な目線でこちらの身体を舐め回すように観察しながら寄ってくる血迷った変態共を散らしたいという意味でだ。

平田ですら未だに挨拶程度しか出来ないのだ。

それ以外の男子は見事に関わりがないのはどうしたものだろう。

……山内? 池? アレは別枠。相変わらず俺に対してセクハラばかりだ。割と本気で死んで欲しいと最近思っている。

 

 

閑話休題。

 

落ち込む王を慰めたり、半泣きの王から平田への熱い想いを演説されたりしてる内に、そのあまりの甘ったるくも胸焼けする初恋の熱意に当てられた井の頭が顔を赤くしてまたまた沈没したり。

それを櫛田が頑張ってフォローしたり。

そんなどこか馬鹿馬鹿しくも悪くない青春の一時を過ごしている内に、話の流れはどんな異性が好みかという話に。

 

俺が。というかハリソン少年が過去に交際経験があるというのは櫛田達に知られていたので、好機の視線と共に真っ先に俺に話が振られた。

そんなやり取りの末、『好みの異性について』という、ある意味ハリソン少年にとっては殺意マシマシのキラーパス的な質問を、爽やかな白い笑顔で躱してみせたのが冒頭の台詞という訳だ。

 

……え? 嘘八百にも程がある?

いいんだよ。大人はみーんな嘘つきなのさ。

 

 

「あっ、そう言えば前に佐城くんは星乃宮先生に片想いしてる〜なんて噂が流れて来たけど……」

 

「私も聞きました。軽井沢さん達がそんな話をしていて……か、軽井沢さんが……うぅ、平田くん……」

 

「あっ、私も。聞きました、よ?」

 

「……えーと。何となく嫌な予感がしますが一応聞いておきますね。どこからそんな突拍子の無い話が湧いて出たのでしょうか?」

 

 

なんでやねん。

似合わぬ関西弁で内心突っ込んでしまった俺の気持ちを察して欲しい。

根も葉もない噂というのは流石に困る。

 

 

「えっと。主にBクラスの女子から聞いた話なんだけどね?」

 

 

櫛田情報によるとフレンドリーな星之宮はBクラスの生徒から優しい担任と判断され、非常に気安い関係で生徒に混じって談笑することも多々あるらしい。

おまけに入学して間もないこの時期は主に一年生が慣れない環境から体調を崩して保健室に世話になったり、一人暮らしの寂しさから相談に訪れる新入生の数もそこそこいる。

そこでフレンドリー極まりない星之宮の性格に引っ張られるようにして、彼女の大好物である恋バナへと移行するパターンが多いのだとか。

 

そこで星之宮本人の口からよく上がる名前が『職員室までわざわざ星之宮先生を指名し、二人っきりで内緒のオハナシをしている噂の姫王子様』こと、ハリソン少年である。

そこから噂に尾鰭がついて何故か俺が星之宮先生に禁断の片想いをしている。という三流メロドラマにありそうな設定に改変されたのだろう。

 

 

(解せぬ)

 

 

いや、流石に星之宮からはお気に入り扱いされてるんだろうなぁ。という自覚はあったので冷静に考えれば多少は解せるが。

なんだかんだ言って初めて職員室に会いに行った後も、何度か相談という体で星之宮とは二人っきりで話をしている訳で、その度にそんじょそこらのキャバクラよりも濃密なボディタッチをされている訳で。

 

 

(あんまり変な噂がたっても動きづらいから困るんだよなー)

 

 

ある程度は広まっている噂を完璧に消すのは無理だろう。

悪足掻きにしかならないが、とりあえず俺は真実を言い聞かせるようにして周囲に語りかけた。

 

 

「まあ、ボクが星之宮先生に度々お世話になってるのは事実ですのでそこは否定致しませんが……そもそも教師と生徒ですからね。あの方と色恋どうこうというのはあり得ませんね」

 

 

だが噂とは言え恋バナ。女子の大好物の食いつきは並々ならぬものではない。

ますます興味津々と言った様子で先ずは櫛田が身を乗り出した。

 

 

「でもっそれってシチュエーション的には凄くロマンチックだと思うけどなー。それに、星之宮先生って同性から見てもすっごく美人だし優しそうな人だしっ」

 

「た、確かに。星之宮先生も、茶柱先生も。大人の女性って感じで……凄く、素敵ですよね」

 

「うん。確かに素敵……素敵、カッコイイ……うぅ、平田くぅん」

 

 

釣られるようにして前のめりになった井の頭と王はさておき。

思わず櫛田に対し「お前も星之宮と似たようなキャラだろうが」とツッコミを入れたくなったが、冷めた紅茶と一緒に文句は飲み込んだ。

それと王はいい加減に立ち直れ。どうせアイツら偽装カップルなんだから。原作知識だから迂闊に暴露は出来ないけど。

 

 

「ロマンチックかもしれませんが未成年である生徒が教師とそういった関係になったら犯罪ですよ。特にここは国営のエリート校な訳ですし、星之宮先生もそういった線引きはしっかりされていると思いますよ」

 

「本当かな〜。ちょっと怪しいな〜?」

 

 

その後もどうにか星之宮の件は逃げきれたものの、恋バナの喰いつきは凄まじく。

女性陣の熱意は冷める事を知らず、根掘り葉掘りハリソン少年の過去の恋愛経験を晒すハメとなってしまう。

とは言え馬鹿正直に話すには余りにも生々しく官能的だ。

適当に誤魔化しながら「本当の事は言ってないけど強ち嘘ではない」レベルにまでスケールダウンさせた思い出でその場を凌がざるを得ない。

 

例えば櫛田に「元カノさんは同級生?」と聞かれた時は「先輩ですよ」と答えたり。

井の頭に「こ、告白とかって……その、どちらから?」と聞かれたら「互いに好き合ってたのは察していたので告白は無しで、気づいた時には恋人に」と誤魔化したり。

王に「デートはどんな所に行ったんですか?」と聞かれたら「色々な所に行きましたが相手方が一人暮らしだったので自宅デートが多かったです」とボヤかしたり。

 

 

(本当のことを話したら恋に夢見る女子高生の幻想を壊しちまいそうだしなぁ。あと単純に下ネタ多いから明るい内に話すのはキツいでしょ)

 

 

嘘はついていない。

ハリソン少年の初恋相手である『先生』は同中学の卒業生であるから間違いなく先輩ではあった。

互いの『好き』という感情のベクトルはハッキリと違っていたが少なくとも嫌いあってはなかったし、ハリソン少年は本気で先生を恋慕い心から愛していた。

自宅デートが多かったのも本当で、生徒と教師という関係のせいで周囲にバレないように二人きりで逢う時は彼女の自室。というよりも彼女の寝室の中だった。

 

 

(ハリソン少年にとっては間違いなく初恋だったんだろうけど……結果が結果だからなぁ)

 

 

果たしてそれが幸せな恋人同士として健全な姿であったのか。そこについては決して触れないように気を遣いつつ。

好奇心を隠そうともしない三対の輝く乙女の視線と疑問を、のらりくらりと躱しながら中身の無い話を受け流し続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今更だけど本当によかったの? 佐城くんに全額出して貰っちゃって……」

 

「お気になさらず。女性の方は何かと入り用でしょうし、お茶を御一緒して貰ったに関わらず、支払いを女性にさせた等と知られたら母に叱られてしまいますから」

 

 

すっかり長居してしまったせいか、学生達の喧騒で賑わっていた店内は、人影もそろそろまばらとなってお開きの雰囲気が漂っていた。

思い出したように支払いについてのアレコレを俺に確認する櫛田の顔は、あいも変わらず完璧な演技で非常に申し訳なさそうな表情をしている。

 

 

「ご、ご馳走様でした。佐城くん」

 

「先日のカラオケの時もそうでしたけど、今日もありがとうございました、佐城くん」

 

「いえいえ、どう致しまして。少しでも王さんのお気持ちが楽になったなら幸いです」

 

 

元々は王を慰めるという名目の集まりの為に彼女以外の三人でワリカンをするという話だったのだが、俺がそこに待ったをかける。

手っ取り早く友好度を上げたかった俺は先週のカラオケと同様に、全額自分が奢る事ことにした。

 

これで相手が軽井沢のような調子に乗って集りに来るような恩知らずな娘ならともかく、クラスでも大人しめで言い方は悪いが分を弁えているタイプの賢い二人ならばいい感じに恩に着てくれるだろうという下心からの行動だった。

別に女性として彼女達を狙っている訳では無いが、五月以降は派手に動く事が決まっている身としてはいざという時に味方してくれる存在は多ければ多い程に心強い。

 

 

(言っちゃあなんだが、こんな端金で好感度が買えるもんなら安いもんだよな)

 

 

そもそも校舎に併設されている喫茶店である『パレット』は一般的な店舗と比べて単価が安い。

四人分のドリンクバーとみんなで摘めるパーティータイプの菓子代数種のお会計を合算しても、以前に櫛田と二人で行った和風喫茶店と支払額が大して変わらない程度なのだ。

この程度の金額で美人な女子高生から、ほんの少しでもイイ人と認定されるなら安いモノ。

乱発すると貢くん認定されそうなので、来月以降は控えるつもりではいるが。

 

 

「でも前回のカラオケも殆ど佐城くんが出してくれたし……本当に無理しないでねっ?」

 

「ボクはそもそも外出も買い物も殆どしないタイプですからお気になさらず。次回のポイントの支給日も近いですしね」

 

 

カレンダーを確認すれば一週間も経たない内に五月に突入する。

一日はポイントの支給日であり、調子に乗って使い過ぎたとしても問題なし。

また夢のような学生生活を謳歌する事ができるだろう。

 

0ポイント支給されるDクラス以外は。

 

 

「あ、そっか。一日になればまたポイント貰えるんでしたよね。す、凄い学校ですね」

 

「うんっ。本当にこの学校に入学できて良かったね‼︎」

 

「はい。毎月10万ポイント貰えるなんて夢みたいな学校ですね」

 

 

井の頭の呟き。櫛田の喜びの声。それに続いた王の言葉。

この瞬間を待っていた。

 

 

(ここだ)

 

 

俺はそのタイミングを見逃さなかった。

 

 

「……本当に」

 

 

ポツリ。擬音にするとそんな小さな呟き。

美麗な顔立ちのハリソン少年にお似合いのボーイソプラノは美しい。高く、甘く、心地良く、耳に残る。

だからこそこうして、先程までキャイキャイと笑顔ではしゃぎながら帰り支度をしていた少女達が不思議そうな顔をして一斉に俺の方を振り向いた。

 

交友を重ねた今ならばグループ内の精神的な距離感も十分に縮まっただろう。

きっと今なら。俺の言葉を聴き。疑問を持ち。そして行動に移してくれる筈だ。

 

 

「その。何というか……今更。そう。今更、の疑問なのですが……」

 

 

心の中で咳払い。

美少女JKに囲まれたカフェの一時はストレス塗れの俺の心を癒してくれた。体力とマインドの回復は完璧。

だからこそ、こうして万全の状態で行動に移る事が出来るのだ。

 

 

「本当にボク達は、毎月10万ポイントもの大金を学校側から支給して頂けるのでしょうか?」

 

 

怪訝な顔。不思議そうな瞳。キョトンとした表情。

三者三様の少女達の視線に胸を高鳴らせながら、見えないように小さく小さく舌舐めずり一つ。

 

 

(暗躍……なんて言うほど大袈裟じゃあないが将来のDクラス内での俺のポジション確保の為。もうちょっとだけ付き合って貰うぜ御三方)

 

 

オッサンのなけなしの演技力全てを賭した、渾身の茶番劇の開幕である。

 




あと、2.3話オッサン視点が続いた後に綾小路視点と櫛田視点が入ります。
感想、評価ありがとうございます。励みになります。嬉しいです。
もっとちょうだい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

予想通りとは言え、罪悪感が無いわけではないよ?(言い訳)

長すぎたので分割ー。
話が進まないー。


 

今更言ったところでしつこいと感じるかもしれないが、Dクラスは常日頃から騒がしい。

その喧騒は休み時間だろうと授業中だろうと関係無い。

 

いつもよりほんの少し登校時間を遅くしたからだろうか。

本日は水泳の授業を控えているからか、珍しい事に遅刻欠席も無い。

ほぼ全員が既に教室に揃っているようで、クラスメイト達は今日も元気に朝っぱらからギャーギャーと騒ぎまわっている。

ティーンエイジャー特有の溌溂とした漲る活力が故か、それとも劣等生の集まり故の品性の無さかは分からない。

だが、いずれにしろここまで騒ぎ捲ると大したものだ。と、いっそ感心してしまう。

 

俺はそんな下らないことを考えながら学生鞄を机の横に引っ掛けて、自分の席に着いた。

 

 

「おはようございます井の頭さん。それから王さんも」

 

「お、おはようございます。佐城くん」

 

「佐城くん。おはよう」

 

 

隣人である井の頭に挨拶をすると、そこには一緒に雑談でもしていたのであろう王の姿もあった。

ここ最近はすっかり見慣れた隣席の光景。

いつもならここに櫛田が混じり、向日葵のような笑顔と共に話しかけてくれるのだが、どうやら今日の彼女はそれどころじゃないようだ。

 

 

「今日もいつも通り騒がしい……と言いたいところですが。どうやら様子が違うようですね?」

 

 

Dクラスが煩いのは今日も変わらない。

だが常日頃から巻き起こっている馬鹿に明るい喧騒とは別で、今日の騒ぎ声には怒りや戸惑いのような声が多く混じっているように感じた。

そしてその騒ぎの中心には、Dクラスのアイドルとリーダーが。つまり櫛田と平田の姿があった。

 

 

「櫛田さんは早速クラスに注意喚起を行ったのでしょうか?」

 

 

思わずポツリと口から漏れ出た俺の言葉を隣で様子を窺っていたのだろう。

友人である二人は律儀に拾ってくれた。

 

 

「ち、注意って程までは話は進んで無いと思います。今朝、桔梗ちゃんと挨拶した時に『先ずは平田くんに相談してみる』って言ってましたから」

 

「平田くんもクラスメイトの授業態度の悪さについては気になっていたみたいで、今はああやって呼びかけを行ってるみたい。なんですけど……」

 

 

井の頭と王の尻すぼんでいく弱々しい言葉に釣られ、注意深く平田と櫛田を中心にした集団の様子を観察してみた。

すると、ちょうど平田の説得の声。というよりも演説に近いそれがピークを迎えたところのようで、耳を澄ますまでもなく聞こえてきた。

 

 

「……授業を真面目に受けている人だっている。それに櫛田さんが相談してくれたように来月以降に支給されるポイントが変動する可能性だってありえると思うんだ。

だからこそもう一度初心に帰って、僕たちは授業態度を見直すべきだと思う」

 

 

平田の真摯な性格がよく表れているよい説明だと思う。

不特定多数の人間に注意をするのは、一歩間違えれば上から目線で説教してくる嫌な奴と煙たがられるものだ。

だが常にクラスのことを気にかけている平田 洋介という人徳溢れる実質的なDクラスのリーダーが語ると、何というか言葉の一つ一つに思いやりが込められているような気がして胸に響く。

 

 

「ひ、平田くん……やっぱりカッコいい……‼︎」

 

「み、みーちゃん……戻ってきて、こっちの世界に戻ってきて‼︎」

 

 

その魅力に王は頰を赤らめ、目はハート。うっとりとした様子でトリップしてしまい、井の頭が慌てて肩を揺すって此方の世界に引き戻そうとしていた。

王に関しては初恋補正が大きく掛かっているから別枠としても、一クラスメイトである俺から見ても今の言葉は説得にしろ演説にしろ非常にいい出来だったと思う。

 

だが如何に平田がパーフェクトなリーダーとは言え、不良品揃いのDクラスの皆に首尾よく気持ちが伝わった。とは言えないようだ。

 

 

「チッ‼︎ っせーな‼︎ なんでテメェにそんな指図されなきゃなんねーんだよ‼︎」

 

「そーだそーだイケメンな上にいい子ちゃんぶりやがって」

 

「証拠を出せよ証拠をー」

 

 

仮にどんなに素晴らしい演説だとしても、聞き手側の知能指数が足りなければどうにもならない。

『須藤』、『池』、『山内』の三バカの発言を皮切りにすっかり堕落した生活に染まったDクラスの面々からはあーだこーだと自分勝手な不平不満が文句として垂れ流される。

 

 

「平田くんは考え過ぎだよー。ねぇ? 軽井沢さん?」

 

「だよね。実際、先生とかは全然注意しない訳だし?」

 

「ポイントも毎月10万って先生言ってたじゃん? 気にし過ぎだよ、平田くんも桔梗ちゃんも」

 

「だよねー。それに授業ってどれもつまんないし意味わかんないしー」

 

「ちょっとー。幾らなんでもソレは馬鹿過ぎー」

 

 

Dクラスの女子カーストトップに立つ『軽井沢』のグループを初めに、『篠原』率いる声の大きい女子グループまで追従し、言いたい放題だ。

これでは幾ら平田や櫛田が意識を切り替えようと説得しても梨の礫だ。

池や山内は櫛田を遊びに誘い、軽井沢に至っては平田の腕に抱きつくようにして露骨に恋人アピールをしながらデートの誘いをしている。

 

うん。アレだ。

想像以上に想像以下だったわ、コイツら。

 

 

「ダメですね。これは」

 

 

辛うじて丁寧語に翻訳できたとは言え、思わず溢れた心の底からの失望に隣の席から同意するように井の頭の重たい溜め息が聞こえてきた。

ようやくトリップから復帰した王も彼女に負けない程に暗い顔をしている。

 

 

「や、やっぱり。佐城くんの言っていた通りなんですかね?」

 

 

恐る恐ると言った感じで俺に尋ねてくる井の頭に、俺は「確証はありませんが、恐らくは」と苦い顔で返す事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「5億7,600万円です」

 

 

時は先日。場所はパレット。

 

毎月10万ポイント貰えるというのは勘違いかもしれない。

そんな意味合いを込めた俺の言葉に、帰り支度を始めていた三人は張り付けられたように視線を向けている。

それぞれ特色の違った美少女三人衆に見つめられている現状に緊張しつつも、俺は原作知識を思い出しながら説明を始めた。

 

 

「1クラスが40人。1学年は4クラスですので160人。先輩方も含めれば、単純計算で在校生が約480人。1ポイントが1円だと換算すると、毎月学生へのお小遣いだけで4800万円。それを年間にすれば5億7,600万円。

ただの高校生に。社会経験の一切無い、まだ何者でもない若者に、年間5億円以上の遊興費ですよ?」

 

 

原作でも綾小路が独白していたが、幾ら国が主導している学校とは言っても、たかだか高校生の小遣いに5億円以上はどう考えてもあり得ない数字だ。

国営の機関という事は、きっとこれらの資金は汗水垂らして働いた日本国民の血税を元にしているのだろう。

そんな貴重な税金が高校生の遊びや物欲の為に使われていると世間様に知らされたら、大バッシングは避けられない。

というか下手したら高度育成高等学校が閉鎖されかねないのではないだろうか。

 

 

「た、確かにそう言われると凄い金額が動いてるのは分かるけど……一応、ここってエリート高校な訳だし」

 

「やっぱり、国が主導の学校だから特別なんじゃないですか? それに高校は義務教育じゃない訳ですし、それに伴って待遇も良くなってる。とか?」

 

 

具体的な金額を聴くとその大きさには驚いた様子を見せるも、櫛田や王の言葉を聞くに学校に対する疑いを持つ素振りはない。

やはり国が主体となって動いている。という前提が巨大な後ろ楯に聞こえているのだろう。

特別な学校に入学した特別な生徒には、それに相応しい特別な待遇が当然。とどこか漠然と慢心しているのだろうか。

とは言え俺の話はまだ続いている。

 

 

「ええ、勿論。櫛田さんや王さんの意見も分かります。ですが、この学校の理念を前提に考えると、どうにも嫌な予感が拭えないんですよ」

 

「が、学校の、理念。ですか?」

 

 

俺の説明にじわじわと嫌な予感を感じて来たのか、井の頭が震える声で尋ねてきた。

 

 

「ええ。入学式にて理事長や来賓の方々がお話していたように、この東京都高度育成高等学校は未来の日本を担う為の優秀な人材の育成を目的として設立された学校です。

つまり在校生は学校側、いえ日本から将来的に国の発展と成長に貢献できる、エリートとして教育され、成長し、やがて卒業して日本を支える人材となって社会で活躍することを期待されている訳ですよね?」

 

 

付け足すならばここに優秀な者は優遇され、劣等生は徹底的に冷遇され惨めな扱いをうける。

保護者から強制的に隔離された、本来なら大人に庇護されるべき未成年が前触れなく受けるには余りにも理不尽な扱いが付随する訳だが、現時点では明かされていないので割愛とする。

 

 

「確かに、偉い人達はそう言っていたような……でも、それって一体どういう意味になるんでしょうか……」

 

「えーと、佐城くん。その学校の理念と、ポイントが貰えないかもっていうのはどういう風に繋がるのかな?」

 

 

不穏な空気をようやく察したのか次第に顔色の悪くなってきた王をフォローするかのように櫛田が俺の話に食いついた。

だがその顔はいつもの様な明るい笑みは鳴りを潜め、いつになく真剣な表情である。

人当たりのよい仮面は健在だが、シリアスな空気に警報を鳴らされたのか本性の裏の顔のような鋭さが僅かに漏れ出ている。

元々頭の回転は早く、一年生の中でも優秀な方である彼女は事態の深刻さを逸早く察したのだろうか。

 

 

「茶柱先生は入学式前の説明で僕達に10万ポイントを振り込まれている理由についてこう仰っていましたよね?」

 

『この学校は実力で生徒を測る。入学を果たした者にはそれだけの価値と可能性がある。ポイントの多さはその評価みたいなものだ』

 

「……価値。だけでは無いんです。可能性。つまりボク達の将来の伸び代等も加味された上での支給額が10万ポイントなんです」

 

 

椎名との答え合わせの時の焼き直しのような語りだが、あの時と比べればだいぶ大雑把な説明にダウングレードしていた。

現に井の頭は不穏な空気自体は察知しているものの、俺の言いたいことは理解できていないようで小首を傾げて困ったように眉尻を下げている。

 

だが元より優等生寄りの王と櫛田は皆まで言わずとも、結論に達したようだった。

 

 

「つまり初月の10万ポイントは、あくまで私たちが将来的に日本社会を担う立派な大人になるであろう『可能性』に対する評価。えーと、言い換えると私達に対する『期待』への投資っていう事ですか?」

 

「ま、待って。もし佐城くんの言った通りなら、学校側からの期待を裏切ったりしたら……」

 

 

何かを察したのかすっかり顔色を悪くした王の言葉を振り切るかのようにして櫛田が身を乗り出した。

その表情は悲壮の一色に染まっている。恐らく、これは擬態では無いだろう。もはや仮面を取り繕う暇すらない程に動揺している。

 

 

「例えばウチのクラス。凄く素行が悪いですよね?

遅刻、欠席、私語に居眠り、端末弄り。やりたい放題やってますけど、どの先生方も注意しませんよね?

これって『あえて』なんじゃ無いでしょうか? あえて、やりたい放題やらせて、どれだけ所持しているポイントを減額させるか。

学校側が期待している『可能性』を裏切らないか篩にかける為の、あえての無言の監視。

そう。これはある意味でボク達の実力を計る為の、最初の試験みたいなものではないでしょうか?」

 

 

遅刻欠席私語居眠り。これらは言うまでもなく悪である。

……いや、仮にも教師なら問題児には適切な注意と指導をして善良なる学徒達の為に健全な学習環境を整える努力をしろよ聖職者。とツッコミたくなる気持ちもあるのだが、この『よう実』世界の教師に期待するだけ無駄である。

高校生は義務教育では無いから。注意するのも義務じゃないから。この一点だけをひたすらにプッシュし、注意も指導も一切を放棄。

ポイントの減額という大きなカウンターでもって『叩いて直す』と言わんばかりの矯正を行うのだから、此方としては堪ったものではない。

 

 

「で、でも。ちゃ、茶柱先生は毎月10万ポイント貰えるって言ってましたし……先生が嘘つくなんて。そ、そんな事あり得るんですか?」

 

 

ようやく話の要点に追い付いたのだろう。

井の頭はまるで最後の希望に縋り付くかのような様子で茶柱先生の台詞を引っ張ってきた。

だが非常に残念な事に、ソレこそが最大のブラフなのだ。

 

 

「大変心苦しいのですが井の頭さん。ボクの記憶が確かなら茶柱先生は毎月10万ポイント振り込まれるとは一言も仰ってはいませんでした」

 

「……へ?」

 

 

言い聞かす様に静かに語る俺の言葉に、井の頭はポカンとした顔で硬直した。

 

 

「……言われてみれば佐城くんの言う通り。茶柱先生は毎月一日にポイントが支給されるとは言ってましたけど、その額については触れてませんでした。よね?」

 

「改めて思い返すと結構、悪意のある説明の仕方だよね。これじゃあ皆が勘違いしちゃうのも無理ないよ」

 

 

王も櫛田もすっかり意気消沈し、どんよりとした陰鬱なオーラを放っている。

そして先ほどまで僅かな希望に縋っていた哀れな井の頭は……

 

 

「」

 

 

美しい顔が台無しになるような間抜け面で、白目を剥いて気絶していた。

その表情にタイトルを付けるなら『絶望』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポイント……い、いくら減ってるんでしょうか?」

 

 

いつも以上に張りの無い、消え入りそうな声で井の頭が呟いた。

もはや10万ポイント満額貰えるとは露程にも思っていないようで、先程から端末の残高をチラチラと眺めている。

 

 

「言い辛いけど、心ちゃん。正直な話、そもそも支給されるポイントが残っているかどうか……それすら微妙なところだと思いますよ?」

 

「0ポイントですか……控え目に言って学級崩壊してますからね、我がDクラスは。残念ながらあり得る話かと」

 

 

原作知識を持っている俺はともかく、ポイント増減のカラクリを知った王から見ても、Dクラスの惨状は混沌そのものと言えるらしい。

彼女は支給額が0ポイントにまで落ち込んでもおかしく無いと考えているらしく、早速昨晩から自炊を始めたそうだ。

 

 

「ぽ、ポイントが0だったら……ご飯とか、どうしたらいいんだろう?」

 

「スーパーやコンビニに無料の食品とかあったから、それで我慢しろってことなのかな?

それと、食堂に0ポイントで食べれる山菜定食ありましたよね。

今思い出せば先輩の人が結構食べていたような。見た目は、そのぉ……ひもじかったですけど」

 

「ボクは好奇心で一度食べた事がありますが、味は悪くなかったですよ。見た目は、多少。素朴極まりなかったですが」

 

「わ、私達。みんな山菜を主食にする生活になっちゃうんですね。だ、ダイエットに丁度いいかも……フフッ……ウフフフ」

 

「入学直後のあの頃に戻りたいです……」

 

「ええと、その。井の頭さんも、王さんも。そう落ち込まずに……」

 

 

ギャーギャーワーワーと無駄に明るく阿保ほど煩い。そんな目の前の喧騒とは打って変わって、俺たち三人の周りにはどんより分厚い曇天模様が渦巻いて見えることだろう。

 

一応先日もフォローの意味も込め、ポイント増減については様々な可能性がある事は説明してある。

ポイントの増減がクラス単位でなく、あくまで生徒一人一人を対象とした個人単位で増減する可能性や。

そもそもポイントが減額するといった話だって証拠がある訳でもなく、単なる心配しいの妄想で終わる場合。

後は流石にいきなり0ポイントは生徒の心が折れかねないので、救済措置として最低限の支給額が保障されている希望。等々。

 

原作知識がある身としてはクラス単位での増減がもはや当たり前。Dクラスは不良品の集まりだから0ポイントスタートが当然。という一種の思い込みじみた考えで凝り固まっている。

だが視点を変え、限定的な情報しかなく、そもそも毎月の支給額が増減されるという確証が持てない場合。

正解からズレはあるものの、こういった考えに至ってもおかしくは無いと思っている。

 

だが、櫛田を初めとした美少女三人組は根拠に乏しい俺の説明をすっかり信用してしまった様だ。

もはや来月から貧困に喘ぐ事については悲壮な覚悟を決めている節がある。

唯一、櫛田だけは平田を巻き込む形でクラスメイトに必死になって呼びかけと注意を行い、少しでもポイントの減少を抑えようと行動している様だが……

 

 

(まあ、あの様子じゃ焼石に水だな。入学したての多少は緊張感が残っていた当時ならまだしも、月末が近いこのタイミングじゃあ、いくらアイドルとヒーローの呼び掛けとは言え限界がある)

 

ちなみに先日、寮に帰る道中でどうしてすんなり俺の話を信じてくれたのか櫛田に尋ねたところ……。

 

 

『佐城くんの意見だと思うとすっごく説得力があるし……何より、もしも私が学校側の人間だったとして今のDクラスの人たちに月に10万円もお小遣いをあげたくなるか。って考えると……ちょっと、ね?』

 

 

そう言いながら申し訳無さそうに苦笑する櫛田はやっぱり可愛いらしい。眉尻を下げ、困った様に指先で頰をかく様は、正統派美少女によく映えるポーズである。

 

だが俺は気づいていた。

櫛田本人にも抑えきれない程の憎悪と殺意のせいか、天使の仮面からは悪魔の影がチロチロと滲み出ており、まるでテレビの副音声のように……

 

 

(山内死ね、池死ね、須藤死ね‼︎ つーか大半コイツらのせいだろうが‼︎ 来月0ポイントだったらお前らマジでレイプ 犯にでも仕立てて退学させてやるからな⁉︎ マジでくたばれ三馬鹿‼︎

つーか思い返せば軽井沢も偉そうにペラペラペラペラ聞いてもいない自慢話ばっかりしてきやがって本当うっざい‼︎

女子内のスクールカースト気にしてんのか知らねえけど、一々こっちにマウント取ってきてドヤ顔しやがってウッゼェんだよ女王様気取りが‼︎

つーか平田も自分の彼女なら手綱握っておけよ‼︎ 偽善者‼︎ 役立たず‼︎このヘタレ‼︎

それから堀北は死ね‼︎ とにかく死ね‼︎ 特に理由も無いけどお前は死ね‼︎

あーー堀北死ね堀北死ね堀北死ね堀北死ね堀北死ねええええええぇぇぇ‼︎‼︎)

 

 

という幻聴が聴こえてきたのだが……あれだ、うん。

疲れが溜まっていて変な電波を拾ってしまったと言う事にしてスルーした。

 

薄暗い気分のまま回想に浸っていると、やがてチャイムが鳴り響いた。

間もなくガラガラと音立てながら前扉が開かれ、Dクラスの担任である茶柱がいつもの様に教壇の上に立つ。

 

 

「おはよう。諸君」

 

 

クールな表情と、大きく開けられた胸元とのギャップがいつ見てもセクシーな彼女は『色々な意味で』男子生徒から人気者だ。

すっかり弛緩したDクラスの面々は、目上に値する担任教師への敬意などすっかり忘れている。

朝っぱらから池や山内、本堂などの品位の無い男子生徒から妙齢の美女に対する下品極まり無いセクハラ発言が飛び出すことすら珍しくも何とも無くなっており、それが日常の一部とさえ化しているのだから改めて考えると酷い話だ。

 

だが今朝のホームルームは堕落したDクラスにしては異様。と言っていい程に静かに始まりを迎えた。

 

 

「ホームルームを始める。席に着く様に……と言いたいところだが既に着席しているな。担任としては今後も続けて欲しいが、どうやら様子がおかしい様だな? 何かあったのか?」

 

 

いつもなら茶柱の声など生徒達の喧騒でかき消されるのが常だと言うのに、今日は数人がヒソヒソと囁き合う声や、落ち着かない様子でガタガタと貧乏揺すりをする音が響く程度だった。

 

 

(いや、まあ。普通にこのレベルでも十分に生活態度としては問題だと思うけどな)

 

 

先生が喋る時は静かに着席しましょう。少なくともハリソン少年の通っていた小学校では、上級生なら誰しもが守っていたルールだ。

つまり現在のDクラスは高校生にも関わらず、小学生以下のモラルしか持ち合わせていないという事になるのだが……この辺はあまり深く考えると悲しくなるので止めておこう。

 

 

「先生。ホームルームの前に、質問したいことがあるのですが」

 

 

怪訝な顔で生徒達を眺める茶柱の疑問に答えるかのように、平田が手を挙げた。

質問の内容については言うまでもない。来月以降のポイント支給額についてだろう。

先程まで悪態をついていたDクラスの面々も平田や櫛田の注意を聞いて「もしかしたら?」という危機感が芽生えているらしい。

その証拠に高円寺を除いた全ての生徒が平田に視線を向けていた。

 

 

「うん? どうした平田。今朝は特に連絡事項も無いからな。疑問に思ったことがあるなら遠慮なく質問して構わない」

 

「はい。来月以降に振り込まれるポイントについて、どうしても確認しておきたいことがあるんです」

 

「……ほう」

 

 

平田の言葉に茶柱は少しだけ驚いたような表情で顎をしゃくって続きを促した。

彼女からすれば自堕落一直線の過去最悪の不良品集団が、まさかの逆転の兆しを見せたのだから内心では「もしや」と期待をしているのだろう。

 

 

「来月の支給ポイントは幾つでしょうか? 今月は10万ポイント支給されました。ですが来月以降のポイントの支給額は、ここから減額される事が有り得るんでしょうか?」

 

 

真剣な平田の質問に、ほんの僅かだけ。

注視しなければ見落としてしまう程に僅かだが、茶柱の頰と指先が動いた。

Sシステムの一部とは言え、根幹の部分をまさか不良品揃いの生徒達が気付くとは思わなかったのだろう。

 

驚愕か。愉悦か。

静かに下剋上の野望を燃やす彼女が何を思ったのかは分からない。

何故なら綻びのような僅かな動揺すらも、それを誤魔化すかのような明るい声でこう言い放ったのだから。

 

 

「お前が何を心配しているか知らないが初日の説明通りだ。ポイントは毎月一日に振り込まれる。もちろん校則違反や問題行為の罰則として減額や没収の処置が施される場合もある。だが『当校の生徒として相応しい生活を心がけていれば』要らぬ心配だろう」

 

「⁉︎……先生っ、それは‼︎」

 

 

恐らく平田は気づいたのだろう。

露骨に論点をズラし、ポイントが減額されるかというイエスかノーで答えられる質問の答えを暈したこと。

それから茶柱がフォローに見せ掛けた警告の裏側に。つまり『この学校に相応しくない生徒には減額や没収の処置も辞さない』という、愚かなDクラスの面々にしてはあまりにも残酷な現状に。

 

危機感を覚え、なおも茶柱に食い下がろうと立ち上がる平田だったが、いつだって優秀な者は愚か者に足を引っ張られる事になる。

 

 

「なんだよ‼︎ さっき平田の言ってたこと、普通に間違ってるんじゃねーかよー‼︎」

 

 

そんな馬鹿にしたような池の叫び声に釣られ、山内もヘラヘラと笑いながら騒ぎ出す。

 

 

「やっぱり考え過ぎだったんだよ、櫛田ちゃん。ってか、そんなことより今日もどっか遊びに行こうぜー‼︎」

 

 

これを皮切りに男子も女子も。

一部の冷静な者たちを除いたDクラスの面々は、まるで爆発するかのように騒ぎ始めた。

 

 

「心配して損したー」

 

「ねー。平田くんも気にし過ぎだって」

 

「それより今日は何処に行く? たまにはモールとは別のとこ行きたいな」

 

「いいねいいね」

 

 

甲高い女子生徒の声に掻き消されるようにして、茶柱の失望の溜息が僅かに響く。

果たして担任からの最後の期待を踏み躙った現状に、一体何人が気づけたのだろうか。

 

 

「……はぁ。元気そうで何よりだな、全く。先程も言った通り今日は連絡事項は無い。いつも通り授業に……」

 

 

淡々と必要事項を語る茶柱の声はあっという間に喧騒に掻き消されていく。

もはや何を言っているのか聴き取ることすら叶わない。

 

チラリと横目で平田と櫛田の様子を窺うと、明らかに顔をこわばらせ、最悪の事態を悟ったようだった。

察しが良いのも、ある意味では災難と言えるのかもしれない。

 

 

「さ、佐城くん……来月からどうすればいいんでしょうかぁ……?」

 

 

そして静かに絶望を悟った生徒が隣にも一人。

涙目になり、プルプルと震えながら俺に救いを求める井の頭の姿はまるで子ウサギのようで思わず抱き締めたくなる程に愛らしい。

だがその青ざめた顔と悲壮な表情は、そんな邪な考えを打ち消す程に悲惨なモノだった。

 

 

(ここまで俺の計算通りってバラしたら絶交されちまいそうだよなぁ)

 

 

あまりにも悲惨な彼女の顔を見ていると何て言っていいか分からなくなる。

俺は優しい笑顔を意識しつつ、薄汚いオッサンの本音を包み隠しながら彼女にこう言った。

 

 

「山菜定食。意外と悪くないですよ?」

 

 

どうやら彼女はベジタリアンではなかったようで。

井の頭はますます顔色を悪くして、「キュウ」と屠殺された動物の様に一鳴きすると、ついには机に突っ伏してしまった。

 




感想評価ありがとうございます。もっとちょうだい‼︎


ifルートについて

・Aクラスでは葛城派の知恵袋として悪知恵を働かせます。

・Bクラスでは特に何もせず平和を謳歌します。

・Cクラスではアルベルトとタッグを組んで龍園の側近になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やはり不良品らとはモノが違うわな‼︎ モノが‼︎

また下ネタだよ。

今さらですがハリソン少年の容姿はインノサン少年十字軍のエティエンヌみたいな感じをイメージしています。


 

放課後の教室には独特の物寂しさがあると思うのは俺だけだろうか。

すっかり人が少なくなった静かな教室には、窓の外から暖かな西日が差し込みグラウンドを走り回る運動部の掛け声がボンヤリと響いている。

あと一刻も待てば、教室も夕焼け色に染まりカラスの鳴き声でも聞こえるかもしれない。

 

遥か昔と化した記憶の残骸の中、微かに残っている思い出のようにノイズ混じりの古びたスピーカーからトロイメライが流れたら完璧だ。

今は遠く過ぎ去った、前世でのモラトリアムの日々を情緒的な気分で振り返りつつ。

どこか夢現のボンヤリとした気分で俺はふらりと正面に向き直った。

 

 

「佐城くん」

 

 

サラサラと微風に揺れる茶色の髪と、透き通るように澄んだ淡紫の瞳。

健康的に日焼けしたベージュの滑らかな肌には青々とした血管が走り、しなやかな筋肉が全身を覆っている。

夢見る少女が理想とするような端正な顔立ちに、一面の草原を思わせる爽やかな笑顔がチャーミングな美青年。

 

 

「その、今日は時間を取ってくれてありがとう……」

 

 

そんな彼、『平田 洋介』はどこか気まずそうな表情をして俺の前に座っていた。

 

 

「……ございます」

 

 

そして何故か敬語だった。

 

 

(なんで敬語やねん)

 

 

思わずジト目でそうツッコみたくなる俺の気持ちを分かって欲しい。

何故なら目の前に座るイケメンは真正面で互いに向き合って座っているというのに俺と目線を合わそうとしないのだから。

いや、正確には何度も合わせようとしているのだがその度にハッとしたように度々目を逸らしている。

おまけにどこか落ち着きがなく何度も椅子に腰掛け直して背筋を伸ばしたり縮こめたりを繰り返しているし、何故だか頰までじんわりと赤いときた。

おい、こら。女でも無いのに無駄にモジモジして赤面するのを今すぐ止めろ。

 

 

(告白直前の乙女かお前は)

 

 

なまじ目の前の男が文句無しのイケメンだからか、気まずげにチラチラとこちらの様子を窺ってくる様ですら絵になるのが腹立たしい。

俺は胸ポケットにしまっていた鉄扇を広げ、口元を隠してから咳払いした。

クラスの中心人物からの誘いなので態々時間を取ったが、俺にだって予定というものがある。

今日は決して暇では無い。むしろ忙しい方なのだから、内容が既に予想できているこの話し合いはとっとと終わらせたいのだ。

 

 

「それで平田くん。ボクにお話とは何でしょうか?」

 

「あ、ああ。そうだね、早速本題に入ろうか……入りましょうか?」

 

 

だからその似合わない敬語をやめろ。

ほら、俺の隣に座っている櫛田も首を傾げているし、平田の後ろで暇そうに端末を弄っていた軽井沢ですら怪訝な顔でこっちを見てるじゃないか。

どんだけ緊張してるんだお前は。

 

 

(まるで初対面の見合いだな。いや、前世でも見合いなんかした事ないからあくまで想像だけどさ)

 

 

気恥ずかしそうな赤ら顔に、辿々しい敬語。常に誠実で誰にでもフレンドリーな平田というキャラクターには全く似合わない。

とりあえず話も進まないので、そろそろ素面に戻ってほしいのだが。

 

 

「平田くん。『あの件』もあってボクと話し難いのは分かりますが、出来れば普通に。

そう、普通に喋って頂きたいのです。昼のことは忘れて、普通のクラスメイトに語りかけるように。気楽に。ね?」

 

 

俺はハリソン少年の美貌を最大限利用した柔らかスマイルで平田を軽く窘める。

 

 

「……っ‼︎ そ、そうだね。ごめんね佐城くん、気を使わせてしまって」

 

 

すると平田はますます赤面した。

なんでやねん。

 

おいコラ待てや。お前そういうキャラちゃうやろうが。

まさかホモか? ホモキャラだったのか平田よ。

そう言えば一年生編の終盤では偽装彼女の軽井沢よりも寧ろ綾小路にゾッコンな様子が度々書かれていたような気もする。

ネットや一部二次創作では、平田は実は綾小路に惚れているのでは? という意見もあったような……いやあれはあくまでネタとして広まっていただけだろうし。

 

 

「あのっ……佐城くん。平田くんの様子が少し変だけど、彼と何かあったの?」

 

「いえ、まあ。あったのか? と聞かれればあった。と答えざるをえないのですが、アレは事故のようなものでして」

 

「うーん?」

 

 

ひそひそと耳打ちしてきた櫛田の気持ちもよく分かる。今の平田は明らかにおかしい。

ほら見ろ、チラチラ様子を窺っていた軽井沢がついに端末を弄るのすら忘れて此方をガン見しているじゃないか。

気付け平田。お前の彼女、後ろからめっちゃジト目で睨んでるぞ。

 

 

(前々から平田とはコンタクトを取りたいと思っていたのに、どうしてこうも面倒臭い状況になっちまったかなあ)

 

 

平田との会話は日常の一言二言の挨拶を除けば、今日のこの会議がファーストコンタクトと言っても過言では無い。

だがいざ話し合いに入る直前に『あんな珍事』に巻きこまれたのだから、こんな気不味い雰囲気になるのも仕方ない面はある。

こればかりは平田は悪くないし、なんだったら彼も俺も揃って被害者側なのだから。

 

 

 

(もう中間テスト前に何とかしてあの屑共を退学に陥れてやろうか)

 

 

苛つきのあまり原作ブレイクを恐れぬクラスメイト退学計画すら半ば本気で考えつつも、俺はどうしてこんな変な雰囲気のまま平田と会談する事になったのか。と、鉄扇で口元を隠して小さな溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四限、水泳の授業前での事だった。

更衣室にて周囲のネバっこい視線にゲンナリとした気持ちになりつつ、いつものようにタオルで下半身を隠すようにして手早く服を脱ぎ、海パンを履いたその時。

 

 

「佐城くん。少し、いいかな」

 

 

軽やかでいて、どこか艶めいたハスキーボイスに振り向く。

そこには予想通り、細身の身体をしなやかな筋肉で彩った平田 洋介の姿があった。

 

 

「おや、平田くん。ボクに何か御用でしょうか?」

 

 

平田とは何だかんだで挨拶以外でまともに話した事がない。

まさかこんなタイミングで声をかけられるとは思ってもいなかったので、内心では結構驚いている。

とは言え、もともと俺も彼とは交流を持ちたいと思っていたので柔らかい笑顔を意識して用件を尋ねた。

 

 

「実は君に相談したい事があるんだ。放課後、少し時間を貰えないかな? 櫛田さんにも声をかけているんだけど」

 

「はあ。放課後、ですか」

 

 

Dクラスのリーダーからの御指名とあれば本来なら即決一択である。

だが今日は連休が控えている金曜日。オッサン世代で言う華金だ。

『仕込み』が無事に終わったこの週末に盛大に宴を開くつもりの俺は、放課後直ぐに買い出しに走り回るつもりだった。

とは言え、ここで断るのも角が立つ。

 

 

「申し訳ありませんが寄りたい所があるのであまり纏まった時間が取れないのです。ですので、その。一時間程度でしたら」

 

「十分だよ。いきなり声をかけたのに時間を取ってくれてありがとう‼︎」

 

 

俺だけでは無く態々、櫛田まで呼び出しているとなるとやはり今朝のクラスメイトへの呼び掛けの件についてだろうか。

恐らく俺が登校する前、つまり櫛田が平田に授業態度とポイント減額の可能性についての情報を共有した際、俺の名前を彼女から聞いたのだろう。

平田からすれば、一モブでしか無かったノーマークのクラスメイトが、自分には気づけなかった問題点を指摘したので話を聞いてみたい。と言った所だろうか。

尤も、昨日櫛田に話したこと以上の内容を話すつもりも無いのだが。

 

それでも平田は嬉しそうに「佐城くんとは一度ゆっくり話してみたかったから嬉しいよ。それじゃあ、また放課後に」と爽やかな笑みと共に会話を切り上げようとした。

 

……その時だった。

 

 

 

「……おりゃああああ‼︎」

 

 

という叫び声と共に、俺の海パンがずり落とされた。

 

もう一度言おう。俺の海パンがずり落とされた。

 

前触れの無い唐突な出来事に思わず硬直する俺を他所に、背後から頭の悪そうな笑い声がゲラゲラ響いている。この声は山内だろう。

 

 

「ほら見ろよ寛治‼︎ 俺の言った通り女みてーなサジョーにお似合いの小さくて粗末なモノ……が……」

 

 

……なるほど。つまり、察するにそういう事らしい。

山内と池。彼等がどういう話で盛り上がっていたのかは知らないが、恐らく話の流れで俺の事に触れたのだろう。

それを機にセクハラ常習犯の山内と池がいつものように俺に対して嫌がらせ(本人にそこまでの自覚があるかは不明だが)をしかけた訳だ。

 

どういう話の流れかは分からないが実際に下着をずり下げて佐城少年のブツを確認しようという流れになったのだろう。

下半身がスースーする。それと同時にぶらぶらと股倉の大蛇が不安定に揺れていて気持ちが悪い。

 

下衆な目論みで笑いものにしようと企んでいた山内の様子はこちらからは見えないが、次第に枯れていくかのように小さくなった声から察するに絶句しているのだろう。

おまけに周囲で様子を窺っていたその他の男子達まで、まるで怪物でも見てしまったかのように一歩下がり、恐れ慄いている。

 

一番可哀想なのは先ほど俺に声をかけて来た善良なるリーダー、平田だ。

直前まで俺と向かい合って話をしていた為にもろちん平田は……違う間違えた。もちろん平田は至近距離で俺のブツを目撃する羽目になった。

 

 

「なっ⁉︎ でっ……デカっ……⁉︎」

 

 

見たくも無いであろうクラスメイトのポケットモンスターを超至近距離で拝んだ平田は、あわや尻餅でもつきそうな程に大袈裟に後退る。

その表情は恐怖と畏怖。ほんの僅かな羨望に染まっており、思わずと言った風に大きな叫び声を上げた。

 

圧倒的な雄に対する畏怖と戦慄に静まり返った更衣室。

ゴクリと誰かが唾を飲み込んだ音が、やけに大きく響いた。

 

 

(ったく。今日日、小学生でもこんな悪戯しねーぞ。阿保らしい)

 

 

「はぁ」と態と聞こえるように大きな大きな溜め息をついた。

たったそれだけで周りの男子達は何故かビクッと身体を震わせるのだからおかしな話だ。

 

俺は無言のままさっさと水着を履き直し、咳払いを一つ。

倒れ込むような体勢で固まっていた平田に頭を下げた。

 

 

「大変お見苦しいモノをお見せしてしまい、誠に申し訳御座いませんでした。それでは平田くん、また後程」

 

「あ、ああ。えと……はい。わ、分かりました」

 

 

なぜ敬語? と疑問に思いつつもこの場からとっとと離れたかった俺はラッシュガードを羽織り、足早にプールの方へ向かう。

だが下手人である山内に何の仕返しも無し。というのは、やはり面白くない。

という訳で俺は、今まさに思い出しました。と言わんばかりにこれまた態とらしい演技で「ああ、そうそう」と言いながら未だに固まっていた山内の方をゆっくりと振り返った。

 

 

「な、なんだよ⁉︎」

 

 

すっかり狼狽した様子の馬鹿野郎に向かって鼻を鳴らした俺は、一歩だけ彼に近付いてありったけの侮蔑と皮肉を込めて嘲笑した。

 

 

「幾ら御自分が粗末なモノしかお持ちでないとは言え、人様のモノを無断で拝もうとするのは如何なものかと? そんな事したところで御利益も何もありませんからね? まあ、尤も……」

 

 

そして山内の肩を軽く叩き、満面の笑みでこう言ってやった。

 

 

「君のような品性の無い男はどれだけ立派なモノを持っていたとしても、使う機会には生涯恵まれることは無いでしょうし……ねぇ?」

 

 

まあ成人してからお金を払いさえすればその道のプロに相手をして頂けるのだが。

そんな事を未成年である彼に懇切丁寧に教えてやる義理もないわけで。

ダメ押しとばかりに汚物を見るような視線で一瞥くれてやった。

今度こそ真っ直ぐプールに向かおうとしたその時更衣室は爆発したように騒ぎ出す。

 

怒りか、興奮か。それとも嘆きか。

ラッシュガードのチャックを閉め直しながら授業に向かう俺は背後から聞こえる阿鼻叫喚を努めて無視して無心で歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(コレが本当の『珍事』である。って喧しいわ)

 

 

ゲンナリとした気持ちで自分にツッコミを入れた。いっそ笑い話にでもしないと、やってられない気分である。

とは言え、いつまでもおちんこでる場合じゃない。間違えた、おちこんでいる場合じゃないのだ。

 

 

(いかんいかん。下ネタに引きづられて思考が小学一年生にまで劣化している)

 

 

平田に奢ってもらった蜂蜜入りのミルクティーを飲みながら、どうにか気持ちを切り替える。

もったりと口の中に広がるミルクと砂糖の甘さ。それからドロリとした蜂蜜の香りが、甘党であるハリソン少年の心の傷を癒してくれた。

 

当初の予定ではパレットやカラオケの個室で話し合いを行う予定だったらしいのだが、現状に危機感を覚えた平田の考えで少しでもポイントを節約する為。

と言う理由でこうしてポツンと放課後の教室に僅か数人で集まっている訳だ。

 

 

(そういや俺。っつうかハリソン少年が甘党で蜂蜜が好きなことを、よく平田が知っていたな。櫛田辺りに聞いたのかね?)

