七星と、七銘のルーデウス (マブダチ)
しおりを挟む

プロローグ

 ――本気で生きてやる。

 そう意気込んで、俺はこの世界で第二の人生を歩んでいく決意を固めた。

 前世じゃ、どんなに熱意を持って物事に取り掛かろうとも、小さな挫折があったくらいで諦めていたような俺だったが、うまくやってこれた、と思う。

 

 完璧じゃあない。

 得るものは多かった。

 トラウマを克服したし、家族ともうまく付き合えてた、友達もいて、しまいには結婚もした。

 

 その分、失うこともあった。

 でもそれは、もっと俺がうまくやっていれば、なんて後悔に染まるほどのことでもない。

 悲しいけど、でも、納得はできる、そんな感じだ。

 うまく言えないし、分かったようなことを言うが、人生なんてそんなものだろう。

 

 だが。

 俺にとっての『本気』は、あの日を境に意味を変えてしまった。

 後悔しないように、前世のように落ちぶれないように、本気で生きていく――あの時の誓いは、もう遠い。

 

「必ず、殺す」

 

 燃え滾ったような心に、冷たい感触がよみがえる。

 あの日生まれた殺意は、あの日死んだ最愛を忘れはしなかった。

 

「そこに、いるんだな」

 

 青い空は堕ちた。

 白き輝きは穢れた。

 赤い炎は掻き消えた。

 

「ヒトガミ――」

 

 俺の世界が色づいたのは、彼女たちと出会ったからだ。

 クズの性根を抑えながら、もっともらしく生きてこれたのは、あの彩りがあったからだ。

 そうして俺は、本気で生きていると心の底から思えたんだ。

 

 それを奪った。

 奪われた。

 そこにどんな理由があろうとも。

 俺はお前を許さない。

 

 

 


 

 

 

 ――龍族の遺跡から、ヒトガミが無の世界にいることを知って、もう何年が経ったのか。

 書きなぐっていた日記を閉じる。

 

 無の世界にはたどり着けない。

 龍族の作りだした秘宝を集めるということはわかっているのに、最後のピースに手が届かない。

 問題は寿命。

 どうしようもない。

 いまさら代替案を出そうにも、俺の身体はすでに老いさらばえている。

 間に合うか、否か。

 そんな選択を迫られる現状に、絶望しか感じない。

 

 今なら俺は、ペルギウスだろうとも、殺せるくらいには強いはずだ。

 魔導鎧は俺の欠点である、闘気を纏えない弱みを消してくれているし、かつては考えもしなかった重力を操る魔術だって扱えるようになった。

 治癒魔術も聖級までなら唱えられる。

 あの頃よりも強くなってるはずだ。

 ミリシオンの有象無象になんか負けはしない。

 クリフを失うことはなかったし、ロキシーだって……。

 

 やめよう。

 過去に当たるのは何の意味もない。

 

「だったら……どうしろっていうんだ」

 

 ああ、くそ。

 あの頃に戻れたら。

 あの選択を間違えなかったら。

 

 こんな後悔をしたくなかったから、本気で生きていくと誓ったんだろう。

 

 俺の人生はあまりにも暗かった。

 おそらく、前世よりも。

 こうして、数十年に及んだ俺の努力が無駄だとわかったんだ。

 強くなったって意味がなかった。

 努力から逃げていた、前世の俺がうらやましく思えてくる。

 

「もどりたい」

 

 日記には、ロキシーが魔石病に罹ったときのことが書いてある。

 今の俺なら、救える。

 そう思っても、もうこの場所には彼女の亡骸すらない。

 死に場所でもない。

 俺に居場所はなかった。

 

 最近、ヒトガミに対する憎しみが薄れていっているような気がする。

 このまま、何も成せぬまま死んでいくのではないか、という思いが強くなってきた。

 負け犬のように思えて、老いた体に鞭を打ってどうにかやってきたが、もうごまかしがきかなくなってきた。

 

 俺は諦めている。

 届かないと確信している。

 

 だから、俺は研究した。

 とはいっても、最初は転移魔術の研究だったが。

 召喚魔術と、龍族の遺跡の壁画に描いてあった魔術。

 そこから、俺は過去転移の可能性を見出していた。

 

 理論上は、膨大な魔力を必要とする。

 一分、一秒でも、常人なら魔力が枯渇する。

 あるいは、もしかしたら……世界に希釈されて消えてしまうかもしれない。

 

 タイムパラドックス、というものがある。

 過去に飛ぶとしたら、どういった風に飛ぶのか見当もつかない。

 俺がその時代の俺に成り代わるのか、もう一人の俺としてその時代に降り立つか。

 

 もちろん、不安は大きい。

 

 でも。

 できることなら、もう一度……ロキシーやシルフィに会いたい。

 エリスとも仲直りがしたい。

 そう思うと、俺の中で過去転移の選択肢を排除できなくなっていた。

 

 いや、もはや、何も残っていないのだから。

 何を気にする必要がある。

 魔力切れで消えてしまうとしても、老いで死んでしまうとしても。

 奴に届かないことが分かっているのなら、俺は行動したい。

 

 久しぶりに、今というものを見つめられている気がする。

 

 大量の魔石に、用意した魔法陣。

 

 ロキシー、シルフィ、エリス……三人の顔を思い出す。

 触った感触も、匂いも――忘れかけていた、憎悪も。

 

 俺はもう、失敗しない。

 後悔しない。

 次こそは。

 

 ――本気で生きてやる。

 

 膨大な魔力が俺の身体から吸い上げられていく。

 部屋の数割を埋め尽くすほどの魔石ですら、足りないのかもしれない。

 それでも俺は、怖くなかった。

 薄れゆく意識の中、俺のそばには、確かに三人の少女がいたから。

 

 目を瞑る。

 

 

 

 

 

 

 最後。

 

 俺は、なぜか、もう一人、救えなかった少女のことを思い出していた。

 

 

「――ナナ、ホシ……?」

 

 

 

 残る感触は、杖。

 

 起点となった、傲慢なる水竜王の感触だけだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1章 少年期 アスラ王国編
第一話「変わらない星」


 風が俺の肌を撫でた。

 ……ここは、外か?

 

 耳をすませば、草がこすれあう音が聞こえてくる。

 波のように、ざぁ、と鳴って、それが離れていく――かつて、ブエナ村で、シルフィと駆け回った小麦畑のような。

 

「――っ!?」

 

 外、外だと?

 俺はさっきまで、土魔術で作った工房にいて……大体、外は岩山だ、自然なんてなかった。

 

「あ、ぉ、おお……」

 

 暗闇に支配されていた視界が晴れていく。

 

 たしかに、自然がある。

 

 そこまで背の高くない――といって、芝というほど短くもない草が生い茂る、草原。

 それが、延々と続いている。

 空を見上げれば、雲一つない晴天。

 絵にかいたような平和な光景だ。

 

「そうだ……過去転移は、どうなったんだ」

 

 少し動揺して忘れかけていたが、思い出す。

 大量の魔石を世界中からかき集めて、試運転もまともにしてない魔法陣を使った過去転移魔術。

 ……失敗したのか? いや、まだ確定したわけじゃないが……。

 

 俺の予想じゃ、この日のフィットア領転移事件の直前に転移して、エリスと一緒に魔大陸に飛ぶのだろうと思っていた。

 要するに、俺としては、この過去転移は”過去の人間に成り代わる”というものになるのだろう、と予測を立てていたわけだ。

 しかしどういうことか、俺の身体は老人のままだ。

 まあ、それはわかる。

 だが、この景色はどうしたことだろう。

 周りには人工物がまったくない、広大な草原。

 魔物が住み着いてて、誰もが放置せざるを得ない地、というわけではないだろうし――そもそも、こんな場所聞いたこともない。

 

 失敗と断ずる根拠もないし、成功を示唆する何かがあるわけでもない。

 とりあえず、移動するしかないか?

 

 どこを見ても同じ景色だしな……あ。

 千里眼を使えば良いのか。

 本当は高所から使いたいところだが、まあ仕方ない。

 適当な方角を向いて、左目に魔力を込める。

 

「……え」

 

 視えたのは、丘の上にそびえ立つ巨大な城と、その周りを囲む要塞のような城壁、広がる街並み。

 少しずらせば、長く続く川も視えてくる。あれはおそらく、アルテイル川か?

 なら、これは、この街は――いや、覚えている。俺が滅ぼしたかけたはずの――

 

『……あ、あの』

「ッ!」

『ひっ』

 

 後ろから声をかけられると同時に、振り向きざまに傲慢なる水竜王を構える。

 ……俺が、気づかなかった? いや、確かに魔力は感じなかった。

 

 ならば、なぜ。

 そこから先に思考は進まなかった。

 

「うそ、だろ」

 

 声をかけてきたのは少女だった。

 艶やかな黒髪に、見覚えのある顔。

 それもそうだ。彼女の顔は、どれだけの月日が経とうとも変わることはない。

 忘れるはずが、ない。

 

「成功、したのか……」

 

 あの日、あの時、救えなかった彼女が目の前にいる。

 それよりも前、前世の俺が助けた時のままの姿で。

 

『ナナホ――』

 

 歩み寄ろうとしたその瞬間。

 ちょろちょろ、と特徴的な音が聞こえてくる。

 尻もちをつき、怯えながらも、俺から目をそらさない。

 

「あ、あー……」

 

 そりゃ、そうだよな、うん。

 さっきまで現代人だった女の子に、ガチな殺気当てたら、そうなるよなぁ。

 

「……」

 

 フィットア領転移事件の日に飛ぶことができた。

 俺は五体満足だし、記憶だってあるままだ。成功で間違いない。

 そのことが、俺に昔の記憶を思い出させていた。

 

 ――ルイジェルド、お前も、こんな感じの気持ちになったのかな……。

 

 千里眼に魔力を込めるが、障害物に阻まれて、当然、魔大陸の彼らを視ることはできなかった。

 

 

 


 

 

 

 少女――ナナホシはしばらく、廃人のような面持ちで固まっていた。

 ただ、汚れたスカートやパンツをそのままにしておくわけにもいかず、洗濯するために脱がせたのだが。

 

『ごめんなさい……』

 

 謝られた。

 

『先立つ不孝をごめんなさい』

 

 違った。

 つかなんかおかしいぞ、と。

 

 従順ではあるのだが、どうにも恐怖に縛られている。

 いや、俺が言葉足らずだったりするのが悪いのだろうが……。

 どうするか考える横で、衣服を洗濯する。

 宙に浮いた水球のなかでスカートやらパンツがぐるぐるしている。

 

 しかし制服か、懐かしいな。

 こうしてみると、ラノア魔法大学の制服とも、ちょっと似ているかもしれないな。

 女子高生のパンツとかも、昔の俺だったら、それだけで大はしゃぎだったろうに。

 

『……』

 

 ナナホシはやけに静かだ。

 

 彼女には俺が着ていたローブを貸している。

 臭いとか思ってるんじゃないだろうな……?

 

『……』

 

 お?

 どうやら、俺の水魔術に興味津々のようだった。

 まあ、中身はともかく、現代人にしたら珍しいもんな。

 俺も、前世ではエアー抽選の機械をずっと見てたような覚えがある。

 それと似たようなものだろう。

 

 とはいえ、意外だな。

 ナナホシのことだし、もっと冷めた目で「興味ないね」なんて言うかと思ったが。

 ……いや、この世界に来たときはもっとワクワクしてたんだっけか?

 さすがに覚えていないことのほうが多くなっているな。

 

 さて、そろそろ洗濯もいいだろう。

 ささっと『スチームドライ』で乾かす。

 見たところ、汚れはない。しっかり乾いている。匂いは……まあ嗅がないが。

 

『あ、あー……その、悪かったな』

『え?』

『あー、いや、脅かしてしまった、ということだ』

 

 日本語、これで合っているだろうか。

 ナナホシは合点がいったというような顔をし、少し顔をそむけた。

 大丈夫そうだな。少女の尊厳以外は。

 

『……あの、ありがとうございます』

 

 パンツとスカートを手に取って、ぺこりと頭を下げてきた。

 日本人的な所作に少しうれしくなる。

 

『それで、えっと……』

『色々聞きたいことがあるんだな』

『……はい』

 

 俺は先ほど見えた街の方向に体を向ける。

 

『まずは着替えろ。そしたら、歩きながら話す。……時間はあるからな』

 

 

 


 

 

 

『まず、お前もすでに理解していると思うが、ここは地球じゃない。剣と魔法の異世界だ』

『地球って言葉が出てくるってことは……』

『俺も同郷だってことだ』

 

 千里眼で視たアスラ王国の首都――『王都アルス』への道すがら、俺はナナホシに聞かれたことを次々と答えていた。

 ここが異世界であるということ、ナナホシはいわゆる『トリッパー』であること、俺が転生者であること――ナナホシは答えたことをメモに取って残していた。

 いつも持ち歩いているのだろうか。

 

 右も左もわからないだろうに……。

 こういった強かな部分は、やっぱり性根みたいなものなんだろう。

 

『……私たちは今どこに向かっているんですか?』

『王都アルスだ。ここらじゃ一番大きい国の首都でもある』

『では、この場所はどこなんでしょうか』

『その一番大きい国の領地の一つ、フィットア領だ』

 

 ナナホシは辺りを見渡す。

 

『なにもありませんけど……』

『今さっき消滅したんだ』

『えぇ!? なんっ……いや、もしかして……私、ですか?』

『複雑な話になるが、ある意味ではそうと言える』

『……』

『誰かが悪いという話ではない。お前は被害者だ』

 

 なぜ召喚されたのか、その原因はわからない。

 だが結果としてナナホシは召喚され、何らかの力が作用してフィットア領が消滅した。

 

『面白くもない話だろうがな。急にこんな世界に連れてこられて』

『あ、いえ、そんな……。ま、魔法とかもあるじゃないですか! 悪いことばかりなわけでもないんじゃ――』

『……』

『えっと……』

『お前に魔力はない。魔法は使えないんだ』

 

 メモを書き取っていた音が止まる。

 

『私、帰れます、よね?』

 

 縋るような目。

 俺はその目を向けられたことがある。

 ナナホシに。

 最終的に……そう、最終的に。彼女は帰れず、絶望し、そのまま――

 

『帰す』

 

 反射的に言葉が出た。

 できもしないことを――と思う。

 あの一連の研究の主体はナナホシだった。俺は魔力を込めていただけだ。

 

 だけど。

 

『お前は、こんな世界で死ななくていい』

 

 やれることはやるさ。

 うまく伝えられないけど、そう意思を込めてナナホシの目を見る。

 彼女は少しこわばりながらも、

 

『えっと……ありがとうございます』

 

 また日本人的な所作で礼をした。

 

