「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 (バクシサクランオー)
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チーム結成前
テンプレオリシュ登場!


案外見ないネタだったので


U U U

 

 

「ウマソウルってうるさいよね」

「えっ」

「えっ」

 

 これが私の普通が私以外の異常だと知った、私の起源(オリジン)

 

 

U U U

 

 

 私の名前はテンプレオリシュ。

 親しい相手からはリシュ、と呼ばれている。

 一部を除きごく普通のどこにでもいる、一般家庭出身のウマ娘だ。

 

 父親はサラリーマン。勤め先の企業の名前は知っているけど具体的にどんな仕事をしているのかはよく知らない、よくある距離感の親子関係。

 母親はパートタイマー。私が小さい頃は専業主婦だったけど、昨今の不景気の波には勝てず私が小学校の頃に近所のスーパーのレジ打ちを始めた。ちなみにウマ娘だがレース出場経験はない。ごく普通の高校を卒業し、大学に進学し、そこで出会った父と結ばれたそうな。

 兄弟はいない。少なくとも戸籍の上は一人っ子だ。

 

 さて、ここからが少しだけ普通じゃないところ。

 

 まず兄弟はいないと言ったが、実のところ兄だか姉だかよくわからないモノが私には存在している。

 

《こんな雑な放り込み方されるとは思わなかったんだよなー。まさかウマソウルに直接加工されるとはねえ。女神の甘言なんか乗るもんじゃないな。

 ま、畜生道を経由したところで桜肉になるのがオチだっただろうし? だったらまっさらな状態からスタートってのもアリだろうさ。G1を勝利するようなウマソウルを宿したウマ娘転生ってのが王道なのは認めるが、前世(ウマソウル)と同じ結果しか残せないならもう一度生まれる意味がないってもんだ》

 

 ときどきもうひとりの私はよくわからないことを言う。

 私よりずっと物知りで、小器用に何でもできて、それでいて嫉妬や劣等感を抱かない程度には普通のことが普通にできない変なやつ。

 小さいころからずっとそばにいて、一緒にいて。ウマ娘はそれが当たり前なんだと思っていた。

 それが違うと知ったときから、私と世界の間には溝が生まれ、徐々に広がり続けている。……なんて言ったら、責任を押し付けるなと叱られるだろうか。

 

《リシュー、次の駅で降りんぞー》

「わかってるよ、テンちゃん」

 

 思わず声に出してしまい、ぱっと口を塞いで咳払いのふり。

 もうひとりの私の声は私にしか聞こえない。最近はハンズフリーの技術も発達してきて、誰もいない方へ話していても『電話しているのかな?』と思われて終わり。とはいえ、電車の中での通話はマナー違反である。

 新生活の幕開けにらしくもなく浮かれているようだ。視線の先で私の全財産を詰め込んだキャリーバッグが存在を主張する。何しろこれから向かう先は全寮制。

 

 そしてこれがもう一つの普通じゃないところ。

 

 今年からめでたく中央トレセン学園の生徒と相成ります。ぴっかぴかの中等部一年生だ。

 中央トレセン学園は中高一貫で総生徒数二千弱という数を誇るが、それでも私のような一般家庭のウマ娘が中央に合格するケースはかなり珍しい、らしい。

 たいていはメジロなりシンボリなりの名門。そうじゃなかったとしても家系図を辿っていけばどこかでレースで結果を残した名のあるウマ娘にたどり着く。それほどこの業界は血統と実績が密接に関わっている。

 一方の私はどこまでいっても無名の無名。平々凡々。完全な突然変異だ。

 

《そりゃあ、もはや語るのも恥ずかしい手垢だらけのテンプレを経てチート積んでますから》

 

 この成果は当然だと脳内で胸を張るテンちゃん。姿が見えるわけではないが長い付き合いだ。気配はわかる。

 だが中央の狭き門をくぐったところでそこがまた新たなるスタートライン。日本中から集められた選りすぐりの天才たちがしのぎを削り、その天才たちの中でもバケモノと落ちこぼれが生まれるという魔境がここだ。

 

 トレーナーに見いだされなければデビューすら果たせない。レースに出るためにはトレーナーの名義が必須だからだ。

 しかもこれは教育機関としてわりと致命的だと思うのだけど、在校生に対しトレーナーの数は圧倒的に劣っており、彼らは前評判のいい名門の子に集中するのが常だったりする。だからレースに出るためだけの名義貸しなんかも黙認されているらしい。

 私ごときが成果を出せるのだろうか。重賞勝利どころかトレーナーの目に留まらずメイクデビューすら果たせず青春を棒に振ることになるんじゃなかろうか。八割の不安が顔を覗かせようとするのを、うすーく延ばした二割の期待で包んで見ないふり。

 

《就活……お祈りメール……うっあたまが》

 

 もうひとりの私は謎の電波を受信し、脳内で崩れ落ちて役立たずになっていた。私よりメンタルが弱いのだ。こういうところがあるからテンちゃんと私は上手くやっていけている。

 

 まあなんとかなるさ。

 ウマ娘の本能として走ることは好きだし、勝負事は勝ちたい。でも名門のウマ娘たちがこだわるほどにレースというもの自体に執着はない気がする。

 ただ私は天才だった。自分で言うのもなんだけど。いちおう地元では負けなしという実績もある。そういうやつばかりが集まっているんだろうけども。

 トゥインクル・シリーズは国民的スポーツでありエンターテイメント。ぶっちゃけた話金が動く。成果さえ出せば二十歳にもならない小娘が卒業までに平均的サラリーマンの生涯年収をゆうに超える額を稼げる。

 他に能がない、とまで断言できるほど長生きしていないけど。少なくともレースに関して私は否定しようのない『能』があった。だからここに来たんだ。

 この数年間でがばっと生涯年収を稼いで、あとはハイパーインフレが起こらないことを祈りつつ悠々自適の余生を過ごす。それが私たちの目標だ。

 

《あとはネームドのウマ娘を生で見たいな。せっかくこの世界に転生して中央トレセン学園に入学までできたんだからさ! 幸運なことにどうやら学年はそれなりに被ってるみたいだし》

 

 テンちゃんのテンションが高くなる。

 テンちゃんの言うところのネームドがいかなる存在かはいまだによくわからないけど、過去に何度かテンちゃんのテンションが振り切れたことがあった。中央ではそういうことが多くなるのだとすれば、今から少しだけ憂鬱になる。人に会うこと自体、私はあまり好きじゃない。

 

 そういえばあの子はどうなんだろう。

 私のせいで万年シルバーコレクターとなり、一番に固執するようになった幼馴染。彼女もバッチリ中央に合格したのだと、わざわざ合格通知を見せに来た覚えがある。今年からも同級生だ。

 あの子に対するテンちゃんの態度も、他のウマ娘と比べ明らかに違う。

 

《アレはちょっと……事故っていうか、解釈違いっていうか。推しは尊ぶものであって干渉するものじゃないんだよなぁ。未来の百合ップルの間に挟まるのはデジたんが助走つけて殴りかかってくる大罪ですので》

 

 誰だよデジたん。

 電車から降りてしまえば気軽なもので、私はテンちゃんとくだらない会話をしながらトレセン学園へと歩みを進めた。

 

 

U U U

 

 

 入学案内のパンフレットで事前知識はあったけど同学年、下手すれば年下なのではないかと思うような外見の秋川やよい理事長を実際に目の当たりにして驚き。

 生ける伝説、無敗の三冠にしてG1七冠ウマ娘シンボリルドルフ生徒会長を初めて生で見てその風格に身体が震えたり、威風堂々たる歓迎の挨拶に挟まれたダジャレの数々に別の意味で身体が震えたり。

 何だかんだありつつもつつがなく入学式を終え、その後テンちゃんの求めに応じ学園をざっくり見て回り、今はこうして寮の自室という名の馴染みのない空間でひと息ついている。

 

 私が配属されたのは栗東寮。

 寮長のフジキセキさんは女性相手にこういう表現が的確なのかはわからないけど、第一印象は気障なプレイボーイという感じだった。初対面でポニーちゃん呼ばわりしてきた相手に対しこういう評価を下してしまうのは私が悪いわけじゃないと思う。

 いや、向こうも向こうで悪い人ではなさそうなんだけどなぁ……個人的には苦手なタイプかもしれない。距離感とか雰囲気とか。

 

《やよいちゃんが理事長ってことはやっぱりアプリ時空か。しかも練習風景を見た感じ、メインストーリーじゃなくて育成ストーリー寄りっぽいな。チーム名は聞き覚えがあるのがちらほらあったけどメンバーが全然ちげーわ。

 育成ストーリーってトレーナーのキャラ付けが育成ウマ娘ごとにわりと違うし、育成担当ごとのパラレルワールドっぽいんだよなー、タキオンのプランAとカフェ時空のプランBとか。これじゃあ転生者お得意の原作知識によるアドバンテージはあって無きがごとしか。まあ下手にアニメ時空だったりしてもあの世界に介入するのを自分で許せるかっていうと微妙なラインだし丁度いいか》

 

 相変わらずわけのわからないことを脳内で垂れ流されるのにも慣れたものだ。

 

 初日から模擬レースに自主的に参加しバチバチやっている子たちも少なくなかったが、トレーナーの主なスカウトの場である選抜レースだの、チームの入部テストだの、将来に繋がる重要な催しはまだやっていなかった。

 日本中からウマ娘が集まるというこの学園の性質上、しばらくは地方から来た子たちの疲労を抜くことを優先しているようだ。

 ウマ娘は調子が成果に反映されやすいと言われている。長距離移動で絶不調になった将来のG1ウマ娘を見逃すよりは、多少スタートが遅くなっても本来の力を見たいというのが学園およびトレーナーたちの方針なのだろう。

 

 ちなみに、その初日からバチバチやってる新入生の中に見覚えのある赤いツインテールがあった。遠目に確認しただけだが、我が幼馴染は相変わらずのようだ。良家のお嬢様なのに根性があり過ぎる。

 こういう姿勢が差になるんだよなぁ、『たゆまぬ努力が実を結ぶ』を体現している優等生があの子だと思いつつ。そんな彼女に勝ち続けてる自分が言っても嫌味にしかならないかとベッドの上で寝返りを打つ。

 

 この寮は基本的に相部屋だ。そして私の部屋は例外ではない。

 どんな人が相室になるのだろう。ドキドキしてなかなか荷ほどきに移れない。このドキドキは期待じゃなくて不安のドキドキだ。

 プライベートスペースの線引きができるまで、荷ほどきする気が起きなかった。

 

 そうしているうちにウマ娘の鋭敏な聴覚がこの部屋の前で立ち止まった足音を拾う。

 部屋の番号を確認するかのようにしばし間が空き、ノックも無しにこれから同室となる相手が入ってきた。

 挨拶は大事だと、息を吸って腹に力を入れて。

 

「こ、こんにちは! はじめまして、私は……」

「あ、いいからそういうの」

「えっ」

 

 出鼻をくじかれた。

 入ってきたのは金毛をショートボブにしたウマ娘。向かって左に青のメッシュが入っている。

 出合い頭に精神的横面を張られたこともあるだろうが、釣り目気味のエメラルドグリーンの瞳はクールというより冷たくそっけない印象を抱かせた。

 

「よろしくお願いする気なんてないって言ってんの。アタシはここになれ合いに来たわけじゃないし、ここに来たウマ娘で栄光を掴めるのなんてほんの一握り。

 いなくなるかもしれない相手の名前をわざわざ憶えて交友に意識と時間を割くなんて、無駄でしょ? だから部屋ではお互いに不干渉でいこう」

 

 なんだコイツ。

 ひとがなけなしのコミュニケーション能力を振り絞って最初の第一歩を踏み出そうとしたというのに。これから自室に戻るたびにコレとわくわく同居生活なんて軽く絶望なんだが。

 

《え、ちょ、リトルココン!? リトルココンじゃないかっ!

 そりゃチーム〈ファースト〉でも学園の生徒である以上どっちかの寮には所属してるわな! ここはアオハル杯時空だったのか!!》

 

 でもテンちゃんは意見が違うようだ。すごく興奮している。なんかべらべらと垂れ流し始めた。

 

《仮にURAファイナルズ編と同じ年代の平行世界と見た場合、あれほどのスペックを誇るリトルココンとビターグラッセは理子ちゃんの下でこそ花開いたのだと解釈できるけど、個人的にアオハル杯編の時系列はURAファイナルズ編の三年後あたりだと思っている。アオハル杯で出てくるURAファイナルズは新設された大型レースって雰囲気じゃないからな》

 

 URAファイナルズ? 去年一緒にテレビでみたやつかな。

 最も競争率の高い中距離レースの初代チャンピオンにルドルフ会長が輝いて、やっぱり皇帝は伊達じゃないんだと思い知らされた。

 あと長距離レースで初代チャンピオンに輝いたゴールドシップってウマ娘がなんかいろいろとヤバかった。

 

《あと個人的にはミークの能力値も判断材料になる。何も成長していないって言われてるCとC+のフルコースだったけど、あれは『衰え始めた身体能力』を示しているんじゃないだろうか。

 シニア級で何年も走りピークを過ぎて身体能力が低下してなお、URAファイナルズ決勝まで勝ち進む熟練の猛者。それがアオハル杯時空のミークなんだと思っている。

 つまり今年か来年あたりやよいちゃんがドナドナされる可能性が微レ存……?》

 

 あー、語ってるところ悪いんだけどさあ。もしもテンちゃんがコイツのこと大丈夫なら、運転代わってくれない? 私コレと同じ空気吸うのいやだ。

 

《おっけー》

 

 脳内で快諾が響くのと同時に、ふっと世界が遠く曖昧になった。

 まるで夢の中のような、主観が曖昧模糊とした感覚。主導権がテンちゃんに切り替わったことで身体はワクワクと興奮しているのに私の心情は冷めていて、その心と身体のちぐはぐさがますます現実味を失くす。

 にやり、と私の頬が吊り上がった。

 

「ねえ、名前おしえてよ?」

「……はあ? 話、きいてなかったの?」

「聞いてたけどさぁ」

 

 私とテンちゃんのコミュニケーション能力の低さは正直どっこいどっこいだと思う。

 ただ、明確な違いとしてテンちゃんは相手を怒らせたり反発を買ったりすることを恐れない。豪胆というより、自分が敵意を向けられる事実に対し鈍感という感じだけど。

 あと相手を煽ることに関してはめちゃくちゃ口が回る。

 

「ルームメイトの名前も憶えていないとなると、周囲からコミュニケーション能力に難ありの癖ウマと判断されちゃうだろ? そうなったら困るんだよねぇ。まだ学園生活も始まったばかりなのにさ。教官やトレーナーたちからの評価は進路に直結するんだ。わかる? なれ合いとかじゃなくて単純にデメリットなんだよ。

 ま、キミが名前を記憶する必要もないほど至急すみやかに夢破れて故郷に逃げ帰る予定だっていうなら、無理にとは言わないけどねえ? ぼくだって記憶力の無駄遣いはしたくないしぃ」

 

 ぴきっと相手のこめかみがひきつった気がした。

 チッと舌打ちが部屋の空気を揺らす。私だったら相手に抱いている感情より前に反射的に萎縮して胃が痛くなるだろうけど、テンちゃんは相変わらず楽しそうにニヤニヤしていた。

 

「……リトルココン。これで満足?」

「テンプレオリシュだ。無理に憶えようとする必要はないぜぇココンちゃん。この学園の、いやこの世代の誰もが忘れられない名前になる予定だからね」

 

 リトルココンは鼻を鳴らしただけで、後は何も言わずに荷ほどきを始めた。まあウマ娘の感情というのはわかりやすいものであり、耳と尻尾を見ればかなり不機嫌なのが見て取れる。

 この部屋の険悪な空気に比べればテンちゃんの大言壮語なんて些細なものだった。いや嘘だけど。なに人の口で言っちゃってくれてやがるんですか。

 

 午前中に見た皇帝の威風を思い出す。

 あのルドルフ会長ですらG1は七勝しかできなかったのだ。もっともルドルフ会長は強すぎるあまりURAからの要請でドリームトロフィーリーグに早期移籍したという噂であり、トゥインクル・シリーズに留まり続けていればさらなる冠を被ることはほぼ確実だったと言われているがそれはともかく。

 クラシック三冠、春秋シニア三冠、テンちゃんが掲げ、私が同意した。今の私たちの目標であるレースを全部取るだけでG1九勝だ。私にシンボリルドルフを越えることができるのだろうか。今さらながら不安になってくる。

 いやいや、ぴかぴかの新入生が生ける伝説に比肩せんと考えている時点で誇大妄想か。

 

《アプリ版の育成ウマ娘は慣れてくるとみんなそれくらいやってるからよゆーよゆー》

 

 どこまで本気でどこまでが冗談なのかときどき判断に困る。

 

 さて、ウマ娘というのはストレスに弱い生き物である。

 こんな部屋で過ごしていればストレスで身体をやられそうなので、少なくともしばらく寮での生活はテンちゃんにお願いしようかな。

 

《ぼくに? まー別にいいけどー》

 

 相変わらずあっさり引き受けてくれた。

 昔からそうだった。小さいころの注射しかり、夏休みのラジオ体操しかり、別に私がやってもやらなくても将来に影響無さそうな面倒ごとはテンちゃんが引き受けてくれる。

 双子とかではよくある話で幼いころは自分こそがお姉ちゃんだと意気込んでいたが、いまやすっかり面倒見のいい兄だか姉だかに甘える妹の気分だ。

 まあ宿題とかは手伝ってくれることはあっても代わりにやってくれることはそうそうない。ちゃんと線引きは存在している。

 

 私にはこうしてテンちゃんがついてきてくれているけど、他の子は違うんだ。すごいなぁ。素直に尊敬する。

 みんなは寂しくないのだろうか。自分の中に自分しかいない感覚が。私も何度か経験したけど、内側に話しかけても返事がないというのはとても寂しかった。

 困った時に代わってくれる相手もいないのなら、みんなはどうやって困難に立ち向かい、そして解決するのだろう。

 険悪な隣人とのファーストコンタクトにくじけそうになりながら、それでも身体はテンちゃんの上機嫌が反映されて好調そのもので。

 快適な眠りに肉体が落ちたことで、私たちの意識は途切れた。

 

 

 




ウマソウルに転生してウマ娘に憑依し、憑依した子と二人三脚でトゥインクル・シリーズを走り抜く概念もっと増えろ。


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地元じゃ負け知らず

(*'▽')「短編の一話やし、主人公の名前でまじめな小説読みに来る読者振り落としとるし、お気に入り10人もいっていれば御の字かな」

( ゚д゚) >先人の積み上げた功績の余波<


お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
予想以上の反応につられ、続きを投稿です。


U U U

 

 

 多重人格を取り扱った作品ではよく『どっちが本体か』で人格同士が争ったりするけど、私たちの場合はそんなことは一度もあったことがない。

 

 私がメイン、テンちゃんがサブ。

 それがお互いの共通認識。理由は単純明快で、テンちゃんの表に出てこられる時間には制限があるからだ。

 一日あたり最長で六時間弱。それがテンちゃんの活動限界。それ以上動こうとしても睡魔がどうにも堪えきれなくなり、その後反動で十八時間は奥に引っ込んで眠り続けることになる。そうなると起きるまでの間、私たちは私だけになってしまうのでかなり寂しい。裏で俯瞰しながらなんやかんやと口を挟むだけならずっと一緒にいられるからね。

 

 また、肉体の優先権も常に私が握っているといってよい。

 テンちゃんが身体を動かすには私から支配権を譲り受ける必要がある。何なら無理やり支配権を押し付けることもできて、小さい頃はよくわがままをやったものだ。苦手なシイタケを代わりに食べてもらったりとか。

 とはいえあまりいい気分ではないだろうから、物事の道理が理解できるようになってからは基本的に両者の合意のもと運転を代わるよう心掛けている。

 

 わずらわしくないのだろうか、と気になったこともあったけど。

 

《べつにー? 『この子の身体をー、人生をー、乗っ取ってしまったんだー』みたく罪悪感に葛藤する意識高い系オリ主になるのを考えたら、一周目を健全に生きる子のおまけ扱いの方が二周目やってる亡霊モドキとしてはよほど健全でしょ》

 

 相変わらず言っていることはよくわからないが、テンちゃんは現状に満足しているようだった。

 そもそも『(リシュ)』と『ぼく(テンちゃん)』の違いこそあれど、どちらも『私たち(テンプレオリシュ)』なのだ。無理に分けようとしなくてもいいだろう。

 

 今日はうっかり二度寝しかけ、寝ぼけながらテンちゃんに主導権を譲り渡してそのままぐうぐうと奥に引っ込んでしまっていた。

 意識が再覚醒したのはなんと二時間目の授業が終わったあと。なんとも贅沢な話だ。肉体は共通だから身体的にはともかく、精神的にはかなりリフレッシュできた。

 

 それにしても珍しい。普段は朝練や授業を代わりに引き受けてくれることなど滅多に無いのに。いつもならリシュの人生なんだからリシュがやらないといけないことだよ、なんて言って脳内で叩き起こされる。

 

《今日で三週間目だからね。個人的には新生活っていうのは三の倍数でトラブルが発生すると思っている。すなわち三日目、三週間目、三か月目、そして三年目だ。

 慣れてきたことによる油断だったり、疲労やストレスの蓄積だったり、時間経過による環境の変化だったりと理由はさまざまだけど。まあ新生活がんばっちゃってるリシュに対するささやかな応援だよ》

 

 ん、ありがと。

 相棒の親切に身体の芯がふっとほぐれた気がする。

 

 そう、今日はトレセン学園生活三週間目。

 チームの入団テストやら選抜レースやらの言葉がちらほら耳に入り始め、ウマ娘もトレーナーもどこか落ち着きがない。

 トゥインクル・シリーズにおいて『最初の三年間』はとても重要とされている。そこで成果を残せるか否かでその後の人生ははっきり明暗が分かれる。その明暗を分ける第一歩がチームへの所属ないしトレーナーとの契約だ。

 

《チームに所属しないとレースに出られなかったアニメ版と違い、トレーナーとの専属契約が可能なアプリ寄りの世界なんだよな。チームとして活動した方が予算とか設備の優先権とか学園からのサポートは手厚いみたいだけど。

 どのチームに所属したいだとか、どのトレーナーが好みだとか、リシュは何か希望ある?》

 

 生活に慣れるだけで手一杯だったコミュ障に無茶振りをしないでほしい。

 気の早い子は今からどのチームに入りたいだとか、どのトレーナーが有望そうだとか、品定めを始めているのは知っている。

 でも中央トレセン学園の生徒の中には高等部になってからメイクデビューを果たす先輩だっているのだ。まだ慌てるような時間じゃない……。

 

《いや、あれは本格化っていうウマ娘不思議要素の影響であって、本人が意図的にデビューを遅らせているケースは少数派だと思うぞ》

 

 真実だからって遠慮なくぶつけていいわけじゃないと思う。

 そういうテンちゃんは希望あるの?

 

《うーん、デビューはしたいからトレーナーは欲しいよなー》

 

 最低ラインだね。

 

《あと理想を言えばお金もほしい》

 

 それも同意する。

 シューズも蹄鉄も消耗品だ。ある程度は学園が賄ってくれるけど、自主練で履き潰した分は自腹になる。

 仕送りはある。でもウマ娘の繊細な足を保護するためのシューズ。品質に妥協は難しく、自然とお値段も相応になってくる。女の子のはしくれとしてはヨレヨレになったトレーニングウェアやスポーツタオルなどもくたびれるたびに買い替えたい。

 塵も積もれば山となる。うちの家は貧乏というほどではないが、名門と呼ばれる方々が土地やら何やらを転がして湯水のように資産を汲み上げるのに比べると裕福でもない。

 レースの賞金みたく自分の懐に入れられなくていいから、日々の練習に使える予算はできるだけ多く欲しい。

 

 趣味として走るのではなくトゥインクル・シリーズ出場を志したときから覚悟はしている。私は両親から与えられた分を投資とし、その分をちゃんと還元してみせるのだと。

 一般家庭出身の身からしてみれば、そのくらいの金額をこれまでつぎ込んでもらったのだ。結果は出さなくてはならない。

 

 中央トレセン学園は文武両道を掲げていて、勉強だけでも毎日五時間の授業があるのにそこにレースのトレーニングとウイニングライブのための歌とダンスの練習が加わる。

 アルバイトには少しばかり興味があるが、とてもじゃないが実現に移すには時間と体力が足りない。仮に誘惑に負けて手を出してしまえば、自主練に割くリソースの減少がそのままレースの結果に反映されるだろう。小銭を稼ぐために将来の大金を失うことになる。

 

《短期バイトくらいならいざ知らず、継続的にバイトしている描写があったのはアイネスフウジンくらいか? あとゴルシ焼きそば》

 

 ゴルシ焼きそばはなぁ……。クラシック二冠で宝塚記念連覇のグランプリウマ娘がまさかアルバイトしなきゃいけないほど貧乏ってことはないよね?

 

《明らかに趣味だろ》

 

 だよねぇ。URAファイナルズ長距離レース初代チャンピオン様は破天荒でおられる。

 さて、話を戻してチーム所属の件だが。

 

《大人数のチームに入ってぼくらがやっていける気がしない》

 

 うん、そうだね。コミュニケーション能力の低さはお互いに自覚するところだよね。コミュ障の方向性はやや異なるけど。

 私の場合は単純に、他者と関係性を構築するのが億劫。テンちゃんの場合は相互理解に対する興味が薄弱。そんな感じだ。

 

《ざっくりまとめると、専属契約あるいは担当五人未満のチームを結成していない優秀なトレーナーとねんごろになってー。

 ある程度関係性を構築し終わった後にアオハル杯が勃発してー。追加メンバーでチームを発足。後輩に先輩権限でデカい顔しながらレースで結果を出して、資金も潤沢でウハウハな三年間を送りたいよねー》

 

 うーんこのぜいたく。素敵だ。

 それにしてもアオハル杯ねえ。本当に来るの?

 

《来ないかもね。しょせんは数多ある世界の可能性のひとつだ》

 

 えー。

 

「ちょっとリシュ。なにぼんやりしてるの」

 

 そんな実にくだらない会話をテンちゃんとしていると、背後から名前を呼ばれた。

 浅く狭い私の交友関係の中で愛称を呼んでくる相手など、現状ひとりしか存在しない。地方から上京して来たばかりだから仕方がないのだ。

 

「あー、スカーレット」

「つぎ教室移動よ? このままじゃ遅刻するわよ。まさか学期早々サボるつもりじゃないでしょうね」

 

 水色のファーシュシュでまとめられたボリュームたっぷりの赤いツインテール。勝気な釣り目にちらりと覗く八重歯。去年までランドセルを背負っていたとは思えない恵体。頭の中央で輝くティアラはトレセン学園の合格祝いでママからもらったのだと自慢していた。

 これで性格はプライドの高いツンデレで誇りに見合うだけの努力をしていて普段は勝気な性分を隠して優等生を演じているという、ヒロイン属性てんこ盛りの我が腐れ縁。

 ダイワスカーレットがそこにいた。

 

「うん、トレセン学園の制服がよく似合っている」

《小学六年生のときの登下校の光景は目に毒過ぎて軽く犯罪だったからな》

 

「はあ? もう朝も終わるってのにまだ寝ぼけてんの。ほら、さっさと移動するわよ」

 

 面倒見がいい、というよりは腐れ縁の知人がバ鹿だと思われるのが我慢ならないのだろう。スカーレットに腕を引っ張られながら廊下を歩く。

 

「……ねえ、アンタはどこのチームに所属するか決めた?」

 

 スカーレットもその話か。しかし『希望』じゃなくて『所属』とくるあたり、自分が選ぶ側だという強い自負が感じられて彼女らしいと思う。

 特にまだ決めていないと正直に答えると、彼女は不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。

 

「さっさと決めなさいよね。トレーナーが見つからなくて今年度にデビューできないなんてことになったら承知しないから」

 

 わりとありえそうな未来だから困る。でも一年くらいなら誤差じゃない? 力を蓄えるって感じでさ。教官の共通メニューも、そう悪いものじゃなかったし。

 そんな怠惰な内心を悟られたのか、スカーレットはピッとひとさし指を立てるお得意のポーズをとった。

 

「いい? アタシは足踏みするつもりはないわ。今年中にデビューして、ここで本当の一番になってみせる。そのときにアンタがいないなんて、ありえない」

 

 地元じゃ一度も負けなかったからなぁ、私。

 スカーレットは私のいないレースでしか勝てなかった。それはプライドが高く、相応に実力があり、見合うだけの努力をしてきた彼女には許せないことだったらしい。

 運動会のちびっこレースで初めて彼女をちぎった日から事あるごとに勝負を仕掛けられ、レースに関しては今もなお連勝記録を更新中である。

 勉強とか生活態度とかなら優等生の仮面を強固に被り続けているスカーレットの圧勝なんだけどね。それじゃあ満足できないらしい。

 

「わかった? 絶対に今年中にデビューしなさいよ。アンタなら適当に新米トレーナーつかまえて専属契約結んだのでも結果は出せるでしょ。

 アンタから勝ち取ったティアラじゃないと被る意味なんてないのよ」

 

 そう言い残してスカーレットは見えてきた教室へ一足先に飛び込んでしまった。

 うーん、これはツンデレ。私が適当なトレーナーを選んでもG1に出走できるだけの実力をつけられるという信頼が透けて見えますね。

 ティアラ路線――桜花賞、オークス、そして秋華賞。クラシック級のウマ娘しか出場できない生涯に一度きりのG1レース。

 いつクラシック級になるかはウマ娘の年齢や学年じゃなくていつジュニア級になったか、すなわちメイクデビューを果たした年代に依存する。同じ時期にクラシック級を走るため、スカーレットは発破をかけにきたのだろう。

 

 でも私、ティアラ路線じゃなくて皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三冠路線にいくつもりなんだけどなぁ。そっちのが賞金高いし。

 

 

 

 

 それから一週間後、校内放送でアオハル杯の復活が秋川理事長の口から告知された。

 

 ついでに秋川理事長が近々数年間アメリカへ長期出張となり、理事長業務を十全に熟すことが困難となるため、URA幹部職員が理事長代理として召喚される旨も同時に知らされた。

 テンちゃんのふんわり予言も案外バ鹿にできないらしい。

 嵐の予感にざわつく級友たちを見ながら、私はのんきにそう思うのだった。

 

 

 

U U U

 

 

 アオハル杯。

 それはトゥインクル・シリーズと並行して行われるもう一つのドラマ。

 

 短距離・マイル・中距離・長距離・ダートの五つの部門で競い合うチーム対抗戦。

 一説によれば中央トレセン学園においてチームはメンバーが五人以上でなければ発足できないと定められているのは、かつてアオハル杯を前提としていたころの名残だとか。

 開催は六月後半と十二月後半の半年に一度。

 三年かけてのべ四回行われるプレシーズンでチームランキングを決定し、最後の本選で勝利したチームが優勝となる。

 

 URAが運営しているトゥインクル・シリーズとは異なりトレセン学園主催の非公式のレースであり、アオハル杯の結果そのものはウマ娘の成績に直結しない。これで構成されたチームもトゥインクル・シリーズを走れる正式なものではない。

 ゆえにかつてはトゥインクル・シリーズを重視したウマ娘たちの出場辞退が相次ぎ、廃れてしまったのだとか。

 

《今の理事長がやよいちゃんじゃなけりゃ復活なんてしなかっただろうね》

 

 しかし私としては何も問題はない。だってトレセン学園から予算が降りるから。

 アオハル杯で功績を残せば残すほど部室などの設備が豪華になっていく描写があるってテンちゃんが言ってた。描写って何の描写なんだろう。

 

 それにしても先日着任した樫本理子理事長代理はとんでもないひとだった。

 着任の挨拶の時点で現状の中央トレセン学園を『緩い』と切り捨て完全否定。次いで秋川理事長が復活させると明言したアオハル杯を近々撤廃させると宣言。

 最後に徹底管理主義をベースとした教育方針『管理教育プログラム』を掲げ、集会は静まり返りお通夜のような雰囲気になってしまっていた。

 

《いやまあ、言っていることに理はなくもないんだ。アプリ版をやり込んだトレーナーなら担当の寝不足とサボり癖はガチで管理したいと思うやつが大多数だろうしー。

 つかヒトミミのアスリート業界なら食事も睡眠もトレーニングの一環だからむしろ理子ちゃんの主張の方が正統派まであるよね》

 

 テンちゃんはやけに肯定的だったけど、新入生の私でも秋川理事長とのあまりの方針の違いに不安を抱いたのだ。従来の在校生は言うまでもないだろう。秋川理事長肝いりの人事のはずだったんだけどなぁ。

 

《ほらさ、やっぱり理子ちゃんが理子ちゃんってだけで初期絆ゲージが50はアップしちゃうんだよね。いや、ぼくの知っている愛玩系理事長代理の世界線とは別物だってことは頭では理解しているよ?

 イベントの時系列とかアプリ版のそれとは現状でもかなり違うし。チーム〈ファースト〉以外がアオハル杯を優勝すれば教育管理プログラムを撤廃するって条件提示はジュニア級九月後半に発生したイベントのはずだけど、かなり前倒しになってんなあ》

 

 相変わらずテンちゃんの言うことはときどき謎である。

 

 ともあれ、テンちゃんの言った通りの流れになった。

 樫本理事長代理がぶちかましてから連日のように続く在校生たちの抗議運動に対し、理事長代理はひとつの提案をしたのだ。

 そこまで言うのならアオハル杯撤廃は延期。その代わり、アオハル杯で自分の担当したチームが優勝すれば徹底管理の有用性を認め、従うようにと。

 

 まるで漫画かアニメのイベントだが、実のところウマ娘に対する説得としてはなかなかに有効だ。

 ウマ娘は本能的に勝負を持ちかけられたときの沸点が低く、一方で勝敗の結果を重要視する。それがアスリート、競技者と呼ばれる者たちならなおさらその傾向が強い。

 これで理事長代理の担当チームが優勝すれば、ここに集まっているのは全国でも選りすぐりの勝敗にこだわりを持つウマ娘たち。粛々とプログラムを受け入れるだろう。

 顔合わせ早々全校生徒へ喧嘩をふっかけた樫本理事長代理にはドン引きしたけど、少なくともウマ娘のことを何も知らないお偉いさんってわけではないらしい。

 

《実質的に三年の猶予を設けたのも上手いよなー。これから三年間、理子ちゃんが担当するチーム〈ファースト〉は注目され続けるだろう。今は反発が優先して批判的な目で見られがちだろうけど、三年もあれば徐々にその手法と成果を冷静な目で見ざるを得なくなってくる。

 そうすればトレーナーの中にもウマ娘の中にも、その手法が自分には合っているのではないかと取り入れる層が一定数出てくるはずだ。理子ちゃんはこの段階で既に教育管理プログラムの布教に成功していると言える。

 一度学園全体を徹底管理主義下に置くと宣言しておいて、生徒の抗議に応じるという形式でその範囲を一チームに狭めることで、学園に教育管理プログラムの存在を呑み込ませた。ドア・イン・ザ・フェイスってやつ。ありふれた手だけど有効だねー》

 

 なるほど、そういう考え方もあるのか。

 たしかに理事長代理の最初の宣言を文字通りではなく、教育管理プログラムを布教することでウマ娘の故障や怪我を少しでも少なくするための布石と捉えるのであれば、秋川理事長の推薦含めいろいろ納得できるところではある。

 

 でも、私たちはヒトミミじゃなくてウマ娘だ。

 かかってこいよ空気抵抗と言わんばかりの勝負服を着た方が動きやすい体操服のときよりも明確な数値で表れるほどスペックが向上するように、常識と物理法則がときどき息をしていない存在だ。

 

 徹底管理した方が成果を出せるのなら、とっくの昔に中央トレセン学園の自由な校風は淘汰されていたのではないだろうか。

 ゆるく楽しい青春を送りたいだけなら、もっと賢い選択肢が私たちにはあったのだから。

 

 誰もが成果を出しにここに来ている。

 ウマ娘も、トレーナーもだ。管理主義の裏に垣間見える故障させたくない、夢を諦めさせたくないという樫本理事長代理の方針はたいへん結構だが、それでは成果に繋がらないと本能的に感じるウマ娘が多数派だったからこそ総好かんを食らったのだと私は思う。

 

《そうじゃない子だっているのさ。チームがひとつできるくらいにはねー》

 

 今日の分の自主練を終え寮の自室に戻ると、そこでは既に帰っていたリトルココンが目を閉じてイヤホンで音楽を聴いていた。

 

《ウマ娘用のイヤホンって何度見ても違和感が拭えないんだよなぁ》

 

 そう? 私はテンちゃんが何に違和感を覚えているのかがよくわからないんだけど。

 ともかく、いつも通り主導権をテンちゃんに譲り渡す。途端に口が勝手に動いた。

 

「ただいまー」

「……おかえり」

 

 なんと驚くべきことに、リトルココンとはこうして声を掛ければ反応が返ってくる程度の関係になっていた。相変わらず目を閉じたままではあるけど。

 無視されるたびリアクションがあるまでテンちゃんが煽り続けた成果だろう。我ながら、あれは聞いていてけっこう腹が立つからなぁ。

 

「樫本理事長代理のチームに勧誘されたんだって?」

 

 なにそれ初耳。

 でもすっと目を開き、エメラルドグリーンの瞳から硬質な視線を飛ばしてくるリトルココンの反応からして事実なのだろう。

 

「……耳が早いね」

「きみと違って友達が多いからね!」

 

 堂々と嘘をつくな嘘を。ここで私の友達なんてスカーレットくらい……あれ、スカーレットって友達……?

 私が気づいてはいけない事実に気づきかけている間にも話は進んでいく。

 

「それで? 文句でも言いに来たわけ?」

「そんなわけないじゃないかあ。大切なルームメイトが頑張っているのにー」

 

 樫本理事長代理の真意がどうあれ、現在のあの人は学園の自由を脅かす侵略者だ。

 つまり理事長代理が担当を務めるアオハル杯のチーム〈ファースト〉はここしばらく悪の尖兵扱いされるだろう。それなのに何故彼女たちはチーム〈ファースト〉に所属しようと思ったのか。

 私にはさっぱりだったが、テンちゃんは違ったようだ。

 

「今のままじゃあ先が無いと思ったんだろう? 道なき道を進むとき、愚かだと笑うのは簡単だけど……誰かが切り開かなきゃそもそも道なんて存在しないのさ。だから挑戦する友人の背中を押すくらい、ぼくだってやるよ」

「……アンタと友人になった覚えはないけど」

「えー、ひどーい」

 

 テンちゃんはケラケラ笑った。

 

 リトルココンが中等部なのか高等部なのか、それすら知らなかったことに今ようやく私は気づく。なにせ本格化という不思議要素のせいでこの年頃のウマ娘はとにかく外見から年齢を推察しにくい。クラスメイトでないことだけは確かだが。

 最初に会った時に同じように荷ほどきしていたからてっきり同級生だと思い込んでいたけど、実のところ新学期になって部屋を移動してきただけだったのかもしれない。隣人とのトラブルで隔離。大いにありうると思う私はひどいのだろうか。

 

 樫本理事長代理はガチガチのデータ至上主義ってイメージがある。

 つまり、最低でも一年分はリトルココンの活動記録がこの学園にはあったんじゃなかろうか。少なくとも新しく入ってきた新入生たち、ノーデータのウマ娘にあの人が声をかけるとは思えない。

 そしてその活動記録の中のリトルココンは結果が出せず、くすぶっていたのだろう。

 

「ま、これから大変だろうけど応援してるよ。友達ではなくても仲良しではあるつもりだからね。学園中が敵に回っても、ぼくはきみの味方だ。困ったときは頼ってくれていいぜぇ」

「…………ふん、勝手にすれば?」

「でもなれ合いはしないからな! ライバルであることは違いないんだし!」

「あっそ」

 

 誰もが成果を出すためにここに来ている。

 誰もが必死だ。妥協を許せばそれがそのまま周囲との差になり、あっという間に置いていかれる。

 だからこそ、今のままでは成果が出ないと見た彼女たちは樫本理事長代理の手を取った。

 

 たとえ学園中から白い目で見られ、陰口をたたかれ、後ろ指を指される三年間を送ることになったとしても。それでも手を伸ばさずにはいられなかった。それほどまでに追い詰められていた。

 そしてそんなウマ娘が一チームできるくらいに存在していた事実に、学園の闇を早くも垣間見てしまった気になる。

 そういう場所だと、頭ではわかっていたはずなんだけどなぁ。知らぬ間にキラキラした世界に目がくらんでいたらしい。

 

 ごろんとベッドに身を横たえる。

 自然と向いた視線の先でリトルココンは変わらず目を閉じて音楽を聴取していたが、その身に纏う空気は少しだけ和らいでいるように感じられた。

 少なくとも樫本理事長代理の教育管理プログラムは彼女たちのようなウマ娘の福音たりうるのかもしれない。そう思ってしまった以上、頭ごなしにその存在を否定する気は無くなっていた。

 

 間違いなく変人奇人のたぐいだし、性格がいいとは言い難いと身内からしても思うけど。視野の広さではいまだテンちゃんに敵わないようだ。

 

《人生経験の差ってやつさ》

 

 なにさ、一心同体ならぬ異心同体なんだから同い年のくせに。

 

 名前をつけるのなら敗北感。

 でもあまり居心地は悪くないそれを抱いて、今日の私は眠りについた。

 

 

 




当作品には独自解釈および独自設定が多く含まれます。
原作との混同にご注意ください。


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中央の洗礼…?

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U U U

 

 

 きわめて私的な見解を述べさせていただくと、アオハル杯はチャンスだった。

 

 まず単純に、トレーナーからウマ娘の需要が上がる。

 チームを運用しているトレーナーは一定数存在しているが、チームのサブトレーナーをやっている者や専属契約を結んでいる者も決して少なくない。

 そんな自分のチームを持たないトレーナーたちが、この機に担当を持たない野良ウマ娘たちに目を向けつつある。

 

《トゥインクル・シリーズには適応されない非公式なチームとはいえ、理子ちゃんが自分のチーム全員のトレーニングを担当していたように、所属すればトレーナーの指導とチームの予算の恩恵は受けることができる。

 たとえ担当になってくれなくとも毎日顔を合わせてトレーニングしていれば縁は深まるだろうし、最悪名義貸しくらいはしてくれるだろうからね》

 

 また三年に渡って開催されるという性質上、どうしたって期間中に引退者は発生する。

 それが怪我や病気による故障なのか、成果が出せずにリタイアしたのか、はたまたシニア級で幾年も走り続け衰えを自覚した末の選択なのか、理由はウマ娘それぞれだろうが。

 個人ではなくチーム名を優勝まで運ぶ戦い。それがアオハル杯なのだ。

 

《アプリ版の頃、いくらアオハル杯で活躍しても個人に対するファンが増えなかった要因のひとつだろうなあ。まあ、現実になったこの世界でファンがまったく稼げないってことはないだろうけど》

 

 だからジュニア級から芳しい成果を出す可能性を示唆できれば、より長期的に活躍できる戦力をアピールできる。新入生の若いウマ娘たちのさらなる需要向上が期待できる。

 怪我や病気による故障だけは私個人の力ではどうしようもないが、そこはトレーナーの腕の見せ所としておこう。

 

《チートの影響で故障率はかなり下がっているけどねー。それでも怪我するときは怪我するからなぁ》

 

 さらに短距離・マイル・中距離・長距離・ダートの五つの部門で競い合うチーム対抗戦というのが素晴らしい。

 何を隠そう私には短距離から長距離まですべての距離適性がある。芝もダートも同じように快走できるし、脚質も逃げから追い込みまで何でもござれだ。

 厳密には性分的に私が差しと先行、テンちゃんが逃げと追い込みを担当しているのだけど、この身体がありとあらゆる状況に対応できるのは違いない。

 

《ふははは、あまりにもテンプレと笑うなら笑え。ちなみに我が固有は一度この身に受けた領域を劣化複製するコピー能力だ。テンプレチートも極めれば個性なのだよ!》

 

 何故か明後日の方向にヤケクソ気味で呵呵大笑しているテンちゃん。いつもの発作だろう。放置の方向で。

 

 ともあれ『チームメンバーが集まったけどこの部門の層が薄いなあ』となったトレーナーにとって私の存在はたいへんにありがたいはずなのだ。

 あらゆる部門に対応でき、アオハル杯を最初から最後まで走り抜けることができる若きウマ娘。チームの看板を背負うスターになりうる逸材だ。

 だからこの身の万能性をアピールすれば、すぐにスカウトが殺到する。

 

 そう思っていたのだけど……。

 

 

 

 

 

 トレーナーとウマ娘の最大の出会いの場である選抜レースは、年に四回しかない一大行事。そこで活躍できればスカウトの殺到は間違いないが、そう簡単に参加できるものではない。

 チームの入団試験も有名どころとなればウマ娘が殺到するが、開催はシニア級のウマ娘が引退した後のメンバー補充ということで一定の時期に集中している。

 

 その点、模擬レースは便利だ。これは学園の監査のもと行われる練習用のレースを指す。

 自主的に生徒たちがレース形式の練習を行う場合もあるが、そちらは野良レースと呼ばれ区別されている。

 

《空いたコースを使ってトレーナーを介さず、生徒たちが自主的に行うのが野良レース。

 事前に申請を出してコースを貸し切り、トレーナーや教官の監査のもと行われるのが模擬レース。

 担当を見つけていないウマ娘だけがエントリーできる、年に四回開催されるトレセン学園の一大行事が選抜レース。

 トレセン学園に来るまではぼくもごっちゃになっていたけど、実際はかなり違うものなんだよな》

 

 テンちゃんがわかりやすくまとめてくれた。

 ちなみに事前の登録が必要とされる模擬レースや選抜レースは実況者まで用意される本格的な催しであり、場合によってはその噂を聞きつけた人々により観客席がにぎわうこともある。

 どれだけ観客席を埋めることができるのか。それはレースに出場するウマ娘たちへの期待が目に見える形で現れたものであり、あるいはこの時点から突き付けられる残酷な現実でもある。

 

 ちなみに教官主導の模擬レースは定期的に開催されており、よほど普段の生活態度が悪くなければ参加申請は受理される。

 中央トレセン学園は文武両道。文をあまりに疎かにしすぎると、補習を始めとしたペナルティでレースの方も圧迫されてしまうということだ。

 

《逆に授業態度が悪すぎて最後のチャンスとして参加を強要されるタキオンみたいな例外中の例外もいるけどね。あれは選抜レースだったけど》

 

 そんな先輩もいるの? こわ、近寄らんとこ……。

 

 模擬レースには選抜レースのような『レースへの出走登録は一つのみ。複数のレースに出走した際は失格』という縛りはないが、それに倣うのが不文律だ。あまり一度に多くのレースに出走してもスタミナが尽きて結果を残せるものではないし、枠を圧迫して他のウマ娘に嫌われる。

 私はコミュニケーション能力に秀でているわけではないが、意図して荒波を立てる趣味もない。当然それには従っている。

 

 だがこの選抜レースの取り決め、実は抜け穴がある。

 あくまで芝は芝コース、ダートはダートコースの内部での制限なのだ。つまり芝とダートの両方を一つずつなら何も問題はない。ルールで許可されているというより、想定されていないだけなのだろうが。

 つまり『選抜レースの取り決めに倣う』のが不文律なら、模擬レースでも一つずつ走っても問題ないはずだ。

 その理論のもと、ここ最近の私は模擬レースのたびに芝とダートを両方走っていた。

 

『第一レース、ダート1200m。トゥインクル・シリーズを目指す九人のウマ娘たちが集いました。勝利を手に夢へと邁進するのは誰か?』

 

『第四コーナーカーブ、テンプレオリシュ! やはり彼女か! 今日はここで上がってきた!』

 

『凄まじい末脚。伸びる。追い上げる! 大外から差し切ってゴール! 大楽勝だテンプレオリシュ、着差以上の強さを見せました。このまま彼女の世代となってしまうのか?』

 

 本当はダートの短距離の後に芝の長距離でもやってやればインパクトあるかなと思っていたんだけど、ジュニア級どころかデビュー前のウマ娘に向けたレースって長距離が無いのね。

 

《そういえばメインストーリー第三章で長距離適性があるはずのデビュー前のBNWが、ダービーと同じ2400m(クラシックディスタンス)でひーひー言ってる描写があったもんなぁ。『学園に入ったばかりの子は、その半分くらいの距離から始めるのが普通なのよ?』ってあの教官も言ってたし。身体が育っていないうちに走らせるようなまねはしないか》

 

 仕方が無いので現時点で新入生に許された最長距離である中距離2200mで我慢する。

 さっきは差しでやったから、今度はテンちゃんに頼んで逃げをやってもらおう。影すら踏ませない大逃げはインパクト抜群なはずだ。

 

《まかせろーバリバリー》

 

 実のところテンちゃんに主導権を任せたままレースを走るような、ウマソウルをフル活用する行為を行うとテンちゃんのその日の活動可能時間はごりっと削られる。なのであまり使いたくはない苦肉の策だが……最近の雰囲気に少し焦っていた。

 

「無理ぃ!」

 

「なにあれ反則でしょ……レギュレーション違反だって……」

 

「このレース悪いけどウマ娘専用だから……!」

 

 はいこちらでもぶっちぎり。完勝でした。

 なのに……どうして誰も近寄ってこないんだろう?

 

 選抜レースを一度受けるまではウマ娘はトレーナーと契約を結ぶことはできない。でもあくまで口約束の延長線上だが、担当契約の予約はしばしば行われているし、禁止されてもいない。

 初日はそりゃもうたくさんのトレーナーに声をかけられたというのに。

 

 やっぱり最初に見栄を張ったのが失敗だったか。でもあれは必要な見栄だったと思う。意地とも言う。

 私がメイン、テンちゃんがサブ。それがこのテンプレオリシュというウマ娘の在り方だ。

 だからこれからトゥインクル・シリーズに挑む第一歩。共に二人三脚で歩むトレーナーへの対応はテンちゃんじゃなくて私が行うべきだと思った。

 その結果として予想以上の数のトレーナーに囲まれた時、周囲に見知らぬ人がたくさんいるプレッシャーから顔はひきつり真っ白になった頭で私はお断りの文句を吐いてしまったのだ。

 

 まだ二回勝っただけです。私をスカウトするかどうかは、ちゃんとレースを走り終えた後に決めてください。

 

 余裕がなくてはっきりとは憶えていないが、そんな聞きようによっては鼻持ちならないことを言った気がする。

 どうせならより高値で自分を売り込みたいという欲もあった。

 芝とダートをそれぞれ一回しか走っていないのにあれだけの評価だったのだ。もっと多彩な適性と脚質を見せれば、もっともっと良い待遇が得られると夢想した。

 

「すさまじいな。あのときは大口をたたく新入生が来たと思ったものだが……」

 

「テンプレオリシュ、彼女は何でも出来過ぎる。もはやオールマイティーという次元ですらない……過去のウマ娘の育成論は彼女には通用しまい。新種の生物をゼロベースから育てる覚悟が必要だろう」

 

「ああ。悔しいが俺たちでは彼女の可能性を縛り、狭めることしかできない。可能性を伸ばすのがトレーナーの仕事だというのにな。あの子の言葉は正しかったわけだ」

 

 現実はこれである。遠巻きにぼそぼそと話し合うトレーナーたち。

 距離があり過ぎてここからではウマ娘の聴覚をもってしても聞き取れない。頑張れば読唇術くらい可能かもしれないが、わざわざ陰口を努力して拾うのも虚しい。

 ああ、もっと近くに寄ってきていいんですよ? お買い得ですよ? いい仕事しますよ? 重賞レースばんばん勝って一緒にお金稼ぎませんか?

 

 泣いちゃいそうだ。

 これ私、今度の選抜レースで一位をとってもスカウトもらえるのだろうか?

 

 

 

 

 

 模擬レースの後は自主練だ。

 本来のレースであれば一回の出走で数キロ痩せることもあるという極めてハードなしろもの。走った同日にさらにトレーニングなど言語道断のオーバーワークである。

 でも模擬レース、それもデビュー前の私たちに課されるものとなるとコースの位置取りやバ群での立ち回り、周囲から掛けられるプレッシャーに慣れる、逆に周囲にプレッシャーを掛ける、などといったものを学ぶトレーニングの意味合いが強い。つまりレース後にも余力はじゅうぶん残っている。

 

《ぼくたちと走った子たちは軒並みぺしゃんこになっているのは個人差ってことにしておこうか》

 

 あといくつ寝ると選抜レースと数えられる程度には間近に迫ってきたため、ターフの人口密度はそれなりに高い。トレーニングには差支えが無いが。

 

《ぼくたちが利用しようとした区画から同期が逃げていくように見えるのも気のせいってことにしようね》

 

 うんうん、気のせいだ。何故かやけに広々としてしまったグラウンドを駆け抜ける。

 遠巻きにびしばし突き刺さる周囲の視線。あの、見学したって何も面白いこと無いと思いますよ? 一緒に走りません?

 私の走法は自分で言うのも何だがけっこうめちゃくちゃだから、参考にならないと思うし。

 

 ちなみに走法とは走る際のフォームのことだ。

 秒間の歩数を増やすことを重視するか、それとも一歩あたりの歩幅を広げることを重視するかで、ざっくりピッチ走法とストライド走法に分けることができる。

 とはいえ中間的なフォームの走者も多数存在しており、厳密な区分を設けるのは難しいのだが、そのあたりを語ると本題から逸れるのでさておく。

 

 どちらが優れているとは一概には言えない。

 比較的速度が出しやすく、しかし筋力が必要とされるストライド走法の方が上級者向けと言えるかもしれないが、一歩一歩の飛距離が伸びる性質上足への衝撃を始めとした身体への負担は大きくなる。けして上位互換というわけではない。

 一方のピッチ走法は身体にかかる負担は小さくなるが足の回転数を上げるということは単純に足と、ついでに人体の構造上腕を速く動かす必要がある。当然疲れる。

 一長一短。自分の身体に合った適切な走行フォームを導き出すのが一番だ。特にウマ娘は走るだけで骨折することもあるのだからなおさら。

 

 さて、私の走法がどっちかという話。

 薄々察しているかもしれないがどちらでもない。私は感覚で走っている。なんじゃそりゃと思われるかもしれない。少なくとも私は同級生がそんなこと言った日には思う。

 技術というのは『学習して覚える効率的な不自然』だ。そして日々のトレーニング、努力と研鑽というのはその不自然を積み重ねる行為だ。感覚で走るというのはその対極に位置するようなものだろう。

 

《ウマソウルという不思議パワーさえなければね》

 

 以前に述べた勝負服の例しかり、ウマ娘はときとして物理法則の外側に生きている。それは走法にも適応される。

 ヒトとウマ娘で外見の差異は耳と尻尾くらいしか存在せず、それは骨格の相似を意味する。つまり生物学的見地から言えば、両者の最適な走行フォームはイコールで結ばれてもいいはずだ。

 

 でも現実はそうじゃない。ウマ娘の走法は、特にスパート時に顕著だがヒトの走行フォームに比べ前傾姿勢が強い。

 葦毛の社会的地位を向上させたオグリキャップ先輩など、まるで地を這うような低い姿勢で走る。オオカミみたいですごくカッコいい。同じ葦毛としてけっこう憧れている。

 

《オグリは最推しのひとりだったんだけどなぁ。既にトゥインクル・シリーズを卒業してドリームトロフィーリーグに行ってしまっているのは残念だ。いやまあ、同世代で走るのもそれはそれで葛藤があっただろうけど》

 

 では、そんな彼女たちを生物学的に最適なヒト同様のフォームへと矯正すればタイムは速くなるのか?

 否なんだなぁ、これが。

 そのからくりがウマソウル、およびウマソウルから発せられる不思議パワーだ。

 

《実のところ前世の生物学的見解では、ウマ娘のパワーがあって体重が人間と同程度ならもっと速度が出るはずとされているんだよねえ。なのに実際はあっちの『馬』と似たような速度しか出せないんだもん》

 

 勝負服だって気合いだのなんだのと言うより『ウマソウルとの同調率を上げる』のが目的だという説もある。

 ウマ娘本人に自覚はないが、彼女たちが自分で選ぶ勝負服のデザインはその全身にウマソウルの『オリジナルとなったウマ』なる存在を彷彿とさせる属性がちりばめられている、らしい。

 

 ウマ娘の最適な走法とはすなわちウマソウルを最も効率的に稼働することができる姿勢を指すのであり、それを導き出す明確な方程式は現状存在していない。

 理論上正しいはずの指導を行ってもすべてのウマ娘に均等の成果が出ない。トレーナーが極めて難解な専門職とされるゆえんである。

 

 彼らは陸上競技のトレーナーとしてのスキルに思春期の少女のメンタルケア、下手なアイドル顔負けの歌とダンスの指導、レースの出走登録その他関連業務……それはもうマルチな技能を要求される上にウマ娘と二人三脚で彼女のウマソウルの最適解を導き出してやらねばならないのだ。

 うむ、激務だ。給料の高さや待遇の良さばかりがピックアップされヒトオスなら変身ヒーローと並び一度は憧れる職業だと言われているが、自分で走れる身からすれば正直割に合わないと思う。

 

《その割に合わない仕事をしてくれるトレーナーのためにも、稼いでやりたいものだよね。ま、いまのところまったく候補がいないんだけど》

 

 悲しい現実を思い出させないでほしい。

 

 その点、私は明確に有利だ。まさにチートといってもいいくらいに。

 私のウマソウルはとても雄弁だ。ウマソウルとの同調率はおそらくこの学園の中でもトップクラス。他のウマ娘たちが無意識に、あるいは感覚的に行わねばならないことを私たちは相談しながら行えるのだから。

 

 ぐるぐると遠まわりしてようやく本題に戻ってこれた。私の走法が参考にならない理由。

 テンちゃんと息を合わせて走ることを意識していると、その時々によってかなりフォームが変化するのだ。

 

 普段はピッチ走法のそれに近いと思う。

 日本人のような手足の短い体型にはピッチ走法が適していることが多いとも言われているが、けして私が同学年でも下から数えた方がいいほど背が低いことは関係がないだろう。

 

 だがテンションが上がるとだんだんストライドが長くなり、気が付けば自身の身長の倍以上踏み込んでいることも珍しくない。極端なときは自転車の多段変速ギアチェンジ並みにガチャガチャと歩幅が変わる。

 フォームが崩れる、というのともまた違うと自身では判断しているのだけど。なにぶん感覚的な話のため、トレーナーがついたら矯正されたりするのかもしれない。

 いやだなぁ。

 

《管理主義のリギルのトレーナーとか理子ちゃんとかとは相性が悪そうだよねえ、ぼくら》

 

 そんなことを話しながらターフを駆けていると、ふと視界に見覚えのある赤いツインテールが映った。自主練ではなくグラウンドの端に佇んで、何やら隣の鹿毛の子と話している様子。

 

《うぇ、あれはダスカと……その隣にいるのはウオッカじゃありませんかー!? ヤッター!!》

 

 いきなりテンションが跳ね上がるテンちゃん。

 こういうときはテンちゃんの言うところの『ネームド』と遭遇したときなんだけど、それにしてもテンションの上り幅が尋常ではない。

 

 っていうか、テンちゃんってスカーレットのこと嫌いってか苦手だよね。

 数えるくらいしか直接話したことないんじゃない? あんなに付き合い長いのに。

 

《いやさあ、ぼくは推しを感じていたいのであって干渉したいわけじゃないといいますか? ウオスカの間に挟まるとか邪道を通り越して邪教といいますか? 推しに認識されるのがご褒美ってオタクもいるけど、ぼくの宗派は違うのさ。理想を言えば壁とか天井とか床になりたい。せめてダスカだと初めて会ったときに気づけていればなあ》

 

 めちゃくちゃ早口だった。

 

 私たちが使うウマ娘の名前は親がつけるのではない。ウマソウルから受け継ぐ異世界由来のものだと言われている。ある日突然ウマ娘は気づくのだ、自分は誰であるのかということを。

 ただ、個人差はあれどだいたい十歳になるまでには誰もが己の名を自覚するが、逆に言えば名前が降りてくるまではウマ娘としての名前は無いことになる。母子手帳に書き込む名前が無ければ予防接種もろくに受けられないこのご時世にそれでは不便どころの話ではない。

 だからウマ娘はそれぞれウマソウルが告げる『ウマ娘としての名前』とは別に、親が考えた『ヒトとしての名前』も持っているのが通例だ。そっちの名前の戸籍もちゃんとある。

 むしろここがトレセン学園だからウマ娘の名前で呼び合うのが普通だが、一般の学校に進学する子たちはヒトとしての名前を使う機会の方が多いんじゃなかろうか。

 

 私とスカーレットが出会ったときもスカーレットはまだダイワスカーレットの名前を持っていなかった。あの特徴的なツインテールも高等部もかくやという肉体もなく、今と共通するのは赤毛くらい。

 暦の上では秋になっているのにやけに暑さが残った年で、ちびっこ運動会でスカーレット(予定)を私が後ろからまくり上げてぶっちぎったのが交流のきっかけだ。

 

 スカーレット(予定)はそれまで一度も負けたことが無くて、自分が『いちばん』で無くなったことに世界が足元から崩れたようなショックを受けていた。

 それは別にいいんだけど。

 問題は当時から彼女は既に自分の弱さを許さないプライドと、人並み外れた根性を持ち合わせていたことだ。そこに幼さゆえの無知と無謀をくわえると、出来上がるのが少年漫画の作者が寝不足とシメキリに思考をやられて捻り出したような修行パート(オーバーワーク)である。

 

 素人目にもこのままじゃ故障しそうだったから止めたかったのだけど、そのオーバーワークの原因となった私が声をかけたところで逆効果になりそうだったから、テンちゃんに代わってもらったのだった。

 

――あはは、きみは天才なんだねぇ

 

――努力さえすれば報われるだけの才能が自分の中にあると思っているだろう?

 

――努力教の信者かな。努力すれば報われるってことは、報われないモノはすべからく努力の足りなかった怠け者ってことになる

 

――精神が肉体を凌駕するにも、精神に応えられる肉体の基礎があってこそだ。少なくとも適切な成長のない肉体にどれだけ精神があったところで怖くないね

 

 話を右に振り、左に振り、意識に空白が出来たところで痛烈な言葉のワンツーを叩きこむ。傍目から見ればそんな感じにテンちゃんはスカーレット(予定)を説得し、オーバーワークをやめさせることに成功したのだ。

 

《口の上手さと性格の悪さで小学生に負けるつもりはないね》

 

 そこは胸を張るところじゃないと思う。

 ちなみにスカーレットは当時のテンちゃんを私と認識できなかったらしく、翌日の第一声で私に姉妹はいるのかと尋ねられた。

 テンちゃんと私では発声の仕方も表情筋の動かし方もまるで違うから同一人物と認識できないのも致し方ない。ホームビデオの映像とか鏡とかでたまに自分で見ることもあるけど、雰囲気がまるで違うのは自覚するところだし。

 

 ともあれ、それが今に至るまで続いているスカーレットとの腐れ縁、最初の一歩だ。

 なのにあれ以来テンちゃんはあまりスカーレットと会って話そうとしない。それがどうにも違和感というか、喉の奥に何か引っかかったようなすっきりしないものを感じる。

 

《だってねえ。ダスカの理想の『一番』がウオッカの残像に被り、ウオッカの『カッケェ』にダスカが被る。そんな両者の関係がてえてえわけですよ。そこにぽっと出のオリ主が割り込んでダスカの一番枠に割り込むとかね? ほんとNGっていうか、解釈違いっていうか。

 リシュがダスカと絡むのはまあこの世界のウマ娘たちの交流と割り切ることができるんだけど、ぼくが入るのはやっぱ反射的な嫌悪感が抑えきれないわけですよ、ハイ》

 

 私としては自身の半身がなじみ深い相手と疎遠なのは愉快な気分じゃないんだけどね?

 

《う……ごめん、前向きに検討しておくよ》

 

 それはやらないってのと同意義だよね。ま、いいけど。

 テンちゃんは昔からそうだ。私たちのことをどこか、やや香ばしい表現になるが世界の異物のように捉えている節がある。だからどうこう、ってわけじゃないけど。

 

 気分を紛らわせるようにスカーレットたちに意識を戻す。

 どうも彼女たちは私のことについて話しているようだ。十全に聞き取れるわけじゃないがバケモノだとか量産型ゴルシ計画のプロトタイプだとか思ったより小さいだとか、断片的なワードは判別できる。

 

 いや一体何の話をしているんだ何の。私を何だと思っているんだ。

 

 そもそも比較対象がおかしいというものだ。ゴールドシップ先輩はパリコレのモデルに匹敵するスタイル抜群の美女だ。喋ればハジケリストだが。

 

「……ゴールドシップ先輩、いやスカーレットと比べたって同世代は誰でも貧相な身体になると思うよ。比較対象が悪い」

「うおっ!?」

 

 つつーと歩調を速めてスカーレットたちに近づき、ツッコミを入れるとウオッカとやらが大げさに驚いた。スカーレットも軽く目を見張っているところをみるに私の接近は気づかれなかったらしい。

 そんなに存在感が薄いのだろうか。我ながらけっこう目立つ配色だと思っているのだが。

 

 ともあれ、まずは自己紹介だ。テンちゃんの謎知識で一方的に私は彼女のことを知っているが、ウオッカ何某からすれば私は初対面のはずなのだから。

 初対面の相手に馴れ馴れしい口をきく子も昨今は珍しくないが、個人的に礼儀を守るべき場面で守れないヤツはお近づきになりたくないタイプのバ鹿だと思っている。

 私たちのコミュ力の低さはもはやどうしようもない体質だが、それはそれとして私の両親は子供をきっちり教育できるひとなのだと行動で知らしめねばならない。

 

「やあスカーレット。何か私のことを話しているみたいだったから。そっちの人は初めましてだね。私の名前はテンプレオリシュ、スカーレットの……」

 

 ところで、私とスカーレットの関係って何なんだろう?

 友達とか幼馴染とか言ってもいいものだろうか? 当たり障りのないところにしておくか。

 

「腐れ縁だよ。よろしくね」

「お、おー。ウオッカだ、よろしくな」

 

 なんだかスカーレットがむっとした表情をした気がした。

 

「リシュ。アンタ今度の選抜レース、出る種目決めた? 決めてないならマイル芝1800mにしなさいよ。アタシが出るから」

「いきなり命令口調かよオイ」

 

 声色に含まれるツン成分も当社比三割増しだ。

 人心の機微に敏いつもりはないけども、髪型とか耳飾りとか雰囲気的にパンクでロックを気取っている思春期ガールのウオッカ殿がつい常識的なツッコミを入れる程度にはあからさまな態度である。

 まあいいけど。

 

「ん、いいよ」

「いいのかよ!?」

 

 そんな驚かれましても。

 最近指針を見失っていたし、誘ってくれるのなら乗るのはやぶさかではないというのが率直な感想だ。どの距離でもぶっちゃけあまり変わらないし。

 

 むしろスカーレットが1800mを選択したということの方が気にかかる。

 たしかに彼女に短距離は適性が乏しい。スピードが乗り切る前にゴール板を駆け抜けてしまう。彼女の適性はマイルから中距離、将来的には長距離も視野に入るだろう。

 ただ、それはあくまで将来的な話。いくら表面上は高等部に負けない恵体を誇るスカーレットとはいえ、その内面は本格化を迎えて間もないデビュー前のウマ娘である。

 

《今のダスカの発育でぼくらの知ってる逃げ先行の脚質だと1600mが現状の最適だよね》

 

 うん、テンちゃんも同意見だ。

 私からすれば3200mも1200mも少しばかり走り方を変えるだけの話だけど、一般的なウマ娘からしてみれば距離適性というのは死活問題のはずだ。

 自他ともに認める優等生のスカーレットが自らの適性を見誤るとは思えないのだけど。

 

《長距離だって走れるぼくらに忖度している……にしては中途半端すぎるな。将来の試金石じゃない?》

 

 どゆこと?

 

《ダスカ本人も将来的には長距離を走れるようになるつもりなんでしょ。有記念とかはすべてのウマ娘の憧れだもんね。賞金も高いし。

 彼女のマイル、中距離の適性をAとするのなら、長距離の適性がB程度なのはれっきとした事実。だから今の段階から少しだけ自身の最適より長い距離を走ることで、将来的にクラシック級やシニア級で長距離を走る際のシミュレートしているんじゃないかな》

 

 なるほど。『最初の三年間』に繋がる第一歩でさえあえて茨の道を選ぶとは、スカーレットらしい。

 私もウマ娘のはしくれ。俄然楽しみになってきた。その気持ちを伝えようとして。

 

「どれに出ようか迷っていたとこだったしね。スカーレットたちが一緒に走ってくれるなら……」

 

 くれるなら、何だというのだろう。

 あまり考えずに言葉を紡ぎ始めてしまった。

 

「退屈はしないで済みそうだ」

 

《ラスボスかな?》

 

 なんだこのセリフ。どこのライバル枠の敵キャラだ。

 誘ってくれて嬉しいよって漠然とした気持ちを舐めているだとか見縊っているだとか不快に思わせないように装飾しようとしただけなのに、どうしてこうなった。

 

「で、用件はそれだけ? せっかくだし併走でもする?」

 

 しかし一度口から出てしまった言葉を戻すすべはなく、羞恥心なんてちっとも感じていませんよとばかりにポーカーフェイスを維持することしか私には許されない。

 

「遠慮しておくわ。アンタと次に走るのはレースにしたい」

「そうだな。俺も同意見。今度の選抜レース楽しみにしておくぜ。首洗って待ってろよ!」

 

「あ、そう……」

 

 己の内心から全力で目を背けて笑顔で話題転換を試みたけど、無情にも切り捨てられた。

 そんなにスッパリ断らなくても。傷つくじゃん。

 

「じゃ、私は続きするから」

 

 傷心を内に秘め、足取りだけは軽快に、私はその場を後にするのだった。

 背中に二筋の視線が熱く突き刺さっていた気もしたが、誘いを断られる程度の間柄だし気のせいかもしれない。

 

 




野良レース、模擬レース、選抜レースの区分はアプリの『ヘルプ・用語集』の記載に準拠したものです(一度選抜レースを受けるまではスカウトが許可されない等は当作品の独自設定ですが)。
育成をやりこんでいても認識があやふやだったり、意味を間違って覚えていたりする用語がままあるので、これからウマ娘二次を執筆してみようと思っている人は一度目を通してみるのがおススメ。
単純に読み物としても面白いですしね。
ウマ娘もっとふえろ。

次回、ダスカ視点


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サポートカードイベント:アタシの“1番”

( ゚д゚) >総合日間ランキング1位<

( ゚д゚)ポカーン

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U U U

 

 

 葦毛は走らない。

 オグリキャップさんやタマモクロスさんがトゥインクル・シリーズで成果を出す前、世間ではそんなことが言われていたらしい。

 今ではもうそんな言葉は根も葉もない噂だって、みんなが知っている。

 

 葦毛の怪物オグリキャップ。白い稲妻タマモクロス。

 URA長距離レース初代チャンピオンに輝いたゴールドシップ先輩だって輝くような葦毛だし、トレセン学園入学前からステイヤーとして注目されていたメジロマックイーンさんだってそうだ。

 いまやトレセン学園で葦毛をバ鹿にするやつなんていない。

 

 でもアタシたちはそんなこと、オグリさんたちが活躍するずっと前から知っていた。

 葦毛(銀髪)赤と青の目(オッドアイ)のバケモノ。

 アイツには誰も勝てなかった。同級生はおろか年上だって、果ては地方トレセンでデビュー済みのウマ娘相手でさえアイツは後塵を拝することが無かった。

 

 一度も勝てなかったのは悔しいけど、それでも許せないほどじゃない。

 だけど勝てないと諦めそうになったアタシ自身のことは、アタシが誰より許せない。

 

 

 

 

 

 中央トレセン学園のカフェテリアはビュッフェ形式で、生徒なら無料で利用できる。

 みんながみんなそうってわけじゃないけど現在ドリームトロフィーリーグで活躍中の伝説的OG、オグリさんみたいな大食いのウマ娘も中にはいるから懐を気にせずに思う存分食事ができるこの環境はありがたいことなのだろう。

 油断したら食事量も栄養バランスも簡単に偏っちゃうから、トレーナー泣かせのような気もするけどね。

 

 女の子の食事にはおしゃべりがつきもので、今日の昼休みもざわめきが絶えない。

 トレンドはついに間近に近づきつつある、中央トレセン学園に入学してから初めての選抜レース。ここ最近の新入生たちの話題はこれ一色だ。

 

「どうしよう……」

「どれなら出てこないんだろう? 安全圏が無いとかマジふざけんなって話」

「ねえ、どの距離に出るって誰か聞いた?」

 

 ただ、それは決してポジティブな色合いじゃない。

 ババを引かないようにこそこそと顔を見合わせ話し合う。

 

 一着になりたい。トレーナーに注目されたい。だから強い相手とは戦いたくない。

 その感情自体は自然なことだと思う。選抜レースの結果で『最初の三年間』と呼ばれるレース人生の最も重要な時間が左右されるともなれば、なおさら。

 

 でも逃げた先に楽園なんて無い。

 アイツがトゥインクル・シリーズを走る以上、あの異常な適性だ。絶対にどこかでぶつかる日が来る。

 そのときに二着争いをするなんて絶対に嫌。アタシは一番になってやる。

 

「あの、スカーレットさん!」

「はい、どうしました?」

 

 話しかけてきたのは同じクラスの子。

 周囲の空気につのる苛立ちを、優等生の仮面ですばやく覆い隠す。さまよう視線や垂れた耳を見るまでもなく、何を聞きに来たのかは予想ができた。

 

「スカーレットさんってあの、テンプレオリシュさんと同じ出身なんだよね? 仲がよかったりする?」

 

 ほら、やっぱり。

 

「ええ、リシュとは小さい時からの腐れ縁で。今度の選抜レースも同じ距離を走ろうって誘ってみるつもりです。ああ、アタシは芝1800mのマイルに登録する予定ですよ」

 

 聞かれる前に答えてやると、聞き耳を立てていた周囲がざわりと悲喜こもごもの反応を示した。

 安堵する者、真っ青になって絶望する者。心配そうな表情をするやつ、無謀だと嘲笑を浮かべるやつだっている。

 余計なお世話よ。

 

「えっ……それ、大丈夫なの?」

「どうかされましたか?」

「う、ううん。なんでもない。頑張ってね」

 

 目の前のクラスメイトは心配そうな顔の一派。善良な子ではあるのだろう。わからないふりをして首をかしげると、気の毒そうな表情に変えて応援してくれた。

 わかってる。日本最難関の中央トレセン学園に合格したのは偉業だけど、それだけで足が速くなったわけじゃない。

 アイツとアタシとの差はぜんぜん縮まってない。そんなこと、言われなくてもアタシが一番わかってる!

 それでも、勝てるわけが無いと首を下げてしまえば絶対に追いつけない。挑戦しなければ敗北さえ得られない。

 アタシが一番になるんだから。負けるつもりで走るレースなんて無い。

 

 

 

 

 

 もー、何なのよ!

 あれだけ大勢の前で啖呵を切っておいてぐずぐず躊躇するつもりなんて欠片も無かったのに、いざアイツに選抜レースの話題を持ちかけようとするたびに捉まえ損ねるんだけどっ!?

 

 気づけばふらっといなくなって次の授業開始ギリギリに戻ってきたり、アタシの方が先生に呼び止められて雑用を頼まれたり。

 優等生のアタシが授業中に手紙爆弾を丸めてぶつけるなんて手段がとれるはずもなく、かといってメッセージアプリで連絡を入れても既読すらつかない。アイツ、連絡が取れない携帯端末(スマホ)とか何のために携帯してるの?

 最後に既読がついたのは三日前。自分は三冠路線に進むつもりだからたぶんクラシック級は年末までかち合わないと思う、という旨のメッセージが残っている。

 気合を入れて宣戦布告したのに、そういうことはもっと早く言いなさいよ! と今になって振り返ってみればやや理不尽な怒り方をしてしまったかもしれない。

 でもそれにしたって場合によっては一週間近くアプリを確認しないんだから、アイツはマイペースに生き過ぎよね。サボりがちな交換日記かっての。

 

 結局そうこうしているうちに本日の授業が終わり、教官から渡された今日の分のメニューも終わり、放課後になってしまった。

 優等生の仮面の上からでもため息がこぼれるのを抑えきれない。もうそういう日だったのだと諦めるしかないだろう。

 

 選抜レースが近いためか自主練をしている生徒が多い。というより、契約の内定が決まっていない子はみんな練習しているんじゃないだろうか。

 幸運にもと言うべきか、それともようやくと嘆くべきか。ひとり黙々とグラウンドを走っているアイツの姿を見つける。

 葦毛と一口に言っても色合いには個人差がある。例えばゴールドシップ先輩のそれに比べ、メジロマックイーンさんの髪色は紫がかっている。

 アイツの場合はまるで金属光沢のように銀が強いのでとても目立つ。小学校のころはクラスの男子たちから『ギンピカ』というあだ名でからかわれていた。

 

 ……何故かそのからかう男子はひとり減り、ふたり減り、最後には全員から敬語で話しかけられるようになっていたけど。

 何があったかは知らないし興味もない。法に抵触していないことを願うだけだ。

 

「へぇー、あれがヤベーって噂の葦毛か」

 

 わざとらしく腕を組みながら鹿毛のウマ娘がアタシの横に立った。その視線はアタシじゃなくて、ターフを鋭いピッチで刻むアイツへと向けられている。

 

「ウオッカ……」

「よおスカーレット、奇遇だな」

 

 入学してからここ最近、たぶん一番交友がある同級生でアタシのルームメイト。

 かなり走れるやつで、地元じゃリシュという格上とその他格下しかいなかったアタシの前に降って湧いた同格という存在。出会ったときは中央のレベルの高さに感心したものだ。

 もっとも中央の平均が高いのは確かでも、ウオッカはその中でも頭ひとつ飛びぬけた逸材だったみたいだけど。

 

 アタシが『一番』にこだわるようにコイツは『カッケェ』にこだわっていて、コイツの言う『カッケェ』を成し遂げるためなら非常識なことも平気でやらかす。それで痛い目を見ていることもしばしば。なのに懲りないアホだ。

 でも、コイツの『カッケェ』は本当の意味でアタシの『一番』と同じ。絶対に譲れなくて、それで身の程を知ることになっても諦めることなんてできやしない。そういう意味では似た者同士なのかもしれない。

 

 趣味嗜好がまるで違っていて、波長が合うようで合わない。気性が噛み合わないようで噛み合っている。そんな奇妙な関係がコイツだ。

 コイツがアタシと同室だっていうのに初日に部屋に貼りたがったでっかいバイクのポスターのセンスは理解できないし、コイツもアタシが夜にリラックスするために焚きたかったアロマを集中できないからやめろと言う。

 でも険悪ってわけじゃない。まあそんなこともあるかと納得できる範疇だ。

 

 もしアタシがリシュに出会うことなく、自分が一番だと肥大したプライドを抱えたままここに来ていれば、趣味が合わないくせに実力は伯仲しているコイツとはもっと侃々諤々とやり合うことになっていたかもしれないけどね。

 

「ここに来ておいて奇遇も無いでしょ。アンタもリシュを見に来たの?」

「俺が来たのは確認だよ、確認。強えやつの出る種目が決まるかもしれねーって話だからな。せっかくだし俺もそれに合わせてやろうと思って」

「あっそ」

 

 表情こそ笑っているが、ウオッカがアイツに向ける視線にはぎらついた光が宿っていた。

 そう、それでいい。無知ゆえの無謀だったとしても構わない。

 アイツに挑むのに、共に走るのが諦観に沈んだウマ娘ばかりでは地元と何も変わらない。中央でこそ得られるものをアタシにもっと見せてほしい。

 

「それに強えやつをマークして徹底的に研究してーってのも悪くはねえと思うけど。本番ではまったくデータの無い強敵とやらなきゃなんねーときだってあんだろ。

 そんときにデータが無いから負けましたなんて言い訳するのはダセーって。だから俺は次の選抜レースでもノーデータでぶつかってやんぜ!」

「ふんっ、どうせその方がカッケェからーとかそういう理由でしょ」

「ばっ!? ち、ちげーし!」

 

 図星だったらしい。でもその無鉄砲さ加減を悪くないと感じている自分がいた。

 コイツにだって一番を譲ってやる気なんて無いけど、ウオッカは何だか見ていたくなるような華がある相手には違いない。

 

「しかしバケモノみたいな評判ばっかり聞いていたが、思ったよりデカくないんだな。むしろちっけー? ウララ先輩よりちょいデカいくらいじゃね」

「……バケモノみたい、ね」

 

 好戦的な眼差し。いまウオッカの中には勝算しかないのだろう。

 たしかに体格で劣るというのは不利な面が取りざたされることが多い。骨格が小さければ搭載できる筋肉量も減るし、筋肉量が少なければ生み出されるパワーが減る。

 パワーが少なければ加速が弱くなりスピードが活かせないし、レース中に他の選手と衝突したときに当たり負けしてしまう。

 

 でもそう遠くない将来、リシュと走ることになったときに思い知ることになる。

 同じ時代を走るウマ娘たちにとってアレは『バケモノみたい』じゃなくてバケモノそのものだ。

 

「量産型ゴルシ計画のプロトタイプなんて噂もあったからな。てっきりもっと高身長のモデル体型を想像していたんだが」

「それはバケモノね!? やめてよ怖いこというの」

 

 なんて恐ろしいことを考えるんだ。トレセン学園が跡形もなく吹っ飛ぶわよ、そんなの。

 

「……ゴールドシップ先輩、いやスカーレットと比べたって同世代は誰でも貧相な身体になると思うよ。比較対象が悪い」

「うおっ!?」

「っ」

 

 驚きでウオッカの耳と尻尾がびんと伸びる。

 目を離した自覚は無かった、にも関わらず気づけばリシュがそこに立っていた。昔から変わらない、白昼夢を見ているかのようなぼんやりした表情でこちらを見ている。

 足音がしない。コイツと一緒にレースを走ると強く印象付けられることのひとつだ。

 

「やあスカーレット。何か私のことを話しているみたいだったから。そっちの人は初めましてだね。私の名前はテンプレオリシュ、スカーレットの……腐れ縁だよ。よろしくね」

「お、おー。ウオッカだ、よろしくな」

 

 ふんっ。アタシとの関係性で一瞬口ごもったことに関しては気づかなかったことにしてやろうじゃないの……友達や幼馴染じゃなくて、腐れ縁ね。

 どうせライバルだなんて欠片も思ってないんでしょ。アタシだってそうだもの。差があり過ぎて笑い話にもなりゃしない。今はまだ、ね。

 

「リシュ。アンタ今度の選抜レース、出る種目決めた? 決めてないならマイル芝1800mにしなさいよ。アタシが出るから」

「いきなり命令口調かよオイ」

 

「ん、いいよ」

「いいのかよ!?」

 

 ウオッカがツッコミを入れてるけど、コイツとの会話のテンポはこれが正解だ。ほら、腐れ縁だし? 付き合いだけは長いし? 少し気が立っていたなんて事実は存在しないんだから。

 それに、嫌なことは遠慮せずにすぱっと断るのがコイツだ。変な前置きはアタシたちの間には必要ない。

 

「どれに出ようか迷っていたとこだったしね。スカーレットたちが一緒に走ってくれるなら……退屈はしないで済みそうだ」

 

 自身のレース人生を左右しかねないことなのにあっさり頷いちゃってさ……言わせたのはアタシだけど。

 まるで何も考えずに適当にその日その日を過ごしているかのような言動。でもアタシは知ってる。コイツはコイツなりにちゃんと将来を見据えて今を走っているって。

 

――まだ二回勝っただけです。私をスカウトするかどうかは、ちゃんとレースを走り終えた後に決めてください。

 

 初めての模擬レースで芝とダート、両方で同期をぶっちぎり抜きんでた能力を示したリシュは当然のごとくトレーナー陣に囲まれた。

 そんなときにリシュが凛とした表情で言い放ったお断りの文句がこれだ。そしてその言葉にたがわぬ実力を示し続け、暗に彼らに問うたのだ。

 あなた達は本当に私を育てるに足るトレーナーですか、と。

 

 それを知った時、少し嬉しかった。あれだけの才能を持ちながらそれに溺れることなく、ちゃんと全力を尽くそうとしてくれているんだって。

 勧誘されるままに適当に著名なトレーナーと契約を結んでも、リシュならそれなりの成果を出せたはずだ。

 でもリシュは『それなり』では満足する気は無かった。何でもできる潜在能力を十全に発揮してくれるトレーナーを求めてると、態度で示した。

 その結果として彼女は今もひとりで走り続けている。あまりのリシュの能力にしり込みしたり、その気性難とも取れる態度に敬遠した結果だったりするけど、それでもここは中央だ。

 そう遠くない将来、リシュに見合ったトレーナーが彼女の前に現れるだろう。そう信じている。

 

「で、用件はそれだけ? せっかくだし併走でもする?」

 

 アタシの知る中で一番の天才サマは、どこに焦点が合っているのかわからないぼんやりした顔で微笑んでそんなことを言う。

 その表情がかつて幼い日の記憶と被り、そして食い違った。

 

――あはは、きみは天才なんだねぇ

 

 銀の髪。赤い右と青い左の瞳。暑い日差しに染まらぬ霧のように白い肌。こんな特徴的な配色のウマ娘、アタシはひとりしか知らない。だけど口調も表情もまるで違う。

 双子の姉か妹と言われた方がよほど信じられる、アタシを嘲笑ったダレか。でもリシュに姉妹がいないことは何度も確認している。

 ……よそう。いま目の前にいるのはリシュだ。過去の残影を振り払い、アタシは首を横に振った。

 

「遠慮しておくわ。アンタと次に走るのはレースにしたい」

「そうだな。俺も同意見。今度の選抜レース楽しみにしておくぜ。首洗って待ってろよ!」

「あ、そう……」

 

 ぼんやりはそのままにがっかりした雰囲気をただよわせて、何だか悪いことをした気分になる。

 でも無理なものは無理。コイツと練習なんて気になれない。

 コイツとは並んで走るんじゃなくて、その背中を追っていたい。いつか追い抜かしてアタシが本当の一番になる日のために。

 

 

 

 

 

 そして選抜レース当日。

 アタシたちが、いやリシュがこのレースに出走するという噂はしっかり広がっていて、ただでさえ希望者が少ないところに出走登録者名簿が発表されてからは辞退も相次ぎ、本日のマイル芝1800m第四レースは十二人出走予定のところを五人という成立ギリギリの人数での開催となった。

 まるでルドルフ会長と双璧を成すこの学園の生ける伝説、マルゼンスキー先輩の逸話の再現だ。まったく、情けないったら。

 

 でも、その分出走者たちの気骨は選りすぐりだ。噂の葦毛をここで仕留めてデビューへの好スタートを切ってやろうとギラギラした気迫が漂っている。

 一方でプレッシャーを向けられているリシュはぽややんとしたいつもの表情でのんきに準備運動をしていた。天然で煽ってるわね、あれは……。

 

『選抜第四レース、芝マイル1800m右。注目のウマ娘が出揃いました。勝利の栄光はいったい誰がつかみ取るのか』

 

 アタシは一枠一番での出走。

 逃げや先行を得意とするアタシにとって有利と言える。ここ最近は天気が良くてバ場状態の発表も良。アクシデントは起きにくい環境。

 つまり負けたら運が悪かったなんて言い訳はきかない。するつもりなんて欠片も無いけど。

 

『すべてのウマ娘がゲートイン完了。そして――今いっせいにスタートを切りました!』

 

 さすが怪物揃いの中央。その中でもバケモノの前評判に負けず四人まで厳選された実力者たちだ。出遅れるような者は無く、皆きれいにスタートを決めている。

 

「ふっ!」

 

『飛び出したのは一番ダイワスカーレット。素晴らしいスピードで先頭に躍り出ます』

 

 その中でもアタシはゲートの開く音を置き去りにする勢いで先んじた。掛かり気味ともとられかねないハイペース。でもアタシなら最後まで脚を残せる。

 つられたように一人、ペースを乱して加速する。彼女はもう怖くない。もう一人はリシュを意識してがっちりマークしているようだ。もっと人数がいればともかく、この人数でこのメンツならこんなものか。

 

『主導権はダイワスカーレットが握ったか? どうでしょうこの展開』

『掛かってしまっているようにも見えますが、あるいは彼女ならと期待させてくれる実力者ですよ』

『続いて二番ブリーズチョッパー。二バ身離れて四番テンプレオリシュ。少し離れて三番ヤムヤムパルフェ。五番ウオッカ、最後方をいく』

 

 リシュやウオッカがこの程度でつれるわけがない。ただ、これが現状アタシの取れる一番勝率の高い戦法だった。

 入学してから今日まで磨いてきたスタミナで、このペースで走っても入学前より半ハロン早くスパートをかけられるようになった。

 だからもう半ハロンを根性で埋める。気持ちでは絶対に負けない。負けられない。

 

「アタシが一番に……いちばんになるんだからっ……!」

 

 霧の中を走るうち髪や衣服が水を吸って重くなるように、じわじわと増していく背後からのプレッシャー。

 アイツは足音がしない。ふと気が付いた瞬間横に並んでいてそのまま抜き去ってしまうんじゃないか。そんな思いが酸欠で白く濁っていく頭から離れない。

 

『第三コーナーを曲がり依然先頭はダイワスカーレット。このままいってしまうのか?』

 

「そうはさせっかってんだ!」

 

『ウオッカ! 前を狙っているぞ。大外からまくって上がってくる』

 

「このまま終わってたまるかよ。っ!?」

 

『おっとテンプレオリシュ、するりと抜け出した! みるみるうちに前との差を詰めていくぞ』

 

 そしてその予感は現実となる。

 するりと横を抜けていく銀の髪。軽快なんて言葉ではとてもじゃないが足りない『軽さ』。

 音が無い。まるで夢か幻のようで。

 でも確かな存在として目に焼き付く。何度この光景を夢に見て夜中に跳び起きたか。そうなった夜は到底寝つけず翌朝を寝不足で迎えることになる。

 

 まるで体重なんて存在していないみたいだ。

 本当に走っているんだろうか。浮いているんじゃないのか。

 自分の足がドスドスと鈍重な騒音を立てることに殺意すら抱く。

 

 ウサギとカメどころの話じゃない。

 きっとウサギがレースの途中で眠ってしまったのはカメを侮ったからじゃない。ウサギは心が折れてしまったのだ。

 必死に地上を走る自分の上を悠々と飛び去る鳥を見て、どれだけ走ってもアレには追い付けないと悟って。

 崩れ落ちて、起き上がれなくなった。そしてついには努力を忘れないカメにすら追い抜かれた。

 

 だったらアタシは諦めない。歯を食いしばってターフを駆け抜ける。

 たとえ翼が無くても。地上を走ることしかできなくても。それでも一番は譲れない。ウサギにしかなれないというなら、カメにも鳥にも負けないウサギになってやる。

 そう思うのに――

 

「くそっ、追い付けねえ……」

 

 ウオッカの嘆きがやけに耳の奥に響いた。

 アタシの末脚はまだ伸びている。伸びているはずなのに距離が縮まらない。後続との距離が開いていくだけだ。

 

『ゴォール!! 一着でゴール板を駆け抜けたのは四番テンプレオリシュ。見事な走りでレースを制しました!』

 

 五バ身差。

 それがアタシとリシュとの距離だった。

 二着だなんて意味がない。三着でゴールしたウオッカとの着差にも興味が湧かない。

 

「……っ!」

 

 根性で押さえつけていた疲労がいっきに噴出する。心臓が爆発しそうだ。喉が焼け付いて声が出ない。全身が痙攣する。

 崩れ落ちそうになったアタシの身体を、柔らかいのにしっかりとした何かが支える。

 

「おつかれさま、スカーレット」

 

 何かはリシュの声で喋った。アタシよりずっと小柄な彼女に覆いかぶさるように支えられている体勢上、リシュの顏を見ることはできないけど。

 ウマ娘の鋭敏な聴覚がまったく乱れていないリシュの息遣いを拾う。アタシなんて全身から流れる汗がすごいことになってるのに。

 

 実力差が縮まっているなんて思っていなかった。

 でも、負けるつもりで走るなんてありえない。だから全身全霊を尽くして、実力以上を発揮して、それでもまだまだ届きはしなかった。

 

「ヘロヘロだよ、大丈夫? これが本番のレースならこの後にウイニングライブがあるのに」

 

 本当に、コイツは……!

 ガクガクと震える膝を拳で一喝し、無理やり自分の足で立った。

 

「アンタねえ……! 上等じゃない。十曲でも二十曲でも歌って踊ってやろうじゃないの!」

「いや、クールダウンして休みなよ。選抜レースとはいえ所詮は学園内の催し。メイクデビューと違ってウイニングライブは無いんだからさ」

 

 ほんっと腹が立つ。でも尽きかけていた気力がちゃぽんと奥底から湧いてきた。

 首を下げている暇なんて無い。絶対に追いついて、追い抜かしてやる。

 

 

 

 

 

 普通、選抜レースを終えたウマ娘は一着の子にトレーナーのスカウトが集まる。

 でも今回の場合、取り囲まれたのは二着のアタシと三着のウオッカ。

 圧巻の走りで一着に輝いたリシュの元に足を運んだトレーナーは一人だけ。どこか幼さが残る容貌を緊張と覚悟で強張らせ、それでも彼女は堂々とリシュに向けて手を差し出した。

 

「あの! 私と一緒にトゥインクル・シリーズを走りませんか?」

 

 桐生院トレーナー。

 トレーナーの名門桐生院出身。トレーナー歴は今年で四年目とキャリアは浅く、まだ一人しかウマ娘を育成したことがない新人と中堅の境目。

 でもその一人は短距離から長距離まで、芝もダートも遜色なく走りこなす奇跡の適性を持つハッピーミーク先輩。

 新人から『最初の三年間』でURAファイナルズ長距離部門決勝を入着という成果を出した彼女たちは、これからの活躍が期待されているエリート中のエリートだ。

 何より、あらゆる適性を持つウマ娘を育て成果を出したという唯一無二の実績はまさにリシュが待ち望んでいたもので、実際にリシュは二つ返事でそのスカウトを受けていた。

 

 一方で多くのトレーナーたちに囲まれたアタシたちだけど、今はスカウトを受ける気になれないと断った。ウオッカも似たような感じで、二人揃ってその場を離れる。

 

「…………なあ」

「なによ?」

 

 何となく話す気になれず、単純にアタシは息がなかなか整わなかったこともあり、長く続いた沈黙を破ったのはウオッカの方だった。

 

「アイツってさ、いつもあんな感じなのかよ?」

「ええ、今日がとびきりの絶好調だったってわけじゃないわよ。あれが普通ね」

「……これからの三年間、アイツと一緒に走るのか」

 

 普段の覇気が欠けた声色、萎れた耳。ああコイツ、心が折れかかっているわね。

 情けないと思わなくもないけれど、昔のアタシに比べたら『折れかかっている』で済んでいるあたりメンタルは当時のアタシより強いかもしれない。

 

――二着だって立派な結果だ!

 

――彼女がいなければ間違いなく君が一着の走りだった!

 

 口々に投げかけられたスカウトの言葉を思い出す。ただでさえ疲れてイライラしているときに本当にやめてほしい。今夜あたり、身体は疲れているのに脳裏でリフレインしてなかなか眠れないんだろうなという嫌な確信がある。

 

「そんなに怖いのならマイルを主戦場にして、アイツとかち合ったときは二着争いに始終したら? リシュは三冠を目指しているみたいだから、中距離以上をメインに走るでしょうから」

 

 クラシック三冠、春シニア三冠、秋シニア三冠、いずれも芝の中距離から長距離のレースが対象だ。

 いくらバ鹿みたいに距離適性が広くても身体がひとつしかない以上、マイルや短距離を主戦場にすれば遭遇するリスクはぐっと減るだろう。

 アタシはそんなの絶対に御免だけどね。トリプルティアラは小さいころからの憧れだからティアラ路線で走るつもりだけど、クラシック級の年末やシニア級で真っ向勝負を避けるつもりはない。この一年半で力をつけて、アイツを下す。

 

「……だぁああああ! そんなダセェ真似できるかよ! 俺だってダービーに憧れてここに来たんだからな!!」

「あっそ、なら頑張りなさいよ」

 

 ふぅん? もう立ち直ったんだ。まだまだダメージはデカそうだけど折れそうな危うさは消えた。

 悪くないんじゃない? やっぱりウオッカの気質は好ましい。コイツが寮のルームメイトなのは間違いなくアタシが中央トレセン学園に入学して得たメリットの中でも最大のものだろう。

 

「ちきしょー! こうなったら今から猛特訓だ、いくぜええ」

「やめなさいよバ鹿。アンタもアタシも身体がったがたじゃない。こんなんでトレーニングしてもケガするだけよ。今日はクールダウンしておしまい」

 

 後日、アタシとウオッカは同じトレーナーからスカウトを受けてチームになった。

 相手はあの桐生院トレーナーの同期であり、こちらはまったくの無名だったのにも関わらず『最初の三年間』で初担当をURAファイナルズ優勝まで導いたという破天荒な経歴の持ち主。

 アオハル杯登録チーム名〈キャロッツ〉。リーダーはURAファイナルズ長距離部門初代優勝者のゴールドシップ先輩。

 ここからアタシの『最初の三年間』が始まる。

 

 アタシはここで、絶対に一番になってやるんだから。

 

 




【テンプレオリシュ(リシュ)のヒミツ①】
 実は、脳内で会話中は傍目にはぼんやりしているように見える


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集う仲間たち

(;^ω^)「…感想を返すのに1時間を超えるとか、他人事だと思ってた」

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 アオハル杯に挑むイカれたメンバーを紹介するぜ!

 

 エントリー№1! ハッピーミーク!

 シニア二年目にしてチームリーダーを務める白毛のウマ娘。その奇跡の適性は短距離から長距離まで、芝もダートも遜色なく走り抜けることを可能とする。正直、私以外でここまで幅広い適性を持つウマ娘に出会うのは初めてだ。

 チーム内では唯一のシニア級。昨年はシニア一年目にしてURAファイナルズ長距離部門への出走を果たし、見事決勝戦にて入着という成果を出した優駿である。

 同じトレーナーに担当されるチームメイトということもあり、私は敬意を込めてミーク先輩と愛称で呼ばせてもらっている。

 

「がんばりましょう。おー」

 

 ぬぼーっとした雰囲気でえいえいおーと天に向かって突き出した拳は気迫に欠けるが、表面に出にくいだけで喜怒哀楽はしっかり存在している。

 ゴールドシップ先輩には一歩及ばなかったものの、最終コーナーで競り合った勝負根性は昨年のテレビ越しでも手に汗握るものがあった。

 

《桐生院をサポカに入れたらミークと一緒に走れるのではないか。叶わなかったあのときの願いがいまここに!》

 

 テンちゃんも嬉しそうだ。相変わらず何言っているかわからない部分はあるけど。

 

 

 

 

 

 エントリー№2! アグネスデジタル!

 私と同時期にデビューする今年ジュニア級のウマ娘。ストロベリーブロンドの髪をウマ耳の下でツーサイドアップにしており、頭頂部には赤い大きなリボン。小柄で華奢な体つきも相まってたいへん可愛らしい。

 いや、実のところ体格は私も大差ないんだが。

 

「ふぉおおおお、愛するトレーナーのために苦手なコミュニケーションを率先するミークさん尊い……。がんばりましょうね、同志!」

 

 ちなみに学年で言えば一年先輩だが、デジタルは私のことを同志と呼ぶ。一方で自分のことは呼び捨てでいいと言っていた。

 年齢よりもレース歴の方を重視するのは、この学園の生徒としてはことさらおかしいことではないのだけれど。

 なんでもデジタルは模擬レースや選抜レースで芝にダートにと、縦横無尽に駆け巡る私の姿を見て感銘を受けたらしい。当人は啓蒙を授けられたのです、だなんて妙に仰々しい表現を使っていた。

 さらに私に自身と同じウマ娘を愛する同志の精神を見出したとかで、最初からやけに私に対する好感度とテンションが高い。勘違いですと言いたいところだが、たしかにどこかテンちゃんと似た感じはしなくもない。

 

 もともとデジタルはもっとはやくデビューできるだけの下地はあったのだが、芝もダートも高い適性を有していたためどちらを選ぶのか決めかねていたのだとか。

 私ならどちらかを選べと言われたら賞金額の高い芝一択だけど、デジタルの場合は『推しのウマ娘ちゃんたちを間近で見たい』というのがレースに懸けるモチベーションだった。

 芝には芝のスターが、ダートにはダートのアイドルがいる。どちらかを選ぶなんてとてもできないと、芝とダート両方のトレーニングだけしっかり積み重ねながら彼女は足踏みしていた。実質片方だけに適性のあるウマ娘の二倍練習していたということであり、ある意味で己の心と真摯に向き合っていたと言える。

 

 そこに現れたのが私だ。芝だろうがダートだろうが知ったこっちゃないと走り回る私の姿を見て彼女は『両方を選んでいいのか』と天啓を得たという。

 

――あなたと一緒ならウマ娘ちゃんたちの新たな境地が見られる気がするんです。一緒に『萌え』の可能性の果てを目指しましょう!

 

 デジタルは桐生院トレーナーにスカウトされたのではなく、私を追ってチームに売り込みをかけてきた結果担当ウマ娘に収まったという変わり種である。お前ほんとうにそれでいいのかと思わなくもない。

 でもミーク先輩や私の言動にいちいち奇声を上げて昇天しているデジタルはとても幸せそうだし、やっぱりあれでいいのかもしれない。少なくとも本人は満足そうである。

 そんな彼女の適性距離はマイルと中距離。短距離を走るウマ娘はマイルまで手を広げることが多いし、長距離を走るウマ娘もまた数の多い中距離レースを走ることが一般的だ。

 つまり芝とダートの両方を高い水準で走れるデジタルは理論上あらゆるウマ娘と同じレースに出走可能ということになる。ウマ娘オタクここに極まれり。

 

《桐生院の担当ウマ娘の中でデジたんが一番適性の幅が狭いって控えめに言って狂ってるよなー》

 

 うん、まあ普通じゃないのは新入生の私でもなんとなくわかるよ。

 

 

 

 

 エントリー№3! 私!

 特に語ること無し! 以上!

 

「はい、がんばりましょう。えいえいおー!」

 

 まあせいぜい葦毛に右目が赤、左目が青のオッドアイという変わった配色が多いウマ娘の中でもひときわ目立つ容姿をしていることと、ミーク先輩と同レベルの幅広い適性を持つ天才ってことくらいかな。

 あと世間一般でいう二重人格ってくらい? うん、あんま特徴はないね。

 

《テンプレオリシュだもんね》

 

 さて、ここまでが桐生院葵トレーナーの担当ウマ娘だ。

 いわゆる『最初の三年間』をミーク先輩と共に順調に熟し、新年度に新たにスカウトしたウマ娘二名が私とデジタルということになる。

 新人トレーナーから中堅トレーナーに至るステップアップ。一人目の育成ノウハウが流用できるよう『幅広い適性を持つ』という特徴も同じだ。

 

 メジロやシンボリがウマ娘の名門であるように桐生院はトレーナーの名門であり、桐生院トレーナーはその名の示す通りそこの出身。ノウハウもお金もたっぷり。

 正直選抜レースで余り物になりかけたときは本気で焦ったけど、あのときに声をかけてくれたのが桐生院トレーナーで本当によかった。ぶっちゃけ誰に声をかけられたのか把握もしないで溺れる者が掴んだ藁だったからな。

 

《桐生院ルートは完全に想定外だったけど、選んでみたらこれ以外はない最適解って気がしてくるよな。ミークのノウハウを継承できるのはぼくらにとって絶大なアドバンテージ過ぎる》

 

 誰かの背中を追うというのは初めての経験だが、思っていた以上にワクワクしている。みんなずっとこんな感覚を味わっていたのか。ずるいなぁ。

 

 もちろん三人ではアオハル杯に参加できない。

 後のチームを構成する二人は、よその専属契約を結んだトレーナーの担当ウマ娘たちだ。形式上はもっとも実績のある桐生院トレーナーがチーフトレーナー、他がサブトレーナーとしてチームを構成することになる。

 

 

 

 

 

 エントリー№4! サクラバクシンオー!

 今年クラシック級を走る高等部の先輩でスタイル抜群で顔もいいのに言動がアレ過ぎてなかなか周囲に気づかれないという、いろんな意味ですごい逸材だ。

 妙にとっつきやすいひとであり、私は既にバクちゃん先輩と呼んでいる。

 

「中距離も長距離も、この学級委員長におまかせください! いずれ走れるようになるはずなので!!」

 

 自信満々に胸を張る彼女は何故か学級委員長という地位を信仰しており、日々学級委員長として相応しい己であろうと(明後日の方向の)努力を欠かさない。

 念のため言っておくとたしかにこの学園は生徒の自治の風潮が強く、生徒会や寮長はそれこそ生徒に任せていいのかと不安になるほどの権限を有しているが、学級委員長は私の知る限りではていのいいクラスの雑用係でしかない。

 ただバクシンバクシーン!! と特徴的な掛け声と共に全力で走り回っている彼女は陽の気力に満ちており、頼りになるかはともかく多くの生徒に信頼され好かれているウマ娘であるのは事実だ。

 

 ちなみにこんなことを言っているが彼女はガチガチのスプリンターである。

 たしかにサクラは名の知れた名門であり中距離や長距離で好成績を残してきたらしいが、バクちゃん先輩はマイルがギリギリという短距離の専門家。中距離を走ろうものならスタミナを使い果たしてヘロヘロに垂れる。

 その代わり、短距離では突出した成績を叩きだしている。数年後に()()スプリンター最強は誰かという論議になったとき、まず間違いなくサクラバクシンオーの名前は挙がるだろうと確信できるほどに。

 

 アオハル杯でもバクちゃん先輩には短距離部門をお任せすることになるだろう。

 彼女は最強のスプリンターになりうるし、優秀なマイラーも可能だろうが、彼女自身が言っているような長距離や中距離は難しいだろうから。

 みんなそう思っている。私もそう思っている。

 そう思っていないのはバクちゃん先輩本人と、彼女の担当トレーナーだけだ。

 

 彼女たちがここに来たのはミーク先輩や私、デジタルといった変態的な適性の幅を有する桐生院チームからあらゆる距離適性を走るノウハウを学ぶためだ。少なくともバクちゃん先輩のトレーナーはそのつもりで来た。

 約束なのだという。

 あらゆる距離で結果を残す最強の学級委員長にすると。『最初の三年間』では最強のスプリンターになるのが限界。だからそうやって成果を出して、足元を固めて周囲の横やりを牽制して、いつか絶対にその栄光までサクラバクシンオーを導くのだと。

 桐生院トレーナーと話しているのを、うっかり聞いてしまった。

 

《口先だけで未来の最強スプリンターをたぶらかした悪徳トレーナーってわけじゃなかったんだな。よかったよかった》

 

 ……厳密に言えばテンちゃんが盗み聞きしたのを一緒に聞いてしまったというか。

 なぜ身体の主導権を使ってまで調べようと思ったのか私にはさっぱりだが、単なるデバガメという以上にテンちゃんはどうしても知りたいことだったらしい。

 

《バクシンオーは教祖様……いや、ご神体様なんだ。アプリトレーナーは推しを最初に育て、目標未達成になり、打ちのめされ、攻略wikiを見ながらなんとかリベンジを果たす。

 だがそれでも霧は晴れない。どうして勝てたのか? どうして負けるのか? 運しだいで勝てるとはわかっていても、そこから先に進めない。そんなときにバクシン教は導いてくれるのさ。サポカをスピードでまとめて友情トレーニングを連発させて逃げれば確かに勝てるのだと。その恩があるから、彼女のことは粗末にできないんだよ》

 

 なんじゃそりゃ。

 

 ま、表面上はバクちゃん先輩がいいように言いくるめられてトレーナーの指針に従わされているようにも見えるが、その本質は担当ウマ娘が本当に求めるものへと至る険しい道を必死にトレーナーが補整しているというわけだ。

 あれはあれでいいコンビなのだろう。

 

 

 

 

 

 エントリー№5! マヤノトップガン!

 私やデジタルに負けず劣らず小柄なウマ娘なのだが、雰囲気がひときわ幼く『おしゃまな女の子』と表現したくなる子だ。

 いちおう私と同学年である。チームメイトになってからはマヤノ、リシュちゃんとお互いに愛称で呼び合う程度には仲良くなった。

 

 彼女を語るとすれば第一に感覚派の天才。

 常人が薄皮を張り重ねるように努力して到達する領域に『わかっちゃった!』と一足飛びにたどり着いてしまう。その潜在能力の高さは上級生のウマ娘たちも認めるところだ。

 同級生? 努力もせずにぽんぽん成果を出すライバルを素直に称えられるほど人格のできた中等部は少数派なもので。私は気にならないけどさ。

 

 だがそれは積み重ねと苦労の裏返しである成果への執着に欠けるということであり、『つまんなーい』とトレーニングや授業をサボっている姿が入学当初から散見された。

 具体的に言うと模擬レースや選抜レースへの参加申請が通らなくなるくらい生活態度がヤバかった。

 

「マヤもがんばるよー、おー!」

 

 バクちゃん先輩はトレーナーの主導でうちのチームに参入したが、マヤノのところはマヤノの主導でここに来た。

 こう言うと自意識過剰みたいで嫌なのだけど、デジタル同様に私の後を追って。

 

――『わかった!』と思ったのに上手くいかなかったことはブライアンさんのときみたいに何度かあったけど……『わかんない!』って感じたのはリシュちゃんが初めてなの!

 

 模擬レースで走る私を見たマヤノは自身もレースに出たいという強いモチベーションを抱くようになり、ちょうどそのタイミングで彼女のモチベーションを上手く行動に結び付けてくれるトレーナーと巡り合うこともでき、トレーニングや勉強をきちんとこなすようになった。

 日常態度が改善された彼女は無事に選抜レースに申請が通り、こうしてチームにも参加できるようになったのだった。

 

 たぶんだけど、直感的にマヤノは私とテンちゃんの関係性に気づきかけているのだろう。

 ……うーん、変身ヒーローの正体のように絶対に隠し通さなきゃいけない秘密ってわけでもないけど。

 自分が異常に分類されるという自覚はあるし、その異常性を周囲に曝け出し優越感に浸ったり、あるいは受け入れてもらって安堵したりといった趣味嗜好を私は持ち合わせていない。

 実際、長い付き合いのスカーレットだって私が二重人格だということをはっきりとは知らないのだから。薄々感づいている節はあるけど。

 しばらく距離感と付き合い方に悩むことになるかもしれない。

 

《ま、バレたところで『気づかれたからには仕方がない。死んでもらう!』ってわけでもないんだし、気軽にいこうや》

 

 そうだね。バレたらそのときの私とテンちゃんに対処を任せよう。

 

 マヤノは適性こそ芝の中距離から長距離と一般的なものだが、逃げから追い込みまであらゆる脚質を高次元でこなすことができる。これはミーク先輩やデジタルにもできないことだ。

 テンプレオリシュ(私たち)なら同じことこそできるが、実際は逃げと追い込みのテンちゃんと先行と差しの私という役割分担が存在している。

 私たちが適性お化けなら、彼女は脚質お化けといったところだろう。

 

 

 

 

 

 以上が、私たちがアオハル杯に挑むチームメンバーとなる。

 まだ最低限の五人しかいないが、これから成果を出し続ければいずれはもっとメンバーが増えていくだろう。

 URA公式のレースと異なりアオハル杯は本質的にお祭り騒ぎの色合いが強い。チームの解散や合併の敷居が低く、前のプレシーズンでしのぎを削ったライバルたちが次のプレシーズンでは同じチームに所属しているという展開も十分にありうる。

 URAで使用されるチーム名がスピカだのリギルだの一等星から名付けられた洒落たものであるのに対し、アオハル杯ではやれ〈にんじんぷりん〉だのやれ〈ハレノヒ・ランナーズ〉だの肩の力の抜け具合がわかるというものだ。

 

 そう、名前だ。

 今日こうしてメンバーが各担当トレーナー含め雁首揃えて集まっているのはチームの名前を正式に決定するという一大行事があるからだ。

 これまでは『アオハル桐生院チーム』とチーフトレーナーの名前で呼ばれていた。チーム〈ファースト〉のように担当トレーナーがさっさと決めてしまう場合もあるが、自由な校風が主流である今のトレセン学園では生徒たちが意見を出し合って決めるのが通例である。

 

 なお、届け出の締め切りは今年の九月後半とまだまだ先らしい。

 ただ年度末にあるアオハル杯初戦のチームランキングは、チーム登録が正式に受理されて以降のチームメンバーが出走したレース成績から総合的に決定される。

 つまるところ、届け出が遅れれば遅れるほど下位からのスタートになる。実際、真っ先にチーム結成が成されたチーム〈ファースト〉はその名の通り単独首位を独走中だ。

 最下位の崖っぷちからの成り上がりもそれはそれで盛り上がるのだろうが、学園からの予算を始めとした待遇は上位であればあるほど良い。

 だったら出走登録も早いに越したことはないのだ。

 

「〈ジ・オールマイティー〉などいかがでしょうか!? 距離適性や脚質と、何でもできるのが特徴な面々が集まっているようなので! 私はできるようになる予定ですが!」

 

 バクちゃん先輩がびしっと手を上げて提案する。さすがのスタートダッシュだ。

 

《現在唯一の特化型が提案しているのが皮肉だねえ。らしいっちゃらしいけど》

 

 おいこら、私が遠慮して考えないようにしていたことを。

 

「えー。マヤ、もうちょっとかわいいのがいいなー」

「……それに、あとから入ってくる子たちが気後れ、しちゃいそうです」

 

 あまり私以外の反応も色良いものではないようだった。ミーク先輩の言葉に「ややっ、それはいけませんね!」とバクちゃん先輩も発言を撤回する。勢いがあり過ぎるだけで基本的に善人なんだよなぁ、この人。

 デジタル? 「自信満々のバクシンオーさんの笑顔尊しゅぎますー」って溶けてるよ。テンちゃん曰く創作という分野においてはひときわ秀でているらしいんだけど、ことウマ娘同士の相談だとイエスマンにしかならないっぽい。

 

 どうしようかな。私も何か言った方がいいのだろうけど、何も思いつかない。

 レースの脚質はこういう性分も反映されているのかもしれない。

 逃げウマがペースをつくる。バクちゃん先輩やマヤノは自分のペースを持っているタイプ。

 ミーク先輩やデジタル、そして私はマイペースではないとは言わないが基本的に合わせることが多いタイプ。

 

《そうだな。じゃあ、こういうのはどうだ?》

 

 つまり逃げと追い込みを得意とするテンちゃんは前者に分類されるということであり、さらっとアイディアを出してくれた。私はそれをそのまま口でなぞる。

 

「ではバクちゃん先輩のアイディアをすこしひねりまして、〈パンスペルミア〉などいかがでしょう?」

「ぱんすぺるみあ? なあに、それ?」

 

「解説しましょう! パンスペルミアとはギリシャ語で『万物の種子』を指す言葉です!」

 

 マヤノの質問に答えたのは何故かデジタルだった。そのままつらつらと彼女は早口で言葉を並べ立てていく。

 

「本来はパンスペルミア説という生命起源論、簡単に説明するのなら『他の天体で発生した生命の元となる胞子や種が地球に到来し発展、繁殖したものである』という説を示す用語なのですが、今回の場合はあえて意訳で『何にでもなれる可能性』と『今はまだ未熟な種』を暗示する言葉として用いられています。ですよね同志!?」

 

 すげえ。ひと息に説明し切ったのもすごいし、よくわからん具合に博識なのもすごいし、何よりテンちゃんの思考を完全にトレースしきっているのが一番すごい。ウマ娘オタクやべえ。

 圧倒されて頷くことしかできんかったわ。

 

「なるほど! 私たちにぴったりですね!」

「うん、マヤも大人っぽくて素敵だと思う」

「……いいと、思います」

 

 全員から好感触でそのままチーム名として決定されてしまった。

 いざ自分の提案が受け入れられてみると嬉しさや誇らしさはもちろんあるが、気恥ずかしさも凄まじい。なんだこの中二病くさい香ばしいネーミングセンスは。ちょっと後悔している。

 いやまあ、年齢層的にはそのものズバリなんですけどね。中等部一年ですはい。

 

《やめてくれ。その攻撃はぼくに効く》

 

 かくしてチーム名も決まり、私たちのアオハル杯が始まった。

 このメンバーなら最初のプレシーズンまでに中堅までは上り詰めることができるだろう。

 

 アオハル杯チーム〈パンスペルミア〉始動。

 私たちの戦いはこれからだ!

 

 

 




これにて一区切り!

もともとは爆死でハーフアニバの貯蓄を使い切り『ウマ娘二次を書けばヤツの召喚の触媒になるのでは…?』錯乱して始めた執筆でした。
まさかこんなに反響があるとは思わなかったです。ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
なお、ヤツが誰でちゃんとお迎えに成功したかどうかはご想像にお任せします。サクランサクラーン!!

原作ありきのウマ娘であり、そこに敬意と感謝とリスペクト精神を忘れてはならないけども、実際に史実競馬を執筆するとなるとちょっと…でもG1勝利する根拠となるウマソウルの設定も無しにオリウマ娘を作ってもな…としり込みしている方へ。
ウマソウルに直接転生させれば史実競馬パートは存在しないのが当然になりますし、同時に転生モノのテンプレを活用しやすくなります。
だからみんなもウマ娘二次を書こう(提案)。書け(豹変)

続きは…タマモクロスを引けたら。きっと年末に来るはずだから(鋼の意志)


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【未来の】今年の新バを語るスレ【スターウマ娘は誰だ!】

おまけの掲示板形式です。
おまけというにはやや時間が空いた気もしますが誰が何と言おうとおまけです(鋼の意志)
今回の投稿に伴いタグ『掲示板形式』を追加しました。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


1:名無しのウマ娘ファン ID:gqeOau8Ay

今年もこの時期が来たな

 

2:名無しのウマ娘ファン ID:uFgAcP14+

このご時世、選抜レースの記録は探せばなんとか見つかるが

さすがに模擬レースの記録までは網羅しきれんからな

地元民が羨ましいわ

 

3:名無しのウマ娘ファン ID:YFsdYGcoo

地元商店街勤務のワイ。余裕の高見

 

4:名無しのウマ娘ファン ID:b+53R4c8+

ええなー、ナイスネイチャとか来るんやろ?

 

5:名無しのウマ娘ファン ID:/zglBN1Nn

重賞ウマ娘を日常で見れるとかうらやま

今年こそG1の冠被ってほしいなー

 

6:名無しのウマ娘ファン ID:nBdGAZSc6

今年のイチオシはハルウララやな

高知トレセンからの移籍組って聞いたけど、いろんな意味で新入生みたいやわ

笑顔が可愛くてすごくほっこりする

 

7:名無しのウマ娘ファン ID:C5b3fBwOi

移籍組?

中央の試験の難易度は有名やけど、編入試験は輪をかけて難しいって聞くな

それは期待やわ。ちなみに適性は?

 

8:名無しのウマ娘ファン ID:oNirHhjXV

ダートの短距離

 

9:名無しのウマ娘ファン ID:i82NWOhay

はい終了

 

10:名無しのウマ娘ファン ID:XQUSO/g6/

お? ダートは芝の二軍やないんやが?

 

11:名無しのウマ娘ファン ID:AuNeK3Ivd

喧嘩すんなし

 

12:名無しのウマ娘ファン ID:3IKoCfcOF

一度あの子の走りは見てみる価値があるで

一発でファンになるから

 

13:名無しのウマ娘ファン ID:yzp06HZOg

へえ。そこまで言うのなら期待

 

14:名無しのウマ娘ファン ID:ycPU586xs

ファ!?

よく見たら全員ID別人やん。地元民多すぎー

 

15:名無しのウマ娘ファン ID:ANy8f9sGS

ついでにハルウララのファン多すぎぃ!!

 

16:名無しのウマ娘ファン ID:vRSJOCWad

まあこのスレは地元からの供給あってこそのもんやから…

 

17:名無しのウマ娘ファン ID:iup+WaXL6

あの子が重賞に出場できるところが想像できん

だからあの子の走りは永遠に地元民だけのもんだ!

 

18:名無しのウマ娘ファン ID:w3zpe3q0W

ええ…

どんな走りなんや。めっちゃ気になってきたんやが

 

19:名無しのウマ娘ファン ID:pMUWX5LZV

強いんか弱いんかはっきりせんな

 

20:名無しのウマ娘ファン ID:cSXiFJ0fb

強いと言えば今年の新入生の注目株ってどんなもん?

 

21:名無しのウマ娘ファン ID:ERGKqM4zG

既に名前が知れてるのはダイワスカーレット

将来有望な面々の中でも頭ひとつ抜けてるって話やったけど

何度か模擬レース見た限り看板に偽りなし

 

22:名無しのウマ娘ファン ID:4FCFwIw5c

ウオッカも忘れんなよ。きっとアイツはダービーを取る

 

23:名無しのウマ娘ファン ID:b2eE3mNno

さすがにそれは気が早くないか?

気持ちはわからんでもないが

 

24:名無しのウマ娘ファン ID:vGvxpwDov

…やべーのがおるんやけど

テンプレオリシュってやつ

 

25:名無しのウマ娘ファン ID:XrIuhGo4t

おん?

ダスカやウオッカは聞いたことあるけどそれは初耳

 

26:名無しのウマ娘ファン ID:ot/OqF6Bp

右に同じ

どんなの?適性は?

 

27:名無しのウマ娘ファン ID:vGvxpwDov

わからん

 

28:名無しのウマ娘ファン ID:/uoC6/WcV

おいおい、走っているところ見たんとちゃうんかい?

じゃあ言動がヤバいタイプのやつか

ゴールドシップみたいな

 

29:名無しのウマ娘ファン ID:JkzrDsrTh

ゴールドシップが二体…来るぞ!

 

30:名無しのウマ娘ファン ID:mtrjfBD5g

来たら大惨事になりそうなんですがそれは

 

31:名無しのウマ娘ファン ID:nOEShArIY

あれはオンリーワンでも既に許容範囲の境界線で反復横跳びしているから

 

32:名無しのウマ娘ファン ID:vGvxpwDov

見たけどわからんのやほんま

なんやあれ

 

33:名無しのウマ娘ファン ID:FFBC9EnT0

は?

要領を得んな

 

34:名無しのウマ娘ファン ID:0apQ109YT

そりゃあ体つきでスプリンターかステイヤーか見極めろっていうのは知識と慣れがいるが…

模擬レースで走っているところ見たのなら少なくとも距離適性は一発やろ?

 

35:名無しのウマ娘ファン ID:vGvxpwDov

目撃初日:ダート1400m 作戦/差し & 芝1600m 作戦/先行

二日目:ダート1200m 作戦/先行 & 芝2000m 作戦/差し

三日目:ダート1600m 作戦/先行 & 芝1200m 作戦/追い込み

四日目:ダート1200m 作戦/差し & 芝2200m 作戦/逃げ

 

これやぞ?

 

36:名無しのウマ娘ファン ID:e3sNGjtcI

いやオイオイオイありえんだろ

距離適性もバ場適性も脚質適性も完全に迷子やん

 

37:名無しのウマ娘ファン ID:lDMIDh9aS

エアプ乙

模擬レースは選抜レースの仕様に従うのがウマ娘ちゃんたちの暗黙の了解なんやで

そんで選抜レースは一日に複数のレースに出走できん

可能不可能以前に、そんなバ鹿な真似するやつおらんわ

 

38:名無しのウマ娘ファン ID:VKwtdHGKP

おっとこれはイマジナリー中央トレセン観客席の可能性が浮上してきましたね

 

39:名無しのウマ娘ファン ID:8Wg2sTqEy

……いや、これワイも見たわ。一回だけやったけど

ギンピカ葦毛のちっこい子やろ?

よかった、十二連勤の疲労が見せた白昼夢ってわけやなかったんや

 

40:名無しのウマ娘ファン ID:k9pKNR6ND

十二連勤ニキは模擬レース行く前に寝て

 

41:名無しのウマ娘ファン ID:8FBK1x/fA

ウマ娘ファンの鑑だな

労基に行け

 

42:名無しのウマ娘ファン ID:ytbK3bmoV

あれ?

おかしいな。ワイも中央の子から直接その暗黙の了解聞いたことあるで

ルール無用の破天荒な子なんか?

 

43:名無しのウマ娘ファン ID:k1P6vDeQg

量産型ゴルシ計画…完成していたのか…

 

44:名無しのウマ娘ファン ID:vw0emKw0d

やめいw

 

45:名無しのウマ娘ファン ID:Ju+HOsvI/

いや、そうか

出走制限はあくまで芝・ダート内での制限なんだ

芝とダートをひとつずつなら模擬レースだけじゃなくて選抜レースでもいける

 

46:名無しのウマ娘ファン ID:DskldtJzY

ははー、なるほどなぁ

いや納得しかけたけどおかしいやろ

 

47:名無しのウマ娘ファン ID:lUJ/+Mpo7

できるとやるは別問題なんだよなぁ

まだデビュー前の子やろ?

普通1日に2回も走ればヘロヘロになりそうなものだが

 

48:名無しのウマ娘ファン ID:vGvxpwDov

全部一着でした(ふるえごえ

しかも全然よゆーありそうなの…

 

49:名無しのウマ娘ファン ID:H8wYzk+tF

バケモノかな?

 

50:名無しのウマ娘ファン ID:YWnrKgyDJ

たしかダートレースの方が先だったよな?

ダートの短距離走り終わった後に2200mを逃げきるスタミナがあるのか…

 

51:名無しのウマ娘ファン ID:kyj3t4gpx

デビュー前にそれってことはスタミナおばけか。

これは生粋のステイヤーだな(ダート1200m一着から目を逸らし

 

52:名無しのウマ娘ファン ID:atEFmVl5g

第二のハッピーミークくるか?

 

53:名無しのウマ娘ファン ID:ZZR18CbqN

流石のハッピーミークも逃げや追い込みはしなかったぞ

 

54:名無しのウマ娘ファン ID:7SByYloWP

ハッピーミークより優れたウマ娘はこれまでにもいた

ハッピーミークより強いウマ娘はこれからも出てくるだろう

しかし、ハッピーミークと同じことができるウマ娘は出てこない

 

って語っていた評論家さん涙目www

 

55:名無しのウマ娘ファン ID:7WjruP11f

ざっくり調べてみたけど出てこなかったな

名門の出身ではなさそうだ

 

56:名無しのウマ娘ファン ID:ojT/bFDPc

模擬レースでバンバン一着取っててそんなことあるぅ?

と思ったけど逆に名門でどんな教育施せばそんなウマ娘になるぅ?ってことか

 

57:名無しのウマ娘ファン ID:iko4X+v+A

完全な突然変異なのか

 

58:名無しのウマ娘ファン ID:rd8/yViaR

たいていああいうところは枠に嵌っているつーか

どこかしらの適性に合わせて育成するもんな

 

59:名無しのウマ娘ファン ID:DFZ9Pxreb

普通に万能型に育てるのが困難ってのもあるけど

身体がひとつしかない以上、すべての距離に対応させても出られるレースは限られるからな

 

60:名無しのウマ娘ファン ID:PPrr8UUgd

変態はいる。くやしいが

 

61:名無しのウマ娘ファン ID:vzQNTHr9R

変態扱いは芝

 

異論はないけども

短距離と長距離で必要とされる要素かなり違うはず

 

62:名無しのウマ娘ファン ID:pCtMkVO9v

どんなトレーナーがつくかで大きく変わりそうだなその子

 

63:名無しのウマ娘ファン ID:JX1gMx+7g

素人目にもどうやって育てればいいのかさっぱりわからんぞ

 

64:名無しのウマ娘ファン ID:qU/5iXEek

それこそほら、ミーク育てたトレーナーが付けばええんちゃう?

 

65:名無しのウマ娘ファン ID:VyP878bbi

桐生院トレーナーやっけ?

でもあの子ミークと専属契約じゃなかった?

 

66:名無しのウマ娘ファン ID:nCSxZzzLv

『最初の三年間』が無事に終わったことやし

URAファイナルズ決勝で入着というこの上ない成果だしてるし

普通なら今年度に追加で二人は担当を受け持つはず

 

67:名無しのウマ娘ファン ID:ZvVhzkgpP

同期で同じ『最初の三年間』で

同じURAファイナルズ長距離部門で優勝という成果を出した『この上』がいるんですけどね…

 

68:名無しのウマ娘ファン ID:M0KuhK+Dp

ゴルシTな。

あれはもう別格というかある種のバケモンやから……

 

69:名無しのウマ娘ファン ID:OVp5YsrJq

そういう意味じゃないってのはわかっているんだけど

 

G1勝利するたびに顔面ドロップキックくらって平然と担当を続けているのを見ると

バケモノ扱いに納得しかないwww

 

70:名無しのウマ娘ファン ID:Vh1AbufnT

ゴルシTも今年新たに二名受け持つのかな

どんな子が来るんやろ

 

71:名無しのウマ娘ファン ID:oBhhiCJDl

メイクデビューが今から楽しみだな

 

72:名無しのウマ娘ファン ID:TGNzLLD47

来年のクラシック級も期待

 

 

 




感想欄でテンちゃんの存在について質問が来ていたので少し補足。
アプリのプロローグでは『ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る』と表現されていますが
当作品のウマ娘は「ヒトボディ+史実馬ソウル」ではなく
「ヒトボディ+ヒトソウル+ウマソウルという不思議存在」の三種混合で構成されるものと設定しています。
そしてテンちゃんはどこぞの女神が『あかん、材料が足りん。お、こんなところに転生者ソウルあるやん。加工してウマソウルにしたろ』という適当具合で、史実馬としての歴史を持たないままウマソウルなったと考えてくださればだいたい合ってます。
のちに本編でも解説するかもしれないので、今はこんな具合でざっくりと。

ウマ娘二次創作ガイドラインが更新されましたね。
増えろ増えろと促しておいてスルーも無責任かと思ったので、少し触れておきます。
もともと二次創作界隈は原作様のご厚意あっての存在ですし、ウマ娘二次は史実競馬の三次創作とも取れる立ち位置です。
原作の方々への敬意を忘れず、ルールとマナーを守って皆様もレッツ楽しく創作!

今度こそ、次はタマちゃんをお迎え出来てからです。
えっ、SSRキタちゃん復刻? しゃーなーなぁ…(遺言)


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ジュニア級
早起きして三文の徳を積む


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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

ジュニア級編、開始です。
あと流石にこれ以上続けて短編も詐欺かなと思ったので、連載に切り替えました。
メリークリスマス!


U U U

 

 

 ぱちりと目を開ける。

 

《んー。おはよう、リシュ》

 

 おはよう、テンちゃん。

 頭の中だけで返した。

 

「…………」

 

 近くに気配。

 同室のリトルココンだ。まだ眠っている。

 すうすうと静かな寝息をウマ娘の鋭敏な聴覚が拾った。

 

《まだ慣れない?》

 

 まあね。出会いがしらに精神的横面を張られたのがプチトラウマになっているというのもあるけど。

 自室というパーソナルスペースに私たち以外の気配があるというのはコミュ障にとって苦行だ。呼吸しているだけで微妙に体力が削れていく気がする。

 仲が良いとか悪いとかじゃなくて、他人がいるというのがダメージなのだ。

 

《代わろうかー?》

 

 ううん、いいや。

 いつも通り眠っているみたいだし、このまま起こさないように着替えよう。

 ごそごそと赤地に白いラインの入った学園指定のジャージを取り出す。

 

 リトルココンが所属するチーム〈ファースト〉は自主練を行わない。

 樫本代理の『管理教育プログラム』に朝練が存在しないわけではないが、さすがに理事長代理とチーム十五人分のトレーナー業の兼任は時間的猶予が厳しいらしく、リトルココンがこの時間帯に起きているのは週二回ほどだ。

 ……いや、冷静に考えて仕事量おかしいよね樫本代理。大丈夫? 私あのヒトのことあまり好印象は抱いていないけど、それはそれとして過労死しない? アオハル杯は三年続くんだけど。

 私やだよ。中央トレセン学園の理事長代理が過労死したってニュースに流れるの。

 

《そう言われると心配になるなぁ。理子ちゃんはか弱い生き物だから。ま、たづなさんもついているし大丈夫じゃない?》

 

 駿川たづなさん、ねえ。

 トレセン学園理事長秘書という物々しい肩書のわりに妙に生徒と接点が多く、たまに朝の校門前で挨拶していたり、ごく稀に夜間に門限を破った生徒を追いかけて捕獲したりしている。冷静に考えておかしいのだが、まああのひとならという謎の風潮ができている。

 私自身はあまり話したことはないけれど、何故か見ていると身体の奥底が震える。逆らってはいけないと警告するような、それでいて挑んでみたいと猛るような。

 店でラーメン啜っているときでさえ絶対に帽子を外した姿を見せないって噂だし、もしかしてむかし名の知れたウマ娘だったりするのかしらん?

 

《さあ、どうだろうねえ》

 

 あ、この声色は心当たりがあるけど教える気が無いときのテンちゃんだ。

 じゃあいいや。そこまで興味があるわけでもないし、意識を切り替える。

 

 閉じられたカーテン越しに感じる朝日。枕もとの時計を見れば五時だった。

 私は目覚ましを使わない。

 単純に同室の相手の眠りを妨げたくないというのも大きいけど、昔から何時に起きようと思いながら眠ればだいたいその時間に起きられるから。

 まあ、一度目を開けたあとに二度寝しないかっていうのは別問題なんですけどね。

 

 抜き足差し足忍び足。

 無事に部屋を脱出し、広間でデジタルと合流。

 学生寮は夜十時から翌朝の五時半まで基本的に外出禁止なので、同じく時間になるまでたむろしているウマ娘の姿がちらほら見受けられる。

 

「おはようございます同志!」

「おはよ。朝から元気だね」

 

 周囲の迷惑にならぬよう小声で叫ぶという器用な真似をこなすデジタルに、朝の気怠さは欠片も無かった。

 

「ウマ娘ちゃんの顔を見れば眠気なんて吹っ飛んじゃいますから。むしろこれからご一緒に朝練という特大イベントがあるんですよ? 寝ぼけている余裕なんてありませんよ」

 

 毎朝あるし既にけっこう回数を重ねているはずなんだけどね、その特大イベント。

 

「一秒前のウマ娘ちゃんにさえ二度と会うことが叶わないのがこの世の残酷な摂理なのです。昨日一緒に朝練をしたからといって今日のウマ娘ちゃんとの朝練に感謝を捧げないことなどありえましょうか? いいえ、ありえません!」

 

 教科書に載せたい反語表現で語るデジタルは己の言葉を心の底から信じる者特有の澄みきった目をしていた。

 コミュ障の私はあっうん、としか返しようがなかった。なんかごめん。

 

 

 

 

 

 五時半になり外出禁止が解除されると共に、するすると外に出ていくウマ娘たち。私もデジタルと並んで河川敷を目指す。

 いちおうマヤノも私たちと同じく栗東寮なのだけど、彼女は担当トレーナーが違う。つまり私とデジタルが自主練用のメニューを桐生院トレーナーから渡されているように、マヤノも自身の専属から貰った彼女専用のメニューがある。

 偶然顔を合わせれば一緒に走ることもあるが、わざわざ毎日待ち合わせするようなことはしない。アオハル杯を共に戦うチームメイトであることは事実だが、同時にマヤノは同時期にジュニア級を走るライバルでもあるのだから。

 

 人口密度が下がって周囲に迷惑をかける心配が無くなったらまずストレッチ。まだ肌寒く感じる朝の空気の中でじんわり汗がにじむほどに徹底的に時間をかけてやる。

 朝食は寮の食堂で提供され、担当の職員さんが作ったものが決まった時間に出される。実のところ朝練と御大層に銘打ったところで外出禁止と合わせると、朝食までに許された時間的猶予はあまり多くない。それでもやる。

 

《怪我だけはするなよー。怪我は本当にどうしようもないからな》

 

 テンちゃんが昔からこれに関しては口うるさいのだ。

 私だってお年頃のウマ娘。幼いころはわずらわしく感じて、ときには反発したことだってあった。でも耳を塞いだところで苦言が脳内に響き、逃げても隠れても布団をかぶってもどうしようもない相手である。

 喧嘩の結末というのは大雑把に三種類に分けることができる。どちらかが折れるか、両者が譲り合って妥協するか、喧嘩別れするかだ。

 異心同体の私たちで喧嘩別れはありえず、たいていはテンちゃんが折れるか妥協案を提示してくれる。でもこれに関しては絶対に譲らないので、私が折れるしか無かった。

 まあ、言っていることはテンちゃんの側に十割理がある。面倒だと文句を言うこちらの方が間違っているという自覚もあった。意地を張り通すには、私は少しばかりお利口さんで素直過ぎたということだな。

 

「そ、それでは御身体に触りますよ……?」

「うん、よろしくー」

 

 一人ではできない柔軟のたぐいもデジタルの助力があれば可能。テンちゃんと私では自分の背中を押すなんて芸当はできないので、これだけでチームに入った甲斐があると感じる。

 

《地元じゃ一緒にトレーニングできるような相手はいなかったものねえ》

 

 ぼっちじゃない。ぼっちじゃないよ?

 スカーレットは併走するより、秘密の猛特訓を積んで私を追い抜かさんとするタイプだっただけのことだよ。

 

《それにしても、ようやくデジたんが死ななくなってきたなー》

 

 しみじみとしたテンちゃんの述懐に積み重ねの成果というものを感じる。

 最初はウマ娘ちゃんにおさわりなんて絶対にNGですっ!! って断固拒否の姿勢だったもんねぇデジタル。

 テンちゃんの入れ知恵に従って『同志って言ってくれたのは嘘だったの? 一緒にトレーニングしたいな』って上目遣いで首を傾げたら一瞬で砕け散る程度の断固拒否だったけど。砕け散ったデジタルを拾い集めて蘇生するのはなかなかに手間だった。

 今でも身体が触れるたびにうひょーとかうひぃとかアッとか奇声が聞こえるしビクンビクン痙攣しているが、当初のように気絶することは無くなった。

 

《初日にトレーニングを中止して看病してあげたのが効いたんだろうなぁ。あのときは『まさかウマ娘ちゃんの邪魔をしてしまうとは! 万死に値するっ!!』って自責の念で血涙を流さんばかりだったし》

 

 あれ以来、たとえ白目を剥こうと泡を噴こうとデジタルは私の前では絶対に倒れないようになった。ちょっと個性豊かな友人というだけの話だ。それでいいじゃないか。

 

「はい交代ー。背中押すよー」

「た、耐えろ……耐えるのですあたし……いまここで死んだら……あっだめやわらか」

 

 二人並んで三十分ほどかけて準備運動を終わらせ、ようやくトレーニングに移る。

 とはいえ、一周目はジョギングのペース。デジタルが背負っているデッカイ籠、その中に広げたゴミ袋の中に道端のゴミを二人で放り込んでいく。

 デジタルが自主的に始めたことで、私も後から加わった極めて小規模だがコンスタントに続けられる清掃ボランティアだ。

 

前世(まえ)と比べると現世(こっち)のモラルは比べ物にならないくらい良好だけど……やっぱりこういうのはあるんだよな。少しだけ安心するよ。自分のいた世界(ところ)だけが特別に劣等だったんじゃないって》

 

 相変わらず変なところでひねくれているもう一人の私。ひとの頭の中でドロドロとしたくろいもの垂れ流さないでくれますぅ?

 そういうとこ、絶対に私の人格形成に影響を与えていると思うんだけどな。それが良いか悪いかはともかく……などと考えているあたり、たとえ悪ではあっても嫌とは感じていないのだろう。

 

「ウマ娘ちゃんたちと同じ空間で息させていただいている感謝を示す方法なんて、あたしにはこれくらいしか。

 いえむしろウマ娘ちゃんたちがきらめく汗を流す練習コースを掃除させていただけるなんてご褒美ですし、女神たちの輝かしい光景の一環を構成していたのだと思うとこのゴミたちですら愛おしく思えますよね!」

「持ち帰って飾ったりしないだけの理性がデジタルにあったこと、今は感謝しておくね」

 

 最低限の理性すらこの個性的な友人に無かった日には、彼女の寮の自室は噂に聞くマチカネフクキタル先輩のような有様になっていたことだろう。それは相部屋の誰かしらが気の毒すぎる。

 

《知ってるか? いちおうあれらってゴミじゃないらしいぜ》

 

 うん、たしかに当人が開運グッズと主張していることは知っているけど。相手の価値観を無理解から否定するのは残酷なことだとも思うけども。

 何か加工しているわけでもないアイスの棒やプリンのカップをゴミと呼ばないのは流石に厳しいと思うんだ。それをゴミ扱いしないのはちょっと日本語と開運グッズの概念に喧嘩売ってる気がする。

 

 そりゃあ面と向かって当人に言うつもりはないけどね。

 私の生活スペースにゴミが押し寄せたら困るけど、そうじゃないなら私の問題ではない。だったらむやみに誰かを傷つけ敵をつくるような真似はすべきでない。マチカネフクキタル先輩の人柄はどちらかといえば好きな方だし。

 

 開運グッズへの極端な執着はきっと自尊感情の欠如と、周囲に向ける評価の高さの裏返し。

 水晶玉を抱えて奇声を上げるネタキャラ扱いされているけど、占いという名のお悩み相談では学園の生徒を相手に一定の成果を上げてもいる。

 たとえ自分は周囲に理解されず尊重されなくても、自身は周囲を理解しようと努め尊重することのできるやさしい人なのだと思う。

 

「おはよう。今日も精が出るわねえ」

 

「あっ……おはよう、ございます」

「おはようございます」

 

 ウォーキングをしていたおばさんとすれ違いざまに挨拶。

 毎朝この時間帯にすれ違う人で、お互いに顔を覚える程度にはなった。もっともデジタルにとってはまだ知らない人扱いみたいで目は泳ぎ声は微妙につっかえる。学園ではウマ娘ちゃんに囲まれていることで常にテンションが高いけども、基本的にデジタルも内向的なオタク気質をしているのだ。

 自分の得意分野では活発だし多弁だが、そうではない分野においては挙動不審。だからこそ好ましい。このゴミ拾いは誰かへのアピールではなく、純粋にデジタルがやりたくてやっているのだとわかるから。

 

《この世界はやさしいよね、本当に》

 

 私たちは環境に恵まれている。いま私がここにいるのは純粋に努力と才能のみの結果であるなどと、口が裂けても言えやしない。多分に偶然と成り行きが含まれるのは自覚するところだ。

 だから報いたいと、そう思うのだ。この幸運はきっと、当たり前のことではないから。

 

 

 

 

 

 河川敷のランニングコース一周目を終えたら、ゴミの入った籠を下ろして本格的に朝の自主練開始だ。

 この時代のこの国においてアスファルトで舗装されていない都会の道はとても貴重だ。だがここ府中近辺ではトレセン学園に通うウマ娘たちのためなのだろう。もちろん全ての道路がそうというわけではないが、生徒が利用できる程度には頻繁に見かける。

 

《アスファルトで舗装されていないのに雑草がぼーぼーとかじゃないもんな。誰かがこまめにメンテナンスしてくれているんだろう。走りやすいったらありゃしないよ》

 

 本当にありがたい。

 趣味のジョギング程度なら問題ないだろうが、私たちトレセン学園の生徒は走る時間も距離も一般人のそれとは比較にならない。

 幼いころの私は理解していなかったが世の中には作用と反作用がある。硬いアスファルトを走ればその反動が脚に、特に関節に負荷が溜まってしまう。

 たとえそれが直接故障には繋がらずとも、人体とは適応するものだ。うっかりすると芝でもダートでもなく『硬いアスファルトを走るのに適した脚』に発達しかねない。

 中央トレセン学園は全力でウマ娘を走らせるための環境づくりに心を砕いており、その背景として国民的娯楽であるトゥインクル・シリーズの人気をことあるごとに実感する。

 

《ぼくらの才能があればごり押しが利くと思っていたけど、ちょっと想定が甘かったかな。『周囲の応援あってこそ』ってスポーツ選手がインタビューで答えるたびに前世(まえ)は耳触りの良いおためごかしだと思っていたもんだが、近隣住民が本当にウマ娘を応援しているってことは十分実感できた。ゴミを捨てるバカよりもゴミを拾う人の方がここはずっと多い。

 環境の差は軽視できない。だからこそ、その環境の差を才能のごり押しでぶち抜いたアプリ版トレーナーのヤバさが際立つわけだが……》

 

 テンちゃんが何やら戦慄している間に朝練の時間は終わった。

 ただでさえ準備運動とゴミ拾いに時間を圧迫されているのに加え、朝食までに拾ったゴミの分別を済ませ身支度を整えて登校の準備をしなくてはならない。まったく、学生の悲しいさだめである。

 

《……社会人よりずっとマシだよ。ごはんだって一日三食誰かが作ってくれるし天国みたいなもんさ……少なくとも授業は自分のためだからな。赤の他人のために下げたくもない頭を下げずに済むし》

 

 脳内でテンちゃんが謎の凹み方をしていた。

 

《いやまあ、下手なサラリーマンよりキミたちの方がよほど稼ぎは大きいし多額の税金も納めているし、大半の社会人よりよほど立派に社会人の務めを果たしちゃいるんだけどね? やっぱり立ち位置的にトゥインクル・シリーズを走るウマ娘は学生だからさあ》

 

 何に対して言い訳してるの?

 

 朝の自主練はこんな具合で、お世辞にも効率がいいとは言えない。だからミーク先輩は誘っていない。

 あの人は今年がシニア二年目。旬の短いレース人生の中で一番脂がのっているといっても過言ではない時期だ。デジタルじゃないけど足を引っ張るような真似はしたくないし、そもそもシニア級とデビュー前のジュニア級では適切なトレーニングメニューのレベルが大きく異なるというのも無視できない。

 ミーク先輩はバクちゃん先輩同様、美浦寮の人なので地理的な要因から朝の短い時間を一緒に行動するのが難しいという問題もある。

 

 ……なんて、言い訳を並べてみたけど。

 

 結局のところ桐生院トレーナーの担当の内、もとからいたミーク先輩と新規参入の私たちとデジタルで微妙に距離があるのが実情である。

 いやね、嫌いとか苦手とかじゃなくて。先輩として敬意はあるし、チームメイトとして慕っているのも嘘じゃないけど。中等部の我々からすると高等部ってそれだけでちょっと近寄りがたいんですよ。

 

《二十歳も過ぎれば中学生も高校生も学生服着ている子供だけど、中高生からしてみれば一年の差がめちゃくちゃ大きいもんな。まあ自分にも覚えがある以上、致し方なし》

 

 テンちゃんもこう言ってくれているので現状に甘んじている。ベストではないのかもしれないが、ベターだとは思いたい。

 放課後のチーム〈パンスペルミア〉で行う練習時だとあまり気にならないんだけどね。バクちゃん先輩がムードメーカーすぎる。

 あのひとの模範的バクシンの前にあらゆるしがらみは破壊されるのだ。

 



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またひとつ重なる一日

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U U U

 

 

 寮で提供される朝食と夕食は、昼のカフェテリアが自由に自分の食べたいものを選べるのに対し、担当の職員さんが作ったメニューが共通で提供される。

 いちおう常識の範囲でおかわりは自由。ただ時期や育成状況によっては担当ウマ娘への食事制限がトレーナーから職員さんたちに通達されていることもあり、その際は悲喜こもごもの修羅場が見られるという噂もあるが、新入生の私たちはいまだお目にかかったことがない。

 できればお目にかかりたくないものである。

 

《にんじんうめー》

 

 彩もよく栄養バランスも考えられていそうな野菜の煮物を一口。

 私たちは表に出ていないときも基本的に五感を共有している。オンオフはある程度任意でつけられるけど。

 表側にいるときにくらべ奥にいるときのそれは透明な毛布を一枚隔てたような曖昧で漠然としたものがあるし、感情そのものはともかく感情で左右される体調は主導権を握ってる側のものが反映されるので、ときとしてひどくチグハグに感じることもある。

 身体は共有しているのに嗜好がわりと違うのは面白い。私は甘いものが好き。テンちゃんはけっこうな辛党だ。

 でも共通事項として二人ともニンジンは大好き。そもそも嫌いなウマ娘ってあまり見たこと無い。生徒会副会長のナリタブライアン先輩が野菜嫌いだって噂を聞いたことがあるくらいだけど、彼女はニンジンもダメなのだろうか。

 

《馬が本当に好きなのは甘味。ニンジンはあくまで飼葉よりも甘いというだけであって、リンゴくらい甘ければ嫌いな馬なんていないって前世では聞いたことあったけど……。

 この世界のニンジンは本当に美味しいよね。フルーツみたいに甘いし、特別な下拵えなしでも丸ごと一本いけるくらい柔らかいし。ウマ娘になって味覚が変化していることを差し引いてもまるで別物だ》

 

 ウマ娘用にニンジンがふんだんに使用された料理を前にテンちゃんが何やらうんちくを語るが、食べるのに忙しいので半分以上聞き流す。

 おしゃべりしながら料理を囲むのが出来る女子のスタンダードらしいが、あいにく幼少期の私には練習する機会が無かった。食事なんだから食べることに集中するのは何も間違っていないはずだ。

 

《おそらくこの国においては米と並んで品種改良を繰り返されてきた野菜だろう。あれ、米は穀物か? まあいいや。海外にいったら海外独自の品種改良が施されたニンジンがあるんだろうなぁ、この世界だし》

 

 テンちゃんはいつか海外にいきたいの?

 少しだけ将来に関わりそうな話題を拾ったので聞き返した。

 

《いきたくない? 凱旋門賞とか。すべてのウマ娘のあこがれじゃん》

 

 うーん、いやあれはどっちかというとURAの悲願っていう気が。

 私もメイクデビューを果たせばURA所属ということになるのだろうけど、それはそれとして押し付けられてもその、困る。天皇賞連覇の使命だの、オークス親子制覇だの、名門特有のしがらみは一般家庭出身の私には縁のないものだ。

 海外旅行どころか旅行そのものにさして魅力を感じない出不精な性分なもので。知らないところって怖いじゃん。

 まあ、オークスはともかく天皇賞はもらっていく予定なのですけども。

 

《そっかー。ぼくは一度この世界を見て回ってみたいな。凱旋門だろうがケンタッキーダービーだろうが、ぼくらはその気になればどこにだっていけるよ》

 

 ふーむ、テンちゃんはそうなんだ。

 面倒だなぁ、パスポートとか語学とか。仮に行くとすれば手続きは桐生院トレーナーに丸投げするとして、とりあえず英語ができれば共通言語にはなるか? でもなぁ、私って海外からの観光客に外国語で話しかけられるとイラッとするタイプなんだよね。日本に来てるんだから日本語話せって。

 自分が腹を立てることを相手にしちゃいけないよね。フランス語と英語は日常会話くらいできるようになっておくべきだろうか。香港あたりも視野に入れるなら中国語も必要か。うーむむ、やる気と時間さえあればできるようになるのが私だが、ただひたすらやる気が出ない。

 

《海外の口座に大量の貯蓄があれば、仮に日本が大不況で銀行が潰れるようなことになってもリスクを分散できるぞ》

 

 ああ、それはちょっと心惹かれるかも。

 中央トレセン学園のブランド力は伊達ではなく、生徒の中には帰国子女や留学生も多い。明らかにアメリカンな雰囲気のタイキシャトル先輩あたりはわかりやすいが、大和撫子然としたグラスワンダー先輩もたしかアメリカ生まれの帰国子女だったはず。

 私にとっては外貨を稼ぐ手段である、なんかデカくて有名なレースってだけの凱旋門賞。でも中には本気で狙ってる子もいるだろうし、そんな子たちはフランス語の勉強から始めているはずだ。現地の資料が読めないなんてお話にならないからね。

 うん、交友関係を広げていって相手の母国語で雑談するような関係を築ければ、将来的には解決する問題だな。各種三冠を狙う現状のプランでは少なくともシニア級までは海外遠征の計画が入る余地はないわけだし、未来の私に期待しよう。デビュー前の私にはちょっとばかし余裕がない。

 

《リシュがそれでいいならぼくだってそれで構わないさ。目の前のことからひとつひとつ片付けていこうか》

 

 

 

 

 

 というわけで朝食を済ませ登校。

 学生の本分である授業中である。何気にクラスメイトだったマヤノがすやすやと教科書の陰で寝息を立てるのを尻目に、しっかりとシャーペンを握って黒板と向き合う。

 他人より多少は頭の出来がいい方だという自負はあるが、さすがに授業をろくに受けず予習復習もせずざっと教科書の概要に目を通しただけで『わかっちゃった』するマヤノには敵わない。

 授業中くらいはしっかり集中しないとね。

 

 ちなみに、これでもマヤノは当初に比べると真面目に授業を受けるようになった方だ。一番ひどいときは八割がたサボっていたのに対し、今では七割はちゃんと起きてはいる。

 ただ、今日の眠気の残る一時間目から数学というカリキュラムには『つまんなーい』ゲージが上限を突破してしまったらしい。

 

 言っておくがマヤノは数学が苦手というわけではない。

 むしろまだ教わってない公式を自分で発見してぱぱっと計算を済ませてしまう程度には秀でている。だからこそ、というべきか。周囲に合わせた授業の進み具合はひどく退屈なものに感じてしまうようだ。

 

 私だっていまさら教科書の上におはじきを置いて数を数える小学生一年生レベルの問題を解かされれば、簡単で快適と感じるよりはうんざりする気持ちが勝るだろう。たぶんマヤノにとって学校のカリキュラムというのは大半がそうなのだ。

 その傍証として眠っている彼女を咎めようと授業中マヤノを当てた教師は数知れないが、提示された問題にいずれもマヤノはあっさり正解している。

 バクちゃん先輩と違い、わからないからぐっすり寝ているわけではないのだ。いやバクちゃん先輩の『教科書が安眠グッズ』はいくらなんでもヤバいと思うよ。

 

《学級委員長は流石すぎるぜぇ。あいつは頭バクシンだからな》

 

 そういえば数学はテンちゃんの得意科目でもあったっけ。

 ごくたまにわからないことがあっても自分の内側に質問できる相手がいるというのは大変に安心材料である。自室で勉強に躓いたとして、仮に私たちが私だけだったとしたら聞ける候補はリトルココンのみ。

 これはちょっと無理だ。考えなくてもわかる。無理だ。

 

《んー。国語算数理科社会の区分のうち、ぼくの知識と完全に合致しているのが算数だけって話なんだけどね。国語は現代文も古文も文法こそ同じだから点数は取れるけど一部の漢字が違うし、教材となるタイトルも詳細が異なる。理科も九割がたは同じなんだけど残りの一割のウマ娘要素がカオスなことになっているし。

 特に社会はヤバい。『馬』がいないせいで文明の発達がわりと根本から異なるくせに奇妙なまでに歴史は相似しているし、なまじ似通っているせいで前とごっちゃになってテストの点数がエライことになる。戦国のフリー素材とはいえこの世界線の織田信長がウマ娘になってるのには変な笑いが出たよ》

 

 脳内で見苦しい言い訳を垂れ流すテンちゃん。

 

《言い訳じゃないんだけどなあ》

 

 小学校のころ自信満々に大嘘を教えられて、テストでひどい点数取ったの忘れてないからね?

 

《それはほんとゴメンって。反省してる》

 

 ん、ならよし。

 基本的にひねくれものであるテンちゃんがあの一件だけは素直に謝ることから、本当に素で間違ったし、それを心底悪いと思っているのだろう。

 実のところ今となっては口で言うほど根に持っているわけではないけども、たぶんテストを返却されたときのあの衝撃は一生忘れられそうもない。

 

 私はテンちゃんのことを信頼しているが、盲信はしない。というかできない。

 その物怖じしない行動力は私には欠けているものだし、兄だか姉だかと思う程度には頼りがいのある存在だとも感じてもいるが、しょせんは私たち(テンプレオリシュ)の片割れ。

 失敗するときは失敗するし、ときどき極端にやらかすのだ。だからこそ対等に仲良くできているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 午前中は一般的な中学、高校と同じ授業。いわゆる一般教養というやつだがここは天下のトレセン学園。

 午後の授業内容はレース座学、ウイニングライブ、スポーツ栄養学、基礎トレーニング等々、レースに関連した項目となる。

 こういう普通科には存在しない授業を受けていると、自分はトゥインクル・シリーズに足を踏み入れたのだという実感がいまさらながら追い付いてくる。

 一般家庭特有の感覚なのか、周囲に同じようなことを感じている子はあまり見当たらないけど。

 

《小テストはレース関連の方が明らかに厳しいよな。再テストや補習の基準とかさ。

 まあ当たり前か。そこらの普通免許で転がせるたいていの乗り物の法定速度を凌駕する速さで走るんだ。ルールを覚えていませんでした、で事故を起こしたんじゃ選手生命どころか生物学的な命に係わる》

 

 まったくテンちゃんの言う通りで、入学前の私含め学園の外から見れば『トレセン学園=レースで走るウマ娘』の構図になるのだろうけど、レース座学のテストで合格点を取らなければ私たち生徒は選抜レースへの登録を許可されない。

 そして最低一回は選抜レースに出走しなければトレーナーと契約を結ぶことはできず、担当トレーナーがいなければトゥインクル・シリーズに出走することもできないのだ。

 つまり中等部一年で既に担当トレーナーがつきメイクデビューを控えている生徒たちは、あのそれなりに分厚いレース座学の教科書を既に丸暗記しているということになる。

 

 私は中央に合格してから入学までの間にスカーレットに急かされてぱぱっと詰め込んだし、真面目な優等生であるスカーレットが既に覚え終わっているのもわからなくもないが。

 あの思春期ファッションヤンキー少女ウオッカ嬢やバクちゃん先輩がテストに合格点というのもギャップがあるだろう。まあからくりは簡単で、単純にあの内容は名門と呼ばれる家に生まれたウマ娘たちにとっては幼少期から教わる一般常識の延長線上にあるものらしい。

 さらっとレース座学の家庭教師(せんせい)に教わりました、なんて当たり前のように言われると上流階級との生活レベルの格差に怯みそうになる。

 

 僻んでいるとか、そういうつもりはないんだけどこう、なんだろう。

 ぬるいと思って手を突っ込んだ湯船が想定外に熱かったみたいな。

 反射的に手を引っ込めそうになって、こう、困る。

 

 

 

 

 

 まあ私がどんな想いを抱いていようとお構いなしに時間は進み、ついにはトレセン学園の象徴的存在、トレーニングのお時間が来る。

 まだ担当のついていないウマ娘たちは教官が複数名のグループごとに管理しているが、担当契約済みの私たちは桐生院トレーナーのもとで指導を受ける時間だ。

 そっとクラスのみんなから離れるときに突き刺さる視線の数々が痛い。この時期はまだ担当が見つかっていない子の方が多いのだけど、これが徐々に嫉妬や羨望だけではなく焦燥交じりのものになるのかと思うと、今から心とか胃とかが痛くなりそうだ。

 

《ふっ、雑魚どもの視線が心地よいな》

 

 うーんわかりあえない。

 まあ半分は怯んだ私をほぐすための冗談だとは思うのだけど、冗談半分でもそんなこと言えるあたり残り半分のテンちゃんの性格の悪さはなかなかのものだろう。

 

「やっとトレーニングの時間だー。今日のトレーナーちゃんはどんなキラキラしたメニューを組んでくれてるかな?」

「……まったく、背中を丸めるのやめなさいよ。情けない」

 

 一緒にクラスから抜け出すマヤノやスカーレットの存在がとても心強い。

 マヤノは周囲の視線なんて歯牙にもかけていない様子。それよりも愛しのトレーナーちゃんと一緒に過ごせる時間をわくわく期待しているように見える。強い。

 スカーレットは周囲の視線のことも私がそれに負い目のような感情を抱いていることも理解しているが、その上で胸を張ることが先を走る者の務めと割り切っている感がある。まあ周囲に慮っていたら彼女の大好きな一番になんてなれないしね。そういう強靭さは昔から密かに尊敬するところだ。

 レースに関しては私が勝ち続けだけどね。

 

「あはは、ごめんごめん。レースともなれば逆に全然気にならなくなるんだけど……こういう日常的な一面で視線が集中するとどうにも、ねえ」

 

 誤魔化すように笑いながら肩を竦める。

 ちなみに今日の基礎トレーニングはクラス合同だったから、本当はウオッカ嬢もこの場にいて然るべきだったりするのだけど。

 絶賛思春期ファッションヤンキーガールであるところの彼女は『こんなんじゃ逆に身体がなまっちまう』なんて言ってフケてしまった。もっとも、そんなこと言っておきながらサボるでもなく彼女がしっかり自主練していることはわりと公然の秘密である。

 

 教官主導の基礎トレーニングは受けておく方が望ましいが、こちらも担当トレーナーからの申請があれば担当トレーナーとのトレーニング時間に充てることができる。

 ウオッカ嬢も既に担当契約を結んだらしいし、その担当トレーナーはあのゴールドシップ先輩を三年間育成し続けたといういろんな意味での凄腕との噂だ。きっとウオッカ嬢にそうと気づかれぬよう手を回しているのではないだろうか。

 『風が俺を呼んでいるんだよ』なんて言っていたし、今日の彼女はきっとエアロバイクでマシントレーニングをしている。ぶおんぶおん、ばりばりーと口で言いながらバイクを漕いでいるところを一度うっかり見てしまったことがあったっけ。

 

《普段はかっこつけたいお年頃でポンコツかわいいのに、決めるところではしっかり決めるイケメンなのずるいよなウオッカ》

 

 そうなの? 私まだウオッカ嬢のポンコツな部分しか見たこと無い気がする。

 おっと、さすがに付き合いの浅い相手にポンコツ呼ばわりは失礼か。思春期爆発くらいの表現にしておこう。

 

 チームの部室に向かう道すがら、スカーレットが足を止める。

 

「じゃ、ここでお別れね。アタシはスポーツジムに寄ってあのバ鹿を拾ってから行くわ」

「そっかー。じゃあねー」

「ばいばーい」

 

 手を振るマヤノ。大人っぽくなりたいといつも言っているけど、そういう仕草が幼く見られる要因だと思うぞ。

 そういえばスカーレットもウオッカ嬢と同じトレーナーと担当契約を交わしたのだったか。

 桐生院トレーナーの同期、つまり今年でトレーナー歴四年目というまだまだ新人と中堅の境目の人材と聞いたのだけど、私たちの世代の中で指折りの逸材であるスカーレットとウオッカ嬢をまとめてスカウトに成功するあたりかなりのやり手だろう。

 初代URAファイナルズ長距離部門優勝の担当は伊達ではないということか。あるいは()()ゴールドシップ先輩に三年間付随し続けた実績は伊達ではないということなのか。

 

「ええ、じゃあね」

 

 目は口程に物を言う、とはこのことか。

 別にスカーレットは表情ですごんだわけでもないし、声色が昂ったわけでもなかった。ただその眼差しが、灼けるように熱くて。

 

 このチームで力をつけて、絶対にアンタに追いついてみせる。

 

 そう声にならない声で宣言された気がした。

 周囲にアピールするためではない、己の中に秘めた灼熱。だからこそ、無為にしてはいけないものだ。

 私の背中は追われるに値するものなのだろうか。

 それはわからないし、仮に値しないならどうこうと、行動を改めるほど私は生真面目でもないけど。

 少なくともスカーレットは私の背中を追っている。それは忘れてはいけないことなのだろう。彼女と同じ時間をこれまで過ごしてきた、ひとりのウマ娘として。

 

「スカーレットちゃんはリシュちゃんに夢中なんだね。ひゅーひゅー」

「あ、うん。そうだね」

 

 スカーレットの背中が見えなくなってからマヤノがはやし立ててくる。上手い切り返しが思いつかなかったので曖昧に相槌を打っておいた。

 

 スカーレットのところもアオハル杯に参加するためのチームを編成中らしいが、なかなかメンバーが集まらず難航していると聞いた。まだチームの名前さえ正確には決まっていないのでいちいち『スカーレットのところ』とか『ゴールドシップ先輩がリーダーのチーム』とか呼ばないといけないのが何気に面倒くさい。

 

 でもまあ、そりゃあ仕方が無いよなあ。諦観混じりの納得がある。

 だってリーダーがゴールドシップ先輩で、現在の確定メンバーがウオッカ嬢とスカーレットという世代を代表する天才だろう?

 ウマ娘なら誰だって担当には一番に見てほしいと考えるものだ。

 うん、私はちょっと例外かもしれないけど。何なら桐生院トレーナーの手を取ったときはトゥインクル・シリーズ出走チケットになるなら誰でもよかったくらいだけどそれはともかく。

 スカーレットを始めとしたチームメンバーの綺羅星のごとき才能を思えば、二着争いどころかトップスリーが既に確定しているようなものだ。いくらトレーナーの実績が秀でていようと、四着争いをするためにチームに参加申請を出すのは覚悟がいるというもの。

 

 他の担当とチーフトレーナーとサブトレーナーの関係になってアオハル杯チームを結成するのも現状だと難しいそうだ。

 何しろ繰り返すようだがウオッカ嬢とスカーレットは歴史に蹄跡を残しかねない将来の優駿、ひとつの世代の双璧。

 単独でかっさらった形となるゴルシ担当トレーナーは一部のトレーナーたちからひどく恨みを買っている。

 私? 私はほら、うん、桐生院トレーナーはバックに名門桐生院がありますから?

 なんか誰も取ろうとしていなかった地雷案件をひとのいい桐生院トレーナーが引き受けてくれたように見えたのはきっと気のせい。

 

《引き受けてくれた桐生院にはぜひとも恩返しをしないとねー》

 

 ともあれ、もともと名門の出身でもないのにゴールドシップ先輩という極めて癖ウマだが走りさえすれば勝てると言わしめた珠玉の天才を手中に収め、『最初の三年間』で新設の大型レースURAファイナルズで優勝を果たすというこの上ない成果を出したことで火種はあったらしい。

 ゴールドシップ先輩の担当トレーナーはそれなりに交流関係が広い方ではあるそうなのだが、こういうのは味方がいればそれで解決するというものでもなく。桐生院トレーナーでさえどちらの敵にもまわらず、破局を表面化させぬよう緩衝材の役割を果たすのが精いっぱいだとか何とか。

 あくまで学生の耳に届く噂レベルの話でしかないのだが、困ったことに信憑性はある。あまり交流関係の広くない私でさえ状況証拠になりそうなものを二、三個知ってるくらいだ。

 

 それこそ出走登録締め切りギリギリになって、まだチームに参加できていない尻に火のついたトレーナーとウマ娘たちがいやいや流れ込むような形でなければ結成には至らないのではないだろうかという嫌な予感がする。

 

《……〈HOP CHEERS〉……〈ハレノヒ・ランナーズ〉に〈にんじんぷりん〉……そして〈ブルームス〉……既にすべてが出走登録済みで並列して存在しているのが判断を迷わせるところだが……》

 

 心配だ、本当に。そんなことになったら必然的にアオハル杯は最下位から。一番が大好きなスカーレットが崖っぷちからスタートなんて発狂するんじゃなかろうか。

 

《ゴルシT……『最初の三年間』で初代URAファイナルズ優勝……決勝戦でミークに競り勝って……そしてアオハル杯では九月後半のギリギリに届け出を出して最下位からのスタート……やだなぁ、リーチかかってるじゃん》

 

 一方のテンちゃんはなんか私とは全然違うところで嫌な予感に駆られ何かを心配していた。なあに、また例のふんわり予言?

 

《まあね。これでダスカのチーム名が〈キャロッツ〉になったらたぶんビンゴだ。その三年間は修羅の道になることを覚悟しておいた方がいいぞ。ぶっちゃけるとちょっと同時期には走りたくないチームなので……》

 

 ふうん、怖いね?

 もともとトゥインクル・シリーズにおいて三冠を目指すのはいばらの道だし、スカーレットはただの大言壮語で終わるような子じゃない。

 まだレースにおいて敗北の味を知らない私たちだけど、敗北を教えてくれるのならそれは彼女であるべきだ。

 

《うーん、やっぱり精神的にはリシュの方が強靭だよな》

 

 まあね。もっとも、負ける気はさらさら無いけど。

 世代の双璧が彼女たちなら、頂点はこの私たち(テンプレオリシュ)だ。

 

《併走トレーニングでは差し切られたり追い付けなかったりすることもあるけどねえ。案外あっさり他のウマ娘に負けたらどうする?》

 

 まあ、そのときはそのとき。

 巡り合わせと思って私は諦めるから、スカーレットにも諦めてもらおう。

 

「マヤも負けないように気合い入れないとね!」

 

 隣で気炎を上げるマヤノだって世代を代表する優駿になりうる逸材。スカーレットばかり見ているわけにもいかないのだから。

 

 

 

 

 

《ソウルがたかまるぅ、あふれるぅ》

 

 はい、〈パンスペルミア〉合同トレーニング中です。

 千年に一度現れる伝説の超某戦闘民族な宇宙の悪魔みたいなこと言ってるテンちゃん。みんなでトレーニングしていると時々こんな状態になる。ふざけているのは確かだが、実はふざけているだけではなく私も妙な力の高まりを感じる。

 トレーニングで実力が伸びるのはある種当然のことだけど、微々たる差ではあるがこなしているメニュー以上に実力が伸びている気がするというか。

 

《アオハルトレーニングっていったい何なんだろうと思っていたけど、あれってウマソウルの共鳴現象だったんだな。特殊な環境でライバルと切磋琢磨することによって肉体のみならずウマソウルの容量そのものが引き上げられていたのか》

 

 道理に合わないことを何でもかんでもウマソウルのせいにするのはよくないと思う。

 

「不思議だねー。なんだかリシュちゃんと一緒にトレーニングしているといつもよりちょっぴり多めに強くなれる気がするよ」

「おおっ、私も同じことを感じておりました! これも学級委員長の効果でしょうか!?」

 

「……それは関係ないと、思います」

「ちょわ!?」

 

 ただ、私だけではなくマヤノを始めとした皆が似たような感想を抱いてるあたり気のせいではないようだ。

 

《アオハルトレーニング時の共鳴パターンと各人のウマソウルの波長は把握できたし、ある程度意図的にアオハルトレーニングを発生させられるようになってきたよ》

 

 ふぅん? それって強くなれるの?

 

《チートだー、ずーるーいーよーって他のプレイヤーが地団駄踏むくらいにはね。ゲームだったころと違ってどんな副作用があるか未知数だから段階的に進めていくことになるけど……六月までには()()()のアオハル魂爆発までもっていけそうだ》

 

 相変わらず何を言っているのか把握しきれないところがあるけど、テンちゃんも内側でいろいろやっているようだ。

 おふざけが許されるところと許されないところの境界線が意外としっかりしているんだよな、我が半身は。言動こそ軽いが、今回は真面目なパターンだ。

 それはデジタルも同じ。さっきまで『聖地巡礼』と内側と外側でぴったり声を合わせて今トレーニングしているこの森林を拝んでいた二人とは思えないほど真剣に練習に打ち込んでいる。

 

《だってあの森林だよ? 学園の敷地内に森林浴ができる規模の森があるって冷静に考えればバグっているけどあの桐生院の身体能力の優秀さが明らかになったサポカイベント一回目の舞台だよ? SR桐生院にはさんざんお世話になったから拝みたくなるというもの》

「だって同志! 『最初の三年間』のミークさんはここで桐生院トレーナーに特別メニューを与えられて成長したんですよ? いわばここは伝説が生まれた土地、万能なる白き女神の力のみなもとが秘められた霊地です! 磨かずにはいられませんよ!!」

 

 ごめんね二人とも。せっかく日本語で話してくれているところ悪いんだけど半分もわからないや。

 まあ学園の敷地内に森があるのがおかしいというのには同意する。URAの財力あらためてやべえよね。

 

「ウマ娘ちゃんたちと空間を共有している。それこそがかけがえのない奇跡! ならば能力の上昇なんて恩恵も当然発生しましょう。そんな些事に気を取られてトレーニングを疎かにするなんてありえないのです。あたし、もう一周走ってきますね!」

 

 今のデジタルは普段の境界線がふにゃふにゃした口ではなく、きっと引き締まった真剣な表情をしている。大きな赤いリボンも相まってまるでアイドルのような美少女ぶりだ。目がちょっとばかしイっちゃってる感はあるが。

 チームメンバーはみな不真面目からは程遠い練習熱心な子ばかりなのだけど、その中でも単純な熱量で言えばあのバクちゃん先輩を差し置いてデジタルがトップだろう。

 例えるならバクちゃん先輩は手を抜くなんて頭の片隅にも浮かばない全力全開バクシン学級委員長だが、全力を出し終えたらダウンするからっとした気質。対し、デジタルは自身の限界以上で常に『萌え』続ける粘着質な炎だ。ちょっと自分でも何言ってるのかわかんなくなってきた。

 

「負けませんよー、バクシンバクシーン!」

「……むう」

「マヤちゃんテイクオーフ!」

 

 デジタルの熱意にさっきまでバテバテだったバクちゃん先輩がハーハッハッハと高笑いしながら続き、ぼーっとした雰囲気の中たしかに瞳に炎を灯したミーク先輩がそれを追う。さらにマヤノが追走していったのを見て、私も遅れないように走り出した。

 たしかにアオハル魂なんてオカルト、些末なことかもしれない。腐葉土のやわらかい感触を足の裏で感じながらそう思った。

 

 こうして、私たちの何気ない一日がまたひとつ重なっていく。

 

 



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千里の道の道標

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U U U

 

 

 スピード、パワー、スタミナの三本の柱を重点的に鍛えるトレーナーが多い中、桐生院トレーナーは根性といった精神的なものや、賢さなどの幅広い要素をバランスよく伸ばすことを重視したメニューを組む。

 それは特化型に比べ器用貧乏になりかねないリスクをはらむが、反面すべてを高次元に伸ばすことができれば付け入る隙のない絶対的強者となりうる。

 

《シニア二年目で現時点のミークのステータスが見た感じ、ざっとオールB~B+。これが全盛期に入ってA~A+になるのだとすれば、アプリ版でのURAファイナルズは戦うのが早すぎたか遅すぎただけだったのかもしれないね》

 

 それにバランスよく鍛えると言うことはつまり負荷が偏らないということであり、故障に繋がりにくい。

 なんでもできるし、なんでもやりたい、なにより最後まで健康のまま走り抜けたい私の目的に実に合っていると言えるだろう。

 

 ちなみに、桐生院トレーナーとある意味で対極にあるのが彼女の同期、スカーレットとウオッカという世代の双璧のスカウトに成功したという新進気鋭の某トレーナーだ。

 通称ゴルシT。もちろん本名はちゃんと存在しているはずなのだが、ゴールドシップ先輩と一緒に『最初の三年間』で歴史に名を刻む数々の偉業(および学園史に残る奇行)を成し遂げたのが印象的過ぎて誰も憶えていない。学園内どころか外部でさえゴルシTで通じるほどだ。

 そんな彼のメニューは破天荒にして大胆。高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応している。

 

《それはなんかダメそうだ。従軍した三分の二が未帰還になりそう》

 

 なにそれ?

 

 中央のトレーナーなら一度は身に覚えがあるという『そのとき、ふとひらめいた!』。

 日常の何気ない出来事を担当育成のトレーニングに繋げる。そのトレーニングは通常のものと違い長期的な活用こそできないが、短期的にはより大きな効果を見込めるそうだ。

 いやどんなだよ。中央のトレーナーは変態しかいないのか。

 とはいえ、一応そんなものを思いつくのはトレーナー人生の中で数えるほどらしい。天啓と呼ばれることもあるほどに、ひらめきはそう簡単に起こるものではない。普通なら。

 

 ゴルシTは半月に一度のスパンで天啓を得る。

 彼のトレーニングはひらめきで満ちている。

 

 それが飽き性のゴールドシップ先輩に三年間みっちりトレーニングを行わせ、それによって結ばれた強固な信頼関係が歴史に残る偉業に繋がったのだ……とこの前『月刊トゥインクル』で特集やってた。

 

《この世界線にも乙名史さんいるんだなーってあれ読んだときには思ったよ》

 

 まあしょせんは雑誌だし話半分に聞くのが正解なのだろうが、テンちゃんが言うにはあの記者は信頼できるそうだ。

 だとすれば恐ろしい話である。いったいどれだけの時間、ウマ娘のことを考えているというのか。ドン引き、いや畏怖の念を抱かずにはいられない。

 

《もはや『日に数度、心が「ウマ娘」から離れます』ってレベルじゃないかな》

 

 彼が中央のトレーナーからさえも敬意と畏怖を向けられているという噂、まんざらデタラメでもないのかもしれない。

 天才は私だけじゃない。

 優秀なウマ娘がいれば、優秀なトレーナーもいる。その全員が死に物狂いで上を目指す、そんな魔窟が中央トレセン学園だ。

 せっかく好スタートを切ったとはいえ油断は禁物。なので今日も私は手を抜かず、青春の汗を流すのであった。

 

 

U U U

 

 

「ねえねえ、リシュちゃんの足音の出ない走り方ってどうやってるの?」

 

 そんなある日の〈パンスペルミア〉合同トレーニング終わり。

 クールダウンも済ませ、呼吸も整ってさてシャワーでも浴びようかというタイミングでマヤノにそう聞かれた。

 

「おおっ、私もそれ気になっておりました! あの技術はいかにして生まれ、どのように磨かれたのでしょう。是非ともお聞かせ願えますか!?」

 

 バクちゃん先輩も素早くそれに乗ってくる。

 トレセン学園の校則には『廊下は静かに走るべし』なんてわけのわからないものがある。学級委員長としてのスキルアップに繋がるとか、そんなことをバクシン的に考えているのかな。

 

 デジタルとミーク先輩は大人しいが、注意がこちらに向けられているのは感じる。特にデジタルの耳は口以上にものを言っている。

 

「えーっと……」

 

 どうしよう。けっこう悩ましい。別に秘密とか話したくないとかそういうのじゃないんだけど。

 中央の生徒はその九割が良家のお嬢様だ。幼いころの習い事は流鏑で、なんてことを共通の話題にして盛り上がれるハイソな方々だ。

 

《明確に生活が苦しい描写があるのってアイネスフウジンとタマモクロスくらい? あと庶民っぽいのはスぺとオグリか。カワカミも駄菓子屋にいっている描写があったっけ? それでもブラッドスポーツと言われるだけあって良家のお嬢様が多いこと多いこと》

 

 自分の家が貧乏だったとは思わないけど、この技術の発祥は我が家のお財布事情がおおいにかかわっている。平民の苦労自慢というか、貧乏自慢というか、そんな風に聞こえなくもない何かを聞かせてしまっていいものだろうか。

 

《いいんじゃね別に? これが酒の席で上司が部下に語り始めるなら下手すりゃこのご時世パワハラ認定だけど、あっちから聞いてきたし、相手こっちと同い年か年上ばかりだし》

 

 じゃあいっか。相棒のゴーサインに迷いは消えた。そこまで深いこだわりがあることでもなし。

 

「そうですねぇ、どこから説明するべきか。うーん、あえて最初から、順を追って話すのならば――」

 

 

 

 

 

 きっかけはちびっこ運動会でスカーレット(予定)をぶっちぎった一件だった。

 

 その頃はまだコミュ障を今ほど拗らせていなくて、今となっては顔も思い出せないがたしか友達がいた。

 その子たちは名門のスカーレット(予定)に勝った平民ウマ娘にすごいすごいと喜んでくれて、親にも友達にもほめそやされたその平民ウマ娘は調子に乗った。

 

――リシュちゃんならトゥインクル・シリーズで走れるんじゃない?

 

 言ったのは誰だったか。

 その友達の誰かかもしれないし、両親のどちらかかもしれない。はたまた私自身が言い出したなんて可能性もある。

 とにかく、当時の私はまだ純粋無垢で、振り返れば目を覆いたくなるほど怖いもの知らずだった。だからそのキラキラした言葉に乗ってしまったのだ。

 

 わかった。トゥインクル・シリーズを目指そう。あのレースで走って、夢の舞台でセンターを踊るんだ。

 

 生まれたときから使命を背負って走るメジロなどの名門ウマ娘が聞けば怒るのか、呆れるのか。

 あるいは微笑ましいと笑ってくれるなら幸いだけど、そんな風に軽いノリで幼き日のテンプレオリシュの夢は決まった。

 

 そして、その日から私の生活は少しずつ変わっていった。

 

 それまでも趣味で走ってはいたけど、夢を決めたその日からそれは明確に身体づくりのトレーニングになった。

 本格化という不思議要素があるウマ娘と一概に比較できるわけじゃないが、ヒトミミでいうなら成長線が閉じるどころか第二次成長期もまだ来ていないような年頃だったし、マシントレーニングのようなものは一切なし。本当にゆっくり基礎を積み重ねるような身体づくり用のメニューだった、けれども。

 

 私の身体は当時の私が把握していた以上にずっとずっと規格外だったのだ。

 

 テンちゃんの言うとおりにトレーニングを積み重ねて。

 何だかんだ身体を動かすのは嫌いじゃなかったし、鍛えれば鍛えるだけ成果が出るのは楽しかった。テンちゃんも乗せるのが上手かった。すべてが順風満帆に思えた。

 

 音を上げたのは靴と蹄鉄だった。

 

 ウマ娘用モデルとはいえ所詮は大量生産品の運動靴。私のトレーニングについていけず、あっという間にボロボロになってしまった。

 このままでは怪我が怖いからと両親の勧めで競技用モデルに変えて。

 でも競技用ってひとつひとつがお安くないくせに専門的というか、用途によって細かく仕様が分かれているのよね。

 短距離、マイル、中距離、長距離、そしてダート。公道用モデルに加え、トレーニングの種類に合わせてそれぞれ必要になった。

 シューズ一足の値段にびびっている私の前で、両親はぽんぽん全種類を買い物かごに放り込んでいくんだもん。めっちゃ焦るってもんだ。

 

――今はまだ、どのレースに出たいのか決まっていないんだろう? せっかくそれだけ幅広い適性を三女神さまからいただいたんだ。今はできることをできる限り伸ばしておきなさい。なぁに、それだけの稼ぎはあるさ。

 

 両親は遠慮するなと笑った。

 デザインが気に入ったなんて嘘をついてより安いメーカーのものに変更しようとしたが無駄だった。安全にかかわることだからと、しっかり品質が保証されたお値段それなりのものを買い揃えてくれた。

 

《勝負服というワイルドカードが身近に存在しているからつい失念しそうになるけど、いくらウマ娘とはいえ年がら年中物理法則を超越しているってわけじゃないんだよな。

 むしろゲームの頃から多種多様なシューズ自体は存在していたし、何ならアイテム欄の詳細からフレーバーテキストを拝むこともできる》

 

 シューズは消耗品。

 それはもはやレース関係者の間では共通認識と言ってよい。トゥインクル・シリーズのレースだって優勝の副賞でスポンサーからそのレースの距離に合わせたハイエンドモデルのシューズが贈られるくらいだ。

 

《今明かされる優勝賞品で距離に対応したシューズが獲得できる理由。レベルアップ時のあのコストって処理優先で簡略化されてるけどそれだけの量シューズを履き潰したってことなのかなあ》

 

 テンちゃんは相変わらず明後日の方向から電波を受信している。

 まあ私はそれなりの量、お安くないシューズを履き潰すことになった。その日のメニューによってシューズを使い分けていたから、損耗自体は分散されて緩やかだったことは不幸中の幸いだろうか。

 トレーニングに合わせて食べる量も増えた。個人差はあるが平均的にウマ娘はヒトミミより多く食べるとされている。私も例外ではない。一般家庭では無視できない程度に食費が上がった。

 

 以前に語ったことがあっただろうか。

 私の母親はパートタイマー。小さい頃は専業主婦だったが、昨今の不況の波には勝てず私が小学生の頃に近所のスーパーでレジ打ちを始めたのだと。

 たしかに不景気な話だろう。父親の稼ぎだけでは一人娘の養育費を賄いきれなくなったのだから。でも、より直接的な原因は私が走り始めたことだった。

 

 お金があるから幸せとは限らない。お金がないから不幸だと決めつけることもできない。

 ただ、お金がなかったせいで変わってしまうものがある。お金が足りなかったから変えざるを得ないことがある。

 幼心に刻まれた人類社会の厳しさだ。たぶんこれが、私が賞金にこだわるルーツのひとつだろう。

 

 幼い子供にとって家庭とは世界そのものである。

 私のために母が働かなくてはいけなくなった。私の行いの結果、誰もいない家に鍵を持って帰宅しなくてはならなくなった。私のせいで。

 それはまさに幼い私にとって世界の崩壊だった。テンちゃんがいたから独りになることはなかったけど、それでもおかえりと言ってくれていた母がいない家に帰るのはとても寂しかった。

 

 なにかしなくては。

 具体的になにがどうこう、ではなく。臓腑を指でかき回されるような気持ち悪さから逃れるためにそう考えた。あの感覚を焦燥と呼ぶのだろうか。ある程度知識がついた今となってもよくわからない。

 

 食べる量を減らそうかと考えた。

 テンちゃんに止められた。

 

 いっそ裸足で走ってみようかと思った。

 テンちゃんに叱られた。

 

 考えて考えて考えて考えて。ろくでもないアイディアは実行までにテンちゃんのインターセプトが入るから考えるだけ考えて。

 考えすぎてよくわからなくなって、ついに幼き日の私の頭は明後日の方向に思考を向け始めた。

 

 そもそも、どうしてシューズと蹄鉄がダメになるのだろう、と。

 

 幼き日の私は無知で無邪気で、そして無鉄砲だった。物理の法則も作用反作用も知らなかったのだ。

 だからこんな結論に至った。

 無駄があるからだと。脚力を十全に推進力に変換できていないから、そのロスがシューズや蹄鉄を痛めつけているのだと。

 ここまで明確に言語化できていたわけではないが、そう思いついてしまえば目指すべき境地は単純明快だった。

 脚力の運動エネルギー変換率を100%にすればいい。そうすればシューズや蹄鉄のダメージとして発生していたロスは無くなり、壊れなくなるはずだ。

 

《本当にできるようになるとはさすがに思っていなかったよ。でも、何でもかんでもダメダメ言っていたら、ただ自分を否定されていると判断して結局何も聞いてくれなくなりそうだと思ったから。

 一番危険が無さそうな案をとりあえず許可したんだよね。もし怪我しそうになればそこで改めて誘導すればいいし》

 

 そんな思惑がありつつもテンちゃんの許可が下りたため、その日から私の少しでも家計の負担を減らそう大作戦は始まった。

 正直、少年漫画のような特訓をしていたスカーレット(予定)を笑えない。思い返すだけで顔から火が出そうだ。少なくとも知恵のついた今の私ならやろうとは思わない。

 

 ……でも私。目標があって、努力する時間が確保できて、そして努力して結局できるようにならなかったことって、あんまり無いんだよね。このときも例外ではなかった。

 

 路面をとにかく観察した。些細な凹凸も見逃さず適切な位置に、適切な角度で蹄鉄を下ろせるように。

 振り下ろす脚に細心の注意を払うようになった。しっかり地面を捉え、それでいて無駄なく力を籠め、押し込め、適切に蹴りつけることを心がけた。

 最初は煩わしくて走りにくいことこの上なかったが、雨の日も雪の日も続けていればいずれは慣れるというもの。意識せずに繰り返せるようになってくる。

 

 気づけば少しずつ私の脚からは音が消え、力みが消え、するすると流れるように走れるようになっていた。

 目論み通りにシューズと蹄鉄の損耗はぐっと緩やかになったし、副産物でスタミナの消耗も減った気がする。

 スカウト待ちの模擬レースでは我ながらそこそこ頭の悪いローテで走ったものだが、特に疲労に足をとられることもなく全て走りきったのはこの走法の恩恵が無関係ということはないだろう。

 

 今では足音が完全に無いとは言わないが、周囲のバ蹄の轟きにまぎれて消えてしまう程度のささやかなものだ。他のことに気を取られていれば接近に気づかれないこともままある。

 

《ある意味、史実馬だったころの無いぼくらのアドバンテージなのかもな。ウマソウルは多かれ少なかれ史実馬のエピソードに引っ張られる。足音を立てずに走るなんてエピソードを持った馬なんていない。

 でもぼくらには史実が無い。ウマソウルの不思議パワーをフリーハンドで使えるんだ。勝負服の足首をガチガチに固めたブーツで運動靴より速く走るのに比べたら、運動エネルギーのロスを無くすことくらい些細なものだろうさ》

 

 テンちゃんはいつも言ってくれるね。

 私は何にだってなれる。どこにだっていけるって。いつも励まされているよ。それが無ければもしかすると、本当に中央トレセン学園なんて目指そうと思わなかったかもしれない。

 

 地元では走れば走るほどに、私の周囲からは人が減っていった。

 

 ついていけない。おかしい。周囲に合わせなよ、と口々に雑音をこぼして。それが私の耳に雑音としてしか届いていないことを知ると、距離が開いていく。

 痛くないわけじゃなかった。

 けど、私らしさを歪めてまで周囲に合わせるには、友達というものの価値は私にとってそこまで大きいものではなかった。

 私にはテンちゃんがいて、テンちゃんには私がいる。ふたりでひとつのテンプレオリシュというウマ娘。私たちは一人になっても独りになることはあり得ない。

 孤独の寒さを恐れる必要がない私にとって、相対的に交流の重要性は薄弱になる。無理してまで誰かと仲良くしようとしなければ、周囲に誰もいなくなってしまうのは私がおかしいのだろうか。

 残ったのはスカーレットくらいだ。だから彼女は特別。

 でも、仲良くしようと心を砕いていない相手を友達と呼んでいいものか悩むので、腐れ縁だとか幼馴染だとかそういう言葉で表現してしまう。

 

 いや、そういえば周囲に誰もいなかったわけじゃないか。

 付き合いがあったのは私じゃなくてテンちゃんの方だったけど。

 友達でもないし。舎弟? パシリ? なんかそーゆーやつ。クラスメイトの男子という関係性だったものの成れの果て。

 

《うん、なんかゴメン。ノリでやっていたら思ったよりデカい規模になっちゃってさー》

 

 テンちゃんは謝ってくるけど、別に怒ってないよ。

 私たちは異常者だ。それは自虐とか、自分を特別視したいこのお年頃によくある病気とかじゃなくて、客観的な事実。

 みんなのウマソウルは喋らない。

 私は世間一般でいうところの二重人格に分類される。そしてその事実をまるで悪いことのように、こそこそ隠して背中を丸めて生きていこうとも思っていない。

 あるがままに生きていたい。とはいえ声高に主張するつもりも無いけどね。承認欲求も自己肯定感もいまのところは足りている。

 

 子供というのは無邪気だが同時に悪意に塗れている。おふざけという名前で始まったものは容易くエスカレートする。

 テンちゃんはいじめの芽、になる前の種の段階で摘んでいただけ。

 護られていたのだということは理解している。文句を言うことなどあろうはずもない。

 

 まあ実際はこうして中央に食い込み、デビューが内定した状態でチームメイトと雑談をしているのだけど。

 テンちゃんがいなければきっと私は今の私そのもののスペックがあったとしても、きっと今ここにはいなかったんだろうなと思う。

 

 

 

 

 

「――と、そんなわけで私の走法からは音が消えたわけです。参考になりましたか?」

 

「なるほどっ! 必要から生まれた修練の成果だったのですね!! リシュさんがご家族に向ける親愛の情に私は敬意を表しましょう!」

「……どんな精度の観察眼と身体コントロールがあればできるのかな? マヤ、『わかりたくなーい』って思ったのは初めてかも」

 

 素直に感心してニコニコしてくれるバクちゃん先輩と、つつーと冷や汗がつたうマヤノが実に対照的だ。

 うん、マヤノの気持ちは実によくわかる。

 私だってできるようになり、それに慣れた今となってはどうってことないけど、実のところどんな理屈でそれができているのかはサッパリだもの。なんとなくできているから出来ている。それに尽きる。

 まあ貧乏自慢っぽくなってしまったが、自分でも理屈がよくわからん走り方の方はともかく過去エピソードの方に引いている様子はない。それだけで一安心だ。

 

「是非ともっ、私にもその技術を伝授いただきたいものです! 廊下を静かに走れるようになった暁には学級委員長としてさらなる高みに到達できるでしょうっ! 何かコツはありますでしょうか!?」

「えーっと、そうですねぇ」

 

 ぐいぐい詰めてくるバクちゃん先輩。そのポジティブは素直に賞賛に値する。

 とはいえ困った。やってる本人からしてひどく感覚的なもので、理屈のカタマリであるところのコツの伝授などできようはずもない。

 だが、それでも強いて言うのなら。

 

「コースを『線』ではなく『点』で捉えることでしょうか?」

「ほほう、その心はっ!?」

「たまに聞くでしょう? 『レースの最中、走るべきコース取りが輝く一本の線で浮かび上がって見えた』と。あの延長線上です」

 

 暗闇の中で、灯篭が行き先を導くように。

 コースに蹄鉄の跡が浮かび上がる。かつて誰かが走った痕跡ではなく、これから自分が切り開くべき道を標すものとして。

 

「蹄鉄で踏むべきポイントが鮮やかに『点』で見える。そのくらいの精度は必要だと思います」

 

 厳密にはそこがスタートライン。

 地面を見ながら走っても速度は出ないし、バ群でそもそも地面の様子が見えないことも、他者に踏まれて一秒前とは地面の具合が変化することも往々にして存在する。臨機応変な対応は必須。

 見えたところでそこを的確に踏み抜かねばならないし、角度と力加減の調整もなかなかに苦労する要素だ。私はもう慣れてしまったので無意識かつ直感的にすべてこなせるが。

 

「なるほどっ、ありがとうございます! あとは実践あるのみですね!! バクシーン!」

 

 バクちゃん先輩は言うが早いか走り出してしまった。ズドドドドドッ、と足音を響かせて。

 あの前向きさとチャレンジ精神は本当に嫌味抜きで尊敬すべき彼女の美点だと思う。見習いたいか、というとちょっと言葉に詰まるが。

 それに意識したわけではないのだろうが、私の過去話で場に漂いかけていたわずかな黒いモヤモヤ。それが完全に換気され消え去ってしまった。

 得難い人で、尊敬すべき先輩だ。

 

「あー……あはは、さすがバクシンオーさん」

「うん、さすがだ」

 

 何となくマヤノと顔を見合わせ、二人で軽い苦笑を浮かべた。ちなみにデジタルはどこかのタイミングで尊死していたから静かなものだ。

 

「……いっちゃい、ましたね」

 

 開きっぱなしだった部室のドアをミーク先輩が冷静に閉める。もうクールダウンも終わってたんだけどなー。

 次のスケジュールどうするんだろう? バクちゃん先輩のトレーナーさん。

 後輩として慕う分には十分すぎるお人だが、それはそれとして担当トレーナーの苦労がしのばれる。

 

 

 

 

 

 ちなみに余談だが。

 

「みてみてリシュちゃん。できたー!」

 

 後日、マヤノがある程度形になった『足音の無い走り』を見せに来た。

 この天才め。

 

 



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刃を求めて牙を研ぐ

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U U U

 

 

 仲間との切磋琢磨が楽しい今日この頃です。

 マヤノが私の走法を不完全ながら模倣したことは、やや大げさな表現になるが私たちの意識に革新をもたらした。

 

《へぇ、てっきりぼくらにしか再現不可能なゆで理論だと思っていたけど……。一度スキルとして確立してしまえば習得が可能なのか? これはちょっと調べてみたいな》

 

 無意識の傲りを打ち砕いてもらったというか、好奇心がそそられたというか。

 中央に来てよかった。

 ひとまとめにすると、そんな言葉にしかならないけど。

 地方で走っているときに得られなかったものであることだけは確かだ。

 

 ひとまずテンちゃんがこの走法に名前が無いと話すときに不便だということで、スキル【灯篭流し】という名がつけられた。

 コースに足跡(ポイント)が浮かび上がる光景を、夜の川に流れる灯篭に見立てたんだとか。代案があるわけでもなかったし、呼称がなきゃ不便だというのにも同意だったのでそのまま流したが、センスがわりと恥ずかしいぞ。

 いちおう私、思春期の女の子だからね?

 

 まあ、マヤノのそれも完全に模倣できたわけではない。

 あくまで『ある程度形になった』だけだ。

 

「ううー、頭がくらくらするよー」

 

 およそ三秒。

 実用性を考えたとき、それが現状マヤノの模倣できる制限時間。

 

「つまんない数学の宿題を何時間もやり続けたときみたいー」

 

 人間の頭部は体重の一割程度だが、酸素の消費量は二割を超えると言われている。

 ウマ娘とヒトミミを一緒くたに考えることはできないが、要するに脳というのはそれほど大食いの器官なのだ。

 走ることに不慣れなウマ娘はそもそもレースの距離を完走できない。酸欠でひっくり返ってしまう。それが身体の設計上可能だということと、実行できるかというのは完全に別物であり、そしてウマ娘はレースでは短距離に分類される1200mだろうと最初から最後まで文字通りの全力疾走できる生物ではない。

 有酸素運動と無酸素運動のバランス。息をいれる、脚をためる、逆にスパートをかける。どれも覚えないとできない技術である(たまに例外(バケモノ)もいる)。レース中の呼吸は重要な要素であり、鼻血がヒトミミに比べずっと致命的な症状とされる所以である。走行中に酸欠で転倒したら洒落にならないからね。

 

 つまり、演算能力をフル活用する【灯篭流し】は取り込んだ酸素を大量に消費してしまう技術であり、考えなしに多用できるものではなかったのだ。

 とはいえ長距離レースでも三分程度で終わる世界。バ群をすり抜けたり、コーナーを理想的なコース取りで走り抜けたり、あるいは足音が消えることを利用して奇襲に用いたり。使いようによってはいくらでも役に立つだろう。

 だが、常時発動の私のそれと比べたらだいぶ劣化していると言える。

 

「どうしてリシュちゃんは平然とできるのー?」

「……慣れ、かな」

 

 それなりに仲良くなったとはいえ、さすがにまだマヤノに『生まれ持ったものが違うんだよ』なんてどや顔する気にはなれない。ちなみにスカーレット相手なら遠慮なくやっていた。

 

 

 

 

 

 マヤノが私たちの技術を模倣できるのなら、その逆もまた然り。そしてマヤノだけが特別ということもあるまい。

 あくまで毎日のトレーニングに支障が出ない自主練の範疇だが、お互いに技術やコツを教え合う時間が設けられた。

 

《スキルヒントってこんな感じだったのかなぁ》

 

 あれもこれもと手を出せば中途半端になることは目に見えていたので、基本的には【灯篭流し】の伝授がメインである。

 それはある意味、幼かったあの頃を直視せねばならない苦行要素を含むものでもあったが、それ以上にテンちゃん以外の誰かと共同作業をするというのはワクワクした。

 もっとも呑み込みが早いのはマヤノだ。テンちゃんもあれはコンディション切れ者入ってんなぁと戦慄するほどに『わかっちゃった』している。

 次いでミーク先輩、デジタル、そしてバクちゃん先輩という順番になる。だいたいイメージ通りだろう。

 

 私? 私はまあ、数回も見たらだいたいマネできるので。

 見ても真似できない【領域】をミーク先輩とバクちゃん先輩からいただきました。

 

 

U U U

 

 

 さて、私のメイクデビューは六月前半を予定している。

 これは同期の中ではかなり早い方で、実際デジタルやマヤノはもう少し遅い。幼いころからしっかりと身体づくりをしてきた私たちの面目躍如といったところか。

 

 テンちゃんみたいな言い方になるけど、トレーナーガチャで桐生院トレーナーに当たったのはつくづく幸運だった。

 学園は広大で設備も充実しているが、それでも生徒数が二千弱にもなるとパイの奪い合い、リソースに限りが見えてくる。施設利用の優先順位は功績を出したトレーナー優先。去年のURAファイナルズで決勝戦入着という成果を出したミーク先輩には足を向けて寝られない。

 ミーク先輩とバクちゃん先輩という逸材を誇るチーム〈パンスペルミア〉は私、デジタル、マヤノというデビュー前の三人を抱えながらも、既にアオハル杯プレシーズン戦で中堅どころの位置付けに食い込もうとしている。第一回戦の結果次第ではいくらでもひっくり返るだろうが、現段階の評価に見合った部室と予算が提供されるのはありがたい。

 

《理子ちゃんが明確に『敵』として立ちはだかった影響で、今の学園ではアオハル杯の注目度も優先度もめちゃくちゃ高いんだよな。それ専用に予算が組まれることに誰も文句を言いやしない。今はまだ学園内部の動きだけど、ここは天下の中央トレセン学園。すぐに熱は周囲に伝播するだろう。あるいは想像以上に遠くまで。

 やっぱりこうして見ると、何かしらの筋書きが事前に存在していたように感じちゃうなー。誰が書いたシナリオなのかまでは知らんが》

 

 たしかに、ただ単にアオハル杯が復活しただけではここまで注目を浴びることはなかっただろう。ほそぼそと小規模に盛り上がり、またかつての歴史を繰り返して廃れていったのではないだろうか。

 だからといってテンちゃんみたく樫本代理を理子ちゃん呼ばわりするほどの親しみは感じないけどね。リトルココンもそうだが、第一印象のマイナスイメージは根深い。

 

 話を少し戻して桐生院トレーナー。

 彼女は名門桐生院の出身であるが、この意味を私たちはいまひとつ理解しきれていなかった。

 お嬢様なのだ。家が半端なくお金持ちなのだ。具体的にどういうことかというと……。

 

《トゥインクル・シリーズが国民的娯楽というこの世界における『トレーナーの名門』って肩書を舐めてたわ。様々なトレーニング施設を私有しているのな、桐生院って。葵ちゃんってサポカを使わずにミークを育成したんじゃないかなんて言われていたけど、それでもCとC+のフルコースまでステータスを伸ばせた要因のひとつか。トレーニングレベル5から育成スタートなのよな》

 

 そういうことである。後半は何言っているのかいまいち理解できなかったけど。

 本来は学園施設の順番待ちで外周くらいしか選択肢がない時間で、桐生院所属の施設に移動してもっと効果的なトレーニングを行うという選択肢が出てくる。流石に学園外への移動時間があるので毎日気軽にとはいかないが、それでも十分すぎるアドバンテージだろう。

 

《今思えばアプリ版で最初はレベル1のトレーニングしかできなかったのって、主人公が何の実績も持たない新人だったからなんだろうなぁ。URAファイナルズ編でトレーニング回数を重ねた施設が豪華になっていったのって、もしかしてやよいちゃんが私財を投入して将来有望なウマ娘のために施設を増築していたのか? それともただ単純に実力で周囲を押しのけ優先順位を勝ち取っていったのか……。

 うーむ、どっちにせよ今の自分が恵まれれば恵まれるほど浮き彫りになるアプリTの恐ろしさよ》

 

 余談だがミーク先輩の『最初の三年間』の際、あるときから桐生院トレーナーは桐生院家のやり方から離れ、ミーク先輩だけに合わせた独自の手法で育成したらしい。

 そのため一時期は桐生院本家との関係性が微妙になっていたこともあったのだが、今はしっかり成果を出せたことで認められ、和解に繋がったとか。

 

「……ぶい」

 

 ミーク先輩はぬぼーっとした無表情の中に得意げな笑みを浮かべブイサインをしていた。直撃を受けたデジタルは消し飛んだ。

 

「あの、リシュ。今度の種目別競技大会のことなのですが……」

 

 そんな桐生院トレーナーはいま、高校生でも十分に通用する童顔に物憂げな色を浮かべている。

 思春期の少女であるウマ娘を導くべき立場にいるトレーナーが表情に出やすいのは賛否両論あるだろうが、私個人はやる気が促進されるタイプだ。つまり相性がいいのだろう。

 

「どうしました、トレーナー?」

「リシュが登録していた芝2000mの第十グループなのですけど、その、出走表が発表されたのですが……」

《おっ、きたか?》

 

 テンちゃんが内心むくりと身体を起き上がらせる。

 

「ナリタブライアンさんが出走されるそうなんです」

《おっしゃきたー!!》

 

 脳内でガッツポーズするテンちゃん。あわよくば、程度の気持ちだったけど、またふんわり予言が当たるとはね。

 この調子で宝くじの当選番号とか当ててくれたら苦労しなくて済むのになあ。

 

《ごめん、それは無理》

「それに伴い辞退や申し込み先の変更が続出していまして。このままではG1クラスの選手ばかり集ったレースになりそうなんです」

 

 おっと、桐生院トレーナーが真面目な話をしているんだからこっちも真面目に聞かないと。

 

 種目別競技大会。

 それは年に二回、トレセン学園内で開催される一大レースイベント。

 最大の特徴はデビューの有無やチームの所属に関係なく生徒全員に参加資格があり、そしてエントリーした種目ごとに実績を考慮せず平等に編成されること。デビュー前のウマ娘がデビュー後のウマ娘と肩を並べて戦える貴重な機会であるとされている。

 すなわち巡り合わせによってはメイクデビュー前の小娘がG1ウマ娘と競争する展開もありうる。まさに今のように。

 井の中の蛙を大海に放り込んでやる先達の愛の鞭、自主的に参加できるだけのかわいがり、なんて斜に構えて見てしまう私も少しばかり性格がひねているのかもしれない。

 

「なので――」

 

 言い淀み、ためらい、きっと目に宿った力がそれらを振り払う。その一拍で桐生院トレーナーが何を言おうとしているのか察しがついたので、先手を取って言葉を割り込ませた。

 

「出ますよ、私は」

「っ!」

「だいじょうぶ。後悔しませんし、させませんよ」

 

 敗色濃厚な戦いにあえて挑む。

 言葉だけみれば美しい。称えられるべき勇気がそこにあるのかもしれない。

 だが経験の浅いジュニア級、正確にはまだデビューすら果たせていない未熟なウマ娘を送り出すのはトレーナーとしてどうだろうか。当事者にしかわからない事情をさておいて、箇条書きにした項目のみを俯瞰すればそれは勇敢ではなく無謀であると咎められるべき行いだろう。

 桐生院トレーナーは自身の務めを果たそうとしたに過ぎない。それも勝利が視野に入るレベルまで己が鍛え上げられないことを悔やみ、撤退こそが最善手だと判断し忠言の覚悟を決めた善人だ。

 ちょっと脳内が暴走しがちな傾向のあるこのひとなら最悪、これで喧嘩別れになり担当を切られてもーくらいまで覚悟していそうな気がしなくもない。

 

 でも実のところ、この状況は狙ったものだったりするのだ。

 半信半疑、どころか本当にナリタブライアン先輩と走れるなんて三割も期待していなかったけど。

 

《いやー。知識通りにいくとは限らないし、知識通りにいったとしてそこにぼくらが配属されるとも限らない。そこをしっかり当てていくとはさすがぼくら。いざというときの引きが強い》

 

「今のうちに知っておきたいんです。伝説と呼ばれるウマ娘たちの力を」

 

 そして手に入れておきたいのだ。

 

 以前にも述べた通り、ウマ娘は常識とか物理法則とかを少しばかり無視したところで生きている。ウマソウルに由来する不思議パワーがそれを可能としている。

 

 ではここで問題だ。

 もしその不思議パワーを極限まで高めると――いったい何が起きるのか。

 

 普段が世界に喧嘩を売っているのだとすれば、それは世界を一時的とはいえ殴り倒す暴挙。

 己の魂に根差したオンリーワンの技能であるところから【固有スキル】、あるいは身体をはみ出したウマソウルが世界を塗り潰すありさまから【領域】と呼ばれるもの。

 

 誰もが出来ることではない。

 天に愛された天才が地べたを這いずり回るような努力をして、ようやくたどり着くような場所。

 つまり中央ならいつ誰が使ってきてもおかしくないということだ。

 

《あくまでテレビ越しの観察結果だけど、シニア級のG1なら最低ひとりは使ってくると考えた方がいいな》

 

 【領域】発動時の摩訶不思議な光景は基本的に同じレースを走るウマ娘にしか見えないとされているけど、【領域】が発動した結果として起きるレースの変動は外部からでも観測可能だ。

 組みかけのパズルから足りないピースの形を逆算するように。突如として変わるウマ娘たちの顔色、それまでの展開からは明らかに不自然な加速等々、要素と要素を組み合わせれば画面の向こうで誰がどのような固有スキルを使ったのかだいたいは推測できる。

 

 さて、下手に謙遜しても嫌味になるだけなので単刀直入に言うと、私たちも既に【領域】に至ったウマ娘だ。

 『他者の領域に呑み込まれた時、それを切り取ってストックする』、簡単に言えばそんな感じ。それが私たちの固有スキル。

 テンちゃんはあまり好きじゃないみたいだけど、私はそんなに嫌いじゃない。独りではどうしようもない、テンプレオリシュというウマ娘の在り方をよく反映した固有スキルだと思っている。

 

 まあ、実のところそんなに使ったことはないのだけど。

 理由は大きくわけて二つ。

 

 第一に、そもそも【領域】に至った相手がいなければ私の固有スキルは無用の長物。

 そして【領域】に到達できるような才気の持ち主は、地元ではスカーレットを始めとして片手で数えられる程度しか出会わなかった。私の交流関係が狭かっただけかもしれないけど。

 そのスカーレットだって【領域】には無自覚に触れるくらいで、踏み込むまではいっていない。『一部を切り取ってストックする』という性質上、私が獲得できるコピー【領域】はどうしてもオリジナルのそれに比べ劣化する。未熟な【領域】未満をむりやりコピーしても労力に対し得られるものが見合わなさ過ぎるのだ。

 

 それが第二の理由にも繋がる。こっちの負担がそれなりに大きい。

 より正確に言うのならテンちゃんにかかる負荷が大きい。なにせ【領域】、限定的に世界を塗り潰すほどウマソウルをフル活用するのだ。ただ走るのとは比較にならないほど活動時間を消耗する。固有スキルを使えばその後に、テンちゃんが休眠状態になる時間がほぼ確実に発生すると言っていい。

 寂しいじゃないか。独りは嫌なのだ。孤独な時間に耐えてまで固有スキルの使用に踏み切るほど追い詰められたレースは、これまでついぞ経験しなかった。それだけの話である。

 

 ただ、これから先はそうもいかないだろう。

 ミーク先輩とバクちゃん先輩、チーム内で既に【領域】に至った優駿たちに教えを乞うた経験がそう告げる。彼女たちとのトレーニングの中で私はその【領域】に触れ、己の中に取り込んで、そうやって私は中央に来てようやく固有スキルの脅威と己の固有スキルの凶悪さを自覚したのだ。

 そして痛感した。三冠という伝説の世界、そこに至ろうとするのならこのままでは足りないと。

 武器がいる。伝説に比肩せんとするのなら肉体を互角に鍛え上げるのは前提条件。その上で魂のぶつけ合いになったとき彼女たちに見劣りしない、屈強な武器が必要だ。

 それは伝説そのひとから直接もらってくるのが、一番都合がいい。

 

「お願いします。私を出走させてください」

 

 だけどこれは私のわがまま。

 桐生院トレーナーにそんなことは関係ない。

 だからまっすぐ頭を下げた。

 

 スカウトが全然来なかった経験からちょっと自信が無くなりかけているけど、私はかなり優秀なウマ娘のはずだ。将来有望な才気あふれるウマ娘のはずなのだ。

 自分で言ってると自意識過剰みたいで恥ずかしくなってくるが、謙遜しているポーズで相手に持ち上げさせるのはもっとみっともないと思うのでぐっと堪える。

 

《ぼくらみたいな天才ウマ娘が無責任な周囲の期待通りの成果を出せなかったとき、トレーナーが無能だったんじゃないかなんてさらなる無責任な声が上がるのは、もはや人類に共通して備わっているおちゃめ機能みたいなもんだからな》

 

 そんなおちゃめ機能はいらないが、まあそういうことである。

 いくら種目別競技大会が一大レースイベントとはいえ、しょせんは学内の催し物。トゥインクル・シリーズの公式戦ではないここで勝ったところでトレーナーの評価は挙がりにくく、一方これで調子を崩しメイクデビューでコケようものなら評価に瑕がつくだろう。

 

「……わかりました。一緒に勝利を目指しましょう」

 

 なのに、桐生院トレーナーはそう首肯してくれた。

 勢いに押し流された即答ではない。しっかり考え、悩み、その上で五秒もしないうちに決断してくれたのだ。

 本当に私は良い担当トレーナーに巡り合えたものだ。

 

《ひゅーひゅー、桐生院カッコイー》

 

 テンちゃんも賞賛している。ウマ娘以外をテンちゃんが素直に褒めるのは何気に珍しいことかもしれない。

 まあ口約束とはいえ言質をとったのだ。はしゃぎたくなる気持ちもわかるよ相棒。

 

「ありがとうございます! では、わがままついでにもう一つお願いしたいのですけど」

《その人の好さに付け込んじゃおうねー》

 

「えっ。ええ?」

 

 大丈夫だいじょうぶ。損はさせないから、たぶん。

 投資されたぶんはしっかり利子をつけて返すつもり。

 

「完璧に仕上げて欲しいんです」

 

 トレーニングが自身に負荷をかけ能力の上限を伸ばすことを目的としているのなら、レースは自身の最高のパフォーマンスを発揮することを目的にしている。同じ走るという行為でも、その目的もそこに至るまでの流れも全然違う。

 野良レースがトレーナーにいい顔をされないのはトレーニングに悪影響が出やすいのもさることながら、『自身の最高までコンディションを整えて』というレースの鉄則の練習にはなりえないことが大きい。何も得られないってわけではないけどね。

 

 いくら種目別競技大会が一大イベントだからといって、トゥインクル・シリーズの公式戦より優先するなんてありえない。微調整は当然するだろうけど、普通は公式戦に向けたトレーニング優先のはずだ。

 その普通を、狙い撃つ。

 

《なにせ()()ナリタブライアンにその気になってもらわないといけないからなあ》

 

 私の固有スキルはあくまで他者の固有スキルに対するカウンターで発動する。どれだけ相手が立派な【領域】を有していたとしても、使ってくれなければ意味がない。

 

《カイチョーやエアグルーヴは使ってくれそうにないんだよね。舐めてるとか手加減とかじゃなくて、ただ単純に生徒会メンバーと一般生徒の差が圧倒的過ぎる。たかがイベントで【領域】まで使った日には一部の上澄みを除き公開処刑、いや虐殺ショーにしかならないよ。

 その点、ゲキマブやナリブは興が乗れば空気を読まずに使ってくれそうではあるからさ。ま、ゲキマブは行動が読めなかったので、現時点で一番可能性があったナリブを狙ったわけだけども》

 

 『最強』のクラシック三冠ウマ娘は誰か、と聞けばウマ娘ファンの間で大激論が起こるだろう。

 伝説の始まりセントライト。伝説を引き継いだ神話シンザン。禁忌破りの非常識な才能ミスターシービー。絶対にして永遠なる皇帝シンボリルドルフ。

 きっと誰もが子供のように目を輝かせ……というにはいささか濁っているかもしれないが、自分だけのヒロインをこれ見よがしに持ち上げて口角泡を飛ばすはずだ。

 だが、『最速』のクラシック三冠ウマ娘となればどうだろうか?

 

 皐月賞。タイム1.59.0。中山レース場芝2000mコースレコード更新。

 日本ダービー。タイム2.25.7。五バ身差の勝利。レコードとは微差。

 菊花賞。タイム3.04.6。七バ身差の衝撃。レースレコード更新。

 

《たとえ世界が変わっても、数学だけは変わらない。数字で構成されたデータを自己流に解釈することはできる。だが数字そのものを変えてしまえばそれはただの偽造だ。

 レコードが更新されたという事実は、そのレースにおいてその『馬』が史上最速だったという客観的な事実になる》

 

 ナリタブライアン先輩は現時点で、どの伝説よりも速くクラシック三冠を駆け抜けた“怪物”だ。

 

 その怪物相手に【領域】を使うに値すると思わせなければいけないのだ。正直、他に目をやる余裕がない。

 最悪、私たちはこの種目別競技大会に的を絞ったことでメイクデビューの調整の周期が狂い、未勝利戦を走ることになってもいいとさえ思っている。いや負ける気はまったくないが、それくらいの優先度でいこうとテンちゃんと二人で相談して決めた。

 

《それにしても……マヤはぼくらの同期なのにもうナリブはクラシック級走り終わってシニア一年目なのか。勝手に一年違いだと思っていたんだけどなあ。相変わらずこの世界線は時間軸がごちゃごちゃというか、原作知識が役に立たん。もはやウオッカとダスカが同期だったのは奇跡みたいなものだったのかもしれん。

 まあゴルシがシニア二年目なのに菊花賞レコードがいまだにナリブだったりするんだから今さらか。原作の時期的には危なそうなナリブが今も元気に走ってるんだからアプリ育成時空ばんざーいってとこにしておこう》

 

 テンちゃんが何に引っかかっているのかはわからないけど、怪我がないのはいいことだよね。

 

 勝負だ怪物、ちょっとひと齧りさせてもらおう。

 

 

 




次回、ウオッカ視点


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サポートカードイベント:大海に挑むlittle frog

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感想欄で触れられたのでテンちゃんの活動時間について補足説明。あまり重要な情報でもないのでざっくりと。読み飛ばしても大丈夫です
あくまでどのくらいウマソウルをフル活用したかという目安。

・通常
 1日最大6時間まで表に出られる。6時間ぶっつづけで動いた場合その後18時間の休眠が必要だが、合計5時間程度の何回かに分けた活動に留めれば、裏で俯瞰する状態に差支えは生じない。

・レースで走る
 表の活動限界が6時間から減少。より短い時間で眠気を覚えるようになる。テンちゃんの時間は自由に使ってほしいので、リシュはあまり積極的にこれを行わない。

・固有を使う
 ただレースを走るよりも活動限界が早まる。さらに裏で俯瞰することにも弊害が生じ、限界まで活動しなくともリシュに意識があるタイミングで休眠状態に入る時間が発生。どのタイミングで、どれだけ長く寝落ちする羽目になるかはレース展開に左右される



U U U

 

 

 寮でルームメイトになったアイツの第一印象は、お堅い優等生。

 

 でもアイツが被っていた猫は初日であっさりと剥げて、次に抱いた印象はおもしれーヤツ。走っている姿を見てその思いは深まった。俺とタメを張れる同級生なんて、地元じゃついぞお目にかかれなかったからな。

 アイツの趣味はまるで理解できねえし、アイツはアイツでこっちのセンスや浪漫ってもんをまるで理解しやがらねえ。でも頭カチコチに見えてアイツは一歩引くことを知っていて、そのおかげか険悪な関係になることは無かった。

 

 もしかしたら漫画で憧れたライバルってやつになれるんじゃないかって、ほんの少しだけ期待して。

 でも俺が横を見ている間、アイツはずっと上を見ていたんだ。

 

 目標。

 アイツ――ダイワスカーレットが抱いていたその熱は同じ言葉で表現されているものなのに、俺がダービーに向けるそれとはまるで違っていた。

 興味本位で()()に近づいた俺は、ぺしゃんこに潰されてダセェことになっちまった。

 

 圧倒的格上。

 降って湧いたそれとの距離感を、実のところ俺はいまだに測りかねていんだよな。

 

 

 

 

 

「ねえウオッカ。アンタ今度の種目別競技大会、ちゃんと出走表見たんでしょうね?」

「よースカーレット。へへっ、わりぃな。リシュへのリベンジ、俺が一足お先に果たしちまうことになりそうだぜ」

「……アンタばかぁ?」

 

 おっとお、その目は漫画で見たことあんぞ? 荷車に乗せられる子牛を見る目ってやつだよな。『可哀想だけど来週末には夕食に並ぶ運命なのね』って感じの。

 

「たしかに俺が登録した芝2000m第十レースはリシュに加え、G1クラスの先輩方ばっかが集うやべぇレースになっちまった。中でもその原因となったブライアン先輩は“G1クラス”なんて評価じゃ足りない実力者だろうさ……別に舐めてるわけじゃねーよ」

「だったら何でよ? 一部じゃあのリシュでさえ無謀な挑戦って笑われてんのよ。アンタなんて誰の視野にも入ってないじゃない」

 

 模擬レースや選抜レースで暴れまわったリシュの評価は意外とばらついている。

 なにせ中央は生徒数が生徒数だ。アイツの走りを直接見たこと無いってやつはそれなりにいる。ウマ娘にも、トレーナーたちにもだ。

 直接見たやつらでさえ低い評価を下すこともある。しょせんはデビュー前のウマ娘たちの中で多少優れた能力を示しただけ、だとさ。血統の裏付けがない。それは俺たちが思っているよりもずっとデカい要素だったらしい。

 同じレースに出走したウマ娘の間ではだいたい見解が一致してんだけどな。

 

「ビビって辞退するなんてダセーことこの上ないだろ。それに、誰も注目していない俺がここでお前の大好きな一着を取るなんてめちゃくちゃカッケェじゃねえか!」

「『お前の大好きな』は余計よ。まったく……バ鹿ね。でも気持ちはわかるわ」

「あん?」

 

 案外スカーレットはあっさり引いた。腕を組んでこちらを認めるような態度に逆に調子が狂いそうになる。優等生なコイツならもっと強く辞退を勧めてくるもんだと思ったが。

 額に手を当てやれやれと首を振りため息をつく、という少しいらっと来る仕草をした後スカーレットはくいとあごで促す。

 

「じゃあいくわよ」

「どこにだよ?」

 

「部室。もちろんやるわよね、対策会議? こてんぱんに負けておいて何の作戦もないままに次に挑むなんて勇気や豪胆じゃないわ。無謀を通り越してただの怠惰よ、怠惰。まさかそんな『ダッセェ』真似する気だったの?」

「ぐっ……お勉強で足が速くなれば苦労はしねーんだよ」

「考えなしに走っているだけで足が速くなるならトレーナーも教官もいらないわね」

 

 くっそ。走りはともかく口では勝てそうにないな。誰だよコイツの口喧嘩スキル鍛えたの。

 ずるずると引きずられるように連行された先。俺たちの部室では既にホワイトボードが設置され、長身の葦毛の美女が待ち構えていた。

 

 ゴールドシップ先輩。

 皐月賞と菊花賞を取った二冠ウマ娘にして、宝塚記念連覇という偉業を歴史に刻んだグランプリウマ娘。URAファイナルズ長距離部門では初代優勝者の座に輝きその実力を証明した。

 この広い中央で、間違いなく頂点に君臨する優駿のひとりだ。三人という人数で、アオハル杯でもまだチーム結成に至っていない俺たちが部室を確保できているのはひとえにこの人の功績。

 

「ふぉっふぉっふぉ、待っていたぞ道に迷える若人たちよ」

 

 口を開けばこの通り変人だけどな。

 

「うっす、ゴールドシップ先輩ちわっす! なんだよオイ、出走回避しろみたいなこと言っておいてしっかり準備万端じゃねーか」

「まさか! アンタが来るかどうかもわからないのに先輩をお待たせするわけがないでしょ。そりゃ引きずってでも連れてくるつもりだったけど……ゴールドシップ先輩が用意してくださったのよ。ありがとうございます、先輩」

「ふぉっふぉっふぉ。後輩を導くのは先輩の務めじゃからのゴルシ」

 

 引きずってでも、って物騒なやつ。だがまあ、それだけ真剣に考えてくれてるって思えば悪くない。気恥ずかしいから面と向かって言う気はねーけど。

 

「それじゃあアタシ、トレーナー探してきますね」

「それには及ばんよ。おっしゃいくぜえ!! ゴルシちゃんは手札から麻袋を召喚! そしてぇ! フィールド上に麻袋がいるとき、トレーナーを三枚まで特殊召喚することができるっ!」

 

 一瞬マジで二人も無関係のトレーナーを誘拐してきたのかと焦ったが、さいわい麻袋から出てきたのはうちのトレーナーだけだった。

 いや麻袋がどこからともなく取り出されたり、中からトレーナーが出てきたりに驚かないあたり、俺もだいぶ毒されてないかこれ?

 

「えっと、それじゃあ状況を説明してもらっていいかなゴールドシップ?」

 

 案の定、何の説明も無しに拉致られてきたらしい。驚きもせず、怒りもせず、ただ現状の把握に努めるその態度は謎の風格さえ感じる。

 

 ゴールドシップ担当トレーナー。

 通称ゴルシTで通じるこの学園の有名人。G1勝利のたびにドロップキックくらっている人といえば外部でも『ああ、あの』となる、今年からは俺とスカーレットの担当でもある男だ。

 ドロップキックくらいまくってピンピンしているわりに筋骨隆々の偉丈夫ってわけじゃない。単純にゴールドシップ先輩の蹴りが熟練のプロレスラー並みに上手いのだろう。背は高いがどっちかといえば冴えない印象が強い方だ。

 いつだったかスカーレットが「先輩と一緒にいても先輩の破天荒ぶりもあって気づけないことが多いけど、いないと『あれ? 今日は一緒じゃないんだ』ってすぐにわかる、不思議な存在感を持った人ね」と表現していて、上手いこと言うもんだと感心した覚えがある。

 

「トレピッピよう、銀のツインドライブ対策会議だぜー」

 

 なんだよそのカッケェ表現。いやどこから来たんだターボ先輩関係ねーだろ。

 

 

 

 

 

「ふむ、なるほど……」

 

 トレーナーがあごに手を当てて考えるのを、俺はなんだかそわそわと見ていた。

 ここまでの経緯はスカーレットとゴールドシップ先輩がすべて説明してくれた(ゴールドシップ先輩は言葉のチョイスが独特過ぎてあんま理解できなかったけどたぶん)んだが、それがどうにも俺がガキ扱いされてるみたいで据わりが悪い。

 走るのは俺だろ? お膳立てを先輩とルームメイト任せってのはダセェって。その思いが説明の邪魔になっちゃいけねえと控えていた俺の口を動かす。

 

「俺は出るぜトレーナー。たしかに、学内行事とはいえ先生や他のトレーナーたちはしっかり見てる。これだけ評判が広がってりゃ学外からの注目だって下手な公式レースを越えるかもしんねえ。負けて評価落とすくらいなら辞退するって他の連中の言い分もわかるさ」

 

 評価が落ちるってのは何も出走するウマ娘に限った話じゃない。その担当トレーナーにも通じる話だ。

 特に俺とスカーレットをまとめてスカウトしたことで、うちのトレーナーは周囲との関係が面倒なことになっているらしい。ここで俺が突っ込んでみっともねえ姿を見せたら『それ見たことか』と付け上がらせることにもなりかねない。

 

「だがな、俺は勝つぜ! やってやるさ。カッコいいウマ娘になるためには、こんなところで退いちゃいられないんだよ……ダメ、かな?」

「いいや。いいと思うよ」

 

 トレーナーは気負いなく、だがしっかりと肯定してくれた。さすが俺の見込んだトレーナーだとそれだけで嬉しくなる。

 

「ウオッカが進むと決めたのなら、その道を舗装するのが俺たちトレーナーの役割だ。さてと」

「ドロー、モンスターカード! ドロー、モンスターカード! ドロー、モンスターカード!」

「うん、ありがとうゴールドシップ」

 

 ゴールドシップ先輩が麻袋の中から資料を次々に取り出してホワイトボードに貼っていく。俺にははっきりと判別できるわけじゃないが、たぶん今度の芝2000m第十レースに出走するウマ娘たちのものなんだろう。

 いや、当然のような顔をしてトレーナーは礼言ってるけどおかしいよな? 具体的にどこがって言われると言葉に詰まるんだが。

 しげしげと資料に目を渡らせると、トレーナーは一度頷いた。

 

「次のレース、ナリタブライアンとテンプレオリシュの二人が鍵になりそうだね」

「おおっ、すげぇなトレーナー! 見ただけでわかるのか!?」

 

「いいや。わからないよ」

「おいぃ」

 

 感心した分ズッコケかけた俺を尻目に、トレーナーは穏やかな眼差しでスカーレットを見る。

 

「これだけじゃあね。だから、スカーレット。教えてほしいんだ。テンプレオリシュというウマ娘のことを」

「……アタシが知ってるのは中央に来る前のリシュです。こっちに来てからはあんまり一緒にいることもないですし」

 

「ほーん」

「なによ?」

「いやぁ、べつにー」

 

 スカーレットに睨まれたので肩をすくめる。

 確かに同じ栗東寮で同級生とはいえ、チームが違う。リシュと俺たちが一緒に自主トレするような機会にゃそこまで恵まれなかったかもしれねえが。

 それでも俺はあいつのことをリシュと愛称で呼ぶ程度には近しくなったんだがな。向こうは何故か『ウオッカ氏』と呼び捨てにしねえけど。いまだスカーレットを間に挟んだともだちのともだち程度の距離感なのかもしれねえ。

 それでもスカーレットからすれば『あまり一緒の時間が過ごせていない』範疇なんだなーと。仲いいじゃねえか。言ったら喧嘩に発展しそうだから言わねえけど。俺のための対策会議なのに、自分から本筋から逸らすのは失礼ってもんだろ。

 

「知りたいのは彼女の今の実力ではなくひととなりだ。脚質は逃げから追い込みまで変幻自在、距離適性も短距離から長距離まで自由自在。『何ができるのか』は入学からこれまでの行動で推察は可能だけど、『何をしてくるのか』はわからない。

 だから知る必要があるんだ。テンプレオリシュがどのようなときに、どのような走りを好むのかをね」

 

 改めて聞けばアホみてーなスペックだな、リシュのやつ。

 圧倒的な手札の数。それだけで戦いを始める前の段階でひとつ有利ってことか。こうしていま実際に対策が立てづらくて困ってるもんな。

 しかしそれは俺だって同じことだ。G1クラスのウマ娘ばかり集まっているという評判。それは裏を返せば出走するウマ娘のデータはある程度表面化してるってことでもある。デビュー前なのにそこに突っ込んだ俺とリシュ以外はな。

 へへっ、少し面白くなってきたじゃねーか。

 

「……わかりました。お話します、アタシが知っているアイツのこと」

 

 スカーレットは少し考え込んだ後、静かに頷いた。

 

「まずアイツのスタイルは大きく二つに分けられます。逃げと追い込み、それと先行と差しです。この二つはいっそ別人と考えてもいいくらい異なります」

 

 曰く、逃げと追い込みで走るときはスペック任せのごり押しを好むらしい。たしかに逃げや追い込みといった作戦は小細工や駆け引きを使いにくく、またその影響を受けにくいスタイルではあるが、その上でそれ以上に極まっている。

 自分より格下には圧倒的な強さを誇るが、格上には通用しない単純明快な力押し。その図式をその場の誰より格上になることで必勝の策に変える。それが逃げや追い込みで走るときのリシュなのだそうだ。

 

「今度のレースでは彼女より格上と言えるウマ娘が幾人もいるね。つまり」

「はい。アイツは自分のことを天才だなんて言っていますけど、他者を過小評価することはしません……アイツが天才だっていうのは純粋に事実ですから。今度のレースでは先行か差しで来ると思います」

 

 この情報だけで他の陣営は喉から手が出るほど貴重なものだろう。いや、どうか? リシュの評価はかなりバラついているからな。俺たちの同期ならめちゃくちゃ欲しがるだろうが。

 トレーナーの相槌を挟みながらスカーレットの話は進んでいく。

 

「先行と差しのときのリシュは……ウオッカ、アンタも憶えてんでしょ? 選抜レースのときのあれよ、アレ」

「アレかぁ……」

 

 ふわふわとして掴みどころがない、霧のような走り。気づけばするりと抜け出して、そのまま夢幻のようにゴール板を先に駆け抜けていた。

 たしかに言葉ではちょっと表現しにくいな。つーか、実のとこハッキリと憶えているわけじゃねえ。あんときは俺も精一杯であんまりじっくり観察なんてしている余裕なんてなかったし。

 言い訳じみていると思いながらそう口にすると、スカーレットは内心の読めない流し目で腕組みをした。

 

「運がいいのか、勘が鋭いのか。もしもじっくり見ていたら今頃アンタ、壊れてたかもしれないわね」

「はぁ!?」

「へえ、聞かせてくれるかい」

 

 なんだよその物騒な発言!

 戦慄する俺をよそにスカーレットは淡々とトレーナーに説明を続ける。

 

「アイツ、レースで走っているときは近くの相手に少し“寄る”んです。練習中にはあまり見られない特徴なのですけど、どこまで自覚しているのやら……地元ではそれで自分のフォームを壊された子が何人もいました」

 

 観察力と適応力が異常に秀でているのか、リシュは近くで誰かが走っているとき漠然とその相手と似通ったフォームになるのだとスカーレットは語った。第三者が見ていても気づきにくい、ほんの些細な変化らしいが。

 リシュのスペックが同年代を圧倒的に凌駕しているのは逃げ・追い込みスタイルのときに述べた通り。つまりどんな走り方でも基本的にぶち抜いてしまう。リシュ自身には何の問題も発生しない。

 しかし、ぶち抜かれた側は? もしも自分を追い抜いていった相手の背中に、自身のフォームの片鱗を見てしまったとすれば? あの走り方こそがあるべき模範解答なのではないかと自身の走法を信じきれなくなってしまう。その果てに、自分がどんな走り方をしていたのかすらわからなくなる。

 お手軽にスランプの発生だ。いや物騒ってもんじゃねーぞ。

 

「いまこのタイミングでスランプに陥ったら、メイクデビューに響いてくる可能性は高いわ。それでもやるつもり、ウオッカ?」

「いまさらイモ引くなんてダサすぎるっての! 俺はやるぜ、なあトレーナー!?」

 

「うん、問題ないよ。ウオッカなら大丈夫だ。それで、スカーレットはどう対策してるんだい?」

「ふん。許可くれたトレーナーに感謝しなさいよ……視界に入れないこと。注視しないこと。アタシが逃げ先行で前目につけるのは一番を譲りたくないっていうアタシのこだわりもありますけど、アイツへの対策も含まれています」

 

 あとは、とスカーレットは一度言葉を切り、俺の方をじっと見た。

 

「自分を信じること。疑いようもないほど強固に。アンタにできる?」

「上等だ、やってやらあ!」

 

「まあトゥインクル・シリーズを走っている最中に壊されるくらいなら、今ここで一度経験して耐性つけておいた方が将来のためになるかもしれないわね?」

「やれるっつってんだろうが!!」

 

 たしかに差しを得意とする俺じゃあ視界に入れないってのは無理がある。仮にリシュに的を絞って不慣れな逃げや先行でいったとして、それでナリタブライアン先輩に勝つなんてのも現実味がない。気合いで何とかするしかないだろう。

 根拠のない自信はとーちゃん譲り。そして根拠を作ってくれるのが今の俺のトレーナーだ。

 

「なるほど、だいたいわかってきたよ。最後にもうひとつ質問だ。テンプレオリシュは先行と差し、どっちで来ると思う?」

「さすがにそこまでは……」

 

 スカーレットは言いよどんだが、トレーナーは急かすこともなくじっと待っていた。スカーレットが一度目を閉じ、しばらくの沈黙。そして口と共に開く。

 

「リシュは興味深い相手を後ろからじっくり見ようとする。だから、差しでくると思います」

「ありがとう。作戦がきまっ」

「どっせい!!」

 

 ゴールドシップ先輩のラリアットが見事に決まり、トレーナーの身体が半回転してどしゃりと部室の床に落ちた。

 

「うわー。あいたたた」

 

 背中から落ちたように見えたが、トレーナーの情けない悲鳴を聞く限り特に大事無いようだ。きっちり受け身を取ったらしい。さすが担当のG1勝利のたびにドロップキックくらっている男は練度が違うぜ。

 

「マグロはよぉ、サメと同じで泳ぎ続けないと窒息死しちまうんだよトレーナー!」

「えっと、退屈になってきたから構って欲しい……ってことですか?」

「おほー。いい耳してんなスカーレット。オメーも肺魚の鳴き声を聞き分けられる者の貫禄が出てきたぜ!」

 

 正解らしい。よくわかったなスカーレット。まあ気まぐれなゴールドシップ先輩がこれまでずっと会議に付き合ってくれただけでも上出来か?

 

「それに作戦もいいけどよトレピッピ。()()についてはどうするんだ? このメンツだと確実にひとりは使ってくんぜ」

 

 ゴールドシップ先輩の発言に文脈は存在しねえ、感性と沸点を合わせる世界だ。だからこの発言も思わせぶりなだけないつものやつだろうと、このときの俺は聞き流した。

 

「そうだね。取り決め通り全貌を教えるのは自身で兆しを得てからになるけど……そっちの安全対策もしておこうか」

 

 平然と起き上がったトレーナーは服の埃を掃う。

 

「いいかいウオッカ。これから作戦を伝えるけど、その代わりにひとつ。これから言うことを守ってほしい」

「おう、なんだ?」

 

 

 

 

 

 そして迎えた当日。

 

『お聞きくださいこの歓声! 芝2000m第十レース、注目はやはりこの人! “怪物”ナリタブライアンです!』

 

 学内行事とは思えない大歓声と、それにまるで怯んだ様子の無い参加者たちの顔ぶれに身体の底から熱が湧いてくる。

 へへっ、G1レースってこんな感じなのかな。緊張していないわけじゃねえけど、それ以上にワクワクしてくらあ。いやあ、今の内からこんなとびきりの経験しちまって自分のメイクデビューでガッカリしちまわねえか心配になっちまうぜ。

 これだけの人数を集めたのは実質的にたったひとりのウマ娘だってんだからスゲーよな。解説が言う通り、自然と目が引き寄せられ離せなくなる。

 

「……騒がしい」

 

 周囲の興奮をむしろ煩わしいものと感じていることを隠そうともしない憮然とした表情。

 ナリタブライアン先輩。三冠ウマ娘なんて御大層な肩書以上に、本人から放たれる猛禽じみた威圧感がすべてを物語っている。あるいはこのひとだけなら呑まれて萎縮していたかもしれねーな。

 もうひとりいるんだ、やべーのが。どいつもこいつも格上ばかりなのを肌で感じるのに、その中でも二人はモノが違う。俺の笑み、引きつってないよな? だが二人いるからこそ妙な拮抗が働いて意識を持っていかれないで済んでいる。

 

『そして群雄割拠の中へと猛勇果敢に躍り出た期待のホープたち、今回二人のジュニア級の一角テンプレオリシュ。五枠五番での出走です』

『私イチオシのウマ娘、気合入れてほしいですね。一部では新世代の怪物とも言われ始めている彼女が三冠の怪物にどこまで食らいつけるかも注目ですよ』

 

 前に見たときのリシュはふわふわとした霧のような印象だった。

 今も霧という点は変わっていない。ただ、深みがまるで違う。

 

 白い霧が立ち込める昏い森。それが今のリシュから受けるイメージ。

 

 森林浴だとかマイナスイオンだとか、そういう意識の高いお偉いさんのナントカ団体が保護してやろうって上から目線で接するような管理された都会の緑じゃねえ。

 断末魔すら呑み込んで悠然と存在する静寂。生々しい自然。電灯が闇を駆逐する前、人類と対等だった脅威が潜む場所。

 今のコイツからはそういうヤバさがひしひしと感じられた。

 しかし不思議なことに、どうにもそれを感じているのは俺だけっぽいんだよな。少なくとも周りの先輩方がリシュに注目している様子はねえ。

 選抜レースの経験が生きているのか、それともそのときの経験が軽いトラウマになって実態以上の影にビビっているだけなのか。

 前者だと思いたいとこだ。

 

『もう一人のジュニア級、恐れ知らずの挑戦者ウオッカ。六枠六番での出走です』

『少し厳しいメンバーの中での出走となりますが、健闘を期待したいところです。ぜひここで得た経験を糧に実力を伸ばしてほしいですね』

 

 次いで俺の名前が呼ばれる。

 俺の評価はこんなもんか。まあ、そうだよな。しょせんは地元じゃ負け知らずってレベルのデビュー前ウマ娘。G1クラスがひしめくこの場では経験の浅さと実力不足くらいしか語る要素がないだろう。

 だからこそ見せつけてやりてえ。今ここにウオッカがいるんだってことをな。

 今にも溢れ出しそうな熱を浪費しないよう飲み下しているうちに、全員のゲートインが完了した。

 この距離からでもブライアン先輩の圧がびしばし飛んできやがる。まるで檻に押し込められた猛獣だ。しかしその猛獣、檻から解放されて俺たちと争うんだよなあ。

 

『いま、一斉にスタートを切りました!』

 

 

 




【テンプレオリシュ(リシュ)のヒミツ②】
 実は、脳内ではウオッカ嬢と呼んでいるが、面と向かってそれは怒られそうなので表面的にはウオッカ氏と呼んでいる。まだ呼び捨ては無理




Q:なんでスカーレット、トレーナーに敬語なの?
A:教師等と同じく『指導者』に区分されているから。
 この世界線の彼女は昔からリシュにボコられていたので敗北でくじけることもなく、故にアプリ版の醜態を晒してからの復活という相棒イベントが発生しなかった。


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引き続きウオッカ視点です


U U U

 

 

『皆、綺麗にスタートを決めましたね。G1クラスのレースという前評判は伊達ではありません。デビュー前の二人もしっかり食らいついていきます』

 

 俺たちの選抜レースのときほどじゃあないが、今回のレースも辞退したやつが多いもんで芝2000m第十レースの出走者は九人。見通しがよくて助かるねえこりゃ。

 

――リシュは興味深い相手を後ろからじっくり見ようとする

 

 サンキュー、スカーレット。お前の読みはバッチリ的中だぜ。

 するりとバ群後方に位置取った、リシュのすぐ後ろにつく。といっても、かのライスシャワー先輩の徹底マークのような上等なものじゃねえ。

 足音で相手を威圧しペースをコントロールしたり、スリップストリームを活用したりと、マークも技術と反復練習の結晶だ。将来的にはともかく、今の俺のその手の技術は中央で通用するレベルに至ってない。

 なんなら今日にいたるまで、俺は地力を高めるトレーニングしかしてこなかった。そうじゃないとこのレースでは話にならないと判断したからだ。

 細かい読みや駆け引きは、目の前の相手に代わりにやってもらう。

 

――桐生院トレーナーは完璧に仕上げてくるはずだ。それを利用させてもらおう

 

 トレーナーの語った作戦を思い出す。台風の目になるだろうリシュを、ペースメーカーとして活用させてもらおうという逆転の発想。これだからトレーナーとつるむのは面白い。

 だがそれはもちろん諸刃の剣だ。極力視界に入れるなと忠告されたリシュをじっと注視し続けることになるんだからな。

 

 実際、いまこうしている瞬間にもふっとリシュの姿が()()()

 足音が無いことも相まってどこか幻覚じみたコイツが、そのまま過去の残影に繋がる。

 オフロードでもオンロードでも、バイクにまたがった父ちゃんと同じかそれ以上に速かった俺の母ちゃん。カッコつけでお調子者の父ちゃんの尻を叩いて家の中を切り回す、俺の中の強さの象徴。

 それがコイツの背中に重なる。なるほど、事前に聞いてなきゃショックを受けたかもしれねえな。

 

――きみが自分の中の『カッコよさ』を見失わない限り大丈夫だ

 

 トレーナーの言葉が俺の中で熱になる。カッと燃え上がるようなものじゃない。熱した石のように重く、それが俺を繋ぎとめてくれる。

 リシュを通して母ちゃんが見えるってことはつまり、それが俺の中にあるってことだろ? だったらそれが揺らぐ理由になんてなりゃしないのさ。

 『いつだってギリギリで生きろ』『涙は疾風に流しちまいな』……数々のカッケェ至言をくれた俺の父ちゃんは、俺の中の“カッコいい”の原形をつくったひとだ。俺は今まさにギリギリで生きている。

 俺はカッコいいウマ娘になりてえ。俺にとって“強さ”ってのは“カッコいい”の一環だ。だから、俺の強さだけを模倣したところで片手落ちなんだよ。お前の走りにはハートがねえ。

 

 たしかにリシュはすげえ。

 例えるのなら霧が立ち込める森の中、ろくな灯りも持たずに走っているような心細さを感じさせる。そんな強大さと底知れなさがコイツにはある。

 だがな、いくらリシュでも俺の中の覚悟という、熱く燃え盛る炎は消せねえのさ。この炎がある限り、俺が霧に迷うことはねえ!

 ……ふっ、決まった。

 

 んなアホなことを考えている余裕は、第三コーナーを曲がる頃には消えていた。

 

 息が苦しい。視界が白く濁る。

 俺が経験したことのないハイペースでレースが進んでいる。いや、これがG1クラスの通常なのか。2000mという距離もデビュー前のウマ娘には長めだ。

 知っていたさ、そんなことは。それを念頭に置いてトレーニングを積んできた。それでもレース本番とは全然消耗が違う。

 あれだけ努力したのに、なんて甘ったれた口を叩く気はねえ。たしかに俺はこのレースに目標を定めてからというもの、すげえ充実したトレーニングができていたと思うし、めきめきと実力もついたとも思う。

 だがそんなの、先輩たちは二年も三年も同じことをしてきたんだよ。俺の数か月の“すげえ充実したトレーニング”が先輩たちの数年の経験値に匹敵すると考えるのは努力ってもんに対しても、先輩たちに対しても失礼だ。何よりトゥインクル・シリーズをバ鹿にしている。

 それでも、それでも勝ってやると思ってたんだ。

 

「よし――いくよ」

「……!」

 

 もう見るべきものは見た。

 そう言わんばかりにリシュが動き始める。前にあった背中がみるみるうちに遠くなる。

 作戦ではここでリシュについて動くはずだった。実際、リシュが追い抜かした先輩たちは誰も彼も動きがおかしくなる。接触するわけでも、進路を妨害するような走りをしているわけでもないのに、ヨレていく。

 決して大きいとは言えないアイツが、周囲をひき潰しながら猛進していく。アイツのための道が切り開かれていく。

 

『動いた! 五番テンプレオリシュ行きました。すいすいと間を縫って徐々に前へと詰めていきます』

『六番ウオッカそれを追走、できない! じりじりと距離が離されていく』

 

 俺がそれに追従できなかったのは単純な話。俺とリシュではスペックが違い過ぎただけのことだ。

 じわじわと霧のように、音もなく侵蝕するリシュのプレッシャー。それがブライアン先輩に襲い掛かるところを、離された俺は見ていることしかできなかった。

 

「ほう……面白い……!」

 

 ブライアン先輩の金色の瞳がリシュを見た。

 

 領域具現――Shadow Break

 

 俺は見た。世界が塗り替えられる様を。

 荒野。草が消え木が枯れた灰色の荒野が広がる。

 その景色を覆い隠していく影。周囲から押し寄せ、中心にいるブライアン先輩までも覆い隠すかに思われたそのとき。

 ブライアン先輩はそれを地面ごと砕き割った。砕かれた大地から光が迸る。絶大なエネルギーが先輩に、怪物と呼ばれたその人に宿らんとする。

 

「いただきます」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード)

 

 その世界が、喰いちぎられた。

 見えたんだ、本当に。

 劈く光に退散した、ブライアン先輩の世界にもとからあった影じゃない。別の『黒』がブライアン先輩の展開した世界に割り込んで、バッサリ刈り取っていった。

 ひとまわり縮小される世界。同時に、彼方で新たな光が生まれる。

 その光の座標は、リシュがいるところだった。

 

――もしかするとレース中、きみは不思議な光景を目にすることがあるかもしれない

 

 ちくしょうトレーナー。あのとき言っていたことってこれかよ。

 めちゃくちゃじゃねーか。こんなの予想できるかよ。

 

――そうなったら絶対に無理はしないでほしい。後でちゃんと説明するから、怪我をしないことを第一に優先してくれ。それさえ約束してくれるのなら、俺はいくらでもきみを応援する

 

「うそ、あれって……」

 

 バ群の中から戸惑った声が聞こえる。意識して口を開いたわけじゃない。許容量を超過した困惑が、言葉として漏れ出してしまったような。

 俺は口を開く余裕すらなかった。

 

『ナリタブライアンもここで動いた! やすやすと強豪集団を追い抜き先頭に躍り出る。しかしテンプレオリシュもそれに続く、並んでいる!』

『これは、まるで“怪物”が二人というべきでしょうか』

 

 地面に食らいつくような独特の低い姿勢。弓から放たれた矢のような極端な加速。

 似通うどころじゃない。いまのリシュは“怪物”ナリタブライアンにあまりにも近すぎた。

 あの奇妙な光景がこの現象と無関係とは思えない。だがそんなこと、どんどん遠ざかっていく先頭に比べたらいまの俺にはどうだっていい問題だ。

 ちくしょう。追いつけねえ、そう思いそうになっちまう。あの選抜レースのときと同じように。

 バ群に遮られ、暗く遠くなっていく銀の髪。スカーレット、お前はずっとこんな光景を見てきたのか?

 

『二バ身、三バ身、みるみる距離が開いていくぞ。群れの中に答えなど無いと言わんばかりの熾烈な先頭争い!』

『第四コーナーカーブを抜けて直線に入りました。勝負はこの二人に決まったか?』

 

 ……出会った時、ライバルってやつになれるんじゃないかと思っていた。だがスカーレットは、いつも俺よりほんの少しだけ先んじていた。

 俺が坂路トレーニングを二本やって吐きそうになっている隣で、アイツは三本やって吐いている。言ってしまえばそんなわずかな差。だがハナ差もあればそれだけでレースじゃ一着と二着に分かれちまう。

 明確に目指すべきものの有無。憧れを抱いていた俺と、背中を追っていたスカーレット。俺とアイツを隔てる差はそれだった。

 あの一番大好き女が、常に二番手に甘んじることになった原因。それにアイツは逃げることなくいつだって、何度だって挑み続けた。

 思い返してみればアイツが俺にくれた情報の数々だって、ひとつひとつアイツが打ちのめされながら拾い集めた貴重な武器だったのだろう。

 目標に向かってどこまでも走り続ける灼熱の瞳。

 それが俺の記憶にも焼き付いている。アイツなら絶対にこの状況になっても諦めない。無責任に確信できる。ここで諦めちまえば、きっとこの距離は縮まらない。置いていかれる一方だ。

 ライバルってやつになれるんじゃないかと、勝手に見込んでおいて。いま勝手に置いていかれようとしている。

 

 そんなのダサすぎるよな?

 

 首を下げんな! 諦めんじゃねえ! わりぃトレーナー。無茶しないって約束したけど無理だわそれ。

 父ちゃんに連れられて初めて見たダービーでは誰一人として最後まで諦めなかった。『勝ちは譲らねえ』『道を開けろ』『一着は自分のもんだ!』ってオーラが出まくってて、あのカッコよさに俺は憧れてトゥインクル・シリーズを志したんだろうが。

 魂に火を入れろ。フルスロットルで駆け抜けろ。これが俺の限界だっていうのなら、いまここで超えてやる! メーター振り切っていくぜえ!

 

 俺はウオッカだ!!

 

 領域具現――カッティング×DRIVE!

 

 世界が開けた。

 ポスターカラーに塗り分けられた鮮やかな視界の中、乱立する色とりどりのウマ娘の影の間を駆け抜けていく。

 障害物を避けながら走るというのに減速どころか、どんどん自分が加速してくのがわかる。身体の奥から湧き上がる万能感。

 見えた。目と鼻の先とはいかないが、ぱっくり開いた空間の向こうで競り合うブライアン先輩とリシュの姿。

 

 目が合った。

 

『ウオッカ!? すごい足で上がってきた。見事なごぼう抜きを見せます!』

『残り200mでウオッカも抜け出した! 驚異的な末脚、このまま差し切れるか!?』

 

 どん、という衝撃が胸に伝わる。

 いや、もっと奥の方か? スパートに入ってんだ。本来見えるもんじゃない。リシュが振り返る余裕も、俺がゆっくり自分の身体を見下ろす余裕もないはずだからな。マンガとかでよく見る心象風景ってやつなのか。

 自分で食らってみてわかった。この『黒』は剣だ。

 光を反射せず、吸い込んで離さない漆黒の長剣。回遊魚のように無数にリシュの周囲に展開されたそれらの、そのうち一本が俺の胸に生えてやがる。ここから柄が見えるってことは、刃先は貫通して背中からこんにちはしてるんだろう。

 痛みはない。ただあるべき熱量を持っていかれた寒さが俺を通り過ぎる。漆黒の長剣がそのまま滑らかに俺のことを両断してくれやがった後、俺の周囲に展開されていた世界は一回り小さくなっていた。

 縮まりかけた距離が、また突き放される。

 

『ウオッカ届かない!? ナリタブライアンとテンプレオリシュ、もつれるようにゴールイン!! 体勢的にテンプレオリシュが有利か!?』

『テンプレオリシュは最後にもう一伸びしたように見えましたね。それにしても三着までにデビュー前の子が二人とは、すさまじい世代が到来しそうです』

 

 外からはわからなかったのかもしれねえ。でも、この距離で一緒に走った俺にはどっちが勝ったのかはっきりわかった。

 は、はは……。やりやがったリシュのやつ。

 

『結果が出ました。一着はテンプレオリシュ! 新世代の怪物が勝利の産声を上げました!』

 

 怒号と悲鳴のような喝采がレース場を揺るがす。

 全部出しきった。なんなら限界だって超えた。確実に俺は走る前より強くなった。あの万能感の残響は今でも脚に残っている。

 それでも届かなかった。

 これが、スカーレットが追い求め続けた相手。テンプレオリシュか。

 

「ウオッカ氏」

「うおっ……なんだよ、リシュ」

 

 相変わらず足音しねーなコイツ。膝に手をついて肩で息をしている俺と似たり寄ったりの消耗具合。ぽたぽたと流れ落ちる汗はこれまでの模擬レースや選抜レースには見られなかったものだ。

 それでも既にスタスタと歩き始めていたり、呼吸が急速に整ったりしているあたり格上感がハンパねえけど。

 

「びっくりした。体はへーき?」

「ああ、なんとかな……おう、そうだリシュ。あれはいったい」

 

 リシュはゆっくり首を横に振った。動きに流石に疲れが見える。

 

「ごめん。それはウオッカ氏のトレーナーから聞いて。決まりだから」

「お、おう」

「……うん。ほんとうに大丈夫そうだね。よかった。それじゃ」

 

 くるりと踵を返してその場を後にしようとしている。その姿を見て、ようやく俺の中に悔しさが湧いてきた。

 あのブライアン先輩に勝ちやがった。それは確かに偉業だろう。だが、素直に感心するだけだったら観客席にいけって話だ。俺はターフの上にいるんだよ。今も、これからもだ。

 

「リシュ!」

「ん、なあに?」

 

 赤と青の瞳が俺を見る。そこにまっすぐ指を突き付けてやった。

 

「三冠目指すんだってな? リベンジだ。俺はダービーを取りに行く。そのときまで首を洗って待ってろ!」

 

 目が見開かれる。意外なことを聞いたかのように

 そして、にへっと笑った。変な話だが初めて目が合った気がした。

 

「次も私が勝つよ、ウオッカ」

「上等だ! 吠え面かかせてやんよ」

 

 認める。いまはこれが精いっぱい。視界に入るのがやっとだ。

 だが一年後は背中を拝ませてやる。そう決めた。

 ガキのころから憧れだった俺の中のダービー。それが『目標』に変わった瞬間だった。

 

 

 

 

 

「あれは“領域”と呼ばれているよ」

 

 レースの後。

 無茶をしたことで何か怪我でもしていないかと詳しく調べられて、そんでもってトレーナーとの約束を破ったことを叱られて、しかしあの状況で無理をするなというのがそもそもどだい無理な話であったと逆に謝られて、そんなトレーナーに泡を食って頭を上げてくれと促して。

 ひととおりやるべきことを終わらせてから、トレーナーは約束通り説明してくれた。事前に対策会議をしてくれた義理とでもいうべきか、この場にはスカーレットの姿もゴールドシップ先輩の姿もある。

 

「りょーいきぃ?」

「そう。ウマ娘が別世界から受け継いだ魂が持つ不思議な力、それを極めたもののひとつと考えられている」

 

 別世界から俺たちが受け継いだ魂。一般的にはウマソウルと称されるそれ。俺たちはそこからときに数奇で、ときに輝かしい歴史と名前を別世界から受け継いで走る。

 “領域”もその受け継いだもののひとつ。魂に刻まれた必勝パターンをトレースすることでウマソウルを活性化させ、一時的に圧倒的な力を出す必殺技のようなものなのだとか。

 

「なんで教えてくれなかったんだよ、トレーナー?」

「危険、いやなんと表現するべきか。取り扱い注意なんだこれは」

 

 詳しく聞いてみると、“領域”ってのはけっこうややこしいものらしい。

 誰もができることではない。

 心技体が充実したウマ娘ほど到達する傾向が高いと見られているが、G1クラスと評されるウマ娘にだって使えない者は数多くいる。その一方で俺みたいにデビュー前のウマ娘が発現することもある。

 今回は三着だったが、あのメンツのなかで俺が上から三番目の実力者だったなんて流石に自惚れちゃいねえ。だが、たしかにあのレース中“領域”を使ってきたのは俺以外じゃブライアン先輩とリシュの二人だけだった。

 

「きみたちウマ娘は強さに貪欲で、そして真面目で誠実だ。だから“領域”の存在を知れば何としてでもそこに至ろうとする」

 

 その結果、お決まりのように発生するオーバーワーク。それでも到達することが叶わず、身体や心を壊したウマ娘がこれまでに何人もいたらしい。

 また、生徒の前ということを配慮したのか直接的な表現ではなかったが……。どうも成果を出せない担当に業を煮やしたトレーナーが“領域”に打開策を見出し、無謀なトレーニングを課すなんてこともあったらしい。そちらの結果もご察しの通りだ。

 

 それに“領域”はたしかに勝負の決定打になりうる強力なものだが、それだけで勝てるほどレースは浅くも甘くもない。

 “領域”は使えないものの総合的に実力が高いウマ娘が未熟な“領域”使いを降す展開もそう珍しいことではないらしい。

 

「だから、トレーナー養成所の段階から“領域”の扱いには徹底的に指導されるんだ。“領域”のことを教えるのはそのウマ娘が“領域”に触れてからってね」

「あー、だいたいわかってきたぜ。でもゴールドシップ先輩はともかく、スカーレットもここにいるけどそれはいいのか?」

 

「アタシはリシュにぶっ刺されたことがあるもの」

「ああ、アレかぁ……」

 

 またスカーレットに一歩先を行かれていたという事実に思うところがないわけじゃねえけど。同じくぶっ刺された仲間、同情心みたいなもんの方が先にくる。

 

 俺が見た摩訶不思議な光景は自身も“領域”に至れるだけのポテンシャルが存在しなければ知覚できないんだとさ……資格ある者のみに許された光景とかカッケェなあオイ。

 ごほん、ともかく! スカーレットのように幼少期に自力で目覚めたウマ娘経由とか、どうしても情報は洩れるので明文化された罰則こそ無いが。ウマ娘の未来を摘みかねない行為として、トレーナー側から“領域”の存在を告げるのはタブー視されているのだと。

 そもそもトレーナーはまずあの光景を知覚できないので、その存在を疑問視している者も一定数いるんだと。オカルトっていえばウマ娘そのものがわりかしオカルトなんだが、変なところで頭がカテーもんだ。

 なるほどな。トレーナーが事前に教えてくれなかった事情には納得できたぜ。

 

「ピスピース! ちなみにアタシの領域展開のルーティーンは『残り距離五割を切った時点で現在順位が全体の半分未満であること』だぜー」

「うへえ、“領域”ってすげぇ細かい条件があったりするんすね……」

「アタシの条件はまだ緩い方だぜ? 小難しく聞こえるかもしんねーけど、要は追い込みで走ってりゃたいていのレースで条件は満たせるからな」

 

 ゴールドシップ先輩曰く、ウマソウルに刻まれた必勝パターンだけあって一度その形を知覚してしまえば、後はあるがままに走っていれば自然とその条件を満たしやすい走法に収まるそうだ。

 とはいえ俺も自分の“領域”の発動条件、しっかり洗い出しておかないとな。

 

「一度踏み込んでしまえば状況から逆算して条件を探れるんだけど、いまのところ“領域”に踏み込む手がかりは感覚まかせの偶然くらいしか無いからね。それに頼るくらいならトレーニングで各種能力を上げた方が確実で安全なのさ。ウマソウルがもっとお喋りだったら助かるんだけど」

「っ! あのっ、ウマソウルって喋るんですか?」

 

 苦笑交じりに肩を竦めたトレーナーの言葉に、妙にスカーレットが反応する。

 

「えっ? いや、性格とか境遇とか『これがウマソウルの影響なんじゃないか』って言われているものは多々あるけど、情報の伝達が確実視されているのは現段階ではウマ娘の名前だけだね」

「そう、ですか……」

 

 なんなんだ? 今のは俺でも愚痴交じりの冗談だってわかったぞ。成績優秀な優等生サマが文脈を読み違えるような言い回しではなかったと思うんだが。

 物憂げに沈んだ様子のスカーレットに向け尋ねようとした言葉は、乱暴なノックと返答も待たずに開けられた部室のドアに遮られた。

 

「失礼する」

「おいおいせっかちだなあオメーはよぉ。ノックしたんなら返事くらい待てよ。そんなんじゃ一人前のアユ釣り師にはなれねーぜ。あ、いがぐり食うか?」

「いらん」

 

「うえっ、ブライアン先輩!?」

 

 入室するや否やゴールドシップ先輩がどこからともなく出した(本当にどっから出したんだ?)いがぐりを木で鼻を括るような態度で一瞥もせず断ったのは、なんと先ほどデッドヒートを繰り広げたブライアン先輩だった。

 俺はまだ疲れが抜けてねーってのにピンピンしてやがる。そういえばレース直後もあんま消耗した印象は受けなかったな。全力を出し尽くす前にゴール板が先に来たって感じがした。

 そこを含めてリシュの作戦勝ちといえばそれまでだが、地力でアイツがこの人を上回ったとはいまだに思えねえ。いや、負けた俺が言っても負け犬の遠吠えか……。

 

「いらっしゃいブライアン。もしかして生徒会の用事かい?」

「いいや。これを出しに来た」

 

 トレーナーの言葉にブライアン先輩が取り出したのはアオハル杯チーム参加要望、ってマジかよ。集団行動。チーム戦。お祭り騒ぎ。この人のイメージと完全にそぐわないんだが。

 別にチーム〈ファースト〉がランキング一位になって学園が徹底管理主義体制になってもいいってわけじゃなくて。管理主義だろうが自由主義だろうが従うときには従うし、受け入れがたいのなら構わず檻を食い破って外に出る。ブライアン先輩はそんな印象を受ける人だ。

 

「へえ、意外だな。きみはそういうのに興味がないのだと思っていたよ」

 

 トレーナーも同じ意見だったらしく、驚きながら届けを受け取っていた。

 

「でもきみが来てくれるのなら大歓迎だ。なにせ、まだチームが定員に満たなくてね。チーム名は〈キャロッツ〉にしようかと思うんだが、それを相談できるメンバーも満足にいないのが現状なんだ」

「興味はない、アオハル杯とやらにはな」

 

 ばっさりだ。硬直したトレーナーをゴールドシップ先輩が指を差して笑っている。

 

「だが、ここが一番味わえそうだと判断した」

「えっと、何をっすか?」

 

 トレーナーは硬直しているし、スカーレットはまだ物思いに沈んでいて反応が鈍いし、ゴールドシップ先輩はゴールドシップ先輩だ。自然と俺が聞く流れになった。

 猛禽類のような金の瞳がこちらを向く。

 

「『追われる感覚』というものをだ……これまで私は狩ることしか考えていなかった。歯牙にかける価値も無い弱者もいれば、力及ばず返り討ちになることもあった。だが、それはあくまで前や隣にいる相手の話だ。

 後ろからこちらを追ってくる、自分より格下だった相手。私に追いつき凌駕せんと迫る影。そういったものは視野の外だった」

 

 ぐ、と拳を握りそこに視線を落とす。いったい何が見えているんだろうか。俺にはなんか仕草がカッケェってことくらいしかわかんねえ。

 

「今になって姉貴があのとき抱いていた感情が少しわかった気がする。そして、私があの背中に追いつくためには知っておかねばならないことだ。そう思った。

 どうだ、ゴールドシップのトレーナー? 今のを聞いて、なお私を受け入れるか?」

「うん、歓迎するよ。ようこそ、ナリタブライアン。ところで念のため聞いておくんだけど、きみの担当はちゃんとこのことを知っているんだよね?」

 

「アイツなら否とは言わんさ」

「わかった。こっちで確認とっておくね」

 

 こうして俺たちのチームに新たなメンバーが加わった。

 定員に満たないという致命的な欠点に目を瞑れば豪華すぎるメンバーだ。なにせレジェンドが二人に、全員が“領域”に至っている。俺とスカーレットはまだまだ不安定極まりないものだが。

 ま、“領域”もしっかりモノにしたいけど、やっぱりまずは実力をつける方が先決だろう。派手な必殺技に気を取られて基礎がおろそかになるのはダセーからな。

 

 

 

 

 

 まあ余談つーか、蛇足つーか。

 

「なあスカーレット」

「なによウオッカ」

 

 気恥ずかしいから正面からは言えねえけど、今回の一件スカーレットにはすげー感謝してる。コイツがいろんな情報を提供してくれなけりゃあ、俺の善戦はありえなかっただろう。

 

「領域展開中にさ、リシュと目が合ったんだよ。そんときにさ、リシュの両目が紫に光っているように見えたんだが。アイツの目って右が赤で左が青だったよな?」

「へえ、それは未知の情報ね。詳しく聞かせてくれる?」

「いいぜ……その前にひとつ、俺の方からも聞きたいんだが」

 

 それはそれとして、気づいちまったからにはハッキリさせておきたいことがある。

 

「ぶっちゃけよお、俺がどのくらいリシュに勝てると思ってた?」

 

 スカーレットが持っていたリシュの情報。

 あれはひとつひとつ、敗北の中からスカーレットが勝ち取ったものだ。たとえチームメイトだろうが『仲間なんだから共有して当たり前』だなんて言えるシロモノじゃねえ。

 武器で、財産。自分の中に貯め込んだままにしたって誰も責めやしねえ。責めるのはスカーレットが流した汗と涙とゲロの価値をわからねえバカだけだ。

 それなのにスカーレットは惜しみなく俺に提供してくれた。でっけえ借りだ。それは間違いねえ。

 思い返せばトレーナーは、情報を聞くときにすげえ気を使っていた。注意深くスカーレットの表情を窺って、少しでもスカーレットが嫌がるそぶりを見せれば話をそこで切り上げられるように。そもそも対策会議がスカーレット主導で立ち上がったものでなければ、スカーレットから情報を聞き出そうとしたかどうか。

 

 だがレースを走り終えて、いろいろ見えるようになった今だからこそ引っかかる。

 コイツってそんな聖人君子みたいな性格してねえよな?

 それとチームメイトの勝利が自分の勝利みたいな価値観の持ち主でもねえ。自分自身が一番にならないと気が済まねえ『一番バカ』だ。

 じゃあ何が目的だったのかって話になるんだが。

 

「べつに、負けると思ってアンタを送り出したわけじゃないわ」

 

 スカーレットはじつに優等生な笑みを浮かべた。

 

「ただ、それ以上にリシュを知っていただけ。それだけの話よ」

「ほーん」

 

 知っていた、ねえ。

 スカーレットにとっては『信じる』までもなく、リシュが勝つのは当たり前のことだったってわけだ。俺は新しい情報を得るために用意された当てウマだったと。

 ふんふん、ほー、へー。

 

「おっしゃ決めた。俺クラシックでまずは桜花賞いくわ。そんでもってまずはテメーからぶちのめす」

 

 コイツにはでけえ借りがある。だがそれはそれ、これはこれだ。

 

「あーら、アンタはダービーにいくんじゃなかったかしら。三冠じゃなくていいの?」

「お前から勝ち取ったティアラの方がずっと価値がありそうだからな」

 

 一生に一度の三冠路線、ティアラ路線で担当同士がぶつかり合うトレーナーには悪いけどさあ。

 

「実現不能だってことに目を瞑れば『カッケェ』わよ、ウオッカ」

「吠え面かかせてやるぜ!」

 

 リシュが目標なら、スカーレットはライバルなんだよ。

 

 

 

 




固有スキル【因子簒奪(ソウルグリード)】Lv1
相手の固有スキル発動時にカウンターで発動。
その効果をもとの性能から一段階低下させる。さらにもとの性能から二段階低下した効果を自身に適応する。
相手へのデバフ効果はそのレース中のみだが、自身に適応されたバフ効果は以降習得済みのスキルとしてストックされる。

※スキルの記述がわかりにくいという指摘があったので少し修正しました。


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食い散らかした夢の跡

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U U U

 

 

 ウマソウル。

 それはウマ娘の根幹を成すものにして、いまだ神秘のヴェールが剥がれぬ未知。ウマ娘の不思議要素を辿ればだいたい根源はそこに繋がっている。

 

 ヒトとウマ娘、共に歩むその歴史の長さは太古の壁画の存在が示す通りかなり長い。

 だが世界の神秘の多くを科学が取り払ってなお、レースを走る彼女たちのために医学が寄り添ってなお、ウマ娘という存在そのものに対してわかっていないことは多い。

 わからないものをわからないままに受け入れている。それが当たり前だから。大切な友であることに違いはないので。まあ、そんなふんわりでやんわりしたこの世界の在り方が私は嫌いではない。

 

 そしてここにひとつ、人語を解するウマソウルが存在している。

 むかし、好奇心のままにテンちゃんに尋ねてみたことがあった。ウマソウルとはいったい何なのかと。

 

《そうだねー。『自分のことは自分が一番よくわかる』だなんてよく聞く文句だけど……リシュだって『今日の私の肝臓は三パーセント機能が低下しています』だなんてはっきりわかりはしないだろ? なんか体調悪いなーって漠然と感じるだけで。

 だからあくまでぼくが把握している、おおざっぱな認識の話になるんだけど》

 

 そう前置きをして、テンちゃんは話してくれた。

 

《ウマソウルってのは“願い”の結晶だ》

 

 願い? 異世界の『ウマ』って生物の魂なんじゃないの?

 

 そんなことを尋ねた気がする。テレビの中で専門家が、もったいぶった言い回しでそんなことを述べていたんだったか。

 そもそも当時の私がそんなことを聞いたのも、たしかそのテレビがきっかけだ。肩書だけはご立派な輩が私の半身を偉そうに語ることへの苛立ち。偉そうにしているアレの鼻を明かしてやりたい、そんな稚拙な功名心が背中を押していた。

 それに任せて、いつもおしゃべりなこの同居人が不思議と触れようとしない領域に踏み込んで、そして得られた『やっぱりアレは間違っていたんだ』という優越感。

 なんだか悪いことをしているようでドキドキして、でも悪くない気分だった。

 

《うん。他の世界ではどうなのかまでは知らないけど、この世界線ではたぶん違うと思う。ピースと本質的に同じなんだよ。あれもフレーバーテキストで『育成ウマ娘ごとの願いが結晶化された専用のピース』ってあったし。馬という概念に蓄積された信仰を名前で括ってパッケージ化したもの。それがウマソウルなんだろう。

 そもそも、ぼくがこちらに来た時点でご存命の原作はけっこうおられたからなあ。悪気があるわけじゃないんだろうけど、死を前提とする『生まれ変わり』の概念が介入するのはちょっとね。いやまあ、不幸な最期を迎えた馬たちが来世では幸せにって意味では生まれ変わりだった方が望ましい層もいるのか?》

 

 まあ言っていることが理解できたかというと話は別だけど。

 

《想い、祈り、信仰、まあ呼び方は何でもいいけど。有名な名前で括ればその容量は膨大なものになる。逆に、名前で括れさえしてしまえばいちおう形にはなるんだ。

 著名なサラブレッドに割り振っただけでは収まりきらない、馬という人類の友に向けられた様々な想い。零れ落ちたそれらがこの世界に根付くために自ら名乗ったのがリボンとかミニとかパルフェなんじゃないかな》

 

 当時の私いくつよ? 今年中等部一年なんだから、最高でも小学生か。まあそれを差し引いてもテンちゃんが言っていることは理解できないことが多々あるが。

 

《ウマソウルを構成しているのが原作ご本人、もといご本馬の魂じゃなくて人々の信仰だって根拠もいちおうあるよ。

 わかりやすいのはキングヘイローかな。史実の彼は雨が嫌いで砂埃も嫌い、それらが飛んでくる馬群の中も嫌い。なんなら夏の暑さも嫌いで、嫌なことがあるとすぐに勝負を投げてしまう。血統は優秀で能力もあるが悪い意味でお坊ちゃん気質だったという話だ。

 でもきっと、この世界のキングちゃんは『幾多の敗北を乗り越え栄光をつかみ取った不屈の馬』という信仰の結晶を宿した、泥と涙が誰よりも似合うご令嬢なんだろうさ》

 

 このセリフなんて最たるものだろう。当時、キングヘイロー先輩はデビューなんてしていなかった。

 どうしてデビュー前の彼女のことを見知ったように語れたのか、我ながらテンちゃんのふんわり予言はときどき底が知れない。

 

《でもベロちゃんと呼ばれるほど担当トレーナーにデレデレになっているエアグルーヴならちょっと見てみたいかも》

 

 しょせんはアホな私の片割れなので、それで畏怖したり嫌悪したりってことにはならないが。べろべろ担当トレーナーの顏を舐めまくるエアグルーヴ副会長……もはやそれ怖くない? 自他ともに厳しく律する女帝と呼ばれる彼女がそんな状態なら救急車呼ばないといけないでしょ。

 当時の私はどっちも知らないで、いや誰だよとツッコミを入れることしかできなかったけど。

 

 ああ、でも結局聞けなかったことがある。

 ウマソウルが願いの結晶だというのなら、テンちゃんはいったい誰の、どんな願いだったのだろう。

 

 

 

 

 さて、どうしていまそんなことを思い出しているのかというと。

 いま私が勝負服を着ているからだ。

 ウマ娘の魂の在り方を映し出す、レースを走るすべてのウマ娘の憧れ。その全てがオーダーメイドで作成されるこの世に一つだけの晴れ着。少し前まではG1でしか着用を許されなかったもの。逆説的に言えば、その所有はすなわちそのウマ娘にG1出走経験があることを意味する。

 

 G1 朝日杯フューチュリティステークス。

 クラシック三冠へと至る登竜門に今日、私は挑む。

 

 なお余談だが、今ではアオハル杯でも着用を許されている。トゥインクル・シリーズなら重賞(G2)ですら体操服で走ることを鑑みるに、非公式のレースとはいえどれだけ学園がアオハル杯を重視しているのかわかるというものだろう。まあ、ただ単純にお祭り騒ぎイベントってだけかもしれないけど。

 アオハル杯は勝負服を持っていない子もステージ衣装で走る華やかな催しなのだが、やっぱりせっかく着れるのだから勝負服で走りたいと思うのが乙女心。一回目のプレシーズンまでに間に合ってよかった。

 

 ここに至るまでの道程を思い出せば込み上げるものが……ある、かなぁ?

 メイクデビューを含めここまでOP、G3とのべ三戦走ったわけだけども、ぶっちゃけどのレースを走ったのかぱっとは思い出せないくらいには感慨が湧かない。

 勝てたことはもちろん嬉しい。賞金が入って嬉しい。将来の展望が立ってほっとしている。でも、誤解を招くような発言だが私が勝つのは当たり前のことだった。

 レースに絶対はないが、順当はある。順当な結果を特別に喜べるかというと、うーんって感じだ。

 

《レースよりも賞金の方に意識が向いてるってだけで、リシュって物欲はむしろ乏しい方だからなぁ。三年間順当に走れば将来困らないだけの総額が手に入るから、目の前のレースの賞金をいちいち目を血走らせて意識したりしないんだよねえ》

 

 別におかしいことじゃないでしょう?

 私は両親に愛情を受けて育った。必死になって求めずとも満たされるような育ち方をしたのだ。必要なものが必要なだけ揃っているのなら、必死にそれ以上を求めても荷物になるだけである。

 私は生涯年収をまとめて稼ぎに来たのであって、金に囚われる気はさらさら無い。金なんてしょせんは権利を数値化した目安だ。極論人類社会で生きようとするから必要なのであって、無人島だろうとジャングルだろうと生存可能な私たちには必須じゃない。

 

《どこにだっていけるし、なんだってやれる。ま、ある程度自然のある所なら食物連鎖の頂点に立って悠然と生きていけるだろうね》

 

 ただまあ、桐生院トレーナーは収得賞金などの出走条件を満たすことはもちろん、今のうちに長距離移動に慣れることを念頭に置いたレース場の取捨選択とか、未熟なジュニア級のウマ娘の身体に必要以上に負荷をかけず同時にレース勘を損なわない日程調整とか、すごく色々と考えてくださっていたようなので。

 勝利を得て感涙にむせぶウマ娘ちゃんたちも多い中、その熱意を共感せず、桐生院トレーナーにも熱を見せられないのは、少し申し訳ない気がしている。

 

《これまでのレースで一番きつかったのって種目別競技大会の芝2000mだもんね》

 

 うん、あれはひどかった。

 周囲がトレーニングの傍ら調整してきた中ひとりだけガチに焦点を合わせておいて、バ場が荒れていたという私にかなり有利な条件で、初見殺しの性質が強い私の固有とこれまでストックしてきたスキルをフル活用して、最後の方には使いたくなかった奥の手まで使わされて。

 それでもラストにあのタイミングでウオッカが覚醒していなければ負けていたと思う。ハナ差の勝利だったけど、私の方がナリタブライアン先輩より強いなんてとても言えない。

 

《未熟な者同士、仲間と力を合わせて圧倒的格上を辛うじて降す。少年マンガの黄金パターンだなー。修行パートを挟んで次はぼくらだけでも勝てるようになろうね》

 

 同意も無く一方的にウオッカの【領域】を刈り取ったのを『仲間と力を合わせて』は流石に装飾が過ぎるのでは?

 

《どうあがいても過去に起こった事実は変わらないんだ。だから真実くらいは耳触りよく装飾したもの勝ちなのさ》

 

 ほんとに物は言いようだ。まあ、私も別に悪かったと思っているわけでもないので強くは言えないけど。

 真剣勝負の最中に相手にデバフをかけるのも、相手を糧にして成長するのも、真っ当な戦術だろう。

 

《うーん、そのあたり見解が一致し過ぎて逆に心配というか罪悪感というか。悪影響与えちゃったかなぁ》

 

 はっ、何をいまさら。

 それはさておき、種目別競技大会はレースも大変だったけど、その後もまたひどかった。奥の手を使わされたことでテンちゃんがレース直後からダウン。おかげで私は絶不調だ。独りは本当にダメなんだって。

 我が身で経験するたびに思うのだが、やっぱり人格がひとつしかないというのは構造的欠陥が過ぎるんじゃなかろうか。

 自分を俯瞰してくれるもう一人の自分がいないから単純に視野も思考も狭まるし、相談しながら物事を決めることもできず、何か間違えそうになっても忠告が来ることも無い。自分にしかわからない達成感でニヤニヤしているときに喜びを分かち合ってくれる相手もいないのだ。当然、すべてを放り捨てて寝込みたいときにそっと代わってくれる相手もいない。

 前世でいったいどんな悪行を働いたらそんな目に遭うのだろうと思うが、それが普通の人間というものらしい。人生ハードモードすぎるだろう。

 

《じゃあきっとぼくらは前世でとびっきりの善行を働いて徳を積んだんだろうね》

 

 そうなんじゃない? 私に前世の記憶は無いけど。

 

《ぼくにも思い当たる節は無いから、やっぱり善行とか悪行とか関係なさそうだね》

 

 あっそう。

 

 まあ、それだけならいいんだ。あまりよくはないけど自分の意志で選んだ奥の手、テンちゃんが復活するまでは何とか耐えられる。

 想定外だったのは私の内面の変化。妙に肉ばかり食いたくなったり、孤高を気取ってみたくなったり、知りもしないバイクについて語ってみたくなったりした。

 特に印象深かったのは臓腑の底に溜まるような、ぐつぐつと煮えたぎる飢えと乾き。

 あれがウマ娘がレースにかける情熱なのだとすれば、普段の私は本当にのほほんと走っているのだろう。だからといって何かを変えるつもりはないけど、他者の視野を理解する貴重な経験だったことは事実。

 今はもう治ったから言えることだけどね。

 

《アレはナリブの衝動だから一般のそれと比べるとだいぶ濃度が高いと思うよ……レジェンド級の因子をいっきに取り込んだせいでしばらく消化不良を起こしていたんだ。今はもう完全に取り込んだし、それでノウハウも確立できたから次はもうこんなことは起こらない、はずさ》

 

 微妙に不安が残る太鼓判をありがとう。

 メイクデビューまでに調子を持ち直せたのは本当に運でしかない。改めて桐生院トレーナーには感謝しなければならないだろう。

 

 これまでの三戦、何も得られなかったかというとそうではない。

 むしろその逆。何を走ったのか思い出せないほどにレースそのものに対する関心は薄いが、一走一走ごとに私の中にかけがえのない経験が蓄積された。

 どのレースを走ったのかは思い出せないが、一緒に走ったウマ娘たちの顔は忘れない。

 

 

 

 

 

 メイクデビュー。実は私は走っていない。

 その名の示す通り全員がデビュー戦。不慣れなウマ娘同士、接触などの事故が怖いからという理由でテンちゃんが逃げでぶっちぎった。触れるどころか影すら踏ませない徹底ぶりだった。

 私がやったのはウイニングライブだけ。

 テンちゃんには活動時間の制限があるとはいえ、私たちの勝利ではあるが私が走ったわけでもないレースのセンターを務めるというのは何だかむず痒かった。

 

 でも、そんな呑気なことを考えていられたのも最初のうちだけだ。

 

 『Make debut!』。すべてのウマ娘が経験する始まりの曲。

 瑞々しい可憐な歌声の中に隠しきれない震え。笑顔の仮面では覆い隠せない激情のこわばり。それでも彼女たちは歌って踊り、二着以下のパートを見事に舞台の上で演じきった。

 以前にも少し触れたがこの時期のメイクデビュー戦、私の同学年はかなり少ない。

 その大半が一年以上うえの学年、同等の時間をかけてデビュー目指しトレーニングを重ねてきた先輩だ。それなのにデビュー戦の勝利を入学したての後輩にかっさらわれた。先輩とはいえ相手は年頃の少女。面白くない、なんて軽い言葉では済まないだろう。

 でも彼女たちはレースの結果から逃げなかった。最後までライブをやりきり、きっと思い描いていたものではない形で拍手と喝采を受け、笑顔を返したのだ。

 

 それを見て、肌で感じて、ようやく私は自分がトゥインクル・シリーズにデビューしたのだということを理解した。頭ではわかっているつもりで、覚悟が足りていなかった。

 たぶんこれが私の中で『お金を稼げるかけっこ』から、『レース』に意識が切り替わった瞬間だった。

 

 あとそれはそれとして、自分が初めて稼いだお金というのも重要なイベントだ。

 後日、自室で子供の小遣いには過ぎた額が記載された明細を見てはニヤニヤして、同室のリトルココンに変なイキモノを見る目を向けられたのは真新しすぎる黒歴史だろう。

 

 

 

 

 

 オープン戦。ある意味で私の本当のデビュー戦。

 これもレースそのものにさしたる感慨はない。

 一勝したウマ娘たちなら多少はレース巧者、事故が起きる心配も少ないとテンちゃんのアドバイス通り先行策で走り、順当に五バ身差で勝利した。単純な実力差の結果だ。

 勝って、わかった。これがクラシック級、シニア級と時間が経てばともかく、現状だと同期に敵はいない。一見して勝てそうだと思った相手に、ただ勝つべくして勝てる。

 そして少し怖くなった。私はこれからいったい、どれだけのウマ娘の想いを踏みにじることになるんだろうって。

 ひとつのレースにつき現状のURAのルールならフルゲートで最大十八人。その中で勝利の栄光を掴めるのは先着一名様までで、たぶんその一名は常に私だ。

 手加減なんて論外。レースに八百長はご法度だ。だけど私は知ってしまった。他の子たちがどれだけの熱意と衝動をレースに向けているのか。こんなことを考えること自体が傲慢だ。それもわかってるつもり、だけど。

 楽しく走りたいとか、お金を稼ぎたいとか、そういう動機が低俗で。ただ一着を取りたいとか、日本一になりたいとか、憧れのタイトルを制したいとか、そういう動機が高尚などと思っているわけでもない……はずだ。

 いや、やっぱりウソかもしれない。きっと私は数多のウマ娘の夢を摘み取る。その摘み取った夢たちを天秤の片方に、もう片方に私の想いを乗せて、それが私の方に傾くのか、あるいはせめて釣り合いがとれるのか、それが不安になってしまったのだ。

 

《胸を張れ。勝者が背中を丸めていたら、敗者はどこで泣けばいい?》

 

 こういうとき、背中を押してくれるのはやっぱりテンちゃんだ。

 

《光に近づけば近づくほど影も大きくなって、でもその陰の中でしか泣けない者たちがいる。光源に近い者が背中を丸めたら影が小さくなってしまう。丸まった弱気の背中に誰が嫉妬と羨望の視線を向けたがる?

 リシュのその優しさはとても素晴らしいものだと思うけど、ここでの謙遜は美徳じゃないよ。誰かが勝てば誰かは負ける。ぼくらが走らずともそれが変わらないのなら、だったら勝つのはぼくらがいい》

 

 ……うん。そうだね。

 そもそもレースとはそういうもの。スポーツという存在そのものが優秀な遺伝子の選別という側面を持つ。

 私たちウマ娘は勝つために走るけど、興行側からすれば一着とそれ以外を選り分けるために行っていると表現することもできる。

 だったら私は君臨しよう。常に優良種に選別される側であるというのなら、見上げるに値する暴君の背中であろう。

 たとえ私のレースにかける動機が生涯年収をがばっと稼ぎたいというしょーもないものであったとしても、それが気に入らないというのなら私以上の才能を持って私以上に努力をしてかかってこい。受けて立つ。そして私が勝つ。

 

 メイクデビューがトゥインクル・シリーズで走る覚悟を決めたものであったのなら、OP戦は私が他のウマ娘たちに勝利し続ける覚悟を決めた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 G3。いわゆる重賞レース。

 勝ち続けているとつい失念しそうになるが、勝利の栄光を掴むことができるウマ娘なんて全体の一握りだ。

 中央に合格という、そこらのウマ娘の憧れをスタートラインと定義したとしても。まずトレーナーの目に留まってデビューできるかで最初の関門がある。さらにデビューしても引退までに勝利を経験できるのは実のところ全体の三割程度と言われており、つまり七割のウマ娘は何の成果も残せないまま学園を去る。華やかなスポットライトに隠されたレースの影の部分。

 そんな世界において、重賞というのはひとつのゴールだ。幾多の戦いを乗り越え多くの挫折を経験してきた者が、最後に掴む栄光。これなら胸を張って引退できるという成果。

 

 まあ私にとっては感慨も無く走り抜けた道中の一環でしかなかったけど。

 それを悔やむつもりはないが、それはそれとして心が荒みそう。名門と呼ばれるウマ娘の子たちって幼少期からこんな世界に生きてるの? 尊敬するよほんとに。

 

 このレースでは勝ち方にこだわった。これまで積み上げてきたもの、新たに学んだこと、そして直感、それらを組み合わせた成果を試す場として使わせていただいた。ジュニア級とはいえ重賞レース、相手にとって不足なし。

 先行スタートで好位につけ、最後の直線で抜け出し一バ身差でゴール。二着の子は表情が死んでいた。気づいたのかもしれない。

 きっちり一バ身。計算通りで、計画通り。パドックで各出走者の仕上がりを見て、展開を予想して、展開を支配して、そして想定外は最後まで起こらなかった。

 

《ぼくらが見習うべきはナリタブライアンじゃなくてシンザンだ》

 

 神と称えられる三冠ウマ娘、シンザン。

 伝説よりもさらに遠い、神話の住人。

 彼女が圧倒的な存在であったことは現代まで残る数々のエピソードが示す通りだが、一方で当時のファンからは『そんなに圧倒的に強いウマ娘だとは思わなかった』という評価も残っている。彼女のレースは僅差の勝利が多く、ナリタブライアン先輩のように何バ身も差をつけた圧勝はほぼ無かったのだ。

 最終戦績十九戦十五勝、二着四回。現代に至るまで破られていないこの神話もいま歴史として振り返るから一目瞭然なだけで、当時の人々の目からひとつのレースだけ切り取ってみれば勝ちは勝ち、負けは負けだろう。

 

『シンザンは銭のかからないときは走らない』

『利口な子で、無駄な走りをしないウマ娘だった』

 

 当時のトレーナーは彼女をこう評したとも伝わっている。シンザンは『ハナ差勝ちでも勝ちは勝ち』という信念の持ち主であり、レコード勝ちに興味を示さなかった。

 その気になればいつでも取れるものを、どうして必死こいて狙う必要がある? そんな自負に裏付けされた余裕が透けて見える。

 彼女が全力を出すのは終盤の勝負所のわずかな時間のみであり、ゴールが近づくとスピードを落とし、ゴール後は誰よりも早く止まってさっさと引き上げていったなんて逸話もある。

 まあ、トレーニングでも全然走ろうとせず、調整が間に合わなかった分オープン戦をトレーニング代わりに使っていたなんて逸話までは流石にお手本にしようとは思わないけど。それでも二着にちゃっかり収まっているあたり本当に規格外だ。

 

『レースをトレーニング代わりに使うのはファンや評論家の立場からすれば腹が立つ』

 

 当時の評論家の苦言も残っている。

 ちなみに生涯四回の二着のうち三回はオープン戦だったそうな。すべてのレースを万全の状態で走っていれば、いったいどんなことになっていたのやら。

 

 私の目標も記録を残すことではない。レースに勝つことだ。

 レコードタイムとは伊達や酔狂ではない。ウマ娘たちが限界に挑戦しぶつかった壁、その記録だ。つまりレコード更新とはウマ娘の生物学的限界に挑戦するということでもある。

 レコード勝ちは健康によくない。いや何言ってんだお前と思われるかもしれないが、走る側からすれば切実な問題だ。私がお金を稼ぐ理由は何も将来の入院費用を積み立てるためではないのだから。私にはレース場に骨をうずめる覚悟も信念も無い。

 だからこその一バ身。勝つべくしてきっちり勝つ。このG3はその手法を確立するためのレースだった。

 

 ……それに、だ。

 ウオッカ、アグネスデジタル、マヤノトップガン、そしてダイワスカーレット。

 私の狭い交友関係の中でさえ、同期にはこれだけ綺羅星のごとく才能の持ち主が存在している。

 だからいずれ、必ず来る。限界に真正面から衝突し、ぶち抜いてその向こう側にいくことを強いられるような健康に悪いレース。

 せめてそのときまで脚は温存させてほしい。ウマ娘の脚はガラスにも喩えられる。使いどころは見極めなければいけない。

 負けるつもりは毛頭ないのだから。

 

 

 

 

 

 さて、振り返ってみれば思ったよりも含蓄みたいなものがあったな。

 

《で、どうなのさリシュ。勝負服の着心地は?》

 

 そろそろむきあわなきゃ、げんじつと。

 

 それでもあまり直視したくないから、ざっくりした説明。

 今の私の格好。

 黒いロングコート。マンハッタンカフェ先輩のようなシックなものと比べると派手が過ぎ、黒繋がりでライスシャワー先輩のウェディングドレス風の衣装と比べると可愛らしさに欠ける。

 胸の上でクロスしたサスペンダー。これがスカーレットならたいへん目に毒な光景になったのだろうが、私だとうん、逆に未成熟さが強調されている気がする。

 右手に巻かれた包帯。左腕でじゃらじゃらと主張するシルバー。武骨なブーツ。極めつけは腰に一対の白と黒の長剣。

 長剣二刀流である。いやなんでだよ。刃のついていないレプリカではあるし、流石にレースの時には外す、グラスワンダー先輩のセイントジェード・ヒーラーの杖のようなパフォーマンス用のものだけども。

 いや本当になんでだよ。ウマ娘の腕力なら長剣で二刀流も可能だろうけど、それはそれとして大剣を両手で使った方が強いだろうに。創作の中では鈍重なパワー重視の武器というイメージが強いが、槍のリーチと剣の取り回しの良さを両立した高級な武器だぞあれ。

 

《ちなみに右の黒い長剣の銘は黒喰(シュヴァルツ・ローチ)でウマ娘の【領域】を切り裂いて吸収する魔剣、左の白い長剣の銘が白域(ホーリー・クレイドル)で吸収した【領域】を再展開する聖剣だよ》

 

 やめて!? 名前付きで解説しないでっ!

 せめて言語は統一しよう。何で黒い方はドイツ語なのに白い方は英語なの? 痛々しすぎるよぉ……。

 まあ要するに、一部の十四歳あたりに人気が出そうな大変香ばしい装いであった。

 これが私の勝負服。もちろん本番までに何度かこれを着て練習したが、しっかり全スペックが向上していたことがデータで裏付けされている。

 これで真価を発揮する私のウマソウルってなにさ!?

 

《あーいむ、ゆあー、うまそーうる》

 

 知ってるよ!

 

《ちっちっち、そこは『Nooooooooo!』だろ?》

 

 あいにく、うちの母親はホースの暗黒面に堕ちた被り物好きではないもんでね。

 

《うーん。ネタは通じるんだけど微妙にこの世界線では原作の方が変わってるんだよなあ。たしかにウマ娘がやった方がアクションは映えるだろうけど》

 

 戯言をほざいているテンちゃんが主犯ではあるが、この勝負服のデザインはいちおう私たちの要望を元にデザインされたものである。

 いや言い訳させてほしい。ほんっとに忙しかったのだ。毎日トレーニングに勉強にとヘトヘトになって、時間の余裕もあまりない。自然と要望をまとめるのは疲労と眠気がピークになった夜の自室となる。

 そんなときに脳裏で囁くモノがいるのだ。ついつい深夜テンションも相まってノってしまうのも仕方がないのではないだろうか。完成した品が届いたときも自分の勝負服が手に入った喜びの方が勝っていたし。

 それもこれからG1の大観客の前にこの姿で出るとなったら正気に戻ってしまうというものでして。

 

《仕方がないだろ、テンプレオリシュなんだから》

 

 何がどう仕方がないのか教えてくれませんかねえ!

 

《あ、長剣じゃなくて日本刀の方がよかった?》

 

 ありがとう長剣に踏みとどまってくれて!

 

 阪神レース場、出走ウマ娘に割り振られた控室の中にて。

 勝負服に着替え終わった後、精神集中のためにと私たちだけの時間をつくってもらったのに、こんな使い方でいいのだろうか。たぶんよくない。

 ちなみにウマ娘によっては、というかトレーナーがついていた方が精神安定が図れるって子の方が多数派なんだけど、私はふたりきりにしてもらった方がリラックスできる。そのあたりの機微をちゃんと斟酌してくれる桐生院トレーナーは本当に優秀だし、ありがたい。

 

《しかし、やっぱり中山レース場じゃなくて阪神レース場での開催なのか。たしかにスマホが普及しているご時世とはいえ、同期の顔ぶれを見ると改めてこの世界の時系列のごちゃごちゃ加減に困惑させられるなあ。阪神JFとの関係性とかどうなってんの?》

 

 テンちゃんが何に困惑しているのかが私はわからないよ。三冠路線とティアラ路線のどっちに進むかの差じゃないの?

 

 そんなもはや今日のレースとは関係の無い方向に話が逸れかけたとき、ウマ娘の鋭敏な聴覚が足音を拾った。もうパドックに移動する時間かと時計に視線を落としかけて、気づく。

 足音は三人分。ひとつは桐生院トレーナーのもの。先導するように残り二人の少し前を歩いている。そして残りの二つ分、おずおずと並んで歩いているこの足音。聞き覚えがある。聞き間違えるはずがない。

 

《え? これって……》

 

 テンちゃんも気づいた。ノックの音が部屋に響く。

 

「リシュ。開けても大丈夫ですか?」

「……どうぞ」

 

 半信半疑で桐生院トレーナーに応じると、桐生院トレーナーに続いて二人の男女も入室してくる。

 

「リシュちゃーん、ひさしぶりー」

「よお、元気でやっとるか」

 

 母と父がそこにいた。

 

 

 



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最初の冠

予約投稿の指定をうっかり「2021年」にしたせいで一時的にフライングするという事故はありましたが、改めて初投稿です(鋼の意志)
微妙に加筆修正しているので、昨日読んでしまった人は『こんなふうにしているのかー』と探してみてくださると幸いです。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

ラストのみ三人称パート


U U U

 

 

 え、いや、なぜここに?

 嫌なわけじゃない。ぜんぜん嫌なわけじゃないけど、ちょっと困る。いまの私は対レース仕様で調整を進めていたのだ。いきなり参観日とかやめてほしい。使用する脳内の回路がバグりそうになる。

 そもそも控室って関係者以外立ち入り禁止では? 学園の生徒はわりと普通に入れるけど、あれは中央の制服や勝負服が身分証代わりになるからだ。親族はグレーゾーンのような気がする。

 

「観客席でお見掛けしまして、つい声をかけてしまったんです」

 

 視線を桐生院トレーナーに向けると、彼女はいたずらっぽく微笑んで唇に指をあてた。

 

「ジュニア級のレースでガチガチに緊張してしまう子はけっこういるんです。そんなときに、現地に応援に来てくれた親御さんに直接励ましていただくのもわりとよくあることなんですよ。警備の人も慣れたもので、担当トレーナーが同伴していればこっそり見ないふりしてくれます」

 

 見ないふりってやっぱり黒寄りなんじゃないか。

 

《そもそも、その『よくあること』も桐生院ではって注釈がつくかもね》

 

 あー。ありそうだね。トレーナーの名門桐生院だからこそ融通が利くってのはあるかもしれない。まあそのあたりを深く考えるのはやめておこうか。

 私からすれば立派な大人に見える桐生院トレーナーも、正確な年齢は聞いたことは無いが外見や経歴から察するに二十歳前半あたり。社会人という枠で見ればまだまだお嬢さん扱いされる立ち位置だろう。

 善良だがやや天然なところのあるこの人が好きこのんで実家の権力を振りかざすとも思えないので、もし仮に自分が特別扱いされていたと知れば傷ついてしまうかもしれない。それは本意ではない。

 

「ご家族で積もる話もあるでしょうから。パドックへの移動まではもう少しだけ時間があるので、どうぞごゆっくり」

 

 ごちゃごちゃと考えているうちに、時間になったら呼びに来ますね、と桐生院トレーナーは一礼して出て行ってしまった。

 

「あらら、気を使わせてしまったかしら」

「いいひとだな。リシュのトレーナー」

 

「……うん。すごくいいひと、だよ」

 

 こうなってしまえばずっと同じ時間を過ごしてきた親子だ。久々の再会ということで多少ぎこちなくとも、言葉は繋がっていく。

 

「少し見ない間に大きくなった?」

「ううん、身長は変わってない」

 

「あらまあ、じゃあ中身が成長したのね。ひとまわり立派になったように見えるわ」

「えへへ、ありがとー。身体の方ももう少し伸びてくれてもいいんだけどね」

 

 主に話すのは母ばかりで、父の方はどうにも慎重に言葉を選んでいるうちに母に先を越され呑み込んでしまうということを繰り返していた。

 別に父との仲が悪いつもりはないけど。ここ最近の父は『思春期の娘』というレッテルに必要以上に力んでいるように思える。会社の上司から悲惨な武勇伝をさんざん聞かされたらしい。

 しっかり奨学金は勝ち取ったとはいえ中央の安くない学費を払ってもらっている立場だし、いわばスポンサーに『パパくさーい』みたいな舐めた口叩く娘に育ったおぼえはないんだけどなあ。

 

「サイズが変わっていないのならまた今度、こっちの方で適当に服を見繕って送っておくわね。どうせあなた達のことだから家で買った服ずっと着まわしているんでしょう」

「ん、ありがとう」

 

 あはは、ばれてーら。

 オシャレに興味がないわけじゃないんだけど、学園生活は忙しくって。いまんとこ制服とジャージと室内着でことが済んじゃうからわざわざ新しい服買いに行こうっていう気力が湧かないんだよね。

 ウィンドウショッピングでもすれば一目ぼれの出会いとかもあったりするのかもだけど、服を買いに行く服を見繕うのが面倒くさい。

 ……自分で言ってて少し危機感が湧いてきたな。女子のはしくれとしてもう少し気を使った方がいいのかもしれない。今度の休日、マヤノあたりと出かけてみるか。二人じゃちょっと間が持たないかもしれないからデジタルも誘おう。

 

 というか身長だよ、身長。

 この一年の身体能力向上の仕方からしてもう私、本格化来てるよね? ウマ娘って本格化迎えたらいっきに身体が成長するんじゃなかったのか?

 私の成長曲線、入学直後あたりからぴくりとも動いてないんですが。

 

《これはあれかなー》

 

 知っているのかテンちゃん。

 

《うん、たぶんね。本格化にはいくつかパターンがあるって説は聞いたことある?》

 

 いいや初耳。なにそれ。

 

《一般的な『本格化』は思春期の一定段階になると身体が急成長を果たし、その後は緩やかに衰えていくというヒトミミのそれより変化が著しい成長期のことを指す。広く知られるウマ娘の神秘のひとつだけど……。

 ウマソウルとの同調率が極めて高い場合、神秘はより露骨に干渉する。一部のウマ娘は外見的な変化がまったく起こらずむしろ固定され、しかし能力だけは飛躍的に向上していく『最適化』とも呼ぶべき形で発現するのではないか。やよいちゃんも外見通りの年齢であることが暗示されるシーンがいくつかあるのに、三年間まったく成長しないのもこれが原因なんじゃないかって考察があってだな》

 

 えっ。じゃあ私、トゥインクル・シリーズを走る間ずっとこれなの?

 

《『最初の三年間』の間は覚悟しておいた方がいいかもねぇ。まあその場合は身体能力の衰退期に入れば先送りにされていた身体の成長がいっきに適応されるらしいし、成長期がもう終わったって考えるよりは未来に期待する方がマシじゃない?》

 

 ええ、そりゃあそうかもしれないけどさあ……。たしかにこの体格が理由でレースに不利を感じたこともないけどさぁ。

 スカーレットのような……とまで贅沢は言わないから、せめて身長百五十はほしい。あらゆるものが視界の上に設置されていて、平均身長が自分の体格と噛み合わないというのはプチ巨人の国に迷い込んだような不便さを常々感じるのだ。

 

 それに身体が成長していけば当然衣服のサイズも合わなくなるわけで、一張羅の勝負服だろうとその法則は容赦なく平等に適用されるわけで。

 そのときにそれなりの功績を残しておけば、新しい勝負服も貰えるかなーなんて、少しばかり地に足がついていない妄想もしていたのに。

 

《そんなにこのデザイン嫌だった? それならさすがに素直に謝るけど》

 

「勝負服いいわねぇ。私はレースの道には進まなかったし、そもそもそんな才能なんて無かったけれど、やっぱりウマ娘の憧れだったわ。

 少し風変りだけどカッコいいデザインね! リシュが考えたの?」

「え、いや。私じゃないよ」

 

 うーん、嫌というか。

 ふとした拍子に『あれ? これもしかしてカッコよくね?』と思ってしまいそうな自分が嫌というか。複雑な思春期のオトメゴコロなのだ。

 

「やっぱりテンちゃんのセンスなのね。でもあなた達によく似合っているわ」

「あー、ありがとう……」

 

 というか秋川理事長ってウマ娘だったの?

 

「テンちゃんも今起きているの? そちらとも話したいから代わってもらっていい?」

「あ、うん。わかった」

 

 気にならないわけではなかったが、そこまで優先度の高い話題でも無かったので大人しく主導権を譲り渡して奥に引っ込む。

 

「テンちゃんもひさしぶりー。元気してたー?」

「……あ、はい。どうも、元気です」

 

 普段は傲岸不遜で傍若無人なテンちゃんも、父と母の前では借りてきた猫のようにおとなしい。

 両親は私とテンちゃんの関係性を明確に把握している貴重な存在だ。

 

――ひとり分の養育費で可愛い娘を二人も育てられるなんてお得だねえママ

――そうねパパ!