 

 

手元の350ミリペットボトルに巻かれた暖色系のラベルには『期間限定』の文字がデカデカとレタリングされている。

態々、俺や櫛田にそれぞれに飲み物を(櫛田には無糖のアイスティーだった)用意してくれているのは流石の気遣いだ。

こういうところを見ると、本当に平田という男は真面目で心優しい人間なんだと感心する。

 

よう実世界で善人キャラ。と言えば真っ先に『一之瀬』が挙がる事に異論は無いが、平田も負けず劣らずの善良なる心を持った正義漢なのだ。

クラス内でのいっそ病的なまでに平等に拘った調停者気質が、いわゆるウザい奴や仕切り屋と蔑まれない理由こそが平田という人間の人徳の表れだろう。

 

他人への気遣いと思いやりもここまでくれば立派な処世術や特殊技能の一つである。

彼は将来、ホテルのコンシェルジュとかが向いているのでは無いだろうか。

 

 

「えーと。では改めて、佐城くん。今朝の話、つまり僕や櫛田さんがクラスのみんなに呼び掛けていた事について、君に意見を聞きたかったんだ」

 

 

どうやら気を取り直した様子の平田が真剣な眼差しで俺を見据える。ようやく本題に触れていくようだ。

 

 

放課後のDクラス。こうしてわざわざ話し易いように机を並び替えて行う小規模な会議に集まったメンバーは平田。櫛田。俺。

そして何故かこうして平田にくっ付いてきた、彼の恋人である『軽井沢 恵』だ。

と言っても彼女は会議に参加するつもりは無いようで、俺達三人の集団から少し離れた所で此方の様子を窺っている。

 

話し合いに参加しないなら、何しに来たのか。

開口一番、目があった櫛田に挨拶も無しに「これから平田くんとデートに行きたいんだから。何を話すか知らないけど早くしてよね」とのこと。

誰も聞いてもいないし、平田や櫛田の戸惑った様子から察するにそもそもこの場に呼ばれてもいない筈なのだが。

 

自己主張が激しいDクラスのクイーンビーには困った物だが、その強気な態度も何故か櫛田に対してのみ。

俺と目が合うと不思議な事に軽井沢の方から咄嗟に視線を逸らされるので、未だに彼女とは挨拶以外のまともな会話が出来ていない。

クラスのアイドルである櫛田にすら度々、彼氏自慢のマウンティングを取ってくるほどの攻撃性を持っている軽井沢だ。

俺のような男だか女だか分からないような気色の悪い影キャには真っ先に噛み付いてくると予想しており、罵倒の一つや二つ飛ばしてくるのかと構えていたが拍子抜けである。

 

 

(どっからどう見ても気が強そうな刺々しい今時のギャルなのに。これが元虐められっ子の虚勢だっていうんだから、分からないもんだよなー)

 

 

この頃の軽井沢はスクールカーストで頂点に立つ事に全てを賭けていた筈だ。

Dクラスで一番のイケメンである平田を恋人にした理由も、クラス内における自分の地位を盤石にする為。

故に平田とは偽装カップルな訳だが、側から見ると美男美女のお似合い同士にしか見えないから大したものだと思う。

 

強いて言うなら平和主義者である筈のあの平田が、他者に対して傲慢な態度を振る舞う軽井沢に好意を抱くだろうか? という疑問に思う人もいるかも知れない。

だがそれにしたって、結局は思春期真っ最中の男子高校生。

いくら真面目な平田でも可愛い女の子には弱いのだろう。とクラスメイト達は納得している。

 

 

(まあぶっちゃけ軽井沢には興味無いし、関わる気も無いからいいか)

 

 

Dクラスの女子カーストについては櫛田から雑談の中でポツポツと聞く程度なので、俺自身そこまで詳しい訳では無い。

だが原作知識やクラスの雰囲気から察するに、女子グループの中でも最も影響力が大きく、カースト最上位の集団を率いている女こそが目の前にいる仮初の女王、軽井沢だ。

個としての影響力は櫛田の方が上ではあるが、群れを率いる集団としての影響力は軽井沢に軍配が上がるだろう。

 

だがハッキリ言って軽井沢 恵という女は性格が悪い。

否、正確には『性根が腐ったイジメっ子の典型を演じている』という、これまた面倒な設定のキャラクターだ。

彼女の内面については、また後日。

暇な時にでも考察するとして、重要なのは声が大きくて影響力も強い彼女だがその実、複数の女子に恨まれて嫌われているという事である。

 

クラス1。学年でも2番手と言われるイケメン、平田を(偽装とは言え)恋人にして散々周りの女子にマウントを取り地位を盤石に。

さらに五月からの0ポイント生活が始まるや否や、周りの女子生徒にポイントをカツアゲして回る蛮行すらやってのけるのだから、さもありなん。

そんな(少なくとも今後暫くは)嫌われ者の女王様よりも、万人に優しい理想のアイドルである櫛田と仲良くしておいた方が得である。と言うのが俺の考えだ。

 

 

(そもそも俺みたいな中年オヤジから見たらギャルは怖いし、偽とは言え彼氏持ちに必要以上に近付いて変な勘違いされても嫌だし。

あと櫛田よりも軽井沢を優先したら、結果的に櫛田のストレスがヤバい事になりそうだし)

 

 

と、散々並べたてたところで今更だがぶっちゃけ軽井沢はどうでもいい。

彼女はお世辞にも優秀とは言えない(中学時代の環境が酷過ぎて、勉学に励みたくても出来ない理由があったのだろうが)し、クラスの事にそこまで関心がある方では無い。

 

 

(問題は平田なんだよなぁ)

 

 

学力優秀、運動神経抜群。数多の女子を魅了する甘いフェイス。

誰にでも平等で、分け隔てなく優しさを振り撒く。

誠実。という言葉が擬人化したような理想の男子。

Dクラスのリーダー。平田 洋介。

 

俺は彼との関係をどうするか非常に頭を悩ませていた。

 

 

「それじゃあ佐城くん。君が学校側に対して疑いをもった理由を教えて欲しいんだ」

 

「それは構わないのですが……今朝の様子から察するに概要は櫛田さんから既に伺っているのでは?」

 

 

俺の隣にちょこんと座っている櫛田に視線をやると彼女は頷いた。

今朝の呼び掛けで平田に話を持って行った時点で俺の話は伝わっている筈なのだが。

 

 

「もちろん、櫛田さんからも聴いているよ。でも、僕は君の口から聴きたいんだ。僕達Dクラスの今後の学校生活を左右するであろう、重要な点に気付いてくれた。そんな佐城くんから、直接」

 

 

葵色の力強い視線が俺を貫く。

柔らかな声色とは反してその口振りにはクラスの調和を何よりも優先する正義漢の意志の重さがあった。

 

 

「分かりました。とは言え、先日櫛田さん達に説明した事の繰り返しでしかないのですが……」

 

 

俺は平田には促されるままに原作知識の一部を引用しながら昨日櫛田達に説明した事をそのまま伝えた。

5億を超える巨額の遊興費。茶柱の説明の違和感。クラスの堕落具合などなど。

 

 

「それに、改めて考えれば無数にある監視カメラも不気味ですね。防犯目的にしては数が多過ぎる気もしますし」

 

「監視カメラ?」

 

「ええ。ほら、この教室にも四隅にありますよ。最新式でしょうか。かなり小型なので気づき難いとは思いますが」

 

 

キョトンとした櫛田の疑問の声を誘導するように、指先で教室の天井を何箇所か指し示した。

 

 

「本当だ……今まで全く気づかなかった」

 

 

平田もその存在を知らなかったようで、目を見開いてかなり動揺した様子だ。

櫛田も大きな瞳をまん丸に見開いて、両手で口元を覆っている。

一つ一つの動作が一々あざとい事にはツッコミを入れない。

 

 

「このカメラで常に生徒を監視していると仮定すれば、誰がどんな違反行為をしたか丸分かりになりそうですね。見たところ、死角も無さそうですし」

 

「そうか。先生方が生活態度に注意をしないのはこういう絡繰があったのか」

 

「確かにこんなにいっぱいカメラがあったら、机の下で隠れて携帯とか弄ってても丸わかりだよね……」

 

 

平田は重苦しい溜め息を吐き、櫛田もシュンとした様子で落ち込んでいる。

生活態度の悪さを学校側がしっかり把握しており、生徒一人一人の悪行を文字通り『監視』している事に確証を持ってしまったからだろう。

平田の背後で聞き耳を立てていた軽井沢の顔色も、心なし悪くなっている気がする。

 

 

「佐城くんと櫛田さんの言う通り。このままだと僕達Dクラスは来月以降、かなり厳しい生活を強いられることになりそうだね」

 

「うん。ポイント、かなり減っちゃってると思うよ。みーちゃんなんかはもしかしたら0ポイントになってるかも。って言ってたし……」

 

「はぁっ⁉︎ ちょっ、ちょっと待ってよ⁉︎ 0ポイントって。つまり、来月から何にも買えなくなるって事⁉︎」

 

 

事の重大さにようやく気付いたのか、思わずと言った様子でついに軽井沢が叫び出した。

慌てて平田が落ち着かせようとするも、彼女の動揺は治まりそうもない。

 

 

「落ち着いて軽井沢さん。あくまで最悪の可能性を考えてるだけだよ。10万ポイント満額は無理だろうけど、まだ0になったと決まった訳じゃない」

 

「そもそも話の最初からおかしいじゃん‼︎ 先生は毎月10万くれるって言ったのに嘘ついたって事なの⁉︎」

 

「えっとね、軽井沢さん。さっき佐城くんが説明してくれたけど、茶柱先生は毎月10万ポイント振り込むとは一言も言ってなかったんだよ」

 

 

ギャーギャーとわめく軽井沢が落ち着くまでは時間がかかりそうだった。

こうしてヤケになって騒ぐ彼女を必死で宥める平田の様子を改めて観察すると、恋人同士というより保護者と被保護者の関係に見えてくる。

ニセコイに付き合う平田も大変だと思わず同情してしまった。

 

 

「軽井沢さん一人ですらこの反応。佐城くん、他のクラスメイトが来月以降のポイントが減っちゃうって知ったらどうなっちゃうのかな?」

 

 

チンパンジーのようにがなり立てる軽井沢をぼんやりと見ていた俺に、櫛田が不安気な表情でひっそりと耳打ちした。

 

 

「そうですね……ポイントが減る。で、済めばいいのですが」

 

「やっ、やっぱり佐城くんもみーちゃんと同じで0ポイントになってる。って考えなの?」

 

「確信はありませんが。まあ、最悪の想定をしていた方が後々の為になるかと」

 

 

対面で騒ぐ軽井沢との温度差が激しい。

櫛田からは今朝の井の頭と王から漂っていた曇天のオーラが漂っている。

頭の良い彼女だからこそ、客観的に今のDクラスを見てお小遣いなんか貰えなくて当然だと理解出来てしまっているのだろう。

 

 

「……来月の支給日。つまり五月一日に大きな混乱が起きるのは確定された未来だと僕は思っている」

 

 

涙目で騒いでいた軽井沢をようやく落ち着かせた平田が、真剣な顔で語り出した。

 

 

「果たしてポイントがいくら支給されるかはともかく、その額は相当に少ないものだろう。それに、きっと茶柱先生からお叱りの言葉も受けるだろうね」

 

 

まあ実際の茶柱は怒るどころが冷酷な嘲笑と共にお褒めの言葉(もちろん皮肉)を賜ってくれる訳だが、それを平田に予想しろというのも酷な話だ。

 

 

「クラスのみんな、きっとパニックになっちゃうよね? 毎月10万ポイント貰えるつもりで、派手に使っちゃってる人とかもいるし」

 

「信じられない……私だってもうポイント殆ど無いのに。篠原さんや佐藤さんだってかなり豪遊してたわよ? こんなんじゃ生活できないって‼︎」

 

 

軽井沢や篠原のグループの女子は単純に自業自得だが、櫛田の場合はカーストやグループ関係無しに様々な人間とコミュニケーションを取る為の『接待費』として結構な額を使っている筈だ。

来月を実質無収入で過ごせというのは、かなり厳しいものがあるだろう。

 

 

「あまり考えたく無いけど生活態度がポイントの減額に繋がると判明すれば、責任を押し付け合って目立っていた人間を吊し上げようとする動きも出るかも知れない」

 

 

平田の重苦しい言葉に軽井沢は「絶対に須藤が原因よ‼︎ アイツずっと寝てるもん‼︎」と鼻息荒く主張してる。

そーいうところだぞ、軽井沢。

 

 

「集団で一人を攻撃するなんて避けなければならない。そんなの……虐めと変わらない。僕はDクラスで虐めなんて絶対に起こしたりさせない。させてはいけないんだ」

 

 

拳を握り締め、何かを噛み締めるように語る平田の言葉はまさに平和を愛する彼らしい台詞だ。

だが原作知識によって彼の人格を形成する大きな要因となったであろう悲劇とトラウマを知っている俺からすると、彼の決意はあまりにも重いものだった。

 

 

「だから軽井沢さん、それから櫛田さん。クラスの為に僕に力を貸して欲しいんだ。君達二人が仲裁に入ってくれれば例え揉め事が起きたとしても、皆耳を傾けてくれると思うんだ」

 

 

Dクラスの女王である軽井沢。そして学年一のコミュニケーション能力を持つ櫛田。

この二人がリーダーである平田側に付けば、どんな揉め事も確かに鎮圧出来るだろう。

 

 

「……まあ、平田くんの頼みなら。虐めとか、あたしも嫌だし」

 

 

軽井沢はどこか気が向かない様子ではあったが、自身の地位を守る為にも寄生先である平田の意向には基本的に逆らわない。

だが「虐めが嫌」というのは間違い無く彼女の本心なのだろう。

軽井沢 恵という少女が背負ったトラウマは、この『よう実』世界の登場人物の中でも一、二を争う程に陰鬱で悲惨なものなのだから。

 

 

「もちろん私でよかったら協力するよっ。クラスのみんなが喧嘩するなんて悲しいもんねっ‼︎」

 

 

両手を握り、明るい声でハッキリと櫛田は己の意志を口にした。

内心では近い未来に襲いかかるであろう重労働に罵詈雑言を尽くしている事だろうが、流石は大天使クシダエル。

完璧な仮面を被ったその表情はクラスの為に身を粉にして働く決意をした正統派美少女にしか見えない。

 

こうして様々な思惑が渦巻きつつも、Dクラスの有力者である平田、軽井沢、櫛田の協力関係が結ばれた。

 

 

「それから、佐城くん」

 

 

俺の名前を呼んだ平田の瞳は、力強く俺を見据えていた。

 

 

「君にも是非協力して欲しい。僕達が気づくことが出来なかった学校側の思惑に疑問を持ち、それを教えてくれた君に」

 

 

静かに席を立った平田は俺に向かって右手を差し出した。

 

 

「クラスの為に、君の力を貸して欲しい」

 

 

葵の瞳は決意の炎に燃えている。

学力優秀、運動神経抜群。誰にでも平等で、分け隔てなく優しく正しく。

誠実。という言葉が擬人化したような理想の男子。

Dクラスの偉大なるリーダー。平田 洋介。

 

俺はその瞳をしっかりと見つめ返して。

 

 

「お断り致します」

 

 

柔らかな笑みと共に拒絶した。

 




感想、評価ありがとうございます。
とても嬉しいです本当に嬉しいです。

更新速度について活動報告の方に書きました。
あとTwitterやってます。http://twitter.com/995qelTIyuQKHAR


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

酒は飲んでも呑まれるな‼︎(至言)

未成年者飲酒の描写がありますが真似はしないでください。
あと1.2話で綾小路視点に行ける筈。


 

満漢全席。

 

山海のあらゆる幸を存分に使った豪華絢爛な客席料理である。

本番中国では熊の手や燕の巣、象の鼻にラクダのコブ。挙句の果てには猿の脳まで食材に使うという色んな意味で物凄い豪華さを誇る(悪)夢の料理だ。

ちなみに猿の脳を食べると不治の病に感染する恐れがあるので、個人的には食べるのはおすすめしない。

 

 

「宴だ」

 

 

テーブルの上にギッシリと並んだ料理の数々は、そんな絢爛豪華な満漢全席とは程遠い庶民的な物が多かった。

和洋中とジャンルはバラバラながらどの料理も一品一品は少なく、中にはスーパーの半額惣菜をレンジで暖めただけのものもある。

濃いめの味付けで、油っこいものが多い献立は思春期の少年の食事として考えると栄養バランスの上では褒められたものではない。

だが今の俺には、そんな粗野でありふれた安物の料理達がどんな高級料理よりも輝いて見えた。

 

 

「待ちに待った。夢にまで見た。念願の宴だ」

 

 

だがこれら全て、おかずや副菜では無い。

ワンコインで買えるパサパサのポテトサラダも。

衣が異様に分厚くて油がギトギトのメンチカツも。

暴力的なまでに味の濃いタレがベタベタと塗りたくられた焼き鳥の盛り合わせも。

久々に作ったから型崩れしてしまった不細工なアボガドグラタンも。

オリーブオイルを買い忘れたので胡麻油を代用した結果コレじゃない感が凄いカプレーゼも。

食品添加物と塩分がてんこ盛りのスナック菓子の盛り合わせも。

お弁当コーナーでたまたま無料品として売れ残っていた茄子の揚げ浸しも。

 

全ては肴。

そう、酒のツマミの為だけに用意したものなのだから。

 

 

「オッサンの、オッサンによる、オッサンの為の宴だ」

 

 

空を仰ぐ様にして両手を掲げて歓喜を表した。誰が見ている訳でもないのだ。独り言も、無駄な小芝居も誰も咎めやしない。

大量の料理の隅に置かれた容器を見ると、ますます笑顔が溢れてくる。

非常に大きな業務用のガラスボトルが二本、ドドンと音立てるような圧倒的な存在感を持って鎮座していた。

一般的には梅酒の仕込みや大量のピクルスなんかを漬け込む為に使われる事の多い巨大なガラス瓶の中には、サフランを溶かしたような黄金色の液体で満たされている。

濃度に違いはあれど、その中身は自作の蜂蜜酒がギッシリと詰まっているのだ。

 

待ちきれないとばかりにプラスチック製の蓋をねじ開ける。するとブワッと部屋中にアルコールの香りが広がった。

 

 

「嗚呼。嗚呼。酒よ。俺の愛しい相棒よ……ようやくお前を味わう時が来たのだな」

 

 

ホゥ。と思わず熱い吐息が漏れた。

あまりの高揚感にまだ一滴も飲んでないというのに、身体はすっかり熱を持ってドキドキと心臓が高鳴る。

酒に酔う前に、すっかり歓喜に酔ってしまったようだ。

 

 

「長かった。あんまりにも長かった……苦節約一ヶ月。何度ストレスでぶっ壊れそうになった事か。何度眠れぬ夜を過ごした事か。何度山内を殺してやろうと思ったか」

 

 

ハリソン少年の中にオッサンの前世が芽生えてからというものの、苦難の連続だった。

慣れない身体。周囲との温度差。チンパンジー共の喧騒。性欲に塗れた男共の視線。

地獄の日々と言っても過言ではなかろう、莫大なストレスに襲われる毎日。

 

星之宮の疑似キャバクラや友人となった美少女三人衆との癒しの日々が無かったら、きっと今頃は胃に穴が開いて病院のベッドでグッタリとしていた事だろう。

……椎名? あれは龍園の影がチラつくから、いくら美少女でもストレス要因にしかならない。

あれから毎日メッセージが来るし本の感想も求められる。

こちとら忙しいと言うのに読みたくもない本を読まされて時間を割かれるので普通に困るし。まあ椎名本人に悪気は一切無いだろうけど。

 

 

「だがそんな千辛万苦を乗り越えた今‼︎ ようやく俺も報われる‼︎」

 

 

酒を作ろう。そう決めた時の最初の蜂蜜水は結局無駄になってしまい、破棄する事になった。

貴重なポイントを浪費するハメになった愚かな自分を呪いながら、追加で購入する事になった大量の蜂蜜。

当初の予定よりも倍に近い金と時間をかけて作り上げた蜂蜜酒は愛着も強い。

まだまだかと胸を高鳴らせながら発酵を待ち望んでいた日々。

気泡がプツプツと弾け出した瞬間のあの感動。

沈殿した澱を丁寧に取り除く作業の緊張感。

もはやここまでの手間と時間、感情の起伏を捧げた手製の蜂蜜酒は俺にとって、ただの酒では無い。

そう。この酒は愛情込めて育てた我が子と言っても過言ではないのでは?

 

 

「左の蜂蜜酒を蜂男。右の発酵途中で蜂蜜を追加した方を蜜子と名づけよう」

 

 

本来だったら味を整える為と風味だけでも大好物のビールを味わう為に、ノンアルコールビールも買うつもりだった。

だが先ずは愛息子、愛娘である蜂蜜酒そのものの味をしっかり味わう為に、割材はシンプルな強炭酸水以外は一切買わなかった。

……ノンアルコールとは言えビールと名前のつく物を買ったら教師陣に連絡が行きかねないので日和っただけとは言ってはいけない。

 

 

「ワイングラス買えば良かったか? いや、飲酒や密造を疑われない為には念には念を入れても足りないぐらいだろ」

 

 

興奮のあまり独り言が多くなっている自覚はあるが気にしない。

黄金色の蜂蜜酒を零さないように慎重に注いでいくと、発酵の過程ですっかり糖分を分解されたせいか、蜂蜜独特のドロドロとしたとろみはすっかりと消えている。

しっかりとした数字を知っている訳では無いが、粘性率は水や白ワインと殆ど変わらない。

 

太陽を溶かしたような気高さ漂う蜂蜜酒が百均で売っているプラスチックカップに注がれるのは何だかチープな光景だ。

味に五月蝿い酒飲みはグラスに拘るし、極端な例だと飲み口の厚みにすら目をつける人間もいる。

曰く人間の味覚はとにかく敏感らしく、口に触れる食器の面積すら味わいが変わる要因になるのだとか。

 

 

「だがそんなお上品な雑学、一般リーマンの俺には関係無え‼︎」

 

 

安物のプラスチックカップを天に捧げる。

LED照明の青白い光を反射して黄金色の天甘露がキラキラと波打つ様に煌めいた。

嗚呼、なんて神々しい景色なのだろう。

 

 

「prosit‼︎」

 

 

銀河の大皇帝に習った乾杯の音頭を叫び、飛びつくような勢いでカップにキス。

ゴクリゴクリと大袈裟なまでに喉を鳴らしながら自作の蜂蜜酒を一滴も零さぬように飲み干した。

 

 

「嗚呼……」

 

 

アルコールを含んだ吐息がボォっと漏れた。

 

はっきりと言おう。不味い。

あまりにも不味かった。

 

度数は想像していたよりも低く、コンビニで安売りしてる白ワインよりも飲み口が軽い。否、軽すぎて飲み応えが無い。

 

肝心の味もビールと白ワインをごちゃ混ぜにしたような粗野な味わい。前世で飲んだどんな安酒よりも微妙な味。この酒が店売りしていたところでリピートは有り得ないと断言していい。

 

おまけに最後は香りだ。原料のドライイーストの種類のせいなのか量のせいなのか。肝心の蜂蜜の香りよりも、むしろ小麦のような酵母の香りの方が強く、鼻から抜けるアフターフレーバーは粗雑の一言だ。

 

 

「嗚呼……嗚呼……‼︎」

 

 

飲み口は弱い。雑多な香り。粗野な味わい。

悪酔いしそうな、明らかに質の悪い安酒だ。

 

だが、それでも。

 

 

「酒だ……俺は酒を飲んでいるんだ‼︎」

 

 

命の源。魂の液体。二足歩行兵器ホモサピエンス専用ガソリン。

灼熱のアルコールを体内に摂取した、この爆発するような感動は色褪せなかった。

 

 

「酒‼︎ 飲まずにはいられないッ‼︎」

 

 

あまりの不条理に怒鳴るようにして叫んだ、いつかの言葉。

だが今こうして同じ口上を述べたとは言え、あの時との心境は真逆の一言だ。

ドポドポとカップに蜂蜜酒を注ぎ、飛びつくようにカップに口付ける。

流し込むようにして飲み干しては、また注ぐ。

この酒は味わう酒では無い。酔う為の酒だと舌先と本能で瞬時に察したからだ。

 

 

「最高にハイってやつだアアアアアアハハハハハーッ‼︎」

 

 

どこぞの吸血鬼もビックリのハイテンションで立ち上がり、近所迷惑すら恐れず叫び声を上げる。

帝国式作法に乗っ取り、空になったプラスチックカップをテンションのままにフローリングに向かってぶん投げると、ポコポコと間抜けな音を立てて玄関の方に転がっていった。

 

 

「っしゃあああああ‼︎ 今日はひたすら飲んで食って楽しむぞおおお‼︎」

 

 

俺は直ぐに新しいカップを取り出すと蜂蜜酒を注ぎ、テーブルの上の料理を貪るように食い始めた。

行儀も糞も無い、Dクラスのチンパンジー以下の作法だが今日だけは気にしない。

溜め込んだストレスが消え去るまで、俺はこの宴を心から楽しむと決めたのだから。

 

 

「あー‼︎ 酒美味っ‼︎ 飯美味っ‼︎ 俺、生きてる‼︎ 今凄く生きてるって感じがする‼︎ くーっ‼︎ あー、なんだったら平田との話し合いなんかスルーしちまえば良かったな‼︎」

 

 

久々に腕を振るった得意料理であるアボカドグラタンを頬張りながら俺は放課後の教室で行われた小会議。

平田、櫛田、軽井沢、俺の四人で行われた、あの無意味な話し合いを思い出していた。

 

 

「平田とは仲良くしてたいけどさー。ぶっちゃけ俺が目指してるのは高円寺みたいなカースト外ポジションだからなー。……プハッ、酒美味っ。……あーっと、平田と一緒にクラスの為に働くとか、ぶっちゃけあり得ねーんだよなー」

 

 

いい感じにアルコールが走り回った火照る頭でボンヤリと考える。

クラスの為に力を貸してくれ。そんなカッコイイ平田の台詞を即答できっぱり断った俺だが、実はあの後はかなり面倒くさい雰囲気になってしまった。

 

平田からはそこをどうか。と必死に食い下がられて何度も頭を下げられ。

櫛田からは「そんなこと言わないでっ。私も佐城くんが居てくれたら心強いの。だから一緒に頑張ろうよっ‼︎ 」とあざとく両手を握られ。

軽井沢にはテメェなにを陰キャの分際で平田くんに逆らってんだよアアアァン⁉︎ と言わんばかりの殺人的に鋭い目つきで睨まれ。

 

流石の俺でも、ものすごーく肩身が狭く、居心地が悪くなった。

 

 

「まあ、落とし所は妥当なとこに納めることが出来たと思うんだよなぁ」

 

 

必死で頭を下げる平田に俺は妥協案として。

 

「クラスの為でなく友人。つまり櫛田さんのお手伝い、と言う理由でしたらある程度は協力致しますよ」

 

という言葉で誤魔化した。

 

理由はともかく協力するという言質を取ったからな、平田は「それでも構わない。本当にありがとう」と爽やかな笑顔で心からの礼を述べた。

 

櫛田本人はそんな俺の言葉に「佐城くん。一緒に頑張ろうねっ」とキラキラとした笑顔を浮かべていたが、内心ではどう思っている事やら。

結局は俺が協力するかしないかは櫛田次第と言う事になるので、ある意味では責任を押し付けた形になる。そしてその事を頭のいい彼女が気づかない訳もない。

今回のことが原因で櫛田からの好感度は下がったかもしれない。が、まあこれはコラテラルダメージみたいなものだろう。

どうせ彼女に内心は嫌われていたとしても、アイドルの仮面を被った櫛田には一個人に対してのあからさまな冷遇など出来ない筈だから実際、問題はない。

 

 

「チンパンジー共がどうなろうと別にどーでもいいけど、平田にある程度は好かれておかないと計画が狂うからなー」

 

 

協力を平田から持ち掛けられた時、本音を言うならば強引に話をブッチ切ってとっとと帰りたかった。

だが、Dクラス内においては櫛田並みの人望を誇っている平田は間違っても敵対してはいけない存在だ。

リスクと心労を承知の上で、彼に味方してクラスの中心メンバーの一員となる方が一番安全なのだが、こちらにもそうは出来ない理由がある。

これは単純に平田が好きだから、嫌いだからという訳でも無く、もしくは単にDクラスに関わるのが面倒だからという訳でも無い。

 

もちろん俺はDクラスに蔓延るチンパンジー共の飼育員になんてなりたくない。

と言うか放っておいても原作通りにストーリーが進んで行くのが分かっている身としては極力、余計な関わりを持ちたいとすら思わない。

櫛田を含む三人の友人はともかく、Dクラスの面々がどうなろうとどうでも良いのだ。

ちなみに山内と池は別だ。奴らは積極的に死んでほしい。

 

 

「五月一日以降はどうしても原作からズレる行動をしなきゃいけねーからなー」

 

 

五月一日の放課後。

つまりSシステムの種明かしとクラス間の格差が暴露されるXデーに、俺は盛大な『茶番劇』を開催するつもりなのだ。

それさえ上手くいけば今後、俺がクラス内の揉め事に巻き込まれる事もなくなる算段である。

しかし、ここで大きな問題が一つ残るのだ。

 

 

「それまでに平田の好感度を下げすぎるとなぁ。当日ぶっ壊れちゃうかもしんねーしなー」

 

 

茶番劇の内容は後々のお楽しみの為に詳しくは語るつもりは無い。

だが、端的に言うとその内容は『平田 洋介という男のトラウマ』を無遠慮にツンツンと突っつくものなのだ。

調子に乗って加減を間違えたりでもしたら、このタイミングで平田が闇落ちしかねない。

平田がこの時点で発狂、もしくは俺の事を敵認定した場合は今後のDクラス内での俺の立場はヤバい事になるのは容易に想像がつく。

 

俺自身と数少ない友人以外がどうなろうと構わないのが本音だが、Dクラスの実質的リーダーである平田に敵視されたら終わりだ。

サイコパスである綾小路に狙われるよりはマシかもしれないが、あくまでも俺の狙いはスクールカースト外のポジションに納まること。

具体的に言うと『多少はマシになった高円寺』レベルに落ち着きたい。

 

 

「唯我独尊自由人が羨ましー。俺も武力があればなぁ」

 

 

原作知識と日々の勉学のおかげで知能や学力といった頭脳面ではずば抜けたスペックを見せつける事が出来るハリソン少年だが、細くて小さいこの男の娘ボディは肉体面では頼りない。

決して運動音痴という訳では無い。むしろ体格から考えれば優れた運動神経を持っていると言えるが、やはりこの体躯では腕っ節の方は貧弱だ。

ブチ切れた平田が暴君に戻ってしまったら、碌な反撃すら敵わずにボコボコにされてしまうことだろう。

 

 

「まあそこら辺は来月以降に考えるとしてー……ヒック。喫緊の問題としてはアレだ、アレ。ポイント欲しいわ」

 

 

フラついた視界でなんとか端末を弄りポイントの残高を確認する。

以前に櫛田や美少女三人組との遊興費や、今回の宴で散財した分も含めて残金は約3万ポイント。

来月の支給は0である筈だから、流石に心もとない。

 

 

(一応増やす案は考えているが多少リスクがある。まあ、いざとなったら二次創作鉄板のボードゲームでちょくちょく稼ぐか)

 

 

『よう実』二次創作の鉄板とも言える賭博チェス。

オッサンはチェスのルールはうろ覚え程度だ、同じ卓上遊戯の将棋ならちょっと自信がある。とは言えあくまで人並みだ。流石にそこらのお子様よりは強い自信はあるが、化け物スペックがゴロゴロ転がっているこの学校の生徒に無双できる自信は無い。

 

 

「麻雀部。あるのかなー? この学校」

 

 

俺の本命。それは麻雀だ。コレに関して言うならば絶対の自信がある。

決して褒められた事では無いが、俺は大学時代に狂った様に雀荘に通った時期があった。

流石に就職してからは時間がなくなった為に外で打つことは少なくなったがアプリゲームの麻雀は草臥れた社畜人生における数少ない楽しみの一つであった。

 

流石に坂柳や綾小路のようなぶっ壊れチートに勝てるとは思えないし、他の卓上遊戯と違い運の要素が強いゲームなので必勝とは言えない。

だがこちとら雀歴二十年以上のベテランだ。イベントで訪れた女流プロ雀士をハコテンまで飛ばした腕前は伊達や酔狂とは言わせない。

たかだか十代の若造に負けるつもりは一切無かった。

もしもこの学校に麻雀をやる部活が無かったなら、いっそ俺が立ち上げてでも無双してやりたいという野望すら芽生えてくる。

……でもやっぱり坂柳は無理よ? あときよぽんも。

 

 

「クラスのことは来月に。金の、ポイントの事は土日明けに動くとして……あとは、アレだな。せっかくだから推しキャラにあってみたいなーうん」

 

 

そこまでコアな『よう実』ファンという訳ではないオッサンだが、電子書籍が幅を利かせる令和の日本で態々本屋まで紙の書籍を集めていた程度にはこの作品は好きだった。

 

その中でも特に好きなキャラは二人。

一人は憑依当初に何とかして接触しようと考えていたBクラスのリーダーにして、本物の善人でもある『一之瀬 帆波』。

 

そしてもう一人が、Aクラスの二代派閥が筆頭の一人にして悲劇の男でもある『葛城 康平』だ。

 

 

「葛城ってめちゃくちゃイイ奴なのに周りに足引っ張られて虐められまくりだからなー……ゴクッゴクッ。んー是非とも応援してやりたいぜー……ヒキュッ」

 

 

すっかり茹った頭に、ついには吃逆までもが飛び出す。どうやら想像以上に酔いが回っているようだ。

チェイサー代わりに水を飲んで身体を落ち着かせながら、未だ見たことないスキンヘッドのお気に入りのキャラのことを考えた。

 

 

葛城というキャラを一言で表すならば不憫。

真面目で責任感も強く、ガッシリとした体躯は逞しく人望も厚い。

傲慢で他人を見下しがちなエリート(笑)揃いのAクラスの中でもモラルがあり、平田とはまた違った魅力のある正義漢と言える。

 

だが周囲の人間に恵まれなかった。対抗派閥は鞭の代わりに杖を持ったドSの腹黒ロリ。

敵陣営に自爆覚悟で内部を引っ掻き回され、特別試験では悲惨な結果に。

その結果派閥争いに敗れ、将来的には一番の側近である戸塚を退学させられる。

慕ってくれた派閥のメンバーをガーターベルトロリータに事実上の人質に取られ、雁字搦めになって動けなくなる。という、あまりにも不憫なキャラクターなのだ。

 

 

「つーかさー。未来の日本の為に〜っていう人間を育てたいなら坂柳より葛城の方が100倍適正ありそうなんだけどなー」

 

 

まあそこら辺はラノベの世界。あんまり突っ込んではいけないのだろう。

そもそも幾ら頭が良いとは言え、介護無しではまともな日常生活が送れない『坂柳 有栖』がAクラスの時点で……。

 

 

「でもちょっと状況が変われば葛城も勝ちの目はある筈なんだけどなあー」

 

 

一昔前のバラエティー番組のようにバリエーション豊かな特別試験が襲ってくるこの高度育成高等学校において身体的ハンデを抱えている坂柳は、ぶっちゃけかなり不利だと言える。

もちろん彼女が天才である事は異論が無いし、ラスボス格としてもヒロインとしても魅力的なのは認めざるを得ない。

頭脳も支配者としてのカリスマもピカイチだ。

 

だが、はっきり言って特別試験の内容が悪すぎる。

無人島試験は強制的に不参加。優待者当て試験も参加さえ出来れば、その頭脳であっという間に無双出来たであろうに強制的に不参加。

お次は体育祭でこれまた論外。

父親である理事長は何故彼女をこの学校に入学させたのだろうか。

 

 

「バカンス内の二つの試験で葛城を勝たせれば、派閥争いは大荒れになるよなー。ちょっとテコ入れしちゃおうかなー?」

 

 

こちらには対人コミュニケーション無双兵器、大天使クシダエルがいるのだ。

当初は一之瀬に繋ぎをとって貰うつもりだったが、その必要も今は無くなった訳で。

なら代わりと言ってはなんだが、葛城の連絡先を紹介して貰うのはどうだろうか?

多分、櫛田なら連絡先ぐらいは持っているだろう。

 

 

「んー。でも葛城は腐ってもAのリーダーだからなぁ。Dのモブにコンタクト取られてもスルーされちまうかも」

 

 

将来的にボコボコにされる悲しい宿命を背負っているとは言え、葛城は腐っても最も優秀な者が集められたAクラスのリーダーだ。

原作でも戸塚のインパクトに隠れがちだが、Dクラスを見下すような発言をする取り巻き達に囲まれている訳である。

本人が善良で真面目とは言え、部下の手前あまり格下の人間と堂々とは会おうとしないかもしれない。

つまり単なるDクラスの一生徒では相手にされない可能性がある。

 

 

「なら、あれだな。小テストで結果を出す。これが一番だな、うん」

 

 

もう何杯目かの蜂蜜酒を飲み干しながら頷く。

葛城は頭が固く、学力こそが最も大切だと幸村と似通った思考をしている部分がある。

原作では彼が月末の小テストで何点取ったかは不明だが、満点という事は無いはずだ。

俺があの難易度がおかしい小テストで満点を取れば、彼から一目置かれるのは確実だろう。

 

 

「葛城と会えれば推しキャラと会えて満足。さらに特別試験でテコ入れしてAの派閥争いが長引けば坂柳の目も釘付けになって、心配事が一つ減る。うーん、まさに良い事づくめじゃーないですか」

 

 

アルコールで火照った身体に、喜悦の熱が混じるのが自覚できた。

決めた。今、決めた。俺の今後の計画の為にも、推しである葛城の平穏の為にも。

 

ガッツリと葛城派閥に贔屓してやる。

 

 

「そうと決めたら、もう一丁‼︎ prosit‼︎」

 

 

俺はご機嫌な気持ちで二本目のガラス容器を開けて、カップに注いだ蜂蜜酒をグビグビと飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでが記憶に残っている最後の光景である。

 

 

 

 

 

暗転。

 

沈黙。

 

覚醒。

 

 

(うぐ……頭が痛い。吐き気もするし体がダリィ。風邪……じゃなくて、もしかしてこれ、二日酔いか)

 

 

兎にも角にも身体が怠い。久しく味わってなかったから忘れかけていたが間違いない、この感覚は完全なる二日酔いだ。

瞼を開ける。たったこれだけの動作をするのが非常に億劫で、細胞の一つ一つが異常に重くなったような錯覚に襲われる。

喉は痛みを感じる程にカラカラに乾いており、身体中が異様に暑いのはアルコールが抜けていない証拠だろう。

 

 

(ここまで酷い二日酔いなんて何年、いや何十年振りだよ……大学の新歓コンパで死ぬほど飲まされた時以来か? 俺、酒に関してめっきり強い筈なのに何でこんなに残ってるんだ?)

 

 

どうにも身体全体が悲鳴を上げている。

俺はまるでゾンビのような呻き声を上げながら、蛞蝓よりも鈍い動作で、ノロノロとようやく瞼を開けた。

そこに広がる景色は見慣れた自室の天井や、散らかった室内の惨状。

等ではなく、下着姿の美女がいた。

 

 

(は?)

 

 

もう一回言おう。

瞼を開けると、そこには下着姿の美女がいた。

 

下着姿の美女がいた。

 

 

 

「……起きた? ならいい加減に手を離して欲しいんだけど」

 

 

目の前の美人が何か言った。手を離す?

手を離して欲しいって? うん分かった。

……いや、やっぱ待って、何から手を離せって?

 

俺は古びたブリキ人形みたいなガチガチに固まった動きで、恐る恐る自分の右手に視線をやった。

そこには真っ赤なブラジャー越しに、悪戯な俺のハンドが、確かに思いっきり揉んでいた。

 

揉んでいた。何を?