 今はまだ、現状の理解に精一杯なだけかもしれない。

 いつか俺も未来のことを説明しなきゃいけなくなるかもしれない。

 そしてその時は――彼女が、それを乗り越えられるだけ強い時でなければならない。

 

 助けたい奴はいっぱいいる。

 やり直したいと思ってこの時代までさかのぼってきた。

 だけどまずは目の前のやつからだ。

 他も他も、と目の前のことがおろそかになっていったから、足元をすくわれたのだ。

 

『さあ、歩くぞ。まだまだ聞きたいこともあるだろうし、とにかく村にでも着かなければ飯がない』

『えっ、ごはんないんですか!?』

『こんな身なりで、なんで持ってると思ったんだ?』

『だ、だって……いかにも冒険者風なローブなので……干し肉とか、そういうのを持ってるのかなって』

 

 目立つから、という理由で貸しっぱなしにしていたローブの袖を揺らす。

 

『ぼろいだけだ』

『においも!』

『くさいだけだ……』

 

 やっぱり臭かったのね!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話「クルーエル」

 

 結局、最寄りの村にたどり着けたのは、夜も更け始めた時だった。

 

 最初のうちはあれこれと尋ねてきたナナホシだったが、数時間前からずっと静かなままだ。

 知りたいことを全て知れたから、というわけではないだろう。

 疲れ切っているのか。

 様子を見れば、右足をかばったような歩き方をしているのがわかる。

 長距離の歩行に向かないローファーだ。靴擦れとかを起こしているのかもしれない。

 

 たどり着いた村の名前は『ムケハ村』。

 聞いたことのない村だ。

 ブエナ村よりも規模が二回りくらい小さいが、王都アルスへ続く街道に沿って家屋が立っている。

 宿場町というやつだろうか。

 

『街道が途切れてる……』

『フィットア領消滅の範囲がここまでだったんだろう』

 

 ナナホシが振り返り、今まで歩いてきた道を見つめる。

 その隣には、ムケハ村の看板だろうか、木の板の表面がきれいに削られていた。

 

『私が原因みたいなものだっていうのは聞きましたけど、それって、えっと……他の人は、その』

『……誰も気づいていないだろう。お前が言いふらさない限り、それを知っているのは俺とお前だけだ』

『そ、うですか……それは、良かったです』

 

 ナナホシは力なく笑った。

 ……彼女の口からそれが語られたとき、シルフィ(あの時はフィッツだった)は激怒して危害を加えようとしていた。

 文字通りの災害。本来であれば憎む相手のいないそれに、その相手が出来たら、投げられる石の数は1つや2つじゃない。

 怖くなるのも仕方ないだろう。

 被害者であることを説明しても、分かってくれない相手というのはいるものだ。

 

『あまり気にするな……と言っても、しばらくは気にするのだろうがな』

『……ちょっと、難しいかもしれませんね』

『お前の使命は元の世界に帰ることだろう。こんな世界に構う必要はない』

 

 そう言うと、しばらく会話が止まる。

 コツコツ、と整備された街道の石畳を踏む音だけが響く。

 

『あの……これは、言うのを忘れてたことなんですが』

『なんだ?』

『私のほかに――2人、この世界に来ているのかもしれなくて。本当に、ただの推測なんですが……私がこの世界に来るとき、そばにいた2人です』

 

 ……忘れていた。

 思わず足が止まる。

 そうだ。ナナホシが帰りたがっていた理由。

 名前は、そう……

 

『篠原秋人、黒木誠司……あ、ごめんなさい。名前を言ってもわからないですよね』

『いや……』

『今まで歩いてきて見つからなかったので、その、もしかしたら、他の場所でこうした”消滅”が起きてたりしないのかな、って。そこにいたりするんじゃないか、って』

 

 彼らはここにはいない。

 ここに召喚されたのは、なぜかナナホシだけなのだ。

 

『……他の場所で魔力災害が発生したというのは――』

『分からないじゃないですか!』

 

 大声を出したナナホシは、ハッとして口を押さえる。

 

 俺はこの事件の全貌をあらかた知っている。

 とはいえ、それは多くの時間を費やして集まった情報を俺が手に入れることができたから知っているというだけで。

 なぜ知っているかを1から説明しようにも、”俺は未来から来た”と馬鹿正直に言うしかない。

 たとえそれを信じたとしても、結果として、ナナホシがどうなったか――帰れたか、帰れなかったか、聞かれるだろう。

 どう答えたとしても、いつかその時はやってくる。帰れないと分かる日が。

 

『……そうだな。すまない。憶測で語った』

『あ、いえ……ごめんなさい』

 

 なんにせよ、彼女の調子じゃ、自分で確かめるまで納得しないだろう。

 たしか、他に転移者がいないか、オルステッドと一緒になって1年以上も捜し歩いていたはずだしな。

 

 ……オルステッド、か。

 本来であれば、ナナホシを拾って共に行動していた。

 今もこの辺にいるのだろうか。

 それとも、尻尾をつかませないように隠れ潜んでいるのだろうか。

 この日に飛んで数時間、すでに歴史は変わり始めている。

 

『目的地の王都アルスには多くの情報が集まってくる。そこで情報収集を行って、それから行動の方針を決めるのがいいだろう』

『あ……その、それ、なんですが』

 

 おずおず、といった感じで手を挙げる。

 

『出来れば、言葉とかを教えてもらいたい、んですけど……厚かましい、ですかね』

『……? 言われずとも教えるつもりだったが』

『……何から何まで……本当、ありがとうございます』

 

 言葉も教えずあとは頑張れ、なんて鬼畜なことをしそうに見えたのだろうか。

 

 まあ教えるまでもなさそうだが。

 彼女は日本語の一切ない世界でも、1年で人間語を習得していた。

 転移者を探す片手間に、だ。

 

『とにかく、宿を探さなければな』

 

 その言葉に、思い出したかのようにナナホシのおなかが鳴る。

 育ち盛りなのはいいことだ。この世界の料理は、彼女にとってあまり慣れ親しんだものではないが……。

 

 その辺はおいおい、どうにかしていけばいい。

 

『……ん?』

 

 人がいる。

 視えたわけじゃないが、気配を感じ取った。

 歩幅を狭くしつつ、いつでも戦えるように傲慢なる水竜王に手をかけておく。

 

 この気配はなんとなく覚えがある。

 洗練された魔力は闘気によるものだろう。

 剣士か。しかもそこそこの。それが近づいてきている。

 

 それが、近くの建物の扉のところまで来て――

 

『あの――』

「あ、あのっ!」

 

 様子の変わった俺にナナホシが声をかけるのと同時に、扉が開かれた。

 相当勢いよく開けられたのだろう、すぐそばの壁につけられた看板がゆらゆらと揺れた。

 異国の者にもわかりやすい、宿屋のマークが印されている。

 

「急に申し訳ありません、お二方! フィットア領の方から参られたのですか!?」

『……? あっ』

 

 ナナホシは最初怪訝そうな顔をし、それがこの世界の言葉であることを察すると俺の後ろに隠れた。

 よく通る声で叫ぶのは、青みがかった黒髪の、よく整った顔をした少年だった。

 見ようによっては青年ともとれるかもしれない。

 

「ああ。それがどうかしたか」

「差し支えなければ、フィットア領の現状を教えていただきたいのです!」

 

 ……ふむ。

 まあ教えない理由はない。というか見たまんまですとしか言えない。

 

 しかし、何か引っかかる。

 この顔に見覚えがあるのだろうか。

 

「良いだろう。だが、俺たちは今、今晩の宿を探している。そちらに邪魔していいのであれば、そちらで話したい」

「ありがとうございます! ……といっても、相部屋になってしまいますが、それでも構いませんか?」

「ちょうど無一文なんだ。雨風をしのげればそれでいい」

 

 ナナホシにも一応確認はとる。

 

『この世界の治安って……』

『良い、とは、言えないが』

 

 少し葛藤しているようだ。

 ……最悪、土魔術でそれっぽいのが作れないわけではないが。

 

 話し込む俺たちの方に、少年が向かってくる。

 月明かりが差し込んで、より少年の顔がくっきりと分かる。

 やっぱり、見覚えがある。

 

「失礼だが、名前は?」

「あ、っと……こちらこそ失礼しました」

 

 ビシッ、と擬音が付きそうなくらい素早く態勢を整えた。

 

「私の名前はタントリス。タントリス・クルーエルです」

「クルーエル……まさか、イゾルテ・クルーエルの関係者か!」

「ええ、イゾルテは私の妹です。……しかし、そうですか。そちらで覚えられているとは……小さいながらも水聖になった天才ですから、しょうがないといえばしょうがないのでしょうけれど」

 

 イゾルテ・クルーエル。

 その名には覚えがある。

 俺の記憶では、水帝にまでなっていた水神流の剣士だ。

 

「そうか……兄、か」

 

 ……シルフィたちのクーデターを阻止したのがその女だった。

 仇でもあったし、ヒトガミの使徒ではないかと疑ったこともある。

 結局違ったが。

 何も知らなかった。

 そして、殺した。

 

「あの……?」

「いいや、なんでもない。その名前に懐かしいものを感じただけだ。……邪魔させてくれるんだろう? 部屋まで案内してくれ」

「そうでしたね。こちらです。……わけあって妹がベッドで休んでいますが、気にしないでください」

 

 いるのか。それは、好都合なのかもしれないな。

 変な話だが、俺が殺したことによって、使徒ではないことがわかった奴らが何人もいる。

 むろん、だからといって俺の味方になるわけじゃないが……早いうちに接触しておくことが功を奏すかもしれないしな。

 

『行くんですか?』

『ああ、この男なら信用できるだろう』

『知り合いなんですか?』

『そういうわけではない。全く知らないというわけではないが、他人だ』

『治安、あまりよくないってことでしたけど、不用心では?』

『強ければ、こういう振る舞いもできる』

 

 タントリスはたしか水神流の上級剣士だったはずだ。

 中級が平均の世界だから、そこら辺のチンピラには負けない自負があるのだろう。

 

「そちらの方は?」

「人間語がわからないんだ。あまり気にしないでいい」

 

 宿屋は、特筆すべき点のない普通の内装だった。

 近くの、おそらく食事用のスペースだろう、小部屋の奥には店主らしき男がいて、こちらを一瞥するだけで何も言ってこなかった。

 こんな事態になっても避難しないで営業っていうのは、商魂たくましいのかなんなのか……。

 

『……靴を脱ぐ必要はないぞ』

『えっ、あっ、そうなんですか』

 

 どうやら彼の部屋は二階の方にあるらしい。

 建てられてから結構年数がたっているのか、ぎいぎい鳴る階段を上りつつ、タントリスが聞いてきた。

 

「もしよろしければ、お二方のお名前を教えていただけませんか?」

 

 そうだな……。

 ルーデウス・グレイラットの名前を言おうかと思ったが、すでにこの世界にルーデウスが存在する以上、得策ではないだろう。

 かっこいい名前でも作りたいものだが、わざわざ考え込んであからさまに偽名だって思われるのも良くない。

 

「ルード」

 

 結果として口から出てきたのは、かつて使っていた偽名だった。

 

「ルード・ロヌマー。バシェラント公国から出稼ぎにきた、一介の魔術師だ」

 

 もう1人。七星静香の名前。

 これは迷わなかった。

 

「そしてその助手、サイレント・セブンスターだ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話「クルーエル兄妹」

 タントリスに連れられて部屋に入る。

 どうやら大人数が安い料金で泊まるような宿らしく、部屋はここだけのそうだ。

 

「本来であれば、この辺りじゃ名の知れた隊商の方々が泊まる予定だったらしいのですが……」

 

 しかし、フィットア領の消滅に巻き込まれ、この部屋が空いてしまった。

 

「私たちはもともと、ロアの道場に滞在していました。今日アルスに帰還するはずだったのですが、あの光に飲み込まれて、乗っていた馬車が半壊し、御者もその時の事故で……」

「間一髪だったということか」

「……そうですね。こうして生きていられるだけ幸いというものでしょう。……ただ、すぐに被害の確認に行こうにも、妹のイゾルテが足を怪我してしまいましてね。それを見かねたここのマスターがこの部屋を使わせてくれたんです」

 

 複数並んだベッドのうち、手前にあったものの布団がのそりと動く。

 緩慢な動きで、寝ていた人物が起き上がる。

 タントリスによく似た顔つきの少女だった。

 

「……兄上、旅のお方に迷惑は掛けてはいけませんよ」

「無理を言って連れてこられたわけではない。だが代わりに今日はここに泊まらせてもらうことになった。構わないな? イゾルテ・クルーエル」

 

 少女、イゾルテ・クルーエルは兄のタントリスに確認するように目配せする。

 

「ルード・ロヌマーさんと、サイレント・セブンスターさんです」

「……私の名前は既にご存知のようですし、自己紹介は控えさせていただきます。どうやら、フィットア領の方から来られたとか」

 

 イゾルテは吟味するように俺たちを見てくる。

 後ろめたいことがないわけではないため目をそらしそうになるが、我慢だ我慢。

 今の俺たちに敵対する理由はない。堂々としていればいいのだ。

 

「ああ。それで話が聞きたいとな」

「兄上がすみません。……私がこんな状態ですから、動くに動けなくて困っていたところなのです」

『わっ……』

 

 布団の横からすらりとした足が伸びてくる。

 足首が大きく腫れあがっていた。

 ナナホシはそれを見て、乙女チックに口を手で押さえている。

 ……日本じゃ、怪我なんて一大イベントみたいなものだったし、やっぱり珍しいのだろう。

 

「一応、初級の治癒魔術は使ったのですが……定期的に使わないと、痛みがぶり返してくるみたいなのです」

「……稽古に骨折なんてつきものですし、慣れていますから。兄上が少し大げさすぎるだけで」

 

 強がり……ではないのだろうな。

 タントリスの話では、彼女はもう聖級剣士だ。

 それぐらいは確かに慣れたものなのだろう。

 そんな彼女が怪我を負うくらいには、馬車の事故というのはかなり大きなものだったのか。

 

 見たところ、タントリスは二十歳を超えてもいないぐらいの若さだ。

 突然災害に巻き込まれて、妹が怪我をして、被害を確認しようにも動けない。

 ロアに道場があると言っていた。

 もちろん知り合いもいただろう。

 どうなったかもわからないままで、やきもきする気持ちもあっただろう。

 

「……よし。見せてみろ」

「え?」

 

 その姿に昔の俺を重ねたわけではないが。

 これに手を貸さないのはどうにも気持ちが悪い。

 

「ルードさん、もしかして治癒魔術が使えるのですか?」

「ああ。こう見えても魔術師だからな」

「……どう見ても魔術師なのでは? 杖とか持ってますし」

 