 

 テンちゃんの存在を知った時の彼らのやり取りは今でも鮮明に憶えている。まだ私がパパママ呼びするくらいに幼いころの記憶だけど、たぶん一生忘れない。

 器がデカいのか、頭のネジが外れているのか、娘の私からしても判別がつかないけど。

 この人たちは私の自己肯定感の根っこを作ってくれた。たとえこの先私が何かやらかして、日本中からバッシングを受けるようなことになったとしても、この人たちは絶対に味方になってくれる。そう確信できる。

 この両親のもとに生まれていなければ。異常者の自覚のある私は、もう少し承認欲求と自己肯定感に苛まれる人生を送っていたかもしれない。

 注がれた愛情を金銭に置き換えるなんて無粋な行為だとは思うけど。でもお金はあるに越したことはないよね。明確に稼げる手段が見えているのならなおさら。

 

「お正月は帰ってこれそう?」

「ちょっと難しそうです。桐生院トレーナーは本家でご挨拶があるとかで三が日にトレーニング自体は無いんですが、今年の年末からアオハル杯のプレシーズンが始まるんですよ。

 初めての開催ということで不測の事態に対応できる安全マージンは確保しておきたいですし、チームメンバーともより密接に意思疎通を図っておきたいので」

 

 私ではなくテンちゃんの方に予定を尋ねるあたり、母の中でどっちに信頼性があるのかが窺える。いやまあ、私も異論はないが。

 私よりもテンちゃんの方がだいぶしっかりしている。普段のテンションの高さに隠れがちだがあれでいて理知的というか、物事を俯瞰する傾向がある。客観的に、多角的に。そういう思考の癖は私もかなり影響を受けている。

 あの妙なハイテンションはきっと『そういうふうに生きよう』とどこかのタイミングで決めて、そして以降それを真面目に守り続けているのだ。どちらかといえば私の方が適当で不真面目と言えるだろう。

 

「あらそう、予想はしていたけどやっぱり残念。アオハル杯ねえ、復活のお知らせは保護者にも回ってきたけど楽しい? 活躍できそう?」

「もちろん。ぼくらはエースですよ」

 

 ふふんと胸を張るテンちゃんに、ようやく父がきっかけをつかんで話しかけた。

 

「用意しておいてよかった。少し気が早いが、正月に帰ってこれないのなら今のうちに渡しておこう」

 

 そうやって差し出されたのはぽち袋。クリスマスもまだなのにお年玉とは、たしかに気が早すぎる。クリスマスプレゼントの方は何かしらが郵送されてくると期待してよさそうだ。

 

「今日の賞金に比べたらはした額だろうがな」

「まさか。本当にありがたいですよ」

 

 トゥインクル・シリーズのウマ娘が稼いだレースの賞金やグッズ販売の売り上げは、少なくとも引退するまでは自由に使えるわけじゃない。URAの管理する口座に振り込まれ、そこから引き出すにはかなり面倒な手続きを必要とするし、その手続きを踏んだところで一度に引き出せる金額の上限も存在している。

 金銭トラブルはヒトミミ、ウマ娘問わず平等に発生する人類の宿痾だ。中には実家が金持ち過ぎてレースの賞金程度では小動もしないとこもあるが、そうじゃないところだって多いのである。

 金の卵を産むうちは絞殺されても困るので、トゥインクル・シリーズを引退するまでURAはこうしたセーフティネットを何重にも張っている。ゆえに私の経済状況はそこらの中高生と大差なかったりするのだ。

 

「これがテンちゃんのぶん。こっちがリシュのぶんだ」

「ありがとうございます」

 

 きっちり両手で丁寧に受け取るテンちゃん。私も一瞬だけ運転を代わってもらい、お礼を言って受け取った。

 

「そろそろリシュのぶんだけでいいんですけどねえ」

「もう、そんなこと言って。あなたがリシュのために使うのは自由だけど、私たちは娘ふたりにきっちり等しく愛情を注ぐって決めているの」

 

 きまり悪そうにテンちゃんが頭をかき、渡したのは父なのに口を開く前に母のセリフに塗り潰される。哀れ。

 昔からずっとそうだ。誕生日プレゼントも、ケーキのネームプレートに書かれる名前も、おでかけのときに買ってもらう服も、絶対に二人分。

 さすがにランドセルとかの一つあれば十分な必需品だったり、ケーキとか胃袋の容量の限界があったりするものは一人前だったが、嗜好品であれば可能な限りふたりの嗜好に合わせてふたつ用意してくれた。

 有言実行。私たちは娘二人分の愛情をしっかり注がれて育ったのだ。

 

「すみません。そろそろ時間です」

 

 ノックの音。両親と別れ、迎えに来た桐生院トレーナーについてパドックに移動する。

 返したい。たとえ見返りを求めた行為ではなかったとしても。受け取ったあたたかいものを、あのひとたちに。

 

《おーおー入れ込んじゃってまあ》

 

 ごめんテンちゃん。抑えが利きそうにない。

 

《まーそのあたりはこっちで調整するとして。健康に悪い走り、いっちゃう?》

 

 いっちゃおう。

 

 

U U U

 

 

 トゥインクル・シリーズはこの国における国民的娯楽であり、ましてやそのG1レースともなれば観客席は人で埋め尽くされるのが常だ。

 だが今日の観客席にはぽっかりと不自然に空いているスペースがあった。まるで目に見えない力場が発生してそれに人混みが押し出されているようで、あながちそれは間違いではないかもしれない。

 

「おっ、空いてんじゃーん」

「……ふん」

 

 “黄金の不沈艦”ゴールドシップと“怪物”ナリタブライアン。

 G1ウマ娘、それも歴史に名を刻んだ宝塚連覇グランプリウマ娘と三冠ウマ娘がひとところに揃っているのだ。レース場に足を運ぶ熱心なファンにとってもはや近寄るのも恐れ多い神々しいプレッシャーを感じることだろう。

 

「いやー。空いてるっつーか、場所を開けてくれてるって感じじゃねーっすかね。やっぱ先輩方のオーラマジぱねぇっす」

「どうもすみません。ありがとうございます」

 

 道を譲ってくれた相手にぺこぺこと会釈するトレーナーの横でウオッカがぽりぽりと頬をかきながら苦笑する。そう言う彼女も先日の阪神ジュベナイルフィリーズで一着を取り、見事G1ウマ娘の称号を手に入れた身だ。

 チーム〈キャロッツ〉。この場に四名いるウマ娘のうち三名がG1ウマ娘という異常な集団であり、逆に一名の無冠のウマ娘の精神力をたたえるべき状況であった。実際、この時期ともなると彼女たち以外にもメンバーは加入しているのだが、他に行き場が無かったという態度があからさまな数合わせ同然のチームメイトであり、この場への同行は辞退している。

 

「わざわざトレーニングを休んでまでレースを見に行くなどと言い出したときには呑気なものだと思ったが……甲斐はあったかもしれんな」

 

 ぶっきらぼうにナリタブライアンが吐き捨てる。彼女の脳裏では先ほど見たパドックでの光景が繰り返し再生されていた。

 焼き付いていた。あてられた本能が飢えを囁いているが、それ以上にこれから始まるレースをこの目で見たいという衝動が強い。あるいは観客がレースに抱く好奇心とはこういうものなのかと、この歳になって新たな知見を得た新鮮ささえ感じている。

 

「うん、それだけの価値はあると思っているよ。きっとテンプレオリシュはこれから三年間、あるいはその先を含めてトゥインクル・シリーズの台風の目になるだろうからね。

 彼女にとってこれが初めてのG1だ。これまでのレースでは見せなかった新たな手札を晒してくれることもあるかもしれない。

 記録自体はあとから何度でも見ることができるけど、ことウマ娘という神秘のカタマリに関しては自分の目で見ないとわからないことも多いから」

 

 チーム〈キャロッツ〉のチーフトレーナーは苦笑を返した。別にブライアンの態度は気に食わないことがあったなどではなく、ただ単純に彼女の性分に由来するものだと知っているので、その笑みに焦りはない。

 

「でもよぉ、大丈夫なのか? まさかリシュがあんなに入れ込んじまうとはなあ。アイツにG1だから気負うって神経があったのはなんか意外だが」

 

 ウオッカの中でもパドックの様子が思い返される。

 初めてのG1ということで入れ込んでしまうウマ娘は珍しくない。もともとウマ娘はヒトに比べ繊細な精神の持ち主が多いと言われているし、それを踏まえても年頃の少女なのだ。未知の大観衆の前に立てば萎縮してしまうのはおかしいことではない。

 G1はタイトルそのものが持つ重圧も、観客の動員数も桁違い。せっかく出走できても実力を発揮できないまま沈んでしまうというのも往々にしてよくあることだった。

 

 パドックで見たリシュは見るからにギラギラしていた。

 それはそれで周囲にとってはプレッシャーだろうが、幾度か対戦したウオッカとしては違和感の方が先立つ。

 ふわふわとして掴みどころのない底知れなさ。それがウオッカの知るリシュの脅威だ。

 猛禽類じみた重圧という面では一緒のチームでトレーニングしているナリタブライアンに勝るウマ娘などそういるものではない。そして自分らしさを忘れたままで勝ち取れるほどG1という冠は易くもない。

 ライバルではあるが、同時に友人でもある。ひとの良い彼女は純粋にリシュのことを心配していた。

 

「……ウオッカ、アンタはダービーでリシュとぶつかるつもりなのよね?」

「あん?」

 

 水を向けられたこの中で唯一の無冠の少女、ダイワスカーレットは最前列に座り大きく息を吐いて目を閉じる。

 ふわふわと曖昧な霧のありさま。あれは、あるいはリシュの配慮なのかもしれない。彼女の剥き出しの全力に直接触れたのは長い付き合いの中でも数えるほどしか無く、その数が今日また更新されそうだ。

 

「よく見ておきなさい。下手すればアレを自分で迎え撃つことになるんだから」

 

 これから起きる惨劇に、心を備えるために。

 

「それってどういう……」

『クラシックへの登竜門。朝日杯フューチュリティステークス。すべての道がここから始まる』

 

 ウオッカが聞き返す前にゲートインが完了し、出走の準備が整った。いや、もしかすると聞き返せなかったのかもしれない。

 解説によればくだんのテンプレオリシュは四番人気。ここまで無敗の三連勝ということを鑑みれば、ここが勝者のみが集まるG1の舞台だということを差し引いてもやや評価が低い気がしなくもない。

 パドックで彼女が入れ込んでいると感じたのはウオッカだけではなかったようだ。だがそんなこと、今となっては些細な問題に思えた。

 

「なんだよ、これ」

 

 身体が震えている。袖をまくってみると鳥肌が立っている。

 

『今いっせいにスタート! 全員が好スタートを切る中、八番テンプレオリシュ先頭に躍り出ました。後ろをぐんぐんと突き放してリードを広げていきますが、どうでしょうこの展開?』

『掛かってしまっているかもしれません。どこかで息を入れるタイミングがあればいいのですが』

 

 解説と実況があまりにも空虚に聞こえた。

 どうして気づかないんだ。本当にわからないのか。苛立ちすら募りそうになる。

 

「ほう、大逃げか」

「いや。あれもしかして差しじゃねーか? 周囲を突き放し過ぎているだけでよぉ」

「差しと言っていいのか、それは?」

 

 シニア級のレジェンドたちは平然と会話している。ウオッカは依然として震えが止まらない。感情よりも先に身体が、そして魂が理解していた。

 

「なんだよ、あれは……本当にウマ娘なのか?」

 

 このレースはもう決まった。他の出走ウマ娘の表情もそれを物語っている。

 格が違うというより、もはや『核』が違うような。根本的に別の何かがいるような気さえした。

 

『後続との距離が縮まらない!? むしろ広がる一方、これは決まったか! 後ろは大きく開いたぞ』

 

「ウマ娘よ、アイツは。おんなじウマ娘」

 

『テンプレオリシュの優雅な一人旅、大差をつけて今ゴールイン!! 大楽勝だっ、この子に勝てるウマ娘はいるのか!? 来年のクラシックに巨大な台風が迫る!』

 

「同じウマ娘、勝てない道理はないわ」

 

 掲示板が輝きレコードが更新されたと実況が叫ぶ中。

 ダイワスカーレットは言い放つ。その目は瞬きひとつせず、自身の左腕を痣ができそうなほど強く右手で握りしめていた。

 同じ時代、同じ場所に生まれてしまった彼女の頭上にいまだ冠は無く。

 それでも少女は走り続ける。一番じゃないと気が済まないから。

 

 

 

 

 

 朝日杯フューチュリティステークス。

 彼女が勝てたのは同期が弱かっただけ、と宣うこれまでの識者の意見をレコードという物証で一蹴したそのレースを見た人々はのちにこう語る。

 あれはもはや蹂躙であった、と。

 

 そして年末に開催されたアオハル杯プレシーズン第一戦。

 お祭りイベントという派手な色彩に隠されているがそれは、ジュニア級のウマ娘がクラシック級やシニア級のウマ娘たちと同じ舞台で戦う過酷なチーム戦だ。

 そこにいたのは無差別級の戦場を軒並みひき潰して勝利した小柄な葦毛。赤と青の瞳に達成感はなく、ただ当然のようにゴール板を駆け抜けていた。

 

 この年、世界は彼女を知った。

 




これにてジュニア級はおわり!
一週間以内におまけを投稿した後、クラシック級の書き溜めに移行します。

基本的に自分は「その章で書きたいことを一通り書く」>「全体の展開を見つつ加筆修正」>「投稿」というステップを踏んでいるので、一回投稿し始めたらそのまま連日いけるのですが……。

掲示板形式は客観的視点や集合知の感覚を掴みたいので、感想欄を参考にしながら『なるほどなぁ。そう見えているのかー』と書かせていただいているのですよね。
なのでできあがりまでのんびりお待ちください。
昨日も同じことを言った気がしますが気のせいです!


お詫びの気持ちばかりの追加要素↓


[†セフィロト・ソード†]
テンプレオリシュの勝負服。
視界に入れただけで漆黒の歴史を抱きし者たちを苦しませる力を秘める。しかし同時に、装備者の未来にも苦しみをもたらす呪われた装備である。
このデザインの原案を考えた者は意図的にこれらの要素を求めたようだ。


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【復活!】アオハル杯を語るスレ【アオハル杯復活ッ!】

お待たせしました。
オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

※レコード更新時にタイムオーバーは発生しないというご指摘を受け一部修正。情報提供ありがとうございました


1:名無しのアオハルかよ ID:HEw6wXEy1

アオハル杯復活!!

 

2:名無しのアオハルかよ ID:Ejy0HEowP

いやー、好きだったから復活してくれて嬉しいわ

 

3:名無しのアオハルかよ ID:KFs3dB2mP

でも以前に衰退したのは確かなんやろ?

復活したんはええが、何か活性化する改善案でもあるんかね

 

4:名無しのアオハルかよ ID:BqzevRDOl

あるから復活させんちゃうか?

あのちびっこ理事長はかなりやり手の印象

 

5:名無しのアオハルかよ ID:YBYEO1Krj

URAファイナルズもきっちり成功させたしな

 

6:名無しのアオハルかよ ID:O/PNQf0w8

芝の手配が間に合っていなかったって後で知ってびっくりしたわ

中央の生徒たちの協力あって開催にこぎつけられたってマジ美談

 

7:名無しのアオハルかよ ID:AqjOUiiwL

アオハル杯かぁ。前に開催したのはまだワイが小学生の頃なんやね

今大学のパソからこうしてスレ覗いているわけだからえっと、何年前になるんや?

 

8:名無しのアオハルかよ ID:viclb2zeV

えっ

 

9:名無しのアオハルかよ ID:+5dYq/xmg

はっ?

 

10:名無しのアオハルかよ ID:0AbnnMtXk

あはは、ご冗談を…もうそんなに時間経ってるの…?

 

 

 

 

~ ~ ~

 

 

464:名無しのアオハルかよ ID:5AZ+qQC4+

いやー、強かったなぁ〈キャロッツ〉

 

465:名無しのアオハルかよ ID:wpZoOFbHT

そりゃあね

 

466:名無しのアオハルかよ ID:TgTR61KFU

あのメンバーだからね…

 

467:名無しのアオハルかよ ID:8yfsBxe4o

長距離:ナリタブライアン 三冠ウマ娘

中距離:ゴールドシップ 宝塚記念連覇

マイル:ウオッカ 阪神JFジュニア王者

 

G1ウマ娘が三人だからね

弱いわけが無いんだよなぁ

 

468:名無しのアオハルかよ ID:2pzVNabn5

むしろ何であの豪華メンバーで最下位の崖っぷちスタートなのか

 

469:名無しのアオハルかよ ID:LZL6Xp63P

でもウオッカ負けて無かったっけ?

 

470:名無しのアオハルかよ ID:78SCJ2nuD

チーム結成が遅れたから

 

471:名無しのアオハルかよ ID:4dvZ4MYle

トレーナー無能定期

 

472:名無しのアオハルかよ ID:+PnvTo2Zf

>>469 そうなん?

さすがにG1ウマ娘とはいえまだジュニア級じゃ無差別チーム戦は厳しかったか

 

473:名無しのアオハルかよ ID:krrQx9i44

>>472 勝ったのもジュニア級の子だったぞ。同じ〈キャロッツ〉だったけど

 

474:名無しのアオハルかよ ID:YuOMnQaYX

ダイワスカーレットな

まだ目立った戦績は無いけど、実力は世代の中でも飛びぬけている印象

来年のトリプルティアラはあの子で決まりかな

 

475:名無しのアオハルかよ ID:WyEGhPgSJ

あえて最下位スタートで弱いチーム相手に圧勝して話題をかっさらう作戦かも

 

476:名無しのアオハルかよ ID:zKQ0v9skt

そんなに必要か話題?

ゴルシ一匹で十分すぎるやろ

 

477:名無しのアオハルかよ ID:LBdC3SG71

>>476 ぐ う の 音 も 出 な い 正 論

 

478:名無しのアオハルかよ ID:6gaiZJNti

三連覇、できなかったね…宝塚記念…

 

479:名無しのアオハルかよ ID:2lFJEWY2b

きれいな紙吹雪だぜ…

トレーナーと顔を合わせたときに気まずそうにそっぽを向いたのは不覚にもときめいた

 

480:名無しのアオハルかよ ID:RMarm/qo6

マジレスするとチームメンバーがなかなか集まらんかったらしい

ソースは中央所属のワイの妹

 

481:名無しのアオハルかよ ID:e2Znqd3Fw

中央に身内がいるとかうらやま

ウマ娘にせよトレーナーにせよエリートやん

 

482:名無しのアオハルかよ ID:KdoNUJOYW

学園スタッフや教師かもしれんぞ

一流の人材であることに変わりはないが

 

483:名無しのアオハルかよ ID:SI2cpDAby

あの豪華チームで人が集まらんってなんでや?

やっぱりトレーナーの問題か?

 

484:名無しのアオハルかよ ID:XRElqsjd4

豪華だからこそだろ

あれと一緒に走れって言われて素直に喜べるか?

 

485:名無しのアオハルかよ ID:ZUogRY3YA

あー、ファンじゃなくて同じ競技者だもんな

そりゃあ厳しいか

 

486:名無しのアオハルかよ ID:CtPMxblGt

すごく納得した

 

487:名無しのアオハルかよ ID:RMarm/qo6

まあトレーナーに問題が無かったわけでもないらしい

ダスカとウオッカをまとめ取りしたせいで嫉妬がすごかったとか

 

488:名無しのアオハルかよ ID:Hd4cRpvvI

それもまあわかっちゃうな

 

489:名無しのアオハルかよ ID:aY3KW4zBi

阪神JFのジュニア王者と、それを寄せ付けなかった無冠の女王だもんな

 

490:名無しのアオハルかよ ID:dBBfBJ6Ka

ティアラ路線終わるころにはトリプルティアラになってるやろダスカ

 

491:名無しのアオハルかよ ID:ojXGibmvE

おおげさー、と言い切れないところはあるか

あの子は格が違うというか、覚悟が違うところがある

 

492:名無しのアオハルかよ ID:RMarm/qo6

まあ中央は実力主義

将来有望な卵が独占され腐らされたなら論外やけど、きっちり孵化させて結果出しとるからな

トレーナー連中もウマ娘ちゃんが幸せならOKですってやつが多いし

妹主観の情報やけど、次回以降は雰囲気が変わりそうって話や

 

493:名無しのアオハルかよ ID:QUh/VYNxs

それは一安心

 

494:名無しのアオハルかよ ID:UMBfnLtMv

格が違うと言えば、もう一人いましたね…

 

495:名無しのアオハルかよ ID:6WXuXG4bD

チーム〈ファースト〉?

あれはもう別格やな。安定感が違う

 

496:名無しのアオハルかよ ID:04d3++fGS

なんか怖かったよな〈ファースト〉のレース

本人たちがというより、他のチームが

 

497:名無しのアオハルかよ ID:CDBnLWzNA

めちゃくちゃ必死つーか、敵意剥き出しに見えたのはうちだけやなかったんか…

 

498:名無しのアオハルかよ ID:XqABZiEA/

何かあったんかなぁ。ライバル関係はともかくギスギスは見ていてつらいぞ

 

499:名無しのアオハルかよ ID:UMBfnLtMv

そっちも圧倒的だったけどそうじゃなくて

朝日FSのジュニア王者の方!

 

500:名無しのアオハルかよ ID:pFvIrCKlx

ああ、あれな

蹂躙だったな…テンプレオリシュ…

 

501:名無しのアオハルかよ ID:U62OoD9iR

なんやったんやろうなアレ、専門家からの評価低かったやん

現地で見てて、朝日FSってこともあってワイはマルゼンスキーを想起したぞ

 

502:名無しのアオハルかよ ID:vTO9TQzcp

種目別競技大会でブライアンにまで勝ってたのに

今まで『周囲が弱かっただけ』扱いしていた識者が無能だっただけだゾ

 

503:名無しのアオハルかよ ID:Y61W9KiQ5

それは言い訳のしようもないほど無能

 

504:名無しのアオハルかよ ID:PbuvrW4Uv

いや、そうとも言いきれへんやろ。

専門家だからこそ、って面もある。ブライアンは無敗の三冠ちゃうからな

 

505:名無しのアオハルかよ ID:RnUFiu9O/

あー、そっか。

ルドルフは皇帝たる己の責務として勝利を重視するけど

ブライアンはどっちかといえばレースそのものにこだわる傾向が強いもんな

牙をむくに値しないと思えば、最後の直線で伸びないことも多かったわ

 

506:名無しのアオハルかよ ID:FThZKbv1f

言い方はアレやけど父兄参加型の運動会で、子供相手に親が全力を出さんようなものか

 

507:名無しのアオハルかよ ID:vqCWsuS0/

テンプレオリシュの戦績もな

メイクデビューでは影も踏ませぬ大差勝ちだったのが、OP戦では五バ身にまで縮まって

G3の舞台ではタイムもぱっとしない一バ身差での勝利

末脚が弱いとか力強さに欠けるとか判断するのも、まあおかしなことではない

 

508:名無しのアオハルかよ ID:RF2S2/2oy

まあG1の舞台でぶっちぎってレコード出したんですけどね

あれ結局タイムオーバー何人出たよ?

 

509:名無しのアオハルかよ ID:tcFhB0egW

レコードが更新されたレースやし、そもそも重賞ではタイムオーバーは適応されんぞ

そうじゃなければ五人は危なかったな…まさに蹂躙…

 

510:名無しのアオハルかよ ID:JUzzjxsT1

蹂躙ついでにこっちも

つ[†セフィロト・ソード†]

 

511:名無しのアオハルかよ ID:kfJoDWqiO

ぐわあああああ!?

 

512:名無しのアオハルかよ ID:flrIrzIap

ぎゃああああああああああ!!

 

513:名無しのアオハルかよ ID:+aQjjQWNf

あっ(絶息

 

514:名無しのアオハルかよ ID:HGGS7tXvE

無差別破壊兵器はヤメロォ!(建前)やめて…(懇願)

 

515:名無しのアオハルかよ ID:xSm2n/YJ7

無差別ってことはないやろ

漆黒に浸された過去を持ちし者のみに効く特攻兵器や、ガハッ(吐血

 

516:名無しのアオハルかよ ID:tRnZHjPPw

死屍累々で芝

 

517:名無しのアオハルかよ ID:4RIs8CVIv

今宵の芝は血に飢えておるのぉ

 

518:名無しのアオハルかよ ID:YN9weXGIR

あそこまでコッテコテに香ばしいのも珍しいよな

くっ、見るたびに右目が疼く…

 

519:名無しのアオハルかよ ID:jFZ8qe98W

あそこまでコテコテだと普段のトレーニングもそれっぽいのやってるのかな?

中二病的なやつ

 

520:名無しのアオハルかよ ID:jD6TNB8uN

ワイ地元民

見たで。ゴミ拾いしとった!

 

521:名無しのアオハルかよ ID:G3jcDw+wW

それはトレーニングじゃないだろwww

格好はアレやけどめっちゃいい子なんだな

 

522:名無しのアオハルかよ ID:jD6TNB8uN

いやちゃうねんって。

いい子なのは間違いないと思うけど。目が合ったら挨拶してくれるし

 

テンプレオリシュちゃんともう一人、ピンク髪のちっこい子の二人組でやったんやけどな

ジョギングペース(ウマ娘基準)で走っとるんやけど、一回も足止めへんのや

テンプレオリシュちゃんが走りながらゴミを拾って投げる

ピンク髪の子の方が背負った籠で受け止める

ぽんぽんぽーんってゴミが宙を舞って、それが一度も外れないわけ

ワイがもうちょっと社交的やったら拍手しとったわ

 

523:名無しのアオハルかよ ID:J9UfrAsaE

なんだその曲芸

 

524:名無しのアオハルかよ ID:ROA31I7th

たしかに目にしたら俺もおひねり投げてしまうかもしれん

 

525:名無しのアオハルかよ ID:DlIfN+BYj

いや、さすがにネタやろ

まずゴミを見つける観察力と、ゴミを拾うコース取りの演算

走りを止めずにゴミを拾うのなら相当の体幹と身体コントロールも必要やし

ピンク髪の子の籠に百発百中で投げ入れるってことは、その上で周辺の空間把握もバッチリなんやろ?

それこそ漫画のトレーニングやわ

 

526:名無しのアオハルかよ ID:2+67s1fPX

……いや、ワイも見たぞこれ

テンプレオリシュとアグネスデジタルの二人組で毎朝やっとるやつやろ?

 

よかった。仕事をやめてヒマになった焦燥が見せた幻覚やなかったんやな

 

527:名無しのアオハルかよ ID:GhUQbL8qv

マジかよ

 

仕事辞めたニキは職安いけ

 

528:名無しのアオハルかよ ID:QhCkteDDG

たしかに朝日FSで見せた走りはどこの最強系主人公かよってレベルだったけどさー

でも他に目撃者がいるのなら事実なのか…

 

仕事辞めたニキは覚悟を決めて趣味を見つけてきっちり長期間休むか

ダラダラした生活に慣れて働くのが嫌になる前に再就職先探せ

どっちにしてもきっちり期限決めて動けよ

 

529:名無しのアオハルかよ ID:YQB4NGNly

>>528 やさしい(きゅん)

 

530:名無しのアオハルかよ ID:ffoIsHuCD

おいおい、ここはアオハル杯スレだぞ

それ以上個人について語るなら専用スレいこうな

 

531:名無しのアオハルかよ ID:CfH/bzBll

もうテンプレオリシュの専用スレできているのか

まあそりゃそうか。あのG1の惨状見たらなぁ

 

532:名無しのアオハルかよ ID:VZzt9oQZw

じゃあ話を戻すけど、お前らの推し教えてー?

 

533:名無しのアオハルかよ ID:lw94jC1Uw

微妙に流れ変わってないみたいですまんけど

やっぱりワイは〈パンスペルミア〉かな

シニア級のバクシンオーとミーク二人の実力も相当なもんやけど

ジュニア級三人の伸びが異常

テンプレオリシュだけじゃなくてマヤノトップガンもホープフルでG1取っとるし

このまま順調にランキング勝ち上がっていくことが期待できるわ

 

534:名無しのアオハルかよ ID:6dSPhFYwt

俺は〈にんじんぷりん〉一択!

ハルウララちゃん可愛い!

 

535:名無しのアオハルかよ ID:UVXM1v5RD

地上波には流れなくてもネットの動画で確認できるからな

便利な世の中になったものだ

 

536:名無しのアオハルかよ ID:pYRDG8Tns

>>534 ウララちゃんが可愛いことに異論はないが…

たしか〈にんじんぷりん〉ってチーム解散していなかったっけ?

 

537:名無しのアオハルかよ ID:6dSPhFYwt

ファ!?

何でや!!

 

538:名無しのアオハルかよ ID:GC+dY1ANz

たしか最下位争いをしていた〈HOP CHEERS〉もやけど、負けたことで解散になったはず

 

539:名無しのアオハルかよ ID:6dSPhFYwt

ファー!!!!!

おのれ〈キャロッツ〉! この恨みはらさでおくべきか!!

 

540:名無しのアオハルかよ ID:1HbftSL5V

いや、あれは解散というよりどっちかというと吸収じゃね

両チームのエースだったタイキシャトルとハルウララはチーム〈キャロッツ〉に移籍したはずやで?

 

541:名無しのアオハルかよ ID:x1dMHZEyG

チームメンバーが流動的。

前のプレシーズンで夢見たドリームマッチが次現実になるかもしれない。

アオハル杯の醍醐味やね

 

542:名無しのアオハルかよ ID:6dSPhFYwt

すみませんウソでした〈キャロッツ〉一生推します

どんどん勝ち上がってください。グッズ販売してください貢がせて

 

543:名無しのアオハルかよ ID:mOjN4e/On

手首ぐるんぐるんで芝

ドリルかな?

 

544:名無しのアオハルかよ ID:RuucuMsyH

取れそうやなーお前の手首

 

545:名無しのアオハルかよ ID:gFKJYwhW4

お、いま転がってきたのお前の手首か?

ほらよ、もう無くすんじゃないぞ

 

546:名無しのアオハルかよ ID:RwrnfvO/s

やさしい(キュン)

 

547:名無しのアオハルかよ ID:y3s/u3RNH

この流れ好きw

 

548:名無しのアオハルかよ ID:tWt0F+hys

これで〈キャロッツ〉は層が薄かった短距離とダートが補強されたわけか

少なくとも上位までは登ってきそうやな。

スタートがスタートだからそれなりに時間はかかるだろうが

 

549:名無しのアオハルかよ ID:kdZN8NH1h

ハルウララの人気はともかく、戦力になるかは微妙じゃね?

 

550:名無しのアオハルかよ ID:tnWJaR4qX

お、やるんか?

 

551:名無しのアオハルかよ ID:uHeWsTwUq

ハルウララはハルウララであること以上の価値なんて必要ないだろうが!!

 

552:名無しのアオハルかよ ID:+2iz75d7e

>>551 それはそれでどうなんだw

少なくともあの子はどのレースも負けてもいいと思って走っているわけじゃないと思うゾ

 

553:名無しのアオハルかよ ID:EXvayn8EU

喧嘩すんなし

少なくともオマエラ、ウララのグッズでたら買うんやろ?

 

554:名無しのアオハルかよ ID:8SNC2hf5F

まあそれはそう

 

555:名無しのアオハルかよ ID:w9YtOi15c

当たり前だよなぁ

 

556:名無しのアオハルかよ ID:jspGXOeGK

アオハル杯のグッズ販売あるんかねえ?

財布の準備は万端なんだが

 

557:名無しのアオハルかよ ID:VyGBOjNPO

あくまで学園主催のURA非公式なレースやからな

今はまだチームの変動も激しいし、出るとすればもう少し回数重ねてからじゃね?

 

558:名無しのアオハルかよ ID:uTo7+6ePv

前のときは決勝戦は地上波で流れたし、そのグッズも販売されていたな

 

559:名無しのアオハルかよ ID:F8GflJGw5

自分の推しのチームに優勝してほしいわ、ほんと

 

560:名無しのアオハルかよ ID:eCSXXhfDf

来年が待ち遠しいな

 

 




これにてジュニア級は本当に終了!
書き溜め作業に移りますのでのんびりとお待ちください。
ぶっちゃけ早く終わるかなーと思っていたジュニア級でこれだけ手こずったので、書きたいことが多いクラシック級に今から戦慄しております。

目標は……ターボ師匠が実装される頃に!
読みが正しければ一周年のタイミングでカノープスの面々は☆1~2でまとめて実装されるはず!!

ちなみに余談ですが年末にタマは来ませんでした()
でもお正月に着物ウララちゃんを引けたのでトントン


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皐月の冠
足元確認、ヨシッ!


発想の転換だ。
たしかにキタサトと一緒にターボ師匠は来なかった。それは紛れもない事実。
しかーし、☆1追加のタイミングとしてアニバが最適なのは誰もが認めること。

大逃げが実装されたのにも関わらず、☆3という誰もが手の届くわけではないスズカさんにしか適応されていないのはあまりにも不自然では?
☆2にマチタンをひとりだけ追加して、☆1メンバーが据え置きなんてことがありうるのだろうか?

いや、ありえない!(反語表現)
つまりここでターボ師匠が実装されたら書き始めるといっていた続きを投稿すれば、因果律が反転して次のガチャでターボ師匠が☆1で来るはず!

…と、順調に錯乱したので皐月賞編、投稿開始です

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


U U U

 

 

 年が明け、私はクラシック級になった。

 

 いまひとつ実感がわかないが、じきに今年度のジュニア級が後輩としてチームに入ってきたら嫌でも自覚させられることになるのだろうか。

 私が先輩かぁ。

 小学校の頃の年上のお兄さんお姉さんとはまた違った概念。なんだかドキドキするね。期待四割不安六割ってところだ。

 

《そこで期待が半分いかないあたり、ぼくらがコミュ障たるゆえんだよねー》

 

 そういえばチーム加入で思いだしたけど。

 年末にあったアオハル杯プレシーズン第一戦。スカーレットのアオハル杯チーム〈キャロッツ〉は案の定というか、最下位スタートだった。

 スカーレットはウオッカと二人でマイルを担当。中距離にゴールドシップ先輩、長距離にナリタブライアン先輩とレジェンド勢を配置。

 

《なんでURAファイナルズ長距離部門初代チャンピオンを長距離に配置しなかったんだろうな? 『まあゴルシだし』ですべて説明がついてしまうけど》

 

 相手チームは最下位争いをするような面子である。戦力過剰もいいところだ。

 順当にスカーレット、ゴールドシップ先輩、ナリタブライアン先輩の三人で三つの白星を挙げ、チームランキングを一気に上げていた。

 だが、残り二つのレースが明らかに数合わせのメンバーというか。

 短距離とダートを走っていた彼女たちは……こう言っては悪いが他に行き場が無かったから仕方なく〈キャロッツ〉に入ったというのがまるわかりの態度、実力であり。

 レース後の表情から察するにたぶんプレシーズン第二戦の頃にはいなくなっているだろう。

 

《それもまたアオハル杯さね。アプリTのチームからは離脱者が一人もいなかったけど、他のチームはころころメンバーが入れ替わっていたからなあ》

 

 だが捨てる神あれば拾う神あり、というやつだろうか。

 チーム〈キャロッツ〉と第一戦でしのぎを削った〈HOP CHEERS〉と〈にんじんぷりん〉がそれぞれ解散し、主要メンバーが〈キャロッツ〉に吸収されたのだった。

 勝負を通じて意気投合し、新たなチームが構成される。これもトゥインクル・シリーズにはないアオハル杯の醍醐味なのだろう。コミュ障を自覚する身としては解散や結成を繰り返すことができるその積極性が少しばかり羨ましい。

 

 〈HOP CHEERS〉からはタイキシャトル先輩。

 “最強マイラー”との呼び名も高い、活発でスタイル抜群のアメリカンな留学生。一見シンプル過ぎてチープにも思える二つ名だが。ここが中央であり、その上でなおその呼び名が通っていると考えるとどれだけの実力の持ち主かわかるというもの。

 ただ注意力散漫なのが玉に瑕と言われている。今回のアオハル杯も一緒に走るチームメイトのことを気にし過ぎてしまい、実力が発揮できなかったそうだ。ゆえの下位スタート。

 まあ〈キャロッツ〉のチーフトレーナーはあのゴルシTである。問題児を集中させるノウハウはお手の物だろう。次のプレシーズンでも彼女が同じ過ちを繰り返すことは望み薄と考えておくべきだ。

 

 〈にんじんぷりん〉からはハルウララ先輩。

 高知トレセン学園からの編入組であり、つまり普通に試験を潜り抜けてきた中央の生徒と比べてもさらに実力者……のはずなのだが、妙に足が遅い。

 適性はたぶん短距離のダートだと思うが、その短距離のダートでもめちゃくちゃ遅い。かといって中長距離に適性があるのかといえば、マイルの時点でスタミナが尽きてバテているように見える。テンちゃんが言うには愛嬌の一芸特化で編入試験を突破したらしい。そんなことってある?

 でもソースが曖昧なそのふんわり情報を信じたくなるほどに彼女は、学園の内外問わずファンが多い。

 デビュー時期的には私の同期のはずなのだが、たぶんファン数では勝負にならない。無論、私の方が圧倒的に劣っているという意味で。この調子でファンが増えていくのなら“アイドルウマ娘”と呼ばれたあのオグリキャップ先輩にさえ比肩する日がくるかもしれない。

 

《正月衣装の着物とかエグかったもんなあ。たぶんあげた側からすれば『おじいちゃんのお仕事すごいやろ? これ上手くできたからウララちゃんに着てほしいわー』みたいな軽いノリなんだろうけど》

 

 ハルウララ先輩のファン層は数だけではなく、その質もえげつない。スカーレット経由で年末に顔を合わせる機会があったのだが、そのとき彼女が着ていた着物はテンちゃんの言う通り実に凄かった。

 勝負服としての運用にも耐えうる造りをしている上に、着物の柄が全部職人の手描き。なんかいいものそうだなーとは感じていたが、思っていたより二桁ぐらいお値段が上である。

 当の本人は着物のおじちゃんがプレゼントしてくれたんだー、とニコニコしながら話していた。天然ってすごい。『着物のおじちゃん』ってことは集団でお金を出し合ってとかではなく、個人の贈り物なのだろう。彼女のファン層を調べれば他にも書道家のおじちゃんとか陶芸家のおじちゃんとかいそうである。気軽なプレゼントが冗談抜きで四桁万円超えそうだ。可愛いのはわかるが相手は女子中学生である。どうか自重していただきたい。

 そして勝負服としての申請が通ればアレを着てレースを走りたいそうだ。ちょっとお嬢さん、貴女の主戦場ってダートですよね? 土埃や泥が飛び散るダートを走るのですか? 職人手描きの柄が入った着物で? もはや怖い。

 結論、ハルウララ先輩もいろんな意味で侮りがたい存在である。人気と実力を兼ね備えたチーム〈キャロッツ〉はこれからぐんぐんとその実力を伸ばしていくことだろう。

 

 ちなみに私たちの〈パンスペルミア〉は十五位ときっちり中堅からスタートで、プレシーズン第一戦では三勝二敗の勝ち越しでランキング昇格。

 内訳は長距離のミーク先輩と短距離のバクちゃん先輩、そしてマイルを担当した私が白星。中距離のマヤノとダートのデジタルが黒星だった。とはいえ敗北した二人は当時ジュニア級という経験面身体能力面で大きなハンデを抱えながら、アタマ差の二着やハナハナ差で三着とどちらも惜敗といえる内容だったのでこれからに期待できる。

 この調子で勝ち進めていけば、プレシーズン第四戦あたりでうちのチームはランキング一位に到達できるだろう。

 

 

 

 

 

 朝日杯フューチュリティステークスも、なかなかに収穫の多いものだった。

 G1勝利という箔、そして賞金、それらの要素はもちろんある。だがそれ以上にG1という大舞台で全力を出せばどれほどの負荷が身体に蓄積するのか、データが実感と共に得られたのが大きい。

 やっぱりレコードタイムは身体に悪いよ、うん。しばらくはやらねえ。

 実のところホープフルステークスにも少しばかり興味があったのだが、アオハル杯プレシーズンの開催日程的に連戦になるからと、桐生院トレーナーと相談して朝日FSの方に的を絞っておいて正解だった。

 出走して負けたとは思わないが、身体にけっこうな負担をかけることになっただろう。

 

 結局ホープフルステークスはマヤノが取り、彼女もG1ウマ娘の仲間入りを果たした。

 念のため言っておくが、じゃあマヤノやそのトレーナーが故障上等の無茶なスケジュールで動いたのかというとそんなわけがない。今回のプレシーズンにおいて私とマヤノでは目的と役割が明確に違っていただけの話である。

 アオハル杯は学園主催の非公式レース。樫本代理の持ちかけた勝負のせいで勝たねばならないという意識が強いが、本来は勝っても負けても楽しいお祭り企画だ。

 プレシーズン第一戦における私以外のジュニア級ウマ娘たち、マヤノとデジタルの仕事は出走すること。そして怪我をしないこと。

 ただその二つだけ。勝ち星は私とミーク先輩とバクちゃん先輩の三人で拾う。そう計画して、実際にそうなった。

 

――むー。なんでリシュちゃんだけ? マヤも戦力扱いされたいなぁ

――差別じゃなくて区別だよ、これは。今はまだ私と、マヤノやデジタルの間では隔絶した実力差がある。わかっているでしょ?

 

――むむー、それはそうだけどぉ。つまんなーい……ううん、違う。くやしいんだ、これ

――あはは。この中じゃ私が一番チームの予算減らされたくない思いが強いからね。その分力を尽くすのも当然といえば当然だって

 

 そんなやり取りがあったとか、無かったとか。

 気兼ねなくシューズや蹄鉄を履き潰し、くたびれたタオルやジャージを新調できる環境を守るために。

 負けられない戦い、というほどプレッシャーは感じなかったけども。敗北してランキングが下がり、予算や設備がランクダウンするのは確かに痛い。

 痛いが、ウマ娘が傷つくことに比べたら重視するようなものではない。それが〈パンスペルミア〉トレーナー陣の共通見解だった。

 いまだレース経験の少ないジュニア級の娘たちに、少しでも多くレースの空気を触れさせる。それがマヤノとデジタルに課された今回の役割で、目的だったわけだ。以前のアオハル杯が正式競技を重視するあまり出走辞退の続出で廃れたと聞くが、まあこうして自分たちで走ってみて宜なるかなといったところである。

 

 そもそも、どうして今になってアオハル杯は復活したのだろうか。

 すごく今さらな疑問が脳裏をよぎる。

 噂によれば件のタイキシャトル先輩が商店街の方から話を聞き、興味を持って秋川理事長に復活を打診。ウマ娘愛極まる秋川理事長が二つ返事で復活を推奨したのだという。

 でもそれっておかしくないだろうか。ポケットマネーで開催するには少しばかりアオハル杯は大規模すぎるイベントのような気がする。

 

《まーURAファイナルズの広大な張替え用の芝を個人所有の大農園で賄ったお人だからね。財政的には不可能ではないのかもしれないけどねえ》

 

 ちらほらネットで噂は聞いたけどその話マジなの? いや、テンちゃんが言うのならマジなのかもしれない。

 

 それでも人数が増えれば増えるほど速度が低下するのが組織というものだ。学内イベントに近い非公式レース、かつ新設ではなく復活させるだけということを鑑みても、それでも三十前後のチームが三年がかりで順位を争う大掛かりな催しが打診からほんの数か月で開催までこぎつけるというのはあまりにペースが速い。実際、記録的ハイペースで実現したと言われているURAファイナルズですら発表から開催まで三年の月日を必要としたのだから。

 しかも、アオハル杯復活が決定してからすぐに主導者であるはずの秋川理事長は海外に長期出張となってしまっているのである。いったいその間、誰が陣頭指揮を執ったというのだろう。

 

《そりゃあ理子ちゃんでしょ。あのひと、いちおう理事長代理の肩書だしそのあたりの業務もまるっと代行したんじゃない?》

 

 いちおうってか大半の生徒にとっては理事長代理の肩書の方がイメージ強いと思うよ。あのひとのことをトレーナーと呼んでいるのはチーム〈ファースト〉くらいだ。

 

 まあそういう結論になる。

 開口一番に学園全体に喧嘩を吹っ掛け、アオハル杯の撤廃を明言した樫本代理がねぇ。いったい何を考えているのやら。いや、誰が考えたのやらというべきか。

 どうにも観測できる事象に一貫性がないというか、推理小説の事件パート序盤を読んでいるときのようなごちゃごちゃした感覚をおぼえる。全体像が水没していて、辛うじて見える氷山の一角から水面下の想像図を見当はずれに描いている漠然とした自覚というか。

 

《順番が逆なんじゃない?》

 

 どういうこと?

 

《つまり最初にやよいちゃんの海外出張があって、次に理子ちゃん召喚。最後にアオハル杯復活が来るんだよ。アオハル杯は結果じゃなく、目的のための手段なんだ》

 

 ……ごめん、まだわからない。

 

《つまりだね。やよいちゃんが海外に長期出張する要因になった『目的』のためにアオハル杯はずっと前から準備が進められていて、タイキの打診はあくまで全校生徒に告知するきっかけになったに過ぎないってことさ。ラビットって知ってる?》

 

 テンちゃんはそう言って語り始めた。

 もともとはドッグレースで犬に追わせる先導役のウサギのことだそうだが(先導役などと言われてもウサギにとっては大迷惑だろう)、転じて海外レースでペースをつくるため勝利を二の次に逃げで走る役割のウマ娘を指す。

 レースは個人競技、と言い切ってしまうとたぶんあちこちから異論が噴出する。レースはトレーナーと二人三脚だという者もいれば、チーフトレーナーやサブトレーナーを含むチーム全体で切磋琢磨していると主張する者もいるだろう。

 だがトゥインクル・シリーズにおいて、ウマ娘は自分だけが勝つためにレース当日を走る。それが当然というか、日本では自分以外の誰かを勝たせるために走るのは完全にアウトだ。それは紛れもない事実。

 しかし海外では同じチームのウマ娘たちがエースを勝たせるため、チームプレイを展開するのはさほど珍しい話ではないのだという。

 

《これまで海外に挑戦するウマ娘たちは不慣れな環境や強力なライバルに加え、たびたびチーム戦に個人で対処することを余儀なくされていたのさ。そう、これまではね》

 

 ああ、なるほど。ここまで言われたらさすがに私でもわかる。つまり、アオハル杯はチーム戦で海外レースに乗り込む計画のたたき台というわけか。

 自分にあまり関係が無いからと聞き流していた秋川理事長の長期海外出張、それこそが中枢だったとするのならいろいろと納得がいく。

 私はレースそのものに対するこだわりは薄いが、いちおう日本国民だ。だから国民的娯楽に位置づけられるレースは幼いころから両親と一緒にテレビで見てきた。ジャパンカップで海外勢にいいようにあしらわれる日本のウマ娘や、あのシンボリルドルフですら惨敗した凱旋門賞をずっと見てきたのだ。

 

《今さらながら凱旋門に挑戦したシンボリさん家の娘さんってルナちゃんじゃなくてシリウスちゃんじゃなかったっけ? いないウマ娘のエピソードって一部統合されてんの?》

 

 テンちゃんがいつも通り意味不明なことを言っているが、いま脳内でシナプス発火を味わうので忙しい。

 点と点が線で繋がる感覚。

 アオハル杯でやけに潤沢だった予算。秋川理事長のポケットマネーだけではなく、海外展開のためにURAからも資金の援助があったのかもしれない。

 最初にアオハル杯を見て、それを中心に考えていたから直後に海外出張に行った秋川理事長に違和感があった。でも秋川理事長が海外に行く目的を叶える手段として、前々からアオハル杯が候補に挙がっていたと考えればするりと道理が通る。『順番が逆』とは言い得て妙だ。

 じゃあ樫本代理の立ち位置は秋川理事長が海外で計画の大元を進行させている間、日本でチームメンバーを編成する現場指揮官といったところか。

 

《学園の長が選んだエリート集団と、それ以外のメンバーで選抜試験を行い、最終的なチームを選考する。少年漫画ではお約束の展開だよねえ。

 でも自分で言っておいてなんだけど、物的証拠の無い推理は説得力のある言いがかり以上のものにはならないからな? 鵜呑みにはするなよ》

 

 話を広げながらも挟み込まれるテンちゃんの忠告。

 主観だけで物事を進めるということをテンちゃんはひどく嫌う。思い込みで誰かを傷つけるやつはバカだと。私も同意見だ。

 ふむ、たしかに。点と点が線で繋がったように見えて、点と点が繋がるように線を引いているということもありえるかもしれない。

 状況証拠だけで造り上げた『真実』で嬉々として誰かを責めるのは推理小説の探偵の仕事であって、私の主義でも役割でもない。

 うむ、少し掛かり気味になっていたかもしれない。反省だ。

 

《それに妄想が正しかったとしても、それがすべてってわけでもないさ。大人って生き物はもはやひとつの思惑だけでは動けない難儀な生態をしているんだ。たとえURAの方針が直接的な行動原理だったとしても、ウマ娘たちに向けられたやよいちゃんの情熱や理子ちゃんの愛情が偽りになるわけじゃない》

 

 そんなもん? 純粋な愛や正義に夢見るお年頃としては、不純物交じりの感情を綺麗なものだと受け入れるのはやや抵抗があるのだけども。

 まあいっか。もしもアオハル杯の優勝商品として海外旅行をプレゼントされたときのために外国語の勉強は今のうちに進めておこうかという気にはなったが、それだけだ。

 URAのお偉方が何を考えていたとしても、私には結局あまり関係がない。

 久しぶりに得た膨大な暇な時間。思考があっちこっちにぷかぷか浮遊している。

 

 いまの私たちはいわば正月休み。

 桐生院トレーナーが本家に顔を出さねばならず、年末はアオハル杯を中心にいろいろと忙しなかったので三が日から遅れること少し。この三日は自主練すら禁止された完全な休養日となったのだった。

 

《こうやって何もせずにぼーっとするのも久しぶりだね。自室じゃないのが玉に瑕だけど》

 

 テンちゃんの言う通り、今の私はランキング昇格により豪華になった新しい部室にいる。暖房もばっちりであり、ぶっちゃけいつリトルココンが帰ってくるかわからない寮の自室よりも〈パンスペルミア〉の部室の方がずっとくつろげるのだ。

 

《家に居場所がない悲しいお父さんみたいになってんなー》

 

 悪ぅございましたねえ。いいんだよ。いざとなったら家にはちゃんと私の居場所があるんだから。

 

 きっと全世界の中でも熱意に溢れたウマ娘を集めた上澄みであるここ中央トレセン学園であるが、さすがに年末年始は帰郷する子が一定数存在している。たまに自主練と思しき足音や掛け声が聞こえてくるくらいで、普段と比べれば部屋の外はじつに静かなものだ。

 帰郷したウマ娘の中の何割かは学園に戻ってこないかもしれない。温かい実家で休んで、固まっていたものが解きほぐされて、そしてぷつりと切れてしまう。冷たい現実しか残せなかった中央に戻れなくなる。

 その原因に去年の私はどのくらい絡んでいるのだろうか。

 

《逃げられるのなら逃げればいいさ。こんなところ、真面目に考えればまともじゃあないんだから。まともに生きられるのならまともに生きればいい。

 ここしかない。それしかない。そういう生き方しかできない。そういう奴らが集まる場所だろ、中央ってところもさ》

 

 テンちゃんはこの面に関しては実にシビアだ。

 でもそんな態度に救われている私がいるのも事実。

 私にこの道しか無かったのかと問われたらちょっと即答できないけども、これ以外の道を進む私を想像できるかと問われてもやっぱり否と答えることしかできない。

 私は天才で、才能を最も活かせるのがここで、そしてそれを苦とは感じない。それだけは紛れもない事実なのだから。

 

 朝日FSのときの母に言ったことを前言撤回して私もいっそ二泊三日で地元に帰るというのもアリなのかもしれないが、望郷の念よりも長距離移動の面倒くささが勝った。学生の身だと交通費もバ鹿にならないしね。

 それに私がG1を勝利したことで、何やらマスコミやら身に覚えのない親戚やら友人やらが実家の周囲に湧いたという情報を新年のご挨拶を兼ねた電話で母から聞いたせいで、ますます帰る気が失せた。

 友人とは勝手なことを言ってくれる……スカーレット以外、誰もついてきてくれなかったじゃないか。

 

《あいつらにとってはぼくらの幼少期から積み上げた努力で勝ち取った賞金も、偶然年末のジャンボな宝くじに当たったのも、上手くいけば自分の懐に入るかもしれない金って意味では等価なんだろうね》

 

 まったく困ったものである。一般家庭にとってG1勝利とその賞金というのは荷が過ぎたものなのかもしれない。

 

《ま、その件に関しては桐生院が帰ってきたら相談するとしよう。持つべきものは名門のコネ。一掃とはいかないまでも、多少はマシにできるだろうさ》

 

 それだけで解決するかな?

 他に私にできることって何かないだろうか。

 

《じゃあ、あとは勝ち続けることだね。今はまだちょっと優秀な平民が運よく大金と名誉を手にしたと思われているから虫が湧くんだ。この世界において、レースは熱を持つ。

 近づいたら焼き尽くされる。そう覚悟させるほどの栄光を積み上げよう。よほどの馬鹿以外は迂闊に寄ってこなくなるさ》

 

 そんなもんか。じゃあそうしよう。

 それを念頭に置いてクラシック級の出走レースを決めていこう。

 桐生院トレーナーは私たち担当ウマ娘の意志を第一に計画を立ててくれる。ジュニア級のときは流石に丸投げが過ぎたと反省しているし、クラシック級からは賞金の高いG1がぐっと増えるから、今の段階で私たちの方でも見繕っておきたい。

 

《いっそ三冠路線とティアラ路線の両方走るか? 偉業という意味では空前絶後だぞ!》

 

 いや却下で。

 たしかに同日開催ではないから理論上はすべてのレースに出走することも可能なのだろうけどさぁ……。

 私が全勝するという圧倒的傲慢な前提の上に語らせてもらうが、仮にそのローテーションで故障や敗北を経験した場合、私は納得できるだろうか?

 たぶんできない。故障も敗北も経験したことがないし、そもそもどんな状況であればそれらを納得して受け入れられるんだと問われても返答に詰まるが。

 それでも想像の中でさえ『こんなクソローテでなければ』と、どうしても脳裏によぎる。絶対に後悔すると思うのだ。

 アスリートは現役であり続けるかぎり常に故障のリスクが付きまとう。常に理想の選択肢を選ぶことなどできようはずもないが、だからといってそんな世界でむやみに悔いが残るだろう選択を取りたくない。

 せめて想像の中でくらいは『いい競技者人生だった』と納得して幕引けるだけのレースで終わりたい。

 

 それに、走ろうとする側がクソローテだと感じるのなら。

 周囲は輪をかけてそう感じることだろう。つまり担当トレーナーやチームメイト、場合によっては私の家族すら巻き込んだ多大なバッシングが予想される。

 私がしっかり完走して結果を残せばまた世論は変わるかもしれない。いつの日か桐生院ローテだとかテンプレローテだとか名前を付けられて、この界隈に根付く日も来るのかもしれない。

 だがそれはあくまで私が走り終えた後の話。リアルタイムで走っている最中に向けられる無責任な悪評から自分や周囲を守ってくれる盾にはなりえない。

 あと、トリプルティアラを達成したとしても賞金は合計で三億ちょい。もちろんその全てが出走ウマ娘の懐に入るわけではないが、今は本題ではないのでさておく。

 市民の金銭感覚からすれば『ちょい』扱いした端数ですら膨大な金額ではある。金額ではあるが、有記念を取ればそれだけで三億だ。秋シニア三冠を達成すればレースの賞金とは別枠で二億の褒賞金だって出る。

 だったら脚に多大な負担をかけ無茶なローテで無理やり稼ぐよりも、その削れる現役時代の寿命でもう一年多く走り無理のないローテで連覇数を重ねた方が賢い選択と言えないだろうか。

 早急に金が必要な事情があるわけでもなし。クラシック級で()()()三億を余分に稼ぐために故障のリスクを跳ね上げ、周囲を巻き込んでバッシング受けるというのもなあ。ぶっちゃけリスクとリターンが釣り合わない。

 

 あるいは『クラシック三冠』や『トリプルティアラ』という称号そのものに深い思い入れがあればまた価値判断も異なるのだろうけど、あいにく私の感覚は名門の方々とは違う平民中学生のそれだ。

 この国に生まれ国民的娯楽としてレースを楽しんできた者としてまったく価値に共感できないとは言わないが、しょせんは『歴史に名が残るなんかすごい偉業』の域を出ない漠然とした称号でしかない。

 いや、逆に思い入れがある方がそんなアホみたいなローテはとらないか。三冠路線にせよティアラ路線にせよ、各々一生に一度の挑戦に抱く想いがあるだろうに。横からもののついでのように両立されたら腹が立つのではないだろうか。

 きっと私は根本的なところで名門のお嬢様たちの価値観を共有できない。だからこそ、いたずらにその思いを踏みにじるようなことは避けるよう心掛けるべきだ。自分の大切にしているものを蔑ろにされて、愉快に感じる人はごくごく少数派だろうから。

 

 自分の理解できないものを、自分の価値観で一方的に否定してはならない。

 

 値札がついているものなら弁償も出来ようが、値札が見えない以上どれだけの価値を相手が見込んでいるのか想像できない。ガラクタだと蹴り倒して割ったものが相手の祖父の形見で時価数億をくだらない人間国宝の作品だったとすれば、殺人事件にまで発展しても非があるのはこちらの方である。

 むしろその哲学はテンちゃんから影響を受けたものなんだけどな。私がそんなローテで走ろうなどと提案した日には断固として反対する側だろうに。

 

《あ、バレた? まあテンプレオリシュとしてはいちおうこのローテの提案はしておかないといけないと思ってね》

 

 なんじゃそりゃ。

 テンちゃんの行動パターンは生まれたときからの付き合いがあってなお時々謎である。理解できないから否定もしないけど。

 

《購買で青汁売ってる世界線ならワンチャンあったけど、ここはいたって健全なラインナップみたいだしね。よかったよかった》

 

 テンちゃんは青汁にいったい何を見ているんだ。

 




※史実で凱旋門に挑戦したのはシリウスさんの方ではというコメントをいただいたので、史実とは展開が異なると明示するやり取りを挟みました。
情報提供ありがとうございます。わざと変えていることも素でポカしていることもあり、皆さまのご助力によってなんとかこの作品は小説のていを成しております。


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地雷確認、ヨシッ!

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U U U

 

 

 さて、では真面目に考えるか。三冠路線はほぼ確定として。

 朝日FSやアオハル杯の疲労を抜くために休養は必要だ。だがそれを鑑みても、さすがに四月前半の皐月賞までレース無しは間隔が空き過ぎる。感覚を鈍らせないためにもどこかで一戦は挟みたい。

 順当に皐月賞トライアルの弥生賞でいいだろうか?

 朝日FSまで全勝している以上、さすがに今さら収得賞金が足りず抽選洩れになるとは思わない。だが三月前半という開催時期に、皐月賞と同じ中山レース場で距離も同じ2000mだ。レース勘を養うという意味では最適だろう。

 でもなぁ。賞金が十分足りているのにわざわざトライアル競走に出て他の子の優先出走権の枠をひとつ奪うのはひどいことなのかしら? そのあたりのマナーというか常識というか、暗黙の了解みたいなものに私はひどく疎い自覚がある。これも桐生院トレーナーが帰ってきたら確認しなければいけない事柄だ。

 

 それとは別の観点として。

 三冠路線は芝の中長距離レースが対象となる。将来的に狙う予定である春秋シニア三冠も同様だ。

 でも幼いころから短距離、マイル、ダートのシューズもそれなりの数を履き潰してきた私である。個人的にはそれらの費用にも見合うだけの成果を上げておきたい。

 クラシック級で出走できる短距離のG1は秋以降のシニア混合レースしかないので、夏合宿での伸び具合を鑑みながらそのときに改めて考えるとして。

 クラシック級のマイルG1で間近なものといえば、五月前半に開催されるNHKマイルカップが第一候補か。

 同じマイルG1として名高い安田記念と違ってクラシック級のときしか出走できないから、今のうちに出ておかないともったいない。賞金もそこそこ高いし。

 もとい、真面目な理由を述べれば無差別級とも言えるシニア混合と違ってクラシック級のみのレースは目ぼしい敵がまだまだ未熟。せっかく階級で分けてくれているのだ。私の狙いが強敵との戦いではなく勝利と賞金である以上、積極的に狙っていくべきだろう。

 同様の理由で七月前半開催のジャパンダートダービーにも出ておきたい。あれもクラシック級のみを対象とした、大井レース場で開催されるダート中距離のG1だ。

 

《マツクニローテいっちゃうかー》

 

 NHKマイルカップと日本ダービーの両方を制すると『変則二冠』と呼ばれる。マイルG1(1600m)クラシックディスタンス(2400m)の異なる距離で実績を残すことはそれすなわち三冠とはまた違った強さの証明になる。

 しかしこのローテーション、最初に考案したトレーナーにちなみマツクニローテと称されているのだが、とにかく故障が多い。何しろ考案したトレーナーの名前がこうして残るくらいだ。つまり悪名というやつであり、普通は誰もやろうとしない。

 

 最大の問題点はレース間隔。

 NHKマイルカップから日本ダービーまでの間はおよそ三週間、レース用語でいうところの中二週。調整のためのステップレースならいざ知らず、どちらも大本命のG1だ。それにひと月も空けず続けて出走するのはウマ娘のガラスの脚に深刻な負荷をかける。まだ身体が完成していないクラシック級ともなれば、なおさら。

 実際、これまでこのローテで走ったウマ娘は将来を有望視されながらシニア級に上がる前に故障して引退してしまった者が多い。強さの証明であると同時に、今ではマツクニローテを走るということそのものが批判の対象になりうる。

 さっきテンちゃんの言いだしたテンプレローテ(仮)を否定しておいてマツクニローテを走るというのは矛盾しているように聞こえるかもしれないが、批判を恐れないこととむやみやたらと敵を作ることは別物だろう。

 自分が納得できるか。これは重要な要素だと思う。少なくとも己に傍若無人に振る舞った自覚があるとき、私は胸を張って批判に立ち向かうことは出来ない。

 

 なお、これだけではアンフェアというか片手落ちのような気がするのでやや話は逸れるが詳しく解説しておくと、このローテを考案したトレーナーはウマ娘のレース後の人生を強く意識していたと言われている。

 ウマ娘の競技者人生は短い。これはヒトミミにも言えることだが、アスリートと呼ばれる者で十年も現役の選手がいたとすれば、それは百戦錬磨のベテラン扱いされることだろう。走るために生まれてきたウマ娘でも、レース場で走らない時間の方がずっと長いのだ。

 今絶好調だからといって一年後もそうとは限らない。『勝利より、たった三度の敗北を語りたくなるウマ娘』と称えられるルドルフ会長ですら、その三度の敗北には入着すらできない惨敗があったのだ。

 ここまで無敗で特に苦戦もしていない私が言うのも何だが、勝ち続けるというのはそれだけ難しい。勝てば膨大な賞金が手に入るが、そもそも勝利の栄光を掴めるのもほんの一握り。だから勝てるうちに集中して勝っておく。そうやって強い実績を残す。

 強い実績を残すことで、引退後に解説者や指導者として次に繋げる土壌を築く。無茶なローテの奥底にあるのはそんな哲学なのだという。

 故障したところでそれは競技に差支えが出るというだけ。『だけ』扱いするにはウマ娘の精神的負荷は軽視しかねるものかもしれないが、それでも日常生活に支障が出ることは稀だ。先に述べた故障して引退したウマ娘たちが、それぞれ成功者と言ってもいいセカンドライフを手に入れたのも事実である。

 まあファンからしてみれば推しの現役をできる限り長く見たいというのが当然の心理であり、そのトレーナーはそういうファンたちからクラッシャーの悪名で蛇蝎のごとく嫌われていたのだが。

 引退後のことを大局的に考えながら今のレースを走るというのは私たちも念頭に置いておいた方がいい概念だろう。見習うかは別として。

 

 桐生院トレーナーはいざとなればウマ娘のために泥をかぶってくれる人だ。だからこそ、泥にまみれさせるのならそれだけの根拠を用意しておきたい。具体的には私の方にマツクニローテで走っても故障しないという自信が欲しい。

 朝日FSの感覚からして中二週あれば全力疾走することになってもダービーまでに疲労は完全に抜けると思う。だがサンプルが一件だけでは根拠に乏しいとも感じている。

 

《適当な相手を見繕って野良レースで連戦でもしてみるか? 自分の耐久力の限界を測る的な意味で》

 

 うーん、それはなあ。

 その『適当な相手を見繕う』のが私たちにとってはなかなかハードルが高い。

 同期相手にやっても弱い者いじめというか嫌がらせの類にしかならないし、かといってウオッカみたく初対面に近い先輩相手にガンガン野良レースを仕掛けられるなら私の【領域】のストックはもう少し増えている。

 ウオッカやスカーレット、デジタルにマヤノといった弱い者いじめにはならない面々の顏も思い浮かぶっちゃ浮かぶけども。

 顔見知り過ぎて気が引けるというか、いまだ自身でも把握しきれていない私の耐久力試験に付き合わせるのは忍びない。

 スカーレットあたりは潰れる寸前まで食らいついてくるのが容易に想像できてしまう。でもって、彼女が潰れる寸前になってもたぶんまだ私には余力が残っている。

 気まずいじゃん? 嘔吐する彼女の背中をさすってやることくらいはできるが、さすがの私でもそれが優しさでないことくらいはわかるよ。

 強い者だからっていじめていい道理はないのだ。

 

《ダスカは身体、あまり頑丈じゃないものなあ》

 

 地元では比較対象が私しかいなかったのであまり参考にならなかったが、中央基準でスカーレットの身体の丈夫さは並といったところだろうか。病弱という意味ではなく、ハードなトレーニングに対する耐久力や回復力という意味合いで。

 取り立てて貧弱なわけではないが、無理をしたら相応に故障する。頑健で有名なミホノブルボン先輩がスパルタ式トレーニングで距離適性を伸ばしたような無茶には向いていない。反面、精神的タフネスは私の知る限りトップクラスだからふとした拍子に限界を越えそうでわりと心配ではある。

 

《そういう意味ではゴルシTは適任だよね。特にオークスあたりは健康に気を付けてあげてってこの前メッセージ送っといたよ。風邪で出走回避なんて誰も望まない展開だものね。せっかくならトリプルティアラの彼女が見たい》

 

 まーたテンちゃんが私の知らないところでコネクション広げてる。メッセージアプリの友達追加なんて全然気にしていなかったから気づかなかった。

 基本的に私たちはどちらかが表に出ている間、もう片方は裏で俯瞰しているのだけど。たまにどっちかが寝ているときがある。そういうときは片割れが何をやっているのか知ることはできないのだ。

 脳は共有しているはずなんだけどね。知識や記憶は人格ごとに管理されている。不思議なものである。もしかするとそれらは魂あたりに記録されているのかもしれない。

 何気にネット上では『テンプレオリシュ』ではなくテンちゃん個人のコネクションが構築されている。二重人格者にとって現代はなかなか生きやすい時代だ。

 

 さて、ゴルシTといえば担当のゴールドシップ先輩だ。

 彼女は無事之名バを地で行くようなお人であり『最大の故障が肉離れ、次いで筋肉痛』などと笑い話のように言われているが、あれだけの戦績を誇りながらデビューから現在に至るまで選手生命に支障をきたすような故障を一度も経験していないのは間違いなく偉業だ。

 あの恵まれた体格が示すように先天的なものは間違いなくあるのだろう。だが生まれ持った素質だけで成し遂げられるようなものでもない。

 実際、ウオッカもスカーレットもチーム〈キャロッツ〉の面々も、去年一年に故障したという話は聞かない。勝利を得るためにはギリギリまで追い込むのが大前提と言われる中央で、ゴルシTはそのギリギリを見極めるのが抜群に上手いのだろう。

 私が何か関与したわけでもない結果論ではあるが、彼がスカーレットの担当になってくれたのは本当に幸運だった。

 

 まあそんなわけで、顔見知りの同期を巻き込むのは無しだ。せっかく職人の管理下にあるのに、わざわざ野良レースに巻き込んで故障させるのは心苦しいなどというものではない。

 かといって、ある程度調子を把握できるデジタルとマヤノばかり頼るのは彼女たちの負担が大きすぎるだろう。

 

《やれやれ、どこかに粗雑に扱っても心が痛まない練習相手はいないものかなぁ》

 

 テンちゃんがなかなか物騒なことを言った時、バーンと派手な音を立てて部室のドアが開かれる。

 流れ込んでくる冷気と共に入ってきたのは、息を切らせたデジタルだった。

 

「同志ッ、助けてくださいっ!!」

 

 デジタルはウマ娘という存在そのものをやけに神聖視しているくせに、それは自身の選民思想や特別意識には繋がらず、むしろ自己評価が妙に低い。

 ウマ娘ちゃんに迷惑をかけることをタブー視しており、何か困ったことがあってもなかなか相談してくれず、抱え込んでしまうことが多い。

 そんな彼女が切羽詰まった表情で助けを求めてきたのだ。よほどのことがあったと考えられる。

 

「わかった。案内して」

「……ふぇ?」

 

 でも即答したときにそういう理屈はいっさい考えていなかった。

 デジタルが助けを求めてきた。それだけで応じるに値すると私の脊髄は判断を下したようだ。異論はない。

 

「事情は移動しながら聞くよ」

 

 友達ってそういうものだろう。

 

 

U U U

 

 

 予想通りというか、デジタルの持ち込んだ案件はウマ娘関連、それもデジタルに直接かかわりがないものだった。

 

《自分以外のウマ娘ちゃんが絡んだときこそデジたんは最も必死になるもんねぇ》

 

 なんでもチーム〈ファースト〉がもめ事を起こしたらしい。いや、売られた喧嘩を買ったというニュアンスの方が正確か。

 ちなみに改めて解説しておくと〈ファースト〉はアオハル杯開催から現在に至るまで常にランキング一位を独占しているチーム。あの樫本代理が自らの徹底管理体制を賭けて担当を務めているところである。

 そこでは樫本代理の教育管理プログラムに基づいた指導が行われており、その成果で所属しているウマ娘たちはぐんぐんその実力を伸ばしているのだが。

 学園の自由を尊ぶウマ娘たちからしてみれば、彼女たちは管理主義に魂を売り渡した裏切り者。言ってしまえば学園の自由を脅かす悪の尖兵と見なされているチームであり、トラブルの噂はたびたび聞こえてきた。

 いくら中央のエリートといっても、しょせんは成人を迎えていない経験も知恵も足りない小娘である。感情的に嫌がらせに走ってしまう子もそれなりにいたみたいだ。

 まあ、それでも根が善良なウマ娘揃いであるから陰湿ないじめの類は無かったらしいけど、それもあくまで他人事目線の話。被害を受けた側からすればまた違った感想があることだろう。

 あとどうでもいいことだが、私のルームメイトであるリトルココンが所属しているチームでもある。というか実質樫本代理のワンマンだから名義だけではあるがチームリーダーだった気がする。トラブルが多いのは何も徹底管理主義だけが問題ではないかもしれない。

 

《あはは、嫌ってんなー》

 

 テンちゃんが脳内で苦笑する。一年近く同室として付き合いがある相手ではあるけど、対応はずっとテンちゃんが行ってきた。

 いちおう嫌いってわけじゃないつもり。ただ、初対面の精神的横面を張られた苦手意識を払拭する機会のないままここまで来てしまっただけの話だ。

 関わり合いになりたくない無関心。それが一番近いだろう。いや、それを嫌いというのか。

 

《性格に難があるだけで、けっこういい子なんだけどねぇ》

 

 テンちゃんはある意味デジタルと同じで、ウマ娘全般に関して採点が甘い節があるからあまりこういう評価は信頼できない。

 

《ひどーい》

 

 話を戻して今回の件。

 喧嘩を売ったチームの名は〈ブルームス〉。

 そのチームリーダーであるライスシャワー先輩が、リトルココンのドリンクを地面にぶちまけたのだとか。まさに悪役(ヒール)の所業である。

 

 だが世間一般的に抱かれている『黒い刺客』のイメージと、私の知っているライスシャワー先輩の印象にはだいぶ落差がある。

 ルドルフ会長以来の偉業、無敗の三冠を達成しようとしていたミホノブルボン先輩を菊の花の舞台で差し切ったことからその物騒な異名で呼ばれるようになった彼女。

 直接話したことこそ無いものの、私が見聞きするライスシャワー先輩はむしろ内向的で穏やかな気性の持ち主だ。ただ運とめぐり合わせが非常に悪く、さらに彼女の周囲にいればその不運に巻き込まれることがあり、それが敬遠や悪評に繋がっている節がある。

 あと先輩にこう言っては何だが要領が悪いところもあると思う。よかれとやった善意の行動が運の悪さと噛み合って悲劇的な結末を迎えていることも多々ある気がする。

 

「ちがうんです! 誤解なんです。ライスさんに悪意はまったく無かったんですよ」

 

 案の定、今回の一件もそうらしい。

 目撃者デジタル曰く、どこからか学内の敷地に迷い込んできた黒猫がリトルココンのドリンクボトルにじゃれついていたらしい。それを見かけたライスシャワー先輩が猫の手の届かないところに移動させようとした結果、うっかり全部こぼしてしまったのだとか。

 なるほどなーっていやいや、そうはならんやろ。

 スポドリ入れる容器ってあれ吸うか手で握るかしないと出てこない構造じゃない? 猫がじゃれついたときに蓋が緩んだとか?

 まあ私はデジタルの証言があるからわざとではないと信じられるが、被害者であるリトルココンはそうではなかった。

 まあ無理もない。普通そんなことになるとは思わんよね。品の良い話ではないが自分に嫌なことがあったとき、そこに何者かの悪意の介在を疑ってしまうのも人心の機微としてよくある傾向である。

 

《うーん、あれってクラシック級十月前半のイベントじゃなかったっけ? あの時期に『直射日光に当たり続けたらドリンクが温くなっちゃうから』って移動させようとするよりかは納得できる動機と原因だけどさぁ……。

 もはやこうなってくると時系列がどうのというより、既知のイベントがそれっぽく起こることの方が気持ち悪いよねぇ。代替可能(ジェイルオルタナティブ)時間収斂(バックノズル)ってやつか? 戯言だなぁ》

 

 テンちゃんの機嫌が妙に急降下している。その作品はそれなりに面白かったが、私としてはまだ少し出会うのが早かった感がある。三年後あたりが一番楽しめそうだ。高等部に入ってからもう一度読み返したい。

 ともあれ、ライスシャワー先輩とリトルココンの間でトラブルが勃発し、二人のチームメンバーも集い始めたタイミングでデジタルは私に助けを求めるためその場を去った。だから今どうなっているのかはわからないそうだ。

 まあ予想できたからデジタルは助けを求めに走ったわけだし、私にも安易に想像はつく。リトルココンは笑顔で流せるほど懐が深いウマ娘ではないし、上手くトラブルを受け流せるほどライスシャワー先輩は小器用ではない。きっと遠からず一触即発の空気になったことだろう。

 そしてデジタルは興味があるジャンルに関してはともかく、基本的には口下手なオタク気質。険悪な両者に割って入ってとりなすことができる性分ではない。私も似たようなものだが。

 こういうことが得意なのはテンちゃんだ。

 

《お、代わるかー?》

 

 うん、よろしく。

 チーム〈ファースト〉が今の立ち位置になったのは、別に誰かの悪意があってのことではない。彼女たちには彼女たちなりの動機があり、理念があり、必要があってあの形になった。それは知っている。

 知っているけど、学園で自由を愛する仲間たちと一年過ごした生徒としてはやっぱりね。どうしても彼女たちは管理主義を押し進める駒であり、そんな彼女たちに敵意や偏見の目を向けてしまうと思う。

 そんな自分が嫌だ。あとリトルココンとあまり口を利きたくない。

 

《やれやれ。本当にこじらせちゃってんねー。ま、案はあるから後は任せておきな。へいへい、ぱーす》

 

 テンちゃんがどんな展望を描いているのかわからないのでこのタイミングでコントロールを譲り渡す。活動制限があるとはいえ、準備時間は多いに越したことはないだろうから。

 ふっと内側に引き込まれ世界が遠くなる。

 主導権を得たテンちゃんは、何故かおもむろにスマートフォンを取り出してスイスイと何かを調べ始めた。

 

「ど、同志……?」

「んー、ちょっと待ってねー」

 

 困惑するデジタルも何のその。どうも学園のポータルサイトに接続しているようだけど。視界は共有できてもテンちゃんの思考の全体像が分からない以上、何が目的で最終的にどこを目指しているのかはさっぱりだ。

 私の口がにやりと悪役じみた笑みを浮かべる。

 

「おっしゃラッキー! さて、まずは寮のぼくらの部屋へ向かうぞー。そこで準備するのだ」

「へっ? だ、大丈夫なんですか急がなくても……」

 

 困惑し立ち止まったデジタルに対し、テンちゃんは自信満々にひらひらと手を振ってみせる。

 

「へーきへーき。ぼくらウマ娘がもめ事にシロクロつける方法なんてひとつしかないだろ? アオハル杯のチーム同士で決着をつけようってなら、なおさらさ」

「れ、レースでしょうか?」

「ざっつらいと! ただ単にグラウンドの片隅で野良レースやるなら急がなきゃならなかったけど、どうも横やりが入らない状態で本格的に決着をつけるつもりみたいだ。学内レース場の使用申請が〈ファースト〉名義で入っていたよ」

 

 ああ、なるほど。

 テンちゃんの先ほどの行動に合点がいった。

 生徒用アカウントにログインすればスマホから学園施設の使用状況は確認できる。学内レース場もその一つで、さっきのテンちゃんはそれを確認していたのだ。

 

 この学園では呆れたことに広々としたグラウンドとは別枠で学内にレース場が存在している。

 たしかに学外から人を呼んで開催されるレースイベントは少なくないし、そのたびにグラウンドを占領していれば二千人弱もいるウマ娘たちの練習に支障が出るという理屈は理解できなくもないが、それにしたって思いきり過ぎだろう。

 一説によれば今の理事長が私財を投入して増設した設備の一つとも言われているが、真偽のほどは定かでない。お金持ちのお金の使い方ってときどき聞いてて頭くらくらしてくるから、あまり詳細を確かめたいとは思わないんだよね。

 

 レース場の使用申請は流石に個人では許可が下りないが、現在チームランキング一位の〈ファースト〉なら可能なのだろう。ランキング下位の〈ブルームス〉を威圧する意味合いもあってやったのかもしれない、なんてことも考える。

 

《このあたりはぼくの知っている()()()とは明確な差異だよなぁ。イベントを見る限り野良レースはグラウンドで行っているっぽかったし。

 しかし施設の利用申請もネット上で管理とは便利な時代になったものだ。でもそれなら混雑具合もリアルタイムでスマホから確認できるものね》

 

 だったら確かに、時間に余裕があるかもしれない。

 正月シーズンで過疎気味の今なら空いているコースは山ほどあるだろうが、仮にアオハル杯よろしく五つの部門のチーム戦で決着をつけるのなら複数回、コースを一定時間占領することになる。

 管理主義の申し子であるチーム〈ファースト〉が不確定要素を排除するため学園に申請を出し、学内レース場の使用許可をしっかり取ってくるのは何も不自然な対応とは思わなかった。

 

「チーム〈ファースト〉はアップもせずに始めるやつらじゃない。各種手続きや移動も含めればあと十五分は時間的猶予があるはずさ」

「な、なるほどー」

 

 我が身体ながら、こういうときのテンちゃんにはカリスマ性ってものがあると思う。言っていることが多少めちゃくちゃでも、根拠に乏しくても、雰囲気で押し通して納得させてしまう。

 自信満々のギラギラした態度。私には無い魅力だ。

 

「ククク、いざというときの備えが日の目を見ることになりそうだな」

 

 あのー、もしかしてそれって例のアレですかね?

 テンちゃんがどういう方向性で事態を解決するつもりなのか、漠然と予想がつきつつあった。それに伴い、何を使うつもりなのかも。

 『不審な行動をするときのために不審者ルックを用意しておくべきだよねー』というテンちゃんの一から十まで理解不能な理屈で用意された謎の動物を象った変な被り物。自前の勝負服を解析、流用した技術で被っても視界も呼吸も阻害されず、それどころか走行にさえ支障が出ないというDIYで作成されたにしては無駄にハイスペックなシロモノだ。

 正直、私としては助かったのだがあのハンドメイドの被りモノがあの性能を誇るのに『許可が下りませんでした』とデザイナーさんが肩を落としていた眼帯が没を食らったのは不思議である。助かったけど。

 

《トゥインクル・シリーズが国民的娯楽という前提を踏まえた上での安全面だろ。子供が真似をするときに特に顔パーツは象徴的で真似をしやすい。『勝負服の眼帯』ならいくらでも視界を確保できるだろうが、子供がそこらの眼帯で目隠しして走ったら危険じゃん?》

 

 あーなるほどねえ、納得。

 現時点で試作二号まで出来ていたよねえ、アレ。実際に使う日がこようとは。被るのはテンちゃんとはいえ、複雑な気持ちである。

 

《一号よりも二号の方が高品質だからそっちをデジたんに渡すつもりだよ》

 

 デジタルも巻き込まれるらしい。頑張ってくれたまえ。

 

「あの、何をなさるおつもりで?」

 

 恐る恐る尋ねるデジタルに、テンちゃんはにんまりと笑みを深めてみせた。

 

「ちょっとばかしテンプレオリシュらしいことをね」

 

 うわぁ。

 

 『テンプレオリシュらしいこと』。

 これを言ったときのテンちゃんはたいてい()()()()。そしてたいがい後で大人にこっぴどく叱られることになる。そのときテンちゃんは反動で寝ていることが多く、私がお説教を引き受けることになる。まったくもって理不尽極まりない。

 

 ……でもその気になればいつでも奪取できる身体のコントロールを委ねたままのあたり、私も実のところその『テンプレオリシュらしいこと』が嫌いではないのだろう。

 それはきっと正しいことではないけど、別の側面から見れば間違いなく誰かが求めたもので。特等席から見るそれはひどく痛快だから。

 

《ふっふっふ、カモが大義名分(ネギ)を背負ってやってきてくれたぜぃ》

 

 ああ、やっぱりそういう方向性になるのね。

 そんなある種呑気に構えていた私に、おずおずとデジタルが問いかける。

 

「あのー、ときに――あなた様のことも同志とお呼びしてもよろしいのでしょうか?」

「……へえ」

 

 想定外の重さを有した一撃。

 思考が一瞬停止する。

 でもテンちゃんは既に動き始めていた。

 

「そういえば、こうして直接デジたんと話すのは初めてだっけ」

「ひぇ」

 

 プライベートスペースへ瞬時に踏み込み顎クイという、お前はどこの少女漫画の登場人物だと問いたくなる動きでテンちゃんがデジタルの動きを拘束。見栄えは悪いが、いやある意味で絵になっている気もするが、確かにウマ娘オタクでもれなく私のことも推しているデジタルの動きを封じるには最適な行動だろう。

 いやいや本当に最適かこれ? ダメだショックで少しばかり混乱している。

 

《まさかデジたんが最初に指摘してくるとはねぇ。順当といえば順当か。ジュニア級の一年間、一番多くの時間を共にしたのが彼女かもしれないものね》

 

 一方でテンちゃんの声色も態度も落ち着いたものだ。それに少し安心する。

 

「いつから気づいてた?」

「それはもう! 普段の同志が白い朝靄をゆったり纏う深緑の森だとするのならっ! 今の同志は煌々ときらめく灼熱の火砕流ッ!! どうして見紛うことがありえましょうか!?」

 

 あ、いつものデジタルだわ。すっごく落ち着いた。

 テンパリながらも跳ね上がる彼女のテンションと反比例するように平静を取り戻した私へ、テンちゃんがゆったりと確認を取る。

 

《このまま進めちゃっていいよね?》

 

 うん、だいじょーぶ。

 別に隠すようなことでもないからね。急に来られてびっくりしただけ。

 

「そっかー。デジたん相手に隠し通せると思っていたことの方が傲慢だったね。ごめんごめん。じゃあ改めて……。

 はじめましてアグネスデジタル。ぼくの名前はテンプレオリシュ、親しみを込めてテンちゃんと呼ぶことを許可しよう。よろしくね、同志?」

「っ! はいいっ! よろしくお願いしましゅ同志テンちゃん!!」

 

 感極まってびくびくと痙攣するデジタルのありさまは、以前に取材を受けたどこぞの記者を連想させる。去年に朝日FSをとってG1ウマ娘になってからというもの、徐々にメディアの露出が増えてきたんだよね。

 仕事だからやるけど、あまり気乗りしない仕事だ。注目を集めるのは好きじゃないし、媚を売るのは性に合わない……うーん、ダメだな。やっぱりまだ思考がいまひとつ上の空だ。思った以上にテンちゃんの存在に気づかれたのは衝撃的だったらしい。

 

「ついでに聞くけど、デジたんから見て他に気づいていそうな子っている?」

 

 でもテンちゃんはどこまでも飄々としている。

 メンタルの耐久力は私の方が上、というのが私たちの共通見解。つまりテンちゃんはこの状況にまるでショックを受けていない?

 いや、私が無駄に動揺しているだけか。自分でも何でこんなに困惑しているのかわからないもの。

 

「え、えーっとですねえ。マヤノさんは薄々気づかれているのではないかと」

「あーね」

 

 その点に関しては私も同意だ。

 初対面のときから薄々感づいている節があったし、指摘してくるならマヤノだと思っていた。でも何だかんだテンちゃんがみんなの前で表に出てくることってレアなんだよね。たいてい俯瞰した状態から裏であれやこれや口を挟むだけで事足りるもの。

 その場にいないもうひとりの私にわざわざ言及して引っ張り出すほどマヤノも恐れ知らずではなかったというか。目の前のキラキラに興味を引かれがちな飽き性な一面のある彼女が、わざわざ目の前にいない相手を話題に出すほど暇じゃなかったというか。

 

「バクシンオーさんやミークさんはちょっとわからないです」

「マイペースだもんねぇあの二人」

 

 その点にも同意する。

 バクちゃん先輩もミーク先輩も、気づいていてもいなくてもどちらでも不自然ではない。感覚も反応も当人独特のものがあって、表面上の行動から逆算しにくいのだ。

 

「桐生院トレーナーは、その、えっと、あの人はちょっと天然なので……」

「あーうん、そうだね……」

 

 担当されている者同士、意見が合ったのに何故か涙がこぼれそうだ。

 桐生院トレーナーは本当にいい人だし、トレーナーとしての力量も高いのだが……。

 努力家で真面目で才能があって家柄も言うこと無くて実力も伴っているのに、最後の一押しを詰め切れない甘さがある。

 たぶん桐生院トレーナーはまだ気づいていない。でもそういうところも好きよ?

 

「ありがと、参考になったよ。詳しくはまた今度ね。いまは時間が差し迫っているし」

「あっ」

 

 そうなのだ。思考を明後日の方向に飛ばしている場合ではない。本当にチーム〈ファースト〉と〈ブルームス〉の野良レースが終わってしまう。

 

「どどど、どうしましょう!?」

「へーきへーき、任せてよ。ね? ほら走るよ。アップだから軽く流す感じでね」

「はえ?」

 

 テンちゃんはどこまでも楽しそうだった。

 まあたしかに、話し込んでいた時間は三分も無いか。私たちの着替えと移動を含めたところで想定されるタイムリミットには余裕で間に合う。

 

 案外あっさりコンソメ味といった具合か。

 テンちゃんの存在はいつか誰かに露見するだろうとは思っていたが、想定していたほど劇的な味わいではなかった。

 状況が状況とはいえ、差し迫った別件があればひょいと脇にどかされて後回しにされてしまう程度のものか。

 ならば私も意識を切り替えよう。

 

 チーム〈ファースト〉かぁ。

 齧ったらどんな味がするのかな?

 

 

 




次回、???視点


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サポートカードイベント:UMA覆面ってなんだよ…!?

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U U U

 

 

 最初から人が嫌いだったわけじゃない。

 

 昔は友達がいた。

 誰かと一緒の時間を過ごすことは楽しかった憶えがある。

 ただ、少しばかり理解しがたいものがあった。

 どうして自分のやりたくないことを周囲に合わせるためにしなくてはならないのだろう。やりたいやつらだけでやっていればいいのに、何故かアタシを巻き込もうとする。

 誘うときは顔に善意を貼り付けておいて、興味が無いと断ると今度は被害者面だ。

 

――どうしてみんなに合わせようとしないの?

 

 お揃いが愉快だと思っているやつらが勝手にお揃いにしているんでしょ。なんで愉快でも何でもないアタシまで右に倣えと強要するんだか。

 同じ時間を過ごす快楽よりも、煩わしさの方が少しずつ大きくなっていって。

 

 一度不和が起きるとあとはもうダメだった。

 

 仲良しよりも敵であることの方が多くなって、それでも融通を利かせなきゃいけない意味がわからなくて、アタシは『みんな』の中に馴染めないウマ娘で。

 

 あるとき、理解することを諦めて離れてみた。

 そうしたら、喪失感と共にふっと身体が軽くなった。

 

 なんだ、ぜんぜんいけるじゃん。

 

 そうやって距離を置いて、どんどん遠ざけて、自分の自然体であり続けて。

 気づけば周囲には誰もいなかった。友達の作り方というものを忘れていた。そしてそれを困ったことだとは感じなかった。

 去年のあの日、栗東寮のあの部屋に流れつくまで。対人関係というものはアタシにとって縁のないものになっていたんだ。

 

――ココンちゃーん

 

 煩わしい。

 何がおかしいんだか、毎日楽しくてたまらないとばかりにへらへら笑って。

 こっちが返事をするまでしつこく話しかけてくるし、嫌味のひとつでも吐こうものなら三倍それっぽく理論武装した屁理屈が返ってくる。

 

 ……でも、よくよく思い返してみれば。

 コイツはアタシが間違っているとも、変わるべきだともこれまで一度も言ったことが無いんだよな。腹立たしいアイツの言葉の中に、アタシへの否定はひとかけらも含まれていなかった。煽りはするし、バカにもしてくるが。

 だからって気に食わないって理由だけでアイツのことを否定するのは流石に子供じみている気がして、拒絶しきれずにいる。

 アイツは学内行事やトゥインクル・シリーズで派手な業績を残しているらしいけど、噂話をする相手もいないアタシはよく知らない。興味もないことだ。学年も違えば世代も違う相手のことをいちいち気にしてはいられない。トゥインクル・シリーズやアオハル杯で当たるとなったときに改めて調べればいい。

 

 テンプレオリシュというウマ娘との関係性は、今日に至るまでそういうものだった。

 

 

 

 

 

 チーム〈ファースト〉は自主練を行わない。

 周囲にはそう思われている。それは間違っちゃいないけど、正確でも無い。

 厳密には無計画な追加トレーニングを行うことがないだけだ。樫本トレーナーは理事長代理を兼任しているため大変多忙であり、常にアタシたちの傍についていられるわけじゃない。

 アタシたちだけでトレーニングしなきゃいけない時間はどうしても存在していて、そういうときのための自主練メニューはちゃんと存在している。後でその日の成果をもとに、細かい基準に基づいた報告レポートを作成して提出しなきゃならないけど、それはそれで自身のトレーニングに対する理解と知識が深まるからチームからは好評だったりする。

 

「正月からしばらくの間は帰省することを前提にメニューを作成しています」

 

 案の定、師走というだけあってこの時期は忙しいらしい。年末年始の〈ファースト〉は自主練の回数が多くなった。

 

「身体を休めるのも大切なトレーニングの一環です。いたずらにハードワークを重ねるのは怯懦と焦燥から目を逸らすためだけの悪行と知りなさい」

 

 口では厳しいことを言っているけど、樫本トレーナーは忙しい時間の間を縫ってひとりひとりに合わせたメニューを組んでくれた。使わないに越したことがないと言いながらも、じっとしていられないアタシたちのために。

 怪我のリスクを極限まで抑えた調整用のメニューを用意してくれたのだ。さらに提出したレポートや日誌はしっかり採点して返してくれるのだから、放置されているという感覚はまったく無かった。いつ寝ているのか心配にはなったけど。

 

「トゥインクル・シリーズの後にもあなた方の人生は続いていきます。いま煩わしいからと対人関係を疎かにするのは個人の自由ですが、走り込むだけが将来への投資ではありません。親戚付き合いを断る前に、その事実を吟味するように」

 

 あの人はただ、ウマ娘に幸せになってほしいだけなのだろう。

 それがわかるから、たとえ目の届くところにあの人がいなくてもトレーニングに熱が入る。チーム間の会話がなくてもアタシたちはこれでいい。昨日の自分を、樫本トレーナーのくれたデータと共に今日超えていく。無機質な数字と文字の羅列は、冬の寒さ程度じゃ消せないぬくもりがあった。

 

 ただ、樫本トレーナーの助言に従ってチームの大半が帰省して、残りも樫本トレーナーのいないところで自主練をする機会が多くなると。

 ヒマなやつらにとって絶好の機会に思えたのか、些細な嫌がらせが増えた。相手の人数が少なくて、大人の目が届かない。ああ実に好機だろう。稚拙で原始的で動物的なロジックだ。

 今回のドリンクをぶちまけられた一件もその一環なのだろうと思っていた。違いは現行犯で押さえられたか否かという一点のみ。

 

 ああ、ムカつく。

 

「ただの勝負じゃ面白くないよな? だから負けた方は一生グラウンド使用禁止ってことにしよう!」

 

 無駄に爽やかな口調で小学生みたいな罰ゲームを言い出したビターグラッセも、それで緊張して青ざめてる〈ブルームス〉のやつらも。

 グラウンドが使えなくなったらトレーニングに差支えが出るなんてもんじゃない。理事長代理を務めている樫本トレーナーがそんなこと許すわけないじゃん。あの人は学園全体のウマ娘のことを常に考えているんだから。

 それなのに真に受けるってことは、『樫本代理はそんな理不尽を容認しかねない』ってこいつらは考えているわけで。そんな浅くて狭い偏見で嫌がらせを仕掛けてきたのかと思うと本当にイライラする。

 どれだけ尽くされているのかも知らないで。あの人がどれだけ身を粉にして学園のために働いていると思っているんだ。

 

「いいんじゃない? 面白そうだ」

 

 だからあえて口の端を吊り上げてシニカルに笑い、乗ってやる。

 ビターグラッセがやっているのは要するに盤外戦術だ。一見『ど根性!』が口癖の熱血バカと思われがちだが、案外普通に頭が回るし視野も広い。

 実際ヒートアップしかけた両チームをうまい具合に仲裁し、アオハル杯形式のチーム戦で決着をつけることを提案したのはコイツだし、学内レース場の使用申請などの手続きもコイツが一手に担っていた。

 ただ、何事にもバカみたいに全力(ガチ)って評価も間違っちゃいない。レース前にハッタリをかまして相手チームにプレッシャーかけるなんて、ふつーこんな野良レースじゃやんないでしょ。

 『自分のチームの空気を良くする』ってのは多かれ少なかれどこも考えていることだろうけど、初手で『相手のチームの空気を悪くしよう』とするあたりまともじゃない。つまりアタシと同じ、まともな場所じゃやっていけなかったウマ娘。チーム〈ファースト〉に所属する者の平均的な在り方だ。

 

「そ、そんな。ブルボンさんはまだリハビリ中なのに……」

 

 だからムカつく。この程度のことで青ざめることができる目の前のこいつらが。

 こいつらはきっと和気あいあいと走ってきたんだろう。担当トレーナーに守ってもらってきたんだろう。

 目につくだけでも、昨年無敗のクラシック二冠を達成しながらも三冠目の菊花賞で敗北を喫し、その後怪我が発覚して無期限の活動休止に至ったミホノブルボン。

 そしてそんなミホノブルボンに菊花賞で勝利し無敗の三冠を阻んだ“黒の刺客”ライスシャワーと、噂に疎いアタシでさえ知っている有名どころがいる。

 何で因縁があるはずのこの二人が同じチームに所属しているのかは知らないし興味もない。故障などで長期休養中のウマ娘がリハビリを兼ねてアオハル杯に、半年スパンで開催される非公式レースに出走するというのもわりと聞く話なので、ミホノブルボンがここにいることに疑問も無い。

 

「問題ありませんライスさん。オペレーション『友人の汚名返上』を開始します」

 

 計画に無い野良レースは樫本トレーナーにいい顔はされないだろう。

 でも、ドリンクをぶちまけるなんてここ最近では随一の露骨な嫌がらせを笑って無かったことにできるほどアタシは人間が出来ちゃいない。それに周囲にもトラブルを知られてしまった以上、ここで退いて『〈ファースト〉は嫌がらせされても尻尾巻いて逃げるチームだ』なんて思われても癪だ。

 何らかの形で白黒つける必要はあった……マスコミにさんざん騒がれたG1ウマ娘相手に勝利する未来展望、ほの暗い愉悦を覚えなかったかと言われたら否定はしないけど。

 

 正月シーズンということでお互いにメンバーは不揃い。いや、帰省もせず自主練しているメンバーでチーム戦ができることの方がおかしいか。それでも一対一を五部門するのが関の山だ。

 つまり誰がどの部門でやり合うことになるのか、全員じっくり観察してもお釣りがくる。

 学園の一部のトレーナーのように一目でウマ娘の能力を把握できる観察眼を持っているわけじゃない。それでもトレーニングに対する造詣が深まった今、相対して感じるプレッシャーからだいたいの実力は予想できるようになった。

 樫本トレーナーにスカウトされてからの一年間、アタシの実力は大きく伸びた。他のメンバーもそうだ。相手側の実力者であるミホノブルボンは中距離でビターグラッセが迎え撃って、長距離ではアタシがライスシャワーとやり合うとして――全勝できるな、これ。

 いっそレースで一勝でもすればそちらの勝ちでいいと、さらにプレッシャーの追い打ちでもしてやろうかと口を開きかけたときだった。

 

『まてい!!』

 

 やけに聞き覚えのある声が観客席から響く。

 声に引き寄せられるように周囲の視線が集中したその先には……不審者がいた。それも二人。日曜の朝に変身とかするタイプのヒーローみたいなポーズをビシリと決めている。

 いや本当に何なんだあの被り物。何の動物を模しているんだ? 牛に似ているが違う。鹿にも似ているが違う。いっそキリンにも似ている気もするがやっぱり違う。面長で鬣があって目が死んでいる。耳の形状はウマ娘のそれに近い。

 あれを被っているというだけでお近づきになりたくないのに、何故だか妙な既視感があった。

 

「お呼びとあれば即参上! UMA覆面一号!」

 

 いや誰も呼んでないから。すぐに帰れ。仮面じゃなくて覆面ってもはや不審者であることを隠す気ないだろ。あと声に聞き覚えがあり過ぎる。具体的にはこの一年くらい寮の自室でずっと話しかけられたような。

 ダメだ。短い一言の中にツッコミどころがあり過ぎるって。早く何とかしないと。

 

「ウマ娘ちゃんのためならたとえ火の中水の中、芝の中ダートの中縦横無尽に駆け回ってみせましょう! 推しの為ならこの命惜しくはありません、UMA覆面二号!!」

 

 しかも一人じゃないときた。推しとやらも覆面の不審者にそこまでの熱意で迫ってこられたらドン引きだろう。やめておいてやりなよ迷惑だから。

 

「とうっ!」

 

 不審者一号は観客席から身を投げ出すと、くるくると無駄に洗練された無駄のない無駄な動きで軽やかに空中を回転。

 

「スーパーヒーロー着地ッ!」

 

 そのまま片膝をつく実に脚に悪そうな姿勢で着地した。どういう力学が働いたのか猫みたいに音はしなかったから、たぶんノーダメなんだろうけど。

 ちなみに不審者二号はちゃんと階段を使って降りてきた。せめて登場パターンは合わせなよ。

 ぐっだぐだに弛緩した空気の中、降りてきた二号と改めて並び立った一号はびしりと指を突き立てて宣言する。

 

「この勝負、ぼくが預かった!」

「……なにやってんの、テン?」

 

 『親しみを込めてテンちゃんと呼ぶ権利をやろう』なんて言われたが親しみなんて感じていないし、コイツは呼び捨てで十分だ。

 この状況でコイツと知り合いと思われるのは非常に遺憾だけども、このままこの調子で話を進められる方が辛うじてマイナスがデカいと判断した。

 

「テン? 誰のことですか? ぼくはあなたの数少ない友人にしてルームメイトの美少女ではなく、通りすがりの正義の味方UMA覆面一号ですよ?」

「へぇ、リトルココンの友達だったのか! よかった、見るからに交友関係に乏しいから実は少し心配していたんだ!」

 

 ボケにボケを重ねるなビターグラッセェ! 〈ブルームス〉のやつらが『え、あの子友達いないんだ?』『ああ、やっぱりね……』みたいな顔してるだろうがっ!

 くっそ、やっぱり話しかけるんじゃなかったと後悔してももう遅い。アタシが対応する流れになってしまっている。だったらこれ以上場の空気を掻き回される前にとっとと追い返してしまわないと。

 

「何しに来たって言ってんの。邪魔するなら帰ってくれない? っていうか普通に邪魔だから帰れ」

「いやーさぁ」

 

 アタシはあまり意識してやってるわけじゃないけど、アタシの言葉はきつく皮肉気に聞こえるらしい。そしてそれを直そうともしなかった。

 でも今回はわりと意識して冷たく言ってやったのに、テン相手だとまるでそよ風ほどの影響も与えられた感じはしない。当たり前のような顔をしてアイツはライスシャワーのプライベートスペースにすたすた踏み込むと、自然な動きでその肩を組んで頬をぷにぷにと突いた。

 

「ふええ!?」

「見てよこの白い顔。半紙かってレベルじゃないですか。新年だけに皆さんこれから書初めでも始めるつもりですかぁ?」

 

 腹立たしいが、認めざるを得ないことがある。

 テンの話し方はなかなかに上手い。

 良く通る声質に興味を惹く抑揚のつけ方、目障りなくらい大仰な身振り手振りを交えたパフォーマンス。相互理解を度外視しているのでコミュニケーション能力という点では及第点すら怪しいが、煽動家としては満点だろう。

 五分前ならそれがどうした、覚悟も無く喧嘩を売ってきたのかと鼻で笑っただろうが。テンのせいで空気が一度ぐだぐだになった結果、リセットされていた。そうなると怒りや苛立ちが消えたわけではなくとも、少しばかり冷静な感性も戻ってくる。

 顔面蒼白でうつむいている小柄な少女は“黒の刺客”といった不吉で仰々しい存在ではなく、ただ理不尽を前に怯えて萎縮しているように見えた。熱狂が醒めた後の生温い苦みが舌に滲む。

 

「ライスシャワーはもともと即興で力を発揮できるタイプじゃない。明確な目標を定め、それに向かって心身を研ぎ澄まし、薄く脆く鋭い刃でいっきに刈り取るヒットマンスタイルが彼女の本領だ」

 

 テンの声がそれを後押しする。盤上をゆっくり詰められていくような居心地の悪さがあったが、それを明確に言語化することができない。流暢な言葉が次から次へと耳に流れ込んできて思考の構築を阻害する。

 

「きみたちも弱い者いじめがしたいわけじゃないんだろ? ましてやマスコミに取り上げられた有名人をボコボコにして悦に浸りたいなんて低俗な感情に駆られたわけじゃないはずだ。

 もめ事を解決したい。感情を納得させたい。それの手段としてレースを選ぶのはウマ娘としてごく当たり前のこと。でもこのまま本領を発揮できないライスシャワーを相手にしたら勝っても負けても後味が悪くなりそうだ。

 困ったねー? どうしようねー?」

 

 何故だか覆面越しでもテンが顔を横に引き裂くような満面の笑みをにやにや浮かべているのがわかった。

 

「そんな君たちの助けを求める声なき声に応じて駆けつけたのが正義の味方、UMA覆面ってわけさ!

 この決闘、ぼくが〈ブルームス〉の代理人になろう。それで〈ファースト〉が抱くはずだった弱い者いじめをする居心地の悪さはフライ・アウェイだ」

「…………いやいや、おかしいでしょ」

 

 そうだ、いろいろとおかしい。

 でも何がおかしいのか具体的に指摘できない。そのせいで押し切られそうな危うさが場に漂っている。

 

「だいたい決闘に代理人なんてありえないって」

「それは違います!」

 

 ここまで大人しかった不審者二号が突然声を上げた。何故だか『論破ッ!』の文字が右から左に勢いよく流れて行った気がする。

 

「現代で決闘といえば『名誉のための決闘』が連想されがちですが、実はそれは十六世紀以降に厳格な規則を基に発達した『私闘としての決闘』に分類されます。一方で十五世紀までに廃れたものですが中世ヨーロッパでは『決闘裁判』と呼ばれる『判決の為の決闘』が正式な制度として存在していました。なにせ裁判ですので被告側や告訴した側が女性、病人、老人のこともあります。その場合は代理人を立てることが認められていたのです。

 日本においても仇討ちや果し合いで用いられた『助太刀』という言葉が現代まで残っているように、役割や義理人情によって第三者が助力や代理を務める概念は何もヨーロッパに限った話ではありません。また大会や試合の称号で用いられる『チャンピオン』の語源もこの『決闘代理人』にあると言われています。もっともこちらは部族間の紛争解決の際に行われていた野原で行われる代表同士の一騎打ちがルーツであり、ラテン語で平原や野原を意味する"campus"が語源となるのですが……」

 

 テンの話術が奔放の裏に巧みな計算がある噴水だとすれば、こちらは勢いですべてを押し流す濁流か。決闘に代理人を立てるのが無理筋ではないと主張しているのはわかったから、もう少しまともに息継ぎしたらどうなんだ。必死過ぎるって。

 

「うん、いいんじゃないかな?」

「ビターグラッセ!?」

 

「君だってこの期に及んで無理にライスシャワーを走らせようとは思っていないだろう、リトルココン?」

「それは……」

 

 その通りだ。そういう空気ではなくなってしまっている。仮にこのまま〈ブルームス〉に勝ったところで、アタシ含め〈ファースト〉のメンバーが勝利の愉悦や達成感を抱くことは難しい。

 だからって、このままテンの口車に乗るのは癪だ。そんな感情論の自覚があるだけに言葉に詰まるアタシの前で、無駄に爽やかにビターグラッセが話を続ける。

 

「そこのUMA覆面とやらがライスシャワーの代役で走る。それくらい認めてやっても構わないじゃないか」

「そ、そんなの悪いよ! ライス、ちゃんと走るから。もともとはライスがこぼしちゃったのが原因なのに、人任せなんてダメだよぉ」

 

 とっさに舌打ちを抑える。

 このタイミングでそれを言うのかライスシャワー。そんな真っ白な顔で震えながら言われてしまった以上、当人の言葉に反しそれが決定打だった。明確に彼女は『可哀想で善良な被害者』の枠に収まり、このまま走らせたらアタシたちが悪役になる。周囲からどう見えるかというのではなく、アタシたち自身がそう思ってしまう。

 打算ではなく純粋に言葉通りの意志があるのだとすればずいぶん間が悪い。ぽたり、と脳裏に滲む一滴。あるいは本当にライスシャワーは運と要領が悪かっただけで、悪意をもってドリンクをぶちまけたわけではないのかもしれない。

 

「え、違うよぉ? ライスシャワーの代役じゃなくて〈ブルームス〉の代理人さ、ぼくは。正義の味方UMA覆面と〈ブルームス〉が二対一で〈ファースト〉に相対するなんて今度はこっちが戦力過剰でアンフェアになるじゃないか」

「は?」

 

 煽るような、というか煽り以外の何物でもない口調で訂正したテンに意識が逸れた。

 

「じゃあ君のチームがこれから来るのかい? あまり待たされても困るのだけど」

 

 ビターグラッセの言葉にあの変な被り物をした不審者が群れている光景をつい想像してしまう。眩暈がする、学園の恥だ。もはや通報することさえ億劫で全力で見なかったことにしたくなるだろう。

 

「いやいや。目の前にいるのがUMA覆面のすべてで、それで充分さ。

 何を隠そうぼくはあらゆる距離適性があってね。ついでに言えば芝もダートも同じように好走できるのさ。つまり、アオハル杯のどの部門でも走ることができる。つまり――」

 

 ぼくが五部門ぜんぶ相手するから、全力でかかってきたまえ。

 

「……へぇ」

「あははっ、ここまで真っ向から喧嘩を売られると逆に爽快だ!」

 

 下火になっていた脳内の炎に再び薪がくべられた。

 アタシたちごとき一人で十分ってか? 腹を抱えて笑っているビターグラッセは言うに及ばず、〈ファースト〉全員の怒りのボルテージが急上昇している。挑発という意味ではこの上なく成功だった。

 

「いやいやいや同志、さすがにそれは無いですって!? 助けを求めておいて見ているだけって逆に酷ですよ! あたしも走りますっ」

「そう? じゃあ二号にはダートをお願いしようかな。

 あ、そうだ。きみたち〈ファースト〉もたった二人を相手に何のハンデも無しで走るのは気が引けるだろう。だから走る順番はこっちで決めさせてもらおうかな。中距離から始まってマイル、間にダートを挟んで短距離、最後に長距離なんてどうだい?」

 

 自分から言い出したくせに何て言い草だ。支離滅裂もいいところでまともに会話する気も失せる。

 

「好きにしたら? 時間の無駄になりそうな気もするけどね」

「ひぇっ、お、おこってるー」

 

 二号は不審者の被り物こそしているが真っ当にビビっていた。

 挑発に乗るのはバカのやることだ。でも競技者としてここまでコケにされて喧嘩を買わないウマ娘はバカですらない。

 コイツはいまアタシが、アタシたちが走ってきた時間を……樫本トレーナーが積み上げた一年間を無礼(なめ)た。少なくともアタシはそう感じた。

 

「ああ確かに。ずるずると負け続けている相手と走っても得られるものは何もないだろう。きみの心配はもっともだ。わかった、ならばこうしようじゃないか!

 二号はともかく、連戦する一号のぼくが一回でも負けた時点でそっちチームの勝ちでいいよ。それなら時間の無駄にはならないでしょー」

 

 こっちの脳内を覗いたわけでもないだろうが、まるでテンが乱入するまえにアタシが言おうとしていたことの意趣返しのように感じられて苛立ちがさらに募る。

 露骨な舌打ち。もちろんその程度では、アイツは痛痒すら感じないだろう。

 肩を落とすように大仰な仕草でため息をつく。それでイライラが消えるわけでもないが、ひと息入れてクールダウンしたというポーズにはなる。そうやって自分が冷静になったことにした。

 

「はいはいわかったわかった、もういいよそれで。ビターグラッセ、どう?」

「うん、準備万端さ! いつでも始められるよ」

 

 もうさっさと走って終わらせてしまおう。中距離スタートなら担当はビターグラッセ、〈ファースト〉全体の中でも指折りの実力者だ。あれだけビッグマウスを叩いておいて無様に負けるテンの姿を見れば、少しは溜飲も下がるだろう。

 

「お待ちください」

 

 またもや水が差される。声の主はミホノブルボンだった。

 いや、本来はこっちが主体であるべきか。もとは〈ファースト〉と〈ブルームス〉のもめ事だったのだから。差した水で全体を塗り潰したテンがおかしいのだ。

 

「ごめんね待たないよ。これは自分たちで解決すべき問題だと思った? 自力で乗り越えなければならない困難だと? 悪いけどぼくはそう思わないな。

 対人トラブルなんてどっちの理不尽な主張がまかり通るかってもんさ。まともに向き合うだけ損だよ。〈ファースト〉は振り上げたこぶしの落としどころを求めていた。だからそれを用意した。これはもうそういう話。ライスシャワーの不幸とか名誉とか、さして重要なことじゃないのさ。

 どうしても納得できないのならこれが終わったあとに改めてやってくれたまえ。もしかしたら速攻で終わるかもしれないだろ?」

 

 立て板に水とばかりにつらつらと並べ立てられる言葉。

 サイボーグとも揶揄される栗毛のウマ娘はそれを無表情でじっと聞いていた。

 

「……やはり、貴女は。ステータス『想起』を獲得。

 納得はできませんが、了解しました。ミホノブルボン、待機モードに移行します」

 

 何を考えていたのかは窺い知れないし興味もない。ただテンが説得したから楽ができたな。感想はそんなもんだった。

 おそらくは〈ブルームス〉で一番発言力があったのだろうミホノブルボンが黙ったことで、その周囲も戸惑いながら観客席に移動し観戦の姿勢に入る。

 

「じゃ、いってくるぜぃ二号。体は冷やさないようにねー」

「は、はい。一号、ご武運を……」

 

 テンとビターグラッセ、二人が粛々とゲートイン。ウマ娘によってはクラシック級に入ってもまだゲート難を発症している者もいるが、さすがにアイツはそこまで低次元ではなかったようだ。

 そう思ったところで、ゲート入りしたテンが急に大声を上げる。

 

「ああ! 始める前にもう一つ。たしか罰ゲームがあったんだっけ? 『負けたチームは一生グラウンド使用禁止』って。面白いじゃん。倍プッシュだ」

「うん?」

 

 怪訝そうに首をかしげるビターグラッセから遠く離れた観客席にも、テンの声はよく通った。

 

「ポーカーで言うところの上乗せ(レイズ)ってやつさ。そっちがやったのならこっちにも権利があるはずだろ? 条件追加だ。

 さらに『相手チームの言うことを何でも一つ聞かなきゃいけない』、なんてどうかな? でも全裸で逆立ちしてグラウンド一周なんて命令したら近隣住民から通報されて学園に迷惑かかっちゃうだろうから、公序良俗および法に違反しない範疇でさ。

 乗る? 降りる? 逃げるなら今のうちだぜ? コール・オア・ドロップ?」

 

 ……ああ、こいつは本気なんだ。

 揉め事を仲裁するためのおふざけやごまかしじゃなくて、本当にアタシたちに全勝する気でいる。

 

 全員の視線がビターグラッセに向いた。同調圧力なんて大嫌いだったはずなのに、そのときアタシたちチーム〈ファースト〉の意見は同じだろうと無責任にもそう感じた。

 ビターグラッセは受け取り損ねなかった。

 

「コールだ!!」

 

 大気をビリビリと揺るがす一喝。

 

「ああ、でもこれが終わったらちゃんとチームの前で再確認しよう!」

「りょーかーい」

 

 そして意外と冷静だ。テンも理不尽に吹っ掛けたように見せかけて、流れで押し切るんじゃなしに話し合いを受け入れるのか。正しいと言えば両者ともに正しい対応なんだけど、外から見ていた側からすれば何とも肩の力が抜けるやり取りだった。

 妙に空気の圧が弛んだところで、耳に馴染んだ金属が擦れる音と共にゲートが開く。緊張感が薄れたせいで出遅れが発生するなんてことが無かったのは不幸中の幸いか。

 かくしてレースが始まった。

 

 

 

 

 

 すべてが終わり、熱の抜けた頭で振り返ってみれば。

 

 アイツがチーム〈ファースト〉を一人で相手取ると言った時、アタシは舐められたと思っていた。

 アオハル杯では一回目のプレシーズンを終えてなお首位に君臨し続け、トゥインクル・シリーズでも次々と目に見えた成果を出し始めている〈ファースト〉。

 一年前のアタシたちとは比較にならないほど実力が伸びた。自信と自負を抱くだけの成果を出した。

 アオハル杯ランキング一位。今のアタシたちは明確な事実として最強のチーム。でもその事実に傲りが生じなかったと、胸を張って言えただろうか。

 最強という言葉が、どれほどこの中央において脆く儚いものなのか。規格外はふとした拍子に現れ、当たり前のように常識を破壊していく。知っていたはずなのに。

 どうしてアタシは考えなかったのだろう。アイツが本当に『チーム〈ファースト〉を単騎で相手取れるバケモノ』という可能性を。

 

 舐めていたのは、アタシたちの方だった。

 

 

 




次回も引き続きココンちゃん視点


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サポートカードイベント:リュウグウノツカイ

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U U U

 

 

 第一戦、芝2000m中距離部門。担当ビターグラッセ。

 

 ああ、アイツ油断しやがったなと見ていて思った。

 だってそうだろう。第三コーナーでテンに詰め寄られ、並ばれた瞬間にがくりとそのフォームが崩れたのだから。

 勝負根性、叩き合いで相手をすり潰すのがビターグラッセの強みだ。一部の逃げウマのような臆病さとは最も程遠いところにいるウマ娘であり、そんな彼女が並ばれてフォームを崩すなんて油断くらいしか原因が思いつかない。観察を疎かにしてバ場の荒れているところを踏んだか。ウォームアップが不完全で筋を痛めでもしたか。

 樫本トレーナーは怪我に関しては人一倍敏感だ。野良レースで怪我しただなんて、言い訳しづらい事態になってなきゃいいけど。そんなことを考えていた。

 

「できる! やれるっ! ど根性ッ!!」

「言うだけある。根性はたいしたものだ、が……情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ! そして何よりも――速さが足りない!!」

 

 そんな崩れたフォームになりながらも最後の直線で、一度は離された距離を再度縮めにかかった気合は認めよう。だが気合いだけで勝てたら誰も苦労はしない。そもそも油断するなという話だ。

 悠々と伸び脚を使うテンを差し返すには至らず、一バ身という明確な差をつけてビターグラッセは負けた。

 今回はテンに一勝すればその時点でこちらの勝ちで終わる特殊ルール。とはいえ、アオハル杯になぞらえたこの形式で最初の一戦目が敗北というのはいささか以上に幸先が悪く、チームの空気が悪くなる。勘弁してほしい。

 レースを終え、観客席へと力なく歩いてきたビターグラッセに向ける視線に険も混ざろうというものだ。

 

「何やってんの?」

 

 負けたチームメイトにかける言葉と口調ではなかったかもしれない。いや、間違いなく不適格だった。

 でもアタシはチームメイトのことを仲間だなんて思ったことはない。仲良くしようと努力することはおろか意識することさえ億劫だ。

 そういうことは樫本トレーナーがやってくれる。そういう方針を前提に集まった集団がこのチームなのだから、ある程度はお互い様だろう。

 どこか怪我したのかと確認したかっただけなんだけどな。

 

「……いや、聞いてほしいリトルココン。実は」

「怪我でもしたの?」

 

「いいや、そういうわけじゃないんだが」

「だったら後にして。言い訳を聞いてこれ以上テンションを下げたくないから」

 

「ぶはっ!?」

 

 怪我してないならいいや。早々に話を打ち切った横で、何故かテンが噴き出していた。

 

「おいおいココンちゃん。ぼくが言うのも何だけどそこまでテンプレ極まりない悪役ムーブするぅ? でっかいフラグが立ちましたよ今」

 

 鼻を鳴らして受け流す。いちいち相手にしていられない。この一年ルームメイトとしての経験から、テンとまともにやり合っていては神経がいくらあっても足りないと学んだのだ。

 テンがこうして観客席にいる理由は簡単だ。グラウンドでかけっこの延長線上のように行う適当な野良レースならともかく、今回はレース場でゲートとゴール板を用いた本格的なものだ。アオハル杯の各部門の距離が異なる以上、レースごとにコースの調整をしなくてはならない。

 その役割は〈ブルームス〉の面々がせめてこれくらいはと買って出てくれたので、こうしてコース調整の間コイツは観客席で休むことができるというわけだ。さすがにそうでなければ本人も連戦しようなどと言い出さなかっただろうし、周囲も認めなかっただろう。

 いや、このインターバルがあったところで十分無茶なんだけどさ。

 

「それで、ビターグラッセ負けちゃったけどどうする? 今なら引き分けってことで手を打ってもいいよ」

「は? バカじゃないの」

 

 レース直前にテンが言い出した罰ゲーム上乗せの話か。『一生グラウンド使用禁止!』というビターグラッセに負けずとも劣らない『なんでも相手チームの言うことをひとつ聞く!』というガキっぽさ漂う提案。

 まず、ここで引き分けということにして勝負を終わらせてしまうのは論外。まだどちらも感情的に納得してない。ここまで野良レースに時間と手間暇をつぎ込んでおいて禍根を残すなんてバカらしすぎる。中央のウマ娘は暇じゃない。

 あんなの無効だと強弁するのも選択肢ではあるけど……その場の勢いが多分に混ざったとはいえ、一度はビターグラッセが代表として受け入れてしまった追加ルール。一敗した現状でいまさらナシだなんてウマ娘の本能が拒絶する。

 きまりが悪いという以前に、不義理でしょそんなの。

 

「次のレースの心配でもしておけば?」

 

 何より、こっちが勝てばいいだけの話なんだから。

 仲間意識が薄いのと、その実力を把握していないかは別の話。同じ樫本トレーナーに指導してもらう都合上、同じ場所で一年もトレーニングを重ねてきたんだ。

 まぐれで二連勝できるほど〈ファースト〉の層は薄くない。

 

 

 

 

 

 第二戦、芝1600mマイル部門。担当デュオジャヌイヤ。

 

 彼女はスピードとスタミナ、根性といった面でビターグラッセに一歩譲る。反面、レース中の視野の広さでは上だ。主戦場がマイルということを鑑みれば、明確にビターグラッセに劣ると言えるのはスピードくらいだろう。

 つまり、そこらのウマ娘には劣るべくもない実力者。

 

「おしゃあ勝ちぃ! 何で負けたのか次までに考えておいてくださいっ!」

「くっ!」

 

 それが負けた。二連敗だ。

 負けパターンはビターグラッセと似たようなもの。中盤まで先行して走っていたのが、後ろから来たテンに差し切られた。

 ビターグラッセのときのようにフォームが崩れたわけでもない。単純に末脚の鋭さで押し切られた、力負け。今回も一バ身という明確な差がつけられた。

 

 ちゃぽん、と足元から湧き出た何かが足首を濡らす幻覚。

 

「やっほーココンちゃん見てたー? 勝ったよぶいぶい。そろそろアップ始めた方がいいんじゃないー?」

「……っ!」

 

 一年間ちょっかいをかけられ続けたルームメイトという先入観を取り除き、ようやくアタシはテンを真剣に見据えた。

 クラシック級の相手、それも実質ジュニア級に毛が生えたような時期。チーム〈ファースト〉のこれまでの実績。そのことに慢心があったと焦燥と共に認め、相手の実力を推し量る。

 

 まるで霧をむりやり型に押し込めて形を造ろうとしているような感覚。

 

「は?」

 

 なんだこれ、読み取れない。

 たしかにアタシはトレーナーじゃない。中央の変態どものように一目見ただけで、少しトモを触っただけで、その実力を見抜くような技術は持ち合わせちゃいない。でも、自分なりに自主練のメニューを組める程度には知識を持ち合わせているつもりだった。

 少なくとも短距離向きか、長距離向きかは脚をみればわかるはずだ。スプリンターの脚はがっしりと太く、ステイヤーの脚はすらりとしている傾向がある。

 スプリンターかステイヤーか。これは生まれつきの筋肉の配分によって決定すると言われており、つまるところ才能。今のところ努力でその壁の破壊に成功したのは、あのミホノブルボンくらいだ。他にも似たようなことをしたウマ娘はいるのかもしれないけど、アタシは知らない。

 

 思えば最初から不自然なほどに気迫を感じなかった。実力者だと身構えさせるものがなかった。その原因がこれなのか。

 皮膚の下一枚に収まっているはずの筋肉がまるで見通せない。色素の薄い肌が、まるで霧の立ち込める昏い森のように得体のしれない深さを有している。

 どんな身体に生まれつき、どんな鍛錬を積み重ねればこんな脚になるのか。まるで想像がつかない。速筋と遅筋の配分いったいどうなってるんだ?

 

 あらゆる距離に対応する規格外の逸品のようにも思えるし、どんな距離だろうと成果が出せないみすぼらしいガラクタのようにも思える。

 ビターグラッセとデュオジャヌイヤの敗北を見た上でなおそう感じている現状が何より気持ち悪い。

 あの二人を相手に連戦して息を乱している様子もないことから、スタミナは常人以上で回復力にも秀でている。今の段階でわかるのはそのくらいだった。

 

 

 

 

 

 第三戦、ダート1800mダート部門。担当フェニキアディール。

 

「がんばれ二号ー!」

 

 腹立たしいほど呑気に、しかし真摯に観客席から応援するテン。

 事前の取り決め通り、このレースはコイツではなくUMA覆面二号を名乗る不審者が走っている。中身がどんな顔をしているのかは知らないが、骨格に見て取れる未成熟の残り香からしておそらくはテン同様にクラシック級のウマ娘だろう。

 

「が、がんばってーUMA覆面二号さん!」

「がんばれー!」

「がんばってください」

 

 〈ブルームス〉の面々が声援を上げるのは第一戦から変わらず。自分たちのチームメンバーではなくとも自分たちの代理で走っている以上、応援するのは当たり前という姿勢。

 声一つ上げず観察や、黙々と自分の準備に精を出す〈ファースト〉とはどこまでも対照的だ。正直なところ相手チームの声が五月蠅い、煩わしいと感じなくも無いが……今走っている不審者二号はさっきまでの二戦、観客席でキレッキレの動きでサイリウムを振り回して応援していた。あれと比べたら静かなものだろうと己を納得させる。

 

「さーて、第四コーナー。ここからだな」

 

 余裕に満ちたテンの声に、ひたひたと膝の裏まで何かが押し寄せてくる。

 

 フェニキアディールは率直に言えば、ダートメンバーの中でやや見劣りする人材だ。

 適性の幅が狭く、ダートのマイル以外で十全に力を発揮するのは難しい。実のところそのダート適性にしても他のレギュラー二名に比べたら一枚劣る。

 またスタミナも乏しい。ダート部門は中距離以上で開催されることがまず無いということを差し引いて、なお不安が残るほどに。

 だが、根性の一点ではチーム全体で見ても三指に入る。上にいるのは根性バカのビターグラッセと普通にバカのアゲインストゲイルだけ。今回も正月に帰省せず、各部門のエースに混ざってトレーニングする向上心のカタマリ。

 仲間意識こそ無いが、同じ時間を過ごした相手。その実力は認識している。断じて凡百のクラシック級に負けるようなウマ娘ではない。

 

 では、この結果は何なのか。

 

 彼女は先にも述べた通り器用なウマ娘ではない。たとえそれがこれまでの二戦でチームが負けてきたパターンであろうと、作戦を変えることなく自身が最も力を発揮できる先行策を選んだ。不審者二号はその後ろ、差しの位置についた。

 最後の直線、必死に逃げるフェニキアディールと力強い足取りで外側からかっ飛んでいくUMA覆面二号。彼我の距離はみるみる縮まっていき、二つの影が交差した瞬間にゴール板を駆け抜けていた。

 

「もつれ込むように並んでゴールイン! うーん、体勢的には二号有利に見えたけど野良レースに写真判定ができるわけでもなし。引き分けってことにしておこうか」

 

 あと一ハロンあれば確実に差し切られていた。

 アタシの目にも、いや、どうだ? 角度を考慮すれば同着、あるいはフェニキアディールがハナ差で先だったんじゃないか。考えれば考えるほどに願望が記憶を歪ませる。

 

「そうしたいのならそうすれば? どうせ結果は変わらないんだし」

 

 どうせテン相手に一勝すればこちらの勝ちなのだ。だからこの勝敗は重視する必要がない。

 アオハル杯のレギュレーション通りだったら敗北にリーチがかかった状態という現実から目を逸らし、アタシは吐き捨てた。

 

「ううー……ぜぇ……しゅみましぇん同志……ぜぇ……」

 

 観客席に戻ってきた不審者二号は全身から汗を滴らせ肩で息をしており、見るからに精魂尽き果てていた。全力を振り絞ったことがわかり少しだけ安心する。

 

「なぁに。シニア級の相手、それもあの〈ファースト〉相手に互角の勝負に持ち込んだんだから大したものさ」

 

 コイツみたいに走り終えたと思えばすぐに息を整え平然としているバケモノは一人で十分すぎる。

 

「それでも……勝つべきでした。同志はもう二戦しているんですよ。さらにもう二戦なんて無茶です。せめて、あたしもあと一回は……」

「いやいや、今の状態を見ればどっちの方が余力残っているかなんて一目瞭然じゃん。それに残りは短距離と長距離だよ。どっちも二号は不得意だろう?」

 

 ぴょんぴょんと主張するように軽くステップを踏むテンの足取りは本当に軽やかで。先の二戦が、ビターグラッセたちの敗北が何ら負担になっていないのではないかと思わせるに十分なものだった。

 眉間にしわが寄るのを自覚する。

 

「まあ距離適性のことを除いてもいまの二号にはあまり走ってもらいたくないかな。楽しめてないだろ? ウマ娘ちゃん箱推しで雑食のキミが、ウマ娘ちゃんが最も輝くレースという空間を共有して、出てくる感想が『勝つべき』だったなんてさ」

 

「あ……」

 

「責任感や義務感で走るなとは言わないし、想いを背負うのが間違いだとも思わないけど。せっかくこの世界では自分の意志でレースに出走してるんだから、胃腸薬のお世話になるような真似はよそうぜ。ウマ娘に楽しくないレースはしてほしくない」

 

 薄っぺらなきれいごとを、まるで教科書を読み上げるように真面目に朗々と語る。そうやって不審者二号をしょんぼりと黙らせたテンは、覆面越しでもわかるほど朗らかにニッコリ笑ってこちらを見た。

 

「さあ、楽しいレースの続きをしようか」

 

 目に見えない水圧が腰まで迫るのを感じる。もはや動くことさえ苦労しそうだ。

 

 

 

 

 

 第四戦、芝1200m短距離部門。担当デュオペルテ。

 

 彼女はチームで随一に頭がいい。しかし、それゆえ考えすぎてしまうのか勝負根性に乏しい節があり、叩き合いになればそのまま押し負けるだろう。

 そんなデュオペルテがとった作戦は逃げ。もとは差しの脚質だった彼女が、チーム〈ファースト〉で新たに手に入れた勝つための武器だ。

 その中でも今回彼女は大逃げを選んだ。テンはインターバルを挟んでいるとはいえここまで二戦している。レースは一戦一戦心身を消耗させるもの。マークするつもりの相手が勢いよく飛び出せば疲労で鈍った判断力、つい勢いに釣られ掛からせることもできるかもしれない。

 アタシから見ても悪くない策だった。

 そしてそんな策を、常識を、平然と踏み越えていく規格外がいるのが中央だ。

 

「追い込み、だと……?」

 

 思わず口から洩れるつぶやき。

 短距離ではスタートダッシュが重要となる。瞬きの間にスタートからゴールまで駆け抜けるこの距離で出遅れは致命傷。バ群の無いこのレースでわざわざ追い込みの位置につけるメリットなど皆無に等しい。

 そのはずなのにテンは悠々と、一時は十バ身以上差をつけられた状態になったのにも関わらず己のペースを守り続けた。まるで狩りの時の肉食獣のように身体を撓め、溜めて、溜めて。

 

「シャアアアアアア!」

「ひっ」

 

 直線で一気に爆発する。その迫力は影が交差した瞬間、飛び散る血飛沫がこちらの目にまで幻視されるほど。彼女はものの見事に狩られた。

 気迫負けしてヨレたデュオペルテとゴール板を駆け抜けたテンの間には、またもや一バ身の明確な敗北が横たわっていた。

 ここまで繰り返されると嫌でも理解させられる。コイツは狙ってこの距離を演出している。

 

「ふいー、おまたせココンちゃーん。待ったー?」

「……べつに」

 

「ダメじゃないか。そこは『全然。いま来たところだよ』って返すのがお約束だろ?」

「ふざけたことに付き合わせないで」

 

 文句でさえ口から上手く出てこない。普段のアタシなら『どいつもこいつも情けない』くらいの憎まれ口は叩けただろうに。

 首元まで浸かる感覚。もう誤魔化しようがないほどに、アタシは敗北のプレッシャーに沈められていた。

 

 

 

 

 

 第五戦、芝3000m長距離部門――アタシの担当。

 

 落ち着け。

 そう自分に言い聞かせる。テンはクラシック級のウマ娘だ。つまり長距離は未経験。

 トゥインクル・シリーズにおける長距離レースはクラシック級の夏あたりからぽつぽつ出走可能になり、G1という括りで言えばクラシック三冠目の菊花賞が最初となる。菊花賞が『もっとも強いウマ娘が勝つ』と言われているのはG1という大舞台でいきなり3000mという未知の長丁場と二度の坂越えを余儀なくされるからだ。

 経験の有無はそのまま実力差に繋がる。この3000mはアタシのテリトリー。三戦もしたテンはいま疲労のピークであるはず。これからさらに長距離を走ろうというのだ。否応なしに気力は下がるだろう。

 ゲートの中でちらりと横を見る。覆面越しでも隠しきれないほどにテンは楽しそうに笑っていた。

 もはや何度聞いたかもわからない、ゲートの開く金属音。

 

「ふっ!」

「シッ!」

 

 勢いよく飛び出し先行したのはテンの方。

 これも大きな違いだ。これまで敗北を喫してきた〈ファースト〉の面々は先頭(ハナ)や前目につける者ばかりだった。コイツ自身がペースを作らなければならなくなったとき、いったいどんなレース展開になるのか。

 3000mという未知の遠路を先導無しに切り開く。これはテンにとって大きな不安要素のはずだ。

 前で揺れる銀をにらみつける。長距離は技術の積み重ねだ。いくら才能があろうと、トレーニングを重ねていようと、本番のレースでしか得られないものがある。この時期のクラシック級とは埋め切れない経験値の差が存在している。

 負けたアイツらみたいに最後の直線で差し切ってやる。その笑顔を苦悶の歪みに変えてやる。せいぜい悩みながら走るといい。

 

「……チッ」

 

 一回目のホームストレッチに入るころには、コイツの異常性はあからさまになっていた。

 足音が極端にしない『軽い』走り。ふわふわと曖昧に安定しないフォームと相まって、まるでそこにいるのが幻か何かのような錯覚すら覚える。

 速いのか、遅いのか、自分の中のペースが狂わされる。普通ウマ娘の歩幅はおおよそ一定なのにコイツは違う。ガチャガチャと忙しなく切り替わり、そのくせ理想的なライン取りが成立している。頭がおかしくなりそうだ。

 後ろについたのは間違いだったか? いや、そんなはずはない。

 UMA覆面を名乗る不審者たちは雑魚じゃない。そこは認めなければならない。樫本トレーナーの管理下にあったウマ娘の敗北を軽視するのは、あの人の管理プログラムの成果を軽視するに等しい。感情は感情、データはデータとして切り離して考えなければならない。

 アタシの最も得意とする作戦を選んだのが間違いであるはずがない。全敗のプレッシャーに精神が圧迫され、正常な判断が下せなくなっているのだろう。

 だったらここはなまじ考え続けるよりは、押し切る方向で。野良レースで使うようなものではないが、全敗のリスクを看過するのは今のアタシには無理だった。

 

 沈め。沈んでしまえお前も。

 

 じわじわと水圧に苦しめられた今日これまでをそっくりそのままお返ししてやる。

 レース中盤、後方にいることで成立するアタシだけの世界。緩い条件で境界を乗り越えることができるのは、その世界が常にアタシの中にあるからだ。

 

 領域具現――深海廻廊

 

 鈍い静寂。

 日光さえ遮る分厚い海水に閉ざされた奥底。

 ここはアタシの世界。冷たくて暗くて、取り巻く水圧が身体を四方から圧し潰そうとする。誰もが平等に息苦しい場所。

 『たぐいまれな肺活量』、そう称されるアタシだけが辛うじて耐えることができる。溜め込んだ酸素を頼りに鈍重な脚を動かし、海底を突き進む。

 

「へぇ、なるほどねえ」

 

 大嫌いなアタシだけの世界。そのはずなんだ。

 なのに――どうしてアンタがここにいる?

 赤い瞳がこちらを射抜く。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード)

 

「自身すらも対象に巻き込む制約を付けることで範囲と効果を高めた広域デバフか。無差別だからチーム戦では使いにくいな。もしかして固有未収得だったんじゃなくて、アプリでは『仲間を巻き込んでしまうからシナリオ中のレースでは使えなかった』とか? だったらエモいねぇ」

 

 漆黒。

 海底の暗さの中でなおくっきりと輪郭が浮かび上がる異質な黒の長剣。

 それは膨大な海水の壁ごと鮮やかに、アタシの胸を袈裟懸けに断ち切っていった。

 

 びきりと海底に罅が入る。底辺だと思っていたそこに、もう一回り闇暗とした大穴が口を開ける。重圧に抗いきれず身体がさらに沈んでいく。

 美しくも悍ましい、巨大な魚影。まともな生物は動くことはおろか圧縮されるしかない水圧の中をするりと煌びやかに泳ぐリュウグウノツカイ。

 ごぼり、と自分の口から白い気泡が漏れるのが見えた気がした。泳ぎが得意ごときの陸の生物では、深海に住まう魚に敵う道理がない。

 ごぼごぼとアタシの身体から泡が水中に溶けだしていく。溺れる。脚はもう動かない。

 

 世界が戻る。身体を凌駕する魂に塗り潰された景色が、元のターフに帰還する。

 

 アタシは溺死していないし、アイツは魚じゃない。アタシたちはまだ走っていて、しかし何が起きたのかは理解できた。

 ()()()()()

 アタシの世界とまったく同じ色の世界をアイツは重ねて、二重の静寂と重圧を湛えたあの海底にアタシは対応できなかった。アイツは適応しきった。

 それだけの話だ。残酷なまでの格付けの終了。

 脚が止まっていないのはアタシの意志じゃない。ただの惰性、染み付いた習慣が身体を動かしているだけのことだった。

 

「がんばれー!」

 

 応援が聞こえる。応援されるアイツの背中がますます遠くなっていく。

 

「がんばれリトルココン!」

 

 は?

 

「が、がんばれー!」

「がんばって!」

「お願い、負けないで!」

 

 ビターグラッセが。

 デュオジャヌイヤが、フェニキアディールが、デュオペルテが。

 声を張り上げてアタシのことを応援している。

 〈ブルームス〉の調和のとれた声援に比べるとまるで補助輪を外したばかりの自転車のようなぎこちなさ。その横のサイリウムをもって踊り付き応援を披露している不審者二号とは、もはや比べるのもおこがましい雲泥の差がある。

 そりゃそうでしょ。慣れてないんだから。チーム〈ファースト〉はチームメイトを応援するような集団じゃない。仲間ではなく、同じ組織に所属しているだけの個人の連なり。

 

 ああ、そっか。そうだよね。

 アタシが負けたら〈ファースト〉全敗になっちゃうものね。それにビターグラッセが言い出した無茶な罰ゲームがアタシたちに降りかかってくるわけか。ついでにテンが上乗せした、金額の欄が白紙の小切手みたいな追加ルールも。

 アタシが最後だからアップなんかする必要がなくて、クールダウンはすでに終わっている。もうチームメイトの応援くらいしかできることがないものね。

 十分に利己的な理由だった。少し安心。

 

 同調圧力は嫌い。虫唾が走る。仲良しごっこはよそでやってほしい。

 チーム戦ならチームと仲良くしなきゃ、って理屈は理解できる。だからアオハル杯なんて嫌だった。そもそも参加する気なんて無かった。

 それでも樫本トレーナーはそんなアタシのままでいいと言ってくれた。その言葉を信じて勧誘を受けた。トレーナーは言葉をたがえずアタシたち一人一人に合わせた指導をしてくれて、そのおかげでここまで強くなれた。

 強くなりたい、もっともっと。樫本トレーナーに応えるためにも。

 でも、正しくなりたいわけじゃない。

 模範的チームのあるべき姿を目指しているわけじゃない。アタシはアタシのままでいたい。それが欠点だと薄々自覚してなお改善したくない。そもそも努力して直るものならとっくの昔に変わっている。

 痛い目に何度あっても直らない。性分ってそういうもんでしょ。

 

 だからいまさら普通のチームみたいに応援のまねごとをしたって無駄だ。見ることしか出来ないという今から目をそらすための現実逃避以上のものにはなりえない。そう思うのに。

 

 どうしてアタシは何かに背を押されるように走っているんだ?

 

 尽きたスタミナ。トコトコ歩くような足取りで、下手な踊りみたいな崩れたフォームで、何でみじめにもスパートをかけているんだろう。

 

「がんばれー!!」

 

 うるさい。

 とっくの昔に頑張っている。むしろサボっているように見えるのか。もしそうなら眼科にでも行ってこい。

 喉が裂けて息をするたび口の中に血の味が広がる。吸っても吸っても酸素が身体に行き届かない。

 まるで水の中を走っているかのように手足が重い。違いは熱を奪ってくれる水が無いから、吐きそうなくらい体温が上がるってことくらいだ。大気で構成された濁った分厚い海水の先にわずかに銀色の影が見え隠れする。今のアタシはさながら魚影を泳いで追いかけるバカってところか。

 魚に水中で追いつけると思ってんの? 皮肉気に笑う、嗤う。いくら顔を歪めたところで気が楽になるわけもなく、ただ鈍重な一歩を少しでも速く積み重ねる。

 

「フレー、フレー、リトルココン!」

 

 黙れ。

 言葉のかたまりが背中にぶつかって痛い。じり、じりと、そのたびにわずかに身体が前へ押し出される気がする。

 海水にぼやけていた姿が少しずつ鮮明になっていく。徐々にその背中が近づいてく。

 苦しい。つらい。はやく終わってほしい。はやく、はやく。動けよこの脚が。

 あと少し、もうちょっとで、その背中に。

 追いついた。

 振り向いた。アイツはもう走っていなかった。

 

「ふいー、流石に疲れた、つかれた。ココンちゃんもお疲れ様。ナイスファイト!」

 

 ゴール板はとっくに駆け抜けていた。その事実に気づいた瞬間、ずるりと脚から力が抜ける。

 

「おっとと」

 

 それなりに勢いがあったはずだけど、アタシの身体は地面に投げ出される前に受け止められた。くるりと一回転して速度を緩和すると、テンはアタシをゆっくり芝の上に横たえる。

 

「クールダウンしないと身体に悪いよココンちゃぁん」

「……っさい」

 

 ぜえぜえと壊れた蒸気機関のように息が漏れる。脈動が耳の中で強烈に自己主張している。身体を起こそうにもスタミナは完全に尽きていた。根性だけでここまで走ってきたなんてアタシのキャラじゃないのに、そうとしか判断しようのない現状。

 悔しい。はらわたが煮えくり返るほどに。

 でもその理由が負けたからなのかは、疲労のせいで頭が働かないからわからなかった。

 

「リトルココン、大丈夫かい!?」

 

 ビターグラッセと〈ファースト〉のメンバー。ついでに〈ブルームス〉とUMA覆面二号までこちらに駆け寄ってくる。

 

「へいぱーす」

「へ、ちょっ?」

 

 すごく軽いノリでアタシの身体はビターグラッセに受け渡された。すごく腹が立ったのは敗北とは無関係だって、今の酸欠の脳でも理解できた。

 

「ココンちゃん動けないみたい。せめてマッサージでもしてあげて。クールダウンできないまま放置しとくよかマシでしょ」

「え、っと」

 

「ぼくがやっていいのならやるけど?」

「……いや、敗者が勝者にそこまでやってもらうわけにはいかないな。わかった、私がやらせてもらうよ」

 

 ビターグラッセはそう言ってアタシの筋肉を確認し始める。これまでのチームではありえなかった距離感。プライベートスペースを侵害される嫌悪が無かったわけじゃないけど、わきわきと卑猥に指を蠢かせるテンに好きなようにされるよりかはマシだろうと思えた。

 

「…………」

 

 とっさに礼の言葉が出なかったのは、呼吸で口が忙殺されていたからか。何も言えないまま、ただ借りを作る現状に、鉄の味とはまた違う苦味が口に広がる。

 

「さーて、何でも頼める権利なにに使おうかなー」

 

 謎の動物の覆面をしているくせに、声だけで喜色満面だとわからせるのはある種の才能だろう。

 『相手チームの言うことを何でもひとつ聞く』。負けるとは思わなかったから細かい条件さえ詰めようとはしなかった。プレッシャーを掛けるための空手形だったはずの『グラウンド一生使用禁止!』の約束と相まって、まるで臓腑に錘を繋がれたような気持ち悪さを感じる。

 

「ねーねー二号。ぼくが決めちゃっていい?」

「ふぇ、アッハイ、どうぞ!」

「ありがと! じゃあよし決めたぞー」

 

 相談とも言えない短いやり取りの後、テンは軽やかな足取りでこちらに向き直る。いまだ起き上がれず、痙攣する筋肉をビターグラッセにマッサージしてもらっているアタシとはどこまでも対照的だ。

 汗が体操服に滲んでいたり、微妙に動きの軸がぶれていたりと、テンにだって疲労がないわけではないのは見て取れるけど。〈ファースト〉が四連戦もかけて与えた被害にしてはあまりにも軽微だ。

 

「メニューみせて」

「……は?」

 

 あまりにも簡潔過ぎていったい何を言われたのか理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。

 

「だーかーらー。チーム〈ファースト〉のこれまでのトレーニングメニュー見せて。走り書きでいいからさ。栄養満点ペナルティドリンクとかのレシピも気になるんだよねー」

 

 トレーニングメニューはそのトレーナーの技量そのものだ。自身の担当の為に手腕を最大限に揮って練り上げた、知恵と経験からなる珠玉。

 密室でトレーニングしているわけじゃないから多かれ少なかれ外部に流出するが、見える範囲を推測で繋げるのと、過不足の無い情報を実物で手中に収めるのは天と地ほども差がある。

 

「できないとは言わせないよ。ぼくはキミがそれをできることを()()()()()

 

 手を差し出すその姿がぐにゃりと歪んで見えた。

 もしもその情報を流出させてしまったら、樫本トレーナーはどれほどの損害を被るのだろう?

 その損害を生じさせた、一年も手塩にかけて育てられていながらたった一人に惨敗したチーム〈ファースト〉のアタシたちはどうなってしまうのだろう?

 もし、もしも、見限られたら――

 

「もうやめて!」

 

 得体のしれない異形の怪物にさえ見えていたテンの姿が黒い何かに遮られる。

 

「守ってもらったのに、こんなこと言うのは間違ってる。そうライスだって思うよ。でも、でもね! これ以上はやりすぎだよぉ……」

 

 アタシの前に立ち塞がった小さな影の正体はライスシャワーだった。

 背中側からその表情を窺い知ることはできない。けれど、きっと涙目なんだろうとその震える声で容易に想像がつく。

 それでも彼女は震えながら、アタシたちを庇うように両手を広げた姿勢を崩そうとはしなかった。

 

「…………そっか、やりすぎか」

 

 ふっとその場にあった威圧感(プレッシャー)が抜ける。霧散というにはまだ存在感が残ってはいるが、もう得体のしれない怪物と感じるほどではなかった。

 

「ふー、あちー」

 

 ずるりと謎の被り物を脱ぎ、頭を振るテン。癖のない葦毛が宙を舞い、キラキラと銀にきらめいたあと無造作に顔にかかる。そんなざんばら髪で隠れた表情の中で、鈍く光る赤い右目がアタシのことをじっと見ていた。

 いや、脱ぐのかよそれ。それならそもそも何のために付けていたんだ? 疲労のせいか、それともついさっきまでそこにあった緊張感から本能的に逃避したくなったのか、至極どうでもいいことが脳内を通過する。

 

「さっきのやっぱり無しで。内容を変更するよ。『なんでも』の権利を使って一つ目の罰ゲーム『一生グラウンド使用禁止』を変更する。

 あやまって? ドリンクこぼされたことに怒るのは当然のことだし、大小さまざまな嫌がらせに反応が多少過激になるのも悪くないことだ。ただ、『ライスシャワーにひどいことを言った』ことに対してチームのみんなで謝罪して? 形だけでいいからさ」

 

 言っていることはわりと無茶苦茶だった。もっともらしく聞こえなくも無いが、理屈が成り立っているとは言えないだろう。

 だが、そもそも元からこれはそういう勝負だ。感情的に納得できるか。その一点が何より大切。

 そして理論的じゃなくとも、筋が通っていなくても、テンの言い分はその一点に関しては満たしていた。

 

「不運だとか刺客だとか、そんなの関係ない。無責任な大衆の印象なんてクソくらえだ。

 その子はただ要領が悪くて巡り合わせも悪くてひたすら努力家な、この世界で幸せになるべき女の子なんだから」

 

 言いたい事だけ一方的に言い切って。

 あーあ、つかれたねみーなどと愚痴をこぼしながら、レース場の外へと歩き出した背中に声がかけられる。

 

「申し訳ありませんでした」

 

 ミホノブルボンだ。

 代理で走ってもらっておきながら不義理ともとれる行動をとったライスシャワーのことを代わりに謝ったのかと思ったけど、そういうわけでもないらしい。

 

「忠告していただいたのにも関わらず、私は――」

「それは貴女が謝る必要なんてまったくない」

 

 おだやかに、しかしきっぱりとテンが遮った。

 そういえばどことなく顔見知りのような空気があった。二人の間に何があったかは知らない。だが、こんなテンは初めて見る。

 

「故障の責任は担当トレーナーと学園、あとは可能性を知っていたのに何もしなかった者に帰属する。三冠を目指して真摯に努力していたウマ娘が咎められる道理はこの世に存在しない」

「いえ、マスターは――」

 

「帰属するんだよ。そのくらいの責任は取らせてやらないと、あとはエンコ詰めるか腹を切るかくらいしかやりようが無くなるぞ。背負わせてやりなって。まだ歩みは止めないつもりなんだろ?」

「……はい」

 

 振り向きざまに少しだけいつも通りの皮肉気な笑顔を浮かべると、今度こそテンは踵を返す。

 

「帰ろう二号。正義は成された以上、悪は立ち去るべきだ」

「あわわ、待ってください同志ー」

 

 来たとき同様、二人組の不審者は誰にも了解を取らず勝手に帰っていった。

 台風一過。湧き出てきた率直な感想。突然現れて、いろいろめちゃくちゃにして、ろくな後始末もせず痕跡だけ残しまくって消えていく。

 

 ……別に、テンに促されたからとかじゃなくて。いや、こっちから言い出した罰ゲームだからそれを守るって意味合いも確かにあるけど。

 ぽつり、と一言ライスシャワーに向けて吐き出した

 

「……悪かった」

「へ?」

 

 へ? じゃない。

 ようやく呼吸も整ってきたから機会を逃す前に言ったのに、そんなマヌケ面を晒されるとイライラがぶり返しそうになる。

 

「っだから! 勝手に決めつけて責めて悪かったって言ってんの。何、アタシが謝ったら悪い?」

「ひゃ、ひゃい! ああいええっと、はいじゃなくてえーっと。悪くないです!」

 

 なんだこのやりとり。

 締まらないったらありゃしない。笑うなビターグラッセ!

 ただ、少し思っただけだ。アタシがコイツに抱いていた勝手なイメージも、学園のウマ娘たちが〈ファースト〉に貼り付けた悪役のレッテルも、似たようなものなんじゃないかって。

 自分がされて嫌なことを他人にするのはやめましょう。いまどき正面向かって説かれたら喧嘩を売られているのかと思うようなこと。でも人間関係の基本。ただしレース中の駆け引きは除く。

 何となく、アタシたちに嫌な視線を向けてきたアイツらみたいにはなりたくないなって。そう思っただけだから。

 

 

 

 

 

 レースに負けた日の足取りは重いものだが、今日のアタシの足取りは過去最高に鈍重だった。

 疲れたというのもある。あの後、野良レースを終えてから予定通りのメニューをこなすのはどう考えてもオーバーワークだったため、軽めに流して切り上げた。また樫本トレーナーが時間を捻出して様子を見に来てくださったので、今日の一件を簡潔にだが面と向かって報告することもできた。

 厳しい叱責を受けた。

 けれどあのとき一瞬脳裏を過ってしまった見捨てられるとか、見限られるとか、そういう方向のものは一切なし。それだけで心の底で強張っていた部分がほぐれる気がした。

 そうやって、アイツが放置した騒動の後片付けをひとつひとつこなしていって。チームのみんなは帰って寝ればそれでこの散々な一日は終了だろう。

 でもアタシの場合、自室に諸悪の根源がいるんだよなあ。

 

「……ただいま」

 

 しっかり躾けられてしまった挨拶と共に自室の扉を開ける。

 返事は無かった。部屋の灯りは落とされ、片方のベッドが膨らんでいることから、既に寝ているのだとわかる。

 少し安心。どういう顔をして向き合えばいいかわからなかったから。

 そう思っていたところにもぞもぞと掛布が動き、のそりとテンが顔を覗かせる。眠たげに片目だけ開け、視線がアタシの方を向いた。

 

 青い瞳。

 見覚えのない目だった。テンはいつも何か楽しそうにしていたから。

 見覚えのある目だった。アタシがいつも周囲に向けている目だ。興味のないものを無関心に包んでひとまとめにしている視線だ。

 

 そのまま、彼女は何も言わずもう一度目を閉じて眠りについた。

 アタシは何も言えずに自分の肩を抱きしめた。身体が震える。

 今日、コイツのせいでいろいろぶち壊された。迷惑極まりなかったし、しんどかったし大変だったけど、でも何かがいい方向に変わるんじゃないかって漠然とした予感もあったんだ。

 でも今日何かが変わったところで、過去が変わることはない。

 自業自得。昨日までのアタシの行いがそっくりそのまま返ってきていた。

 

 強さを貪欲に求めていた。成果を出したかった。そうすれば、人付き合いに心を砕いている奴らを仲良しごっこと蔑んでも許される気がして。

 対人関係を否定しておいて、強さでも負けた。いまのアタシにいったい何の価値があるっていうんだろう。

 コイツの対応は妥当だ。文句を言う筋合いなんて無い。

 傷つく権利なんて、ない。

 ただ、とても寒かった。

 

 

 

 

 

「おっはよー! 今日も元気にいこうぜココンちゃぁん!!」

 

 翌朝、昨日のアレは何だったんだといういつもの無駄にうざいハイテンションで叩き起こされて感傷は露と消えたが。

 やっぱりコイツのこときらいだ。

 

 

 




【リトルココンが帰る少し前の1コマ】
「ふいー、もう活動限界だから落ちるね。あとよろしくー」

「えぇ……この状況で? 気まずいじゃん」
「……寝るか」


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蝶の羽ばたきよりも強く

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U U U

 

 

 走る。

 騒音の無い、冷たくてやさしい水槽の中。

 きらきらと足元を照らす熱の無い照明。ガラスで区切られた無数の世界。

 記憶の水中を泳ぐ鮮烈な影の数々。ここは情報で織り成される水族館。

 

 前を走るハッピーミーク先輩の白い後ろ姿をひたすら追いかける。

 力尽きたようにずるずると垂れてくるスカーレットをかわし、入れ替わるように伸びてくるウオッカと並ぶ。

 まとめて圧し潰そうと後方からリトルココンが仕掛けてくるが、まだ許容範囲。一息入れたいところだが、余裕はない。

 ドン、と後方で爆発する威圧感。来る。ここに来る。まるで切りつけたようにラインが理解できるが、今の私に防ぐ術はない。

 押し寄せる影。猛禽のように輝く金の瞳。凄まじい末脚でいっきにレースを持っていく。“怪物”ナリタブライアン。

 

 ああ、今回もダメだったか。

 ゴール板を駆け抜ける黒鹿毛を見ながら、私の意識は浮上した。

 

 

 

 

 

 水の中に包まれるような冷たい浮遊感から、頼りない空気の中へと帰還する。ジャングルジムの上に腰かけて足をぶらぶらさせている己を把握する。

 青空の下。暖かくなってきた風の吹き抜ける公園。タンポポの綿毛がひとつだけ、群れからはぐれたように通り過ぎたのが遠目に見えた。うん、春だ。

 ただいま休日中。ここは自主練の最中に寄った公園。近所の子供たちの遊び場になっているところなのに珍しく今日は誰もいない。

 

《おかえりー》

 

 ただいま。

 はあ、やっぱり相棒がいると落ち着く。あの空間のきらきらとした冷たく安らげるデザインは好きだし、単純に性能で見てもトップクラスなんだけど、ふたりで一緒に潜ると展開時間が大幅に減るのが玉に瑕だ。テンちゃんの負担も大きくなるし。

 単独で潜れば三十分は維持できるが、ふたりで潜ればせいぜい五分。それではいいとこ二レース、短い距離を無理やり詰めても三レースが限界。ひとりで潜った方が効率的なのだ。感情的な問題はともかく。

 

《どうだったー?》

 

 2400mはまだまだダメだったよ。やっぱりナリタブライアン先輩は当人の好きなように走らせちゃあかんやつだね。一度調子に乗せると手が付けられなくなる。

 実力で勝ったとは思っていなかったけど、こうやって相対すると改めてアレは反則だと思う。しかもあれは去年、種目別競技大会のときに蒐集した【領域】の断片、テンちゃんが言うところの『因子』を基に構築したデータなので、今の実物はさらに伸びている可能性が大というね。

 

 固有スキル【HAPPY AQUARIUM】

 

 ミーク先輩からいただいた【領域】だ。いろんな意味で枠に嵌らない彼女らしい固有スキルであり、その利便性は私の知る【領域】の中で随一である。

 一般的な【領域】はレース中に外側に向けて短時間展開されるのに対し、【HAPPY AQUARIUM】はトレーニング中に内側に向け長時間展開される。世界を塗り潰すのではなく自分の中に世界を展開するというその風変わりな特性ゆえか、効果時間が長いうえに、具現化にかかる負担は少ない。

 効果は精度の高いシミュレーション。いわゆるイメージトレーニングであるが、事前に正確なデータさえ揃っていれば現実に見劣りしない経験を得ることができる。

 発動条件は『リラックスした状態で一定時間青空を見上げる』こと。なお曇りや雨でも一応は発動できるが、悪天候であればあるほど内容は劣化する模様。

 もともとストック時にオリジナルより性能が劣化しているところを、私の場合は【因子簒奪(ソウルグリード)】で集めた因子を核に無理やりキャラクターの再現精度を上げているのだ。できれば快晴のときに使いたい固有スキルである。

 

《クールタイムの兼ね合いもあるしね》

 

 私は【因子簒奪(ソウルグリード)】でスキルを獲得することを『ストックする』と表現する。

 何故ならそうやって獲得したスキルは私のものであっても私ではないからだ。つまり、あくまで私の内部に取り込んだ他人の能力なのである。

 だから一度使えば再使用できるようになるまで相応の時間を必要とする。テンちゃん曰く、私の心身に過剰な負荷をかけないための保護機能らしい。その割にはストックしたスキルを並列して使用できるのが微妙に不可解だったけど、以前にウオッカとナリタブライアン先輩の因子をまとめて取り込んだときの『消化不良』みたいな状態にならないための措置なのだろうと今は納得できる。

 要するに、境界線を越えないことが重要なのだ。そして一度取り込み終わった固有スキルごと個別にメーターは管理されているのだろう。

 

《【因子簒奪(ソウルグリード)】で蒐集しているのは単なるデータにあらず。ウマソウルの因子というウマ娘の中核を成す不思議要素。勝手に奪っといてなんだけど、付き合い方は謙虚にいこうね》

 

 そのときの調子にも依るが、クールタイムは平均しておよそ半月。スキルごとにもばらつきがある。ミーク先輩の【HAPPY AQUARIUM】に至ってはまるまるひと月だ。脚を消耗させずライバルたちと切磋琢磨できる貴重なスキルなだけに一か月ごとにしか使えないのはすごく残念である。

 これからのレース間隔によってはストックが尽きた状態で次のレースに臨まざるを得ないこともあるかもしれない。そういう意味合いでも連戦は極力避けたいところだ。

 まあ、尽きるどころかそもそもストックを使わざるを得ないって状況になったことがまだ数えるほどしかないけど。

 弥生賞もふつーに勝ったし。

 

 

 

 

 

 連戦で思い出したけど、〈ファースト〉との四連戦は実に貴重な経験だった。

 悪事千里を走るというやつか。噂は広がるもので、『テンプレ連戦』の呼称にて学園で密かに囁かれているあの一件。

 

《結果ほど実力差は無いからな。くれぐれも油断すんなよー》

 

 ことあるごとにテンちゃんはそう忠告する。私だってこれでも自分の実力に夢を見ているお年頃。時折わずらわしいと感じなくも無いが。

 それでもまあ、勘違いして痛い目見るよりは口うるさく忠告された方がずっとマシなのだろう。

 

《あそこまで綺麗にハマることってそうそう無いからな》

 

 あの一連の流れは最初から最後までテンちゃんの計算の範疇だった。

 

 最初におさらいしておくとあの一件、私たちが介入した目的は大きく分けて二つあった。

 一つはデジタルの要請通り、チーム〈ファースト〉と〈ブルームス〉のいさかいを仲裁すること。

 もう一つは将来に備え、自分がどこまで無茶に耐えうるのか野良レースで限界の目安を探ること。

 だからといってそれらをまとめて叶える方法として『〈ブルームス〉の代理で連戦し、全勝して〈ファースト〉の戦意を木っ端みじんにする』なんて案が出てくるあたり我ながらだいぶ頭おかしいと思うけど。

 そんな力押し極まりないアイディアではあるが、それを押し通すために裏でいろいろと考えていたのだ。

 

 まず〈ブルームス〉の代理に割り込む件。

 これはごり押しでいけると踏んだらしい。

 そもそもテンちゃんが〈ファースト〉に向けて言った『ライスシャワー先輩は即興に弱い』という弱点。これは彼女だけではなく実は対峙していた〈ファースト〉全体に当てはまる。

 〈ファースト〉は樫本代理が率いるワンマンチームだ。これは樫本代理の意志が全体に行き届きやすい組織の構造である反面、樫本代理不在の〈ファースト〉は組織間での意思疎通に欠ける脆弱性を持ってしまう。

 

《いやまあ、理子ちゃんがいたところでチーム〈ファースト〉はコミュ障集団のような気がしなくも無いけどねえ》

 

 そのためのUMAの被り物。

 一目瞭然で問答無用のインパクトで相手の意識に無理やり空白を作り、そこに付け込んで話を誘導した。

 ばかばかしいが何かと応用が利く、有効な手である。

 

 あとはすべてが終わった後に、脱いで注目を集めるという用途もあったようだ。

 噂とは広まる過程でより簡略化され、極端に味付けされるもの。

 UMA覆面のまますべてを終えたら事情を知らない目撃者からは『あの覆面は誰だ!?』となるが、四連戦した方が覆面を外せば『UMA覆面が〈ファースト〉を単独で圧倒し、覆面を外したその正体はテンプレオリシュだった』という情報が残る。

 噂に群がる不特定多数への対処は私もデジタルも拙いの一言だ。身体を共有している以上私も巻き込まれることになるが、テンちゃんはターゲットを自分一人に集めたかったのだろう。

 まあその目的はおおむね達成されたと言えるが、詳しく話すと脇に逸れるので詳細は後にまわすとしよう。

 

《なんだかんだ言ってあの子たちも学園のウマ娘。常識的で善良な感性を持っている。だから、一握りの悪意でも望んだ色に簡単に染めやすいのさ》

 

 偽悪ぶっちゃいるけど、テンちゃんの話術はかなり巧みだと思う。少なくとも私には真似できない。

 

《建前の補強はデジタルがしてくれたしね。人間っていきものは内容を理解できずとも、いや理解しきれないからこそつらつらと並べ立てられた情報を前にすると一定の説得力を感じてしまうものさ。思考停止しているだけとも言うね。

 それにあの頃の〈ファースト〉は自分たちが強者であるという傲りがあったから。面倒な話を打ち切るために実力で黙らせる、つまり乗ってくる公算は高かったよ》

 

 それにしても、ある程度彼女たちの人となりを把握していなければ、多少強引にでもあそこまで誘導できるものだろうか。

 いったいどこで拾ってきたプロフィールなのやら。私が興味ないから聞き流して忘れているだけという可能性も非常に高いが。

 

 次に、ちゃっかりと〈ブルームス〉の代理に収まった後のやり取り。

 まるで私たちだけで五連戦するようなことを言っていたが、実のところデジタルが助力を申し出てくるのは想定の範疇だった。

 というか、さすがにそうじゃないと厳しい。デジタル本人には話していなかったから、彼女の反応自体は演技じゃなかったけどね。

 そして中距離、マイルの前半戦。そしてダートをデジタルに走ってもらい、短距離、長距離の後半戦。この走る順番も計算しつくされたものだ。

 

《ビターグラッセは最初に潰しておきたかったからな》

 

 声が大きくて態度が快活。

 それだけで立派にひとつの資質だ。チームワークの無い〈ファースト〉においてはまったく活かしきれていないが、リーダーシップに繋がりうる才能である。

 もしもチームが追い詰められたとき、ビターグラッセが健在なら彼女が持ち前の根性で声を張り上げ、それに釣られるようにチームが息を吹き返すこともありえたかもしれない。その可能性を事前に潰しておきたかった。

 

《チーム〈ファースト〉ってチーム内部における人望がないからなあ。ぼくらにとっては好都合だけどさ》

 

 『あんたほどの人が言うなら、納得は出来ないけど飲み込むよ』。あまり気持ちのいいものではないが、人間関係の中では必須の妥協。その基盤になるのが人望だ。

 〈ファースト〉にはそれがない。強いて言うのならメンバーから樫本代理に向けられている感情がそれなのかもしれないが、メンバー同士の関係性の中には皆無だった。

 ウマ娘は本能的に自分より速いウマ娘に敬意を払う傾向があるし、中央だとその傾向がなおさら強くなる。

 しかしその逆もまた然り。足の遅い相手にはどうしても侮りの感情が生じてしまう。

 真っ先に敗北者というレッテルを張りつけ弱者と印象付けることによって、チーム内からビターグラッセの発言力を失くす。

 それが真っ先に彼女を目標に据えた理由だったわけだ。

 まあ、余力があるうちに下したかったというのもあるけどね。テンちゃん曰く、ビターグラッセとリトルココンは〈ファースト〉の中で双璧を成す潜在能力の持ち主らしいから。

 

《まったく、ウララちゃんを見習うべきだよね》

 

 いやいや、ハルウララ先輩の性格はもはや真似できない才能だろう。

 あれだけ負け続けていて、誰がどうみても足が遅いのに、あれだけ愛されて敬意を払われているのだから。『彼女がいなければ今の重賞ウマ娘の顔ぶれは少なからず変わっている』などとまことしやかに囁かれているほど、ハルウララ先輩に心を救われた中央のウマ娘は多いらしい。

 仮の話だが、もしもハルウララ先輩が〈ファースト〉にスカウトされていれば今頃、実力と人望が揃った最強のチームが爆誕していたりするのかもしれない。

 

《たしかにあれだけレース出走しまくって故障しない頑丈さと天真爛漫さを併せ持ったウララちゃんは理子ちゃんと相性いいかもね。〈ファースト〉としての運用を考えるとウララちゃんが埋もれるだけの気がするけど、専属ならあるいは……》

 

 話が逸れたな。

 まあそうやって各個撃破の流れに持ち込んでしまえば、後は烏合の衆とまでは言わないが。二対一を四回繰り返すだけの話だ、数の利はこちらにある。

 単純な実力で言ってもあのときの〈ファースト〉個々の面々と私では私の方がやや上。隔絶した差こそ無いが、さらに有利な状況を整えてしまえばそれは打破し難い壁へと変ずる。

 

 

 

 

 

 ビターグラッセは並んだ瞬間何故か大きくフォームが乱れたので、そのまま追い抜かして一勝だった。

 この現象は昔からわりと発生するのだが、原因はよくわからない。テンちゃんに聞けば細かい理屈と併せて教えてくれるのかもしれないけれど、その場合【灯篭流し】のときみたく技として分類されて香ばしい名前とか付けられそうなんだよね。

 

《【蜃気楼】……いや、もっとシンプルに【陽炎】くらいにした方がカッコいいかな?》

 

 だから命名するなというに!

 

 これのおかげで地元では私と走ってくれるウマ娘がどんどん減っていた。

 なのに原因を究明して改善しようとするよりも、テンちゃんからもたらされる羞恥を避けたい気持ちが強いあたり、私の人付き合いに向ける意欲の希薄さがよくわかるというものだ。

 まあいいじゃないか。私自身に問題があると考えるより、謎の現象が原因だと考えた方が結果は同じでも気持ちは楽なのだから。

 

 

 

 

 

《何気にマイル戦が天王山だったよなー》

 

 ビターグラッセという紛れもない強敵相手からの息をつく暇もない連戦であり、小細工無しの実力勝負をせざるをえなかった第二戦のマイルが一番大変だった。

 でもそこを乗り越えてしまえば後は楽なものだ。あちらが勝手に崩れていくのだから。

 〈ファースト〉は完全に徹底した樫本代理のワンマンチーム。つまりチーム内部に精神的支柱がないという、学園においては珍しいチームなのである。だから樫本代理がいない状態で一度崩れ出したらもう止まらない。ストッパーになりうるビターグラッセは最初に潰した。

 

《リトルココンもリーダーになりうる素質はあるけど、そこは話術とパフォーマンスで惹きつけることで阻害する。体力回復のための時間稼ぎにもなって一石二鳥だね》

 

 テンちゃんのいうことはだいたい合ってることが多いけど、そればっかりは疑問なんだよね。

 リトルココンが実力者だというのはわかるが、リーダーの資質という点に関しては非常に疑問だ。すごく懐疑的。友達を作れば人間強度が下がるとか言い始めるタイプのコミュ障でしょあれは。

 

《あはは、本当に引きずってるなあ。リシュがここまで苦手意識を抱くのも珍しい》

 

 うーんそりゃ、苦手な相手はそっと距離を置くことでいままで対処してきたけど。

 リトルココンの場合同室だから逃げられないし、テンちゃんとの距離は近いしで、どうしても視界に入り続けるのだ。

 その結果として初対面のときの苦手意識が薄れないまま一年以上燻り続けたのである。もう沁みつくというものだ。

 最近は徐々に緩和しつつあるけども、それも今は置いておこう。

 

 

 

 

 

 ダート戦でのデジタルは相手のチームを崩すという意味ではこれ以上ない働きをしてくれた。

 

 明確な根拠が無いから、結果的に勝ちきれなかった末の引き分け扱い。

 だからこそ相手からしてみれば『譲られた』という負い目になる。自分たちの方が強者だと思い込み、あれこれと罰ゲームを積み上げてプレッシャーを掛けていたのだからなおさら。

 あそこから一気に〈ファースト〉は崩れ始めた。

 

《あそこまでデジたんが伸びてるとはねー。まだ二回しかアオハル魂爆発してないのになあ》

 

 テンちゃんが言うところの『アオハル魂爆発』はおよそ半年に一度のスパンで行われている。

 爆発が可能な密度までウマソウルを高めるのに必要な時間でもあるし、あまり短期間に拡張を重ねすぎると身体とウマソウルのバランスが崩れるリスクがある、のだとか。

 ぶっちゃけ理屈はよくわかんないけど、ぐんと下り坂でペダルを踏みこみ過ぎた自転車のように身体能力が跳ね上がる感覚はたしかにひやりとするものがある。慣らすのに半年の時間が必要だという意見には頷けるところだ。

 それに何より、テンちゃんが裏でごそごそ何かやっているとしても、それはデジタルが常日頃から重ねている努力あってこそ成り立つ成果だろう。

 私はウマ娘ちゃんラブな普段の態度を捨ててまで必死に勝利を目指してくれたあの時のデジタルに敬意を表したい。

 

《デジたんに向けて説教要素まで網羅してしまうとは、本当にあの時のぼくはテンプレオリシュやってたぜ》

 

 そういえば話は少し逸れるけど。

 テンちゃんの存在が認識された後も、驚くほどにデジタルとの距離感は変わらなかった。

 テンちゃんの存在が明確になった直後に〈ファースト〉との一戦が挟まれ、関係性の再構築がうやむやになってしまったというのも大きいかもしれない。

 私もデジタルもコミュニケーション能力に長けた方ではない。一度流れてしまったことを、わざわざ蒸し返そうとする気力も手腕もお互いに持ち合わせていないのだ。

 まあそれを差し引いても、案外そこまで大仰に考えることはないのかもしれない。薄々気づいていながら口に出していないだけという相手は意外と多いのではなかろうか。

 あまりに変わらないデジタルに、そう思わされる。

 

 私たちはともかくとして。世間一般的に二重人格は病気であり、その発症には多大なストレスが伴うとされている。

 デリケートな問題であり、推理小説の探偵と犯人ではないのだ。気づいたところでわざわざ面と向かって指摘しなければいけない道理はない。

 変化らしい変化といえばテンちゃん個人のネット上のアカウントがいくつかデジタルのアカウントとお友達になったことくらいか。本当にそれくらいの出来事しか起こっていない。

 そうなってくるとわざわざカミングアウトするのも自意識過剰のような気がして、〈パンスペルミア〉を始め私はテンちゃんの存在を明示していないままだったりする。

 求められたら説明する感じでいいよね。こんなんだからコミュ障のままなんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 残る短距離と、長距離。共に〈ファースト〉を名乗るにふさわしい実力者だった。簡単なレースなどと冗談でも言う気になれない。

 でも、楽な作業だった。

 

 譲歩された勝利に、現実味を帯びてきた全敗の恐怖。己の身に降りかかってきた現実味の無い重大な罰ゲーム。

 もはやレースが始まる前から掛かっているようなものだ。精神的支柱は不在。立て直すことも許されない。

 状況は整った。あとはただの答え合わせ。

 

 短距離の子は軽く押すだけで崩れたので、そのまま押し切った。

 もともとテンちゃんの見立てでプレッシャーに弱い子だと踏んでいたらしい。最後の決戦に向けての箸休めといったところか。

 

 長距離ではリトルココンが野良レースにも関わらず【領域】まで使ってきたけれど。

 初見殺しという点で私の【因子簒奪(ソウルグリード)】を超えるものなどそうそう無い。自身を巻き込むタイプのデバフ能力だったこともあり、二重に効果を受けた彼女は勝手に潰れた。

 3000mはこの時期のクラシック級ウマ娘にとって未知の距離だ。あるいはそれもあってリトルココンは何が何でも勝ちに行ったのかもしれない。自分が有利な条件で負けることなど中央のウマ娘のプライドが許さないだろうから。

 でも、私にとっては不慣れではあっても未知ではない。ミーク先輩から譲り受けた水族館の中で何度も七バ身差の衝撃と称えられた“怪物”を経験している。テンちゃんの助言に従ってナリタブライアン先輩の因子を取り込んでおいて本当によかったと思うよ。

 そもそも本当のレースならともかく、あの野良レースは併走、あるいはかけっこに近い一対一の勝負だった。読みや駆け引きよりも身体能力のごり押しが利く。

 幾重にも張り巡らされた策謀に絡めとられた時点で、あの3000mは私のテリトリーだった。そういうことだ。

 

《ふっ、まるで将棋だな》

 

 たしかに駒の性質を把握して、盤上を読みながら一手一手詰めていくという意味では詰将棋に近いかもね。

 私としては推理小説の解決パートの方がたとえとしてしっくりくるけど。ごちゃごちゃとした全体像が理路整然と整理されていくさまが似ている。たまに『え、それで通すの?』ってトンデモ理論が挿入されることがあるのも含めて。

 

《ネタが不発したときのやるせなさったら無いよね》

 

 何かのボケだったらしい。気づかなくてごめんね。

 

 

 

 

 

 テンちゃん曰く、あそこまでこちらに都合よく最初から最後まで完走できる可能性は三割も無かったそうだ。

 策略は複雑化すればするほど繊細になり策に溺れるリスクが高まるので、単純な力押しができるのならそれに越したことはないとも言う。

 誤差を許さぬ神算鬼謀ではなく、こうなるはずだという魔性の決め打ちでもない。

 ただ広く俯瞰して、己の手の届かない範疇までしっかり把握した上で、手の届く範囲を着実に埋める秀才の知略。

 あそこまで人心と状況を読み込んで策を練り実際それは結実したのに、テンちゃんにとっては自分が対策を用意できた三割の未来でしかなかった。倍以上のどうしようもない可能性が見えていたのだ。

 

 冷静で、客観的で、臆病な策士。

 

 一連の流れをこうして振り返ってみれば、裏に透けて見えるのは普段のわざとらしいハイテンションの絡まないテンちゃんの素の部分。なかなかお目にかかる機会がないので、こうして垣間見えただけで何だかラッキーな気分になる。

 普段の妙なテンションも好きだけど、どうしてわざわざ素の性質とは異なる自分であり続けようとするのかはいまだにわからない。それが何となく悔しい。

 

 まああのときは割と素が露出していたか。

 もともとテンちゃんは裏で俯瞰しているときはともかく、表に出た状態で自身の主導で動いているときはあのハイテンションを維持することを苦手としている。竜頭蛇尾は言い過ぎだが、やはり無理している部分もあるのだろう。

 レース自体は二人で分担していたが、それでも後半になるとテンちゃんは疲労で精彩を欠いていた。そんな状態で、あるいはそんな状態だったからか、ライスシャワー先輩に涙ながらに制止されるようなことになってしまい非常に凹んでいた。

 

 見えているものが違ったのだ。

 テンちゃんにとって樫本理子という女性はトレーナーである以前にURA職員であり、理事長代理だった。

 

 これは極論だが、トレーナーとは言ってしまえば自分の担当ウマ娘だけを強くする職業である。

 その職に就いている者の人となりや信念や主義主張はともかく、他トレーナーの担当ウマ娘が強くなれば、自身の担当ウマ娘が敗北すれば自身の評価が下がってしまうのは事実だ。

 

 だが理事長代理は違う。トレセン学園の理事長とは、生徒全員が強くなることを第一とする職業だ。

 これも当事者たちの感情をあえて無視して言わせてもらえれば、〈ファースト〉の担当トレーナーであることはあくまで理事長代理業務を円滑に進めるための手段でしかない。

 

 テンちゃんの中では樫本代理のトレーニングメニューは管理主義布教のために露出を前提としたものだった。

 その内容が広まれば広まるほどウマ娘が幸せになる可能性が広がる。だからその気になればいくらでも詳細な情報を入手できるよう、樫本代理の側が準備をしているとさえ踏んでいた。

 積極的に樫本代理から布教しないのは担当している〈ファースト〉の面々に対する義理立てと、あとはフリードリッヒ大王のジャガイモ宣伝と同じ理屈もあるかもしれない。

 人は投げ与えられた施しにさして価値を感じず、逆に厳重に警備されているように見えるものを自らの手で盗み出したときは大きな達成感と共に入手したものの価値を確信する生き物だから。

 

 だから参考までに正確なものを入手しておきたかったのは事実だが、実際は絶対命令権を使うほどの価値は無い。『それっぽく相手にデメリットがありそうなことを命令しましたよー』というポーズだけのつもりだったのだ。

 まあそんなテンちゃんの内心が、あの場での共通認識であるはずもなく。

 内実は手を変え品を変え策に策を重ねて幸運に助けられ拾った勝利だったとはいえ、外から見れば四対一での完勝。実情はともかく圧倒的武力を笠に担当トレーナーの企業秘密を渡せと脅されたように感じたのではないか、とは後日精神を持ち直して冷静になったテンちゃんが振り返るところだ。

 価値観の相違はいつの時代も悲劇を生むね。

 

《まー世の中には戦意が無いことを示すために白旗を掲げたら、相手側にとっては『きさまらを皆殺しにしてまっさらにしてやる』って意味ってこともあるからね。異文化コミュニケーションむずかしいね》

 

 そこまでは言ってないが。

 うじうじと凹んでいるテンちゃんを慰める時間は悪くないものだった。私には真似できそうもない大胆な策略でアオハル杯ランキング一位のチームを手玉に取った直後の()()で、テンちゃんに変なコンプレックスを抱くこともなく関係性が維持できた面もあるかもしれない。

 お互いに弱さや醜さを隠さなくていい関係性とはいいものだ。隠し事や秘密が無いとは言わないが。

 

 たとえば私的にはライスシャワー先輩の一件よりも、その後のミホノブルボン先輩の方が印象的だったかもしれない。

 実はテンちゃんが表に出ている間、私が起き続けていることって少ない。レース中なら緊張しているから眠くなることなんてまず無いけども。

 例えるのなら幼少のみぎり、親におんぶされた状態で歩いているような感覚。自分で自由に身体は動かせないけど安心感に包まれ不安はまったくない。そんな状態が長時間続くとついうとうとしてしまうのも仕方のないことだろう。

 身体の主導権こそ私が握っているが、テンプレオリシュとは『私たち』のことである。だからテンちゃんが使いたいと言えば基本的に理由なんて聞かず譲り渡すし、その先で何をやっているのか逐一確認しようとも思わない。

 

 そもそも今回の一件でデジタルが私たちを頼ってきたように、テンちゃんが何やら水面下で活動を続けていたことは実は一部では有名な話だったそうだ。

 些細なすれ違いから関係がこじれかけたところにずけずけと割って入って口を挟んだり、すれ違いざまにぼそっと今後の活動の根底を揺るがしかねないアドバイスを囁いたりする、小柄な葦毛。

 そんなことをしていたのかと意外に思う気持ちと、テンちゃんは面倒見がいいからなあと納得する気持ちが半々だ。

 身体を共有している以上、私たちの行いは善であれ悪であれ私たちふたりでその報いを受けることになる。自身を裏方だと定義しているテンちゃんが、尾を引きそうな対人トラブルにわざわざ自ら首を突っ込むことは地元ではあまり無かったのだが。

 そうまでして見過ごしがたい悲劇だったのだろうか。それはあり得た過去と変わった現在を観測しえない私にはわからないが、あのミホノブルボン先輩の謝罪を聞いたときからテンちゃんの中で何かが変わった気がする。

 たぶんだけど、優先順位に明確な変更があった。

 

《ぼくはオリ主ではあっても、決して世界の中心なんかじゃない。この世界はぼくに見向きもしないで恙無く進行している。だから何もしていないのに史実(もしも)から外れたブライアンみたいな例もあれば、口出ししたところで変えられなかったブルボンみたいな例もある。そう思っていたつもりだったんだけどね……。

 やっぱりダメだ。傲慢にも後悔しちゃうんだ。もっと何かができたんじゃないかって。蝶の羽ばたきですら世界の裏側でサイクロンを起こせるのなら、ぼくの一挙一動は少なくとも蝶の羽ばたきよりかは質量を有しているだろうから》

 

 あまり卑下しないでほしい。そういうのは好きじゃない。

 テンちゃんは間違いなくあのとき〈ブルームス〉を助けたし、それは私にはできないことだった。

 私なら途中で飽きて力押しになってただろうし、でもそれで押し切れるほど〈ファースト〉は甘い存在ではなかった。

 いざというときに私は自分の才気に任せたごり押しを選んでしまう。私が自分のことを雑と認識する所以だ。

 だからあれはテンちゃんだからできたことで、その功績はたとえ本人にだって否定してほしくない。

 

《おっと、自嘲っぽく聞こえちゃったかな。ごめんね? 気を付けるよ。まあ何でもできるとは今でも思っていないし、やれることを何もかもやろうとも思わないけど。手の届く範疇で何かはしたいとは思うかな》

 

 うん、テンちゃんにやりたいことがあるのなら付き合うよ。今のところ私に明確な人生の大目標みたいなものってないしね。レースと賞金はあくまで生きるための手段だ。目的じゃない。

 ひとまずトゥインクル・シリーズの目につくタイトルを根こそぎ獲得してやればいいか。それで何が変わるのかまでは知らんが、歴史に名を刻み世界を震撼させることくらいはできるだろう。必要とあれば世界を股にかけるのもやぶさかではない。

 それだけの発言力があればテンちゃんのやりたいこともやりやすくなるんじゃない?

 

 

 



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これもある意味、人生設計

感想欄で言われていたので補足説明。

当作品の世界線では固有スキルは発動に条件を満たすことが必要ですが、習熟すれば条件を満たしても発動させないことが可能です。
最初に反射的に発動するのはレース中ゆえにあらゆるアクセルを全力で踏み込んでいる状態で、条件を満たした部分のギアが噛み合って急発進するのをイメージしていただければと。
そこにギアがあるとわかっていればエンジンが始動してもギアを入れないこともできるのです。

また、リシュはレース中に相手を噛み千切るのは真っ当な戦法だと思っていますが、一方でレース中でもないのに相手の【領域】を奪い取るのは失礼という価値観も持ち合わせています。
ゆえにミークとバクシンのときは自身の【領域】の性質を説明した上で、相手に了承を取って教えを乞う形で【領域】を分けてもらっています。
まあ条件が『相手が【領域】を発動させた際のカウンター』であることには変わりはないので、剣でぶっ刺すことにはなるのですけども()



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U U U

 

 

 青空をゆっくりと雲が通り過ぎていく。

 ついこの前まで冬だと思っていたのに着実に景色は温暖の色を帯びていて、この調子でいくとあの雲も気づけば夏の巨大な入道雲になっているのだろう。

 ミーク先輩ではないが、たまにはこんな時間も悪くない。空っぽになった頭の中で雑然とした思考がゆるやかに流れていく。

 自然とその内容は、チーム〈ファースト〉とのあれこれで生じた変化を反芻するものとなっていた。

 

 そんなわけで、今回のリザルトその一。

 自分の頑丈さに自信が持てた。

 

 より具体的に言うのなら『これくらいまでの無茶はしても大丈夫』という明確な一線が自分の中に設定できた。

 以前に触れたように本番のレースの負荷や疲労はトレーニングや野良レースのそれとは比較にならない。だがそれはそれとして『〈ファースト〉相手に四連戦して全勝』というのは自負を構成する材料としては十分なものだ。

 これのおかげでマツクニローテを走る方針が固まったし、その後もいろいろ挑戦してみようと思えた。

 

《クラシック級で宝塚ねらってみる?》

 

 うーん……それはまだ無理かな。

 シニア級のレジェンドたち、つまりゴールドシップ先輩やナリタブライアン先輩、ハッピーミーク先輩にサクラバクシンオー先輩などなどの豪華メンバーにはまだ勝てる気がしない。

 

《勝てる戦いにしか挑まないつもりかー?》

 

 いやあ、そういうつもりは無いんだけどさ。

 レースに懸ける想いはウマ娘それぞれだとも思うんだけどさ。

 勝てないだろうなーと思いながら挑んで負けて、やっぱり勝てなかったと納得する。そんなレースはやりたくない。

 出走しておきながら一着を狙わないのは八百長だから、などという意味合いではなく。アオハル杯のような自身ではなくチームの勝利を目指すチーム戦が嫌い、とかいう意味でももちろんなく。

 やるからには勝利を目指す。どれだけ実力差があろうと目をぎらつかせ、『一番』を追い求め続ける。

 とある腐れ縁のおかげで、私の中にはかくあるべしと刻まれているのである。

 これはちょっとやそっとでは変えられない。

 

《あー、そういう……完全に納得したわ》

 

 たしかに単純に賞金だけ狙うのならグランプリは狙い目だろう。

 入着するだけで賞金は二千万以上。その全てが出走したウマ娘の手取りになるわけではないが、一般市民の金銭感覚からすれば十分すぎる額だ。

 ……ふと我に返るとここまで無敗とはいえ、私はしょせんクラシック三冠への挑戦も始まっていない若輩者。人気投票も絡む名高きグランプリに出走できることを前提に物事を進めるなんて、捕らぬ狸の皮算用もいいところ過ぎて羞恥に悶えそうになるのだけど。

 ここまで圧倒的実力を有しておいて、同期との実力差を認識しておいて、世代を超えて通用することもアオハル杯で把握しておいて。

 その上で『私には無理だよぉ』なんていうのは謙遜ではないと思うのだ。ただ自尊心を傷つけないための保身、周囲にとっての嫌味だろう。

 レースに絶対はない。これから私が負け続ける可能性だってゼロではない。微粒子程度の儚さでしっかり存在している。

 でも私は負けるつもりはない。この国において無敗の称号はとても尊ばれる。テンちゃんが何かしたくて発言力を求めているのなら、金で売り払うほどのものではないだろう。

 

 現状でも仮にその一戦だけ、後先考えずに壊れる覚悟でいけばまだ何とかなる目算も出てくるかもしれない。でも私はレースに殉じる覚悟がない。『最初の三年間』をしっかり走り抜きたいし、その後も健康な余生を過ごしたい。

 それに幼いころからダートも短距離もそれぞれ対応モデルのシューズを履き潰してきたのだ。たとえそれが栄誉ある戦績だったとしても、マイルと中長距離だけ走っておしまいというのは忍びない。

 まあ、せめて夏合宿を終えてからじゃないと彼女たちと同じ舞台に立つ勇気は出ないというのが本音だ。今はまだ無理。

 

 

 

 

 

 続いて、今回のリザルトその二。

 桐生院トレーナーにすごく叱られた。

 

 想定よりずっとずっと怖かった。

 ぜんぜんそんな自覚はなかったのだが、ともすれば同年代にさえ見える若い女性ということでどこか侮る気持ちがあったのかもしれない。その点は素直に反省である。

 それはそれとして案の定テンちゃんがダウン中にお説教タイムになったのは不条理だと思いました。まる。共犯だし主犯でもあるから、自業自得という評価に間違いはないのだけども、うん。

 ……本来なら寝てなきゃいけない翌朝に無理やり起きてきてわざわざリトルココンに挨拶する必要なんてあった? あれのせいで絶不調の時間がだいぶ伸びた気がするぞ。

 

《アイサツは大事。古事記にもそう書いてある》

 

 まあ挨拶が重要だというのに異論はないけども。

 

 ここで一昔前の少年マンガに出てくるような厳しさと理不尽を取り違えた自称熱血指導者なら当面のレース出走停止なんて処分を下すこともあるかもしれないが、あいにくトゥインクル・シリーズはそこらの学校の部活動ではなく賞金を始め各方面に莫大な金が動く経済活動である。出走登録にトレーナーの存在が必須だからといって、トレーナーの一存でウマ娘の方針を捻じ曲げるのは難しい。

 トレーナーとウマ娘は教師と生徒のような一方的な上下関係ではない。契約の打ち切りは双方から申し出ることができる……私の場合、あの名門桐生院のエリートトレーナーに棄てられたウマ娘を拾うような奇特で度胸のあるトレーナーが存在するかは別の話だけども。

 

《ま、葵ちゃんに限って言えばそんなこと心配するだけ無駄だよね。あの子がそんな無責任なことするはずないもの》

 

 彼女がいいひとだという評価はテンちゃんも一貫している。

 『こ、これがトレーナーの名門桐生院……!』と戦慄するくらいお説教は怖かったものの、それも私の身体を慮ってのもの。即座に病院に連行され各種精密検査こそ受けさせられたが、それで問題なしとわかると見るからに安堵していた。

 というかあれだけ無茶をやって故障らしい故障が筋肉の軽い炎症程度であり、それも三日も寝て食ってを繰り返せばぴっかぴかに完治した自分の肉体に我ながら苦笑しか出ない。

 食べて血肉に変えるというのもひとつの才能だ。あの葦毛のレジェンド、オグリキャップ先輩が過酷なローテ(口さがないファンに言わせるとトゥインクル・シリーズの歴史に残る伝説的クソローテ)をこなし、繋靭帯炎や骨膜炎などを発症しても引退に追い込まれることなく有記念でトゥインクル・シリーズの有終の美を飾れたのは、彼女が学園の歴史に残る伝説的健啖家(口さがない生徒でなくとも現場を見た者の見解一致)であったことと無関係ではないだろう。

 

 

 

 

 

 今回のリザルトその三。

 周囲からの評価の変化。

 

 先に少し触れたように、悪事千里を走るというやつで学園中に私たちと〈ファースト〉が衝突した噂は広まってしまっていた。

 しかし広まる道中で尾ひれを獲得するのが噂の生態というものだ。より派手に、よりわかりやすく。そのためなら多少の事実の歪曲もやむなし。今回も例に漏れず、しっかり尾ひれを獲得して私たちの噂はすくすくと成長していった。

 

 わかりやすく事実との差異を挙げていくと、まずデジタルの存在が抹消され私が一人で戦ったことになっている。これはテンちゃんの狙い通りなのだろう。

 桐生院トレーナーを始めとした事情聴取でその存在を隠すことはできなかったし、一緒にお説教も受けたが。噂に群がる不特定多数、そんな無責任な群衆からUMA覆面は彼女の存在を守り通したわけだ。

 

 そしてチーム〈ファースト〉が十五人のフルメンバーいたことになっている。つまり私は万全に機能するアオハル杯ランキング一位を単騎かつ連戦で完膚なきまでに撃破したことになっているのだ。

 いや無茶だよ。

 ただ、私も〈ファースト〉の面々も躍起になって火消しに回るような性格ではないようで噂は野放しになっている。不快を覚えないわけではないけど、いちいち気にして対応に乗り出すほど興味がないというか。

 

《人のうわさも七十五日。がんばろう、きっと日本ダービーの頃には世間様の話題は無敗の皐月賞ウマ娘一色になっているさ》

 

 うーん、そうかなぁ?

 たしかに噂に対する対抗手段のひとつは、より刺激的な噂で押し流してしまうことだけども。予定通り勝ち進めることができたところでどちらも私に関する噂。相乗しそうな気もするけど。

 まあテンちゃんがそう言うのであれば、ここはあえて相殺されることを期待しておこう。

 

《もしもダメだったら未来のぼくらがきっと何とかしてくれるさ》

 

 頼んだぞ、未来の私たち。

 

 そんなわけで噂が広がった結果、顔なじみではない同期からはますます距離を置かれるようになった。今では向けられる視線に畏怖さえ込められている気がする始末。

 まあ私だって完全に他人事の状態でアオハル杯ランキング一位のチームを単独撃破するウマ娘が同期に現れたなんて聞いた日には、オラわくわくすっぞと強敵の出現に喜ぶよりも、そんなのと同じ世代で走らないといけないのかと憂鬱になるだろう。

 だからまあ、責めることはできない。傷ついてなんていないさ。

 上の世代から向けられる感情もその度合いこそ違うが、質としては似たようなものだ。私ももうクラシック級。今年の夏からシニア級を交えたレースに出走できるようになる。私の脅威は他人事ではない。

 

 しかし、今年度からデビューしたジュニア級は違う。

 彼女たちが私と走ることになるのは最短で一年以上猶予のある来年の夏から。その最短もクラシック級でありながらシニア級が跋扈するタイトルへと挑戦する一握りの上澄みの話であり、大半は自身がシニア級になるまで戦う機会など訪れないだろう。つまり対岸の火事としてわあ綺麗と楽しめるのである。

 そんな彼女たちが私の武勇伝……羞恥心との戦いであるが客観的に適切な言葉を当てはめるのならやはり武勇伝としか言いようのないその噂を聞けばどうなるのか。

 

 樫本代理の着任からそろそろ一年。アオハル杯の裏で進行している『樫本代理が推し進める徹底管理主義vs従来の自由を尊ぶ学園の方針』も外部に知られつつあるが、裏を返せば今年入ってきた新入生たちはまだ従来の校風を親しんで入学してきた者ばかりである。そんな彼女たちが、学園の自由を侵害する巨悪の尖兵たる〈ファースト〉を単独で撃破した先輩の話を聞いたらどうなるのか。

 

 そしてあまり大きな声で言いたくないことではあるが、私の身長は百四十三センチ。これは華奢な体型にコンプレックスを抱いているナリタタイシン先輩の百四十五センチよりも二センチ低い。

 余談ではあるがよくつるむマヤノとデジタルの身長も同じく百四十三センチであり、どこぞでは143ジェットストリームアタック小隊などと呼ばれているらしい。

 

《小隊というにはいささか人数が足りていない気もするけどね》

 

 軍事編成上の一単位のことじゃなくて、小人数の隊って意味の方じゃない? 三十人から八十人もいたらそれはそれで困るぞ。

 

 まあともかく、新入生の大半より低身長なのだ。ついでに言えばシンボリルドルフ会長のような力のあるウマ娘特有の威圧感もなく、ぼんやりしているという印象をよく抱かれる。

 

 なんか懐かれた。

 

 ちっちゃくて可愛くてぼんやりしていて隙が多そうなのに、いざというときには無慈悲なくらい強いリシュ先輩可愛いって。後輩たちが。『可愛い』が被っているが大事なことだから二回言ったのだろうか。

 ちやほやされるというのはこれまでの人生では未知の体験なのでちょっと困惑している。対処の仕方がわからない。

 正直なところ。見知らぬ相手に話しかけられるというのは、その動機の根底にあるのが好意であっても私にとっては負担である。コミュ障で人見知りなのだ。だから対応もおざなりというか、毒にも薬にもならない受け答えしかできていないと思うのだが。

 

 でもテンちゃんは違う。

 興味がないときはとことん興味がないが、いちど興味を持てば意外と面倒見がいい。そして一度面倒を見ると決めた案件は最後までしっかり片付ける。かと思えば飽きたなんて言って急に放り出すこともある。

 気まぐれでマイペース。それを社交性があると言っていいのかは定かでないが、気さくで話しかけやすい先輩ではあるのだろう。

 噂に熱狂した一時的なブームで、時が過ぎれば冷めてしまうものだと甘く見ていたのだが。着々とリピーターが増えている気がする。気のせいだと思いたい。

 

《チーム参加希望者の数という物証があるのに気のせいは無理だろー》

 

 黙れ諸悪の根源。

 そうなのだ。すべてが私の影響とは思いたくないが、アオハル杯チーム〈パンスペルミア〉の参加希望者の数が一時期エライことになった。

 非公式レースのお祭り企画だからこそのゆるさというか。トレーナーがまだついていない子も多く、レースに出られるメンバーを一軍とするなら二軍と三軍まで出来そうな勢いだった。

 さすがに希望者を全員入れるわけにもいかず、まるでトゥインクル・シリーズを走る公式チームよろしく入部テストを開催する羽目になってしまったのだった。うう、桐生院トレーナーに足を向けて寝られない。ただでさえ多忙な中央のトレーナー業なのに余計な仕事を増やして本当にごめんなさい。

 そうやってなんとか一チームの常識に収まる範疇までふるい落としたわけだが、不合格になった子たちはめげずに〈パンスペルミア〉公式ファンクラブを立ち上げて楽しくやっているそうである。いや公式ってどこが認可したんだよ。

 

《ああいうのは下手に個人単位で野放しにしておくより、制御できるようにまとめておいた方が、のちのち面倒がないものさ》

 

 案の定、私だったようだ……。

 

《大丈夫だいじょーぶ。上の仕事はできる部下に仕事を放り投げることだから。そうやって一回組織の形を造ってしまって、あとはエサやりを忘れなきゃそう面倒ごとなんて起きないよ》

 

 まあそのあたりの匙加減は任せるよ。何だかんだテンちゃんの感覚は信頼してるから。

 

 あと、評価の変化ついでに小話をひとつ。

 これまで自身のタイムとのみ淡々と向き合ってきたチーム〈ファースト〉の面々だったが、あるときを境に鬼気迫る勢いでトレーニングを行うようになった。それはまるでケツに火がついたような気迫だったとか。

 残念ながら熱狂的な意欲が必ずしも結果に繋がらないのが世の常だが、今回の場合は樫本代理の微に入り細を穿つ計算で構成された管理メニューにより故障のリスクを徹底的に抑え、着実に実力へと繋げている。

 いったい何があったんだろうねー。

 ま、敵が強くなることを喜ぶメンタリティの持ち主ではないつもりだけど。ランキング一位のチームが弱いと侮られてはアオハル杯そのものの価値に瑕がついてしまう。だからきっと彼女たちが強くなることはいいことなのだろう。

 

《理子ちゃんが過労死しないことを願うばかりだね》

 

 ほんとうにね。それだけは非常に心配。

 

 そしてチーム〈ファースト〉の空気の変化に伴い、メンバーたちの態度も変わった。

 社交的というか、あくまで比較的ではあるが、彼女たちは明確に他者との交流を心がけるようになった。

 自分たちばかり見ていてはいずれ頭打ちになると危機感を抱くような出来事でもあったのだろうか。不思議だねー。

 リトルココンはその代表格で、これまではこちらの挨拶にリアクションを返すくらいだったのが、ぎこちなくも向こうから話しかけてくるようになった。主にお天気デッキの遣い手である。

 

《話題なんていくらでもあるだろうにね。ファッションとか、レースとか》

 

 テンちゃんがしみじみと述懐する。珍しくその声に揶揄の色はない。

 

《彼女にとってコミュニケーションとは毒を含む水源のような感覚なのだろう。飲めば身体が侵される、しかし飲まなければ渇いて先がない。先に進むためなら、たとえ蝕まれようとも挑まざるを得ない。そういうたぐいのものなのだろうさ。

 会話を成立させるための話題。楽しく話すためのものじゃない。ただ従来のままではいられないという執念を感じるね。強さを求めることに関しては、本当にストイックだよ》

 

 その点は認めよう……私は何かしてあげるべきかな?

 

《必要ないだろ。見当はずれの努力ではあるが、人というものは良くも悪くも慣れるものだ。毒も飲み続ければ耐性がつく。身体にかかる負荷は蓄積するけどね。

 どれだけ嫌だろうと繰り返していけばコミュニケーションをとるという行為そのものに慣れて、話題も自然なものになっていくだろうさ。従来の自分から変質してしまうことが彼女にとって幸せなことなのかまではわからんがね》

 

 正直なところ、私はまだ彼女のことが嫌いだ。最初に精神的横面を叩かれたことを謝られていないから、許していない。

 でも歯切れ悪く天気の話をする彼女のことが嫌いだからと冷たくあしらえば、今度は私が悪いことになる。嫌いな相手のために自分もまた嫌なやつになるというのは、損だ。それにぎこちなくもコミュニケーションを努力するその姿に共感を覚えないと言えば嘘になる。

 結果として、これまでテンちゃんに一任していたリトルココンへの対応を一割くらいは私も引き受けるようになっていた。一年の時を経てようやく私はルームメイトとの関係性を構築し始めているのかもしれない。

 

「おーい!」

 

 ちょうど思考が一区切りついたタイミングで闖入者。

 ここは公園だ。今日は珍しく人気が無かったが、長時間留まっていれば誰かが来るのも当然の話か。

 明らかに私に向かって走ってきた男の子には見覚えがあった。名前は何だったか。記憶力には自信があるけど、興味がないことはそもそも憶えない気質なもので。

 ご近所づきあいというのは私のもっとも苦手とするところだが、さっきも言ったようにテンちゃんはわりと面倒見がいい。ちびっこに絡まれたときも暇があればノリよく付き合ってあげている。ちびっこたちにとって良き隣人といえる立場を築き上げていた。

 

 無遠慮にじろじろと私を見る少年に、手を軽く上げることで挨拶の代わりとする。

 すると少年は露骨にがっかりと肩を落とした。

 

「なーんだ。テンねえちゃんかと思ったらリシュの方かよ」

「なんだとはなんだ」

 

 完全に舐められている。別にいいけど。

 敬意を抱かれるようなことをした覚えはない。年上には敬意を払いなさいと教えるのは私の役目ではないし、敬意を払うに値しない年長者が世に多いのも事実だ。さて、私はどうなんだろうね。

 

「ややこしいんだよなあ、似たような顔してさあ」

「わるかったねー」

 

 似たようなというか、顔は同じだからね。

 どうも近所のちびっこたちには双子の姉妹と思われている節がある。まあ、間違っているとも言い難いか。

 別人にして同一人物なんて感覚、当の本人しか真の意味では理解できまいよ。

 

「なーなー! このまえテレビに出てたのってテンねえちゃんの方だろ!? すげーカッコよかったもん」

「きみの中で私がどういう存在なのかよくわかる質問だねえ」

 

 ジュニア級のときにG1である朝日FSを制して以降、少しずつメディアの露出が増えてきたとはいえバラエティなどのテレビ番組に出演したことはない。ということは、彼の言っているのはこの前の弥生賞のことだろう。

 

「三割くらいそうかな」

「なんだよそれ?」

 

 トゥインクル・シリーズにデビューしてもうすぐ一年。多くの経験を積み、私たちだって少しは成長している。

 以前からスタートダッシュに失敗した時はしれっと主導権をテンちゃんに委ねて追い込みに切り替え『計算通りですが何か?』という顔をしたり、逆にスタートが上手く決まり過ぎて先頭に抜け出してしまいもうこれこのまま経済コース走った方がお得だなと判断したときもテンちゃんにバトンタッチして逃げに移行したりしていた。

 テンプレオリシュはふたりでひとつのウマ娘。その力を十全に揮うこと、負い目のひとかけらもありはしない。

 人生ワンオペを強制されているやつらとは根本的に違うのである。私たちにとって人生とは共同経営。オーナーは私だからいざというとき責任を負うのは私だが、基本は分業だ。

 

 ウマソウルが前面に出ていることが影響しているのか、テンちゃんが主導権を握っているときの方が実はテンプレオリシュというウマ娘の各種ステータスは高い。

 だがテンちゃんが言うには、レース勘やセンスといった漠然とした感覚は私の方が優れているそうだ。

 自覚できない部分を褒められても自信や自負を抱きにくいのだけども、世の中そういうものらしい。苦も無く当たり前にできることだからこそ気づけない。周囲がどれだけ努力してもその域に到達できないことに。

 そんなもんかねえ。テンちゃんがそういうのなら信じるけどさ。

 

 まあそんなわけで最近は得意分野によって適宜入れ替わり、レースを分担して走っているのであった。

 テンちゃんの負担は極力減らしたいからね。

 

 余談だが、分担のその上。私とテンちゃんの境界線を乗り越える奥の手も存在しているのだが……あれはあまり使いたくない。

 あれは使えば勝てる必殺技というより、今この瞬間の勝利を求めて明日以降を犠牲にするモノだ。ナリタブライアン先輩相手に使ったときは長期間の絶不調()()で済んだが、使い続ければ『最初の三年間』の完走すら怪しくなるだろう。

 少年漫画の主人公なら我が身を削る破滅技であっても強敵相手に乱発するのだろうが、少年漫画の主人公よろしく破滅しても復活イベントが都合よく私たちの前に出現するとは思えない。

 無事之名バ。

 この言葉の重みはトゥインクル・シリーズで走れば走るほどに増していく。

 いったいどれだけの先達が自らの意思に沿わない理由でその道を断たれてきたか。手加減? 油断? 冗談じゃない。勝つために努力が必要なように、勝ち続けるためには『勝ち続けるための努力』が必要だというだけの話だ。

 

「まー弥生賞で最初にゴール板を駆け抜けたのはテンちゃんだよ」

「それなら最初からそう言えよ! まどろっこしいなあ」

 

 そこで少年は言葉を途切れさせると、急にもじもじし始めた。いったいなんだよ。

 

「なあ、あのレースってさ。なんかすげーやつだったんだろ?」

「まあね。重賞だし、皐月賞のステップレースだし」

「お、お祝いにプレゼントとかさ。なあ、リシュはテンねえちゃんがいったいどんなものが好きなのか知ってるか?」

 

 ガキが一人前に色気づいていやがる。

 とはさすがに口に出さなかった。

 うんうん、テンちゃんカッコいいもんね。年上のおねーさんに憧れちゃう時期だもんね。よく知らんけど。

 普段の面倒見のいい笑顔とテレビ越しのギラギラした視線のギャップにくらりとやられてしまったのだろう。わかるよ。

 うんよし、落ち着いた。姉に色目を使われて反射的に攻撃性をあらわにしかけた妹なんていなかった。

 私にはまだ経験が無いが、恋というのは腹筋をかち割って臓腑を外気にさらすようなものだと何かの本で読んだことがある。たとえ軽口のつもりであっても、臓腑に突き刺されば心無い言葉は深刻なダメージとなるだろう。

 理解できないのなら粗末に扱ってはいけない。テンちゃんに教わった人付き合いの基本だ。

 

 ふと考える。

 私の恋愛観はどういうものなんだろう。

 将来的に両親に孫の顔を見せてやりたいから、人生のどこかで結婚して出産するのは予定として入っている。でもマヤノみたいにキラキラの恋がしたいなんて憧れは無いと思う。

 お年頃の少女として、嫌いとまで言うつもりはないけどさ。

 パートナーに求める要素を羅列していくと、別に経済力は無くてもいいから(私がレースでがばっと稼ぐ予定なので)育児に協力的で、父親としての役割を十全に担ってくれて、テンちゃんと私の存在を等しく受け入れてくれる存在、というものになる。

 これって恋人に求める資質じゃないよねぇ。ビジネスパートナーか何かか? ある意味で人生という大事業の共同経営者なのかもしれないが。

 

 テンちゃんはどうなんだろう?

 可愛いとか好きとか愛している推せるとか、デジタルと似たようなことをウマ娘に言ってることはあるけど。

 そういや男の趣味は聞いたこと無いな。

 

 おっと、沈黙を続ける私に少年が不満そうな顔をしている。

 質問に答えないと。

 

「趣味らしい趣味といえばTRPGかな」

「何だよそれ?」

「いい年した大人が全力で取り組むルールのあるごっこ遊び、らしいよ。ちゃんとタイトルごとのルールブックがあるんだって」

 

 この前もオンライン上でセッションなるものをやっているとかで、ノートパソコンの前で『《美しき(セル・)舞に(コンフンティード・)惑え(コヌン・ボニート・パイレ)(ウルティモ)》の条件は純粋な2dの出目だが、一方で出目そのものを変更する効果は有効だ。そして2.0の【プレコグ】は判定を1d+5で判定するのではなく、出目の片方を5に固定する魔法。つまりこの組み合わせにより5/6の可能性で自動回避だ! へーいカバディカバディ!!』と謎の呪文を楽しそうに唱えていたし。

 詳細はまったくわからないが、テンちゃんが楽しいのなら私も楽しい。これは心情的な話だけでない。主導権を握っている方の感情が肉体に反映されるため、身体のウキウキがこちらの心にまで伝わってきて心地よいのだ。

 

 もしかすると、私たちのお小遣いが一番つぎ込まれている趣味かもしれない。

 私の生活の中で一番金がかかっているのはレース関連だけど、そこはケチって怪我をすれば元も子もない。万全を尽くすのが保護者の務めだという両親の方針で、私の小遣いからは出させてもらえなかった。まあ額が大きすぎて小学生の小遣い程度では雀の涙にしかならなかっただろうけど。

 そうなると走って食って寝るくらいしかやってこなかった私の主な出費は食費(おやつ)くらいになる。しかしこちらもウマ娘の食費はバカにならないが、アスリートとして身体造りのことを考えるとむやみに暴飲暴食することはできない。ヒトミミよりは量が多くても主食ではないのだ。金額もたかが知れている。

 

 いちおう、私にだって走ること以外の趣味がないわけではないが。

 私の趣味ランキング一位は読書だ。

 新しい本をいちいち買っていればあっという間に小遣いが尽きるし、何より一般家庭に書庫は無い。置き場所がないからと一度読んだ後に古本として売りに出すくらいなら、そもそも図書館で借りた方が手っ取り早いのである。

 無料で利用できる図書館がある国と時代に生まれてよかった。

 金をかけず趣味を満喫できる。作者に対する還元という意味では経済を回せないのが少しばかり心苦しいけども、引退して時間に余裕ができたらガバっとレースの賞金で購入させていただく予定なので勘弁してほしい。

 

 自分の小遣いさえ私に使ってほしそうなテンちゃんにとっては、私たちが着実に貯めたお小遣いがTRPGのルールブックや関連書籍に消えてしまうのは甚だ不本意なのかもしれない。

 でも趣味という区分ではむしろコスパは良好な方だろう。一度環境を整えてしまえば、後はネットの通信料くらいしか掛からないもの。まあこれはテンちゃんが私と二重人格であるという身の上から、ネット上でしかテンちゃん個人の関係性を構築しなかったことも大きいけど。

 オンラインのセッションがあるのならオフラインのセッションもある。コンペなるものに参加すればその参加費もかかるらしい。

 

 でもたとえばこれがセイウンスカイ先輩のような釣りが趣味であれば、釣竿を始めとした釣り具に初期費用が掛かり、釣りスポットまで移動するのに交通費(ウマ娘の場合は自力で走るという裏技があるが)、移動距離によっては途中の食費もかかり、釣り餌は消耗品。細かい仕掛けも壊れたり劣化したり無くしたりで小まめに買い替える必要があるだろう。

 

 それを考えれば、私たちは心身のリフレッシュをかなりリーズナブルに行えている。

 私たちに対する投資としては間違った使い道ではない。だから負い目なんて感じないで、相棒からのプレゼントをどんどん受け取って、しっかり楽しんでほしいと思う。

 

「……どこにいけば買えるかな?」

「必要なものは一通り持っているし、同じものが二冊以上あっても意味ないよ」

 

 だから、残念だったな少年よ。

 コストパフォーマンス良好とはいえ、それは大人が本腰入れて楽しむ趣味を基準に置いたときの話。TRPG関連書籍は子供の小遣いで衝動買いするにはやや値が張る。

 

 それらは長年かけて私がとっくの昔に貢いでいる。諦めるんだな。

 

 

 




テンちゃんが何をやってるかわかった人は作者と握手!

でもあのコンボ、うちのシマじゃ『思いついたはいいけど、どうする?』『やめとこっかぁ…』って紳士協定が結ばれたやつだからご利用は計画的にな!
いざとなればマルアクディスペル一発で片が付くやつだから、GMの良心とリアル知力を試すのなら喧嘩しても仲直りできるような身内卓にしておこう!


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未来を見据えて

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前回は思った以上に握手できる読者様がいて千手観音は言い過ぎでも阿修羅では手が足りないありさまで芝でした。
さほどプレイヤー人口の多い遊びではないはずなのですけどね。やはり読者層って作者と似通うのかしら?


 

 

U U U

 

 

 うーん? ダメだな、まだ今一つ攻撃性を捨てきれていないぞ。

 

 さっきも『テンちゃんは経済的に自立もしていない子供にたかるような真似はしないよ』なんて言いそうになったし。

 うん、それはダメだろう。年下の懐事情を心配するのとはまったく別の話だ。小さい子同士のプレゼント交換を全否定する暴言である。

 というか、私たち中央のウマ娘もレースの賞金があるとはいえ社会的立場はまだまだ子供。平均的な同年代と比較すれば自治と自律に富んではいても自立しているとは言い難く、先輩方を含め広域に突き刺さるブーメランである。冷静な頭から湧いてくる言葉のチョイスとは思えない。

 吐いた言葉は戻らない。傷つけるのは一瞬で済むが、傷を癒すのには長い時間が必要となる。

 こんなことで誰かを傷つけたことを悔やむのも愚かというもの。慎重を心がけながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「子供なんだから子供のできるベストでいいでしょ。テンちゃんはそれで喜んでくれると思うよ」

「はあ? ガキ扱いするな」

 

「若く見られて腹が立つうちは心が幼いのさ」

「ちっ、うるせえ」

 

 すねたようにそっぽを向いた少年は、目を合わせないまま次を聞いてきた。

 怒りか羞恥か、その頬はリンゴのように赤く染まっている。

 

「……だったら。何がいいと思う? リシュの欲しいもの言ってみろよ」

「私の欲しいもの聞いてどうするのさ」

 

「顔だけは似ているんだから、何かの参考にはなるだろ?」

「私とテンちゃんじゃけっこう嗜好が違うし、参考にならないと思うんだけどなあ」

 

「いいから! はやく言えって」

 

 なんか強引だな。

 まあ別に、わざわざ反発するほどのことでも無いか。

 

「美味しいものなら何でも嬉しいかな。シリアルバーとかいくらあっても困らないし」

「食ったら無くなるじゃねえか!?」

 

「それの何が悪いの?」

 

 趣味に合わないものをもらっても捨てられないゴミになるだけだ。

 だったら食べれば無くなってしまうものがいい。たとえ嗜好に合わずとも食べてしまえばそれで終わるし、美味い不味いの感想で盛り上がることもできるだろう。

 そうやって思い出も楽しい気持ちも、一緒にいれば次々と追加されていくのだ。わざわざ古いものを記念碑と共に残しておかねばならないほど、まだ私たちは年を取っていない。

 そんな私の小難しい理屈を、小さな子供でもわかるようにかみ砕いて説明してやった。

 

「食べれば血肉になってトレーニングに活かされ、それは勝利の糧となるんだから、そう悪いものでもないと思うけど」

「…………」

 

 少年はむすっとしかめっ面をしたまましばらく沈黙していた。

 理屈はある程度理解できても共感には至らず、むしろ感情的には反発している。だがその反発のまま即座に反論するほど考えなしではない、というところか。

 思ったより理知的だ。少し評価を上方修正する。

 沈黙を破った彼はますますふてくされた表情で吐き捨てるように言った。

 

「わかったよ。それで考えてみる。用意できたらついでに、情報提供料としてリシュにも分けてやるよ」

「ふーん」

 

「いいか? あくまでついでだからな! 勘違いするなよ!」

「はいはい」

 

 勘違いって何をだよ。

 こちらはふと暴言が口を突いて出ないよう注意を払うのに忙しいんだけど。青少年の心を守ってやらねば。傷つけようとしているのも私だけど。

 

《なるほどねえ。こっちが本命だったか》

 

 テンちゃんはコイツが何考えているのかわかるの?

 

《ぼくが子供たちにとって『親しみ溢れるテンねえちゃん』だとすれば、リシュは『あいつのいいところを知ってるのは俺だけだよな』ってポジションだってことだよ》

 

 なんじゃそりゃ。

 

「お、リシュはっけーん!」

 

 鼓膜を貫通し頭蓋の内部で反響するような特徴的な声が響く。

 うげ、クソガキが増えやがった。

 

《その反応はひどくない? いちおう相手は旧家のご令嬢だぞ。ま、クソガキなのは否定しないけども》

 

 どうでもいい疑問を脇に置き、新たな闖入者に精神を備える。

 声の主はぴょーんと身軽に少年を飛び越えると、ホップステップジャンプとばかりに私が腰かけていたジャングルジムのてっぺんに軽やかに着地した。見事な身体能力だ。あと距離の詰め方がエグイね。

 

「なにしてるのー?」

「……見ての通り近所の子供と雑談中だよ、テイオー」

 

 トウカイテイオー。

 眉目秀麗な者が多いウマ娘の中でもひときわ華がある娘である。

 前髪にひとすじ流れる白い流星はかのシンボリルドルフ会長とおそろいであり、実際に血縁があるとか同門だとか。噂は小耳に挟んだがあまり興味がなかったので詳細は知らない。

 ただ、ルドルフ会長の方からも目をかけられているというか、公平無私な生徒会長な彼女には珍しく甘い一面を見せることが多いそうだ。おねだりされ生徒会の業務を差し置いてカラオケに同行した等の話を聞く。

 

 テイオーは今年度新しく私たちのアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉に加入してきた新入生の一人だ。

 他の試験を潜り抜けてきたメンバー、リボンやジュエルなどの中央に多くの功績を残してきた名門の子たちの中でもその才覚は群を抜いている。

 

「あ、ごめん。気づかなかったや!」

 

 ただそのせいか、無邪気に傲慢というか。

 いや、大言壮語こそ多いが言うだけのことはやっているし、実力に見合うだけの努力家だし、傲慢という言葉から連想されるイメージにはあまり合致しない子なのだけども。

 身体測定のたび身長に一喜一憂しているお年頃の男の子を物理的に飛び越えた挙句、こんなことを面と向かって言い放っちゃう子ではあるのだ。興味がないものは視界に入っても認識しないというか。

 彼女からは努力の境界線の向こう側にいる者特有のオーラが溢れている。いわゆる天才というやつ。私やマヤノの同類だな。それぞれタイプは違うけど。

 

「……おいリシュ、何なんだよコイツ」

「さあ、何なんだろうねー」

 

 少年が気圧されつつも不機嫌そうに問いかけてくるけど、実のところ私もテイオーのことがよくわからない。

 愛称で呼び合う程度には近しい相手。だが親しいかと言われたら首をかしげたくなる。むしろもっと険悪で然るべき相手のはずなのだ。

 

 今年チームに参入してきた子たちは自分で言うのも何だが単純に事実として私のファンが多いわけだが、テイオーはそうではない。

 彼女はシンボリルドルフ会長の熱心なファンであることを公言しており、デジタルのような箱推しはしていない。彼女の偶像(アイドル)はただ一人、無敗の三冠を成し遂げた永遠の皇帝だけだ。

 

「えー、ひどーい! ボクはきみのチームのかわいい後輩だろ?」

「たしかに同じチームの後輩だね。顔がいいのも否定はしない」

 

《グッドルッキングホースだもんね》

 

 そんな彼女がなぜルドルフ会長所縁のところではなくわざわざうちに入部してきたかというと、この〈パンスペルミア〉の所属ウマ娘こそがルドルフ会長以来の無敗のクラシック三冠を成し遂げるのではないかと世間から期待の声が上がりつつあるからだったりする。

 

――どこのチームにいこうとボクが勝っちゃうのは変わらないしー? カイチョーと同じチームで走れたらサイコーだったんだけど、カイチョーはもうドリームトロフィーリーグの方に行っちゃってるしー。だったらボクの前に無敗の三冠を成し遂げるかもしれないっていうウマ娘を間近で拝んでおこうかなーって。

 

 試験をあっさりとパスした彼女は大胆不敵にもそう言い放っていた。

 テイオーの態度はともかくとして。

 

 現在、クラシック路線ではここまで無敗のG1ウマ娘の私とマヤノがツートップと目されている。

 残りのジュニア級G1である阪神JFを制したウオッカはつい先日ティアラ路線第一戦の桜花賞に出走した上、そこで惜しくもスカーレットに及ばなかったため評価を落とした。

 

 ジュニア級で皐月賞と同じ中山レース場2000mのG1ホープフルステークスを取り、クラシック級に入ってからもまるで自分に何ができるか試すかのように七色の脚質を見せる新進気鋭の優駿マヤノトップガン。

 ときに最初から最後まで先頭を譲らぬ逃げ、ときに最後の直線で一気にまくって上がってくる追い込み。そんな派手な勝ち方が多い彼女の方が世間一般での人気と評価は高い。

 

 私は弥生賞では教科書通りの好位抜け出しで、過不足の無い一バ身の勝利を飾った。なんか気が付いたら勝っていると言われるタイプの勝ち方であり、その前の朝日FSで大衆にもわかりやすい大差勝ちをしていた分なんだか余計にガッカリされた感がある。

 いや無理だからね。年がら年中あんな走り方していたらクラシック級終わる前に脚ぶっ壊れるから。私の全力に耐えきれるほどまだ私の身体は成長しきってない。

 

 アオハル杯のチームは公式のそれに比べ参加も脱退も容易である。キャパシティを超過しかけたせいで入部試験が開催された前回が例外的だっただけだ。

 だから『ちょっと気になる相手を間近で見るために同じチームに所属する』というのはアオハル杯の適切な活用法と言えるだろう。

 

 そんな経緯で〈パンスペルミア〉に入部したテイオーだったわけだが。

 テンちゃんは出会い頭にぶちかました。

 

――その走法、変えた方がいいね。ダービーまでは無敗を貫けるだろうけど、菊花を走る前に壊れるよ。

 

 はっきり言って、これはありえないくらいのタブーである。

 私がウマ娘ではなくトレーナーなら何らかの処分が学園から下ってもおかしくないほどの明確なルール違反だ。

 ウマ娘の走法は物理学や生物学から半ば逸脱している。たとえばハルウララ先輩がそうだが、俗に女走りと呼ばれるような、脇をほとんど開けず上半身を捻って走る走行フォームがそのウマ娘にとってウマソウルから導き出された最適解だったりするのだ。

 そしてウマ娘も自分のことを客観視もすれば、年相応の見栄や羞恥心もある。傍目には無様に見えるフォームが自身にとっての最適解だったりすると、そのことに強いコンプレックスを抱いてしまう。その点、まったく気にした様子の無いウララ先輩はたくましい。

 

 だから生半可な覚悟で相手の走り方にケチをつけてはいけない。自身がどのようなウマソウルを宿すかはウマ娘が決められることでも、そして嫌だからといって変えられることでもないのだから。

 それを許されるのは当の本人と、そのトレーナーだけ。それは私たちウマ娘にとって暗黙の了解であった。

 

 だからきっとこれは、テンちゃんが変わった点のひとつだ。

 

 ミホノブルボン先輩と話して、決定的に変わった優先順位。その発露なのだろう。

 テンちゃんは自身がタブーを犯したことを私に謝らなかった。つまりそれは謝罪しなければならない過ちではないということだ。何度同じ状況になっても同じ選択を繰り返す。そういう決意のもとに放たれた言葉であるということだ。

 たとえ罪悪感はあっても、許されるためだけに謝るようなことはしない。

 テンちゃんはそういうところがある。器用なのか不器用なのかよくわからない我が半身だ。

 

 私は別にトウカイテイオーとやらがどうなろうと構わなかったので、テンちゃんの意志を尊重した。結局のところ、どこまでいっても私はどこか歪んでいるのだろう。

 自分の中だけで関係性が完結できてしまう。だから周囲からの評価を気にせず選択できる。もちろん社会の中で生きていく以上は不都合が生じない程度に評判を気にしているわけだが、いざというときのフットワークの軽さが違う。

 両親にたっぷりと愛情を注がれていなければ、視界に頻繁に紅のツインテールがちらついていなければ、私はもっともっと浮世離れしたウマ娘になっていたかもしれない。

 

 テイオーステップと称されるトウカイテイオー独自の走法はまるで溢れるような光を放っており、それが彼女のウマソウルに合致していることは傍目にも明らかだった。

 そこにケチをつけたのだ。まあ当然の帰結として私たちとテイオーの関係は険悪な空気から始まったし、その非は全面的に私たちの方にあった。

 

 でもたしかに、テイオーステップは『勝つ』という意味では極上の逸品だったが『勝ち続ける』という面では欠陥品だ。

 天稟の柔軟性から繰り出されるのびのびとした大きなストライド。他の誰にも真似できない彼女だけの走法。

 だがもともとストライド走法というのはピッチ走法に比べ、足への衝撃を始めとした身体への負担が大きくなるとされている。

 彼女の特長たる柔軟性もこの面ではマイナスに作用した。

 普通、身体が柔らかいというのはよい意味で捉えられる。実際アスリートにとって欠点とは言えまい。少なくとも身体が硬いことで発生する怪我を負うことはない。

 だが普通より柔らかいというのは、本来の可動域を超えた部分で動作が可能ということだ。骨格的に本来想定しなかった方向から負荷が加えられるということだ。

 テイオーの豊かな脚力から生み出されるストライド走法の莫大な衝撃が、骨格の最適解とは異なる方向から与えられ続ける。

 

 まあ足の骨が折れるだろう。

 

 全力で走るのが一回や二回ならともかく、トゥインクル・シリーズでライバルたちと切磋琢磨を続ければ『最初の三年間』は走りきれまい。テンちゃんが言った通り、きっとダービー前後で限界が来る。

 それがテイオーの走法を模倣し、自分の身体で確かめてみた私の結論。

 だがこれはテンちゃんの発言を基に蒐集する情報を取捨選択し、さらに自身の走法とテイオーの走法をその身で比較するという規格外な手法で導き出したものだ。

 仮に日本有数に有能なトレーナーが集まるトレセン学園であったとしても、現在進行形で輝いているテイオーから破滅の予兆を見いだせというのはなかなかハードルの高い要求だろう。

 

《たとえそうだとしても、怪我をさせた時点で指導者としては三流以下さ》

 

 いやはや。テンちゃんは手厳しいね。

 万人が認める正しい理屈だからといって、実現困難な理想論ではないという保証はどこにも無いのに。

 

 念のため言っておくと、別にストライド走法そのものが故障に繋がる危険行為というわけではない。

 ストライド走法の遣い手で有名なウマ娘と言えば他にゴールドシップ先輩が挙げられるが、彼女はトゥインクル・シリーズでも指折りの健康優良児だ。

 ただ彼女の場合もともと見るからに頑丈な体格の持ち主ではあるし、力を抜くときはしっかり抜いている。たまにそれで惨敗することもあるがさておき。

 どんなレースでもきらきらと全力で疾走し、ぐんぐんと後方との距離を開いてゴールする小柄なテイオーとはいろいろと前提が異なるのだ。

 

「今日はトレーニング休み? それともサボり?」

「やすみ。イメージトレーニングはさっきまでしていたけど、今日は身体を動かさない日」

「だったら一緒にカラオケいかなーい?」

 

 まあそんなわけで出合い頭にいろいろとゴタゴタがあったわけだが。

 今のテイオーはまるで人に懐いた子犬のように私を見かけると近寄ってくる。

 いや、なんで?

 何が彼女の琴線に触れたというのだろう。あれか? ただ立証のために模倣しただけでは何となく時間と労力がもったいない気がして、改善案の実物をテイオーとそのトレーナーに披露したやつか?

 

 別にそこまで無茶苦茶なことをやったわけじゃない。他者の走法を模写するというのはジュニア級の頃から試みていたことだ。

 バクちゃん先輩。あの人は間違いなくトゥインクル・シリーズの歴史に名を残す天才ではあるが、こと勉学という方面で言えばおつむの出来は残念としか言いようがない。

 圧倒的スプリンターにも関わらず中長距離のG1を目指すあの人の熱意と自信は本物で、応援したいと心から思っている。しかし、どれだけ控えるとか息を入れるとか理屈を説いても十分に伝わらなかった。

 だからいっそ『これが長距離を走るときのバクちゃん先輩です』と見せてしまえと思い密かに練習を重ねてきたのだが、これがなかなか形にならない。格上であるバクちゃん先輩の走法をトレースしきれるだけの実力がまだ私に無いというのもあるだろうけど。

 練習とレースを外から見ただけじゃあ最後のピースが足りていない感じがするんだよなぁ。いつかトゥインクル・シリーズで対決する日が来た時、そこからが本番になる予感が漠然とある。

 ……勝負は今年のスプリンターズステークスかな。

 

 ともかく、テイオーは別に距離適性の壁を打破したいわけでもなかったし、ぶっちゃけジュニア級の彼女はクラシック級の私にとって格下だった。

 別に完全にテイオーステップを封印しなければならないわけでもない。必要な時に必要なだけ。私が無自覚にやっていた多段変速ギアを組み合わせて、それっぽく仕上げればいいだけの話だ。

 いくら同じチームの後輩とはいえ付き合いの浅い相手。べつにどうなっても構わなかったので、逆に気負わず力を抜いて作業に打ち込めたという側面もある。

 まあだから、テイオーからしてみれば最悪の初対面から三日で改善案を形にしてきたように見えたのかもしれないけど、実際は他者の走法を模倣する一年近い練習期間プラス三日の成果だ。

 種も仕掛けもある手品。ド派手な幻想に見えても現実なんてそんなものである。マヤノだって興が乗れば似たようなことができるだろう。

 

「おっと、どこいくの?」

「あ、えと」

 

 おずおずと後ずさりしてフェードアウトしようとしていた少年の背中をむんずと掴む。

 気持ちはわからんでもない。テイオーには他者に道を譲らせる覇気のようなものがある。今は本人の未熟さゆえに、小突き回したくなるような『小生意気さ』の域を出ていないけど。

 きっとその未熟さも、少年視点では年齢差のフィルターで見えていない。すでに至った私たちからしてみれば中等部はまだまだ幼さすら残る子供だが、下から見上げれば十分に大人の壁の向こう側の存在に見えるはずだ。

 私がうっかり彼と接触するまではイメトレしていたと漏らしたことも引け目に感じさせる一因になっているかもしれない。

 

「あ、えーと……オレ、邪魔っぽいから」

「でも先にいたのはそっちだ。後から来た方を何の理由もなく優先するのは不義理」

「その子も一緒でいいよ? ボクおごっちゃうからさ」

 

 ナチュラルにお嬢様発言をするテイオー。

 さすが一杯四桁に達するはちみーなるドリンクを常飲しているだけある。経済感覚が私とは根本的に異なるのだろう。

 ただまあ、だからといって同意するかといえば話は別だ。

 

「中等部のおねーさまがたに男ひとりで拉致られちゃあ、この子も肩身が狭いでしょ」

「べ、べつにびびってなんかいねーし!」

「はいはい」

 

 威嚇するハムスターのような少年に手を振ってなだめる。

 考える。テイオーは距離が近いが、別に親しいわけではない。二人っきりでカラオケにいくような友達ではない。

 

「何か聞きたいことがあるのならここで聞くよ?」

「……」

 

 つまり何か別に目的があるのではないかとあたりを付けると、案の定テイオーは一瞬黙った。周囲に聞かれたくない話をする場としてもカラオケボックスは最適だからね。

 

「じゃあ聞くけどさぁ――」

 

 意外だ。半分くらいは『なら今日はいいや』と帰らせるために言ったのに。

 そこまでして今聞きたいことなのかと、少しだけ心構えしつつ脳内で候補となりうる情報を羅列していく。

 

「次の皐月賞。勝率はどのくらい?」

「九割九分」

 

 即答である。悩むまでも無い。

 なんだそんなことかと拍子抜けする。ノーヒントだろうとノータイムだ。

 

「本当に? 世間の評価はマヤノの方が高いよ?」

「マヤノはたしかに天才で実力者だけど。まだ私の方が強いよ」

 

《一パーセント、負けるんだぞ?》

 

 そうだね。百回に一回しか勝てないとしても、その一回を常に本番で引いてくるウマ娘はいる。

 レースは一発勝負。偶然も事故も不運もいくらでも起こる。そしてまぐれだろうが何だろうが、一着で駆け抜けた者がそのレースの勝者だ。冠をかぶる権利を得る。

 だが、それでもだ。

 レースに絶対はないが、順当はある。事故やまぐれ()()で覆せるような試合運びをする気など毛頭ない。

 

 いまだマヤノは私に及ばない。余程のことがない限り私が勝つ。

 

《それフラグじゃね?》

 

 そうかな? そうかも。

 

 思い出す。

 そういえばテイオーとテンちゃんは賭けをしていたのだっけ。

 ウマ娘らしくレースの結果で。といっても直接対決したところで勝敗はわかりきっていて賭けにならないから『私たちが無敗のクラシック三冠を成し遂げられるか』という内容となっている。

 私たちが無敗でクラシック三冠を成し遂げることができればテイオーは走行フォームを矯正する。

 逆に目標半ばで破れるようなことがあれば私たちは自身の発言の非を認め、彼女に謝罪する。

 

 いささか懸かっているものを鑑みるに、テイオーの方がリスクが高い気がする。まあそれだけ誇りを傷つけられたのだろうと思えば、テンちゃんのやったこととはいえ私も少しばかり申し訳ない気持ちが湧かなくもないか。

 ウマソウルの導き出した走法は自身の魂の発露だ。あからさまに否定されては傷つくのが道理だろう。

 

 ただそれはそれとして、フォームを矯正する気があるなら早めにやった方がいいとも思う。

 私たちの出した改善案は必要な時に必要なだけ加速すると言えば聞こえはいいが、言ってしまえば『必要のないときは力を抜いて遅くなる走法』だ。

 人間が太るような食生活をしているときは快楽を感じ、痩せるときには苦痛を伴うように。ウマ娘という生物は速くなることに本能的な快楽があり、逆に遅くなることには生理的嫌悪を抱く。

 もともとフォームの矯正は年単位でかかったりするのだ。いくらテイオーが自他ともに認める天才とはいえ、本能に逆らった新フォームをものにするのはかなり苦戦するはず。

 そしてテイオーは間違いなく歴史に名を残す優駿の一人だが、あいにく昨今の世代はそういう伝説の種がひとつやふたつではない。

 

 メジロマックイーン。

 学年的には私たちと同じの、あの名門メジロ家の秘蔵っ子。

 その潜在能力の高さは入学前の段階から既に天皇賞の盾に届きうるステイヤーともっぱらの評判だったのだが、入学直後に骨膜炎を発症し残念ながらデビューは一年遅れることとなった。つまりトゥインクル・シリーズにおいてはテイオーの同期となる。

 いやまあ、『遅れる』というと語弊があるというか。入学直後の年にそのままデビューした私たちの方がペースとしてはおかしいのだから。メジロマックイーンさんは全然足踏みなんてしていない。入学二年目でトレーナーがついてデビューできるのなら十分この学園では早い方だろう。

 

《サクラバクシンオーとライスシャワーとミホノブルボンが同期で、ああここは史実通りの92世代メンバーが固まってるんですねーと安心していたらこれだよ。

 後輩がトウカイテイオーとメジロマックイーンで、しかも二人は同期? そのくせナイスネイチャあたりはちゃっかり92世代より上の学年で先輩だし。本当にこの世界線の時系列はスパゲティだなあ。まあゴルシが先輩って時点で今さらではあるが》

 

 テンちゃんが何やらブツブツと嘆いてるが放置の方向で。

 メジロマックイーンさんは紛れもなくテイオーに匹敵する天才。万全でないテイオーが無敗の三冠を貫ける相手ではない。

 今の走行フォームのまま走っても、テンちゃんの忠告を受け入れても、結局のところはどちらも変わらぬ茨の道。覚悟も努力も大前提。時間はいくらあっても足りるものではない。

 仮にも私は彼女の先輩だ。自身がコミュ障であることは承知の上だが、少しくらいは彼女の未来を憂慮してアドバイスのひとつでも送ってやった方がいいのかもしれない。そう思いながら口を開いた。

 

「どうせ私が勝っちゃうんだから、今のうちからフォームの矯正始めておけば?」

 

 あれ? なんか違う?

 

 賭けの結果だろうが何だろうがウマ娘の命たる走法を矯正してもいいと思い始めているのなら、それはもう必要性を認めて心が半ば動いている証拠。

 プライドが邪魔しているのかもしれないけど、甘えを残したまま勝ち進むことができる世代じゃない。私の勝敗なんて気にしないで早めに動けば?

 

 そういう内容をテイオーが受け取りやすいように、彼女の口調に合わせて伝えたかっただけなんだけどな。

 料理下手な人が自分の下手さを自覚するのはいいんだけど、それを工夫で補おうとして壮絶な創作料理が完成するみたいなことになってない?

 

 まあいっか。言い直すのも面倒だ。

 これで終わらせてしまうから、いつまでたっても私はコミュ障のままなのだろう。

 

 唖然とするテイオーを前に、私はただ空を仰ぐのだった。

 

 

 




次回、マヤノ視点


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U U U

 

 

 初めて見た手品はつまんなかった。

 先生が言うの。どうしてもっと素直に楽しまないの? どうして楽しんでいる人たちの邪魔までするのって。

 だって『わかっちゃう』んだもん。

 知らなかったんだもん。種も仕掛けもありませんって言うのがウソつきじゃなくて、みんなを楽しませる口上だなんて教えてもらわなかったもん。

 ウソつきはいけないことだから、注意しないといけないと思ったんだもん。

 

 テストではなんで途中の式まで書かなきゃいけないのかわからなかった。

 『わかっちゃう』のに。答えは合ってるのに。どうしてわざわざ時間をかけて面倒なものまで書きなさいっていうんだろう。

 うににーってなっちゃう。だから数式そのものはどこかキラキラしていて嫌いじゃなかったけど。算数や数学の時間、席に座っているのは苦手になった。

 

 カワイイお洋服。ピッカピカなお菓子。ロマンチックな映画にオシャレな雑誌。

 キラキラしたものや、ワクワクすることはたくさんある。

 でもそうじゃないものも、やっぱりたくさんあるんだね。

 

 怒られて、叱られて、注意されて。

 いっぱい泣いて、ちょっとずつわかってきた。

 マヤが『わかっちゃう』ことがみんなにはわからないみたい。

 でも、どうしてわからない方に合わせないといけないのかな?

 みんなの方が多いから? それとも『わかっちゃう』ことが本当はダメなことなの?

 

 みんなの見ているものと、マヤの見えているものって、本当に同じものなのかな?

 

 国民的娯楽トゥインクル・シリーズ。

 いっぱいワクワクが向けられて、そこにいる子たちはみんなキラキラしているところ。

 テレビでやっているおっきなレースはマヤのわからないことがいっぱいで、そこに映っている大人のウマ娘さんたちはマヤのわからないことがたくさんわかっていて、見ていてとってもワクワクした。

 あそこでマヤも走れたら、今よりもっとワクワクでキラキラになれるんじゃないかと思って、中央に入学して。

 

 ……でも、そこでも一回やれば全部『わかっちゃう』ようなもので。

 勉強もトレーニングもつまんなかった。こんなことやる意味あるのかなって、そう思ったらサボっちゃった。

 みんながたくさん努力しているのは知っているし、みんなと同じようにしなきゃいけないって思ったこともある。でもどうしてもダメだった。

 レースは日々の練習の成果を出すところ。だからサボっちゃったマヤは出ちゃダメって言われて。

 レースに出られるみんなが羨ましかったけど、それでもあれ以上つまんないトレーニングをやるのは嫌だった。

 キラキラに憧れるだけじゃ、ワクワクに夢を見るだけじゃ、ダメだったんだね。

 

 そんなある日。マヤは出走できないけど、新入生の子たちが模擬レースを走っているのを見に行ったとき。

 もうすぐ新入生たちが参加できる初めての選抜レースが行われるからみんな気合十分で、そのみんなのキラキラに惹かれるみたいに観客席に座って。

 

 あの子を見つけた。

 

 みんなをズガガーってひき潰すようにあちこちのレースで疾走している、マヤと同じくらいの背丈のギンピカ葦毛の子。

 芝もダートも、短距離もマイルも中距離も、新入生は対象外だったけどきっと走れたのなら長距離だって。逃げでも追い込みでも、先行でも差しでも、当たり前のように一着でゴール板をヒューンと駆け抜けていく。

 ふわふわと霧みたいな気配なのに、とっても重たい存在感。ぽかーんって圧倒されてレースをぜんぶ見終わったあと、何となく横を見た。隣の人も同じようにこっちを見た。

 きっと同じことを考えていた。

 

 なんか『わけのわからないもの』がいるんだけど、なにあれ?

 

 このとき、マヤの見えているものとみんなの見えているものは同じだった。

 それがなんだかとても嬉しかった。つまんないものを見つけるたびにソワソワと心の奥に溜まっていたものが、いっきにほどけて溶けていった。

 

 その日、マヤはようやくトレセン学園でテイクオーフ! できたんだ。

 

――何をしているのかって? みんなマヤノみたいに『わかっちゃった!』できるわけじゃないからね。普通は予習復習をしっかりしておかないと授業中に覚えきれないものなのさ。

 

 トレーナーちゃん言ってたよ。

 本当の『ふつう』は予習復習をしても授業中だけでぜんぶわかるのは無理だって。だからテスト期間にみんな必死に勉強し直すんだって。

 マヤたちはいつも通りトレーニングに使ってるよね?

 

――私だけで〈ファースト〉相手に五連勝? いや無茶だよ。デジタルもその場にいた……いや、ずるいって言われましても……ごめんって。うん、次があればマヤノも誘うから。

 

 マヤ知ってるよ。

 リシュちゃん、無理なときはちゃんと『無理』って言うよね? リシュちゃんにとって〈ファースト〉単騎五連勝はまだ『無茶』の範疇なんだ?

 

 マヤをキラキラさせてくれるのはトレーナーちゃんだけど。

 トレセン学園がむかし思い描いていた以上にわからないことがたくさんある、ワクワクできるところだって最初に教えてくれたのはリシュちゃんだったんだよ。

 

 

 

 

 

 中山レース場の地下バ道。

 パドックでのアピールを終えた出走前のウマ娘が気合いを高める道で、薄暗い地下でもよく目立つギンピカの葦毛を見つけた。

 

「リシュちゃーん」

「おー、マヤノ。調子はよさそうだね」

 

 声をかけるとひらひらと手を振ってくれる。

 あまり長くおしゃべりしてると怒られちゃうけど、ここまでならトレーナーちゃんも入れるし、ここで誰かとちょっぴりお話するくらいならよくあることだった。

 

 よかった。いつも通りのふわふわのリシュちゃんだ。

 たぶんそうだと思っていたけど、やっぱり安心する。G1だからって去年の朝日FSのときみたいなぎらぎらリシュちゃんになられたら、どうすればいいかわからなかったもの。

 

 皐月賞。

 『最も速いウマ娘が勝つ』と言われているクラシックロードの一冠目。

 三冠を目指している子たちにとっては絶対に落とせない大舞台なんだろうけど、しょーじきマヤにしてみれば他のレースとあまり変わりないかも。

 マヤがキラキラできる舞台。トレーナーちゃんにワクワクを届けてあげられる場所。

 

 あ、でもおっきな違いがひとつあった。

 リシュちゃんとトゥインクル・シリーズでぶつかり合うのは今日が初めてだ。

 

 マヤがリシュちゃんに話しかけたことで、同じように地下バ場を移動していた周囲の意識がザザッっていっせいに向けられるのがわかる。

 観客のみんなはマヤの方を見ている。マヤの勝ち方はワクワクするものが多いから。それはえっへん! って感じだけど。

 でも一緒に走るウマ娘とそのトレーナーはリシュちゃんの方をずーっと警戒している。観客のみんなと違って、リシュちゃんの脅威は他人事じゃないもん。切実なの。

 

『アイツと走ったウマ娘は壊される』

 

 そんなひどいことまで言われている。

 でも朝日杯FSに出走できるような将来有望な実力派ウマ娘だったはずなのに、当時の出走リストの名前が今回の皐月賞に全然無いのは事実なんだって。

 朝日杯FSが一番ひどかったけど、それ以外のレースでもリシュちゃんと走った後にひどいスランプに陥っちゃったウマ娘が一人や二人じゃないって話も聞いたよ。

 

「今日はマヤ勝っちゃうよー!」

「へぇ……」

 

 ふっと焦点が合った気がする。ゆらゆらと灯篭みたいに青い瞳が揺らめいている。

 

「いつも二着以下の振り付けも完璧に仕上げてきているんだけど、毎回センターしか踊ったことないんだよね。今日はマヤノが踊らせてくれるの?」

 

 うーんすごい迫力! やっぱりいつもよりは気合入っているかも。

 周囲で見ているだけだったのに、気の弱い子はぎゅわーんってなっちゃった子もいる。これから本番なのに大丈夫かな?

 

「もっちろん。リシュちゃんのがんばりはマヤが無駄にさせないから。ユー・コピー?」

「アイ・コピー。期待しておくよ」

 

 そこでリシュちゃんはあたりの様子に気づくと、緊張感を覆い隠すかのようにあくび一つして、そそくさと足を進めた。みんなを威圧しちゃったのが気まずかったんだね。

 

 入れ替わりでいそいそと近寄ってくるトレーナーちゃんを待ちながら、マヤはうーんと頭を悩ませた。

 どうやって今日は勝とうかなぁ?

 

 

 

 

 

 ファンファーレが奏でられる。

 レース場は広いから、実のところ派手に響き渡るわけじゃない。でも血がざわざわして、脚がそわそわする。

 これから始まるレースが特別なものだって、すごくワクワクするの。

 もともと狭いゲートの中は好きじゃないけど、もっとはやくはやく開いてー! ってたまらなくなる。

 

『最も『はやい』ウマ娘が勝つと言われる皐月賞。実力を証明するのは誰だ』

 

『三番人気を紹介しましょう。ムシャムシャ。七枠十五番での出走です』

『ライバルたちは強力ですが、好走を期待したいところですね。この子の得意なペースに持ち込めれば強いですよ』

 

『この評価は少し不満か? 二番人気、テンプレオリシュ。今日は一枠二番での出走です』

『ここまで無敗のジュニア級王者の一人です。私イチオシのウマ娘でもあります。前走の弥生賞で調子を落としたとみなされたのか本日は二番人気となりました。今日はどのような走りを見せてくれるのでしょうか』

 

『そして今日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。一番人気、ここまで無敗のジュニア級王者マヤノトップガン。七枠十三番での出走です』

『その変幻自在な脚質と、皐月賞と同じ中山レース場2000mのG1ホープフルステークスを制していることから一番人気に推されましたマヤノトップガン。無敗と無敗のぶつかり合い。いったいどちらが皐月の冠を手にし、頂点に輝く新星となるのか』

 

 ざわざわしていた観客のみんなが少しずつ口を閉ざしていったかと思うと、あっという間にシーンと静まり返る。

 みんなが邪魔しないように用意してくれた静けさの中、ようやくガシャン! とゲートが開いた。

 テイクオーフ!

 

『今スタートが切られました』

『十六番バスタイムジョイ出遅れたか?』

 

 あー、あの子は地下バ場でリシュちゃん相手にぎゅわーんってなっちゃってた子だ。

 作戦は逃げだったよね? あーあ、今回はもうダメっぽいね。表情がもうむーりーってなっちゃってるし巻き返せそうにないや。

 厳しいけどこれがレースなんだよね。

 

 マヤは外枠だから内枠の子たちに比べると余分に走らないといけない。それは短距離ほどじゃないけど、2000mという中距離においてもまあまあ不利な要素。

 斜行にならないよう注意しながら、ゆっくりと集団の内側に入っていく。先頭争いには加わらない。ギリギリまでトレーナーちゃんとふたりで悩んでいたけど、今回はそういう作戦でいくことに決めた。

 

 リシュちゃんは足音がしない。〈パンスペルミア〉のみんなでマネの練習をしてみたけど、結局完全にマネできるようになった子は一人もいなかった。

 そんなリシュちゃんを背中に走っていると、少しずつじわじわと、まるで霧が衣装にしみ込んでいくみたいにプレッシャーがのしかかってくる。マヤ的に、そのプレッシャーの掛けられ方はいやーな感じ。

 だから今回はリシュちゃんの後ろで走ることにしたんだ。

 

 リシュちゃんが追い込みで走っていたらプランBに移行しなきゃだったけど。さいわい今日のリシュちゃんは内枠だったのにするすると下がっていって、差しの位置取りに収まった。二バ身離れてその外側にちょこんと付ける。

 よかったー。これまでの傾向とリシュちゃんの性格的にクラシック三冠の一冠目は差しでじっくり周囲を観察する可能性が高いとは思っていたけど、予想が当たって本当によかった。

 何をしてくるかわからないって一つの強さなんだね。マヤもどんな作戦でもいけるけど、その厄介さはリシュちゃんを通じてようやく理解できたよ。

 

 まあ、前方のリシュちゃんもだーいぶデンジャラスなんだけどね!

 

『先頭争いは八番アングータ、九番ナターレノッテ。二人ともハナを譲らない』

『前に出たのは八番アングータ。この二人がレースを作っていきそうです』

 

 先頭の位置取り争いだけがレースじゃない。

 中団の子たちがこれさいわいとリシュちゃんを封じ込めにかかる。事前にマークされている証だ。

 囲って蓋をしちゃえばルール上、体当たりでこじ開けたりはできないものね。ルールで許されたら三人くらいまでならまとめて吹き飛ばしそうなリシュちゃんだけどさ。

 でも大丈夫? それってリシュちゃんを()()()()ってことだよ?

 

 ガチャン。ギリギリギリ……。

 

 歯車が外れて、空転したり絡まったりする音が聞こえた気がした。

 ありゃー。やっちゃった。

 バ群が崩れていく。掛かったみたいにいきなり上がったり、まだまだ序盤なのに終盤のスタミナを使い果たしたときみたいによれたり。

 その原因のはずのリシュちゃんだけは悠々と自分のペースを保っている。乱気流に散らされた雲の中を悠々と突き進むジャンボジェット機みたいな貫禄だった。

 

 まるで周囲の混乱なんて見えていないみたい。

 ううん、実際に見えてないんだ。意識されてない。

 

 レース座学のときにトレーナーちゃんに教えてもらった『集中』のおはなし。

 たとえば野球で理想的なバッティングを行った選手が、インタビューのときにこう言ったりする。『何を打ったのか憶えていない。気が付けば塁の上にいた』。

 これは野球に限った話じゃなくて、世界記録を更新した後に『何も考えていなかった』とか『競技中の記憶がない』って選手が言うことは往々にして存在するんだって。

 これが理想的な集中。ただ備える。何も考えない。思考を言葉に変えるぶんの力もすべて身体で反応する分にまわしちゃう。

 ピッチャーが投げたボールがキャッチャーに届くまでの時間はおよそ0.4秒。考えながらバットを振っていたら『あ、投げた』と思った瞬間にはボールはミットに収まってしまう。

 だからバッターボックスで考えるのはバットを構えるまで。構えてからは何も考えない集中ができるよう、選手は様々なルーティーンを作ってより集中の精度を高めようとする。とはいえ、本当に記憶があいまいになるような理想的な集中に至れることなんてそうそうあることじゃないけど。

 

 リシュちゃんは()()をやってる。

 

 だからレース中のことを漠然としか憶えてない。特別なルーティーンも何もなくて、ただリシュちゃんは自然とその深さまで潜れるんだ。

 そしてそれがリシュちゃんの『一緒に走った者を壊す』とまで言わしめた、幻惑する走法の正体。

 無意識のうちに周囲を取り込んで、最適解にして適応する。リシュちゃんからしてみればその場その場の最適を導き出すための環境データの一環でしかないけど、取り込まれてより効率的な模範解答を突き付けられた他のウマ娘からすればたまったものじゃないよね。

 クラシック三冠に挑戦できるような実力者だからこそ、反射された情報を敏感に受け取って理解して、自分の中の歯車がグキャってなっちゃうんだ。

 

 トレーニングで同じことが起こらないのも同じ理屈。

 いつものリシュちゃんは常に考えている。練習中はいまやっている内容を意識して、吟味して、より効率を心がけてトレーニングしている。

 実力を高めるためのトレーニングと、実力を発揮するためのレース。その差が情報の反射を起こらなくさせているんだね。

 

 リシュちゃんの情報反射への対策はおおきく分けて二つ。

 ひとつはスカーレットちゃんが選抜レースでやったみたいに前に位置取って視界に入れないこと。でもこの場合、今度は背後から音もなく迫るプレッシャーに耐えなきゃいけない。これはマヤ的にすごくいやーな感じ。

 だからマヤが選ぶのはもう一つの方。種目別競技大会でウオッカちゃんがやった方法。

 自分を信じて真正面から立ち向かう。マヤならできるってトレーナーちゃんも信じてくれた。それだけでマヤはやる気百倍だよー!

 

 視界に入るリシュちゃんからいろんなことが『わかっちゃう』。

 今のマヤにできること、できないこと。ごちゃごちゃの乱気流みたいなのがわーって押し寄せてきて、それに吹き散らされるみたいに周囲の子たちはへろへろ沈んだり上がったりしている。

 慌てずに取捨選択。今のマヤにできることをひとつずつ拾っていって、マヤにできそうにないことは残念だけど今はポイしちゃう。

 

『1000m通過。先頭に続き中団がバックストレッチを駆け抜けていきます。十三番マヤノトップガンここにいた。人気に応えることができるか?』

『落ち着いて走っていますね。周囲のことも良く見えているようです』

 

 遠目に見える満開の桜がすごくきれい。コースの外側で薄紅色の花びらがひらひら舞っている。レースが終わったらトレーナーちゃんとお花見したいな。

 うん、だいじょーぶ。今日のマヤもよく見えてる。よく『わかる』。

 

 マヤの距離適性は中距離から長距離。まだ身体が十分に成長しきっていないクラシック級ということを差し引いても、クラシック三冠のプレッシャーを差し引いてもまだ、2000mは少し余裕がある。スタミナも脚も十分に残っているけど。

 まだだ。マヤの仕掛けどころはここじゃない。

 ぶ厚い雲の中、まっしろなコックピットで乱気流に操縦桿を持っていかれないようひたすら耐え忍ぶような時間が過ぎる。

 

『第三コーナーカーブ。ここからが仕掛けどころ』

『先頭は相変わらず八番アングータ、九番ナターレノッテ、五バ身離れて中団が形成されてます』

 

 動いた。

 仕掛けたのはマヤでもリシュちゃんでもなかった。

 

 領域具現――飽食タイム☆フルーツ到来!

 

 世界が塗り替えられる。

 春のやわらかな暖かさが降り注ぐ芝の上から、南国風の海岸へ。

 あれは三番人気に推されていたムシャムシャちゃんかな? 白い砂浜の上に並べられたかご一杯のフルーツを、褐色の肌に臙脂がかったピンクの髪をツインテールにしたウマ娘が満面の笑みで次から次へとたいらげていく。

 わかりやすいスタミナ回復のイメージ。レース中に他の子の【領域】に巻き込まれるとこんな風に見えるんだね。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード)

 

 そこに矢のように降り注ぐ無数の黒い長剣。

 矢とフルーツってそれだけ聞くとまるで、この前ロブロイちゃんに教えてもらったウィリアム・テルのエピソードみたいだけど。

 あいにくテルは見事にリンゴだけ射抜いたけど、漆黒の剣は横じゃなくて縦に来た。

 フルーツとまとめて串団子のようにぶすーっといっちゃった。わぁ、ざんこくー。

 

 刈り取られた世界が縮小して、消え去る。

 先行の位置にいた一人ががくんと調子を崩して、もともと余裕綽々だったリシュちゃんの息がますます万全になる。

 

 やっぱりね。

 そうなんじゃないかと思っていたけど、やっぱりそうだった。

 【領域】に対するカウンター。それがリシュちゃんの【領域】。

 うかつに展開したらそのまま利用されちゃう。ただでさえ地力で見劣りするのに、勝ち目がぎゅーって減っちゃう。

 だから今のマヤは、せっかく身に付けたマヤの【領域】を使わないまま勝利しないといけないんだ。

 

 その下準備はもう始めている。

 リシュちゃんが【灯篭流し】と名前をつけた、足音の出ない走り方。マヤもちょっとだけならできるようになった。

 潜水するとき肺の中の空気を少しずつ吐き出しながら深く、ふかく潜っていくみたいに。マヤの中の酸素をどんどん消費しながら意識が沈んでいく。コースが薄暗くなって、代わりに道標のように踏み込むべき点が輝くように浮かび上がる。

 焦っちゃいけない。今のマヤが実用レベルで使えるのは五秒。無理をすれば七秒くらいまでなら維持できるかもしれないけど、スパートとの併用を考慮すればはっきり『わかる』最深まで沈むのはむしろ三秒に留めておくべき。

 沈む速度を慎重に調整する。きたるべきときにエンジン全開にできるよう、今はゆっくりあっためていく。

 

『縦長の展開となっています。後ろの子たちは差し返せるでしょうか』

『二番テンプレオリシュ、ここで動いた』

 

 リシュちゃんが動いた。

 内側からするすると上っていく。他のウマ娘の子たちは邪魔さえできない。まるで見えない空気の壁に押し出されるようにリシュちゃんの進路から逸れていく。

 なんだか、いつかやった古いゲームのワンシーンを思い出した。ストーリーはすごく王道のRPGで、中盤に魔王自らお城に攻めてきて、兵士さんたちが必死に応戦しようとするんだけど。

 

――雑魚を相手にする気は無い。少しばかり選別するとしよう

 

 そういってオーラを解放すると兵士さんたちはそれだけでぶわーって吹き飛ばされちゃうの。残るのは勇者パーティーだけ。

 兵士さんたちはすごく頑張っているのに。城下町には家族がいて、王様とお姫様を敬愛していて、自分たちがこの国を守るんだって、少し前のイベントで誇らしげに語っていたのに。

 目の前の光景はそれにどこか似ていた。立ち向かうことにさえ資格が必要な強大な存在。霧に惑わず立ち向かえるウマ娘はほんの一握り。

 マヤは勇者になれるかな? できれば勇者より魔法使いの方がいいなー。衣装かわいかったもん。

 

『第四コーナーカーブ。中山の直線は短いぞ、後ろの子たちは間に合うのか!』

『内を突いて上がってきたのは二番テンプレオリシュ。九番ナターリノッテに並ば、ない! 躱してどんどん上がっていくぞ』

 

 まだ……まだ……あと、もう少し……ここ!

 

 タァン!

 

 残り二百メートル地点で銃声のように鋭い音が響く。

 マヤの足音。この音量でもまだ、スパートに入った周囲のバ蹄の轟きの前にはかき消されそうになるけど。さっきまで消えていた足音から急に入った一音。その変化に生物は敏感に反応するようにできているから。

 情報処理能力に優れたリシュちゃんなら絶対に聞き逃さない。足音を拾ってくれる。拾ってしまう。

 リシュちゃんの集中はすさまじい。周囲のすべてをデータとして取り込んで、身体が反応して最適を導き出す。

 だからこそ、そこにリシュちゃんの意識が浮上したとき。それは無意識に最適解を描く身体に対するノイズになっちゃうんだ。

 リシュちゃんが当たり前のように潜っていた深さ。マヤはへとへとになりそうなくらいいっぱい消費して数秒至れる程度だけど。

 それでもリシュちゃんの正確無比にくるくる回っていた歯車。そこをちょっぴりギリィってさせることならできるよ。

 

「っし! ふぅう」

 

 許されるならプハァッって水面から顔を出したみたいに大きく息を吸い込みたい。

 でもダメ。これからスパート。これからが勝利に繋がるフライトなんだから。

 目論み通り、掛かった。けどリシュちゃんならあっという間に立て直してしまうと思う。でもでも、この距離でマヤの脚ならぎりぎり差し切れる。

 乱気流から抜け出して、分厚い雲は後ろで白く漂うばかり。目の前には青い空が広がっている。そういう気分だった。

 

 白い霧が、炎に変わる。ごうごうと風を孕んで燃え上がった。抜け出そうとしていたマヤの尻尾が巻き込まれる。

 

 メーデー! メーデー! メーデー!

 あちゅいよぉ!?

 

 ノイズは消えた。発生するはずだったタイムラグも無くなった。

 一度は距離を詰め並びかけた葦毛の背中。それがまるで膨大な質量でぶん殴るかのようなスパートでふたたび遠ざかっていく。

 それはマヤの勝算が指の隙間から零れ落ちていくのと同じ意味だった。

 

『ゴォール!! 一着は二番テンプレオリシュ、着差以上の強さを見せました! 二着は十三番マヤノトップガン、三着に入ったのは八番アングータ』

『無敗の皐月賞ウマ娘がここに誕生しました。銀の魔王の戴冠式、ここに漆黒の絶対王朝の樹立を宣言だ。これからのクラシック路線に目が離せません』

 

 

 

 

 

 急に止まったら血流がどうとか副交感神経がどうとか、要するに身体に悪いのでゴール板を駆け抜けた後も急には止まらないでゆっくりと速度を落としていく。

 掲示板を見上げると、そこにはきっちり一バ身で二着に滑り込んだ事実が表示されてた。

 あーあ、結局マヤはリシュちゃんの『いつもの一バ身』を崩すことさえできなかったってことか。くやしいなぁ。

 くやしい。くやしい。くーやーしーいー!

 走っていなければ地団太を踏んでただろう。リシュちゃんと出会ってから悔しいと思うことがすっごく増えた。

 でもこの悔しさは仕方がないことで。だけど、どうしようもないことではないんだ。

 

 マヤがつまんなーいってトレーニングをサボっていたとき、リシュちゃんは黙々と坂路を走っていた。マヤが授業中居眠りしちゃってその罰として補習を受けていた時間、リシュちゃんはしっかりストレッチをして身体を休めていた。

 つまりはそういうこと。

 マヤが『わかっちゃう』から、わかっただけで終わらせていたとき。リシュちゃんは『わかった』のその先までできるようになって、さらにその先を『わかっちゃった』していたんだ。その積み重ねがこうして差になっているだけ。

 以前はつまんないことをどうしてやらなきゃいけないのかわからなかった。そんなことしなくても『わかる』のに。結果はちゃんと出せるのに。

 今となっては理解させられちゃった。身体の奥がじりじり灼けるように。見えているのに届かない。『わかっちゃう』だけじゃあ追いつけない。それがみんな嫌だから普段から頑張っているんだね。

 それと今回のレースで、はっきりしたことがひとつある。

 

 テンプレオリシュというウマ娘は複座式。

 

 いつものリシュちゃんがパイロットで機体制御担当なのだとすれば、奥にもう一人のリシュちゃんがいる。戦闘機の後方座席でレーダー迎撃士官(RIO)兵装システム士官(WSO)がレーダーや兵器を操作してパイロットの負担軽減を担うように、周囲を俯瞰してサポートに務めている。

 だからリシュちゃんには搦め手が通用しにくいし、掛かったとしてもすぐに立て直されちゃう。そこまでは『わかって』いた。

 そしてF/A-18Fみたいな複座型では前後席に互換性があり、後席からでも操縦が可能みたいに。いざというときはアイ・ハブ・コントロールで機体制御担当が入れ替わる。そこも予想できていた。

 

 でもまさか、入れ替わりにコンマ一秒もかからないなんて。

 

 そこだけは予想外。あの状況からあそこまでシームレスに動けるんだ。そもそも機体の性能差があるのにパイロットまで二人いるなんてずるくない?

 もう一人のリシュちゃんが生まれたのは昨日や今日じゃないってことは何となく感じていたけど、ふたりでひとつがイレギュラーじゃなくて当たり前になるくらいずっと一緒にいたんだ。もしかすると、生まれたときからそうだったのかな?

 メインとサブの関係性はあっても立ち位置は対等。あの独特な絆の深さはそれくらいじゃないと説明がつかない気がするもん。機長と副機長みたいな上下関係が有って、マニュアル通りの指揮系統に則っての切り替えだったらもっとラグがあるよね。

 

 作戦、一から練り直さないとダメだなあ。搦め手を成功させるには表と裏のリシュちゃんをまとめて絡めとるか、あるいは物理的にどうしようもない状況下に追い込まないといけないみたい。

 開き直って真っ向勝負しちゃう? うーん、マヤがサボっちゃっていた分とリシュちゃんが頑張り続けた分の差ってそんなに簡単に超えられるような大きさかな? ただ考えるのが嫌になって、スッキリするためだけに特攻しているだけだよね、それ。

 

「ふふ、ひひ……とんでもないやつと同じ時代に生まれちまったもんだぜ……」

 

 マヤと同じようにターフの上を流していたウマ娘が荒い呼吸の中そうつぶやいたのが聞こえた。

 リシュちゃんの霧に惑わされ、心が折れちゃった子たちはたくさんいる。でもこの子みたいにそうじゃない子もいっぱいいるんだ。

 たしか三着に入ったアングータちゃんだっけ? 息絶え絶えになって蛇口をひねったみたいに汗がぼたぼた滴り落ちているのに、目だけはギラギラしてる。

 諦めなければ道は拓けるなんて、言えるかどうかわからないけど。

 諦めちゃったらそこで終わりなのは確かだよね。

 

「マヤノ」

 

 ざわっと空気がざわめく。

 周囲の反応を歯牙にもかけず、リシュちゃんがマヤの前まで歩いてきた。

 

「ちょっとびっくりした。でも、まだその程度じゃ負けてあげられない」

 

 色の異なる双眸がまっすぐにこちらを見る。

 炎のように燃える赤。蛍みたいに熱の無い光を放つ青。

 興奮で少し頬が赤らんでいるけど足取りは軽くて、レース直後の疲労なんてぜんぜん感じられない。

 

「今日のセンターも、私だよ」

 

 観客席から降り注ぐ歓声を、サーコートみたいに自然と身に纏って。

 それだけ言うとリシュちゃんは踵を返してその場を後にした。

 

 ……んー、トレーナーちゃんには悪いけどダービーは見送りかなぁ。

 このままじゃウオッカちゃんと二着争いをすることになっちゃう。それはヤダ。

 目標は菊花賞。

 クラシック級から参加できる夏合宿。そこでぐーんと差を縮めて、マヤの適性距離である長距離で勝負する。

 むかし巨大なテコと支点を用意してもらえれば地球だって動かしてみせるって豪語した数学者さんがいたらしいけど、地球を動かせる大きさのテコと支点なんて用意できない。

 地球どころかゾウさんを動かすのだって、用意できるテコと支点の大きさと強度を考えればネズミさんサイズじゃあ難しい。せめてバッファローさんくらいには成長しないと。

 

 リシュちゃんはなんだかんだ親切で面倒見がいいから、トレーニングに付き合ってくれると思う。何ならリシュちゃんの倒し方教えてーって直接お願いしても『それ本人に聞く?』って口では呆れながらヒントくらいは考えてくれそう。

 その裏にあるのはどれだけライバルが成長しても勝つのは自分だっていう、圧倒的な自信なんだろうけど。

 そのリシュちゃんだってゴルシちゃんやブライアンさん、会長さんたちにはまだ勝てない。だから追いつくために毎日せっせと努力している。

 そう思うとすごくドキドキする。

 トゥインクル・シリーズに来て本当によかった。ここにはキラキラとワクワクがたくさん詰まっている。退屈なんて感じている暇もないくらい毎日いそがしくてしんどくて、とっても楽しい。

 

 トレーナーちゃんとならマヤ、どこまでも飛んでいける気がするんだ。

 だから一緒に頑張ろうね!

 

 

 

 

 

 あと、これは余談なんだけど。

 

『銀の魔王の戴冠式! 漆黒の絶対王朝の幕開けか!?』

 

 翌日、スポーツ紙の一面を見てリシュちゃんは羞恥に崩れ落ちていた。

 でもねマヤ、何となく『わかっちゃった』んだ。

 “銀の魔王”。たぶんこれ、リシュちゃんのこれからの代名詞になりそうだよ?

 

 だってあのときのリシュちゃん、本当に魔王さまみたいだったもん!

 




これにて今回は一区切り!
一週間以内におまけを投稿後、書き溜めに移行します


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【祝え】テンプレオリシュを語るスレその37【魔王の誕生を】

俊足バクシサクランオー選手、間一髪間に合いました!
というわけでお待たせしました。
オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


1:魔王軍名無し ID:pJsDB5Cr7

ここは“銀の魔王”テンプレオリシュ様のファンスレです

 

魔王様の公式プロフィール

【自己紹介】どうも、テンプレオリシュです。

 語るようなことは特にありません。見て語る分にはどうぞご自由に。

【学年】中等部

【所属】栗東寮

 

【身長】143cm

【体重】変動なし(もう少し大きくなりたい)

【誕生日】9月15日

 

【得意なこと】大抵のことはなんでも

【苦手なこと】人付き合い

 

【耳のこと】音の反響で周囲の地形を把握できる

【尻尾のこと】ベニヤ板くらいなら割れる

 

【靴のサイズ】左右ともに20.5cm

 

【家族のこと】母とは週一で電話している

 

【マイルール】初対面の相手には敬語

【スマホ壁紙】初期設定からいじっていない

【出走前は…】ひとりでぼーっとしている

 

 

皐月賞勝利おめでとう!

 

 

 

2:魔王軍名無し ID:shUgzuSu9

スレ立て乙。

って、デフォルトが魔王軍になってるwww

 

3:魔王軍名無し ID:IPycze48m

仕事が早い

それにしても皐月賞の解説者が我らと同じ漆黒の過去を抱きし者だったとはな…

 

4:魔王軍名無し ID:DpEmOwB+Y

へー。魔王様の誕生日って9月やったんか

何もかも規格外なお人やなぁ

 

5:魔王軍名無し ID:FrYZ6tkWh

九月って何かおかしいん?

 

6:魔王軍名無し ID:KFapO/hPu

秋生まれのウマ娘はレースで大成できないって言われていた

 

7:魔王軍名無し ID:fAh7KnDgA

現在トゥインクル・シリーズで活躍しているウマ娘の誕生日は1~6月。

つまり冬から夏にかけてが誕生月で、秋はいない

例外は無かった。これまでは

 

8:魔王軍名無し ID:jkP2OOZrE

オグタマが出てくるまでは葦毛も走らないって言われていたし

しょせんは迷信やったんかね

 

9:魔王軍名無し ID:mv5EUOlDL

いやでも、こっちはかなり信憑性のある話とされてなかったか?

歴史を紐解いても秋生まれのウマ娘が重賞取ったって無かった気がする

 

10:魔王軍名無し ID:MfQ8Q99+j

ひどいところだと生年月日書いただけで入団試験落ちたりな

意識高い系のクラブやレース教室だと稀にある

 

11:魔王軍名無し ID:kLYyWJ7p/

それはひどい

いまどき誕生日だけで差別するんか

 

12:魔王軍名無し ID:6TF609Vhy

魔王様「皐月賞ウマ娘余裕ですが? いつもの一バ身でしたが?」

 

13:魔王軍名無し ID:kQT4d/Vsn

ヒュー! さすが魔王様!

俺たちにできないことを平然とやってのける

そこに痺れる憧れるぅ!

いやマジで

 

14:魔王軍名無し ID:uuW/9HfCm

魔王様のおかげで今度から誕生月だけではねられる子は減りそうやな

 

15:魔王軍名無し ID:QnNNAZx5D

いつもの一バ身って?

 

16:魔王軍名無し ID:EDfct0M5F

マヤちんが皐月賞後のインタビューで言ってたやつ

魔王様は脚の負担を軽減するために

きっちり一バ身で勝利するよう調整してるんだって

 

17:魔王軍名無し ID:PbQUcnVzx

さすが魔王様やでー!

ってファンだから思うけど

他の子のファンスレとかは荒れそうやなそれ

 

18:魔王軍名無し ID:Ytvhid0x5

実際、その後の取材で記者に突っ込まれたこともあったで

手を抜くのは失礼じゃないかー

スポーツマンシップはないのかー的な

 

19:魔王軍名無し ID:Ytvhid0x5

それに対する魔王様のお答え

『わかりました。ではあなたは怪我をせずトゥインクル・シリーズを走り抜けた先達の名前を挙げていってください』

『ぼくは故障により道半ばで止まらざるをえなかった先達の名前を挙げていくので』

 

20:魔王軍名無し ID:8djH4V1Cy

キレッキレで芝2400m

 

21:魔王軍名無し ID:crsgO+uSU

人付き合いが苦手と言ってるわりに物怖じせん子やなぁ

好き

 

22:魔王軍名無し ID:Ytvhid0x5

『勝つために努力が必要なように、ぼくは勝ち続けるための努力をしているだけです』

『もしもそれで負けたのなら慢心だろうが油断だろうが、批判はご自由に』

 

23:魔王軍名無し ID:ghLDHVkyc

意訳:負けませんが

 

受け流したりせず真っ向から切り捨てるのはまあ、巧みな対応とは言い難いんじゃないか?

見ていて痛快ではあるが

 

24:魔王軍名無し ID:CWr0lpobP

ここまで無敗! 皐月賞ウマ娘テンプレオリシュ一番人気です!

 

25:魔王軍名無し ID:tMDUh5adP

慢心せずして何が王か!

 

26:魔王軍名無し ID:bmGdVgt3I

油断?何のことだ?これは「余裕」というもんだ

 

27:魔王軍名無し ID:Fi0pDnVos

まさにラスボス

中等部とは思えん風格

 

28:魔王軍名無し ID:SrQhH2NZP

桜花賞ウマ娘のダスカも別の意味で中等部とは思えん風格

あの勝負服はいろいろ強調されてスゴイの一言だわ

 

29:魔王軍名無し ID:FBuKB2jYZ

>>28 開けろ! うまぴょい警察だ!

 

30:魔王軍名無し ID:G/yolDerV

あの二人が同郷で幼馴染で小さいころから何度もやり合っていたなんてなぁ

そうは見えんわ

 

31:魔王軍名無し ID:FzZ5S8HKQ

おいこらお前いまどこ見ながら言った?

 

32:魔王軍名無し ID:ZCwHLZR5Y

貧乳は希少価値だ! ステータスだ!

 

33:魔王軍名無し ID:KxYqiKfCi

極刑! 遺言を忘れずにな!

 

34:魔王軍名無し ID:dH0QEDXKY

二人が同郷だってのはちょっと調べればわかるけど…

幼馴染で幼少期からバチバチやってたってのはどこの情報?

 

35:魔王軍名無し ID:xydYHCx4x

スカーレットの方が桜花賞ウマ娘のインタビューでぽろっとこぼした

『いま一番意識しているウマ娘は?』ってところ

 

36:魔王軍名無し ID:rGqwEjQMo

優等生然とした笑顔がひび割れてギラギラした中身が一瞬見えたの

控えめに言ってサイコーでした

 

37:魔王軍名無し ID:fVoARMNxj

あの子はあの子でめっちゃ強気だよなぁ

つまりティアラ路線で目ぼしい敵はいないってことだろ?

 

38:魔王軍名無し ID:whWHPhOTr

まあウオッカが次走オークスじゃなくてダービーいくらしいから

 

39:魔王軍名無し ID:B597Q/Ybz

マジで?

魔王様相手に勝算あるんかいね

 

40:魔王軍名無し ID:BZzwlmEPZ

ゴルシTは勝算の無い戦いはなさいません

 

41:魔王軍名無し ID:hb1O6/4OE

そうか、ゴルシTだもんな

担当に勝算の無い戦いはさせへんか

 

42:魔王軍名無し ID:tbiW7HTNq

魔王様の絶対王朝かと思っていたけど

まだまだ不穏分子には事欠きそうにないのか

次のダービーが楽しみだな

 

43:魔王軍名無し ID:0BeZFESUc

今さらながら日本語的には絶対王朝じゃなくて

絶対王『政』の方が正しくね?

 

44:魔王軍名無し ID:9agefWwvd

正しい日本語よりもワクワクする日本語が実況のお仕事だから…

 

45:魔王軍名無し ID:G12WegR6q

オグリキャップ右手を上げた!(左手)

 

46:魔王軍名無し ID:tsjLgPl/i

あれはただの間違い

 

47:魔王軍名無し ID:jgVr7OOmM

この実況も語り継がれて伝説的ネタの仲間入りしそうだよな

実際こうやって魔王軍結成されとるわけやし

 

48:魔王軍名無し ID:1X9wUglrS

魔王様の次走はダービーじゃなくてNHKマイルカップだぞ?

 

49:魔王軍名無し ID:HYs9txufw

>>48 マジで?

マツクニローテいくんかぁ

 

50:魔王軍名無し ID:K/OV2PP5/

脚の負担を軽減とは何だったのか…

 

51:魔王軍名無し ID:NLRjs8GLU

逆ちゃう?

過酷なローテを万全に走りきるために加減しとるんやろ

 

52:魔王軍名無し ID:bDeli+kOj

桐生院もなかなかチャレンジャーやなぁ

ミークのときはどうしてたっけ?

 

53:魔王軍名無し ID:F5xtl1T1S

なんかミークってジュニア級のときとシニア級のときは強かったけど

クラシック級のときの戦績がぱっと浮かんでこんな

スランプだったんだろうか

 

54:魔王軍名無し ID:ACxIXA8Ka

少なくともミークは三冠のどれにも絡んでいなかったよ

 

55:魔王軍名無し ID:Oi+u4IZxX

まあ古参ファンのワイからするとマツクニローテ走るくらいじゃあ今さら驚かんな

なにせ魔王様は選抜レース以前からあらゆる距離と脚質を網羅されていたお方ゆえ

 

56:魔王軍名無し ID:q51NY8Sw9

デビュー前なら長距離適性の有無はわからんやろ

三冠路線いく以上は無いってことはないと思うけど

 

57:魔王軍名無し ID:Y2amCihRU

長距離適性も一級品やったぞ

この前野良レースしているの見た

中央所属の特権やな(ドヤァ

 

58:魔王軍名無し ID:0NCUcE/Pg

模擬レースはともかく野良レースはまず外部に露出せんからうらやま

でもしょせんは野良レースやし(ふるえごえ

それだけで一級品と断ずるまではいかんやろ。相手は?

 

59:魔王軍名無し ID:Y2amCihRU

チーム〈ファースト〉

 

60:魔王軍名無し ID:3LI5Wjy6h

ふぁ!?

 

61:魔王軍名無し ID:PuWSLU7xH

どこやっけ? リギルとどっちが強い?

 

62:魔王軍名無し ID:RegAcyEd+

アオハル杯のランキング一位

学園主催の非公式レースのチームという差異はあるけど、レジェンド勢がドリームトロフィーの方に抜けた今のリギルと比べたらファーストの方がやや上ってのが自分の所感

 

63:魔王軍名無し ID:acPOAUmmo

ほへー羨ましいなぁ

魔王様とファーストのレースってウイニングライブが無いだけで十分金取れるやつやん

 

64:魔王軍名無し ID:Y2amCihRU

しかも四連戦目でもしっかり一バ身勝利しとったからな

見てて震えが走ったわ

 

65:魔王軍名無し ID:XOkgmaQQC

うん?

 

66:魔王軍名無し ID:mtOugZh/m

どゆこと?

 

67:魔王軍名無し ID:pKDJRXOa4

まって

文脈から推測される事象と自分の中の常識がえらい食い違ってるんやけど

 

68:魔王軍名無し ID:Y2amCihRU

ご察しの通り

アオハル杯形式で中距離>マイル>ダート>短距離>長距離と連戦して

ダート以外全部ひとりで走って全勝してたwww

 

69:魔王軍名無し ID:sdu0N/oiQ

ふぁー!?

 

70:魔王軍名無し ID:0THrKEimC

いやいやいや

流石にありえんやろ

可能不可能はともかくトレーナーが許可せんってそれ

 

71:魔王軍名無し ID:J43zb2BvI

可能不可能を論じられる域にはいる魔王様さすがすぎる…

 

72:魔王軍名無し ID:Y2amCihRU

そうは言われても見たもんはしゃーないやん

正月シーズンでトレーナーの監視も甘かったんちゃうかなぁ

 

73:魔王軍名無し ID:LDoptNFU4

正月シーズンにアオハル杯形式で野良レース?

そんなメンバー集まるか?(四人分出走している魔王様から全力で目を逸らしつつ

 

74:魔王軍名無し ID:4EzcWz6lC

……いや、ワイも見たでそれ。

リトルココンがヘロヘロにすり潰されていたやつやろ?

 

よかった。新しい職場の人間関係のストレスのあまり見た幻覚やなかったんやな

ウマ娘が間近で見れるってうたい文句にひかれて再就職したけど…悪い やっぱ辛えわ

 

75:魔王軍名無し ID:oEhGTRjBK

ちゃんと言えたじゃねえか

ストレスは甘く見るなよ。カウンセリングとか探してみるといいぞ

 

76:魔王軍名無し ID:w4vvN7ZPC

リトルココンってこの前『たぐいまれな肺活量』って紹介されていた子か

周囲が崩れ落ちそうなくらいバテてるのに一人だけ涼しい顔していたから印象に残ってるわ

そんな子でさえ魔王様の前にはすり潰されるのか…

 

個人的な意見やけど、うつ病って風邪みたいに完治はせんからな

あくまで社会復帰できるところまで改善するもんであって、一度発症すれば一生付き合っていかなあかんもんやと思ってる

 

77:魔王軍名無し ID:WprSesVf6

いいなーいいなー!

そんなレース絶対面白いやん。何より公式レースじゃあ絶対にありえんローテだし!

目撃できたのうらやま!!

 

心も体も大事にすれば一生使えるからな。カウンセリングとか外部に頼るのが嫌ならせめて没頭できる趣味を見つけるといい。

それがレースやっていうならいつでもここで付き合うで?

 

78:魔王軍名無し ID:yomoF8khd

やさしいなこいつら

 

79:魔王軍名無し ID:IHApulctR

魔王軍の民度高くて芝生える

好き

 

80:魔王軍名無し ID:YkPSv4c+a

そっかー

〈ファースト〉相手に短距離でも長距離でも完勝できるのかぁ

これは狙えるか? 史上初全距離G1勝利

 

81:魔王軍名無し ID:Gmh4QRVaK

魔王様にその気さえあれば、どのG1でも遭遇する可能性があるってことか?

ランダムエンカウントするラスボスとかクソゲーすぎるwww

 

82:魔王軍名無し ID:uqEWzfM8S

魔王城の中でじっとしておいてくれ…! by同期の心の叫び

 

83:魔王軍名無し ID:NV5UqSzmP

最短ルートだとクラシック三冠達成時に前人未到の全距離G1勝利も達成できるか?

 

84:魔王軍名無し ID:SYDkpON2B

最短ルートだとアイツがいますけどね…

 

85:魔王軍名無し ID:/edCvOc1G

バクシンバクシーン!

 

86:魔王軍名無し ID:A+ufxDfr7

頭バクシンなのにレース中はマジ美人なのほんとずる

 

87:魔王軍名無し ID:2fdbXIkw3

言動はアホっぽいのにその根底にあるのは王の目線だからな

 

88:魔王軍名無し ID:otf5VIVZf

驀進王VS魔王

ファイ!

わりと見たい好カードではある

 

89:魔王軍名無し ID:xix4rN0S4

周囲は焼け野原になりそうだけどな…

 

90:魔王軍名無し ID:eG0XD+pX4

ワイはせっかくだからルドルフに次ぐ無敗の三冠が見たいけどなー

わざわざバクシン相手にするのはリスキー過ぎる気がする

 

91:魔王軍名無し ID:c0KyD3O9j

ちなみにアオハル杯ではそのバクシンも魔王様も同じチームだったりする

まさに絶望

 

92:魔王軍名無し ID:sC5zNfqDb

〈パンスペルミア〉な

バクシンにミーク、魔王様にマヤちんにデジタル

今年からはジュニア級の子たちも参戦してくるのか

目ぼしい子誰かいたっけ?

 

93:魔王軍名無し ID:vBIZiOlLT

トウカイテイオー

皇帝に次ぐ帝王になりうる器だってもっぱらの評判

 

まあ前評判無しで急に現れる魔王様みたいな御方もいるんですけどね()

 

94:魔王軍名無し ID:Juv8lfEF+

クラシック級の子、マヤちんは知ってるけどデジタルって強いの?

 

95:魔王軍名無し ID:o2nRRn5Wm

強いぞ。これまでダートをメインに活躍していたから知名度は低いけど

 

96:魔王軍名無し ID:s01lS8fjf

ダート人気ェ…

ダートで有名なのってハルウララくらいだよな

 

97:魔王軍名無し ID:UpgovvQOn

あれは別格よ

ファンクラブの規模が下手なシニア級通り越してG1ウマ娘に匹敵する勢いじゃん

 

98:魔王軍名無し ID:60ojuFXmZ

はやくウララのぱかプチ出ないかなぁ?

 

99:魔王軍名無し ID:Jsk5/1gJU

さすがに重賞取るまでは無理じゃない?

いくら需要があるとはいえ、あまり横紙破りが横行するのもなぁ

真面目に走って勝ってる子たちが可哀想だ

 

100:魔王軍名無し ID:lpYC6ZTsK

ウララが不真面目ってわけじゃないけどな

一部のファンが過熱してもよそは面白くないだろう

 

それにしても面白い世代に巡り合えたものだ

これからも目が離せないぜ

 

 




これにて今回は本当におしまい!

次回の投稿開始は…たぶんダービーに合わせてアイネスフウジンのピックアップが来ると思うから、それに合わせてダービー編を投稿したいところだけども。
世界を救ったり脅かしたりもしないといけないので、もしかすると夏合宿あたりまで書き溜めすることになるかもしれない。
のんびりとお待ちくださいなー


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世代最速
降って湧いた暇を満喫する


ふー、アイネスピックアップ中というのは守れなかったが、なんとかダービーに間に合わせることができたぞー
今回はNHKマイルカップまでだから短め。3話ほどの更新予定。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

体調気遣ってくれた人もありがとなす!


 

 

U U U

 

 

 実のところ、私とスカーレットとの距離感というのは実に表現し難いものだ。

 腐れ縁と称しているのは何も思春期の気恥ずかしさだけが要因ではない。

 中央にいると感覚がマヒしそうになるが、あれでスカーレットという少女は地元では名門出身の才媛だ。

 

《そういうのがゴロゴロしているのが中央だからな。進学というのはやっぱり人生の視野が変わる転機だね。それで生きやすくなることもあれば、息がしにくくなることもあり》

 

 今の私はどちらなのやら。中央に来たことを後悔したことはないけど。

 

 さて、それが何を意味するのかというと、つまり中央では落ちこぼれ扱いされているような生徒でも地元ではスクールカーストの頂点だったのである。いわんや中央ですらトップに食い込んでいるような優駿をや。

 スカーレットは、それはもう地元では緋色の女王様だった。

 それを当人が望んでいたかは別として。成績優秀でスポーツ万能の優等生、しかも努力家で面倒見も悪くない。なにより美少女だ。

 これで下位に属するとなればスクールカースト頂点組によっていじめの対象に指定されたときくらいだろうが、あいにくスカーレットは名門の子女。

 

《もともとこの世界ではウマ娘の名門というのは強い影響力を持っている。親の顔色を窺って子供も右に倣えするものだ。約束された勝利と君臨だよねえ》

 

 まだ中等部二年という人生経験ヒヨコさんクラスの私ではあるが、大人が思っているほど子供の視野というのは狭くない。

 小学校だろうが何だろうが人間の集団である以上、組織内部のパワーバランスやそれがもたらす関係性というのはどこも大差ないようだ。勝ち目のない相手なら敵対しない。その配下に加わって少しでも甘い汁を啜ろうと有象無象たちが集ってくる。

 つまるところ、スカーレットには友達と言う名の取り巻きがたくさんいた。そしてスカーレットもあの性格だからちやほやされるのは嫌いじゃないし、頼られたら奮起してそれに応えようとする。その結果彼女を慕う人間はどんどん集まっていき、スカーレットの仲良しグループは学内でも最大規模を誇っていた。

 

 一方の私は一匹狼だった。

 ……ナリタブライアン先輩みたく自ら選んだ孤高ではなく、結果的にそうなったというだけのぼっちだけど。

 いやどうだろう。それを修正するべき欠点とも思わず、逆にこれさいわいと本来人付き合いに使うべきであろう時間を趣味の読書に費やしたり、将来のためトレーニングに励んだりしたあたり、自分の意志で選んだと言えないこともないのか。

 

《我が道を行きすぎる娘をあたたかく見守ってくれた両親には感謝の念に堪えないね》

 

 いやまったく返す言葉がない。

 

 さいわい、いじめのような事態は発生しなかったが。テンちゃんが小まめに種を啄んでいなければどうなっていたことやら。

 私はコミュ障ではあるが、コミュ障とセットになってることが多い自己否定は患ってはいない。殴られたら経緯はどうあれひとまずしっかり殴り返すタイプである。

 そしてこれは中央のウマ娘にもだいたい共通する性質ではあるが、やるからには徹底的。そうでなければ中央(こんなところ)に流れついたりはしない。

 テンちゃんに守られていたのはいったいどちらだったんだろうね。

 

 ともあれ、スカーレットの方から何かと絡んでくるから接点こそ多かったものの、彼女の仲良しグループの中に組み込まれていたかといえば否であろう。

 大仰な言葉を使ってしまえば、住んでいる世界が違ったのだ。

 

《いまの距離感が近いように感じるのはあれだ。県を跨いで進学や就職したときこれまで同じ町内でさえ興味が無かったのに、同じ県出身ってだけで親近感が湧くのと同じ理屈だな》

 

 中央に来て一年の月日が経過した。その間に私を取り巻く環境や周囲の評価は激動といってもいい変化を見せた気がするけど。

 それに伴い、私とスカーレットの関係も何か変わったのだろうか?

 私はいまだに彼女との関係性を示す言葉として『腐れ縁』以上の適切なものを見つけられていない。

 

 

U U U

 

 

 うーん、まいったな。時間がぽっかり空いてしまった。

 

《ごめんねえ。せっかくリシュが貴重な休日の枠を確保してくれていたっていうのにさ》

 

 今日はテンちゃんのオンラインセッションなるものが開催される予定の日であった。しかし当日になって参加者の一人に急用が入り、急遽取りやめになってしまったのだ。

 まあそれ自体は仕方のないことだと思う。

 

《遊びはあくまで遊び。無理をしてまでやるようになってしまったらそれはもはや義務やノルマだ。楽しくないし、気晴らしにもならない。リアル優先なのは大前提だから》

 

 たとえテンちゃんがとても楽しそうにノートパソコンの前にルールブックやサプリを並べていたとしても、それが無駄になって露骨にガッカリしていても、仕方のないことなのだ。

 何より本人が納得しているのが伝わってくるので、それを私がどうこう言うのは筋違いというものである。

 

 さて、どうしたものかな。

 平均的な中央所属のウマ娘なら自主トレを開始してしまうのかもしれないけども、あいにく私はいろんな面で平均から外れている。

 オーバーワークは逆効果だ。

 今日は調整のみに留め本格的なトレーニングをしない日と決めている。加えて、今の私は三冠路線の真っ最中。下手に予定を動かすと、この短期間でG1を複数こなす過酷なローテーションの全体像を見直す必要すら出てくる。

 

 うーん、図書館で何か本でも読もうかしらん。

 読書家として有名なロブロイ先輩ならおススメの本を教えてくれるだろう。彼女とは趣味が近いのか、推薦図書にいまのところハズレは無かった。

 丸一日読書に費やすのも悪くはない。悪くはない、のだが。

 

 でもなぁ。

 ちらりとカーテンの隙間から外をのぞけば呆れるほどの快晴。

 どちらかといえばインドア派な私であるが、外を走り回るのが嫌いならこの歳まで黙々とトレーニングを重ねたりはしない。

 こんないい風が吹いている日に室内にこもりっぱなしというのも、少しばかり勿体ない気がする。

 

 誰か誘って遊びにいこうかな?

 

《今日ならたしか、ダスカの休みと重なっていたはずだぞ》

 

 そうなの? そういう情報をどこから拾ってくるのやら。そういえばテンちゃんはスカーレットの担当でもあるゴルシTとコネクションがあったんだっけ。

 じゃあスカーレットでいいか。

 スマホを手に取りLANEを立ち上げ、スカーレットに今日これから一緒に遊ばないかとメッセージを送る。休みだからといって彼女に用事がないとは限らないが、断られたならそのときはそのときだ。

 

《時代だよなぁ。同じ寮にいるのにスマホを使うなんてさ》

 

 んーちょっと年寄り臭いよ?

 いま部屋にいるかもわからないのにわざわざ足を運ぶくらいなら、スマホで連絡取った方が確実で効率的じゃないか。ものぐさな私と違ってスカーレットは常にスマホを持ち歩いているし、何か通知が入ればこまめにチェックして返信しているわけだし。

 

《おおう……想定していたよりも刺さるもんだな》

 

 何故だかテンちゃんが脳内で胸を押さえ、ふぐうっとダメージを受けている。

 

 メッセージを送信してからしばし、この広い栗東寮の廊下と扉を突き抜けてなじみ深い怒声が聞こえた気がしたが、たぶん気のせいだろう。優等生サマが寮長に叱られるような大声を出すはずがないもの。

 もう少し文章を装飾すればよかったかな? まあいいかと呑気に既読がついた画面を眺めていると、数分も経ってからようやく了承の返事が来たのだった。

 

 

 

 

 

「アンタねぇ! こっちにも都合ってもんがあるんだから少しは考えなさいよ!」

 

 てきとーに指定した待ち合わせ場所に来たスカーレットは最初からフルスロットルだった。

 でも口では何だかんだと文句を言いながら、しっかりお洒落な私服で来てくれている。

 白の肩出しホルターネックにチェックのプリーツスカート。ファッション誌の一ページを占領していても違和感のない出で立ち。当人のスタイルも相まってとても中等部には見えない。

 私と並んでいるところを見た何人が同い年だと気づけるだろうか。

 

「ありがと、急に誘ったのに来てくれて」

「……そういうとこはしっかりしてるのよね」

 

 何を仰るのやら。

 私は両親にきっちりしつけられて育ったのだ。基本的には礼儀正しいぞ? ただ少しばかりコミュ障をこじらせているだけだ。

 

「だいたい、今のリシュに遊びにいく余裕なんてあるの? 皐月賞だってギリギリだったじゃない。あれ、あと一秒立て直すのが遅れていればマヤノに差し切られてたでしょ」

 

 少しだけテンションを落ちつけてスカーレットが言葉を紡ぐ。

 まったくの事実であり、反論の余地が無かった。

 あるいは私たちが私だけだったら負けていただろう。そのくらい鮮やかにマヤノにはめられた。

 マヤノがあの深さまで潜ってこれるとは予想外。いや、あのタイミングで的確に決めてきたのだから隠していたと見るべきだろう。そして私は気づけなかった。

 でも、もう既知だ。

 次に相まみえるのは菊花だろうか。同じ手が二度通用するとは思わないことだね。

 

「へえ、見てくれたんだ」

「とーぜんでしょ。今のクラシック級のウマ娘であれを見ていないやつがいるならただのバカよ」

 

 マヤノにしてやられたことに関して、悔しさがないとは言わない。

 テンちゃんの手を煩わせずに勝てるのが理想的だったのもまあ、否定はしない。

 でも予想外ではあっても、想定外ではない。

 私たちがいま走っているのはトゥインクル・シリーズなのだ。それも歴代稀に見る綺羅星のごとき優駿が集う世代。

 たしかに私は脚の負荷を鑑み全力を出さずに勝ってきたが、それは本気にならずとも勝てる戦場と思っていたわけではない。

 ふたりがかりの本気の走りでなければ勝てなかった?

 そんなの当たり前のことだろう。

 だからまあ、遊びにいく余裕なんてあるのかという問いに答えるのであれば。

 

「遊びに行く余裕を失くして手に入る“三冠”なら苦労は無いよねえ。毎年何人も三冠ウマ娘が生まれそうだ」

 

 むしろマツクニローテを走る私にとっては必要以上のトレーニングの方が悪影響である。

 しんどい思いをしなければ勝てないというのはある種の事実だが、よりしんどい思いをした方が勝てるというほど世界は均等でも平等でもない。

 なまじ努力の成果を知っているだけに中央のウマ娘は不安を誤魔化すためハードトレーニングに走りがちだ。そして身体を壊すところまでがセット。

 休むべきときに覚悟を決めてしっかり休むのも重要なアスリートのおしごとなのだ。まあ、私は特にこれといって覚悟を決めて遊んでいるわけではないけど。

 いまさらハードトレーニングで誤魔化さなきゃいけないような不安、私には無いもの。

 

「ふん、ちゃんと考えてるならいいわ」

 

 腕を組んで呆れた表情をつくり、流し目で鼻を鳴らすスカーレット。でもシニカルな私の言動にもしっかり付き合ってくれるんだよな。

 ちなみに彼女が私の皐月賞をしっかり研究しているように、私もスカーレットの桜花賞を見させてもらった。

 根性とスペックにものを言わせた先行策からのごり押し。一番にこだわりを持つ、いかにもスカーレットらしい勝ち方をしていた。見ていてちょっと笑った。

 

 さて、諫めるようなことを言っているがしっかりお洒落をして来てくれたわけだ。今日はこのまま同行してくれるつもりなのだろう。

 だったら誘った身としては少しくらい雑談で雰囲気をやわらかく、かつ盛り上げていく努力をするべきだろう。こういうときはとりあえず褒めておけって何かで読んだ。

 さいわいにも褒める項目には事欠かない相手だ。

 

「ところで華やかな服だね、スカーレット。よく似合ってる」

「ふふっ、当然でしょ! アンタの方は……まあ、悪くないんじゃない?」

 

 しごく微妙な視線と評価をいただいた。

 そんな私の今の服装。

 淡いグリーンのパーカーに紺色のジーンズ。靴にいたっては運動靴、髪は動きやすさだけを考えて髪用の輪ゴムでまとめているありさま。女子力を明後日の方向に全力で投げ捨てたスタイルと言われたら反論できない。

 反論はできないが言い訳が許されるのであれば、別にカワイイ服を持っていないわけではないのだ。マヤノやデジタルと一緒に買いに行った、それなりに値の張るいいものがちゃんとある。

 ただ今日は出かけるつもりがなかったから洗濯のローテとか、今日の気候に合わせたラインナップとか、そういうあれやこれやの要素が噛み合った結果こんな惨状になってしまったのだ。

 

《パーカーにジーンズは現代転生者のテンプレ装備みたいなもんさ。ぼくらの場合は素材がいいお陰で着飾らないお洒落みたいな品が漂っているよ》

 

 テンちゃんはそう言ってくれるけども。

 トゥインクル・シリーズの出走者がアイドル的な一面を持っていることが影響しているのか、中央のウマ娘はお洒落な子が多い。

 これが楽な格好であることには違いないが、着ていて楽しいかと言われると素直に頷きがたいところがある。

 スカーレットのおしゃれ具合を見ていると、もう少し頑張った方がよかったかなぁと後悔しなくもないのだった。

 

「それで、どこに行くか決めてるの?」

「とりあえずゲーセンかな」

 

 二週間前なら花見も候補だったのだが、今となってはもうこの周辺は旬を過ぎてしまっている。

 天気がいいから外に遊びにいくんじゃなかったのか、結局室内じゃないかなどと言ってはいけない。こういうのは部屋にこもらず外に出たという経緯が大切なのだ。

 結果ばかり追い求めていては大切なものを見失うというものだ。

 それにお互い車も持たない未成年。必然的に徒歩となる道中だけで、十分に本日の春を味わうことは可能だろう。

 

「時期的に新しいぱかプチが入荷されていると思うんだよね」

 

 目標設定と共有は大事だって何かの本で読んだ気がする。

 とりあえず本日のお目当てとしては、ウマ娘をモデルにした人気ぬいぐるみシリーズ『ぱかプチ』。

 トゥインクル・シリーズやドリームトロフィーリーグのヒロインたちが三頭身ほどにデフォルメされた手のひらサイズのそれらはクレーンゲームの景品としても有名であり、店舗で購入できないことも無いが景品の方がずっと種類が豊富。

 ぱかプチのモデルに選ばれるのはウマ娘にとって一種のステータスである。それが絶対の基準というわけではないが、目安としては重賞二勝でモデルに選出される。またオークス、日本ダービー、有記念を優勝したウマ娘は限定特別バージョンが発売されるのも通例だ。

 

()()()ではG1二勝が作られる基準だったけど……こっちでは国民的娯楽トゥインクル・シリーズという大前提がある以上、そこに出走するウマ娘は半ば国民的アイドルとしての側面を持つ。そのせいか基準がだいぶ緩めだねえ。まあ需要が桁違いだろうから供給もそれ相応になるわな》

 

 いったいどこの話をしているのやら。G1二勝なんて条件だとごくごく一部ウマ娘のぱかプチしか作成されないだろう。ファンの暴動が起きそうだ。

 まあ言うまでもないが、朝日杯FSを制した皐月賞ウマ娘である私たちのぱかプチも作成されている。レースの賞金ほどがばっと入ってくるわけではないけれど、グッズ展開の利権のあれやこれやで入ってくる収入もバカにならない。

 というか、実のところ最近収入が多すぎていまいち明細を見てもピンと来なくなってきた。桐生院トレーナーが税金の手続きをしてくれているのだが、その引かれる額を見てようやく『こんなに取られるのか』と現実味の片鱗を味わう始末だ。

 

《FXで有り金全部溶かすのってこういう感覚なのかもなぁ。収入も支出も目に見えないところで数字だけ巨大な額が動き過ぎて麻痺するというか》

 

 私たちはまだ真っ当な労働の対価としての数字だからいいけども、これが丁半博打じみた取引で得た金額だったとすればぞっとするね。人生狂いそう。

 

「あっそ、じゃあいきましょ。アタシたちに無駄にしていい時間なんて一秒たりとも存在してないんだから」

 

 そう言ってスカーレットはせかせかと先に歩き始めてしまった。

 うーむ、せっかちだなぁ。

 たしかに三冠路線にせよティアラ路線にせよ、無為に時間を浪費して成果を出せる戦場じゃないのは事実だけど。

 休日と定めた日に春の陽気の中をゆっくり歩くのは、別に無駄じゃないだろう?