どうみても、おっぱいを。

 

うん。アレだ。

 

 

(はは〜ん。最近忙しくて性処理とかしてなかったから夢だわコレ。淫夢ってやつだな)

 

 

全くハリソン少年も思春期とは言え、こんなリアルでエッチな夢を見るとはおませさんだ。

ほーら夢だという証拠に軽く一揉み「……んっ」二揉み「ちょっとっ……‼︎」したところで感触なんかする訳……する訳……

 

 

「んぁっ……い、いい加減にしないとっ……ぁっ。怒るわよ?」

 

 

柔らかい。フワッフワ、モチモチ。

ブラ越しでもあったかくて柔らかい。

なんかいい匂いすらして来た。

ヤベェ、何がとは言わないがスッゲーヤベェ。

 

うん、アレだ。

 

夢じゃねーな、コレ。

 

 

(いやああああああああああああああああああああああああああ‼︎‼︎‼︎⁉︎)

 

 

酔いも眠気も。

ついでに言うなら今後の計画も全てが吹き飛んだ俺は心の中で絶叫するしかなかった。

 

顔を赤らめ半目で此方を睨みつける美女。否、大人びた美少女の名前を俺は知っていた。

 

Aクラス二代派閥が一人、坂柳を主人とする側近中の側近。

 

 

 

その名は『神室 真澄』なのだから。

 

 

 




ナニがとは言わないが挿れては無いです。
このオッサン本当にバカだなーと思いながら書いてました。

評価、感想ありがとうございます。
全部読んでます。凄く嬉しいです。もっと下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

現実逃避の小テスト。〜陰謀の囁きを添えて〜

12000文字っすよ。話がほっとんど進まん。
なんなのマジで。初投稿です。


 

怒涛の日々だった。

あっという間に週末の二連休は終わりいつものように授業を受ける平日の月火水と過ぎ去り。

そうして漸く今日という日がやって来た。

 

結局、酷い二日酔いで引き篭もって貴重な土曜日を頭痛と胃痛に苛まれながら潰したり。

何故かやけに機嫌の良さそうな椎名に引き擦られるようにして、日曜の朝っぱらから図書館に行き二人だけの読書会を開催したり。

 

迎えた平日も友人であるDクラス美少女三人衆と約束された貧乏生活への対策を考えるという名目で、どんよりとした表情で互いの傷を舐め合ったり。

放課後には割とあっさり見つかった麻雀部にお邪魔してはちょちょこ小銭を稼いだり。

生徒指導室にて行われる星之宮先生による濃密なサービスたっぷりの相談会に癒されたり。

 

更にはオマケととばかりに、いつまでも懲りない馬鹿二人にセクハラされたり。

何故か喋ったこともない堀北や幸村辺りからチラ見されるようになったので、徹底的にスルーしたり。

エレベーター内でバッタリ綾小路に出会してしまって危うく心臓が止まりかけたり。

あと何かトイレに行く最中に高円寺に絡まれたり。

 

 

(……回想しても碌な事が有りゃしねえ)

 

 

特に後半だ。山内と池には殺意が積もりに積もっていくばかりだし、予期せぬ主人公とのファーストコンタクトは不意打ち気味に逃げ場の無い密室で邂逅してしまった事もあり、死ぬほど怖かった。

今思い出してみればエレベーター内で綾小路から、何かしら話しかけられていた気もするし、それに対して俺も適当な答えを返していたような気もするのだが、いかんせん極度の緊張とサイコパスに遭遇した恐怖のせいで何と返したかはサッパリ覚えていない始末。

余計な事を言って悪印象を持たれていなければ良いのだが。

 

それから高円寺に関しては……。

 

 

(高円寺は高円寺だった。うん。つけられたあだ名も……まあ、許容範囲内だったし。宇宙人にアブダクションされたとでも思って諦めよう)

 

 

と、まあわずか数日とはいえそんな濃厚な日々を過ごして来たわけである。

 

そして迎えた本日は四月の最終日。

他の高校ではわざわざイベントを用意しているかは分からないが、この『よう実』世界では大きなターニングポイント。

そう、原作でも話題になったあの不思議な『小テスト』の実施日だ。

 

その内容と言えば、八割近くの問題が中学時代に習うとても難易度の低い問題で構成されている比較的簡単なもの。

だが、最後の三問だけは高校一年生の授業範囲を大きく飛び越え、非常に難易度が高くなる。というか普通の高校生は解けない。解かせる気の無い超難問揃い。

 

中学校時代にまともに授業を受けていて、それなりの成績をキープしていれば80点を取る事は容易いだろう。

だが最後の3問の関係で、90点以上を取るには並みの高校生とは比較にならない学力が要求される。

ましてや満点を目指すとなれば、最早それは難しいどうこうと言うよりも無謀の域だ。

 

 

(満点取るつもりでガッツリ勉強して来た。流石に高三の範囲全ての予習は時間的に無理だったが、難易度によっては十分に全問正解を狙えるレベルの学力に鍛えた筈。……だが、あいにく俺のコンディションはお世辞にも良くはない訳で)

 

 

だからこそ、こうして俺がDクラス内で発生している騒音を通り越した爆音に近い喧騒の中。

絶賛学級崩壊中のチンパンジーの群れの中で、未来を憂いて俯き戦々恐々としているのも。

それはきっと、仕方のない事なのだ。

 

そう、小テストの事で頭がいっぱいだから仕方ないのだ。

小テストのせいだから仕方ない‼︎

仕方ないったら、ないのだ‼︎

 

 

 

(……うん。白々しい現実逃避はそろそろ諦めよう)

 

 

ぶっちゃけ今回の小テストで満点を取れなくても死にはしないし、高得点さえ取れていればその後の立ち回りで自分の立ち位置の確保は十分に挽回できる。

それに比べて現在俺が抱えている『爆弾』の取扱いを間違えたら問答無用の即退学となってしまう訳で。

 

 

「はあああぁぁぁ……」

 

 

悲鳴にも近い俺の嘆息が騒音の中に虚しく溶けていく。

スリープモードの端末を手鏡がわりに覗き込むと、そこにはゲッソリとしたハリソン少年の顔が映った。

元より白い顔色は不健康な青白さに染まり、目の下にはうっすらと隈が出来ている。

いかにも心労が溜まっています。という有様なのに、それでも輝く美貌には一切の陰りを見せていないのがちょっと怖い。

 

 

(落ち込んでても、やつれていても絵になるんだから美形は得だよなあ)

 

 

ハリソン少年の顔面偏差値の高さに慄きつつ、半ば無意識の内に再び重い溜め息が漏れた。

ちなみにこれでも顔つきはマシになった方で、週明け直後の月曜日。俺の顔はそれはそれは酷い事になっていたらしく隣の席の井の頭から

 

 

『さ、佐城くん⁉︎ 凄く顔色が悪いというか……とにかく凄い顔ですけど大丈夫ですか?

え? ど、どんな顔か。ですか?

その、数年前に私の従兄弟のお兄さんがFX? っていう投資をやってたみたいなんですけど。

その、大失敗しちゃったみたいで……貯金を含めて、有り金を全部溶かしちゃったらしくて……そ、その時のお兄さんと同じ顔してます、よ??』

 

 

と言われた程。アニメや漫画でいう作画崩壊レベルで物凄い顔をしていたらしい。

ちなみに王からは「ぬとねの区別がつかなそうな顔」、櫛田からは「絶望を通り越した完全なる虚無の顔」と心配された。

 

普段の俺だったならば一体どんな顔だよとツッコミを入れていたところだろうが……。

そんな酷過ぎる顔になっても無理はないレベルの大馬鹿をやらかした訳で。

 

 

(ああああああああああマジでどうしよう本当どうしよう馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿あの時の俺をぶん殴りてえええええ‼︎)

 

 

津波の如き怒涛の後悔がぶり返し、俺は机に蹲って頭を抱えた。

隣席の井の頭やこちらの様子を窺っていたであろう櫛田辺りからの憐憫を含む視線を感じるが、それに構う精神的余裕が一切無い。

何故なら、俺の心を支配しているあまりにも大き過ぎる悩みの種。

宴の翌日。何故か俺の部屋で朝チュンしていた他クラスの美少女。

よりにもよってAクラスのラスボス格である坂柳の側近、『神室 真澄』の事で頭がいっぱいだったのだ。

 

 

(不幸中の幸いか最後まで『ヤってなかった』とは言え事態は最悪だ……冗談抜きで最悪の状態だ)

 

 

眠気も酔いもぶっ飛んだあのラッキースケベなハプニングのその後、絶句し石膏となった俺をよそに優雅に人の家のシャワーを浴びに行った神室。

人様の家で勝手に汗を流しスッキリとした様子の彼女に、漸く再起動を果たした俺が真っ青な顔で質問攻めの嵐にしたのは言うまでも無いだろう。

 

何故、他クラスであり異性の神室が俺の部屋に居たのか?

何故、下着姿で俺のベッドで寝ていたのか? という当たり前の疑問から始まり、これはもしや坂柳の策略なのか?

もしそうなら何故俺が彼女に目をつけられたのか?

密造、飲酒が何故バレたのか?

互いに全裸では無かったし一線は越えてないよね? ないと言って⁉︎

……とまあ、思いついた事をかぶりつくような勢いで尋ねた結果。

呆れと嘲りをない混ぜにしたような様子の神室の返事はたった一言。

 

 

『ふぅーん。……アンタ、本当に何にも覚えて無いのね』

 

 

ニヤリとオノマトペが鳴りそうな暗黒微笑と共に発した台詞である。

あの瞬間から俺の平穏なる学生生活の生命線は神室真澄が握る事が決定した。

あの時の神室の笑顔と言ったら……。

 

 

(まるで特撮モノに出てくる悪の女幹部みたいな薄暗い嗤い方だったな。でも、今思えばあの時の神室の表情エロかったなぁ……あの顔は男の味を知っている顔だな、うん)

 

 

いや、まあ。適当言っただけなので本当に神室が非処女なのかは知らんが。

だが男性向けライトノベルのヒロイン候補なら人妻とか未亡人キャラ以外は全員処女。というのが定石みたいなものなのでは無いだろうか?

別に俺自身が処女厨と言う訳でも無いのでどちらでもいい話ではあるのだが。

 

 

(そう言や、作中で明確に『経験済み』だっていう説明があった女キャラって軽井沢と星之宮ぐらいじゃなかったか? まあ軽井沢の場合は強姦なんだろうけど)

 

 

 

前世の深夜番組かなんかで観たうろ覚えの知識では女子の初体験の平均年齢は18歳前後。

世代が進む度に平均年齢が下がっており若者の性の乱れが〜なんてなどと偉そうな自称専門家のジジイが騒いでいた覚えがある。

捏造万歳が上等であるテレビ番組の知識をどこまで信用していいかは分からないが、高校一年生になったばかりの青少年ならば恋愛経験はともかく、性経験を済ませた者は少ないのだろう。

 

 

(でも神室ならヤッてそうな気も……いや、失礼な話なのかも知れないけど。キャラ的に無理がないというか)

 

 

結果的に望まぬ出逢いとは言え神室真澄という少女と対面した訳だが、実のところ原作内における彼女のキャラクターを詳しく知っている訳では無い。

そもそも原作での明確な登場回数が少ないし、際立った活躍も殆ど無かった気がする。

精々が綾小路の部屋に押し入って万引きの事実を打ち明けた時。

それから一之瀬潰しの為に周囲の女子生徒に彼女の悪評を吹き込んでいるシーンぐらい。

 

まあ最も神室の印象深い個性と言えば、手癖の悪さとその犯行動機なのだが。

 

 

(何だっけ? 親から愛情を注がれなかったから巡り巡ってそれが万引きするようになった。だっけ? ……俺、心理学専攻して無いから何でネグレクトされると万引き趣味になるのかまでは知らないけど)

 

 

万引きの常習犯。おまけにパクったのは酒なので結果的には未成年飲酒もやっているだろう。

高校入学したてのティーンにしては色々とやらかしている彼女だ。

火遊びの延長で過去にクラブ通いや男遊び、援助交際なんかに手を出していても無理はない気もする。

 

 

(前世の従姉妹のヨシちゃんも高校入学辺りから急にグレだしたからな。結局、誰が父親だか分からない子供を孕んで中退してたし)

 

 

前世の知識と経験、それから余計な煩悩に塗れたオッサンの偏見でしかない失礼極まりない意見だが、いざ実物を目の前にして神室とある程度の会話をした後では妙な説得力があった。

 

 

(こう、ちょっと悪さを覚えたギャル独特の気怠げなエロさというか。お高く止まっているのに、隙がありそうな矛盾した独特の雰囲気というか)

 

 

深みのある紫檀のロングヘアーをサイドに結んだヘアースタイルが特徴の神室真澄。

白い肌に整った顔立ち。そのルックスは前世でよく見た芸能人やアイドル歌手、AV女優にも見劣りはしない。

特に紫水晶のように力強く輝く瞳の美しさ。そして15歳の未熟な少女とは思えない程にグラマラスなボディースタイルは男からしたら垂涎ものだろう。

 

 

(シャワーを浴びた直後の神室……湿った長髪。水滴を弾く白い肌に火照った頰。バスタオルをグイッと持ち上げるバストとヒップの魅惑のS字ライン。嗚呼、エロかったなあ)

 

 

そもそもこの『よう実』世界は発育のいい女子。というか明らかにエロい女子が多すぎる。

現時点で一番の親交が深い櫛田に関して言えば明らかにバストのサイズが合ってない。

公式から発表されている彼女のスリーサイズはB82/W55/H83のDカップ。

だが実物はそんなもんじゃない。数々の巨乳美女を抱いてきた(なお九割は風俗嬢)オッサンが断言しよう。あのデカさでDカップは無理がある‼︎

 

 

(動く度にブルンブルン揺れてるし、机にはガッツリ乗るし。あの大きさとウェストの細さから考えれば確実にFカップ以上はあるだろうよ)

 

 

櫛田ですらこの有様なのだ。佐倉や長谷部、一之瀬は一体どんなオッパイお化けなのだろう。

Gか? Hか? それとも愛がいっぱいIカップか⁉︎

 

 

 

(……うん。そろそろ現実から逃避してエロ妄想を垂れ流すのは止めにしよう)

 

 

閑話休題。

 

神室がどんなに魅力的な美少女だったとしても、こうして弱みを握られてしまったのは事実な訳で。

女子高生に飼育されたいという拗れに拗らせたような特殊性癖を持っていないごく普通のオッサンである俺からすれば全く歓迎できない現実だ。

 

テンパりながらもどうにか彼女と会話を重ねた感触から察するに、神室自身も原作通りに万引きしたところを坂柳に抑えられ下僕とされているようだ。

余程ストレスが溜まっていたのだろう。会話中に坂柳の名前が出る度に眉間に皺が寄り、声もワントーン低くなっていた。

 

 

(失敗だった。記憶が飛んでいる事を上手く誤魔化せればもう少し話の主導権を握れたかもしれないのに)

 

 

そんでもって現在、俺はそんな神室に首根っこを押さえつけられている。

つまりは坂柳の下僕である神室の下僕という訳だ。

穢多非人もビックリの人類カースト最底辺に真っ逆さまだ。全くもって笑えない。後悔先に立たずとはまさにこの事だ。

不幸中の幸いと言えば神室は俺の密造や飲酒に対して今のところ言いふらすつもりは無いらしいこと。

それから肝心要の坂柳だが、何と今回の件に関して一切関係ないらしい。

 

つまり俺と神室の邂逅は、クラスの思惑も坂柳の謀略も一切関係の無い偶然の悪戯。という事になる。

 

 

(とは言え、どこまで神室の言葉を信じていいものやら。ああ……せめて断片的にでも記憶が残っていれば‼︎)

 

 

神室曰く、もはや日常と化している、とある身体に障害を持っているクラスメイト(言うまでもなく坂柳)の世話から彼女がようやく解放されたのが夜八時過ぎ。

自分の部屋に戻る前に飲み物でも買おうかと一階に降りたところ、目的である自販機にもたれかかるようにしてぐったりと倒れ込んでいる見慣れぬ生徒を見かけた。

寝こけているのか体調不良なのか分からず、心優しい善良なる少女である神室は蹲っている人影に声をかけて肩を揺すったらしい。

 

 

(まず心優しい善良なる少女は万引きなんかしねぇよ。ってツッコミたくなったが。神室のヤツ、真顔で自分の事を善良な人間って言ってたからな)

 

 

そんな彼女の行動に意識を取り戻した男子生徒……つまりは泥酔して意識朦朧としていたであろう俺の事なのだが。

改めてその顔を覗き込んでみると、何と彼こそが噂の姫王子(笑)ではないか。と神室は驚いたそうだ。

 

 

(今更ながら姫王子ってあだ名、何とかならんかなぁ。恥ずかしくて仕方ないんだが)

 

 

既にその美貌とあだ名が学年を越えて学校中に広まっているという有名人との予期せぬ出会いに興味を持った神室は、どうしてこんな所で倒れていたのか。と俺に問いかけた。

だが対して俺は支離滅裂な言葉しか返って来ない上に、目の焦点が明らかに合っていない。

ブツブツと何かしら呟きながら緩慢な動作で立ちあがろうとしていた俺の足元は明らかにふらついていて明らかに覚束ない。

そこで彼女はふらつく俺に肩を貸し、部屋番号を根気よく聞き出して部屋まで送り届ける事にしたそうだ。

 

 

(うーん。この時点でかなりツッコミ所満載な供述なんだが、今はスルーして。)

 

 

エレベーターで俺の部屋まで送り届けると、ようやくまともに口がきけるよう体調が回復した俺が「介抱してくれたお礼をしたいから是非とも上がってくれ」と上機嫌で誘いをかけたそうだ。

こんな時間に初対面の女子生徒を部屋に上げるなんてナニするつもりか。警戒する気持ちもあったらしいが、俺の体格と神室自身の身体能力から考えていざとなれば返り討ちにしてとっとと通報すれば良いだろう。

そう判断した彼女は招かれるままに部屋の中に入った。

 

 

(……はい。ここからが問題だよな)

 

 

神室が部屋に上がるとそこにはとても一人では食べきれないであろう大量の料理が食べかけの状態でテーブルの上に所狭しと広がっていた。

クラスメイトと夕食会でもやっていたのだろうかと訝しむ神室に、すっかり気分の良くなった俺が「一緒に乾杯しよう」とグラスに飲み物を注いで彼女にカップを手渡した。

クラスメイトの世話のせいで夕飯も食べそびれていた神室は小腹も空いていた事だし丁度良いか。と考えながら渡されたグラスに恐る恐る口をつけると、その味と香りに強く驚いて顔を顰めた。

色合いから果実のジュースか何かだと思っていたドリンクの中身はまさかの酒だったのだ。

 

 

(まあ蜂蜜酒って名前の割には色が薄いから、酒の知識が無かったらリンゴジュースみたいな色に見えないことも無いけども)

 

 

驚愕に固まる神室を他所に、俺はグビグビと自分のカップに注いだ酒を飲んでいる。

体調不良で動けなくなっていたと思っていた男は、実は泥酔して酔い潰れていたと言う事実に彼女は気づいた。

しかも上機嫌に語る俺の言葉を聴くに、なんとこの酒は目の前の男が自作したというから驚きだ。

 

噂の姫王子は堂々と酒の密造をしでかし、おまけに酩酊するまで飲酒して女を部屋に連れ込むヤバい奴だった‼︎

そう判断した神室は直ぐに部屋から脱出して教師に通報しなければと出口に向けて駆け出そうとする。

しかし、そんな彼女の勇気ある行動を縛り付けるかのようにしての背後から男の……っていうか俺の恐ろしい台詞が聞こえた。

 

 

「お前が万引きしていた事をバラすぞ?」

 

 

密造、飲酒。おまけに恐喝。

そう。噂の姫王子はその外見からは考えられない程の邪悪な男だったのだ‼︎

弱みを握られていた事を察した神室には逃走するという選択肢は無い。

部屋に連れ込まれた時点で彼女に勝ち目は無かったのだ。

 

自分は好奇心に負けて虎穴に入り込みそのまま美味しく頂かれてしまう愚者だったのだ。

そんな事実に絶望した神室は不本意ながら、仕方なく。

そう、仕方なく俺の言う通りに食事を共にしたらしい。もちろん酒も飲んだ。

 

 

(アイツ帰り際に蜂蜜酒の作り方教えろって割としつこく粘ってたけどな。どんだけ気に入って……いや、待て待て。まだツッコムのは早い)

 

 

とは言え、神室は女。俺は男。

男はいつでも狼だ。酔った勢いで襲い掛かられても堪らない。自分はそんな安い女では無いのだ。

神室は決意した。敵地に乗り込んでしまったとは言え、むしろここは攻めの姿勢を見せるべきでは?

 

そう考えた彼女は目の前の悪漢に媚びを売るようにしてドンドン酌をして酔い潰そう計画したそうだ。

結論から言うとその目論見は上手くいった。

だが彼女に進められるがままに酔い潰れた俺がベッドで寝息を立て始めた時には、既に神室自身もかなりの量の酒を飲んでおり、すっかり酔いが回っていたのだ。

 

 

(善良なる女子高生は同級生を酔い潰そうとして酌なんてしないと思うんだけどなあ……)

 

 

飲酒自体は初めてではないとは言え、明確に酔いを自覚する程にアルコールを摂取したのはその時が初めて。

茹るような頭で前後不覚に陥った神室の目に止まったのは俺が寝ているベッド。

小柄な俺が寝ている寝具には少女一人ぐらいなら潜り込むスペースがあった。

 

酔いと疲れ。それから眠気に負けた神室は仕方なく。そう、仕方なく。

俺とベッドを共にしたのだそうだ。

 

 

(……ふぅ)

 

 

以上。神室真澄が語る昨日の事件の真相だ。

うん? それを聞いた俺の感想?

 

 

(ぜってえええええええ嘘‼︎ 嘘だ‼︎ 嘘嘘嘘嘘嘘‼︎‼︎100パーとは言わずとも、絶対に嘘が交じってるだろ神室の話‼︎‼︎)

 

 

そもそも自販機前で酔い潰れた俺に声をかけて起こすまで(泥酔していたであろう俺が何故わざわざ部屋から出てエントランスにある自販機に出掛けたのかは未だに謎だが)は納得だが、神室のつっけんどんな性格から考えてワザワザ見ず知らずの異性を部屋まで送り届けるなんて考えられない。

更には誘われるがままに初対面の男の部屋に上がり込む? いくら何でも警戒心が無さすぎる。

 

(神室って確か原作で橋本にアプローチかけられていてもスルーしてたよな。そんな女があっさり知らない男の部屋に入るかっての⁉︎)

 

 

そして一番のツッコミ所は一緒に酒を飲んであっさりと同衾した事だ。

万引き云々で脅されたが本当だとしても、その場で教師を呼べば現行犯で俺は破滅。

万引き云々は酔っ払いの戯言だから分からない。とシラを切れば神室はノーダメージの筈だ。

現に俺が神室の万引きの件を知っていたのは原作知識のおかげだ。万引きの瞬間を撮影した物証がある訳でも無いので知らぬ存ぜぬを通せば「馬鹿な酔っ払いが馬鹿な妄言を吐いた」と無視される筈だ。

 

それに、襲われる事を警戒していたらしいが、ならばどうしてあっさり俺のベッドに潜り込んだのか。

仮に神室の供述通りに俺を潰す為のコラテラルダメージで前後不覚になるほど酔っ払ったから不本意ながら寝落ちしてしまった。と仮定してもやはり筋が通らない。

何故なら翌朝、俺が目を覚ました時に神室は既にパッチリと起きていた。

しかも半ば寝ぼけていたとは言え、思いっきり彼女の胸を揉みしだく。というセクハラを働いた後にも関わらず神室は優雅に人の部屋のシャワーを勝手に浴びていたのだ。

 

 

(強姦されるかもしれないと恐れていた男の部屋でやる事じゃねえだろ‼︎ つーか今思い出したけど神室のやつシャワー中に機嫌良さそうに鼻歌歌ってたぞ⁉︎)

 

 

肝心の俺が二日酔いとまさかの事態にパニクってそれどころじゃ無かったとは言え、シラフの状態でそんな事をされたら神室の方から『誘っている』としか思えない。

彼女にそんな気がなくとも男なら勘違いしてもおかしくない状況。

 

というか襲われるかも‼︎ と警戒している男の前に、わざわざバスタオル一枚だけを纏った湯上がり姿で、流し目を送りながらクスリと悪戯気な笑みを見せつける意味が分からない。

むしろ襲えるものなら襲ってみろこのヘタレ‼︎ と挑発していたようにも思えて来た。

 

 

(間違いなく神室は嘘をついている。それは確実だ。……だがどこまでか嘘なのか。そもそもどうして俺を通報しなかったのか、その理由すら分からない現状じゃ歯痒いが下手に手を出せない)

 

 

『何でアンタが坂柳の事を警戒してるかは知らないけどこの件には一切関係無いし、アンタの事もベラベラ喋るつもりもないから』

 

 

とは神室の弁だ。あまりにも俺に都合の良すぎる言葉を鵜呑みにするつもりは無いが、どう足掻いてもこちらからは神室に手出し出来ない。

強いて言うなら俺と一緒になって飲酒をした。という弱みはあるものの、そこを突っ込んだところで共倒れになるだけで意味がない。

 

何より問題はそれだけではないのだから。

 

 

(俺が酔った勢いで神室に何を話したのか。それに何をシタのか。全く覚えてねぇのが不味過ぎる)

 

 

下着姿とは言え互いに全裸では無かったし、性行為後の独特の臭いや汚れも一切なかった為、最悪の事態は避けられた。

酔った勢いで強姦。或いは和姦でも未成年を孕ませでもしたら学生生活どころか今後の人生が終了していた事だろう。

とは言え女子を部屋に連れ込んで下着姿にして同衾したのは紛れも無い事実。

第三者からみた時の俺の心象は文字通りの最悪だ。

 

 

(強姦罪まではいかなくても強制猥褻罪で訴えられたら絶対に勝てねぇ……自業自得とは言えせめて記憶が残ってれば‼︎)

 

 

 

結局、いくら神室の話を聞いたところで本当に坂柳の命令で動いた訳ではないのか確信が持てないのだ。

個人的な直感としては、今回のことについては坂柳は絡んでいない。と言う点については事実だとは思っている。

が、原作内において圧倒的な天才と設定づけられている化け物じみた坂柳の事だ。

いつ何がきっかけで今回の事に気付き、興味を持って探りを入れられるか分かったものじゃない。

 

 

(もうこれは最悪を想定して動くしかない。……つまり今回の一件は坂柳の策略。もしくは現時点では神室の言う通り坂柳は関係ないが、近い将来彼女の耳に入って利用されると仮定しよう)

 

 

坂柳が今回の件をどう利用するかは考えるまでもない。

どうせ神室のように脅して自分の駒にしようとするだろう。

将来的に、と言うよりは明日からクラス間闘争が始まる事を考えれば他クラス内で自由に動かせる駒が出来るのは坂柳視点では悪い話ではない。

体育祭で綾小路の存在を認知するまではDクラスにさしたる興味を持つことはないだろうが、そこは天才たる坂柳だ。

葛城を潰す為やら、一之瀬を虐める為、と色々な活用方法を考える事だろう。

 

 

(……結局、小テストで満点を取ろう。っていう初心は変わらないんだよなあ。その過程は散々だけどよ)

 

 

だが、坂柳は駒の質には拘る筈だ。端的に言うならば戸塚や山内のような無能は歓迎されないのは明白だ。

つまりはある程度の能力を誇示する為にも小テストはちょうど良いアピールチャンスとなる。

 

本来なら葛城派への足がかりとして小テストで満点を取るつもりだったので動機としては真逆だが、結果としてやる事は変わらない。

 

 

(とりあえず葛城派に敵対は確実。将来的には一之瀬虐めも始めるだろうし、必要以上にBクラスに近づくのは止めとこう)

 

 

葛城については原作通り、豪華客船で行われる二つの特別試験で消えてもらう事になるだろう。

一之瀬に関しては段々と曇っていく事になる天使の表情に心を痛めたくないので関わりを避けるのがベターか。

将来的に坂柳の駒として動いた時、噂を広げた犯人の一味と断定されたあげくキレた神崎や柴田辺りにボコボコにされかねない。

 

葛城には敵対。一之瀬に関しても消極的敵対。

うん、推しキャラ二人に敵対して嫌われる将来が今から目に浮かぶようだ。泣きそう。

 

 

(特に葛城……無人島の試験でなんとか勝たせてやりたかったんだけどなあ……ゴメン。まだ会ったことも無いけど本当にゴメン、葛城)

 

 

何ともうまくいかないと現状に再び嘆息していた時、クラス内の喧騒に紛れる様にしてチャイムが鳴り、茶柱が教室に入って来た。

 

 

「静かにしろー。今日はちょっとだけ真面目に授業を受けて貰うぞ」

 

「どういう意味っすか、佐枝ちゃんセンセー」

 

 

揶揄うような池の質問を軽くスルーしつつ、紙束を持った茶柱は原作通りの台詞と共に、事務的に一番前の席に座っている生徒達へプリントを配っていく。

 

 

「月末だからな、今から小テストを行う。後ろに配ってくれ」

 

「えぇー聞いてないよー。ずるーい‼︎」

 

「今回の小テストはあくまでも今後の参考用だ。成績表には一切反映されることはない。だから安心して取り組め」

 

 

恐らく原作通りであろう茶柱の台詞を聞き流しながら俺はプリントをめくった。

内容はオーソドックスに主要五科目の問題が載った、如何にもな小テストだった。

間違いない。原作通りだ。

 

 

(……とりあえず、全ては小テストを乗り切ってから考えよう)

 

 

過剰なストレスによる胃痛と頭痛。暗雲立ち込める俺の未来。

それら全てから逃避するようにして、俺は全力で小テストに取り組んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は放課後。

小テストも無事に終わり、『諸々の雑事』も片付けた頃にはすっかりと陽が落ちて夕焼けに夜の暗闇が混じっていた。

最終下校時刻が迫る薄暗い生徒指導室の中。男と女が一人と一人。

 

 

「えっと……本気かしら? 佐城くん」

 

 

俺の対面に座る妙齢の美女。星之宮はどこか戸惑ったような様子で俺の言葉を聞き返した。

可愛い教え子が、突拍子も無い我が儘を言い出して困ってしまった。

そう言わんばかりの困惑した表情とは裏腹にその瞳だけが、不気味に炯々と光っている。

 

困惑。驚愕。動揺。それを経ての、張り詰めんばかりの警戒。

それから焚火が燻るような好奇心が生み出した強い、とても強い興奮。

全てがない混ぜになって輝く彼女の瞳は猛禽類のように鋭く、それでいて昆虫のように無機質。

双眸から放つ視線ただ一つ。それだけで彼女が底知れぬ実力を有している事が分かる。

そんな強い、強い瞳だった。

 

 

「ええ、本気ですよ。チエ先生。これが証拠です」

 

 

ゴクリ。唾を飲む音が響く。

目の前の彼女に献上するかの如く恭しく掲げて見せたのは入学当初に配布された学生端末だ。

そしてそこに表示されている数字こそが、対面の星之宮の好奇心をこれでもかと擽ぐる要因となっているのだろう。

 

 

「残高……95万ポイントって……」

 

 

震えるような彼女の声には驚嘆というよりも喜悦が些か多かった。

それもそうだろう。何故なら『他クラスの生徒』がSシステムの説明が明かされる直前である『4月の最終日』に『内密』に二人きりで面談を申し込んできた。

そして、その相談内容がよりにもよって……

 

ヒクリ。と星之宮の頰が上がった。

否、反射的に上がろうとした口角を押さえつけようとして不自然に震えたのだ。

瞳の輝きがますます強くなっていく。

好奇心の焚火は薪を足され、油を注がれ、歓喜の炎が猛々しく燃え上がった。

 

 

「改めてお願いがあります。ポイントはしっかりとお支払いします」

 

 

俺は乾いた唇を舌でゆっくりと濡らした。

手応えあり。ただ見た目が良いだけの愛玩用の他クラスの生徒が思わぬ豹変を。

それも星之宮が担当するBクラスにとって都合の良い提案を提げてこうして取引を持ちかけてきたのだ。

 

その喜び様といったら。

高度育成高等学校のOGとして鍛え上げられたポーカーフェイスを一瞬でも崩す事がどれほど驚愕に値する事か。

それはきっと、俺の想像以上に衝撃的なことに違いない。

 

 

「お願いします。チエ。先生」

 

 

身を乗り出す様にして星之宮の両手を握る。

そうして俺は、ゆっくりと。

甘いスポンジケーキに芳香なバターが泡立ち溶けていくように。

ゆっくりと。焦ったくなるほどにゆっくりと。

 

 

「ボクと契約して。一緒に、そう。ボクと一緒に」

 

 

目の前の女の脳に、一言一句を染み込ませるように意識して。

 

甘い声でこう囁いた。

 

 

「一緒に。幸せに。なりませんか? ねぇ? チエ。先生」

 

 

 

 

かくして、茶番劇の舞台は整った。

そうして舞台は翌日。運命の五月一日へ……

 

 




次回‼︎ 綾小路視点‼︎
多分‼︎ 感想ほぴいいいぃぃ‼︎


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

綾小路視点
『喜劇、或いは悲劇の傍観者』1


あけおめ(遅い)
オリジナルに浮気していたから初投稿です。
綾小路視点。


 

あの白い部屋から抜け出し、オレは人生のやり直しを。

否、人生を始めるスタートラインに立った。

 

東京都高度育成高等学校。

独自のカリキュラムによって外界から在学中の三年間を完璧に隔離された徹底的な秘密主義の国立高校。

進学率、就職率100パーセント保証。というやや胡散臭い謳い文句こそが、この学校の最大の特権。だが、そんな事はオレには関係ない。

 

完璧な自由。完全な自由。

何をするにも自分で考え、何をするにも自分で決める事ができる。

 

入学前はハッキリ言ってこの高校に受かろうが落ちようがどうでもよかった。

だがこうして自由を手にした今なら分かる。

オレはこの学校に入れて良かった。きっとこれこそが幸せなのだ。と。

 

そう、オレは幸せなのだ……と。

多分、幸せ。うん、幸せだといいなぁ……。

 

というか幸せだ。と断言できないのにはもちろん明確な理由がある。

事なかれ主義を謳うオレからすると看過できない、どうしようもない現実。

そう、それこそが……

 

 

(友達が欲しい。友達……トモダチ……。ああ、友達さえ……これで友達さえ出来たら幸せな高校生活を送れる筈なのに)

 

 

そう。入学から一週間近く経過したと言うのに、オレには友達がいないのだ。

最近はあまりにもボッチを極めすぎて周囲のクラスメイトから「わーあの子いつも一人だけど友達いないのーダサー」とか「ボッチ。ってやつ? カワイソー」と嘲笑われてるような幻聴すら聞こえてくる始末。

 

何だったら隣人である女子生徒の『堀北 鈴音』からは実際に「無様ね」の一言と共に、憐憫を込めた冷笑を送られた。

ここでムキになってお前も友達いないじゃねーか。と返したところで「私は好きで一人でいるのよ」とバッサリ切られるのが想像ついてしまう。

人との関わりを一切の無駄。と切って捨てるような徹底的な人嫌いのこいつがオレのほぼ唯一の話し相手。という現状がどれだけ気不味い事か。

 

そんな隣人からは間違っても自分を友達扱いするなと汚物を見るような視線で距離を取られているが。

まあ、流石にオレもそこまでは落ちぶれていないつもりだ。

アイツの孤高さ? 孤独体質? は相当なものなのだろう。

たまにオレから話しかけて、堀北の機嫌が悪くない時に限って一言二言の返事が貰える。そんな今の距離感が丁度いいのかもしれない。

とは言え堀北を除けばまともに話を出来るクラスメートが殆ど存在しないのは事実な訳で。

思えば入学初日の自己紹介で盛大に事故ってしまったのが、このボッチ生活のきっかけだったのだろう。

あの時、妄想に耽りさえしなければ……なんて嘆いても過去は変わってくれない。

 

 

(事なかれ主義のオレとしては常に一人ぼっちで、悪目立ちする立場なんて避けたいんだが)

 

 

別にクラスの中心となって騒ぎたいだとか、例えば『平田 洋介』みたいに常に女子に囲われるような立場になりたいだとか。

そんな不相応な高望みをしている訳ではない。

いや、まあ。確かにDクラスの女子はちょっと不自然なくらいに可愛い娘ばかりだから、いつかはお近づきになってみたいなー。という淡い欲望は有るには有る。

 

え? 堀北がいるじゃないかって?

いくら綺麗な顔をしていてもアイツは無理だろ。

それならまだ誰にだって優しい『櫛田 桔梗』のようなアイドル系の女子の方が可能性を感じる……⁉︎ い、いや‼︎ やっぱ櫛田は無しだ。

 

 

(な、何だ? 何故か近い将来、櫛田関連の厄介ごとに巻き込まれるような悪寒を感じたんだが)

 

 

妄想に耽り過ぎて、ついに新たなシックスセンスにまで目覚めてしまったのか。

思わずブルリと震える身体を押さえつけながら、トボトボ歩いていると目の前にはDクラスの教室。

登校時間もいつも通り。また日常が始まるのだ。

 

 

(嗚呼。今日こそ友達ができますように……)

 

 

そんな切なくも切実な願いと共にオレは1年Dクラスの教室の扉を開けるのだった。

……なんか、色々考えてたら我ながら哀しくなってきたなぁ。友達、欲しいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう山内‼︎」

 

「おはよう池‼︎」

 

 

今日こそは友達を。そんな哀しい決意と共に教室へ入ったオレを待ち受けていたのは、テッカテカに光る満面の笑みで盛り上がっていた二人の男子生徒だった。

 

クラスメイトの名前は『池 寛治』と『山内 春樹』。

この二人にちょっと不良っぽい『須藤 健』を出せば通称、Dクラスの三バカと呼ばれる面子となる。

不名誉なあだ名で一括りにされる彼らは、そのニックネームの通りに常に騒がしく、お世辞にも真面目な学生だとは言えないタイプだ。

未だ中間テストすら迎えていないので確証は無いが、授業態度から察するに成績の方もあまり宜しくはないだろう。

 

だがオレから見た彼らはイイ奴らだ。

以前、池達から一部の男子達が中心となって作ったチャットグループにオレを誘ってくれたし。

だからオレの中では三バカ達こそ、将来の友達候補ナンバーワンの存在だ。

 

とは言え、今日の彼らのテンションはちょっとおかしいぐらいに高すぎる。

そもそも遅刻常習犯の須藤がいないのは別にしても、この二人だっていつもは遅刻ギリギリまで惰眠を貪っているタイプの人間の筈。

こんなに朝早くから彼らが登校していたのを見るのは初めてだった。

もしやオレの方が登校時間を間違えていたのか? と時計を確認するもやはり時間はいつも通り。

とは言え、オレが席に着く頃には当の本人達の口から疑問は直ぐに解消されたのだが。

 

 

「いやぁー授業が楽しみ過ぎて目が冴えちゃってさー」

 

「なはは。この学校は最高だよな、まさかこの時期から水泳があるなんてさ‼︎ 水泳って言ったら女の子‼︎ 女の子と言えばスク水だよな‼︎」

 

 

夏にはまだ早い四月の頭から始まる初の体育授業にも関わらず、その種目は水泳だった。しかも男女混同である。

要するにこの二人は女子の水着姿と肌の露出を堂々と眺められるサービスタイムに心浮かれていた訳だ。

だが余りにもはしゃぎ過ぎていて女子の一部はドン引きしている。

 

その後、はしゃぎ回る二人を中心に話はドンドンと膨らみ、やがてクラス中の男子ほぼ全員が集まるまでの大きな騒ぎとなった。

どうやら博士というあだ名で呼ばれている『外村』という男子を撮影班に組み込む事で、女子のスク水姿を激写。

更には撮影したバストサイズの大きさで賭け事まで企画しているそうだ。

ワイワイと熱気を上げて女子生徒の名前をあげながら、ベットを始める大勢の男子の様はハッキリと言って異様だ。

 

大人しい感じの中性的な顔つきの男子『沖谷』は性欲に支配された男子達の熱狂ぶりに怯えてしまったようで慌てて距離を取っているし、普段はガラの悪い『須藤』ですら堂々と盗撮行為をしようとしているクラスメイト達に対して明らかに忌避感を示している。

それに何より、女子の視線が問題だ。

 

 

(まさに眼で殺す。と言わんばかりの視線だが……池や山内は気付いてないのか?)

 

 

騒ぎの当初はまだ一部の女子が「キモイ」や「サイテー」と囁きながら睨みつけているだけだったが、今やクラス中の女子が獣欲に駆られた男子集団に殺意と嫌悪感を抱いている事は言うまでもない。

例外なのは怯えている女子生徒を困ったような表情で慰めている櫛田ぐらいだろうか。

そんな彼女だって巨乳ランキングの上位に名指しされ、賭けの対象にされている訳だからいい気分はしない筈。

 

つまり、あの集団に参加することは必然的にクラス中の女子から嫌われるリスクを負う事は間違いない。

でも、何だか……盛り上がってる男集団は楽しそうだよなぁ。

 

 

(殆どの男子が集まってるし、確か下ネタって年頃の男子達が距離を縮めやすくなる絶好のツールの筈……いやいや、でも呼ばれてもいないのに今からノコノコ混じりに行って「え? 誰お前?」みたいな雰囲気になっちゃったら立ち直れないし。あーでも思い切って飛び込んだら一気に友達増えるかもしれないし)

 

 

行くべきか行かざるべきか。と、内心で頭を抱えながら思考に耽っていた俺の耳に聞こえたのは鈴の音のような声。

 

 

「哀れね」

 

 

と言うか、すっかり聞き慣れてしまった隣人からのいつもの冷たい嘲笑だった。

 

 

「……お前も来てたのか。堀北」

 

「数分前にね。あなたは未練がましく男子を見ていて、気が付かなかったようだけど」

 

 

改めて向かい合うとやはり綺麗な顔をしている。

他の男子から見たらこんな美少女とお話出来るのは羨ましがられる場面なのかもしれないが、口にするのは顔に似合わぬ毒舌ばかりだしなあ。

 

 

「友達が欲しくて堪らない。そう顔に書いているにも関わらず自分からは行動に移せない消極性。最初は滑稽に映っていたけどもはや憐れみを感じてしまうわ」

 

「お前だって友達いないだろうが」

 

「何度も同じことを言わせないで。私は一人が好きなの」

 

 

その割にはこうしてオレと会話してるじゃないか。なんて言葉を吐いた瞬間、物理的制裁に躊躇なく切り替えるに違いない。

氷のような冷たいお言葉を聞くに、どうやら今日も堀北節はキレ味抜群のようだ。

 

 

「おーい、綾小路ー」

 

 

堀北節にたじろいでいた時、突如として池が人垣の中から俺の名前を呼んだ。

振り向いて見ると、山内と二人して笑顔でこちらに手招きしている。

 

 

「な、なんだよ」

 

 

好機とばかりに堀北から逃げ出し、男子の集団に合流しにいく。

背後から侮蔑を込めて鼻で嗤った声が聞こえたような気もしたが。いや、きっと気のせいだろう。

 

 

「実は今俺たち、女子の胸の大きさで賭けようってことになってるんだけど……」

 

 

結局オレは誘ってくれた池の勧めるままに、楽しそうに盛り上がる男子の集団と話を合わせて適当な上位の女子生徒に一口ベットした。

なんだかんだで盛り上がった話の中で博士のプログラミングスキルが本職顔負けのレベルである事に驚いたり、山内がとある女子生徒に告白されていた(嘘が本当かは知らないが)事に男子一同食いついたり。

 

女子からの凍てつく視線は恐ろしくて目も合わせられなかったが、池と山内、それから外村と仲良くなれたのは大きな収穫だろう。

うん、これは彼らとの友達フラグが立ったと言えるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うひゃあー。やっぱこの学校はすげぇなあ‼︎ 街のプールより凄いんじゃね?」

 

 

瞠目しつつ興奮の声をあげる池の言う通り、授業の会場となったホール上の巨大な室内プールは見るからに立派な作りだ。

素人目から見ても、明らかに金のかかってそうな施設だと思う。

 

 

「なあ、もし俺が血迷って女子更衣室に飛び込んだらどうなるかな?」

 

 

未だ見ぬ女体を目前にしてか、鼻を鳴らしながら池がオレにそんな事を聞いて来た。

 

 

「女子に袋叩きにされた上に退学になって書類送検されるだろうな」

 

「……リアルな突っ込みやめてくれよ」

 

「変に水着とか意識してると、女子に嫌われるぞ?」

 

「意識しない男がいるかよ‼︎……勃ったらどうしよう」

 

 

きっとその瞬間から卒業するその日まで、池は女子達から嫌われ続ける哀れな学生生活を送ることになるだろう。

というか、年頃の男子として異性に興味があるのは当然としても池や山内は極端過ぎる気がするのだが。

これが普通の男子高校生の反応なのだろうか。

 

結局この後女子がプールに入ってきたものの、殆どの女子は男子の目線を嫌がり見学席に避難していた事実に池を初めとした男子は崩れ落ちる事になる。

最もその後、大天使クシダエルの輝く笑顔と抜群のプロポーションに男子一同ガッツポーズで騒ぎ出したりしたのだが。

そんなこんなで初めての水泳授業は始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か⁉︎」

 

 

ゴリラと原始人のハーフのような体格の体育教師の提案によって開催された、賞金5000ポイントをかけた50メートル競泳。

事件は男子の予選中、山内が参加するレースの最中に起こった。

 

 

(事故か?)

 

 

山内の右隣のレーンで泳いでいた男子が溺れたようだ。

慌てて教師がプールに飛び込み、半ば引き摺り出すようにして救助に入る。

 

 

「え? 何、事故った? 誰か溺れたってこと?」

 

「誰だ? あれ?」

 

「あー、えっと確か、佐藤。じゃなかったっけ?」

 

「いや、佐藤ってギャルっぽい女子だろ? 別人だって。まあ、誰だか分かんねーけど可哀想な奴」

 

 

無事に予選を終えてすっかり観客モードとなってリラックスしている池と須藤の会話を聴きながら、オレは騒ぎを観察していた。

 

 

(あ、あのボサボサの黒髪に猫背の男子。オレの前の方に座っているヤツじゃないか?)

 

 

引っこ抜かれるようにして、あっという間に教師に引き上げられた小柄な男子生徒にオレは見覚えがあった。

 

入学当初からいつも俯く様に机をだんまりと見下ろしていて、いかにも暗そうでいかにも友達が少なそうな男子生徒。俗に言うボッチという奴だ。

友達がいないオレは彼にどこかシンパシーを感じていて、ああいう奴なら似たもの同士ということで仲良くなれるのではないか。とちょっと期待していた時期があったりする。

……もっとも須藤が平田の自己紹介を蹴った時に便乗して、彼はスルリと教室からは去ってしまった上に、見た目通りの孤独体質っぷりにその後も話かけるキッカケすら掴めずにいたのだが。

 

 

(堀北とはまた別の話しかけるなオーラが強いんだよなあ。見るからに他人とのコミュニケーションが苦手‼︎って感じで……オレも人のこと言えないけど)

 

 

結局まともに話をするどころか、互いの顔すら合わせる事もなく。現に入学してから一週間近く経った今ですら彼の名前すら覚えてないのが現実な訳だが。

 

結局醜態を晒した哀れな男子……体育教師の大き過ぎる必死の呼び掛けの言葉から察するに彼の名前は『サショウ』というらしい。

 

 

(体調不良を我慢してた、成程。運動が得意そうには見えないし、単純に授業をサボるのを良しとしない真面目キャラだったのか?)