 イゾルテが座りなおして、患部を俺に見せてくる。

 俺も骨折とかしまくっていたからな……痛みに慣れていても、動けないのは不便だ。

 

 それに、まあ。

 なんというか。

 罪滅ぼし的なのもあるのかもしれない。

 前回の俺はくそったれで、他人を何とも思わないような生き方をしていた。

 あのままだったら、結局死ぬまで一人だっただろうし……。

 

 ……いや、恩を売るだけだ。

 それ以上の深い理由はない。

 バシェラント公国の魔術師、ルード・ロヌマーはお節介焼きなのだ。

 そういう設定なだけだ。

 

「触るぞ」

「はい……」

 

 細い足だな。

 引き締まっているとも言えるが、筋肉ばかりというわけではない。

 こんな身体が、いつしか水帝としての力を身に付けるのだから不思議なものだ。

 

「母なる慈愛の女神よ、彼の者の傷を塞ぎ、健やかなる体を取り戻さん――『エクスヒーリング』」

 

 唱えたのは中級治癒魔術。

 青く腫れあがっていた足首が、見る見るうちに健康的な足に戻っていく。

 

『うそ……』

 

 ナナホシが驚いて瞬きを繰り返している間に、骨折は治ってしまった。

 イゾルテは動きに支障がないか、軽く動かして確認した後、ベッドの脇に立ち上がってみた。

 

「イゾルテ、大丈夫なのですか?」

「はい。もう問題ありません。……心配をかけてすみません、兄上」

 

 それから俺のほうへ向き直ると、

 

「兄上のわがままに付き合っていただいただけでなく、こうして私の怪我を治していただいて、感謝しかありません」

「私からも礼を言わせてください。ありがとうございます」

「む……」

 

 そう感謝してきた。

 

 どことなくむず痒い。

 こんな風に頭を下げられたのは久しぶりだからだろうか。

 

「……俺は冒険者だ。こうした縁が大事であることは身に染みてわかっているからな」

「おお、さすがルードさんです!」

「さすがはやめろ……」

 

 カッコつけてそんなことを言ったらタントリスから尊敬のまなざしを向けられてしまった。

 イゾルテも、どことなく信用の色が垣間見える目でこちらを見てくる。

 

 これが若さというやつか。

 

「とにかくだ。聞きたがっていたフィットア領の話。俺の知る限りでよければ、話すぞ」

 

 そういうと、イゾルテたちは思い思いの場所に座った。

 ここには椅子がないからベッドや窓際に腰掛ける形になる。

 ナナホシは話に入れないのがわかっているからか、少し離れた場所に座っていた。

 何かを確認するようにローファーを脱いで、ソックスをめくっている。

 

 ……後であいつにも治癒魔術かけとくか。

 ――ドライン病にも、気を付けなければいけないな。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話「休息」

 フィットア領の惨状を聞き、彼らがまともな反応を返すまで、少し時間がかかった。

 

「……信じ、られませんね……全部、消えたなどと」

「いえ、ですが……ここから見える範囲だけが消えた、などと都合のいい現実ではないのは、薄々気づいていたことでしょう」

 

 タントリスは渋い顔をしながらフィットア領のあった方角を窓から見つめる。

 イゾルテは、兄とは反対にすんなりと俺の話を受け入れた。

 話の信憑性を高めるために、千里眼を見せたのが効いたのかもしれない。

 

「……そう、ですね……ルードさんのことを疑っているわけではないんです。ただ、急すぎるでしょう……何もかも」

「兄上……」

 

 二人とも、ある程度は覚悟していたみたいだ。

 俺から話を聞きたがったのは、一縷の望みがあったからだろう。

 

「……すみません。ルードさんも苦労されたでしょうに」

「いや、俺たちは何か被害に遭ったわけではない。偶然あの災害に居合わせただけだ」

 

 だがその望みが絶たれたとあって、そのショックは小さくないようだった。

 

 この日に起きた悲劇はあまりにも大きすぎる。

 事件の報は王都アルスへと伝えられ、混乱と絶望は瞬く間に波及する。

 フィットア領転移事件とはそういうものだ。

 

 ここで、魔術師としてそれらしい仮説を説明して、安心させるという案もある。

 実際、誰もかれもが消えてなくなったわけではなく、運が良ければ、どこかに転移して生きてる奴もいたりするしな。

 

 しかしそれでは不自然だ。ただでさえフィットア領からやってきた自称冒険者なんだ、関係者かと疑われたくはない。

 

「もしかしたら生き残りがいるかもしれないが、すぐに見つかるということはおそらくない。王都アルスにいるのだったら、そこで情報が集まるのを待つしかないな」

「……無事でいてくれるといいのですが」

 

 俺の言葉を下手な慰めと受け取ったのかはわからないが、タントリスの返答に力は無かった。

 

「……」

 

 それから無言の時間が続く。

 この状況では何を言っても逆効果だろう。

 

 気まずい状況を悟ったのか、ナナホシがもう少し離れようとして立ち上がったところ、部屋の扉がたたかれた。

 

「はい?」

 

 タントリスが応える。

 扉の向こうから顔を出したのは、下の部屋にいたマスターだった。

 マスターが手に持つトレーには、湯気が立つシチューと、ありきたりなパンが乗っている。

 

 部屋の中までやってくると、イゾルテのほうを向いて目を丸くした。

 

「足、治ったのかい?」

「ええ、はい。こちらの方に治していただいたんです。……マスターにも迷惑をかけてしまいましたね。申し訳ありません」

「いや、いや。それならそれでいいさ。とりあえず、今晩の飯を作ったから持ってきたんだが、下で食べれそうかね?」

「はい。ありがとうございます」

 

 がっはっは、と豪快に笑うおっさんマスター。

 

「あんな災害に巻き込まれて大変だっただろうけど、とりあえず腹いっぱいにして、ちゃんと寝るんだぞぅ!」

 

 災害に巻き込まれたのはマスターも一緒だったろうに。

 イゾルテとタントリスはたがいに目を合わせて、笑いあった。

 力ない笑いではあるが、先ほどまでの気まずい空気はない。

 

 と、ナナホシのおなかの音が鳴った。

 どうやらシチューの匂いに限界がきているようだ。

 

「そっちのお客さんの分もあるからね」

「……いいのか?」

「今日は大人数相手に食事を出す予定だったからさ、食材が有り余ってるんだ。あんまり日持ちがいいわけじゃないから、食ってもらわんと困るんだよ」

「なら、言葉に甘えさせてもらおう」

 

 気づけばナナホシは隣に立っていた。

 一応食べるか確認すると、ものすごい勢いで頷かれた。

 言語の壁を超越して、会話の意味を理解したのだろうか。

 そんな腹ペコキャラでもないだろう、お前……。

 

 もしかしたら、地球ではダイエットでもしていたのかもしれないな。

 

 とにかく、そういうことで、俺たちは食事にありつけることになったのだった。

 

 

 


 

 

 

 食事のあと、クルーエル兄妹は部屋に戻りすぐに寝てしまった。

 緊張状態の中、温かい料理を食べたからだろう。

 その食事中の話ではあるが、2人からある誘いを受けていた。

 

「――もしよろしければ、私たちと一緒に王都アルスまで行きませんか?」

 

 その場で決めることはできず、明日の朝答えると言ってしまった。

 

 どうしたものか。

 たぶん、旅は俺とナナホシだけのほうが短く終わる。

 ナナホシに貸してるローブは魔力付与品だし、俺自身は重力魔術の応用で常人よりは早く歩ける。

 だが、王都アルスについてからの伝手がない。

 金は捻出できなくもないが、装備を売るのは気が引ける。

 いつか同じものが見つかって、俺が詐欺師呼ばわりされるのは避けたい。

 杞憂の可能性もあるけどな。

 

 そういった点を考えると、彼らと行動を共にするのは色々都合がいい。

 クルーエルといえば水神レイダ・リィアの孫だ。

 何より信用があるから、その分街中で動きやすくなる。

 それに、金がない俺たちを放っておくタイプでもなさそうだし、休める場所くらいは用意してくれそうだ。

 俺は別になくてもいいが、ナナホシがいるからな。

 

「……イゾルテ・クルーエル、か」

 

 彼女はヒトガミの使徒ではない。

 だが、敵だった。

 シルフィの仇だった。

 そんなイゾルテの怪我を治し、共に行動しないかという誘いに決断できない今の現状を、あの頃の俺が見たらどう思うだろうか。

 

 ――戦いは数だ。

 ヒトガミは多くの駒を持っている。

 それをして、俺を追い詰め、ロキシーたちを殺してみせた。

 結局、俺が一矢を報いることができなかったのは、俺がほとんど一人だったからではないか。

 そう思っている。

 

 今回はその生き方を改めなきゃいけない。

 とにかく、味方を増やす。

 それも闇雲にではない。

 考えて選ばなければ、背中から刺される。

 

 全て過ぎ去ってしまったことだが、ロキシーたちに行った一連のことを考えると、ヒトガミの考えが見えてくる。

 奴は言った。

 

『君が馬鹿なおかげで、僕の思い通りに事が進んだよ』

 

 目的はわからない。

 だが、あいつの狙いはロキシーたちにあった。

 奴は言葉巧みに俺を信用させ、最後の最後で裏切った。

 ならば、俺にとっての最優先目標は、あいつが狙っていそうな事象の阻止にある。

 

 分かりやすいので言えば、ロキシーが魔石病にかかったことだ。

 あれはヒトガミ自身がそうしろと告げたうえでの結果だったから分かりやすい。

 もう1つはアリエル・アネモイ・アスラ陣営によるクーデター、そしてその失敗だ。

 その失敗により、シルフィ含めアリエルの手勢は全滅。

 俺は、ヒトガミは俺を絶望させるためだけにそんなことをしたのだと思っていた。

 

 だけど、たぶん違うのだろう。

 そう思ったのは、まず、その時に行動を起こしたヒトガミの使徒。

 まずはアリエルの側近、ルーク・ノトス・グレイラット。

 奴の女が、ルークが神のお告げを聞いた、というようなことを言っていたから、間違いはないだろう。

 

 そしてもう1人は……正直自信はない。

 おそらく、アスラ王国第1王子であるグラーヴェル・ザフィン・アスラか、上級大臣のダリウス・シルバ・ガニウス、このどちらかだろう。

 あのクーデターについて調べたが、第1王子陣営から水神や北帝を雇ったという情報が手に入った。

 剣客として招いたとかではない。

 ボディーガードとして雇っていたのだ、間違いなくヒトガミからお告げを受けている。

 

 そして、両陣営を、いや、どちらか片方に甘い嘘をつき、もう片方に危険を知らせる。

 マッチポンプで潰し合わせるのだ。

 

 ……おかしな話だ。

 俺を絶望させるだけだったら、そこらの物乞いの夢にでも現れて、俺がいない間に屋敷に火を放たせたり、腕の立つ剣士でも魔術師でも操って襲撃させればいい。

 だがしなかった。

 何がしたかったか。

 

「アリエル陣営の勝利の阻止……」

 

 広い視点で見れば、その真実が見えてくる。

 歴史を変えるほどの大きな事象。奴はそれを阻止したくて仕方なかった。

 それほど大きな出来事と並ぶほど、奴にとって重要だったのがロキシーの殺害。

 俺は、そういったものを止めればいい。

 

 大きな転換点になるのは、ルーデウス・グレイラットがロキシーと子供を作る、となった時点。

 ならそれまでに、ヒトガミの敵……とまではいかなくとも、ヒトガミの味方にはならなそうなやつを見つけておきたい。

 

 ヒトガミの傾向として、”阻止したい目的”の中心人物を操れないところがある。

 アリエルやロキシーなどは操れないが、代わりにルークや俺を操って目的を達成させた。

 そして、おそらく奴は周到なのだろう。

 わかりやすく陣営が分かれるような戦いになる場合、奴はそのどちらの陣営にも使徒を忍ばせる。

 結果として動かしやすい権力者などが使徒に選ばれやすいのではないか、と考えている。

 

 ……そうなると、水神としての地位を持つレイダ・リィアも危ないか?

 グレーゾーンは出来るだけ避けていったほうがよさそうだな。

 俺が歴史を変えた結果、ヒトガミが使徒を変えることは必ず起こるだろう。

 気になるのは、ヒトガミがどれだけ同時に人を操れるかだが……。

 俺がすべきなのは、その時俺の敵に回らないよう、出来るだけ根回しをすることだ。

 

 そこまで考えていると、背後の扉が開かれた。

 

『ルードさん……外にいらしたんですか』

 

 顔をのぞかせたのはナナホシだった。

 格好は制服のままで、俺のローブを折りたたんで持っていた。

 

『ナナホシか、どうしたんだ? 湯あみが終わったら寝ていいと言ったはずだが』

『言語の違う人と一緒の部屋で寝るのはやっぱり怖くて……。ルードさんはどうして外に?』

『……夜風に当たりたくなってな』

 

 ナナホシが隣に座る。

 ただのお湯で身体をふいただけのはずだが、かすかにシャンプーの香りを感じる。

 

『すごいですね、星』

『明かりが少ないからな』

 

 2人でしばらく空を眺める。

 別に何かを考えたりはしない。

 頭を空っぽにして、ただ見ているだけだ。

 

『あの、ルードさん』

 

 しばらくそうしていると、彼女のほうから声をかけてきた。

 

『フィットア領転移事件、でしたっけ? ……その、人とか物とか、全部転移してしまったんですよね?』

『ああ、それがどうかしたか?』

『いえ……なら、ルードさんはどうしてあそこに立っていたのかな、と』

 

 俺は星空から目を離さない。

 

『……いつか、話す』

『いつか、ですか……?』

 

 ナナホシは納得がいかない様子だったが、あまりがつがつ聞けないのだろう、食い下がることはしなかった。

 

『では、どうして、私にこうも親切にしてくれるのかは……』

『……』

『それも、いつか、なんですか……?』

『ああ……』

 

 適当に嘘でもつけばよかったか。

 これじゃ不気味だろうか。

 同郷のよしみ、ってことでもよかったかもな。

 向こうで生きてた時間より、こっちで生きてた時間のほうが長いから微妙なところではあるんだが。

 

『湯冷めして風邪ひかれても困るし、戻って寝るとしよう』

『あ、はい』

 

 ……適当に話題でも出そうと思って空を見ていたが、北斗七星なんて無かったな。

 そりゃ、地球と同じ空なわけがない。

 だけどそういうの、何となく寂しいかもしれない。

 

 まあ、どうでもいいか。

 とにかく、明日からだ。

 今日はゆっくり、休むとしよう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話「出発」

 一晩考えた結果、俺たちはクルーエル兄妹と共に王都アルスへ向かうことに決めた。

 ナナホシは俺の判断に一任しているようで、反対はしなかった。

 

 言語の壁があるからか、ナナホシはあまりクルーエル兄妹と関わろうとしない。

 が、それほど問題にはならないだろう。

 というか、知らない人に苦手意識があるのは普通のことだ。

 ただそれが、言葉がわからないから払拭できないままでいるだけで。

 

 ともかくこれで、旅の仲間ができて、行動の指針が決まった。

 ナナホシは『ローファーで大丈夫かな』と心配していたみたいだが、俺がおんぶすることを伝えると見たことのない顔で固まった。

 ……当たり前だろう。靴擦れを起こすたびに治癒魔術をかけてたらすぐにドライン病に罹るかもしれないんだから。

 というのを説明してもわからないだろうから、適当にでっち上げでごり押した結果、

 

『そんなに私をおんぶしたいんですか?』

 

 誤解が生まれた気がする。

 いや、バシェラント公国の魔術師、ルード・ロヌマーは誤解を恐れない!