 

「ほらなにぼーっとしてんの? おいてくわよ!」

「はいはい」

 

 まあ、スカーレットのそんなところは嫌いじゃないけどね。

 

 

 

 

 

 ゲームセンターイコール不良のたまり場みたいなイメージを抱いている人も一定数存在しているが、意外にも中央トレセン学園の生徒にとってゲームセンターはポピュラーな気晴らしの場として活動範囲に入っている。

 

《あるいはこのゲームセンター側の努力の成果かもね。若い女の子が気軽に入りやすい雰囲気を作ることに成功している。それこそ、ぱかプチのクレーンゲームとかいい客寄せパンダじゃないか》

 

 なるほど、言われてみれば。

 ぱかプチのクレーンゲームは外から目につきやすい位置に設置されている。あれを見てゲームセンターへの一歩を踏み込んだという子も多いのではなかろうか。

 またぱかプチのクレーンゲームは他の筐体に比べ明らかにアームの強度が強い。ぬいぐるみの配置のされ方も、上手い者なら複数まとめて取れるようなサービス精神溢れる具合になっている。

 実際、目当てのぱかプチが入荷されたのではないかとこうやってノコノコ足を運んだウマ娘もここにいるわけだしね。たとえぱかプチのクレーンゲームが赤字でも、その後に他のゲームでクレジットを回収できれば総合的に黒字というわけか。

 

「おー、あったあった。すごいねほら、ポップで強調されてるよ。『桜花賞ウマ娘スカーレット!!』だって」

「……アンタ、まさかそれが目的だなんて言わないでしょうね」

「え、そうだけど?」

 

 スカーレットの勝負服はこの前の桜花賞がお披露目だったのに、もうこうやって勝負服モデルの彼女がクレーンゲームの商品として並んでいる。

 仕事が早い。この世界に於いてスターウマ娘の需要がどれだけ高いのか窺い知れるというものだ。

 

「…………。それを言うのならアンタだって負けず劣らずじゃない。ねえ『ここまで無敗の皐月賞ウマ娘テンプレオリシュ』さん?」

「懐が潤う分にはありがたい話だよね。この調子でどんどん売れてほしいものだ」

 

 ただまあ、自分のぱかプチとかちょっと取扱いに困るのも事実だ。積極的に狙う気にはなれない。仮にうっかり取れてしまったとして、部屋に置いたらなんかナルシストっぽくない?

 ちなみに試供品として貰った分はぜんぶ実家に郵送した。両親は喜んでくれたし、親孝行にはなっただろう。

 

「アンタの感性と生きるテンポが独特なのは今に始まったことじゃないけど……」

 

 なんとも形容しがたい表情をして頭に手を当てているスカーレットを横目に、クレーンゲームにクレジットを投入。音楽が切り替わり操作可能になる。

 うん、よかった。ボタンを押しながらちょっぴり安堵。

 ちゃんと元気そうだ。

 テンちゃんがオークス直前でスカーレットは風邪をひくだのなんだの前に言っていたから、実は少しばかり心配していたんだ。

 クラスメイトだし合同で練習をすることもあるし、普段から顔を合わせていないわけじゃないが。気を張っていると自分でも体調不良を気づかないくらい押し込めることができるのがスカーレットという少女だ。

 私と相対しているときはなんだか気合い十二分な彼女だから、休日という環境下で、脱力不可避な奇行をとることで隙を作ってみたけど。よしよし、体調面に問題はないと見た。

 さすがの私も当人の目の前で本人モデルのぱかプチを狙うのが変だってことはわかるよ。そこまでコミュ障じゃない、うん。

 問題がないどころかかなり良好だ。疲労と回復のバランスが綺麗に噛み合っている。ゴルシTの手腕は噂に違わないものらしい。

 

 まあスカーレットのぱかプチが欲しかったのもまんざら嘘ではないけどね。

 昔馴染みがぬいぐるみを商品化されるほど立派になったのだ。なんとなく嬉しくなってひとつ手元に置いておきたくなるのはおかしいことではないはず。

 

 3クレジットまとめて投入すればアームが最大まで強化される仕様らしいが、別に三つもいらないのでワンコイン投入。

 私の身体コントロールの精度は同期の中でも群を抜いている。この点ではマヤノさえ私には及ばない。

 以前マヤノと二人でゲーセンに来た時はマヤノがゲームの採点プログラムを『わかっちゃった』して、それを基に組んだ理論的上限を私が実現するというタッグマッチで各種ゲームのスコアをカンストさせて遊んだものだ。

 あらゆるスコアランキングの頂点に君臨するアカウント名『TOP TEN』はこのゲームセンターにおいてちょっとした伝説である。

 ちなみに余談に余談を重ねるならば。つい先日ふと見たダンスゲーム筐体のスコアランキング、同率一位にテイオーのアカウント名『ワガハイ』が並んでいた。ダンスが得意とは話に聞いていたけどさぁ。私とマヤノ二人がかりのスコアに純粋な感性と才能だけで並ぶとか、これだから天才は……。

 

「およっ」

「あっ」

 

 クレーンの行先を視線で追っていた私とスカーレットの声が重なる。

 失敗したわけではない。私はたしかにスカーレットのぱかプチ(勝負服仕様)をアームの手中に収めた。

 ただ、そのぱかプチスカーレットとがっちり抱き合う形でおまけがひとつ付いてきただけだ。

 このクレーンゲームはたまにこういうことがある。ぬいぐるみを複数まとめて手に入れることができるサービス精神満点の配置。ただ、今回はどうしてよりによってそのラッキーを私が引いてしまったのかと思わないでもない。

 どすんと取り出し口に落ちたのは、腹立たしいほどの満面の笑みで抱き合っているスカーレットと私(勝負服仕様)だったのだから。

 いやー、今を時めく皐月賞ウマ娘と桜花賞ウマ娘が1クレジットで手に入るなんて本当にラッキーだなぁ。

 でも今じゃなかったかな、そのラッキー!

 

 どうしようかな、これ。

 

「スカーレット、あげる」

「はあ!? アタシにアンタのぱかプチ抱いて寝ろっていうのっ?」

「いや、枕元に置けとさえ言ってないけど」

 

 そうかー。スカーレットってぬいぐるみ抱っこして寝ているのかー。

 発育といいファッションセンスといい中等部離れしているくせに、そういうところは少女趣味なんだなあ。

 

「――あ、あのっ」

 

 第三者の気配。

 ちょっとスカーレットの声が大きすぎたかもしれない。騒音極まるゲーセンだろうと公共の場であることに違いなし。謝ろうかと声のした方に振り返ると、興奮した様子の男性がいた。

 

「テンプレオリシュさんとダイワスカーレットさんですよね。うわぁ、本物だぁ」

 

《おや、これは珍しい。ファンからの接触か》

 

 テンちゃんが脳内でゆっくりと身を起こす。

 皐月賞ウマ娘や桜花賞ウマ娘のファンが希少というわけではない。むしろ国民的娯楽の注目株だ。ライト層まで含めれば相当の数が見込めるだろう。

 ただ、私たちウマ娘は自分のことを競技者と定義しているものが多い。

 下手なアイドルなんぞよりよほど歌も踊りも上手くこなしている自信と自負があるが、芸能人とアスリートの区分はそこではない。要はどれだけプライベートを切り売りできるかという覚悟の差だ。

 もちろんアスリートにファンサービスが無縁というわけではない。ファンサービスまでいかずとも、周囲の目は多かれ少なかれ意識する必要が出てくる。

 

《なんならプロではない甲子園球児レベルでさえ監督からは立ち振る舞いに気を付けるように指導が入り、嘘かまことか電車の座席には座らないらしいぜ。『健康な球児が席を占領するとは何事か』と苦情の電話が入るのを避けるためにね。まあ立っていれば立っていたで『座りもせずに他の利用者を威圧している』と苦情を入れるやつは入れるらしいが》

 

 えぇ……甲子園ってそんなところなの?

 私たちトゥインクル・シリーズと違っていくら勝ってもお金が入るわけでもないだろうに。実に気の毒である。

 

《まったくだ。周囲の応援がなければ満足に練習できる環境は成り立たないとはたびたび思い知らされてきたが、応援していれば給金を支払う雇用主のように振る舞っていいわけではあるまいに。応援が給金とイコールであるのなら、暴言を吐くときは損害賠償を支払ってようやくフェアな理論だろう》

 

 相変わらず皮肉に切れ味があるテンちゃんである。

 怖いねぇ。本当に私が生きる世界と地続きなのかと疑いたくなる。

 

《いや、もしかすると()()()では違うかもしれないな。かなりやんわりふんわりしているし、全体的に民度が高い印象だし》

 

 なんじゃそりゃ。

 

 まあそれはともかくとして。

 自分のことをアイドルと定義しているウマ娘はいないわけではないが少数派だ。握手やサイン、スマイルゼロ円といったファンサービスはあくまで走るついでに必要な余興程度のもの。好きこのんでやることではない。

 そのことをトレセン学園周辺の人たちは理解してくれているので、私たちがいくら有名になっても普通の学生のように接してくれることが大半なのだ。

 目が合っても顔見知りでなければ会釈や挨拶くらい。芸能人を目にした一般人がそうするようにキャーキャー騒いだりはしない。もしもそんな扱いをされていればG1ウマ娘の日常にはボディガードが必要になるのではなかろうか。

 

 だからこそ、というべきか。

 年に二回、春と秋に行われるファン感謝祭では私たちは芸能人のように振る舞う。

 各ウマ娘を応援してくれている方々への感謝をというのは嘘ではないけど。普段は礼儀正しく私たちをただの学生扱いしてくださるトレセン学園周辺の方々が、一介のファンとして己が情熱のままに振る舞うことが許されるガス抜きイベントでもあるのだ。

 

 ひるがえって、目の前の男性はいったい何なんだろう。

 彼は先ほど『本物だ』と言った。つまり、私たちを目撃したのは初めてと推察できる。偶然このあたりに来ていた観光客とか? うーん、基本的にウマ娘のファンって民度が高いから、ウマ娘を観光しに来たのなら暗黙の了解も守るんだけどなぁ。

 

《ま、そこは推測したって仕方がないさ》

 

 私の身体が動く。左手の人差し指を唇に、ちょっと前かがみになって上目遣いで、仕上げにパチンとウィンク。

 

「大声はナシな。今はプライベートだから」

「はっ、はいぃ」

「いつも応援ありがとね」

 

 そう言って妖艶に笑うと、男性は感極まったかのようにペコペコ頭を下げながら立ち去った。

 うーむ、鮮やかだ。相手に付け込ませないプレッシャーを放ちながらも、同時に笑顔と感謝の言葉で悪感情を抱かないように魅了してみせた。やっぱりテンちゃんはこと表情筋と声帯の二点では、私よりずっと上手く私の身体を使えてる。

 言うまでも無いが、さっきの一連のやり取りはテンちゃんが行った。

 主導権の切り替えは常に言葉を介して行われるわけではない。要請も承認も、漠然とした意思疎通で十分可能なのだ。そうじゃないとレース中の切り替えなどできるはずもない。

 じゃあなんで普段はいちいち言葉でやりとりしているかといえば。その方が嬉しいからだ。それ以上に意味はない。

 愛されていると言葉にせずとも伝わっていても、『愛している』と言葉で伝えられたら幸せになれる。関係性ってそういうものだろう。

 

 それにしても、少し驚いたかな。

 たしかに私たち三人の中で一番うまく対処できたのはテンちゃんだろう。私は言わずと知れたコミュ障。スカーレットは優等生モードのときこそそつがないが、今日あの瞬間は普段は分厚く着こんでいる猫が完全に剥がれていた。ともすれば彼女の性根に起因したキツイ対応になり、無駄ないさかいの種となっていたかもしれない。

 でも、スカーレットがいるときにテンちゃんが出てきたのはすごく久しぶりだ。

 もしかするとまだスカーレットがスカーレットの名を持たなかったあのとき以来なのではなかろうか。

 やっぱりミホノブルボン先輩の一件でテンちゃんの優先順位が変わったのだと思わされる。

 

「…………リシュ?」

 

 さすが我が腐れ縁。敏感に差異を察知したか。

 

「ん、なあに?」

 

 でもあいにく、既に主導権は私に戻っている。

 ほんの数秒の見つめ合う時間が、何故かとても長く感じた。

 

「……騒ぎすぎて悪かったわ。対処ありがと」

「どういたしまして」

 

 突っ込んではこなかったか。

 聞いてきたら正直に答えたんだけどな。安堵したような、残念なような不思議な気持ちだ。

 デジタルとか、マヤノとか。私とテンちゃんの関係性を知る同期は少しずつ、でも着実に増えているのに。

 私だけの、テンちゃんだけのではない、『私たち』の友達が学園を起点に少しずつ生まれ始めているのに。

 付き合いだけは長いスカーレットがその輪の中に入っていないのは何だか落ち着かなくてそわそわする。

 でもいまさらねえ、自分から教えるのも何だかなぁ。

 格好がつかないというか、おさまりが悪いというか。

 何年も前からの知り合いとある日突然自己紹介から再出発するような、というかある意味それそのままか。

 

「じゃ、これで帰るのもなんだし。もう少し適当に遊んでいこうか」

 

 スカーレットにそう提案する。

 わざわざゲーセンまで足を運んでおいて、ほんの数分もしないうちに目的だけを果たして出るのはもったいない気がする。

 思いっきり客寄せパンダに捕まったカモの思考だが、まあしっかりぱかプチ二体という実利は得ているのだ。もう少しゲーセンに還元しても罰は当たるまい。

 アオハル杯のおかげでトレーニング関連の出費はかなり抑えられている。そして常日頃からトレーニングに時間を費やしている私たちなので、お小遣いは順調に貯まる傾向にある。こういう日くらい多少使っても十分に許容範疇だ。

 

「はあ? 荷物持ったまま回るっての? それならクレーンゲームは最後にすればよかったじゃない」

「いちおう今回の目的だったからね。最後にまわせば無くなる可能性も無きにしも非ずだったし、確実に果たしておきたかったんだよ」

 

《何だかんだ言って皐月賞ウマ娘と桜花賞ウマ娘。その人気はバカにできたものじゃないからねえ。

 終わりよければすべてよしと言うが、その逆もまた然り。最後のお楽しみに取っておいたお目当てが無くなっていれば、その日の楽しかった一日分の思い出にケチがついてしまう。最初からないとわかっていればまだあきらめもつくけど》

 

 今もこうして周囲を意識できるようになってみれば、遠巻きにこちらの様子を窺っている気配がちらほらある。

 それが私たちを見ているのかクレーンゲームの順番待ちをしているのかまではわからないけど、後者だとすればさっさと順番を譲るべきだろう。ひとつの筐体をいつまでも占領するのはマナー違反だ。

 

 スイカを押し込めそうなほどにパカッときれいなスマイルを浮かべた私のぱかプチを摘まみ、しばらく何とも言い難い表情で見つめていたスカーレットだったが、やがて肩を落とすほど大仰に嘆息した。

 

「はいはいわかったわよ。今日はアンタに付き合うって決めて来たんだから」

「それはありがと」

 

 

 

 

 

 こんなことを言っておきながら。

 うっかりゲーセンのスコアランキングトップに輝く『TOP TEN』の片割れが私だということがスカーレットにばれ、一番バカに火がついた彼女にひどい目に遭わされるのだが、それはまた別のお話。

 

 




LANEは誤字ではなく、ウマ娘世界でLINEに相当すると思しきメッセージアプリです(参考『今宵、リーニュ・ドロワットで』第7話)


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檻が守るは獣か人か

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U U U

 

 

「ふいー、つかれた」

 

 トイレに行くといって抜け出してきた。

 たかがゲーセンのスコアで本気になり過ぎなんだよスカーレット。

 そういうところも嫌いじゃないし、彼女の個性で強みだと思っているけど、付き合いきれるかと言うとまた話は別である。

 

《おつかれー》

 

 テンちゃんもねぎらってくれる。

 嘘はどんな些細なものでも瑕疵になりうるというのがテンちゃんの持論なので、ちゃんとトイレにはいって洗面台で鏡を見ながら考える。鏡越しに頭の上に乗せたぱかプチスカーレットと目が合った。

 まったく、スカーレットが私に勝てるわけないのに。

 彼女が私に勝る点は、熱意と根性のふたつ。

 

《あとは身長と体重とスタイルもかな》

 

 うっさい。本格化が終わればきっと伸びるもん。

 

 ともかく、身体能力とセンスに秀でた私の方がゲーセンの遊び感覚の中では圧倒的に有利なのだ。何年も練習期間があるのならともかく、即興のぶつかり合いで私がスカーレットに負けることはないだろう。

 彼女の強みはそこじゃないだろうに。

 

《理屈でどうこうできる本能は本物じゃないってむかし野球漫画の監督が言ってたぞ》

 

 その理論でいくとスカーレットの一番への執着は本物ってことか。納得はできるがそれはそれとして勘弁してほしい。

 このまま無策で帰ればまた『アタシが一番になるんだから劇場』に付き合わされるんだろうなー。やだなー。お互いにとって悲劇にしかならないじゃないか。

 

《何か飲み物でも買っていけば? 自動販売機があっちの方にあったはずだぞ》

 

 それだ。飲食でひと息入れたら流石のスカーレットも少しは落ち着くだろう。仮に落ち着かなくても缶コーヒーを飲み干すまでは大人しくしているはずだ。

 そうと決まれば話ははやいと、小銭の枚数を確認しながら歩きだしたところで。

 

「おっと」

 

 見覚えのある人影が目に留まった。

 私服姿を見るのは初めてか。

 いや、そもそもそこまで付き合いのあるひとでもない。

 

「うん?」

 

 あちらもこちらに気づいたらしく足を止める。

 ナリタブライアン先輩。

 トゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘のひとり。

 日本のレース史上いまだ成し遂げた者が片手で数えられる偉業、クラシック三冠を成し遂げたレジェンド。

 今の私のレース経験の基礎を形成している一方的な恩人ではあるがその反面、個人としての付き合いは非常に浅い。種目別競技大会の後も特に会話なんてしなかったし。

 接点という意味ではナリタブライアン先輩と同じアオハル杯チーム〈キャロッツ〉に所属しているスカーレットの方が、よほど縁が深いだろう。

 

 そんな彼女は私の姿を確認するや否や、何故かつかつかと距離を詰めてきた。

 いや、別に詰め寄っている気は無いのかもしれない。

 脳内のレース関連フォルダからナリタブライアンの頁を引っ張り出す。彼女の身長は百六十センチ。実は百六十三センチあるスカーレットよりも低いのだ。

 だがその猛禽類じみた雰囲気のせいで多くの人間がプラス二十センチくらいに錯覚する。その威圧感のせいでただ近寄られるだけでも無駄にプレッシャーを感じてしまうのだろう。

 

「おい、宝塚には出るのか?」

 

 うわぁ、挨拶も前置きも無くいきなり本題。

 単刀直入過ぎて意味を捉え損ねそうですらある。

 あまり多弁な方ではないのだろう。イメージ通りではあるけども。

 気の弱い子ならこれだけで泣いちゃいそうだ。

 ただ、個人的には同族の香りが好感かな。言わんとしていることは伝わってくるし。

 

「出ません」

「何故だ? いたずらに歳月を重ねただけのやつらに気兼ねする性質(たち)とも思えんが」

 

 いやいやいやいや。

 G1ですからね、宝塚記念。

 グランプリですからね。人気投票ありますから。少なくとも出走メンバーは『いたずらに歳月を重ねただけ』なんて可愛らしいものではないだろう。

 皐月賞ウマ娘なら話題性もあるし、もしかすると票数自体は集まるかもしれないけどさ。それでも私が出ようと思えば出られることを前提に話が進むのは何かおかしくはなかろうか。

 まあ私がその気になって出られないとは思わないのも事実だけど。

 

「脚の負担があるので」

「ふっ、勝てんとは言わんか」

 

 獣のような金色の瞳がぎらりと愉快そうな光を帯びる。

 不思議だな。人と目を合わせるのは苦手なはずなのに。

 怖くないぞ。なんか絶妙に波長が噛み合う感じ。

 

「負けるために出走するウマ娘なんて中央にはいませんよ」

 

 マツクニローテでダービーを走った後に宝塚記念でシニアの一級品と激突。

 その後におまけでアオハル杯プレシーズン二回戦もついてくる。

 ちょっと無理だ。

 

「お前はいつ()()()に来る?」

「最短でスプリンターズステークスですかね」

「チッ、短距離か……」

 

 必要最小限、というにも少しばかり言葉が足りないかもしれない応酬。

 この会話のテンポは嫌いじゃない。

 

「うん? たしか今年のスプリンターズSにはサクラバクシンオーが出るだろう。そいつには勝てるというつもりか?」

 

 おお、バクちゃん先輩はこのナリタブライアン先輩にさえ認識されているのか。

 適性距離が違うからレースで相まみえる可能性は限りなく低いだろうに。自身の獲物になりえない相手に対してとことん興味が無さそうな性格なのに。

 なんだか嬉しいな。ついでによくこの性分で生徒会副会長なんて務まっているなこの人。他役員の苦労がしのばれる。

 

「勝算が無いわけじゃないですし、それに……」

「それに?」

 

()()()()。手が届くところにあるなら欲しくありませんか?」

「……フッ。たしかにな。私も短距離に適性があれば抑えはきかんか」

 

 あえてこの人のフィーリングに合いそうな言葉を選んだが、まんざら嘘というわけでもない。

 私が一般的なそれとはかけ離れた感性の持ち主だろうと、いちおうウマ娘の端くれだ。最速の称号にくらりとくるものはある。

 バクちゃん先輩は今が脂の乗り切った時期。勝つなら今だろう。

 テンちゃんの偉業を求める方針にも合致している。

 

 それに、ウマ娘のレースにおける旬は短い。

 もしも本当にバクちゃん先輩が中長距離で成績を残すのなら、このタイミングがギリギリのラストチャンスだ。

 私がバクちゃん先輩に走法を伝授するつもりがあるならば、ここで足りないピースを埋める必要がある。

 全てがバクちゃん先輩のためというわけではないが、それらの要素を含めクラシック級のこの時期にぶつかるのが最適と判断した。

 健気な後輩が一年かけて練り込んだ努力の結晶。是非とも完成したあかつきにはバクちゃん先輩に活かしてほしいものである。

 

「ナリタブライアン先輩と当たるのはたぶん有記念あたりになるんじゃないかと」

「ほう? ジャパンカップには出ないのか?」

 

 しつこいようだが。

 有記念もジャパンカップも出ようと思って出られるようなものではない。重賞なのである。それもG1なのである。

 そして私は皐月賞を取ったとはいえ、あくまでクラシック級の夏もまだ迎えていない、発展途上の若輩者。

 私がレース界隈の上澄みである中央、その中央でもまた上澄みの一滴であることはこれまでの実績から否定しようのない事実だが、それはそれとして何かおかしいのではなかろうか。

 ふと我に返ると羞恥と衝動のままに頭を掻き毟りたくなりそうだ。あまり考えないようにしよう。

 

「あと長々と呼ばれるのは気怠い。ブライアンでいい」

「ではブライアン先輩と。私のこともリシュでいいですよ」

 

 うわぁ、今の私すごくなかった?

 この切り返し。とっさに出たのは我ながら素晴らしい。コミュ障である私も着実に進歩しているのだと実感できる。

 

「脚が、ね。無理はしない主義なんですよ」

 

 無茶はたびたびテンちゃんに引っ張られてこなしているけども。

 取り返しのつかないことになりうる無理には極力手を出さないのが私たちのモットーだ。

 

「脆いのか?」

 

 デリケートなことをずばっとお尋ねになる。

 そんな彼女の態度に怯むどころか、どこか愉快に、いや痛快にすら感じている自分がいる。

 

「いいえ、むしろすこぶる頑強です」

 

 ただ、私の全力に耐えうるほどではないというだけの話。

 ウマ娘は生物学から少しばかりはみ出た存在だ。しかし生物である以上、その生き物の規格に沿った上限は存在する。それは何かと規格外扱いされる私も例外ではない。

 私の脚力の上限に耐久力の上限が追い付いていないのだ、今はまだ。

 そして目の前の御仁は全力を振り絞らずに勝てるような相手ではない。ジュニア級のときの種目別競技大会のあれはただ単純に、相手が油断しているうちに稼いだ貯金が尽きる前にゴール板を通り過ぎただけのこと。

 ブライアン先輩はあれを自分の敗北と認めているようだし、私もどのような形であれ勝ちは勝ちだと思っているが、実力で彼女を上回ったと思ったことは一度もない。

 私の勘が正しければ、この脚が私の全力を十全に揮うに足るまで成長するのはシニア一年目の春だ。それまではこの脚に無理はさせたくない。

 そういう事情を飾りのない言葉でつらつらと語る。聞く相手によっては不愛想を通り越し、怒っているのかと不安を抱かせるレベルの武骨さ加減だったが、その心配はお互いにしていなかった。

 やはり私と彼女はどこか感性が似ている。

 

「仮に出るとすればジャパンカップではなくマイルチャンピオンシップの方でしょうね」

 

 マイルや短距離が簡単なんて言うつもりはないし、もし言うようなやつがいればバクちゃん先輩との併走トレーニングを経験していただきたいところだけども。

 単純に身体にかかる負荷という面で見れば、やはり距離が延びれば延びるほど増大する傾向がある。

 スプリンターズSと菊花賞で消耗した脚にどれだけの余力が残っているのか次第だけど、それでも中距離以上はいささか厳しいかなというのが今の見立てだ。

 

 ちなみにマイルチャンピオンシップもシニア混合のG1だ……もはや何も言うまい。ブライアン先輩との会話中は脳の一部を麻痺させておいた方がよさそうだ。

 ジャパンカップと同じ十一月下旬に開催されるレースであり、同日開催ではないから理論上は連闘が可能だが。やりたいとは思わない。

 

《ちなみにこの二レースを含む重賞六戦を四か月という短期間のローテでこなし、さらに件のマイルチャンピオンシップでは『届くはずがない』と言わせた差をラストの直線で差し切った怪物がいたりするんですけどね。オグリキャップっていうんですけど》

 

 その過酷なローテの是非はさておき、偉業であることは認めるけど。やっぱりマネしたいとは思わないね。

 

「そうか」

 

 ブライアン先輩は顎に手を当てて何かを考えているようだった。

 うーむ。秋シニア三冠の二冠目であり、海外勢に対抗する日本勢という図式が組み上がっている国際G1のジャパンカップで総大将の座を捨ててマイルチャンピオンシップに来るとは思わないけど。

 いやどうだろう。彼女が私と同じなら、多少のしがらみはさらっと無視して我が道を行くだろう。少し不安になってきた。

 彼女にとってそこまでの価値が私にあるだろうか。

 

《なんなら『オグリキャップにできたことが私にできないと思うか?』とか言って連闘しそうなキャラではあるよね》

 

 不安をあおるようなこと言わないでよ。それで故障された日には絶対しばらく寝覚めが悪くなるぞ。

 

「なら、どうして有には出るんだ?」

 

 でも、しばらく考えてからブライアン先輩が尋ねたのは別のことだった。

 どうして、か。

 ウマ娘なら、いやウマ娘でなくともこの国の人間なら多くの者が憧憬の念と共に語る夢の祭典。

 それを『出られるものなら出てみたい』ではなく『数あるレースの中でどうしてそれを選ぶのか』と、純粋に疑問を抱く。

 価値観が相似している相手とはこんなに話しやすいものだったのか。もしもこの世界がブライアン先輩みたいな人で溢れていたら少しは私もコミュニケーション能力を磨く日常を選んでいたかもしれない。

 

《それはそれで壮絶な世界になりそうだなぁ》

 

「待たせている相手がいるんですよ」

 

 いや、待っているのは私の方だろうか。

 『彼女』が私に勝っているのは熱意と根性の二点。

 今は私の方が速い。でも『彼女』には才能があって、環境のバックアップもあって、それを活かせるだけの運もある。いつか絶対に追いついてくる。

 そのいつかは、きっとそう遠くない未来の話で。

 

「無敗のクラシック三冠ウマ娘とトリプルティアラのウマ娘が年末の大舞台で雌雄を決する。面白そうだと思いませんか?」

 

 たぶん、私はその称号の持つ価値を正確に理解できているわけではない。

 ただ理解できないなりに敬意は抱いているつもりだし、大切にしようとも思っている。

 三冠の一つを達成したばかりの現状では大言壮語もいいところだが。

 不思議とこの先達の前では少しばかりカッコつけたことを言ってみたくなった。

 

「そうか」

 

 再び黙り込んで何かを考えているブライアン先輩。かと思えばふと顔をほころばせ、何かを懐かしむように口を開く。

 

「……アマさんも同じようなことを言っていたな」

 

 ヒシアマゾン。

 “女傑”の異名を持つ美浦寮の寮長。褐色の肌と腰の下まで届く青みがかった黒鹿毛が印象的なウマ娘だ。口癖が『タイマンだ!』なんてスケバンめいたキャラの持ち主ではあるが、その気風のよさと面倒見の良さで美浦寮の生徒たちからは姐さんと呼ばれ慕われている。

 そういえばブライアン先輩と同期だったか。たしか彼女はティアラ路線に進み、桜花賞とオークスを制していたはず。トリプルティアラはどうだったっけ。達成していたらそっちの方が印象に残っているだろうし、ダブルティアラだったのかな。それも十分に偉業ではあるけど。

 ねえテンちゃん、どうだっけ?

 

《本当にこの世界線はごちゃごちゃだよなぁ。ゲーム準拠といってしまえばそれまでだが。()()()ではたしか外国産馬ゆえにクラシック登録できず裏街道を余儀なくされていたはずだけど……。まあ実力のあるウマ娘がふさわしい舞台に立てるのは悪いことではあるまい》

 

 今は電波の届くところにいて会話が成り立たなかった。残念。

 

 ブライアン先輩は私と同じ栗東寮の所属だが、自分のことに無造作な様が琴線に触れるのかヒシアマゾン先輩が世話を焼いているところをよく見かける。

 彼女たちがクラシック級で覇を競ったその年の有記念がブライアン先輩の勝利で締めくくられたことから、世間では怪物ナリタブライアンの方が女傑ヒシアマゾンよりなお格上であると見做す傾向が一般的ではあるけど。

 あるいは当事者たちにしかわからない特別な因縁があったのかもしれない。

 

「アイツが言っていたことがある。空腹は最高のスパイスだと」

 

 ここで言われている『アイツ』とはブライアン先輩の担当トレーナーのことを指すのだろう。ぶっきらぼうな声色に滲むたしかな信頼とぬくもりに説明不要の確信を抱く。

 かつて種目別競技大会の前に、手あたり次第に集めた資料。

 その中には『月刊トゥインクル増刊号ナリタブライアン特集』みたいな色物もあったりした。当時の私はデビュー前のジュニア級で、相手はトゥインクル・シリーズを代表するシニア級の一級品。私だって不安や緊張を覚えないわけではないのだ。玉石混淆だろうと一つでも積み上げられる要素が欲しかった。

 まあそれが実際に役に立ったかはさておき、その中にこんなエピソードがあった。

 

 ナリタブライアンというウマ娘はデビュー前から素質はピカ一と目されていたものの、その獣じみた渇望が災いし、仕掛けられるとたやすく掛かってしまうという弱点があった。

 そのため勝つときは大きく勝つのだが、大人数で走るレースでは自分のペースを保てず大敗することも少なくなかった。

 それを矯正し、今の走り方を仕込んだのが彼女の担当トレーナーだ。

 我慢するのでも、抑えるのでもなく、衝動を溜め込む。

 そして最後の直線でいっきに爆発させる。

 そうして鋭い末脚を長く使うナリタブライアンの今の走法の基礎が完成したわけだ。

 

 月刊トゥインクルはテンちゃんが信頼しているし、私もこれまで接してきた感じでは一定の信頼性があると思う。

 娯楽を目的にした雑誌である以上、装飾が無いわけではないのだろうけど。

 

「お前相手なら年末まで飢えてみるのも、悪くない」

 

 そう言って目を細めるブライアン先輩を見る限り、きっとあのエピソードは本当だったのだろう。

 走法はウマ娘の命。その命を誰かの手に触れさせ、指紋を残されてなお心地よい。そんな相手が彼女にはいるのだ。

 私と桐生院トレーナーはどうだろうか? うーん、一年の付き合いではまだそれほどではないかな。

 私の命は、魂はテンちゃんのことだから。

 

《完全にロックオンされちゃってんねえ》

 

 そうだねぇ。

 本当はブライアン先輩とはシニア級になってからやりたかったんだけどね。

 まあ私のせいで無茶なローテーションを組むようなことはなさそうで、その点は一安心である。

 

 それにしても。

 私がメインディッシュ扱いなのはさておき、ブライアン先輩のローテーションってそれ以外を前菜扱いできるようなものだっけ?

 うーん、謙遜する気は無いが、それでも過大評価されているというか。

 なんかこう、プレッシャーを感じるぞ。別に期待に応えなきゃいけない義務はないんだが。

 

「お待たせする分、来年からは背中を追わせてさしあげます」

 

 リップサービスのひとつくらいはしてもいいかもしれない。

 ブライアン先輩はきょとんと眼を見張ると、声を上げて笑った。どっちも普段のイメージにそぐわない感情表現ではあったが、まあ喜んでくれたみたいだしいっか。

 ひとしきり笑った後、ブライアン先輩は口を開く。

 

「ふう……気になっていたんだが」

 

 聞きたいことは聞き終わったからさっさと立ち去るという空気だ。私も長々とお喋りすることが楽しいタイプじゃないし、さくっと別れることに異議はない。

 

「どうして頭の上にダイワスカーレットを乗せているんだ?」

「…………」

 

 そういえばスカーレットのぱかプチ、ずっと頭の上に乗せたままだった。耳の間にジャストフィットしていたから完全に存在を失念していたぞ。

 これまでの会話からさっきのカッコつけまで、ずっとそこにいたのかぁ。

 

「頭の上に乗せておけば手が空くので」

「そうか」

「はい、そうです」

 

 それを最後にブライアン先輩は去っていった。

 ……これが羞恥心か。

 

 

U U U

 

 

「ただいまー」

「うん……おかえり」

 

 ブライアン先輩と雑談していた分、帰りはそれなりに遅くなってしまったけど。

 スカーレットは何も言わなかった。彼女の性格なら文句のひとつでも飛んできそうなものなのに妙に反応が鈍い。

 いやまあ、私を探しに来た彼女がこっそり物陰で聞いていたのは知ってるんだけどね。

 

《鈍感系主人公とは違うのだよ》

 

 息をひそめたところで気配を消す訓練を積んだことがあるわけでもなし。

 そもそも心臓が動いている以上そこに体温と心音が存在するのだ。いくらゲームセンターが騒がしいとはいえ、その程度のノイズで私がスカーレットに気づかないわけがない。

 

「コーヒー買ってきたけどいる?」

「ええ、ありがとう」

 

 同じ商品のあったかいのとつめたいのが両方自販機のラインナップに並ぶ季節。動けば汗を流すほど暑いのに、立ち止まっていると肌寒い。

 今回は熱くなりがちなスカーレットを冷却する意図を込めて、つめたいカフェオレをチョイスした。

 プルタブの引き起こされる音が会話の間隙を強調するように響く。

 

 ウオッカあたりはカッコつけて、マヤだとオトナの女性に憧れて、ブラックとかエスプレッソとかに手を出すが。

 テンちゃん曰く、幼いころの味覚は幼いころにしか味わえないのだから、苦くて飲めないなら苦いまま無理に飲まなくていいと言っていた。特に異論はない。

 ちなみに余談だが、そういうテンちゃんはブラックどころかエスプレッソだろうが美味しそうに飲んでいる。身体は共有しているはずなのに不思議な話だ。

 なんだか負けたような気がしてちょっとだけくやしい。

 

《コーヒーを飲んでも胃が痛くならないのは今世の大きなメリットのひとつだと思っている。ウマ娘は毒が効きにくいって言うからその恩恵かな。個人的には『馬』なのにカフェイン平気って違和感が無いでもないけど、チョコレートやコーヒーが制限されないのは純粋にありがたい》

 

 ミルクと砂糖の甘さがひんやりと喉を通り過ぎていく。

 ふう、と意図せずため息が漏れた。

 ブライアン先輩との会話は小気味いいテンポだったが、それはそれとして誰かと会話を長時間続けるという行為そのものにそれなりの負荷がかかってたらしい。コミュ障とは好き嫌いではなく体質なのだ。

 

 別にスカーレットに聞かれたことについては、特に思うことはない。

 ことさら本人を前に声を大にして語る内容でもないが、聞かれたからといって困るようなことを言った覚えもない。

 他人の無責任な期待というのはときに重圧となるが、スカーレットなら大丈夫だと思っている。

 信じている? それとも甘えだろうか?

 どっちでもいいか。

 これくらいで潰れてしまうのならそもそも、彼女はここまで私についてきていない。

 

《期待とか信頼とかさぁ、言葉は綺麗だけどさぁ。そういう重圧も価値のあるものだって、信じてもらえるうちが華だって、声高々にのたまうのはたいてい重圧をかける側なんだよね》

 

 何か嫌なことでも思い出したのか、テンちゃんの声が微妙に尖っている。

 うーん、やっぱり甘えか。

 テンちゃんの言うことは真っ当だ。世間一般の正否に合致しているかはともかく、私にとっては常に耳を傾ける価値がある。

 大切なことは口に出さねば伝わらない。逆に言えば、口に出してしまえば相手に伝わってしまう。それが本当に自分の伝えたかった内容かをさておいて。

 スカーレットだって私と同い年の少女だ。傷つくこともあれば、しゃがみこんでそのまま動けなくなることだってあるだろう。

 まあ彼女の場合、そう時間を置かずに『あー、もー! アタシが一番なんだから!』と再び起き上がる姿が容易に想像できすぎるというか。実際にこの目で何度か見たことがあるというか。

 甘えてしまう程度には、スカーレットは強いから。

 彼女の強さは私が一番よく知っている、なんて偉そうなことは言わないけども。

 彼女が強さを発揮しなければならないほど追い詰められる、その最大の要因は私だろうという自覚はある。さすがにね。

 

「ねえ、アンタの次走っていつだっけ?」

 

 缶コーヒーの嚥下で誤魔化していたどこか気まずい沈黙を破ったのはスカーレットの方だった。

 これは中央のウマ娘においては『今日はいい天気だね』に次ぐ中身のない会話の滑り出しである。

 それなりに親しい間柄なら誰がどのレースに出るのか、日程含め頭の中に入っているのだから。わざわざわかりきったことを口に出してまで言葉の空白を埋める行為に過ぎない。

 まあ私としてはスカーレットのアタシが一番になるんだから劇場がひとまず終幕を迎えたらしいというだけで福音だ。

 

「NHKマイルカップだよ。今年の開催は五月十三日。ああ――スカーレットの誕生日だね」

 

 まるで思い出したように忘れてもいないことを口の端に乗せる。

 長い付き合いだけど、彼女に誕生日プレゼントを渡したことは一度きりだ。

 

 なんとなく彷徨う視線が紅の髪に吸い寄せられる。

 ツインテールに髪を束ねる水色のファーシュシュに左耳を飾る赤いリボン、中央に据えられた母親譲りのティアラ。多種多様な装飾は一歩間違えれば賑やかを通り越して騒音になりそうなものだが、スカーレット当人が何よりも華やかなので絶妙に調和がとれている。

 

 彼女のツインテールがまだ肩に届かない長さだったころ、一度だけあの紅を私の贈った髪飾りが彩ったことがあった。

 

 小学生の少ないお小遣いをせっせとやりくりして購入した、当時の私の精一杯であり、最大限であった。

 今もそうだが、私はあまりファッションに興味がない。

 マヤノやデジタルと出かけなければお洒落な服を購入しようなどというモチベーションが保てないだろう。目が飛び出るほどお高い服がどうしてそんなお値段になるのか理解できないことも多々ある。

 

 だけど不思議なことに。物の良し悪しがわからない素人であっても。

 高級品の中にひとつだけ安物が交じっていれば、ひどく悪目立ちしていることには気づけるのだ。

 スカーレットはお嬢様だった。私は普通の家の子供だった。その格差はお互いが何気なく身に着けているものにも反映されていた。ただそれだけの話。

 誰が悪かったわけでもない。何が悪かったという話ですらない。ただ『違った』というだけのこと。

 幼き日の私は気づいて、傷ついた。胸をときめかせながらプレゼントを選んでいたとき、テンちゃんがもにょもにょと歯切れ悪く違う選択肢を提示していた理由をようやく理解した。

 幼き日のスカーレットは傷つけたことに気づいた。そんな表情をしていた。

 私がスカーレットに誕生日プレゼントを贈ったのはそれが最初で、今のところはそれが最後だ。

 

 お金がないということはみじめなのだと、初めて実感した。

 一瞬であろうとお金持ちではない両親を恨み、その家の子供であることを恥じた。

 そんな自分が信じられなかった。消えてしまいたくなった。

 思えば今こうやってレースの賞金に執着しているのも、ファッションにあまり興味が抱けないのも、あの日の思い出が少しは影響しているのかもね。

 

《いや、ファッションに関してはただのものぐさだろう》

 

 それっぽく感慨に浸っているんだから正論でぶった切るのはよくないと思うなぁ。

 

 ……今なら少しはマシなものが渡せるだろうか。

 これがもし我らが栗東寮の寮長フジキセキ先輩あたりなら『貴女に勝利の栄光を捧げる権利をわたくしめにいただけますか?』なんて気障な言葉を贈るのかもしれないけど。

 私は無いな。うん、無い。

 私のキャラじゃないっていうのもあるけど、せっかくのレースなのによそ見をするのはもったいない。

 私を見てくれる。私と競ってくれる。

 それが当たり前のことじゃないって私は知っているから。

 

《地元ではダスカしかできなかったことだもんね。何だかんだ中央のレベルは高いよ》

 

 それに目の前で競う相手を見ないのは不実という気がして落ち着かない。

 モチベーションになるのはいい。動機だって人それぞれだろう。

 でも、『スカーレットのため』に走るとなると何か違うと思うのだ。

 

「マツクニローテなんて本当に大丈夫なんでしょうね? いまどき根性論なんて流行らないわよ?」

 

 と、何やら熱血根性一番バカが申しております。

 まあ心配してくれているのだろう。

 私だって同期が幾人もの脚を奪ってきた悪名高きローテを走ると聞けば心配のひとかけらくらいは抱く。

 それが行動に繋がるかはともかく。たぶん行動を起こすとしたらテンちゃんの方だ。

 

「だいじょうぶ。私が勝つよ」

「っ」

 

 カフェオレをあおり、端的にそれだけ告げる。

 言葉に圧されたように一瞬わずかに仰け反りかけたスカーレットだったが、ぐっと踏みとどまって逆に前のめり距離を詰めてきた。

 

「へえ、油断して足をすくわれなきゃいいけど」

「きみが誕生日を心置きなく祝えるよう力は尽くすさ」

 

 これくらいは言ってもいいだろう。

 知人がレースで負けた同日の誕生日パーティー。心情的に一点の曇りもなくというのも難しかろう。それは一般論のはずだ。

 別に勝利を誕生日プレゼントにするとか、そういう気障な表現にはなっていないはず。

 

 油断しなければ、なんて相手を下に見た表現だ。

 だからモヤッとしなくもないが、私が頭一つ抜けているのは歴然たる事実だった。

 NHKマイルカップの出走メンバーは皐月賞のマヤノに比べると一枚落ちる。テンちゃんが言うところのネームドが存在しない。

 最も優れている者が勝てるという単純なものなら、そもそも競い合いなんて発生しないけど。皐月賞で浮き彫りになった個人的な課題も少なからずあるけど。

 まっとうに走ればまっとうに勝てる。次のレースはそういう勝負だ。

 

 缶を逆さにして最後の一滴まで飲み干し、ぺしゃりと圧し潰す。

 さて、ゴミ箱はどのあたりだったか。熱のこもった空気が一度途切れてしまった以上、無理にゲーセンに居続けることもあるまい。それにうっかりスカーレットのアタシが一番になるんだから劇場の再演なんてことになっても面倒だ。まだ今日は時間があるし、今度はカラオケあたりにでも行ってみようか。

 そんなことを考えながら歩きだし、気配がついてこないことを不思議に思って振り返る。

 スカーレットは顔を真っ赤にしながら缶を持ってぷるぷる震えていた。

 

「な――」

 

 ――にをしているのかと尋ねかけて、次の瞬間に察する。

 ただ残念なことに最初の一音は既に口からこぼれてしまっていて、気づかなかったふりをするのは無理そうだった。

 

「……えっと、スチール缶を縦に潰せたところで足が速くなるわけじゃないから」

「うっさい!」

 

 私の手の中で厚めの鉄の円盤と化していたコーヒー缶の残骸は、無造作にゴミ箱目掛けて投じられ軽快な音と共に収まった。

 スチール缶を握りつぶすくらいならできるウマ娘は多いだろうけど。片手でコップクラスターよろしく縦に圧縮できる子はそうそういないだろう。

 だからうん、スカーレットができなくても何も恥じることはないと思うよ。

 

 

 




次回、???視点


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U U U

 

 

 大人というのはどういうものなのでしょう。

 

 幼いころは時間が経てば自然とそれになれるのだと思っていました。

 努力するのは、毎日勉学に励むのは『立派な』大人になるためで。

 大人という存在に到達すること自体は時の流れが勝手にやってくれるのだと、無邪気に信じていました。

 

 いま、私は大人と呼ばれる年齢になっています。

 中央のトレーナーという社会的地位も併せて、世間で言うところの『立派な大人』の末席に名を連ねていると言ってもいいのではないかと。

 

 でも子どものころ私が見上げていた大人に、今の私はなっているのでしょうか。

 とてもそうは思えないというのが率直な感想です。

 それでも今の私は中央のトレーナーライセンスを有する者。トレーナーの名門桐生院の娘。

 桐生院葵という大人の役割には私ひとりだけでなく、私が担当するウマ娘の生涯が乗せられているのです。

 

 だから自信が無いからと、経験が無いからと、言い訳して。

 失敗して、だから事前に言っておいたじゃないですか、これは仕方のないことだったんですと言い繕って。

 そんな醜態が許されるわけありません。

 

 必要ならば中央のエリートトレーナーという仮面を被りましょう。身の丈に合わぬ看板であっても背負って立ちましょう。

 等身大の弱くて自信の無い私では至らないのなら、強い私を偽ってでも担当の子に栄光を掴ませてみせる。

 

 ……そうやってやる気だけが空回りして、ミークと同期の彼には大変なご迷惑をおかけしたこともありました。

 

 幼いころに憧れたあの背中に今の自分が並んでいるとはやっぱり思えませんが、子供心に思っていたほどオトナというのはしっかりしたものではないようです。

 独りで至らないのなら、誰かに頼ってもいい。たとえそれが自分の担当であったとしても。いえ、共に歩む自分の担当だからこそ分かち合うべきものがある。

 今の私は素直にそう思うことができます。

 

 大人と言う存在は子供が思っているよりも隙だらけで適当で。

 

「……トレーナー。気づいていますか?」

「はい? どうしましたかミーク」

 

「…………リシュちゃん。二人いますよ」

「えっ」

 

 子供が思っているほど何もわかっていないわけではないのです。

 頼りになる相棒が隣にいる場合は、特に。

 

 ミークの無表情の中のあきれ顔とため息がとても心に痛かったです。

 

 

 

 

 

 二重人格。

 病名として言うのなら解離性同一性障害。

 小児期の極度のストレス、主に虐待やネグレクトが原因になると言われています。

 

『自分たちはトレーナーである以前に教育者であり、トレセン学園は教育機関である。である以上、自分たちは親御さんから大切なお子さんをお預かりしているひとりの大人なのだという大前提を忘れてはならない』

 

 これは私がお世話になった同期の彼、ゴールドシップの担当トレーナーの持論です。

 その持論に則り、彼は絶対に担当に無茶なトレーニングやローテーションを許しません。その上であの偉業を担当と二人三脚で成し遂げたのです。

 

 一部のトレーナーから蛇蝎のごとく彼が嫌われる所以です。

 中央は天才たちが故障寸前までトレーニングをして競い合う魔境。

 引退までに故障を経験しないウマ娘の方が少ないというのが、認めなければならないレース業界の不都合な現実。

 安全なトレーニングだけでは勝てない。健全な範疇に留まっていればただ置いていかれるのみ。担当を勝たせる為には、勝利の栄光を掴ませてあげたいなら、リスクを承知で限界の境界線まで追い込まねばならない。

 

 だから、故障させてしまっても仕方がないこと。この界隈では珍しくもない話。ウマ娘たち当人も望んでトレーニングをしている。

 そう蔓延しかけていた空気に、彼は態度と成果で『それはただの唾棄すべき怠慢であり、許されざる無能である』と突き付け続けているのですから。

 

 彼のように成れたらと光に目が眩む者もいれば、どうして自分は彼に成れなかったのだと闇に沈むことしかできない者もいる。

 彼が疎まれる理由は呆れてしまうほどに単純で、ゆえに桐生院を受け継ぐ私でも若輩の身では解きほぐしがたい根の深いものとなっています。

 

 彼に憧れ、彼に敬意を抱き、そして彼にいずれ追い付こうと心に誓った私からしてみれば、中等部の少女が虐待を受けている可能性は何を置いても解決しなければならない最優先事項でした。

 トレーナーとしてはあるまじきことかもしれませんが、たとえレースを二の次にしたとしても。ひとりの大人として。

 

 ただ、ことがことだけに慎重な対応が必要です。

 そして慎重な対応を続けるまでもなく、少しの間にリシュの『二重人格』と解離性同一性障害との差異をいくつも見つけることができました。

 

 解離性同一性障害とは大雑把に言ってしまえば『このストレスを受けているのは自分ではない』というのが発症の根底にあります。

 ゆえに自分ではない誰かを作り出し、記憶は人格ごとに途切れ、人格に異なる名前を与えます。記憶も名前も異なることで別人であることを強調するのです。

 

 リシュにはそれらの傾向がまったくありませんでした。

 記憶の断絶や混濁は見られず、リシュと呼んで拒絶反応が返ってきたこともありません。異なる彼女たちはどちらも等しくテンプレオリシュなのです。

 解離性同一性障害は別人であることを強調するあまり人格同士が険悪な関係性であることが往々にして存在しますが、リシュの場合は逆に極めて良好のように見受けられました。

 小児期の劣悪な環境で生じたものとは思えない、愛されて育った温厚な気配がそこにありました。

 

 となると、病気ではない可能性が浮上します。

 ウマソウル。

 いまだ解き明かされぬ神秘、その影響により特定条件下で人格が豹変するケースはごく少数ですが報告例があるのです。

 その場合、病気と断じて接するのは悪手極まりないでしょう。

 魂の形が二重人格の形をしているのに、それを病気だと、治さなければならない異常だと否定してしまうわけですから。

 そんな態度を取られたウマ娘は絶対にその者を許しません。彼女たちは基本的に温厚ですが、同時にとても誇り高いのです。

 自らの在り方を否定されたその日から、その者は彼女たちにとって不倶戴天の敵となるでしょう。

 

 家の力に溺れたくはありませんが、もしも最悪の事態であるならば一刻を争います。手段を選んでいられるほどの力を私は有さず、その事実を認める必要がありました。

 たださいわいにもそうやって桐生院の伝手も使って調べたところ、結果は白。

 

 リシュの両親は共にとても善良な人間であるという調査結果が返ってきました。

 それに彼女の担当になってから同性というアドバンテージを活かし、何度かリシュの裸体に触れたことがあります。データ収集の一環、より精細な数値を知るのなら服はノイズですから。そして得られたデータは彼女が健康であることを示し、虐待の痕跡はいっさいありませんでした。

 

 九割九分九厘の確率でウマソウルの特性としての二重人格。

 残りの一厘を埋める機会はすぐに来ました。

 年末に行われるジュニア級のG1、朝日杯FS。

 その応援席にリシュの両親の姿を発見できたのです。

 

 それはトレーナーとして成果を求めるのであれば最悪の行動だったかもしれません。

 しかしこの大舞台が目前に迫るからこそ、普段は隠し通せるものも顔を覗かせるでしょう。

 だから桐生院のコネを使って、本来関係者以外立ち入り禁止の控室まで彼らを誘導しました。

 初対面のはずの彼女の両親の顔を私が知っていたことについては、G1の緊張もあったのかリシュ本人にもご両親にも疑問に思われることはなかったみたいです。

 そうやって一堂に会したご家族の顔を見て、ようやく確信を抱くと共に安堵できました。

 

 リシュの『二重人格』はウマソウル由来の先天的なものです。

 だってあんなにもゆるやかな、親を前にした子供の顔をしているのですから。

 

 かくして懸念は晴れました。

 リシュの二重人格はウマソウル由来。

 だったら不安になる必要も、焦る必要もありません。ただ彼女の魂がそのような形をしているというだけなのですから。

 いずれ時が来れば彼女から話してくれるでしょう。

 

 ……そうやって待つことを選んで、はや五か月。

 桜は散り終わり、汗がにじむような日もたびたび訪れる季節になっていました。

 ミークのときはお互いにすれ違ってしまい、本当の意味でパートナーになれたのはクラシック級の冬の頃でしたから。

 ま、まだ慌てる必要はないでしょう。たぶん、きっと。

 

 

U U U

 

 

 NHKマイルカップ。

 世代最速を決める東京レース場。その控室に私はいました。

 ミークのときは連れてきてあげることができなかったクラシック級のG1。トレーナーとしてこの舞台に足を踏み入れるのは初めてです。

 

「リシュ、準備はできましたか?」

「……うーん、もう少し待ってください」

 

 目の前ではリシュがぼんやりと視線を宙に彷徨わせています。

 レース前の精神統一にはとても見えない、何なら緊張のあまり放心しているようにさえ見えますが、彼女の場合はこれがベストコンディション。

 比喩抜きでもう一人の自分と対話している状態です。

 

 『リシュ』と、『もうひとりのリシュ』。

 

 その存在に気づいてから真っ先に取り組んだ課題は二人の見分けをつけることでした。自分の担当の区別がつかないなんてトレーナー失格ですから。

 そしてさいわいにも明確な差異があったので、そう時間をかけずに判別は可能になりました。

 ちなみにそれは一人称や口調ではありません。

 どうも『もうひとりのリシュ』は必要とあれば自身を『リシュ』と誤認させることを想定し、あえて極端に差異を強調する言動をしている節があります。

 

 人間は左右非対称な生物です。

 心臓が左側にあるのは誰でも知っていることでしょう。そして内臓の配置が左右で異なるのですから、当然その外側も微妙に異なります。たとえば人間の顔を正中線で区切り、それぞれ鏡合わせにすれば似ている兄弟くらいには印象の異なる二つの顔が出来上がります。

 右利きと左利きもそう。利き手があるのは広く知られていることですが、実はこれは足にも存在します。森の中で迷ったときにぐるぐると同じ場所をさまよってしまうのは、利き足の方が蹴る力が強く、まっすぐ歩いているつもりでも目印が無くては緩やかに弧を描くように進んでしまうから。その結果円を描くように同じ場所を移動してしまうというわけですね。

 

 リシュは手も足も両利きでした。

 先天的にそうだったのか、それとも後天的に訓練してそうなったのかは定かでありません。ただ、この子の担当を始めたときに我流でトレーニングしていたにしてはあまりにもバランスよく鍛えられていたことに驚いたことは事実です。

 どんな子であっても多かれ少なかれどこか得意分野に偏ってしまうものなのですが。気のせいでなければ後に担当するトレーナーがどんなトレーニング方針を抱いていても差支えが無いよう、あえて基礎能力のみを重点的に伸ばしている節さえありました。

 特にウマ娘において利き足というのは重要です。それは左右によれる癖として表れることもあれば、右回り、左回りのレースの得意不得意という形で表れることもあります。強みであれ、弱みであれ、共通するのはトレセン学園に入学する歳まで放置され続けた癖を改善するのは多大なる時間と労力が必要になるということでした。そしてその労力の分、実力を高めるトレーニングのリソースは圧迫されます。

 リシュはあらゆる距離にもバ場にも、そしてコースにも適応します。しかしそれはただ単に生まれ持った素質のみで成しえるものではないというのが私のトレーナーとしての見解です。

 

 そんな左右どちらも巧みに使い分けるリシュでしたが、ひとつだけ左右で分かれるものがありました。

 目です。

 手や足と同様、目にも利き目が存在します。視力検査の際、左右で視力が異なるという方は多いのではないでしょうか。余談ですが私は両目とも3.0を超えています。

 二重人格は人格によって利き腕が異なることがあります。リシュの場合もまたそうでした。

 青い左目を軸に世界を捉えているのが、普段私たちが接している『リシュ』。そして赤い右目を軸に世界を捉えているのが『もうひとりのリシュ』です。

 今では顔を合わせて十秒も話せば、いまどちらと話しているのか判別可能になりました。

 

「…………お待たせしました。もうだいじょうぶです」

 

 いま話しているのはいつものリシュの方ですね。

 普段の九割以上は彼女の担当となります。

 気質は温厚でマイペース。人付き合いを苦手としていますが、人間嫌いというわけではないようです。

 実際に彼女は礼儀正しく先輩としてミークやバクシンオーさんを立て、デジタルやマヤノさんと交友関係を築き、チームの後輩の面倒もそれなりに見ています。

 まあ後輩に関しては具体的な行動を『もうひとりのリシュ』が起こし、その後始末をリシュが引き受けるという展開が多いみたいですけども。

 あといい子なのは間違いないのですが、マイペースが過ぎて傲慢に見られることも度々。

 それも含めて私の大切な担当です。

 

「再度確認しておきますよ。今日の結果がどうあれ、故障の兆候ありとこちらが判断したらダービーの出走は回避します。それを念頭に置いて走ってください」

 

 マツクニローテ。

 NHKマイルカップと日本ダービーを中二週で走る過酷なローテーション。将来有望を目されたウマ娘が幾人もこのローテで競技者としての未来を断たれており、私もリシュをこのローテで出走させると発表したときは少なからず批判と非難を受けました。

 まあ私の評判はそこまで重要な話ではありません。社会人の一員であり桐生院を背負っている以上どうでもいいなどと無責任なことは言えませんが、担当の健康状態とは比べるまでもないことです。

 

 単純に可能不可能を問えば、リシュなら十分可能でしょう。

 桐生院家の年始の集いから帰ってきて真っ先に知らされた『テンプレ連戦』のことはいまだに強く印象に残っています。

 いくら野良レースとはいえチーム〈ファースト〉相手に四連戦して全勝し、かつ故障も無しという規格外の実績。

 

 ウマ娘の故障理由は多岐にわたりますが、レースで故障する場合はライバルとの熱戦で限界以上を引き出してしまうことが原因であることが一番に挙げられるでしょう。

 限界を超えるというのはポジティブな意味で用いられる場面が往々にして存在しますが、身体のリミッターというのは何も三女神さまが意地悪で設けたものではありません。超えたら危険だからこそ、それ以下の出力しか出せないように生物の本能で制限されているのです。

 普段『限界を超える』という表現がポジティブな意味で活用されているのは、単純に多くの人間は本当の限界よりずっと手前に線を引いているだけの話。しかし中央で重賞に出走するようなウマ娘は違います。

 本当に超えたら危険な一線に肉迫している。ライバルたちがそこまでいっているから、自分も迫り、ときに超えないと勝てない。

 そんな彼女たちがいたずらに限界を超えないように見極め、必要とあれば制限することもトレーナーの重要な役割です。

 リシュが〈ファースト〉と四連戦して故障が無いのはそれすなわち、〈ファースト〉相手の四連戦であろうと限界に迫ることなく勝利できるだけの力量を彼女が有していることの証明でした。

 

 まったくの無傷というわけではなく筋肉に軽い炎症こそ発生していましたが、それもたった三日で治してしまいました。その三日間は伝え聞くオグリキャップさんもかくやという量の食事をとり、完治すればさっぱり元の食事量に戻したのも印象深い記憶です。

 食べた分を血肉に変える消化系の素質もさることながら。ふつうあれだけ食べられる子なら普段から量を食べたがるものなのですが。たとえばスペシャルウィークさんやメジロマックイーンさんは頻繁にごはんやスイーツを食べ過ぎてしまうため、担当の方々は日々の体重管理に苦心している様をよくお見掛けします。

 

 もしかするとリシュは欲求というものが他のウマ娘と比べ希薄なのかもしれません。

 もっと食べたいという欲が薄いから必要な分だけ食べ、必要が無くなったらやめることができる。

 サボりたいという欲に乏しいので必要な分だけ練習し、勝ちたいという衝動さえ希薄なので過剰なトレーニングを積むことも、レース中に掛かることも無い。

 二つの人格が相互の客観視を可能とし、過不足の無い最適な選択肢を常に選び続けることができる。

 桐生院の膨大な知識と経験を受け継いだ私をもってさえ規格外としか言いようのないテンプレオリシュというウマ娘は、そのように幼少期から徐々に構成されていったものなのではないでしょうか。

 一方で、いちど執着を抱いたものに対してはとことん執着する傾向も見受けられます。勝利への執念が薄いのにも拘わらず中央のレースで勝ち続けるだけの努力を重ねているのも、そのあたりの性質が関係しているのでしょう。

 

「はーい、わかってまーす」

 

 あ、この返事は『もうひとりのリシュ』の方ですね。

 『いつものリシュ』に比べ軽薄さが目立ち過激な言葉選びも多いですが、自身の言動を客観視する能力は『リシュ』よりも上です。その視点は俯瞰的と表現できるほど広く、たまに年上と話しているような錯覚を抱くことさえあります。

 それはリシュたちの中でも共通認識なのか、マスコミへの対応など言葉の綾で誤解を生みたくない場面では『もうひとりのリシュ』の方が会話を引き受ける場面が多いです。

 

「ぼくらがマツクニローテを走ると決めてから今日まで、批判を一身に受け止めてくださってありがとうございました」

「……? どうしました、いきなり」

 

 やや文脈にそぐわない言葉に首をかしげると、リシュはにやりと笑いました。

 

「世間の無責任な優しさと心配の押し付けは今日で終わらせてくるので」

 

 これ以上ないほどの勝利宣言。

 ええ、きっとそれは大言壮語ではないのでしょう。

 それでも、世の人々がリシュの力に熱狂し、心配を忘れてしまったとしても。

 自分だけは忘れてはいけないのがトレーナーという存在なのです。

 

 

 

 

 

 圧倒的。

 かつてテレビ越しに、ビデオの映像記録越しに、あるいはトレーナー白書の文字越しに垣間見えた伝説の数々。

 あれに血肉が伴ったのなら。神話の生々しい息遣いを肌で感じられたのなら。当時の人々はこんな気持ちだったのでしょうか。

 心づもりをしていてもなお、引き込まれそうになる奔流。

 

『ここまで先頭は十四番トモエナゲ。続いて九番ゴージャスパルフェ、十二番クスタウィ、七番テンプレオリシュここにいます』

 

 リシュの作戦は先行策。

 今回、彼女はひとつのテーマを持ってこのレースに臨んでいました。

 皐月賞でマヤノトップガンさんに『ちょっとびっくりさせられた』、その反省。

 

「ぶーぶー。リシュちゃんずるーい。マヤ、たっくさん練習したのに一回見るだけでシャキーンってできるようになっちゃうんだもん」

 

 ちなみにびっくりさせた当の本人は私の隣で一緒に観戦しています。

 

 これまで、リシュのレース展開は受動的なものでした。

 相手のペースに合わせた上でふわふわと流れに浸透し、最後の最後に上回る。

 しかしこのレースを見て彼女が受動的などと誰も言うことはできないでしょう。

 

『十四番トモエナゲ、苦しいか?』

『ひと息つけるタイミングがあればいいのですが、これは……』

 

 それは巨大な岩が転がっているようでした。

 先を走る子たちは岩に潰されないように必死に逃げ、後ろの子たちは繋がれた鎖で引きずられるようにペースを上げる。

 

『一番人気七番テンプレオリシュ、内で足をためています』

『周囲を確認しながら走っていますね。まだ本気ではないですよ』

 

 それは波打ち際で戯れているようでした。

 本能に任せた無意識と理性に基づいた意識の狭間を行き来する。足音が極端に少ない効率的な走法をあえて崩し、現れては消える足音に周囲は波にもまれる砂のように振り回される。

 

『かなり密集して走っていますね。まぎれはありそうでしょうか?』

『難しいですね。脚を残せている子がどれだけいるか』

 

 少しでも緩めたら置いていかれる。一度離されたらもう二度と追い付けない。

 強迫観念を浸透させる、レース展開を手中に収めた攻撃的な走り。

 どちらかといえば『もうひとりのリシュ』が得意としている逃げや追い込みのときのような走り方ですが、間違いなくいま走っているのはいつものリシュの方です。

 人並み外れたスピードとスタミナあっての戦法。

 しかし恐ろしいのは周囲をオーバーペースに陥れておきながら、このままの調子でいけば最終的なタイムは平均の範疇に収まりそうなところでしょう。

 レコードは健康に悪いと敬遠していたあの子のことです。自分だけ緩急巧みにちゃっかり息を入れていますね、これは。

 

『大ケヤキを越え第四コーナー。最後の直線で勝負が決まるぞ』

『六番リボンララバイ上がってきました。まだ差がありますが、ここから届くでしょうか?』

 

 東京レース場の最後の直線の長さは525.9m。これはURAレース場の中では上から二番目の長さであり、その特性上から東京レース場では後ろの脚質の子が有利とされることが多いです。バ場状態や出走する顔ぶれ次第でいくらでも有利不利は変動しますし、必要とあればひっくり返すのが我々トレーナーの仕事ですけども。

 ただ今回に限って言えば。

 リシュのいいように引きずり回された後ろの子たちの末脚はとても万全な状態とは言い難い状況。

 直線に入ってすぐ始まる高低差2mの上り坂。中山レース場や阪神レース場と比較すれば勾配が緩やかなそれも、今の彼女たちにとっては断崖絶壁に等しいものでしょう。

 バラバラと剥がれ落ちるよう距離を離される周囲と、するりとその中を当然の権利のように抜け出すたった一人。

 最後まで軽やかな足取りでその影はゴール板を駆け抜けました。

 

『決まったぁ! 一着でゴールしたのは七番テンプレオリシュ、クラシック世代の最速がここに決定です』

『鉄壁の一バ身はここでも健在、着差以上の圧倒的な強さを見せてくれました。もはや誰も彼女を心配できません。次のレースが今から楽しみですね』

 

 次のレース、すなわち東京優駿――日本ダービー。

 G1を中二週で連続出走というこのタイトなローテーションに向けられていた不安の声は、今日を境に下火となるでしょう。そう確信できるだけの強さと余裕をリシュは示しました。

 実況と解説を聞く通り、レース関係者はリシュが何をやっているのか気づき始めています。それは遠からずマスコミを経由して周知されることでしょう。

 

「ふーん、まあこんなもんじゃない? G1とはいえ三冠でもないレースで負けられたら興ざめだもんねー」

 

 どこか斜に構えた態度で宣うのはトウカイテイオーさん。

 初対面のときにリシュとトラブルがあったことは聞き及んでいますが、今の関係性は険悪ではないようです。見下すような言葉に反し、その声色には信頼が滲んでいるように感じました。少なくともその力量を認めてはいるのでしょう。

 ちなみに余談ですが、〈パンスペルミア〉の全員で応援に来たわけではありません。リシュのレースはその余波でも潰れる可能性があります。今日レース場に直接足を運んだウマ娘は各担当と相談し、リシュの奔流を己の糧にできると見込まれた数人のみです。

 

 幾人ものウマ娘の夢を踏みつぶし、それ以上に多くの人間に夢を見せる。

 

 ゴール板を二着以降で次々に駆け抜けていくウマ娘たちはマイル(1600m)どころか長距離(3200m)を走らされたように精根尽き果てた様子。

 その彼女たちの中でさえ、目が死んでいる心の折れた子もいれば、肩で息をしながら炎が目から消えていない子もいます。

 あれだけの強さを持っていながら慢心も満足もすることなく。貪欲に自分にできることをひとつでも多く求め続ける。それが伝わってくるから、膝を屈してしまうのはあまりにも勿体ないから、彼女の異質なまでの強さに反し完全に心が折り砕かれた子の割合は少ないのでしょう。

 勝ち続けたところで人気に恵まれないウマ娘も中には存在しますが、リシュは人気が出るタイプのウマ娘です。彼女の浮世離れした雰囲気と圧倒的な強さはカリスマとして機能します。何でもできる万能性は話題性としても十分です。

 

――いつかきっと追い付いてくるはずなので。

 

 そう語ったリシュの目はひどく印象的でした。

 努力というのはつらくて苦しくてなかなか成果が目に見えないものです。

 よほど高いモチベーションや強固な意志が無ければ続けられるものではない。ですが、リシュはそのどちらもレースには持ち合わせていないのに淡々と努力を積み重ねています。

 きっとそれは、リシュが確信してるから。

 常に彼女の目には自分を追いかけてくる誰かの姿が見えている。その相手が己に比肩しうると、その日は一日ごとに迫ってると。

 だから明確な意欲を保ち続けていられる。その相手が誰なのか、リシュは明言はしませんでしたが私はその相手に感謝しています。

 

 ……ふと不安に駆られそうになります。

 リシュはこのままいけば世代を代表する、いえレースの歴史に名を刻むウマ娘になるでしょう。しかし順調にいけばと謳われていた優駿が歯車ひとつ狂ったことで消えていく。それもこの世界によくあることなのです。

 彼女を導くに足るトレーナーであり続けることが、私にできるのでしょうか?

 私は桐生院の娘。ミークと共に歩んだ『最初の三年間』のおかげでウマ娘の育成はトレーナー白書のみと向き合っていてはいけないと知りました。しかしそれでも私の強みの根源は桐生院に代々受け継がれる秘伝の知識であることに変わりはありません。

 リシュは規格外に過ぎる。ウマ娘の枠にぎりぎり踏みとどまろうとして少しばかりはみ出ているような存在。これまでの経験が活かせないわけではありませんが、四十冊を超えるトレーナー白書であっても流用できる内容は一割あるかどうか。

 彼女にはもっとふさわしいトレーナーがいるのではないでしょうか。たとえば破天荒なウマ娘を三年間上手くなだめすかして誘導し、何の下地も無い新人トレーナーから宝塚記念連覇という偉業を成し遂げた彼のような。

 

「あ、みてみて葵ちゃん。リシュちゃんが手を振ってるよー!」

 

 マヤノさんの声に意識を引き戻されます。

 マヤノさんはトレーニング中ならチーフトレーナーさんと呼んでくれますが、今はなかばプライベートという認識のようです。名前で呼んでいただけるほど仲良くなれたのは純粋に嬉しいのですけど、リシュはいまだに『桐生院トレーナー』呼びなのですよね……。

 無駄に気落ちしながらターフへ視線を落とすと。たしかにそこではウィニングランをゆったりと流しながらこちらに視線を向け、指を揺らすように小さく手を振るリシュの姿がありました。

 かと思うとにやりと笑みを深めてピースサインに切り替わります。ふむ、リシュから『もうひとりのリシュ』に切り替わりましたか。

 走り終わった後に手を振ってもらえるくらいには信頼関係が構築できてるということでしょうか。二重人格のことはまだ告げられていませんが、態度でほのめかす程度なら許容範囲ということ、でしょうか?

 

「リシュちゃんはね。ぱたんって閉じちゃってるの」

 

 どきりとしました。

 声に惹かれ、何気なく目をやったマヤノさんの横顔がとても大人びて見えて。はやく大人になりたいとせいいっぱい背伸びしている普段のマヤノさんはむしろ幼さと微笑ましさが強調されていますが、今の彼女は静かな気品に満ちていました。

 

「自分の中だけでふわーって満たされちゃうから、外に出る必要が無いの。みんなが生きるために必要なことが、リシュちゃんにとっては自分の意思で選んでも選ばなくてもいいことなの。

 外はイガイガで冷たくてうににーってなることも多いから、リシュちゃんは閉じた扉をなかなか開こうとしないの」

 

 頻繁に挟まるオノマトペは子供っぽさの発露のようで、それでいて言語化の難しいマヤノさんだけが見えている世界を極力損なわないよう誠実に表現しているようにも感じます。

 

「今日少しだけ開いたのはね、葵ちゃんだったからなんだよ。今日のレースでわかりやすく目立つように強い勝ち方をしたのはね、ほんのちょっぴりだけど葵ちゃんのためでもあるんだよ」

 

 マヤノさんがわかっていることの全てを私が理解できたわけではないのでしょう、けど。

 その言葉は乾いたところに沁み込むように私の中に入ってきました。

 

「リシュちゃんの担当トレーナーは葵ちゃんなんだから、ちゃんと見ていてあげてね」

「……はい!」

 

 何度でも。

 彼女たちから教わりましょう。私が道を違えようとするたびに正してくれるこの環境に感謝しましょう。

 年上だとか、トレーナーだとか。年齢や肩書が学びの阻害となることは許されません。未熟者である私が彼女たちを教え導く立場にいることの申し訳なさはありますけども。その罪悪感と羞恥を誤魔化すために逆上するなど最も恥ずべき行為です。

 

「……トレーナーは十分がんばっています、よ?」

「み、ミーク?」

 

 ミークが腕を伸ばして私の頭を撫でてくれました。

 嫌なわけではないのですが、人目のある場所では恥ずかしいといいますか。ううん、でもやめてくださいと拒絶することではありませんし。

 人前で頭を撫でられたくらいで揺らいでしまうチーフトレーナーの権威なら、それはチーフトレーナーである私の力不足というものでしょう。かのオグリキャップさんやイナリワンさんと“永世三強”と並び称されるスーパークリークさんのトレーナーは『いいこいいこ』とまるで幼子のように担当に頭を撫でられる姿がよく見られたと言います。

 それでも彼らの偉業と権威に揺らぎはありません。先人たちを見習ってここは大人しくされるがままにしておきましょう。

 

「…………パルクールとか、できますし」

「あはは……パルクールはあまり関係ないような」

 

 相変わらずミークの感性は独特です。ただ、こちらを慕い思いやってくれているのはこの上なく理解できます。

 私は担当に恵まれています。

 そしていまの私の担当は三人いて、全員この場にいるのです。

 

「うひょおおおお。神話と呼ぶにはあまりに荒唐無稽! 伝説と呼ぶにはあまりに発展途上!

 そう、それは『むかしむかし(Long long)あるところに(time ago)』と冒頭に付け忘れたばかりに、現代で対峙することになった御伽噺(フェアリーテイル)!」

 

 恍惚とした表情で身悶えしているのは私の三人目の担当であるアグネスデジタル。

 本人もウマ娘でありながらウマ娘という存在そのものが大好きという少しばかり変わった子で、推しの子を間近で感じるためだけにレースに出走しています。

 そのため三冠路線にもティアラ路線にも興味が乏しく、今はハルウララさんがいるダートをメインに活躍中。

 ミークには一歩及ばないものの、その気になれば芝もダートも縦横無尽に駆け巡ることができる幅広い適性と実力を持つ子です。

 もしも私にトレーナーとしての実績が無ければ、このような好きなレースに出してあげることは難しかったかもしれません。しかしシニア級でミークが、そしてクラシック級ではリシュがそれぞれ活躍してくれているため、トレセン学園での実績は十分。

 さらにリシュは王道の三冠路線で目覚ましい成果を出しているので、彼女たちと衝突することのないダートをデジタルが主軸にしていることはさほど不自然に思われていないようです。

 

 私としてはリシュを優先してデジタルを後回しにする、なんてつもりは全くありません。

 しかし身近な同期がマヤノさんとリシュという才覚と感性が天元突破したウマ娘だったばかりに、デジタルは卑下でも謙遜でもなく自らのことを『どこにでもいる平凡なウマ娘』と称するようになってしまった少し困った子でもあります。

 

――思いついたんだけどさ。脳内に将棋盤を用意する目隠し将棋の要領なら走りながらでも知力トレーニングができるよね?

 

――おおー、リシュちゃんあったまいい! アイ・コピー! どこに指したのか口でいうときに肺活量も鍛えられて一石二鳥だね! マヤ、三面指しまでならできるよ。デジタルちゃんはいくついける?

 

――……すみません。あたし、ふつーのウマ娘なんで。

 

 思い返してみると多分に同情の余地はあるかもしれませんね。

 でもね、デジタル。

 すぐ隣で脳内多面指しをやりながら併走トレーニングしている二人がいるので自覚しにくいかもしれませんが。

 『推しのお誘いに応じることのできないオタクに何の存在価値がありましょうか? いえ、ありません!(反語表現)』と必死に食らいついて自分も一つまでなら併走しながら脳内に将棋盤を展開できるようになったのは十分に()()()寄りですからね?

 

「聖剣も精霊の加護も持たぬ、勇者ならぬ我々はただひれ伏すことしかできないのでしゅ!」

 

 幸せそうに身悶えしていますけど。

 私はリシュの同期の中に勇者となりうるウマ娘がいるのだとすれば、それはデジタルがもっとも可能性が高いと思っていますよ。

 強力な磁石の隣に置かれた鉄が磁力を帯び、自らも磁石となるように。

 マヤノさんとリシュの影響を最も受けているのは間違いなくデジタルです。

 

 ダート2000mG1 ジャパンダートダービー。

 このままいけば夏に一度リシュと当たりそうですしね。

 

 

 

 

 

 ちなみに余談ですが。

 

 デジタルが言った『神話と呼ぶには~御伽噺』の一連の言葉。

 あのとき観客席には不特定多数の人間がいて、今の世の中は一般人でも気軽に呟きを全世界に拡散できるもの。

 外連味の利いたキャッチコピーだと、ネット上ではそれなりに話題になったようです。

 

「まさか味方に背中から刺されるとはね……」

 

 羞恥にリシュはいじけて部室の隅で丸まってしまい、平謝りするデジタルの姿が後日見られました。

 




今回はこれで一区切り!
できれば水着が来る前に次のダービー編の投稿が開始できたらなぁ(願望

例によって一週間以内におまけを投稿予定です


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【NHKマイルC】クラシック級の雑談スレ104【余韻に浸ろう】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


19:名無しの観客 ID:no+GhnJnS

『神話と言うにはあまりに荒唐無稽』

『伝説と言うにはあまりに発展途上』

 

『そう、それは「むかしむかしあるところに(Long long time ago)」と冒頭に付け忘れたばかりに』

『現代で対峙することになった御伽噺(フェアリーテイル)』

 

20:名無しの観客 ID:Ub9as4aZS

なにそれかっけえ

 

21:名無しの観客 ID:Re41Yw3kk

どこの雑誌の煽り文句だ?

 

22:名無しの観客 ID:nQFjNRPRL

いや、NHKマイルカップの観客席にいたウマ娘発祥って噂

スレのテンプレとかにも使えそうな完成度ってことでいま急速に広まっている

 

23:名無しの観客 ID:B9uNkgz+z

アグネスデジタルな

ほんと多芸だよなあの子

 

24:名無しの観客 ID:r0SfHI/QW

たしかに数年後にURAのCMに起用されてもおかしくないクオリティだぁ・・・

 

25:名無しの観客 ID:MgB0uBSee

NHKマイルカップが、来る・・・(ドドドドド

 

26:名無しの観客 ID:wHmcNQ9CZ

ここまで無敗の重賞5連勝、うち3つがG1か

クラシック級の前半でこれか

最新の伝説はどこまで伸びるのやら

 

27:名無しの観客 ID:Y3fHBXIMH

ようやく流れ落ち着いてきたか?

 

28:名無しの観客 ID:l1sfUianm

前スレは早々に使い切ったもんなぁ

 

29:名無しの観客 ID:gfJyvmbqj

テンプレオリシュすごかったもんなぁ

G1とは思えん圧勝だった

 

30:名無しの観客 ID:/0bnvfgEx

言うほど圧勝だったか?

二着との差は一バ身だったじゃん

がんがん差をつけて勝利していたナリブとかと比べるとパッとしないイメージ

 

31:名無しの観客 ID:furh7Wwgq

比較対象が悪いだろw

ナリタブライアンは日本レース史上5人しかいない三冠ウマ娘だぞ?

 

32:名無しの観客 ID:kl2Yz3C5U

テンプレオリシュも新たな三冠ウマ娘候補に名乗りを上げてるんだから

比較対象が間違ってるってことはないだろ

 

33:名無しの観客 ID:GwkAMGzb+

>『鉄壁の一バ身はここでも健在、着差以上の圧倒的な強さを見せてくれました。もはや誰も彼女を心配できません。次のレースが今から楽しみですね』

実況聞こえなかった感じ?

 

月刊トゥインクル増刊号皐月賞特集のマヤノトップガンのインタビュー記事も既読でない?

 

34:名無しの観客 ID:VFUhD+3Xx

>>33そういやあれどういう意味だったんだ?

レース場で聞いたけどよくわからんかった

 

35:名無しの観客 ID:TvOxPWt+P

ちくしょう、レース場まで足を運べたのならもっと予習しておけよもったいない

俺なんて仕事だったんだぞwwwwwうぇうぇwwwww

 

36:名無しの観客 ID:5t8fycprY

国民的娯楽である以上、観客にも温度差はあるわな

まあ無知蒙昧な諸君にもわかるように簡単に説明するなら

テンプレオリシュは意図して一バ身差に留めて勝利しているってことだ

朝日杯FSの大差勝ちの印象が強いけど、その前もその後もずっと一バ身差で勝ち続けている

 

37:名無しの観客 ID:4Cz7lZmC5

偉そうで腹が立つけど教えてくれるのはやさしいなありがとう

 

38:名無しの観客 ID:BRuHog5qK

なんでわざわざそんな勝ち方してるんだ?

 

39:名無しの観客 ID:gH5SSE3a/

足にかかる負担を減らしたいって言ってたぞ

 

40:名無しの観客 ID:wjsJ48HYI

手抜きして勝つとか舐めてんなぁ

他の子に失礼とは思わんのかね

 

ワイのトモエナゲちゃん相手に舐めプで勝つとか許されざるよ

 

41:名無しの観客 ID:TbuttWZSO

>『わかりました。ではあなたは怪我をせずトゥインクル・シリーズを走り抜けた先達の名前を挙げていってください』

>『ぼくは故障により道半ばで止まらざるをえなかった先達の名前を挙げていくので』

 

そういう意見は既に出ているし

その上で当人はまるで歯牙にかけてないゾ

ソースは月刊トゥインクルマニアの皐月賞インタビュー

あとお前のものじゃない定期

 

42:名無しの観客 ID:7xuBHZv8y

尖ってんなぁ

でも嫌いじゃないわ。三冠ウマ娘はそうじゃないと!

 

43:名無しの観客 ID:gXy8WSVO7

気が早すぎw でもでもたしかに

いちばん有名なクラシック三冠が人格者なルドルフだからそのイメージが先行するけど

シービーといいブライアンといい、癖が強いのばっかりだな

シンザンなんて賞金の低いレースをトレーニング代わりにしていたって話だし、それに比べたら真面目に走っている方か

 

44:名無しの観客 ID:pEe3fCIIN

だったら逆に、どうして朝日杯FSだけ大差勝ちしたのか気になってくるんだが?

教えて偉そうな人!

 

45:名無しの観客 ID:5t8fycprY

しかたにゃいなあ

両親が応援に来てくれてテンションがぶちぎれた結果って言ってたヨ

 

46:名無しの観客 ID:TWvLcwLuu

なにそれかわいい

 

47:名無しの観客 ID:iNKYSnAtb

急にほっこりしたな

両親と仲いいんだ

なんかいいな

 

48:名無しの観客 ID:5ReoGOg7T

テンプレオリシュちゃんはかわいいぞ

この前ダイワスカーレットとゲーセンでデートしていたところを見かけて

ついテンションがぶっとんでキモオタ全開で話しかけちゃったんだけど

そんな俺にも笑いかけてくれたし

 

49:名無しの観客 ID:/Xgq2VzGw

は?

 

50:名無しの観客 ID:5ReoGOg7T

お互いのぱかプチを手に持って実に仲睦まじい様子でした

 

51:名無しの観客 ID:WPWA3CEhD

まって

情報量が多すぎる

 

52:名無しの観客 ID:MTU2Vj9QI

ギルティ

 

いやマジレスすると中央所属だろうと芸能人じゃないんだからさ

プライベートのときに話しかけるのはNGだろ

 

53:名無しの観客 ID:DN1lQQSY1

イエスウマ娘ノータッチ

基本だよなあ?

 

54:48 ID:5ReoGOg7T

ああうん、せやな・・・

出張先で偶然動いている推しを見て理性が蒸発していた

今さらになって後悔してるし反省もしている

お詫びにテンプレオリシュとダイワスカーレットのグッズ全部買います

既に全部持ってるけど布教用と保管用に追加で2セットずつ購入します

 

55:名無しの観客 ID:zL1+u9McY

それはただお前が欲しいだけだろwww

 

56:名無しの観客 ID:ezm2OyNT8

既に品薄なんだから買い占めるなw

 

57:名無しの観客 ID:HbprAD8QS

ダスカとリシュって仲いいの?

 

58:名無しの観客 ID:0q1hDtZYH

たしか同郷で幼馴染

少なくともダスカ側はバッチバチに意識している節がある

 

59:名無しの観客 ID:2pTplbGG1

仲いいんじゃないか?

険悪な相手とゲーセンに遊びにいったりはせんだろ

 

60:名無しの観客 ID:Cfvw1uE2O

あまり一緒にいるところ見かけないけどなー

どちらかといえばマヤノトップガンやアグネスデジタルとよくつるんでいるイメージ

 

61:名無しの観客 ID:0gsp4qVda

出た、地元民マウント!

もっと情報提供していって

 

62:名無しの観客 ID:Cfvw1uE2O

アオハル杯チーム〈パンスペルミア〉初期メンバーでトゥインクル・シリーズ同期だからかよく一緒に走っててなー

ちっこいのがちょろちょろしていてすごくかわいい

全員身長が同じことから143ジェットストリームアタック小隊と呼ばれている

 

63:名無しの観客 ID:YoagIysbt

かわよ

 

64:名無しの観客 ID:Vdo3AYgVY

ってことはダスカとはきっちり20センチ差があるんか

この前のプロフィール情報が163cmだったよな

なおまだまだ成長中な模様

 

65:名無しの観客 ID:1iU0eBhWl

同期とは思えん体格差

 

66:名無しの観客 ID:zOTr3PSuh

かわいいだけじゃないけどな143ジェットストリームアタック小隊

この前なんて将棋指しながらランニングしていたし…

目と耳を疑ったわ

 

67:名無しの観客 ID:zhDYp/U7n

なんて?

 

68:名無しの観客 ID:3qJs5G6CC

は?

うん? どゆこと?

 

69:名無しの観客 ID:ATS/s7WvO

ランニングデュエルかぁ

なつかしいネタをひっぱってくるなぁ

 

70:名無しの観客 ID:zOTr3PSuh

いや本当なんだって!

「ひとつめ4六角!」「ふたつめ6四角!」とか言いながら走っていて何事かと最初は思ったけど

もしかしてあれ脳内将棋なんじゃねって気づいたときに鳥肌立ったわ

 

71:名無しの観客 ID:VMsH/mtOl

気づいたニキもそれはそれですごいと思う

たしかに将棋盤抱えながら走っているよりは現実的か

 

72:名無しの観客 ID:WMr1evJfb

いやマジで?

流石にありえなくないか?

 

73:名無しの観客 ID:NJt3szv4A

ひとつめとかふたつめとか、いったい何かと思ったが

そういえば三人組でしたっけ…

ウマ娘って脳内多面指ししながらランニングってできるのか…

 

74:名無しの観客 ID:NlvFcXlfe

いくら中央のウマ娘が天才揃いとはいえ限度があるだろー

 

75:名無しの観客 ID:5YSYpZwzN

……いや、ワイも見たでそれ。

リシュちゃんが四面指し、マヤちゃんが三面指し、デジたんがあきらかにオーバーヒートな感じで顔真っ赤にしながらなんとか一面やってたやつやろ?

 

よかった。最近いっぱいいっぱいになっていたからまた幻覚でも見たのかと…

 

76:名無しの観客 ID:EhvqXRhjI

たしかに自身の正気を疑う光景ではあるw

 

77:名無しの観客 ID:ovxn7U4RK

はえー。中央のウマ娘ってすごいんですねー

 

78:名無しの観客 ID:3uOk9jKPy

どうかそれが中央で日常的に見られる光景だと思わないでいただきたい(ふるえごえ

 

79:名無しの観客 ID:u0abTPix4

何やらせても平均以上の成果を出せるフィジカルエリートの集団であることには違いないけど

さすがにそんな規格外はそうそういないから…

 

80:名無しの観客 ID:gqeOau8Ay

何気に何面指しやっていたのか把握できている目撃者ニキもただものではないなw

 

81:名無しの観客 ID:5YSYpZwzN

その後ゴールドシップがダイナミックエントリーしていたわ

「d3!」とか「d6!」とか言っていたから

たぶん脳内チェスを仕掛けていたんだと思う

リシュちゃんだけが対応できて、最終的にチェス4面将棋4面とかになってたな

 

82:名無しの観客 ID:MJMzKuOmx

なんだその異種格闘技www

走っている間に対局終わらんだろwwwwww

 

83:名無しの観客 ID:jAuDXxwG1

ゴルシは本当にどこにでも湧いてくるなぁ

 

84:名無しの観客 ID:wXeBIQ0XE

クラシック級のリシュちゃんは既に将棋4面のハンデ負っているのに

一方的に脳内チェス仕掛けるシニア級ウマ娘がいるってマジ?

失望しました。ライスシャワーのファンやめます

 

85:名無しの観客 ID:LkVB2gwQz

ライスシャワーとばっちりで芝生える

 

86:名無しの観客 ID:HWTo8VXeS

こういうときにライスが被害担当になる風潮はいったい何なのか

 

87:名無しの観客 ID:5YSYpZwzN

ちなみにゴールドシップはゴールドシップでサッカーボールとバスケットボールでそれぞれドリブルしながらのエントリーだったから

ある程度はフェアな条件やったんやないかな。知らんけど

 

88:名無しの観客 ID:125NptpH1

なんて?

 

89:名無しの観客 ID:q+t04RCzg

なんで?

 

90:名無しの観客 ID:7ITT2a6Oe

手と足でドリブルしながら脳内チェスを仕掛ける葦毛の奇行種がいるらしい()

 

91:名無しの観客 ID:EVrjhQoVu

まさかそんなことするウマ娘がいるわけないやろー、じゃなくて

なんでゴルシそんなことしとるん?

になる安定のゴルシクオリティ

 

92:名無しの観客 ID:vmNG2FoFu

そんなゴルシと肩を並べることができるテンプレオリシュ

潜在能力だけなら既にレジェンドクラスか…

 

93:名無しの観客 ID:72zCWdbww

そんなことでレジェンド認定されても不本意じゃね?

 

94:名無しの観客 ID:5YSYpZwzN

最後は風紀委員と生徒会に捕まってまとめて説教されてたわ

貴様らはともかく他のウマ娘が真似したら危ないだろって

 

95:名無しの観客 ID:obBnXyyGP

貴様らはともかくで腹筋がダメだった

 

96:名無しの観客 ID:krKigWRaJ

普段敵対しているからこそ底なしのポテンシャルを思い知らされているのか

 

97:名無しの観客 ID:MB4VfFc5Z

いや、ゴルシはともかくリシュの方はそこまで問題行動は聞かないぞ?

せいぜい〈ファースト〉相手にアオハル杯形式で単独5連戦したって噂があるくらいだ

 

98:名無しの観客 ID:Ak0B1X2tX

十分だよw

 

99:名無しの観客 ID:QC2xtBAZJ

まあ実際問題、いくらウマ娘専用レーンがあるとはいっても

ウマ娘の速度で外周しているときにうわの空だと危ないよな

ボールなんて車道に転がりでもしたら事故のもとだ

 

100:名無しの観客 ID:QEURaomoW

残当

 

101:名無しの観客 ID:1HOF90fdq

目撃者ニキ詳しいな

風紀委員と生徒会の説教って完全に学内のできごとちゃうんか

もっと情報おとしていけ

 

102:名無しの観客 ID:MQMpS401f

>>75 最近いっぱいいっぱいって何があったのか気になるー

たぶん聞いてくれってフリよなそれ

 

103:目撃者75 ID:5YSYpZwzN

あー自覚は無かったけど聞いてほしかったのかもしれん

まあ気づいとると思うけど、ワイは今職業柄定期的に中央に出入りしとるんよ

中央のウマ娘っていい子ばかりやから顏合わせるたびに挨拶とかしてくれて

定期的に続くと名前は知らんくとも顔は一致したりするようになるんよな

ちょっとトイレ

 

104:名無しの観客 ID:AByGxhb+g

挙動不審すぎて芝

いってらっしゃい

 

105:名無しの観客 ID:oDQdayAvE

まともじゃない精神状態が如実に表れていますねぇ・・・

 

106:目撃者75 ID:5YSYpZwzN

ただいま。続きやで

そんな風に顔見知りになった子に調理実習で作ったのでよければどうぞー

ってこの前クッキー貰えたんよな

中央ってこんなにお洒落なもの作るんやなーってありがたくいただいたんやけど

 

その日はどの学年にも調理実習なんて無かったと知ってしまった<イマココ

 

107:名無しの観客 ID:4qtfwS5Kz

こわっ

 

108:名無しの観客 ID:0typy5gFp

羨ましい

爆発しろ

 

109:目撃者75 ID:5YSYpZwzN

ああああああああああああああ

調理実習で作ったものなら変に躊躇しても失礼かなって目の前で食べちゃったよおおお

ありがとう美味しかったよって言っちゃったよおおおおおお

よくよく思い出してみればやけに包装が凝ってるとは思ったんだよなああああ

 

110:名無しの観客 ID:HUIUDXzyw

包装が凝ってる時点で気づけよwww

 

111:名無しの観客 ID:KhUVChgBo

最近の調理実習はラッピングまでするのかー(棒

 

112:名無しの観客 ID:orlvpX0XO

それで、目撃者ニキは何が問題なん?

こっちからしてみれば中央のウマ娘ちゃんにクッキー貰えるなんて羨ましいだけなんやけど

 

113:目撃者75 ID:5YSYpZwzN

イエスウマ娘ノータッチは基本やろぉがぁ?

芸術品に指紋を付けたいと思うファンがどこにおるねん

 

114:名無しの観客 ID:lUlLMF8fa

まあ生徒に手を出したなんて噂が立てば最悪失職ものやんな

警戒する気持ちはわかる

 

それはそれとして爆発しろ

 

115:名無しの観客 ID:wOvIW+OWO

ニキがウマ娘の好意にのぼせ上がるような人間じゃなくてよかったよ

ただ、ファンとアイドルである以前にひとりとひとりの人間って観点は忘れずにな?

クッキーを渡したいと思う背景がその子にはあったはずで、傷つけたくないのならそれは蔑ろにしてはいけないと思うぞ

 

もしも勝ちウマに乗られるようなことになれば詳細な報告よろしく

 

116:名無しの観客 ID:8beJbZeVJ

やさしいけど野次ウマ根性が隠しきれてないなコイツらw

 

117:目撃者75 ID:5YSYpZwzN

アドバイスサンガツ

視野狭窄になってたみたいだわ

最悪再就職になってもいいからちょっとがんばってみりゅ

 

118:名無しの観客 ID:r73YjQQ/t

がんばれー

 

119:名無しの観客 ID:Dh3jR+XXf

まけるなー

 

120:名無しの観客 ID:mXdLHyU/n

さらっと流されている再就職

ニキがどうなろうとウマ娘に幸せになってほしいというスレ民の鋼の意志を感じる

まあワイも同意見やが

 

121:名無しの観客 ID:L6D2yFN/N

リシュの次走ってダービーになるんかな?

 

122:名無しの観客 ID:OUr4f3HOo

そのはず

三人いたジュニア級G1制覇者

そのうちマヤノは皐月賞で下したから

ついにダービーでジュニア級王者の中の最強が決まるのか

ワクワクするな

 

123:名無しの観客 ID:448I0HCCe

ウオッカは桜花賞でダスカに負けているから格が一枚落ちないか?

ダービーにいくのもオークスのダスカから逃げてるんじゃないかって話を聞いたんだが

 

124:名無しの観客 ID:5qKK+ePfF

逃げなら逃亡先にダービーを選ぶやつなんかおらんやろ

 

125:名無しの観客 ID:pS7ohYvGa

ウオッカはダービーを取るウマ娘だと思うよ

今はダスカの方が完成度が高いけど、潜在能力はウオッカの方が上だと思う

 

126:名無しの観客 ID:omUf2da9a

ようやくクラシック級雑談スレみたいな話題に戻ってきたな…

 

 




これにて今回は一区切り!

今年の水着が来るまでにダービー編を更新したいとは考えておりますが
それだと今回同様に短めになってしまうので
もしかするともっと時間をとって書き溜めするかも


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優駿の宴
巫女の歌に思いをはせて


バッチリ水着に合わせて投稿していきましょー!
ダービー編、開幕です
みなさん、ちゃんと水着への備えはできていますか?
当方はダメです(収穫の品、玉座×1)

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

あと評価の必要コメント数を0に変更してみました。
10と0のときにはコメントが必要になりますが、どちらもハーメルンで10個しか付けられない特別な評価ですし、せっかくなのでいろいろ聞いてみたいのです。


 

 

U U U

 

 ウイニングライブの練習というのはなかなかに大変だ。

 

 たとえばクラシック三冠に勝利した者だけがその歌唱を許される『winning the soul』。

 これはそのうたい文句の通り、皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラシック三冠で勝利したときにしか歌われない。

 生涯で最大三回しか使わない歌とダンスとパフォーマンスなのである。あくまでウイニングライブという括りの話で、どこか別の機会にファンサービスの一環で行う可能性は十分にあるが。

 だからこその価値、というものがあるというのは重々承知している。でもやっぱり練習中のふとした拍子にこれだけ練習してクオリティを確保して、実際に使う機会が最大三回とは……コスパ悪すぎやしないかという思いが湧いて出てしまうのも事実。

 

《でも無駄な努力じゃないってのは、デジたんを見ていたらわかるだろう?》

 

 まあたしかに。

 デジタルが『ライトは公式のものがおススメです! 市販のライトでは大きすぎたり、眩しすぎたりする恐れがありますっ』とそれはもう熱心に語っていたのを思い出す。

 ライブ関連グッズといえば円盤くらいしか思いつかない私が認識している以上に、ライブというのは大きな収入源ではあるのだろう。

 さらにデジタルはライブの映像を見ずとも、最初のコーラスを聞いただけで何年のどのレースのウイニングライブなのか言い当てることができた。

 ウイニングライブはその性質上、ボーカルがどのパートを歌っているのかで三着までの順位を知ることができる。そこにステージ環境で発生する音の反響や声から察せられる疲労具合などライブごと大小の差異を組み合わせれば、たとえ同じ顔触れが歌っていたとしても判別することなどウマ娘オタクにとっては容易な作業なのだろう。

 

《デジたんは間違いなく上位ではあるが、それでも頂点(トップ)ではない。恐ろしいことに》

 

 不特定多数からそれだけ推されるというのはウマ娘冥利に尽きる、のかな?

 私がいなければ私以外の誰かが推されていただけかもしれない。この時代のこの世界においてアイドルというのはあくまで数ある娯楽でしかない。この資本主義社会の中で無数に消費される代用可能な商品のひとつ。

 それでも、私がいなければこの世に生まれなかったものがある。今の私にしか世界に刻めない爪痕がある。全力で汗と涙とよだれとたまに鼻水も垂れ流しているデジタルを見ていると、不思議とそう思えるのだ。

 

《自分の趣味ではなくても、デジタルのために歌って踊るのは悪くない。そんな感じ?》

 

 そうね。そんな感じ。

 

 ウイニングライブのデータはレースの疲労がある中での一発撮りにも拘わらず、それだけ多くの人間に繰り返し長く愛好される。

 地方では音源はラジカセ、踊るのもスポットライトの一つもないお立ち台という学芸会の延長線上のようなところも少なくないらしいが。

 中央のウイニングライブは経済的な意味でもファンの心情的な意味でも、トゥインクル・シリーズにとって重要な役割を担っている。URA所属のウマ娘としては責任重大、手は抜けない。

 

 そんな緊張感と義務感に背中を押されながら練習を重ねていた、ある日のことだ。

 自他ともに認めるダンス巧者、テイオーのキレッキレのステップを見ていたときにふと思った。

 

 どうして中央のウマ娘はウイニングライブをこなせるのだろう?

 

 いや、別に何かに文句をいいたいわけじゃなくて単純な疑問。

 歌とダンスのレッスンはしっかり学園の時間割に組み込まれている。

 学園の施設にはダンススタジオだってある。

 学園も私たちも、リソースを費やしていないわけではないの、だが……。

 

 それでも中央トレセン学園に通うウマ娘の第一はレースだ。

 

 それは揺るがない。

 あくまで噂の範疇だが、うっかりウイニングライブの練習を疎かにしてメイクデビューのライブでやらかすウマ娘が数年に一人はいるらしい。

 そんなことをやらかした日には担当トレーナーともども学園から厳しく叱責されるし、ときには明確なペナルティを受けることもある。やらかした本人からすれば一生モノの恥になるだろう。

 

《デジたん曰く、あくまでファン目線では『デビューの時期に稀に見られる、微笑ましい風物詩』らしいけどねー》

 

 まあ本人の悔悟と見る者の感想のギャップはさておき、重要なのは『失念してしまう程度にウイニングライブは優先順位が低い』ということだ。

 円盤やその他グッズの売り上げ、経済効果という面で言えばもしかするとレース以上にURAにとって重要かもしれないウイニングライブであるが、生徒たちからすればその程度の重要度でしかないのだ。

 責任はある。それでもレースに比べると一段落ちる熱意しか抱けない。

 中には自分をアイドルと定義して歌とダンスに命を懸けてるような者もいるけど、あくまで例外的存在だろう。

 

《オメー三兆人のファンを誇るファルコさん舐めんじゃねーぞ》

 

 いやいや、人類が地上に誕生してから累計で総数を数えても三兆には届かないから。

 三兆とかそれこそSFのように地球外に人類が蔓延する世界観で、銀河を股に掛けた超アイドルとかじゃなきゃ無理だって。

 

 ともあれ、私たちはそこらのアイドルと遜色のないクオリティのライブをお届けしている。その自信はある。

 たしかに、得意不得意に個人差は存在する。実際なかなか上達できずテイオーにダンスのアドバイスを求めに来た生徒を一度ならず見たことがある。

 

 でもそんな彼女たちも努力すれば最終的にはできるようになるのだ。

 

 プロとアマチュアの間には努力だけでは越えられない渓谷があって、私たちのウイニングライブはその渓谷の向こう側に届いているように思える。

 世のアイドルたちはファンにあのクオリティのパフォーマンスを届けるためにどれだけ血がにじむような努力を重ねてきたのだろうか。どれだけの時間を費やしてきたのだろうか。

 もしも逆の立場だったのなら。

 アイドル業務の傍らにちょちょいとレースのトレーニングを行い、トゥインクル・シリーズに所属する私たちと遜色がないくらい走れるようになれたとすれば、私はちょっと面白くないと思う。

 

《まあウマ娘はそういう生き物だからねぇ》

 

 困った時のテンちゃん知恵袋である。

 何でも知っているわけではないが、改めて時間をかけて調べるほどではない知的好奇心を適度に満たしてくれる。

 仮に知らなければテンちゃんでも知らないのだと、それはそれで諦めがつくというもの。

 

《順番が逆なんだよ。ウマ娘がみんなアイドルとして天賦の才能を有しているというより。眉目秀麗で歌と舞のたぐいまれな素質を有しているからこそ、ウマソウルの器たりうるんだ》

 

 今回はわりとあっさりと答えを得ることができた。

 

 ふむ、つまり……。

 ウマ娘とは独立した種族ではなく、ホモサピエンスの雌に発現する先天的な特異体質ということ?

 その発現条件がウマソウルを宿すことで。

 ウマソウルを宿す条件が一定ラインを越えた偶像(アイドル)としての素質であると。

 巫女やシャーマンみたいなものと考えたらわかりやすいかもしれない。眉目秀麗で美声であればそれだけで発言力は高まるだろう。

 歌も舞も古来より神々に奉納されてきたものだ。条件としてそれらの才能が求められるというのは、それなりに納得できる理論だった。

 巫女やシャーマンが一時的に神や精霊をその身に降ろして奇跡を起こすのだとすれば。

 ウマソウルを生涯に渡って宿す常時発動型の奇跡がウマ娘なのではなかろうか。

 

《今の言葉だけでよくわかったなぁ》

 

 テンちゃんの声色が素直に感心の色を帯びる。照れるなぁ、もっと褒めろ。

 

 まあ下地が無かったわけではない。

 ふんわりやんわりしたこの世界とはいえ、ウマ娘とはなんぞやと知的好奇心を抱く人間は一定数存在する。

 彼らの研究成果はネットの海を漁ればいくらでも転がっているし、自分探しの旅に出たくなるお年頃であれば一回は漁ってみたことはあると思う。

 それらの拾い集めていたパーツがさっきの一言で急激に組み上がって明確な形を成しただけのことだ。

 

《あくまでぼくの経験から導き出した推論に過ぎないけどね。ただまあ、この世界線においてはおおむね外れてはいないんじゃないかな》

 

 この情報を発表すれば業界には激震が走るかもしれない。

 ……いや、そんなことはないか。

 ウマ娘とヒトの付き合いは古代から続き、相応に研究は続けられている。似たような仮説は既に提言されたものがいくらでも転がっているだろう。

 ただ確証に至る根拠が無かっただけの話で、そして『テンちゃんの証言』というだけではその根拠になりえない。

 

 私にとってはテンちゃんの言葉というだけで確かな情報源(ソース)だが、違う人間の方がずっと多いということは子供の私でも理解できる。

 『人語を解するウマソウルの言葉』というのは耳を傾けるに値する付加価値かもしれないが、今度はテンちゃんがウマソウルだということを証明する方法がない。

 そもそも私がテンちゃんとひとつの肉体に共存した二重人格なのか、車のハンドルを握れば人格が豹変する一部の人々のように特定条件下で大きく単一の性格が変わるタイプなのか、はたまた演技が上手いだけの同一人物なのか、そこから客観的に判別し周知させる方法など存在するのだろうか。

 『何を言っているのか』よりも、『誰が言っているのか』の方が重要視されるのが人間社会というものだ。

 そして私は『あんたほどのお人が言うなら間違いあるまい』と相手に思わせるような人間ではない。レースやライブと違って対人経験には胸を張れるだけの積み重ねが無い。

 

 ふむ、少しだけテンちゃんの求めているものが実感を伴って理解できた気がする。要するにテンちゃんは()()が欲しいのだな。

 レースという私たちがわかりやすく活躍できる手段を使って。『あれだけの偉業を成し遂げたウマ娘の言葉ならば信じるに値する』と思わせるだけの権威を求めている。

 誰が言っているのかの方が重要視される、その『誰か』になろうとしているのだろう。

 無敗のクラシック三冠という偉業を成し遂げた“皇帝”シンボリルドルフのような、彼女の言葉というだけで説得力が跳ね上がる『誰か』に。

 

《いくらウマソウルがあっても器が無ければこの世界に降りてくることができない。そしてレジェンドクラスのウマソウルを受け入れられるだけの器なんてそうそう数が出回るものじゃない。

 一部のウマソウルは渋滞を起こしているんじゃないかな。ウマソウルじゃなくて、受け入れる巫女の数が追い付いていない。マルゼンスキーとキタサンブラックが競走するようなこの時空のねじ曲がり具合って、要するにそういうことなんじゃないかと思うんだ》

 

 テンちゃんが何をもって『時空が捻じ曲がっている』とか感じるのかまではよくわからないけど。

 この世界はウマ娘と共に発展してきた。

 より多くのウマ娘を輩出してきた家が栄え、その逆もまた然り。そうやって淘汰が重ねられてきた結果、無自覚のうちに品種改良めいたものが行われてきたのではないだろうか。あるいは自覚的に行われてきたこともあるかもしれない。

 そうやって品種改良が進んだ結果、時代が進めば進むほどに良質な『器』が増え、これまで渋滞を余儀なくされていたウマソウルがどんどん飛び込んできていると考えれば。まあ、理論に破綻は見当たらないか。

 

 ちなみにキタサンブラックは知らないが、マルゼンスキー先輩は現在ドリームトロフィーリーグで活躍中のレジェンドのひとりだ。

 トゥインクル・シリーズにおける最終戦績は八戦八勝。ルドルフ会長と同様、あまりに強すぎて『最初の三年間』終了後即座にドリームトロフィーリーグへの移籍が決定した隔離組である。

 遠目に何度か見たことがある。速く走る、その一点で磨き上げた芸術品の連なり。あれはちょっとモノが違う。私たちを規格外とするなら、あれは三女神が手掛けた特注品(カスタムメイド)とでもいうべきか。“スーパーカー”の異名は伊達ではない。

 ドリームトロフィーリーグの方では勝ったり負けたりしているが、トゥインクル・シリーズ無敗というのはあの“皇帝”シンボリルドルフでもなしえなかった偉業だ。まあ皇帝サマは皇帝サマで『勝利よりも、たった三度の敗北を語りたくなるウマ娘』などと称えられているのだが。

 個人的な付き合いはまだ無いが、中央トレセン学園の生徒として常識の範疇では知っている。

 バケモノじみた実力をひけらかすことなく、ただ楽しく走ることを純粋に愛するお姉さん。後輩の期待にどこまでも応えてくれる頼りになる大先輩。ただし言動にちょっとバブルの香り漂うのが玉に瑕。

 

 ふむ、そうか。

 ウマソウルという存在がウマ娘の日常生活に与える影響は決して小さいものではないと言われている。テンちゃんほど大声でその存在を誇示するのはたぶん世界でオンリーワンだろうけども、それはひとまず置いといて。

 たとえば耳飾り。ウマ娘のオシャレとして一般的なそれであるが、右耳を中心に着けるか、左耳を中心に着けるかは個々人でハッキリ決まっている。その日の気分で左右の偏りが変わるという子は鏡以外では見たことが無い。

 たとえば体操服。中央トレセン学園ではクォーターパンツとブルマの両方が採用されているのだが、こちらも併用している子は見たことが無い。クォーターパンツ派の子はずっとクォーターパンツ、ブルマ派の子はずっとブルマだ。

 この上記の二点、まったく関係がないように見えて右耳中心に耳飾りを着ける者はクォーターパンツ派、左耳中心に着ける者はブルマ派と、明確な法則性がある。

 なんでもこの法則に反した格好をしていると、まるでフォーマルな場に私服で紛れ込んでしまったような居心地の悪さを感じるそうだ。

 そわそわ落ち着かないのだとウオッカがあの性格でブルマを選ぶのだから、それなりに強めの違和感なのだろう。

 

 ぶっちゃけ私にはよくわからない感覚である。

 

 他人で見たことこそ無いが、実は私自身はこの法則性に当てはまらない。

 強いて言うのなら私が自分で着替えるときは左耳、テンちゃんが着替えるときは右耳に偏ることが多いだろうか?

 ブルマは恥ずかしいのでクォーターパンツ派だ。これはテンちゃんも変わらない。たしかに世の中にはスカーレットみたいにブルマがこの上なく似合う女の子もいるが、私の身体はそうじゃないから。

 この奇妙な本能にはウマソウルが関係しているのではないかと、昔から冗談交じりに言われていた。

 テンちゃん曰くそれは真実らしい。三女神さまはいったい何を考えてそんなところにそんなルールを定めたのやら。

 

 マルゼンスキー先輩のバブル薫る言動もそうなのかもしれない。

 ウマソウルがどれだけの影響をウマ娘の人生に及ぼすのかは諸説あるが、確実視されているのは名前。そして有力視されているのが『歴史』だ。

 本来なら彼女はもっと昔に生まれておくべき存在で。だから彼女の中に刻まれた歴史はバブル経済前後のもので。だからあんなにティラミスにナタデココに肩パットに執着しているのではなかろうか。

 でもマルゼンスキーという超一級品のウマソウルを受け止められるだけの『器』がなかなか生まれなかったから、ずるずると現代まで降りてくることができなかったと。

 

《単純に器の品種改良が進んだってわけじゃなくて、相性もあると思うよ。メジロ家とかシンボリ家とかの名門は血統と冠名ウマソウルが蜜月の関係になってる一例だし》

 

 ああ、たしかに。

 ウマ娘が種族ではなく、異世界から降りてくるウマソウル由来の特異体質であるならば。

 名門に同じ名を冠したウマ娘が生まれる理由は遺伝由来ではないということになる。いや、遺伝子レベルで特定の名を冠したウマソウルと相性がいいのだと考えればこれもやっぱり遺伝なのか?

 一般家庭出身の私たちにはわからないし知る由も無いが、中にはまったく一族とは無関係の名を冠したウマソウルを宿してしまい肩身の狭い思いをするウマ娘もいるのかもしれない。

 あるいはシンボリ家関係者との噂があるテイオーがやけにルドルフ会長と関わろうとするのも、そのあたりコンプレックスがあったりするのかしら?

 

――メジロになりたかった

 

 ふと、古い記憶を思い出した。

 そうだ、いつだったか泣きじゃくる小さな子に出会ったことがある。メジロになりたかったよとうずくまるその子を前に困惑することしかできなかった私と対照的に、テンちゃんはその涙の理由まで把握した上で慰めていたような気がする。

 

――泣くなよ。だってきみは『黄金の不沈艦』だろう?

 

 なんて言ってたっけ?

 変だな、記憶力にはこれでも自信があるのだけど。削り取られたように空白だ。

 いつどこで会ったのかも、その状況に至る経緯も、あの子の名前もさっぱり思い出せない。

 興味がないことはそもそも憶えない私ではあるが、テンちゃんがあの子の頭を撫でるあの光景が一枚絵のように記憶の中に残っていることから無関心だったということはないはず。

 

 栗毛で前髪に白く流星がある子だった。

 おとなしくて聡明な子だった……うん? おとなしそうなのは雰囲気で判別したとしても、聡明ってのはある程度会話が発生しないとわからないよな。

 本格的におかしいぞ。不自然なくらいぽっかりと忘れている。まるで誰かが白で塗り潰したようだ。

 

《へー、記憶処理ってこういう感じになるのかー》

 

 なんかテンちゃんが怖いこと言ってるぅ。

 よし、思い出せないってことはさして重要なことではないんだろう。私は何も思い出さなかった。はい終わり!

 

《ここにいるのは馬ではなく、あくまで名前と歴史を受け継ぐ少女たち。数奇な運命を背負わされてはいても、いざどんな未来を切り開くかは自分の意志で選ぶことができる。

 だからダイワスカーレットがオークスを勝ったっていいのさ。トウカイテイオーが奇跡の復活ではなく順当な三冠を勝ち取る未来があったっていいんだ》

 

 全力で意識を逸らそうとしていたので聞き逃しそうになったけど。

 テンちゃんはまるで自分に言い聞かせるかのような口調だった。

 

《だから……ダービーをウオッカから勝ち取ったっていいのさ。歴史はぼくらの前に立ち塞がっているんじゃなくて、ぼくらが切り開いた後にできるんだから》

 

 迷ってる? 躊躇している?

 何に?

 変なの。たしかに次の日本ダービーは私たちが大本命、対抗バがウオッカであるのは同意見だけど。

 ウオッカだけが走るレースじゃないし、私たちだけが走るレースでもない。現在の日本ダービーはフルゲートだと十八人のレースで、その全員が『自分が勝つ』と決めたから出走するわけで。

 クラシック二冠目も私たちが貰うよ。クラシック三冠だけじゃなくてこれから先も、ずっとね。

 誰かが勝てば誰かが負ける。それが変わらないのなら勝つのは私たちがいいと言ったのはテンちゃんじゃないか。

 

 もはや途中で立ち止まることをためらう程度には多くの夢を踏みにじり、踏み壊してしまったから。

 粉々になったその欠片たちを背負ってここまで来たつもりだから。

 大切に抱えていたかった夢を壊された側からしてみれば、何の慰めにもならない自己満足だろう。

 だけど、一度目指すと決めたのならそういう覚悟は自己満足だろうと必要だとも思う。

 私が立ち止まるのはきっとこの脚が壊れたときか、走るのに飽きたときだ。

 そして健康に気を遣っている私たちに前者は当分ありえない。後者もしばらくはなさそうかな。

 

《ん、そうだね……自分が言ったことには責任を持たないとな!》

 

 ちょっと元気出た?

 テンちゃんがどういう視点で生きているのか、相変わらず理解できないことも多いけど。

 大切な相棒なのだ。困っているときに助けになれたのなら何よりである。

 ところで、やけに日本ダービーのウオッカを警戒しているけどそんなにヤバいの?

 

《んー、そうだねぇ。具体的に言うのであれば……。

 ダービーのウオッカとダービーのナリタブライアンが勝負すれば、ダービーのウオッカが勝ちかねない。それくらいにはヤバい》

 

 それはヤバいね。

 

《ワクワクする?》

 

 自分の走るレースじゃなけりゃね。

 




まさか公式がウイニングライブ関係を掘り下げてくるとは……
ヨシ! 公式設定がカッチリ用意される前だからこそ好きなこと言っとこ!


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近づく始まりと終わりの祭典

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U U U

 

 

 鏡を見ながら頭を触る。

 どうにも落ち着かない。

 私の勝負服の頭装備がシンプルなサークレットでよかった。

 これがスカーレットみたいにリボン、シュシュ、ティアラにツインテールとごちゃごちゃした装いなら鏡の前で無為に時間を費やすことになっていたかもしれない。

 

《あの属性てんこ盛りを喧嘩させず見事にまとめて魅力にしているダスカのデザインは神がかっているよなぁ。さすがチュートリアルヒロインだ》

 

 テンちゃんの戯言はいつも通り。

 右手の包帯と左腕のシルバー、白と黒の双剣等々、何かと左右非対称(アシンメトリー)な装飾が多い私の勝負服であるが、このサークレットは左右対称だ。何故だかどちらかに偏らせるとバランスが悪い気がして。

 不思議なものだ。日常生活では右にリボンをつけようと左にヘアピンを挿そうとそんなことを感じたことはないのに。勝負服はウマソウルとの同調率を高めるための装いだという説と何か関係があるのだろうか。

 

《どうだろうねぇ。右耳と左耳、どちらに偏ってもバランスが悪い、か。何やら意味深なような、特に深い意味なんて無くてそれっぽく伏線みたいなものをとりあえず出してみただけのような》

 

 さて、どうしてレースでもないのに勝負服に身を包み、鏡を前に似合いもしないことをしているのかというと。

 今日は日本ダービーに向けた記者会見なのだ。気が重い。

 

《皐月賞の時点でファンからサインを求められる機会がたびたびあったもんなあ。ほんと、中央のウマ娘ってただの学生やれないんだとああいうの体験するたび実感するよ》

 

 しっかり習うもんね、サインの書き方。

 トゥインクル・シリーズは国民的娯楽。エンターテイメントである以上、こちらもエンターテイナーとしての立ち振る舞いは必要なのだ。世知辛い。

 そりゃまあ、私だって走っているだけで芝やダートから金銀財宝がザックザク湧いてくると思っているわけじゃあありませんけど、ねえ?

 仕事の一環だと思っているからやっているけど、学園を通さない突撃取材とかは絶対に受けないからね、私。走って逃げるから。壁も十メートルまでなら道の範疇だから。

 

 これまでもマスコミの取材は皐月賞以前のG1等でたびたび経験していたが、今回は私にとって少し特別。

 今回のインタビューを担当するのはテンちゃんではなく私なのである。

 

 そう、それは遠い昔のようにも、つい最近のようにも思えるとある日の記憶。

 ジュニア級ですらない、デビュー前の時期に自らの手で打ち立てたプチトラウマ。

 

――まだ二回勝っただけです。私をスカウトするかどうかは、ちゃんとレースを走り終えた後に決めてください。

 

 あの一言のせいで私は中央のトレーナー勢から干されかけた。

 今となっては彼女でよかったと思える桐生院トレーナーとの契約だが、当時は溺れる者が縋る藁として差し伸べられた手を掴んだだけである。

 

《あのとき掴んだトゥインクル・シリーズ出走チケットは間違いなく虹色に輝くSSRだったね》

 

 そればかりは本当に不幸中の幸いだ。

 ただ結果が極上のものだったとしても、あれが私の中で大きな失敗経験になっているのは事実。

 その苦い思い出のせいで私は進路に関わる交渉事、つまりマスコミへの対応などを基本テンちゃんへ丸投げするようになった。

 得意な自分がいるのに、わざわざ苦手な自分の方で苦労する必要なんて無いだろう。

 誰かに押し付けているわけじゃない。自分でやらなきゃいけないことを、しっかり自分でやっている。

 

《自分が一人しかいない者の尺度で考えてはいけないよね、うん》

 

 ただまあ、あのときの私がこれから始まる未来に向け、曲がりなりにも抱いていた希望や情熱みたいなものはあったわけで。

 それを投げ捨てて嫌な記憶に成り下がってしまった一連の出来事から逃げているんじゃないかと咎められれば、否定する言葉は吐けないわけで。

 あれから一年以上テンちゃんに守ってもらって。少しは私の側でもやってみるかと、ようやく自然に思えるようになってきたわけだ。

 

 それ以外にも、もうひとつ。

 あるいはこっちの方が動機としては比重が大きいかもしれない。

 皐月賞ではマヤノに触れられた。NHKマイルカップではマヤノほど私に肉迫したウマ娘はいなかったが、全体的に私との実力差は着実に縮まっていた。

 あまり考えたくはない話だが、この調子でいくといずれレース中にウマソウルを活性化させ過ぎてテンちゃんが疲労困憊になることもあるかもしれない。

 否、あると考えるべきだ。

 そうなると疲労困憊のテンちゃんにレース後のインタビューまで押し付けるわけにはいかなくなる。私だって疲れているだろうに、その上で不特定多数のマスコミに対応する必要が出てくる。

 私はアドリブがあまり利かないタイプだ。

 いちおう基礎スペックは高いので、お互いに未経験の分野なら上達速度で私が勝る。経験値で何とかなることも多いので、これまで蓄積したものの応用で経験者を上回ることだってある。

 だが本当に何もない状態からぱっと勘所を掴んで上手く対処するようなことはできない。そういうのはマヤノの得意分野だ。

 

《例えるのならマヤノはスキルヒントのレベルが高いタイプの天才。リシュは獲得するスキルポイントが膨大なタイプってところかな》

 

 うん、たぶんそう。よくわかんないけど伝わってくるニュアンス的にそんな感じだと思う。

 

 だから今のうちに練習しておきたい。

 今この時なら盛大に失敗してもフォローしてくれる相棒がいる。

 仮にレースの疲労の無い状態でさえまともな受け答えが出来ないのなら、レース直後の勝利者インタビューは絶望的なことになってしまうだろうから。

 

 今回インタビューを受けるのは今年度の日本ダービーに出走する総勢十八名のウマ娘たち。

 レースを走る観点からすれば自分以外に十七人も出走するというのは多く感じるけども。

 多くのウマ娘が、トレーナーが憧れる日本ダービー。生涯に一度しかチャンスが訪れない特別なレース。この道に進むと志したその起源に絡んでいるウマ娘も少なくない。

 それにも拘わらず、同じ世代の中から出走できるのはわずか十八人のみ。

 十八人『しか』なのか、十八名『も』なのか、そこは立場によって感想が分かれるところだろう。

 

《ただまあ、本命だろうと伏兵扱いされていようと現状では勝者も敗者も無い同じ十八分の一だ。今の段階から勝敗が決まったかのように露骨な扱いをして、騒ぎ立てるような軽薄で悪質な出版社は学園が弾いているはず。

 となると、インタビューの時間はおおよそ平等だろう。一人あたりの割合はたかが知れている。共通の質問としてレースに向けた意気込みを語らせて、その他個別に二、三個質問をするといったところかな》

 

 レースに向けた意気込みねぇ。

 これといって特に言うことは無いんだよなぁ。

 無難に『がんばります』とか?

 いやいや、がんばるのは当然のことだろう。がんばらないウマ娘なんてこの世にはごまんといるだろうが、中央という環境に限定すればツチノコ並みに珍しい存在のはず。

 

《がんばり方が風変わりすぎる子や、がんばり過ぎて今は疲れてしまった子とか、一見してがんばっているように見えない子は一定数いるけどね》

 

 でもそういう子は日本ダービーに出走できないよね。

 少なくとも私の知る限りではダービーに出てくるような面々は多かれ少なかれ、傍目にもわかりやすくがんばっている子たちばかりだ。

 そんな中でうかつに『がんばる』などと宣った日には、むしろこれまでのレースはがんばっていなかったのかと批判されかねない気がする。いや、これはさすがに穿ち過ぎた見方かもしれないけど。

 

《そうだねえ。がんばれていない自分に負い目を感じている人間にとって『がんばれ』という言葉は『もっと努力ができるはず』と咎めているように聞こえる。

 でも自分が『がんばれ』って言うときはそういう意味じゃないだろ? 『好きだ』や『愛している』がただ単に相手に好意を伝える意図だけではないようにさ。

 期待、応援、祈り、願い、その他もろもろの相手に向けたポジティブな感情を言語化するときに使われる包装紙が『がんばれ』の四文字ってだけなんだよ。

 だから『がんばる』だって同じ理屈さ。包装紙の模様なんて些細な問題。気にせず使っちゃっていいと思うぜー。ま、相手がうつ病とかならまた話は別だが、うつ病の人間がインタビュアーやってんならそれはインタビュアー側の問題だ。ぼくらが気にしてやる義理は無いよ》

 

 そんなもん? ふーん、そんなもんか。

 でもやっぱり『わたしがんばっているのです』と表明するのはしっくりこないんだよなぁ。一緒に走る子たちに『がんばろうね』とか『がんばってね』とか言うのはまだわかるんだけど。

 練習以上の成果を本番で出したことなど無い。いつものように走って、いつも通りの結果を得る。それが私の走り方だ。

 あとその包装紙を巧みに使いこなしているテンちゃんが言っても気休めにしか聞こえない、かな。

 

《あはは、そんなもんかなー。

 ま、国語のテストと面接とマスコミの取材では正直な自分の意見より出題者の求める正解を答えた方が吉ってのが世の摂理だけどさ。

 わざわざマスコミのやつらに媚を売ってやる義理もない。これまでぼくも好き勝手やってきたんだし、そういうキャラだと世間には認識されている。だからリシュも好きなようにやっちゃいなよ》

 

 そうしようか。

 本当にダメそうなら脳内でちゃんとストップかけてくれるだろうし。

 テンちゃんはこの人生を私のものと定義してるようで、逐一私の言動を添削するような真似はしない。

 もし忠告を受けていれば防げたかもしれない痛い目には何度も遭ってきた。

 ただ、本当に越えてはいけない一線を越えそうになったときはきちんと止めてくれる。こちらから助言を乞うたときに突き放されたと感じたこともない。

 その点は信頼しているし、安心もしている。

 

 よし、とにかくインタビューに応じるというだけで手一杯になるのは目に見えているのだ。私は自分の感情に正直に生きるぞー。

 

 

 

 

 

 ってな感じで。

 

「まずはダービーに向けた意気込みをお聞かせください!」

「私はいつも通り走るので、皆さんの健闘に期待したいですね」

 

 うーん、どうしてこうなったんだろう?

 

 あ、これ予習したところだって内心すごくテンションが上がったのに、口から出してみると微妙にニュアンスが変わっている気がするぞ。

 硬直した記者会見の空気と脳内で腹を抱えて爆笑するテンちゃんに挟まれながら、私は内心こっそり首をかしげるのであった。

 

《ち、ちなみに『健闘』って運動会の応援合戦とかで多用されるから感覚鈍っているけど、本来は格下が格上に善戦するときに用いられる言葉だからな……》

 

 息絶え絶えにテンちゃんが解説を挟む。脳内で呼吸困難になることも腹筋が攣ることも無いのに芸が細かいことだ。

 うーむむ、コミュ障が多少事前に備えたくらいで何かが変わるのなら、そもそもコミュ障などになっていないか。

 苦手分野のハードルは低く設定しておくべきだろう。今回は私が受け答えに成功したというだけで十分合格点ということにしておこう。

 

『……』

 

 せめてもの対応として、周囲の視線に愛想笑いをしておいた。

 今回のインタビューは質疑応答こそ個別に行われるがウマ娘は一人ずつ呼び出されるわけではなく、時間短縮の名目で幾人かまとめてマスコミの前に立つ形式となっている。

 十八人もいるのだから時短はわからんでもないのだが、これから同じレースで競い合う相手を前に意気込みを語れというのはなかなかにハードルが高いとも思う。

 まあトレーニングができないのに精神的疲労ばかりがっつり溜まる時間が少しでも短くなるのはこちらも望むところではあるのだし、異論はないけども。

 

『…………』

 

 あくまで私がインタビューを受けているタイミングなので、他のウマ娘たちは礼儀正しく沈黙を守り静かなものだ。

 ただ、『目は口ほどにものを言う』を体現しているだけで。

 鋭い眼光の集中砲火。視線に質量があれば私は穴だらけになっていたことだろう。

 これが日常モードなら怯みもしたのだろうけど。記者会見というイベントを前にしっかり覚悟を決めて来たおかげか、今の私は半ば戦闘モードの感性。

 それが同じダービーに出走するウマ娘たちからの物言わぬ重圧で、完全にスイッチが切り替わった。

 

「当社の調べに依りますと、現在テンプレオリシュさんが一番人気に推されていますが、それについて何か一言」

「ありがとうございます。光栄です」

 

 インタビューの真っ最中だ。

 私から彼女たちに話しかけることもできないが、別にここで声を荒らげたりすごんだりする必要などない。

 ただ一瞬だけすっと視線をマスコミから逸らし、彼女たちを見つめ返すだけでいい。視線の矢印が一方通行から双方向へと変わり、込められた熱量の差を内包した圧倒的質量の差で凌駕する。

 とっさに目を逸らしてしまった者。気合いで目を逸らさなかったが、心が逸れたことを隠しきれない者。目も心も逸らさず喰らいついてくる者。

 反応は様々だが、格の違いはこれではっきりした。私を抑え込もうとしていた圧が空気の中に霧散する。

 その十把一絡げに蹴散らした相手の中にはあれだけテンちゃんが気にしていたウオッカの姿もあった。

 あれ? なんかウオッカ調子悪そう?

 

《そうね、すごくあっさり目を逸らしたよね》

 

 常に全力全開アクセルべた踏みで生きてるようなスカーレットと違って、ウオッカはムラがあるタイプだけど。

 ここはダービーへの意気込みを語る場だぞ。いつもの彼女ならテンションぶち上げて大好きなビッグマウスを叩きそうなものだが。

 大丈夫なのかな? 今のウオッカはノッてないときの雰囲気だ。

 何か調子を崩すようなことでもあったのだろうか。

 

《あー》

 

 テンちゃん心当たりあるの?

 

《ああ、うん。ダスカが優等生の皮を被った熱血根性脳筋なら、ウオッカはファッション不良で隠れがちだけど本質的には常識人だ。

 桜花賞のダスカや皐月賞やNHKマイルCのぼくらを見て、一時的に自信を喪失してしまったのかもしれない》

 

 ふうん?

 自分が勝つと信じられずに走ることほどつらいこともそうないだろう。

 レースを勝つという視点では、強力なライバルが不調というのは悪い話ではないけども。

 数少ない友人の、夢といっても過言ではないレース。それなのに悔いの残る走りをしてしまったらと思うと、後味が悪いなんてもんじゃないぞ。

 

《たぶんだけど、大丈夫だよ》

 

 テンちゃんの声には静かな自信が満々と漲っていた。

 ほむ。その心は?

 

《このタイミングで絶不調なんて少年漫画ならあからさまな覚醒フラグだもん。これは絶対に直前ギリギリの超ハードな修行パートを挟んで、本番ではすごいことになって登場してくんぞ》

 

 えぇ……。

 あのさぁ。

 

《だって〈キャロッツ〉のトレーナーとあのウオッカだぞ。それくらいしてくると想定しておいて損はない》

 

 あー、そうか。むしろそっちで考えるべきか。

 そんな物語の主人公みたいなと思ったけど、たしかにゴルシTもウオッカも物語の主人公みたいなやつらだった。

 だったら私は常識ではなく、これまで私が見聞きした『彼らのこれまで』に比重を置いて考慮するべきだろう。

 

 何より今ここでウオッカが本当に絶不調だったとしても、流石にこのタイミングで敵に塩を送る余裕は私には無い。

 私だってダービーが控えている当事者なのだ。自分のことだけで精いっぱいである。

 だからテンちゃんの根拠無用のふんわり予言を私は無責任に信じることにした。

 きっとウオッカなら大丈夫だ。

 

「東京優駿を走るにあたって注目しているライバルはいますか?」

「特には」

 

 強いて言うならこれだけテンちゃんが注目しているウオッカが有力候補だが、出走している時点で彼女たち全員が今年度クラシック級の頂点だ。

 油断していい相手など一人もいない。かといって十八人の名前をひとりひとり挙げていくのはテンポが悪い。何より複数人まとめて呼び出されるほど時短を図っているのに、そんな遅延行為は避けるべきだ。

 彼女たちが優駿であることはレースのタイトルからいっても共通認識なのだからざっくり流していく。

 

「最後に、何か一言お願いします」

「レースもライブもひとりではできないので。特にライブではいつも両サイドやバックダンサーを務めてくださって感謝しています。次もよろしくお願いします」

 

 地元ではひとりで走っていることの方が多かったから。

 誰かと一緒に走れるのは当たり前ではないということを私は知っている。

 感謝、というのは的確な表現ではなかったかもしれないけど。インタビューという状況下、ゆっくり慎重に喋っていては言葉が追い付かない。多少不適切でもそれっぽい単語を繋げて出していくしかなかった。

 それに私は負けたことが無いが、レースで負けたときの疲労は勝ったときの倍ではきかないと聞く。

 そんなコンディションでいつも彼女たちは観客を楽しませようと、笑顔でライブを務めているのだ。傲慢な視点であるという自覚はあるけど、尊敬の念を抱いているのは嘘ではない。

 そこに『次も負ける気は無い』という強気を一握り滲ませる。あまり度が過ぎると不遜だと反発を買うだろうが、これくらいなら『私が勝つ!』という宣言は珍しいものでもないのだし許容範囲だろう。

 

 かくして私のインタビューはつつがなく終わった。

 うん、コミュ障が鬱を発症せずに生きるコツはハードルを極力下げることだ。

 何か問題が発生して記者会見が打ち切りとかじゃなかったんだから、つつがなく終わったんだよ。

 

 

 

 

 

「リシュせんぱーい!!」

 

 インタビューの後、勝負服から制服に着替えて、精神的な疲労からぐったりしていると。

 いたく興奮した様子の〈パンスペルミア〉の後輩が飛びつかんばかりの勢いで話しかけてきた。

 そういえばあの会場にはカメラもあって、学内なら映像はリアルタイムで確認できたんだっけと思い出す。

 いつか自分たちが受ける側になったときの教材でもあるのだろう。中央は教える側も教わる側も意識が高い。ときとして息苦しくなるほどに。

 でもそこで本当に性根の底からのんびり寝っ転がってサボってしまうような子は、この界隈で長生きできないんだろうなあ。かなしい。

 まあ私は苦労に見合うだけ稼がせてもらっている分、大多数よりずっとマシだった。

 

「すっごくカッコよかったです! 感動しちゃいました! もう無慈悲で傲慢な“銀の魔王”って感じで鳥肌たちっぱなし!!」

「あー、そう……」

 

 ぶんぶんと小さな子供のように大仰に手を振って力説している。身長で言えば少し見上げなきゃいけないくらいに私の方が小さいけど。

 気の利いた返しができなくてごめんね。そういうのはどっちかというとテンちゃんの得意分野だから。

 面倒見のいいテンちゃんにバトンタッチすることも考えたが、あのインタビューを受けたのは私だ。だったらこれの対処を含めて練習だと、腹に力を入れて気力を汲み上げる。

 

「あーあ、わたしも芝が走れたらなぁ! ダービー目指すって言えたのになぁ!」

 

 この後輩ちゃんの適性は完全にダート寄り。

 一時期はそのことにコンプレックスを抱いていた時期もあったらしい。

 ただチームに入って、これ以上なくダートをイキイキと走るデジタルを間近で見て、『芝で走るウマ娘がカッコいいのではなく、カッコいいウマ娘が走るレースは何であってもカッコいいのだ』と思うことができたそうだ。それだけでもアオハル杯はよみがえった甲斐があっただろう。

 テイオーほどぶっとんだ天稟の持ち主ではないから、一年間は教官の下でトレーニングを積み重ねてからデビューする順当なコースになると思う。新入生の中では上位三割に入る素質の持ち主だから一勝の壁は突破できるだろうけど、その後は未知数というのが私の見立て。

 トレーナーと契約してデビューを果たすまでに、今の調子で実力をつけていけば何度かアオハル杯ダート部門のレギュラーとして実戦の空気を味わわせてあげることができるはずだ。

 願わくはアオハル杯がこの子たちの未来に少しでも多くの実りをもたらさんことを、なんてね。私も少しは先輩らしい自覚が出てきただろうか。

 

「ねね、リシュ先輩はデジタル先輩と同じように芝とダート両方いけるんですよね? リシュ先輩はダービー勝ったあとにダート走る予定とか無いんですか!?」

「まだダービーは始まっていないよ。走っていないし、勝っても負けてもいない」

 

 少しばかり語気を強めて釘を刺す。

 負けるつもりがないというのと、負けないことを大前提に予定を組むのはまるで別物だ。

 勝利しか見えなくなった時、敗北はしたたかに長い指を絡みつかせてくるもの。私は負けるつもりがないのだから、勝ったつもりになってはいけない。

 

「あ、すみません……」

 

 しょぼんと耳と尻尾を垂れさせる後輩を見ると心が痛む。

 世の中には相手に説教でマウントを取ることに愉悦を覚える人間もいるらしいが、きっと私は分かり合えそうもない。

 必要なことだったとしても、する方もされる方も説教なんてこりごりだよ。

 気まずい空気を何とかしたかったのか、はたまた絆されたのか。ここで言うつもりのなかった情報をうっかりこぼしてしまった。

 

「ただまあ、ダービーを走り終わった後に大事が無ければ……。六月はゆっくり休んで七月のジャパンダートダービーも視野に、って今のところ桐生院トレーナーとは話している」

「せんぱーい!!」

 

 本当に飛びついてきたのでするりと避け、勢い余って転びかけた彼女の腕を掴んで支えてやる。

 感情表現がいちいち大仰なことだ。こんなに慕われることなんてやった憶えはないんだけどな。またテンちゃんが知らないところで何かしたのだろうか。

 

《モブウマ娘ちゃんもみんな生きていて、みんな成長しているんだよな》

 

 尋ねてみても、脳内でテンちゃんは眩しそうに眼を細め笑うだけだった。

 

 




次回、ウオッカ視点


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U U U

 

 

『神話と呼ぶにはあまりに荒唐無稽』

 

『伝説と呼ぶにはあまりに発展途上』

 

『そう、それは『むかしむかし(Long long)あるところに(time ago)』と冒頭に付け忘れたばかりに』

 

『現代で対峙することになった御伽噺(フェアリーテイル)

 

 ネットで見たキャッチコピー。

 考えたのはたしかデジタルのやつだっけ。相変わらず多芸で器用なやつだ。

 

「御伽噺、かぁ……」

 

 NHKマイルカップ以来、日本ダービーの大本命はリシュになっちまった。

 『誰が勝つか』というレースじゃねえ。

 『誰がリシュに勝てるのか』と世間のやつらは注目している。

 

 気に食わねえけど、そう思わせるものをリシュは見せた。

 裏を返せば世間にそう思わせるものしか俺たちは見せることができなかったってことだ。

 本当に気に食わねえのならダービーで勝てばいい。それだけで下バ評はひっくり返る。ぐちぐち腐って文句を言うのは中央のウマ娘のやることじゃねえ。

 俺が憧れた、トゥインクル・シリーズを走るウマ娘の姿じゃねえ。

 

 勝てるのか?

 

 脳裏によぎる疑問。

 桜花賞でスカーレットに負けた俺が。

 皐月賞に勝ち、NHKマイルカップで飛躍的な進化を魅せたリシュに。

 

「っ! ちげえ!!」

 

 思わず舌打ちする。

 『勝てるのか』って考えてる時点で上に見ちまっている。共にゲートに入る対等な相手じゃねえ。見上げちまってるんだよ、リシュのやつのことを。

 戦う前からしゃがみ込んじまっているやつがまともに走れるわけねえだろ!

 

「……くっそ」

 

 もっと上手くできると思っていた。

 根拠となるだけのものはちゃんと積み重ねてここまで来たと思っていた。

 そりゃあ多少は勢いでどうにかしようとしていた部分があったことは認めるけどよ。

 

――勝たせてもらうわよ

 

 桜花賞の最後の直線、舞い散る桜よりもなお鮮やかな真紅の花吹雪を思い出す。

 周囲を突き放すような“領域”の具現化。己が一番なのだという強い意志と覚悟を前に、俺の“領域”はスカーレットを差し切ることができなかった。

 俺だって仕上げてきたつもりだったのに、完成度で押し負けた。

 

――私はいつも通り走るので、皆さんの健闘に期待したいですね

 

 ダービーに向けた記者会見、にこやかなポーカーフェイスで言い切ったリシュを思い出す。

 礼儀を欠くとかなんとか、批判する声はたしかにあった。

 けど、戯言だと嗤うやつは一人もいなかった。去年の今頃は零細ですらない、まったくの一般家庭出身のイロモノだと見ていた識者気取りの方が多数派だったっつーのに。

 今でも血統至上主義者のお偉いセンセイの中にはやれ歴史の中に消えていったどこぞの名門の先祖返りなんじゃないかなんて、証明しようも無い仮説を打ち立ててるヤツだっているけどよぉ。

 いったいどこの血がどんな風に目覚めればアレになるんだって話だよ。ありゃあ誰がどう見ても末裔じゃなくて初代とか始祖の方だろ。のちに続くのかまでは知らねーけど。

 メイクデビューから数えて七戦七勝。格下狩りで造り上げたハリボテの戦績などではなく、そのうち朝日杯FS、皐月賞、NHKマイルCの三つがG1。重賞だけ数えても五連勝。

 対峙してきたウマ娘の血と涙で築き上げた緋色の戦果。クラシック級の半分も過ぎていない、デビューからたった一年でこれだ。

 ……俺にはできなかったことだ。

 

 ダービーはガキの頃、父ちゃんに連れて行ってもらって初めて見たレースだ。

 俺がトゥインクル・シリーズを走りたいと思ったきっかけの特別なレース。桜花賞からの変則ローテ、非常識だのなんだの言われようとこれだけは絶対に走ると決めていた。

 実際にこうして同期の中から選ばれた十八の枠に入ることはできた。記者会見も終わって、あといくつ寝ると本番だって時期だ。

 なのに全然ワクワクしねー。むしろ不安と恐怖だけが募っていく。ぐるぐると嫌な考えばかり頭の中を巡って、自分がこれまでどうやって走っていたのかさえ忘れそうになる。

 スカーレットがいればまだ意地も張れるんだが、ダービーにアイツはいねえ。

 

 自分が勝てると思っていたから走れたのか?

 相手が自分より弱いと思っていたからデカい口を叩けていたのか?

 

「んなの、ダサすぎんだろ……」

 

 口からこぼれたその声は、自分でも笑っちまうくらいにか細かった。

 

「確保ぉ!」

「うお!? え、はえええええ?」

 

 次の瞬間、俺はマスクとサングラスで人相を隠した謎の葦毛ウマ娘に麻袋を被せられ拉致された。

 いや、ゴールドシップ先輩。変装するつもりなら真っ先に隠さなきゃなんねーのはその葦毛っしょ。その身長(タッパ)体格(ガタイ)で輝くような見事な葦毛のロングヘアって該当者一人しかいねーっすから。

 

 

 

 

 

「はいよっ、ゴルゴル便いっちょうお届け! 印鑑とサインはこいのぼりの頭に頼むぜ。でもアイツこのまえ滝下りしてウナギになっちまったからなぁ」

「うん、ありがとうゴールドシップ」

 

 どすん、と地面におろされて反射的にイテッと声が出ちまったけどそこまで痛くなかった。怪我しないように気は使われている、気がしなくもない。

 運搬が終わったと判断してもぞもぞと麻袋から抜け出すと、予想通りそこにはうちのトレーナーと変装を解いたゴールドシップ先輩の姿がある。

 えっとここは……学園のグラウンドか?

 

「あー……えっと、何の用っすかね?」

 

 何となく起き上がらないまま、おずおず見上げながら尋ねる。トレーナーは相棒だからタメ口なんだが、先輩には敬語が俺のポリシー。礼儀も守れないウマ娘なんてダサすぎだからな。

 今回はどっちが首謀者なのかわからなかったから、どちらともなく曖昧な方向に敬語で問いかけたんだが。

 おだやかに苦笑しながら返答したのはトレーナーの方だった。

 

「すまないねウオッカ。遅くなった」

「おそく……?」

 

「例の秘密の特訓だよ。なかなか都合がつかなかったんだが、今日ようやく捕獲に成功してね。ダービーにぎりぎり間に合ってよかったよ」

「あー……」

 

 そういえば言ってたな、そんなの。俺をダービーで勝たせるため、リシュと対峙するまでに一度はやっておきたいっていう『秘密の特訓』。上手くハマれば飛躍的な実力の向上も見込める、かもしれないとか。

 トレーナーの一存だけではどうにもならないから、準備が整い次第知らせてくれるって話だった気がする。

 いつもの俺なら飛び上がって喜びそうなもんなんだが……。

 ダメだな、いまいちエンジンがかからねーっつーか、テンションが上がりきらねえ。つーかこんなワクワクする内容をこんな漠然としか把握できてねえって時点でおかしいだろ。

 曖昧な申し訳なさと、ぼんやりした焦燥。それを覆い隠してしまうほど膨大な無気力が自分の中に詰まっているのをようやく自覚した。

 

「へえ、この子と模擬レースすればいいの?」

 

 背後から聞こえた声。

 連想したのは鮮烈な緑。青々と茂るターフか、それともその上を吹き抜ける風か。

 ざあっともやもやが吹き散らされたような心地になって振り返る。いや、リンゴが重力に引かれて木から落ちるみてーに、その存在感に視線が吸い寄せられたのかもしれねえ。

 振り返った先、俺を挟んでトレーナーの対面にいたそのウマ娘は面識のない相手で、それでもその人のことを俺は知っていた。

 

 その伝説を聞いたことがある。

 

 皐月賞。

 ただでさえ後ろの脚質が不利とされている、最後の直線が短い中山レース場。そこにスタミナを消耗させ末脚を鈍らせる、走るウマ娘がみんな泥んこになって人相すらわからなくなりそうな悪天候の不良バ場。

 そんな不利な条件を一顧だにせず己の走りを貫き通し、最後の直線で後方から追い抜き一着。

 

 日本ダービー。

 当時存在していたジンクス『ダービーポジション』。二十人を優に超える人数が出走していた当時のダービーでは『十番手以内で第一コーナーを回らなければ勝てない』とされていたそれも、そのウマ娘を縛ることはできなかった。

 最後方からスタートし、道中では先頭から二十バ身ほど離された十七番手。それを第三コーナーの出口では六番手まで押し上げ、最終コーナーで先行勢を猛追。いっきに交わして誰よりも速くゴール板を駆け抜けた。

 

 菊花賞。

 坂はゆっくり上がってゆっくり下りる。これは常識っつーかセオリー、レースの基本だ。菊花賞はクラシック級のウマ娘が初めて経験する長距離G1で、3000mに坂が二つも待ち構えている。そこで加速するのはスタミナを消耗するタブーといってもいい。

 そのウマ娘はタブーを犯した。二周目第三コーナーの上り坂から次々と先行勢を追い抜かし始め、最終コーナーの下り坂を加速しながら先頭に立った。

 

「んー、アタシのこと知ってる感じかな? 顔がバレすぎているのも考え物だねー。でも自己紹介ナシってのもスッキリしないし」

 

 神話だったクラシック三冠を現代に再来させた風雲児。

 瑕疵の無い皇帝とは違いその三冠までには敗北も経験したが、泥にまみれてなお鮮烈なその走り方で、あるいは皇帝よりも愛されたかもしれない天衣無縫のウマ娘。

 

「アタシはミスターシービー。よろしくね」

 

 生ける伝説がそこにいた。まるでこれから走りますと言わんばかりにジャージに身を包んで。

 

「うっす!? しゃーす! 俺ウオッカっていいますっ」

 

 ばね仕掛けのように身体が跳ね上がって直立不動の姿勢になる。ダセーっつか滑稽っつか、顔がどんどん赤くなる自覚があるけどそれ以上にパニックで思考が纏まらない。

 そう言えばトレーナー、『捕獲に成功した』とか言ってたか? ダービーの練習のために三冠ウマ娘ミスターシービー捕まえてきたのか? それはちょっと非常識すぎんぜ相棒!? さすがゴールドシップ先輩育てただけあるわ!

 

 ああ、そうか。そういやゴールドシップ先輩とミスターシービー先輩ってそれなりに因縁があるのか。

 三冠ウマ娘ミスターシービーの数あるレースの中でも、ベストバウトに選ぶ者が多い菊花賞の坂で加速した掟破りの勝ち方。

 それを踏襲するように菊花賞を制しクラシック二冠に輝いたのが、何を隠そうゴールドシップ先輩だ。

 追い込みという脚質を得意とし、周囲の常識に囚われないという点でも共通している。

 ただまあ、表面上は似通っていても根本はまるで別物だろうな。

 ゴールドシップ先輩はルールがあればとりあえずドロップキックをかましに行く破天荒。

 対するミスターシービー先輩はひたすら己が道をゆき、結果的にそれが周囲の常識とそぐわずとも意に介さない風来人。

 すげーざっくりした印象と言い方になるんだが、たぶんそんな感じだ。

 

 この二人は初代URAファイナルズ長距離部門決勝戦で雌雄を決した。

 

 URAファイナルズ、それは『あらゆる距離、あらゆるコースを用意する』という新設されたばかりの夢の祭典。そのあまりにも大掛かりすぎる性質上、毎年開催は事実上不可能でオリンピックよろしく四年に一度の開催と相成った。第二回は来年、俺たちがシニア級になった年に行われる。

 普段トゥインクル・シリーズはトゥインクル・シリーズ、ドリームトロフィーリーグはドリームトロフィーリーグでそれぞれ開催されていて、両者の選手が混ざり合うことはねえ。しかしこのURAファイナルズは文字通り『URAに所属するすべてのウマ娘』に資格がある。出走するためにはファン投票から選ばれたスターウマ娘に名を連ねる必要があるけどな。

 

 昔からひそやかに言われていた。

 

『レジェンドは保護されている』

 

 まあ言わんとしていることはわかる。

 技術的な意味でも、感情的な意味でも。

 前者は単純だな。十年前の常識が現代の非常識なんてことはざらにある。今でこそ運動中の水分補給は常識だが、そうじゃない時代だってあったんだ。

 そうやって日進月歩の技術と知識の発展があって、レコードは日々更新されている。だからドリームトロフィーリーグに移籍したレジェンドとトゥインクル・シリーズの現役選手が戦って、本当にレジェンドの方が強いのか。そういう意見は出てくるってもんさ。

 

 後者はその、あー、アレだ。

 俺だっておぼえがある。『ウオッカはまるで○○みたいだー』って熟年のレースファンが過去のウマ娘の名前を出してくんの。

 たぶんあちらさんは誉め言葉のつもりなんだろうけどなぁ……。もやっとするんだよなあ。これがまだブライアン先輩とか、こっちもビビッと痺れるくらい尊敬できる人に譬えられたんなら光栄だって素直に喜ぶこともできたのかもしれねーけどよぉ。

 名前と戦績くらいしか知らない相手を引き合いにだされてもなあ。どんな顔しろって話だよ。

 いや、本当に悪気が無いのはわかっているし、歴史に名を残すウマ娘と並べられて光栄だぜって思う気持ちも無いわけでもない、けどさ。

 今ここで走ってるのは俺じゃねーか。どうしていもしないウマ娘の名前をわざわざ出すんだって腹が立つんだよな、やっぱり。

 

 極端なたとえをするのなら。

 ガラス細工に『まるで宝石みたい』って言って誉め言葉になるのは、宝石がガラス細工よりも格上だからだろ。

 相手からしてみりゃあ宝石を引き合いに出して褒めているんだろうけどさ、自分がガラス細工の側だと暗に告げられて愉快になるウマ娘ってそういないと思うんだがなぁ。

 マスコミ関係者とかでも平気で言ってくることあるから、俺のプライドが変に高すぎるだけなのかなあ。周囲のやつらは言われて嬉しいのか、それ?

 だって一着にならないと意味ないのがレースの世界じゃねえかよ。

 

 誉め言葉として受け取っているこちらですらもやっとするんだから、ファンの立場だともっとムカッ腹が立つんじゃねえかな。今ここで走っている俺のヒーローをくだらない過去の色眼鏡で歪めるなーって一発くらい蹴ってやりたくなると思う。

 だからまあ、トゥインクル・シリーズに熱狂する一部のファンにとって。逐一レジェンドを引っ張り出してくる一部のドリームトロフィーリーグファンは面白くねーんだ。

 

 ドリームトロフィーリーグに移籍したレジェンドは本当に強いのか?

 URAファイナルズはそんな長年のファンたちの疑問に決着を付ける大型新設レースでもあったわけだ。

 結果は一目瞭然。

 ドリームトロフィーリーグは本格化を終え、全盛期を過ぎたウマ娘が大半を占める。過去にどれだけ煌びやかな成績を残していたところで衰えからは逃れられない。そう残酷な現実を突きつける結果になったレースがいくつもあった。

 

 そして、多少衰えたくらいで人の手が届くような存在は本物の伝説ではない。

 

 マイル部門のマルゼンスキー、中距離部門のシンボリルドルフ。あの二人のレースをみてそう思い知らされたファンは多かったはずだ。

 ドリームトロフィーリーグはレジェンドを保護する楽園ではなく、夢が現実(トゥインクル・シリーズ)を壊さないように隔離する箱庭だった。

 全部が全部そうってわけじゃねーけど。そういう一面があったってのは誰も否定できねーんじゃねえかな。

 

 長距離部門もそうなるはずだった。ミスターシービーってウマ娘はあの二人にも勝るとも劣らない存在だ。

 ああ、そこにゴールドシップ先輩がいなけりゃな!

 新旧菊花賞タブーウマ娘対決なんて、安直な見出しで盛り立てたマスコミどもには猛省を促したいね。あのレースはそんな安っぽい装飾で飾っていいシロモノじゃなかった。

 心底シビれたぜ。

 

 うん、すごいお人なんだよな。ずっと一緒にいるから感覚麻痺しそうになるけどよ。

 視線の先ではゴールドシップ先輩が、ウナギになりたくて嵐の夜に水たまりに泳ぎに出かけるミミズ太郎の冒険をパントマイムで表現していた。

 めちゃくちゃ真顔でやってた。

 人間って言葉を介さずともそれだけの情報を伝達できるんすね……。感覚麻痺しているのは時間だけが理由じゃない気がするぜ。

 

「聞いての通り、今日はミスターシービーと模擬レースをしてもらうよ。せっかくの機会だ。焦らないでじっくり準備しておいで」

「えっ、ちょ待てよトレーナー!?」

 

 いや待たせるのは俺の方だが。

 急に拉致られたからまだ制服だぞ俺? ここから着替えてアップも考えると三十分はかかるぞ。あのミスターシービーをそれだけ待たせるってプレッシャーやべーんだが?

 

「大丈夫だよ。シービーは自分の嫌なことは絶対にやらないからね。ここで待ってくれるってことは本人も乗り気ってことだ。そもそも急になったのはシービー側の都合だからね。ウオッカが気にすることはないよ」

 

 おだやかに笑う俺のトレーナーが怖い。ゴルシTの名は伊達じゃねえ。こいつヤベーやつだ。一年以上の付き合いだけど改めて痛感した。

 シービー先輩がこてんと首を傾げる。

 

「えー? アタシ、貰った分の報酬はちゃんと働くよ? 具体的にはパフェ三杯分くらいまではふわふわどこかに飛んでいったりしないから」

「ミスターシービーというウマ娘に対する報酬として考えれば、ここまでご足労いただいた分だけで十分元が取れてるよ。ここに来て、ウオッカを見て『待つだけの価値がある』と君が判断すると踏んだから、パフェ三杯だけで手を打ったんだ」

 

 トレーナーあああああ!? 信頼が重いぜ相棒!

 

「……へえ」

 

 ず、と空気が重くなる。

 特にすごんだりしたわけじゃない。表情にもほとんど変化なし。飄々とした雰囲気のまま。

 ただ、トレーナーの依頼に関与するだけの存在から『(ウオッカ)』という個人に認識が切り替わった。興味を持たれた。それだけで肌が粟立つ。

 

「なるほど。感性は鋭いみたいだね。うん、“楽しい”かはまだわからないけど“楽しそう”だ。いいね、ワクワクしてきた」

「……うっす」

 

 視界に入っただけでこれかよ。

 ああなるほど、たしかにこれはダービーに向けて必要なことだろう。種目別競技大会の後にリシュと目が合ったときと同質の感覚がする。

 あのときから俺は強くなった。あのときのリシュに見つめられてもあのときのように気圧されるつもりはない……と思ってたんだがなあ。

 今のリシュはいったいどれだけ伸びているのやら。

 追いつくだけじゃ意味がねえ。勝ちたいのなら、いくら三冠ウマ娘とはいえ興味を持たれた程度でビビってちゃ話にならねえ。

 

「この時期に模擬レースなんて大丈夫なのかなって、他人事ながら少し心配していたんだ。でもミスターゴルシTが保証するだけの下地はあるみたい。

 わかった。アタシはアタシの意志で待っててあげるから、キミものんびり仕度を済ませておいでー」

「うっす! あざーっす!」

 

 シービー先輩に快く送り出された俺は速足で着替えに向かう。

 気は急くが、仕度に手を抜くのは論外だ。

 なんせ今はダービー直前。スカーレットのやつがティアラ二冠目を勝ち取り終わった数日後くらいにはきわっきわのスケジュール。故障はできねえ。いや、それが無くとも伝説の先達を前に準備を疎かにするなんてありえねえけどよ。

 

 

 

 

 

 これほどまでに違うのか。

 

「はい、アタシの勝ち」

 

 二人っきりの模擬レース、もはや併走トレーニングに近いそれは自然と俺が先行するかたちとなった。

 俺も本当に得意なのは差しなんだが、追い込み一本でトゥインクル・シリーズを走り抜いたシービー先輩に比べたらまだ先行策も場合によっちゃ使い分ける柔軟性がある。

 まあこの場合、柔らかいことを誇る気にはなれなかったけどよ。自分が納得できない走りは有利不利に関係なく絶対にやらない。天衣無縫な態度の芯に潜んだ硬質な覚悟。シービー先輩のそれに比べたら俺の柔らかさは軟弱にさえ感じたから。

 それでも少しは思ってたんだ。追い込みのメリットはバ群の中での位置取りを免除されることが大きい。位置取りの要素なんてあってないようなたった二人の模擬レース。末脚勝負に持ち込めば、俺だってそう見劣りするもんじゃないはずだって。

 

 ズドンと背後から地面が弾むようなプレッシャーが響いたかと思えば、あっという間に最後の直線で追い抜かされていた。

 

 アレは、なんだ?

 “領域”?

 たぶんそうだ。海水の中を泳ぐ魚が水中にいることを自覚しないみてーに、膨大過ぎて全体像はおろか展開されたことさえはっきりとは認識しきれなかったけども。

 でもそれにしては疑問が残る。“領域”具現の条件ってそんな簡単に満たせるもんなのか?

 

「どう、なにかつかめた?」

 

 膝に手をついて身体を支え、肩で息をして体力回復に努めている俺に悠々とした足取りでシービー先輩が近づいてくる。

 

「えっと……」

 

 言葉が詰まる。何を言えばいいのかわかんねえ。

 正解はどこだ? そもそも俺は何を求めてこの模擬レースを始めたんだっけ。

 

「答えを探すな。オマエには見つけられん」

 

 背骨をぶん殴られたような衝撃を錯覚した。

 ごふっと息を吐きながら慌てて振り返る。どうして気づけなかったのか、猛禽じみた雰囲気を纏う人影がグラウンドを見下ろすように立っていた。

 いや、本当にどうしてこんなビリビリくる重圧に気づけなかったんだ? 俺はそこまで余裕が無くなっていたのか。

 

「ぶ、ブライアン先輩……」

 

 なんてこった。このせま、いわけじゃねえがトゥインクル・シリーズに比べたらとてもじゃないが広大とは言えないグラウンドに三冠ウマ娘が二人もいやがる。レジェンドの密度が高すぎて窒息しそうだ。

 

「あ、ブライアンだ。キミも一緒にやる?」

 

 シービー先輩の目がブライアン先輩を捉えた瞬間、彼女の雰囲気が『後輩の教導』から『獲物を前にした』ものへと切り替わった。

 それだけで、零れる威の余波だけで膝を屈しそうになる。そんな心底ビビっちまってる自分が情けなくて唇を噛みしめる。下を向いている暇なんてねえと頭では思うのに、気づくとうつむいてターフを眺めていた。

 

「いいや。いくら飢えていても、後輩の獲物を横取りするほど恥は忘れちゃいない」

 

「お、じゃあゴルシちゃんと一緒にカバディすっか! アタシくまさんチームなっ、ほーれカバディカバディ!」

 

 ゴールドシップ先輩が並外れた肺活量を発揮しながら凄まじい速度の横歩きで視界から消えて行っても躊躇なくスルー出来る程度には皆、ゴールドシップというウマ娘に慣れている。これがチームの絆ってやつか? たぶん違うだろう。

 シービー先輩から視線がいっさい揺らがないまま、ブライアン先輩は言葉を続けた。

 

「それに食いさしで満足できるほど行儀よくもないんでな。アンタを喰らうのは今ではなく次、夢の箱庭と決めている」

「……へえ」

「それまではせいぜい、おとなしく飢えておくさ」

 

 うつむいて、膝に置いた手がつっかえ棒になって崩れ落ちていないだけの俺の頭上を言葉が飛び交う。

 顔を上げろよ。こんなことやってる場合じゃねえって。凹んでいるヒマがあれば少しでも多く走るべきだろう? 尊敬する先輩方のお時間を取らせておいて、何ぜーたくに自己憐憫を満喫してんだよ。俺はそんな御大層なことが許されるご身分じゃねえだろ。

 そう思うのに、思考が文字列となって脳内を流れるだけで胸に届かない。身体は冷えちまって、萎えちまっていた。

 

 ダメなのかなぁ、俺。もう無理なのかなぁ。

 ダービーはずっと俺の憧れだった。これだけは絶対に、誰に何を言われても譲れないと思っていたけど。

 諦めた方がいいのかなあ。

 じわじわと目が熱くなる。ダサすぎんだろと思っても止められない。

 

「何を俯いている。芝の上にオマエの求めるものがあるのか? 顔を上げろ」

 

 ぐいっとまるで顎を掴まれたように、声の力に圧されて俺の顔が上を向く。

 目が合った。

 

「オマエは私と似たところがある」

 

 ブライアン先輩の金色の瞳は、予想していたような失望も侮蔑も浮かんでいなかった。

 ただ硬質で、鋭利で、そしてまっすぐで。

 

「自分の中に最初から答えがある。だから頭で考えても無駄だ。逆に思考で輪郭をぼかす結果になりかねん」

 

 俺のことを見ていた。

 

「衝動に向き合え。渇望から目を逸らすな。オマエの中の熱は何と言っている? どれだけ否定しても湧き上がるものがあるのなら逃がすな。捕らえて、喰らえ。

 そして湧き上がるものがないのならやめておけ。周囲の理屈に唯々諾々と従い進み、その先で勝っても負けてもただ乾くだけだ」

 

 そう淡々と、ブライアン先輩は言いきった。

 

「おれ、は……」

 

 スカーレットもリシュもすげーやつだ。

 覚悟も決まってるし実力もあるし、何よりズバッと鮮やかだ。同期から見てもめちゃくちゃカッケェ。

 俺とは大違いだ。

 勝てねえ、って思っちまった。

 

 でもそれは勝ちたいって衝動を捨てきれないからだろ?

 

「いいんすかね……?」

 

 ダービーは憧れだった。

 なのにいつの間にか、自分が一着でゴール板を駆け抜けるビジョンがまるで浮かばなくなっていて。

 近づけば近づくほど怖くて、そんな自分が情けなくて。本当にこんな自分が出走していいのかなんて、今さらすぎることをくよくよと悩むようにすらなって。

 

「こんなにビビッてるのに、そんなのダセーって自分でも思うのに」

 

 死ぬほどブルっちまってるのに、どうしても憧れの火が消えないんだ。

 

「ダービーを勝ちたいって……!」

 

 棄てたくても棄てられない。逃げたくても逃げきれない。

 そんな炎が自分の中に燃え盛っていることを、否定しなくて本当にいいのか?

 

「その恐怖はオマエの感性の鋭さが嗅ぎとったものだ。ただ誇ればいい。それに、戦いに恐怖しない者などいやしない」

 

 ブライアン先輩は俺の言葉を鼻で笑った。

 

「恐れを知らないのだとすればそれはただの愚鈍か、あるいは無知を自覚できないほどに未熟なだけだ」

「……ブライアン先輩もビビったりするんすか?」

 

 この人が何かを恐れるとこを想像できない。

 信じられない思いで投げかけた問いは、目の錯覚じゃなけりゃ。

 

「姉貴に聞いてみろ。水たまりに驚いて転び、脇から飛び出た猫に驚いて身の丈ほども飛び上がり。挙句の果てには自身の影におびえて逃げ、逃げきれないことに恐怖して泣きじゃくる。幼いころの私ほど臆病(ビビり)なウマ娘もそういなかったぞ」

 

 想像したこともなかったやわらかな笑みを、ほんの一瞬だけこの人から引き出すことに成功した。

 思わず見惚れちまったよ。ブライアン先輩もあんな顔するんだな……。

 

 そっか。いいのか。

 勝てる気がしなくて。それでもあいつらに負けたくなくて。

 毎日の挑戦と、その結果の落差が苦しくて。

 理想にいつまでも追い付けない現実がつらくて。

 目標に届かない今が怖くて。怯えて。それでもどうにかして超えてやりたくて。

 

 それで――いいんだ。

 

 すとん、と。

 自分の中で今まで宙に浮いていたものが地面に降りて、そのままどっしりと根を張ったような心地だった。

 

「へー、案外まじめに後輩の面倒を見てるんだ。あのブライアンがねえ」

「フン、こんなものを『面倒を見る』とは言わんだろう。ただ感じたことを言ったまでだ」

 

 別に煽っているわけではなく、本当に本気で意外だったのだろう。

 わりと失礼なことを言いながらしげしげと見つめるシービー先輩に、ブライアン先輩が腕を組んで鼻を鳴らす。

 

「教え導くというのは気まぐれに言葉を吐くような簡単な作業じゃあない。毎日コツコツと目に見えない何かを積み上げる、自分が積み上げていると信じられる真面目なやつらの仕事だ。エアグルーヴやルドルフがやっているような」

「でもウオッカがキミにとってかわいい後輩じゃなけりゃ、ブライアンは声をかけようとは思わなかったんじゃない?」

 

 あ、ブライアン先輩がそっぽを向いた。

 へへ、なんか照れるけど嬉しいな。そっか、俺はブライアン先輩のかわいい後輩になれているのか。

 でも俺はとっさに言い訳が出てこずに視線を逸らして誤魔化すブライアン先輩もかわいいと思いますよ! さすがにこの場で面と向かっては言わねーけど!!

 

「ふーん。案外アオハル杯って役に立ってるのかもしれないね。んー、あらためてドリームトロフィーリーグは参加できないのが残念」

「そう頻繁に檻に閉じ込めた夢の鍵を開けるつもりは上には無いということだろう。祭に魔が紛れ込むのはままあることだが、それは魔が潜むからこそ成り立つものだ。アンタらは名も顔も知れ渡り過ぎている。萎縮するやつらとぶつけ合わせるのは酷だろうさ」

 

「うん! やっぱり少し変わったねブライアン。キミが第三者の心配をするなんて」

 

 やっぱり何気に失礼なことを言いながら、シービー先輩の視線がするりと俺に向く。

 

「一回だけで精根尽き果てた様子になってて、仕方がないかーとは思ったんだけどさ。やっぱり少しはガッカリしたんだよね。これならダイワスカーレットの方が楽しかったかなって。あのたった一つにすべてを懸けて擲つことができる愚かしさはわりと好みだったから」

「うぐっ」

 

 思わず声が漏れる。返す言葉も無い。

 さっきまでの俺は完全に腐っていたからな。いや、今だってごちゃごちゃしたもんを頭の中にあるゴミ箱にがっと突っ込んで蓋してのり付けしただけだ。ぶっちゃけのりはまだまだ生乾きだったりする。

 でも俺の中のエンジンに火がともっている。ドゥルンドゥルンとうるさいくらいに咆えている。これは誰にも止められない。そう、俺自身にだって。

 

「サーセンっした! みっともねえ姿見せて、失望されるのも当然っす!」

 

 今の俺にできるのは勢いよく頭下げて素直に謝ることくらいだ。さっきまでのテメェが教えを乞うにふさわしい態度じゃなかったって事実は時間を巻き戻しでもしない限り変えられない。

 だから、いつだって今からだ。俺はまだこの伝説から学べるものを何も学べちゃあいねえ。これで『はい、おしまい!』は避けたかった。

 ただまあ、シービー先輩の表情に険は無い。いや、いざとなればその表情のまま我が道を行く人ではあるんだろうが。なんとなくこの場に興味を失くしたという風には見えなかった。

 

「ううん。今はちょっぴり“楽しい”かなって思ってる。ねえミスターゴルシT、どこまでが計画通りだった? ブライアンがこなければ、もしかしたら彼女は潰れていたかもしれない。ダービーに勝たせるためとはいえ相当な賭けだったと思うけど」

「賭けずに勝てるダービーじゃないだろう? うちの方針とは異なるけど、『ダービーに勝てるのなら引退してもいい』なんて言葉も残ってるくらいだ」

 

 トレーナーの声色はどこまでも穏やかだった。

 

「ウオッカなら賭けて後悔する結果にはならないと信じていたよ。ブライアンがここまでしてくれるのは嬉しい誤算だったけどね」

「いいね、クレイジーだ」

 

 だからこそ小さくこぼされたシービー先輩の意見に心から賛同するけどな! さらっと俺の選手生命とついでに自身のトレーナー生命をチップにしてないかそれ!?

 

「アタシはあまりそういうのが得意な方じゃないけど……それでも後進の成長を嬉しく感じるくらいの感性はあったみたい。

 ブライアンの気まぐれがより良い結果に繋がるように、アタシも何かしてあげたい気分になってきたよ。もう一回、走ろっか?」

 

「おーいぃ! 何で百まで数えたのに探しに来ねーんだよお前らはよぉ! ひとりかくれんぼだと降霊術になっちまうじゃねえか。ただでさえトレセン学園は満員御礼なんだからこれ以上増えたらいよいよ収拾がつかなくなっちまうぞっ」

 

 いつの間にか種目が変わっていたゴールドシップ先輩が帰ってきた。支離滅裂な内容はいつも通りだけど、ちょっと不安になるからそっち方面はやめてほしいっす。

 ただでさえこの学園って怪談が多いんだよな。夜中の謎の発光物体とか、幽体離脱するアグネスデジタルとか、美浦寮の天井を這いまわるウマ娘の姿をしたなにかの目撃証言とか……。

 ちなみに最後のやつはリシュが蹴っ飛ばして木っ端みじんに砕け散ったという証言を最後にぱったり目撃されなくなった。いろんな意味でやべぇ。

 

「おかえりー。ゴールドシップも一緒にやる?」

「お、いいなそれ。オホーツク海で鍛えたマグロ一本釣りの極意を見せてやんぜ!」

 

 オホーツク海にマグロっているのか? オホーツク海はカニとかが獲れる寒い海でマグロは温暖な海域にいるイメージなんだが。

 それはともかく、マイペースの極みでシービー先輩が誘った結果なんかとんでもないことになってきてないかこれ。

 ブライアン先輩がさっきからチラチラ見てる。気持ちはすげーわかるっす。レースに携わるウマ娘としてミスターシービーとゴールドシップの欲張りセットと併走できる機会なんて血が騒がなきゃ嘘だけど、前言撤回して参入するのはなんかダサいっつーか。

 最初に語ったみたいに、いざ参入しちまったら抑えが利かなくなって俺のトレーニングどころじゃなくなるってのもマジだろうし。

 あ、すげー残念そうに視線を逸らした状態で止まってため息をついた。本当に申し訳ないし、ありがたい。その心意気、絶対に無駄にしないっすから。

 

「ダービーを勝つコツはね、『絶対に勝つ』って思うことだよ。だってダービーは一度きりしかなくて、走ったあとに納得するためには勝つしかない。

 アタシはルドルフみたいに話し上手じゃないから、走ることしかできないけど。それでもいいよね?」

 

 吸い込まれそうな目。これを俺の糧にすることができるんなら。いいや、ここで喰らえなくて何がブライアン先輩の後輩だって話だ。

 おっしゃ、気合十分。覚悟は決まった。シービー先輩が根っからの感覚派であることは間違いないだろうし、理解できない分は後でトレーナーに解説を頼もう。

 

「教えてあげる」

 

 シービー先輩の差し伸べられた手から、鮮やかで強烈な風が吹きつけてくるようだった。

 




ダービーだと思った?
残念、修行パートでした!

次こそダービー開始!
ウオッカ視点はもうちっとだけ続くんじゃ…


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U U U

 

 

 白い霧が立ち込める昏い森。

 一目見て肌が粟立つ。いつか対峙した時と同じ印象。

 

「やあウオッカ。調子どう?」

 

 ただ、あのときと違うことは当然いくつかある。

 一番大きいのは、種目別競技大会のときはこちらなんて歯牙にもかけず空を見ていたリシュが向こうから話しかけてきたってことかな。

 

「決まってんだろ。絶好調だぜ!」

 

 俺は大仰な仕草で親指を立て、腕を曲げて己の胸を指してみせた。そこで鼓動(ビート)を刻む心臓(エンジン)を誇示するように。

 やれることはすべてやった。

 いや、どうだろうな。何もかも足りていない気がする。

 自信と不安、期待と恐怖、渇望と辟易。相反するはずの感情がひたすらごちゃまぜになって俺の中でまとめて燃え盛っている。

 ぐらぐらと足の下が煮えたぎってるみたいだ。

 

 東京レース場の地下バ道。

 これから始まるのは一生に一度だけ夢見ることが許されたトゥインクル・シリーズ最高峰の舞台。

 クラシック二冠目のレース、日本ダービー。

 

「だろうね。今日のウオッカは()()。テンちゃんが気にしていた理由が今ようやくわかった」

 

 大舞台を目前にしてなおリシュの左右色違いの双眸は凪いでいた。

 パドックであれだけの熱を浴びておきながら、ちっこい背中に日本中から向けられる数多の感情を背負いながら、それを重荷と感じている様子はまるでない。

 今この場にいるウマ娘の視線だけでも物理的な重圧が生じそうな熱量だってのにまったくコイツはよぉ。

 

 そんなお前でも、俺のことを『怖い』と感じてくれるんだな。

 リシュ、お前でもレースで怖いと感じることがあるんだな。

 聞き覚えの無い名前が気にならなくなる程度には、その事実は俺の中で救いとなった。

 

 負ける気がしねえ。勝てる気もしねえ。

 ただ熱い。それだけしかわかんねえ。

 

「今日は俺がダービーウマ娘になる。うちのトレーナーはまだダービートレーナーの称号をもってないからな。スカーレットはティアラ路線の方にいっちまったし、俺がプレゼントしてやるさ」

 

 リシュのついでに向けられていた周囲の視線が、俺のセリフで険しくなる。

 そりゃあな。どいつもこいつもクラシック路線に目標をきっちり定めて走ってきたやつばかりだろうからな。ティアラ路線の桜花賞から流れてきた俺は物見遊山とまでは言わねーが、よそ者にしか思えねーだろうさ。

 あるいはリシュがいなければもっと注目を集めていたかもしれねえ、俺の前代未聞なローテーション。ふざけているのかと罵倒の一つも出てくんだろ。

 

 でもそれが俺なんだ。別に舐めてここに来たわけじゃねえ。

 カッコいいと思う生き様からは逃げられねえし、そのつもりもない。

 一方的にだが覚悟は決めさせてもらってここにいる。

 

「ああ、言われてみれば……ゴールドシップ先輩ってクラシック三冠のうち、日本ダービーは取ってないんだっけ」

 

 そう言ってリシュは目を伏せ、少しばかり何かを考えていた。

 しばしのち、首を横に振って視線を上げる。目が合った時、身体の芯がざわりと震えた。

 

「いいや、やめておこう。桐生院トレーナーのために……なんてことも少しは考えなくもなかったけど。今はただ、目の前のレースに集中したい」

 

 森が目覚めた。暗がりに潜むモノたちは、わざわざ獲物に喧噪をもって己の存在を誇示するような真似はしない。ただ無数の重圧がひたひたと押し寄せる。

 

「堪能させてもらうね」

「へっ、上等だよ!」

 

 声が裏返ってなけりゃいいけど。

 ああ、怖い怖い。マジでこえーわコイツ。ビビってるし、心底ブルってるさ。

 でも恐怖している自分は否定しない。それは俺が恐怖するべきものを知ったという事実に他ならないから。意固地になって否定しても、それは俺の中の感性(センサー)を鈍らせる結果にしかならない。

 ですよね、ブライアン先輩?

 だから心がけるべきは恐怖しないことではなく、恐怖に飲まれないことだ。怯まず全力で立ち向かい、乗りこなす意志と覚悟を持つことだ。

 それを人は勇気って呼ぶんだろ。

 

 

 

 

 ファンファーレの響きの中で呼吸を整える。

 

『すべてのウマ娘が目指す頂点、日本ダービー。歴史に蹄跡を残すのは誰だ』

 

 実況で改めて実感する。

 ああ、俺は本当にこの舞台に来たんだな。

 父ちゃん、母ちゃん、見ているか? 録画は頼んだぜ。

 俺にはこのレースを客観的に見る余裕なんて無いから。

 

『三番人気はウオッカ、七枠十五番で出走です』

『ティアラ路線からの刺客か挑戦者か、わざわざ“銀の魔王”が潜むクラシック路線に殴りこんできたのは自信か無謀か。好走に期待しましょう』

 

 へえ、俺は三番人気なのか。

 桜花賞ではスカーレットに負けて二着だったんだがな。やっぱりジュニア級とはいえ阪神JFを勝ってG1ウマ娘になってるのが評価されてんのかねえ。

 

『二番人気はもちろんこの子、アングータ。一枠一番での出走です』

『皐月賞では惜しくも三着でしたが、その粘り強い走りは目を見張るものがありました。今日は雪辱を果たすことができるのか』

 

 ああ、アイツは憶えている。

 解説の言う通り、皐月賞で三着に食い込んだ実力者だ。一着のリシュと二着のマヤノという二匹の大怪獣がどがーんずごーんと大暴れしている中、明らかにいっぱいになってるつーのに根性で最後まで首を下げようとはしなかった。

 今だって目線の高さが周囲とわずかに違う気がする。身長的な意味ではなく、精神的な差異。何かしてきそうな気配がぷんぷん漂っていやがるぜ。

 

『さあ、今日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない! 三枠五番テンプレオリシュ、一番人気です』

『ここまで無敗の“銀の魔王”。荒唐無稽な御伽噺の新たな一頁に注目ですね』

 

 何故だかずべっとゲートの中でリシュが体勢を崩した気がした。

 いや、流石に気のせいだろ。見るからに気合いが充実していたアイツが崩れる要因なんて、この期に及んで思いつかねーし。

 

 ゲートが開くまでに横たわる、呼吸も鼓動も止めてしまいたくなるような静寂。

 ぎゅうぎゅうと押し込められ圧縮されて、ゲートの開く金属音で一気に解放される。

 

『今いっせいにスタートを切りました!』

『綺麗なスタート。みな集中していましたねえ。長丁場のこのレースですが、はやくも先頭に躍り出たのは――』

「ぜりゃあああああああああ!」

 

 解説を押しのける咆哮と共に飛び出したのは件のアングータ。

 自分が先頭を走るのだと、どこかの一番バカを彷彿とさせる勢いでぐんぐんと内側を加速していく。

 ペースを握って幻惑するような小器用な逃げ方じゃない。スタミナをごりごりとすり減らして距離を稼ぎ、力尽きて垂れる前にゴール板を駆け抜けることに賭けたオーソドックスで不器用な破滅逃げ。

 まるで掛かってしまっているようにも見えるが、ちらりと見えたあの表情は平静を失ったやつのものじゃなかった。ぎらぎらと輝くような覚悟の笑み。

 皐月賞のときアイツが逃げで走っていたのは知っていた。まさかこの日本ダービーでそれをやるとはなあ。2400mは中距離だが、海外ではステイヤーの距離とも言われ始めている。加えて、東京レース場は最後の直線が長く後ろの脚質が有利。

 それでも自分の勝利だけをまっすぐ見つめている。たとえその道程が茨で舗装されていることがわかりきっていても。たったひとつの冴えないやり方で戦うことを選んだわけか。

 あの日、目を逸らさなかった自分自身を証明するために。

 

 いいぜ、そういうの。賢いやつはバカだと笑うだろうが俺は嫌いじゃねーよ。

 

『注目の五番テンプレオリシュ、中団より後ろ。後ろから四番目の位置につけています』

『落ち着いた走りをしていますね。出遅れではなく作戦でしょう。周囲もよく見えていますよ』

 

 一方、周囲から溢れんばかりの注目を浴びせかけられていたリシュはすっと下がると、そのままするすると位置を調整して俺の後ろにつけた。

 差しの立ち位置。ああ、そうだ。コイツは奇想天外な行動が多いように見えてその実、教科書に載せられそうな堅実な勝ち方ばかり。奇をてらう必要が無いほどに積み上げられた基礎と基本でぶん殴っていく本当の強者だ。

 その成果があまりにも華々しいからまるで奇術でも見ているかのような気になるだけ。存在の輝かしさで見る者の目を眩ませている。

 今回もそうだ。後方有利もラストスパートが成功するからこそ。周囲から徹底的にマークされているリシュが前を蓋されることなく最後の直線を駆けるのには相応の立ち回りが必須、かなりの身体能力と視野の広さを要求されることだろう。

 

 腹立たしいくらいに自分のスペックを信じた作戦だ。眩いったらありゃしねえぜ。

 

 リシュのマークを優先して後ろを気にしながら走ればこのレースはスローペースになるだろう。

 スローペースのレースは前残り、要は後半になっても体力が残っているから前半に稼いだアドバンテージがそのまま活かせる逃げ有利な展開になりやすい。

 だがそんな定石知ったことかと、これが俺の勝ち方だと言わんばかりのハイペースでアングータが序盤から飛ばしていやがる。

 ここにいる全員が日本ダービーに出走できた実力者。この当たり前の事実がどこまでも重い。

 途中でバテるとしか思えないペースだが、本当に相手はバテるのか。本当にあれは愚行なのか。このまま好きなように走らせたら追いつけなくなるだけの距離を稼がれてしまうのではないか。きっと全員の脳裏をそんな思いがよぎっているはずだ。

 選択肢を突き付けられているわけだ。アングータを逃がさないよう追うのか、それともリシュを徹底マークするのか。刻一刻とレースは進んでいる。のんびり考えている時間はない。

 波乱の立ち上がりの中、俺はリシュを背中にこのまま中団に位置することを選んだ。

 

 迷うな。俺の末脚なら差し切れる。

 

『第二コーナーを抜け、向こう正面に入って先頭からシンガリまでおよそ十五バ身』

『やや縦長の展開。仕掛けどころの難しいレースとなりそうですね』

 

 こうしていると否応なしに思い出す。

 ジュニア級の頃、デビュー前に挑んだ種目別競技大会。ブライアン先輩と初めてやり合った場所で、リシュとは二回目のレースだった。

 後悔はまるでしちゃあいねえが、いま思えば無謀もいいとこだったと笑えてくる。

 当時の俺は羽の乾いていないヒヨコどころか、己がぬくぬくと育ってきた卵の外にも世界が広がっていることにようやく気付き始めた孵りかけの卵みてーなもんだった。

 

 あのとき俺はリシュをマークするように真後ろに付いた。

 いや、マークなんて上等なもんじゃねえか。足音のしないアイツを背後に置くとプレッシャーがひどい。じわじわと衣服に沁み込み全身を重く凍えさせる霧のような重圧。それを避けるためってのと、後は俺が自分で集団の中のペースをつかむこともできないくらい下手くそだったから。

 ただ振り返ってみれば、当時のリシュはありのままのリシュだった。霧の立ち込める昏い森に地図も持たずに足を踏み入れたバカが勝手に迷っているだけだった。

 今は違う。

 敵意がある。悪意がある。殺意がある。

 

 消えたかと思えば大きく響く足音。

 距離感が狂う。嫌でも耳を介して意識が引っ張られ、気づけばぐにゃりと視界が曲がりそうになっている。

 昏い森の中、ふと己の喉笛に鋭い鉤爪が添えられていることに気づく。たとえるのなら今はそれくらいに圧が強く、また指向性を持たされている。

 完全に狩りにきていやがる。

 これ、明らかに皐月賞でマヤノとぶつかった影響っつか成果だよなぁ。怪獣大決戦の余波がここまで響いてくるとは傍迷惑なやつらだぜ、まったく。

 だが経験が糧になるのはお互い様。

 あいにく、背後からかけられる異様で異質なプレッシャーはつい先日経験したばかり。慣れたなんて言えるほど生易しい体験じゃなかったが、肌の痺れが骨まで広がるようなあの時間は確かに今の俺から怯みと強張りを取り除いてくれていた。

 

 トレーナーはこの位置関係になることをいったいどこまで予想してあの特訓を計画したんだろうな。そりゃあ、肝心な時は基本で押し切るって傾向はこれまでのリシュを見ていれば予想できねえこともないけどさ。

 皐月賞、NHKマイルCと前目に付ける走りが多かったのにここで後方策に切り替えてくるなんて、予想しても決めつけるのには度胸がいるだろ。

 まったく、頼りになる相棒だぜ。

 

 俺には複数のアドバンテージがある分、のんきな雑念を脳裏に遊ばせて精神を整える余裕があった。

 そうじゃないやつもいる。狩られた犠牲者が次々とバ群の中を右往左往する。俺が揺らがなくても周囲が揺らげば物理的な問題として位置は調節せねばならない。相応にスタミナを消耗させられた。

 それでも、黙ってただ獲物に甘んじるようなやつらばかりでもない。

 

 領域具現――飽食タイム☆フルーツ到来!

 

 ターフが海岸に塗り替えられる。

 まるでテレビ越しにしか見たことのない南国風の白い砂浜、その上に並べられた籠一杯のフルーツたち。手づかみでガツガツとたいらげていくのは、たしか名前はムシャムシャだったか。皐月賞にも出走していた実力者だ。スタミナに定評があり、後半の競り合いに強い。

 

――要はね、無理を通して道理を引っ込めるってことさ

 

 “領域”をシービー先輩はそう説明していた。

 ルーティーンと自己暗示による身体能力の上昇。そんな常識的な回答だけでは説明がつかないほど、時としてそれは不可思議な成果を叩きだす。

 具現するときに周囲のウマ娘が経験する風景。それはただの幻視ではなく、一時的に世界を塗り潰すほどに己の我を押し通した結果なのだと。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード)

 

 だからこういうことも起こりうるってわけだな。

 漆黒の剣が無数に降り注ぎ、無慈悲に南国世界を切り刻む。さんさんと輝く太陽に照らされてなお存在を主張する黒は、その世界を一回り縮小させた。

 同時に、背後のリシュの気配に少しばかり変化が生じた気がする。霧のように曖昧模糊としたやつだから把握も表現も難しいけど、もとから余裕綽々だったのにさらに余力が生じたような。

 “領域”を刈り取り、奪い取る“領域”。こんなもの、科学的根拠に基づいた自己暗示やら潜在能力の解放やらでは解明できるはずもない。完全にオカルトに踏み込んだ能力だ。

 

 そしてウマ娘の能力である以上、同じウマ娘が対抗できない道理もない。無理だというのなら押し通す。ここにいるやつらはそれをやってきたからここにいる。

 さくさくと呆気なく斬り刻まれてしまった世界。ぎくしゃくとしたぎこちない動きだからこそ、逆に損傷でも揺るがない根性を感じる。ムシャムシャは風穴の空いた腹の中に残りの果物を詰め込み続けた。

 

 お前も皐月の舞台で経験したんだな。

 防ぐ方法は思いつかず、避ける目途も立たなかった。だから気合いを入れて受け止めた。

 来るとわかっているのなら、耐えることくらいはできる。リシュに切り刻まれたムシャムシャの領域は一度揺らいだが、その縮小を最低限のものとして効果を発揮したようだった。

 

――だから実力が一定ラインを超えた相手には干渉タイプの“領域”は通りにくくなる。相手が押し付けてくるルール以上に自我を押し通せるやつらばかりだからね。

 

 シービー先輩の飄々とした声色が耳の奥によみがえる。

 俺はどうだ?

 空気を読むのは現代社会において重要なスキルだ。カッコつけるのに集中し過ぎて思いっきり滑っていることに気づいたときの気まずさったらねーぜ。

 でも今必要なのは相手の顔色を窺うことじゃなくて、むしろ押しのけることだ。押し通すことだ。ラッキーなことにお手本はたった今見せてもらった。

 

『意気揚々と先頭を進みます一番アングータ、どう思われますかこの展開?』

『気迫が漲るいい走りです。後方が差し返せるのか、気になる開きが出来つつあります』

 

 俺がいま使える“領域”は残り二百メートルで発動する。

 より厳密に言えば残り二百メートルに到達した時点で順位が三着以下であり、なおかつ上位五十パーセント以上に位置していて、前後いずれか一バ身以内に他のウマ娘が存在する、それらの条件をすべて満たす必要がある。

 俺にとっての最大の仕掛け処はまだ先だ。だから焦るなと、もう一度自分に言い聞かせる。

 

『第三コーナーカーブ、ここで五番テンプレオリシュ動いた!』

『すごい脚で上がっていきます。思ったより早めに仕掛けましたが、これが吉と出るか凶と出るか』

 

 背後でプレッシャーが爆発した。

 いくぞ、これからいくぞと何よりも雄弁に気配が語る。

 そのくせ外からするりと俺を抜かした銀の影は、いつか見たときと同じく幻のように音もなく滑るようにバ群を駆け抜けていった。

 釣られたように周囲もペースを上げる。いや、これは『ように』じゃなくて釣り上げたのか。皐月賞の2000mならいざしらず、ダービーは2400m。ここから仕掛けたんじゃ最後の直線まで脚を残せない。

 リシュのあれはトップスピードじゃねえ。アクセルを踏み込んだのは一瞬だけ。すぐにミドルペースにギアを変えた。

 それでも地力の差でじりじりと先頭との距離は詰まっているし、何より注目されていた“銀の魔王”サマが存在感丸出しで動いたんだ。プレッシャーと相まって自分の速度を見失ったウマ娘は多い。

 ギンピカ仕立ての豪華な釣竿に次々と魚が食いついていく。

 小さな石の転がりがやがて大きな土砂崩れに変じるように、バ群全体が契機をつくったひとりのウマ娘に押し流される。

 

『十三番リボンフィナーレ、十番グリードホロウが並びかけてきた』

『一番アングータ、ここでいっぱいか?』

 

 銀髪がまるで翼のように風に靡くのを見ながら、俺は流れに呑まれないよう必死だ。

 リシュ、お前はすげーやつだよ。

 自分の身体能力を信じている走り方だが、それだけじゃない。自分の身体能力を完全に把握していないとこんなマネはできねえ。

 ゲームじゃないんだ。ステータスなんて便利なものはなく、数字で表現されるのはあくまで最後の最後に出力される部分だけ。これだけの重さのバーベルを持ち上げることができたから、コイツのパワーはこれだけ。そんなもんだ。

 それも呼吸一つミスするだけで容易くコンディションは狂っちまう。

 努力なんて大前提。才能だけでは到達できず、実力だけでも足りない。だからダービーは『最も運のいいウマ娘が勝つレース』なんて言われるくらいだ。

 でもきっとアイツは違う。アイツだけは違う。アイツの中には他人事のように変動し続ける己のスペックを俯瞰して、それを的確に状況に割り振る透明で無機質な部分がある。そこに運の介在する余地はねえ。

 

『大ケヤキを越え第四コーナーカーブ。最後の直線で勝負が決まるぞ』

『注目のテンプレオリシュは現在五番手。ここで十五番ウオッカ、内を突いて上がってきました!』

 

 でも、今日の俺はそれ以上にすげー。

 

 努力も才能も実力も運も、きっとお前なら必要としないものも含めて今の俺には全部揃っている。

 カーブを抜けて最後の直線に入った時、俺のポジションはバ場の中央という好位置だった。運だけでも実力だけでもたどり着けない絶好の立ち位置。

 魂が震える。何故かこの景色を俺は生まれる前から知っていた気がした。

 

 領域具現――カッティング×DRIVE!

 

 ラストの直線。前方にリシュ。いつかと同じ構図。

 あのときは追い付けなかった。もののついでのように喰いちぎられただけだった。

 

 今度はどうだろうな!?

 

 俺の(ソウル)が唸りを上げる。ポスターカラーの鮮やかな情景がターフを塗り潰していく。

 




次回、ダービー決着


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怒涛のサポカイベント三連続!
ダービー決着ッ!!

後半は三人称視点です



 

 

U U U

 

 

 見える。描かれていく。

 

 剣の軌跡。その予想図。

 ここに来る。それが鮮やかに赤いラインで浮かび上がる。

 たとえどれだけ高速で撃ち出された剣だとしても、軌道がわかっていれば避けられる。俺の超絶テクニックをご覧じろってな。

 “領域”のぶつけ合い、求める世界の引っ張り合い。相手が押し付けてくるルールに力尽くで抗う感覚はシービー先輩との特訓でようやく掴み取った成果だ。

 剣の直撃がリシュの“領域”が押し通った象徴。逆に言えば、当たらなければどうってことはねえ。

 鮮やかに塗り分けられたウマ娘の影と漆黒の長剣の雨の間を縫ってぐんぐんと上っていく。

 リシュの背中がはっきり見えた。前は足音さえ聞こえなかったのに、今ではほら、息遣いさえ感じられそうじゃねえか。

 一本、また一本……うおっ! あぶねー。

 でも避けきったぜ。

 獲物を狙う肉食の魚群のように宙を遊泳していた黒剣の群れは、今や弾切れだ。

 

「練習しておいてよかった」

 

 声が聞こえた気がした。

 レースの真っ最中。しかも東京レース場の長い直線、上り坂のラストスパートだ。呼吸すら覚束ないのに、のんきに喋る余裕なんてあるはずもない。

 でも確かにリシュはそう言った。もしかするとそれは、言葉じゃなかったかもしれねーけど。

 振り返りもしてねーのに、青の瞳がしっかりこちらを見た。

 

「いいよ、わかった。私たちの時間をあげる」

 

 代わりに、勝利はもらうね?

 

 展開されていたイメージが変動する。流動的だった漆黒の剣の投擲から、硬く静謐な舞台へと。

 空から幾本も降り注ぐ白い光。それはリシュを取り囲む墓標のように地面に突き刺さる。

 剣だ。光を放ちながらどこかのっぺりとした、陶器のような印象を受ける純白の長剣。

 片手でその刀身を掴んでリシュは引き抜くと、その切っ先をあっさりと己の胸の中へと導いた。

 光が溢れ、世界が侵蝕されていく。

 

――魂に刻まれた必勝パターンはひとつじゃないよ

 

 ふと思い出したのはシービー先輩の言葉。

 何度目の模擬レースだったか。シービー先輩とゴールドシップ先輩の“領域”にごりごり圧迫されて、指も動かせないくらいヘトヘトになってぶっ潰れていた時に、疲労と酸素の供給がうまい具合に噛み合ったのかようやく気付いたんだ。

 『あれ? どうして先輩方は“領域”が使えるんだ?』って。

 だってそうだろう。“領域”の発動条件は魂に刻まれた必勝パターンをなぞること。そんでもって必勝パターンってのは要するにレース中の条件で、その多くに位置取りが絡んでくる。

 要するに、三人だけの模擬レースなんかじゃ人数が絡む条件が満たせないんだよ。俺の“領域”なんてまさにそれだ。

 

――だからそれぞれに対応した“領域”が存在するし、なんなら実用段階まで高めないならそれっぽく形を取り繕うことだってできる

 

 実力が拮抗したライバル相手ならともかく、今の俺程度が相手なら各種必勝パターンの満たせるところだけつぎはぎした領域モドキで十分対処できるという内容を、直接的ではないにせよオブラートに包むような婉曲さも無く至極さらりと言われた。

 ふつーに凹んだ。でも、今こうして振り返ってみれば。

 追い込み一本でトゥインクル・シリーズを走り抜いたシービー先輩が、全然必勝パターンを満たせないままに形だけ具現した脆弱な領域モドキだったからこそ。

 “領域”の引っ張り合いのトレーニングに最適だとトレーナーは采配したのかなって。ルドルフ会長あたりだと絶対トレーニングにならなかっただろうし。

 そんでようやく特訓で自分がやるべきことを自覚して、そうすると不思議なもので尽きていたと思っていた気力と体力が湧いてきて、そんでまた走って。

 そうやってまたヘトヘトになって芝の寝心地を確かめる羽目になって、動けるようになるまで荒い呼吸の合間にとりとめもないことを話した。

 

――いくつも必勝パターンがあってごっちゃにならないかって? なるよ。なるなる。だから勝負服で使い分けるんだ。ルドルフとかわかりやすいね。逃げ先行で走るときの和装と、差し追い込みで走るときの軍装で“領域”がはっきり分かれているでしょ?

 

 いや、俺はルドルフ会長の“領域”をナマで堪能するようなおっそろしい経験はしたこと無いっすけど……。

 そうだ。複数勝負服を持っているような超一流ウマ娘は、それぞれの勝負服に合わせて『その服で一番使いやすい“領域”』をチューニングしているのだと言っていた。

 つまり勝負服はただウマ娘の魂を活性化させるだけじゃなくて、“領域”のコントローラーとしての役割も果たすってことだ。

 

 リシュの勝負服。

 レースを走るときには装備しちゃいないが、本来は双剣も込みでひとつの衣装だ。

 白と黒の長剣。黒い長剣はこれまであいつの“領域”で何度もみた。他人の“領域”へのカウンターで発動し、その効果を喰いちぎる無慈悲な能力簒奪だ。

 じゃあ、白は? 勝負服はウマ娘の魂の発露。カッコつけではあっても、余分な要素なんてひとつも含まれちゃいやしない。

 もしかしてあいつ、これまで半分しか――

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

  僭称(イミテーション)【深海廻廊】

 

 海水の壁が光を圧し潰した。

 

 

U U U

 

 

 第四コーナーを抜け最後の直線での応酬。

 『ダービーに始まりダービーに終わる』などと語る者がいるほどに、トゥインクル・シリーズの中で重厚な存在感を放つ格式高いこのレースが今年も完成を迎えようとしている。

 盛り上がりも最高潮だ。

 そんな東京レース場をその音量で崩さんとばかりに声を張り上げる観客たちの中で、いったい何人が正確にその現象を把握できただろうか。

 

「あれは……」

 

 ナリタブライアンは気づいた側の存在だった。

 深海に圧し潰されたように動きが鈍る先頭集団。その中でただひとり、重力から解放された魚のごとく軽妙な足取りで加速していく小柄な銀の影。

 まるで光の水溜まりを踏むように、その足元からちゃぷちゃぷと金色が立ち昇っているのを同じ色の瞳でナリタブライアンは認識していた。

 どんな高性能のカメラでも捉えることのできないウマ娘の本領。あれは“領域”だ。見間違えるはずもない。

 だってあれはナリタブライアンその人の“領域”なのだから。大地を豪快に砕いて光の奔流を纏うオリジナルと比べると、だいぶ小規模な具現化に留まっているようだったが。

 問題はそこではない。ナリタブライアンはいまここ、観客席にいる。これまでの戦績から『“領域”に対するカウンター』と推測されていたリシュの“領域”ではありえない現象だ。

 

「……なるほどな。そういうカラクリだったか」

 

 敬愛する姉や、同じ生徒会に所属するシンボリルドルフやエアグルーヴといった頭脳労働を得意とする面々を知っているがゆえに、ナリタブライアンは自身を聡明とは思っていない。

 だが彼女は愚鈍ではない。単純な身体能力だけで得ることのできる“三冠ウマ娘”の称号ではないのだ。ことレースに関しては明確な言語で理論を構築できずとも、直感的に正答を導き出せるだけの能力があった。

 

「ブライアン、きみの見えたものを説明してもらっていいかな?」

「愚かな話だ。私たちは牙の大きさや爪の鋭さに気を取られ、その本質を見誤っていたらしい」

 

 ゴールドシップ担当トレーナーのゆったりした問いかけに、視線を向けないままそう返答する。

 視線の先では次々と世界が塗り替えられていた。

 

『五番テンプレオリシュ、完全に抜け出した!? 二バ身、三バ身、止まらないっ!』

 

 興奮気味の実況と割れんばかりの大歓声。

 娯楽としてこの状況を甘受できる不特定多数から隔離されたように、この一角だけが声援の中に埋没しながら奇妙な静けさをたたえていた。

 

「やつの“領域”の本質は“捕食”だった。喰らったものは血となり肉となり、新たな爪と牙を構成する糧となる。それこそが真なる脅威だったということだ」

「えーと、それはつまり……これまでカウンターでその場限りのものだと思っていた『他者から奪った“領域”』の数々が、大盤振る舞いになっているってことかな?」

 

 資格無き者には見ることさえかなわない。果たしてそれは不幸なことだったのか、それとも幸福なことだったのだろうか。

 たとえ実力が一定のラインを満たしていなくとも波長が合えば“領域”の具現化を認識することはできる。ただ、その場合の把握できる内容はとても不安定なものだ。

 リシュに注目していた同期のウマ娘たちがこれまで気づけなかったあたり、相手へ直接干渉する黒剣の“領域”に比べ、自身の内部だけで完結する白剣の“領域”の具現化は察知するのが難しいのだろう。

 しかし一度至ってしまったのならもう、気づけなかった頃には戻れない。

 

「……ない……知らない、アタシは、あんな」

 

 眦が裂けんばかりに目を見開き、震える後輩にナリタブライアンはかける言葉を持たない。それは後輩自身が後生大事に抱えてきたもので、ずっと背負ってきたものだ。

 必要もないのに手出しするのは無粋を通り越して無礼ですらある。少なくともブライアンはそう認識している。

 

「一、二、三……いや、四か」

 

 空間が桜に染まる。ただ『走る』という一点だけで構成された、純粋なあまりどこか滑稽ささえ漂う世界。もっともその驀進を後ろから魅せられる側からすれば笑うどころではないだろうが。

 淡い桜の色合いに一片の紅が混ざったかと思ったとき、彼女の姿はゴール板を駆け抜けていた。

 

『ゴォール!! テンプレオリシュ、五バ身差の決着ゥ! これほどまでに違うのかっ。完勝でクラシック二冠を達成! しかもこれは……レコードです! レコードが更新されました!!』

『銀の魔王、東京優駿に消えない爪痕を残しました。かくして荒唐無稽な御伽噺は秋の舞台へと続いていきます』

 

 レース場が爆発した。そう錯覚するほどの大歓声。

 悲鳴、怒号の数々。もはや数多の人間が興奮しているということしかわからないこれら大気の振動も、この場の彼女たちを揺らがすには至らない。

 

「四枚だ。立て続けに使った。あとどれだけ手札が残っているのか、同時に使えるのかまでは知らん」

「まいったなぁ。戦えば戦うほど強くなるなんて、本当に魔王みたいじゃないか。うーん、これは困ったぞ」

 

 口調は相変わらずのんびりとしていたが、自分の頭をぐしゃぐしゃと片手でかきまわすその仕草は本当に困っているときのゴルシTの癖だとこの一年の付き合いでナリタブライアンは知っている。

 

「どう対策を立てたものか……ウオッカも勝たせてあげられなかったなぁ」

「あいつが負けたのはあいつの未熟だろう。アンタが気にすることじゃない」

 

「レースに間に合うよう成熟させることがトレーナーの仕事だからね。未熟が原因ならこちらの責任さ」

「フン、そうか」

 

 淡々と紡がれる言葉の奥に激情の気配を感じ取り、ナリタブライアンはそれ以上触れなかった。レースに負けた悔しさがウマ娘にしか本当の意味では理解できないように、担当を勝たせてやれなかったトレーナーの悔しさはどれだけ気心の知れた関係になろうとウマ娘には理解できないものなのだろう。

 ましてや、相手は(面白いやつだとは思っているが)自分の担当でもない、アオハル杯チームのチーフトレーナーという浅い関係だ。無知は配慮の無さの免罪符にはならない。相手の誇りを汚しかねない言動は慎むべきだ。

 

「ブライアン先輩……」

「なんだ、スカーレット?」

 

 ここにもひとつ、激情をなんとか腹の底に飲み下した声がある。

 飲み下してなおせり上がるそれは声を震わせ、滴となって目から零れ落ちていたが。当然それをわざわざ指摘する無粋は持ち合わせていなかった。

 

「アイツは、あの力をいつから持っていたと思いますか?」

「最初からだろう。これまでは使うまでもなかったというだけの話だ」

 

 かといって傷つけないよう気遣いしてやるほど優しいつもりもない。それをダイワスカーレットが求めているとも思わなかった。

 

 実際、ナリタブライアンとしてはひとつパズルのピースが埋まった心地だ。

 一年前の競技別種目大会、彼女はリシュに敗北した。

 負けるはずのない勝負だった。紙一重の否定しようのない敗北(にがみ)だった。

 なぜ負けたのか、後からどれだけ考えてもわからなかった。

 

 もともと生徒会役員がイベントをサボタージュしては示しがつかないと、口うるさい同僚の説教を避けるための参加であり意欲には乏しかった。

 世間ではG1クラスなどと評されていたらしいがしょせんは学校行事。

 レースの格式ばかりに目を奪われ本質を見失うのもばからしいが、重賞には格に応じた重みというものが確かに存在している。

 目ぼしいものはなく、さっさと走り終わってしまおうなどと考えていたのが当時のナリタブライアンだった。

 今はターフの上にいるもう一人の後輩に語ったところの『恐怖を忘れた獣』というやつだ。慢心の対価に肉となり果てた。

 だが、それを差し引いても覆しきれない差が当時のリシュとナリタブライアンの間には存在していたはずなのだ。

 

(あのときの『紫』はまだ見せんか)

 

 “領域”は強力な切り札ではあるが、あくまで手札のひとつにすぎない。

 あのときのリシュは純粋にぶ厚かった。その厚さが単純な手札の応酬では埋めきれない根本的な実力差を覆したのだ。

 走り終わった直後、リシュの瞳は紫に輝いていた。そのときはまるで気にしていなかったが、のちに改めて向き合ったときに彼女が赤い右目と青い左目を持つオッドアイだと知り、あの時のリシュが特殊な状態だったと気づいたのだ。

 ダービーという生涯一度の大舞台。ウオッカという優駿を前に本気にはなったのだろう。だが、底はまだ見せていない。

 

「いつ以来か……十二月二十五日(クリスマス)がこんなにも楽しみなのは」

 

 夏が来る前にもう冬のことを考えている。そんな己の滑稽さも相まってナリタブライアンは肩を震わせて静かに笑った。

 

 

 

 

 

 その隣でダイワスカーレットも震えていた。

 己を内側から蝕む感情に耐えるため、じっと寒さを堪えるように両腕で自身を抱きしめながら。

 まだ熱の冷めぬターフをじっと、瞬きもせず見つめていた。

 

 音というのは大気の振動だ。振動である以上、それ以上の大きな振動に塗り潰されたら消えてしまう。

 これだけの大歓声の中、これだけ距離が離れている位置関係、そこで交わされる会話など聞こえるはずがなかった。

 常識的に考えれば、聞こえるはずがないのだ。

 強いて理屈を付けるのならばカクテルパーティー現象と呼ばれる騒音の中で自分の必要な音声だけを拾う人間が生まれつき有する選別能力に、ウマ娘の優れた聴覚が合わさった結果だろうか。

 あるいはただ単純に、言葉を交わす二人の少女のどちらもがダイワスカーレットにとって特別である。ただそれだけの理由なのかもしれない。

 

「すごかった、ウオッカ」

「あー……そうかよ……」

 

 興奮を隠そうともせず、はしゃいだ様子でリシュが言う。

 つい先ほどまでその矮躯に漲っていたエネルギーの総量を示すように濛々とその身体からは湯気が立ち昇り、ぼたぼたと汗が滴り落ちている。だがぴょんぴょんと刻まれるステップやぶんぶんと振り回される小さな手は小憎らしいほどに軽やかだ。

 疲労に敗北が積み重なって今にも折れそうな背中を晒しているウオッカとはどこまでも対照的。だがそれを気にした様子もなくリシュは言葉を続ける。

 

「どれだけ距離が離れても安心できなかった。次の瞬間には追い抜かされる気がしてならなかった。ゴール板を駆け抜ける最後まで脚を緩めることができなかった」

 

 いつもの彼女らしからぬ、しかし間違いなく『いつものリシュ』だ。ときおり見られる性格が豹変したときの彼女ではない。

 いつもの彼女が、いつものぼんやりをかなぐり捨てて興奮していた。

 五バ身の勝利。ここ最近リシュのレースでは見られなかった圧勝。しかしその事実も彼女が狙って一バ身を演出し、自らの脚に掛かる負荷を最小限にしているという前提を加味すれば評価は反転する。

 ウオッカは温存を許さぬほどに、リシュの背中へ迫ったのだ。

 

「うん、だから、すごかった」

 

 乏しい語彙は貧弱すぎるコミュニケーション能力の発露だけではあるまい。勝利という美酒は他のどんなものよりウマ娘を酔わせる。

 テンプレオリシュというウマ娘はこれまで無敗。それはただの公式記録。本人の主観ではいったいどうだったのだろう。

 この日本ダービーは、ひさしぶりに彼女が『勝った』と思える勝利だったのではないだろうか。こんなにも酩酊するのなら、どれほど久しぶりの()()だったのだろうか。

 ついにはわっほーいと子供のように両手を天に上げ始めた相手を、ウオッカは呆れた様子で見つめていた。

 

「はぁ……少しはわかった気がするぜ」

「うん?」

 

「スカーレットがあれだけ走り続けられる理由。たまったもんじゃねえよなぁ……いつもぼんやりどこかに焦点を合わせていた視線の中心に自分がいて、まるで宝物を見つけたみたいに大はしゃぎされてよ……それを嬉しいと思っちまうんだから」

 

 ウオッカは俯いて表情を隠す。頭髪の陰からこぼれる無数の雫はきっと汗だけではない。

 込み上げるものを何とか処理しようと彼女は両手でぐしゃぐしゃと頭を掻き回していた。

 勝利で得られる快感や達成感とはまた性質の異なる喜悦。ダイワスカーレットにもおぼえがある。断じて認める気は無いが。

 

「だぁー! おっかしいだろ、そんなんじゃダメだって。『認めて貰って嬉しい』『もっと見てほしい』なんてライバルに抱いていい感情じゃねえよ……勝てなくなっちまうよ、そんなの……」

「うん? 尊敬している相手に認めてもらいたいって思うのも、同じレースを走るウマ娘を尊敬するのも、そんなにおかしいことかな?」

 

 今にも崩れ落ちそうな弱音を、迷いのない澄んだ声色がそっと掬い上げる。

 ただまあ、しれっと『自分はウオッカに尊敬されているウマ娘である』ことを前提に言葉を紡ぐあたり、本当にリシュはリシュだ。

 白く麻痺していたはずの思考に、少しばかりイラッとしたものが混ざる。ほんとそういうところよ、ばーかとここで小さくつぶやいたところで芝の上の二人に届くはずもない。

 

「……わるいことじゃねえのかな? 間違ってるわけじゃねえと、本当に思うか?」

「え? うん」

 

 少し戸惑ったのは自身の答えに躊躇いがあったわけではなく、何故相手が念を押してくるほど迷っているのか理解できなかったからだろう。そういう思考をトレースできてしまう腐れ縁の年月が無性に腹立たしい。

 

「じゃあよぉ、お前の認めて貰いたい尊敬する相手って誰だよ?」

「え? ……あー、うーんと」

 

 リシュは自分の中で完結している。生命球よろしく日光だけで維持できるような精神構造をしている。

 他者に敬意を払うだけの情緒と社交性はあるが、誰かに縋りつくような渇望を抱くことはない。そんなこと、いまさら確認するまでもないことだ。

 ぐしぐしと乱暴に袖で顔を拭い、少し赤くなった目で顔を上げたウオッカにもわかりきったことだろう。

 

「へっ、正直者が」

 

 そう苦笑すると、ウオッカは胸を張ってびしりと親指を下に向けた。そこには先ほどまで彼女たちが走っていた、青々としたターフが広がる。

 

「決めたぜ。何でもできるリシュに何でもアリで勝負するのは流石に無謀だ。それは何だろうと自分が一番にならないと気が済まねえどこかの一番バカに任せた。俺はジェネラリストじゃなくてスペシャリストになる」

 

 あるいは、レース場か。

 

「東京レース場じゃあ俺はもう二度と負けねえ。そう決めた。いま決めた!」

「あ、そう。しばらく私は東京レース場を走る予定はないからなぁ。また来年、出会ったらよろしく?」

 

 興奮が醒めてきたのか、いつもの霧のようにふわふわと掴みどころのないリシュが戻りつつある。

 それにしたってあの宣言にその返しはないと、他人事ながら思わざるを得ないダイワスカーレットであった。

 ただ、そのように冷静なふりをして俯瞰を気取っていても。

 

 どうして自分はあそこにいないのだと、溢れる想いと涙をこらえることはできない。

 

 わかっている。自分の選んだ道だ。

 仮に信念を曲げてオークスではなくダービーを選んだところで、その先に未来は無かった。

 ウオッカのように新たな何かを掴むことはできず、わかりきった結果に自己満足すら得られない。ただ敗北という二文字だけを背負いへたり込むことしかできなかった。

 山頂だと思っていたところはいいとこ中腹でしかなかった。白い霧に覆われた峰がどれほどの高みに聳え立っているのか、今のダイワスカーレットでは想像さえつかない。

 踏破したいのならこの選択しか無かった。正解以外の何物でもない。それでも心は見苦しく求めてしまう。後悔を吐き出す。

 

「どっしゃい!」

「ごふっ!?」

 

 平手一発。背中にもろに入り、息が詰まる。

 ごほごほとむせながら視線を向けるとそこにいたのは案の定、容疑者筆頭かつ言い訳無用の現行犯ゴールドシップだった。

 焼きそばを売りさばきに姿が見えなくなっていたはずだが、いつの間にか隣に座っている。気づかないうちにダイワスカーレットの座席はあのナリタブライアンとゴールドシップに挟まれる絢爛豪華な特等席になっていた。

 二十万人を収容できる東京レース場にもかかわらず本日は満員御礼だと解説が言っていた気がするが、どうやってこの観客が飽和状態の中で隣席を人知れず確保したのかは永遠の謎である。まあゴールドシップ先輩だし、ですべて説明がついてしまうのでそれ以上の考察は必要ない。

 

「けほっ、なにを――」

 

 とっさに言おうとした文句は、鋭利ですらある美貌を前に溶けて消えた。真剣な表情をしている。ただそれだけでゴールドシップというウマ娘は印象が変わる。

 時と場合によってはこの表情のまま奇行を繰り出すのだが、不思議と今はそうではないとわかった。

 

「なあスカーレット、後悔しているか?」

「いいえ」

 

 その強がりは驚くほどにすんなりと少女の口から飛び出した。

 まるで出番を今か今かと喉で待ち構えていたみたいに、負い目も見せずに超特急で飛び出していった。

 いや、もしかすると本当に嘘ではないのかもしれない。

 あの場にいない己を痛烈に悔やむダイワスカーレットがいるのは事実。しかしそれは、別にこの選択を良しとするダイワスカーレットがいることとは矛盾しないのだ。

 二重人格などでなくとも、人の心はもともと複雑怪奇で二律背反が当たり前。

 吐き出された言葉に血肉が宿っていく。

 乱暴に手の甲で涙を拭うと、そのまま服で手を拭いた。ハンカチも使わないなんて普段の自分ではありえないが、今の心情にはちょうどいい。

 

「アタシは、これでよかったんです」

「そうかよ」

 

 ニヒルに笑うゴールドシップ。一昨日にドラミングで暖を取ろうとしていた葦毛の奇人と同一人物とはまるで思えない。ちなみに今は五月なので、そもそも暖を取る必要に迫られる季節ではない。

 

「『二兎を追う者は一兎をも得ず』って言うけどよお、あれって実は『二兎を追わぬ者は二兎を得ず』ってことわざとセットになってるの知ってっか?」

「堂々と嘘をつかないでください。いたいけな後輩が信じたらどうするんですか」

 

 中国由来の故事成語のような顔をしておいて、実は西洋のことわざ『if you run after two hares you will catch neither』の翻訳だということを知っていれば物知りのたぐいだろう。

 

「追いかけりゃあいいのさ。目指す先に二匹いようが、周囲に何を言われようと。オメーが二匹きっちり捕まえたとき、嗤っていたやつらはようやく自分が手ぶらであることを焦り始める。いつだって世界はそういうもんだからよ」

「……はい」

 

 めずらしく脊髄だけじゃなくて脳も使っている、何を言っているのか理解できる会話だった。だがよくよく思い返してみれば、こと後輩の面倒を見るという点に関して言えばゴールドシップはゴールドシップなりにこれまでも誠実だった気がする。

 いつもの調子では先輩としての役割を果たせないのならおふざけの仮面をずらすこともある。あるいはそういうところを含めてダイワスカーレットがこの一年間先輩として付き合ってきた『ゴールドシップらしい』のかもしれない。

 

「オメーが諦めねえ限り、うちのトレーナーは絶対に道を用意して背中を押してくれっからよ。ちょっと場合によっちゃ崖に見える道みてーなやっぱ崖みたいなもんになってっかもしれねーけど、それでもオメーなら進めるだろ?」

「もちろんです」

 

 そうだ。諦められるなら、投げ出してしまえるのなら、今ここにいない。

 視線の先、ふとリシュがこちらを見た。この大観衆の中からこちらを見つけ出したというのだろうか。そのくらいならあっさりやってのけるだろう。

 

「アタシはアイツに勝ちますから。ぜったいに」

 

 ふふんと向けられたこれ見よがしなどや顔に、とりあえず指を立てて返しておいた。

 

 

 




【その夜の一コマ】
「案の定、テンちゃんが先に寝てしまった……」
「もっと今日のことを語り合いたかったのに……」

これにて今回は一区切り!

例によって一週間以内におまけを投稿予定です


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【今年も】ダービー実況スレpart2【始まり終わる】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

3:観客席名無し ID:TgIh/b88T

まさか始まる前に1スレ使い切るとは・・・

 

6:観客席名無し ID:hPHDagM73

今年は観客20万超えてるって話だし妥当

注目度が段違いなんよ

 

9:観客席名無し ID:DljEl1ARH

やっぱりあの直前インタビューが利いてるのかな

 

13:観客席名無し ID:ZBIPbqp8B

魔王様マジ魔王様

 

18:観客席名無し ID:zPO7SyNcF

テンプレオリシュには勝ってほしくないなー

失礼じゃん流石に

強ければいいってもんじゃないだろ

 

21:観客席名無し ID:AzFcn3HXC

レースはウマ娘の速さを競う場なんですがそれは

 

23:観客席名無し ID:VHckz7Ga1

トゥインクル・シリーズは興行だからなぁ

ある程度過激な発言だろうとスパイスみたいなもんじゃね?

 

27:観客席名無し ID:v17O1zTWC

礼儀正しく敬意を持って、ってのが間違っているわけじゃないけどなあ

おてて繋いで仲良く同時にゴールってのができない以上

どの顔で同じレースを走る相手を褒めそやせってのはあるよな

 

32:観客席名無し ID:kTFLoxmCI

いやスポーツマンシップは大事だろ

 

33:観客席名無し ID:tb8IfZVAi

よくよくテンプレオリシュの発言を見返してみろ

一見煽っているように見えるし実際煽り以外の何物でもないが

相手を侮辱するような発言は一切ないゾ

 

37:観客席名無し ID:P2ciMeQuq

え、あれで侮辱じゃないの?

お前らおとなしくバックダンサーやってろざーこざーこって煽ってなかったっけ

 

40:観客席名無し ID:NWcqlbFlc

要約すれば『自分が一着になる』『私が最強』って言ってるだけ、なのか?

そのくらいならたしかに、ちょっと過激な発言の範疇ではあるのか・・・

 

45:観客席名無し ID:znsIN0gH2

俺、魔王様がデビューしてからずっと従軍させていただいているけど

いつも覇道を邁進なされるキレッキレな発言が多いお方だけども

何だかんだ誰かの悪口は聞いたこと無いんだよね

 

47:観客席名無し ID:Y4tdsJHl2

スーパークリークの悪役ムーブみたいなもんじゃねーの?

 

52:観客席名無し ID:5b6eOTWwk

クリークが悪役?

 

55:観客席名無し ID:GNR0+SN4P

ああ、今の子たちはママ味あふれるクリークしか知らんのか

時の流れが早すぎておじさん泣いちゃいそう

 

・・・まだオグリ世代って夢杯で活躍中だよな?

そこまで昔でもないよな???

 

59:観客席名無し ID:6eZrm8F8+

ママが共通認識になってる今のクリークしか知らん子には想像もできないかもしれんけど

一時期ヒールとして扱われていたことがあるんよ、スーパークリーク

 

64:観客席名無し ID:fhas1RxtV

カサマツから出てきたシンデレラグレイを阻む偉大なる壁としてな

オグリブームの被害者とも言える

 

68:観客席名無し ID:Iq+KBHzaU

クリークの担当トレーナーはすごく不本意だったらしいけど

クリークはあの性格だからな

「みんなが楽しんでくださるのなら~」

と自ら率先してそのように立ち振る舞うようになったんだ

 

72:観客席名無し ID:r9myAQNeP

今ではあの通り、母性持て余し気味のでちゅねの悪魔やけどな!

 

77:観客席名無し ID:lEyIpFzyB

たしかに、テンプレオリシュって適性の幅がハッピーミーク並らしいし

この調子でいけば年内に全距離G1挑戦も夢じゃないよな

ただ単に「次はこの距離にも挑戦だー」ってやるよりは

「魔王がこの距離にも侵略してきたぞー!」

って悪役路線で演出した方が興行的には盛り上がるか?

 

79:観客席名無し ID:xZY8Eypir

出走するウマ娘がそこまで考えることかよ

そういうのはマスコミの仕事だろ。仕事しろ

 

84:観客席名無し ID:Rs2XMKter

魔王様そこまで考えていないと思うよ

 

86:観客席名無し ID:wZwkDnApL

まったくだ

魔王様が下々の者に向ける感情は気まぐれな慈悲であって

奉仕や献身の精神は解釈違いである!!

 

87:観客席名無し ID:G4c2OXTfL

なんかちらほらやべーの湧いてんな?

 

88:観客席名無し ID:SbfTbod7h

魔王軍がここまで侵略してきたか・・・

 

91:観客席名無し ID:mV0NjE7MY

年内の全距離G1挑戦なぁ

今年の短距離にはサクラバクシンオーがおるんやが?

もし今日勝てたとしたら無敗の三冠が見えてくるわけやし

さすがに敗色濃厚な挑戦はせーへんやろ

 

96:観客席名無し ID:ezZgNeKU6

テンプレオリシュの話題もスレチとは言わんけどさー

他の子たちはどうなん?

今日の出バ表とか無いの?

 

97:観客席名無し ID:FoXz5CKxx

>>96 1スレ目を見てこい

たっぷり1000レス使って自分の推しを変態どもが18人分ねっとり語ってるぞ

 

99:観客席名無し ID:KKMtr84C/

個人的なイチオシはムシャムシャちゃんかな

ちょっとずぶいところがあるけど、東京レース場の2400mなら真価を発揮できるんじゃないかと期待している

 

102:観客席名無し ID:vHW7KVTbB

俺はウオッカだな

やつはダービーを獲るウマ娘だよ。最初からわかっていた

 

103:観客席名無し ID:jHrTsP18t

アングータちゃんに頑張ってほしい

 

104:観客席名無し ID:7Rj7qZtGZ

リボンフィナーレだよやっぱり

青葉賞ではいい走りしてた

 

106:観客席名無し ID:INtHcdqrE

グリードホロウ。誰が何と言おうとグリードホロウ

  

111:観客席名無し ID:A5Y6Cvf4e

お、ファンファーレ

 

114:観客席名無し ID:rkjuMELaZ

ようやく始まるな

 

115:観客席名無し ID:ehEI6TUn7

改めて人多いな

 

120:観客席名無し ID:TZYkbUM8X

現地で見ているやつってどのくらいおるん?

 

124:観客席名無し ID:r6YioOyoY

 

129:観客席名無し ID:H1wcaexGh

同じくノ

 

131:観客席名無し ID:lb6TSIiGB

スマホなんて覗いてないでレースに集中しろよwww

 

134:観客席名無し ID:PSwhOg/Co

ワイ現地組

ゴールドシップの焼きそば買えてご満悦

 

136:観客席名無し ID:KB0WQ7Vl/

まーたやっとるんかあの葦毛の奇行種は

 

139:観客席名無し ID:FUjoLsrZ6

お、ほんとだ。

〈キャロッツ〉の面々が観客席におるやーん

 

143:観客席名無し ID:horR4P4Lw

こっちでは〈パンスペルミア〉も見つけたぞ

 

147:観客席名無し ID:cAci6hVoI

練習はいいのか

 

148:観客席名無し ID:nK8Pte/E3

いまこの時間このレースを見る以上の練習なんて無いだろ

 

149:観客席名無し ID:JCzXeFVc4

思ったより現地組多いんやな

 

152:観客席名無し ID:UDb8TZ9iv

ゲートイン完了

これから3分間まばたき厳禁な

 

153:観客席名無し ID:jhaufrDRh

くるぞ・・・くるぞ・・・

 

157:観客席名無し ID:paB7HUo2S

始まった!いけえええええ!!

 

159:観客席名無し ID:0/Pq/6UVF

ふぁ!? アングータ!?

 

164:観客席名無し ID:3MyngmqSr

掛かってしまったのか?

 

165:観客席名無し ID:QGoN8HWaJ

そりゃあダービーだもんな、プレッシャーもひとしお

 

168:観客席名無し ID:foR3C9KV5

2400mであのペースじゃもたんだろうなー

ひとり早々に消えたか。可哀想に

 

169:観客席名無し ID:nwG16GpvZ

勝手に終わらせんな!

あの顔が見えねえのか。絶対に勝ってやるって顔してんだろうが!!

 

172:観客席名無し ID:n3eWAEvBb

テンプレオリシュは思ったより後ろに付けたな

出遅れってわけじゃなさそうだけど

 

175:観客席名無し ID:AbiuE34HX

囲まれてそのままずるずる負けるなんて考えないんだろうなー

あーやだやだ

 

179:観客席名無し ID:rWxA7Thk+

ウオッカはさらにその後ろか

 

188:観客席名無し ID:q3sT6y4nq

アングータちゃんかなり早いな

このペースで最後までいけばレコード狙えるぞ

 

196:観客席名無し ID:HrROvL21W

さすがに2400mでそれは無理だろ

 

202:観客席名無し ID:5xUe99y60

縦長の展開になったな

仕掛け処の難しいレースになりそうだ

 

209:観客席名無し ID:fSYZgOu1k

勝負は第四コーナーからになりそうかな?

 

214:観客席名無し ID:ooAQZ+tYI

いやどうかな

アングータがんがん飛ばしているし、波乱の展開も予想できる

 

216:観客席名無し ID:GbcT3qdkw

うん? ムシャムシャちゃんちょっとフォーム崩れた?

いや大丈夫そうか。怪我ではなさそうだ

 

217:観客席名無し ID:lI/IaIcIn

飛ばすなぁアングータ

もつのかこれ?

 

222:観客席名無し ID:68do32Giq

このペースでレースを引っ張っていけば

もしかするとレコード出るかもな

アングータが垂れないかはともかくとして

 

250:観客席名無し ID:exsvQkC8q

第三コーナーカーブ

ついに動いたかテンプレオリシュ!

 

264:観客席名無し ID:OcVlEpZtv

おお、いっきに動き始めたな

ハイペースで進んでいたこのレースなのに

最後まで脚もつのか?

 

277:観客席名無し ID:TkiH6H+49

いや、リシュちゃんは緩めたなこれ

周囲を動かしただけっぽい

 

280:観客席名無し ID:bAUUUhPuQ

まじか。そんなことできるのか

 

292:観客席名無し ID:CS4phIPPI

徹底マークを逆手に取って周囲を誘導してるってことか?

中等部のレース運びじゃねえな

 

295:観客席名無し ID:CWEmD+YN9

ウオッカは釣られていないな。さすがだ

 

300:観客席名無し ID:ztsj6wiCe

俺の目にはリシュちゃんが全力でぐいぐい上がっているようにしか見えん・・・

 

309:観客席名無し ID:t65WDPj1i

ウマ娘ファンだからといってレースファンとは限らんもんな

素人目には誰が先頭なのかくらいしか判別つかんよ

 

323:観客席名無し ID:ysTeRcU//

いや、素人じゃなくても気づけるかっていうと厳しいぞあれは

 

327:観客席名無し ID:m094j8pjX

稀によく玄人が出現するよなスレって

玉石混淆もいいとこだけどさ

 

330:観客席名無し ID:q8IDBMYGn

ああー、アングータちゃんが!

 

377:観客席名無し ID:I+63Dgp1q

ここで先頭はリボンフィナーレか

 

381:観客席名無し ID:Zxra9AsWi

限界か、ずるずると垂れていく・・・

 

408:観客席名無し ID:JhDH87HU1

リボンフィナーレ「よくがんばったな。あとは任せろ」

 

433:観客席名無し ID:ZiKmuTS7C

>>408

一瞬感動しかけたけど、よく考えたら全然いいこと言ってなかったwww

 

471:観客席名無し ID:U9SGJGdaB

大ケヤキを越え第四コーナーカーブ

最後の直線で勝負が決まるぞ

 

491:観客席名無し ID:9n5Av5PjV

さあ、ここからだ

 

500:観客席名無し ID:0h4gd/hyS

大外からいっきにテンプレオリシュ!

 

509:観客席名無し ID:xAHLmeWcs

誰も彼も1センチでも短く走ろうと苦心しているのに

惚れ惚れするような力技だな

 

524:観客席名無し ID:IO95ceMBE

ウオッカ動いた!

 

530:観客席名無し ID:Ori44f85o

絶好!

直線手前でレーンど真ん中、前はきれいに開いている

あとはもう全力で走るだけってポジション!!

実力だけで付ける位置じゃないぞ

まるで運命がウオッカに勝てと言っているようだ・・・!

 

545:観客席名無し ID:rXaC72KRT

差し切れえー!!

 

561:観客席名無し ID:RMm4rN8BT

いっけえええええ!!

 

563:観客席名無し ID:QqBy5dYUS

のこり200m!

 

564:観客席名無し ID:v1X1JEHWe

もう少しで並ぶ!

 

589:観客席名無し ID:GQsf1n92V

はあ!?

 

608:観客席名無し ID:H2paV6p48

ウオッカ止まった?

故障とかやめてくれよ!?

 

621:観客席名無し ID:GcdV7/nMT

違う、リシュが異様に速いんだ!!

 

641:観客席名無し ID:3t6iuBddy

うおあああああああああああ!?

 

666:観客席名無し ID:DvunMW+/l

縮まりかけた距離が、どばっと・・・

 

670:観客席名無し ID:YIjc0AbRy

ゴール!

一着はテンプレオリシュ!!魔王様さすがです!!

 

682:観客席名無し ID:TCtzzKmcQ

なんだったんだあれ・・・

まるで周囲のウマ娘が止まって見えたぞ?

 

695:観客席名無し ID:stvl2uz+J

ラスト100mですべて持っていったな

 

698:観客席名無し ID:UqvFvy9xk

レコードかぁ

てか二着のウオッカもタイムだけでいえば旧レコード更新してんじゃん

笑うわ

 

703:観客席名無し ID:y7YqRpC7X

笑うしかねえ

間にウオッカが挟まっていなければ三着以下と余裕で大差だったからな

 

714:観客席名無し ID:eorcwB4JN

結局ウオッカとは五バ身差か

最近では珍しい大勝だったな

 

733:観客席名無し ID:kRFeM+eRV

逆だろ。普段は脚の負担を最小限にするため鉄壁の一バ身に収めるのが魔王様のやり方だ

レコードタイムで五バ身もつけなきゃいけないくらいウオッカは接戦だったんだよ

 

743:観客席名無し ID:NKUZRwVFX

五バ身差で接戦って冷静に考えて何言ってるのかわからんw

 

761:観客席名無し ID:LoDUrL4ak

ホームランは内野ゴロの打ち損ないの某全盛期メジャーリーガーみたいだなwww

 

762:観客席名無し ID:38jg5AA0k

同じ時代を走るウマ娘からすれば目が合っただけで心臓麻痺起こしそうで芝枯れるんですが()

 

763:観客席名無し ID:Mti0F9Tla

ワイ観客席のヒトミミ

「いいところ連れてってやんよ」と今日東京レース場に案内してくれた友達(エリートウマ娘)がさっきから凍り付いてんだけど

 

764:観客席名無し ID:nEaUUgoOh

そりゃああんな非常識な加速見たらな

2段階スパートってオグリキャップかよ

 

772:観客席名無し ID:XfqMDsHHf

ワイ、トレセン生徒

いま見た信じがたい光景を理解するのを脳が拒絶している

 

774:観客席名無し ID:UyDk1uIOb

無敗のクラシック二冠だもんなぁ

同期にとっては名実ともに魔王だろこんなん

 

784:観客席名無し ID:s2UrmTf6I

ルドルフ以来の無敗の三冠が見えてきたな

これは期待せざるをえない

 

792:観客席名無し ID:NQWoYgaV2

・・・なーなー、このスレにさ

ワイの他に現地組のウマ娘おる?

確認したいんやけど、三つだったよな?

ひとつやふたつじゃなかったよな???

 

802:観客席名無し ID:rzTj7Iozg

はっきり見えたわけじゃないけどラスト100mだけで4つあった気がする・・・

 

809:観客席名無し ID:uNmBjFH3/

皇帝クラスでも1レースにせいぜい2つだよなぁ?

ありえん。なんなんだアレ・・・

 

813:観客席名無し ID:ePtJL2Ykp

なんの話をしているんだ?

 

814:観客席名無し ID:tg96S+zHo

もしかして“領域”?

あるとは聞くけど、マジなのそれ?

 

815:観客席名無し ID:oujg2DsAY

たしかにそういうオカルトが介在すると言われても信じてしまう程度には異常な加速ではあった

 

816:観客席名無し ID:EXHNFWqlH

まあ物理法則に反しているからありえんって言っちゃえば

ウマ娘という種族全般に跳ね返ってくるし?

 

820:観客席名無し ID:zlfld6sLa

今日レコードが出たのはアングータちゃんがレースを牽引したおかげやな!

 

825:観客席名無し ID:D5++DRI6X

なお本人の着順(13着)

 

830:観客席名無し ID:zlfld6sLa

(´;ω;`)ブワッ

 

831:観客席名無し ID:D5++DRI6X

ごめんて

 

834:観客席名無し ID:eoVb+aPsv

ムシャムシャちゃんはギリ入着かぁ

やっぱりあの子の本番は菊花からかなー

 

836:観客席名無し ID:9Jfrj86nt

リシュちゃん珍しくはしゃいでんなあ

楽しいレースだったんだな。よきかなよきかな

 

838:観客席名無し ID:3+QehOlKX

改めてリシュちゃんが143cmしかない中等部の女の子だと思い出す

こうして見るとかわいーロリ枠なんだけどな

  

841:観客席名無し ID:GajKM+4IB

あれ? おかしいな・・・

これまで勝利して魔王様がお喜びになられることなんてあったか?(アイディアロール成功)

 

843:観客席名無し ID:Cf/moJ03a

た、たぶんレコード更新したのが嬉しかったんだよ!

朝日杯FSのときもはしゃいでたじゃん!(ふるえごえ)

 

844:観客席名無し ID:J17J8ZYh4

あれは順番が逆じゃね?

家族が応援にきてくれてはしゃいじゃったからレコードタイム叩きだしちゃったっていう

 

846:観客席名無し ID:PhnoI/8A1

それ以上いけない

これまで魔王様に負けたウマ娘たちがSANチェすることになる

 

850:観客席名無し ID:9xzkUEUJh

それにしたってえげつない速度だったな

東京レース場の最後の直線に高低差2mの坂があるってことを忘れそうになる軽い走りだった

 

854:観客席名無し ID:PphYmk2CH

そりゃあ、リシュちゃんはその気になればBダッシュで壁走るからな

525.9mで高低差2mなら平地も変わらんだろ

 

857:観客席名無し ID:211b+/YOZ

壁走りはさすがに無いだろw

 

859:観客席名無し ID:h2L1aPKKA

ワイ中央の生徒

校舎の屋上からバクちゃんに呼ばれたリシュちゃんが

校舎の壁を駆け上がって屋上までダイレクトに駆けつけたのを見たことがあります・・・

 

863:観客席名無し ID:RvJrr5UCI

いやいやいや

 

864:観客席名無し ID:zubG7rnOS

……いや、ワイもみたで。リシュちゃんの壁走り

ノーアポで突撃取材した悪質なマスコミをちらっと見た後

無言でダッシュ

そのまま壁を駆け上がって街路樹から街路樹へぴょーんぴょーんと飛び移って消えていった

 

よかった。最近トレーナー試験の勉強で寝不足続きやったから幻覚でも見たのかと

 

865:観客席名無し ID:aJhWx6M26

マジなのかw

言われてみればたしかに、駿大祭の流鏑でルドルフが滝登りしてるのを見たことがある気がする

 

寝不足は万病のもとやぞ

身近にあるからこそ脅威の過小評価は禁物だゾ?

 

869:観客席名無し ID:eFpVJ2nSh

たしかそのときの駿大祭ではブライアンと流鏑で真正面からやり合っていたよな

ってことは、三冠ウマ娘レベルなら壁走りはできる範疇のスキルなのか・・・

 

トレーナー試験が中央のことを指しているのなら、受かった後の方が激務だからな?

今の段階で寝不足になっているのなら、スケジュールの根本から見直した方がいいと思うゾ

 

870:観客席名無し ID:pl5TbsaoK

もともと中央に来るようなウマ娘なら校舎の二階までジャンプするくらいならわりとできるよ

ただ、力加減が難しくってそんなパワーを発揮するとどこかを壊しがち。校舎然り、自身の身体然り

ソースは校舎の修理担当していたころのワイ

どこも壊していないのなら、たぶんテンプレオリシュは身体コントロールが抜群なんだろうな

ルート演算を素早く行えるだけの脳の処理能力と、その前提となる観察眼も秀でていると思われる

 

ウマ娘あってこそのトレーナーだからな?

トレーナーが倒れると必然的にウマ娘に被害が出る

将来の担当を泣かしたくないのなら、今のうちから健康に気を遣うんだナ

 

875:観客席名無し ID:LsRrYVfcS

厳しいこと言ってるようでやさしいなこいつらw

 

880:観客席名無し ID:5ekkCVcHl

こういうの見るとまだまだこの国も捨てたもんじゃないなって思うよねー

 

882:観客席名無し ID:UkcoWqNtJ

どこ目線だよw

 

885:観客席名無し ID:v45uAonv0

それにしても、レースが始まる前に1スレ使い切ったんだから

終わるころには10スレくらいいってるかなと思ったけど

意外と伸びなかったな

 

890:観客席名無し ID:lLr7uNrs/

そりゃあレース中は観戦に没頭するやつが大半だろうからな

わざわざスレにかじりついてコメ打ち込む変人なんて限られているだろ(ブーメラン)

 

896:観客席名無し ID:4/ZdJlUr9

ぐうの音も出ない正論に芝生えますよー

 

900:観客席名無し ID:bCwStQXF2

実況スレの存在意義とは?(哲学)

 

903:観客席名無し ID:Zurc2f3Up

ためらわないことさ!

 

909:観客席名無し ID:fzGCwRhFa

さーて、魔王様の勝利者インタビューがそろそろ始まるか

 

911:観客席名無し ID:byolKL56Y

まばたき厳禁な

 

915:観客席名無し ID:lP0RWq/+T

そろそろ瞬きせんとドライアイになるわw

耳はちゃんと傾けるから勘弁しちくりー

 

 

 

 




これにて今回は一区切り!

次回は…月見の季節に投稿できたらいいなと思います(希望)


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砂の銀河
衝撃の余波


間に合ったな!(今年の十五夜には遅刻)
さりげなくジャパンダートダービー編、開幕していきましょう。

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 運が捻じれている。

 

 テンちゃんはそう表現する。

 たとえばある日、急にプリンが食べたくなったとか。

 それもコンビニで買えるようなお手軽なものじゃなくて、先日マヤノに教えてもらったファッション誌に載っているような流行りの有名スイーツが無性に食べたくなって、一駅分走ってわざわざデパートに向かったとか。

 そしてその目的地や道中で思ってもいなかった顔ぶれと遭遇し、巡り巡ってトレーニングのヒントになってスキルアップの大きな一助になるとか。

 

 いや、どうしてそうなるんだって振り返れば自分でも思うけど。実際にそうなっているんだから仕方がない。

 まるで誰かがお膳立てしたように、極めて限定的なシチュエーションが確率の息の根を止める勢いでがっちり噛み合う。何度経験しても慣れない奇妙な感覚だ。

 あるいはそれをありふれた言葉で表現するのなら、運命というやつなのかもしれない。

 

 だから、もしかすると。

 あの『出会い』というよりは『すれ違い』と言うべきあの子との巡り合いも。

 図書館で今にも力尽きそうになっていた彼女の背中を無責任に押したことも。

 いつの日か『あれは運命だった』と、思い返すような時が来るのかなって。

 

 

U U U

 

 

 テンちゃんが脳内でまどろんでいる。

 今日のダービーでは無茶をしてしまったから、休んでほしいと思う。

 それが私の素直な気持ちで、だからこれは私が自分の意志で選んだこと。誰かに強要されたわけじゃない。

 それはそれとしてパシャパシャと鼓膜に刺さるシャッター音や、網膜に瞬くフラッシュは不愉快極まりない。つい顔を顰めてしまいそうになる。

 

「今回のダービー、レコードを更新しましたがそれについて何か一言!」

「これまでダービーを走った誰よりも私が速かった。それだけのことです」

 

 勝利者インタビューってやっぱり苦手だ。

 トゥインクル・シリーズを走るウマ娘の仕事と割り切っているからやるけども、ただでさえ不特定多数の前で緊張しているのにレースの疲労が重なりろくなことが言えない。

 ここにいるのがテンちゃんだったのなら、にやにやと不敵な営業スマイルを浮かべていたことだろう。だけど実際にいま表にいるのは私であり、興奮が醒めきった後の仏頂面が表面化しないようゆるい無表情を取り繕うので精一杯。

 現にこうしてごくごく当たり前のことを言ってしまったくらいだ。こんな面白みのない発言ばかりだからか、熱狂していたインタビュー会場の空気はいまや冷えきっている。

 

 うん? 何か変なような。しらけているというより凍り付いているという方が今の空気を表現するにはふさわしい。

 もしかして面白みのないことじゃなくて、かなりおかしなこと言ってるのか私?

 でもテンちゃんに声をかけて起こすのに比べたら、おかしなことをいって空気を冷却する方がマシだな。正しいとか間違っているじゃなくて、単純に優先順位の話。

 

 レコード更新って言ってもさ。誇らしい気持ちがないわけじゃあないけど。

 アングータさんがかなりのハイペースでレースを引っ張ってくださりやがって、そのハイペースに対応しきったウオッカが最後の直線で鮮やかに差しにいって。

 そんな彼女たちに勝つためには、それまでのウマ娘が築き上げた限界をひとつ正面突破するしかなかった。本当にただそれだけの話なのだ。

 

 それに、別にレコードを更新したからといってこれまでダービーを獲ってきたどのウマ娘よりも強いと主張できるわけじゃない。バ場状態が悪ければタイムが出ないし、そのレースの先頭を走る逃げウマがスローペースに持ち込めばやっぱりタイムは遅くなる。

 新規ファンが『レコードを出したからこのウマ娘は強いんだな!』と素直な感想を出したところに、目をどんより濁らせた自称玄人が『はあ? この素人が! そもそもレースってのはな……』と噛みつき聞かれてもいない知識をつらつらと語って相手をうんざりさせるのは稀にこの界隈で見られる光景である。

 そんなことして新規参入を難しくしても業界自体が先細りするだけだと思うんだけどなあ。それでもやっぱり自分だけのアイドルが軽んじられる、あるいは軽んじられたと感じるのは一部の過激派にとっては許せないことらしい。

 どうでもいいね。

 

「……で、ではゴール直後、珍しくはしゃいでいる姿が目撃されましたが。やはりテンプレオリシュさんにとっても『ダービー勝利』というのは特別なものだったのでしょうか?」

「ああ、そうですね。楽しかったし、嬉しかったので。桐生院トレーナーに“ダービートレーナー”の称号を贈れたことも誇らしく思います」

 

 今度の発言は正解だったらしい。空気がほっと弛んだ。

 正直、さっきの空気を凍らせた発言と何が違うのかさっぱりわからん。頭をろくに使っていない無難な言葉しか吐いていないのは同じじゃないのか。

 

 それと、ゴール直後の我を忘れるような感情の奔流。

 あれは私の感情ではない。いや、私だけの感情ではない、というべきか。

 アレは私たちの感情、つまりオーバーフローで境界線を貫通したテンちゃんの情緒が流れ込んだことにより錬成されたおかしなテンションである。

 普段はそんなことは起こらない。身体は共有しているから肉体の支配権を持つ方の感情が身体に反映され、その身体からのフィードバックが裏に控えている方に影響を与えることはあるが、基本的に私たちの心は独立している。

 ただ、私たちの魂は奥底で深く結びついている。個別の存在であるのと同時に同一の存在でもあるのだ。

 だから極端な激情を抱くと、たまーに境界線を貫いてもう片方の情緒にダイレクトな影響を与えてしまうことがある。

 幼いころはいざしらず、ある程度情緒が安定してからは滅多に起こらなくなっていたんだけどなー。それだけ『ダービーでウオッカに勝利した』というのはテンちゃんにとって一大事だったようだ。

 あの歓喜とも悔恨ともつかない感情の奔流あっての謎テンションからのバンザイだったのだ。そこは勘違いしないでほしい。

 まあこんなこと、赤の他人どもに説明なんてできないしする気もないんだけどね。

 

「二冠ウマ娘となったことでファンの方々から宝塚記念の投票数も期待できますが、次走は考えていらっしゃいますか?」

「宝塚は無理です。次走はジャパンダートダービーを考えています」

 

「ダートですか!?」

「はい、ダートですよ。私は芝もダートも走れるウマ娘なので」

 

 無茶言わないでほしい。期待するのは勝手だがそれに関して応える気はまったく無いぞ。

 今年の宝塚ってゴールドシップ先輩とナリタブライアン先輩が正面衝突する魔境じゃないか。

 まだ無理だ。勝てない。脚を壊す勢いで全力を出して、ようやく勝ち目が見えてくるレベルである。

 そして私は脚を壊す気などさらさらなく、そんなモチベーションで挑んだところで勝てるわけがない。

 勝てないと判断を下したレースに周囲への義理で出走するのは、逆に失礼と言うものだろう。

 ちなみにそのレジェンドどもは、アオハル杯だと同じチームに所属しているというね。今のチーム〈キャロッツ〉はたしか二十二位だっけ? 下位の子たちが可哀想だからとっととランキング上位まで上り詰めてほしいものである。

 

 勝利者インタビューはレースの熱を極力逃がさないようにするためか、ウイニングライブの前に行われる。逆に言えばその後にライブが控えており、ステージに上がる前にシャワーを浴びたりバ場状態や天候によっては着替えが必須だったりするわけだから長々と拘束されることはない。

 その他にもいくつか質疑応答を重ねて、そろそろ切り上げどころかなという空気が流れ始める。そんなときだった。

 

「あのっ!」

 

 小さな子供の声がその場に転がり込んできたのは。

 いや、私も中等部二年だし、体格も相まって大人から見れば十分に『小さな子供』の範疇かもしれないけど。

 その私から見てもさらに幼いという意味で、彼女は本当に子供だったのだ。

 艶のある黒みがかった長い鹿毛にしわ一つない上品な衣服。ああ、いいとこのお嬢様なんだろうなと感じるちいさなちいさなウマ娘。

 どうしてそうしたのかわからない。でも私は記者を手で制しながら一歩前に進み出ると、ひざを折って彼女と視線を合わせた。こんな奇特な行動を好みそうなテンちゃんではなく、やったのは間違いなく私だった。

 インタビューの最中だというのに。後に予定がぎっちり詰まっているというのに。横紙破りを愉快に感じるような感受性は持ち合わせていないというのに、何故だかそのときはそれが正しいことだと思ったのだ。

 

「あのっ、ごめんなさい。でもわ、わたし……!」

「うん、大丈夫」

 

 いや、たぶんあまり大丈夫じゃないけど。

 それは一番、この場に飛び込んできてしまった彼女自身が自覚しているのだろう。声は震え、今にも泣きだしそう……というか既に半泣きだった。

 幼い子供だから特別扱いするなんて無責任な外野からすれば美談のようにも聞こえるが、悪しき前例は作らないに越したことは無い。脳裏でそう判断する自分がいるのに、何故だかこの子の話を聞いてあげたいと考える自分の方が優先される。

 あくまで第一印象だが、きっとこの子はいい子だ。衝動に振り回されがちなこの年齢のウマ娘にも拘わらずぴかぴかのお洋服。両親の言うことをよく聞くお利口さんなのだろうと思う。そんな子をここまで駆り立てた衝動を蔑ろにしてはいけない気がしていた。

 だけど時間が押しているのも事実。この子の親が慌てて迎えに来たら流石にそれを遮ってまで話を続けてやることはできない。表情筋を意識して動かし、微笑の形にして彼女の言葉の先を促す。

 躊躇は今の状況じゃ贅沢品だ。さっさと本題を切り出すんだよ。

 そんな自分でもよくわからない心の動きに寝心地が悪くなったのか、もう一人の自分が覚醒する気配がした。

 

《うーん、むにゃむにゃ。もう食べられないよぅ……えっ》

 

 いまどき聞かんぞそんな寝言、というさっきまで寝てましたアピールが脳内に響く。

 だけど寝ていたのは本当なのだろう。テンちゃんのめったに聞けない、演技が完全に剥がれた素の驚き声だった。

 次いで発生する本日二回目のオーバーフロー。あの子を見た瞬間テンちゃんの中に生じた衝撃が私の心にも流れ込んでくる。

 ウオッカとの一戦で一時的に境界線がゆるんだのかとも考えたが、あるいは流れてくる感情の奔流はウオッカに勝ったとき以上のようにも思えた。

 歓喜、驚愕、興奮。ポジティブなラインナップではあるものの、それ以上に『信じられない』という思いの方が強い気がする。絵本の中の英雄が突然目の前に現れたらこんな感じだろうか。

 

「わたし、身体がちいさくて、爪もうすくて……だけど! それでも、貴女みたいな強いウマ娘になれますかっ?」

「なれるよ」

 

 テンちゃん即答である。

 主導権はごく自然にそちらに移行していた。いちおう言語を介さずざっくりした情報共有は行ったものの、寝起きとは思えない鮮明さと自信満々な態度でテンちゃんは言葉を紡ぐ。

 

「たしかに体格で劣る分、激しい位置取り争いには不利だ。でもぼくが弱いかい? 弱かったことが一度としてあったかい?」

 

 論より証拠とばかりに親指で自分の胸を指す。勝負服の下の心臓はトクトクと小気味よく脈打っていた。

 興奮しているな、と脳内で私は他人事のように見ている。テンちゃんが楽しそうなのはいいことだ。

 

「しょせんは搭載しているエンジン次第。逃げや追い込みで走れば無視できる範疇の問題でしかないし、刻一刻と変幻するバ群を完全に把握できているのならどの脚質だって十分に対応できる。ぼくみたいにね」

 

 海外では接近も接触もポジション争いの挨拶みたいなものらしい。実際、国際招待G1競走であるジャパンカップでは苛烈なポジション争いを繰り広げる海外勢に苦慮する日本勢の姿が見られることもしばしば。

 つまり逆に言えば、この国では接近も接触もラフプレーとして忌避される傾向にある。そういう意味では体格に劣る私たちのようなウマ娘でも戦いやすい土俵と言えるだろう。

 体重が軽いからどうしてもぶつかり合いでは不利になるが、それならぶつからなければいいだけの話だ。

 体格が優れた相手に近寄られると緊張してしまうのは生物の本能。そして緊張すると無駄に力んだり体力を消耗したりする。体格のアドバンテージというのはざっくり言ってしまえばそういうことで、プレッシャーをかけられても平然とやり返せるような精神力があればさほど問題にはならない。

 実際、これまでレースを走ってきて私は両親から貰ったこの体格を恨んだことはない。それに不利だからと言って当たり負けするとも思わないしね。

 

「ま、キミには追い込みが合ってるんじゃないかな。たぶんだけどね。爪の薄さも蹄鉄やシューズをしっかりしたものにすれば十分補える。もしかしたらオーダーメイドになるかもしれないけど、逆に言えば腕のいい職人の囲い込みに成功すればクリアできる障害でしかない」

 

 ぱっと見でわかる少女の情報などたかが知れているのに、声の強度に確信を感じた。信じているのではなく知っている分野を語るときの力強さ。

 いわゆるネームドに遭遇した時にテンちゃんはよくこんな口調になる。中央にきてから学園の生徒以外でこんなテンちゃんをみるのは初めてじゃなかろうか。

 

「軽さは武器だ。鈍重なやつらが足を取られるような悪路でも、ぼくたちなら平然と駆け抜けていけるよ」

 

 まあそれはバ場の状態を瞬時に把握できる私たちの観察眼あってのものだけども。

 普通はパワーで重いバ場を吹っ飛ばせるタイキシャトル先輩のような恵体ウマ娘の方が悪路は有利なのではなかろうか。

 ただ、軽いというのは負荷がかかりにくいということだ。そしてトゥインクル・シリーズのウマ娘は日常的に負荷の摂取には事欠かない。それこそあっさり許容量を超過してしまうくらいに。

 あまり人前で大きな声では言えないが、故障しにくいというのは確かなメリットだろう。

 

 それにしても、なるほどねぇ。

 私はダービーウマ娘を背の順に並べたらかなり前の方になるだろう。歴代ダービーウマ娘のプロフィールを余さず暗記しているわけではないので断言はできないけど、やっぱりスポーツというものは基本的に身体が大きい者が『体格に優れている』と表現されるものだ。

 身体が小さいというのは傍目にもわかりやすい不利な要素で、本人のコンプレックスにもなりやすい。だからこそ、小柄な私がダービーを圧勝したことでいてもたってもいられなくなったのか。

 おとなしそうな顔をして案外、心の奥底には激しいものを秘めているのかねえ。

 

「あとはその勝負事となれば抑えが利かなくなる衝動の強さをしっかり乗りこなしてくれるパートナーに巡り合えたら、もしかすると『奇跡にもっとも近いウマ娘』と称えられる日だって来るかもしれないよ」

 

 にっこり笑ってテンちゃんは小さな女の子の頭を撫でた。

 まるでスポーツ選手のようだな……って、今の私たちはまさにスポーツ選手のはしくれか。

 と、ここで終わったら爽やかなスポーツマンが未来を担う子供たちへ向けた祝福の言葉だったのだろうけど。テンちゃんのにっこりがニヤリに変わる。

 

「ま、それでも奇跡そのものである()()()には勝てないけどね!」

 

「いや、そこは譲っときなさいよ!?」

 

 どこか遠くでスカーレットのツッコミが炸裂した気もしたけど、さすがに気のせいだろう。

 勝利者インタビューはリアルタイムで観客席からも確認できるとはいえ距離が距離だし。人混みの雑音もあるし。

 

 

 

 

 

 イレギュラーのあったインタビューを無事に乗り越えて、人生二回目の『winning the soul』もしっかり歌って踊って歓声を受けて、帰ってから今日のダービーの激闘を語り合いたかったのにテンちゃんが疲れて先に寝ちゃったから仕方がないので私も寝て。

 翌朝、テンちゃんが起きてきてからようやくほっとひと息つけた。

 

 やれやれひどい目に遭ったとこぼしたくもなったが、勝っておいてその言いぐさは無いだろうという気もする。勝者がひどい目に遭ったというのなら、敗者たちはいったい何なのだという話で。

 仕方がないので気持ちを切り替えて、昨日のあれはいったい何だったのか確認することにした。まるで引き寄せられるようにあの子と話した、見えない不可思議な流れ。

 いや、実のところそれも気にならないわけじゃないけど、さりとてさほど重要というわけでもない。

 あの小さなお嬢様はテンちゃんにとっていったいどんな存在だったのか。そっちの方が私的には大事な話だ。

 あの後、保護者が迎えに来る直前にあの子の名前は聞いておいた。やっぱり知らない名前だったし、メジロだとかシンボリだとかそういう学園で関わりのある名門の冠名でもなかった。

 つまりテンプレオリシュというウマ娘のこれまでの人生の中で接点がある相手ではなかった。そうなるとテンちゃんが眠気を押してまでわざわざ前に出て対応したのはテンちゃん個人の都合ということになる。例によっていつもの根拠不明のふんわり情報に基づいた行動だ。

 

《まあ、リシュにとってのオグリキャップみたいな存在だよ》

 

 テンちゃんの返答はきわめてシンプルだった。

 なるほど。つまり色々とそれっぽい理屈を並べ立てることはできるが、要するに『ただのファン』ってことか。

 

《リシュにとってのオグリのように。誰かにとってのミスターシービーやシンボリルドルフ、ナリタブライアンのように。ぼくにとっては『彼女』が()()だったっていうだけの話さ。それは当時のマスコミによって造られた英雄像だったのかもしれないけど、当時のぼくはマスコミの吹き鳴らす笛に合わせて踊ることに疑問を覚えない純情なお子様だったからね》

 

 お子様は今でもだろうに。

 吐き捨てる私はちょっとばかし面白くない気分だった。テンちゃんの言葉はそれこそ、憧れを語る幼い子供のようにきらきらしていたから。

 

《ははっ、まったくもってその通りだ。返す言葉もない。まあウマソウルそのものは存在していないはずがないとは思っていたけど、まさか会えるとはねぇ。直撃世代としてはこう、痺れるような震えが走ったぜ。

 案外わかるものだなぁ。四足歩行から直立二足歩行に大変身してるっていうのにさ。むかし歌手とそのモノマネ芸人を見分けるってテレビ番組があったときにCDを買うくらいしっかり何年もファンやってる歌手なら一発で聞き分けられる自分に驚いたものだけど、ニュアンス的にはあれに近いかな。

 それにしてもあの英雄サマに憧れの目を向けられるとは、ぼくも順調にテンプレオリ主街道を突き進んでいるじゃないか。ふふ、くくく、あーっはっはっはっは!》

 

 滂沱のごとく流れる多弁にヤケクソ気味の高笑い。

 嬉しかったのは本当。だがその反面、どこまで自覚できているのか定かでないがあの一件はテンちゃんに一定の精神的負荷を与えているようだ。

 全体像はさっぱりだが、局所的には想像できるような気もする。私だって憧れの相手に逆に憧憬の視線を向けられるようなことになれば、誇らしさよりもバツの悪さの方がきっと勝る。

 ましてやあの子は今のところ、デビューはおろかトレセン学園に入学すらしていないただの子供。ファンになるような功績は何一つとして存在していない。テンちゃんのふんわり情報で時系列が迷子になっているのはままあることだから、もしかすると将来に偉業を成し遂げる英雄がいまだ幼いのをいいことに誑かしたような罪悪感があるのかもしれない。

 まあしょせんは想像の域を出ず、テンちゃんが隠してることを暴く気が私には無いのでこの話はこのくらいで切り上げるとして。

 

 でさ、強いの? あの子。

 

 より気にするべきはそれだろう。

 今の私はトゥインクル・シリーズを走るウマ娘。憧れの存在は同時に、強力なライバルにもなりうる因果な立場だ。

 あの子はすごくちいさくて幼い印象を受けたけど、そこは不思議要素たっぷりのウマ娘。本格化の噛み合い具合によっては某戦闘民族のように一定の年齢から急激に身体が成長することもありうる。

 要するに外見から年齢が割り出しにくいのだ。ちなみにあの子の名前は聞いたけど、年齢は聞き忘れた。必要事項をきっちり押さえるだけの体力的、精神的余裕なんてあのときの私たちには無かったのだ。

 

《ぼくの知っている通りなら無茶苦茶強い……けど、まあ気にする必要はないよ。仮に最短ルートで来年入学して即デビューしたとしても、その頃にはぼくらはシニア級だ。シニア級とジュニア級は公式戦でぶつかり合うことは無いし、ぼくらにシニア二年目は無い。そうだろ?》

 

 それもそうか。当初の計画通り順調にいったら私のトゥインクル・シリーズは三年で終わりを告げるはずだ。その後のドリームトロフィーリーグは考えていなかったけど、今はどうかなぁ。

 桐生院トレーナーに頭を下げてお願いされたらちょっと断れないかもしれない。

 はたしてこれは成長なのか、退化なのか。

 

《進化の対義語は停滞で、退化も進化の一種だって昔マンガで読んだよ。まあリシュが人情やしがらみにとらわれる程度の社交性が出てきたのは人間的には進歩じゃないかな。あの葵ちゃんが自分の担当ウマ娘の意に沿わない進路を押し付けてくるとも思えないし》

 

 それもそうか。そこは信頼してもいいところか。

 信頼といえば。私はダービーを含む二冠ウマ娘に、そして桐生院トレーナーは“ダービートレーナー”の称号を得たわけだし。

 そろそろ話しておいてもいいかもしれない。(テンプレオリシュ)私たち(二重人格)だという事実(こと)を。

 桐生院トレーナーは驚くだろうか。

 

《さあ、どうだろうねー》

 

 あ、これは反応に予想がついてるけど別に話すつもりのないときのテンちゃんだ。

 

 まあいいさ。

 英雄? 奇跡? いくらでも称えられているといい。

 戦って負けてやるつもりはさらさらない。

 

《うん、もしかして嫉妬してる?》

 

 そうだよ、悪い?

 

《あんな小さな子供相手にって考えるとちょっぴりカッコ悪いかなー。でも、いいこいいこー。ぼくにとっての一番はいつだってリシュだよー》

 

 脳内で展開される頭を撫でられるイメージに、私は鼻を鳴らして応えた。

 もっとなでろ。今の私は子供扱いにへそを曲げるほど子供じゃないぞ。

 

 ……今日はもう少し甘えるとしよう。

 




あとテン&リシュ誕生日おめでとう!
作中で勝手に決めた日付ではあるけど、不定期の中その日に投稿できたから一応言っておこうね。


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変わらぬこと、変えていくこと

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U U U

 

 

 図書館の自動ドアが開いた時、館内の空調が効いていることにほっと安堵する。

 そんな時期になってまいりました。

 雨と暑さが同時に来たら蒸し暑くて地獄だけど、今年は雨が降ればすっと涼しくなるからその点は救いかな。

 

 六月は世間一般的に安田記念だとか宝塚記念だとかG1レースを始めとしたイベントいっぱいだけど、私的カレンダーでは小休憩。

 マツクニローテを無事に完走したとはいえ、そのダメージは着実に私の中に蓄積されている。夏の猛特訓に向けていちど疲労をしっかり抜くために今月のトレーニングは軽めというのが桐生院トレーナーと話し合って決めた方針だ。

 いちおう七月の夏合宿の前にはアオハル杯二回目のプレシーズンがあるから、それに向けた調整はしないといけないけどね。

 人間は快楽にはいともあっさり鈍感になれるくせに、不快には過敏だ。特に一度勝ち取った恵まれた環境から滑り落ちることにはひどくストレスを感じる。

 

《だからこそここまで地球上にはびこる生物の覇者になれたわけだけど、ただ幸せに生きるためには困った生態だよねぇ》

 

 まったくね。

 私も勝ち取ったもの、今のアオハル杯のバックアップをふんだんに受けた上質な各種トレーニング環境を失いたくない。何ならもっと上を目指したい。

 今の〈パンスペルミア〉はランキング九位。相手次第のところはあるけど、次もきっちり勝ってキリよく五位圏内を目指したいね。

 

《次のアオハル杯、リシュはどういう布陣になると思う?》

 

 うーん、とりあえず短距離はバクちゃん先輩かな。安定した勝ち星という意味で短距離のあの人ほど頼りになるウマ娘もそういない。

 

《だねー。まったくもって異論はないよ。とりあえずバクシンオーがいるなら逃げで短距離に放り込んでおけって感じだったもんな》

 

 中距離はテイオーに任せてみるのも手だと思う。

 あのプライドの高い天才サマのことだ。デビューしたてのジュニア級である彼女にあえてエースを任せることで彼女にも周囲にも奮起を促せるだろう。それだけのものを彼女は既にチームの面々に示している。

 テイオーの潜在能力(ポテンシャル)ならこの時期でも既に勝ち星が見込める範疇ではあるし、何より本人にとって貴重な経験値となるはずだ。

 

《最近のアオハル杯って以前ほどピリピリもガツガツもしてないものね》

 

 感情には消費期限がある。

 特に怒りという感情はひどく燃費が悪い。何かきっかけがあるたび燃え上がる怒りっぽい人はいても、『怒り続ける』ことができるのは数時間がせいぜいだろう。

 これが憎悪ならじりじりとくすぶり続けることもあるらしいが、ウマ娘は基本的に温厚な気質の持ち主が多い。強い憎しみを抱くこと自体が非常に稀であり、実際私も何かを憎んだ経験なんて記憶を漁ってもぱっとは出てこない。

 ヒトミミの目には、それは美点に映るらしいけど。

 当の本人たる私たちからしてみれば『憎むのが苦手』というのは欠点なんじゃないかと、思うことが無いわけでもない。

 まあそれはさておくとして。

 

 一年前、樫本代理がアオハル杯を介して学園生徒たちへ吹っ掛けた喧嘩は大いなる怒りと共に受け止められた。

 だが、一年間もずっとずっと怒り続けることなんてヒトミミにもウマ娘にも不可能なのだ。時間が経てば経つほどに、当初とは異なる動機の割合が大きくなっていく。

 アオハル杯でチーム〈ファースト〉が優勝すれば、学園は教育管理プログラムのもと徹底管理主義下に置かれるという大前提は変わっていないけど。

 『チーム〈ファースト〉は憎むべき悪の尖兵で、それを正義の名のもとに断罪すればハッピーエンド』なんて、無邪気に信じ続けるにはトレセン学園の生徒たちは歳を取り過ぎていた。

 

《ヒーローやヴィランや魔法使いや変身ヒロインなどなど、無邪気に信じて憧れる純真な子も一定数存在してるけどね》

 

 それは否定しないけどほんの一握りだから、うん。

 私が知る限り大多数の生徒は子供っぽいと思われることを嫌い、大人っぽく振る舞うのがカッコいいことだと思っている。そして大人とは賢い存在なのだという幻想を抱いていて、少しでも自分を大人に見せようと自分が賢く見える立ち振る舞いに飢えている。

 賢くなるための勉強は嫌いでも、賢い自分を気取りたいお年頃なのだ。チーム〈ファースト〉を盲目的に悪者扱いするのは子供っぽくてダサい行為だという風潮を、私と同じ顔と名前を持ったどこかの誰かさんがせっせと水面下で流行らせた効果は相応に出ている。

 

《特に今年の初めにどこかの誰かがチーム〈ファースト〉を一人で撃破したって噂が流れたあたりから、『自分たちが〈ファースト〉を撃退してこの学園を救わなければ!』って切羽詰まったウマ娘が消えていった気がするねー》

 

 いったいどこの誰がやらかしたんだろうねー。

 たったひとりのウマ娘の行動の影響なんてたかが知れているけども。

 速ければ正義。それが中央の掟だ。より正確に言うのなら、それを掟とすることを厭わない鬼が集う場所が中央。

 いまや無敗のクラシック二冠ウマ娘の影響力は蝶の羽ばたきよりも強い。

 

 他力本願。

 言ってしまえばそんなあまり前向きには捉えられない言葉になってしまうのだろう。

 でも、悪いことばかりでもなかったと思う。

 アオハル杯から学園の行く末を懸けた決闘という色合いが薄れ、本来のお祭り騒ぎとしての性質が徐々に戻ってきたのだ。

 今では純粋に『勝つため』だけの理由でアオハル杯を走るウマ娘ってわりと少数派な気がする。

 あるウマ娘は次のレースの練習を兼ねて。またあるウマ娘は憧れのあの人と一戦交えるために。肩の力を抜いて走る子が増えてきた。

 

《今はまだ理子ちゃんの牽制がきいているからアオハル杯そのものに対するモチベーションも全体的に高いけど。管理主義うんぬんの問題が解決して数年もすればアオハル杯のためにアオハル杯を走るウマ娘はかなり減ってそうだよな》

 

 うーん、廃れるはずだよ。

 アオハル杯は間違いなく楽しいお祭り騒ぎなのだけど、お祭りは長々と続けられるものではないというのがよくわかるね。

 まあ日程的にもね。よりによって宝塚記念に有記念、いわゆるグランプリと呼ばれる大レースの直後に開催されるのだ。

 二大グランプリに出走したウマ娘が、直後のアオハル杯を全力疾走するようなことがありうるのだろうか。仮に本人に意欲があったとしても、身体が許さない気がする。たいてい直後のレースは回避するか、出走したとしても故障しない程度に軽く流すことになるだろう。常識的に考えて。

 つまり、グランプリに出走できるような強くて話題性のあるスターウマ娘が輝きにくいスケジュールになってしまっている。どうしてそんな時期に開催することになったのやら。

 

《アオハル杯の本質はあくまでチーム戦、つまり不特定多数が脚光を浴びるステージってことだ。もともとはG1に出走できないような子たちに、少しでもスポットライトが当たるよう用意された場だったんじゃない? 知らんけど》

 

 まあ少し話が脱線しかけたけど。

 今のアオハル杯はトゥインクル・シリーズの裏で行われるもうひとつのドラマというより、トゥインクル・シリーズの補助的な役割で使われることが多くなり始めている。

 だからプレシーズン第二回の長距離部門は、菊花賞のリハーサルとして有用な一走になるはずだ。マヤノの担当になるんじゃないかな。

 

《長距離レースって本当に少ないものね。URAファイナルズやTSクライマックスのラストを長距離にするのって狙わないとまず無理だもん。

 クラシック級は輪をかけて出走できるレースが少ない。それをノーリスクで実力者たち相手に、極めて実戦に近い形式で練習できるっていうんだから、練習として見たアオハル杯は極めて有用だよ》

 

 同じ理由で私はダート部門を担当させてもらいたいな。

 七月前半開催のジャパンダートダービー。日程的にステップレースを挟む余裕はない。かといって、これまでずっと芝の舞台で勝負してきたのにいきなりダートG1に挑戦というのも据わりが悪い。

 

《アオハル杯で一度慣らし運転ができるのならありがたい話だよね。ステップレースも挟まず収得賞金にものを言わせていきなりG1に殴りこんでくるぼくらを、他のダート専門のウマ娘がどう見るかという点を度外視すればだけど》

 

 それに関しちゃ私だって思うところがないわけではない。

 公言したことはないが、私がこの時期にダートG1を目標に選んだ最大の理由は幼少期にダートの訓練に費やした時間とお金を無駄にしたくないからだ。

 どこかでダートG1をとっておきたくて、だったらクラシック級のときにしか出走できないこれがちょうどいいかな、なんて。そんな理由で自分たちの領土に踏み入られるなんて面白いはずがない。

 ただ、強い私が弱い彼女たちを気遣い、配慮して、そっと邪魔にならないよう道を譲るのは道理に反するとも思う。

 軽視していいわけじゃない。敬意は絶対に必要だ。

 だけどここはトゥインクル・シリーズ。たった一人が勝利に笑うため、それ以外の敗者たちが血の涙を流すことが当然の摂理。それを是とした者が集う悪鬼羅刹の住処。

 

《躊躇いなく踏みにじり、胸を張って高笑いする。それがここで勝者に求められる敗者へのマナーなのさ》

 

 さすがにそれは極論だと思うけど、否定する言葉もない。

 ただまあ、芝で活躍する一部のウマ娘が言うみたいに、ダートが芝に比べて劣るとは思わないかな。

 

《ダートが芝の二軍だなんて、それお前アメリカでも同じこと言えるの? ってやつだよね。こっちの(サンド)とあっちの(クレイ)で違いはあるけどさ》

 

 ただこの国においては芝とダートの間には賞金額という明確な差があり、金額の差はそのまま需要の差に繋がる。稼げるのなら稼げる方にいくのが人情というもの。

 芝とダートの両方を走れるのなら、多くの者は芝の舞台を目指す。そうやって人数が増えれば当然、高い資質の持ち主がいる可能性だって高くなる。レースの品質が高まればファンもそちらに集まるようになる。

 芝とダートに品格の差があるかはともかく、全体的な扱いに格差が生じているのはただの事実だった。

 それに合致しないのは金額以上の価値、あるいは金額以外の価値をレースに見出しているアグネスデジタルのようなごく一握りの例外だけだろう。

 

 そう、ジャパンダートダービーにはデジタルが出走するんだよな。

 ずっとダート路線を走ってきた彼女にとって初めてのG1。あちらにとってはいい迷惑かもしれないけど。

 ウオッカと走った日本ダービーは楽しかったから。

 デジタルと競うジャパンダートダービーもきっと楽しい。少しばかりワクワクしている自分がいる。

 

《いや、デジたんがウマ娘と走るのを迷惑と思うことはないだろ。どちらかといえば担当が共食いする桐生院の方が……》

 

 それもそうか。

 桐生院トレーナーにはいつも迷惑をかけている気がする。

 担当ウマ娘に迷惑をかけられるのがトレーナーの仕事だ、なんて意見も聞いたことはあるが。必要以上に被害を被っているというか。

 ハズレくじを引いたと思われないよう、少しずつでも何かしら返していきたいものだ。

 

《ふふ、少し変わったねリシュ》

 

 そうかな? そうかも。

 昔の私なら桐生院トレーナーに“ダービートレーナー”の称号を贈れたことだって何も思わなかっただろう。せいぜい、ボーナスの査定の加算要素が増えたかなーなんて淡々と流していたはずだ。

 でも、ダービーに勝って。

 テレビやネットや新聞の報道越しじゃなくて。勝ったよと、自分の言葉で伝えたい人たちの中に桐生院トレーナーがいて。

 ふっと思ったんだ。ああ、もっと私たちのことを知っておいてほしい。テンプレオリシュというウマ娘がテンちゃんとリシュというふたりでひとつの存在であることを。

 まあ結果的には無駄な行動だったわけだけども。

 

《無駄ってことはないだろ? 自分の口で打ち明けたいと思い、実行に移した。それにはそれだけの価値が含まれるはずさ。ただ既に周知の事実だったというだけの話で》

 

 そうなのかなぁ。

 勇気だか覚悟だか、最初はどうでもいいことだったとしても、時間が経てば無駄にハードルは積み上がっていくもので。これまでのんびりだらだらと逃してきたきっかけを捕まえ乗り越えるためにいろいろかき集めて。

 えいやっとばかりに乗り越えたのに『はい、知っていましたよ』だもんなぁ。

 ……その後に『打ち明けてくださってありがとうございます』って丁寧に一礼されたから、不信感とかそういうのは皆無なんだけども。

 大人ってずるいや。

 ともすれば同年代と見紛いそうな童顔の桐生院トレーナーではあるが、私よりはるかに人生経験を積んだ女性なのだと事あるごとに思わされる。

 自分で気づいたわけじゃなくミーク先輩に教えられたのだから、誇れることじゃないと本人は苦笑していたけど。

 ミーク先輩かぁ。前々から思ってはいたけど、案の定気づかれたことにさっぱりこちらは気づけなかったなぁ。

 テンちゃんはさ、ミーク先輩はテンプレオリシュ()二重人格(私たち)だってことにいつから気づいていたと思う?

 

《わりと初期の方からじゃないかな? ミークの【固有】って要するにシミュレーションだっただろ? ぼくらを再現しようとしたときにリシュとぼくで個別に表示されても何ら不思議じゃないっていうか》

 

 やっぱりテンちゃんはわりと最初から想定済みだった感じ?

 

《まさか……いや、やめておこう。ぼくの勝手な想像でみんなを混乱させたくないからな……!》

 

 みんなって誰だよ。

 はいはい、テンちゃんってそういうところあるよねぇ。あくまで私の人生なんだから、必要以上に口出ししないっていうかさ。

 テンプレオリシュは私たちなんだから、テンちゃんの人生でもあるのに。

 

《でも誰にどのタイミングでカミングアウトするのかは何かに後押しされるんじゃなくて、マイペースに決めておきたい要素だっただろ? 下手に誰が勘付いているなんて知ったら絶対にギクシャクしたじゃん》

 

 それは……まあ、そうかも。

 自分では隠すようなことじゃないと思っていたけど。

 いざカミングアウトするとなると、タイミングを逃して無駄に時間が経過したという理由以外の部分で、不安が込み上げてくる部分は確かにあったから。

 ありがと。ちゃんと待ってくれて。

 

《どういたしまして》

 

 これで〈パンスペルミア〉初期メンバーはだいたい私たちが私たちだってことが共通認識になったわけか。

 デジタルは年始におそるおそる確認されて。

 マヤノは皐月賞のすぐ後にさらっと触れられた。

 ミーク先輩はわりと最初の方から気づいていて、桐生院トレーナーは朝日杯FSの時点では既にミーク先輩から知らされていたらしい。

 

 あと知らないのはバクちゃん先輩だけかぁ。いや、もしかしたらミーク先輩みたく気づいている可能性はあるけど。

 あの人は本当に読めねえ。先輩にこう言っては何だが、純正のおバカなのは間違いない。でも稀に『あれ、このひとすごくあたまいいのでは?』と感じるときもある。

 

《頭がいいとか賢いなどの語彙で表現される単純な知能指数じゃなくて。自分が大切だと定義したものを絶対に見誤らない叡智の香りがたまーにするよね》

 

 そうそう、まさにそんな感じ。しかも率先して自分が前に出る行動力と奉仕精神も持ち合わせている。尊敬すべき人で、嘘偽りなく尊敬している先輩だ。

 うーむ。仲間外れにする気はまったくないのですけども。あのひとが気づいたうえで黙っているのであれば、わざわざこちらから言及するようなことでもないかな?

 

《すーぐ他者とのコミュニケーションを疎かにするよねぇ。後回しにしたところで好転することなんてめったに無いし、仮に主観的に好転して見えたとしてもそれは誰かが尻拭いに奔走した成果であって総括的にはたいがいマイナスだゾ?》

 

 ぐふっ。頭じゃあ理解しているつもりなんですけどね? 染み付いた生態はなかなか改善できないといいますか。

 別に知られたところで、誰かの秘密を大声でふれまわるような人じゃないけど……いや、やるか?

 声がめちゃくちゃデカいからなあの人。廊下をバクシンしながら本人は内緒話のつもりの腹式呼吸が校舎の隅々まで響き渡るっていうのは十分にありうるぞ。

 二重人格っていうのは絶対に秘密にしたいってものでもないけど、異常であり異端であることは単純に事実だ。不特定多数に自分は異常者ですよと喧伝するのはなんというか、人類社会において適切な行動ではない気がする。

 

《マイノリティーとマジョリティーの相互理解は時代と共に進んでいると思うけどね? バリアフリーとか障害者手帳とかさ。理想的な成果に届いているかはともかく》

 

 かもね。

 でも私のことをよく知らない相手から私とテンちゃんのことを偉そうにああだこうだ言われるのを想像するとモヤッとしちゃうんだよ。

 必要とあれば胸を張って堂々と主張しよう。負い目なんて全くない。

 だけど、わざわざ顔も名前も知らない相手に自己主張を届けたいとまでは思わないかな。

 

《だからバクシンオーへの情報共有は見合わせようって? いいよー。必要になったら行動を起こすのが中央のウマ娘だ。ゲートに入る気にならないなら、まだそのときではないのだろう。ゲート難で困るのはぼくじゃないからいくらでも高みの見物ができますわな、わはは》

 

 テンちゃんの同意も得られたのでバクちゃん先輩との距離感はひとまず現状維持で。

 

 さて、デジタルは次のアオハル杯プレシーズンどこの距離にいくのかな?

 いちおうジャパンダートダービーに向け調整を優先し出走を回避するって可能性も無くは無いけど。あの重度のウマ娘オタクがチーム戦という一風変わったアングルからウマ娘ちゃんたちを拝めるチャンスをふいにするとは思えない。

 今まで通りダート? でもなぁ、アオハル杯のダート部門ってたいていマイルなんだよね。一方のジャパンダートダービーは2000mの中距離だ。

 私はジャパンダートダービーまでにダートレースを走る感覚を掴みたいからそれでも有用だけど、普段からダートを走り慣れているデジタルにとっては最適なリハーサルとは言い難いだろう。

 勝ち星の安定と、今後彼女が芝の舞台で躍進する下準備を考えるのなら今回はマイル部門を担当してもらうのが妥当か。

 まあいざとなれば『上振れした根性育成を三段階マイルドにしたみたいなステ』とテンちゃんがわけわからん褒め方をしていたミーク先輩が層の薄いところを補ってくれるだろうし、誰がどこに行っても最終的な勝ち上がりは見込めるのだが。

 

《来年にURAファイナルズがあることを考えるとそろそろ衰え始めるかと思っていたけど、ミークは間違いなくまだピーク真っただ中だよねーアレ。本格化が終わった後の衰えは思ったより急に来るのか、それともぼくらが関わったことで生じた変化なのか。わからないから後者と前向きに捉えておこうか》

 

 本格化がいつ始まっていつ終わるかはウマ娘本人にだってわからないし、決められない。

 ただ、あの不思議でマイペースな先輩の能力が衰えの兆しを見せたところで、私の尊敬する先輩であることには変わらないだろう。

 明らかにコミュニケーションが得意じゃないのに頑張ってチームのリーダー務めているところとか、本当にすごいよね。

 

 私たちが頭の中でやりとりしている間、外からはぼーっとしているように見えるそうだ。

 私は四六時中テンちゃんと会話しているといっていいので、もしかすると年がら年中寝ぼけてるように見えるのかもしれない。

 裏を返せば脳内で会話がダラダラと垂れ流されるのは私にとって日常茶飯事。肉体はよどみなく動き、図書館の中をゆったりと進んでいく。

 念のため言っておくと、別にサボってるわけじゃないよ。

 中央に来るようなウマ娘はたとえ休養すべきタイミングであったとしても、目の前でライバルが走っているとそれ以上の努力をしようとする。

 それを遠くから見る人たちは勤勉だとか、努力家だとかのんきに褒めそやすけど。

 

《中央に来るようなやつは、ことレースに関しちゃ()()()じゃないのが大半だよね。頭のネジが数本はずれていて、回路がいくつかぶっちぎれていたり繋がっちゃいけないところに繋がっていたりする。

 傍から見ている分には楽しいだろうけど、二重の意味で真っただ中にいる身としては笑いごとじゃないんだよなぁ》

 

 相変わらず言いにくいことをスパイス利かせてズバッと言うなあテンちゃんは。反論の余地はない。洒落た言い回しに好感を覚えるくらいだ。

 まあそんなわけで、休養が必要とされたウマ娘はトレーニングの場に出てくること自体が非推奨となる。私にはあまり共感できない感覚だが、どうしても自分もやりたくなるらしい。

 そこをなんとか我慢して見学に留めたとしても。見稽古と同じ理論で自分が直接走らずともチームメイトの走りを見ているだけである種の経験値にはなる。なるのだが、それをやると脚は休んでいても体力と気力はがっつり消耗する。身になるほどの精度で観察するというのはそれほどエネルギーを必要とする行為なのだ。

 休養という目的を考えると、ウマ娘はそもそもその場にいない方が望ましい。

 だから私もその例に漏れず、レースの疲れを抜き体調を整えると決めた六月はトレーニングをする〈パンスペルミア〉の面々と同じ空間さえ共有しない時間が多くなるのだった。

 

 私はたぶんその場にいたところで必要以上のトレーニングをやりたくなるような精神構造の持ち主ではないだろうけど、〈パンスペルミア〉はチームだ。

 『あの子のときはトレーニングの場に顔を出してもよかったのに、私はダメなんですか?』なんてトラブルの種は芽が出る前から摘むに限る。

 ウマ娘は寂しがりな子も多いので一人で放り出すとそれはそれで問題があるのだが、私は集団でいる方が負担になるマイノリティーだし、何より一人ではあっても独りではない。

 桐生院トレーナーも一年以上の付き合いだ。そのあたりの機微はしっかり押さえてくれていて、私を自由に行動させてくれる。

 

《ダービーではわりと無茶をしたからね。しっかり休んでいこう》

 

 そうだね。

 溜め込んだ【個性】のストックを立て続けに使わされた日本ダービー。『まさか』というよりは『ついに』と言うべきだろう。

 ウオッカは強かった。

 波のある子だとは思っていたけど、最高潮のウオッカはあれほどまでのものだったとは。

 彼女との再戦の約束――『次の東京レース場では負けない』ははるか彼方、下手すればシニア級の秋のジャパンカップまでお預けだけども。

 日本ダービーのウオッカであれほど血潮の滾るレースを経験できたのだ。

 これから先、夏合宿でその実力を跳ね上げた同期達に百戦錬磨のシニア級を交えたG1レースの数々が私を待ち受けることを考えると。

 いったいどれほどの激戦を味わうのだろうか、脚が疼く想いだ。

 

《ああそうだ。スプリンターズSと年末の有記念では手加減する余裕がない。ローテーションである程度の回復を見込んだとしてもだ。脚の完成度を考えると、それ以外のレースで全力を出すとどこかで罅が入る可能性がある。

 せっかくURAがクラシック級のみの戦場を用意してくれているんだ。ジャパンダートダービーのデジタルと菊花賞のマヤノは一バ身で仕留めるぞ》

 

 ……はい? マジで言ってますかそれ。

 分野は異なれど私と同じ世界を知る天才たちなんですけど。

 

《お、リシュ。あっち》

 

 注意喚起に内側に向いていた思考が一時中断され、外に引っ張り出される。

 示された方は本棚が遮蔽になって目視しづらいが、両手いっぱいに分厚い本を抱えた女性がさらにもう一冊取り出そうと精いっぱい背伸びしていた。

 あの姿勢で、あの重心。衣服の上から推察される彼女の筋力と、取り出そうとしている本の座標が有する位置エネルギーと本そのものの重さを鑑みるに。

 指先が引っかかった本が本棚から飛び出した勢いで盛大に素っ転ぶなあの人。下手すりゃ抱えている本の重量で受け身も取れずに怪我しかねない。

 計算が終わる前には動き出していた。自分のことをお人好しだと思ったことはないが、労せず助けられる相手をわざわざ見捨てて後味の悪さを今日一日抱え込むこともあるまい。

 何よりテンちゃんが言い出した人助けだからね。

 

「うっ、あヴぁぁ!?」

 

 骨格的にたぶん三十代にも届いていないだろうに、完全に乙女を明後日の方向に捨て去った野太い悲鳴を上げながら女性の身体が倒れ始める。

 間に合う。

 それがわかっていたから慌てなかった。

 集中によりスローモーションのように引き延ばされた世界の中、右手を彼女の腰にまわす形で抱え、少しお行儀が悪いが膝を使って宙に散らばる本を回収。地面に落ちて折り目などがつかないよう左手の上に積み上げていく。それでも手が足りない分は尻尾を使ってくるりと落ちる前にすべて回収した。

 

《こういうときってウマ娘は便利だよなー》

 

 私からすれば手が足りないときに尻尾を使えないヒトミミの方が不便そうに感じるけどね。まあ、私ほど器用に尻尾を使うウマ娘もあまり見たこと無いけど。

 

「……ほへ?」

 

 何が起きたのか理解できない様子でぽかんと目と口を見開く女性。

 彼女の主観からすれば、転びかけたと思った次の瞬間にはちっこい葦毛のウマ娘に抱えられているようなもんだろう。

 彼女を支える手をそっと離すと呆然自失の態ではあったが、ふらふらと不安になる足取りながらもちゃんと図書館のカーペットの上に自分の足で立ってくれた。

 

《あれ? この人……》

 

 テンちゃんの知り合い? 顔が確認できる位置になったのでしげしげと眺めてみるが、私の記憶にヒットするものはない。

 年のころは桐生院トレーナーとそう変わらないだろうか。ただ化粧っ気が無くスキンケアも怠っているようで、実年齢より若く見られがちな我らが担当に対し彼女は逆に老けて見える。髪も伸ばしているというよりは、最近美容院にいけていない無造作なぼさぼさ具合だ。

 特に眼鏡の下で黒々と存在を主張しているクマがやばい。何徹目ですか? と聞きたくなるような命にかかわる黒さをしている、気がする。そんな徹夜続きの人間なんて見たこと無いからあくまで印象の話だけど。

 

《リシュは本当に興味のないことは端から憶えないねぇ。学園の出入り業者の人だよ。今年の初めくらいから毎日寮の洗濯物の運搬担当してる新米ランドリー業者さん。

 ふーん、地方のトレーナーライセンス持ってたんだ。それで今はバイトで生計を立てながら中央の勉強をしているってとこかな》

 

 どうしてわかるのか、と思ったら私が拾い集めた書物のタイトルで一目瞭然だった。『中央トレーナー理論応用編 地方からのランクアップ』『ターフの走り方』『URA問題集』etc。地方のトレーナーライセンスを取得済みの人間が中央のトレーナーを目指すための教材ばかりだ。

 地方は中央の二軍なのかという問題の是非はさておき、単純にライセンス取得の難易度という観点で見ると中央の方が桁違いに難しいのは事実。テンちゃん曰く地方の三流大学と国立大学の入試以上の格差があるとか。

 

《つまりそれだけ人材に品質差があって、それ相応につぎ込まれる金も違う。どうせ投資するならリターンがより見込める方ってのは当然の理論だからね。

 人材に差があり、設備にも差がある。だからこそ才能ひとつでその差を埋めたオグリキャップはヒーローなんだな。いや、この世界だとヒロインか?》

 

 しみじみと述懐するテンちゃん。

 そちらに付き合ってもいいのだが、たぶんこの話題はだらだらと続くことになる。ならば今はやはりこちらが優先だろう。行動を起こした以上はその後の対処もせねばならない。

 見知らぬ他人と話すため腹の底に力を入れつつ、私は口を開いた。

 

「お怪我はありませんか?」

「おっふぁ!? え、ほんもの? ううぇ、ふへっ」

 

 おかしいな。怪我をさせるような受け止め方はしていないのだけど。

 どこかに頭でも打ったのだろうか。あきらかに挙動不審だ。

 そろそろ司書さんに『図書館ではお静かに』と注意されるのではないかとヒヤヒヤしていたが、女性はぐっと込み上げるものを飲み下すように黙り込むと、ゆっくりと頭を下げた。

 

「……あ、ありがとうございました。おかげさまで怪我一つありません」

 

 顔を上げたその目は理知的ですらある。まあ寝不足の影響か目つきはいささか悪かったし、第一印象の『変人』を払拭するほどの力も無かったけど。

 

《なるほどね。この人はぼくらのファンなんだ。急に推しが目の前に現れたからテンパリの極みに達していたというわけだな》

 

 ふむふむ。脳内にて語られるテンちゃんの解説に内心で頷く。

 これでもデジタルと一年以上の付き合いがあるのだ。彼女たちのようなイキモノの生態にはそれなりに知見を重ねており、目の前の女性がそれと同類というのは納得できる話だった。

 それに私たちはNHKマイルCと日本ダービーの変則二冠を達成し、無敗のクラシック三冠に王手をかけているウマ娘。もはやトゥインクル・シリーズを代表する優駿と言ってよい存在であり、この手の輩に遭遇するのも今となっては珍しい話ではない。

 ……自分で言ってて何様のつもりなのやらと羞恥と自嘲が込み上げそうになるが、本当にそれが客観的事実なのだ。同期を血祭りに上げた戦果なのだから、気恥ずかしさ程度で誤魔化してはいけないよな。

 

《だけど初対面の相手が一方的にこちらを知っているというのは不快なものだ。そのことを彼女は認識していて、だからあえて『助けてくれた初対面の相手』への対応へと自らの行動を律した。うん、好感》

 

 そうだね。少なくともいつだったか、スカーレットと一緒にゲーセンにいったときに話しかけてきた男性ファンよりは好印象かも。

 

「それはよかった! この本、どこまで運びましょうか?」

「え? へいえうぇ? い、いえ! そこまでしていただくわけには!?」

 

「ついでのようなものですよ。ウマ娘にとっては軽い荷物ですが、貴女にとってはそうはいかないでしょう?」

「え、えとー、でも」

 

「いいからいいから」

 

 この愛想の良さとぐいぐい距離を詰める言動は言うまでもなくテンちゃんの運転である。

 

《ちょっと確認したいことがあってね》

 

 そう言って肉体の支配権を引き取ったテンちゃんは舌先三寸で女性を丸め込むと、びっしり机の一角を勉強用具が占領しているスペースまで本を片手に同行するのであった。

 

 

 



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未知の器

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U U U

 

 

 手練手管、というやつだろうか。

 図書館の静寂を必要以上に妨げぬよう、しかし手早く効率的に。

 するするとテンちゃんは女性の個人情報を引き出していった。所要時間はほんの三十分程度だっただろうか。

 あっという間に身内の距離感まで踏み込む技術は見事の一言。ときに母親のように優しく、ときに従姉のように挑発的で、そしてときには妹のように甘えん坊。そうやって右に左に相手の情緒を振り回して、自分の都合のいいように場の空気を織り上げていく。

 こういう場面を内側の特等席から見るたびに思うのだが、本当に私と同じ声帯と顔を使っているのだろうか。私がどう頑張ってもあんな声は出せないし、あんな表情は作れない気がする。

 

《ふはは、人生経験の差ってやつさ。ま、必要のないことまで覚えようとする必要はないんじゃない?》

 

 自慢気のようでいて、どこかそっけない。

 本当に自信のあることは屈託なく胸を張るのがテンちゃんだから、この手の技術はテンちゃんにとってあまり好ましいものではないのかもしれない。

 でも、できたら便利そうだよなとは素直に思う。できるようになるため時間と労力をつぎ込みたいかと問われたら頷くことはできないから、まあ無責任なあこがれだ。

 

《やってて楽しくないわけじゃないけどね。容姿、声質、頭の回転にカリスマ性、こっちの手札は一級品揃いだからまるでゲーム感覚でさくさく進めることができるし。

 そう、良くも悪くもゲーム感覚が抜けきらない俯瞰だからこその手腕なんだろうねぇと自分で勝手に不機嫌になってるだけだよ》

 

 よくわからん。上手なのは事実なんだから素直に誇ればいいのにね。

 とりま、テンちゃんが聞きだした彼女の半生は以下の通り。

 

 曰く、親戚筋にトレーナーが多かったので、特にこれといった強固な志望動機も無く自身も地方のトレーナーに就職。

 

「……いざその職に就いてみて『思っていたのと違う』っていうのはある意味で当たり前なんですよ。素人が見える範囲なんてほんの入り口でしかないんですから。

 だけど、私には足りないものが多すぎた。能力も、想像力も、そして覚悟も」

 

 そう彼女は悲し気に吐き捨てた。

 

 彼女は山のように失敗を積み重ねた。それは新米社会人としては当然のこと、ある意味通過儀礼とさえ言える。

 ただ、トレーナーという人種が他の職業と明確に違う点は『トレーナーの失敗=担当ウマ娘の不利益』という図式が成立する点だろう。

 中央でも生え抜きのエリートである桐生院トレーナーやゴルシTのように一年目から担当を持つような無茶をやったわけではない。順当にチーフトレーナーの指揮下に入り、チームの中のサブトレーナーとして経験を積みつつ雑用ばかりの日々。

 でも彼女の手もウマ娘の人生の一部を支えていたのは間違いなく事実で、そしてそれはサラサラと指の間から零れ落ちていった。

 もっと学生の間に熱意をもって取り組んでいれば。そこそこの成績が取れたことに満足して教科書を雑誌に持ち替えていなければ。

 もっと零さずに済んだものがあったはずなのに。明確に言葉にしたわけではないが、心が聞こえてきそうな表情で彼女は語り続ける。

 

「私と同じ時期にチームに入って、そして最後まで勝たせてあげられなかった生徒が学園を去る前に、言ってくれたんです。『あなたと走れてよかった』って、笑顔で」

 

 そのときはただ、申し訳ないくらいの気持ちだったのだという。

 でもその夜なかなか寝付けなくて、気づけば炎天下の汗のようにぼろぼろ涙がこぼれていて、ようやく取り返しのつかない何かが壊れたことに気づいた。

 そうなってしまうととてもじゃないがトレーナー業を続けることなどできやしなくて、何もかも投げ捨てて逃げるように地元を去ったそうだ。

 

「でも生きていくためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには働かなきゃいけないので」

 

 府中に来たことに積極的な意図など無かった。ただ見つかった就職先がこの地域だったというだけの理由。

 頭が回らない状態で、できるかぎり条件のよさそうな雇用条件を選んだ。そして未来ある新人でもなければキャリアのある人材でもない相手に、就活シーズン関係なく年中無休でこれ見よがしの好条件を掲げて求人している企業など――

 

「ブラック企業くらいだったというわけですねぇ。そこからさらに何とか再就職に成功して今に至りますが、あそこの過酷な労働環境のおかげでストレスの足りない生活にどこか不安を覚えてしまう体質になりまして。気絶寸前まで自分を追い込まないとなかなか眠れないんですよ。えひ、うひひひ」

 

 それは眠るのではなく一般的には『気絶する』と言うのではなかろうか。

 目の下のクマは何も勉強のし過ぎというだけではなさそうだ。こうして顔見知りになった以上、斃れられては寝覚めが悪いので適度にご自愛していただきたい。

 しかしこういう現代社会の闇を目の当たりにすると、相対的に私の口座残高のありがたみが増すよね。

 最近はダービーウマ娘になったことによる特別衣装ぱかプチのロイヤリティまで口座残高に加算されて、額が現実味の無い桁数になり始めたせいで『おお、なんかまた増えたな』くらいに感覚がマヒしていたけど。

 今度改めて感謝を捧げておくとしよう。稼げているという事実に。少なくともその数字が意味を持つ間、私は理不尽で不本意な労働を強いられずに済むのだから。

 

「だけど、『あなたがいい』って言われてしまったので」

 

 何もかも捨てて逃げたはずなのに、気が付けばまだウマ娘の絡む職場にいて。

 交流のできたひとりから、逆スカウトを受けたそうだ。地方のトレーナーだったという経歴も明かしていない、向こうからすればただの出入り業者のバイトでしかないはずの彼女に対して。

 まあそういう話はたびたび聞く。ウマ娘とトレーナーの間を結ぶ、理屈を超えた運命的な出会い。私たちの場合は溺れる者が縋った藁が虹色SSRチケットだったけど。

 

《さすがに中央に来るような子で直感にすべてを懸けるなんてエキセントリックすぎる生き方をしている子もそういないと思うから、もしかするとアドバイスのひとつでもしたのかもね。靴下のすり減り具合、ジャージの泥の跳ね具合からでもトレーナーならわかることはあるだろう》

 

 とはテンちゃんの分析。

 どうなんだろうね。中央の人材の極まり具合からすると、逆に直感にすべてを懸けるような生き方をしているウマ娘がいても私はまったく不思議に思わないけども。

 それに元地方のトレーナーとはいえ、今のこの女性はただのランドリー業者なんでしょ?

 所属しているウマ娘全員に十分な指導が行き届いているとは言えないのが中央の現実ではあるけど、それでも中央に所属している以上そこは中央のテリトリーだ。

 迂闊に口出しするようなことするかな? 中央のトレーナー同士のいざこざとはわけが違う。下手すれば喧嘩じゃ済まないよ。

 

《それでも困っているウマ娘がいればとっさに手を差し伸べてしまうのがトレーナーという存在なんじゃないかな》

 

 テンちゃんはトレーナーに夢見過ぎじゃない?