 

 

見た目通りの熱血教師は想像以上に声も大きい訳で。

それによるとどうやらサショウ某くんは熱があったにも関わらず無理をして授業に参加していたらしい。

これには先生もお冠で、ありがたいお説教とお小言を賜った少年はフラついた足取りで更衣室に消えて行った。

この後は早退して保健室へ直行だろう。

 

明らかにサボりと思われる生徒が多数見学しているのだ。体調が悪いなら素直に見学しておけば、こうして悪目立ちせずに済んでいただろうに……

 

 

(なんと哀れなんだサショウ某くん。今度フォローの言葉をかけてあげた方がいいか? それが切っ掛けで友達になれるかも知れないし)

 

 

オレはそんな妄想に耽りつつ、未だ顔すらまともに知らないサショウくんに心の中で合掌した。

 

 

「ダッセーよーなー、あーいうの。もやし野郎がよ、白けさせやがって」

 

「大人しく見学してりゃ良かったのに。なぁ、綾小路?」

 

 

盛り上がっていた熱気はとんだアクシデントですっかり白けてしまったらしい。

結果的にレースを中断させた男子生徒に苛立つ須藤は舌打ちして悪態を吐き、宥めるようにして池がオレに話をふって来た。

授業直前にも池とはスムーズに会話が出来ていた訳だし、今回も気安く話しかけてくれる。

間違いない。これはもう、確実に友達と言えるのではないだろうか。

 

 

「あー、ほら。あの男子も水泳がよっぽど楽しみだったんじゃないか? ほら、池と山内が盛り上がっていたみたいに」

 

「何ぃ⁉︎ つまりアイツも櫛田ちゃん目当てか……クソっ許さんぞあの根暗‼︎ 須藤、アイツの名前何つーんだ⁉︎」

 

「俺が知るかよあんなヤツ。つーかそれこそ櫛田にでも聞けば良いじゃねえか」

 

「いや、別に彼が櫛田目当てだと言った覚えはないんだが……ちなみに名前はサショウだそうだ」

 

 

オレはあくまで水泳を楽しみにしていたと答えただけなのに、池の脳内ではどうやら櫛田の水着目当てのムッツリスケベと変換されてしまったようだ。

と言うかその発言は丸っきりブーメランなんじゃ……いや、別に池の場合はむっつりって感じじゃなかったな。オープンスケベだ。

冗談半分とは言え、ついさっきも女子更衣室に突撃しようとしていたし。

 

 

「誰だそりゃ? 池、お前の知り合い?」

 

「いやー多分、話したことも無いとおもうぜ。そいつ、綾小路の友達か?」

 

「いや、救命措置の時に先生が大声で呼んでたのを聞いただけだ。本人とは話した事もない」

 

「ほーん。綾小路って耳いいんだなー」

 

「別に普通だと思うが」

 

 

こうして話してる間にもレースは仕切り直され、山内を含めたクラスメート達が鎬を削っている。

とは言え大半の男子の視線の先には姦しく雑談や応援に興じる女子集団に首ったけなようだ。

こうして話している池の目線はすっかり櫛田に。もっとはっきり言うならその双丘に釘付けだ。

……流石にそこまで露骨だと嫌われるぞ?

 

 

「あーでも、まあ。気になるようだったら須藤の言う通り櫛田辺りに確認取ってみたらどうだ? あの娘ならクラス全員の名前覚えていそうだ」

 

「はぁ⁉︎ 何でわざわざ櫛田ちゃんに他の男の名前を聞かなきゃいけねーんだよ‼︎ そんなの嫌だね‼︎ 何つーか、こう、負けた気がする‼︎ 何かに‼︎」

 

「……お前は一体何と戦ってるんだよ」

 

 

池の理解不能な拘りに須藤が呆れたようなツッコミを入れる。

中身があるかと聞かれれば全くない、それこそ堀北に聞かせれば「低俗で無意味な会話」とでも切り捨てられそうな、そんな下らない会話。

絵に描いたような普通の男子高校生の日常にオレという存在が混じる事ができている事実に胸が温かくなるような達成感を覚えつつも、オレは新しい友達との雑談を楽しんだ。

 

 

 

 

 

それからというもの肝心の授業の方は、あれから特にアクシデントなく順調に進んだ。

平田が女子からの黄色い声援を独り占めしたり。

それを妬んだ須藤が平田の人気を叩き落とそうと闘志を燃やしたり。

そして相変わらずの変人っぷりを発揮する高円寺がブーメランパンツを履いてレースを独走したり。

あっという間に終わってしまった初めての水泳授業は非常に充実したものだった。

 

 

(想像していた以上に楽しかったな)

 

 

思い返せば浮かんできたのは天使のような櫛田の笑顔と想像を遥かに超える巨乳や、丸みを帯びたお尻から太ももにかけた生々しくも艶かしい肉感的なスタイルだったり。

なんだかんだ言ってオレに絡んできた堀北が意外にも健康的で、男子目線から見るととても魅力的な身体をしていたり。

 

 

(まあ堀北のやつがヤケにオレの全身をジロジロと観察して来たのはちょっと想定外だったが)

 

 

あとは男子全員で一致団結して女子の水着姿を目に焼き付けて、結果的に友情と結束を深めたりだとか。

 

 

(池と山内の台詞じゃないが、結果的に水泳は最高だったな。友達も出来たし。うん、友達も出来たし)

 

 

授業自体はオレ自身が特に目立つような事もなく無難にやり過ごせた。

それにきっかけはともかくとして、何よりも池と須藤の二人との仲を何気ない雑談を通して深められたのが収穫だ。

あの後は山内も直ぐに話に交ざって来たし、この三人とオレは友達だと胸を張って主張してもいいだろう。

 

 

(ごめんな、サショウ某くん。オレは一足早くボッチから脱出する事ができたんだ。会話のとっかかりになってくれた君には感謝している)

 

 

内心でそんな事を考えつつ、チラリと横を見た。

すっかり弛緩した雰囲気の教室は昼休みを迎えている。

オレの視線の先では、気の強そうな女子達が手製と思われる弁当を摘みながら大きな声で姦しく雑談に興じていた。

 

 

「あの溺れた男子。何か聞いた話によると私達の水着姿が見たいから無理して授業に参加してたって? マジでキモイよね。本当死んでほしい」

 

「うっわキモッ‼︎ 私は見学して正解だったわ」

 

「朝の賭け事とかさー。ほんとデリカシーってものが無いよね」

 

「マジ最悪なんですけど」

 

 

どうやら溺れてしまったサショウ某くんは見学席から見ても非常に悪目立ちしていたようだ。

すっかり彼が話のネタに。まあ、ハッキリ言えば主に悪い意味で話の中心となってしまっている。

 

 

「そのまま溺れちゃえば良かったのに。つーかあのチビ名前何だっけ?」

 

「知らなーい。もう溺死くん。とかでいいんじゃない?」

 

「うっわ酷ーい。でも本当にウチのクラスってキモイ男子多いよねー。平田くんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ」

 

「ほんとソレー」

 

 

池や須藤辺りから広がってしまったのだろうか。

尾ひれ背びれがたっぷりとついた嘲笑混じりのその内容にオレは思わず視線を逸らして窓の外の風景を眺めた。

女三人寄れば何とやらとはよく言ったもので、特別聞き耳を立てている訳では無いのに彼女達の雑談という形での哀れな男子生徒の公開処刑が聞こえてくるのだからたまったものじゃない。

 

 

(頑張れ‼︎ サショウ某くん‼︎ 負けるな‼︎ サショウ某くん‼︎ ボッチから嫌われ者に転落したとしてもオレだけは君にも優しくしてあげるからな‼︎)

 

 

内心でそんな決意を固めつつ嘆息。

ただぼんやりと、青空に思いを馳せているフリをした。

そうでもしないと何とも言えない同情心と罪悪感で、居た堪れない気分になってしまう。

 

 

(やっぱり事勿れ主義のオレからすれば、悪目立ちも避けるべきだな)

 

 

きっと件のサショウ某くんは水泳の度に揶揄われ、女子からは事実無根な冤罪をふっかけられる哀れな学生生活を送る事になるのだろう。

もしかしたらそれがきっかけで苛めの対象になってしまうのかもしれない。

お世辞にも民度が高いとはいえないクラスメートの様子から察するに、あっという間にイジリがイジメに激化していく可能性も無きにしも非ず。

現に人を寄せ付けない堀北も、主に女子グループからかなりの反感を買っているようだし。

……もしも彼が苛められてしまったとしたら、せめてオレだけは態度を変えずに少しでも優しくしてあげよう。

 

 

「……ん?」

 

 

そんな決意を胸にぼんやりと窓の外を眺めていた時、青空を背景にヒラリと何かがオレの視界に舞い込んだ。

 

 

(アゲハ蝶。黒いからカラスアゲハか?)

 

 

陽光を透かした黒の翅は羽ばたく度に青や赤の色彩をランダムに煌めかせ、薄地の黒硝子をベースとしたステンドグラスのように輝く様は芸術的な美しさがあり、オレは無意識の内に目を吸い寄せられた。

ほんの一瞬、オレの視界の中で揶揄うようにヒラヒラと宙を舞った大きな黒い揚羽は、あっという間に空の彼方へ消えて行く。

 

 

(……蝶の羽ばたき)

 

 

特に意味の無い言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。

蝶の羽ばたき。バタフライエフェクト。

とある気象学者による「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という提言。

主に日本ではフィクションはサブカルチャー作品のモチーフにもなる有名なアレゴリー的表現の一つ。

 

そんな言葉が不自然なまでに唐突にオレの頭に浮かんだ。そして、ほんの一瞬で四散した。

まるでさっき見かけた蝶が、あっという間に消えてしまったように。

 

 

(水泳で疲れが溜まってるのかもな。明日は週末だし、今日は授業が終わったら早く寝よう)

 

 

悲しいことに放課後も予定がないのだから。

オレは欠伸を噛み殺しながら、再びぼんやりと窓の外を眺め続ける。

 

あれから暫く窓の外を眺めていたが、あの美しい蝶は二度と姿を現すことはなかった。

 

 




多分、3つか4つで綾小路視点は終わり。
感想くらさい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』2

初めて予約投稿つかってみたから初投稿です。
綾小路視点は5話くらい続いちゃうかも……番外編も書きたいなぁ。


 

水泳の授業から数日。土日を挟んで新たな週を迎えた。

いつもの時間に起きて、いつものように登校する。

人は環境に適応するもので、オレにとっては何もかもが新鮮だった『普通の学生生活』はあっという間に『慣れ親しんだ日常』へと化していた。

いつものようにDクラスの扉を開き、机の留め具に鞄をかけて着席する。

辺りを見回せば数人のクラスメートの姿は見えるが、オレにとってはまともに話もしたことないような知り合い以上、友人未満の存在でしかない。

 

 

(池や山内、須藤がいれば雑談で時間も潰せるんだが、やっぱまだ来てないよな)

 

 

せっかく友達となれたのだから、池や山内辺りと交流を深めたいところだが、ホームルームの時間まで余裕のある現在、残念ながら二人とも登校していない。

先週の水泳の一件は本当に特別だったという訳だろう。

 

 

「貴方は今日も一人なのね」

 

「……おはよう、堀北。今朝も早いな」

 

「気安く話しかけないでくれないかしら?」

 

「ちょっと待てこら。流石に今の返しは理不尽だろうが」

 

 

いつの間にやら席についていた堀北から全く嬉しくない挨拶? をされるも返事がまともに返ってくることもなく、会話は続かない。

どうやら今朝はあまり機嫌がよろしくないようで、いつも以上に刺々しい雰囲気である。

触らぬ神に祟りなし。と早々に堀北から視線を外したオレは扉の方をボンヤリと観察していた。

早く友達が来てくれないだろうか。気不味いし、退屈だし、何より一人でポツンと座っているのは哀れな気持ちになってくる。

 

 

「みんな、おはよう‼︎」

 

 

そんなオレの心の内の懇願が届いたのか、向日葵のような笑顔を携えた櫛田が登校してきた。

弾みだすような明るい声でクラスメートに挨拶を交わしていく。

 

 

「おはよー櫛田さん」

 

「あっ、桔梗ちゃん。おはよう」

 

「オッス櫛田ちゃん。今日もかわいいね」

 

 

男子も女子もみんな笑顔。いかに彼女が人気者であるか一目で判る光景だった。

大天使クシダエル。なんて一部の男子から呼ばれる程の天使っぷりが眩しい。

彼女は孤立気味だったオレにも毎日声をかけてくれるような明るい女の子で、その明るい声を聞いているだけで思わずこちらが笑顔になるような魅力があった。

 

 

「綾小路くんも、おはよっ」

 

「あ、ああ。おはよう、櫛田。今朝は、いい天気だな」

 

「うん。でもポカポカ陽気だから授業中に眠くならないかちょっと心配かな?」

 

「あー、そうだな。須藤みたいに寝こけないように気をつける」

 

 

短い言葉の応酬だが、それだけでも胸が温かくなるような気配り。

だがまあ、そんな彼女の魅力が一切通じない、ごく一部の例外もいる訳で。

 

 

「堀北さんも、おはよう‼︎」

 

「……」

 

「えっ……えーっとー……」

 

 

ガン無視。ガン無視である。

コミュ力の塊である櫛田ですら狼狽えているレベルの徹底的なスルーに、流石のオレも苦言を入れた。

 

「あのなあ、挨拶ぐらい返してやれよ。わざわざ近くもないこっちの席にまで足を運んでくれたんだから」

 

「頼んでもないわ。むしろ擦り寄られて来られると迷惑でしかないもの。何度も言う通り、私は他人と仲良くする気は一切ない。同じことを何度言わせればあなたの愚鈍な脳味噌は理解してくれるのかしら?」

 

「……あー、櫛田。悪いけど堀北、ちょっと調子悪いみたいだから」

 

 

挨拶が迷惑でしかない。と言う、果たして人間的に大丈夫なのだろうか? と疑いたくなる様な言葉でバッサリと切られたせいだろう。

櫛田はシュンと音が聞こえそうな程に落ち込み、眉を落としている。

慌ててオレがフォローに入るも、果たして意味があったのやら。

その後周りの女子に名前を呼ばれた櫛田は痛々しい笑顔で「また今度話そうね、堀北さんっ」と小さく手を振ると、他のクラスメートの集団に合流して行った。

 

 

「なあ、気のせいだったら悪いんだが櫛田にだけ不自然に当たりが強くないか?」

 

「黙りなさい」

 

「あ、はい」

 

 

取り付く島も無い。とはまさにこの事だ。

この氷の女は気づいていないのだろうか。いや、気づいていたところで自分には関係がないと自己完結しているのだろう。

こうして居た堪れない空気にオレが嘆息している間にも、敵意を孕んだ視線があちこちから飛んできているというのに。

 

 

(堀北のやつ。このまま放っておいたら不味いかもな)

 

 

クラスの人気者である櫛田に辛辣な態度を取り続ける堀北のヘイトは凄まじい事になっていそうだ。

とは言え、事なかれ主義者のオレがアイツの為に能動的に行動を起こすかというと、それは否。

そもそも、堀北に何を言っても無駄となるだろう。付き合いは短いが、アイツの病的な人嫌いは身に染みているのだから。

 

 

 

「よーっす。綾小路ー」

 

「お前メッセージ返せよなぁ。既読すらついてねーじゃんかよ」

 

 

ますます気まずくなった空気に、さてどうしたことかと悩んでいる時に現れたのは親愛なるマイフレンド達である。

大声で談笑しながら教室に入ってきた二人はオレを見つけると大きな声で名前を呼んできた。これが友達同士の気やすいやりとりか。何て素晴らしいんだ。

やはり充実した高校生活には友達の存在が必要不可欠だな。

 

 

「おはよう山内。あーそれと池、メッセージって何のことだ?」

 

「ウッソだろ気付いてなかったのかよ⁉︎ 送ったの昨日の朝だぞ⁉︎」

 

「綾小路って何か抜けてるとこあるよなー。表情もなんかヌボーッてしてるし」

 

「ぬ、ぬぼー。何なんだその力の抜けるオノマトペは……」

 

 

オレは不機嫌な堀北から逃げるように池の机に移動して、流れる様にそのまま二人の会話に交ざりに行く。

 

 

(悪いな、堀北よ。オレにはもう友達がいるんだ。お前とは違うんだ。そう、住む世界。ってやつがな)

 

 

そんなこんなで、眠気の取れていない締まりのない表情の山内と池の三人でそのまま談笑した。

やれ、昨日のテレビでやってたバラエティがどーだとか、流行りのゲームのイベントクエストがあーだとか、そんな雑談を交わしていた。

 

 

「だからお前も買えよ綾小路ー。ポイントだって十分に……有るんだ……し」

 

「あ? 山内、どうした……んだ……って」

 

 

その時だった。

 

急に途切れ途切れとなり、ついには無言になり完全に会話が急に止まりだす。

あまりに不自然な様子にオレが友人達を観察すると、何というか固まっていた。

 

 

「お、おい。二人ともどうした?」

 

 

山内も池もあんぐりと大きく瞳と口を開けて、教室の前扉の方を怖いぐらいに凝視しているようだ。

一体何事か。とオレも視線を向ける。

 

 

(……は?)

 

 

その先に、『ソレ』が居た。

 

 

化身だった。

オレの目に映ったのは『美』の化身だった。

 

月光を編み込んだ白金の髪。

真珠を溶かしたように仄かに輝いてすら見える白い肌。

瞳は蒼玉。唇は薔薇に桜桃。

耳も鼻も顎のラインも。骨格全てが作り物のように完璧で、いっそ非現実的なまでに整っている。

 

カツン。カツン。

真っ赤なブレザーに身を包んだ美の化身が一歩一歩と歩みを進めるたびに、皺一つ無い真新しいローファーが床を静かに打ち鳴らす。

その度に波打つプラチナブロンドのショートボブがふわりと広がる。

まるで天使の羽が舞い散るように芸術的な金糸のソレが、窓ガラスから透過した陽光を反射する度に黄金のように煌くのだ。

 

 

(凄いな……)

 

 

暴力だ。美貌という名の暴力だった。

瞳が焼けつく。あっという間に網膜に焼き付いた光景が視覚を通し、脳髄を麻痺させ、目の前の『美』そのものに。

目線も、意識も、魂さえも。

美の女神が戯れに下界に創り産み落とした。そんな戯言でさえも信じてしまうような美少女に。

オレ達Dクラスの面々は、正に一瞬で心奪われてしまった。

 

ふわり。風が吹き、カーテンが靡いて広がった。

遮るものがなくなった陽の光がスゥッとピンスポットのように一つの席を照らしている。

彼女はまるで導かれたようにその晴れ舞台に着席すると、鞄から黒革のブックカバーがついた文庫本を取り出した。

そうして愕然と目の前の天使の姿に心奪われているオレ達の存在など知ったことか、とばかりに周囲に一瞥もくれずに静かに読書を始めてしまう。

 

 

静寂。よりも粛然という言葉があっているだろうか。

彼女の革靴が床を叩く僅かな音でさえも、大きく聴こえるほどに静まり返っていた教室は誰かがゴクリと唾を飲む音をきっかけに、ようやく音を取り戻す。

だがしかし、もはや言うまでもなく誰一人として冷静さを保ってはいられない様だ。

そもそもDクラスにあんな目を引く美少女なんて、今までは確実に居なかった筈なのだから。

 

 

「だ、誰だよアレ⁉︎ あんなチョー美少女、先週までいなかっただろ⁉︎」

 

「知らねーよ‼︎ 池、ちょっと声かけてこい」

 

「いやいや流石にあのオーラは無理だって‼︎ 綾小路、お前行ってこいよ‼︎……綾小路?」

 

「え? あ、ああ。何だって?」

 

 

掠れたような小声で興奮した様子の山内と池の言葉にようやくオレは我に返った。

 

 

「……綾小路、お前完璧に見惚れてただろ」

 

「えっ? いや、そんなことは」

 

「無理もねぇって。周りの連中見てみろよ、男も女もみーんなガン見だぜ?」

 

 

その言葉に周囲を観察してみると、興味の矛先は皆一様に同じ向きを向いていた。

男子も女子もヒソヒソ声で囁き合っている。

黙々と読書に耽る天使のような容貌の見慣れぬ少女の正体が気になって仕方がないのだろう。

とは言え、それは当然だ。諸事情あって、他人の美醜にあまり関心の無いオレでさえ。

 

他人の存在に決して魂を揺さぶられる事なぞ生涯あるまいと自嘲めいた諦念を抱いていた、このオレが。

一瞬とは言え情動の全てを引き摺り出され、見惚れてしまったのだから。

 

 

(誰なんだ。あの女は?)

 

 

怪訝な思いを表情に出さぬよう意識しつつ、池や山内と一緒に縮こまるようにして件の少女を観察していた。その時だった。

謎の美少女を観察していた我らが群衆から一人の少女が恐る恐るといった様子で歩み出る。

 

 

「お、おおっ⁉︎ 櫛田ちゃんが行ったぞ‼︎」

 

 

本堂か、菊池辺りの男子が背後から期待するような声で小さく吠えた。

 

 

「……っ‼︎」

 

 

櫛田は普段の様子からは想像もつかないような緊張しきった表情でゆっくりと歩みを進めている。

何度か足を止めかけるも周囲の期待に応える為だろうか。

僅か数歩の距離を進むにしては焦ったくなるほどに時間をかけて、ようやく謎の美少女の隣に立った。

 

 

「いけっ‼︎ いくんだ‼︎」

 

「櫛田ちゃんファイトー‼︎」

 

 

冷静になって考えてみれば全く意味の分からない。それでいて熱意だけは篭っているクラスメートの声援が効いたのだろう。

 

 

「あっ……あのぅ……お、おはよ‼︎」

 

 

下界のことなど我関せずといった様子でペラペラと文庫本をめくっている上位天使に、ついにDクラスの大天使クシダエルが緊張を押し殺したような声色のまま口を開く。

が、彼女にしては珍しい事に、その内容は明後日の方向にぶっ飛んだトンチンカンなものだった。

 

 

「さ、佐城くん……でいいんだよね?」

 

 

……この時、オレは。否、教室内で見守っていた全員が一斉にこう思った事だろう。

なーんだ。櫛田って完璧なアイドル系の美少女だと勝手に思っていたけど、意外と天然。というかおバカさんな部分もあるんだねー。と。

 

恐らく彼女は初めて相対した、あの謎の美少女の神々しいまでの清浄たるオーラに押されつつも、それでも怯むことなくどうにかして仲良くなる為に明るい声で挨拶したかったのだろう。

そして挨拶の後に「その席はサショウくんの席だよね? もしかしてクラスを間違えちゃったのかな?」とでも続けたかったのではないだろうか。

それが、きっと緊張やらなんやらで脳内で用意していた台詞が飛んでしまって、変な部分でごちゃ混ぜになってしまったのだろう。

そうに違いない。

 

 

「え? 佐城? 誰、それ?」

 

「聞いた事ないんだけど知ってる人いる?」

 

「ほら、水泳の。あそこってアイツの席なんだって?」

 

「あー溺れた痴漢野郎ね」

 

 

何故なら櫛田のあの言葉では、そこに突如として現れたあの作り物のような超絶美少女様のことを、あのドンヨリと暗い感じのボッチであるサショウ某くんと間違えたように聴こえてしまうからだ。

櫛田らしくもない、実にウッカリとしたミスだと言えるだろう。

 

 

 

 

「え、じゃああの人は他クラスの人?」

 

「そりゃそうでしょ。あんな美人、一目見たら忘れられないって‼︎」

 

「私、夢にまで出てきそう」

 

「オネエサマ……」

 

「でも何で他クラスの人が? 間違えちゃったって感じじゃ無さそうだし」

 

 

櫛田の言葉を聞いたクラスメート、主に女子達が小声のまま騒ぎ立てるという器用な真似をしている。

未だ目を決して逸らしたくない、いつまでも眺めていたくなる程の輝く貌なのだ。

彼女達の言葉のとおり、他クラスか他学年の女子生徒であることは間違いない筈。

 

 

(それにしてもなんでサショウ某くんの席に座っているのかは謎だがな)

 

 

大天使クシダエルとは言え、目の前に座る上位天使と思われる謎の美少女Xが放つ、黄金のオーラにパニックでも起こしてしまったのだろう。

さもなければ、誰にでも優しく気やすい彼女があんなミスを犯すはずがない。

これは誰かフォローに向かうべきでは?

 

そうオレが考えた時だ。

 

 

「……あぁ」

 

 

声をあげた。読書に耽っていた件の少女がポツリと。声をあげた。

ちょうど今、まさに。漸く周囲の騒ぎに気がつきましたよ。そう言わんばかりの何処か芝居がかった動作だった。

緩慢で、気怠げ。それなのに優雅で、煌びやか。そんな矛盾したような動きのまま。

 

ゆっくりと櫛田に目を合わせた件の美少女は、ふんわりとした微笑を携え口を開いた。

 

 

「おはようございます。櫛田さん」

 

 

甘い。

目眩がするほど甘かった。

 

この瞬間、オレは本物の美声を知った。

恐るべき事に極限まで美しさを極めた声というものは鼓膜を焼き、脳を蕩し、目眩を起こし、果てには味覚までもを誤認させてしまうものだと知った。

 

小鳥のような。鈴の音のような。透明のような。天使のような。

そんなありふれた比喩表現では欠片も言い表すことの出来ない圧倒的な美声。

あまりにも完成された、玲瓏たる玉の音。

 

挨拶一つ。単語一つ。

たったそれだけで教室内の全ての人間を媚薬漬けにし、蕩し、惚けさせた天使の音色。

 

……だが、その後に続いたまさかの言葉に、一瞬で目が醒めることとなる。

 

 

「佐城であっていますよ」

 

 

……。

……いやいや。

……いやいやいやいや。

 

 

いやいやいやいやいやいや‼︎ 何もかもが違うやんけええええ⁉︎

 

 

「えーと、だいぶキャラ変わったみたいだけど……そのっ、イメチェンかな? 凄く似合ってはいるんだけど」

 

 

櫛田さーん⁉︎ 違ーう‼︎ それイメチェン違ーう‼︎

イメージどころか性別がチェンジしちゃってますよー⁉︎ っていうか何だったら種族人間から天使っぽい上位種族に進化しちゃってませんかね⁉︎

何がどうなったらあの根暗ボッチで今にも死にそうで陰鬱な雰囲気を撒き散らしていた近寄り難い少年が、ドン引きするような美貌を携えたド級の美少女に変身するんだよ⁉︎

 

そんなモブと化したオレ達観客の内心のツッコミなど気に求めずに目の前のサショウと名乗る美貌の化身はくすりと悪戯げに笑った。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

(あ、かわいい)

 

 

ずるい、ずるいが過ぎる。かわいい。くっっっっそかわいい。犯罪的にかわいい。

視線を合わせるのが恐れ多い程に美麗な容姿をしているというのに、あんな可愛い仕草が似合うのはいくら何でもずる過ぎる。

一体全体、美の女神様は目の前の存在に何物与えたら気が済むのだろうか。

 

何人かのクラスメートが胸を押さえながら「ウッ」と呻き声を上げて撃沈した。

あの閉鎖された空間で徹底した教育を叩き込まれた身でなかったらオレもヤバかったかもしれない。

 

 

(まさかあの白い部屋の存在にほんの少しだけとは言え感謝する事になるとはな。もう二度と戻りたくないのは変わらないが)

 

 

そんな内心で大嵐が吹き荒れているオレの事など知ったことかと自称サショウくんと櫛田の話は比較的、穏やかに続いている。

 

 

「イメチェンって言うよりは元に戻した。と言いますか……」

 

 

ふとそこまで言いかけて、自称サショウくんはゆっくりと本を閉じた。

白く細い、真珠のような煌めきを放つ細い人差し指を瑞々しい果実のように艶を放つ唇に添える。

そのまま宙を眺めるように視線を泳がし、柔らかくも曖昧な笑みを浮かべた。

 

ゾクリ。神聖さの中に匂い立つ様な艶かしい色気が混じる。

オレはあまりの倒錯的な彼? 彼女? の美貌に鳥肌が立った。

 

 

(凄いな。たかが『容姿が優れている』だけなのに、ここまで心が動かされるとは)

 

 

一挙一動、一言一句全てが美しく、全てが官能的で、蕩ける程に甘ったるい。

全ての行動がやけにゆったりと芝居がかった大層なものに見えるが、それがあまりにも似合っているものだから、周囲の人間も目をハートにしてウットリと見惚れていた。

 

現に山内や池はすっかり魅了されているのだろう。

顔を猿のように真っ赤に染めて鼻の下をビヨーンと伸ばした上に、酒にでも酔った様なだらしない笑顔のまま硬直して完璧に脳を焼かれている。

 

ドサリ。と教室の後ろ扉の方から音がした。振り向いてみると、そこにはあの須藤が学校指定の鞄を床に落としたまま、見たことも無いような顔をして金魚のように大口をパクパクさせながら呆然と天使の姿を眺めていた。

だがそんな須藤の痴態を嘲笑ってやる余裕のある人間はいない。

何故ならオレも含めて、皆たった一人の人間に、すっかり首ったけにされてしまっているのだから。

 

 

「ちょっと理由があって目立たないように過ごすつもりだったのですが……ほら、水泳で。ね?」

 

 

サショウくんの艶やかな白磁のような肌にほんのり朱が混じる。

恥じらいを見せるその表情はどう見ても男には。というか、そんじょそこらの女性とは比べものにならないレベルで魅力的だった。

 

現に近くでその美貌に茹ってしまったであろう櫛田の顔もすっかり赤くなってしまい、どことなく目が潤んですら見える。

それでも必死に会話を繋ぐ彼女のコミュニケーション能力は本当に大したものだと思う。

 

 

「……ああっ。あ、あにょあとっ‼︎」

 

 

だから目がバッシャバシャと泳ぎまくって声もグルングルンに裏返っているのを恥じなくてもいいんだぞ、櫛田。

あんな美貌の化身みたいなナマモノに相対して会話をしてるだけで十分な偉業なんだから。

咳払いしつつどうにか落ち着いて話を続ける櫛田の勇敢な姿にクラスメート一同、心の内で敬礼を送った。

 

 

「あ、あの後‼︎ 佐城くん? って早退しちゃったもんね。体調はあれから大丈夫っ?」

 

 

むしろ櫛田の方が大丈夫だろうか。

顔は真っ赤でお目目はグルグル。挙動不審という言葉がピッタリに思えるのだが。

それでも誰も彼女を止めないのは、少しでも自称サショウの情報を引き出したいから。

それに何より、彼? 彼女? から発せられる、その美しき声を、ほんの少しでも長く鼓膜の奥に焼き付けておきたいからだろうか。

 

 

「体調は大丈夫ですよ。体育が金曜でしたから、土曜日にゆっくり眠って、あっという間に全快です。昨日はヘアサロンとやらに行ける程度には元気になりましたから」

 

「あ、あっー。だから髪色変わってるんだね。いいなー凄く綺麗に染まってるよ。どこのサロン?」

 

「ああ、この髪色は染めた訳じゃないんですよ。実はこれ、地毛でしてね。入学当初は、なんて言うか、そう。変に目立ってしまうんじゃないかって怖くて、黒く染めていただけなんですよ」

 

「えっ、えー‼︎ そうなんだ⁉︎ じゃあじゃあっ、名前からもしかしてって思ってたけど、佐城くんってハーフなのっ?」

 

「そうですよ。母がイギリス人でね。……それで、ええと、ヘアサロンの場所でしたよね? 確か、ケヤキモールの奥の方だったような」

 

 

 

辿々しくも和やかに会話が続き、櫛田にも余裕が出て来たのだろう。

彼女も調子を取り戻し、すっかりお友達との談笑モードに入っている。

流石のコミュニケーション能力だとオレも内心では拍手喝采である。

 

 

「えっ‼︎ えっ‼︎ 意味わかんない‼︎ あの溺れてた子って男子じゃないの⁉︎」

 

「お、おとこ? いや、女だよな? あれ、女って何だっけ?」

 

「あんな綺麗な人……見たことない」

 

「男ってことは、ノーメイク? 素っぴんでアレって嘘よ⁉︎」

 

「わぁい‼︎ おちんちんランドはっじまるよー」

 

 

まあ、櫛田が復活したのはともかく。

同時にこっち側の人間。つまりオレを含めた周囲で様子を窺っていたクラスメート達は見事にメンタルがぶっ壊されている訳なのだが。

簡単に言ってしまえば、目の前の自称少年が水泳で無様を晒したスクールカースト最底辺最有力候補だった男子である。という事実に殆どの人間が理解が追いついていないし、理解したくもないのだろう。

……と言うか、あの自称サショウくんは、本物のサショウくんなのだろうか?

 

 

「今は何を読んでるの?」

 

「コレですか? 団鬼六の著作……」

 

 

えーと、つまり、山内の隣のレーンで泳いでいた男子。

男子。つまり、男だ。俺と同じ股ぐらにアレが生えている?

……いやいやいやいやあり得ないあり得ない‼︎

あの顔と美貌で男は詐欺だろう⁉︎

 

 

(頼む櫛田‼︎ 聞いてくれ‼︎ ズバッと聞いちゃってくれ‼︎ 本当にサショウが男なのか⁉︎ 実は女だったりしないか聞いてくれ……あーでもあれか? センシティブな話題だったりするのか⁉︎ なんか、こう。性別に関する障害持ってたりしたら軽々しく質問するのは失礼に当たるかもだし……とは言え気になるんだよ‼︎ 頼む櫛田‼︎ 生えているのか‼︎ 生えていないのか‼︎ 唯それだけでもっ‼︎)

 

 

そんな感じであっという間にパニックに陥ったオレが勝手に目を白黒させていた時だった。

一人の勇者が勇敢にも群衆から飛び出し、櫛田とサショウくんの会話に割り込み、ズバリオレの聞きたかった事を真正面から切り出してくれたのだ。

 

目の前の美少女にアレが生えているか。否か。

そんなデリケートな話題に恐れることもなく飛び出した勇敢なるその男の名は……

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい‼︎ サジョーって女の子だったのかよ⁉︎」

 

 

ドスケベの化身‼︎ 『山内 春樹』だった‼︎

 

 




感想、一言評価すごく嬉しいです。
いくらでも嬉しいです。下さい(直球


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』3

特に意味もないけど初投稿です。

今回、注意点としては性差別に当たる用語が頻発します。
ご注意下さい。


 

昼休み。昼食の時間である。

今日の昼は池、山内、須藤の三人と一緒に食堂でとる事になった。

友人グループに混じっての食事だなんて入学当初のオレからは考えられない充実した学生生活だ。

これで彼女でも作ったら俗に言うリア充。なるものの仲間入りととなるのだろうか。

そんな事を妄想しつつ、食券を買って注文を終えたオレ達は無駄に広々とした食堂内を歩き回り、運良く端の席を確保。

オレと池は生姜焼き定食を。須藤は特盛のカツ丼を。山内は魚料理がメインの日替わり定食に舌鼓を打ちながら、雑談に興じていた。

話題については今さら言うまでもないだろう。突如Dクラスに現れた謎の美少女? 佐城についてだった。

 

 

「いやー、つーか今思い出しても凄かったよなー朝の騒動。須藤なんか鞄落っことして石像になってたしよ」

 

「うっせー。つーかお前らだって人のこと言えねーだろうが」

 

「あの顔で男って意味分かんねーよなー。そりゃ沖谷みたいなパッと見で女っぽい男はいるけどよ……それにしても、なあ?」

 

 

ヘラヘラと笑いながら須藤をイジる山内に、ばつが悪そうな顔でカツ丼に喰らいつく須藤。

感動と困惑が入り混じったような表情でオレに話をふって来た池。

友達同士の何気ない会話は十分に楽しいものだが、どうにも今日のオレ達は浮き足立っている気分だ。

いや、オレ達だけでは無いのだろう。Dクラスのクラスメートや一部の目敏い他クラスの生徒ですらソワソワとした気持ちで、同じような話題を共有しているに違いない。

 

 

「まあ、確かに山内や池の言う通り中性的なんて言葉じゃ説明つかない顔立ちだったとは思う。オレは正直言って佐城が男だって言われても未だ信じられないし」

 

「だよなー⁉︎ やっぱ有り得ないよなー‼︎ つーかあんな美少女に俺たちと同じモノが付いてるなんて考えられねーよな⁉︎」

 

「絶対にサジョーは貧乳の女の子だって‼︎ あの時、俺が何度も本人に聞いてやったのに素気ない態度取りやがってよー‼︎ 」

 

「……ッチ。つーかどうでもいいけど、うっせーぞお前ら。飯ぐらいゆっくり喰わせろ」

 

「お、わりーわりー」

 

 

オレの返答に股間を指し示す下品なオーバーリアクションと共に叫びだす池や、それに便乗してはしゃぎ回る山内の喧騒に周囲の視線が集まった。

気持ちは分かるが、公共の施設の中ではもう少し静かにして欲しい。須藤が顔を顰めて舌打ちするのも無理はない。

 

 

(特に山内。気持ちは分かるが少し落ち着いて欲しいな。あの時のオマエは確かに勇者だったけどさ)

 

 

未だにだらしない笑みでヘラヘラしている山内に、どうにも居た堪れない気分になったオレは出汁の効いた味噌汁を啜りながら、今朝の騒動を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

時刻は今朝に遡る。

 

突如現れた謎の美少女。その正体は本人曰く、水泳で溺れかけていた『男子』生徒だそうだ。

櫛田との会話を聞くにほんの少しのイメチェン。でこうなったらしいのだが、遠巻きに話を伺っている立場のオレ達からしてみれば「そうはならんやろーが⁉︎」とツッコミたくてウズウズしているワケで。

 

 

(とは言え当の本人がサショウくんだと。つまり男だと断言しているワケだしなー)

 

 

『性』の話題は人によっては非常にデリケートな問題だったり、触れることすらタブーの場合もある。

例えば先天的に身体の性別と心の性別がバラバラの状態で産まれた人間もいれば、後天的に何らかの理由で性転換手術を受ける人もいるだろう。

また、ごく稀なシチュエーションとして男性、女性、両方の素質を残したまま生を受けたパターン。俗に言うアンドロギュヌスや両性具有者という人間だって現代にも存在するのだ。

 

少し考えるだけでこれだけの情報が頭に浮かんでくるワケだが、目の前にいる明らかに美少女の風貌(この場合、恐ろしいぐらいに整った女性的な顔だちと小柄な身長)をしている佐城に、碌に会話をしたことの無い赤の他人が「本当に男ー? Hey you〜股の間にTレックス生えてるー?」だなんて質問する事がどんなに失礼に値するか。

他人のパーソナルエリアに対し、助走をつけてドロップキックをかますような勢いでもってズケズケとツッコミを入れる事など、普通の人間には出来ない。

地雷原の上で素っ裸でドジョウ掬いを踊る以上の自殺行為。

つまり、余程の大馬鹿でもなければそんな質問が出来るわけがないのだ。

 

 

「おいおい‼︎ サジョーって女の子だったのかよ⁉︎」

 

 

だからこそ、常識をぶち壊すような行動を取ったこの瞬間。山内はDクラスの『勇者』となった。

……例えその動機が美少女に対する下心と性欲オンリーだったとしても。

とりあえずは勇者だった。多分。

 

 

「……ああ、おはようございます。山内君。何か勘違いなさっているようですが、ボクは男ですよ。それに、一応訂正させて頂くならばボクの名前の読みはサジョウではなく、サショウです」

 

 

百人中百人が無礼だと断言するであろう山内の無粋な質問にも、意外な事に佐城は特に不快な顔を見せることもなく答えた。

本人としてはこう言った質問に慣れているのか、それとも予想していたのだろう。

相変わらずの緩やかな動きと甘く軽やかなボーイソプラノは舞台役者のような、えも知らぬ色気と煌びやかな華があった。

 

 

「名前なんてどうでも良いんだよ‼︎ どっからどう見ても女じゃん‼︎ アレか? 身体は女だけど心は男みたいな、ドラマとかで見たやつ‼︎ セイドーイツショー何とか‼︎」

 

「もう山内君っ‼︎ いきなり失礼だよっ‼︎」

 

 

鼻の下を伸ばして興奮状態のまま佐城にかぶりつく山内の醜態は中々のもので、櫛田がついつい苦言を呈すのも当然だった。

だがしかし、今回ばかりはクラス一同「よくぞ聞いてくれた‼︎」と褒め称えてくれるだろう。

特に山内を嫌っている気の強い女子グループの面々ですら、汚物を見る視線で彼を睨みつつも、どこか期待するようにチラチラと佐城に好奇の視線を送っている。

 

 

山内が言いたかったのは恐らく、性同一性障害。

性に関する障害に関しては最もポピュラーだと思われる、心の性別と身体の性別が一致しない性別不和が起こる症例である。

つまり、今回の佐城の例に当てはめると身体は女だが、精神は男。なのではないかと疑っている状態だ。

 

冷静に考えるまでもなく、ただのクラスメートの分際でこんなデリケートな話題に触れた上に、身勝手な疑いをふっかけるのは失礼千万もいいところである。

が、申し訳無いがオレも含めてDクラスの面々は興味津々だった。

頭が硬く、ガリ勉として目立ち始めている『幸村』や、普段は存在感を消すように縮こまっている眼鏡をかけた地味な女子である『佐倉』まで様子を窺っていると言えば、その注目度が判るだろうか。

 

 

(見たところ堀北も聴き耳立ててるみたいだし、高円寺ですら多少の関心はあるみたいだしな)

 

 

堀北は先程からこんな騒ぎに一切興味も御座いません。と言わんばかりに黙々と読書に励んでいるようにみえる。だが佐城が登校してからというものの、ページを捲っていた彼女の手は不自然に停止している。

机に足をかけて爪の手入れをしている高円寺も、ニヤニヤと愉快なモノを見る目で様子を窺っているようだ。

 

 

「はぁ……」

 

 

だが肝心の佐城はまるで虫の死骸を見るような冷たい視線を山内に向けると、態とらしく嘆息する。

次の瞬間、天使のような微笑みだった表情が能面のような無へと変化した。

たったそれだけで周囲の温度がスッーと冷え込んでいく錯覚が起き、群衆の中にいた気の弱い女子からは「ひぃっ」と小さな悲鳴が上がる。

佐城本人の近くにいた櫛田は最も影響を受けたのだろう。顔色を悪くして、思わずといった表情のまま一歩後ずさった。

美人が怒ると怖いと言うのは間違いなかったと、この瞬間オレは学習した。

 

無の仮面を被った佐城は周囲の緊迫感など知ったことかとばかりに、まるで匂い立つ汚物から鼻を隠す為に。と言わんばかりの動作で、艶やかに光る白い手の甲でゆらりと口元を隠した。

その動作が。そして何よりもその美貌が。まるで中世の女貴族のようだと思ったのはオレだけではなかったらしく、近くのクラスメートの中から「悪役令嬢だ」という呟きが上がった。

……悪役はどちらかというと山内の側だとは思うが。

 

 

「ボクは産まれた時から心も身体も男ですよ。少なくとも」

 

 

佐城は目元の動きだけで器用に嘲笑を表すと、先ほど以上に気怠げに。かつ、これでもかと皮肉気に答えた。

 

 

「ボクの頭が自身の性別を認識できない程に狂っていなければの話ですが……ねぇ?」

 

 

不敵な笑みだった。

徹底的に山内を。いや、自らの美貌に首ったけとなっている有象無象を心から見下し、滑稽だと心の底から哀れんでいる。そんな隠す気の一切ない傲慢さが垣間見える、挑発的な顔。

にも関わらず、ここまで美しく。尚のこと群衆の熱気をぶり返し、強く魅了して惹きつける彼の美貌は一種の才能だ。

 

 

(生まれ持った『容姿』たった一つでここまで魅せつけるのか。オレですら油断すると意識を持ってかれそうになるのは凄まじいな)

 

 

間違いない。人工のソレであれと徹底的な教育を施されたオレだからこそ今、確信した。

 

指先の動き。視線の使い方。首を傾げる角度。アンニュイを匂わせつつも艶美なる華やかさを際立たせる計算されつくした動き。

歌劇役者のような大袈裟でありながら嫌味を感じさせない絶妙な塩梅の一挙一動。

 

何よりもあまりに女性的に過ぎる自分の顔面と自身の男性という性別が作り出す、矛盾にも似た究極的なミスマッチが産み出す唯一無二の存在感。

本来なら不協和音になりかねない圧倒的な個性すら巧みに用いることで、相対する人間に対して一緒の性的倒錯に似たような背徳的な魅力を与えて『佐城 ハリソン』という一個人の堂々たる存在感を周囲の人間の魂にこれでもかと焼き付けているのだろう。

 

付け加えるなら少年から青年へと変化する移ろいゆく過渡期。

長い生から考えるなら僅かな一瞬のみに輝く。ある種独特の、非道徳的とも言える危険な魅力まで組み合わさってしまえば、もはや彼の魅力に抗える者など果たして何人いるのか。

 

 

(こういった才能の形もあるんだな。学びになった。普通の高校生活とはかけ離れた学習材料とは言え、ある意味ではオレの糧にもなる。そういう意味ではこの学校に入学した甲斐が一つ増えたな)

 

 

間違いない。佐城という男は『容姿』という己の武器を誰よりも上手く扱うことが出来る、一瞬の『天才』なのだろう。

 

予期せぬ新たな学びに人知れずオレが満足気に頷いている間にも佐城と山内の会話……と言うよりも、むしろ口論に近いそれは続いていた。

尤も、既に山内は蛮勇を振り翳す勇者ではなく、時勢も読めない唯の愚者と化していたのだが。

 