 

 俺は鷹揚に頷いた。

 ナナホシはドン引きしていた。

 

 


 

 

 朝。

 朝食を終え、俺たちは旅の支度を進めていた。

 とはいえ、ほとんどすることがなく、忘れ物がないか確認するくらいだったが。

 普通なら野営の道具だったり、食料だったりを巨大なバッグに詰め込むのだが、クルーエル兄妹の荷物は転移に巻き込まれて無くなってしまっており、俺たちはすかんぴん。

 結果として持ち物らしい持ち物は剣だの杖だの、そんなのしかなかった。

 

 ここ、ムケハ村から王都アルスまでは、馬車を使っても2、3週間かかる。

 だが、それほど悲観することもない。

 ここは魔大陸じゃないんだ。

 隣町との距離なんて、どれだけ遠くても1日あればたどり着ける距離にあるはず。

 野営する場面なんてほとんどないだろうし、餓死するなんてこともそうそう起こらない。

 魔物も弱いやつしかいないし、整備された街道を使えば、そもそも遭遇する可能性が少ない。

 

 心配なのは路銀だが、そこは大丈夫そうだった。

 タントリスは金品を肌身離さず持ち歩くタイプのようで、そちらは無事だったようだ。

 ……しかし、道連れとなったとはいえ、そんな金銭感覚で良いのかと思ったが。

 

「魔術師の方、特に水魔術を扱える方であれば、旅で重宝されると聞きます。いつでも腐っている心配のない水を飲めるのは大きいですからね。ですから、これは私たちがルードさんたちを雇っているという形で」

 

 とのことだ。

 彼はかなりのお人よしなのだろうか。

 そこのところ、イゾルテと一緒にいることでバランスが取れているのかもしれない。

 

「お、もう出るのかい?」

 

 旅の準備が済み、宿を出ようとしたところで、マスターに声をかけられる。

 相変わらず朗らかな笑みを浮かべたままだ。

 

「ええ、夜にならないうちに隣町に着いておきたいものですから。……しかしマスター、本当によろしいのですか?」

「ん、ああ……昨日のことかね」

 

 タントリスは昨夜、マスターにも俺と同じような誘いをしていたらしい。

 

 というのも、ムケハ村の住人は彼を除いてみんな避難しており、この村には彼一人しかいないのだという。

 マスターはクルーエル兄妹を休ませておくため、一人残っていたのだ。

 

 フィットア領転移事件は未知の災害だ。

 二次災害なんてものがあるかもしれない。

 そう考えて、自分の身を守るために行動するのは当然のことだろう。

 そして、タントリスも同じようなことを考え、マスターと一緒にアルスへ向かおうとしたのだが。

 

「やっぱり、遠慮しておくよ」

 

 マスターは困ったような笑みを浮かべて、頭の後ろを掻く。

 

「確かに坊主の言うとおり、ここが明日も無事な保証はない」

「なら、どうして?」

「……娘と、妻……2人ともロアにいてな。今日ぐらいに帰ってくる予定だったんだが、あの災害でな」

 

 ……しばし沈黙が続く。

 クルーエル兄妹はそのことを知らなかったようだった。

 無理もない。

 マスターはそれを悟らせないように、俺たちを元気づけていたのだ。

 

「娘もいねぇ、妻もいねぇ、そんで住んでた場所まで無くなっちまったら、俺、どうしようもねぇからよぅ。でもよぅ、ここで待ってたら、そこの爺さんみたいにひょっこり顔を出してくれるかもしれねぇだろ?」

「マスター……」

「だから、俺ぁいかねぇよ。でも、すげぇうれしかったぜ! 坊主、お前大きくなるぞぅ!」

「わ、私はもう成人していますから」

 

 大きな手でタントリスの頭をなでる。

 マスターは間違いなく、この災害の被害者である。

 だけど、それでも折れない人間というのはいるものだ。

 でなければフィットア領の復興なんて無かっただろうし、捜索団も結成されていなかった。

 

「……と、そうだそうだ、忘れるところだった。ちょっと待っててくれよ!」

 

 そう言うとマスターは部屋の奥に入っていってしまった。

 向こうは調理場か? かすかに昨日食べたシチューの匂いがする。

 

 マスターはすぐに戻ってきた。

 両手にたくさんの干し肉を持って。

 

「空腹ってのは色々暗い気持ちにさせてくるからなぁ、ちょっと小腹が減ったかな、ぐらいでもかじってみると良い」

「よ、よろしいのですか、こんなにたくさん……」

「いいのさ! 余らせちまうぐらいだったら、胃の中に入れてもらったほうがこいつらも喜ぶ!」

 

 どさっと袋に干し肉を詰め込み、有無を言わさずタントリスに渡す。

 イゾルテとともに中を覗き込み、同じような反応をしていた。

 

 だけど彼らはすぐに姿勢を整え、マスターに向き直る。

 

「「ありがとうございます!」」

 

 そうして俺たちは、マスターに見送ってもらったのだった。

 

 

 


 

 

 

 ムケハ村を離れていく。

 今日は雲一つない晴天だった。

 

 とりあえず、全員が干し肉を一つかじってみた。

 

『しょっぱ』

 

 だけどまあ、うまいものだった。

 旅のお供、というわけではないが、干し肉は旅の定番の食糧だ。

 だというのに、同じ味、というものはほとんどない。

 どれも1つ1つ違った味だ。

 だから旅というのは、面白いのかもしれない。

 

 いざ、出発。

 目的地は王都アルスだ。

 

『さあ乗れ、ナナホシ』

『うぇぇぇ』

 

 そんな旅のお供は、目が死んでいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話「ナナホシの勉強会」

 表立って街道を歩いたのは何年ぶりだろうか。

 人の目を気にせず歩けるというのがここまで清々しいとは思わなかった。

 

 戻ってきた、という実感がわく。

 旅の道連れは背中に背負ったナナホシ姫と、剣士のクルーエル兄妹。

 エリスでも、ルイジェルドでもないが、懐かしさを感じてしまう。

 あの時もこうして、誰かの背中を見ながら歩いていたっけな。

 思わず口が軽くなり、聞かれてもいないままナナホシにアスラ王国のことを説明する。

 彼女はそれでも、少し楽しそうだった。

 

 旅は順調そのものだ。

 

 


 

 

 二日目。

 昨日のうちに隣町へと到着した俺たちは、そのまま宿に泊まり休むことにしていた。

 俺もクルーエル兄妹も疲労が溜まった様子はなかったので、そのまま次の街へと進むつもりだ。

 だがどうやら次の街までは、歩いて半日もしないところにあるという。

 クルーエル兄妹はこの街の知り合いに生存報告を兼ねて会いに行ってくるということで、午前中は自由時間となった。

 

『ということでだ、ナナホシ』

『はい』

 

 ベッドの前に立つ俺に対し、姿勢よく座るナナホシ。

 

『これからお前のための勉強会を開く』

『……勉強会、ですか。それはもしかして、こちらの世界の言語の?』

『それも含め、一般常識……例えば通貨とか、文明レベルとかから、地理とか、いっぱいだ』

『いっぱいですね』

『ということで、この時間、俺のことは”ルード先生”と呼ぶように』

『はい、先生』

 

 ……変なところでノリ良いよな、こいつ。

 

 ナナホシ自身も色々知りたいことがあったのか、興味津々な様子。

 これなら大丈夫そうだ。

 どこかの山猿とまで言われた赤髪の姫君と違って、苦労することはなさそうだな。

 

『教えることは多いが、何においてもこの世界の言葉がわからなければ不便で仕方ないだろう。よって、今日の授業は”こくご”とする』

『先生』

『なんだ』

 

 ピン、と優等生のようにナナホシが手を挙げた。

 

『語学学習には絵本の読み聞かせなどが有効だと聞きます。そういったものはこの世界には無いのでしょうか?』

『絵本はどうだろうな……ほとんど小説みたいなものしかないと思うぞ。それに、製本技術がまだまだ未熟だから、単純に高価だ。いつか買う機会はあるだろうが、今はさすがにな……』

 

 絵がついているものと言えば、図鑑が当てはまるだろうか。

 大昔の誕生日に、ゼニスからプレゼントされたのが、たしか植物図鑑だったはず。

 全ページ手書きで、挿絵ももちろん手書き。

 そりゃあもう高いに決まってる。

 絶賛ひも状態の今、クルーエル兄妹にねだるなんて出来るわけがない。

 

『あ……そうね、えっと……ルードさんは』

『先生だ』

『せ、先生はもともとは日本人だったんですよね? どうやってこの世界の言語を習得したんですか?』

 

 どうだったかな……さすがに昔すぎて微妙なところではある。

 ああ、そうだ。たしか、言葉を聞き取れるようになったのは、自然とだった気がする。

 しかもそれは俺が赤ん坊だったからだ。

 ナナホシには役立たない情報だろう。

 

『そうだな……結局、本を読み聞かせてもらったりして覚えていたな』

『本、高価って話でしたけど……もしかして、結構良いお家の生まれだったんですか?』

『ああ、これがな、俺も驚いたんだが、実は親父が上流貴族のお坊ちゃんだったらしくてな』

『すご!』

 

 小さい頃は家の外に出るのが怖くて、自分の家とほかの家を比較することもなかったしなぁ。

 どのタイミングで知ったのかは忘れてしまったが、驚いたことだけは覚えてる。

 

『やっぱりメイドさんとか、執事とかがついてたりするんですか?』

『いや、多分お前が想像しているのとはちょっと違うぞ。別に豪邸に住んでたわけじゃない。広いのは広いが、いたのは家族だけだ』

『そうなんですか……』

『あ、いや、一応いたな。メイド』

『そうなんですか!?』

 

 もう感覚的に家族だったからなぁ、リーリャは。

 

『これが複雑なんだ。俺を生んでくれた母親が、妹ができた、ってお祝いムードの中で、そのメイドの妊娠が発覚してな』

『……お相手は』

『親父だ。家の空気は最悪だった』

 

 わぁー、とナナホシは興奮しっぱなしだった。

 こういう話をすると引かれるかもと思ったが、彼女は嫌いじゃないらしい。

 

 ……パウロの浮気より俺のおんぶのほうが忌避感あるの納得いかねぇ!

 

『この世界でも、やっぱ一夫一妻制なんですか?』

『実はそうでもない。親父が結婚した相手が、”ミリス教”って宗教に入っててな。そっちの教義で”一人だけを愛すべし”みたいなことが書いてあるんだ』

『なるほど、宗教』

『価値観とかは中世そのままだから、貴族は妾とか作りまくってたりするぞ』

 

 ナナホシはメモを怠らなかった。

 こんなことに貴重な紙を使うなよ。

 

『それで、どうなったんですか、そのメイドさんは!』

『それはだな……ん?』

 

 待てよ。

 俺は何でこんな転生トークで盛り上がってるんだ?

 

 い、いかんいかん。

 いつになくテンションが上がってしまった。

 今は勉強会だ。

 俺は厳格な先生なのだ。

 ここでビシっと言わねば、先生としての威厳が崩れてしまう。

 そう、ビシっと!

 

『……それは、また今度だ!』

『えー!』

 

 ……こ、これは授業の最初のアイスブレイクだから。

 ノーカンだ、ノーカン。

 お互い、楽しい気分でやれたほうがいいからな。

 

 ――しかし、先生か。

 また、その日にやる授業の内容に頭を悩ませることになるのだろうか。

 それは、いいな。

 俺はそれが嫌いじゃなかった。

 

 当初の予定通り、俺はナナホシに言葉を教える。

 メモとペンを借りて、簡単なものから覚えさせていこう。

 まずは「ありがとう」と「ごめんなさい」だ。

 

 クルーエル兄妹が帰ってくるまでの間、俺たちの授業は続いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話「友好」

 7日目。

 ナナホシはやはり優秀だ。

 日常会話のうちでも一部の単語くらいだが、聞き取ることができるようになった。

 母国語に埋もれると新しい言語の習得は難しい、というのをどこかで聞いた覚えがあるが、それ抜きにしてもこのスピードは凄まじい。

 人間、やる気があれば大抵どうにかできてしまうということなのか。

 

 授業の始めの転生トークについては、色々脚色を加えつつ話している。

 まるっきり記憶の通り話してしまうと、本来のルーデウスに会った時に面倒くさいことが起こるだろうからな。

 まあ、こういうのは真実だろうが嘘だろうが何だっていいのだ。

 友人と馬鹿話をするようなノリだから、楽しさ優先じゃないとな。

 

 旅のほうも、これといったアクシデントも無く。

 最近は、ナナホシもおんぶに慣れてしまったようで、旅の途中はほとんど背中でぐーすか寝るようになった。

 その代わり、夜更かししているみたいだが……明かりの少ない夜にすることなんて何もないはずなのに、何をしているのだろうか。

 聞いてもはぐらかして答えてはくれなかった。

 宿の外に出たりとかはしないみたいだし、危険がなければそっとしておけばいいか。

 そういう結論になった。

 

 今日は旅を中断して休むことになっている。

 雨が降ってきたからだ。

 しとしと、と窓が濡らされる。

 クルーエル兄妹はそこそこ良い宿に泊っておいて良かった、と言っていた。

 辺鄙な村の安宿とかだと、雨漏りがひどく、場合によっては荷物が駄目になってしまうんだとか。

 ナナホシは朝から、湿気で髪がぐちゃぐちゃになってたり、気圧の関係か反応が鈍かったりと、大変そうだ。

 体調面は治癒魔術を使えると楽なんだが、彼女には我慢してもらうしかない。

 

「そろそろ、馬車が拾えると良いんですがね……」

 

 俺たちの旅は徒歩から始まったが、さすがにそれは時間がかかりすぎる。

 ということで、行く先々で馬車を探すのだが、見つからない。

 街の小金持ちなんかが、家財道具を持って王都アルスの別荘へ避難するのに使ったりしているため、出払っているんだとか。

 まったく、迷惑な話だ。

 