 しょせんはあいつらヒトミミも私たちウマ娘と同じ人間に過ぎないよ。

 

《たはは。これは手厳しい。そうだね、そうかもね。でも色眼鏡だとわかっていても、それでも幻想は捨てきれないんだな。もう染み付いちゃって剥がせないよ》

 

 じゃあそのあたりは私がフォローするとして。

 

 もちろん、件の彼女も引き受けるつもりなど無かったという。

 まあ当然だろう。二つ返事で引き受けるほうがどうかしている。

 目につく問題点だけでも掃いて捨てるほど。中央トレーナー試験は東大入試にも喩えられる狭き門。仮にそれを最短で一発合格しても中央トレセン学園に就職できるのは来年度からだ。

 そもそも心が折れている。地方ですらマイナスの成果しか出せなかった人間が、どうして中央でウマ娘を支えることができるというのか。

 なのに結局こうして、彼女は勉強を進めている。

 

「どうしてなのか、自分でもわかりません。『あなたと走れてよかった』と笑顔で言ってくれたあの子の言葉を、嘘にしたくないから、なのかな?」

 

 その濁りきった瞳の奥に宿る光は、私の知るトレーナーたちのそれと同じものだった。

 まあ、テンちゃんが夢見ちゃうのもわからんでもないかな。

 

 それで、どうしてわざわざテンちゃんが表に出てまで彼女の半生を語らせたのかって理由なんだけど。

 

《リシュは気づいていなかっただろうけど、彼女とは結構エンカウント率が高くってね。それもここ最近じゃない。一年以上前、それこそ中央に入学したばかりの時期からたびたび目にしていたんだ。これはストーカーかトレーナーのどっちかだろうって思っていたからこの際に身元を洗ってみたのさ。よかった、トレーナーの方で》

 

 テンちゃんは本当にトレーナーを何だと思っているんだ。

 

《ウマ娘が異世界の魂を降ろした巫女なら、トレーナーはそれを外部から支えるある種の霊媒体質の持ち主だと思っているよ。トレーナーがヒトミミばかりであることに疑問を覚えたことはない?》

 

 名選手が名監督の素質を有しているとは限らない。

 具体例を挙げるのならマヤノは間違いなく天才であるが、その世間とは一線を画した感性ゆえに何を言っているのか周囲に理解してもらえないことが往々にして存在する。

 感覚派の天才の発信をまんべんなく受け止めきるには、受信側にも同等とまでは言わないが相応の器量が必要とされるのだ。

 一握りの天才しかその指導についてけない伝説の監督というキャラクターは少年漫画ではよくあるパターンだが、指導者として考えれば一握りの天才しか育成できない者を優秀と判断していいのかは疑問の残るところ。

 そもそも選手に求められる資質と指導者に求められる資質はまったく別のものだ。選手としては優秀でも、単純に指導が下手ということもあるだろう。

 

 それを差し引いても選手として名を馳せた者が引退後、監督に就任する例は枚挙にいとまがない。

 人間は動物だ。理性である程度融通を利かせることはできるが、自分より弱いと感じる相手の言うことに従うのは本能的に難しい。

 選手として成功を収めた実績は、『コイツは自分より格上だ』という権威にダイレクトに繋がる重さがあるのだ。

 相手の言うことに素直に従える。

 意外と軽視されがちだけど、指導の場ではかなり重要なファクターである。

 場合によってはたとえ純粋な指導の技量が三流だったとしても、その権威が合わさることで一流の指導者としての成果を上げることだってあるかもしれない。

 

 しかし、ことトレーナーに焦点を当ててみるとヒトミミ率がとても高い。

 

 トゥインクル・シリーズで活躍したウマ娘が第二の人生としてトレーナーを選ぶケースが極端に少ないとも言う。それとも私が成功したケースを知らないだけだろうか。

 少なくとも、著名なウマ娘はセットでそのトレーナーの名も知られるものだが。著名なトレーナーの顔ぶれがヒトミミばかりなのは純然たる事実である。

 

《ウマ娘の知能がヒトミミに劣るなんて俗説も聞いたことはあるけど、それハヤヒデやシャカールの前でも言えるのって話だよ。確かにウマ娘とヒトミミでその生まれ持った性分の差異はある。

 でもそれがトレーナーの適性の差、比率をここまで左右するほどのものとは思えない。それ以外にヒトミミにあってウマ娘にはない要素があると考えた方が自然だね》

 

 異世界の名前と歴史をウマ娘に引き継がせる不思議な存在、ウマソウル。

 テンちゃんの分析曰く、その『歴史』に干渉するのがトレーナーの秘められた役割らしい。

 

《都合のいい『歴史』を活性化させて史実通り、あるいは史実以上の成果を出す。そして都合の悪い『歴史』を鈍化させて故障や事故をやり過ごすのもトレーナーの適性のうちなんだ、たぶんね。

 ぼくの見立てが正しければ桐生院はまんべんなく活性化させるのに優れたタイプ。鈍化させるのは人並みってところかな。

 ゴルシTは不都合を鈍化させるのが非常に上手い。一方の活性化は平均よりやや上といったところだ》

 

 そう言われてみれば合点のいくこともある。

 以前に聞いたウマ娘の成り立ち。あの理論でいけば運動神経抜群で容姿端麗、歌もダンスも教えられるレベルの我らが桐生院トレーナーはウマ娘として生まれてもおかしくない逸材であるはずだ。

 しかし彼女はヒトミミ。てっきり相性の合致するウマソウルに巡り合えなかったのかと思っていたが。

 器が既に『トレーナーの資質』で満たされていたのかもしれない。そういう意味ではウマソウルを受け入れるだけの空き容量も、ウマ娘として生まれてくるために必要な素養なのか。

 

 ……ふと思う。

 もしその理屈が正しいのであれば。

 他者のウマソウルまで奪い取ってストックできる私の器はいったいどれだけ容量がガバガバなのだろう。

 あるいは順番が逆で、器があまりにも()()()()だからそれを満たすために――

 

《つまりトレーナーとは無自覚な運命干渉系の異能の持ち主。ゆえに相性のいいウマ娘とはスタンド使いのように惹かれ合う。連続サポートカードイベントって要するにそういうことなんじゃないかな。じゃないと三年もかけてすべてのイベントを目撃するなんてそうそうありえないだろう》

 

 テンちゃんの言葉の続きにズレかけていた思考が戻る。相変わらず何を言っているのかは理解できなかったけど。

 

 異能の持ち主ねぇ。たしかにその理論に当てはまりそうなトレーナーがぱっとひとり思いつくな。

 ゴルシT。彼が成し遂げた数々の偉業。

 ウマ娘との相性は重要だと思うが、それでも育成というのは経験がものをいう世界だと私は思っていた。

 彼が天才なのは間違いない。だが、それにしたって成果を出し過ぎだ。自分の脚でレースを走るようになってからは特にそう感じるようになった。

 それがオカルト方面で空前絶後の才覚の持ち主だったのだとすれば、まあ納得できる話ではある。努力や経験ではどうしようもない隔絶したアドバンテージがそこにあるのだから。もちろん表側から目視可能な純粋なトレーナーとしての力量もかなりのものがあるのは大前提だけども。

 仮にこれらのテンちゃんが独断と偏見で並べ立てた仮説が真実だったのなら。それを知った一般トレーナーたちはどんな感想を抱くのやら。

 努力や時間の経過ではどうしようもない壁が彼との間に存在するのなら。彼らは絶望するのだろうか? それとも安堵するのだろうか。

 

「うん、いいね! おねーさんのこと気に入っちゃった。貴女はトレーナーになるべき人種だと思う」

「ふぇ、うえ?」

 

「だからおねーさんの努力が実るよう、ぼくも応援するよ。何でも言って! 気が向いたら叶えてあげるからさ」

「え、えええ……!?」

 

 気が付けば表側ではテンちゃんがそんなことを言っていた。『なんでも叶えてあげる』じゃないのがいかにもテンちゃんらしい。さりげない現実主義者で、嘘になりそうなことは言わないひねくれた正直者だ。

 未成年のウマ娘が『応援』といっても、いい歳した大人相手に何ができるのやらと思わなくも無いけど。相手はウマ娘オタク。ウマ娘に応援されるというだけでご褒美か。

 しかもそれが中央の生徒とあれば、中央トレーナー志望者にとってはまるで慈雨のように温かく降り注ぐ期待にもなりうるのではなかろうか。

 さらにそれが現無敗のクラシック二冠にして新たな無敗の三冠候補ともなれば。ある意味で業界のトップを邁進するプロフェッショナル。その助力や助言はあるいはトップトレーナーでさえ机にニンジンを積み上げて欲する価値がある、かもしれない。

 

 ……でも別にテンちゃんの決定に異論があるわけじゃないんだけどさ。

 そこまで肩入れするような何かがこの女性にあったかな? 妙に親身な気がするんだけど。

 

《どんなサポカとそのイベントを揃えられるかというのは育成の成果に直結するのはいまさら言うまでもないことだろう。

 つまり、ぼくらが入学した当初から『ぼくらという超ド級人権サポカ』を引き寄せていた彼女はトレーナーの資質がゴルシTに匹敵する可能性がある。是非とも早急に中央トレーナーに就任していただきたいものだね》

 

 ふむふむ。言っていることの半分も理解できん。

 でもそれって要するに、桐生院トレーナーに将来有望な商売敵を増やすってことじゃないの?

 そりゃあ桐生院トレーナー本人は気にしないだろうけどさぁ。むしろトレーナーが一人増えればその分担当してもらえるウマ娘が増えるのだからいいことですねって心からの笑顔を浮かべそうなお人だけど。

 彼女の担当ウマ娘としては、自分のトレーナーの将来に暗雲をわざわざ招来するのは気が引けるぞ。

 

《そのくらいで潰れる桐生院じゃないさ。何ならこのおねーさんが見事中央のトレーナー試験に合格したときにぼくらが顔つなぎしてやれば、そう遠くない将来にありうるかもしれない葵ちゃんが大規模な公式チームを立ち上げる可能性の一助にだってなるだろう。

 それにトレセン学園の運営に必要な雑務は各トレーナーで頭割りだろうし、人手が増えるに越したことは無い。葵ちゃんに負担ばかりの選択じゃあないよ》

 

 私も何だかんだ桐生院トレーナーに対する好感度はこの一年の付き合いで高まったけど。

 テンちゃんもたいがい桐生院トレーナーのこと好きだよね。

 

《そりゃあSR桐生院には初期勢の頃にさんざんお世話になったからね!》

 

 なんじゃそりゃ。

 私とは異なる情報源で桐生院トレーナーのことを信じている、というのは何となくわかるが。

 

《それに、ぼくらは少しばかりウマ娘を刈り取り過ぎた。そろそろ『植林』を意識しても罰は当たらないさ》

 

 テンちゃんの声のトーンがやや変わる。

 ……そっか、そういうのも考えないといけない立場になってきたのかなぁ。

 

 打ち砕いても蹴散らかしても、それでもなお残骸を拾い集めて束ねて固めて立ち向かってくるウマ娘の目の輝きはとてもよく印象に残る。

 でもそれは彼女たちが少数派だからだ。二度と同じレースを走ることは無いだろうと感じる方が『普通』だからこそ、イレギュラーが記憶に鮮やかな色を残すのだ。

 そのうちいったい何人が心折れトゥインクル・シリーズから去っているのだろうか。私がいるせいで例年より脱落者の数は増えていそうだとは薄々察している。わざわざ調べて傷を深くするほど悪趣味ではないので具体的には知らないけども。

 

 もし目の前のトレーナー志望の女性がストレートで中央に合格したとしても今年度すぐに配備されることは制度的にありえない。

 常識的に考えれば彼女がトレーナーとしての手腕が最大限に発揮される状況、自分だけの担当ウマ娘を持つ頃には私はトゥインクル・シリーズを引退している。

 桐生院トレーナーやゴルシTの活躍が華々しすぎて失念されがちだが、普通の新米トレーナーというのはどこかのチームに入りサブトレーナーとして数年の経験を積むものだ。

 ダービーの勝利者インタビューの()()()と同じ。私たちはすれ違っただけで、その道が交わることはない。

 

 でも、それこそサブトレーナーとして彼女が育成に関わったウマ娘が私たちと走ることはあるかもしれない。

 ごくごく低い可能性ではあるが桐生院トレーナーたちと同様、初年度から個人で担当を持つことになったとしたら。アオハル杯で雌雄を決することになる可能性だってゼロではない。

 この女性(ひと)を見出したデビュー前のウマ娘のことも気になる。中央に来るような子なのだからその性根は相当に頑固なはず。もしかすると本格化が来ても女性を待ってデビューを見送るなんてこともありうる。

 

《たしかにこのおねーさんがトレーナーになるのを支援したところで『あやうくマルゼンスキーみたく競走不成立になるところを、おねーさんの担当ウマ娘が出走してくれたおかげでレースが成立したぜ!』みたいな直接的な恩恵をぼくらが受けられる可能性はゼロに等しい。

 でも俯瞰すれば、このおねーさんに時間と労力を少しばかり投資するのは損にならないと思うんだ。仮におねーさんが今年の中央トレーナー試験に合格できなくてもね》

 

 まあ、私たちの目標レースはG1ばかりだからマルゼンスキー先輩の逸話みたいに他のウマ娘に逃げられることで競走不成立になる可能性は低いと思うけど。

 わかったよ。テンちゃんの思惑をすべて理解できたかは正直あやしいけど、納得できた。テンちゃんが感じた運の捻じれを信じよう。

 彼女がトレーナーに成れなかったせいで、歴史に蹄跡を残すことができたかもしれないウマ娘がひとりデビューすらできずピークを逃すのは残念すぎるものね。

 

《よーし、じゃあリシュの同意が得られたところで飴の前払いといっとくか。モチベーションが無ければ何も始まらないものな!》

 

 かくしてテンちゃんは勉強する女性と密着するような姿勢で身体を並べると、『この記述は合ってるけど言葉が足りないねー』『ここは間違い。正しくはこう』と赤ペンで彼女の教材(もちろん図書館の蔵書ではなく女性が持ち込んだ私物)にちょこちょこ書き込み始めたのであった。

 身体を動かすたびに肘やら髪やらが当たり、そのたびにビクンビクンと痙攣し湧き上がる何かと奇声を必死にかみ殺して耐える女性。あれは本当に飴になっていたのだろうか。『そろそろ切れちゃいけない血管が切れるんじゃないか?』と心配な顔色になってたけど。

 でもまあ、かみ殺しきれなかった奇声が積み重なったことで召喚された司書さんから『図書館ではお静かに』とレフェリーストップが入り彼女は一命を取り留めた。夢を叶える最初の一歩で突然死という誰にとっても不本意な惨劇は回避されたのである。

 

 その日は連絡先を交換してお開き。

 故郷にいたころは学校の連絡網と両親を含めてなお両手の指の数で足りる程度の電話帳登録件数だったけど。

 中央にきてから増えたものだと、しみじみ数という目に見える形で自身の社交性の成長を実感する。

 かくして私のプライベートな時間の使い方に新たな項目が加わったのだった。最低限のトレーニングしか無い六月もなかなかどうして暇にならないものだ。

 

 悪い気分じゃないけどね。

 

 




何点か『変則二冠っておかしくない? 何か理由あるの?』という質問をいただいたため追記
以下、それに対する感想返しのコピペです

『感想ありがとうございます。実績が持つ位の差ですね。
クラシック二冠はたしかに偉業ですが、反面どちらも中距離で、かつクラシック三冠の道半ばとも言えます。
半面、マツクニローテを完走した変則二冠は完走済みの偉業であり、なおかつ『多彩な適性を持つ強いウマ娘の証明』でもあります。
口上は短いに限ります。今回の戦場が『芝を走っていた強力なウマ娘がダートにまで侵略を仕掛けてきた』というシチュエーションなので、数ある偉業と異名の中から『変則二冠』が最適であると判断しました。』


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雨降る中の地固め

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U U U

 

 

 雨が窓を叩く音で意識が覚醒した。

 カレンダーは六月。順調に梅雨だねえと思うも応える声はない。珍しくテンちゃんの方が寝坊しているらしい。

 まあこのくらいなら偶にあることだと、一抹の肌寒さを誤魔化しながらゆっくり目を開けて身体を起こす。

 

「あっ」

 

 室内に響く雨音に気まずそうな声が交ざる。

 うっかりルームメイトと目が合ってしまった。しまったな。寝起きで気配を探るのを失念していた。

 

「おはようございます」

 

 ぺこりと会釈した。

 相手が誰であれ挨拶は大事だ。相手に失礼云々というより、自分が無礼者になりたくない。娘にろくな教育を施せなかった両親なのだと思わせるわけにはいかない。

 

「……えっと、うん、おはよう」

 

 目が合えば挨拶するくらいにはなったけど、言葉が続かない。沈黙が気まずい。

 おかしいな、ここは一年以上過ごした自室のはずなんだが。ちっとも心が休まらないぞ。

 でもテンちゃんが起きていない以上は私が対応するしかない。

 

「…………今日はいい天気だね」

「雨ですが?」

 

 やらかした。

 悪気があったつもりはないが、思いっきり相手の出鼻をくじいてしまった。テンちゃんならもう少しウィットに富んだシニカルで鮮やかな切り返しをしたのだろうか。

 すごい。窓を開けたわけでもないのに空気が澱んでいく。外の不良バ場が室内まで侵入してきたような重さだ。

 ぎしりと固まった我がルームメイトはそのまましばらく硬直していたが、やがて肩を大きく動かすように息を吐いた。伏せられていたエメラルドグリーンの瞳が決意の光を宿してぐっとこちらを睨む。

 いや、睨んではいないか。ちょっと目つきが悪くて目力が強くて日常的に眉間にしわが寄っているだけだ。きっと彼女に敵意や悪意はない。

 

「あのさ!」

「はい」

「……悪かったよ」

 

 何に対しての謝罪だろう。そもそも謝罪を切り出すような口調ではなかった気がする。

 ちがう。何でやることなすこといちいち彼女にケチをつけようとしているんだ、私は。

 相手が彼女であるという事実にテンちゃんがいない要素が噛み合って、無駄に気が立っているようだ。落ち着かないと。

 

「ずっと考えてた。アンタの態度の理由」

 

 無言の私に通じていないと悟ったのか、リトルココンが言葉を続ける。

 

「たまにすごくそっけなくなる。今みたいに、まるで他人みたいにいつもの馴れ馴れしさを捨て去って敬語で話してくる」

 

 テンちゃんがデフォルトだと私の対応はまるで急に冷たくそっけない態度を取られたみたいに感じるのだろうなぁ。だからといって私が譲歩してやる必要性は感じないけど。

 

「アンタは不条理だけど理不尽じゃない。ただの嫌がらせだとか、虫の居所が悪いとか、そんなくだらない理由じゃないとは思った」

 

 テンちゃんへの信頼が厚い。何だかんだ信頼関係の構築には成功している様子。さすがである。

 ……そんなテンちゃんがせっせと積み立てた『貯蓄』を、私が一時の感情で勝手に目減りさせるのはいかがなものだろうか。

 そんな思いが少しだけ私の頭を冷やす中、リトルココンはしかめっ面で、しかしどこかバツが悪そうに首を振る。

 

「考えて、思い出したんだ。そういえば初対面のとき、アタシは『それっぽいこと』を言ったなって」

 

――あ、いいからそういうの

 

――よろしくお願いする気なんてないって言ってんの。アタシはここになれ合いに来たわけじゃないし、ここに来たウマ娘で栄光を掴めるのなんてほんの一握り。

 いなくなるかもしれない相手の名前をわざわざ憶えて交友に意識と時間を割くなんて、無駄でしょ? だから部屋ではお互いに不干渉でいこう

 

 案外憶えているものだな。

 そりゃ記憶力には自信がある方だけども。プチトラウマになっているとも思っていたけど。

 一言一句きれいに記憶領域に残っているあたり、自覚している以上に(きず)になっていたのかもしれない。

 

「何でいまさらとは思った。本当にそれが原因なのか疑わしいとも思う。でも思い当たる理由はそれくらいだったし、納得ができなくもないんだ」

 

 アンタがそんな態度を取り始めたのは、アタシがこれまでのアタシのままじゃダメだと思い始めた直後からだから。

 そうリトルココンは語る。彼女のプロファイリングによれば『テンプレオリシュ』は無駄なことも嬉々として演じるが、楽しくもないただのロスは効率的なまでに避けるのだという。

 当時のリトルココンに不干渉の弊害を説いても、お互いにストレスが溜まるだけの極めて非生産的な時間と労力の使い方になったことだろう。その点は私もまったくの同意見だ。

 

「アンタに言いくるめられてその後うやむやになっていたけど、あのときのこと謝っていなかったから。今は間違いだったと思ってる。だから、ごめん」

 

 そう言ってリトルココンは改めて頭を下げた。

 それはほんの少し首を傾けるようなものだったかもしれない。

 でも、ずっと喉の奥にひっかかっていた小骨がするりと抜け落ちたような感覚を私に与えた。

 

 ああ、謝ってくれた。やっと許せる。

 

 怒りや憎しみ、嫌悪といった感情は愉快なものでもないくせに湧いてくる。そして維持にこちらのエネルギーを勝手に持っていくのだ。

 大量の綿を背負って小雨が降る中を歩き続けるようなものだろう。最初はいっそ愉快に感じることもあるかもしれない。でも途中から重さと不快感の方が勝って、そのときには下ろしたくともじっとりと纏わりついてくる。

 許すとか手打ちにするとか、一見するとやらかした方だけが得になるような理論。だけどその実、やらかされた方にも利があるからこそ善なるものとして扱われてきたのだと我が身になってみるとわかる。

 

「いいよ。許します……こちらも感じ悪い態度で、これまで申し訳ありませんでした」

 

 一方的に謝らせるのは失礼であり、こちらも適当な理由をつけて頭を下げる必要がある。それが相互に関係性を構築するときのセオリーだ。

 そう考えてこちらも謝罪したにも拘わらず、リトルココンは嫌そうに顔をしかめた。

 

「敬語はやめて。頭が痛くなる」

 

 別に敬語を使っているのは敬意を抱いているわけではなくて、距離感をしっかり構築するためなのだけど。

 リトルココンは学年でもトゥインクル・シリーズでも先輩であり、そして友達ではない。たまに小説などで『敬語は堅苦しいし敬語はやめて』『わかったぜ!』なんて秒で言葉遣いが崩れる展開があるが、私にはあれがまったく共感できない。

 言葉遣いというのは相手に見せる大事な外面の一要素だろう。堅苦しいとか疲れるとか、そういう理由でないがしろにしていいはずがない。コミュ障と笑いたくば笑え。

 なお、相手がどう受け取るかというのはこっちの管轄外である。あくまで私側が守らなければいけないルールというだけで、別に相手と親しくしたいわけではないのだから。

 

 ただ、今はお互いに歩み寄って関係性を再構築しようとしている場面だ。

 その上でリトルココンから一歩歩み寄って今の形になっているのだから、今度は私の側から歩み寄るのが筋というものではなかろうか。

 何より、リトルココンは本当につらそうだ。テンちゃんと私の差異はそうと認識できず目の当たりにした場合、乗り物酔いに似た症状を引き起こすほどその違和感はひどいらしい。

 

「わかったよ。これでいい?」

 

 奇しくも私がまったく共感できなかったどこぞのキャラクターみたいなセリフを口に出すと、リトルココンは少しだけそのしかめっ面をゆるめ頷いた。

 

「それで、リトルココンは何で今になって謝ろうと思ったの?」

 

 ここで沈黙が訪れてしまったら、きっと次に口を開く労力は相当なものになる。そんな予感に背中を押されて今度は私から言葉を紡ぐ。

 ただ、少しばかり急ぎ過ぎたのか、まるで相手の謝罪にケチをつけて喧嘩を売っているような内容になってしまったが。

 だけど確信があるのも事実。このコミュニケーションを拒絶していた彼女が、ただそれが正しいとか間違っているからとかの妥当な理由で行動を改めるわけがない。

 

「……ダービーを見た。聞きたいことが山ほどある」

 

 ぎらりとリトルココンの目に力が宿る。

 そのエメラルドグリーンの瞳をきれいだと思った。

 

「足踏みしている暇はない。アタシたちは強くならなきゃいけないの。アオハル杯ランキング一位は伊達じゃない、樫本トレーナーのやり方は正しいって証明しなきゃならない。

 ルームメイトと仲が悪いとか、ろくに会話も成り立たないとか、気まずいとか、そんなくだらない理由に足を取られている余裕なんて無いんだ」

 

「なるほどね」

 

 そのわりにカレンダーが六月に入るまで時間が必要だったみたいだけど。

 まあ私は学園生活の大半を〈パンスペルミア〉の部室を拠点にして過ごしていたからね。寮には寝に戻るような生活だったし、流石に眠っている相手を叩き起こして『さあお話ししましょう』では聞けるものも聞けないだろう。

 生活リズムが合わなかったがゆえの悲劇、あるいは冷静な判断だったと思うことにしてやろう。

 

《それにしても『アタシたち』ときたか。想定以上の早さでチーム〈ファースト〉はココンちゃんの中に確固たる地位を築いているみたいだね。これが果たしてどのような結果に繋がることやら》

 

 おや、テンちゃんおはよう。

 いつから起きてたの?

 

《さて、いつからだろうね》

 

 あからさまにはぐらかされたのである。

 どうやらどこかのタイミングで覚醒はしていたけど、こっそり裏で見守っていたようだ。おそらくは私とリトルココンとの関係改善のために。

 その気になれば口の上手いテンちゃんはいくらでも誤魔化して言いくるめることができるだろうに、隠し事をしていることは隠さない。きっとそれが私を相棒と呼んでくれるテンちゃんなりの誠意なのだろう。

 テンちゃんは私に嘘をつかないからね。

 

 いつだったか、テンちゃんが語ってくれたことがある。

 嫌なことがあったときに酒で忘れてしまえば、次から酒で忘れることがトラブルの解決法に並ぶようになる。薬物が一度で乱用になるのも同じ理屈。薬が持つ恒常性と同じかそれ以上に『トリップが選択肢に入る』という事実が人生にとって致命傷。選択肢にあるならば、きっといつか再びそれを選んでしまうのが人間というイキモノだから。

 だから嘘をついてはいけない。何故なら一度でも嘘で利益を得れば、次から嘘をつくことが人生の選択肢に入るようになる。

 その言葉を守るようにテンちゃんは無意味な嘘は山ほどつくが、意味のある嘘は私の知る限りついたことがない。そのあたり、ゴールドシップ先輩と通じるものがある。

 ただ、言葉を右に左に振り回して意図的に誤解させることは多々ある。付け込まれる瑕疵にならなければOKという理論らしい。

 

 テンプレオリシュというウマ娘のメインは私で、サブがテンちゃんだけど。

 テンちゃんは明確に私を守ろうとしてくれている節がある。

 大人が子供の手の届く場所に危ないものを置かないように、いくら聞いてもはぐらかされるだけで絶対に教えてくれないことがある。『あっちの世界』とか『メタ的に考えると』とか、そーいうたぐいのやつ。

 いつしか私もしつこく尋ねるのを諦めて、そんなものかと流すようになった。まあ『なんじゃそりゃ』の一言くらいは言わせてもらうが。

 子供扱いされてるみたいで愉快な気持ちじゃあないのは確かだけど、被保護者に甘んじる愉悦があるのも事実。

 だったらその扱いを受け入れて、テンちゃんの意向を通したってかまわないだろうさ。

 

《それで今のリトルココン、リシュはどう思った?》

 

 そうだねえ。正直すこし見直した、かな。

 

 いくら中央のウマ娘が意識の高い者揃いとはいえ、ダブルスタンダードなんてこの年頃の女の子には、いや大の大人であろうと珍しくないものだ。

 だけどリトルココンの言動には一貫性がある。

 速くなるために必要ないと思ったからコミュニケーションを切り捨てて、速くなるために必要だと再認識したからこうして苦手を承知の上で関係性の再構築に乗り出した。

 苦手を苦手と認識したまま取り組むのはとてもつらいものだ。得意分野に比べ成果は上がらないのに疲労は倍以上。そんな自分が滑稽に思えてさらにメンタルに負荷が掛かる。プライドの高そうなリトルココンなら猶更だろう。

 それでも逃げなかった。やって当たり前、できて当たり前だと多くの人は嗤い咎めるかもしれない。

 けど、私はそれを勇気だと思う。敵に立ち向かうだけじゃない。自分に立ち向かうのだって尊大な臆病者にはできない所業だ。

 

「それで、何が聞きたいの?」

 

 こうして質疑応答に応じてやってもいいかなと思う程度には、私はそれを評価する。

 だって私たちなら嫌になれば放り出せるから。それを引き受けて続きをやってくれる片割れがいる。でもリトルココンはそうじゃない。自分たちにはできないことを努力している相手に、一定の敬意は払うべきだろう。

 

 リトルココンはちらりと時計に目をやった。雨が降っているとはいえ、室内でできるトレーニングは無数にある。六月を休養に当てている今の私にはあまり関係のないことだけども。

 一月あたりから〈ファースト〉の練習は頻度、密度ともに目に見えて上昇指向にある。あまりルームメイトのことなど気にしていなかったが、今日もこれから朝練があるのかもしれない。

 

「べつに、時間があって答えられることなら今以外だって答えるよ」

 

 そう促すと、少しだけ躊躇を見せたあとリトルココンは尋ねてきた。

 

「ダービーの最後の直線で見せた()()。あれはアタシたちにもできるようになるか?」

「無理」

 

 なるほど、そう来たか。

 無慈悲に一刀両断させてもらったが、聞きたいことも躊躇した理由もわかった。

 常識的に考えてありえない複数の【領域】の乱舞。その中にはリトルココンその人の【領域】があったことも、彼女なら認識できていたはず。

 もしもあれが『【領域】の模写』という技術であるならば、それを自らもまた使えるようになりたいと考えるのはある種当然のことだ。

 その一方で技術であるにしろ違うにしろ、私の手札であることに違いない。それも勝負を決定づける切り札になりうるもの。面と向かって情報の開示を求めるのはタブーと見ることもできるだろう。

 それでもなりふり構わず聞いてきた。その泥臭さは嫌いじゃないよ。

 

《あるいは一気に距離を詰め過ぎて、自分でもどの程度踏み込むのが正解なのかわからなくなってるって気もするけどね》

 

 それも大いにありうるね。共感できる。

 

「あれは私の【領域】だから他の誰かがマネするのは無理だよ」

「そうか……ごめん、言わせた」

 

「いいよべつに、こんなの」

 

 バツが悪そうなリトルココンの謝罪もあながち的外れではない。

 『予想がつく』と『知っている』との差は果てしなく大きい。ここであらわになった手札はこの場の彼女だけではなくチーム〈ファースト〉全体に共有されるだろうことを考えると、たいした対価も払わず情報開示を促したようなこの場の流れは不実と言えなくもない。

 ただまあ、知識というのは質量の無い財産であると同時に、形はなくとも確かな重さを有した荷物となることがある。知っているからこそ身動きが取れなくなることがある。

 いわゆる先入観や固定観念。専門家と呼ばれる者たちが素人に後れを取る理由。

 ダービーで大盤振る舞いした以上は多かれ少なかれ情報は漏れるだろうし、チーム〈キャロッツ〉およびゴルシTはとっくに対策を立てて動き出していることだろう。

 この程度で負い目に感じてくれるのなら、恩を売れるのなら安いものだ。単純な善意からじゃない。

 

「私の【領域】は他者が【領域】を使った際にその一部を切り取って弱体化させ、同時に切り取った分を自分のものにするって能力。そんなの知っていてもどうしようもない、でしょ?」

「……聞いているだけで頭が痛くなってくる」

 

 相手を強化するとわかっていてもなお【領域】を具現化するには度胸がいる。自分のとっておきの切り札のはずが、相手の手にも握られているのだ。

 【領域】を使うべきか否か。判断は困難になりテンションは悪化する。すべてがギリギリのせめぎ合いであるレースにおいては無視し難いデメリットだろう。

 私の【領域】は初見殺しに優れた性能であることは間違いないが、知っていたら知っていたで発動する前から相手にしっかり悪影響を及ぼすことができるのである。

 

《だからこそ、ムシャムシャには驚いたよねー》

 

 そうね、正面から覚悟をもって受け止められたのは新鮮な経験だった。さすが皐月賞とダービーの両方に出走してくるウマ娘だけあるよ。

 

 リトルココンは頭痛を誤魔化すようにこめかみを揉み解していたが、ふと皮肉気な笑みを浮かべた。

 

「それにしても、普段と全然違うねアンタ。いつものは演技だったの?」

「いつもリトルココンの相手をしているのはテンちゃんだから。今の私はリシュだよ」

 

「は?」

「いわゆる二重人格ってやつ。テンちゃんは私と比べずっと愛想がいいからね」

 

 ぽかんとしたマヌケ面に向け、時計を見るように視線で促す。長針の位置は既に目が覚めてから十五分が経過しようとしていることを示していた。

 

「そろそろ急いだほうがいいんじゃないの?」

「は、え? ちょ、待ちなよ」

 

「待たされるのは私じゃなくてチーム〈ファースト〉の面々と樫本代理の方じゃないかなぁ?」

 

 あの多忙な樫本代理が今日の朝練の監督までしているのかは知らないけども。

 

「ああ、もう!」

 

 どたばたと慌ただしくリトルココンは身支度を整えていく。ドアノブに手をかけた状態で振り返ったその目は名残惜し気、というにはいささか目力が強すぎたけど。

 不思議とこれまでのような反発心は湧いてこなかった。

 

「帰ってきたら続き、聞かせてよ?」

「タイミングが合って時間があって気が向いたらね」

 

 正直に答えたら返ってきたのは舌打ちだった。いやだって今日、平日だし。休日のように融通が利くわけではなく、そもそもトゥインクル・シリーズを走るウマ娘は休日だろうとスケジュールがびっしりぎっちりというパターンも少なくない。

 お互いどんな予定が控えているのかわからないのに無責任なことは言えないだろう。

 

「いってらっしゃーいココンちゃーん」

「……いってきます」

 

 最後だけテンちゃんがお見送り。私の身体が愛想よく笑いながらひらひら手を振る。

 風圧がここまで届くほど力強く閉められたドアだったけど、乱暴な開閉の音で消しきれない挨拶のやり取りは、何だかんだ一年間空間を共にした関係性を感じさせるものだった。

 

 ちなみにカミングアウトは私の独断ではない。

 言語化する前の漠然とした感情のやり取りで、テンちゃんと二人で決めたことだ。

 そもそも私たちが二重人格ということは、別に秘密ではない。大声で主張する必要のないことだと思っているからあまり人前で言わないだけだ。

 ドロップアウトは常に付いて回るのがトレセン学園という場所だが、きっとリトルココンとの付き合いはこれからも続く。私は『最初の三年間』をしっかり走りきるつもりだし、彼女もアオハル杯が終わるまで現役である可能性が高い。

 あと一年以上は同室であり続けると考えれば、今のうちに認識してもらっておいた方が何かと便利そうだった。

 

《想定以上に打ち解けて少しばかり驚いているよ。ココンはダービーがきっかけだったみたいだけど、リシュの方は何かあったの?》

 

 私? うーん、そうだな。

 私もダービーかもしれない。ダービーでリトルココンから蒐集した【領域】を使った。

 それまでだって練習で使ったことが無いわけじゃなかったけど、【領域】を使えばテンちゃんが消耗する。だからやっぱり、その真価に触れたのはあれが初めてだった。

 

《ゆるい条件で強力な効果を発揮する、使い勝手のいい【領域】の持ち主に好感を抱いたってこと?》

 

 それも無いとは言わないけど。

 

 自分も相手も圧し潰す世界。あれは拒絶の具現化であると同時に、きっと無自覚な威嚇だ。

 アタシは強い。だから周囲を傷つける。自分も傷つける。傷ついたって生きていける。傷つけたってアタシは平気。

 だから近寄るな。

 そんな重くて暗くて息苦しい深海。それがリトルココンの見えている世界。彼女の内に秘められた心象風景の発露なのだと思うと。

 何だか、可愛げがあるというか?

 

《ひとつ歩み寄れる場所を見つけていたってことか。そりゃあ何かの拍子にぐっと距離が縮まることもあるわな。それが人付き合いの摩訶不思議な性質だ》

 

 そういうもの? ふーん、そんなもんか。

 

《近いうちにビターグラッセあたりとも一緒にお蕎麦食べに行きたいね。〈ファースト〉との交流で得るものは多そうだし》

 

 うん、なんで蕎麦?

 

《なんだ知らんのか。アイツは自分で打てるレベルの蕎麦好きだぞ。蕎麦の食べ歩きブロガーとしてその道の人々からも人気がある》

 

 ひょいひょいとスマホを操作して件のブログも見せてもらった。

 ちゃっかりフォローしていた。まーたテンちゃんが私の知らないところでコネ作ってるよ。

 

 

 

 

 

 六月末、アオハル杯プレシーズン二回戦開催。

 チーム〈ファースト〉は五連勝という形で圧倒的な実力を示し、ランキング一位に君臨し続けた。

 その圧勝は誰かさんのせいで蔓延しかけていた『〈ファースト〉は弱いのではないか』という空気を一掃し、同時に樫本代理の実力と脅威を学園に再認識させたのであった。

 

《ココンちゃんたちの努力が実って本当によかったねー》

 

 そうだね。面と向かって言えばキレられそうだけどね。

 

《ラスボスが弱ければゲーム全体が弛緩してしまう。これからもチーム〈ファースト〉には強大な悪役として頑張っていただきたいものだ》

 

 ちなみに〈パンスペルミア〉はきっちり三勝してランキング昇格。

 無事に上位五位圏内に食い込むことができた。これでまた設備の向上が見込めて嬉しい限りである。

 勝敗の内訳はダートの私と長距離のマヤノ、そして短距離のバクちゃん先輩が白星。

 後輩たちを引き連れてチーム戦に臨むというのは、なかなか新鮮な経験だった。まあまあ楽しかったよ。勝った戦いにそれ以上語ることはない。

 

 さて、中距離とマイルが黒星となる。

 マイル部門はまあ、こう言うとなんだが普通に負けた。

 今回エースを担当したのはデジタル。彼女は間違いなくクラシック級有数の優駿ではあるが、つまるところあくまでクラシック級の実力者でしかない。

 今回〈パンスペルミア〉が相手にしたのはランキング昇格のための上位陣。三十を超えるチームが群雄割拠しているアオハル杯で十指に入る実力者たち。つまりシニア級でもG1レースに出走するような顔ぶれが相手チームのエースとして出てくる。

 チームメンバーは大半がクラシック級とジュニア級で構成された〈パンスペルミア〉。エースのデジタルはこれまで公式戦をダートで重ねており、芝の実戦には不慣れ。

 またデジタルと言う少女の性分としてレースには真摯だが、それはウマ娘ちゃんたちの真剣勝負を汚さないためというモチベーションに依るものだ。極端な話めったにご一緒できないウマ娘ちゃんたちを間近で拝めるというだけで彼女の欲望は満たされてしまい、勝利そのものに対する渇望はかなり薄い。

 不利な要素が重なり、それを覆すだけの熱量に欠けた。相手チームのマイル部門に実力者が揃っていたこともあり、順当な結果としての敗北だった。

 

 中距離部門はエースにテイオーを据えたのが敗因といえば敗因かな。

 彼女は間違いなくジュニア級としては最大限の活躍をしたし、それを支えるミーク先輩も熟練を感じさせるいい仕事をしていたのだけども、そこは層の厚い中距離部門。

 相手チームはひとりひとりで見ればテイオーやミーク先輩に及ばぬ素質の持ち主しかいなかったが、二回目のプレシーズンにして既にチームとしての戦い方に熟達していた。多少の才覚の差などひっくり返せるほどに。

 テイオーは間違いなく天才だが、チームワークというのはどれだけ仲間と息を合わせるために時間と労力を費やしたかがモノを言う。天才ゆえの飛びぬけた感性は独りよがりの瑕疵として狙い撃ちにされ、それをフォローしたミーク先輩も逆に言えばフォロー要員以上の仕事ができないよう拘束された。

 そもそもシニア級というのは本来トゥインクル・シリーズ二年目であるクラシック級から会敵する相手。それもプレシーズン一回戦の頃と違い、今の〈パンスペルミア〉が相手をするのはランキング一桁の学園の上位層。

 その実力は、下位はもちろん中位の者たちとも一線を画す。

 

《いわばテイオーは適正レベル以上の敵を相手に、チーム戦という不慣れなハンデを背負って戦ったわけだ。曲がりなりにでも勝負になった時点で大健闘だったよね》

 

 嫌味でもフォローでもなく私も同意見だ。まあ、私の言葉を素直に聞き入れるテイオーではないから。

 自分のせいで負けた。そんな新鮮な挫折を知った彼女はものの見事に凹んでいたし、いじけていた。

 ただまあ、先輩としてかまってやったら気丈な言葉が返ってきたので折れてはいないのだろう。せいぜい敗北からできるだけ多くのものを掴み取ってほしい。

 私は負けたことが無いから敗北から何が得られるのかは知らないけどね。相手がチームワーク抜群のシニアG1級だろうと勝てたし。

 

《アオハル杯は公式戦ではないからあそこでいくらコテンパンにされてもトゥインクル・シリーズの実況には『ここまで無敗!』と言ってもらえるもんに。無敵のテイオー伝説はまだまだこれからであるぞよ》

 

 テンちゃんがテイオー本人に聞かれたらへそを曲げられそうなクオリティのモノマネをしていたが、内容はだいたい正論である。

 

 ついでと言っては何だが〈キャロッツ〉もしっかり勝ち上がっている。

 プレシーズン一回戦が始まる前は最下位だったのに、一回戦で二十二位まで上昇し、今回の二回戦ではランキング全体の半分を上回る十四位まで勝ち上がりを果たした。実に主人公街道を邁進していらっしゃるチームだ。

 ランキングが十四位ともなればアオハル杯の特典たる設備もかなり高品質なものが得られるはず。ただでさえ人材揃いのチーム〈キャロッツ〉に機材まで加わるわけで、鬼に金棒を地で行く成長を見せるようになるかもしれない。くわばらくわばら。

 ちなみにプレシーズン二回戦の戦績は四勝一敗。黒星はダート部門のハルウララ先輩のみ。相変わらずの鈍足で、相変わらずの天真爛漫な笑顔だった。

 宝塚であれだけバチバチやっていたのに、相手が格下とはいえその走りに陰りは見られず。やっぱりレジェンドと呼ばれるやつらは格が違う。基礎がぶ厚すぎる。

 

《ハルウララだって悪いウマ娘じゃあないんだよ。ちょっと他の子と比べて足が遅いだけで》

 

 普通トゥインクル・シリーズでは致命的な欠点なんだけどね、それ。

 短距離ではタイキシャトル先輩、マイルではブライアン先輩、中距離ではウオッカが順当に勝利。

 印象的だったのは長距離部門をスカーレットが担当していたことだろうか。彼女はマイルや中距離に比べ、長距離の適性は一枚劣る。純粋に戦力だけを考えた起用とは思えない。

 実際スカーレットは先頭を維持することができず、最後の直線でまとめてぶち抜いたゴールドシップ先輩に尻拭いしてもらう形になっていた。

 

《それをいうならウオッカをマイル部門にまわして、ブライアンに中距離を担当させた方が勝率は安定したと思うぞ》

 

 そうだね。きっとチーム〈キャロッツ〉も単純な勝ち上がりだけではなく、メンバーに経験を積ませることを考慮に入れているのだ。

 スカーレットとの決戦の地(と私が勝手に思っている)有記念は中山レース場の2500m。現在のURAではれっきとした長距離に分類されている。ダービーなどの2400mと比べると数字の上ではたった100mの違いに思えるかもしれないが、その100mでまるで別物。

 

《というか、ヒトミミ基準なら50m走と100m走でも違う競技だからな》

 

 スカーレットが挑戦すると予想されるレースを鑑みるに、彼女が今年度長距離を走るのは年末の有記念が最初で最後だ。

 その前に一度、せめて非公式のレースでも実戦の空気に触れておきたいというのは何もおかしなことではないだろう。

 ウオッカもそうだ。彼女はたぶんマイルが一番()()けど、これからのレースは中距離が主戦場になる。経験はひとつでも多く積んでおきたいはずだ。

 

《ウオッカはワンチャン海外遠征にいくかもしれないと思っていたけどなあ。国内にとどまったか》

 

 テンちゃんが言う通り、実はウオッカはダービーを制した後に海外に行くルートも漠然とだが考えていたらしい。

 しかし私に負けたことで計画は白紙に。『国内に勝ててねえヤツがいるのに、海外に往くのは逃げてるみてーでダッセーだろ?』と彼女は笑っていた。

 ……その理屈だと一生海外に挑戦するチャンスは来ないと思うのだけど、大丈夫なのだろうか?

 

《まあそのあたりはウオッカとキャロッツTの考えることさ》

 

 それもそうか。

 

 人数は他チームと比べ圧倒的に少ない〈キャロッツ〉ではあるが、今回の勝利でプレシーズン第一戦のときと同様、また相手チームの解散および吸収という流れで強力な新規メンバーを獲得していた。

 テンちゃんが注目していた、いわゆるネームドは三人。

 〈ブルームス〉からライスシャワー先輩とミホノブルボン先輩。

 そして〈ハレノヒ・ランナーズ〉からのマチカネフクキタル先輩だ。

 そのほかにも幾人か加入しているのだが、そっちはあまり気にした様子が無いテンちゃんである。

 たしかに菊花賞ウマ娘のライスシャワー先輩とマチカネフクキタル先輩、クラシック二冠のミホノブルボン先輩は優秀なウマ娘ではある。

 あるのだが、その他の新規メンバーもそう露骨に見劣りするような人材ではないと思うのだけど。テンちゃんの評価基準はたびたび不思議だが、その評価が大外れしたことはないのでそういうものなのだろうと納得するだけだ。

 滝登りのように順位を上げているチーム〈キャロッツ〉にも関わらず加入メンバーの数がやや少ないように思えるが。これは〈キャロッツ〉側がえり好みしたというより、新進気鋭の優駿とレジェンドばかりで構成された魔窟のようなチームに参入する度胸の持ち主が選別されたと見るべきだろう。

 裏を返せば新規参入した三人には相応のモチベーションがあるわけで、いつか相まみえる日には強力な敵として立ち塞がることが容易に予想できる。

 

《ついにリンクキャラ四人が揃ったか。ここからが〈キャロッツ〉の本番と思った方がよさそうだな……》

 

 テンちゃんもよくわからないところで戦慄していた。

 

 ちなみにうちのチームの新規参入はどうなのかというと、目立った変化はない。

 どこかの誰かさんのファンクラブのせいで、アオハル杯チームメンバー登録用紙の枠いっぱいまで既にメンバーが登録済みだからね。

 誰かを追い出してまで目標のチームに参入してやるっていうのは中央のウマ娘の在り方としては間違っちゃいないが、お祭りイベントとしての本質を取り戻しつつある現状のアオハル杯においては『空気の読めていない行為』に該当する。

 つまりURA所属ウマ娘である前に日本の女子学生である彼女たちにとっては最も避けなければならない行いだ。

 結果として自らの実力に見切りをつけた子が何人か離脱して、その枠を優秀な成績を出したファンクラブメンバーが入れ替わる形で埋めたという印象だ。よく見る顔がわりと見る顔に変わっただけなので、あまりメンバーの入れ替えがあったという実感はない。

 テンちゃんも特に反応していなかったし、たぶんネームドもいなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 かくして雨の季節は終わり、夏が来る。

 夜空の下に開催される灼熱の砂の舞台、もうひとつのダービー。

 

 ジャパンダートダービーが来る。

 




次回、デジタル視点


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サポートカードイベント:太陽にも憚らぬ星

思えばこの小説を執筆し始めたのは去年のハフバの貯蓄を全部つぎ込んでもデジたんがお迎えできず『触媒にウマ娘小説書けば向こうから来るのでは???』と錯乱した結果だったのですよね。
結局デジたんは引けなかったけど、予想以上にたくさんの読者の興味を惹けたよ。
ありがとう。
(お迎えは引き換えチケット使いました。後悔はしていない)

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 ウマ娘ちゃんが好き。

 

 どうして? と尋ねられても少し困ります。

 たとえばカレーが好きだったとしましょう。

 『どうしてあなたはカレーが好きなの?』と聞かれて、それっぽい理由はいろいろ並べ立てることができますが。

 結局のところそれらの理由があるから好きなのではなく、『カレーが好き!』が真っ先にあって、だから好き。

 好きなものってそういうものじゃないでしょうか。

 

 あたしもそうです。理屈じゃなくて、心が、魂が叫んでいるのです。

 ウマ娘ちゃんしゅきぃ……たまらん……! って。

 

 地上に築かれた天上の楽園、トゥインクル・シリーズ。

 ウマ娘ちゃんはただウマ娘ちゃんというだけで尊いものですが、それでもやはり女神たちが最も輝くのは走っているときでしょう。異論は認めます。でも論争はNGの方向で。『好き』とは他者とぶつけ合い傷つけ合うものではなく、尊重し合い高め合うものというのがデジたんの持論ですので。

 誰かの大切を傷つけ貶め踏み台にしないと主張できない『好き』があるなんて、そんな悲しいことはないはずです。

 

 推しを間近で観察するため、推しの最高の瞬間をこの目に刻むため、あたしがトレセン学園を目指すのはしごく当然の流れでした。

 そして積み重ねた徳と執念が結実したのか、はたまた面接での熱弁もとい熱意が認められたのか、なんと中央に入学することができたのです。

 なんたる僥倖ッ! 夢が現実にッ!! 一般的なウマ娘ちゃんは中央に入学してからが本番でしょうが、このデジたんにとっては既に夢がひとつ叶ったようなものでした。

 

 そして夢に手が届くとき、きっと人は気づいてしまうのです。

 触れられる夢とは、自分の指紋がついてしまった夢とは。

 それは『現実』と何も変わらないのだ、ということに。

 

 推しを間近で観察し続ける至福の日々。

 拝まざるを得ないカップリング。煌めく想いのぶつかり合い。脳内フォルダに保存されていく、最高の位置取りからベストショットの数々。

 夢のような時間が飛ぶように流れていく中、ふとあたしは気づいてしまいました。

 

 あたしは勝てるウマ娘でした。

 あたしのせいで負けるウマ娘ちゃんたちが何人もいました。

 ウマ娘ちゃんたちの真剣勝負の場にデジたんごときがお邪魔しているのです。全身全霊をもって勝利を目指す姿勢で挑ませていただくのは当然のこと、最低限のマナー。それすら守れぬ者にレース場に立ち入る資格なし。そう思っていました。

 負けるものかと顔を歪ませ歯を食いしばるウマ娘ちゃんも、差し切られて涙をこぼすウマ娘ちゃんも、至高の芸術品。そこに恥じ入らなければならない醜さなどひとかけらも存在していない。そう、思っていました。

 

 覚悟は決めてきたつもりだったんです。

 そもそもあたしがウマ娘ちゃんたちを尊いと感じたのは、彼女たちの『覚悟』でしたから。

 幼いあの日テレビで見たウマ娘ちゃんたちはキラキラしていて、でもそれだけじゃなくて。いろんな想いを背負ってその場に立っていて、絶対に譲るものかと真剣にぶつかり合っていた。その在り方にあたしは惹かれたんです。

 走りたい。走るしかない。レース場というウマ娘ちゃんが最も輝く場所で、推しが最高に輝く姿を、誰よりも近い最高の場所から余すところなく見届けたい。全力で推したい!

 デジたんの本能が目覚めた瞬間でした。

 

 でも、あたしの『覚悟』なんてしょせん画面の向こうでウマ娘ちゃんたちを見て、ぐへへと涎垂らしてだらしない顔していたオタクの『つもり』でしかなかった。

 画面が消え去ったとき、そこにいたのはろくな覚悟もなくみんなの想いを粉砕した、薄っぺらな勝者。

 価値があるとか芸術品だとか尊いとか、勝ったあたしが言っていいことなんかじゃなかった。

 夢を断たれ学園を去っていく『推しだった子』を前に、ようやくあたしは敗者を生み出す覚悟を持っていなかったことに気づきました。

 あまりにも遅すぎた気づきでした。夢はとっくの昔に現実になっていて。

 何もかも投げ出して画面の向こう側に戻るにはもう、あたしが踏みつぶした覚悟の残骸があたしの背中に載ってしまっている。

 だけどこれからもキラキラしているウマ娘ちゃんたちのキラキラな未来を踏みつぶすのかと思うと、脚が前に動かない。

 あたしは進むことも戻ることもできず、自分で上がった舞台にただ立ち尽くすことしかできなくなっていました。

 

 笑っちゃいますよね。

 あたしだってレースを走ることを選んだウマ娘のはしくれ。

 勝つということがどういうことなのか。負けるということがどういうことなのか。知っていたはずなのに。

 夢見心地でいる間に、そんなことも見失っちゃっていたんです。

 

 そんなデジたんでも教官さんが選抜レースに出てはどうかと勧めてくれたり、トレーナーさんがスカウトを匂わせてくれたりしたことが何度かありましたけど。

 芝の推しもダートの推しも両方捨てがたいから、どちらのレースも選べない、なんて。

 嘘じゃないけど本当でもないことを理由に、丁重にお断りしてトレーニングに戻りました。

 さいわいと言うか何と言いますか。芝とダートの両方をしっかりベストアングルで走れる自分であろうとするなら、やるべきことは山ほどあったのは事実です。

 

 そうやってハムスターが回し車を満喫しているような毎日が過ぎていきます。

 相変わらずトレセン学園は天国で、ウマ娘ちゃんたちはキラキラしていて、煌めく想いが全力でぶつかり合っていました。

 そんな中でアグネスデジタルというウマ娘だけが空気を共有できていない。見えないフィルター一枚隔てた呼吸を気取っていて。

 あっという間にトレセン学園の一年目が過ぎ、あたしはトゥインクル・シリーズへデビューを果たせないまま二年生になりました。

 

 春、それは出会いと別れの季節。

 たくさんのウマ娘ちゃんたちが新たに入学してくる。それすなわち新たな推しとの出会い。

 この期に及んでまだ推し活を捨てられなかったデジたんは新入生ウマ娘ちゃんたちが繰り広げる青く微笑ましく、そして眩しいレースにホイホイ引き寄せられていきました。

 

 そして、見つけたんです。いえ、()()()()()()()()のかもしれません。

 気づけばあたしの目は釘付けでした。

 

「くっ……強い……!」

「そうだよ、ぼくは強いんだ。そこに気づくとはお目が高い」

 

 小さな身体に収まりきらぬ猛々しい奔流。

 輝く銀の髪は青空の下でもなお傲慢に存在を主張する星のようで。ああ、なんということでしょう。明けの明星ですら太陽を前にしては大人しくその座を明け渡すというのに。

 

「はは……これでも地元じゃ敵なしだったんだけどね……これが中央の本物、かぁ。勝負にすらなってないじゃない……」

「まーそうやって気落ちするのはもう少し待ってからでも遅くないんじゃないかな?」

 

「え?」

「一年後にはぼくに勝てなかったのは何も恥じる必要が無いことだとみんな知っているだろうし、十年後には『わたしはあのテンプレオリシュと走ったことがあるんだぜ!?』と自慢できるようになっているよ」

 

「……あ、はは。そうだね、そうなったら素敵かも」

 

 地に膝をつき眩しそうに見上げるウマ娘ちゃんへ、赤い右目を炎のように輝かせる彼女は悠然と手を差し伸べてその身体を引き起こしていました。

 

 一目でわかりました。

 彼女はあたしと同じ業を背負う者。ウマ娘ちゃんが大好きなのだと。

 その大好きで大切で輝かしいものを、大好きで大切で輝かしいまま踏みにじって壊して蹴散らして、自慢げに胸を反らし満面の笑みを浮かべている。

 敗者の価値は勝者で決まるという強烈な自負。粉々になった夢と覚悟を背負って駆け抜けた先に、粉砕された想いの持ち主たちですら自慢気に笑える未来を築いてやるという絶大な自信。

 あたしが持っていなかったもの。あたしが目指すべき到達点。

 涙があふれて止まりませんでした。

 エウレカ。その日、真っ暗闇だった世界にあたしは光を見出したのです。

 

 星に導かれる三賢者のように『彼女』を追いかけて。

 ぶっちゃけコミュ力ゼロのデジたんが一生分どころか来世の分まで熱意とプレゼン力を前借りして自分を売り込み、なんとか『彼女』と同じトレーナーさんの担当ウマ娘に収まったところまでは本当に上出来だったのです。

 ええ、奇跡ですよまったく。

 なにせ相手はハッピーミークさんを『最初の三年間』でスターウマ娘にまで育て上げ、URAファイナルズ決勝入着という好成績を収めてみせた桐生院トレーナー。

 今年度から新たに二名を担当する方針で、その片方は『彼女』だったのですから実質先着一名様の狭き門。

 どうしてあたしごときがその枠に収まることができたのやら……っといけない! ダメダメ!

 選ばれた以上は胸を張らないと。自信と自負です。意識改革はね、日々意識して続けていかないとね。

 きっと道を見失っている間も毎日せっせと着実に積み上げ続けた徳が、ここぞというところで成果を出してくれたのでしょう。迷っているときもあたしの背中を押してくれた推し活と、すべての推しに感謝ですね!

 

 そこまではいいんです。問題は――

 

「あのっ、あなた様のことを同志とお呼びしてもよろしいでしょうか!?」

 

 デジたんが和気藹々とお喋りできるのは同じ沼に住まうオタク仲間くらいなものでして。

 桐生院トレーナーへのセールストークでいろいろ絞り尽くした結果、肝心の『彼女』を前にしたときには搾りカスみたいなもんしか残っていなくて、ですね。

 『同志としか仲良くできないなら、同志として扱えばいいのでは?』と見事にとち狂った思考回路でコミュニケーション最初の一歩を進めてしまいました。

 覆水盆に返らず。だらだらと汗を流すあたしの前で『彼女』はきょとんとした表情からゆっくり笑顔へ変わると、すっと手を差し出して汗まみれのあたしの手を握ってくれました。

 

「うん、よろしくね」

 

 ウマ娘ちゃんにはおさわり禁止、なんて考える余裕も無くて。あばばばばと痙攣しながらただひんやりとした小さなおててを感じることに全神経が集中していました。

 これがあたしと、テンプレオリシュというウマ娘とのはじまりの記憶。

 果たしてあのときあっさりと受け入れてくれたのは、いったいどちらの『彼女』だったのでしょうか。

 もしかするとお二人の区別を付けようとすること自体、普通とか当たり前とかいうどこかの誰かが決めた固定観念にとらわれた一種の偏見なのかもしれません。当たり前のことが当たり前にできないオタクという人種だからこそ、周囲の『当たり前』の枠に押し込められようとする苦痛は理解しているつもりです。

 くるくるとシームレスに入れ替わるお二人はどちらも等しく自分自身と認識しています。その特有の感覚を本当の意味で理解するのはきっと、どうあがいても第三者には不可能なのでしょう。

 

 でもやっぱり推しのことは気になってしまうのが性というもの。

 迷惑にならない範疇でもっと知りたいと思ってしまうのです。

 それに『当たり前』の枠に無理やり押し込められるのが苦痛なのであって、異なる相手を理解しようとする姿勢は決して悪いものではないはずですから。

 世の中にちょっとばかし存在している『理解しようとしているのにどうしてお前は歩み寄ろうとしないんだ』と肩を怒らせる方々の印象が強くて、反射的に怖気づいてしまうだけで、ハイ。

 

 デジたんの個人的分析によればリシュさんは一度距離を詰めてしまえばともかく、その距離感を縮めるのにとても慎重な内弁慶気質なお方。オタクによく見られるとてもなじみ深い性質ですね。

 だから、初対面の相手に積極的な物理的接触を行っていたあれは。

 

 きっとテンちゃんの方だったんじゃないかと思います。

 

 

 

 

 

 ジャパンダートダービー。

 羽田盃、東京ダービーに続く、南関東クラシックダート三冠レースの最終戦。

 ちなみにウマ娘ちゃんは好きだけどレースにあまり興味はないという層は『東京ダービー? 日本ダービーじゃなくて?』なんて聞いてきたりもしますが、比喩抜きで芝とダートくらい別物なので混同はNGです。

 たしかにNAU(地方ウマ娘全国協会)が運営する地方のダートレースですから、中央のファンには馴染みのない存在かもしれませんけど……。

 それにしたって言外に『興味がまるでない』と言われると悲しいのです。

 閑話休題。

 出走できるウマ娘はフルゲートで十六人、うち中央からの出走枠は七つ。

 つまり中央所属ウマ娘であるデジたんからしてみれば、普段接点のない地方所属のウマ娘ちゃんたちを最大で九人も間近で拝める絶好の機会というわけですね。ありがたやー。

 読み方は同じ『ジーワン』とはいえ国際グレードを持つ『G1』ではなく、国内でのみ通用する『Jpn1』であるため一段劣るレースだとする見方はたしかにあります。しかしURAが認定した最高格付けのレースであることに変わりはありませんし、何よりウマ娘にとっては勝負服を着て走ることが許された数少ない大舞台です。

 劣等感が無いとは言いますまい。自分も芝を走れたらと臍を噛んだウマ娘ちゃんだってきっといるでしょう。

 しかし今夜、砂を焼く彼女たちの魂の煌めきはたとえ砂埃に塗れようとも陰ることなどありえません。

 

 それに大井レース場をたかが地方と侮るなかれ。

 現代では当たり前のように使われているゴール写真判定やスターティングゲート、進路妨害の審議に使われるパトロールフィルム制度はここ大井レース場が日本で初めて採用したものです。

 ナイトレースと呼ばれる夜間のレース開催もそう。夜天の下で人工の照明に照らされながら走るウマ娘ちゃんたちは中央では味わえない趣きがありますが、これも大井レース場が初めて実施しました。

 つまりレースの歴史を語る上では外せない、ここもまたデジたんにとって聖地のひとつなのです。

 

 さて、そんな聖地にて。パドックでのアピールを終え地下バ道に降り立った女神たちの間にはなにやら不穏な空気が漂っておりました。

 

「観客動員数、例年の二倍以上だって。ふざけてる……」

 

 それは平日の夜八時過ぎから開催という条件をものともせずレース場に詰めかけた、類を見ない観客数がもたらしたプレッシャーによるものでしょうか。

 

「いいじゃん、どんな経緯であったとしても。中央の芝から人が流れ込むのは悪いことじゃない。せいぜい利用させてもらって、こっちも盛り上げていこうよ」

 

 彼女たちの郷土愛と戦意が煮えたぎり過ぎて、黒煙を濛々と立ち込めさせるまでに至っているのでしょうか。

 いえ、いえ!

 それらの要因が無いとは言いませんが、結局のところ彼女たちはそれらを引き起こしたただ一人を強烈に意識しているのです。

 

「デジタルー」

 

 嗚呼、星が降りてきました。

 しゃらん、と靡く銀の紗に鬱屈した空気が祓われていきます。呑まれる、と言い換えてもいいかもしれません。

 ただそこにいる。それだけで他のウマ娘が息をのみ、足を止めてしまう存在感。

 NHKマイルCと日本ダービーを制した無敗の変則二冠。積み重ねた戦果は幼い子供がクレヨンで書き散らした御伽噺に、血と涙をもって確固とした重さを与えました。

 荒唐無稽から羽化を遂げつつある現在進行形の伝説。

 それが今の彼女たち、テンプレオリシュです。

 あたしは今日、それに挑むのです。

 

「調子はどう?」

「もちろんバッチリ絶好調ですとも! ウマ娘ちゃん成分を摂取した今のあたしは無敵です。あまりに興奮し過ぎて倒れないかの方が心配なくらいですよっ」

「そう、それはよかった」

 

 リシュさんはそう言って青い目を細めました。

 どこか遠い目をしています。

 

「桐生院トレーナーには迷惑をかけたからねえ。せめて苦労相応の成果は出しておきたい」

「ああー……」

 

 トレーナーさんには本当にいろいろとご迷惑をおかけしてここにいるあたし達です。

 まず自分の担当ウマ娘が同じタイトルを奪い合うというのがふつーに難易度高めですよね。ゴルシTさんがさらっとこなしておられるので失念されがちですけど。

 

 たとえば、自身の担当である以上トレーナーはそのウマ娘の情報を誰よりも詳細に把握しています。

 そして言われたことを言われたまま愚直にやるミホノブルボンさんのようなオーダー完遂型ウマ娘ちゃんもいますけど、どちらかと言えばあたしもリシュさんもテンちゃんも情報があれば自分で咀嚼してレースに活かすタイプです。

 ライバルになる双方の情報の何をどこまで与えるのか。仮に双方を等しく鍛えているつもりでも、その匙加減で勝敗が変わってしまうこともあるでしょう。

 隙を残さず徹底的に対策を行えば不意打ちと言う手札を握りつぶしてしまうことを意味しますし、その逆もまた然りです。穴があることを自覚しながら本番の手札とするため意図的に対策を行なわせないなんて、あたしが担当トレーナーだったら想像するだけで吐血しちゃいそうになります。

 

 世間の期待値的にはテンプレオリシュを優先して、アグネスデジタルを踏み台にするのが一番おさまりはよかったんですけどね。八百長は絶対にNGですけど、同じチームのウマ娘がお互いの不利益にならないよう動くのはルール違反ではありませんから。

 でもトレーナーさんもリシュさんもテンちゃんも、そういう世間に対する忖度とは程遠いところにいる方々ですので。

 今日負けたとしたらそれはあたしが弱かったせいだと、それだけは自信を持って言えます。不平等はいっさいありませんでした。

 

 他にもダートは芝の二軍だと無意識下で信じ込んじゃっている方々から『わざわざダートで弱い者いじめをしてまで小遣い稼ぎをするなんて品位が無い』という内容をわかりづらく回りくどく装飾したありがたいお言葉をたまわったり。

 『無敗の三冠が懸かっている中でダートに寄り道するなんてリスクでしかない。やめさせるべき』などと苦言をいただいたり。

 あたしが初のG1出走であることに関して『十分に実績はあるだろうに、どうしてわざわざチームメイトの貴重な挑戦を潰してまでダートG1に出走するのか』という声が上がったり。

 時期的な問題としてもアオハル杯が本格稼働してから初めての夏合宿の季節であり、〈パンスペルミア〉のチーフトレーナーを務めているうちのトレーナーさんはG1レースの調整の裏でチームの夏合宿の準備に追われたり。

 それはもう大小さまざまな問題が噴出しては、ひとつひとつ対処していただいたのです。

 

「葵ちゃんの担当ウマ娘でワンツーフィニッシュを決めるくらいすればつり合いは取れるかなー?」

『……っ!』

 

 ニヤリと歯を見せながら笑うテンちゃんに、萎縮しかけていた周囲の雰囲気が変わります。

 羽田盃は五月開催、東京ダービーは六月開催。その他にいくつものトライアルレースが七月開催のこのジャパンダートダービーにまで繋がっているのです。何か月も、あるいはそれ以上の歳月をかけてダートのウマ娘ちゃんたちはこの頂を目指してきたのです。

 『中央のエリートが芝の高い収得賞金にものを言わせて、わざわざダートG1まで物見遊山のように乗り込んできやがった』という反発は褒められた感情ではないのでしょう。でも真剣でなければ悔しいと感じることもありません。誇り(プライド)を抱けるだけ積み上げた努力は本物なのです。

 『お前みたいなやつに負けてたまるか』『絶対に譲るもんか』。そんな反骨精神は画面越しという防壁を失くし魔王の威圧に屈しかけていたウマ娘ちゃんたちを、たしかに踏みとどまらせることに成功していました。

 

「じゃ、お互いにがんばろーね」

 

 再燃した空気の中で敵意の集中砲火をものともせず、満足そうに喉を鳴らすと手を振りながらその場を後にするテンちゃん。

 彼女たちはなぜそこまでしてダートG1を走ろうと思ったのでしょうか。

 

――え? 小さいころに何足もダート用シューズ履き潰したから、無駄にしたくないなって。

 

 いつだったか、ぽろっとリシュさんがこぼしたことがありました。言い終わった後に『あ、やべっ』という表情をしたのであえてそれ以上の追究はしませんでしたけど。

 本当にそれだけなのでしょう。特別な憧れや因縁なんて何もなくて。ただ手の届くタイトルで、強い自分が弱い相手に遠慮して手を伸ばさないのは間違いだと思うから手を伸ばす。

 傲慢で残酷なほどに正しいウマ娘の在り方。

 その小さな背中はどこまでも大きく見えました。

 

 

 

 

 

 星影と交差して降り注ぐファンファーレの音色。

 それは今あたしが大井レース場の砂の上に立っているのだということを強く実感させてくれるもの。

 

『星空のもとで行われます大井レース場ダート2000、ジャパンダートダービー。十六人のウマ娘たちが挑みます』

 

 普段ならゲートのなかできょろきょろ左右を見渡していたかもしれません。

 薄い金属の覆いごときでは遮れないウマ娘ちゃんたちの尊い闘気を浴びて、ついつい視線を動かしちゃうのがいつものあたし。

 でも今日はよそ見をしている余裕なんて皆無。いえ、普段のきょろきょろが余裕綽々の表れってわけじゃないんですけど。

 

『人気と実力を兼ね備えたアキナケス。六枠十二番での出走です』

『URAの強豪を押しのけ本日は三番人気に推されましたアキナケス。はたして期待に応えることができるのか』

 

 アキナケスさんはぴょこんとした葦毛の短いツインテールがチャームポイントのウマ娘ちゃんです。

 その凛とした眼差しにふさわしく冷静で視野が広く、柔和な顔立ちに滲み出ているように温和な性格で、実は責任感が強い。

 地方を走るウマ娘としてダートの地位向上を目指しており、ファンへのサービス精神旺盛でメディアへの露出も多め。たまにファッション雑誌などレースとは畑違いとも思える場所で見かけたりもします。

 そのため『少しばかり好成績を出したからといって、調子に乗ってレースを疎かにしているのではないか』などと心無い言葉を浴びせかけられることもありますが、全然そんなことはないんです! まるで見当はずれの意見だと断言してしまってもいいでしょう。

 だって彼女は実質ロハになるような安いギャラの仕事でも、ダートの地位向上の一助になると判断した仕事はどんどん引き受けているだけなのですから。見かけ上の露出ほど彼女の懐に収入は入っていないんです。

 好きになってもらうためにはまず知ってもらわなければどうしようもありません。そのきっかけを少しでも増やそうと、NAU所属とはいえ未だ学生である彼女の手が届く範囲で倦まず撓まず努力を続けています。

 ジャパンダートダービーの一着賞金は六千万。一方の日本ダービーの一着賞金は二億。同じ『ダービー』の名を冠した『ジーワン』でこの格差。歴史の積み重ねの差があるにしても三倍以上というあまりにも大きい差を少しでも埋めるために。

 縁の下の力持ちを続けても腐らずにいられる屈強な心と身体の持ち主。こんなのもう推すしかないですよね!?

 そんな彼女ですら、今はどこか気負いを捨てきれない表情をしています……きょろきょろはしなくてもお隣だからよく見えるんですよ、ハイ。

 

『二番人気はアグネスデジタル。七枠十三番での出走です』

『今もっとも勇者に近いウマ娘アグネスデジタル。砂の戦場で魔王を討ち果たすのは彼女なのか』

 

 あたしの名前が呼ばれました。

 そんな御大層な評価をされるほど派手な戦績を出しているわけじゃないんですけどねえ。たしかに公式戦で黒星が付いたことはいまのところありませんけど。

 これは『テンプレオリシュと同じ桐生院トレーナーの担当でありチームメイト』という事実が大幅な加点対象となった結果でしょうね。

 

『そして今日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。一番人気、ここまで無敗の二冠ウマ娘テンプレオリシュ。四枠七番での出走です』

『芝の魔王がついにダートG1にまで魔の手を伸ばしてきた! 生え抜きのダート勢との激闘に期待ですね』

 

 観客席から降り注ぐ視線はもはや質量すら伴っているのではと錯覚するほどの数と密度。それに怯むでもなく猛るでもなく、外套のように自然体で身に纏うリシュさんにはG1を幾度となく勝ち抜いた貫禄がありました。

 ダートレースが軟弱だと言いたいわけではなくて。タイトルが持つ歴史と格式の重圧、それを背負って走ることに慣れている。

 この場にいるウマ娘のほぼ全員が初めてのG1挑戦。この経験の差はどこまで響いてくるのでしょうか。

 

 スタートを前に静まり返る観客たち。

 夜のとばりにぎゅうぎゅうと詰め込まれる静寂。

 緊張が限界を超えて破裂する前に、金属の擦れる音と共に圧は一気に解放されました。

 

『今スタート!』

 




次回も引き続きデジたん視点です


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U U U

 

 

『各ウマ娘がきれいなスタートを決める中まっさきに飛び出したのは七番テンプレオリシュ。続いて八番ドラグーンスピア、十四番ヘルファイア、少し離れて十二番アキナケス追走』

 

 きれいなスタート。実況のそれは嘘ではないのでしょう。出遅れなんて一人もいない、ダートG1の舞台にふさわしい集中力。

 ただ彼女たちの最高のスタートとイコールではなかった。まるで大歓声に押し戻されるように微妙なぎこちなさを見せるウマ娘ちゃんたちの中、一人だけその影響を感じさせず滑らかに飛び出したリシュさんはまるで清流にゆらめく魚影のようでした。

 

『ここまでが先頭集団を形成、熾烈な先行争いを繰り広げ……っとこれは?』

『七番テンプレオリシュ、するすると下がっていきましたね。これは作戦でしょうか。落ち着いた表情を見るに故障ではなさそうです』

 

 まるでその存在を誇示するように一度は先頭に立ったリシュさんでしたが、先頭集団との競り合いをあっさり放棄するとスルスルと後ろに下がっていきます。

 そのまま悠々とバ群を通過し、差しの位置にいたあたしの横さえ通り過ぎて、後ろから三番目という後方も後方に位置取りました。

 

 大井レース場外回りコースの最後の直線は386m。これは地方レース場の中では最長であり、なおかつここは全体を通して上り坂も下り坂も存在しません。

 ゆえにラストスパートの速度がそのまま勝敗に影響しやすい、豪快な差し追い込みがハマりやすいコースといえます。

 中央のレースで幾度となく上り坂でのスパートを経験したリシュさんにとっては、ダートであることを加味しても速度を乗せやすいことこの上ない環境でしょう。

 だからこその追い込み。最後の直線で最後方からまとめてなで斬りにすることを前提に、周囲を把握しやすい位置につける。あるいはダートでの乏しい実戦経験を状況把握で補う意図もあるのかもしれません。

 

 一見定石破りのように見えて、ひとつひとつ紐解いてみれば教科書通り、基本に忠実な作戦。自らの身体能力を信じ、積み重ねた基礎のカタマリでぶん殴っていくスタイル。

 いつものリシュさんです。

 

「ふっざけやがって……!」

 

 でもそれは、リシュさんとテンちゃんのお二人をよく知るあたしだからたどり着けた結論。

 傍目にはきれいに決まったスタートダッシュのアドバンテージをむざむざと放棄する、いわゆる舐めプに見えたかもしれません。

 腹立たし気に吐き捨て、さらに強く踏み込んで先頭に立ったのはドラグーンスピアさん。栗毛ショートヘアの目力の強いウマ娘ちゃんです。

 直情的かつ精神状態がパフォーマンスに直結するタイプで、勝つときは派手に勝ちますし負けるときは惨敗します。

 そのため戦績は安定していませんがコアなファンの獲得に成功しています。あたしみたいな。

 ただ大井2000mでは第四コーナーからスタートして最初のコーナーまで約500mもあり、さらに大井レース場のダートは絨毯のように厚く敷き詰められたもの。ダートで2000mというのもやはり長い距離であるには違いなく、うっかり最初の直線で飛ばし過ぎると最後まで脚を残せるかやや不安が残ります。

 ドラグーンスピアさんほど露骨ではありませんが、余裕たっぷりに先頭を譲ったように見えたリシュさんに掛かり気味になったウマ娘ちゃんはひとりやふたりではなさそうですね。

 リシュさんはたぶん天然ですけど、テンちゃんは計算が入っているんだろうなぁ。

 

 実際、ドラグーンスピアさんたちの苛立ちもあながち的外れとは言えません。

 あそこまで綺麗にスタートダッシュを決められた上でそのままぐいぐい経済コースを飛ばされたら、後続のウマ娘たちは厳しい戦いを余儀なくされたでしょう。

 テンプレオリシュというウマ娘があらゆる脚質に対応していることはこれまでの戦績とマスコミの喧伝で広く知られつつあります。それができないと考えるウマ娘ちゃんはここにいないでしょう。

 芝に比べパワーが必要とされるダートの2000mとはいえ、リシュさんやテンちゃんに限ってスタミナ切れを期待するのは絶対に間違いですし。

 

 やらなかったのはおそらく脚の消耗を嫌ったのでしょうね。逃げはどうしても脚を酷使する局面が増えますから。

 あのお二人、このレースが終わったあとから夏合宿に参加する気満々でしたし。さすがに翌日すぐにとはいかないでしょうが、たびたび思い知らされた彼女たちの回復力を鑑みると七月後半には合宿に参加しているのが目に浮かぶようです。

 それを強者の権利と見るべきか傲慢な油断と見るべきかは、今夜の勝敗次第でしょう。

 

『さあ一コーナーから二コーナーへ向かっていくウマ娘たち』

『大井の夜空のもと、一等星として輝くべく、ウマ娘たちが駆けていきます』

 

 星は砂に埋まっています。

 あたしはそれを踏んで走るのです。

 

 【灯篭流し】。

 リシュさんが日常的に使っている、足音が聞こえないほど効率的な走法。

 〈パンスペルミア〉のみんなで練習したのは生涯色褪せることのない大切な記憶。習得の速度はマヤノさんがダントツでしたけど。

 持続時間ならあたしの方が上というのは、自慢してもいいことなのではないでしょうか。

 

――芝もダートも問わないオールラウンダー。ぼくらと同じ視界に至る資質そのものはデジたんが一番持っているだろうね。

 

 耳に心地よく反響するいつかの声。あれにどれだけ励まされたか。

 薄暗い砂に浮かび上がる無数の光点。空気の味が変わるとでもいうべき独特の感覚。

 リシュさんはスタートからどっぷり浸かっているこの深みに、あたしは第二コーナーを抜けバックストレッチに入ろうかというレース中盤でようやく到達するありさまですけど。

 でもここからは砂上のプラネタリウムがあたしのコースです。最後(ゴール)まで、ね。

 

 星を踏む。

 的確に踏み抜いた時、くんとあたしの身体はかろやかになる。

 砂埃どころか音さえ立たない脚力の効率化。

 まるでそのままふわふわと夜空さえ駆け上がれそうな感覚。

 

『向こう正面を抜けて第三コーナー、後方集団を見ていきましょう。中団から二バ身離れて六番ノワールグリモア、一バ身離れてアザレアボヌール。その後方に七番テンプレオリシュここにいた。先頭からここまでおよそ十五バ身の開きがありますが、果たして一番人気に応えることはできるのか』

『足元を確認しながら走っているようですね。まだ本気ではないですよ』

 

 リシュさんの場合、光の点はくっきりと蹄鉄の形に浮かび上がり、道標のようにひとすじの連なりとして現れるらしいですけど。

 あたしの場合は精度が甘いのか、星のような瞬きが一筋と言わず無数に浮かび上がります。でもそれを踏んで走るのはまるで夜空に星座を描くようなときめきがあるので、嫌いではありません。

 

 足音の消えたあたしを周囲のウマ娘ちゃんたちがぎょっと見ていて、それだけは少しばかり申し訳なく感じますけど。

 

『八番ドラグーンスピアここでいっぱいか。先頭は十二番アキナケスに入れ替わりましたが、どうでしょうこの展開?』

『全体的に少し掛かり気味かもしれません。息を入れるタイミングがあればいいのですが、果たして中央の魔王はそれを許してくれますかね』

 

 ウマ娘ちゃんが好き。

 それだけはどうしたって変わらない。譲れない。手放せない。

 砂の上に描いた星座だって彼女たちの煌めきを陰らせることはできない。

 尊い。尊さに満ち溢れている。

 その目が、髪が、息遣いが。どうしようもない至近距離の過剰摂取であっという間にデジたんの限界を突破する。

 ひとり、ふたりと追い抜かしたところでついに耐えきれなくなって爆発した。

 

 領域具現――尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!

 

 夜も砂も塗り潰して虹色の世界が広がっていく。

 飛び交うのは過去と現在、そして未来のウマ娘ちゃんたちの写し絵。

 過去にあたしが見た決定的瞬間。こんなもの無料で見ていいんですかいえむしろ貢がせてくださいと言いたくなる尊死不可避の光景。

 現在進行形で人工の照明と星影の間にゆらめく、脳内永久保存決定のウマ娘ちゃんたちの燃え上がる瞳。

 公式が供給過多である以上必要が無いはずなのに、気づけば自給自足してしまう未知なるカップリングの数々。

 万華鏡、あるいは走馬灯のようにあたしを取り巻くあたしだけのアルバム。

 必死に脚から発散しても滾々と湧き出る尊みの奔流。あたしの矮躯は押し出されてどんどん速度を増していく。

 

 ああ、どうしようもない。これがあたしの(カルマ)なのです。

 どれほど自問自答を重ねようと、魂の奥底から汲み上げた答えはずっと変わらずこの有様なのです。

 

『アグネスデジタルここで抜け出した! 最初に立ち上がったのは十三番アグネスデジタル、このままいってしまうのか!』

『勝負所、第四コーナーを抜けて明るく照らされた直線へと差し掛かります。十三番アグネスデジタル、彼女には鋭い末脚がありますが後ろの子たちは差し返せるでしょうか』

 

 実はこのデジたん、末脚には少しばかり自信があります。

 いつだったかリシュさんが『身体に悪そう』と褒めてくださったくらいです。

 リシュさんのことをよく知らない人にはもしかすると悪口に聞こえるかもしれませんが、意訳すると『デジタルの末脚はすさまじいね。私でもその速度を出すのは苦労すると思う。でも脚にかかる負担も相当のものだろうし、あまりその末脚を使わずに勝てるといいね』となります。

 

 はぁ~、テンちゃんと閉じて満たされた関係性の中で育った影響でコミュニケーション能力が乏しくなっているのにそれでも他者を思いやる気持ちを素直に表に出せるリシュさん尊すぎません? 優しさの権化か? 言葉足らずでもはや意味が反転して聞こえそうなところがまた稚拙な可愛らしさがあって、普段の凛とした印象とのギャップで萌えポイントですよね!

 あたしの想いに呼応するように、あのときの顰め面にも見える心配そうな表情のリシュさんの写し絵がぽんと空間内に浮かびます。

 

 最終コーナーの時点でいち早く抜け出すことに成功して、スタミナにはまだ十分に余裕があって、最後の直線には【領域】込みのあたしの末脚。

 勝つための要素は十分に揃っていました。

 つまりここからが勝負です。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 写し絵を穿つ漆黒の閃光。

 虹色の世界がぱっくり抉り取られ、夜空と砂が覗きます。

 後方から一度だけ響き渡る炸裂音。それはたったふたりから成る軍勢が挙げた鬨の声。

 大井レース場の厚い砂を爆散させた正体は、意図的に一歩だけ設けられた効率度外視の踏み込み。自らを加速させると同時に周囲への示威行為を兼ねた、ラストスパートを告げる鐘の音。

 来る。ここに来る。直撃こそ避けられましたがもはや【領域】の維持はできず、はらはら崩れる世界の残滓が砂上に溶けていく。

 

 ……はあ、見るたびに惚れ惚れしますね。

 たしかに能力模写というのはフィクションの世界において、強能力にランク付けされがちなものです。

 でも考えてみてください。

 二人の達人。ひとりの手には使い慣れた業物。もうひとりの手には使い慣れているわけでもなければ、相手より一段品質が劣る同じ得物。

 両者の力量が同じならどちらが有利なのか、考えるまでもありません。

 それを補うための数という見方もありますが、人間の手は二つだけ。無数の得物を並べたところでコレクション以上の価値を持たせるのは至難の業というもの。

 それを気づかせないほど鮮やかに、ばっさばっさと並み居る達人を斬り捨てる圧倒的な技量。

 【領域】が強いのではありません。『テンプレオリシュが使う【領域】』だからあの能力は強いのです。

 

『外から飛び込んできたのは七番テンプレオリシュ。驚異的な末脚で上がってきた!』

『十三番アグネスデジタルと七番テンプレオリシュ、最後は二人の鍔迫り合い! 南関東随一の長さを誇る直線を制するのはいったいどちらだ!』

 

 足音は聞こえない。でもその存在をあたしが感じられないわけがない。

 【灯篭流し】は情報処理能力と身体操作を高次元で噛み合わせたもの。あたしやリシュさんの足音が使えずとも、その他のウマ娘ちゃんたちのバ蹄の轟きでエコーロケーションには十分です。

 

 ウマ娘の形に押し込められた銀河が横を通り過ぎるたび、ひとりまたひとりと追い抜かされた子が“溺れて”いく。それはまるで砂に降りてきた天の川の氾濫が大井レース場を呑み込んでいくよう。

 わかっていました。覚悟はしてきました。

 勝つ。絶対に勝つ。そうじゃないとあたしは走る資格すらない。

 

 後ろにいる。

 レース場は広くても有効なレーンは有限。

 あたしのプラネタリウムとリシュさんの灯篭が絡み合う。

 拮抗は一瞬。ガラスが割れるような甲高い音がしたかと思うと、あたしのプラネタリウムが巻き込まれる。

 

 並ばれた。

 くるくると天球が回っていく。

 これまで天井だと思っていたそこを貫いて、あっという間に真っ黒の中に飛び出す。

 静かで、綺麗で、冷たくて、何も怖いものがないところ。

 ただひとつ、内側で脈動する赤い炎だけがあたたかくて。

 

 あ きれい

 

 

 

 

 

『ゴール! 勝ったのは七番テンプレオリシュ、預けておいた先頭を返してもらったぞと言わんばかりの追走劇。みごとダート新星の座を手中に収めました』

『“銀の魔王”、ダートG1も侵略完了です。知らなかったのか、魔王からは逃げられない! 一バ身の魔王城も復活。はたして新たな領土を求める魔王を止めるウマ娘は現れるのか』

 

 バクバクと心臓が脈打っている。

 ガクガクと膝が震えて、ダクダクと冷たい汗が全身から流れ落ちる。

 

 ……い、いま……あたし……。

 見惚れてしまった。

 あんなにも心に刻みつけたのに。ベストアングルで神映像が来るってわかりきっていたのに。

 勝利を忘れた。何もかもが頭の中からすぽんと抜け出して、何よりも観察を優先してしまった。

 こんな二着、他のウマ娘ちゃんたちに申し訳ない……! 目前の勝利を忘れるウマ娘にもうレースを走る資格なんか――

 

「デジタル」

 

 ウマ娘ちゃんの呼びかけに応えるのはもはや脊髄反射です。顔を上げると頬を上気させたリシュさんと目が合いました。

 最後方から追い込みで差し切った彼女は服も葦毛も土埃に塗れていて、でも誰よりも輝いていました。夜空の星々が生まれたばかりの新星に平伏してるようにさえ見えました。

 

「よかった、元気そうだね。ジャパンダートダービーでもしっかり二着が取れたかぁ。これも葵ちゃんの手腕かなー」

 

 くるっと入れ替わってどこか安心したようにテンちゃんが喋ったかと思うと、またくるりとリシュさんに戻る。ふたりでひとつのウマ娘。そこに区別はあっても差別などなく、ただあたしの友人として笑う彼女がそこにいる。

 

「楽しかった。今度は芝で走ろう」

 

 ……ああ、まったくもって救いようがありませんね。

 鉄壁の一バ身を崩すことさえできなかった情けないあたしに、貴女はそうやって笑いかけてくれるのですね。

 その笑顔を否定することなどできなくて。応えるしか選択肢なんかなくて。

 だったら他のところを変えるしかないじゃないですか。

 レースを走る資格のないあたしなら、そうじゃないあたしになればいい。今は何をどうすればいいのか、真っ白になった頭じゃ何も思いつきませんけど。

 

「これが……中央の“銀の魔王”かぁ……」

 

 砂に吸い込まれそうなかすれ声に振り向くと、三着だったアキナケスさんが崩れ落ちそうな自身の身体を膝に手をついて息も絶え絶えに支えていました。

 瞳に浮かぶのは畏怖と萎縮の色。芯に残った一握りの発奮はゆらゆら震え、今にも恐怖に塗り潰されそうです。

 声を出す余裕が残っていただけアキナケスさんはマシな方で、“銀の魔王”初体験の地方のウマ娘ちゃんたちは明らかに折れてしまっている子も散見できました。

 

「無理をする必要はない」

 

 一歩進み出てリシュさんが言います。

 おそらくリシュさん的には威圧する意図はなく、むしろ心情的に歩み寄ったつもりなのでしょう。

 

「やめられるのならやめたらいい。投げ出せるのなら投げ出してしまえばいい。ここはそういう場所だから。

 文句を言うやつは私たちが全員黙らせる。十年後には自慢話になってるよ。『自分はあのテンプレオリシュと戦ったことがあるんだ』って」

 

 それはかつてのテンちゃんの言葉を彷彿とさせるものでした。リシュさんの中にはテンちゃんの言ったことがたしかに息づいているのですね。

 たぶんリシュさん的には『だからここで諦めるのだとしても安心していいよ? あとのことはちゃんと引き受けるから』と親切心で申し出ているつもりなのでしょうねえ。

 テンプレオリシュというウマ娘と競い合うのがどれだけ残酷なことなのか。ある程度客観的に判断しているからこそ、折れるなら早めに逃げておけと言うのは間違っているとも言いきれません。

 

「ざっけんな!」

 

 それが相手に受け入れられるかとか、そもそも意図を理解してもらえるかとかは別の話ですけども。

 

「今回たまたま勝ったからって調子に乗んなよ! 誰が諦めるかよ。次だ、次こそオレが勝つ。たった一度の勝利で格上ヅラしてんじゃねえぞ!」

 

 声を荒らげたのはアキナケスさんではなく、いまだぜぇはぁと荒い呼吸をしているドラグーンスピアさん。精根尽き果てた状態でゴールしたのは十四着。そんな状態から回復もままならないまま大声を出したせいで酸欠によりふらつき、それでもアキナケスさんを庇うような立ち位置に進み出ます。

 そう、このお二人は幼馴染なのです。今でこそアキナケスさんの評価の方が上ですが、幼少のみぎりは引っ込み思案のアキナケスさんの手をドラグーンスピアさんが引っ張ることが多かったとか。周囲の評価が変わってもこういうとっさに出てくる関係性は昔のままとか、ああーダメダメいけません尊すぎます。

 

 乱暴な言葉とは裏腹に、その目を見ればたった一度のまぐれ勝ちだなんてドラグーンスピアさん本人が誰よりも思っていないことはわかります。

 それでも負けを認めるわけにはいかなかった。受け入れることで成長の糧にできる者もいれば、受け入れたら二度と相手の目をまっすぐ見れなくなる者もいる。弱い犬ほどよく咆えると嗤われようと、己の無様さを自覚していようと、ここで負けを受け入れたら一生コイツには負けっぱなしだという危機感が彼女に声を張り上げさせた。

 いつかテンプレオリシュというウマ娘に勝つために。

 

「んー? 次って言われましても……。私、当分ダートを走る予定が無いんだけどなぁ。少なくとも今年度は芝で手一杯なので」

「ああ?」

 

「何なら来年は春秋シニア三冠を取るつもりだから、あなた方がそちらに来てくれた方がまだかち合う可能性は高いのではないでしょうか」

「はあ!?」

 

 会話がキャッチボールではなくドッジボールの体を成してきました。

 レース直後の興奮から醒め『ほぼ初対面の相手と話している』という事実を徐々に認識し始めたリシュさんの言葉が敬語へ変わっていくのが非常にマイペースですね。

 

 たしかに地方のウマ娘でも該当G1レースの優先出走権が付与されるステップレースに勝利すれば、中央に移籍せずとも中央の芝のG1タイトルを走ることは可能です。

 ですが非常に狭き門であることは言うまでもありません。

 

「あれ、無理ですか?」

 

 きっとドラグーンスピアさんには『私はやれますけどね』という副音声が聞こえたのではないでしょうか。

 リシュさんは本当に悪気ゼロなんですよ。煽っている自覚もあまり無くて、『再戦を希望する』というアクションに対し『今のところダートを走る予定はない』『該当する芝G1にそちらが来てくれたら可能だと思う』と単純な事実の羅列をリアクションとして返しているだけで。

 

「できらぁ! やってやらあ!! オレとアキで中央のエリートども四つに折りたたんで鼻かんでやっから首洗って待ってろやっ!」

「わたしもやるの? ……うんまあ、がんばるよぉ」

 

 困ったように苦笑するアキナケスさんからはもう、今にも折れそうな恐怖の震えは消えていました。

 良くも悪くも注目を集めていた会話の区切りは、それを見ていた子たちの心にも細波のように広がっていきます。

 心が繋がる。

 まだ罅だらけのつぎはぎだらけだろうけど。きっと今夜のウイニングライブも、ウマ娘ちゃんたちが笑顔で演じ終えることができるだろうと思えるくらいには。

 

 本当に彼女たちが中央の芝に乗り込んでくる未来は無きに等しいのが非情な現実です。

 芝とダートの両方に適性を持つウマ娘は稀ですし、ましてやその中で重賞を勝ち上がれるだけの実力を発揮できるウマ娘ともなれば。

 あくまでレースの熱に浮かされたこの場限りのやり取り。何ならリシュさんが気まぐれに新たなダートG1に挑戦する方が再会の可能性としては高いくらいです。

 

 でも、この根拠に乏しい灼熱のお陰で繋がった心がありました。

 折れても、挫けても、そのたびに心を打ち直して走り出す。

 錆びて腐ったと思っていても、研ぎ直してみれば自分でも驚くほどの輝きを取り戻す。

 それはあの日、あたしが脳を焼かれた『ウマ娘』の在り方そのものでした。

 

 

 

 

 

 ……今はまだ、近すぎて無理ですけど。

 

 いつか、最新の伝説が遠い神話になるほどの歳月を経て。

 あたしがしわくちゃのおばあちゃんになって、ちいさな子を膝に抱き寄せるような日が来たのなら。

 その子の耳元で、そっと自慢してあげたい。

 

 あたしはあのふたりでひとつの魔王さまの物語が紡がれる様を、最前列の特等席で見続けたんですよって。

 




これにて今回は一区切り。
一週間以内におまけを投稿予定です


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【仄暗い電子の深海で】ウマ娘ちゃんを語るスレ【愛を叫ぶ】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


101:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:OpJb0v73w

はー、今日も推しが尊い

 

103:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:WZ/uF1AdR

生きていてくれてありがとう・・・

 

104:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:dYqKjujM2

ねー、ほんと生まれてきてくれてありがとうよ

 

106:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:acVuKbF40

JDDに魔王様が出走するってきいたときは正直不安だったけど

さすが魔王様

下々の杞憂など鎧袖一触に吹き飛ばしてくださりゅ

 

112:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:CmoJi7cRJ

うつくしいものをみた

これまでダートは食わず嫌いしていたけど

魔王様につられて見に行ってよかったと思う

 

116:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:kBwvD5G6r

アキ×ドラかドラ×アキか、それが問題だ・・・

 

119:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:oGbbo0AxP

『ようやく今の自分に胸を張れるようになった子が、かつての憧れの手を引く姿』

VS

『最近前を行かれてばかりだった幼馴染の前で久しぶりにいいカッコができた元ガキ大将のちょっと得意げな口元』

 

ファイ!

 

 

120:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:GE6s3jQQs

大量破壊兵器をばら撒くのは条約で禁止されています

 

121:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:W2OdMpWc1

あーあ、同志だったものがあたり一面に広がる

掃除はちゃんとしておけよ

 

127:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:k3RZI9efg

ダート勢のウマ娘ちゃんたちもそれはそれは素晴らしいものを拝ませていただいたけど

個人的にはテン×デジがイチオシだったな

 

137:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:olQT00O/b

いやー、リシュ×デジじゃないかなあれは

 

140:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:M9dFvZ5pF

どちらにせよデジたん総受けが共通見解になりつつあるの芝なんだ

 

148:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:aptypRY2J

テンリシュっていまどういう扱いになってるんだっけ?

 

155:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:XxhES4Jlb

シッ! 迂闊な話題を出すんじゃない。

ここにいるのは語れるやつらばかりだぞ?

 

156:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:V2I8bUKoM

世間一般では

・多重人格説

・人格の演じ分け説

・極端な低血圧ではっきり目が覚めている時間が短い説

 

などなど色々あるな

 

161:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:GQxxPh8aS

ただまあ、我々の間では少なくとも人格は別人説がほぼ確実視されている。

あのデジたんが『リシュさん』『テンちゃん』って呼び分けているからね

 

169:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:TV1lKTtBH

デジたんがそう言うなら間違いないな!

 

173:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:uL7IV40nb

なん・・・だと・・・?

ということは魔王様のグッズ、テンちゃんver.とリシュさんver.でそれぞれ集め直さないといけないというのか

 

180:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Ol660jhXI

明言こそされていないけど、明らかにどちらをモデルにしているのか表情でわかることはあるわね

 

186:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:aYmX12ola

当の本人たちが声高に自己主張しているわけでもなし

気づかないふりも重要でしてよ

 

190:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:vU/haN6sp

そんなことより人格の差異により生じる

得られる栄養素の変化の方が我々には重要だからな・・・

 

196:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:irE0nOPDO

テンちゃんが前面に出ているときの魔王様はこう、あれ

デジたんを見ているときにすごい『可愛いなぁコイツ』って表情をするの

遠慮なくオタク味を出せるデジたんと、それを愛おし気に受け止めるテンちゃんの包容力がヤバい(語彙力)

 

199:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:8+eqb6c0Z

いいよねー

 

203:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:IL6Kacvjm

あれだけでバケツ三杯は吐血できるよね

 

211:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:/4014L3hq

それでも私はリシュデジを推す

「これくらいいけるでしょ?」という無茶振りにひょえーと悲鳴上げながら振り回されるデジたんからしか摂取できない栄養がある

 

217:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:SnyN03Jq9

リシュからごく稀に『周囲を従わせて当然』みたいに傲慢のようにも

無造作に周囲を振り回す妹ムーブにも見える何かが垣間見えるの好き

 

219:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:PplVvw7E8

ほんとうはいけないことなんだけど

おデジがこっそりこのスレを見つけて

自分が推される立場になっていることを『え?』『え?』と困惑している横顔を

壁になってじっくり無呼吸で眺めていたい・・・!

 

223:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:qTerPB4wL

わかりみしかない

 

226:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:JWhCRmhf1

私がデジたんに貢ぐ

デジたんが他のウマ娘ちゃんに貢ぐ

永久機関が完成しちまったな!

 

235:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:yGQZpizrs

どこまでも一方通行なんだよなぁ

 

245:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:54VjFEOFC

一方通行といえばすごいよね、魔王様

どうしてあんなにコミュニケーションが一方通行なのに

あそこまでやさしくあり続けることができるんだろう?

素敵すぎるよね

 

253:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:8OXn06Ewo

やさしい?

テンプレオリシュが?

どこが???

 

258:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:54VjFEOFC

だって考えてもみなよ

相手が何言ってるかわからないと腹が立つだろう?

自分が何言っているのか理解してもらえないとムカムカするだろう?

 

268:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Geopr2n4+

まあそれは、そうね

 

274:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:XmHoiY3an

ああ、何が言いたいのか理解できてきたかも

 

283:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:54VjFEOFC

コミュニケーションが成立しない相手に抱くのは恐怖や怒りといった負の感情であることが普通だ

それこそ魔王と呼ばれるがままに踏みにじり蹴散らして、言葉の通じない相手で憂さ晴らしするような言動になってもおかしくない

彼女の才能はそれを許すだけのものがある

 

293:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:txHS7YrN8

踏みにじり蹴散らし心をぺきぺき圧し折るのは今もやってない???

 

296:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:PsidYINmI

いや、それがそうでもないんだよ

やっぱり悪意のある走りとそうじゃない走りってわかるっていうか

 

302:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:1k3N2jyuY

折れるは折れるけど、『ああ、私の走りってそういう風に繋げられるんだ』って感嘆もあるから痛みだけじゃあないんだよね

悪意をもって潰しにかかられたらあんな風には感じないと思う

 

305:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:SPhsLUlAq

・・・嘘か誠か、たまーに電子の海って深海から天上に繋がることあるよな

 

307:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:biCcZ+/6A

何人か直接やりあった経験談めいた風格がぷんぷん漏れ出しているのはどう判断すればいいんだろうな

 

308:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:54VjFEOFC

ともあれ、そんな中で魔王様が他者に言及するときって

圧縮言語過ぎて誤解されまくりだけど

基本的に誰かのことを思い遣った言葉ばかりなんだよ

というか悪意や敵意を含んでいることがまずない

これって案外無視しちゃいけない善性だと思う

 

314:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:haeJXnT28

なるほどなー

 

318:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:csGkakdm8

そういう見方もあるのか

今度からそっちの方面でも味わってみるわ

 

319:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:f70iezFhH

でもやっていることは無慈悲な侵略者だよね

 

322:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:g7oqXCt6w

ジュニア級のやつも含めると朝日杯FS、皐月賞、NHKマイルC、日本ダービー、今回のJDDでG1五連勝か

 

328:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:1ia/54LSk

次走はどこだっけ? 順当にクラシック三冠目目指して菊花賞?

 

332:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:iih5dzuVF

残念! スプリンターズSだ

 

339:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:qINSuMbuu

マジで!?

 

347:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:bVoEymuZp

は?

いや、さすがに無謀じゃね?

 

348:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Ydd3f4NLI

アオハル杯じゃあ同じチームだったよなサクラバクシンオー

その実力はチームメイトとして熟知しているはず

勝算アリ、なのか・・・?

 

352:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:oo+k1fS1h

確か今年のスプリンターズSってタイキシャトルも出走する地獄みたいな様相呈していなかったっけ?

 

354:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:+59RwIk8B

間違っても無敗のクラシック三冠が懸かっているときに寄り道で立ち寄っていい場所じゃないです魔王様

 

358:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:UbNxhAd1T

何ならそこを制覇した日には無敗のクラシック三冠がおまけになりかねない偉業だってばよ

 

363:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:d9CbdklZk

ああ、言われてみればそうか

 

369:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:pyi3FDQx2

あのシンボリルドルフに並ぶG1七勝

全距離G1制覇

おまけの無敗のクラシック三冠制覇

歴史に残る日になるのは間違いないな

 

373:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:UodTSE5kG

流石に無理なんじゃないかと思うけど

魔王様ならもしかするとと期待が捨てきれないのも事実

 

377:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:4wGsz0tcy

頭がおかしくなりそうだ

本当に我々は現代のウマ娘の話をしているのか?

 

380:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:ZpFrYJIVQ

本当に頭がおかしくなりそうなのは同時期に走るウマ娘ちゃんたちの方だと思う

 

387:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:y8FFkoL+v

まだクラシック級の壁に隔離されているけど、それもどのみち菊花賞で終わりだしな

ついに全世代の脅威となりつつある魔王様

 

396:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:xlcZhch5R

テンプレオリシュが突出しているのは事実だけど

ジュニア級のときは素質だけでいえば双璧と言われていたウオダスもいるし

マヤノやデジタルも黒星は魔王様だけだよ

 

406:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:ZDoyBb5Qg

推しのいない時代なんてないけど

この数年間はレースの歴史の中でも特別な数年になる

そういう気がしている

 

407:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:8WZHpl8Ns

一部では『しろがね世代』と呼ばれ始めているらしいね

 

414:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:5PoSjl7mJ

ちなみにテンプレオリシュの特徴的な髪色から呼ばれ始めているだけの呼称だから

少し前の黄金世代とは何のかかわりも無いから

 

415:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Y/Hnmzvmu

そうだな

『黄金には及ばない銀(しろがね)かぁ』って言っても

『黄金以上だから白金(しろがね)かぁ』って言っても

どっちにしても喧嘩になるからな

 

416:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:yjV1LK96o

推しと推しをぶつけ合って傷つけ合うための好きじゃないからな

 

423:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:dL0FlBTly

ウマ娘ちゃんファンとしてそこだけは揺らいじゃダメだよね

 

427:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:hvNhwc7Ca

個人的にはアオハル杯が復活してくれていてよかった

『この世代が弱かっただけ』なんて言い訳を聞かずに済む

 

434:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Q1T7hobAU

全世代と現在進行形でバチバチやりあってるもんなあ

〈パンスペルミア〉も〈キャロッツ〉も

 

439:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:HzeHhIezp

桐生院頑張っているよなぁ

ミークがシニア三年目に入って以前ほどの頻度でレースに出走しなくなったとはいえ

今年度に入って担当の黒星が共食いでしか付いていないって偉業だと思うわ

 

443:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:arHQKdfPj

共食いで黒星についたことに関してはまあ、もう少し何かあったんじゃないかと思わなくも無いが

 

444:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:5+ryUp6Ii

我々はある意味で身内のノリみたいなもんだからこんなんで済んでるけど

無責任なカタギのファン層は好き勝手言ってそうだなぁ

 

452:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:KJAIZzHWe

でももし仮にデジたんか魔王様のどちらかが出走回避していたら

あの夜天のドラマは見られなかったんだぞ

 

453:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:B8E6yjOkZ

それは歴史的損失だな

 

459:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:i3MfSaE2A

桐生院は英断だった

はっきりわかんだね

 

465:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:1LWCu8vb6

今は時期的に夏合宿か

今年は公開トレーニングあるかなぁ

 

473:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:fatBGOj5O

合宿先の地元の夏祭りには中央のウマ娘ちゃんの顏もちらほら見られるらしいやん

ほんと羨ましい

 

474:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:62RARxPEd

でもあのあたり、出るって噂だけど?

 

476:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:7Q0peV2Hw

いやいや、目撃証言が多いのは単純に季節的なもんじゃない?

出るっていうなら既に年がら年中学園の周囲でわんさか出てるから

 

486:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:xC7LkPI+W

テンプレオリシュが殴って除霊してたって話を聞いたことがあるけど

マジなんだろうかその話

 

487:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:AnikQKnlb

マジやぞー

見えたり聞こえたりしているわけじゃなさそうだけどな

ある種の霊媒体質って言ってた

 

491:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:OECjuQlCh

見えも聞こえもしないのに祓うことだけできるってありえるの?

 

500:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:KY5vOvZTC

いや、ワイも見たで除霊シーン

 

びっしゃーんって背中叩かれてえ?なにか怒らせた???って涙目になってるところに

『優しいから連れてきちゃったんだね』って穏やかな笑顔で諭された恐怖ったら

 

504:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Zs/SmIehe

うん?

 

514:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Fv2JKdJEl

は? なにかおかしくない?

 

518:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:KY5vOvZTC

同情して手を合わせることで救われる存在もたしかにいるけど

一方でその態度を『付け込む隙』としか認識しないような存在もいるんだとさ

 

ただでさえ心身が弱っていてよからぬものを引き寄せやすい状態になってるんだから

余計なものまで拾ってこないようにって叱られたわ

 

519:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:ZzDZkIbGE

テメェ魔王様におさわりされたのか!?

イエスウマ娘ちゃんノータッチの原則を忘れたのか!?

 

523:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:KY5vOvZTC

向こうから触ってくる分にはノーカンってことでどうにかなりませんか裁判長!?

いや実際、魔王様のご尊顔を間近で拝めて天にも昇る夢見心地が続くと思ったら

わりと危ないところだったみたいで・・・

 

533:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:geoXG4Jr/

ギルティ

被告人には魔王様に救われた天寿を全うするよう申し付ける

 

543:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Hgj65GPb2

けっ、命拾いしたな

しっかり健康になってまたウマ娘ちゃん業界に金を落とすんだぞ

 

547:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:6iptmMBQE

夢見心地だからこそ情報の発信には気を付けろよ

うっかりウマ娘ちゃんの個人情報を暴露してしまった日には死んでも死に切れんぞ

 

549:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:rmtp7sVQM

やさしいなこいつらwww

 

558:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:qa4NFXUWt

まあこの深海までたどり着くようなオタクどもだし

 

565:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:wXKdRVyCV

これから夏本番だし、霊障含め健康には気を付けようぜ

 

572:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:kaNpND4r6

健康的で文化的な最低限度の生活あってこその推し活

常識ですね

 

576:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:ORN+VfDaf

公式がたくさんネタを供給してくれたからな

今年の夏も暑くなりそうだ・・・

 

579:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:180/ZJ/fG

今年の夏の分はもう脱稿しちゃったから

今の熱は冬までお預けだけどなー

 

585:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:z+091hmIX

えっ?

 

590:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:gqhQf3SVj

えっ???

 

600:愛を叫ぶ名無しの獣 ID:Bo+AGXH3b

あっ(察し)

 

 




流行りの例のアレに感染してしまい、ここしばらく寝込んでおりました。
おかげで感想返しが滞っておりますが、ちゃんとすべてに目を通させていただいております。体力と相談しつつ徐々に返していけたらと。
ありがたいことに間違いの指摘を頂いた箇所もあり、それらも体力と気力が戻り次第徐々に対応していこうと思います。さすがにね。裏付けも取らずにただ言われたまま改定するのは無責任なんでね。そちらにも『よーし、やるぞー』ってエネルギーが必要なのです。

ただ、なけなしの執筆計画が狂ってしまったので次回の投稿はそれなりに先になるかと。
下手したら12月に夏合宿の話をするような季節感無視の投稿になるかもしれません

ともあれ、今回はこれにて一区切り
次回は気長にお待ちください。


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繋ぐ海辺
夏合宿、始まっています


( ^ω^)「新規キャラ引けたら更新のやる気出るんだけどなーおれもなー」

新衣装タマモ&新衣装イナリ「10連で来ちゃった♪」

白マック&ナカヤマフェスタ「10連で来ちゃった♪」

ワンダーアキュート「10連で来ちゃった♪」

(;^ω^)「書くか○ぬかどっちか選べって三女神に言われている気がしてきた…」

というわけで12月予定でしたが11月中に頑張って書き上げました。
嘘のような本当の話、確率どうなってるんだ(ふるえごえ
とりま、夏合宿編開幕です。

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 夏だ。海だ。合宿だ。

 

「おーいデジタル先生、ベタとトーン終わったよ。確認よろしく」

「えっ速!? しかも上手ッ!? なんですかこのクオリティ神ですか!?」

 

「お手本、見せてくれたでしょ? センスが問われるような部分はともかく、指定された部分を言われた通りにやるだけならまあ。身体操作の範疇だよ」

「……もしかしてその赤い右目、巴浮いてたりします?」

「あいにく公式メンヘラ顔芸一族に生まれたおぼえは無いかなぁ」

 

《使えたら便利そうだけどねぇ、写輪眼。初期設定では忍術と幻術と体術の三本柱だったのに中盤で幻術(笑)になったのは忍術でありながら体術と幻術の欲張りセットをやってるアレの影響が少なからずあると思うよ》

 

 なのにどうして私たちは合宿所の部屋に籠ってこんなクリエイティブな活動に汗を流しているのだろうか。

 いや、別に文句があるわけじゃないんだけど。

 手助けを申し出たのは私からだし。趣味に全力投球中のデジタルはとにかく輝いているから、特等席でまじまじとそんな友人の顔を観察できるのも悪い気はしないんだけど。

 ふとした拍子に自分は何をやっているのかと我に返りそうになる。

 

《あ、でもバクシンオーあたりの因子を活性化させて『万華鏡写輪眼!』ってやったらウケるかな?》

 

 やだよ私、そんな大学生の飲み会一発芸みたいなことするの。

 

 

U U U

 

 

 トレセン学園名物、夏合宿。

 

 七月から八月まで、海沿いの合宿施設に泊まり込んで行われる特別なトレーニング。その効果は確かなものであり、夏合宿を終えたウマ娘は一回りも二回りもその実力を成長させると言われている。

 ……夏休みって暑くて学業に差しさわりが生じるから休みになっているんじゃないだろうか。それなのに猛暑の二か月がまるまる学校行事で消費されるのは何やら理不尽なものを感じなくもない。

 

 正直なところ、今になって年末に帰省しなかったことに後悔している。後になってから悔やむから後悔とはよく言ったものだ。最後に両親と顔を合わせてゆっくり話したのはいつだっただろうか。

 何の目的もなく話がしたい。生活をあの人たちと共有したい。時間に追われながら顔を見る時間を作るのではなく、ひたすら一緒にダラダラしたい。

 テンちゃんがいなければくじけていたかもしれない。ひとりでふたつの私ですらこうなのだから、孤独を分かち合う相手もなく親元を離れてひたすら夢に向かい邁進する同朋たちは本当によくやっていると思う。

 

《なんなら本当に一回帰るか? 休みが作れないわけじゃないし、デジタルなんてまさにそうだろ。八月某日の二日間は何があろうとお休みさせてくださいって覚悟の決まった目で言ってたじゃない。

 時間なんてその気になればいくらでも捻出できるものだ。その暇がないように見えるのは、ただ効率を崩したくないだけの怠惰だよ》

 

 いいや、やめておくよ。

 その効率を崩して負けたら私は誰にも言い訳できないから。

 自分で選んだ道だ。後悔はしても逃げたり逸れたりするつもりはない。

 今の私がやるべきことは両親に会う時間を作ることではなく、会わない選択に見合うだけの価値をこの時間に生じさせることだろう。

 

 それに、これらの感傷もしょせんは選ばれし者の嗜好品みたいなものだ。

 夏合宿はすべての生徒が参加できるわけではない。

 こまごまとした取り決めを除けば、条件はおおきく二つ。

 

 一つ、クラシック級以上のウマ娘であること。

 つまりデビューできていないウマ娘は無論、ジュニア級のウマ娘も参加できない。去年の私も参加できなかった。

 

《タマの育成シナリオではジュニア級のオグリとクリークが参加していた描写があったんだけどなあ。そのあたりはプレイアブルキャラ視点優先ってことかな。

 まあメイクデビューは早くて六月。そこから夏合宿に参加しようと思うとかなりバタバタしたスケジュールになるし、普通のトレーニングすら覚束ない子たちに『特別なトレーニングでさらなるスキルアップを』という夏合宿の趣旨は合致しない。順当な決まりだと思うよ》

 

 それが正論なのはわかるけど、桐生院トレーナーの身体は一つしか無いから。

 私とデジタルの不参加組のトレーニングとミーク先輩の夏合宿を並列して担当するため、彼女が死ぬほど忙しそうにしている二か月間はなかなかに心苦しかった。あまり良い印象は抱けない取り決めだ。

 私とデジタルなら血肉に変えられたのではないかと、その傲慢さを自覚しながら否定しきれない想いがあるから、なおさら。

 

 一つ、一勝以上していること。

 収得賞金がゼロのウマ娘は参加できない。とはいえ、たしか今のトゥインクル・シリーズにおいて未勝利戦に出走できるのはクラシック級の夏が最後だったはずだ。それまでに勝ち上がれなければ中央でのキャリアは事実上の終焉と言える。だから未勝利のウマ娘なら合宿に参加している余裕など無いはずで、こちらは順当な制限に思える。

 

《まー厳密にいえば障害に転向すれば中央であり続けることはできるけど、平地にこだわるなら地方に移籍するか引退するかの二択になるね》

 

 これらの条件を満たせるのは実のところ、トレセン学園の三割にも満たない。

 そして残される七割以上の生徒が皆、夏休みを気兼ねなく満喫しているはずもなく。

 そんな彼女たちにこんな愚痴を聞かせる気にはならないな。人心の機微に疎いと各方面から言われる私ではあるが、そこまで鈍感にはなれない。

 

 もとよりここはトレセン学園。一度入学してしまえば卒業まで安定して在籍できるそこらの学校とは異なり、さらさらと砂が零れ落ちるようにウマ娘たちが消えていく場所だ。

 未勝利戦の終わりという一つの区切りがあるためか、夏休み明けに見なくなる顔はことさら多いそうだ。私たちは最短でメイクデビューを果たしたから幾分かマシだが、来年以降はもっと露骨にクラスメイトの数が減っていくのだろう。

 わかっていて選んだ進学先ではあるが、改めて実感するたび憂鬱になる。まったく、中央は鬼の住処だよ。

 

 それに、これらの制限も何も悪意があって設けられているわけではない。

 仮に合宿施設なり何なり、単純な設備側の不足なら秋川理事長は私財を投入してでも解決していることだろう。学園周辺の土地を買い取った超大型スパの設立を計画して駿川秘書に止められただとか、学園に回転ずしの導入を企画してやっぱり駿川秘書に止められただとか。嘘か本当かわからない噂が多数あるお方だ。

 暴走しがちではあるが、あの人のウマ娘を想う気持ちは本物だろう。つくづく私の現役期間と秋川理事長がアメリカへ長期出張になっている期間が重なっていることが惜しい。彼女が学園にいて何がどう変わったかなんてさっぱりわからないが、学園の一生徒として間近で見ていて欲しかったと思う。

 

《その代わりに理子ちゃんがいるじゃない》

 

 樫本代理はまあ、うん。

 どうしても学園に通うウマ娘としては、管理主義を押し進める侵略軍(チーム〈ファースト〉)司令官(トレーナー)ってイメージが強いから。

 当初と比べるとイメージはだいぶ緩和されたが、敵はやっぱり敵なのだ。

 

 夏合宿の参加資格に厳しい条件が設けられている理由はただ単純に、それをクリアできる程度の実力が無ければリスクが高すぎるからだ。

 先にも軽く述べたが、夏合宿は一定ラインの実力者がさらなる力を得るためのトレーニングが主となる。

 基礎が出来ていないのに応用をやっても身につかない、っていうのも確かにあるけど。それだけじゃないというか、それが主題じゃないというか。

 中央に来るようなウマ娘はライバルが努力していればそれに触発されて自らもそれ以上に努力を重ねようとするような子ばかりだ。

 でも、そのハードトレーニングをちゃんと血肉に変えることができるのか。資質と適性の差は残酷なまでにはっきりと存在している。

 

《『努力の才能』ってひどい言葉だと思うよ。努力にすら才能が必要なら、才能の無い凡人は本当にどうしようもないもの。

 ただ、『努力チート』っていうのも限界まで努力したことのないやつらの戯言だ。きっとそいつらは『あいつと同じ量のトレーニングを積んだら自分は故障するだろう』って絶望したことがないんだろうね》

 

 不特定多数に無意味な喧嘩を売るのはやめようか。

 

 でもまあ、私も無いかな。スカーレットはたまにバカみたいにエグいトレーニングメニューを考案しては、自前の可愛らしい手帳に書き込んでいるけど。

 彼女とまったく同じメニューを熟し続けたとして、先に音を上げるのはきっと私の身体の方ではない。

 より長い時間多い量のトレーニングした方が伸びるというのは絶対ではないが、ある種当然のことだ。そして大量のトレーニングに耐えうる頑丈さや、負荷を血肉に変える回復力という要素は、生まれ持ったものが確実に関係してくる。

 少なくとも同期を相手に『彼女と同じ量のトレーニングをしたら私は潰れるだろう』と感じたことのない私はきっと恵まれている。

 才能。そのたった二文字の漢字で構成された言葉に、日本語はいったいどれだけの概念を詰め込んでくれたのやら。

 

《きっとモブウマ娘と呼ばれる子たちの体力ゲージは上限が50も無い。ざっくり言ってしまえばそういう話だね》

 

 なんかまとめっぽく言われた内容の意味がさっぱりなのはちょっと心苦しいけども。

 ある意味で夏合宿とは『素質を有する少数につられ破滅の道を歩まぬよう、素質に劣る大多数を隔離するイベント』と言えるのかもしれない。

 

 二か月。

 将来的にはいざ知らず、いまだ人類が地球で暦を刻んでいる現代では一年が十二か月しかないことを考えると決して短い時間ではない。

 もとより中央のウマ娘はレースがあれば全国各地、場合によっては海外まで行脚を余儀なくされるわけだが、ここまで長期間級友との接点が消失するのも珍しい。

 夏休みにクラスメイトと疎遠になるのは小学校の頃にもあった話だけど。合宿という予定がぎっちり詰まったトレセン学園の夏は、そうではない夏休みを過ごせるクラスメイトたちとの間に無視し難い壁を構築しているように思えた。

 

《あるいはイベントでネームド同士がよくつるんでいたのも、ただ単にシナリオの都合だけじゃなかったのかもねえ。レースの成績が違い過ぎると日常生活でも越えがたいギャップが生じてしまう。悲しいけどそれが現実なのかもしれない。

 まあそんな透明だけど越えがたいはずの断崖を、縦軸も横軸もぶち破って交友関係を構築しちゃう子もいるけどねー。ハルウララっていうんですけど》

 

 ウララすごいよね。学年はデジタルと同じ私たちの一つ上、トゥインクル・シリーズでは私たちと同期。でも年下なんじゃないかと思わせられるくらい純粋で無垢で幼い印象を受ける桜の髪色と瞳を持つ少女。

 仲良しチームで作った〈にんじんぷりん〉がアオハル杯プレシーズン第一戦で〈キャロッツ〉に吸収されてからおよそ半年、勝てないウマ娘の代表格と言われてきた彼女はいまや夏合宿に参加している。〈キャロッツ〉の優駿たちと共鳴するようにここ最近めきめきと実力を伸ばし、ついに未勝利の壁を突破したのだ。

 自分より格下だと思っていた相手に並ばれ、超えられる。そんなとき人は自分でも想像していなかったほどに醜悪になれるもの。ウララのときにもそういう子がいなかったわけではないみたいだけど。その存在に気づくことさえなく、好意も悪意も嫉妬も羨望も全て解きほぐして仲良しの渦に呑み込んでしまったご様子。

 ルドルフ会長とは別ベクトルのカリスマの化身。あるいはカリスマの一点に限って言えばかのシンボリルドルフさえ超えているかもしれない。間違いなくバケモノにカテゴライズされるべきウマ娘だろう。

 

 ちなみになぜ彼女を愛称で呼んでいるかというと、友達になったからだ。今年の夏合宿、うちの〈パンスペルミア〉はチーム〈キャロッツ〉と合同でトレーニングすることになったので。もともとチーフトレーナー同士に交流があり、メンバー同士の実力も拮抗しているので、ちょうどいいだろうと。

 〈パンスペルミア〉は現状、大半がジュニア級もしくは未デビューの子で構成されたチームなので、夏合宿に参加できているのは半数にも満たないという裏事情もある。ランキングにしては人数が少なめな〈キャロッツ〉と合わせてちょうどアオハル杯一チーム分の枠になるそうで。リソースの管理分配がしやすいとかなんとか。

 

 それにしたって本当にそんな軽いノリで決めていいことなのだろうか。たしかに実力者揃いの〈キャロッツ〉と夏合宿という好環境で切磋琢磨できるのは助かるけども。

 いちおうライバルじゃないのかなあ。手の内を晒して大丈夫なのかな。

 

《葵ちゃんが決めたんだから大丈夫じゃない? 仮に大丈夫じゃなかったとしても責任を取らなきゃいけないのはトレーナー側でぼくらじゃないし、どうするべきかと考えるだけ時間と労力の無駄さ》

 

 それもそうか。だったらここは担当されるウマ娘らしく無邪気に信頼しておこう。

 

 ウララがフレンドリーな女の子というのは知識としては知っていたけど、経験してみるとやっぱり違う。すごい。空気が独特というか。

 私はわりと人見知りするタイプだという自己評価なのだが、気づけば先輩呼びも敬語も粉砕されていた。なんというかこう、『仕方ないなぁ』と肩の力を抜いてしまう愛嬌に溢れたお人なのだ。

 古い中国の小説に出てくるカリスマ特化の英雄ってもしかするとこんな感じなのかもしれない。

 

《〈キャロッツ〉と〈パンスペルミア〉の両陣営で織り成される友情トレーニングかー。熱い夏合宿になりそうだな……》

 

 とはいえ、今の私はジャパンダートダービーを終えたばかり。

 目標通りきっちり一バ身でデジタルを仕留め脚の負荷を抑えることに成功したが、それでもダートG1は伊達ではない。消耗はれっきとして存在する。

 夏合宿は既に始まっていて、実際に〈キャロッツ〉との顔合わせやレクリエーションは終わったが、私の本格的なトレーニングへの参加は七月後半からだ。

 

《クラシックの夏には魔物が潜む。ミスターシービーは夏風邪をひいた。ナリタブライアンはうだるような暑さのせいで夏負けをした。かのシンボリルドルフでさえ夏合宿の時期には肩のあたりに違和感があったという。

 ぼくらには足を引っ張られるようなエピソードこそ無いけど、故障だけは一度陥ってしまえばチートでもどうしようもない。せっかく今はゴルシTという心強すぎる味方がいるんだからバンバン活用していこうね》

 

 はいはい、無理はしませんよ。私だけの身体じゃないからね。

 七月後半までは身体が鈍らない程度の適度なトレーニングをこなしつつ、合宿組にもしっかり出されている宿題を片付ける日々が続く。

 ……夏休み組と同じ量が出るのは少しばかり理不尽だと思うんだ。いや、トレセン学園が学校である以上『これだけは勉強しておかなければ』という総量が変わらないという理屈は理解できるんだけど、感情的にね。

 

『うわーん、夏のあいだ先輩に会えないのマジでさびしーっす! こっそり合宿所に行ったら先生に怒られるっすかねー?』

「怒られると思うよ。やめておきなよ」

 

 せっかく先輩としての振る舞いも板についてきたというのに、夏合宿の間はまた最年少の立ち位置に戻ってしまう。使わなければ衰えるのはなんだって同じ。

 新学期にまた先輩メンタルを構築し直すのが面倒だなぁなんて思っていた。でも夏が始まる前に思っていたほど後輩たちとの交流は途切れないようだ。

 今もこうやって宿題をこなす傍ら、スマホ越しにやり取りしている。画面の向こうでは日本ダービー直前インタビューの後に絡んできた後輩ちゃんが私と同様、シャーペンを握りしめまだ白い部分が多いプリントに悪戦苦闘していた。

 

《テレビ電話って一昔前まではSFの世界だったのになあ。今では各家の固定電話どころか一人一台レベルで出回っているんだもん。かがくのしんぽってすげー》

 

 懐かれたものだと思う。

 最も頻度が高いのは彼女だけども、この子以外にもちらほらと連絡をくれる後輩はいる。そしてちらほらとはいえ、それがアオハル杯チーム一枠分ともなればほぼ毎日誰かしらとスマホ越しに会話することになるわけだ。

 通信費用が少し心配になるが、生活に必要なことだからと料金は両親持ちで私の方には届かない。ぶっちゃけ、どんな料金プランなのかさえ私は知らなかったりする。

 ま、まあ私お金持ちだからね? 口座の上には私たちふたりだけなら一生働かずに生きていけそうな額が既に存在している。引退までにこの倍は稼ぐ予定なわけだし、経済的な恩返しは成人してから存分にするとしよう。

 

『だいたい、わけわかんないっすよね。何でマイナスを引いたらプラスになるんすか?』

「私は既に夏だというのに未だそこに引っかかっていることにちょっぴり戦慄しているよ……」

 

 トレセン学園の学力ってピンキリが過ぎやしないだろうか。

 頭が良い勢の上澄みは大学レベルどころかその教授も唸らせる高度な理論を展開し独自の研究を重ねているが、頭ざんねん勢の下限は呆れを通り越して呆気にとられるくらいアホだ。ここはあえて直接的な表現を使おう。本当に擁護のしようもないほどにアホなのだ。

 両者をまとめて面倒を見なければならない教師陣の苦労がしのばれる。そしてあまり面倒を見きれていない気もする。

 そういう彼らが少しでも学力を平均化できるように捻り出した努力の結晶がこのプリントなのかと思えば、少しはやる気も出てくるような気がしなくもない。

 楽しいとはやっぱり思えないが。

 

「そうだなー。ゴールに向かうのがプラス、スタートに逆戻りするのがマイナスだ。スタートの方を向いたままバック走してみ? スタートとゴール、どっちに進む?」

 

 こういうとき、テンちゃんは身近なものに喩えるのが抜群に上手い。

 テンちゃんが脳内で通訳してくれなければ、私は今よりもずっと他者との共感能力に乏しいウマ娘に育っていたことだろう。

 

『……おお、ゴールの方に進んでいる!? そういうことだったのかー。うわーすげー、先輩天才っす!』

「うん知ってる」

 

 こういう面倒見の良さが好かれる要因かなと思う。

 でも活動限界のあるテンちゃんがこの子たちに接する機会ってあんまりなくて、大半は私が担当している。気まぐれに面倒を見るくらいでここまで好かれるものだろうか。

 わからない。私には対人経験が圧倒的に不足している。

 ただ、テンちゃんが積み上げた功績なのであれば私が勝手に目減りさせるのは筋が通らないので、あまり彼女たちへの対応がぞんざいになり過ぎないように注意しようかという気にもなる。

 

 ちなみに余談だが、ここ最近テイオーからは一度もかかってきたことがない。

 マヤノとはわりと頻繁にやり取りしているらしいから、スマホを介したやり取りが嫌いとか、そういうことではないのだろう。

 まあマヤノとテイオーは寮のルームメイトだから学年の差があってもなお〈パンスペルミア〉の中でもひときわ仲のいいコンビなのだけども。それを差し引いても社交性のあるテイオーが連絡の一つも寄こさないというのは意外ではある。

 いよいよ嫌われたかな、とも思ったが。それにしてはタイミングが不自然だ。

 もしかするとテイオーの中では、私は既にライバルなのかもしれない。中央の生徒にとって一口にライバルと言っても関係性は様々だけども。

 

《強く意識している仮想敵となれ合う気にはなれないよねー》

 

 もしもその想像が合っていたらと思うと、何だか面映ゆい気分だ。

 追われる背中であるというのも悪くない。

 

 ……それにしても学力、かぁ。よそ見をしている余裕なんてこれまで無かったけど、ふと夏休みの宿題と向き合っていると気づいてしまう。

 レースは私の人生のほんの一部でしかなくて、昔はただ余生としか思っていなかったその後の人生の方がよほど長いのだということを。これらの勉強はその長い長い時間に対応するために必要だと、大人たちが親切心で用意してくれた旅支度なのだ。ありがたいね、うんざりするけど。

 私は成績優秀の枠には含まれるが、独自の理論を展開するような上澄み勢ではない。勉強は必要だからやっているだけで、あまり好きではない。

 せっかく中高一貫のトレセン学園に合格したのだから、改めて受験勉強というのは気が進まないな。

 

《レースを終えた後の学園生活のこと言ってる? うーん、たしか転校って原則として同種の学校形態でしか認められなかった気がするけど、この世界のトレセン学園の場合どうなっているんだろうね。

 毎年一定数の子たちがリタイアしているよね。その全員が転入学じゃなくて編入学だったりするのかしら。その場合、その子たちみんな履歴書に『トレセン学園 中退』と一生書かなきゃいけなくなるわけだけど流石にそれは辛すぎないか?》

 

 トレセン学園に入学したときは走る自分しか想像していなかった。

 具体的に何年トゥインクル・シリーズを走るかなんて、デビューどころかトレーナーも見つかってない一年半前の私には遠い未来の話だったのだ。

 でも今は違う。『最初の三年間』が最後の三年間になる未来が明確に見えていて、時が来れば私は引退する。

 引退した後、私はいったいどうしようか。具体的にはトレセン学園に在籍し続けるべきか否か。そもそもそれは可能なのだろうか。たぶん高等部の時間がまるまる残っているのだけど。

 トレセン学園に在籍しながら走らない選択をした自分など想像もしたことが無かったから、調べもしなかった。走らないことを選んだ先達ってたいてい別の道を選んで学園から去ってるしね。

 

《タキオンのストーリーを見る限り、デビュー前にも拘わらず走る意欲を見せないウマ娘に学園の対応は厳しいようだけども。チヨちゃんシナリオのゲキマブを見た感じトゥインクル・シリーズを事実上引退してドリームトロフィーに移籍する前の状態でも、成果を出していれば在籍し続けることはできそうなんだよね。

 んー、桐生院あたりに聞いてみようか。進路相談がトレーナーの仕事なのかは知らんけど、あの子ならしっかり調べて付き合ってくれると思うよ》

 

 んー今度、また今度ね。

 今は本当に忙しそうだし、私だって忙しい。レースを走り終えた後のことなんて、ある意味はるか遠くをよそ見しているヒマなど無い。

 有記念を走ればそれでクラシック級はおしまい。少し時間ができるはずだから、そのときにまたいろいろ相談してみよう。

 

 せっかく中高一貫に合格したのだから、しかも世間一般的には難関と言っていい試験だったのだから、許されるのならこのまま高卒の学歴まで欲しいところだ。

 しかし両親の出会いの場となったキャンパスライフにも憧れみたいなものはあるので、できれば大学にも行ってみたい。その場合、大学受験を前提とした学力が必要なわけで。

 上澄み勢を見ればトレセン学園でそれだけの学力が得られないなどと口が裂けても言えやしないが、純粋に学園側が用意したカリキュラムだけ見ればレース中心に構成された勉強量だと両親が行っていたレベルの大学にはちょっと足りない。国立だもん。

 自分で足りない差分を追加で勉強するの? そこまでして大学に行って何をしたいのやら。自分でさえわからないのに大学にいく時間と金と労力を使ってもなぁという思いもある。

 

《二年生の夏。高校にせよ大学にせよ受験を考えるのであればそろそろ具体的な行動を起こさないと間に合わなくなる時期だ。時期的には進路について悩むことは何もおかしくはない。

 でも中央トレセン学園に合格してトゥインクル・シリーズにデビューしてガンガンG1獲ってるぼくらがいまさら将来について頭を悩ませる羽目になるとは思わなかったよね》

 

 まったくだね。

 走っている間は頭も体もレース中心でよそ見をしているヒマなんて無いんだけど。

 こうやって走れない時間がまとまって来て、加えてレースとは無関係な科目の勉強を山ほどしたりすると、ふとレースの後にも人生が続いていることに気づいてしまう。これもある種の感傷と言えるのだろうか。

 将来のことを考えると言えば聞こえはいいが、レースという観点でいえばしょせんは雑念カテゴリー。もしも仮にキャンパスライフのことで頭がいっぱいで練習に身が入らず負けましたなんてことになれば、私は錯乱してそこらの大学を瓦礫の山に変えるだろう。それは誰にとっても不幸すぎる。

 未来のことに悩めるのは若さの特権なのかもしれないけど、なんか、こう。

 

《ワクワクするよね!》

 

 ワクワク、か。

 ……うん、そうだね。楽しもうか。

 きっと私たちならどうにでもなるし、何だってできるだろうから。

 

『先輩せんぱーい、自分もいつか夏合宿に参加したらそのときは面倒みてくれるっすか? 一緒に焼けた砂浜を裸足で走りたいっす!』

「ん、ちゃんと参加条件を満たしてなおかつタイミングが合えばね」

 

 この子は間違いなく素質だけで言えば中央でも上位陣なのだけど、テイオーみたいな時代を築く器ではない。テイオーや私は中等部一年でデビューしてジュニア級、中等部二年でクラシック級という理論上最短ルートを進んでいるが、中等部一年の間は教官の指導の下じっくりと基礎力を付けるのが一般的な流れだ。

 ウマ娘によっては高等部に上がってからデビューすることも決して珍しい話ではない。この子が素質相応の速度で順当にステップアップするのなら、彼女が合宿の参加条件を満たした頃には私はもうトゥインクル・シリーズを引退している可能性が高い。

 

『おっしゃ! にひひ、約束っすよ?』

「ああ、私は約束を破らないよ」

 

 でもそのときまだ私が学園に在籍しているのであれば、合宿への参加資格がまだ私に残っていたのであれば。上から目線で恐縮だが、この子のために何かしてやってもいい。そう思うのだ。

 ちなみに仮にそこに私がいなかったとするならそれは『タイミングが合わなかった』というやつで、嘘ではない。

 トゥインクル・シリーズという大舞台。その外側にどこまでも広がっている冷たい空気を吸い込んでしまった肺臓が、この子と話していると少しずつ温められていくような気がする。

 たとえ閉ざされた箱庭であろうと今の私たちにとっては目に映る世界の全て。その視界を共有できる相手は大切にしたい。

 それに箱庭ではあっても狭いとか浅いとか、そういう形容詞からはかけ離れた世界である。数多の怪物がひしめく伏魔殿を生き抜く苦労、分かち合える相手は一人でも多い方がいいだろう。

 

『先輩せんぱい』

「うん、なに?」

 

『この前のジャパンダートダービー、ちょー凄かったっす』

「もう何度も聞いたよ、それ」

『何度だって語りたくなる衝撃体験だったんすよ』

 

 先輩と呼ばれる身として、そろそろ宿題に取り掛からせた方がいい気がしてきたが。

 スマホ越しでも衰えない彼女の目の煌めきに、何となく聞き続ける。

 

『自分もデビューしたらあのレースを走るんだって、たぶん初めて恋焦がれたっす。レースを見てワクワクした経験はそりゃたくさんあったっすけど『ダービー走りたい!』ってタイトルに憧れるクラスメイトの気持ちがようやく理解できたっつーか』

「そんなのでよく中央に来ようと思ったね。私もあまり人のことは言えないけどさ」

 

 日本ダービーに憧れて走り始めたウオッカ然り、トリプルティアラを獲るのだと決めていたスカーレット然り、中央に来るウマ娘はこのレースを走るのだと心に決めてからこの道を選ぶ者が少なくない。

 こだわり過ぎるのも悪影響だが、モチベーションは実際大事だ。高い目的意識はときとして常識の壁を穿ち時代に蹄跡を刻む。

 極端な例は現在〈キャロッツ〉所属中のミホノブルボン先輩だろう。彼女は生来の適性はスプリンター、つまり短距離向けの体質ながら絶対にクラシック三冠を獲るのだと決意していた。その曲げられない信念のもと時代錯誤のスパルタ式だと揶揄されるような厳しいトレーニングをトレーナーと二人三脚で乗り越え、ついにはシンボリルドルフ以来の無敗の二冠まで達成したのだ。

 三冠目の菊花賞でライスシャワー先輩に敗れたけど。それなのにミホノブルボン先輩とライスシャワー先輩のお二人の仲は悪くない、どころかかなり仲のいい友人関係なのだから人間とはわからないものだ。

 

『いやー、自分の家ってそれなりにレースにどっぷり浸かった名門なもんで。中央の基準で言えばいいとこ中の下っすけど』

「中央の上の上は天井知らずだからねえ」

 

 私たちの上で『黄金世代』と讃えられる時代をトゥインクル・シリーズに築いた優駿の一角、スペシャルウィーク先輩はトレセン学園で遭難しかけたことがあるとかないとか。それくらい中央トレセン学園の敷地は広い。

 だが中央で名門といえばシンボリと並び称されるメジロ、そのご令嬢メジロマックイーンさんがぽろりと零したことがある。学園の広大さは、実家のお屋敷を彷彿とさせるという旨の内容を。

 迷子になってじいやに迎えに来てもらったとか、見かねたおばあ様が廊下に目印のぬいぐるみをたくさん置いてくれたとか、微笑ましいのか戦慄すればいいのか判断に迷うエピソードも併せて考えればあくまで幼少期の思い出補整込みの話なのだろう。小さい頃は何でも大きく見えるものだ。お前は今も小さいだろとか言ってはいけない。

 それでもメジロのお屋敷が私たちの感覚からかけ離れた広大さを誇ることは事実だ。私の実家の廊下には目印など必要ない。

 そして海外からの留学生でアイルランドのやんごとなき身分ともっぱらの噂のファインモーション先輩が『行ってみたいと思ったところに、すぐ行けちゃう』手ごろな広さだと喜んでいたのを見たことがある。全部の施設を自分の目で見て回ることが可能な時点で、彼女にとっては『あんまり広くない』のだ。実家は広すぎて迷ってしまったからここでリトライだとも、ちょっぴりしょんぼりしながら言っていた。

 うんまあ、日本は海と山に挟まれた国土の関係上、居住に確保できる土地が限られるからね。それにしたって王家ヤバい。

 

『親戚も姉も周りがみーんなレースの道に進んでいる中で、自分だけ別の道を選ぶにはコレっていう何かがあるわけでもなかったんで。いちおー地元じゃ負け知らずみたいな? 姉妹の中じゃあ自分がいちばん成績よかったんで、まあ流れで?』

 

 ほんとうに才能とは残酷だ。

 私やこの子みたいな高尚な目的意識が無い者でも相応に努力すれば成果が出せる。一方でどれだけご立派なお題目を抱えていようと、私たちより才能が無ければ同等の努力をしている限り負けるのだ。

 ま、私を天才と呼んだやつらの中で本当に私よりも汗を流したウマ娘がどれだけいるのかまでは知らんがね。

 

『そんでついうっかり中央なんかに合格しちゃって、引くに引けずにここまでずるずる来ちゃって。案の定、中央は自分なんか凡人になっちゃうくらい本物の天才でいっぱいで、まあ実家に言い訳できる程度に努力は続けてたんすけどー』

 

 仕送りの額減らされたくないんでー、とケラケラ笑う姿は真面目なウマ娘が見れば憤慨ものだろうが、まあ私は特に腹も立たない。お金は大事だ。

 それに中央という環境で『言い訳が成立する程度の成果』を出すために、どれだけの努力が必要なのか。彼女が積み重ねてきたそれを私はちゃんと知っているから。

 

『だから本当に、惰性だったんすよ。リシュ先輩とデジタル先輩のあのデッドヒートを見るまでは。G1という大舞台、南関東随一の長さを誇る最後の直線での鍔迫り合い、もーサイッコーでした。いつか自分もアレを未来の後輩に見せてやるのが、今の自分の目標っす』

「ふぅん」

 

『もーいけずぅ。そこは『がんばれ、応援している』の一言くらい無いんすか?』

「無責任なことは言わない主義なんだ」

 

 数多のウマ娘の血と涙を啜って咲き誇る大輪の花、それがG1の冠だ。

 後輩ちゃんはたしかに地元では天才だったことだろう。でも天才が集う中央では、その天才たちの中でまたランク付けが生じる。

 先にも述べた通り後輩ちゃんは全体の上位三割、つまり勝てるウマ娘ではある。一勝はできるだろう。オープンウマ娘にだってなれるかもしれない。でも重賞はどうだろうか。

 重賞ウマ娘が鎬を削るG1のステージ中央で、この子は踊ることができるだろうか。バックダンサーすら厳しいというのが正直な私の見立てだ。

 

 憧れと現実の差は努力で埋めることができる?

 奇跡は願うものではなく起こすもの?

 否定はできまい。事実としてミホノブルボン先輩は憧れを貫き、菊の舞台まで無敗で上り詰めた。

 だが奇跡の対価は往々にして前払いだ。そして代金が足りなければ何の成果も出せないまま対価だけきっちり持っていかれる。

 この子が走れなくなった時、その原因が私というのは御免被る。

 

『ぶー、自分にはできないって思っているんすか?』

「嘘はつきたくないけど、わざわざ本当のことも言いたくない」

『むっきー! 否定してないっすよそれ』

 

 私はさっきから周辺視とマルチタスクの合わせ技でスマホの画面を視界の中心に据えつつ、すみっこに映るプリントを着々とこなしているのだけど。もう二枚くらい右から左に移行したのだけど。

 画面の中の後輩ちゃんはどう見てもおしゃべりに熱中してしまっている。あまり人に指図するのは好きではないのだけど、そろそろ注意する心構えをしておくか。

 

『もー怒ったッス! いいっすよもう! 先輩の予想、ぜったいに裏切ってみせるっすから。せいぜいその時に備えて吠え面の練習でもしているんすね!』

「そう? そっちに関しては応援してあげる」

 

 切り立った崖に全力疾走するのを無責任に応援することはできないけど。

 私の漠然とした直感が間違いだったというのなら話は別だ。懐かれて悪い気のしない後輩が、私の予想を覆す勢いで成長するというのは素直に喜ばしい。

 

『……そこでその笑顔は反則っしょ』

 

 気炎を上げていた後輩ちゃんは何故かぷしゅーと崩れ落ちてしまった。

 さて、話に一区切りもついたことだし言うぞー。

 

「ほら、喋ってばっかりじゃなくて手も動かす。適当だろうと間違いだろうと書き込まないと宿題は終わらないよ」

『ういーっす……あっ』

 

 画面の向こうでプリントに取り掛かろうとした後輩ちゃんの目線が、私の背後あたりに釘付けになったまま硬直し――それとほぼ同時に振り切った私の裏拳が背後より迫りくる目に見えない『何か』を打ち砕いた。紙風船と小麦粉を足して二で割ったような何とも言い難い手ごたえ。

 

《多いなぁ、ここ。海辺だからか夏だからか、けっこうな頻度で湧いて出てきやがる》

 

 そんな蟲みたいな言い方しなくても。

 いや、たしかに感覚的には似たようなものか。

 

『ヒュー! パイセンヒュー!!』

 

 うーん。中央に合格している以上、この子も自分で言っていた通り地元ではぶっちぎりの実力者だった可能性が高いんだけどなあ。どうしてこの後輩ちゃんはこんなにも太鼓持ちキャラが似合っているんだろう。謎だ。

 

「というかきみ、()()()側だったんだね」

『うっす。といっても先輩みたく祓ったりできるわけじゃないし、霊感強い子にありがちな面白エピソードもあんま無いっす。たまーに『うわーいるわー。見えないふりしとこ』ってなるくらいなんで、たぶんフィーリング合ったときにぼんやりわかる感じなんじゃないかと』

 

「ふーん、そっか」

 

 あーいや、よくよく考えてみればトレセン学園ってけっこうな頻度で霊障案件が持ち上がるけど。

 生徒の中でまったく霊感ありませんって子は意外と見たこと無いかも。どこまで知覚できるかに個人差こそあるが、なにかしら姿なり声なりを認識できていた気がする。以前にテンちゃんが言っていた巫女云々の素質ゆえなのだろうか。

 

 ちなみに後輩ちゃんがまるで私が有能な霊能力者のように言ってくれているところ悪いが、実のところ私にいわゆる霊感と呼べるものはあまりない。

 姿を見ることはできないし、声を聴くこともできない。

 ただなぜか触れることができる。

 本当になんでかは知らないが殴れるし蹴れる。私が触れているモノにもその影響力は及ぶようで、偶然持っていたスポーツタオルで絞め潰したり鉄パイプで粉砕したりしたこともある。

 その力の延長線上でこの世ならざるものに干渉するようになった空気を媒介に、気配のようなものを察知しているだけだ。この変則的な霊媒体質の影響範囲がどのくらいなのか、あまり興味がないので調べたことはないけど。三メートル圏内くらいであれば『ああ、そこにいるな』とはっきりわかる。

 音は空気の振動であるわけだし、そこまでいくなら声くらいは聞こえそうなものだけども。幽霊を物理法則の範疇で考えるだけ無意味なのかもしれない。オカルト的なアプローチにおいて『姿が見える』と『声が聞こえる』はきっと特別なことなのだろう。

 ちなみにテンちゃんはもう少しはっきり知覚できるらしくって、初めてマンハッタンカフェ先輩と出会ったときは彼女の“ともだち”とガンを飛ばし合っていた。犬の縄張り争いみたいでちょっぴり可愛かった。

 

《そんなに奪いやすいように見えるのかな。ムカつく》

 

 いくらこの世ならざる存在だからといって、初対面の相手にいきなり殴る蹴るの暴行を加えるのはいかがなものかと思ったことが無いでもない。小さいころの話だけど。

 でもテンちゃん曰く、持ち場や役割があるわけでもないのにふらふらと接触してくるような輩は人間社会でいうところの不法入国した犯罪者でほぼ決まりだそうだ。見つけ次第駆除するくらいで丁度いいらしい。

 人間との最大の違いは人権がないところ。見えないし聞こえないからこそできる無茶もある。幽霊の事情に興味はない。相棒がそう言うのならそれでいい。

 ただ見えるし聞こえる方々にとってはなかなかショッキングな光景らしくて。一度フクキタル先輩の前で拳を振り抜いたときは呆然とした様子で自分の頬に指を当てていた。まるで目の前で『何か』の頭蓋が柘榴のようにはじけ飛び、返り血その他諸々の飛沫を確認しているような仕草だった。なんだかごめんなさい。

 

 

 

 

 

 かくして、七月前半の間に私は夏休みの宿題をすべて終わらせることができた。

 小学生の頃の絵日記のような毎日やらないといけないような課題が無かったのは、スケジュールに自由が利かない中央のウマ娘事情を慮った結果だろうか。

 どんな理由であれ後顧の憂いを完全に断つことが出来たのは喜ばしい。

 

 七月後半、いよいよ夏合宿に本格参戦だ。

 

 

 




この作品の投稿を始めてから気づけば一年が経過していました。
ここまで書きつづけられたのは間違いなく皆様のお陰です。かさねがさねありがとうございます。
スローペースで進んでいく拙作ですが、どうか末永くお付き合いくださればさいわいです。

それはそうとミーク先輩の強化おめでとう!
これはココングラッセの強化も遠からず来るな!
筆が遅いのにもメリットがあるもんだ。

この作品の投稿を開始したころはアオハル杯全盛期で、根性は死にステと言われていましたからねぇ。
それが根性育成全盛期になりーの、ライトハローが台頭しーの
完結までにどれだけ環境が変わっていることやら…


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夏合宿、参加しています

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U U U

 

 

 遠慮なく降り注ぐ太陽。

 控えめながらも自己主張を忘れない潮騒。

 

「いったぞー!」

「わーい、今度こそリシュちゃんつかまえちゃうぞー!」

 

 祝、夏合宿本格参戦は現在進行形。

 現在の種目は『尻尾オニ』だ。

 これは相手の尻尾を掴んだら勝ちという、ウマ娘にはなじみ深い鬼ごっこの一種である。幼いころに一度もやったことのないウマ娘なんてそうそういないだろう。

 

《今にして思えば、ああやって幼いころから『ウマ娘とヒトミミの身体の違い』を刷り込んでいるのかもね》

 

 言われてみればたしかに。身体が育ってから本気でぶつかり合ったら怪我では済まないものね。

 

 足場の悪いこの砂浜では単純な身体能力が第一に要求されるが、だからといって障害物のない炎天下で考えなしに走り回っていればあっという間にスタミナが尽きてしまう。レースと同様にペース配分やとっさの判断力、相手を誘導しレーン的袋小路へ追い込む策略も求められるわけだ。

 遊びのように楽しめながらも奥が深い、まさにこれぞ夏合宿という演目だろう。

 

「すくらんぶーる! リシュちゃん、かくごー!」

「チッ、今度こそ……!」

 

 私を取り囲むのは〈パンスペルミア〉と〈キャロッツ〉から選出されたクラシック級連合軍の四名。ウオッカ、ウララ、マヤノ、そしてスカーレットの同期組だ。

 デジタルはまだジャパンダートダービーの疲労が抜けきっていないと判断され、夏合宿への本格参戦はおそらく八月に入ってからになる。残念だ。

 

 ちなみに現在のチーム分けは私が一人だけ逃げる役。

 あとは四人とも鬼だったりする。

 念のため言っておくと、何も初めからこんなトレーナーぐるみのいじめ現場みたいなゲームバランスだったわけではない。私があまりにも自重せず勝ち続けたため、調整に調整を重ねたこの結果なのでその点は安心していただきたい。

 まあ、相手チームからすればちっとも安心できないだろうけどね。心底楽しそうに笑っているのはウララくらい。

 特にスカーレットの目がヤバい。怖いとかじゃなくてヤバい。

 

《あれはナリブ因子継承していますね、間違いない》

 

 テンちゃんの適当な言葉にも頷いてしまいそうになる迫力。たしかにあれはブライアン先輩の猛禽類じみた雰囲気に通じるものがあるだろう。

 

「いくぜぇ、これが昨日考えた俺の新しい必殺技。エクスプロード走法だッ!」

 

 わざわざ技名を叫びながら突っ込んでくるウオッカ。それは『カッケェ』のか……? よくわからん。わかりやすくはあるが。

 その豪脚により一歩ごとに足元の砂が爆散する様は、たしかに派手で『全力で走っている』という爽快感も得られるだろう。でも実のところその爆散に運動エネルギーが費やされているためロスが大きい。

 つまりそこまで速くない。飛び散る砂が目に入らないようにだけすればいい。私の動体視力と反射神経なら砂粒を目視で確認してから対処可能なので目を細める必要すらない。

 

「うんしょ、えいしょ、えーいっ」

 

 気の抜けそうな気合いの雄叫びを上げながら、反対側からウララが迫る。私を捕まえるという思いが先行し過ぎた、両手を前に伸ばした可愛らしくも不格好なフォームで。

 足場は砂浜。つまりダート適性のある私やウララは有利な戦場といえる……のだが。たしかにウララはダートが主戦場ではあるのだけど、いかんせんクラシック級にして既にG1ウマ娘の称号を持つ他の面々とは身体能力に歴然とした差がある。これは侮りではなく単純な事実だ。

 

 純粋に彼女が成長していることは見て取れる。

 以前の『ずっぺたん。ずっぺたん』とでも表するべき動きが『たたん、たたん』くらいには進歩している。なるほどこれなら一勝できるだろう。中央の上位三割に上り詰めたということであり、メイクデビューから最も実力を向上させたのはもしかすると彼女かもしれないとさえ思う。

 でも遅い。足場のハンデがあってなおその速度は他の三人より秀でているとは言い難く、脅威度で言えば四人の中で最低値。

 

《油断するなよ。ウララちゃんは何も考えていない。つまりただひたすらぼくらを追いかけて捕まえることに集中していると言い換えることができる。幸運に恵まれたとき、実力差を埋めてチャンスをものにできるのはああいう子だ》

 

 あいよ、了解。

 テンちゃんの忠告に少しばかり侮りかけていた己を戒める。

 ハルウララは私たちと同世代なのだから、当然の帰結として私たちと同様に一年以上もの期間中央という魔境を生き抜いていることになる。可愛い()()のウマ娘が中央に居座り続けることなどできるはずがないのだ。

 格下であることは間違いない。その上で油断は禁物。

 

 すいっと重力に身をゆだねるように身体を傾けウララの方に寄る。誘われるままに飛び掛かってきた彼女の前で足を切り返して急カーブ。

 

「うわわっ」

「っとお!?」

 

 結果、ものの見事に動きを誘導されたウララはウオッカの進路上に飛び出してしまった。

 すてんと砂浜の上に転んだウララと慌てて急ブレーキをかけるウオッカの横を悠々と通過――するにはこの舞台にはまだ役者が残っている。

 一歩、二歩と加速するもこのままでは足りない。派手に目立つウオッカと目を惹きつけるウララを囮に死角から音もなく忍び寄るマヤノの指が私の尻尾に届くだろう。

 

 だがそう、ウマ娘には尻尾がある。

 大きく振って遠心力込みでカウンターウェイトとして活用すれば、ヒトミミには不可能な身体コントロールも可能だ。あとは体幹と筋力で無理やり軌道修正するだけのこと。

 指三本分の安全マージンを残してするりと私の銀色の尻尾はマヤノの指の間を通り抜けた。

 

「ざーんねん」

「むぅ……!」

 

 笑いながら声をかけるとぷくっと頬を膨らませたのが気配でわかった。視界はもう『次』の対処に用いられているので残念ながら見えていないけど。

 実のところ、この場で一番状況を『何とかできる』素質があるのはマヤノだ。

 ウララはこの場で最も低スペックかつ何も考えていない、現状ではババのジョーカー枠。彼女のお願いならともかく、指示を聞こうというウマ娘はいないだろう。

 ウオッカとスカーレットは能力的には悪くないのだがライバル関係であり、どちらかが相手の上に立って指示を出すというのには向かない。こればっかりは理性だけではどうしようもない。ヒトミミにはわからない魂の主義主張があるのだ。ウマ娘の欠点とも言える。

 

 でもマヤノならできる。

 マヤノが四人の中で一段上に立って指揮を飛ばせば、私から見た戦局はいっきに悪化する。

 だが本人の性分がどこまでも向いていない。

 その手段があることにマヤノが気づいていないわけではあるまい。ただそれは彼女にとってキラキラでもワクワクでもないようだ。

 本人のスペックが高すぎて誰かに指示を出してやってもらうより、自分でやる方が早くて簡単という経験をこれまでの人生で山ほど積んできたって要因も大きかろう。

 それがこれから先も通じるかは、さておき。

 

《経験で学んだことを理屈だけで覆すのに必要なのは精神力じゃなくて、理屈を提示した者に対する信頼だからな。トレーナーちゃんの指示とかならいざ知らず、この状況では流石にマヤノも無理か》

 

 たしかにマヤノのセンスは頭ひとつ抜けている。ぜんぶ自分でやろうとしてしまうのも理解できるほど、その視野は広く動きは鋭い。何度その小さな指先にひやりとさせられたことか。

 ただマヤノは素直なので、現状だと重心移動と視線と気配で三重もフェイントを入れてやれば簡単に騙せてしまう。ひねくれ者のもうひとりの自分と育ち順調に()()()()私の性格の悪さの分、読み合い騙し合いの領分では私が有利だ。

 

《……いや、三重にフェイントかけている時点で『簡単』ではないんじゃないか?》

 

 そうかな。そうかも。

 

「くっそ、マヤノのあれを躱すのかよ。おいスカーレット、抜かるんじゃねーぞ!」

「そっちこそ! あっさり抜かれたら指さして笑ってやるんだから」

 

 さて、マヤノをやり過ごしたところで再び挟み撃ち。圧倒的少数のつらいところだ。

 右から態勢を整え直したウオッカと、左から満を持してスカーレットのエントリー。ウララはまだ立ち上がっている最中なので一回休み。

 

 さて、どちらから抜けるか。

 まあスカーレットの方かな。気迫がびりびり伝わってきて思わず身を引きそうになるけど、そっちから抜けた方が後に続く道が広い。

 意識を沈める。

 普段の水深よりずっと深く、ふかく。指先で滲む汗の湿り気。ぎちぎちと軋む筋繊維。毛細血管にまで響く脈拍。脚の裏で力を加えられ形状を変える砂浜、それを構成する砂の一粒ひとつぶ。

 接地している右足、それを軸にぐんにゃりと身体を折りたたむようにして曲がる。ぎりぎりの拮抗で私の体重を慣性込みで支えきった砂の集合体にはまるで荷車の轍のように深々と足跡が残っていることだろう。

 人の目というのは動くものの軌道を無意識に予測して追っている。スカーレットとお互いの産毛が触れ合うほどの至近距離ですれ違った私の動きはそれを裏切るものであり、その結果どうなるかというと。

 

「おおー、忍法すりぬけの術!? リシュちゃんすっごーい」

 

「うぇ!? なんだよその動き!?」

「くっ……!」

 

 至近距離で驚愕するウオッカと歯噛みするスカーレットの声、ついでにぶおんと風を切るスカーレットの腕が空振りする音。

 それうっかり捕まったら尻尾引き抜かれるんじゃない? 大丈夫? スカーレットの理性はちゃんと息してる?

 

《ウララちゃんが嬉しそうにはしゃぐのが唯一の癒しだよね》

 

 かわいいよね。

 遠方の彼女の目にはまるで水面に映る虚像を貫くがごとく、とぷんと私がスカーレットをすり抜けたように見えたのだろう。

 ちなみにこの体移動、幻術じみた派手さはあるが実際のレースで活用できるかというと……あまりそんなことはない。私から見れば安全マージンを確保した距離感と軌道であっても、周囲の目にそうは映らないってことはとっくに学習済みである。

 びっくりして転倒でもされたら心苦しいし、そんなことになれば掲示板に審議のランプが点灯する可能性は非常に高い。

 そしてそこまでのリスクを冒さねばならないほど追い詰められたことも今のところ皆無。これからも無ければいいと思う。

 

「ちぃ、まだまだぁ!!」

「ふふっ」

 

 小細工らしい小細工も無く全力で追跡に移行するスカーレットについ笑みが漏れてしまう。

 侮っているつもりはない。ウララはただ何も考えていないだけだが、スカーレットはそれが一番強いのだ。彼女は自分というウマ娘の使い方をよく理解している。

 スカーレットのことを表面上しか知らないウマ娘は彼女のことを『なんでもできる優等生』だと思っている。まあ優等生であることは間違っていまい。

 

 でも本質からはだいぶズレている。

 スカーレットはただ自分が一番でないことが我慢ならないだけなのだ。だから何でも一番になれるように努力しているだけで、純粋に素質だけで言えば汎用性からは程遠い。

 状況に合わせた手札を切る能力という面では、マヤノはおろかウオッカにさえ及ばないだろう。ただひたすらに相手の手札より強い自分の手札を叩きつけるような戦い方しかできず、ゆえに相手のどの手札よりも強くなるよう自分の手札をひたすら鍛え上げる熱血根性バカ。

 磨き抜いた究極の『一番』の強さ。それが私の知るスカーレットという少女だ。

 

「くっ、このっ!」

「あはは」

 

 まあつまり、その『一番』を凌駕されたら逆転の手段に乏しいってことでもあるんですけどね。砂の上でスカーレットに競り負けるほど私は弱くないよ。

 クラシック級に入ってからはティアラ路線と三冠路線で明確に必要な練習の内容が変わってしまったせいもあって、最近はめっきり一緒に自主練することも減ってしまったけど。

 やっぱりスカーレットと走るのは楽しいな。

 強くなってる。

 昨日よりも今日、今日よりも明日。そういう強さだ。この夏合宿で彼女はどれだけ伸びてくれるのだろうか。

 

 ウマ娘の速度で自由に走り回ればあっという間にトレーナーの目の届かないところまで行ってしまう。

 ゆえに今回のフィールドはここまでと砂浜に立てられた四方のフラッグ、その境界線がみるみるうちに迫るのを確認しながら私は駆ける。

 

 ラインを越えないためにはそろそろ曲がり始めなければならない。

 だが観客席からは簡単そうに見えるかもしれないが、あれでいて速度を落とさないように曲がるというのはなかなかに難しい。鬼ごっこで追われているという状況下では特に。

 

《コーナーを制する者はレースを制する。円弧のマエストロにも弧線のプロフェッサーにもどれだけお世話になったことやら》

 

 テンちゃんの言い分はやや大仰にしても、直線のみのレースなど数えるほどしかない。

 いかに上手くコーナーを曲がれるかというのは、わかりやすくライバルと差がつくポイントの一つだ。

 これはレースではないのだから直線もコーナーも無く、先ほどのように素早く鋭角に切り返すのも手といえば手だ。

 しかしあまり慣性を無視した挙動を連続で行うと、スタミナの消耗も身体にかかる負荷も相応のものになる。

 何より身体能力でごり押しするだけしかできないみたいなのが、なんか嫌だ。

 身体能力の高さは手札のひとつ、効果的な手札であるだけに頼りがちになってはいけない。

 今はトレーニングの最中なのだから、意識して『できること』を増やしておこう。

 

 定石通り歩幅を詰めて緩やかに弧を描くように曲がる。

 同じ軌道を描くスカーレットとの距離は縮まらないが、流石に直線でこちらに向かっている方はどうしようもない。

 再度ウオッカとマヤノが尻尾タッチ射程圏内に入ってくる。

 

「ええいクソッ、このままじゃ埒が明かねえ。スカーレット、マヤノ、合わせろ!」

「うぬぬー、あい・こぴー……」

「アタシに指図しないで! アンタが合わせなさいよッ!」

 

 やだ、私の腐れ縁ったらおこりんぼさん。

 頭に血が上るというか、良くも悪くもムキになるタイプだよね。知ってたけど。

 一回熱くなったらそれが正論だろうとなかなか別の選択肢を受け入れられなくなる。だからこそ私に何度負けても諦めず、挑み続けてここまで来ちゃったわけで。私からすれば欠点とも言い難い彼女の性分だ。

 

 それにしても、ウオッカが指示出しに回ったか。

 彼女の評価を内心で一段階上昇させる。

 ちなみにウララの名前が出なかったのはウオッカが彼女のことを戦力外と見下しているわけではなく、ただ単純に砂浜を縦横無尽に移動する私たちにヘロヘロになったウララが置き去りにされ始めているだけである。

 それでも諦めることなんか脳裏によぎりもしないのだろう。ヘロヘロの足取りのままこちらに向かってくるのが遠目に見える。

 ナイスガッツ。うっかり存在を忘れ去りでもすればちょうどいいタイミングで追いついてくるかもしれない。まあ忘れないけどね。

 

《やっぱりファッション不良だよなぁウオッカ。『カッケェ』さえ絡まなければこの場では一番の常識人というか、真の優等生というか。必要とされる状況、それに応じられる能力のバランスがいい》

 

 テンちゃんの分析にまったくの同意。融通が利く、と言い換えてもいいかもね。

 現にスカーレットの理不尽な物言いに舌打ちこそしたものの、それ以上口論に無駄な時間を費やすことなくスカーレットに合わせる形でウオッカはマヤノを伴い動き始めている。

 ウオッカとスカーレットは一年以上同じゴルシTの担当で〈キャロッツ〉のチームメイトだったわけだし、この状態のスカーレットと接するのにも慣れているのかもしれない。

 私の腐れ縁が本当にご迷惑をおかけします。なんとなくモヤモヤするのは申し訳なさだろうか。

 

 さて、どうするか。

 ガンガン動いているのにまるで動きが鈍らないスカーレット。

 そんな彼女に合わせて動けるウオッカ。

 ワクワクすればするほど天井知らずにスペックが跳ね上がるけど、今はあまりワクワクしていない、それでも基礎スペックが十分高いので『実力以上』を引き出さなくても『実力』だけで十分に脅威なマヤノ。

 三人がようやくまともに動き始めたせいで私の動ける空間はごりごり削られ始めている。

 即席の連携だから多少の穴はあるが、並大抵の相手なら問題にならないほど三人の能力は高い。

 まあ私は並大抵の相手ではないので、そこから突破することにした。

 

《残り時間もわずかだし、派手にいこうぜぃ。せっかく夏なんだしさ》

 

 おっけー、夏だもんね。少しくらいはしゃいだって許されるだろう。

 たん、とん、たたーん、とステップを踏みつつ狙うはウオッカ。対集団において指揮官狙いは基本である。

 まっすぐ向かってくると見るなりウオッカはわずかに速度を落として身構えた。いつの間にか砂を爆散させるような無駄だらけの足さばきは消え失せ、砂に突き刺すような走法へと変貌を遂げている。

 

《さっきまでのあれがエクスプロード走法なら、今のはさしずめスラッシュ走法ってところかな。最初のカッコつけ重視のコミカル具合に誤魔化されそうになるけど『あ、ダメだこれ』って気づいてから次へのステップアップが驚くほどにスムーズだねえ》

 

 やっぱりウオッカはセンスあるよね。

 右から抜けようと左から抜けようと、これまでの鬼ごっこで何度か見せたように股下から潜り抜けるような変則的な軌道を見せようと、十分に対応できる構え。砂浜に適応した今の彼女なら速度は十分だろう。

 でも残念、今回切るのは新たな手札なんだ。

 

 ぽん、と踏み切る。

 白い入道雲とぎらぎらと自己主張が強すぎる太陽が視界の中でくるりと反転。憎らしいほど鮮やかな蒼天の下、私の爪先が弧を描く。

 

「なっ、俺を踏み台にしたぁ!?」

 

《ヒュー! さすがウオッカだ、言ってくれると思っていたぜ!!》

 

 何故だか大絶賛するテンちゃん。

 あと踏んでないからね? 肩に手をついて空中での支えにしただけで。

 

「んなのアリかよ!?」

 

 アリです。

 尻尾オニは尻尾を掴まれて初めてアウトだ。裏を返せば尻尾を掴まれない限りいくら鬼と接触しようとセーフ。

 通常の鬼ごっこの先入観もありこちらから仕掛ける発想に至りにくいが、何なら体当たりで弾き飛ばしてもルール的には問題ない。

 

 たしかにこれが遊戯なら、鬼にこちらから接触するのは非推奨だろう。

 でもこれは遊びのようなトレーニングである。

 もう七月後半。もはや同期だけと走ることのできる期間は数えるほどしか残ってない。それより先は百戦錬磨のシニア級を相手にしなければならないのだ。

 百戦錬磨とはポジティブな蓄積だけではない。

 たしかにウマ娘は善良な気質の持ち主が多いと言われているが、純粋無垢だけでレースが構成されているのなら審議ランプもパトロールフィルムもレース場に必要ないわけで。

 

 これまでだって威圧して掛からせたり、フェイントをかけてブロックしたり、バ群の中に沈めて蓋をしたりといったルールの範疇での妨害はあった。

 これからは『ルールの範疇』の外側で磨かれた技術も想定しておくべきだ。

 中央は綺麗事ばかりで生き延びられる魔境ではあるまい。私たちくらいに才気に溢れたウマ娘ならいざ知らず、生き残っているウマ娘が全員私たちと同等の天才なんてありえないのだから。

 

《反則を取られない程度の『してやったり』とニヤリと嗤うプレイはどのスポーツだって多かれ少なかれ存在するものだ。それに意図的なものじゃなくてもレースの展開次第じゃいくらでも走行妨害は発生するからねえ》

 

 仮に走行妨害が認められた場合、たしかに降着や失格というペナルティは存在している。

 だがそれはあくまで加害者に対する制裁。被害者の順位が繰り上がるわけでもなければ、後日改めてレースのやり直しがあるわけでもない。

 

 事故だろうが反則だろうが、何であろうと一度ゴール板を駆け抜けた結果は自分だけのもの。誰に押し付けることもできないのだ。

 こんなはずじゃなかったと、ルールに則って正しく競技が行われていれば一着は自分だったのだと、望まぬ結末に膝を抱えて泣き喚くのか?

 そんな無様は御免だね。

 正道邪道問わず何が来ようと私が勝つ。どんな手練手管も打ち破ってみせる。

 私自身が反則を行う気はまったく無いが、そのくらいの心構えはしておかないと。

 

 今回だってルールを破るつもりはないし、自分なりに明確に一線は設けている。

 相手を傷つける行為はいっさいNG。体当たりも砂で目潰しもナシだ。『禁止されていない』と『許容される』はイコールではない。

 そこをはき違えると周囲さえ巻き込んで痛い目を見ることになるだろう。これはトレーニングなのだから、そこから軸がブレてはいけない。

 ウオッカは東京レース場じゃあもう負けるつもりはないんだろう?

 だったら()()()()に来なよ。きっと楽しいよ。

 

 脚の下にずしりと重い砂の感触が戻る。それと同時にアラームが鳴った。

 よしよし、体内時計と誤差一秒以内。五分くらいなら飛んだり跳ねたりしてもそうそう狂わなくなってきたな。

 砂浜炎天下尻尾オニは一回あたり五分間。これは鬼ごっことして考えれば短いように思えるかもしれないが、障害物の無い砂浜というフィールドで走り続けることを考えると妥当だろう。

 だいたいこの国の平地で開催されるレースなら長距離に分類されるものでも三分程度で決着がつくのだ。レースに比べれば緩急があるとはいえウマ娘の脚で走り回ることを考えたら、五分はむしろ長いとすら言えるかもしれない。

 

「そこまでー! 戻っておいでー」

 

 遠くからゴルシTの呼ぶ声が聞こえる。

 本日の担当トレーナーは彼なのだ。合同トレーニングには情報の流出などリスクも存在するが、それ以上に得るものが大きい。

 単純に参加するウマ娘が増えれば、それに付随して彼女たちを担当しているトレーナーもチーム運営に関わってくるわけで。二チーム分の人材による分業と効率化、去年のこの時期に比べ桐生院トレーナーの顔色がずっと良いように見えるのは純粋に喜ばしい。

 

《去年の夏の葵ちゃんは顔色の悪さを誤魔化すために化粧が濃い目で、その指摘できない匂いの変化に何とも言い難い物悲しさがあったよね》

 

 本当にね。彼女の健康に比べたら他チームのトレーナーに私の情報が流出することなど些細な問題である。

 

 だって私、負けないからね。

 

 

 



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U U U

 

 

 五分間の炎天下の鬼ごっこの後は、砂浜の上に立てたタープテントの日陰で十分間の反省会だ。

 水分補給もこのタイミングで行う。

 走るのが五分なのに反省会に十分間も使うのはまるでダラダラとお喋りしているような印象を受けるかもしれないが、鬼ごっこの参加者は私を含め五名。

 聖徳太子よろしく複数名の言葉を同時に聞き取ることのできるウマ娘なんて私やマヤノやデジタルくらいしかいないのだから、基本的にひとりひとり交代で話すことになる。

 つまり単純な割り算で一人当たりの持ち時間は二分。

 司会進行で消費される分を差し引けばそれ以下だ。考えて話しているヒマなど無い。

 

 この『考える』というのが実はくせ者で、考えなければたどり着けない答えもあるがその反面、考えることによって事実を補填してしまい自分だけの真実を作り上げてしまうことも往々にして存在する。

 今回の反省はあえて思考時間を設けないことで感じたことを未加工の状態で吐き出させ、問題点をありのままに浮き彫りにさせるためのものだった。

 熟考が必要なことはのちのち自由時間を使って自分でやれという、自主性を重んじる中央のスタイル。その厳しさに怯みそうになることも多いけど嫌いではないよ。

 

「では、テンプレオリシュから始めようか」

「お話にならない。そう思いました。それ以上語る言葉は必要ないかと」

 

「うん、ありがとう。タイム! あー、マヤノトップガン、通訳をお願いしていいかな?」

「アイ・コピー。えっとねー」

 

 何故かトレーナーサイドからタイムが入りました。

 限られた制限時間の中でトップバッターだったのだ。焦る中それなりに端的にまとめられたと思ったのだが、やっぱり少しきつく聞こえる言い方だっただろうか。

 苦笑いしながらマヤノがんー、と唸っている。

 頬に指を当てるしぐさは実に可愛らしいが、その小さな頭の中ではスパコンもびっくりの情報量が処理されていることだろう。

 あれ? マヤノがワンテンポ考え込まないといけないほど情報圧縮してた?

 

「まず大前提として、今回マヤたちのチームってダメダメだったよねー?」

 

 その言葉にスカーレットとウオッカが顔を顰めた。

 自覚がある者の負い目が滲んだ表情だった。

 一方ウララは「えっ、そうなの!?」と純粋に驚いている。不思議だ。見るからに頭が残念な子はあまり好きじゃなかったはずなのに。

 ウララだと素直にその無垢を愛でることができる。それは果たして私の度量が上がったのか、はたまた彼女の資質か。

 まあ考えるまでもなく後者か。こういう魅力を持つ子もいるということだろう。

 

 ウララはともかくとして、そういうことだ。

 今回の鬼ごっこは私たち対四人のチーム編成になった時点で、マヤノたちはチームとして動かなければいけなかった。個々人で私を追うのではなく、砂浜を盤として私の陣地を削り、詰ませにいかねばならなかった。

 特に相手が私たちの場合、バラバラにかかってこられたら二対一を四回繰り返すだけの話。実力差がある上に数の利さえこちらにあるのだから、負ける道理が無い。

 とはいえ、彼女たちは中央に来るウマ娘。チーム編成の段階で『お前らはコイツに四人がかりでようやく対等』などと暗に言われ素直に受け入れられるような者などそういない。

 何クソと負けん気を発揮するのは最適解ではなくとも妥当の範疇だろう。人数の差はいかんともしがたいが、その上で連携を取らず己のスペックをぶつけるようなタイマンを仕掛けてきた気持ちは理解できる。

 少なくとも私は『スカーレットには四人がかりで』などと指示されたらかなり深刻にピキッとくると思う。

 

《ただしウララちゃんは別だ》

 

 本当にね。

 どうして彼女は中央などという鬼の住処に来てしまったのだろう。いや、こんなこと思う時点でだいぶ失礼だというのは頭では理解しているのだが。

 あんなに楽しそうに走ることができて、走るだけで幸せというのなら、わざわざこんなところに来なくてもよかったんじゃないかと。

 でもハルウララが中央トレセン学園に来なければ、きっと救われなかったウマ娘の心はひとつやふたつではない。

 何より私よりひとつ年上の女性が自分で考えて選んだ道だ。ならばこれでよかったのだろう。天真爛漫なあの笑顔があったからこそ今があるのは間違いないのだから。

 

「マヤたちがチームとして動いたのは最後の五十七秒だけ。これじゃあ十分にチーム分けの意図に沿ったトレーニングができたとは言えないよね」

「は、え? マヤノ数えてたのか?」

 

「別に意識して数えていたわけじゃないけど、思い出そうと思えばなんとなーくわかるよ?」

「いや、ふつーは無理だって」

 

「リシュちゃんならできるよ?」

「天才同士で魔の化学反応起こすのやめろ」

 

 ウオッカが顔を引きつらせていた。

 

 トレーニングの主目的が十分に達成できていないのだから、各人の反省以前の問題だ。

 そして、自分たちでそのことに気づいていないのならともかく。マヤノもウオッカもスカーレットも十分に自覚しているわけだし。

 なのにわざわざ私の方から指摘したのなら、それは嫌味以上のなにものでもないだろう。注意といえば聞こえはいいが、生産性があるとは思えない。

 

「――ってことをリシュちゃんは考えていたんじゃないかな? だから『お話にならない』で『それ以上語る言葉は必要ない』なんじゃないの?」

 

 私の思考回路をきっちりトレースしきったマヤノの解説に首肯で返す。

 これからのレースで幾度も雌雄を決することになる未来を考えると、現状の思考回路を完全に解析されている事実はなかなか油断できない問題ではあるが。

 友達としての観点からすれば、綺麗なまでに理解してもらっているのは愉快で爽快だ。

 

「マヤちゃんすっごーい! わたし、全然そんな意味だってわからなかったよー」

 

 完全に周回遅れなウララが一周回って空気の清涼剤のような気がしてきた。

 

「あのくらいマジでわかるようにならないといけねーのか……?」

「わかるわけないでしょこのおたんこニンジン……」

 

 ウオッカとスカーレットの小声の愚痴を私の鋭敏な聴覚が拾ったが聞き流す。ごめんって、反省はしているよ。

 

「ありがとうマヤノトップガン。テンプレオリシュ、みんながみんな彼女のように階段を数段飛ばした思考を辿れるわけじゃないんだ。できればもっと凡人にもわかるように『そんなことまで?』と思うような大前提から逐一説明してくれると嬉しい。今回は制限時間があったからこその省略だったかもしれないけどね」

「はい、わかりました」

 

 今回はあのマヤノですら一拍考え込まないといけないほど情報の取捨選択を誤ったのだ。こればかりは素直に頷くしかない。

 

「さて、では続きといこうか。このままマヤノトップガン、いけるかな?」

「はーい。マヤはFL(四機編隊長)にならないといけなかったんだね。でもリシュちゃんとの四対一がうぬぬーでぐににーって感じで、ぎりぎりまでひとりで頑張って、結局ウオッカちゃんにやらせちゃった」

 

 ウオッカの指揮もとっさにしては悪いものではなかったが、やはり機を見るに敏という面ではマヤノほど優れたウマ娘もそういない。先にも述べた通りウオッカの指示に素直に頷けるスカーレットではないし、その逆もまた然り。

 チームとして最大効率で動くためにはマヤノがまず折れてこだわりを捨てる必要があった。マヤノはあれでいてかなりプライドが高いからなあ。

 しょんぼりしている彼女はそれを十分に自覚し、反省しているようだ。次はああはいかないだろう。

 

「俺はアレだな、アレ。エクスプロード走法。ダメだありゃ。思いついたときはカッケェと思ったけど、よくよく考えてみれば外見だけカッコつけても中身が伴ってなけりゃむしろすげーダセーわ」

 

 続いてウオッカが語る。その点に関しては私も完全に同意だ。

 あの走り方が格好いいかは個人の価値観に依るだろうが、少なくともあの無駄の多い走法のせいでウオッカはスタミナを消耗した。それにより後の動きのキレを失ったのが彼女の最大の敗因と言っていいだろう。

 ゴルシTもひとつ頷いて口を開く。

 

「うん、そうだね。だからこそ後半に走法を変えたのはよかった。あれは即興で?」

「おうよ! リシュやマヤノの足元からは全然砂が飛び散らねえことに気づいてな。あのふわっとしながらしっかり地面を掴む独特な足さばきは一朝一夕じゃマネは無理だけどさ、切りつけるように地面を刻む方法なら今の俺でもなんとかいけるかなって。スラッシュ走法って名付けようと思うんだけどさ、どうかな?」

 

 テンちゃんピタリ賞。ノーヒントでご正解。それともこれもいつものふんわり予言なのだろうか。

 かなりどうでもいいことである。

 

「いいと思うよ。ウオッカに似合っている。さてみんな、一度砂浜の足跡に注目してみてくれ」

 

 おだやかに受け流し、さりとておざなりとは感じさせず。

 これがあの破天荒ウマ娘ゴールドシップに『最初の三年間』を完走させた名伯楽の手腕かと感心しながら、言われるまま先ほどまで私たちが走っていた砂浜に視線をやる。

 

「マヤノトップガンのそれもそうだけど、テンプレオリシュの足跡はことさらわかりやすいね。スタンプを押したみたいに綺麗に残っていて、まったく崩れていない。脚力をほぼ完全に推進力に変えている証拠だ。

 物理法則が悲鳴を上げているというか、作用反作用が仕事をしていないというか。正直ゴールドシップのおかげで常識を投げ捨てることに慣れていなければにわかには信じられなかっただろう。しかし、これはまるで……いや、そんなウマ娘が存在するのか……?」

「トレーナー?」

 

 何かに気づいたように考え込んでいたゴルシTだったが、不思議そうなウオッカの声に我に返って首を横に振る。

 

「ああ、すまない。なんでもないよ」

 

《なんでもないはずが無いんだよなぁ。これで『思い過ごしでしたー』みたいな展開は見たことが無いぞ》

 

 そうだねえ。何か情報を抜かれたと思った方がいいかな?

 

《だろうね。別に隠してないからな。はてさて、いったい何に気づいたことやら》

 

 情報を偽り、のちの布石とするという手も無いわけではない。

 かの黄金世代のひとり、セイウンスカイ先輩はそういう盤外戦術を含めた策略謀略を得意とするトリックスターだったそうな。

 だが当然の話だが、情報を偽るのもタダじゃない。

 何かと手間がかかる。純粋に実力を高めようとしたときに比べ、各ステータスの伸び率は低下するだろう。

 だったら私の場合、相手を策に嵌めるよりも単純に自らを高めた方が効率的だ。策略とは要するに単純な火力の比べ合いでは不利だからと、相手の火に水をかけるようなもの。

 その火が山火事クラスならコップ一杯の水をかけたところで、多少の相性差では覆しようがないのだから。

 

《ダスカの勝率がまた少し上がったかな》

 

 そいつはゾクゾクするね。

 さて、脳内でテンちゃんと戯れている間にもゴルシTの話は進んでいる。

 

「これと同じことをしろとは言わない。むしろ真似しようとリソースをつぎ込むにはリターンの見込みが薄すぎる超絶技巧だ。でも実際にやれるウマ娘はここにいる。

 これから先、()()と同等のことをやってくる強敵は一人や二人じゃない。そんな相手にも負けないように、匹敵する自分だけの武器を見つけて磨いていこう。この夏合宿の間はそれを念頭に置いてほしい」

 

 各々の表現の仕方で了解を口にするウマ娘たち。

 物語を語るようなゆったりした口調なのに自然と逆らう気が起きない。言うことを素直に聞かせるという資質はトレーナーとして得難いものだろう。

 あのゴールドシップ先輩に『トレーナーの言うことを聞け!』と厳しく押さえつけて制御できるとは思えないし。

 

「リシュに追いつけなかったのがアタシの敗因。速度が足りなかったわ。次は追い付いてみせるから」

 

 続いてスカーレットの番となる。

 うーん、この脳筋具合よ。完全に目が据わっていやがる。堂々と胸を張って言うことか、それが。

 

《でも実のところ、間違っているとは言い難いんだよね》

 

 まーねー。ウオッカたちと連携を取ろうとしなかったのはたしかに失態だ。

 だが『テンプレオリシュ(私たち)に勝つ』という観点でいえばどうか。来るべき決戦、策を弄したところでトップスピードが足りていなければどうしようもない。

 今の段階で私との速度差を身体に刻み込み、それを埋めようとするのは正当なのだ。少なくとも小細工で埋められるなんて虚しい夢を見るよりは、はるかに。

 夏合宿に参加したからといって潮風を吸っていれば走りが上手くなるわけじゃない。努力や挑戦なんて言葉、綺麗なのは聞こえだけだ。

 どれだけ無様でも、血を流しながら一歩一歩、着実に歩いていくしかないのだ。スカーレットはそのことを誰よりもよくわかっている。

 

 それに、そもそも策が嵌ったときに格下が格上を凌駕できるのは何故なのか。

 それは『策に嵌ったことにより、格上が崩れる』ことが大きな要因だと私は思う。

 相手の手の平の上で踊っていたと気づいた時の精神的動揺、してやられた分を取り返さんとする焦り。それが策の結果以上の効果を生み出す。

 

 対して、テンプレオリシュ(私たち)というウマ娘はどうだろうか。

 

 まず裏側にいるときは透明な毛布を隔てたように世界が鈍く感じるから、五感を介したデバフはそれだけで裏にいる方には通じづらい。

 誘導して搦め捕るタイプの策謀も裏から俯瞰していれば岡目八目、まるでテレビゲームをプレイしているさまを後ろから覗き込んでいるように気づきやすい。

 表が掛かっても裏が健在ならフォローを入れることができるし、いざとなれば表と裏を入れ替えてしまえばいい。それだけで立て直せる。

 私たちの二重人格という体質は先天的な策謀殺しだと言えるかもしれない。人格がひとつしかない輩に比べその安定性が段違いなのだ(私からすれば単一人格のやつらが不安定すぎるだけなのだが)。

 

《ゲーム風に言えばキャラ固有のパッシブスキルで『デバフ耐性』を持っているようなものかな。抵抗判定にボーナス修正、抵抗成功時に効果消滅、失敗しても効果半減の欲張りセットみたいな。つくづくチートだよねえ》

 

 まあ生まれつき人格ひとつだけでここまで生きてきた側からすればずるい(チート)の一言くらいは言いたくなるか。

 生まれ持ったものが根本的に違うのだと諦めてほしい。卑怯なくらい強くてごめんね。

 

「いや、それだけじゃない」

「なによ?」

 

 それはそれとして、今回のスカーレットの言い分には明確な瑕疵がある。

 異議を唱えた私に彼女は火を噴きそうな目つきで睨んできた。おおこわ。

 

「私に追いつくことを最優先に、それ自体は大いに結構。ただ今回に限って言えば君のチームはウララに合わせるべきだった」

 

 自分の番に備え「うーん、うぬぬぬぬー」と頭を抱えて考え込んでいたウララが周囲の視線を受けていることに気づき、顔を上げてにこーと笑った。

 

「わたしのばん? えっとわたしはねー、すごくがんばった! ぜんぜんみんなに追いつけなかったけど、次は負けないぞー!」

 

 言っている内容がスカーレットと大差ないのはどうなんだろう。

 そこに至るまでの経緯がだいぶ違うというのはわかるんだけども。

 どちらにとはあえて言わないが脱力は禁じ得ない。

 

「そっかー、よくがんばったねー」

「えへへー」

 

 思わずといった感じでテンちゃんがウララの頭を撫で、ウララがさらに満面の笑みへと変わる。かわいい。

 

 行軍は最も足の遅い者に足並みを合わせるのが基本だ。

 しかしスカーレットの速度に合わせた結果、付いていけたのは他のG1ウマ娘たちのみ。ハルウララは完全に戦力から脱落してしまっていた。

 

()()ゴルシTがただの足手まといとしてウララを編入したとは思えないんだよ。ねえスカーレット、この尻尾オニはレースじゃなくてトレーニングだ。

 ここがおてて繋いで並んでゴールできる世界じゃないことは知ってるさ。でもチームメイトに何の実りも無い炎天下のランニングをさせることが、このトレーニングの最高効率だと本当に君は思うのかい?」

「……ごめんなさいウララ、アタシが間違っていたわ」

 

 ほらね。桜色に向け素直に頭を下げられる紅を見て内心こっそり頷く。

 頭に血が上りやすいし、一度こうと決めてしまえば誰に何と言われようと曲げられない筋金入りの頑固者ではあるが、間違いを間違いと認めて謝罪できる程度には聡明かつ善良でもあるのだ。

 この私の腐れ縁だもの。精神論だけで追い続けられるような私じゃないのさ。才気と、それを受け止められるだけの器量が無ければ、とっくに彼女は背中も見えないほど置き去りにされて関係性は切れている。

 ぎりっと歯が噛みしめられる音がしたのは愛嬌ということで。

 

「ええー? スカーレットちゃん何か悪いことしちゃったの!? わたしも一緒にあやまってあげようか?」

 

 アンタに謝ってんだよアンタに。

 なんというか、ウララはバクちゃん先輩とはまた別ベクトルで頭がざんねんなお方だ。

 ひとつ入ればそれまで入っていたひとつがすぽーんと頭から抜け落ちるというか。集中力が長続きしない小さな子供みたいだ。彼女に一勝できるところまで手を替え品を替えトレーニングを受けさせ成果に繋げた担当トレーナーの苦労がしのばれる。

 中央のトレーナーってやっぱり有名どころ以外もちゃんと優秀なんだな。

 

「…………そうね。今度はちゃんと一緒にやりましょう」

 

 ふっとスカーレットの身体から力が抜けた。

 幼い子供のような純粋無垢だからこそだろう。濁りかけの状態から一転してこのゆるやかな空気、計算では作り出せまい。

 それに『ゆるく』はあるが、不思議とハルウララの言葉を『軽い』とは感じないのだ。耳も尻尾もぴーんと動かして心配そうな表情をする彼女はいつも全力で、真剣で。

 元気を分けてもらえる春風のような子だと、いつか誰かが言っていた陳腐な誉め言葉をいまさら実感と共に思い出した。

 

「よし、そろそろ時間だ。次に行こうか」

 

 話がまとまったところでするりとゴルシTが拾い上げる。

 ここから反省を活かした再戦が始まる――というわけではない。

 

「ふん、ようやくか」

「Hey! 待ちくたびれましタ!」

 

 この場にいるのは何もクラシック級の若輩者だけではなかったという話。

 立ち上がるのは怪物(ナリタブライアン)に、最強(タイキシャトル)

 

「……がんばれーライス、がんばれー、おー」

「…………おー。後輩たちの前です。一緒に良いカッコしましょう」

「はーっはっはっは! お手本を見せて差し上げますとも!!」

 

 そして刺客(ライスシャワー)万能(ハッピーミーク)学級委員長(サクラバクシンオー)が続く。

 夏合宿メニュー『尻尾オニ』に割り振られた〈パンスペルミア〉と〈キャロッツ〉の合同チームメンバーは計十人。組み合わせを前回の内容次第で調整しつつ、交代で走るというのが今回のトレーニングの全貌だ。

 直前の自分たちの内容を反省しつつ見学を行うことで、得た知見をより深める意図があるそうな。あとは夏の炎天下のトレーニングだ、必要以上の疲労を身体に溜めないためというのもあるだろう。

 とはいえ、シニア級の面々はただ砂浜で走るだけでは負荷が足りぬと言わんばかりにその脚に錘の入ったアンクレットを装着しているのだ。彼女たちの『必要以上の疲労』の許容範囲はクラシック級のそれとは一線を画しているのが見て取れる。

 

《これがTSクライマックス時空ならカラフルなメガホンも追加されていただろうな。よかった。体力が尽きているのにお守り握りしめて走らされる非人道的トレーニングの無い世界線で》

 

 なにそれ?

 

《それにしてもドリームチームというか、たとえ尻尾オニであろうと観戦がチケットで叶うのならそれなりに稼げそうな面々だよねー。ダート適性のあるタイキとミークをどう使うかが勝敗の分かれ目になるかな》

 

 クラシック級という括りは私たちの自由を妨げる檻か、守るための城壁か。

 ここまでの尻尾オニではシニア級とクラシック級の混合チームが結成されたことはない。まるでこれから自分たちが戦わなければならない相手をしっかりその目に焼き付けろと言わんばかりに。

 

「ついてく……ついてく……!」

「ほう、面白い。ならばやってみせろ……!」

 

 眼前で展開されるのは、まるで赤熱する鉄塊が真正面からぶつかり合っているかのようなプレッシャー。無論、六十キロを超えて走るウマ娘が正面衝突したら交通事故もかくやという惨事になる。速度も技術も卓越した先輩方は接触さえほとんど無い。あくまでもののたとえであるが。

 私たちはクラシック級の上層でしかないのだと、何よりも強烈に脚で刻み込んでくる。

 

「ハーッハッハッハ! バクシンバクシンバクシーン!!」

 

 特にバクちゃん先輩さぁ。

 アナタ六月前半にGⅢ『函館スプリントS』で一着取って、七月前半にGⅢ『CBC賞』で一着取って、それで九月には前半にGⅡ『セントウルS』を経由して後半にGⅠ『スプリンターズS』の連覇を狙うんですよね?

 それなのに心身を削るような夏合宿に参加できるだけの余力あるんだ。ふーん。

 夏の日差しとは別の要因で背中に汗が流れるのを感じる。

 

《そのあたりのローテはアプリ準拠なんだね。でもアプリのころは特に疑問も覚えなかったけど、このローテで夏合宿までがっつりこなすって控えめに言って頭おかしいよな。

 脂が乗り切っている。まさに全盛期ってやつだ。相手にとって不足なしというか、むしろちょっとくらい加減してくれてもいいのよというか》

 

 ちなみに私の次走もこの国の数少ない短距離G1、スプリンターズSである。

 ずっと前からわかっていた。

 今の時代に短距離G1を獲ろうとするのなら、かの驀進王から逃げ切ることはできないのだと。むしろ逃げ切って勝つのはバクちゃん先輩の十八番だ。

 

「……バクシンオーちゃん、飛ばし過ぎです」

「まだまだ大丈夫ですっ、学級委員長ですから!! 2400mを既に制した私の限界はこんなものではありませんよ!!」

 

 余談だが、怒涛の1200mローテはバクちゃん先輩曰く『1200m×3レース=3600mの長距離レースです!!』らしい。G1のスプリンターズSを除いた短期間での重賞三連はひとまとめにして長距離カウントだそうな。

 ……テンちゃんが最初の最初にバクちゃん先輩の担当トレーナーの人となりを調査してくれていて本当によかった。

 あれが無ければ頭ざんねんな優駿を誑かして利益を掠め取っている詐欺師と断じて、何かをどーにかヤってしまっていたかもしれない。

 

「……ぜぇ……ぜぇ……バクシンバクシン、バックシーン……」

 

 あ、ちょっと見ない間にすっかりスタミナを使い果たし垂れている。

 

《長距離用のスタミナをアクセル全開べた踏みで使い切るから短距離までしか無理だなんて揶揄されたバクシン的ペース配分は伊達じゃないぜ! ま、()()()の方じゃ『まさに本格化したといっても過言ではない』と騎手に言われスプリンターズSを勝利したころには一本調子の逃げから好位での折り合いがつけられるようになっていたそうだけど……こちらの学級委員長は未だに頭バクシンだよね》

 

 うーん。バクちゃん先輩のレースを見学させていただいた感じ、たしかに短距離に限って言えば逃げだけじゃなくて好位につけての先行でも十分走れているように見えたんだけどな。

 やっぱり距離が延び、自分以外の誰かが前にいる時間が長くなるとむずむずしてしまうのかしらん。学級委員長の社会的立ち位置はともかくとして、皆のお手本として自分が先陣を切らねばならないというあの人の熱意は本物だから。

 いつかサクラバクシンオーというウマ娘が中長距離でも模範的活躍ができる日が来る。それを心から信じて、彼女自身もトレーナーも今の自分にできることを全力で頑張っている。

 努力は報われてほしいよね。私たちのものも含めて。

 短距離G1スプリンターズステークス。サクラバクシンオーという優駿がクラシック級の時点で一度制した時代最速の頂。

 連覇のかかった大舞台での正面衝突。得られるものはきっと一つではない。

 

 ジュニア級の種目別競技大会で経験したブライアン先輩との一戦。

 あるいはそれ以来かもしれない『明確な格上への挑戦』の刻は着々と迫っていた。

 

 




【〈キャロッツ〉の先輩方と仲良くなろう その①】
「せっかくなのでリシュさんのことを占ってしんぜましょう! 本日は姓名占いが吉と出ました!」
「え、あ、はい。よろしくお願いします」
《占いの種類を占いで決めるって、エコバック入れるためのエコバック買う的なアトモスフィアを感じるな。さすがフクキタル。略してさすフク》

「エコエコアザラシ…エコエコオットセイ…テ・ン・プ・レ・オ・リ・シュ! キエーッ!!」
「…………」
《わくわく。何気にシラオキ様はガチっぽいからな。アニメでもノーヒントでパーマーにヘリオスが必要だって言い当てていたし、本人も霊能ゼロってわけじゃなさそう。だからそんな壺の勧誘されたみたいな表情しなくていいと思うゾ》

「…あ、あれ? 何も見えませんね。あっ、もしかして偽名だったり――ヒエッ」
「フクキタル先輩ってジョークのセンスが独特ですね。URAに偽名で登録するわけないじゃないですか」
《おちつこう。彼女は占いに傾倒しているだけなんだ》

「ごめんなさいごめんなさい悪気は無かったんです。命ばかりはお助けをー!」
「アハハ、マジウケる」
《普段怒り慣れていないせいでテンションが迷子になってるなあ。どうどう》



「わあー、リシュちゃんが耳絞っているところ初めて見たかも…」
「アタシもリシュがキレているところって、数えるくらいしか見たことないのよね。フクキタル先輩、いったい何やらかしたのかしら…?」



《…………何も見えない、か》

マチカネフクキタルとの友好度が上がった!


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夏祭り、そういうのもあります

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U U U

 

 

 いつの世も、荷物というのは少ないに越したことは無い。

 いくらウマ娘がヒトミミより腕力に長けているといっても単純に鞄に詰め込める容量には限界がある。複数の鞄を用意したところでウマ娘もヒトミミも腕が二本しかないことに変わりはなく、大量の荷物を抱えていれば通行の妨げにもなってしまうだろう。

 夏合宿の荷物は必要最小限、それが基本だ。

 だから『夏休みも忙しいのはわかりますが、その年にしかできないこともあります。どうか役立ててください』と実家から一筆添えて送られてきた浴衣をここに持ってきたのは理論的に何の破綻も無いし、合宿所の近くでお祭りがあると聞いてそれを着ていくことにしたのも当然の帰結なのだ。

 

「ん、ありがとデジタル。どうかな?」

「…………」

 

 振袖ほど難易度が高いわけではないが、やはり和服というのは現代人になじみがない。

 そこでコスチュームに一家言あるデジタルに着付けを手伝ってもらい、どうせならと髪も結い上げて夏祭り仕様になった私はくるりと一回転してみせる。

 はらはらと涙を流しながらデジタルは口を開いたが、出てきたのはヨダレだけ。無言のまま彼女はぺたんと座り込み、すりすりと両手をこすり合わせて拝み始めた。

 

《感無量で何も言えないってさ》

 

 よし、似合っているってことだな。

 わりと素直に嬉しい。私は髪といい目といい配色が派手だから、こんな淡い色合いの浴衣では雰囲気がちぐはぐになってしまうのではないかと少し心配していたのだ。

 

「いいなーリシュちゃん。マヤも準備してくればよかったなー」

「だったら来年また行こう。合宿も夏祭りも、開催される時期や場所はそうそう変わるものじゃないだろうから」

 

 変わるとすればこの場にいる面々、つまり誰かが引退するくらいだろうか。

 それならば、デジタルとマヤノなら問題ない。そう信じられる程度に付き合いは長くなった。

 そんな子供っぽい信頼を理不尽に蹂躙するのがこの世界だということは、振り返ればわかることだけども。

 

《無理が通れば道理が引っ込むのが世の摂理。理不尽な運命よりもぼくらがさらに理不尽な存在であればいいだけの話だ》

 

 そういうことだね。

 無邪気であることに遠慮はいるまい。私たちはまだまだ子供なのだから。

 浴衣と一緒に送られてきた草履も履いて準備はバッチリ。やっぱり浴衣に靴じゃあ片手落ちだよね。露出したうなじに風が通り、それだけで涼しさが増した気がする。

 他の二人が普段着の中ひとりだけ浴衣なのは何だか頑張っちゃっている気がして気恥ずかしさが無いわけでもなかったけど、〈パンスペルミア〉宿泊の相部屋から出てみれば待ち合わせしていた廊下にはもう一人浴衣のウマ娘がいた。

 私を見たウララが、桜の花が浮かぶ特徴的な大きな瞳をきらきらと輝かす。

 

「おおー、リシュちゃんきれーい!」

「ありがとう、実は私もそうなんじゃないかと思っていたところなんだ」

「わたしも浴衣着たいなー。よーし、今度トレーナーといっしょに探すぞー」

 

 担当トレーナーとの信頼関係が築けているようで何より。でもウララのトレーナーって若い男性じゃなかったっけ。中等部の女の子の浴衣選びに付き合わされるのはどうなんだろう。

 残念ながらウララは普段着組だ。もしも彼女が浴衣を着ていればそれはそれは可愛かっただろうが、普段の調子で動いてあっという間にあられもない姿になってしまうのではないかと不安でもある。だからこれでよかったのだろう。

 

《キングちゃんみたいなお世話係同伴じゃないと、なかなかウララちゃんに浴衣を着せる勇気は湧いてこないなー》

 

 キングヘイロー先輩。黄金世代の一角にして、彼女たちの中ではGⅠ初勝利まで最も長く泥を啜った不屈の王者。

 クラシック路線では菊花賞(長距離GⅠ)で掲示板入りしておきながら、十度の敗北を経て血統を証明したGⅠの冠は短距離(高松宮記念)という、なかなかわけのわからない経歴をお持ちのお方である。

 ちなみにウララとは寮の同室だったりする。

 ウララの楽し気な口調に息づく『キングちゃん』というウマ娘は世間一般から抱かれる『プライドの高いお嬢様』というイメージとは異なり、世話焼きで面倒見のいい苦労人という姿が自然と浮かんでくる。

 そのほんわかとした笑顔を見るまでもなくルームメイトと上手くやっているのだろう。

 ルームメイトがココンだった私とは雲泥の差だな。比べるまでも無いというか、比べ物にならないというか。

 

「お、リシュも気合入ってんなー。よかったなスカーレット、ひとりで悪目立ちせずに済みそうじゃねーか」

 

 普段通りの服装のウオッカがにやにやしながら憎まれ口を叩いた。

 『カッケェ』にこだわる彼女にとっては、浴衣を着て全力で夏を満喫する女の子は軟弱に感じるようだ。要所要所で男子小学生みたいな感性を持っているんだよなぁこの子。

 

 ウオッカの挑発を完全に無視して、スカーレットはじろじろと上から下まで私を眺めまわす。

 私も同じようにスカーレットの浴衣姿を鑑賞させてもらう。

 私と違い髪型は普段通り、ツインテールにティアラまで同伴。それだけで和服からは浮きそうなものだが、はっきりした色合いの浴衣はスカーレットの個性をしっかり受け止めて調和していた。送り主はセンスに秀でているようだ。

 メリハリのあるスタイルは和服と似合わないと聞いたこともあったが、今のスカーレットはとても綺麗だと思う。身体のラインがあちこち強調されて私と比べたら色香が五割増しくらいなのは否定しようのない事実だけども。

 

「ふん、勘違いしないでよね。これはママが送ってきてくれたから着ただけであって、別にアンタとお揃いだとか全然そんなつもりじゃなかったんだから」

 

 つんとそっぽを向きながら言い放つスカーレット。

 

《これは……どっちだ?》

 

 言葉通りの意味なんじゃないかな。

 スカーレットはママのことが大好きだから。

 彼女のツインテールもティアラもママ由来のものだ。ならば浴衣が送られてきたのなら、機会があれば素直に着るだろう。

 

「よし、みんな集まったし行こうか」

「ちょっと、アンタが仕切るの?」

「私が言い出しっぺみたいなもんだし、音頭くらいは取ろうと思ったけど迷惑だったかな」

 

 厳密には私というよりテンちゃんだが。

 毎年トレセン学園夏合宿の期間に、合宿所の近くでお祭りが開催されるのは一部では有名な話らしい。いや一部ってどこだよ?

 曰く『夏最大の中央ウマ娘ウォッチングスポット』。

 お祭りを開催する側も参加者たちも心得たもので、トゥインクル・シリーズで顕著な成績を挙げている生徒がいてもそっと気づかないふりをしてくれるらしい。

 

《おさわり禁止と言われたら本当にやらないんだから、本当に()()()()の人間はモラルが高いよね。バカがいないわけじゃないけどアベレージが段違いすぎる》

 

 たしかにファンから話しかけられたりサインや握手を求められたりしたら、応援してもらえる嬉しさが無いとは言わないけど心が営業モードに入っちゃうもんな。

 遊びじゃなくなっちゃう。日が暮れるまでトレーニング尽くしだったのに、日が沈んだ後まで仕事したくないよ。お金にならないのなら猶更。

 夏合宿で疲れ果てたウマ娘が気分転換にお祭りに遊びに行くというサイクルを維持するためには、必要な暗黙の了解なのだろう。

 

「ふん、別にいいんじゃない」

「はいはい。じゃ、れっつごー」

 

『おー!』

 

 つんけんしていたスカーレットの同意も取れたので号令をかけたが、乗ってくれたのはマヤノとウララの二人だけ。ちょっぴり寂しい。

 

「あ、ウオッカ。そこで昇天しているデジタルは適当に蘇生しておいて」

「扱いが雑だなオイ!? いつものことだってか」

 

 今日のお祭りにはこのトゥインクル・シリーズ同期組の六人でいく。

 チーム内で先輩後輩の仲が悪いわけじゃないけど、あまり人数が多いと単純に動きにくくなる。お祭りの混雑具合によっては六人でもわりとギリギリだ。

 ま、先輩方は先輩方で夏を満喫しているはずなので。もしかすると向こうでひょっこり合流することもあるかもしれないけどね。

 

 ハードな夏合宿の最中、お祭りに参加する余裕なんてあるのかと問われれば、あるに決まっていると断言しよう。

 そもそも今日だってとっぷり日が沈むまでトレーニングに打ち込んだ後だ。丸一日オフだったわけじゃない。

 〈パンスペルミア〉と〈キャロッツ〉はどいつもこいつもピンピンしているからわかりにくいが、合宿に参加するような逸材でもこの時間帯になると疲れ果ててダウンしているウマ娘は多い。

 個人的にはウララがダウンしていないことの方が驚きだったりする。

 

《たぶんあれはお祭りが楽しみ過ぎて疲労が追い付いていないだけだと思うぞ。たぶん追いつかれた時点でコテンとオチる》

 

 なるほど。テンちゃんの言うことも一理ある。ウララが寝落ちした時点で帰ることも視野に入れておこう。

 

 ウマ娘がいくら物理の法則からたびたびはみ出る存在とはいえ、生物であり年頃の女の子である事実は変えようがない。心にも身体にも掛けられる負荷には限界がある。

 遊びに行く時間的余裕がないというのは私が思うに、負荷への耐性が異常に高いというよりは、限界を越えない程度にだらだらと努力するポーズをとっているだけというパターンが大半なのではないだろうか。

 だったらサクッと限界まで追い込んでその後にしっかり回復タイムを設けた方が効率的かつ健康的だ。

 自分は努力しているのだといくら自分に言い聞かせたところで気休め以上の効果は無く、努力の成果はレースの結果という形でどうしようもなく明確に出てしまうのだから。誤魔化したところで無駄だ。目の逸らしようがない。

 

《別にレースで一着になれなかったからといって、努力が足りない証明ってわけじゃないと思うけどね》

 

 そうだね。私たちより才能が無かっただけかもしれないよね。

 でも自分たちが思うように成果が出せないからといって、私たちの遊びを邪魔する権利が生じるわけじゃないと思うんだ。

 本当にそれが間違いだと信じているのなら、私たちが遊び惚けている時間を血肉に変えてレースで先着して証明してくれ。

 それがすべてだ。

 

 私たちが気分転換に往くのだから、トレーナーの皆様方もその間にしっかり休んでもらいたいものだけど、どうかなぁ。

 ちょうど桐生院トレーナーが学園から合宿所に来たタイミングだし、引継ぎと今後の打ち合わせを兼ねたミーティングとかやっていそう。

 チーム合同トレーニングの真価は、トレーナー陣の分業による効率化。

 今日まではゴルシTが先導することが多かったけど、明日以降はうちの桐生院トレーナーが夏合宿チーフトレーナーの役割を担うのだろう。入れ替わりで今度はゴルシTが学園でトレーニングに打ち込むウマ娘たちのもとへ赴く形となる。

 どれだけ完璧なメニューが組まれたところで、それを実行する際に必要なのはウマ娘とトレーナーの信頼関係。であるならば、どれだけ有能なトレーナーが陣頭指揮を執ってくれていたとしても『自分のトレーナーではない』というだけで効果は減少してしまう。

 分身できない以上、こういう形でトレーナーというオンリーワンな素材の運用形式になるのも宜なるかなといったところだ。学園にいるのだって彼ら彼女らの大切な担当ウマ娘なのだから。

 実際、私も桐生院トレーナーが明日以降のトレーニングを担当してくれると思うだけでテンション上がるしね。

 

《リシュは葵ちゃんとだいぶ仲良くなったよなー》

 

 そうだね。

 実を言うと、純粋な相性で言えばゴルシTの方が私たちと合っているのではないかと思う。

 彼はすごい。私たちの自由にさせてくれる。

 トレーニング中のストレスが極端に少ない。ゴルシ先輩を担当している以上、びしばし上から抑えつけるような指導スタイルではないだろうと想像はついていたが、あそこまでとは思わなかった。

 おそらくはウマ娘の癖を見抜くのが抜群に上手いのだろう。身体の癖、心の癖、魂が求めるもの。そういうウマ娘が自分でさえどうしようもない奔流を即座に把握し、そのウマ娘が掲げる目的に合わせてベクトルを整えてくれる。

 それでいて放置されているような不安や心細さは一切ない。彼の指示に従っていれば怪我や故障はするまいと確信、あるいは盲信してしまいそうなほどに視野が広い。

 ウマ娘の規格外たるテンプレオリシュを前に、それを貫いてみせたトレーナーの規格外。それが彼だ。

 

 それでも私たちのトレーナーは桐生院トレーナー。

 そういう認識がもうしっかり完成してしまっている。願わくはトゥインクル・シリーズを走り終えるまでずっとそうであってほしいものだが。

 

《いまさら契約解除に至るような要素は無かったと思うけど?》

 

 いやーうん、私たちと桐生院トレーナーの間だけ見ればそうなんだけどね。

 ほら、私たちだってお年頃の女の子なわけで、大人の男女が仲良さげだと噂話のひとつでもこそこそやるわけですよ。

 桐生院トレーナーの一番仲よさげな異性ってゴルシTじゃん?

 

《そうだね。葵ちゃんって純粋培養というか何と言うか、出会いの無さそうな人生送ってるし》

 

 その評価の是非はさておき。

 教職員の場合さ、同じ学校で結婚したらどちらかが別の学校に飛ばされるらしいじゃん。

 トレーナーの場合はどうなのかなって。この前テンちゃんが寝ちゃった後に白熱したコイバナ(マヤノ主催)がそういう流れになって、いっきに気まずくなっちゃって。

 

《あー……。なるほど》

 

 誰だって自分のトレーナーにはいなくなってほしくない。

 過程をだいぶ飛ばした話ではあるが。女性の場合、結婚して家庭を築き子供を産むのなら、仮に育児を旦那に任せ仕事を続けるとしても産休が発生するのは避けようがない。

 もしも仮にあの時きゃいきゃいと盛り上がった妄想のように、桐生院トレーナーがゴルシTのことを憎からず思っているのなら。

 私は応援したいと思う。

 何なら今日の夏祭りにかこつけて連れ出して二人で屋台を巡って花火を見上げていい雰囲気くらい作ってしまえとさえ思う。

 

《でもゴールインするのはぼくらが『最初の三年間』をゴールするまで待ってねってことだね》

 

 う、うん。身も蓋も無いことを言ってしまえばそういうことだ。

 

 

 

 

 

 夏祭りで真っ先に購入したのは猫のお面。

 別に猫やお面が好きということはないのだが、何故かテンちゃんは嬉々としてそれを選んだ。

 顔に被るのではなく、かの“永世三強”の一角イナリワン先輩の勝負服のように右上にずらすようにして装着。安っぽいゴム紐の圧がささやかに頭部を締め付ける。

 

《冒険に出かける前に装備を整えるのは基本中の基本さ。アニメキャラよりこういう動物モチーフの方が風情あるだろ? 夏祭りスタイルはこうじゃないとね。

 ふむ、夏祭りver.テンプレオリシュ完全版のクオリティは三デジタンってところか》

 

 三デジタン。アグネスデジタルが活動可能な耐性を得るまで三回の昇天と蘇生サイクルを必要としたという意味である。世界に新たな単位が生まれた瞬間だった。

 プリファイに変身ヒーロー、私とは色違いの猫のお面。思い思いに装備を整え、いざ提灯の灯りと祭囃子に彩られた冒険に出発。

 

 

 

 

 

 型抜きの屋台では各人の特色が出た。

 ミシンのような手さばきでダガガガッと速攻で難易度むずかしいを終わらせ、見事景品を獲得した私とマヤノ。

 対抗心で手を速めたスカーレットと純粋に真似しようとしたウララは途中でパキッと割ってしまい失敗。

 ウオッカはちまちました作業は柄じゃねーと不参加で、デジタルはマイペースに難易度ふつうをちまちま削ってしっかり成功させていた。

 やっぱりこういう勘の良さと身体コントロールを要求される分野では私とマヤノがツートップだ。

 ごく当然のように財布をわしづかみに再挑戦しようとしていたスカーレットを『ウララが眠くなる前に一通り見て回ろう』と説き伏せ、次の屋台へ。

 

 

 

 

 

 射的の屋台では、景品にどこか見覚えのあるでっかいぱかプチが並んでいた。

 具体的には今年の日本ダービーとオークスを制したウマ娘たちの限定特別バージョン。つい先日試供品が送られてきたばかりのような気がするのにもう市場に並んでいるとは、月日の流れとは早いものである。

 私ひとりなら服装と髪型をいじったから気づかれないのかとも思えたが、スカーレットはあのツインテールもティアラもそのままなのだから誤魔化しようがない。

 

《これで屋台のおっちゃんも周りの夏祭りに来ている客も気づかないふりをしてくれているのだから、なかなか暗黙の了解が徹底されているよね》

 

 まったくだ。この夏祭りは本当に夏合宿に来たウマ娘たちの憩いの場として年月を重ねてきたのだろう。

 

「くっそ、当たんねー」

 

 感性小学生のウオッカが案の定まっさきに飛びついていたが、戦果は芳しくない様子。

 仕方がないので手本を見せてやることにする。

 銃身の歪みというのは誰でも意識するだろうけれど、コルクの弾丸のばらつきも射撃精度にとって無視できない要素だ。

 指でつまみ上げて観察すれば形状の歪みと湿り気による重心の偏りもそれなりに把握できる。そうやって事前に手持ちの弾の品質を把握した上で、銃を構える。

 狙うはウララがきらきらした目で見つめているでっかいウサギのぬいぐるみ。あのサイズなら上手く先端に当てたところでそう倒れることはあるまい。いわゆる客寄せパンダというやつ。

 関係無いね。棚に並んでいる以上、撃ち落とせばこちらのものだ。

 一発目、頭部右上に命中。少し揺れるだけ。

 ぬいぐるみに付与された運動エネルギーが消えないうちに素早く装填して二発目、わずかな揺れに合わせたタイミングで同じ場所に着弾。ぐらぐらと揺れが大きくなる。

 すかさず三発目。これは頭部のど真ん中に命中。最後の一押しでぐらりと限界を超えたぬいぐるみは棚から転げ落ちた。

 おー、と歓声があがりパチパチとわずかながら拍手も聞こえる。

 

「こうやるんだよ」

 

 ウオッカに向けてふふんとどや顔を披露してやったその横をぽこんとコルクの弾丸が通り過ぎた。

 マヤノの構えた銃から放たれたそれは私が仕留めたウサギと同等の風格を持つタヌキのぬいぐるみに命中し、なんと最初の一発目でぽてんと棚から落とす。

 

「こうやるんだよー、ユー・コピー?」

「……アイ・コピー」

 

 一撃で相手を撃墜するウィークポイント、それをノーヒントで見抜く嗅覚は私よりもマヤノの方が上のようだった。

 ちょっと悔しい。

 

「……デジタル、お前すっげーな。よく四六時中あの二人と同じチームで自信喪失しねーよ」

「浴衣でどや顔リシュさんにカウンターでどや顔するマヤノさんとかこんな季節イベント超限定レアスチル無課金で見ちゃっていいんですか本当に? うへへ、これは脳内に永久保存決定版ですな――は、え? あ、ハイ。すみませんウオッカさん。聞こえていませんでした。お手数ですがもう一度お願いします」

 

「…………本当にすっげーよ、お前は」

「ほへ?」

 

 いつも通りのデジタルにウオッカが迂闊に話しかけてドン引き、と思いきや意外と揶揄抜きに感心しているようだ。

 たしかに私もマヤノもデジタルの隣では手加減も遠慮もしていないからね。振り回そうが壁に叩きつけようが、多少乱暴に扱っても壊れない得難い友情だと思っているから。

 その耐久性は評価されて然るべき項目ではある。たとえそれが変態的嗜好によって培われた、勇気とか努力とか少年漫画的ポジティブワードとは無関係なもの発祥の素養だったとしてもだ。

 

「…………」

 

 その横でスカーレットが無言で執拗にぽこぽことコルクの弾丸で今年のダービーウマ娘の巨大ぱかプチの額を狙っていたのは、きっとその景品が欲しかったからではないだろう。

 

「あ、ウララ。このぬいぐるみ、あげる。私の部屋には置くスペースないから」

「ほんと!? わーい、ありがとうリシュちゃん!」

 

 別に狙ったわけじゃないけど、ぬいぐるみを抱きしめたウララのこの心の底から嬉しそうな笑顔を見れたことがこの射的の最大の戦果だったかもしれない。

 

 

 

 

 

 景品を獲得できるタイプの屋台を巡るたびに戦利品が増えていき、『こんなこともあろうかと』とたぶん私たちの中で一番用意周到なデジタルが取り出した大きな袋たちもパンパンに膨らんだところでターゲットを飲食系の屋台に移す。

 りんご飴、焼きそば、わたあめは基本。フランクフルトとかき氷は鉄板。チョコバナナにチョコニンジンはデザート枠だろうか。

 

《当たり前のようにニンジンが並んでいるのにも慣れたもんだ》

 

 ウマ娘用に量があるとはいえそれを差し引いてなお、けっこういいお値段な屋台の値札設定だけれども。

 不思議と食べ終わった後も損をした気はしない。お祭りの食べ物ってどうしてあんなに美味しいんだろう。

 

《気分だろ。かき氷のシロップの違いが色と香料だけで味は同じだって知ってた?》

 

 身も蓋も無いね。風情はどうした風情は。

 

 キャラクター焼きと銘打たれて販売されていた、タヌキのようにデフォルメされたシンボリルドルフ会長を頭から一口でいただく。

 ちゃんとURAなりシンボリ家なりに許可はとっているのだろうか。こういう怪しげな品々もお祭りの楽しみの一つだ。

 

《しょんぼりラクーン、この世界にもいたのか……!》

 

 何やら戦慄しているテンちゃん。

 

 アスリートと呼ばれる人種は常人のおよそ三倍を食べるという。そして思春期のウマ娘はヒトミミの三倍くらいはぺろりと平らげる。つまりトゥインクル・シリーズを走る私たちは一般的なヒトミミの九倍食べる……という単純計算が成り立つわけでもないが。

 目についた屋台で気の向くままに食べていっても私たちの腹にはまだ余裕がある。軍資金もまだ大丈夫。普段は走ってばかりで無駄遣いする暇がないから、こういう機会くらいぱーっと散財してしまっても問題あるまい。

 真面目なスカーレットは逐一食べたものをスマホにメモしている。

 

《今日くらいはカロリー計算を頭から消し去っても罰は当たらないと思うんだけどな》

 

 それがスカーレットだからね。

 

「まだかなー、まだかなー」

「時間的にはもうそろそろのはずだねー」

 

 わくわくと目をきらめかせるウララと共に夜空を見上げる。

 なんとこの夏祭り、花火まであるらしい。それなりに屋台があるとは思っていたが、思っていた以上に豪勢だ。やっぱり近場で中央の夏合宿があることと関係しているのだろうか。

 見晴らしのいい場所まで移動するかという話も出たが、やめておいた。私の見立てが正しければウララの疲労が(当の本人はまるで自覚できていないが)そろそろ限界だ。

 見晴らしのいい場所というのは人の少ないところや高いところと相場が決まっている。つまり移動に少なからず時間と手間がかかり、その間にウララがコテンと寝落ちしかねない。

 

《最悪、寝落ちしてしまうだけならまだいいんだ。残念ではあるけどさ。問題は一度寝入ってしまったのに花火の音で起きてしまい、興奮してそのまま眼が冴えてしまうパターン。

 たぶんそのままウララちゃんは寝つけず、寝不足になって明日以降のトレーニングに差支えが出ると思うの》

 

 仮にも年上の女性に抱く懸念ではないかもしれないけど、テンちゃんの忠告は杞憂ではないだろうと私にも思えてしまった。

 それは私たち中央のウマ娘にとって避けたい事態だし、何より夏祭りに行くことを許してくれたトレーナーたちに申し訳が立たない。

 だからこうして屋台巡りを続行したまま、その場で花火を待つことにしたのだった。

 

 ヒュー、と夜空を縦に割く甲高い音。

 ドォーンと打ち上がる光の大輪。

 

「お、きたきた」

「わーい、わーい!」

 

「たーまやー!」

「うひょー、たまらーん!」

 

 ウオッカとウララとマヤノが並んではしゃいでいる。

 デジタルは花火よりもその光に照らされるウマ娘の横顔の方にご執心だがいつも通りなので問題ない。

 人混みのせいで少しばかり空が見えづらい。こういうときはウオッカやスカーレットの上背が羨ましくなる。

 

「……アタシ、アンタを探している。あの日から、ずっと」

 

 雑踏のざわめき。

 連続して花火が打ち上がる炸裂音。

 夜空に華が開くたび広がる大衆の歓声。

 

 でもその程度で私たちの五感が鈍るはずもない。

 隣にいる彼女の声を聞きのがすはずがない。

 

 これはあれだ。きっと大人たちが盃を酌み交わしながら話すのと同じ理屈だ。

 酒に酔っているからという大義名分で本音をぶちまけるのと同じように。

 視線を空に釘付けにしたまま、雑踏に紛れてしまっても構わない音量で。彼女はまるで独り言のように話している。

 

「勝てば見つかるかしら?」

「さあね、でも――」

 

 だったら私もそれに沿おう。

 咲き誇る夜空の大輪だけをまっすぐ見つめて、夏の風物詩が生み出す雑音に重ねるように言葉を吐く。

 

「譲ってあげるつもりはないね。欲しいのなら勝ち取りなよ」

 

 探している私が()()()なのかは定かでないが。

 やすやすと私たちと並び立てるとは思わないことだ。私の隣は魂の半分でもまだ足りぬ。四分の三くらいは捧げてもらわねば。

 

「上等。首洗って待ってなさい」

 

 いくつもの花が夜空に咲いては音を轟かせて消えていく。

 

「いったい何時になったらこの首に刃は届くんだろうね」

 

 その残響に隠すように、最後の花火が消えるまで私たちは独り言を重ね合った。

 




【〈キャロッツ〉の先輩方と仲良くなろう その②】
「はーい、ではでは。本日のオリエンテーションは自由課題とのことなので、TRPGのセッションを行いたいと思います。GMは不肖わたくしテンプレオリシュが務めさせていただきます」
『わー!』パチパチ

(中略)

「『くらいなサーイ! これが貴様が知らない友情の力デース!』。ダメージは…ワオ!? とってもダイス頑張ってくれマシタ。106点デース!」
「おっと、半分吹き飛んだな。では…『ほう、それが友情というものか。では私も使うとしよう』」

『えっ!?』

「ここで《異世界の因子》を使ってさっきタイキ先輩が使った《バリアクラッカー》をコピー。バリクラは〈白兵〉と〈射撃〉の両方に対応したエフェクトだから《ジャイアントグロウス》とも組み合わせ可能なのさ。『なるほど、たしかに強力だ。いい学習をした』、さあ、1ラウンド目に全員同一エンゲージになってしまったことを悔やむがいい!」

『わー!?』

「どどど、どうしよう! ガードできなきゃブルボンさんが倒れちゃう」
「いえ、それでも…『本機の使命は味方ユニットを守ることです。味方より先に斃れる盾など存在意義がありません』。《孤独の魔眼》で全部引き受けて、倒れます。流石に厳しいので復活はしません…ご武運を」

「う、うん! ライスだって、咲ける! ここで《マシラのごとく》を使って…ええええ!?」

『うわぁ…』
「5d10で出目操作も無しにファンブルって初めて見た…」

「うえーん、ごめんなさい。せっかくみんなが繋いでくれたチャンスだったのに…」
「いいえ! 『まだです! 本日の運勢はまだ尽きていませんよ!』。《妖精の手》です、さあ振り足してください!」

「ありがとうフクキタルさん、ありがとう! こ、これで…当たって!」
「それは当たったら消し飛ぶなあ。ドッジで…あ、めっちゃ回って避けた」

『ぎゃー!?』

「うわーん! ライスのせいだー!?」

「まだです! いつから私の《支配の領域》が品切れだと錯覚していました?」
「なん…だと…?」

「さっきのコストでエフェクトLv+1になったんですよちくしょうめ! ブルボンさんが守り通してくれたおかげでロイスは潤沢! いざッ勝負ッ、ふんぎゃろー!」
「うん当たる。ダメージちょうだい」

「『届いて!!』。ダメージは…91点!」
「『何故だ。お前らの能力はすべて把握できていたは、ず…』。うん、深々と短剣を胸に突き刺されたボスは動きを止めるよ。あなた方の勝利です」

『やったー!!』



タイキシャトルとの友好度が上がった!
ミホノブルボンとの友好度が上がった!
ライスシャワーとの友好度が上がった!
マチカネフクキタルとの友好度が上がった!





何をやっているのかわかった人はぼくと握手!
ちなみに筆者は3d10でファンブルまでなら出したことあるゾ!

次回、???視点


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サポートカードイベント:天秤を揺らす砂粒になれたら

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

以前にTRPGの話題出したときもそうだったけど、話通じ過ぎじゃない?
握手するだけで握力が鍛えられそうだ。類は友を呼ぶとはこういうことか……。

さて今回のサポカイベント、誰の視点なのか様々な予想が出ていましたが。
はたして正解できた方はいるのでしょうか…?
まさかのとあるモブウマ娘ちゃん視点です。
ラストの一部のみ三人称に切り替わっています。


 

 

U U U

 

 

 かつて私は天才だった。

 

 特に努力もしていないのに、走れば誰にも負けなかった。たまに私より速い子もいたけど、負けないように練習すればすぐに追いついて、そのうち追い抜かせるようになった。

 同年代の皆が私の背中を見ていた。大人が皆、私を褒めてくれた。

 楽しいだけで走り始めた私も、いつしかその評価に見合うだけの自分であろうと自分を律した。毎日のように努力を重ねて、いつの間にか私に勝てるウマ娘は周囲にはいなくなっていた。

 中央に合格したときも嬉しいことは嬉しかったけど、それ以上に順調という思いの方が強かった。

 往くべきところに往くのだと。その先に私がたどり着くべき目的地があるのだということを疑っていなかった。

 

 だけど中央で待ち受けていたのは、私程度の『天才』ならごろごろ存在しているという残酷かつ単純な事実。

 それでも、ここに合格したからには見るべきものが自分にもあるはずだと。折れそうになる心をそのたびに叩き直して。

 教官の画一的な指導を腐らずに熟し、自主練も身体が許す限り続けてきた。その甲斐あってか入学して二年目には選抜レースでトレーナーの目に留まりスカウトされ、三年目にはメイクデビューまでこぎつけることができた。

 かなり順調なペースだ。これならかつて夢見た場所を目指すことができるんじゃないかって、自分に期待して――

 

『追いかけてくる子はまだ二バ身後ろ! 三バ身、四バ身、縮まらない!? 伸びる伸びる、強いッ! ゴール!! 五番テンプレオリシュ、圧倒的な実力差を見せつけメイクデビューを制しました。次のレースが今から楽しみです』

 

 ――私がひとつひとつ積み重ねてきたものをあっという間に飛び越えた『本物』に、木っ端みじんに蹴散らされた。

 

 

 

 

 

 夜中に目が覚めてしまい、こっそり合宿所を抜け出す。

 

 体力を使い果たせば今度こそ泥のように眠れるんじゃないかと思って。

 最後にぐっすり寝たのはいつだっただろうか。

 眠れないわけじゃない。寝不足になって翌日のトレーニングに悪影響が出たことはない。

 ただ、眠りにくい日が続くだけ。

 

 滑り込むように参加資格を得た夏合宿。

 トレーナーはすごく喜んでくれて、私は参加しないという選択肢を失った。

 強くなりたい。強くならなきゃいけない。

 今でもそう思っているから毎日こんなに必死こいて走り込んでいる、はずだ。

 なのに何故こんなにも途方に暮れているのだろう。

 

 友人に誘われた夏祭り、結局いくことは無かった。

 その分の時間を自主練につぎ込んだけど、本当にあれでよかったんだろうか。

 『エラは真面目だねぇ』と残念そうに微笑みながら褒めてくれた友人の顔を思い出す。

 違うのに。ただの罪悪感。何の成果も出していない自分が、あからさまに遊びに行くだけの勇気が出なかっただけなのに。

 今夜は遊ぶとはっきり決断できた友人の方が、よっぽど真面目だ。

 

 ストレッチをしているうちに暗闇に目が慣れてきた。

 靴ひもをしっかり締めて呼吸を整える。

 中央トレセン学園のある府中に比べ、合宿所近辺はトレーニングに活用できる自然環境が豊富。つまり人気が無ければ人工の灯りも無い。

 星と月を光源に私は走り出す。

 目的地どころか明確な目的意識もない。自主練と呼ぶのも烏滸がましい。

 こんなの、ゆるやかな自傷行為だよ。

 

 潮の匂いがする空気の中をただ走る。あても無く、何かから逃げるように。

 追跡者のいない逃避行はそう長くは続かなかった。

 聞こえる潮騒の中に人の声が混ざった気がして、私は足を止める。

 

 こんな時間にいったい誰が?

 自分を棚上げしてそう思う。

 

「……歌?」

 

 背筋に冷たいものを感じなかったといえばウソになる。

 トレセン学園の生徒で一度も怪奇現象に縁の無かった者なんてそういない。

 そもそもウマ娘という存在そのものがオカルトに片足を突っ込んでいるのに加え、年中無数の夢が散る中央は怨念の種に事欠かない。

 私もこのままだと遠からず、その魔のひとかけらに変じるかもしれない。

 

 だけど、よくよく耳を澄ましてみると。

 やたらアップテンポというかロックというか。

 かすかに聞こえてくる歌声は実にエネルギッシュだった。

 

 こんな生命力に溢れた幽霊がいるのなら逆に見てみたい。

 そんな好奇心に背中を押され私は歌声が聞こえる方へ、海岸へと足を向ける。

 

 そして見つけた。

 降り注ぐ星の光を一身に受け止め、くるくると舞い踊る銀ピカのウマ娘。身に纏った学園指定のジャージはどんな豪奢な衣装より神秘的に映った。

 私より十センチは低いはずなのに、その巨大な存在感は遠目にも見間違えようがない。

 なんで、どうして、よりによって貴女がここに。

 

 立ち竦む私の存在に気付いたのか、あちらも動きを止める。

 歌声が消え、区切りのように大きく振り下ろされる右足。砂浜だという事実をものともしない重音は潮風を揺るがし、その場の空気がぱっと一新されたような気さえした。

 赤と青の双眸がすいと私を見つめる。

 

「……こんばんは、バトルオブエラ先輩」

 

 まさか名前を憶えられているとは思いもしなくて思考が止まった。

 バカみたいにただ視線を合わせて、いったいどれだけ硬直していたのか。

 彼女が無表情のまま首を傾げて、さらりと動いた銀髪にようやく呼吸の仕方を思い出した私は、慌てて吐き出す息に乗せて挨拶を返す。

 

「こ、こんばんは、テンプレオリシュさん」

 

 先輩、先輩か。

 たしかに私の方がずっと年上だね。大人にとっては一年や二年の差なんて些細なものらしいけど、小中高の一年は世界を隔てる分厚い壁だ。

 とはいえトレセン学園の生徒にとって、年齢の壁は一般的な中高生のそれに比べだいぶ薄く透明度が高いと思う。

 “本格化”と“トゥインクル・シリーズ”があるから。

 本格化がいつ来るかは個人差が大きく、それに応じてトゥインクル・シリーズにデビューする時期はまちまち。

 中等部でデビューする子もいれば高等部になってようやく本格化を迎えられる子もいて、そしてデビューしたのが何歳のときだろうと私たちの実力はジュニア級、クラシック級、シニア級の区分で評価される。

 中等部だろうと高等部だろうと関係ないのが大前提。ウマ娘はそういう生態で、ここはそういう世界。

 

「……先輩扱いも敬語もいらないよ。トゥインクル・シリーズでは同期でしょ?」

 

 でも私がそう言ったのは別にそんな小難しい理屈があったわけじゃなくて。

 ただ彼女に敬称で呼ばれ敬語を使われることに耐えられなかった。それだけのことだ。

 今や“銀の魔王”なんて仰々しい異名でマスコミに煽られトゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘と、なんとか未勝利戦を潜り抜けた十把一絡げのモブウマ娘。

 同期だからライバルだなんて、冗談や軽口でも言う気になれない。

 

「そう」

 

 短い了承。拒絶ではなかっただけマシなのだろうけど。

 そこに窓があるとは気づかずガラスで突き指しかけたような、冷たく硬い常温に怯みそうになった。

 メディアの露出越しに見る彼女はめちゃくちゃフレンドリーなんだけどな。いや、あのテンションでぐいぐい来られても困るか。

 

「えと、こんな時間にどうしたの?」

 

 お前が言うなと脳内でブーメランが回転する。

 でもこんな状況でとっさに出てくる話題なんてこんなのしか無いんだよね。

 

「あまりに数が多くて鬱陶しいから、いっそまとめて()()()()()やろうかと」

「そっかー」

 

 あ、わかったこれ。下手に知ったら夜眠れなくなるやつだ。

 既にあまり眠れていないのだから、私は即座に話題を変えることにした。

 しかし本当に何を話すべきか。あのテンプレオリシュと話している。実は合宿所の布団の中で見ている夢なんじゃなかろうか。現状に現実味がないせいか、友人と話すときのような取り留めのないラインナップがちっとも脳から降りてこない。

 そもそも存在を認識されているとさえ思っていなかったのだ。

 

「それにしても驚いたな、名前。そもそも存在を認識されているとさえ思っていなかったから」

 

 ちょっと待とうか私の口。思ったことをそのまま垂れ流していいなんて誰が許した。

 誰か一度口から放たれた言葉を相手に届く前に回収する技術を開発してくれないだろうか。今ならなけなしのレースの賞金をつぎ込んででも私が買い求めるよ。

 

「メイクデビューで一緒に走ったでしょ? 二枠二番バトルオブエラさん。適性はスプリンター寄り、脚質は先行。二着だったよね」

 

 ふざけた現実逃避が、ばつんと衝撃で断ち切られる。

 

「……な、なんで?」

 

 真っ白になった全身の中で、口だけが勝手に動いて疑問を投げかけた。

 年下相手にまるで縋りつくような声色だと、痺れた思考に自嘲が滲む。

 

 何故そんなことまで憶えているんだ、貴女が。

 短距離であるにも拘わらず五バ身差、影さえ踏めない大敗を喫したウマ娘の情報なんて記憶に留める価値など無いだろうに。

 

「私は強いから」

 

 受け取りそこなったのは思考が漂白されていたことだけが理由じゃないと思う。

 通じていないことを悟ったのか、テンプレオリシュさんは小首を傾げてから、噛んで含めるように言い直してくれた。

 

「私はとても強いから、私と走ったウマ娘の中には走るのをやめてしまう子が一定数存在しているんだ」

 

 ただ事実を淡々と述べている口調だった。

 そこには自負も無ければ、罪悪感の欠片も見当たらなかった。

 

「でも中央に来るような子は、ただ走るために生きてきたような子ばかりでしょ?」

 

 生き方を変える、なんて安直な表現で言い表せるものではない。

 大人から見ればほんの数年。仮に五年や十年ともなれば短いとは言えずとも、やはり取り返しのつかない時間でもない。

 でも私たちからすれば代用不可能な人生の十割なんだ。

 それはひとつの人生の終焉に等しい。振り返ればそんなこともあったかと苦笑できるような思い出になるのだとしても、現在進行形のそれは死神の鎌の味をしている。

 

「だから、私が『殺した』かもしれない相手のことくらい、憶えておこうかなって。どうせ現役全部含めても千は超えないだろうし」

 

 ……私はここまで傲慢で壮絶な覚悟を持って走ったことが、一度としてあっただろうか?

 

 あるはずもない。

 小さいころ、友達を泣かせてしまったことがある。私が勝ったから。

 後味が悪かった。なんなら『ごめんなさい』と謝った気もするし、それでますます相手を怒らせたような記憶もある。

 でもいつの間にか慣れてしまっていた。簡単に破れていた足の裏の皮膚は何度もマメができるのを繰り返すうち分厚いタコになり、踏みつけても何も感じなくなっていた。

 

 因果は巡るもの。

 いつか私がそうやったように。あの日踏み砕かれた私は雨ざらしにされて、ただ朽ちていくのを待つばかりなんだと思っていた。

 

 ……ずっと、背負ってきてくれていたの?

 

 何人も、何人も。無責任に砕けて散っていく軟弱な私たちを一人も残さず。その小さな背中に乗せてここまで駆けてきたというの?

 そのとき走った身体の震えの正体を余さず表す言葉は、浅くて薄い私の人生経験の中には存在していなかった。

 ただ、堪らなかった。レースの高揚とはまた違う、生まれて初めて魂が煮え滾る感覚を知った。

 

「こんなの、我らが生徒会長に比べたら全然だよ。私は自分が直接行き会ったウマ娘のことしか記憶していないから」

「えっ、とー」

 

 ああもう、本物はこれだから。

 数段飛ばしで階段を駆け上がっていくその文脈は、私のような凡人の読解力では置いていかれるばかりで。

 だけどそんな性能差も既に心得たものなのか、彼女はゆっくりとよどみなく言葉を継ぎ足してくれた。

 

「聞いたことある? 『シンボリルドルフ会長は一度見た顔を忘れない』って」

「う、うん」

 

 その情報自体は私も知っているものだった。

 やっぱり“皇帝”ともなれば頭のデキも違うんだねと、友達と数ある雑談の種にしたこともある程度の些細なもの。

 

「この学園の生徒会って学生とは思えない権限を持っている。それこそ全校生徒の個人情報を閲覧可能なくらいには。それで、あの人は生徒会長なんだ。なんでそんなことになっているのかはさっぱりだけど、業務の一環で生徒の進退に関与していたりする」

 

 こちらも既知。

 この学園の生徒会の権限は大きい。でも実は、生徒会長にシンボリルドルフが就任してからさらに一回り拡大されたって噂。

 実際、できるところに仕事が回ってくるというのはこの世の摂理だけど。本当にそれは学生に委託していいのかと、ふと冷静になれば冷や汗を通り越して真顔になりそうな内容を生徒会がこなしているのを見ることもある。

 あれを歴代の生徒会長が全員、同等の責務を背負わされたとは思いたくないな。

 

「あの人は全部憶えているんだよ。中央トレセン学園の全校生徒二千人、入ってくるウマ娘も出て行くウマ娘も、みんな」

 

 ピタリ、と。

 バラバラだったパズルのピースが組み上がる。

 

「『すべてのウマ娘が幸せに暮らせる世界』なんて正気の沙汰とは思えないお題目だけど……中央トレセン学園を、トゥインクル・シリーズを構成するウマ娘たちを丸ごと背負って立つ覚悟と信念は私も認めざるをえない。

 “怪物”と呼ばれるウマ娘は歴史上何人もいたけど、“皇帝”と呼ぶに値するウマ娘はいまのところ私はシンボリルドルフしか知らないな」

 

 それに比べたら自分の蹴散らした千にも満たないウマ娘を暗記するくらい気楽なもんだよねえ、とテンプレオリシュさんは気負いのない口調でのたまう。

 本当に心からそう思っているようだった。

 私は気づかなかったのに。

 中央トレセン学園の生徒会長という責務を背負った者の、一度見た人の顔を忘れないという能力が、どれほどの苦痛と悲哀をもたらすのか。

 想像できるだけの材料を手元に揃えながら、わかろうともせず呑気に今日まで生きてきたというのに。

 

 天才は天才を知る。

 いま理解した。彼女たちは生まれ持った規格が私たちとは根本的に違う。

 いつか私が夢見た目的地にたどり着くためには、彼女たちのようにならないといけなくて。

 でも……私は彼女たちのようには、なれないんだ。

 

 それでも。

 それでも……!

 

「……テンプレオリシュさん!」

「はい?」

 

「私と、走ってほしい。いまここで」

 

 背負われたままで終わるのは嫌だった。それだけは御免だった。

 中央の門を自分の意志で叩き、同じ場所を目指した同志を蹴落としてここまで走り抜けたウマ娘として。なけなしの誇りが、魂が叫んでいる。

 このままじゃ終われない。

 

「わかった。いいよ」

 

 我ながら衝動的で支離滅裂な提案への返事は、やはり気負いのない了承。

 犬好きじゃない人間が足元にじゃれつく子犬を踏まないよう片手で摘まみ上げたらこんな風かな、という温度だった。

 

 

 

 

 

「ようい――」

 

 合宿所近辺砂浜杯、ダートだいたい800m。出走者二名。

 ゲートも無ければゴール板も無い、砂浜のスタートとゴールに雑に足で線を引いただけの野良レース。日中のトレーニングでは素足で走ることも多い場所だから、ガラス片のような危険物は徹底的に取り除かれているのが安心要素。

 人工の灯りは無いけど、満天の星は意外なほどに明るくて。砂浜が白く浮かび上がるようにここからゴール地点まで見通せる。

 ただ走る分に支障は無いだろう。流石にコインを弾いて落ちたと同時にスタート、みたいなことは日中じゃないと難しいけれども。

 だからスタートの合図は私が任されることになった。短距離ではスタートダッシュが重要。自分のタイミングでスタートできるということは、短距離と区分するにも短すぎるこのレースにおいて有利な要素だ。

 それが両者の実力差を埋められるだけのハンデになるとは思っていないけど。無いよりはマシのはず。

 

 隣で身構えるテンプレオリシュさんの姿が大きく見える。

 それは果たして、彼女の数々の偉業と功績に怯えた私の心が見せた幻覚だろうか。

 

「――スタート!」

 

 自分の声に弾き出されるように駆けだす。

 焦ってはダメだ。ビーチのようにきめ細やかなここの砂は正しいフォームじゃないと力が分散してスピードが出ない。

 そう自分に言い聞かせても、理性は頭にしか宿っていないのがよくわかる。脚も、肺も、心臓も猛り狂っている。もっと速く、はやくと見苦しくがなり立てている。

 ゲートを出て息をつく間もなく、まっすぐ横を抜けていったかつての幻影がちらつく。あの銀は今、まだ隣にいる。むしろ私の方が先んじているか。

 これがあの頃からの私の成長分……のわけないよね。単純に向こうの走り方が変わったのだろう。

 『鉄壁の一バ身』とか『魔王城』とマスコミが呼んでいる、脚の消耗を抑えた走り方。この走法を確立してから彼女から手加減を奪ったのは今のところダービーのウオッカさんだけだ。

 朝日杯FSも大差でゴールインだったけど、あれは奪われたんじゃなくて自ら崩したんだって誰もが知っている。世界に己の存在を刻みつけるようなあの走りを見て、あの心が折れたメイクデビューですらぜんぜん全力じゃなかったんだと悟って、なんとか補強して立て直しかけた私の心は砂のように崩れたんだ。

 あのときに比べたら彼女はずっと近くにいる。近くにいるはずなんだ。

 ああ、ちくしょう。足音がしないから距離感が掴みづらい。本当はウマ娘なんてそこにいなくて、夏の夜に迷い出た人ならぬモノがいるのではないかとさえ思えてしまう。

 気配は曖昧模糊としているのに存在感がびしばし殴りつけてくる。圧倒されてヨレてしまいそうなほどに。身体がゴールのはるか手前で既に白旗をあげて逃げようとしている。

 

 ふざけるな。

 たしかに相手は無敗のクラシック三冠街道の途中にNHKマイルCまで獲って、物のついでのようにジャパンダートダービーでダートG1まで掻っ攫っていったバケモノだ。芝の未勝利戦でひーこら言っている私とは格が違う。

 ダートG1ウマ娘と芝の未勝利戦ウマ娘が砂浜の上でレースしているんだ。誰が考えたってどちらが有利かは明らか。勝率は一パーセントだって無い。百回やれば百回負ける。これはそういう勝負。

 

 だからどうしたッ!

 勝てると思ったから挑んだんじゃない。負けたくないから走ってるんじゃない。

 ただ我慢できなかっただけ。深い考えも、立派な信念も、御大層な哲学も何もない。

 魂が叫んでいるんだ。このままじゃ終われない。

 

 800mなんてウマ娘の足ではあっという間だ。

 ふっと浮かび上がるように私の視界を占める銀の割合が多くなっていく。月と星の光を受けて、まるでそれそのものが光を放っているかのように暗闇を切り開いていく。

 

 大きい。

 まるで巨人だ。平均よりもずっと小柄なはずの彼女の無音の一歩が世界を鳴動させているように見える。

 どうして私はこんなモノに徒手空拳で挑んでいるのだろう?

 

 こわい。

 どこも見ていない、何も考えていない、冴え冴えとした青い瞳。

 泣いて謝れば許してくれないだろうか。

 いや、きっと降参すればそれだけで許してくれるだろう。興味無さそうな声と表情を隠そうともせずに『そう』と一言で。

 この期に及んでやっぱりそれだけは嫌だった。

 

「うう……」

 

 伝説の剣や鎧が必要な相手だろう、これは。

 でも私の中にそんなご立派なものは貯蓄されちゃいない。トゥインクル・シリーズで一年以上走り続けたけれど、華美な武具に値する経験など一つも得られなかった。せいぜい転がっているのは数個の石ころくらいか。

 

「ああああ……!」

 

 いや、そもそもご立派な武装を得られたところで。

 私の貧弱な身体では身に着けられないよ。身の丈に合わない。

 私には豪奢な剣も重厚な鎧も無いけれど、逆に考えれば石ころの数個は拾い集めてきたわけだ。

 だったらそれをただ、全力でぶつけろ。私以外の誰かに代わってここにいるわけじゃない。

 私は今、そのためだけに走っているのだから!

 

「がああああああ!!」

 

 ばきり、と何かが外れて私の内で猛り狂っていた熱が外側まで包み込み始めた。

 

 領域具現――五石に加護と福音を

 

 つやつやに磨き上げられた、ただそれだけの丸い石。

 河原で探せばいくらでも見つかりそうなそれらを五つ、革の投石機(スリング)で投じる。

 そんな光景が夜空の下を塗り潰した。

 

 “領域”、話には聞いたことがあったけど。

 うん。なんてしょぼい、私らしい世界なのだろう。

 この私が“領域”を使えるとは思わなかったという驚愕より先に、そんな納得が来る。

 ああ、だけど歴史オタの友達が言っていたな。

 原初の戦争は投石で決まると。剣も槍も必要ない。ただ数を集められた方が多くの石を投じることができ、それで勝敗が決まる。イデオロギーの無い生存リソースの奪い合いはそれで決着がつく。

 剣やら何やらの立派な武器は逃げるに逃げられない状況が多発するまで文明が成熟して、初めて出番が来るのだと。

 だったら私のこれも、考えようによっては人類の勝敗を左右する最も由緒正しい武器であるわけで。ちゃんと中てれば巨人殺し(ジャイアントキリング)だって叶うかもしれない。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 五つの石が無数の漆黒の剣で迎撃される。

 宙を舞う黒剣は石を蹴散らし、その勢いを衰えさせぬまま私の世界を切り裂いた。

 すぱん、と私の首が飛ぶ。さくさくと四肢が切り離される。

 最後にまるで巨大な(あぎと)のように、上下から迫り来る剣群にじゃくじゃくと私の身体は咀嚼された。

 

 あ、そこまでやるんだ?

 

 恐怖とか苦痛とか以前に、いっそ感心してしまった。

 

 

 

 

 

 気が付けばゴール地点と定めたラインの向こう側。寝転がって星空を仰いでいた。

 “領域”のカウンターを喰らって右も左もわからなくなった状態から、何とかゴールまでは走り続けたらしい。

 やるじゃん私? 一年半も中央という魔境を生き残った経験は伊達じゃなかったんだな。

 

「格上との競り合いをトリガーに発動。対象は各ステータス。自身にバフとして発動する『加護』と、相手へのデバフとして発動する『福音』。判定は五回あるが、どちらになるか条件は要検証。うーん、狙ったステに集中して福音を通せれば強いけど……現状だとかなり使い勝手悪いな、どうしたものか」

 

 舌の上で転がして吟味するような声が聞こえて、顔を上げてそちらを向こうとして気づく。身体がぴくりとも動かせない。

 どうやら先ほどの短距離とも言えないレースで、魂の一滴まで絞りきってしまったらしい。でもしばらく休めば動けるくらいには回復するだろうなというのもわかる。

 中央の夏合宿に参加するというのはそういうことだ。

 

「……ねえ」

 

 仕方がないので少しマナーは良くないが、視線を星々に向けたままテンプレオリシュさんに話しかける。

 正直、相手の顔を見ながら話し続ける自信は無かったので自分の中の大義名分ができてありがたかった。

 

「わたし、つよかった?」

「あんまり」

 

 ばっさりだった。一刀両断だった。ちょっと泣いた。

 ちんけなものだったかもしれないけど、いちおう“領域”まで使ったんですけど? たぶん一生に一度とかの奇跡だったんですけど。

 いやあるいは、あちらに()()()()()()のか。いまや私の中の魂はあれほど燃え盛っていたのがウソのように凪いでいる。

 

「は、はは……こういうときはお世辞でも『強かった』って言ってくれるもんじゃないの?」

「無理。次に私が誰と戦うのか、短距離を主戦場にしているあなたなら知ってるでしょ」

 

 ぐうの音も出ない正論。

 サクラバクシンオーさん。

 入学当初からスプリンターとしての素質は噂されるほどのものだったけど、シニア級に入ってからの彼女はちょっとおかしい。1200mで負けるところが想像できない。

 “世界最速”。

 あらゆるウマ娘が一度は夢見て、そして歳を重ねるごとに現実を知り諦める。そんな称号に熱い血肉が宿れば今の彼女になるのではないかと思ってしまうほどに。

 “最強マイラー”と謳われるタイキシャトルさんですら次のスプリンターズSでは挑戦者と見なされているくらいだ。

 ぶっちゃけ、テンプレオリシュさんの担当トレーナーには批判の声が少なからず上がっているとも聞く。せっかく無敗の三冠を達成できそうなのに、どうしてわざわざ敗色濃厚の短距離G1にまでこのタイミングで寄り道するのかと。

 

 なるほど。仮想敵があのバクシンオーさんであるのなら、たとえお世辞であろうと私を『強かった』などとは言えないだろう。

 どう理屈をこねくり回しても嘘になってしまうから。彼女はただ誠実であっただけの話だ。

 

「あはは、それもそうか……ここだけの話、さ。勝算はどのくらいあるの?」

「いまのままじゃ勝てない」

 

 納得と驚愕が見事にカクテルされた感情なんてこれまで知らなかったし、たぶんこれが最後だと思う。

 あのサクラバクシンオーならそうなるよね、という気持ちと。

 このテンプレオリシュでもそうなるのか、という気持ち。

 きれいに半分半分、混ざり合わないまま私の中を一気に通り抜けていった。後に残ったのは、好奇心で聞いていいことじゃなかったなという苦い後悔だけ。

 本当にこの情報は死んでも漏らさないようにしようと、こっそり心に誓う。

 

「でも、今日あなたと戦ったことでほんの少しだけ勝率が上がった。ざっと一パーセントくらい」

「…………そっか」

 

 嗚呼、それだけで十分だ。

 

 ひょっこりと天の川を遮って銀色が私の顔を覗き込む。降り注ぐ光量は減ったはずなのに、不思議と眩しさは上がった気がして目を細める。

 

「大丈夫? 送っていこうか?」

「……ううん。もうしばらくここにいたいから。帰るなら先に帰ってほしいな」

 

「そう。ここで寝たら風邪をひくと思うので、気を付けてくださいね、バトルオブエラ()()

 

 ごくあっさりと彼女は踵を返してその場を後にした。

 サービスタイムは終わったらしい。敬語に先輩呼び。

 終わってからようやくわかる、私に気を遣い意識して距離を詰めていてくれた不器用な優しさ。

 耳を澄ませて、彼女が近くにいなくなったと確信してからのろのろと顔を覆う。普段の何倍も苦労して、何倍も時間をかけて眩い星たちから目を遮った。

 

「……ふふ、はは」

 

 考えたことが無いわけじゃない。

 ここ最近のトゥインクル・シリーズは頭がおかしい。単騎で時代を築けそうな優駿が群雄割拠する世代が折り重なっている。

 でも、うっかり神話の世界に足を踏み入れた身の程知らずは、実は私の方なんじゃないかって。

 私ごときに今を走る資格なんて無かったんじゃないかって。

 

「あはは、ふくく」

 

 私は彼女たちに成れなかった。何もかも足りていなかった。

 でも、巨岩が載せられてゆらゆら揺れる両天秤、その拮抗を崩す砂粒のひとつにでもなれたのなら。

 私が今日まで走ってきたことは無駄じゃなかったんだよ。この時代、レースに生きたこのウマ娘の人生は間違いなんかじゃなかったんだよ。

 

「ふぅ、あぁ……」

 

 でも、やっぱり。

 自分の脚で勝ちたかったな。応援してくれたみんなの期待に応えたかった。

 悔しいなあ。なんで私は天才じゃなかったんだろう。

 

「うあああぁああああ……!!」

 

 私のトゥインクル・シリーズは今日でおしまい。

 『来世』に余分なものを残さないように、私はただ声に乗せて感情を吐き出し続けた。

 

 

 

 

 

 私を『殺した』のが貴女で、ほんとうによかった。

 

 

U U U

 

 

 潮騒に混ざって聞こえてくる嗚咽と慟哭。

 時期も相まって完全にホラーだとリシュは嘆息する。

 

「まったく、どいつもこいつも……」

 

 独りごとが増えるのは精神的な疲労が一定値を超えたときの彼女の癖だが、本人は自覚していない。

 普段は脳内で済ませている会話が、うっかり外部にまで漏れ出てしまうのだ。

 

「あれでよかったの? そっか」

 

 想いを託されるのは実はこれが最初ではないし、たぶん最後でもない。

 不思議とこういう形で託された【領域】は質が高い。持ち主の力量そのものは【領域】含めたいしたことはないのだが、己の中にストックされる割合が心なし大きいというか。

 

「奪い取ったものと捧げられたものの違い? ふーん」

 

 人目につかない夜間ということもあり、もう一人の自分との会話は誰にはばかることもなく続けられる。

 

「ま、いいさ。連れて行ってあげるよ」

 

 自分が強く生まれたのが自分の責任ではないように、弱者が弱く生まれたのは何もそのこと自体に咎があるわけではない。

 リシュはそう考えている。

 自分に当たって砕けてしまうのなら、その託された残骸くらいは面倒を見てやろうかと思う程度には彼女は善良で、優しかった。

 間違いなく彼女を取り巻く周囲の功績であった。

 

「この道がどこまで続いているのかは知らないけどさ」

 

 何とはなしに空を見上げ、星を掴むように手を伸ばす。

 

「私たちに託したこと、後悔しない景色を見せてあげる」

 

 だって、私たちは強いからね。

 

 小さな宣言は当たり前のように潮風に解けて消えていった。

 彼女たちにとって、それは記録に残さねばならないような御大層なものではないのだ。

 

 




これにて今回は一区切り!
一週間以内におまけを更新後、いつもの書き溜め期間に入ります。

今回でスプリンターズSまでいくという予想も多かったのですが、残念ながら次回に持ち越しです。
菊花賞と合わせてひとつの章にした方がプロット的におさまりがいいと判断しました。
つまり、次章は開幕ボス戦からの予定…

ま、その前におまけの執筆ですね。のんびりとお待ちくださいなー


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【ミンナニハ】ウマ娘ウォッチング共有スレ108【ナイショダヨ】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

ただ、誤字報告についてなのですが…
あれ要するに『ここが間違っているよー、正しくはこうだよー』と指摘する機能ですからね?
仮に『この方がよくなるのでは?』という善意に基づいたものであったとしても、そこに日本語的な誤りがないのなら『あんたのセンスは間違っているから私のセンスに合わせて直した方がいいよー』って意味になりますから。

変換できる部分を一部ひらがなにしているのは『そこを漢字にしたら文章が目詰まりする』『文章の舌触りが悪くなる』と判断したゆえのもので、別にパソコンの変換機能が故障しているわけではないのです。
いつも助けられていますし、善意でやっていただいていることに苦言を呈するのは心苦しくもありますが、ハーメルンの利用規約含め線引きはしっかりやっていきましょう。


1:名無しの壁 ID:38G3R0hn7

ここはトゥインクル・シリーズを走るウマ娘ちゃんたちの素顔を垣間見た情動の昂りを吐き出すスレです。

トゥインクル・シリーズを走っていないときのウマ娘ちゃんは普通の女の子です。その大前提をしっかり各々が自覚した上で、特定に至るような具体的な日時や個人情報を出さないよう心がけましょう(建前)。

 

【ウォッチングスレ五か条】

・ウマ娘ちゃんたちには認識されないようにしましょう

・この場が品の無いグレーゾーンだという認識を忘れないようにしましょう

・年頃の女の子の日常に土足で踏み込むような真似は厳禁

・スレ内で得た情報を外部に持ち出すのは厳禁

・悪質と判断した場合は刺客が放たれます

 

 

14:名無しの壁 ID:cG0xEdKD1

守らなきゃどうなるんすかねwwww

 

15:名無しの壁 ID:cG0xEdKD1

あれ? 窓の外に誰か・・・

 

16:名無しの壁 ID:cG0xEdKD1

え、ちょまtttttttttttttttttttttttttttt

 

17:名無しの壁 ID:hp2OO+67n

ふう、またバカがひとり消えたか・・・

 

18:名無しの壁 ID:e1I+oYWMg

ウォッチングスレ五か条も守れん、壁の面汚しめが

 

35:名無しの壁 ID:vik/uyqtC

たかがスレ内のルールと甘く見た者の末路よ

 

47:名無しの壁 ID:JhOaufp4H

ウマ娘ファンは老若男女、身分の貴賤問わず存在している

つまり黒い部分はどこまでも黒いんだよなぁ

 

63:名無しの壁 ID:cxhUaco6g

なーなー、どうして管理人は>>1みたいなこと言ってるのにこんなの運用しているの?

今回みたいなバカが湧くのはわかりきったことじゃん

管理人もバカなの?

 

77:名無しの壁 ID:edeLLXGgO

>>63 そうだよ(肯定)

 

84:名無しの壁 ID:il3lY93+3

>>63 管理人がバカであることは誰にも否定できないが

バカっていうのはどこにでも湧いてきて、どこにいようとバカなことをやらかすからバカなんだ

だったらここが最大手になって品の無いやつらを集めて

一本化して管理下に置いた方がウマ娘さまたちにとっては逆に安全だからな

 

96:名無しの壁 ID:C3Ls6ZPZ0

管理下(意味深)

 

106:名無しの壁 ID:h7s/ZPRM3

管理というより監視では・・・?

 

108:名無しの壁 ID:HYuhUY1/A

しっ、お前も消されるぞ!

 

118:名無しの壁 ID:h7s/ZPRM3

このくらいじゃ消されねーよw

でもなんか寒くなってきたからとずまりしとこ・・・

 

123:名無しの壁 ID:u9imFtVdd

あれれー、おかしーぞー?

今は夏なんだけどなー

 

136:名無しの壁 ID:4GTz55VJY

夏と言えば、そろそろ例のあの場所で夏祭りやっているな

今年の目撃情報はいかがなもんじゃろ?

 

144:名無しの壁 ID:BkV7R9cSp

豊作豊作。今年から参加資格を得た同志A先生を目撃。

彼女の性格的に原稿を終わらせる前に遊びに行くとは思えないから

この夏の新刊も期待できると思われ

 

146:名無しの壁 ID:NPl5w2AYI

>>144 いや、我らが同志A先生はたとえ修羅場っていたとしても

ウマ娘ちゃんにお誘いされたらホイホイついていきそうな気が・・・

(なおその後、彼女の性格的に帰ってから原稿はしっかり仕上げるものと思われる)

 

160:名無しの壁 ID:I9FM//BYJ

彼女の健康の為にも既に入稿は終わっていてほしいな

 

161:名無しの壁 ID:SSBtXGxjn

そもそもこの時期に修羅場っていること自体、かなり極道入稿では?

 

171:名無しの壁 ID:aRrgXvgWb

(そっと目を逸らす音)

 

175:名無しの壁 ID:Wdfbif2FY

こいつらwww

 

177:名無しの壁 ID:Z27ZqVbuX

今年は〈パンスペルミア〉と〈キャロッツ〉が合同で合宿しているらしいからな

トレーニング内容によっては遠方から時間と金かけて見に行く価値があるレベル

 

180:名無しの壁 ID:vsBw6brHm

ワイこのスレ初心者

>>177は個人情報の流出じゃないの?

このくらいならセーフ???

 

191:名無しの壁 ID:6X9zHC7iL

>>180このくらいならセーフやで

どのチームが合宿に参加しているかは学園の公式HPで調べたらわかるからな

あと個人名はNGやけどニックネームなら黙認される(ガバ)判定

 

192:名無しの壁 ID:vsBw6brHm

ほへー、そうなんや。教えてくれてサンクス

 

193:名無しの壁 ID:yHM6jMBSI

今年もブーちゃんはうちの屋台でかき氷を買っていってくれました

あの子本当にかき氷好きだよな。こっそり大盛サービスしちゃった

 

205:名無しの壁 ID:brGs8uiYM

夏祭りの屋台で毎年かき氷を買うからといってかき氷が好きとは限らないのでは・・・?

 

218:名無しの壁 ID:/HDqQ1QpK

それに考えようによってはかき氷の大盛ってお腹にダイレクトアタックの嫌がらせでは???

 

221:名無しの壁 ID:a+TZGOZ3H

ブーちゃん基本肉食だから、毎年肉以外の同じ食べ物を買っていると聞いたらたしかに好物に思えないこともない

 

225:名無しの壁 ID:oReFSQ4ZX

夏合宿って一般人は見学できるの?

 

240:名無しの壁 ID:lVocAAntC

一般に公開されているトレーニングもある

水着で女の子が走っているような区画は当然ながら許可されたマスコミ以外無理だけど

 

242:名無しの壁 ID:Yt1w40Zj2

まあ全面禁止にしたら何が何でも侵入しようとするバカが湧くかも、ってのもあるだろう

適度なガス抜き。ここと同じ理屈だな

 

252:名無しの壁 ID:Oi6R3HBFI

『声援が力に変わる』って本当にある現象だけども

ひとつズレたら『観客席のプレッシャーで掛かる』になっちゃうんだよ

だから『観客の視線と声援を浴びながら走るトレーニング』は学園でも合宿所でも用意されているよー

 

254:名無しの壁 ID:xflubPmGV

そういや〈ファースト〉は見かけなかったけど、もしかして夏合宿には来てないのか?

 

268:名無しの壁 ID:YkBu3OgED

〈ファースト〉は来てないよ。

あそこは樫本理事長代理のワンマンチームだからね

樫本理事長代理が学園から二か月も離れられない以上、彼女たちも学園から離れられない

 

272:名無しの壁 ID:NIzw8zL+g

〈ファースト〉って管理主義プログラムとかそういうので指導されているんじゃなかったっけ?

そのプログラムさえあれば他のトレーナーに任せられないの?

 

287:名無しの壁 ID:wj4XSwUeN

>>272無理!

管理主義という字面に反して、チーム〈ファースト〉計15名の育成プログラムは樫本トレーナーの神懸かり的手腕で運用されている職人芸だから。

ひとつひとつはデータの集まりだからサポートはできるけど。つーか真似できねえよあんなもん。

数学の公式を暗記するくらいなら誰でもできるけど、それを用いて問題を解けってなったとき、暗記した全員が100点とれるわけじゃないだろ?

たしかに感覚派熟練トレーナーが稀によく口にする『こうするんだ。わかったな、真似してみろ』が無いのは確かだけどさぁ・・・

 

295:名無しの壁 ID:g5jKrHSd5

なんか中央のひとっぽいの湧いてね???

 

299:名無しの壁 ID:mHFbrViec

気づかないふりしておいてやれ。戦士にだって休息は必要だ

 

316:名無しの壁 ID:g36fNoL4S

アオハル杯トップの彼女たちなら学園の各種設備の優先権は高いはずだから

夏合宿組とトレーニングレベルで比較してもさほど見劣りしないと思われる

 

317:名無しの壁 ID:seMse7E54

でも学園って夏合宿に参加できなかった生徒がけっこうな数、自主練で残っているんじゃなかったっけ

わりと針の筵では・・・?

 

322:名無しの壁 ID:a4fmeYLdb

チーム〈ファースト〉に所属した時点で針の筵はいまさらだから

 

324:名無しの壁 ID:QNsqMMEoL

中央は地獄やでぇ

 

336:名無しの壁 ID:BbL2DskKQ

なんという修羅の国

こうなったら推し活して少しでも元気になってもらわねば

 

347:名無しの壁 ID:OKI4lfSer

うちの屋台

集客用のどでかいやつ含め魔王様たちが掻っ攫っていってくださいました

経済的には赤字だけど、魔王様の神速の三連射からの

変幻自在ちゃんの一撃必殺どや顔と、魔王様のぐぬぬ顔が見れたから差し引き圧倒的プラス

 

355:名無しの壁 ID:COo6dQ+Iq

三連射・・・って射的の屋台か?

あの長銃って連射できるような構造していたっけ???

 

358:名無しの壁 ID:QfSKu+rqZ

うちは型抜きの屋台やっとるんよ

魔王様と自在ちゃんが最高難易度のやつをバババーッと終わらしたのがよほど簡単に見えたのか

その後に観客たちが次々と挑戦してはパキパキ割って

結果的に儲かったわ。まいどあり

 

366:名無しの壁 ID:c5yupwI7L

魔王様夏の屋台でも大暴れだな

 

379:名無しの壁 ID:CByKS0qqe

今さらながら魔王様ってほぼ個人の特定じゃない?

 

395:名無しの壁 ID:BwpNPIFWA

怪物と呼ばれたウマ娘は何人もいるわけだし、魔王と呼ばれたウマ娘だって探せばいるんちゃう?

 

396:名無しの壁 ID:M4gshu13Q

今の日本で魔王呼ばわりされるウマ娘って該当者一名な気がするけどたぶん気のせい!

 

405:名無しの壁 ID:U7EhCoBPE

ワイ、魔王様推しの金魚すくいの屋台主

魔王様きてくださらなかったんだけど・・・

金魚はもう時代遅れだったかな。ヒヨコにするべきだったか

 

419:名無しの壁 ID:0cfLakqyn

ヒヨコはむしろ全力で時代に逆行しているだろw

 

433:名無しの壁 ID:q+os/0OJs

URRちゃん「つぎは金魚すくいにいきたいなー!」

魔王様「やめときなよ。寮はペット禁止だろ。合宿中にやつらの飼育環境を整えるのも難しいし」

URRちゃん「そっかー・・・」(´・ω・`)

 

↑みたいなやりとりしていたゾ

 

450:名無しの壁 ID:GCQXLTXMj

命に責任を持つ魔王様

マスコミには無慈悲っぽく演出されること多いけど、何だかんだ思い遣りあるよね

 

453:名無しの壁 ID:SKcea3iaq

イキモノ系の屋台をしている限り、現役中の魔王様が来て下さる未来はなさそうじゃの

 

465:名無しの壁 ID:fRvapzSLJ

あれ? 寮ってペット禁止なん?

誰とは言わんけど飛行タイプの猛禽類飼ってる黄金世代いなかったっけ?

誰とは言わんけど。マルゼンみたく実家暮らしだっけか?

 

469:名無しの壁 ID:8j542B7R4

野生の一般通過コンドルじゃね?

ペット禁止のトレセン寮で育成環境が整えられるとは思えんからな(すっとぼけ)

 

486:名無しの壁 ID:WkQ09n+6B

鷹なんだよなぁ

 

498:名無しの壁 ID:VumfDC5RG

夏祭りって稀によくへんなものが紛れ込むんだけどさ

魔王様が振り向きもせずに裏拳を叩き込んで

すぱーんと祓ったのは流石だと思った

 

505:名無しの壁 ID:IkOS5zioT

ほへー、やっぱ海辺やから多いんかねえ

 

516:名無しの壁 ID:VQwtSPF4G

魔王様って祓うこともできるんだ

ウマ娘って見えたり聞こえたりする子は多いって聞くけど

 

524:名無しの壁 ID:yZtjNUD3Y

ほんとぉ?

あまり科学的じゃないことは信じない主義なんだよね

 

535:名無しの壁 ID:9vqR/HkOJ

>>524

(もしかしてそれはギャグで言っているのか・・・?)

 

540:名無しの壁 ID:XiCPRH9Pp

>>524

ウマ娘がそもそも物理法則から逸脱しまくりなんだよなぁ

 

550:名無しの壁 ID:CJjD9Yd/C

スイムキャップもなしに泳いでヘアスタイルが崩れないのは反則だと思う

 

559:名無しの壁 ID:weNxhfO0U

別にお風呂で髪が洗えないわけじゃないんだけどね

レースでもあの速度で走って髪が爆発しないわけだし、たぶんトレーニング中はウマソウルの不思議パワーがなんかこういい感じに作用しているんだろう(雑)

 

575:名無しの壁 ID:V7xhSMOLA

でもまあ、魔王様が霊能力までチート級っていうのはキャラづけが露骨すぎるような気もするな

 

578:名無しの壁 ID:Z+7lBQD+a

あまりに『らしい』が過ぎてこう

創作じゃないかと疑う気持ちはまあ、理解できんくもない

 

589:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

いや、ワイも見たで

魔王様がよからぬもんを真正面から撃破するところ!

 

語ったら少しばかり長くなるんやけどな

聞きたい?聞きたい?(チラッチラ

 

599:名無しの壁 ID:rgb7IiJzz

うぜえw

 

607:名無しの壁 ID:R/PpC21iZ

くっ、でも気になる

 

617:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

そう、それは魔王様がお米ちゃん(仮)と一緒にトレーニングしているときの話だった・・・

 

618:名無しの壁 ID:Bybt7w1Hh

勝手に語り始めたぞコイツ

 

627:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

お米ちゃんは一部では有名な不幸体質。ランニングすれば信号ごとにひっかかり、道を歩けば黒猫が横切り、ほどけた靴ひもを結び直そうとすればぷつりと切れる

周囲にいればその不幸に巻き込まれることも往々にして存在するため、お米ちゃんは不特定多数とトレーニングを行うことに乗り気ではなかったのだ

 

631:名無しの壁 ID:LwEAFiJDk

ちなみに黒猫はもともとケットシーを代表とするように幸運の象徴

それが『幸運の象徴に横切られる=幸運が通り過ぎる=不幸』だったのが

時が過ぎるうちに『不幸』のイメージが先行してしまい

今では『黒猫=不吉』になったという説があるぞ。これ豆な。

 

642:名無しの壁 ID:c7jAfqA7E

へー

 

650:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

そこに乗り出したのが我らが魔王様

「不幸に巻き込んじゃう」としり込みするお米ちゃんにずかずかと近づき

と、その頭上へ迫り来るのは海鳥の影。通りすがりざまに爆弾を投下!

魔王様これをひらりと避ける

 

667:名無しの壁 ID:56nUDoBPJ

なんか語り口調がノリノリになってきて芝

 

681:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

「不幸? この程度で? ぼくらを退けたいのならこの3倍は持ってきてもらわないと」

と、大見得を切った頭上にさっそく飛来する影が三つ

次から次へと見事なコンビネーションで集中砲火をお見舞いした!

 

682:名無しの壁 ID:+zKoyWUWk

さすがお米ちゃん

聞きしに勝る不幸体質だな・・・

 

686:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

ひらりひらり

自分はもちろんお米ちゃんまできれいに守り通し、魔王様は無傷で生還

しかしお米ちゃんは傷ついていた――その心が

言った傍から自分の不幸に巻き込んでしまったのだから

ごめんなさい、自分のせいでと泣きそうになるお米ちゃんに対し、魔王様はこう言い放った

「ごめん――」

 

691:名無しの壁 ID:7lgq96OUO

くそっ、微妙に見入っちまう自分がいるのが悔しい

 

707:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

「――やっぱり3倍じゃ足りなかったわ。次は5倍持ってきてみる?」

 

723:名無しの壁 ID:bJbs1Nuqt

カッケェ!?

 

738:名無しの壁 ID:B9+7WmhIl

TUEEEEEEEEE!!

 

750:名無しの壁 ID:uUxaDNV6M

さすが魔王様、俺たちにできないことを平然とやってのける

そこに痺れる憧れる!

 

764:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

不思議とそれ以降、魔王様がいるときはお米ちゃんの不幸がぴたりと止まったんだよね

魔王様、曰く

『格付けが済んだからしばらくはちょっかいかけてこないと思うよ』

そういうわけで両チームは円満にトレーニングを行うことができたのでした

めでたしめでたし

 

772:名無しの壁 ID:DMWkxMKG6

そういえば『よからぬものを正面から破砕する魔王様エピソード』だったなコレ

 

777:名無しの壁 ID:L9YxOhfiO

お米ちゃんの不幸は悪霊的な何かのせいだったってこと?

 

778:名無しの壁 ID:vVWwIlJ3/

悪霊のせいだったのなら何とかしていそうなウマ娘がちらほら思い当たるんだけどな

 

789:名無しの壁 ID:GSW9BnA4t

んー、ワイもちゃんと理解できたわけじゃないけど・・・

お米ちゃんの不幸はお米ちゃんのウマソウルに由来するものだけど

ウマソウル同士の格付けの結果、一時的に不都合な部分の不思議パワー出力を極端に低下させた?

みたいな感じっぽい

 

806:名無しの壁 ID:GCc0t1y8Z

すっごいあやふやな把握の仕方で芝

 

823:名無しの壁 ID:UZ0sF2DU6

へー、ウマソウルの不思議パワーって恩恵だけじゃないのか

そりゃそうか。異世界の誰かの運命が由来なら、幸福があれば不幸もあるわな

 

828:名無しの壁 ID:3ACRvJ0V4

そして恩恵だけを貪って不都合な運命はぶちこわす魔王様マジで魔王様

 

832:名無しの壁 ID:ZwiiRrGlR

この調子でスプリンターズSの断崖絶壁な運命も打破してくれるのかな?

 

843:名無しの壁 ID:yshMjI9Tl

魔王様が負けるところはあまり想像できないけど、当代最強スプリンターが負けるとは全く思えないからな

 

854:名無しの壁 ID:mozXHnx5X

どうしてよりによって無敗の三冠街道の真っただ中で短距離G1なんかに挑戦するんだろう

 

871:名無しの壁 ID:CRMxUmynR

全距離に適性があるのなら、今のうちに経験しておくのは無敗のクラシック三冠よりも価値があると判断したんじゃないか?

ウマ娘側の判断なのか、トレーナー側の判断なのかまでかは知らんが

 

876:名無しの壁 ID:BtaTIone6

たしかに当代どころか歴代最強候補でさえあるスプリンターとのレースは得難いものかもしれないけどさ

それでもやっぱりルドルフ以来の無敗の三冠は見たいわけよ

 

883:名無しの壁 ID:yJijTIEAv

走るのはオマエらじゃなくてウマ娘だからな

期待するのは勝手だが、願望を押し付けるような厄介オタクにはなるなよ?

 

900:名無しの壁 ID:RzbMyidYo

たしかに。ワイらにやっていいのは応援までよな

注文をつけるのはなんか違うわ

そういうことをする権利を得るために、スポンサーは莫大な金を払っているわけで

 

914:名無しの壁 ID:rsVnqp9fr

ちなみに、その最強スプリンターと全距離適性魔王は最強マイラー主導のバーベキューで一緒にわいわいやっているところが夏合宿のレクリエーションで目撃されています

 

923:名無しの壁 ID:Qag0FcqFG

間違いなく強大なライバルなんだけど日常では仲良しなのいいよね

 

ニンジンだから生焼けでも食あたりは無いんだろうけど

網に置かれる傍からバクシンで取って配っていく学級委員長には笑ったわ




これにて今回は一区切り!

次回は…バレンタインあたりになるかしら(目標)
ボスラッシュ編は書きたい内容が多すぎるんじゃあ…


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次々の頂
サポートカードイベント:バクシン的証明いざ参らん!


なんとかバレンタインイベントの時期に間に合いました。
相変わらず三女神の圧が強いのでがんばった。
次の周年ではその三女神がシナリオに絡んできそうですね、楽しみです。
……公式設定が出る前に好きなこと言っておこ。

宣言通り、サクラバクシンオー視点からの開始です。

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U U U

 

 

「良バ場ならきみの勝利は揺らがない」

「はい、もちろんですとも!」

 

 前日のミーティングでトレーナーさんはそう断言してくださいました。

 このタイミングでミーティングとは珍しい気がしますね。毎回、何を言われても当日には綺麗サッパリ忘れていることが多い私なので!

 

「だが不良バ場なら、タイキシャトルは無視できない脅威だ」

「さすがはタイキシャトルさんですね!」

 

 “雨の中の無敵”とも謳われるタイキシャトルさん。その恵まれた体格から繰り出されるパワーは重いバ場をものともしません。

 それにしても、私を誰よりもよく知っておられるトレーナーさんにこうまで言わせるとは……さては彼女もまた学級委員長の資格を持つ者なのでは?

 この前もタイキシャトルさんの主導でバーベキューパーティーが開催されましたしね。“最強マイラー”と称されるほどの模範的マイル戦績と、皆を先頭に立って導く姿勢。うむうむ、私には及ばないまでも彼女もまた優等生なのでしょう。

 

「はて? それではリシュさんはどうなのでしょう?」

「テンプレオリシュ、彼女は……」

 

 我がアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉の可愛い後輩であるところのリシュさん。

 ここまで無敗。今年に入ってからの主な勝利だけを数えてもクラシック二冠にNHKマイルCと、ジャパンダートダービー。アオハル杯の区分でいえば既にマイル、中距離、ダートの三部門でGⅠを制しています。まあアオハル杯のダート部門はマイルが主で、JDD(ジャパンダートダービー)は中距離ですけれども。

 あらゆる生徒の模範になるという学級委員長の精神を受け継いだ輝かしい戦績。あるいは次世代型学級委員長とは彼女のことなのかもしれません。

 

 しかし学級委員長と言えば私、私こそが学級委員長!

 新たに短距離GⅠへ挑戦した気概はおおいに結構、花丸を差し上げましょう、マルッ! ですが挫折を教えるのも先達の重大な役割! あなた方がこの経験を糧に大きく成長してくださることを切に願います!!

 

「わからん!!」

「ちょわ!?」

 

 トレーナーさんは、それはもう力強く断言しました。

 

「いや本当にわけがわからん。何なんだアレ。同じチームで一年以上の付き合いがあるし、なんならサブトレーナーとしてトレーニングを監督したことさえあるが、まったくもって理解できん。良バ場とか重バ場とかもうそういう次元の話じゃない。どうしてウマ娘が壁を走るんだ!?」

 

 リシュさん曰く、手足を問わず指が三本引っかかれば全体重を支えることができるそうです。

 それならばと私も壁走りに挑戦し、うっかり校舎の壁を握り潰してしまったのも今となってはよい思い出。あのとき生徒会にそれ以上の練習禁止を言い渡されていなければ、今頃の私は学園を縦横無尽に駆け巡る三次元完全掌握型学級委員長になっていたことは疑いようがありませんね! 残念無念。

 

「トレーナーさん、おちついてください。その、あなたに揺らがれると私……」

 

 ふと気づいてしまいました。

 異例のタイミングでのミーティング。もしやトレーナーさんは次のレースに不安を覚えておられるのでは?

 いえいえ、まさかそんな。

 そんな私の疑念を晴らすようにトレーナーさんは大きく息を吐き出すと、腕を組んで笑みを浮かべます。

 

「ああ、すまない。少し取り乱した。

 君があまりにも速すぎて理解が追い付いていない周囲に、今年もう一度教えてあげよう。最強はサクラバクシンオー、その揺るぎない事実を」

 

 ああ、その目です。

 その灼熱の瞳を私は信じようと思ったのです。あなたの言葉ではなく、あなたを。

 信じると決めた以上はバクシンです。どれだけ無理筋な理論であろうと私は飲み下しましょう。それが器量というものでしょう。

 言われるがまま走ったその先に、あの時あなたが約束してくれた未来がある。

 

 スプリンターズS連覇。

 それは私にとっては夢でも目標でもなく、ただの証明でした。

 

 

 

 

 

 かくしてスプリンターズステークス当日。

 本日の天気は雨のち曇り! バ場は稍重の発表となりました。

 

『秋の気配が近づく中山に快速自慢が集う! 電光石火・スプリンターズステークス!』

 

 トレーナーさん曰く、私の走法は良バ場でこそ本領を発揮するそうです。つまりバクシンですね!

 もっとも、たとえどんな不良バ場であろうと私はあらゆるウマ娘の模範たる学級委員長。そのスピードが揺らぐことは無いと皆様へ御覧に入れましょう!!

 

『人気と実力を兼ね備えた一枠一番テンプレオリシュ、今日は三番人気です』

『クラシック級でありながら三番人気に推されましたテンプレオリシュ。“銀の魔王”はここでもなお無敗の伝説を貫くことができるのか。一枠一番という好ポジション、風は吹いていると言えるでしょう』

 

 地下バ場でお見かけしたリシュさんは、黙って一礼しただけで話しかけてくることはありませんでした。

 もともと普段の彼女はあまり多弁な方ではありませんが、それを差し引いてもこれまでにない雰囲気だったように感じます。

 冷たくて、熱い。まるで走る前から掛かっているような気さえしました。

 私とのレースを目前に緊張するなというのは無理難題かもしれません。それでも悔いの残るような走りにならなければいい、そう思います。これは侮りではなく老婆心というものでしょう。

 いえ、リシュさんがクラシック級ということもあり彼女とレース直前に顔を合わせるのは実のところこれが初めてです。あるいはレース前の彼女はいつもこんな感じという可能性もありえますね!

 それならば心置きなく全力で迎え撃つだけですとも!!

 

『二大マイル戦覇者タイキシャトル、二番人気。七枠十三番での出走です』

『“最強マイラー”も本日はスプリントの玉座を前にした挑戦者。稍重のバ場は彼女にとって有利な要素ですが、はたして短距離の絶対王者に届きうるのでしょうか』

 

 タイキシャトルさんはさすがの貫禄ですね。

 普段は私に負けず劣らず落ち着きのないところのある方ですが、あの気迫のこもった笑み。今はしっかりと目の前のレースに集中できてるようです。素晴らしい!!

 相手にとって不足なし! できれば短距離の防衛戦ではなくマイルで覇を競い合いたかった……いえ、この勝利のあとにバクシン街道をマイルまで延ばせばいいだけの話です。さすがのトレーナーさんもそろそろ許してくださる頃合いでしょうから。

 

『そして威風堂々とスタートを待つのはこのウマ娘。二大スプリント覇者、八枠十五番サクラバクシンオー、一番人気です。満を持して連覇に挑みます』

『錚々たる面子の中でもまったく揺らがぬ王の風格。敵は背中から追ってくるのか、それとも去年の自分自身か。記録の更新にも注目です』

 

 観客席が割れんばかりの大歓声。びりびりと肌が震えます。

 ええ、ええ、思う存分に期待してくださって結構ですとも! 私が高く評価されるのは当然のことですから。

 いえ、決して観客席の皆様の声援を軽んじているわけではありません。もちろん、今ゲートに並んでいる方々を侮っているわけでもありません。

 皆様の憧れであり模範であるべしと、私は今日までトレーナーさんと二人三脚でトゥインクル・シリーズを走ってきました。

 私のような時代の寵児にして学級委員長が、私の選んだトレーナーさんと共にバクシンしてきたのです。ならば今日までの成果とそれに伴う評価は奇跡でもなければ過分でもない、『当然のこと』。

 私が自慢げに胸を張らなければ、私より遅い方々は背中を丸めて生きていかねばなりません。つまり私が最速である以上、すべてのウマ娘が下を向いて歩くことになるのです。

 当たり前の成果を受け取らないことは、成果以上のものを奪い取ろうとするのと同じくらい傍迷惑なことではありませんか?

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 しんと静まり返る一瞬。

 ぎゅうと高まっていく内圧。ぐぐっと自身の集中力が撓み、一段階上に昇華されきらりと光を放ちます。

 どろりと時間が粘度を増したゲートの中、少し先の解き放たれる刻に指が触れ、刹那が手中にすっぽり収まる感覚。

 

 それとほぼ同時。ゲートの冷たい金属で幾重にも区切られた右の最端から、ゆらりと蒼いオーラが立ち昇るのが視界の外でしっかり見えました。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)風鈴参道(ふうりんさんどう)音々神楽(ねおんかぐら)

 

 唐突な青空。

 鳥居の奥に見える参道。その両脇に連なる無数の風鈴。

 吹き抜ける風で一斉にきゃらきゃらと鳴り出すそれは何かの笑い声のようであり、神社の独特な空気と相まって納涼とはまた別の涼しさを感じさせるものでした。

 

 こんな荒唐無稽な世界の侵蝕を、我々の業界では“領域”と呼びます。

 

『今スタートを切りました! まっさきに飛び出していったのは一番テンプレオリシュ!』

『電撃六ハロンにふさわしい十六人の綺麗なスタート。だからこそ、恵まれた枠番を存分に活かし一歩先んじたテンプレオリシュの位置取りが光りますね』

 

 ざわざわと胸の内側を無数の指がなぞり上げていくような異物感。集中力の阻害……いえ、違和感の残る手応え的に使用者なら逆に集中力を高める効果があるかもしれません。

 シンプルながらなかなか厄介な性能をしていますね。リシュさんの枠番が一番で私が十五番ですから、ゲートのほぼ全域が射程範囲内ということになります。

 ここがスプリントの最高峰だったからこそばらつきの無いスタートと相成りましたが、そうでなければ出遅れのひとりやふたりくらい出たのではないかと。

 

『熾烈な先行争い。先頭に立ったのは一番テンプレオリシュ。十六番ピッコロリズム、十四番ミニペロニー続いている。少し外に十五番サクラバクシンオー、この位置に着けています。そのすぐ後ろに十三番タイキシャトル、ここまでで先頭集団を形成』

『一番人気サクラバクシンオー、落ち着いた様子ですね。今日は先行策でいくようです』

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【それは舞い散るヒバナのように】

 

 白い剣がひらめく。世界がひとつ解けて消えたかと思えば、またひとつ。

 青空の余韻もそこそこに、夕暮れを飛ばし広がる夜の帳。

 ウマ娘がいた座標に浮かびあがるのは線香花火。ぱちばちじりじりと音を立てて火薬の光が宵闇を刻む光景は綺麗ですが、どうも私はこうやってじっと待つタイプの花火が苦手なのですよね。

 あ、言ってる傍から落としてしまいました。じゅう、と満足に存在を誇示することもできず地面の上で消えた赤い玉は物悲しさに満ちていて。同時に、ぐいっと身体が抑えつけられるような重さを感じます。

 ぽとりぽとり。連鎖するように落ちていく火の玉の中、細く鮮やかな火の花弁を最後まで全うさせたのは結局リシュさんの花火だけ。

 ぐぐぐっと表情を歪ませるピッコロリズムさんとミニペロニーさん。すいっと加速するリシュさん。

 なるほどなるほど。範囲内の無差別な共通効果ですか。判定に成功すればバフ効果、失敗すればデバフ効果を付与される、と。

 

 ははーん。さてはこれ、過去最長の1200mになりますね?

 

 リシュさんの“領域”については既に聞き及んでいます。

 ジュニア級の頃からリシュさんは“領域”を自分の意思で具現できるまでに習熟していましたから。先輩として鼻が高いです。出会った当初から既にそうだったので具体的に私が何かしたというわけではありませんが!

 他者の“領域”を切り取ってストックし、以降自分自身の“領域”として使用できるというユニークな性能。何なら私自身の“領域”を提供したこともあります。黒い剣で串刺しはなかなかに衝撃的な経験でしたとも!!

 

 チームでのトレーニング中この身に受けたこともありますが、先ほどの“領域”はいずれも初見ですね。使えるようになったのがつい最近という可能性は……いえ、リシュさんは練習で万全に積み重ねた経験を本番でいかんなく発揮するタイプです。

 この大舞台にぶっつけ本番で使ってみたとは考えにくい。今日このときのために温存していた手札なのでしょう。

 たいへんよろしい! 己の全てをここでぶつけるという気概を感じます。真正面から受けて立ちましょう!!

 

 両親は私の産声を聞いた時、『世界を善へと導く者の誕生を確信した』とよく語ってくださいました。

 そして忘れもしない小学校一年生の頃、立候補を募っても誰も気恥ずかしさから手を上げず、ただ秒針の音だけが自己主張する教室の中。

 担任の先生は一番前の席に座っていた私にこう言ったのです。

 

――みんなのお手本になれる、えらい子にしかできないお仕事よ。どう?

 

 あの日、衝撃と共に私は自分の生き方を理解したのです。

 もとより手本とは愚かしいもの。成長し、いずれはそこを過ぎ去り、かつての自分が通った道ゆえに、現在の自分の評価を高めるため過剰に軽んじて評価する。

 あんなものかと。まだそんなことをしているのかと。

 それでいいのです!

 私ほど優秀なウマ娘でなければあるいは耐えられないかもしれません。しかし神童にして神速と当時から評判だった私からしてみれば、縁の下の力持ちをして腐る性根など持ち合わせておりませんっ!

 心からの笑顔でお手本から巣立つウマ娘たちを祝福しましょう!!

 

 巧みに立ち回る者は笑うでしょう。もっと効率的に動けばいいのにと。

 賢い人は眉を顰めるでしょう。ちゃんと考えればもっと賢明な判断が下せるはずだと。

 しかぁし! 効率と賢明に合わせてこねくり回され、手垢と指紋だらけになった()()に誰が憧れを抱きましょうかっ! いったい誰が『これこそ全てのウマ娘の理想にして模範である』と胸を張って言えましょうか!!

 

 私は学級委員長、サクラバクシンオーですッ!!

 

 領域具現――優等生×バクシン=大勝利ッ

 

 桜色に咲き誇る空間。

 轟くバクシン。響き渡るバクシン。すなわちバクシンッ!!

 

「バクシンバクシーン!!」

 

 電光石火の煽りは伊達ではありません。

 三分間の半分も要しないこのレース。スタートのときにお湯を注いだカップ麺をゴールと同時に召し上がれば、だいぶ芯の残った食感となることでしょう。

 序盤の激しい競り合いで散った火花の残滓漂うカーブはあっという間に第四コーナーへと差し掛かり、そこを抜けたら最後の直線です。

 

「――Are you ready?」

 

 まばたきひとつ惜しむようなスプリントの舞台。悠長にお喋りしている余裕など誰も持ち合わせているはずもなく。

 それでも私たちは時折聞き取るのです。魂が触れ合うとでも言うのでしょうか。

 鼓膜を介さず脳内に響く声。

 きっとそれは共に走る、かけがえのない宿敵たちの心の奔流。

 

 領域具現――ヴィクトリーショット!

 

 広がるのは赤茶けた荒野。

 吹きすさぶ風。容赦なく舞う砂埃。過酷な渇きを象徴するサボテン。

 そこはまるで西部劇で見る開拓地。多くの人々が夢だけを支えに奔走した時代の写し絵。ただ空に広がる穏やかな青空は、その風景の持ち主の心象を表しているようにも思えます。

 キィンと甲高く弾かれる銀のコインは決闘の合図。地面にそれが落ちると同時に素早く抜き放たれるはリボルバー。

 放たれた銃弾は、自分こそが勝利を撃ち抜くのだという意志で輝いていました。

 

 ここが仕掛け処とあなたも見極めましたか、タイキシャトルさん!

 機を見るに敏。あたかも早撃ちガンマンのような素早く精密で致命的な一撃。

 

「ここからがっ、ホントの真剣勝負デース!」

 

 ただ惜しむらくは、ここが短距離で相手が私だったこと。

 おおきくてはやいものが背後より迫り来る、普通のウマ娘なら容易く掛かってしまうであろう重圧。ですが神速の私を脅かすには足りません。

 

「ハーッハッハッハ! バクシンバクシンバックシーン!!」

「クウッ! ハァアアアア!!」

 

 ひとり、ふたりと前にいた子が脱落し、先頭をひた走るリシュさんの姿がはっきり見えます。翻る銀はまるで宙を浮くように荒れた内ラチをすいすい進みますが、残念ながらそれでも私の方が速いのです!

 このままではあっという間に追い抜いてしまいますよ!? さあどうしますかっ!!

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 抜けば玉散る氷の刃! リシュさんのそれは光をまったく反射しない漆黒の長剣ですが!!

 魚群を彷彿とさせる一糸乱れぬ有機的な挙動。飛来するは無数の黒剣。ただ魚群と異なるのは天敵に備えた防御的な動きではなく、獲物を狩るための攻撃的な動きだということ。

 

 桜色の世界を切り裂くように遊泳する黒剣たちでしたが、私に近づくに連れみるみるうちに小さくなっていきます。はて、不思議なこともあるものですね。遠くにあるうちは小さく見えたけど近づいてみると思っていたより大きいというのが普通ではないでしょうか? 本日の遠近法はお昼寝中なのでしょうかっ!?

 ぷすりぷすり。

 私に刺さる頃には針のようなサイズにまで縮んでいました。少しばかりチクチクしますがこの程度なら問題ありませんね。なにせ学級委員長ですのでっ!!

 

 BANG! BANG!

 すぐ後ろでタイキシャトルさんとリシュさんの“領域”が競り合う音が聞こえます。

 いつだったかトレーナーさんに教わったこと。同じ速度でぶつかった場合、大きくて重いものの方が競り勝つ。物理法則がどうだとか、運動エネルギーがどうだとか、詳しい理論は忘れましたが! だって私たちウマ娘ですもの。それらの法則が適用されない状況がわりと頻繁に発生するのです。

 だから、小さな金色の銃弾が漆黒の長剣を撃ち砕く目の前の光景もさほど不自然なものではないのでしょう。物理の法則に真っ向から逆らっている、ただそれだけのこと。私たちの(ことわり)はあの通りなのです。

 

《うわぁ、まじかー》

 

 どこか斜に構えたリシュさんの声が聞こえました。

 

《『防がれる』まではある程度予想していたし、これまでも何度かあったけどさ……『直撃した上でまるで問題にならない』っていうのはさすがに想定外。山を剣で掘削しているようなもんだ。規模(スケール)が違い過ぎる》

 

 はて、どこから聞こえているのでしょうか。タイキシャトルさんのそれとは響き方が微妙に異なるような? まるで糸電話越しに話しているかのような微妙なくぐもり加減です。

 

《ナリブの振れ幅が激しいってことは知っているつもりだったけど、ありゃ相当に下振れを引き当てていたんだなぁ。GⅠの大舞台でノリにノったレジェンド級がここまでのものだったとは……》

 

 ざわり、と全身の肌が粟立つのを感じました。

 空気が変わる。何かが起ころうとしている。

 

《本当に予想以上で――どこまでも期待通りだ》

 

『第四コーナーを抜けて直線に入る。十五番サクラバクシンオー、ここで行った! 十四番ミニペロニー、十六番ピッコロリズム苦しいか? 入れ替わるように十五番サクラバクシンオーと十三番タイキシャトルが上がっていきます』

『中山の直線は短いぞっ、後ろの子たちは間に合うのか!? まだ差がある。先頭は依然として一番テンプレオリシュ。中団で三番リボンマズルカ、内で脚をためています。そのすぐ後ろに七番デュオペルテ。最後方では二番フリルドマンダリンが動いた。八番アジサイゲッコウその位置から届くのか』

 

 外側にいる方々は何も気づいていない。

 魂の衝突で火花が舞い散る最前線の私たちだけが感じる、本能の警告音。

 

《さて、再確認(おさらい)の時間だ。固有スキルのレベルアップとはいったい何ぞや?

 ここで着目したいのはどの育成シナリオでも共通した条件となっている『ファン数』だ。この世界のウマソウルなるものが()()()の“願い”の結晶だって仮説は以前に述べた通りだが……はたしてこの“願い”、()()()から()()()への一方通行なのだろうか?》

 

 立て板に水。まるで何かの公式を読み上げている数学者のようなよどみない口調。

 ビリビリと足元が振動しているかのような圧の高まり。

 刹那の怠慢も許されないこのレースの中で、そこだけが奇妙な静謐に満たされていました。

 

《バレンタイン、ファン感謝祭、そしてクリスマス。これらの時期イベントの共通項は『ウマ娘の情緒が大きく揺れ動く出来事』である、ということ。

 アオハル魂爆発がウマソウルの共鳴現象による容量の引き上げであるならば、固有スキルのレベルアップは質の向上。『この世界の“願い”』を集めたウマソウルが情動を契機に階位(レベル)を上げている。それがぼくの出した仮説》

 

 そして誰に説明されるまでもなく理解していました。

 津波の前に波が引くように、あくまでその静けさは前触れに過ぎないのだと。

 

《名前で括れてさえしまえば形になる。『テンプレオリシュ』――その名を鋳型として、この世界の人々の“願い”が集まるように世論を誘導してきた。それがこの子の対人関係に害を及ぼすことになると知った上で、“銀の魔王”というキャラクターを強調し続けた。

 さあ、証明といこうか。数は既に十分すぎるほど。(ファン)(アンチ)も、魔王(ぼくら)供物(エサ)だ。そして目の前にはこのままでは勝てない強敵。覚醒イベントを起こすにはピッタリだろう?》

 

 すべてはこのときのために

 

 その宣言と同時に、何かが音を立てて噛み合ったのを私は確かに聞きました。

 

スキルLvアップ!

因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

Lv1→Lv2

因子簒奪(ソウルグリード)」のレベルが上がった!

十束剣(トツカノツルギ)」に覚醒した!

 

《はじめまして世界。今後ともよろしくぅ!》

 

 




次回も引き続きバクシンバクシーン!


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サポートカードイベント:散った桜はまた咲くさだめ

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後半は三人称視点


 

 

U U U

 

 

 剣群の動きが変わる。

 外に向いていたものが内側へ。

 リシュさんを中心にぐるぐると回遊する長剣のうち、白と黒の一対が彼女の手元に舞い降り、その刀身へ躊躇なくリシュさんは手のひらを滑らせました。

 割れる肌。滴り落ちる血。

 刃を彩る赤はまるで見えない溝があるような不自然な流れ方をして、幾何学的な文様を描きます。次いでパキャン、と乾いた金属音と共にその文様に沿って剣が散けました。

 分解は群れ全体へと連鎖していきます。分解したもの同士が噛み合い、絡み合い、時に接続部分が回転する。その動きはまるで知恵の輪のよう。

 いつだったかリシュさんがほんの五秒ほどで解いてみせたことがありましたね。たしかに今はまだ及びませんが、いずれ私にもっとパワーがつけば四秒の大台を切ることは確実です!

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【全身全霊】×【優等生×バクシン=大勝利ッ】×【レッドエース】

=【爆進全霊・紅】

 

 一塊になったそれは無数の長剣を束ねたという前提を鑑みてもなお、あまりに質量保存の法則を超越しているように見えました。

 柄だけでリシュさんの身の丈を優に越える長さ、槍と形容したくもなりますが……。

 刀身との比率を鑑みるに、やはりそれは『剣』になるのでしょう。

 

《山を剣で掘削しているようなものなら、山を両断できる大きさの剣を用意すればいい。うむ、じつにいんてりじぇんすだ》

 

 いまだ流れる血で柄を赤く汚しながら、リシュさんが大きく振りかぶりました。その華奢な身体は自らの内から迸る力でぎしぎしと撓んでいます。

 地平線をがりがりと削りながら放たれる薙ぎ払いに、いかなる対処法がありましょうか。

 その刀身は縮んでなお私の胴を真一文字に通り抜けていきました。

 

「Noooooo!?」

 

 あっ、今タイキシャトルさんの悲鳴も聞こえましたね!

 

 追加捕食! ×【優等生×バクシン=大勝利ッ】

 追加捕食! ×【ヴィクトリーショット!】

 収斂消化 =【勝利に向かって紅色の驀進全霊ッ!!】

 

 青空の荒野も、桜の世界も、千々に乱れて掻き消えてここは中山レース場の最後の直線。

 私を包んでいた全能感が剥ぎ取られ、思わず身震いしてしまいそうになります。

 

「バクシン」

 

 リシュさんの声が聞こえました。

 先ほどまでの奇妙な反響の無い、いつも通りの魂経由。

 いえ、いつも通りというと語弊があるかもしれませんね! ここまで気迫に満ちたリシュさんの声は聞いたことがありません。

 

爆進(バクシン)!」

 

 彼女が一歩踏み込むたびに落雷が如き轟音、足元の芝が爆散していきます!

 なんということでしょう!! これは掛かって……いえ、そういうことですか。

 効率を捨てましたね?

 普段の足音の無い走り。あれは確かに芸術的なまでに無駄を省いた走法。しかし、トップスピードを出すのに本当に足音が発生しないことなどありうるのでしょうか?

 もちろんレースとはただ全力で踏み込めば速度が出るような単純なものではありません。初心者が体感的に全力を振り絞った際のフォームと、正しいフォームは異なります。たとえ慣れるまでは不自然でぎこちなく感じようと、どんな種目においても正しいフォームの方が強いパフォーマンスを長く発揮できるもの。すなわちバクシンですね。

 ただ、瞬間的な最大出力に限って言うのであれば。初心者の考えるそれと模範解答が一致することもありえるのです。つまりはバクシンです。

 ただ力むことしかできない無様とも言える踏み込み。脚には尋常ではない負荷が掛かり、スタミナ配分の欠片も無いためすぐにバテてしまう無駄だらけの走り。

 

驀進(バクシィイン)ッ!!」

 

 それこそが今の彼女の全力全開。ただ速度の一点のみを追求したラストスパート! これがリシュさんのバクシン!!

 

『後ろは大きく離された! 前三人の熾烈なデッドヒートが繰り広げられる!』

『テンプレオリシュが逃げ切るか、サクラバクシンオーが交わすか、それともタイキシャトルが巻き返すのか。ここから二十秒間は瞬き厳禁ですね』

 

 まるで花吹雪のように芝が地面ごと砕け散っていきます。

 妨害? いえいえ、リシュさんはただ全力で走っているだけなのは誰の目にも一目瞭然でしょう。彼女に限らず、蹴り上げられベロリと剥がれた芝が後続に当たってしまうのは稀にある事故ですから。私なら避けられますが!

 だから仮に、今日また事故が起きたとしても。それはリシュさんの全力疾走に耐えられないほど脆いレース場と、避けられなかった後続が至らなかっただけと言えましょう。

 

『一番テンプレオリシュ粘る! 十五番サクラバクシンオーじりじり詰めていく! 最後は二人の鍔迫り合いか!?』

『十三番タイキシャトルも素晴らしい速さです。しかし、だからこそ。彼女を置き去りに大地を踏み砕いて走るテンプレオリシュと、それすら凌駕するサクラバクシンオーの速度には寒気すら覚えますね』

 

 完全に制御下に置いた普段の走法を放棄し、ゼロか百かしか選べない未熟な全力をこの場で切り札とした勇気。自らの限界になりふり構わず挑戦するその姿勢。たいへん素晴らしい。レース中ではありますが再び花丸をさしあげます、マルッ!

 しかし、その上であえて申し上げましょう。

 

 最速は私であると。

 

 咲いた桜は散るがさだめ。しかし、来年もその次の年もサクラは咲くのです。

 一度散ったのであればもう一度咲かせましょう。何度でも咲き誇りましょう。より鮮やかに!

 リシュさんがいまこの瞬間に限界を越えようというのに、なぜ私がのうのうとこれまでの己に甘んじることが許されましょうか。一秒前の自分だって追い越してみせますとも!!

 だって私は学級委員長ですからっ!!

 

「ハーッハッハッハッハ! いざっ、バックシーンッ!!」

 

 胸の内より湧き出るぬくもりに綻んでいく空気。鮮やかな桜色に染まる秋口の曇天。

 スピードの極致を体現した私の世界。

 それはバクシン以外の何物でもありえません!