 

 

「いやいや‼︎ その顔で男ってありえないだろ⁉︎」

 

「あり得ない。などと言われましても事実なのですから、言い掛かりをつけられても困ってしまいますよ。というか、山内君。君、水泳の授業でボクの隣のレーンだったんですからボクの性別くらい分かるでしょう?」

 

「えっ? そうだっけ?」

 

 

キョトンとした顔で己の不注意と無知を晒す山内を置いて、そこからは佐城のほぼ独壇場だった。

 

 

「それと櫛田さん。一応説明させていただくと入学当初に目立たないように変装なんてしていたのは、こういう輩が多いからです」

 

「な、なるほど。確かにそんなに可愛い……っていうか綺麗な顔だもん。勘違いする男の子がいてもおかしくないもんねっ」

 

 

佐城は「こういう輩」という単語に飛びっきりのアクセントを加え、ありったけの侮蔑と嘲笑を混ぜ込んでいた。

外見から察するに英国の血が強いのだろう。その儚気な美貌からは想像出来ない程にシニカルな性格をしているらしい。

 

結局その後、周囲に牽制するように自分は同性愛者では無いこと。当然、異性としか恋人関係になったことがなく、もちろん今後もそのつもりだ。と宣言した佐城。

その後も未練がましく彼の性別を問い正す(果たしてこの言葉の使い方が正しいのかは疑問だが)山内を、ついに我慢ならなくなった櫛田が嗜めたところでホームルームの鐘が鳴る。

 

こうして美貌の化身が気紛れに起こした大嵐は、不完全燃焼ながらも一旦は幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サエちゃんせんせーだけじゃなくてさー他の教師もチラチラ見てたよなーサジョーのこと」

 

「いや見るだろ、ありゃ無理ないって。芸能人でもあんなの見たことねーもん。CG映画とかでようやく再現可能なレベルだろ」

 

「まあ、ビビったのは確かだけどよ」

 

 

話に上がった教師陣から見ても佐城のイメチェン?っぷりは驚愕に値していたようで、平静を装いつつも思いっきり動揺していた。

具体的に言うならば、普段はクールな茶柱先生が一分にも満たない、朝の短い連絡事項を説明する際に佐城の方を少なくとも五回はチラ見していたし、三回は台詞を噛んでいた。

数学担当の坂上という教師や、現代文の真嶋という先生も佐城の美貌に数秒硬直していたのは滑稽ですらある。

 

 

(世が世なら傾城傾国の美童として歴史に名前を残したかもな。人外の美貌。と言うやつか。いや、佐城本人は実際に存在しているが)

 

 

移動教室の際に佐城を眺めながら博士がボソリと呟いていた「APP19超えとか初めて見たンゴ」という呟きがやけに耳に残っている。

その意味はよく分からないが、何となく凄いことなのだろうと言う漠然としたインパクトは伝わった。

 

 

「ま、サジョーが男だって言い張ってるんなら男として付き合ってやるよ。男同士なら下ネタもちょっとしたスキンシップも普通だもんなっ‼︎ へへへっ」

 

「山内。お前、よくあそこまでガッツリ絡みに行けるよな?」

 

「え? 何がだよ?」

 

「いや、何がって……」

 

 

須藤の呆れと尊敬が入り混じった感想に山内が気の抜けた表情のままに首を傾げた。

思い返せば山内は櫛田が後ずさる程の圧を持った佐城の変貌と無表情にも一切怯んでなかった。

と言うか気づいてすら居なかったのではないだろうか。

 

 

(山内は友達だし、別に悪い奴だとは思わないが……色々と問題があるのは確かなんだよな)

 

 

周囲の視線を意に解さない独特の胆力。というか、時折り友人の須藤やオレですら引いてしまうような厚かましさが垣間見えるいうか。

まあ、はっきりと言ってしまえば山内は空気の読めないところが目立つ。

 

 

「池も今度ふつーに絡んでみろよー。見た目だけはチョー可愛いんだからよ‼︎ あれだ、目の保養って奴」

 

「お、おう。そこまで言うならイジりにいってみるか。ポッとでの奴が櫛田ちゃんを独り占めにしているのも面白くねーし」

 

 

そう言えば山内は以前、とある女子生徒。つまり先にも名前を出した佐倉のことらしいのだが、彼女に告白されたと声高々に自慢していたこともあった。

だが果たして今の彼に好意を抱くような女子がいるかと言うと、少なくともDクラスの女子には皆無だろう。むしろ逆に嫌悪されている気がしてならない。

オレも人のことは言えないがあのオッパイ賭博を主催した者として、特に池と山内は女子から軽蔑と殺意の目を日頃から向けられているのが実情だ。

 

 

(周囲の感情に無頓着で、自己主張が非常に強い。それでいて自分を大きく見せる為に虚言癖まである。といったところか)

 

 

個人的な意見を言うなら彼の豪胆までの自己主張の強さがきっかけでオレみたいな口下手ともすんなり友達になってくれたわけなので、そこまで嫌いなワケじゃないのだが。

いつか山内のKY気質? と言うものがとんでもないトラブルを引き寄せそうな気がしてならない。

 

 

「綾小路もどうよ⁉︎ お前もすっかりサジョーに見惚れてたじゃん‼︎」

 

「いや、オレは遠慮しておく。何というか、櫛田や山内みたいに対面して上手く話せる自信がない」

 

「んだよーノリ悪いなー」

 

 

山内に言ったことは嘘ではない。だが事なかれ主義のオレからすれば、今後クラスどころか学年中の有名人となるであろう台風の目に積極的に関わる気にはなれなかった。

もっとも、あの絶世の美貌を間近で観察して見たい気持ちはあるのだが。

 

 

(クラスメートから同性愛者と間違えられたら差別の対象になりそうだしなぁ。山内の言葉じゃないが、いっそ佐城が普通に女であってくれたら、まだハードルが下がるんだが……いや、それはそれでキツいか)

 

 

佐城の言い分を鵜呑みにするなら、性別は男である現時点ですら、櫛田や堀北が霞んでしまうレベルの顔面偏差値なのだ。

仮に彼の身体的性別が女性だったとしてもオレみたいな地味で根暗だと思われている男と釣り合うとも思えない。

 

 

「胸とか尻とか触っちゃってもよ、男同士なら問題にならないよなー。次回の水泳が楽しみだぜ‼︎」

 

「おいおい山内がっつき過ぎだって‼︎ お前ホモかよ⁉︎」

 

「ばっか‼︎ 俺はホモじゃねーよ‼︎ ホモはサジョーの方だって‼︎」

 

「そのホモに絡みに言ってる時点でホモだっつーの‼︎ あー離れろ離れろホモが移る‼︎」

 

 

再びギャーギャーと騒ぎ始める池と山内にはもはやつっこむまい。

というか山内は佐城のことを女扱いしたいのか男扱いしてるのかどっちなんだ。

 

 

「……なあ。放っておいていいのか? 何つーか、コイツら佐城関連でその内、何かやらかしそうな気がしてならねーんだが」

 

 

引き攣った様子の須藤が小声でオレに囁いた。

言いたいことは凄く分かる。何と言うか、今の二人は非常に悪趣味な上に、一言で言ってしまえば気色悪い。

セクハラでしかない山内の発言や、同性愛者だと身勝手に決めつけた上に暴言を吐いている池。

いくら友人とは言え、須藤がドン引きするのも無理はない。

 

 

「まあ、アレだ。なんかやらかしたら止めてやったらいいんじゃないか?」

 

「だな。ダチが馬鹿やった時は、ぶん殴ってでも止めてやらなきゃな」

 

「あー、流石にぶん殴るのは止めてやった方がいいと思うぞ」

 

 

そんな会話をしつつ、呑気に食事を続けるオレは知らなかった。

 

 

 

 

 

 

結論から言うと須藤の意見がこれでもかと正しかった事を。

 

暴走する二人を文字通りぶん殴ってでも止めておけば、あんな事にはならなかった。という事を。

 

五月一日。平和だったDクラスをぶち壊す大事件が起きる事を。

 

それをきっかけに、停学者ニ名。退学者一名を出す悪夢の幕開けになる事を。

 

 

 

 

 

 

 

(この生姜焼き、結構美味いな。また食べよう)

 

 

ぼんやりと食事を楽しんでいたオレは、当然、知る由もなかった。

 

 

 

 




そう言うば感想で佐城くんオッサン憑依してなかったら詰んでたorどうなってたやら。的な意見が多数ありました。
結論から言うと素っぴん佐城くんの場合は綾小路BLルートになります(すっとぼけ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』4

感想返信遅れて申し訳御座いません。
一言評価、感想共に一件一件ニヤニヤしながら見ています。
本当にありがとうございます。

あ、初投稿です。


 

四月も後半に差し掛かったある日の正午前。

待ちに待った水泳の授業がこれから始まるというのに、更衣室の中は張り詰めたような緊迫感に支配されていた。

 

 

(何なんだ。この息の詰まるような緊張感は……)

 

 

先週行われた初めての授業の時など、朝っぱらから大騒ぎの上におっぱい賭博まで開催されるお祭り騒ぎだったというのに、今日は一体どうしたと言うのか。

 

先週同様、朝早くから登校していた山内と池は再び女子の生肌を観察できる時間が訪れた事をテカテカの顔で喜んでいたというのに、授業が近付くにつれ、何かに気が付いてしまったかのようにソワソワした様子で次第に口数が少なくなり、こうして更衣室に到着した今は全くの無言である。

 

 

(いや、まあ。気持ちは判るんだが……っていうか本当にここで服を脱ぐつもりなのか? え? 大丈夫か? 後で訴えられたりしないよな⁉︎)

 

 

オレは次第に湧き上がってきた不安に従い、唾をどうにか飲み込むとあからさまに『彼』から目を逸らして明後日の方向を眺め続ける事にした。

 

須藤は脱兎の如く、というよりもその頭髪の色からして赤兎馬の如き見たことも無い速さで速攻で着替えると、『彼』の肌を決して視界に入れないようにと固い表情のまま更衣室から退散。

 

池や山内は穴が開く程にジーッとオノマトペが鳴る程の熱意を持って舐めるように。否、舐め回すようにして『彼』の身体を観察。

 

平田は気まずそうな様子で黙々と着替えているが、その顔はすっかり赤面してしまっている。

やはり彼も年頃の男子高校生だからなのか。それとも単なる好奇心を抑え切れないのか。

不自然な頻度で『彼』にチラチラと視線を送った。

 

 

(未だかつてDクラスの男子がここまで静かにしていた事があっただろうか……)

 

 

博士も、沖谷も、菊池も、本堂も、宮本も、幸村も。

それから名も知らぬクラスメート達全員が。

『彼』を意識するあまり、衣擦れの音一つたてぬ静寂さで不自然に沈黙。

五感をフル活動して一人の自称、男子生徒の様子を窺っていた。

 

 

「……」

 

 

奇妙な熱意と緊迫感が更衣室を包む中、ついに『彼』が。ついに佐城 ハリソンが脱衣を始めた。

プツリプツリとワイシャツのボタンを外す音が、広い更衣室の中に小さく響く。何で男が服を脱いでいるだけなのに、こんな背徳的な気持ちになるのだろう。

 

シュルリ。衣擦れの音。

佐城から目を逸らして正反対の方を向いているオレからはどんな様子かは分からない。

だが周囲の男子から息を呑むような呼気が一斉に漏れ出している事から察するに動作の一つ一つに妖しい色気を纏っているのだろうか。

 

ジー……。ついにズボンのチャックに手をかけたのだろう。ジッパーを開閉する音がした。

 

 

(この、えも知れぬ犯罪的かつ不安定なる感覚が興奮だなんてオレは認めないぞ。認めてしまった瞬間に『堕ちる』‼︎ 目覚めてしまってはいけない領域に堕ちてしまう‼︎)

 

 

果たしてオレは一体どうしてしまったのだろう。

自身の心臓の鼓動がやけに五月蝿い。バクバク言っている。

何故オレは同性の脱衣に対してここまで緊張しているのだろうか。

 

 

(と言うか、目を逸らして音だけ聴いているからか、変に想像しちゃって淫靡な感覚が強くなってるような……か、かと言って今から振り向くのも覗きの変態扱いされるかも。いや、相手は同性なんだから問題はないんだけど‼︎ ないんだけど‼︎)

 

 

未だかつて人生において、ここまで葛藤することがあっただろうか。

そんな勢いでもってオレが悩んでいる内に、佐城の着替えは完了したらしい。

 

バタン。とロッカーが閉まる音が響いた。

ビクリと肩が跳ねたオレが思わず振り向くと、そこには透き通る程に白い、陶器のようなツルリとした佐城の背中。

電灯に照らされる彼の肩甲骨から薄らと浮かび上がる陰影が、天使の羽根のように見えたのは幻覚だろうか。

 

 

(海パン一枚だけ⁉︎ ほ、本当に男だったのか‼︎

あの顔で⁉︎ あの美貌で⁉︎ 股間にアレが生えてるのかよ⁉︎)

 

 

結局、オレがあまりの衝撃で固まっている内に佐城は周囲の異様な圧や空気など知ったことかとばかりに、無言でプールの方へスタスタと歩いて消えていった。

 

 

「「「……」」」

 

 

さて、無音。皆、無言。で、ある。

シーンとした更衣室に残されたオレ達は、何とも言えない雰囲気のまま硬直していた。

 

 

「胸、無かったな」

 

 

ポツリと池が鼻血を垂らしながら呟いた。

 

 

「お、俺たちみたいに海パン履いてたぜ?」

 

 

山内が前屈みになって続けた。

 

次第に騒めきが生まれてザワザワと声が大きくなっていく。

そこからはもうあっという間に大騒ぎ。ポップコーンが弾ける様に爆発的な盛り上がり方だった。

 

 

「嘘だろ……マジで男なのかよ」

 

「あの顔で⁉︎ そんなのアリかよ⁉︎」

 

「オレはホモじゃないオレはホモじゃないオレはホモじゃないオレはホモじゃない」

 

「おい、お前なんでしゃがんでるんだよ⁉︎ 勃起したんじゃねーだろうな⁉︎」

 

「うるせー‼︎ お前も似た様なものだろうが⁉︎」

 

「デュフフ‼︎ リアル男の娘の破壊力パネェでござる‼︎」

 

 

阿鼻叫喚とは正にこの事だろう。

白目を向いたまま眼鏡を外してはかけ直す事をロボットのように繰り返す幸村。

あまりの衝撃に腰が抜けたのか「はわわ」とへたり込む沖谷。

真っ赤な顔を両手で隠してしゃがみ込み、必死に何かを抑え付けてる平田。

姿見の前でダブルパイセップスをキメる高円寺。

 

まさに混沌。

オレ達は奇妙な熱狂と興奮に支配され右往左往するしかなかった。

だが、結論から言えばそんなゴチャゴチャした魔の時間は直ぐに終了する。

 

 

 

「そ、そこの女子生徒ー‼︎ な、なぜ半裸なんだバカモノー‼︎‼︎」

 

 

 

プールの奥から聞こえてきた熱血教師の叫び声がこだました。

注意を受けた生徒の性別が女子でない事など、この場にいたみんな知ってたが、それでも体育教師の分別ある対応と台詞にはある種の納得感がある。

 

そして今更言う事でもないだろうがこの時、恐らく男子一同、全く同じ感想を持った。

 

 

(((そりゃそーなるわ)))

 

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(変なこと思い出したなー。いや、そりゃ忘れようにも忘れられないインパクトだったけど)

 

 

二回目の水泳授業から数日が経過した今日。

オレは佐城をボンヤリと眺めながらそんな事を考えていた。

別にオレが同性愛に目覚めたわけではなく、座席の関係上、彼の姿は嫌でも視界に入るわけである。他意はない。無いったら無い。

 

……別に佐城の姿なんか見たくない。と強気になってまで断言したいわけでもないが。

彼の輝く様な美貌についつい視線が吸い込まれてしまい、実際のところほぼ無意識のうちにチラチラ様子を窺ったりしてる事は否定できないので。

 

 

(それにしても、見た目は激変したのに中身はあんまり変わってないのは意外だよなー。てっきり櫛田や平田みたいな人気者になるとばかりに思ってたのに)

 

 

さて、オレの中で。と言うよりもDクラス中で注目の的となっている件の佐城だったが、劇的と言う言葉が生温く感じてしまう程度の大変貌を遂げた彼が何かしらのアクションを起こす事はなかった。

何と言うか、不自然なまでに静かである。

 

佐城はイメチェン前と同様に、基本的には無口で自分からあまり他人とコミュニケーションを取ろうとはしないし、自分の席からも滅多に動こうとしない。

目元を隠していたボサボサの黒髪と、分厚い伊達眼鏡。何より老人のように屈折していた猫背が改善されたせいか陰鬱なオーラを纏うことは無くなったものの。

これを機に人を寄せ付けるようになったかと言えば、そうでは無かった。

 

 

(むしろ以前とは別ベクトルで、ぶっち切りで近寄り難くなってるしな。無理もないよなーオレも何だかんだで挨拶すらしたこと無いし)

 

 

立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

美人への褒め言葉として最も有名なフレーズが陳腐に聞こえる程に、彼の美貌は凄まじい。

 

桜花爛漫、絢爛豪華、唯一無二の解語之花。

 

ただ座って読書をしている姿が、完成された芸術作品となっているのだから世界三大美人に一人追加されるのも遠い未来では無いかもしれない。

 

このクラスにも可愛い女の子や顔立ちが整った子は沢山いるが、言ってはなんだが佐城はレベルが違う。ステージが違う。

瞳を焼き、脳を蕩かす彼の美貌は見る者全てに輝く様なオーラを幻視させる。

羽化をする前のドンヨリとした暗さは皆無となったのは確かだが、あまりの高嶺の花っぷりに殆どの人間か気後れしてしまい、結果的に彼がクラスメートと会話をする姿を見せることは少なかった。

 

 

(観察していた感じでは、性格の方に難があるってわけでもなさそうなんだが。特にとっつきにくかったり、人嫌いって感じでも無さそうだし。堀北みたいなヤツと違って)

 

 

佐城本人が人付き合いを拒否している様子は無い。

積極的にという程でも無いが少なくとも隣の席に座っている生徒や、クラスの暫定的なリーダーポジションに値している平田を始めとした人気者の生徒等には笑顔で挨拶と一声程度の話題は振っているようだ。

だが、彼の笑顔は何というか……こう言ってしまえば語弊があるかも知れない上に、非常に人聞きの悪い言葉になってしまうが、紛れも無い殺人兵器なのだ。

 

 

(ほぼ初対面とは言え、あの櫛田がパニックを起こす程の破壊力の笑顔と美声だしなあ。本当に佐城ってオレ達と同じ人間なんだろうか?)

 

 

佐城の隣の席に座っている女の子。自己紹介の時の記憶を掘り返すと確か名前は『井の頭 心』だっただろうか。

彼女なんかは佐城と目があっただけで、その美貌に当てられてしまうのだろう。顔を真っ赤に茹らせ硬直してしまう。

そこに追撃をかけるようにあの天使の微笑みと共に甘いウィスパーボイスで「おはようございます」などと囁かれたら、さあ大変。

 

視覚と聴覚から強制的に接種させられた美貌と美声という名の麻薬。

多量摂取は当然のようにオーバードーズを起こしてしまうワケである。

哀れな少女は多幸感に酔わされた恍惚たる表情のままバッタリと机の上に倒れ込み、胸を押さえて力尽きてしまうのだ。

ちなみに、これはほぼ毎日繰り返される朝の日常風景となりつつあるのだから悲惨である。

 

 

(あの娘って確か自己紹介でテンパって櫛田に宥められてたよな。明らかに内気なキャラだろうし、ある意味では可哀想な娘なのかも……いや、大半の人間にはほぼ毎日佐城から声をかけられる事を羨ましがられてるっぽいから一概にも言えないけどさ)

 

 

それから平田の反応もまた、別の意味で印象に残るものだった。

佐城から声をかけられた平田はしっかりと挨拶は返している。返しているのだが、目は泳ぎ回り顔は赤く染まり、決して彼と目線を合わせようとしない。

と言うよりも、目線を合わせても何かに耐え切れなくなったように視線を逸らしてしまい、ソワソワと落ち着かない様子なのだ。

はっきり言って普段の平田を知っているDクラスの面々からすると、あまりにも彼らしくない初々しい様子が目を引いてしまう。

まるで初恋に戸惑う幼い少年のような仕草が。

 

 

(そう言えば顔を赤くした平田を山内が嬉々として揶揄ってたな)

 

 

性格も良く、ルックスも良く、運動神経も良い。

そんな平田は三馬鹿の面々からは僻み嫉みのせいで非常に嫌われている。運動神経が抜群の須藤はともかく山内と池はその傾向がかなり顕著だ。

完璧超人と思われていたイケメンの弱みを握ったとでも思ったのだろう、山内がニヤニヤと笑いながら平田に「おい平田ーお前まさかサジョーに惚れちまったのかよ⁉︎ このホモ‼︎」と絡みに行ったのは最近の事。

 

山内に絡まれた平田は当然、否定していた。

が、普段から物腰が柔らかく、それでいて常に冷静で物事を一歩引いたところから俯瞰した様子で見ているあの平田が。言い掛かりに近い暴言さながらの言葉に対し、顔を真っ赤に染めた上で慌てて必死で否定している様子。

これはどこか「ガチ」っぽいとは山内の言葉だ。

 

 

(少なくともベタベタとセクハラ発言ばかりしてる山内の方が同性愛者っぽく見える気がするんだが。まあ、アイツの場合は佐城を女の代用品として見てるだけだろうけど)

 

 

結局、その後は平田を囲んでいる女子達にボッコボコに口撃。と言うか精神攻撃と人格否定にも近い暴言で撃退された山内だったが、彼を慰めていたのは同じイケメン嫌いの池のみ。

と言うかあの時の女子達の迫力は鬼気迫るものがあったので、とてもじゃないが近寄りたくなかった。

 

オッパイ賭博の件から下りに下がった女子達による山内への好感度は零を通り越してとっくにマイナスをぶっちぎってるのだろう。

将来の平田の彼女候補ナンバーワンとも言われている軽井沢のブチギレっぷりはオレですらちょっと怖かった。

 

 

(まあ女の子から見たら狙っていたイケメンがよりによって男に。それも自分達なんかじゃ到底敵わないような美貌の男に取られるかもって考えたらプライドがズタズタになるのかもな)

 

 

佐城自身は動かない。今日も今日とて、真面目に授業を受け、今のような休み時間は静かに席に着いたまま黙々と読書に耽っているだけ。

だが、彼を中心にしてDクラスの雰囲気や人間関係がゆっくりと変化を見せ始めてるのは気のせいではないと思う。

 

チラリと廊下の方を眺めて見れば、開け放たれた後ろ扉から見慣れない生徒達が興味深そうに教室を覗き込んでいる。

 

 

「噂は本当だったんだ……Dクラスいいなー」

 

「アレで男ってマジ?」

 

「スカート履いてねーんだから男だろ。顔は完璧に女だけど」

 

「うわぁ……綺麗。あれが『姫王子』様……」

 

「マジで天使みたいな顔してんのかよ。レベル高いなDクラス」

 

「ふーんエッチじゃん」

 

 

制服の真新しさや、会話を聞くところから察するに他クラスの生徒だろう。

どうやら佐城の噂とその美貌についてはすっかり他クラスにまで広まっているようだ。

 

 

(と言っても流石に声をかける様子は無いか。Dクラスの中でも、佐城と普通に話が出来るのってほんの数人だからなー)

 

 

男子も女子も、殆どの人間が蕩けた瞳で神々しい天使の御尊容を目に焼き付けているが、決して声を掛けたりはしない。否、気軽に声を掛けるなど、とんでもない。と言わんばかりの妙な緊迫感すら感じるのだ。

佐城を生き神とした宗教でも生まれてしまうのではないか。そんな言葉がジョークで済まされない雰囲気すらある。

 

だが極数人。そんな美の化身に積極的に声を掛けに行く生徒もいる。

 

 

「あのー佐城くん。読書中ごめんね? ちょっと教えてほしいところがあるんだけど」

 

 

そう、Dクラスの元祖大天使こと櫛田のことだ。

彼女は健気にも毎日のように佐城に話しかけて、少しずつでもコミュニケーションを取りつつ、その破壊力抜群の美貌に対し耐性を得ようと努力している。

その甲斐あってか、毎日話している内に多少は慣れてきたのだろう。

今こうして英語のテキスト片手に佐城の顔を覗き込む櫛田の顔は僅かに赤面しているものの、初対面のように目が泳いだり台詞を噛んだりしていなかった。

 

 

「ああ、櫛田さん。もちろん、構いませんよ、貴女との会話はとても癒されますので、ボクで良かったらいつでもお声を掛けて下さい」

 

「あ、ありがとう‼︎ そ、そんな風に言われると照れちゃうなっ」

 

「事実、ボクにとって貴女とのお話は楽しいものですから……さて。御用件は察するに、先程の英語の授業についてでしょうか?」

 

「うん‼︎ さっきの授業の最後のところなんだけど、ちょっと難しくて……」

 

「どれどれ? ああ、この部分ですか。確かに難しい、というか和訳するには多少手間がかかる一文でしたね。先ずは単語を一語ごとに分解していきましょうか。その後は……」

 

 

美少女と美男子(なお顔貌は絶世の美少女)が肩を寄せ合っている姿は非常に絵になる光景だった。

大天使クシダエル単体だけでも可愛いのは間違いないのに、最近では『姫王子』などと呼ばれ始めた美の化身まで並んでいるのだ。

これを眼福と呼ばずに何と呼ぶのか。

 

 

「ありがとう‼︎ 佐城くんってすっごく頭が良いんだね‼︎ 教え方もとっても分かりやすかったよ‼︎」

 

「教科が英語でしたので偶々、上手く説明できただけですよ。ボクの実家では日本語と英語が入り混じって家族と会話していましたから。極端な話、慣れてしまっているだけでして」

 

「へぇー‼︎ ちょっと楽しそうだし、確かに言語の勉強には凄く良い環境なのかもっ‼︎」

 

 

 

現に男子も女子も何か尊いモノを見たかのようなウットリとした表情で二人の会話を眺めている。

ただ視界に入れているだけで心が安らぐような気持ちになる絶景なのだ。

 

佐城の隣の席に座る井の頭は瞳を潤ませすっかり心奪われ、平田と談笑していたカースト上位の女子グループですらほぼ無意識の内に視線を奪われている。

男子などは言わずもがな。櫛田の笑顔に癒される者、佐城の微笑みに恍惚とする者。

大輪の華、二人の存在は幸福の薫りを放つ、Dクラスの美の象徴となりつつあった。

 

とは言え、何事にも例外というモノはある訳で。

天使二人の和やかな談笑に無粋にも割り込む者が現れるのだ。

 

 

「よお‼︎ サジョーお前休み時間にも勉強してんのかよー⁉︎ ガリ勉だよなーそんなんだから女みてーに細くなるんだろー?」

 

「おいこら佐城。お前みてーな奴が櫛田ちゃんを独り占めしてんじゃねーぞこの野郎‼︎」

 

 

下心を一切隠す気の無く、『変態』と顔面に書いてある山内。それから彼に付き従い、難癖をつける池。

残念なことに。本当に残念なことに無粋極まりない邪魔者はオレの友人達だった。

山内はまるで友人に接するかのように気安く佐城の肩に手を置き、池はその童顔を精一杯皺くちゃにして佐城にガンをつけている。

 

山内は下心。池はクラスのアイドルである櫛田を独占している事に対しての嫉妬が蛮行の原因だろう。

そう。佐城に話しかける極少数の人間の中に含まれているのは、よりによってこの二人なのだ。

 

とは言え、それに対応する佐城の温度差は櫛田のソレと比べるまでもない塩対応な訳で。

 

 

「気安く、触らないで頂きたい」

 

 

満開の桜を思わせる春爛漫の笑み。それが山内に触れられた瞬間、一切の熱を無くした無に変わる。

 

 

「は? ……あ痛っ⁉︎」

 

「山内⁉︎ お、おいコラ何しやがるんだホモ野郎‼︎」

 

 

 

胸元から素早く黒無地の扇を取り出した佐城は小蝿を払うが如く、一切の躊躇なく山内の手を引っ張たいた。

 

あまりの豹変。あまりの温度差に側にいた櫛田の顔色は悪くなり、隣席で佐城に見惚れていた少女は怯え硬直。

友人を庇うように前に出た池も若干ビビっているのだろう。顔色はあまり宜しくない。

 

 

「何度も申し上げておりますが……ボクは男性に視姦されたり愛撫されたりして悦ぶ性癖を持っていないのですよ。山内くん、あなたの行為は唯、唯。不愉快にしか感じません」

 

 

二回目の水泳授業以降。つまり、佐城がイメチェンした後に肌を晒したあの阿鼻叫喚のイベントから。

身体も心も男だと周囲の人間に知らしめたあの日以降、山内はしつこく。非常にしつこく佐城に絡み始めた。

 

最初の頃は皮肉混じりとは言え気怠げに、それでも卒なく対応していた佐城だがやはり不愉快だったのだろう。

日が経つごとに目線は冷え、圧は増し、声のトーンが僅かに低くなり徹底的に嫌悪。否、それを超えた殺意すら周囲に振り撒いていた。

 

 

(オレも須藤も、何度か注意はしてるんだけどなあ。全く反省してくれやしないし)

 

 

普通の人間なら。少なくとも絶望的に人付き合いが苦手な部類のオレですら、佐城のような美貌を持つ人間に極寒のような視線であんな対応をされたら心折れて近付かないようになるだろう。

だが、元勇者である山内は強かった。何度でも話しかけ、何度でも身体に触れ、何度でも絡みに行くのだ。

そしてそれに付き合う池も、ビビりながらも何だかんだで山内に付き合っていた。

 

 

「それに池君。何度も申し上げている通りボクは同性愛者(ホモセクシャル)でも、両性愛者(バイセクシャル)でも、全性愛者(パンセクシャル)でも御座いません。嗚呼、言うまでもなくトランスセクシャルでも御座いませんよ」

 

「は、はあ⁉︎ 何ワケの分かんねーこと言ってんだこのホモ⁉︎ オカマヤロー‼︎」

 

「ちょ、ちょっと池くん‼︎ いくら何でも酷いよ‼︎ 佐城くんには私の方から勉強を教えてもらったんだからっ。あんまり酷いことは言わないでっ」

 

「うっ……櫛田ちゃん。でも、よぉ」

 

 

慌てて池を嗜める櫛田の行動も無理はない。

そもそも佐城が櫛田を独占している。というのも完全なる言い掛かりなのだ。

 

櫛田は入学当初から変わらず、男女問わず様々な人間とコミュニケーションを築き、皆から好かれて慕われている。

友達の少ないオレですら櫛田にほぼ毎日話しかけて貰ってる立場だ。

彼女の博愛精神と積極性には頭が上がらない。

友人の多い櫛田にとって佐城もまた、仲の良いクラスメートの一員なのだろう。

佐城と交際している訳でも無ければ、彼と一緒にいる時間が特別多い訳でもない。

ただ人目を惹きつける佐城と会話する存在が、櫛田を除けば殆どいないという現状が誤解を招く要因となっているのだろう。

尤も、そこらの事情を汲み取ったとしても池の言葉はただの言い掛かりにしか過ぎないのだが。

 

 

「ってーなサジョー‼︎ わざわざ声かけてやってんのに何しやがるんだ⁉︎」

 

「声を掛けて欲しいとも頼んだ覚えは無いのですがねぇ? まあ、確かに君の声は目覚まし代わりには有用かも知れませんね? 君の声を聴けば一瞬で目が冴えますし……嗚呼、尤も?」

 

 

佐城はゆったりと足を組み気怠げに頬杖をついた。

右手に持った扇子をゆっくりと広げ、口元を覆い隠すポーズはいつか見た時以上に、貴族の令嬢めいて見える。

嫌悪に染まるその表情ですら影ること無いその美貌は今更か。

 

 

「どんな悪夢に魘されるよりも、最悪な気持ちで目覚める事になるでしょうが……櫛田さん。春の陽気で寝過ごし易くなるこの季節、彼の声を目覚まし時計に録音するのは如何ですか? 確実に目が覚めますよ? 間違いなく、ね?」

 

 

ありったけの侮蔑と毒を皮肉に混ぜ込んだ佐城のジョークに笑いを浮かべる人間はいなかった。

櫛田は困った顔で辺りを見回し、山内と池に関しては恐らく彼の嫌味にすら気づいていない。

何となく馬鹿にされた。そんな雑な空気感すら感じ取れぬ山内と池はポカンとした顔をしている。

 

 

「それと池君。先程も言った通りボクはストレート。俗に言うノンケな訳ですが、それでも君は信じられない? ええ、御心配なく。仮に、仮にボクが同性愛者だったとしても貴方と山内君は一切心配することは御座いません。理由? ええ、単純明快ですとも」

 

 

クスリ。と、態とらしい笑みを浮かべた佐城は、器用に片手でもってパタリ畳んだ扇子を池の眼前に突きつけ、揶揄うようにこう言い放った。

 

 

「女に相手にされない負け犬は。同性からも相手にされないからですよ」

 

 

間抜け面で固まっていた池と山内。

彼らの顔が次第に真っ赤に染まり、噛みつこうとしたその瞬間に鐘が鳴った。

間もなく午後の授業を担当する教師が入室。こうして授業が始まるも、山内と池は大声で佐城の悪口を言っている。

 

それを周囲の人間にどのように映っているかは一切考えずに。

 

現に愚痴られている須藤は困った表情のまま、周囲の様子を見回している。

山内と池が佐城を悪く言う度に、周囲の生徒から射殺すような視線が飛んでいるのに彼らは気づいていないのだろう。

 

 

(友達選び。失敗したかもなー)

 

 

そんな思いで嘆息。

 

なんともやるせない気持ちで時間を過ごす中、紆余曲折ありつつ。

櫛田から堀北と友達になる為の無謀な作戦の繋ぎを頼まれたのは、その日の放課後の事だった。

 

 




番外編はBクラスルートに決まりましたーアンケートありがとうございます。


感想下さい(真顔


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』5

13000文字超えたから初投稿です。
感想返信遅れて申し訳ありません。時間かかってもしっかり返信致します。とっても嬉しい‼︎


 

「櫛田さん、あなたが無理に私に関わらなければ、私は何も言わない。約束する。あなたはバカじゃないのだから、この発言の意味が分かるかしら?」

 

 

冷たい視線で櫛田にそう言い放った堀北は「それじゃ」と一声かけて店を去って行く。

在学生御用達の喫茶店『パレット』の喧騒の中で、テーブル席にオレと櫛田だけがポツンと取り残されてしまう。

言うまでもない。作戦は大失敗だ。

 

 

「失敗、だったな。助け舟出そうと思ったけど無理だった。あいつは。堀北のやつは孤独に慣れ過ぎている」

 

 

オレはしょんぼりと眉を落とす櫛田に声をかける。何というか、最初からこうなる予感もしていたのだ。

 

 

「ううん、協力してくれてありがとう綾小路くん。だけどごめんね。結局、私のせいで堀北さんに嫌われるような真似をさせちゃって」

 

「いや、まあ。気にするな」

 

 

ことの発端は数日前の放課後。櫛田からの相談事からだった。

簡単に言うとクラス全員と友達になりたい。という彼女の野望を達成する為にも、特に難易度の高い堀北への繋ぎをオレにとって欲しい。というもの。

ちなみに何でオレにそんな話を持ちかけたかと言うと、これは単に堀北がオレ以外の人間と一切会話をしようとしないからだ。

こんな言い方だとオレが堀北に特別扱いされているように思えるかもしれないが、オレとの会話だってかなり嫌々感がある。

 

現に入学当初は櫛田を始めとしたコミュ力が高い何人かのクラスメートが堀北に笑顔で話しかけたりしていたのだが撃沈。

というか堀北からの暴言にも近い拒絶の言葉で両断されてからは、それが原因で大半の人間が彼女を嫌ってしまっていた。

それでもめげずに何度も声をかけているのは、もはや櫛田ぐらいだろう。

 

 

「テーブル席二つも占領しちゃうと、お店に悪いからそっちに詰めてもいいかな?」

 

「お、おお。勿論だ」

 

 

堀北が孤独を愛しているのは知っているし、櫛田も何故か堀北に対しては強引に距離を縮めようと不自然な『焦り』が見えたりだとか。

平和ボケしたオレの目にすら引っかかる部分はあったものの、以前にもクラスの中心人物となりつつある好青年の平田から、女子生徒の間で堀北が煙たがられて孤立している旨の忠告をされていた。

その時は好きで一人でいるんだから放っておけばいいのに。と思って実際にその旨を平田に伝えている。

だが櫛田からのお願いをきっかけに改めて考えてみた時、確かに最近の堀北の嫌われっぷりは少し危機感を覚えるレベルでヤバかった。

 

毎日のように笑顔で声をかける櫛田に対し、堀北は敵意と嫌悪に満ちた冷たい当たりを繰り返している。

当然その光景はDクラス中の生徒達が何度も目にしているわけで、結果的に男女問わずクラス中のヘイトをどんどん集めていた。

敵意に満ちた視線の圧は隣の席であるオレにも伝わって来るほど、強くなりつつある程に。

 

そんな諸々の事情もあり、オレが堀北をカフェに誘って後から櫛田が偶然にも隣のテーブルに着いて合流。という作戦を立てたのだが結果はこの様である。

 

 

「堀北さんとはまだ仲良くなるのに時間がかかりそうだけど……せっかくの機会だもんね。綾小路くんともお喋りしたいなっ」

 

「あー、だな。オレも櫛田とは一度ゆっくり喋ってみたかった」

 

「えー? それ本当にぃ? 実は私よりも堀北さんと二人っきりの方が良かったって思ってない?」

 

「無いぞ櫛田。それだけは無い。絶対に無い。山内に彼女が出来るレベルで有り得ない仮定と言っても過言ではない」

 

 

とは言え、こうしてクラスのアイドルである櫛田と二人っきりでオハナシ出来るのは役得だな。

 

 

「そ、そこまで……って流石に山内くんが可哀想な気が」

 

「逆に聞くが櫛田。今のあいつを好きになってくれる奇特な女の子がうちのクラスにいると思うか? 恋愛経験の無いオレからしても相当だぞ?」

 

「えーと……。な、何か軽いモノでも頼もうか?」

 

(あっ、流石の櫛田も逃げたな)

 

 

欧米の一部では異性と二人きりで出掛けることをデートというらしい。例えそれが特別な関係の人でなくともだ。

つまりこれは広義的な意味では突発的なデートとも言えるのでは無いだろうか?

……後で池や山内にバレて殺されなければいいが。

解散する時にでも他言無用で頼む。と櫛田に釘を刺しておこう。

さっきまで此処にいた堀北については……別に話を広げる心配は無いだろう。

そもそもあいつに話をする相手がいないだろうし。

 

 

「えへへ。実は男の子と二人っきりでこういう所に来ることって滅多にないからちょっと新鮮なんだ」

 

 

注文した苺のタルトを摘みながら、櫛田は弾んだ声を零しながら悪戯めいた表情でテヘッと笑った。

大天使クシダエルというよりも、今日は小悪魔モードらしい。

オレみたいなコミュ障男にそういう台詞はとても危険だからやめて欲しい。諸事情あってポーカーフェイスには自信があるが、顔が赤くなってないか不安になる。

全く、うっかり惚れてしまったらどうするつもりなんだっ‼︎

 

 

「そうなのか? 男子から人気の櫛田なら何度も経験あるものかと思ってたな。現に池や山内とかが何度か誘っていたじゃないか?」

 

「人気って大袈裟だよー、みんな大事な友達だから。……うーん、確かに二人きりで。って誘ってもらう事はあるんだけど、結局はグループ単位で遊ぶことになることが多いかな? 予定がダブっちゃったり、計画立ててる時に他の人が合流したり」

 

「ああ。なるほど」

 

 

櫛田は男女問わず人気者だ。普通は男子からチヤホヤされる女子は同性からの嫉妬を買って嫌われてしまうもの。というのがオレの聞き齧った程度の知識なのだが、櫛田の場合は持ち前の明るさとコミュニケーション能力でどんな女子とも明るく笑顔でお話ししている。

気が強く声が大きい、女子グループのリーダー格となりつつあるギャルの『軽井沢』とすら仲良くしているのだから、大したものである。

 

ちなみにオレは軽井沢どころか堀北と櫛田以外の女子とまともに会話したことが無い。

……別に哀しくなんかないさ。

 

と、一人哀愁に浸っていたオレだが先ほどの会話でちょっとした事が気にかかった。

 

 

「ん? それでも滅多に無い。って言ったってことは、ゼロでは無いんだよな? 入学してから一回ぐらいはあったのか?」

 

「あ、うん。一回だけね。佐城くんのオススメの喫茶店でね。御馳走になったの」

 

「あー。なるほど、佐城か」

 

 

今回のアクシデントのような偶然を除けば、常に人の輪に囲まれている櫛田が異性と二人きりでいる事はかなり珍しい。

ついつい気になって尋ねてしまったが、その相手を聞いてオレは妙に納得した。

 

 

「確かに佐城とまともに会話できるのって櫛田だけだもんな」

 

「うーん。そうなのかなぁ? 佐城くんって確かに近寄り難い雰囲気はあるけど、優しくて紳士だよ」

 

「あの雰囲気というか、オーラはな……」

 

 

Dクラス一。否、もはや学年一の美貌を持つと学校中に広まった美の化身と言うべき『男子』生徒。その名は佐城 ハリソン。

そんな彼は常日頃から月光のような神々しいオーラを放っている為、なかなか周りに人が寄って来ない。

その一挙一動に興味津々なのはDクラスの殆どが頷くことだろうが、あまりにも高嶺の花に過ぎ、話しかける人間すら稀なのだ。

そんな佐城の唯一の友人が目の前にいる櫛田であることは既に周知のこと。

 

 

「それにこの前、心ちゃんとみーちゃん……あ、井の頭さんと王さんのことね? 二人を誘って佐城くんとカラオケに行ったの。それから結構打ち解けてくれて、今ではみんな仲良しになれたよ」

 

「あー。言われてみたら確かに今朝の佐城は数人の女子と話していたな」

 

 

休み時間、下界の民のことなど知ったことか。とばかりに、一人本の虫と化すのが定番の佐城。

だが今朝のホームルーム前の空き時間などは珍しいことに隣席の少女と、ツインテールが特徴の小学生にも見間違える程に小柄な少女と共に、英語のテキスト片手に何やら話し込んでいた。

教科書よりも佐城の顔に釘付けだった井の頭の視線と、それを苦笑いで嗜めるもう一人の女の子の姿が印象的だった朝の風景は、カラオケがきっかけで友情を深めた事が原因らしい。

……ん? ちょっと待てよ?

 

 

「……って、カラオケ? え? まさか佐城も歌ったのか?」

 

「うん。佐城くん、最初は遠慮していたんだけどね。心ちゃんが是非に‼︎ って凄い剣幕でお願いして。普段は大人しい娘だから、私たちも押しの強さにビックリしちゃった」

 

 

席が隣という理由で毎朝、佐城から声をかけられてはその美貌と美声に泥酔してオーバーヒートを起こしてぶっ倒れている姿が日常と化している、幸運なのか不運なのか判断が難しいポジションにいるのが井の頭という少女だ。

そりゃ毎日あの美神が隣に座っていたら、その神威に当てられるのも無理はないわけで。

 

 

「……まあ、その。明らかに佐城のファンだからな。井の頭って」

 

「あ、やっぱり綾小路くんから見ても分かるんだ?」

 

「うちのクラスのやつなら全員なんとなくは察してると思うぞ?」

 

「あはは……だよねぇ」

 

 

ぶっちゃけオレは井の頭と話をしたこともないし、彼女からして見たらオレの顔と名前すら覚えていない程の希薄な関係だと思う。

だがそんなオレから見ても、井の頭という少女が佐城に特別な感情を向けているのは明らかだった。

それが恋なのか憧憬なのか。もしくはDクラスの美を司る生き神様に対する崇拝なのかまでは分からないが。

……というか授業そっちのけで隣の席をうっとりした表情で眺めてる様子を見れば誰だって気づくと思う。

 

 

「にしても、佐城の歌か。少し気になるな。何となく上手そうなイメージはあるんだが」

 

 

挨拶一つで初対面の人間の魂を揺さぶる程の驚異的な美声を持つ佐城だ。

果たしてどんな歌声なのか興味を持つのはおかしいことじゃ無いだろう。

 

 

「佐城くんの歌は……うん。凄かったよっ‼︎」

 

「へえ。櫛田がそこまで言うならいつか聴いてみたいな」

 

「凄かったよー……凄く凄いんだよ……いやマジで凄い」

 

「櫛田?」

 

 

何故か櫛田の目からハイライトが消えて表情も薄くなり、それでいて口元だけが不自然に小さな笑みを浮かべている。

どうしたことか様子がおかしくなってしまった。

コミュ障気味のオレには分からないが、触れてはいけないナニかに触れてしまったのだろう。

 

 

「凄い、凄かった……ただの歌なのに凄いの……鳥肌が立って涙が溢れそうになって……すごくすごいの」

 

「櫛田? あのー、凄いのは分かったから、ちょっと落ち着いた方がいいんじゃないか?」

 

 

次第に俯いていく櫛田の顔はベットリと暗い陰に覆われ、ついには何か身体がプルプル小さく震え始めた。え、なにこれ怖い。

 

 

「スゴイスゴイスゴイ……意味わかんない……顔もすごい声もすごい……それでいて歌もすごいとかマジでなんなのよアレ……反則よ反則……存在がすごい反則すごい……‼︎」

 

「く、櫛田さーん? もしもーし⁉︎」

 

「サショウクンスゴイサショウクンスゴイサショウクンスゴイサショウクン……」

 

「おい櫛田⁉︎ 戻ってこい⁉︎ 何かぶっ壊れたロボットみたいになってるぞ⁉︎」

 

 

オレは彼女のトラウマでも踏み抜いてしまったのだろうか。

何となく櫛田という少女の中に潜む心の深淵を覗き込んでしまった気分である。

 

 

(一体どんだけ凄かったんだよ佐城の歌声⁉︎)

 

 

結局その後、サショウクンスゴイBotと化した櫛田が再起動するまでには結構な時間がかかった訳で。

 

ハッとした表情のあと、咳払い一つ。

櫛田は瞬時に表情を変え、ペカーっと音が鳴りそうなあざとい笑顔になり「今日はちょっと調子が悪かったみたい。えっと、さっきのは私と綾小路くん二人だけの秘密にして欲しいなっ。お願いっ‼︎ ね?」とオレの両手を手に取るとギュッと握りしめながら甘い声でおねだり。

先程までのホラーシーンを強く。それは強く強く、口止めしてきた。

こうしてオレはあまりの櫛田のあざと可愛いさと、彼女の両手の柔らかさに陥落。

無言のまま何度も首を縦に振りまくる事になった。

 

……決して「誰かに話したらどうなるか分かってるんだろうなぁ?」という地獄の底から響くような幻聴と、ギチギチと音を鳴らしながら全力でオレの両手を握り潰そうとする櫛田の圧に屈したわけでは無い。

 

無いったら無いのだ。

 

 

(さっきのは幻聴。うん、間違いない。決して櫛田の内心がドス黒いなんてことは無い。大天使クシダエルが実は腹黒なんて有り得ない話……無いよな?)