「この街の知り合いのところには昨日のうちに顔を出してしまいましたし……」

「やることがありませんね」

 

 急に時間が空いてしまったので、俺たちは暇を持て余していた。

 この時間を勉強に充ててもいいのだが、クルーエル兄妹がいるからかナナホシはあまりやりたくなさそうだ。

 転生トークだの先生呼びだの身内ノリ的なところがあるからだろう。

 ナナホシは俺の隣に座って、ぼーっと窓の外を見ていた。

 

 ……あんまり、良くないよな。

 旅の仲間ができたとはいえ、宿代だとかを出してもらって、こうも関係が薄いままでいるのは。

 知らない人にあまり関わらないのは、この世界では正解と言えるが。

 でも、ナナホシ自身は、少しずつ心を開いているみたいで。

 あまり態度には出さないが、仲良くしたがっている。

 なら。

 

『ナナホシ』

 

 タントリスとイゾルテも近くに呼ぶ。

 一つ手をたたいて注目させた。

 

『自己紹介をしよう』

 

 


 

 

「わた、しは……サイレント、えーっと、サイレント・セブン、スター……です」

「おお! すごいですね!」

 

 メモを見ながらナナホシは自分の名前を人間語で口にした。

 メモには”私はサイレント・セブンスターです”と人間語で書かれており、その上に日本語訳とカタカナで発音が書かれている。

 アクセントだの抑揚だのない、たどたどしい言葉だったが、クルーエル兄妹は微笑みながらそれを聞き届けた。

 それを見て、ナナホシも少し笑顔になる。

 

「私は、タントリス・クルーエル、です」

「たん、とりす……」

「はい」

 

 タントリスはナナホシに分かりやすいよう、ゆっくりとはっきり自己紹介をした。

 聞いたままオウム返しでナナホシは名前を呼ぶ。

 ずいぶんとやりやすそうだ。

 

「私は、イゾルテ・クルーエルです」

 

 イゾルテも兄に倣ってゆっくりと口にした。

 彼らのことはすでに日本語で紹介しているのだが、『こっちが兄で、こっちが妹だ』と補足する。

 一応俺は翻訳係兼進行役ということで、クルーエル兄妹は俺の進行をにこやかに笑って待っていた。

 

「まあ、知っての通り、サイレントは人間語がわからない。だが今後中央大陸で活動することになるだろうから、鋭意勉強中だ。それにあたって、まずは世話になったお前たちと仲良くなっておきたい、と思っているらしい」

 

 実際にそう言ったわけではないが、そういうことにしておこう。

 彼らもナナホシに対しとっつきにくい印象を持っていたのかもしれないが、俺の言葉に肩の力を抜いた。

 

「今日は、二人のことを教えてやってほしい」

 

 サイレント・セブンスターについて教えるべきことなんて、ただ俺が考えただけの設定でしかないからな。

 今日はクルーエル兄妹のことを知るだけでいい。

 俺は翻訳に徹することにする。

 

 


 

 

「――なんていったってお師匠様です。あんな巨大な魔物なんて見たことない、そう驚いてたところ、たったの一太刀でその魔物を両断してしまうんですから」

『水神ってすごいのね……!』

 

 いや、しかし、驚いた。

 クルーエル兄妹、彼らは水神の孫というのもあって、こういうときの話題には事欠かないだろうと思っていたが。

 途中まではタントリスが年長者らしく話題を出していたりしたのだが、水神レイダ・リィアの話になった瞬間イゾルテのスイッチが入ったようで。

 老婆がどんな相手にも冷静沈着で無双する、そんなロマンある話に今度はナナホシまで熱が入ってしまったのだ。

 あまりにもマシンガントークすぎて翻訳が追い付かん。

 

 ちなみに、タントリスはほとんど蚊帳の外だった。

 ……まあ、家族関係だの、生まれた場所だの、あまり興味をそそらないものだ。

 今は白熱する水神トークを尻目に、暖かな目線を妹に注いでいた。

 

「世の中には剣神流、水神流、北神流の三流派がありますが……やっぱり水神流が世界一の流派だと思います。剣神流は脳筋ですし、北神流は卑怯ですし」

『そうね、言葉巧みに相手の攻撃を誘い、後手に回りながらも、確実に相手に勝利する。カウンターってやっぱ、ロマンよね』

「ええそうですそうですよねそうですとも。サイレントさんは物分かりが良い。どうですか、水神流に興味はありませんか?」

 

 勧誘するな。

 そしてナナホシ。

 迷うな。断りなさい。

 

『それはまあ、おいおい……。それで、イゾルテさんも水神流なのよね? どれぐらい強いのかしら?』

「それはもう天才ですよ!」

「あ、兄上?」

 

 今度はタントリスにスイッチが入った!

 

「私はイゾルテが小さいころから親代わりとして育ててきました。でもそんな小さいころからイゾルテは水神流の剣士として頭角を現していたのです」

『やっぱり、天才ってちっちゃな頃から人と違うのね』

「ええそれはもちろん。なんたって初めて歩いた時には水神流の歩法を使っていましたし、イヤイヤ期の時は水神流の奥義『流』に似た構えをとっていたりして、近づくのに苦労したこともありました」

『あら、そうなの』

 

 さすがに嘘だよな?

 冗談だと思っているのか、ナナホシはくすくすと笑っている。

 イゾルテは顔を真っ赤にしたままだ。

 兄の定番のジョークなのか、はたまた……。

 

「兄上、そろそろ止めていただけると……」

「ああそれと、あの時ですね。イゾルテがおねしょをした時の――」

「兄上ってば!」

 

 ナナホシは笑いながらメモを取る。

 

 ――イゾルテはおばあちゃんっ子。タントリスはシスコン。

 まあ、悪口ではないのだ。紙がもったいないから、最小限で表現しただけに過ぎないのだ。

 たぶん。

 

 とにかく、三人とも打ち解けられたみたいだ。

 分かり切ったことだが、質問を投げかける。

 

「友達には、なれそうか?」

 

 三者三様の笑みで、全員が頷いた。

 ……作戦、成功、でいいんだよな?

 

 そんなこんなで、雨が上がるまで、クルーエル兄妹のことを根掘り葉掘り聞いたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話「野営」

 ムケハ村を発ってから三週間近くが経とうとしていた。

 順調に王都アルスへと近づいてきてはいるが、馬車が見つからず、旅は遅々としてしまっている。

 だが悪いことばかりではない。

 空いた時間を使ってナナホシに言語を教え続けてきた成果が現れ始めたのだ。

 

 会話も、片言ながらできるようになった。

 独特な訛りや、早口、難しい言い回しなどには対応できないようだが、ゆっくり喋ってくれるクルーエル兄妹とは、俺を介さないでもある程度コミュニケーションが取れるようになった。

 ハリウッド映画などを日本語字幕で見ると、英語を勝手に覚える、なんてこともあるらしい。

 クルーエル兄妹との談話は、そういった意味合いも強くあったのではないだろうか。

 

 文字も並行して教えていたが、こちらも、あと僅かな時間で日常生活では不自由しないレベルになるだろう。

 ナナホシは『バスク語とか、そこそこマイナーな言語に似てるわね』とか言っていた。

 高校生のレベルは、俺が引きこもっていた間に相当高くなっていたのかもしれない。

 

 ナナホシは、クルーエル兄妹、特にイゾルテと一緒にいることが多くなった。

 イゾルテたちが気を利かせて、というわけではなく、どうやらナナホシから声をかけたりしているらしい。

 もうすっかり友達だ。

 毎日が楽しそうなナナホシを見るのは、久しぶりな気がする。

 ……いや、俺でもあんな満面の笑みは見たことがない。

 クルーエル兄妹は、ナナホシにとってこの世界の最初の友達だ。

 きっと、心の拠り所になってくれるだろう。

 

 


 

 

 その日は、予想外のアクシデントに巻き込まれ、かなり時間を食ってしまった。

 隣町へと向かう途中、車輪部分を破損してしまった馬車を見つけ、それを直してやろうという話になったのだが。

 まあかなり手こずってしまったわけだ。

 結果として、既に空は暗くなりつつあった。

 

「……申し訳ありません。私が出しゃばりすぎたばっかりに」

 

 率先して行動していたタントリスがそう謝罪する。

 たしかにあの馬車を無視していれば今頃は町に着いていただろうが、そんなことができるような図太い神経をしたやつはここにいないだろう。

 

「一応野営の道具を購入しておいてよかったですね。今日は雨が降らなさそうですし、風もほとんどない。謝ることはありませんよ、兄上」

「人助け、良いこと。旅、アクシデント、付き物……でしょう?」

「……ありがとうございます、二人とも」

 

 とはいえ、三週間も旅しておいてあれだが、これが初の野営となる。

 ナナホシにとって負担にならなければいいのだが……。

 

『キャンプね』

 

 ワクワクしていた。

 ナナホシはなんにでもワクワクする。

 

「完全に暗くなる前に、野営の準備をしてしまおう」

 

 俺の合図に頷いて、クルーエル兄妹が街道から少し離れた場所に野営の準備を始めた。

 俺たちはほとんどすることがない。

 魔大陸と違って、薪を手に入れるために魔物を倒す、なんて手間も必要ないので、とりあえずその光景を眺めるだけだ。

 

 テキパキと、テントの準備や焚火の用意が済まされていく。

 彼らにとっては慣れたものらしい。

 冒険者ではないようだが、王都アルスにある道場から他の町の道場へ向かうことが結構あるらしく、その中で培った経験だそう。

 なんでも、タントリスは道場の経営を任されるかもしれない、ということで、他の道場の経営者へ直接会いに行って、そこで経営のノウハウを教わっているみたいだ。

 イゾルテはそれについて行って、兄が経営について教わる礼として、若き水聖としてその道場で剣術を教えているんだとか。

 

 大したものだ、と思う。

 タントリスは成人したとはいっても、まだ若い。

 この年から、相当な距離を行ったり来たりして勉強しているというのだから。

 

 そんなこんなで、あっという間に設営が終わった。

 

「すごい……!」

「そうですか? ただの野営の準備ですよ?」

 

 ぱちぱち、と火のついた薪から音が聞こえる。

 ナナホシにとっては物珍しいようで、そばでじっと火を見つめていた。

 

『うわ、目が』

 

 そして眩しさに涙していた。

 焚火の熱も煙も目に悪いんだからな。

 

『ルードさん、すみません、水を』

 

 宙に浮かせた水を手ですくって、ナナホシは自分の目を洗った。

 ……最近、ことあるごとに使われてる気がする。

 威厳が足りないのだろうか。

 これでは親しみやすさがあると思われてしまう。

 ルードちゃんだ。

 それはよくない。

 

「……どういう顔ですか、それ?」

 

 イゾルテは冷たく突っ込むと、テントの中に入っていってしまった。

 変だっただろうか、威厳のある顔は……。

 

 気を取り直すために、咳ばらいを一つ。

 

『初めて外で寝る、となると寝つきが悪かったり、眠りが浅かったりすることがある。ナナホシももう休んでしまったほうがいい』

「……」

『……そんな顔をされてもだな』

 

 もう少し初キャンプを楽しみたいです! という気持ちが込められていた。

 前までだったら俺の言葉に素直に従ってくれていたものなのだが。

 ……良い変化だとは思うんだけどな。

 仕方ない。

 

『眠くなったら寝るんだぞ』

『はい!』

 

 俺も随分甘くなった、ような気がする。

 

 野営では寝ずの番(見張り役だ)を交代制で立て、仲間の安全を守る必要がある。

 設営してもらったし、まずは俺が番を担当することにした。

 ついでにナナホシが起きてても、あまり違いはないだろう。

 

 土魔術で椅子を作り、そこに二人で座った。

 これまた魔術で作ったカップに、お湯を注ぐ。

 本当はコーヒーとかのほうが趣があって良かったのだが、これでも風情はあるものだろう。

 ナナホシにも同じものを渡す。

 同時に口にし、温かい感触が胃の中に落ちるのを堪能した。

 

『外だと、白湯でもおいしいですね』

『そうだな』

 

 俺にとって、外での飲食は珍しいものではなかった。

 でも、うまい。

 なんでだろうか。

 ただの白湯だが、満足感が違う。

 

『……やっぱり星、きれいですよね。今は焚火の光もあって、ちょっと隠れてますけど』

『ああ……そうだな』

 

 多分、その時は、こうして星について語らうなんてこともなかったからだろう。

 心に余裕があるから、充実感があるんだ。

 

『この世界にはこの世界の星座があるだろう。面白い逸話なんかもたくさんあるかもな』

 

 ナナホシは星と星を指でつなげて、自分だけの星座を作ろうとしていた。

 水神座、剣神座、技神座、龍神座、など。

 水神座以外は、道中で見つけた七大列強の石碑を見かけたときに覚えたらしい。

 

 星座を作っている途中に雲が差し掛かるとブーイングが入る。

 ナナホシの表情はその都度ころころ変わっていた。

 

『今は、楽しいか?』

 

 思わず、聞いてしまっていた。

 まずいと思ったが、ナナホシは空から目を離さず、

 

『楽しいです』

 

 そう答えた。

 

『アキとか、クロが見つからないとか、日本に帰りたいとか、思わないわけではないです。でも、楽しくないわけではないんです、ルードさん』

『……そうか』

『あ、見てください。あれ、こうつなげると――』

 

 彼女がそう思っているのなら、俺は今、うまくやれているのだろう。

 そうした実感を得ることで、少し肩の荷が降りたような気がした。

 

 しばらくそうしていると、テントからイゾルテが顔を出した。

 どうやら交代の時間らしい。

 ナナホシはまだ元気そうだった。

 つたない人間語で、星座の話をイゾルテにもしようとしている。

 

 やっぱり、ああいう姿のほうが似合っているな。

 そう思いながら、俺はテントの中へと入っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話「襲撃」

 異変は夜中に起こった。

 

『きゃあ!?』

 

 水を盛大にこぼしたような音、火が無理やり消された音、ナナホシの悲鳴。

 俺が傲慢なる水竜王に手を伸ばすと同時、外から剣が引き抜かれる音がした。

 

「――敵襲です、兄上、ルードさん!」

 

 タントリスが飛び起きると同時、そばに置いてあった剣を手に取る。

 俺は外に飛び出した。

 続いてタントリスもテントから出てくる。

 

「暗い……!?」

「火を消されたな。それに月が隠れてる」

 

 夜盗の類か。

 外に出てたのはイゾルテとナナホシの二人。女ならどうにかできると踏んだのだろう。

 なめた真似をする。

 相手は手馴れているようだが、こちらはそういった手合いの対処は慣れている。

 

「敵の位置は!」

「街道と反対!」

 