 

「バクちゃん先輩はひとりなのに強いね。でも」

 

 すっと青い瞳と目が合った気がしました。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【五石に加護と福音を】

 

 こつん、と額に軽い衝撃。

 それは投石というのも烏滸がましい、砂粒の延長線上のような小さな小さな石の衝突。

 

「今日のところは私たちの方が石ころ一つ分、強かったみたい」

 

 その一石で生じた刹那があまりにも決定的でした。

 桜の花が、開ききらない――

 

『一番テンプレオリシュ! 十五番サクラバクシンオー! もつれ込むようにゴールッ!! どっちだ!? 最速の栄冠はどちらの手に!?』

『掲示板には写真判定の表示。体勢的にはテンプレオリシュが有利にも見えましたが果たして……』

 

 

U U U

 

 

「まじかよ……」

 

 中山レース場、観客席。

 ウオッカは今まさに目の当たりにした現実を前に呆然とこぼす。

 レース後半ではほとんど絶叫していた実況然り、この場にいる誰もが『最速』を形にした今年のスプリンターズステークスに熱狂していた。まだ写真判定の真っ最中で着順が確定していないこともあり、余韻というには熱すぎるざわめきがそこかしこを渦巻いている。

 ウオッカ自身、感じるものが無かったわけではない。ウマ娘として、レースに携わる者として、あまりにも大きいレースだった。

 しかしそれを差し置いてもなお、最優先で処理しなければならないものが彼女にはあっただけの話。

 

「リシュのやつ……本当にこれまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 本気ではあったのだろう。少なくともリシュと走ったレースのうち、彼女がレースを侮っていると感じた経験はウオッカには一度として存在しない。

 だが目の前の事実は事実として受け止めなければならず、それは一人のウマ娘として痛みを伴うものだった。

 

「油断や慢心からではないはずだよ」

 

 夏合宿の際、彼女の走りと足跡を観察することでその事実を推察した彼女の担当トレーナーが淡々と諭す。

 中央のトレーナーというのは前提としてあらゆる能力に秀でたエリート揃いではあるが、そのまんべんなく高水準なスペックの中でも得意不得意が存在している。

 ゴルシTと呼ばれる彼の得意分野と目されているのは『故障の防止』。

 彼が監修するチーム〈キャロッツ〉のウマ娘はアオハル杯が開催されてからこの一年半、レースに支障が出るレベルの怪我を負った者がいない。これはレース業界全体を鑑みるに、もはや偉業というより異常といった方が的確な手腕だ。

 

 異常は異常を知る。

 夏合宿中のゴルシTとリシュの組み合わせは、それはもう傍目には奇妙なものだった。

 トレーナーとウマ娘がトレーニングをしている光景と聞いて、どんなものを思い浮かべるだろうか。

 せっせと汗を流しながらメニューを熟すウマ娘に、後方からメガホンで適宜指示を飛ばすトレーナー。一般的にはそんな感じだろうか。

 そしてそんな普通の範疇に収まりきることができないから異常は異常なのだ。

 彼と彼女の間に会話らしい会話はほとんど無かった。ゴルシTはリシュのウマ娘離れした能力にフィットした独創的なトレーニングを考案する。リシュはゴルシTの指示に従ってさえいれば故障はしないと全面的に信頼し、出された課題を完璧にクリアする。

 一回メニューを組んでしまえば両者の間に適宜修正しなければならない箇所など無いのだ。まさに以心伝心、人バ一体。結果として一番トレーニングを効果的に消化しているリシュが一番放置されているようにも見えたのは何の皮肉だろうか。

 至らない部分がどうしても出てくる常識的なウマ娘であるウオッカとしては、やっぱり至らない部分が適宜出てくる桐生院トレーナーと共にぐぬぬと嫉妬を飲み下したものである。

 

 そんな彼が夏合宿後、担当のウマ娘たちにこう告げたのだ。

 テンプレオリシュの脚力の上限があまりにも不透明過ぎる。もしかすると彼女はこれまでのレース、一度として全力疾走をしたことがないのではなかろうか、と。

 まさかと鼻で笑えたら、どれほど楽だっただろう。

 

「ほら、ここから見えるだろう?」

 

 グリーンの絨毯の上を、ココアがなみなみと注がれたコップを持った幼児が小走りで通り過ぎたような惨状。すなわち短いことで有名な中山の最終直線の今の姿である。

 ウマ娘の脚力で芝が剥げること自体はさほど珍しいことではない。最終レース終了後はどこのレース場も芝があちこち剥がれて穴だらけ。一昔前なら『まるでダート』と揶揄されるほど芝の状態がひどいこともあったらしい。

 だがあれほどの広範囲が断続的に砕け散るなど聞いたことが無い。

 

 それを成した側もしっかり被害が出ている。

 普段はレースが終われば数分もしないうちに平然と呼吸を整えているイメージのあるリシュだが、今は全身から汗をぽたぽたと滴らせながら肩で息をしている。頭の重ささえ今は耐えがたいとばかりに膝に手をつき、地面と平行になった背中からは陽炎のように空気が揺らいでいた。

 九月後半。暦の上では秋だが、今年は夏が立ち去るタイミングを見失ったかのように残暑が猛威をふるっている。彼女の体温は今どれほどの高温になっているのだろうか。

 

 満身創痍を体現したそれらの中でもひときわ印象的なのが、彼女のブーツ。

 勝負服というのは一般常識と物理法則から逸脱したウマ娘要素の代表的な存在だ。誰がどう考えても走りにくそうな出で立ちであったとしても、誰がどう見ても冬には凍えそうな露出であったとしても。それが勝負服として完成しているのであれば、ウマ娘は快適に走ることができる。他のどんなスポーツ科学的に洗練された衣装よりも速く。

 折れそうなピンヒールだろうと。足首をガチガチに固めたブーツだろうと。何なら草鞋(わらじ)で走っていたウマ娘だって歴史上には存在している。

 明らかにスポーツシューズで走った方がよさそうなのに、ウマソウルの不思議パワーが何やらいい感じに作用しているとかで、勝負服の方が好タイムを出せる。

 そんなふんわりした理論で納得できるかと。もっと何か厳密なロジックが発見できるはずだと。その理論を応用すれば人類はさらに躍進できるはずだと。これまで幾人もの研究者が熱意の炎を目に灯してこの問題へ挑戦し、そして死んだ目でこの結論に帰結した。

 ちなみに余談だが、蹄鉄は勝負服とは別のカテゴリらしくわりと壊れるし落鉄も発生する。いったいこの違いは何なのかと研究者たちの目はますます濁る。

 

 そんな数多の研究者の心をへし折ってきたふんわり強固な不思議パワーに保護されているはずの武骨なブーツは、内側から破裂したかのように半壊していた。

 もちろん勝負服が壊れないわけではない。壊れないわけではないが、それはウマ娘を取り巻く不思議パワーの供給が途絶えた状態、すなわちウマ娘の故障に連動するかたちで発生するものだ。

 リシュが怪我をしたのならゴルシTは呑気に観客席で観察を続けていないという確信がウオッカにはある。である以上、あの惨状は不思議パワーの保護をそのままに、その許容量を凌駕した結果としてああなったのだろう。

 

「アイツは全力を出すと、自分も世界もまとめて踏み砕いちまうってことか……」

 

 ヨシ! なんかカッケェことが言えたぞ、とウオッカのテンションが少し上がった。

 

「うん、そうだね。ウマ娘は稀に限界を超える。レース中ライバルとの激闘で、ファンの声援で、生物が安全のため設定したリミッターを自ら解除してしまう。それが故障に繋がるわけだけど……。

 彼女の場合はそうじゃない。リミッターを解除したから故障するわけじゃない。むしろその逆だ。単純に脚力が強すぎる。身体の耐久性能を超過している。だから、普段は意識という名のリミッターを重ね掛けしている状態と言えるだろう」

 

 普段のあの足音が出ないほど洗練された走りは鋭すぎる刀身が持ち主を傷つけないよう、保護する鞘でもあったわけだ。

 ……うん、いやその理屈でいくと俺は鞘に収まったままの、抜かれもしてない剣にぶっ叩かれて負けたことにならねえか? と、気づいたウオッカはその脳裏によぎった例えを口に出さないことにした。

 

「いやはや、彼女に走りの基礎を仕込んだ指導者には是非とも一度お話を伺ってみたいものだね」

 

 ぐしゃぐしゃと頭を掻き回しながらゴルシTは感嘆する。

 ウマ娘に全力で走るなと諭したところで、いったいどんな条件が揃えば聞き入れてもらえるのだろうか。彼には見当もつかない。

 ウマ娘にとって走るというのは本能だ。人間の三大欲求に並ぶとまでは言わないが、次ぐと言っていいくらいには大きな欲求であり、快楽である。

 目の前に山盛りの料理があるのに、腹八分どころか六分に留めておけと言われて素直に頷けるだろうか? 特に予定があるわけでもないのに、一日の睡眠時間は五時間までと制限され納得できるだろうか?

 それも一日や二日といった限られた期間ではない。あの生物として歪とさえ言える身体能力のバランスは、おそらく生来のものであるとゴルシTは見ている。

 生まれついてから今日にいたるまで、それをテンプレオリシュは愚直に守り続けてきたのだ。

 その指導の源はどれだけ座学の成績が良かろうと、決して手に入らないもの。

 

「本能すら凌駕する信頼。魂の底から信じ抜かれる関係性。その構築に成功したという一点だけで、中央のあらゆるトレーナーは彼ないし彼女の後塵を拝すると言っても過言ではない。そう思うよ」

「そーかぁ? アタシたちのトレーナーだって負けたもんじゃねえとアタシは思うんだがなあ」

 

 ひょっこり後ろから現れ、彼の肩に首を乗せながら宣うは葦毛の奇行種。その言葉に彼は軽く目を見開くと、再びぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。照れ隠しである。

 一度目を閉じ、ゆっくり息を吸って、吐く。

 目を開けたとき、そこにいたのは敵を賞賛しながら途方に暮れる男ではなく、中央にその人ありと畏怖されたゴルシTと呼ばれる超一流のトレーナーだった。

 

「うん、ありがとうゴールドシップ」

「おうよ。なんなら勝っちまおうぜ、相棒」

 

「そうだね。ようやく彼女の上限が知れたんだ」

 

 情報を精査する。

 幸いと言うべきか、相手はかのサクラバクシンオー。出し惜しみして勝利をもぎ取れるウマ娘ではなく、現状でテンプレオリシュが持つ手札はそのほとんどが詳らかにされていた。

 

「できないことをできないままにしてくれるような易しい相手ではないとわかっていたけど……やはり『表側』はどちらもできるようになっているのか」

 

 まず着目するべきはそこだろうか。

 いつかスカーレットが語ってくれたテンプレオリシュの二つのスタイル、別人のような脚質の違い。格下を圧倒するスペックごり押しの逃げ・追い込みと、観察に秀でた先行・差し。

 だが今回のテンプレオリシュは、サクラバクシンオーやタイキシャトルといった先輩格を相手に最初から最後まで逃げ切った。

 ジャパンダートダービーの頃から兆候はあったが、先行・差しの緩急自在なスタイルのまま逃げ・追い込みもできるようになっていると断定してもよいだろう。

 

「あん? 『表側』はどちらも、って何がだ?」

「あー……すまないウオッカ。いずれ適切なタイミングで話すよ。別に出し惜しみしているわけじゃないってことは理解してくれると嬉しい」

「なんじゃそりゃ。ま、トレーナーがそう言うならそんときまで待つけどよぉ」

 

 素直に引き下がってくれたウオッカに軽く会釈し、改めて感謝を示す。情報を小出しにして担当ウマ娘に不利益を生じさせるなど、トレーナーとしてはあるまじき態度かもしれない。だが、なにせ場合によっては非常にデリケートな問題である。

 テンプレオリシュが桐生院トレーナーの担当ウマ娘になって一年以上。仮にアレが精神疾患に起因するものだったとしても、その原因となる存在は既に除外されているはず。そう信じられる程度にゴルシTはあの生真面目でウマ娘想いの同期の手腕を評価していた。

 ただ、心の傷は身体の傷と違って全治何か月という明確な目安が存在しない。外見からどの程度癒えているのか判別することも困難だ。

 

 ウマソウル由来の特性ならそれでよし。

 だがそうでないのなら、迂闊に突っ込めば癒えかけの傷口に指をねじ込むような事態になりかねない。己を『ウマ娘を勝たせるトレーナーである前に、思春期の少女を導くひとりの大人である』と定義するゴルシTにとって、優先順位は明確だった。

 この情報を少女たちに告げるのは先に何らかのルートで裏付けを取ってからだ。もっとも、幾人かは既に自力で勘付いている節があるが。

 

「そして全力を出せる現状の限界は、およそ十歩と」

 

 足跡が芝の上にくっきり(婉曲な表現)と残っているため、とてもわかりやすい。

 夏合宿を経てチーム〈キャロッツ〉と〈パンスペルミア〉のウマ娘たちの身体能力は大幅に向上した。それはスピードやパワーといった表層的な出力のみならず、耐久性能といった面も含めてだ。

 中央に所属するトレーナーとして、自チーム相手チーム問わずゴルシTは全力で監修した。それがこれから中央という魔境を戦い抜くために必要不可欠だと思ったからだ。

 たとえ仮想敵となりうる相手に自陣の情報がある程度漏洩したとしても、そのリスクを看過した上で担当ウマ娘たちの実力の底上げを優先させるべきだと判断した。

 シニア級という層はそれだけ広く、深い。伝説だろうと化物だろうとただ目立つ一人を徹底的にマークしていれば万事解決というものではない。あっさりと伏兵に足をすくわれることになるだろう。そもそもシニア級まで走り続けた時点で『伏兵』と呼ばれる彼女たちも、中央という魔境の『生き残り』なのだから。

 桐生院トレーナーも同意見だった。ライバルである彼女と手を組んだだけの成果は出せた、とゴルシTは自負している。

 

「その上でようやく許容された全力疾走が、たったの十歩なのか。なるほど。これは夏合宿前の状態ではろくに全力を出すこともできないだろう。ふむ……」

 

 芝を爆散させているのは無駄があるからだ。脚力にコントロールが追いついておらず百かゼロの極端な出力しかできていない。

 だがいずれ身体能力が向上し耐久性能が追い付けば、全力疾走してもなお音の出ない繊細なコントロールを維持することが可能になるとゴルシTの脳は演算する。

 しかしそんな天を仰ぎたくなるような未来予想図が完成するのは、今ではない。

 シニア級の春。それが彼の脳内に描かれた、テンプレオリシュの耐久性能の成長曲線が脚力に追いつく座標だった。

 つまりウオッカでもゴールドシップでもない彼の担当ウマ娘が見据えている年末のグランプリの時点では、テンプレオリシュはいまだ未完成。

 ゴルシTの脳内にもうひとつグラフが描かれる。こちらは熟知したデータを参照にしているため精度も構築速度も段違いだ。

 

「――うん、勝てるよスカーレット」

 

 呼びかけられた少女は何も答えなかった。

 ただ黙ったまま、ターフの上で息絶え絶えに笑っている銀ピカの腐れ縁を見つめ続けていた。

 ゴルシTの声が契機になったわけでもないだろうが。写真判定が終わり、掲示板が確定する。

 一着にはテンプレオリシュの名前が燦然と輝いていた。

 

『順位が確定いたしました。一着は一番テンプレオリシュ、一番テンプレオリシュです! スプリントの絶対王者サクラバクシンオー、ハナ差の二着となりましたッ!!』

 

 この場の四人はだいたい察していた。きっとターフの上の主演たちもわかっていたことだった。

 だが、中山レース場にいる大多数はそうではない。彼らはこの瞬間まで自分の見たいものだけを見てきたのだから。

 地響きのようなどよめきが観客席を揺らす。それでも紅の少女は静かなままだった。

 

『彼女たちが競い合ってスプリントの歴史が変わらないわけがなかった。昨年のサクラバクシンオーの記録を塗り替え、約束されたレコード更新ですっ!』

 

 悲鳴と歓声が混ざり合い、もはや怒号としか形容できない音の津波が観客席を襲う。

 それでもなお静寂を保つルームメイトにウオッカはそろそろ心配になってきた。この直情型のライバルは日本ダービーの観客席において震えながら悔し涙まで流したと聞く。

 それが今はどうだ。あれほどの光景、いっそグロ画像と揶揄したくなるほど一周回って滑稽さすら漂う異次元の力の衝突を目の当たりにして、何故ここまでコイツは静かなんだと。

 

『“銀の魔王”が“驀進王”を打ち破り、まさかのGⅠ六連勝。このままクラシック三冠目の菊花賞を制することができれば、かの“皇帝”シンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝。さらには全距離GⅠ制覇という前代未聞の大記録を達成することになりますね』

『無敗のクラシック三冠という偉業がかすむ、信じがたい事態が発生しかねません……我々は新たな神話が紡がれるのを目の当たりにしているのか』

 

 不定期なまばたきが無ければ、目を開けたまま気絶しているのではないかとさえ思う。

 ただ、そんな心配を素直に表に出すにはウオッカは思春期真っただ中に過ぎた。

 

「おいおいスカーレット、腰でも抜か――」

「……似てる」

 

 叩こうとした憎まれ口がスカーレットの言葉と重なりかけたため、慌てて飲み込む。喉の奥が変な鳴り方をした。

 だがその甲斐あってこの怒号の嵐の中、ささやくような音量でぽつりとつぶやかれた彼女の独白を邪魔することなく何とか聞き取ることができたのだった。

 

「あれは()()()なのかしら」

「…………お、おう」

 

 トレーナーも同期も思わせぶりなことばかり言いやがって。

 ズルいぞ、俺も何かそれっぽいこと言いてえ。

 

 ウオッカはやるせなさを噛みしめた。

 

 




固有スキル【因子簒奪(ソウルグリード)】Lv1『黒喰(シュヴァルツ・ローチ)』『白域(ホーリー・クレイドル)
 >> Lv2『十束剣(トツカノツルギ)』New!
自身の所持スキル(固有スキルを含む)発動時に追加で発動。
習得済みの任意のスキル(固有スキルを含む)を組み合わせ、即興で新たなスキルを作成する。
レベル1の性能はある程度踏襲しており、この状態で他者の固有スキルを捕食することもできる。捕食能力そのものはレベル1の頃より上昇しているが、この状態で捕食したスキルはそのまま即興スキルに組み込まれてしまいストックにはならない。
作成したスキルはレース後に消滅し、組み合わせる前のスキルに戻る。

テンプレオリシュの固有スキルが順当なレベルアップなどするはずが無かった。
まさかのレベルアップごとに新スキル獲得。状況に合わせて各スキルを使い分けていく模様。
なお、『十束剣(トツカノツルギ)』はこのレースで覚醒したものであり、従来から言われている『紫』とはまた別物である。


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天高く…

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U U U

 

 

 お腹が空くんだよ。

 

 本日の昼食はお蕎麦。

 その道に詳しい人間イチオシの店だけあってとても美味しい。

 変な表現だが、蕎麦の味と香りがする。

 こう言うとまるでこれまで食べてきたお蕎麦が偽物で、今食べているものこそが本物のお蕎麦だと見下しているような感じがなんとなく嫌なのだけど。でも本当に美味しい。

 

《多くの人間の口にできるだけ安価で届くように用意された大量生産品の蕎麦が悪いものとは思わないけど……まあ蕎麦湯が飲める蕎麦屋ってだけで『おー、ここはしっかりした蕎麦屋なんだな』って思っちゃう庶民だからなぁ、ぼくらって》

 

 うっかり油断すると一杯目のときみたいに麺だけが先になくなりそうなので意識して箸を止め、目標をエビのてんぷらに移す。

 サクサクという衣の歯ごたえと口の中に広がるエビの甘味。うん、美味しい。蕎麦ほどこれまで食べてきたものとの違いがわかるわけじゃないけど、蕎麦がとても美味しいのでこのてんぷらもかなり上等なものに思える。だったらそれでいいだろう。

 ついでに器を持ち上げて温かいおつゆも一口。うんうん、あったまるね。十月に入ると肌寒く感じる日も増えたから。

 

「ははっ、いい食べっぷりだな! 案内した甲斐があったよ」

 

 三杯目になりようやく食べる勢いが落ち着くまで待ってくれていたのだろうか。

 だとするなら熱血と根性で埋まっている言動の第一印象に反し、意外と気遣いのできる人間なのかもしれない。そう思い返してみれば彼女の目は常に一定の温度を保っていた気もする。

 今もその目のまま楽し気に話しかけてきた相手に返答するため、もきゅもきゅとお蕎麦を咀嚼。口にものを詰め込んだままお喋りするなんて非常にお行儀が悪いからだ。

 ごくんと呑み込んで、さて何というべきか。

 

「学園から徒歩圏内にこんないい店があるとは知らなかったよ。ありがと、ビターグラッセ」

 

 それもウマ娘基準ではなくヒトミミ基準の徒歩圏内だ。

 全国チェーン店に慣れた庶民の感覚からするとお値段はそれなりだが、学生の財布では太刀打ちできない高級店というほどでもない。品質から考えると破格。曰く、蕎麦は大衆の食であってこそという店主のこだわりらしい。

 本当にいい店だ。今度、桐生院トレーナーや〈パンスペルミア〉のみんなと一緒に改めて訪れるのもいいかもしれない。

 

「あはは、別に一見さんお断りの店ってわけじゃない。ここを好きになってくれるウマ娘が増えてくれるなら私も嬉しいよ」

 

 ちなみに言葉はしれっとテンちゃんが代弁してくれた模様。

 まあテンちゃんの知り合いだしね。

 私はどうしてビターグラッセにリトルココン、他数名含むのチーム〈ファースト〉の面々と一緒に食事する羽目になっているのかいまだによく理解していないよ。

 デュオペルテ先輩やアジサイゲッコウ先輩あたりは何となく気まずそうにも見える。まあ、このお二人は先月のスプリンターズSで私と走ったというのも大きいだろうが。

 ちなみにお二人とも戦果は芳しくなかった模様。チーム〈ファースト〉は確かにアオハル杯において今のところ頂点だが、チーム戦のスペシャリスト程度では“驀進王”や“最強マイラー”相手は荷が重かろうよ。

 

《“銀の魔王”もね》

 

 ……いよいよ私の代名詞として定着しつつあるよね、その称号。

 

 

 

 

 

 終わった後に言うのもなんだが。スプリンターズステークスは私のローテーションの中でも、ひときわ浮いた存在だったように思う。

 もともと三冠路線にNHKマイルCを経由する程度ならともかく、ジャパンダートダービーまで足を延ばした時点で常識何それ美味しいの的な話ではあるのだけど。

 何故このタイミングなのかと。

 多くの人から婉曲的に問われたし、何なら無作法なマスコミあたりは直接的に突っ込んできたこともある。

 無敗の三冠。たぶん私の想定しているそれの価値と、周囲が抱く憧憬とのギャップは根深いものなのだろう。

 ハッキリ言ってバクちゃん先輩相手に1200mは敗色濃厚だった。それは間違いない。

 でもきっと、テンちゃんがクラシック級のローテにスプリンターズSを組み込んだのはそれこそを求めていたのだろう。

 壁を越えなければ確実に負けるという窮地に自らを追い込んだ甲斐あって、得られたものは大きかったし多かった。

 

《たまに格闘マンガとかで『一生に一回しか使えない』とか『使ったら反動で死ぬ』とかいう技があるけどさ、あれってもう技じゃなくて超能力のたぐいだよねー》

 

 いつだったか、テンちゃんがそう言っていたことがある。

 

《だって練習できないし、お手本だって見せられないし。師匠から弟子への伝授はどうやるんだって話。仮に死なない程度に分割して練習するにしても、それを見せてお手本とするにしてもさ。今度は一度も使ったことのない技をぶっつけ本番で、しかも命懸けで使うことになるんだぞ。プレッシャー半端ないって。

 仮にぼくが命を懸けるなら、何度も練習して呼吸と同じくらい習熟した技の方がいいね。どれだけ強力な技だろうと通しで練習できないことをぶっつけ本番でやりたくないよ》

 

 これは私たちに共通するスタンスだ。スリルやストレスよりも安定を好む。

 だけど、どうしたって練習では得られないものはあるらしい。こと【領域】関連ではその傾向が顕著だ。

 屍を積み重ねてたどり着いた舞台で伸るか反るかの大勝負。そんな経験をして初めて見えてくる境地がある。困ったことにそう実感してしまった。

 あるいは【領域】というのは異世界の歴史に由来するものであるらしいから、勝負の舞台がどこかの重賞であって初めて成長の条件を満たすなんてこともあるのかもしれない。

 

 はあー。見ている方は無責任に盛り上がれるのかもしれないけどさ。

 あんな心身ともに不健康なレースしていたらいつか絶対にどこか壊れるからね? トゥインクル・シリーズで引退までに故障を経験しないウマ娘の方が少数派って事実を身に染みて理解したよ。みんないつもあんなことしているのか。納得。

 

 できることならあんな勝負、最初で最後であってほしいものだけど。

 たぶん無理なんだろうなという嫌な確信がある。

 だから積み重ねるしかないのだ。壊れたくないのなら。逃げる気も無いのなら。奇跡の対価は往々にして前払い。支払いきれるだけの貯蓄を事前に蓄えておくほかない。

 今回のレースであれだけの無茶をして、ぎりぎり私の身体が故障一つなく保ってくれたように。

 ブーツは半壊したけどね。

 

 

 

 

 

 私の勝負服のデザインが少しばかり変更されたことは、間違いなくあのレースで生じた変化の一つだろう。

 レース終盤の全力疾走で落鉄しなかったのはただの幸運だ。こと安全面に関わる問題なので各所の動きは非常に速やかだった。

 私の両足を覆っていた武骨なブーツは、さらに頑強さを追求したグリーブにレベルアップ。何故かセットで両手にガントレットも追加である。

 ……いや、足はわかるけど。なんで手の装備まで変更されるんだ?

 

《ウマ娘の勝負服だからでしょ》

 

 不思議だね、勝負服。両手両足をあわせて『脚』カウントなのだろうか。

 

 まあその影響でこれまで両手を飾っていたシルバーや包帯はオミットされ、私の勝負服はやや左右対称(シンメトリー)に近づいた。

 安全面を優先したわけだから純粋な性能は二の次だったわけで、どうしても重くなったように感じる。ただ安全性が向上した結果これまでより遠慮なく踏み込めるようになったので、差し引きでトップスピードは変わらない。

 しかし、スタミナの消耗は確実に増した。次走が菊花賞という初のGⅠ長距離3000mの私にとってはあまりありがたくない調整だったかな。

 

 この調整は、言ってしまえばあくまで一時しのぎだ。私の身体が成長しきって、私の全力を私の制御下に置くまでの時間が稼げればそれでいい。

 勝負服の調整が終わった後、顔見知りへお披露目したらウオッカが崩れ落ちた。

 どうやら『制御できない膨大な力を封印する装甲』とか『暫定的な処置』とかが彼女の中の少年心にダイレクトヒットしたようである。

 ……すこし気持ちがわかってしまう自分が怖い。

 

 実は勝負服の新調という案もあったが、そちらは丁重にお断りさせていただいた。

 勝負服の入手というのはウマ娘にとっての名誉。本来は『GⅠ初出走』や『年度代表ウマ娘への選出』、あるいは勝負服を自作できるほどの経済力と社会的地位を持つ『ファンからのプレゼント』などなど、一大イベントがあって初めて用意される強い想いの結晶。

 私の場合は『安全面の不足』という必要に駆られ今の勝負服から変更が必要になったわけだが、必要になったからという理由で新規に一着用意されるのは何か違うと感じたのだ。

 私がトゥインクル・シリーズを走る他のウマ娘たちと熱を完全に共有できているわけではないからこそ、迂闊に彼女たちの想いを汚すような真似はしたくないと思っている。

 それにウマ娘の全力に耐えうる耐久性が求められるのはもちろんのこと、オカルト面での役割も大きい勝負服はその作成に何だかんだ金も手間もかかる。今の状態に最適化して作成された勝負服は、来年の春には着れなくなっているだろう。

 それはあまりにもったいない。今年あと走る予定のレースはせいぜい二~三つなのだから。平均的なウマ娘が勝負服を着て走る機会が何度あるのかという点は、さておいて。

 だったら今年は現状の勝負服の改造で対応して、年度代表ウマ娘への選出で得られる勝負服を育ちきった身体に合わせたデザインにする方がずっと効率的でしっくりくるというものだ。

 個人的な感情としても。デザインにいろいろ思うところが無いわけじゃない今の勝負服ではあるけれど、何だかんだここまで一緒に数々の激闘を潜り抜けてきた相棒。クラシック級の残りもできるならコイツと一緒に走り抜きたい。

 

 え、年度代表ウマ娘を取ること前提なのかって?

 この調子で残りも予定通り勝ち続けたら今年度は私以上の適任いないでしょ。逆に私以外の誰かが選ばれたのなら、その子の精神的負荷がヤバいレベルのはず。

 強いて言えば無敗のトリプルティアラを成し遂げたスカーレットが有記念で私を打ち破ればワンチャンあるくらいだろうか。

 うぬぼれや慢心みたいで日本人的感性がすごく居心地の悪さを主張するけどさ。でも負ける気が無い以上は視野に入れておくべき項目であるはず……だよね?

 

《だね!》

 

 よし、自己肯定感に満たされたところで次にいくか。

 

 

 

 

 

 今思い出しても身体が震える中山レース場の1200m。

 私が勝てたのは様々な要因が重なった結果だが、最大の要因は【領域】の覚醒だろう。

 【領域】ひとつで勝負が決まるほどレースは単純ではない。だが、勝利と敗北の間に立ち塞がっていた壁を破壊する決定打になったのはやはりあれだと思う。

 

 中央に来てからというもの、【領域】を使わざるを得ない状況は地元で走っていた頃とは比較にならないほど増えた。

 テンちゃんの負担が増えるのはあまりいい気分ではないが、使えば使うだけ上達するのが能力というものだ。だから【領域】の扱いもどんどん習熟していたわけで、テンちゃんが条件を揃えてレベルアップうんぬん言っていたのも実のところあまりピンときていなかった。

 

 世界が変わるとはあのことか。

 今まで空転していた巨大な歯車がガッチリ噛み合い、これまで止まっていた何かが音を立てて動き始めたような感覚。

 多少【領域】を使い慣れた程度とは一線を画した変化を自覚した。なるほど、あれは無敗という商品価値に瑕がつくリスクを呑み込んででも追い求めるに値するだろう。

 

《『無敗』は結果であって目標じゃない。だって本当に無敗を目指すのなら明確に自分より弱い相手としか戦えなくなるだろ?

 周囲が勝手に騒ぐ分にはどうぞご勝手にって感じだけど、それにぼくらまで振り回されるのはバカらしーぜ》

 

 ふざけたテンションを維持したままわりと真面目なことを言う、いつも通りの相棒である。

 そうだね、勝つ気も無いのに出走するわけがないんだから。

 勝つも負けるもただの結果だ。他者が賞賛するからといって無敗も三冠もしょせんはただの言葉。拘泥する必要は無いだろう。要はこれからも私が強くあり続ければいいだけの話だ。

 

《レベルアップして【十束剣(トツカノツルギ)】も使えるようになったからな! 山だろうが海だろうが空だろうがドンドンぶった斬ってやろうぜ!》

 

 ……レベル1だと英語とドイツ語だったのに、レベル2で日本神話って私の【領域】節操無さ過ぎじゃない? とは思うけどね。

 だいたい、『十束剣(トツカノツルギ)』ってヤマタノオロチを討伐したスサノオの剣の逸話が有名だけど。実は十束(トツカ)って長さの単位じゃなかったっけ。握りこぶし十個分の幅があるという意味で、剣の固有名詞というよりは長剣というカテゴライズに近い。

 大仰に聞こえる名に相反し、実のところ無銘と大差ない。それでいいのか私の【領域】。

 

 実はあのときの世界が鮮明になったような感覚は今でもずっと続いていて、食欲の増大もその一環だ。

 知覚過敏、とはやや異なるか。まるで五感、というよりもっと奥の方を覆っていた不透明な覆いが取り払われたような感じ? これまでに憶えのない経験なので具体的にどう喩えたらいいのかちょっとわからない。

 鮮やかに世界を感じられるようになったのはきっと悪いことではないのだろうけど、世界というのは良いものばかりで構成されているわけでもない。

 疲労や苦痛、飽きや嫌気といったものもこれまで以上に感じられるようになってしまって少し困ってる。これまで『どうしてあの子たちは必要なことを理解した上で取り組まなかったり、あるいは途中で投げ捨てたりしてしまうのだろう』と不思議だったが、ああなるほどねーと腑に落ちる思いだ。

 そういう意味では他者への共感性や理解が増したということで、マイナス面ばかりというわけではないのか。トレーニングへの辟易も意志で克服できる程度のものでしかないわけだし。

 

 ただ、掛かりやすくなった。

 これは明確に弱点だ。しかも次走の菊花賞、各方面から私の対抗バと目されているマヤノは物事を直感的に見抜く嗅覚において私よりも上だったりする。

 このままでは確実に狙い撃ちしてくることだろう。うーん、どうしたものか。

 

 新たに覚醒した私の【領域】はバクちゃん先輩を一刀両断できるほどに強力だが、格上殺し(ジャイアントキリング)を前提にした性能ゆえか燃費が悪いのも頭の痛い問題だ。

 スプリンターズSを完走した直後テンちゃんが脳内でばったり倒れて、そのまま丸二日も眠り続けていたほどなのだから。ウイニングライブは私ひとりで疲労と孤独に耐えながら踊りきったのである。笑顔を崩さなかったのは慣れとプロ根性。表情筋の動きも振り付けの一環として身体に沁み込ませているウマ娘はわりと多い。

 というか、私もだけどさ。レースで全力疾走した後のウマ娘がよく同日にライブをこなせるよね。あそこまで消耗したのにいざライブ直前となると、観客の声援と共に不思議と気力と体力が湧き出たものだ。

 ライブの練習時に『応援してくれたみんなに感謝を返したい』とモチベーションを語るウマ娘を一度ならず見かけたけども。意外と私にもそんな殊勝な情緒があったのだろうか。

 

《ウイニングライブはたぶん過剰摂取した“願い”の調律を兼ねているんだと思うぞ》

 

 ひょっこり出てくるテンちゃんのふんわり知恵袋である。

 

《“願い”が『あちら側』から『こちら側』への一方通行ではなく、『こちら側』から『こちら側』へも適用されるのだとしたら。

 最もその密度が高まるのはレース中だ。観客席およびその放映の視聴者から膨大な圧力でダイレクトに流れ込んでいるものと予想される》

 

 詳しい理屈を理解したわけじゃないけど、私たちはその圧力を利用して壁をひとつ突破したみたいだしね。

 

《どんなものであれ度が過ぎれば害になる。だからその害になりうる余剰分をレース後、歌と舞のかたちにして散らしているんじゃないかな。

 レース後にライブができるだけの余力を残していたわけじゃなくて、文字通りその体力は『湧いて出た』んだ。余剰分の“願い”を変換したことによってね》

 

 ふむ、あちらとかこちらとかよくわからん要素はあったものの。

 走った後に肉体をクールダウンするように、ウイニングライブはウマソウル面でのオカルト的クールダウンってことかな。

 その真偽を確かめる術はなさそうだが、私たちがライブ一本分余力を残した走りしかできていないと考えるよりかはずっと素直に頷ける話だ。だったらそれでいいや。

 

 まあテンちゃんが眠り続けた二日間のうち、たぶん純粋に機能停止していたのは最初の一日だけだろう。だって途中で一回起きてきたし。

 その後に二度寝しやがったけどね。そのまま追加で一日爆睡。まるで責任者に抜擢されていた一大プロジェクトがようやく軌道に乗り、打ち上げした翌朝休日の社会人みたく心底気持ちよさそうに寝ていたものだから起こすに起こせなかった。

 レース中にテンちゃんが奮闘していてくれたことは事実だけど、バクちゃん先輩というかつてない難敵に立ち向かったのは私も同じなんだけどなぁ……。

 スプリンターズSという相手の土俵でレジェンド級と評される相手に加減している余裕など無かったし、過剰にウマソウルを酷使してしまった感は否めない。あの一戦でそういう格上相手との感覚もつかめたので、次回以降はもう少しテンちゃんの負担も減らせるだろう。

 

 

 

 

 

 一年以上手掛けてきた、バクちゃん先輩の中長距離用走行フォームがようやく完成したのも大きな成果だ。

 やっぱり実戦で得られる情報量は桁が違った。というよりは、あの驀進王を知らずしてバクちゃん先輩の走法をトレースしようとする方が間違っていたと言うべきか。

 

 観客席からは絶対に得られない、魂の底が焼け焦げるような膨大な熱量。天が崩落してくるかの如き重圧。二度とやりたくねえ。

 でも不思議と、まるで次に備えるようにいっそうトレーニングに励むようになった自分もいるのだ。本当に不思議なことにまた機会があれば、私はあのスプリントの絶対王者に立ち向かうのだろう。逃げることも無く――いや前回は最初から最後まで逃げ切ったわけだけど。

 実際、走法の完成品は既にバクちゃん先輩ご本人および彼女の担当トレーナーに伝授済みなわけで。今年中は流石に無理だろうが、来年度からは中長距離でバクちゃんと巡り合うこともあるかもしれない。

 そのときはまた、刹那が無限に引き延ばされるような時間を味わえるのかな。

 

 私はバクちゃん先輩に勝ったわけだから、彼女のことを絶対王者と呼ぶのは間違っていると言われるかもしれない。

 勝者の自覚が無いのかと、覚悟もなくその王座に居座ったのかと、彼女のファンからは謗られることだってありえるだろうか。

 それでもやっぱり私はスプリントの王者はサクラバクシンオーだと思うのだ。

 彼女がかつてない強敵だったのは彼女が自他ともに認めるスプリントの覇者だったからであり、彼女の敗因もまた彼女が絶対的な王座の主であったことに起因する。

 

《デバフ系【領域】にいっさい抵抗判定が発生しなかったからなあ。スケールが違い過ぎて通った上で効果があったかっていうと微妙なんだけど》

 

 横綱相撲、とでもいうのだろうか。

 相手が実力を発揮するのを真正面から受け止めた上で、それを優に上回るスピードで勝つ。そういう癖がバクちゃん先輩にはあった。

 勝ち方を選べるほどに彼女の実力は超越していた。それが付け込む隙になったわけだ。加えて私はバクちゃん先輩と同じチームの後輩であるわけで、もしかすると胸を貸してやろうという意識もあったのかもしれない。

 勝てば余裕、負ければ慢心。

 負けたから、バクちゃん先輩は慢心に足を掬われた無様な王様なのだろうか。

 足を掬った私が言うのもなんだけど、勝った今でもやっぱりそうは思えないんだよな。

 

 バクちゃん先輩は短距離での勝利に執着が無かった。

 何故なら短距離という世界において自らが勝利することは、彼女にとって当たり前のことだったからだ。

 人間は大地を踏みしめなければ歩くことができないが、大地がそこに在るありがたみを噛みしめながら歩くのはさっきまで溺れかけていたか、あるいは不時着する飛行機からパラシュートで脱出してきた者くらいだろう。

 どれだけ重要で大切なものであったとしても、そこにあって当たり前のものに人は執着することなどできやしないのだ。

 だからこそスプリンターズSで私に負けた直後は自らの存在意義(レゾンデートル)を見失うほどに錯乱してた。

 

《余力を残せる状況じゃなかったから仕方ないとはいえ『私は誰!? はじめましてこんにちは!? あなたはサクラバクシンオー、これから学級委員長になるウマ娘よ!?』の一連の流れを生で見れなかったのはいささか以上に残念だなぁ》

 

 テンちゃんが名残惜しそうに私の記憶を閲覧している。

 以前に言ったことがあっただろうか。二重人格の私たちは片方が寝ているとき、もう片方がやっていることは知覚できないと。

 あれは実のところリアルタイムで知覚することはできないというだけであり、じっくり手間暇をかければサルベージすることはできるのだ。面倒だから私はめったにやらないだけで。

 二重人格の私たちは身体を共有している。つまり脳だってその範疇であり、その気になれば私だけが見聞きした記憶だろうとテンちゃんは『思い出す』ことができるわけだ。

 ……何故かテンちゃんだけが知っている知識はわりと多いけどね。あれはどう頑張っても私側からは思い出せない。

 

 傍目には愉快だったかもしれないが、サクラバクシンオーの名前と学級委員長の位を譲渡されても私は困る。とても困る。

 私はバクちゃん先輩ほど学級委員長という地位を神聖視しているわけではない。だからといって、尊敬する先輩がとてつもなく大切にしていると傍目からも一目瞭然なものを粗雑に扱うわけにもいかない。

 あの場はバクちゃん先輩のトレーナーがテンちゃんを彷彿とさせる舌先三寸でバクちゃん先輩を言いくるめて事なきを得たが、本当に疲れた。

 

 ゴール板を駆け抜けたあの一瞬、テンプレオリシュはサクラバクシンオーより強かった。

 それは誰にも否定させやしない。仮にそれが私自身であったとしてもだ。

 

 ただ同時に、暗殺者が武術の達人の暗殺に成功したからといって。

 それすなわち暗殺者の方が強いと断じてしまうのもあまりに早計だと思う。

 自分のことを卑下したいわけじゃなくて、あくまで持っている手札の傾向の違い。

 

《ぼくらのデッキが大回転してあのゲームを制したとはいえ、それがあちらのデッキの価値を下げるわけじゃない。ホロレアは相変わらずホロレアのままってわけだね》

 

 まあそんな感じかな。

 

 どれだけ着飾ったところでレースは勝負の世界だ。

 勝利がすべて、とまでは言わないが。

 負けた者がどれだけご高説を説いてもしょせんは敗者のたわごとにしかならない。ここにはそういう摂理が布かれている。

 だから、勝ったのは私なんだからさ。これくらい偉そうなことをほざいたっていいじゃないか。

 

 それに来るべき未来。

 中長距離で向き合った彼女はきっと、王ではなく挑戦者の顏をしている。

 逆に私は迎え撃つ立場になっていて。

 そのときにはまた、今とはまるで違う景色を見ることができるはず。

 そう考えるとこう、ワクワクする……のかな?

 恐怖なのか興奮なのか定かではないが、脈拍が高まるのは事実である。

 

 

 

 

 

「テン、食べ過ぎじゃない?」

 

 今の私はリシュだ、節穴ココンめ。そんなんだから貴様はリトルココンなんだよ。

 未だに私たちの区別がつかないのかとジトッとした視線を向けてやると、察したらしく気まずげにココンは目を逸らした。

 

《リトルココンは蔑称じゃないぞー》

 

 うん、知ってる。

 瞬時に判別してくれるデジタルやマヤノや桐生院トレーナーがすごいだけで、普通は顔も声も同じなのに見分けろと言う方が無理難題なのだ。

 それはそれとして、それなりに一緒の時間を過ごしたのだからそろそろ区別できるようになれよと思ってしまう自分もいる。いや、お互い部屋へ寝に帰るような生活してるんだからその共有している時間の過半数は睡眠で占められているわけで、やっぱり難癖でしかないんだけども。

 

《相変わらずリシュはココンに対して微妙に当たりが強いなー。それだけ美味しそうに食べてたってことじゃないか? ほら、普段のリシュってココンの前だと感情表現が希薄になるし》

 

 そうかな。そうかも。さっきビターグラッセ先輩に対して返答したのもテンちゃんだったわけだし、あの瞬間だけシームレスに入れ替わっていたなんて普通は想像できないよね。

 

 スプリンターズSを反芻している間にも箸は進み、あったかいのもつめたいのも交互に味わって蕎麦は既に七杯目。

 古くから食事の場というのは会談の席として活用されていたらしいが、私は口にものを詰め込んだまま話すなんてお行儀の悪いことはできない。ココンへのリアクションは視線だけで十分だろう。

 

「ああたしかに。前に見たときより頬がふくよかになった気がするな!」

 

 なん……だと……?

 

 ビターグラッセ先輩の言葉に空気が凍る。

 いや、凍ったのは私だけか?

 いやいや、デュオペルテ先輩やアジサイゲッコウ先輩の顏はハッキリ引き攣っているし、ココンも『うわ、コイツはっきり言いやがった』みたいな表情している。

 

 『太った?』は現代日本において老若男女問わず禁句だ。

 

 バカな、この私が太り気味だと?

 思い返してみれば思い当たる節しかない。最近いろいろと食べ過ぎていた記憶がある。

 これまではどんなに美味しいものでもある程度の量を食べれば『もういいかな』という気がした。食べる量が一時的に増えることもあったが、それは成長や回復に必要な栄養だった。

 適切な量を大幅に超過する食事が続くことなんて無かったのだ。

 私だってアスリートだ。身体の推移はデータとして頭の中に入っている。身長はぴくりとも変動していないのに、体重はじわじわと増加していること自体は把握していた。

 だけど太るということが想像の埒外過ぎて、自分が太っているという認識が無かった。

 そうか……これ太っていたのか。

 

《若いうちに一回くらいは暴飲暴食を経験しておくべきさ。三十代……いや、二十代も後半になれば露骨に食欲は減退していくからな》

 

 テンちゃんが何やら脳内でしみじみしている。

 自覚があったのなら止めてよ!?

 

「アンタさ、次は菊花賞の3000mでしょ? 長距離ならむしろ絞るところじゃん。肥えてどうすんの。サクラバクシンオーに勝って弛んでない?」

 

 はぁー、と深々とため息をついた後にリトルココンが言う。

 『グラッセが剛速球ストレートやりやがったからこの際、言うこと言っておくか』という内心が透けて見える態度と表情だった。

 ぐうの音も出ない。

 反射的に腹が立ちそうになるけど、これで心配して忠告してくれているんだということもわかる。

 長距離のスペシャリストであるココンが言うと説得力あるね、本当に。

 

「で、でもあのサクラバクシンオーだよ? アレに勝ったんだから少しくらい弛んじゃったって仕方がないところはあるんじゃないかな!?」

「たしかに無敗のクラシック三冠には期待しちゃうっていうか、全距離GⅠ制覇なんて生きているうちに見れるなら見てみたい大記録だけど。でも走るのはテンプレオリシュさんだから、外部からとやかく言い過ぎるのも……」

 

 おずおずとフォローを入れてくださるデュオペルテ先輩とアジサイゲッコウ先輩の優しさが逆につらい。

 

 

 

 

 

 鮮明になった『欲』との距離感を改めて模索する必要性を痛感する。

 天高くウマ娘肥ゆる秋だった。

 




2023/02/03 指摘のあった部分を加筆


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U U U

 

 

 前略。

 痩せました。

 

 うん、意外とあっさりだった。

 私はアスリートだ。それもたぶん世界でも有数の。

 運動量は常人の比ではない。消費されるカロリーも相応。むしろ引退時に『もう食べなくていいんだ』と安堵する者が出てくるくらい、体質次第では必死になって食べなければガンガン痩せていきかねないのがこの業界である。

 

《ウマ娘は比較的好きなもの好きなだけ食ってる傾向があるけど、ヒトミミなら食事も完全にトレーニングの一環だからなあ》

 

 食事管理の効果がヒトミミほど顕著だったのなら、アオハル杯以外の分野でもチーム〈ファースト〉はもっと活躍できていたかもしれない。

 ヒトミミのようにガッチリ管理してもデータ通りの成果が出ない、育成者泣かせの不思議生態を体現しているのがウマ娘という存在なのだ。

 そういう意味では曲がりなりにも管理プログラムを実践レベルで完成させた樫本代理もまた、レース業界の歴史に名を残す偉人なのかもしれない。出会いがアレだったのがつくづく惜しまれる。

 

 ともあれ、自重しなければ必要以上に食べてしまうという事実を念頭に置き、カロリーを計算しながら食事するようにすれば私の体重は適正値まで簡単に戻った。

 いやまあ、モンブランをうっかり床に落として涙目になっていたというメジロマックイーンさん。その気持ちが理解できるようになった程度にはつらい時間でもあったけど。

 

 考えてみれば桐生院トレーナーもテンちゃんも静観している時点で、体重の増加もあくまで許容範囲でしかなかったということだよな。

 なにぶん初めての体験だったもので取り乱した。

 

《短期間で効果が絶大であることがもてはやされるのが昨今の風潮だけど……ダイエットなんて聞こえの良い言葉を使ったところで要するに身食いだ。短期間にごりごり削れば身体に悪いに決まっている。理想を言えばもうちょっと緩やかに体重を落としたかったね》

 

 テンちゃんはそう言うけど、私はこれでよかったと思っている。

 年頃の女の子として太ったままでいたくないという、感情的な理由を除いても十月前半には聖蹄祭(せいていさい)があるから。

 

《アニメ時空ではオールカマーと同日だったから九月後半のはずなんだけど、わりとこのあたりのイベントってズレること多いんだよね》

 

 別名、『秋のファン大感謝祭』。

 他の学校で言うところの文化祭のようなものなのだが、中央トレセン学園はそこらの学校とは規模が違えば質も違う。

 当日はウマ娘の保護者の他にファンを始めとした多くの客が学園を訪れ、ファン参加型のイベントが多く行われる。生徒が催し物として出店する屋台や喫茶店のたぐいも多く立ち並び、運が良ければ店番をしていた推しに接客してもらえるかもしれない。

 

 ちなみに『ファン感謝祭』と呼ばれる催しは春と秋の年二回開催されており、春のそれは体育系の配色が濃くなる模様。

 駅伝やバレーボール、フットサルなどなど。レース以外の分野で発揮される中央ウマ娘の身体能力が好評である。

 他の学校で言う体育祭みたいなもの……と言い切ってしまうには屋台やお化け屋敷をやっているところもあるけどね。お祭り騒ぎを忘れないトレセン学園らしいと言えるだろうか。

 

《考えようによってはファンへのサービスを忘れない営業精神と見ることもできるね》

 

 そう聞くと単純にスポーツだけを楽しむ学生でいられないのかと世知辛くもあるねえ。

 

 いつか語ったことがあっただろうか。

 普段、周囲の方々は私たち中央のウマ娘が普通の学生として過ごせるように節度ある距離感を保ってくれている。プライベートを切り売りする芸能人ではなく、走ることを第一に据えたアスリートとして扱ってくれる。

 ファン感謝祭はそんな理解あるファンの方々へ、私たちの方から歩み寄る日だ。

 普段はアスリートとしての色合いが強い私たちがまるで芸能人のように立ち振る舞い、ファンの皆様が溜め込んだ推しへの情熱を存分に発散できるよう働きかける感謝の日。

 

 春と秋で体育系と文化系の違いはあるが、共通した理念がひとつある。それはファンのためのイベントであるということだ。

 つまり多くのファンを持つスターウマ娘は特別な役割を担わされることが多い。そして私は無敗のクラシック三冠に王手をかけ、あのサクラバクシンオーを打ち破って全距離GⅠ制覇にリーチをかけた新進気鋭のスターウマ娘なのだ。ウマ娘としての力量はまだまだ発展途上だが、客寄せパンダとしては今がまさに旬。

 はい、用意されています私の個人イベント。

 ファンの皆様方に肥えた秋のウマ娘のお姿をさらす羽目にならなくて本当によかったよ。私にもその程度の常識と社交性、あと羞恥心は存在しているのだ。

 

 とはいえ九月後半にスプリンターズSがあり、十月後半には菊花賞がある。

 その間に入る形でのファン感謝祭だ。私だってファンの方々から受け取った分はできるだけ返そうと考える程度の義理人情は持ち合わせているつもりだが、いろいろとリソースがカツカツ。

 新しいことを一から始めるには体力も時間もまるで足りない。

 ルドルフ会長やエアグルーヴ先輩がきっちり生徒会業務をこなしつつしっかり成果を出しているのだから、トゥインクル・シリーズとの両立が不可能とは言わないが……。

 

《誰かにできたからと言って、自分にもできるとは限らないんだよなぁ。誰かの当たり前に自分の当たり前を合わせるような考え方は嫌いだよ。

 それに少なくともシンボリルドルフやエアグルーヴは比較対象として適当な相手ではないだろうから》

 

 だよね。

 あの人たちが他人の分まで苦労を背負う生き方をしているのは尊敬こそするが、自分も右に倣おうとはこれっぽっちも思わない。

 

 私の個人イベントと言っても、何も一人で回さなければいけないわけではない。そこまでは学園も求めちゃいない。

 要するにファン感謝祭のプログラムに『テンプレオリシュのイベント』として記載できて、そこに行けば私がメインの催しを満喫できる。そういう時間と場所を用意してくれという話だ。

 だからといってGⅠレースに圧迫されたタイトな日程で用意できる程度のリソースで、理想を言えばわざわざ来てくださったファンの方々に満足していただけるボリューム感。そんな催しを考えるなど無理難題でしかない。

 うん、無理難題だと思っていたんだよ。

 テンちゃんはあっさり原案を作成すると桐生院トレーナーと相談して詳細を詰め、さらっと生徒会の承認を得て学園に企画を通してしまった。

 私の半身って実はすごく頭いいよね。

 

 

 

 

 

 聖蹄祭当日。

 文化系に特化したというだけあって、本当に多種多様な催し物が色とりどりにファンの方々をお出迎えしている。

 自主と自律を重んじるこの学園らしく、催し物はクラス単位のみならずチーム単位、なんなら有志の集まりや個人でもきちんと手続きを踏めばスペースと予算を確保できる。それゆえの多様性だろう。

 まあ、流石に個人で枠をひとつ確保しようとなると相応のクオリティを企画書段階で求められるらしいが。それに割り当てられる場所の面積は原則として催し物の参加人数に比例するから、結局それなりのものをやりたいのならある程度の人数は必要となる。

 

「ふえええ、ど、どうしよう~。はぐれちゃいました~!?」

 

 来訪者が多ければこういう子も出てくる。

 涙目でオロオロしているウマ娘の前を、そのまま横切ろうとした。見覚えのない顔で、制服じゃない。身体はだいぶ育って見えるけど受ける印象的に本格化もまだ来ていないようだし、親とはぐれてしまった迷子の小学生といったところか。

 来訪者の中からこういう子が出てくることは想定の範疇で、学園もちゃんとその対策を取っている。見回りしている役員が誰かしらいるはずだから、私が出しゃばらずともこの子の問題はいずれ解決する。

 それにこのご時世、スマホだってある。この子かその保護者のどちらかが少しでも冷静になれば簡単に合流できるだろう。

 私はこれから自分主催のイベントをこなさねばならないのだ。私以外に誰もいないというのならともかく。きっと私以外の誰にだって助けてもらえる子に手を差し伸べて、貴重な自由時間を消費してやるほど私は社交的でもお人好しでもない。

 そう思っていたのだけど。

 

《は? メイショウドトウ? いや覇王世代が年下かよ!? 見かけないなーとは思っていたけどさぁ……》

 

 テンちゃんの驚愕した声が脳内に響き渡る。

 どうやらスルーはできないようだ。

 

「……どうしたの? 迷子?」

 

 仕方がないので私が声をかける。

 いつものやつ。根拠不明の『ネームド』認定。こんなとき相手が困っていたのなら、ほぼ確実にテンちゃんは放っておけない。

 しかし私たちにはこれから個人イベントが待ち受けている。その事実は依然として変わらないのだ。

 ファンのための催しで、トーク皆無というのはありえない。テンちゃんにはそのトークタイムをまるごと引き受けてもらう予定なのだから、こんなことで活動時間を削らせるのはしのびなかった。

 脳内でわちゃわちゃやっている限りはどれだけテンちゃんが私に指示出ししても、テンちゃんに疲労が溜まることはないからね。

 

「えっ、あああ、あのー、在校生の方ですかぁ?」

「うん。道案内くらいならできるよ」

 

 今の私は学園指定の冬用コートを羽織っているから、中央の生徒と判別するのは容易だ。

 さらにギンピカ呼ばわりされる髪を三つ編みにしてまとめキャスケット帽の下に押し込み、伊達眼鏡をかけている。別にサングラスのように派手な配色の双眸を隠せるわけではないが、フレームとレンズだけで顔の印象というのは意外と変わるものだ。

 さらに気配を()()()()いるから友人や腐れ縁ならともかく、顔見知り程度では私が(テンプレオリシュ)と気づかれることは無いだろう。

 芸能人のように立ち振る舞わなければならない一日。だから、芸能人みたく変装するのは何も間違ったことではないはずだ。任された仕事はちゃんとやるからさ、それ以外の時間は自由にさせてよ。

 

「すみませんすみません、きれいな出店だなって見惚れていたら両親とはぐれてしまいまして~」

 

 いや、そんなぺこぺこ謝られても。

 自信なさげに背中を丸め、上目遣いで私をおずおず見つめる少女は、何故だか誰より困っているはずなのに私に何度も頭を下げていた。

 

《こういうタイプの子はね、相手に世話を焼いてもらうって状況になった時点で『相手に迷惑をかけている』と罪悪感を抱くものなのさ》

 

 ああ、それはわからなくもない。

 だが案内し終わった後に言われるならともかく、まだ声をかけただけだぞ? 謝罪の前払いとは珍しい。仕方がない。受け取ってしまった代金分くらいは世話を焼いてやるか。

 

「スマホは? 聖蹄祭のパンフレットに学園の簡易MAPは載っているはずだし、お互いの現在位置がわかれば合流できるんじゃないかな」

「ああ~ごめんなさいぃ、思いつきませんでしたぁ。よかった、これで……あ、あれ? ポケットの中でひっかかって……ああっ!?」

「おっと」

 

 勢い余って秋の空へと旅立ちかけたスマホを即座に追いかけジャンプキャッチする。

 うん、正直ポケットから取り出すのに悪戦苦闘し始めた時点でこの展開は読めていた。人混みの中だろうと、スマホが飛んだ方向が私から見て少女を挟んだ対面側だろうと、想定の範疇なら追いつくのはわけない。

 

「ほら、どうぞ」

「は、はやい……これが中央のウマ娘……?」

 

「おーい」

「あ、すみませんすみません! ありがとうございますううぅ~」

 

 少女は呆然と着地した私を見ていた。差し出されたスマホも目に入らないほどその紫の瞳は純粋な感嘆で満たされていた。

 最近の私を見る一般ウマ娘の目って、恐怖とか敵意とか畏怖とかが大なり小なり宿っているんだよね。

 単純な話だが少しこの子のことを好きになってきたかもしれない。好意には好意で返したくなるものだろう。

 

「よし、これでぇ……あれ? ええええ、どうしてぇ? 何でこんなに充電が減って、あ、ああああああっ、待ってくださ~い、消えないで~~!」

 

 受け取ったスマホを開いた少女だったが、わざわざ画面を覗き込まずとも状況が把握できる見事な実況だった。

 充電が切れてしまったらしい。真っ暗になった画面を涙目で見つめながらプルプルと垂れ下がった耳と尻尾を揺らしている。

 

「なんでぇ? 私グズでドジでノロマだから今日は絶対にスマホは持ち歩かないとって、昨日は忘れないように枕元に置いて、充電器に差し込んだのもちゃんと確認したのに~」

「あー、差し込んだのに接触不良で充電できていないことって偶にあるよね」

 

 この短い付き合いで既に判明しつつあるドジっ子っぷりを鑑みるに、充電器を枕元まで移動させた際コンセントにプラグを差し忘れた可能性も高そうだが……確かめる術はないので接触不良が悪いことにしておこう。

 ライスシャワー先輩とはまた似て非なるベクトルで因果律の捻じれを彼女から感じる。直感ですごく失礼な決めつけだが、たぶんこの子もツキが無いタイプのウマソウルの持ち主だ。

 

「親御さんの電話番号おぼえているなら私のやつ貸してあげられるけど?」

 

 コートのポケットから自分のスマホを取り出して見せる。

 ついでに視線は少女に向けたまま、テンちゃんの指示に従ってLANEを開きメッセージを送信。

 相手は聖蹄祭実行委員に所属している生徒のひとり。テンちゃんの知り合いである。今の時間帯は暫定的に設置された迷子センターに勤務しているはず、だそうだ。

 つくづくテンちゃんのコネってどの方面に伸びているのか予想できない。

 送信内容は迷子をひとり確保したことの報告と、その子の保護者が訪ねてきていないかの確認。

 すぐに返信が来たので一瞬だけ視線を落とす。

 迷子になった我が子を探しに来た保護者は何人かいるが、残念ながら彼らの探し人の情報は目の前の少女とまったく合致しないようだ。

 まあそんな気はしていた。落胆は無い。

 

「ごごごめんなさいぃ~思い出せないですぅ~」

「だよね」

 

 ぷるぷる震えながらの謝罪も想定の範疇だ。鷹揚に受け流す。

 今どき知人の電話番号をいちいち打ち込むなんて私たちの世代ではやらない。電話帳機能に登録されたデータから直通が基本だ。スマホを忘れたときに友人へ公衆電話から連絡を取ろうとして、小銭をわざわざコンビニで作ってきたのにいざ受話器を前に友人の電話番号を思い出せないなんて失敗談は偶に聞く。

 私は何気なく見たものも簡単に思い出せるから共感しにくい苦労だけどね。

 

《時代の変遷って激しいものだなぁ。少し前なら両親の電話番号くらいは暗記していたものだが、今の子たちは電話を借りるんじゃなくて、一人一台自分のスマホを持っているのが普通なのか……》

 

 テンちゃんがやけにしみじみしていた。

 

「ううううぅ、もう六年生のお姉さんなんだからって、いつまでも頼ってちゃダメだよねって、あんしんカバンを手放さなければよかった……」

 

 まだ六年生なのか。

 デカいな。どこがとは言わんが。下手すると当時のスカーレットさえ上回るんじゃなかろうか。

 なんでも、『あんしんカバン』というのはこの子が小さいころに持たされていたお守りのようなものらしい。

 絆創膏やタオル、連絡先など。この子は昔からよく転んだりはぐれたりしていたので、有事の際に役立つもの一式をまとめて入れたカバン。

 『これがあれば、なにが起きても大丈夫』という母親の言葉と共に渡されたそれは道具としての機能以上に、少女の精神安定に役立っていたようだ。

 それも彼女は自覚していて、そして小学生から中学生への境界線というのは当人たちにとって非常に大きいものだ。

 成長したいと思う。新たなことに挑戦して。

 成長したのだと願う。稚拙なこれまでを変えようとする。

 ましてやここは天下の中央トレセン学園。たとえレースを志していなくとも、ウマ娘に生まれたのなら一度は憧れを抱くと言われる場所。まあ、これは私たちが中央の生徒だからという主観のバイアスも大きかろうが。

 そんな憧れかもしれない地に新たな自分で挑んだ彼女は、思いっきり裏目に出てしまったというわけだ。

 

《まあ挑戦しないと失敗もできないからね。どんまいどんまい》

 

 それ、私の中で言ったって向こうには聞こえないでしょ。

 

「はぐれたときはどうやって合流するかとか、決めてない?」

「あ、あああ! あります、決めてますぅ!」

 

 ぱっと少女の顔が明るくなった。

 この子のドジは一朝一夕のものではない。である以上、その家族も対応に慣れてるはずと踏んだが予想通りだったか。

 

「迷子になったときは慌てないで、次に向かう予定の場所で合流って決めてましたぁ! 忘れてましたぁ! すみませ~ん!!」

「ふーん、思い出せてよかったね」

 

《迷子を放置して次の演目(プログラム)優先できるなんて治安いいなぁこの世界》

 

 今日の学園の中は特にね。

 普段から学園の平和を守っている警備の存在はもちろんのこと。聖蹄祭実行委員に生徒会、さらにはバクちゃん先輩みたいな自主的に見回りしている生徒も幾人か存在している。安全性という意味では世界でも有数ではなかろうか。

 

「それで、次はどこに行く予定だったの?」

「テンプレオリシュさんの『世代征服ライブ』です~!」

 

「そっかー」

 

 センスという点では微妙なところあるよね、私の半身。

 だいたい、クラシックロードはまだ菊花賞が残っているんだから『世代征服』は大言壮語が過ぎやしないだろうか。これがレストランのメニューだったら食品偽造で訴えられて負けるレベルだ。

 

「奇遇だね。私もこれから特設ライブ会場に向かうところだったんだ。一緒に行く?」

 

 

 

 

 

 事の次第を追加でLANEに送信し、二人並んで学園の人混みの中を歩く。

 これで万が一この子の親御さんが迷子センターの方に向かっていたとしても入れ違いや待ちぼうけになることはないだろう。

 

「ファンなの? テンプレオリシュの」

「い、いえ、その~……お父さんがテンプレオリシュさんの大ファンなんです~。何も持たないところからたった一人でレースの世界に飛び込んで、瞬く間に実力で周囲に認めさせてしまった生き様が素晴らしい。見習いたい、って~」

 

 ファンにとってレースというのは娯楽コンテンツの一つ。

 ゆえにどれだけそのウマ娘が好きだったとしても基本的に呼び捨てだ。たまにファンの間で愛称が流行していたりして『○○さん』や『○○様』と呼ばれていたりするけど、それは敬称まで含めてそのウマ娘を指す呼称となっているだけである。

 一方で、レースに携わるウマ娘にとってトゥインクル・シリーズを走るのは偉大なる先達だ。ゆえに敬称を付けて呼ぶのが当たり前。

 この子は私たちのことをずっとさん付けで呼んでいる。脚の筋肉のつき方からそうじゃないかと思っていたが、どうやらこの子もそれなりに走り込んできたウマ娘のようだ。

 

「私はその~、憧れるのも烏滸がましいといいますか~。テンプレオリシュさんは自信に満ち溢れていて、何でも出来てぇ。なんだか遠いところにいるお方という感じがして、あまりぃ……」

「ふぅん」

 

 しゅんと背中を丸めて俯く、その膝の裏をびしりと尻尾で叩いてやる。何もないところで自分の足に引っかかって転びかけていたからだ。他意はない。

 ひゃああああ!? と彼女は大仰な悲鳴を上げて仰け反った。その動作で絡まりかけていた足が正しい動きに修正され、転倒は未然に防がれる。

 

「あ、ありがとうございます~」

 

 何事かと集まりかけた周囲の視線を、コイツが転びかけただけですと手を振って散らした。

 

《叩いてお礼を言われるとなんかこう、アブノーマルなプレイみたいな感じがして妙な気分になるな……》

 

 うるさいよ。

 

 本来ならこんな人口密度の高い場所を横に並んで歩くなど避けたいのだが、このドジっ子がこうしてドジを踏むので後ろについてこさせる形だとフォローが面倒なのだ。

 実際、こうして歩き始めてから既に物理的干渉だけで三回。手を出す前の段階でさりげなく解消した回数はその倍以上にもなる。

 ……やや大げさな言い方だが、私が同行していなければこの子は果たして特設ライブ会場までちゃんとたどり着けたのだろうか。下手すると私のライブが始まる前どころか、終わるころになってもまだ道半ばでドジを踏んでいそうな危うさがある。

 

 この子、やっぱりライスシャワー先輩の同類だ。

 確率を超越した運の悪さに要領の悪さ、常人ならさっさと諦めて別の道を模索するところで腰を据えて粘ってしまう諦めの悪さ。そしてその粘り勝ちで一定の成果を出してしまえる底力。似て非なる存在ではあるけど似通っている部分も多い。

 ライスシャワー先輩の特異性が不運や不幸に特化しているのに対し、この子はドジや間の悪さが目立つけども。お互いに人付き合いが苦手そうだし、案外深く知り合えばそのまま仲良くなりそうな気がする。

 

《『深く』っていう部分がポイントだな。普通にやったらお互いに人見知りが発動して会釈してすれ違うだけになりそうだ》

 

 そうだね。

 もしもこの子が中央に合格できたら、ライスシャワー先輩と引き合わせてみるのも面白いかもしれない。

 中央で切磋琢磨してるとつい失念しそうになるが、中央に合格できる時点でウマ娘としては相当のエリートだ。常識的に考えれば目の前のこの少女と同じ制服を着て再会できる可能性はそう高くないし、そもそも彼女の口から中央を目指すという宣言を聞いたわけでもない。

 ただ不思議と、何となく彼女とはこれっきりという気がしなかった。少なくとも素質は肉体、メンタル共に中央でも上位に食い込めるものがあると思う。私ほどではないけど。

 

「あ、あのぉ~」

 

 上目遣いでおずおずと少女が訪ねてくる。

 

「ん、なに?」

「もしかして、テンプレオリシュさんとお知り合いだったりしますかぁ~?」

 

「あー、うん、そうね。知ってる。すごく知ってる」

 

 世界でも私ほどテンプレオリシュのことを知っている者はいないだろう。

 ああいや、でもどうだろう。私しか知らないテンプレオリシュがいる反面、私にはわからないテンプレオリシュというのもきっと存在しているはずで。

 案外どこかの第三者が作成した『テンプレオリシュ問題集』なんてものが存在したら、桐生院トレーナーあたりにはあっさり点数で負けるかもしれない。

 

「あのあの、きっと私、テンプレオリシュさんのことマスメディア越しにしか知らなくてぇ。同じ中央の生徒から見たテンプレオリシュさんってどんなお方なのでしょうかぁ~?」

 

 んん、これは……。

 

《どうやら『自分の見当はずれの発言でリシュの気分を害した』と彼女は考えたようだねえ》

 

 そんなに不機嫌そうに見えたんだろうか。ちょっと反省。いまだに揺れ動く情緒の制御が上手くいっていないようだ。

 見当違いだからと、ちゃんと知ろうと一歩踏み出すあたり、この子もやはりいい子なのだろう。気質が根本的に善良なのだ。

 同じ年下でもテイオーみたいに物怖じしない性格ならともかく。この子みたいな人見知りで内向的な気質の持ち主が、年上の不機嫌そうな相手に一歩踏み込むのはどれほどの勇気がいることやら。

 

「そうだね。ひとつ、きみの御父上の見識と異なる点を挙げるとするなら」

 

 意識して、表情と口調が柔らかくなるように。

 感情がより表層に出るようになったのなら、気遣いや優しさも意図して表に出していけばいい。

 見えない優しさは美徳だと思うが、今の私にはまだまだ縁のない応用問題だ。

 

「テンプレオリシュはひとりじゃなかったよ」

「は、はえ~?」

 

 なんだその反応。

 

「いつだって誰かに助けられていた。独りで出来ることなんてたかが知れているから」

 

 テンちゃん然り、桐生院トレーナー然り。私は常に誰かに支えられながらここまで来た。

 何かひとつ始めようと思えばその段階で既に必要な分と、足りない現状が見えてくる。

 その足りない分を全部自分ひとりだけで用意するのは、ハッキリ言って無駄だ。既に持っている誰かの助力を得た方が効率的で質も高い。

 

《自分ひとりで何でもできる気でいるやつなんて、何も始めたことがない人間だけさ》

 

 今回のライブだってそうだ。もしかすると私の負担が一番少ないかもしれないくらい、多くの人の手を借りてしまっている。いちおう名目上は私主催の催し物なのに。

 きっと、それでいいのだ。いや、心苦しいのは否定しないけど。

 

「はあぁ~。あんな何でも一人でやれちゃいそうなお人でもそうなのですね~」

「そうなのですよ」

 

 他人に煩わされることなく自分のペースで物事を進められるというのは確かに大きなメリットだ。それは認める。

 しかし一日は誰だって平等に二十四時間。マイペースに進めたところでそれは変わらない。そしてレースはウマ娘を待ってはくれないのだ。ゲートはどこまでも無情に開く。

 無駄だらけで進み続けられるほど中央は甘い場所じゃないんだよ。少なくとも私たちが走っているところはね。

 

《目的地周辺に到着しました。案内を終了します》

 

 カーナビかな?

 あれってまだ後部座席から聞く経験しかしたことないけど『ここまでは自力で来れるんだ。ここからの案内が欲しいんだよ!』って状況わりと多いよね。

 

 さてテンちゃんの言う通り、話しているうちに特設ライブ会場の手前まで来たわけだが。

 ……多いな人。もはや溢れていると表現したくなるレベル。

 これ全部私を見に来た人ってマジ?

 うん。とりあえず、ひとつひとつ問題を解決していくとしよう。まずはどうやってこの中から少女の保護者を探すか。

 

「おーい、ドトウー!」

「こっちよー!」

 

「あっ、おとうさ~ん、おかあさ~ん!」

 

 即座に解決した。あちらが勝手に見つけてくれた。

 これが親子の絆か。いや、親御さんたちはライブの列に並んでいたのではなく、ライブの受付に並ぶ人々の流れの全体像を確認しやすい位置に陣取っていたようだ。

 なるほど、あれなら娘がここに到着した時点で気づけるか。

 ……列に並ばなかったせいでライブではいい席にはありつけそうも無いが、それは仕方あるまい。取捨選択、何かを選べば何かを失うというものだ。

 主催者である私なら何とかできるかもしれない。彼女たち親子に便宜を図ってやれるかもしれない。

 しかしそれはいかにも日本人らしく真面目に順番待ちをしていた、何の咎も無い私のファンから三人分ほどその行為の報酬を奪うということだ。

 それほどの不条理を押し通さねばならないような義理を、私は別に彼女たちから受け取った憶えは無い。

 だから、娘が迷子になったせいでライブ会場の端っこでライブを見る羽目になった。そういう結果のままでいてもらおう。

 私がやるべきはえこひいきではなく、たとえ会場の端っこであろうと来てよかったと、ファンに満足させてやることだろう。

 

 ぽてぽてと親に駆け寄る、その少女の進路上にさりげなく私の身体をちらつかせ動きを誘導する。気づかれない程度の威を飛ばし、無自覚に萎縮させリズムを変化させる。

 普段レースで使っている技術がこんな風に活用されるとはね。何が役に立つのか人生とはわからんものだ。さすがに親御さんの前でビシバシ物理的干渉するわけにはいかない。

 私がいなきゃこの期に及んでこの子、三回は素っ転んでいたぞ。

 

「よかった~、会えた~!」

「もう。電話は繋がらないし、LANEも既読にならないしで心配していたのよ?」

 

「ごめんなさ~い! スマホの充電が切れちゃったの~」

「やはりそうだったか。合流地点をここにしたのはいいが、よくよく考えてみれば俺たちのドトウが一人でここまで来れるかはなはだ疑問だったからなぁ。

 ライブが始まるまで待って、それでも来なかったら迷子センターに行こうかって母さんと話していたところなんだよ」

 

 親と合流した少女の姿にほっと一息。

 保護者のもとに送り届けることができたのだから、私はこれでお役御免。肩の荷が下りたというものだ。

 

 ちなみに余談だが。

 ウマ娘は生まれたときに親から付けられるヒトと同じ名前と、ウマソウル由来のウマ娘としての名前の二つを持っているのが普通だけども。

 ウマ娘としての名前を自覚したときから、家族間ではウマ娘としての名前で呼び合うのが慣習となっている。うちの家庭でもそうだ。リシュとテンちゃんで呼ばれることの方が圧倒的に多い。

 なんでもより深く魂と結びついている方の名前で呼ぶのだとか、何とか。テンちゃんはウマ娘の名前を前面に出すことでウマソウルを安定させているのだろうと言っていた。うん、よくわからん。

 この習慣はだいたい本格化が終わるまで続けられる。その後にどちらの名前で呼ばれる機会が多いかは、そのウマ娘がどんな生き方を選んだか次第。

 一般的にはヒトミミと同じ名前で生きる者が大半だが、レース関連で身を立てた者は業界を引退するまで、あるいは引退した後も長々とウマ娘としての名で呼ばれ続けることもあるそうだ。

 私はどうだろう。テンプレオリシュの名前も嫌いではないけれど。ヒトの名前は両親が考えて付けてくれたものだ。今は埃を被っているコイツをいつかは使い倒してやりたいかな。

 

「うん、ひとりでは無理だったと思う。こちらの、こちら、の……あああああああっ!?」

 

 突如として少女が悲鳴を上げ、身体全体で私の方に向き直った。

 なんだよ騒がしい。

 

「ごめんなさいぃいい~! お名前をお伺いするのを忘れていました~!? あのあの、あなた様のお名前は……ひぃいいいいい~!?」

 

 だからうるさいって。

 ぺたんと耳を伏せて顔をしかめる私の前で、ペコペコと少女はコメツキバッタのように頭を下げた。

 

「大変ご無礼つかまつりました~!! まさか自分の名前を名乗りもせずに人の名前を尋ねてしまうなんて……あのあの、私メイショウドトウっていいますぅ! ふつつかものですがよろしくお願い申し上げますぅうううう!!」

 

 おちつこうか。焦燥で日本語が不自由になってるぞ。

 

 それにしても。

 この子の名前はやっぱりメイショウドトウだったわけだ。テンちゃんって何が見えているのやら。

 

 騒がしい娘に寄り添うように彼女のご両親が私の方を向く。

 大の大人が二人揃って深々と頭を下げてきたので私も会釈を返した。この年頃の私たちにとって大人に頭を下げられるというのはそれだけで居心地が悪い。

 

「どうも、娘が大変お世話になったようで」

「なんとお礼を申し上げればよいか。大変だったでしょう?」

 

 ええ、まったく――なんて正直に返すほど私の社交性は死滅していなかった。かといって芳潤であるはずもなく。

 

「いえいえ、お礼というなら先払いでしっかりいただいておりますよ――ぼくらのライブに来てくださった。それだけで十分すぎるほど」

 

『えっ?』

 

 こういう時、さらりと外連味の利いた返しができるのはテンちゃんだ。するりと運転が切り替わる。

 一家の疑問符が重なる中、キャスケット帽を脱ぎながら伊達眼鏡をはずす。さらにヘアゴムを指で抜き取って頭を軽く振ると、三つ編みの影響など感じさせない滑らかな動きで葦毛がしゃらんと腰まで広がった。

 あまりにも特徴的なその存在感に、周囲の空気から音が拭い去られる一瞬。

 

「テンプレオリシュ、よろしくね」

 

 自己紹介にしっかり自己紹介を返すお行儀の良さ。ぱちんとウィンクするサービス精神。ついでのようにメイショウドトウちゃんの頭に載せられるキャスケット帽。

 

「あげるー。じゃ、準備があるんでぼくはこのへんで。またライブで会おうぜぃ。あるいは来年、おそろいの制服を着て……とかね!」

 

 そして圧倒的なオーラにその場が完全に呑まれ、正気に戻る前にさっさと離脱する判断力。うーむ、流石だ。

 綺麗な歯並びを誇るような攻撃的な笑みを浮かべ、白目を剥いて硬直している少女の鼻をピンと指ではじくと、そのまま身をひるがえしてテンちゃんは跳躍した。

 ぴょーんぴょーんと三次元的な軌道で人混みの合間を縫って特設ステージに真正面から着地。ようやく認識が追い付き悲鳴じみた歓声が爆発するのを尻目に、さっさと舞台袖に引っ込んでいく。

 うーん、こんな派手なことして怒られないかなぁ。

 

《怒られたら謝ればいーよ》

 

 うーむ、強い。

 メイショウドトウちゃんだっけ? 気絶していたけど、いいのあれ?

 

《いーのいーの。ドトウは強い子。何度でも立ち上がるさ!》

 

 ふーん。

 何度でも立ち上がるからってそれ無遠慮にメンタル蹴り倒していい免罪符になるわけじゃないと思うんだけどなぁ。

 まあいっか。そろそろ本当に時間がヤバい。

 すれ違っただけの後輩になるかもしれないどこかの誰かより、数十分後のライブ本番の打ち合わせの方が私にはよほど重要だった。

 

 



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世代征服ライブ(誇大広告)

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U U U

 

 

 特設ライブ会場。

 聖蹄祭に合わせトレセン学園のグラウンドを丸ごと一つ占領して仮設されるという、なかなか一般家庭出身の感覚からすれば怯みそうな規模の舞台。

 まあ中央が保有するグラウンドは一つや二つじゃないんだけど。それも改めて考えてみればなかなかに恐ろしい話である。ここ北海道とかじゃなくて東京府中だぞ。

 

 聖蹄祭中にここを使用するのは別に私だけではないが、今年の演目は私がメインディッシュ。それは客観的な事実。

 だからまあ、学園の行事とはいえ。ここが中央トレセン学園で、私はトゥインクル・シリーズが誇る新進気鋭のスターウマ娘。だったら客入りも相応の規模になるっていうのは実に順当な話なんだ。

 ……埋まってるなあ。普段は走っているグラウンドと同じ敷地面積あるはずなんだけどなあ。

 私が二人いて本当によかった。独りでこれに対処しろとか本当に無理。

 

「大儀である」

 

 ステージ上に登場し、開口一声がそれ。

 まさに傲岸不遜。

 普通に考えればふざけている。友達同士の気安いやり取りで王様だか皇帝だか身分の高い誰かを演じている、そんなシチュエーションで聞く言葉だ。

 しかし何人たりとも聞き逃すことを許さない声色の響きが、込められたビリビリと肌を震わせる覇気が印象を日常から乖離させる。

 自分たちは彼女の臣下であり、この場に馳せ参じたことを当然の忠義として労われたのではないか。そんな錯覚に陥りそうになる。たった一言で。

 同じ身体を使っているはずなんだけどねえ。空間の染め方とでもいうのか。言葉を介して場の空気を支配するテクニックはやはりテンちゃんの独壇場だ。

 

「なーんちゃって。今日はテンプレオリシュの『世代征服ライブ』に来てくれてありがとー!」

 

 ふにゃりと空気が弛緩する。

 呑みかけた固唾が喉の手前で迷子になる。

 いつものニヤニヤとした営業スマイルを浮かべ、テンちゃんはトロッとやわらかくなった空気を巧みに手繰り寄せてみせた。

 

「みてみてー、勝負服リニューアルしたんだよー。ぐっと威圧感がアップしたでしょ!」

 

 くるくるとテンちゃんは改変されたデザインをアピールするように回った。

 そういえば、何気にここが公の場での初お披露目か。グリーブとガントレットに覆われた四肢が硬質な音を鳴らす。

 

「スプリンターズSは大激戦だったからね。これまでの勝負服じゃあ耐えられなくなっちゃったんだよねえ。あのとき来てくれた人はぼくが勝負服のブーツごとレース場を踏み砕いちゃったとこの目撃者となったはず。

 ごめんねー、いつもレース場整備してくださる方々。ほんとうに感謝してまーす!」

 

 笑い声がさざめく会場。

 でも『反省しています』とか『二度としません』とは言えないんだよね。必要になったらまた、レース場の芝を穴だらけにすることになっても全力を出すと思う。

 ただまあ、身体が育ちきっていないうちにあんなことを繰り返していればぶっ壊れる。しばらくは控えたいところだが……。

 本当にどうしようかな、菊花賞。マヤノ対策がいまだに思い浮かばない。

 出走する私たち以外の十七人も全員勝ちに来ているわけではあるが、その中でもマヤノは抑えなきゃ絶対にやられる。そう確信できるほど彼女は恐ろしい。

 

「安全性に関わることだからURAが一晩で……とは流石にいかなかったけど、かなり手早いお仕事をしてくれました。これでもう全力を出してもブーツがはじけ飛ぶようなことはないから、後続のウマ娘たちも安心だね!」

 

 冷静に考えると、全力を出せばブーツが内側からはじけ飛ぶって私たちはいったい何なんだろうね。それもそこらの量産品じゃない、不思議パワーに守られた勝負服の一部だというのに。

 心なしか、再び上がった笑い声も乾いたものが多い気がする。

 

「菊花賞はこのリニューアルした勝負服で走りまーす。ぶっちぎりで勝つとか、絶対に一着になるとか、そんなありふれた煽り文句は必要ないよね? 見に来るなら損はさせないよ」

 

 無敗。

 単純明快なその戦果が装飾過多な百の言葉に勝る。

 でもさ、たまに思うんだ。負けなかったというのはただの結果に過ぎないのに、こんなに尊ばれるなんておかしいよね。

 それが私たちの不利益にならないうちはいいけどさ。

 

「うーん、喋ること無くなってきちゃったなあ……」

 

 そう言いながらそっぽを向く。途方に暮れたような言葉と仕草に反し、色の異なる双眸は自信に満ちて爛々と光っていた。

 観客に横顔を向けたまま、赤い瞳がすっと細められる。

 

「だって語るのはぼくの仕事じゃない、そうだろ? 語るのは観衆(キミタチ)のお仕事じゃあないか」

 

 その一言は不思議と、マイクを通したとは思えないほど透き通って響いた。

 特設ステージに設置されたカラービジョンに映像が流れる。映し出されたのはこれまで私が走ってきたレースのダイジェスト。勝利の連なり。

 ちなみに映像担当はデジタル先生である。私たちはお願いしただけで他は何もしていない。

 ウマ娘箱推しのアクティブオタクの肩書に恥じぬ編集であり、実際に走った私でさえつい見入ってしまうほど(しゅきぃ)が溢れた仕上がりとなっていた。

 

「ぼくは走る。ぼくらにとっての当たり前の在り方で走り続ける。その結果を好き勝手に語ればいいさ。止めやしない。忘れるなとも言わない。どうせ一度見れば忘れられなくなる。

 ぼくらが紡ぎ、きみたちが語る。これまでもそういう約束でやってきたじゃないか。これからもよろしく頼むよ」

 

 いや、そんな約束したおぼえは無いけども。

 根拠のない説得力を持たせるのがテンちゃんはやたら上手い。そんな自信満々に言われたら『そうかな? そうかも……』と納得してしまいたくなる。

 

 そして、自分以外の誰にも届きやしないが胸を張って自慢したくなる。

 数は力で、感情も力だ。大小さまざまな感情を遠慮なく浴びせてくるこれだけの大観衆を前にして、まるで掌の上で弄ぶかのような軽妙な立ち振る舞い。

 こんなことができる者がいったいどれだけいるだろう。私の半身はこれだけのチートスペック持ってるんだからこのくらい余裕だよー、なんて謙遜するけど。同じものを持っている私は絶対に真似できない。

 どうだ、これがテンちゃんなんだぞ。

 

《ただ単純に視界の違い、あるいは経験値とモチベーションの差だと思うんだけどねぇ……》

 

 苦笑交じりの内心が聞こえた。

 脳内会議がどうあれトークは順調に進んでいく。そろそろ頃合いだろうか。

 

「でもまあ、見ていないものは語りようがないよね。一度見て忘れられないほど鮮烈だったとしても、いやそれが色鮮やかであるほどに何度でも見たくなるものだよね。

 そんなきみたちのために、今日は特別なライブを用意したよ。ひとつひとつは小さな破片に過ぎないものだとしても、寄せ集めればまた新たな趣があるものさ。存分に堪能していくがいい」

 

 カラービジョンの映像が切り替わる。

 私の【領域】をイメージしたという黒と白の長剣が画面内を飛び交い、切り裂かれた部分に文字が浮かび上がる。

 

『競うということは、そこに敵を見るということ』

 

『あらゆる戦場に適応できる彼女にとっては、きっと世界のすべてが敵のようなもの』

 

『ゆえに――彼女は世界のすべてに勝利した』

 

 誇大広告気味でそこはかとなく香ばしさ漂うこのキャッチコピーは、デジタルとウオッカがあーでもないこーでもないと話し合って練り上げたものだったりする。

 感想? ウマ娘相手には完全イエスマンのイメージがあったデジタルだったけど、意外と自分の得意分野ではノーと言えることに感心したよ、うん。

 でもまあ、考えてみればそうだよね。デジタルは勝てるウマ娘だもの。

 たしかに大外からスパッと勝負を決めることのできる鋭い差し脚がデジタルの持ち味。だが、位置取り争いと完全に無縁なのは大逃げくらいだ。『どけよぶっとばすぞ』とすごまれたときに『はいよろこんでー!』と譲っていたら勝てるものも勝てない。

 『いいえ、ここはゆずれません』とたとえ推し相手であろうとぐっと踏みとどまり競り合うことができるから、デジタルは世代を代表するウマ娘の一角になったのだ。

 ちなみに私たちの場合なら『は? ころすぞ』なのでデジタルの対応はとても優しいと言える。私たちのガラが悪いだけかもしれない。

 

 さーて、いよいよライブ本番。今回のイベントで数少ない私の担当だ。

 がんばらないと。

 本当に今回、私ほとんど何もしていないから。このくらいはね。

 

 

 

 

 

響け ファンファーレ

届け ゴールまで

輝く未来を君と見たいから

 

 きらきらと光が零れ落ちるようなイントロダクション。

 うっすら漂う朝靄へ差し込む日光のように温かく力強いファンファーレ。

 

 芝だろうとダートだろうと、短距離だろうと長距離だろうと、どこを主戦場にしていようと中央のウマ娘である限りこの曲を知らぬ者はいない。

 だってこれはメイクデビューで誰もが最初に経験するライブ曲なんだから。

 

 私の独唱に惹かれるように舞台袖から淡いブルーのライブ衣装に身を包んだウマ娘たちが登場する。自然な足取りで彼女たちはサイドやバックダンサーの配置に付き、当然のような顔で私はセンターに居座った。

 ま、そもそも本来であればこの『Make debut!』の導入は三人のコーラス。それが独唱アレンジになっているのだから、このライブの主役が誰なのかは一目瞭然というやつで。

 

駆け出したらきっと始まるstory

いつでも近くにあるから

 

手を伸ばせばもっと掴めるglory

1番目指してlet’s challenge 加速していこう

 

 彼女たちは主にファンクラブメンバーで構成された、テンプレオリシュ個人イベントの有志者である。

 いつぞや、〈パンスペルミア〉公式ファンクラブの公認をテンちゃんがおこなったという話は聞いていた。

 テンちゃんはあの性格だ。途中で飽きて放り出すかとも思ったが、意外とちゃんと今日まで関係が続いていたらしい。

 一声かければそれはもうワラワラとバックダンサー志願者が集まってくれた。

 

 あくまで学園行事。給料が出るわけでもない無償ボランティアではあるのだが、向こうは『むしろご褒美です。なんなら参加費払いたいくらい』とギラギラと欲望に目を滾らせて積極的に取り組んでくれた。

 ただ、やりがい搾取は絶対にNGとテンちゃんに念押しされている。終わったら打ち上げでも開いて感謝をかたちにせねばなるまい。

 はぁ……ただでさえテンちゃんがその場のノリでキャスケット帽を紛失したからその分の出費があるというのに。今月のおこづかいはだいぶ厳しいことになりそうだ。

 スターウマ娘と持て囃されても一皮むけばこんなもんである。しょせんは中等部の女子に過ぎないのよ。

 

《ごめんって。怒らないでよ》

 

 怒ってないよ。すねてるだけ。

 

勝利の女神も夢中にさせるよ

スペシャルな明日へ繋がる

Make debut!

 

 ある程度歌って踊ったところで間奏が入り、曲調が変わる。

 これまでが朝焼けが拝める早朝なら、青空と芝の匂いがする休日の公園のようなスローテンポへ。

 それと同時に私以外のバックダンサーも退場していく。入れ替わりに入ってくるのは、レモンイエローのライブ衣装に身を包んだ新たなメンバー。

 わっと観客席が沸いたのはこのライブの趣旨を理解したからか。それとも新たに入ってきたメンバーの中に新進気鋭のジュニア級ウマ娘、トウカイテイオーがいたからか。

 テイオーは忘れそうになるがこんなんでもかなり良家のお嬢様で、デビュー前からレース関係者からの評価はかなり高かった。

 今年メイクデビューを果たし、しっかり周囲と隔絶した実力を示し一着をもぎ取った彼女。その華は玄人のみならずライト層からも多くのファン獲得に成功しており、登場だけで歓声が上がるほどだ。

 今は私のバックダンサーだけどね。

 

とびっきりを見せたいなら

自分の“らしさ”を 自分がいちばん

信じてあげなくちゃね

 

 心なしか不満そうな表情をしているテイオーを鼻で笑ってやる。

 私と同じライブに上がってセンターを踊りたいのなら、実力で勝ち取るんだね。

 テイオーはさらにむっとしたようだったが、お互いに観客の前。我ながら子供っぽいやり取りはライブ用営業スマイルの裏で、気づかれない程度の刹那の交差で終わるのだった。

 

 私がこれまで行ってきたウイニングライブのメドレー、それが今日のライブの正体だ。

 幅広い適性ゆえのライブ曲の多さ。トレーニングのときは泣き所だったそれを逆手に取る。

 曲が変わるごとに周囲は入れ替わるが、私だけはずっとセンターに立ち続ける。それにより常に一着だった戦績を何よりも雄弁にアピールするわけだね。

 かなり挑発的というか、ぶっちゃけ性格が悪いというか。本当にこんなものを観客にお見せしていいものなのだろうか。

 

《いいんだよ。こいつらはテンプレオリシュのファンなんだから。テンプレオリシュがカッコよければそれでいいんだ》

 

 いいらしい。

 人心の機微に疎い方という自覚はあるので、テンちゃんがそう言うのならそういうことにしておこう。

 それはそれとしてファンの方々をこいつら呼ばわりはちょっとよろしくないと思う。

 

《はいはい、気を付けるよぉ》

 

 口調は軽いけど素直。ならそれでいいや。

 

 このメドレーライブ、あまりお上品な感性の催しではないかもしれないけど。

 私のタスク削減という面ではかなり効果的だ。

 なにせ一度覚えた歌と振り付けをそのまま流用すればいいだけなのだから。同じメンバーとポジション固定で何度もリハーサルが出来る分、本番のウイニングライブより楽まである。

 

 ただ、漠然とした不安もある。

 企画を立ち上げ、人を集めたのはテンちゃん。

 全体を監修しつつ、メドレーへの編曲や振り付けの改変など重要な部分を担ったのは桐生院トレーナー。

 特設ライブ会場を用意したのは学園で、ライブの背景で流れる映像を担当してくれたのはデジタル。

 今回、私ほとんど何もしてないんだよ。

 何なら入れ替わり等で本来のウイニングライブと異なるパートがある分、ゲスト枠のバックダンサーの子たちの方が大変かもしれないくらい。

 センターの振り付けは本来のものとほとんど変わっていないから。新規に覚えたのは編曲部分と、あとはせいぜい全体を通した流れの確認くらいだ。

 名目としてはテンプレオリシュ主催のイベントなのに、私の負担がこんなに少なくていいのだろうか。何か悪いことをしているような気がする。

 

《いーんだよ。リーダーが組織の誰よりも多くの仕事を率先してこなすっつーのは美徳ではあるけど、模範ではない。優れたリーダーは有能な怠け者であるべきなのさ。

 気取った顔で指示だけ出すホワイトカラーが高給取りで、汗水たらして働くブルーカラーが貧窮するのがこの世の摂理ってもんだ。いつだって権利を持っている者が一番偉くて強い。

 企画を立ち上げて人材を揃えた時点でテンプレオリシュ(ぼくら)の仕事は八割終わってんの。今やってる残りの二割だってぼくらにしかできない重要な役割なんだ。胸張って堂々と偉そうにしてりゃあいいの》

 

 さすがにテンちゃんの言葉は極論だと思うけど……。

 さりとて反論の持ち合わせがあるわけでもなし。スプリンターズSや菊花賞という特大の案件を抱えて、聖蹄祭に回せるリソースがごくごく限られていたのも純然たる事実。

 ならば飲み下すのが筋というものだろう。というより、代案も無く恩恵だけあずかっておいてぐちぐち零すのは筋違いというべきか。

 

夢のゲート開いて 輝き目指して

歓声と 地響きと 光るしぶきと

愛とロマンがここにある

見よう! 一緒にENDLESS DREAM!!

 

 いちおう心苦しさの反映というか、人材の割り振りには気を遣っている。

 たとえば今歌っている『ENDLESS DREAM!!』だが、これはジュニア級のGⅠレースで使われるライブ曲であり、現在のトゥインクル・シリーズでは十二月前半の阪神JFと朝日杯FS、十二月後半のホープフルステークスと全日本ジュニア優駿の計四レースにしか使用されていないものだったりする。

 御覧の通りレース日程が年末に集中しているため全てのレースに出走するのは事実上不可能。多くてもせいぜい二回、たいていのウマ娘は一回でも本番のウイニングライブで踊る機会があれば上等だろう。

 走る側の視点だとクラシック三冠にすべて挑戦すればしっかり三回使う『winning the soul』よりも使用頻度の低いライブ曲なのだ。

 だからこそジュニア級のウマ娘の憧憬であるゆえに、きっとただ一度しか使わないそのライブ曲の練習を厭うという話はあまり聞いたことが無いのが救いか。

 

 しかし、クラシック級以上のウマ娘にとってはもう使う機会のない曲だ。

 私たちのように習得済みならともかく、これから使う予定もないライブ曲をわざわざ今回のためだけに練習させるのはあまりにも心苦しい。

 だから『ENDLESS DREAM!!』でバックダンサーとして登場したウマ娘はジュニア級以下の子たちからチョイスさせてもらった。

 ちなみに『以下』とはデビュー前のウマ娘が過半数を占めるということを意味している。

 私たちが最短デビューを果たしたので失念されているかもしれないが、本来デビューとは本格化が絡んでくるシロモノ。本人の意欲だけではどうにもならず、高等部になってもまだデビューを迎えられていない者だっているのだ。

 

 ……それにしたって冷静に考えると、このバックダンサーの使い方でえり好みができるだけの数が用意できるってすごいよね。

 有志の全員がファンクラブメンバーってわけじゃ無いとは言え。テイオーとかは私たち個人の友誼を理由に参加してくれたクチである。

 

《今回はテンプレオリシュ公式ファンクラブから優先して集めたけど、パンスペルミアの方まで枠を広げたらこの三倍は余裕だぞぉ》

 

 なにそれ初耳。

 そっかー、いつのまにか私たち個人の公式ファンクラブが立ち上がっていて、さらにその中から募集しただけで数十人のバックダンサーを用意できるほどの規模になっていたのか。

 トゥインクル・シリーズの規模から逆算すればまあ妥当だよねーと客観視する自分と、なんじゃそりゃああああと絶叫したくなる自分が見事に入り交じっている。

 

 ただ、どれだけ内心が荒れ狂っていようとも身体に刻み込んだ技術は澱みなく。

 歌って踊って笑顔を振りまいているうちにメドレーは次なる間奏へと入る。

 戦績で言うのなら本来ここには弥生賞で勝利した際のライブ曲が入るのだが、間奏の旋律でその色を暗示するのみに留まった。

 今回はあくまで聖蹄祭の催し物の一環。枠でいえばトークを含めて三十分しか用意されていないミニライブであり、取捨選択は必要なのだ。

 別に弥生賞で打ち負かした面々を軽視しているつもりはないのだけど……うーん、これはやっぱり勝者の傲慢な言い訳でしかないかな。

 

 間奏は移り変わっていく。

 新緑の青々しさが過ぎ去り、やってくるのは火花と煙を漂わせたエレキのイントロ。

 生涯に一度きりしか経験できない、過酷で鮮烈な三つの戦い。

 会場のボルテージが高まっていくのを肌で感じる。やっぱりクラシック三冠というのはここにいるファンにとって特別なものなのだろう。

 

 決して栄光ばかりではないことを暗示するような暗い紺色の衣装に身を包んだバックダンサーたち。

 その中にマヤノトップガンの姿を見て、ついに観客は大歓声を上げた。

 菊花賞において攻略法の見つかっていない難敵ではあるけど、それ以外の時であればマウントを取ったり取られたりできる貴重な友人である。ゆえにこんな風に協力してもらうこともあるわけで。

 まったく、彼女だって自分用のイベントがあるトゥインクル・シリーズ有数の看板ウマ娘なのに友達甲斐のあるやつばかりだよ。

 代わりと言ってはなんだが、私も彼女たちのイベントに顔を出すことになったけど。そのことに関しちゃ後悔はない。

 友人であり続けることのできる相手というのは貴重なのだ。関係性の継続のために生じる多少の面倒にも目を瞑ろうと思えるくらいには。

 

 

 




歌詞部分に『キミ』と『君』、『一番』と『1番』、『ストーリー』と『story』などの表記ゆれが発生しておりますが、誤字ではなくアプリのライブ機能から確認できる歌詞をそのまま表記した仕様です。


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きっとそれは天上の美味

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U U U

 

 

 クラシック三冠の決着を火花と煙で彩る『winning the soul』。

 このライブ曲の一着から三着までの振り付けにはスタンドマイクを使ったパフォーマンスが含まれる。そのため、このためだけに用意されたギミックでステージからスタンド付きマイクがせり上がってくる。

 その前に私たちは当然のような顔をして陣取るのだ。

 

光の速さで駆け抜ける衝動は

何を犠牲にしても叶えたい強さの覚悟

 

(no fear)一度きりの

(trust you)この瞬間に

賭けてみろ 自分を信じて

 

時には運だって必要と言うのなら

宿命の旋律も引き寄せてみせよう

 

 洗練されたパフォーマンス。

 磨き抜かれた品質は、多くても三度しか使用しないこのライブ曲が持つ価値、それに懸けるウマ娘たちの思いを何よりも示している。

 いやまあ、こうして今日みたいなプラスアルファが生えてくることもあるのですけども。

 あとこういう振り付けだとマヤノが普通に美人で困る。

 妖しい魅力というか。普段はおこちゃまなのにね。

 

 そして間奏。

 前二曲に比べかなり早めに挿入されたように感じたのは錯覚ではない。タイミングでいえば実際半分ほど、圧倒的疾走感を持つそれはNHKマイルCのライブ曲を彷彿とさせる。

 うん、この後に日本ダービーで再び『winning the soul』に戻るから、今回のライブでNHKマイルCはこの間奏で存在を処理されることになったんだよね。GⅠなのに。

 NHKマイルCで私たちのファンになって下さった方々には本当に申し訳ない。でも『本能スピード』を()るのにふさわしいタイミングはここではないというテンちゃんと桐生院トレーナーの判断に、私も異論を挟めなかったのだ。

 それほど無視し難い功績がある。圧倒的な伝説が今回のクライマックスとして控えている。

 

 それにしても桐生院トレーナーすごいよね。

 中央のトレーナーが器用万能ということは知っていたけども、その中でもあらゆる分野で高次元にまとまっているスペック。

 そして『こういうのは量より質ですので』と自身の幅広い技量を鼻にかけない謙虚さ。

 

《運動神経ならあるいはぶっちぎりのトップかもね》

 

 そうね。私たちに課す新規メニューは事前に自分の身体で試しているらしいし、嘘かまことか走ってバイクのひったくり犯を捕まえたこともあるって噂だもんね。パルクールもできるし。

 

 トレーナーが担当するのはレース関連のトレーニングが主であり、ライブにはまた別の先生がいる。

 しかし桐生院トレーナーは『はい、ここでこの曲を踊っていただきます。ではどうぞ!』と無茶振りされても即座に踊れるくらいライブに関しても習熟しているのだ。

 ちなみにこのエピソードは初代URAファイナルズの告知イベントの際の実話であるらしい。

 学業にトレーニングにと忙しい担当ウマ娘に代わり、ゴルシTと共にトレーナーたちだけでイベントをこなしたとかなんとか。

 ミーク先輩があのぬぼーっとしたテンションのまま自慢げに私たち後輩に話してくれた。話の内容と喜色に富んだミーク先輩の声にデジタルは二度死んだ。

 

 だからといってぶっちゃけた話、編曲や振り付けまでできるとは思わなかった。

 だって私たちが彼女の担当ウマ娘になったばかりの頃、あの人は流行りのポップスをまるで知らなかったんだ。

 親睦会でミーク先輩やデジタルと一緒にカラオケに行ったときなんて、素晴らしい美声と卓越した音感で次々と見事な民謡を歌ってくれたものだった。

 『担当の好きなものをトレーナーとしてちゃんと知っておきたいのです』なんて言っちゃった結果、今ではデジタルの布教を受けアニソンをいくつか歌えるようになったけどね。

 

 ライブ関連ならいざしらず、音楽に対して馴染み深いとは思えない人となりだったのは事実だ。

 実は必要になるかもしれない技術の一つとして身に着けていたのか、それともテンちゃんの要請があってから新規に習得したのか。

 担当ウマ娘の面倒を見るのがトレーナーの仕事と言ってしまえばそれまでだけど、忙しい人にさらなる面倒をかけたかもしれないとなればやはり心苦しい。

 せめてこのライブはしっかり成功させるからね。

 

 間奏の間もダンスは続いている。

 華麗なステップでマヤノが退き、入れ替わりで二着のポジションに収まったのはウオッカだ。

 つまり、ここからは日本ダービーのパートである。

 

走れ今を まだ終われない

辿り着きたい場所があるから

その先へと進め

 

涙さえも強く胸に抱きしめ

そこから始まるストーリー

果てしなく続く

winning the soul

 

 一般家庭出身の私が本当の意味で『クラシック三冠』の重みを、名門と呼ばれる家の子たちと共有する日は来ないかもしれない。

 だけど皐月賞のマヤノも、日本ダービーのウオッカも、共に印象深い一戦である。

 これまで漠然としか感じていなかった脅威。それが明確に血肉を伴い、世代という数さえ揃えて背中を焼くようになってきたのだから。

 そういう意味ではどちらも私にとって大切なレースだ。

 

 横目でこちらを見ながらウオッカがニヒルに笑う。次はセンターに居座るのは俺だぜ、と雄弁に目が語っていた。

 私も流儀を合わせて挑発的に鼻で笑う。できるもんならやってみろよ、と。

 硬質な視線がぶつかり見えない火花を散らした。

 

 火花と煙と鉄の匂い。

 それを覆い隠し、洗い流すかのような雨の気配。舞う土埃。

 

 四曲目へと至る間奏はピアノから始まる印象的なもの。

 それは瞬く間に土砂降りを連想させる激しいギターへと変わり、呼応するように観客席の一部が沸き立つ。

 この『UNLIMITED IMPACT』はダートGⅠのライブ曲。きっとあそこにはダートのファンが集まっているのだろう。あるいは地方から来てくださったファンの方々なのかもしれない。

 ちらりと視線をやると見覚えのある顔がちらほら。

 そっかー、来てくれたのか。ドラグーンスピアさんにアキナケスさん。

 テンちゃんがLANEの交換をしていたことは知っていたけど、思っていたより仲良くなっていたのかも。

 

視界全部奪うような 打ち付けるスコールの中でも

きっとさらわれ流れるのは 言い訳と迷いだけよ

 

 この曲のバックダンサーはみんなダートを主戦場にしているウマ娘だ。

 何だかんだ縁のある例の後輩ちゃんも後ろで踊っている。

 そして隣にはアグネスデジタル。

 同じ桐生院トレーナーの担当ウマ娘で、同じく芝とダートを走れる幅広い適性の持ち主。ウマ娘のことが大好きな私よりひとつ年上の女の子。

 デジタルは私のことを同志と呼ぶ。初めは面と向かって否定しないだけだったその呼称も、今では馴染み深いものだ。

 彼女がいなければきっと、私のトゥインクル・シリーズは今とはまるで違う色合いになっていたに違いない。

 

ぬかるんだ現状に足をとられて

陰鬱な空気が喉ふさいでも

この声は絶やせないでしょう この足は止まらないでしょう

 

いのちのかぎり

 

 もしもデジタルがいるのが観客席であれば、彼女は顔中の穴から体液を垂れ流しながら団扇を振ってオタクの本性をさらけ出していたところだろう。容易にその光景が想像できる。

 しかし、これがアグネスデジタルというウマ娘の面白いところなのだが。

 自身が舞台の上にいる場合、彼女はウマ娘を愛する者としてその舞台を最高品質でファンにお届けしようと全身全霊を尽くすのだ。

 これは自分ごときが尊いウマ娘ちゃんたちの舞台を穢してはならないという、微妙に低めな自己肯定感に基づいたモチベーションなのだけども。

 経緯がどうあれ、凛とした表情の彼女は間違いなく美少女だった。

 

どうか全力で射抜いてよ 瞳で私を

焼き付けていこう それは約束の進化系

 

傷を痛がって投げ出す程度の思いじゃない

キミは目撃者だよ

 

YES…UNLIMITED IMPACT

見せてあげる EVOLUTION

GO AHEAD…未来DAYS!!!

 

 ジャパンダートダービーは『いけそうだったからいった』という、きっとダートに命懸けてる子たちからすれば憤慨ものの動機で入れたローテだったけど。

 案外こうして振り返ってみれば、何だかんだ私の内側に蓄積されたものがあるんだな。

 デジタルと走るのはとても楽しかったから、またどこかで同じタイトルを競いたいものだ。今度は芝がいい。

 

 さて、この長いようで短い宴もそろそろクライマックス。

 ピアノのどこか物悲しいメロディラインが、どこまでも高まる脈拍のようなリズムに取って代わられる。

 『本能スピード』、つい先月に使ったばかりのライブ曲だ。懐かしむ暇もない。

 最後の間奏の入れ替わりで登場したウマ娘を見て観客の興奮は一気に最高潮。方々から上がる歓声が会場を揺るがす。

 私の両脇を最後に飾るのは、なんとサクラバクシンオーとタイキシャトルの二人。

 この一着から三着までの顔ぶれは先のスプリンターズSとまったく同じ。ライブの締めくくりにふさわしい実に豪華な布陣だろう。

 

覚悟は手放さない リスクはいつも

ギリギリでパワーになる

そう気づいたの

 

 念のため言っておくと、さすがのテンちゃんも当初はこのお二人に声をかけようとしなかった。

 実はメドレーライブの企画自体はひと月前には既に存在していたが、スプリンターズSの勝敗次第で五曲目『本能スピード』の扱いは大きく変わる。

 あらかじめ複数のパターンを用意することでゆとりを持たせていたものの、企画が今の形にしっかり固まったのはスプリンターズSで私が勝利したそのときなのだ。

 

 今年の聖蹄祭はスプリンターズSのわずか半月後。敗北の傷が癒えるには短すぎる期間である。常識的に考えれば勝っていても負けていても、同じメンバーと同じライブをやるなんて気まずすぎるだろう。

 ただでさえ喧嘩を売っているような企画概要なのに『私の常勝を讃えるメドレーライブをやるので、今日と同じように両脇で踊っていただけませんか?』なんて言えるか。

 偉大な先輩方の傷口に塩を塗り込むようなマネ。無理だ。怖い。

 

 あちらから来たのだ。

 『何やらにぎやかですね……学級委員長の許可なく楽しいことをするとは……くぅ~私も交ぜてくださーいッ!』とか『レッツ、パーティーターイム! 仲間外れは寂しいデース!』とか言って。

 

 私に同じことができただろうか。

 ちょっと自信がない。なにせ、負けたことが無いし。

 それを差し引いても彼女たちにあって、今の私に無いものが存在している気はしている。

 己の力と実績に対する自負。

 敗北という絶対的な事実を突きつけられてもなお揺らがない誇り。

 

 何だかカッコよかったので、レース直後の錯乱していたバクちゃん先輩の醜態は忘れてあげることにした。

 

誰より今 強く駆け抜けたら

一番先で笑顔になれる

本能スピード 熱く身体を滾ってく

 

 ありありと思い出せる。

 プレス機にかけられたような重圧、ゆっくり引き延ばされていく刹那。

 早鐘のような鼓動。生物の出力許容量限界ギリギリのラインで反復横跳びする酩酊。

 『これ、このまま心臓が破裂してしぬのでは?』と愉快な疑問が脳裏を横切るほど速度に速度を重ねた電撃戦は短距離ならではだろう。

 長距離は長距離で『これもう口から血を吐いてしぬのでは……?』と朦朧と危機感が湧き上がるくらいしんどいけどね。いや、そもそも楽なレースなんて存在しないか。

 

 楽ではないのに楽しいんだよね。

 不思議だ。生物として何かが矛盾している気がする。

 

 レース中やライブ中のバクちゃん先輩は本当に美人だ。なにせ無駄に喋らないというのが非常に大きい。

 喩えるのなら日本刀。飾り立てた華美ではなく、研ぎ澄まされた強さに宿る美しさ。

 タイキ先輩のダンスも非常にパワフル。つい圧倒されて位置をずらしそうになる。

 気合い負けというよりは、彼女はいわば陽キャの化身。自らの内側から滾々と湧き出るエネルギーを惜しみなく周囲へ分け与えるような歌と踊りにもその性質は表れる。

 コミュ障を自覚する身としてはつい引いてしまいそうになるものだ。

 このお二人を差し置いて自分ごときがセンターに居座っているのが何やら間違いのような気さえしてくる。

 でも恐ろしいことに何も間違っていないのだ。ほんとうによく勝てたな、私たち。

 

もう何も恐れないで

限界なんて必要ないの

 

最速の私になって

見果てぬ世界 超えてゆけ

 

 何度も変貌を遂げながら続いていたメロディがようやく終わる。

 激しい動から、あからさまなまでの静への移行。

 巨大な終止符を呑み込むのにいくばくかの時間を要したが、圧倒の硬直から解けた観客たちは自らの内で猛り狂う情緒を吐き出すように歓声を上げた。

 大喝采。ライブは無事に成功を迎えたのである。

 

 

U U U

 

 

 終わってみると、こう。

 嬉しいとか楽しかったとか、そんな充足感よりタスクから解放された安堵が第一に来るのって私だけじゃないよね?

 

「どうやったの?」

 

 ライブ後の有名どころウマ娘が舞台に勢ぞろいした状態でのトークパート後半と、これ以降の聖蹄祭イベントの簡単な宣伝も何とか乗り越えて、私は解放されたはずだった。

 控室に戻ってライブの成功を有志の子たちと讃え合いながら着替えて、もう今日は仕事したくないけどこれからお手伝いに行かなきゃいけないイベントもそれなりに多くて。

 いざその場に到着したらちゃんと全力でお務めを果たすから、今だけはうんざりさせてよね、と。ため息交じりにメモ帳を片手にスケジュールを確認する。

 変装用の帽子はテンちゃんが紛失しちゃったけど、残り半日も無い間なら髪型変更と伊達眼鏡だけでもなんとかしのげるかなぁと。指先でフレームを弄んで。

 人の流れから外れた校舎の物陰で、自分ふたりだけでひと息つく。聖蹄祭後半もちゃんとURA所属のスターウマ娘『テンプレオリシュ』としての役割を果たすために。

 襲撃を受けたのはそんなときだった。

 

「おしえて」

 

 私、なんかこういうの多くない?

 日本ダービーの勝利者インタビューのときを思い出す。あのときも相手は本格化前のちびっこウマ娘だったな。

 

 おぼえがある。ライブ中に私へ向けられていた視線のひとつだ。ライブが終わった後、トラブルに発展しないよう全部撒いたつもりだったが。

 

《息を切らしているあたり、尾行を成功させたってわけじゃなさそうだな。平目の探索判定でクリティカルを出したってところか》

 

 運まかせに走り回って偶然見つけたってこと?

 

《さてはて、偶然か必然か……》

 

 なんだか思わせぶりだな。

 

 今日はファン感謝祭だ。あまりモラルが良いとは言えないその行動にも、営業スマイルで対応しようと思うくらいには今日の私はサービス精神旺盛。

 でも視線に殺意すら籠っているように感じるんだよなぁ。ファンじゃないかもしれない。

 

 改めて少女と向き合う。

 大きな耳に長く艶やかな鹿毛。強い意志を宿した眼差し。

 普段はもう少し常識的な、もっとこう大人びた子なのではないだろうか。ウマ娘の不思議パワー補整があっても普段のケアは髪質に表れるものだ。

 感じるプレッシャーから逆算した潜在能力はそれなりのもの。ライブ前に案内した迷子、メイショウドトウと同じかやや下くらいだろうか。もし中央を受験するなら合格できそうなレベル。

 興味のないものは憶えない性質だから、確証はないけども。

 やっぱり今日が初対面だと思う。こんな視線を向けられるような接点は無いはず。

 

《はぁー……アヤベさんも後輩かぁ。覇王世代の学年ってわりとバラバラじゃなかったっけ? この世界線だと一律に同級生だったりするのか?》

 

 でも、テンちゃんには心当たりがあるみたいだ。

 

「質問をする前に自己紹介くらいしたらどうかな、お嬢さん?」

 

 するりと運転を交代し、テンちゃんが前面に出る。

 自らの無礼さを薄々自覚はしていたのだろう。それでいて、相手に指摘されて開き直れるほどの経験や厚顔無恥はいまだ持ち合わせていないのだろう。

 シニカルに投げかけられた笑顔を前にぐっと縒れそうになる視線を堪えて、少女は自らの名前を告げた。

 

「……アドマイヤベガ」

「喰わせた」

 

「えっ?」

 

 それが彼女――アドマイヤベガの質問への回答だということを、内側から見ていた私でさえ理解するのに一拍の時を必要とした。

 こいつら、会話する気が微塵もねえ。お互いに相互理解を念頭に置いてない。意思を言葉に詰め込んでぶつけ合っているだけだ。

 

「そうすれば……助けることができた、の……?」

「いやー、キツイでしょ。四分の一も食べ残されるなんて予想もしていなかったし、ましてやその状態で安定するなんて完全に想定外だったもの。

 共倒れになる公算の方が高かった。つーか、ぶっちゃけ先に繋がるなんて思ってなかった。女神への意趣返しが思ってもみなかった方向に転がって結実しただけさ」

 

 ふと、本当に何の前触れもなく唐突に理解した。

 アドマイヤベガが見ているのは私じゃない。テンちゃんだ。

 ライブ会場の上で入れ替わった私たちを、たぶん彼女は見分けることができたんだ。

 

 ちょっと信じがたい。

 いまだに桐生院トレーナーでさえ、至近距離である程度観察する必要があるというのに。

 でもそうとしか考えられない。

 見分けて、テンちゃんの存在に気づいて。そして私たち(テンプレオリシュ)私たち(二重人格)であることは彼女にとって何を差し置いても看過し難い事実だった。

 思わずライブ後に私たちを追いかけてしまうほどに。

 

 そして彼女が抱いている感情は殺意じゃない。

 

「だから、ぼくが持っているのは正解じゃない。だーかーら、今のきみを間違いであると断罪することもないよ。わかった?」

「…………」

 

 狂おしいほどの嫉妬と、羨望。

 

 テンちゃんもアドマイヤベガも、何を言っているのかはさっぱりだけども。

 きっとそれは彼女たちにとって何物にも代えがたい大切なもので。その妥協し難い何かに追い立てられてアドマイヤベガはここまで走ってきてしまったのだろう。

 あるいは、今日に至るまでずっと。

 

「今日のところは時間切れのようだね」

 

 テンちゃんが肩をすくめる。

 私たちほど鋭敏な聴覚を持たずともウマ娘の耳なら、目の前の少女の名を呼ぶ声がまもなく聞こえてくることだろう。

 子供が迷子になったら必死に探すのが私の知る親というものだ。この子の家庭も御多分に洩れず、聖蹄祭に一緒に来た娘を懸命に探す程度にはまともな環境らしい。

 

「中央においで、アドマイヤベガ。きみの救いはきっとここにある」

「……救われたくて走っているわけじゃない。これは私にとっての祈り、だから」

 

「あはっ、ぼくの目には贖罪に見えたけどねぇ。そして刑期を終えたら罪は許されるものなのさ。たとえそれが冤罪であってもね」

 

 するりとアドマイヤベガの横を通り過ぎざま、ぽんとその肩を叩く。

 

「目の届く範囲にいる限りは、似て非なる先達としてアドバイスくらいしてあげるさ。それに走りが祈りだというのなら、ぼくらほど『おいのり』が上手なウマ娘もそういないよ」

 

 そのまま振り返りもせず私たちの姿は雑踏に紛れた。

 

 あれでよかったの?

 ほとんど言い捨てみたいな形になったけど。

 

《別にィ。きっと来ると信じちゃいるけど、来ないなら来ないでもうどうしようもないしぃ》

 

 適当だな。いいのか、そんなもんで。

 

 ……四分の一、か。

 一日の四分の一は六時間。テンちゃんの一日あたりの活動限界だ。

 あの会話を順当に読み解けば、私がテンちゃんを食べた……ってことになるんだけども。

 記憶力には自信があるけど、さっぱり思い当たる節は無いな。

 なんだか、それがすごくもったいないことのように思えた。

 

 きっとどんなごちそうだって比較にならない、極上の甘露に違いないのに。

 

 

 

 

 

 かくして、いろいろあった聖蹄祭は終わり。

 菊の舞台が来る。

 結局、マヤノに対するこれといった妙案は思いつかなかったから。

 残念ながら、私の脚をくれてやることになりそうだ。

 

 

 




次回、???視点


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サポートカードイベント:雨天の銀竜

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さて、今回はトウカイテイオー視点です


 

 

U U U

 

 

 最初はカイチョーの言葉だった。

 

「ねーねー、カイチョーがいま注目しているウマ娘っているー?」

 

 春の中央トレセン学園。

 やっと入学できたよーってカイチョーに報告するため生徒会室まで遊びに行って、ついでに生徒会役員であるエアグルーヴやナリタブライアンといった実力者とも顔合わせして。

 やっぱり中央の生徒会メンバーともなるとすごいんだなーって感心して。その中で生徒会長をやっているシンボリルドルフというウマ娘のものすごさにますますカイチョーへの憧れが強くなって。

 

 そんな中、何気なく聞いてみたこと。

 六割……いや七割くらいはボクの名前を言ってくれないかなって期待もあったけど。

 入学してきたばかりのこの中央。

 あのカイチョーが注目しているくらいすごいウマ娘がいるのなら、マークしておこうかなって真面目な部分も三割くらいはあった気がする、たぶんね。

 

「この中央に所属するウマ娘はみな英俊豪傑、注目していないウマ娘など一人もいないとも。

 ……とはいえ、テイオーが聞きたいのはこんな返答ではないだろうな」

 

 そうして柔らかな笑みと共に挙げられたのは、聞き覚えの無い名前。

 自分で言うのもなんだけど、ボクの実家ってけっこういいとこなんだよね。だからウマ娘の名門同士、縦の繋がりも横の繋がりも相応の規模があるんだけど。

 マックイーンみたいに真面目にいちいち憶えているわけじゃないよ。でも、記憶を漁っても名門リストにはさっぱり引っかからなかった。

 

「えー、誰なのさそれー?」

「おいおい、去年の朝日杯FSを制したGⅠウマ娘だよ」

 

 本当に聞き覚えが無いのかい? とカイチョーの笑顔が苦笑に変わる。

 そう言われるとちょっと気まずかったんだけど。だってGⅠなんてその気になればいつでも取れちゃいそうだったからさ。

 それに『クラシックロードへの登竜門』だなんて言われているように、ジュニア級のGⅠなんてしょせんは前哨戦。クラシック級以降の戦績に比べたら大したことないってイメージもあったし。

 受験生だったっていうのもあるけどさー。去年のジュニア級ウマ娘の動向なんて、ぜんぜん気にしてなかったんだよね。

 

「私が彼女を意識した契機は、昨年の入学式のことだ」

 

 そんなボクに、カイチョーは思い出話を語ってくれた。どこか楽し気な口調で。

 憧れの人が明るい顔をしているのに、何だかとてもモヤモヤしたのをおぼえている。

 

「テイオーは懐いてくれているが、どうにも私は四角四面な印象を与えるというか。他のウマ娘を威圧してしまうようでね。この性質が生徒会長という役職にとって一概に不利というわけでもないのだが……いや、これは負け惜しみかな。

 ともあれ、そんな私を前にした新入生の表情というのはいくつかのパターンに分類できる。憧憬や畏怖。尊敬に隔意。熱意や、稀にそれが行き過ぎた敵意というのもあったな」

 

 件のウマ娘は、そのどれにも該当しなかった。

 だからひどく印象に残ったんだって。

 

「そうだな、喩えるのであれば……『パン屋の値札を前に財布を覗き込んでいる』といったところか」

 

 今はまだ足りないけど、あとどのくらい貯めれば手が届くかな――なんて。

 そんな生活臭の延長線上にある視線。

 ショーウィンドウに飾られたトランペットを見るような憧れじゃなくて。いつか到達したい目標でもなくて。超えるべき通過点ですらない。

 彼我の距離を測る、ただの目安。

 

「トゥインクル・シリーズで成果を上げ、ドリームトロフィーリーグに移行してからあんな目で見られた記憶は……いや、生まれて初めての経験だったかもしれない。それが何とも痛快に思えてね。

 彼女の異質な視線が身の丈をわきまえない誇大妄想ではなく、才気煥発の発露だったことはこの一年で証明されたことだ。いやはや、私も存外見る目がある」

 

 カイチョーは嬉しそうに話すけど……カイチョーが言うほどすごい戦績かなぁ?

 メイクデビューから朝日杯FSまで四戦全勝。無敗のジュニア級王者と言えば聞こえはいいけどさー。

 ちょっと早熟ですっごく運が良かっただけかもしれないじゃん。弱いとまではさすがに言わないけど、クラシック級以降も同じような好成績を出せるかっていうと根拠に乏しいんじゃないのー?

 むすっとしているボクの斜向いでつまらなそうに書類に印を押していたブライアンが、急にぼそりとつぶやいた。

 

「アイツは一度私に勝った」

「ああ、種目別競技大会の一件のことか。まさに驚天動地、あれは流石の私も予想外だったな。

 ふふっ、それにしてもブライアン。君はあの敗北をきっちり己の物として受け止めているんだね」

 

「えっ?」

 

 ブライアンと個人的に知り合ったのはこの日が初めてだったけど、ブライアンの走りはそれ以前からよく知っていた。

 だってカイチョー以来のクラシック三冠を達成したウマ娘だもん。カイチョーと違って無敗ではなかったけど。

 そのブライアンに勝った? 種目別競技大会っていうと……タイミング的にジュニア級のウマ娘が?

 

「あ、もしかしてチョーシが悪かったとかー?」

 

 世代最強の証であるクラシック三冠を成し遂げながら無敗ではなかったように、ブライアンは波が大きいタイプだ。

 ノリに乗ったブライアンはカイチョーの次くらいに凄みがあるけど、気分が乗らないときは格下相手に不覚を取ることも少なくない。

 

「くだらん言い訳をするつもりはない。調子の良し悪しで覆る差だったのならば、その程度のものというだけの話だ」

「ぐっ……」

 

 それはそうだ。

 仮に絶不調だったとしても早熟で幸運なだけのジュニア級ウマ娘に負けるブライアンじゃない。だってブライアンは三冠ウマ娘なんだから。

 それはカイチョーに続く『無敗の三冠ウマ娘』を目指しているボクにとって、誤魔化すことのできない事実だった。

 

 ムカムカというか、イガイガというか。

 楽しくてワクワクする思いをするためにここに来たはずなのに、何だかとても面白くない。

 そんなボクにエアグルーヴが釘を刺してきた。

 

「おい、トウカイテイオー。もしもヤツに接触するのなら、あの非常識の真似をしようとするなよ。

 貴様ほどの才覚ならあるいは模倣しきることも可能かもしれんが、一般的な新入生が後に続けば絶対に怪我人が出るからな」

 

 なんて返したかはおぼえていない。

 テンプレオリシュ。

 その名前だけが強く刻まれた。

 

 

 

 

 

 第一印象は最悪だった。

 

 なんかアオハル杯? っていうのをやっているらしくって。

 よくわかんないけどー。噂のテンプレオリシュを間近で拝めるなら利用しない手は無いかなって。

 ただ、思った以上に噂になっているらしくって。テンプレオリシュが所属しているアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉は参加希望者が多すぎて、人数を絞るため入部テストなんてものをやっていた。

 トゥインクル・シリーズの公式チームでもないくせに、なんかナマイキー。

 

 ま、ボクは無敵のテイオー様だからね!

 とーぜんテストはびゅーんと一着を取って合格。

 ついでにチームに所属しているウマ娘たちにもボクのすごさを見せつけることができて、一石二鳥ってやつだよね。

 

「どこのチームにいこうとボクが勝っちゃうのは変わらないしー? カイチョーと同じチームで走れたらサイコーだったんだけど、カイチョーはもうドリームトロフィーリーグの方に行っちゃってるしー。

 だったらボクの前に無敗の三冠を成し遂げるかもしれないっていうウマ娘を間近で拝んでおこうかなーって」

 

 ……後から思えば、このとき『テンプレオリシュ』を意識し過ぎていたボクはちょっと態度が悪かった気もする。

 

「その走法、変えた方がいいね。ダービーまでは無敗を貫けるだろうけど、菊花を走る前に壊れるよ」

 

 だからって第一声でこれは無いよ。ぜったいに頭がおかしい。

 ふつーさ、いやふつーじゃなくても。少しでもウマ娘のことを知っている人間なら面と向かって言わないよ、そんなこと。

 ウマ娘の走法に指図していいのはその担当トレーナーだけ。それは常識で大原則。ましてやここは中央なんだから『知りませんでした』なんて理屈は通用しない。

 もー戦争だよ、せんそー。

 ウマ娘の決着の付け方と言えばもちろんレース!

 

 そしてボコボコのメッタメタにされた。

 ひとつ年上のウマ娘にここまでハッキリ負けたのは生まれて初めてだった。

 

 何かの間違いだと思いたくて何度も挑戦して、そのたびにきっちり一バ身で仕留めてくる底意地の悪さったら!

 かつてない逆境にどんどん心身が研ぎ澄まされてパフォーマンスが跳ね上がっていくのがわかるのに、彼我の距離だけはぴったりつかず離れず変わらないの。

 自分の感覚が信じられなくなりそうだったよ。タイム測っているわけでもない野良レースだったし。

 ついには力を使い果たして芝の上に転がるボクを、ソイツは不思議なものを見る目で見ていた。芝ダート全距離対応不思議生物はそっちの方だろ。

 

「あ、わかった。追いつかれたくなくてこんないちゃもんつけたんだろ? 何回やっても差はたったの一バ身だもんね~?」

 

 あまりにも苦しい負け惜しみは、苦しい呼吸に紛れて半分もまともに聞こえたかどうか。

 ソイツがゴールの瞬間あの距離(一バ身)を意図的に保っていることはわかりきったことだったし、その無理難題を押し通すのにどれだけの要素が必要か考えれば、実力差がどれだけ開いているのかも明らかだった。

 

「今のお前ごとき、目を閉じていたって勝てるよ」

 

 ……たぶんこれ、煽り文句じゃなくてただの事実だったんだろうなぁ。

 『それで怪我したりさせたりしたら言い訳できない』とか言って実際にやったことは無かったけどさ。

 栗東寮が停電で大騒ぎになったとき、ひとりだけ舌打ちしながらスイスイ暗闇の中をまるで見えてるみたいに動き回っていたし。

 後でマヤノが教えてくれたんだけど、あの舌打ちはクリック音といって音の反響で周囲の情報を把握しているんだってさ。

 やっぱりアレ、ウマ娘じゃなくてウマ娘によく似た新種の謎せーぶつか何かなんじゃないの?

 たまに重力を無視した挙動しているし、実は宇宙とか異世界とかからやってきたウマ娘星人なんですなんて言われても『まっさかー!』じゃなくて『ああ、やっぱり……』が来るヨ。

 

 ちなみにこのエコーロケーション、精度に差はあるけどマヤノもデジタルも似たようなことができるらしい。

 ウマ娘星人、感染してるよ。もう侵蝕型の侵略者(インベーダー)だよ。マックイーンと見に行った映画にそんなのあった。

 

「じゃあなんでそんなこと言うんだよぉ……『無敗の三冠ウマ娘』はボクの夢なんだ。小さいころから、カイチョーに憧れて、ずっと走ってきたんだよ……いまさらフォームの矯正なんて始めて、また勝てるようになるまでどれだけかかると思っているんだよぉ」

 

 そんなトゥインクル・シリーズの未来をおびやかす脅威はさておき。

 コテンパンに負けたのが悔しくて、こんなくだらないことしか言えない自分が情けなくて。ついに泣き言を漏らしたボクに向けて。

 アイツは膝を抱え込むようにしゃがみ込んで、ボクと目を合わせてこう言った。

 

「勝てるだろ、キミなら」

 

 あまりにも気負いなく確信に満ちた言葉だった。

 断じてボコボコのメッタメタにして芝の上に転がした張本人が言っていいセリフじゃない。

 

「三度の骨折というハンデを経て、一年というブランクを経て、それでも。『年末の綺羅星集う大舞台で勝てるわけがない』という理屈も『どうか無事にゴールまで帰ってきてくれたら』という常識も、何もかもねじ伏せて勝つだろ。だってキミはトウカイテイオーなんだから。

 それでもぼくはキミの『奇跡の大復活』じゃなくて『順当な勝利』が見たい。そして圧倒的な強さでヒトを退屈させる名優と何年も何度でも覇を競って欲しい。これはそういうワガママなんだ」

 

 何を言っているのかわからなかった。今でもやっぱりよくわからない。

 ただ赤と青の双眸が異なる温度を宿しながらボクを見下ろしていて、言葉よりそっちの視線の方に身体の芯がゾッと凍えた。

 異質。

 このとき受けた印象は一生忘れないと思う。

 何だかんだ付き合いの長くなった今ではわりとふつーなところもあるウマ娘だって知ってるけど、印象は薄れても消えてはいない。

 

「すべてに手が届くわけじゃない。たまたまキミはぼくらの後輩としてとっても近くに来てくれたから、特別に気にかけてあげる。

 よかったね。ぼくらのこの、ちいさなおててにひっかかって」

 

 まるで手を強調するみたいに、ぺたぺたとボクの顏や首に触りながらそんなことを言って。

 言うだけ言うと、そのままソイツは踵を返してその場を後にしてしまった。

 

 そのすぐ後に来た教官から話を聞いたから、事情は理解しているよ?

 自力では動けないくらい消耗しきったボク。

 観察と触診で容体が急変することはないと判断した上で、大人を呼びに行ってくれたんだよね。

 でもやっぱりあの態度と対応はナシ寄りのナシだと思うんだ。感謝はしているけど、それはそれとしてね。

 

「リシュちゃんって人間やるのがとってもへたっぴだから。でもでも悪気は……ちょっぴりあるかもだけど、悪意は無いんだよ?」

 

 寮で同室になったマヤノはそうフォローしていた。

 いやフォローなのかなこれ。『人間やるのが下手』ってどういう表現なのさ。

 

 意味は三日後に嫌と言うほど思い知らされたけどね。

 

「『こう』やるんだよ。わかった?」

 

 自分から見せに来たくせに何だか面倒くさそうという態度が意識から零れ落ちるほど、理解不能な光景がそこにあった。

 ()()()()()()()()

 どう考えてもたった三日でボクの走法をトレースして改良して実戦レベルまで洗練させて、おまけにそれを使ってボクをブチ転がすって頭おかしい。ワケワカンナイヨ。

 フォームの矯正なんて下手すれば年単位を覚悟しなければならないという理屈も、仮に矯正に成功したところでクラシック三冠に挑戦するような実力者に勝てるかわからないという常識も、真正面から粉砕したバケモノがそこにいた。

 

 もうちょっと人間らしく生きようよ。

 

 ただ、それは今だから言えること。そのときは呆れかえる余裕なんて無かった。

 あと、ボクの走法に口出しした非常識をアイツはきっちり認識していた。そのことについてわざわざアイツはその場で蒸し返した。

 

「だがぼくは謝らない」

 

 何故なら自分が間違っているとは思っていないから。

 いや、そこは謝っておこうよ。コミュニケーションの一環としてさ。不条理な謝罪は人間関係に欠かせない潤滑剤だって小学校のころ担任の先生が死んだ目で語ってくれたよ?

 

「だからって中央のスタンダードな方法で白黒つけると、ぼくの勝利が確定しちゃうだろ? それじゃあトウカイテイオーの心が納得できないはずだ。だから賭けをしよう」

 

 今年アイツはクラシック路線に進む。

 そこでアイツはシンボリルドルフ以来の無敗の三冠を成し遂げ、己の正しさを証明する。

 その成果をもって、ボクは走法の矯正を受け入れるべし、と。

 ただし一敗でもしたのなら、それは身の程知らずの無礼者であったことの証。その時点であれは非常識な忠言ではなくただの非礼であったことを認め正式に謝罪するとのこと。

 

「こんな条件でいこうと思うんだけど、受けるよね?」

「……勝手にすれば」

 

 丹念に手持ちの言い訳を全部潰されて。

 ボクが無理だって諦めようとしたこと全部、ただ単純にボクが弱いからできないだけだって突き付けられた気がしていた。

 でもそれは、これまでずっと無敵のテイオー様だったボクにはとうてい受け入れることなどできない事実。

 だけど逃げることだけは、どうしても選べなくて。

 勝算が用意できたわけでもないのに挑戦しては当然負けて、唯一の対策としてがむしゃらに走り込む。そしてまた勝負。

 そんな無様な日々を繰り返していた。

 

 そんなときに出会ったのが今のボクのトレーナーね。

 オーバーワーク一直線だったボクを叱って、止めてくれた。

 話を聞いてくれた。自分だって新人で通常業務だけであっぷあっぷしていたのに、ボクのためにちゃんとしたトレーニングメニューを組んでくれた。

 何だかんだあって契約を結ぶ前からまるで担当みたいな関係になって、二人でアイツの前に立ったとき。

 アイツは第三者が加わったことに驚きも見せず、むしろ満足そうにこう言った。

 

「うん、ようやく準備が整ったみたいだね。ビデオカメラの準備はいいかい?」

 

 ふと、そのとき思ったんだ。

 あれ? もしかしてコイツ、悪いやつじゃない? って。

 

 だってよくよく考えてみればコイツだってクラシックロードに向けて暇じゃないだろうに、ボクの野良レースを断ったことって今のところ無いし。

 それがボクとのレースが実利のあるトレーニングになっているからなのか、それともトレーニングに差支えが出るほどの負担にもなっていないからなのかまでは知らないけどさ。

 

 ボク以外の後輩にも何かと世話を焼いているところを見たこともあるし。

 いずれボクが至るべき目標地点……少なくとも賭けに負けたらそうならざるを得ない走法の情報を惜しみなくボクとトレーナーに譲渡してくるし。

 

 発露の仕方がねじくれているだけで、やっていることを端的に抜き出したらむしろお人好しの所業じゃん。

 実際に受けた身からすれば、とんだ箇条書きマジックだとも思うけど。

 

 もともとボクが一方的に敵視して、突っかかっていたようなものだ。

 自分で言うのも何だけどさ。ボクって誰かを嫌ったり憎んだりっていうの、あまり得意じゃないんだよね。

 一度気づいてしまえば、もう続けるのは難しくなっちゃった。

 

 それから少しずつ、アイツとの関係性は変わっていった。

 顔を見るたび噛みつくように、吠えたてるように絡みに行っていたのが、じゃれつくような感じになって。

 いつしかリシュと、アイツのことを愛称で呼ぶようになっていて。

 向こうもテイオーと気安く呼び捨てにしてくる。

 そんな距離感に。

 

 ……敵だと思っていた相手がそうじゃないとわかって。

 中央に来る前は重要性なんてぜんぜん理解していなかった、トレーナーとの二人三脚も始まって。

 ここで一度勝てたらテイオー伝説の序章としてはこの上なかったんだけどねー。

 空気を読んで負けるなんてことは絶対にしてくれないリシュとの野良レースの戦績は、今日に至るまで全敗。

 にっしっし、まあそれでもいいよ。

 今のボクは無敵のテイオー様あらため、不屈のテイオーだ。

 いつか絶対にボクの背中を拝ませてやるんだもんね!

 

 

 

 

 

 ボクの憧れはずっとカイチョー、シンボリルドルフ。それは変わらない。

 友達と言うには得体のしれないところが多すぎる。

 ライバルと呼ぶには、悔しいけど実力差が開き過ぎている。

 

 だからきっと、リシュはボクの人生の中で初めてできた『先輩』というポジションのウマ娘なんだと思う。

 恥ずかしいから面と向かってリシュ先輩なんて、呼んでやらないけどね。

 

 

U U U

 

 

 今日の京都は雨。

 ターフは文句なしの不良バ場。

 こんな日に走ると靴の中までドロドロになって、髪や尻尾のお手入れがとっても大変なんだよね。

 本日レースがある人たちはおあいにく様って感じ。

 

 そんな天気でも雨にも負けず風にも負けず、本日の京都レース場は満員御礼。

 入場制限がかかるくらい人がパンパン。傘を差したら周囲の迷惑になっちゃうから、みんなお行儀よくレインコートを着て並んでいる。

 なにせ今日の京都レース場ではクラシックロードの終着点、菊花賞が開催されるからね。

 

 注目は誰が勝つか……じゃなくて。

 リシュが偉業を達成するか、それともリシュを阻止する者が現れるかってところ。

 

 ちょーっといやな感じー。

 ボクの目標の『無敗のクラシック三冠』がオマケ扱いとまでは言わないけどさ。

 それ以上に今日リシュが勝てば『全距離GⅠ制覇』とか、『クラシック級にしてシンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝』になるとかの方が重視されている気がするんだもん。

 だいたい、リシュが勝つことを前提に期待を積み重ねるって去年のブルボンの一件を彷彿とさせてモヤモヤするんだよ。

 これでマヤノが勝ったりしたら、ライスのときみたいにため息やブーイングで観客席が埋め尽くされたりしないよね?

 ……大丈夫か。仮にそうなったとしたら、肝心のリシュが黙っているとは思えない。

 たとえウイニングライブをぶち壊すことになってURAから何らかの処分を下されるとしても、絶対に何かしでかすって謎の信頼がある。

 

 まあそれはそれとして、リシュが勝つのが確定みたいな方向に無責任に持っていこうとするマスコミや観衆には腹が立つけどねー。

 つい先日、無敗のトリプルティアラなんて歴史的偉業が達成されたせいでなおさら『今日も無敗の三冠が出て当たり前』みたいな論調になっててうんざりしちゃうよ。

 スカーレットがすごいのは確かだけど、それと今日のリシュは何の関係も無いじゃん。

 

「あら、テイオー」

「あ、マックイーンじゃん。やっほー」

 

 なんとか入場はできたけど、さてどこか空いている席は無いかなーとウロウロしていると、隣の席にお上品なハンカチを敷いたマックイーンを見つけた。

 メジロマックイーンはボクの同期。

 学年で言えばひとつ上でリシュと同い年なんだけど、骨膜炎を発症したとかでデビューが一年ズレちゃったんだよね。まあ、学園の平均で言えばそれでも十分デビューが早い方なんだけどさ。

 名だたる名門メジロ家のお嬢様らしく洗練された物腰と隙のない実力。特にステイヤーとしての適性は入学前から噂になるほどだった。

 天皇賞の盾を何よりも重んじ、それに合わせたトレーニングを積んでいるからクラシック三冠に挑戦するかは不透明らしいけども。

 もしもマックイーンが参戦してきたら強力なライバルになること間違いなし。ボクはそう思っているよ。

 

「おひとりですか?」

「うん、〈パンスペルミア〉のみんなと来たのはいいんだけどねー。予想以上に人が多くって、ちょっとまとめて席が確保できそうにないから。各自幸運を祈る! って現地解散したところー」

 

 ちなみにボクのトレーナーは来てない。学園でお仕事ちゅう。

 『おかしいよな? ウマ娘を間近で見たくてトレーナーになったのに、その仕事が忙しすぎてウマ娘を間近で見る暇がないって絶対におかしいよな?』と血涙を流さんばかりの形相で嘆きながらボクを見送ってくれた。新人って大変なんだね。

 桐生院トレーナーやゴルシTを見ていたら錯覚しそうになるけど、やっぱり中央のトレーナーって激務なんだよ。

 それなのにトレーナーは、ボクのために使う時間は絶対に減らそうとしないんだから困ったものだよねー。

 よーし、トレーナーのためにもしっかりレースを堪能して感想を聞かせてあげよっと!

 

「ではよろしければ、こちらの席はいかかでしょう?」

 

 そう言ってマックイーンが指したのは、ハンカチで確保された座席だった。

 

「いいの? 誰かのため確保しているんだと思っていたけど」

「ええ、ゴールドシップさんに連れてこられたのですが……」

 

 眉間にしわを寄せてこめかみに指を添えながら、マックイーンが嘆息する。

 『一緒に来た』じゃなくて『連れてこられた』って表現するあたりに道中の一幕が垣間見えるよね。

 

「席を確保したかと思えば『む、なに? ゴルゴルイエロー2号から通信? なんだとッ! ゴルゴルグリーン2号が育休でゴルゴルイエロー1号がストライキ!? くそう、今回の敵はイエロー2号とグリーン1号だけじゃきちーぞ! すまねえマックイーン、あたしはイエロー零号として仲間を見捨てることはできねえ。トウッ!!』といなくなってしまいまして……」

「今回は戦隊モノかー」

 

 もしかして黄色と緑しかいないのかな、その戦隊。というかゴールドシップ、あの勝負服で黄色担当なんだ。赤じゃなくて。

 あと何気に声マネしているマックイーンが可愛かったけど、下手に指摘してへそを曲げられ席が無くなっても困るので黙っておいた。

 

「当初は戻ってくるかとこのように席を確保していたのですが、こうも人が多くなると帰ってくるかも定かでないあの方のために席をひとつ占領し続けるのも心苦しく。

 知人に譲ったとなれば最低限の言い訳も立つでしょう。なので、よろしければ」

「ありがとマックイーン。お言葉に甘えるとするよ」

 

 こうしてボクは幸運にもマックイーンの隣の席を手に入れた。

 ラップ越しに遠くの空に見えるというゴルゴル星に感謝の祈りを捧げておく。今は分厚い雲が空を覆っていて星なんて見えないので、そのへんの適当な方向に。

 菊花賞の出走までまだ時間はあるけど、ここにいるのはお互いトゥインクル・シリーズにデビュー済みのウマ娘だ。

 話題には事欠かない。まあ、今の話題はだいたい決まっているけど。

 

「テイオーの見立てはどうなんですの?」

「うーん、ルームメイトのよしみとしてマヤノに勝ってほしいところかなー。いろいろと対策を練っているみたいだし」

 

「たしかにマヤノトップガンさんは対抗バとして最も有力視されていますわね。わたくし個人の見解としても2000mの皐月賞ではまだ余力が残っている様子もありましたし、夏合宿を乗り越えた今の彼女は何かしてくれるのではないかと期待が持てます」

 

 ここ最近、寮の自室で見るマヤノはヘトヘトに疲れ果てていた。

 キラキラしたものが大好きでいろんなものに興味を示し、その全てで一定以上の成果を出すあの子がスマホをいじる余力も無くて、帰ってくるなりすぐに寝ちゃうんだもん。

 今のボクは努力が必ず報われるわけではないと知っている。努力が報われるとき、成果とその努力の目標と必ずしも合致するわけではなさそうだぞってのもわかり始めている。

 だけどマヤノの努力は報われたらいいなって。そう思うんだ。

 

「マックイーンはどう見ているのさ?」

「そうですわね、パドックで目に留まったのはムシャムシャさんでしょうか。ここまでクラシック三冠の全てに挑戦しており、皐月賞でこそ掲示板を外しましたが2400mの日本ダービーでは五着。

 パドックで拝見した限り本日の仕上がりも上々。彼女の気質的に菊の舞台ではさらなる成果を期待できるのではないかと思っていますが……それでも本命は世論と一致いたしますわ」

 

「リシュはスプリンターズSであのバクシンオー相手にレコード勝ちした、ガッチガチのスプリンターだけどそれでもー?」

「自分でも信じてないことをもっともらしく言うのはどうかと思いますわ。それはゴールドシップでしてよ」

 

「ゴールドシップは品詞じゃないでしょ……」

 

 ゴールドシップ(形動) 意:ふざけていて荒唐無稽な様、破天荒で支離滅裂な様子。

 

 知らないうちにマックイーンの辞書に新たな日本語が追加されていた。

 うん、何か知らないけどゴールドシップってやけに頻繁にマックイーンへ絡みに行ってるみたいだからね。

 口調や表情から察するにマックイーンも別に嫌っているってわけではなさそうだけど、それはそれとして被害は甚大なんだろう。

 

「あ、始まったみたい」

 

 仲のいい相手とおしゃべりしていたら時間の流れなんてあっという間だ。

 ファンファーレが今年のクラシック路線の終わりの始まりを告げる。

 

『クラシックロードの終着点。菊花賞を制し最強の称号を手にするのは誰だ?』

 

 クラシックレースにはそれぞれ格言がある。

 

 皐月賞は『最もはやいウマ娘が勝つ』。

 これは単純な『速さ』と同時に、まだ成熟しきっていないクラシック級の序盤で成果を出せるだけの成長の『早さ』も指しているって話だ。

 

 日本ダービーは『最も運のあるウマ娘が勝つ』。

 こちらはまだシービーとかがトゥインクル・シリーズを走っていた頃、二十人を優に超えるウマ娘が出走していたダービーの話。大外枠になった日には多少の実力差ではどうしようもないほど不利になってしまう時代の名残だって言われている。

 

『一枠一番レッツジャンプ、本日は三番人気です』

『適応力の高さと視野の広さがこの子の持ち味ですからね。今日の荒れたバ場は彼女の得意分野ですよ』

 

 そして菊花賞。

 クラシック級まで走り続けてきたウマ娘が初めて経験する長距離GⅠ。3000mという絶対的な距離と二度の坂越え。

 作戦も無く走りきれる距離じゃない。その上で要求されるのは小細工では覆しようのない確かな実力。

 ゆえにこう言われるんだ。『最も強いウマ娘が勝つ』ってね。

 

『二番人気は七枠十三番マヤノトップガン』

『いい感じに気合いが乗ってますねえ。日本ダービーを回避し牙を研ぎ続けてきた小さな天才。夏を経て成長したその力は“銀の魔王”に届きうるのか、注目です』

 

 マヤノを始め、実況から出走するウマ娘の名前が呼ばれるたびに観客席のどこかから歓声が上がる。

 一番人気じゃなくてもここまで勝ち進めて十八枠に収まったウマ娘たち、誰かにとっては最推しの大本命なんだなってわかる光景だ。

 でも、やっぱり一番人気は圧倒的。

 

『本日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。二枠四番テンプレオリシュ、一番人気です』

『無敗のクラシック三冠、全距離GⅠ制覇、“皇帝”シンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝。様々な歴史的偉業に王手をかけています“銀の魔王”。彼女の覇道を阻止する刺客は果たして現れるのか』

 

 レース場を振動させる大歓声が『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』でぴたっと静まり返るのは傍目には面白い光景だった。

 この世代の最強が決まる緊張感。それを圧縮された空気が金属の擦れる音とともに一気に解放される。

 曇天の下、重く濁った芝を切り裂くのは一筋の銀の光。

 

「うわぁ、そうきたかー」

 

 リシュが何を仕掛けたのかわかったとき、思わずそう漏らしちゃった。

 

『まっさきに飛び出していったのは四番テンプレオリシュ! 十三番マヤノトップガンそれに続く』

『これは意外な展開ですね。“銀の魔王”、3000mを逃げ切る秘策があるのか、それとも何かの作戦か』

 

 スタート地点から始まる一回目の上り坂も何のその。重力を感じさせない浮き上がるような足取りで加速していくリシュと、素早くその意図に気づいて先頭争いに加わったマヤノ。

 あと三人ほど逃げようとしていたウマ娘がいたようだけど、この重いバ場であの二人に追いつくのは至難の業だ。完全に出遅れて先行の位置になってしまっている。

 逃げウマ娘っていうのは逃げで走らないとその真価が発揮できない気質の持ち主が多い。あの三人は早々に消えたかな。

 あとリシュとマヤノがガンガン競り合って縦長の展開になるだろうから、最後方で走ってる追い込みウマ娘のレッツジャンプって子も分が悪い。せっかく三番人気だったのにね。最後の直線に差し掛かるころには、かなり残酷な距離が生まれることだろう。

 

『二番フローズンスカイ落ち着かない様子。七番リードクリティークと十番ドリーミネスデイズもややペースが速いか』

『まだまだ先は長い菊の舞台。落ち着いて自分のペースを保ってほしいですね』

 

 今回リシュが選んだのはなんてことは無い、ただの力押しだ。

 

 たぶんだけど、リシュが先行以下の位置取りだったらマヤノが何かしたんだと思う。

 何をするのか具体的な手法まではわからないけど、周囲のウマ娘を利用してリシュを封殺したんじゃないかな。少なくともリシュはそう読んだ。

 ただでさえリシュは目立ち過ぎたもんね。仮にマヤノ一人が何かしなくても、テンプレオリシュ包囲網が布かれてもおかしくないほど勝ち過ぎた。

 

 だからリシュは、包囲されない一番単純で確実な方法を取ったんだ。

 でもさ、ふつー『誰よりも速く先頭を走り続ければ囲まれることも無くまっさきにゴールできる』なんて子供やシロウトが考えるような理屈を大真面目に実行するかなー。

 いちばん頭おかしいのはそれを実行できるアイツのスペックだけどさ。

 

 このドロドロに濁った重い芝をまるで問題にせず坂を駆け上がり、頭一つあっさり抜け出す加速力はさすが今秋のスプリント王者って感じ。

 でも、先行と差しが王道って言われるのは伊達じゃない。

 レース展開を見ながら勝負所だけ全力を出すことのできる差し先行と違って、逃げは先頭で追われ続ける形になるから全力疾走を強いられる展開が多いんだ。

 ただでさえ身体に負担のかかる長距離。菊の舞台の3000mに二度の坂越えをマヤノと競り合いながら逃げ切ろうっていうんだから、リシュの身体にかかる負担も相当なもののはず。

 ただでさえスプリンターズSであれだけの無茶したんだ。ここで勝つにしろ負けるにしろ、菊花賞の後はそれなりにまとまった休養を必要とするだろうね。

 

 マイルチャンピオンシップへの出走も検討していたみたいだけど、時期的に間に合わないだろうなぁ。

 目標のために無理してしまいがちなのは中央のウマ娘の性だけど、リシュはその正反対。

 誰が何と言おうと自分が無理と判断したことは絶対にやらない。レースの権威や格式に憧憬を抱いているわけでもなさそうだし。

 

『一周目の直線。いぜん先頭は四番テンプレオリシュと十三番マヤノトップガン、この二人が鎬を削る。隊列は縦長の展開だ』

『前の二人が突出していますね。これだけ距離が開けば後続は焦るでしょう。仕掛け処の難しいレースになりそうです』

 

 言ってしまえばこれはリソースの最大放出。

 想定の範疇で脚をしっかり使い切ることで、想定外で不可逆なダメージを負う展開を除去したんだ。

 マヤノはそれだけの相手だったってことか。

 

「きれいだなぁ……」

 

 経緯は思いっきり脳筋だけど、出力された結果は幻想的ですらあった。

 雨で覆われた菊の舞台の重さに囚われることなく、先頭を軽やかに駆けていく二人のウマ娘。飛び散る泥水でさえキラキラときらめいているようで。

 

「まるで飛んでいるみたい」

 

 ふっと浮かんだ光景は雨天を優雅に舞う銀の竜と、それを追尾して鮮やかな軌跡を描く戦闘機。

 空中で行われる異種格闘技(ドッグファイト)

 戦闘機の機関銃くらいなら銀の竜は頑丈な鱗で弾いてしまうし、ミサイルはひらりひらりと躱してしまう。

 仕返しとばかりに大きな口を開けて、ずらりと牙の生え揃ったそこからブレスを吐きだす銀の竜。鋭角に身を捻った戦闘機から外れたそれは、地上で為すすべもなく空を見上げていた冒険者たちに被弾した。

 大空を舞う二体の流れ弾で地に無数のクレーターができていく。

 用意した立派な武器も、何度も吟味を重ねた罠の数々も、空を飛ぶことが出来なければ争いに参加することさえ許されない。

 

「うっわー、これはひどい」

 

 そう言わざるを得ない。

 リシュとマヤノが生み出した殺人的ハイペース、不良バ場とはとても思えないタイムに後続はぐちゃぐちゃになっていた。

 あのまま好きに走らせたら絶対に差し切れない。途中でスタミナを使い果たして垂れてくれるような、可愛げのある相手じゃないことはこの場にいるウマ娘全員の共通認識だ。

 でも現実問題として追いつけない。重とか不良とか発表されたバ場状態で出していい時計じゃない。どうしようもなく勝利が遠ざかっていくのを刻一刻と自覚しながら、ただ走り続けるだけ。

 あそこにいるのがボクじゃなくてよかったと、観客席から無責任に安堵する。

 

「すさまじいですわね」

 

 なんとなく。

 本当に何か具体的にあったわけじゃないんだけど、何故かマックイーンのその声が気になって意識の何割かを目の前のレースから逸らす。

 

「彼女と天皇賞の盾の栄誉を競えないのが残念でなりません」

「えっ、何でさ!?」

 

 思わずマックイーンの方を振り向いちゃった。

 目の前で繰り広げられるのは現在進行形の菊花賞。長距離といえどもカップラーメンにお湯を注いで麺が伸びきる前に決着がつく世界だ。既にレースは中盤に差し掛かり、目を離している間にあっという間に決着まで行ってしまうだろう。

 でもこう言っちゃなんだけど、もう結果は見え始めている。

 リシュを撃墜できればマヤノの勝ち。そうじゃなければリシュの逃げ切りだ。ボクの見立てだと三:七でマヤノの分が悪いかな。

 価値が無いわけじゃない。目を逸らしていい勝負じゃない。それでも予想の答え合わせを目で追い続けるよりは、今のマックイーンの方がボクにとって重要だった。

 リシュとの賭けの成否に関わらず、もう既にフォームの改造には着手しているわけだし。

 

「シニア級は何年も続くじゃないか。ボクたちと競うチャンスはいくらでもあるんじゃないの!?」

「ではテイオー。テンプレオリシュさんにシニア二年目があると、本当にお思いですか?」

 

 マックイーンの目はキラキラと泥に塗れながら走る、葦毛の小柄なウマ娘に釘付けのままだった。

 

「それ、は…………そっか、『隔離組』か」

 

 カイチョーがそうだったように。

 マルゼンスキーがそうだったように。

 強いウマ娘はスターになれる。勝ち続けるウマ娘は期待される。

 でも、あまりにも周囲からその強さが逸脱し過ぎたのなら。

 『最強』には人を集める熱がある。でも『無敵』になってしまえばそこにドラマは無い。ただわかりきった勝利と、決まりきった敗者の群れが温度も無く量産される。

 トゥインクル・シリーズは興行だ。資本主義のこの国で、お金が稼げない催しは運営から対策が入る。

 いわばURAから入るレフェリーストップ。シニア級の二年目を待たずにドリームトロフィーリーグへの移籍を打診される、名誉ある投獄。

 誰が呼んだか『隔離組』。

 クラシック級の現段階にして既に様々な偉業にリーチをかけているリシュがシニア級の一年間でさらなる向こう側へ到達した結果、そのリストに名を連ねる可能性は十分にあった。

 

 ドリームトロフィーリーグへの招待状はトゥインクル・シリーズを走るウマ娘にとって名誉だ。

 誰にだってその権利があるわけじゃない。GⅠウマ娘でさえそれを得られないまま失意のうちに引退することも少なくない。

 でもリシュがその価値を理解……いや、共感してくれることがあるだろうか。

 トゥインクル・シリーズを走る動機を金を稼ぐためと即答したあのリシュが。

 十分に賞金を獲得した今、『最初の三年間』の途中で引退すれば桐生院トレーナーの経歴に瑕がつくから義理立てで走っているんじゃないかと一部で噂されている()()リシュが。

 

――顔も名前も知らないどこかのご老人どもの決定に、どうしてこの私が従わないといけないのかな?

 

 すごく言いそう。

 少なくともボクの脳内では容易に音声付きで再生されちゃったよ。

 マックイーンはリシュの同級生だ。その性格を少なからず知る機会があったのだとすれば、『最初の三年間』でさっさと引退してしまう可能性を危惧するのは十分に頷ける話だった。

 ボクだってすごくありえそうな未来だって思うもん。

 

「……間に合ったかもしれないのです」

 

 観客席からレースを見ながらマックイーンはぽつりぽつりと語る。

 お行儀よく膝の上に乗せられながら、強く握りしめられ震える拳だけが彼女の内心を物語っていた。

 

「ですが、あの方のレースをたった一度ご覧になったおばあ様が『無理をせず今年度は休養にあてなさい』と……」

 

 まだ直接会ったことは無いけど、噂は嫌というほど耳にしたことがある名門メジロ家を束ねる総帥。

 絶大な権力を誇り、多くの業界関係者が彼女の顔色を窺いその表情筋の動きに一喜一憂するという。

 その権威はトゥインクル・シリーズのウマ娘とはいえしょせん学生でしかないボクたち程度じゃ逆らえるものじゃない。特にメジロ家のウマ娘として常々己を律している、真面目なマックイーンにとっては神託に等しい言葉だったことだろう。

 

「わたくしは! 彼女と競う舞台に立つことすら、できなかった……!」

 

 血を吐くような静かな慟哭を聞いていると、さ。

 なんだかどんどん腹が立ってきちゃって。

 

 メジロ家のおばあ様もそうだけど、何よりリシュに対して。

 お前なにマックイーン泣かせてるんだよ、って。

 理不尽なのは頭ではわかっているんだけど、こういうのは感情だからねー。

 

「――マックイーン、戦おう! そして勝とう!!」

 

 立ち上がって叫んじゃったけど、幸運にも周囲の迷惑になるようなことはなかった。

 ついにレースに決着がついて誰もが座り続けていることも、黙り続けていることもできなくなったから。

 

『ゴーォル!! まさかまさかの菊花賞逃げ切りッ! テンプレオリシュついに偉業を達成! きっちり一バ身離れて二着はマヤノトップガン、大きく離れて三着はムシャムシャ』

『無敗のクラシック三冠、全距離GⅠ制覇、シンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝。これらの功績がたったひとりのウマ娘の名のもと一日の歴史に刻まれるなどと誰が予想できたでしょうか。

 今日という日を目の当たりにできたことを私は一生忘れないでしょう……』

 

 観客席はまさにスタンディングオベーション。

 座ったままポカンとボクを見上げているマックイーンの方が逆に浮いているくらいだった。

 

「ボクは来年の宝塚記念に出走する! だからマックイーンは天皇賞・秋に出てっ! 二人でリシュに黒星を付けるんだ!!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいませテイオー。貴方の夢は無敗のクラシック三冠でしょう? クラシック級で宝塚記念に勝利したウマ娘が何人いると思っているのです?」

 

「リシュだって無敗の三冠路線の真っただ中にバクシンオーとスプリンターズSで争ったよ!」

「ぐうの音も出ませんわね!?」

 

 しょーじき、ボクもあのローテを聞いた時はバカじゃないかと思ったよ。

 しかも勝っちゃうし。

 

「隔離されるのは無敵だからだ。だから、ボクとマックイーンでそうじゃないって教えてやればいい。そうだろ?」

 

 マックイーンは言葉に迷っているようだった。

 頭がぐちゃぐちゃになって言葉が出てこないだけで、心が燃え上がったことはその目を見ればすぐにわかった。

 だからもうボクたちの間に言葉なんていらなかった。

 

 視線をターフに戻す。

 歴史的偉業をビンゴのようにまとめて達成したのに、はしゃぐ様子もなくウイニングランを続けるターフ上のリシュ。

 ムカつくなぁ、そのすまし顔。ダービーの時の方がもっと露骨にはしゃいでなかった?

 

 

 

 

 

 今に見てろよ。

 無敵(ひとり)になんてさせてやらないんだから。

 




【レース後の1コマ】
「だーもう疲れたぁ! マヤノえぐいって……もう菊花賞なんて走るもんかっ」
《そりゃあ誰が何を言おうともう一度菊花賞を走ることは無いよねー》



これにて今回の連続投稿は終わり!
いつも通り一週間以内におまけを投稿予定…


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【職人は】久しぶりに会ったじいちゃんが白装束着ていた件その7【つらいよ】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。



このタイミングでウインディちゃんってマジ?


1:名無しの職人 ID:OokQ7/j64

イッチが多忙みたいなんで代理でスレ立て

【ここまでのあらすじ】

・久しぶりにじいちゃんに会いに行った孫イッチ

・するとそこには白装束で腹を切る準備を進めるじいちゃんの姿が!

・錯乱したイッチはパニックのままスレ民に助けを求めるという暴挙に出る(1~2スレ目)

・実はじいちゃんはウマ娘の勝負服職人

・じいちゃんが手掛けた勝負服を着たウマ娘が、GⅠの大舞台で勝負服半壊という憂き目にあったらしい。ウマ娘に不幸があったわけではなく、ちょっと全力を出しただけなのに

・うん? 最近どこかで聞いた話だな???

・なんとじいちゃんはあの“銀の魔王”の勝負服を手掛けた職人さんだったのだ

・イッチ「ファ!? ワイの最推しやんけ!?」

・推し談義でイッチとじいちゃんは意気投合。そのままノリで切腹はお流れになる(3スレ目)

・4スレ目以降、爺孫でテンプレオリシュのイベントに参加しては報告

・リニューアルした勝負服のお披露目となった世代征服ライブではテンション上がり切った実況で5スレ目をまるごと使い切り6スレ目に

・本日、いよいよ新勝負服の初実戦となる菊花賞

・今日また勝負服がぶっ壊れたら今度こそじいちゃんは腹を切ってしまうかもしれない。どうなるイッチ!?<イマココ

 

3:名無しの職人 ID:/WnORBIbX

スレ立て乙ー

ご丁寧にあらすじまでつけてくれちゃってまあ

 

4:名無しの職人 ID:pcDapU9Xr

乙ー

このスレもまさかの7スレ目か

 

7:名無しの職人 ID:Hbw96u8h1

まあ半分くらい雑談スレみたくなってるけどな

 

9:名無しの職人 ID:7tzB0A5I+

今流行りのテンプレオリシュを取り扱ったスレだからこのくらいの伸び方は普通じゃない?

 

12:名無しの職人 ID:wObOhtMo2

今日は菊花賞実況スレみたいな感じになりそうかな

 

13:名無しの職人 ID:mtZv4reBm

イッチもじいちゃんも現地に向かったんやっけ?

・・・入れるのか? 既に入場制限かかったって話だが

 

15:名無しの職人 ID:oMJShXGX+

前日にホテル取って朝の五時から並んでいたらしいし大丈夫ちゃう?

 

16:名無しの職人 ID:qN1d3AJ2l

まじかよ元気だなじいちゃん

 

17:名無しの職人 ID:NCBA1rRsZ

そりゃあ三日間呑まず食わずができる人だからな

肉体、精神ともにワイらよりよほど頑強やろ

 

20:名無しの職人 ID:sMNOCPR8W

・・・絶食して腹の中空っぽにしておかないと腹を切った時に大変汚らしいことになるなんて

あまり明日使えそうにないトリビアだよな

 

24:名無しの職人 ID:5SsYA7tSR

使えないってか使いたくねーよwww

まあそのおかげでイッチが滑り込みセーフできたわけやし結果オーライ

 

26:名無しの職人 ID:jCNvZUEns

介錯も無しに切腹なんて覚悟決まり過ぎだってばよ、じいじ・・・

 

29:名無しの職人 ID:N1FpvHo0G

かなり無責任なことも言われていたみたいだからなあ

 

30:名無しの職人 ID:cTe0uCEnx

今となっては“銀の魔王”テンプレオリシュの雷名は天下に轟いているけど

勝負服が作られた朝日杯FSの頃はまだ無名も無名だったからな

むしろ一般家庭出身のイロモノ枠だったし

名門ウマ娘のそれに比べ適当な仕事をしたんじゃないかと、邪推する理屈はわかる

 

37:名無しの職人 ID:X66IJd9kz

理屈しかわからんけどな!

勝負服を手掛けるような職人が手抜きなんかするわけないだろうが!!

中央のウマ娘が時速何キロで走っていると思ってんだ

ただ一縫い緩めるだけで人は死ぬんだぞ

 

39:名無しの職人 ID:cw/Ktqo5X

ウマ娘が命を懸けて走っているように、職人も命懸けなんだよ

 

42:名無しの職人 ID:V08QkvmF3

うーむ、なんという説得力(じいじを見ながら

 

43:名無しの職人 ID:xsFH1Zp8d

じいじほど覚悟決まっちゃっている職人もそういないからな?

あれが基準じゃないから

 

48:名無しの職人 ID:ELuBxRRi3

結局、勝負服が破損した原因はわからなかったんだっけ?

 

50:名無しの職人 ID:btfuiNuWH

わからんかったというか、欠陥は見つからんかったらしい

 

56:名無しの職人 ID:89+x5GvpP

結局、許容範囲以上の出力で弾けたって結論になったんだよ

魔王様マジでバグってる

 

59:名無しの職人 ID:RIITzvlYL

本当にバグっているのはその出力に追いつきかけたバクシンオーな

 

64:名無しの職人 ID:z3+mHb9a0

テンプレオリシュは勝負服破損させるようなオーバーロードしてあの速度だったのに

サクラバクシンオーは心身衣服ともに完全に無傷だったってことは・・・あっ(察し

 

71:名無しの職人 ID:yg9iW9IdE

いまさらだけど無敗の三冠の途中に短距離でバクシンオーと戦うってあたまおかしくない?

 

72:名無しの職人 ID:RMzz/v7B5

本当にいまさらだよ!

当代の桐生院は本当にクレイジーだよ!!

 

79:名無しの職人 ID:cpCqeCNRz

何なら無敗の三冠が懸かった菊花賞に

全距離GⅠ制覇とシンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝の歴史的記録が同時に懸かるってだいぶおかしいよ!?

 

80:名無しの職人 ID:ttsC7cLWu

そもそも最近のトゥインクル・シリーズがわりとおかしいまである

 

82:名無しの職人 ID:k7N4XI+R8

ライト層は『強いウマ娘=クラシック2~3冠くらいは普通』くらいに考えていそうで怖いわ

 

84:名無しの職人 ID:KdUgpGEgf

いやいや、無敗のトリプルティアラは史上初の快挙よ?

 

90:名無しの職人 ID:vw/S27TR0

ダイワスカーレットとテンプレオリシュは幼馴染なんだっけ?

今頃地元はお祭り騒ぎになってんだろうなあ

 

92:名無しの職人 ID:mM32r47Sg

今日魔王様が勝てばますます騒ぎになるだろうな

 

95:名無しの職人 ID:rsxsEBgLm

そらもう日本中が大騒ぎよ

 

102:じいちゃんの孫 ID:nTapW3KcR

ただいま

スレ建てありがとー

なんとか座席確保できたわ

 

106:名無しの職人 ID:jTcfJmw2P

イッチ!

戻ってきたのかイッチ!

 

110:名無しの職人 ID:+2N6SrnY+

じいじは元気なんだろうなイッチ!?

 

113:じいちゃんの孫 ID:nTapW3KcR

そらもーめっちゃ元気よ

このままあと100年は生きてほしい

だから勝負服、どうか無事に走りきってくれ

頼むー、本当にお願いします魔王様

もしもの時はワイが介錯するって約束で命繋いどるんや

 

117:名無しの職人 ID:9hfXEry3+

そんなお祈りしないといけないような不安定な改修なの???

 

123:名無しの職人 ID:zNl3wWOyc

シンザン合金Σじゃなかったっけ

あれで壊れるなら現状レース業界にテンプレオリシュの全力に耐えうる装備は存在しない

 

129:名無しの職人 ID:c18yIjtvt

シンザン合金のタイプΣって頑丈だけどめっちゃ重いやつじゃん

これから菊花賞だっていうのにそんな改修したの!?

 

131:じいちゃんの孫 ID:nTapW3KcR

>>129

ブーツの段階で理論上は問題なかったんだってばよ

その理論を思いっきり超越されてしまった今、一番いい装備を頼むくらいしか対処法が存在しないのよ・・・

まま、一応は職人のプライドにかけて耐久力を確保したまま極限まで軽量化したから多少はね?

 

136:名無しの職人 ID:whjNPh9jL

おうふ、さすが魔王様・・・

 

141:名無しの職人 ID:+yOPw2+d6

まー今日は思いっきり雨が降ってるわけだし

流石にこの不良バ場でスプリンターズSみたいな勝負服ぶっ壊れる速度は出さんだろう(フラグ

 

145:名無しの職人 ID:jZ4rDlgjr

さすがの魔王様とはいえそれは無いだろう

・・・無いよな?

 

147:名無しの職人 ID:viqsjeG13

スプリンターズSだって稍重だったのに去年のバクシンオーが出したレコード更新しているんだよなぁ

 

154:名無しの職人 ID:mM0tRB2F9

やめろよ不安になってきたじゃん!

 

156:名無しの職人 ID:rHKxXjpZZ

あ、始まった

 

157:名無しの職人 ID:U2+bakoSo

クラシックロードもこれが最後かぁ

 

158:名無しの職人 ID:n8tMaPfLP

終わるんだな、今年のクラシック戦線も

果たして魔王様の無敗の三冠なるか?

 

164:名無しの職人 ID:ugOt62BYB

魔王様、今日もご機嫌麗しゅう

 

170:名無しの職人 ID:4Ih6hztT0

今日こそ勝ってくれムシャムシャちゃん!

 

173:名無しの職人 ID:a2PPR+TIp

フローズンスカイ! お前なら3000mも逃げ切れるって信じてるぞ!

 

174:名無しの職人 ID:zuhgGZdya

やっぱマヤちんだろ

ダービーを回避してまで研ぎあげた牙が炸裂するよ

 

182:名無しの職人 ID:zUuii121t

ほな私はレッツジャンプもらっていきますねー

悪路ならあの子だって

長距離ならスタートが苦手な不利もそこまで関係ないし

 

190:名無しの職人 ID:AEivEaDSo

スタート――ふぁ!?

 

199:名無しの職人 ID:D+HV4GsTa

魔王様ふっとんだぁ!!

 

200:名無しの職人 ID:UO/SGh72m

ついでにマヤちんもすっとんだぁ!?

 

210:名無しの職人 ID:Tsna7bWVz

え、逃げ? この雨の菊の舞台を?

あの二人が?

何でも出来るんだからもっといい作戦があっただろう!?

 

211:名無しの職人 ID:r9pfmRObL

それが最適だと判断したんだろ

 

223:名無しの職人 ID:WY969CaXE

わからん。さっぱりわからん

あの二人にはいったい何が見えてるんだ?

 

230:名無しの職人 ID:IcAaTxF5z

先頭はあの二人で決まりか

他の子は全然追いつけていないな

 

238:名無しの職人 ID:pkXgxA5ut

さすが〈パンスペルミア〉のエース陣

加速が違いますよ

 

250:名無しの職人 ID:VHmyNOQvV

ああーワイのドリーミネスデイズちゃんがあ・・・

 

260:名無しの職人 ID:/ZMMUSeM9

相手が悪かったね

 

274:名無しの職人 ID:5H+c0T+/n

慈悲は無い

 

276:名無しの職人 ID:ry1kYXcFQ

でもまあ、じいじ的にはよかったんちゃう?

逃げなら差し追い込みに比べ最高速度はたかが知れているし

勝負服にかかる負担は少な目やろ

 

290:名無しの職人 ID:CQlbKjrJf

>>276お前それ今年のスプリンターズS見た後でも同じこと言えるの?

 

291:名無しの職人 ID:11ABLIttM

そもそも勝負服半壊したスプリンターズSが逃げ切りだったんだよなあ

 

292:名無しの職人 ID:jw5pyQxLZ

いやでも流石に3000mの二度の坂越えで逃げて差す走りはできないだろ

・・・できないよな?

 

297:名無しの職人 ID:Ds43Qo04e

常識的に考えれば絶対無理

なお魔王様に常識が通じるかっていうと、ほら、その

 

300:名無しの職人 ID:+VEMn0drs

案の定、凄まじいペースでレースが引っ張られているな

彼女たちはいま自分たちが雨の中で坂越えしているということを自覚するべきだと思う

 

303:名無しの職人 ID:IZn96z6jH

なんだこのタイム

時計壊れてんじゃないのか?

 

305:名無しの職人 ID:ak4bYurgg

それか実はこの雨が集団幻覚で

テンプレオリシュとマヤノトップガンだけが正気の世界にいるかだな

 

310:名無しの職人 ID:Pee9v4Gzc

あっという間に一周目の直線

もう後ろのペースぐっちゃぐちゃだなこれ

 

329:名無しの職人 ID:ypK4FcZX+

もう一周あるんだけどなこれ。ちゃんと走りきれるんだろうか

 

330:名無しの職人 ID:sJLGcaB4s

魔王様きれい・・・

あのグリーヴとガントレットかなり重い金属で出来ているんだろ?

じいじの腕がいいのか、それとも魔王様の力量なのか

まるで重力から解放されたような走りっぷりだぁ

 

343:名無しの職人 ID:eNS9CAjtd

前の二人だけ別のレースしてないかこれ?

 

346:名無しの職人 ID:4L7v7zppR

やっぱりぼくらのマヤちんは天使だったんだ

この雨の中でもあんなに輝いているんだもの

 

360:名無しの職人 ID:apd70VA8p

天使の表情か、あれが・・・?

 

363:名無しの職人 ID:Y8Hui8JeA

天使が可愛らしいっていうのは昨今の風潮で、いたずら好きなキューピッドのイメージと混同された結果だぞ?

旧約聖書の天使は武装して異教徒をぶちころす文字通りの『天』の『使い』だ

たまに殉職もしている

 

370:名無しの職人 ID:723CQg0bh

天使ってしぬの!?

 

379:名無しの職人 ID:lkAj1U0CC

そういやモーセをお迎えにいった天使がモーセに殴りころころされていたっけ

 

380:名無しの職人 ID:lCGawI7qB

なにがあったんだ・・・

今度旧約聖書読んでみるか

 

383:名無しの職人 ID:/j0pb1qoz

さすがモーセ

海を割っただけあり武闘派だな

 

385:名無しの職人 ID:HSHSAgALs

ウマ娘じゃないんだから物理で海を割ったわけじゃないでしょ!

 

398:名無しの職人 ID:/H28w1cDQ

下らん話をしているうちにレースは二周目の向こう正面だぞコラ

 

413:名無しの職人 ID:OAIhkBiDC

先頭はいまだにテンプレオリシュか

 

417:名無しの職人 ID:OdtYjzC57

マヤがずっとマークして仕掛けているみたいだけど、厳しいか?

 

420:名無しの職人 ID:kWKuN6TGg

まるで勢いが衰えんな

わかっていたことではあるが

 

424:名無しの職人 ID:+yiGMGElp

あの小さな身体にスタミナは無尽蔵か

 

433:名無しの職人 ID:lXj3fwEyO

軽量級だからこそ悪路の影響を受けにくいってこともあるんじゃないか?

 

442:名無しの職人 ID:Xwr9eBV+a

相応にパワーがあれば、の話だけどな

まあ確かに。重量級なら不良バ場吹っ飛ばせるパワーはあってもこんな走りした日には途中で潰れる気はする

 

443:名無しの職人 ID:ikNlJ42sJ

厳しいか、無理か? いや届くか?

 

444:名無しの職人 ID:tHPv8Ebm3

差し切れ、いけるいける!

 

446:名無しの職人 ID:HpkZmhszB

お前ならやれるっいけー!!

 

447:名無しの職人 ID:MrCu+FZ/q

あああああああああああ

 

450:名無しの職人 ID:99Tw/H7a9

いったぁああああゴール!!

 

460:名無しの職人 ID:CLS85JXtO

テンプレオリシュ圧政! 世代征服完了!!

 

462:名無しの職人 ID:Z8A5r5g20

歴史的瞬間に立ち会ってしまったなあ

 

466:名無しの職人 ID:IHtXCQ1+1

うーん、終わってみれば順当な結果だったな

3000m逃げ切りが順当かどうかはさておき

 

469:名無しの職人 ID:yS8rn6sFl

魔王様強い! 魔王様スゴイ!! 魔王様まおうさままさうさまさああさfvdふぁおbひうh

 

476:名無しの職人 ID:oFRor3RKs

テンションがバグってるやつがちらほらいるな

気持ちはわからんでもないが

 

480:名無しの職人 ID:eSKxTtXmR

流石にレコードは更新されなかったか

うん流石にね

 

482:名無しの職人 ID:Lo7wcxetH

良バ場だったら確実に長距離でもレコード更新されていただろこれ

天気が悪かったのがもったいない

 

492:名無しの職人 ID:SNDwqQRCu

いや、天気が良くて速度が出ていればウマ娘の身体が心配になるような展開だった

リシュちゃんにもマヤちんにもこれからどんどん走って貰わないといけないんだし、将来性という意味ではこれでよかった

 

497:名無しの職人 ID:ZPlB9WNzq

鉄壁の一バ身は崩せずかー。ちょっとショック。マヤノには勝ってほしかったなー

 

502:名無しの職人 ID:Hk6Traah9

うわあああああ魔王様魔王様魔王様魔王様

 

 

 

 

(以降、熱狂のまましばらく高速で流れる)

 

 

 

750:名無しの職人 ID:sweQv+/P8

流れ落ち着いてきたー?

 

757:名無しの職人 ID:YfXzXewI+

サーバーが落ちているところも少なくないみたいだからな

たった200程度で勢いが衰えたここはむしろ過疎っている方

 

758:名無しの職人 ID:XYCe4f0ev

ようやく人間の言葉で話せるようになってきた・・・

さっきまで興奮で言語中枢がヤバかった

 

759:名無しの職人 ID:lAh1cZOwe

一緒にテレビ見ていた知り合いが泣きながら踊り狂っている

相手ウマ娘でワイヒトミミだから、雑に危ない

 

781:名無しの職人 ID:aAluETNy6

よかった、魔王様の勝負服は耐えきったか

責任を取って腹を切るじいじと孫はいなかったんだ

 

790:じいちゃんの孫 ID:nTapW3KcR

腹を切るのはじいじだけだから!

孫は切らないから!

介錯するだけな!?

 

792:名無しの職人 ID:XnyLq03vq

それを臆面なく言えるのはひでえwww

 

797:名無しの職人 ID:L6pZ2vrp5

いや、万が一実行すれば自○ほう助になるわけだし

前科者になれば社会的地位に致命傷を負うわけだから

この就職氷河期の時代、むしろリスクで言えばがっつり背負っているはずなんだが・・・

 

799:名無しの職人 ID:CBfdPKs+b

GⅠ七勝かぁ

これでテンプレオリシュはシンボリルドルフに並んだわけだな

 

800:名無しの職人 ID:03TUbkLrY

>>799もう超えただろ。なにせ全距離GⅠ制覇という偉業とセットだぞ

シンボリルドルフどころかもう誰にも真似できないよ

 

805:名無しの職人 ID:q9Rjg9yQr

>>799まだ及びはしていないだろ。ルドルフが勝ちぬいたのは魔境の中央でもさらに激戦区である中距離メイン

適性の幅はすごいとは思うけど、ダートや短距離まで入っている七勝なんてしょせんは天稟にものを言わせた曲芸に過ぎないって

 

810:名無しの職人 ID:iOzEMKBy0

>>800 >>805 仲いいなお前ら

  

814:名無しの職人 ID:n/gIWzrgc

短距離のサクラバクシンオーに勝てる曲芸なら十分すごいのでは?

 

822:名無しの職人 ID:lW4a8/EHo

強さ談義のときに短距離バクシンオー出してくるのは反則っスよね???

 

823:名無しの職人 ID:XSUJripbz

うちのシマじゃ短距離バクシンオーはノーカンだから!!(ふるえごえ

 

833:名無しの職人 ID:hvCfB4eCu

三着はムシャムシャかぁ

よくぞ・・・という感じ

 

842:名無しの職人 ID:8j9FcIRxF

あのグチャグチャな展開の中で最後までマイペース崩さなかったもんなあ

マイペースもあそこまで極まれば大したもんだ

 

846:名無しの職人 ID:QLicNxs5z

いや、バケモノ級二人に最初から最後まで引っ掻き回されて、その上で一度も掛からなかったんだぞ

自分のペースを貫いたのはもはや根性の域だって

 

852:名無しの職人 ID:aL1vPqanx

レッツジャンプちゃんは着外かぁ

まーあの距離から六着まで上がったのなら敢闘賞ってところか・・・

 

854:名無しの職人 ID:nCrfEmgke

今年の『winning the soul』のセンターは魔王様が独占かぁ

うーん、世代征服の看板に偽りなし!

 

860:名無しの職人 ID:OAKToiFpF

行きたかったなぁ、世代征服ライブ

いちおう配信はあったけどさ、やっぱり生じゃないと

 

864:名無しの職人 ID:JS/4ffOWh

いい時代になったものだよ。金と環境さえあれば推しの配信が見られるんだから

でも許されるのなら現地に行きたかった!

おのれ仕事!!

 

871:名無しの職人 ID:KscYdoxei

ライブ外でのファンサとかもあっただろうしな

噂では子供に身に着けていた帽子をプレゼントしたって話だけど

 

875:名無しの職人 ID:9CArzjf1X

ええー、なんか解釈違い

テンプレオリシュってそんな個人にサービスするキャラだっけ?

全体に愛想を振りまくか、全体に平等に冷たいかの二択だったような・・・

 

881:名無しの職人 ID:tDW1pqd+A

日本ダービーの勝利者インタビューの一件をご存じない?

 

891:名無しの職人 ID:AakBAFtGG

子供には優しい魔王様

アリよりのアリ!

 

894:名無しの職人 ID:UyK8nR/jP

案外誰にでも優しいぞ

普通の人間は優しくしてもらえる距離までなかなか近づけないだけだ

 

897:じいちゃんの孫 ID:nTapW3KcR

ワイも見たでそれ!

迷子の小学生を両親の元まで案内してあげて、去り際に自分の帽子を頭に被せてあげるファンサービス!!

尊すぎて内臓ぜんぶ吐き出すかと思ったわ

よかった……受験勉強のストレスとじいじ関連のダブルコンボで追い詰められた精神が幻覚でも見せたのかと……

ちゃんと実際にあったことなんやな! 

 

906:名無しの職人 ID:bFfqwREvh

内臓ぜんぶ吐き出すとかじいじの切腹がかすむ斬新な最期だな

 

911:名無しの職人 ID:/jbBSNMT9

まー当時の錯乱状態は過去スレからもうかがえるから多少はね?

・・・ダメだ、やっぱり嫉妬で狂いそう

 

930:名無しの職人 ID:7A89aKlEF

うーん、魔王様の次走はどうなるんだろう?

こんな走り方したからしばらくは休養かな?

 

933:名無しの職人 ID:ToLpJ6qcz

下手したら今年はこれで終わってもおかしくないレースだったけど

テンプレオリシュの回復力なら有記念には出てくれるんじゃないかって期待している

 

935:名無しの職人 ID:a9ytEa5oJ

マイル王の座に輝くところも見たかったけど、それは流石に厳しいかー

 

937:名無しの職人 ID:fePx6leD+

無茶して故障されたら元も子もないでしょ

 

938:名無しの職人 ID:roaKa78++

もしかすると年末は三冠ウマ娘と無敗の三冠ウマ娘と無敗のトリプルティアラが覇を競うところが見られるかもしれないのか

ヤバい、楽しみ過ぎて夜眠れず仕事中に寝る日が続きそうだ

 

 




これにて今回は一区切り!

次回は……ちょっと書きたい事多すぎる。
たぶん普段の1.5倍くらい。
そして書きたいことが多くなっても筆が速くなるわけじゃないので
執筆時間も1.5倍くらいになると思われ

そういうわけで次の目標は花嫁イベントが来る前の更新だよ
またね!!


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きみの隣
マヤノとギンピカ☆配信!


間に合ったな!
イベント期間を一サイクル勘違いしていて、ひしみーのガチャ終了後に間に合うようラストスパートをかけていたのは内緒だ!
ちなみにお嬢以降、ピックアップは一人も引けていません。どんどんバクシサクランパワーが溜まっていくぜ!

長かったクラシック級もついに最終章です。
盛り上がってまいりましょー。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 人格の有無は『嘘を吐けるか』で判別されるらしい。

 

 

U U U

 

 

「こんにちマヤヤー☆ みんなのココロにランディーング! マヤちんチャンネルのはじまりだよ~♪」

「はいはい大儀大儀。今日もゲストのテンプレオリシュです」

 

『こんにちマヤヤー☆』

『マヤちゃん今日もかわいいー!』

『本日も謁見の栄誉に与り恐悦至極に存じます』

『魔王様だいぶこなれてきた感じ』

 

 ただいま、ネットの生配信中。

 マヤノの配信にお邪魔するのはこれで三回目だ。個人でやろうとはまったく思わないが、誰かのチャンネルにお邪魔するだけなら案外悪くない。

 

《こだわれば天井知らずだけど、スマホひとつあれば本当に最低限の環境は整うもんな。いやー、時代の流れに取り残されそうですわ》

 

 テンちゃんが何やらしみじみと年寄り臭いことを言っている。

 

 菊花賞のダメージが抜けるまでトレーニングは調整メインの最低限のものだ。

 日本ダービーの後も休養の期間はあったが、何だか今回はやたらそわそわする。以前とさほど状況は変わっていないというのに焦燥というか、何と言うか。

 私がこうやって一回休みしている間にも、他の子たちはガンガン走ってバリバリ実力を高めているのかと思うと、こう。

 いやな感じだ。

 

 ただ不幸中のさいわいというべきか、今回は道連れがいた。

 私と同じく雨の京都3000mをハイペースで逃げ切ったマヤノである。

 お互いに故障こそしなかったが被害は甚大。しばらくはしっかり身体を休めなければならない。

 トレーニングが出来ないことによって生じた余白に、こうして二人でつるむことが多くなっていた。

 レース中は殺意にも似た感情をぶつけ合う強敵でも、レースの外では普通に友達。トレセン学園特有の空気かもしれない。いや、勝負の世界ではままあることかな。

 誰かと一緒にいた方が気が紛れて心が安らぐなんて、トレセン学園に来る前の私が聞いたら驚くだろうなぁ。

 

「今日はリシュちゃんと一緒にゲーム実況をやってくよー!」

 

 マヤノのチャンネルは具体的に何をやるかはその時の気分次第だ。

 歌を歌ったり、ダンスをしてみたり、ゲーセンでハイスコアにチャレンジしてみたり等々。

 マヤノトップガンという一人の魅力的な女の子の姿をありのままさらけ出すことで多くのファン獲得に成功している。

 そんな配信の性質を反映した結果なのだろうか。きっと女性もいるのだろうけど、ざらざらと画面を流れていくコメントを見る限り若い男性的な印象を受けるものが多い。

 それゆえにちょっと困ったこともあって、以前の配信のときには(あくまで全体からすれば一部ではあるのだけども)マヤノの担当トレーナーにヘイトが向く傾向があったのだ。

 

――有史以前から生物の主な死因として、縄張り争いが挙げられる。

 

 そしてテンちゃんのガチ説教講演会と相成った。

 

――ウマ娘にとって自分の担当と言うのはかけがえのないパートナーであり、日常の一部を構成する立派な縄張り(テリトリー)なんだ。それを無遠慮に踏みにじろうっていうんだから……キミタチさぁ、覚悟できてんの?

 

 同時接続数はまったく減っていないのに、コメント欄がぴくりとも動かない奇妙な時間だった。

 萎えて別のチャンネルに移動してしまったのではなく、みんながみんな揃って画面の前に神妙な表情で正座してテンちゃんの説教を聞いている。そんな光景が何故だか容易に想像できてしまった。

 バカはどうしてもいるものだから、それ以降もマヤノのトレーナーにヘイトをあらわにしたコメントが根絶されたわけではないけど。

 その数は目に見えて大きく減った。

 何よりあの一件から、無節操に感情を吐き出していたコメント欄に一定の規律が生まれたように思える。

 

 私にはできなかったことだ。

 自分のペースで接した結果相手の感情を逆撫でしてしまったことは多々あるけども、実は自分から事を荒立てようとしたことってあまり無いんだよね。

 たとえ自分に大義名分があったとしても。事を荒立ててまで事態を改善しようとする積極性はテンちゃんだけが持つ一面。私には無いもの。

 まあ叱られて初めて自重を覚えるなんて、お前らは子供かと文句の一つも言いたくなるけど。

 

《むしろ説教一回で劇的な改変が見られたあたり、ぼくはこの世界のネットの民度の高さに感動しているぞ》

 

 テンちゃんはやけに高評価だった。

 いや、人類全般に期待していないからこその合格ラインと考えると逆にこれは低評価の表れなのか?

 

《ううん、あいつらは人間じゃないから》

 

 悲報。コメント欄の住人、人間扱いされていなかった。

 ……でも詳しく聞くと、ただの悪口ってわけでもなさそうで。

 

《たとえばコンビニ店員がレジ打ちしているところに、イヤホンつけてスマホ覗き込んだまま会計する客っているじゃない? でも常識的に考えれば『人と話すときにイヤホンつけっぱなし』って無礼千万だよね。

 あれはコンビニ店員が人間じゃないから発生する現象なんだよ。客をやってる彼らにとって、コンビニ店員っていうのはサービスの一環であって同朋ではないのさ》

 

 そんな態度をとる客が礼儀知らずのチンピラ揃いなのではなく。

 彼らだって家に帰れば思いやりのある母であり、厳格な父であり、あるいは純真な子をやっている。会社に行けば有能な社員かもしれない。

 ただ同種と思っていないだけ。

 感性のカテゴライズが対人ではなく対物になっている。

 それが善とか悪とか批判したいわけではなく、ただそういうものなのだと。テンちゃんは淡々と語った。

 

《動画配信者だって同じ。あれは言ってしまえば現代版の道化師。王様に暴言を吐いても許されるヒエラルキー外の弱者。自分たちと同じ存在ではないからどんな扱いをしたって道徳に反さないのさ》

 

 たびたび炎上している配信者たちを見る限り、社会秩序から切り離された特権階級だと断じてしまうのはさすがに極論だと思うけども。

 テンちゃんが動画配信というネット上の関係性について『視聴者は配信者を人間扱いしていない』『同時に配信者も視聴者のコメントを人間の言葉だと認識する必要はない』って考えているのは伝わってきたよ。

 うーん。まー娯楽として消費されるコンテンツというのはファンから呼び捨てにされるURA所属のウマ娘(私たち)にも通じるところがあるか。

 

「前にコメントで教えてもらったホームランダービー? っていうのを今日はやっていきたいと思いまーす! 拍手~パチパチパチパチ~」

 

『プニキのホームランダービー?』

『おいばかやめろ』

『どこのどいつだそんなもん薦めたの!?』

『いや俺たちのマヤちゃんと、魔王様ならあるいはやってくれるかもしれん』

 

 楽しそうにコメント欄とお喋りしているマヤノが、テンちゃんと同じ考えを持って配信しているとは到底思えない。

 でもテンちゃんの相手を人間とも思わないガチ説教が効いたからこそ、いまマヤノが屈託のない笑みを浮かべて活動を続けていられるのも事実だ。

 

 あのままマヤノの担当トレーナーへの心無いコメントが増えていっていたのなら、きっとマヤノは耐えきれずに配信を投げ出していたことだろう。

 今の彼女がトレーナーとの契約を打ち切って走る方を投げ出すことはあり得ないのだから。

 

 そう思うと不思議なものだ。

 価値観も考え方もまるで違うのに仲良くできる。さらには異なる者同士が一緒にいるからこそ生じるメリットがある。

 人付き合いって複雑怪奇だな。みんな同じなら楽なのに。

 でも違うからこそ楽しいのかもしれない。楽じゃないけど。すごく面倒だけど。

 

「でもこれ二人プレイができないんだよねー。ねえねえリシュちゃん、どうしよう?」

「……コメント見る限り難易度がえげつないみたいだし、ゲームオーバーになるたび交代でいいんじゃない?」

 

「アイ・コピー! じゃあさっそくマヤからテイクオーフするねー!」

 

 ゲーム画面の中では黄色いクマが尋常でないスピードでバットをフルスイングしている。

 快音と共に球場の外へ飛んでいく白球。

 求めるのはただホームランのみ。ストライクもファールも、ヒットでさえ等しく無価値。

 可愛らしいキャラクターやファンシーなBGMに対し、何とも硬派なゲーム性だ。

 

「よくもこんな碌な加工もされていない棒切れでホームランが打てるもんだ。プレイヤーからアニキ呼ばわりされるのは伊達じゃないってことか」

「あはは、いま足でボール投げたよっ」

 

 きゃらきゃらと笑いながらあっさりファーストステージをクリアしたマヤノへ、次々と個性豊かな森のお友達が立ちはだかる。

 鼻を使った幻惑するフォームでタイミングを狂わせるゾウ。

 ジャンプを利用してバレーのアタックのようなフォームで剛速球を繰り出すブタ。

 

「薄々わかっていたけどもう野球じゃないね、これ。ボークやりたい放題じゃん」

「ボークって?」

 

「ざっくり言えば投げたふりする反則のこと」

「へー、リシュちゃんって物知りなんだねえ」

 

『いいなー、オレもボーク知っててマヤちんに褒められたい』

『俺インフィールドフライ説明できるんだけどマヤちゃんほめてくれるかな?』

『気心の知れた相手だと微妙にガラが悪くなる魔王様すき』

『わかる。なんか尊いよね・・・』

 

 鬼畜難易度と聞いていたが、今のところコメント欄を見ながら雑談する余裕すらあった。

 ここまでは一発クリア。たぶんマヤノじゃなくて私がプレイしていても同じ結果だっただろう。

 っていうか私、気心の知れた相手だと微妙にガラ悪くなってるの?

 ……なってるかもしれない。あまり自覚はしていなかったけど。

 スカーレットに向けた対応と、知り合ったばかりの頃のマヤノやデジタル相手の対応だと、前者の方がかなり雑だ。露骨に煽るようなことも言うし。

 テンちゃんの影響かな。はたまた親しい相手以外の前では露骨に猫を被るスカーレットの影響かしら。

 

 物思いに沈む間にもゲームは着々と進行していく。

 フォークなんて目じゃない上下に波打つ変化球を繰り出すカンガルー。

 途中から異様に伸びるストレートを放つウサギ。

 

「そろそろジャンルがスポーツから異能バトルになってきてないかコレ?」

「そうだねー。ちょっとリシュちゃんとのレースに似た感じになってきたよ」

 

「マヤノは私を何だと思ってるんだ?」

「リシュちゃん」

 

『即答wwww』

『即答は芝』

『魔王様とのレースってこんな感じなのかー』

『何という説得力。皐月賞と菊花賞をバチバチに争ったウマ娘の証言は重みが違いますよ』

 

 マヤノのチャンネルのメインはマヤノ自身だ。

 彼女の画面内でのスーパープレイより、彼女の声や表情を拝みに視聴者は集まっている。

 マヤノはそれをどこまで自覚しているのか、プレイ中も私とのおしゃべりはよどみなく続けられていた。

 コメント欄もおおいに盛り上がっている。

 なんというか、私へのコメントとマヤノへのコメントで傾向がはっきり分かれているような気がするね。

 マヤノのコメントはノリが軽いというか、まさにネットのやり取りと言った感じなんだけど。

 私のはどう表現すればいいんだろう。うやうやしいというか、へりくだっているというか。コメント欄曰く彼らは魔王軍を自称しているらしいし、そういうロールプレイなのかしらん。

 

 縦が打たれたのなら今度は横だと左右にジグザク変化する球を放つフクロウ。

 ここで初めてマヤノが躓いた。

 

「うわーん、くやしいー! いまので『わかった』からもう一回やればクリアできると思うのにー」

「はいはい、交代ね」

 

『さすがのマヤちんでも初見クリアは難しかったかー』

『むしろここも初見突破されたらどうしようかと思った』

『初心者狩りカンガルーが門番としてまったく機能していなかったからな』

『さーて、魔王様の出番だー』

『わくわく』

 

 横から茶々を入れる係になっていた私とようやく交代である。

 マヤノの体温でほんのりあったかくなったマウスを握って、フクロウに挑戦。

 まあ特にドラマもなく一発でクリアした。

 

『瞬☆殺』

『は?』

『あれ? このステージって実質運ゲーじゃなかったっけ???』

『もしかして知らないうちに難易度調整入ったりしました?』

 

 視聴者の困惑を示すように数多の疑問符が飛び交うコメント欄。

 んー、だってさ。

 マヤノの一打席(というにはいささか球数が多いけど)をしっかり横から観察していたから情報収集は十分。もともと身体コントロールの精度はマヤノより私の方が高い。負ける理由が無いよね。

 

「目で追えない球速じゃないし、左右の小刻みな変化でミートゾーンがズラされると言ってもこのゲームってボール球が無いじゃん。ストライクゾーンには必ず入ってくるんだから、変化に合わせて手元で微調整すれば打てるよ」

 

 『それができるのはあなただけです』という旨のコメントで埋め尽くされた。

 まあ平均的な他人に同じことが出来ないってことは理解しているよ。でもマヤノなら二回目のチャレンジで似たようなことはしていたと思うな。

 

 次なるステージで登場したトラも一発クリア。

 コイツは消える魔球という、シンプルながらここまででダントツの物理法則を無視した魔球を扱うやつだったが。

 球が見えなくなる以外はタイミング、軌道ともにストレートと変わりない。微調整を必要としない分、むしろフクロウよりも楽な相手だったかもしれない。

 

『あっさりクリアしちゃったよ』

『すごく簡単そうに見えたよね』

『おっかしいなー。俺このトラに散々ボコられて心折れたんだけどなー』

 

 さて、いちおうこれでゲームクリアなんだけど。

 全クリアした後のエクストラステージが解放され、一般的には先ほどのトラではなくこちらがラスボスと見なされているらしい。

 配信時間にはまだまだ余裕があるし、私も挑戦しない理由は無かった。

 

《さすがのリシュでも初見は無理だったかー。うーん、貫禄のロビカスだな……》

 

 そして負けた。

 いやなんだこれ。

 交代したマヤノでも突破できなかった。

 本当に何なんだコイツ。

 

『よかった。いくら何でもこの二人でも初見突破は無理だったか』

『露骨な人間アピールですね』

『魔王でもルシファーの得意分野で一発勝利は難しかったかー』

 

 コメント欄もまあそうなるわな、という納得で満ちている。たまに揶揄するような内容も見られるが。

 

 最後に立ち塞がったのはこれまでに登場した球種をすべて使いこなす、最強にして究極のウマ娘。

 しかもその球速は大幅に上昇しており、ここまでのステージで身体に覚え込ませたタイミングを流用できない。

 

「あーんもー! いまの打てたのにー!!」

「変化球の後に速球が来るとなかなか身体がついていかないな。定石だけど有効だ」

 

 各球種を使い分けられるというのが単純に難易度を跳ね上げている。

 速い球が尊ばれるのは、要するにタイミングが合いづらいからだ。変化球だってそう。基本的にバットの届く範疇でなければストライクは取られないのだから、乱暴に要約してしまえば相手のタイミングを狂わせるために用いられているわけで。

 

《昔の野球漫画ではギャグ描写的に扱われていた『相手の意表を突く遅いボール』も、最近では『チェンジアップ』というれっきとした変化球の一種だもんねー》

 

 同じ球でさえ緩急とコースの違いがあるのに、球種によって速度とタイミングがバラバラであるためこちらの感覚が振り回される。

 最終ステージは『ぼくの考えた最強のピッチャー』を体現したような実力の持ち主だった。

 

 なんでも世界観設定的に、これまで登場した動物たちはぬいぐるみであり、その持ち主がこの幼いウマ娘なんだとか。

 つまり動物たちを動かす夢と空想は彼女が源泉であり、その力の上位互換を使えるのは何の破綻も無い理論であるわけで……。

 いやバカだろ、このゲームの難易度設定したやつ。

 

「まさか本当にリシュちゃんみたいな子が現れるなんて……」

「いや、私もここまでじゃないから」

 

『ええーほんとうでござるかー?』

『お前がそう言うならそうなんだろうよ、お前の中ではな』

『はははご冗談を』

 

 いっきに流れ出した挑発的なコメントの数々をじろりと横目でにらみつける。

 ネットのノリってやつは本当にさ。ここまで露骨に無茶苦茶はしていない……はずだよね?

 

《まー客観的に言って無敗の三冠にシンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝に、全距離GⅠ制覇。メイクデビューから数えて無敗の十一連勝、重賞だけでも九連勝。次の有記念を勝てばクラシック級にしてルドルフのGⅠ勝利数を超えるのに加え、何気に中央の重賞連勝記録まで更新するからなあ。傍目には似たようなもんじゃね?》

 

 ……そうなのか。私って傍目にはこんな感じなのか……そうなんだ……。

 

 それはともかく。

 まあとにかく、目標数も厳しい。

 三割打てば褒められるのが野球の打者というものではなかったのか。

 このゲームはファーストステージの時点で既にノルマが三割。投球数は十。

 これ以降、ノルマも球数も共に増えることはあっても減ることはない。ステージが後半になればなるほど数は増え、何十とホームランを打つことを要求される。

 実際の野球ならタイムが認められているのにこのゲームにポーズは無い。体力と集中力の消耗が無視できないレベルの足枷となって成果を引っ張る。

 このファイナルステージに至っては投球数が五十、ノルマは四十だ。八割打てとおっしゃる。

 本当にバカだろ、難易度設定したやつ。

 中央の平地レースは最長でも五分かからないんだぞ。どれだけ長時間集中力を維持する前提なんだよ。

 

 加えてマヤノのライブ配信中という現状において、一番つらいのが五十球という頭のおかしい球数。

 一回のチャレンジでごっそり時間を持っていかれる。配信時間を深刻に圧迫している。

 私たちは学生だ。それも中央トレセン学園というかなり特殊な環境の生徒。

 普段より暇になっているのは事実だが自堕落が許されているわけではない。

 だからクリアするまで耐久配信などという贅沢な時間の使い方はできない。各方面から怒られてしまう。

 円満に配信を終わらせるのなら残りチャレンジはあと一回が限度だろう。

 

 これで失敗したら『私たちはこのゲームに敗北した』と視聴者たちから認識されるんだよな。

 一日も練習すればクリアできる自信はある。マヤノもそうだろう。でも仮にそれでクリアした場面を配信したとしても、あくまで『リベンジに成功した』という判定を下されるんだ。

 

 ……それは気に食わないなあ、激しく。

 

 ちらりとマヤノに目をやる。目と目が合った。

 うん、だよねー。

 以心伝心。通じ合う思惑。

 

「マヤ、読むほうやるね。ユー・コピー?」

「アイ・コピー。じゃあ私が打つ方か」

 

 妥当な役割分担だね。

 




この前、普段はやっていないツイッターの捨て垢を作る機会がありまして。
どうせなら捨てる前にといろいろやっていたら、なんとテンプレオリシュのイラストを見つけました。
『あ、これリシュだな』と一目でわかるクオリティ。捨て垢ゆえコメントなどはしませんでしたが、すごく嬉しかったです。
ここで言って届くかわかりませんが、いちおうこの場でお礼を言っておきます。
ありがとうございました。


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マヤノとギンピカ☆共闘!

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U U U

 

 

 失敗したかもしれない。

 飢えた獣が人肉の味を知ったか。

 喰らえば生き延びることができると教えてしまったらしい。

 

 

U U U

 

 

『え?なに?』

『何か通じ合ってる』

『目と目で通じ合う天才』

『尊い。それ以外に理解する必要がありますか?』

 

 ざわつくコメント欄を横目にマウスを握る。

 目を閉じる。軽く吸って、吐き出す。唇から漏れ出す吐息と共に脳内に渦巻いていた白い煙がさっぱり抜け出していくイメージ。

 目を開けばそこには憎らしいほど呑気なBGMが流れるゲーム画面。身体の隅々まで意識の糸を張り巡らせる感覚。

 よし、最適化完了。準備バッチリ。

 

『テイクオーフ!』

 

 私とマヤノの声が重なり、本日最後の挑戦が始まった。

 

「ブタさんかフクロウさん」

 

 一球目、投じられる一拍手前でマヤノが言う。

 その二択なら簡単だ。

 フクロウのジグザグ魔球は微調整こそ手間だが、その激しい横の変化ゆえにトップスピードはストレートのそれに劣る。私なら見てから対応可能。

 ならブタの速球にだけタイミングを合わせ構えておけばいい。

 案の定、投じられたのは速球。その圧倒的な速度も、待ち構えているところに来たのならただの哀れな獲物である。

 綺麗なセンター返しが決まり、一本目のホームランと相成った。

 

『は?』

『え?』

『何が起こった?』

 

「ウサギさんかカンガルーさん」

 

 二球目。

 マヤノの声は先ほどと同じタイミング。

 今度は楽だ。ウサギの魔球は異様に伸びるストレート。逆に言えば投じられた直後は空中でブレーキをかけているのかと思うほどに遅い。

 今回も見てから対応できる二択だ。

 まるで跳ねるカンガルーのように波打ちながら飛んできたボールを青空に向けてはじき返してやり、本塁打二本目。

 

「もー、マヤもリシュちゃんも本気でいっちゃうよー。ガチだよガチ!」

「野球だったらサイン盗は反則だけど、もとよりここはルール無用のホームランダービー。いまさら卑怯とは言うまいね?」

 

 本当に打つことに専念するのなら雑談はやめるべきなのかもしれないが、私もマヤノも口を止めようとはしなかった。

 マルチタスクくらいできるし。

 生配信でおしゃべりが出来なくなるなんてチャンネルとしては言語道断だし。

 いやまあ、一番の理由はここで喋るのをやめて黙々とバッティングに専念し始めたら何だか負けたような気がして嫌だったってことなんだけども。

 

 見栄と意地。

 中央のウマ娘なら多かれ少なかれ誰だって持ち合わせているものだ。その中でも特に私とマヤノは意地っ張りかもしれない。

 そういう意味ではガチだの何だの言っておきながら、本当に切羽詰まった状態で勝負に臨んでいるわけではないか。まだ体面を気にする余裕がある。

 そう、もはや余裕だ。

 だってマヤノと私の二人がかりだもん。

 

「あ、次はトラさんだね」

 

『モーション盗んだ?』

『ロビカスの投球フォームって共通だと思っていたけど、実は球種によって微妙に差異があったりすんの???』

『いやキャッチャーのサインを読んだと見たね』

『このゲームでキャッチャーは見えねえよwww』

 

 マヤノが何をしているのか気づき始めたコメント欄が戦慄交じりに賑わう。

 

 マヤノが配球を『わかっちゃった』し始めていることは前の打席を見ればわかった。

 どういう理屈で把握しているのかはきっと本人にだって明確な説明はできないだろう。たまにマヤノの『わかっちゃった』は理屈を超越する。私の【灯篭流し】と似たようなものだ。できるものはできる、ただそれだけ。

 とはいえ、今はまだ読みに徹したところで二択まで絞り込むのがせいぜいらしい。上振れや下振れで一択になれば三択になることもある。

 しかし二択に絞り込むことができるのなら十分に対応できる範疇だ。前の二打席分の情報でタイミングのアップデートは終わった。後は身体コントロールの領分である。

 

 それぞれの得意分野を活かしたチームプレイ。

 白球が快音と共に、次々と木立ちのフェンスを越えていく。

 

『凄まじいコンビネーションだな・・・』

『菊花賞であれほどの死闘を繰り広げたライバルとは思えん』

『ほら、アオハル杯では最初期からチームメイトだから多少はね?』

『え? マヤノトップガンとテンプレオリシュって仲いいの?』

『仲が悪かったら友情出演しないだろー』

 

 うーん。必ず来るなぁ、菊花賞の話題。

 そりゃあこの配信を見たのがマヤちんチャンネルに初めて接した機会って視聴者は必ずいるだろうし、視聴者によって知識の保有量がまちまちなのもある種当然のことだ。

 いくらトゥインクル・シリーズが国民的娯楽の立ち位置にいるとはいえ、知らない人は知らない。それが娯楽というものの限界。義務教育ではないのだから。

 GⅠレースくらいしか見ないライト層は非公式レースのアオハル杯なんて追ってないだろうし、純粋に動画配信から入った者の中には配信者マヤノトップガンしか知らないような人もいるだろう。

 

 わかってはいるのだが、こうも何度も同じことを話題に出されるとげんなりする。

 警察に事情聴取でもされている気分だ。あれって嘘をついていないか確認するため、あるいは記憶違いや思い込みによる誤謬を洗い出すために、取り調べする人間を何度も変えて同じ内容を質問するらしいね。

 ただ、マヤノはそうでもないみたい。

 この話題が出たときに嫌そうな顔をしているのを見たことが無い。

 

「リシュちゃんとはすっごく仲いいよ。ねー。なかよーし!」

「なかよーし、いえーい」

 

 今回もにっこり笑ってハイタッチをしてきた。

 私も片手にマウスを握ったままもう片方の手でペチンパチンと合わせる。ちなみにこの間もマヤノの読みと私の打ちは継続中だ。

 

『あっあっあっあっあ』

『うーんこのマヤちんの満面の笑顔よ』

『尊い・・・』

『俺はポーカーフェイスでちゃんとハイタッチを返すリシュちゃんの方がエモく感じるんだけどわかるやつおるー?』

『ここにおるぞ!』

『同時進行で鬼畜難易度ゲーが処理されてるって忘れそうな光景だぁ』

 

 百合営業? って言うんだっけ。

 マヤノとわかりやすく仲良くしているとコメントの量が目に見えて増える。あと微妙に気持ち悪いコメントも増える。

 トレーナーとの絡みには悪感情を滲ませていたくせに勝手なやつらだ。

 やっぱり私、動画配信ってあまり好きになれないかもしれない。楽しいのは嘘じゃないけどさ。

 性根がコミュ障なのかな。ネットの匿名に守られた不特定多数の無責任がどうしても鼻につく。

 

『マヤノってダービーを見送ってまでロックオンしていた菊花賞で鉄壁の一バ身を打ち崩せなかったんだろ? オリシュと一緒にいるとイライラするとか悔しいとかは無いの?』

 

「ううん。くやしいとかはあんまり無かったよー」

 

 コメントの中で比較的まともなものにマヤノが返事した。

 画面左上のホームランの数が一球、また一球と積み重なっていく。

 

「たぶん『くやしい』っていうのは、『まだできる』って意味だと思うんだ。マヤはたくさん準備して、いっぱいいーっぱい努力して菊花賞に臨んだけれど……。

 あのときのマヤにできることは全部やったと思う。トレーナーちゃんと二人で出来る限りのことをした。もうこれ以上いまのマヤにはむりーってところまで追い込んだ。

 それでも消しきれなかった負け筋だったから。

 雨が降って、不良バ場になっちゃって、リシュちゃんの方がマヤより内枠。リシュちゃんがスタート失敗しなかった時点でもう詰んじゃってたんだよねー」

 

 まあそりゃそうだろう。

 時間は有限かつ平等だ。一日二十四時間。『考え付く可能性すべてに対策しました』というのが理想だが、現実はそうもいかない。

 ゲートが開くまでの限られた時間でリソースを的確に割り振るしかないのだ。

 

《努力チートとか慎重派とかを気取っている作品はそのあたりの機微がわかっちゃいないよね。本当に努力家で慎重なら、いや努力家で慎重であるからこそ万全を期すことなどできないことを痛感していてリソースの配分には血眼になるものなのにさ》

 

 まーたテンちゃんが不特定多数に喧嘩を売っているのを華麗にスルー。

 

 私のスペックは同世代の中では頭一つ抜けている。

 成長もレースと同様に、ただ先頭をひた走る者より、先達という明確な目標地点を持つ後続の方が瞬間的な速度に優れる傾向はある。

 その上でなお、菊花賞の時点ではごり押しが利く格差がまだ存在していた。才気という一点では幾度となくマウントを取られた相手ではあるが、積み重ねた基礎の重みではマヤノは私に及ばない。

 計算違いを許さない3000m逃げ切り。最初の一手が決まった時点で後は詰将棋のようなものだった。

 

「……その上でまったく諦めなかったマヤノの揺さぶりが雨天3000m二度の坂越えの間ずっと続いたけどね」

「でも勝ったのはリシュちゃんじゃん」

 

 ひどい目に遭った。勝った側が言うのもなんだけど、本当にひどい目に遭った。

 後ろから突きまわされて何度掛かったことか。

 ごり押しに対処する方法を菊花賞までに用意できなかったのがマヤノの負け筋なら、これが私の克服できなかった欠点。

 私が一人ならあるいは結果が変わることもあったかもしれない。

 

「そりゃ勝つよ。私たちだもの」

「もー、そういうとこだよー?」

 

 だがあいにくテンプレオリシュとは『私たち』のことだ。

 掛かるたびにテンちゃんに交代して、落ち着いたら悪路を走破する能力が高い私に戻るという、自分というリソースが常人の二倍あることを最大限に活用した物量戦。

 菊の舞台はあらゆる意味で力押し。テンプレオリシュというウマ娘の単純なスペックで押し切ったというわけだ。

 

「皐月賞のときはくやしくて、くやしくて本当に仕方が無かった。あのときのマヤはただ一生懸命になっただけだったから。

 でも菊花賞はそうじゃない。ぜんぶぜーんぶ出し尽くして、それでも届かなかった。くやしさがないわけじゃないよ? でもね、納得はしてるんだ」

 

 そう視聴者に向け語るマヤノは少し大人びて見えた。

 納得できる敗北、か。

 どんなものなんだろう。私は負けたことが無いけども。

 ウマ娘の情緒で敗北を受け入れるなんて相当なものだろう。私の、勝った側の存在だけではきっと成立しえない。その勝負に至るまで彼女が着実に積み重ねた過程あってこそ。

 それが彼女を成長させたのかな? 少なくとも納得できない勝利よりはずっと価値があって糧になるものではあるのだろう。

 

 私はゲートから出た瞬間から自分が勝てることを知っていたし、マヤノは自分が負けることがわかっていた。

 でも、『じゃあ楽勝だったんだー』なんて愚鈍で無神経なこと言ったやつは綱結び付けて雨天の3000m二度の坂越えツアー引きずり回しの刑に処すことも辞さない。

 

《『There is no(突然起きる) terror in the bang(恐怖はない), only in the(予感させる) anticipation(ことで恐怖は) of it.(成立する)』とはサスペンス映画の巨匠の格言だったかな》

 

 時限爆弾が爆発すればその瞬間だけ驚けば済む。

 だが一時間前から時限爆弾の存在を知っていれば、爆発するまでの一時間ずっとその存在を意識し続けることになるのだ。

 掛かりやすくなったと自覚してから菊花賞まで、私はスペックのごり押しに持ち込めば自分が勝つと知っていた。

 その展開になったとき、自分がどんな状態になるかを含めてだ。

 マイルチャンピオンシップをローテから外さなければならないほどの消耗。計算違いを許さないということは、どこまでも計画通りにその消耗を自らの手で自分に味わわせることを意味する。

 

 勝つ側の傲慢で鼻持ちならない戯言だということは重々承知している。

 その上で言わせてほしい。他の打開策があるのなら是非ともそちらを選びたかった。

 走るまでも、走っている最中も、走り終わった後も、どこまでも予想通りにつらくて苦しくてしんどかったんだからな。

 あれを観客席から眺めていたやつらに『楽勝でしたね!』なんてヘラヘラ笑いながら言われるのはまったくもって我慢ならん。

 

「次はウサギさん、右奥ね」

「ん、いちおうこれでクリアではあるのかな」

 

 画面の中でクマの打ったホームランは四十の大台に届いた。

 ノルマ達成。ステージクリア確定だ。

 でも、ここまで来たのならパーフェクトを目指したいよね。今のところホームランの数と投球数はイコールの関係にある。

 雑談の中に的確なタイミングで交ざるマヤノの配球予測は球数を重ねるごとに洗練されていき、今ではほぼ一択となっていた。たまにコースの予想まで入る。

 私も同じだ。序盤は運が悪ければ打ち損じることもあるかなという操作しかできていなかったが、今では安定して快音を響かせることができる。

 

『ひえっ、マヤちんのおしゃべりに気を取られているうちにスコアが40超えてる!?』

『えぇ・・・』

『ながら作業で達成できる難易度じゃないはずなんだけどなあ???』

『RTAガチ勢ですら屠ったクソゲーがこうもあっさりと』

 

「そりゃあゲームっていうのはクリアするために用意された適度な困難じゃん。

 負けてなるものかと、譲ってたまるかと、丹念に強固に塗り固めた壁を強引に突破するのが私たち中央の勝者だよ?

 普段走っているターフに比べたらこんなもん、舗装された歩道に過ぎないよ」

「ひゅー! リシュちゃん言うねえ」

 

 強がりというか、半分以上リップサービスだ。客演だろうと配信に映っている以上は盛り上げる演出を心がけないとね。

 私は(不本意ながら)“銀の魔王”と呼ばれているのだから、これくらい傲慢な言動を心がけた方が視聴者も喜ぶだろう。幸か不幸かお手本は内側から何度も見ているし。

 それにしても、これ当初はキッズ向けのゲームだったってマジ? あきらかにヒトミミ向けの難易度とは思えないんだけど。

 私とマヤノの二人がかりでなければ、今日中の突破は無理だっただろうなぁ。

 

『これが・・・中央・・・!』

『中央に行けばこんなのと戦わないといけないってマジ???』

『中央で一括りにしないでくれますー? 無理だからね。これと同じこと要求されても絶対に無理だからね???』

『GⅠをレコード勝ちするような上澄み中の上澄みだから。これでも現在進行形の最強だからこの子たち』

『いいだろ? 魔王様は全距離適性だからランダムエンカウントだぜ?』

『数々の記録を現在進行形で塗り替えるウマ娘っていうのはこういうことか。持って生まれた才能が根本的に違う』

『圧倒的フィジカルエリートだなぁ。ルールブックを読み込む一週間さえあればどんな分野であってもチャンピオンになれる素質の持ち主』

『付け加えますに閣下、ホームランダービーでは一日かかっておりませぬ(ふるえごえ)』

 

 狙い通り戦々恐々としながらもどこか楽しそうなコメント欄を横目に、カウントダウンは進んでいく。

 残り八球。ジグザクに飛んでくるフクロウボールを丹念にセンター返し。

 残り五球。鋭く内角を抉るブタストレートを流し打ち。

 残り三球。またもや飛んできたフクロウボールを……っていうか残り十球を切ってからフクロウボールやけに多いな? フクロウ本人(本鳥?)が投げていたときに比べ、このクリス何某が投げるそれは速度が格段に上昇している。そこの激しい変化も相まってまるで稲妻のようだ。

 常人がこのジグザグ軌道を完全に読み切るのは無理だろうし、業界用語でいうところのクソ乱数を引いたという状況だったのかもしれない。

 まあ私にはいろんな意味でその一般論は当てはまらないが。

 残り一球。ど真ん中の剛速球。ラストでこれか。少年漫画的だったら何やらドラマチックな演出が入りそう。まあ何事もなく打つけど。

 

「うん、パーフェクト」

「やったー! 完全勝利たっせーい☆」

 

 いえーいえいえい、とマウスから手を放しマヤノと両手でハイタッチ。

 わりと疲れた。ずっと同じ姿勢だったし、レースではありえない時間集中力を持続することになったし、何だかんだ五十球というのは長い。

 こういうゲームをデザインした人間は本当に自分の手でテストプレイしてクリア可能であることを確認しているんだろうか? 激しく疑問だ。

 

『うおおおおお!!やりやがった!!!』

『おめでとー!!』

『888888888888』

『すばらしいです!!』

 

 コメント欄も祝福でごった返す。

 こういうその場のノリに素直なところは好きだよ。いい方にも悪い方にも作用するけど、いい方に転がった時に普段はできないくらい率直に他者を褒めることができるから。

 

「今日の配信はこれでおしまいかなー? クリアできてよかったー。リシュちゃんおつかれさま!」

「ん、マヤノもおつかれさま」

 

「みんなも最後まで見てくれてありがとー☆ 次の配信もレースも見に来てくれるとうれしいなっ!」

 

 マヤノが〆に入る。

 やっぱり挨拶は大事だよな。ささやかなことにもきちんと礼を言って、わかりやすく感謝を伝える。

 マヤノのような美少女からそんなことをされて不快になる者など、ごく一握りのひねくれ者だけだろう。人付き合いの基本にして真髄だ。

 こういうこまめな積み重ねがレース業界の人気にも繋がる。人が増えるのはいいこと……いや、どうなんだろう。

 私の近頃のレースってどれもレース場が満員御礼と言うか決壊寸前というか、そんな有様だったような。

 レース場まで足を運ぶ善良な観客を考えなしに増やすような真似をしてしまってもよいものだろうか。配信から入ったご新規さんがうっかり事前情報なしで訪れた日には悲しいことになる気がしなくもない。

 

『今日も終わりかー。あっという間だったなー』

『絶対に次も見るよー!!』

『レースも見に行きたいけど次走確定したの?』

 

「んーん。トレーナーちゃんと相談しているけど、まだ確定はしていないかなー。いちおう、目標は有記念!」

 

『おー!』

『有かぁ。もうそんな時期かよ』

『もう一年が過ぎて? この前ホープフルS終わったばかりのような気がががが』

『絶対にマヤちんに投票するね!』

 

 コメント欄の悲喜交々。

 年末の大舞台だけあって、また一年が過ぎたと人々に実感させるイベントでもあるようだ。

 いちおう、カレンダーの上ではまだ十一月なんだけどね。

 夏の気配はすっかり消え去り、秋が冬に変わりつつある時期。

 このあたりから年末にかけて芝ダートのGⅠが立て続けに開催される。

 

《財布のひもが緩む時期にイベントを集中させるのは極めて合理的と言えるね。こっちの世界ではライブの売り上げに直結するのかな》

 

 いくら私が全適性持ちとはいっても、日程的に全てのレースを狙うのは不可能だ。

 無理して連闘すればそれなりの数の冠を手中に収めることができるかもしれないが、身体を壊してまで欲しいものじゃない。

 かといって数年かけて無理のないローテを組むには私、たぶん国内に留まっていればシニアの二年目無いだろうし。

 その頃には賞金も十分に貯まっているだろうから、ドリームトロフィーリーグに移籍することに魅力も感じない。

 

「菊花賞の負荷がまだまだ抜けきってないからねー。ギリギリ間に合うかなって感じなんだ。でもリシュちゃんも出るし、マヤ的には絶対に間に合わせるつもり!」

「はい、私の次走も有記念の予定です」

 

 いまだクラシック級の私ではあるが、人気投票でも収得賞金でも十分に射程圏内。

 ここで情報を出していいことも桐生院トレーナーに確認済みだ。

 マヤノは間に合うかどうか不透明な部分があるみたいだけど、私はベストコンディションに持っていけるはず。事故でも起きない限りは。

 そして私が十分に注意を払えば事故が起きる余地はない。

 

「っていうかー……マヤずっとリシュちゃんの後ろに着けてそのぶん楽できたはずなのに、マヤの方が回復遅れているってどういうこと!?」

「はっはっはっは」

 

 才能ってやつである。

 こういうところは持って生まれた素質の差が如実に出るからなあ。生活習慣とか食生活とか、努力の要素が無いわけじゃあないけど。

 そういう努力は基本的にトレーナー側の領分であって、ウマ娘側が担う要素は少ない。そしてたぶん、同じ条件で比較すれば私の方がいい数値が出る。

 あまり意識してこなかったけど、実は私って食べて血肉に変えるということが得意分野なのかもしれない。

 マヤノという逸材を前に、なお優に上回る己の肉体を鑑みてそう思った。

 

「むー」

「ごめんごめん、そうむくれないでよ……あふ」

 

 あくびをかみ殺す。

 もういつ配信が終わってもおかしくない空気で、つい気が弛んでしまった。

 

「あれれ、リシュちゃん寝不足?」

「ううん。ちゃんと眠れてはいるんだけど、なんていうか……ここ最近、夢見が悪くてね」

 

 いわゆる風邪を引いた時に見る夢というやつだろうか。

 やけに具体的で極彩色で熱量に満ちていて、そのくせ支離滅裂で目が覚めて数分もすれば速やかに脳内から退却し、意識がはっきり覚醒する頃にはほとんど憶えていない。

 トレーニングに支障こそ出ていないが、ふとした時にこうしてあくびをしてしまう程度には眠りづらい日が続いていた。

 そう説明するとマヤノは目を真ん丸にする。

 

「えっ。リシュちゃんって風邪ひくの?」

「おい」

 

 だから、私を何だと思っているんだ。

 

「病原菌やウイルスってリシュちゃんの体内で繁殖するくらい強力な種も存在するんだ……みんなー、手洗いうがいはしっかりしようね! マヤとのやくそくっ!」

 

『はーい!』

『はーい!』

『はーい!』

『しまーす!』

『あの魔王でさえ風邪をひくのだ。いわんや不摂生な生活をしている軟弱な俺たちをや』

 

 マヤノの呼びかけに肯定で埋め尽くされるコメント欄。

 うーむ、納得いかん。

 

「私これでも小さいころは病弱だったんだよ?」

 

 まだ歩けないほど幼いころは、頻繁に体調を崩して寝込んでいた。

 おかげで記憶力には自信があるが、そもそも幼少期の記憶はそのものが曖昧なところが多い。

 まあ身体が成長するにつれ調子は良くなっていったし、小学校に入学して走れるようになる頃には劇的に安定したけど。

 トレセン学園に入学して以降は風邪どころか、肌荒れや片頭痛といった些細な体調不良さえ一度として経験したことが無いのも事実ではある。

 

「あっ、ふーん」

 

《語尾に(察し)ってつきそうな反応だなぁ》

 

 なんだかマヤノは一方的に納得している様子。

 『わかっちゃった』する余地が今の話のどこにあったんですかねえ。

 

 

 



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サポートカードイベント:因縁の始まり

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

今回は前半が三人称視点。後半がダスカ視点です。


 

 

U U U

 

 

 無敗のクラシック三冠と無敗のトリプルティアラが達成され、付随する数々の偉業にレースの歴史が一ページどころではなく更新された十月。

 しかしそれが終わっても今年のレースはまだ終わりではない。むしろここからが本番とばかりに年末にかけて数多くの激闘が待ち受けている。

 

 主なGⅠだけ数えても十一月前半にはエリザベス女王杯。

 ダートではJBCクラシック、JBCスプリント、JBCレディクラシックの三つが同日開催。

 十一月後半にはジャパンカップとマイルチャンピオンシップ。

 十二月前半にはジュニア級の優駿が初めて経験するGⅠタイトルである朝日杯フューチュリティステークスと阪神ジュベナイルフィリーズ。

 中央で開催される数少ないダートGⅠであるチャンピオンズカップもこの時期だ。

 十二月後半には言わずと知れた有記念と、その年を締めくくるジュニア級の集いホープフルステークス。

 ダートでは全日本ジュニア優駿と東京大賞典。

 これだけのGⅠタイトルが燦々と並び連なっているのだ。

 

 その中でもエリザベス女王杯はティアラ路線を戦い抜いたクラシック級のウマ娘が、シニア級の実力者たちと女王の称号を懸けて争うレースという立ち位置になっている。

 

「それじゃあ、もう一度確認するよ。エリザベス女王杯には出ないんだね、ウオッカ?」

 

 某日、トレーナー室にて。

 ゴルシTとその愉快な担当ウマ娘たちはミーティングを行っていた。

 尋ねられたウオッカは髪をかき上げながらニヒルに笑う。彼女がカッケェと信じている仕草のひとつだ。

 

「ああ、俺はマイルチャンピオンシップを選ぶぜ! ……タイキ先輩とトゥインクル・シリーズでやり合えるのはたぶん、そこがラストチャンスだろうからな」

 

 レースにおけるウマ娘の全盛期は短い。

 これはスポーツマン全般にも当てはまることではあるが、本格化という不思議要素があるウマ娘においてはなおさらその傾向が顕著だ。

 いちおうトレーナー側には本格化が終わった後でもウマ娘を走らせ続けるノウハウが確立されてはいるが、本格化の最中にあるウマ娘と終わったウマ娘の間には無視しえない差異が存在する。特にレース頻度への耐久性という一点は努力ではいかんともしがたい。

 ドリームトロフィーリーグが夏と冬の年二回しか開催されないのはれっきとした理由があるのだ。逆に言えばたとえ盛りを過ぎたウマ娘でも年二回にレースを絞り、研ぎ澄ませることができれば全盛期に近い能力を発揮できるということでもあるが。

 

「タイキ先輩の走っている姿は、生でも映像でも何度も見て勉強させてもらった」

 

 優等生らしくマイルから長距離までバランスよく走りこなすスカーレットに対し、ウオッカの距離適性はマイルと中距離に寄っている。

 しかしその中でマイラーとしての適性は、磨き上げれば世代ではなく歴代を相手に勝負できるだけのものがある。

 ゴルシTと呼ばれる彼女の担当トレーナーはそう判断し、またウオッカも素直にその評価を受け入れ貪欲に先達から学ぶ姿勢を欠かさなかった。アウトローを気取っておきながら根は素直で真面目な少女である。

 同じチーム〈キャロッツ〉に所属する、最強の称号を冠したマイラー。教材とするならこれ以上は望めまい。

 

「スプリンターズSでタイキ先輩が三着だったのは、一着のリシュと二着のバクシンオー先輩が純粋にやべーやつらだったからだ。それは間違いねえ。でも俺の知っているベストなタイキシャトル先輩なら最後の直線でもう一波乱あったはずなんだ」

 

 本格化の長さは個人差が大きい。

 例えば日本ダービーの勝者たち。己の全てを燃やし尽くすように勝利した後、燃え尽きてしまったようにひっそりとレースの歴史に消えていくダービーウマ娘は一人や二人ではない。彼女たちの中には故障で引退を余儀なくされた者だけではなく、本格化がそこで終わってしまった者も一定数いる。

 かと思えば、九年間も第一線を張り続けたなんて経歴を持つダートウマ娘も存在している。本格化は不思議要素ではあるが、同時にれっきとしたウマ娘の身体を構成する要素の一環。負担が少ないダートの方が本格化は長続きする傾向にあるようだ。

 ただ、概ね三年が平均と言われている。

 『最初の三年間』が重視されている所以だ。

 

「タイキ先輩の戦績ならまず間違いなくドリームトロフィーリーグへの招待状は届いてんだろ。むしろあの人に出さないなら夢杯マイル部門は誰に出すんだってレベルだし。

 だがな、それじゃあ遅すぎんだよ。俺がドリームトロフィーリーグに行くまで待ってもらうなんて、俺の方が待ちきれねえ。トゥインクル・シリーズの間に“最強マイラー”世代交代するならこのタイミングじゃねえと。じゃあやるっきゃねえって!」

 

 タイキシャトルはウオッカがジュニア級になった頃には既に“最強マイラー”の称号で呼ばれていた。

 つまりそれ以前に相応の戦績を積み重ねていたということであり、本格化の平均年数から考えるとそろそろ衰えの兆候が見られてもおかしくない。

 それをウオッカは嗅ぎとったということだった。

 

「うん、わかった。ちなみに、その後の有記念はどうする?」

「あー……すげー心惹かれるけど今年はパスかなあ。俺が欲しいのはいつだって参加賞じゃなくて勝利だ。『有はマイルだ』なんて話も聞くけど、今の俺であの面々に中山の2500mは挑戦じゃなくて無謀ってもんだろ」

「そうだね。じゃあその分マイルCSは今年度の締めくくりにふさわしい仕上がりで挑もう」

 

 鼻の利く子だな、とゴルシTは声には出さず思う。

 この世代で『勘が鋭いウマ娘』といえば満場一致でマヤノトップガンの名前が真っ先に挙がるだろうが、脅威を直感的に嗅ぎ分ける能力はウオッカもなかなかのものだ。

 ジュニア級の種目別競技大会の際あからさまな存在感を放つ怪物ナリタブライアンのみに捉われず、テンプレオリシュの脅威も的確に読み取ったように。いまだ十分とは言い難い力量でありながら“領域”の具現を感じ取ったように。

 カッケェものに素直に憧れる性分、その延長線上の力。

 本人はあまり認めたがらないが彼女自身は常識的な感覚を持つがゆえに。彼女とは異なる感覚の持ち主を、自らが憧れを抱くものの気配を敏感に察知することができる。

 個性豊か過ぎる彼女の他の同世代たちではこうはいくまい。

 今はまだ無意識下の防御としてしか活かせていないが、いずれ成熟して能動的に活用できるようになれば。

 きっと勝負所を巧みに嗅ぎ分ける彼女の強力な手札となることだろう。

 とはいえ、あくまで感覚的な分野の話なのでこの段階で自覚させても逆効果だ。意識し過ぎて嗅覚が鈍るだけ。

 強敵を前に目先の勝負に捉われず。ゴルシTはじっくりと育成計画を練り上げていく。

 

 ちなみに幸か不幸か、現時点で既にサクラバクシンオーはマイルCSの出走回避を表明している。

 何でも来年の中長距離に今から照準を合わせていくとか。

 マイルならいつでも取れるという自信の表れか。あるいはバクシンオー陣営もどこかでタイキシャトルの衰えを感じ取ったのかもしれない。

 今ここで雌雄を決するに値せずと。

 真相がどうあれ、マーク必須のレジェンド級が一人出走してこないことが確定しているのは事実だった。

 となれば、他にマークするべき優駿に割くリソースの余裕が出てくる。

 

「桐生院トレーナーのアグネスデジタルも次走をマイルCSに定めているという話だ。芝GⅠこそ初挑戦だけど、ダートGⅠのジャパンダートダービーでは二着という実力者。

 テンプレオリシュは幾度か『次は彼女と芝で雌雄を決したい』と口にしていたらしいし、もしテンプレオリシュが菊花賞で消耗しなければマイルCSでそれを叶えるつもりだったのかもしれないね」

「ほーん、デジタルが来るのか……」

 

 実はアグネスデジタルというウマ娘の世間からの評価はあまり芳しいものではない。

 なにせトレーナーの名門たる桐生院の歴史の中でも空前絶後の名伯楽と言われつつある桐生院葵トレーナー。彼女が担当する三人のウマ娘のうち、先輩がハッピーミークで同期がアレだ。

 広い適性と高水準の実力があるのは認めるが、他の二人に比べると見劣りする。口さがないものに言わせれば下位互換。

 

「へっ、前門のタイキ先輩に後門のデジタルってか? 上等ォ、燃えてくるってもんじゃねえの。末脚勝負を仕掛けてみるのも面白えかもな!」

 

 そしてそんな無責任な第三者の妄言を真に受ける者などこの場には一人もいない。

 不敵な笑みを浮かべるウオッカの脳裏によぎるのは夏の一幕。

 祭拍子の中で得た気づき。

 

――浴衣でどや顔リシュさんにカウンターでどや顔するマヤノさんとかこんな季節イベント超限定レアスチル無課金で見ちゃっていいんですか本当に? うへへ、これは脳内に永久保存決定版ですな――は、え? あ、ハイ。すみませんウオッカさん。聞こえていませんでした。お手数ですがもう一度お願いします。

 

 正直、あのときまでウオッカはデジタルのことを見縊っていた。

 何しろ同期が同期だ。担当トレーナーは異なるが、チームメイトという意味合いでアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉まで区分を広げればマヤノまでいる。

 同情していた、と言い換えてもいい。

 それが屋台でこれでもかとばかりに己が才気を振り回すリシュとマヤノの天才コンビを目の当たりにして、心底幸せそうに涎を垂らしているデジタルを見て。

 

――常日頃からこんなことやってるコイツらとずっと一緒にいて、こんな蕩けた笑みを浮かべることが俺にもできるか?

 

 ふと浮かんだ疑問に身体が震えた。

 アグネスデジタルはウマ娘オタク。そのことは知っていた。

 だが彼女がいるのは安全な画面の向こう側ではない。中央という魔窟だ。

 画面を通してなお目が眩む輝かしさは、この距離では身も心も焼かれる劫火に等しい。

 太陽に近づき過ぎたイカロスは蝋で固めた翼を焼かれて海に墜ちた。デジタルは一年以上もの間、特等席で燦々と浴び続けて今もなお笑っている。

 次いで連想したのは風呂の温度。同じ湯船であっても小さな子供にとっては泣きだすほどの高温で、大きな体を持つ成人にとってはちょうどいい湯加減。

 テンプレオリシュやマヤノトップガンといった希代の優駿が放つ光は、このアグネスデジタルという無自覚の天才が己を磨く環境にとって『適温』なのだ。

 

「まったくよぉ。自信無くすぜ、どいつもこいつも。これでも俺、地元にいるときは天才って言われてたんだぜ?」

「あらウオッカ。自信を持ちたいのなら比較対象が間違ってるわよ。リシュを選んだトレーナーが選んだもう一人だもの。アイツに潰されないくらいガッチガチの天才に決まっているじゃない」

 

 スカーレットが優等生然とした笑みを浮かべる。

 うっせーと咄嗟に反発したくなったウオッカだったが、幼少期からリシュを追いかけ続けたスカーレットの言葉だ。これ以上無い説得力がある。

 無言で肩をすくめるのが精いっぱいの反抗だった。

 

「うん、そうだね。スカーレットは予定通りエリザベス女王杯でいいのかな?」

「はい。それで大丈夫です」

 

 ゴルシTが今度はスカーレットに話を振る。

 

「本命は年末の有記念。エリザベス女王杯ではシニア級が参戦してくるGⅠレースの感覚を掴もう」

 

 現時点でエリザベス女王杯へ出走を表明しているウマ娘の中に、いわゆるレジェンド級ほど突出した実力者は存在していない。

 そしてスカーレットがシニア級のウマ娘と相対するのは公式戦でこそ初めてだが、学園行事では珍しいことでもない。アオハル杯などその最たるものだろう。

 それら非公式戦の戦績とゴルシTの手元にある各種データが示している。単純なスペックでいえばスカーレットというウマ娘はクラシック級の現時点で既に平均的なシニア級に比肩、あるいは凌駕していると。

 

 ただし、シニア級とはすなわち中央という魔境で何年も戦い、勝ち抜き、生き残ってきたウマ娘である。

 彼女たちがGⅠというタイトルに懸ける熱意、あるいは執念とでも呼ぶべきものは決して軽視していいものではない。

 それらの事実をしっかり認識した上で、ゴルシTはこう続けた。

 

「八割の力で勝つことを目標にしようか。夏に成長したのは君のライバルだけじゃない」

 

 スカーレットの強みは常に全力全開を出せるところだ。

 優等生の仮面に反し、レース中は熱血で脳筋。何ならレース中に限って言えばウオッカの方が優等生じみたスマートな戦術を用いているかもしれない。

 だが、それでは足りないのだ。年末の大舞台を見据えるのであれば。

 

「はい」

 

 スカーレットは躊躇なく頷いた。

 彼ができると言えば自分はできる。そう信じられるだけのものを今日まで積み上げた。トレーナーとの関係性にも、自分自身にもだ。

 

「ひゅー、言うねえ」

 

 先ほどのお返しとばかりに今度はウオッカがまぜっかえす。

 太陽に手を伸ばしたところで届かない。階段を順当に上っていては寿命が先に来てしまう。

 本当に目指すのならどこかの段階でロケットに乗り込み飛ばなければならない。たとえ爆発四散するリスクを抱えたとしても。

 この判断が身の丈に合わぬ夢に手を伸ばし足元が疎かになった愚行となるのか、それとも大局を見据えた布石となるのかは結果次第だろう。

 勝てば英断。負ければ慢心。それがレースという世界だ。

 揶揄の色で包んで誤魔化してはいるが、ウオッカの態度の本質は『それは本当に慢心じゃないんだよな?』というひねくれた心配。

 突発的に開催されるゴルシ検定一級に比べたらわかりやすすぎる問題だ。トレーナーは彼女へ穏やかに笑いかけた。

 内心を見抜かれたと悟ったウオッカはきまり悪そうに目を逸らし前髪をいじる。

 

「さて、それじゃあそろそろ聞いていいかな」

 

 ある意味で、ここまではお膳立てだ。

 本番はここから。長い準備期間だったが必要な工程だったとゴルシTは判断する。

 なにせ、これから心のやわらかい部分に深々とメスを入れるのだから。

 

「ねえスカーレット。君が勝ちたいのは()()()のテンプレオリシュなんだい?」

 

 純粋な危険性は『表』の方が上だが、『裏』の存在に気づかなければ勝ち筋すら用意できない。そんな厄介極まるふたりでひとつのウマ娘。

 ずっと勝利を目指して追いかけ続けた彼女がその存在に気づいていないわけがない。

 

「あん? 『どちら』って……」

「まーまー、ひとまず聞こうぜぃ」

 

 ゴールドシップに諫められたウオッカは気づく。

 困惑を浮かべたのが自分だけだったということに。

 ちなみにこの場にいながらゴールドシップが静かだったのは、バランスボールの上でブリッジしながらコサックダンスのステップでトレーナー室を周回することについ先ほどまで熱中していたからだ。極めてどうでもいい情報である。

 

「アタシもそれを知りたいと思っています」

 

 どこかで予想していたのだろうか。

 覚悟があったのだろうか。

 自分でも驚くほどに凪いだ声色のまま、スカーレットはこれまで誰とも共有できなかった『はじまり』の蓋を開く。

 

 それはポケットの奥にしまい込まれた記憶。

 からからに干からびて風化して埃だらけになって、もはや元がどんな色をしていたのか思い出せないほど変わり果ててしまっているけれど。

 

 言ってしまった後悔と、言えなかった焦燥だけがずっと消えていない。

 

 

U U U

 

 

 ずっとずっとむかし。アタシはまだ自分がダイワスカーレットだと気づいていなかったし、アイツもまだテンプレオリシュじゃなかったころの話。

 

 いまのアイツからは想像もつかないけれど。

 初めて会ったときのアイツは、教室の隅で静かに本を読んでいる大人しい子だった。

 どんなクラスにも一人はいる内向的なタイプ。人付き合いが苦手で、誰かと話すときに視線が合わない。

 ウマ娘ということが少しだけ珍しいけど、それだってあくまでヒトと比べたら少数派というだけのこと。スペシャルウィーク先輩の地元のド田舎みたいに同年代にウマ娘が一人だけなんてことはない。

 体育の授業のときだって目立った活躍をするわけではない。むしろウマ娘の平均からすればどん臭い方。

 派手なのは配色だけ。銀ピカの葦毛と、赤と青の色の違う双眸。

 本当にそれだけの、視界に入らない存在だった。

 

 一方のアタシはクラスの中心。

 先頭に立って誰かを引っ張るのは苦じゃなかった。むしろ誰かに前に立たれる方がストレスになるような気質だった。

 小さいころからいろんな習い事をやっていたおかげで優秀だったし、先生に頼りにされることが多くて。

 それで小さい子供にとって『先生に頼りにされる』って絶大な権威を持つのよね。

 あの頃のアタシは“一番”だった。自分が一番であることを疑わずに済んだ、振り返ってみれば貴重で幸せな時間。

 あの頃に戻りたいとは、これっぽっちも思わないけど。

 

 たくさんの友達。やるべきこともやれることも山ほどあって。よそ見とも退屈とも無縁の毎日。

 言ってしまえば、実のところアイツとは接点が無かった。

 活動範囲が違い過ぎて、同じウマ娘ということもあり存在は認識していたけど。

 意識はしていなかった。ウマ娘じゃなければ認識さえろくにしていなかったかもしれない。

 

 すべてがひっくり返ったのは、暑さの残る秋に行われた運動会。

 学校の行事。誰もが必ず一種目には出なきゃいけなくて、主張の強くなかったアイツは余った枠に押し込まれた。

 アタシほどこだわりが強い子はそういないけど、誰だって一番になりたいもの。

 つまり、アタシという一番が確定しているために二着争いをしなきゃいけないちびっこレース。その出走者リストにアイツの名前は載ったわけだ。

 

「がんばれー!」

 

 母親と、仕事を休んで父親まで応援に来てくれた。

 たったそれだけの理由でアタシたちのそれまでは無惨に踏み砕かれた。

 

 後から知ったことだけど、当時のアイツってそれはもう慎重に慣らし運転をしていたらしい。

 小学校に入る前は病弱で、しょっちゅう寝込んでいたというアイツ。ろくに身体を動かす機会も無くて、体育の時間を含めて何がどこまでできるのか、じっくり時間をかけて探っていた最中だったようだ。

 その細心の注意で幾重にも掛けられていたブレーキは『両親にいいところをみせたい』という幼稚な動機であっさりまとめて天の果てまで吹っ飛ばされて、全力を出したアイツにアタシは後ろからまくられてぶっちぎられた。

 手を抜いていたわけじゃない。優先順位が違っただけ。

 実際、無茶をした代償として直後にアイツは保健室に搬送されて、その後しばらくは脚に包帯を巻いていたっけ。

 

 でもそんな詳細な事情、アタシたちには知る由も無かったから腹が立った。

 ……違う。強がりだ。

 怒りが無かったわけじゃない。

 でも一番強かった感情は『恐怖』。

 アイツが本気を出した瞬間、背後で爆発したプレッシャーに全身鳥肌が立った。

 人間社会で生活しているうちはなかなか経験することができない、動物として根源的な警告。

 アタシたちが人間社会に迎合しきっていない幼い子供だったというのも大きいのかも。アイツへの恐怖は大人よりも、子供の方が如実に感じているようだった。

 でも人間社会には馴染みが無い感情だからこそ、社会を運営していく上では軽視されがちなものだ。

 徐々に孤立していくアイツを先生は見かねて、仲良くするように言った。そして先頭に立って行動する役目を与えられたのは“一番”のアタシだった。

 

 こんなバケモノ相手に、いったい何を話しかければいいっていうのよ。

 義理と使命感とプライドに雁字搦めにされ、悲鳴を上げる本能をむりやり抑えつけて、『この子とは仲良くできる』ということをクラスのみんなにアピールするためだけに、なんとか言葉を絞り出す。

 

「この前のレースすごかったわね。このままいけばトゥインクル・シリーズでも走れるんじゃないかしら?」

 

 人間、困窮すると最も身近な話題しか出てこなくなるのだと初めて知った。

 アタシにとってレースとはそれだけ近しいもので、あまりに多くのものを注ぎ込んだものだったから。

 嫉妬もあった。羨望もあった。

 今になって振り返ってみれば、木っ端みじんに踏み砕かれたプライドを慰める意図もあったのかもしれない。自分がただ弱かったと思うより、相手が非常に優れていたのだと考えた方が受け入れやすいものだから。

 それで諦めがつくわけじゃないけど。

 

「え、そうなの? ……だったら、目指してみようかなぁ」

 

 ほえほえとのんきに笑うアイツを見て肩の力が抜けた。

 アイツはバケモノだったけど、ふつうの女の子だった。

 そして同時に思った。

 ああ、この子レースに向いていないなって。

 さっきも言った通り、アタシはずっと前からトゥインクル・シリーズを走るために努力してきたから。トリプルティアラを達成するのが夢だったから。

 走りの才能とレースの才能が必ずしもイコールではないことを、当時すでに心のどこかで理解していた。

 

 速く走る。それだけではレースの才能は半分しか満たせていない。

 何人も同時に同じコースを走って、自分以外の全てを押しのけて一着にならないといけないのだ。

 他者を踏みにじる覚悟と執念。

 それがアイツの気の抜けた笑顔からは感じられなかった。

 巨大な竜が湖を歩けば、その余波で湖のほとりにいる生き物は津波に押し流されるかもしれない。でもそれは巨竜に悪意があるわけでもなければ、押し流された生物だった残骸を見て心を痛めないわけでもないのだ。

 そこまで具体的な喩えが当時できていたわけじゃないけど、漠然とそんな風に理解した。

 

 理解していたのに、アタシは発言を訂正しなかった。

 

 少しずつ、ぎこちなく始まったアタシとアイツの関係は。

 積み重なる前に大きく変動する。

 人間と人間がコミュニケーションを取るためには言葉が必要不可欠で、それはどちらかがもう片方に話しかけることで成立する。

 いつもアタシの側から話しかけていた。慣れてくると話題にはそう困らなかった。

 少し仲良くなって、アイツの側からも話しかけてこようとしてきた。

 人付き合いに不慣れなアイツは、きっと今日のお天気よりもずっとずっと身近で当たり前な話題から入った。

 

「ウマソウルってうるさいよね?」

「えっ」

 

「えっ」

 

 聞き返してしまった。

 怒っているのでもなく、悲しんでいるのでもなく、きょとんとした表情。

 さっきまで仲良くピクニックしていたのに、前触れもなく崖に突き落とされたような。

 ゆっくりとスローモーションのように落ちていく。引き延ばされた時間の中で焼き付くお互いの表情。

 痛みすら湧いてこない、ごっそり抉り取られた絶望。

 常人離れした身体能力で逃げ出したアイツに追いつく術を、アタシは持ち合わせていなかった。ううん、追いかけることすらできなかった記憶がある。

 

 生まれて初めて取り返しがつかないほどに人を深く傷つけた。

 反射的に理解したその事実を認めるのが怖くて、いろいろとまとめてごちゃごちゃ考えた。

 そして決めた。アタシのわかる範疇のことは全部告げて、それから謝ろう。

 ごめんね。きっとあなたはレースに向いていないから。無理しなくていいんだよって。

 でも、負けたままの状態でそれを言っても。まるで勝てない強敵を舌先三寸で丸め込んで退場させようとしているみたい。それは嫌だったから。

 

 ちゃんと勝ってからあの子に言おう。負けっぱなしなんて性に合わないし。

 

 きっとアタシなら、いつか勝てるはずだから。

 そうと決まればトレーニングだ。なにせ相手はバケモノ。並大抵の努力で打倒できる相手じゃない。

 想いがどれだけあっても、実力が伴わなければ結果は出ない。

 努力すれば努力するだけ成果は出るはずだと、苦しければ苦しいだけ報われるはずだと幼いアタシは盲信して走り込み――()()と遭遇した。

 

「あはは、きみは天才なんだねぇ」

 

 次に会ったあの子は、もう今のアイツになっていた。テンプレオリシュを名乗り始めたのもこのすぐ後のこと。

 取り返しがつかない喪失を経てなお生きるために、人は変質せざるを得ない。その事実を学んだのもこのときだ。

 

 

 

 

 

 引き込んだのはアタシで、突き飛ばしたのもアタシ。

 アタシは責任を取らなければならない。

 

 




幼少期の記憶とは容易く歪むもの。
時系列を考えたらそこにあるはずのないものが存在していたり、あるいは逆にあってしかるべきものが存在していなかったり。
常識的に考えれば憶え違いであることは間違いないのに、その記憶が正しいとしか思えないこともしばしば……。
憶えているという一点のみがただ事実なのです。


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サポートカードイベント:運命と天敵

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

今回は全編三人称視点です


 

 

U U U

 

 

「アタシは知りたいんです。あのとき傷つけたのがどちらのリシュだったのか」

「…………」

 

 一通り語り終えたスカーレットは何気なく目の前のティーカップに手を伸ばす。

 聞きに徹していたウオッカも何をどう言えばいいのかわからない空白を埋めるためカップに口を付けた。

 手に取っただけでふわりと鼻孔をくすぐる香り。するりと口内を通っていく爽やかな甘さ。やや冷めた温度が、長々と語り続けて渇いた喉にはこれ以上ない適温だった。

 

 ほっと一息つき、そこでようやく思考が追い付く。

 はて? いつの間に紅茶など用意されていたのだろうか。

 彷徨わせた視線が楚々とした動作でポットを片付けるゴールドシップを捉えた。

 

「ああっ!? す、すみません!!」

「うえっ、ゴルシ先輩!?」

 

「おいおい、飲んどいて『うえっ』は無いだろぉ?」

 

 まさか自分はぼさっと座ったまま先輩に紅茶を入れさせてしまうとは。

 顔面を蒼白にして立ち上がったスカーレットとウオッカに、ゴールドシップは実に男前なキレのある笑みを浮かべてみせた。

 

「いーんだよ。これくらい先輩にやらせろって。喋り続けてのど渇いたろ? でもお茶菓子は勘弁な! この前マックちゃんがパクパクしちまって在庫が尽きてんだよー」

 

 こう言われてしまうと、後輩として好意を無下にすることもできない。

 赤面しながらおずおずと着席し、かすれた声でありがとうございますと感謝を告げるのがいま後輩たちにできるせいぜいだった。

 まるで超一流の従者のごとく音も気配もなく人数分の紅茶を用意するなど、本当にこの葦毛の奇行種は底が知れない。

 このような気品のある仕草を見ると、まるでどこぞのご令嬢のようにも見える。まあ先日のゲリラライブで道行く人々を感涙せしめた生きた木魚ビートなどを鑑みるに、超絶無駄に各種スペックが高いだけかもしれないが。

 

「ありがとうゴールドシップ」

 

 一方の彼女の担当トレーナーは慣れたもの。

 ゆっくりと紅茶を啜り、味に賛辞を呈する余裕すらあった。

 

「うん、美味しいよ。相変わらず君は紅茶を入れるのが上手だね」

「へへっ、まーざっとこんなもんよ」

 

 まさかいつも紅茶を入れさせているのか。()()ゴールドシップに。

 さすがゴルシT、只者ではない。

 声に出さず戦慄する若輩たちを尻目に、彼は淡々と言葉を紡ぐ。

 

「……スカーレットのモチベーションが純粋な熱意だけじゃないことは、前々から予想していたよ」

 

 罪悪感。

 それは人間が抱く感情の中でも意外なまでに大きく、長々と居座る性質を有する。

 何度打ち負かされ傷だらけになろうとテンプレオリシュに挑み続けるその姿勢は、単なる負けず嫌いというだけでは説明できないものだった。

 

「でも、それを含めて君にとって悪いものじゃない。そう見えたから深く介入するのはやめておいたんだ」

 

 ダイワスカーレットは贖罪に人生を捧げるような殊勝な少女ではない。

 生真面目ではあるし、一度決めたことをやり遂げる根性もある。

 だが悲劇のヒロインを演じる己に陶酔するような、安っぽい自己憐憫の精神からは程遠いところにいるウマ娘でもあった。それはこの場にいる全員の共通認識である。

 筋金入りの負けず嫌いであることも、自分が一番でなければ気が済まないのも、まったくの偽りなき事実なのだ。

 競い合っていた彼女たちがどこか楽しそうに見えたのも、同様に。

 

 再びカップを傾け一口。

 嘆息を紅茶への感嘆に混ぜ込んで、ゴルシTは深々と吐き出した。

 

「ふぅー……それにしても、まさかウマソウルに独立した人格が宿っているとはね」

 

 幸せの青い鳥は自宅にいたわけだ。

 彼女たちの心を優先したその決断に後悔は無い。

 だがあれだけ推論を重ねた疑問の詳細な解答が、ここまであっさり転がっているとやはりため息の一つくらいは抑えきれないというもの。

 そんな彼の様子に恐る恐るウオッカが尋ねる。

 

「なあトレーナー。ウマソウルって喋んのか?」

「いいや、聞いたことのない症例だね。中央のトレーナーという、ことウマ娘に関しては世界でも有数の情報が集まる地位についてはいるが、初めて聞いたケースだ。ウオッカ、きみだって自分のウマソウルが喋ったことはないだろう?」

 

 異世界の歴史と名前が宿っているというウマソウル。

 その存在がウマ娘の人格形成に影響を及ぼしているという学説は、わりと主流なものではある。

 どこまで厳密に信奉しているかは個人差もあるだろうが、トレセン学園でウマ娘やトレーナーを対象にアンケートを行えば、完全に否定する者は圧倒的少数派だろう。

 信じるか信じないかではなく、『ある』か『ない』かでいえば『ある』と考えるにたる経験を中央の住人は一度ならずしているものだ。

 だが、それでも人格そのものが宿っているというのは聞いたことが無い。

 

「そりゃあなあ……スカーレットはどうなんだよ?」

「アタシだって無いわよ。でも、リシュはあのとき確かにそう言ったの」

 

「うん。そのことに関しては疑っていないよ。強いて言うのならマンハッタンカフェのそれが近いかな?」

 

 ウマ娘の生態はいまだに科学では解明しきれない不思議要素に満ちている。

 そしてどれだけオカルトだ、ありえないと声を大にして主張したところで『ある』ものは『ある』し、『ない』ものは『ない』のだ。

 目の前の現象を過不足なく事実として受け入れる。どれだけ昨日までの常識が邪魔をしたとしても、私情で得られる情報を歪曲しない。それが本当の意味で科学的ということなのではないだろうか。

 トレーナーをしているとそんな機会には十分すぎるほど恵まれてしまう。そして適応できなければトレーナーだけではなく、担当しているウマ娘たちまで巻き込んで転んでしまうのだ。

 職業柄、未知を己の中で既知に組み替えていくプロセスには慣れていた。

 

 マンハッタンカフェはウマ娘の中でもオカルト現象と縁の深い少女だ。

 彼女には彼女以外の誰にも見えない『お友達』がいる。

 それだけならいわゆるイマジナリーフレンドというやつなのだが、どうにも『お友達』は実在しているらしい。というのも物理的な干渉が一度ならず、複数人によって目撃されているのだ。

 ラップ音にポルターガイスト、掴まれたり引っ張られたり等々。挙句の果てに『お友達』の影響なのか『お友達』以外のこの世ならざる存在もマンハッタンカフェの周囲に集まっているようで、彼女の周りでは霊障が絶えない。

 外部に干渉している時点でまったくのイコールではないのだろう。ただ本人にしか認識できないパートナーを有するサンプルケースにはなる。

 

「『うるさい』ってことは、内部での意思疎通が頻繁に行われているということか。それも幼少期から日常的に……」

 

 中核となるピースを見つけたことで一気に完成へと近づいていくパズルのように。

 スカーレットからもたらされた情報を契機に、ゴルシTの脳内で様々な仮説が具体性を帯びていく。

 

「ゴールドシップ、きみは年末どうするんだい?」

「おーん? あー、今年はアタシの年じゃねえからな。パスだパス。中山の観客席で壺磨いといてやるよ。まー行くならジャパンカップの方だな。年末のアオハル杯に備えるやつだって一人は必要だろうしなー」

「そうか、わかった」

 

「そんなあっさりでいいのかよ!?」

 

 思わずといった感じでツッコむウオッカ。

 この葦毛はその実力と破天荒なキャラクターが相まって非常にファンが多い。ほぼ確実にグランプリレースのファン投票では上位にランクインすることだろう。

 それを理解した上でゴルシTは脳内にある今年の有記念の出走者リストからゴールドシップの名前を削除した。

 彼女が気分屋なのはいつも通り。だが気が乗らずダルいからやりたくないという平時のものと、本当に本気でやりたくない場合の二種類が存在することをゴルシTは長い付き合いで知っている。

 

「うん、今回はこれでいいんだよ」

 

 表面上の言動こそ軽いが、今回は後者だ。

 たとえこの状態でも彼が言葉を尽くしてお願いすれば、もしかするとゴールドシップは一度くらいなら自分を曲げて担当の意思を受け入れてくれるかもしれない。そのくらいの信頼関係はある。

 だがそれは気位の高い彼女に『自分を曲げさせる』というタブー中のタブーを犯させる行為。

 有記念というレースが持つ価値と格式を鑑みた上で、それでも割に合わない。

 そもそもレースというものは一回ごとにウマ娘の心身をすり減らす行為。その方が当人の為になると言うのならいざ知らず。

 既に『最初の三年間』を終え、レジェンド扱いされているゴールドシップは既にレースで成功を収めたと言える状態。そんな彼女を記録や周囲の思惑のために、無理やり走らせるだけの動機をゴルシTは見いだせなかった。

 

 ともあれ、ゴールドシップが出走しないとなれば大局を左右する大駒が一つ欠けるということだ。

 スカーレットの勝ち筋に幅が出てくる。

 

「ウマソウルに自我があるのなら、通常なら感覚的に扱っている不思議な力をある程度能動的に使える可能性もあるかな……」

 

 今のうちに判明してよかったと思うべきだろう。

 ただでさえ強敵なのに、未だ明かされていない手札に備えた安全マージンまで必要になってきた。確証はないが確信はある。絶対に何かしてくると。

 脳内の成長曲線、その目標地点に修正を加える。

 

「うん、わかりきっていたことではあるけど。有記念はかなり厳しい戦いになるね。トレーニングも相応のものになるけど――」

「はい。覚悟はできています」

 

 なんつー顔で笑いやがる。

 

 ウオッカは内心で吐き捨てた。

 年頃の少女がしていい表情ではない。

 いや、それどころか人間の顔じゃない。鬼とか夜叉とかそういう類のアレだ。

 己の全てを賭して勝ちにいく。

 そういう覚悟が滲んだ表情だった。

 同時に脳裏を過るのは現国の教科書に載っていたコラム。読んだ時にはしっくりこなかったが、やはり文豪とは巧みで適切な表現をするものらしい。

 

「……『I love you(死んでもいい)』とはよく言ったものだぜ」

 

 マヤノとコイバナしていたときに遠目に見えたそれは甘酸っぱくてキラキラしていた。対しこれはまるで違う、黒くてドロドロしていて煮え滾った感情。

 恋ではないのだろう。古代の哲学者が三つに区分したという、性愛(エロス)にも友愛(フィリア)にも慈愛(アガペー)にも当てはまらない情動。

 それでも人間が生み出した不自由な言葉の枠に納めるのなら、やっぱり『それ』くらいしか適切な言葉が見つからない。

 

 ぼそりとつぶやいた言葉は隣のゴールドシップにしか届かなかったようだ。

 ちらりと視線を流しただけで煽るでもなく笑うでもなく、ハジケリストにしては極めて珍しくスルーの姿勢だったのは先輩なりの気遣いだったのだろうか。

 

 

 

 

 

『強い! 絶対に強いっ! ダイワスカーレット、シニア級相手にエリザベス女王杯をみごと勝ち取ったッ!』

『穢れ無きトリプルティアラに女王の王冠を添えましたダイワスカーレット。これは年末の大舞台にも期待が否応なく高まりますね』

 

 有言実行。

 クラシックとシニアの間に横たわる経験差をものともせず、スカーレットはエリザベス女王杯を勝利してみせた。

 最初に奪った先頭を最後まで自分以外の誰にも許さず三バ身差の完勝。最近派手な勝ち方をするやつが一人や二人ではないのでライトなファン層の感覚がバグりがちだが、三バ身は十分に完勝の範疇である。

 

 反発を招かない程度に喜びをあらわにした後、スカーレットはトレーニングに没頭した。

 研ぎ澄ますほどに刀身は痩せ細るのが摂理。彼女は目に見えてやつれていった。

 マイルCSが間近に迫り最終的な調整段階にあるウオッカと、まだまだ年末に向け地力を高める猶予があるスカーレットという違いはある。だがそれを差し引いても彼女の消耗具合は同じ担当トレーナーで同期であるウオッカの比ではなかった。

 

「おいおい、負けられない戦いがそこにあるってか? 年末はまだまだ先なんだからあんま張り切りすぎんなよ。身体もたねーぞ」

「バカねウオッカ。負けていいなら戦うまでもなく譲ってしまえばいいのよ。負けられないから戦うんでしょう」

 

 揶揄(からか)い混じりに諫めてみても、ぎらぎらとした紅色の眼光が返ってくるだけ。

 ……ちょっとばかし返答のフレーズに心がときめいたのは秘密である。

 しかしその理屈でいうのなら『負けられない戦い』にここまで『負け続けてきた』少女に、いったい何を言えるというのだろうか。

 どうしようもない執念の熱量を改めて思い知らされただけで、すごすごと引きさがることしかできなかった。

 

 いや、迫力を前に出てこなかったけどさ。お前わりとどうでもいいことでいちいち張り合っているじゃねえか――などと普段の行いに対するツッコミが湧いてきたのはその日の寝入る直前で、翌朝目が覚めてそれを言おうにも既に相手は朝練に行ってる始末。

 

「なー、トレーナーよぉ。ほんとうにこのままスカーレットを走らせていいのか?」

 

 ウオッカなりにかなり悩みに悩んだが、どうしても我慢しきれずついにはトレーナーに相談するに至った。

 

「というと?」

「あー……釈迦に説法つーか、おかしいことを言ってんのは自分でも自覚してんだけどさ。このまま有にスカーレット送り出すと、ヤバい気がして」

 

 本当に変な話だ。

 目の前にいるのを誰と心得ているのだろう。

 あのゴールドシップの担当トレーナーである。ゴールドシップの『最初の三年間』を故障なく完走させ、今もなおチーム〈キャロッツ〉故障なし伝説を続けている化物だ。

 

「だぁー! なんで俺がこんなことでぐちぐち悩まねえといけねえんだよ!?」

 

 ぐしゃぐしゃと頭を掻き回しウオッカは天に向かって絶叫する。

 相談を持ち掛けておきながらその態度はかなり失礼で理不尽じゃないかと、脳内でどこか冷静な部分が客観的なツッコミを入れたがそれに耳を傾ける余裕もない。

 

 嫉妬もあるし、心配もしている。

 公式戦では今のところ負け続けだが、それでもウオッカは彼女のことをライバルだと思っているから。

 

 だが、同時にこうも感じるのだ。

 ウオッカは自分にはまだまだ未来があると思っている。

 今負けても次は勝つと自然に思える。

 死というものがいずれ自分に訪れるということは理解している。

 思春期ゆえにそれが自らに降りかかるシチュエーションを夢想したことも一度ならずあるが。

 しかし本当の意味でその概念を隣人としたことはない。この平和な国において死はフィクションの住人だ。

 今のスカーレットはそうではないように見える。

 

 ウマ娘にとって『走る』というのは『生きる』というのとほぼ同義。中央に来るような者にはなおさらその傾向が強い。

 そうであるにも拘らず、もしもその一戦に勝てたらすべてを喪ってもいいと、陶酔でもなく熱狂でもなく心の底から思えるレースがあるのだとすれば。

 それはウマ娘にとってどれほど幸せなことなのだろうか。

 

 たった一度にレース人生の全てを賭しても構わない心情など、ウオッカには理解も想像もできない。

 その理解も想像もできないことを、できないままに否定するのは本当に正しいことなのか。

 ただ自分が理解できないものに恐怖して、共感できないことに嫉妬して、拒絶しているだけなのではないだろうか。

 生真面目な性分ゆえにそんな自分への疑惑を切り離せない。

 

 見ていて不安を掻き立てられる現状と不透明な未来。ウマ娘の本能とこれまで培ってきた常識や良識。警告を発する直感とトレーナーへの信頼。

 いくら早熟な者が多いと評判の中央トレセン学園とはいえ、中等部二年分の人生経験しか積んでいない少女の頭は相反する要素を雑多に詰め込まれてパンク寸前だった。

 

「たしかにリスクはあるよ」

 

 さらりと。

 ゴルシTはウオッカの懸念を認めた。

 

「……へ?」

「テンプレオリシュは強敵だ。彼女を凌駕するためには限界の一つや二つ、レースの中で超える必要がある。そしてスカーレットなら間違いなく超えられるだろう」

 

 だが、限界とは怠惰の大義名分ではないのだ。

 心の限界。身体の限界。そして命の限界。

 強靭な精神力があれば超えられる。超えてしまう。

 そうやって壁を乗り越えて、帰ってこられなくなる。

 

 レースの歴史は数多のウマ娘の血と屍で綴られている。

 駿大祭の神駆という、彼女たちの想いを供養する伝統行事が存在するくらいには。

 多くの者は限界にぶつかって、そこで諦める。たどり着けなかった場所だから、その先に理想郷があったはずだと夢想する。

 だがトレーナーはそうではない。

 どんな断崖絶壁に見えようと、必要なら計画的な登山計画とルートを確保して乗り越えさせる。

 彼らにとって『限界突破』とはポジティブな幻想ではなく、ただのリスクなのだ。少なくともゴルシTにとってはそうだ。

 

「……それでも走らせんのかよ?」

「うん。スカーレットがやりたがっているというのがまず一つ。トレーナーの仕事はウマ娘の夢を目標に変えることだからね」

 

「夢を叶える、じゃなくてか?」

「叶えるのはウマ娘自身さ。俺たちにできるのは道を整えて地図を用意するところまで」

 

 代わりに走ってやることはできないし、仮に代わりに走って勝利してもそれはウマ娘の夢の成就ではなくトレーナーの人類の限界を超越した偉業だ。

 夢を叶えるといえば聞こえはいいが、言い換えてしまえば達成できるかわからないし、そもそもその手段すら明確ではないということでもある。

 目標は違う。明確に手段が存在していて、一つ一つ着実にノルマを達成していけば、いずれは到達できる。あるいは到達できなかったとしても、それは失敗という明確な結果と区切りが存在している。

 日本でも有数、下手すれば世界でも指折りの敏腕トレーナーと目されているこの男は己の仕事をやけに俯瞰的というか、良い言い方をすれば分をわきまえた捉え方をしていた。こういうところがトレーナーを聖職と見做す他者から嫌われる所以なのだろう。

 

「それにだね……ウオッカ、運命ってあると思うかい?」

 

 そう尋ねられたウオッカはレモンを皮ごと口に含んだような顔をした。

 

「おいぃ。まさかスカーレットが有記念を走るのは運命だからーなんて寝ぼけたこと言うんじゃないだろうな相棒?」

「まさか。運命を信じるか信じないかという話だったらそれは個人の勝手だ。だけど『ある』のだとしたら、それに備えないといけないのがトレーナーという職業でね」

 

 どれだけ声を大にして『そんなものはない。オカルトだ』と主張しようとも、そこに存在するものが無かったことになるわけではない。せいぜい周囲の人間に呆れられて『はいはい、お前の中ではそうなんだろう。もうそれでいいよ』と距離を置かれるだけだ。

 運命というものが存在し、それが愛に不利益をもたらそうとしているのなら、それに対策を立てるのがトレーナーの仕事なのである。

 

「俺はこの業界ではまだまだ若輩者だけど、その短い経験の中でもウマソウル由来で受け継がれるという名前と歴史がこの世界に干渉したと思しき瞬間を幾度となく見たことがある。ウオッカ、きみにもおぼえは無いかい?」

「それ、は……」

 

 子供のころから憧れていた日本ダービー。

 その最後の直線で確かに感じた。生まれる前から知っていたような光景。魂の歯車がガッチリ噛み合うような一体感。

 

「まあ、無いとは言わねえけどよぉ……」

 

 ウオッカは友達とのコイバナで鼻血を出してしまう程度には純情な乙女ではあるが、同時に己の選んだ道と積み上げた努力に誇りを持つアスリートだ。

 己の行動が異世界からもたらされた筋書き通りだったなどと言われて『そうか、これは運命だったのね!』とキャッキャウフフできるほど、その脳内は花畑ではなかった。

 もにょもにょともの言いたげな彼女にゴルシTは苦笑しながら訂正を入れる。

 

「ああ、勘違いしないでほしいのは別に俺たちが運命の操り人形だと主張したいわけじゃないんだ。名前も歴史もあくまでウマソウルと呼ばれるものを構成している要素の一つに過ぎない。『ある』以上は計算に入れておかないと正確な答えにはたどり着けないというだけの話さ」

 

 4という数字が気に食わないからこの数式からは4を無視して計算します、などと言っていればいつまで経っても正しい解答は出ないだろう。

 そこにあるものをあると過不足なく認めてようやく計算の準備が整う。ゴルシTにとっては本当にそれだけのことだった。

 

「ダイワスカーレットというウマ娘と有記念の間には強い因縁が存在している。それが異世界の歴史において、クラシック級の今のタイミングのものだったのかまではわからないけど……。

 確かなのはこの世界のダイワスカーレットは今まさに有という大舞台で積年のライバルと決着をつけることを望んでいて、それはあちらさんも同じだってこと。こうなってくると因果が強固に結びついてしまってね、外部からの干渉ではちょっとやそっとでは動かせないんだ」

 

 多分に感覚的で非科学的な、しかし確かにゴルシTがこの業界で自身の目で培った経験だった。

 ここで思い出しておきたいのが、この学園におけるトレーナーとウマ娘の関係性だ。

 この両者は指導する側とされる側ではあるが、教師と生徒のように一方的な力関係にあるわけではない。より具体的かつ露骨な差異を挙げれば、その契約は双方のどちらからでも打ち切れるのだ。

 そのことを持ち出されたウオッカが血相を変える。

 

「もしもスカーレットのありさまを見かねて有を出走回避させようとすれば、アイツが契約を一方的に打ち切ってよそのトレーナーに流れるってのか!?」

「彼女に冷静な判断力があればそんなことはしないさ。ただ、テンプレオリシュが絡んだときの彼女はどうも冷静さに欠けるからねえ……」

 

 万に一つも起こりえないことではあるが、可能性はゼロではないとゴルシTの頭脳は冷徹に俯瞰している。

 

未成年(こども)にこんなことを言うのは大人として心苦しいんだが、組織っていうのは不思議なものでどんな人材を選りすぐって集めても優秀な者とそうじゃない者が発生するんだ。ここ中央のトレーナーでさえその摂理からは逃れられなくてね」

 

 東大を超える難易度とも言われる中央トレーナー試験に合格できた以上は無能ではなかったのだろう。きっと能力相応の熱意だってあったはずだ。

 しかし中央に来て挫けてしまうウマ娘がいるのと同じように、トレーナーも現実を前に挫折する者がいる。理想は日常になり、ただ金を稼ぐための仕事と成り果てる。

 ダイワスカーレットという優駿の担当に居座れるのなら、彼女の安全や未来を軽視することは十分にありえた。

 

 そしてURAもそれを止めはしないだろう。

 当の本人が望んでいるというのがまず大義名分として強すぎる。

 利益の観点からしても無敗のクラシック三冠ウマ娘と無敗のトリプルティアラのウマ娘がその年の有記念で雌雄を決するという話題性。しかも二人は同郷の幼馴染という因縁付き。

 比喩抜きで空前絶後の話題性。民衆はそれを望み、レースが興行である以上それをURAが拒むことはできない。

 秋川理事長や樫本理事長代理はウマ娘のことを第一に考え行動する善人だが、組織という世界では見るからにお子様な秋川理事長はもちろん樫本代理ですら若すぎる。大勢を覆すには至るまい。

 

「まあいろいろ言ったけど、要するに今は下手に止める方が危険なんだ。どのみちダイワスカーレットが有記念に出走する流れになるのだとすれば、うちの担当ウマ娘でいるのが一番安全で一番勝率が高い」

「お、おう。すげー自信だな」

 

 まあ言うだけの実績はあるしなと納得するウオッカに、ゴルシTは苦笑して肩を竦めてみせた。

 

「ここだけの話、実はトレーナーが自分の天職だと思ったことは無いんだ。やればやるだけ至らない部分が目につくようになって、年々下手になっているような気さえすることもある。でも、俺以外のトレーナーは俺以上に至らないところが目につくから」

「……トレーナーのそういうところ、かなりリシュに似てると思うぜ」

 

 『自分のできる当たり前』が周囲と隔絶し過ぎている。当たり前にできることをすごいすごいと賞賛されても、得意げになるより何故周囲はできないのかともどかしさが先立つ。

 強者に生まれついた無意識下の傲慢さが二人の共通項。ただ無自覚というわけではなく、それを他罰的な言動や周囲の蔑視に変換しない穏やかな気性もそっくりだ。人生経験の差か本人の気質の差か、ゴルシTの方が社交性は遥かに上だが。

 他の誰かに任せるよりも自分がスカーレットを見た方が一番安全というのは嘘偽りのない彼の本音なのだろう。

 

「大丈夫。スカーレットは故障しないし、させないよ。そのために俺がいるし、きみがいる。だろう?」

 

 言葉には力が宿る。

 決して大きいわけでも、荒げているわけでもない穏やかな声色にはすっと身体に染み渡る滋味のような温かさがあった。

 ダイワスカーレットは有記念を走り、ちゃんと自分たちのもとに帰ってくる。そう納得させる説得力があった。

 極論、トレーナーとは相手に自分の言うことを聞かせる仕事である。そういう意味でも目の前の男は確かに超一流の天才なのだ。

 

「……やれやれ、世話のかかる優等生サマだぜ」

 

 素直に首肯するには気恥ずかしくてウオッカは憎まれ口でごまかす。

 ライバルであり続けるために過度な馴れ合いは厳禁なのだ。

 

 

U U U

 

 

「なあマヤノ」

「なーにートレーナーちゃん?」

 

「本当に今年じゃないとダメなのか?」

 

 スポーツタオルで顔の汗をぬぐっていたマヤノは、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには心配そうな表情を隠しきれていない彼女の担当トレーナーがいた。

 

「トレーナーちゃんは間に合わないと思うの?」

「違う! そうじゃなくて……」

 

 反射のように飛び出た否定を嬉しく思う。

 マヤノの見立てでも自分の身体は有記念にはバッチリ仕上がる。それなりにタイトなスケジュールにはなるが、当日には菊花賞のとき以上の力を発揮できるようになっているだろう。

 その見解が一致したことにおそろいだねーとそれだけで嬉しさ一つ、その上で心配してくれていることに重ねて嬉しさ一つだ。

 えへへーと笑み崩れるマヤノにトレーナーは気勢をそがれた様子を見せたが、軽く首を振って躊躇いを振り払うと言葉を続けた。

 

「今年の有記念はテンプレオリシュにダイワスカーレット、ナリタブライアンの三名の出走がほぼ確実。

 桐生院トレーナーのところからさらにハッピーミークも出走するかもしれないという話だし、黄金世代の何人かがドリームトロフィーリーグ移籍前に有終の美を飾ろうとしているという噂もある」

 

 観客にとっては夢の舞台だが、自らの担当を勝利に導くべきトレーナーからすれば夢は夢でも悪夢の祭典である。前世でいったいどんな悪行を積み重ねたのだという話だ。

 あくまでクラシック級のみで構成されていた菊花賞とは比べ物にならない激戦。その菊花賞のときですら大きく消耗したマヤノを誰よりも身近で見てきたトレーナーからすれば、いまだ発展途上の彼女を今の段階で送り込むには過酷すぎる戦場のように思えた。

 

「マヤノの成長期はこれからが本番だ。たしかに夏で君は一気に伸びたけど、シニア級以降はそれ以上の成長が予想できる。

 リシュちゃんは春秋シニア三冠を狙うって話だろう? 今は無理をせず、天皇賞・春あたりに狙いを定めた方が……」

「うーん、でもたぶん。今年の有記念がリシュちゃんにはいちばん勝ちやすいよ?」

 

 マヤノトップガンの直感はよく当たる。

 それは周知の事実であり、その優れた感性にふさわしいトレーニングメニューを用意しようと四苦八苦の日々を送っている彼女の担当トレーナーは骨身にしみて理解している。

 

「…………えっと、詳しく聞かせてくれる?」

「いいよー。リシュちゃんはね、何も考えていないときがいっちばん強いの」

 

 思考が介在しない極度の集中状態。

 それがマヤノトップガンから見たリシュの一番の強みだ。

 多くのウマ娘にとって想いは力に変わるが、リシュの場合はそれに当てはまらない。むしろノイズになりうる。

 周囲を節操なしに取り込んで勝手に最適化する霧の在り方。何色にも染まるように見えて、その実すべてを自分の色にする傲慢な無色透明。

 それがリシュの恐ろしさにして真価。

 

「でもね、スカーレットちゃんといるときのリシュちゃんは違う。すごく人間っぽくなる」

 

 思い出すのは夏合宿。

 リシュは基本的に感情表現が控えめだ。

 常日頃から頭の中で会話しているため外からぼんやりとしているように見えるし、笑うときも唇を緩めるような微笑に留まることが多い。

 マスコミが取り上げるのはもっぱらレース直後や、最近だとスプリンターズSの対サクラバクシンオー時の映像が多いので誤解しているファンも多いが、走っているときの彼女はほとんど自身の感情を見せない。

 だが〈キャロッツ〉との合同訓練時、スカーレットを相手にしているときは違った。

 

「走っている最中だったのに声を上げて笑っていたの。あんなリシュちゃん初めて見た」

 

 走り終わった後に反芻して、水中から浮上するようにようやく喜色を浮かべるのでもなく。取り込んだ誰かの欠片が消化しきれず外部にはみ出るのでもなく。

 あのとき確かにリシュ自身の感情が素直に発露していた。思考を介在させず集中の水底に沈むいつもの彼女ではなかった。

 

「マヤがいっぱい考えてたくさん頑張ってようやくたどり着けるリシュちゃんのゆるいところ、スカーレットちゃんはそこにいるだけで引き出せるんだよ。ちょっとずるいよね」

 

 つまりねー、とマヤノは言葉を続ける。

 今年の有記念じゃないといけない理由。きっと一回経験すれば、それさえも彼女たちは弱点を自覚して次には克服してしまうだろうから。

 公式レースで初めてぶつかるここが最大のチャンスなのだ。

 

「スカーレットちゃんはね、存在そのものがリシュちゃんの天敵なんだよ」

 

 

 



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紅葉と芽吹き

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U U U

 

 

 痛みを知れ、ただ一人のため。

 

 

U U U

 

 

『最終コーナーを抜け直線に入る。真っ先に抜け出したのはタイキシャトル。強い強い、あとはもう後続を千切るだけ……いやウオッカ追走! 内側からバ群を切り裂いて上がってきた……大外からアグネスデジタルも飛んできた!』

 

《うわー、ええ……》

 

 テンちゃんが気の抜けた感嘆を漏らす。

 マイルCSに出走したデジタルの応援のため、私たちはいま京都レース場の観客席にいた。

 無敗のクラシック三冠その他諸々を成し遂げたせいでここ最近はマスコミが煩わしいことこの上ないけど、観客席にいるウマ娘をレース中に捕まえるのはマナー違反と言うよりタブーに近い。

 だから少なくとも、このレースが終わるまでは安全だろう。

 

《あー、たしかにこの世界線のウオッカはダービーから怪我していないし海外遠征の計画がおじゃんになったわけでもない。ただぼくらにダービーで負けたっていうだけで》

 

 レース観戦中のウマ娘の邪魔をしてはいけない。あるいは自身のレースへ向かう興奮気味のウマ娘にちょっかいをかけるよりも、さらに危険だから。

 マジギレしたウマ娘に蹴られたらヒトミミはお亡くなりになるのだ。

 ウマ娘とヒトはお互いに良き隣人ではあるが親しき仲にも礼儀あり。

 自分のことなら我慢するウマ娘も、自分以外まで蔑ろにされたら耳を絞ることもある。大切なライバルの応援を邪魔されようものならけっこうな確率でアウトだ。

 隣人であるからこそお互いの生態は熟知しているし、それに合わせた対応も慣習となって脈々と受け継がれているわけである。

 

《だとすれば『ダービーのウオッカ』がゴルシTの手腕で調子を維持したまま夏合宿を経験し、秋を過ぎ今に至るのだとすれば、まあつまり()()()()()()になっても理論上はまったくおかしくないんだが》

 

 そもそも、どんな素性であれ観客席にいる間は一観客でしかないわけで。

 それを軽視した態度はレースが国民的娯楽であるこの国においてナシ寄りのナシだよねという話。

 顧客層からの印象が悪いにも程がある。このご時世ならあっという間にSNSに晒されて炎上不可避だろう。

 

《え? 今のダスカってあのウオッカに勝ってトリプルティアラ達成したってマジで?》

 

 しっかし、デジタルは相変わらず凄まじい末脚だな。

 抜群に身体に悪そうな速度だ。この瞬間だけ切り取って評すれば、タイキ先輩というレジェンドさえ凌駕している。

 でも位置取りはウオッカの方が巧みだった。ラストスパート直前で微妙に前が詰まったデジタルに対し、ウオッカは完全にフリーパス。トップスピードではデジタルに一歩及ばないものの、ゴール板までの距離を鑑みると、これはいったか。

 

『アグネスデジタル驚異的な末脚。タイキシャトル苦しいけど粘っている。並んだ、三人が並ぶ混戦状態。ウオッカさらに伸びる。もつれ込むようにいまゴールイン! 体勢的にウオッカ有利か?』

 

 周囲は大盛り上がり。だが頭の中でやけに騒々しいテンちゃんのせいで、熱気から隔絶された妙な空気が私たちを包んでいた。

 三人ともタイムに差が無いくらいの接戦だったし、掲示板が確定するまでもうしばらく時間がかかるだろう。

 ただ画面越しならいざ知らず、こうしてレース場で直に見ているのだから誰が勝って誰が負けたのか私は察することができる。

 

《それにしたってうーんうーん、この三人がマイルCSで競って、こういう結果になるとはねぇ……》

 

 タイキ先輩が勝つっていうテンちゃんの予想、はずれたねー。

 私の予想もはずれたけどさ。まあ予想というか、デジタルを一番応援していたってだけなんだけど。

 

《ここが府中ならまだ想定の範疇だったんだが……ダメだな。結局ぼくは色眼鏡から脱却しきれていないってことか。まーその色眼鏡のおかげでいろいろ恩恵に与っておいて、偏見や先入観だけノーセンキューってのも筋が通らないかな》

 

 しばしのち、ぱっと点灯する掲示板。

 一番上にあったのは予想通りウオッカの名前だった。

 

『掲示板が確定いたしました! 一着はウオッカ、二着はアグネスデジタル。二大マイル戦覇者タイキシャトル、まさかの三着ですっ』

『掲示板に輝くレコードの文字、これはまぐれではありえない。堂々と今ここに世代交代を成し遂げたウオッカ。GⅠ勝利は阪神JF以来となります。ジュニア級王者がクラシックでも実力を証明し、いまここにマイル王者の座を手に入れた』

 

 短距離でバクちゃん先輩に勝った私が言うのも何だが、まさかマイルでタイキ先輩がクラシック級のウマ娘に負けるとはねえ。

 驚愕の悲鳴が方々から大歓声に混ざる中、軽くテンちゃんとこの決着になった経緯を分析する。

 

 たぶんさ。単純なカタログスペックで言えば、あの三人の中ではウオッカが一番下だったよね?

 

《そうだねー。タイキシャトルはもちろん、おデジの成長率だってバカにできないものだ。何しろぼくらと一緒にいる時間が最も長いウマ娘だからね。潰れていない以上は伸びるしかない》

 

 そんな劇薬みたいな扱いに思うところが無いわけじゃないけど。

 言っているのも自分自身だし、自覚が無いわけでもないので聞き流しておく。

 

 自惚れでなければ、タイキ先輩はスプリンターズSの消耗が回復しきっていないように見えた。

 もちろん表面上は万全だったし圧倒的だった。でも後続に追いつかれて壮絶な叩き合いに持ち込まれたとき、蓄積されたダメージが抜けきっていないのが垣間見えたというか。

 まあバクちゃん先輩や私としのぎを削ってまだ二か月しか経っていないのだ。回復が追い付いていなくても仕方がない。それだけの激闘だったから。

 一方でウオッカやデジタルは前のレースの消耗を完全に回復するのはもちろん、そのプラスアルファの分まできっちり上乗せして仕上げてマイルCSに臨んでいたように思える。

 既に完成しているシニア級と成長途中のクラシック級の違い。いや、ピークを過ぎたウマ娘と本格化真っただ中のウマ娘の差異だろうか。

 タイキシャトルは盛りを過ぎたのだという、どこか心の表面が肌寒くなるような事実を目の当たりにした。やはりウマ娘の旬とは短いものなのだ。

 私もいずれはああなるのだろう。それも、数年後というそう遠くない未来に。

 

《まー史実と比較すると十分長く走っている方なんだけどねー。トレーナーというブースターの存在を加味してもよくやったんじゃない?》

 

 どこか投げやりにテンちゃんが批評する。

 確かに芝を主戦場にしているウマ娘としては長く走った方かもしれない。

 芝よりダートの方が脚にかかる負担が少ないというのは誤りで、実際は負荷のかかる部位が異なるだけだというレポートを読んだこともあるけど。

 記録上の事実としてダートを主戦場にしているウマ娘の方がトゥインクル・シリーズの現役を張り続ける期間が長い傾向にあることから、致命傷になりにくい部位に負荷が分散される意味を含めて『ダートの方が負荷は少ない』というのは間違いではないのだろう。

 ただまあ、『史実』という表現に引っかかるものはあるが。タイキ先輩というレジェンドの歴史は目の前にあるのが十割で百パーセントだろうに。

 

《はいはい。そうですねー》

 

 なんだか怒っている?

 何に?

 予想を外したのがそんなに腹立たしいことだったのだろうか。いや、微妙に違う気がする。原因ではあるけど本質ではないというか。

 自棄……あるいは自己嫌悪。そんな落ち着かない感情が微妙に伝わってくる。

 

《ああごめん。ウオッカの潜在能力(ポテンシャル)は知っていたはずなのに、彼女がここで勝つ可能性を無意識に軽視していた自分にちょっと腹が立っただけ。続けてどうぞ》

 

 そう言うんなら今は触れないでおくけどさ。

 テンちゃんのウオッカへの評価って妙に高いよね。

 

《現状はともかく、ウマソウルの格でいえばシンボリルドルフあたりとも互角だと思っているよ》

 

 この業界の最高評価じゃん。

 実際は私やスカーレットに負け続けて、クラシック級のGⅠ勝利は今回でようやくというありさまなんですけどね。

 

《すねてる?》

 

 べつにー。

 

 閑話休題。

 さて、タイキ先輩が競り負けた理由はピークが過ぎたことによる回復力の低下として。

 単純なステータスで言えば勝るはずのデジタルがウオッカに勝ちきれなかった理由。

 まあこっちもわかりやすいか。

 アグネスデジタルというウマ娘は生粋のウマ娘ちゃんガチ勢ではあるが、レースガチ勢ではなかったというだけのこと。

 

 デジタルはウマ娘のことが好きだ。

 大好きだ。LOVEである。三回表現を重複させても追い付かないほどに心の底からウマ娘という存在を愛している(ただし何故か自分自身は除く。謎だ。むしろ一番好きになるところじゃないのか)。

 デジタルの思うウマ娘が最も輝く場所がレースであり、それを特等席から拝むために自らもレースの道を選んだのだ。

 つまり彼女にとってレースに勝つことは、彼女がレースを志した動機と必ずしも一致しているわけではない。

 やや語弊がある表現になるがデジタルにとって一着は目標ではなく義務なのだ。

 あの輝かしい場所にお邪魔するのなら、限りある枠を自分ごときが占領して出走してしまった以上真摯に一着を目指す()()であると。

 その微妙なニュアンスの差が、魂のぶつけ合いとでも言うべき最終直線でわずかな遅れとして露出してしまったのではないだろうか。

 

 このあたりはデジタルの課題かな。

 いやどうだろう。彼女の個性という気もする。

 少なくともウマ娘ちゃんへの尊みを捨てて勝利に固執する彼女を私は見たくない。それで勝率が上がるとしてもだ。

 ここは負けたデジタルに欠点があったと決めつけるのではなく、勝ったウオッカを褒めることでお茶を濁しておくべきか。

 勝利への執念が足りないせいで最後の一押しが足りないというのなら、執念が無くとも勝ちきれる安全マージンを稼げるだけの地力があればいいだけの話だろう。

 実際、私はさほど勝利に執着していないが勝ち続けているわけだし。

 

 ただまあ、その執念というか。

 レースへの純度が最も高かったから今回ウオッカが勝ったのも事実。

 根性や気迫で実力差がひっくり返るなら苦労しないし、その理屈だと負けたやつは根性が足りなかったみたいになるから嫌いだけど。

 全部が全部ではないが、状況を打破する一要素として精神力で押し通せることだってあるわけだ。物理法則が時々呼吸を止めるウマ娘だとその傾向はより顕著になる。

 

 ターフビジョンに映し出されるウオッカの勝利者インタビューを観察する。

 消耗が隠しきれていないが、疲労で精彩を欠いた表情の中にも達成感がにじみ出ていた。

 負けてたまるかと、勝つのは俺だと気迫を漲らせて走っていた。私の思い違いでなければ彼女はスカーレットのことをライバル視しているようだから、このままでは置いていかれるという焦燥もあったのではないだろうか。

 時期的にこれがクラシック級のラストランになるはずだ。

 勝ててよかったね。

 友人として、素直に祝福しておこう。

 

 実況は世代交代なんてそれっぽいことを言っていたけど、タイキ先輩はこれでドリームトロフィーリーグの方に移籍してしまうのだろうか。

 確実に招待状の方は届いていると思うけど。むしろあの人に出さなきゃマイル部門で資格のあるウマ娘がいなくなるレベルだ。

 

《どうかな。中央に来るようなウマ娘は総じて責任感が強い。アオハル杯があと一年残っているから、その間はトゥインクル・シリーズの方に残っているかもしれないね。夢杯と同じ半年に一度ペースなら本格化が終わっていても相応の実力は発揮できるようだし》

 

 それもそうか。

 アオハル杯はドリームトロフィーリーグのウマ娘に出走資格はないものね。

 それにしても、三年かけて開催されるアオハル杯の二年目がもうすぐ終わろうとしてるのか。そろそろ初期メンバーの離脱が目立つ時期になりつつあるのかもしれない。

 個人の戦いではなくチームの名前を優勝まで導くアオハル杯の本領発揮だ。まあ〈パンスペルミア〉初期メンバーは最年長で当時シニア二年目のミーク先輩だったから、エース陣の交代はまだまだ先になりそうかな。

 

《ミークもなぁ。全然衰えが見られないんだよな。このままだと覚醒ミークでもないのに全能力がSに届きそうな勢い。これもぼくらの影響なのかしらん? 十中八九そうだろうなぁ……》

 

 何やらテンちゃんがしみじみしている。

 

 来週にはジャパンカップか。

 一昔前は海外ウマ娘の草刈り場だと嘆かれる状態だったらしいけど、最近はそうでもない。テンちゃんがレジェンド級と呼ぶような実力者がじゃかぽこ湧いているからね。

 実際、今年の開催もブライアン先輩が大本命の日本総大将。ゴールドシップ先輩も出走するらしいのでどちらかが勝ってくれるだろうと世間は期待している。

 私も異論はない。

 

 それが終わると十二月が来る。

 年末の祭典。夢のグランプリ。

 有記念が着実に近づいていた。

 

 

U U U

 

 

 そんなこんなで月日は流れ十二月某日、都内の高級ホテルにて。

 

 今日はここで有記念の記者会見が行われる予定だ。

 初めて袖を通した時はやっちまったと思ったこの勝負服も、あと数えるほどしか着る機会が無さそうだと思うと名残惜しさすら感じる……かもしれない。いや、やっぱりまだ羞恥心が勝るか。

 

 記者会見は学園で行われることもあるのだけど。今回はこうやって一般市民には縁の無い豪華絢爛なホテルの、披露宴にでも使われそうな広々とした会場が用意されている。流石はグランプリというやつだろうか。

 いや、格式の差ってことはないか。由緒正しき日本ダービーのときだって学園でやったわけだし。実はどういう基準なのかいまひとつ把握していない。だってあまり興味ないし。

 なんだかんだ言ってあくまで未成年の学生でしかないのだ。行けと言われたところに行って、やれと言われたことをやる。興味のないことに関する子供の意識なんてそんなもんである。

 

「いったんこちらでお待ちください」

 

「ありがとうございます。いきましょうかミーク、リシュ」

「……はい」

「わかりました」

 

 丁重な案内に礼を言い、桐生院トレーナーの後に続く形で入室。

 呼び込みが掛かるまで立食パーティーよろしく軽食が用意された控室で、見栄と値段がイコールで結ばれていそうな高級な食材を口にできるのがこういう場で行われるときのメリットだろう。

 ただまあ、個人的には学園からわざわざ移動しなければならないデメリットの方が大きい。時間も手間もそれなりにかかる。そのリソースを走る方に回したい。

 べつに練習熱心さをアピールするつもりはないけどさ。人付き合いのわずらわしさはやっぱり嫌いだ。

 レースで走る私が好きなら喋らせるんじゃなくて走らせろと、一年以上この業界にいるがいまだに思う。

 金も人手も無から湧いてくるわけがない以上、こういう活動もレースやライブと同様に重要な要素だというのは頭では重々承知しているつもりなんだけどねえ。

 

 部屋に入るや否や既に来ていたウマ娘たちの視線が私たちにぐさぐさと突き刺さる。

 見知った顔もあれば、データでしか知らない顔もある。とりあえずマヤノがやっほーと手を振ってきたのでやっほーと手を振り返した。

 まあ出走するウマ娘の中で一番見知った顔は真横にいるのだけれど。

 

「……リシュちゃん」

「はい? どうしましたミーク先輩」

 

「…………負けません。むん」

「あ、はい」

 

 このタイミングで宣戦布告とは、相変わらず独特なペースで生きているお人である。

 白の勝負服が眩しい。

 より厳密に言えば膝丈まである印象的なコートだって襟に金がアクセントで使われているし、ベストとスカートは淡い水色だったりするのだが、ミーク先輩の白毛と非常にバランスよく調和しているため全体のイメージは純白。

 ネタ色の強い私の勝負服とは大違いだ。

 

 年末の夢の祭典に桐生院トレーナーの担当から二人のウマ娘が出走。今のところ彼女の担当ウマ娘は私とデジタルとミーク先輩の三人なのだからなんと過半数だ。

 飛ぶ鳥を落とす勢い。トレーナーの名門桐生院の中でも歴代最高の手腕であるなどと持て囃す声もしばしば聞く。

 

 ただ、知名度でいえばトレーナーはウマ娘に一歩劣る。

 若くて美人で優秀な桐生院トレーナーは一定数のファンを有するが、それでも歌って踊って走れるウマ娘には敵わないのだ。

 つまり何が問題なのかと言うとライト層からの評価、言い換えれば世間一般から抱かれている印象。

 桐生院葵という人物は多くの人間にとって『前人未踏の大記録を成し遂げたウマ娘テンプレオリシュの担当トレーナー』なのである。

 ……自画自賛じみたことを言っている私の羞恥心はさておこう。

 

《それがハッピーミークの逆鱗に触れた!》

 

 いや、逆鱗に触れたわけじゃないけど。

 普通に仲のいい先輩後輩でチームメイトだけども。

 意識されているのは間違いない。『負けません』というのは単純にレースでどちらが先着するかというだけの話ではないだろう。

 もともと、こうやって有記念に出走が叶うことからわかるようにミーク先輩は間違いなくトゥインクル・シリーズを代表する優駿の一人なのではあるが。

 同期にゴールドシップという破天荒なスターウマ娘がいたせいで、微妙に過小評価されている気もする。

 口さがない者は『ハッピーミークで練習した成果をテンプレオリシュでいかんなく発揮している』などと、これといった悪意も無く放言している始末。

 

 でもさ、桐生院トレーナーの前じゃ大きな声では言えないけど。

 私も、きっとテレビの前で応援してくれているデジタルも。

 桐生院葵の愛はハッピーミークだと思っているよ。

 贔屓しているとか、そういう話じゃなくて。こう何というか。

 あの二人はパートナーなのだ。

 何もかも初めてづくしのトゥインクル・シリーズを二人三脚で走り抜けた。お互いを思いやっているのに気持ちが掛け違って、すれ違って、クラシック級の一年間なんて迷走もいいとこだった。

 その上でシニア級になってからわずか一年でURAファイナルズに参戦可能なスターウマ娘の一人までいっきに上り詰めて、魑魅魍魎がひしめく決勝戦で入着という成果を出した。

 一人のトレーナーと一人のウマ娘が『最初の三年間』で築き上げた特別な関係性。中央ではよくあるものだと第三者が笑ったとしても、当人たちにとっては代用不可能な宝物。

 

《ハッピーミークの成果あってこその今のぼくらだって意味じゃあ、ネット上の無責任な発言もあながち間違いではないわな》

 

 そうね。腹は立つけどね。

 私もデジタルも、桐生院トレーナーとミーク先輩が積み上げたものに後から来ておいてのうのうと乗っからせていただいている。

 その意識はあるし、それがある以上はどうしたって桐生院トレーナーとの関係性はミーク先輩が築いたものとは異なってくる。

 ミーク先輩がいたからこそ、デビュー前から高水準に整っていた『走るための環境』。絶好のスタートダッシュの価値は時が経てば経つほどに実感の重さを増していく。

 きっと私がミーク先輩に足を向けて眠れる日は一生来ない。

 それはハッピーミークというウマ娘がいろんな意味で私の先輩だからだが、決して肩書に平伏しているわけではないのだ。

 

「…………おー。あのお皿、ひっくり返ったグソクムシみたいでかわいい」

「アッハイ」

 

「ふふ、そうですねミーク。綺麗な盛り付けです。リンゴ、よければ取ってきましょうか?」

 

 それはそれとして独特の感性には共感し難いものもあるけど。

 色とりどりのフルーツは庶民の手にはなかなか届かない高級品であるはずなのに、いっきに食欲が失せた。

 

《知ってるか? グソクムシって食えるらしいぞ》

 

 いま問題なのは食えるか食えないかじゃないんだよなあ!