 

 

こうして、突発的な櫛田との喫茶店デートは何とも微妙な後味で終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堀北友達作戦。及びその失敗から突発的に発生した櫛田との喫茶店での会話から数日が経った。

相変わらずDクラスは騒がしく、それでいて平和な日々が続いていたが、ゆっくりと人間関係に変化があった。

 

 

「ねぇねぇ軽井沢さん‼︎ 平田くんとはどこまで行ったの⁉︎」

 

「いやいや、まだ付き合ったばかりなんだからどこも何も無いでしょ? でもデートは特別な気分になれて悪く無いわね。ねー、平田くんっ」

 

「うん、そうだね軽井沢さん。最近は敷地内の施設を探索がてら回ったりする事が多いかな。でも二人きりの時間は新鮮で楽しいよ」

 

「うわー超ラブラブじゃん。羨ましいー‼︎」

 

「私も彼氏欲しいなぁ……」

 

 

まず一番のニュースと言えばクラスのリーダーとしてポジションを確立した、爽やかイケメンのサッカーボーイである平田に彼女が出来たのだ。

お相手は納得の軽井沢。女子のクラスカーストでも上位に立っていた強気なギャルで、顔立ちも整っていてとても可愛い女の子だ。

クラス一のイケメンと女王様がカップルになった事に嘆く者もいれば、興味津々に恋バナを聞き出そうと、はしゃぐ者もいる。

Dクラス初のカップルの誕生に、ただでさえ騒がしかった教室内はいっきにお祭りムードとなった。

 

ついでにキャイキャイと騒ぐ女子集団が大量に発生したせいで授業中の雑音の音量が上がる訳で。

そのことに対して、加速度的に堀北の機嫌が悪くなって、八つ当たりに遭うオレはだいぶ可哀想だと思います。

 

 

それからもう一つの大きな変化。

黒革に包まれた文庫本と黒い扇子の組み合わせがすっかりトレードマークとなりつつある魔貌の美少年。

姫王子なるあだ名でその美しさが讃えられている佐城の友人とも言える親しい存在が、ついに櫛田以外にも増えた事だろう。

 

「……以上の事柄からこの計算式の解はX=7、Y=5となります。井の頭さんのお役に立てたなら幸いなのですが」

 

「あ、ありがとう‼︎ さ、佐城くんって英語だけじゃなくてどんな科目も得意なんだね?」

 

「いえ、まさか。理数系に関してはあまり自信が持てないので普段からの予習復習が欠かせませんよ。勉強はハッキリと言ってしまえば暗記と慣れ。この二つを徹底してしまえば大概、何とかなるものですから」

 

「そ、それは頭が良い人の発言だよ佐城くん……わ、私は普段の授業も全く分からないのに。どうしよう、みーちゃん?」

 

「えーと……心ちゃんはまず授業に集中する事から始めた方がいいんじゃないでしょうか? その、しっかりと正面を向いて」

 

「うぅ……それは言わないでえ」

 

 

お隣さんでもあり、元々佐城の大ファンでもあった『井の頭 心』。

その友人でみーちゃんというあだ名で周りから親しまれている『王 美雨』。

この二人に櫛田が合流すれば佐城グループとでも名前のつきそうな仲良し面子の出来上がりだ。

 

この二人はもともと櫛田と特に仲の良い、大人しめで自己主張の少ない女子だ。

普通に考えれば、櫛田が中心となり元々仲の良かったグループに孤立していた佐城を迎え入れた形。となる。

筈なのだが、美少女達に囲まれているにも関わらず、一番輝きを放ち周囲を魅了しているのが佐城なのだ。

特に本人は意識していないだろうが、周囲の人間からはグループのリーダー格扱いされている事については今更言うまでも無いことだろう。

 

 

(男子は平田のお陰でカーストとかはあんまり意識しないで済んでるが……女子はこう、何というか格付けとかあるんだろうな)

 

 

 

家庭の事情で『一般的な』学校生活を送ってこなかった。というか現実には不登校を強いられていたオレからするとスクールカーストという概念は知識としては知っていたが、その輪郭は不明確でボヤけていた。

だがこうして普通の学生として高校生活を送ることで漸く実感してきたが、興味深さもあれば面倒臭さも感じる。特に女子はその傾向が顕著だ。

 

 

(元々トップにいた軽井沢が平田とくっついた事で女王の地位を確固たるものとした。これで女子は軽井沢と櫛田の二強になるのか)

 

 

軽井沢の他にも影響力という面で圧倒的に強いのが櫛田だ。

彼女は特定の派閥に属することもなく、どこまでも中立でいながら誰とでも友好的である。

気の強い女子グループも、大人しい女子集団も、孤立気味の生徒にも。

明るい男子にも、女子に嫌われがちな男子にも、そしてオレのようはコミュ障にも平等で優しい。

 

集団としての強さなら軽井沢に軍配が上がるが、個人の影響力で見れば圧倒的だろう。

現にあの唯我独尊自由人の高円寺や、美の化身である佐城とも笑顔でコミュニケーションを取っているのだ。

他クラスにも友達が多いらしいし、軽井沢とは別のベクトルでカーストの最上位に輝いている。

 

 

「ごめんねみんなっ‼︎ ちょっとだけ時間を貰ってもいいかな⁉︎」

 

 

だからこそ、そんな櫛田が頭を下げてまでクラス全員に向かい話を聞いて欲しい。と、お願いした時に誰も反抗しないのは至極当然のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

その日は三回目の水泳を控えていた日の朝。ホームルームまであと十分そこらといった隙間時間での事。

殆どの生徒がすでに登校していて、思い思いの過ごし方で学生生活を謳歌している。

そんな中で櫛田がちょうど教室の真ん中で、声を張り上げたものだから一斉に注目が集まった。

もちろん席について堀北の毒舌をやり過ごしていたオレも彼女に目線を向ける。

するとそこには珍しいことに、櫛田の隣に平田までもが真剣な面持ちで立っていた。

Dクラスにおける男子と女子の両トップがシリアスな表情で並び立つ様は、事の重大さを予感させる。

 

 

「いきなり時間を取ってもらってごめん。今日はクラスのみんなに相談したい事があるんだ」

 

クラスメート一人一人の瞳を見つめるように、ゆっくりと周囲を見回しながら平田が一歩前に出る。

どうやら語り部のメインは櫛田よりも平田らしい。

凛々しい顔をほんの少しだけ険しくさせた平田は、軽やかなテノールに感情を込めて語り出した。

 

 

「今から話すことはクラスの今後にも関わることになるから、みんな一度しっかり考えて欲しい。それは普段の授業態度について」

 

 

授業態度。という単語が口から出た瞬間、大半の人間が嫌なことを聞いたとばかりに顔を顰めた。

平田の恋人である軽井沢や、彼女と親しい篠原や森といった女子。

三馬鹿を始めとして本堂や菊池といった明るい男子。

 

皆に共通している点は言うまでもなく授業をまともに聞くどころか自由に騒ぎまくり、不真面目な態度をとっている事だ。

尤もDクラスの大半は似たような者で、しっかりと授業を受けている人間の方が極小数という状況なのだが。

 

すわ説教でも始まるのか。そんな雰囲気に反射するように席を立とうとした須藤の動きを止めたのは、話を続けていた平田の口から聞き逃せない言葉が出たからだろうか。

 

 

「それから、入学と同時に僕たちに支給された現金代わりのポイント。これらが減少する可能性がある。そんな情報を得たからなんだ」

 

 

ポイントの減額。その言葉を各々が噛み砕いて理解した瞬間、困惑と焦燥をない混ぜにした騒めきが起こった。

 

 

「ひ、平田くん⁉︎ ポイント減るってどういうこと⁉︎ 毎月一日に10万ポイント貰えるって話だよね?」

 

「おい、冗談寄せよ‼︎ てかポイントと授業態度って全く違う話じゃねーか⁉︎」

 

「櫛田さんに平田くんっ‼︎ 一体どういう意味⁉︎」

 

 

瞠目し掴みかからんとばかりの勢いで平田に問いかけるクラスメートの数々に櫛田が「落ち着いてっ‼︎」と声をかけた。

鶴の一声ならぬ天使の一声にどうにか暴動は防げたものの、不穏な空気は未だ漂っている。

「ありがとう」と短く櫛田に感謝を告げた平田は真摯な面持ちのままオレ達Dクラスの面々に語り始めた。

 

 

「匿名で情報があったんだ。毎月貰えるポイントは増減する事。それから今月振り込まれた10万ポイントは入学を果たした僕達の将来への期待に対してのもの、という事。つまり、学校側の期待を裏切るような不真面目な行為をしてしまえば……」

 

「期待を裏切ったと学校側から見なされて支給されるポイントが減額する。平田はそう言いたいわけか?」

 

 

平田の言葉を引き継ぐように意見を述べたのは幸村だった。

心ない女子生徒達にガリ勉と嘲笑されている彼だが、見た目通りの頭の硬い部分はあるもののDクラスの中では珍しく授業を真面目に受けている優等生だ。

彼も常日頃のクラスメート達の授業態度に思うところがあったのか、何処となく平田の言葉に好意的な色合いが見える。

 

 

「その通りだよ幸村くん」

 

「でも、平田くん。その、言いづらいけど、根拠っていうか……証拠みたいなものってあるの? 授業態度がポイントに関係するっていうハッキリした証」

 

「うーん。茶柱先生がわざわざ嘘をついたとは思えない、よね?」

 

「ただの考え過ぎだろ。高校だからちょっと緩いだけだろ。義務教育じゃねーんだから」

 

「そうそう。大体匿名の情報って何だよー。誰だか分かんねーけど悪戯で言ったんじゃねーの」

 

 

やや言いづらそうな雰囲気で普段から平田を囲んでいた女子の一人『篠原』が反論すると、それに追従するように不真面目な人間達が続いた。

だが平田は怯むことなく、反論する生徒一人一人に寄り添うかのような誠実さを込めて落ち着いた様子で続けた。

 

 

「情報を提供してくれたのはクラスのとある生徒だよ。本人はあまり目立ちたく無いこともあってか櫛田さんを通して意見をくれたんだ。僕は同じクラスの人間が嘘の情報を流した。なんて考えたくは無い。第一、そんなことをしても意味は無いだろうからね」

 

「え、櫛田ちゃん経由ってマジ?」

 

「そうなの櫛田さん?」

 

 

やはりここでも櫛田の影響力は強いようで、平田の口から彼女の名前が出ると、クラスの視線は再び彼女に集まった。

櫛田は少し緊張した様子でコクリと小さく頷いた。

 

 

「うん。『あくまで推測でしかないけど、この学校の理念を考えると教師達が素行の悪い生徒達を放っておいているのは、一種の試験。その試験の結果によって実力を測ってポイントの支給額に反映されるのでは?』っていう意見を貰ったの」

 

「理念? 試験?」

 

「なんだそりゃ? つーかソイツに説明させりゃいいじゃん」

 

「ご、ごめんねっ……人前で話すのは苦手な人に、私が無理言って話を聞き出した形になるからオフレコって約束なの」

 

「あ、ああ。別に櫛田ちゃんを責めているワケじゃねーよ⁉︎」

 

「そうそう」

 

 

情報提供者を炙り出そうとする声も櫛田の一声ですっかり鎮火する。

オレは座席に座りながらボンヤリと櫛田の言葉を反芻していた。

 

 

「筋は通っているわね」

 

 

ちょうどその時、本当に珍しいことに隣の席からこちらに語り掛ける声がした。

チラリと視線を移すと、堀北が櫛田と平田の方向をジッと見つめ何やら考え込んでいた。

 

 

「珍しいな。お前が櫛田や平田の意見を支持するなんて」

 

「勘違いしないで頂戴。私が支持しているのはあくまで彼女らに情報を提供した第三者についてよ。それが誰だかについては興味はないけどね」

 

 

ギロリ。と音が出そうな眼光でこちらを睨んだ堀北はオレの素朴な疑問を端的に切って捨てた。

こいつも顔は可愛いんだから櫛田ほどとは言わなくてもせめて佐城程度にはコミュニケーション能力があれば人気者になれただろうに。

 

 

「……何かしら。その不快な視線は。場合によっては物理的制裁を加えた上にセクハラで訴えることも辞さないわよ?」

 

「見ただけで私刑って酷すぎるだろっ、しかもその後訴える気マンマンだし。あれだ、ほら。情報提供者っていうのは本当にいるのかな? って思っただけだ。櫛田や平田本人の意見なんじゃないかと疑ってな」

 

「あり得ないわね」

 

 

敵意剥き出しの堀北からの制裁宣言を誤魔化す為、慌ててそれっぽい疑問をでっちあげるも堀北はまたもや即座に断言した。

 

 

「問題を先送りにして病的なまでに、お友達ごっこを他人にまで強制する人達よ。平田君や櫛田さんのようなタイプがリスクを背負ってまでお友達を律する為に苦言を呈する。なんて殊勝な真似ができる筈ないわ」

 

「お、おう。想像以上にボロクソ言うな」

 

「事実だもの。そもそもあの二人の意見だとすると時期があまりにもおかしいわ。わざわざ学級崩壊するまで待ってからあんな注意をしたって意味がない。それこそ授業に慣れて、緊張感が緩和した直後にしないと焼石に水……いえ、具体的な証拠が無いのなら火に油を注ぐ行為よ。平田くんも櫛田さんもそれが分からないほど馬鹿じゃないでしょう」

 

「ああ、なるほどな」

 

 

確かに堀北の意見は正しい。平田や櫛田が自分の意見で授業態度を注意したとするなら、幾らなんでも遅すぎる。

現に証拠も無いのに適当言うな。という旨のブーイングが平田に雨霰と注いでいる。

それでも必死に声を張り上げて説得している様子は大したものだとは思うが。

 

 

「今だって授業を真面目に受けている人だっている。それに櫛田さんが相談してくれたように来月以降に支給されるポイントが変動する可能性だってありえると思うんだ。

だからこそもう一度初心に帰って、僕たちは授業態度を見直すべきだと思う」

 

 

そこまで言い切った平田の言葉を遮るようにガンッと机を蹴りつける音が響いた。

険しい顔でメンチを切った須藤の仕業だ。

 

 

「チッ‼︎ っせーな‼︎ なんでテメェにそんな指図されなきゃなんねーんだよ‼︎」

 

 

あまりの剣幕と怒声に一瞬、静まり返った教室だが須藤の怒りの声を皮切りに大義を得たとばかりに再び反論の声が上がった。

 

 

「そーだそーだイケメンな上にいい子ちゃんぶりやがって」

 

「証拠を出せよ証拠をー」

 

 

池、山内が便乗するように発言すると、周囲のクラスメート達も先程よりも勢いを増して反論。

櫛田が必死に声を張り上げておちつかせようとするも、もはや収拾がつかない様子。

だがまあ仕方ない。幾ら何でも時期が悪すぎる。

 

 

「件の情報提供者とやらも、もう少し早く動いてくれれば良かったと言うのに。はぁ……全く、使えないわね」

 

 

嘆息と共に吐き捨てるような堀北の言葉は相変わらず辛辣だ。

暴動一歩手前となった騒ぎがどうにか収まったのはタイミング良く始業のチャイムが鳴ったおかげだろう。

鐘の音と殆ど同時に茶柱先生が入室し、ホームルームの開始を告げると頭に血が上っていたであろう面々も渋々と言った様子で席に着いた。

 

 

「席に着く様に……と言いたいところだが既に着席しているな。担任としては今後も続けて欲しいが、どうやら様子がおかしい様だな? 何かあったのか?」

 

 

最近のDクラスはホームルームだろうが授業だろうがお構い無しに喧騒が弾け回っていた為、こうして大人しく教師の話を聴いているのが意外だったのだろう。

面白いものを見たような目をした茶柱が生徒を一瞥する。

 

 

「先生。ホームルームの前に、質問したいことがあるのですが」

 

 

すかさず平田が手を挙げた。先程の議題を質問という形で先生に共有し、正誤の判断を下して貰うためだろう。

 

 

「うん? どうした平田。今朝は特に連絡事項も無いからな。疑問に思ったことがあるなら遠慮なく質問して構わない」

 

「はい。来月以降に振り込まれるポイントについて、どうしても確認しておきたいことがあるんです」

 

「……ほう」

 

 

益々持って面白い。そんな内心が透けて見える笑みの茶柱先生は無言で頷いて平田に続きを促した。

ここまで来ると周囲のクラスメートも無言で二人の様子を眺めている。

チラリと隣に視線を送る。堀北ですら真剣な顔で茶柱先生に射抜くような視線を向けていたのが印象的だった。

 

 

「来月の支給ポイントは幾つでしょうか? 今月は10万ポイント支給されました。ですが来月以降のポイントの支給額は、ここから減額される事が有り得るんでしょうか?」

 

「……」

 

 

一瞬、茶柱先生の頰が震えた。湧き上がる歓喜の炎を必死で抑えつけるようなポーカーフェイス。

今の平田の質問が茶柱先生の心の琴線にでも触れたのか。そしてそれを誤魔化すように、決して誰にも悟られぬように作ったような明るい声を張り上げた。

 

 

「お前が何を心配しているか知らないが初日の説明通りだ。ポイントは毎月一日に振り込まれる。もちろん校則違反や問題行為の罰則として減額や没収の処置が施される場合もある。だが『当校の生徒として相応しい生活を心がけていれば』要らぬ心配だろう」

 

 

普段はクールで生徒に無関心な気質にも見える茶柱先生からは考えられない程に、優しく親しみやすい語り口。

だからこそその態度はあまりにも分かりやすい。

……まるでこう言っているようだ。「答えは言えない。私の態度で察知しろ」と。

 

 

「⁉︎……先生っ、それは‼︎」

 

 

現に平田は先生の言葉の真意に気付いたのだろう。オレは瞬時に視線だけで持って周囲を観察すると何人かの生徒は平田のように瞠目していた。

先程までまた平田と共にクラスメートに説得していた櫛田。その友人である王と井の頭。

幸村に……あの女子は松下だっただろうか?

すっかり顔色を悪くし、最悪な未来を予想しているようだ。

きっと彼らはこのクラスの中でも比較的、優秀な気質を持っているのだろう。

 

だが、残念な事に大半の生徒はそれ以外。つまり、お世辞にも優秀とは言えない鈍感な気質の持主が多いのだ。

 

 

「なんだよ‼︎ さっき平田の言ってたこと、普通に間違ってるんじゃねーかよー‼︎」

 

 

茶柱先生の言葉を『真正面』から受け取ってしまったのだろう。

平田の失態を嘲笑うかのように山内が大声で囃し立てた。

それに続くように、男子も女子も安堵した様子で好き勝手に騒ぎ始めた。

 

例外は失望したように人知れず溜め息を漏らす茶柱先生。それから先程観察した一部の生徒。

 

 

「確定。ね」

 

 

そしてオレの隣人、堀北だった。

 

 

「確定って、どっちの意味だ?」

 

「あなた、そんな事も判らないの? 先生が言っていた通りの意味よ。態とらしく『当校の生徒として相応しい生活を心掛けていれば』なんて言われれば言葉の裏に気づくでしょう」

 

「つまり今のオレ達はこの学校に相応しくない。ポイントの減額もあり得る。ってことか」

 

「愚か者の範疇に私を巻き込まないで欲しいわね。今は馬鹿騒ぎしている人たちも来月になったら嫌でも静かになってくれそうで安心ね」

 

「……ああ、そうだな」

 

 

はしゃぎ回るクラスメートに対しゴミを見るような冷たい視線で吐き捨てる堀北の横顔を見てオレは思った。

確かに堀北の言う通り、来月になってから支給されるポイントは減額するのだろう。

そして減額の対象が生徒一人一人の生活態度に比例するのならば、大した問題では無いのだろう。

 

その対象が『個人』なら。

 

 

「確かに堀北の推察通りなら真面目に授業を受けていれば問題なさそうだな」

 

「分かったらあなたも真面目に授業を受ける事ね。いつまでも同性相手に視姦だなんて浅ましい真似を即刻やめることを推奨するわ」

 

「おい、オレは佐城を視姦なんてしていないぞ」

 

「私は佐城くんの名前なんか出した覚えはないけれど?」

 

 

鼻で笑う堀北の表情に苦いものが湧き上がり、視線を逸らす為に正面を向く。

 

そこには沈鬱な様子で机の上に蹲る井の頭を優しく慰めている佐城の姿があった。

最近は改善してきたとは言え、井の頭は授業そっちのけでお隣の横顔に見惚れている時間が多かったので、お世辞にも授業態度が良かったとは言えない。

つまり彼女は来月に迫った暗澹たる己の未来を悟ってしまったのだろう。

 

そこでふとオレは思った。井の頭は優秀とは言えない生徒だ。口数こそ少ないものの、真面目に授業を受けているワケでもない。現に水泳授業は常にサボりで見学している。

佐城や王から勉強を教わっている様子を最近見かけるが、その範囲も中学時代に習ったであろう比較的難易度の低い問題ばかりだった。という事は学力に関してもそこまで秀でているワケでは無いのだろう。

 

 

(普通に考えたら前もって誰かに情報を聞いていた。ってところだろう。櫛田とも仲がいいわけだし……でもあの誰にでも平等な櫛田が特定の一個人に前以て情報を先出しなんかするか?)

 

 

何故そんな彼女が、茶柱先生の言葉の裏に気づく事が出来たのだろうか?

 

 

「ほら、また視てる。あなたが性犯罪で捕まる日も近いかもね」

 

「……冤罪にも程がある」

 

 

堀北の言葉が思考をボカした。

まあ、別にどうでも良い事だ。オレは事勿れ主義者なのだ。

もうすぐ月末だし、どうせ真実は直ぐに明らかになる。

堀北の言葉のせいで佐城を視界に入れるにも気まずくなり、ふと窓の外を眺めた。

 

 

(そう言えばあの日から見てないなー)

 

 

雲一つない青空の下。あの日見かけた黒い蝶は姿を現す事はなかった。

 

今はまだ。

 




特殊タグを後々入れたいので編集随時していきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』6

お ま た せ


 

 

穏やかな春の陽気に初夏の足音が聞こえる。

入学と出会いの季節であった四月も、あっという間に終わりを迎えようとしていた。

 

そんなある日の朝のこと。

寝起き独特の気怠げな眠気を吹き飛ばすような衝撃的な出来事は、特に前触れもなくやって来た。

 

 

「うぉっ……⁉あー、えっと。お、おはよう」

 

 

やばい、少し声が裏返ったかもしれない。だがこうして無様を晒してしまうのも仕方はないと言い訳させて欲しい。

 

 

「……えぇ」

 

 

テンパったオレの不格好な言葉に対し、言葉少なげに一言の挨拶?と共に小さく礼を返した相手が絶世の美人なのだから。

 

 

 

(ま、まさか佐城と二人っきりになる機会があるだなんて! いや、冷静に考えれば男子寮の同じ階で生活しているんだから、そりゃばったり鉢合わせしても何のおかしい話でもないんだけど)

 

 

美少女揃いだと噂され始めているらしい、高度育成高等学校一年生のあらゆる女子生徒をぶっちぎりで突き放す美貌と気品を兼ね備えた、美の寵児。それが彼、佐城ハリソンだ。

今のオレの状況は、男子寮からエレベーターで降りる際に偶然にも狭い室内で鉢合わせした、という訳だ。

 

 

(男同士、密室、七秒間。何も起きない筈がなく……って何バカなことを考えてんだオレは!?)

 

 

毒電波に侵されたバラ色の妄想をすぐさま頭を振って追い出す。

そりゃ、いつか機会があったら人間離れした佐城の美貌を観察してみたい。とは考えたことはあったが、まさかいきなり奇襲じみたこんなタイミングで叶うとは思わず、ちょっとばかりパニックを起こしてしまった。

 

 

(っにしても本当に綺麗な顔してるな……肌もただ白いだけじゃなくて、何だか艶々と光って見えるし。耳も鼻も唇も、本当に芸術作品のような、いや、ソレ以上に整った造形美だ。うっわ、まつ毛長いなぁ。鳥の羽根みたいにフワって広がってる……っていうか距離が近い!! めっちゃイイ匂いする!! えっ何で⁉ 何で男なのにこんな甘い匂いがするの⁉ 本当に佐城は男なんだよな⁉ 堀北や櫛田よりもイイ匂いがするんですけど⁉)

 

 

やはり佐城の美貌は凶器である。同性愛の気質など持っていないオレがあっという間に視線を惹き込まれ、観察することが止められなくなってしまう。

天使のようなプラチナブロンドがふわりと跳ねる度に、淡い蜂蜜と金木犀が交じった甘く爽やかな香りがオレの脳内をトロリと魅了し、思わず視界がクラクラと揺れた。

 

我ながらだいぶ気持ち悪い状態になっている自覚はある。

山内や博士から聞きかじったゲーム知識で例えるなら今のオレはまさに『状態異常 魅了』と言ったところだろうか。

 

 

(ん?……改めて観察すると、佐城のやつ、やけに顔色が青白いような)

 

 

思い出した。そう言えば、数日前から佐城の顔色が非常に悪くて、もしや体調でも悪いのでは? 学校を休んだほうがいいのでは?

と彼の友人である井の頭や王が涙目になりながら心配していたような気がする。

遠目から見ていたオレには詳しいことは分からなかったが、どうやら相当に調子が悪かったのだろう。

いつものように佐城にダル絡みしに行った山内や池を、気を利かせたであろう櫛田がやんわりとだが身を張ってまで、佐城から遠ざけていたこともあった。

 

たおやかで華奢。見るからに繊細そうな佐城だ。

慣れない寮生活に体調でも崩したのか、それともストレスで精神的に負担がかかっていたのかもしれない。

 

緊張感のあまり固唾を呑む。オレはほんの少しの勇気を振り絞って佐城に声をかけてみることにした。

 

 

「あー、その。さ、佐城? 顔色が悪いみたいだが。その、体調とかは大丈夫なのか?」

 

「ええ」

 

「え? あ、うん。そっか、なら良かった。うん」

 

 

一言。一言である。

冷や汗かく思いで声をかけたというのに返答はたったの一言。ヤバい、ちょっと泣きそう。なんだったら普段堀北から浴びせられている心無い罵倒よりもダメージが大きいかも知れない。

 

何でだ? 佐城が口下手でもコミュ障でもないというのは普段の様子から知っている。

だというのに会話が一瞬で終わってしまったぞ。もしかしてオレって佐城に嫌われているのか!?

そんなバカな⁉ そもそも今まで一回も話したことすらなかったのに嫌われる要素なんてある筈が……。

 

 

(いや、あったわ!! オレの友人二人が佐城に思いっきり嫌がらせしてたわ。嫌われる要素あったわ。これ、下手したら池や山内とつるんでるオレもあの二人と同類だと思われてるのか)

 

 

気不味い。普通に気不味い。

目の前にいる超絶美人に嫌われているという事実だけで死にたくなる。おのれ、山内。おのれ、池。

来月10万ポイント振り込まれなくて泣きを見てもオレは絶対に助けないぞ!!

 

 

(嫌われてるのか……そっかぁ。いや、逆に考えれば今の機会を逃せばまともに会話する機会も無くなるってことだし。せっかくだから気になった事は聞いておくか)

 

 

 

佐城について興味を持ったのは彼が誇る人外の美貌に興味を惹かれたのがきっかけだが、最近になってもう一つ気になる点が出てきた。

それは以前に櫛田と平田がクラスに呼びかけていた授業態度とポイントの増減の関連性について。

 

 

「なあ佐城。聞きたいことがあるんだが」

 

 

そんな重要な情報を櫛田を通して提供した匿名の人物の正体こそが、佐城ではないかと言うことだ。

 

 

 

「前に櫛田と平田が言っていた匿名の情報提供者。アレ、お前だろ?」

 

 

 

……なんてことだ。我ながら会話の仕方が絶望的に下手くそで嫌になる。

つっけんどんで無遠慮に問いただす形になってしまった俺の言葉など、無視されるか何を言っているのかと冷たく切り捨てられる覚悟もしていた。

 

 

「ええ」

 

「……え? お、おう。あっさり教えてくれるのな?」

 

 

だがしかし、肯定。返って来たのは気が抜けるぐらいにあっさりとした肯定だ。

ここまで明け透けならば、何故わざわざ匿名で櫛田経由で伝えたのか疑問に思うのだが。

 

 

(もしかしたら佐城もオレと同じで事なかれ主義だったりするのか? 必要以上に目立ちたくないから影響力の強い櫛田を使って自分の名前を隠した。とか?)

 

 

そこまで考えて、結局それは有り得ない話だと俺は判断した。

そもそも現時点ですら佐城ほど目立つ生徒なんてクラスどころか学年にも居ないのだから。

今さら目立ちたくない。だなんてオレのようなコソコソと小さい企みなんかするような人間ではないだろう。

そもそも佐城がオレと同じ事なかれ主義で目立つのを避けるタイプの人間なら、入学当初からの擬態を解く必要がない筈だから。

 

 

(案外ただの気紛れかもな。櫛田や井の頭たちには気づいたから友人として忠告しただけ。オレからの質問はただ聞かれたから答えただけ。とか)

 

 

平田と櫛田のクラスに対する呼び掛けの後、Dクラスには僅かな変化が見られた。それはポイントの使用頻度に関してだ。

今までは無条件で毎月10万ポイントを貰えることを盲信していたが、雲行きが怪しくなったことをきっかけに、一部の生徒がポイントを節約するようになった。要するに財布の紐がキツくなったのだろう。

特にその傾向が目立つのが平田、軽井沢のカップル。

そして最も顕著なのがDクラス一の人気者である櫛田である。

 

今までは誰かが遊びに誘えば笑顔で予定を組み立てていた彼女が、最近は声をかけられる度に「ちょっと厳しいから、また来月でもいいかな?」と困ったような表情で遠回しにお断りするようになった。

クラスのアイドルからのあざと可愛い謝罪に殆どの人間は、なら来月に。と笑顔で受け入れるが、中には不満を抱いているものもいる訳で。

大天使クシダエルに余計な入れ知恵をした匿名の情報提供者を恨んでいる、見当違いも甚だしい人間もいるのだ。

 

 

(情報提供者が佐城だという事実は。うん、黙っていたほうがいいだろう。言い触らすようなことでもないし)

 

 

というか現に山内と池が「櫛田ちゃんの付き合いが悪くなったのは余計な事を言ったやつのせいだ」と愚痴を言っているのを聞いた事があった。

ただでさえ佐城を一方的に目の敵にしている山内と池だ。

彼こそが櫛田に節制を決意させたきっかけとなった件の情報提供者である。などとバレたら一騒動起きるに決まっている。

 

 

ぼんやりと思考に耽っていたオレの目を覚ましたのはチン。というエレベーターの機械音だった。

 

 

「では」

 

「え、あ、うん。また教室で、な?」

 

 

扉が開くやいなや、こちらを一瞥することもなく降りていった佐城の短い挨拶にどうにか反応できたものの、今になってもう一つ聞きたいことがあったのを思い出した。

 

 

(せっかくだから評価の対象が個人なのかクラス単位なのか聞いておけばよかったかもな)

 

 

例えば堀北は授業態度を始めとした日頃の行いが個人のポイント額に丁寧にも一人一人反映されると確信していた。

だがオレから言わせてもらうならばその考え方は、はっきり言って甘いだろう。

 

 

尤も、現時点で何か明確な根拠があるワケでは無い。

だが情報提供者の指摘。つまり佐城の意見である『この学校の理念』という観点から考えれば話のオチがぼんやりと見えてくる。

将来の日本社会を支える為に集めた生徒達がいくら優秀だったとしても、スタンドプレーばかりで協調性の無い者ばかりだとしたら、それは果たして優秀な社会人だと言えるだろうか。

それこそオレの隣人である堀北のように、いくら文武両道の才女とは言え、徹底的に他者との関わりを避け、近づく人間全てに攻撃的な態度をとるような彼女が社会に受け入れられるだろうか。

 

 

(それに、入学初日に茶柱先生が言っていた『三年間学年によるクラス替えは無い』というあの言葉も。改めて考えてみると、どうにも疑わしく思えてくる)

 

 

クラス替えが存在しない。つまりオレ達、高度育成高等学校に入学した生徒達からすれば各々が所属するクラスは卒業するまで一蓮托生の関係だ。

40名の生徒のグループ。つまりクラスそのものを、小さな社会を模したモノと考えられるのではないか?

将来的に優秀な社会人となることを期待されているならば、むしろ評価の基準は個人よりも社会全体と考えるのは穿った意見だろうか?

 

もしも。もしもオレの考えがこの学校の教育理念と同じベクトルを向いていたとするならば評価の基準。

つまりポイントの増減単位は個人では無くむしろ……。

 

 

(でも、まあ、別にどうでもいいか。どうせ来月になったら分かる事だしな)

 

 

大きくなっていく猜疑心が輪郭を持つ前に欠伸を一つ噛み殺し、オレはざわついていた脳内を綺麗にリセットした。

そもそもオレは事なかれ主義なのだ。ようやく手に入れた平穏な日常を、わざわざ好奇心のままにあちこち首を突っ込んだ結果、むざむざ自分から手放すような愚かな真似はしたくない。

 

 

結果的に言ってしまえば。

配布されるポイントの増減も、暗礁に乗り上げるであろうDクラスの行く末も、学校の理念やら怪しげな企みも。

 

俺にとっては全てどうでもいいのだから。

 

 

(佐城も早足で行っちゃったし、オレも学校行こう。その内、またゆっくり会話でも出来ればいいんだけどな)

 

 

すっかり花弁が散り尽くして、寂しくなった桜並木の間。

あっという間に小さくなってしまった佐城のポツンとした背中を追うようにして、オレはダラダラと。

騒がしく、どこか退廃的な高校生活に向かってオレはゆっくり歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんか、妙な小テストだったな」

 

 

月末だから。という理由で唐突に始まった小テストを終えたオレだが、どうにも腑に落ちない気分だった。

 

 

「ええ。入試の問題と比べると格段に難易度が落ちているというのに、最後の三問だけはかなりの高レベルだったわね。下手な大学の入試問題よりも難問だったかも」

 

 

どうやら違和感を感じたのはオレだけでは無かったらしく、珍しく堀北が話に乗ってくれた。

 

 

「ああ。言われてみればそうだったな」

 

 

茶柱先生曰く「今後の参考の為」に行われたテストにしては、時期が微妙だという点も個人的には引っかかった。

だが、やはり一番の違和感は堀北の言った通り最後の三問の難易度だろう。

あの問題に関しては明らかにおかしい。

普通の高校一年生なら解けるはずがない。

と言うよりも、学校側としても解かせる気がないのでは無いか。というレベルの問題ばかりだ。

 

 

「数学の問題は解けたと思うけど。他の二問に関しては正直、自信がないわ」

 

「いや、あんな難問を一問でも解けてるなら十分にすごいと思うぞ」

 

 

オレは堀北の言葉に珍しく素直に感心した。

以前から学力という点では優秀だろうと思っていたが、まさか理系選択の高校三年生が習うであろう範囲にある問題を解ける程とは思っていなかった。

堀北はオレの想像以上に能力水準の高い生徒のようである。

 

思い返せば水泳の授業でも現役の水泳部には敵わなかったとは言え、抜群の運動神経を見せつけていた。

ピンと張ったような、芯の通った普段の立ち姿や歩行の姿勢から察するに、ほぼ間違いなく何らかの武道の経験もあるだろう。

ダメ押しとばかりに『女子』内では群を抜いて整った顔つきをしているのが堀北 鈴音という女の子だ。

これでコイツの病的な人嫌いさえなければ、絵に描いたような理想の優等生となっていただろうに。

 

 

「オレはテスト全体で半分ぐらいしか解けなかったし、最後の三問なんて問題文を読んだ時点で投げ出したからな」

 

 

「半分って、あなた……呆れたわ」

 

 

まあ、正確に言うなら解けなかったではなく『解かなかった』が正しいのだが、些細な問題だろう。

点数としては50点になるように調整してあるから、変に目立つ心配も無い。

平均点がどれくらいになるか分からなかった……と言うよりも、態々『クラスメイトの面々を観察及び分析し、クラスの平均点を予測して点数を合わせる』なんて真似をする程、たかが小テストに労力をかけたくなかった。

入試と同じように、とりあえず50点で合わせたしこれなら悪目立ちはしないで済むだろう。

 

 

 

「最後の問題を除けば、どの教科も中学時代の基礎の問題ばかりだったじゃない」

 

「そう言われてもな。そもそもやる気もなかったし、中学時代もそこまで勉強してなかったからな。まあ、赤点とか補習に引っ掛からなければ十分だろ。それに今回の小テストは成績に入らないみたいだし」

 

「怠惰な人間。やっぱりあなたみたいな愚かで能力の無い人間、嫌いだわ」

 

「……オレは事なかれ主義だからな。悪目立ちさえしなければいいんだよ」

 

 

 

堀北からの侮蔑混じりの冷たい言葉と視線が心にグサグサと刺さる。想像以上に刺さる。

いくら性格がアレとは言え、コイツのような可愛い女の子から面と向かって「嫌い」だなんて言われたら、どんな男だって傷つくだろう。

現に今のオレは泣きそうだ。

 

だがオレにも言い分はある。

 

 

「それに周りを見てみたらどうだ。オレだけが特別に出来が悪いってワケじゃあなさそうだ」

 

 

オレは堀北に顎で周囲を指し示すような動作をしながら、ぐるりとDクラスの面々を観察した。

 

 

「小テストどうだったー? あたし全然わかんなかったんだけど」

 

「私もー。っていうか抜打ちってホントやめて欲しいんですけど。マジで萎えるわー」

 

「あんな問題習ってたっけ?」

 

「知らね―よ。授業なんか聞いてねーし」

 

 

いわゆる陽キャに位置するクラスメイト達は常日頃から声が大きい。ほんの少し意識して会話を聞いてみると、やはり殆どの人間が今回の小テストで満足行く結果を出せなかったようだ。

 

 

「……信じられないわ。本当に彼らはどうやって入試を突破したのかしら?」

 

 

愕然とした堀北の言葉にオレは内心で同意した。

日々の授業態度から何となく察してはいたが、Dクラスの面々は学力という点では能力もモチベーションも、非常に低い人間が集められている気がする。

 

 

「まあ、確かに。軽井沢とか須藤とか、よくこの学校に受かったなーと不思議に思うやつもいるけど」

 

「他人事のように言ってるけどアナタも似たようなものよ。この程度の小テストで半分しか分からないなんて恥と思った方がいいわ」

 

「安心しろ。自覚はある」

 

「何で自慢気な顔をしているのよ」

 

 

頭痛をこらえるように頭を抱えてしまった堀北を尻目に、オレは「そういえば」と前の方に視線を向けた。

勤勉という言葉を鼻で笑うような怠惰な者が多いDクラスの中で、堀北同様に真面目に勉学に励んでいる生徒に心当たりがあったからだ。

 

 

「小テストの手応えですか? どうですかね。ケアレスミスと最後の数学さえ合っていれば恐らくは問題ないとは思うのですが」

 

「ほ、殆ど解けたってこと!? 佐城くん、凄いです。わ、私は、半分も分からなかったのにぃ」

 

「殆どの問題は中学レベルだったと思うのですが」

 

「うぅ……あ、でも!! 英語は結構出来ましたよ。佐城くんとみーちゃんが教えてくれましたから!!」

 

「ああ、良かった。ボクのつまらないお節介でも、井の頭さんのお役に立てたなら幸いです」

 

 

オレの目に映ったのは美を司る魔人。まあ、つまり、何だかんだと視線が吸い込まれる存在である佐城がいるわけだが。

そんな彼は隣席の井の頭に慰めるような言葉をかけつつ、柔らかい笑みを浮かべていた。

 

 

(普段から井の頭に勉強教えていたのをよく見ていたから何となく分かってたけど、やっぱり佐城って頭良かったんだな)

 

 

井の頭との会話の節々や佐城本人の余裕の表情から察するに、佐城にとってあの小テストは比較的簡単なものだったのだろう。

英国人とのハーフという環境から英語が堪能という背景も加味すると、やはり佐城は学力という面でもかなりの能力を有している。

 

 

「……同性愛を否定するつもりはないけれど、同性でもセクハラやストーカーは成立することを忘れないようにね」

 

「おいコラ、お前はいきなり何を言っているんだ」

 

 

知らず知らずの内にまじまじと佐城を観察していたオレが悪かったのだろう。

隣人からの心無き誹謗中傷の声が心の内にグサリと突き刺さった。

 

 

「あのね、隣の席に座っている人間が隙あらば舐めるような視線で同性を視姦していたら、嫌でも目につくのよ」

 

「言葉選びに悪意が有り過ぎる!!」

 

 

普段の声色すら氷のように冷たいというのに、更にワントーン低くなった堀北の言葉は極寒だった。

おまけにその顔色は犬の糞でも見るような嫌悪一色に染まっている。いい加減にしないとそろそろオレも泣いちゃうぞ!?

 

 

「別にオレは佐城に変な気なんか持ってないからな? ただ、ほら。座席の関係上で、目につくってだけで」

 

「その理屈で言うならあなたの隣に座っている私まで当てはまるのだけど」

 

「いや、それは。アレだ。あの容姿だぞ? お前だって、やっぱちょっとは目を惹かれたりするだろ」

 

「あなたのような性犯罪者予備群と一緒にしないで頂戴。私は他人に構っている暇も、余裕も、興味も無いの」

 

 

バッサリと言い切った堀北だが、実のところオレは知っている。

授業の合間の短い休憩時間。読書をしている堀北が時折、佐城の方に視線を向けていることに。

 

かと言ってそんな事につっこみを入れてしまえば、どんな報復を受けるかも分からないワケで。

次の授業が始まるまでの短い時間、オレは汚物を見る目で距離を取ろうとする堀北に必死になって弁解するハメになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北と? バカ、付き合ってないって。全然。いや、マジで」

 

 

とある日の放課後。自販機近くの廊下にへばりつくように屯しながら山内達と雑談している時だった。

急にとんでも無い勘違いが飛んできたものだから思わずオレの声が大きくなったのも無理はないだろう。

 

 

「だってお前ら今日も授業中コソコソ何か喋ってただろ。俺たちに聞かせられない話でもしてたんだろ。デートとか、デートとか、デートの約束とか! あああ、羨ましい!!」

 

 

オーバーリアクションと共に嘆きの声をあげる池の言葉に同意するように山内が睨みつけ、須藤ですら興味深げにオレの様子を窺っていた。

要はオレと堀北が付き合っているんじゃないかという、当事者であるオレからするとバカバカしいにも程がある疑いをかけられているらしい。

 

 

「ないない。そもそも堀北ってそういうキャラじゃないだろ」

 

「知らねーよ。俺たち話したこともねぇのに堀北ちゃんのキャラ知らね―し」

 

 

池や山内曰く、櫛田から聞かなかったら未だ堀北の名前すら知らなかったかもしれないんだとか。

いやまあ、そう言われてしまえば、誰ともまともに会話をしようとしない堀北がコミュニケ―ションを取る唯一の相手がオレだ。という点は否定できないが……

だが、そこには恋愛感情のような甘酸っぱいものどころか友好的な暖かみすら皆無だ。

オレと堀北もなかなか奇妙な縁だとは思うが、少なくとも互いの関係が進展することは暫く無いだろう。

 

 

「顔だけはすげぇ可愛いじゃん? だから注目はしてるわけよ」

 

 

うんうんと頷く池と山内。

とは言え、おっぱい賭博や佐城の件もあって、ぶっちぎりで女子に嫌われているこの二人に注目されても、堀北も困ると思うんだが。

他人に興味が無いと言い切っている堀北が、たまに絡みに行く櫛田やオレ以外に、唯一嫌悪の表情を隠そうともしないのが目の前の二人だからな。

 

 

「性格がキツいけどな。俺はああいう女はダメだ」

 

 

困惑しているオレを見かねてか、コーヒー片手に須藤が頭を振った。

池曰く、バスケ部の女子マネージャーは美人揃いらしいが須藤は女の子よりもバスケに惚れ込んでいるらしい。

新人部員が女の品定めなんかしていられるか。と恋バナには興味がなさそうだった。

 

 

「そうなんだよ、トゲトゲしいというか何というか。俺は付き合うならもっと明るくて会話が自然と続くような娘がいいな。もちろん可愛くて。櫛田ちゃんみたいな」

 

「あー櫛田ちゃんと付き合いてー。つか、エッチしてー!!」

 

 

池と山内のお気に入りは、やはりクラスのアイドルである櫛田のようだ。

まあ少なくとも櫛田ならどんなに女子から嫌われていたとしても、優しく笑顔で話しかけてくれる博愛精神に満ちた天使のような女の子だからな。二人が首ったけになるのも無理はない。

 

 

「でも最近付き合い悪くなっちゃったよな―櫛田ちゃん。来月のポイントが振り込まれるまでは節約したいとか、なんとか」

 

「平田も櫛田ちゃんも気にし過ぎだよなー。サエちゃん先生が心配するなって言ってたのにビビってたし。問題行為さえしなけりゃ毎月10万貰えるってのに」

 

 

櫛田がポイントを節約し始めたのは有名な話だ。

茶柱先生の説明を『真正面』から受け止めたDクラスの面々は来月も10万ポイント振り込まれるに違い無いと信じていた。

 

 

「問題行為ってアレだろ? 備品壊したり、喧嘩したりしなきゃ良いってだけだろ。普通に生活してりゃ、いいだけじゃん」

 

「この中で心配なのは喧嘩っ早い須藤だけだな。もしポイント没収されたら俺が貸してやってもいいぜ?」

 

「うっせぇよ。そもそも最近、喧嘩なんかやってねぇっつーの」

 

 

ヘラヘラと笑う山内と池に須藤が舌打ちしながらコーヒーを飲み干した。

オレの記憶が確かなら入学初日に先輩方に喧嘩を売り、つい先日も肩がぶつかったとか下らない理由で別クラスの男子の胸倉を掴み上げていたような気がするんだが。

どうやら須藤的にはあの程度なら問題行為にはならないと思っているらしい。

 

 

「それにしてもさー。櫛田ちゃんは可愛くて優しくて明るくて、めっちゃエロい身体してるけど、あんなに節約にうるさいなんて。もしかして、意外とケチだったりするのかな?」

 

「ケチとは言わね―だろ。来月のポイント振り込まれてから遊ぼうって言ってるワケだし。あれはただの心配性じゃね? 何度誘っても毎回断られるのはちょっと、心に来るけどよー」

 

 

 

櫛田や平田、軽井沢と言った影響力の強い面々があからさまに節制を心掛けているものだから、主に一部の女子グループが影響を受けて、今更ながら節制に励んでいるらしい。

もっともオレの友人である三バカ連中は、節制とは無縁な生活を送っているようだが。

 

 

「ポイントが理由で断られているなら、お前らが櫛田の分を奢ってやれば良いんじゃないか?」

 

 

来月振り込まれるであろうポイントが10万でないことを、半ば確信しているオレからすれば櫛田の行動は間違いでない。むしろ遅いぐらいだ。

フォローの意味も込めて、目の前で愚痴りあっている二人に提案するも、返って来たのは何とも情けない言葉。

 

 

「いや、俺もうポイント殆ど残ってないんだよな。あと二千くらい?」

 

「俺もそのくらいだな」

 

「……は? お前ら、三週間で九万ポイント以上も使ったのか?」

 

 

まさか本気で10万ポイント使い切るペースで浪費しているとは思わず、オレはらしくもなく瞠目した。

 

 

「仕方ねーじゃん。大金が手に入るとついつい使っちまうよな」

 

「俺なんてゲーム機買ったぜゲーム機!! 宮本がゲーム上手くてよー」

 

 

池はモテる為の先行投資のつもりなのか、流行のファッション雑誌を参考に洋服やアクセサリーを買いしめ、男女問わず遊びに行ったりと夢のような学生生活をすっかり満喫しているようだった。

山内の場合はもっと極端で、後先考えずに「どうせ来月も10万ポイント貰えるから」と目につくもの全てに金を使いまくるという無駄遣いのお手本のような有り様だ。

須藤も須藤でバスケ部の活動に必要なシューズやボール。トレーニング機器などで結構な額を使ってしまったのだとか。

 

使い方は三者三様とは言え、残高は殆ど残っていないらしい。

 

 

(まさかDクラスの面々もコイツらと同じ勢いで浪費しているんじゃないだろうな? これ、下手したら来月は地獄を見るんじゃないか?)