 暗闇から叫ぶイゾルテの声に応え、火魔術『赤光(フレア)』を発動させた。

 これは、ペルギウスオリジナルの召喚魔術『灯の精霊』から着想を得て作り上げた魔術だ。

 灯の精霊と違って術者に着いていくことはないが、定点からかなりの光度で照らしてくれる。

 

「タントリス、サイレントを!」

「はい!」

 

 イゾルテたちは焚火のすぐ近くにいた。

 ナナホシは現状を飲み込み切れていないのか、警戒しているイゾルテの背に隠れていた。

 焚火はやはり故意に消されていたようだ。

 水に濡れているのがわかる。

 

 赤光は俺たちの視線の先の草原を照らし出したが、敵の姿は見当たらない。

 いつの間にか背の高い草が生い茂っており、明るさだけでは位置の把握ができないのだ。

 ……治癒魔術か何かの使い手もいるのか。

 

 草原に向かってイゾルテが一歩踏み出した。

 

「私はイゾルテ! イゾルテ・クルーエルである! あの水神レイダ・リィアの実の孫にして水聖! そうと知っての狼藉か!」

 

 凛と響く声。

 返答は――

 

「『衝撃波(エアバースト)』!」

 

 黒く塗られた投げナイフだった。

 風魔術で叩き落とす。

 どうやら相手は殺す気で来ているらしい。

 金目当てか、雇われた暗殺者か何かか。

 

「どうしますか」

「殺す」

「……どう、対処するか、ということです」

 

 どうもこうもない。

 

「このまま殺していくだけだ――『絶対零度(アブソリュート・ゼロ)』!」

「――!?」

 

 帝級水魔術『絶対零度』――その威力は絶大で、前方の草地が目視で確認できるほど分かりやすく凍てついていく。

 敵は見えないが、動揺しているのが手に取るように分かった。

 そして、その隙が仇となる。

 身体は凍り付き、瞬く間に生命活動すら停止させるだろう。

 

「――っ!」

 

 だが、勘の良い奴が何人か草地から抜けてくる。

 黒一色で統一された防具は、赤光無しではまともに捉えることも出来なかっただろう。

 

「『泥沼』」

 

 だからもはや、有利不利はないようなもの。

 死に物狂いで絶対零度の領域から逃げてきたやつらは泥沼と化した地面に足を取られる。

 

 それでほとんどの足止めはできたのだが、恐らくリーダー格の男が、泥沼に嵌る直前に跳ねた。

 口に剣を咥え、犬のような姿勢で跳躍する――間違いなく、北神流の『四足の型』だ。

 あの無茶な姿勢からでも、俺の泥沼の範囲を飛び越えられそうだ。

 

 ――『重力鎖(グラビティ・チェイン)』。

 

「ッ!?」

 

 だが空中にいたその男は、何かの力に引きずり込まれるように泥沼の中へと落ちた。

 どうにかこの状況を脱しようともがいているようだが、もう遅い。

 

 ――『落雷(サンダーボルト)』。

 俺の手から放たれた雷が泥沼に直撃し、そこにいた全員が感電する。

 雷魔術は剣士の鎧にして力の源である闘気を貫通する。

 根性のないやつは死ぬだろう。

 根性のあるやつはこれから死ぬ。

 

 ……王都アルスに近づいているというところで、こんな手練れ達が襲撃してくるのはあまりにも不自然だ。

 情報が欲しい。

 よって、2人ぐらいは生かしておかなければならない。

 生きてる奴は……ん。

 

 気配。

 

「イゾルテ! 右だ!」

「――はいッ!」

 

 イゾルテたちに近いところにある木の陰から、2つ人影が出てくる。

 突貫してくるイゾルテ相手に、勝てると見込んだのか、向こうも剣を抜き、彼女に振り下ろした。

 早い。早い、が。

 

「言ったでしょう、私は、水聖であるとッ!」

 

 水神流奥義――『流』。

 イゾルテよりも二回り体格の大きい相手が宙へと飛ばされた。

 一瞬だった。一瞬だけで十分だった。

 

 銀色の軌跡が見えたかと思うと、二人の男は真っ二つになり、血と臓物を撒き散らしながら地面に落ちた。

 どういう手品か、イゾルテ自身はその血を一滴も浴びないまま振り返る。

 

 もう気配はない。

 

「もう大丈夫ですよ、サイレントさん!」

 

 イゾルテはいつもと変わらない笑みでナナホシに近寄り。

 ナナホシは、それに対し、

 

『ひ……』

 

 後ずさりをした。

 その目には、今切り裂かれたばっかりの男の死体が映っている。

 生々しく、痙攣した血まみれの死体が。

 

『う、お、ぇ』

「え……」

「サイレントさん、大丈夫ですか――」

 

 顔を青くしたナナホシにタントリスが駆け寄る――前に。

 ナナホシが吐いた。

 

『ナナホシ!』

 

 そして、ぷつっと糸が切れるように。

 倒れた。

 

 


 

 

 ――襲撃犯の中で生存者はいなかった。

 殺してしまったのではない。俺たちの尋問を受ける前に、身体に仕込んでいた毒物で自殺したのだ。

 やましいことがあるのは間違いない。

 断定できないが、ヒトガミの意図を感じるような気もする。

 既に俺の存在がバレているのだろうか? あるいはナナホシが?

 わからない。

 とりあえず敵の目的の達成を阻止することができた。

 そう考えておこう。

 

 あんなことがあった以上、寝る気も起きない。

 タントリスはテントの外で周囲の警戒を、イゾルテは敵の死体から情報を探っている。

 そして俺は――俺とナナホシはテントの中にいた。

 

「……」

 

 土気色の肌。自分ではわからなかったが、随分と、トラウマになっている。

 手遅れだったロキシー、傷だらけのシルフィ、血を流しすぎたエリス、そして、ナナホシ。

 連鎖的に思い出されていくのは、他にも死んでいった俺の家族や友人の顔。

 満足そうに死んだ奴は一人もいなかった。

 だから俺は、この肌の色が嫌いだ。

 

 つい治癒魔術をかけようとして、思いとどまる。

 ナナホシは今気を失っているだけだ。

 初めて死体を見たのだろう。驚きもする。

 ただ、それだけだ。

 

「ごめんな、ナナホシ」

 

 明日から、彼女が昨日までと同じ笑顔を浮かべられるとは思わない。

 だって、彼女からすれば、イゾルテは人殺しだ。

 俺だって奴らを殺したが、彼女にとってショックだったのは、イゾルテがああも簡単に人を殺し、なおかつそれを気にも留めないような笑顔を浮かべたことだろう。

 かなり血が出ていたから、それも含めて気が動転していたのかもしれない。

 イゾルテが話した水神流の自慢話は、ほとんどが魔物退治の話だった。

 人が人を殺す、それがこの世界で、ほぼ日常茶飯事で起きているなんて夢にも思わなかったのだろうな。

 

 いつか説明するつもりだった。

 言語を教え、文字を教え、そしてその次に。

 だが、起きてしまった。

 価値観の相違を明確にする事件が。

 

「……いや、俺は何を」

 

 考えているのか。

 ナナホシがこの世界を嫌っていくことを、どうして俺は止めたいのだろう。

 彼女は帰るべきだ。

 地球に、日本に、日常に。

 思い残すことがないように。

 なら、別に良かったんじゃないか?

 イゾルテもタントリスも疎遠なままにしといて、ナナホシにこの世界を嫌わせて、『一秒たりとも居たくない』と思わせることが――?

 

 馬鹿、言うな。

 彼女は強くない。

 ”帰るしかない”――そう思わせて、結果失敗したから、ああなったんだろう。

 

 ……話そう。

 しっかり話し合おう。

 それでどうにかなるとはあまり思えないが、イゾルテを呼んで、話をするんだ。

 友達なんだから。

 一人じゃ、ないんだから。

 

 イゾルテを呼びにテントの外に出ようとしたところ、背後から物音がした。

 

『――ルード、さん?』

『ナナホシ……! 大丈夫か、気持ち悪くはないか? 痛いところとかはないか?』

 

 半身だけ起き上がらせたナナホシに駆け寄る。

 顔はまだ青いままだ。寝ぼけているのか、目の焦点が合っていない。

 肩に手を置くと、ナナホシは自分の手をそこに重ねた。

 

『ごめんなさい、迷惑をかけて』

『そんなことはない。誰も迷惑だなんて思ってはいない』

『……ふふ』

 

 儚げに微笑まれる。

 

『ひどい顔……』

『……なんだ、それ』

『すみません。口の中が、気持ち悪いので、水を……』

 

 カップを作り、ぬるめのお湯を出す。

 ナナホシはそれを受け取ると、一気に飲み干す。

 

『大丈夫か……?』

『はい、少しだるさがあるぐらいで、もう平気です。……その、すみません、イゾルテは――わっ』

 

 両肩をつかみ、ナナホシの目を見る。

 

『俺が、説明しなかったせいでもあるんだ、今回のことは。その、イゾルテも悪気があったわけじゃない、どちらかというと、ナナホシを守ろうとして、だな』

『……?』

『この世界はお前のいた日本と違って、どこまでも治安が保証されているわけじゃない。盗賊、山賊なんてものはいっぱいいるし、通り魔のような奴だってわんさかいる。だけど、イゾルテはそういうやつらと違う、その、別に殺しを楽しんでるとか、ではなくて……』

『……ああ』

 

 うまく説明ができない。

 だけど、ナナホシならわかってくれるはずなんだ。

 言葉を探す。

 出来るだけ波風が立たず、円満な解決に向かうような――

 

『ルードさん』

 

 思考を遮られる。

 

『大丈夫です、私は』

『ナナホシ……?』

『だから、そんな顔をしないでいいんです。心配はいりません』

 

 顔色は悪いままだ。

 だけど目は、今までと変わらない、しっかりとした意思の光を宿している。

 

『ちゃんと分かっています。私を守るための行動なんだって。ただちょっとびっくりしただけなんです』

 

 俺の手をどかして、ナナホシが立ち上がる。

 

『だから、大丈夫なんですよ、ルードさん』

 

 ふらふらとした足取りだが、テントの外に向かっていく。

 そして外に出る瞬間、振り向いて、言った。

 

『――私は、絶望しません』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話「足がかり」

「――怖がって、ごめんなさい……助けてくれて、ありがとう、イゾルテ」

 

 ……ナナホシは、彼女自身が言った通り大丈夫なように見えた。

 今も転がっている死体には目を向けないようにしているが、イゾルテへの嫌悪感とか、そういったマイナスな印象を抱いているようには思えない。

 それどころか、誤解を解こうとまず謝罪した。

 無理しているわけでもない。

 力ない笑みは、ただ倒れた直後だからだろうか。

 

 イゾルテは最初面食らっていたが、すぐに気を取り直すと、「私が悪いんです」とかぶりを振った。

 

「配慮が足りていませんでした。全くと言っていいほどに。……知り合いに血を見るのが怖いという人がいるのに、サイレントさんがそうであることに思い至らなかったのです」

『えっと……』

 

 困ったようにこちらを見るナナホシに、今のイゾルテの言葉を翻訳してやる。

 

「わ、私が、言っておかなかった、から。……その、助ける、ようとしてくれた、のでしょう? なら、だれも、悪くない」

「いえ、いえ……そうでは、ないのです」

 

 イゾルテはずっと申し訳なさそうにうつむいていた。

 ナナホシが倒れた時から、ずっとだ。

 俺やタントリスもフォローしてみるのだが、あまり効果はない。

 

「……私は、ルードさんの、夜盗に対する対処の手際を見て、正直驚きました。無詠唱で魔術を行使できるのは知っていましたが、まさかあれほど圧倒的だとは、思いもよらなかったのです」

「やっぱり、強い?」

「はい。数的不利を被っておきながら剣士に勝つ魔術師など、まず見たことがありません」

 

 イゾルテは草地がある方向を見る。

 泥沼によって足を取られ、落雷で感電し、腰か、胸か、あるいは頭まで浸かって死んでいる襲撃者たちがいた。

 今はもう泥沼の魔術は解除されているから、地面に埋まっている形になる。

 

 俺が発動させた魔術は六個。たったの六個であるが、本来であれば長い詠唱を必要とする魔術を、剣士相手にまず発動させられるかどうか、という問題がある。

 この世界は魔術師が弱く、剣士が強い。大軍と大軍の戦い、となると話は別だが、それは今回の件には関係ない。

 とにかく、俺のような魔術師はこの世に二人といないだろう。

 

「正直、嫉妬していたのかもしれません。”所詮魔術師”と思う自分がいないわけではありませんでしたから。……変な話ですよね、私たちの流派の祖がその魔術師でもあったのに、どこか見下してすらいただなんて」

「……」

「サイレントさんに、格好つけようと……見栄を張った結果が、これです」

 

 派手な剣技で、敵を真っ二つ。

 それを格好いいと思うものが、この世界には案外多いのだ。

 それに、イゾルテは今年で十四歳になると言っていた。

 そのぐらいの年齢なら、見栄を張りたくなってもしょうがないだろう。

 

 もう一度、イゾルテがナナホシに頭を下げた。

 

「申し訳ありません」

「…………」

 

 ナナホシはそれを見て、黙り込むばかりだ。

 こちらからはナナホシの背しか見えない。

 どんな顔をしているのか。

 やっぱり仲良くできない、なんて言わないよな……?

 

 と、思っていたら。

 ナナホシが振り向いた。

 

『……頭がかたい』

 

 なんか大丈夫そうだった。

 ……いや、思っても言うなよ。

 今結構大事な場面じゃないんですかナナホシさん。

 こら指さすな。

 イゾルテちゃんが不安そうな目で見てるでしょ!

 

「いい」

「え……?」

「ゆるす!」

 

 慣れない人間語を使っているからか、なんだか雑になっていた。

 単語しか喋れないのが災いして、ロボットみたいなしゃべり方だ。

 オデ、オマエ、ユルス。

 オレサマオマエマルカジリ。

 

 そう思っていたら、本当にナナホシがイゾルテを食べようとしていた。

 違う。

 よく見たら抱きついているだけだった。

 

「よーーーしよしよしよし」

「はっ!?」

 

 そしておもむろにイゾルテの頭をなで始めた!

 

「な、にを!? サイレントさん、ちょ!?」

「はいはいはいよーーーーしよしよし!」

「や、ああ……」

 

 こうかはばつぐんだ!