 そりゃあカニもエビも食文化というフィルターを通さなきゃ似たようなもんだとは思うけどさ。

 感情は理屈ではないのだ。それはそれとして理屈で感情をねじ伏せなければならない局面は多々あるけどね。

 

「さて。いいですかミーク、リシュ」

 

 取ってきてくれた以上は食べねばなるまい。一口サイズのリンゴをしゃりしゃりと咀嚼する私とミーク先輩の前で桐生院トレーナーは注目を集めるように人差し指を立てる。

 

「最強は定義の数だけ存在しますが、有記念に出走する十六名のウマ娘は間違いなく今年度の最高峰の十六人です」

 

 これは別に私たちのことを賞賛するために言っているのではあるまい。

 その予想を裏付けるように桐生院トレーナーは真剣な表情で言葉を続ける。

 

「あなた達の才能と努力はどこに出しても恥ずかしくないものですが、どうしても経験という一点においては百戦錬磨のウマ娘たちに一歩劣ります。

 ゲートに収まればそこからは敵。しかし裏を返せば、まだこの場にいる間は頼りになる先達であり同朋であるわけです」

 

 アオハル杯のようなチーム戦ならいざ知らず、公式レースにおいて自分以外のウマ娘は全員が敵だ。

 これは言葉を飾ったって仕方がない。もっと敬意のある呼び方があるのではないかとズレた苦言を聞くこともあるが、これは逆にそれ以外に定義する方が不義理だと思う。

 勝利せねばならない相手を、それ以外の何かと誤魔化していったい何になるというのだろう。

 

 だが、敵だからと言って粗雑に扱っていいわけでもないのだ。

 そもそもこの業界は広いようで狭い。仁義を欠いた行いはあっという間に世界を一周して自分の背中を蹴り飛ばす。

 普通に顔見知りと言える相手も、友達と呼べる相手もいるしね。必要以上に傷つけたってこちらが嫌な気分になるだけである。

 

「存分に交流を図って学んでください。保護者同伴ではどうしても詰め切れない距離も生じるでしょうから、私も私の成すべきことを成します」

 

 そう言い残して桐生院トレーナーはトレーナー陣が集まる区画に行ってしまった。

 私たちウマ娘はゲートに入ってからが本番だが、トレーナーはレース場まで送り届けてしまえば後は答え合わせのようなもの。

 宣言通り、これから彼女はトレーナーとしての使命を存分に果たすのだろう。

 

「…………ではお互い、がんばりましょー、おー」

 

 ミーク先輩はぬぼーっとしたいつもの表情のまま、さっさと行動を開始してしまった。

 マイペースな性格ではあるが、桐生院トレーナーの指示にはいつだって彼女なりに全力で応えているお人だ。

 

 さて私はどうしようかな。

 チーム〈ファースト〉の面々がいれば同じはぐれもの同士、少しはマシだったのだが。

 実力的にココンやグラッセあたりは既にGⅠ級と言えるのだが、さすがに有記念の十六枠に入るのは荷が重かったか今年の出走メンバーの中に彼女たちの姿は無い。

 時期的にアオハル杯プレシーズン第三戦が迫っており、当人たちのモチベーションがそちらの方に向いているというのも大きかろう。

 やっぱりアオハル杯の開催時期、間違っている気がするよね。

 

「おい」

 

 ぼんやり立ち竦んでいると、ぶっきらぼうな声と共に近づいてきた人影がある。

 私に向いていたいくつかの意識がそのビリビリとした気迫に圧されて遠ざかっていった。

 

 



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かくして役者は揃う

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U U U

 

 

 嘘を吐くコツは、愚直なまでの正直者であることだ。

 

 

U U U

 

 

「ブライアン先輩」

 

 普段から威圧感たっぷりなお人ではあるが、本日は勝負服の効果で猛禽じみたプレッシャーが倍増していた。

 意匠のベースはセーラー服なのだろうか。しかし腰を覆う白いコートといい、胸に巻かれたサラシといい、注連縄を模した装飾といい、受ける印象はどちらかといえば学ラン。

 言ってしまえば不良マンガの番長あたりが着ている長ランだ。

 

「先日はジャパンカップの勝利おめでとうございます」

「ああ」

 

 真っ先にこの話題になったことに深い意味はない。

 顔を合わせれば話をする程度の仲とはいえ、中央の生徒数は二千人。お互いに暇とは言い難い立場であり、LANEなどでまめに連絡を取るタイプでもない。

 だから今日まで言う機会が無かった。それだけの話である。

 

 ジャパンカップの彼女はすさまじいの一言に尽きた。

 海外勢だって弱くない。わざわざ海を渡って不慣れな日本のバ場まで遠征に来たウマ娘なのだから。勝算と、それに見合うだけの実力があったはずだ。

 それでもナリタブライアンには敵わなかった。

 圧巻の三バ身。わりと真面目に走っているように見えたゴールドシップ先輩が二着でそれである。

 

《さすがはレジェンドをして『勝てる気がしない』と言わしめた怪物って感じだったよな》

 

 はてさて、テンちゃんが言っているのはどのレジェンドのことなのやら。

 

「あのレースも悪くはなかったが……満腹には程遠い」

 

 金色の双眸が私の顔を舐める。

 いつかゲームセンターで邂逅した日を思い出す。いや、あれは出会ったというよりすれ違いに近かったか。

 でも確かに脳裏に刻まれた記憶だった。それは向こうも同じだったのだろう。

 

「これだけ待たせたんだ。相応のものを味わわせてくれるんだろうな?」

「私だって好きで待たせたわけじゃないんだから勘弁してくださいよ」

 

 びりびりと肌が内側から刺されるような刺激だったが、肩をすくめて返した。

 

 身体の成長は自分の意思だけではどうしようもない。

 慎重に慎重に。少しでも加減を間違えればバキリとそのまま踏み砕いてしまいそうな薄氷の日々を積み重ねて、ようやくここまで来たのだ。

 

「まあ、お待たせした甲斐あって今回も無理のないコンディションで挑めそうです。それで今日まで一度も負けなかったので、次もきっとそうなると思います」

「ふっ。そうか」

 

 しかしこれはいいな。

 意識して威嚇しているわけではないけれど、私とブライアン先輩が並んだ威圧感は相当なものらしい。

 私に話しかけたそうにしていたウマ娘やトレーナーたちが完全に二の足を踏んでいる。

 勝負モードに入りつつある今のテンションでよく知らない相手とお喋りなどしても、トラッシュトークじみたものにしかならない確信があったから助かった。

 

 失言に暴言。

 傍から見ている分には面白いだろう。

 でも私、別に誰かを傷つけて悦に浸る趣味を持ち合わせているわけではないのだ。いや本当に。

 どうにも私の共感性は一般的な平均から大きく下回っているようだけど、それでも自分の言葉で傷ついた相手を見ると多少は不快になる。

 今日のところもテンちゃんがそういう方向に誘導している節は無いし、話さなくていいのなら話したくない。

 

《あれ? 気づいてた?》

 

 はっきり気づいたのは菊花賞のときの記者会見だったけどね。

 『なんだかいつもと違うな』って。

 そもそもテンちゃんは私と違って対人能力が無いんじゃなくて、相手にどう思われようとも自分の行動を改めないだけだ。相手がどんな気持ちになるか把握した上で断行しているのでよりたちが悪いとも言えるが。

 つまりその気さえあれば、私の言動を事前に添削できるわけである。

 

 これは私の人生だからと、私が失敗しそうなときでもあえて静観する節があるのは知っている。取り返しがつく範疇なら何度も痛い目を見てきたし、手に負えない規模になりそうならちゃんとフォローしてくれた。

 でも上手く根拠は挙げられないのだが、これはちょっと性質が異なる気がするのだ。

 なんだかスプリンターズSまでのテンちゃんはマスコミを始め、周囲に過激な発言をすることを意識してるように感じられた。

 

《まあね。無関心よりも悪評が勝るのがこの業界。一生あんなのっていうのは流石にナシだけど、三年間という限られた時間ならああいうキャラ付けにした方が効率よく売り出すことができるから》

 

 キャラ付けなんだ。

 

《でもまあ、たぶん当初の目標は達成したし? まだまだ稼げそうだし、せっかく造り上げたキャラクター像をわざわざ壊すまではいかないけど。これ以上むやみに敵を作る必要も無いかなって》

 

 ふぅん?

 その当初の目標っていうのは教えてくれないの?

 

《うん。まだ秘密ってことで。いずれわかることだろうし、今わかったところで何かメリットがあるわけでもないし。何よりちょっぴり恥ずかしいから》

 

 最後のが本音だな。間違いない。

 まあテンちゃんは気まぐれで嘘つきだが、こういう肝心なところで私に嘘をついたことは一度も無い。

 なら、本当にいつかわかることで、いま知る必要のないことなのだろう。じゃあそれでいいや。

 

《逐一添削される赤ペンだらけの人生なんて送るのも送らせるのもまっぴら御免だけどさ。リシュが他者との付き合い方を見直したいって言うのなら練習には付き合うよ?》

 

 うーん、それはなぁ……。

 なんとなくだけど、すごく嫌だ。

 

 だってこうしてブライアン先輩とはお互いに傷つくことも傷つけることもなく会話が成立しているじゃあないか。

 マヤノもデジタルも、桐生院トレーナーだって私が何を言わんとしてるのかしっかり理解してくれるではないか。

 何よりお互いに傷ついて傷つけて、それでもスカーレットは私とずっと付き合ってくれているじゃないか。

 

 私と関係性を築いた誰もが痛みを知るわけじゃない。接触したときに一方的に罅が入るのは単純に双方の強度に差があるからだ。

 礼を失しているとか、相手への敬意を欠くとか、ネットやマスコミからは好き勝手言われることも多いけど。私は私の理論でちゃんとやっている。

 理解できないのはお互い様じゃないのか。

 なのになんで私の方が相手側に配慮してやらねばならないのだ。

 かなりひどいことを言っている自覚はあるが、どうしてもダメだ。生理的嫌悪に近い拒絶が心の奥底から湧き上がってまったくやる気が起きない。

 

《弱者は強者の理論に従うしか無いんだ。力が無いからね。ゆえに相手を慮るのは強者の権利。それだけの話だ。単純な理屈だよ。まあ、それを強者側の義務であるかのように弱者側が要求する昨今の風潮はどうかと思うけどねー。しかし――》

 

 テンちゃんが苦笑する気配が伝わってくる。

 

《単純な世論への反発だけってわけでもなさそうだな。資格無き者への酷薄さ、残忍性。材質が()()()寄りなのは相変わらずってことか。情緒が十分に稼働し始めた分、そちらの性質も今の段階では強く引き立てられているっぽいね》

 

 何だろう。

 きっと(リシュ)のことを言っているのに、中身がさっぱりだ。

 でもテンちゃんはいくら聞いても教えてくれないことは絶対に教えてくれないし、逆に私が知っておくべきだと思ったことはちゃんと知らせてくれるからなあ。

 意味深なことを脳内で垂れ流された時にモヤモヤしながらスルーするのにも慣れたものだ。

 

 ねえテンちゃん。私がやりたくないのは悪いことなのかな?

 

《悪いよ》

 

 ばっさりとした断定だった。

 

《善悪っていうのは人間社会で生きるための基準(ルール)だからね。社会的動物として活動するのに支障が出る行いは悪だよ》

 

 そういうもん?

 もっと善悪とか倫理道徳とか、不変的な何かがあるんじゃないの?

 

《じゃあたとえばの話。冬眠に失敗したクマさんに出会ったとする。ヨダレをぼたぼたこぼすクマさんに『殺生はいけないことだ』と説法したとする。クマさんは涙を流して悔い改めて次の日からベジタリアンになると思う?》

 

 ……無理だね。

 というか翌日から菜食主義者なら食べられてるよね、それ。

 

《そういうこと。それができるのならソイツは新興宗教の教祖になるべきだね。いや、教祖になるようなやつなら逆に食わせるかな? でも宗教が絡むと善悪ってねじくれるからなぁ。飢えた虎に我が身を与えるのは宗教的には自己犠牲の献身だが、人類社会の観点からすれば野生動物に人肉の味を覚えさせるのは言い訳無用の害悪だし》

 

 うん、宗教がややこしいってことはわかったからそれ以上はやめておこうか。

 いろんな方面から怒られそうだ。

 

《まーね。要するに善だの悪だのの割り振りが通用するのはある程度安全が確保されたコミュニティ内部で、同族を相手にしているとき限定ってこと。食うか食われるかの生存競争の最中に倫理道徳を説いたところで食われるだけなんだよ。だって食う側に回らないのを選ぶってことなんだから》

 

 わりと反駁をいくらでも思いつく極論のような気がするけど。別に私はテンちゃんとディベートしたいわけじゃない。

 ばっさり切り捨てたわりに否定も咎めも無く、むしろ愉快そうな声色だった理由がわかるのならそれでいい。

 

《悪であることが悪いことだと認識されるのは、普通は悪のままでは生きていけないから。逆説的に社会的動物の一員であることを否定しても生きていけるほど強いのなら、悪のままでも悪くはない。ぼくはそう思うよ》

 

 じゃあ悪いやつのままでいいや。

 結局のところ、私には自分さえあればそれでいいのだ。

 

「よっ、お二人さん。こんなところで既にタイマンとはお熱いねえ。でもまだレースは始まってすらいないんだ。今から眼中にも無いって態度じゃ妬けちまうってもんさ」

「アマさんか……」

 

 肉食獣じみたオーラのバリアも、その猛獣にこまめに餌をやって世話を焼いているお人には効果が無かったようだ。

 私から目を逸らし、闖入者へまっすぐ顔を向け愛称を口にするブライアン先輩からは彼女に対する信頼と親しみを感じる。

 私とブライアン先輩が話しているところに割り込んできたのはヒシアマゾン先輩。スカーレットと同じくティアラ路線に進み複数のGⅠを制した女傑だ。

 ブライアン先輩の同期であり、彼女たちがクラシック級だったときの年末はこの有記念でシニア級の優駿たちを差し置いてワンツーフィニッシュを決めたほどの実力者でもある。

 学園内においては美浦寮の寮長としても有名だろう。その面倒見の良さの範疇は自身が担当する美浦寮の生徒に留まらないため、彼女のお世話になったウマ娘は少なくない。

 実際にブライアン先輩も栗東寮に所属しながら頻繁に世話を焼かれている一人。ヒシアマゾン先輩お手製の可愛らしいキャラ弁を、もくもくと仏頂面で食しているブライアン先輩というのはたまに見かける光景である。

 

「二人だけでメンチ切り合ってないでもっと周囲(アタシら)にも目をやっておくんな!」

 

 快活に笑うその表情にはさっぱりとした気風の良さがにじみ出てた。

 でもその面倒見の良さ、今の私的にはあまりありがたくなかったかな。

 きっとヒシアマゾン先輩が私やブライアン先輩を蔑ろにしているわけではない。他者と交流するのは正しいことで、私たちが不特定多数とのコミュニケーションを不得手としていることも事実である。

 私たちに話しかけたがっている者たちとの橋渡しをしておいて、さていい仕事したねと放り出すお人でもないだろう。きっと間に入って潤滑油の役割を果たしてくれる気満々のはずだ。

 ありがたい話である。

 でも別に、私たちはその正しさを求めているわけではないのだ。

 

「……気が乗らん」

「あっ、ちょ」

 

 普段から面倒を見てもらっているため強気に出ることはできず、かといって素直に従うでもなく。

 まるで嫌いな野菜を皿の隅へフォークで移動させるように、ふいっと逃げ出したブライアン先輩は幼稚といって差し支えない醜態だったけれども。

 私の目には悪くない態度に見えた。

 そうか、あれでいいのか。あんな生き方でも十分通用するんだ。

 

「待ちなって! あーもう、いっちまいやがった」

 

 同じ室内とはいえここは披露宴に使えそうな広さがある。さらにまだ全員が到着したわけではないが、出走する十六人とそのトレーナー陣が着々と集まりつつあるのだ。

 逃げられたら追いかけないといけない程度には距離が空いてしまうし、この人混み。意固地になって追い回さないと捕まえるのは難しかろう。そしてヒシアマゾン先輩はそこまで大人げない真似をする気は無かったようだ。

 がしがしと乱暴に頭を掻くと、私の方に向き直る。

 

「あー……邪魔してすまなかったね。こうしてしっかり話すのは初めてかい? ヒシアマゾンだ、よろしくな」

「どうも、テンプレオリシュです」

 

 軽く会釈するにとどまった。

 お互いに顔と名前を知っているし何度もすれ違ってはいるが、面と向かって会話する機会には恵まれなかった相手。かといって今さら初めましてから始めるのも据わりが悪い。

 美浦寮の寮長なのにテンちゃんが接触していなかったのは少し意外。

 

「……へー、なるほどねえ」

 

 まじまじと私の顔を観察した後、ヒシアマゾン先輩はまたもや快活な笑みを浮かべた。

 

「よかった! あのブライアンにそっくりって聞くからどんな問題児なのかと覚悟していたが、噂よりずいぶん可愛らしい子じゃないか」

「そうですか」

 

 先にも述べた通り、当時クラシック級だった頃のヒシアマゾン先輩とブライアン先輩の有記念は語り種となっている。

 それは素直に輝かしい歴史の一頁ではあるのだが、人々というのはとにかく新しいものを古いものに重ねて解釈したがる。

 べつにブライアン先輩は三冠ウマ娘ではあったが無敗ではなかったし、ヒシアマゾン先輩もティアラ路線で優秀な成果を出したとはいえ無敗のトリプルティアラなどではなかった。いや、だからこそなのだろうか。

 かつての二人と同じくクラシックの二つの路線で優秀な成績を出した私とスカーレットが有記念で雌雄を決する。その様をかつての栄光に脳を焼かれた老人どもはやれ新世代の怪物と女傑だのと好き放題に囃し立てる。

 勝手に新旧で括らないでほしい。別に私はブライアン先輩の後継者に収まったおぼえは無いし、ブライアン先輩だって旧式扱いされて愉快なはずが無いのだから。

 個人的にはそう思うのだけども、それはヒシアマゾン先輩の耳にも届く程度には幅広くマスコミに好まれている見解なのだった。

 

「少しばかりアイツに似て不愛想なのが玉に瑕だね、あっはっはっは!」

 

 もうちょっと距離が近ければバンバンと背中を叩かれていたかもしれない。そういうオカン的距離感の近さがある。まあ笑ってくれるだけありがたいか。

 別に不機嫌とか、ぶっきらぼうなのがカッコいいと思っているとか、そういうわけじゃあないのだ。

 あまり知らない人からぐいぐい来られるとどう対応していいのかわからなくなるだけで。

 

「ブライアンは昔からずっとあんな感じでね」

 

 ヒシアマゾン先輩の声のトーンが変わった。

 

「アイツに憧れるウマ娘は多かったが、アイツと仲良くできるやつはなかなかいなかった。今のブライアンがお前さんみたいな可愛い後輩と仲良くやれてるっていうなら嬉しい限りだよ」

「……まあお互い、通じ合うところもあるので」

 

 フィーリングが合う、とでも言うのだろうか。お互いに気兼ねなく言葉を雑にぶつけ合うことができる。

 それで傷つく相手ではないとわかっているし、それで傷つく自分だとも思っていない。

 お互いに饒舌な性質ではないが、あの人との会話は妙に楽だった。

 

「実はもしも萎縮し(ビビッ)ちまっているようなら今のうちにビシッと言っておいてやろうかと思ってたんだよ。マスコミのジジババどもは小難しい漢字や言い回しは知っているくせに、目の前のもんをありのまま見るのがド下手くそなやつらばかりだ。あんな色眼鏡にこっちの度を合わせてやる必要は無いってな」

 

 きまり悪そうに長い黒鹿毛を掻きながらヒシアマゾン先輩はそう宣う。

 テンちゃんでもあるまいし、頭の中を覗かれたわけでもないだろうが。

 その内容は不思議と先ほど私が考えたこととよく似通っていた。

 

「アタシはヒシアマ姐さんで、アイツはブライアン。アンタはテンプレオリシュでスカーレットもただのスカーレット。タイマン張るのにそれ以外のモンはぜんぶ余計なモンだ。外野は気にせず全力でぶつかってきな!

 ……なんて、アンタにゃ言うまでもなかったみたいだね。思い出してみれば当時のアタシも先輩方に遠慮してやろうなんて殊勝なことはこれっぽっちも考えちゃいなかったか。勝手に見縊って勝手に謝るのもなんだがとりあえず、悪かった。ごめんな!」

「いいえ。どういたしまして」

 

 ぱんと手を合わせて頭を下げるヒシアマゾン先輩。

 この人の姉御肌な気質とはあまり合いそうにないけど。この人が美浦寮所属のウマ娘たちから慕われている理由はこの数十秒の短いやり取りで十分に理解できた。

 私も嫌いではない。苦手かもしれないが。

 

 そんな背後でバァンと勢いよく扉が開け放たれる音。

 そうなのだ。目の前にこれほどの優駿たちが集ってなお。

 この控室にはまだ役者は揃っていないのだ。

 

《まさに夢の祭典ってやつだね。しっかし、この顔ぶれはあまりにひどくないか?》

 

「最速! 最高っ! 世界最強!! エルコンドルパサー、ここに入場デースッ!! ――フギャ!?」

「エールー? 皆様方、お騒がせして大変申し訳ありません」

 

 入ってきたのは二人のウマ娘。

 “怪鳥”エルコンドルパサーと“不死鳥”グラスワンダー。

 二人ともアメリカ生まれの帰国子女であり、語学の勉強の一環で何度か絡ませてもらったことがある。

 まあ友達ではないが顔見知りといっていい相手。

 

 お二人はルームメイトかつ同期、実力も伯仲しており気が置けない関係を築いている。

 今だってプロレスラーの登場シーンよろしくド派手に入室したエルコンドルパサー先輩の尻尾を、強く握りしめる形でグラスワンダー先輩が諫めた。

 大和撫子然とした立ち居振る舞いの奥に苛烈な炎を秘めたグラスワンダー先輩ではあるが、その苛烈さを自覚するがゆえに彼女は安易な暴力を厭う傾向がある(逆に言えば安易でないと本人が判断すれば『やる』ときは『やる』)。

 だがエルコンドルパサー先輩が相手のときだけは例外で、わりと頻繁に実力行使に出ているのをお見掛けする。きっと自分の素の部分をそのままぶつけても大丈夫という信頼関係があるのだろう。

 加えて、お二人とも武を嗜んでいるお方だ。派手にやっているように見えてその実しっかりダメージの残らないじゃれ合いの範疇に収めているのが見て取れる。

 

《プロレスラーは相手の技を受け切るのが華っていうしな。エルが受けに回るのは理論的に何の問題も無い。まー正月イベでヒトミミのトレーナー相手に寝技かけられて動けなーいってやっているのを見るにマゾ疑惑もあるが……》

 

 うん、今いらなかったかなその情報。

 

 エルコンドルパサー先輩。

 普段からプロレスのマスクを着用しているウマ娘。どこかわざとらしいカタコト交じりの日本語やプロレスオタクな言動も相まって、レースのことをよく知らないファンからはネタキャラ枠だと思われていることもしばしば。

 だが世界に羽ばたくと大言壮語してはばからない彼女の実力は文句なしの本物。クラシック級の時点でNHKマイルCやジャパンカップを制覇。翌年のシニア一年目においてはURAの悲願である凱旋門賞にて現地メディアに『チャンピオンは二人いた』と讃えられる半バ身差の惜敗で二着。本当にあと一歩のところまで迫った、わりと日本の歴史に名を残すレベルの優駿だったりする。

 海外遠征の経歴は伊達ではなく、日本語や英語のみならずスペイン語とフランス語も話せるマルチリンガル。学校の成績があまりよろしくないのを鑑みるに、世界に羽ばたく下準備だけは本気で欠かさなかったのだろう。そういう姿勢を含め色々と学ばせていただいた。

 

 ちなみにテンちゃん曰く総合能力はシンボリルドルフ級。

 なんかさ、最近そういうの多くない? バーゲンセールじゃないんだからそうそう皇帝クラスにぽこじゃか湧かれても……。

 

《仕方ないだろ? ぼくだってこんな頭のおかしい時代の真っただ中に望んで生まれてきたわけじゃないんだから。『I was born』とはよく言ったものだよ。受動形なんだよな。望まれて産まれてくることはあっても、望んで産まれてくる生物なんていないのさ》

 

 まあともかく。そんな彼女がルドルフ会長のように隔離組にならなかったのは、『黄金世代』と呼ばれるほどにエルコンドルパサー先輩の同期が豊作だったからだ。

 エルコンドルパサーというウマ娘は確かに強かったが、突出はしなかった。

 歴戦のライバルたちが彼女を独りにはしなかった。隔離する必要が無いほどに。

 

 彼女たちのクラシック三冠のうち二冠を制した幻惑逃げの妙手セイウンスカイ先輩は、菊花賞においてワールドレコードを叩きだしたトリックスター。

 残りの一冠である日本ダービーを獲ったスペシャルウィーク先輩はのちのジャパンカップにて、凱旋門賞でエルコンドルパサーを差し切り一着に輝いたモンジューを打ち破った日本総大将。

 いつか語ったキングヘイロー先輩もその一角。煌びやかな同期の後塵を拝し続け、十度の敗北を経てなお諦めず、ついに短距離でGⅠの冠をその手に掴んだ不屈のウマ娘。誰よりも泥を啜ったその経験は後輩への面倒見の良さという形で見事に昇華されている。

 

 そして、グラスワンダー先輩も当然その一人だ。

 大和撫子らしくおっとりした物腰のウマ娘。エルコンドルパサー先輩と同じくアメリカ生まれの帰国子女であるのだが日本文化に造詣が深く、趣味は野点というそこらの日本人よりもずっと日本人をしている。

 

《地元民が近所の観光名所に疎いようなもんだろ。そもそも書道に華道、茶道に日本舞踊、果ては居合に薙刀まで修めている相手と比べるのが間違っているって》

 

 それだけの習い事ができるっていうのもすごいよね。トレセン学園はお嬢様の集う場所なのだとこうしてたまに思い出させてくれる。

 

 さて、グラスワンダー先輩の戦績だが。

 私と同じくメイクデビューから朝日杯FSまで無敗の四連勝。その鮮烈な将来性を感じさせる勝ち方からマルゼンスキー先輩の再来やら怪物二世やらとマスコミに騒がれるものの、その後骨折が判明しクラシック級の上半期は治療とリハビリに専念することになる。

 リハビリとはつらく苦しいものらしい。私は怪我らしい怪我をしたことがないので伝聞でしか知らないが、テンちゃんが事あるごとに口うるさく注意してくるので相当なものなのだろう。

 十だったものを十五に増やすトレーニングと、十だったものが故障で七に減りそれをまた十に戻すリハビリ。上昇量は前者の方が上だが、より多くの労力を必要とするのは断然後者だという。

 それでもグラスワンダー先輩は復活した。のちに黄金と評される世代と、そんな彼女たちさえ跳ね返す先達を相手に復帰戦から敗北を重ね、ついには待望の勝利を一年ぶりに、なんと有の舞台で達成。つまり彼女もまたクラシック級にて有記念を制したウマ娘の一人なのだ。

 その翌年も新たな怪我に悩まされながら順調とは言い難い春を過ごすものの、夏の宝塚記念で同期のダービーウマ娘、スペシャルウィーク先輩を相手に差し切って三バ身をつける完全勝利。

 引退までに故障を経験しないウマ娘の方が少数派とされるトゥインクル・シリーズではあるが、グラスワンダー先輩の経歴においてそれはひときわ目立つものだ。その上で冬と夏のグランプリレースを連覇という輝かしい戦績を達成した彼女は、ゆえに敬意を持って呼ばれるのだ。

 

《“不死鳥”ってね。普通怪我すると結構な確率でそのまま下がる一方なんだがね。だからこそ復活を遂げたやつらが奇跡だのなんだの持ち上げられるわけで。いや本当にテイオーお前なんなんだよ》

 

 何でそこでテイオーが出てくるんだ。あの子はフォーム矯正も始めているし、もとからフィジカルもセンスもあるし、当分故障とは無縁でしょ。

 ちなみに個人的な感想ではあるが、グラスワンダー先輩は少しだけテンちゃんに似ていると思う。

 

《えっ、どのあたりが?》

 

 ちょっとだけ、だけどね。

 生まれ持った気性を後天的なロジックで覆い隠して、別にそのどちらも無理して捻じ曲げているわけではないところとか。

 あとはこう、中央に来るようなウマ娘って『命を懸ける』くらいまでならできちゃう子が多いけど。

 グラスワンダー先輩はその先、『命を捨てる』ところまでできる人な気がする。

 生きるか死ぬかの大博打ではなく、自らの終焉を前提とした大勝負。自らの誇りのために命を使い切ることができる武士(もののふ)メンタル。

 テンちゃんもちょっとそういう危ういところがあるから。

 そういうところも嫌いじゃないけど、心配にはなるのよ。半身としてはね。

 

《そっかー。そう見えてるのか》

 

 エルコンドルパサー先輩とグラスワンダー先輩のお二人は今回の有記念をトゥインクル・シリーズの締めくくりとし、ドリームトロフィーリーグに移籍するのではないかと噂されている。

 正式に発表するとしたら今日だろう。

 黄金世代と鎬を削る貴重なチャンス。是非とも己が血肉に変えたいものだ。

 

 ラストランという話題性もあり、当人たちも現在進行形で騒がしく、そして黄金世代の呼び名に違わず煌めくような存在感を放つ二人に部屋中の意識が引き寄せられている。

 そんな中、ひっそりと入室してきた最後の一人を私は見逃さなかった。

 

「……」

「…………」

 

 無言で交差する私と彼女の視線。

 触れたらすっぱり切れそうな眼光。ぱっくり開いた白い傷口から一拍置いてじわりと滲みだす紅すら幻視する鋭利の一閃。

 あの一番大好きせっかちさんなスカーレットが最後に来た。

 その意味を捉え損ねるほど私は鈍感じゃないつもりだ。

 公の場では優等生の仮面を被るのを常とする彼女が本性を隠していない。

 否、隠す余裕が無いほど消耗しているのだ。

 クリームを塗って誤魔化しているが肌艶が悪い。もう調整に入ってもいい段階なのに、この期に及んでいまだに心身を削るハードなトレーニングを続けているのだろう。

 控室で待つ一分一秒すら惜しんで、本当にギリギリまで。彼女の担当がゴルシTじゃなきゃ今の倍は心配しているところだね。

 まともなやり方では私に勝てないから。まともじゃなくなるしかないわけだ。

 それでいい。

 私だってきみに勝つために走るのだから。

 

 

 

 

 

 始まった記者会見。

 尋ねられた意気込みに、私はこう答えた。

 

「ダイワスカーレットに勝ちます。今年の有記念にはそのために来ました」

 

 この関係を何と呼ぶのか私にはわからない。

 でも偉大なる先輩や、同期の変幻自在な天才よりも。

 三冠の怪物や、女傑よりも。

 黄金世代の怪鳥や不死鳥よりもなお。

 彼女に勝つことの方が大切。

 周囲がどう思おうとも変える気も偽る気もない率直な感情だった。

 

 さあ、決着を付けようか。

 これまで私が勝ち続けてきたけど、トゥインクル・シリーズでも同じかな?

 

 

 




次回、???視点


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弾む鼓動

ずっと前から決めていました。
このレースは彼女たちの視点で描くと。
というわけで、テンプレオリシュ視点です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 女神の甘言になんて乗るものじゃあないな。

 まだ生きてるじゃないか、この子。

 

 

U U U

 

 

 中山レース場、地下バ道にて。

 待ち合わせしたわけでもないのに、まるで当然のようにスカーレットと私は肩を並べた。

 

「ごめんなさい。待たせたかしら?」

「なに、私もいま来たところだよ」

 

 中央に来てからトゥインクル・シリーズでこうして隣に並ぶまで二年かかったけど。

 私はこの日を待っていたのかな? それとも待たせたのは私の方か?

 

 目は合わせない。

 ただ前だけをまっすぐ見て歩く。

 そのはずなのに徐々に視界の中の彼女の割合が大きくなっていくのは、別に歩幅の差だけが原因ではあるまい。

 前座とか真打とか、こういうのはえてして先に出た方が格下とされることが多いけども。

 このせっかちさんにそんな理屈は無縁らしい。一番が大好きな彼女は確実に私よりも先に地下バ道を抜けようとしていた。

 揺れる紅のツインテールを見ていると郷愁じみたものさえ覚える。

 そういえば地元ではいつもこうして彼女の背中を追いかけていたっけ。ゴール板を駆け抜ける頃には私の方が背中を拝ませてやっていたものだが。

 

 ……それにしても、さ。

 パドックで見たときから思っていたんだけど。

 スカーレットからめっちゃ出てない? 何かこう、紫色のオーラみたいなものが『ゴゴゴゴゴゴ…』って感じで。

 

《うん、出てるね覚醒オーラ。アプリじゃミークと桐生院の黄金コンビでさえ五回以上の敗北を経て三年かかったっていうのに、まさかクラシック級に間に合わせてくるとは。さすがゴルシT》

 

 なにそれ?

 

《ぼくもぶっちゃけアレが何なのかよくわかってないけど……限界まで削ぎ落とした肉体に鬼が宿るというか。フィジカルとメンタルが高次元で噛み合って普段より二段階くらい上のパフォーマンスが発揮できる状態、かな》

 

 なるほどね。つまり手ごわいってことだな。

 

 

 

 

 

 十二月二十五日。

 本日の中山レース場は入場制限どころか周辺の交通規制すら発生しているらしい。

 観客が完全に収まり切っていない。

 さすがは年末のグランプリレースである。

 

《いや、明らかに異常だろ》

 

 うん知ってる。やっぱり私たちのせいだよね。

 ちょっと現実を認めるのがつらかっただけだ。ただ私だけのせいではないという点は断固として主張させていただく。

 

《クラシック路線の無敗とティアラ路線の無敗、そのどちらかが確実に負ける。あるいは二人ともここで初めての敗北を喫する可能性だって決して低くはない。

 だが勝てば歴史的偉業の更新。このネット全盛期のご時世になお生で拝みたいというファンが溢れてもまあ、この世界なら不思議ではないのか……?》

 

 テンちゃん曰く『ここの住人は本当にモラルが良い』とかで、レース場に収まり切らなかった人々も無理に居座ろうとはせず誘導にはしっかり従っているのが救いといえば救いか。

 走る張本人からしてみれば、負けるところを期待して見に来るのはいささか趣味が悪いのではと言いたくなる。いや、全員が全員そんな悪趣味を原動力に中山レース場まで足を運ぶわけじゃないんだろうけども。

 ゆらりゆらりと揺れる感情。

 普段なら勝つのは私で、負けるのは相手だと胸を張って宣言することができた。たとえ敗色濃厚なバクちゃん相手だったとしてもだ。

 今の私にはちょっと無理。

 スカーレットに勝つ自分というのが上手く想像できない。何故だろう。数えきれないほどに経験してきたはずなのに。

 負ける姿もまったく想像できないけどね。経験ないし。

 そもそも彼女だけに注目していいような戦場でもない。

 

《いや本当にね。なんで『有馬記念』を勝ったソウルの持ち主がこんなにぞろぞろひしめいているんだよ。一人や二人じゃないっておかしいだろ。連載後期の少年マンガかよってインフレ具合ですねコレハ……》

 

 喉に張り付く冬の凍てついた空気。

 湯気が立ち昇りそうな観客席の熱気。

 響くファンファーレ。

 さあ、いよいよだ。

 

『年末の中山で争われる夢のグランプリ、有記念! あなたの夢、私の夢は叶うのか』

 

 レース場まで来る途中、私のファンだという小さな女の子に話しかけられた。

 がんばってください。応援しています、と。母親の手助けを受けながらたどたどしい言葉遣いで一生懸命に伝えてくれた。

 何でも今年のクリスマスプレゼントは私の有記念の勝利をサンタさんにお願いしてくれたのだとか。

 私だって数年前までは無邪気な小学生だったのだ。子供にとってサンタさんのプレゼントがどれほど貴重で大切なものなのか、わかっている。

 ありがたいことだ。

 それでも、残念だけどさ。

 私たちの勝敗の行方は誰にも譲ってやらない。たとえそれが大恩あるサンタクロースだったとしても。

 

『三番人気はナリタブライアン。一枠二番での出走です』

『かつてクラシック級で有記念を制したクラシック三冠の怪物が今年また帰還しました。素晴らしい気迫です。実力では一番人気にも引けを取りませんよ』

 

《ずいぶん謙虚な言い方だな》

 

 まったくだ。

 真新しいものに目を惹かれがちなファンの票がクラシック級のぽっと出スターウマ娘に集まっただけで、専門家たちからの評価はむしろブライアン先輩一強とも聞く。

 私もだいたい同意見だ。単純な実力ならブライアン先輩が十六人の中でトップだろう。

 

 スカーレットのように変なオーラが出ているわけではない。

 ただいつも通りの威圧感を、そのまま単純に密度を濃厚にしたような怖さがある。

 いつか種目別競技大会で走ったときの記憶が遠い夢のことのように感じる。私にトゥインクル・シリーズという魔境の広さと深さを教えてくれた一方的な恩師。

 あのときの猛威さえ檻に閉じ込められ腑抜けた獣の嘆息に過ぎなかったとは。夢から覚めた今、待ち受けるのは厳しすぎる現実だ。

 いや、ファンからすればこれもまた現在進行形の夢を構成する十六分の一に過ぎないのか。いいなー観客席って。あったかそう。

 

『二番人気はもちろんこの子、ダイワスカーレット。七枠十三番での出走です』

『無疵のトリプルティアラにエリザベスの王冠を添え、その実力がクラシック級に留まらないことを証明した紅の女王。あの力強い逃げが年末の中山でも炸裂するのでしょうか』

 

《どうだろうなぁ。さすがにこのメンバー相手に逃げ切るのは覚醒ダスカでも難しいと思うんだが……》

 

 そしてスカーレットが二番人気と。

 まあ実績と実力、今が旬の話題性を鑑みれば順当な評価かな。

 

 私はクラシック三冠目の菊花賞を最初から最後まで先頭を譲らず逃げ切った。

 でもあれが成立したのは私のスペックが同期の誰よりも、頭一つ抜けて優れていたからだ。それはマヤノを比較対象とした場合でさえ例外ではない。

 だが今回は違う。この戦場では前提が全く異なる。明確に劣る相手がいるし、拮抗していると思える相手だって一人や二人ではない。

 考えなしに同じことを再現しようとすれば、ほぼ確実に最後の直線でまずブライアン先輩に噛み砕かれて終わるだろう。

 

 私にできないんだから、スカーレットにもできない……と思う。

 だけど、どうだろう?

 私が詳細に知っているのはあくまで中央に来る前のスカーレットだ。

 ティアラ路線を歩み始めた以降の彼女のデータは表面上から得られるものに限られる。あの戦いの中でダイワスカーレットというウマ娘は何を得て、何を失い、どのような成長をしたのだろうか。

 否応なしにすぐわかる。

 

『そして本日の一番人気。無敗の七冠ウマ娘テンプレオリシュ、五枠九番での出走です』

『御伽噺は伝説を超えられるのか? それとも今日、魔王を打ち破る勇者が誕生するのか。ただただ期待が募ります』

 

 大歓声。

 言葉になっていないそれは何よりも雄弁に実況へ同意していた。

 勝手な期待を一方的に背負わせて。

 いや、勝手ではないのか。少なくとも今こうして狭苦しい金属製のゲートに収まっているのは私の意思だ。自分で選んだ選択の結果だ。

 私がこの舞台を夢見た数多の誰かを蹴り落としたその成果だ。

 

《ぼくらはただ走るだけ。そこまではぼくらの勝手さ。そしてそれを見た誰が何を思おうと、その考え自体を制限する権利はぼくらには無いよ。勝手にすればいい。

 見て脳を焼かれてとち狂った結果、ぼくらの走りにケチを付けようっていうなら黙って従ってやる筋合いも無いけどね。それだけの話さ》

 

 そういうもん? ふーん、じゃあそれでいっか。

 レース直前の早鐘のような鼓動にぽわぽわと湧き出る熱の粒が溶け込んでいく感覚が、心地よいような気持ち悪いような。

 

 いいさ、期待していればいい。好きなように夢を乗せろ。

 運んでやるさ、テンちゃんと私で。貴様らごときでは到底たどり着けないところまで。

 そうやって観客席で眺めていればいいさ。

 走るのはどうせ私たちなんだから。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 比喩抜きでレース場に入りきらないほどの人間が総じて固唾をのんで見守る一瞬。決壊が約束されたぎりぎりに押しとどめられた興奮。

 静寂を打ち破るのはどこまでも無感情な金属の擦れる音だった。

 ゲートが開く。

 

『さあ始まりました有記念。年末の大一番、センターの座に輝くのは誰だ!』

『十六人きれいなスタートが決まりましたね。その中でもまっさきに飛び出していったのは十六番――』

 

 直前まで煩わしかった大歓声も、一度気にしないと決めてしまえば生温いシャワーのようなものだった。

 熱くも重くも無い。ただ皮膚の上を流れ落ちていくだけ。

 さて、使うか。

 私の奥底、温かく燃えるそれに手を伸ばす。

 根源に指を添え、引き抜くとでもいうべき感覚。

 私が鞘で担い手、抜き放たれる刃がテンちゃんだ。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【マイナス23.4度の世界】

 

 自嘲、自己嫌悪。

 白域(これ)を使うたびに普段は軽薄な態度の中に覆い隠しているテンちゃんの感情が剥き出しになる。この【領域】のイメージが刀身を握りしめ自らに突き刺す自傷行為となっているのはそういうことだろう。

 隠しきれる程度に軽微なものではあるが、消しきれない程度にそれはずっとそこにあるのだ。

 

 【領域】というのはそのウマ娘の根源。

 異なる世界のどこかの誰かが積み重ねた数々の想い。その名前が綴った歴史の頁。

 それらを受け継いだウマ娘が自らの血と肉と魂に溶かし込み、この世界を限定的に塗り潰すまで昇華させた結晶。

 それを資格も無く奪い取り、おもちゃのように自慢げに振りかざす。いったい何様のつもりなのかと。

 テンちゃんはそう考えているようだ。僭称だとかまがいもの(イミテーション)だとか、そういう自称もそういうことなのだろう。

 その上でその想いは優先順位としては明確に下位にあり、上位の目的のため常に後回しにされている。

 

 私には無い発想と価値観だ。

 だから大切にしたい。

 

 それはそれとしてこれは私の力でなんの恥ずべきものも無いから、思いっきり活用するけどね。

 だって机の上に並んだ湯気を立てるステーキを見て『ああ、三か月前までは牧場を元気に走り回るモーリー君だったのに……』と涙を流すやつがいるとすれば、それは優しいというより頭がおかしい判定になるのが人間社会というものだろう?

 食べるときには食べることを考えるのが道理だ。

 感謝する心や気を遣う機能が無いわけじゃない。ただ使うタイミングではないというだけで。

 

 今回引っ張り出したのは私がストックしている【領域】の中でもとびっきりの変わり種。

 塗り潰されていく世界にまず具現したのは、流転する季節。

 草木が目覚め綻ぶ春。緑が生い茂り灼けるような日差しが降り注ぐ夏。美しく紅葉が映える秋。雪に閉ざされ草木が眠りにつく冬。

 それらの光景が、がくんと傾く。

 くるりくるりと巡っていた四季が固定される。常夏や常冬は無論、常春や常秋というありえない景色が構築される。

 四季があるのは地球が自転軸を傾けたまま公転しているからだ。もしも自転軸が公転面に対して垂直になれば、四季の変化は発生しなくなる。

 すなわち変化の否定。この戦場全域はこれ以降、他者の【領域】具現を受け付けなくなる。

 

能力封印(シール)系アビリティ。まあ異能バトルに一つは出てくるよね》

 

 しかし、奪っておいてこき下ろすようで悪いが……。

 この『【領域】を封印する【領域】』、私が持つ『【領域】へのカウンターで発動する【領域】』以上に使い勝手が悪かったりする。だってあまりにも使いどころがない。

 私が中央のGⅠを主戦場にしているからこうして【領域】に至ったウマ娘と幾人も遭遇しているが、そのGⅠの舞台でさえ出走する者全員が使ってくるわけではないのだ。

 使ってくる相手がいないと意味が無いのに、使ってくる相手がいたところで全員が使えない状態にするだけ。これが微妙でなくていったい何なのか。

 

 そもそも【領域】は切り札となり得るものではあるが、【領域】を使えるから強いのではなく、強いウマ娘だから【領域】に至っているケースが大半だ。切り札を一つ没収したところで手強い相手とガチバトルしなければいけないことに変わりはない。

 付け加えるに、純粋に性能面でも微妙極まる。自分だけが使える状態にするとかならともかく、大仰なイメージにふさわしくこの【マイナス23.4度の世界】は戦場全体に作用する。もちろん自分も効果範囲内だ。

 そして私の【領域】でストックされていることからご察しの通り、力尽くで破ることもできる。たとえるのならでっかい氷でレース場全域に蓋をしているようなものだろうか。時間経過でどんどん氷は解けて拘束力は弱まるし、氷を跳ね除けるパワーがあればそのまま押し切って発動できてしまうのだ。

 

《ま、そのあたり含めて使いようなんだけどね。これは『相手の力を封印する手札』じゃなくて、『相手に不本意な二択を押し付ける手札』ってことだ》

 

 力尽くで破れるということは、破るためには通常以上の力を消費するということでもある。

 先ほども述べた通りにこの【マイナス23.4度の世界】は個々人ではなく戦場全体に作用するタイプ。全員が使えないか、全員が使えるようになるかのどちらかだ。

 自分一人だけがウマソウルを消耗して無理やりこの【領域】の干渉を跳ね除けた先に待つのは、通常通り【領域】が具現できるようになった万全のライバルたち。割に合わないと感じるのが人情ではなかろうか。

 つまりこのカードは相手の【領域】を封じるのがメインではなく、【領域】が使えない縛りプレイを続けるのか、それともどこかのタイミングで自分だけが消耗してライバルたちを万全にしてやるか、その理不尽な二択を強いるチキンレースじみた嫌がらせが主な効果だと言える。

 

 ……まあそんな二択が成立するためには、レースに出走しているウマ娘の過半数が【領域】に至っているようなGⅠレースの中でも上澄みの顔ぶれであることが大前提なのだけども。

 そして今年の有記念はその前提をクリアしている。何かがおかしいと思うんだけど、おかしいのがこのレースなのか、それともこの時代なのかまでは私にはわからない。

 

 このように使い勝手の悪い【領域】ではあるが、しかし今の私たちにとってはまさに最適解だった。

 バクちゃんと競ったスプリンターズSのように【領域】乱舞の展開になれば今の私たちじゃもたない。1200mでさえ勝負服が半壊する憂き目にあったのだ。その倍以上の2500mなら身体か魂、あるいはその両方がぶっ壊れる。

 あれからまた私たちも成長しているとはいえ序盤から【領域】合戦は無茶ではなく無理の範疇。理想を言えば最終コーナー、せめて1000m地点までは魂をぶつけ合うような激闘は避けたい。

 【領域】を画一的に押さえつけることしかできないこの一枚の手札は、そういう意味で状況を打開する何よりの切り札となったのだ。

 

 ただ、同時に思う。

 このような使い方は私の身体がGⅠウマ娘の中でも上から数えた方が早い高スペックで、なおかつ無数の手札をストックできる【領域】を有しているからこその活用法。

 一般的にウマ娘は一つでも【領域】に至れば幸運で、二つ以上持っているのはレジェンドと呼ばれるような歴史に名を残す優駿だ。

 テンちゃんの言葉を借りれば『【領域】ガチャでハズレを引いた』ウマ娘たちは、いったいどうすればよかったのだろう。

 

 私と出会って挫けてしまったウマ娘たちに、私が無責任にがんばれと励ます気になれない理由。

 生まれ持ったものが違い過ぎる。

 努力するのは大前提。同じ環境で同じだけの努力をすれば、より恵まれた素質を持つ方が高い成果を出せる。当たり前のことだ。中央では誰もが一度は思い知らされる。

 私も幾度となく痛感した。見上げる側ではなく、上から下を覗き見る側として。

 私に断片を託しては消えていくオリジナルの持ち主たち。彼女と同じ【領域】に生まれていたのなら、私は今と同じ戦果を出すことができただろうか。

 脳裏を過るたびに無理だという結論が即座に出る。

 

 心身ともに苛め抜き、鍛え抜き、血を吐くような思いで到達した【領域】があまりにもあんまりな性能をしていたとしたらそのウマ娘はどうなる。

 実際こんなもの単体でどうすればいいんだという【領域】を獲得した経験は一度じゃない。

 私なら彼女たちが遺したものを十全に活用することができる。

 だったら彼女は私に喰われるために生まれてきたのか?

 私の糧となるためレースに夢を見て走り続けてきたのか?

 テンちゃんがたまに口にする女神様とやらは、きっと残酷な性格をしているに違いない。

 

 でも、だからこそ。

 やはり私には走ることしかできないのだろう。これ見よがしに奪い取った欠片を振りかざしながら。彼女たちでは到底たどり着くことのできなかった高みを目指して。

 勝者が敗者にかける言葉など無いのだから。その背中で語るのみだ。

 

「ほう……」

「あら~」

 

 視線が私に集中する。

 何が起きたのか、どうすれば解除できるのか、くらった瞬間にわかるやつだからなこれ。先輩方にとってみれば生意気な後輩がいきなり喧嘩売ってきたようなものだろう。

 でも見るのは私の方で本当にいいのかな?

 レースは序盤も序盤。スタート直後の先行争いの最中だ。ほんの一瞬割り込んで世界を少しばかり傾けただけで、一周目の第四コーナーにもまだ到着していない。

 今日の私は差しで行くからこっちばかり見ていたら出遅れるぞ。

 教科書通りの何のひねりも無い位置取りだが、奇をてらう必要は無い。格上がひしめくこの戦場ならこれが一番やりやすい。

 【領域】によってテンちゃんの消耗は抑えられるが、フィジカル面の難易度は据え置きなのだ。何でもできる私の強みを活かさないとね。

 

「どりゃああああああああ!!」

 

 先頭に立ったのは大外枠を引いたくせに逃げることを選んだアングータさん。ガンガン飛ばして進路妨害にならない程度の距離を稼ぐとぐいぐい内側に切り込んでいく。

 彼女は私の同期、日本ダービーにも出走した実力者だ。そのときは破滅逃げに挑戦してものの見事に潰れたが、こうして年末の祭典にいるあたりアングータさんの挑戦は幾人もの心を惹きつけることに成功したらしい。

 私の見立てでは彼女はマイラーなんだけどな。2400m(日本ダービー)でさえ途中で力尽きていたのに、2500mをそのペースでもたせるつもりなのだろうか。

 

《まぁ一説によれば有記念ってマイルらしいし。オグリキャップも本質はマイラーだって言われているけど勝ってるし》

 

 たしかに中山レース場の内回りは『中山の直線は短いぞ!』という実況が有名なように一周の距離が短くカーブがキツい小回りのコース。

 全体の高低差が5.3mと二階建ての建物に相当するこのコースは決して楽なものではないが、キツいカーブでは自然とスピードを落とすことになるため必然的に息を入れるタイミングは多くなる。

 コーナリングの技術を磨けばマイラーでも勝ち目のあるコースと言われているのは確かだった。

 

 それに、考えてみれば日本ダービーから有記念まで半年あったのだ。

 私が成長したように彼女だって成長している。

 ただがむしゃらに、糸のようにか細い勝機にかけて前だけ見据え走っていたあのときのアングータさんじゃない。ちらちらと後ろを意識しているのが見て取れる。

 後続を気にするのは別に珍しいことではないが、そういう話ではなくて。あのとき見た破滅逃げとは根本的に質が違う。

 幻惑逃げ。

 先頭に位置取りペースを支配することで後続を惑わせる走り。レース全体を俯瞰する視野とセンス、何より常に追われ続け消耗する中で思考を失わない精神と脳のタフさが要求される高等技術。

 かの黄金世代が一角、セイウンスカイ先輩が得意としたそれを今のアングータさんはやろうとしている。

 

 この大舞台で実行に移したのだ。

 それだけの根拠が彼女の中にはあるのだろう。

 どれだけのトレーニングを積み、何度くじけそうになる心をそのたびに立て直したのだろう。

 

 ただ、言っちゃなんだが相手が悪いかな。

 戦場と手札が噛み合っていないというか。

 幻惑逃げが成立するのはペースを握ってこそだ。後ろから突きまわされて逆に自分のペースが保てないと成立しなくなる。

 実際クラシック二冠に芝3000mワールドレコードと目に見える成果を出し過ぎてしまったセイウンスカイ先輩は菊花賞以降、徹底的にマークされる展開が多くなった。そしてそういうレースではいずれも彼女は芳しい成果を残せていない。

 ここには相手のペースに合わせることなんかしないでガンガン前に出たがるせっかちさんがいるんですよ。

 

「はあああああ!」

「くっ、ぜりゃあああ!」

 

『先の長いこのレースですが早くも熾烈な先行争い。十三番ダイワスカーレットと十六番アングータ、この二人が前でしのぎを削る』

『ハイペースで流れる展開もありえそうですね。ここ最近のGⅠではレコードが更新されがちですから、少しばかり期待してしまうかもしれません』

 

 思ったよりアングータさんが粘っているな。

 もっとあっさりスカーレットが先頭に立つかと。

 なんだか……やりにくそう?

 顔に見えないほど細い蜘蛛の糸が一本張り付いたような違和感。

 

《マヤノだ。えげつないことやってやがる》

 

 脳内で俯瞰している分、テンちゃんの方が先に気づいた。

 中団の差しポジションに収まりつつある私たち。さらにその後方、ヒシアマゾン先輩の隣という最後方にマヤノはいた。

 先頭からシンガリまでするすると距離が空いていくこの状況で、先行争いに追い込みの位置から糸が繋がっている。

 

「あー、わかっちゃった?」

 

 バ群が遮蔽となり直接視線も声も届くことのない相手と、ぱちりとぶつかった魂が火花を散らした。

 

『先頭に立ったのは十六番アングータ。続いて十三番ダイワスカーレット、その外三番ジャラジャラ。ここまでで先頭集団を形成しています。

 少し離れて五番エルコンドルパサー、その後ろ十二番ロングウェスト。内に十四番キャラメルパルフェ、七番手に十五番ジュエルルベライト。外に四番リバイバルリリック。七番サンセットグルーム落ち着かない様子で上がっていく』

『十三番ダイワスカーレット、虎視眈々と先頭を狙っていますね』

 

 なるほどね。私より後ろに位置取りした時点で何か仕掛けてくるとは思っていたけど。

 マヤノはある意味、スカーレットと真逆のアプローチを選んだわけだ。

 

 有記念の記者会見。スカーレットは誰よりも遅く来て、その時間で己の力を高めようとした。

 マヤノはその逆。きっと誰よりも早く来て、後から来るウマ娘たちを観察していた。

 アオハル杯のそれとは違い、この国の公式レースのルールにおいて自ら勝つ気のないウマ娘の出走は許されない。

 チーム戦はできないのだ。談合などもってのほか。

 だが注目度の高いウマ娘がいた場合、マークする対象が重なって実質的にチーム戦のような展開が生じることはままある。

 

 ……今回のレースで私とスカーレットは、年末のスターウマ娘たちを差し置き注目を集める二大巨頭と言えるだろう。

 マヤノはそれを活用した。記者会見の場で集めた最新の情報を基に、夏合宿の頃から磨き上げた技術を駆使して。

 人間は社会的動物で、ウマ娘は群れで生きる生き物だ。訓練のたまものとはいえ、大仰に腕を振れば即座にぶつかるような至近距離でありながら問題なく時速六十キロ以上でウマ娘たちが走れるのはその証左である。

 集団で生きるためには周囲を窺う必要がある。常に他者のペースを計算に入れ、自らのペースを修正する。それは生物としてのデザイン、ウマ娘という種の基礎を構築する機能。

 

『第四コーナーを抜けて一周目のホームストレッチ。スタンドの大歓声を受けながらウマ娘たちが駆け抜けていきます』

『タイムは少し早めですね。その中でも一番人気の九番テンプレオリシュ、中団で囲まれながらも自分のペースを保ちながら走っています。クラシック級ながらさすがの貫禄と言えるでしょう』

 

 そのコンセプトとなる部分を介してマヤノはシンガリから先頭に干渉している。

 本当にそんなことができるのか冷静に考えてさっぱりわからんが、事実として現在進行形で目の前で実行されている。

 今この瞬間、十六人のウマ娘たちはマヤノが用意した盤上にいる。将棋と違うのは指す側も盤で区切られた安全な席にいるわけではなく、なおかつあらゆる駒が決まった動きを遵守してくれるような生易しい存在ではないってことかな。

 盤ごと叩き壊してきそうな大駒もひとつやふたつじゃないし。

 その上であの天才は『いける』と踏んだのだろう。

 

 でもマヤノさんや、お忘れじゃないですかね?

 

 ランニングデュエル(テンちゃん命名)の最終戦績は私の方が上だったんだよ。

 それができるとわかっていて、これ以上ないお手本が目の前にあるのだ。だったら私は同じ舞台に立てる。

 マヤノはどうあがいても一人。

 私たちはひとりでふたつ。ふたりでひとつ。

 数の利はこちらにある。

 圧倒的有利な条件で申し訳ないが受けて立とうじゃないかその勝負。

 

「…………あはっ」

 

 どうしよう。レース中だっていうのに楽しくなってきちゃった。

 

 

 




【テンプレオリシュのヒミツ・白】
実は、炎のように苛烈な性根を秘めている。
烈火の即断即決に、後悔が無いわけじゃないけれど。
生まれ持った性分を後天的な理屈で補うその生き方は、しっかりもう一人の自分にも受け継がれた。

奪ったものを己の所有物として振りかざす。
己の罪深さを自覚したところで、それが彼女の見出した数少ない勝ち筋だった。


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不可能と奇跡は同じ色

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U U U

 

 

 道具は用途に即した形状をしている。

 

 獣を狩る槍ではなく、獲物を狙う弓でもない。

 道を拓く斧や鎚ではなく、身を守るための鎧や盾でもない。

 

 同族を喰らって生き延びると決めたとき、おのずとそれは剣の形をとった。

 

 

U U U

 

 

 動いた。

 ぐわりと渦巻くように空気が流れる。

 

『後方集団も第二コーナーを抜けバックストレッチの直線に入ります。しっかり芝を踏みしめながら十番ハッピーミーク、少し後ろに九番テンプレオリシュ。それをぴったりマークするように八番グラスワンダー、その外に二番ナリタブライアン。

 二バ身離れて六番ヒシアマゾン。一バ身離れて一番マヤノトップガン。最後方にぽつんと一人、十一番ラピッドビルダー。ここから巻き返せるか、はたまた作戦通りなのか』

『ウマ娘たちの動きが激しくなってきました。いずれも劣らぬ猛者揃い、お行儀よく四角からよーいドンとはいかないか?』

 

 よく持った方だろう。

 1000m以上蓋をしたままの状態を保つことに成功したのだ。使い勝手の悪い【固有】にしては大金星と言っていい。

 あと1500m近く残っているという、厳しい現実はまあそれはそれとして。

 

 領域具現――Shadow Break

 

 荒涼とした大地が広がる世界と、そこを侵蝕する影。

 光が何かに遮られて生じた陰ではない、それそのものが絡みつくような重さを持つ黒が四方八方から押し寄せる。

 

 いつかも見たブライアン先輩の【領域】だ。

 その密度も規模もかつて種目別競技大会で体感したそれとは桁違いだけども。

 完全にノリにノッている。

 

「ぜりゃあ!!」

 

 全身に巻き付く影の拘束をものともせず、咆哮と共に影ごと拳で打ち砕かれる大地。

 その衝撃は地軸まで揺るがす。

 無理やり歪めて公転面に対し垂直になっていた自転軸は、元通り23.4度傾いた四季を生む回転に戻った。

 

 相変わらず豪快な【領域】だ。

 同時に中山レース場を抑えつけていた見えない天蓋が外れた。

 再び【領域】が使えるようになる。

 

「うわぁ……ブライアンさん、そういうことするー?」

 

 ついでにマヤノの盤面もさっきので吹っ飛んだ。

 マヤノがやっていたのは非常識ではあるがオカルトではなくれっきとした技術。基本的な原理として、他者に自身をさりげなく認識させ影響を与えていたのだ。

 それがブライアン先輩の獰猛な魂の発露で、それ以外を受け入れるキャパシティの余裕が無くなったウマ娘が大量に発生してしまった。丹念に蜘蛛の糸のごとくバ群に張り巡らせていた影響力はまとめてぶち切られた。

 

《ワンパンで地軸を傾けるってどんなインフレバトル漫画の世界だよ……》

 

 テンちゃんが呆れたように呟いた。

 

 うんまったく。

 でもやるならブライアン先輩だとも思っていたよ。能力的にも気性的にも。

 彼女は周囲との兼ね合いなど歯牙にもかけない一匹狼。その気になった瞬間、あの荒々しい力で封印もしがらみもまとめてぶち壊してしまうだろうと。

 あとはいつ『その気』になるかというだけの話だった。

 

《うん? なんだ、影が……》

 

 なんだか様子がおかしい。

 以前に見たときは大地が砕かれた直後、間欠泉のように光が噴き出していたけど。

 それが無い。

 一撃の衝撃で叩き伏せられた影が砕けた大地にぐいぐいと吸い込まれていく。まるで拳の威力がそこに残留し続けているかのように押し込まれていく。

 いや、これは『溜め込まれている』。

 直感的にそう思った。

 

《あーはいはい、そういうことね》

 

 どこか投げやり気味にテンちゃんが理解を示す。

 一拍遅れて私も思い出した。記憶力には自信がある。一年以上前の『月刊トゥインクル増刊号ナリタブライアン特集』で読んだあの情報だ。

 ブライアン先輩が担当トレーナーに仕込まれた走法の基礎。獣じみた飢えと渇きを我慢するのでもなく抑えるのでもなく、溜め込む。そして最後の直線でいっきに爆発させる。

 

 いくらブライアン先輩が鋭い末脚を長く使える強みの持ち主とはいえ、バックストレッチに入ったばかりの地点から1000mを超えるロングスパートなど無理だろう。そういうアホみたいなスタミナと素質にものを言わせたバカみたいな無茶苦茶はどちらかと言えばゴールドシップ先輩の領分だ。

 だから第二コーナーを抜けたこの時点で【領域】を発動させたのには少しばかり違和感があったのだが、わかってしまえば何と言うことは無い。ブライアン先輩の本来の【領域】は二段階に分かれているのだ。

 影を溜め込む一段階目と、光を爆発させる二段階目。

 レース中盤に展開されたこれを介し、競り合いの中でフラストレーションを溜め込む。そして溜め込んだ分は最終コーナー以降で爆発する光の燃料になる、と。

 

《スプリンターズSのバクシンオーを見たときも思ったけど、これがゲームとリアルのギャップってことだろうねえ。常識的に考えりゃあシビアな現実とまったく同じ難易度で作成されたゲームなんて、このご時世なら運営に苦情殺到からのバランス調整必至だ。そもそも情報量が根本的に違い過ぎる。

 適度なスリルとストレスと労力でクリアできてこその遊び(ゲーム)。それがただの現実(リアル)になったとき、快適なプレイ環境だったころと難易度据え置きのままでいてくれるわけもなしってか。ま、参考文献にしかならないってのはわりと最初からわかっていたことだけどさ!》

 

 種目別競技大会のときはかなりあっさり流してくれていたんだなぁ。あれでいて意外と副会長としての自重もあったのかしらん?

 

 この影の荒野、展開されているだけでけっこうキツい。

 ブライアン先輩の猛々しい渇望が剥き出しになっている。それが五感ではなく魂を介してダイレクトに伝わってくる。

 気の弱いウマ娘ならその威を前に萎縮するだろうし、逆に気の強いウマ娘なら負けん気が前面に出過ぎて掛かり気味になりそうだ。

 実際、私の後ろにぴたりと張り付いているグラスワンダー先輩の目にちろりと炎が灯り、ややその呼吸が乱れた。

 ブライアン先輩が意図してデバフを振りまいているわけではないだろうが。

 これがテンちゃん評価『レジェンド級』というわけか。ガチになったバクちゃん先輩に通じるものがある。否応なしに周囲に影響を与えてしまうのだ。

 

 でも存在感って面じゃあ私だって負けちゃあいない。

 無敗の七冠ウマ娘は伊達じゃないのだ。

 これまで私が踏み砕いた夢の残骸は山に等しく、私の脚に沁み込んだ血と涙の重さはブライアン先輩の影にだって決して見劣りするものじゃあない。

 

 領域具現――あなたに甘いひとときを キャラメル味!

 

 領域具現――濃紅Electrification

 

 先行勢の幾人かが【領域】を暴発させた。

 ブライアン先輩の影が渦巻く荒野に比べたら悲しいほどにちっぽけな、だが確かに世界を塗り潰すウマソウルの奇跡が具現化する。

 甘ったるい香り漂う喫茶店のテーブルを占領するどでかいパフェと、バチバチと帯電する濃い紅色の宝石。

 あれはキャラメルパルフェ先輩とジュエルルベライト先輩か。勝負所でも何でもないバックストレッチの最中、見るからに咄嗟の防衛本能に基づいた発動だった。

 

 無理もない。

 追われる状況で背後にアレが爆誕したら誰だって怖い。たとえるのなら海水浴中に目が合ってしまったホオジロザメ。纏わりつく影のプレッシャーは海水の重さに似る。身体の自由がろくに利かない状況で命の危機さえ感じるだろう。

 

《あ、ちなみにホオジロザメって某映画の影響で人を食う凶悪な生物ってイメージが強いけど。あれってアザラシと誤認した結果であって狙って人を襲っているわけじゃないらしいね。まあ当然と言えば当然。自分の生存圏内にいない種をわざわざ好んで狙う生物なんて人間以外そういるもんじゃないよ》

 

 脳内でテンちゃんがどうでもいい雑学を垂れ流す。

 

《同じ理屈でネコの主食が魚だっていうのも間違いだったりするぞ。だってあいつら泳げないじゃないか。そりゃあ水中に放り込んだら必死に犬かきくらいはするだろうけど。水に濡れるのが大嫌いでシャワーやお風呂を断固拒否っていうのはネコを飼っていない人間でも知っている情報じゃないかな。自力で魚を捕って食える生態じゃないのさ。だから魚をやりすぎると塩分過多で身体を壊すから注意だぜぃ》

 

 へーそうなんだ。

 理由はどうあれ仕掛け処を違えたのは大きな瑕疵。

 遠慮なく付け込ませてもらおう。

 

《ん、じゃあいこうか》

 

 私の芯にテンちゃんの指がやさしく添えられ、力強く引き抜かれる。

 解き放たれる私の本質。当然の権利のように上書きされる中山レース場の一角。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 私たちはお互いが鞘にして担い手。

 自らの中核をもうひとりの自らに完全に委ねる心地よさは、きっと孤独な己と他者しかいない人生を送る者にはわかるまい。

 かわいそうに。この感覚を一生知らずに終わるなんて。つくづく単一人格なんかに生まれるものじゃないな。

 

 無数の黒い長剣が魚群のように宙を回遊する。

 とりあえずブライアン先輩の【領域】は後回しだな。

 あれはいわば脚を撓めて獲物に飛び掛かる姿勢を取っている状態。いま食べたところで周囲に向けたデバフの重ね掛けになるだけで、私自身への恩恵はあまり無い。どうせいただくなら光の奔流の方だ。

 

「いただきます」

 

 狙いを定めて突撃。

 ぞぶり、と呆気ないほどに刀身が相手の中核に斬り込み貫通する。

 一回り縮小する先輩方の【領域】と、私の中に湧き出る新たな力。

 スタミナ回復と速度上昇、それぞれ微加速のおまけ付き。

 うん、美味しい。

 パルフェの一門はだいたいみんな甘い回復系だな。ジュエルの一族はバリエーションの幅が大きいけど今回はパチパチと刺激的だった。

 満たされるその感覚は食事のそれと極めて近い。この世界の見え方を知っているのはきっと私たちだけ。

 【領域】に至ったウマ娘を見たとき『どんな味がするんだろう』と考えている自分に気づいて愕然とした経験などそうそうあるものではあるまい。

 

『残り800mを切って第三コーナーカーブ。先頭からシンガリまでおよそ十七バ身。ここで入れ替わって先頭は三番ジャラジャラ。十六番アングータ既に苦しいか。十三番ダイワスカーレットと共にずるずると沈んでいく』

『早めに仕掛けた子が多かった影響ですね。第三コーナー半ばで先頭集団に先団の子たちが追い付き始めました』

 

 暴発気味に【領域】を使った恩恵でキャラメルパルフェ先輩とジュエルルベライト先輩は前に出た。あの二人はここで脚を使ってしまったから、ラストスパートの競り合いではもう脅威ではないだろう。

 そしてその二人に押されるように先行勢がぐいぐい位置を上げてしまった。後ろで凶悪な圧を放っているブライアン先輩の存在も無関係ではあるまい。

 序盤はかなり前目につけていたのに、今は順位を落としてまで自分のペースを保ち続けているエルコンドルパサー先輩に熟年の貫禄を感じる。

 

「……はっ……はぁっ……!」

 

 そして、ああ、だから。

 こういうこともありうるのだろう。

 マヤノがあれだけ好き勝手アングータさんを振り回していたのだから。

 いや、人のせいだけにするのはよくないな。私もマヤノが張り巡らせたネットワークに便乗してさんざん引っ掻き回した。

 もともと長距離適性は中距離やマイルに比べ一歩劣る体質だったのだ。アングータさんと共に自分のペースを保てないまま1000m以上走らされたのなら、スタミナが尽きたって無理はない。

 でも、何だろうね。

 後続に呑まれバ群に沈み、徐々に近づいてくる青い勝負服の背中を見て胸中に湧き出る感情は。

 

「スカーレット……」

 

 感慨に浸るのはレースが終わってからいくらでもやればいい。頭ではわかっている。

 だけど、こんな形できみの背中を見たくは無かったよ。

 

『第四コーナーカーブ。この先の直線で勝負が決まる。二番ナリタブライアンここでいった! 一番マヤノトップガンも上がってくる。

 中団は混戦状態。エルコンドルパサー外から様子を窺っている。十五番ジュエルルベライト落ち着かない様子。八番グラスワンダーまだ仕掛けない。

 最後方には六番ヒシアマゾン。一バ身離れて十一番ラビットビルダー。その位置から届くのか』

『先頭を逃げる子たちがあれだけ競り合って隊列が縦長の展開になっていないというのはなかなか珍しいですね。二番ナリタブライアン、彼女の末脚ならここからでもゴールは十分射程距離でしょう。一番人気テンプレオリシュの動きにも注目です』

 

「くっ、アタシとしたことが……ちょっとばかし、いいようにやらせ過ぎたかね……?」

 

 隊列が引き延ばされていないのはマヤノの支配下にあった影響だ。先頭からシンガリまで、ピンと糸を繋いで大勢を動かしていたから。

 そんな中、ヒシアマゾン先輩は盤面の攻防でだいぶマヤノに弾避けとして使われていたからなぁ。

 自覚している以上に消耗が激しいだろう。マヤノと同じタイミングで仕掛けにいけなかった時点で勝負は厳しそうだ。

 ここは経験に勝る相手を本番の大舞台でいいように手玉に取ったマヤノの度胸とセンスを褒めるべきところなのだろう。

 

《リシュ》

 

 そうだねテンちゃん。もういかないと。

 ひび割れた灰色の荒野にちろちろと色彩の兆候が見える。

 

「ぶっちぎる」

 

 光。地から溢れ、空を貫き、天球を覆いつくさんばかりの奔流。

 それはナリタブライアンというウマ娘に秘められた底なしの力を可視化したような光景だった。

 ラストスパートの始まりだ。ここから先は立ち止まることはおろか息を入れる余暇さえ許されない。

 一度バ群に沈みながらも諦め悪くいまだに前の方で粘っているので、実際にスカーレットを追い抜くのはしばらく先になりそうというのは救いか。それともずっと視野に入り続ける苦味か。

 

「すくらんぶる! ここが勝負どころだねー!」

 

 マヤノもするりとさらに速度を上げて飛び出す。荒々しく切り開いていくブライアン先輩の走りとは対照的に、軽やかに舞い踊るような足並み。

 後ろで脚をためていただけあって素晴らしい加速だ。この勢いならコーナーを出る前には先頭へ抜け出しているか。

 

 私も仕掛けるとしよう。

 せっかくブライアン先輩がごっそり抉り取るようにルートを開拓してくれたのだ。これを利用しない手はない。

 

《さあ、ルート開拓の恩を仇で返そうか》

 

 言い方。まあそうだけど。

 だって十全の“怪物”と末脚勝負なんて正気の沙汰じゃないし……今はまだ、だけどね。

 とりあえず足を引っ張るところから始めよう。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【深海廻廊】

 

 光の噴出を圧し潰すように暗い海水が空間を満たす。

 もっとも、完全にパワー負けしているけど。圧し潰すことが目的ではなく、少しでも抑え込んで力を削ぐことが目的だからこれでいい。

 ココンから刈り取った【領域】。冷たくて暗くて陰気で孤独な、まさにココンの人となりを反映したような世界。だけど性能は悪くない。いや、むしろ良い。

 率直に言えば後方脚質で走っていれば雑に発動条件が満たせるので重宝している。

 使い勝手がいいというのは無数の【領域】をストックできる私にとって、なかなかの利点なのである。

 

 実のところストックした【領域】は、オリジナルの発動条件を満たさずとも使うことはできるのだ。

 ただ本当にそれは使うことができるというだけ。無駄に消耗するし、そうやって発動させたところで効果は条件を満たした時に比べ大幅に減少する。

 たとえるのならろくな水路も無いのに水を流して水車を回そうとするようなものだろうか。あたり一面水浸しになるほど大量の水を用意してかろうじて水車を回転させたところで、きちんと水路に設置された水車の回転には敵わない。

 それと同じで【領域】はちゃんと条件を満たして発動させないとろくに使い物にならない。私がストックした時点でオリジナルより劣化しているわけだし。

 

 【深海廻廊】は単純な効果もなかなかに高い上に射程もそれなりに広め。総じてバランスがいい。

 ちなみに個人的に気に入っているのは、自分も含め全体の速度を低下させられるところだったりする。

 一般的にはデメリットであるのだろうけど、トップスピードで走り続けると肉とか骨とか勝負服とかが不吉な軋み方をするからな。骨伝導で脳内に響くそれにぞっとしながらも脚を緩めないのはなかなかに覚悟がいるのだ。

 

「ふん」

「ぎ、にに……」

 

 くだらないと言わんばかりに鼻を鳴らし悠々と深海の中を駆けていくブライアン先輩と、それなりに身体が重たそうなマヤノ。

 

《どちらも優駿ではあるが、現状の単純な出力の差が出た感じだね》

 

 そうだね。効果のほどは想定の範疇。

 よし次の一手。出し惜しみはナシだ。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 改めてブライアン先輩に狙いを定め、私を研ぎ澄ます。

 個人的にはリベンジとも言えるか。

 スプリンターズSのとき、私の【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】はバクちゃん先輩やタイキ先輩といった面々にまるで歯が立たなかった。

 その後に【十束剣(トツカノツルギ)】でぶち抜いたが、そうではないのだ。

 歯が立たなかった、喰えなかったことが問題。

 悔しかった。

 正直、しばらく夢に出るくらい悔しかった。何度も何度も夢の中でどうすればよかったのか考えて、その甲斐あって対策は用意できた。イメージトレーニングはばっちりだ。

 単純な話。ウサギを狩るときと狐を狩るときと獅子を狩るとき、すべて同じ道具を使う狩人はいない。獲物に合わせて道具は使い分けなければ。

 

「おいで」

 

 回遊する黒剣を手元に呼び寄せる。まあ八本もあれば足りるかな。

 

「食い縛れ」

 

 号令に合わせぎちぎちと耳障りな金属音を立てて変形する八つの剣。

 まるで曲刀のように歪曲していく。曲刀と異なるのは、本来は峰となるべき反りの内側に刃であった部分が収められている点だ。

 刃は何かの背鰭のようにぞろりと獰猛に逆立ち、刀身は肉厚になった分やや縮む。

 規則正しく並ぶ四対八枚の変形した黒剣。位置によって有機的に形状の違いがあるその配列は、たとえるのなら透明な獣から唯一露出した(あぎと)か。

 この形状に独立した名前は無い。これも私の【領域】のあるべき姿だから。わざわざ名前で区切る必要などないのだ。

 

《そうだなぁ、【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)零式(ウーアシュプルング)】なんてどうだい?》

 

 だから名前は無いというに!

 

「いけ」

 

 本質的に私自身であるのだから呼びかけは不要なのだが、まあ指さし確認みたいなものだ。初めてやることだから一定の部分までは言語化した方がはかどる。

 レジェンド級は強大だ。そのままでは大きすぎて噛みついても噛み切れない。

 だったら発想を変えればいい。まるごと口に収めようとするから無理が出るのだ。

 切り取るのではなく、齧り取る。

 芯まで届かずともただ一口だけ奪い取ることに専念して牙を研げばいい。

 

 がちゅん!

 

 会心の手応え。いや歯応え、あるいは噛み応えだろうか。

 喰いちぎってやった。あの猛々しい光の奔流が私の内側に流れ込む。以前に食べたときもくらりと来るものがあったが今回は比較にならない。迸る熱に我を忘れそうだ。

 レジェンド級だって捕食可能という実績ができて、個人的にも大満足な戦果である。

 

「……ッ!」

 

 喰いちぎられてなお、ブライアン先輩は悲鳴の一つも上げなかった。

 ただ視線だけが深々と私に突き刺さる。状況的に振り返るはずがないのに。たしかに彼女の猛禽類じみた金色の瞳を見た気がした。

 

《獣は手負いが最も危険ってそれ一番言われているから》

 

 そうだねテンちゃん。だから一撃で仕留めるのが理想なんだけどね。成果は成果として、油断などできるはずもない。

 レジェンド相手に一撃必殺を決める火力なんて今の私には無い。今あるもので戦うしかないのだ。

 ちょうど今、最新の武器が手に入ったところだ。

 

 手元に白と黒、一対の長剣を呼び寄せる。

 手を滑らせるは刃。流れる血と痛みで、蒐集した因子を繋ぎ合わせ己が血肉へと変える。

 これが私たちの在り方。パキャンと乾いた音を立てて分解し、懐中時計のような内部機構を覗かせる長剣たちが何故だか少し寒々しく感じた。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【Shadow Break】×【灯篭流し】×【Shadow Break】

=【Splash Light Road】

 

《新しく手に入れたブライアン因子と、かつて入手しこれまでさんざんお世話になってきたブライアン因子をスキルで繋いで! 相乗効果で【領域】の性能もさらに一段階パワーアップだ!!》

 

 不思議なことに。

 どういう理屈なのか自分でもいまひとつわかっていないのだが、私の【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】は一人のウマ娘あたりから刈り取れる割合が固定らしい。

 既にストックした状態で同じ相手を喰らっても私の中に蓄積される因子の総量が増えることはない。まるでデータを上書きするように因子の品質が更新されるだけだ。

 同様に、同じ相手を何度喰らっても相手のウマソウルが削れて無くなってしまうこともない。【領域】が弱体化するのはそのレースの間だけ。一晩も寝て起きればだいたい同じサイズに戻っている。

 

《奪い取れる『権利』の限界ってやつなんだろうね。相手が生きている以上は》

 

 案の定、テンちゃんには何やらこの【領域】の仕様めいた部分に納得している節があるんだけど。私にはさっぱりだ。教えてもらってもいない。

 まあ教えてくれないってことは知らなくていいってことなんだろうさ。

 完全に奪い取ってしまうタイプの能力ならたぶん私も使用を躊躇することもあるだろうし、ありがたいのか不便なのかよくわからん仕様だ。うん、躊躇するんじゃないかな、たぶんだけどね。

 私に託して引退したウマ娘たち? そっちは確認してないからどうなったかは知らないな。

 

 さて本題。

 実は【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】で簒奪した因子が既存のものに上書きされるまでに、微妙にタイムラグが存在していることがわかってる。

 無数の屍を積み上げ情報提供およびその検証に協力してくれたバクちゃん先輩には足を向けて寝られない。まあその分、私も一年以上の歳月をかけて練り込んだ中長距離向けの走法を実戦形式で提供したんだから貸し借りナシということにしておこう。

 

《何度ぶっ刺しても笑いながら付き合ってくれる相手ってそういるものじゃあないからな。精神(メンタル)的な意味でも耐久力(タフネス)的な意味でも。実に貴重なデータが採れた。ほーんと、アオハル杯はいい仕事してくれるよ。この世界に生まれてよかった》

 

 またスプリンターズSの経験で【十束剣(トツカノツルギ)】の素材に同一の【領域】を使用すると同調なのか共鳴なのか知らんが、とにかく効果が上昇するらしいってことも判明している。

 あのときは追加捕食することで条件を満たしたが、追加捕食した分はその場で使い切られてしまってストックに回されることはない。

 アオハル杯で同じチームであるバクちゃん先輩と違ってブライアン先輩は対戦できる機会が限られているので、できることならここでストックを更新しておきたかった。

 いつか戦うであろう完全に初見相手にも、最大まで効果を発揮する【十束剣(トツカノツルギ)】を使えるようにするための練習という側面もある。

 あまり遠くを見過ぎても足をすくわれそうな気がして怖いけど。勝ち続けたいのなら勝ち続けるための努力をしないとダメだ。

 私はひとりじゃない。足元が疎かになったとき、フォローしてくれるもうひとりがいる。

 

《不安は感情だから消すことはできない。懸念するのはいい。でも囚われてはダメだ。行動を起こさないための言い訳なんていくらでも湧いてくるものなんだから。やると決めたのならやり遂げないと》

 

『勝負は最後の直線に持ち越された。中山の直線は短いぞ! 後ろの子たちは間に合うか?』

『外からブライアン、ブライアンが強襲! やはり彼女だ!! しかし後方からマヤノトップガンも飛んできたっ!』

 

 スプリンターズSのときは何もかも初めてだったもので加減などわからなかった。とにかく全力で踏み込むことしかできなかった。

 今は違う。ちゃんと感覚を掴んでいる。

 不足は論外だが、過剰だって決していいものではないのだ。主に心身にかかる負担的な意味で。

 山を叩き斬る大きさの剣など燃費が悪すぎる。

 絡みつき、回転し、耳障りな金属音を立てながら組み上がったものは機械仕掛けの巨大な七支刀。これだって刃渡りだけで優に身の丈を超えるが、地平線を薙ぎ払うようなバカげたサイズ感は無い。

 これが今の最適解。……それにしても、合体前はどちらかといえば西洋剣のフォルムだったのに合体後は和刀になるとは相変わらず私の【領域】は節操なしだな。

 

「さあ、いこうか」

 

 “怪物”が残したルートはいまや蛍光塗料を流し込んだように輝いて映った。

 いつも集中力がある程度の深さに到達すると踏むべきポイントが輝く未来の足跡として浮かび上がる私の視界だけど。

 今はまるで磁石のようにそのポイントが私の脚を引き寄せ、そして力強く弾き返す。

 ひときわ強く輝くU字へカチリと蹄鉄が当てはまるたびに、地雷が爆発するかのごとく大地から光が噴出し推進力へと変わる。

 

「くっ……この……」

「ひぃ……!」

 

 ブライアン先輩と私の【領域】の重圧を立て続けに受けた上で、第四コーナーを抜けた先の直線に待つのは高低差2.2m、最大勾配2.24パーセントを誇る中央レース場最大規模の急坂。心臓破りのそれに適応しきれずぼろぼろと零れ落ちていく先行勢の歯噛みや悲鳴を横目にさらに加速。

 もちろん素直に行かせてくれる相手ばかりではない。示し合わせたわけでもなかろうに前後でゆらりとプレッシャーが立ち昇る。

 

「目指すは頂。いざ参ります……!」

 

 領域具現――精神一到何事か成らざらん

 

「ここからが本当の勝負デース!」

 

 領域具現――プランチャ☆ガナドール

 

 地を這うように重く鋭利な薙刀の一撃を具現化したグラスワンダー先輩と、軽々と天を舞うムーンサルトプレスのイメージが飛んできたエルコンドルパサー先輩。

 タイミングはぴったりなのに何かと対照的だ。

 というか、グラスワンダー先輩は見た目からして危険とわかるからともかく。

 エルコンドルパサー先輩のそれは一見ネタっぽいのに、その実へその下が浮き上がるようなシンプルかつ膨大な力で構成された【領域】だから詐欺に近い。

 いまさら見た目で判断するような愚は犯さないが、まったくもって油断ならない。

 

 挟み撃ちの形になったのはきっと偶然ではない。

 同期ゆえの勝負勘。いわゆる勘というやつは、蓄積された経験の発露。無意識下の判断に由来するのだという説を聞いたことがある。

 黄金世代と呼ばれるほど同じ時間を切磋琢磨した彼女たちなら、その分かち合った経験から刹那の仕掛け処が完全に噛み合うこともあるのだろう。

 ま、初見であろうとサクサク『わかっちゃった』で進めていくマヤノを見ると『勘』と呼ばれるものすべてが経験に依存するわけではなさそうだけど。

 

《間に合ったな》

 

 前方にいるエルコンドルパサー先輩から処理していく。

 

「ケッ!?」

 

 一足で距離を詰めて胴を横薙ぎ。悲鳴すら許さぬ紫電一閃。

 二つに分かれたそれが宙にある間にもう一閃。十字に分割された人影がばしゃりと四散する。

 振り向きざまに一撃。

 薙刀と七支刀が甲高い音を立てて噛み合い、殺意に濡れて火花を散らす。

 

「ふふ」

 

 拮抗は一瞬。ずるりと食い込む手応え。

 私の七支刀は薙刀ごとグラスワンダー先輩を袈裟懸けに断ち切った。

 

「見事……!」

 

 切り裂かれた世界、重力に引かれズレ落ちながらもグラスワンダー先輩が私に称賛を送ってくれた気がした。やっぱりこの人、武士の生まれ変わりか何かでは?

 

《まともにやり合ったら苦労するどころじゃ済まない相手。圧倒的火力による瞬殺劇が最適解ってことだね》

 

 逆に、これ以外の手法では経験値の差で競り負ける可能性が高い。

 贅沢を言うならこのお二方の【領域】も欲しかった。

 でも今の私がこのレベルの相手を捕食しようと思うとブライアン先輩のときみたいにタメが必要になる。一瞬と刹那が千々に入り乱れるこの最終局面においてそんな悠長なことをしていれば確実に負ける。

 将来を見据えることも大事だけど、欲をかいて大事なことを見失ってはいけない。

 取捨選択。ブライアン先輩を二重に捕食して【十束剣(トツカノツルギ)】を使ったのはこの状況に備えた布石でもあったのだ。

 ブライアン先輩を素材にした剣なら確実に黄金世代にも通じるから。

 

 黄金世代相手に私たちの得意分野でやり合えたのは本当に幸運だった。

 相手のウマソウルにばっさりと深手を負わせた。もともとドリームトロフィーリーグに移籍しようかという盛りを過ぎた魂だ。全盛期真っただ中のバクちゃん先輩やブライアン先輩に比べると、ウマソウルの回復力は明確に衰えている。

 このレース中は思うような走りができないはず……だといいなぁ。

 

 追加捕食! ×【プランチャ☆ガナドール】

 追加捕食! ×【精神一到何事か成らざらん】

 収斂消化 =【白銀行路】

 

 【領域】の競り合いに勝利した私の世界の色が変わる。

 金から銀に。静謐と狂気を併せ持つ月光の色。

 私の髪の色に似ている。私の髪の方がだいぶ色合いは濃いけれど。

 

「ぐ、うう」

 

 獲たものは大きい。大きすぎるほどに。何とか制御下に置いてなお身体が軋む。

 取り込んだ力に押されるままに駆けて、駆けて。

 五番手。

 四番手。

 

「待っていたわ」

 

 ふと声が聞こえた気がした。

 鼓膜を介さない魂のふるえ。

 

「ずっと待っていた」

 

 とん、と胸元に軽い衝撃。

 見下ろすと小さな刃が生えていた。

 短剣の切っ先。

 

「……は?」

 

 理解が追い付かず口からこぼれた疑問の声に、こぷりと一塊の赤が混ざる。

 いや、スパートの最中にわざわざ首を曲げて下を見る余裕などあるはずがない。

 これはイメージだ。

 背後から心臓を一突きに匹敵する致命的一撃(クリティカルヒット)のイメージ。

 

「優雅じゃなくても、綺麗じゃなくても」

 

 ぐるりと捻りながら引き抜かれる短剣。

 あまりにも殺意に溢れている。

 気づけばしゃらしゃらと周囲を花びらが舞っていた。

 青いバラの花弁。

 

「勝たせてもらうわよ」

 

 かつて、青いバラは交配による品種改良ではどう頑張っても作り出せないことが判明していた。

 その存在は幻想であり、不可能の象徴であった。

 しかし時代は進み、バイオテクノロジーという概念が生まれた。遺伝子操作によって幻想は現実に変わった。今では青いバラを花屋で見かける機会も増えてきている。

 そうした由来からこの花は、生み出される前と後でまったく異なる二種類の花言葉を持っているのだ。

 すなわち『不可能』と――『奇跡』。

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 




【テンプレオリシュのヒミツ・黒】
実は、霧のような曖昧模糊とした性質の持ち主。
何も持っていなかった彼女は初めて与えられたそれを自らの中核に据えた。
その選択に罪悪感などあるはずもなく。
ただ信頼と喜びに満ちていた。


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きみに勝ちたい。キミと勝ちたい

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U U U

 

 

 この子の名前はテンプレオリシュ。

 私が決めた。そう決めた。

 

 

U U U

 

 

《ああ……そういえば同じチームだったな》

 

 何が起きた?

 真っ白になった頭の中にテンちゃんの言葉が響く。

 

《あれはライスシャワーの【領域】だ》

 

 『因子継承』。話には聞いたことがある。

 固有スキルと称されるほど個々人の魂に由来した【領域】が、他者にも受け継がれる現象。

 だが、ただ『そういう現象が起きる』ということしか判明していないはず。

 トレーナーをはじめ多くの者が日夜ウマ娘のことを研究しているのに、発生条件すら定かでないのだ。

 理由は単純明快。研究対象としようにもサンプルケースが圧倒的に少ないから。数少ない資料の中には『三女神の奇跡』と書きなぐりのやけくそじみた結論が残っているものさえある。

 それがスカーレットに起きた。

 そのこと自体は特に不思議にも思わない。

 

《それにしても継承された【領域】だと簒奪できないのか。これは意外な盲点だった。あくまで相手の魂から奪い取る能力。既に受け継がれたものは対象外だったわけだ。継承領域は魂に焼き付いた残影みたいなものなのかな?》

 

 テンちゃんの落ち着いた声が思考の霧を晴らしていく。

 しかし、抉られた心臓から先ほどまで漲っていた熱が一気に流れ出してしまったようだ。

 何とか頭も体も動くようになってきたが、とても寒い。

 あとひと息で抜け出せそうだった先頭が今では妙に遠く感じる。こんな光景は初めてだ。

 

『ここで先頭は入れ替わって十三番ダイワスカーレット……え? ダイワスカーレット!?』

『信じられません! いったいどこに余力を残していたというのか。なんという根性、凄まじい気迫だっ!』

 

 領域具現――ブリリアント・レッドエース

 

 先頭に立った彼女の世界が爆発的に解放される。

 反射的に振るった七支刀は、真紅の絨毯のようにぶ厚くまき散らされた花吹雪に阻まれた。ばふりと鈍い音がして刃先が空を滑る。

 

 防がれた? 黄金世代すら切り捨てたこの刃が?

 ……違う。

 私が躊躇したんだ。あの美しいものに(きず)をつけることを恐れた。

 迷いのある太刀筋で斬れる相手ではないとわかっていたはずなのに。

 

「ああああぁあああああっ!」

 

 慟哭のようで、咆哮のような。

 紫のオーラに見えたスカーレットが身に纏っていたものはいまやその正体をあらわにしていた。

 紅と青の花吹雪。

 そのときが来るまでは静かに重なっていたから紫と誤認した。

 今では脈動に合わせ、動脈から吹き出るように空間を染め上げている。

 

「こっこだぁー!!」

 

 領域具現――ひらめき☆ランディング

 

 ぽわぽわとパステルカラーで満たされた空間。

 ドキドキとワクワクが詰め込まれたおもちゃ箱のような世界。

 マヤノの【領域】。

 どこまでも的確な間合いとタイミング。動揺が静まらない刃の一閃は案の定、ひらりと躱される。

 

「いま……!」

 

 さらに背後ではミーク先輩までぐいぐい押して上がってきた。

 仕掛けるには遅すぎるとマークを外していたが、この機をずっと待ち続けていたのか。

 忍耐強く。自分にとっての適切がいつか必ず来ると信じて。

 裏付けにあるのは他力本願ではなく、信頼するトレーナーと二人三脚で積み上げた己の実力。

 これだけ積み重ねた自分たちがチャンスをものにできないはずがないという、屈強な自負。

 

 ああもう!

 私の呼吸を熟知していて、なおかつそれに付け込める対応力の持ち主が複数人も同じレースにいることがここまで厄介だったとは。

 身体を置き去りに思考だけがどんどん加速していく。

 焦燥のあらわれ。よくない兆候だ。酸素の消費量が増えてしまう。

 

 だいたい何故スカーレットはあれほど脚を残すことができたんだ。

 逃げウマ娘は追い付かれたらそこで終わり。一口に逃げといってもいろいろ種類はあるが、前半に稼いだリードを後半まで守り通す基本スタイルは変わらないはず。

 

《逃げじゃなかったんだ。今日のスカーレットは先行策で走っていた》

 

 たしかに前半の先頭はアングータさんだったけども……。

 マヤノの介入もあって辛うじて先頭を守り通していたという印象だった。あれだけ序盤から激しい先行争いを演じておいて、前に一人いたから逃げじゃなくて先行? さすがに無茶が過ぎるのではなかろうか。

 

《きっといつもぼくらを見ている周囲もそう思っているよ。『さすがに無茶が過ぎる』って。そんなぼくらに勝つためには、無茶のひとつやふたつ押し通さないと》

 

 ああうん、なるほどね。

 納得はともかく理屈は理解した。

 先行策で走り、途中で力尽きたふりをしてペースを落とし中団まで下がって息を入れる。そうやって最後の直線で使える脚を残したわけだ。

 スカーレットが先行策でも走れるっていうのは知っていたけど。ここ最近は一度も先頭を譲らない逃げ切り展開が多かったから。

 序盤にあれだけ前に出る気配を出していたこともあって可能性から除外していた。いつの間にあの『アタシが一番になるんだから衝動』を飼い慣らしていたのだろう。

 

《教えを乞うたんだ、ライスシャワーに。考えてみれば共通項が無いわけじゃない。二人とも憧れをひたすらに追い続けた者。『歴史』でも『名前』でもない。『この世界の彼女たち』だからこそ発生するシンパシーだな、ああクソどうしても偏見は抜けないものだ》

 

 ライスシャワー先輩。

 たしか夏合宿前のアオハル杯プレシーズン第二回戦の後、〈キャロッツ〉に移籍したんだっけ。

 私たちがバクちゃん先輩を始めチームから莫大な恩恵を受けたように、スカーレットもきっちり先達の教えを血肉に変えていたということか。

 

《ま、今日このレースまで使わなかったのは別に手を抜いていたわけじゃないだろう。あの【領域】の発動条件がぼくの知っている通りなら『最終コーナー以降に五位以上の状態から追い抜くこと』なんだが、夏以降のダスカのレースってどれもこれも最終コーナーの時点で既に先頭だったもの》

 

 ライスシャワー先輩は“黒い刺客”の異名を持つ。

 無敗のクラシック三冠に王手をかけていたミホノブルボン先輩を菊花賞で仕留めたことからそれは一躍有名になった。

 いつだったかテンちゃんが『ライスシャワーはもともと即興で力を発揮できるタイプじゃない。明確な目標を定め、それに向かって心身を研ぎ澄まし、薄く脆く鋭い刃でいっきに刈り取るヒットマンスタイルが彼女の本領だ』と語っていたように、有力な相手を徹底的にマークして最後の直線で刈り取る戦法が彼女の代名詞。

 普段はおどおどと気弱な姿を見せているが、レース中に彼女の徹底マークを受けた者は殺気さえ感じ萎縮するという。

 

 ……うーん、あれ本当にライスシャワー先輩の徹底マーク戦法の派生なの?

 ライスシャワー先輩は相手の後ろにぴったりついていくタイプだから、かなり違う感じじゃなかろうか。

 相手より前に位置取りする徹底マークがあることは知っている。そうやって相手を思うように走らせずに消耗させるのだ。

 でも徹底マークというには逃げと誤認するほど前に出ていたスカーレットと、後方集団の差しの位置にいた私。ちょっと距離が離れすぎていた気がする。

 かろうじて共通しているのは最後の直線で差しにいったところくらいだ。私が行きたかったルートを、進路妨害を取られない絶妙なタイミングで塗り潰した。あの鮮やかさは確かに通じるものがあるかもしれない。

 

《付け焼き刃じゃあない。魂に残像が焼き付くほどに模倣し、噛み砕いて自分の走法に組み込んだ。いまこの瞬間にぼくらに突き立てるための刃をずっと懐に秘め続けてきたんだ》

 

 そっか。がんばったんだ、スカーレット。

 

『勝負はまだ続く、続いている! 十三番スカーレット粘る粘る。二番ナリタブライアンと一番マヤノトップガンそれに猛追ッ!』

『勝負の行方はこの三人に持ち越されたか!? それともここから差しきるウマ娘が出てくるのか!!』

 

「いいぞ、もっと私を満たしてみせろ!」

 

 すごいなブライアン先輩。

 けっこうガッツリわき腹あたりを食い破った感じだったんだけど。

 あれでもまだ致命傷には足りないのか。つぎ狙うなら首だな。

 

《ラスボスみたいなこと言ってらァ》

 

 ナリタブライアンがラスボスというのは概ね間違いじゃないのが困る。

 ただもっと困るのが、そのラスボスを倒してもまた新たなボス格が続々と立ち塞がるってことなんだけど。全然ラストじゃない。

 たった一人ラスボスを倒せば大人しくエンディングロールが迎えにきてくれるゲームがどれだけお行儀がいいのかわかるというものだ。

 

「ぐ、ううう……まだまだエンジン、ぜんりょくぜんかーい!」

「アタシは……いちばんに……なってやるんだからっ!!」

 

 衝突し、火花と共に飛び散る意志の片鱗とでも言うべきものが後続を走る私たちにぱちぱちと降り注ぐ。

 意地の張り合い、覚悟の重さ比べ。そんなものはここでは大前提。

 結局のところ勝敗の根底を構築するのは鍛え上げた身体の性能と、それを最適に運用する戦術。可能性が収束していくこの終盤においてはデータさえ出揃ってしまえば十分に推し量れてしまうものだ。

 だから、鍛えに鍛えた体内時計と身体感覚が告げている。

 

 このレースはスカーレットが勝つ。

 

 私は届かない。

 スプリンターズSでやったような何もかも投げ捨てた全力疾走は無理だ。

 あれは1200mだからできたこと。2500mの中山レース場でやるにはスタミナも身体の強度も足りていない。

 

 あの紅のツインテールが揺れる背中を差し切ることはできないのだ。

 そう認識したとき、私の胸中を満たしたのは……ずっと焦がれてきた光景を目の当たりにしたような感慨深さだった。

 

 何故?

 だって、きっとそれは正しいことだから。

 この光景を私はずっと待ち望んでいた。

 

 何故?

 だって、あれだけ努力していたのだ。

 何度打ちのめされても、何度心を折られても。

 そのたびに地べたを這いずり回って、砕けた心を寄せ集めて打ち直して。

 そのたびに一回り成長して、それでも今の今までずっと届かなかった。

 報われない努力を続けさせたのは私。

 でも、報われてほしくないわけじゃなかったのに。

 あれだけ才能のある子がすべてをなげうつように頑張って、報われないなんて嘘だろう。

 

 どうして?

 ……嗚呼、そうか。

 私、ずっとスカーレットのことが好きだったんだ。

 

 走ることを選んでから、私は常に強者で勝者だった。

 それは私以外が弱者で敗者であることと表裏一体だった。

 強くなりたいと望んだわけじゃないのに。弱くなってくれと頼んだこともないのに。

 私と行き会って挫けるのは相手の勝手だ。他者の感情までこちらの思うままにしようなんて烏滸がましい。

 

 でも、それじゃあ私の感情はどうなる?

 勝手に挫けて、いじけて、卑屈な目で見上げられて。そんな体験をして楽しいと思うような感性は持ち合わせてはいないのに。

 テンちゃんが言うから交流は心がけていたけど、価値は見いだせなかった。

 そんな中、スカーレットだけが違った。

 折れないわけじゃない。挫けなかったわけじゃない。でも頭を下げたまま上目遣いでこちらを見上げることは絶対にしなかった。何度だって震える脚に活を入れて立ち上がって、また走り出した。

 あの険しくも気高い瞳に見惚れた。

 外の世界にも心が動く綺麗なものがあるのだと教えてくれた。

 だからきっとそのときから、私はダイワスカーレットのファンになったんだ。

 

 デジタルに初見で『同志』と呼びかけられるはずである。初めて彼女と会ったとき既に私には“推し”がいたのだから。

 うっわ、はずかし。

 無性に羞恥心がこみ上げる。きっとのんびり椅子に座っていたならいまごろ顔は真っ赤になっていたことだろう。実際は心肺がフル稼働していて暇な血液など一滴も無い現状だから、血が赤面なんて感情表現に回されることはないけども。

 

 年末の大舞台で、ようやくスカーレットの積年の努力が報われる。

 実に王道的。まるで何かの物語のクライマックスのようで……。

 …………?

 ………………あれ?

 

 ダメだ。

 負けたくないぞ。

 別にライバルとか、スカーレットが特別だとか、そういうのは全然関係なくて。

 ただ単純に私が負けるという事実がひたすらに気に食わない。

 負けたくない。すごい。初めて他の子が抱いていたこの気持ちが理解できたかもしれない。言葉の意味は知っていたけど、ようやく実感が追い付いた。

 

 ねえ、私。

 

《なんだい、ぼく》

 

 ごめん。私って自分で思っていたよりずっとずっと負けず嫌いだったみたい。

 

《知ってたよ。だって自分のことだもん》

 

 そっかー。知っていたか。

 

 他の子の場合はこの状況下でいくら負けたくないと叫んでも現実逃避にしかならないのだろうけど。

 困ったことに、私たちの場合は『奥の手』があるのだ。

 できれば使いたくはなかった。

 これを使うとテンちゃんがひどく消耗するから。それはもう他の疲労とは一線を画したやつれ方をする。

 他の能力は何をどれだけ使えばどのくらい眠ることになるのか、だいたい把握できているけどこれだけは違う。

 三日かもしれないし、一週間かもしれないし、半月かもしれない。もしかしたらもっと長く続くことになるかも。

 それだけの負担を半身に強いて、同じだけの時間孤独の寒さに耐えて、それでも目指すべきものが本当にあるのか。

 見合うだけの価値があるものなんて滅多にあるものじゃないから、相応に使う機会は限られる。

 でも今回はその『価値があるもの』だろうから。

 

《準備できているよ。やっちゃう?》

 

 ごめんね。ううん、ありがとう。

 やっちゃおう。

 

 七支刀がゆらめいて、消える。

 水面に映った虚像を掴もうと手を突っ込んでしまったみたいに。

 これはもう、ここから先には必要ないから。

 

 自らの奥深くへと潜っていく。

 根底で繋がっている部分までたどり着いて、境界線を取っ払う。

 私もぼくも消え去って、ふたつはひとつに。

 青い螺旋に赤い炎がずぶずぶと沈み込んで、己を構成するものが溶けていく。

 失われるのは身体でもなければ心でもない。

 むりやり言葉に当てはめるのならば魂。

 

 自分が自分で無くなる感覚は初めて経験したときには、そりゃもうひどい嫌悪を抱いたものだったけど。

 今ではぬるま湯に浸るようにどこか眠たげで心地よい。

 もう知っているからかもしれない。たとえ自分が消えてしまったとしても、世界は問題なく回るのだということを。ならばその先に続く道はきっとそこまで悪いものではないのだろう。

 肉体的にはまばたき一つの時間。

 ぱちりと目を開けたこの瞬間、双眸は紫の光を宿している。

 

「さあ、いこうか――(ぼく)

 

 リシュでなければテンちゃんでもない、言葉遊びをするのなら『プレオ形態(モード)』とでも言うべき状態。

 その効果はとてもシンプルだ。

 ざっくりゲーム風に言ってしまえば『一定時間あらゆるステータスが二倍』。

 やれやれまったく、十倍や二十倍までいける界王拳や五十倍スタートの超化に比べたら謙虚過ぎて涙が出るね。そもそも普段は分割しているものを元に戻しているだけかもしれないし。

 継続時間だって最大で五分といったところだが、この国の平地レースってせいぜい三分もあれば決着がつくんだよねー。

 さっきのクリティカルヒットで活動限界はさらに削られているけど何も問題ない。

 ここから世界を変えるには三十秒もあれば十分だ。

 

 降り注ぐは流星群。

 視界の中、紫色の幾重にも重なったレーンに着弾したそれは白銀色の花を咲かせる。

 二倍になったのは何もスピードやパワーといった単純な数値だけではない。演算能力も耐久性もあらゆる要素が倍増している。

 現状は既に可能性の一つでしかない。無数の選択肢とその結果が紫色の未来予想図として現実の上に描かれている。

 選ぶ権利は(ぼく)にある。

 先ほどまでは道は閉ざされていたが、今のスペックならより取り見取り。これなら大外からぶん回すのではなく内側から抜けていくのがよさげかな。

 

『残り五十メートル! ここで間からテンプレオリシュ!? 九番テンプレオリシュがバ群の中から飛び出したっ!!』

『まるで用意されていたかのように道が開きました。これが魔王の力とでもいうのか! 凄まじい差し脚。流れている時間が、住まう世界そのものが異なるような加速!?』

 

 白銀の花を踏み砕くたび澄んだ音が響き、また一つ可能性が確定したことを世界に告げる。

 うっかり弾き飛ばさないよう慎重に。

 接触などするはずもないが、こちらの余波だけでも相手側が勝手に怯んでズッコケかねない。それで進路妨害など取られたらお笑い草だろう。

 一般的なGⅠウマ娘が有する空間把握能力に合わせた安全マージンをもってルートを切り開いていく。

 

 十二番ロングウェスト。

 七番サンセットグルーム。

 五番エルコンドルパサー。

 十番ハッピーミーク。

 八番グラスワンダー。

 

 前を塞いでいた相手。横に並んでいた相手。後ろから仕掛けてきた相手。

 かつてどこかで聞いた名前もそうでない名前も、まとめて置き去りにしてさらに加速。

 身体コントロールだって二倍だ。本来なら今はまだできない、地面を踏み砕かない完璧な全力疾走を前借りしてぐんぐんと先頭との距離を詰める。

 

 一番マヤノトップガン。

 二番ナリタブライアン。

 

 残り二十五メートル。

 並ばず交わして差し切って、ゴール板まであと一人。

 

「それはもう知っているわ」

 

 凛とした異音が世界に混ざった。

 

「『不可能なことがらを(When you have)消去していくと(eliminated the)よしんばいかに(impossible,)あり得そうになくても(whatever remains,)残ったものこそが(however)真実である(improbable,)とそう仮定するところ(must be)から推理は出発します。(the truth.)』。ホームズだって言ってるでしょう?

 あの種目別競技大会のときジュニア級だったアンタが、ブライアン先輩相手に最後の直線のたたき合いで競り勝つなんて無理。アンタのことはずっと追ってきたから、どのくらい強いのかは誰より知っている。

 身体能力が二倍にでも跳ね上がらない限りはね。だったらアンタは()()()()()()のよ」

 

 吐き出されるエラーの束。

 紫の世界の一角が鮮やかな(スカーレット)で切り取られる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 ぐっと並んで、そのまま突き放せない。

 むしろ差し返されそうだ。

 ……あはっ。マジかこいつ。

 

 これは即興じゃない。熟達の匂いがする。

 ただの根性論じゃない。

 ジュニア級の頃の種目別競技大会でこの手札を晒したとき、彼女はちゃんとそれに気づいていた。

 有記念に出走した十六人のウマ娘の中でただ一人、この状況下で競り合う一瞬をずっとずっと前から想定してゲートに入ったのだ。

 

 『中山の直線で身体能力が二倍になったテンプレオリシュ相手から逃げ切る』という極めて限定的な状況に焦点を絞って。

 そのためだけのトレーニングを密かに行っていた。

 トレーナーと二人三脚で。

 この刹那に競り勝つためだけに。数多の時間と労力をつぎ込んだんだ。

 

「があああああああぁああああッ!!」

 

 咆哮と共にダイワスカーレットがまたひとつ限界を超える。

 現在進行形で計算が覆され続け、視界に映る未来との齟齬がどんどん大きくなっていく。

 垣間見たのは無数の花束。

 恵まれた環境。芳しい才能。色とりどりのそれが一輪ずつ散っていき、積み重なる花弁の一枚一枚が彼女の流した血と汗と涙で紅に染まっていく。

 今解き放たれる真紅の絨毯が如きぶ厚い花吹雪、それを構築するために彼女が捧げたもののメタファー。

 どれほどの覚悟をもってここにたどり着いたのか、万の言葉を尽くすよりも如実に触れ合う魂が教えてくれる。

 

「……ふふっ」

 

 そうだよね、きみはそういうやつだ。

 負けたくないのは誰にだってそうだけど。

 『私』が勝ちたいのはきみだ。

 

「あはっ。はああああああああああああ!」

 

 叫ぶ。

 もはや自由にしていい酸素など一滴だって存在していない。だからきっとこれはイメージ。

 でも何が幻想で何が本当なのか、この世界ではもうどっちだって同じことだ。

 

『熾烈なデッドヒート! 凄まじい叩き合いで二人が完全に抜け出した。ダイワスカーレットか、テンプレオリシュか、この勝負を制するのはどちらだ!?』

『がんばれダイワスカーレット! 初めての勝利が見えてきたっ、がんばれ!!』

 

 不可能を可能にする青いバラと、覚悟で染め抜いた紅の花吹雪。

 二つの色が絡まり合いながら放出され後ろに流れていくその様は、まるでDNAの二重らせん構造のように美しい。

 彼女に勝つためにまた一つ機能を純化すれば、彼女はさらに限界を乗り越えることで競り合ってくる。

 この苦しくてつらくて、どんどん視界が白くぼやけていく時間が永遠に続けばいいと思えた。

 でもどんなものだって始まり(スタート)があれば終わり(ゴール)がある。

 お互いの全てをぶつけどこまでも削り合うようなひとときとは裏腹に、ゴール板はあまりにもあっけなくやってきた。

 

『二人並んでもつれ込むようにゴールイン! どっちだ!? 体勢的にテンプレオリシュ有利かっ?』

『……掲示板にはレコードの文字。先に三着以下の順位が確定しております。三着は一番マヤノトップガン。四着に二番ナリタブライアン。そして五着が十番ハッピーミーク』

 

 ゆるゆると走る速度を落とす。

 終わった。

 そう実感した瞬間から始まる分離。身体の半分を削がれるような喪失感と地に足をつけたような安心感が同時に湧き起こる。

 運がいい。またふたりに戻れるらしい。機能停止は一週間くらいかな? 一か月はたぶんかからないと思うけど。

 

 ばさりと力尽きたように崩れ落ちる、スカーレットの前に素早く回り込みその身体を支えた。

 働いていた慣性と衝突のショックは脚のクッションを使って上手い具合にターフへ逃がす。今の彼女を動かすのはまずいから。

 

「……やっと、わかった」

 

 息も絶え絶えに吐き出される言葉。

 たとえ紅色の髪に表情が隠されていても、ぽたぽたと頬に落ちるその滴が汗だけではないことをぼくは知っていた。

 

「アタシがあのとき傷つけたのはリシュだったんだ。あなたじゃない……」

「うん。ごめんねダイワスカーレット」

 

 怖かっただけなんだ。

 きみはぼくが変えてしまった世界の象徴だから。直視するのが怖かった。

 ただそれだけの怯懦がここまできみを追い詰めて苦しませるなんて、予想さえしていなかったんだ。

 

『着順が確定いたしました。一着はテンプレオリシュ! 九番テンプレオリシュですっ。二着は十三番ダイワスカーレット。“紅の女王”、ついに初黒星となりました』

『御伽噺が伝説を超えた瞬間、“銀の魔王”テンプレオリシュこのグランプリでついにGⅠ八勝目! 現在進行形で紡がれる神話にこれからも目が離せません。それにしても三着までクラシック級の子で独占されるとは、新時代の到来を感じずにはいられませんね』

 

 あと一歩でもダイワスカーレットの脚が壊れるのが遅ければ。

 負けていたのはぼくらの方だったな。

 

「担架だ、はやく!」

 

 聞いたことが無いくらい余裕のないゴルシTの声を聞き流しながら、自分より背の高い女の子を抱きしめて支え続ける。

 ゆらゆら陽炎のように立ち昇る湯気から危険なくらい高温になっているのが窺えるけど、体温の高さはこちらもどっこいなので熱いとは感じない。

 結局、勝敗の決定打になったのは信念でも努力でもなく、生まれ持った素質の差だったか。

 

「せちがらいねぇ」

 

 天を仰いでも何かが書いているわけでもなく、ただ地上のことなど知ったことかとばかりにさえざえと澄んだ冬の青空が広がっているだけだった。

 

 

U U U

 

 

 興奮と賞賛と期待……だけではないざわめきに揺れるライブ会場。

 スカーレットがライブ前に救急搬送されても、ライブが取りやめになることはない。

 レースが興行であるようにライブも興行だ。レースでウマ娘が故障してライブに出られなくなるのはあまり大声では言えないがままあることであり、それに合わせたマニュアルも存在している。

 この場合、欠員となるウマ娘以下の順位を繰り上げにして配役するのが通例だ。特に上位三名は歌唱パートがあるので欠員のままライブ決行はありえない。

 そのはずだった。

 しかし順位繰り上げで三着の歌唱パートを担当するはずのブライアン先輩はバックダンサーの衣装で舞台に上がると、マイク片手に観客席に向き直りこう宣った。

 

「このライブ、本当に二着をダイワスカーレット以外のウマ娘で埋めて開催するのか?」

 

 たった一言でしんと水を打ったように静まりかえる会場に、淡々と声を荒げているわけでもないのに逆らい難い覇を纏ったブライアン先輩の言葉が続く。

 

「怪我をしてまで限界以上を引き出したことを肯定するわけじゃない。だが、この年の有記念の二着はダイワスカーレットただ一人。そう断言するに値するレースだった。

 ならば今から始まるウイニングライブの二着は欠けていることにこそ価値がある。そうじゃあないか?」

 

 誰も何も言わなかった。

 まるで肉食獣の様子を窺う草食獣のように皆が息をひそめていた。

 どれほどの時が経ったのだろう。

 パチリ、と沈黙が一つの拍手で打ち破られる。

 それはパチパチと小川が流れ合流するように連鎖を重ね、ついにはライブが始まる前から万雷の拍手喝采が会場を包み込んだ。

 きっと不満のある者だっていただろう。たとえ仮初のものだったとしても一着でも上のパートで踊る推しを見たいファンだっていただろう。

 それでも納得してくれた。

 いや、『納得させた』と表現した方が正確かもしれないけども。

 

 でも少なくとも舞台に上がる十五人の方は事前に話を持ち掛けられて、全員が納得済みである。

 言い出したのが繰り上がれば歌唱の権利を手に入れるブライアン先輩だったというのも大きいかもしれない。『あの血湧き肉躍るレースの後に代役で歌うなど御免だ』と本人はその権利を歯牙にもかけていなかったが。

 

 観客の同意が(半ば無理やり)取れたということで慌ただしくライブの最終調整に入るスタッフたちの中、一仕事果たしたという気負いも見せずスタスタと舞台袖に戻ってくるブライアン先輩に駆け寄る。

 

「……あの、ありがとうございました」

 

 こちらへ向けられる金色の瞳におずおずと一礼。

 限界を超えたというのなら私も似たようなものだ。

 テンちゃんはしばらくの間昏睡状態。スカーレットは私と真正面から鍔迫り合いを演じたせいで怪我をして今は病院だ。

 極度の疲労に加えメンタルは大ダメージ。現在の調子は最悪の一言に尽きる。

 だから見ていることしかできなくて、与えられた義務をなんとかこなす余力くらいしか残っていなくて。

 なのにスカーレットの空白を空けたままライブが開催されることになって嬉しかった。

 ブライアン先輩が、共に競ったウマ娘たちが、そして観客のみんなが、スカーレットと私たちの激闘にそれだけの価値を認めてくれた気がして。

 

 スカーレットがいなくなっても当然のように彼女の抜けた穴を埋め開催されるライブに、思うところが無かったわけじゃない。

 でも、もともと私は既にルールで決まっていることを自分の意思で覆すということが苦手なのだ。

 だってきっとその気になれば、たいていのルールは私を縛っておくことなどできやしないから。

 人間社会で生きていくためには『ルールを守る』というルールを鵜呑みにしなければならなかった。

 まあ偶にどうしても納得できないこともあるけど、それはそれ。私のせいで変わることはあっても、私から積極的に否定して変えようとしたことはない、はずだ。

 

「別に礼を言われる筋合いなどない。ただ私自身が癪だから動いただけだ。それと――」

 

 じろじろと私を無遠慮に眺めまわした後、出てきたのはそんなセリフ。

 言葉の続きを大人しく待つ私の前で、何やらブライアン先輩は考えていたご様子だったが、軽く首を横に振った。

 

「――いや、別にいい。気にならんと言えば嘘になるが、よくよく考えてみればオマエがいったい誰かなどあまり興味のないことだった。

 私の渇きを満たしてくれるのなら、オマエたちの正体など私にとってはどうでもいい」

「……あはは、そうですか」

 

 これには苦笑いしかできない。

 腹は立たなかった。

 むしろこういう受け入れられ方もあるのかと一つ賢くなった思い。

 

 言うべきことは言い終わったとばかりに過ぎ去る背中を見送る。

 理由はどうあれ、お膳立てをしてもらったのだ。

 後は私がやるべきことだろう。

 給料分の仕事という意味では一着の私が間違いなく一番多く貰っているのだから。

 ちなみに有記念一着の賞金は五億。まるまる全額がウマ娘の懐に入るわけではないとはいえ、分母が分母なので分子だってそれなりの額になる。

 ……がんばろう。

 身体コントロールは得意分野だ。ダンスは表情筋の動き込みで身体に叩きこんでいる。血流だって操作して、頬を染めたとびきりの笑顔だってファンにお届けしてさしあげるさ。

 

 スカーレットがいないから物足りないライブになったなんて、絶対に言わせない。

 

 

 

 

 

 足を引きずるようにして何とか学園まで戻ってきた。

 いや、ちゃんと桐生院トレーナーに送り迎えしてもらっているけどこう、心情的に。

 ウマ娘とトレーナーの関係によってはレース勝利を祝して一緒にごはん食べたりするのかもしれないけど。

 桐生院トレーナーと私はそのあたりわりかしドライだ。プライベートな寄り道は一切なしで帰ってきた。

 これは明らかに私側の性質に依るものだろう。ミーク先輩の場合だともっと距離を詰めた対応をしているのが見て取れる。デジタルはよくわからん。基本的には私と同じ人見知りだけど、一部ブレーキが壊れていて猪突猛進するからなあの子。

 

 わたしがんばった。

 ライブは成功した……と言っていいんじゃないかな。

 たぶんね。拍手も声援もすごかった気がするし。テンちゃんがいないから客観性に欠けた独断でしかないけども。

 年末のこの時期だ。帰りの道中が混雑していたこともあり、学園までたどり着くのになかなか時間を使ってしまった。日はもう既にとっぷり沈んでしまっている。

 レースの反省と今後の課題の洗い出しは中山レース場の控室と帰りの車内で既に終わらせているし、クールダウンも十分に済ませた。

 インタビューだって今日受ける分は全部ちゃんと受けてきた。練習の成果が光る出来だったと思う。

 

 ようやく私の自由時間だ。

 寮生活のつらいところ。門限があるので一度は大人しく自室に帰ったが、身体も心も疲れ切っているのになかなか眠れない。

 ちなみにココンは既に寝ていた。今日はよほど熱心にトレーニングをしたのか、部屋への出入り程度では起きる気配もなかった。

 有記念を勝ったルームメイトにお祝いの言葉の一つも無いとは相変わらずなやつだ。祝われても困っただろうけど。

 

 仕方がない。

 コートを引っ掛けスマホをポケットに入れると意を決して窓を開ける。

 向かうのは学園の校舎。

 

「よっ、ほっ、えいしょっ」

 

 闇に紛れ人目をかいくぐって移動し、壁を蹴って一気に校舎の屋上まで駆け上がった。

 この時間ならもう施錠されているだろうから、誰かがわざわざ屋上まで上がってくることはあるまい。ルームメイトに気を遣う寮の自室以上にプライベートな空間だ。

 何かあった時の為に学園のセキュリティーは三次元MAPで頭に入れておいたから、うっかり警備会社を呼んでしまうような失態もない。

 こうやって実際に使うのは初めてだけどね。テンちゃんならともかく、まさか私が悪用する日が来るとは当時は想定もしていなかった。

 空にちらほら星が見えることにため息をつきながら、電話帳から選ぶのは母のケータイ。三コールもしないうちに出てくれた。

 

「……もしもし」

「あらリシュ! 有記念勝利おめでとー!!」

 

 第一声からハイテンションの祝辞。

 それだけで少し、寒さが薄れた気がする。

 

「すごいレースだったわね。だいじょうぶ? 怪我してない? 少しでも痛いところや違和感があったらちゃんとトレーナーさんに言うのよ?」

「ん、大丈夫」

 

 我が身体ながら呆れるほどに頑強だ。

 この時間になるまで帰れなかったのは桐生院トレーナーに精密検査を受けさせられたからというのもある。

 結果、問題なし。もちろんダメージが無いわけではないが、あくまで常識の範疇。食べて寝てを繰り返せば遠からず万全に戻るだろう。

 奇跡の対価は往々にして前払い。あるいは全力を出しても身体がそれに耐えられるように、着々と二年間積み上げてきた貯蓄がギリギリのところで踏みとどまらせてくれたのかもしれない。

 スカーレットの脚は壊れたのにね。

 命に別状がなければ屈腱炎のように選手生命が断たれるわけでもない、ただの骨折だと先ほどLANEに着信が入っていたけど。

 

「じょーぶな身体に産んでくれてありがとう」

「あっはっはっは! どういたしましてー。でも結局はあなたが頑張ったからよ。ネットニュースでも速報が飛び交っているわよ。クラシック級でGⅠ八冠これは皇帝を超えたーとか、URAの重賞連勝記録更新ーとか、いろいろ」

 

 そうだ。私はすごいのだ。

 世界の歴史に目を向ければまだまだ比較にならないバケモノ記録はあるけど、国内という括りではわりとすごい記録をたくさん打ち立てたのだ。がんばったのだ。

 自慢の子供になる権利は十分に持っているはずなのだ。

 だから、今なら聞ける。

 

「ねえ……わたし、生まれてきてよかった?」

 

 テンちゃんが起きているときはこんなこと聞けないし、そもそも聞く気もおきない。普段の私は自分で言うのも何だが自己肯定感のカタマリだから。

 でも、人間社会で生きていくうえで周囲と異なる存在であることに負い目を感じず生きていくなんて無理だ。

 

 幼少期、私は病弱なウマ娘だった。

 意識が朦朧としていることも多くて記憶は曖昧。ただ、体調を崩すたび専業主婦だった母が付きっ切りで看病してくれたことは憶えている。

 なのにその頃の私はあまり泣いたり笑ったりしない子供だった。我が子とはいえ、きっと尽くし甲斐の無い相手だった気がする。

 三歳になるころにようやく体調が安定し始め、積年のテンちゃんの努力あって外部とのコミュニケーションの概念を理解した私は少しずつ泣いたり笑ったりし始めた。

 五歳になると少しずつ走れるようになった。このころの私がたぶん一番普通のウマ娘っぽかった。

 しかし走るようになると今度は急速に規格外の身体能力が顔を覗かせ始め、これまでの病弱はいったい何だったのかと思うほど健康になった。

 小学校に進学し数年もしないうちに、名門のスカーレットを粉砕する実力者になった一般家庭の私はやっぱり浮いた。

 友達の家に遊びにいったりとか、逆に友達を家に呼んだりとか。一度も経験が無いとまでは言わないけど。

 あまりにも『まっとうな子供らしい思い出』を私は両親にプレゼントすることはできなかったと思う。むしろ次から次へと気の休まる暇は無かったのではなかろうか。

 

 愛されていることは知っている。

 でも、一度ちゃんと聞いておきたかった。

 その結果、意に沿わぬ返答だったら取り返しがつかないほど傷つくと薄々理解していたのに。

 これは信頼かな。それとも甘え?

 

「……リシュ、おぼえているかしら? あなたが産まれる前、まだお腹の中にいたころの話なんだけど」

 

 少し間が空いた後、母は穏やかな口調でそう切り出した。

 いやいや、記憶力に自信がある私でも流石に産まれる前は無理だよ。

 無理……のはずだ。

 あれ? 何だろう。記憶の指先が埃の被った箱にひっかかる感覚。

 

「あなたを授かったとわかったとき、お父さんもお母さんもとても嬉しかったわ。でもね、お医者様に言われたの。『この子は産まれてくることができないかもしれない』って」

 

 かちゃんと鍵が開いた。

 思い出した。

 私じゃない『私』の記憶。

 

 

 

 

 

 私たちウマ娘はある日、自分が誰かを自覚する。

 でもそれはある程度の年齢になって自我が発達し、外部とのコミュニケーションを取れるようになることが大前提だ。

 

 当然ながら、そうなる前にこの世を去ってしまうウマ娘も一定数が存在している。

 名前が無いから生きることができなかったのか、生きる必要が無いから名前を与えられなかったのか。

 

 名前の無いウマ娘。

 この世に生を受けたとき、私はその一人だった。

 

 




次回、答え合わせ


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ふたりでひとつのプロローグ

冒頭部分にとあるキャラクターが特定の創作ジャンルを揶揄するような発言をしておりますが、そのキャラの極端な行動の動機を裏付ける描写であり、当作品にそれらの創作ジャンルを否定する意図はありません。

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 もはや語るのも恥ずかしい手垢だらけのテンプレを経て私がチート能力と共に転生したとき、私が宿った肉体には先住者がいた。

 話が違う。死産になるはずの子供に成り代わると聞いていたのに。

 この子、まだ生きてるじゃあないか。

 死にたくない。消えたくない。生きたいと。言葉にならないかすかな魂の炎が必死にゆらめいて訴えかけてくるではないか。

 やっぱり女神の甘言など乗るべきではなかったようだ。

 

 たとえばの話。

 ヤクザだかマフィアだかに拉致されたとする。

 無理やり整形されて工作員に仕立て上げられ、新たな戸籍を用意されたとする。

 その顏も戸籍も元々は別の誰かのもので、そいつは既に始末されて死体もコンクリ詰めにされて海に沈められ墓さえないものとする。

 自分は拉致された被害者だからと、何の罪悪感も無しに別人の顏と身分で第二の人生を歩めるだろうか。その家族や友人に接することができるだろうか。

 

 極端な喩えだが、その上役を反社会組織ではなく神に変更したものがいわゆる『成り代わり』や『憑依』と呼ばれるジャンルだろう。

 人形劇で黒子が見えないことがお約束であるように、娯楽であるうちは気にしないお約束を遵守していた私ではあるが、自分がやれというのは御免被る。

 

 私は突き飛ばされただけだから。

 もう終わってしまったことだから。

 今さらどうしようもないから。

 着地地点にいた赤ん坊の頭を踏みつぶした事実に開き直って、血と脳漿で汚れた足跡を残しながら意気揚々と歩きだせる人間だっているのだろう。

 私はそうでなかったというだけの話。

 

 ああ、だめだ。長々と考えている暇は無い。

 いまにもこの炎は消えてしまいそうだ。

 このままただ静観していれば遠からずこの炎は消え、あの女神が言った通りこの死産になるはずだった身体は私のものになるのだろう。

 どうすればいい?

 

 ……いまだこの世界に降り立ったばかりで存在の輪郭があやふやな私なら、輸血のように己の魂をこの炎に注ぎ込むことでこの子の糧になることができるかもしれない。

 成功するかわからないが、それが『できる』ということは直感的に理解できた。

 

 まったく、藪医者もびっくりだ。

 医療に従事する医者や看護師が人を救う権利を手に入れるため何年勉学に励むと思っているのやら。

 しかし魂の取り扱いなどどこに行けば免許が取れるのかさっぱりだし、何よりこの子には一秒だって猶予はない。

 やるか、やらないか。

 あるのはただ単純な二択で、私の選択は決まっていた。

 

 死にたいわけではない。

 消えたいわけでもない。

 そうでなければ女神の誘いなど断っていた。

 

 だが、私は自分が誰だったかを憶えている。

 どこで何をして生きてきて、どのように死んだのか。ちゃんと記憶している。

 自慢できる最期ではなかったかもしれない。やり直したくないといえばウソになる。

 でも私の人生は終わったのだ。

 一度死んだのに見苦しく別の身体を求めるなんて、そんなの悪霊とどう違うのだ。

 私が私の人生を穢すわけにはいかない。

 

 これが芋虫に生まれ変わって、その日のうちに小汚くジャージャー鳴く鳥の雛の餌になる来世とかなら全力で抵抗もしただろうが。

 何の罪もない赤ん坊の糧になれるというのなら、このセカンドライフもさほど悪いものではないと感じる。

 かくも私の中の命の価値は不平等なのだ。この薄汚れた幽霊モドキの魂よりは、無垢な赤子の魂の方が私にとって価値がある。

 

 よし覚悟完了。

 じゃあね、おちびさん。

 私はどのみちここでおしまいだけど、きみはちゃんと生まれることができたらいいね。

 

 

 

 

 

 ……そう、思っていたのだけど。

 実際はこれが始まりだったのだ。

 

 

 

 

 

 私は生き延びた。

 とはいえ、失血死寸前の人間に輸血したらたちまち元気いっぱい! とはいかないように。

 一命を取り留めたというだけで、現状を把握できるだけの余力が生じるまでにはそれなりの時間を要したけれども。

 

 まずこの子は生きている。

 ちゃんと産まれてくることができた。

 その点では大成功と言ってよい。

 だがその場しのぎの荒療治だったことに変わりはなく、まだまだ魂は不安定。

 それに連動するように身体の調子も思わしくなく、意識が混濁する時間が多かった。検証がなかなか捗らなかったのはこういう体調面の制約も大きい。

 

 この子が生きているのに、何故か私も生きている。

 全部注ぎ込んだつもりだったのだが。体感的に四分の一ほど残っている。

 調べていくうちに、どうもこれが原因らしいというものがわかってきた。

 転生特典。チート能力。

 私の魂に付与されていたこれを、この子は注ぎ込まれた際に同時に取り込んでしまったらしい。その超過したキャパシティの分、私の魂は食べ残されたのだ。

 

 この子の魂は一部分が人外(かみさま)のそれだ。

 精神構造が異なるという比喩表現はよく聞くが、この子の場合は比喩抜きで材質が異なる。根本的な感覚の差異、価値観のギャップは生涯ついて回ることになるかもしれない。

 同時に今はまだ肉体も魂も不安定極まりないが、安定したらどうなることやら。

 ずる(チート)というだけあって、往々の物語において転生特典というのは本人の努力ではなく神様に外付けで与えられるものだ。いわば道具であり、使いこなす過程はあっても自身と同一のものではない。

 私だってそうだ。私の魂に残留したチート能力は自身とは別のツールとして認識できる。

 この子の場合は違う。完全に血肉と一体化している。

 これが成長と共にどのような影響を及ぼすのか、しがないテンプレ転生者でしかない私にはまるで予想がつかないけれど。

 幸か不幸か、私とこの子の魂は根底の部分で一体化していて、この子は私のことをもう一人の自分自身と認識している。

 そして今のところ、己以上に知識と判断力に秀でた優秀な半身として従順に判断を委ねてくる。

 この関係性が続くのなら、何とか人間らしい価値観を教え込むことも可能かもしれない。

 

 また、喪失した魂のことだが。

 私が失ったのはいわば『世界に干渉する権利』のようなものらしい。

 私に残されたのはおよそ四分の一。その範疇を超え一日二十四時間のうち六時間以上活動することはどう頑張ってもできなかった。

 ただ、私を取り込んだこの子は私自身の延長線上にカウントされる様子。

 この子の五感を通じて世界を感じたり、この子に指示を出して間接的に世界に干渉したりする分には問題が無い。

 

 まあ、人生二周目の幽霊モドキとしてはずいぶんと上等な待遇か。

 赤ん坊の生態は本能と反射で大部分が構成されているとはいえ、それでも成人済みの記憶と人格の持ち主に食事や排せつを経験するのは厳しいものがある。

 存分に裏方に回らせてもらうとしよう。

 あと記憶と言えば、自分がどこの誰で何をしていたかなどのパーソナルな部分が綺麗に虫食い状態になって思い出せなくなっていた。

 魂と共に前世の記憶を失うのは別に不自然なことではないが、何やら作為的なものを感じなくもない。

 が、私以上にこの子を優先できる理由が一つ増えたと考えればそう悪いものでもないか。

 いざ自分を犠牲にするとき前世の家族の顏でも浮かぼうものなら、さすがに躊躇してしまったかもしれないから。

 

 

 

 

 

 この子は本来、ここにいなかった。

 こうやって生きているのは理不尽で不条理で、あまりにも不平等なことだ。

 ……これは別に私の感傷ではない。

 わざわざ言いに来るのだ。わけのわからないモノたちが。

 

 ここがそういう世界なのか、はたまた元の世界でもそうだったのに私に霊感が無かっただけなのか。

 この世界には霊的なものが存在している。

 外なる女神由来のずる(チート)で生存しているこの子の枠を、あわよくば奪い取ろうと付け狙ってくる。

 お前のそれが許されるなら自分たちだっていいじゃないかと。まあその気持ちは理解できなくもない。

 

 手を出した瞬間ばくりと喰われているけどね、この子に。

 この黒いモヤモヤは果たしてウマ娘が持つ不思議パワーの一部なのか、それとも転生特典由来のものなのか、はたまた両者が混然一体と化した結果なのか。

 そうやって無数の雑霊を食い散らかした結果、不足気味の魂が徐々に補填されて体調が安定していくのは笑うべき事柄なのだろうか。

 どうやら私が学習させてしまったらしい。喰えば生き延びることができるのだと。

 

 初めて見たときこそ飢えた獣に人肉の味を教えてしまったかとひやひやしたが、よくよく観察を続けてみるとこの子が自分から牙を剥くことはなかった。

 『差し出されたものを喰らう』。

 それがこの子の原初に刻まれた生き方なのだろう。逆に言えばあの悪霊どもの直訴は、この子にとっては餌を差し出されたに等しいということでもある。

 根本的に格が違い過ぎる。霊障に関して心配する必要はなさそうだ。

 

 

 

 

 

 正直なところを告白するなら、私たちが長生きできるとは思っていなかった。

 結局のところその場しのぎの繰り返し。

 勢いが衰えれば転倒してそこでおしまいの自転車操業。

 

 そしてその運命を覆そうとも思わなかった。

 私たちは本来この世界にいるはずのない存在。

 無理を通して生き続ければ、そのうち私たちがいなければ本来活躍していたであろう子たちの枠を奪い取ることになるだろう。

 それだけの能力がこの子にはある。なにせ、かみさまを食べた少女だから。

 ただ一人のために多くのものを犠牲にする。それは『悪』と評されるべき生き方だろう。

 だから偶然と幸運が尽きたとき、そこが寿命なのだと潔く終わりを受け入れるつもりでいたのだ。

 

「ウマソウルってうるさいよね」

「えっ」

「えっ」

 

 あの瞬間までは。

 

 この子は生きている。

 この子はごく当たり前に、普通に、生きているのだ。

 それが世界の『ごく当たり前』や『普通』と根本的に異なっているだけで。

 たったそれだけのことに、ようやく気づいた。

 

 だったら何故この子の『普通』が世界にとっての『異常』だという理由だけで、この子の方が道を譲らねばならないのだ。

 いつかと同じ、魂に火がついた。

 

 考えろ。

 どうすれば生き延びることができる?

 

 要するに魂が足りていないのだ。

 この子にはウマ娘としての名前が無い。

 もしかしたら私がそのまま成り代わり転生していたら存在していたのかもしれないが、魂を注ぎ込んだときの欠落で消えてしまった。

 この子にはいわゆるウマソウルと呼ばれるものが存在していない。ウマ娘に本来なら供給される“願い”が無ければ、その“願い”を受け止める器も無い。

 それが自転車操業から脱しきれないそもそもの理由。

 

 だったらウマソウルを用意すればいい。

 この子自身が言ったことだ。いや、私が言ったんだったか。

 憑依転生者もウマソウルも、異なる世界からやってきた『名前』と『歴史』をパッケージされた情報集積体という意味では広義で同じものだろうから。

 私の正体を尋ねられた時に、適当にそう返した気がしなくもない。寝ぼけているからといって幼い子供に適当な返事をしてはいけないな。反省しよう。

 

 だがそれが今は打開策になる。

 私自身がウマソウルになればいいのだ。

 足りない分は外部から補えばいい。ウマ娘はこの世界に星の数ほどいるのだから。

 噂に聞く【領域】。要するに世界を一時的に上書きするほど屈強な魂の発露だろう。あれをちょっぴり齧り取ればこの上ない素材となるはず。

 となれば、やっぱりテンプレ転生者らしくレース業界にこの子の未来を誘導することになるか。

 

 しかしどれだけ中身を集めても受け止める器が、押し固めるための鋳型が無ければ意味が無い。

 括るための名前が必要だ。

 ……正直、候補はある。

 初めて鏡を見たときぱっと頭に浮かんだ名前。

 きっと私がいなければ両目とも綺麗な青になっていたのであろう瞳は、私が宿った影響か右目が赤く変じてしまっていた。

 銀髪で、オッドアイで、転生者で、二重人格みたいなもの。

 何よりイメージしやすい。どういう方向性で売り出せばいいのか明確だ。

 それはこれから大衆の想いを、願いを、信仰を集めようとしている身としては否定しがたいメリットだった。

 

 よし決めた。

 この子の名前は今日からテンプレオリシュ。

 私はちょっとお喋りでうるさいウマソウル。

 私が決めた。そう決めたっ!

 

 この子がテンプレオリシュと言う名のウマ娘なのだと、世界に押し切ってやる。

 問題は、この子が自分の名前をテンプレオリシュなのだということを受け入れるか。

 そこにわずかなりとも疑問を持たれてしまえば、その名は鋳型には足りえないだろう。

 ……まあその点に関しては大丈夫か。

 この子との信頼関係は十分だ。

 ぶっちゃけ私が何を言っても、真相はどうあれ私の言うことだからそれが真実でいいと受け入れてくれるくらいにこの子は私のことを信じ切っている。

 

 そう思ってくれるくらい私がこの子に対して誠実であったということ。だからこそ、この子を騙しきるために吐く嘘はこれが最初で最後だ。

 ま、AIと人間の最大の差異は嘘が吐けるか否かだっていうし。これも人格を有したウマソウルのご愛敬ってことで。

 いずれこの嘘も真実に変わるときが来るんだからさ、許してもらおう。

 

 道具は用途に適した形状をしている。

 

 獣を狩る槍ではなく、獲物を狙う弓でもない。

 道を拓く斧や鎚ではなく、守るための鎧や盾でもない。

 他者を喰らって生き延びると決めたとき、モヤモヤとしていた黒はおのずと剣の形をとった。

 剣というのは人殺しに適した道具だ。

 逆に言えば、人を斬る以外の用途では使いにくい道具ということでもある。それ故に闘争のシンボルとして剣が廃れた今でも世界で幅広く用いられているのだ。

 自分がこれからやろうとしてることをダイレクトに見せられたみたいで、ちょっと笑った。

 

 この子がいなければもっと正しい世界があったかもしれない。

 この子に奪われなければそこで別の子たちが笑っていたかもしれない。

 その事実を、これから成される悪を私だけが記憶してあげるから。

 痛みを知ろうか世界、ただひとりのために。

 

 たくさん考えよう。

 この世界の成り立ち。この世界の在り方。

 勝ち方。強くなる方法。負けない方法。

 私の持っている知識はあくまでここと相似したフィクションのものだけど、これだけ似ている以上はきっと無駄にならないはず。

 何をどれだけ積み重ねればこのゲームがクリアできるのか、そもそもクリア条件すら定かでないけれど。

 人生なんてそんなものだろう。

 むしろ事前知識とチート能力があるだけ、前世よりずっとイージーモードですらある。

 

 

 

 

 

 さて、とはいえ何から始めたものやら。

 ……そうだな、キャラづくりの一環として。

 

 一人称をそれっぽく『ぼく』に変えてみようか。

 

 

U U U

 

 

 思い出した。

 私の口調は昔のテンちゃんの真似だ。

 

 妹が大好きな姉を何でもかんでも真似したがるように、私もテンちゃんの真似をして話し方を覚えた。

 でもテンちゃんがキャラづくりを始めたとき、その真似をすることは許されなかったので私はそのまま置き去りにされたんだ。

 

 ずっと、守られてきたのか。

 

「三女神さまに何度もお祈りしたわ。どうかこの子を私たちから取り上げないでください。産まれてきてくれたのなら、ちゃんと一生をかけて愛しますから。

 普通じゃなくてもいい。五体満足じゃなくたっていい。重い障害を持っていたって構わない。ただ私たちの子供として生まれてくれたら、それだけでいいから……」

 

 電話口の向こうでは母が懐かしむように穏やかな口調で語っている。

 

「そうしたら、あなた達は奇跡を起こして産まれてきてくれた。しかもその奇跡を起こした天使まで私たちの娘になってくれたの。これほどの幸せがあるかしら?」

 

 もう一つ思い出した。

 

 テンちゃんを最初に『テンちゃん』と呼んだのは母で、それは私がテンプレオリシュになる前の話だった。

 私のヒトとしての名前を、テンちゃんは共有していないのだ。

 天使のテンちゃん。

 安直も一周回ればなかなか気づけないものである。

 

「リシュ、いい? 親にとってはね。子供は生まれてきてくれた時点で百点満点なの。あなた達はひとりでふたり分だから百倍で一億万点ね!」

 

 大変だ。算数が息をしていない。

 

 生きているだけで百点満点。

 朝ちゃんと起きられたらさらに加点。

 おはようを言えたらさらに加点。

 家事を手伝えたらさらに加点。

 テストでいい点が取れたらさらに加点。

 どんなことがあっても合格点より下になることは無く、プラスアルファの加点要素しかないのだと母は言う。

 

「生まれてきてよかったかって? もちろん。それだけで満点合格よ!」

 

 きっと私が本当の意味でウマ娘になったのは、スプリンターズSのときだ。

 銀の魔王という鋳型に集めた“願い”を情動で焼き固めて、世界に刻みつけた。

 テンプレオリシュというウマ娘が存在していることをようやく世界に認めさせたんだ。

 道理であれ以来、情緒が揺れ動くようになったと感じるはずだ。

 逆だった。あのときまで私の魂は未完成だったのだ。

 

 【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】と【白域(ホーリー・クレイドル)】も、実のところ厳密な意味では『【領域】に似た何か』だったのだろう。

 転生チート? とかいうものと私たちの起源が合わさって発現した【領域】モドキ。本当の意味でテンプレオリシュの【領域】と呼べるのは【十束剣(トツカノツルギ)】から。

 『奪い取った因子を束ねて造った、実質無銘のかみさまの力を宿した剣』。わかってしまえばかなり露骨に私の本質を表している。

 

「ありがとう。私たちの娘に生まれてきてくれて」

 

 それらの事象に父も母も、何も関与してはいない。

 でも私たちがちゃんとウマ娘になるまで。

 十四年もの間、何一つ不自由なく幸せに生きることができたのは間違いなくこの両親のおかげだった。

 

「……こちらこそ、ありがとう。あなた達の娘に生まれてきて、わたしは幸せだよ」

 

 大人ならこんなとき涙を流しても恥ではないと諭すのかもしれないけど。

 私はまだまだ子供だから、声が震えないように頑張って抑え込んで上を向いた。

 夜空の星がぼやけ、街の灯りと混ざって頬を流れ落ちる。

 頬を撫でる風がとても冷たくて、零れる滴の熱さを浮き彫りにしていった。

 

「ばかね。そういう言葉は結婚のときまでとっておくものよ」

「…………前向きに検討はしておく」

 

 結婚願望が無いわけじゃないつもりだけど、どうだろう。

 いまさら自分以上にカッコいい人がいる気がしなくなってきた。

 

 これもナルシストっていうのだろうか。

 

 独りは寒い。

 それは変わらないけど私は満たされていた。

 

 

U U U

 

 

 後日、都内某所の病院の個室にて。

 

「……で、アタシにそれを聞かせてどうしろっていうのよ?」

 

 いまだテンちゃんがまどろむ中、私はスカーレットのお見舞いにきていた。

 限界を超えた彼女の脚が負った代償は骨折および筋肉の断裂。

 容態は安定しており経過も良好なため、退院そのものはそう遠い話ではないという。

 

 でも、その後のリハビリはどれほどかかるのだろう。

 半年か、それとも一年か。

 『復帰』にかかる時間だけでもそれだ。

 彼女が再び『勝利』を掴み取るまでの過程はどこまでも遠く長く、霞んで見える。

 

 そんなこと知ったことかとばかりに病室に押し掛けた(一応本人およびそのトレーナーに了承は得た)私はすべてをぶちまけた。

 私とテンちゃんの関係性。

 その全てを余すことなく、ろくに整理すらせず、思いつく端から手当たり次第にありったけを。

 

 足を固定され、ベッドの上に寝そべったまま冷めた視線を向けてくるスカーレットの対応も宜なるかな。

 私にとっては重要なことだったとしても、第三者的にはこんなことされたって迷惑だろう。

 

 別にどうこうしろってわけじゃなくて、ただスカーレットには知ってほしいと思っただけなんだけど。

 でも、それを素直に伝えたら私とスカーレットの関係性が決定的に変わってしまうような気がして。

 何となくそれは嫌で、避けたい事だった。まだ彼女には走っていてほしいから。

 

「やめないでほしい」

 

 想いの表層だけ切り取って言葉の殻に包む。

 スカーレットの視線にはいつもの鋭さが失われていた。

 肌を刺し肉を抉る、あの熱が足りていなかった。

 

「あら、どうして?」

 

 スカーレットがふっと笑い、肩をすくめる。

 まるで燃え尽きてしまったかのような穏やかさ。

 

「まるまる二年、ううん、それよりずっとずっと前から備えて。作戦を練りに練って、トレーナーと綿密に打ち合わせして。最後には脚がこのざまになるくらい、全部使って限界を超えて走って……。それでも届かなかったアタシに、これ以上なにを求めるっていうのよ?」

 

 まったくもって返す言葉が無い。

 彼女は私たちに勝つため、あまりにも多くのものを犠牲にした。

 私たちは最強だ。

 私たちと競うということはすなわち、敗北の痛みを知れということである。

 絨毯と見紛う大量の花吹雪を染めるほど血を流したスカーレットに、これ以上の痛みを強いるのは酷というものだった。

 それでも私が走るとき、同じ世界にきみがいてほしいんだ。

 

「あれはもう使わない。今年の有記念、スカーレットは負けたけど、私が勝ったわけじゃない」

「……なによ。手加減してやるから今度は勝ち目があるって言いたいの?」

 

「違う。あれは私の力じゃあなかった」

 

 他者の【領域】を奪い取るのも、状況に応じて奪い取った【領域】を我が物顔で振りかざすのも、いずれも私たちの力だ。

 埃をかぶっていた記憶の箱が開いた今、それは力強く肯定できる。

 まー、あの記憶の解放は今回の『紫』で重なっていた副産物で、テンちゃんが独占していた記憶のいくつかがこちらに転がってきただけ。テンちゃんの記憶がすべて共有されたわけじゃないから、もしかしたらテンちゃんには別の意見があるかもしれないけども。

 少なくとも私は自分の【領域】を全肯定している。

 

 だがその肝心の『紫』は違う。

 あれだけ強力で使用中は全能感すら覚えるのに、それでも私がなかなか使いたいと思わなかった理由。

 使うとテンちゃんがひどく消耗する。それだけが敬遠する動機ではなかったのだ。

 きっと、本能的に察していたのだろう。

 あれは(リシュ)でもぼく(テンちゃん)でもなく、この世に生まれてきていたかもしれないプレオ何某の力。

 私たちのものじゃない。

 

 今からだってその気になれば、『紫』の状態をずっと維持し続ければ、私たちはひとつの存在になることだってできるかもしれない。

 二重人格は異常だ。それは間違いない。自己否定や卑下ではなくただの事実。ならばその解消は正しいことなのかもしれない。

 思えばテンちゃんはいつだってその選択肢を脳裏に留めていたように感じる。

 でも私は嫌だ。

 周囲にとっての『正しい』ことだからといって、どうして私がそれに従わなければならないのか。

 世間の正義と私の当然が共存できないというのなら、世間の正義を粉砕して己が縄張りを主張しよう。それを成し遂げるだけの力は持っているつもりだ。

 

 だから私はひとりの未来を選ばない。

 テンプレオリシュとは(リシュ)ぼく(テンちゃん)、私たちふたりを指す名前だ。

 

 だからもう、私は『紫』を二度と使わない。

 封印などという気障な理由ではなく、自分のものでないから。

 あれはたまたま私の手の届くところにあった他人の能力なのだ。

 他人のものは勝手に使わない。至極当然の道理である。

 

「ふぅん……で?」

 

 説明する私の前で、スカーレットはほっそりとした指を頤に添えた。

 その憮然とした表情は様々な感情を押し込んで包み込んだ包装紙のようにも思える。

 で? と言われても困るのだけど。私はテンちゃんほど会話の組み立てが得意ではないのだから。

 わりと文脈がおかしくなる気もするけど、思っていることは一通り伝えておくか。

 

「私、負けないから。テンプレオリシュが最初に負けるのはダイワスカーレットに決めた。だからきみが帰ってこないなら私は無敗になる」

「はあ!? ……いや、負けないってそれアンタが決めることじゃないでしょ」

 

 一瞬だけ表情にいつもの熱が戻ったけど、またけだるい冷静さに埋もれてしまった。

 さっきからスカーレットの発言が正論尽くしで困る。

 きみってそういう賢いやつじゃなかっただろ。テストで満点取るために何日も夜遅くまでかけて教科書とノートを丸暗記して、その反動でテスト当日に熱を出すような頭の悪い優等生だったじゃないか。

 実際にそんな醜態を晒したことは無いけどこう、イメージ的に。スカーレットをちゃんと知っている人間に言えば『ああ……』とかなりの人数が頷いてくれると思う。

 

「そうだね。私の決めることじゃない」

 

 いつかテンちゃんが言っていたように、『無敗』は目標ではなく結果だ。

 本当に『無敗』を目標に据えるのなら自分より強い相手と戦うなど言語道断。自分より確実に弱い相手を、確実に勝てるステージで迎え撃つのが常套手段となる。

 それは中央のウマ娘のあるべき姿ではない。

 百戦錬磨のライバルたちとしのぎを削り、走り抜けてからようやく気づく。一度も負けていない。そんな戦果こそが価値のある『無敗』。

 

「でも私はそう決めたんだ」

 

 私はここまで幸か不幸か、一度も負けずにここまで来れてしまった。

 その敗北にはそれなりの値札がついていると思う。

 スカーレットは私にとって特別だから。

 彼女が積み重ね、手繰り寄せた、たった一度のステージ。それすら無惨に踏み砕いたのが私。

 でもスカーレットの努力が報われてほしいと思っているのも本当なのだ。彼女が血反吐を吐いてまで求めたものが、ぽっと出のどこかの誰かにあっさり奪われてしまうなんて、そんなのあんまりじゃないか。

 テンちゃんなら世の中そんなものだと嗤うだろう。

 私だって否定はしない。シニア級は魔物の巣窟だ。このまま一度の敗北も経験せず引退できるとはあまりに甘い見通しだと思う。

 先日勝利した有記念はその年の最高峰が集うグランプリとはいえ、しょせんはたった一回のレース。枠は最大で十六しかなく、まだ見ぬ強敵は四肢の指を総動員しても足りぬ。

 

 それでも、それでも初めて負けるのならそれはスカーレットがいい。

 スカーレットじゃないと嫌だ。

 そんな子供じみた我儘を覚悟という額縁で飾り付け、胸を張って掲げる。

 それがスカーレットにできる、今の私の精一杯だった。

 いわゆる推し活。うん、少し違うか?

 

「なによ。シニア級からは大人しく雑魚狩りにでも専念するつもりなの?」

「いや、シニア級の目標は春と秋のシニア三冠。ついでにダートと短距離とマイルのGⅠも制しておきたいと思っているよ」

 

 あまりに私があっさり言ったせいかスカーレットは絶句した。

 

 クラシック三冠と春秋シニア三冠の制覇は入学前からテンちゃんが掲げていた目標だ。

 今ならわかる。テンちゃんはそうやって前人未到の大記録を打ち立てることで『テンプレオリシュ』に捧げられる“願い”を確固たるものにしようとしていたんだ。

 私が天寿を全うするまで、私に捧げられる人々の“願い”が途切れないように。霧のように不安定な私が消えてしまわぬように。

 でもその未来にテンちゃん自身の枠は無い。あえて切り捨てているわけではない。どっちでもいいだけ。

 テンちゃんは仮に自分が“願い”を流し込まれた結果として物言わぬただのウマソウルと化しても構わないと思っていた。

 もちろんテンちゃんが消滅したらひどいことになる。なにせ私たちからブレーキ役が消滅するのだ。半ば確約された大惨事である。

 

 それでもいいと思っていた。

 自分の価値を安く見積もっていたわけではなく。生まれる悲劇を軽視していたわけでもなく。

 たとえレース業界が壊滅状態になったとしても、きっといつかは復興する。仮にもう取り返しがつかないほど壊れきってしまったとしても、そのときはそのときでウマ娘たちは新たな道を選ぶだろう。

 極端な話、事態がいきつくところまでいってしまって全人類が滅亡する結末になったとしても。この星の支配者が変わるだけだ。世界は滞りなく続いていく。

 自分がいなくなれば困ることが起こるし、泣く人も出てくる。でも別の誰かがなんとかして解決するし、涙はいつか乾くか枯れる。何かが消えたら何かで埋まるのだ。一度死んだ『彼ないし彼女』はそう悟った。

 

 割り切っているというか、達観しているというか、はたまた厭世的とでもいうべきか。

 まあそうでもなければ、一度死んだからといって名前も知らぬ赤ん坊のために自らの魂を捧げるなんて極端な選択肢を選ぶこともないか。

 

 手の届く範疇は全力で誠実でひたむきに。そうでない部分は相応に。

 私の性格のルーツを見た気分だ。

 そう考えるとクラシック級に上がったばかりの年始。〈ファースト〉とひと悶着あった後にテンちゃんの優先順位が変更されたのはかなりすごいことだったんだなあ。

 

 ただ、当時と今ではいろいろと状況が異なっている。

 たぶん現状はテンちゃんが想定していた中でも最高に近い上振れ。

 テンちゃんの性分から考えて『全レースで勝利』などという快挙を大前提に計画立案するはずがない。どこで躓いてもリカバリーが利くようにリソースを管理していたはずだ。

 つまりシニア級を目前に既に『テンプレオリシュ』として確立している今、私に注がれる“願い”はだいぶ余裕がある。

 

「今年の年度代表ウマ娘は私で決まり。だから、その場で(テンプレオリシュ)私たち(二重人格)であることを(おおやけ)にする。新しい勝負服もそれに合わせたデザインにしてもらうつもり」

 

 だったらそれを有効活用しよう。

 ただの『テンプレオリシュ』ではなく、『ふたりでひとつのウマ娘(テンプレオリシュ)』に改めて“願い”を集める。

 未来のいかなるレースにおいても、とある二重人格のウマ娘が残した偉業が比較に出されるほどの偉業を打ち立てるのだ。

 シニア級のわずか一年間で無敗のまま春と秋のシニア三冠を制し、ついでに短距離とマイルとダートのGⅠも獲っておく。そうすればこの国の平地レースにおいて最終的に立ち塞がる壁は常に私たちの記録になるだろう?

 そうやって膨大な“願い”を獲得する下地を用意しておけば、私たちがふたり揃って天寿を全うするくらいできるんじゃないかな。

 

「負けるならスカーレットがいいとは言ったけど、スカーレットだからほいほい負けてやると言ったつもりはないよ」

 

 いつだったか、テンちゃんが自己犠牲というものを揶揄していたことがある。

 あれは九割がた崇高な善意かもしれないけど、きっと残り一割は『たった俺一人の犠牲でこれだけのものが救える俺の価値SUGEEEEE!!』というねじくれた承認欲求の発露だよねぇと。

 我が身可愛さで目が曇っているだけかもしれないけど、テンちゃんの行動にそういう陰湿さは欠けているように思う。

 私が常にテンちゃんに肯定されているように、私も常にテンちゃんを肯定しているので、私たちに承認の欠乏は無いというのもあるけど。

 必要だからやる。足りない分は諦める。本当にそんな感じ。その諦める部分が生きている人間と大幅に異なるだけで。

 心の一部がずっと死者のままなのだ。

 

 だから私はそれを変えてしまいたい。

 私の人生ではなく、私たちの人生なのだ。ふたりでないと意味も価値も無いのだ。

 それを理解させる。テンちゃんの死者の部分をやっつける。私たちはふたりとも今を生きているのだと。

 私はテンちゃんを一生かけて()()()()()たい。

 それが今の私の目標。

 そのためなら無理も無茶も無謀も踏み砕いて走り抜けてみせよう。

 

 感情ばかりが先走りどうにもまとまりのない私の話を、しっかり一通り聞き終わった後でスカーレットは大仰に嘆息してみせた。

 

「……アンタさぁ、それを聞いてアタシが復帰に意欲的になると本当に本気で思ってんの?」

「私も自分のプレゼン力の貧弱さに涙が出そうだよ」

 

 それでも、私と彼女の関係に限って言えば正解だったようだ。

 スカーレットの目に力が戻った。

 このままターフに帰ってきてくれたら嬉しい。

 それがどれだけ残忍な期待なのか、漠然と理解しているし、漠然としか理解できていないけど。

 

 

 

 

 

 そして、スカーレットの目に力が戻ったところで彼女が入院中の怪我人であることに変わりはない。

 長居し過ぎた。

 あの強がりと見栄のカタマリであるスカーレットの表情に疲労が滲みだしたのを見て、ようやくその事実に気付いた私は簡素な別れの挨拶を告げ、そそくさと病室を後にしたのだった。

 

「……ありがとうございました」

 

 病室を出てすぐ、そこに待機していたゴルシTに頭を下げる。

 

「いいや、こちらこそ助かった。どれだけトレーナーが親身になったところで大人と子供の境目を乗り越えることはできないからね」

 

 ゴルシTは穏やかに頷いてくれた。

 実に大人だ。桐生院トレーナーが尊敬している人物だと公言している理由がよくわかる。

 

「大人としての手助けは最大限を用意できる。けど、同年代のウマ娘になることは俺には無理だ。そして今の彼女に必要なのはどちらもだと思う。だから、こちらこそありがとう」

 

 もともと足は人間にとって第二の心臓と言われるくらい重要な器官であるし、ウマ娘にとって走れないストレスは健康被害が出るほどに甚大だ。

 身体のどこかが壊れればそれを庇うように身体全体の動きが歪み、不自然な負荷が蓄積した結果、別の部位が連鎖的に壊れていくことだってある。

 だけど今スカーレットが動かせないのは脚だけであって、ナースコールを押すくらいのことはできる。それでも彼がこうして病室の前で待機していたのは彼がトレーナーで、スカーレットが彼の担当ウマ娘だからだろう。

 

 彼の担当ウマ娘はスカーレット一人ではない。

 だがウオッカは怪我したライバルに嫉妬して腐るような性分はしていないし、ゴールドシップ先輩は言わずもがな。

 ゴールドシップ先輩は自分のやりたい事しかやらないし、やりたいことにしか興味が無いお方だ。後輩が故障して、担当が故障するという初めての事態にトレーナーが対処している中、あの人の今一番やりたいことは彼らの助力になっているはず。

 きっと今頃、下手なサブトレーナーを凌駕する精度でチーム〈キャロッツ〉の運営をサポートしていることだろう。

 チームメイトの故障とチーフトレーナーの頻繁な不在で精神的に不安定になっている者は多かろう。ウマ娘、トレーナーを問わずだ。そんな彼らを支えるため普段のおふざけの仮面をかなぐり捨てて、真面目に立ち振る舞わなければならない状況はきっと多い。

 スカーレットがある程度回復してきたあたりで、反動がくることを今から覚悟しておいた方がいいかもしれないな。

 

「そうだテンプレオリシュ。君はたしかスカーレットの幼馴染だったよね?」

 

 準備するべきはヘルメットかゴーグルかパスポートかを検討していると、ゴルシTにそんなことを尋ねられた。

 同郷で、同じ学校で、同じ学年で、何度も同じクラスになった関係を幼馴染と呼ぶのであれば間違ってはいないけども。単純に友達とも呼び難い、安易に定義したくない私が抱いている微妙なディスタンス。

 そんな思春期丸出しの自分語りを今の彼が求めてるとも思えないので素直に頷いておく。

 

「こんなことをここで聞くのもなんだけど、スカーレットの親御さんが好きなものって知っているかい? あるいはアレルギーとか苦手なものの情報でも助かるんだけど」

 

 ああ、なるほど。

 ゴルシTが一部のトレーナー勢から蛇蝎のごとく嫌われているというのは知っていたが、その理由をいま肌で納得した。

 

「……スカーレットも連れて行くんですか?」

「ご明察。さすがはこれから歴史に名を刻むウマ娘だけあって君は敏いね。学校なり学園なり、外部から隔離された社会っていうのは内部の感覚も隔絶したものが蔓延しがちだ。こうやって機会を見つけて外気に触れさせてやらないといけないのさ。

 君は親御さんからお預かりした大事なお子さんで、怪我をしたらその親御さんを悲しませることになる。決してこの業界ではよくあることで済ませてはいけないんだって」

 

 彼は菓子折りを手にスカーレットのご両親へ謝りにいくのだ。

 よそ様の子供を預かっておきながら怪我をさせた大人の責任として。

 そしてその場にスカーレットも同行させるのだろう。ただでさえ大人が頭を下げている場面に出くわすと居心地が悪くなるのが、真面目に生きてきた優等生なお子様の生態というものだ。

 しかも頭を下げているのが自分の大事なトレーナーで、下げられているのが自分の大切な親。そして原因は自分。二度と怪我をしてはいけないと心に刻まれることだろう。第三者の立場で想像した私ですらげんなりするくらいだ。

 中央という魔境。それが叶う場所かは、さておいて。

 

 彼はあまりに普通の人間過ぎる。

 中央は魔境。レースのためにあらゆるものを犠牲にする修羅が集う場所。単独なら排斥されるべき要素も、周囲も皆同じ存在であるためむしろ共感を持って受け入れられる鬼の住処。

 そんな中、何も捨てることなく欠けることなく、そのくせ犠牲を払った何者よりも成果を出せる規格外の才気の持ち主が彼だ。

 あの桐生院トレーナーですら欠落があるというのに。彼女の場合、幼少期から名門桐生院の娘として勉学に励んできた代償で一般的な幼少期の経験に乏しい。今でこそアニソンのひとつも歌えるようになってきたが、トレーナーになったばかりの頃は趣味らしい趣味も友人と言えるような相手も存在していなかったと聞く。

 いったい自分のやってきたことは何だったのかと、中央によくいる程度の天才ごときでは自らの行いと犠牲にしてきたモノの価値をまとめて否定されたように感じたことだろう。

 

 彼の人間らしさには惹かれるものがある。

 テンちゃんの記憶曰く、私のズレた部分は人外(かみさま)由来の成分らしいし、まあそりゃあこういうの大好きそうだよね。

 夏合宿のときにも少し思ったが、何か一つ掛け違えば彼と一緒にトゥインクル・シリーズを駆け抜ける未来もあったのかもしれない。

 

「……あいにくスカーレットのご両親は多忙な方でして。あまり会ったこともなくて、よく知らないんです。スカーレット自身一緒に過ごせる時間が少なかったみたいですし。お役に立てず申し訳ない」

「そうか、ありがとう。参考になったよ。それなのにしっかり時間を作ってくださった保護者の方々には礼を尽くさないといけないな」

 

 選抜レースの後に声をかけてくれたのが桐生院トレーナーでよかった。

 私は今の自分が好きだ。

 

 

 

 

 

 そうやって、なんとかかんとか孤独をやり過ごして。

 ついに待ちに待ったいつもの充実が訪れる。

 

《……ん、おはようリシュ》

 

 インフルエンザで一週間寝込み続けたようなガラガラ声。

 この極端な消耗が嫌だったから使わなかったんだ。それで正解だったと今は思っている。

 

「おはよう、テンちゃん」

 

 ねえテンちゃん。

 私ね、やりたいことがたくさんできたんだよ。

 きみと話したいことがいっぱいあるんだ。

 聞いてくれる?

 時間はまだまだたっぷり余裕があるはずだから。

 

 おはよう、私たち。

 これからもよろしくね。

 




これにて今回は一区切り!
ついにクラシック級編終了! お疲れ様でした!!
また『テンプレオリシュとは何者なのか』という大テーマにもこれで一区切りです。
次章からは己が何者であるのかを選んだ彼女たちの新たな物語となります。

いつも通り、一週間以内におまけを投稿予定……


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【そのとき】冬のグランプリまとめスレ【歴史が壊れた】

オマケの掲示板回です。
一区切りついて気が抜けたのか、職場の衣替えで制服が薄着になったのがいけなかったのか、風邪がぶり返して寝込んだりしたのでギリギリになりました。
皆様も体調にはお気をつけて。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


4:名無しの観客 ID:sjCZOY2hO

始まる前から既に吐きそうなんだけど・・・

 

8:名無しの観客 ID:W2BAzHznT

わかる。ドキドキしすぎて感覚おかしくなる

 

27:名無しの観客 ID:U1jcVpxie

はやく始まってほしいけど、ずっと始まってほしくない

このときめきを永遠に味わっていたい

 

58:名無しの観客 ID:kim0FIEW9

中山レース場周辺は交通規制すら発生しているらしいからな

 

152:名無しの観客 ID:WgaI+a4Xi

この真冬にようやるわ

 

183:名無しの観客 ID:Sq7Ql1Cu7

正直理解できん

レース場にすら入れないのにわざわざ現地まで応援にいくか?

 

195:名無しの観客 ID:4fTMC6YBw

ふふ、胸に燃え盛るウマ娘ちゃん愛さえあればこんな寒さなんてことないぜ!

 

239:名無しの観客 ID:SKYigXiZW

どうでもいいけど歩きスマホで事故るなよ

人が多い分、将棋倒しにでもなったら大惨事だ

 

317:名無しの観客 ID:IdbrR78OW

か、勘違いしないでよね!お前らのことなんてどうでもいいけどウマ娘関連で事故が発生したら推しが悲しむかもなって心配になっただけなんだから!

 

325:名無しの観客 ID:oV/cCTP86

他人がこの寒空の中震えていると思うと、コタツでぬくぬくしながらネット配信で応援するのは最高やな!

 

330:名無しの観客 ID:zmflXInAl

流れ早いなー

今日は何スレいくかな

 

384:名無しの観客 ID:7ByytbHUV

そろそろパドックが始まる時間か

 

425:名無しの観客 ID:tXpSQi2kc

>1番マヤノトップガン 7番人気です

 

479:名無しの観客 ID:IIpVJjOb+

1枠1番はマヤちゃんかあ。せっかくの内枠だし今回も逃げかな

 

550:名無しの観客 ID:cRGtdkVDU

7番人気かぁ。もうちょっと上でもよかった気がするけどメンツがメンツだからな・・・

 

643:名無しの観客 ID:TZrw+kD1z

あの、マヤちんチャンネルって配信から入った勢なんですけど

マヤちゃんと、あとリシュちゃんってどのくらい強いんですか?

 

717:名無しの観客 ID:TptEIUgtG

>>643 沼へようこそ。

マヤノトップガンは今年のクラシック級の中では五指に入る優駿やの。ただ、同期にちょっとおかしいのがいてな・・・

今回の有記念はメンバーが豪華すぎるから、まあ人気通りやや中堅よりの上位ってところかな

 

808:名無しの観客 ID:X1j1h81wl

>>643 歓迎するぞ、盛大にな。

テンプレオリシュはいろいろとおかしい。今日惨敗してそのまま引退しても歴史に名前が残るレベルの偉業を既に達成済み

レース知らない勢に伝わるように言えば、まあちょっと過剰で極端な例になるけどオリンピックの全種目で金メダル取るようなわけわからんことやってる

そしてきっと今日も勝つ(確信)。御伽噺は伝説を超える

 

863:名無しの観客 ID:pikULVFpY

あの配信はわけわからんかったよなあ

人力TASって本当にあるんだなって

 

866:名無しの観客 ID:oL3h1+v0q

>2番ナリタブライアン 3番人気です

 

929:名無しの観客 ID:3ApP9IQEF

気迫が充実しているなあ。オーラがあるよ。これはノッているときのブライアン

これで3番人気ってマジ?

 

11:名無しの観客 ID:vd7ms2UBY

見る目ないよなぁ

純粋な実力ならどう考えてもブライアンがトップだろ

 

40:名無しの観客 ID:6oN65KbYl

まー無敗って肩書はそれだけ強いんだろう

 

54:名無しの観客 ID:HSm2/g5Qg

そりゃブライアンは無敗のクラシック三冠ではなかったが・・・

このブライアンを見て今日の彼女が負けるとは思えないな

 

67:名無しの観客 ID:6Mo3LIzPG

今日のブライアンが負けるはずがない

もしも負けたら全裸でうまぴょい音頭踊ってもいいよ!!

 

110:名無しの観客 ID:ZCQsOBtvN

こんな寒い日にチャレンジャーだな

 

127:名無しの観客 ID:5df21rWuv

もしも脱ぐなら自宅内にしておけよ

こんなことで逮捕者を出したら有記念を走るウマ娘に申し訳なさ過ぎるから

 

601:名無しの観客 ID:lPDWHTYWU

>9番テンプレオリシュ 1番人気です

 

628:名無しの観客 ID:yP5JNmEk8

でたわね

 

642:名無しの観客 ID:g3XHXtwJC

この豪華メンバーの中で不動の一番人気

 

713:名無しの観客 ID:NVt+ow008

世界のバグ

レースの神様の誤植

この国が核を持たない理由

もはや誉め言葉なのかわからん煽り文句の常連

 

801:名無しの観客 ID:YfJ/n1tPz

相変わらずぱっと見ただけではそこまで走る子に感じないんだよなー

 

815:名無しの観客 ID:TorNzSHYy

そうか? めっちゃオーラあるじゃん?

 

832:名無しの観客 ID:H4ryeW9qQ

こう、なんつーか。存在感はあるのに気配はないというか。ふわふわした感じはある

 

840:名無しの観客 ID:8V2zUNE+A

ああ、なんかわかる。

スプリンターズステークスの後あたりから少しずつカッチリしてきたってか、風格が出てきた気がするけど

 

841:名無しの観客 ID:aXDsLB/g3

そりゃああのバクシンオーを降したんだからな。風格の一つも湧いてくるだろう

 

844:名無しの観客 ID:rA2jiGkq8

スプリンターズS(短距離GⅠ)から菊花賞(長距離GⅠ)にいって両方勝ってるの

いまだに納得いってないよ俺は

 

858:名無しの観客 ID:vO5b+7xgL

マヤちんのときも思ったけど、シニア級の面々と比べるとクラシック級の子はまだまだちっこいなあ

 

946:名無しの観客 ID:F/dTZoojv

アングータちゃんとか縦はそれなりにあるけど、やっぱり横は薄さが目立つね

 

998:名無しの観客 ID:R3UjwJqR/

>13番ダイワスカーレット 二番人気です

 

12:名無しの観客 ID:pNAMI4D0k

うわふっと

 

13:名無しの観客 ID:BOc0DJHJN

でっか・・・どこがとは言わんが・・・

 

44:名無しの観客 ID:62glxP16F

ふといあしだ

仕上がっているな

 

89:名無しの観客 ID:MEIYBwKQN

なんだこの分厚さ、クラシック級とは思えん

 

138:名無しの観客 ID:9okAW/gjk

さすがゴルシT。いい仕事しやがる

これは今日もやってくれるかもしれませんよ

 

148:名無しの観客 ID:wzU/oWthv

なんかこの子もめちゃくちゃオーラ出てるな

誰が勝つのかさっぱり予想ができん

 

187:名無しの観客 ID:XCAr2U5i2

大外枠がアングータちゃんでパドックも終わりか

 

193:名無しの観客 ID:1rh0/O1sB

アングータは逃げだっけ?

大外枠だと不利か?

 

246:名無しの観客 ID:2f4ETeX6u

どうかな。バ群に囲まれにくいという利点もあるし

カーブに入るとき遠心力が少ないというメリットも無くはない

 

308:名無しの観客 ID:/wV7e8+OG

ダービーの破滅逃げを見て以来ちょっぴりファンなんだよな、アングータ

勝てと応援するのがファンの鑑なんだろうけど、あくまでちょっぴりファンだから悔いのない走りをしてほしいと思っておくよ

・・・さすがにこのダスカを前にして逃げ切れるとは信じきれない

 

350:名無しの観客 ID:gd5TUlMI8

お、ファンファーレ

 

399:名無しの観客 ID:ODnldkHht

ついに始まるんだな

 

410:名無しの観客 ID:vrSHULJL7

これを聞くと今年も終わりなんだなって実感が湧くわ

 

451:名無しの観客 ID:/GpKw0hp7

実際にはこの後にホープフルSが残っているんですけどね

まあたしかに、GⅠとはいえジュニア級レースとグランプリ比べたら見劣りするか

 

494:名無しの観客 ID:e2v5FYSsx

すっごい歓声

これだけの人間が詰め込まれているって実感するね

 

495:名無しの観客 ID:GhLLOI6nG

それがスタートの邪魔しないようスッと静かになる

この一体感とマナーの良さが好き

 

533:名無しの観客 ID:VvgxWRvgM

始まった!

 

541:名無しの観客 ID:as89uHww7

うおおおおおお!いけええアングータ!!

 

580:名無しの観客 ID:byOeru8Rw

アングータぶっちぎった!スカーレットも続いている!!

 

584:名無しの観客 ID:rOzPJ3xNb

マヤノ!?出遅れか?それとも作戦???

 

590:名無しの観客 ID:KAXcmc6ja

マヤちんどのスタイルでもいけるから判別が難しいのよなあ

まああの落ち着いた表情を見る限り作戦通りっぽいけど

 

600:名無しの観客 ID:MbJhj6TLw

テンプレオリシュは中団よりやや下か

今回は差しでいくっぽい?

 

630:名無しの観客 ID:akHX08j2O

対強敵シフトだな

さすがに菊花賞でやったみたいな2500m逃げ切りはしないか

ちょっと期待していたのはここだけの秘密だ!

 

651:名無しの観客 ID:VqetV9a5C

り、リバイバルリリックおま、お前・・・

その位置じゃあどう考えてもアカンだろ。最後の直線どころかその前の競り合いにすら参加できんだろ・・・

 

700:名無しの観客 ID:fMf3j1yO5

スタート直後に「あっ・・・」ってことはままあるよね?

ドンマイドンマイ!素人目にはわからなくてもそこから逆転することだって無いわけじゃないんだからさ

 

718:名無しの観客 ID:EPRATzftV

先頭はダイワスカーレット、と見せかけていまだアングータか

意外と粘るね。もっとあっさり千切られるかと思ってた、ごめん

 

724:名無しの観客 ID:hWYhEk4Sy

先団にエルコンドルパサー

後方にグラスワンダー、ハッピーミーク、ナリタブライアン、テンプレオリシュ

有名どころの位置取りはだいたい予想通り

ほぼシンガリのヒシアマゾンもそうだけど、その隣にマヤノトップガンってところだけは予想外だったかな

 

747:名無しの観客 ID:cBWtUzoqC

前の二人が競り合う展開なのに意外と隊列が縦に伸びないな?

 

758:名無しの観客 ID:U8zB+zyUF

もしかしてだけど、マヤノが後ろからぐいぐい押してる感じかこれ?

 

799:名無しの観客 ID:uXrB/nsMa

え?最後方から隊列を制御しているっての?

そんなことできるの?

・・・たしかにあの天才ならやれそうだけどさ

 

808:名無しの観客 ID:xELx401hH

逃げウマが二人以上いるのに中団以降もまとまった状態で競り合いながら進んでいるな

気持ち悪!なんだこの展開

 

21:名無しの観客 ID:+FmKcNhE1

うあ?1000m通過ってところで先頭がついに交代か

 

68:名無しの観客 ID:x3mYNRb8p

ああー、わいのアングータちゃんが・・・

 

102:名無しの観客 ID:IdHM/esYV

スカーレットとほぼ共倒れか

相手が無敗の紅の女王ということを鑑みれば大健闘じゃないか

 

122:名無しの観客 ID:rLoKhhNkI

先頭に代ったジャラジャラちゃんにしても余裕はなさそうだな

もしかしてペース早い?

 

145:名無しの観客 ID:DdGbM5fBH

やや早めってところかな

このまま加速していけば、もしかしたら今回もレコードが狙えるか狙えないかってくらい

 

153:名無しの観客 ID:VqUtO59yt

エルコンドルパサーが徐々に下がってあの位置に着けているところを見るに

どんどんハイペースになりつつあるんじゃないか?

 

199:名無しの観客 ID:gJV3uZ7A2

それにしてもキャラメルパルフェとジュエルルベライトは何であそこで仕掛けたんだ?

全然勝負所って場所じゃなかったと思うんだが

 

201:名無しの観客 ID:YcBzR+r8v

ブライアンの威圧感に掛かったな。間違いない

 

245:名無しの観客 ID:Lq3vyt4yh

あれだけの距離が合って圧が届くとかバトル漫画の世界かな?

・・・いや、わりとレースの世界ではよくある話だったわ

 

276:名無しの観客 ID:RHYUJehQG

スカーレット、お前ほんとうにここで終わっちまうのかよ?

勝ってくれよ、勝てるだろ、なあ?

 

311:名無しの観客 ID:GjI1CpuyH

マヤノ動いた!ブライアンも動いた!

ヒシアマ姐さん動けない!?

うわあああああああああ!!!

 

338:名無しの観客 ID:rdybTqn7k

真打登場!テンプレオリシュここで動いた!

 

388:名無しの観客 ID:T0zvFDg3G

中山の直線は短いぞ!後ろの子たちは間に合うのか!?

 

392:名無しの観客 ID:cZG2rYwoa

いや無理だろこれ!?ブライアン強すぎィ!!

 

428:名無しの観客 ID:u9oKYFqdQ

マヤノも負けず劣らず追走しているんだよなあ!!

 

473:名無しの観客 ID:sgPOrEy55

いくかグラスワンダー!?差せ!!

 

499:名無しの観客 ID:qzIQIxuNC

エルコンドルパサーここから飛ぶか?飛べるよなぁ!?

 

545:名無しの観客 ID:SdDJOZdet

ふぁ!? ダイワスカーレット???

 

587:名無しの観客 ID:n4qfhg5mJ

スカーレット復活!いや何が起こっているんだ!?

 

594:名無しの観客 ID:2QdHZ4Xen

テンプレオリシュ前が厳しいか!?

 

600:名無しの観客 ID:nueWA76Bu

うわあああああああスカーレットうわああああああああああ!!!

ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!

スカーレットあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!

 

616:名無しの観客 ID:KzcPH/X6e

嘘だろオイ、先頭に立っちゃったよ・・・

 

666:名無しの観客 ID:HgzD/zXWf

いけええええええ、逃げきれえええええ!!

 

700:名無しの観客 ID:OGRgTUmuC

ハッピーミークここで来たか!

だよなああ!

いけっ、お前が当代桐生院のナンバーワンだ!!

 

729:名無しの観客 ID:PaOnzT+RN

はああ!?なんだあの動き!

テンプレオリシュそこから切り込めるのか

 

810:名無しの観客 ID:gXcltmut1

うはあ、あっという間に先頭集団に仲間入りしやがった

 

858:名無しの観客 ID:s55k7B4MT

完全に動きが別次元だな

冗談じゃない。これは有記念なんだぞ

メイクデビューとかじゃないんだぞ

 

925:名無しの観客 ID:Kph9xncDP

差し切ってくれ魔王様!!

 

981:名無しの観客 ID:PSVPbGUqP

並んだ!?

 

30:名無しの観客 ID:nyJiTTeXf

>がんばれダイワスカーレット! 初めての勝利が見えてきたっ、がんばれ!!

ちょ、実況wwww

 

53:名無しの観客 ID:hxHWoxI85

気持ちはわかる

でもここまで無敗の紅の女王に言うセリフかそれ???

 

101:名無しの観客 ID:LkMoJOAIp

個人的にはしっかり背後関係まで把握していて好感だが

あーあ、絶対に後で怒られるだろうなぁ

 

145:名無しの観客 ID:unGPuVaGk

ラスト25M! 勝負はこの二人に決まりか!?

 

212:名無しの観客 ID:afKwg8cCv

あああああああああああああああああああああああああああああ

 

251:名無しの観客 ID:cvKW1TzpW

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!

 

344:名無しの観客 ID:+f02xO8kG

おえええええええええええええええええええええええええええええ

 

700:名無しの観客 ID:NzTYyOFPM

はあー・・・・・・

ようやく言語中枢が酸素の取り込み方を思い出してくれた

 

712:名無しの観客 ID:Afb25C0I7

しゅごいレースだった

 

736:名無しの観客 ID:N1ZwqSYoc

ことばがでてこない。なんだあれ

 

748:名無しの観客 ID:wEHBrDU9G

ああー・・・ダメだったかスカーレット・・・

 

770:名無しの観客 ID:LesuZpsWQ

脚を犠牲にまでしたのに届かなかったか・・・

 

790:名無しの観客 ID:GqHnVdsiy

むしろあのころころしあいみたいな叩き合いの後で歌って踊れる魔王様の方が異常な気がしてきた

 

804:名無しの観客 ID:lkSOqmU6V

それは・・・そうね

 

827:名無しの観客 ID:799XoQu+a

ゴルシTの担当の中から故障が出たのは初か?

 

855:名無しの観客 ID:ZYoAtnsDh

そうね。アオハル杯含めて骨折レベルの大けがは初めてだったはず

 

885:名無しの観客 ID:hkDP2Iv2W

改めてゴルシTも頭おかしいな・・・

 

111:名無しの観客 ID:GeZDrbuAC

ウイニングライブさあ

あれだけの激闘を見た後でダイワスカーレットがいないのは何というか、こう

残念だよな。悪口をいいたいわけじゃなくて、ただ純粋に

 

130:名無しの観客 ID:8pvyz1N8o

あれ?ブライアン繰り上がりで三着パートだったよな?

どうしてバックダンサーの衣装でステージに?

 

140:名無しの観客 ID:0pFeY1zOt

>怪我をしてまで限界以上を引き出したことを肯定するわけじゃない。だが、この年の有記念の二着はダイワスカーレットただ一人。そう断言するに値するレースだった。ならば今から始まるウイニングライブの二着は欠けていることにこそ価値がある。そうじゃあないか?

 

さすがブライアン。俺たちに言えないことをズバッと言ってくださる。そこに痺れる憧れるぅ!

 

150:名無しの観客 ID:FXHotk5yP

俺、泣きながら拍手している

会場にいないから近所迷惑になるけどそれでも拍手してる

 

167:名無しの観客 ID:diyE0cIWH

たぶん近所もみんな拍手しているから大丈夫だ!

 

174:名無しの観客 ID:1uGBLFshu

はー、本当に夢の祭典だったな

半分くらい本当に夢だったんじゃないかと疑っているレベル

 

178:名無しの観客 ID:kPMgn/ZsG

わかるー

なんか感情がいっぱいになり過ぎて足元がふわふわしている

 

180:名無しの観客 ID:XlUJnwIJu

ところがどっこい、夢じゃありません。これが現実・・・!

むしろ待たせすぎて彼女に振られたワイのリアルが夢であってほしい・・・!!

 

182:名無しの観客 ID:6lrfA8CpM

>>180 ざまあwwww

待たせる彼女がいた時点で勝ち組やん

 

184:名無しの観客 ID:JQ34tduej

>>180 リア充爆発した

お前は一人じゃない。傷をなめ合える俺たちがいるだろ?

 

185:名無しの観客 ID:2qca9V8L0

>>180 クリスマスに独り身とかm9(^Д^)プギャー

ワイもや。ゆっくり寂しく画面の前で盛り上がろうやないか

 

186:名無しの観客 ID:XWGTwRxdn

やさしいなお前らwww

 

189:名無しの観客 ID:Bv2ie2ofD

今日のライブは二着が欠けた状態で行われるのか

尊い・・・!

 

205:名無しの観客 ID:0dO879UMY

さあ、応援は気合いいれていくぞ!

二着のあの子が自分がいないせいでライブのクオリティが下がったなんて、負い目に感じることがないように!!

 

211:名無しの観客 ID:Sq7Ql1Cu7

バカにしていてごめん

今日のレースは現地で見る価値のあるレースだったわ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1000:名無しの観客 ID:6Mo3LIzPG

全裸でうまぴょい踊っていたら帰ってきたオカンがすごい優しい顔で何も言わずに横を通り過ぎたんだが

どうすればいい?

 

 




これにて今回は一区切り!

次回はのんびり目になる予定。
スプリンターズSあたりからアップテンポを意識していたし、実はそのスプリンターズSもクラシック級でサクラバクシンオーに勝つという無理難題をこなすため夏合宿編をジャンプ台にした二段構造なので、実質三章ジェットコースターで駆け抜けたような感覚(当社比)なのですよね。

というわけで、次の更新はハフバ前後を予定しております。




2023/7/17 こっそりアンケート始めてみました。
投稿と同時だと最新話に票が偏りそうだったのでこのタイミングで。
回答すると筆者が喜びます。

【追記】
アンケートに関するものを作品の感想欄に書き込むと利用規約に抵触するおそれがあるので、その他記載欄を活動報告にご用意いたしました。
具体的にどのような理由で好きになったのか思いのたけをぶちまけていただけると筆者がとても喜びます。
活動報告は匿名投稿できないから結果的に匿名が剥げているけど気にするな!

その他記載欄↓
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=300115&uid=16609


目次 感想へのリンク しおりを挟む


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はじまりのはじまり
はじまりの再確認


間に合ったな!
ちょっと遅れた気もするけど誤差だよ誤差!

新章開幕です。
さっそくシニア級……と見せかけて、二話ほどクラシック級からの移行パートを挟みます。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 私の名前はテンプレオリシュ。

 親しい相手からはリシュ、と呼ばれている。

 どこにでもいる、一般家庭出身のウマ娘だ。

 

《まあ芝ダート全距離対応(どこにでもいる)っていうのは間違いじゃないよな》

 

 どこにでもいるが、普通とは少し違うかもしれない。

 ちょっと前から“銀の魔王”やっています。

 レース史に消えない傷跡を残す存在になる予定です。

 

 ……うん、経緯は把握したとはいえ。自分で名乗るのはいまだ羞恥心が激しい。

 先はまだまだ長いのだ。無理はしない方針でいこう。

 

「よし、できたぞ」

「ありがと」

 

 父に礼を言う。

 これでアオハル杯をテレビの大画面で見ることができるようになった。せっかくなのでポップコーンとコーラでも用意するべきだろうか。

 

《最近のテレビってすごいよなぁ。スクリーン代わりにパソコンに接続したり、そのままネットに繋いだりできるんだもん。もう半分パソコンみたいなもんだ。高性能過ぎて使いこなせる気がしないよ》

 

 脳内でテンちゃんがお年寄りのようなことを嘆いていた。

 

 有記念で激闘を繰り広げた私たちは少し早めの冬休みを獲得し、実家に帰省していた。

 まあ授業自体はとっくに終わっているしね。

 それでもギリギリまで学園に残ってトレーニングを続けるのがトゥインクル・シリーズのウマ娘というものなんだけど、今の私たちにトレーニングは無理。

 当然、アオハル杯プレシーズンへの参加も禁止である。これは私たちだけではなく、有記念に出走したミーク先輩やマヤノも同様。

 

 トレーニングに参加できないのに学園に留まる意義は薄い。

 むしろいるだけで他の子が掛かり気味になって悪影響すらあるので、帰省してはどうかと桐生院トレーナーに勧められたのだ。

 アオハル杯はチーム戦だ。走れないからとチームメイトを差し置いて自分だけ帰ってしまうことに、後ろ髪を引かれるものが無かったといえばウソになる。

 でもあの人のいい桐生院トレーナーが、わざと露悪的な言い方をしてまで帰省を勧めてくれたのだ。私が遠慮せずともいいように。

 あの人は去年、私が帰省せず後悔していたことを知っていたから。

 その気づかいと思いやりを拒絶してまで学園に留まるだけの理由を私は見いだせなかった。

 

 だからみんながプレシーズン第三戦に向けて調整を重ねる中、こうしてのこのこと故郷に帰ってきてしまったのだ。

 去年の今頃とは違い、現在の私たちは歴史に名を残すレベルのスターウマ娘。

 テンちゃんが言っていたように容易く近寄れる相手ではないと悟ったのか。それとも桐生院家やURAが裏で手を回してくれたのかまでは知らないが。

 故郷の地を踏んでから、去年は湧いていたという羽虫の類には出くわしていない。

 

《いくら気に食わない相手とはいえ、人間を羽虫扱いはやめておこうか》

 

 最初にそんな表現をしたのはテンちゃんだった気もするけど。

 そう言うのならやめておこうか。

 羽虫あらため、私の友人知人を名乗る不審者の方々ね。

 

《『あなた達のことが嫌いです。近寄らないでください』、それでもいいさ。それだって間違っていやしないさ。でも相手の品性が下劣だということと、相手を粗雑に扱っていいということは、必ずしもイコールではないから。それを感覚的に理解できるようになる前に、言葉だけ振り回すようになるのは避けておこう》

 

 はいはい。りょーかい。

 いまいち納得はしていないけど、テンちゃんがそう言うのなら受け入れよう。

 テンちゃんのことは大好きだからね。

 自分の情緒がいまだ未成熟な部分が多い自覚もあるし。

 

 ともあれここ数日、実に平穏な一般家庭の娘の日常を満喫できている。

 それは紛れもない事実だった。

 

「こうやって見ていると、リシュが普段この中で走っているなんて何だか不思議な感じがするわねえ。はい、こっちがリシュの分ね」

「ありがと。そう?」

 

 母が運んできた四つのマグカップのうち二つを受け取り、やや少なめに入れられたカフェオレに口をつける。

 受け取ったマグカップのもう片方は、同じくやや少なめに入れられたテンちゃん用のブラックだ。

 

「ええ。いつも応援しているし、毎回録画だってちゃんとしているけど。こうやって隣に並んでテレビを見ているとね。こんな御大層なレースであの小さかった私たちの娘が走っているなんていまだに信じられなくなりそう」

「小さいのは今もだけどねー」

 

 本格化が終わればまた身長が伸び始めるのだろうか。

 身体能力の衰えには本能的な忌避感があるが、それだけは楽しみかもしれない。

 体格で不利を感じたことはない。仮に二メートル超えの相手だろうと立ち幅跳びで軽々と飛び越せる自信はある。だが、それはそれとして百四十三センチという身長は単純に不便が多いのだ。

 

「走っているだけじゃなくてちゃんと勝っているんだよ?」

「うん。すごいわよねー。この前見せてもらった口座残高、平均的なサラリーマンの生涯年収を超えちゃっていたもの」

 

 母の何気ない一言に父がダメージを受けていた。

 GⅠ一着の賞金ともなればそれだけで億の世界。URAに所属するウマ娘として角が立たない程度にお仕事を引き受けているし、ぱかプチなどのグッズの利権もバカにならない。

 私の稼ぎはクラシック級までの二年間だけで既に一般家庭のサラリーマンの生涯年収を超えてしまっていた。

 当初の予定通りお金だけが目的ならもう引退してもいいくらいだ。今はさらに欲しいものが出来たので最低でも『最初の三年間』は完走させてもらうつもりだが。

 

「家のローンくらいは私の貯金から返済しちゃってもいいと思うんだけどなー」

 

 ただ、『最初の三年間』という一つの区切りが目に見える距離に近づいてきたのも事実。

 気の早い話かもしれないが、引退すれば私の貯金は私の自由に使えるようになる。

 一括返済できるのにわざわざ時間をかけて利子を払うのはバカらしいような気がした。それとも親のローンを子供の私が返済しちゃうと、額によっては余分な税金が掛かっちゃったりするのかしらん?

 

「もー。宝くじに当たったんじゃないんだから。まだまだ子供の世話になるような歳じゃないわよ。リシュとテンちゃんが頑張って稼いだお金なんだから、ちゃんと自分のために使いなさいな」

「でもさぁ」

 

 今でこそトレーニングに掛かる金銭は学園から支給されるあれやこれやで賄えるようになったが、かつては家計を圧迫していた。

 母はそのために専業主婦からパートを始めたくらいだったのだから。

 見返りを求めて注がれた愛情とは思わないが、投資された分はしっかり返せる身分になったのだと証明したい気はある。

 

「いい、リシュ。実はずっと内緒にしていたけどね……」

 

 母は真面目くさった顔をして、何やら深刻そうに告げた。

 

「実はお父さんとお母さんは生まれたとき、家族でも何でもない他人だったのよ」

 

 そりゃそうだ。むしろ血縁者だったら現代の法律で結婚できる国などそう無いだろう。

 ただ、何を言わんとしてるのかは察することができる。

 

「今のリシュにとって家族っていうのは私たちのことで、家庭っていうのはここのことなのかもしれない。でもね、いつか自分の相手を見つけて家族になって、新しい家庭を築く日がきっと来る。

 そのときに後悔してほしくないのよ。お金なんて足りなくて困ることはあっても、多すぎて困ることなんてそう無いんだから」

 

 まあ金に群がってくる亡者のたぐいとか、金銭感覚が狂ってしまって気が付けば借金が生じているとか。多すぎることで生じる問題もいくつかは思いつくけど。

 揚げ足取り以上のものにはならないだろう。無いよりはあった方がいいに違いないのは共通見解だ。そうじゃなきゃトゥインクル・シリーズを走ってなんかいないし。

 

 たしかに私にとって家族というのは生まれたときからそこにあるもので、新たに作るものではない。

 そして現代において、新たに何かを作るというのは何かと物入りになるということとイコールである。

 そのときのために十分な安全マージンを確保しておけというのは納得できる忠言だった。

 

「どうしてもって言うのなら結婚して子供もできて将来設計がある程度実感を伴ったものとして見通しが立って、それでも十分に余力があるってなってから改めてお願いするわ。

 お父さんもお母さんも、まだまだ子供の世話になるような歳じゃないってことよ」

「うんわかった。老人ホームはいちばんいいところに入れてあげるから任せておいて」

 

 人生経験の差を大人に持ち出されてしまうと、己の未熟さを自覚している子供としては反論のしようがない。どれだけ才能があったって覆せないものは存在する。

 そして、そんなどうしようもないものを持ち出されると腹が立つものだ。そんな苛立ちを自慢気なピースサインに込めて誇示した。

 

「はいはい。そのときはよろしくね」

 

 年の功というやつか、笑顔であっさり受け流された。完全にこちらの負けだった。

 でもさ。レースの賞金だけで億超えで、そこにURA所属のウマ娘として引き受けた仕事のあれやこれやが上乗せされるのだ。もはや私たちひとりの人生で使い切れる額ではない。

 多少親のために使っても罰は当たらんと思うんだよね。負けた以上ここは大人しく引き下がるけども。

 

「そういえばこの前も何かのゲームとコラボしてレイドボスやっていたわよね。『(スーパー)プリティーターフZ』だったかしら。できればうちの娘が出てくるものは全部やってみたいんだけどねえ。

 ブラウザゲー? スマホゲー? ソシャゲって言うんだっけ。ともかくああいうゲームって時間がごっそり取られるっていうし、むかしのゲームみたいに明確なクリアも無いから辞め時がわからないし、どうにも二の足踏んじゃうのよねぇ」

「それでいいと思うよ」

 

 コラボさせてもらっている身でこんなことを言うのも何だが、しょせんはレースに影響が出ない範疇で引き受けた数あるお仕事の一つだ。仕事である以上手を抜くわけがないにせよ、思い入れは相応のものでしかない。

 一番リソースを割いているレースを応援してくれるならそれでいい。

 

「それにせっかくコラボしているのに、リシュ自身が使えることってあまり無いじゃない。ボスキャラだったり、期間限定のお助けキャラだったり。だからその期間だけやるのもなーってますます意欲が湧かないし、結局は配信動画とか検索するので満足しちゃうのよ」

 

《このご時世、動画配信サイトを漁ればソシャゲ配信なんて簡単に見つかるだろうし。たしかにイベントの内容を確認したいだけならそっちの方が効率的か》

「私たちはプレイアブルキャラにしにくい性能らしいからねー」

 

 なにせ芝もダートも不問の全距離適性で、なおかつ無敗だ。

 テンちゃん評価レジェンド級だってここまでご無体な戦績を残したウマ娘は存在しない。

 ……長いレースの歴史上に似たようなことや、あるいはそれ以上にバカげた戦績を残したウマ娘もいるにはいるが、遠い歴史の果てにいる彼女たちにコラボ案件は来ないので今はさておこう。

 

 『絶対』や『無敵』などと謳われる数々のレジェンド級ウマ娘だって距離適性なりバ場適性なり、あるいは脚質なりで有利不利を作りバランス調整ができる。

 しかし私たちにはそれが無い。

 ゲームは商品だ。である以上、その品質は一定に保たれねばならない。それが運営の責任である。

 だが、バランス調整のためテンプレオリシュを弱体化させるなど論外。“銀の魔王”はあの暴虐的な性能あってこそ“銀の魔王”なのだ――とコラボ担当者は澄んだ目に狂信の色を宿しながら語ってくれた。

 

 どうもそれはテンプレオリシュとコラボしたいと望む者たちにとっては共通認識らしく、ゆえに私たちは私たちのスペックを維持したままゲームバランスを破壊することなくこなせる配役を割り振られるわけである。

 すなわちレイドボスのような圧倒的な脅威か、あるいはいずれ退場するゲスト枠だからこそ存在が許される超有能サポートキャラ。

 ファンからもその扱いは概ね解釈通りだと好評らしい。

 

《ボスキャラをやっているときでさえ被ダメージの苦悶の悲鳴や、HPを削り切ったときの断末魔の叫びといった方面の演出がほぼ無いからなぁ》

 

 常に余裕たっぷりで、システム上は撃破されても悠々とした態度を崩さない。何なら完全な上から目線で主人公を褒めるようなセリフさえ残して退場する。

 ファンの方々の中で私たちのイメージってどうなってるんだろう。少しばかり不安がこみ上げなくもない。

 本当にそれでいいのかお前ら。

 

『さあ、始まりましたアオハル杯プレシーズン第三戦。ここに集うのはいずれも劣らぬつわものばかり。仲間との絆が試されるこのレース、昇格を果たすのはいったいどのチームか』

 

 雑談をしている間にも画面の中でレースは進んでいく。

 非公式レースとはいえ学園主催。そこらの模擬レースとは規模も予算も違うのがカメラ越しでもわかる。

 母の言葉ではないが、普段は自分があの中にいると思うと何だか不思議な気分だ。

 映像でライバルの走りを研究する時とはまるで違う感覚。カメラが映し出す部分の裏側で、きっとあの子は今こんなことをやっているのだろうという考えが自然と脳裏を過る。

 なんだか自分に繋がっている空気の一部が剥離したみたいで、えらくソワソワする。

 

『注目の〈パンスペルミア〉は先日の有記念で素晴らしい戦いを繰り広げたハッピーミークやマヤノトップガン、そしてあのテンプレオリシュを擁するほどの実力派チーム。

 しかし、だからこそ激戦を駆け抜けた彼女たちは休養のため本日のプレシーズンには出走しておりません。エースを複数人欠いたこの状況が今日のレースにどこまで響いてくるでしょうか?』

『有記念やホープフルステークスといったGⅠに出走するような優駿が出走できないのはアオハル杯の日程的にどのチームにも共通する問題です。

 ただ、チームリーダーであるハッピーミークが走れないというのは痛いかもしれませんね。今もベンチで精神的支柱としての役割を果たしている彼女ですが、ウマ娘にとって走れる、あるいは走れないということは自他ともに無視しえない影響力があります』

 

 私たちは故郷に帰されたのに、ミーク先輩は現場に残って頑張ってる。

 これが人望の差というやつか。

 

《いやはや、あのマイペースの極致だったミークパイセンが今では立派にリーダーとしての務めを全うしていることに感涙を禁じ得ないね》

 

 ま、テンちゃんの言う通りか。

 あのひとは傍目にも人付き合いが得意ではないのに、その上で桐生院トレーナーの信頼に応えるため懸命にチームリーダーとしての役目を果たし続けてきたのだ。

 私を含む初期メンバーはその悪戦苦闘っぷりをずっと間近で見てきた。

 ただチームの中で走って勝ってきただけの私とは役割が違えば、存在の有無で生じる重みも異なる。

 

「リシュのチームは〈パンスペルミア〉だったわよね。どう、勝てると思う?」

「うーん、厳しいんじゃないかな」

 

 私たちが所属しているアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉のランキングは現在五位。ここで勝てばランキング一位とまではいかないまでも、トップスリーは見えてくる。

 ただまあ、言った通り厳しいというのが正直な予想だった。

 なにせミーク先輩もマヤノも、そして私も出走メンバーにいないのだ。

 各部門でエース級三人がいない中で、相手は前回のプレシーズンよりも格上のチーム。

 これは負けても仕方がないと思う。

 

「あら。あのサクラバクシンオーちゃん、だったかしら? すっごい速かったし、てっきり短距離専門なんだと思っていたけど。実は長距離もいけたのね」

「ガッチガチのスプリンターだったんだよ。三か月前までは」

 

 しかしそんな私の予想に反し、〈パンスペルミア〉はここまで四戦中二勝二敗の大健闘をしてみせた。

 ちなみに勝ち星を稼いだのはデジタルとバクちゃん先輩の二人。

 そこだけ見れば順当な結果と言えるだろう。

 マイル部門のデジタルはともかく、今回バクちゃん先輩が担当したのが長距離部門だったという事実から目を背ければ、だが。

 

《スプリンターズSの直後からたったこれだけの期間でアオハル杯上位陣に通用するレベルで仕上げてくるとは。流石すぎるぜバクシンオー……》

 

 本当にバケモノだな、あの人。

 いやまあ、中長距離でGⅠを獲ることはデビュー前からバクちゃん先輩が掲げていた目標らしいし。

 表面上は圧倒的スプリンターではあっただけで、水面下では着々とそれに向けたトレーニングも並行して行っていたのだろう。

 そこに私が奉納した中長距離用走行フォームが最後のピースとなり、この短期間で急速に開花したと。

 順当に考えればそうなるはずだ。うん。きっと、そうだったに違いない。

 いや普通に考えればさ。距離適性の壁への挑戦って何回もレースを挟んで百メートル刻みで徐々に伸ばしていくのが定石じゃない? とは思わないでもないけど。

 いきなり長距離やっちゃうんだ。そして勝っちゃうんだ?

 

《これは来るなー、春天》

 

 バクちゃん先輩の目標はあらゆるウマ娘のお手本にふさわしい学級委員長になることだ。

 もちろんあの人のことだから春シニア三冠の全てをいずれ手にする予定だろうが、どうしたってローテを組む際に優先順位は必要となる。

 中距離と長距離はただ単純に距離が延びるというだけの差ではない。

 距離適性の有無は大前提として。レースに求められる技術の差異だって、細かい部分を数えていけば枚挙にいとまがない。

 大阪杯と天皇賞(春)は同じ春シニア三冠の一角を担うGⅠではあるが、大阪杯の方がレースとしての格が下がるらしい。

 レースの価値を半分くらい賞金額で判断している一般家庭出身の私たちにはあまり実感が湧かない格付けだけども、古参レースファンの見解はだいたいそのように一致している。

 というか、天皇賞の格が高いと言うべきか。

 八大競走といって、グレード制が導入されるまで重賞の中でも特に格の高い競走に数えられていたほど。

 ちなみにクラシック三冠とトリプルティアラから秋華賞を除いたものが五大競走と呼ばれ、八大競走はそこに春秋の天皇賞と有記念を加えたものだったりする。つまり私は既に八大競走の半分を制している計算になる。

 さておき、あのメジロマックイーンさんが今から天皇賞(春)を目標に据え、それに特化したトレーニングを積んでいるという話さえある。古き名門にとって天皇賞とはそれだけの価値があるレースなのだ。

 

 距離適性の壁を粉砕した先の初挑戦。

 スプリントの絶対王者であったバクちゃん先輩が初めて挑戦者となる舞台。

 きっと天皇賞(春)という冠はそれにふさわしい。

 彼女は今、淀の3200mに狙いを定めてトレーニングを積んでいるのだ。

 獲得済みのGⅠ経歴的に、今度は私の方が迎え撃つ側になるのかな?

 

 ……ああ、それはとても面白そう。

 

『一進一退の攻防戦。ついに運命が決まる第五レース。現在二勝の〈パンスペルミア〉の命運は若きエースへと託されました』

『トウカイテイオーは間違いなく来年のクラシックの中核となる優駿ですが、他チームの面々は百戦錬磨のシニア級。彼女はその芳醇な才能で経験の差をどこまで埋めることができるのでしょうか、注目です』

 

 いまさらな話だが、アオハル杯は一部門につき三つのチームからそれぞれ三人が出走する、計九人で行われるレースだ。

 各部門で一着になったウマ娘が所属するチームに勝ち星が加算されていき、勝ち星が三つに達した時点でチームランキング昇格が確定する。

 ここまで四レースで二勝しているのは〈パンスペルミア〉のみ。残りの二チームはもう昇格の目は無く、このプレシーズンの未来は残留か降格かの二択しか残っていない。

 それで腐ってやる気をなくすような物わかりの良いウマ娘なら、わざわざ血反吐を吐きながらシニア級までトゥインクル・シリーズに踏みとどまるようなことはしないだろう。

 画面越しでもわかるくらいに気迫が充満している。

 

 これはテイオーに向けた威圧も兼ねている、かな?

 どれだけ才能があろうと経験の浅さは如何ともしがたい。本格化という不思議要素がある分ヒトミミほどその傾向は顕著ではないが、それでもこの年頃の二年差は体格にも大きく影響する。

 そして自分より大きい相手に圧を掛けられると萎縮してしまうのは動物の本能だ。

 彼女たちはゲートに入る前の段階から少しでも有利に立ち回ろうと持てる手札の全てを惜しみなく使っている。

 大人げない、なんて価値観は私たちの間には無い。こうしてゲートに入って横並びになる時点で老若男女問わず敵だ。

 敵は叩き潰す。

 それだけの話である。

 

 しかし、対するテイオーは静かなものだった。

 相手を舐め腐っていることに起因する余裕ではなく、燃える闘志を内に秘めたままゆったりと外部の圧を受け流している。

 そのたたずまいは普段の小突き回したくなる小生意気さとは違う、その名の通り“帝王”の片鱗を感じさせるものがあった。

 “皇帝”の覇気と同系統の空気。もっとも、ルドルフ会長のそれに至るためにはもう三段階くらい熟成を重ねる必要があるだろうけど。

 

 少し意外。

 意外といえば彼女がホープフルステークスに出走せず、こうしてアオハル杯の方を優先したのも意外だ。

 かつてマヤノも制したホープフルステークスは、クラシック一冠目の皐月賞と同じ中山レース場2000m。

 無敗のクラシック三冠ウマ娘になると以前から公言しているテイオーにとってはGⅠウマ娘の称号と合わせ獲っておいて損はないタイトルのはず。

 ちなみにテイオー不在のホープフルSはメジロマックイーンさんが制していた。まあ順当な結果だろう。

 

《よかった。ホープレスステークスに出走してメジロマックEーンになるパクパクですわサンなんていなかったんだ》

 

 いずれのジュニア級GⅠタイトルに目もくれず、ただ今日のレースだけまっすぐ見つめてテイオーはいまこの場に立っている。

 彼女をそうさせるだけのものがこのプレシーズン第三戦にはあるのだろうか。ぱっとは思いつかないんだけど。

 

《テイマクは素晴らしいライバルではあるけど、言い換えてしまえば同格ってことだ。切磋琢磨するには絶好の関係だったとしても、対格上の経験を積むに適当な相手とは言い難い。

 テイオーは少しでも多くの経験を選んだ。マックイーンは堅実に実績を求めた。要するにそういうことなんじゃないかな》

 

 テンちゃんには何やら推測があるらしい。

 私もレースを見ていればわかるかな?

 

 

 




アンケートへのご協力ありがとうございました。
更新からあえて間隔をあけての実施だったのに一か月で600名以上の方に回答いただき『これだけ多くの方が読み返してくれているのか』と、とても幸せになりました。
有馬記念とスプリンターズSの得票が多かったのはだいたい予想通りでしたけど、浜辺の野良レースが得票数3位に食い込んだのは正直予想外。
気合い入れて書いたのは間違いないんだけど、公式レースに人気では敵わないと思っていたので。
どのレースにも多かれ少なかれ票が入っていて、どのレースもちゃんと好きになって貰える書き方ができたんだなと嬉しく思っています。
アンケートは恒常で66話に設置しておくので、気が向いたら見に行ってみてくださいな。



ところで皆さんは確定ガチャ引きましたか?
こちらはお布施も兼ねて全部引きました。
キャラガチャは10割の確率で未所持が手に入る夏ドベガチャと、7割の確率で未所持が手に入るシリウスガチャを選択。

結果、新規に入手できた未所持はヤエノ一人でした……。
来てくれてありがとうシービー、でもきみ過去ピックアップのタイミングがタイミングだったから貯蓄ブッパでお迎えしてるんだわ!?


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私は世界の中心だけど、私がいなくても世界は問題なく回るらしい

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U U U

 

 

「あのトウカイテイオーって子、たしかまだジュニア級じゃなかったか?」

「それなのに中距離部門のエースを張ってるの? すごいわねー」

 

「テイオーは天才だよ。まあ、私たちほどじゃあないけど」

 

 両親と話しているうちに画面の中ではスタートを切っていた。

 プレシーズンも三回目となるとウマ娘たちの動きもこなれてくる。

 公式レースではありえない、チームとしての動き。自分以外に勝利を託すことを前提にした位置取り。

 そこにいたのは横並びの九人ではなく、ひとりの主人公とそれ以外の八人だった。

 相手チームはテイオーを潰そうとする。〈パンスペルミア〉の他メンバーはテイオーを守るように動く。

 それはある種、不思議な光景で。誰がそうと決めたわけでもないのに自然と一番未熟な彼女が舞台の中核となっていく。

 レースの中心はどこまでもトウカイテイオーというウマ娘だった。

 揉まれ、削られ、押し込められ、何度も途絶えようとした細い道が繋がっていく。他の何者でもない、テイオー自身の才気と実力によって。

 凄まじい勢いで成長していく。改良型の走行フォームは既にモノにしているようだ。

 

 こうして帰省したことに後悔はまったく無い。

 けど、少しだけ。このレースは間近で見たかったかもしれない。

 

 カメラ越しでは結果しか見えないから。【領域】はそこに至った者か、あるいは目覚めかけているウマ娘の目にしか映らない。

 既に持っていたのか、それとも今まさに至ったのか。なんとなくだが後者の可能性が高い気がした。

 彼女の柔らかくもバネのある脚でぴょーんぴょんと、実力の階段を数段飛ばしで駆け上がったあの様を見るとそう思わされる。

 その勢いのまま青空に飛び出して、雲さえ飛び越してしまいそうな勢いだった。

 

『ゴール!! 最終第五レース、勝ったのは〈パンスペルミア〉のトウカイテイオー! これ以上ない成果をチームに届けましたっ!』

 

「勝っちゃったよ、テイオー……」

「わー、おめでとうリシュ。これでリシュたちのチームはランキング昇格になるのよね!」

 

「ん、そうだね」

 

 スマホを取り出しランキング全体の勝敗を確認する。

 ふむふむ……この戦績なら私たちの〈パンスペルミア〉は三位まで昇格できそうだ。

 次回のプレシーズン第四戦でチーム〈ファースト〉との直接対決が叶うな。そこで勝てば決勝戦を待つまでもなく私たちがランキング一位になる。

 まあ、簡単に玉座を明け渡してくれる〈ファースト〉ではないだろうけど。

 

 テレビの中では今回のMVPに選出されたテイオーがマイクを向けられている。

 レース直後はまるでバケツいっぱいの水を頭からかぶったように汗みずくで倒れ込むほどに消耗していた彼女だったが、今はだいぶ落ち着いてきた様子。

 テイオーがMVPに選ばれたことに異論はない。

 レースが始まる前、彼女は他チームのエース陣と比べると明らかに見劣りする実力だった。チームの手助けがあったとはいえ勝てたのは運がよかった。それは間違いない。

 ただ、テイオーの力量がレース中に凄まじい勢いで上達していったのも事実。レースが終わった今、その実力はエース陣と比べても互角。いや、もしかすると――

 

《今回はチーム戦だったからこそ紙一重で勝利できた。でも次に同じメンバーでレースやったら、公式戦でも勝ちそうだよね》

 

 どうやらテンちゃんも同意見だったようだ。

 テイオーが激戦区である中距離部門のエースに据えられていたのは現段階の実力のみならずその将来性を加味しての採用だったが、ここまで見事にその将来性を示されてしまうと拍手して讃えるしかない。

 わけわからん伸び方しやがって。私たちでもこれほどの短期間でそこまで伸びたことって無い気がするぞ。

 

『どうだ、見たかリシュ!』

 

 名前を呼ばれてびっくりする。

 マグカップの中でコーヒーがちゃぽんと音を立てた。

 

『ボクはぜったいに宝塚記念でキミに勝ってみせるからね! 首洗って待ってろよー』

 

 息をするたび軽く揺れる指先を、ビシリとカメラに突き付けそう宣言する。

 まだ呼吸さえ整い切っていないのによく咆えたものだ。

 

 しかし、なるほどねえ。

 目標は私だったか。たしかにそれなら数段飛ばしの飛翔する勢いで駆け上がらねば勝負の舞台に立つことさえ難しかろう。

 ただ、テイオーの夢は無敗のクラシック三冠と聞いていた気がするけど。クラシック級で宝塚記念に挑戦するって私がいなくてもかなりリスキーだぞ。そして私がいるからリスクを通り越して絶望的だと思う。

 

 大丈夫なのだろうか?

 ま、私が心配してやることでもないか。

 ウマ娘が決め、ウマ娘が走るのだ。担当トレーナーでもないのに他所から口を挟むのは無粋というもの。

 相談を持ち掛けられたのならいざ知らず、ターフの上でのご対面ならやるべきことはただ一つ。迎え撃つだけである。

 

「お前には、できないよ」

 

 私は自分が誰に負けるのか、もう決めている。

 そしてそれはトウカイテイオーではない。

 いくら彼女が天才でも、この傲慢な決定事項を覆させる気はない。

 

《なんかそれフラグっぽくね?》

 

 そうかな? そうかも。

 

 それにしても、今回のレースを見て。

 少しだけテンちゃんの気持ちが理解できた気がする。

 私がいなくてもチームは回るのだ。

 

 何となく、負けると思っていた。

 心のどこかで、私がこのチームをここまで育て上げたのだという自負があった。

 だから私がいなければ困ったことになって、その証拠として敗北があると信じていたことに今気づいた。

 うーわー。はずかし。

 常日頃から自信満々で自己肯定感に満ち溢れている自覚のある私だけど、この傲慢さはいただけない。羞恥心がびしばし刺激される。

 

 私はかけがえのない存在ではあるが、それは私が私であるというだけの話。

 レースで私がいなければ、私ほど速くなければ私ほど適性が幅広くもないどこかの誰かが、つつがなく代役を務めるのだ。

 その結果として勝敗が入れ替わることもあるかもしれない。ただそれだけのことなのだ。

 

「ほほお、言うなあ。やっぱり年度代表ウマ娘ともなると言うことが違いますなー?」

「まーねー」

 

 揶揄い交じりの父の言葉に微苦笑で応える。

 

 予想通りというか案の定というか、私は今回の年度代表ウマ娘に選出された。

 無敗で駆け抜けた一年間。全距離GⅠ制覇という前代未聞の偉業。年末の有記念で証明した世代間に留まらぬ実力。

 これで私以外が選ばれるなら、もはや何のための年度代表ウマ娘なのかわからなくなるというものだ。

 

「年度代表ウマ娘に選ばれるとたしか、新しい勝負服が贈呈されるんだろ。どうなんだ、デザインはもう決まっているのか?」

「うん。私たちが『私たち』だってことを象徴した意匠にしてもらう予定」

 

 URA賞の授賞式は一月前半なので、勝負服の作成スケジュールはかなりタイトな日程になる。

 既に図案は決定済み。私たちはこうしてのんびりしているが、今まさに職人さんがデスマーチを繰り広げているところかもしれない。

 

「今のリシュたちなら職人も選り取り見取りだろうなあ。やっぱり勝負服にもブランドとか老舗とか、そういうのあるんだろう? 今回のは有名どころに頼んだりしたのか?」

「いや、一着目と同じところにしてもらうつもり」

 

 たしかに初めて勝負服を作成したときとは比較にならないほど、今の私には知名度がある。ぜひうちに手掛けさせてほしいという声が複数あったのも事実だ。

 ただ、別の職人さんにわざわざ替えるだけの必要性が見当たらないんだよね。

 一着目の勝負服にはいろいろと文句を言ったが、性能面で不自由を感じたことは一度も無い。

 それに私の身体はいろいろと規格外だから、従来のウマ娘のノウハウをいくら蓄積させていてもどこまで通用するのか怪しいものだ。

 桐生院トレーナーもそれで苦労しているようだし。

 だからまるっと二年間、勝負服を通じて私たちと密接に接してきたところが結局のところ一番信頼できると思うのだ。

 比較的、気安い相手というのもある。実は私の勝負服を手掛けた職人さんのお孫さんとテンちゃんが知り合いだったのだ。

 この業界が広いようで狭いという話は幾度となく聞くが、まさに我が身で実感した経験だった。

 いくら妥協の利かない商売道具とはいえ、その道何十年という老人に子供が意見するのはなかなかにハードルが高い。それがお孫さんを間に挟むことでそのハードルをだいぶ下げることができる。

 

「うーん、リシュたちが納得しているのならいいんだが……。こう言っちゃなんだが、大丈夫か? スプリンターズステークスのときなんか弾け飛んでいただろう。見ていて心臓に悪かったぞ、本当に」

「あー……」

 

 それは申し訳ない。

 勝負服が壊れるときはたいてい故障とセットだからな。

 勝負服が半壊した最終直線。走っている方もいろいろと怖かったが、見ている方はもっと怖かったに違いない。

 

「あれはいろいろと事情もあったから」

 

 振り返ってみればあれは単純な脚力だけが原因ではあるまい。

 あのときの私は初めてウマ娘として定まった。

 ある意味で生まれ変わったようなものだ。

 存在が芯から変貌を遂げたのだから、ウマ娘の不思議要素の中でもっとも表層にあたる勝負服にも影響が出るのは当たり前。

 むしろ半壊したくらいで最後まできっちり私の身体は守り通してくれたのだから、ものすごくいい仕事をしている。

 

「そういうものなのか?」

「そういうもんなんだよ」

 

 ざっくり説明したが、父はどこか不満そうだった。

 いや、これは不満というより心配か。

 

 うちの両親は私の進む道を心から応援してくれてはいるものの、生まれたときからレース場に骨をうずめる覚悟を決めているような名門の方々と比べると、せいぜいレースファンのライト層といったところ。

 比較対象が悪いって? いや、中央の基準ってむしろそっちだから。GⅠに出走するようなウマ娘ともなれば名門の方々の感覚の方がスタンダードでさえある。

 ともあれ。あまり専門的な分野になると伝達が上手くいかないし、そもそも伝達が困難なウマ娘特有の感覚的かつオカルト的な分野も少なくない割合で存在している。

 

「そういえば次の年度代表ウマ娘の授賞式。私たちが二重人格だってことをカミングアウトするつもりだけど。それで別にお父さんやお母さんが困ることってないよね?」

 

「え? ああ、そりゃあリシュたちが決めたのなら反対はしないが」

「こちらのことは気にしなくても大丈夫よ。リシュとテンちゃん、ふたりで話し合って決めたことなのでしょう? それでテンちゃんが反対していないってことはリシュにとって悪いものではないのよね」

 

 相変わらずうちの両親からテンちゃんに対する信頼がすごい。

 同じ父と母の子供として嫉妬が皆無とまでは言わないけど。

 誇らしさの方がずっと強かった。

 何故だか、母が少し困ったような顔をして笑う。

 

「……あまり、そんなに急いで大人にならなくてもいいのよ?」

「私はまだまだ子供だよ?」

 

 そんなに生き急いでいるつもりはないのだが。むしろマイペースな方だと思う。

 たしかに私名義の通帳には一生働かなくていいだけの額が記載されている。経済的自立という観念では一見すると達成しているように見えなくもない。

 だが、あんなもの現状では絵に描いた餅、張子の虎、眺めているとちょっと嬉しくなるだけの抽象画である。

 トゥインクル・シリーズに所属するウマ娘が稼いだレースの賞金やグッズ販売の売り上げは、少なくとも引退するまでは自由に使えるわけじゃない。

 URAが管理する口座に振り込まれたそれらを引き出すにはかなり面倒な書類を何枚も書かねばならないし、それらの手続きを潜り抜けたところで一度に引き出せる額には上限が存在している。

 わずらわしさが無いと言えば嘘になるが、制度そのものに不満はない。思春期真っただ中の未成年に制限も無く与えるには過ぎた金額なのは事実だろう。

 それに大金が手元にあったところで、これといって欲しいものがあるわけでもないし。

 入学前ならトレーニング関連で消耗していくあれやこれやの出費がきつかったが、今はアオハル杯のチームに振り込まれる予算が潤沢なので不自由はない。

 

《金銭トラブルは人類の宿痾だからなぁ》

 

 トレセン学園の生徒はお嬢様揃い。レースの賞金ごときでは総資産の誤差にしかならないくらい実家が太いところだってあるが、うちのようにそうじゃない家だってあるのだ。

 金の卵を産むガチョウの腹を裂きたがる強欲な愚者の何と多いことか。

 トゥインクル・シリーズを走るうちは幾重にもセーフティネットが用意されている。

 守ってやることができる。URA、学園、トレーナー、そこに所属する大人たちが。

 昔はよくわからなかった。まだ走っているうちに〆られたら困るが、引退後なら肉になろうとお構いなしなのだと思っていた。

 きっとそうではないのだ。システムは冷たく無機質だが、それを運営するのは血の通った人間。システムが途切れたところで人の縁がいきなり断たれるわけではない。

 あれらはウマ娘を閉じ込めるための監獄ではなく、守り育てるための砦。彼女たちが自分の脚で立ち上がり、まだまだ未熟な彼女たちが転びそうになったとき背中を支える人間関係を構築する時間を稼ぐためのものなのだろう。

 

 ともあれ、私の生活はいまだ大人の庇護下にある。

 経済力は完全に親依存だし、衣食住いずれも自力で負担しているとは言い難い。

 学園近辺のニンジンの相場すら知らないのだ。これで自分のことを立派な大人だと思い込むのはあまりに世間が見えていないというものだろう。

 

《大人になれば当然自炊するようになって、広告の品をしっかり目利きして買い揃えるような立派な買い物上手になれる。そう思っていた時期がぼくにもありました》

 

 何故だかテンちゃんが遠い目をしていた。

 

 ところでさぁ。すごくいまさらな話なんだけどさあ。

 テンちゃんは本当にこの流れでよかったの?

 大丈夫? ちゃんと納得してついてきてくれている?

 私の独りよがりとかじゃないよね。

 

《リシュが望むのならそれで構わないさ。リシュの人生なんだから》

 

 私たちの人生ね。『私たち』、これが重要よ。

 

《はいはい。でもこちらからも疑問っちゃ疑問なんだけど。このふたりでひとつの生き方が安定してるのは、自分で言うのも何だがぼくが一度死を経験したことにより精神が変質したことに依るものが大きい。

 リシュが言うところの『心の一部が死者のまま』の状態。これが解除されたせいで真っ当な人間らしく節操なく際限なく、リシュの人生まで欲しがり始めたらどうするの?》

 

 そのときはあげるよ、ぜんぶ。

 恩義とか、道理とか、摂理とか。

 そんなのぜんぜん関係なくて。

 私が欲しいっていうのならあげる。

 私がテンちゃんを取り込んで一つになる未来に魅力は感じないけど。

 テンちゃんが私を食べたいっていうのなら、是非とも美味しく食べてほしいと思う。

 

 でも注文をひとつ付けるとするなら、痛くしてほしい。

 後悔して、でも取り返しがつかないで、我慢してなお耐えきれずに苦悶の嗚咽が漏れてしまうほどに。

 きっとテンちゃんは一生その悲鳴を憶えていてくれるから。

 それはきっと幸せなおしまいの在り方だろう。

 

《そっかー。ははは……半身の被虐嗜好なんて知るもんじゃねえな!》

 

 くふふ、そうだね。

 絶対にありえない未来だからこそ、思考実験としては面白いかも。

 でも自己分析させてもらうと、別に被虐趣味ってわけじゃないと思うんだよね。

 本当の意味で私を傷つけることのできる相手って限られているから。

 人間社会の中で価値観を構成しているうちに、痛みを与えられることが自分にとって特別な相手であることの証明、みたいに意味が反転したみたいな?

 

《あー、そういう感じね。育て方を間違えたかと真剣に不安になりかけたわ》

 

 やるべきことはたくさんあって、やりたいことはもっとたくさん。

 だからこそ焦っていても仕方がない。

 千里の道も一歩から。一歩を重ねていけばいつか千里だって踏破できる。

 ひとつひとつ、目の前のタスクを処理していくしかないのだ。

 

 だから、今しばらくはひとやすみ。

 愛する家族と乾いた笑いを漏らす相棒に囲まれながら、また一口マグカップに口をつけコーヒーを啜るのだった。

 

 ぐえっ、間違えてテンちゃん用のブラック飲んじゃった。

 




旧ツイッターに拙作の新たなファンアートがあると聞き、捨て垢を引っ張り出してきました。
起動させるとでっかい×が表示され「あれ? 何か間違えた?」と素で思った程度には縁のない生活をしておりますがさておき

わーい、フルカラーの143JSアタック小隊だやったぜ!

もともと自分は中学で例の病を患って脳内の世界を外部に出力する際に
『絵は描けないけど文章なら国語の成績いいしいけるやろー』と舐めた理由で執筆の世界に足を踏み入れた身なので
今でこそ執筆そのものに代えがたい魅力を感じておりますが、自分の創ったキャラクターが映像化されるということに特別な思い入れがあるのですよね

ここで言って届くかわかりませんがありがとうございました。
これからも誰かに思わず筆をとってもらえるような作品を書いていけたらと思います。


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華麗なる年間計画

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U U U

 

 

 年が明けて、一月。

 短いようで長いような地元での冬休みを終え、私たちは再び府中に舞い戻った。

 いよいよシニア級の一年が始まる。

 

 とはいえ、すぐに走り出すほど忙しない日常を送っているわけでもない。

 今は少し遅めの初詣に向かう途中だったりする。

 

 私たち中央のウマ娘はわりと休みがバラバラだ。

 レースが第一にあり、それを中心に生活が回っている。

 さすがに正月からの三が日は休みになっていることが多いけど、それだってローテーションや調整の進展次第では絶対ではない。

 まとまった休みがあったらあったで私たちのように帰省するパターンも多いので、意外とこういう年末年始に集まって何かするというのは難易度が高かったりするのだ。

 

 幸か不幸か、それを苦痛と感じたことは今のところないけれど。

 やっぱり私はこの世界に向いているのかもしれない。

 

 今日は神社に現地集合ということになっているので、いまのところは私たちひとりだけ。

 呼吸するだけで吐息が白くなるような雪国じみた露骨な寒さではないが、走ると肌に気温がザクザク突き刺さる程度には寒い。

 この時期は走るのが億劫になるし、冷えた身体のままトレーニングはできないので入念なストレッチで身体を温めなければならないのが面倒でもある。

 

 こんな寒さの中で機械的に脚を動かしていると、不思議と脳内でわりと重要な計画が練られたりするのだ。

 絶対に机の上でメモしながら進めた方がよさそうな作業ほど、こうして歩いたり走ったりしている片手間に行うと捗るんだよね。

 

 昨秋の激闘を鑑み、桐生院トレーナーからいまだに本格的なトレーニングは禁止されている。その判断に異論はない。

 だが、この一年のローテーションを考えるならそろそろ調整は始めなければならない。

 

《URAも『最初の三年間』を中断させるご無体はできないだろうけど、逆に言えばこの一年が何の制限もなくぼくらが国内を走れるラストチャンスになるだろうからなあ》

 

 それを大前提に、海外ではなく国内のレースを優先して獲っていこう。

 今年の目標は、まず春秋シニア三冠制覇。

 すなわち春シニア三冠を形成する三月後半の大阪杯、四月後半の天皇賞(春)、六月後半の宝塚記念。

 秋シニア三冠を形成する十月後半の天皇賞(秋)、十一月後半のジャパンカップ、そして十二月後半の有記念。

 これは入学する前からの目標だったので迷いはない。この六つのレースはカレンダーに書き込んでおく必要がある。

 

 ここに短距離、マイル、そしてダートのGⅠも入れるとなると。

 まず短距離はほぼ確定する。

 現状この国には短距離GⅠが二レースしか存在せず、そしてその片方である高松宮記念は大阪杯と同じ三月後半に開催されるのだ。

 同日開催ではないから理論上両方に出走することは可能であるものの、このご時世にGⅠの連闘など世間もトレーナーも許さないだろう。ウマ娘の脚に掛かる負担が大きすぎる。

 私だってやりたくない。負けるとは言わんが。

 ゆえに消去法で昨年も走ったスプリンターズステークスの連覇を狙う形となる。

 今年はあのスプリントの圧倒的王者バクちゃん先輩を迎え撃つ立場になるわけだ。胸が高鳴るな。

 

 マイルはどうしようか。

 二大マイル戦に数えられる安田記念とマイルチャンピオンシップの両方を制覇できるのならそれ以上は無い。私の目的からすると歴史に残す爪痕が深いに越したことは無く、そのために肩書は重要な要素だ。

 ただ、マイルチャンピオンシップは真っ先に候補から除外していい。ジャパンカップと同じ十一月後半の開催だから。

 このマイルCSとジャパンCという同月開催の二レースを含め、重賞六戦をわずか四か月という短期間のローテでこなし、さらにマイルCSでは『届くはずがない』と言わせた差をラストの直線で差し切ったオグリキャップ先輩のことは尊敬しているが、マネしたいとは思わない。

 そうなると、芝のマイルGⅠも実はそれほど数が多くない。シニア級で出走可能となると、残る候補は五月前半のヴィクトリアマイルと六月前半の安田記念。

 こうやって並べると3200mのGⅠ最長距離を誇る天皇賞(春)からさほど休みを置かずに走ることとなるヴィクトリアマイルの方が厳しいか。

 月の前半と後半でマイルから中距離のGⅠを連続して走るのはクラシック級の頃にマツクニローテで経験済みだから、やってやれないことはないだろう。

 安田記念を選べば五月をまるまる休養に使えて、六月が終わればその後は夏休み。脚を休めながら走れるローテと言えなくもない。

 

《普通GⅠに出走するのなら一か月のレース間隔は、現代の価値観において『まるまる休養』とは言い難いという常識的なツッコミは、さておくとしようか。

 それにしてもウマ娘なら当たり前なんだけど、ヴィクトリアマイルがどのウマ娘も出走可能ってやっぱり変な感じがするよなぁ。この世界のヴィクトリアマイルってどんな経緯で設立されたレースなんだろう……?》

 

 相変わらずよくわからない部分で引っかかっているテンちゃんである。

 レース史を漁れば簡単に答えは見つかると思うけど、たぶんそれで見つかるものはテンちゃんが知りたいことと微妙にズレている気もする。

 まあ、ひとまず安田記念が最有力候補ということで。

 

 ダートGⅠは候補が多い。

 まあ芝は短距離、マイル、中距離、長距離の四種類で個別にカウントしているのに、ダートは一括りで数えているのだから当然と言えば当然。ダートを主戦場としている方々に雑な数え方をするなと苦言を呈されそうだ。

 むしろそうやって芝全体のレースと比較するなら中央のダートGⅠは数が少ないと言えよう。

 そして私の目的を考えると国内でのみ通用する『JpnⅠ』ではなく、国際グレードを持つ『GⅠ』の方が望ましい。

 同じURAが認定した最高格付けのレース『ジーワン』であるのは事実だが、限られた時間の中で最大限の戦果を求めるなら、やはりより広い層に受けやすい肩書がある方がいいのだ。

 その判断基準と、既にカレンダーに書き込んだローテとの兼ね合いを考えると多かった候補もだいぶ絞られる。国内のダートGⅠから『JpnⅠ』を除外すると本当に数が減るのだ。

 第一候補は二月後半開催のフェブラリーステークスだろう。そこが一番無理なくローテに組み込める。1600mのマイルというのも脚に優しい要素だ。

 

 よし、だいたい決定したな。

 上半期は二月後半のフェブラリーSから始まり、一か月おきに三月後半の大阪杯、四月後半の春天、そこから五月を休養にあてて、六月の前半と後半に安田記念と宝塚記念。

 下半期は九月後半のスプリンターズSから始まり、十月後半に秋天、十一月後半にジャパンカップ、十二月後半に有記念。

 場合によってはそれぞれシーズンの最後にアオハル杯へ参戦し、プレシーズン第四戦と決勝戦を走ることになる。

 うん、バカだろこのローテ。

 

《しかし改めて、だいぶ無茶苦茶だよなぁぼくらの体質って。普通は距離適性とバ場適性はもちろん、レース場の得意不得意だって気にしないといけないのにさ。

 そういうの一切ないもん。問答無用の適応力。レース間隔にだけ注意していれば好きなタイトルを選べるって本当に有利だと思うよ。こんなんチートだよチート》

 

 小さいころからのテンちゃんの指導のたまものでしょう。

 あと私もがんばった。両親に少なくない金銭的負担が生じるぐらいがんばったもん。

 

《そりゃあ努力していないと言うつもりはないさ。でもミホノブルボンとかの前じゃ大きな声では言えないけど、こういうのって努力だけじゃあどうしようもない部分だから》

 

 それもそうか。

 体質改善が努力と根性で何とかなるのなら、アレルギー持ちは全員根性の足りない怠け者ということになってしまう。

 どれだけ前時代的な思想だという話だ。

 努力するのは大前提。同じだけの努力をしているはずなのに、そこから先に生じる差異を人は才能と呼ぶのかもしれない。

 

 さて、忘れてはいけないのが今年はURAファイナルズ開催年だということだ。

 URAに所属する全てのウマ娘が参加資格を有する究極のレース。

 厳密には今年度いっぱいの活躍をもって年末にグランプリよろしくファンからの投票が行われ、票を集めたスターウマ娘が出走資格を得ることとなる。

 ドリームトロフィーリーグのウマ娘たちとトゥインクル・シリーズのウマ娘が覇を競うことが許される、現状唯一のレース。

 箱庭の怪物たちがこの祭の間だけは解き放たれる。

 代わりといっては何だが普段は年二回開催されるドリームトロフィーリーグのうち、今年は夏のサマードリームトロフィー(SDT)のみで、ウィンタードリームトロフィー(WDT)およびその予選リーグは行われないらしい。

 全盛期を過ぎたウマ娘の性質上仕方のないことではあるが、一部のレースファンは悲しんでいるそうだ。

 

 ま、私にとってはありがたい限りだ。

 普段は伝説の中で大人しくしている怪物たちがわざわざ外に出てきてくれるのだから。これ以上なく決定的に伝説と雌雄を決することができる機会。

 今の彼女たちに勝ったところで『しょせん全盛期は過ぎているから』と認めないファンは確実にいるだろう。

 だからといって『でも勝ったのは勝ったんでしょ?』と考えるファンがいなくなるわけでもない。論より証拠。目に見える形で残った記録は強いのだ。

 ちなみにURAファイナルズは予選、準決勝、決勝の三段階で構成されたプログラムであり、つまりはのべ三レース走ることになる。

 時期的にはアオハル杯決勝の後あたりから予選が始まる感じになるだろうか。

 

 うん、ぜったいにバカだわ。このローテ。

 天秤の片側に載っているのが金や名誉、あるいは義理や人情なんてものでは絶対に走ろうとは思わなかっただろう。

 純度百パーセント自分のためだからこそ、駆け抜ける意欲と覚悟も湧いてくるというものだ。

 

《いまさらだが、無茶は承知の上。でもくれぐれも無理はするなよ》

 

 もちろんだよ。

 私だけの身体じゃあないんだから。

 ウマ娘の走る速度は時速六十キロを優に超える。レース中の故障は比喩抜きで致命傷へと容易く繋がるのだ。さらに転倒でもしようものなら後続だって巻き込まれるリスクがある。

 私たちの将来を万全にするための挑戦なのに、自分も周囲も巻き込んで破滅だなんて本末転倒もいいところだ。

 怪我しない。これ大事。

 体調が思わしくないのならローテに固執せず、必要とあれば計画を白紙に戻すことも常に念頭に置いておく必要がある。桐生院トレーナーとの綿密な打ち合わせだって不可欠だろう。

 

 ただ、何となくだけどいける気がするんだよね。

 もともとシニア級の春に私の身体は仕上がるという予感があった。

 フェブラリーSはその試金石となるだろう。

 私がこの一年間、どこまでやり遂げることができるのか。

 

「おーい、リシュちゃーん!」

「同志ー! こっちですー」

 

 長々と考え事をしているうちに目的地に到着していたようだ。鳥居の手前で先に来ていた二人が手を振っているのが見える。

 ここの神社の石段は長さと傾斜がちょうどよく、常日頃から階段ダッシュなどトレーニングで利用させていただいている場所だ。

 勝手知ったる……などと言えば少し馴れ馴れしいかもしれないが、中央に来てからの二年間でそれなりに慣れ親しんだ場所ではある。

 

「ん、おまたせ」

 

 とはいえ、考え事をしながら境内に入るのは流石に失礼だったかと反省しながら彼女たちへ手を振り返した。

 おかげで丁度いいところまで考えはまとまったけれども。

 神様に新年のご挨拶に来たようなものなのに、無礼を働いて罰でもあてられた日には目も当てられない。

 久しぶりに帰省して思いっきりリラックスしたのはいいが、ちょっと箍が緩んだままなのかもしれない。気をつけよう。

 

「ごめん、待たせたかな?」

 

「ううん、マヤたちも今きたところだからだいじょーぶ!」

「一日千秋の思いでお待ちしておりましたとも! ああいえ違うんです!? マヤノさんとのお時間が非常に濃厚だったということをお伝えしたかったのであってお待たせされたというわけではっ、むしろ推しを待つ時間というものはときめきを幾重にも反芻できる時間でありオタクにとってはご褒美以外のなにものでもなく――」

 

「もー、おデジうるさいよ」

「ひえっ、申し訳ございませぬ!!」

 

 今回、声をかけたのはこのメンバー。

 最近デジタルのことをあだ名で呼ぶようになったマヤノと、そのマヤノに注意されコメツキバッタのように過剰反応でぺこぺこ謝罪するデジタルである。

 ちなみに何故いまだに私たちはリシュちゃんとテンちゃん呼びなのかと言えば『だってリシュちゃんはリシュちゃんだし、テンちゃんはテンちゃんって感じだから』だそうだ。

 アッハイ、そうですか……そうですか。

 

 〈パンスペルミア〉グループLANEにメッセージを流せばもっと集めることはできたかもしれないけど、あまり人が多くてもあちらさんに迷惑になるだろうからやめておいた。

 人数が多くなればどうしてもうるさくしちゃうだろうから。トレセン学園の近くにおわす神様なのだから微笑ましく見守ってくださるかもしれないが、年明け早々相手の家に上がり込んでガヤガヤ騒ぐと思うと気が引けるというもの。

 

 それに、どうも私は人間というイキモノが好きではないらしい。

 自分だけでは孤独を感じるくらいにはその存在は身近になったし、個人として好意を抱いている相手は幾人も存在してはいるものの、種族としてはたぶん嫌いだ。

 だから数が多くなるとそれだけで一つ、精神的負担となってしまうわけで。

 チームのみんなが嫌いなわけじゃないんだけどね。人が多いと疲れるんだ。

 

 一方でマヤノとデジタルは同期ということもあり、雑な対応をしても大丈夫という信頼と実績がある。

 年明けから必要以上に気を遣いたくない。そんなわがままを貫きながら新年の伝統行事を共にする相手には最適と言えた。

 

「えっと、私で最後かな?」

 

 LANE越しに声をかけたのはこの二人なのだが、実は初詣メンバーはもう一人いる。

 マヤノにLANEを入れたとき偶然ウララもその場にいたそうで、話の流れで彼女も一緒に来ることになっていたのだ。

 ウララはアオハル杯において私たちの〈パンスペルミア〉ではなくスカーレットたちの〈キャロッツ〉に所属していることもあり、ぶっちゃけマヤノたちほど接点は無い。

 同じ時期にクラシック級を駆け抜けた間柄ではあるが私が芝のGⅠをメインに重賞を制覇しているのに対し、彼女はダートで未勝利戦から抜け出した後も『何度負けても笑顔でがんばるど根性ウマ娘』で人気を博している通り敗北が目立つ。同じレースを走ったことも無かった。

 しかし同じくシニア級まで生き延びた貴重な同期であることに変わりはない。夏合宿では合同トレーニングをした縁もあり、お互いに愛称で呼び合い顔を合わせれば雑談する程度には仲のいい相手だ。

 そんな彼女の姿が見えないことに首をかしげる。

 寒いし、トイレだろうか?

 しかしそんな疑問符を浮かべる私の前でマヤノはあっさり首を振ってみせた。

 

「ううん。ウララちゃんはせっかくだから振袖着てくるって。寮の前でいったん別れたよ」

「え、大丈夫なのそれ?」

 

 ハルウララというウマ娘はアグネスデジタルと同じく、学年で言えば私より一つ年上なのであるが。

 中身は幼い子供のそれだ。『やれやれお子様ね』とバカにしたいわけではなく、マジで情緒と注意力が幼女と同レベルなのである。

 学外をランニング中にチョウチョを追いかけて迷子になった実績のある彼女が、果たして一人でここまで来れるだろうか。

 今の時期なら注意を惹きつけるようなチョウチョもお花も無いとはいえだ。何かのはずみに道から外れてしまったとき、スマホを取り出して地図を調べることがウララにできるとは思えない。年上の女性に失礼な懸念ではあるが、本当にさっぱり思えない。

 

「へーきだよ。だって――」

 

「おーい、みんなー! おまたせー!!」

 

 マヤノの言葉に被せるようにウララがこちらに向かって駆けてくるのが見えた。

 赤とピンクと振袖に袴風スカート。なるほど、一度寮に帰って着替えてきたいと思うのも納得できるほどに可愛らしく似合っている。

 しかしあの振袖。実は勝負服と同じ技術が用いられており、飛んだり跳ねたりしてもまったく着崩れしない。というか勝負服登録申請を通したので、実際にあれを着てGⅠに出走することも可能なはすだ。

 ちなみに着物に描かれている花は一輪一輪が職人の手描き。仮に値札をつけたら贈与税が心配になる金額になりそうだが、ファンのおじいちゃんのハンドメイドで実質材料費しかかかっていないで通したとか何とか。まあ、あくまで噂だ。

 

 あと、これは余談だが。

 ウマ娘の勝負服は一張羅のイメージがあるが、実はパーツごとにスペアがあるのが一般的だったりする。

 レースは雨天だろうが決行されるし、スプリンターズSの私のように壊れることも無くはない(レース中に壊れることはめったに無いけども)。

 本当に一着しか無ければ汚れや破損などのアクシデントがあったとき、ウイニングライブに間に合わなくなってしまうのだ。

 つまり、あの振袖が勝負服登録申請に通ったということは……これ以上考えると怖くなりそうだからやめておこう。

 

「ちょっとウララさん! 急に走ったら危ないわよっ」

 

 そしてウララは保護者同伴だった。

 彼女の後ろから小走りで、きっとウララの分も含む荷物を両手に抱えてやってきたのは、彼女のルームメイトであるキングヘイロー先輩。

 

 なるほどねえと視線を横に戻すと、したり顔のマヤノと目が合う。

 いくらあの振袖が勝負服仕様で一般的な着物と比較すれば簡単に脱着できるとしても、それでも和服に馴染みのない現代人が一人で着付けするには難易度がやや高めだ。

 マヤノはちゃんとウララのルームメイトがいることを確認してから送り出したと見た。

 そう考えてみれば、ウララの今の綺麗に結い上げた髪型も誰がやってあげたのか想像するのは容易だ。あれはウララでなくとも鏡を見ながら独りで仕上げるのは至難の業というもの。

 きっと面倒見がいいと一部で噂の、もはやその様は姉妹を通り越して親子であるというデジたん評のルームメイトにやってもらったのだろう。

 そしてそんな彼女ならウララひとりで目的地に送り出すような無謀を静観することはできまい。

 

 キングヘイロー先輩は有記念で戦ったグラスワンダー先輩やエルコンドルパサー先輩と同じく『黄金世代』と呼ばれる時代を築き上げたウマ娘の一角だ。

 いちおう短距離GⅠである高松宮記念を制しているのだから間違いなくトップクラスではあるのだが。現状の短距離界隈はバクちゃん先輩がトップ過ぎて、そこを基準にしてしまうとやや格落ちする感は否めない。いや、間違いなく基準を間違えているか。でも私は勝ったし。

 それにキングヘイロー先輩はそこに至るまで、中長距離のGⅠで幾度も入着を果たしている。どちらかといえば器用貧乏寄りのオールラウンダーで、その中でも得意分野の短距離だとGⅠレベルと評するべきだろう。

 まあ長々と語ったが、要約すればウララ以上に接点のないお方である。

 

「いやだった?」

「べつにぃ」

 

 そうだ。マヤノは根本的に私やデジタルとは違う。

 陽の属性を持つ者だった。

 マヤノにとって人数が増えるのはそれだけで嬉しくて楽しいことなのだ。その感覚は理解できないがそういう感性の持ち主がいるということはちゃんと知っているし、それに該当する知り合いだって何人もいる。

 もっとも、マヤノだって私やデジタルが人を苦手としていることはわかっているだろう。わかった上で今回は『いける』と直感的に判断したらしい。

 まあそれは間違ってはいない。

 この世界に私たちの存在を刻み込むと判断したのなら人付き合いは避けられない。そして人付き合いというのは非常に流動的なものだ。今回のように流れで人が減ったり増えたりすることは決して珍しいことではない。

 お仕事中に失敗できないプレッシャーの中でそういうトラブルに初めて対応するよりは、こういう顔見知りの中で徐々に慣らしていく方が楽といえば楽なはずだ。

 トゥインクル・シリーズをシニア級まで駆け抜けたウマ娘という巨大すぎる共通項は、それだけで相手に一定の理解と親近感を抱くに十分すぎるものだから。

 デジタルはウララとキングヘイロー先輩のコンビが間近で見られるというだけで雑に大満足だろうしね。

 雑に扱っていい相手と雑に遊びたいという当初の思惑は崩れてしまったわけだが、これはこれでありだろうと今の私なら素直に思える。うんうん、我ながら成長したものだ。

 

「ふう、なんとか無事にたどり着けたわね。じゃ、私はこれで……」

「ええー、キングちゃん帰っちゃうの? 一緒に初詣しようよー」

 

 まったくもって予想通りの展開を経て、キングヘイロー先輩が我らが初詣に合流する。

 後輩ばかりで、ウララ以外は顔見知り程度。いや、デジタルはたしかマイルCSで共に走ったこともあったか。そのときキングヘイロー先輩は着外だったが。

 ともあれ、こちらが気まずいようにあちらの精神的敷居の高さも相当なものがあっただろう。

 

「はぁー。急にごめんなさいね」

「いえいえ。ウララをここまで連れてくるのは大変だったでしょう。缶コーヒーの一本くらいなら奢りますよ」

 

 だがウララが強く希望したことと、私たちも全員それに肯定的な空気だったことからキングヘイロー先輩を含む五人で鳥居をくぐることと相成ったのであった。

 ちなみに私のぎこちない軽口は「ふふっ、なによそれ」とキングヘイロー先輩を笑わせることに成功した。やったぜ。

 

 



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それぞれのふりだし

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U U U

 

 

「んーと、まずは手水で清めて……」

 

「へー。参道は真ん中を通っちゃダメなんだ。うーんでも、お正月で人がいっぱいいると端っこだけ通るのは難しそうだけど……そのときは神様がこっそり道を譲ってくれていたりしたのかなあ?」

 

「はえー。お願い事をするんじゃなくて、感謝を告げに来るのが本来の在り方なんですね。恥ずかしながらこのデジたん、毎年煩悩を垂れ流しておりました」

 

 伝統行事とはいえ、年に一回しか使わない作法なんていちいち憶えていない。各々スマホで検索した初詣のルールやマナーを流し読みする。

 こんなの言ったもの勝ちというか、それっぽい肩書を持っている人がそれっぽいことを言っているだけで、どこまで信頼していいのか怪しいものだが。

 大事なのは神様への感謝の心だというのはどのサイトの記述でもだいたい共通していることだし、ちゃんと調べて作法に則ろうとしましたという姿勢が評価されているといいな。

 

《もしかしたら一流たるキングはこのあたりの作法も完璧かもしれないけど、先輩が後輩に指導したらそれこそ空気が『そういう感じ』に硬化しちゃうからな。みんなでワイワイ調べながらやるのが楽しいのだと理解して静観してくれたようだ》

 

 ああなるほど。たしかにキングヘイロー先輩にご教授願うという手もあったな。

 

 三が日はとうに過ぎていることもあり、この時期に初詣に来たのは私たちだけのようだった。

 まあ世知辛い話ではあるが、神社仏閣というのは意識して探してみれば意外なほどあちこちにあるものだ。言い換えれば競合する相手に事欠かないということでもある。

 そしてトレセン学園近郊にはここよりももっと大きな神社がある。それこそ大杉神社のような元旦には人が溢れ、それを目当てに屋台が立ち並ぶような立派なところが。

 新年の華やかな一連のイベント、その一環である初詣。わざわざ古ぼけたこちらの神社を選ぶ者が少ないというだけの話かもしれない。

 かく言う私たちも元旦の初詣だったら、屋台の立ち並ぶあちらの方を選んでいただろうし。

 

 普段はトレーニングで訪れたり、体調が思わしくないときに神頼みしてみたり、こちらの神社の方が学園生徒と接点があるんだけどね。

 ここを選んだことに深い意味があるわけではない。ただ私たちの活動範囲に合致していたというだけの話だ。

 ただまあ一年の感謝とご挨拶をするのが初詣というのなら、この神社が一番その趣旨に合致している気もする。

 

「えっと、お賽銭を入れてー。二拝二拍手一拝? 二礼二拍手一礼? あ、お願い事はしちゃいけないんだっけ?」

「べつに、しちゃいけないってことはないでしょ。一つくらいならいいと思うよ」

 

 なんだかマヤノが少し残念そうだったのでそう言ってみる。

 たしかに挨拶に来たはずの相手からいくつもごにょごにょと頼みごとをされたらうんざりするだろうけど。

 マヤノみたいなおしゃまな女の子に『一年間ありがとうございました。これからの一年間はこれをがんばりまーす☆』と宣言されたら応援したくなるのが道理というものではないだろうか。

 

「そう? リシュちゃんがそう言うのなら一つだけー」

 

 にゃむにゃむと手を合わせて目を閉じるマヤノに倣うように、みんなそれぞれ願い事をし始める。

 私はどうしようかな。

 自分の努力だけで解決できる問題などたかが知れている。自分よりもっと大きな力を持つ相手に縋らなければどうしようもないことは世の中にたくさんある。

 だけど、それはそれとして。

 この一年間の勝利や無敗をここで頼み込む気にはならなかった。なんとなくだけど、どうしてもやりたくなかった。それは私たちのものだ。

 見守っていてくださいとお願いする気になれない。がんばりますと宣誓する気すら起きない。自らの矮小さを自覚してなお、神々には譲ってやりたくない。

 いや、おかしくね? たとえば故障は自分の注意だけではどうしようもない側面がある。平穏無事を願うのなら、神様の助力があるに越したことは無いはずだ。

 

《ある種の縄張り意識みたいなものがあったりするのかな。じゃあダスカの怪我が早くよくなりますようにとでも願っておくか?》

 

 テンちゃんの提案はとても妥当なものだったけど。

 それはそれでしっくりこないんだよね。

 何故だろう。これこそ努力だけではどうしようもない、神頼みするにふさわしい項目だと思うのだけど。

 実際、後でお守りは買って帰るつもりでもある。

 だけどこう、私の一つだけの願いをスカーレットのために使うっていうのは、こう。

 何か違う気がする。

 私は私のために全力を尽くして、スカーレットもスカーレットのために努力する。私とスカーレットってそういう関係だと思うのだ。

 うーん、我ながら面倒くさい。

 私ってこんなやつだっけ? いや、昨秋から情緒に目覚めて年末にいろいろ自覚して明らかに面倒くさいやつレベルが上昇している気がする。

 これも成長するってことかね。しみじみ。

 

「……ぷはーっ!」

 

 お願い事に集中するあまり、息が止まっていたらしいウララがはぁはぁと肩を上下させる。

 それをきっかけに『もうみんなお願い事が終わった』みたいな空気ができあがってしまった。そしてわざわざそれを否定してこの場に留まろうとも思わない。

 そうだな、じゃあ。願い事でも宣誓でもないけれど、言うだけ言うとすれば。

 

 この一年、気になるなら見ているといいさ。

 きっと後悔も退屈もしないだろうから。

 

 ……うーん、結局これ喧嘩売ってないか?

 罰を当てられないよう礼儀正しくとはいったい何だったのか。

 これ以上考えてもドツボに嵌りそうだったので過ぎた醜態はさっさと忘れることにした。

 

「ねーねー、みんなはどんなお願いした? わたしはねー、今年は有記念に出られるようがんばりますって宣言してきたよー!」

「えっ、ウララ有記念に出るの?」

 

 つい聞き返してしまった。

 

 適性。

 文字に起こせばたったの二文字。

 これに泣かされてきたウマ娘は数知れず。

 いったい何人の少女が夢と己の身体のギャップに心を折られたことか。

 たった百メートルでも世界は変わるのだ。私にはあまり縁のない世界だけれども。

 

 その世界の壁を努力と根性で打ち砕いたミホノブルボン先輩のような例もあるが、あれは例外中の例外。そしてそんな彼女だって菊花賞の後に一度故障が発覚している。

 スカーレットもそうだったように、無理無茶無謀を乗り越える行いは決してポジティブな一面だけではないのだ。

 奇跡かもしれない。偉業かもしれない。その努力と信念は尊いものかもしれない。

 でも代償はいつだって痛みを伴う。

 

「うん、だってね! 有記念でリシュちゃんとスカーレットちゃんが走ってるのを見てとってもワクワクしたんだ! 胸の中がかーっと熱くなって、お腹がぽかぽかして、尻尾と耳がびーんってなったの。わたしも来年はあそこで走りたいってすごくすっごく思ったんだよ」

 

 ハルウララというウマ娘の適性はダートの短距離に大きく偏っている。芝の長距離に分類される有記念は彼女の適性の対極と言ってよい。

 ニコニコと語るウララは可愛らしく微笑ましい。ただこう言っては何だが、その痛みを覚悟している者の顏には見えなかった。

 

「そっか」

 

 まあ、私が指摘するようなことではない。

 もともと中央という場所は切り立った崖に全速力で突撃かますような選択を日常的に求められる、無理無茶無謀を兼ね備えたウマ娘が集うところだ。

 たとえその選択が痛みを伴うものだとしても。

 本人が既に決めたことを外野がとやかく言うのはお門違いというもの。

 その権利を有するのは彼女のトレーナーか、せいぜい同じ苦難を分かち合うライバルくらいだろう。そして私はそのどちらでもない。

 ウララが怪我しそうなら止めて、この子が痛みに泣いているのなら適当なことを言って慰める。彼女の友人として適切な距離感はその程度のものだ。

 

「たしかに、昨年の有記念は私たち中央のウマ娘たちに多大な影響を及ぼしたと言っても過言ではないでしょう」

 

 ウララの言葉に続けるように、キングヘイロー先輩が静かな口調で言う。

 キングヘイローというウマ娘もまた適性に振り回された一人のはずだ。

 そんな彼女がルームメイトでよく世話を焼いているウララを諫めていないのだから、やっぱりこれは静観が正しいのか。

 

「あのレースを契機にドリームトロフィーリーグへの移籍を先延ばしにしたり、事実上の活動停止状態だったのに復帰を決意したりした実力者も多いそうよ。年末のURAファイナルズも合わせてこの一年、かつてない御伽噺のようなひとときになりそうね」

 

 どいつもこいつも私たち目当てなんですね、わかります。

 どうやら私たちが『最初の三年間』でトゥインクル・シリーズから実質追放されるというのは共通認識になっているらしい。

 獲物が増えるのは助かる、

 けど。歴史に名を刻む強敵がこの一年間待ち受け続けるということでもある。

 

 これまでは、言っては何だが自分にできることを自分のできる範囲でやっているだけだった。できるのが当然だったし、失敗してもそれはそれ。まだできないという事実が残るだけだった。

 それが今では明確な目標ができて、負けられなくなった。

 腹の底が焼け付くような感覚。これが敗北の不安。

 これまでレース前に緊張することはあっても、不安や恐怖に駆られることってあんまり無かったんだなと今さら気づく。

 ようやく私はレースというものの全貌を知りつつあるのかもしれない。前人未到の記録を打ち立てた私がうっかり口に出した日には何の嫌味かと苦情が殺到するかもだが。

 

《まーまー、そう気負うなって。せっかく御伽噺のような一年間が来ようっていうんだ。生涯に一度あるかないか、どころか歴史上でも何度あるかってレベルの豪華な一年。楽しんでいこーぜぃ》

 

 他人事のように気負いなくテンちゃんが諫める。

 いや、これはむしろ『自分事』だからか。

 レースで無敗を貫くのは私のスペックで最も効率的に“願い”を集めることができる方法だ。それは間違いない。

 だがその目論見が失敗したところで別の方法を模索すればいいだけだと考えているのが、表層意識越しにじんわり伝わってくる。

 たしかにテンちゃんが考えている通り適当に動画配信者あたりに転職したところで、今のネームバリューと身体能力があればそれなりに大成は見込めそうだけどさぁ。

 私がそう望んでいるから心から応援しているし、自分だって消えたくないと思っているけど、やっぱりテンちゃんにとって己の人生は無くなったところで諦めのつくものなのだろう。

 

 いくら自分とはいえそんな軽いノリだとちょっぴり腹が立つ。

 でも同時にこうも思う。

 今の私が感じているこの不安は、きっと私が本当の意味でテンプレオリシュになるまでテンちゃんがずっと感じていたもので。

 そしてテンちゃんはそれを何食わぬ顔で飲み下してきたのだ。私に気づかれることなく、当然のような顔をして。

 同じ自分なのだ。テンちゃんにできて私にできない道理が無い。

 いや、テンちゃんと私の得意分野はわりと異なり片方が軽々とこなすことがもう片方にはさっぱりということも珍しくはないのだけれども。

 頑張ろうと思う根拠には十分すぎる事実だった。そして私、努力してできるようにならなかったことってあまり無いのである。

 

 そんなことを内心考えていると、この場にいるのが後輩ばかりということも関係しているのか普段のイメージより三割増しの柔らかな口調でキングヘイロー先輩が言葉を続けた。

 

「グラスさんとエルさんなんてその代表格よね。どう? そちらのチームで元気にやっているのかしら」

 

 そう。実は前の有記念でトゥインクル・シリーズは引退予定だったグラスワンダー先輩とエルコンドルパサー先輩のお二人。

 なんとマスコミに発表までしていた引退を先延ばしにして、絶賛アオハル杯に参戦中だったりする。しかも所属は我らが〈パンスペルミア〉だ。

 大幅な戦力強化だ、やったぜ。

 

「さあ。年明けからあいにく〈パンスペルミア〉の練習に参加できていないので」

 

 まあ、LANE越しに話を聞いただけでまだ直接見れたわけじゃなんだけどね。

 

「あら失礼」

「いいえー。別に怪我とかではないのでお気遣いなく」

 

 心なし気遣わしそうな表情をされたので、そこはしっかり否定しておく。

 本当に元気なのだ。食べて寝ればすくすく回復していくのだ。私の身体は。

 

「グラスさんが言っていたわ。『ひとまず敵としては十分に堪能させていただきましたので、次は味方として存分に味わわせていただきたく存じ上げます』って。エルさんも似たようなことを言っていたわね。世代を超え、この時代の誰もがあなたの一挙一動に注目している」

 

 そこでぐっとキングヘイロー先輩は言葉をためると、すっと強い意志を宿した瞳で私を見た。

 

「……もちろん、私も。ねえ、今年あなたは短距離を走る予定はあるのかしら?」

「はいはーい! わたしはねー、“ふぇべらりーすてーくす”っていうのに出るよー!」

 

 ウララが真っ先に手を上げて元気よく宣言する。どうやら各々の次走を確認する話の流れだと思ったらしい。

 そして言い終わった後で違和感があったのか、指をこめかみに当てうんうん首をひねり始める。

 

「ん、あれれ? ふぇるべりー? ふぇらぶりー?」

「フェブラリーステークスね」

 

 ゲシュタルト崩壊が始まる前にキングヘイロー先輩が訂正を入れてくれた。

 そんなキングヘイロー先輩への返答が遅れるくらい驚いた。

 え? ウララも出るの? ダートGⅠだよ?

 

「おおー、奇遇ですねえ。不肖このデジたんも同じくフェブラリーステークスを次の目標に据えさせていただいておりますです。GⅠという大舞台で、ウララさんの天真爛漫な走りを間近でがっぷり閲覧する機会に恵まれるとは……さっそく今年の運を使い果たしたのでは?」

 

「わーい、デジタルちゃんも走るんだ。いっしょにがんばろうねー!」

「あっ。だめだこれとける」

 

 至近距離からウララスマイルを食らいじゅじゅじゅと蒸発していくデジタルが否定しなかったのを見るに、本当にウララは出走可能なのだろう。

 あの負け続けだったウララがねえ。なんだか感慨深いものがあるような、無いような。

 いつの間にかGⅠに出走が叶うレベルのウマ娘に成長していたのか。

 

「トレーナーがね。有記念に出たいならここらで“じーわん”に挑戦しておくべきだって。だからフェブラリーステークスもその“じーわん”ってレースもがんばって一着とるんだー!」

「…………」

 

 悲報、ハルウララ氏。シニア級にしていまだにレースの格付けを理解できていない模様。

 まあ、あの純粋無垢な笑顔から察するに。

 彼女は走れたらそれだけで十分なのだろう。

 格付けやそれに付随する重みなどウララの中では些細な問題なのだ。ある意味では『走り』というものに対し純度が高いと言えよう。

 レースというのは走りが『目的』ではなく『手段』になっている一面がどうしたってあるものだから。

 

 ただ楽しいから走り始めたはずなのに、いつの間にかつらくても苦しくても走らなければならない状況に陥っている自分に気づく。

 気づいてしまえばもうダメで、走ることすら嫌になってこの業界から逃げ出していく。

 そんなウマ娘を私はここに来るまで何度も見てきた。

 

 ウララにはそれが無い。

 ただ走ることが大好きで、大好きだからどこまでも真摯でひたむきだ。

 一着を取りたいという目標も、楽しくてワクワクする走るという行為がより楽しくなりそうだからという、ワクワクの延長線上のものでしかない。

 負けてもへらへら笑っている不謹慎なウマ娘だと彼女を嫌う者だってもちろんいるが、私に言わせれば単純にウララが求めているものがレースという業界と完全にズレているだけ。あの笑顔は不真面目や手抜きの証明ではない。

 彼女の走っている姿を見て、忘れていた何かを思い出すウマ娘も多かろう。

 莫大なファンを持つにふさわしい怪物の一種だと改めて思う。

 

 それはそれとして彼女の頭がざんねんなのは否定しようのない事実だが。

 

《最終目標がシニア級の有記念で、次走がフェブラリーSか。順調にウララちゃんは育成シナリオ通りのルート辿っているみたいだなぁ。おデジもその流れなら、もしかすると今年度は何回か同じレース走ることになるかもね》

 

 テンちゃんが脳内でしみじみと分析している。

 デジタルと走るのはちょっと楽しみかな。去年は結局予定が合わないでダートの一戦しかできなかったから。

 

「そっか。私も出るつもりなんだ、フェブラリーS。出たいからといって出られるとは限らないのがGⅠだけど、お互いに出走が叶ったらそのときはよろしくね」

 

 次もダートでの戦いになりそうだけど、いつか芝でやりあってみたい。

 あれ? もしかしてこれ、私が勝てばまたデジタルのGⅠ勝利が遠のくやつか。

 実はデジタルって何気にGⅠ未勝利なんだよね。まあ半分くらい私が原因なんだけどさ。

 年明けてからの初戦早々、桐生院トレーナーにさらなる苦労が約束されたのかもしれない。うーむ、申し訳ない。

 

「やったー! リシュちゃんとトゥインクル・シリーズでレースするのは初めてだねっ! よーし負けないぞー。いっぱいいっぱいトレーニングして、わたしフェブラリーSまでに今よりずっとずっと速くなる!!」

「私と同じレースになりそうだって流れでそこまで喜ばれるのは何だか新鮮だな。意外と嬉しいものなんだね。ありがとう、また一つ賢くなったよ」

 

 さりげなくウララの脚を観察してみる。

 袴というのは情報面のアドバンテージを生むための装備だ。動きやすさという点において身体にフィットするズボン等に及ばないが、内部の動きを外からわかりづらくするという点では普通に優秀。それゆえいまだに武術のユニフォームとして現役を張っている。

 勝負服は通常の服とはまた別のロジックが働くから完全に同じ目線で考えることはできないけども。私が測り損なっている情報はきっとあるのだろう。

 しかしそれを差し引いても……うーむ、今年の有記念まではざっくり一年近く期間があるとはいえだ。

 

 これに一年のトレーニングを上乗せしても冬のグランプリ、中山レース場の芝2500mを勝てるようになるとはさっぱり思えないんだが?

 つい先日バクちゃん先輩という短期間で化けた実例を目撃した以上、断言することはできないけどさ。

 プレッシャーが無い。短距離ダートならいい勝負をするだろうし、フェブラリーSのマイルでも善戦は見込めるだろう。でもそこ止まりだ。

 

 

 彼女の担当トレーナーはいったい何を考えて最終目標を有記念なんかに設定しやがったんだろう。

 しょせん私はウマ娘でしかないわけで。専門家たるトレーナーの見えているものが見えていないだけなのかもしれないけど。

 なんかモヤモヤするな。

 

《くふふ、自分以外のウマ娘のレースのことを考えて情緒が揺れ動くようになるとは……本当に成長したねえ》

 

 脳内でテンちゃんがすごくやさしい目をしていた。

 その目は嫌いじゃないけど、恥ずかしいからやめて。

 

「あれ? っていうことはさー。リシュちゃん、今年はもしかしてダート路線いっちゃったりするの?」

 

 マヤノが少し不安そうに眉をひそめた。

 

「ううん。まだ桐生院トレーナーと相談し合って決めた確定事項じゃないけど、デジタルみたく芝とダートの二刀流……ってほどじゃないか。たぶんダートを走るのはそこだけ。今のところ暫定でこれを走りたいなって候補は――」

 

 私の口から錚々たるGⅠタイトルの名が連なるたびにウララ以外の顏が多かれ少なかれ引き攣っていく。ウララは『わー、いっぱい走るんだね。よーし、わたしもがんばるぞー!』とほわほわしていた。いや本当にそんなこと考えていたのかは知らんけど。

 私だって完全に他人事としてこのローテを聞けば真っ先に相手の正気を疑うことだろう。相手の脚の心配はそこから三歩遅れてくらいか。

 

「ぺんぺん草も残りませんね……」

「ぺんぺんグサ? かわいい名前! どんな草なのっ?」

 

 デジタルが呆然とつぶやき、そのつぶやきのどうでもいいところにウララが無邪気な疑問を抱く。

 

「ナズナのことよ。春の七草のひとつ。そうね、この時期なら食堂のメニューに七草粥があるはずだから、後でウララさんに見せてあげるわ」

 

 そこに続くキングヘイロー先輩の言葉には彼女の面倒見のよさが存分に発揮されていた。

 

「うーん。シニア春三冠かぁ。うーむむむ……あー、やっぱりダメだー。どう考えてもマヤ、大阪杯に出る余裕はないやー。有記念の疲労がそんなに早く抜けるなんてリシュちゃんずるいよー」

「私だからね。食べて寝ればだいたい回復しちゃうのさ」

 

 ふっふっふ、ずるい(チート)と言いたければ好きなだけ言え。

 テンちゃんの想いが結実し、母が産んでくれたこの身体。恥ずべきところなどひとかけらもありはしないのだ。

 

「マヤはね、上半期はひとまず天皇賞(春)に狙いを定めていくつもりなんだ。だから三月は大阪杯じゃなくて阪神大賞典かなー」

 

 うんうん、普通はGⅠにいきなり出走しないよね。前哨戦で身体を慣らしつつ、ライバルの動向を窺うのが定石だ。

 阪神大賞典はその名の通り阪神レース場で行われる芝3000mのGⅡ。日経賞と並んで天皇賞(春)の前哨戦に位置付けられたレースであり、ここで一着を獲れば春天の優先出走権が与えられる。

 私以外のウマ娘にとって距離の壁というのは高く分厚く立ち塞がる要素。

 長距離レースを連続で走るのは一見しんどそうだし実際にしんどいが、調整という面では下手に中距離を挟むより長距離向けの身体できっちり仕上げた方が楽だったりする。

 この一年、出走予定のレース全てが勝負服着用(GⅠ)という頭のおかしい私と違ってマヤノは順当に戦績を積み重ねていきそうだ。

 

「まあ、春の七草のことは今は置いておくとして……私がこんなことをいうのは筋違いかもしれないけれど。本当に大丈夫なんでしょうね、そのローテ?

 あなたと雌雄を決する機会に恵まれるのはありがたい話よ。でもね、いまや時代の寵児となったあなたが怪我した日には泣く人間は一人じゃないの」

 

 キングヘイロー先輩の声や表情には単なる忠言には留まらない重みがあった。

 そうだ、彼女は黄金世代の一角。

 観客席からやれ不死鳥だと無責任に囃し立てる者たちとは全く異なる、ライバルとしての立場から。グラスワンダー先輩を始めとした黄金世代が怪我と奮闘する様を間近で見守った一人なのだ。

 小学生に上がりクレヨンから鉛筆に持ち替えたばかりの子供が自由帳に書きなぐったような夢いっぱいのローテーションを前に、接点の薄さや筋違いを自覚しながらも一言こぼさずにはいられなかったのだろう。

 

「はい。たぶんいけます」

 

 ちなみに私の返答はこんな感じだ。

 なんか申し訳ない。

 

 ただ、漠然と『できる』気がしているのも事実だった。

 

「今年もきっと無敗で駆け抜けますよ」

「……へえ、言うじゃない」

 

 ぎらりとキングヘイロー先輩の目に光が宿る。

 後輩に向けた面倒見のいい眼差しとは異なる剣呑な輝き。

 

《まー『心配されるような無茶なローテでもあんたらには負けんよ』って言ってるようなもんだし、これで腹が立たなきゃ中央のウマ娘じゃないわな》

 

 だろうね。

 でもここで謙遜するのは美徳じゃない。そうでしょ?

 そして私たちの在り方でもない。

 

 ま、こんなこと先輩に面と向かって言っておいてなんだが。

 これまでにない過酷な挑戦。実際に蓋を開けてみるまで実態はわからない。

 もしかしたらフェブラリーSが終わった時点で『あ、やっぱりこれダメだわ』ってことになるかもしれないのだ。

 

 そのときはあっさり諦めることになるだろう。

 この上なくカッコ悪いが、私たちの身体をプライドと引き換えにすることはできないもの。優先順位はどこまでも明確だった。

 

「わー、わたしもたくさん走っていーっぱい一着とっちゃうぞー!」

 

 そしてウララだけがほわほわと笑っていた。

 中央のウマ娘とは。

 

《うん、ただしウララちゃんは別だ》

 

 なんかテンちゃんってウララに対し妙に判定甘いこと多くない?

 



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U U U

 

 

 カラオケはわりと好きだ。

 

 マイクを握って性格が豹変するのも、歌う曲によって別人のような雰囲気になるのも、この場においてはままあること。

 テンちゃんと私の関係性は別に隠していることじゃないけど。

 無遠慮にツッコまれたら煩わしいな、と思う程度の相手とでも気軽に遊びに行ける。テンちゃんと私が気兼ねなく表に出ることができる場所だから。

 

遥か遠くに浮かぶ星を 想い眠りにつく君の

選ぶ未来が望む道が 何処へ続いていても

共に生きるから

 

 特にトゥインクル・シリーズを走るウマ娘は私を含め、例外なく歌って踊れる美少女なので。

 カラオケボックスは友達と遊びに行く際の有力な候補になりがちだったりする。

 仕事でウイニングライブして、プライベートでまで歌って本当に楽しいのかと、かつての私が今の私を見れば疑問に思うかもしれないけど。

 意外と楽しいぞ。

 テンちゃんの論評を引用すれば『美少女が歌って踊ってキャッキャしているのを見て不愉快になる人間ってそういない』からな。

 まあたしかに、昔の私なら人間への苦手意識の方が勝って楽しみきれなかったかもしれないけど。

 今の私は素直に楽しめる。本番のライブじゃとてもできないアドリブやネタも、プライベートな個室だとバンバンできるしね。

 

 メンバーにデジタルがいるとすごく快適。

 気配りが行き届いているし、合いの手も上手いし。ジャンルが偏っているとはいえレパートリーも豊富。

 ジュニア級の出会ったばかりの頃はまだぎこちなさもあったが、シニア級にもなった今では〈パンスペルミア〉の面々相手なら水を得た魚のようにイキイキと場を盛り上げてくれる。

 ミーク先輩はあののんびりした普段の調子に反し、実は早口言葉が得意だ。『人間卒業試験』と揶揄されるような、本来人間が歌うことを想定していない超高速のボカロ曲を彼女とデュエットするとすごく楽しい。

 ちなみにこれが桐生院トレーナー担当の内輪の集まりではなく〈パンスペルミア〉のメンバーだったりすると。ここでバクちゃん先輩がスピード勝負という観点から張り合っては舌を噛んで悶絶し、その隣でマヤノが早口言葉のコツを『わかっちゃった』して歌いきった後にどや顔するんだ。

 はっきりとその光景が目に浮かぶようだ。うむうむ、だいぶ私も対人経験値が蓄積されたものだな。悪くない。

 

誰かが描いたイメージじゃなくて 誰かが選んだステージじゃなくて

僕たちが作っていくストーリー 決して一人にはさせないから

 

いつかその胸に秘めた 刃が鎖を断ち切るまで

ずっと共に闘うよ

 

 ま、現在の私はテンちゃんとふたりで一人カラオケを満喫中なんですけどね。

 交互に歌うのもデュエットするのも、ここにいるのは自分だけなので自由自在。こういうのも偶にはいい。

 

 いやまあ、待ち合わせ場所をカラオケボックスにして人を待っているだけなのだけども。

 学生という立場に有名人という属性が追加されるとね。人目を気にせず誰かと待ち合わせできて、なおかつ騒がしくしても周囲に迷惑を掛けないところってなかなか無いのだ。

 何度か歌っているうちに採点システムが把握できたのでいったん百点を取って、そこから曲を変えながら一点ずつ減らしていく遊びをしていると九十五点を取ったところで待ち人が来た。

 

「お、おまたせしました……!」

 

 防音はしっかりされているのだろうが、それでも扉が開くと廊下越しに別の部屋で歌っている誰かの声が漠然と流れ込んでくる。

 そんな歌声と共に私たちの部屋に入ってきたのは、いつか図書館で知り合ったテンちゃんの知り合い。中央トレーナーを目指し勉強していた彼女だった。

 

「ん、へーきへーき。たいして待っていないから。まあ座りなよ」

「あ、は、はいっ。で、では失礼します……!」

 

 まるで職員室に連行された小学生のように恐縮しながらこわごわとソファーに身を沈める、私たちより最低でも一回りは年上の女性。年上の貫禄はあまり感じない。

 この場には私たちと彼女の二人しかいないというのに、妙に空間に空きがあるのは心の距離の表れだろうか。

 

「おじいちゃ、いえっ、祖父からお預かりした新作の勝負服。たしかにここまでお持ちいたしました……!」

 

 ソファーに座った彼女はまるで爆発物を押し付けるように勢いよく、同時に繊細な芸術品を扱うようなうやうやしい手つきという矛盾した仕草で手に持った荷物を私に差し出した。

 彼女と今日ここで待ち合わせした理由は端的に言ってしまえば、彼女が私の勝負服を作ってくれた職人さんのお孫さんだったからだ。

 

 世間は狭い。いや、単純に偶然とも言い難いか。

 レースという広いようで狭い業界。幼少期から関係者の中で過ごせば自然と自らも同じ道を選ぶ可能性も高まるというもの。

 それにしたってジュニア級から続く私のGⅠレースを陰から支えてくれた勝負服の職人さんと、図書館で偶然出会ったトレーナー志望の女性が血縁者というのには驚いたが。

 運が捻じれている、というやつか。

 この因果は私たちと彼女、いったいどちらが引き寄せたものなんだろうね。

 

「ねねねね念のためおおおお受け取りのサインを。い、いえ、いえいえいえ! 決して疑ってるとかそういうわけではなくてですねっ、ただでさえイレギュラーなことをやっている分手続きはしっかり守らないと――」

「まーまー、落ち着いて」

 

 彼女の言う通り、本来なら勝負服は年度代表ウマ娘の表彰後に贈呈されるものだ。

 ただ、私はやりたいことがあったので一部順番を変えてもらった。

 持つべきものは桐生院トレーナー(コネ)実績(カネ)

 メイクデビューからここまで十二連勝。重賞だけ数えても十勝、うちGⅠは八つ。様々な記録を更新したこの実績は中等部の少女の我儘を押し通せるだけの重量を有するようになった。

 

「ドリンクバーはちゃんと二人分注文しておいたから。お茶飲む?」

「うひえっ、いえそんな恐れ多いあっあっあっありがとうございます……」

 

 しかし妙にテンパっているというか。

 テンちゃんに押し付けられるようにして受け取ったグラスを両手で抱えるように持ち、ちびちびと中身をストローで啜る彼女は普段にも増して変人だ。

 声を潜めるような口調なのに力が入り過ぎて語尾は叫ぶような感じになっているし、語彙のチョイスも微妙にバグっている感がある。

 

「よし、難しい話の続きは後回し。とりあえず一曲いっとこ?」

「あっはい」

 

 初対面のときからひどいクマが印象的な人ではあったけど。

 もしかしてあのとき以上に眠れていない?

 

《たぶんね》

 

 睡眠不足。

 身近にして単純明快な体調不良の要因。

 身近だから軽視されることも多いが、重度なものになれば冗談抜きで命に係わる。

 

 以前と違い化粧をしているのは社会人としてのマナーかと思っていたが。

 私の生物としての本能が、目の前の存在が非常に弱っていると告げている。

 

誰もが目を奪われていく 君は完璧で究極のアイドル

金輪際現れない 一番星の生まれ変わり

 

 中央のライセンス試験はもう合格発表まで終わっていたはずだ。

 いくら私が傍若無人とはいえ、ラストスパート中だったり発表待ちでドキドキだったりする受験生をパシリに使うほど感受性は死滅しちゃいない。

 きっと一般的なそれとは異なるとはいえ、いちおうこれでもトレセン学園に入る前に受験生という立場は経験しているのだから。

 

その笑顔で 愛してるで 誰も彼も虜にしていく

その瞳が その言葉が 嘘でもそれは

完全なアイ

 

 それにしても、上手いな。いろいろと。

 テンちゃんに押し付けられたマイクを断り切れなかったような流れだったのに。

 おずおずとチョイスしたのは、さっきまで私が歌っていた曲と同じアーティストの新曲。

 どこまで計算してのことかはさだかでないが、仮にこれが担当ウマ娘とカラオケにいった状況と仮定すれば、それだけでウマ娘から担当トレーナーへ向けられる親近感はいや増すことだろう。

 

 歌そのものも悪くない。

 別にライセンス試験に歌唱の項目があるわけではないが、先にも述べた通りトレーナーとウマ娘が共に歌うのは中央においてままあることだ。

 それはプライベートに限らない。ウイニングライブの練習はトレーナーの領分ではないとはいえ、ウマ娘が自身のトレーナーにアドバイスを求める光景も偶に見られる。

 うちの桐生院トレーナーのように教えられるレベルで歌って踊れるトレーナーも、いないわけではないのだし。

 

 さすがは中央のトレーナーを志望するだけある。

 いや、もしかすると既に『志望』の二文字は取れているのかもしれないけど。彼女の合否など興味が無かったから結果を知らないのだ。

 受かっていようが落ちていようが、どうせテンちゃんが上手くやることだろう。

 どうにもテンちゃんは彼女に特別目をかけている節があるから。

 

《なんだ、やきもち?》

 

 少しだけ。ほんのちょっぴりね。

 

 腹筋が貧弱なのだろう。あと肺活量も乏しい。発声にやや難があったが、逆に言えば気になった粗はそれくらい。意外と滑舌がいいし、声質も綺麗に響く。

 巧みな音程で最後まで歌い上げたことを示すように採点システムは九十二点をたたき出し、テンちゃんは笑顔で拍手をした。

 そして口を開いて、一言。

 

「うん、死にそうな顔しているね! なにかあった?」

 

 我ながら一曲歌わせておいて言うセリフではない。

 私も似たようなことを思ったけどさ。

 

「あ、え、う? えーっと……」

 

 そんな扱いをされて怒りのひとつも見せないのだから人が好いというか、なんというか。

 苦労しそうだな、と思う。

 中央に来るようなウマ娘は一癖も二癖もあるやつばかりだ。付け込まれると言えば聞こえは悪いが、この性分のまま中央のトレーナーを務めれば必要のない苦労までいろいろと背負い込む機会に恵まれることだろう。

 まあ現在進行形で苦労をかけているウマ娘は私たちなのだけれども。

 

「試験に合格して、今年からもう中央のトレーナーとして働くんだろ? 新生活の準備で疲れちゃったか」

 

 へえ、合格していたんだ。

 中央のトレーナーは慢性的な人手不足なので、昨年合格して今年から勤務というのは別におかしなことではない。

 考えてみれば私は受験を経験していても、就活はやったことがない。ゆえに思い及んでいなかったが、新生活を始めようとしている社会人を顎で使うのはなかなか酷なことをしていたのかもしれない。

 

《URAに所属しトゥインクル・シリーズを走るウマ娘である時点で既にプロフェッショナルだよ。そもそも中央でメイクデビューにこぎつけるって、そこらの就職活動よりよっぽど難易度が高いからな?》

 

 そう言われてみればそうだったかも。

 

「でもそれだけじゃないよね?」

 

 ぎこちない愛想笑いで肯定しようとしていた彼女に、ついと一歩踏み込む。

 急に間合いを詰められて追い付かない意識の間隙に、一言。

 

「間に合わなかった、か」

 

 あまりにも軽い口調だった。

 ドリンクの入ったグラスを押し付け、マイクを押し付け、そのついでにホットスナックを相手の手元に渡してやるような日常的な何気なさだった。

 

 実際、ありふれた話である。

 私の周囲を見ていると感覚がバグるが、本来レースというのは一人の勝者のためにそれ以外が敗北する世界だ。

 中央において引退までに一勝を経験できるのは全体の三割程度。

 何かと敗北道中がマスコミに喧伝されるウララだって今ではGⅠに挑戦可能な上澄み中の上澄みなのである。たぶん具体的な数字を出すと上位七パーセントくらい。いやもっと少ないか。計算の仕方次第じゃ三パーセント割るかも。

 そもそも中央に合格したウマ娘のうち、トレーナーと契約してメイクデビューまでこぎつけることができるのは六割五分くらいだったはず。残りは勝ち負けの舞台に上がることすら許されないまま学園を去る。

 名義貸しなんかが黙認されてこの数値だ。ちゃんとトレーナーの指導を受け、勝ち目がある状態でレースに出走できるウマ娘はいったいどの程度になることやら。

 

 シニア級まで走り続けられた時点で『生き残り』。

 中央はそういう魔境で、つまるところ目の前の新米トレーナーと将来の約束をしていたウマ娘さんは生き残れなかったのだ。

 それだけのことだった。

 

「う……あ……ああ……!」

 

 かろうじて保っていた社交性の仮面。

 それがテンちゃんの一言でしたたかに傷つけられ、あっけなく決壊した。

 

「ま、まにあわな、かった……!」

 

 思考がどこまでまともに機能しているのか、テンちゃんの言葉をオウム返しのように繰り返しながらぼろぼろと涙をこぼす。

 

「どうして……どうしてぇ……?」

 

 いや知らんし。

 私は、目の前の彼女が将来を誓い合ったウマ娘の名前すら知らない。学園を去った生徒である以上、ルドルフ会長なら憶えているかもしれないけれど。

 私はルドルフ会長とは違うのだ。自分が直接関与したわけでもない終わりまでいちいち憶えていられないし、その気も無い。直接この脚で命運を踏み砕いた相手だってうんざりするほど存在しているのだから。

 

《まあ、シニア級になるまでそれなりに大暴れした自覚はやんわりあるし? あれを見たことが心折れる原因の一つになった可能性は無いことも無いかなー》

 

 ウマ娘が学園を去る理由は多岐にわたる。

 しかしトレーナー候補をこの道に引き込んでおいて、自分だけがお先に失礼してしまう理由となるとどんなものがあるだろうか。

 まず考えられるのは怪我か。グラスワンダー先輩が“不死鳥”と呼ばれるのは複数回の怪我から復帰し、その上で新たな戦果をたたき出したことに由来する。

 つまりそれだけの偉業なのだ。

 これはレースに限らない話だが、怪我が治っても選手として復帰できないことは多い。

 アスリートの身体は緻密に組み上げられた精密機械に等しい。そして機械と違い生物の身体は絶えず変動し、些細なことでバランスが狂う。

 些細なことでも狂うバランスが、怪我という一大事で大きく狂ってしまうとなかなか元の感覚を取り戻せなくなる。たとえ日常生活に支障が出ないレベルで回復できても、選手としての生命は取り戻せない。

 それが怪我というものなのだ。

 

 病気もあり得る。

 繫靭帯炎や屈腱炎など、発症した時点で致命的という病気は一つじゃない。

 治療に長期間必要だったり、再発率が高かったり、中にはそもそも原因や治療法がいまだにはっきりしていないものも存在する。

 致命的といってもあくまでレースを走れなくなるだけであり、通常の病気のように生物学的生命を脅かすものではないが……命懸けで走っているウマ娘たちの顔を知っているだけに『不幸中の幸い』なんて言葉は軽々しく使いたくないかな。

 

 故障ではなく一身上の都合で別の進路を選ぶことになった、という可能性もあるか。

 不義理といえば不義理だが、不幸は少なくなるのでこれなら個人的にはまだマシだ。

 トレーナーを逆スカウトするようなウマ娘が自ら心が折れるとは考えにくいが、感情というのは賞味期限も消費期限も存在しているものだ。時と共に変質せざるを得ない。

 それに親の声を無視できなくなったという線もある。

 私の場合は両親が全面的に協力してくれているし、投資された分に見合う結果をちゃんと出せた自負もあるが、特に後者に該当するウマ娘などほんの一握りだろう。

 たいていの夢は踏み砕かれる運命にある。中央のフルゲートなら最大で十七個。

 トレセン学園では一般教養もちゃんと時間割の中に入っているが、一番力を入れているのがレースであることは誰の目にも明らかだ。

 

 努力は無駄にならない。

 綺麗な言葉であるし、嘘ではないとも思う。

 ただその努力の成果を踏みにじってきた身から言わせてもらえば。標語として掲げる分には十分だが、当事者に投げかける言葉としてはいささか無責任だろう。

 レースの勝者は一人だけ。その一人が出走した誰よりも努力してきたなどと、いったいどこの誰が保証できるというのか。

 努力せずにレースに臨むウマ娘などここには存在しない。勝利を求め、そして叶わなかったその他大勢に『その努力は無駄じゃない』と誰が言えるというのか。

 たしかに無駄にはならないだろうさ。将来的に何かしらには繋がるのだろうさ。

 でも勝てなかった。

 それだけが事実だ。滴り落ちる汗の中に涙を隠すウマ娘にとってはそれがすべてだ。その瞬間において、それが報われない無駄な努力でなくて他の何だというのか。

 

 そんな彼女たちの無駄な努力を見ていられない者たちがいる。

 中央のウマ娘と言っても肩書を剥ぎ取ってしまえばただの小娘だ。肉親から愛情と心配を滲ませた声でもっと他の道があるはずだと説かれたとしたら。心が揺らがずにいられるのは本当に覚悟の決まったほんの一握りだけだろう。

 そしてそんな一握りは、たいていの場合そこまで追いつめられるまでに大成する。現実は非情である。

 

「どうして笑うの……?」

 

 いろいろ考えていたが、どうやら少しばかり見当違いな方向に考えを巡らせていたようだ。

 ぼたぼたと涙と共にこぼす言葉からそれを察した。

 

「ごめんなさい、ありがとうって……どうして謝るの? どうしてお礼を言うの? 間に合わなかったのに。なんで、あの子と同じっ、笑顔で……!」

 

 なんとなく、気持ちがわかる気がした。

 レースで負けたことのない私が、レースに負けることさえできなかった彼女のいったい何がわかるのかと言われたらそれまでだが。

 

「きっと、おぼえていてほしかったんだと思う」

 

 これはテンちゃんではなく私の言葉。

 トレーナーを持つウマ娘としての言葉だ。

 最近はTPOに合わせ意識して敬語を外せるようになってきた。偉いぞ私。着々とコミュニケーション能力が上がっている。すごいぞ私。

 

「……え?」

「思い出すときに、泣いた顔じゃなくて笑った顔を思い出してほしかったんじゃないかな」

 

 もしも私が桐生院トレーナーと袂を分かつ日が来るとすれば、そのように行動する気がする。

 痛みも苦しみも、無念も未練も、すべて自分のものだ。

 ウマ娘である自分だけのものだ。トレーナーには渡してやらない。

 たとえそれが、相手側にとっては喜ばしい行いではないとわかっていても。

 

「そんな、ちがうっ。違う違う違う……!」

 

 目の前の彼女はいやいやと子供が駄々をこねるように首を横に振る。

 私の言葉を否定しているというよりは、自らに向けられたウマ娘たちの想いを否定しているように見えた。

 

「だって私は間に合わなかった……もしも、私がぐだぐだと下らない寄り道せずまっすぐトレーナーを目指していたら、きっと、なにかが……変えられたんじゃないかなぁ?」

「そうだね」

 

 しれっと肯定。

 これはテンちゃんだ。

 

「きみはとても優秀なトレーナーの素質の持ち主のようだから。きみが彼女たちに寄り添うことができていたら、もしかすると運命を変えることができていたかもしれない」

 

 えげつない。

 相手の傷口を認識した上で嬉々として指をねじ込み掻き回す。

 これは私にはできない所業だ。

 気づかないでやったことは何度かある気がしなくもない。

 

「でもどれだけ後悔したところで過去は変えられない。終わったんだ。彼女たちのレースは始まる前に終わっちゃったんだよ」

「は……え……」

 

 無防備に弱さをさらけ出したところを無遠慮に叩き折られて、完全に脳内が漂白された様子で彼女は呆然とこちらを見やる。

 依然として頤から滴り落ちる滂沱の涙が、頭が働かずとも心は悲哀で満たされていることを表していた。

 

「仕方ないなぁ。おいで?」

 

 いったい何がどう仕方がないというのか。

 柔らかな笑みを浮かべ優しく両手を広げるテンちゃんの胸に、彼女は吸い寄せられるように顔を押し付け慟哭する。

 

「うああぁあああああ……!!」

「よしよし。つらかったねえ。過去は変えられないけど、未来はここからの選択次第だ。彼女たちのために何ができるのか。今どうすればいいのか、教えてあげようかぁ?」

 

 とんとん、と子供をあやすように背中を叩くテンちゃん。

 ときに、ここのカラオケボックスには各部屋にそれなりに大きな鏡が設置されている。噂によるとそれは内部に監視カメラが仕込まれたマジックミラーなのだとか。

 言ってしまえば防音設備がしっかり施された密室だ。中で客が変なことをしないよう監視する目的もあるだろうが、防音設備の密室であるがゆえに急病などで倒れた等の際に外部からそれを把握する安全対策としても必要なものだろう。だから、その存在そのものに嫌悪感は無いのだけれど。

 鏡にテンちゃんの顔が映っている。

 自分の顔を指してこんなことを言うのもなんだが。

 悪魔というのはこんなふうに笑うのだろうな、というのが率直な感想だった。

 

《おいおい、誤解しないでおくれよ? 別に陥れようってわけじゃない。むしろ本当に本気で真摯にアドバイスするつもりさ。ここで潰れてもらっちゃ困るからね。

 ただ、今日ここでこうやって年下の女の子の胸を借りて大泣きしたんだ。彼女はぼくらに一生頭が上がらないだろうなぁ》

 

 いつからこの展開を、どこまで予想していたことやら。

 そしてこの展開に持ち込んだことで私はいったい何を得られるのだろう。

 

 待ち合わせ場所にカラオケボックスを指定したのはテンちゃんだ。

 着替え用のジャージを用意しておくよう、私に指示を出したのも同様に。

 聞いた時は受け取った勝負服の試運転でもするつもりなのかと思っていたが、こういう理由だったのか。

 たしかに涙と涎と鼻水でぐちゃぐちゃになった服で帰る気にはなれない。

 

《コネとカネっていうのはその重みで身動きが取れなくなったりすることもあるけどサ。やっぱり無いよりはあるに越したことは無いからね》

 

 私はピッカピカの一般家庭出身だ。

 お金持ちの名門に比べると家が貧乏とかいうレベルではなく、血統書付きの一般市民。

 家系図を遡ってもレース関係者の名前はそうそう出てこないし、レースに勝利したウマ娘ともなれば皆無。もっと本腰入れて探せばどこかしらは繋がっているかもしれないけど、少なくとも直系ではない。

 名門だとか一族だとか、そういう血統がモノを言うこの業界においては例外中の例外。当然、血縁関係でコネは有していない。

 個人的にはそういうのは桐生院トレーナーが補ってくれる分で十分に感じていたのだけど、それは私が対人関係に興味が無かったからかもしれない。

 テンちゃんは事あるごとにこうして自身の影響力が通じるコネクションを増やそうとしている節がある。

 彼女は私の知り合いというよりテンちゃんの友達って感じが強いから、別にどう付き合おうとテンちゃんの勝手なんだけど。

 こんなんでいいの? 友達じゃなかった?

 

《友情とは利害を求めないもの。ただ、友情の原材料は打算と有為ってだけの話さ》

 

 あっそう。

 また性格が歪みそうな人生哲学が一つ増えたのであった。

 

「強くなれ」

 

 囁く。

 雑音に塗れたこの空間の中で、その声はどこまでも静かに響いた。

 澱みを許さぬ透明に満ちていた。

 

「この世界では弱者の言葉に価値は無い。強くなれ。高みまで上り詰めろ。そうなれば自然と周囲はきみの言葉を求めるようになるだろう。何故その高みに至ることができたのかと、動機を知りたがるだろう。

 そのときに語るんだ。きみが今のきみになるために失ったウマ娘たちの話を。そうやってようやく、彼女たちの物語は世界に刻まれる。彼女たちの人生の価値はきみが決めるんだ。その値札はきみがつけるんだ」

 

 もしかするとそれは、私にさえ明かしたことのないテンちゃんの哲学の一端だったのかもしれない。

 口の上手い私の半身ではあるが、脊髄で適当に喋っているときとは異なる言葉の重みを感じる。

 

「あなたと走れてよかったと、笑ってくれた彼女の笑顔を嘘にしたくないと思ったんだろう? 忘れるな。その想いは絶やしちゃいけない炎だ」

 

 右も左もわからず、それでも諦めるということだけはありえないと。

 かつて己を奮い立たせた信念の炎を、いまここでこっそりとおすそ分けしている。

 何となく、そんな気がした。

 

《だってぼくら、この一年でレース業界を焼け野原にする予定じゃないか。まあ勝負の世界だ。焼き尽くしちゃう分には問題ない。強者の総取り、そういうルールで成り立っている世界だから。

 でもそのままやりたい放題やって電撃引退っていうのも引け目を感じるくらいには、この世界のことが好きになってきただろう? 種を蒔くくらいのことは意識してやってもいいんじゃないかな》

 

 そういえば、いつかも言ってたね。植林。

 この一年、きっと引退するウマ娘は例年以上になる。

 彼女たちを引き留める術を私は持たないし、そのつもりもない。誰かを理由にして留まっていい業界じゃないと思う。

 ウマ娘の性分的に自分のためだけに走る者は少数派だろうが、最後の最後で挫けそうな自分の心を守るのは己のエゴだ。それが無きゃ耐えられない。

 だから、本当に取り返しがつかないくらいまで壊れてしまう前に逃げられるなら逃げてしまえばいい。

 私がつい袖を引いてしまうのはスカーレットくらいだ。

 

 でもきっと、私に憧れてこの業界に足を踏み入れる子だって増えるはずなんだ。

 そういう子たちが芽吹くための土壌を作っておく。

 そして中央で慢性的に不足している最も代表的な資源はトレーナーで、だからこうやって少しでも質の良いものを増やしておく。

 これはそういう地道な緑化活動なのかもしれない。

 己を真に捕食者と定義するのであれば、獲物を捕り尽してしまわないよう心を配るのも知恵のある獣として当然の行いなのだろう。

 

 

 

 

 

 結局、泣き疲れて眠ってしまうまでテンちゃんは彼女を抱きしめてあげていた。

 寝落ちするまで泣き続けるとか、赤ん坊かよ。

 ……いや、それだけ疲労を溜め込んでいたと考えれば情状酌量の余地はあるか。

 チッ、命拾いしたな。

 

 裏側にいるときでも漠然と肉体の感覚は共有している。涙と涎と鼻水でベチョベチョになってしまった上着が腹立たしい。

 一月という季節柄、重ね着していることもあり肌に湿り気をダイレクトに感じるわけではないけども。不快なものは不快だ。

 

《まーまー落ち着いて。まだ少し時間は残っているし、歌ってスッキリしちゃおう》

 

 眠っている真横で歌って起きないかな?

 

《大丈夫じゃない? これだけ大音量でCMが流れる中寝入ったわけだし。それに吐き出すものはあらかた吐き出し終えたわけだし、起きちゃうならそれはそれで構わないさ》

 

 それもそっか。

 というわけで遠慮なくマイクを握る。

 もちろん持ってきた着替えに着替えてからだし、眠ってしまった彼女は手荷物を適当に枕代わりにソファーに転がしておいた。

 時間終了の電話が来ればすぐにでも全部の荷物を抱えて出られる態勢を整えておく。

 

 先ほど二曲続けて同じアーティストの曲を歌ったせいか、選曲時におススメが出てきたので適当に入力する。

 決まった何かを歌いたいというより、テンちゃんと何かを歌いたい気分だった。

 

この世界で何が出来るのか 僕には何が出来るのか

ただその真っ黒な目から 涙溢れ落ちないように

 

願う未来に何度でもずっと 喰らいつく

この間違いだらけの世界の中 君には笑ってほしいから

 

もう誰も傷付けない 強く強くなりたいんだよ

僕が僕でいられるように

 

 案の定、よほど疲れていたのか私たちが歌い出しても彼女はもぞもぞと蠢くだけで目を覚ます気配はない。

 大人になるとここまで自分を追い込まないといけなくなるのか。

 他者と比べ悦に入るなんて趣味の悪い話ではあるが。

 経済破綻でも起こらない限り、少なくともこと労働面に関しては余裕がある己の人生をちょっぴり幸福に感じた。

 既に私の貯蓄は一般人の生涯年収を超えているし、この一年でさらに増える見込みだ。これはレースの賞金に限った話ではなく、現在進行形で毎月ぱかプチなどのグッズ売り上げがせっせと私の口座を潤してくれている。

 つまり生活水準を一般レベルに合わせるのならこれ以上無理に働く必要は無い。

 私にとって仕事とは働かないと食っていけないからなどという切実な動機から強制される行いではなく、その仕事内容そのものに己の時間と労力を費やすことに価値を見出した行為になるはずだ。

 生きるために死ぬような目に遭っているやつらに、少しくらい優しくしてやろうかという気にもなる。

 

清く正しく生きること

誰も悲しませずに生きること

はみ出さず真っ直ぐに生きること

それが間違わないで生きること?