 

 

『どうせすぐ、お前らは地獄を見るんだからよ』

 

 

入学初日に須藤と揉めていた先輩が嘲笑と共に言い残したこの言葉。

何故このタイミングで浮かんできたのだろうか。

 

 

「綾小路ー、早くココアを奢ってくれー」

 

 

廊下に寝そべりながらヘラヘラと笑う山内の声で意識が戻る。

目の前にいるオレの友人たちは、オレにとって大切な存在だ。

だが、客観的に彼らを評価してしまえば、お世辞にも品がイイとは言えない人間ではないだろうか。

 

 

喧嘩っ早く、直ぐに手が出る直情的な須藤。

 

自堕落で虚言癖があり、他者の感情を慮ることのできない山内。

 

無計画で、その場のノリで直ぐに短慮な行動を取りがちな池。

 

 

つい先日行われた小テストについて話を聞いてみた時も、山内のホラはともかくとして全員が半分も解けなかったと諦め半分の軽薄な笑みを浮かべていたのを思い出す。

 

日本屈指の進学率、就職率を誇る高校にも関わらず合否の基準は学力やテストの点数だけではないのだろう。

なら、一体この学校は、その人間の何に可能性を見て入学者を選んだのだろう。

オレはふと、そんなことを疑問に思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた五月一日。

 

 

 

「お前らは本当に愚かな生徒たちだな」

 

 

 

こうして地獄が始まった。

 

 

.




本当に待たせてごめんなさい。綾小路視点が終わらないー


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』7

ちょっと原作の文章多いです。


 

五月一日。

始業チャイムが鳴ると程なくして茶柱先生がやって来る。だがその顔はいつもよりもどこか険しい。

 

 

「せんせー、ひょっとして生理でも止まりましたー?」

 

 

池がまさかの発言を繰り出す。ただでさえピリピリしていたDクラス内の雰囲気が加速度的に悪化していくのが分かる。

茶柱先生は池のセクハラ発言に一瞥することすらなく教卓の上で淡々と言葉を発した。

 

 

「これより朝のホームルームを始める。が、その前に何か質問はあるか? 気になることがあるなら今聞いておいた方がいいぞ?」

 

 

冷静、というよりもいっそ、冷酷。といった冷たい温度の先生の言葉は、生徒からの質問があることを確信している様子だった。

実際、数人の生徒がすぐさま挙手をした。

 

 

「あの、今朝確認したらポイントが振り込まれてないんですけど。毎月1日に支給されるんじゃなかったんですか?」

 

 

今朝ジュースが買えなくて焦りましたよ。と不満げな声を漏らしたのは本堂だ。

というかジュース一本を買うポイントすら残ってないのかアイツは。

 

 

「本堂、前に説明しただろ、その通りだ。ポイントは毎月1日に振込まれる。今月も問題なく振込まれたことは確認されている」

 

「え、でも……振込まれてなかったよな?」

 

 

淡々とした茶柱先生の語り口とその内容に不安を覚えたのだろう。本堂は不安気な声で山内と顔を見合わせて確認し合っていた。

池に関してはそもそも気づいていなかったらしく今さら端末を確認して驚いている。

確かに今朝、ポイントを確認したら残高は昨日までと全く同じ。

普通に考えたらポイントは未だ振込まれていないのでは? そう勘違いしてもおかしくはないのだろう。

 

 

「先生、僕も質問をいいでしょうか」

 

 

騒めく一部の生徒を差し置くように、震える声で挙手をしたのは平田だ。

今のDクラスの反応は真っ二つに分かれている。本堂や山内のように茶柱先生の発言が、矛盾していると慌てふためく者たち。

そして櫛田や軽井沢といった一部女子たちを中心に、絶望的な未来を予測してしまい静かに震えている者たちだ。

 

 

「ポイントが振り込まれているのが確認されているならば、つまり……僕たちに。Dクラスに振り込まれた今月のポイントは0ということでしょうか?」

 

 

歯を食いしばるようにして発言した平田の顔色は悪い。

いや、平田だけじゃない。軽井沢も、櫛田も、松下も、幸村も。そして隣人の堀北も。

質問という形の答え合わせの先が、絶望的な未来だということを悟ってしまったのだろう。

 

 

「はぁ? 何言ってんだよ平田!! 毎月10万って話だったろうが。そんなの詐欺じゃねーか!!」

 

「そーだそーだ!! そもそもサエちゃん先生だって問題行為さえしなけりゃポイントが減らされることは無いって言ってたじゃねえか⁉」

 

 

騒ぎ立てる生徒達に何を思ったのだろう。

怒り? 哀しみ? あるいは愉悦だろうか?

不気味な気配を纏った茶柱先生は酷薄な笑みを浮かべて、言い捨てた。

 

 

 

「お前らは本当に愚かな生徒たちだな」

 

 

好き勝手に騒ぎ立てていた一部の面々がピタリと音立てて静止する。それだけの迫力が今の茶柱先生の言葉には込められていた。

 

 

「愚か? っすか?」

 

「座れ、本堂。二度は言わん」

 

「さ、サエちゃん先生?」

 

 

先程まで立ち上がって平田に抗議していた本堂が間抜けに聞き返すも、茶柱先生は鋭い眼光と共に切って捨てた。

先月までのクールでありながらどこか親しみやすい雰囲気はすっかりと鳴りを潜めている。

あまりの迫力に本堂も腰が引けたのか、そのままズルっと椅子に収まった。

 

 

「平田の質問に答えよう。その通りだ。ポイントは振り込まれた。これは間違いない。結論から言うならばDクラスには0ポイントが振り込まれた、という訳だ。納得したか?」

 

 

0ポイント。10万ポイント満額貰えないことは覚悟していたが実質、無収入が確定してしまったか。

オレのようにどこか覚悟していた人間は傍観とともに受け入れられたが、全ての生徒が自らの行いを反省できたわけではない。

 

 

「いやっ? はぁっ⁉ 納得なんか出来ないっすよ!? なんすか0ポイントって⁉ 毎月10万の約束でしょ!? 先生が嘘ついたってコトっすか!?」

 

「そーだよ⁉ 普通に生活してたらポイント減らないって言ったのはサエちゃん先生じゃないっすか!!」

 

 

池が、山内が。抗議のために大声をあげて立ち上がった。

だが殆どの生徒は力なく項垂れていた。それも無理は無い、分かっていたのだろう。

心の何処かで、あの平田と櫛田の呼び掛けを聞いた時から。

一部の生徒が節約を徹底するようになった緊迫感を感じた時から。

授業を放棄し、教師への尊敬を忘れ、モラルとマナーを廃棄したDクラスの行く先が地獄だということを。

 

 

「山内、池、座れ。全く、今まで散々にヒントをやったというのに気づかない人間がいたとは嘆かわしい。もっとも殆どの人間が気づいたところで既にどうにもならないレベルまで堕ちていたようだがな」

 

 

教室の中は、突然の出来事、報告に騒然としだした。

 

 

「先生、もう一つ質問があります。腑に落ちない……いえ、念のために確認したいことがあります」

 

 

Dクラスの顔役としての自覚か、平田が再び手を挙げる。

こんな時も率先して行動する彼の献身には頭が上がらない思いだ。だがその顔色は非常に悪く、整った顔立ちも不安のせいか歪んで見えた。

 

 

「僕たちのポイントが0になってしまった理由を教えてください。その……クラスのみんなにも、分かるように」

 

 

確かに、未だ不満を垂れ流している一部の生徒からすれば何故ポイントが振り込まれなかったのか、その詳細も分かっていないだろう。

恐らく平田本人はその原因に気付いている筈だが、彼の言葉どおりクラス全員がその理由を自覚するためにも茶柱先生からの説明は必要だった。

 

 

「遅刻欠席、あわせて98回。授業中の私語や携帯を触った回数363回。おまけに『とある方向』を惚けたように見つめて授業を放棄した回数82回。たった一月で随分とやらかしたもんだ」

 

 

授業を放棄。という言葉に多くの人間が佐城に視線を向けたのは気の所為じゃないだろう。

いや、別に佐城は真面目に授業を受けていた立場だから悪いわけじゃないし、どちらかと言うと被害者染みた立場であると思うんだが。

 

 

「この学校では『クラスの成績がポイントに反映される』。その結果お前たちは振り込まれるはずだった10万ポイント全てを吐き出した。それだけのことだ」

 

 

茶柱先生の鋭い眼光に恐れをなしたのか、未だ騒いでいた山内や池が怯んだように静かになった。

 

 

「入学式の日に直接説明したはずだ。この学校は『実力』で生徒を測ると。つまりお前たちは」

 

 

 

呆れたような、感情のこもっていない機械のような言葉で。

茶柱先生はオレたち、Dクラスの面々に宣告した。

 

 

「評価0のクズ。と言うわけだ」

 

 

 

 

再びチャイムが鳴った。

 

茶柱先生のまさかの宣言からどうにか情報を引き抜こうと平田が何度も質問するも返って来たのは冷たい答えばかり。

曰くポイント増減の詳細は教えられない。曰く減るものがないのだからこれ以上いくら遅刻欠席してもポイントは減らない。

生徒のやる気を削ぎ、むしろ煽るような茶柱先生は果たしてどんな思いでオレたちを見ているのだろうか。

 

更に黒板に張り出された各クラスの成績とそのポイント差。最も大きくポイントを残したAクラスは940。オレたちDクラスとは雲泥の差だ。

だがそれは当然の話。茶柱先生曰く、この学校は優秀な生徒はAクラスへ、ダメな生徒はDクラスへと振り分けされるらしい。

オレたちは歴代最高の不良品だそうだ。

言われてみればDクラスにはやけにモラルの低い人間や学力の低い人間が多いとは思っていたが、まさかそういうカラクリだったとは。

 

さらにクラスの昇級制度。例えば今回DクラスのポイントがCクラスの490を上回っていた場合、晴れてオレたちはCクラスにレベルアップしていたわけだ。

とは言えクラスのランクを上げたところで、果たしてどんなメリットがあるやら。

毎月の小遣いが増えるだけなら、わざわざ昇級制度なんて作らないとは思うんだが。

 

 

「……さて、もう一つお前たちに伝えなければならない残念な知らせがある」

 

 

そんな台詞とともに茶柱先生は黒板に追加する形で一枚の紙を張り出した。

そこにはクラスメイト全員の名前と、その横に数字が記載されている。

 

 

「この数字が何か、バカが多いこのクラスの生徒でも理解できるだろう」

 

 

 

カツカツとヒールを打ち鳴らしながら、侮蔑の表情を隠しもせずに生徒たちを一瞥する。

 

 

「先日やった小テストの結果だ。揃いも揃って粒揃いで先生は嬉しいぞ。中学で一体何を勉強してきたんだ? お前らは」

 

 

一部を除いて、殆どの生徒は60点前後しか取れていない。

最後の三問を除けば中学時代の範囲。それも比較的簡単な基礎問題ばかりの小テストでこの点数は、確かに茶柱先生も皮肉の一つや二つも言いたくなるだろう。

 

 

(須藤……お前14点って。池は24点。山内30点。オレの友人が想像以上にバカばかりで何か悲しくなってきたぞ)

 

 

かく言うオレも50点に調整した為に偉そうなことは言えないのだが。

そんなことを考えていると茶柱先生からのまさかの爆弾発言が飛び出した。

 

 

 

「これが本番だったら六人は入学早々、退学処分になっていたところだ」

 

「退学? どういうことですか?」

 

 

まさかの一発退学。

下手したら次の中間テストでオレの友人が全滅してしまう危険性もあるのか。

 

 

「なんだ、説明してなかったか? この学校では中間、期末試験で赤点を取ったら退学になることが決まっている。今回の小テストでいうなら34点未満の生徒は全員対象ということになる」

 

「は、はああああああぁぁ!⁉」

 

 

35点の井の頭と31点の菊池の間に真っ赤なラインが引かれる。

つまりこれが本番なら菊池以下の六人含めて、まとめて退学ということか。

 

 

「ふっざけんなよサエちゃん先生⁉ 退学とか冗談じゃねえよ!!」

 

「私に言われても困る。学校のルールだ、腹をくくれ」

 

 

唾を飛ばしながら食って掛かる赤点組をサラリと受け流す茶柱先生を見兼ねてか、ここで意外な人物が声をあげた。

 

 

「ティーチャーが言うように、このクラスには愚か者が多いようだねぇ」

 

 

爪を研ぎながら、机の上に脚をのせたまま微笑む金髪の生徒。

Dクラス一の自由人、高円寺 六助だった。

 

 

「何だと高円寺! どうせお前だって赤点組だろ!?」

 

「フッ。どこに目がついているのかねボーイ。よく見たまえ」

 

「あ、あれ? ねえぞ、高円寺の名前が……あれ?」

 

 

下位から順に、上位へと向かうクラス全員の視線。

そしてたどり着いた高円寺の名前は信じられないことに上位も上位。同率二位の一人に名を連ねていた。

その点数は90。つまり彼は恐ろしく難易度の高かった最後の三問の一つは解いていたことになる。

 

 

「絶対に須藤と同じバカキャラだと思っていたのに……つか、一位って……はあ⁉ 何で佐城⁉」

 

「は、はあああ!? サジョーが何で100点取ってんだよ!?」

 

 

驚嘆と嫌味が入り混じった池の声は直ぐにそれ以上の驚きに塗りつぶされたようだ。

追従する山内の言葉に気づいたのだろう、クラスの面々が最上位の生徒の名前と点数を瞠目しながら見つめたあと、バッと音の出る勢いで一斉に佐城本人へ視線を移した。

肝心の佐城は手に持った扇子を広げて口元を隠し、興味なさげな、すまし顔で茶柱先生を見つめていた。

 

ペキリ。何かが折れる音がした。

恐る恐るオレが隣を見ると圧し折らんばかりの勢いでシャーペンを握りしめている堀北が、ちょっと見たことの無い表情で佐城を睨みつけていた。

 

 

(うわぁ……今日もいい天気だなぁ)

 

 

オレは何も見なかったことにした。

 

 

「それからもう一つ付け加えておこう。国の管理下にあるこの学校は高い進学率と就職率を誇っている」

 

 

衝撃的な種明かしはまだ終わらないらしい。

能面のような無表情のまま茶柱先生は語り続ける。

 

 

「……が、世の中そんなに美味い話はない。お前らのような低レベルな人間がどこでも進学、就職できるほどの世の中は甘くはない」

 

 

オレはこの時点で察した。実力至上主義のこの学校の理念。それからクラスの昇級制度の意図を。

 

 

「結論から言ってやろう。この学校に将来の望みを叶えて貰いたければ、Aクラスに上がるしか方法は無い。それ以外の生徒には、この学校は何一つ保証することは無いだろう」

 

 

やはりそうか。理想の将来という餌で徹底的に各クラスで競争を促し、本物の実力者を生み出す。

それがこの高度育成高等学校の狙いなのだろう。

 

 

「聞いてないですよそんな話!! めちゃくちゃだ!!」

 

 

嘆きの声をあげながら立ち上がったのは眼鏡をかけた男子生徒である幸村だった。

小テストでは高円寺、堀北に並ぶ同率二位で学力的には文句のつけようが無い成績を誇っている。

今思い返せば幸村は堀北同様に、真面目に授業を受けていたタイプの人間だ。

学力は高いのに最底辺のクラスに押し込められるわ、自分は真面目にやっていたのに連帯責任で小遣いを没収されるわ、進路の保証もこのままでは叶わないと知らされるわ。

そりゃ、文句の一つや二つ吐き出してもおかしくはない。

 

だが、そんな幸村を鼻で笑う声があった。

 

 

「みっともないねぇ。男が慌てふためく姿こそ惨めなモノは無い」

 

 

耳障りなものでも聞いたと言わんばかりに肩を竦めてため息を漏らしたのは高円寺だ。

もちろん怒り狂った幸村は直ぐに食って掛かる。

 

 

「Dクラスだったことに不服はないのかよ、高円寺」

 

「不服? なぜ不服に思う必要があるのか、私には理解できないねぇ」

 

「俺たちは学校側からレベルの低い落ちこぼれだと認定されて、その上、進学や就職の保証も無いって言われたんだぞ!! 当たり前だろっ!?」

 

「フッ、実にナンセンス。これこそ愚の骨頂と言わざるをえない」

 

 

爪を研ぐ手を止めない高円寺は、幸村に一瞥くれてやる価値すらないと言わんばかりに持論を展開した。

 

 

「学校側は、私のポテンシャルを測れなかっただけのこと。私は誰より自分のことを評価し、尊敬し、尊重し、偉大なる人間だと自負している。学校側が勝手にD判定を下そうとも、私にとっては何の意味もなさないということだよ。仮に退学にするというのなら、勝手にするがいい。後で泣き付いて来るのは100パーセント学校側なのだからね」

 

 

流石は高円寺だ。ここまで来るといっそ清々しいものを感じる。

唯我独尊自由人には学校側の判定なんかどうだっていいらしい。

確かに高円寺は学力も身体能力も非常に高い生徒だ。恐らくだがDクラスに所属になったのは、あの我が強すぎる性格のせいだろう。

尤も、本人が全く気にしていないので学校側の判断が正しかったのかは分からないが。

 

 

「それに私は学校側に進学、就職を世話してもらおうなどとは微塵も思っていないのでね。高円寺コンツェルンの跡を継ぐことは決まっている。DでもAでも些細なことなのだよ」

 

 

確かに将来を約束されている男にとってはクラスのレベルなんかどうだっていいだろう。

高円寺は言いたいことは言い切ったとばかりに爪研ぎに集中し始めたが、幸村はそうはいかなかったようだ。

 

 

「なら……なら!! 佐城、お前はどうなんだ⁉ お前も学校側に落ちこぼれ扱いされて不服に思わないのか⁉」

 

 

高円寺には言っても無駄だと悟ったのだろう。幸村は佐城に矛先を変えたようだ。

確かに佐城は模範的な優等生だ。小テスト一位を収めた学力については言うまでも無い。

運動神経についても、初回の授業で体調不良によって事故を起こしたことはあっても、以降の授業ではかなり優秀な記録を残している。

高円寺や堀北のように性格に難があるわけでもない。

口には出さずとも劣等生扱いされていることに内心で不満を抱いていたとしても、確かに無理はない。

 

だがご指名を受けた佐城は興味なさげに幸村の方を振り向くと、つまらそうな声色で静かに忠告した。

 

 

「……とりあえず、先生の御言葉を勝手に遮り、あまつさえ八つ当たりの如く不平不満をぶつける様子は、劣等生や不良品などと呼ばれても否定のしようが無い。と個人的には考えるのですが如何でしょうか?」

 

「なっ!?」

 

 

思わぬ言葉に幸村が絶句している間に、佐城はさっさと姿勢を正して幸村から視線を外した。

どうやら佐城は佐城で高円寺とは別ベクトルで幸村に興味が無いらしい。

皮肉めいた言葉は佐城らしいと言えばそうだが、幸村にはかなり効いたのだろう。

顔を真赤にした彼は怒りを抑え込むようにして、ドカリと椅子に腰掛けた。

 

こうしてようやく、話が戻る。と思いきや、人の悪そうな笑みを浮かべた茶柱先生が佐城に視線をあわせた。

 

 

「何だ、佐城。遠慮することは無いぞ。毎年この日のホームルームは時間を長く取っているから言いたいことは言っておいた方がいいぞ? それに、個人的にもお前の意見なら聞いてみたいと思っているからな」

 

 

ニヤリ。そんなオノマトペが聴こえてきそうな、教師がするにはあまりにも邪悪な笑みで茶柱先生は佐城にゆっくりと語りかけた。

 

 

「入学して僅か二週間でSシステムの本質に気づき、おまけに一ヶ月にも満たない短い期間で配布された10万ポイントを十倍近くにまで増やした生徒など、歴代でも滅多に見なかったからな」

 

 

二週間でSシステムに気づいた? つまり櫛田や平田が呼び掛けを行った一週間前には、既にこの学校の仕組みに気づいていたということか。

いや、今はそれよりも気になることがある。

今、茶柱先生は何と言った? ポイントを増やした? だと。

 

 

「はああはああぁ⁉ ポイント増やしたってどういう事だよ佐城!? つかお前十倍って……」

 

「それって100万ってことだろ!? な、何をどうやったらそんなにポイント貰えるんだよ!?」

 

 

池と山内が思わずと言った様子で立ち上がって指を指す。

日頃から佐城にダル絡みするたびに周囲の女子から冷たい視線に晒されていた二人だが、今度ばかりは誰もせめなかった。

殆どの生徒が彼らと似たようなリアクションで佐城に視線を向けていたからだ。

 

 

「……いくら先生と言えども、他人の財布の中身を覗き見て公衆の面前で発表するのは如何なものでしょうか?」

 

「仕方ないだろう、これも仕事だからな。生徒が不正をしていないかポイント額を把握するのは担任の義務だ。それにお前が懐いている星ノ宮も褒めていたぞ。不正も無しにここまで短期間にポイントを稼いだのは優秀な証。だとな」

 

 

「だとしてもこの場で言う事では無いと思いますがねぇ」

 

 

 

ピシャリと音立てながら掌に叩きつけるようにして扇子を閉じた佐城の表情はどこか気怠げだった。

えも知れぬ濃密な色気が漂っているのはいつもの事で、視線を向けられた茶柱先生がちょっと怯んだのがオレの席からでもよく分かる。

 

 

「一応訂正させて頂くなら増やしたポイントは十倍ではなく約九倍ですよ。先日少々使ってしまったので現時点では89万ポイントしか持っていませんし」

 

「いやおかしーだろ⁉ なんだったら他のクラスのやつよりぶっちぎりで金持ちじゃねーかよ⁉」

 

「不正じゃねーか‼ お前、ちょっと綺麗な顔してるからって学校から贔屓されてんじゃねーだろうな⁉」

 

「不正で稼いでいたら今頃ボクは退学になっていると思うのですがねえ……」

 

 

佐城はアンニュイな雰囲気のまま頬杖をつき、面倒くさそうに池や山内に返事をしている。

ギャーギャーと騒ぎ立てる二人とのテンションの落差が凄まじい。

一気に混沌とした場を茶柱先生がニヤニヤと面白そうに眺めている。あんたソレでも教師か。

内心でそんなツッコミを入れていると、ここで再び幸村が参戦した。

 

 

「ま、待て佐城!! ポイントの件はともかくとしてSシステムを把握していただと⁉ だったら何で共有しなかったんだ⁉ もしもお前が声をかけていればクラスポイントはもっと残せた筈だ!! そうしたらAは無理でもBクラスやCクラスに昇級できていたかも知れないじゃないか⁉」

 

 

幸村の言葉に何人かの生徒が同意するように佐城を睨みつけた。

怒りに満ちた視線を一斉に浴びているにも関わらず、佐城は知ったことかとばかりに緩慢な動作で幸村に振り向くと、言葉短く言い放った。

 

 

「しましたが?」

 

「は?」

 

「ですから、しましたよ。共有。櫛田さんを通して匿名という形でしたが、ちゃんと意見として共有したじゃないですか。学校の理念、生活態度への危惧、ポイントの増減、全て伝えたじゃありませんか」

 

「あ、あの時の匿名の情報提供者はお前だったのか……だが⁉ あれはつい最近の話だったろうが⁉ お前はもっと前から気づいていたんだろ⁉ もっとお前さえ早く動いてくれればっ」

 

「そう仰られましてもねぇ……」

 

 

心底めんどくさい。そう言わんばかりの表情の佐城はおもむろに振り返ると茶柱先生に向き直った。

 

 

「先生はボクが二週間で気がついたと確信していらっしゃるようですが、その理由をお伺いしても宜しいでしょうか? その時点では少なくともクラスメイトの方には情報共有をしていなかった筈なのですが」

 

「お前自身も分かっているだろう? 体育授業だよ。二回目の水泳授業の時、お前はラッシュガードの着用を義務付けられたそうだな? 学校側がポイントを負担すると宣言した時、お前はある取引を持ちかけたと聞いている。体育担当の東山先生も感心していらしたぞ」

 

 

ますます面白いとばかりに愉悦を浮かべる茶柱先生はスーツのポケットから白い紙を取り出し、生徒達に見せつけるように広げて見せた

 

 

「先生の署名と印鑑入りで『体調不良による早退に関するDクラスの評価、ポイントに関するあらゆる査定を一度だけ不問とする』……お前個人ではなくわざわざクラスの評価に触れる文言を書くなど。この時点でSシステムについて察していなければ思いつかない内容だろうに」

 

 

体育担当の教師のサインとハンコまで押されている紙には、確かに茶柱先生が説明した文言が書かれていた。

つまり佐城は結果的に早退という形を取ることになった水泳授業の失点を、購入を押し付けられたラッシュガードの費用を立て替える事で相殺した。ということらしい。

 

果たしてそんなのアリなのか? と疑問に思うが初回の授業で先生がポイントを景品に競泳を開催したのを思い出した。

細かいルールは教師しだいなのか、それとも教員だけのマニュアルがあってそこのルールに抵触しなければ問題無いという扱いなのか。

 

 

「二回目の体育ならやっぱり入学して、二週間。その時点で共有さえしてくれればこんな事にはっ……!!」

 

「単純にその時点ではSシステムの裏側に気づいていませんでしたので」

 

「あからさまな嘘なんかつくなよ⁉ 茶柱先生が持っているあの紙が証拠だろ!?」

 

「嘘というワケでは無いのですがねぇ……」

 

「ふっ、ふざけるなよ佐城ぉ!!」

 

「ゆ、幸村くん落ち着いてくれ!! 今ここで佐城くんを責めても何も変わらないだろう⁉」

 

 

扇子で口元を隠しながらのらりくらりと受け流す佐城の態度に我慢ならんとばかりに怒鳴り散らす幸村を、どうにか平田がなだめすかした。

 

幸村の気持ちは分かるし、その意見自体は間違っていない。

あの誓約書を見るに、佐城が二週間目でSシステムを殆ど見抜いていたのは事実だろう。

その時点で情報共有をしていたらクラスポイントは大量に残り、クラスの昇級もあり得たかもしれない。

 

 

だがそれは、何の根拠も無いただの感情論に過ぎない。

 

そもそも佐城がいくら早くシステムに気づいたところでそれを共有する義務など無い。

それに幸村だって冷静になれば分かる筈だ。僅か一週間としない内に学級崩壊を起こすほどの問題児の集まりがDクラスだ。

仮に佐城が気づいた時点で注意を促したところであまり効果は無かったんじゃないだろうか。

そもそも最初から素直に注意を聞く人間たちなら、櫛田や平田が呼び掛けた時点で改善している筈だろう。

 

むしろ時期が時期とは言え、貴重なSシステムについての裏側を完璧な善意でもって共有してくれた佐城には感謝するべきだ。

 

 

(この様子を見るにそんな殊勝な考えには至らないだろうけどな。今は平田が抑えているがホームルームが終わったら佐城が槍玉にあげられてもおかしくない熱狂ぶりだし)

 

 

山内が、池が、須藤が。本堂が。菊池が。幸村が。

いや、Dクラスの殆どの人間が佐城を悪だと責めている。

恐らくみんな生贄が欲しいのだろう。自分自身の自堕落で自分の首を締めていると認めたくない。

 

 

「お前のせいだ!! 責任取ってお前のポイント寄越せよ⁉」

 

「そうだそうだ!! お前のせいで0ポイントになったんだぞ⁉ 賠償金払え!!」

 

「どう責任取るつもりだこの野郎!!」

 

 

 

集団心理の恐ろしさを垣間見た気分だった。

下手したらこのまま私刑が始まりかねない。

流石に暴力行為は茶柱先生が止めるだろうが、佐城への悪感情が充満した空気が続けば監視の目の無い場所で集団私刑が行われる可能性だってあり得る。

いざとなったら介入してでも止めるべきだろうか。

事なかれ主義のオレらしくはない、そんな考えが頭に浮かんだその時。

 

うつむき気味の佐城の姿を視線に入れたオレは、そこで意外なものを見た。

 

 

(あれ? 佐城のやつ、なんか笑ってないか?)

 

 

後ろの席にいるオレだから気づけたのだろう。

扇を広げ口元を隠し、まるで群衆に怯えるように頭を縮こまらせていた佐城の顔は喜悦に染まっていた。

友人に笑いかけるような優しい微笑みでは無い。

山内や池に皮肉をぶつける時の冷たい笑みでも無い。

 

もっと、邪悪で。ドス黒く。人間性の澱を煮詰めたような暗く妖しい。

そんな怖気が走るような悽惨で、脳が焼け付くほどに妖艶な笑顔だった。

 

我ながら機械じみていると自覚していたオレの脳内の情動が、全て引き摺り出されて釘付けにされる。

そんな笑みにただ、ただ見惚れてしまったオレだから気づけた。

佐城の艷やかな唇から肉厚の真っ赤な舌がぬらりと触手のように顔を出し、蠱惑的な動きと共にリップを濡らす。

 

すっかり目が話せなくなったオレは無意識の内に佐城の唇の動きを読んでいた。

白い部屋で学ばされた読唇術。佐城の唇は間違いなく、こう言っていた。

 

 

 

 

 

「CHECKMATE」

 

 

 

 

.

 

 

 




感想、評価、とっても嬉しいです!!
綾小路視点ながいわ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』8

話が進まなーい!!
綾小路視点は一体いつになったら終わるやら……

あとがきに登場人物の原作との違いについて書いていきます。


 

阿鼻叫喚の地獄絵図。

今のDクラスの様子に最もふさわしい言葉がそれだろう。

 

 

「ふざけんなよ……なんで俺がDクラスなんだよ……なんで俺がこんな吹き溜まりのクラスなんかに……!!」

 

「私たち好きなところに進学できないわけ? じゃあなんでこの学校に入ったの? 先生、私たちのこと嫌いなのかな?」

 

「それもこれも佐城のせいだ!! あいつのせいでポイントが0になったんじゃねえか!!」

 

「さ、佐城くんは桔梗ちゃんを通してクラスに注意してくれました!! 普段から真面目に過ごしてました!! 彼のせいにしないで下さい!!」

 

 

憤怒する幸村。頭を抱える森。

これ見よがしに佐城に責任を押し付けて責める本堂。

半泣きになりながらも必死に友人を庇おうとする王。

まさに混沌。ただでさえ大荒れの教室には、更に特大の火種が燃え盛った状態で追加されていた。

 

 

「おい、まずは俺だよ!! ジュース買えないぐらい金欠なんだよ⁉ 早く端末寄越せ⁉」

 

「佐城のやつ、本当に100万近く溜め込んでやがった!! あいつマジで最低だな」

 

「……よし、送金完了っと。おい、とりあえず一人あたり二万ぐらいまでにしとけよ? クラス全体で回すんだからな」

 

 

それが送金画面手前で放置されていた佐城の携帯端末。

90万ポイント近く残されている大金の源を、佐城は賠償金とばかりに机の上に置いた。

なんと彼はホームルームが終わると直ぐに、そのまま逃げ帰るように早退してしまったのだ。

 

 

『ボクを責めるというのなら……ええ。今さら何も言いません。皆さんで、どうぞお好きなようにして下さい』

 

 

煌めくフローライトのような大きな瞳に真珠の涙を浮かべながら教室を飛び出した佐城の姿は、相変わらずため息が出るほどの美しさだった。

だが混乱と狂気、怒りと驚嘆に支配されたDクラスの面々は彼の容姿に一瞥くれてやる余裕すら無い。

 

打ちひしがれた友人の姿に思うところがあったのだろう。

櫛田だけは教室から逃げ出した佐城を慌てて追いかけたが、Dクラスのアイドルである彼女の不在はこの状況では致命的だった。

 

 

(これがDクラスの実態……か)

 

 

クラスの精神的支柱とも言える櫛田の不在。

どうにかして混乱を収めようとする平田。

我関せずと爪を研ぐ高円寺。

金の亡者と化して佐城の端末に群がる一部男子たちを、憎悪のこもった瞳で泣きながらも睨みつける王と井の頭。

 

 

 

(史上最悪の不良品。評価0のクズの集団)

 

 

憎しみすらこもっていように聴こえた茶柱先生からの、オレたちへの評価に相応しい醜態がそこには広がっていた。

 

 

「こ、混乱する気持ちはわかる! わかるけど今はいったん落ち着こう!!」

 

「落ち着くってなんだよ⁉ お前も悔しくないのかよ⁉ 落ちこぼれだって言われて⁉ こんなクズ同然のバカ共と同じレベルだって見放されて!! 悔しくないって言うのかよ平田ああぁ!!」

 

 

必死で声を張り上げる平田に掴みかかったのは顔を真っ赤にした幸村だ。

いつもの知的な優等生面の面影すらなくなり、瞳は血走り息を荒げて今にも暴れ回りそうな狂気を放っている。

身の危険を感じたのだろう。近くの席に居た佐倉や長谷部といった女子が慌てて距離を取った。

 

 

「あ? 誰がクズだおい⁉ 喧嘩売ってんのかこの野郎⁉ 大体こうなったのは佐城のヤツが原因だって一番最初に言い出したのはテメェだろうがコラッ⁉」

 

 

幸村の罵倒に、いの一番に反応したのは須藤だった。

自身が劣等生という自覚があるのだろう。ガンッと音を立てながら机を蹴り倒すと、肩を怒らせて幸村に近づいていく。

見るからに不良である彼が凄みながら近づいて来る様は、かなりの迫力があった。

それでも幸村は怒りと悔しさで、すっかり頭に血が昇っていたらしい。

むしろ逆に須藤に殴り掛からんばかりの勢いで、吠えながら食ってかかった。

 

 

「佐城に不満があるのは情報共有を怠りクラスポイントを残すチャンスを逃したからだっ!! もちろんアイツは憎い!! だが!! そもそもクラスポイントを減らしたのは、授業もちゃんと聞けない、バカで!! レベルの低い!! 落ちこぼれの!! お前らの責任だろうが⁉」

 

「テメェ舐めたこと抜かしやがって……上等だ、おい。ぶっ殺してやる!!」

 

 

幸村が怒鳴りながら須藤を突き飛ばしたのをきっかけに、予想通りというか。普通に須藤がぶちギレ、殴りかかった。

 

 

「す、須藤くんダメだ!! 暴力はダメだっ! 落ち着いてくれ!!」

 

「どけ平田ぁ!! テメェもぶっ殺すぞこらあぁ⁉」

 

「ちょっ、建⁉ 流石に暴力沙汰はマズイって!! おい春樹、押さえるの手伝え⁉」

 

「お、俺を巻き込むなよ……」

 

 

慌てて押さえ込んだ平田と、流石にマズイと思ったのか、おっかなびっくり加勢した池と山内の三人がかりで須藤を羽交い締めにしてどうにか押さえつけた。

 

殴り合いこそ回避したものの、須藤は拘束を振り解こうと未だ暴れている。

今にも憤死しそうな幸村はすっかり理性が蒸発してしまったのだろう。壊れたように周囲の生徒を指差しながら「バカだクズだ」と暴言を吐き散らしている。

 

混沌と狂乱。一触即発の空気は未だ漂っていた。

焦燥した様子のまま身体を張ってでも、どうにかクラスをまとめようと必死で働く平田の様子が痛々しく思えてくる。

 

 

だがオレに出来ることは何もない。

事なかれ主義のオレとしては、この喧嘩囂躁という言葉すら生温く感じる狂気の沙汰には興味が無い。

そんなことよりもオレが気になるのは、佐城のことだ。

 

 

(佐城……さっきは目に涙を浮かべて教室を逃げ出したにも関わらず、ホームルーム中に集団で責められていた時は確かに笑っていた。つまり逃げ出した時の弱気な姿勢も、追い詰められたような青白い表情も、ポロポロと流れ落ちた涙も。全ては嘘)

 

 

それにあの時、仄暗い笑みを浮かべながら佐城が呟いていた言葉も引っ掛かる。

『チェックメイト』とは一体どういう意味で溢したのだろう。

元々、チェス用語のこの単語は主に『詰み』や『ゲームセット』という意図で使われる。

 

 

(つまりあの瞬間、佐城は何かに『勝利』した。ということか? 何かしらの目的があって、わざとヘイトを集める必要があった。そして佐城の狙い通り、何かを無事に『達成』したということか?)

 

 

扇の下に隠れていた佐城の笑み。

あまりに美しく、あまりに色っぽく。何よりにもあまりに邪悪で冒涜的なドス黒い笑顔。

集団で責められて自暴自棄になり、思わず浮かんだ諦観の微笑みにはとても見えなかった。

むしろ企み事が上手く行ったことをほくそ笑むような、薄暗い笑顔にしか見えない。

 

つまり、佐城はこの阿鼻叫喚としたDクラスの惨状を狙っていたとでも言うのだろうか?

 

 

「滑稽だねぇ……醜さもここまで来ると、いっそ哀れですらあるよ」

 

 

阿鼻叫喚の中、ノビのいいテノールが高らかに響く。

声の主を振り返れば、そこに居たのはやれやれと言わんばかりにため息を付いた高円寺だ。

 

 

「全てはアクターボーイの掌の上だと言うのに、全く。やはり彼に匹敵する輝きと美しさ。そして知性を凡人共に期待するのは酷というものなのだろうね」

 

 

アクターボーイ。流れから察するに恐らく佐城のことだろう。

高円寺の独特の感性でつけられただろうそのあだ名の由来は恐らく『Actor』。日本語に訳すと『役者』。

高円寺と佐城にどんな付き合いがあったのかすら定かではないが、あの唯我独尊自由人の興味を引くほどの存在感が佐城にあったのは確かなのだろう。

 

 

(どういう意味で役者。なんてあだ名をつけたのか、高円寺にも話を聞いてみたいが……コイツと会話が噛み合う気がしないんだよなあ)

 

 

手鏡片手に髪型を整えている自由人をぼんやりと眺めながら頭を悩ませていた、その時。

ガシャンと教室の扉を叩きつける音が響いた。

 

 

「クソッタレが!! どいつもこいつもムカツクやつばかりだ!!」

 

 

 

目を向けると、須藤が悪態をつきながら教室から出ていくところだったらしい。

 

 

「まっ、待ってくれ須藤くん……いっ、痛っ!」

 

「大丈夫⁉ 平田くん⁉」

 

「おい平田、無理に動くな。肘がもろに入ったの見たぞ。ケガを見せろ」

 

 

須藤が暴れた際にダメージを負ったのだろう、力なく床にへたり込みながらも何とか動こうとする平田を、沖谷や宮田といった常識的で大人しい部類の男子たちが助け起こしている。

 

 

「お、おい寛治。今の内に俺達も佐城のポイント貰っちまおうぜ⁉」

 

「そ、そうだな。平田が動けない今がチャンスだ!!」

 

 

それを尻目に、まるで鬼の居ぬ間になんとやら。と言わんばかりに山内と池が佐城の端末からポイントを移そうとする集団に加わって行くのが見えた。

 

せめて櫛田がいたら状況はまだマシだっただろうが、もはや手負いの平田一人ではこの狂乱はどうにもならないだろう。

 

 

「まさかあなたまで浅ましい乞食のような真似をしようとは思ってないでしょうね?」

 

 

山内と池を視線で追っていたのを勘違いされたのだろう、隣を見やると堀北が鋭い眼差しでオレに問いかけた。

乞食、乞食か。確かに佐城の端末に群がる男子の姿は文字通り、金に群がる乞食の姿だった。

 

 

「いや。流石に他人の金を盗むような真似はしたくない」

 

「安心したわ。隣人が恐喝犯になってしまったらゾッとしないもの」

 

「恐喝?」

 

 

恐喝。堀北が吐き捨てたその言葉が妙に頭に残った。

 

 

「集団で一人を囲んで暴言を吐きながら詰め寄って金銭を要求する。これがカツアゲや恐喝じゃなかったら何だというの? 私も佐城くんの情報伝達速度の愚鈍さに思うことはあるけれど、それとこれとは話が別でしょう」

 

「恐喝。そうか、あれは、恐喝に当たるな」

 

 

確かにその通りだ。堀北の言う通り、今のDクラスの面々が行っているのは歴とした犯罪行為。

騒ぎに便乗しそうなイメージの強い、今まで生活態度が悪かった一部の女子などは意外なことに静観している。

 

だが男子はほぼ無法地帯だ。

例外はグロッキー状態の平田やそれを支え、どうにか助けようとする一部の男子。

それから常にゴーイングマイウェイな高円寺などを除けば、大多数の男どもが、我先にと佐城の残した端末に群がっていた。

死肉に群がるハイエナ。いや、糞尿に集る蝿のようにすら見えてくる。

 

 

「あんな愚かな人達と同じクラスにまとめられるなんて、こんな屈辱……やっぱり私は納得できない」

 

 

ギリッと歯を食いしばる音と堀北の怒りの籠もった声を聞き流しながら、オレはぼんやりと思考に耽る。

まさか佐城はこの状況を狙っていた?

だが自分がクラスのヘイトを集め犯罪行為の被害者になる利点などあるのだろうか?

 

 

(訴えを起こして慰謝料をむしり取るつもりか? いや、支払能力が皆無のDクラスに十分な額の慰謝料が払えるとも思えない)

 

 

競争を促すこの学校の目的を考えるに、どこかでポイントが増える機会はあるだろう。

だが現時点ではそのチャンスがどのタイミングで、どの頻度で起こりうるかは不明。

暫くは0ポイント状態が続くDクラスは、それなりの期間を無収入状態で過ごさなければいけないのは、ほぼ確定だろう。

 

佐城は同年代と比べて間違いなく頭がキレる。

少なくともDクラスの中においては誰よりも早くSシステムの真意に気づいているし、そもそもポイントを増やすという発想はなかなか出てこない。

そこまで頭が回る佐城がこんな簡単なことに気づいていないとは思えない。

 

 

(なら佐城は何を狙っている?)

 

 

自分の軍資金をむざむざと親しくもないクラスメイトに奪われ、早退という形で敗走する無様を晒してまで狙っている事とは?