 沈鬱な顔をしていたイゾルテの表情が一気にいつもの顔色……を飛び越して真っ赤になっていた。

 

『なにしてんだ?』

『……頭が固いやつには馬鹿になればいいのかな、って』

 

 あ、そう。

 いやまあ、間違いではないのかもしれない。

 あのままどっちが悪いって話が続くと、平行線のまま終わらなくなっていただろうからな。

 なら、有耶無耶にしてしまえばいいのだ。

 最終的に”あれ? 何気にしてたんだっけ?”ってなれば作戦成功である。

 

『よし、もっとやれ!』

『ラジャー、ボス!』

「あの、止めていただけませんか!? サイレントさんがご乱心なんです、兄上、ルードさん!? あの、二人とも!?」

 

 俺はともかく、タントリスは暖かな視線を妹に向けるだけだった。

 ……さすが、経営を任されるだけがある。

 不動の心構えだ。

 見習いたいものだね。

 

 カップを作り、お湯を入れ、タントリスとともに一息つく。

 暁に、甲高い仲直りの悲鳴が響き渡っていた。

 

 


 

 

「とても恨むます」

 

 夜明けからもう数時間。

 俺たちは旅を再開していた。

 まともに眠れていないので、太陽の日差しがきつい気もするが、町まではそう遠くない。

 日が傾きだすころには到着できているだろう。

 

 ちなみに、襲撃者の死体は一か所にまとめて燃やして埋めた。

 イゾルテに死体から情報を集めてもらうことになっていたが、これといって目ぼしいものは無かったらしい。

 それと、クルーエル兄妹は襲撃されることに心当たりは無いようだった。

 

 あの後警戒していたが襲撃はなかった。

 あそこで死んだのが全員か、生き残ったのが逃げ帰ったのか、分からない。

 だが、あそこまで完璧に叩きのめしたのだ。

 また襲ってくる、なんてことはないと思うが……。

 とにかく、注意が必要になったわけだ。

 

 今歩いている街道の周りは開けた原っぱで、隠れられそうな場所はない。

 気配もなかったので、ゆったりと歩いていた。

 いつもと違うのは、背中の感触。

 ナナホシは自分で歩いていた。

 

「はいはい」

「……頭に手を置かないでください。ずっとルードさんにおんぶしてもらえば良いじゃないですか」

「すねないの」

 

 靴擦れが心配だったが、よくよく考えれば、最初のあの日はかなり急いで歩いていたからな。

 今日のような旅であれば、大丈夫だろう。

 ……しかし、ナナホシが随分と変わってしまった。

 意地悪そうな笑顔を携えて、膨れるイゾルテをからかって遊んでいるのだ。

 

「……ルードさん!」

「……俺?」 

 

 それ俺なの?

 嫌ならすぐに振り払えるだろうに……。

 

 まあ、分かっている。

 かなり無理やりだったが、イゾルテもあのナナホシの茶番が仲直りのためだってことを理解しているだろう。

 その分、変に強気になれないのだ。

 ……質の悪いことに、ナナホシがそれを感じ取ってしまったから、今こうやっておもちゃになっているのだが。

 

「……だからなんなんですか、その顔」

 

 とりあえず威厳のある顔をしておいた。

 

 ……と。

 

「……ぃ」

「ん?」

「ぉーい……」

 

 背後から何やら声がするので、振り返る。

 かなり遠くのほうから馬車が走ってきているのが見えた。

 

「あ、あれって……」

「この前お助けした馬車じゃありませんか?」

 

 徐々に近づいてくると、見覚えのある馬車であることに気が付く。

 どうやら、御者の、小太り気味のおっさんが俺たちを呼んでいるらしく、腕を振っていた。

 そのまま、俺たちのすぐそばまで来る。

 

「あー、っと……覚えているかな、昨日助けてもらった馬車の者なんだけど」

 

 御者が座ったまま話しかけてくる。

 困り眉が特徴的な、人生苦労してそうなおっさんだった。

 

「ええ、覚えていますが……どうかしましたか?」

「ああ、いや、その、礼をね?」

「礼?」

 

 御者は馬車の中をちらちらと気にしている。

 中に誰かいるようだ。

 体格のいい男のようだが、フードを深くかぶっているせいで顔までは見えない。

 

「礼ならば既にいただきましたが……」

 

 タントリスは財布を見せる。

 確かに、いくらかの報酬はすでに受け取っていた。

 

「ああ、それは、その、私から、というだけであってだね……」

「……?」

「お客人がね、それとは別に、ってことらしくて。……聞くけど、君たちはどこに向かっているんだい?」

「王都アルスですが、それが?」

「私たちも王都アルスに向かっているのだがね、もし目的地が一緒であれば、君たちを乗せるようにと言われてしまったのだよ」

 

 言われてしまった、って……。

 どんな客だよ、それ。

 俺たちからすれば有り難いが、御者からすれば迷惑そうだ。

 

「……ありがたいですが……どうしましょうか」

 

 昨夜の一件もあるから、少し慎重に考えたいな。 

 ……しかしどう見たって普通の馬車だし、中の客も変な点は見当たらない。

 体格がいいのだけは気になるが、とてつもない闘気を纏っている! という感じでもないし。

 ちらりと見えた手は、そこそこ老けた男の手だった。

 

 タントリスたちは俺に視線を投げかけている。

 俺に決めろということだろうか。

 乗らないほうがいいだろう。ヒトガミがこちらを認識した可能性がある以上。

 

 ……だがなぜか、信じてもいいという気になってくる。

 何だろうか、この感じは。

 でも、覚えがある。

 そうするべきだ、という感触みたいなもの。

 いつだったか、同じように降ってきたような直感に――

 

「では、頼もう」

 

 俺の口は動いていた。

 タントリス達には警戒を怠らないよう伝えておこう。

 

「……そ、そうかね? なら、すぐに出発するから、後ろから乗っておくれ」

 

 言われた通り、後ろから馬車に乗り込む。

 一応、罠の類がないか確認するが、外見通りの内装だった。

 本当に、普通。少し広いぐらいだろうか。

 

『馬車!』

 

 ナナホシはいつも通りだった。

 俺たちは乗り込んだ順に座る。元々乗っていた老人の反対側に並ぶ形になった。

 

「すみません、助かりました」

「……」

 

 タントリスが礼を言うが、相手の老人は反応しなかった。

 小さく、本当に小さく頷いたぐらいだった。

 わざわざ御者に言ってまで俺たちを乗せようとしたから、そりゃ物好きな老人なのだろうとは思うのだが。

 本当にただの礼だったのだろうか?

 

「……」

「……?」

 

 というか、こっちを見てる?

 何故だ?

 軽く身体を揺らしてみる。

 相手の視線は動かなかった。

 俺じゃなくて……杖? 傲慢なる水竜王を見ているのか?

 

「っと」

 

 馬車が大きく揺れ、出発した。

 

 ……まあ、なにはともあれ、足が手に入った。

 王都アルスまでもう少しということを、喜ぶとしよう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話「王都アルス」

 謎の老人の計らいによって、俺たちは馬車を拾うことができた。

 徒歩とは段違いの速さで王都アルスへと向かっていく。

 一日だけで、隣町どころか、その隣の隣の町まで行くこともあった。

 途中、馬を休ませたりする必要があるが、それでも一週間とかからないうちに目的地へと到着できるだろう。

 

 もちろん夜通しの移動というのは危険なので、宿に泊まるのだが、謎の老人は必ず俺たちとは別の部屋を取ることにしていた。

 まあ、最初の日に泊まった宿のような大部屋があるわけではないから、分からなくもないのだが……でも、ミステリアスな雰囲気がある老人のことがみんな気になるようで。

 夜中なんかは、その話題で持ちきりになっていた。

 

 あれは世を忍ぶ姿、だが実は○○だったのだ! というものばかりだった。

 水戸黄門かよ、と思うが、クルーエル兄妹はそういうのが結構好きらしい。

 

 水神流の祖、初代水神レイダルは、水神でありながら水神級魔術師という規格外だった。

 だがその相貌は黒ずみ浮浪者のようで、最初は期待すらされないような男だったのだが――という、ある種スカッとするような逸話がその男にはあったのだ。

 それを昔から聞いていたから、水神流の剣士たちは、水戸黄門的な物語が好きになったのだろう。

 

 ……とはいえ、俺は気が気じゃなかった。

 多分、俺の予想通りであれば、あの老人は本当に水戸黄門だろうから。

 流石に、気づく。

 忘れかけていたが、たしかにあり得ない話ではなかったのだ。

 なら、あの直感はこれのことを言っていたのだろうか?

 まだ分からない。

 分かることと言えば、もしかしたら俺はとんでもないミスを犯してしまったのかもしれない、ということと。

 

 ……襲撃は本来、彼らを狙っていたのかもしれない、ということだ。

 

 


 

 

 フィットア領転移事件から、約一か月。

 

 馬車の揺れが急に少なくなってきたのは、この辺の街道が、あまりにも精密に作られているからだろう。

 最後に泊まった宿を出て、街を出発して、数時間。

 見えてきたのは広大な街並み。

 あまりにも広大すぎて、地平線が全て埋まっているんじゃないか、と思えてしまうような、街……いや、都、だろうか。

 

 やはり目を引くのは、丘の上に建てられた銀色の城。

 名前は確か、シルバーパレス。

 世界一の国であることを象徴するように、とにかくでかかった。

 でかいだけじゃない。

 その周りを囲む城壁があるから、それがこけおどしなどではないことを知らしめているのだ。

 あの城壁でさえ、他のどんな国も小国と思わせるようなたたずまいである。

 高さは約20メートルぐらいか。

 人は無論のこと、はぐれ竜だろうがあれを超えることは難しい。

 

 その城下に見えるのは、また、城……のように見える、上級貴族の邸宅。

 またそれを囲むように城壁が立ち――というのが数回繰り返される。

 壁の一番外側から広がるのが、いわゆる普通の街並みなのだろう。

 今まで通ってきた街などとは比べ物にならないが。

 

『すごい……映画のワンシーンみたい』

 

 高く、青い空。白く輝く雲。

 長く続く街道の先には、ラプラス戦役の勝利を記念して作られた門。

 王都アルス。

 世界一の王国の、世界一の都。

 

 俺たちはそこにたどり着いたのだ。

 

 


 

 

 しかし、外から見れば荘厳な街であろうとも、人々の中には重い空気が漂っていた。

 街の入り口ではあるから人通りも多いのだが、活気がない。

 空気が死んでいる。

 客足がなく、ほとんど惰性で客引きを行う行商。

 ため息ばかりの冒険者集団。

 吐しゃ物と大量の酒瓶に囲まれて倒れこむ浮浪者。

 

「……」

「想像以上ですね、これは」

 

 聞いた話によれば、フィットア領転移事件の報は、約一週間で王都アルスに届けられたらしい。

 消滅の範囲ギリギリにいた兵士が、馬を駆って隣町へ知らせ、そこからリレー形式で情報を運んだのだという。

 そしてそれが正式に国から公表されると、混乱が瞬く間に広がり、時間とともに絶望へと変化していったのだ。

 

「誰か! だれか息子を知りませんか! フィットア領にいたのです! 出稼ぎに行って、それっきりで、誰か、知ってる人はぁ!」

『あの人……』

『目を合わせるな』

 

 地べたに座り込み叫ぶ老婆が、前を通りがかる通行人に縋ろうとして、振り払われる。

 

『……ああやって同情を誘い、金品をせびろうとする乞食も中にはいるんだ。特に、大きな事件があったあとはな』

『分かるんですか、そういうの……?』

『分からない。中には本当に家族を亡くした人間もいるだろう。だが気にするな。関わるな。災害は人をおかしくする。いつ牙を剥かれるか、分かったものではない』

 

 アリエルたちがクーデターを行おうとしていた際、情報収集のため、そういった乞食を使ったことがあるから分かる。

 最初は金欲しさに従順を装うのだが、徐々に欲を出してくるのだ。

 中には、金を持っているという理由だけで殺そうとまでしてきたやつがいた。

 だから誰も、乞食には手を差し伸べない。

 その手がどうなるか分かったものじゃないからだ。

 

『それでも、気になるか?』

『いいえ。リスクを負ってまで人に優しくしようだなんて考えるほど、殊勝じゃないですから』

 

 それきり、ナナホシは視線を前に戻した。

 俺たちの会話が終わるのを見計らってか、タントリスが話しかけてくる。

 

「こうして目的地に着いたわけですが……二人はこれからどうされるおつもりで?」

「……どうするもこうするも、金がないからな。今ある持ち物でも売って、当分の生活費にでもして、冒険者として活動するって感じだ」

 

 俺が今身に着けている指輪だのなんだのはほとんどが魔力付与品だ。

 ちゃんとした場所で売れば、数か月くらいなら困らないぐらいの金になるだろう。

 

「そういうお前たちは?」

「私たちですか? ……兎にも角にも、道場の皆やお師匠様に生存報告をしなければいけませんから、まずは帰ります」 

「……となると、これで解散になるわけだな」

 

 旅の終わりだ。当たり前だが、別れもある。

 ナナホシにもタントリスの言葉が伝わっているのだろう、彼女は少し悲しげだった。

 

『あと一日くらい遅くても良かった気がします』

『早く王都アルスとやらが見たいと言っていたのは、どこのどいつだったのやら』

『それはそうなんですけどね。こうしていざ終わりが近づくと、なんというか、そわそわするというか』

「……あの、なんですか?」

「さわさわしてる」 

「は?」

「そわそわな」

 

 いや、やっぱりさわさわかもしれない。

 落ち着きがない様子のナナホシはそのまま隣のイゾルテにだるがらみしていた。

 あれはあれで、別れを惜しんでいるのだろう。

 

「私たちが王都アルスを離れることはしばらくないと思います。ですので、道場の方まで来ていただければ会えますよ」

「ですから、離れてくださいませんか、サイレント」

「それは、それ」

「……なんなんですか」

 

 イゾルテはいつの間にかナナホシを呼び捨てで呼ぶようになっていた。

 割と強引な距離の詰め方のほうがイゾルテにとって心を開きやすいのだろうか?

 ……チョロいのかもしれないな、意外と。

 

 馬車は人通りの波に乗るように奥へ奥へと進んでいく。

 行商の数が減り、冒険者の通りも少なくなってきたところで、馬車がゆっくりとそのスピードを落としていった。

 

「あ……」

 

 イゾルテが何かに気づいたように声を上げる。

 目線の先には、ひと際目立つ大きな建物。

 

「そうか、あれが」

「ええ。水神流の本拠地。我らが道場です」

 

 馬車が路肩に停められる。

 この距離からでも熱気を感じるような気がする。

 だが妙に静かだ。

 道場での鍛錬ならば掛け声か何かがずっと聞こえてきそうなものなのだが。

 

 いや、微かに聞こえる。

 剣の風切り音のようなものが。

 何十と。もしかしたら、百か?