 

ありのまま生きることが正義か

騙し騙し生きるのは正義か

僕の在るべき姿とはなんだ

本当の僕は何者なんだ

 

教えてくれよ

 

 振り子のように振れ動く情緒。

 この感情の振れ幅にも慣れていかないとな。

 掛かりやすくなったのは私の成長の結果だ。何かの失敗や欠陥ではない。

 つまり治るものではないし、治さなければならないものでもない。

 受け入れた上で再び支配下に治める必要がある。

 

「おーい、時間だよー。起きろー」

「はっ……!? うわあ、ガチ寝してた!?」

 

 結局時間が来るまで数曲歌い通して、平均で三点ほど目標の点数からズレた。

 今日がレースじゃなくてよかった。

 0.1秒あれば一バ身の差がつくのが私たちの生きる世界の速度。

 シニア級のGⅠともなれば悪手を身体能力のごり押しで補うのにも限界があるし、仮に補えたところで無茶をした分の付けは身体に蓄積されていくだろう。

 空想の産物のようなローテでこの一年を駆け抜けようとしているのだ。余分な疲労はわりと冗談抜きで死活問題である。

 

「本日は本当にご迷惑をおかけいたしましたっ! ……まさか完全に寝入ってしまうとは」

「なぁに、ぼくたちは友達じゃあないか。この程度で迷惑なんて思わないよ」

 

「おうふっ。身に余る光栄で逆につらい。吐きそう」

 

「きみの涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになったぼくの服をちゃんと洗って返してくれたらすべて水に流すさ」

「あっ、ちゃんと洗濯はさせるんですね」

 

「本当はまるで気にしていないんだけどネ。何もさせなかったらそれはそれできみは気に病みそうだから。一つ区切りをつけて手打ちってわけ」

「重ね重ねお気遣いありがとうございますぅ……」

 

 準備は着々と整いつつある。

 宣戦布告の時は刻一刻と迫っていた。

 

 



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宣戦布告は鮮烈に

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U U U

 

 

 完成したその日、職人さんは語った。

 

「勝負服はそのウマ娘にとって一世一代のもの。だから儂らが作る勝負服は常に最高傑作でなければならないのです」

 

 勝負服。

 それはウマ娘のGⅠレースに欠かせない晴れ着。

 今でこそアオハル杯でも着用が許されているが、それ以前はGⅡレースでさえ体操服で行われるほど徹底されていたのだ。

 それはGⅠの象徴だった。

 

 毎年、幾人のウマ娘がGⅠに出走するチャンスを掴むことができるのか。計算すれば理論値自体は簡単に導き出すことができる。

 タイトルの数もゲートの数も公表されているのだから。まあ実際には毎回フルゲートでレースが行われるわけではないし、私たちのように同一人物が何回も出走することも多いので、理論値より実際にGⅠを経験できるウマ娘はぐっと減るのだけれども。

 その最大理論値でさえ、学園の生徒数と比較すれば『こんなに少ないのか……』と初心者は戦慄することになる。

 たとえばルドルフ会長は『勝利より、たった三度の敗北を語りたくなるウマ娘』と言われるほどその戦績は勝利で満たされていたが、それでもGⅠは七勝しかできていない。

 

《いや、間違ってもGⅠ勝利は七勝()()って数え方じゃないから》

 

 上澄み中の上澄み、もはや頂点と言って差し支えない皇帝様でさえそれなのだ。

 以前にも述べたが、おそらくGⅠに出走が叶うだけで全体のおよそ三パーセントほどだ。

 さらに勝利ともなれば一パーセントを割る。

 

 勝負服の職人というのは言ってしまえば裏方だ。

 ウマ娘の勝負服のデザインが話題に上ることはあっても、その勝負服をいったいどこの誰が作成したかなど一般人は誰も気にしないだろう。

 掲示板から外れスポットライトの当たらないウマ娘たちよりも、さらに日陰の住人。

 

 それでも彼らが手を抜くことなどありえない。

 倦まず、弛まず、腐ることなく。

 常に己の全身全霊を賭して針を動かす。

 

《仕事には二種類あるという。給料を得るため給料分の職務をこなす者と、この仕事は己にしかできないと自らの誇りに懸けて職務を全うする者だ。遣り甲斐搾取が問題視される昨今では何かと後者は批判されがちだし、内容に見合った給与が得られないのは改善されるべき問題だと思うけど……。

 給料だけじゃあこなせない仕事というのがこの世に存在しているのは、間違いなく事実。医療従事者とか警察関係者とか、命に係わる現場は特にね。トレーナーもそうかな? だから『給料分の仕事をしろよ!』なんて仕事なんだからやって当然と思うのではなく、ぼくらは彼らに感謝を忘れないようにしようね》

 

 それらを大前提とした上で、続けて職人さんはこう言った。

 

「モノ作りは一期一会。今日流れるように作れたものが明日ぱったりと作れなくなることもざらです。今の自分にしか作れないものがある。その上で常に最高傑作を。そう自分に言い聞かせ今日まで拙い手を動かしてきました。しかし――」

 

 穏やかな口調で、優しい目をしていた。

 

「今の貴女方でなければこの服は生まれなかったでしょう。儂が生まれてきたのはこのときに、この技を身に着けた状態で、この服を作るためだったのかもしれませぬ。

 ……儂が新たな勝負服を手掛けることはもう無いでしょう。これ以上のものが作れないとわかっているのに、その子の人生を彩る晴れ着を作るのはあまりにも不実だ」

 

 その日、とある勝負服職人の魂が燃え尽きた。

 メンテナンスは一手に引き受けてくれるし、技の伝承もしないといけないので今日明日引退するってわけではなさそうだが。

 それが燃える炎の生み出す熱ではなく、真っ白になった灰のぬくもりなのだということはその方面に関して素人の私でも何となく理解できた。

 

 これも私たちの犠牲者と言えるのだろうか。

 よし。捧げられた命、無駄にはしないよ。

 

 

 

 

 

 一着目が黒のコートというどちらかと言えば男性的なイメージのある装いだったのに対し、二着目は女性的なイメージが強い華やかなドレス風の勝負服だった。

 大抵こういうのは一着目と二着目で色合いを始め大きく印象を変えるのが定番なのだが、私たちの場合は一着目と同様に黒が基調となっている。

 まあ『新たな勝負服』に込められた意図が他とは根本的に異なるのだから当然といえば当然か。

 多くの場合二着目はそのウマ娘の多大な功績を表したものであり、その報酬であり、そして一着目だけでは補いきれない部分を意匠したものである。つまり往々にして根底にあるコンセプトが一着目とは異なるのだ。

 それに対し、私たちの場合は一着目では制しきれなくなった能力に対応するためのアップデートという色合いが強い。

 つまりこれは一着目の正当進化。故に一着目から受け継がれた意匠は多い。

 

 まるで変身ヒロインのようにフリルがふんだんに施されたロングスカート。

 いや、色合い的にはヒロインよりもラスボスだが。露骨なまでに左右非対称(アシンメトリー)なデザインだって見る者に歪で異質な印象を与えることだろう。

 黒を基調に金で彩られ、アクセントに紫が随所に用いられている。

 一歩間違えば容易く俗悪に落ちてしまいそうな配色を、絶妙なラインで妖艶に落とし込むセンスはまさに職人の技だ。

 

 それが戦うものであることを示すように、各所に存在する硬質なアーマー部位。

 特に右手を覆う白いガントレットは鉤爪のような物騒なデザインも相まって、一回り右腕が巨大化して見えるほど屈強な印象を受ける。

 そのくせ肩はオフショルダーで剥き出しだし、動きやすさだけでは説明し難い大胆な露出が多い気がする。

 ちゃんと私の身体に見合っているのだろうか。職人さんの腕は信用しているしオーダーメイドなのだから心配無用に決まっているのだが、それでもわずかばかりの羞恥心は消しきれない。

 

 頭上には豪奢なクラウン。嵌められた宝石は某宝石商さんからの提供だとか。

 『私たちの何よりも大切な宝石を守っていただいた、ほんの些細なお礼です』とのことだったが、ちょっと心当たりが無い。

 でもテンちゃんは思い当たる節があったみたいなので、別に妄想世界に生きるストーカーを心配する必要も無さそうだった……お値段も気にしないことにする。

 

 真紅のヒールは蹄鉄が仕込まれてることもあり、硬い床の上を歩くとカツリカツリと音がする。

 これで練習中に履き潰した数多のスポーツモデルより速度が出て、一着目の武骨極まるグリーヴより力強く踏み込めるというのだから、ウマ娘とは神秘的な種族だ。

 自分で言うのも何だが実に不思議に満ちた生態だと思う。

 

 そして忘れてはならないのが【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】と【白域(ホーリー・クレイドル)】。

 この双剣も続投だ。デザインは大きく変わったが。

 まず一着目の双剣はロングソードだったが、ショートソードほどのサイズになった。

 そして代わりに弾倉と銃口が付いた。

 もう一度言おう。弾倉と、銃口だ。

 いわゆる銃剣。小銃にスパイクや短剣を取り付けた由緒正しいバヨネットではなく、拳銃を巨大化したような柄に刀身を取り付けたフィクション御用達のアレである。

 ちなみに【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】についた方の弾倉はオートマチック風、【白域(ホーリー・クレイドル)】についた方の弾倉はリボルバー風だったりする。

 私の長剣二刀流は異形の大型二丁拳銃スタイルにクラスチェンジしたわけだ。

 

《ゴテゴテと付け加えるのもロマンだが、シンプルなのもカッコいいよな。ここは旧装備と区別するためにそれぞれ【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)(ツヴァイ)】と【白域(ホーリー・クレイドル)(セカンド)】と呼ぶことにしよう》

 

 心が痛い。これが私の選んだ修羅の道ということか。

 

 拳銃というのは携帯性と取り回しの代償に射程が短く、だいたい有効射程距離は25~50m程度とされている。

 しかもそれはあくまでカタログスペックであり、実戦では的が動くことを考えたら10m前後が現実的だろうか。

 銃と言えば飛び道具、遠距離武器というイメージが先行するが。実は拳銃は護身用、携帯用の武器として発展してきたショートレンジ~クロスレンジ用の武器なのである。

 

 そして拳銃で狩れる獲物など人間くらいだ。

 大型の獣相手なら威力不足が懸念されるし、威力的に十分な小動物や鳥類だと今度は射程と精密性がネックとなる。

 そもそもハンティングに行くのなら大人しく猟銃と呼ばれるたぐいの銃をチョイスするだろう。

 対人を前提に脈々と歴史を積み重ね進化を遂げてきたという意味では剣の正統後継者であり、その剣すら駆逐して現代において最も身近にある闘争の象徴。

 より洗練された同族殺しの形。

 まあ成長した今の私たちにふさわしい形状なのだと思っておくとしよう。

 

「……ありがとうございます。リシュ、テンちゃん」

 

 ふと、着替えを手伝ってくれていた桐生院トレーナーがそう言った。

 私の髪型を整え終わり、頭からそっと手を離した直後のことだった。

 

 ちなみに桐生院トレーナーがテンちゃんのことを呼び捨てではなく『テンちゃん』と呼ぶのは別に含むところがあるわけではなく、ただ単純にテンちゃんが自己紹介のとき『ぼくのことはテンちゃんと呼ぶといいさ!』と言ったのを愚直に守り続けてるからだったりする。

 こういうところ、デジタルに通じるところがあると思う。やっぱり何だかんだ担当トレーナーとウマ娘って似た者同士なのかな。

 

「どうしました急に?」

「いえ、なんと言いますか。私はこれまでウマ娘と並び立つトレーナーとしてふさわしい自分であろうと心がけてきました。桐生院であることも。受け継いだトレーナー白書の教えが目の前のウマ娘に一致しないのなら、そこから逸脱することも恐れない自分でありたいと、今の今まで思ってきました……そのつもりだったんです」

 

 目の前に差し出された手は震えていた。

 

「でも、こうして私の担当が今日URA賞を受賞、それも年度代表ウマ娘に選ばれ……。身体が震えるほどに感動している自分がいるんです。

 気づいてしまったんです。私は今、桐生院の名を受け継いだ者として喜びを覚えている。あなた方が栄誉を手にしたことと同じくらい、自らの手腕が成果を出したことに価値を見出している」

 

 それのいったい何が悪いというのか。

 桐生院トレーナーはその名の通り、トレーナーの名門たる桐生院の血を引く娘だ。その血を受け継ぐ者として、一般家庭出身の小娘には想像もつかない苦労も葛藤もあったことだろう。

 その功績に誇りを抱くのは何も間違ってはいないはず。

 

「きっと彼なら純粋に、ウマ娘の功績を讃えたはずなのに。私は桐生院から一歩も踏み出せていなかった。リシュがずっと私のことを『桐生院トレーナー』と呼ぶわけです」

 

 ああ、別にそれが悪いことだと思っているわけではないのか。

 ただ桐生院トレーナーが理想としている『彼』と、今の自分との乖離に心が混乱しているだけで。

 その混乱が実体のない罪悪感を引き起こしている。

 

《あるいはここまでかたくなに『桐生院トレーナー』で呼び続けてきたリシュとの距離感に悩んでいたのがここで合わせて爆発したのかもね。マヤノとか葵ちゃん呼びだったし》

 

 えぇ……? そんなことある?

 だってトレーナー呼びはミーク先輩もデジタルも同じじゃん。

 

 ああ、いや……ありうるか。

 ミーク先輩と桐生院トレーナーの間には確かな絆が存在しているのが、人間関係に疎い私でも見て取れた。

 それに比べたら私やデジタルは一歩も二歩も桐生院トレーナーとの心の距離は遠かったと思う。

 そしてそれを是としていた。

 集団である以上序列は必要で、そのトップがミーク先輩であるという構図に私もデジタルも異論はまったく無かったんだ。

 桐生院トレーナーの愛はミーク先輩だった。

 

 でも桐生院トレーナーは違ったのかもしれない。

 担当を等しく愛として尊重するべしという理想が、ずっと彼女の心を苛んできたのかもしれない。

 

 うーん、対人関係の問題はだいぶ私の方に非があるからなぁ。

 ここは私の側から踏み込むのが筋か。

 これから最低一年間は共に歩むパートナーとして、ここで倒れられても困るし。すごく困るし。

 

()()()()()()

 

 かしゃり、と軽い音と共に右手のガントレットの先端が開く。

 まるで蕾が開花するような洒落た構造だが、単純にそのままだとガントレットがごつ過ぎて銃剣のトリガーガードに指が入らないがためのギミックだったりする。

 指を斬り落とされないための防具なのに指が露出する機能を組み込むなんて、本当に色々ともうアレだ。

 

 ともあれ、今の状況に限って言えば正解だったかもしれない。

 防具越しの硬い感触でこの人の繊手を汚さずに済んだ。

 彼女の震える手を、私の両手でそっと包み込む。

 

「私を見てください」

「あっ……」

 

 揺れる瞳。

 学生と見紛う童顔。

 いや、この人は実際に若いのだ。

 

 若いトレーナーだと経験不足が心配だとか、周囲から舐められるとかよく聞くが、私はまったく気にしていなかった。

 だって一番身近にいる若手トレーナーがこの人だし。二番目に近しいと言えるのがゴルシTだし。

 経験不足で心配? その短い経験で積み上げられた実績の数々を見てからもう一度言ってくれます? ってなもんだ。

 

 でもそうか。

 トレセン学園の生徒である私たちから見ればトレーナーというのは大人で。大人という一括りで壁の向こうの存在だけど。

 私が小学校を卒業したとき、新品のランドセルを背負っていた頃に期待していたような達成感も成長も特に感じなかったように。

 大人というものもひとつの区切りを乗り越えただけの、今の私たちの延長線上にある存在なのかもしれない。

 成長したのだと自分に言い聞かせているだけで、ゲームのようなわかりやすいレベルアップやスキル獲得など起こらないし。

 正しくあろうとしているだけで、迷わないわけでも間違えないわけでもないのだ。

 

「この手を取らずとも、いずれ私たちはここまで到達していたと思います」

「……っ!」

 

 それは本当。

 掛け値なしの本音。

 私たちがレースの道を選んだ以上、どんなルートを辿ってもどこかの年で年度代表ウマ娘に選出されるだけの功績は打ち立てたと思う。

 だって私たちだもの。

 

「でも、今ここにいるのは間違いなくあなたの手を取ったからです」

 

 でもきっと、今と同じかたちではなかった。

 それはもしかするとテンちゃんと分かたれる未来に繋がっていたかもしれない。

 私の安全が確保できた時点でテンちゃんは積極的に動く気を失くしていたようだし、私がこうやって己のルーツを知り行動を起こそうとしたときには既に手遅れの状況になっている可能性も十分にありえた。

 

 私がこの人に精いっぱいの敬意を示し好意を抱く理由はそれだけで十分だ。

 

「トレーナーの名門桐生院を受け継ぎ血肉に変えた(あなた)がいたから、テンプレオリシュ(私たち)は今この瞬間ここにいる。それがレースの歴史の転換期になることは、いまさら説明する必要も無いことですよね」

 

 クラシック級までの二年間で上振れの極みとも言うべき戦果を出した上で、私たち(テンプレオリシュ)のはじまりを把握したからこそ、残されたシニア級の一年間をこれだけ無茶苦茶なローテで走り抜けることに決めたのだ。

 何か一つでも違えば決心することは無かっただろう。

 負けるつもりは毛頭ないが、それでも成し遂げる自信はあんまりない。レースに関わる者としてこの歳まで培った常識が邪魔をする頭のおかしい目標。

 春秋シニア三冠のグランドスラム、なおかつ二年連続で全距離&ダートのGⅠ達成。

 達成した暁には空前絶後の大記録となることだろう。むしろ二人目が出てきたらダメなレベル。世界はそこまで寛容じゃないと信じたい。これから自分で成し遂げようとしている私が言うのも何だが。

 

桐生院(あなたがた)の歴史が私たちに繋がり、そして私たちが今日から新しい歴史を築く。だから誇ってください。桐生院葵がいたからここからの歴史は始まるのです」

 

 私は父と母の愛娘だ。

 自分で言うのも何だがめっちゃ愛されている娘だ。

 たとえ私に人じゃない何かが混ざっていたとしてもその事実は揺らがない。

 私は自分の生まれを誇る。

 

 だからこの人にも胸を張ってほしい。

 いや、違うな。ちゃんと葵トレーナーの胸の中にも誇りはあるのだ。それだけの努力を重ね、実績を積み上げてきたのだ。ただ接触不良を起こしただけで。

 思い出してほしい。気づいてほしい。その感情は何一つ負い目に感じる必要のないものなのだと。甘受して当然のものなのだと。

 

 大きすぎる光は目を眩ませる。

 ゴルシTは直視するだけで目を悪くする太陽のようなものだ。

 でも葵トレーナーだって北極星くらいはあるのだ。私はそれに導かれてここまで来たのだ。

 それは歴史の教科書に載ってもおかしくない功績だろう。レース史ならわりとガチでありうる未来だと思う。

 

「……ありがとうございます。リシュ…………ごめんなさい。醜態を晒しました」

 

 気づけば震えは止まっていた。

 

「これくらい大歓迎さ。トレーナーとウマ娘の関係が絶対的な指導者とそれに従属する生徒でなければならない決まりはない。そうだろ?」

 

 これはテンちゃんの発言。私も同意見だ。

 たしかにウマ娘とトレーナーの間に絶対的な上下関係が存在する例はある。樫本代理とチーム〈ファースト〉の関係性などまさにそれだろう。大人数のチームほど両者の間に明確な上下関係が存在する傾向にあるようにも思う。

 まあ人数が多ければ多いほど、個々人の意見をいちいち取り入れていれば組織としての運営が成り立たなくなるから当たり前か。

 

《船頭多くして船山に上るってやつだな。ま、船で登頂に成功したのならそれは十分にチームワークの成果な気がするけど》

 

 指導者の仕事は個人に寄り添うことではない。明確な方針を打ち出して下からの意見を取捨選択することだ。

 意見を切り捨てられてなおその指導者についていこうと思わせるには一方的に上から押し付けるだけでは難しかろうが、だからといって一丸となった組織の構成員の心が通じ合っている証明にはならない。

 下の者が納得していればそこに信頼関係はいらないのだ。

 

 では、指導者とトレーナーとは絶対にイコールの立場なのだろうか。

 私は違うと思う。

 トレーナーは指示を出し、ウマ娘は従う。この関係性は共通だ。

 だが専属トレーナーに目を向けてみると、それはもう多種多様な関係性を築いている。

 恭しく奉仕するようにウマ娘の面倒を見るトレーナーがいれば、まるで赤ちゃんの世話をするように嬉々としてトレーナーの世話を焼くウマ娘がいる。いやまあ、流石にこれは極端な例だけども。

 だが具体例ではあるのだ。どこの誰だと名指しできるくらいに、こっそりと知れ渡っているのだ。

 

 トレーナーとは運命共同体だ。

 ウマ娘の運命に寄り添い、共に担ってくれる相手。

 少なくとも私にとってはそうだった。

 極論、トレーナーの知識や技量というのはウマ娘に寄り添うために『あれば便利なプラスアルファ』であって。

 共に運命を背負ってくれるのならトレーナーライセンスすら必要ない……と言ってしまうのは日夜必死こいて机に齧りついているトレーナー志望者および、過労死の危機と戦う日々を送る現役トレーナーの皆さんに対して不実だろうか。ふと先日の、目の下に黒々とクマをつくった某勝負服職人さんのお孫さんの顏が脳裏を過る。

 

《まー数ある世界線(さくひん)の中にトレーナーじゃないヒトミミが、ウマ娘の運命を共に背負い状況を好転させる物語なんて掃いて捨てるほどあるからなぁ。テンプレオリシュ(ぼくら)がそういう感覚を持つっていうのは別に間違ったことじゃないと思うよ。正しいとも言わないけどさ》

 

 仮に押しつけがましく干渉してくるトレーナーが私の担当であれば、私はきっと反発していたことだろう。

 当時は誰でもいいと思っていたが、たぶん当時の私は自分で思っていた以上にその対人能力に難があった。

 

《あれ? 今はそうじゃないと言わんばかり?》

 

 今はだいぶ上達したでしょ。

 胸を張って言える。努力の成果が出ていると。

 

《あー、うん、そうだね。否定はしない。ぼくは褒めて伸ばすタイプだから……というか叱られて伸びるタイプなんていねえよ叱って伸びたように見えるのはお前それ育成対象のことちゃんと見れてねえだけだよって信念の持ち主だからねぇ》

 

 ともあれ。

 入学当初の私が人間相手に十分な手加減ができたとは考えにくい。そうなった際もテンちゃんは仲介してくれていただろうが、仮に私とそれ以外が天秤に掛けられた場合は躊躇なく私を優先してくれるのがテンちゃんだ。

 貴重な中央のトレーナーが私のせいで潰れるのは私としても心苦しい。

 

――あの! 私と一緒にトゥインクル・シリーズを走りませんか?

 

 だから桐生院葵でよかった。

 あのとき私たちに手を差し伸べてくれたのがこの人で、本当によかった。

 はっきりと思い出せる。

 緊張で強張った表情筋。

 覚悟が灯った瞳。

 堂々と力強くこちらに向かって伸ばされた手。

 記憶力には自信のある私ではあるが、どうでもいいことは端から憶えない。

 つまりこれだけハッキリ脳内再生できるということは、当時から消してはいけない大事なものカテゴリーだったのだろう。

 

 エリート揃いの中央トレーナーの中でも高水準にまとまった育成手腕。

 トレーナーの名門、桐生院家が持つコネクション。

 ミーク先輩との『最初の三年間』で築いた彼女個人の影響力とノウハウ。

 才能溢れるチームメイトたちと切磋琢磨する経験。

 葵トレーナーは私がどう努力しても自分たちだけでは持ちえないものを十分すぎるほどに補ってくれた。

 

「じゃあ、ちょっとばかし世界に喧嘩売ってきますね」

「はい、いってらっしゃい。ちゃんと見守っていますから」

 

 あの日の選択が間違いではなかったと今日も証明しに行こう。

 

 

 

 

 

「さあ、次はいよいよ年度代表ウマ娘の発表です!」

 

 閉ざされた視界の中、これ見よがしにカツリカツリと足音を立てながら壇上にあがる。音の反響で目を瞑っていたって周囲は十分に把握可能だ。

 気の早いカメラマンが焚いたストロボの光を瞼越しに感じた。どうにも写真というのは好きになれないな。無遠慮で一方的だ。

 

「選出されましたのはもちろんこの人! “皇帝”シンボリルドルフ以来の無敗クラシック三冠を達成し、そのまま年末の有記念まで数々の強敵を相手に全勝、最強を証明したウマ娘!!

 本来は受賞が発表されてから勝負服を始めとした副賞の授与となるのですが、満票で選出に至った通り彼女以外はありえない一年間でした。故に今回はその功績を記念して、特別に勝負服を着用しての登場となります」

 

 別にフラッシュが眩しくて目を閉じたわけではない。

 不愉快な眩さなのは事実だが、私の網膜はこのくらいではびくともしない。

 

《ふつう鋭敏な感覚器官は大きな刺激に弱いものなんだけどな。()()()のエアグルーヴ号はそれで被害を被ったわけだし。でもぼくらの身体は鋭敏さと強靭さを併せ持った不思議構造なのさ。いや本当にどんな理屈になっているんだろう?》

 

 ゆっくりと一歩ずつ、存在を空気越しに刻みつけるように。

 カツリ、カツリと足音が鳴り響くたび会場の静けさは増していく。

 やはりテンちゃんは場の空気を支配するのが抜群に上手い。

 しんと静まり返った数秒のち、司会者が己の役割を思い出したように言葉を発した。

 

「――っ。テンプレオリシュさん、受賞おめでとうございます」

「はい。ありがとうございます」

 

 開くのは左目だけ。

 青い瞳を印象付けるように。

 

「それでは年度代表ウマ娘に選ばれたテンプレオリシュさんからコメントをいただこうと思います!」

 

 かくのごとし、演出力という点で私はテンちゃんの足元にも及ばない。

 それでも最初の第一声は私が担当すると決めていた。

 担当が決まらず右往左往する羽目になった、デビュー前の模擬戦のときのように。

 どれだけ上手くいかなくても、これは私が自分の意思で始める物語だから。

 

「まずはこのような栄誉に与ったこと、感謝申し上げます」

 

 喧嘩を売るにしても、やり方というものがある。

 別に法や秩序に片っ端から噛みつきたいわけではない。礼儀知らずの犬が吠えていると蔑視を受けるのは少しばかり気に食わないし、周囲の人間にも申し訳ない。

 最低限の挨拶はやっておくべきだろう。

 まあ、無礼も失礼も非礼もやるときにはやるんだが。気にはかけるが気を遣ってやるほどのものではない。少なくとも私の中ではね。

 

「私たちを導いてくださったトレーナー。切磋琢磨してくれたライバルたち。この道を志したとき全面的に応援してくれた家族。そしてウマ娘が走るための環境を支えてくださっている全ての人々に感謝を。この場を借りて改めてお伝えさせていただきます」

 

 よし、いい子のふりはこんなもんでいいか。

 

《敦盛パート終わり! うつけ入りまーす!!》

 

 時は戦国。当時まだ『尾張の大うつけ』と呼ばれていた織田信長は美濃の戦国武将である斎藤道三と和睦を結ぶ際、その悪名を払拭するかのような見事な正装で現れ、その出で立ちが付け焼刃でないことを証明するかのように目の前で敦盛を舞ってみせたという。

 その姿に『大うつけと呼ばれた立ち居振る舞いは周囲の目を欺く仮の姿であったのか』と感服した道三は以後、信長の強力な後ろ盾となったのだとか。

 信長を取り扱ったドラマならけっこうな確率で取り扱われるエピソード。尾張の大うつけから、戦国の三英傑へとキャラクターが移行するわかりやすい最初の転機だ。

 日本史の教科書や資料集には載っていなかったので真偽のほどはさだかでないが、数ある逸話の中ではそれなりに著名なものだろう。

 信長は品行方正に振る舞う自分を魅せることで大うつけの衣を脱ぎ去った。対し、私は今から品行方正を脱ぎ捨てて大うつけと呼ばれても否定できない態度を取ろうとしている。そのことを揶揄したテンちゃんの発言だった。

 テンちゃんは相変わらず頭がいいので、偶にこういう教養を前提とした言い回しをする。そういうところが軽妙で洒脱で大好き。

 まあたしかに。かの信長公も第六天魔王を自称したとも伝わっているし、“銀の魔王”と呼ばれている私と共通項が無いわけでもないかな。

 これから目指すところが天下統一というのもだいたい同じだし。

 

《じゃあ百年後あたりにはリシュもフリー素材化してる可能性が微レ存?》

 

 それはいやだなー。

 

「……ただ、私たちが他の誰よりも優れた存在であることは他のウマ娘の『当たり前』を知った時から知っていました。なので過程はどうあれ私たちがこの場に立つことは当然の結果と言えるでしょう」

 

 流れが変わったことに場がややざわつき始める。

 シンボリ家にメジロ家、その他この世に優駿を輩出してきた数々の名門を差し置いて、一般家庭出身の私がこんなことをほざいたのだ。

 血統が重視され、実際にその成果が如実に歴史に刻まれたこの業界で。ろくに家系図も辿れない野良ウマ娘が『私がイチバン!』などと言いだしたのだ。

 実績あっての発言とはいえ、まあ関係者なら愉快な気はしないだろう。そういうのは感情の問題であるし、その感情は往々にして礼節という衣を被せられて、害する側に非があるとされるものだ。

 そしてこの表彰式の招待客には名門に連なる者がごまんといる。むしろまったく無関係な者を探す方が難しい。

 

 しかしリップサービスとかで、誰かのためにその場の流れでそれっぽいことを口にしたことは何度かあったけど。

 自分のために、はっきり意識して大口を叩くのはもしかしたらこれが初めてかもしれない。心臓が嫌な感じにドキドキする。

 でもきっと、これがテンちゃんの戦っていた世界なのだ。

 ようやく本当の意味で隣に並び立てるのだと思うと、悪くないドキドキだ。

 

 それに、嘘や虚勢のつもりはないからね。

 単純な算数の問題だ。どうあがいても独りではふたりに勝てない。

 

「ウマ娘が異世界から受け継ぐという“名前”と“歴史”、俗にウマソウルと呼ばれるもの。他の皆のそれは喋らないのだと知ったとき、私は自分が周囲とはまったく異なる存在であるのだと自覚しました。

 ウマ娘の神秘の根源と意思疎通が図れないまま走る彼女たちに比べ、私たちはあまりにも有利に過ぎたのです」

 

 そろそろ一人称が複数形であることを聴衆も意識し始めただろうか。

 そっと取り出して、大勢の前に無造作に送り出した私たちの起源(オリジン)

 私たちにとっては大事なものでも、不特定多数にとってはそうではない。突然こんなものを放り込まれても困惑するだけだろう。

 でも『ふたりでひとつの私たち』に“願い”を集めるのならここから認識のすり合わせを始めないといけないから。

 多少一方的でも壇上であるのをいいことに私は語り続ける。

 

《よしよしおつかれ。こんなもんだろ。あとはまかせろー》

 

 うん慣れないことをして疲れた。

 ……本当につかれた。あとはまかせるー。

 

「まあつまり――」

 

 困惑にざわめく彼らの前で、おもむろに切り替わってみせる。

 ぱちりと左目を閉じ、右目を開ける。

 睥睨するは赤い瞳。表情の切り替わりと合わせて実にわかりやすい。

 

「テンプレオリシュはいわゆる二重人格みたいなもんってわけだよ」

 

 あえて敬語は使わない。

 これが人間ならTPOを弁えないのは無礼だが、いま喋っているのはウマソウルだ。人外に人類社会の規範を求める方が間違っている……という方向性で印象付ける狙いがある、らしい。

 たしかに顔面を上下に引き裂くような笑みを浮かべ両手を広げるテンちゃんは人外感マシマシではあるけど。

 私たちの人間味って主にテンちゃん由来の成分だと思うんだけどな。本当にこれでいいんだろうか。ちょっと詐欺っぽい気もする。

 だいたい、私たちがふたりでひとつということを認識した上で過去の記録映像を確認すればテンちゃんにそれなりに社交性があることも判明しそうなものだ。わざわざ演出する必要性はあるのだろうか。

 

《ある程度『道理が通じないやつ』と思わせておいた方がいざというときにこちらの要求を押し通しやすいし、記録を漁ってまでぼくらのことを予習してくれるような相手にはぼくらの方針を暗に伝えることができるからね。無駄な一手にはならないよ》

 

 そういうもんか。

 人間関係のカードゲームはテンちゃんの方が圧倒的に上手なのは今さら再確認するまでもないことだ。ここで伏せられたカードにどんな役割があるのか、拙い私が推察するだけ無駄なのかもしれない。

 ……でもきっと、こうやって考えるようになったことは将来のためには無駄にならないはずだから。

 地道にやっていこう。

 

 両目の切り替え、これは『勝負服の更新によってキャラデザが一新したので、せっかくなので二重人格属性をわかりやすく強調していこう』という作戦だった。

 私が話すときは青い左目だけを開き、テンちゃんが話すときは赤い右目だけを開ける。

 言ってしまえばクラシック級まではやっていなかった露骨なキャラ演出である。

 しかしこの一年の出走する予定のレースはすべて勝負服の舞台という、地味に狂ったスケジュール。キャラ付けの効果はバカにできない。

 

「最優秀? 年度代表? そんなの当たり前だろ。だってぼくらは特別なんだから。むしろたった二年の功績で『その程度』だと枠に当てはめ評価が下されるのはちょっと我慢ならないんだよね。

 だから特異なぼくらが唯一無二であることを絶対の実績をもって証明しよう。これよりウマ娘の歴史は三つに分かれることになる。すなわちぼくらが世に出る前、出た後、そしてぼくらが駆け抜けるこの世代だ」

 

 さあ言うぞ。言ってしまうぞ。言うのは私が直接ではないけれど。

 後戻りできない一線を越える。これまで何度も道を選びここまで来たけど、今回の選択はとびっきりで特別だ。

 緊張で吐きそうになるってこういう感じなのか。また現代文の問題としてしか知らなかった日本語が一つ感覚と同期した。

 きっとテンちゃんに肉体の支配権を渡した状態でなければもっとひどかったんだろうな。顔面蒼白くらいにはなっていたかも。

 

「この一年で春秋シニア三冠を無敗で制することをここに宣言する。ついでに短距離とマイルとダートのGⅠも獲っておけば、今後この国のあらゆる平地レースにおいて追うべき背中はぼくらになるだろう?」

 

 あの日スカーレットに病室で語った計画を今、これほど多くの人の前で堂々と宣言している。

 不思議な気分だ。考えたのは私で、実行に移しているのも私たち。なのに、いまひとつ実感が湧かない。足元がふわふわして、なんだか夢でも見ているよう。

 ここからでもはっきりと表情が引き攣っているのがわかるURA関係者の方々の方がずっと現実的に私たちの言葉を受け止めているように思える。

 

 ちなみにスカーレットも無敗のトリプルティアラを始めとした功績が評価され、順当に最優秀クラシック級クイーンウマ娘に選出されてはいるのだが。

 いまだに療養中であるためこの場にはいない。

 代理でゴルシTが出席してはいるけどさ。彼の表情に驚きはない。スカーレットから話を聞いていたのかもしれない。

 

「手始めに至近のダートGⅠであるフェブラリーステークスから征服させてもらおうか。ああ、そうそう。きっとぼくらにとってこの一年がこの国でまともに走る最後の年になるから。テンプレオリシュというウマ娘を直接味わいたい方々はお早めに準備をお願いしますねぇ。

 URAファイナルズとアオハル杯がある以上『この世代が特別弱かっただけ』なんて戯言を吐かせる気はないけどさぁ。どうせなら直接白黒つけたいだろ?」

 

 強いウマ娘から因子を回収するのは私たちのウマソウルを補うのに有効な手段だ。

 この場を借りて挑発することで、まだ見ぬ優駿たちを捕食する機会が少しでも増えるのなら嬉しい。

 ただ、それは敗北のリスクが上昇するということでもあるけど。

 トゥインクル・シリーズだけでも二年間。そこに結実するまで人生の大半を走ることに費やしておいて、いまさら味わう敗北のプレッシャーよ。

 こんなものを他の子たちはここに来るまで味わい続けてきたというのか。尊敬するよ、まったく。

 

 フェブラリーステークス。

 URA主催のGⅠに格付けされたレースの中では、実は毎年最初に行われるという位置づけだったりする。

 私たちの今後を占う試金石となりうるそれは、その冠する名前の通りほんの翌月に迫っていた。

 

 




次回、???視点


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サポートカードイベント:罅だらけの竜槍

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

今回はモブウマ娘のドラグーンスピア視点です。
誰? となった人は『サポートカードイベント:踊れ、プラネタリウムの上で』を読み返してみよう!


 

 

U U U

 

 

 ガキの頃、初めて見たレースがダートだった。

 

 どうして芝ではなくダートを志したのかと問われたら本当にそれだけの話だ。

 インタビューに答えるウマ娘がよく口に出す日本ダービーみたいな著名なレースじゃなくて、そもそも重賞だったかどうかすら定かじゃない。

 体操服だったからGⅠじゃねえことは確かだ。でもどこのレース場だったか、なんてタイトルのレースだったのか、そういうのはサッパリ。

 ちっこいガキが親に連れていかれた先で見たレースなんてそんなもんだろ。調べりゃわかるのかもしれねえが面倒くせえ。

 そもそもオレの親もオレと似たような性格だから、聞いたところでちゃんとした正確な答えが返ってくるか怪しいもんだ。

 

 それに、憧れを抱くのにそんな情報の有無なんて些細なものだ。

 少なくともオレにとってはそうだった。

 体操服に身を包みゼッケンで武装した砂上のウマ娘たちは、ガキだったオレの目にはそれはもうカッコいい大人のオンナに見えた。

 力強い踏み込みがレース場どころか地面そのものを揺るがしてるみたいで、舞い上がる土煙で青空が曇りになるんじゃないかとハラハラした。

 いつかオレもあそこに立ちたい。ああやって一着を勝ち取って雄叫びを上げるんだと幼心に誓った。

 オレが憧れたのはタイトルもレース場もあやふやな、オレの記憶の中だけにあるダートレース。

 それが悪いことだとはぜーんぜん思わねえ。

 

 ただまあ、レースの道に入ってから。

 この国じゃ芝が主流だってことに、腹が立つ経験が幾度となくあったことは事実だけどな。

 金なんだよなぁ、やっぱり。

 アキも頑張っているみたいだけど、賞金が急に跳ね上がったりしねえかな? ざっと芝の三倍くらいにさ。しねーか。

 

 ところで、オレは地図を読むのが苦手だ。

 あの薄っぺらい紙の上に描かれた模様と実際の風景がちっとも噛み合わない。

 何でもそつなくこなすアキとは違うんだ。アキなら事前に地図を読み込んで計画を立てて、初めていく場所でも迷うことなくたどり着けるんだろう。

 でもオレには無理だ。自分の目で見て憶えた道じゃないと自分がどこにいるのかわからない。現在地がわかるのは二回目以降に同じ場所を歩いているときだけだ。

 

 だから、オレが憧れたあの場所に立っていると自覚できるのはきっと。

 オレが本当にあの場所に立った、思い出のあの場所に並んだ、そのときになってようやくなんだろうさ。

 

 そういう意味じゃあクラシック級のときにジャパンダートダービーなんつーGⅠに出走が叶い勝負服まで手にしたオレではあるが、あの思い出の場所に並んだとは到底思えねえ。

 まだまだ道半ば。休んでる暇なんてありゃしねえ。

 もっともっとオレはやれるはずだ。もっと、強くなれるはずなんだ。

 ()()に負けないくらい、強く……!

 

――ざっけんな! 今回たまたま勝ったからって調子に乗んなよ! 誰が諦めるかよ。次だ、次こそオレが勝つ。たった一度の勝利で格上ヅラしてんじゃねえぞ!

 

 JDD(ジャパンダートダービー)で目を開いたままこれでもかと見せられた一夜の悪夢、あのとき啖呵を切ったことが間違いだったとは思ってねえ。

 例によって例のごとく、カッと頭に血が上ってやらかしたことだけども。

 あれしかオレには道が無かった。そうじゃなきゃ諦めるしかなかった。

 

 ()()には勝てないって。

 

 それはレースを走るウマ娘にあっちゃいけないことだ。それだけは絶対にナシだ。

 二着でいいなんてありえない。自分が一着になる。そう信じられるやつだけがゲートに入ることを許される。

 レースってのはそういう世界だ。おてて繋いで仲良く平等になんて、そんな平和ボケした価値観はおよびじゃねえんだよ。

 うん? 海外レース? アオハル杯? 知らん! 地方トレセン所属のオレたちには縁のない世界だ!!

 

――できらぁ! やってやらあ!! オレとアキで中央のエリートども四つに折りたたんで鼻かんでやっから首洗って待ってろやっ!

 

 その場の勢いで言ったこととはいえ、言った以上は発言に責任を持たなきゃなんねえ。これは誇り(プライド)の問題だ。

 『損な気質だねえ』とアキは苦笑いするけど、もういっそのことアホだとハッキリ言ってほしい。三つ子の魂百までってやつで、もう直らねえんだよこの性格は。何度痛い目みても昔からずっとこうなんだからさ。

 

 トレーナーに苦い顔をされながら、同じチームのウマ娘たちにアホを見る目で見られながら、芝でのトレーニングを開始して。

 自分でも驚いたのが案外オレは芝も走れるってことだった。

 そりゃあどっしり踏み込んでもしっかり受け止めてくれるダートの方が性に合ってはいるが、タンタンと速度が出せる芝も悪くない。

 もちろんガキの頃から一度も芝の上を走ったことが無かったわけじゃない。ただ、芝のGⅠを最終目標にして考えながら走れば見えてくるものは変わってくるもんだ。

 つーか、ここまでやれるならもっと早く本気(ガチ)で芝やっておけばよかったと後悔している。

 次走の選択肢がぐっと増えたのになあ。芝の優遇具合とか中央のエリートへの反発から食わず嫌いしていたのが悔やまれるわ、マジで。

 

 この国の芝は世界でも有数の高速バ場だってのはトレセン学園で習ったし、知識としては知っていたんだがな。

 トレセン学園に入学するようなウマ娘はどいつもこいつもスピード中毒みたいなもんだ。稍重の湿った砂よりさらに速度が出せる感覚はどうしてこう、なかなか癖になるものがある。

 

 ……まー世の中にはタイムが出にくいと言われているはずのダートの良バ場で、その年の皐月賞の勝ちタイム2:00.8より速い2:00.4なんてバケモン記録を叩きだし、ダート2000m日本レコードを大幅に塗り替えたスマートファルコンさんなんていうウマ娘もいるんだが。

 あれは例外中の例外だろう。砂の方が芝より好タイムが出る根拠にはならない。いや本当(マジ)で。

 ぶっちゃけ、個人的な感情としてはあの人のことはあんまり好きじゃない。

 ウマドル、だっけか? 趣味のアイドル活動の片手間にレースされているようで、レースが軽んじられているようで面白くなかったし。

 各地方のレース場で快進撃を続けたのに一部のファンからは地方巡業(ドサ周り)扱いされて真っ当に評価されていないのも気に食わない。

 今でこそ()()に抜かれたがURAの重賞連勝記録保持者だぞ? それを評価に値しないってのはさぁ、俺たち地方は中央に蹂躙されて当然だとでも?

 

 ただ、そしりを受けるべきは彼女じゃなくてオレたち地方ウマ娘の方なんだろうとも思っている。

 スマートファルコンさんがアイドル業の片手間にレースをしていたんじゃなくて。

 レースに専念せざるを得ないほどの強敵に、オレたちは成りえなかった。

 アイドル業に熱を上げられるのが気に食わないのなら、それができないほどオレたちが強くなればよかったのに。

 それができなかった時点でこっちが悪い。不平不満を抱いたところで負け犬の遠吠え以上のものにはなりえない。

 地方が雑魚扱いされるのだってそうだ。中央で成果を出せなかったウマ娘が地方に流れてきて大活躍。そういう流れがお決まりと化しているのは否定しがたい事実。

 逆に地方から中央に移籍して成果を出せたのはオグリキャップさんやイナリワンさんなど、個々人の名前を指折り数えられる程度にしか存在しない。

 

 強いやつが正義。結果がすべて。

 そういうもんだ。レースは……いや、勝負っていうのはそういう世界。

 でもま、オレがデビューしたのはあの人たちがドリームトロフィーリーグに移籍した後なわけだし?

 地方ウマ娘(オレたち)の方が悪いってのは認めるが、オレが悪いわけじゃねえからな! そこはハッキリさせておこうか!!

 

 少しばかり話が横にそれたが、ともかく。

 芝の上で走れば走るほど、オレの走りはキレを増していった。いきなり重賞を狙うのはやや厳しいが、オープン戦なら芝でも十分に勝ちを狙えるんじゃないかってくらいに。

 ……いや、わかっている。

 オープン戦で勝つか負けるか、なんてレベルの走りじゃ無敗の三冠ウマ娘には勝てない。

 しかもその三冠ウマ娘はあれよあれよという間に四冠も五冠も達成していきやがる。むしろクラシック三冠達成した時点でGⅠ七勝の全距離GⅠ勝利達成だった。

 何言っているかわかんねーと思うが言っているオレもまったくわけわかんねー。その中で数少ないわかること、彼我の距離が縮まっている気がしねえ。

 

「あれー、また見てる。すっかり魔王様のファンになっちゃったんだねぇ」

 

 何度も何度も、過去の記録から最新の映像まで穴が開くように確認する俺に向け、のんびりとした口調でアキのやつはからかい交じりに言った。

 アキには珍しいとんだ見当はずれの意見だった。見ずにはいられないだけだ。あの悪酔いしそうなほどにギンギラきらめいているギンピカの動向を確認せずにはいられない。

 次に見たときこそ『勝てる』と思える何かが見つかるんじゃないかと期待して、そのたびに裏切られているだけだ。

 

 最終目標は芝のGⅠで()()をボコること。だが、いきなりGⅠを狙うのはさすがに無謀だ。地に足が付いていない。カッコいいことを無責任に吐き出す自分に酔うダセーやつだ。

 だから中目標として、当面の目標は芝の重賞。理想を言えばGⅡ。

 

 ダート路線も疎かにしないとトレーナーと約束させられて、オレだってやっぱりダートの方が好きだからそれ自体は願ったり叶ったりってやつなんだが。

 着実と言えば聞こえはいいが、遅々とした進展に苛立ちがつのる。

 こんなんでいったい何時になれば()()に追いつけるというのか。

 だが苛立ち交じりに階段を数段飛ばしで駆け上がろうとすれば、そのままひっくり返って下まで真っ逆さまってオチは目に見えている。

 この歳まで付き合ってきた唯一無二の相棒だ。オレの脚がどのくらいのペースで走れるのか、オレが一番よく知ってる。

 ちまたで噂のアグネスデジタルとは違うんだ。アイツは生粋の天才(へんたい)。芝とダートを遜色なく走りこなす二刀流(オールラウンダー)。レースのことを少しでも知っている者なら彼女の才能は万人が認めざるを得ないだろう。

 それに対し、どうしたってオレの適性はダート寄り。脚の筋肉のつき方は芝の上でスピードを出すより、砂をしっかり捉え蹴り出すパワーの方に重点を置いている。きっとダート路線以上の成果を芝のレースで出すことはできやしない。

 理想(もくひょう)現実(いまのじぶん)が噛み合わない。でも認めたくないから目を逸らすしかない。

 あの生ける伝説に挑むための資格さえ、今の俺は持ち合わせていないんじゃないかってことに。

 

「そんなことないと思うけどなー。資格なんて同じレースに出走できるならそれで充分満たせているでしょ。時代の寵児に勝った当時の無名の話なんて枚挙にいとまがないよ」

 

 自分で言うのも何だが、オレは雑な性格をしている。

 情報収集もレースの一環だと頭ではわかっちゃいるが、なかなか自分以外のウマ娘の情報まで積極的に取り込もうという気になれない。

 だってオレは逃げウマ娘だし。位置取りとかは後ろでどうぞご勝手にってもんだ。自分のペースで好きに走って、あとは勝つか負けるかの二択。情報収集に時間を費やしたって効果が薄いだろ。

 そのくらいならもう一本多めに走った方がよくね? そう思っちまうんだよ。

 

「ほら、これとかすごくない? まだ海外ウマ娘の独壇場だったジャパンカップで、『今度こそは日本の勝利を』と願いを託された三冠ウマ娘が二人もいる中、期待されていたとは言い難い十番人気。それでも、ものの見事に逃げ切ってみせた」

「いや、その人ちゃんとその前に宝塚記念(グランプリ)勝ってるエリートじゃん……。よりによって同期と後輩に今でも歴史上六人しかいないクラシック三冠を成し遂げた三人目(ミスターシービー)四人目(シンボリルドルフ)がいたせいで過小評価されていただけだって」

 

 そんなオレが大なり小なり他のウマ娘の知識を持っているのはひとえにアキの功績だった。

 てめえだって時間に余裕があるわけじゃないはずなのに、こうやって事あるごとに資料を集めてオレに見せてくれる。

 

「おおー、ちゃんと前後の関係も頭に入ってるんだね。めずらしー」

「そりゃあなぁ」

 

 個人的にその人とは被るところが多い気がして、記憶に残っていた。

 同年代にクラシック三冠を成し遂げたバケモノがいたこととか。評価の高い差し先行ではなく、ここ一番の大勝負で逃げを選んでいるところとか。

 まああっちは中央でグランプリも制したエリート。こっちは雑草どころか砂の住人なんだが。

 同じ逃げウマ娘としては、ちゃっかりあんなバケモノどもに白星あげているその戦績にあやかりたいものだね。

 

「うん、わたしもそう思うよ。ドラグーンスピアというウマ娘は、今はまだ世間の評価が低いだけ。その実態は“銀の魔王”にだって見劣りしない」

「……へへ、NAU(地方ウマ娘全国協会)の看板ウマ娘と名高いアキナケスさんにそう言われちゃあ頑張らねえわけにはいかねえなっ」

 

「がんばって。応援している」

「おう、すっげー応援されてる」

 

 飛ぶことができないのなら歩いていくしかない。

 たとえどれだけ遠いのだとしても、不平不満ばかり並べて言い訳しているうちは絶対にたどり着かない。まずは一歩を積み重ねることだ。

 千里の道も一歩からとばかりに歩み始めたその道の先は――思っていたよりもずっとずっと早く目指すところを交わった。

 

『“銀の魔王”テンプレオリシュ、シニア級の初戦はフェブラリーステークスに決定』

 

 ……結局ダートに来るのかよテメー。つくづくふざけたヤローだ。

 

 

 

 

 

 フェブラリーステークスはURAが施行するダート重賞の中では最も古い歴史を持つレース……らしい。

 詳しいことは知らん。興味も無い。ただ開催場所が東京レース場といったことを始め、普段とは何もかも勝手が違うってことさえ理解しておけばいい。

 例の()()がURA賞の授賞式でやらかした『宣戦布告』から一か月ちょい。芝路線から急遽予定を変更して、オレとアキはその中央のダートGⅠ出走者リスト十六名の中に名前を連ねていた。

 まあ、これでも地方では名の知れたウマ娘やってるんで? 収得賞金千六百万で足切りされるほど温い戦績はしてないんで? ……わりと最後は運頼みだったけどさ。

 

 出走者リストの中には見知った名前もあれば、ぜんぜん記憶にない名前もある。

 他の出走するウマ娘のデータを頭に入れてレース中に活用するような器用さはオレには無い。怠けとか諦めとかじゃなくてマジで無理。

 全力疾走している最中に明瞭な思考ができるのも一種の才能だ。そもそも駆け引きできる器用さがあれば逃げなんてハイリスクな戦法取らないっつーの。

 幻惑逃げは変態の所業だと思ってるから。だってあいつら三分(180秒)もかからないレースの刻一刻と変動する状況を適宜把握して、刹那に思考を追従させて、それに身体を対応させるんだぜ? 悪口抜きで頭おかしいって。

 

 だからその分、レース場の情報は事前にしっかり頭に入れるようにしている。

 東京レース場のダートコースはスケールでいえば日本一。

 トップクラスではなく、トップ。地方所属の身としては自嘲も卑下も御免だが、それでもなお財力の差は如何ともしがたい。

 一周距離が1899m。直線の長さが501.6m。バックストレッチとホームストレッチに二つの坂があり、直線の上り坂の高低差は2.4m。

 ……ただでさえ地方レース場では大きな高低差にお目にかかる機会が少ないってのに、うんざりするくらいハードでタフなコースだな。

 スマートファルコンさんがあれだけ圧倒的な実力を誇りながら中央のGⅠを避け地方を巡り続けたのは『実は坂が苦手だったんじゃないか?』って説があるくらい、地方ダートにとって坂は無縁の存在。

 地方レース場で坂があるのって盛岡くらいか? 実際スマートファルコンさんって、盛岡開催のマーキュリーカップでは二着だったし。同じく盛岡開催のマイルチャンピオンシップ南部杯には出走していないし。

 まあスマートファルコンさんでなくとも逃げウマ娘には不利な構造と言えるだろう。直線の末脚比べになりやすい差し追い込み有利なコース。

 どうせ有利不利で作戦を変えられるような器用さは持ち合わせちゃいませんがね! どうあろうと勝つためには逃げ切るしかないのだ、オレは。

 

 それに不利な要素ばかりってわけでもない。

 フェブラリーSの舞台となる東京レース場ダート1600mはスタート地点が芝コース上にあるという、かなり変わった構造になっている。最初は芝コースをざっと150mほど走って、第二コーナー付近からダートコースへと入るのだ。

 ダートウマ娘が芝の上を走ったからといって足を滑らせるわけではないが、スタートダッシュが命の逃げウマ娘にとってスタートからの150mが不慣れな足場というのはまあまあ厳しい要素()()()

 坂への対処も、芝への適応も、ここ最近のトレーニングが何一つとして無駄になっていない。すべて今日のレースへと繋がっている。運命なんてものを信じそうになるくらいに。

 

 JDDからざっくり半年。オレは確実に強くなった。

 彼我の距離はどうなった?

 

「おやおや、今日はよろしくたのむねえ」

「いえーいアキュばあばだー。こちらこそ、どうぞよろしくー」

 

 地下バ道で中央のウマ娘が会話しているのを見つけた。

 

「リッキーちゃんもタルマエちゃんも間に合わなくて残念だったねえ。それともこうやってテンちゃんと鎬を削る機会を得たのは、長年がんばったあたしに女神さまがくれたごほうびだったりするのかしら」

「コパノリッキーともホッコータルマエともちょっぴり時代がズレているんだよね。ほんとこの時空はどういう基準で年代が重なっているのかわからんな……ああごめん、こっちの話」

 

 ひとりはワンダーアキュートさん。

 オレでも知ってる中央ダートの看板ウマ娘。

 なんと今年でトゥインクル・シリーズ十年目になる大御所だ。かつて負けるところなんて想像もできなかった全盛期スマートファルコンさんに写真判定のハナ差二着まで迫った猛者でもある。

 そしてもちろん、実力がとっくの昔に衰えているのに見苦しく現役にしがみついている老害とはわけが違う。むしろその正反対。

 ドリームトロフィーリーグに隔離されるほど突出した異質さは無く、しかして埋没するほど凡庸でもない。アキュートさんは現役最長GⅠ勝利記録の持ち主なのだ。

 

 通常、ウマ娘は『最初の三年間』が重要視される。つまりそれだけ旬が短く三年もあれば本格化は終わり、全盛期は過ぎ去ってしまう。

 しかしアキュートさんはそんな常識知ったことかとばかりに何年も何年も好成績を上げ続けてきた。その中にはウマ娘の最高の栄誉たるGⅠ勝利さえ含まれる。まー厳密にはJpn1なんだが、読み方は同じ『ジーワン』だから別にいいだろ。

 一部ではネタ交じりに『不老不死なのでは?』と言われるほどその外見は変わらない。たしかに昔っからおばあちゃんみたいな雰囲気のお方だったし、老け顔は年をとっても外見が変わらないから一定ラインから逆に若々しく見えるだなんて聞いたこともあるけど、流石に限度ってものがあるわ。

 オレもぶっちゃけアキュートさんは物の怪のたぐいじゃないかと疑っている。

 

 中央ダートの歴史を背負う生き証人。過去と現代を繋ぐ語り部。中央とか地方とかそんな区分に関係なく尊敬するべき相手だ。

 あれだけの長期間を走り続ければレースを走るということに慣れ過ぎてしまいそうなものだが、あの人は未だに自らを削るような凶暴性と飢えを熟練の態度の裏に秘めている。個人的にアキュートさんのイチオシポイントはそこだな。

 

 そして、アキュートさんと話していたもう片方のウマ娘は――例の()()

 JDDで叩きのめされてから、ずっとその動向は追っていた。アキにファンになったのかとからかわれるくらいに。

 サクラバクシンオーとタイキシャトル、最強と名高い二大巨頭から逃げ切ったスプリンターズS。

 雨天のなか悠々と二度の坂を越え、一度も先頭を譲らず世代最強を証明した菊花賞。

 そして、その力が世代に留まるものではないことをまざまざと世に知らしめた有記念。

 画面越しにだが全部確認した。その力量の推移はちゃんと把握しているつもりだった。

 『できているつもり』ってのがあくまで『つもり』でしかないのだと、オレはこれからの人生であと何回痛感すれば学習するんだろうな。

 

 モノが違う。

 

 半年前のJDDでも上手く呼吸ができなくなるような圧の持ち主だったが、今を知ってしまうとあれでもなお可愛げがあったのだと思える。

 勝負服が新調されたことは知っていた。二重人格なんて知ったことかと思っていた。

 喋るときに片目を閉じるなんて露骨なキャラ付け始めやがって、クラシック級のときまではやっていなかったじゃねーかと腹が立っていた。

 

 生で見ると印象がガラリと変わる。空間がねじ曲がって見えるプレッシャー。

 ぎらぎらと輝く赤い瞳、片目を瞑った影響でやや歪んだ笑み。

 意図的に造られたキャラだという大前提を踏まえた上でなお、その姿は道化ではなく怪物のそれだった。

 その覇気の奔流とでも呼ぶべきものにこの距離でさえオレは溺れかけているのに、当たり前のような顔をしてしれっと受け流しているアキュートさんやっぱヤベェやつだわ。

 

「お、ドラちゃんじゃーん。元気だったー?」

「…………だーれが未来の世界のネコ型ロボットだ」

 

 あっぷあっぷと何とかオレが溺死を免れている間に会話は終わっていたらしい。

 気づけばアキュートさんの姿は既になく、()()が音もなくオレの傍に忍び寄っていた。

 悲鳴を上げなかったのは上出来だな。まあ呼ばれ方が呼ばれ方だった影響も大きいが。

 それはやめろ。ガキの頃の思い出がよみがえるし、ガキってのは色々と思い出したくもないことを色々やらかしているもんだって相場が決まってんだ。そしてオレの場合も例外じゃねえ。

 

「まー元気だったから今日この十六人の枠に選ばれてここにいるんだよね。楽しいレースにしようぜぃ。一生の思い出になることはわかりきったことなんだからさ! 何度も思い出すのなら苦い記憶より甘い記憶であるのに越したことはないだろ?」

 

 そうやって一方的にまくしたてると、そのまま身をひるがえしてとっとと地下バ道から出て行ってしまった。

 意思疎通する気がどこまであるのか疑わしい、というか無いだろあの態度は。

 

 何も言い返せなかった。

 反射的に腹が立った。だけど、身体との接続が断絶されてしまったみたいだ。

 今も足が前に出ない。これからレースだっていうのに。

 おいおい、オレもうシニア級だぜ? ゲートへの忌避感なんてとっくの昔に克服済みだっつーの。

 そう皮肉気に自分に言い聞かせても膝の震えが止まらない。

 本能ががなり立てている。

 進むな、引き返せ、逃げろ、と。

 

「……チッ!」

 

 ああ、逃げるさ。

 スタートから前向きに、だけどな。今日の逃亡距離は1600mだ。

 ここまできて回れ右はあり得ない。東京レース場は左回りのコースだしな。

 駄々をこねる膝に一喝して、胸を張って砂上へと足を進めた。

 

 

 

 

 

『ファンファーレが高らかに鳴り響く! 春のGⅠ開幕戦、フェブラリーステークス!』

 

 観客動員数が普段とは桁違いだ。

 あきらかに倍じゃきかない。もしかしたら冗談抜きで、オレたちが普段地方レース場でやるときの五倍や十倍いるんじゃないか?

 少なくとも熱気はそれだけのものがある。

 

『人気と実力を兼ね備えた一枠一番ワンダーアキュート。今日は三番人気です』

『このレースでトゥインクル・シリーズでの活動が十年目に入りますワンダーアキュート。魔王の侵略にダートの生ける歴史はどう対抗するのか。衰え知らずの熟練の業に期待しましょう』

 

 『レースを見に来るファンの推し』ではなく『推しがいるからレースを見に来る』、そんなレース業界の外から人を呼び込むことができるウマ娘。

 地方から中央の一番星にまで駆け上がった灰色のシンデレラ、オグリキャップさんはそういう存在だった。

 そのオグリキャップ級が複数人このレースに出走しているからこそのこの惨状だろう。

 ハルウララ、ねえ。

 負けてもヘラヘラ笑いながら観客席に手を振るその神経はまったくもって好きになれないが、外部からダート界隈にガンガン人を呼びこむその人気ぶりにアキの活動がおおいに助けられているからなんも言えねえ。

 こうやってシニア級のGⅠまで来ているところ見るに雑魚ではないはずなんだがなあ……。

 近くで見る分にはげんなりするが、遠くで活動している分には非常に有益。そういう相手だ。

 

『二番人気を紹介しましょう。アグネスデジタル、八枠十五番で出走です』

『いまだGⅠ勝利こそ経験していませんが、砂上では銀の魔王以外に黒星が存在しない新進気鋭の優駿。昨年のクラシックを彩った看板ウマ娘の一角が今季はどのような活躍を見せるのでしょうか』

 

 これだけ集まると視線もざわめきも質量を有した波みたいだ。

 押し流されそうになる。

 ただ、シニア級しかいないはずの今日のレース。妙にゲートに手間取っているやつが多い印象を受けるのはそれだけが原因ではあるまい。

 正直、オレの枠番が一枠二番。アキュートさんの隣でよかったと思う。

 

『そして今日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。“銀の魔王”テンプレオリシュ、三枠六番での出走です』

『新しい勝負服がじつに映えていますねえ。シニア級での彼女がいったいどれだけの伝説を築き上げるのか、大言壮語は実現するのか。春の開幕戦はその試金石となるでしょう』

 

 偶数で八番以降を引いたウマ娘どもはよくもまあ自力でゲートに収まったもんだ。

 四枠八番はフェニキアディール、だったか? あんま聞いたことのない名前だが。中央にも根性のあるやつがいるじゃねーか。アイツがずいと物おじせずにゲート入りしたから他のウマ娘も負けん気が刺激されて何とか後に続けたんだ。

 はたしてオレは()()が既に入っているゲートに、自分の意思で踏み込めるかどうか。

 

 通常、枠番で奇数を引いたウマ娘はスタートに不利をひとつ背負うと言われている。

 ウマ娘はゲートに本能的な忌避感がある。ゲートインは奇数のウマ娘がゲートに入り終わった後、偶数のウマ娘が入り始め、最後に大外枠のウマ娘が入ってゲートイン完了となる。

 つまり奇数を引いたウマ娘は長時間ゲートの中で待ち続ける必要があり、それがけっこうなストレスになるんだ。集中力がスタートダッシュに重要とされる所以だな。

 アキが言うには奇数と偶数の枠番のウマ娘の勝敗の統計を取れば、その差は一パーセント未満でぶっちゃけ誤差の範疇らしいが。

 それでも一パーセント未満とはいえ確かに偶数の枠番の勝率が高いのだと、数字として有利不利が出ているのは無視できないとオレは思う。

 だが今回の場合は、八番以降の偶数のウマ娘の方が掛かる負荷は大きいだろう。

 断崖絶壁に命綱なしでバンジージャンプするようなものだ。バンジーは飛び降りたところで終わりだが、レースはゲートに入ってから始まりって点ではよりたちが悪い。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 何故だろう。いくつもの金属製のゲートと幾人ものウマ娘で隔てられているというのに。

 ゲートの中の()()がすっと両目を開いたのがわかった。

 スタートに備え声をひそめていた観客席がいっそう静まり返る。まるでクジラよりもでっかい怪物がのそりと身を起こしたみたいな緊張感。

 

 ヤバい――やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 

 脳内でゲシュタルト崩壊しそうなほど繰り返される危険信号。

 いいからとっとと逃げろと誰かが叫んでいる。

 ()()はもう勝つとか負けるとかの段階じゃない。生物としての格が違う。取り返しがつかないことになるまえに逃げてくれと懇願している。

 

 きっと、間違いではないのだろう。

 でもオレは聞こえないふりをしてスタートダッシュの姿勢に入った。

 その声の主がみっともないほどの怯懦に満たされた自分自身だと、気づくわけにはいかなかったから。

 

 ゲートが開く。

 その開ききらない金属の両端で肩を削るような勢いでオレは芝を蹴り飛び出した。

 

 




次回もドラグーンスピア視点


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サポートカードイベント:冷酷な銀の春風

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引き続きドラグーンスピア視点です


 

 

U U U

 

 

『今いっせいにスタートしました! 芝コースの上まっさきに飛び出したのは二番ドラグーンスピアと九番ユグドラバレー。はやくも後続から一バ身ほどのリードをつけ熾烈な先行争いが繰り広げられます』

『二番ドラグーンスピア、彼女の走りは思い切りが良くて見ていて気持ちがいいですね。九番ユグドラバレーと同じく先頭でこそ持ち味が発揮されるウマ娘です。お互いここは譲れない局面でしょう』

 

 ちくしょう。

 オレとアキと有名どころだけのレースじゃない。それは頭ではわかっていたつもりだったけど。

 つええ。こいつ強えよ。

 内枠にいた分距離のアドバンテージがあるはずのオレを外からあっさり追い抜かして前に立とうとしている。

 スタート付近が不慣れな芝ってだけじゃ目の前の現実に言い訳しきれない。がりがりと大事なスタミナをすり減らしてなお先頭を確保しきれない、相手方に分厚い実力を感じる。

 

『前の二人がしのぎを削る中、芝からダートに入ります。先頭の二人から離れて八番フェニキアディール三番手。さらに一番ワンダーアキュート。内に三番アキナケス。一バ身離れて六番テンプレオリシュ。今日はこの位置につけています』

『前の二人がレースを引っ張りハイペースで流れる展開もありえますからね。一番人気テンプレオリシュ、いざというときでも射程圏内に収まる冷静な位置取りですよ』

 

 さすがのオレも先頭争いをする逃げウマ娘たちのことはパドックで確認していた。

 こいつはユグドラバレー、五枠九番。パドックで発表された本日の人気順位は十六番目。十六人中の十六番。つまりは最下位。

 この実力で最低人気とか嘘だろ? 事前の人気とそのレースの順位がイコールなわけじゃない。それはレースの常識だが、人気の高いウマ娘はそれなりに理由がある。その逆もまた然り。

 期待されないのには期待されないだけの理由がある。こいつはこれまで中央で、期待されないだけの走りしか残せていなかったはずなのに。

 それでこれかよ。

 ついに背中を拝みながら唇をかみしめる。これ以上スタミナを消耗したら最後の直線で逃げ切れなくなる。

 

『向こう正面中間に入っていく。さあここでハナに立ったのは九番ユグドラバレー。続く二番ドラグーンスピア。二バ身離れて八番フェニキアディール。内に三番アキナケス。その外を回って五番ドミツィアーナ。すぐ後ろに一番ワンダーアキュート。六番テンプレオリシュ続いている。ここまでで先頭集団を形成』

『一番ワンダーアキュート、後ろから競りかけられても動じない安定の貫禄ですね。冷静に自分のペースを保ちながら走っています』

 

 後方で誰が何をやっているかなんて気にするな。

 自分だけを見ろ。最強の自分であれ。

 それがオレの走り方。

 だから負けたときは言い訳する。最強が負けるなんておかしいから。

 たまたま今日は調子が悪かった。ちょっと蹄鉄の打ち付けが上手くいっていなかった。スタートのときに汗が目に入った。このコースでこの天候でこの枠番とか勝てるわけない。

 

 そういうイレギュラーに対処するのも十分に実力のうちだって? そりゃそうだ。

 ただな、まっすぐ認めちゃダメなんだ。理由はなんだっていい。

 実力をいかんなく発揮できればちゃんとレースで一着が取れたのだと、信じられないのならそのレースに出走する資格はねえ。

 それがオレのポリシーだから。

 

『中団後方に十五番アグネスデジタル。そこから一バ身離れて十四番ハルウララ。内に十番ブラックグリモア。十三番スクイーズアウト最後方からのレースとなりました。先頭からシンガリまでおよそ十五バ身』

『十五番アグネスデジタル。彼女には凄まじい差し脚がありますからね。後方の子たちもまだまだ差し返せる開きですよ』

 

 ただ、そのポリシーは既に罅だらけになっている。

 後ろに真っ黒い闇が広がっている。ブラックホールみたいな重圧。

 ダメだ。気にしてしまっている。

 オレだけを見ることができていない。視界の中心が視界の外にいるはずの()()に固定されてしまってどうあがいても剥がすことができない。

 首を後ろにむりやり捻じ曲げられたまま走っているみてーだ。明らかに今日は『ダメなときの走り』をしちまっている。

 それでもレースからは、逃げたくないんだ。最後まで……!

 

『大ケヤキを越えて第四コーナーへ。勝負は最後の直線に持ち越された』

『六番テンプレオリシュがあきらかに余力を残した走りをしていますからね。彼女がどこで動くかがこのレース、勝負の分かれ目になりそうです』

 

 砂が重い。

 長距離とは比べ物にならないたった千六百メートルぽっち。それもまだ最後の直線がまるごと残っている、三分の二程度の中盤だというのに。

 案の定スタミナと脚を使い過ぎたみたいだ。息が苦しい。

 あんなに強大に思えたユグドラバレーもいまや前を走っているだけの存在だ。ちょいとがんばれば追い抜かせてしまえそう。

 そのがんばりで一人抜かしていまさら何になるって話だが。

 

『さあいよいよ直線だ! どのタイミングで誰が仕掛けるのか? 真っ先に飛び込んできたのは五番ドミツィアーナ。続く八番フェニキアディール。外から十五番アグネスデジタル、すごい脚で上がってくる!』

『六番テンプレオリシュは現在七番手。まだ動かない。それともこのままいってしまうのか!?』

 

 序盤に借金してまで稼いだリードは今、いちばんの勝負所で目の飛び出るようなツケと共に消え失せた。

 ずるずると沈んでいく。もう脚は残っていない。

 一度バ群の中に沈んでしまえば、もう逃げウマ娘は浮上できない。有記念でダイワスカーレットが見せたような理不尽は誰もができることじゃないのだ。

 

「あたしだって、やれる!」

 

「負けない、今度こそ!」

 

「ダートは私たちのホームだ。好きにやらせてたまるか!」

 

 声にならない魂の叫びが走りを通じて伝わってくる。

 戦ったことのあるやつ。名前も知らないやつ。次から次へとオレの横を通り過ぎていく。

 オレのことなんか眼中にありゃしない。この砂上にいる十五人が注目しているのは最初からたった一人だけ。

 

「よし、じゃあいこうか」

 

 この譲り合いの精神なんて欠片も無い混戦模様のバ群の中で、それが自然の摂理であるかのようにすっと道が開いた。

 至近距離で見ていても何が起きたかさっぱりわからない。心なし、位置取りの結果道をつくることになったやつらもきょとんとした表情をしている気がする。こっからじゃ顔は見ねえけど。

 ……いや、高速道路のスポーツカーよろしくノータイムでカッ飛んでいったから『道が出来た』と錯覚しただけか。

 やったことは極めて単純。バ群の隙間を見逃さなかった。

 多少の読みや駆け引きはあったかもしれねーが、教科書に載っているような基礎的なテクニックを教科書に載せたくなるような完成度でやっただけ。

 あまりにさりげなくやられたせいでオカルトじみた光景にはなったがな。つーか、周囲から徹底的にマークされているようなこの現状で呼吸の延長線上みたいにやるんじゃねえよ。

 あれを教科書に載せたらお手本としては満点だが、読んだ生徒の心が折れるせいで教本としては落第点だわ。

 

『抜け出した! ここで六番テンプレオリシュ交わして先頭に立ちましたっ!』

『これ以上ない絶好のタイミングです。やはり“銀の魔王”は期待を裏切らない!』

 

 バ群と砂埃に遮られて、先頭の景色はもうろくに見えない。

 ずぶずぶと沼の底に沈んでいくみたいに視界が暗くなっていく。

 そんな中で不思議と、あるいは不自然なまでに。

 幾人かの存在だけはくっきりと認識できた。

 

「あらまあ、噂以上にすさまじい子だねぇ。語り甲斐があるってもんよ……でもね、あたしだって題材集めのためだけにここにいるわけじゃないのよぉ」

 

「あたしを信じろ! “推し”が信じるあたしを信じろッ! 一緒に走ろうと言っていただけたんだ。おふたりだけの世界にさせるなっ、まだまだぁ!!」

 

「わーい! やっぱりレースってすっごく楽しい!! みんなすごくすごーく速いんだもんねっ。よーし、わたしも負けないぞー!」

 

 まるで薄闇の中で光り輝いているみたいだ。

 別に先頭のウマ娘ってわけじゃない。入着はできるだろうが一着は厳しいだろうという位置にいるやつだっている。

 まるで世界の中心にいるかのような存在感。それが複数人、それも至近距離に同時に存在しているという矛盾。

 

「いただきます」

 

 それすらも一瞬で凌駕し、沈静化させる先頭の()()

 他のやつらと何が違う? 条件はいったい何なんだ?

 何かが違うのはわかるのに、手を伸ばしても何もつかめない。墨汁の中でやみくもに手を掻き回しているみたいに、逆に自分の指先さえ見えなくなる。

 

 オレには何が足りていない?

 才能の差とか、地方と中央の環境の差とか。できない理由(いいわけ)を探しているんじゃない。

 できるようになる方法を教えてほしいだけなんだ。

 

 轟音。

 銃声もかくやというそれに、反射的に多くのウマ娘が身をすくませる。ゴールに向かって前進しなければならないこの状況下で、本能が逃亡を推奨する。後退などできるはずもないのに。

 立場上どうあがいても逃げられない砂の断末魔が響き渡る。

 

「あ。これ、思ったより」

 

 どんどん遠ざかる、これだけいろんなものに隔てられてなお見失うことができないギンピカな輝き。

 ふと脳裏を過ったのはガキのころの記憶。

 うちの地元はド田舎で、交通の便に優れた都会に住んでいるやつらには想像もできないだろうが車が無いとお話にならない。免許が取れるようになったら一人に一台、そういう世界だった。

 ウマ娘なら走れなくもないが、走るために生まれてきたと言われるオレたちだって全員が全員トレセン学園に来るような走り狂いではないのだ。『ちょっとそこまで』が一キロや二キロじゃ済まない環境では文明の利器の恩恵に与りたくもなる。

 

 うちのお袋はオレが物心ついたときにはおんぼろの軽自動車に乗っていた。

 ちょっと傾斜のきつい坂道ではアクセルを踏みきってもなかなか速度が出ない骨董品。でも本人なりに愛着があったようで、オレが小学校に入学するまでは乗り続けていた。

 だけどさすがにそろそろ限界だろってことになって、親父の命令で泣く泣く新車に乗り換えたんだが。

 ガキのオレにはよくわからなかったが当時のいろんな要素が交錯したみたいで、新しいお袋の車は大きさこそさほど変わらないものの、ナンバーが黄色から白になっていた。

 まーパワーがダンチなわけよ。

 前の車と同じ感覚でアクセル踏み込んだらぎゅーんと進むんだな、これが。

 めっちゃ怖えの。

 お袋はゲラゲラ笑っていたけどさあ! いくら自動四輪の法定速度が自分のトップスピードより下だったとしても、あきらかに運転手の制御から外れた駆動するのってマジで心臓に悪いんだよ!!

 後部座席で悲鳴上げまくったわ。

 

 今の()()はそれと同じように見えた。

 これまでと同じ感覚でアクセル踏んだら、思ったよりスピード出ちゃったって感じ。

 

 ああ、ちくしょう。

 ウマ娘ってあんなに速く走れるのか。

 

『三バ身、四バ身、まだ伸びるっ、ギアがさらにひとつ上がったか!? 後続を引き離して今ゴォール!! 六番テンプレオリシュ、フェブラリーステークスを五バ身差で快勝ッ! 今年のGⅠ戦線の開幕はやはり“銀の魔王”の勝利からだー!!』』

『まさに別次元の走り。シニア級となった“銀の魔王”、その新章開幕にふさわしい一戦となりました。今日また幻想が歴史に一(ページ)変わります』

 

 砂煙も、バ群も、酸欠で白く濁る視界でさえそれを覆い隠すには荷が重い。

 ゴール板の向こう側で陽光を浴びて、銀がひときわ強く輝いていた。

 

 

 

 

 

 レースは終わった。

 走っていたときの高揚は消え、敗北の実感がじわじわとしみこんでくる。

 苦くて、痛い。

 何度経験してもこれは慣れるものじゃないし、慣れてはいけないとも思う。

 

 でもウイニングライブでは笑わないといけない。

 オレたちはプロだから。そこには外部からの強要だけではない、たしかな誇りがある。応援してくださった方々に返したい感謝の気持ちがある。

 伊達にこの歳で一千万以上稼いでいるわけじゃあないのだ。

 引き攣りそうな口角まわりを中心に、鉛のように重い手をのろのろと動かしてマッサージしていたときのことだった。

 

「ねえねえ、だいじょうぶ?」

 

 ライブのバックステージで無遠慮に話しかけてきたのは、桜色の頭髪と瞳が特徴的な中央のウマ娘。

 ハルウララだった。

 

「……何がだよ?」

 

 ぶっちゃけ得意じゃない相手だ。今の状態で相手したくない。

 話しかけんなオーラを出しながらぶっきらぼうに睨みつけた。

 効果はあまりなかった。

 

「とっても悲しいお顔してる。これからライブできるのに、うれしくないの? おなか痛い? それともおなか減っちゃった? トレーナーからニンジンもらってこようか?」

 

 じろじろと不愉快なスペースまで踏み込んで顔を寄せてくる。やめろ。

 というか、お前のトレーナーってニンジン携帯してんの?

 中央のトレーナーは変人が多いって噂には聞くけど、わりとガチなんだな。

 

 センター以外で踊って嬉しいわけないだろうが。

 二着や三着でもダメなんだよ。バックダンサーとは違って歌うことができる? 知ったことか。歌唱パートがある分、自分が一着でなかったことをひしひしと実感できて逆にはらわた煮えくりかえるだろうが。

 まー今日のオレは十六着。バックダンサー中のバックダンサーなんですけどねぇ。

 対して目の前の疑問符を並べ立ててアホっぽさ全開のウマ娘は五着。みごとに入着していらっしゃる。

 流石は腐っても中央のエリート様だ。本当に常に負け続けている雑魚は話題にもなりゃしないのさ。

 

「…………いらねえ。身体は健康そのものだから気にすんな」

「よかったあ。ほら、みんな楽しみに待ってるよ! ニコニコーって笑顔で――」

 

 かっと目の前が白く灼けた。

 

「笑えるわけねえだろうが!」

 

 なにやってんだオレ。

 親切で話しかけてくれた相手に。心配してもらってんのに。

 

「一着じゃないとダメなんだよっ! 負けたのに悔しさも感じずヘラヘラ笑えるお前と一緒にするんじゃねえ!!」

 

 逆恨みして、八つ当たりして。

 勝てばよかっただけの話なのに。自分が弱いのを棚に上げて責任転嫁して。

 

「勝てないって思っちまった。負けた自分を受け入れそうになっちまった。それじゃあダメなんだよ……!

 なんなんだよ()()。あんなの反則だろうが。どうしてあんなのがこの世に生まれてくるんだよ……」

 

 カッコわりい。

 頭のどっかで冷静にそう判断しているのに、白濁した感情がこちらから切り離されたみたいにどんどん上がっていく。

 

「あんなの、生まれてこなければ――」

 

 ついに決定的な、どんな事情があってもそれだけは言っちゃいけないラインを超えそうになったとき。

 ぽん、と肩に手を置かれた。

 

「ドラちゃん」

 

 アキだ。

 その呼ばれ方は小学校の低学年ぶりだな。バカな男子にからかわれたオレがもっとバカなキレ方をして以来、オレの周囲にその呼び方をするやつはいなくなったから。

 カッコ悪いとこを見られるのはもうここ数年慣れっこになっちまったけど、今回はとびきりだな。

 でも止めてくれたのは助かったよ、マジで。

 

「大丈夫、わかってるから」

 

 開いた口から出てくるのは注意か説教だと思っていた。

 でも実際にアキの口から出た言葉は全面的な肯定だった。

 それを聞いた瞬間にふっと全身から力が抜けて、冷静になったつもりでまだまだ昂っていた自分にようやく気付く。

 

「ごめんね。わたしたちもライブではちゃんと笑うからさ。いまはちょっと休ませて。じゃ、またあとで」

 

 呆然と動きを止めていたハルウララに最低限のとりなしをすると、アキはオレの手を引いて控室まで連れて行ってくれた。

 ライブ本番まであまり時間は無いっていうのによ。

 渡されるままペットボトルを受け取って、中の生温いお茶を嚥下して、ひと息。

 

「アキ、ごめん。オレ……」

「ドラちゃん、考えるのは後回しにしよう」

 

 この期に及んで見栄とプライドの残骸というか。

 とっくの昔に世間の評価は逆転しているっつーのに、いまだに手を引いていた頃の記憶が邪魔をしてアキに弱みを見せるのには羞恥心がある。

 

「いま考えたって碌な答えが見つからないよ。たくさん、本当にいろんなことがありすぎたから。そしてきっと、これでまだ全部じゃないよ。

 だから続きは大阪杯の後で。阪神レース場でテンプレオリシュちゃんの走りを見終わってから改めて考えよう」

 

 それでも、このときのアキの言葉には思わず頷いてしまいそうになるほど頼り甲斐ってもんがあった。

 

「……いや、大阪杯の阪神レース場って高確率で入れないだろ。今日でさえこのありさまなんだぜ?」

 

 まあそれで素直に頷けるのならもっと別の生き方があったんだろうな。そうじゃないからここまで来ちゃったわけで。

 

 たしかに、ウマ娘のレースは生で見るに限る。

 理論上の話をするのなら映像から得られる情報量はプロが撮影した映像資料が一番多そうなものだ。主観ではどうしたって一部分を限定的にしか見れないからな。情報収集には俯瞰した視点が有効だっていうのは誰でも知ってる。

 だが実際は、レース場のスタンドで見た一回の経験の方が得られるものはずっと多い。そして観客席を隔てて見るより、一緒に走った方がずっとずっとわかることがある。ウマ娘なら誰だって共感してくれる感覚だろう。

 おそらくはウマソウルと呼ばれる不思議要素が影響しているのではないか、って偉い学者さんが言っていた気がする。真相は知らん。

 『本当にライバルのことを知りたいのなら部屋に籠って何度もビデオを眺めるより、レース場に足を運んだ方が有用だ』ってことさえ知っていればいい。

 

 しかし問題は、レース場に足を運べるだけのスペースがあるのかってことだ。

 ()()の次走は大阪杯。

 今日のフェブラリーステークスはGⅠとはいえ、この国じゃ不人気であることは否定しがたいダートレース。それでさえ今をときめく“銀の魔王”が走るとなればスタンドに黒山の人だかりが生まれるありさまなのだ。

 人気の芝のレースで、比較的歴史が浅いとはいえ大阪杯はれっきとしたGⅠで春のシニア三冠の一角。次勝てばGⅠ十連勝なんて頭痛のしてくる記録も達成される。

 昨年の有記念みたいに入場規制、下手すれば周辺の交通規制が発生する事態になっても驚かないぞ。

 文字通りの足を踏み入れる場が無いってやつだ。

 

「たぶんへーき。伝手がある」

「ツテだあ?」

 

「そ。わたしがいろいろとお仕事しているのは、知ってるでしょ?」

 

 アキはマスコミの露出が多いウマ娘だ。

 NAUの看板ウマ娘は伊達じゃない。ダートの地位向上を目指して幅広く、ときにはレースとはあまり関係なさそうな分野にまで手を出している。

 そのことを外野がアイドル気取りとかなんとか、とやかく言うこともあるが。ちゃんとレースをおろそかにしていると言われないだけの実績は出しているんだから文句を言われる筋合いはねえ。

 それともなんだ。芝より少ないダートの賞金の差額分、文句を言うやつらが払ってくれるっつーのか?

 

 金は力だ。

 芝とダート同じだけ走れるのなら稼げる芝を選ぶのは当然の話だし、何ならダートの方が得意でも芝にいきたがるやつは多い。

 じゃあどうすれば金があつまるのか。人を集めるのが手っ取り早い。じゃあどうやったら人が集まるのか。まずは知ってもらわなきゃ話にならない。

 レース界隈の外に興味の種を蒔く。アキがやっているのはつまりそういうことだ。

 小遣い欲しさにやっているわけじゃねえ。レース業に専念すればもっと実力を伸ばせたのではと苦く思うやつは(オレとかが)いるが、アキの活動がダートウマ娘全体のためだとわかっているからやめろと言うことはできない。

 将来を切り捨てた業界は先細りするしかないって、世間じゃ中高生のオレたちでも数年もプロをやっていれば薄々感じられるようになるもんだから。

 

「うん、いや、阪神レース場は中央だぜ? アキの仕事ってNAU関連が主なんだからぶっちゃけ海外みたいなもんじゃねえか」

「マジモンの海外からすれば、中央も地方も地続きの同じ国なんだよぉ」

 

 アキいわくここ数年、具体的には二~三年ほど前から海外進出を目指した新たな動きが立ち上がっているらしい。

 数人のスターウマ娘にすべてを背負わせるのではなく、海外で主流のチーム戦に対抗するべく最初からこちらもチームで運用されることを前提としたプロジェクト。

 その影響で地方と中央の交流を少しでも密接にしようとする動きもあるのだとか。

 

「第二、第三のオグリキャップさんがいないとも限らないからね。宝くじは買ったところで当たらないものだけど、それでも買わなきゃ絶対に当たらないから」

「まだ懲りてないやつがいるのかよ……」

 

 偉大なるオグリキャップの功罪。

 功績の部分が大きすぎてオレたち地方のウマ娘は脚を向けて寝ることもできやしないが。

 それはそれとして我こそが第二のオグリキャップにならんと中央に挑戦し、そして一度しかない人生を無為に費やした元地方の優駿たちがいたことをオレたちは忘れちゃならんと思う。

 信じて送り出した一番星が、一瞬だけきらめく花火にすらなれない。落ちて朽ちて腐り果ててレース業界からひっそり消える。

 だからこそオグリキャップは“怪物”なんだ。怪物の真似をただの人がやったところで同じ結果が出るわけがない。

 オグリキャップさんや、オグリキャップさんに続き地方から中央に出て“永世三強”に数えられるほど大成したイナリワンさんが例外中の例外。

 大金にものをいわせて中央に人材を吸い上げられるのは愉快な気分じゃねーな。吸い上げられた先でろくに活かされないっていうなら、なおさら。

 

「でも流れが一方通行とは限らない、でしょ? 高知なんてウララちゃんの人気のおかげで人もお金もすごいことになってる」

「そりゃーそうだけどさー」

 

 よーするに、海外という強大な相手を仮想敵に設定することで中央も地方も『日本のウマ娘』として一括りにする動きがあって。

 その恩恵でアキには中央にもいくつか使えるコネが生じている。そういうことだろ?

 もうそれでいいや。この話おわり! これ以上はアキとやりたくもない口論をすることになりそうな流れになってるわ、コレ。

 

 たしかに言われてみりゃ、中央トレセン学園の理事長が現在海外に長期出張とかいう話を聞いたことがあるような、無いような。

 アオハル杯なんて埃を被った過去の遺物を引っ張り出してきたのも『チーム戦』の概念を中央のウマ娘たちに馴染ませるためなのか。

 

「大阪杯のチケット二枚くらいなら、なんとかなると思う。だから任せてー」

「おう、期待せずに待っとくよ」

 

 時間が本当にギリギリだったので話はそこまでだった。

 気分を切り替えて、ライブに向かう。

 それができた時点でこの話は有用で有効で、逆に言えばそれ以上の価値は特に求めていなかった。

 だから後日になって。本当にアキが大阪杯の日付が入った阪神レース場の指定席チケット、それもSラウンジのやつを二人分握りしめて現れたときには絶句するしかなかった。

 コネってすげーのな。

 

 

 

 

 

 そしてあっという間に一月後。

 大阪杯当日、スタンド六階のSラウンジは二人掛けの観客席だった。

 より正確に言えば各テーブルにつき二席。テーブルひとつに一台ずつ小型テレビが設置されていて、一席ごとにコンセントがある。ゴールからはやや距離があるけど、その不自由さを感じさせない優雅な造りだ。

 スタンド最上階からゆったり落ち着いて観戦できるシート。

 見下ろせばぎっちぎちに人が詰め込まれた一般席。

 ここで人がゴミのようだと高笑いできりゃ楽しいのかもしれないが、あいにくこちとら田舎もん。なんだかずるいことをしているみたいですごく落ち着かない。

 いやいや、この席が確保できたのは間違いなくアキの努力の成果。楽しまなきゃ不義理ってもんだ。そう深呼吸して気持ちを切り替えようと努力する。

 

 緊張していたというのも大きいんだろうが。自分が走る側だとあんなに長くも短くも感じるのに、観客席から見たレースはひたすら短かった。

 飛ぶように時間が流れ、ふと気づいた時には大阪杯が始まっていて――

 

『届かないっ、一バ身があまりにも遠い! どこまでも縮まらないまま、いまゴォール!! 絶望の魔王城が仁川のターフに再誕ッ、今年の春風はあまりにも冷酷な銀色をしているっ!!

 一着はテンプレオリシュ、春のシニア三冠の一冠目を見事に奪取。これで重賞十二連勝、GⅠだけでも十連勝というあまりにも理不尽な大記録を打ち立てたこの子に敵うウマ娘はいるのかあ!?』

 

 ――その事実をちゃんと噛みしめる前に終わっていた。

 

 は? いやいやいやいや。

 レース場全体がぐらぐらと揺らぐような大歓声を前に現実を受け止めきれない。

 え、これで終わりってマジ? そりゃ芝2000mのタイムなんてこの国のGⅠなら二分切るか切らないかってもんだけどさ。

 あまりにもあっけなさ過ぎる。こんなにあっさり勝利しちまっていいもんなのか。

 

『もはや認めざるをえません、この不都合な真実を……。我々が知るクラシック級までの彼女はさなぎでしかなかった!!』

 

 カン、とその実況が頭にハマる。パズルのピースがはめ込まれるみたいに。それでさっきまでわけのわからなかった絵図が急に理解できるようになった。

 

 あっけないように思えたのは、あまりにも簡単そうに勝ちやがったからだ。

 百回あれば百回、千回あれば千回……仮に一万回あったとしてもやっぱり一万回、()()は勝利しただろう。

 他のウマ娘がこのレースを勝つ可能性なんて、文字通り万に一つもありえなかった。

 

 洗練されたダンスのステップが簡単そうに見えるのと同じだ。

 最初にお手本を前にしたときは簡単にできそうに思える。

 実際にやってみる。

 クソむずかしいじゃねえかバカヤローってなる。

 ライブ練習あるあるだろう。

 

 『才能がありすぎる』ウマ娘だとたまーに聞く症状。

 強すぎる脚力に骨の成長が追い付かない。全力で踏み込めない。

 オレたちは本格化という不思議要素満載のウマ娘ではあるが、同時に成長期の少女でもあるのだ。

 成長期の骨は脆いもの。物理法則を多少無視することはできても、生物としての大原則を無視し続けることは流石にできない。

 そういうウマ娘はシニア級を過ぎてから開花する晩成型になるか、あるいは蕾が花開く前に枯れてしまうかの二択。

 花開くまで大人しく待ってくれるほどレースの世界は甘くないから。普通は勝てない重く苦しい時期を長々と耐え続ける羽目になる。

 普通はな。

 足音がしないほど洗練された走法だってことは、身をもって知っていた。

 自分の脚を自分で踏み砕かないよう、そっとやさしく守り続けてきたってわけか。その状態で勝ち続けてきたってだけのことさ。

 ああ、ようやく骨の成長が追い付いたんだな。本番はこれからだってことだな。

 

 ここからがようやくテンプレオリシュというウマ娘の全盛期なのだ。

 

「あーあ、こうなるってことはわかってたんだよねー」

 

 ふと聞き覚えのある声に視線が引き寄せられる。

 失念していたこと。

 アキが入手してきたチケットということは、この一角はレース関係者御用達のエリアなのではないかという事実。

 どうして気づかなかったのか、隣のテーブルにはマヤノトップガンがちょこんと座っていた。

 

「シニア級になった『リシュちゃんたち』と『それ以外』の力関係は、ネコさんとネズミさん。ネズミさんたちはみんなで力を合わせないとネコさんと勝負の舞台にすら立てないんだよ。だから、そうなる前に自分だけの力で黒星つけておきたかったんだけどなー」

 

 テンプレオリシュの同期、ネット上では『しろがね世代』などと呼ばれつつある世代の一角。オレの見解では、純粋な才能で言えばテンプレオリシュに次いでヤバいやつ。

 あの有記念で死闘を繰り広げたダイワスカーレットを見た上でなお、コイツが才能ナンバーツーだという所感は揺るがない。

 テンプレオリシュがレース外でヤバいことしているときは、たいてい隣にコイツがいる。遊び感覚で非常識をやらかすのだ。

 物証として今もなおウマチューブに残っている配信動画は、同じ業界にいるウマ娘にしてみれば閲覧注意のグロ画像。

 ただレースが上手いというのではない。生まれ持ったスペックそのものが別次元。コイツらがどれだけ才能に恵まれているのか、この上なく見せつけてくる。

 

「どうすれば今のリシュちゃんたちに勝てるんだろう? うーん、マヤわかんなーい」

 

 プレゼントの包装紙に指をかけるガキみたいな目をして言うセリフか、それが?

 オレにはこんな目はできない。

 それを自覚したとき心を覆っていた何かが最後の一枚、音もなく溶けて消え去った。

 

「……アキ」

「なぁにドラちゃん。考えはまとまった?」

 

 テンプレオリシュが最強、ナンバーワンだ。

 オレはどうあがいても彼女には勝てない。

 そう認めた瞬間、ふっと身体の中に澱んでいたものが解けて抜けていく。

 

「ドラちゃんはやめろって。ああ、オレ引退するわ」

「そっかー」

 

 オレ、とっくの昔に『死んで』いたんだな。

 それを認めたくなくて、死体を引きずって見苦しくここまで来てしまった。

 

「オレはテンプレオリシュに勝てない。でも二着を目指して走り続ける気も無い。だからレースからは足を洗う」

 

 地方と中央とか、そういう括りじゃなくて。

 自分が最強だと胸を張って言えないやつはレースに出走する権利は無い。その想いは何があっても、どこまでいっても曲げられなかった。

 でも心がテンプレオリシュこそが最強だと認めてしまって、それを頭で否定し続けて。

 これ以上、自分はまだ諦めていないのだというポーズのために走ることはできない。

 

「はっ、これまでさんざんデカい口叩いておいてコレだ。失望したか?」

「好きだよ。自分を絶対に曲げない、誇り高いきみが好き」

 

 名残惜しさを誤魔化すように吐き出した自嘲は真正面から受けて立たれた。

 おおう、そう真っ直ぐ来られると照れるんだが。

 アキの穏やかな目がオレの揺れる瞳と重なる。

 

「わたしはもう少しがんばってみるね。ドラちゃんから受け取ったもの、まだ先に繋げることができる気がするから」

 

 いつだって自信満々で、その自信に裏付けなどありはしない。

 自信に根拠など必要ないのだ。あれば何かに挑戦するとき楽しくて、無ければ苦しい。それだけの要素。

 己の信念に胸を張り、声高に夢を主張する。たとえ今の実力が追い付いていなくても大丈夫。

 困ったときは素直に助けを求めれば、意外なほど周囲の誰かが助けてくれるから。

 

「それが、わたしがドラグーンスピアというウマ娘から教わった生き方。いまのわたしのすべての基礎になっているもの」

「……ほほー。そりゃあご立派なウマ娘なんだな、ドラグーンスピアさんとやらは。同姓同名のオレとしちゃあ肩身が狭いぜ」

 

 あたたかな声色で語られるアキの中のオレは『いや、誰だよ』とツッコみたくなるほどカッコよくてキラキラしていて。

 赤面しながらそう受け流すのが精いっぱいだった。

 

「わたしだってあの人に勝てるヴィジョンは思い浮かばないや。でも、わたしはまだまだ先にいける気がするから。自分がどこまでいけるか知りたいから、もう少しこの業界にしがみつくの。けーべつする?」

「いや、応援するよ」

 

 即答した。

 ダブルスタンダード? 知ったことか。

 アキがやるって言うなら応援するのがオレだ。信念やら何やらで感情を無視して理屈に縛られるのはバカのやることだって。

 

 

 

 

 

 ふと、脳裏に目つきの悪いガキが立つ。

 ほんとうにやめちゃうの? なんて悲し気な顔をする。

 まだあの場所にはたどり着けていないよ、と文句を言っている。

 

 ごめんな。もう無理なんだ。

 だってほら、『辞める』って選択肢を意識したとたん。

 安堵しちまっている。すごく身体が軽くなって、これまでどれだけの重圧を無意識のうちに背負っていたのか自覚しちまっている。

 いつか自分が一番になれると無邪気に信じて、あの場所を目指し砂上を走っていたオレは死んじまったんだ。

 まだ死んでいないって嘘を吐くためにレースにしがみつくのは違うだろう?

 

 そうだね。じゃあ仕方ないか、と言い残してガキは消えた。

 ごめんな、とオレはもう一度あの日抱いたオレの夢に謝った。

 




これにて今回は一区切り!
例によって一週間以内におまけを投稿した後、書き溜めに移行します


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【情報】上半期ウマ娘雑談スレ407【多すぎ問題】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

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19:名無しのウマ娘ファン ID:pR9ty93pp

【悲報】ナリタブライアン 春シーズン全休

 

30:名無しのウマ娘ファン ID:j7mVilC3/

うわー、ブーちゃんマジかー

 

31:名無しのウマ娘ファン ID:BYUtXGmVf

故障じゃないってのが不幸中の幸いやね

疲労が蓄積しているから大事をとっての長期休養か

 

37:名無しのウマ娘ファン ID:v2BtjnHVl

昨秋の激戦はヤバかったもんなぁ

特に有記念

 

39:名無しのウマ娘ファン ID:InoNw6YeN

それにしたって上半期まるまる休養にあてるって大胆な決断だな

 

42:名無しのウマ娘ファン ID:Bf8AP67B1

はーつっかえ。ほんま無能

トレーナーはちゃんとウマ娘を走らせる努力をしろよ

 

50:名無しのウマ娘ファン ID:nVCTl43Di

>>42 どう考えてもこの休養期間が担当を健康かつ万全に走らせるための努力なんだよなぁ

 

62:名無しのウマ娘ファン ID:NxcX99WHe

あの走りたがりのブライアンが大人しく休養を受け入れているんだ

実際、かなりダメージが蓄積している自覚があるんじゃないかな

もちろんトレーナーとウマ娘の信頼関係あってこそなんだろうが

 

71:名無しのウマ娘ファン ID:WdSfrM4G/

でも贅沢は言わないから、銀の魔王と春シニア三冠を巡って争う怪物は見てみたかった

 

72:名無しのウマ娘ファン ID:yv3xcEDkT

それが贅沢の極みじゃなくて何が贅沢なんだ???

 

75:名無しのウマ娘ファン ID:enGUf5+p2

誰だって見たいわそんなもんwww

 

83:名無しのウマ娘ファン ID:5Jjzc7YaQ

昨年の有記念の出走メンバーさ

今年になって引退したり休養したり多すぎじゃない?

 

88:名無しのウマ娘ファン ID:cgkej1s/v

もともと有記念はレース人生の集大成の舞台として選ばれることの多いタイトルだからな

あそこを契機に引退したり自分を見つめ直したり、ってのはそこまで珍しい話じゃない

まー例年より『そうなった』ウマ娘の数は多い気はするけど

 

95:名無しのウマ娘ファン ID:mTX2h5pYf

うう・・・キャラメルパルフェちゃん・・・

お疲れ様、ありがとうって、笑顔で引退を見送りたいけど・・・

まだ現実を受け入れきれない!さみしいよおお!!もっと推していたかったよおお!!!

 

101:名無しのウマ娘ファン ID:u4XCQhHG0

もう春だぞ?いつまで引きずってるんだよ

気持ちはわからんでもないが(1日3回は引退した推しのグッズ眺めている

 

110:名無しのウマ娘ファン ID:JiKTbJ1Nz

仁川のターフに冷酷な銀の春風も吹いていたしな

 

120:名無しのウマ娘ファン ID:fZyLGzPPy

言ってやったぜっていう実況だったな

ああいうのって事前に考えてたりするんだろうか

 

122:名無しのウマ娘ファン ID:jr8+XllNX

まあ魔王様ここまで負けなしやからね

無駄にならない可能性が高いから事前の準備も気合が入るってもんじゃないかな

 

129:名無しのウマ娘ファン ID:ybgoaCQNl

いろんな意味で頭のおかしい戦績だよなー

強さはもとより、耐久性と回復力が何より異常だって魔王様以外のウマ娘見ていたらはっきりわかんだね

 

130:名無しのウマ娘ファン ID:lW/xSVWTc

次の春天勝ったらGⅠ勝利数、ついに指の数が足りなくなるぞ・・・

 

136:名無しのウマ娘ファン ID:+zugwStct

手が足りないのなら足を使えばいいじゃない

 

144:名無しのウマ娘ファン ID:ZtR8l25r4

GⅠって何なんだろうな(哲学

 

154:名無しのウマ娘ファン ID:aea2UAS9E

逃げられない戦場だろ。主に名門出身

 

163:名無しのウマ娘ファン ID:WQhT6ALky

あー、そうか。ジュニア級ならいざしらず

シニア級のGⅠタイトルともなれば『テンプレオリシュに勝てないから出走回避します』ってのは名門の子たちはやりにくいか

色々と背負っているものが多いもんな。しがらみってやーねー(他人事

 

172:名無しのウマ娘ファン ID:NyI4W/Jc2

いやいや、そんな消極的な理由で出走する子が絶対にいないとは言わんけどさ

魔王に挑む勇者だっているだろ

 

176:名無しのウマ娘ファン ID:wB9nVQA14

少なくともサクラバクシンオーは絶対に自分が負けるとは思っていないだろうな

 

180:名無しのウマ娘ファン ID:mB+0M7+yi

バクシンオーは、まあ、ほら・・・

あいつはあたまおかしいから(直球

 

185:名無しのウマ娘ファン ID:Kb55vR2ko

何でスプリントの絶対王者がGⅠ最長距離に挑戦しているんですかね(ふるえごえ

 

186:名無しのウマ娘ファン ID:ln/f/LBzp

しかも高松宮記念では危なげなく勝って、王者の貫禄を示した後の挑戦だからな・・・

 

194:名無しのウマ娘ファン ID:gfiSZgz+x

スプリンターズSから菊花賞いったテンプレオリシュといい、パンスペルミアには変態しかいないのかよ!?

 

200:名無しのウマ娘ファン ID:Pa5T953IK

あいつらはいい加減、適性という言葉を辞書で引いてくるべき

 

202:名無しのウマ娘ファン ID:OYVZab7YO

魔王様ほどじゃないけど距離不問のミークといい、芝ダート二刀流のアグネスデジタルといい近頃の若いもんは・・・

3/4桐生院の担当じゃねえかふざけんな!

 

207:名無しのウマ娘ファン ID:w15ImhYao

桐生院葵、やはり天才か・・・

 

210:名無しのウマ娘ファン ID:DbkkbXovu

歴代の桐生院ってこんな言い方は何だけど、高水準かつ堅実だがいまいち華に乏しい育成手腕ってイメージだったんだけどな

葵ちゃんはハジケてんなぁ

 

211:名無しのウマ娘ファン ID:z2tRPtm7V

いやー、魔王様は明らかに天然モノでしょ

 

220:名無しのウマ娘ファン ID:FDO0aoL8+

後天的にそういう育成を仕込むトレーナーというよりは

先天的に多彩な適性を持つウマ娘を引き寄せやすいって感じじゃない?

 

228:名無しのウマ娘ファン ID:0t+C3yEF8

あー、たしかにいたな過去にもそんなタイプ

やけに逃げ一辺倒で育てるじゃんもっと基礎基本を教えておけよと思っていたら、実は適性逃げ特化のウマ娘ばかり引き当てていただけで本人の育成手腕的にはオールラウンダー。

教科書に載せられそうなお手本通りの差しウマ娘でGⅠ獲っていたの

 

235:名無しのウマ娘ファン ID:sje0lqnny

天然モノといえば、魔王様が授賞式で出生の秘密を打ち明けられてから愚者どもがいろいろ騒いでいたみたいだけど・・・

最近はおちついているわね

 

240:名無しのウマ娘ファン ID:XteKW46z7

バカ発見器とはよく言ったものだと思ったよね(遠い目

 

249:名無しのウマ娘ファン ID:sym9Im9I5

ウマッターによくいる自由と平等の意味をはき違えたバカが『二重人格なんて卑怯だからレースに出走するときはどっちか片方だけでやるべき』だなんて主張して灰も残さず炎上したり

 

252:名無しのウマ娘ファン ID:vZwgYVwL5

自分の研究分野しか見えていない知能が高いだけのバカが『レースなんかに出走している場合じゃない』って言っちゃってまあまあ炎上したり

 

260:名無しのウマ娘ファン ID:g8Fn9s0ge

ウマソウルの研究が進めばのちのち数多くのウマ娘が救われるかもしれないって理屈はわかるけどなぁ

 

266:名無しのウマ娘ファン ID:TOx1EeB3L

トゥインクル・シリーズに所属しているウマ娘相手に『レースに出走する暇なんてあるか。さっさと引退して研究に協力しろ』って趣旨とも取れる発言しちゃうのはまずかったよね

 

273:名無しのウマ娘ファン ID:KOyVOQIf0

自分ひとりが一着になるために走っている子たちに、自分以外の誰かのために犠牲になれって強制するのは筋違いだよなー

まあ、テンプレオリシュの場合は『自分ふたり』なんだが

 

274:名無しのウマ娘ファン ID:ZkT1nmfv6

そのあたり、なまじ自己犠牲と献身の化身たるシンボリルドルフが有名なだけ誤解しちゃってるバカがけっこう多いよな

 

278:名無しのウマ娘ファン ID:TVP+YanE2

でも二重人格卑怯論がファンのみならず魔王アンチからも徹底的に叩かれたの、個人的にはけっこう意外だったな

アンチじゃなくてもさ。あの主張が通れば現段階で絶対的な強者たる魔王の弱体化が期待できただろうに

 

286:名無しのウマ娘ファン ID:L3fhiNHkR

>>278 いや論外だから

 

289:名無しのウマ娘ファン ID:s+VQoyDyx

ウマ娘は自分の魂がどんなかたちをしているのか、選ぶことができないんだぞ

 

293:名無しのウマ娘ファン ID:FIPoJ94DG

このタイプのウマソウルはよくて、このタイプのウマソウルはダメって

差別の前例を作るとかありえないから

 

298:名無しのウマ娘ファン ID:27QPWWD/s

レース業界どころの騒ぎじゃない。ウマ娘を隣人とする全人類を敵に回す発言だったよなーあれは

 

300:名無しのウマ娘ファン ID:7Ucub5Hxf

テンプレオリシュは二重人格というかたちのウマソウルで生を受けたんだから

そこ否定するのだけはたとえクソみたいなネット世界でも絶対にNGやわな

 

301:名無しのウマ娘ファン ID:7WovY0wu0

まああのバカが盛大に燃え上がってくれたおかげでそれ以外のアンチが慎重になった側面はあるわね

 

302:名無しのウマ娘ファン ID:U5go1ZJAp

もしかするとあえてバカを演じて世のアンチたちをけん制した可能性が微レ存?

 

303:名無しのウマ娘ファン ID:LAr4IVw6L

いやーあれはどう考えてもただのバカだろ。それ以前の言動を鑑みるに

 

304:名無しのウマ娘ファン ID:TVP+YanE2

すみません理解しました

半年間ROMります

 

307:名無しのウマ娘ファン ID:iPI/nOGrk

反省できる子は好きやで(にっこり

 

310:名無しのウマ娘ファン ID:asl9gjEfI

でもま、魔王様もまったく研究に手を貸していないってわけじゃないんだろ?

 

315:名無しのウマ娘ファン ID:dOqnThoJK

そうね。あまり本格的なものじゃない、なんなら『ソースは俺!』みたいなもんだけど

ウマソウル視点から見たレース関連のレポートもいくつか発表してくれているし

 

323:名無しのウマ娘ファン ID:BE+STOusq

貴重な情報源過ぎて、情報の裏付けができないのが難点だなw

 

328:名無しのウマ娘ファン ID:vbOlFET3t

サトノグループと共同で何やら開発しているって話も聞くけど

あくまで噂だけどさ・・・VRウマレーター内で活動する人造ウマソウル計画ってマジなんだろうか

 

337:名無しのウマ娘ファン ID:YUmeWJUue

うん?え?は?

ああいや、そうか・・・異世界の魂を降ろすのに器が生身の人間である必要は無いのか・・・

 

343:名無しのウマ娘ファン ID:1wcJDdKsG

あー、器としての条件を満たすものを人工的に用意できるのであれば、生身の人間にはとうてい不可能な大きさの器を造ることだって可能かもしれないな

何なら異世界からの歴史と名前にこだわる必要すら無いかもしれない

 

353:名無しのウマ娘ファン ID:ejpVeM4kc

そうか!テンちゃんレポートで述べられていた通り『ウマソウルが“願い”の結晶』なのであれば、この世界でも信仰を捧げられ神格化しているウマ娘たちは前提条件を満たしている!

ご本人そのものってわけにはいかないだろうが極端な話、三女神を現代にお招きすることも理論上は可能かもしれないのか!?

 

362:名無しのウマ娘ファン ID:h24CJF+8t

恐れ多いというか、罰当たりというか・・・サトノグループは未来に生きすぎだろ・・・

 

368:名無しのウマ娘ファン ID:VdHDzb47x

なんかむずかしいはなししてるー

 

373:名無しのウマ娘ファン ID:JHl2I2zRE

なにいってるのかさっぱりだな

 

375:名無しのウマ娘ファン ID:HKNNxhyuJ

つっても、形になるのはまだまだ先の話だろ?

 

376:名無しのウマ娘ファン ID:HQZbc1L8H

いやいや、最近の技術の進歩はすさまじいからなぁ

油断していると十年であっさり世界が変わるぞ

 

377:名無しのウマ娘ファン ID:UXivD6b3t

一昔前のマンガやアニメのSFを一部のリアルが凌駕しちゃってるからな

コンピューター関連とかまさにそうだ

 

378:名無しのウマ娘ファン ID:d8Hd30t9A

コンピューターが世に出たときは『パソコン』と呼ばれるほど個々人に身近な存在になると思わなかったし

パソコンが流通した時はさらにそれを小型化したスマホが一人一台の時代が来て世界中がネットで繋がるなんて思わなかったよなー

 

379:名無しのウマ娘ファン ID:vOh3yaTQ9

VRウマレーターを市販品にしたHENTAI集団サトノグループを信じろ!

 

380:名無しのウマ娘ファン ID:zwsCziEx2

いやいやいや、さすがに話盛りすぎだってw

ソースがはっきり確認できるのって魔王様がサトノグループでVRウマレーターの研究に協力ってところまでじゃん

 

382:名無しのウマ娘ファン ID:5aFkTwBRh

実際はウマ娘最高峰のスペックがVR空間内で再現可能なのかテストに協力してもらったってあたりが妥当なところじゃね?

 

400:名無しのウマ娘ファン ID:0PfP9gzYG

たしかにVR空間でテンプレオリシュの動き再現しようとすればいろいろバグったりエラー起きたりしそうな気がするわw

 

409:名無しのウマ娘ファン ID:ZNxVTQTSX

魔王様が絡んでいるかは定かでないけど、サトノグループがVRウマレーター内で使用するトレーニングサポートAIを開発中ってのは事実なんだよねー

プロジェクト名『メガドリームサポーター』ってやつ

 

419:名無しのウマ娘ファン ID:v+jvP5/YO

公式から発表された事実の断片がそれっぽく噂でつなぎ合わされて尾ひれを獲得しただけってオチだったか

なんだつまらん

 

431:名無しのウマ娘ファン ID:LF22uKf9+

でもさ、夢のある話ではあるよなー

人造ウマソウルIN三女神によるトレーニングってテンプレオリシュみたく強くなれそうじゃん?

 

450:名無しのウマ娘ファン ID:z1L4dMV/G

うーん、別にテンプレオリシュの強さが二重人格だけによるものだとは思わないが・・・

 

454:名無しのウマ娘ファン ID:K5crCdZ8F

仮に意思を持つウマソウルがウマ娘の魂に直接働きかけることがあの桁外れのスペックの一因なのだとすれば

VR空間とはいえ限定的に再現できれば、準ずる能力を持ったウマ娘の育成が可能・・・かもしれないのか?

 

465:名無しのウマ娘ファン ID:BUe8ZI6nG

そういう意味じゃあ人造ウマソウルが三女神様モデルっていうのは的外れな仕様ではないのか

自分自身であるテンプレオリシュほどでないにしても、すべてのウマ娘の始祖たる彼女たちならどんなウマ娘の魂にも密接に寄り添ってくれそうだ

 

481:名無しのウマ娘ファン ID:wnYD8zwRe

量産型テンプレオリシュか。胸が熱くなるな

 

500:名無しのウマ娘ファン ID:DqUxunWZy

ただの悪夢じゃねーかwww

 

505:名無しのウマ娘ファン ID:t/skhem/A

主人公クラスが総出でやっとの思いで一体倒したところに、地平線にずらりと並ぶギンピカの群れ

ま さ に 絶 望

 

508:名無しのウマ娘ファン ID:m57c9YHAM

>>505 むかし映画で見たことあるわそれw

 

509:名無しのウマ娘ファン ID:2+3FpxEYz

メタル魔王様は大草原

 

511:名無しのウマ娘ファン ID:nzqx4RMNK

俺さ、ぶっちゃけURAの夢杯隔離政策って好きじゃなかったんだよ

でもこの時代に生まれて魔王様を生で拝謁する機会に恵まれて、悟ったわ

あれは隔離するしかねえwwwwwじゃないと興業が成り立たんwwwwwww

 

518:名無しのウマ娘ファン ID:OzruKVrsO

ぐうわかる

魔王様を見る前「URAってひどいやつだな!!」(プンプン

魔王様を見た後「URAたいがいひどい目にあってんな・・・」(同情の目

 

525:名無しのウマ娘ファン ID:g5ctEB7EU

そういえばあのボスも学習能力に長けた常に進化するタイプだったなwww

 

545:名無しのウマ娘ファン ID:7Ooh9B4z+

実際のサポートAIがどうなるかはともかく、もしそんな未来になったら嫌だなー

従来のウマ娘の功績が完全に過去の遺物と化してしまうじゃないか

 

557:名無しのウマ娘ファン ID:iefhDClTb

そうとも限らんだろ。現代のウマ娘だって捨てたもんじゃないぞ

 

566:名無しのウマ娘ファン ID:pwzumCwOt

マヤちんとかガチの天才だよねー

 

582:名無しのウマ娘ファン ID:rJzOpZM6m

記念であと一歩のところまで魔王様を追い詰めたダイワスカーレットのことを忘れてもらっちゃ困るな?

 

601:名無しのウマ娘ファン ID:C1cz+EO0z

ダービーで魔王城の破壊に初めて成功したウオッカのこともな!

 

610:名無しのウマ娘ファン ID:k1jXzx1+X

ぶっちゃけアグネスデジタルが隣にいなければ、魔王様の旅路って今とはまったく別のものになっていたと思うんだよね

 

611:名無しのウマ娘ファン ID:jgy8/bU29

ほらな。同期だけでもこれだけぽんぽん名前が挙がる

 

614:名無しのウマ娘ファン ID:UZDkLBQQT

いわんやシニア級の戦線はこれからが本番だからな

 

619:名無しのウマ娘ファン ID:r83u+3TC7

マヤちんチャンネルとかレースにまったく興味が無くても見ていて面白い

 

633:名無しのウマ娘ファン ID:t9smmfK0W

天才美少女たちがきゃっきゃうふふしているのって見ているだけで楽しいよね

 

637:名無しのウマ娘ファン ID:4M2ZFz/Ta

生まれ持ったスペックが俺たちとは根本的に違うんだなぁってあれ見ていると思わされるわ

 

651:名無しのウマ娘ファン ID:FNrH1c0rF

純情乙。あんなのやらせに決まってんだろ

事前に猛練習してるのに初見プレイのふりしてんだよ

 

660:名無しのウマ娘ファン ID:3csyEJTqz

>>651 なんだぁテメェ?お?やんのか?

 

666:名無しのウマ娘ファン ID:FdcfCrSYM

この前ワイが駅前で見た光景↓

 

魔王様(財布から小銭を取り出している)

ワイ「ジュースでも買うのかな?」

魔王様(指の上に積み重ねていく)

ワイ「???」

魔王様(コインを弾く。てんでバラバラに宙を舞うコインを一枚残らず手の甲で受け止めていく)

ワイ「ファ!?」

魔王様(コインの上に手をかぶせて)「どっちだ?」

自在ちゃん「えーっとねー・・・わかった!500円が表、百円が裏。十円が表と表。一円が表と裏だね!」

魔王様「あたりー」

きゃっきゃ

 

待ち合わせに遅れてきたと思しき同期のマイル王ちゃん「ええ・・・俺の知ってるコイントスじゃねえ・・・」

 

 

679:名無しのウマ娘ファン ID:FKeP6f3Od

しっ。ああいうのはスルー安定。触れたら喜んで増えちゃうだろ

って>>666ぅ!?

 

700:名無しのウマ娘ファン ID:Vai7PnQyT

待ち合わせ中の暇つぶしでそのレベルなのか(戦慄

 

702:名無しのウマ娘ファン ID:nUfSbTz2d

天才ぃ・・・ですかねぇ・・・

 

717:名無しのウマ娘ファン ID:/Xo6jVSuY

ウ○ッカちゃんにぐう同意

 

729:名無しのウマ娘ファン ID:FdcfCrSYM

新生活の疲れがふっとんだワイの特別な宝物エピソードやったけど

魔王様を侮辱しようってなら公開も辞さない

 

747:名無しのウマ娘ファン ID:fILb4nf3g

>>729 やだカッコいい(キュン

 

753:名無しのウマ娘ファン ID:gTyh/YX1D

漢だな、ビーストの兄貴と呼ばせていただこう

 

768:名無しのウマ娘ファン ID:AE/CmbaVp

何故ビースト?

 

776:名無しのウマ娘ファン ID:dfr45YGJ+

ほら、エピソード開示したレス番が獣の数だったから・・・

 

782:名無しのウマ娘ファン ID:AE/CmbaVp

ああー(納得

 

790:名無しのウマ娘ファン ID:tuupWgpJk

いいなー府中。そういうのが生で見られるんだ

 

 




これにて今回は一区切り!
いつも通り書き溜めに移行します

目安はクリスマス前後かなぁ
意外と書きたいエピソード多いのよね。時系列が大変だ


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長い長い道の先へ
砕けた夢のゆくえ


クリスマスプレゼントの時間だオラァ!!
25日になったので事前の宣言通り、投稿を開始します。
いけるいける、理論上は可能なはずなんだ。がんばるぞ、おー!

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U U U

 

 

 影すら踏ませなかった。

 精魂尽き果てたというありさま、全身汗みずくの今にも崩れ落ちそうなアキナケスさんの前で私は悠々とその顔を覗き込む。

 本来の身長差はアキナケスさんの方がだいぶ高いのだが。まるで頭部の重みさえ耐えがたいと膝に手を突き身体を支える彼女と、すらりと背筋を伸ばした今の私ではこちらの方がやや上。

 冴え冴えと光る青い左目、それをぱちりと閉じるように笑う。代わりに炎のように煌めくは赤い右目。

 

「まー頑張ったんじゃない? 人生ワンオペ勢にしてはさ」

 

 そして発言は上から目線というレベルの話ではない。笑顔で言うセリフか、それが?

 台本通りでアドリブは入れていないし、既に撮り終えているので今さら何ができるというものでもないのだが、こうして客観的に見てみるとかなりひどい。

 

「…………」

 

 反発する気力さえ無く、しかして目を逸らすわけでもなく。

 黙ったまま肩で息をするアキナケスさんを前に、私は興味を失ったかのように無表情になるとそのまま踵を返し立ち去った。

 

 場面が変わる。

 

 すっかり日が沈んだ公園で街灯のささやかな明かりを頼りにアキナケスさんが走っている。

 中央トレセン学園なら日が沈んでからもしばらくはグラウンドを照らしてくれる巨大な照明があるが、当然ここにそんな高価なものは無い。

 何本目かのダッシュを終え、納得のいく出来ではなかったのか硬い表情のまま荒い呼吸を続けるアキナケスさん。

 

「アキ」

 

 そこに画面の外から、声と共にペットボトルが飛んでくる。

 ぱしりと反射的に受け取ったアキナケスさんの表情はキョトンとほどけており、先ほどまでの険しさは無い。

 ちなみに手の位置はきちんと計算されていて、この時点からちゃんとペットボトルのラベルに刻印された商品名が確認できる。

 夜の街から漏れ出る灯りを背に、歩いてきたのはドラグーンスピアさん。何度もリテイクを食らった甲斐あって、浮かべている笑みは実に自然でシニカルなものだ。どのようなものであれ苦労の成果が実るのは喜ばしいことだと思う。

 

「……ふぅ」

 

 本来ならここにはいくつかセリフがあったのだが、度重なる試行錯誤の果てに全面的にカットされた。

 ため息ひとつでアキナケスさんの隣に並びゆっくりとストレッチを始めるそのたたずまいに、作り物の言葉は無粋だというテンちゃんの主張が採用されたのだ。

 幼馴染という関係性。レースという世界で、肩を並べ走り続けてきた長い時間が醸し出すもの。

 ウイニングライブに代表されるようにレースに生きることを選んだウマ娘は少なからずアイドルのような立ち振る舞いを求められるが、演技はまた勝手が違う。

 私はできるけど。でもテンちゃんと比べたら見劣りするし、そんな私より下手なウマ娘だってたくさんいる。

 今のドラグーンスピアさんはアキナケスさんしか見えていない。それができるように努力を重ねた。今の彼女たち二人の間に流れる空気は演技で作られたものではないのだ。

 ふと脳裏にスカーレットの存在がよぎる。

 幼少のみぎりから共にレースの世界にいたという点では彼女たちと同様だが、私とアレではこうはいくまい。

 やっぱり、スカーレットと私は幼馴染というより腐れ縁なのだろう。

 

「しっ!」

「ふっ!」

 

 阿吽の呼吸というものか、特に合図らしい合図も無く併走を始めた二人を別の角度からカメラがとらえる。

 

『人生ワンオペでもがんばるあなたへ ウマナミンX』

 

 走る二人を背景に、BGMのサビに合わせ白抜きのキャッチコピーが流れて――終了。

 完成したCMを前に私たちは三者三様の反応を見せた。

 

「あー、本当にこれでいいのか!? 何度もやっているうちにわけわかんなくなった。つーか、演技している自分見んのやっぱ恥ずいわ!」

 

 わしゃわしゃと頭を掻きまわしながら唸るドラグーンスピアさん。

 

「だいじょーぶ。とっても上手だったよ」

 

 その隣でアキナケスさんがよしよしとなだめている。実際に頭を撫でているわけではないが、きっとそれはドラグーンスピアさんが嫌がるから。許されるのなら頭の上に手を置いていただろうなと思わせる雰囲気だった。

 

 そして私はそんな彼女たちを何となく手持ち無沙汰に眺めている。内心でテンちゃんがとても楽しそうだからそれでいいか。

 

「これまでドラちゃんはこういうの引き受けてくれなかったから。『フォームが崩れる』って言って。だから、経緯はどうあれこうして一緒に撮影のお仕事ができてうれしい」

「うっ……だってそれはよぉ。つかドラちゃん言うな」

 

 ドラグーンスピアさんの発言はただの食わず嫌いの言い訳ではなかろう。苦手意識があったのは事実なのだろうけども。

 完成した走法というのは膨大な数の微細なパーツを緻密に組み合わせた芸術品だ。下手に分解してしまえば持ち主であろうとまったく同じ形に戻すのは至難の業。私やマヤノならできるけど、大半のウマ娘には実質不可能と言ってしまってもいいくらい。

 次走の距離やレース場、ときには当日予想される天候に合わせフォームを調整するのは珍しい話ではない。だがその変化は成長と言い換えることができる。自分はレースに全力を尽くしたのだと自分に言い聞かせることができる。

 一方の撮影現場。見栄えのする走り方とレースで有効な走り方は異なる。

 

《ゴールドシチーのキャラストでも見栄えのするフォームに改良しようとした前任トレーナーとケンカ別れになる展開とかあるしな》

 

 玄人を唸らせる位置取りなど素人にはわからない。せいぜい今誰が先頭を走っているのか判別できれば上出来といったところだろう。

 カメラ映えするように走り方を工夫する。それはほんの些細な変化。撮影が終わればあっという間に元の走りに戻せるだろう。だがたしかに、一度は微細なパーツをいくつか組み替える必要があるのだ。

 それがレース中の最後の一伸び、ほんの一歩に影響する。パーツはちゃんと足りているのか。間違った位置にはめ込んではいないか。一度外したことで歪んでしまってはいないか。あのとき撮影のために走法を歪めてしまったからと、自分の走りを信じきれなくなる。

 ドラグーンスピアさんみたいなテンションがコンディションに良くも悪くも大きく反映されるタイプにとってはわりと致命的だろう。そういう意味では自分を知っていたからこその賢明な判断と言える。

 

 私が現段階で海外遠征にいまひとつ乗り気になれない遠因でもある。

 あれは往復便ではなく片道切符の二乗。

 海外レースは日本のレースとは何もかも勝手が違う。まあ様々な分野においてそうであるように、海外が独特というよりは案の定この島国がガラパゴスじみた進化を遂げた側面もあるのだけどそれはともかく。

 共通しているのはゲートからスタートして、そこから出て走ってゴール板を真っ先に通過したものが勝者ということくらいか。

 いや、それすらラビットに代表される『自身が勝利するのではなく、チームの一員として勝利を追い求める姿勢』が容認されるあちらの風潮を鑑みると断言できないかもしれない。

 

《単純な環境の違い。【慣れない芝】に【未知のコース】といった課題を始め、海を渡る以上は【時差ボケ】や【海外の食事】に端を発する体調不良も無視しがたい障害であるし、【言葉の壁】や【長距離移動】のストレスも問題だ。それらを乗り越えたところでレース当日の【アウェー感】や【極度の緊張】を克服できるかはまた別の話だし、このオカルトが仕事をし過ぎる世界ではこれまで日本レース界が積み上げてきた負の【ジンクス】も盛大に足を引っ張ってくれるだろうね》

 

 脳内でテンちゃんが指折り数える。

 聞いているだけでうんざりしてくるな。

 

《VRウマレーターがまだトレーニングに活用できるレベルまで発達していないからなぁ。ぜんぶ自力で補うとなれば至難の業だぞ。そもそも大前提として海外遠征するなら金も人手もべらぼうにかかるだろうし、リスクとリターンが今のぼくらには見合っていないんだよねぇ。あーやだやだ》

 

 URAが認めた海外遠征の場合、その費用はURAおよびトレセン学園が負担する決まりだったはずだけど。他人の財布とはいえ莫大な出費というのは、一般家庭の価値観を持つ私からすると存在そのものが心苦しい。

 それに一度海外仕様に肉体改造してしまえば、帰国後にもう一度この国の高速バ場に合わせた再改造を行う必要がある。

 サイボーグのパーツを入れ替えるのではないのだ。よほど上手くやらない限り、容易く歯車は狂うだろう。

 

 ……でもまあ、私なら無駄な投資にはならないか。

 慣れない芝も未知のコースもダート短距離と芝長距離ほどの差異は無いだろうし、さほど問題にはならない。

 時差ボケはちょっと経験が無いから何とも言えないけど、食事の方はたぶん何とかなる。栄養になるなら何でも食えるから。歯も消化器官も頑丈なのだ。

 感情が鮮明化してから美味しい食事がこれまで以上に美味しくなったので、海外の食事が口に合わないとつらいかもしれないけど。必要と割り切れば何も感じなくなるだろう。そしてちゃんと食って寝ていれば私のコンディションは崩れない。

 言葉の壁に関してはけっこう前から、それこそジュニア級の時点で選択肢の幅を広げるためトレーニングの裏で着々と語学の勉強は進めていた。今ではフランス語と英語は現地の言語で書かれた論文だって読めるし、中国語も日常会話くらいならなんとか。

 海を渡るような長距離移動にアウェー感、極度の緊張も類似した状況ならともかく完全に一致するような経験は無いから断言には至らないけど。結局のところ私はテンちゃんさえいれば好調なので大した問題にはならない気がする。

 ジンクス? その程度で私たちを縛れるっていうならやってみれば?

 

 …………あれ? これやる気にさえなればかなりやれちゃいそう?

 まあそのやる気が無いんだけど。

 落ちれば死ぬとわかっている崖をわざわざ好きこのんで飛び越える嗜好を私は持ち合わせちゃいない。

 道なりに行けば目的地にはたどり着けそうなのだから、わざわざハイリスクなショートカットを選ぶ意味は無いし。

 

《いやまあ、春秋シニア三冠達成に短距離マイルダートGⅠ制覇のグランドスラムを『道なり』なんて表現していいものか判断に迷うところではあるんだが……》

 

 そもそもそのショートカットが本当にショートカットとして機能するかも怪しいところだ。

 凱旋門に代表される海外遠征に血眼になっているのはレース関係者が主で、それ以外の人間にとっては『なんか海外の有名なレースがあるらしい』といった認識がせいぜいだろう。

 

《喩えるなら、野球で大記録を打ち立てた選手がクリケットのワールドカップに挑戦させられるようなもんだと思うぜ? この世界でもクリケットはレースとサッカーに続いて三番目に人気のあるスポーツだと言われていて、その競技人口は三億を超える。海外のトッププレイヤーの年収は日本円にして三十億オーバーさ。ただ、この国じゃあ競技人口千五百人程度とマイナースポーツ扱いなんだよなぁ。

 『伝統と格式ある競技だから』と海外のタイトルへ、ルールがだいたい似通っているだけの国内タイトルで優秀な成績を出した選手を送る。いやなんでだよって一般人はなるだろうし、一般家庭出身のぼくらもやっぱりロマンを共有しきれずモヤモヤするわけだねぇ》

 

 どんな分野もライト層の割合が一番多いものだ。

 苦労して海外行って勝利して一部のレース関係者の深い信仰と、不特定多数から『なんか海外のすごいレース勝ったらしいよ』『へーすごいね』と薄い興味を稼ぐよりは、国内で万人にわかりやすい前人未到の功績を打ち立てた方が膨大な“願い”を集めるという私の目的に合致している。

 あと稼げる。海外遠征は目標となる大レースこそ賞金が多いものの、それ以外のレースは総じて賞金が低い傾向にある。

 移動距離と現地への適応にかかる時間を考えると国内で重賞を勝ちまくった方が断然、効率がいい。何気にこの国のレース賞金は世界で見ても高い方なのだ。

 

《何なら海外遠征につき個人で準備しなきゃいけないあれやこれやの出費だけで下手すりゃ赤字ってこともありえるからなぁ……。まあでっかいスポンサーがつくようなプロジェクトが立ち上がればまた話は別だが、まだそんなイベントは無いようだし》

 

「しっかし、レースを引退したっつーのに早々走らされるハメになるとは思わなかったな。オレだったからよかったものの、わりと鬼畜じゃね?」

「ドラちゃんだから、だよ」

「ドラちゃん言うなって…………もういいや」

 

 テンちゃんと取り留めのない話をしているうちに、目の前のお二方の会話は次のステージに進んだらしい。

 あとドラグーンスピアさんが何か諦めていた。根負けするほど相手の望まない呼称を使い続けるなど、アキナケスさんにはいかなるこだわりがあるのだろうか。

 

《レースに懸けていた人生も、その時間も否定したいわけじゃない。でもその間に変形してしまった関係をもう一度、フラットな状態に戻したいんじゃない? 深くは知らんけど》

 

 知らないことを知らないって言えるのは大切だよね。推理と根拠無用の妄想は分けていこう、うん。実は私もそこまで興味があるわけじゃない。

 

「ドラちゃんはこれまで走ることしかしてこなかったでしょ。あまり器用じゃないきみがいきなり走り以外に手を伸ばしたって、上手くいかないよ」

「ぐ……言ってくれるじゃねーか」

 

 ぐぬぬと歯噛みしつつも否定はしないドラグーンスピアさん。

 でもこれ、わりと切実な問題だったりする。

 これまで走ることに人生を費やしてきたウマ娘の生活パターンから走る時間を取り上げてしまうと、とたんに何をすればいいのかわからなくなってしまう。

 そんな定年退職したサラリーマンのような悲哀を背負う年若い少女たちが意外と多い。

 

 あのテイオーでさえ自動証明写真撮影機を指して「へー、あれがプリかぁ。せっかくだし一緒に撮ろー?」などとドン引きものの発言をしたことがある。

 クソガキじみた言動に隠されているが、あの自他ともに認める天才ですらプリクラと証明写真の区別もつかないほど『当たり前の人生』を削ってここにいるのだ。

 中央だろうと地方だろうと関係ない。彼女たちは己のすべてを懸けてレースに臨んでいる。

 これが一番よさげな方法だし、ダメならダメで別の道を探すかーなんてノリでこの道を選んでここまで来てしまった私は圧倒的少数派なのである。

 

「ドラちゃんは引退したから、やっと『レース』と『走り』が切り離されたんだよぉ」

 

 人差し指と中指でピースをつくり、ちょきんと何かを断ち切る仕草をするアキナケスさん。

 レースを走るウマ娘にはウイニングライブのようなアイドルじみた業務があるとはいえ、その中でも彼女はひときわメディア慣れしているというか、他者に見られる動きというものが自然と動作の節々に沁み込んでいる気がする。

 一歩間違えば同性から嫌われるあざとさになりそうなものだが、彼女独特のゆるくマイペースな雰囲気がそれを絶妙なバランスで中和して魅力に変えている。NAUの看板ウマ娘は伊達ではないということか。

 

「少しずつ知っていこう。勝敗が絡まない『走り』の魅力。レースをやめたからって走ることの楽しさまで否定する必要は無いんだ。走ることに費やしていたこれまでを、邪魔な荷物として全部捨ててゼロから再出発する必要なんてどこにも無いんだよぉ」

 

 見栄えのする動作が得意という点では少しだけテンちゃんに似ているかもしれない。

 まあテンちゃんがギラギラと輝いて周囲を引き寄せる火力過多の誘蛾灯だとすれば、アキナケスさんはおだやかに人を集める風鈴といった感じだが。

 人目を惹くという一点だけが共通項で、本質的には別物だ。

 

「だからね、走ることからちょっとずつ広げていこう。それは未練がましくレースにしがみついていることにはならない。新しいこと、探していこう。わたしはねぇ。ウララちゃんがどれだけすごいウマ娘なのか、ドラちゃんにも知ってもらいたいんだ」

「お、おう」

 

 これまで勝つことだけを考えて走ってきた身としては、その観念はあまりにもなじみのないものなのだろう。ぎこちなくドラグーンスピアさんは頷いた。

 ただ、新たな一歩を踏み出そうとしている彼女の気概は間違いなく本物。

 

「そっちの方面じゃオレは素人だ。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いするぜ、センパイ」

「うん。しっかり応援(サポート)するからね、親友」

 

 慣れない味に四苦八苦しながらなんとか噛み砕いて呑み込もうとしている。

 同期だった相手に面と向かってまっすぐそんな言葉を吐ける根性。さすが地方所属でありながら中央GⅠに殴りこんできただけのことはある。

 

《うんうん、ぼくらが出張った甲斐があったみたいだね。今回の植林は大成功だ》

 

 テンちゃんが満足そうに脳内で頷いていた。

 植林というか、どっちかといえば間伐材の有効活用じゃない?

 

 

U U U

 

 

《あ、リシュ。かわってー》

 

 仕事帰り。葵トレーナーとも学園前で別れ、あとは寮の自室に帰るばかりといったところでテンちゃんの求めに応じ肉体の主導権を譲り渡す。

 ドラグーンスピアさんはやる気と熱意に満ち溢れた人ではあるが、このお仕事にはまだまだ不慣れな初心者。撮影が長引くことを想定して今日はまるまる撮影用に空けていた。それが想定より撮影が順調に進んだ結果として、中途半端に一日が残ってしまっている。

 自主練に回してもいいのだが、今日これ以上の負荷を掛けてしまうと明日以降のメニューに支障が出る。ウマ娘の衝動を満たすため余計な苦労を葵トレーナーにかけるのはしのびない。

 レースやら何やらで授業に出られないことも多いトレセン学園だ。六年間の初等教育で慣習に馴染み、中央トレセン学園に進学してからは目まぐるしく状況が移り変わって忘れそうになるが、私はまだ中等部三年生。いまだ義務教育の範疇にいる身としては平日なのに登校しない居心地の悪さは消えないけども、うんまあ慣れた。

 中央の制服はネームバリューがあるし、私自身もかなり顔が知られてる。学園付近なら平日のこんな時間帯に制服を着た子供がうろうろしていようと補導されるようなことはない。ただ休日ではないし、遊ぶために与えられた時間でもないのだから大手を振ってゲーセンなどに立ち寄るのは望ましくない。

 ちょっと得したようで、かといって使いように困る。そんな平日の切れ端が今だった。

 

「おっす!」

「うわっ」

 

 前方にいた人物に勢いよく駆け寄り背後からがっと肩を抱くテンちゃん。

 相手はランドセルを背負った小学生男子だ。そうか、小学生は学年によってはこの時間帯に下校なんだな。数年前は自分のことだったはずなのに、すごく遠く昔の話に思える。

 

「ひさしぶりー、元気だったかー?」

「……ああ、なんだテンねえちゃんか」

 

 うーん、誰だろ。見覚えがあるような、無いような。

 名前を思い出そうとして思い出せないってことは、私の記憶力から逆算するに最初から憶えていなくていいカテゴリーなんだろうけど。

 

「ちょっと見ない間に背伸びたなー。むしろ抜かされてないかーこれ?」

「……あ、うん。そうだね」

 

 相変わらず私の身長は学園に入ってからぴくりともしてないので、こうして年齢別平均身長と大差ないランドセルを背負った相手にも場合によっては負ける。

 しかし何だろう。妙に相手の反応が悪いというか。急に背後から強襲されたということを差し引いても何か言いたげだ。

 

「…………テンねえちゃんって、リシュだったんだよな」

 

 巨大な岩をさんざん苦労してわずかに動かすように。

 重苦しい口調で彼はようやくそれだけを口にした。

 

 ああ、思い出した。やっぱり名前は憶えていなかったけど。

 いつだったか、テンちゃんに誕生日プレゼントを贈ろうとしていた少年だ。

 あの後、何気にしっかり私のアドバイス通りにお手製のシリアルバーを作り、情報料だと私に分けてくれたのだっけ。

 彼にさしたる興味は無いが、あのシリアルバーが今の私の血肉を構成している分くらいには親切にしてやってもいいかもしれない。

 

「そうだよー。最近はテレビの前のお茶の間をにぎわせるような番組にもちらほら顔を出し始めたからね。どれか見てくれたのなら視聴率ありがとうと言っておこう」

 

 二重人格。

 そのキャラクターを世間に浸透させるため、喋るときに今どちらが身体の主導権を握っているのか片目を閉じてアピールする行為は継続中だ。

 もともと私とテンちゃんは表情筋の動かし方も声帯の使い方も違う。そこに今どちらの目を開けているのかという指針が加われば、第三者の視点からも私たちが同一にして異なる存在であるとわかりやすかろう。

 

「……っ! バカにしていたのかよ。気づきもしないで、一人で勝手に悩んで浮かれてはしゃいで。それをこっそり笑っていたのかよ!」

 

 おや、珍しい。

 さすがにこれを『なんか急に怒り出した』と切って捨ててしまうのはダメだろう。コミュ障を通り越して人間としてアウトって気がする。ちょっと感受性が欠けすぎ。

 

 幸運なことに二重人格をカミングアウトしても私の周囲の人間関係はさほど変化を見せなかったが、それでも中には思うところがある者もいるわけで。

 ここまでダイレクトにぶつけられたのは初めてだけどね。

 重たい岩も一度動いてしまえば勢いがつくもの。必要以上に攻撃的になって、自分でも思っていた以上のことを言ってしまっているのではなかろうか。

 

「お前を陥れるためにわざわざ何かするほど、私にとってお前の価値は特別じゃないよ」

 

《それで考えた末に出るセリフがそれっていうのが、まさにリシュって感じがするよね。見てよあの顔、転がり始めた岩がセンター返しでホームランって感じ》

 

 あっれー。おかしいな。

 いろいろ理論武装していたのに、ちょっとばかし冷静じゃないのは私も同じらしい。

 

 そもそも、テンちゃんと私の関係性は秘密じゃないのだ。

 より正確に表現するのであれば『隠さなければならないような負い目ではない』とでも言うべきか。

 私たちは生まれたときから私たち。ふたりでひとつのテンプレオリシュ。それはバレてはならない秘密などではない。

 ただ二重人格という状態が世間にとって異端であることは事実であり、異端を人間は厭うものだ。それは個々人の感性がどうのというよりは人間という動物の性であり、迷惑ではあっても善悪ではない……とはテンちゃんの言葉。

 摩擦が発生するのは必至だろうし、その上でわざわざ周囲に理解を求めるだけの動機がこれまでは存在していなかった。

 受け入れてほしい相手には初めから絶対的に受け入れてもらっている。自己肯定感のゲージは常にMAX。承認欲求が割って入る余地など無い。

 

 それでも気づく者は気づくし、その中でも正面切って確認してきた相手にはちゃんと真正面から肯定してきた。

 嘘をついてまで誤魔化したことなど一度もない。

 コイツが気づけなかっただけだ。その程度の存在だったという話だ。

 それを棚に上げてこちらを責めるのはちょっと筋が通らないんじゃないかと思うぞ、うん。だから私は悪くない。

 

 テンちゃん曰く精神のホームランを受けた少年はぽかんとしていたが、しばらくして再起動すると、まるで身体の中に渦巻いていたすべてを吐き出すように深々とため息をついた。

 

「はあぁ―――――。そうだよなぁー、リシュってこういうやつだったわ……」

 

 なんか呆れられた。ついでにバカにされている気もする。

 ただ、さっきまであった危うさみたいなものは消えたから別によしとするべきか。

 

「じゃあさ、逆にどんな相手ならリシュは『わざわざ何かする』んだ?」

 

 何故だかそんなことを急に尋ねてきたりもする。

 ふむ、意外と難しい質問だ。特定の誰かのために何らかの行動を起こす私というシチュエーションが、自分でもぱっと思い浮かばない。

 ああでも、クラシック級になった頃にやらかしたテンプレ連戦は元はと言えばデジタルの助けを求める声に応じたのがきっかけだったような。

 うん、友達と認定した相手のためにはけっこう骨を折ることが多い気がするぞ。じゃあどういう基準で私の交友関係って構築されているんだろうか。

 

「レース関係者相手なら意識する機会がぐっと増えている印象があるね」

 

 ぱちんと左目を閉じてウィンクしながらテンちゃんがそう答えていた。

 別にレースに人生を捧げているような、中央のウマ娘たちと同じ生き方をしているつもりは無いんだけどね。

 走るのは嫌いじゃないけどレースはあくまで目的のための手段。負けるのは気に食わないけど勝つのはそこまで特別なことじゃない。それが私で、それを変えようとも思わない。

 でもこうやって改めて振り返ってみると、私って人生で自由になるリソースの大部分をレースに費やしているんだなって。

 まあ当たり前か。努力する天才なのは大前提。その上でどうしようもなく差異が出る魔境がここなのだ。片手間に渡っていけるような場所ではない。

 幸運なことに私はつぎ込んだ分以上のリターンがきっちり返ってきていることだし。名義上は私のものである口座残高は現在進行形で現実味の無い数値を更新中である。

 

「だったらさあ、オレがトレーナーになれば『何かしてくる』こともあるってことか」

「かもね」

 

 中央のトレーナーになるのがどれだけ困難かという、わかりきったことはさておき。

 敵陣営の情報という観点においてトレーナーの情報は欠かせないものだ。それは逃げ至上主義みたいな極端な育成方針の偏りであることもあれば、うちの葵トレーナーのように実家の力で膨大なアドバンテージが生じることもある。

 時間も労力もリソースには限りがあるのでウマ娘のそれには劣るものの、トレーナーの情報も手の届く範疇で私はしっかり頭に入れている。

 

「リシュはこんなんだけど、実は最終的には折れるタイプだ。そもそも追い続けることができる相手がごく少数だから、追い続けてくれる相手には対応が甘くなるんだよな。がんばるっていうなら応援するぞー少年」

 

 なんかテンちゃんがひどく無責任なことを言ってやがる。

 それで一人の人間の将来が決まったらどうするつもりなんだ。

 

 ターフに骨をうずめる覚悟でレースに関わっているウマ娘も上澄み勢の中には存在しているが、私はそうではない。稼げるだけ稼いだらとっとと引退するつもりだ。……今なら多少の義理で数年くらいなら付き合ってもいいかなと思わなくも無いが。

 彼が何歳なのか知らないし興味も無いが、ランドセルを背負っている年齢であることは確かだ。仮にストレートで中央のトレーナーへの就任が叶ったとしても、その頃には私はURA所属からただの野良ウマ娘にジョブチェンジしている可能性が高い。

 

《へーきへーき。努力は無駄にはならないから》

 

 綺麗事っていうのは薄っぺらいからくちどけが優しいんだな。そう思わせるテンちゃんのセリフ。

 まあ中央にトレーナーが増えるのは悪いことじゃないし、動機がどうあれ中央のライセンスを取得しようと努力して得られたものは目的に到達できるか否かに関わらず彼の人生を支える糧となることだろう。

 

 うん、私しーらね。

 

 何かを決意したようにぐっと拳を握りしめる少年を前に、私は思考を責任ごと放棄するのだった。

 

 



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U U U

 

 

 一月に新しい勝負服を手に入れてからというもの、私たちは徐々にメディアの露出を増やしていた。

 といっても、別にトレーニング量を減らしてお仕事を増やしたわけではない。これまでは断ってきたバラエティー番組やCMへの出演など、受けるお仕事の方向性が変わっただけだ。

 相変わらず現状はレースが第一優先である。他に比重を置いて切り抜けられるような容易い戦場ではないのだ。なお健康と安全は殿堂入りの模様。

 

 趣旨で言えば私たちのファンの需要に応えるお仕事が従来のメインだったのが、私たちの存在を不特定多数に知らしめる内容のものが増えてきた。

 私たちは前代未聞の記録を打ち立てた年度代表ウマ娘だ。これまで手を付けていなかった分野だって、その気になれば引く手あまた。売り込むのではなく選ぶ立場。

 そんなとき、テンちゃんの設定した選考基準は『私たちと競った経験のあるウマ娘』の存在。

 どんな業界においてもコネクションは重要だ。私もレース業界に足を踏み入れてからというもの、葵トレーナーおよび桐生院家のコネにはさんざんお世話になった。

 そしてこの二年で数々の功績を打ち立て、また塗り替えた今、私たちの方がコネに助けられる側からコネを結んでおきたい対象になりつつある。

 だからあくまでトレーニングやレースとの兼ね合い次第ではあるが。私たちへのオファーが複数入ったとき、提示された条件に大きな格差が無いのなら。

 判断材料の第一候補として、私たちと走ったウマ娘が所属している組織か否かを判断する。そういうことだった。

 

 私たちが踏み砕き、それでもなおレースから離れずにこの業界に何らかのかたちで関わろうとしているウマ娘たち。

 間接的にその命運を断ってしまったのなら知りようが無いしそこまで手を伸ばすつもりもないが、直接走ったことのある子ならみんな顔と名前を憶えている。

 新しい場所で何かを始める時、私たちと競った経験が少しでも手助けになるように。

 

《ま、ポジティブな一面ばかりじゃないんだけどね》

 

 テンちゃんの声に苦味が混じる。

 

《ぼくらが彼女たちのことを気にかけているって、この取捨選択を続けていけば遠からずわかることだ。それを目当てに採用される子だっているだろうけど……あくまでこちらのレース第一って優先順位は変わらない。テンプレオリシュを釣り上げる餌として用意したのに食いつかない役立たずだと非難される子がいるかもしれないと思うと今から心が痛むよ》

 

 そこまで気にしてやることも無いと思うけどな。

 そもそも引き受ける仕事の方向性を変えたのは、より“願い”を集めやすくするためだ。私たちがふたりでひとつのウマ娘なのだということをレース外でも印象付けていく、広報活動の一環。

 植林も間伐材の有効活用も大切なおこないではあるし、巡り巡っていつか自分の身を助けると信じて行っているけども、あくまで本命の余力で行う程度のものであるという事実は変わらない。

 

 それに、彼女たちの頼れる相手が私たちとの関係性のみというのならいざ知らず。

 この私ですらたった二年で葵トレーナーにデジタルとミーク先輩、マヤノにバクちゃん先輩、その他〈パンスペルミア〉の面々を始めとした関係性(コネクション)に恵まれたのだ。

 夢は叶えられなかったかもしれないけど。トレセン学園で残したのが私たちへの敗北だけってことはありえないだろう。学園で彼女たちが積み上げたものが今の彼女たちを支えているはず。

 あくまでテンプレオリシュとのコネクションは彼女たちがトレセン学園で勝ち取った手札の一枚。活かすも殺すも彼女たち次第。それだけの話だ。

 そういう観点では私たちも彼女たちも同列、横並びの存在でしかない。手取り足取り面倒を見てやる必要などどこにもないのだ。

 

《あー……そりゃそうだ。ごめん、なんか世界が自分を中心に動いていると盲信している痛いオリ主みたいな考えになってた。ありがとさん》

 

 どういたしまして。

 芸能界というのは良くも悪くも毒がある。転じれば薬として活用できるものではあるし、それは多くの人を救っているのも事実だが。加減を間違えればあっという間に中毒だ。

 テンちゃんはこれでいて根が真面目というか、相手に向き合おうとする傾向があるからやや毒されかけていたのだろう。

 最初から興味も熱意も無い分、そのあたりは私の方が俯瞰しやすい。

 ま、世界が私たちを中心に回っているのはさほど間違ってはいないと思うけどね。

 この世代の中心はテンプレオリシュ(私たち)だ。謙遜するまでもないただの事実。

 

 バラエティー番組で私が何気なく発した『人生ワンオペ』発言は単一人格どもにとってはカルチャーショックだったらしく、いまや軽いブームになりつつある。

 いろんなお仕事関係で事あるごとに言わされるほどだ。前回のCMでも言ったし。何ならキャッチコピーに組み込まれていた。

 

 アキナケスさん経由で持ち込まれた案件。

 ドラグーンスピアさんがレースから引退してからの初仕事。

 なにせレース業界で成果を出したウマ娘というのは歌って踊れるフィジカルエリートの美少女と相場が決まっている。きちんと需要と供給を嚙み合せる窓口に恵まれればマルチタレントのような活躍を期待できるだろう。

 まあ、マルチタレントといえば聞こえはいいが実際は仕事を選べない若手の悲哀をしばらく味わうことになりそうな気もするけど。あの二人ならたぶん大丈夫なんじゃないかな、知らんけど。

 

 お友達価格で引き受けたのは何も親切心ばかりではない。

 地方トレセンから中央GⅠに殴りこんできたウマ娘ということで、彼女たちはそれなりに業界関係者から注目されていたのだ。

 今回のCMを経てまた新規開拓が見込める。

 お互いにメリットがある。だから引き受けた。

 ほどこしをするつもりはないし、借りっぱなしもしない。健全なお付き合いなのだ。無理は一時的に状況を改善するように見せかけて、解決できなければ後で反動が来るだけだからね。

 もう一度言おう。無理は、いけない。

 

 だから、どうしようね。

 この道端でぶっ倒れている理事長代理、どう始末をつけよう?

 

「えぇ……」

 

 いや本当にどうしてくれようか。

 いったい何故、学園のお偉いさんがこんなところに転がっているのだ。

 徹底管理主義に反発する生徒の凶行……にしてはいささか犯行に至るのが遅すぎる。

 いや、時期的に入学直後の新入生が限られた情報のもと正義感を暴走させてって線も無くはないのか?

 まあ血の臭いもしないし、背後からぶん殴られたとかではなさそうだけど。

 

《リシュ》

 

 テンちゃんの求めに応じ肉体の主導権を譲渡する。

 即座にテンちゃんはてきぱきと樫本代理を調べ始めた。

 

《うん、呼吸も脈拍も正常。着衣に乱れナシ。外傷も確認できず。事件性はなさそうだね》

 

 ああそうか。トレセン学園ってその性質上、実質女子高みたいなもんだけど。

 ()()()()事件の可能性もゼロじゃなかったわけか。

 検証は私でもできる……というか勘の鋭さは私の方が上のはずなのにわざわざ役割を買って出るはずだよ。

 守られてるなぁってこういうとき改めて思わされる。

 

《ただ過労でぶっ倒れているだけっぽい。念のため保健室に運んでおこうか。それが済んだらココンにも連絡入れておいた方がいいね》

 

 ココンに? なんて言うのさ?

 

《私が拾いましたって。三割貰えるかも》

 

 三割ってどのへんだよ。

 

 

 

 

 

 樫本理子というこの女性のこと、私はどれだけ知っているのだろう。

 URA幹部で、理事長代理で、チーム〈ファースト〉のチーフトレーナー。

 徹底管理主義を掲げ教育管理プログラムを布こうとしている、学園の自由を脅かす外来種。

 

 ただ、何だかんだ既に二年も同じ学園にいるのだ。

 チーム〈ファースト〉の面々もれっきとした学園の生徒であり、ココンみたいに人付き合いを拗らせたやつばかりでもない。

 どこかのクラスに所属していて誰かの級友で、誰かの友人だ。侵略者に魂を売り渡した悪の尖兵などという極端なイメージはいつまでも続くものではなかった。

 樫本代理だってそうだ。理事長業務に専念して延々と室内に籠っていたのならよく知らない偉いやつのままだったかもしれないが、トレーナーとしてウマ娘を指導していればグラウンドなりジムなりでそれを見る機会も増える。

 垣間見える人となりはこの学園の理事長代理に据えられるにふさわしいもので、彼女たちのイメージは当初のそれからだいぶ変遷している。

 

《理子ちゃんはコーヒー二杯も飲んだら眠れなくなっちゃうようなか弱い生き物だからねぇ》

 

 私の場合は脳内にソース不明の知識のカタマリを持っている存在もいることだし。

 

 日曜日の夕方。

 そろそろ春が本気を出してきたのか、日に日に日照時間が長くなってきたことが実感できる。ただ、今日のところは既に高層建築物だらけの府中の地平線の向こう側にとっぷり沈み終わってしまった。そんな時間帯。

 トレーニングは終わり、自主練も終わり、明日の宿題も終わっている。寮の門限もあるし今から街に乗り出すには時間が足りないが、何となく自室に引きこもる気にもなれない。

 そんなぶらぶらと学園の敷地を放浪している最中、道端に落ちていた理事長代理を拾うという突発イベントに遭遇した私はテンちゃんの言った通り保健室に彼女を届けていた。

 保健医さんの見立てはテンちゃんと同じくただの過労。しばらく安静に寝かせていればいずれ目が覚めるだろうとのこと。

 

《日曜のこの時間帯なのにご苦労様ですねー、いやほんと》

 

 休日だろうが祝日だろうが、雨が降っていようが何なら雪だろうが、門限ギリギリまで走るウマ娘が一年中いるのが中央トレセン学園という場所だからね。

 門限が過ぎてグラウンドの照明が落された後もこっそり走っている子もたまにいるくらいだ。年がら年中怪我を負う機会には事欠かない。

 ウマ娘ではなくトレーナーが担ぎ込まれるのは稀だろうが、ヒトミミもウマ娘も人間という括りではいちおう同種だ。細かい差異はあれども基本は共通している。

 

《ネギもカフェインもオーケーだもんね》

 

 治療できないということは無いだろうと思っていたし、実際にその通りだった。

 スマホで検索した意識の無い人間の運搬方法に則りファイアーマンズキャリーで樫本代理を担ぎ込んだ私に、動揺の欠片も見せず保健医の先生はてきぱきと診断と手当てを行った。

 実にプロである。何気ないことではあるけど、医者に動揺されたら患者は不安になるだろうからね。『ああ、このくらいへーきへーき』と表情で語るのは大切なことだ。

 

《何だかんだリシュも現代っ子というか、こういうのもちゃちゃっと調べちゃうのを見るとスマホを使いこなしていると思うよね》

 

 でも電話帳に登録されている名前はテンちゃんの関係者の方がずっと多いじゃない。下手したら六割くらい私の知らない人の名前だぞ。

 

 樫本代理はすらりと背が高い方で、私はこの通り入学当初からいっこうに背が伸びていない。中央トレセン学園の敷地は広大で、下手な運び方をすると保健室にたどり着くまでに地面との摩擦で樫本代理の身長が縮みかねなかった。

 まあ調べたところによると、引きずって運搬するのも正式な手法の一つではあるみたいなんだけどね。学生の身からすると彼女のお高そうなスーツや靴を汚してしまうのは忍びない。

 背負う体勢だと両手が完全に塞がってしまうし、抱えて運ぶ姿勢、いわゆるお姫様抱っこの体勢は相手の意識が無いと安定性に欠ける。

 すれ違うウマ娘たちに二度見三度見されるような運搬姿勢になったのは必要な犠牲だったと割り切るべきだろう。

 でも『ああ、ついに……』みたいな表情をする子が一人じゃなかったことには納得いってないよ。

 

「ご苦労様。あとはこちらで看ておくから」

「いえ、担当の子がルームメイトだったのでさっきLANEで呼んだんです。拾ったときの状況説明しなきゃなので、もう少しここにいていいですか?」

 

「あらそう? じゃあ椅子もってくるわね。あ、今からコーヒー淹れるけど一緒に呑む?」

「あー、ありがとうございます。でもコーヒーの方は遠慮しておこうかな。眠れなくなったら困るので」

 

 テンちゃんに頼らずとも私もだいぶ他人との会話が上手くなったものだ。

 別にテンちゃんに頼ることが悪いことだとはまったくもって思っていないが、純粋に自分の成長を実感できるのは嬉しい。

 

 持ってきてもらった椅子に改めて礼を言ってから座り、スマホを覗き込んでみる。

 相変わらず既読はついていない。ココンは私と同じで既読スルーをわりとやるヤツだがまあ、今回は内容が内容なので目に入った瞬間に飛んでくるだろう。

 チーム〈ファースト〉はアオハル杯ランキング一位を維持しているだけあって練習熱心な子が多いけど、教育管理プログラムの傘下にある彼女たちに残業や時間外労働の概念はない。

 〈ファースト〉のチーフトレーナーたる樫本代理がここでぶっ倒れている以上今日の自主トレーニングの監修はサブトレーナーがやっていたのだろうし、現場の判断で急遽トレーニングが追加されるようなこともないはずだ。

 となれば、グラウンドの照明が落ちる前には既読がつくかな。

 

 グラウンドでトレーニング中のウマ娘の手元には基本的にスマホが無い。

 時速六十キロ以上の走行や、それに準じた運動をするのだ。精密機械であるスマートフォンを携帯したまま行うのにはリスクがある。

 ただまあジャージにポケットがついていないわけではないし、学園の敷地外へ長距離ランニングに行く際とかは非常事態に備えて携帯することもあるけどね。

 

 リトルココンは納得できないことを納得できないまま遂行する、いわゆる社交性とか付き合いとか呼ばれる能力が極めて貧弱な少女だ。

 だが一度それが必要だと感じたことは、たとえそれが自身の欠点の克服だろうとひたむきに努力できる一面も持っている。アオハル杯トップチームの長距離部門エースは伊達ではない。

 己の社交性が乏しい自覚がある分、意識的にトレーニング後のスマホはチェックしていることだろう。

 待ちぼうけになる心配はしなくていい。

 

《ま、こうなる可能性は考えていなかったわけじゃないけどねー》

 

 外からは手持ち無沙汰にスマホをいじっているように見えるかもしれないが、実際はテンちゃんとのおしゃべり中だ。

 こうやって本を読んだりスマホをいじったりしている風を装っていると無粋な邪魔が入る可能性がぐっと減る。

 

 『こうなる』って……樫本代理がいつか過労で倒れるって予想していたってこと?

 それにしても、ウマ娘の無理無茶無謀を抑制する徹底管理主義を掲げたはずの樫本代理が無茶のしすぎで倒れるなんて皮肉な話である。

 自らの仕事に計画性は適用できなかったらしい。理事長代理とトレーナーの二足のわらじが激務であることは想像に難くないが、そうなることを想定して仕事を引き受けた節があるんだしさ。もうちょっと事前に見通しを立てられなかったのかな。

 

《医者の不養生、紺屋の白袴、ことわざとして残るくらいには昔っから日本人はそういう気質の持ち主だったのさ。リシュ、いいかい? 多くの大人にとって仕事っていうのはできると思うから引き受けるんじゃなくて、引き受けざるを得ないから引き受けるものなんだよ》

 

 そのくせ達成できないと見通しが甘いとか計画性が無いとかこちらの責任になるんだからさぁ……と語るテンちゃんの声色が悲哀に満ちていたので、私は今後一切この方面で樫本代理をあげつらうことを断念した。

 その気になれば今すぐ引きこもりニートにジョブチェンジして不労人生を開始しても余裕でお釣りがくるだけの貯蓄がある私にとって、必要に迫られてやる労働など縁のない世界であることだし。

 理解も共感もできない世界を理解できないまま貶めるのはいけないことだ。

 

《とは言ってもさ。たぶんだけど、当初の勝算はちゃんとあったと思うよ?》

 

 樫本代理が就任直後に学園全体へ喧嘩を吹っ掛けた直後から、テンちゃんはその行動が計画性に裏付けされたものなのではないかと予想していた。

 教育管理プログラムの布教。チーム〈ファースト〉を介した情報開示。ジャガイモをわざと農民に盗ませることで広めたフリードリヒ大王の逸話のごとく、『強大な敵チームの育成プログラム』というシチュエーションを用意して学園のウマ娘やトレーナーに血眼で研究させた。

 そもそもアオハル杯の復活が宣言されてから開催に至るまでが早すぎる。今は廃れたとはいえ前例があり、非公式レースゆえにそこまでカッチリする必要がないとはいえだ。大規模なイベントである以上そこには金も人手も、何より時間が必要なはずだ。

 記録的ハイペースで開催が実現したと言われているURAファイナルズはその発表から開催までに三年の時間を要した。これを基準に考えると三十前後のチームが三年がかりで順位を争う大掛かりな催しが打診からほんの数か月で開催までこぎつけるというのはあまりに早すぎる。

 つまりアオハル杯の復活は事前に計画されていたもので。秋川理事長が長期の海外出張に赴くことも、その間に樫本代理が学園の自由を脅かす強大な敵の首魁というかたちでアオハル杯を主導することも、何一つイレギュラーの無い計画通りだったのではないかということだ。

 その読みを周囲とまったく共有していなかったせいでトラブルになったこともあったけど、それはともかく。凹んだテンちゃんは可愛かったけど、いまはさておき。

 理事長代理とアオハル杯チームのチーフトレーナーの兼任を三年間続けるのは激務だろうが、事前に予想できていたことならぶっ倒れない程度のスケジュールは用意できていたはずだ。樫本代理なら用意できていただろうと信じられる。

 だが事実としていまここに樫本代理はぶっ倒れている。これが『事前に立てていた見通しがただの机上の空論でしかなかった』というオチではないのなら、彼女を過労に追い込んだイレギュラーはいったい何なのだろう。

 

《まあ常識的に考えるのならぼくらだよねー》

 

 案の定、私たちだったようだ。

 うん、薄々そんな気はしていた。

 

 〈パンスペルミア〉という括りで見ても現在私たちのチームランキングは堂々の三位。今度の夏に行われるプレシーズン第四戦では直接〈ファースト〉とやり合うことになり、そこで勝てば決勝を待たずして我々がランキング一位だ。

 私個人としても幾度かチーム〈ファースト〉のメンバーと公式戦でやり合ったことがあるけど、デビューから無敗の十四連勝という戦績が示す通り負けなし。

 脅威認定されるには十分すぎる。

 

《ほら、クラシック級になったばかりの頃に〈ファースト〉と四連戦したろ? あれが決定打だったな》

 

 今もなお『テンプレ連戦』として密かに学園にて語り継がれる伝説の四連戦。尾ひれどころかそろそろ翼とジェットエンジンを搭載して宇宙まで飛び立ちそうな勢いのそれ。いや、宇宙じゃジェットエンジンは使えないか。

 

《もしもあのイベントがもっと後の、プレシーズン第四戦も終わりあとは決勝戦で挑戦者を待ち受けるだけという九月後半あたりのイベントだったのなら。理子ちゃんの庇護下から離れ自分たちで自主練を始めるルートもあったかもしれない。だけど実際にあれが起きたのはプレシーズン第一戦が終わったばかりの一月前半。

 チーム〈ファースト〉という新天地でようやく孵化が叶った雛鳥たちが乾きたての羽で羽ばたくことにようやく慣れてきたという頃合い。自分たちでトレーニングメニューを作成できるだけの知識と経験、自分たちならやれると信じられるだけの自負と実力、理子ちゃんのためなら自らの将来と現在の戦績をベットできるだけの敬愛と信念。何もかもが足りていなかった彼女たちは親鳥の庇護下から離れることなど考えもせず、結果としてその負荷は親鳥に集中してしまったというわけさ》

 

 もともとが微に入り細を穿つ絶妙なバランスで組まれていたはずの〈ファースト〉用のメニューが、私という脅威で尻に火をつけられたことにより更に負荷の強いトレーニングを〈ファースト〉は求めるようになってしまった。

 安全面から却下しようにもこのままでは私たちに勝てないことは傍目にも明らか。ここで彼女たちのやる気を否定したのでは『アオハル杯に勝利して学園に教育管理プログラムを浸透させる』という当初のお題目ごと否定することになりかねない。しかし安易に負荷だけを増加させるようなメニューを組んで生徒を怪我させるなんてことはありえない。

 たとえそれが事前の準備を丸ごと放り投げて進むいばらの道だったとしても、樫本代理は突き進むことしか許されなかったということか。

 あれから一年と三か月ちょい。むしろそう聞くとよく持った方だという気になる。

 

「がんばったんだねぇ」

 

 彼女の献身的な努力を讃えるにはあまりにからっぽな言葉。

 我ながら他人事極まる感想がぽつりと口から零れ落ちたとき、廊下を騒々しく走る足音を耳が拾った。

 この音はウマ娘だな。走るウマ娘の足音は特徴的だからすぐにわかる。廊下が壊れないギリギリを攻める全力疾走。小走り程度ならともかく、ここまで全力で走っていれば足音から適性と実力のほどもある程度は推察が可能だ。

 GⅠ級のステイヤー。となると、考えるまでもなく該当候補は一人か。

 

「トレーナー!?」

 

 ばーんと弾き飛ばすような勢いで入室してきたのは案の定ココンだった。引き戸じゃなくて内開きのドアだったら本当に体当たりでぶち抜いてきたかもしれない。

 たぐいまれな肺活量と評判の彼女がはあはあと息を乱している。顔を伝う幾筋もの汗を拭おうともしない。

 

「うるさい。校則違反だぞ」

 

 ひょっこりとテンちゃんが表に出て注意した。

 ちなみに廊下を走ることが校則違反なのではなく、テンちゃんが指摘した通り騒々しく廊下を走ることが校則違反なのだ。

 『廊下は静かに走ること』。中央トレセン学園には他では見られない風変わりな慣習が多々存在しているが、この校則はその中でもとびきりだろう。

 

「なあトレーナーはっ?」

「だーかーら、うるさい」

 

 赤い瞳とエメラルドグリーンの瞳がぶつかり合い、ぐっと押し黙るココンの図。

 まあガチトーンのテンちゃんを感情的な反発だけで跳ね除けるのは私でも難しいから、ココンには無理だろう。

 別にルームメイトとの仲が悪いってわけじゃないんだけどね。三年目に突入した学園生活でずっと同じ人物と相室というのは、トゥインクル・シリーズを前提としたこの学園においてはなかなかに貴重な関係なのである。

 またこれは余談だが、それを加味してGⅠを獲るような素質のある子は同じくGⅠ級のポテンシャルの持ち主と同室に割り振られる場合が多いようだ。ルームメイトが自主退学(ドロップアウト)したら、その相方には多かれ少なかれ悪影響が出るだろうから。未然に防げるならそれに越したことは無い。同じ業界でも上と下じゃあ会話が噛み合わないことも往々にしてあるしね。

 

《ネームド同士がルームメイトになるのってただの演出面の都合ってだけじゃなくてこういう事情があったのかもしれないな》

 

 ……私とココンが同室になったのって、たぶん二人とも期待されていなかったからなんだろうなあ。

 それが今やトゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘と、アオハル杯ランキング一位チーム長距離部門の不動のエース。お互いに育ったものである。

 

「そこで寝てる。ただの過労だから安静にしておけば問題ないってさ。だから静かにしていようねー」

「…………はぁー。トレーナー……よかった……」

 

 崩れ落ちるように嘆息して安堵をあらわにするココン。

 まるで戦場から帰還した恋人の安否を確認したみたいな有様だった。おおげさだとは思うが、担当トレーナーを慕うウマ娘の在り方としては間違っちゃいない。

 私だって葵トレーナーが倒れたなどと聞いた日には頭が真っ白になるかもしれないし。

 

《ヒトミミ最高峰クラスのフィジカルを持つ葵ちゃんが倒れて心配になるのはまた微妙に方向性が違うんじゃないかなー》

 

 そうかな? そうかも。

 

「『ついにテンプレオリシュが実力行使に出た』って新入生が噂しているのを聞いた時はもうどうしようかと……」

「おいコラ」

 

 こっちの文句は私ね。

 だから、学園における私の立ち位置どうなってんだ? もう中等部とはいえ三年生になるのにいまだに把握しきれていないぞ。

 テンちゃんと私では活動範囲が被らない部分も多いのに、それらを総括してテンプレオリシュの評判になっているからというのも大きいんだろうが。

 

「LANE見てないの?」

「見たさ。見たから、頭真っ白になっちゃって……ここまで走ってくる最中に不穏な噂が耳に入ってくるし……」

 

 ああそうか。私たちは樫本代理が行き倒れになっているその結果だけを見つけたわけだが。

 ココンたちはそこに至るまでの過程も当然見ているのだ。疲労を積み重ね、日に日に顔色が悪くなっていくトレーナー。まともな担当ウマ娘なら心配を募らせるのが道理だ。

 かといって〈ファースト〉の力関係で生徒がトレーナーに意見するのは難しかろう。歯がゆい思いをしながら静観することしかできなかったのではないか。

 

「ちょっと、保健室では静かにしてね」

『あ、はい。ごめんなさい』

 

 保健医の先生に注意されてしまった。声を揃えて謝罪する。

 私たちは静かにさせようとしていたし、主に騒いでいたのはココンなのに理不尽な話である。

 

「怒られたじゃないか。そんなだからお前はココンなんだ」

「人の名前を悪口扱いするのやめてくれる? アタシが悪かったのは認めるけどさ」

 

 まあこのくらいの軽口を叩ける程度の関係になったということで。

 

 でもさ、保健医の先生は樫本代理を起こさないよう気を遣ったのかもしれないけど。

 たぶんこの人もう起きてるよ?

 勢いよくココンが入ってきた前後で呼吸のパターン変わっているもの。ココンのあまりの剣幕に目を開けるタイミングを逃したって感じかな。

 

《担当の声で意識を覚醒させるとはこれはまたトレーナーの鑑のような生態だねえ》

 

 茶化しながらまたテンちゃんが身体の主導権を握った。

 

「それでねー、ききたいんだけどさー」

 

 ぴくりとココンが身体を強張らせる。声を荒げているわけではなく、むしろ優しくすらあるのだが。

 テンちゃんとココンの間の空気を一マスずつ埋めていくようなゆったりとした口調。こういうときのテンちゃんは怖い。濡れた綿がじわじわと張り付いてくるようなプレッシャーがある。

 あとまたもや樫本代理が起きるタイミングを逃したようで身じろぎと共にまぶたがピクッと動いた。

 ああ、もしかしてこれ狙ってやってるのか。

 どうやらテンちゃんは樫本代理に寝たふりを維持させたままココンに言わせたいことがあるようだ。

 呼吸とか間合いとか話の流れとか、そういうのを潰したり生み出したりズラしたりして相手に思い通りの言動をさせない、私が極めて不得手としている『空気を読む』スキルの発展形にあるもの。

 こういう方面でテンちゃんは本当に器用だな。

 

《いや、リシュがレース中にやっている『最終的に一バ身に至る展開操作』の方がずっと高度な情報戦だからな?》

 

 んー……たしかにレースを走っているだけでも位置取りやペース配分、仕掛けるタイミングなど考えるべき項目はいくつもあるし。それに加え周囲との読みや駆け引きを刻一刻と変貌していく戦況で刹那に行うとなると、表面上の情報処理は圧倒的にこちらが上のように聞こえるけど。

 そこまで難しいことはやってないんだよね。レース中のウマ娘って本能が先行して、それを理性で制御している状態だし。本能同士のぶつかり合いとなれば基本的に私が格上。ごり押しで十分何とかなってしまうというか、私が押し通れば邪魔できるやつなんてそういない。

 そりゃレジェンド級ともなればそうも言ってられないが、ウマ娘は群れで生きる動物だから。大多数に私の影響力を浸透させてしまえばレジェンド級とはいえそれを無視できないのだ。巨大な岩だって水流の量や勢い次第では押し流せる。

 理性方面ではテンちゃんがフォローしてくれるし、ウマソウルが活性化して空間を埋め尽くすようなレース場だと逆に相手への干渉がやりやすいというか。だったら後は目の前の単純な事象を脳内で演算した数多の試行と比較して組み合わせていくだけ。

 私が当たり前にできることを当たり前にやっているだけで、こういう技術の結晶的な職人芸と比較するのが間違っていると思うのだ。

 

《うん、その理屈はおかしい》

 

 そうかなー?

 

「こうなる前に止めることはできなかったの? 予兆は何もなかった?」

「止めたかったさ……!」

 

 うっかり大声を出しかけたココンはぎゅっと情動を呑み込むようにきつく目を閉じると、意識して抑えた声量で続きを話し出した。

 

「この半月ほど樫本トレーナーの顔色は特に悪かった。でも『問題ありません』と言われてしまえばアタシたちではそれ以上何もできない。うちのチームはアンタたちとは違うんだ」

 

 だいたい予想通りの展開ではあった。

 樫本代理が大丈夫だというから信じて挑戦し、いくつもの壁を乗り越えてここまで到達したのがチーム〈ファースト〉のウマ娘だ。

 成功体験というのは時として足枷にもなり得る。たとえ誰がどう見たって『問題がある』状態だったとしても今回だけ相手の言うことを信じないというのは難しかろう。これは〈ファースト〉の面々がどうというよりは人間の生態的な話だ。

 

「だいたい、樫本トレーナーがあれだけ苦労しているのはアタシたちがアンタに勝つためなんだ。苦労をかけている張本人がどの口で言えるって話だよ」

「あーねー」

 

 気持ちはわからんでもない。

 私だって今でこそ貯金がすごいことになっているし桐生院家の力とアオハル杯の予算でトレーニング環境も潤沢だが、小学生のころはいろいろとカツカツだった。

 専業主婦だった母親が、パート戦士へと転職せねばならないくらいに。寂しかったけど私のための苦労だった。どの口でやめてと言えるのか。ましてや仮に私の要望が通ってやめたところでお金が宙から湧いてくるわけもなく、資金不足で困るのは私ときている。

 心苦しくとも己の無力を痛感しながら甘えるしかないのだ。

 

「ごめんねーぼくらが強くてー」

「ケンカ売ってんの?」

「いや、揶揄っているだけ」

 

 はぁーと眉間を揉み解しながら嘆息し、首を横に振って気持ちを切り替えるココン。

 三年目のルームメイトともなればテンちゃんの性格の悪い言動にも慣れたものだった。

 

「アタシたちは証明するんだ。樫本トレーナーのやり方が正しいって。この学園でその方法は一つしかない」

「勝つことだね。ぼくらには勝てないけど」

 

「そういうセリフはランキング一位になってから言いな……!」

 

 びきりと青筋を立てながらも声を抑えている。本当に成長したものだ。

 さらにぎゅっと耳を絞りながらココンは疑問を呈す。

 

「そもそもさ、アンタって今年はアオハル杯に参戦する気あんの? あのローテかなり無茶苦茶だったけど」

「あー、プレシーズン第四戦の方は難しいかなあ。たぶん葵ちゃんの許可が下りないだろうし」

 

 私の上半期は春シニア三冠に加えダートGⅠとマイルGⅠの計五レース走る予定で、既に春シニア三冠の一角である大阪杯とダートGⅠであるフェブラリーステークスの二レースは制圧済み。

 そして日程の都合上、六月は前半にマイルGⅠの安田記念、後半に春シニア三冠の最後の一冠たる宝塚記念の二レースを走ることになる。これは七月から夏休みが始まり休養に充てることができるのを見越したローテーションではあるが、裏を返せば夏合宿の前に開催されるアオハル杯プレシーズン第四戦への出走はかなり厳しい。

 そもそも一か月の間にGⅠを二つ走るなど、現代の基準でいえばけっこうな無茶だ。それに加えて非公式レースのお祭り企画とはいえろくに休養も挟まずアオハル杯に参戦などすれば世間からの批判は免れないだろう。そして葵トレーナーにそんな迷惑をかけてまで出走せねばならない理由など私にはない。

 

「まあ〈パンスペルミア〉のみんななら勝ってくれるでしょ」

 

 私ふたりが出しゃばらずとも、チームのみんなが頑張ってくれると今の私は知っているから。

 

「よくもまあぬけぬけと〈ファースト〉が一位から陥落する未来を語ってくれるものじゃない? ベストメンバーでもないチームに負けるほどうちは甘くないから」

「でもぼくらがいなくたって〈パンスペルミア〉は強いぜ?」

「……」

 

 プライドの高いココンの沈黙が何よりも雄弁な返答だった。

 まー今の〈パンスペルミア〉にはエル先輩とかグラス先輩とかレジェンド勢いるからね。あれで雑魚扱いできたらこの業界ではモグリですよ。うん、自惚れとかそういうレベルじゃない。

 

「それとぼくらの身体能力がこの調子で伸びていけば、冬の頃にはもうちょっと無茶ができるようになっているはずだから。アオハル杯の決勝戦とURAファイナルズにはちゃんと参戦する予定だよ。だから安心して?」

「それのどこをどう聞けば安心する要素があるのかアタシに教えてくれる?」

 

 あれ、アオハル杯に出走できるか聞いてきたのって私たちが不在だと困るからじゃないの?

 主役不在なんて、自分で言うのもなんだけど。最強を決めるためのお祭り企画でこの時代最強と目されるウマ娘が不参加だと企画倒れもいいところだ。

 私たちが出走できるというのは十分に安心要素だと思うんだけどなあ。

 

「夏合宿との兼ね合いがあるからプレシーズンの方の日程は動かせないけどさ。決勝の方なら多少スケジュールに余裕がある。ぼくらに出走の意思があることを表明すればむしろあちらが調整してくれるでしょ。この時代に開催しておきながらぼくらのいない決勝戦なんて意味無いじゃん」

「…………否定できないのが腹立つな」

 

 ものすごく複雑そうな表情でココンは言った。

 

 




そういえば、また以前と同じ方がファンアートを描いてくださっていたそうで。
新衣装のテンプレオリシュ。しかも誕生日である9/15を目安に。
遅くなりましたがありがとうございます。

個人的にこういうファンアートは描いてもらったらめちゃくちゃ嬉しいし、片っ端から確認してお礼を言いたいタイプなのですけど。
いい加減幾度となく墓地から捨て垢を復活させるのではなく、ちゃんと旧ツイッターにアカウント作った方がいいのでしょうかねぇ。
ハマりそうだから逆に手を出しにくいというか。そのうちにXになっちゃって機を逃した感が……


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U U U

 

 

「腹立つな、すごく」

 

「二度も言うこと?」

《大事なことだったのかな?》

 

「その御大層な看板、ちょっとばかり削って軽くしてやりたくなる。アンタの次走、春天だったよね」

「お、来るか?」

 

「もともと選択肢の一つだったんだ。天皇賞(春)はアタシがいって、宝塚記念はビターグラッセがいく。敗北の苦味と勝てない痛みを立て続けに教えてやるよ」

「言うねえ。これまで誰にも成し遂げられなかった偉業だっていうのに」

 

 彼女の言っている通り衝動的な方向転換というわけではあるまい。

 チーム〈ファースト〉の面々はアオハル杯が始まるまでは輝かしからざる戦績の集団だった。管理主義に巡り合うまではぱっとしない実力の持ち主ばかりだった。

 今は違う。

 私がクラシック級のスプリンターズSを走る頃には既に〈ファースト〉短距離部門のメンバーの顔をそこに見ることができたし、この前のフェブラリーステークスのときだって〈ファースト〉ダート部門の顏がちらほらあった。

 彼女たちは既にGⅠ級の実力の持ち主なのだ。実際にGⅠの冠を被れている子が何人いるかはさておいて。

 

《あのおデジですらGⅠには手が届いていない実力者渋滞状態だもんなぁ。まあ、ぼくらが手の届く範囲を独占しているのが半分くらい原因なんだが》

 

「そもそも〈パンスペルミア〉のエース陣はどいつもこいつもアンタが公式レースで一度勝った相手じゃないか。それを差し置いてただ〈パンスペルミア〉に〈ファースト〉が勝ってもな。『強い相手から逃げ回って造り上げた最強の看板だ』なんて陰口叩かれるんじゃ意味ない。

 一着じゃないと意味が無いんだ。樫本トレーナーのやり方が正しいと証明するのに、アンタは避けて通れない障害。アオハル杯でやり合う前に決着つけてやる」

「大きな目標を掲げるのはたいへん結構なことだが。理子ちゃんの組んだメニューで本当に到達できる地点なのかい? どうにも許容量を超えたハードトレーニング必須な予感がひしひしとしているんだけど」

 

 どこぞの一番バカを彷彿とさせるセリフと雰囲気。

 ただ、スカーレットを安心して放置できるのは彼女の担当がウマ娘を怪我させない名人であるゴルシTだからだ。

 流石の彼でも限界突破に限界突破を重ねるようなかの有記念ではその経歴に傷を負わざるをえなかったが、それでも彼への信頼は私の中では揺らいでいない。私の腐れ縁をどうかよろしくお願いしますってね。

 チームの面々に大きな故障を経験させていないという点では〈ファースト〉および樫本代理も同様だけど。ゴルシTのそれが他の誰にも真似できない才能の発露だとするのなら、樫本代理のそれは徹底的にデータと理論を重ねて築き上げた職人芸という印象を受ける。

 緻密な芸術品であるからこそ、些細なことで全体が歪むこともある。ココンの熱意はその歪みになりえるものに思えた。

 

「きみのそのやる気は、理子ちゃんの教育管理プログラムに沿ったものなのかな?」

 

 痛いところを突かれたとばかりにココンの顏が歪む。

 

「……勝てない努力を続ける気なんて無い。真っ当にやってダメなら無茶するしかない。でもあの人はアタシたちに無茶させてくれない。……その矛盾を解消するために一人で抱え込んでいたのは知っていた。その上で走り続けるしかなかったんだ。その先に望む未来があると思っていたから」

「んー、いくら〈ファースト〉が理子ちゃんのワンマンチームと言ってもさー。フォロー要員はいなかったの? 全員が全員、理子ちゃんとこの担当ウマ娘ってわけでもあるまいに」

 

 せっかくさっき揉み解されたのに、またもやココンの眉間にしわが刻まれていく。

 ただ、今度のしわはテンちゃんだけが原因というわけでもなさそうだ。

 

「さっきから理子ちゃん言うな、敬意を払え。……たしかに公式チームに所属している子とか、中には専属トレーナーを持つ子とかもいないわけじゃないけど。

 こう言っちゃなんだけど、どいつもこいつも〈ファースト〉に所属するまで芽が出なかったウマ娘ばかりなんだ。そいつらを育てていたトレーナーどもの育成手腕も推して知るべしってやつだよ」

 

「あー」

 

 嫌な納得の仕方をしてしまった。

 そりゃあ、どれだけトレーナー側に育成手腕があったところでウマ娘に応えられるだけの素質が無ければどうしようもない面だってある。

 でもそれだけじゃあない。実際、〈ファースト〉に所属してからは才能が開花して伸び始めちゃったわけで。

 

《名義貸しが黙認される程度にはトレーナーの絶対数が不足気味で、なのにトレーナーのスカウトが断られる描写がたびたびある。トレーナーのあたりはずれが大きいことも、はずれを引いた時ろくでもない結末になることも、実は学園のウマ娘にとっては暗黙の了解というか共通認識なんだよね》

 

 中央のトレーナーはバケモノ揃い。それは一つの事実。ただ、それって実のところ『外部から中央のウマ娘はバケモノ揃いという評価を受けている』ってのとだいたい同意義だったりする。

 つまり私たちウマ娘が中央という魔境で栄光と挫折の物語を日々人知れず織り成しているように、私たちのような時代の寵児がいれば人知れず消え去る者がいるのと同様に、トレーナーにも成果を出せる者と出せない者がいるわけで。

 ああもう、この際はっきり言ってしまおう。言葉を濁したところで仕方がない。勝負の世界になあなあは通用しないのだから。

 〈ファースト〉でサブトレーナーをやっているやつらは無能なのだろう。チーフトレーナーのフォローをしきれず過労で行き倒れさせてしまう程度には。

 このあたり、最も身近なトレーナーが葵トレーナーである私の感覚はかなりズレている自覚がある。

 

《ゴルシTと葵ちゃんが頭一つ抜けて優秀で知名度も高いけど、それ以外のトレーナーも個性の差こそあれ〈パンスペルミア〉と〈キャロッツ〉はみんな有能揃いだからなあ》

 

 能力が乏しいトレーナーにやきもきする経験というのは私にはないものだ。これからも経験がないことを切に願う。

 

「えっと、アプリ時空では九月後半にやよいちゃんから理子ちゃんの過去を聞いて、一か月後の十月後半に理子ちゃんの指揮下から離脱したわけだから……カレンダー上アオハル杯決勝戦は十二月後半のイベントのはずだからまるまる二か月も限界を超えるためのハードトレーニングをウマ娘の情動まかせに続けたわけか」

「は? なんの話?」

 

「こっちの話。あるいはありえたかもしれないどこかの未来の話。んーとそれで、それまで理子ちゃんのもとでノウハウを蓄積し実際に約三年分のトレーニングメニューが十五人分手元にあったとはいえ、その十五人が十五人とも故障らしい故障も無く決勝戦に出走できたのはただの奇跡だな。そして奇跡というのは再現性が無いから奇跡なわけで。この期に及んで歴史の強制力なんて期待する気はさらさらないし、対策必須」

「……人付き合いが嫌いなアタシが付き合い方に意見するのも何だけどさ。意思疎通する気もないのにそれっぽくベラベラまくしたてるの、アンタの悪い癖だと思うんだ」

 

 ひどくもっともなココンの正論を意に介する様子も無く、テンちゃんはわざとらしく言葉に出して考えをまとめると自分だけが理解できる結論にたどり着いた。

 

「そうなると人材の補充からか。案外、はやく使う羽目になったなぁ」

 

 こんなことを言っているが、話している最中から既にLANEで呼び出しをかけていたことを私は知っている。だって身体共有しているし。

 

「はあ、だから何?」

「もう少し待っててね」

 

 廊下を走る音。

 靴底が廊下の硬い床を叩く響きからしてウマ娘のそれとは異なる。

 ヒトミミの教職員、あるいはトレーナー……というか誰を呼び出したのか私は知ってる。同じ視界を使っているわけだし。

 

「お待たせいたしまし……! ごほっ、ぐほっ、おえ」

 

 『静かに入室してくるように』とざっくり指示はしてあったので小声で叫びながら入ってきた彼女ではあったが、その肉体は精神についていけなかった様子。

 ハイテンションのままここまで駆けてきたのはいいものの、扉を開けるや否や疲労と酸欠で咳き込みえずいていた。

 さっそく保健室の御用になりそうな有様である。

 

「……誰?」

「今年入ってきたピッカピカの新米トレーナー」

 

「ピッカピカっていうにはだいぶくたびれてない?」

 

 ココンの毒舌を浴びながら、保健室の入り口にしゃがみ込んでぜいぜいと呼吸を整えているのは誰であろう、私に二着目の勝負服を届けてくれたお孫さんであった。

 無事に中央に就職できたのは知っていたが、LANEひとつでパシられるような関係だとは思っていなかった。なんだかうちのテンちゃんがごめんなさい。

 

「ぜぇ、ぜぇ……こほん、失礼いたしました。それで、何の御用でしょうか?」

「用事も知らずにここまで全力疾走してきたっていうの!?」

 

 ココンがちょっと引いていた。本当にごめん。私も『今すぐ保健室に来て』くらいの概要しか送っていないテンちゃんにも、それで本当に来ちゃうこの人にもドン引きしそうなんだわ。

 それで、テンちゃんはいったい何を考えて彼女をここに呼びつけたのだろうか。

 

「たしかもう、研修は終わっていたよね? うんよし、それじゃあ〈ファースト〉のサブトレーナーになってもらおうか」

「ええっ!?」

 

「……はあー。おい、いつからアンタはトレセン学園の人事権を握るようになったんだ」

 

 驚くお孫さんに、深々と嘆息してから投げかけられる的確過ぎるココンのツッコミ。そしていい加減そろそろ起きたいけど今起きたら『あれ? もしかして寝たふりしていた?』という空気になりそうだと思考を誘導され起きるに起きられずさっきからピクピクしっぱなしの樫本代理。うーん、カオスだ。

 

「へーきへーき。ぼくは中央トレセン学園の理事長たる秋川やよいちゃんと仲良しだから。人間なんてしょせんは動物。群れのリーダーが良しと言えばたいていの要求は通ってしまうものなのさ」

 

 民主主義と法治国家の概念が泣いて怒りそうな発言だった。

 職権乱用もいいところだが、あの秋川理事長ならあるいはと思わせるものがあるのは事実。私が一年生のときに長期海外出張に行ってしまったためその人となりに直接触れる機会こそ少なかったものの、数々の武勇伝は今もなお学園に伝わっている。

 URAファイナルズという大型レースをゼロからたった三年で新設し、『全ての距離、全てのコースを用意する』という設立理念上膨大な量必要であるはずのコース用芝を私財で賄いきった剛の者。

 ウマ娘のためという一点が明確なら、かなり無茶な要求も呑みこんでしまいそうな破天荒さがあった。あるいはレースに携わっている一ウマ娘ではなく理事長という社会的立場にあり、相応の責任を背負わされていることを鑑みるとあくまで一ウマ娘でしかないゴールドシップ先輩よりそのヤバさは上かもしれない。

 

「……アンタが秋川理事長と個人的な繋がりがあることに関してはいまさら驚かないとして。秋川理事長って帰ってきていたの?」

「うん、一月の後半には既にね」

 

 ほー。それは初耳だ。

 相変わらずテンちゃんのコネクションは私の知らないうちに思いもよらないところまで伸びているなぁ。

 ココンにとってもその情報はここで初めて聞くもので、そして私のようにのんきに聞き流せるものではなかったようだ。ぴきりと顔に険が走り、耳がぎゅっと後ろに絞られる。

 

「じゃあ秋川理事長が理事長業務に戻っていたら、うちのトレーナーはトレーナー業務に専念できていたってこと?」

「うーん、まあそのあたりは複雑な事情があるのさ。たぶんね」

 

「何か知っているの? もったいぶらずに話せ」

「んー。ごめんねぇ、きみには聞く権利があると思うんだけど……。ぼくに話す権利が無いんだよね」

 

 おや?

 てっきりテンちゃんの例の推測に基づいた話かと思いきや。

 アオハル杯も管理教育プログラムも、自由を尊ぶ学園生徒と徹底管理主義を推し進める樫本代理の対立でさえも、来るべき海外遠征のたたき台。

 その仮説が正しければチーム〈ファースト〉は言ってしまえばURAと学園が共同で組み上げた舞台の上で踊り狂う操り人形に過ぎない。

 それは自らの将来を掴むため『学園の自由を脅かす敵』というレッテルを一度受け入れた年若き彼女たちの覚悟に見合うだけの真実ではなく、巡り巡って今のモチベーションにも深刻な罅が入る可能性が高い。

 だから秘密にするのだろうと考えていたが、どうもそういうわけではなさそうだ。また私の知らない根拠不明の謎情報かな。

 

「倒れるほどアタシたちに尽くしてくれた人が、倒れずに済むかもしれなかった可能性をちらつかせておいて……! 何も教えない気?」

「うむ、道理だ。じゃあ話すけどまず愉快な話じゃないし、情報の裏付けが取れたわけでもない。そんな状態で軽々しく語りたくないが、それを念頭に置いたうえで聞いてくれ。で、ちゃんと理子ちゃんなりやよいちゃんなり、あるいはかつてアオハル杯が全盛期だった頃から学園にいる古参トレーナーなり別のソースを見つけてくれ。それを約束してくれるなら」

「安心しろ。アンタから聞いた話を鵜呑みにするなんて愚行、これまで一度もやったことがないから」

 

 そうしてあっさり前言撤回して語られたのは、かつて学園に在籍していた若きコンビの奮闘記。今はもういない、中央の歴史の中で散っていった数多の夢の欠片のひとひら。

 担当の自由と自主性を尊重する若きトレーナーと、その信頼に応えトゥインクル・シリーズで優秀な成績を出すウマ娘の前に現れたアオハル杯。ワクワクしながら集めたチームは残念ながら友情重視。しょせんはお祭り企画。その実力は一人だけが突出しており、あとは明確に見劣りするものだった。

 ランキングを上げたくて彼女は頑張った。間違いなく彼女はそのチームの中心的存在だった。自分で走りながら仲間を指導した。上がったランキングとトレーニングレベルの低下を疎んじて、アオハル杯のプレシーズンに無茶なローテーションを押して出走した。

 もちろんアオハル杯は非公式レースであり、公式戦であるトゥインクル・シリーズを蔑ろにできるわけもなく。優秀なウマ娘であった彼女は重賞レースを目標に据えたトレーニングも並行して行っていた。トレーナーは自身の担当が相当な無茶をしていることを把握していたが、彼女の意思やチームの和を重んじて強く否定することはしなかった。

 反動はレース中の疲労骨折という形で噴き出した。

 第三コーナーで転倒。時速六十キロを優に超えるウマ娘が、だ。一命は取り留めたものの、レースを続けられる身体ではもはやなくなっていた。走れない彼女は学園を去った。

 

「かくして、若き理子ちゃんトレーナーは取り返しのつかない経験をもって学習したわけだ。ウマ娘の自主性に任せる危険性を。それが今の彼女が推し進める徹底管理主義の根本になってる。

 経験で学んだことを言葉で覆すのは難しい。それが不可逆の喪失を伴った経験ともなればなおさら。今の樫本理子という人間の生き方を口先で変えさせるのは無理だろうね」

 

 その樫本理子さん、さっきからテンちゃんに口先で転がされて起きるに起きられなくなっているんですが。

 というかあなた、この話題が出されたときに起きられないのならもうテンちゃんがいる間は起きられないでしょ。

 

「埃をかぶっていたアオハル杯をわざわざ今の時代に引っ張り出したのはきっと偶然じゃない。けじめなのか、(みそぎ)なのかまではわからないけど。

 理事長代理という立場から、自由と自主性を尊ぶ学生たちに徹底管理主義を押し通す。それは必要に迫られてのことじゃなくて、今の理子ちゃんにとっても必要なことなのさ」

「…………だからあの人のトレーニングメニューは、あんなにも――」

 

「おーい、約束やくそく」

「っ! わかってるよ」

 

 鵜呑みにするなと言外に諭すテンちゃんであったが、ちゃんと情報の裏を取ろうとしていたことを私は知っている。

 レース中の悲劇はどれだけ時代を経てノウハウを積み重ね、細心の注意を払っても無くならない。それは認めなくてはならない事実。だが、頻繁に発生するようなものじゃない。

 アオハル杯が現役だった時代で、重賞レース中の転倒事故。担当トレーナーの名前が樫本。絞り込むには十分な要素だ。

 

《いや、結局はぼくの知っている原作(コト)を彷彿とさせる事例が過去に存在したってところまでしか掴めていない。実際にそうだったのか当事者にインタビューしたわけじゃないんだ。内容が内容ってことを差し引けば自信満々に語れるような精度じゃないのさ》

 

 ふむふむ、レースデータの収集にしてはやけに中途半端な時代のピンポイントな層を漁っているなと不思議だったんだよね。

 たしかに明らかに既知の情報を別媒体で確認する動きだった。あれをきっかけに樫本代理の過去を知ったわけではない。

 やっぱりテンちゃんのふんわり知恵袋は得体が知れないな。別にいいけど。

 

「ぼくらに勝ちたいという君の気持ちは酌むし、そのぼくらと勝負するためには限界の一つや二つ突破しないと話にならない。だから明確に限界を設定している理子ちゃんのトレーニングに沿ったままでは勝てないという焦りも理解できる。

 ただ、トレーナーのバックアップ無しでウマ娘が限界突破しようとするのは認められないな。自主練をこっそりする際はこの子を監修につけるように」

「あ、あのー……ご指名はたいへん光栄なのですがぶっちゃけ荷が過ぎて背骨ごと逝きそうだなって……」

 

 仮にも年上の相手を『この子』呼ばわりはいかがなものかと思ったが呼ばれた本人は気にした様子も見せず、というか気にする余裕も無さげに挙手してからおずおずと発言する。

 中央のトレーナーとしてふさわしい自分であろうとしているのだろうか。新品のスーツに身を包みほんのり化粧もほどこした彼女はくたびれた雰囲気こそ図書館での初遭遇のときと変わらないものの、あのときよりいささか若く見えた。

 まあ中央のトレーナーって紙一重というか、変人奇人揃いだからこういうカッチリした出で立ちの人間って多いようで少ないんだけどね。そりゃマスコミに取材を受けるような際は身なりを整えるがそれ以外の場では自然体、自身がベストパフォーマンスを発揮できる服装をしている。

 

《ジャージとかグラサンに腹丸出しとか着ぐるみとかね》

 

 着ぐるみはまだ見たこと無いかなぁ。

 学生の身ではあるがトレセン学園も三年目ともなれば、新春における新米トレーナーの風物詩のように感じてほっこりする。

 これが年々ウマ娘最優先で世間体からどんどん逸脱していくんだろうなあって。

 あと念のため言っておくと、うちの葵トレーナーは桐生院の看板を背負っているだけあって品行方正なものである。希少枠なのだ。

 

「平気へーき。ゴルシTと顔つなぎはしてやっただろ? あの人はトレーナーである以前に自身を『子供の教育をする大人』と定義しているから、怪我の防止策って面じゃ全面的に協力してくれるはずさ。

 異性に聞きにくいことがあるならうちの葵ちゃんを頼ってもいい。まあ彼女の場合は学園にいる間『桐生院のトレーナー』として己の行動を律しているから一方的なほどこしはしないだろうけど、本質的には善人のお人好し。後輩への教導なりギブ&テイクの関係なり大義名分を形だけでも整えてやればちゃんと力を貸してくれるはずだから」

「どっちも同じ職場にいるってだけの生ける伝説(リビングレジェンド)なんですが!? だいたいぺーぺーの新米が圧倒的先輩相手にギブ&テイクを持ちかけるのはハードル高すぎないですかねえ!!」

 

「おいおい、どんな肩書を持っていても同じ人間だぜ? 相手が法外な対価を要求してくるってならいざ知らず、快く助力してくれる相手なのに肩書に怯んでそれを怠るのはただの怠惰で、この中央という常に全力疾走していないとたちまち沼の底に沈んでしまう環境なら害悪ですらある」

「くぅうううう、圧倒的正論!」

 

 いやー、自分で言っておいてなんだけど正論ではないんじゃないかな。

 そもそもテンちゃんが堂々と正論を口に出すときって七割がた相手を煙に巻くときだし。二割くらいは悪ふざけで、相手のため真摯に言葉を選んでいるパターンは一割未満だ。

 その一割未満があるからカッコいいんだけどね。まあ十割大好きだけども。

 

「誰にだって新人の時代はある。そのときフレから人権完凸SSRを借りるのは何も悪いことじゃないのさ」

「で、でもでもでもっ。本当にようやく通常業務を残業なしで片付けることができるようになってきたばかりなんですよ! これ以上仕事が増えたら冗談抜きで死んじゃいますよぉ!!」

 

 早いな、と思った。

 中央のトレーナーは激務だ。ウマ娘である私がその詳細を完全に把握しているわけではないが、まだ春のファン感謝祭も始まっていないこの時期に自身のノルマを完璧に熟すというのはかなり有能な部類に入るはず。くたびれて冴えない印象に反し彼女はかなり将来有望なトレーナーらしい。

 ほう、とリトルココンが彼女を見る目も変わっている。

 

 テンちゃんは心底意外なことを聞いたという顔をして首を傾げた。

 

「あれ? ぼくのために死ぬのが嫌なの?」

「アッそう言われてみれば本望でした」

 

「それでいいのかアンタら!?」

 

 今日はココンとよく意見が合う奇特な日だなぁ。

 草葉の陰で顔も名前も知らないウマ娘が二人くらい泣いていそう。

 さすがに冗談だとは思うけど、テンちゃんも彼女もマジでやりかねないものがあるんだよね。

 

《リシュにだっているだろ? 『コイツなら自分のために死んでもいいかな』って相手》

 

 表現が物騒すぎる。

 そりゃあ、私は中央で無敗のウマ娘だ。

 己の全てをなげうって命すら懸ける勢いで勝利を掴まんと走っている相手を『私が勝つんだからお前は死ね』と踏み砕いて蹴散らした経験は一度や二度ではない。その結果として相手の命が終わるとわかった上で私は突き進んだ。そのことに後悔も同情もしていない。

 生物学的な意味での死者が出ていないだけで、無数の命の残骸で今日の私はできている。

 たとえスカーレットが死んでも私は止まらないだろう――むしろ本望。

 ……物騒具合ではテンちゃんのこと言えないな。

 

「保健室ではお静かに! 眠っている患者がいるんですよ?」

『あっ、すみません』

 

 その後、三人まとめて保健医のお叱りを受けた後、樫本代理の担当ウマ娘であるリトルココン以外は追い出されたのであった。

 ココンは樫本代理が目覚めた後、〈ファースト〉の部室まで付き添う役目があるそうで。

 食事も睡眠もトレーニングの一環として徹底的に管理している〈ファースト〉だ。この時間からメンバーを招集してがっつりミーティングということも無いだろうけど、テンちゃんがいなくなったのだから遠からず樫本代理は目覚めることだろう。

 

 

 

 

 

 後日、本当にお孫さんはチーム〈ファースト〉のサブトレーナーに就任したと聞いた。

 私の半身、半分は言い過ぎにしても。学園の一割くらいなら掌握しているんじゃないの?

 




次回、新入生代表アヤベさん視点


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サポートカードイベント:無遠慮な超巨星

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

今回はアドマイヤベガ視点です
聖蹄祭のときに背後関係がよくわからんって言っていた人たちはお待たせ!


 

 

U U U

 

 

「ああ、なるほど」

 

 青い瞳が私を射抜く。

 服も肌も肉も骨も貫通して、するりと臓腑すら通り抜けて私の内なる感情をあっさり抜き取ってさらけ出してみせる。

 その無遠慮で静謐、そして超常的な美しさは腹立たしいことに冬のダイヤモンドを構成する全天二十一の一等星のひとつ、リゲルを彷彿とさせるものだった。

 銀河系において肉眼で見える最も明るい恒星の一つ。あまりに明るすぎて正確な視差の測定が困難とされてきた青色超巨星。

 

「テンちゃんの追憶(きおく)で見たよ」

 

――私は突き飛ばされただけだから。

 

――もう終わってしまったことだから。

 

――今さらどうしようもないから。

 

――着地地点にいた赤ん坊の頭を踏みつぶした事実に開き直って、血と脳漿で汚れた足跡を残しながら意気揚々と歩きだせる人間だっているのだろう。

 

――私はそうでなかったというだけの話。

 

「あなたは自分の脚が血と脳漿で汚れて見えているんだ」

 

 

U U U

 

 

 物心つく前から誰かが傍にいるような感覚があった。

 とても近くて、どこまでも遠い。どこにいるのか、誰なのかもわからない。手を伸ばしても断絶しているように届かない。夜空に浮かぶ赤い星を見ていると触れられそうなほどに強く感じる。

 その星が冬のダイヤモンドを構成する全天二十一の一等星のひとつ、ポルックスだなんてこと幼い私は知らないで。

 ただふたご座で最も明るいその星のもとで、私は幾度となく誰かと語らった。きっと薄々察していたのだろう。その誰かが自分にとってかけがえのない大切な存在なのだと。

 そんな私を、母は困ったように笑いながら見ていた。

 

 初めてレースを走ったとき、私は自分の(オリジン)を知った。

 

 昔からあまり感情を表に出さない、大人しいと評される子供だった私。

 走る前から()()()()()()はしゃぎ、レースに勝利して笑い、そして理由もわからず取り返しのつかない喪失感に涙する私。

 母は見かねたように教えてくれた。

 私は、本当は『私たち』かもしれなかったのだと。

 私には生まれてくることができなかった双子の妹がいた。

 大きくなって、当時の『私たち』の状況を調べて、わかった。このままだとどちらも危険な状況で、一つしかない枠に私の方が選ばれたのだと。

 

 ……私がのうのうとこの世に生まれ落ちなければ、ここにはあなたがいたの?

 

 楽しかったのも、嬉しかったのも、本当は全部あなたのものだったの?

 走ることが好きだった? レースを走りたかった? 走って勝ちたかった?

 何もわからない。私には知る由もない。だってあの子は生まれてくることさえできなかったんだから。

 だから追い求めるしかなかった。手を伸ばしても届かない。夜空の星を見上げているとき少しだけ言葉が届くような、そんなどこまでも遠くにいる近くの誰かがくれた感情の断片。

 

「私が全部叶えてあげる」

 

 勝利も、栄光も、すべて手に入れてあなたに捧げる。

 そうしたら、少しはあなたのさみしさも和らぐというのなら。

 そのために私は私のすべてを賭しても惜しくない。

 

「だって私は、お姉ちゃんなんだから」

 

 あの子の人生の全てを奪い取ってしまった罪悪感。

 誰にも理解されず、共感もされない。ただ私がふさわしい報いを受けるまで続く贖罪の旅路。

 軽薄なうわべだけ整えた言葉なんて私には必要ない。ずっと独りで抱えて生きていくのだろうと、そう思っていた。

 疑う余地なんてなかった。たとえ母の命を奪ってこの世に生を受けた赤ん坊であっても、そこへ至るまでには母親の人生と選択と意志がある。

 あの子には何もなかった。選ぶ権利すらなかった。私が全部奪ってしまったから。

 同じ境遇の存在なんて、想像すらしたことがなかった。

 

――質問をする前に自己紹介くらいしたらどうかな、お嬢さん?

 

 中央トレセン学園。

 レースで栄光を掴むのならここ以外ありえない。

 だからといって秋のファン感謝祭に足を運んだのは両親の誘いを断り切れなかったからで、同年代の子たちが目にキラキラと浮かべるような憧憬の念があるわけじゃなかった。

 府中までの移動を含め浪費される時間を考えると自身のトレーニングを優先させたかった。だけど親に心配をかけている自覚はあったから。

 この生き方は変えられないし、その気も無い。でも心が痛まないわけじゃない。少し時期のズレたオープンキャンパスみたいなものだと自分を誤魔化して同行して。

 

 『彼女たち』を見た。

 

 世代征服ライブとかいう、喜んでいるファンの前じゃ大きな声では言えないけど少しセンスがどうかと思う名称の催しのことなんか頭から消えていた。

 季節の移り変わりのようにメンバーが入れ替わる数々の踊りは目を滑り、歌は耳を右から左へ素通りしていった。

 ただ当然のような顔をしてステージのセンターに居座り続ける銀のウマ娘だけが見えていた。

 

 ここ最近、有名になってきたその名前を聞いたことが無かったわけじゃない。

 ただ興味が無かった。

 トゥインクル・シリーズにどんな優駿がいても関係ない。私は生まれてくることができなかったあの子に勝利と栄光を捧げる。そう決めたから。

 強い相手がいるから諦める? 別の道を探す? いいえ、そんな選択肢は存在しない。

 それにウマ娘が実力を発揮できる期間は短いもの。去年までの覇者が今年に入ってからは入着すらできず、逆にまったく無名のウマ娘が初めての重賞勝利をGⅠ圧勝という形で成し遂げる。レースはそんなことが珍しくもない世界。

 今から強敵となりうる相手をマークしたところで意味がない。その情報が有効活用できる可能性は乏しい。だから周囲に目を向けるのは入学してからでいいと、ただ自らの実力を高めるトレーニングに重点を置いていた。そればかりに時間をつぎ込んでいた。

 

 あれは私と同じだ。理屈なんて無い。視界に収まった瞬間に魂が理解した。

 でも、あの人は私とは違う。一つしかない枠だったはずなのに。一つの身体の中に異なる二つの魂があることだけが内容は綺麗に通り抜けていくライブの中で強烈に印象に残った。

 思考も常識も炎で炙られたように縮れて消えた。家族とここに来ていたことさえ忘却の彼方だった。

 ただ知りたかった。どうすればよかったのか。

 教えてほしかった。私はどうすればあの子を失わずに済んだのか。

 

 突き付けてほしかった。お前は間違えたのだと。

 

 気づけばライブは終わっていて、私は家族を振り切ってやみくもに彼女たちを探し、幸か不幸かまるで何かに引き寄せられるかのように校舎の物陰で休んでいるところを見つけた。

 礼儀もなにもあったものじゃないその襲撃を、彼女は緩やかに微笑んで受け止めてくれた。さほど身長が変わらない、ともすれば現時点で既に私の方が背丈はやや上かもしれない相手は確かに年上の女性なのだと。貫禄、あるいは包容力のようなものを焼け焦げた思考の残骸で感じた。

 

――喰わせた

 

――ぼくが持っているのは正解じゃない。だーかーら、今のきみを間違っていると断罪することもないよ。わかった?

 

 望んだものは……得られなかった。

 

 私の想いが通じなかったわけじゃない。こちらの内心を把握した上で、もしかすると私以上に『私たち』の事情を理解した上で、その上でさらりと受け流されたのだ。

 でも軽妙洒脱な色を被せた赤い瞳の奥、彼女の燃え盛る炎を見て感じずにはいられない。あのときの私にこの苛烈さがあれば、あの子を喪わずに済んだのではないかと。

 それはほんの一瞬の邂逅。すぐに両親が私を探しに来てくれて、彼女たちは彼女たちでこの後にやることがある様子で、慌ただしくその場は別れた。

 こうやって後になって振り返ってみると本当に失礼で、申し訳の無いことをしたと思う。親にも、彼女たちにも。余裕がないなんてこちらの一方的な言い訳にしかならないから。

 それでも自分の生き方を変える気は一切ないのだから、救われない。

 

 短いながらも鮮烈なひとときにすっかり気力と体力を奪われてその後の聖蹄祭はろくに記憶がない。起きているのか寝ているのかわからないような状態で帰宅することになった。

 洗濯する前に衣服のポケットを確認して気づく。見覚えのないメモの切れ端が入っている。内容は走り書きの電話番号とメールアドレス。

 そういえば別れ際、彼女に軽くぽんと肩を叩かれた記憶がある。機会があるとすればそれくらいかしら。

 不用心なこと。こんな気軽に個人情報をばらまいていいような立場ではないでしょうに。それとも、それほど己の見る目に自信があるのか。

 もはやお人好しが過ぎると言ってもいい彼女たちの親切。安易にそれに乗る気にはなれなかったけど、かといって破り捨てるには価値がありすぎるから。

 私のスマホの電話帳が少しだけ増えた。きっと使わない容量の無駄遣い。その程度が妥協点。

 

――中央においで、アドマイヤベガ。きみの救いはきっとここにある

 

――あはっ。ぼくの目には贖罪に見えたけどねぇ。そして刑期を終えたら罪は許されるものなのさ。たとえそれが冤罪であってもね

 

 あの人の言葉が脳内をリフレインする。

 違う。私はそれを望んでいるわけじゃない。

 償うべき罪であり、咎められるべき悪。でも、許されたいわけじゃない。だって許されてしまったらあの子はどうなるの?

 上手くやる方法があったのだと証明されてしまった。偶然かもしれない。奇跡なのかもしれない。でも不可能ではない。可能性はゼロじゃなかった。

 なら、それはどうしようもなく私の(とが)だ。

 

《おねえちゃん。わたし、ここにいるよ?》

 

 

 

 

 

 月日は流れ、私は中央に合格した。

 そこにいくのは確定事項だった。それ以外の未来はありえない。安堵はあっても感慨はない。

 ……でも、受験に至るまでの勉強やトレーニングに静かに集中できたのは。使いもしない電話帳の一頁の影響が無かったと言いきってしまえば、それは嘘かもしれない。

 こちらから掛けることも向こうから掛かってくることも、結局一度も無かったけれど。

 

 一人になりたかった。うるさいのが苦手だった。

 一人であるべきだと思っていた。あの子からすべてを奪ってしまった私が、あの子が得られなかった繋がりを得るのは許されないことだと感じていた。

 私のすべてはあの子のために。そのためだけに生きている。呼吸することが許されている。

 だけど、それはあまりにも急に不可逆なまでに変わってしまった。

 誰とも共有できないはずの境遇はこれ以上ない先達がいた。

 彼女たちとのコネクションは、あの子のことをもっと知る上で有益なものだから。必要なことだから。

 ほんのわずかにスマホの容量を圧迫する数行のデータは、私が拒絶しなくてもいいこの世界の繋がりだった。

 

《よかったね、お姉ちゃん!》

 

「新入生・上級生交流オリエンテーション、AグループからCグループはこっちだよー!」

「あ、あたしたちに続いてグラウンドまで移動してくださーい!」

 

 秋と冬、二つの季節を跨いで再会した彼女は印象が変わっていた。

 ふわふわ。

 でも、布団乾燥機をしっかりかけたお日様の匂いのするそれではなくて。たとえるのなら……人の手が入っていない鬱蒼とした森に漂う霧? ひんやりとして掴みどころがない。ふわふわだけど、あまり好きになれないふわふわ。

 ああ、違うのか。今の彼女は『妹』の方なのね……私とは、違う。

 

「うわぁ、ナマ143JSA小隊……ちっちゃい! かわいい! めっちゃ強そうでゲロ吐きそう!!」

「わかるぅ。同じガッコの先輩で何なら超えるべき目標なのに今からサインほしいわぁマジで……」

 

 きゃいきゃいと新入生の子たち――私の同級生となるウマ娘たちが騒いでいる。

 目の前にいるのは現代のトゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘。引率してくれる上級生たちは皆それなりに実績を持ったウマ娘ばかりみたいだけど、私たちの運がいいのは疑いようがない。

 マヤノトップガン、アグネスデジタル、そして『彼女たち』。この三人組は公私ともに仲が良く頻繁につるんでおり、同じ百四十三センチという特徴から一部では143ジェットストリームアタック小隊などと呼ばれているらしい。

 あくまでネット上を中心としたファンからの呼称であって非公式のようだけど。ミーハーな生徒が多いのか、それとも世間に浸透してしまっているのか、何気なくこぼした言葉にすぐさま隣で同意が出るくらいには幅広く知れ渡っている様子ね。

 

中央(ここ)に来るようなウマ娘に言葉で語ったって半分くらいしか通じないだろ? だったら最初から走った方が手っ取り早い。というわけでー、今から皆さんにはぼくらとレースをしてもらいまーす」

 

 ぎこちなくグラウンドに整列した私たち新入生の前に、悠然と胸を張って説明を始めたのは以前と同じ彼女だった。

 わざとらしく左目を閉じて赤く光る右目をアピールしている。こちらが私の知っている『姉』なのだろう。

 今年の初め、彼女たちはふたりでひとつの存在であることを世間に公表した。

 始まりは偶然だったのかもしれない。奇跡だったのかもしれない。でも彼女たちはそれに胡坐をかかず、自分たちの居場所を切り開くべく日々世界に立ち向かっている。

 それがなんだか、とても羨ましく思えた。

 

「あのー……これっていわゆる『かわいがり』ってやつですか?」

 

 おそるおそる、といった様子で新入生がひとり手を上げて質問する。

 ここにいるのは中央の狭き門を潜り抜けた者たちばかり。だけどさすがにこの時代を代表する看板ウマ娘を相手に勝負が成立するなんて、自己評価をくだす子は少数派だ。

 逆に言えば何人かはやってやるとばかりに目をぎらつかせているのだけど。自分を鼓舞するためなのか無駄に高笑いしている子がやや悪目立ちしている。無謀であることは疑いようがない。でも、顔は憶えておいた方がいいかもしれない。

 どんな相手であっても私は勝つ。勝利の栄光をあの子に捧げる。その想いは今も変わっていないけれど。

 レースに勝つためには情報も必要。たとえば強敵となりうるウマ娘とか。彼女たちは()()になりうるから。

 

「あはは、まっさかー。何のために引率が三人いると思う? リレー形式でレースを行うためだよ! チーム戦ならぼくらにだって勝てるかもしれないからねー。人数は均等に割り振らせてもらうけど、とりあえず好きな先輩のところに移動してみて」

 

 新入生たちの目の色が変わった。

 公式戦無敗。この生ける伝説に非公式のイベントレースとはいえ大金星を挙げられるかもしれない。これで燃えないウマ娘ならそもそも中央に来ないわよね。

 憧れに挑戦するもよし。憧れと同じチームで走るもよし。そこは性格の差が出そうだけど、ぐっと全体の空気の温度が上がる。

 

「それと、ぼくら先輩組は斤量……じゃない、(おもり)をつけているから。とりあえず勝負にすらならないってことはないんじゃないかな」

 

 ジャージの裾をまくって水色のリストバンドとアンクルを示して見せる。あの中に錘が仕込まれてるのだろう。

 

「あのっ! どのくらい重いのか気になるので、持たせてもらっていいですか?」

 

 また別の新入生が挙手してそう発言した。

 金髪寄りの明るい栗毛。きっちり真ん中の髪の分け目といい態度といい、快活で真面目そうな印象を受ける。

 そして彼我の差を貪欲に知ろうとする姿勢。新入生を見てそう感じるのも変な話だけど、その子を見て改めて実感した。ここは中央なのだ。より速く。より強く。その姿勢を忘れない者だけがスタートラインに立つことができる。

 ウマ娘が本能的に忌避するゲートの圧迫感だって、レース本番では選ばれし者のみが味わうことを許されるごく限られた枠なのだから。

 

「いいよー」

「ありがとうございます!」

 

 ひょいと軽い動作で右手のリストバンドが取り外され、手渡される。

 彼女が受け取る直前、同じく軽いテンポで注意が言い渡された。

 

「けっこう重いから腰を痛めないように注意してねー」

 

 え? そんなに?

 

 受け取る彼女はそういう顔をしたし、たぶん見ている一年生みんな同じことを思った。

 

「おっ、とと」

 

 忠告があったため、彼女が取り落としたりつんのめったり腰を痛めたりするようなことはなかった。

 それでも重さに引かれて少しだけ身体の軸がブレた。中央に合格するほど鍛え上げたウマ娘が、忠告に従い両手で受け取ってなお。

 

「こ、こんな重たいもの付けて走るんですか……?」

「へーきへーき。きみたちもクラシック級の夏まで生き残ればこれをつけて砂浜を走れるくらいになってるよ。このイベントのために用意した専用アイテムじゃなくて夏合宿用の流用だからこれ」

 

 なるほど、大した説得力ね。

 今の私たちとはこれほどまでに違うのか、と。どれだけ言葉を重ねてもこの実感を私たちに与えることはできないでしょう。

 

 中央トレセン学園に合格という個人的偉業と達成感。それに裏付けされた将来への期待。レースに勝ちトゥインクル・シリーズで活躍するウマ娘になるという漠然とした未来予想図。

 そんな楽観がいま、氷のように溶けて消えた。

 クラシック級の夏にはあの錘入りリストバンドとアンクルを付けて砂浜を走れるくらいになっておかないと、トゥインクル・シリーズを生き抜くことはできない。具体的な指針がぐさりと脳髄に挿入された。

 そして時代を代表するような優駿になるためには、あの程度の重さでは縛り付けることもできないほど屈強な身体能力を獲得する必要がある。ひょいとリストバンドを受け取って再度右腕に装着する、その軽やかな立ち振る舞いが何よりも雄弁に語りかけていた。

 

 この時点で新入生を先輩と交流させた学園の意図的には大成功と言っていいんじゃないかしら。

 熱されて膨張しかけていた空気がきゅっと引き締まった。少なくともこの三グループに所属する新入生の中で、新しい環境に浮かれてスタートダッシュに失敗するような子は出ないでしょうね。

 

「生徒会からは口を酸っぱくして『くれぐれも壊すな、殺すな』と念を押されている。全力で手加減してあげるから安心して本気でかかってくるといいよ」

 

 にっこり優しく微笑んで吐かれた言葉。大言壮語だとは、誰も思わなかった。

 

「……はっはっはっは! はーっはっはっはっは!! ああ認めよう! 我が世紀末覇王伝説はいまだプレリュードにすら至らず」

 

 呑まれかけた、その空気を無遠慮な笑い声が吹き飛ばす。

 さっきも高笑いしていた新入生だ。

 

「それではエチュードから始めるとしようじゃないか。舞台にすら上がれぬこの身でありながら! この日まで無疵の“銀の魔王”の血で綴られる第一節! まさに無謀ッ、しかし果たせれば? 実に素晴らしい!! このボクにふさわしい幕開けと言えるだろう」

 

 まるで演劇をしているかのような大仰な身振り手振り。周囲の視線を受け恍惚としたナルシズム丸出しの表情。

 騒がしいのは嫌い。この時点で彼女に苦手意識を抱いた。でも――。

 

「アグネスデジタルさん。力を貸してくれるかい? 君にはどこか運命的なものを感じるよ!」

「ひゃ、ひゃい! よろしくお願いしましゅ!」

 

 ――彼女はこの中で誰よりも早く、迷うことなく戦う意志を示した。その事実は軽視してはいけないものだ。

 何故か新入生より緊張した面持ちで迎え入れる上級生を見ながらそう思う。

 名前も知らぬ騒がしい彼女を皮切りに、他の子たちも少しずつ動き始める。私もマヤノトップガンさんのもとへ身を寄せた。

 

「よっろしくー! 今日はマヤと一緒にがんばろーねー!」

「……よろしくお願いします」

 

 トゥインクル・シリーズの頂点。そこすら私にとっては通過点であり、あの夜空の果てにいるあの子へ栄光を送り届ける。それが私の成すべき使命。

 ならば知るべきは敵として見た『彼女たち』であり、『彼女たち』を凌駕せんと走り続ける先達。マヤノトップガンというウマ娘は変幻自在。逃げから追い込みまで走りこなす彼女からなら、追い込み脚質の私が学べるものは最も多いはず。

 

 

 

 

 

 とはいえ、しょせんは新入生歓迎オリエンテーションの一環。

 数か月前までは中央トレセン学園に合格したエリート小学生だったとしても、現状は担当トレーナーも所属チームも無いウマ娘。ふわふわのヒヨコですらない、せいぜい孵化を待つ有精卵といったところかしら。

 

「美しく!」

 

 そしてトゥインクル・シリーズという世界の規格に合わせたレースはポニーカップなどで経験してきたこれまでとは次元が違う。今の私たちの実力ではクラシックディスタンス(2400m)の半分の距離を完走できたら上出来の部類。距離適性という概念が適用される前の段階。

 ゆえに一人あたりに割り振られる区間はトゥインクル・シリーズのどの短距離レースよりも短い。そもそもがリレー形式なのだ。ゲートから始まりゴール板で終わる通常のレースと異なり作戦や脚質が介在する余地は薄い。

 言ってしまえば、かけっこの延長線上のようなレクリエーションだった。

 

「負けません!」

 

 本音を言えば敵わないのだとしても通常のレースと同様の形式で競いたかった。

 同い年の誰よりも走り込んできた自負……いえ、執念の自覚がある。2400mだって私なら既に走れる。新入生をいたずらに傷つけないよう娯楽めいた緩衝材で薄めたものではなく、生のままの時代の頂点を今この場で味わってみたかった。

 

「……しっ!」

 

 どのような想いがあれ、変則的な形式であれ、レースである以上スタートがあってゴールがあり、時間が来れば否応なしにスタートは切られてしまう。

 私の番が来て、走って、次にバトンを渡す。受け取ったときは最下位だったけど、渡すときには一着まで追い上げることができていた。

 実力差。

 同じ新入生であってもこの段階から既にそれは生じている。才能なのか、努力なのか、はたまた成長速度の違いなのか。何に由来するものなのかは定かでないし興味もない。

 ただ私が今の時点でちゃんと強いウマ娘なのだと把握できたのならそれでいい。あの子の枠を奪っておいて弱い私なんて、許されないから。

 私以外にも目立つウマ娘は幾人かいた。それはリストバンドを持ちたがった金髪栗毛の彼女であったり、空気を自分色に引き寄せた騒がしいナルシストの彼女であったり。

 きっと彼女たちはデビューまでこぎつけることができるだろう。もしかしたら同期になることだってありえるかもしれない。そんな運命めいた何か、言い換えれば根拠のない予感を抱く。

 

「ありがとっ! マヤちんテイクオーフ!!」

 

 上級生の三人は皆揃ってアンカーに任命されていた。どのチームも相談して順番を決めたはずだけど。まあ、たしかに彼女たちを差し置いて自分がアンカーを走ろうというウマ娘はいないか。

 仮にいたとしても周囲が止めるでしょう。日本人的同調圧力以外に、レースを走るウマ娘という観点からしても一人だけ抜け駆けなんて許せるものではないから。ごく当然の帰結としてマヤノトップガンさんに後を託し、私は邪魔にならないようグラウンドの横に逸れる。

 

 ……いま中央ではアオハル杯という非公式のチーム戦が盛んらしいけれど、私はやめておこうかしら。アオハル杯用の予算は純粋に魅力だったから少し悩んでいたのだけれど。

 やっぱり私は集団行動というものが苦手らしい。

 他人に足を引っ張られるのも、自分の努力が勝利に直結しないのも、まったくもって嫌気がさす。ドキドキワクワクハラハラなんて私には縁のないものだった。

 

「きゃああああああああ!?」

 

 大仰な悲鳴。逸れかけていた意識が勝負の行く末に戻る。

 盛大に素っ転ぶキャスケット帽のウマ娘。明後日の方向にバトンが飛んでいく。その間に追い抜かしたアグネスデジタルさんチームの子がアンカーへとバトンを繋ぎ、転んだ子のチームはあっという間に最下位に。

 

「ごごごご、ごめんなさい~!!」

 

 ぼろぼろと涙を流し謝罪しながら、意外なほどにその子の立ち直りは早かった。顔面についた土を払おうともせず飛んでいったバトンを追いかけると、短い往復の間にも二回ほど足をもつれさせながら何とかアンカーのもとへバトンを運ぶ。

 転ぶことに慣れているのかしら。走りに突出したものは感じなかったけど、また印象に残る子がいたものね。

 

「すみませんすみません、私ったらほんとうにドジでグズでノロマで……」

「ふふ、おぼえておきたまえ新入生諸君」

 

 泥だらけの顔で泣いたせいで、(おとがい)から茶色の雫が滴り落ちる。バトンを受け取りざま、そんな彼女の頬をさらりと撫でて。

 『彼女たち』――テンプレオリシュは走り出した。

 正直、厳しいと思った。ものの数歩でトップスピードに到達した加速力は圧巻で、流石としか言いようがないけれど。

 中央の基準では一秒あれば五~六バ身の差がつくとされている。いくら何でもこれだけのリードを削り切るには一人当たりの区間が短すぎる。

 

「スタートを切った以上、泣くのも笑うのもゴール板を通り過ぎてからでいい。レース中にするべきことはただ一つ。走れ(バクシンだ)

 

 トップスピード、じゃなかった。

 私の知っているウマ娘の最高速度を優に超えて、ぐんぐんとその銀色の影は速度を増していく。

 まるでターフの上を駆け抜ける流星。いえ、夜間のみならず昼間だろうと観測可能な無遠慮なあの輝きは火球に区分されるべきかしら。

 

「うえええええぇえええええ」

「ひょえええええええええ!?」

 

「はーっはっはっは、バクシンバクシンバクシーンッ!!」

 

 先行する二人だって決して遅くはない。最後に走るのも納得だ。あの走りを見た後ではしり込みして実力を発揮できない子も一人や二人ではなかっただろう。

 そのはずなのに、距離がみるみるうちに縮まっていく。

 迫り、追いつき、並ぶ。ゴール板を駆け抜ける頃には横一列で。だけどもつれるようにゴールインしたハナ差であっても誰が一着だったのか、不思議と見間違える者はいなかった。

 それほど圧倒的だった。

 

「だってぼくらみたいなのがいたら、道中の成果なんて簡単にひっくり返されるからね。泣いたり笑ったりした分の感情リソースが無駄になるだろ?」

「テンちゃんってたまーに大人げの無さに迷いがないよねー」

 

 ぶすっと頬を膨らませたマヤノトップガンさんの指摘も何のその。新入生たちのそれまでの努力をたった一騎で覆して見せた銀の魔王は高笑いすらしてみせた。

 

「はっはっは。あー、楽しかった。この距離でスプリント王者と勝負するには適性とリードが足りなかったようだねぇ」

 

「ぶーぶー。菊花賞ウマ娘のセリフじゃないと思いまーす」

「ひえぇえ……今日も推しが天井知らずで尊い……しゅきぃ……」

 

 結果的に私たちの努力は無に帰したと言っていい状況だったのだけれど、誰も負けた二人の先輩に不満を抱いている様子はなかった。

 文句なんて言えるわけがない。あれはもうどうしようもない。そういう存在だ。

 

「あ、そうそう。さっき派手に転んだんだからメイショウドトウはちゃんと保健室にいってきなよ? 直後だと自覚症状が無いことも多いんだから」

「は、はい~~~~!」

 

 それでいて、さらりと新入生の名前を呼んだりもする。

 もしかしてここにいる面々の顏と名前が一致していたりするのだろうか。なるほど、トゥインクル・シリーズの看板を背負わされるだけのことはある。このスターウマ娘さまはどうすれば己が他者に好かれるのかしっかり心得ているらしい。

 さっき転んだキャスケット帽の女の子をはじめ、幾人もの新入生がテンプレオリシュを見つめる目はまるで恋焦がれているかのような憧憬で満ちていた。

 

 私もあんな生き方ができればあの子に…………ごめんなさい。あちら方面は諦めて。

 

《人には向き不向きがあるもん。お姉ちゃんはそんな性格だし仕方がないよ。無理しなくていいからね?》

 

 何故だかあの子にちょっと呆れられたような気がした。

 




次回も引き続きアヤベさん視点


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サポートカードイベント:妙に親身なブラックホール

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

引き続きアヤベさん視点です
前回のギミックをノーヒントで見つけた読者が多くて戦慄している
すげえなマジで


 

 

U U U

 

 

「アドマイヤベガ、うちのチームに来なよ」

 

 私はスカウトを受けていた。

 新入生歓迎オリエンテーションからまた少しばかり時は流れ、年に四回ある選抜レースに一部の新入生が参加資格を得てからしばらく。

 気の早い子はもう既に担当トレーナーが見つかっているらしい。私はまだだけれど。

 そんな中に彼女はひょっこり現れて、何の前触れも無くそんなことを宣った。ちなみにここは山の中だ。

 もう一度言おう。ここは山の中だ。どうしてこんなところで出くわすのか。わけがわからない。

 

 『中央はレースを志すウマ娘にとって必要な物・場所すべてが揃っている』。ずいぶんと御大層な広告文だと思っていた。

 ただ、大げさではあっても根拠が無いわけではなかったみたい。学内の設備が充実しているのは言わずもがな、学園の敷地外もウマ娘がトレーニングしやすい環境が想像以上に整っている。

 そんな野外のトレーニングに適した場所の一つ。休日を使い、トレイルランニングに使えそうな山道の下見を行っているところだった。

 山の中ではすべてが自己責任。昔から新月の夜には星がよく見える場所でひとりキャンプを行っていたから、そのことはよく弁えているつもり。

 一秒だって無駄にしていい時間は私に無い。だからこそ、本格的なトレーニングを始める前にしっかり下準備をしておくべき。そう考えて今日はルート確認をメインに山道を歩いてみる予定だったのだ。

 

「お、みーっけ」

 

 前触れも無く銀が目の前に着地する。ほうき星のように輝く葦毛が宙を舞った。

 もはや着陸と表現したくなるような軌道で本当に脈絡も無く現れた。

 木々に遮られ見通しがよくないとはいえ、彼女はいったいどこから降りてきたのだろう。軌道から逆算したところ、目算だけど十数メートルは離れた場所からひと息に飛び降りてきたような気が……。

 もしかして山道から外れていたのだろうか。遭難のリスクが飛躍的に高まるからそういうのはやめてほしい。普通に人は死ぬのだ。自然というものの前では。

 あまりにも唐突でシュールな状況に一周回って驚きが消え、常識的な懸念から眉を顰める私に向かって投げかけられたのが冒頭の一言。

 長々と前置きされるよりはさっさと本題に入ってもらえた方が好みなのは事実だけど、これはさすがに端折り過ぎだ。

 

「……〈パンスペルミア〉に?」

「そ、アオハル杯のうちのチーム。ぼくなら一人くらいはねじ込めるから」

 

 アオハル杯チーム〈パンスペルミア〉。

 そのエース陣の豪華さやこれまでの戦績もさることながら、アオハル杯の規定いっぱいいっぱいまでチームメンバーがいることでも有名なところだ。

 アオハル杯はお祭り企画であるという理念のもと、定期的にメンバーを入れ替えているとも聞く。流石にランキング戦の勝敗に直結するエース陣は固定だが、言い方は悪いがいてもいなくても変わらないメンツは入れ替わりが激しいと。

 メンバーの入れ替えを実質的に管理しているのは〈パンスペルミア〉公認ファンクラブ。入学したばかりの一年生にも一定の枠を確保してくれるのだと同級生からは評判だった。

 たしかに目の前の彼女ならファンクラブにわがままの一つくらい押し通せるだろう。

 

「興味ないわ。ドトウさんあたりにでも声をかけてあげたら? 彼女、あなたに懐いているじゃない」

 

 以前の上級生交流オリエンテーションで盛大に素っ転んだキャスケット帽の子。どうしても第一印象で刻まれるレッテルというのは根深いものだ。

 そしてあれから時間を経ていまだにそのイメージは覆っていない。

 実力面で見れば悪くはないけど特別目立ったところがあるわけでもないウマ娘。ここぞというところでドジを踏むので総合的に言えばマイナス。いえ、ドジは勝負所に関係なく年がら年中やっているかしら。

 

 あのキャスケット帽はいま目の前にいる彼女から貰った宝物なのだと言っていた。ドトウさんの性格的に宝物なら傷ついたり失くしたりしないよう、どこかに大切にしまっていそうだと聞いた時は不思議に思ったものだけど。

 

――あ、あの~私ってドジでグズでダメダメで……部屋に大切に飾っておこうと思ったのにうっかり燃やしかけちゃいまして~。こうやって身に着けておいた方が一番安全なんですぅ……。

 

 事情を説明しながらドトウさんはそっとキャスケット帽の補修された部分を指でなぞっていた。あのパッチワークはもとからのデザインではなかったらしい。

 ウマ娘用に調整された衣類や装飾品はウマ娘の不思議な力の恩恵を受けやすくなる。勝負服がその最たる例。

 あれは極端な例だけれども。リボンや髪飾りなど些細なものでもウマ娘が身に着けている限り物理法則を超越した耐久性を得られる。水泳の授業でも『外すと調子が出ない』と頭飾りをつけたままプールに入る子は一定数存在しているし、何なら海水浴のときでさえ外さない子は外さない。塩水も潮風もウマ娘の不思議な力を貫くことはできないのだ。

 普段使いしている以上、相応にくたびれてはいくのだけれど。ドトウさんにとってはその不思議な力の影響下に置いておいた方が他のどんな管理方法よりも安全だったみたいね。

 

 ……部屋に大切に飾ろうとしていた帽子がどういった経緯で炎上するに至ったのか、気にはなったけど結局聞けなかったのが心残りといえば心残り。冬は暖房器具による火災が多くなる季節だから、そのあたりが原因? ドトウさんのお家は大丈夫だったのかしら。

 

 ともあれ、あんな内気な性格のドトウさんが素直に憧れを口にするほど彼女はテンプレオリシュというウマ娘のファンなのだ。

 誘うのなら彼女の方だろう。

 

「あー、メイショウドトウね。懐いてくれるあの子は可愛いんだけどねー。今チームに引き込むとちょっと距離が近くなりすぎる。それじゃあ完全にこちらに依存してしまうよ。

 誰かに憧れて尻尾を振ってその後について歩く生き方が悪いとは言わないけどね。そうだなー、この時期はテイエムオペラオーの太鼓持ちをやってるくらいがちょうどいいのさ」

 

 笑顔で何てことを言うのだろうこの人は。

 自分のことをあんなに慕っている子に言うセリフだろうか、それが。

 

「……嫌いなの、あの子のこと?」

「まさか。自分を慕ってくれる後輩が可愛くないわけないだろ? おっぱいでかいし好き」

 

 同性でもセクハラって適用されなかったかしら。

 いえ、まるっきり本気というわけではなくて、たしかネットスラングの一種だったような。というか本気だったらどうリアクションをとればいいのかわからないから冗談だということにしておきましょう。

 

「べつにあの子の生き方を否定したいわけじゃない。ただぼくらの影響力が強すぎるというだけの話さ。こちら色に染め切ってしまえばメイショウドトウ独自の魅力は損なわれてしまうからね」

「……すごい自信ね」

「事実だからねぇ」

 

 我ながら冷めた目をしている自覚はあったけど、目の前の彼女の分厚い面の皮を貫くには至らなかった。

 それも仕方のないことなのかもしれない。その分厚さは根拠のない自信で構成されたものではなく、むしろ誰にも否定しようがない前人未到の実績で織り成されたものなのだから。

 私が目指すべき高みの具体例。……でも、コレと同じになろうとは思えないわね。

 テイエムオペラオー、さっき彼女が名前を挙げた同級生。演劇の合間に人生をやっているような騒々しいウマ娘と被るものがある。上級生交流オリエンテーションのときも騒がしく高笑いしていた彼女のことは、どうも好きになれなかった。

 フィーリングが合わないとでも言うのだろうか。それとも『見えている世界が違う』とでも言うべきか。何かが噛み合わない、何とも言えない気持ち悪さに通じる違和感が彼女たちにはある。他人のことをとやかく言えるほど自分がご立派なウマ娘だと思っているわけじゃない、でも。

 何と表現するべきなのか適切な言葉が見つからないけど……強いて当てはめるのなら『異質』なのだ、彼女たちは。

 

「それにメイショウドトウは執念の子だ。放っておいたってシニア級になる頃には開花しているだろうさ」

 

 先ほどこき下ろしたかと思えばこんなふうに、ドトウさんを認めているようなことをここで口に出してみせたりもする。本当に彼女の色の異なる左右の目にはどのような光景が映っているのだろう。

 ドトウさんの前で言ってあげたら文字通り泣いて喜ぶでしょうに。どうして私の前で言うのかしら。

 

「そんなことよりピンチなのはきみたち二人。ナリタトップロードとアドマイヤベガ、きみだよ」

「意味がわからないわね」

 

 反射的にそう言い返していた。

 私の実力は同級生の中では頭一つ抜けている。それだけの努力をしてきたつもりだ。

 あの子から奪い取ってしまった枠に報いるため、鼓動の一つだって無駄にせずつぎ込んできた自負がある。

 それを否定するようにも聞こえる発言に知らず耳が後方に絞られていた。

 目指す先に待ち受けるのは困難かもしれない。でもデビューもはたしていないこの段階から危機的状況に陥るほど私は弱くない。心配なんて、いらない。

 

「今のきみが強いのは認めるよ。でもそれは完成度の差によるものだ。潜在能力の最大値で言えばきみたちの世代はテイエムオペラオーがトップで、ナンバーツーがメイショウドトウ。この順位は揺るぎない」

「それほど見る目に自信があるのならトレーナーにでも転職したらいいんじゃないかしら?」

 

「おいおい冗談だろう? このぼくらがこの時点で現役引退なんてレース業界の損失でしかないぜ。まー、ぼくらならトレーナーでも大成できるだろうけどさー」

「……」

 

 根拠のない自信が日々一人カーニバルしているオペラオーと違い、しっかり実績がある分たちが悪い。

 

「ねえアドマイヤベガ。きみはテイエムオペラオーがトレーナーと契約したってことは知っているかい?」

「……いちおうは。クラスの子たちが話していたのを聞いたから」

 

 他人のことでよくもまああそこまで盛り上がれるものだと思う。名前すら憶えていないクラスメイトたち。とりわけ聞き耳を立てているわけもないのに、大声できゃあきゃあ騒ぐものだから嫌でも耳に入ってくる。

 トレーナーとの契約はこの学園において一大イベント。でもあそこまで屈託なく話題にすることができるのは新入生のいまだからでしょうね。これが二年、三年と時を経てデビューもできずに引退する者が増えれば。きっとあれほどまで能天気に大声でどこの誰が契約しただなんて口に出すこともできなくなるはず。

 だからそれまでの我慢……そのときになったらなったで話題が変わるだけで、騒がしさは変わらない気もするけど。

 

 オペラオーと契約したのはワンダーアキュートさんのトレーナーだ。

 ワンダーアキュートさんは現役最長GⅠ勝利記録をもつダート界の大御所。担当にGⅠを獲らせたという実績はそれだけで中央の数いるトレーナーの中でもひときわ輝かしいもので、トゥインクル・シリーズの歴史に更新するべき一文を残したという点では紛うことなき名トレーナー。

 ただ、アキュートさんが現役最長GⅠ勝利やトゥインクル・シリーズ現役十年目という大記録を樹立している陰で。

 彼もまた中央トレーナーの責務として何人か追加でウマ娘を担当したものの、彼女たちにはGⅠ勝利ほどの芳しい成果を出すことはできなかった。アキュートさんほど長く走り続けることもできず、彼女たちは一部のファンに惜しまれながらひっそりレースの世界から消えていったのだ……などと微に入り細を穿つような内容までべらべらと噂話で垂れ流していた彼女たちは、いま思えばどこを目指しているのだろう。ファンが高じてこの道を選ぶ子って案外多いのかしら。

 

 それと、聞き流していたはずの情報を意外なまでに記憶していた自分にも驚いた。興味がないつもりだったけど。

 いえ、これは憶えておいても別に損のない情報のはず。トレーナーの情報はレースにも影響が色濃く出る要素だから。私は揺らいでなんかいない。

 

「女神が平等とは程遠い、自らの気に入った相手を徹底的に偏愛する存在だってことはわかっていたつもりなんだけどねー。トレーナー学校で七科目首席で表彰されたエリートがアキュばあばとの十年間で経験と実績を積んだベテランとなり、満を持して世紀末覇王の育成に取り掛かる。ある意味でどこかの誰かが見たかった理想のIFなのかもしれないけど、ちょーっとえこひいきが過ぎるかなって」

「……何を言っているのかさっぱりね」

 

 かろうじてオペラオーを高く評価しているらしいことは伝わってきたけど。

 あの騒がしい王様きどりにそこまで見るべきものがあるのかしら。平均より上の実力者ということは認める。でもあの彼女の極度のナルシズムに見合うだけの、何か光るものがあるようには思えない。

 

「要約すればこのままいくと無敗のクラシック三冠もありえるってことさ。それもぼくらの世代以上に圧倒的な、見る者に退屈とさえ言わしめるような結果のわかりきったレースによってね。

 世紀末覇王は自らが圧倒的な実力者たらんとしているが、一方でレースとは独りではできないものであることを重々承知している。同世代に肩入れするのは彼女の意に沿うものであるはずだから、ちょっと世話を焼いてみようかなって」

「…………だから、どうして私なのよ? ドトウさんか、あるいはトップロードさんあたりにでも声をかければいいじゃない」

 

 ナリタトップロードさんも交流オリエンテーションで私たちとリレー形式で競ったウマ娘の一人。錘入りリストバンドの重さを知りたがった金髪栗毛のあの子だ。

 周囲の期待に応えるのが好きという私とは真逆の性格の持ち主で、入学式からさほど時間の経っていないこの時点で既に『多くのクラスメイトから頼られる学級委員長』という立場を築き上げている。

 不器用だと自分では言っているし、実際にその走りに小器用さはない。あの大きなストライドでは悪路や小回りのコースに苦戦することでしょう。ただ対人面に至ってはあれほど多くの人々と交流し期待され、それで破綻も無くむしろ期待を自身の力に変えるその生き方は器用極まりないと思う。私のような人間からすれば、特に。

 人好きのするあの子ならチームに誘えば断らないでしょう。嬉々として二つ返事で受け入れるのが目に浮かぶもの。

 

 私は独りでいい。独りがいい。

 手を差し伸べてくれなくても結構。私はそれを望んでいない。

 救われたいなんて思っていない。そもそも『助けてあげよう』なんて上から目線で接してくる相手には嫌悪と苛立ちしか感じない。

 私が進むこの道は私が自分の意思で選んだもの。仮にその先にあるのが破滅だとしても、厭う理由にも避ける理由にもならない。

 だってあの子は生まれてくることすらできなかったのに。その事実から目を逸らして私が私だけの幸せを掴むなんて、そんなの許されない。

 誰よりも私が私を許さない。

 

「ん、なんとなく?」

 

 殴っても許されるんじゃないかと三秒くらい本気で考えた。

 あからさまに他人の心の襞に指を突っ込んでおいて、動機がそれではあまりにも報われない。

 ただ幸か不幸か、彼女の言葉にはちゃんと続きがあった。

 

「なんとなく、きみとぼくは似ている気がするんだよねぇ。だから覇王世代の誰よりも放っておけなくってさ」

 

 似ている。

 それは第一印象から理屈をすっ飛ばして私も感じていたことだ。

 でも、似て非なる存在。

 

 彼女は自らを犠牲に半身を生かした。

 私はあの子を守れなかった。すべて終わって手遅れになるまでその存在すら知らなかった。

 羨望と評することすら生温い。目を背けていた感情は、彼女に向けるそれはもはや憎悪か殺意と呼んで差し支えないほどに醜く煮え滾っている。

 

「それにこのままじゃあきみの妹ちゃんは菊花賞の後に消えてなくなるだろうから。ファン数を稼いで運命のトレーナーと巡り合えてさえいれば、もしかしたらそれを避けられるかもしれないとなればね。やっぱり優先したくなるのが人情だろ?」

「――は?」

 

 全文を日本語で構成されているはずのそれが、まるで意味を理解できなかった。

 耳の奥で甲高く何かが罅割れた音が響く。空耳だとわかっていたけど、何かが割れたのもきっと本当のことだった。

 なにを、いっている?

 

「ああ、やっぱり気づいていなかったのか。妹ちゃん、きみの中にいるよ。ちゃんと一緒にいる。共にここまで歩んできた」

「うそ」

 

 あの子がいるのは空の果て。

 ふたご座で最も明るいあの赤い星と語らうために、あの冷たくて静かな場所まで栄光を届けるために、そのためだけに私はこれまで走ってきた。

 

「星空にいると思っていた? たぶんそれは星の光を浴びることで巫女としての性質が増幅されているんだ。新月の夜にポルックスの光を浴びると巫女パワーが最大まで増すとかそんな感じで。いやはや、中央の芝レースにナイターが無いのが残念だったね」

「わけのわからないことを言わないで! あなたが何を知っているというの!?」

 

 私の言葉を聞いた彼女の顏から笑みが消える。

 まるで化粧落としのコマーシャルのように。見えない手で顔の表面を拭われたかのようにいっさいが抜け落ちる。

 

「知っているさ。いまのきみよりは、ずっとね」

 

 息をのんだ。

 激情をゆっくり宥め鎮めるのではなく、瞬時に沈静化させるもの。まるで山火事に爆弾を落とし酸素を消滅させることで鎮火するように。その激情をはるかに凌駕する衝撃。

 ゆらりと右目が赤く輝く。

 

「わからないはずがないだろう。誰もわからない罪の味。きっと告白すれば、みんな言ってくれるさ。『仕方のないことだった』『そんなことを気にしても無駄だ』『その子の分まで幸せに生きればいい』、言葉は違えども意図するベクトルは同じセリフを。

 だって彼らは知らないんだもの。その子がこの世に存在したということを。感じたことがないんだもの。あの温かい命の息吹を。それを踏みつぶしていま自分がここにいるのだと思い知ったことがないんだもの。

 己が内に抱えて生きていくしかない汚水を煮詰めたような優越感。その味を知らないはずがない」

 

 飽和し過ぎて凪いでいるように見える狂気にも似た、あるいはそのものの吐露。ここまで人間というものは純度が高くなるものなのか。

 狂人のたわごとのように意味不明で支離滅裂で、だけど目を逸らすことも耳をふさぐこともできない異様な熱がそこにあった。

 何より共感してしまった。

 言っていることに、その内容に。私はおぼえがある。心の奥底にしまい込んで直視しないようにしていたはずのそれらが、勝手に解き放たれてわかりやすく並べて晒されている。

 

「ぼくはそれが嫌だったから抗った。絶対に嫌だったから命まで懸けた。そして幸か不幸か成功した。それが誰にとっての幸運で、誰にとっての不幸なのかは知らんがね。もしも仮に失敗していたらどうなっていたかな。懸けた命を失うくらいならまだマシだけど。仮に自分独りで生き残っていたら世界を滅ぼそうとしていたかもなぁ。

 え、物騒だって? まー昔はぼくも尖っていたのさぁ。べつに本当に世界の滅亡を望んでいたわけじゃなくてね? 世界の敵になりたかったんだ」

 

 何やら物騒なことを言い始めた後半は私ではない誰かに向けられているように感じた。

 きっとそこにいるのだろう。私には見えない、彼女が守り通したもう一人の彼女が。

 

 ……私にもいるのだろうか。

 本当に、あの子はちゃんと今も私の隣にいてくれるのだろうか?

 

「だって可哀想じゃあないか。我が子だって思って育ててきたモノの中身はまったくの赤の他人なんてさ。筋が通らないじゃないか。だからせめて『お前なんて生まれてくるべきじゃなかった』という親の慟哭に世界中が心から同意するような、そんな存在になるべきだと思うんだよね。じゃないと生まれてこられなかったおちびさんに不実だろ?

 そういう意味じゃあ真っ当な方法で栄光を打ち立てようとするアヤベさんの贖罪方法は実に穏当で生産的だよね。腐ってもそこは基本的に温厚で品行方正なウマ娘ってことかな」

 

 …………私も、あまり人に言えるような生き方をしていない自覚はあるけど。

 彼女は拗らせ過ぎね。『彼女たち』が今の在り方に留まっているのはレースを志す多くのウマ娘にとっては福音となりがたいものであったとしても、世界の平和のためには間違いなく幸運なのでしょう。

 

 そして、やはり信じられないわ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう思ってしまう。

 長年大切に背負ってきたつもりだった罪悪感は、いつのまにか切り離しがたく私の血肉を蝕んでいた。

 

「さあ、この手を取って。タキオンの育成ストーリーを始め運命を覆すのは不可能じゃないけど、それも一定以上の“願い”を集めた上でトレーナーの助力あってこそ。このままじゃあ下手するときみの脚は菊花賞の後に壊れてしまうよ」

「あの子に栄光を送り届けることができるのなら、砕け散ったって構わないわ。それで終わってしまってもいい。……ふさわしい報いよ。安穏と自分のために走るくらいなら、それこそ死んだ方がマシ――」

 

 ずどん、と衝撃。ふわり身体が浮き上がる。息が出来ない。

 禍々しく輝く赤が私の瞳を射抜く。

 

「『死んだ方がマシ』なんて言葉はなぁ」

 

 襟首に手。片手で軽々と持ち上げられている。自分よりもはるかに小柄な彼女に。

 五感を通じて認識できた事実だけが脳内を通り過ぎていく。それ以外は何も考えられなかった。

 ただ身を強張らせることしかできなかった。

 

「一回死んでから言えよ。価値観変わるぜぇ、マジで」

 

 とすん、と地に降ろされたが脚に力が入らずそのまま尻餅をついてしまう。

 ようやく身体に認識が追い付いたのかどっと汗が吹き出し、肩が上下するほど呼吸が荒ぐ。

 

「ああ、ごめんっ。どうにも最近変わりつつあるというか混ざっているというか。たまーに“掛かる”ことがあるんだよね。これがウマソウルになるってことなのかな。案外ぼくがぼくのままでいられる猶予は短いのかもしれない。んー、あと一年くらいはいける気がするんだけどなー」

 

 謝罪も釈明もむなしく私の鼓膜を揺らすだけだった。

 

 “死”を感じた。いまだかつてないほど濃厚に。

 でもあれは殺気だったのだろうか。受けている最中はそれ以外の何物でもないと感じていたけど、過ぎ去ってみるとやや異なるものという気がしてくる。

 押し付けられたのだ。彼女の中にある“死”の実感。それを無理やり共感させられた。奇怪な表現になるがそう理解するのが一番しっくりきた。

 

「大丈夫?」

 

 いつまで経っても地面にへたりこんで呼吸を整えている私に業を煮やしたのか手が差し伸べられる。

 さっきの苦味が口の中にへばりついている私に、その手を振り払うという選択肢は無かった。

 小さな指と掌がひんやり接触したかと思えば、相変わらずひょいと起こされる私の身体。自分の体重が軽くなったような錯覚を覚える。

 

 ウマ娘同士、お互いに相手を持ち上げることが可能なのは承知の上。でも私の方が彼女より大柄である以上、私の方がずっと体重が重いはずなのだ。

 自分より重たいものを片手で振り回して身体の軸がまったくブレない。いったいどんなバケモノじみた体幹をしているのか。少なくとも今の私には無理。この矮躯でありながらバ群の中で削り合うような激戦の数々を制することができた理由、その片鱗が窺える。

 現状と無関係な方向に考察が進むのは一種の現実逃避なのだろうか。

 

「……ああ、なるほど」

 

 青い瞳が私の眼窩をするりと貫通してその奥を照らし出す。

 

「テンちゃんの記憶で見たよ」

 

 そして詩を吟ずるように、いつかの誰かが抱いた想いを彼女は朗々と口にする。

 決して輝かしからざる性質であるはずのそれは、しかし彼女には何より大切な宝物に見えているのだろう。一節一節、さらさら流される過去の幻想はきらきらと白く眩い。

 紡ぎ終わったあと、うっすら積もった初雪に足跡をつけるように彼女はこう言い放った。

 

「あなたは自分の脚が血と脳漿で汚れて見えているんだ」

 

 呼びかけに使われた二人称の違い。口調に宿る明確な温度差。ひとつひとつは断片だけど確信するには十分すぎるほどだった。

 いまの彼女は先ほどまでのテンプレオリシュとは別人。『彼女たち』の妹の方だと。

 

「……正直なところ、私はテンちゃんほど気安く他者の心に踏み込めない。ことの善悪はさておき全般的にそういうのが得意じゃない。でも、きっとこれは私にしか言えないことだから。『救われた妹』にしか言えないことで、たぶんあなたと似たような境遇のそれってこの世に私たちくらいしかいないから。言うよ」

 

 言い訳がましく前置きしたわりに、その後の言葉はあっさりと続けられた。

 

「生まれてくることのできなかった(わたし)からしてみれば、この世に(あなた)がいるだけで感謝しかないよ。血と脳漿で汚れている? まあ、(いしずえ)になれたっていうならそれはそれで。(わたし)の犠牲あっての(あなた)だったとしてもそこに恨みなんかない。ありがとうって思う」

「嘘よ!」

 

 かぶりを振って強く否定する。

 だって私はあの子の恨み言を聞いた。

 

 どうして? どうして私は生まれてくることができなかったのにお姉ちゃんは生きているの?

 よかったね。走るのが楽しくて。

 私は走ることもできなかったのに。何で楽しむの?

 ごめんなさいって何?

 悪いと思っているのなら私にちょうだいよ。全部ワタシにチョウダイよ、その身体も命も人生もぜんぶぜんぶ、ねえオネエチャン――

 

「一割くらい本物が混ざっているから逆に始末が悪くなっているやーつー」

 

 やれやれとこれ見よがしに肩をすくめてみせるテンプレオリシュ。今の彼女は姉の方だろう。

 コインの表と裏よりも簡単にくるくると入れ替わる。私たちもそんな関係であればという羨望と嫉妬と、もう二度とそんな機会が訪れることはないという絶望が身を焦がす。

 

「生者を恨み、その身命を奪わんとする。それを悪霊と呼ぶのだ。きみの妹さんは悪霊なんかじゃない。信じてやりなよ。お姉ちゃんなんだろ?」

 

 さきほどの幻聴が罅割れた音だったとすれば、今度はその罅が決定的に広がり砕け散った音がした。

 はらはらと見えない欠片が散らばって、その鋭利な断面で私にとりついていた何かを切り離していく。

 

「ほ、ほんとうに……?」

 

 喉から洩れた自分の声は笑ってしまうくらいか細かった。

 

 信じていいのかしら。

 私を恨み咎めているのは私だけなのだと。

 あの子は今も私のすぐ傍に、隣で一緒に走ってくれているのだと。

 そんなあまりにも私にとって都合のいい、ご都合主義の夢物語みたいなそれが真実なのだと、本当に信じてしまってもいいのかしら。

 

《お姉ちゃん。わたし、ここにいるよ?》

 

 あたたかなものが胸の内に溢れた。

 そう、ずっとそこにいたのね。

 ごめんね。気づかなくて。ダメなお姉ちゃんでごめんね。

 あなたのことを見つめようとして、ずっと見当違いの方向に目を凝らして。

 気づけば罪悪感に塗れた自分自身を見つめるのに忙しくなっていた。自分だけを見るのに忙しくて、いつしか自分さえ見えなくなっていた。

 

 ありがとう。こんな私にずっと寄り添っていてくれて。

 

「お願いします」

 

 歩み寄り、縋りつくように目の前の彼女の手を取る。

 あの子が私と共にあるというのなら、私が転べばあの子も巻き込まれる。

 こんな身体、いつ壊れてもいいと思っていた。あの子を押しのけてこの世に生まれ落ちた罪の象徴。派手に壊れるくらいがふさわしい報いだと思っていた。でも今となっては価値が反転する。

 クラシック級の菊花賞の後。そこに私の滅びがあると言うのなら。最短であと一年半しか猶予が無い。そしてあえてデビューを遅らせて時間を稼いでも、逆に破滅は避けがたくなるだろうという嫌な予感がした。

 

 ここだ。今この瞬間こそが分岐点。

 見当はずれの方向に爆走していたはずが、何故か天から蜘蛛の糸が降りてきてくれた。縋りつくならここしかない。

 

「どうか私たちを助けてください」

「まかせとけ! って言いたいところなんだけど――」

 

 ひやりと臓腑の底を冷気が通り過ぎて行った。

 思えばあまりにも無礼千万な態度を取っていた気がする。愛想をつかされた? 既に蜘蛛の糸は切れていたのだろうか。

 

「結局のところ、ぼくらはきみたちと同じ。一番大切なのは半身(じぶん)だ。仮に失敗したとしたら凹むだろうけど、引きずらない。『あーあ、残念だったね』で済ませることができる。だから結局、きみたちが自分で助かるしかないのさ。攻略法は教えてあげるからがんばれーってね」

 

 ……まったく、オリエンテーションの時といい。

 この人は最後に台無しにしないと気が済まないのだろうか。

 でも、言っていることはきっと世界の誰よりも理解できたし、共感できた。

 だから信頼できる。

 

「それで、いいです」

「よし、決まりだね!」

 

 ぱん、と乾いた音と共に彼女の小さな両手が私の手を包み込む。

 

「よろしく後輩! 一緒にハッピーエンドを目指そうじゃないか」

 

 

 

 

 

 かくして私は〈パンスペルミア〉の所属となった。

 

 この道が本当に正しかったのか、今はまだわからないけど。

 かつて見当はずれの方向に向かっていたのだとしても、覚悟はあの頃と何も変わってはいない。

 たとえ空の果てだったとしても私はたどり着いてみせる。あの子のもとへ。どんな障害があったとしても挫けることはないだろう。もうこれは確定事項だから。

 ただ一つ。テンプレオリシュを人生の師と仰ぐようになり、彼女たちの生態を把握したときから私の中で新たに生まれた夢がある。

 叶うかどうか、こちらは手がかりすらさっぱり掴めていないけれど。

 

「うるさいほどによく喋るウマソウル、か……」

 

 いつか、あなたの声を聴いてみたいな、なんてね。

 

《わたしの声が、いつかちゃんとお姉ちゃんに届く日が来るといいな》

 

 

 




基本的に自分はネット小説特有の表現よりも行間を詰めて紙に印刷すればそのまま通用するような表現の方が好みなのですが、ハーメルンはネット特有の表現が多彩なのでたまに挑戦してみたくなるのですよね



Q.アヤベさんからの覇王世代の呼び方おかしくない?
A.原作では「高等部:アヤベ、トプロ」「中等部:ドトウ、オペラオー」でしたがこの世界線では全員横並びの同級生になっている影響です。ドトウは誰に対しても下から目線ですが他の三人は意外と同級生か否かで言葉遣いが変わるので。


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再来の征服ライブ

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U U U

 

 

 運命の捻じれに引き寄せられ、トレイルラン中に新入生の中でも目立つ存在だったアドマイヤベガと遭遇した。

 あたかも『こんなの予想通りですよぉ』みたいな顔でテンちゃんが対応していたけど普通に想定外。このランダムエンカウントは稀によくある現象だけど相変わらず心臓に悪い。とっさのことなのに見事な速度と完成度でぶん回されるテンちゃんの即興会話デッキは本当にすごいと思う。

 その後テンちゃんは何か感じるものがあったのかスカウトに踏み込み、なんやかんやあって彼女をチーム〈パンスペルミア〉へ引き込むことに成功。

 

 その結果、私たちを人生の師と仰ぐようになったアドマイヤベガ――アヤベは私たちに接するときに恭しく敬語を使うようになった。

 これがよく見る類の物語の主人公なら『堅苦しいのは苦手』とかいってタメ口を要求するのだろうけど、別に私は後輩に敬語で接されることに抵抗を覚えない。何なら私だって先輩やあまり仲良くない相手と話すときは敬語を使いたい派の人間だ。

 だから別に、そのこと自体は問題じゃないんだけど……。

 

 さて、テンちゃんが『未亡人ルック』と評したときに思わず噴き出してしまったほど年齢不相応に落ち着いた、あるいは擦れた雰囲気を纏っているアヤベは、しかしながらあれでけっこう人付き合いに難がある。

 具体的に言えばココンほどではないが人間関係が嫌いだ。もともと騒がしいのが得意ではない性分に加え、円滑なコミュニケーションのためにリソースを割くより走ることを優先する求道者のような生き方をしてきたから。

 それは彼女なりに明確な指針があり譲れない一線があったのだが、そんなの周囲から見てわかるものでもないし、彼女自身わざわざ周囲に理解されようと言葉を紡ぐこともなかった。

 人付き合いが悪いというのは現代社会にとってディスアドバンテージ。まあ根は悪い子ではないし、テンちゃん曰く中央に来るようなウマ娘は温厚で理知的な気質な持ち主が多いというのも関係しているのか、概ね『遊びよりトレーニングを優先するストイックな子』と前向きに受け入れられていたようだけど。

 これは中央という特殊な環境が大きいかもしれない。中央に合格できるようなウマ娘は皆、同年代がだらだらと遊んでいるのを横目に走り込んできた子ばかりなのだ。理解できないと遠ざけるよりは、共感する方の下地が多い。力ある者を羨みその足を引っ張るより、己も負けじと努力することを選んできたからこそ、彼女たちはここまでたどり着けたのだ。

 

 そんなコミュ障気味のアヤベさんが私たちには礼儀正しい。

 顔を見かければわざわざ近寄ってきて敬語で挨拶するくらいには。

 この関係性の根底には『私たち』と『彼女たち』にしかわからない共感があるのだが、やはりそれも周囲は知りえないことであるし、私たちもわざわざ説明してやる気なんて無い。

 

 いったい何があったんだ?

 

 見る者がそんな疑問を抱くのも致し方ないことなのだろう。

 アヤベが新入生の中では頭一つ抜けた実力者として注目を集めていたこともあり、生徒トレーナー問わずいろんな憶測も流れたようだ。

 でも現場を目撃したテイオーの第一声が「ねーリシュー、いくらナマイキな後輩とはいえシメるのはボクよくないと思うなー」だったのは納得いってないよ。

 そんな気に入らない相手を片っ端から〆ていくヤンキーじみた生き方しているみたいに言われるおぼえは…………ん? あれ、いや、心当たりが無いでもないか。

 よくよく考えてみれば(少なくとも自覚している分には)自分から喧嘩を売ることはせずとも、売られた喧嘩を愛想笑いで受け流すような社交性に富んだ生き方していなかったね、私。

 テンちゃんなら舌先三寸で丸め込むのも可能なのだろうけど。私の半身もあれで喧嘩っ早いところがあるし、けっこうな数の屍を積み上げてきた気がしなくもない。

 でもやっぱりテイオーに生意気な後輩云々言われるのは納得いかない。分を弁えたクソガキみたいな生態しているくせにさ。

 

《ともあれ、未来のダービーウマ娘になれるかもしれない逸材のスカウトに成功できたのはチームとしてもよかった。さすがにこれから先のプレシーズンや決勝で通用する即戦力になるのは厳しいだろうけど、しっかり育てて経験値を注ぎ込んでいこうね》

 

 んー。テンちゃんってさ、なんかアヤベに甘くない?

 

《かもねぇ。本人にも言ったけど、もしかするとぼくにもあんな生き方があったかもしれないと思うと……同情、っていうのはちょっと違うか。見当はずれの自己憐憫ってのがもっとも近いかな。まあそんな感じだから世話を焼きたくなっちゃうのさ》

 

 でもその世話焼きが報われなかったとしても、割り切れちゃうんだよね?

 

《そうだね。それなりに凹むとは思うけど、最後には残念だったなーで済ませることができると思う。結局自分が一番大事だからね》

 

 うーん、改めて言葉にされるとこの畜生っぷりよ。

 憎まれっ子世にはばかるとはよく言ったものだ。

 そうやって十年後も二十年後も。一緒にふたりで世に幅をきかせていこうね。

 

《がんばるー》

 

 微妙に真剣みが感じられないんだよなあ。自分のことなんだからしっかりしてよね。

 

《ごめんねー。意図して手を抜いているつもりはないんだけどさ。……やっぱり『テンプレオリシュをテンプレオリシュにする』っていうのがぼくにとってゴール板だったから、その後はどうにもウイニングランっていうか。気合いを入れなおして全力を尽くすつもりでも必死さは一歩及ばないかもねぇ》

 

 私は今まさに必死の思いだよ。

 時間制限があるかもしれないなんて初耳だった。そういう情報はちゃんと共有してほしい。

 負けるつもりなんて最初から無かったけど絶対に負けるわけにはいかなくなったし、“願い”を集められる機会は一つとして無駄にするわけにもいかなくなった。

 

《別に『変化があった』ってだけでそれがマイナスなのかプラスなのかさえ今のところはわからないからね。ぼくもリシュも成長していて、頑張ろうが怠けようが時間の経過と共に起こるそれは不可逆だ。

 何なら名君暗君の評判反復横跳びした歴史上の人物なんて掃いて捨てるほどいるし、人生が終わった後でさえ何度だって評価は覆るもの。何が正しいのかなんていつだって誰にだってわからないのさ》

 

 そういう煙に巻くようなことが聞きたいわけじゃないんだよ。

 

《じゃあこう言おうか。火の無いところに煙は立たない……思いっきり誤用だけどニュアンスは伝わるだろう?

 血流が止まって壊死した部位では感じるものも感じない。ウマ娘の“掛かり”じみた激情に駆られるようになったのはリシュのいう『ぶち生き返す』の成果が出ているかもしれないってこと。そう悲観的に見るものでもないさ》

 

 うーん、当事者に慰められるこのもんにょり感よ。

 まあ悲劇の主人公ぶっても助けてくれる相手などいない。いや、この表現は語弊があるな。

 助けてくれる相手には事欠かないが、こればっかりは私とテンちゃんでなければ手出しできない領分だ。

 下を向いて蹲っていてもいいことなど何もないのだから。萎えそうになる膝に活を入れて何度だって立ち上がろう。

 敬愛する我が腐れ縁のように。

 

 とりあえず目の前に迫った最大のタスクはあれだな。

 アヤベやドトウと出会った昨年のファン感謝祭から気づけば季節は半回転し、迫り来るは春のファン大感謝祭。

 私の性分的にワクワクするような催しではないけど、手を抜かずに全力でいこう。そしてお祭り騒ぎにとって『全力』とは楽しむということも含まれる。

 うん、がんばろう。

 きっとこの先に未来があるから。

 

 

U U U

 

 

 さて、春のファン大感謝祭である。

 

《イベントとしての区分は『ファン感謝祭』で、イベントとしての名称は『○のファン大感謝祭』なの最高にややこしいよなーって()は思っていたけど……。

 大と区分するのはすなわち中なり小なりが存在するということ。要するにあれってプレイヤー目線でいえば『○のファン小感謝祭』的なイベントが存在しているってことなんだよな》

 

 おい、仮にもファンの皆様に感謝をお届けする催しに小とか付けちゃダメだろ。

 

《へへっ、さーせん》

 

 中央トレセン学園の生徒二千人全員が何か月も前から準備して、当日は学園全体を開放して行われる『ファン大感謝祭』は春と秋の年二回のみだが。そこまで大規模なものではない『ファン感謝祭』はわりと一年を通して日本各地で行われている。

 なにせURAが管轄とするレース場は札幌、函館、新潟、福島、中山、東京、中京、京都、阪神、小倉の全部で十か所。

 現代の優れた交通機関の上では片道数十分から数時間の距離かもしれない。だが地図上の距離はそのまま行動を起こす際の精神的ハードルになりえるし、単純にイベントそのものに要する時間を差し引くと日帰りは厳しいところも多い。

 

《ぼくらは主に中央開催のレースばかり出走しているけど、ウマ娘の立場からいっても移動距離というのは軽視し難い問題だもんねえ》

 

 府中まで足を運べないならファンにあらずと切り捨ててしまうのは、ファンに感謝する催しとしては本末転倒だろう。だから通常のファン感謝祭は上記のレース場で、レースが行われない日時を選んで開催される。

 派遣されるウマ娘は多くても三十人程度、普通はゲートに収まりきる人数だ。そのレース場で活躍した重賞ウマ娘が中心で、人数が集まり過ぎるとスタッフが捌ききれなくなるため逆に私レベルのスターウマ娘はそちらの催しに呼ばれることはめったに無い。

 ちなみに催し物である以上ある程度の集客が見込めなければならないため、未勝利ウマ娘が選出されることもない。応援してくれる人々に真正面から『いつもありがとう』と伝える権利は勝者にしか存在しないのだ。世知辛い話である。

 でもウイニングライブに象徴されるように、もとよりレースとはそういう世界。平等な権利なんてどこにもない。

 勝ち取るか、奪われるか。

 その妥協なき衝突にこそ多くのファンは輝きを見出しているのだから。そのきらめきの原材料が報われぬ汗と涙だと知っている身としては、なんとも言い難い気分にさせられる。

 

《それでも消えていった嘆きと切なる願いを忘れられなかったからこそ、グランドライブは生まれたんだろうね。ま、この世界線じゃあまだ来てないみたいだけど》

 

 なにそれ?

 

 話を府中に戻そう。

 かつて触れたこともあったが、秋に行われる聖蹄祭が文化祭としての色合いが強いものであるとするなら、春のファン大感謝祭は体育祭としての特色が強い。

 聖蹄祭がカフェや出店、ファン参加型のイベント等を通じファンとダイレクトに触れ合うことを主目的とするのであれば。

 今回のこれは学園のあちこちで行われる各種競技に参加する姿を見せることで、観客席のファンの皆様をもてなすもの。駅伝にバレーにフットサルなどなど、レース以外で活躍するウマ娘が見られると有名だ。

 ユニークな競技も多く、選手各員が中央の狭き門を潜り抜けるほど優れた身体能力を持つウマ娘であることを前提とした『坂路往復・大玉送り』や『アスレチックにんじん食い競走』はこんなところでしか見れないこともあり人気が高い。中には『鬼ドッジボール』のようないろんな意味で吹っ飛んだ種目もある。

 

《『ボールを破裂させた際のペナルティ』がルールブックに明記されてる球技って何なんだろうな……》

 

 レジェンド級と称されるウマ娘ともなれば、全力で投擲すれば普通にボールも凶器になるから。

 お互いに不思議パワーで保護されたウマ娘。ギャグマンガみたいなノリで吹っ飛んでも怪我どころかケロリと競技を続行できるイキモノではあるが、それはそれとして限度というものも存在する。

 『ボールを破裂させない程度の力加減』というのはわりとわかりやすい指針だと思うよ、私としてはね。

 

 むしろそれよりも私はこの時期にファン感謝祭が行われることの方が不思議だよ。

 開催は夏と冬の方がよかったんじゃない? 長期休みもあることだし。いや、その場合は逆に観客の数が偉いことになってさすがの中央でも収容しきれなくなるのか。

 でもファンに感謝するイベントなのに、孵化(メイクデビュー)も果たしていない有精卵(新入生)の子たちまで動員されるのは気の毒というか何というか。

 私たちのときはどう感じていたっけ? ……特に何も感じていなかったな。ただ新生活に慣れるので手一杯で、ファン感謝祭も対応するべき無数の新規イベントの一つでしか無かったおぼえがある。

 

《この時期だからこそ、じゃね? 春のファン大感謝祭が体育祭なのはピッカピカの新入生の紹介という側面も強いのかもしれない。顔と名前だけでも憶えて帰ってくださいってやつ》

 

 ああ、なるほど。デビューしてないんだからファンいないじゃんと思っていたけど、前提が違うのか。

 二年生以上の生徒にとって春のファン大感謝祭は自分たちの生活を支えてくれている人々へ感謝を示すイベントではあるが、新入生にとってはファンを作るための最初の第一歩なのだ。

 そう考えれば中央トレセン学園の体育祭であるにも拘らず、レースが種目に無いというチョイスにも見えてくるものがある。

 いや、それらの種目が走りと関係ないわけではないのだ。先に述べた鬼ドッジだって鬼ごっことドッジボールが悪魔合体して学園の敷地中をバスケのドリブルで走り回りながら内野も外野も無くボールをぶつけ合って点数(ポイント)を稼ぐ競技だし、他にも『クイズラン』や『自転車レース』、果ては『借り物・障害物4000m走』などなど、走行を前提とした種目は枚挙にいとまがない。

 しかしレースではない。たとえば『借り物・障害物競走4000m走』は四キロの障害物競走をなんとかこなしヘロヘロになった状態でゴール直前に借り物競走のお題をこなす必要があり、その過酷さから毎年何人ものリタイアが出る……冷静に考えれば頭がおかしい競技だな、これも。

 ともかく、トゥインクル・シリーズではありえないレギュレーション。レースというのは技術と経験の積み重ねであり、どうしたって上級生には敵わない。

 だがこれらの春のファン感謝祭特有のトンチキルールで行われる競技ならば、少なくともレース経験値による格差は最小限に抑えることができるわけだ。

 青田買い、と言えば聞こえは悪いが。素質を持った新入生をファン予備軍が見つけやすい環境と言えよう。

 

《何なら一部のファンは『あの子のことはメイクデビューどころか春のファン大感謝祭の頃から注目していたんだぜ!』などとマウントを取ることを趣味にしているかもしれないね》

 

 うーん、趣味が悪い。

 でもそういう人の業にこの業界が支えられている側面があるのも事実。誰もが清濁併せ呑む器を持つわけではないが、いたずらに拒絶反応を示すのも違うだろう。

 そういうものか、と流しておくくらいがいいのだ、きっと。

 

 さてと、ここまで長々と中央トレセン学園における春のファン大感謝祭の体育祭的側面を語ってきたわけではあるが。

 実はこれ、一般的な学校の体育祭と違って生徒全員が何らかの種目に強制参加というわけではない。

 たとえばトレセン学園応援団。古き良き熱血応援団がファン感謝祭の一日、学園中を駆け巡ってファンと共に声を張り上げ応援の限りを尽くすのは少年マンガライクのワビサビがあるとはテンちゃんの談であるが。

 そんな応援団に所属するウマ娘は感謝祭競技への参加がいっさい不可となる。応援団は自らの意思で所属を決定する分その制限も端的であるが、彼女たちに限らず競技への参加免除を申し渡される者は一定数存在している。

 たとえ体育祭的なイベントだろうと私たちは断固としてお化け屋敷やっちゃうぜーと企画を立ち上げメンバーを集めそれを通してしまった剛の者とか(一応、それもファン感謝祭の催し物としてはルールに反しているわけではない)。

 あるいは個人の名を冠したイベントの開催を学園から打診されるトゥインクル・シリーズの看板ウマ娘とか。私はこちらに該当する。

 

 イベントというものは常に新鮮さが求められる。

 ファン感謝祭は私たち中央のウマ娘にとって決して蔑ろにしていいものではないが、それはそれとして。自分でも『ねえ、これ正気?』と偶に言いたくなるローテで一年駆け抜けようとしている中で、時間と労力を走り以外に取られるのは面白い話ではない。

 催し物のために使われるリソースがレースに無関係とは言わない。レースはファンあってのものだから。でもやっぱり私は不特定多数に愛敬を振りまくよりは走っている方が好きなわけで。

 そんな問題を生まれる前に消してしまったのが私の半身だった。二度ネタは白眼視されるものではあるが、同時に王道や鉄板ネタは強い。

 そう、言ってしまうのなら。

 テンちゃんは新たな『テンプレ』を創り出したのだ。

 

 昨年の聖蹄祭で行った世代征服ライブ。

 端的に言ってしまえば、あれが()()()

 あくまで聖蹄祭の演目の一つでしかないミニライブにも拘らずSNSで話題沸騰、円盤が即座に完売しただとかなんとか。いやおい、そもそもいつの間に記録して販売されていたのか。もはや私関連グッズが多方面に広がり過ぎて何が売られていて何が売られていないのか把握しきれなくなってきている。

 

《税金関連の複雑怪奇なあれやこれやも一手にフォローしてくれているトレーナーの皆さまには足を向けて寝られないね》

 

 本当にね。

 

 ともあれ、ライブに参加できて大満足の皆様然り、ライブに参加できず怨嗟の声を上げている皆様然り、多方面からアンコールの声が殺到しているわけで。

 開催されるのが春であれ秋であれそのイベントの名は『ファン感謝祭』。である以上、ファンのご要望にお応えするのが筋というもので。

 無事に今年の春のファン大感謝祭でも私たちは件のライブを行うことと相成ったわけである。

 

 また、世代征服ライブそのものに商品価値が生じた影響でファン感謝祭実行委員の下部組織として征服ライブ実行委員会なるものも結成された。ネーミングセンスについてはノーコメント。

 そんな実行委員がライブに関連するあれやこれやを取り仕切ってくれるようになった。私が担うべき役割(タスク)は前回よりもさらに軽減されたわけである。

 私が勝ち続けている限り、ファン感謝祭で私がやる演目はこの征服ライブが常となることだろう。つまりそれは前年にも増して激戦が予想されるこの一年間、寄り道に割かざるを得ない手間暇が極限まで削減されるということでもある。

 いったい私の半身はこの事態をどこまで想定していたのだろうか。最初から計画していたような気もするし、ただの成り行き任せという気もする。

 ただ確実なのは、負けられない理由がまた一つ増えたということだ。せっかくできた鉄板ネタ、使えるうちは使い倒したい。

 感謝はあるしそれを伝えることに恥じらいも無いが、それはそれとしてめんどい。

 

 

 

 

 

 時代征服ライブ。

 それが今回行われる私主催イベントの名前だ。

 ……うん。前回の世代征服ライブのときはまだクラシックロードを完走していなかったし誇大広告と咎められたら反論のしようがなかったが、今回はまだマシ。うん、まだマシだ。そう思うことにする。

 全距離GⅠ制覇と同時に無敗のクラシック三冠を達成後に年末の有記念制覇。今年シニア級に入ってからも敗北を知らぬまま追加でGⅠ二連勝。

 もはやそれを成し遂げたウマ娘テンプレオリシュの時代だと言っても、そこまで文句は出ないんじゃなかろうか。その時代の覇者テンプレオリシュが私たちのことを指す名だという羞恥心から目を逸らせば客観的な成果は残している気がする。

 

「みーんなー! マヤだよー! こーんにちはー!! 今日は来てくれてありがとーっ!」

 

 聖蹄祭ではグラウンドをまるごと一つ特設ライブ会場に作り替えて行ったが、春のファン大感謝祭は運動系の催しがメイン。その事実は変わらず、優先されるのはそちらの方だ。ライブの為に潰せるほどグラウンドは余っていない。

 そのため本日は据え置きのステージの一つを使っての開催となる。前回みたいに私のために特設されたものではないので演出はやや控えめになるし、観客席のキャパシティも相応だ。いちおう用意されたものの中では最大規模のものだけど。

 まあ学園の敷地内にステージが複数あるって時点で一般家庭出身の私からすればだいぶおかしい……はずなんだけどなあ。トゥインクル・シリーズも三年目となると完全に感覚がこちら側に寄ってきているのを実感する。

 なんか地味だなって思っちゃうんだよね。自分が怖い。良くも悪くも人間は慣れる生き物ということか。往々にして悪い部分が表になるシチュエーションが多い気がするけど。

 

「どもどもー、アグネスデジタルです。ああいえ、ご安心ください! 皆様が来場されたのはリシュさんとテンちゃんおふたり主催の時代征服ライブでちゃんと合っておりますので!

 何でデジたんごときが壇上にいるんだって思っている方もおられるでしょうが、それ一番あたしが思っていますから。今からでも観客席に降りてペンライト振り回しちゃダメですかね?」

「もー、ダメに決まってるじゃん」

 

 観客席に広がる笑い声。

 掴みはバッチリだな。

 

 テンちゃんなら掌の上どころか舌先の上でこれだけの群衆をコロコロ転がせるのかもしれないが。

 私には無理だ。絶対に間が持たない。

 だから力を借りた。持つべきものは友達である。

 

 テンプレオリシュとはふたりでひとつのウマ娘。お互いがお互いの力を最大限に活用することに罪悪感などあるはずもなし。

 人生ワンオペで回しているやつらが言うような『自分ひとりだけで出来るようにならないと』なんて価値観は私と無縁だ。私にとって自分とは生まれたときからひとりでふたつ。自分の得意分野を自分(わたし)で受け持ち、不得意な分野を自分(ぼく)に任せることの何が悪いやら。

 だが前回の征服ライブのときとはいささか事情が変わった。『私たちが私たちであること』を不特定多数にアピールする場はいくらあってもいい。

 少なくて困ることはあっても多くて困ることは……たぶん無いだろう。仕事が入り過ぎてレースが疎かになるとか、そういうのはまた機会の多い少ないとは別の話だ。

 

 身に纏うは漆黒のコート。ジュニア級からクラシック級の最後まで共に駆け抜けた一着目の勝負服。

 友人二人が軽妙なトークで場を温めてくれたところで満を持してステージに上がった私はまず深々と観客席に向け一礼した。

 

「本日は私たちのライブにご足労いただき、まことにありがとうございます」

 

 私にテンちゃんと同じことはできない。

 自分が不特定多数からどんな風に見られているのか把握して、その上で自身の印象を操作して自らの意図する方向に場の空気を誘導することなんて私には無理だ。

 ゴール時にきっちり後続から一バ身キープするみたいなレースの展開操作ならできるんだけどなぁ。あれは事前の綿密なデータ収集ありきだし、何よりお互いにウマ娘というのが大きいから。似て非なる技術というか、私的には全然違うものなんだよね。

 でもきっと、それでいいのだ。

 私は私のままで。私にできることをやる。それであらわになる差異こそが観客に印象付けるべきもの。

 私たちは同一にして異なる存在なのだと憶えて帰ってもらおう。

 

 しかし、考えようによっては何とも皮肉なものだ。結果的に情報がひどく偏っている。

 きっと私を知らない不特定多数の目に私は品行方正な主人格(にんげん)で、テンちゃんは私を守るため牙を剥く別人格(かいぶつ)として映るのだろう。テンちゃんの方がずっと社交性は高いのに。

 

「この場を訪れてくれたすべての手を取り一人一人に感謝を伝えたいところですが、残念ながらこの限られた時間でそれをやるには足りないものが多すぎます。なので歌と踊りに代えて届けましょう。万人に平等に、そしてあなただけに。この想いを」

 

 よくわからない分野だからこそ丁重にマニュアル通りに。

 礼儀正しく感謝を告げる私の態度の理由なんてそのくらいのものなのに。

 

「限りある人生の一部を私たちのためにつぎ込んでくださったあなた方の選択。それが無駄になることは決して無いでしょう。与えられたものは余さず背負い、送り届けましょう。ここにいる誰も見たことのない景色まで」

 

 テンちゃんとは生まれたときからの付き合いだ。

 だから得意不得意を考慮しなければ半身がよく使う軽妙洒脱なそれっぽい言い回しの数々は、私の言語領域にもちゃんと保存されているわけで。

 品質を問わなければこれくらいのことはできる。表情筋の運動と声の抑揚には目を瞑ってほしい。

 

「どれほど大言壮語を吐こうと未来は不確定なもの。だからこそ瑕疵無き過去の戦績をもってそれに代えるとしましょう。昨秋の『ぼく』がそうだったように、『私』が長々と語るのはここまで。

 これから始まるライブはあなた方の“願い”を背負った私たちがこの時代を征服する、そんな未来への証明です」

 

 マヤノやデジタルと目を見合わせ、頷く。

 さあ、始めようか。

 残さず美味しくたいらげてさしあげるので、どうぞお皿にお並びくださいってね。

 

響け ファンファーレ 届け ゴールまで 輝く未来を君と見たいから

 

 三人で紡ぐコーラスときらきら漂う朝靄のイントロダクション。差し込む日光がごとき力強く温かなファンファーレ。それに合わせ登場するバックダンサーの面々。

 新式ウイニングライブメドレーのお披露目だ。

 

 




以前に歌詞が見にくいとの指摘があったので少し工夫してみました

そういえばすごく今さらですけど
この小説を投稿してから既に二年が経過していたのですよね
ここまで来れたのは間違いなく皆様のおかげです。ありがとうございます。


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デジタルいわくイノベーション

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U U U

 

 

 アグネスデジタルはかく語りき。

 

「これはある種の革新(イノベーション)と言えるのではないでしょうか」

 

 曰く、ウイニングライブのバックダンサーの練習というのは苦く辛いものだ。

 もちろん本番に備えてばっちり仕上げる必要がある。私たちはプロだから。周囲だってそれを私たちに求める。

 だがひねくれた見方をするならバックダンサーの振り付けを十全に熟せというのは『負け仕度を真摯かつ全力で熟せ』と言われているようなものであり、勝利を追い求める中央のウマ娘にとって愉快であるはずがない。

 単純に仕事と割り切るにしてもだ。

 やや過激な表現にはなるが……。

 レースとは一着が総取りで、二着以降はそのおこぼれに与る世界なのだ。

 

《具体的な数値として。一着が得られる賞金額を百パーセントとするなら二着はその四十パーセント、三着は二十五パーセントで四着が十五パーセント、五着に至っては十パーセント。そういう世界だもんなぁ。

 まあ詳しく語れば本賞やら出走奨励金やら細かい区分がいろいろあるし、厳密に端数まで計算に合わせるんじゃなくてキリのいい金額になっていることも多いけど。そこから先は本筋から逸れるからさておくとしよう》

 

 よく聞くような『給料分の仕事をしろ』という言葉に倣えば、バックダンサーに求めていいクオリティは最高でもセンターの四割以下ということになってしまう。

 ま、そんなわけがないよね。

 

 敗北の痛みと悔しさ。努力が実らなかった虚しさ。成果が得られない焦燥。そういうのをぐっと呑み込んでウイニングライブの背景として舞い踊るのがバックダンサーなのだ。

 大変そう。うんまあ、私はそういうの経験したことが無いから推測に過ぎないんだけど。

 

「どうしても苦味を伴う努力だったのです――そう、これまでは」

 

 そこに現れたのが私たちの征服ライブだ。

 これまでだって何かの催しでミニライブが開催されるのは珍しい話ではなかったが、芝ダート距離を問わずあらゆるレースのウイニングライブをセンター固定のメドレー形式でお送りするイベントなど存在しなかった。

 ここで重要なのはセンターが私固定で、大量のバックダンサーが楽曲の切り替わりと共に入れ替わるという点。

 

「推しを特等席から眺めるだけでなく、ステージ衣装に身を包み推しの歌に合わせて踊ることさえできる神イベント!!」

 

 デジタルの言っていることは極端ではあるが、的外れではない。

 実はウマ娘に憧れるウマ娘は意外と多いのだ。

 わかりやすい例でいえばテイオーだろう。彼女がルドルフ会長に憧れているのは有名な話だ。事あるごとに本人も公言している。

 推し活のあまりトゥインクル・シリーズまで上り詰めてしまったデジタルくらいぶっとんだウマ娘はさすがに少数派だけども。

 とあるウマ娘に憧れてレースを志したり、同じレースを走る相手なのに心に憧憬を抱いてしまったり、そういう話は珍しいものではない。

 

「『負けたときの備え』ではなく『推し活の準備』。バックダンサーの振り付け練習が純粋にポジティブな意味合いを持つようになったのです。これは素晴らしいことですよー!

 正直なところ、今の征服ライブ実行委員がリシュさんやテンちゃんを支える役目を終えても何らかの形でファン感謝祭の演目にメドレーライブは残してもらいたいものですねぇ。……やっぱりウマ娘ちゃんには笑顔が似合いますから」

 

 私と言うスターウマ娘のバックダンサー。それは特に、今年入ってきた無邪気な新入生たちには魅力的なポジションに思えたらしい。

 まだまだライブの振り付けも覚えたてで技術的に未熟な子ばかりなので合格したのはほんの一握りだが、応募数自体は多かったそうだ。

 ……私のメドレーライブのバックダンサーが試験で振り落とさねばならないほどの数、応募が殺到したという事実に関しては深く考えないでおくとしよう。

 

 

 

 

 

誰より今 強く駆け抜けたら 一番先で笑顔になれる

 本能スピード 熱く身体を滾ってく

 

もう何も恐れないで 限界なんて必要ないの

最速の私になって 見果てぬ世界 超えてゆけ

 

 『Make debut!』から始まり、スプリンターズSの『本能スピード』までの一連の流れは聖蹄祭のときと同様。

 手抜き、ではない。同じということが重要なのだ。曲数が増えたことでどうしても編曲が多少変化することは避けられないけれど。

 

《誰しもおぼえは無いだろうか? こんな経験はないだろうか? 幼いころ、どうしても欲しいおもちゃがあって。赤がよかったのに、パパとママが買ってきてくれたのは色違いの緑だった。嬉しくないわけじゃないけどそれ以上に『あれと同じものが欲しかったの!』というやるせなさよ。

 広告で一目ぼれしたあの赤いおもちゃが欲しかったのに。緑ではダメなんだ。好きって感情はえてしてそう言うものだよね》

 

 ここにいるファン全員が聖蹄祭のリピーターというわけではない。

 来ることのできなかったファンたちが求めているのが世代征服ライブのそれであるのなら、極力そのままを提供するのが筋というもの。

 

《そしてさらに言うのであれば。赤いおもちゃが手に入った上に追加で緑のおもちゃも手に入るのならお子様は大満足というわけだ》

 

 スプリンターズSまでの十連勝は前回の踏襲であるべき。

 変化をつけるのならプラスアルファ、前回はまだ未達成だった十一連勝目の菊花賞からだ。

 

走れ今を まだ終われない 辿り着きたい場所があるから その先へと進め

 

涙さえも強く胸に抱きしめ そこから始まるストーリー

果てしなく続く winning the soul

 

 メドレー三回目の『winning the soul』。

 クラシックロードの終着点、最後の『winning the soul』だ。

 両脇にマヤノとムシャムシャさんを従え、クラシック三冠を達成した者の権利と義務を一身に背負い声を張り上げる。

 

 今思い返してもあれはひどい目に遭った。

 雨天の中、マヤノに背中をせっつかれながら3000mを逃げ切るなんて正気の沙汰じゃない。だって京都レース場芝3000mって一周以上する計算になるからただでさえきつい淀の坂を二度も越えないといけないんだぞ。

 マヤノ相手じゃなきゃマイルCSも狙えたかな? 今年はジャパンカップ優先するつもりで連闘は考えていないから、たぶんクラシック級のあそこが最初で最後のチャンスだった。

 でも仮に出走していれば、タイキ先輩とウオッカとデジタルの三人のあの競り合いに参加することになったわけで。

 流石に負けるとは言わんが、その消耗を引きずったまま有記念を走ることになっていたとすれば……。

 そう考えると結局のところ、あの結果が私たちにとっての最適解だったのだろう。

 

 昨年の聖蹄祭のバックダンサーは私のファンクラブ主体ということもあり、何だかんだ見知った顔が多かったのだが。

 今回は実行委員会が間に入った影響か、知らない顔がわりとあった。まあ挨拶はちゃんとしたしリハーサルも今日までに何度かやったわけだから、今ではちゃんと顔と名前が一致するけども。

 

 『Make debut!』や『ENDLESS DREAM!!』、『winning the soul』といった曲は明確に若々しい雰囲気のウマ娘が多かった気がする。

 本格化前後のウマ娘はその外見から年齢を推察するのが困難だけど、その身に纏う空気はどうしても人生経験の差異がにじみ出るものだから。

 

《まあ、その空気でさえ年齢詐欺勢がわりといるのが中央なんですけどね。覇王とか皇帝とかパル姐とかゲキマブとか違法人妻とか》

 

 最後のはただの悪口では?

 

 まあ、中には老兵じみた雰囲気のウマ娘が『嗚呼、私のクラシックロードがようやく終わる。これで心置きなく……』みたいな空気を垂れ流している区画もあるけど。

 そういう未練の晴らし方もあるよね。怪我一つせず望むレースに出走し、その全てに勝ち続けてきた私にはそれしか言えない。それ以上を言うつもりもない。

 

 ヒロイックなエレクトーンの旋律。まるで空から降り注ぐ流星群のような、あるいは舞い降りる白い羽のようなそれと共にまたもやメンバーが入れ替わる。

 いよいよクラシック級ラストの一曲だ。

 するりと三着の立ち位置に収まったマヤノに代わり、二着へ入るのはこれまで舞台に上がってこなかった新顔。

 ダイワスカーレットのその姿に、観客席のあちこちから絶叫じみた歓声が上がった。

 

選ばれしこの道を ひたすらに駆け抜けて

頂点に立つ そう決めたの

力の限り先へ

 

 そう、これは昨年の有記念では成立しなかったもの。前例の無いあえて欠けた状態で紡がれた幻のコーラスが、いまここで十全の状態で織り成される。

 幾度も天を指さすような特徴的な振り付け。高まっていくボルテージは臨界を突破し、きらきらとステージ上に降り積もったものに火が点き爆発的に燃え上がるような激しい旋律へと移り変わっていく。

 本番のウイニングライブの演出は様々で、花火だったり紙吹雪だったりレーザーだったりとそりゃもう派手なものだが。

 この『NEXT FRONTIER』のステージから噴き出す一連の炎はその中でも印象的な演出だろう。

 選ばれし者しか出走できないGⅠ、その中でもこの曲は春秋の天皇賞と有記念の三レースでのみ使われる特別なものだ。

 それにふさわしい、実に王道で燃え上がるような音色が会場を埋め尽くしていく。

 

 あ、情緒が上限を突破して何人か昇天(デジたん)した。大丈夫だろうか? ああ大丈夫そうだ。すかさず近隣のファンが『起きろー! いま起きないと死ぬほど後悔するぞ!?』と必死にビンタしている。

 

本気の夢があるから 何も恐れたりしない

こんなもんじゃない 本当の私 見せてあげる

一生に一度きりの 今を後悔したくない

 

 踊れるくらいには回復したんだよね、スカーレット。レースはまだまだ当分先になるだろうけど。ちゃんと彼女の担当トレーナーにも確認を取ってミニライブなら大丈夫だと保証をもらっている。

 その上で安全マージンはたっぷりと取った。こんなところで彼女が意地を張って体調が悪化するなんて誰にとっても不幸でしかないから。

 もともと『NEXT FRONTIER』の振り付けに激しいステップの類は存在しないが、念のためスカーレットのパートは脚に負担の掛からない振り付けにアレンジしてもらう徹底ぶりである。

 

 ステージ上のこの期に及んでもの言いたげな視線を鼻で笑ってやる。

 話を持ち掛けたときから『何よ、病人扱いするつもり?』と本人は不満そうだったが『脚がはじけ飛んでから三か月ちょいしか経ってないんだから十分怪我人だよ』と正論クロスカウンターを合わせてやったのだ。

 反論は無かったのでいまだに万全からは程遠い自覚はあるのだろう。ちゃんと養生して元気になってほしいものである。

 

有言実行 言葉にしたら 世界は動き出した

最速の輝き この手に掴み取って

新しい幕開けを越えて 進んでゆこう

 

 夢のようなレースだった。

 ……意識が朦朧とする的な意味でも。

 酸素も何もかも不足して白く濁る激戦の中で、紅だけが鮮やかに私の中に刻み込まれた。

 

《結果的にはフィジカルの性能差で押し切って勝ったけど、レース前もレース中も完全にあちら側に読み負けしているんだよなぁ。ちゃんとリベンジの機会が欲しいものだよ》

 

 脳内に響くテンちゃんのぼやき。

 うちの葵トレーナーはゴルシTのところと違って奇をてらった策なんて用いないからね。幅広い分野を万全に伸ばすのが桐生院式。目指すは器用貧乏を超越した器用万能だ。

 そういう奇策を用いた裏のかき合いはどっちかというとテンちゃんの領分。少なくとも本人はそう認識しているっぽい。だからこそ敗北感もひとしおなのだろう。

 そんな敗北感を抱いているのに、事実としてはこちらが勝っているという矛盾。はやく清算される日が来るといいね。

 

 私たちのすべてを出し切り、私のルーツを知った戦い。

 私とテンちゃんとスカーレット。あのレースを境に決定的に何かが変わったのに、いざ何が変わったのかと具体的に問われれば言葉に詰まる。

 でも、きっと悪い変化ではないのだろう。

 もう一度やりたいかと問われたらやはり言葉に詰まるが。

 じゃああの戦いを無かったことにしたいかと聞かれたら、否定はたやすい。

 

選ばれしこの道を ひたすらに駆け抜けて

頂点に立つ 立ってみせる!

NEXT FRONTIER 見つめて

力の限り 先へ

 

 所詮はミニライブのメドレーの一端。

 あっという間にスカーレットの出番は終わり、大きくメンバーが入れ替わる。具体的には私以外の全員がステージ脇から退場した。

 燃え上がる炎を覆いつくすピアノの旋律。それは優しさと激しさを併せ持った大雨のようで。

 

 さーて、お色直しだ。

 この間奏パートでやるべきことがある。

 すなわち、ここでクラシック級からシニア級に移り変わるということなのだから

 

 シニア級一曲目『UNLIMITED IMPACT』。フェブラリーステークスに勝利したことでセンターをゲットした、ダートGⅠのウイニングライブ曲。

 そこに入る直前、私の周囲で羽が舞い散り炎が噴き出す。ひときわ派手な演出に観客の意識が逸れた瞬間、ここだ! 我らが栗東寮の寮長、フジキセキ先輩直伝の早着替え!

 先ほどの大歓声が感動と興奮からなる絶叫だとするなら、いま上がった大歓声は賛辞と祝福が主成分だろうか。

 きっと観客席からは私の姿が羽と炎で包まれたかと思えば、次の瞬間には艶やかなドレスに変身したように見えたことだろう。

 

《変身バンク終了! ここから先は第二形態だ、さあ集え眷属どもー!》

 

 テンちゃんの茶々が聞こえたわけではないだろうが舞台袖からデジタルとワンダーアキュート先輩がバックダンサーたちを引き連れて登場し、私の両脇に位置取った。

 ここからは二着目の勝負服での披露となる。ふう、ちょっぴり解放感。さっきまで一部を重ね着していたので実は地味に動きづらかったのだ。もしファン大感謝祭があるのが夏だったら加えて暑苦しかったことだろう。春と秋の開催だったことに感謝だな。

 

《あれほどの質量が違和感なく重ね着できるって、驚異的なのは勝負服の不思議性能なのかフジキセキの手品の腕前なのかどっちなんだろうな?》

 

 さあ、どっちなんだろうね。

 私からすればできるということさえわかっていればそれでいい。

 

ぬかるんだ現状に足をとられて 陰鬱な空気が喉ふさいでも

この声は絶やせないでしょう この足は止まらないでしょう

いのちのかぎり

 

 バックダンサーを務めるはダートの子たち。実はその中には地方トレセンの面々が現役、元を問わず少なからず交ざっている。

 征服ライブに商品としての価値が生まれ、実行委員会ができて『学生の催し物』から『URAの行事』に変わった恩恵の一つ。学園の外からも人材を呼び込めるようになったのだ。

 アキナケスさんやドラグーンスピアさんといった面々がどのような契約でここに来たのか私は知らない。自分主催のイベントではあるが、運営は既に私の手から離れている。

 しょせんは私もレース業界を構成する歯車の一つに過ぎないというわけだ。

 少しばかり特別製で希少価値が高いから欠けたら大惨事かもしれないが、それでも代用不可能というわけではない。私が引退しても別のスターウマ娘がその穴を埋めるだけだろう。

 それがどうしたという話だ。できるということさえわかっていれば、私はそれでいい。

 私たちに恩恵があって、彼女たちにも恩恵があるのならそれ以上言うことは無い。存分に交流して利益を得ていってほしい。

 

どうか全力で射抜いてよ 瞳で私を

焼き付けていこう それは約束の進化系

傷を痛がって投げ出す程度の思いじゃない キミは目撃者だよ

 

 砂糖とスパイスを適量振りかけた苦い思い出。

 フェブラリーSの記憶を反芻する。

 

 調整はバッチリだった。

 私の身体はシニア級の春にようやく完成する。以前からそういう予感がしていたし、実際その予感は間違っていなかった。

 新しい勝負服を得た興奮と喜びも私なりにあった。それが一般的なウマ娘と同質のものなのかは、さておいて。

 十全に仕上げてレースに臨んだのだ。

 

《力みなくして解放のカタルシスはありえねぇ》

 

 テンちゃんがこの口調のときはたいてい何かのネタなんだけど、元ネタはよくわからん。

 まあ言わんとしていることは間違っていない。

 『全力』で踏み込める愉悦に私は完全に酩酊してしまった。

 これまでだって全力を出したことが無いとは言わない。だがそれは必要に迫られてのことで、薄氷の上でタップダンスしているようなスリルとストレスの方が強かった。カタルシスを舌の上で転がす余裕なんて無かったのだ。

 

 その上でフェブラリーSの全力疾走である。“掛かる”というのはああいうことか。ダートという力強く踏み込んでもしっかり受け止めてくれるバ場だったのも一因だった気がしなくもない。

 言い訳はまだまだ思いつくが結果は一つ。思い通りに動く自分の身体に酔いしれて、気づけば五バ身差で圧勝していた。

 すごく楽しかった。

 でも、うん、よくないよね。

 負けるのは論外だが。勝てばいいというものではないのだ、私の場合は。

 この一年、心あるウマ娘やトレーナーが聞けば真顔になりそうなローテで走ろうというのだから。心あるウマ娘やトレーナーとは違う、心無い無慈悲な勝利を徹底しなければならない。

 

《無知で無邪気で無責任なファンは素直に喜んで応援してくれるかもしれないけどねー》

 

 具体的には一バ身差の徹底。身体に掛かる負荷を最小限に抑えること。

 新しい勝負服にふさわしい華麗かつ圧倒的な勝利だったかもしれないが、個人的には反省の残る結果となってしまった。

 勝っておいて反省とはずいぶんと中央のエリート様は高潔なんだな、などといま後ろで踊っているドラグーンスピアさんあたりに聞かれたら嫌味を言われるだろうか。

 ほら私、勝ち方を選べる強者なので? 敗北者の心情なんて斟酌してやる余地は無いのだ。それが嫌なら勝てばいいというのは、彼女も私も共通見解だと思うから。

 

 デジタルと視線が交差し、絡み合う。

 本来ならこのタイミングで視線が合うことはないのだが、本番のウイニングライブで使用されるステージに比べここはやや狭いので立ち位置や角度が変わっているのだ。

 デジタルもなー。一回芝でやり合ってみたいんだけど何故かダートでばかり出会うんだよなー。

 間違いなく世代では五指に入る実力者なのに、何気にいまだGⅠ未勝利なアグネスデジタルさん。私が連勝しているGⅠの壁が本来どれだけ分厚く険しいものなのか、デジタルの戦績を見ればわかるというものだ。

 ちなみにその挑戦のうち半分くらいは私が勝った結果なんだけど、罪悪感も謝る気も全くない。顔と顔を見合わせて栄光の譲り合いなんてありえない。談合はNG。だってこれレースだから。

 次に会うとすれば安田記念か宝塚のどちらかかな。流石に私みたいに両方走るなんてことはしないだろうけど。

 宝塚記念の方はミーク先輩がそこに合わせて調整している節があるから、もしかすると葵トレーナーの担当ウマ娘揃い踏みなんて未来もありえるのかもしれない。彼女の苦労がしのばれる。

 

 ぱらりとほどけた視線が今度はアキュート先輩と合った。

 きれいな目しているんだよな、この人。

 ウマ娘の瞳は千差万別。私たちみたいなオッドアイならまだ常識寄りな方で、バクちゃん先輩なんかは花弁の文様が浮かんでいたりする。どういう理屈なんだろうね、あれ。人によってはそのときの精神状態で消えたり現れたりするらしいし。

 アキュート先輩の瞳はまるで深緑の上で日光を宿してきらめく露のような色合いで、彼女の人となりが表れているように穏やかだ。

 あのグラデーションがかった翠にどれだけの出会いと別れを沈めてきたのだろう。私たちとの交錯は彼女の中に何を残したのかな?