果たして……。

 

 

「お、おい授業始まっちまうぞ。クソッ、俺まだ送金してねーのに!!」

 

「今アイツの端末誰が持ってるんだよ!!」

 

「俺俺。とりあえず次の休み時間に貸してやるよ」

 

「私物化してんじゃねえよ、俺たちみんなの金だろうがっ」

 

 

バケツリレーのように佐城の端末からポイントを送金しては近くの人間へ回していく男子たち。

その顔色は焦燥の中にも僅かな安堵が見える。

恐らく殆どの人間がポイントを使い切っていたのだろう。思わぬ臨時収入のおかげでどうにか生活ができると安心しているのか。

それも他人の、しかも集った金だが。

 

 

「ね、ねえ軽井沢さん。私達も分けてもらった方がいいんじゃ……?」

 

「う、うん。私も佐藤さんも、もう5000ポイントも無いし」

 

 

男子の様子を見てか、一部金欠に喘いでいる女子達もソワソワと落ち着かない様子だ。

だが、意外にもそれを窘めている存在もいた。

 

 

「止めといた方がいいって。こんなのイジメと変わらないんだから。ねぇ?」

 

「まあ、あたしもポイント殆ど残ってないから気持ちは分かるんだけどさー。でも松下さんの言うとおりに関わらない方がいいと思うんだよね。イジメとか犯罪とかには学校も、うるさいって入学初日に言ってたし」

 

 

 

長く伸ばした茶髪を緩く巻いた可愛らしい女の子の松下。それからクラスの女王である軽井沢だ。

 

 

「それに、ほら。あれ見てみなよ」

 

「あれ? あの天井の?」

 

「何アレ? ちっちゃい黒いやつ」

 

「監視カメラだって。前に佐城くんが言ってた」

 

「か、監視カメラ!?」

 

 

軽井沢が指指した天井付近をさり気なく覗うと、確かにカメラらしきものがある。

設置場所から考えるに、教室の四隅にそれぞれ仕掛けてある筈だ。

なるほど、人の目だけでなく機械でも生徒の生活態度を計っていたのか。

 

 

「え、じゃあ。今の男連中のあの様子も見られてるってこと?」

 

「って言うかポイントって電子マネーだから、冷静に考えるとお金の動きってちょっと調べられたら一発でバレバレだよね」

 

「本人が置いて行ったとはいえ、他人の端末から勝手にお金抜き出してる姿が筒抜けって、かなりヤバい……よね?」

 

 

軽井沢の指摘に顔を青くしたのは派手な化粧が特徴の佐藤と、気が強くて声の大きい篠原だ。

流石に今の男子たちの行動がバレたら問題になりかねないと判断できるほどの理性は残っていたらしい。

 

 

「あたしらまでアレに参加したらカツアゲ、イジメの現行犯。絶対にロクなことにならないって」

 

「軽井沢さんの言う通りじゃない? っていうかここで男子に便乗したら必死に止めている平田くんに迷惑かかるし」

 

「あたしも付き合ったばかりの彼氏に嫌われたくないしねー。っていうか佐城くんは特に櫛田さんと仲いいし、そっち側からも嫌な顔されるんじゃない」

 

「あー……うん。止めとく」

 

「止めてくれてありがとう。軽井沢さん、松下さん」

 

 

恋人ができたとは言え、女子からの平田の人気は衰えていなかったらしい。

それに今は佐城を追って教室からいなくなってしまった櫛田からも疎まれかねないと危機感を持ったのだろう。

佐城の友人である王や井の頭を始めとした大人しい部類の女子や、長谷部や佐倉といった孤立気味の生徒も男子たちの醜態に呆れ返り、嫌悪や怒りの表情で睨みつけている始末。

 

軽井沢率いるカースト上位の女子グループが佐城の端末からポイントを搾取するのを諦めたことにより、完全に女子全員がこの騒ぎから手を引くこととなった。

 

 

「それに、佐城くん。絶対になんか企んでるし、関わらない方がいいと思うんだよね」

 

 

ここで軽井沢が顔をしかめながら気になることを言い始めた。

オレは無関心を装いながらも更に集中して聞き耳を立てる。

 

 

「企む? そう言えば軽井沢さんって佐城くんと話したことあったの?」

 

「一週間ぐらい前にね。平田くんと櫛田さんと佐城くんの四人で、来月から貰えるポイント減るかもしれないから、それについての対策会議? みたいなやつ」

 

「あの時、櫛田さんの言ってた匿名の情報提供者って佐城くんだったんだよね?」

 

「そうそう。そんでその時に平田くんがクラスの為に佐城くんの意見も頼りにしたいから今後とも協力して欲しい。って頼み込んだの。なのに佐城くん、いつものあの笑顔で『お断りします』って流してきてさ、ちょっとイラッと来たのよ」

 

 

思い出したら怒りがぶり返したのか、ムスッとした顔でポニーテールを振り回しながら軽井沢は続けた。

 

 

「平田くんも櫛田さんも、必死で頭下げてるのに全然協力してくれなくてさー。あたしも流石に我慢できなくて平田くんに協力するように詰め寄ったんだよねー、それもかなり強めに。なのに佐城くんったら。あの妙に迫力のある微笑みのままで、全く譲ってくれないんだもん!」

 

「えー、その三人に頼まれたら私なら頷いちゃうけどなぁ。もしかして佐城くんって見た目によらず頑固者だったりする?」

 

「まあ言われてみれば佐城くんって結構、気が強いところあるよね。バカ二人に絡まれてる時もかなりドギツイ毒舌で返してるし」

 

 

平田に櫛田に軽井沢。Dクラスの顔役三人という豪華すぎる面子に囲まれている場面を想像してみると、確かにどんな無茶な頼みでもなかなか断り辛い面子だと思う。

というか軽井沢単独だったとしても断り辛い。あんな気が強そうなギャルに凄まれたら嫌でも首を縦に振ってしまいそうだ。

 

 

「なんて言えばいいんだろ? 強か? あたしなんか睨みつけて怒鳴ってやったのに、全く怯んでなかったもん。そんな佐城くんがバカな男たちにちょっと責められたぐらいで、半泣きになって情け無く逃げ出す。ってちょっと考え難いと思うんだよねー」

 

「その話聞くと、確かに。違和感あるよね? 茶柱先生に色々バラされた時も、幸村くんに絡まれた時も、いつも通りの余裕っぷりだったし。しかも佐城くんってめちゃくちゃ頭イイんでしょ?」

 

「小テスト100点満点だもんね。少なくともウチのクラスでは一番だと思うよ」

 

 

確かにあのレベルの小テストで満点を取るには最低でも高校三年生レベルの学力が必要だ。

それだけでも佐城の能力が頭一つどころか遥かに飛び抜けているのが分かる。

……とは言えこんな考えを隣人に聞かれでもしたら、どんな物理的制裁が飛んでくるのか分からないから怖くて口には出来ないが。

 

 

「それに生活態度でポイント減るかもしれないって一番早く気づいてたんでしょ? 幸村くんや堀北さんみたいにお勉強だけが取り柄のガリ勉ってワケじゃなさそうだし」

 

「私はポイントをどうやって増やしたか気になるなー。教えて欲しい」

 

「うーんと、つまり佐城くんはお勉強できるだけの頭でっかちじゃなくて色んな意味で頭がイイ。って軽井沢さんは言いたいんだよね?」

 

「そうそう、おまけに見かけに寄らず肝が座ってるって感じ」

 

 

幸村と堀北がガリ勉かはともかくとして、確かに軽井沢の意見には同意できる。

むしろ軽井沢のようなギャルギャルしい見た目の女子が、オレの想像よりも遥かに佐城をよく観察していたのが意外だ。

いち早く平田をゲットした手際から考えると、男に対する観察眼はズバ抜けているのだろうか。

 

 

「結局その時の話し合いも『クラスの為じゃなくて、あくまで友人の櫛田さんの手伝いとしてなら』っていう条件で渋々、妥協してくれたんだけどねー。あたしと平田くんの居た意味ってなんなのよーって話」

 

「……ねぇ、軽井沢さん。やっぱり佐城くんと櫛田さんってそういう関係なの?」

 

「いやーそれは無いかなー。櫛田さんがどう思ってるかは知らないけど、少なくとも佐城くん側からは、友達が困っていたから仕方なく手助けする。って感じだったし」

 

 

ポニーテールを指先でくるくると弄びながら、軽井沢は当時の佐城の様子を語る。

 

 

「最終的には櫛田さんが佐城くんの両手を抱えるように握りしめて頼み込んだのよ。こう、胸元に抱えるみたいな感じで。……ほら、櫛田さんって結構『ある』でしょ? 当たってたと思うのよね―。なのに、肝心の佐城くんは赤くなるどころか、いつも通りの微笑みのまま一切反応してなかったし」

 

「うわー……他の男子なら絶対にデレデレになって鼻の下伸ばしてるだろうね。櫛田さん可愛いし」

 

「てか、それで無反応の佐城くんも、ちょっとどうなのよ?」

 

 

ふと以前、櫛田に同じことをされたのを思い出した。

その時は両手で握りしめる、というよりも握り潰す。と言わんばかりの圧力と謎の黒いオーラに襲われたわけだが、あんな可愛い女の子に上目遣いで密着されたらどんな男でもイチコロだろう。

池が相手だったら嬉しさのあまり昇天したとしてもオレは驚かない自信がある。

 

 

「単純に女慣れしてるって言うか、美人に耐性でもあるんじゃない? 中学時代はカノジョいたみたいだし。そもそも鏡を見ればいつだって絶世の美人に会えるワケだし」

 

「あの顔面は反則よね……羨ましいとかそういう次元じゃないし」

 

「櫛田さんへの反応はともかくとして、話し合いの最中も、何ていうか、最後までクラスの事なんかどうでも良さそうな表情だったのよ。それこそさっき幸村くんをやりこんでいた高円寺くんみたいな雰囲気だったし」

 

「佐城くんも高円寺みたいなお金持ちの産まれなのかな?」

 

「さあ? でもあのルックスだよ? その気になれば仕事なんていくらでもあるだろうし、Aクラス特典の進路の保証なんか要らないとは思うけどね」

 

「そもそも頭いいなら普通に受験すればどこにだって受かりそうだしね」

 

 

 

なるほど。確かに言われてみれば佐城は高円寺と似た立場なのかもしれない。

現時点でさえ頭脳明晰で語学堪能。それに何より老若男女を魅了するあの美貌だ。

芸能界には詳しくは無いが、そっち方面からのスカウトは掃いて捨てるほど声がかかるだろう。

つまり将来が薔薇色、とまでは言わないまでも明るい未来がほぼ確定的であろう佐城には、わざわざAクラスで卒業する必要性が皆無というわけだ。

 

 

「で、佐城くんが何か企んでるかも。っていう件に話を戻すけど! いつも余裕シュクシュクって感じで肝が座ってて、おまけにめちゃくちゃに頭がいいワケでしょ? しかもさっきの監視カメラの件に一番早く気づいたのも佐城くんだし……そんな彼があんなあっさり逃げ出すなんて考えられないのよ、あたしは!! 絶対に何か裏があるのよ!! 佐城くんって絶対に腹黒いタイプだもん!!」

 

「まあ、軽井沢さんの言いたいことはわかるけど」

 

「でもわざわざ端末まで残して、せっかく稼いだポイントまで盗まれちゃうのを黙認して。そんなダメージを覚悟してまで企む事って何かしら?」

 

 

言いたいことは言い切ったとばかりに息を吐く軽井沢の言葉にはそれなりの説得力があった。

現に佐藤や篠原といった軽井沢を中心とした女子グループは、佐城陰謀論をすっかり信じているようで頭を捻りながら佐城の企みをあれこれと推測している。

やはりDクラスの女王のカリスマは侮れない。

まあ、学力という面ではかなり能力が低いと言わざるを得ないが。

現にさっきも新たな謎の四字熟語を錬成していたし。恐らくは余裕綽々と言いたかったのだろう。

 

 

(だが軽井沢の意見にはオレも同意だ。間違いなく佐城は何か企んでいる。だがこの状況が一体どうして佐城の利益に繋がるというんだ?)

 

 

慰謝料目的でないとするなら、ポイントを増やす為ではない。

しかしそれ以外にわざわざイジメ、犯罪行為の被害者になる利益が思いつかない。

だが間違いなくあの時の佐城は笑っていたし、漏れ出ていた独り言から察してもこの状況を望んでいた筈だ。

 

その時、オレはふと天井を見上げた。

そこには監視カメラが無機質な瞳で教室を、Dクラスの惨状を映している。

 

そう。今までも、ずっと。

 

 

(……軽井沢の言うことが正しければ監視カメラの存在に一早く気づいたのも佐城だったな)

 

 

担任に秘密を暴露された瞬間も。

鬼気迫る様子の集団に責められる佐城の姿も。

ホームルームが終わると共に項垂れたようにして端末を残し、涙目になって逃げ出した佐城の姿も。

それに嬉々として群がり、自らの行いが何を意味するかすら思考することなく、憚りもせずにポイントを毟り取っていく男子生徒一同の姿も。

 

カメラはずっと『証拠を映し続けている』。

 

まさか。そうなのか、佐城。

 

 

「まさか」

 

 

オレの心の内が知らぬ間に声に出ていたのか。

そんな疑いすら浮かぶほどにタイミングよく被った言葉は女子の声だった。

軽井沢と一緒になって先ほどまで周囲の女子を窘めていた女の子。

松下が顔色を悪くして、何かを察したように硬直していた。

 

 

「ど、どうしたの松下さん?」

 

「いや、あの。何ていうか、佐城くんの狙い。分かっちゃったかも」

 

「え、マジで?」

 

「いや、根拠とかは無いんだけど……と、とにかく耳貸して。あと、声落として」

 

 

そう言うと直ぐに松下を中心に複数の女子が顔を伏せて何やら囁やきあい始めた。

恐らくだが松下はオレと同じく結論を悟ったのだろう。

佐城がわざわざ、こんな地獄もかくやという状況を作り出した、本当の狙いを。

 

 

「それ……マジで、言ってる? い、いくらなんでも」

 

「いや、でも。普通にあり得る……よね」

 

 

密談を終え、顔を上げた女子たちは顔面蒼白だ。

軽井沢と松下の視線は騒ぎ立てる男子生徒へ。いや、その中のごく一部にチラチラと注がれている。

 

 

「ったくサジョーのせいで酷いことになったぜ。とりあえず今月は生活できそうだけどよー」

 

「ポイント減ったのあいつのせいだろ? 責任もって来月以降も稼がせようぜ」

 

「お、寛治天才じゃん!!」

 

「だろだろ? ポイント増やす方法もみんなに共有させてさ、そしたらクラス全員大金持ちだしー」

 

 

山内と池。

この二人は特に佐城を目の敵にしていた。

そして特に佐城に嫌われていた存在だ。

……いや、はっきり言ってしまおう。この二人は佐城が最も殺意を向けている存在なのだ。

 

 

(嗚呼、そうか。そうだよな、そうなるよな。佐城の立場なら、本気で殺意を抱いているこいつらを『消す』為なら。自分の無様を知らしめるような三文芝居の一つや二つ、打ちかねないよな)

 

 

オレがある種の納得と諦念を抱くと同時に、女子たちの視線が池と山内の二人で固まった。

恐らく彼女たちもオレと同じことを察してしまったのだろう。

口元をひくつかせながら、それでもどうにか頷きあう。

 

そこからの動きは弾けるように素早いものだ。

 

 

「こら男子たち! いい加減にしなさいよ!! ちょっと平田くん大丈夫⁉ 立てる⁉ 保健室に行く⁉」

 

「あんた達、ほんっとにサイッテー!! 恥ずかしいと思わないの⁉ 謝りなさいよ⁉ 平田くんにも佐城くんにも!!」

 

「あの、ちょっとごめんね。みーちゃんと、井の頭さん? だよね? ちょっと二人にどうしても聞きたいことがあるんだけど」

 

 

軽井沢は瞬時に走り出したかと思うと、平田に抱き着いて彼を必死に介抱。

篠原は立ち上がるやいなや、教室中に響き渡るような大声で男子を糾弾。

松下はさり気なく騒動から離れ、佐城と仲の良かった王と井の頭の元へ向かい、何かを聞き出しに動いた。

 

彼女らの突飛な行動も、その焦りようも無理はない。

きっと佐城の策略から身を守る為に出来ることをやっているのだろう。

 

 

(しかし、改めて考えると想像してた以上に壮大な企みだな)

 

 

悪辣。その一言に尽きる。

 

もしも佐城の謀略がオレや松下たちの考えている通りだったとしたら、はっきり言ってタチが悪いにも程があるだろう。

何と言っても佐城本人は全く悪いことをしていない、完全な被害者という無害で潔癖な人間だと強くアピールしつつも、彼にとって邪魔な人間の首根っこを押さえ込むことが。

 

いや、場合によってはその首を切り捨てる事すら可能だろう。

 

 

入学して僅か一ヶ月という短い期間で学校のシステムを完璧に読み解き、クラスメイトに悟られぬまま着々と軍資金をまかない、その完璧過ぎる容姿を存分に駆使しクラス内に独自の地位を手に入れた。

更にはズバ抜けて鋭い頭の回転で自分にとって不都合な存在を排除する為、ここまで見事な策略を企てるとは。

 

果たして佐城ハリソンとは何者なのだろうか。

 

 

(だが感心してばかりではいられないな。佐城の企みが想像していた通りのものなら、オレの身も危ないかもしれないし)

 

 

もしも佐城の策謀が成立してしまった場合。

学校側の判断にもよるが最悪の場合『Dクラスは物理的に崩壊』しかねない。

だからこそ、ああして軽井沢と篠原は自らの影響力を考慮し、女子の代表という形で慌てて保身に。

松下は少しでも佐城の情報を聴き出すために行動に移った。というところだろう。

 

ならばオレもこうして黙りと座り込んでいるわけにもいかない。覚悟を決めて席を立つ。

いくら事なかれ主義のオレとは言えども、ここで静観を決め込むほどバカなつもりはない。

 

 

「どこに行くの? もうすぐ授業が始まるのだけれど」

 

 

そろそろ予鈴が鳴るであろうこのタイミングで立ち上がったのを不審に思ったのか、先ほどまで何やら必死にメモを取っていたらしい堀北が怪訝な面持で声をかけて来た。

 

 

「……ああ、とりあえず池や山内を止めてこようかと思ってな。流石にやり過ぎだと思うし、友達だからな」

 

「殊勝なことね。行動が愚鈍なことに目を瞑ればだけど」

 

「いいのさ。形だけだからな」

 

「……なんですって?」

 

 

堀北が怪訝な顔でこちらを睨んでいるが、悪いが構っている暇は無い。

 

形だけ。そう。形だけで十分なはずだ。

この騒ぎを止めようとしているポーズを第三者にアピールさえ出来れば、それだけでオレの身の安全は保証されると考えていい。

 

昔からよく言うらしいじゃないか。『イジメを黙認するのも、またイジメ』とな。

 

 

(恐らくだが、現時点で佐城からのオレへの心象はかなり悪い)

 

 

最優先の排除対象である池や山内の親しい友人という立場であると考えるならば、粗野で野蛮な須藤と同じレベルで嫌われていると仮定した方がいいだろう。

自身の行動を顧みたところ、決定的なやらかしはしていないと断言できる。

が、保険はいくらかけておいても損は無い。

 

 

(それに佐城の考えも完璧に読み切れたと断言できるわけじゃない。特に茶柱先生が佐城の情報を暴露した件だ。あいつは平然と受け答えしていたが、茶柱先生の教師とは思えないあのやらかしを読み切っていたとは思えない)

 

 

生徒たちへの態度を豹変させたこともそれなりに驚きだが、それだけ茶柱先生を失望させてしまったのだと考えれば、まだ納得はできる。

だが佐城の個人情報の暴露はどう考えても悪手だ。

もし佐城本人が学校側に直接抗議を起こしでもしたら、茶柱先生の責任問題になりかねない。

そんな異常行動とも言えるまさかの暴露まで予想しておいて、それを企みの一つに組込むなど普通に考えて不可能だろう。

 

そう、普通に。

つまり常識的な視点で考えるなら。

 

 

(なあ、佐城。お前はどこまで考えていたんだ? どこまでを予想して、どこから誘導していたんだ? お前は本当に、オレの興味を引いてやまない理想的な教材だな)

 

 

視線だけで天井を見上げ監視カメラの位置を確認した。

レンズに映るオレの口角が僅かに上がっていることには当然、オレ自身は気づくことはできなかった。

それでもどこか興奮したような、未だ体験したことない未知を、今か今かと待ち焦がれるような気持ちでもって。

 

 

(期待しているぞ、佐城。お前の企みがオレの新たな『学び』になることを)

 

 

オレは不平不満を大声で吐き散らかす友人たちの元へ歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この時点での原作とのズレを大まかに。

・櫛田が佐城を追って教室から出ていっている。その為、憤怒する幸村を平田一人で止めなければならなくなり失敗。結果的に大騒動に。

・幸村は前話で佐城に煽られたこともあり怒り倍増。今までのストレスやDクラスへ割り当てられた不満も合わさって完全に頭に血が昇って大爆発。ある意味一番の被害者。

・軽井沢が佐城を強く警戒している為にカツアゲイベントは不発。むしろ井の頭や王、櫛田といった佐城グループにはあまり手を出さない方がいいと察している。

・軽井沢グループは平田と軽井沢が節制に励んでいる光景に影響されて、ポイントを節約。原作よりはまだ手持ちポイントに余裕がある。

・綾小路が強く佐城に興味を抱いている。やっちまったな~。




感想下さい!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『喜劇、或いは悲劇の傍観者』9

あけおめ(フライング)。
どうにか年内に1回は更新をと思い徹夜で書き上げました……綾小路視点は次回で最終回です!!
本当に展開遅くてごめんなさい……文字数だけが無駄に嵩んでいく。


 

 

「どうやら何人かは居ないようだが、チャイムも鳴ったことだ。時間通りホームルームを始める」

 

 

『佐城事件』とでも名前がつきそうな今朝の騒動は未だ解決の目処は立っていない。

それでもあわや暴動か。とまで鬼気迫っていたDクラスの面々は時間が経ったからか表面的には落ち着きを取り戻し、こうして一日の終わりのホームルームを迎えた。

 

とは言え火種は未だに燻るどころか、いつ爆発してもおかしくはない。

どこか嘲笑じみた茶柱先生の声色と対照的に教室内の空気は重苦しく、どことなく荒々しさが残っていた。

 

事件の中心となった佐城は結局、あのまま早退扱いになったようで、あれから一度も姿を見せていない。

幸村との口論の末、あわや殴り合い寸前に至った須藤は怒りのままに教室を飛び出したまま帰っては来なかった。

池や山内にはメッセージが飛んで来ていたようで、今日はそのままフケるつもりらしい。

佐城を追いかけ留守にしていた櫛田や、保健室送りになった平田はあれから間もなく教室へと帰還していたものの、こうして席に着いている二人の表情は暗いものだった。

 

 

(まあ、それもそうだよな)

 

 

涙ながらに教室を飛び出した友人を追いかけた櫛田は、何とか一限目の直前に教室に戻って来ていた。

佐城を連れ戻すことが叶わず、自責の念に捕われていたのか、トボトボと力ない足取りでDクラスに戻って来た彼女は、クラスのあまりに混沌とした様子に思わず愕然。

大切な友人の端末から勝手にポイントを送金するという、あまりにも浅ましい男子たちの醜態には天使と称される流石の彼女も、もはや我慢ならなかったのだろう。

 

 

『いくら何でもこんなの酷いよ!!』

 

 

クラスのアイドルによる涙ながらの一喝に、男子もバツが悪くなったのだろう、佐城の端末からの集りはなし崩しに終わりを告げた。

櫛田から嫌われることを避けるためか、それとも女子たちが汚物を見るような視線を自分達に向けている事にやっと気づいたのか、多くの者は慌てた様子で自主的に佐城の端末へポイントを返金していた。

 

 

(まあ、盗んだ金を返したところで罪は消えないだろうけどな。それに返金したのが全員じゃない。っていうところがDクラスらしいというか……)

 

 

半ば意地になったのか、それともポイントが無いと生きていけないと危機感を抱いたのだろうか。

『佐城が好きにしろと言ったんだから返す理由は無い』と返金を突っぱねた本堂や。

小賢しくも全額ではなく半額以下のポイントを返金した上で、さも全額返して反省しました。と芝居を打つことで櫛田の機嫌を取りつつ、自分の小遣いを確保しようとした山内のような人間もいるのだ。

騒動から半日近く経っても櫛田の表情が落ち込んでいるのも無理はない。

 

顔色が悪いのはもちろん櫛田だけではない。

Dクラスのリーダーとして何とかクラスをまとめようと奮闘した結果、八つ当たりとばかりに須藤からの貰い事故で保健室送りになっていた平田の顔色も悲惨だ。

一限には間に合わなかったものの、そこまで大きな怪我は負わなかったようで間もなくクラスに帰って来た平田だが、悲惨なDクラスの現状に思うところがあったのだろう。

休み時間になると、どうにか声を張り上げて話し合いの時間を作ろうと何度も努力していた。

が、結果はお察しだ。

 

 

(佐城事件のせいで、もともと良好とは言えなかった男子と女子の仲が決定的なまでに悪化したからな)

 

 

佐城の端末からポイントを盗み取ったのは極一部を除く男子のみ。

女子の中にも魔が差して便乗しようとした者もいたようだが、クラスの女王である軽井沢や、今まで目立っていなかったが良識的な意見を述べた松下のおかげで、誰一人として他人の金を盗む者は出なかった。

この男女による決断の差が非常に大きかったのだろう。

 

水泳授業での男子からのイヤらしい目線から始まり、一部の連中で未だに続いているオッパイ賭博や、池と山内による佐城へのセクハラなど。

様々な要因で積りに積もっていた男子に対する女子からの嫌悪感と不満、そして何よりも怒りの感情が今回の醜態で爆発したのだ。

佐城の友人とは言え普段は気弱で物静かな井の頭や、孤立気味である長谷部ですら声を荒げていたと言えば、男女間の溝がどれだけ深刻かは分かるだろう。

 

 

(井の頭は佐城に心酔しているっぽいから怒るのも無理はない。長谷部に関しては……まあ水泳授業であれだけ見られてたら、そりゃ不満は溜まるだろう)

 

 

Dクラス間における男子と女子の亀裂はあまりにも深く、大きな問題となっていた。

男女共に影響力を持つ平田や櫛田が必死になって取りなそうとしても、結局はまともな話し合いどころか罵詈雑言をぶつけ合う罵倒合戦にしかならなかった。

これでは火に油を注ぐだけにしかならず、殺伐とした空気は更に強まっていく。

 

ふと教室内を観察してみれば、幸村は一日中怒気を放ち落ち着かない様子で貧乏揺すりをしているし、それに怯えた沖谷や佐倉は顔を青くして俯いていた。

 

山内や池は不貞腐れたように未だに小声で不満を垂れ流し、それを軽井沢や篠原などの気の強い女子たちが殺さんとばかりに睨みつけている。

恐らく茶柱先生がいなければ大声で怒鳴りつけていた事だろう。

ホームルームが終わった直後に喧嘩が始まってもおかしくない険悪さだ。

 

隣人の堀北もDクラスの空気の悪さのせいか、それとも不良品の集積所に自分が組み分けされたことに不満があるのか、とにかく終始不機嫌だ。

下手な軽口でも叩こうものなら、物理的制裁も辞さない。

茶柱先生を睨むように見つめる堀北には抜き身の刃物のような危うさすら漂っている。

 

我関せずは相変わらず余裕の表情で爪を磨いている高円寺ぐらいだろうか。

 

 

「どうやら昨日までと比べると授業態度もマシになったようだな。担任としては今後も腐らずに努力して欲しいところだ。もっとも、今さら取り繕ったところでポイントは0のままだがな」

 

 

 

学級崩壊寸前。いや、もはや上辺を取り繕っているだけで、内部からは崩壊しているかもしれない。そんな殺伐とした雰囲気の教室内で、決して大きくはない筈の茶柱先生の皮肉めいた台詞がやけに響いた。

茶柱先生はどことなくオレ達を挑発するかの様子を隠そうともしなかった。

見るからに不和が蔓延し、砂漠のように荒れているDクラスの面々を嘲笑うかのような視線で、彼女は淡々と連絡事項を告げていく。

 

 

「……さて、連絡事項は以上だ。ああ、それから今朝も言った通り定期テストで赤点を取ったものは即退学だ。精々、足掻くように」

 

 

退学。その言葉に幾人もの生徒が肩を竦めて怯えの表情を見せた。

この学歴社会において、高校中退という学歴は一生の汚点として残る玉瑕になりかねない。

人によっては実質的な死と同義だと恐怖で慄えている者もいるだろう。

そんな生徒達の様子を茶柱先生は何を思っているのか。

哀れみか、それとも蔑みか。凡そ、ポジティブな感情が透けて見えない冷たい声色は氷柱のようにDクラスの面々の心に突き刺さっていく。

 

 

「今朝にも言ったが大半の人間が聞き逃していたようだったから、もう一度だけ言っておいてやる。中間テストまでは残り3週間だ。各々じっくりと熟考し退学を回避してくれ」

 

 

最後の3問以外はお世辞にも難易度が高いとは言えない、あの小テストですら6人は赤点だったのだ。

範囲と教科が更に大きく広がるであろう中間テストにこのまま臨むことになれば、退学者候補は更に増えて行くのは間違いないだろう。

タイムリミットまでの3週間。一瞬足りとも無駄にせずに全力で勉学に励まなければ間に合わない筈だ。

 

 

(いや、人によってはもう間に合わないのかもな)

 

 

歴史などの単純な暗記科目以外を除けば、勉強というのは基礎が大事だ。

例え、特殊な文法や必須と呼ばれる公式を必死に暗記したところで土台となる基礎知識。

つまり中学時代に習った筈であろう範囲の知識がなければ、どんなに応用知識を身に着けたところで無駄となる。

どれだけ時間をかけて勉強したところで土台がしっかりしていなければ砂上の楼閣だ。

どれだけ積み上げたところで、いざという時には脆くも崩れ落ちることだろう。

 

オレの友人の三馬鹿などは、そもそも勉強の習慣が全く無いせいで、自主学習のやり方が想像すら出来ていないだろう。

何歩か譲って、科目によって得意不得意があることを考慮しても、小テストの拙劣な結果から考えれば、Dクラスには彼らのような人種が多いと思われる。

そんな人間が一ヶ月にも満たない期間で必要な知識を身に着けることが出来るかと言うと、簡単な事では無いだろう。

 

 

「不良品のお前らでも赤点を取らずに乗り切れる方法はあると確信している。出来ることなら、実力者に相応しい振る舞いをもって、この学校に入学出来たのは運やまぐれではなかったと証明して欲しい」

 

 

 

オレがぼんやりと暗雲立ち込めるDクラスの未来を憂いていると、先ほどまで生徒達を皮肉げにこき下ろしていた様子から一転。

茶柱先生はどこか発破をかけるような台詞と共にほんの少しだけ微笑んだ。

『確信している』。とは、どういう意味なのだろう。

果たして本当にあるとでも言うのだろうか? 最低限の知識すら危うく、学習意欲が最底辺。

なおかつクラスの団結すら望めない程にギスギスとした、最悪とも呼べるこのDクラスの面々から一人も退学者を出さない。

そんな奇跡のような方法があるとでも茶柱先生は言いたいのだろうか。

彼女らしくもない、どこか楽観的な言葉選びにオレが決して小さくない違和感を感じたその時、タイミング悪くチャイムが鳴る。

残念ながらホームルームは終了だ。

 

 

「では本日はここまで。放課後をどう過ごすかは自由だが最終下校時刻は守るように……」

 

 

呟くように言いながら茶柱先生が帰り支度を整え、教室の前扉に手をかけ。

放課後を迎え、生徒達も各々帰り支度や雑談などを始めようとした。

 

まさに、その時だった。

 

 

「Dクラスの皆さんこんにちはー。ちょっと失礼するわねー?」

 

 

茶柱先生が手を触れる直前、ガラガラと音を立てながら唐突に入口のドアが開く。

 

弾むような女性の声に思わず視線を向けると、そこにはウェーブのかかったセミロングが魅力的な女性が立っていた。

もしもこの学校が男子校だったなら、たちまち全生徒の心を鷲掴みにしてしまうこと間違いなし。そんな大人の魅力に溢れた美人だった。

 

 

「え、あの人って……保険医の?」

 

「え? 誰?」

 

「確か星之宮先生だよね? Bクラスの」

 

 

予期せぬゲストの登場にざわつくクラスメートの声から察するに、乱入して来た妙齢の美女の正体は他クラスの担任教室らしい。

 

 

「何の用だ星乃宮、お前の担任はBクラスだろう。放課後とは言え、むやみに他のクラスの教室に入るなど容認できん」

 

 

一瞬、瞠目した様子を見せた茶柱先生はすぐにいつもの表情に戻ると、どこか突き放すように星乃宮先生を問い質す。

確かに担当授業以外で担任以外の教師がDクラスを訪ねに来る事など今まで一度も無かった。

何かアクシデントでも起こったのだろうか。

 

 

「うーん、それはそうなんだけどね。今回はあくまで他クラスの担任教師じゃなくて保険医として。と言うより証人としてお邪魔したワケだから、規則的には問題無いと思うのよねー」

 

「……いきなり何を訳の解らないことを。第一、証人とは何の話だ」

 

 

片や不愉快そうに、片やどこか愉しそうに。

訝しむような目つきの茶柱先生とニコニコと明るい笑顔の星乃宮先生の表情が対照的だ。

 

 

「まあ、とりあえずお仕事の一環でここにお邪魔してるわけだし、サエちゃんは邪魔しないでねー……あ! Dクラスの皆んなは初めましての人が殆どだよねー? 私は星乃宮知恵。Bクラスの担任よ。詳しい自己紹介はちょっと省略しちゃうけど、この学校の教師で、悩める生徒をお助けする大人の一人。今日はそのことだけを覚えておいて欲しいな」

 

「おい、星乃宮。お前何を……!」

 

 

サエちゃんとは恐らく茶柱先生のことなのだろう。

ウチの担任と比べるとヤケに気安い態度でありながら、どこか押しの強い星乃宮先生は、何事かと問い質そうとする茶柱先生を押し退けるように、やや強引に教室に入って来た。

 

 

「もしかしたら部活やデートとか、放課後に予定が入っている子もいるかも知れないけど、今日だけはちょっと我慢して教室に残って居た方が個人的にはオススメよー。あっ、でも心配しないでね? これは学校側からの命令とかじゃないよー。あくまで何の強制力も無い『ただの助言』だから。どうしても帰りたい。って人は帰宅しちゃってもいいからねー?」

 

 

思いもしなかったハプニングに教室は更にざわめきを増す。一体何が起こっているのだろうか。

それに星乃宮先生の台詞も妙に含みをもったモノに聞こえるのは、果たしてオレの気のせいだろうか。

 

 

(『ただの助言』ってどういう意味だ? 強制力が無いってことは無視しても罰則は無いんだろうが、どうにも引っ掛かる言い方だよな。もし助言を無視した人間には、何らかの不利益を被ると考えるべきか?)

 

 

さて、オレはどうしようか。放課後の予定は特に無いから居残るのは問題は無い。

とは言え早く帰れるに越したことは無い。周りの反応次第、といったところだろう。

チラリと横を眺めると、いの一番に教室から去って行きそうな人間代表である堀北が、大人しく席に着いていた。

 

 

「何かしら。不躾な視線でジロジロと」

 

 

何というか、凄く意外だった。

 

 

「いや、堀北のことだから、とっとと帰るものだとばかり思ってな。クラスの今後とかも興味なさそうだったし、平田が放課後に誘っていた話し合いも不参加するって言っていたし」

 

 

実はDクラスでは放課後に今後のクラスの運営や方向性について平田主催で話し合いの機会が予定されていた。

平田や櫛田が生徒一人一人に頭を下げながら、一人でも多くのクラスメートに参加してもらおうと骨を折っていたのを思い出す。

尤も、隣人たる堀北は速攻で断っていたし、オレもそれに便乗する形で断りを入れていたのだが。

 

 

「……別に、茶柱先生に聞きたいことがあるから残っているだけよ。先生が教室から出ていったら私も用は無いわ」

 

「そうか」

 

 

不機嫌そうな堀北の言葉に短く返事を返したオレは何となく察した。

気位の高い彼女のことだ。恐らく自分が最底辺であるDクラスに配属されたことが納得いかないのだろう。

茶柱先生へ聞きたい事はその理由を問い質すためと言ったところか。

 

 

(堀北だけじゃなくて誰も帰ろうとしないだなんて、ちょっと意外だな)

 

 

グルリと教室内を観察してみれば、どの生徒も落ち着かない様子でどよめいてはいるものの、教室から去ろうとする生徒は皆無。

見知らぬ先生の登場で単に好奇心を刺激されているからか。

それとも『助言』という不可思議で意味深な言葉が足枷になって二の足を踏んでいるのか。

それとも元々、平田の話し合いに参加する為に放課後は残るつもりの人間が多かったのか。

 

(まあ、池や山内のように単純に綺麗な大人のお姉さんに見惚れているだけ。っていう雰囲気の男子も居るようだが)

 

 

意外と言えば、唯我独尊自由人である、あの高円寺すらどこか愉快な物を見るような笑みを浮かべ席に着いているのが妙に思えた。

事なかれ主義のオレとしてはここで一人立ち上がって悪目立ちをするのは避けたい。

選択肢は無いに等しかった。

 

 

「うん。皆んな残ってくれてるみたいだねー。聞き分けのいい子が多くて先生嬉しいわー」

 

「星乃宮! いい加減にしろ!! これ以上勝手な行動をするようなら上に報告するぞ!!」

 

 

とうとう痺れを切らしたのか、茶柱先生が声を荒げた。

美人が怒ると怖いのは本当だというのに、対する星乃宮先生はそれでも楽しげに微笑んでいる。

 

 

「だからーさっきも言ったじゃない。私は仕事でここに来ているのよ。規則上、何の問題も無いし、そこまで言うならサエちゃんだけ先に職員室に帰ってもいいわよ? 多分、後悔すると思うけどね」

 

「……お前、何を企んでいる?」

 

 

茶柱先生の怒気のせいか、それともどこか余裕のある微笑みを浮かべる星乃宮先生の奇妙な存在感のせいか。

ざわついていた教室は次第に静まり返り、今やピンと糸が張ったような緊張感に満たされていた。

 

 

「人聞き悪いこと言わないでよー。私は一教師として『対価』に見合った行動をしているだけよ。サエちゃんなら……ううん、茶柱先生ならこの学校において最も重要視される『対価』の重要性は分かってるわよね?」

 

「……誰だ? 誰がお前に『支払った』?」

 

「えー? それ、態々聞く意味あるかなー? 私がこうしてDクラスに来ている。って時点でサエちゃんだって誰が何を『買った』かなんて何となく気づいてるんでしょー?」

 

 

『対価』、『支払った』、 そして『買った』。

生徒たちを置き去りにした教育者二人の会話は、恐らく何かを売買したであろう内容だ。

だが、あえてなのだろう。恐らくは重要なキーワードとなる文言をどうにか誤魔化すような曖昧なものだった。

それでもこの意味深な会話の中には、決定的な何かがあったのだろう。

二人の顔色がその旗色を明確に表していた。

 

茶柱先生は歯を食いしばり悔恨を堪えるような厳しい目つきで目の前の同僚を睨みつけ。

対する星乃宮先生は優しげな微笑みの中にも背筋が寒くなるような冷酷な蔑みの感情を孕ませている。

何を争っているのか、それとも競っているかオレを含めた生徒達には全く想像がつかない。

だが、それでも。不確かな直感に従い、あえて言うならば。二人の内、どちらが『勝者』なのかは明白だった。

 

 

「今朝の、職員会議の後の。あの時の話、か……チエ。お前、私をハメたな?」

 

「人聞きの悪いこと言わないでよー。私はあくまで頼まれた事をそのままやっただけなんだから。っていうか藪を突いたのは完全にサエちゃんのせいだよね? 私『達』は何も悪いことしてないよー?」

 

 

意味深な言葉の応酬が続けば続く程、沸々と怒りが溜まっていくのだろう。茶柱先生の視線は刃物のように鋭くギラギラと光り、怒気を通り越した危うい殺意すら宿って見えた。

普段はどこか俯瞰的で冷淡な態度が常である彼女が、あそこまで感情的にな様子を見せるのはオレ達生徒からすれば初めてのことである。

あの鈍感な山内ですら茶柱先生の憤怒の様子に頬を引き攣らせている程、と言えばその衝撃と迫力が伝わるだろうか。

 

 

「何時からだ。いや、そもそも何故。どうやって……アイツは一体何を買ったんだ」

 

「まあまあ、ほら! 気になるのは分かるけど生徒達も困っちゃってるからその辺にしようよ? 」

 

 

 

ニコニコ。そんなオノマトペが音符マークと共に跳ね回るような幻想が浮かんで見える程に機嫌良さそうな星乃宮先生は、きっと実にイイ性格をしているのだろう。

茶柱先生が必死に押し殺しているだろう溶岩の如き怒りが溜まれば溜まる程、星乃宮先生の笑顔は益々輝きを増しているのだから。

互いを下の名前で呼び合うほどなのだからよっぽど親しい仲にも見えるが、オレ達のような未熟な子供には想像もつかないような深い因縁でもあるのだろうか。

 

 

「それにほら、そんなに色々と聞きたいことがあるならさ」

 

 

そう言いながら星乃宮先生は俯く茶柱先生の両肩にポンと手を乗せると、そのまま引き摺るようにして窓際側の、教室の隅に移動して行く。

まるで物を運ぶように粗雑に扱われる茶柱先生が少し哀れに思えた。

だが星乃宮先生はそんな茶柱先生の様子など知ったことかとばかりに、明るい声のまま遠くに呼びかけるように声を張り上げた。

 

 

「本人に聞いた方が早いよねー?」

 

 

そんな星乃宮先生の台詞を待っていたかのように。いや、実際に待っていたのだろうか。

教室の扉が、再び音を立てて開いていく。

 

 

「あっ……⁉」

 

 

思わずといった様子で声を上げながら、勢いよく立ち上がった女子生徒の名は言うまでも無い。井の頭だ。

王や櫛田も、声こそあげなかったものの大きく反応している。

当然のことだろう。彼女達の大切な友人が帰還したのだから。

 

 

カツン。カツン。とローファーが床を踏み下ろす音を立てながら、彼はゆっくりと。

いっそ焦れったくなるほどにゆっくりと歩みを進め、やがて静かに教卓の上に立った。

 

 

月明かりが蕩けたプラチナブロンドのショートボブ。

雪より白く真珠よりも輝きを見せ、いっそ神々しく見える神秘的な白皙と、それを彩る薔薇色の頬。

唇はどんな果実よりも瑞々しく潤み、丹念に磨き上げた珊瑚のように煌き。

耳鼻の形の美々しさと言ったら、造形美における完璧という言葉の具現化で。

曼珠沙華の花弁を重ねたような重厚で長い睫毛が、鳥が翼を広げるが如くフワリと広がれば。

そこに浮かんだ碧とも紫とも緑ともつかぬ二つの瞳は、この世のどんな宝石よりも美しくて。

 

 

「勇気をもって告発いたします」

 

 

魔貌の美少年。佐城 ハリソンが静かにオレ達を見下ろしていた。

 

 

 

絢爛豪華。

 

目の前の光景とはむしろ正反対の意味な言葉だというのに、この四文字が頭に浮かんできたのは何故なのだろうか。

 

打ちっぱなしのコンクリートに包まれた寒々しい教室は、腐敗した生徒達の性根が汚染したかのように埃が舞い、放課後の西陽がぼんやりと室内を照らしている。

どこにでもある放課後のワンシーン。

乾燥無味の一言で捨てられるような色の無い教室。

そんな薄暗く、窮屈で殺風景な小さな箱の中に居るだけだというのに。

 

 

「ボク。佐城 ハリソンは」

 

 

彼が立った。

只、それだけで世界は色づき、燦然と輝くようだった。

 

灰色のコンクリート壁は主役を引き立たせる為の舞台装置と化し、あたりに浮かんだ砂ぼこりですら白金の如く輝くダイヤモンドダストへ。

郷愁を煽る弱々しい西陽はあっという間に小さな舞台を彩るスポットライティングへと進化する。

 

 

「Dクラスの一部生徒から」

 

 

『美』が立っていた。

 

己が存在一つで世界を煌めかす美貌の化身が、優しい微笑みを浮かべながら悠然と立っていた。

教室が。生徒が。教師が。この世に存在する全てすら魅了する偉大なる主役が、悠然と舞台の上に立っていた。

 

ふと、オレは高円寺が彼につけたあだ名らしきものを思い出す。

アクターボーイ。つまりActor。役者。

 

全く、成る程。確かに高円寺の観察眼とそのセンスは、独特ながらに見事に卓越したものだと今まさに感服した。

 

 

「卑劣で」

 

 

観客を煽るような大袈裟な身振りも、聴衆の情動を揺さぶるような派手な抑韻も無く。

小さな教卓の上に立ち、ただゆったりと語りかけるその姿こそが。

文字通り(スター)のように輝いている。

 

 

「醜悪で」

 

 

嗚呼、その美声。美貌。そしてその月光のような神々しい輝きに。

網膜が焼け付き、脳が蕩け、魂が揺さぶられる。いっそ、凶器的ともいえるその存在感にすっかり視線が奪われつつも。

それでも。それでも何とか正気を保ち、本能から泡立つ鳥肌に冷や汗を抑えながらも、どうにか己の感情を抑制できている、その理由。

 

 

「陰湿で」

 

 

錆びた機械のように凝り固まり死んでいたオレの心のせいだろうか。

あの白い部屋での教育の成果だというのだろうか。

 

否。それは違う。

 

 

「悪質な。そう……」

 

 

だって、ほら。一目で分かるではないか。

 

 

「極めて、悪質な」

 

 

慈母のような優しげなその微笑みの裏側に。

 

 

「イジメを受けています」

 

 

決して隠し切れない泡立つ屁泥のような邪悪な感情が、膿のようにドロドロと溢れ出しているのだから。

 

 

(始まったな)

 

 

喜劇か、悲劇か。否、人によっては残酷劇(グラン・ギニョール)にすらなりかねない。

天使のような美貌の裏に、悪魔のような謀を張り巡らせた男。

佐城ハリソンの舞台が、今、幕を開ける。

 

そんな確信を抱いたオレの口角は、やはり無意識の内にヒクリと跳ね上がっていた。

 




感想返信遅れて申し訳ありません。ですが全て目を通しています、そしてニヤニヤしています!!
感想も一言評価もすっごく嬉しいです!! お待ちしています!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。