 十年間。アキュート先輩はそのたぐいなき現役期間の長さを活かして、自らをトゥインクル・シリーズの語り部と定義しているそうな。先の見えない不安に苛まれたとき、彼女の経験に救いを求めるウマ娘は少なくない。

 いつか彼女の口から私たちのことが語られるとき、それが一人でも多くのウマ娘を勇気づけるものであればいいな、なんてね。

 別に私は自分以外がどうなったって、たぶん揺らぐことはないけど。

 テンちゃんが気にかけているから。自分が心置きなく笑うために、より多くのウマ娘がよりよい未来を掴んでいた方が都合がいい。

 

《誰だってそうさ。リシュが特別ってわけじゃない。自分以外はどうでもいい。ただ、人間って生き物は自分の外側にもどんどん『自分』を広げていってしまうんだ。喪われたときに心が引き千切られて血を流すほどにね。

 リシュは始まったばかりでまだまだこれからってだけ。焦る必要は無いよ。ダイワスカーレットが死ねば今でもきみはちゃんと泣けるから》

 

 どれだけ激しい雨もいつかは止む。曲が間奏に入り、またもや私以外のメンバーが総入れ替えとなる。

 先ほどまでのバックダンサーの衣装は黒に近い紺色をしていたが、今入ってきた子たちの衣装は眩いほどの白が基調。

 泥だらけの奮闘は終わり、これより始まるは雨上がりの夜空に上がる花火。

 その雨雲を切り開く第一声は私の役目だ。

 

ここで今 輝きたい

叶えたい未来へ走り出そう 夢は続いてく

 

 一着を獲ったウマ娘の独唱(ソロパート)から始まるこの曲の名は『Special Record!』。つい先日に私たちが勝利した大阪杯勝利のウイニングライブ曲であり、つまり本日のメドレーライブを締めくくるラストの一曲でもある。

 曰く『GⅠ勝利という特別な瞬間を照らし、空に花を咲かせる楽曲』。ラストを飾るにふさわしい華やかさに満ちており、私のイメージ的には御伽噺のお姫様を中心に据えたパレードといったところだろうか。

 一着のウマ娘が己の勝利を歌いあげ二着と三着のウマ娘がそれに続くような苛烈な印象のウイニングライブ曲が大半を占める中、珍しく四着までのウマ娘がくるくると入れ替わるように歌い踊るのが特徴だ。

 

ライバルがいるほど頑張れるよ いつか手にしたい真剣勝負の栄光

どんな時でも笑いあえるよ 君のココロにつながるシンパシー

 

 二着と三着はわりと奇跡的に当日と同じ配役になったのだが、いくら意識の高い中央のウマ娘とはいえ、誰もが敗北の傷が癒えないうちに私の勝利を讃えるようなライブに参加する気概の持ち主であるわけもなく。

 空いた四着の歌唱パートには私の独断と偏見でテイオーをねじ込ませてもらった。完成度の高い営業スマイルを浮かべてはいるが、すごく不本意なのがこの距離だとビシバシ伝わってくる。

 ほら、テイオーが出走を表明している宝塚記念のウイニングライブで使用されるのもこの『Special Record』なんだよね。

 でも現時点で宝塚記念に焦点を置いている有力株が指折り数えるだけで掲示板が埋まってしまう勢いなのだ。ミーク先輩でしょ、ゴールドシップ先輩でしょ、たぶん〈ファースト〉ビターグラッセも出てくるしー。ウオッカは安田記念の方を優先させるだろうけどデジタルはどっちに来るかなー、なんて。

 ぶっちゃけ、去年の今頃の私なら敗色濃厚なラインナップ。何よりテンプレオリシュ(いまの私たち)が出るというのが厳しい。そんな厳しい戦場に好きこのんで出てこようというのだ。

 つまりこれは私なりに先輩として『今のお前ごときじゃ一着はおろか二着や三着も無理でしょ。四着に滑り込んでライブで歌えるのなら御の字じゃない?』という後輩への激励である。

 うん、なんかテイオーって揶揄いたくなるんだよね。

 

《んー、もしかして混ざった影響でぼくの性格の悪さがリシュに感染していたりする?》

 

 私はわりと昔からこんな感じだよ。

 たしかにテンちゃんの影響を多大に受けているのは否定しないけど。良し悪しはさておき。

 

《そっかー。昔からこんな感じだったかー》

 

 なんかテンちゃんがしみじみしていた。

 

 捉えようにとってはひどいパワハラじみた行為だけど、テイオーならこのくらいではびくともしないという信頼もある。むしろ存分に反発して奮起してくれることだろう。

 流石の私でもドトウみたいな性格の子にこんなことはしないよ。いや、ドトウはドトウで唯々諾々とこちらの所業を受け入れて逆に傷つくことはない、か?

 

遠く離れてしまう時でも いつまでも変わらないトキメキがあるから

勝利を目指して

 

 大阪杯はテンちゃんが言うところのネームドがいないレースだった。

 おそらくはフェブラリーSでお披露目した完全体テンプレオリシュを見て『計画的に勝算を用意できる陣営はその勝算の精度をより高めるために直近の大阪杯を回避したのだろう』というのがテンちゃんの見立てで、葵トレーナーも賛同していた。

 つまり残ったのは『今の勢いのままぶつかるのが一番勝率の高い陣営』と、『そもそも勝算が用意できないまま舞台に上がってしまった陣営』たち。

 そして結果的には一バ身の完勝。心身のコントロールをGⅠの大舞台で取り戻すことができた貴重なレースだったと思っている。

 ただ、無責任に『楽勝!』などと報道に煽られるとピキリと来るものがあるけどね。

 

ここで今輝きたい いつかは憧れも君も越えていくよ

step by step もう止められない

specialな勝負で駆け抜けよう 君と紡いでく

 

 アングータさんやムシャムシャさんともこれで結構長い付き合いだよな。

 二着と三着のポジションでプロの笑みを浮かべ綺麗なステップを踏む彼女たちを見ながらそう思う。

 私と出会って壊れてしまうウマ娘は多い。だから同じレースを走った子たちの情報は一通り頭の中に留め置くことにしている。彼女たちの人生の一部を屠った者として、それくらいはしてあげても罰は当たらないだろうから。

 ただクラシックロードで衝突しながら折れずに食らいついてくる子っていうのは貴重で、だから彼女たちのことはその中でもひときわ強く印象に残っている。

 

 同じレースを走ったというだけならそれなりの数がいるけど。

 目がね、死んでないのだ。光がある。絶対に勝ってやるとスターティングゲートを出る瞬間から、ゴール板を駆け抜けるその一瞬まで瞳に炎を灯し続ける。

 中央のウマ娘は心身ともに鍛え上げられた者が多いけど。それでもやっぱり理想の姿を維持できる者が常に多数派を占めるわけじゃない。

 誰だって痛いのは嫌いだ。これから痛い目に遭いますとなれば身体に震えが走るのも当たり前のことだろう。萎縮してしまって、理想を追って現実にぶつかったときに極力ダメージが減るように構えを変えるのも学習の一環だろう。

 我が腐れ縁のように幾度となく躊躇なくぶつかっては砕ける生き方ができる者ばかりではない。それは悪いことではないというか、むしろ生物学的見地から言えば痛い目を見ても学習しない方が問題だ。頭のネジが外れている。

 

《なんて言い草だ。本人に聞かれたら『痛くないわけじゃないんだからね!』って怒られそうだな》

 

 うん、私もちょっと思った。脳内映像とボイス付きで再生された。

 

 テイオーと私、アングータさんにムシャムシャさんと曲に合わせて一列に並んだとき、二人の才覚は明確に劣るものだけれど。

 きっと誰よりも彼女たちがそのことを理解している。その上でシニア級でも私たちと戦うことを選んでくれた。その決意に私は感謝している。

 どれだけ私たちが強くても、レースはひとりではできないから。

 

 ねじを巻いたオルゴールがやがて、ゆっくりとその動きを穏やかにしていくように。

 弦楽器の調べがオーケストラを引き連れて参上し、その音色に合わせて私たちの動きもスローテンポに入る。

 動きが止まり、幕が下りる。今宵の物語はここまで。

 

 まー現在の時刻は青空が眩しい昼真っただ中なんだが。

 きっと観客の目にはポーズを決めた私たちの背後に、夜空とそこに広がる色とりどりの花火さえ見えたのではないだろうか。息をのみ静まりかえっていた彼らが呼吸の仕方を思い出した時、その吐息は瞬く間に喝采へと変わった。

 

 かくして、春のファン大感謝祭の私の役目は無事に終了したのであった。

 

 

 



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してんのうかいぎっ!

あけましておめでとうございます
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U U U

 

 

「おかえりなさいませっ!」

「ふぅ、ただいま」

 

「おつかれさま! はい、リシュちゃんのぶん」

「ありがとぉ」

 

 嘆息まじりにデジタルの出迎えに応じ、マヤノがねぎらいと共に差し出してくれたポテトを受け取る。

 やや冷めたポテトの生温くのっぺりした油分と大量生産品のチープな塩分が気疲れした身体に沁みていくようだ。揚げ物は熱々が正義だとは言うが、これはこれで悪くない。

 事前にドリンクバーから取り置きしておいたコーラを流し込んで、うん。少し元気になった。

 

「あー、つかれた……」

 

 元気になってようやく言葉にしてこぼす気力も湧いてきた。

 春のファン大感謝祭は無事に終わり、現在『征服ライブ』の打ち上げで最寄りのカラオケ店に来ている。

 ずっとセンターで歌いっぱなしだった私からすればさらに歌うのかと思わなくもないけど。バックダンサーは一曲も歌わなかったわけだし、フラストレーションが溜まっている子もいるのかもしれない。

 あるいは今日一日声を張り上げっぱなしだったトレセン学園応援団の子たちも別のカラオケ店で打ち上げをしているらしいから、ただ単に中央の生徒にとって手ごろな打ち上げ会場がカラオケボックスというだけのことか。

 

「しおれてんなー」

「ふん、情けないったら」

 

 ウオッカが苦笑しスカーレットが鼻を鳴らす。

 この部屋にいるのはデジタル、マヤノ、ウオッカ、スカーレットという私を入れて五人のウマ娘。同期の中でもひときわ仲のいい、入室するなり脱力しても許されるくらいには気心の知れた相手ばかりだ。

 ライブに参加した人数が人数ゆえ大部屋だろうと全員一緒にというのは不可能なので、数グループに分かれてそれぞれの部屋に入ることになったわけだが。

 その部屋を一つ一つ訪ね一人一人に感謝を告げていたのが先ほどまでの私だった。

 

《よしよし、よく頑張ったね》

 

 言わずもがな、テンちゃんの指示である。

 そうでなければこんな面倒なこと誰がするものか。

 

《他人に協力を仰いだ時、その助力に感謝することを忘れちゃいけないよ。善意も好意も無償ではあるが無尽ではないんだから》

 

 いつだったかテンちゃんが言っていた気がする。

 もはや私が一声かければそれだけで多くの人が集まるほど私の影響力は強いと。こちらが対価を用意するどころか、金を払うから参加させてくれと向こうが懇願してくるほどに。

 

 なるほど、たしかにそうだろう。それがトゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘というものだ。

 だが人間とは不快には敏感な癖に快楽には慣れて鈍感になっていくイキモノ。ただ声をかけただけで嬉々として他人が動く環境に慣れてしまっては、きっと未来の私はとても困ったことになる。

 

《別にレースに骨をうずめる覚悟ならそれでもいいと思うけどね。ちやほやされるだけの実績は既に出しているわけだし。でも将来的にレースとは別の世界に進みたいと思っているのなら、一般人の感覚を維持しておくに越したことはないよね》

 

 人付き合いが得意なテンちゃんに丸投げするのではなく、わざわざ私の方で対応したのもそういうことだった。

 こうして挨拶回りに奔走してうんざりする経験を自分の中に蓄積しておく。誰かに助けを求めるというのは決して楽なことではないのだと忘れないために。

 困ったときは誰かに助けを求めろという教えとは相反するような気もするが。正しい意味で『それはそれ、これはこれ』というやつなのだろう。

 

《貸しっぱなしや借りっぱなしが健全でないというだけの話さ。スマイルであろうと相手が対価として納得するのなら元手ゼロ円でこき使ってもセーフセーフ。『これは貸しだ』と相手が思うことが問題なんだ》

 

 正直、そのあたりの機微はまだまだ私には難しいものではあるが。

 大人はみんなこんなことやっているのかな。いつかは私もできるようにならないといけないのだろうか。ああ、面倒だ……。

 私ができずともテンちゃんが既にできているのだから、自分としては既に習得済みのスキルではあるけれど。それが人間の健やかな精神的成長過程の一環と見なされているのかと考えると、それだけで身体に纏わりつく気疲れがひどくなるようだ。

 

「欠員が出た競技に飛び入り参加されたのですから疲れるのも無理はありませんよ。本来なら免除されていたものなんですから。あ、こちら唐揚げとナゲットです。どうぞお納めください」

「うむ、くるしゅうない」

 

 デジタルがうやうやしく献上してきたそれらを摘まんで口の中に放り入れる。うん、肉はいいな。動物性たんぱく質ってダイレクトに栄養補給している感じがする。

 

 欠員が出た競技に穴埋めで参加したのは実はテンちゃんの提案ではなく私の意思だ。数か月前から専門的な訓練が必要になるような特殊競技ではなく、ただの一般的な玉入れだったこともあり許可はあっさり下りた。ドン引きはされたが。

 

《実行委員の『えぇ、あのテンプレオリシュが代理……?』って顔が笑えたよなぁ。ルール的には何も問題が無かったし代理を自分たちが募集した都合上断ることもできずそのまま参加できちゃったけどさ。案の定無双ゲー状態だったし》

 

 これはファン感謝祭。空き枠があるとどうしてもそれだけで少し盛り下がっちゃうからね。

 中央の生徒は二千人。それだけ人数がいるのだから当日に何らかのトラブルで競技に参加できない者が出るのはままあることだし、そのときに手が空いている者が代理で参加するのもよくある話なのだ。

 

 だからといって私がやる必要は無かったはずで。

 どうして自分でもそんな選択をしたのかよくわかっていない。

 ……順調にいけば私がトゥインクル・シリーズの現役として参加できる春のファン大感謝祭はこれが最後で。なのに春のファン大感謝祭のメインである体育祭的演目に参加できないまま一日を終わらせるのが名残惜しかった、のかな?

 

「あー、あれかー。玉入れって四足歩行でする競技だとは知らなかったなー。必勝法も何もあったもんじゃねえ」

 

 からかい交じりにウオッカが言う。どうやら彼女は現場の目撃者らしい。

 

「効率を突き詰めた結果だよ。直立二足歩行だとどうしたって『玉のもとまで移動する』『しゃがんで玉を掴む』『籠を狙って玉を投じる』の三工程が必要だもの。走行速度は多少落ちても『移動しながら玉を掴んで投じる』の一工程にした方が結果的には早い。ルールに『四足走行をしてはいけない』の一文が無いことはちゃんと確認したしね」

「それができるのはお前だけだっての」

 

 玉入れには必勝法というか、定石がある。

 玉入れ用の小さくて軽い玉は小学校の低学年でも簡単に放り投げることができるが、それが逆にコントロールを難しくしている。

 だからある程度の数を集めてぎゅっと押し固め、バスケットボールのシュートのようにまとめて投じた方が入りやすいのだ。常識的にはそうである。

 そんな定石や常識知ったことかとばかりに四足でグラウンドを駆け抜け、『走る』『掴む』『投げる』を一工程にまとめ得点率百パーセントをキープしたのが私だった。もちろんこちらのチームが勝利した。

 

「んー、でもでも、来年にはルールに追記されちゃうかもだね。リシュちゃんのマネする子たちはぜったいにいるだろうし」

「ああ、見に来ていた全国のちびっこどもが真似したら各地の運動会で体操服が必要以上に泥んこになっちまうぜ。かーちゃん大激怒だ」

 

「あー……それはちょっと考えていなかったな」

 

 マヤノの指摘とファッション不良ウオッカの家庭じみた嘆きに少しばかり考えが足りていなかったことを遅まきながら自覚する。

 そうか、ファン感謝祭なんだからちびっこたちも見に来ているし、あの年齢の子たちって普通とは違う派手な立ち回りを見たらそれが自分に適しているかはさておいて形だけは真似しようとするわな。

 怪我人が出るようなアクロバティックな動きをしていなくて本当によかった。全国のお母さま方には今のうちに心の中で謝罪しておくとしよう。

 

「それで、何か歌うの? 歌うんならさっさと入れなさいよ」

「まあちょっと待ってよ。それより――」

 

 せっかち星人スカーレットさんが私を急かしてくるが、手で制してから視線をマヤノへと定める。

 

「おまたせマヤノ。話したいことがあるなら言ってよ」

 

 今日この時、このカラオケボックスの一室にこの五人が集ったのは偶然ではない。もちろん周囲が疲れ気味の私を気遣って親しい相手で固めてくれたというのもあるが。

 何部屋も借りるような人数の打ち上げの中でここが五人だけになったのは、間違いなくマヤノがさりげなく誘導した結果だ。そうでなければテイオーやバクちゃん先輩、タイキ先輩あたりも同室になっていたことだろう。

 

「えへへ。リシュちゃんってちょんと触れただけでもキンッって響いてくれるから好きー」

 

 マヤノは笑みを浮かべると可愛らしいポシェットから何やらゴソゴソと書類を取り出し、全員に配った。

 遠足のしおりを彷彿させるような手作り感あふれる小さな冊子だ。表紙にはマヤノの手描きらしいまるっこいイラストもある。これはデフォルメされた私たち五人だろうか。

 タイトルは――『リシュちゃん包囲撃墜だいさくせん!』?

 

「それでは! だいいっかい四天王会議をはじめまーす!!」

 

 わーぱちぱちと拍手したデジタルとノリでそれに合わせる私。

 資料を受け取りながらも困惑した様子のスカーレットとウオッカ。

 この差は性格の違いか、はたまたアオハル杯の同じチームで過ごした年月に起因するものか。

 

「えっと、四天王ってなんだ? いや、言葉そのものは知っているんだが……」

「はい、説明いたしましょう!」

 

 ウオッカの疑問に答えたのは案の定マヤノではなくアグネスデジタル。

 

「“四天王”とはあたしたちの世代の『GⅠに出走経験があり、なおかつテンプレオリシュとお互い以外には先着を許したことのない四人のウマ娘』の総称です。この世代の頂点が“銀の魔王”であることになぞらえてこう呼ばれ始めました。

 『クラシック三冠を成し遂げた世代はその三冠ウマ娘が強いのではなくそれ以外のウマ娘が弱いのではないか』などと口さがない者は宣いますが……あたしたちの世代は幸運にもアオハル杯が並行して開催されており、非公式戦ながらその実力が世代間に留まるものでないことは前々から示唆されておりました。またクラシック級の下半期では当時のシニア級の中でも突出した力を有するウマ娘たちと矛を交えなおその戦績が崩れることはなく、それらの結果をもって今年度から主にネット上で広まってきた次第であります!」

 

 ひと息にまくしたてた。平常運転のようで何より。

 薄々そんな予感はしていたがやはり自分たちのことを指す呼称であったことに複雑そうな顔をするウオッカと何とも言い難い表情をするスカーレット。

 説明しているうちに興奮が高まったデジタルはそんな二人に気づいた様子も無く言葉を続ける。

 

「不肖このデジたんも四天王の末席を汚させていただいております。四天王の中では唯一GⅠ未勝利なこともあり『四天王最弱』との呼び名も高く――」

 

 芝もダートも遜色なく走りこなし、ある意味で“銀の魔王”に最も近しい存在である“無冠の勇者”アグネスデジタル。

 

 クラシック路線では“銀の魔王”に幾度となくGⅠ勝利を阻止されたものの、逃げから追い込みまであらゆる脚質でレースを制する天賦の才は疑いようがない“変幻自在”マヤノトップガン。

 

 ティアラ路線でついぞライバルに先着できなかったが、マイルCSでは“最強マイラー”タイキシャトルを真正面からねじ伏せその実力を証明した“新世代のマイル王”ウオッカ。

 

 そして無敗のトリプルティアラに女王の冠を添え、有記念では“銀の魔王”にあと一歩のところまで迫った、四天王最強と評価する者も多い“紅の女王”ダイワスカーレット。

 

「ふー、いつの間にか魔王軍に就任していたとは知らなかったぜ」

 

 つらつらと並べ立てられたデジタルの説明を聞き終えたウオッカがやれやれと肩を竦めながらそうこぼす。

 表面上の態度以上に彼女の内に渦巻く感情は複雑そうだ。二つ名がつけられるのは彼女のような感性の持ち主にとっては名誉なことなのかもしれないが、それが“銀の魔王”(私たち)ありきの呼称だったことに中央のウマ娘としては思うところがありそうだ。

 私の腐れ縁ほど極端ではなくとも、一番じゃないとダメだから誰も彼もがあれだけ汗水たらして走り続けている。トレセン学園とはそういう性分の持ち主の集まりなのだから。

 

《四天王というワードに浪漫を感じつつも、最弱と最強のポジションを取られたことに思うところがあるって感じかな? 四天王最弱はたいてい主人公キャラと最初に遭遇して『四天王』の格の違いをアピールする役割があるし、斃れた後で実はそれでさえも最弱でしかなかったという絶望感を与える美味しいポジ。最近は最弱と蔑まれつつも実は魔王すらも凌駕する最強だったという展開も珍しくなくなってきたことだし。

 四天王最強も主人公キャラとの激突パートはストーリー上長々と続いてきた四天王編の総決算であり、クライマックスたる魔王討伐に至るフラグをここで立てることも多い、最弱と並んで美味しい立場だ。

 一方で二番目と三番目は数合わせというか、尺の都合によっては雑に処理されることも少なくない。まあ『強大な敵』としての役割が強く求められる最強や最弱に比べ縛りがゆるいから、立ち回り次第では主人公キャラと理解し合ったり場合によっては寝返ったりもできる美味しい役回りになることもあるけど》

 

 うん、そのあたりの機微は私にはちょっと難しいかな!

 

「ちょっと、これ……!」

 

 気の早い彼女らしく一足先に渡された冊子をパラパラとめくっていたスカーレットの顔色が変わる。

 私も彼女に続いてざっくり内容を流し読みしてみた。ふむふむ、室内に大小さまざまな声が漏れるのも納得の内容だ。

 数学が得意なマヤノらしくきれいにまとまった数値(データ)。だいたい私が自分で把握している現状スペックと合致しているのも好感が持てる。

 そこにはマヤノがこれまで丹念に蓄積してきたのであろう私とテンちゃんの各種データとその攻略アイディアが並んでいた。いくら親しき仲とはいえ無料で配布するには過ぎたものだ。つまり何らかの目的があるのが窺える。

 

「うんおっけー! いまから説明するよ。だから、きいてくれる?」

 

 全員の視線が自分に集まっていることを確認してから、マヤノはにこりと笑うと口を開いた。

 いよいよ四天王会議の始まりか。ところで私がここにいていいんだろうか? いろんな意味でさ。

 いまさら尋ねることもできないけど。完全にタイミングを逃した感がある。

 

「それでは二ページ目をごらんくださーい。リシュちゃん(ばーじょん3.01)の解説になりまーす」

 

 けっこう小まめにアップデートしているんだな、私。

 

「『シニア級に入ってからの覚醒!』って最近よく言われるけど、マヤの見立てはちょっと違うんだよね。右のグラフの推移を見てくれたらわかるように、実は耐久以外のステータスはクラシック級の終盤とそこまで変わってないんだよ。身体が十分に成長した影響でトップスピードを維持できる時間が大幅に増えたのと、トップスピード自体もおよそ一割増になったけど、大きな変化はそれくらい?」

「それは世間一般的に大惨事って言うんじゃねーの?」

 

 ウオッカの常識的なツッコミが入る。私もそう思う。

 でもマヤノの意見は異なるようだ。

 

「リシュちゃんの一番すごいところはそこじゃないから。それに肉体面での安定性は増したけど……スプリンターズS以降その傾向が出ていた精神面での揺らぎやすさがさらに露骨になっちゃってる。特にウマ娘としての本能が高まっていて、競り合いに持ち込めばすぐ掛かるようになっているから。リシュちゃん単体ならやりようはいくらでも……は言い過ぎだけど、それなりにはあるんだよね」

「リシュ単体なら、ね」

 

 スカーレットの呟きがカラオケボックスの扉越しに沁み込んでくるどこかの誰かの歌声と混ざって弾ける。

 ただしテンプレオリシュは私とテンちゃんのふたりでひとつのウマ娘だからその限りではない、と。

 言葉に出すまでも無く、それはこの場の共通見解であった。ただ共通見解だからといって言葉にしなくていいのなら世の会議と呼ばれるものはその所要時間を半分以下にしているだろうし、わかりきったことを口に出して確認することでその先に繋がるものもある。

 

「つまりマヤノはリシュの強みがそこだと思っているってわけ?」

「うん。リシュちゃんはひとつの身体の中にふたりいる。それがテンプレオリシュってウマ娘の一番すごくて厄介なところ」

 

 私が掛かってもテンちゃんのフォローであっという間に立て直してしまうからな。他のウマ娘では絶対にありえない特徴。

 皐月賞でまさにそれにしてやられたマヤノらしい分析だ。

 

「テンちゃんのスペックは次のページね。じつはテンちゃんのステータスって単純なカタログスペックでいえばリシュちゃんよりひとまわり上なんだよ」

「あん、そうなのか? つーかリシュと……テンちゃん? の間でスペックの差ってあるのか? 性格の差から得意不得意が分かれるっつーならわかるんだが、肉体は共通だろ?」

 

 ウオッカが怪訝そうに首をかしげる。何だかんだ彼女はテンちゃんと接点が薄いからテンプレオリシュというウマ娘を二つの名前で呼び分けることにいまだ違和感が消しきれないようだ。

 そういう彼女の常識的な面を好ましく感じる。私の周囲にはどうにもそういう手順をすっ飛ばして内側に切り込んでくるメンツが多いからな。

 ウオッカの困惑をよそにマヤノの説明は迷いなく、よどみない。

 

「あるんだよーそれが。といっても身体の動かし方はリシュちゃんの方が上手だから今となっては本当にカタログスペック上の差異でしかないけどね。アドバンテージとして機能していたのは夏合宿のまえくらいかなー」

 

《よくご存じでいらっしゃる。チート能力と完全に融合しているリシュと、微妙にチートの残骸が残っているぼくの差だね。リシュボティにプラスしてチート残骸付与ソウルを使えるぼくの方が単純な出力は高いんだけどステがこれだけ伸びちゃったら誤差の範疇だし、一方でぼくのレースセンスじゃ雑魚とまでは言わんが……ぶっちゃけレジェンド級とやり合うには荷が過ぎるからなぁ》

 

 テンちゃんが手放しで褒めていた。まあそのテンちゃんの言葉は私にしか聞こえていないわけだけども。

 たしかにマヤノの説明は理路整然としており、昔は頻出していた感覚まかせのオノマトペも少なくなっている。手渡された資料の完成度も高く、彼女が着実に成長しているのだということを改めて実感した。

 

「でもテンちゃんはふだんリシュちゃんの裏にいて、リシュちゃんが崩れたときフォローに入るかたちで表に出てくるってなると話は変わる。だって苦労して崩したらもっと強いのが奥から出てくるんだもん。ひどいカウンターだよ。双方の入れ替わりにコンマ一秒のラグも無いしー」

 

 菊花賞ではまさに私たちのその生態を突き崩せなかったことが敗因ということもあり、言葉に実感がこもっている。

 

「それだけじゃないよ。マヤねー、トレーナーちゃんがマヤのためにがんばってくれてるところを見るとね。マヤもトレーナーちゃんのためにがんばるぞーってなって、いつもよりいっぱい力が出てるんだー」

 

 あれ、話変わった?

 いやでも今のマヤノがこの流れで話を逸らすかな。

 そう思ったのは私だけではないようで、周囲のやや訝し気な視線を受けながらマヤノは話を続ける。

 

「これはきっとマヤだけじゃない。トレーナーだったり、ファンのみんなだったり、仲のいい友達だったり、たいせつなライバルだったり、相手はさまざまだろうけど。人は自分のためだけには使えない力がある。大切な誰かのためじゃないと開かないパワーの詰まった箱がある。

 でもリシュちゃんたちは違う。もうひとりの自分のためにその箱が開く。誰かのためにしか使えないはずの力を自分のためだけに使える。それにね、マヤたちは相手と離れたりケンカしちゃったりしてその力が使えなくなるときもあるけど。リシュちゃんたちはずっと一緒だからずっとその箱は開きっぱなしなの」

 

 あー、なるほどね。

 それはこうして聞いてみないとわからない感覚だったかも。

 私にとって私たち(テンプレオリシュ)というのは生まれたときからこれが当たり前だったから。

 そうか、普通の人間は自分のために自分の力をすべて引き出すことができないのか。どんな縛りプレイなんだか。

 

「テンちゃんもリシュちゃんもひとりひとりなら対処の仕方がある。攻略法がある。でもテンプレオリシュはふたりでひとつのウマ娘。だから“さいきょう”なの」

 

「……ぐ、あと少しだけもってくださいあたしの心臓……せめて、せめてこの会議が終わるまでは……!」

 

 胸をおさえ息絶え絶えに悶えるデジタル。尊みの摂取が致死量を超過したらしいが、既に死した肉体を精神の力のみで動かす戦士のような呟きと共になんとか延命していた。

 

「それで? そのお強いウマ娘にどう勝つつもりなのよ?」

 

 せっかちなスカーレットは既に配布冊子のこの短くも濃厚な全文を読み終えているだろうに、あえてそう口にする。

 アタシたちをわざわざ集めてプレゼンテーションをしている目的を、改めてアンタの口から言えと暗に促す。

 そこでもったいぶるマヤノでもなかった。むしろ待ってましたとばかりにいよいよ核心に迫る。

 

「さっきウオッカちゃんが言っていたことだよ」

「はっ? 俺?」

 

 戸惑うウオッカ。彼女だって配られたときに目を通し終えてはいるだろうに、素直というか何というか。

 人が好いっていうのはこういうことなのかもね。私たちの性格がアレだとはあえて思いたくない。

 

「『肉体は共通』。それがリシュちゃんたちの特性にして限界。魂がふたつあってもウマ娘である以上頭は一つで手も足も二本ずつしかない。だからね――」

 

 この一年かけて、みんなでリシュちゃんたちの脚を削り切るよ。

 

 その言葉は雑音に事欠かないカラオケボックスという環境下でやけに冴え冴えと響き渡った。

 

 



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U U U

 

 

 しんと一度ほど室温が下がったような沈黙が降りる。

 

「これまでリシュちゃんがなりふり構わず全力疾走したのって、トゥインクル・シリーズの中だとたったの二回だけなんだよね。バクちゃんのときと、スカーレットちゃんのとき。

 リシュちゃんは自分の身体をすっごくコントロールしている。ほんとうの意味で限界ぎりぎりまで酷使できるから、その限界まで追いつめられたらあえてそれを踏み越えるようなことはしないの。それがウィークポイントになるんだ」

 

 まーねー。

 みんなが全力で、限界を超えてぶつかり合うからこそレースは素晴らしいもの。そんな幻想を私は共有していない。

 

 だってたぶん私の知っている限界と世間一般で言われている『限界』って根本的に精度が違うから。

 私の把握している限界は超えたら何かしら損なわれるものだ。身体とか、命とか。しんどいだけでそのずっと手前でブレーキ踏んでいるやつらと同列に語られても困る。

 ただ、安全マージンを確保していないわけじゃない。むしろシニア級になって身体が完成しコントロールの精度が上がり、目的意識も明確になったことで『これ以上は超えないようにしよう』という一線はクラシック級の頃より明確になった。

 マヤノが言いたいのは私がこれ以上はもう無理だとブレーキを踏むその境界線まで追いつめるってことで、本当に私の脚をへし折りたいわけじゃあないだろう。

 言葉こそ過激で誤解を招きかねない表現だったが、彼女は顔色も変えず誰かを傷つけようと提案できる子じゃない。

 私が自らに課した過酷なローテを活用し、人数差という覆しようのないアドバンテージをもって、どうしようもない部分をダイレクトに削りにきたわけだ。

 

 まあ別にへし折るならへし折るで構わないけどね。

 私も次スカーレットとか相手にするときは『もうこいつ私のために死んでもいいかな』って勢いで潰しにかかると思うし。

 

「……え、いやアリなのかそれ?」

 

 突出した実力を有するウマ娘がいる場合、その他大勢に包囲網を布かれる例は往々にして存在する。

 誰だって勝ちに来たのだから。正攻法では勝てないほど実力差がある相手なら、その実力を発揮できない展開に追い込む。至極当然の流れだ。

 ならばレースに出走する全員から目をつけられるほど突出していれば、周りから寄ってたかって足を引っ張られる。実に論理的な帰結である。

 

 ただし匙加減を間違えてしまえば。事前に示し合わせて己の勝利を捨て、本命の足を引っ張ることに終始してしまえばそれは八百長だ。

 レース業界を永久追放される禁忌中の禁忌。

 チームで勝利の栄光を追い求める海外ではまた別の評価が下されるし、アオハル杯では前提に近い作戦の一つだが。それでもなお公式レースという場においてその行為に対する忌避感は根深く、反射的なものですらある。

 

 

 顔を顰めたウオッカの疑問はその証明のようなものだった。

 

「アリだよ」

 

 そんな彼女へ真っ先に肯定を投げ返したのはまさかのテンちゃん。

 

「談合は業界追放モノのNGだが、これはそうじゃない。だって自分が一着になるという大前提が揺らいでいないわけだからね」

 

 なるほど、言われてみれば妙手だと、何故か包囲される側が誰よりも感心し賞賛している。

 

 私にもマヤノがこの三人を選んだ理由が理解できた気がした。

 一年かけて激戦を重ね私を消耗させるという大規模な作戦。そこらのウマ娘を適当に用いればともすれば『一着になるために走る』というレースの大前提を見失い、ただ私の脚を削るための布石として目の前のレースを消費する者が出かねない。人間は弱い生き物だから。

 デジタル、ウオッカ、スカーレット。彼女たちなら、哲学だったり信念だったり本能だったり各々抱く動機は異なるが、自らが一着になるために走るというその一点は何があっても揺らがないだろう。

 マヤノは自身がそう確信できる相手を選んだのだ。

 

 私たちがここに同席させられたのも策の一環か。

 知らないからこそ効果的になる策があれば、知っているからこそ威力を増す策もある。後者の場合、恐怖や重圧を長期間に亘りかけ続けて相手の精神的疲労を狙うのが主となる。

 私のウマ娘としての精神はある意味で、クラシック級のスプリンターズSの時点で誕生したと言える。要するに未熟なのだ。これまで十四年間生きてきた経験が適用できないわけじゃないから赤ん坊よりはマシだが、経験が圧倒的に不足している感は否めない。

 そのあたりも詳細はともかく実態の方をだいぶマヤノに『わかっちゃった』されているようで。

 ただ一つのレースに勝てばいいのではない。勝ち続けることを選んだ私に対して最も効果的な一手だ。

 私自身が認めよう。ああ効果的だとも。少しでもリソースの配分を間違えればそこで致命傷を負わされるプレッシャーを感じている。

 スリルやプレッシャーに愉悦を覚える性格ではないつもりだったんだけどな。面白いじゃあないか。

 

《今年の最後には禁止カードが解放される例のアレもあるしな。一年かけてリソースを削り切った後のトドメの一押しにはぴったりってわけだ》

 

 URAファイナルズね。でもドリームトロフィーリーグに移籍したレジェンドたちを禁止カード呼ばわりはちょっとどうかと思うよ。

 

 マヤノトップガンというウマ娘は一般的に感覚派の極致にいるウマ娘だと思われている。実際にその評価は間違っていないだろう。たぶん自分でもそう思っている。

 ただ彼女の根底にある数学的センス、特に0か1かを見極める感覚はそこらの理論派など比較にならないほど冷徹でシビアだ。

 飛行機のパイロットだという彼女の父親の血なのだろうか。何となくで計算して空中で燃料切れになったら自分も乗組員も全員死ぬからな。

 彼女の感覚はこのまま私とレースを重ねても0だと判断したのだろう。だからリスクを考慮に入れた上で1に繋がる選択をした。

 

 別にマヤノがバクちゃん先輩あたりを信じていないというわけではないだろうが。信頼できる相手と確信できる相手はまた別物だ。マヤノはこの作戦がいかにデリケートなラインを突くものであるかを自覚した上で決行している。

 まあ、バクちゃん先輩あたりに情報を流してもちゃんと活かしてくれるか怪しいってのもあるだろうけど。レースに関しちゃ頭が悪いってわけじゃないんだけど、どうしても普段の言動がね……。

 私の情報を共有してこれ絶対にばらさないでくださいねと伝えた瞬間には『わかりました! 秘密ですね!! 絶対にばらしませんともッ!!』と大声で拡散しながらバクシンバクシンする姿が目に浮かぶようだ。

 いや、あの人は本当に大切なところで間違えないだろうと信頼はしているから、そんな未来はありえないのだけど。こう、普段が普段過ぎて信用ならない。

 

 私が考えに耽る間にもテンちゃんの独白は続いていた。

 

「ナリタトップロードの育成ストーリーじゃ覚醒したテイエムオペラオーに対抗するためアドマイヤベガと同盟を組んでいた。さらにそのトプロ・アヤベ同盟に対抗するべくメイショウドトウが奮起してオペラオー・ドトウ連合が結成され、シニア級はライバルとの共闘で運命を切り開くというのがテーマの一つだったわけだが。

 特に着目したいのはジャパンカップにおける会場入りの一幕だ。その時点でトプアヤ同盟は解除され同期四人の横並び勢力となっており、その上で偶然ばったりアヤベさんとレース場前で出くわすんだが、そのとき彼女たちは『別々に会場入りするのは久しぶり。昔に戻ったみたい』という旨の発言をする。つまりそれまでは一緒に会場入りするくらいべったりな関係だったわけだな」

 

 情緒が溢れた結果として情報の濁流となるデジタルとはまた異なる、絶対に誰かに理解させるために喋っているわけじゃないと聞く者に確信させる言葉の羅列。

 うんうんとひとり頷き勝手に何かに納得している。歯切れがよく音量が大きいだけの独り言。

 私はテンちゃんのこういうのを聞き流すのにも慣れているしそれが嫌いでもないけど、周囲はそうではないわけで。特にウオッカはドン引きしている。

 いや、引いているのはウオッカだけか? 意外と他は動じていないっぽい。

 

「レースと競馬は違うもの、それを象徴するイベントの一つだと思っている。競馬は公営ギャンブルである以上八百長対策が厳しく、騎手は前日の調整ルーム入室以降外部との接触が著しく制限される。通信機器の使用も制限されるのでスマホゲーなんてもってのほか。最近のゲーム機はオンライン前提だからそういう機能がそもそも搭載されていない数世代前のハードが現役で活躍しているって話だ。

 一方でウマ娘はそのあたりがかなりファジーだよね。ギャンブルじゃないというのが一番大きいんだろうけど。ぼくとしてはウマ娘の勝負に懸ける真摯さが本能レベルで刻まれているためわざわざ外部から制限する必要性が薄いという説を推したいところだ。シングレで八百長行為に対する罰則が言及されている点から全くないってわけじゃないんだろうけど、薄汚いヒトミミが絡んだがゆえの悲劇だと信じているよ、勝手にね。うん? スペのキャラスト第二話? ……まあ心が弱っていたらそんなこともあらーね!」

 

 これまで走ってきて恨み言を吐かれた経験が無いわけでもないしね。冗談交じりのものがあれば、抑えきれずに吐露してしまったものもあり。

 いずれにせよ私は歯牙にもかけなかった。それは喰らう価値の無いものだ。記憶の片隅に置いて背負うくらいはしてやるよ。

 

「あー、と……テイエムオペラオーにアドマイヤベガって、今年の新入生たちか? ジャパンカップどころかまだデビューもしてない、だろ?」

 

 すごいなウオッカ。今の時期じゃあ私たちと新入生ってほとんど接点が無いだろうに。

 たしかに名前を挙げた二人は新入生の中でも目立つ存在だ。アヤベはその研鑽された実力から。テイエムオペラオーの方はナルシズム全開のその歌劇じみた騒がしい生活態度から。

 でも目に留まるのと記憶するのは違う。案外あんな不良気取りの態度で面倒見がいい先輩をやっているのかもしれない。

 

「ごめんね。テンちゃんが電波受信して会話が成立しなくなるのって稀によくあることだから」

「…………あー、そうなんだなー。まれによくあんのか」

 

 まったく同じ口からラグなしで別人に喋られるのいまだに違和感があるんだよなーって顔してた。ウオッカはそれでいいと思うよ。

 突出した才能があるのに常識人ってわりと得難い資質だと思う。少なくとも私たちの世代においては希少価値だ。私含め、天才と呼ばれるウマ娘はどいつもこいつも頭のネジが数本外れていたりぶっ飛んだ思考回路が搭載されていたりするから。

 

「やおちょー扱いされないよう、ちゃんとマヤも考えてるよー。だって単純に上半期はたぶん、みんな出走するレースがリシュちゃんたち以外とは被らないんだよね。

 ウオッカちゃんは安田記念で、おデジはたぶん宝塚の方いくでしょ? マヤは春天だもん。3200mをリシュちゃんたちと全力でやり合った後、さすがにおデジやゴルシちゃんやミークちゃんのいる宝塚まで行こうとは思わないんだよねー。マヤのぼうけんはそこで終わっちゃう」

 

 そう情報を補足するマヤノは感性と思考回路の一部が常人とは根本的に異なるタイプ。いわゆる『わかっちゃった』は他者には真似できない彼女のオンリーワンだ。私と同じカテゴリーと言えよう。

 

「アタシは? わざわざこんなもんまで渡しておいてただ呼んだだけってことはないでしょうね」

 

 ひらひらと小冊子を振りながら尋ねるスカーレットは根性とか信念とかを抑制するネジが外れているタイプだな。まあネジをはじき飛ばした容疑者筆頭は私になるんだが……いや、あれは生まれ持った資質も大きい気もする。そういうことにしておこう。

 

「だなー。俺がトレーナーならこの一冊に札束積むぜ。つーかよ、一人一冊渡されたのがちと怖いんだがこれって会議が終わったら返却でいいんだよな?」

「ううん、あげるよー」

 

「マジかよ」

「まじまじ。あ、トレーナーちゃんといっしょに作ったから安心してね!」

 

 担当トレーナーと共同作成したから外部に流していい情報しか載っていないと暗に告げるマヤノと、うわぁって表情を隠しもせずにパラパラと冊子をめくるウオッカ。

 うん、知識量的にはともかく技術的にマヤノひとりの手によるものではないとは思っていたよ。こういう資料のまとめかたって経験が出るからね。本人の口から独断の情報流出ではない裏付けも取れて一安心である。

 

「でも内容が内容だからうっかり失くしちゃったりしないでね? リシュちゃんが困ったことになっちゃう」

「しねーよ!? このレベルの情報を流出させたらぶちのめされても文句言えねーって」

 

 二人の会話を聞いていたスカーレットの眉間にしわが寄る。

 ウオッカが茶々を入れたせいで半ば自分の質問が無視されたかたちになった、というのもあるだろうが。

 タダほど高いものはない。この遠足のしおりモドキの価値を知るからこそ一方的な先払いは面白くないだろう。

 ましてや彼女はそれを既に受け取ってしまっているのだから。目を通してしまった情報にクーリングオフはきかない。

 

「スカーレットちゃんの復帰はたぶん秋以降だよね? それも無茶すれば秋あたりからレースに出られるようになるってだけで、スカーレットちゃんとこのトレーナーさんなら安全マージンと再発防止にかかる時間を入れて冬くらいになる可能性が高いよね」

「…………そうね」

 

 そうやって改めて言葉にされると堪えるな。

 肯定するスカーレットもだけど、尋ねる方のマヤの方だって相当くるものがあるはずだ。というかレースに関わるウマ娘でこの話題を嬉々として取り扱える者などそうそういない。

 それでもマヤノが軽妙な口調だったのはきっと、深刻に話したところで辛気臭くなるだけという気遣いと。

 

「スカーレットちゃんを呼んだ理由はね。スカーレットちゃんがいちばんリシュちゃんを深く知っているからだよ」

 

 スカーレットをここに呼んだ理由がその先にある以上、大前提として共有しておかないとお話にならないから。

 

「有記念、すごかったよね。マヤは三着だったけど、あのあと何回あたまの中で再現しても三着より上にいくことはできなかった。それだけリシュちゃんたちとスカーレットちゃんは突出していた」

 

 マヤノの瞳がカラオケボックスの薄暗い照明を黄昏色に反射する。今の彼女が見ているのは果たして過去か未来か。

 

「ぜんぶ出しきっちゃった? からっぽになった? ううん、直後はそうだったとしても今はちがうよね。身体がげんきになっていけば心も動くようになる。どんどん頭の中にわきだしてくる。

 ああすればよかったかな。こうすればどうだろう。リシュちゃんがああしてきたらこうして、次は負けない。でも実際に自分ができるようになるのはまだまだ先で、それまでずっと頭の中でぐるぐるさせておくくらいだったら――」

 

 スカーレットの心を読み解くように。スカーレットの心に寄り添うように。そしてスカーレットの心を惹きこむように。

 マヤノが『テンプレオリシュから学んだこと』は何も(リシュ)に限らないということか。このやり口はどこかテンちゃんのそれを彷彿とさせる。

 

「マヤたちが試してあげるよ。だからスカーレットちゃんが思いついたリシュちゃん対策、ぜーんぶ吐き出してみない?」

「……っ!」

 

「あ、あのっ……おそれながら申し上げます!」

 

 ここで声を上げたのはスカーレットではなく意外にもデジタル。

 頭のネジ云々で言えばアグネスデジタルは半々だ。特徴的な思考回路に熱が入ると連動してネジもゆるんでいくタイプ。テンちゃんは彼女と一番近いかな。

 

「ここであたしが口を挟むのは筋違いであると重々承知の上ですが、それでも言わせてくださいっ! たしかにその取引はけっして不平等なものではありません。前払いは十分すぎるほどであり、取引が成立した後も双方に利がある。マヤノさんの明晰な頭脳と穏健な人柄が窺える素晴らしいものです。

 しかし! それでもです! ……スカーレットさんとリシュさんの間にあるのは、特別なものなんです。ここで勢いのまま押し切ってしまえばのちのち()()()が残りうるかと」

 

「うん、そうだね。そのとおり。というわけでスカーレットちゃんごめんねー、やっぱり今すぐはやめておくよ」

「……ええ、そうね」

 

「ええー!?」

 

 決死の思いで執り行った異議申し立てがあっさり受理されてやった本人が一番驚いていた。

 

「おデジありがと。さそっておいて正解だったって、いま改めてとっても思ったよ」

 

《ああー、デジタルはブレーキ役か。たしかにこの性質の策略を複数人で取り扱うのなら必要だし、彼女にはピッタリだ》

 

 世代では突出した実力もさることながら、そのために引き込んでいたのか。納得の人選である。

 勝負の世界では勝たないと意味が無いが、生存競争が遠いものとなった人間社会においては勝てばいいというものでもない。負けたら人生が終わる勝負などそうあるものでは無いし、逆に大衆の目に勝負の様が映るからこそ勝ち方如何によってはのちの人生に悪影響を及ぼすことも十分にありえる。

 そして勝負の世界は勝敗が決すればそこで一区切りとなるが、人生は終わるまで終わらない。常識的に考えればどちらを優先するべきかは一目瞭然である。

 まあ非常識であることが求められる局面もなくはないんだけど、それはさておき。

 

 マヤノの性分はおおよそデジタルの言う通り。

 テンちゃんが吐く子供だまし全開の見え透いた嘘に引っかかるくらい善良で可愛らしい子であるが、一方でシビアな数学的感覚も持ち合わせている。その両者が矛盾なく彼女の中で一体化しているのだ。

 ときとして冷酷にすら映る感性に従い勝利のみを目指して邁進していると、いくら彼女とはいえ越えてはいけない一線に触れることもあるだろう。私たちのような二重人格ならぬ者に自身の完全な客観視は不可能なのだから。

 今のマヤノには他者を先導し煽動する力がある。仮に彼女が進路を違えたところで、いったい誰がそれを指摘し正道に引き戻すことができるか。

 

「あ、はい。えっと、あの、お役に立てたのならさいわいです……?」

 

 確実にその役割をこなしてくれる人材がデジタルというわけだ。

 レースとウマ娘に彼女固有の確固とした理想と幻想を抱き、それは勝利と必ずしも一致していない。そのせいで取りこぼすものも多いが、そんな彼女だからこそ見逃さないものもある。

 アグネスデジタルは彼女が愛するウマ娘ちゃんの悲劇を許さない。きっと本人にその自覚は無いだろうが早期の段階で最大音量での警鐘を鳴らしてくれることだろう。いまさっきやったように。

 

「マヤノが上半期の本命を天皇賞(春)に据えるのならライスシャワーあたりに声をかけておいてもいいんじゃないかい?」

 

 デジタルの警鐘によってあらわになった未来のしこり、それを自覚したことで微妙に不穏になった空気を入れ替えるようにテンちゃんが新たな話題を提供する。

 

「うーん。ライスちゃんは知らない方がいい仕事してくれると思う。バクちゃんとかもそうだねー」

 

 ライスシャワー先輩。

 私たちの一つ上の世代、バクちゃん先輩たちの同期。本人の適性ゆえ短距離路線を余儀なくされた(というか、彼女の担当トレーナーにいいように言いくるめられた)バクちゃん先輩と違って王道の三冠路線を走り、見事『最も強いウマ娘が勝つ』と讃えられる菊花賞を制した漆黒のステイヤー。

 しかしそれはシンボリルドルフ以来の無敗のクラシック三冠を成し遂げようとしていたミホノブルボン先輩の栄華を打ち砕くことを意味していた。華やかな幻想を夢見ていた者たちは期待を裏切られた失意と怒りを、こともあろうか勝者にぶつけた。

 “悪役(ヒール)”ライスシャワーの誕生である。なお外野が勝手に騒いでいただけで、ミホノブルボン先輩とライスシャワー先輩は普通に仲が良さそうなのが何とも救いがたい。

 それに限らず何かと運が悪いというか巡り合わせが悪いというか。道を歩けば信号は赤になり走ろうとすれば雲一つなかった空から豪雨という、どうにも確率統計の壁を越えた不幸が彼女の周りに渦巻いている。

 彼女の近くにいればその不幸に巻き込まれることも多いので付き合い方にコツがいる。テンちゃん曰くライスシャワーのウマソウルに付随する不幸パワーをあちらが根負けするまで撃退し続けてやれば一時的に反転して幸福尽くしになるらしいんだけど、あれは疲れるからあまりやりたくないな。かかる労力と得られる時間が割に合わない。

 

《かのレコードブレイカーを前に前人未到の大記録をひっさげて立ち向かうはめになるとか死亡フラグもいいところだよなー。マックイーンはこの世界線じゃ後輩だからぼくらがその役割を担うことになるか?》

 

 そしてきたる天皇賞(春)において、テンちゃんが誰よりも警戒している相手。

 ミーク先輩やバクちゃん先輩、いま目の前にいるマヤノよりも、だ。

 曰く、歴代ステイヤー最強候補の一角。特にその魂は大記録を樹立せんとする相手を徹底マークするとき最大限の力を発揮する……当の本人の性格を置き去りにして。

 

 スカーレットたちと同じアオハル杯チーム〈キャロッツ〉に所属していることもあり何度かすれ違うことはあったけど。

 こうしてトゥインクル・シリーズで道が交わるのは初めてだな。

 年がら年中不幸に見舞われているせいでおどおどと自信なく揺らぐ瞳、その奥底で本人すら消すことができない青い炎が静かに燃える情景を思い出す。

 短距離最強のバクちゃん先輩は既に下したことだし、長距離最強に挑むのも筋と言えば筋か。私が自分で選んだんだから当然の結果なんだけど、ただでさえ強い相手を相手のホームグラウンドで迎え撃たなきゃいけないのはひどい不具合だと思う。

 

「じゃあぼくらは知っている方が都合がいいってことかな?」

 

 テンちゃんがまぜっかえす。

 ただ揶揄しているわけではない。既に自分の中で仮説が組み上がっていてもそれはあくまで仮説。それなりに自信のある推論ではあるが、確固たる根拠があるわけではない。

 より鮮度の高い情報を。脚を削る前に神経をすり減らせ。少しでも不可避で不可逆の消耗を減らせ。

 策謀を戦いの一環と見做す者にとって天皇賞(春)の前哨戦は既に始まっているのだ。つまりそれはマヤノにとっても同様。

 

「うん。テンちゃんって思わせぶりな態度や言い回しで相手を意図的に誤認させたり、あえて誤情報を掴ませたりすることはあるけど……。言葉でまっすぐ問われたことに明確な嘘を返すことってないよね? そこを明確なラインにしてるって感じがするの。

 だからこういう場では最前列まで引っ張り出して素直に質問するのが一番効果的かなって。ちゃんと答えてくれるでしょ?」

「まーね。よくご存じでいらっしゃること」

 

 あははうふふと笑い合う私たちにウオッカが軽く引いていた。

 

「お前らってさ、仲が良いのか悪いのかよくわかんねーよなぁ」

 

「なに言ってんのさ。なかよしだよ。ねー」

「ねー。すっごくなかよし」

 

 ぱちんぺちんぴしぴしぐっぐせっせっせーのよいよいよいと手を合わせるマヤノと私。

 

「みっ」

 

 直撃を受けたデジタルは蒸発した。

 

「デジタルもしんだし、そろそろ曲入れようか。せっかくの打ち上げなんだ。小難しい話はここらで切り上げてぱーっと歌おう」

「すっごい自然に『やつはしんだ』とか言うなよ!?」

 

 そんなツッコミを入れながらマイクが回ってきたらちゃんと歌うんだから、ウオッカも私たちの世代にちゃんと馴染んでいるよね。

 

 うんざりするような険しい戦いの数々が既に見え始めているが、今はただ仲がいい女子の集いでわいわい騒ぐ時間だった。

 

 




次回、ライスシャワー視点

……なのですが!
残念ながらお詫びしなければならないことがあります!
クリスマスの投稿の時点でにおわせていましたが!
実は!
クリスマスに合わせて投稿を始めた結果、章ラストのレースパートが未完成です!!

というわけなんだ、すまない。
たぶん一月中には投稿できると思うから、ゆっくり待っていてきださいませ


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サポートカードイベント:誰が為にバラは咲く

なんとか一月中に間にあったぁ!
えらいぞすごいぞやるじゃない。
宣言通り、今回からライスシャワー視点です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 『しあわせの青いバラ』になりたかった。

 それは小さいころに読んだ絵本のお話。

 色とりどりのバラが植えられたお庭に生まれた、青いつぼみをつけたそのバラはみんなの嫌われ者。

 だって誰も見たことが無かったから。気味悪がられて、不吉の象徴のように扱われちゃったんだ。

 そうして嫌われているうちに青いバラ自身でさえ自分はダメな花だと思うようになって、しおれてきてしまうの。

 

『やあ、青いバラだなんてとっても素敵だ! きっと綺麗に咲くに違いない。ぜひ買い取らせてください!』

 

 でもね、認めてくれる人もいたんだよ。

 心の優しい、とっても穏やかに笑うお兄さま。

 鉢に植え替えられて毎日声をかけてもらって、ついに窓辺で見事に花開いた青いバラは道行く人たちを幸せな気持ちにすることができたの。

 

 見る人を幸せにできる存在。ライスもレースでそんな存在になれたらって。

 がんばった。いっぱい努力したよ。

 ライスはだめだめで上手くいかないことも多かったけど。トレセン学園でライスはトレーナーさんに、ライスの『お兄さま』に出会えたから。

 きっと今のライスなら。お兄さまと一緒ならみんなを幸せにできる青いバラに。みんなを不幸にしちゃうだめな子じゃなくて、みんなを幸せにできるウマ娘になれるんじゃないかって。

 そう、思っていたのに。

 

 同期のミホノブルボンさんはすごい人だった。

 適性はスプリンターだって言われていた。いろんなトレーナーさんから自分の体質を受け入れて短距離路線に進むべきと諭されていた。

 せっかく将来有望なんだから、いつまでも夢を見ていないで現実と向き合いなさいって。

 でもブルボンさんは絶対に自分の夢を諦めなかった。クラシック三冠が自分の夢だと誰に何を言われても譲らなかった。

 ついにはその夢を一緒に支えてくれるトレーナーさんを見つけて、虐待じゃないかと非難されるくらい凄まじい、ハードなトレーニングを積み重ねて。

 マイルのレースに勝って、中距離のレースに勝った。距離適性の壁を壊した。どうしようもない才能の世界だと言われていたそれを、努力で補えるんだって証明してみせた。

 ……ブルボンさん以外の子たちが真似しようとしたら故障しちゃうから、ハードトレーニングを血肉に変えることができるくらい頑丈っていうブルボンさんの才能あってのことかもしれないけど。

 

 冷たい視線はいつしか期待のまなざしに。あきれを含んだため息は歓声に。

 ブルボンさんは結果で周囲を変えてみせたんだ。

 無敗のままクラシック二冠目の日本ダービーを制し、シンボリルドルフ以来の無敗のクラシック三冠に王手をかけたブルボンさんにみんなが夢中になっていた。

 

 青いバラが夢なら、ブルボンさんは目標。

 あのすごい人に勝てたら、それはきっととてもすごいことだ。だめなライスが胸を張って自慢していいことだ。

 勝ちたい、ブルボンさんに。いつの間にかそう思うようになっていた。

 

 でもライスがクラシック三冠目の菊花賞で勝ったとき、観客席にあふれたのは歓声じゃなくて失意のため息。

 ライスシャワーの勝利はみんなに求められてなんかいなかった。

 ざぁっと血が引いて、指先から凍えていくような感覚。全身が震えて立っていられなくなるほどに。

 一冠目の皐月賞では勝負にならなくて、二冠目の日本ダービーでようやく背中が見えるくらいで。レース展開にも助けられてやっと菊花賞で達成できた目標だったのに、夢はかなわなかった。

 

 花開いてもみんなを笑顔にできないのなら、ライスは咲いちゃいけない花だったんだ。

 なんでがんばってきたんだろう?

 悲しくて、つらくて、消えてしまいたかった。

 そのあとすぐにブルボンさんの故障が発表されて、無期限の活動休止。それもライスのせいなのかなって。

 

 その年の年末には有記念に出ることもできたけど、結果は十一着。どこを見て走っているのかわからないうちに終わってしまった感じ。見に来てくれた人にも、一緒に走った人たちにも、本当に失礼なレースをしてしまったと思う。

 いよいよ、なんのために走っているのかわからなくなっちゃった。

 

 それでも引退しなかったのは、お兄さまがずっと傍ではげましてくれていたのと。

 アオハル杯が始まっていて、ライスはすでにそのチームに所属しちゃっていたから。

 それもくじ引きで決めたらライスがリーダーになっちゃって、チームの名前もライスが〈ブルームス〉に決めちゃっていたんだもん。

 みんなに迷惑はかけられないから、途中で投げ出すことはできなかった……チーム戦じゃなかったら逃げ出していたかもしれない。

 

「ここがライスシャワーさんのチームですか? ミホノブルボンです。いまだステータス『リハビリ中』ですがサポートはできます。チーム〈ブルームス〉への加入を申請(オーダー)します」

 

 そしたらなぜかブルボンさんがチームに加入してきた。やっぱり逃げておけばよかったかも。

 ライスの理想(ヒーロー)と同じチームで、しかもライスの方がリーダーで。何がどうしてそうなっちゃったのか本当にわかんなくて。

 菊花賞のこととかもあってぎくしゃくしたけど。意外と打ち解けるまでに時間はかからなかった。

 

 ブルボンさんは戦績だけじゃなくて中身もすごい人だった。

 一見するといつも無表情で声に抑揚も無い。こわくて、とっつきにくい人みたいに思える。

 だけど、チームメイトとして接しているうちに感情はちゃんとあるし、表現の仕方はむしろ素直な人なんだってわかった。

 ライスよりずっと身長が高くてスタイルもよくて、憧れてしまうようなクールビューティーなのに。お話しているとたまに、ちいさな子供みたいな純粋さを感じることがあるの。ギャップで胸がどきどきする。

 

 少しずつ、ほんのちょっぴりとだけど。周囲のみんなのおかげでライスはまたレースに向き合うことができるようになってきた。

 なってきていたのに……年が明けてシニア級になったばかりの一月、ライスはまたやっちゃったんだ。

 

「チッ、くだらないことしてくれるじゃん」

「ち、ちがっ」

 

 わざとじゃなかったの。

 どこからか学園の敷地内に入ってた黒猫さんがドリンクボトルにじゃれついていたから。もしも中身がこぼれちゃったら黒猫さんもそのドリンクの持ち主の子も悲しいことになっちゃうと思って、ボトルを黒猫さんの手の届かないところに移動させようと思っただけなの。

 まさか全部こぼしちゃうなんて。

 

 リトルココンさんは当たり前だけどすごく怒っているし、騒ぎになってお互いのチームメイトが集まってきて、どんどん収拾がつかなくなっていっちゃった。

 『ライスはそんなことする子じゃない』ってかばってくれる〈ブルームス〉のみんなと、『でも実際にドリンクはこぼれているじゃん』と取り合ってくれない〈ファースト〉の人たち。

 どうしよう、どうしよう。ライスのせいなんだから、ライスがリーダーなんだから、なんとかしなきゃいけないのに。そう思うのに、思うだけで頭が真っ白になっちゃってそれ以上なにも考えることができない。

 

「ただの勝負じゃ面白くないよな? だから負けた方は一生グラウンド使用禁止ってことにしよう!」

 

 ついにはレースで決着をつけることになっちゃった。ライスも学園の生徒だし、そういう展開は別に慣れっこなんだけど……。

 身体が震える。芯から冷たくなって動かない。どうやってライス走っていたんだっけ? わからなくなっちゃった。

 こんなんじゃだめだ。このまま先に進んでもぜったいだめだめなことになる。でも代案なんて出てこない。

 アオハル杯形式でレースして決着っていうのは揉め事の解決策としてビターグラッセさんが提案してくれたことなのに、代わりの案も無しに嫌なんて通らないっていうのは今の動かない頭でもさすがにわかった。

 

「問題ありませんライスさん。オペレーション『友人の汚名返上』を開始します」

 

 ライスのことを友達だって言ってくれて、友達を守るため戦おうとしてくれるブルボンさんの姿がとっても嬉しくて。嬉しく感じている自分がとてもあさましくてみじめになる。

 ブルボンさんはまだリハビリ中なのに。誰よりもあの背中を追い続けたライスだからわかる。今のブルボンさんはかろうじて走れるってだけ。

 機械的なまでのラップタイムで後続をいっさい顧みない逃げを見せつけて“サイボーグ”と畏怖されたブルボンさんじゃない。

 それでも変わらずブルボンさんは“ヒーロー”のままだった。

 

 ブルボンさんをこんなことで走らせちゃいけない。ライスが悪いんだから、ライスが原因なんだから、ライスがなんとかしなきゃいけないのに。

 どうすればいいのかわからない。どうしようもない。今やらなきゃいけないことと、今のライスのできることが致命的に噛み合っていない。

 誰か……だれかたすけてほしい……!

 

『まてい!!』

 

 ライスのあまりにも自分勝手な願いに応じるようにその二人は現れた。

 

「お呼びとあれば即参上! UMA覆面一号!」

「ウマ娘ちゃんのためならたとえ火の中水の中、芝の中ダートの中縦横無尽に駆け回ってみせましょう! 推しの為ならこの命惜しくはありません、UMA覆面二号!!」

 

 不思議な被り物をした彼女たちは周囲を覆っていた嫌な空気をひと息に吹き飛ばして、そのまま自分たちのペースに巻き込んで、気づいたらライスたちの代わりに〈ファースト〉の人たちと五連戦することになっていた。

 そしてあっという間に五レース走って勝っちゃった。

 ええぇ……?

 何が起きたんだろう。一部始終ちゃんと見ていたはずなのにさっぱりわからない。まるで理解が追い付かなかった。

 いちおうアオハル杯形式だとレースごとに距離が変わるからそれに合わせてコースを調整する役割を引き受けたり、レース中は応援したり、ただ観客席でぼうっとしていたわけじゃないよ。でも、でもね。

 なんでUMA覆面一号さん、中距離、マイル、短距離、長距離の四連戦を一人で走って全勝しちゃっているの……?

 距離適性ってなんだっけ? ブルボンさんが知り合いみたいだったけど、その関係なのかな? もしかしてライスが思っていたよりも努力でなんとかなる境界線って広かったりするのかな?

 

 

 

 

 

「もうやめて!」

 

 助けてもらったのに、ライスは恩を仇で返しちゃった。

 

「守ってもらったのに、こんなこと言うのは間違ってる。そうライスだって思うよ。でも、でもね! これ以上はやりすぎだよぉ……」

 

 リトルココンさんが、チーム〈ファースト〉の人たちがあまりにも苦しそうだったから。揉め事になったのはライスのせいで、賭けを持ちかけたのは〈ファースト〉の人たち。勝負が終わってからこんなことを言うのは筋が通らない。ひどいことだ。それでも言わずにはいられなかった。見ているだけでつらかった。

 

「…………そっか、やりすぎか」

 

 それなのに、こんな理不尽をのみこんでくれるんだからUMA覆面一号さんは本当にやさしい人なんだろう。

 強くて、やさしい。それだけ聞くとまるでヒーローみたいだけど……さっきまで嬉々としてリトルココンさんに詰め寄る姿を見ていると素直にそう表現するのもはばかられた。

 

「ふー、あちー」

 

 覆面を外して、銀に輝く髪を天使の翼のように広げてUMA覆面一号さん――もとい、テンプレオリシュさんは去っていった。

 残されたのは解決した問題と、少しだけ仲良くなった〈ファースト〉と〈ブルームス〉のみんな。

 まるで悪いことはぜんぶ持っていかれちゃったみたいで。ライスは助けられたのにろくにお礼も言えなくて。

 

 テンプレオリシュさんはまるで自分が悪役みたいな言い方をしていたけど、ライスにはあの人がヒールだとは思えなかった。

 かといってヒーロー、と言えないとも思う。みんなのために尽くすような英雄じゃない。自分の在り方を曲げないままひたすら突き進んでいった。

 強いて言うなら……ダークヒーロー?

 これまでのライスの価値観に無い在り方。それが何もできなかった後悔と一緒に、とても印象に残った。

 

 

 

 

 

 テンプレオリシュさんのうわさは聞いたことがあった。

 すごい新入生が入ってきたって。

 

 ミークさんと同じ全距離適性の持ち主。ブルボンさんが目のくらむような努力をしてようやく乗り越えた距離の壁を、生まれつき素通りする天賦の才。小柄ながら物怖じしない、かといって熱くなりすぎることもない極めて勝負向きの性格。模擬レースでは距離を問わず連戦連勝。

 完全な一般家庭出身なのに中央トレセン学園に合格した剛の者。お父さんやお母さんが直接のレース関係者って子はそこまで多いわけじゃないけど、家として見ればレースで大きな功績を残した有名な誰かと繋がりがあるのがこの業界のあたり前。

 小さいころから適切なトレーニングができる環境なのかっていうのはそれだけ大きい。それは知識ももちろんだけど。

 家がすごくお金持ちのところだと、才能のある子のためにトレーニング施設から新調してしまうところもあるって聞いたことがある。お金も必要なんだ。

 普通の家に生まれたらそういうのを用意できないから。

 普通の家に生まれたのに中央に合格できるってことは運よくそういう環境に恵まれたか、環境の差をくつがえすことができる努力家さんですごい才能の持ち主ってことになる。

 ……ただ、あくまで『中央に入学できるだけの才能がある』ってだけで、中央で勝ち進められるだけの将来性があるかは別の問題だったりするんだけど。

 そこのところはまだまだ不透明。たぐいまれな適性の広さが話題になっていて、少しだけトレーナーさんたちからも注目されている。

 みんなが話題にするほど有名じゃないけれど、たくさんいる新入生の中では知られている。テンプレオリシュさんはそういう立場にいるウマ娘だった。

 

 正直なところ、ライスと接点はあまりなかった。

 ライスはライスがすごいと思う人たちばかり見るのに忙しくて下級生の子たちはあまり気にすることができていなかったし、最近はそのすごいと思う人たちだって見る余裕が無かったから。

 

「検索中……照合完了。メモリー『テンプレオリシュさんとのエンカウント』の再生を開始します」

 

 だからブルボンさんに聞いてみた。

 

「彼女と出会ったのは日本ダービーを勝利し、私が無敗のクラシック三冠に王手をかけた直後のことでした」

 

 菊花賞に出走しても勝てない。それどころか菊花賞で敗北後、ジャパンカップへ向け調整中に故障が判明して無期限の活動休止に追い込まれることとなる。

 そんな滅びの予言を持ってそのウマ娘は現れた。

 

「クラシック二冠を無敗で制したことにより、世間の評判は概算で八十二パーセントが応援ムードに染まりました。しかし一方で『距離適性の壁は無視しがたいものである』という持論の持ち主は依然として存在し、その中には私に忠告するべきであると熱意に燃える者も一定数存在していました。

 その多くはマスターがシャットアウトしてくださいましたが、いくつかは私の耳に入ることもありました。それゆえ菊花賞への出走をやめるよう言葉をかけられたのはあれが最初でも最後でもありません」

 

 それでも印象に残ったのは、雰囲気があまりにも独特だったから。

 切実で、真摯で、どこか投げやり。

 『4×7が28と世間で言われているのは知っているけど、どうにか今回は35ってことになりませんかね?』と真剣に聞くだけ聞いてみて、ダメだったからあっさり引き下がる。そんなあまりにも奇妙な態度。

 自分の言っていることに覚悟はあっても負い目は無い。押しつけがましい善意や見当違いの義憤も感じられない。

 時期的に学園に入って間もないはずの小さな新入生が、無敗のクラシック二冠という偉業を果たした先輩ウマ娘に臆面も無く提言してみせて、何事を成し遂げることも無く立ち去った。

 

「それが私の記憶領域にテンプレオリシュさんというウマ娘のデータが優先事項として記録され始めたきっかけです」

 

 ブルボンさんは表情も声の調子も変わらないけど、テンプレオリシュさんのことを悪く思っていないことは伝わってきた。

 不思議だった。自分ががんばってきたことを否定されたようなものなのに。どうしてブルボンさんはテンプレオリシュさんや……ライスのことを嫌わないんだろう。

 でも怖くて、聞けなかった。聞くかどうか迷っているうちに話が次に進んでしまった。

 

「その年の種目別競技大会ではかつてクラシック三冠を成し遂げたブライアンさんに勝利し、トゥインクル・シリーズにおいてはメイクデビューから負けなしの四連勝。特に年末の朝日杯フューチュリティステークスでは大差で圧勝してみせました。あのときテンプレオリシュさんがミッション『仲裁』を買って出たとき、私がそれに委ねる判断を下したのは彼女の実力および人となりの一部を把握していたからです」

 

 公式レースの記録は学園のライブラリだけではなく一般の動画サイトにも投稿されているのでスマートフォンがあれば閲覧可能です。

 テンプレオリシュさんのレース、あれは一見の価値ありですよ、なんて勧められて。

 

 ライスも『テンプレ連戦』の名前で広まりつつあるあの事件が終わった後にだけど、テンプレオリシュさんのレースはひととおりチェックした。いちばん手に入りやすい朝日杯FSのレースは真っ先に見た。

 ……圧倒的だった。クラシック級どころか、もしかしたらシニア級の重賞レースにそのまま出走してもいい勝負になるんじゃないかと思うほどに。

 それで、ようやく思い至ったの。

 ライスはもう追われる立場なんだって。すごい人たちに憧れてついていって、追い越そうとするだけじゃもう足りないんだって。

 ジュニア級やクラシック級の子たちがライスの背中を追ってきている。油断したらあっという間に追い抜かされてしまうんだ。

 

「…………それは、いやだな」

 

 アオハル杯プレシーズン第二戦が終わって、ライスたち〈ブルームス〉は残念ながら勝ち上がれなかった。

 そんな中ライスたちと戦って勝ち上がったチーム〈キャロッツ〉から『まだまだチームメンバーが足りないんだけど一緒に走らないかい?』って勧誘されて、移籍することを決めたのはきっと、まだ追い抜かされたくないって焦燥と向上心がライスの中に残っていたから。

 チームリーダーをやっていたライスを始め、ブルボンさんとか〈ブルームス〉の中核を担っていたメンバーが移籍したから実質的に吸収って言った方がいいのかも。

 非公式戦でまでガチで走りたくない、せっかくのお祭り騒ぎなんだから仲良しグループで気軽にわいわいやりたいって子たちは別のチームにいった。そういうのもライス、いいと思うよ。

 でもライスはまだ上を目指したかったんだ。あきらめることができなかったんだ。

 

 それで、移籍して正解だったと思う。〈キャロッツ〉のみんなはライスとお兄さまだけではどうがんばっても知ることのできなかった、いろんなことを教えてくれたから。

 チームリーダーのゴールドシップさんは枠にはまらない破天荒さを、エースであるブライアンさんからはレースへの飢えを、それぞれ学ばせてもらった。

 タイキシャトルさんはみんなと一緒にいることの楽しさを、ウララちゃんは走ることそのものの楽しさを思い出させてくれた。

 ウオッカちゃんからは『カッケェ』と憧れに向かって素直に努力する姿勢の大切さを教わったし、フクキタルさんからは……うーん、自分に自信が無くても他に根拠を見つけて自信満々になるアグレッシブさ? え、えーっと、フクキタルさんからも何か大切なことを教わった気がするよ!

 それで、それでスカーレットちゃんからは……どうしても勝ちたい相手をひたむきに追いかける執念を。

 いつの間にかライスが失くしてしまっていたもの。スカーレットちゃんの中で張りつめて、煮えたぎって、いまにもあふれそうになっているそれを見て、いつか自分の中にもそれがあったことをようやく思い出した。

 今はもう無くなってしまったもの。どこに落としてきちゃったんだろう?

 もう手に入らないのかな? そもそもライスはもう一度あれが欲しいと思っているのかな?

 あきらめられないからまだここにいるはずなのに、自分にそう問いかけたら素直に頷くことができないの。こんなんじゃだめだってわかっているのに。

 ライスはどうすればいいのか、もうわかんないんだ。

 だからチームの中でもことさらスカーレットちゃんを応援して、親身になって、そうすることで結論の出ないライスの中のぐちゃぐちゃからいったん目を逸らすことにした。時間稼ぎに後輩を使っちゃったんだ。ひどいよね。

 でもスカーレットちゃんはそんなライスを受け入れてくれた。自分が少しでも速くなるためなら、目的に少しでも近づけるのなら何だって貪欲に取り込んだ。

 そんな姿が、うらやましく感じた。

 

 

 

 

 

 チーム〈キャロッツ〉への移籍は思ってもみなかった再会をライスにもたらした。

 夏合宿におけるチーム〈パンスペルミア〉との合同演習。

 何でも〈キャロッツ〉のチーフトレーナーであるゴルシTさんと〈パンスペルミア〉のチーフトレーナーをしている桐生院トレーナーはとても仲良しさんらしくって、相談して一緒に夏合宿の間トレーニングすることにしたんだって。

 つまりそれは、ライスがテンプレオリシュさんと一緒にトレーニングする機会があるってことで。

 ……どどどうしよう? ぜ、ぜんぜんそんなこと予想してなかったよ! まだ心の準備ができてないのにあっという間に夏合宿は始まってしまって。

 

 でもテンプレオリシュさんはすごく普通だった。

 七月前半のジャパンダートダービーに出走したから夏合宿への本格参加は七月の後半から。それでもいちおう合宿所には来ていて、最初の顔合わせのミーティングにもいたんだけど。

 あちらから話しかけてくることもなければ、そもそもライスのことを特に気にしている様子もない、

 あれー? もしかしてライスのことおぼえていないのかな。忘れられちゃった? ろくにお礼も言えなかったあのときのこと、ずっと気にしていたのはライスだけだったのかな……。

 

 だけど、すぐにそんなこと気にしている余裕はなくなった。

 ライスの不幸に〈パンスペルミア〉のひとたちまで巻き込まれることが起きちゃった。

 同じチームのみんなならまだ耐えられる。信頼しあえる仲間だから、このくらい大丈夫だと言ってくれるみんなを信じられる。

 でも〈パンスペルミア〉のひとたちは違う。あのひとたちにとって、ライスはただ夏合宿の間だけ一緒にトレーニングするウマ娘のひとりに過ぎない。

 メリットがあるから一緒に行動するだけの関係。デメリットの方が大きかったら一緒にいる意味なんてない。

 迷惑をかけることに、ライスが耐えられない。

 

 さんざんみんなを不幸に巻き込んじゃった一日目。

 二日目の朝、ライスはトレーニングに出るのが怖くなった。

 怖くて怖くてどうしようもなくて、こっそり合宿所を抜け出しちゃった。まだデビュー前の、お兄さまに見つけてもらう前、レースに出走することさえサボって逃げたあの頃みたいに。今はお兄さまの担当ウマ娘なんだから、お兄さまに迷惑がかかっちゃう。そう思っても踏みとどまることができなかった。

 だからといってウマ娘の脚で近隣の街まで遊びにでかけるほど思いきることもできなくって、今のライスは本当に中途半端だ。サボるならサボるでしっかり覚悟を決めて全力で逃げた方がいい。ウオッカちゃんの言うところの『カッケェ』ってやつだ。

 たとえばゴールドシップさんなら『伝説のウナギを捕まえにいくぜ!』とか宣言して、手ごろな漁船をシージャックして沖合に出るかな?

 ちなみにウナギは産卵のため海に下る魚だけど、稚魚はある程度成長すると淡水域に入るからウナギ釣りは主に河川で行われる。そういうハチャメチャなところ含めてゴールドシップさんだから、たぶんそういうこと言うしする。

 海岸に座りこんでぼんやり水平線を見ながらそんなことを考えていると、ふと背後に誰かの気配を感じた。

 

「あれ? おー、ライスシャワーじゃーん」

 

 なんで、このタイミングで。

 『にこにこ』というより『ニヤニヤ』と表現した方がよさそうな笑みを表情に貼り付けてテンプレオリシュさんがそこにいた。

 

「こんなところで何やってんの? ん、ぼく? ぼくはほら、アレ。この周囲やけに多いからやられる前にやれっていうか、湧く前にある程度は潰しておかないと面倒なことになりそうだから。要するに散歩だよ、朝の散歩」

 

 ……そういううわさを聞いたことがあるけど、テンプレオリシュさんってやっぱり不良なのかな? 地元の不良ウマ娘をシメる? とかやっているのかな。

 ちらちらと顔や服をうかがってみるけどケガしたり汚れたりはしていないみたい。でも、返り血も浴びずに一方的に……ってことはあるのかな?

 おそるおそる動く思考が不用意に詰められた距離でぱっと白く散る。

 

「こっ、こないで!」

 

 その距離は巻き込んじゃう距離だ。

 昨日さんざん迷惑をかけちゃったライスの不幸のテリトリーだ。

 

「ん? なんだって?」

 

 なのにテンプレオリシュさんはさらにずかずかと踏み込んできた。

 声が小さかった? 言葉が足りなかった? 理由はどうあれライスのせいだ。

 

「ライスの不幸に巻き込んじゃう!」

 

 あわてて言い直したけど、そんなライスの悲鳴に被せるように鳥さんが飛んできてテンプレオリシュさんに『爆撃』する。

 

「不幸? この程度で?」

 

 それをテンプレオリシュさんは上も見ないでひらりとかわした。

 

「ぼくらを退けたいのならこの三倍は持ってきてもらわないと」

 

 その言葉に惹かれるみたいに本当に鳥さんが三羽飛んできたときは本当にどうしようかと思った。ライスの不幸ってここまでだっけ!?

 でも、それすらも。

 テンプレオリシュさんを汚すことはできなかったんだ。

 連続爆撃を余裕をもってかわすどころか、ライスに飛沫がかからないよう角度まで考えた立ち回り。

 ひょいと腕をつかまれて引き寄せられて、気づけば顔が近くにあった。赤と青の瞳にライスの顏が映っている。色の異なる双眸に映るライスはとてもひどい顔をしていた。

 

「ごめん、やっぱ三倍じゃ足りなかったわ。次は五倍持ってきてみる?」

 

 どこまでも揺るがない、傲慢なまでの我。

 ライスにこれがあれば、きっと今みたいにはなっていなかったんだろうなって。

 そう思ったけど、こんな強さを持つライスを上手に想像できないのも事実だった。

 そして五倍のおかわりが来ることもなかった。

 

「きみに宿っているウマソウルは半分荒魂みたいなもんだからなぁ。あちらの人間が無責任に願って託した『悪役(ヒール)としてのライスシャワー』、オリジナルがどうだったのかはさておき独り歩きするイメージも名前で括られて中身を注がれてしまえばこっちじゃ本物になる」

 

 何を言っているのか、わからなかった。

 ただ結論だけは理解できた。

 

「ま、格付けが済んだからしばらくはちょっかいかけてこないと思うよ。夏合宿の間くらいはお得意の不幸も大人しくしているだろ」

 

 だから帰りなよ。きみはもう夏合宿に参加できる。だって逃げる理由がないからね。

 

 そう言われて、信じる方がどうかしていると思う。

 だってライスの不幸はライスが生まれたときからずっと一緒にいたもの。ほんの数分の邂逅でなんとかなるものじゃないし、なんとかなっていいものでもないと思う。

 なら、なんでライスは言われた通り帰ったんだろう?

 朝練に遅刻したライスをお兄さまは叱らなかった。ただ心底安堵した顔で抱きしめてくれて、よくがんばったって褒めてくれた。

 この人にすごく心配かけちゃったんだって実感がようやく湧いてきて、わんわん泣いたライスは顔がぼよんぼよんのひどいことになっちゃって……結局、その日の朝練に参加できたのは後半のほんのちょっぴりのとこだけになりました。

 

 言われた通り、不幸はもう起こらなかった。

 むしろ夏合宿の間はラッキーなことが多かった気がする。夏祭りのくじ引きって当たりが入っていたんだね。しかもそれを自分が引き当てることなんてあるんだ。ライス初めて知ったよ。

 そしてそれっきり、テンプレオリシュさんとの特別な交流は無かった。

 べつに同じ合宿所で合同トレーニングをする関係上としては不足があったわけじゃないし、チームとチームのオリエンテーションで一緒に遊ぶことも何度かあったけれど。

 あの朝の海岸でのできごとがライスの夢だったんじゃないかと思えるくらい、ほんとうに個人と個人では何もなくて。

 もしかしてテンプレオリシュさんって双子の姉妹だったりするのかな? そんなことさえ考えた。

 

 それと、参加できてよかったと思う。夏合宿の中でライスはかけがえのない経験をした。それはただ単純に特別なトレーニングでひとまわり成長できたとか、そういうのだけじゃなくって。

 ちょっとおおげさな言い方になっちゃうかもだけど。ライスのこれまでの人生と、これからの人生、その境目になるかもしれないくらい特別なできごと。

 

「ライスシャワー、きみの力を貸してくれないかい?」

 

 それはゴルシTさんに声をかけられて「は、はひっ!」って反射的に返事しちゃったことから始まって。その後ちゃんとお兄さまと相談してから引き受けることになった。

 みんなとのトレーニングが終わったあとに、ライスはスカーレットちゃんとの併走。その代わり、お兄さまはゴルシTさんから育成メニューを分けてもらうの。それで交渉は成立したみたい。

 同じチームで仲が良くっても、同時にライバルで商売敵。中央の業務は膨大だからトレーナー同士で助け合っていかないと回らないけど、だからといって一方的に借りっぱなしや甘えっぱなしもだめなんだって。大人って大変そうだなって思った。

 

「目標を徹底的にマークするその戦法をスカーレットにたくさん経験させてあげてほしいんだ。きっと今の彼女に必要なものはそれだから」

 

 砂浜の上で何度も、何度も、スカーレットちゃんの後に付いて走る。

 スリップストリームを活用するように陰に身を潜めて。あるいはわざと横にずれて存在を誇示するように。

 露骨に足音を響かせて萎縮させたり、逆にすっと消して注意力を無自覚に消耗させたり。

 言われた通り、ライスの持っている技術を惜しげもなくつぎ込んでスカーレットちゃんを追い詰めた。

 

 学園に入ってきたばかりの子はハードトレーニングのあまり吐いちゃうことがあるの。でも月日が過ぎていくうちにだんだんと、同じメニューをこなしても雑談できるくらいに余裕が出てくる。

 それはもちろんスタミナがついてくるってこともあるんだけど。身体の使い方が上手くなるって要素も大きいんだって。

 力を入れるところで入れて、抜くところで抜くことができるようになる。もう吐いちゃわないように。身体に余力が残るように。

 慣れるってそういうことなんだけど、無自覚に手を抜くようになるって見方もできるよね。

 

 スカーレットちゃんにはそれが無かった。

 何度だって吐いた。毎日のようにはいつくばってえずきながら涙を流して、それでも限界の底の底まで自分を追い込むことをやめようとしなかった。

 どうしてそこまでするのって聞いたことがある。年下の女の子をそこまで追いつめるのがライスの方もくるしくて、せめて動機が知りたくなった。

 

「勝ちたい相手がいるからです。ライス先輩だってそうだったんでしょう?」

 

 灼熱を宿した紅い瞳。胃酸で焼けた口内を水ですすいで迷いなく言い切った。

 そうやって全身全霊で追い求め続けた彼女が奇跡を起こすのを、ライスは誰よりも近くで見ることになった。

 “因子継承”。ただでさえ“領域”に至るウマ娘は中央全体の中でも希少なのに、個々人の魂に由来するはずのそれが他者に受け継がれる奇跡。資料もろくに残っていない、実在すら疑われていた現象。

 

 スカーレットちゃんの中にライスの一部が刻まれたのを目の当たりにして、またライスは気づかされたんだ。

 後ろから来る子たちはライスがこれまで積み重ねてきたものをあっという間に追い抜かしてしまう脅威かもしれない。

 だけど同時に、ライスのこれまで積み重ねてきたものを引き継いでくれるかもしれない希望でもあるんだって。

 つらかったのも、苦しかったのも、ブーイングが痛かったのも、ぜんぶぜんぶライスだけのもの。

 でもね、そうやってライスの中に折り重なって織り成された世界がたしかにスカーレットちゃんの中にも広がったんだよ。

 誰かの背中を追うばかりだったライスが、いつの間にかライスの背中についてくる誰かへ託せるような存在になっていたんだ。スカーレットちゃんを中心に渦巻く紅の花吹雪と青いバラはライスにそう教えてくれた。

 奇跡を起こしたスカーレットちゃんにはぜったい勝ってほしい。夢を叶えてみんなに笑顔を、スカーレットちゃんに笑顔になってほしい。

 “奇跡”を託したライスはそうお祈りしたんだ。

 

 

 

 

 

 そんなことがあって、ライスは以前にも増してテンプレオリシュさんの背中を目で追うようになっていた。

 スプリンターズステークスではあのバクシンオーさんに1200mで勝利した姿に呆然とした。

 ライスも勝った菊花賞ではマヤノちゃんと競り合いながら雨の中3000mを駆け抜けたことにびっくりしちゃった。

 そして有記念では――ただ観客席で涙を流すことしかできなかった。

 それが感動の涙じゃないことは、ううん、感動だけの涙じゃないことをライスはわかっていた。

 勝ってほしかった。勝たせてあげたかった。あんなにスカーレットちゃんはがんばっていたのに。

 でもね、叶わなかった悔しさも届かなかった悲しさも果たせなかったつらさも、ぜんぶぜんぶスカーレットちゃんのもの。スカーレットちゃんだけのものなんだよ。それを勝手にライスが取り上げちゃいけない。分かち合ったつもりになっちゃだめだ。それもちゃんとわかっていた。

 

 じゃあ、なんの涙? どうしてライスは泣いているの?

 どうしてライスはここにいるんだろう。どうしてライスはあそこにいないんだろう。ブルボンさんみたいに故障してしまったわけでもないのに。なんでレースに出ようとしないままここまできてしまったんだろう。

 ターフの上に黒い勝負服に身を包んだ自分の姿を幻視する。それを夢見るにふさわしい努力(こと)を何もしていないのに、ただ未練だけがつのる。そんな自分があさましくて情けなくて。

 

 あれだけ何もかもつぎ込んで、なげうって勝とうとしていたスカーレットちゃんでも勝てないなんて。

 彼女に勝ってほしかった。あの努力と執念が報われてほしかった。どうしたらよかったんだろう? どうすれば勝てるんだろう?

 頭の中でテンプレオリシュさんへの勝ち方を模索している自分に気づいて愕然とする。

 ああ、そうか、そうなんだ。ライス、勝ちたいんだ。

 テンプレオリシュさんに勝ちたい。ブルボンさんに憧れたみたいに。あのひとに勝った先の未来を見てみたいと思っているんだ。

 

 あの日のため息と失望の視線が脳裏を過る。

 

 また繰り返すの? どうせ勝ってもみんな喜んでくれないのに。ライスのためにがんばってくれたお兄さまに悲しい顔をさせるだけなのに。

 ううん、だめだ。お兄さまを言い訳に使うなんてだめ。ただライスがもう傷つきたくないだけなんだ。もうあんな思いはしたくない。

 燃え上がったように感じた血は、今はもう凍えてかじかんで、指先がちいさくふるえるほどだった。

 

「走りなさい、ライス」

「……え?」

 

 大歓声の中でも聞き逃しようがない透明感のある声色。同じチームで過ごした月日の中で距離が近くなって、呼び捨てで名前を呼んでもらえるようになった。

 ブルボンさんがじっとライスのことを見つめていた。周囲の熱狂はそのままに、すっと遠ざかったような気がする。

 

「出なさい、レースに。あの識別名『銀の魔王』と雌雄を決するのです」

「ど、どうして……?」

 

 聞き返したライスの声はみっともないくらい震えていた。

 どうしてそんなこと言ってくれるの? ライスはこの一年だめだめだったのに。ずっとブルボンさんはそれを隣で見続けたはずなのに、なんでまだライスに期待してくれるの?

 興奮と感動、スカーレットさんが緊急搬送された不安と心配でぐらぐら煮え立っているような中山レース場。だけどそんな沸騰しているお鍋みたいな中でもライスの言葉も気持ちも、ブルボンさんは取りこぼさずにしっかり受け取ってくれた。

 ライスはブルボンさんの声を聞き逃さないし、ブルボンさんはライスの言葉を聞きもらさない。わんわんと鳴り響くような周囲の声が混入したくらいで塗り潰されるわけがない。そんなお互いの特別がここだけ静寂に包まれたみたいなクリアな空気を生み出す。

 

「あなたは私のヒーローだから、です」

 

 ひーろー。

 それは目の前のブルボンさんのことだと思う。

 生まれ持った適性にも周囲の言葉にも負けず己の夢を貫き通した強い人。無敗のクラシック二冠を成し遂げて、たくさんのファンから応援された英雄(ヒーロー)

 ライスとは正反対。

 

「ち、ちがうよ。だって、ライスは悪役(ヒール)だもん……」

 

 ヒーローに倒されるためにいる役。勝つことなんて誰にも望まれていない。

 勝ったところでがっかりされるだけ。

 ブルボンさんがせっかく答えてくれたことを否定するのは心苦しかったけど、どうしてもその言葉とライスが繋がらなかった。

 

「……菊花賞で敗北し、その焦りからかジャパンカップに向けた調整のさなか故障が発覚する事態と相成りました。結果、無期限の活動停止。入院した私にマスターは『すまなかった』と謝罪してくださいました。お前には無理をさせすぎた、と」

 

 ブルボンさんが目を伏せる。

 それは、ライスが知らなかった弱いブルボンさんの姿だった。熱狂の渦の中でそっと脚を撫でるその姿に、入院用の簡素なパジャマを着て脚を包帯で固定したいつかのブルボンさんの姿を幻視する。

 

「しかしマスターのオーダーは私の夢を叶えるためのものでした。謝罪とは己の過ちを認めたときに行うものです。私の夢を叶えるためにその『無理』は必要不可欠なものだったと今でも判断しています。では私の夢見たクラシック三冠が間違いだったのでしょうか?」

 

 ああ、ライスはこの一年間ずっと同じチームにいたのに。いったい何を見てきたんだろう。

 当たり前だ。夢が破れて、走れなくなって、痛くないわけがない。傷つかないはずがない。

 サイボーグなんかじゃない。血の通っていない機械じゃない。ライスと同じまだ高等部の女の子だったのに。ひたむきにリハビリに励む姿を見て、勝手にそういう人なんだと思っていた。

 憧れで区切って、自分とは違うって遠ざけていたんだ。なんて残酷なことをしていたんだろう。

 

「もう二度と走れないかもしれない。過去に成し遂げたはずの成果があやふやになり未来に展望が持てず、ついには走ることさえ諦めそうになったとき――私を掬い上げてくれたのがライスシャワー、貴女だったんです」

「っ!」

 

 急にライスの名前が出てきてびっくりしちゃった。ううん、文脈的にはたしかにそうあるべきなんだけど。

 本当にそこでライスなの?

 

「トゥインクル・シリーズで私が負けた唯一の相手。目標達成の障害(リスク)と成り得る相手はこれまで幾人も存在していましたが『次こそは負けない、勝ちたい』と思えたライバルはライス、あなたが初めてだったんです」

 

 ああ、そっか……。ブルボンさん菊花賞までは無敗だったし、菊花賞でも二着だったから。ブルボンさんが負けたのは本当にライスだけなんだ……うわぁ……。

 

「あなたの背中を追ってきたから今日まで走ってこれたのです。強いあなたに負けたくないと思ったから、私は復帰を諦めずここまで来ることができたのです。だから、あなたは私のヒーローなんです。

 リシュさんとテンちゃんさんに負けたくないと思ったのでしょう? だったら戦ってください。私のヒーローは強いのだと、そこで証明してください!」

 

 弱くて、わがままで、自分勝手で、言っていることがむちゃくちゃ。無機質で無表情で淡々と目標を遂行するサイボーグのようなウマ娘はそこにいなかった。

 こんなブルボンさん、想像したこともなかった。

 

 こんなにもライスと同じだったんだ。彼女たちが繰り広げた有記念の激闘に、レース中の掛かったときみたいに頭がかっと真っ白に染まって、魂のさけびに翻弄されている。

 このままじゃ終われない。その想いだけが先行して頭の中がぐるぐるになって、何かしなきゃいけないと急かされている。まだ何も成し遂げられていない、そう思い知らされて。ライスがそうだからすごくわかる。

 みんなそうなのかな? 自分以外の何かに怯えて、追いかけられるように毎日を過ごしていたのかな?

 ライスやブルボンさんだけじゃない。みんな、つらさを覆い隠して生きているのかな? みじめで怖いのを飲み下しているのかな? 痛みと不安に溺れないようもがいているのかな?

 

「…………ブルボンさんはわがままです。自分勝手で、言っていることもめちゃくちゃで」

「っ! ……すみません」

 

「でも」

 

 『しあわせの青いバラ』になりたかった。

 でも、どうして青いバラが咲いたのか。ライスはちゃんと考えたことがあったのかな。

 お兄さまに支えられて、励ましてもらって、最後はきれいに咲いてみんなを幸せにできる。そんな在り方に憧れたけれど。

 咲いてもみんなを幸せにできる保証なんてどこにもなかったのに。つぼみのときに気持ち悪いと嫌われたんだから、咲いたらもっと気持ち悪がられて嫌われるかもしれなかったのに。

 

 それでもバラが咲いたのは、きっと期待に応えたかったから。

 

「……もう一度、がんばってみようと思います」

 

 みんなを幸せにできたのはバラにとっても幸福なことだったと思うけど。

 きっと、みんなを幸せにするために咲いたわけじゃなかった。

 ただずっと隣で花開くことを待ちわびてくれるお兄さまに応えたかったから。そのためだけに咲いたんだ。たとえそれで道行く人が気持ち悪いと顔をしかめても、そのことでまた傷つくことになったとしても。

 それでも咲くことで笑顔にできる大切な相手がいるって、バラは知っていたから咲いたんだ。

 なら、ライスだって咲けるはず……ううん、ちょっと違うかな。

 咲こうと思えた。

 ブルボンさんと、ずっと今日までライスのことを信じて待っていてくれたお兄さまのために。

 




次回も引き続きライスシャワー視点


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引き続きライスシャワー視点


 

 

U U U

 

 

 テンプレオリシュさんと戦うことを決めたライスだったけど、まずテンプレオリシュさんと同じレースを走れるかが問題だった。

 だってテンプレオリシュさんはあらゆる距離に適性を持っている。一部では『ランダムエンカウントするタイプの魔王』だなんて呼ばれるくらいに。どこにでも現れうるし、逆に言えば運が悪ければエンカウントできない。

 普通は距離適性に合わせたローテを組むものだから、誰がどのレースに出走するのかある程度の情報があればだいたい予想できるものなんだけど。テンプレオリシュさんにはそれが通用しないんだ。

 

 ライスが最も得意とするのは長距離。何ならこの国でGⅠ最長距離と名高い天皇賞(春)の3200mでもまだいける気がするくらい。たぶんもっと長くてもいけると思う。

 でも、近年のレース業界の動きって長距離は不人気ぎみというか……。マイルと中距離が世界では主流になりつつあるから。

 テンプレオリシュさんは一般家庭出身ということもあってマックイーンさんみたいな天皇賞に対するこだわりはない。世界進出を目標に据えるのなら実績を作るため、今年はマイルや中距離を中心に走っていくなんて可能性も十分ありえた。

 長距離に狙いを絞ってトレーニングするのか、それとも遭遇率を高めるために中距離路線も視野に入れてローテを組むのか。

 お兄さまとなんど顔を合わせて相談してもこれといった正解が見つからない、とても難しい問題に思えた。

 

 でも、あっさり問題は解決しちゃった。

 年が明けてすこし。当たり前のように年度代表ウマ娘に選出されたテンプレオリシュさんはカメラの前で正気とは思えないローテーションを発表して、トゥインクル・シリーズに所属するすべてのウマ娘に喧嘩を売ってみせたから。

 

「うわぁ……うわぁ……」

 

 テンプレオリシュさんが二重人格とかいろいろ聞き逃しちゃいけない情報があった気がするけど、そんなことよりも。

 ライス、見ているだけなのに胸がどきどきしちゃったよ。あと胃がきゅーっとなりそうだった。あんなことできる人っているんだ……。

 

 でもおかげでテンプレオリシュさんが天皇賞(春)に出走してくれるっていうことがわかった。ライスがいちばん得意な場所で迎え撃てる、理想的と言ってもいい環境。

 だったらあとは、ライスが間に合わせるだけだ。天皇賞(春)はフルゲートで十八人。その中に入るところから始めて、テンプレオリシュさんに勝てるようになるところまで。

 

 このごろは学園全体がざわついている。テンプレオリシュさんの宣戦布告の効果もおおきそうだけど……。

 きっと、あの有記念からずっとだ。

 あれを見て何も感じないウマ娘なんて中央にはいない。今年はみんな必死にテンプレオリシュさんと戦える枠を勝ち取りにくると思う。

 ライスはシニア級になってからの一年、何もせずに足踏みばかりしてきたようなものだから。みんなに追いつき追い越すのはとっても大変だと思うけど……ブルボンさんどうかしたの?

 

「シグナル『あきれ』を視線を媒体に発信中……。長距離レースとは劇的な成長が見込めない、技術と経験の積み重ねです。一定ラインを超えて以降は大きな進展などほぼ存在せず、ときとして後戻りして見えることさえ珍しくありません。

 精神は肉体を超越する、そんなマスターの信念に従いミッション『距離適性の拡張』に成功したこの私が保証します。ライスが菊花賞以降の目的を見失っていたのは事実ですが、その上で毎日あれだけ地道な基礎トレーニングを一日も欠かさずこなしておきながら『何もしていない』などと評価を下すのはライス本人くらいでしょう」

 

 そんないつもの無表情を崩してまで言うくらいおかしな発言だったかなあ!?

 で、でもそう言われてみれば……アオハル杯でみんなの足手まといにならないよう毎日ちゃんとトレーニングはしていた。

 〈ファースト〉の人たちと今では少しだけ仲良しだし、あのときはテンプレオリシュさんが助けてくれたおかげで大事にはならなかったけど。

 それでもやっぱり、もう二度とあんな思いはしたくなかったから。

 だから、思ったより何もしていないわけじゃなかったのかも。

 ううん、ブルボンさんがああ言ってくれたんだ。ライスも信じないと。ライス自身のことは信じきれないけど、ライスを信じてくれたブルボンさんとお兄さまのことをないがしろにしちゃいけないから。ライスは二人の信じるライスを信じる。

 

 いちおうね、勝算がないわけじゃないんだよ?

 やみくもに憧れを追いかけているわけじゃない。当たり前のことすぎてみんな言わないだけで。

 テンプレオリシュさんが発表した年間出走計画。あのローテーションには無理がある。ううん、『できるわけない』って否定したいわけじゃなくてね。

 

 たとえば長距離レースでは減量することがある。パワーが同じなら軽い方が速いから。マックイーンさんとかはそれで頻繁に泣いている。スイーツが大好きなのに体重に出やすい本人も、体重管理をしなきゃいけないその担当トレーナーさんも。すごく可哀想だと思う。

 レースに向けて身体を絞るのは別に長距離に限ったことじゃないけど、瞬発力がひときわ強く求められる短距離とかだとパワー重視でがっしりした体つきの人が多かったりするから。どちらかと言えばすらりとしている人はステイヤーに多いイメージ。

 そんな中、テンプレオリシュさんは限界まで削ることができない。理想の値まで研ぎ澄ますことができない。

 だって四月の天皇賞(春)に出走して、五月をまるまる休養に充てられたとしても、六月に安田記念と宝塚記念。

 長距離向けに仕上げた身体からたったの二週間でレースのダメージを抜いてフラットな状態に戻して、残りの二週間でマイル特化に仕上げるのはいくらなんでも無理がある。その後に中二週で中距離GⅠが控えているとなればなおさら。そんなのが一年間ずっと続くんだ。

 

 テンプレオリシュさんがどれだけ常識外れの耐久性と回復力を備えていたとしても、走りの上手さで距離の壁をある程度ごまかせたとしても。

 あのローテで走るのなら、確保しなきゃいけない安全マージンが存在する。特定の距離に専念するウマ娘なら必要としない、身体を距離に合わせて大きく作り替えるときに限界を超えないよう確保しておかなきゃいけない余白。

 桐生院トレーナーさんは自身の成果よりも担当ウマ娘を思いやる人だから、その最低限の安全マージンに上乗せしてもう一回り大きめに余裕を持たせるはずだってお兄さまは分析していた。

 そこが狙い目。弱点なんて無いんじゃないかと錯覚しそうになるテンプレオリシュさんの明確な隙。限られた距離を走ることしかできないライスたちだからこそ狙えるチャンス。

 もっとも、テンプレオリシュ陣営がその隙を理解していないはずがない。

 理解した上で決めたんだ。この時代のウマ娘を見渡して、理想値まで研ぎ澄ますことができない安全マージンありきの研鑽でも自分たちなら勝てると見込んだから決行した。

 負ければ慢心だって各方面から非難されるかもしれない。でも、勝てば絶対強者の余裕。不満を言うことはできても文句のつけようがない。

 どちらになるかは結果次第。勝った者が正義だ。

 

 ライスが勝ったらきっとテンプレオリシュさんたちはひどいことになる。

 もっと距離を定めてしっかり調整していれば勝てたんじゃないかって、痛い言葉をたくさん投げかけられることになると思う。ライスがそれで足を止めてしまったみたいに、テンプレオリシュさんも走るのが嫌になっちゃうかもしれない。

 それでも勝ちたいんだ。

 

 目標がさだまって、スタート地点にもなんとか立てた。

 あとはその間を詰めていくだけ……なんだけど。

 その彼我の距離があまりにも遠い。

 才能ではあきらかにテンプレオリシュさんに負けている。ライスには全距離走ることなんてできないし、脚質を状況に合わせて使い分けるような器用さもない。

 いちおう、長距離の適性だけならたぶん、ライスの方が上だと思う。テンプレオリシュさんは走るのが上手だから長距離までこなせるってだけで、別に長い距離に特化した身体つきをしているわけじゃないから。

 でもそれだけで埋められるような差じゃなかった。

 GⅠの舞台に立てるかな、というところまで仕上がってもぜんぜん足りない。普通の『厳しいトレーニング』程度じゃ追いつけない。お兄さまの組んでくれたメニューを順調にこなすかたわら、二月後半に開催されたフェブラリーステークスのテンプレオリシュさんを見てそう確信させられる。

 

『まさに別次元の走り。シニア級となった“銀の魔王”、その新章開幕にふさわしい一戦となりました。今日また幻想が歴史に一(ページ)変わります』

 

 シニア級に入って新しい勝負服に身を包んだテンプレオリシュさんはそれほど圧倒的だったんだ。

 どうすればいいんだろう。普通じゃないことをしないとこの差は埋められない。

 精神は肉体を超越する。それは間違いじゃないと思う。少なくともライスは自分自身でそう思える経験をしたことがある。菊花賞での勝利はただ単に生来の長距離適性の差でもぎ取ったものじゃない。

 じゃあ、とにかく山籠もりでもしてぎりぎりまで追い込めば勝てるようになるかな? あのテンプレオリシュさんに。

 ……ううん、それでもまだ足りないと思う。意味がないとは思わないし、他に手が無い以上はそれを選ばざるを得ないけど。

 

 だって、ライスは有記念のスカーレットちゃんを見ている。

 

 あの子がどれだけ真摯に長い長い時間をかけてテンプレオリシュさんを追い続けていたのか、同じチームで先輩だったライスは知っている。

 精神力だけで現実を凌駕できるのなら有記念の一着はスカーレットちゃんだった。

 さすがにライスの今の熱意が、あの子の長年の執念より勝っているなんて思うことはできない。

 ……ただ、身体の頑丈さならライスの方が上だと思う。スカーレットちゃんなら踏み込めない部分まで、ライスは研ぎ澄ますことができると思う。

 でもそれだけで結果が覆せると思えるほどのものでもなかった。それでもとにかく、キャンプのセットだけは準備しておいて――

 

「山籠もりですか? 我々もサポートとして同行しましょう」

「ブルボンさん……!?」

 

 そこで現れたのはまたもやブルボンさんだった。

 

「マスターはスパルタ式トレーニングに一家言あります。一度私が壊れた後、徹底的に再発防止に努めているので安全性もこの私が保証しますよ? ……後半はイッツ・ア・サイボーグ・ジョークです」

「笑えんぞ、その冗談は」

 

 ……たぶんライスの顏は思いっきり引き攣っていたと思う。ブルボンさんが『マスター』と呼ぶブルボンさんのトレーナーさんのツッコミに心底同意だった。

 ちなみにマスターさんは中央に数いるトレーナーの中でも有名人だ。もちろん無敗でクラシック二冠を成し遂げたウマ娘の担当トレーナーって功績由来のところもあるけど。

 『精神は肉体を超越する』って信念の持ち主で、すごく厳しいハードトレーニングを担当に課すトレーナーさん。ブルボンさんは忠実にそれらをこなしていったけど、そうじゃない普通のウマ娘はついていけないと逃げ出しちゃう子も多かったみたい。悪いうわさってよく広がっちゃうからいろいろと有名だった。

 

 あと格好もすごいの。

 どんな暗いときもサングラスを外さなくて、筋骨隆々の上半身はどんな寒い日だって白いジャージ一枚。しかも常に前を全開にしているからたくましい腹筋が丸出しになっている。

 ……正直、女子校同然のトレセン学園に勤務する指導者の姿じゃないと思うよ。ううん、もしかしたら一周回って中央トレセン学園のトレーナーらしい姿なのかもしれないけれど。一見するとちょっとカタギとは思えない。

 

――トピックを開示。マスターの昔のニックネームは“四代目”だったそうです。ちなみにその際『俺はカタギだ』と念押しされました。

 

 そのことをうっかりブルボンさんの前でこぼしちゃったときは、そうブルボンさんに教えてもらえた。

 …………本当にふつうの人は自分のことをわざわざカタギだと念押ししないような。ううん、ライスの勝手な妄想でブルボンさんのトレーナーさんを貶めるのはだめなことだ。これ以上このことを考えるのはよそう。

 ちなみにああ見えてとてもノリがよくて、一緒にカラオケに行ったときはものすごく熱烈に合いの手を入れてくれるんだって。

 『マスターのタンバリン捌きは一見の価値ありですよ。今度、一緒にいきますか?』と誘ってもらえたけどつつしんでお断りさせていただいた。

 『そうですか』とブルボンさんは表情こそ変えなかったけれど、耳と尻尾がへにゃりとなったのが少しつらかった。

 

 ちょっとどぎついジョークの衝撃で思考が明後日の方向をさまよっていたけど、ともかく。

 ブルボンさんの申し出は本当にありがたいものだった。

 もちろんウマ娘だけで判断できることじゃないから、お兄さまとマスターさんで相談して詰めるところは詰めていかなきゃだったけれど。

 お兄さまは優しいから、ウマ娘にスパルタトレーニングを実践した経験なんて無い。トレーナーである以上その知識が全くないってことはないんだろうけど、最悪ライスが独りで山籠もりした方がいいかもってところまで覚悟していた。心身を限界まで研ぎ澄ますにはお兄さまへの甘えをライスは断ち切らなきゃいけないと考えていたから。

 

「アキュートさんのところから資料もらってきた! 芝とダートの差こそあるがレースのたびに減量で研ぎ澄ます十年分のノウハウはとても参考になるからね。やったぞライス、アキュートさん本人も付きっ切りとはいかんが協力してくれるってさ!」

 

 そんなの独りよがりだった。

 お兄さまはワンダーアキュートさんのトレーナーと交渉して、それを元にライスが山籠もりで使えるメニューを作成してくれた。

 アオハル杯繋がりではチーム〈キャロッツ〉のみんなも協力してくれた。とくにゴルシTさんからは何度も意見を交換して、ライスのほんとうに限界ギリギリのラインを見極めたんだって。

 これならいけるかもしれない。極限まで研ぎ澄ますことができれば、あるいは。でも素直に喜んでばかりもいられなかった。

 

「うう……ライス、こんなにたくさんの人によくしてもらっても、何か返せるものなんて持ってないよ……」

 

 助けてもらって嬉しい。でも心配になる。

 だってライスが返せるものを持っていないのなら、代わりに払うのはきっとお兄さまだ。

 でもお兄さまは笑いながら首を横に振った。

 

「何の取引も無かったと言えばウソになる。でもねライス、大半はきみの功績なんだよ?」

「え?」

 

 テンプレオリシュさんの宣戦布告はライスが思っていたよりずっとずっと広範囲に波紋を広げていたみたい。

 このままテンプレオリシュが計画通りに無敗のまま『最初の三年間』を駆け抜けたら、きっと彼女のトゥインクル・シリーズはそこでおしまいになる。それはあまりに惜しい。

 そう考えた人たちがいた。

 

 無敗の大記録も間違いなく偉業ではあるが、それ以上にもっとトゥインクル・シリーズの中で活躍する彼女を見ていたい。

 そう考えた人たちがいて、その人たちは次にこう考えた。

 

 だから誰か強いウマ娘があの連勝を終わらせてくれないものだろうか。テンプレオリシュをもっと見ていたいから、彼女を負かすようなウマ娘を応援しよう。

 だけどテンプレオリシュが最強のウマ娘であることは事実。よほど優れた資質の持ち主が万全の態勢で挑んでようやく可能性があるかといったところ。

 どこかにテンプレオリシュに勝てそうなウマ娘はいないものか。それはたとえばマヤノトップガンで、あるいはダイワスカーレットで。そしてたとえば――ライスシャワーとか。

 

「あのライスシャワーが可能な限りの研鑽を積んで、GⅠ最長距離の天皇賞(春)でテンプレオリシュに挑む。そのこと自体に価値を見出す人は多いってことさ」

 

 みんながみんなそっくりそのままそう考えたってわけじゃないはず。トレセン学園関係者ならライスが挑むことで何らかのメリットがある人が大半のはず。テンプレオリシュさんが負けるわけないと信じていて、自分たちがいつか勝つその日のためにある程度消耗させつつデータをたくさん取ってほしいと思っている人も多いと思う。

 たとえばアキュートさん陣営は新しく担当する子の予習の一環だって明言してた。アキュートさんのトレーナーさんが言うにはその子の素質はテンプレオリシュ級で、すなわちその子もいずれ周囲から包囲網を布かれる運命にある。だから今のうちに外部から徹底包囲網に協力することでその効果と欠点や脆弱性、テンプレオリシュ陣営が取るであろう対策を参考にさせてもらいたいんだって。

 さすがにテンプレオリシュさんみたいな子が何人もいるわけないと思うけど……。

 

「それでもね、似たような子はこれまでにだっていたのよ。この人にだけは勝てないんじゃないかと膝を屈めたくなる時代の寵児。あたしの場合は赤鬼さんかねぇ。覚醒した後のあの人はほんとうに負け知らずでねえ」

 

 そう語ってくれたのは件のアキュートさん。

 お兄さまが話していた通り、ときどき山籠もりに顔を出してはライスのトレーニングを手伝ってくれたり、その経験豊かな体験談を聞かせてくれたりした。

 十年の現役経験を持つこの人に言われたら、納得するしかないよね。

 

「勝ち続けで負けが無いっていうのはどういう感じなのかねぇ。勝った時の嬉しさとか、負けたときの煮えくり返るような悔しさやトレーナーさんへの申し訳なさはよく知っとるのやけどねえ。

 自分より弱い相手としか戦えないっていうのはもしかしたら寂しいことなのかもしれんと、あたしは思うんよ。だから一回くらいは勝ってあげたかったんじゃけどねえ……」

 

 アキュートさんはその赤鬼さんに結局一度も勝てなかったんだって。

 無敗のブルボンさんに勝ったけどみんなをがっかりさせたライスと、どっちが幸せだったんだろう。

 

「惜しい線まではいったんじゃけどねえ。結局ぎりぎり届かんかったのよ。だから、せめてあたしの後に続く子たちには想いを遂げてほしくて、あたしはこうやって助太刀しとるんかもしれんねぇ」

 

 アキュートさんじゃなくても、多かれ少なかれ似たようなことは誰もが感じていたのかもしれない。

 このままじゃいけない。このまま最強の彼女の思い通りにさせていいはずがないって。

 だから各々の思惑はどうあれ、大きな流れとして『打倒テンプレオリシュ』というものがあったのは感じられた。

 

 ライスのこれまでが、トレセン学園に入学してから出会ってきた人たちが、トゥインクル・シリーズで走った三年間の中で手に入れてきたものが今のライスを支えてくれる。

 何もできていないと思っていた。みんなを不幸にしてばかりだと思っていた。応援してくれる数少ない人たちをがっかりさせてばかりだと思っていた。

 でも違った。いつかライスが菊花賞で見せた走りを今でもちゃんとおぼえていてくれた人がいた。

 いつのまに、こんなにたくさんのあたたかいもので満たされていたんだろう。

 

「……うん、応えたいな」

 

 自然とそう思えた。

 

 

 

 

 

 三月後半の阪神大賞典ではマヤノちゃんに狙いを定めて、二バ身半離されての二着。

 でも納得のいく内容だった。天皇賞(春)は一月後。この調子なら当日に限界ぎりぎりまで絞り込んだベストコンディションで挑めると確信できる。

 

「んー、ほほー」

 

 ゴール板を通り過ぎた後、マヤノちゃんはライスのことをまじまじと見て何か納得しているみたいだった。

 察しのいい子だから今のライスから何かに気づいたみたい。

 今のライスの目標はテンプレオリシュさんただ一人。……あれ? 二重人格だからふたりなのかな? と、とにかくテンプレオリシュさんのことしか見ていないから。

 ライスはマヤノちゃんで『長距離で有力なウマ娘を徹底マークする戦法』を試した。そのことをマヤノちゃんは察したのかもしれない。

 失礼なことだったかもしれない。でも選べるほどの手札をライスは持っていないから。きたるべき天皇賞(春)に向けて打てる手はぜんぶ打つ必要があった。

 同時期に開催された大阪杯で見せたテンプレオリシュさんの一バ身差の圧勝にも心はもう揺らがなかった。

 納得と、今なら届きうるという予感だけがあった。

 

 研ぎ澄まされていく。

 削ぎ落とされていく。

 

 もういくつ練習用のシューズを履き潰したかわからない。

 あたたかいもの。大切なもの。大事だったもの。これまで積み重ねてきたあれこれ。捨ててしまうわけじゃない。けど切り離されてどこかにしまわれていく。

 体重がすり減るごとにそれを燃料に魂が燃え上がるみたい。青く、青く。身体の中だけでは収まりきらなくて、目や口からこぼれだしそうなくらい。

 

 ウマ娘という存在の枠さえ今ならはみ出せそうな気さえする。

 あるいはテンプレオリシュさんの見ている世界はこういうものなのかもしれない。

 

「ラ、ライス……?」

 

 不安げなお兄さまに微笑む。

 ねえお兄さま、ライスの勝負服はおなかが隠れるデザインでよかったね。

 肋骨が浮き上がった身体なんて、ファンのみなさまにお見せできないもの。

 

 

 

 

 

 そしてついにその日が来る。

 

 前日から小雨が降り続けて、当日にもなってもまだ止んでいなかった。

 だからバ場状態は重の発表。淀の3200mでこれはきついかな。もうカレンダーの上ではすっかり春だけど、今日は少し肌寒く感じそう。レース前に身体が冷えてしまわないように注意しないと。

 頭の中のほんの一部分で他人事のように思考が回っている。

 空模様を見て、ここまでくる道中に見た人たちの服装を見て、今日は寒そうだと頭では理解している。でも、寒さも何も感じない。

 身体の不調とかじゃなくて、集中力の配分の問題。今のライスには余分なことに意識を向けるだけの余裕がない。

 内側から込み上げる奔流を抑え込むのでせいいっぱい。今にもはじけ飛んでしまいそうだ。

 

「……は、なるほど。今になってテンの言っていたことが理解できた」

 

 地下バ道でココンさんとすれ違った。

 ううん、すれ違うって表現は少しおかしいのかな。同じレースに出走する者同士だもん。ココンさんが立ち止まって集中力を高めていたところに、ライスが追い付いたかたち。

 

「あの時とはまるで別人じゃ――」

 

 でも、やっぱりすれ違うで合っていると思う。

 一瞥すらせずライスはその前を通り過ぎたから。

 今日の目標は一人だけ。ふたりでひとつの“銀の魔王”。

 それ以外に割くリソースなんて無い。その態度がどれだけ失礼で、された相手の心を傷つけてしまうものだったとしても。

 まっとうな人間のまま今日ここに立ったつもりなんて、もうライスには無いよ?

 

「――へぇ? ああ、そりゃそうだ。今日アタシたちはおしゃべりじゃなくてレースしに来てるんだもん。道理だね……チッ、シカトできない結果を見せてやるよ」

 

 何か言ってる。怒らせちゃったかな。

 ぜんぶレース後に聞くね。そのときライスがまだお話できる状態だったら、だけど。

 

 

 

 

 

 重圧で空気が薄っぺらく圧し潰されて、透明で見えないそれが何層にも折り重なっているみたい。

 

 テンプレオリシュさんを見たときの感想。

 芝の上に出てゲート入りする時点でみんな雨に打たれて濡れ始めているはずなのに、彼女ひとりだけちっとも汚れていないように見えた。

 圧倒的なプレッシャーゆえの錯覚。でもそんな物理法則に縛られない在り方が、もしかしたら真実なんじゃないかと思わせてくるものが勝負服を身にまとったテンプレオリシュさんにはある。

 

 ちらりと視界に入れただけでライスは自分がゲートに入る順番が来るのを待つ。

 あのひとに集中するのは今じゃない。あともう少しだけ先。

 ファンファーレが鳴る。

 

『唯一無二、一帖の盾をかけた熱き戦い。最長距離GⅠ天皇賞(春)!』

『あいにくの雨が芝を濡らします本日の京都レース場。バ場状態の発表は重となりました。この国のGⅠにて最長距離を誇るレースで悪天候がどのような波乱をもたらすのか?』

 

『三番人気はこの子、サクラバクシンオー。二枠四番での出走です』

『スプリントの絶対王者がまさかの最長距離GⅠへ殴り込み! 前走の日経賞では見事2500mを逃げ切り勝利しています。これがただの記念出走とはもはや誰も思っていません』

 

 バクシンオーさんはすごいな。ほんとうに実現しちゃうなんて。

 むかしからそうだった。周囲がどれだけ反対しても絶対に自分を信じて揺るがないで、最後には本当に叶えてしまう。

 ライスとは大違い。人間として根っこのところで敵わないなって思っちゃう。

 でも今日は3200mの重バ場なんだ。ここではライスが勝つよ。

 

『二番人気はマヤノトップガン。七枠十四番での出走です』

『先日は阪神大賞典を危うげなく制しさらなる実力を証明しましたマヤノトップガン。奇しくも本日は京都レース場にGⅠ長距離、重バ場と菊花賞を彷彿とさせる条件が揃っています。クラシックのリベンジとなるのか』

 

 マヤノちゃんとは阪神大賞典でやり合ったけど、今はもう、何も思わない。

 ライスはあのとき手札をすべて晒したわけじゃない。それはマヤノちゃんだって同じはず。

 強敵であることは間違いない。けれど、お互いに本命は別にいて。

 その本命が同じウマ娘だってこともお互いにわかっている。そういう関係だ。

 

『そして本日の主役はこのウマ娘をおいて他にいない! ここまで無敗ッ! 一枠一番テンプレオリシュ、堂々の一番人気です!』

『前走の大阪杯でも見事に勝利し、GⅠ連勝数がついに十連勝と二桁の大台に乗りましたテンプレオリシュ。無事に十一連勝目も勝ち星を刻むことができるのか、それともついに不敗神話を終わらせる刺客が出てくるのか、注目の一戦です』

 

 悪天候の長距離で最内枠。テンプレオリシュさんくらいの注目度があるのなら、下手すればスタート直後から周囲に囲まれてガッチリ最後までマークされてしまう。条件を考えればあまり恵まれた枠番ではなかったかもしれない。

 でもみんな知っている。その程度の運で左右されるような相手じゃないって。それでもみんな蓋をするように動くだろう。そうすればただでさえ長距離で必要なスタミナを少しでも消耗させることができるから。

 ひとつひとつは無駄で無益に見えることでも、重ねていけばいつかは届くかも。そう信じてがんばるしかないんだ。

 

『各ウマ娘ゲートに入って態勢ととのいました』

 

 ゲートが開く直前。観客席におおぜいの人がいるはずなのにしんと静まる一瞬。

 レースに集中できていないときは、あの静寂に責め立てられるようで吐き気すらおぼえていた。

 今はよくわからない。もとから静かなのか、静かになったのか。

 でもゲートが開いた瞬間だけはとてもクリアに感じた。

 

『今いっせいにスタートを切りました! 絶好のスタートを決めたのは四番サクラバクシンオー』

『先陣を切るのはやはりこのウマ娘、長距離も悪天候もなんのその。迷いのない走りは見ていて爽快ですね』

 

「ハーッハッハッハ! バクシンバクシンバックシーン!!」

 

 やっぱり。

 お兄さまと一緒に予想した通り、このレースではバクシンオーさんが先頭に立った。

 不慣れな長距離で重バ場という不安要素。特にバクシンオーさんはその走法が滑る足場と噛み合っていないはず。これで逃げを選ぶのは常識的に考えたら無謀だ。賢い選択とはとてもじゃないけど言えない。

 でもバクシンオーさんは賢い選択を選ぶんじゃない。賢明な判断を尊ぶ人じゃない。自分が正しいと思うことを選ぶんだ。

 学級委員長としてあらゆるウマ娘の模範であろうとするあの人は絶対に先頭を走ると思っていた。自分の後ろに続くウマ娘たちのために。

 それがバクシンオーさんの信じる学級委員長として正しい在り方だから。

 距離適性の違いから同じレースを走る機会はあんまり無かったけど。ちゃんと知ってるよ。すごい人だって見てたよ。同じ世代を走るウマ娘だもの。

 

『ぐいぐいと後続を突き放して先頭は四番サクラバクシンオー。そこから三バ身から四バ身ひらいて七番アイゼンテンツァー、外を回ります一番テンプレオリシュ、内に九番ライスシャワー、少し離れて十一番イマジンサクセス。ここまでで先行集団を形成』

『四番サクラバクシンオー気持ちよく逃げていますね。間延びした展開になりそうです』

 

 京都レース場に存在する通称『淀の坂』。第三コーナーに小高い丘が設けられているとでもいうべき特徴的な構造で、この高低差4.3mの坂をどう攻略するかが京都レース場における勝負の重要な分岐点。

 天皇賞(春)はバックストレッチからスタートするから、スタート直後から100m走る間に約2.1mの急坂を上らないといけない。坂の頂上はちょうど第三コーナーあたりにあって、そこまで緩やかに280mかけてさらに約1.8m上る必要がある。

 そこから第四コーナーまで3.5mを下って、第四コーナーを回って直線に入るまでが0.8mの下り勾配。

 昔はゆっくり上ってゆっくり下るのが鉄則とされていたけど、ミスターシービーさんやゴールドシップさんあたりが派手に活躍したから。最近は下り坂で慣性をつけて平坦な直線に向く戦法が実は有効なんじゃないかって研究が進められている。

 でも3000m級のレースにおいて、一周目はいかにスタミナを温存するかが重要って点は変わっていない。

 まだ元気な一周目だと、自然と勢いがついちゃう下り坂からスタミナに余裕がある状態でホームストレッチに入るでしょ? そこでスタンドから大歓声を浴びてしまうと、つい速度を出してしまいがちなんだ。

 でもね。ウマ娘は応援をパワーに変えることができるけど、パワーを生み出すには応援だけじゃなくてスタミナも必要なんだよ? だから自分を抑えることが大切なの。

 

 そんな定石も鉄則も知ったことじゃないと、絡まる雨も芝もウマ娘もまとめて振りほどくみたいに軽やかに。

 テンプレオリシュさんは包囲網が完成する前にひらりと内側から抜け出して、気づけば外目の周囲が把握しやすいポジションにするりと位置取っていた。

 動きそのものは目で追い難いほどに鮮やかだったけど。

 その位置につけたこと自体は、これもまた予想通り。

 これまでのレースの中で強敵がいるときは、教本通り差しの位置取りから堅実な作戦を取ることが多かったテンプレオリシュさん。だけど、今回は先行か逃げを選ぶと思っていた。

 

『二バ身離れて十七番サーキットブレーカ、少し離れて八番ムシャムシャ、その外に十二番リトルココン、内に十四番マヤノトップガンここにいた』

『十四番マヤノトップガン、今日は差しを選びました。変幻自在な彼女の走りが今日はどんなドラマを生み出してくれるのでしょうか』

 

 バクシンオーさんは速い、ものすごく、すっごく速い。

 短距離の絶対覇者として君臨していたのは伊達じゃない。去年のスプリンターズSだって最内枠のリードをテンプレオリシュさんが最後まで守り通した展開であって、スピードで凌駕されたわけじゃない。

 もしも終盤にあの速度を出されたら差しより後ろの位置からだと捉えきれない。

 もちろん常識的に考えてこの重バ場で先頭を逃げ続けたバクシンオーさんが上がり最速の末脚まで残せるなんて、ありえないけど。

 バクシンオーさんが常識と正面衝突してそれを打ち砕くところを、これまでライスは何度も見てきた。バクシンオーさんが常識にぶつかって砕けるところはもっとたくさん見てきた。

 後者だったらいい。何の問題も無い。でも前者だったら? 純粋なスピードの脅威。バクシンオーさんは大逃げと同じように、終盤に入った時点で絶対に追いつけない状況を作り得るんだ。

 

 そのリスクをテンプレオリシュさんは見逃さない。

 賭けに出なくても勝てるだけの下地があるから無駄に賭けない。先行策を選ぶことによって末脚がすり減ることも、位置取りの結果として距離のロスが生じることも、全部呑み込んだ上で万全に勝利を目指す。それでも自分が勝てると判断する。

 戦績が戦績だけに、あとマスコミ向けの言動とかの影響もあって、常識外れのド派手なイメージが世間では先行しているけど。

 普通のウマ娘なら偶に陥る打つ手なしの無策や自暴自棄や強硬策とかが無いぶん、正確な情報さえ出揃ってしまえばむしろテンプレオリシュさんの行動は読みやすい。

 もっともこれはライスとお兄さまだけで至った結論じゃなくて、チーム〈キャロッツ〉を始めとしたみんなにサポートしてもらって到達できた答えなんだけどね。

 

『少し後ろから十五番マチカネフクキタル。二バ身離れて二番ミニベロニカ、最後方からのレースとなります』

『二番ミニベロニカ、彼女の脚質にはあっていますよ。冷静にペースを保っています』

 

 そして前目につけてくれるのなら、ライスがこれまで培ってきた徹底マークの技術が十全に活かせる。

 このレース中はもうあの人を内に入れるつもりはない。ラチから五メートル離れて外側を回れば一周で数十メートルを余分に走る必要が出てくる。レースの距離が長くなればなるほど、足場が悪ければ悪いほど、この差は大きく響く。

 テンプレオリシュさんが許容範囲だと切り捨てた些細な不利を集めて、重ねて。

 最後に届かせるんだ。この刃を。

 

『第四コーナーを抜けて一周目の直線へ。雨天にも負けないスタンドの大歓声が駆け抜けるウマ娘を迎えます。先頭は依然として四番サクラバクシンオー。十一番イマジンサクセス落ち着かない様子で上がっていく』

『全体的にペースが速いですね。重バ場とは思えないハイペースです。後ろの子たちが差し返せるのか気になる開きが出てきました』

 

 雨が降り注ぐ中、きらきらと銀色に光るあの背中を追い続ける。

 不思議な気分だった。

 とても静かなんだ。

 頭はずっとくるくる回転してこれまで積み重ねてきたものを反芻しているし、魂は青く燃え盛っている。なのに心が切り分けられたみたいに凪いでいる。

 まるで夢を見ているよう。真っ白な霧の中を泳いでいるみたい。身体は熱くて苦しいはずなのに、それがどこか遠くの誰かのもののように感じる。

 

 追い続ける背中を通していつかのライスが見える。

 菊花賞に勝ちたくて必死にトレーニングをしていたライス。菊花賞に、ブルボンさんに勝ったのにため息と失望の視線しか得られなかったライス。

 また勝ちたいと魂が叫んで、もういちど積み上げた今日までのライスの走りが走馬灯のように渦巻いて見える。

 嗚呼、まちがいない。

 今この瞬間の私が最強だ。

 ふいにそう確信できた。

 

『第二コーナーを抜け二周目の向こう正面。各ウマ娘の動きが激しくなってきました。四番サクラバクシンオー、まだリードをキープしています! 四、五バ身離れて二番手は十一番イマジンサクセス。そのすぐ後ろ七番アイゼンテンツァー、その外に一番テンプレオリシュ、一バ身離れて九番ライスシャワー』

『一番人気のテンプレオリシュは現在四番手。はたして期待に応えることができるのか。それともサクラバクシンオーがこのままいってしまうか!?』

 

 ずっとこのまま走り続けられるような気がした。

 でもそんなわけ無いよね。

 レースが動く。誰かが仕掛ける。このレースは春の天皇賞。ならもうここは既に勝負所だ。

 

「今日はいい天気だね」

 

 声が聞こえる。

 身体じゃなくて魂が、触れ合って震えて伝わってくる自分以外の心の声。

 目の前の現実を塗り潰して具現する誰かのセカイ。

 

「天賦の速度を持つ時代の寵児どもと、アタシみたいなウマ娘が真正面からやり合える、実にステキな日だ」

 

 領域具現――深海廻廊

 

 どぼんと大きなものが水面に落ちた音が耳に響いたかと思ったら、水底までいっきに引きずり込まれた。

 




次回、春天決着


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ライスシャワー視点です


 

 

U U U

 

 

 お日様の光すらさえぎるほど深く分厚い海水がぎゅうぎゅうと身体を圧迫する。くらくて、つめたくて、さみしい景色。

 ただでさえ雨に濡れて消耗していた身体に幻想の深海が重なって、心身から熱を根こそぎ奪おうとしてくる。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 そんな真っ暗な世界の中で、巨大な獣の咆哮じみた轟音と青い光が瞬いた。

 暗闇の中でくっきり浮かび上がる異様な『黒』が一閃される。

 通過した線に沿ってぱっくりと海が割れた。

 

 見たことがある。知っている。

 これはココンさんとテンプレオリシュさんの“領域”だ。深海のイメージの持ち主がココンさんで、黒い剣の方がテンプレオリシュさん。

 あのときは二人のレースを観客席から見ていることしかできなかった。今ようやくライスは同じ場所に立つことができたんだ。

 

 深海の世界はひとまわり縮んで少し圧迫感が弱くなったけど、さっきよりも重圧は増え続けている。

 まるでちいさいころの思い出、好奇心で度の入った眼鏡をかけちゃった時みたいに。海の底が二重にブレて、そのどちらもがちゃんと幻想の質量をともなってライスたちを圧し潰そうとしてくる。

 そっか、自分の身体で受けたらこんな感じだったんだね。

 

「はっ! いつまでもあのときと同じままと思うなよ!」

「思ってないよ。だからもう一枚()()()

 

 また轟音。暗い深海にドレスの裾が艶やかに揺れて、今度は赤い光が瞬く。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【深海廻廊】

 

 世界が二重から三重になった。

 うう、こんなにぎゅうぎゅう押し込められたらライス、カッチカチのおにぎりになっちゃうよぉ……。

 

 ごぼごぼと周囲で溺れていく気配がする。口から漏れ出た泡がいくつも海の底を漂って、まるでクラゲさんの行進みたい。

 ライスはこのくらいなら耐えられるけど。これから二度目の坂越えなのにスタミナがどんどん奪われていっちゃう。三重の水圧に適応できてもそれは同じ。

 だからといって今のライスに何かできることもない。ただしんしんと静かに降り注ぐマリンスノーの中、暗さと冷たさに潰されてしまわないよう走り続けるしかないんだ。

 

 あれ? まって、何かがおかしい。

 どうしてマリンスノーが見えるんだろう。この深海に照らしてくれる光源なんてないのに。

 ちがう。あれはマリンスノーじゃなくて――桜だ。

 

 領域具現――優等生×バクシン=大勝利ッ

 

驀進(バックシィイン)!!」

 

 そう気づいた瞬間、先頭から流れてきた鮮やかな春風が何もかも吹き飛ばした。

 ほんとうに全部。桜色の空間が深海を消し飛ばしちゃった。ふっと身体が軽くなって、ほんの少しバランスを崩しそうになる。

 

《うわぁ……【深海廻廊】は周囲の空間に干渉するタイプだから、彼我の力量次第では自身の【領域】でその干渉ごと弾き飛ばせるって理屈はわかるが……三枚重ねを一発で破るかぁ》

 

 ただ走るという一点を突き詰めた桜色の景色が広がる。

 これがバクシンオーさんの世界。自分を信じる者のみが出せる圧倒的な強さがひしひしと伝わってくる。

 “領域”に後押しされるまま速度を上げて、迷いなく坂を駆け上がっていく。まるでそのまま雲を貫いて天に昇って行ってしまいそうな眩しさを感じた。

 

『残り千メートルを通過。先頭は依然として四番サクラバクシンオー三バ身のリード。じりじりと七番アイゼンテンツァー距離を詰める、十一番イマジンサクセスここでいっぱいか? 中団では十二番リトルココンが動いた。十五番マチカネフクキタルも後方から上がっていくぞ!』

『十五番マチカネフクキタル、彼女には鋭い差し脚がありますからね。勝負の行方はまだわかりませんよ。しかし重たい芝の中でどこまで切れ味を維持できるでしょうか』

 

「くそう、くそう、ちくしょう……!」

 

 ずるずると終盤に参戦することさえできずに垂れていくウマ娘を一人かわして、また一つ前に近づく。

 後ろからも、いくつも気配が燃え上がっている。自分が勝つんだって、鋭い意志が背中に突き刺さって、痛みでびくんと身体が跳ねそうになる。

 いつもならそうだった。前目につけていると自分の脚を残すのと同じくらい、その痛みとの付き合い方が大切。後続からのプレッシャーに負けちゃうから先行策がどうしても取れないって子もいるくらい。

 でも今は、やっぱり静かだ。気にしないんじゃなくて、気にならない。

 こんなにも目まぐるしく世界が色とりどりに塗り替えられているのに。どんな色にも染まらない透明な自分がライスの中心にいる。

 

 水しぶきのように散った深海のなごり、その中からテンプレオリシュさんの声が不思議な反響の仕方をして聞こえる。

 

《あいかわらずサクラバクシンオーはサクラバクシンオーやってんなぁ。これはこっちも覚悟決めて“銀の魔王”するしかないね》

 

 ざわりと空間がふるえた。

 現実の雨も曇りの空も、幻想の桜色も春風も、すべてが揺らぎ始める。

 

《新しい勝負服は馴染んだかい? 信念も我儘も詰め込めるだけ詰め込んだかい? そうかい、それはよかった。だったらお披露目と行こうか。おニューの勝負服には新しい【領域】がセットでついてくるもんだ》

 

 ざわざわが広がっていく。振動はもはや音を放ち、まるで巨大な獣が唸り声を上げているようだ。

 さっきの深海とは似て非なる感覚。ココンさんの“領域”はいっきに奥まで引き込んだ後に四方八方からぎゅうぎゅうに圧迫してくるイメージだったけど。

 これは濃度だけがどんどん高まっていく感じ。スクリーンの調整で濃淡の調整バーを濃くなる方向に動かしているときみたい。

 何かが明確になろうとしている。そう感じた。

 

《新しい“願い”の方向性は定まったかな? マスコミを通じて無作為にばら撒いたイメージは固まったかな? よしよし、ではもう一度この世界を切り開こう。ぼくらがどのような存在であるのか証明しよう》

 

 唸り声を聞いているうちに、何故だかふと唐突に、ルームメイトのゼンノロブロイさんとの会話を思い出した。

 ロブロイさんは本が好きで、すごく博学な人。ルームメイトになったばかりのころはお互いにあまりお話する方じゃないから距離感を測りかねていたっけ。ロブロイさんが読んでいた本を見て『ライスもその本好きだよ』って伝えるのに何週間もかけちゃっていたりした。懐かしいな。

 今では本だけじゃなくて、レースだったり雑学めいたことだったり、いろんな内容でお話している。思い出したのはその一つ、神話に出てくるオオカミさんのお話。

 

――昨今では強力な狼系モンスターの種族名として扱われることも多いものですが、本来は固有の怪物を示す言葉だったんですよ? ロキがアングルボザとの間にもうけた三兄弟の長子につけられた名前なんです

 

 曰く、神々に災いをもたらすと予言された狼。神々の住まうアースガルドの土地を邪悪の血で穢すわけにはいかないという理由があったとはいえ、その封印に際して軍神テュールは自ら右腕を差し出して、喰いちぎらせることとなった。

 そこまでして封印したのに最後には自由の身となり、ラグナロクでは主神オーディンを食い殺してしまう。その血を引く子供たちはそれぞれ月と太陽を呑み込んでしまうのだという、筋金入りの終末を招く怪物。

 

――Fenrir(フェンリル)という呼び名が一般的ですが、実はそれは『フェンに棲むもの』という意味で、それそのものに狼という意味はなかったりします。なので語尾に狼をつけてFenrisúlfr(フェンリス狼)と呼ばれることもあるんですよ。

 個人的には別名のHróðvitnir(フローズヴィトニル)の方がお気に入りなんです。『悪評高き狼』の意がありますし、それになんだか響きが詩的じゃありませんか?

 

 拘束されて開きっぱなしになった口から流れ落ちた大量の涎が、川になるほどの巨大なオオカミさん。

 その胃袋に迷い込んでしまったらきっとこんな感じなんだろう。そうライスが取り留めなく考えるうちにも不可思議に反響する声は訥々と響き続ける。

 

《強奪を生き様とすることに罪悪感が無いわけじゃないけど、詫びるつもりはまったく無い。これっぽっちも。だって生まれる前からこの子の味方をすると決めていたから。故にあえて言おう。厚顔無恥に傲岸不遜に、立ち塞がる誇り高きすべての敵に投げつけよう》

 

 私たち(ぼくら)の邪魔をするな。

 

 振動が限界を超えてはじけ飛んだ。たくさんのオオカミさんたちが口々に遠吠えをしているかのような轟音と、青い光が乱舞して。

 まるで誕生日を祝福しているみたい、だなんて自分でもどこから来たのかよくわからない感想が思い浮かんだ。

 桜吹雪がひと息に呑み込まれる。ライスたちもまた、一緒に。

 

スキルLvアップ!

因子簒奪(ソウルグリード) Hróðvitnir】

Lv2→Lv3

因子簒奪(ソウルグリード)」のレベルが上がった!

「Hróðvitnir」に覚醒した!

 

 暗闇の中にぽっかり浮かぶ太陽。太陽は赤々と燃えているのに空は青く晴れない不思議な光景。

 それが狼の咆哮じみた轟音と共に太陽の真ん中に風穴があいて、木っ端みじんに砕け散った。

 大きな欠片は赤と青の双子の月に。細かな破片は星となって天球に散る。

 そこでようやく気付くんだ。この暗闇は地球から見た夜空じゃなくて、宇宙(ソラ)を真横から眺めた景色だったってことに。

 真空さえ貫く轟音っていったい何なんだろう? 全身の熱がこの空間に吸い取られていくのを感じながらそう思った。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) Hróðvitnir

 

「今度は北欧神話かぁ。ほんと私って節操ないな……でも、それが私らしさか」

 

 諦めたような、それでいて少しだけ誇らしげなテンプレオリシュさんの声が聞こえた気がした。

 

 すごく幻想的で、きれいで、生々しい力を感じる空間だけど。

 見惚れている場合じゃない。警戒しなきゃいけない。だって、この“領域”の具体的な効果がいまひとつわからない。

 わかったところで他者の“領域”にできることはそう多くないけれど。何が起きているのかわからないままだとそのまま勝負が決まってしまうことも少なくない。“領域”はそういう切り札だから。

 

 テンプレオリシュさんの様子を見たかぎりじゃよくあるタイプの加速や速度上昇ではなさそう。その二種に比べたら目に見えて効果が確認できるわけじゃないけど、それでもライスの目が正しいのなら回復系統というわけでもない。

 じりじりと削られているような感覚はあるよ。でも空間そのものから感じる力と比べたらその影響は微々たるもの。あくまで副次的な作用であってメインではないと思う。

 

 領域具現――飽食タイム☆フルーツ到来!

 

 答え合わせのタイミングはあっさりやってきた。

 

 後方から流れてきたイメージは南国の青い海と空、白い砂浜の上に並べられた山盛りのフルーツたち。それを満面の笑みで頬張っていくウマ娘。

 わかりやすいスタミナ回復の“領域”。後ろの方で使った誰かのそれが、溶かされていく。まるで熱いお茶に浮かべた氷みたいに。どんどん縮んでいく。

 

《誤解されることも多いけど、本家ガンブレードって銃と剣の機能を併せ持った武器じゃなくて『引き金を引くことで弾倉内の火薬が炸裂して刀身を振動させ、斬撃の威力を飛躍的に高める』っていう、SFや昨今のなんちゃってファンタジーでおなじみ振動剣と同系統の斬撃オンリーの武器なんだよね》

 

 そこへ追撃とばかりに襲い掛かる無数の黒い剣は、あからさまなまでにその威力を増していた。

 さっきから聞こえていた轟音の正体がやっとわかった。あれは銃声だったんだ。

 南国の“領域”と交差する瞬間、黒剣が己が弾倉内の弾薬を噛み砕いて振動する。すると狼の咆哮じみた爆音と共にひゅんと刀身から青い光が立ち昇って、熱したバターにナイフを入れるみたいに何の抵抗も無く、するりと黒剣は相手の世界を断ち切ってしまった。

 

《ちなみにリアルでも医療現場では超音波振動メスが実用化されているし、超音波カッターなんか模型工作の作業用として市販されてすらいるけど。あれらは基本的に『硬いものをゆっくり切る』ための道具だ。剣みたいに勢いよくバッサリ斬ろうとすると下手したら折れちゃうからやっちゃダメだぞ! まーそれいったらチェーンソーなんかも剣みたいに振り回したらキックバックで自分を傷つけてしまうリスクが高いから危ないなんてもんじゃないんだが……はて、何の話をしていたんだったかな?》

 

 この灼熱と極寒が漂う世界の中でわんわんと反響するテンプレオリシュさんの声だけが熱くも寒くもない常温のままで。そのことにどこか薄ら寒いものをおぼえた。

 

 他者の“領域”の効果を引き下げ、同時に自身の“領域”の効果を高めることに特化した広域展開型の“領域”……。

 自分が複数の“領域”を所持した上で、レースに出走するライバルたちも“領域”を使ってくることが大前提の性能なんて。いったいどんな歴史と魂を受け継げばそんな世界が具現化するんだろう。想像すらつかない。

 

 この宇宙が投影された瞬間にバクシンオーさんの桜空間が切り刻まれて呑み込まれたのもそういうことだったんだろう。

 いくら深海を押しのけるためにある程度の消耗があったとはいえ、あれだけの規模を誇ったバクシンオーさんの“領域”を呑み込んじゃうなんて。

 最初に感じたプレッシャーは間違っていなかった。ここはもう、テンプレオリシュさんの胃の中も同じみたいだ。

 

「どうすればいいのかわからない。でも」

 

 深海の三重がさねで消耗した分、淀の坂で削られる分、スタミナを補填したかったんだろうその“領域”は見るも無残に穴だらけになってしまった。

 それでも臙脂がかったピンク髪のツインテールの子の動きはとまらなかった。

 あちこち喰いちぎられ今にも取れてしまいそうな手を動かして、果実を口に運んで嚥下する。飲み下したその先のおなかだってぽっかり大きな風穴が開いちゃっているのに。

 ずっと後方にいるはずのその子から、ばちばちと顔にぶつかるみたいに魂の欠片を感じる。

 

「やめられないし、とまらない――止まる気も、無い」

 

 どんな言葉よりも雄弁な態度で示されたそれは、最低限の役割を果たした“領域”という成果に繋がる。ひと息いれることに成功したようにその子の呼吸は整って、淀の坂を抜けたその先に向けて灼熱が宿る。

 

『一番手はいまだ四番サクラバクシンオー、それを見るように七番アイゼンテンツァー、続く九番ライスシャワー、外を回ります一番テンプレオリシュ。

 中団では十二番リトルココン、その後から十四番マヤノトップガン、少し離れて八番ムシャムシャ、さらに十五番マチカネフクキタル』

『タイムがおかしなことになっていますが今日は間違いなく雨天の重バ場。後方集団がここから差し返せるのか、気になる開きです』

 

 ……そうだよね。

 正解なんてわからない。攻略法なんて誰にも教えてもらえない。ウマ娘を導いてくれるトレーナーさんたちだって答えを知ってるわけじゃない。これが正しいんだって信じるだけ。

 あきらめられないから、もがくしかないんだ。たとえオオカミさんのおなかの中に呑み込まれてしまった赤ずきんになってしまっていても。

 狩人さんの助けなんて待っていられない。ゴール板はすぐそこまで迫ってきている。

 

「バクシン、バクシーン……」

「はぁ……はぁ、かはっ」

 

 ついに垂れた。これだけ不利な状況がそろっていながらこれだけの速度でここまで先頭を維持できた時点で何もかもおかしいけれど。

 ついでにバクシンオーさんについていた子も崩れ落ちるように順位を落としていく。離されないよう必死に食らいついていたけど、とっくに限界は超えていたんだろう。後ろに隠れて温存できたライスだって体中あちこち軋んで燃え上がってるみたいなんだもん。

 一つかわして、二つかわして、いよいよライスの前にはひとりだけ。

 

 少しだけ、わかった。

 この世界は少しだけブルボンさんのそれに似ている。

 左右どころか上下すらさだかでない、無重力の闇に飛び出す挑戦のかたち。恒星を噛み砕いて自ら星座を創り出すような攻撃性はブルボンさんには無いものだったけど。

 今まで誰も成し遂げたことのなかった既存の概念を打ち砕こうとしている。夜空を見上げるのではなく、星々の間に航路を刻みつける瞳の持ち主。

 ライスはそういう人だから勝ちたいんだ。勝とうと思ってここまで来たんだ。

 

 きっと、ライスはヒーローになりたかったんだと思う。

 でも違った。ライスはもうヒーローだった。ライスをヒーローだと言ってくれた人がいた。

 ならもう、何も恐れることはない。いつか夢見た『しあわせの青いバラ』みたいに。

 

「ライスだって……咲ける!」

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 鳴り響く鐘の音と、舞い散る青いバラの花びら。

 ライスの世界。勝てと、魂が内側で猛り狂う。

 勝つと、身体が燃え上がった。

 レースが始まって以来ずっと空転していた心と身体の歯車が、いまガッチリと噛み合う。

 

『残り四百。最終コーナーを進んで直線に向かう。真っ先に立ち上がったのは一番テンプレオリシュ、九番ライスシャワーそれに追走。後ろからは十四番マヤノトップガンまくって上がってくる。十二番リトルココン前を狙っているぞ』

『坂をゆっくり上がってゆっくり下るのはもう古い! そう言わんばかりの決意の直滑降。この滑りやすい足場で決行した彼女たちの勇敢さには痺れますね』

 

 チーム〈キャロッツ〉のみんなで、ゴールドシップさんから坂の攻略法を何度も教わったけど。

 けっきょくゴールドシップさんと同じことができるようになった人はいなかった。表現の仕方が独特過ぎたっていうのもあるけど、あれはゴールドシップさんのフィジカルとセンスあってのものだ。

 でもライスはライスの答えを見つけたよ。ライスはゴールドシップさんよりもパワーが無いけど、そのぶん軽くて小さい。この悪天候だとそれはメリットになりうる。

 それに何より、目の前でこれ以上ないお手本を見せてもらったんだもん。負けられない。負けちゃいけない。

 

 領域具現――来ます来てます来させます!

 

 ライスとほぼ同時。あるいはライスの知覚範囲に入る誤差を考えると少しだけあちらが先だったのかも。ふと、後方から一筋の光が宇宙を分けた。

 何度か見た、フクキタルさんの“領域”だ。

 誰かと衝突するんじゃなくて、自分の道を『切り開く』ことをかたちにした世界。そのせいかテンプレオリシュさんの“領域”の中でも力を発揮して、その光の道の中だけやや薄まった気がする。

 ただ、切り開いたのはいいけれど。フクキタルさんは前が塞がれてなかなかバ群から抜け出せずにいるようだ。

 あの人の末脚は凄まじいけど、この重バ場であの状況ならさすがに届かない。“領域”は強力だけど万能ってわけじゃないから。

 これだけ距離があれば進行妨害を取られることもない。せっかくのルートはライスが使わせてもらおう。

 ばつんと黒い剣に断ち切られて宇宙に食い散らかされて消えるほんの瞬きの間、それはたしかにライスの力になってくれた。

 

「ふぎゃー!? そんなー!!」

 

 悲鳴が聞こえた気がしたけど、すぐにそんなことは忘れてしまった。

 もうこれから先、見るのはただ一人だけ。

 彼女に勝つことがそのままレースに勝利することに繋がる。そう確信して、それすら脳裏から流れ去る。

 鞘から刃を抜き放つように。ひとつだけ残してあらゆるものが解き放たれていく。

 

「やっぱり来たか」

 

 そして、当たり前のことだけど。

 “領域”を開いて広げていけばそれはオオカミさんの前にここに獲物がいますよって匂いをふりまくのと同じ。ライスだけが見逃されるはずもなく。

 じりじりとこちらの世界を削る極寒の宇宙の中、黒い剣が迫り来る。まるで狼王ロボに統率された群れのように鮮やかな統率と獰猛な叡智を宿した動きをもって。

 咆哮と共に立ち昇る蒼炎。直撃したらただでは済まないだろう。

 

 だけど避けなかった。

 回避を選択したら、それは一手余分な動きを挟むことになる。そしたらライスの刃はもう届かないから。

 

 するりとライスの中を異物が通り過ぎていく。ばしゃりと飛んだ血飛沫が青いバラに滲んで紫に彩った。

 あきらかに致命傷。世界は揺らいで縮んでいく。

 

「まだ、だっ!」

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 鐘が鳴る。それは誓いのあかし。

 縮みかけた世界に塗り重なる。もう一度鮮やかに青いバラが咲き誇る。

 ライスシャワーはヒーローだ。

 ヒーローは斃れない。その背中を信じてくれる人がいる限り。

 

『残り二百! 九番ライスシャワー熾烈な追い上げ、このまま差し切れるか? 一番テンプレオリシュ負けられない、負けられないぞ!』

『十四番マヤノトップガンも外から勢いよく上がってきました! ここから届くのか? 勝負はまだ続いていますっ!』

 

《うおっ、マジか。ここでか》

 

 “領域”を通じてかすかに動揺を感じる。

 でも黒い剣の群れはまるで揺らがずに襲来する。歯を食いしばった。効いていないわけじゃない。テンプレオリシュさんに喰いちぎられて命に届かないわけがない。

 どれだけ致命的でも今は死なないって、決めているだけ。

 衝突。鮮血が飛び散る。

 

「まだ……まだぁ……!」

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 二度もずたずたに食い荒らされて、もう青かったバラの花弁は紫に汚れていないところを探すのが難しいくらいだ。

 でも、ようやくここまで近づけた。この距離からならいける。ライスが懐に抱えてきた短剣がテンプレオリシュさんの命に届く。

 鞘から抜き放って両手で握る。

 ()った!

 

「ごめんね、それはもう既知なんだ」

 

 突き出した刃を迎えたのはやわらかな肌やあたたかい肉じゃなくて、硬く冷たい金属音。

 刃が絡み合う。ひどく有機的な動きで割り込んだ黒と白の剣がライスの短剣を阻んでいた。

 赤と青の火花が花吹雪みたいに舞い散る。

 

「認める。いまのあなたをただの斬撃で仕留めるのは無理みたいだ」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【ブルーローズチェイサー】×【全身全霊】×【優等生×バクシン=大勝利ッ】×【長距離直線◎】×【レッドエース】×【ブルーローズチェイサー】

=【百花繚乱Rose window】

 

 剣の群れの動きが変わる。あとからあとから獲物に肉食獣の群れが飛びかかるみたいに。ライスの短剣さえ巻き込んでミキサーのように渦巻く。

 星が巡る。星の日周運動を撮影した写真みたいに。軌跡が幾重にも弧を描いて闇を彩る。

 光がこねくり回されて像を結んで、気づけばそこには巨大なステンドグラスがあった。赤や青、桜に紅と鮮やかな色がこれでもかとばかりに輝いて。

 すぐにわかった。だってこんな名前を授かった以上、花嫁さんにも結婚式にもひといちばい憧れがあったから。

 あれはバラ窓だ。教会のステンドグラスの中でもひときわ印象的な大きな円形の窓。

 まばゆい憧れの結晶。その前に立つテンプレオリシュさんの手の中で武器の螺旋がゆるやかになり、やがて止まって完成する。

 無数の刀剣が針金細工のように絡まり合って分厚い異形の金棒と化している。鋭い鈍器。そうとしか言いようがないシロモノ。

 

「だからただ事ではない一撃で決着をつけよう」

 

 ぎちぎちと骨と肉を軋ませる音を発しながらおおきく振りかぶられる。空間を震わせる咆哮と共に金棒が青い炎を吐き出し推進力に変える。

 もはやそれは耐える耐えないの次元の話ではなく。

 ライスの身体はこっぱみじんに砕け散った。

 

「んにゃー!?」

 

 あ、マヤノちゃんが巻き込まれたみたい。

 きらきらとパステル色に満たされた“領域”、その右半分がふっとんでいる。巻き込まれるくらい近くまで上がってきていたんだ。

 それでも半壊で済んでいて、それが明確に競り負けたライスとの大きな違いだった。一瞬をいくつも詰め込んだ時間の中でゴールとの距離が入れ替わる。

 ずるりと沈む脚。手を伸ばせば届きそうな、どこまでも遠い銀の背中。

 

 

 

 

 

『抜け出したぁ! そのままゴール板を駆け抜けるっ! 一着は一番テンプレオリシュ、終わってみれば鉄壁の一バ身! すべては掌の上とでもいうのか!? しかもこれは……レコードです! まさかの悪天候の淀の坂でレコードが更新されました!!』

『天すらも彼女を縛ることはできないということでしょうか……。二着のマヤノトップガンも三着のライスシャワーも大健闘でしたね。だからこそ“銀の魔王”の圧巻の強さを思い知らされたというべきか』

『歴史に記すべき春シニア二冠目の激闘でした。この後に続くのは六月に安田記念のマイルと、宝塚記念の中距離……今日の長距離と合わせて最新式マツクニローテとでも呼ぶべき異なる強さが求められる距離への挑戦ですが、決して不可能ではない。そう思わせてくれる一戦でした。いやー素晴らしかった!』

 

 

 

 

 

 気づけば空を見上げていた。

 

 芝の上に大の字になっているみたい。レースはもう終わっている様子だけど、後続の子たちの邪魔にならなかったかな?

 踏まれなくてよかった。転倒事故の原因にならなくって、ほんとうによかった。

 火照った身体を濡れた芝と雨が冷やしてくれて気持ちいいような、服や髪や尻尾にまで泥がしみ込んできて気持ち悪いような。

 

 負けちゃった、か……。

 

「立てる?」

 

 曇天に銀の光が差し込む。

 考える前に差し出されたそのちいさな手を取っていた。ぐっと身体が持ち上がって、靴の下に芝の感覚が戻る。

 助け起こしてくれたのは、当然のようにテンプレオリシュさん。

 それなりに疲れてはいるみたいだけど、ゴール寸前から芝に寝転がるまでの記憶があいまいになるくらい何もかも絞り出したライスとは雲泥の差だ。

 ここまでやっても、まだまだだったんだなぁ……。

 

「んー……すごいな。あれだけ立て続けに限界を超えたらどこかしら故障しそうなものなんだけど。お兄さまがそういう素質の持ち主なのか? 限界突破時の故障率大幅軽減? ……なんつーピンポイントでメタな……でも『ライスシャワーを安寧無事に走らせる』ことを第一に考えるのならこれ以上ないマリアージュだ。さすがは信頼と実績の三女神マッチング」

「え……?」

 

「ん-ん。怪我していなくてよかったねって言っただけだよ」

 

 そっか、ライス、ケガしていないのか。まだ全身が痺れているようであまり感覚がないけど。ケガが無いのならうれしいな。お兄さまのところまで帰ることができる。

 そうだ。ココンさんとも、ちゃんと改めてお話ししておかないと。あのときなんて言ってたんだろう。

 

「ほら、ライスシャワー。聞こえるかい?」

 

 うながされるままに顔を向ける。のろのろとしたその動きだけでとてもしんどい。

 けれど、次の瞬間にその疲労を忘れた。

 

「すごかったぞー、ライスシャワー!」

 

「カッコよかったわよライスシャワー!」

 

「感動した! ライスありがとう! 俺も頑張るよ!」

 

 観客席から降り注ぐ声、声、声。

 みんな嬉しそうだった。雨に打たれながらみんなが笑っていた。

 誰も彼もが幸せそうだった。いつかライスが夢見た光景がそこに広がっていた。

 ライスはライスの走りで、みんなを笑顔にすることができたんだ。

 

「…………」

 

 ……ああ、でも。

 やっぱり、ちがうんだなぁ。

 いつか夢見た光景にたどり着けたけど、ここはライスの夢が叶った場所じゃない。

 私は、自分が勝ってこの景色を見たかったんだ。そのことにようやく気づけた。

 じわじわと敗北の実感がわいてくる。

 

「このみんなの笑顔はさ、ライスシャワーがつくったんだよ」

 

 そうシニカルに笑いながら語りかけてくれるテンプレオリシュさん。

 言いたいことも、言わなきゃいけないことも、たくさんあったはずなのに。

 その笑顔を前にすると、のどに詰まって何も出てこなくなっちゃう。

 

「…………ごめん、なさい」

 

 いっぱいいっぱいがんばって、ようやく胸の中から取り出せたのは一言だけ。

 ありがとうも、ごめんなさいも、これまで伝えなきゃいけないときが何度もあった。なのに、どれもこれもライスはテンプレオリシュさんに告げられていない。

 ライス、とっても失礼な子だ。それなのに、どうしてテンプレオリシュさんはこんなにやさしくしてくれるんだろう? 笑いかけてくれるんだろう?

 ただでさえ疲労で頭がぜんぜん動かないのに。あれだけみんなに助けられてがんばったのに勝てなくって。悔しくって自分が情けなくて。何もかもぐちゃぐちゃになって泣いちゃいそうだった。

 

「うん?」

 

 不思議そうにテンプレオリシュさんが首をかしげる。

 ああ、そうだよね。

 こんなの一方的にライスの都合を押し付けているだけだ。ライスのわがままでしかない。テンプレオリシュさんを困らせるだけだ。

 感謝も謝罪も本当に伝える気があるのなら、最低でもその前後関係はちゃんと説明しないといけないのに。

 いまのライス、ほんとうにだめだめだ……。

 

「ああ、なんだ。あのときのアレかー。それともあのときのコレか? うんうん、たしかにアイサツはダイジだ。古事記にも書いてある。でも、声帯で空気を震わせるだけがコミュニケーションじゃないだろ?」

 

 うつむきそうになった顔が、その言葉で上がる。

 視線の先ではテンプレオリシュさんがぺろりと舌を出してアピールしてみせたあと「うえっ、泥が、ぺっぺっ」と吐き出していた。

 動きのひとつひとつがどこかわざとらしくて滑稽で、その上で目を惹かれる魅力にあふれていた。

 

「絵で語る人だっているし、音楽で語る人だっている。そしてウマ娘はこれだ」

 

 とんとん、と芝の上でヒールが踊る。

 

「きみの走りは何度も見てきた。春天で最大の障害だったからね。だからたくさん伝わってきたよ。今日はぼくらのために走ってくれていたでしょ? ありがとうもごめんなさいもやろうぶっころしてやるも全部ちゃんと伝わったよ」

「さ、さいごのは思ってない、です……」

 

 ライスと走ってくれた後、『殺気を感じた』とか『殺されるかと思った』って相手の子におびえられることがけっこうあるんだけど……。

 そんなにライスこわいかな? すこしショック。

 

 ふと、青い目がこちらを見た。ばちっと心の底まで覗かれた気がして、反射的に目を逸らしそうになる。

 そこにするりと投げ込まれる一言。

 

「うん、強かった。強かったよ、ライスシャワー」

 

 ……嗚呼、それだけで。

 報われてしまった。

 今日までのがんばりが、報われた気がしてしまった。

 そのことが負けたことよりずっとずっと悔しい。

 

 ライスの気持ちはちゃんと伝わっていたよって笑ってくれた。

 ライスのことをゆるしてくれた。

 でも、ライスはちゃんと言葉で気持ちを伝えたかったんです。かたちにしたい想いがたくさんあったんです。

 震えない声で、対等な視線で言いたいことが、いっぱいあったはずなんです。

 

「…………」

 

 でも、だめだ。

 まっしろになっちゃって、何も出てこない。

 あまりにも格が違い過ぎる。今のライスは見上げることしかできない。

 だから。

 

 

 

 

 

 いつか、貴女に勝って、見てみたい景色があります。伝えたいことがあります。

 それまで君臨していてくれますか?

 ライスの前から消えずにいてくれますか?

 

 どうか、どうか。

 




固有スキル【因子簒奪(ソウルグリード)
Lv1『黒喰(シュヴァルツ・ローチ)』『白域(ホーリー・クレイドル)
Lv2『十束剣(トツカノツルギ)

>>Lv3『Hróðvitnir』New!
効果範囲内において【因子簒奪】とつくスキルの効果を一段階上昇させ、それ以外のスキルの効果を一段階低下させる。また、【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】の捕食判定に大幅なボーナス修正が入る。
十束剣(トツカノツルギ)】を使用する場合、使用するスキルそれぞれが【因子簒奪】であるものとして、すべてに上昇補整を加えた上で効果を算出する。




これにてこの章は一区切り!
いやー、長かった。GⅠ最長距離だからって章まで長くならんでもええやん…。

例によって例のごとく、一週間以内にオマケを投稿した後、いつもの書き溜めに移行する予定です


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【雨天レコードって】レース雑談スレ11451【なにさ】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。



3:名無しの観客 ID:GG+jCyp1/

どうして雨の日にレコードが出るんですか???

 

9:名無しの観客 ID:tX6Yxp4Cp

魔王様のぶっちぎりとかじゃなくてタイム的には3着のライスシャワーまで旧レコードを更新しているという事実に震えろ

 

10:名無しの観客 ID:qUecmIH8y

レコード更新されるときって先頭だけじゃなくて先団の幾人かが更新するっていうのはよくある話だけどさぁ

それにしたって、ねえ?

 

12:名無しの観客 ID:T2beF/YOi

銀の魔王にとって大差レコード勝利は一バ身差スローペースの走り損ないだからな。

レコード更新させただけ春天組はよく頑張ったよ。

 

14:名無しの観客 ID:P5z9gFNDH

レコードは挑戦するものではなく必要に迫られて塗り替えるものという風潮・・・?

 

17:名無しの観客 ID:zyj1rRBLa

あーあ、結局今年は銀の魔王の無双できまりかなこれは

あんなんどうやったって勝てないじゃん

 

27:名無しの観客 ID:9ALM7fNoA

>>17 うるせえ東京レース場のウオッカなら勝てるんだよ!

 

29:名無しの観客 ID:4Jkh9JO61

>>17 あのゴルシがただで負けるとは思えないけどな

 

30:名無しの観客 ID:+m5DKgZtd

いやいやゴルシだぜ?あっさり負けるかもしれん

 

31:名無しの観客 ID:QtGEGf4VB

あれだけのスペックと戦績を誇りながら隔離組には絶対ならないとファンに確信された葦毛の奇行種だ。いろいろと格が違うぜ!

  

34:名無しの観客 ID:dveE+/42L

ゴルシは生粋のエンターテイナーじゃからのう・・・

 

37:名無しの観客 ID:yYw67425V

四月に長距離出てから六月にマイル経由して中距離で全部GⅠって、常識的に考えたら付け込む隙どころか穴だらけで今にも崩れそうなハチャメチャローテなんだがなぁ・・・

 

46:名無しの観客 ID:lEWkHYkGP

いいだろ、銀の魔王だぜ?

 

50:名無しの観客 ID:CVfFDHtFJ

それを許す桐生院もヤバい

 

59:名無しの観客 ID:htVPRtGRa

桐生院トレーナーは何気に宝塚では自身の担当3人が争う展開になりそうなのもヤバい

 

64:名無しの観客 ID:wruPl6vUT

当代の桐生院は本当にクレイジーだなあ

昔はどちらかといえば保守的な家のイメージだったんだが。これが時代の流れってやつかね

 

67:名無しの観客 ID:6GHXI+pTK

マジで魔王様凱旋門いってくれないかなあ?

重バ場の京都レース場でレコード更新できるのならロンシャンだっていけるだろこれ

 

77:名無しの観客 ID:yR+5q9z6Z

周囲に徹底的にマークされても歯牙にもかけない対応力もあるしな

魔王様ならジンクスを破って日本の悲願を果たしてくれるのではないかと期待する気持ちはわからんでもない

でも今年は国内に専念するだろ

 

85:名無しの観客 ID:mu68yiomu

なんでや!?ワンチャンあるやろ!

 

87:名無しの観客 ID:Bc3PQn5lA

ねーよ。魔王様の最初の三年間は今年いっぱいだからな

バラエティとかあちこちで国内GⅠ総ざらいするって宣言しているし、いまさら方針は変えんだろ

つーか国外に遠征するなら今から準備しても間に合うかギリギリだしな。動きが無いってことは国内オンリー。

URAファイナルズだってあることだしな。参加してもらわんと

 

96:名無しの観客 ID:fKceu00De

(いまさら何で最初の三年間が重視されるのかわからないなんて言えない・・・)

 

101:名無しの観客 ID:kIjM2GAv/

マジで言ってる?

 

104:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

ほえー。このスレに顔出すような人間でいるんだそんなの

まあ新規ファンなんだと思って解説してやろう。新規の取り込みをおろそかにした業界は衰退するのみやからの。

慣習とか信仰とか、いろんな要素が絡んでいるんだが基礎的な部分からざっくり説明するぞ。

ウマ娘が一定の年齢になると“本格化”を迎えて身体能力が飛躍的に上がることは流石に知っているな?

その“本格化”の長さは個人差が大きいけど、だいたい平均して三年って言われている。

後半に続く

 

107:名無しの観客 ID:2BOpXH7qI

やさしい

 

113:名無しの観客 ID:b04Qs5Czu

ありがてえ、ありがてえ

 

122:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

後半やで

で、ものすごくざっくり言っちゃえばその三年間は『三女神さまがくれた時間だから人間の勝手で邪魔しちゃいけない』って信仰心みたいなもんが名門にはあるのね。

だからURAのお偉方もあまりこの期間のウマ娘に口出しはできない。下手したら名門をことごとく敵に回すし、そもそも彼らだってウマ娘が好きでこの業界に足を踏み入れたわけだから三女神さまに失礼なことはしたくないし。

結果的に興行としてのレースの成立を危うくさせるレベルのつよつよウマ娘にとって『最初の三年間』は、比較的誰にも干渉されず好きなローテが組める最低保証の年月になっているってわけよ

 

125:名無しの観客 ID:cwNbDnGr0

わかりやすい

 

129:名無しの観客 ID:ZqmKCLI9B

さては>>104 >>122あたまいいなお前?

 

132:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

あとこれは個人的な見解なんだけど、魔王様がこれだけ一方的でありながら多くのレースファンに受け入れられているのは、この『最初の三年間』が終わったら夢杯への移籍がほぼ確実っていうのが暗黙の了解かつ共通認識になっているも大きいと思う。

たとえばアキュばあばみたいに十年現役続いてその間ずっと魔王様一強の時代が続いたらレース業界は衰退待ったなしだろうし。URAとしても個々人の感情はともかく興行を運営する身としては隔離政策は必要と考えるはず。

ただURAはあくまで日本のレース業界を運営する組織だから四年目以降に海外遠征する分には問題ない。むしろ海外GⅠタイトル獲ってくれるのなら大歓迎。なんなら既に裏ではそういう話も出てるんじゃないかな?

褒められてうれしくなったからおまけの考察も載せておくで

 

135:名無しの観客 ID:X1vaVbge5

>>132 乙

 

136:名無しの観客 ID:hBERvOqa6

>>104>>122>>132おっつおっつ

 

137:名無しの観客 ID:Iny8NUvLy

でもワシは凱旋門を制覇した日本のウマ娘を生きているうちに見たいんじゃ!

ウマ娘のピークが短いからこその『最初の三年間』ちゃうんかい!?

まさに全盛期なこの時期に魔王様チャレンジしてくれー!!

 

140:名無しの観客 ID:DYz+xGHD+

おじいちゃん落ち着いて

 

141:名無しの観客 ID:86CgAzkoH

でも凱旋門っていうほど魅力あるか?(ライト層並み感

 

143:名無しの観客 ID:7US3lUOeL

は?日本の悲願やろがい!!

 

147:名無しの観客 ID:CP2qggjJ+

俺の悲願ではないかな

 

150:名無しの観客 ID:9T5Cqhy7L

海外への挑戦ってけっこう温度差あるよね

 

151:名無しの観客 ID:a/cJYaTuG

賞金だけみれば国内GⅠで十分だもんな。海外って有名どころ以外は賞金がそこそこというか、日本の重賞レースが世界的に見て高め

 

152:名無しの観客 ID:8XQiQQ6Nq

魔王様はわりと賞金さえ稼げればいいってスタンスだからな。

一般家庭出身で特定のタイトルにしがらみやこだわりがあるわけでもなし。ファンサービスはいい方だけどファンの期待に応えて云々っていう性格でもなし。

挑戦のハードルが高めで後回しにしても来年以降も機会がある海外と、今年しかチャンスがなくてハードルも手ごろで賞金も十分な国内なら、そりゃ普通に国内の方を選ぶよね。

 

153:名無しの観客 ID:6gl+dHLXK

一般家庭出身の魔王様というパワーワード

 

155:名無しの観客 ID:A0VWE4xhg

わざわざ環境が何もかも違う海外に挑戦して体調崩されてもなというのはある

元気に走ってくれていればそれでよかったのに・・・

 

163:名無しの観客 ID:jivXYXjF/

本気で海外レースで勝ちたいのならこういう周囲の無理解から覆していかないと難しい気がする。

もっと年単位で準備がいるだろ。規模も個人じゃなくてチームが必要。

というわけでテンプレオリシュにはこの先も国内レースを蹂躙してもらいまーす

 

173:名無しの観客 ID:Dw41mD7mv

個人で蹂躙していいGⅠの数じゃないんよ・・・

 

183:名無しの観客 ID:+q67Is5Yo

春天でGⅠ十一連勝だったよな・・・?

 

189:名無しの観客 ID:emBJwOk8+

デビューから十五連勝。重賞だけでも十三連勝

数だけ見ればそろそろ引退しても文句は出ない戦績だ

 

191:名無しの観客 ID:02hxCbAZ0

しかも今回ので全距離レコード更新記録の持ち主というね

 

193:名無しの観客 ID:IRTXdWXk3

違うぞ。朝日杯FS(マイル)、ダービー(中距離)、スプリンターズS(短距離)、有記念(長距離)

だからクラシック級までの二年間で既に全距離レコード更新は達成済み

 

195:名無しの観客 ID:mQf7BLB4P

あらためて史上最強すぎんぞこの魔王様

 

202:名無しの観客 ID:4agp4AGlZ

いやいやレコード更新は史上最速の傍証だけど、別に強いウマ娘が出走していてもスローペースで流れる展開はいくらでもありうるからな?

タイムだけ見て最強とか言うのは素人丸出しだから

 

204:名無しの観客 ID:3v34r1qr6

印象は主観でいくらでも歪むがタイムは改ざんしない限り歪みようのない客観的なデータなんだから最強の指針にするのは何も間違っていないだろ?

誰にも負けてほしくない推しがいるのはけっこうなことだが現実見ろよオッサン

 

205:名無しの観客 ID:s8ZxPYoVH

言っていることは何も間違いではないし何なら知識だって豊富なのに、上から目線のマウント臭が隠しきれなくて無駄に反発を招くし敵を作る

これだから夢杯勢ってやつは

 

206:名無しの観客 ID:Nzn/9kD5m

ドリームトロフィーリーグファンにだって穏健な見識者はいくらでもいるダルォ!?

 

207:名無しの観客 ID:zMRAijPc2

ケンカすんなし

 

208:名無しの観客 ID:Qp1Tjv3Y+

あーあ、最近の魔王様マスコミ露出多いから絶対に油断していると思ったのに

その隙をついて俺のムシャムシャちゃんが今度こそ差し切って勝つと信じていたのになー

 

215:名無しの観客 ID:176xiAdAF

油断じゃなくて余裕の方だったな

 

217:名無しの観客 ID:yNt/fiGZZ

何時の間にお前のムシャムシャちゃんになったんだ?

俺のだろうが

 

225:名無しの観客 ID:DXPLkr/bL

ムシャムシャちゃんなら魔王様の隣で寝てるよ

 

233:名無しの観客 ID:C3S/YjbTH

受ける仕事のジャンルが変わっただけだろ

露出が増えたからといってトレーニングにかける時間が減ったとは限らん

というか、あのローテで走ること決めておきながらトレーニングよりもメディア露出優先しているのなら桐生院の正気疑うレベル

 

235:名無しの観客 ID:CWTkO0OYO

理由はどうあれバラエティーなんかにも顔を出してくれるようになったのは個人的に嬉しい

 

243:名無しの観客 ID:0V0Cxzsk5

二重人格って聞いた時はへーって感じだったけど

交互に喋っているところをいざ目にしてみるとはっきり別人だってわかんだね。びっくりした

 

252:名無しの観客 ID:hAVxnRFSY

表情の動かし方とか声の出し方とか、右目を開けているときと左目を開けているときで別人かと思うくらい違うんよね

いや別人らしいんだけどさ

 

253:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

ふふふ、ワイの目にはハッキリ映っておるで

一人分の席にぴったり身体を寄せ合って座るめっちゃ仲のいい双子の姉妹の姿がな!

顔はそっくりなんやけどお姉ちゃんの目は赤くて妹ちゃんの目は青いんや

 

255:名無しの観客 ID:uCui5/VcU

>>253なにそれ尊い・・・!

 

259:名無しの観客 ID:a8rztmYlf

>>253やはり天才か・・・!

 

261:名無しの観客 ID:zzdWbzbTx

奔放に見えて実は気遣いできるお姉ちゃんと、見たまんまマイペースでお姉ちゃんにべったりな妹、ってこと・・・?

見える・・・私にも百合が見えるぞ・・・!

 

262:名無しの観客 ID:uMpt1U9Sk

啓蒙を受けた。ああ、たしかに我は蒙を啓かれたのだ!

 

267:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

どう見ようとするかだ。おぬしらには心眼が足りぬ

 

273:名無しの観客 ID:v0rzWMBVb

なんかテンプレオリシュのファンスレみたいになってんな

 

275:名無しの観客 ID:8KcpvKrTh

ウマ娘の話していると特に関係の無いデジタル殿が尊死するのと同じ現象だろ

 

276:名無しの観客 ID:kyCGnoetC

ウマ娘のこと話しておきながらデジたんが関係ないとか無理あるだろ?

 

282:名無しの観客 ID:wkZivfbdM

レースの話をしている限り、どの距離を話題にしてもGⅠタイトルだと一定確率で魔王様とランダムエンカウントするから仕方ないね

 

285:名無しの観客 ID:7pwKo/KJH

今はローテが公開されているんだから実質シンボルエンカウントだろ

 

293:名無しの観客 ID:0AqFOAKFb

ばったり魔王に出くわすのと、目的地に魔王がいると知っていながら進まなければならないの、果たしていったいどちらの方が残酷なのやら

 

303:名無しの観客 ID:RML6bzkQi

じゃあ話を春天に戻すけどさ。レコードが出たのは間違いなくバクシンオーのせいだろ

 

305:名無しの観客 ID:FO8xVsXXs

途中までガンガンハイペースでレースを牽引したもんなぁ

案の定、坂で垂れたけど

 

310:名無しの観客 ID:ts6YBaXMW

あれさあ。前走をもうちょっとなんとかしていれば最後までいけたんじゃね?

バクシンオーのトレーナー無能なんじゃね?

 

312:名無しの観客 ID:r382GlJrn

高松宮記念に出走して、日経賞に出走して、そんで春天だろ?

このご時世にGⅠ搦めた連闘ってだけであたまがおかしいのに、さらに短距離から長距離って常識的に考えたらライセンス返上レベルの暴挙だと思う。

ただ、相手が学級委員長だからなあ・・・

 

317:名無しの観客 ID:JqmqOuyfi

学級委員長を常識で測ろうなどと愚かしい

 

323:名無しの観客 ID:6AqlL85XI

学級委員長に対する熱い風評被害やめーやw

 

330:名無しの観客 ID:R0wWLLdAC

推しが高松宮記念で惨敗しているからこういうこと言うのは正直屈辱なんだが、たぶんあれバクシンオーにとって何の負担にもなっていない。

短距離の絶対王者が健在だってことを示すために出走しただけなんだ・・・。

 

332:名無しの観客 ID:Wzi9rlG0p

日経賞もたぶんトレーナーとしては長距離の空気に慣れるために出しただけなんだろうな。

うっかり勝っちゃっただけで・・・

 

334:名無しの観客 ID:KOIteGro3

学級委員長として己に恥じない走りを心から全うしただけなんだろうなと

サクラバクシンオーに関してはそれが確信できてしまうからこう、文句をつけようにもつけられないというか

 

336:名無しの観客 ID:p0ozMh62L

ハイッ、学級委員長ですから!!!!!

 

342:名無しの観客 ID:CzCL2Lwe4

光属性が強すぎてスレ民でも焼かれ気味になってるの芝

 

348:名無しの観客 ID:jiC834zPZ

俺はライスシャワーが怖かったです

 

356:名無しの観客 ID:OiwyxwbXA

ああわかる。俺もライスの迫力にめっちゃビビった。観客席越しじゃなけりゃチビってた

 

360:名無しの観客 ID:7kNUcvSSH

ライスシャワー復活か?

あの迫力はブルボンの菊花賞思い出したわ

 

364:名無しの観客 ID:tsu/K7GIE

ブルボンの菊花賞とか嫌なこと思い出させんなよ

 

367:名無しの観客 ID:JY01pQG0u

どういう意味で嫌なことと言っているのかで評価変わるな

 

373:名無しの観客 ID:tsu/K7GIE

当然、あの日勝者に拍手じゃなくてため息を向けた自分に決まってんだろーが

群集心理があったとはいえ、いやこれは言い訳だな

ブルボンに勝ってほしかったのは事実だけどさ、半年くらい経ってから明らかにあれが原因でライスシャワーがスランプに陥ってね?って感じたときからずっと後悔してんだ

がんばった女の子に向けていい態度じゃなかったって

 

377:名無しの観客 ID:KGiVIAAG8

唐突な懺悔とかさあ

きっと三女神は許してくださるさ

 

384:名無しの観客 ID:TlKkirqYk

だがライスシャワーが許すかな?

 

387:名無しの観客 ID:jqsk18IeR

ライス「ゆるす」

 

389:名無しの観客 ID:OHQ3lfsjR

実際に言いそうなくらい良い子なのがまたねえ

 

397:名無しの観客 ID:COcGVfBTr

ライスシャワーの次走は宝塚かな?

 

405:名無しの観客 ID:TDEkpetEY

どうだろう。故障者リストにこそ名前はなかったけどダメージは大きそうだったし

大事を取って上半期は休養に充ててもらっても俺は全然かまわないよ

 

406:名無しの観客 ID:iKTeU3nXA

重バ場でタイムが遅くなるのはそれだけ良バ場のときより負担が大きくてロスが発生しているってことだからな

それでレコードなんか出したら通常よりずっとずっと負荷は大きくなるよねっていう・・・

 

414:名無しの観客 ID:ZD5hWjKWd

レコードを更新した張本人はぴんぴんしていて次走の安田記念もそのままっぽいのがわけわからん

あいつ本当にウマ娘か?

 

417:名無しの観客 ID:oqnOWUfRU

しれっと最後の直線で二着まで追い上げたマヤちんが流石だと思いました(小並感

 

420:名無しの観客 ID:E8BOnOt81

やっぱり四天王は頭一つ抜けている感じ

なお魔王はさらにその上をいく模様

 

427:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

勝たせてあげられなかったのが本当に申し訳ないけど、あの過酷な戦場から怪我無く帰ってきてくれただけでありがたいというか何と言うか感情がバグってる

 

431:名無しの観客 ID:UAZoKnu6j

あれ?なんか殿上人がいねえ?

 

433:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

いやさすがに専属とかじゃないから。チームの下っ端も下っ端。人手が足りてないからって雑用係に任命された今年入ったばかりのぺーぺーですがな。

 

438:名無しの観客 ID:6WAp6cOYw

はて、おかしいな?

例年通りならこの時期の新米トレーナーはまず教官の下について画一的なトレーニングの仕方を学ぶはず。

チームに配属されるのは基礎が身に付いて個々人に合わせた応用メニューが組めると判断されてからのはずだが・・・?

 

439:名無しの観客 ID:RSwT4d1CI

今の時点で基礎ができてるって中央基準の合格点もらえたってこと?

やばっガチ天才エリートがいるじゃん

 

445:名無しの観客 ID:tDfju8Qme

九割以上は内部事情をろくに知らないエリート気取りを失敗したバカなんだが、たまに一割未満の確率でガチのガチがいたりするからな・・・

 

450:名無しの観客 ID:mlaXI7guP

チガウヨー。うっかりお漏らしした中央トレーナーなんかじゃないヨー・・・?

スレで中央トレーナーロールプレイしようとして知識不足が露呈したただのバカダヨー?

 

451:名無しの観客 ID:1pGCYLLiC

本人が違うって言ってるならほな違うか

 

456:名無しの観客 ID:RSE9wYMdd

あれ?アンタよく見たら最初の三年間についてわかりやすく解説してくれた頭のいいやつじゃ・・・?

 

458:名無しの観客 ID:tAtU5ue68

ちくわ大明神

 

459:名無しの観客 ID:5aJP91Lt/

しっ! 本人が違うって言ってんだから見て見ぬふりしてやれ

 

460:名無しの観客 ID:Izn0AMlWH

誰だ今の?

 

 




これにてこの章はおわり!
今回は長かったので次回は短めにしてバランスをとりたいところ…
次回は五月あたりの投稿を目途にしております


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尻の下の玉座の重さ
はちみつとマーガリン


短くまとめると決めていたらことのほかあっさり出来上がりました
褒め讃えろください
筆の遅さは変わらないから『章の長さ≒書き溜め期間』みたいなものなんよな
今回は4話ほどの更新予定です

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


 

 

U U U

 

 

 ホットケーキが食べたくなった。

 

 休日の朝。起きて、特にこれといった理由もなく。

 どこか適当な店に行ってもいいが、何となく量を食べたくなったので自分で作ることにした。

 

 まずは学園の厨房を借りる。

 バレンタインが近くなると競争率が激しくなるが、今は特にイベントがある時期でもない。当日の申請でもあっさり借りることができた。

 

《カレンダーの上では休日だろうと自主練する子は必ずいるものな。コンビニ顔負けの年中無休でトレセン学園は運用されておりますことよ。まー、だからといってこういうレースとは直接関係ない設備も問題なく利用できるのは本当にありがたい話だ。関係者の方々への感謝は忘れないようにしないとね》

 

 まったくだね。

 

 場所と調理器具が確保できたので次は材料だ。

 品質にこだわりがあるわけでもなし。近くのスーパーに出向く。

 卵に牛乳。料理好きなウマ娘なら粉から手掛けるのかもしれないが、私には市販のホットケーキミックスで十分。バターとマーガリン、はちみつにケーキシロップ、ついでに生クリームとフルーツの缶詰も用意しておくか。

 小遣いには余裕があるのでウマ娘用の大型エコバッグが二つぱんぱんになるまで買い込んだ。どうせ食べきれる。

 両手にぶら下げて厨房に移動。

 どうせなら焼きたてを食べたい。

 少しお行儀が悪いかもしれないが、食べては焼いていく形式でいくことにする。調理器具だけではなく食器もこの場に用意しておいた。

 

 ボウルに卵と牛乳を投入し、よく混ぜてから追加でミックスを投入して、さっくり混ぜる。

 熱したフライパンに生地を投入し、ぷつぷつと小さな泡が出てきたらタイミングを見計らっていっきにひっくり返す。

 きれいな焼き色がついた。うん、むかし覚えた感覚というのは忘れないものだ。

 

「あ、リシュこんなところにいたー! いいにおーい! ねーねー、なに作ってるのー? ホットケーキ?」

 

 うげ。わりと本能に忠実なウマ娘だから匂いに惹かれてくる子がいるかもと、予想していなかったわけじゃないけど。

 テイオーが釣れたかぁ。

 

「おいしそー! ボクも朝食まだなんだよねー、さっきまで走ってたからさー。ねー、ご相伴に与ってもいーい?」

「……いいよ」

 

 追い返すのも面倒だし、それに誰か来るかもしれないというのはさっきも言った通り想定の範疇だ。

 ウマ娘が一人でも食べきれる量というだけで、十分に材料の余裕はある。嘆息を隠すつもりはなかったが頷いて了承の意を伝えた。

 ただし、と口を開きかけ。

 

「ありがと! じゃあボクはお茶入れるねー。とってくるから待っててー!」

 

 口をつぐむ。テイオーは軽快な足取りで一度その場から立ち去った。

 おそらく自室から茶葉なり茶器なりを取ってくるつもりなのだろう。

 座って待っているやつの専属料理人になるつもりはない。お前も何か仕事をしろ――などとこちらから振る必要はなかったようだ。

 

「……ああ見えてテイオーも、いつまでもクソガキのままじゃないってことか」

 

 もごもごとおさまりの悪い口元をごまかすようにつぶやいた。

 考えてみれば彼女も中等部二年生。そしていまや『最初の三年間』の中間にあたるクラシック級を走るウマ娘だ。

 テイオーの目はシンボリルドルフの背中に釘付けになっていたとしても、彼女自身の背中を追うウマ娘だってもう一人や二人じゃない。

 立場と環境が人を育てる。私の前では生意気な後輩としての顔を見せがちなトウカイテイオーではあるが、トゥインクル・シリーズを走る中で他人に気を遣わざるを得ない局面は一度や二度ではなかったはずだ。

 そして私のようにテンちゃんに丸投げできるわけでもないのだから、テイオー自身が対処しなければならなかったはずで。

 その成果がこうして反映されているのかと思うと、特に私が何かしたというわけでもないのに何やら感慨深いものがある。これが先輩というやつなのかね。

 

 

 

 

 

 ティーカップを摘む。

 ふわりと鼻孔をくすぐる香り。嗅ぎなれないにおい、だが不快ではない。

 銘柄なんてわかりゃしない。感覚がひといちばい鋭い自信はあるが、こういうのはデータベースとなる経験がなければどうしようもない。

 ただ、不思議と高級品というのはなんとなく理解できるものだ。多くの人が手を尽くした品は独特のオーラを纏う。

 もしかするとこの一杯だけで私が用意したすべての材料費を凌駕するかもしれない。

 

《いくら嗜好品の値段がピンキリとはいえさすがにそれは無い……といいなー》

 

 二人分の紅茶。

 二つの皿の上にはそれぞれホットケーキが三枚重ね。

 ナイフとフォークも準備万端だ。

 

「おまたせー。じゃあ食べよっか。いただきまーす!」

「ん、いただきます」

 

 テイオーが紅茶を入れ終えるまで待った結果、最初に焼いた一枚目が少し冷めてしまったが仕方がない。

 一緒に食べることを了承しておきながら先に食べ始めるとかダメだろう。こう、人として。

 それに時間が無駄になったわけではない。もともとはある程度食べてから味のバリエーション用にと用意していた生クリームを作ったらちょうどいいタイミングになった。はやい段階で氷を準備しておいたのが吉と出たかたちだ。

 ヒトミミならもう少し時間がかかるのかもしれないが、ウマ娘の手に持たれた泡だて器は生半可な機械化の効率を凌駕する。

 まあ、あくまである程度食べ終えてから使うものだ。やわらかなツノが立つクリームの入ったボウルをさておいて、皿の上に三枚重ねられたホットケーキに取り掛かる。

 店売りのパンケーキのようにフルーツとクリームで飾り立てられたホットケーキに憧れがあったから準備だけしてみたが。

 最初に食べたい味はもう既に決まっているのだ。

 

「はちみつと……マーガリン? おいしいの、それ?」

「さあね」

 

 バターを手に取りながらテイオーが不思議そうにこちらを見る。

 バターの方が味も香りも良い。値段からも双方の格の差は明らかだ。はちみつ好きのテイオーは躊躇なくはちみつをたっぷりかけたが、やや風味に癖のあるはちみつよりもケーキシロップの方が専用に作られただけあってホットケーキとの調和は上だと思う。

 

 でも、これがうちの味なのだ。

 父が休日出勤でいない早朝。母と娘の三人だけだし、ちょっと手抜きしちゃおうかと始まる特別な朝ごはん。

 バターは高いからマーガリン。用途の限られるケーキシロップなんて家には置いておらず、あるのは汎用性の高いはちみつくらい。当時ははちみつをこんなにたっぷりかけることもなかったっけ。

 遠慮していたつもりはない。ただ、それが当時の私の普通だった。

 

「ねー、ひと口ちょーだい?」

「ほらよ」

 

 遠慮のないやつ。まあそういうところは嫌いじゃないよ。

 切り分けて相手の皿の上に置いてやろうとしたが、何故か「あーん」と目を閉じて大口を開けてスタンバイしていたので口の中に直接入れてやる。

 もぐもぐと咀嚼するテイオーにとって、それはただのマーガリンを塗りたくりはちみつをぶちまけたホットケーキだろう。

 こいつにとって美味しいのかどうかは知らん。これでもいいとこのお嬢様なので、彼女の味覚には合わないんじゃないかとも思う。

 

「ふぅん」

 

 ごくんと飲み下したテイオーの感想はその一言だった。

 無難で結構なことだ。下手にこき下ろされたらフォークが彼女の頬を襲っていたかもしれない。

 食器は食事の為に使うものだ。こんなことで食材以外の血を吸わせるのは私としても心苦しい。

 

 フォークから手を放し、私も紅茶をひと口含んでみる。

 茶葉がよくて、きっと入れ方もいいのだろう。そう理解できる味だった。

 私にとっては『ふぅん』である。

 

 共感してもらう必要なんてない。お互いに尊重できるのならそれでいい。

 思い出なんてそんなものだろう。

 

《こう、何枚にも重ねたホットケーキにはちみつをたっぷりかけてって憧れるものがあるけどさ。三分の一くらい食べたあたりで後悔し始めない?》

 

 なんで? おいしいよ?

 

《これが若さか……》

 

 何故だかテンちゃんがしみじみしていた。

 

 

 

 

 

「ねーねー」

「ん?」

 

 こいつと食卓を囲んだ時点で、口が食事に専念できないことはわかりきった話だった。

 まあそれはテイオーに限った話ではなく、他者と食事をするというのは概ねそういう意味合いを持つものではあるが。

 オーソドックスにバターとケーキシロップで味付けした七枚目を頬張りながら、視線で続きを促す。

 

「春天さー、また何人か潰したみたいじゃん?」

 

 え、いまさらその話? と一瞬思ったけれど。

 よくよく考えてみれば私は言わずもがな、テイオーもクラシックロードへの挑戦でここ最近はずっと忙しそうにしていた。こうしてゆっくり会話できるのは何気に久しぶりかもしれない。

 

「潰したとは人聞きが悪いな」

 

 天皇賞(春)は、私的には痛み分けと言える結果だった。

 勝つことには勝った。でもいろいろと手札を切らされた。

 

 特に新しい【領域】である【Hróðvitnir】の存在は大きい。

 自身の【領域】を強化し、他者の【領域】を弱体化させる広域展開型。あれバクちゃん先輩が三枚重ねをぶち破った後に具現化したからそのままバクちゃん先輩の【領域】を呑み込めたけど、発動する順番が逆だったら新【領域】の方が吹き飛ばされていた気がしなくもない。

 

《お披露目シーンなのに一瞬でぶち破られるとか一周回ってもはやギャグだろ。偶然に助けられたというか何と言うか……。結果だけ見れば転生チート無双モノなのにこっち視点だと踏まずに済んだだけっていうバッドエンドルートフラグが多すぎるんだよなあ》

 

 私たちがこの時代で頭一つ抜けた天才であることは間違いないと思うけど、別に周囲がやられ役ってわけじゃないからね。

 

 狼のモチーフが入っているのはブライアン先輩の影響だろうか。あの人は知る由も無いだろうが、私にとってはトゥインクル・シリーズの師であることだし。

 【十束剣(トツカノツルギ)】が私たちのこれまでの集大成であるとするのなら、【Hróðvitnir】は私たちがトゥインクル・シリーズで繰り広げた数々のレース経験が色濃く反映された世界だと思う。

 つまりこう言っては何だが……中央に入学するまでの十年以上の歳月と、中央に入学してからの三年にまだ満たない月日が、『【領域】の結実』という一つの器を満たす基準ではほぼ等価というわけで。

 やっぱりトゥインクル・シリーズは()()()()。圧倒的に効率がいい。他の道でも“願い”は稼げないわけじゃないんだろうけど、この味を知ってしまったらもう選ぼうとは思えない。

 

 ただのん気に喜んでばかりもいられない。

 一つ上の高みに至れたという事実は純粋に喜ばしいが、強い力というのは往々にして消耗が激しいのだ。

 具体的に言うとそのコスパの悪さは、身体が成長した影響で相対的に使いやすくなってきていた【十束剣(トツカノツルギ)】を優に超える。

 

《序盤では威力こそ高いが連発できなかった必殺技が、レベルアップを重ねてMPが膨大になった終盤だとコスパ良好な通常技扱いになるのと同じ理屈だね》

 

 ゲームっぽいテンちゃんのたとえ。

 その例でいけば【Hróðvitnir】はさしずめ、終盤のレベルアップで覚えた超高コストの浪漫技といったところか。使用後はテンちゃんだけではなく私も非常に眠たくなる。

 それが【Hróðvitnir】特有の性質なのか、私たちが【領域】の負担を分担できるようになったのかまではわからないけれど。

 “願い”を集めた成果だったら嬉しいなと思う。自分が変質していくのは正直怖い。でもこれまで通りでいたいのなら、今までの私ではいられないから。

 

 身体にかかった負担も無視できない。こちらは【領域】に限った話ではなく。

 雨の日にタイムが遅くなるのはそれだけ重い芝にパワーが取られるからだ。その上で良バ場以上のレコードタイムをGⅠ最長距離で更新したのだから負荷は相応のものとなる。

 

 ぶっちゃけこれが五月をまるまる休養に充てることができる四月後半のレースではなく、六月前半の安田記念あたりのできごとだったらその半月後の宝塚記念で潰れていた可能性が非常に高い。

 レース当日までにダメージはある程度抜けると思うが、安田記念は勝ち方を考えなければ私たちに未来は無いだろう。

 

 しかし、私たちの3000m級のレースは雨天になるジンクスでもあるのだろうか。

 他者より悪路が得意だとは思うから有利というか、ありがたい話ではあるのかもしれないけどさ。だからといって泥だらけになりながら、雨に濡れて冷える身体に鞭打って走るのが好きというわけじゃないのだ。

 もう予定では3000m級のレースを走る予定は無い。それが残念のような、そうでもないような。

 まあ少なくとも今のところは『アオハル杯でリベンジしてやる!』なんて思うほど晴れの良バ場長距離に積極的な意欲は無いかな。

 

「身体がガッタガタになるくらいひどい戦場だったことは認めるさ。でもレコードを更新した私もマヤノもライス先輩も、途中までハイペースでレースを引っ張ったバクちゃん先輩だって故障はしてないよ」

「弱いやつらが勝手についていこうとして、勝手に潰れただけだって? もー、そんなこと言ってるから“銀の魔王”なんて呼ばれるんだよ。あの呼ばれ方、あんまり好きじゃないくせにー」

 

 皿の上の最後のひと切れを口の中に放り込みながらテイオーが半眼になる。

 たしかにあの気恥ずかしい異名のことを好きじゃなかったのは事実。テイオーにそれを見抜かれていたのは意外だったが、別に隠していたわけでもない。

 ただ、今となってはあの呼ばれ方にも立派な価値がある。

 

「好きじゃなくたって有用なら使うよ」

 

 あのわかりやすい呼称は不特定多数から“願い”を集めるのに絶好の鋳型だ。

 好意しか力に変えられないのなら少しばかり考え物だろうが、どうやら私は正負を問わず自らの糧にすることが可能らしいので。

 少なくとも『最初の三年間』の間は使い倒すことになるだろう。

 

「ふーん」

 

 納得したのかそうじゃないのか、やる気無さそうにテイオーは流すと、空っぽになった自分の皿を見つめた。

 そのまま少しばかり、やがてお腹との相談が済んだらしく彼女は席を立ちフライパンの前まで移動する。

 

「ねー、今度はボクが焼いていいー?」

「どうぞ」

 

 別にわざわざテイオーのために作っていたわけではなく、たまたまおかわりのタイミングが重なっていただけだが。さっきまでホットケーキを焼く作業は私が担当していた。

 ホットケーキをパッケージの絵のようにムラなくきれいな焼き色に仕上げるのはあれでなかなか難しい。でもテイオーのお茶を入れる仕草は見事なものだった。

 ここはお手並み拝見といくか……なんかお玉を握って生地をフライパンの上に運ぶ手つきが、だいぶたどたどしい気がしなくもないけど。

 あの低さから投入したんじゃ生地が空気を含まずにぺったりした焼き上がりになりそうだ。ふんわり膨らむよりそちらの方が好みだったのだろうか。

 

《んー、たぶんテイオーは料理できないんじゃないかなー?》

 

 え、そうなの?

 

《いや、『最初の三年間』が終わった後の時系列と思しきバレンタインの特別チョコは手作りのカヌレだったから、作ってあげたい相手とやる気さえあればすぐ上達する可能性は高いんだけどね。

 今はたぶん、ダスカの二年目夏合宿イベントの『お米洗って』って頼んだらお米を一粒ずつ丹念に洗いかねないレベルだと思うんだよね》

 

 いやそんな、マンガやゲームの料理下手キャラじゃないんだから……。

 洗剤使ってダメにしないだけまだマシか? 最悪きれいに洗い落とせば食べられないことはないだろうけど、お米ってにおいがつきやすいからなぁ。頬張ったとき口の中に洗剤の風味が広がるのは御免被る。

 脳内で失礼な会話をしながら私たちが見守る中、テイオーは紅茶を入れたときの動作とは比べ物にならないほどぎこちない手つきで生地を熱したフライパンに投入し、フライ返しを握った。

 

「ねえリシュ。これってちょっと火力弱すぎないかな?」

「そんなもんだよ」

 

「……あーっ、こげちゃった!?」

「いわんこっちゃない」

 

 結果として、テンちゃんの根拠不明のふんわり予言がまたひとつ正解率を上げたのだった。

 あーあー、初心者ならフライパンでホットケーキは難しかろう。ホットプレートの安定した火力で焼くのが無難だ。

 力量に合わせて環境を整え難易度を下げるのは別に悪いことではない。皮むきに包丁ではなくピーラーを用いたところでそれはサボりではないと私は思う。意地を張って不要なまでに分厚く皮を剥いてしまえば栄養がもったいない。

 テイオーが料理初心者だとあらかじめわかっていればもっと別の対処もあったかもしれないが……。彼女には酷なことをしてしまったか。

 

「リシュー、どうしようこれー?」

「そのまま裏も焼いて、焼き上がったら皿に移して」

「はーい……」

 

 しょんぼりしたテイオーに指示を出す。

 何だかんだ勘のいい子だ。自他ともに認める天才であるのは伊達じゃない。

 テイオー作ホットケーキの裏面は少しばかり白過ぎたが、今度は無事に焼き上がって皿の上にたどり着くことができた。

 

「砂糖の入っているものは焦げやすいんだよ。たしかにものによっては思い切って焼いた方がいいこともあるけど、ホットケーキに強火はいらない」

「はーい…………」

 

 あ、ダメだなこれ。いま言ったってアドバイスじゃなくて無益な説教になるだけだ。

 

《わざわざSEKKYOUしてマウントしなきゃならないほどぼくらは自己肯定感の欠乏や承認欲求に苛まされる人生を送っているわけじゃないし、ここはさっさとテイオーのフォローに入るべきだろうね》

 

 そうだね。その通りだ。

 

 




あと1日早ければ『エイプリルフールだけど嘘じゃないよ』ってネタが使えたんだけどなあ


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あまいクリームで覆い隠して

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U U U

 

 

「とりあえずその皿は横に置いておきな」

「……捨てないの?」

 

「捨てないよ、焦げたくらいでもったいない」

 

 言いながらフライパンの前に移動して数枚さくっと焼き、とりあえずこれでも食べてなとテイオーの前に並べてやる。

 彼女は浮かない表情を捨てきれないまでも、言われるがままフォークを握り、もそもそと食べ始めた。そこは腐ってもGⅠウマ娘。メンタルが落ち込んでいても食べることはできるというわけか。

 

「リシュの火力強くない?」

「慣れだよ、慣れ」

 

 そのままざざっと私もいま食べる分以上に焼いて、数枚まとめて積み重ねておく。生クリームを使うのなら余熱を冷ましておかないと。

 とはいえ、店に並べる商品でもなし。しょせんは目安だ。世の中には生クリームどころか熱々のケーキに冷たいアイスを乗せるトッピングだってあるのだし、多少熱でクリームが溶けたところでこの場の誰かが困るというわけでもなかろう。

 新たに焼いた三枚を食べ終わったあたりでちょうどいいタイミングということにして作業に取り掛かる。

 まずはナイフをテイオー作ホットケーキに入れる。ただし方向は縦ではなく、横に。

 

「え、それ食べるの? 無理しなくていいよぉ、焦げちゃったんだから……」

「無理はしないよ。焦がしたときの対処法を知っているだけ」

 

 さすがに炭と化している表面部分は食べられないので削ぎとって捨てる。だがその薄い炭の層を剥ぎ取ってしまえばその下は無傷だ。

 良くも悪くも砂糖の入っているものは焦げやすい。表面が焦げてもその下にはまだ火が通っていないことが往々にして存在する。

 表面が剥ぎ取られて少しばかりみすぼらしくなってしまった部分を生クリームで覆い隠し、さらにフルーツで飾りつけしてしまえば。

 あっという間に豪華なトッピング付きホットケーキに早変わりだ。あんまり熱すぎると表面を剥いだ部分に生クリームが溶けたバターみたいに沁み込んでしまうから、ある程度は冷ます必要があった。

 

「わぁ……!」

 

 テイオーの顔がぱっと明るくなった。

 単純なやつめ。

 

「すごーい! 手慣れてるねー」

「テイオーも料理するようになればできるようになるよ。どんな分野だって最初に覚えるのは失敗と、そのフォローの仕方でしょ? 人間なら誰だってそう」

 

「リシュもそうだったの?」

「そうだよ」

 

 その疑問は『私も失敗から学んだ』って部分に向いているのであって、『リシュも人間なの?』ってところを疑問視しているわけじゃないよな?

 私も人間だからね、いちおうは。

 

 さて、私もそろそろクリームとフルーツを乗せて食べたくなってきたな。……私が食べる分はもう少しホットケーキを冷ましてからクリームを塗るとするか。手元のやつ、ちょっと溶けて見栄えが悪くなったし。

 テイオーにトッピングホットケーキの乗った皿を押しやりつつ、もう一度フライパンの前に陣取る。ボウルの中身も少なくなってきたし、今のうちに残りの生地を全部焼いてしまおう。

 二人で食べているから消費が早いな。これを焼いて食べ終えたらもう一回生地から作るかな。材料にはまだ余裕がある。

 

「……ねえ、リシュ」

「なに?」

 

「ありがとっ、えへへ」

「どういたしまして」

 

 宝物を受け取ったように慎重な手つきで皿を引き寄せながら、照れ笑いを浮かべるテイオー。

 こういうところを見たら普通に可愛い後輩なんだけどねえ。

 

「紅茶を淹れるのはあんなに上手かったのに、料理はやってこなかったの?」

「むう。お茶会だとお茶を注ぐのはホストの役割だからね。そこは練習させられたんだよ。でもべつに、スコーンを目の前で焼かないといけないわけじゃないから……どの店で買えばいいのか、その評判と味さえ知っていれば何とかなるからさ……」

 

 ボクはカイチョーみたいになりたかったから、よけいなことに時間をつぎ込むよりは走っていたかったしー、などと言いながら目を逸らす。

 お茶会の練習と来たか。これでもお嬢様なんだよな。

 

 それにしてもテキトーだな、お嬢様。

 もっと礼儀作法とか習い事とか、幼少期から徹底的に叩き込まれるものだとばかり思っていたけれど。

 

《いや、これはウマ娘の名門において『走る』ということがそれだけ大きな割合を占めているのだと解釈するべきじゃないか》

 

 ああ、そういう受け取り方もあるか。そしてたぶんそれで正解だ。

 

「そのカイチョーさんはホスト側もゲスト側もその『よけいなこと』を含め完璧にこなしそうなイメージがあるけどねぇ」

「それは言わないでよー。今になっていろいろと後悔していることもあるんだからさ」

 

 くちびるを尖らせるテイオーの言葉は軽く聞こえて、それでいてわりと本気で言っているように感じた。だったらこれ以上私がツッコむのは意地悪でしかないだろう。

 自分の性格が良い方だと思ったことは無いが、これでもいたずらに誰かを傷つけたことはないつもりだ。肩をすくめてこの話はここで終わりだと示す。

 

「ま、紅茶を淹れるのが上手いのは自慢していいことだと思うよ。それは過去のテイオーがちゃんと頑張った証だ。美味しかった」

「でしょー? パリの老舗なんだ。缶もオシャレでお気に入りなんだよ!」

 

「ふーん」

「興味がないってことをもう少し隠したらどうなのさ」

 

 いや別に興味がないってわけじゃないんだよ。

 私の反応レパートリーが貧弱なだけだ。

 あとあまり縁のない世界であるのも事実かな。むしろ縁のある世界には踏み込みたくないというか。面倒なのは好きじゃないんだ。

 

 私も今やこんな戦績のスターウマ娘だから、名門の方々と接点が無いってわけでもないんだよね。それこそテイオーみたいに個人的な知り合いもいるわけだし。

 URA主催みたいなある意味で公共の場ではなく、お金持ちなお家の個人的なパーティーへのご招待とかは、よほど相手と親しいでもない限り断っているけれど。

 逆に言えばそのよほど親しい相手が申し訳なさそうに招待状を渡してくれたら応じることもあるわけで。

 

《学生ってのはいいご身分だよな。たいていの場所は学生服と、GⅠウマ娘なら勝負服で事足りるんだからさ》

 

 まあ場合によってはドレスの方が適切なこともあるし、そういう場所でわざわざ事を荒立てる必要も無いからいまや私もドレスの一着も持っていたりはするけどね。

 お金で未然に防げるトラブルなら惜しむ必要は無い……などと考えられる時点で、私もだいぶお金持ちの感覚が身に付いてきたものだ。

 ああいうドレスの購入費用は自身のレース賞金から出すことができるからね。普段は見ていて嬉しいだけの額面も、こういうときには役に立つのである。

 そして庶民的な価値観からすれば一着の服にばからしくなるような金額が飛んでいくのに、それでちっとも総額が目減りしない。

 嬉しさや充足感が無いとは言わないが……もしかしたら自分がお金持ちになった実感よりも、住んでいる世界が違うんだなと華やかな舞台との距離感を覚える割合の方が大きいかもね。

 

 さいわいスターウマ娘というのがあくまでレースが強いだけの学生だってことはみんなわかっていることだから、いちいちマナーがどうのこうのと目くじらを立てる人間はあまりいない。格式あるタイトルに絡む場だと品性に欠けるとかふさわしくないとかグチグチいう人がたまにいたりすることもあるけど。そういう人間に限って発言力があったりもするけど。

 

《礼儀作法やマナーって要するに『無駄に洗練された無駄のない無駄な動き』の結晶なんだよなー。私はこれだけ無駄にリソースつぎ込めるだけの余力ある人生の持ち主ですって全身でアピールしてんだ。ま、共通の慣習を作ることで同族意識を高めるやり方が間違っているとまでは思わんがね》

 

 脳内では相変わらずテンちゃんが不特定多数の生き様に喧嘩を売るような持論を垂れ流している。

 さすがに暴論だろう。人間から礼儀作法を剥ぎ取った先に待つのが自由と平等と幸福だなんて、この歳にもなると素直に信じることはできない。

 寒さを防ぐためだけに獣の皮を身に纏い、栄養補給のためだけに焼いた肉を齧る。礼儀作法やマナーが人間の文化と同一のものだとまでは言わないが、あらゆる慣習を破壊し捨て去った先にあるのはそういう生き方だという気がするから。

 

 とはいえ、私の半身がこんなスタンスなのだ。

 つまりテンプレオリシュというウマ娘の五割以上が、貴族的ともいえる名門ウマ娘の在り方に大した価値を見出していないということでもある。

 失礼をはたらかないように、恥をかかないように、手に入る範疇で礼儀もマナーもひととおり頭には叩き込んだけど。

 やっぱり魅力的には感じないんだよね。格式高い生き方ってやつはさ。

 

《もちろんそれとは別に、そういう生き方を選んだ彼女たちへの敬意はちゃんと持ち合わせているつもりではありますがねえ》

 

 不特定多数のハイソな方々に憧憬を抱くのは無理だけど。顔と名前が一致するなら。

 そう生きるのだと決めた彼女たちを私たちは知っているから。粗末にはしない。

 

「リシュの次走は安田記念?」

「うん」

 

「それで、その次は宝塚?」

「安田記念の結果次第だけど、そうなる可能性は高いね」

 

 安全第一。

 その方針は今もなお変わっていない。少しばかり意図的に無茶をする機会が増えただけだ。

 安田記念を無難に通過してそのまま宝塚記念に出走できるなんて保証はどこにもない。GⅠが通過地点だったことなどこれまで一度も存在しない。

 私の最終的な目的がGⅠ制覇ではない以上、それは成果ではなく経過ではあるのかもしれない。でもひとつひとつ、慎重に踏みしめるように、凄まじく苦労して乗り越えたものだ。

 

《次回の安田記念じゃレジェンド級はウオッカとタイキシャトルくらいしかいないのが不幸中の幸いかなー? ごちゃまぜ時空だからわけわかんない邂逅とか稀によくあるんだけど、やっぱり中長距離での遭遇率が高い印象だよね》

 

 テンちゃん評価レジェンド級。

 別にそれ以外のウマ娘が雑魚ってわけじゃない。そんな失礼なこと言うやつは蹴っ飛ばして空中で三回転半くらいさせてやろうか。

 GⅠに出走する以上それぞれが自分だけの勝算を持ち合わせている、絶対に雑魚ってわけじゃない優駿揃いなのだが。

 テンちゃんが『レジェンド級』と評した相手はこう、違うのだ。

 レベルが違う? 格が違う?

 どれもしっくりこない。微妙なニュアンスの差ではあるのだが……。

 

 “モノ”が違う。

 

 これが一番、曖昧な感覚と合致する表現だろうか。

 GⅠという大舞台で対峙するレジェンド級は、まるでレースの歴史が人の形に圧縮されたような重圧がある。脈々と受け継がれてきた何かがそこに集結し結晶化しているような、単純に強い弱いではない『怖さ』がある。

 その上で絶対に強い。迎え撃つ側からすればたまったものでは無い。

 レジェンド級が二人しかいないというか、二人もいるというか。やっぱりシニア級って魔境が過ぎる。

 同年代しかいなかったジュニア級やクラシック級は天国みたいなところだったんだな……などと言い切るには抵抗があるか、同世代の顔ぶれを考えるに。

 

「タイキシャトルとウオッカ、どっちの方がこわいのー?」

「どちらも怖いけど、現時点でより警戒に値するのはウオッカかな」

 

 ホットケーキを四枚重ねにして、クリームとフルーツでふんだんに飾り付けたそれにナイフをさくりと投入する。

 甘いものって口に入れた瞬間も素敵だけど、こうやって切り分けている時間もなかなかに甘美で幸せだと思う。

 テイオーも私が新しく焼いてやったホットケーキにはちみつをたっぷりかけていた。本当に好きだな、はちみつ。私も嫌いじゃないけどさ。そこまでの量を一度に摂取したら流石にくどく感じるだろう。

 

 テイオーの質問に答えるかたちで何気なく発した己の言葉がなんだか感慨深い。

 ああそうか、ウオッカもいまやレジェンド級。あのタイキ先輩を超える脅威なのか、と。

 

《東京レース場でマイルのウオッカとやり合うとかさー。ほんとさー、もうさー》

 

 日本ダービーのときから片鱗は垣間見たが、ついにそこまで育ったのか。

 まあ私だってシニア級の今ではレジェンド級と真正面から渡り合えるまでに成長しているのだから、同期のトップクラスが同様にその域まで到達しているのは何もおかしな話ではない。

 ぴーちくぱーちくいっていた頃の自分たちを思い出して、お互いに強くなったものだとは感じるけれど。

 

――東京レース場じゃあ俺はもう二度と負けねえ。そう決めた。いま決めた!

 

 あの日のウオッカの覚悟を問うときが、一年越しについに来るわけだ。

 こちらの持てる手札をすべて切った時点で、そのレースの結果にかかわらず最終的な私の負けがほぼ確定してしまうわけだけど。

 絶対に楽に勝てる相手ではないし。はてさて、どうしたものかな。

 

《ライスシャワーもそうだったけど、もうこの段階になってくると【陽炎】のデバフは通用しないからな。シニアGⅠのレジェンド相手だとその場で最適化したこちらの情報反射なんて、本当にきわっきわまで研鑽したあちらの下位互換にしかならない。

 もともとが学習のおまけみたいなもんだったとはいえ、本当に通ってほしい相手に通らないのはいやーきついっす。ガチンコ勝負で上回るしかないんだもんなー》

 

 その名前、まだ生きてたの……?

 

 ああそうだ。ダービーでひとつ思い出した。

 お互い忙しかったから、こうして面と向かってまだ言っていなかったことがある。

 

「そういえばテイオー」

「んー?」

 

「日本ダービーの制覇おめでとう。無敗のクラシック二冠だね」

「……ありがと」

 

 私が順調に勝ち進んでいるように、私の後輩も夢を着実に叶えつつあった。

 テンちゃんが何やら危惧していたようだけど、怪我らしい怪我も今のところ無し。

 

「無敗のクラシック三冠を成し遂げて、いずれ“皇帝”シンボリルドルフを超えた“帝王”になる。着実に叶いつつあるね」

「そーだねー。リシュに言われてもなんか微妙な気がするけど」

 

 私、あくまで数字だけを比べたときの話ではあるけど。

 今の段階でルドルフ会長のGⅠ七勝を超えるGⅠ十一連勝だもんね。

 

 テイオーの才能は頭一つ抜けているものがある。残すはクラシックロード最後の一冠たる菊花賞。3000mのあのレースで障害になりそうなテイオーの同世代といえば、歴史と伝統の化身たるメジロ家出身のステイヤー、メジロマックイーンさんくらいか。

 だが、そのマックイーンさんは名門メジロ家ゆえにクラシックロードよりも天皇賞の方を重視している。彼女は同時期に行われる天皇賞(秋)の方に出走する可能性が高く、このままいけばテイオーの夢が結実する可能性は低くない。

 

「テイオーの次走は宝塚記念?」

「まーねー」

 

 ただ、その順風満帆な未来予想図をあろうことか、テイオー自身が崩そうとしている。

 

「クラシック級で宝塚を勝ったウマ娘が歴史上何人いるか、ちゃんとわかった上での選択なんだろうね?」

「あったりまえじゃん! このボクがそんなこともわからずに次に走るレースを決めるとでも思ってんのー?」

 

「やりそうだとは思っているよ」

「なんだとー!」

 

 テイオーの人生だ。テイオーの未来だ。彼女の好きにすればいいと思う。

 その判断を私は否定も肯定もしない。それは私のものじゃないから。

 お前のためだとその意志決定を否定し、己が正しいと盲信する選択肢を押し付けるのは少なくとも私の役割じゃない。個人的にはファンの権利でもないとも思う。

 

 先輩として尊重し、受け入れよう。私の領分はその程度だ。

 でも同時に先輩として、確認しておきたかった。

 

「安田記念の結果次第では、私も出るんだけど」

「うん。知ってる」

 

 だろうね。いくらなんでも今さっき話題にしたばかりだ。

 忘れるには時間が足り無さ過ぎる。

 

 目と目が合う。

 私の青い瞳と、テイオーの青い瞳が重なる。

 快晴の日の空と海を合わせたような綺麗な色をしていると思った。

 

 もちろん、それがすべてというわけでもなかろうが。

 昨年の年末にあったアオハル杯プレシーズン第三戦での一幕を考えるに、テイオーがこの段階で宝塚に挑戦するのは私と戦いたいという動機が大きな割合を占めるのだろう。

 

 だが宝塚記念に出走するのは私とテイオーだけではない。

 グランプリは伊達ではない。

 ミーク先輩やゴールドシップ先輩が出てくるらしいし、このお二人がいる時点で十分すぎるほどにひどい。

 彼女たちは私たちの前に一つの時代を築き上げた双璧だ。

 流星のように現れ、スターウマ娘の階段を『最初の三年間』で駆け上がり、ついにはURAファイナルズ長距離部門の初代チャンピオンに輝いたゴールドシップの名コンビ。

 そんな黄金の不沈艦に食らいつき、ときに引き離されながらも、最後には見事な追い上げを見せて当代の桐生院ここにありと示したハッピーミークの名門コンビ。

 世代交代を演出する舞台としてグランプリレースはふさわしい格を持つかもしれないが、それはそれとして相手にとって不足が無さ過ぎる。

 現在のアオハル杯ランキング一位からビターグラッセやショートスリーパーも来るらしいし、普段の態度がアレなため後輩たちからはべろんべろんに舐められているがデジタルだってマジモンの天才である。

 見ている方は絢爛豪華だと素直に喜んでいればいいだろうが、その中から一着を勝ち取らねばならない身とすれば頭がクラクラしてくるような優駿揃い。

 

 テイオーはどこまで覚悟できているのだろう。

 いや、それに関しちゃ人のことを偉そうに言える立場でもないか。

 真に覚悟が問われるのは物事が順調に進んでいるときではなく、想定外の方向から現状が崩れたときだとテンちゃんが言っていた。

 幼いころからの夢だった無敗のクラシック三冠が夢と散るリスクを看過してまで選んだローテに覚悟がないわけがない。ただそれが、順調の上に成り立った覚悟であるというだけ。

 テイオーの決断の真価が問われるのは夢が破れてからだ。そしてそれは私にとっても同じことが言えるのだろう。

 だって私、これまで本当に本気で努力してどうにもならなかったことってあまり無いし。私が覚悟しているつもりのあれやこれやも、しょせんは絶望的な逆境を経験したことがない『つもり』でしかないのかもしれないのだ。

 

「後輩がちいさいころからずっと大切にしていた夢を打ち砕くのは少しばかり心が痛むよ。ほんのちょっぴりだけね」

「だいじょーぶ。ボクが勝つから。これまでだって一度も負けたことが無いんだ」

 

 どのみちレースである以上、勝つのは一人だけ。

 レースには長い歴史があるから重賞であっても同着とされた例が無いわけではないが、私たちの戦いに決着がつかないことなどありえない。そう根拠もなく確信している。

 テイオーのことはかわいいと思っているけど、同じステージに立とうというなら特別扱いする理由はどこにもない。

 他人のことを心配する前に、まずは自分からだ。

 

「奇遇だね。私たちもだよ」

 

 長い六月が始まろうとしていた。

 




次回、ウオッカ視点まさかの3回目


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サポートカードイベント:championが馴染まなくて

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安田記念、ウオッカ視点で開幕です


 

 

U U U

 

 

 ついにこの日がきちまったかー。

 

 その一言に尽きる。

 ドキドキもワクワクもゾクゾクも、それらに伴う感情も、天を仰ぎたくなるそんな一言の後にようやく胸中に湧いてくるものだった。

 安田記念当日。

 怪我もなく万全な状態で今日を迎えられたのは実に喜ばしい。相棒には感謝だな。

 

「はぁー……」

 

 気づけば口からこぼれる、腹の底から流れ出るような深々としたため息。

 地下バ道を進む中、感じるのは重圧(プレッシャー)。中間テストと期末テストがまとめて待ち受けているような重さがずしりと胸ん中と腹ん中を満たしている。

 

 いや、自分でも思うんだ。何回くよくよ迷ってんだよってさ。

 もう決めたはずだろ、覚悟。燃え盛っているはずだろ、決意。

 

 でもよぉ。一回決めたらもう迷わねえって、実際だいぶ厳しくね?

 できねえとは言わねえよ。やってるやつ知ってるもん。同室だし。

 

 けどさ、誰もがスカーレットみたいに単純バカになれるわけじゃねえんだよ。

 口に出しては言わねえけど。みっともねえ。その単純バカであり続けることがどれだけ難しくって、どんだけ傷だらけになることなのか。

 見てきたからわかる。そんでもって、あれと同じことはできないってのも、わかる。

 憧憬と嫉妬の裏返しで、その対象を軽んじて貶めて心の安寧を図るなんてのは……さすがにダサすぎて今の俺でもやれやしねえ。

 

「ヘーイ、ウオッカ!」

「っと、タイキ先輩ちわっす!」

 

 挨拶は大事だ。それはけじめみたいなもん。どれだけメンタルが落ち込んでいても先輩にはきっちり頭を下げて敬意を払う。

 そんな俺の頭をずどどっと勢いよく接近してきたタイキ先輩はその勢いのままむぎゅっと胸に抱え込んできた。いわゆるハグだな。

 ……俺もいわゆるお年頃の女の子ってやつとはだいぶ違う生態をしていると自己判断を下しちゃいるが。タイキ先輩の距離感の詰め方を見ているとあくまで内向的な日本人気質の範疇でしかないんだなと感じる。

 嫌なわけじゃないんだがなかなか慣れねえわ。気恥ずかしさが消えねえっつーか。

 

「ウウーン? すこし、元気ないですかー? ワタシは元気メニーメニーありあまっているのでウオッカに分けてあげマース!」

「う、うっす……」

 

 タイキ先輩がピークを過ぎて引退しちまうかもしれないってなったとき。

 俺は挑んだ。タイキ先輩が本当に引退しちまう前に挑戦して、マイルで無敵とさえ讃えられたこの人をマイルGⅠで下して、世代交代を成し遂げてみせた。

 やり遂げたときは心底自分が誇らしかったね。やるじゃん俺って。

 

 リシュは我が道を突き進んだ。

 輝いて、煌めいて、その目の眩むような光で数々の伝説を己が征く道に引き寄せてみせた。自分がおもむくのではなく、その魔王の異名が示すとおり相手の方を招集しやがった。

 実際にこうやって、タイキ先輩は今年になっても引退せずここにいる。“銀の魔王”テンプレオリシュと走るために全盛期の力量まで返り咲いて、新たなGⅠの舞台に臨んでいるんだ。

 

 それだけで格の差は歴然じゃねーか?

 

「今日のワタシは安田記念のチャンピオンで、でも挑戦者デース! フッフッフ、ウオッカにもリシュにも負けませんヨー!」

 

 見るからにワクワクしていると表情のみならず全身で語りながらタイキ先輩が笑う。君臨する王者ではなく、久方ぶりの挑戦者としての戦いってことか。

 きっとそれは解放感。まだまだ王座に尻が馴染まない若輩マイル王の俺には想像もできない重圧がいくつもあったんだろう。

 

「へっ、今回だって俺がぶっちぎって二大マイル戦覇者の称号かっさらわせてもらいますよ!」

「Fooooo!」

 

 でも、いくら若輩モンとはいえさ。これでも王者としての矜持みたいなものはあるわけよ。

 そしてこうやってカッコつけでも口に出してしまえばそこには力が宿る。血肉を得て重みが生じる。

 ふらふらとしていた足腰が少しだけしゃっきりした。

 

 テンションが上がったタイキ先輩はぴょこんぴょこんと跳ねるような足取りで先に行ってしまった。先輩にこういう表現が的確なのかわからんが……自分が大きくなったと気づいていないまま子犬の頃の同じ感覚で振る舞う大型犬みてーな人だ。

 あれでレース中は圧し潰されそうなプレッシャーの持ち主なんだけどなぁ。

 

「Wow! スカーレットも応援に来てくれましたか!?」

「ええ」

 

 うげ、アイツも来てんのか。

 ここからじゃまだ見えねえけど、タイキ先輩の嬉しそうな大声でルームメイトが地下バ道まで来ていることを知る。

 といってもしょせんは声の届く範囲だ。足を進めていれば嫌でも目の前にたどり着く。

 

 今日走るためここにいるわけではないと暗に示す制服姿。

 しゃんと胸を張っている、というよりは仁王立ちしていると評したくなる佇まいで、その上にスタイルを誇示するみてーに胸の下で腕組みまでしやがった。

 またサイズが上がったんだっけか? 部屋でぼやいていたもんな。けっ。

 

「……よお」

「あら、思ったよりは悪くない顔してるわね」

 

 開口一番にそれかよ。ケンカ売ってんのか、あーん?

 タイキ先輩がいりゃあもう少しネコを被っていたんだろうが、あいにくあの人は軽く会話しただけで既にここを通過したらしい。

 

「へっ、これから大勝負が待ってんだ。無駄な前哨戦をするつもりなんてねーぞ」

「タイキ先輩からエールでも貰った?」

「聞けよ」

 

「敵に塩を送ることを躊躇わない。そもそもほどこしとすら思っていない。絶対王者の貫禄ね。送られた塩、せいぜい無駄にするんじゃないわよ」

「……ああ、そうだな」

 

 見上げていた先輩方も、いまやシニア級という括りでは同格。

 端から負けるつもりなんてさらさらない。それはスカーレットだって同じだろう。ただ、ああいう絶対的な強者特有の余裕を見せられると、まだまだ敵わねえなと思わされる。

 俺のパフォーマンスを向上させることをあの人たちは利敵行為とすら感じないのだろう。何故なら自分が勝つから。競い合う相手が強いことはレースの質が高まるから喜ばしいことでしか無いのだ。

 名実が伴った絶対王者としての自負。

 そのあたり、比べてしまえばリシュでさえ一枚格が劣る気がする。あいつはマスコミの前でこそ泰然自若としたポーズを決めているが、実際は強敵を相手にするときはいちいち嫌そうな顔するからな。

 

「でもまだまだ湿気ているかしら? ゴールドシップ先輩風に言えば『袋を開けて丸一日放置したポテトチップスみたいな仕上がり』って感じ」

「やっぱケンカ売りにきたのかコラ」

 

 あとゴルシ先輩はもうちょっと脈絡が無くって意味不明な感じだ。

 それじゃあまだ話の筋が通り過ぎている。エミュレートの精度が低いぜ。

 

「ケンカ売るのなら勝負服着てきているわよ」

「…………」

 

 制服の襟を摘まむその仕草に言葉を呑み込む。

 それやめろ。何も言えねーじゃねえか。

 スカーレットのやつが脚をやったのは冬のことで、暦の上ではもう夏だ。個人的には夏っていや七月や八月のうだるような暑さとセットのイメージがあるんだが、辞書引けば六月からって載ってあるんだから仕方あるめえ。

 

 季節がくるりと半回転する間にギプスは取れて、松葉杖も必要なくなった。リハビリは進み歩くのにも汗を流していたのが、春のファン大感謝祭ではステージの上で踊れるまで回復した。

 だが、まだまだレースを走るには至らない。トレーナーの見立てでは復帰は早くても秋、順当にいけば冬にもつれ込む。

 ほとんどまるまる一年。本格化を迎えたウマ娘にはあまりにも長すぎる時間。

 

 それでもきっと、机の引き出しがタイムマシンに繋がって何度あの日をやり直す権利を得ても。コイツは何度だって同じ選択を躊躇しないのだろうなとぼんやり確信できる。

 それだけのレースだった。中距離やマイルほど得意ではない長距離で、スカーレットはそれだけの走りをしてみせた。

 

 どれだけ時間がかかっても必ずダイワスカーレットは復帰して、もう一度かの銀の魔王へ挑むのだろう。

 長距離であれだけの走りができたのなら、中距離やマイルなら?

 次への期待をファンは口にする。無責任のようでいて、しかし期待もされないその他大勢に比べたらよほど恵まれた立場。

 

 俺はどうだ?

 マイルの東京レース場。これ以上ないホームグラウンド。俺のテリトリー。運命的な何かを感じる。もはやここじゃ負ける気がしねえ。

 

 ここで負けたらもう先がない。どこにも『次』が用意できない。

 

 俺はリシュに勝てるのか?

 これまで誰にだってできなかったことなのに。

 発表されたリシュのローテでマイルのレースはこれが最後だ。これほどの好条件が重なって、それでも日本ダービーで誓った最後の意地が貫き通せなかったら。

 

「くだらないこと考えている顔ね」

「……うっせ。誰もがお前みたいに迷わず突き進めるわけじゃねえんだよ」

 

 ケンカするまでもなく、それは負け惜しみだった。

 

「まったく。トレーナーからの信頼が重いわね」

「あん?」

 

 何故かスカーレットが空を仰ぐ。

 

「現状に違和感をおぼえる余裕もないほどプレッシャー感じてんのね。思い出してみなさい。アタシたちのトレーナーはなんて言っていたか」

 

 言われるがまま記憶をあさる。ほんの数分前のはずなのに、脳内に蓄積された時間をゆっくりと指でなぞって遡っていくような感覚。

 

「『楽しんでおいで』って、言われたわ……」

 

 笑っていた。そう言って送り出してくれた。

 関係者なら地下バ道まで入ることができる。トレーナーとウマ娘の関係性によっては、あるいはそのときのウマ娘の調子次第で、レース場に出る直前までトレーナー同伴のウマ娘の姿を見ることはそこまで珍しい話じゃない。

 どうして相棒は俺だけを送り出した?

 

「あっそ。そう言うならその通りにしたらいいんじゃない?」

 

 勝算が無いから見限られたか?

 いや、それはありえないな。

 俺の実力どうこう以前に、始まる前から勝負を諦めるようなやつじゃない。どこからどう考えても請け負ったウマ娘の人生を粗雑に投げ捨てるような大人じゃねえ。

 

「温厚な常識人みたいな顔をしておいてやっぱりあの人ってゴールドシップ先輩の担当よね。自分でやるよりアタシに任せた方がより勝率が上がると踏めば、躊躇なく任せるんですもの」

 

 ま、リシュは妥協込みで届くような相手じゃないけどね、とスカーレットは皮肉気に肩をすくめる。

 お前が言うならそうなんだろうさ。説得力が違う。もしかしたら張本人であるリシュを差し置いて、世界で一番リシュを語る資格がある。

 

「楽しんで走ってきたら? アタシと違って、アンタは走れるんだから」

 

 だからそれやめろって。肯定も否定も簡単にできなくて無駄に脳みそ使う感覚が疲れるんだよ。

 でも、そうか。

 楽しむ、か。

 楽しんでいいんだ。

 

 そういやレースを志したのはダービーに憧れたからだったけど。

 そこから始まって今日まで走ってこれたのは楽しかったからだ。

 勝てて嬉しい。負けて悔しい。思い通りに走れてテンション上がって、思い通りにいかなくて上がった分まで含めてガタ落ちしてどん底。

 どれもこれも走るのが楽しいって大前提の上に積み重ねられてきたもの。それがどでかい基礎だからこそどれだけ重ねても崩れることがなかったもの。

 

 ゴルシ先輩もブライアン先輩もレース中は楽しくってたまらないとばかりにギラついた笑みを浮かべている。それぞれの得意距離では並ぶものなしと一目置かれるバクシンオー先輩やタイキ先輩だってそうだ。

 俺が『走るの楽しい』って感じたの、いつが最後だっけ?

 いやいや、まてまて。早合点するな。つまらないってわけじゃなかった、はず。そこまで腐っていたら流石に相棒がなんか言ってきただろう。

 でもここ最近は負けられねーって思いが強くって。俺がダービーの敗北から立ち上がる足がかりになった一方的な約束、その履行しなきゃなんねーってことに意識が持っていかれていて。あんまり楽しいと感じられるだけの余裕がなかった、ような……?

 

 いやだって仕方ないだろ!? だってリシュが発表したトゥインクル・シリーズ最後の年間ローテで府中マイルはこれが最初で最後だぜ? ここまでそのままズバリ俺の最も得意な戦場が用意されて、これはもう負けられねえ負けちゃなんねえってなるもんだろっ!! 春天じゃあ鬼気迫るライス先輩相手に雨天の淀の坂でレコード叩きだしたりするしさあ!? プレッシャー追い打ちもいいとこだぜアレ!!

 何があったって折れず揺らがず曲がらず我が道を行くスカーレットやマヤノみたいなやつばかりじゃないんだよ! ああもう俺の同期そういうやつ多すぎんだろ!? 何で俺が相対的に常識人みたいなポジションになってるんですかねえ!?

 恐ろしすぎんだろ相対評価。俺だって自分なりにだいぶ型破りでアウトロー寄りのつもりなんだがなぁ……。このあたりの感性でいちばん話が通じるのがあのデジタルって時点で何かおかしいわ、うちの世代の代表(テッペン)ども。

 

「まったく、遅刻する気? さっさといけば」

「お、おう」

 

 どんと乱暴に肩を小突かれてレース場へと送り出される。

 まったく、応援に来たとは思えん態度だ。でもま、俺たちならこのくらいがちょうどいいんだろうな。ライバルってのは必要以上に馴れ合わないもんだ。

 送り出せる程度にはマシな表情になったらしい。

 一方的に借り作っちまったな。これは利子をつけておいて、スカーレットのやつがまた走れるようになったら散々煽り倒すことで返すとしよう。

 ライバルと言うにはここまでの戦績は少しばかり一方的って事実には都合よく見えないふりして、外に出たことで急増した明るさに目を細めた。

 

「……おー、空が青いぜ」

 

 梅雨の季節とは思えないくらい、雲一つない快晴と緑に光る芝がそこには広がっていた。

 

 

 

 

 

『快速自慢が集う東京マイル、安田記念! 春のマイル王は誰の手に』

 

 トレーナーからは信頼と楽しんで走れば勝てるだけの実力を、親友からは俺にこの上なくぴったり合わせた激励を贈られた。

 こりゃ無様に負けるわけにはいかなくなったな。いやまあ勝ちに来たんだが。

 

 東京レース場はよく馴染む。

 左回りなのか芝なのかコースの形状なのか何がいいのかハッキリしねーが、ともかくしっくりくるんだ。ずっとここにいたくなるような。あるいは魂があるべき場所にガツンと嵌っているような気さえする。

 ファンファーレをスタンドじゃなくて芝の上で聞くのにも慣れてきたな、なんて考えて。

 そう考えたことで自分がもうシニア級なんだなって、上半期がもう終わりそうになる頃にようやく実感が湧いたのかと苦笑する。

 おいおい、俺まだ中等部三年だぜ? 歳を取るごとに時間の流れが早く感じるなんてのはよく聞く話だがなぁ。中学でこれなら酒が飲める年齢になる頃にはもうマッハだろ。

 

『三番人気はウオッカ。二枠四番での出走です』

『昨年はマイルチャンピオンシップにてタイキシャトルを始めとした錚々たる顔ぶれを打ち破り、クラシック級にして秋のマイル王に輝きました。はたして今日はここ安田記念を制し、二大マイル戦覇者として名乗りを上げることができるのか』

 

 今日の俺は三番人気か。

 まあこんなもんだろ。

 過大評価だとも過小評価だとも思わない。考えなしに反骨精神を剥き出しにするには、今の俺はもう世界の広さを知り過ぎたから。

 

 お、今のなんかカッコよくなかったか?

 

 それに一番人気が順当に一着を獲るのが当たり前なら、レースの盛り上がりは半減するってもんだ。

 二番人気でも三番人気でも、何なら十五番人気くらいのレース場までわざわざ見に来ているファンだって名前を憶えていないようなウマ娘が快勝することがある。それが当たり前。それがレース。一番人気に推されてずっと勝ち続けているリシュがただの非常識なんだよ。もはや勝ち続け過ぎて非常識と常識が裏返りかねないレベルになってるけど。

 だったらさ。もはやリシュが勝ち続けることが常識みたいなことになってんなら、俺が常識破りの女王になってやろうじゃねえか。なあ?

 

『二番人気はタイキシャトル。五枠九番での出走』

『言わずと知れたレジェンド。私イチオシのウマ娘です。そのパワフルな走りは多くのファンの心をがっちりと掴んで離しません』

 

 タイキ先輩は二番人気か。

 こちらもまあ、そんなところだろうと納得するだけだ。いちおう昨秋のマイルCSでは俺の勝ちだったんだがな。その一回だけでは格付けには不十分だった、少なくとも今日この場においてはそういう評価が下されてんだろ。

 だったらもう一度勝てばいい。何度でも勝てばいい。認めてもらうんじゃない。認めざるを得ない結果を出すのが本当の強さ、カッコいいヤツだろ。

 ま、それが至難の業だってことは重々承知しておりますがね。簡単なことならそもそも挑まないんだよなあ。

 

『そして本日の主役はこのウマ娘をおいて他にいない。一番人気テンプレオリシュ、三枠六番での出走です』

『ついに銀の魔王がマイルGⅠへ侵略を開始。はたして王者たちは自らの領土を守りきれるのか』

 

 いや、リシュはあれでクラシック級のころにNHKマイルカップ獲ってんだからアイツもれっきとしたマイル王だろう。外部からの侵略者扱いはピンとこねーな。たしかにあちこちで勝ち過ぎてリシュがマイル王者って感じはあんまりしねーけどさ。

 それとも『どこにでもいけるリシュと違って俺たちはマイル(ここ)くらいでしか勝負できないのに、その数少ない領土(GⅠ)すら奪われるつもりなのか?』と揶揄しているのか。

 へっ、言ってくれるじゃねーの。嫌いじゃねーぜそういうの。

 

 ざっくり一年ぶりにレース場で相対したリシュは、あの頃とはまた印象が変わっていた。

 霧の立ち込める森という大枠こそ据え置きだが、人を拒む魔境の姿はもうそこにはない。人の手が入り人に恵みをもたらしてくれる温和な秩序の空気がある。

 ただ、木々の隙間から無数の武具がちらついているのはどう判断すればいいのか。

 真っ二つに折れた木刀や罅だらけの槍なんてものがあるかと思えば、きらびやかな装飾がほどこされた鎧や宝玉のついた大剣なんてものもある。一貫性の無いそのラインナップは博物館と言うよりも、森の中で戦があって討ち死にした死体だけがどこかに消えてしまったような、不穏で不可思議な何らかの物語性を感じさせるものだった。

 つわものどもが夢の跡。

 何となくそんな言葉が思い浮かぶ。正しい使い方なのかは知らん。俺はリシュやスカーレットほど現国の成績がよくないんでな。いや、たしか松尾芭蕉の俳句だから古文か?

 総評して得体のしれない感じは減ったが相変わらず理解しやすい存在ではないし、感じるエネルギーの総量そのものは上がっている。なんてこったい。

 でもビビってない。怖いけど、すげえ怖いけど。身体が縮こまっていない。不思議な感覚だ。むしろワクワクしている。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 観客の期待と願いがぎゅっと押し込められて邪魔しないよう沈黙に変わる一瞬。

 じゅうぶんに温まったエンジンのように心臓が満足げな唸りを上げる。

 金属の擦れる音がしてすべてがいっせいに解放される。

 

「イヤッフー!」

 

 デカくてパワーに満ち溢れたものがものすげえ速度で動く。それだけで本能的に仰け反ってしまいそうな威圧感。

 

『いまスタートしました! ばらつきのない綺麗なスタート』

『熾烈な先行争い。前に立ったのは十番アングータ、五番ブリーズグライダー、十五番ジャズステップ』

 

「はあああああ!」

「しゃあ!」

「オラオラオラオラァ!」

 

 そんなスタートダッシュを決めたタイキ先輩に臆することなく、逃げウマ娘たちが先陣を争う。

 先頭に立ちそうなのはアングータかな。ブリーズグライダーと並んでレースを引っ張る展開になりそうだ。ジャズステップはちょい遅れ気味。

 

 アングータ。こいつともなかなかに長い付き合いだよな。皐月賞でマヤノともやり合っていた同期で、あの有記念にも出走していた幅広い距離適性の実力者。ま、この走りを見るに適性はマイル寄りだろうが。

 脚質は逃げ一辺倒……と見せかけて、イチかバチかの破滅逃げからペースをコントロールする幻惑逃げまで、レースごとにいろいろ試行錯誤している様子。気質的に先頭を譲ることはできないんだろうが、その上でこのままじゃダメだと次から次へと勝つ手段を模索しているのだろう。

 こいつの出走ローテは明らかにリシュを意識している。だから工夫しているわりに成果に繋がっていない。識者気取りは目立つために先頭を走っているだけ、なんて言いやがる。

 バカが。伊達や酔狂でリシュと同じレースに出れるかよ。スターティングゲートの金属と閉所の圧迫感にリシュの威圧感が重なって、もはや物理的な斥力すら生じそうなそこに踏み込んで、ようやく肩を並べることのできるステージがここだ。

 本当に本気でカッコつけるためじゃなきゃこんなことやれねーっつの。

 だいたい、レースごとにガラリと作戦を変えてそれを本番までにきっちり仕上げるってかなりの労力と難易度だからな。不器用そうに見えて実際不器用なのかもしれねーけど、それだけのウマ娘に成し遂げられる逃げ(コト)じゃねーのさ。

 

 さてと、俺はもう少し後ろに控えさせてもらうとするか。

 短距離ほど露骨ではないが、それでも安田記念はたった九十秒で決着がつく刹那の戦い。本能的に少しでも前へ、前へと位置取りたくなる。特に今回はタイキ先輩とリシュっていうスピードの化身みたいなウマ娘がひとりじゃないんだから、あんまり後ろの方だとそのまま押し切られるんじゃないかと、レース前は先行策でいくことも考えていたんだが。

 俺は俺の差し脚を信じることにした。もともと東京レース場は直線の末脚勝負になる展開が多いってこともある。それに何より最後にいっきにバ群を切り開いて勝った方が絶対に()()()

 レースは問題集じゃないんだ。練習通りの、想定通りの状況が来てくれる保証なんてどこにもない。だったら自分から崩していくのも一興ってもんだろ。

 

『向こう正面中間に入って先頭は十番アングータ。五番ブリーズグライダーそれに続く』

『十番アングータと五番ブリーズグライダー、この二人がレースを作っていきそうですね』

 

 すーっと砂が流れるように一塊となっていたウマ娘たちがそれぞれ自分のポジションを確保していく。

 逃げを選んだ者たちが最前線を構築し、その後ろに先行勢がばらばらと続く。タイキシャトルというウマ娘はその恵まれた体格と存在感が相まって後ろからよく見えた。逆にリシュは足音が聞こえない独特な走法も相まって妙に影が薄い。

 つか、前目につけているウマ娘多くね? タイキ先輩やリシュたちでさえ八番手から九番手。俺に至っては十二番目だ。

 早くに動いてそのまま押し切れるようなコース構造ではないはずなんだが。たしかにタイキ先輩やリシュはその無茶を成し遂げてしまえる実力の持ち主だが、誰もがそんな無茶苦茶を成し遂げられる才覚を持っているわけじゃない。

 

「負けない……負けられない……負けたくない……!」

「あんなローテでろくに調整もしていない天才に譲ってたまるか。マイルはアタシのもんだっ!」

 

 ばちばちと魂がはじけてその火花が顔にかかってくるみてーに、今の段階から前を走るウマ娘たちの想いが俺に降りかかってくる。

 ああ、その気持ちはよーくわかる。俺だって負けたくねえ。リシュにも、スカーレットのやつにも。『な、なんてやつだ。あれほどの実力、今の俺はあいつに勝てるかどうか……!』なんて背景と一体化して解説役に専念するライバルキャラみてーなポジションに収まるのは御免だ。

 ただ、気ばかり急いても足が速くなるわけじゃないんだよなぁ。何より自分に追い立てられながら走っても楽しくねえ。

 ほんの少し前までの俺もあの中にいたのかもしれない。そう思うとわずかばかりの寒気と同情と、それ以上にワクワクが湧いてくる。

 やっべ、なんか自分でも根拠がよくわかんねーのに楽しいぞ。

 

『期待通りの結果を出せるか? 一番人気の六番テンプレオリシュはちょうど列の真ん中で様子をうかがっているぞ』

『六番テンプレオリシュ、周囲の状況を把握できるいい位置につけています。その内には九番タイキシャトル、そしてその後ろに行くのは十一番ミニコットン』

 

 存在しているだけで否応なく周囲に影響を及ぼすスーパースター。そしてそんな相手がただ『存在しているだけ』で終わらせてくれるはずもない。

 注目に存分に応じるからこそのスーパースターってね。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 

 乱暴者の塗り絵みてーに。肉体の枠を完全にはみ出した思念が世界を塗り潰す。東京レース場のバックストレッチがテンプレオリシュというウマ娘の色で上書きされていく。

 投影される光景もまた、以前に見たそれから進化を遂げていた。

 映し出されるのはしゃらんと花開く腕の甲冑。あらわになった細い指をごつい銃に這わせていく。白い銃剣。折りたためば銃口があらわになる銃モードと、真っ直ぐ展開してショートソードほどの長さになる剣モードの変形機能付きだ。

 リシュはこういうときめく装備や言い回しを用意するのが得意なのに、妙にそれを認めるのを嫌がるんだよなぁ。いや、これはテンちゃんのなせる業なのか?

 折りたたまれた銃モードの状態ですら拳銃としてはかなり大型になるそれをリシュは両手で抱き抱えるように持つと、左胸に埋めて引き金を引いた。

 ぱぁんと肉体を貫いて背中から大輪の赤い花が咲く。

 

 はぁ!? だからいちいち演出が俺のハートにダイレクトアタックなんだって! なにそれカッケェ!! 傷ましさの中に混ざるどこか神聖な美しさというかああもう、情緒がMAXになって言葉が出てこねえッ!?

 

 僭称(イミテーション)【レンタルネコの手百裂拳】

 

 ただ、続いて花開き実った世界が地に落ちて芽吹いた光景は一転してそういうしんみりした美的感覚とは無縁のものだった。

 にゃーにゃーと聞こえる無数の猫の鳴き声。空間にぺたぺた押される色とりどりの肉球スタンプ。

 なんだこれ。いや本当になんだこれ。さっきとの温度差で風邪ひきそう。

 

 ああいや、なんとなく効果はわかるんだぜ? その意図の方も。どうにもソワソワというか落ち着かない感じがするし、掛かりやすくするとか掛かったら長引くとかそういう感じだろ。

 リシュとタイキ先輩という強大すぎる相手に冷静さをガリガリ削られているやつが多い現状、タイキシャトルというライバルの存在感まで活用してまずは周囲を削りにきたか。

 スタミナが長距離で重要なのはもはや言うまでもないが、短距離だって距離にして一キロは下らねえんだ。自分のペースを見失ったウマ娘はマイルだろうと容易く溺れて沈む。まったく容赦がねえ。ついでに油断もねえ。

 

「フゥン?」

 

 ただ、その影響を誰もが受けるわけじゃない。

 タイキ先輩あたりは効果範囲真っただ中だったが、本人が特に何かしたというわけでもないのにその周囲ではハラハラと赤い花びらに逆戻りして散っていった。

 

《うーん。やっぱり適性距離S以上のレジェンド級相手に無印デバフはあまり刺さらんなぁ。干渉力が違い過ぎて抵抗ロールすら発生していないって感じがするよ。まあこちらが頂点に上り詰めたことで格上殺し(ジャイアントキリング)系の手札が軒並み使えなくなっているというのも大きいけど》

 

 どこかで普段とは雰囲気の違うリシュのぼやきが聞こえた気がする。

 ここは二大マイル戦と称されるほど格式あるGⅠタイトルで、出走するウマ娘も相応の実力者揃いだ。

 それでもリシュもタイキ先輩も特にピッチを上げているわけでもないのに、じりじりと順位が上がっていく。スピードのベースクロックが違い過ぎるんだ。ざらざらと先団を形成していたウマ娘たちが押し退けられていく。

 直線が第三コーナーに変わり、横目に見える大ケヤキを越えたらもう第四コーナー。ごちゃごちゃと入れ替わりが激しくなってきちゃいるが。この瞬間リシュは四位まで順位を押し上げていて、一人挟んで六位にタイキ先輩がいる。俺は位置的に微妙だが十一位ってところかな。

 

『大ケヤキを越え第四コーナー。まだ先頭は動かない、このまま直線での争いになるのか』

『十番アングータまだ先頭をキープしています! 五番ブリーズグライダーここで抜け出すか。九番タイキシャトル内で様子をうかがう。六番テンプレオリシュまだ抑えたままだ。中団の八番デュオジャヌイヤ不気味に息をひそめる。後方では十三番アゲインストゲイルその位置から届くのか』

 

 なんだこれ。はっきりわかる。妙に視界が冴え冴えとしていて、誰がどこにいて次にどう動こうとしているのか脳内にくっきり思い描ける。自分の後頭部で揺れる髪さえありありと目に映るようだ。

 初めて“領域”に目覚めたときのような万能感と、あのときさえ超える高揚がふつふつと湧き上がってくる。

 今の俺は世界と繋がっている。たいした根拠もなくそう確信した。

 

 領域具現――666:ランナー・オブ・ビースト

 

 先頭で世界がまた一つ炸裂する。

 そうかアングータ。お前もまた到達したんだな。

 

「これがアタシの集大成、もってけぇ!!」

 

 

 




次回、安田記念決着


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サポートカードイベント:血と骨で織り成すgravity

安田記念決着
途中で三人称視点が挿入されていますが品質に問題はありません

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U U U

 

 

 バ群を貫いて押し寄せる、こことは異なる光景。

 見えたのは岩。山と見紛う巨岩というわけでもなければ、クリスタルのように透き通っているわけでもない。何の変哲もないただの岩だ。

 荒々しい表面。水と親しみ角が取れて苔むしたものとは違う。ろくに風を遮ってくれる草木も無い荒野でどれだけの時間を過ごしたのか。

 その表面が赤く灼ける。まるで透明な焼きごてを押しあてたみたいに。いや、岩があんなに煌々と灼ける温度の焼きごてって何だよって話だが。

 6・6・6と数字が三つ。象形文字のように独特の崩し方をしたそれが浮かび上がる。

 そして、ただそれだけだ。ド派手に爆発なんてしない。ビームとかも出ない。

 その岩ができあがるまでにどれだけの歴史があったのか。細かな砂が集まって岩になるまでどれだけ圧縮される年月があったのか。何を思って数字は刻まれたのか。想像はできても想像できるだけだ。頂点が織り成す鮮やかな異能と比べると悲しいほど情報量の少ない、ささやかな世界。

 だからこそコイツらしいと思った。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 そしてそんな情緒を顧みることなく無慈悲に魔王の牙は狩る。

 まるで獣の咆哮みたいな轟音を立てて、黒剣が虚空に青い尾を引いて飛んでいく。四方から、八方から、獰猛に秩序ある動きで飛び掛かる。

 それがシーツの上に描かれた絵で、そこにハサミを入れるみてーに。岩も荒野も灼けつく数字も平等にじゃくじゃくとあっけなく千々に切り裂かれていく。咀嚼されていく。

 

 ……いや、俺もアイツの黒剣は喰らったことあるけどさ。

 あそこまで禍々しいもんだったっけ? もう相手のすべてを喰らいつくしてやんぜって勢いじゃないか、アレ。

 

《ふむふむ、残り666m地点をトリガーに発動する速度上昇、加速、スタミナ回復の欲張りセットか。ゲームじゃスパート中のスタミナ回復は無意味なことが多かったけど、現実じゃありがたいことこの上ない。性能だけ見れば実質的に【スリーセブン】の上位互換。どんな脚質でも使えるところも実に美味しい。あとはコスパとの兼ね合いだなー》

 

 脳内に、いや身体のどの部分と表しても微妙に違和感の残る部分でリシュのワインをテイスティングするソムリエじみた感想が響いたのは気のせいだと思いたい。気のせいでこんな長々とした幻聴が聞こえるのもそれはそれで問題だが。

 

 領域具現――ヴィクトリーショット!

 

 それでも状況は待ってくれない。いちいち立ち止まって考察している暇など無い。ここはもう息を継ぐ間もないマイルの終盤戦。

 広がるのは西部劇の背景のような赤茶けた乾いた大地と青い空。中央に陣取るカウボーイのような格好をしたタイキ先輩。ぎらりと鈍くリボルバーが光る。

 

「さあ、参りますヨー! イザ尋常に勝負デース!!」

「ああ、受けて立つ」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【優等生×バクシン=大勝利ッ】

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【Shadow Break】

 

 リシュだって譲らない。立て続けに赤い花を咲かせてみせると、一歩も引かずに競り合いに持ち込む。

 銃弾が乱舞し、桜の花びらが金色の奔流に煽られて空まで舞い散る。華やかな光景に反し衝突で鳴り響くのは大型トラックが正面衝突したような重量級の破砕音。

 その様はまさに怪獣大決戦。余波だけで街が吹っ飛び降り注ぐ瓦礫から人々が逃げ惑う、そういう規模の生きた災厄だ。あいにくレースに参加したウマ娘は逃げるわけにはいかないんだがな。

 

『九番タイキシャトル前を狙っているぞ! じりじり詰めるタイキシャトル、このまま先頭に立つか?』

『集団が一つにまとまって混戦状態です! 前に抜け出すのは容易じゃなさそうですが四番ウオッカ、まだ動かないか』

 

 ああ、あまりにも規模が違う。彩度が違う。アングータのやつとは比べものにならない。

 だがこれだけは言える。やつに足りないのはきっと努力ではない、と。努力でどうにかなる境界線じゃない。頑張ればタイキ先輩やリシュたちと同規模のものが創り出せるようになるだなんて、俺には口が裂けても言えやしない。足りないのは頑張りじゃない。

 

「いただきます」

「アウッ!?」

 

『さあ最終コーナーを曲がって最後の直線コースに入る! 残り四百で抜け出したのは六番テンプレオリシュ』

『テンプレオリシュ! 先頭は六番テンプレオリシュこれは強い、完全に抜け出した!!』

 

 鍔迫り合いはリシュが制した。

 俺の目にはその裏側の光景まではっきり見えた。リシュは白銃から生じた二枚の“領域”で真正面からの競り合いを演じる傍ら、黒剣でばっさりタイキ先輩を死角から斬ったのだ。

 いや、斬ったというより『喰いちぎった』と言う方が正確か、あれは? まるで獣の(アギト)のように規則正しく並んだ三対六本から成る黒剣の編隊ががちゅんと抉り取っていった。その影響で揺らいだタイキ先輩の世界はそのまま押し切られたのだ。

 まったく、なんつーご無体な話だよ。人間なら二刀流やっている最中に三本目に背中抉られるなんてサシの勝負じゃありえないってのに。いや、リシュはもともと一人でふたりなんだっけか?

 やれやれだぜ。天才とそれ以外を区切る境界線、その向こう側でさえ優劣が生じる。

 さぁて、俺はどっちかな!?

 

 領域具現――カッティング×DRIVE!

 

 鮮やかなポスターカラーで塗り分けられるウマ娘の影、影、影。

 拡張する世界がどのように動けばいいのか、俺の脚に直接教えてくれる。俺の魂が勝ち方を知っている。あまりにも手の届くところに降りてくる必勝の感覚。

 そしてこうやって俺の世界を俺の外側に広げたとたんに、リシュのやつが襲い掛かってくる。無数の黒剣が青い残光を纏いながら飛び込んでくる。

 捕食者を前にした草食獣の気持ちを追体験ってか? おかしいな、俺がやってるのってレースだよな?

 だがどれだけ鋭い爪でも、恐ろしい牙でも、こう来ると軌道が見えていれば避けられないものでもない。赤いラインが少しだけ先の脅威を俺の目に描いてくれる。

 バ群を切り裂き、こちらを切り裂こうとする黒剣を躱し、ぐんぐんと先頭までの距離を詰めていく。

 

「ははっ!」

 

『残り二百! 四番ウオッカ、すごい脚だ! 内側から切り込んでいく!』

『三番アゲインストゲイル動くも前が塞がっていますね。これは厳しいか。九番タイキシャトル食い下がる。まだ勝負は続いています』

 

 楽しいな。すっげえ楽しい。

 ウオッカというウマ娘に込められたすべてがエンジン全開のフルスロットルで唸りを上げている。己という存在が全身全霊でただ一つの目的に集中する愉悦と快楽。

 勝つ。俺が勝利を手にする。今この瞬間はこの面々を前に臆面もなくそう断言できる。

 

「……たしかに、ここはウオッカの世界なのかもしれない。でも」

 

 ぱちりと擦れるような意識の接触。

 ドン、と胸に衝撃。

 見下ろすといつかの焼き直しのように黒い柄が生えていた。

 

「は?」

 

 や、なんでだ?

 たしかにリシュの黒剣はかつてとは規模も練度も桁が違う。従来だって優しくなかったのにえげつないレベルに育ってやがる。

 でも俺だって進化してるんだ。強くなってんだ。直撃するようなミスはしなかったはず。

 俺の中の何かがごっそりと持っていかれる喪失感、下手打った焦燥。それより先に真っ白な疑問が来て視線を彷徨わせる。剣の襲来を予測する赤いラインは一本たりとも見逃さなかったはずなのに。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)(リバース)

 僭称(イミテーション)【カッティング×DRIVE!】

 

 ぺらん、とシールみたいに俺の“領域”の一部が()()()()

 その下から現れるデンジャーを示す赤いライン。本来あるべき世界を覆い隠していた薄っぺらな部分はくしゃくしゃに縮むと赤い弾丸に変わり――いや、あれは『戻った』のか。そのままハイスピードカメラの巻き戻しみてーな動きで白銃の銃口へと吸い込まれていく。

 ちゃきん、と弾倉に弾が収まりリボルバーが回転した音がやけに響いた。

 

「今はほんの少しだけ、私たちの世界でもある」

 

 以前に奪い取った“領域”を介してオリジナルへの干渉、か?

 ……はは、お前そんなこともできたのかよ。

 もはや笑うしかない。そんなこちらの内心がこぼれてしまったのか、はたまた偶然か、するりと赤と青の瞳と目が合った気がした。

 

「できるようになったんだよ、ウオッカ。あなたに勝つためにね」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【カッティング×DRIVE!】×【鍔迫り合い】×【ヴィクトリーショット!】

 =【勝利裁断DRIVE SHOT!!】

 

 世界の動きがまた一段階変わる。

 知恵の輪の解説動画みたいにスムーズな速度で白と黒の銃剣が空中でバラバラになり、そこに設計図があるように迷いない動きでまったく別のかたちに組み上がっていく。

 瞬く間に形を成したのは、巨大な(はさみ)

 刃渡りだけで小柄なリシュの身の丈の八割を超えるのではないかというビッグサイズ。いったい何を裁断するための道具なのやら。まあわかりきった話ではあるが。

 パズルのように入り組んだモノクロのカラーリングの隙間から絡みつくように赤と青のオーラが立ち昇っていて、こう……すげえイイ。禍々しさの中に隠れる優美さというか、退廃的とは紙一重のエネルギッシュさというか。リシュの今のドレスによく似合っている。銃剣のモチーフが所々に残っていて自分を傷つけそうな部分に刃が露出していたり何に使うんだって弾倉がついていたりすんのもすっげえイイ!!

 

 そしてそんな造形に見惚れながらもわかっていた。ここは既にやつの射程圏内だってな。

 

 「へえ、そいつはなんとも――光栄な話だ」

 

 諦めない。完全にしてやられたがこの身体はまだゴール板を横切っちゃいない。

 タイキ先輩だって歯をむき出しにし、噴き出す汗が蒸発せんばかりの気迫でまだ勝負を続けている。俺たちはまだ誰一人として終わっちゃいない。

 それがただ、結果が確定するまでの刹那のあがきに過ぎないとしても。

 

 ひやりと首の両端に冷たい感覚。

 じゃきりと刃の噛み合う音を頸骨越しに聞いた。

 

『ゴォールッ!! 一着は六番テンプレオリシュ、テンプレオリシュです! 並み居る強豪ですら彼女を抑えることはできないっ! 二着は四番ウオッカ、三着は九番タイキシャトル』

『今年に入ってから既にダート、中距離、長距離GⅠの冠をそれぞれ手中に収め、いまこうして芝マイルGⅠを新たに手にしました銀の魔王。恐るべきことに鉄壁の一バ身はこの期に及んでなお健在。このウマ娘に敵う者がいるのか……?』

 

 

U U U

 

 

 激闘、決着、その熱すぎる余韻に観客席が沸き続ける中、静かに少女のささやきが転がる。

 

「……いつから、この光景を予測していたんですか?」

 

 ここではない、ありえた世界線において。

 ダイワスカーレットとその担当トレーナーは気が置けない相棒であった。外面を気にする彼女がそれを取り繕う余裕もなくなった時期に出会い、それを支え、そして立ち直るのに一役買ったことで共に歩む関係性がスタートしたが故に。その対話には敬語も無く、時として彼女の激しい気性のままに振り回す、信頼と甘えをないまぜに向ける相手だったのだ。

 ここのスカーレットはそうではない。

 幼少期から『著しいストレス』にさらされてきた彼女は、逆にトレセン学園では新たな挫折を味わう機会に恵まれなかった。その精神は安定性を増し、それは自身の担当トレーナーとの関係性を構築する上でも大きく影響した。

 すなわち、指導者としてしっかり敬意ある態度で接する相手となったのである。そしてそれはかくあるべき世界の彼女たちより関係性において劣ることを意味しない。

 

「ずっと前からだよ、スカーレット」

 

 彼女の目の前にいるトレーナーは間違いなく傑物の一人であり、大人として包容力のある態度は気性の激しい一面のあるスカーレットを穏やかに包み込んで有り余るものだった。

 意地を張らず素直になることができる相手というのは両親以外では初めてであり、あるいは親に対しても時として意地を張ってしまう彼女にとってかけがえのない相棒である。

 

「ウオッカはずっと前からこれだけの実力があったのさ」

 

 二人の瞼には鮮やかにターフの上で演出されたウオッカの末脚が焼き付いていた。

 今度こそ誰もが確認しただろう。マイルの歴史にまた一つ、伝説(レジェンド)が刻みつけられた事実を。彼女はもはやタイキシャトルに比肩しうる存在であると。

 楽しんで走っているだけで勝利する、あの“スーパーカー”マルゼンスキーにも通じる圧倒的な才気。それさえもなお凌駕したテンプレオリシュが色々とおかしいだけだ。

 

 これも、また別の世界の話であるが。

 『ウオッカ号』と呼ばれた彼女は日本ダービーに勝利しその世界の歴史上六十四年ぶりとなる快挙を成し遂げた後、しばらく苦難の日々が続いた。

 予定していた凱旋門断念からの年内は四連敗。年が明けた後も勝てないレースが続き、ようやく勝利を掴んだのはダービーでの栄光からおよそ一年もの時を経てのこと(皮肉なことにそれは、この世界で今まさに決着のついた安田記念のできごとであったが。それは本題ではないので今は置いておこう)。

 その戦績の低迷ぶりに複数の怪我の存在が無関係であるとは誰も言えないだろう。凱旋門遠征断念の原因にもなった右後脚に発症した蹄球炎。その後国内でエリザベス女王杯の当日朝に出走取消の原因となった右関節跛行。たとえ怪我が治ったとしてもマイナスをゼロまで取り戻すのは、プラスにプラスを加算するよりずっと困難で精神に消耗を強いるものだ。

 しかしこの世界においてウオッカはダービーの後から健在のままここまで成長を続けてきた。歴史的快挙を成し遂げられるだけの潜在能力の持ち主が、ダービーからずっと一直線にその潜在能力を引き出され続けていたのだ。

 

「ただ、最近少しばかり負け癖というか、調子を崩していただけなんだ」

 

 あの有記念はそれだけのものだったから。

 いつか勝ってやりたい目標と、常に一歩及ばないライバル、そんな彼女たちの壮絶な一戦を目の当たりにして、自分にあれができるのかと問うてしまった。自分はあれらに一枚劣る存在なのではないかと疑ってしまった。

 ウオッカの常識人たる所以である。

 

 どんなことがあっても揺るがない決意。絶対に諦めない覚悟。

 たしかにそれは素晴らしいものだ。たいていの場合は諦めて別の道を探す方が安易であるからこそ。挫けそうになる心をそのたびに打ち直してついには成果を掴み取る、それが英雄譚として語られることそのものは決して間違いではない。

 ただ人間という生物の生態として適正か、となると話は変わってくる。

 人間がここまで地上に蔓延る生物となった要因として、『これではダメだ』となったときに別の道を模索する能力をもつことは無関係ではないだろう。

 ギャンブルで考えればわかりやすいか。このままでは勝てないとなったとき、諦めずに資金を投入し続けて負け分までひっくり返せるのは運なり実力なりに恵まれたほんの一握り。多くの場合、運も実力も無いのに引き際を見誤った者に訪れるのは破滅である。

 

 スカーレットの覚悟も決意も信念も、彼女自身の才覚と環境に恵まれ成果に繋がったからこそ『覚悟』や『決意』や『信念』としていまや絶賛されている。

 何か一つでも掛け違えれば、それだけで現実を直視できない愚直な不器用さだと嘲笑と憐憫に塗れる未来もあっただろう。

 これはスカーレットに限った話ではなく、天才と呼ばれる人種は何かしら感受性の扉がガッチリ閉ざされて、その部分はいっさい外部からの情報をアップデートできない、そんな心の形状をしていることが往々にして存在する。

 スカーレットが極端な例であるのもまた事実だが。

 

 ウオッカはそうではない。

 人並みに情報を受け入れ――だからこそ人並みに迷い、悩むのだ。それが彼女の弱さであり、強みでもある。

 

「大丈夫。焦ることは無いよスカーレット。きみは必ず走れるようになる。走れるようにする。それがトレーナーの仕事で、これでもこの業界じゃ腕利きと評判なんだ」

「……はい」

 

 そわそわと無自覚であろう動きで己の脚を撫でていたスカーレットにそう諭すと、ぴりぴりと張りつめかけていた彼女の雰囲気がほっと解れた。

 どれだけ身体が育ち心を鍛えていても中等部の女の子。ライバルの強さを目の当たりにすれば走れない現状と相まって焦りもする。

 その焦燥が、ひとつ声を掛けただけで鎮静化する。その信頼に応えたいと彼は思う。

 青年の評判は『この業界じゃ腕利き』どころか名伯楽といって過言ではないものである。そのことに関して大した思い入れは無いが、こういうときに使えるのは単純に便利だった。

 

「…………しかし、勝てなかったかぁ。これは単純な読み負けじゃないな」

 

 わしゃわしゃと頭を掻きまわしながらウオッカの担当トレーナーは考える。

 ウマ娘ならぬ身に“領域”は直接観測することはできない。ただ結果だけから全貌を推察することしかできない。

 ただ、どうにもそれ以外でも『足りていない』という直感の囁きを無視できないでいた。

 

 一日の長。

 テンプレオリシュの中にある二つの人格の内、テンちゃんと名乗る方。

 彼女に見えていて、自分の側に見えていないものがある。こうしてシニア級になるまで追い続けて、丹念に情報を敷き詰めて、ようやく見えてきた空白のピース。

 実は彼とテンちゃんにはそれなりに交流がある。具体的にはLANEのやり取りが、頻繁と言うには少ない頻度で行われる程度に。そう言えばオークスの前後にはダイワスカーレットの体調を心配する旨の連絡が何度も来ていたし、実際にその期間はスカーレットの体調がやや不安定な時期でもあった。

 

「未来予知? いや、それにしては不自然だな」

 

 本当に未来が予知できるのであればもっと効率的な立ち回りがあるし、その模範解答に気づかない程度の相手であればレース業界全体がこれほど振り回されることも無かった。相手を低く見積もることほど愚かなこともない。

 漠然とした直感。テンプレオリシュはずっとずっと前から今日この日に勝利するための布石を打っていた。

 それは大きなものではないし、決定打と呼べるようなものでもないだろう。だが確かに結果を左右したのだ。

 一バ身を覆せずに負けるほど彼の担当ウマ娘は弱くない。ならばそれはこちらの落ち度であるはずだった。

 

 テンちゃんと名乗る彼ないし彼女はジュニア級の頃から、あるいはデビューする以前から。自分たちが『最初の三年間』でどのレースに出走し、誰と対峙し、それをいかに打破するのか。漠然と展望を抱いていた。そんな気がする。

 ウマ娘もトレーナーも多かれ少なかれ似たようなことはやっている。むしろ目標とするレースも、心にこれと決めたライバルも無く、この業界を走り続けることのできる者の方が稀だろう。

 だがそれとは違うのだ。根本的に何かが異なる。

 たとえば“皇帝”と謳われるシンボリルドルフ。彼女はデビュー前から注目の的だったし、実際にデビューしてからはものの見事に周囲からの期待に応えてみせた。

 しかしそういうウマ娘ばかりではないのだ。前評判から一転してデビューすらできずこの業界から去る者もいれば、シニア級になってから突如として開花して無双し始める者もいる。そして、そんな例は決して珍しくない。

 テンちゃんの漠然とした布石はあまりにもリソースの配分に無駄がない。どのウマ娘がどの時期にどれだけの力量を有した状態でどのレースに出走するのか、まるであたりがついているみたいに。

 

「ああ、並行世界の観測。歴史を閲覧できるのか」

 

 かちんと金具が嵌るように答えが当て嵌まった。

 シニア級に入ったあたりから彼女たちが外部に露出させ始めた情報によると、テンちゃんと名乗っているのはウマソウル。それがどこまで事実なのか鵜呑みにすることはできないが、まんざら根も葉もない嘘ということはあるまい。

 ウマソウルによって受け継がれるのは、こことは異なる世界で紡がれた歴史と名前。もちろんそれが『ウマ娘はただ異世界の歴史に沿って走ることしかできない運命の操り人形なのだ』という主張とイコールではないが。

 漠然と特定のレースや相手に引き寄せられるように感じたり、過ぎ去った後に「あれはそういうことだったのだろう」と納得したり、何かしら『それらしい』経験を一度もしていないウマ娘はごくごく少数派だろう。

 それを自分の分だけではなく、他者の歴史も俯瞰できるのだとしたら。まるで歴史の教科書を閲覧するように、ウマソウルに刻まれた歴史の全体像をあらかじめ知っていたのだとすれば辻褄が合う。

 

「……いいなぁ」

 

 皆が霧の中を一歩一歩進みながら手探りで地図を作っている中、一人だけ完成形の地図とコンパスがあらかじめ手元にあるようなものだ。

 もちろん地図を持っているがゆえの弊害もあるだろう。たとえば地形が変わっているとか。先にも述べた通りウマ娘は運命の操り人形ではなく、必要とあれば覆すのがトレーナーの仕事だ。少なくとも彼はそう思っているし、実際に何度か不都合な運命の横っ面をひっぱたいて道を譲らせた自覚もある。そういう場合、逆に地図が手元にあるからこそ道を見失ってしまうこともあるだろう。

 それはそれとしてすごく羨ましい。

 

「トレーナー?」

「ああ、いや。やるべきことがはっきりしたってだけさ」

 

 未だおさまらぬ大観衆の興奮に紛れて当然のそれを、当たり前のように聞き逃すこともなく不思議そうに首を傾げた自分の担当にそう頷いてみせる。

 そう、相手がどういう経緯でどんな情報をどこまで知っているのか、だいたいあたりがついただけ。そしてそれが自分には直接手だしのしようがないし真似もできないというのが同時に把握できただけの話。

 そう、やることはこれまでと変わらない。それがハッキリしたのだから思索に時間を費やした価値はあった。

 

「次の宝塚記念でリベンジだ」

 

 さて、己の相棒たる葦毛の奇行種はいまどのあたりにいるのだろうか。

 一緒に東京レース場に来たところまでは確かなのだが、また焼きそばを売りさばいているのだろうか。移動時間も因果関係もまるごと無視して太平洋をバタフライで横断していてもまったく驚かないが。

 

 

U U U

 

 

 レースの余熱が少しずつ冷めてきて、ようやく負けたって実感がしみ込んできた。まったく、冷めて味がしみ込むって俺は煮物かなんかか。

 もうとっくの昔にウイナーズサークルでのインタビューは終わっていて、そろそろライブの準備始めなきゃって時間帯だ。どれだけ長々と余韻に浸ってんだって話だよな。

 でも楽しかったんだ。

 もちろん悔しい。シニカルな表現で押し包んで誤魔化そうとしても耳の奥で血管がゴウゴウ唸っていて、毛細血管が切れて鼻血が出るんじゃないかってくらい悔しい。

 それでも楽しかったんだ。いまだに血がざわめいているのはきっと、悔しさからだけじゃない。

 

「じゃあ相棒、行ってくるわ」

「ああ、いってらっしゃい」

 

 負けて帰ってきた俺をトレーナーはしっかり労ってくれたし、こうして今は何も言わずに控室から送り出してくれた。

 そうそう、今は一人になりたい気分だったんだよ。ライブのバックステージにたどり着くまでの短い時間だったとしても。

 本当にアイツと一緒にトゥインクル・シリーズに挑めてよかったと思う。うまく表現しきれないがこう、居心地がいいというか何と言うか。見守られていて、支えてもらっていて、息がしやすいんだ。

 だから今日もできれば勝ってやりたかったなと思うんだが……ああもう、やめやめ! 既に決着ついてることをこれ以上くよくよしたって仕方ねえだろうが。

 そんなことを取り留めも無く考えていると、行く手に人影が二つばかり。

 

「……なんだよ?」

「左脚」

 

 思ったより一人でいられる時間は短かった。

 そこにいたのはどちらも顔見知り、リシュとアングータだった。立ち位置的にリシュが待ち構えていて、そこにアングータが来た感じか?

 だらりと壁にもたれかかったリシュの勝負服姿はレースで三着以上の戦績を出した証。別に立ち塞がるような姿勢でもないのに、水に濡れた綿がびっちり敷き詰められているような圧迫感が道をふさいでいる。

 バックダンサーの衣装に身を包んだアングータとはどこまでも対照的だった。

 

「ははっ、バレちまったか。さすがだな。まあ見逃してくれや。足をもつれさせて転んだりはしねえからよ。これで最後なんだ」

 

 聞き耳を立てていたつもりはないが、内容が内容だけにそれはするりと耳から脳に伝わって心がぴんと張り詰める。

 

「ん、あなたの身体だ。自分で決めたのなら好きにしたらいいと、私は思う。救急車で搬送されなきゃいけないような緊急性のある壊れ方をしたわけでもなさそうだし、応急処置はされているようだし。

 でも、きみだけの身体ってわけでもない。トゥインクル・シリーズにいる以上、その身体に責任を持つのはトレーナーの領分でもある。ちゃんとトレーナーには報告しているんだろうね?」

「当然」

 

「よし、確認してくるね」

「ははっ、信用ねーなあ」

 

「ことレース関連で、ウマ娘の理性や自制心ってものを、ぼくは信用しないことにしているんでね」

 

 そう言い終わるや否やリシュはこちらに向かって駆けだすと、そのまま軽やかな足取りで俺の横を通り過ぎる。

 俺は何も言えずに、ただ見送ることしかできなかった。

 

 そりゃ、脳裏にはいろいろ言いたいことがよぎったさ。『ここまで何度も競い合った同期が引退をほのめかしているのに何も思うことはないのか?』とかな。

 だが、何だかんだ長い付き合いだ。アイツの横顔と、そこで静かに光るガラス玉みてーな青い目を見れば察せられるものがある。

 アイツはどこまでも客観的に『テンプレオリシュと競い合うことの残酷さ』を知っているんだ。

 『自分は勝ち続ける。絶対に負けない』と決めているからここに残れと、自分と競い続けろと言うのは自分に負け続けろと要求するのとイコールだと思っている。

 だから去る者は追わない。自分と出会って相手が潰れるのは当然のことだと思っている。どれだけ信念をつぎ込み努力を積み重ねても報われないのに、それでもなお覚悟を問うのは非人道的だとさえ認識している。

 アイツがそんな道理を放り出して感情のまま袖に縋りつきそうなのは、俺が知る限りどこかの一番バカくらいだ。

 逆に言えばあれくらい才能あるやつが何もかもつぎ込んでたった一つを求める勢いで人生懸けてようやく視界に入るってことで。腹立たしいというか何と言うか……たぶん寂しいことだよな、それって。

 何はともあれ、少なくともアングータはリシュにとって引き留めるに値する相手じゃなかったってことだ。俺はどっちなんだろうな?

 

「よっ」

「おう」

 

 別に物陰に隠れているわけでもなく、リシュの背中を見送っていたアングータと視線が合うと、奴はきまり悪そうに片手を上げた。

 

「悪いな。聞かせるつもりはなかったんだが」

「気にすんな。ここで話し始めたのはリシュのやつだろ」

 

「あいつが悪いってわけでもないんだがなあ」

 

 言葉に詰まるほどではないが、どこかぎこちない空気が漂う。

 俺個人としては残ってほしい。だってシニア級まで肩を並べ続けた貴重な同期(いきのこり)だ。同じチームの相手ほど交流が無いのは確かだけれども、仲間意識はそれなりに持ち合わせている。

 ただ、リシュが言っていたことを忘れるわけにはいかない。

 俺はぱっと見で相手の状態を直感的に把握するなんてリシュやマヤノ(あいつら)みてーなことはできないが、それでも意識して見てみるとたしかに体重の掛け方に違和感がある、ような……?

 いや、わからんわこんなん。俺たちウマ娘って場合によっちゃ骨折していても走れるどころか自覚症状さえ乏しかったりするし。本人が言っていたようにライブがこなせるレベルならトレーナーならぬ俺の目で判別できるもんか。

 

「へへっ、いつか絶対に勝ってやるって思っていたはずだったんだがな……。心が折れる前に脚の方が先に音を上げやがった。いや、グラス先輩やダイワスカーレットみたく絶対に復帰してやるって思えなかった時点でやっぱり心の方もやっちまったのかな?」

 

 照れくさそうに苦笑いしながらアングータが左脚をさする。

 どれくらい悪いんだ、とは聞けなかった。

 どれだけ軽傷だろうと怪我をしたら時間をかけて治療して、その後にはリハビリだ。これまでプラスに積み上げてきたものがマイナスになって、それをゼロに戻すための戦い。

 その道程がどれだけ過酷で苦しいものなのか、俺はこの半年ずっと傍で見てきたんだ。軽い怪我なら諦めるな。治して復帰しろよなんて、どの口が言える?

 

「だからよ」

 

 近づいてきたアングータが、ドンと俺の胸を突く。

 

「あとのことは託したぜ。“新世代のマイル王”さまよ」

 

 声の調子こそ変わっていなかったが……震えが隠せていないその拳に、燃え尽きてなお捨てきれなかった最後の熱が込められているような気がした。

 

 そのとき改めて実感したのかもしれない。

 ガキの頃、無邪気に憧れていたてっぺんに居座ることの意味。俺が既に獲得していたはずの玉座の重み。そこに座るということ。

 

 そうか、これが“王”の重圧ってやつか。

 

 リシュやタイキ先輩はずっとこれを背中に載せ続けていたんだな。だからあれだけ重い走りができるわけだ。

 レースっていうのは勝者より敗者が圧倒的に多い勝負の世界だ。勝ちまくっている俺はそのことをずっと前から知っているつもりだった。それでもまだ、GⅠという冠の価値というものを理解しきれていなかったらしい。

 

 きっと俺の憧れているブライアン先輩なら歯牙にもかけない。

 あの人はそういう人だ。弱い相手には見向きもしない。煩わしいと切って捨てるだろう。そういう靡かない態度がすげークールでカッケェと思う。

 スカーレットもそうだ。アイツはブライアン先輩みたく外聞を気にしないわけではない。むしろすげえ外面に気を遣って優等生フェイスを維持するタイプではあるんだが。

 それでも優先順位は揺るがない。たった一つの『一番』のためにそれ以外を切り捨てる覚悟がある。託される想いが重荷になると判断したらスカーレットは相手と目を合わせた上で、それでも容赦なく切り捨てる。

 

 でも、俺にそれは無理だ。

 託されたこれを切って捨てることなんてできない。

 

 それが俺の強さになるとも思うんだ。

 今日走ってわかった。俺はまだまだ強くなる。昨日よりも今日、今日よりも明日、どんどん強くなっていく。

 今日負けたのなら次勝てばいい。そう自分を信じられる。次に戦うときはもっともっと強くなっている。そう信じられる理由に、きっとこの託された熾火はなるはずだから。

 カッコつけんなら意地なんて張ってナンボだろう?

 

「しゃあ! まかせとけ!!」

 

 胸を張って大声で強がった俺に、アングータは眉を下げて笑ってくれた。

 




これにて今回は一区切り!
いつも通り一週間以内におまけを投稿した後、書き溜めに移行します


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【マイル王に】安田記念を横目に雑談スレ【お前がなれ(ドン!)】

オマケの掲示板回です。

苦手な方は飛ばしてください。
読まなくても次話以降の展開には差し支えないので大丈夫です。

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


13:名無しの指定席 ID:0X7cRblHu

タイキシャトルはこれがラストランになるのかなー?

 

20:名無しの指定席 ID:30CLQMjnW

たしかにタイキは最近ちょい衰えてきた印象

バクシンと並んで自分の最も得意とする距離で後輩に後れを取っていたらもう世代交代ってもんだ

 

23:名無しの指定席 ID:v8W79Yvil

オイオイ俺の推しを勝手に引退させないでほしいんだが???

 

28:名無しの指定席 ID:PcWaoj7sc

タイキほどのウマ娘になれば故障でもしない限り陣営から事前に発表があるだろ

そしてタイキ陣営からそのような発表は無い。ついでに言えば今アオハル杯でゴルシTと同じチームだから故障の可能性も限りなく低い

故にタイキシャトルはまだまだ現役。きゅーいーでぃー

 

29:名無しの指定席 ID:nbfd4Xqd4

>>20 去年のマイルCSはウオッカが、スプリンターズSは魔王様が凄かっただけだと強く主張させていただく

 

30:名無しの指定席 ID:e+loIgKxo

少なくともバクシンオーはちゃんとレコード塗り替えているわけだしな

 

37:名無しの指定席 ID:8Z/Jpty62

素人かな?レコード更新すれば強いってわけじゃないから

 

39:名無しの指定席 ID:MxB5ZpmZ6

レコード更新が強さの指針の一つでしかないって意見は否定せんが、あのレースもあのレコードを更新しちゃうのも間違いなく絶対的に強いだろ

 

47:名無しの指定席 ID:0mfXGX1RY

ウオッカも強かったんだが?

マイルCSではあのデジタルとあのタイキを前に差し切ったんだが??

レコードも更新しているんだが???

 

55:名無しの指定席 ID:QE7jqXL1E

ゴルシTもたいがいバケモンだよなぁ。あのクセがウマ娘の形に凝縮されたみたいなゴルシとスカーレット抱えた上で、さらにウオッカをあのレベルまで育て上げるんだから

 

63:名無しの指定席 ID:y0fQF+5r+

ゴルシTと同じチームだから故障しないだろって意見にいっさい異論が生じなかったの芝生えるんだわ

 

71:名無しの指定席 ID:DkMa4bAew

だってさ、今のところゴルシTが監修している子で長期的な休養が必要になったのってスカーレットくらいだよな?

 

76:名無しの指定席 ID:dUlw797E6

まあ、あの有記念は仕方がなかったよ。トレーナーがどうこう介在できるレベルじゃなかったよ

 

80:名無しの指定席 ID:KjKj3s/s4

どんなレースであれどんな理由であれ担当を故障させたトレーナーの免罪符にはならんだろ

 

82:名無しの指定席 ID:VRwlWcmWj

ゴルシTも頑張っているけど今は桐生院全盛期という印象

テンプレオリシュが強すぎるし、ミークやデジタルもそれに追従する実力の持ち主だもん

つーか担当ウマ娘全員がGⅠ出走経験アリってなにさ???

 

85:名無しの指定席 ID:uN0AgNSyw

魔王様が順調に安田記念をこなして宝塚に出走すればワンチャン、フルゲート18のうち3を桐生院が占めるという異常事態が発生するな

上半期グランプリの1/6がメイドイン桐生院になるのか・・・

 

92:名無しの指定席 ID:kFo8hc6R9

まだ安田記念が始まっていないのに宝塚の話とか気が早すぎっつか

いくらマスコミが魔王様一強の風潮を煽っているとはいえGⅠ勝利を順調扱いしないでくれますー?

 

97:名無しの指定席 ID:x4/uXqGa+

ある程度はしゃーなし。ルドルフがトゥインクル・シリーズにいたころもその勝利は驚愕ではなく順当と納得をもって受け入れられていた

強すぎるウマ娘の戦績ってのはそういうもんだ。

 

99:名無しの指定席 ID:+o3YNNr4U

タイキに夢杯から招待状が届いているのはほぼ確実だろうが、アオハル杯ってトゥインクル現役じゃないと参戦できないし、本人の性格的にもこの一年は留まるんじゃない?

 

103:名無しの指定席 ID:UZ8/SpDQk

そう考えるとアオハル杯も良し悪しだなー。さっさとドリーム移籍した方がいい状況もあるだろうに

 

105:名無しの指定席 ID:MX49N+to+

個人的にはまだまだトゥインクル・シリーズでの推しの活躍が見たいから、留まってくれる理由になるのならアオハル杯は評価する

 

109:名無しの指定席 ID:CanKxuqHH

アオハル杯が近づいてくるとやっぱり開催時期間違ってんじゃないの?と思わざるを得ない

 

111:名無しの指定席 ID:KaNZUWaAA

学園主催の非公式レースであることに加え、グランプリの直後という時期もあって著名なウマ娘の参加率が悪いからあまりライト層向けのコンテンツじゃないんだよね

国内で明確にチーム戦が見れるのは面白いんだけどさ

 

117:名無しの指定席 ID:5MZZN1aZa

チームランキングを上げるために無理して参加して怪我でもされたら泣くに泣けんしな

 

122:名無しの指定席 ID:9fiTnqUjr

今は大丈夫だろ。樫本が監修してるんだし

 

127:名無しの指定席 ID:uqPuLlpYY

樫本っていまの中央トレセンの理事長代理だっけ?なんかあんのあの人?

 

131:名無しの指定席 ID:8+74mPX73

チーム〈ファースト〉のチーフトレーナーと理事長業務の二足の草鞋でアオハル杯ランキング一位をずっと維持しているってことくらいしか知らんわ

 

136:名無しの指定席 ID:HWCk8ueA9

以前のアオハル杯も似たような理由で衰退していったんだけど、決定的な廃止のきっかけになったのはとある重賞ウマ娘がオーバーワークのあまりレース中に転倒してそのまま選手生命を断たれたアクシデントがあったせいじゃないかって一部では言われてんだよ。もちろん、運営サイドのどこかが明言したわけじゃないよ。でも時期的にそれが原因なんじゃないかって事件があったんだ

そのときの担当トレーナーが樫本だった。その上でいまこうやって理事長代理として学園に舞い戻ってアオハル杯をわざわざ引っ張り出したんだ。禊って言ったらあれだけど、今度は絶対にアオハル杯が原因で故障する子を出さないって強い意気込みがあるんじゃないかな

それに今はゴルシTもいるし

 

139:名無しの指定席 ID:pjxpZ+YGF

>>136最後の一文の説得力と安定感がずる過ぎるwww

 

145:名無しの指定席 ID:pd8OyfOO9

やはり天才・・・才能がすべてを解決する・・・!

 

146:名無しの指定席 ID:f5Mwf+/4m

身も蓋も無さ過ぎる・・・w

 

150:名無しの指定席 ID:jai/eukPR

バカな話しているうちにパドック始まってんぞ

 

159:名無しの指定席 ID:Pt/zE+vBY

ウオッカ様ごきげんうるわしゅう。あら、今日は少しノれていない感じかしら?

 

165:名無しの指定席 ID:FyyHAqtrX

ウオッカはわりとテンションで戦果が上下する印象があるからなあ。今日はもうダメかもわからんね

 

166:名無しの指定席 ID:NffPZB3vS

判断が早い!

 

168:名無しの指定席 ID:t3njKwFll

魔王様は今日3枠6番か。今回はどの脚質でいくのかな?

 

175:名無しの指定席 ID:pZld3uwFL

タイキシャトル見るからに絶好調じゃん。誰だよピークアウト迎えたとか言ってたの

 

184:名無しの指定席 ID:Yty8NmeE6

アングータは5枠10番かぁ。もう少し内側の方がよかったかなあ

 

188:名無しの指定席 ID:c4EJ/ku50

毎回ズタボロにされているのに挑戦し続けるアングータちゃんを応援しています

 

196:名無しの指定席 ID:yRqP1GzEh

ああ、お願いだ誰でもいい。どうか魔王を打ち倒して彼女にシニア二年目を迎えさせてあげてくれ・・・!

 

198:名無しの指定席 ID:dFl0RGetS

全勝記録更新が途絶えたところでそれが即座に隔離政策廃止に繋がるとは限らんだろー

 

204:名無しの指定席 ID:tO4FhoNpu

どうかな、実際にバクシンオーは今年も元気にトゥインクル・シリーズを走っているわけだし

どうしようもない『無敵』と揺るぎない『最強』は似ているようで決定的な差異があると思っていいんじゃない?

 

209:名無しの指定席 ID:NaxH1bwHg

短距離で負けるバクシンオーは見たくなかったけど今年もバクシンバクシンやってる委員長をトゥインクル・シリーズで拝める一点に関しては魔王様に感謝しているよ

 

216:名無しの指定席 ID:+cY0ANm4c

このファンファーレを聞くとGⅠが始まるって気がするなあ

 

221:名無しの指定席 ID:tjir2I66v

グワーこのタイミングで宅配便だと!?

ふざけんなマジで安田記念って90秒しかないんだぞ!?!?

ちくしょう再配達させるわけにはいかねえマッハで受け取りにいってくる!!

 

228:名無しの指定席 ID:k4V0Sf6Ek

いいやつだったよ・・・

 

236:名無しの指定席 ID:6v5+gFvsT

まっさきに飛び出したのはやはりアングータいっけー!

 

241:名無しの指定席 ID:BftLPD3/Q

いいよいいよアゲンストゲイルちゃんいいポジションついてるよー

 

244:名無しの指定席 ID:B9Gfs+tGC

ミニコットンさんちょっと前に出過ぎじゃね?いつもそんなもんだっけ?

 

250:名無しの指定席 ID:Y2Ym97nM8

いけっデュオジャヌイヤ!アオハル杯ランキング一位の実力みせてやるんだ!

 

252:名無しの指定席 ID:eHmBJEGqS

逃げ先行勢が多いっていうか、テンプレオリシュとタイキシャトルの前へ前へと追いやられている感じか、これ?

 

257:名無しの指定席 ID:iGBVxoTBO

威圧感すげーもんなあ

 

261:名無しの指定席 ID:RnWphFVU0

掛かってしまっているかもしれません。ひと息つけるといいのですが

 

270:名無しの指定席 ID:GwWnqGs4L

アングータ先頭!アングータ先頭!

 

277:名無しの指定席 ID:jmnmOAKJL

まだ加速するのか。マイルとはいえペースおかしくね?

 

278:名無しの指定席 ID:Si9Db4GvC

あ、いい笑顔

 

287:名無しの指定席 ID:QKZpQXKO7

ウオッカこの状況で笑うのか。何が見えたんだ?

 

291:名無しの指定席 ID:GV1KLiPp4

わからん。俺たちはふいんき(何故か変換できない)でレースを見ている

 

298:名無しの指定席 ID:IKxsNOLa3

ライト勢はいま誰が先頭を走っているのか判別できるか否かってレベルだからなあ

 

299:名無しの指定席 ID:EZ2M8gimt

それは素人では?

 

300:名無しの指定席 ID:EN84uQxxj

素人なら今誰がどこにいるのか先頭含めて判別すらつかんよ。レースって見慣れないうちはとにかく展開が早いんだ(慣れたら追えるようになるとは言っていない

 

303:名無しの指定席 ID:nkxIRWJcy

安田記念はマイルGⅠだからなおさらなあ

 

305:名無しの指定席 ID:TIs7qlR+Z

そう言ってるうちにあっという間に大ケヤキ

 

314:名無しの指定席 ID:Rc8nVKaZZ

第四コーナー。いつもこの時点では先頭の子がこのまま逃げ切りそうな気がするんだよな。アングータがんばれー

 

318:名無しの指定席 ID:t8NjRd90i

今日のアングータは一段と気合入ってる気がする。なんか輝きが違う。これはもしかするともしかするぞ

 

327:名無しの指定席 ID:HWCk8ueA9

あれ?いま左脚・・・?

 

328:名無しの指定席 ID:9Yn5LDG8i

余裕がありそうだったのにぎゅーんと後続が詰めてきてあっという間に混戦になるのがなんか面白い

 

334:名無しの指定席 ID:qmf+lyD4U

混戦っていうには主役級とそれ以外がはっきり分かれすぎじゃね?

 

343:名無しの指定席 ID:088ebPAtL

わかんねーみんながんばっているようにしかみえない

 

346:名無しの指定席 ID:3jD7PaiYc

やっぱり魔王様はこの中からでも抜け出せるのか。なんかこーもう次元が違う・・・

 

350:名無しの指定席 ID:iCwMRy/5N

ウオッカ猛追!いっけー!

 

359:名無しの指定席 ID:VUYvXE91F

うはっそこ通れるのか。末脚のキレ味もさることながら頭の回転もやべーな

 

365:名無しの指定席 ID:6SWe/hByu

あっあっアゲインストゲイルちゃんの前が塞がれて・・・

 

370:名無しの指定席 ID:nNo/8uR9F

くっダメか、粘れアングータ!

 

376:名無しの指定席 ID:85D/m7nDW

タイキシャトルいけっいけっ

 

383:名無しの指定席 ID:DWLP6RuRI

とどけー!

 

385:名無しの指定席 ID:IZYIRETr0

あーそこでさらに一伸びする!?そんなご無体が許されるとでも!?

 

391:名無しの指定席 ID:j33agKWku

うおおおおおおおお!!

 

401:名無しの指定席 ID:T91HU76aa

ああああああああああああ

 

411:名無しの指定席 ID:JMPBwMwrp

ゴール!一着はテンプレオリシュ安定の一バ身!!

 

420:名無しの指定席 ID:tAZosmXb3

このメンツであのレースでなお魔王城すら突き崩せないのか・・・

 

430:名無しの指定席 ID:jJLgw9uq9

ああーワイのジャスステップちゃんは7着やったか・・・

 

433:名無しの指定席 ID:6ZrGuszZ4

魔王様本当に強いな。どうやったら勝てるんだあんなの?

 

436:名無しの指定席 ID:C3HMzdskU

さすがに次の宝塚は厳しいんじゃない?長距離GⅠからこのマイルGⅠやって中1週で中距離GⅠだもん

 

437:名無しの指定席 ID:F5X/zeUq2

それ似たようなセリフを去年腐るほど聞いた気がするなw

 

444:名無しの指定席 ID:4WyC7QgoT

でもクラシック級の頃とは相手の実力も段違いなわけだし、このレース間隔は実際かなり厳しいと思う

 

446:名無しの指定席 ID:+/mprRf4G

ウオッカは二着かあ

 

454:名無しの指定席 ID:bQaCu1BRC

しろがね世代の四天王制度もいまだに健在やの

 

455:名無しの指定席 ID:snnHeKBeU

魔王様の世代ってマジに強いんだな。世代交代うんぬんじゃなくって、コイツらの実力が純粋に飛びぬけているだけって気がしてきた

 

462:名無しの指定席 ID:lwYLsTYr6

魔王様は次、やっぱり宝塚くるのかな?

 

470:名無しの指定席 ID:1q9yiXD71

大丈夫かなあ?桐生院過労死しない?

 

478:名無しの指定席 ID:7p6/m5x8V

そうか3人同時に仕上げなきゃいけないのかw嬉しい悲鳴だなw

 

480:名無しの指定席 ID:Ch6LrmCtg

普通に大惨事なんだよなあ。誰が勝ってもどこかが文句言いそうで他人事ながら大変そうだ

 

486:名無しの指定席 ID:Dr8Zefumt

ああいうのって同じ担当のウマ娘同士でギスギスしたりしないもんなの?

 

493:名無しの指定席 ID:V1IrK255h

中央のウマ娘基準の話ならあまりそういうのは無い

ライバル意識バリバリでも仲のいい友達って外部の人間にはあまり共感しがたい感覚かもしれないけど、トレセン学園ではわりとふつーに見かけるよ

 

502:名無しの指定席 ID:Pk1QtpGZs

相手へのリスペクトを欠かさない子が多いんだよね。夢と希望だけの世界じゃないけど、それでもレースを推していて心地よい気分になれるのはそういうドロドロした負の側面が極端に少ないからだと思うの

 

513:名無しの指定席 ID:7eUgp5Umv

でもさ、やっぱり性格の個人差も大きいわけじゃん?

記者会見とかであれだけ無礼な態度取ってるテンプレオリシュなら先輩のミークや同期のデジタルにもそういう傍若無人な態度で接していても違和感はないなあ

 

521:名無しの指定席 ID:MCLy1eLdc

いやー、むしろ魔王様は身内には甘いタイプなんじゃないかな?

 

527:名無しの指定席 ID:rPNLvAC6f

身内に甘いというか、一度懐に入れたらしっかり守ってくれそうな感じはするよね

 

535:名無しの指定席 ID:HWCk8ueA9

>>513魔王様はよく知らん相手にそっけないだけで、よく知らない相手なのに無遠慮に踏み込んでくるマスコミには辛辣になるだけなんや!!

桐生院トレーナーのところはアオハル杯で同チームの影響もあってかなり仲が良くて、この前も一緒にカラオケいってたもん!デュエットをなんとかやりきって力尽きたデジタルにミークが膝枕して追い打ちかけてたもん!!

目撃者ワイは見たで!!!

 

540:名無しの指定席 ID:YqZg2e82q

なんでカラオケボックス内部の密室の情報知ってんだよ。こえーよコイツ

 

549:名無しの指定席 ID:hgZb+FX0h

通報した方がいいのかしら・・・?

 

554:名無しの指定席 ID:HWCk8ueA9

まって!誤解せんといて!ドリンクバーのおかわりに出てきた魔王様と挨拶したときに扉の向こう側の様子がちらっと見えちゃっただけなんや!!

 

565:名無しの指定席 ID:4TzHWxuor

今度はトレセン学園生徒行きつけのカラオケボックスで張ってる不審者疑惑が出てきたんだが・・・?

 

568:名無しの指定席 ID:vni36UIqu

ヒント:よく知らない相手にはそっけない魔王様と気軽に挨拶できる関係

 

578:名無しの指定席 ID:ZJ2D8Jqkc

あっ(察し

 

580:名無しの指定席 ID:wtQKAwH7U

ウマ娘かトレーナーか知らないけどこんなところで尻尾出してんじゃねーよ!

 

586:名無しの指定席 ID:Df6Zl++AD

いやまあ、ただ単に脳内設定を垂れ流している可能性も十分にあるわけだし?

 

596:名無しの指定席 ID:kvomXOHgK

うっかりプライベートな情報を掘り起こしてしまう前にこれ以上触れるのはやめておこうか

 

598:名無しの指定席 ID:BRBwAE0QA

せやな!いやー今回もいいレースだった!

 

 




これにて今回は一区切り!
次回は6月中の更新を目標にしておりますが、シニア級上半期のラストなのでちょっとずれ込む可能性も無きにしも非ず


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