 

「――タントリス!? イゾルテまで……おい、みんな! ちょっと来てくれ!」

 

 クルーエル兄妹が馬車を降りた時、遠くのほうから叫び声が聞こえてきた。

 すぐに、ぞろぞろと道場の中から門下生が出てくる。

 すごいな、まるでアイドルだ。

 苦笑しながらタントリスたちがその門下生の群れへと近づくと、すぐに囲まれてしまった。

 

 平気だったのか。

 無事でよかった。

 手紙ぐらい送ってくれよ。

 それより、フィットア領が消えたっていうのは。

 

『ルードさん』

 

 そんな彼らの様子を見て、ナナホシがこちらを伺ってくる。

 どうやら別れの挨拶でもしたいらしい。

 一応、御者に確認する。

 御者は困り眉をさらにハの字に下げて渋っていたが、老人がなんの反応も返さないことにため息をつくと、なんとか了承してくれた。

 

 ナナホシには俺から離れないよう言っておく。

 二人で馬車を降りると、一気に視線を集めた。

 どうやら、クルーエル兄妹が俺たちのことを話題に挙げた瞬間だったらしい。

 少し恥ずかしい。

 キリっとしておこう。

 

 しかしほんと、すごい人数だな。

 近づくと道場の広さもよくわかる。

 

「ルード・ロヌマーだ」

「サイレント・セブンスターです」

 

 おおっ、と歓声が上がった。

 結構気持ちいい。

 

「彼らは元々冒険者だったらしいのですが、赤の他人だった私やイゾルテに親切にしてくれ、旅に同伴までしてくださいました。彼らがいなければ、私たちは今頃……」

「兄上、変に脚色しないでください」

「……とにかく、世話になった方々です」

 

 門下生たちの賞賛に似た眼差しに、ナナホシが珍しくたじろいでいた。

 俺も久しくこういう経験がなかったから、どうしていいかわからなくなりそうだ。

 ナナホシと顔を合わせて、笑う。

 お互い、変な顔をしていたようだ。

 

「世話になったのは俺たちのほうだ。今日はこれで解散となるが、また後日、改めて礼に来よう」

「いえいえ、そんな。礼だなんて……ただ来たいときに来ていただければ」

 

 ついに帰ることができたからか、タントリスの笑顔はいつもより明るい。

 そんな顔されると、毎日でも通いたくなっちゃうぞ?

 

「イゾルテ、またね」

「はい。また会いましょう、サイレント。まずは水神流の基礎から教えますからね」

 

 変な勧誘は無視することにした。

 

 そんな俺たちの会話を聞いて、道場のちびっこどもが「また来るのー?」と盛り上がる。

 それを、少し年上の子たちが静かにするよう注意する。

 子供から老人まで。ここには老若男女問わず人がいるが、その気配は一人一人が立派な剣士であることを示していた。

 

 さて、そろそろ、と。

 踵を返そうとしたところで、

 

「練習サボって何油売ってやがるんだい、ガキども」

 

 また一人、道場から出てくる。

 年老いた女。洗練された闘気。

 

「お師匠様!」

 

 水神レイダ・リィアが、そこにいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話「別れ」

 ――水神レイダ・リィア。

 周りの門下生と比べてもあまりにも小さい身体に、無数のしわが刻まれている。

 だが、老いは彼女にとって斜陽ではなかった。

 

 水神流にある五つの奥義。

 そのうち三つを習得するのが水神となる上での条件である。

 レイダは最低限度の条件をクリアしたに過ぎない。

 それだけであるならば、歴代水神と遜色のない剣士のはずだった。

 

 彼女が年老いても水神の座を退かないのは、何もそれにしがみついているからなどではない。

 最も習得が難しいとされる奥義二種を組み合わせ、今までになかった”六つ目”の奥義を扱えるから。そして、水帝たちは、彼女にしか水神は有り得ないと、決して名乗りを上げなかったから。

 

 ”剥奪剣界”。

 水神流の極致とも言えるかもしれない。

 必殺の後の先。

 間合いの中にいる人間が身じろぎ一つ起こせば、彼女の剣が飛んでくる。

 だから、誰かが言っていた。

 あの老婆を殺そうとするならば。

 構えさせるな。

 

「師匠! タントリスたちが生きておりましたぞ!」

「あー、うるさいねぇ、当たり前だろう。あんな災害で逝くようならうちの道場の敷居なんざ跨がせねぇよ」

 

 レイダは人ごみをだるそうにかき分けながらこちらに近づいてくる。

 

「フィットア領のやつらは残念だったさ。ロアの師範代は若年の水王とあって、未来も期待されてたんだがねえ。災害とあっちゃ、どんな天才もごみクズ同然ってわけだ」

「……結局あの災害で残ったものはほとんどないということでしたから」

「ロアの奴から学んだことはあるだろう。……ああ、ただ辛気臭い空気を道場に持ち込むんじゃないよ、臭い汚れと一緒に洗い流してから来るんだね」

 

 一見冷たく感じる粗暴な口調だが、周りの奴らにとっては慣れたものらしい。

 レイダが顎をしゃくって、道場の隣の建物を示す。あれはクルーエル一家の住居だったか。

 要は、今日は休んどけって言いたいんだろう。死ぬほど回りくどいが。

 

「いえ、すぐに鍛錬に参加させて下さい」

「……ふん?」

 

 だがイゾルテがそう願い出る。

 レイダはそんな彼女の顔を訝しげに見つめた。

 というよりかは、目を、だろうか。

 

「へぇ、一丁前に燃えてやがるんだね、ガキが。だけど、悪くない。最近のあんたは随分と腐ってやがったからねえ」

「そう、ですか? ……いえ、そうですね」

 

 レイダが顔のしわをより深くするように笑った。

 冷たく鋭い目がさらに絞られて、見ているだけで寒気がしてきそうな笑顔だ。

 そして、それがこちらを向いた。

 

『っ!』

 

 ……ナナホシ、俺を盾にする判断が早すぎないか?

 まあいい。彼女を隠すように一歩前に出る。

 レイダもまたこちらに近づいてきた。

 当然彼女は俺を見上げる形になる。

 あまりにもうれしくなさすぎる上目遣いだった。

 

「多分、あんただろう、爺さん」

「何の話だ」

「うちの孫娘の鼻を叩き折ったのがさ。今回もあまり期待しないでタントリスについていかせたが、まさかちゃんと成長するとはねえ」

「覚えがないな」

「そりゃあ、燃えるわけだ」

 

 くつくつとレイダが笑う。

 

「こういうこともあるから、待ちぼうけってのも嫌いじゃないんだ。……あんた、名前は?」

「……ルード・ロヌマーだ」

「そこの隠れてる嬢ちゃんも、随分仲良くしてくれてたみたいじゃないか。名前はなんて言うんだい」

 

 ひゅ、と顔をのぞかせてたナナホシが背に隠れた。

 

「なんだい、うちの孫たちはあたしのことを魔物かなんかと教えでもしたのかい?」

「し、してません。サイレントは簡単な言葉しか分からないんです、それに、お師匠様のお顔が、えっと、剣士チックすぎると言いますか」

「なんのフォローにもなってないよ、ったく」

 

 レイダはため息をつくと、つとめて表情を穏やかにしつつさらに近づいてくる。

 それでも恐ろしいものは恐ろしいのか、ナナホシはビビり気味だ。

 とはいえ、ある程度会話の意味が分かっているので、申し訳なさそうにちらりとレイダの目を見た。

 

「……サイレント・セブンスター、です」

「ルードにサイレントだね、孫が世話になった。何か礼をくれてやる、欲しいものはあるかい」

「世話になったのは俺らのほうだ。礼ならば――」

「あたしを恩知らずの老害にでもする気かい? あたしはね、恩は必ず返しておきたいのさ」

 

 毒舌のわりに律儀なところがあるようだ。

 しかし、水神の礼など、何を願えばいいのか見当もつかない。

 まあ、それほど恩を売った気はしていないし、無難なものでいいのだろうが。

 

 とりあえず、今決めるのはよそう。

 

「悪いが、馬車を待たせているのでな。後日改めてこの道場に挨拶に来る。その時にでも、ゆっくり話をしよう」

「そうかい。まあ、そうだね。あたしらも鍛錬の途中だ。来るなら夜にするんだね」

 

 そう告げると、レイダは道場のほうへ戻っていってしまう。

 他の門下生たちも同様に帰っていく。

 

 最後に俺たちは、クルーエル兄妹と挨拶を交わした。

 

「短い間でしたが、本当にありがとうございました」

「短い間であったことを喜ぼう。世話になった」

 

 そうしてお互い違う方向を向き、歩き始める。

 ナナホシは俺の横に並び、ちらちらとイゾルテたちを見ていたが、彼らは後ろ髪を引かれることなく道場へと向かっていた。

 

「……は、ぁ」

 

 息を抜く。

 いつの間にか、身体に力が入っていた。

 動悸が激しい。

 剣を突き付けられているかのような緊張感を感じていた。

 

 ……落ち着け。

 ヒトガミの使徒の可能性が高いとは言っても、所詮は可能性。

 彼女を味方に引き入れることのメリットを取りに行くのも、悪くない選択だろう。

 それに、シルフィの仇とはいえ、俺は私怨をちゃんとコントロール出来ていた。

 普段通り受け答えができていたはずだ。

 

 だが、しかし。

 水神レイダ・リィア。

 

「……敵には、回したくないな」

 

 勝てるビジョンが浮かばない。

 距離があればもしかしたら、というのはあるが、頼りの魔導鎧が無い以上、神級剣士とはまともにやり合いたくない。

 彼女のレンジはまさしく殺界。

 なるほど確かに、規格外。

 彼女が敵ならば、戦いとなれば熾烈を極めることになるだろう。

 それは避けねばならなかった。

 

「悪い。話が長引いた」

 

 馬車に乗り込む。

 御者は相変わらずため息ばかりだった。

 

 クルーエル兄妹と別れた。

 

 


 

 

 同乗者が二人居なくなった馬車には、俺とナナホシと、老人が座っていた。

 相変わらず何もしゃべらない老人だが、なんとなく考えていることがわかる。

 

 馬車は見えていた城壁の方へ進路を変えていった。

 このあたりになると乞食も見えなくなってくる。

 兵士の数が多くなってくるからだろう。

 

 御者はこちらを気にするようにちらちらと視線を送ってきたが、老人が手で何かの合図を送ると、ため息をついて前に向き直った。

 前には、城壁の向こう側へと通る道と、それを守る兵士が立っている。

 そこを通り過ぎる際、兵士に止められるが、御者は懐から紋章のようなものを出す。

 

「……!?」

 

 こちらからではちらりとしか見えなかったが、微かに覚えている。

 俺が家庭教師をしてた時、何度か見かけたことがある。

 フィットア領の――

 

「まさか、サウロス様……!?」

「――いかにも」

 

 巨体が立ち上がり、フードを外す。

 見覚えのある、厳つい顔が現れた。

 

「サウロス・ボレアス・グレイラットである。通せ」

 

 フィットア領主、サウロス・ボレアス・グレイラット。

 

 ああ、やっぱり俺の勘違いではなかったな。

 

 手に持っていた傲慢なる水竜王の魔石を覗き込む。

 目の前の老人と同じくらい老けた俺の顔が映っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話「ボレアス」

「ふん!! 声も出せぬろくに身体も動かせぬで息が詰まって死にそうだったわ!!!」

 

 雷が落ちた。

 サウロス・ボレアス・グレイラットは鼻息を荒くしつつ、たくましい腕を組んでソファーに座り込む。

 俺の隣に座るナナホシは、突然の怒声に完全に委縮してしまっていた。

 かわいそうに。

 

「……」

 

 状況を整理する。

 俺たちが今いる部屋は、今まで泊まってきた宿屋の部屋などとは格が違う、豪奢な応接間だった。

 ソファーに手をつくと、包み込まれるように沈むのがわかる。

 この目の前にある机なんかも、俺にわからないだけで相当値が張る一品なんだろう。

 

 ここはどこか。

 どうやら、グレイラット家ゆかりの者が貸してくれている屋敷だそうな。

 つまり?

 偉い人のお家というわけだ。

 

 いやいや、ちょっと待ってくれよと。

 そう制止する暇もなく、俺たちはサウロスに連れてこられた。

 もちろん、御者には「本当にいいんですかい?」と再三確認を取られていたし、屋敷で待っていたボレアス家の執事”アルフォンス”には「こんなどこの馬の骨ともわからない冒険者を連れだって、正気ですか!?」とどやされていた。

 そしてサウロスに一喝されて黙らされていた。

 俺たちが不当な扱いをされているのならわからなくもないが、今回に関しては完全に彼らの言い分が正しい。

 身分はどう見ても低く、経歴も知れず、しかも隣にいるのはただの貴族ではなく、領主様だ。

 ナナホシに説明しても信じてもらえなかったぐらいにはおかしな話である。

 

 見当は――つかなくもない、のだが。

 薄汚れたローブに巻かれている我が愛杖、傲慢なる水竜王(アクアハーティア)を見つめる。

 ローブはサウロスが身分を隠すために使っていたものだ。

 目立つだろうという理由で下賜された。

 少々加齢臭がする。

 

「もう知っているだろうが、儂がサウロス・ボレアス・グレイラットである!」

 

 一週間、いや、俺たちと出会う前から身分を隠し通していたらしいから、カタルシスの解放による声量が凄まじい。

 アルフォンスの用意してくれた飲み物のグラスが揺れ、窓ガラスはがたがたと鳴る。

 吠魔術だろうか。

 

「……ルード・ロヌマーだ。旅をしていた。冒険者登録はしてないから、身分を証明できるものは何もない」

 

 立ち上がり、右手を胸に当て、少しだけ頭を下げる。

 ナナホシが隣で意外そうに目を瞬かせていた。

 ペルギウスのところでみっちり仕込まれたからな、様になっているはずだ。

 

「ほう! そうか! ルードだな!」

「サウロス様……身分を証明することもできないような者を屋敷に入れるのは、やはり――」

 

 また雷が落ちる。

 アルフォンスは再び静かにするが、納得はできていないようだ。

 

「それで、そっちは!」

『……え、私?』

『見よう見まねでやってみろ。まあ、なんとかなる』

 

 簡単に横で教えつつ、ナナホシがその通りに貴族式の礼をする。

 

「サイレント・セブンスター、です」

「彼女はまだ人間語を勉強中だ。込み入った会話は難しいが、簡単なコミュニケーションなら取れる」

「勤勉なのはいいことだ!!」

 

 座るように促され、今度は浅めに座る。

 背を正し、サウロスの目を見る。

 一度グラスに手を伸ばし、のどを潤した。

 ただの水だ。

 

「まずまともに礼を言えていなかったからな! 馬車を直してくれたこと、感謝する!」

 

 ばん、と膝に手を当て頭を下げてきた。

 マジかよ。

 貴族が頭を下げるのか?

 

 ……いや、サウロスはこんな奴だったな。

 良くも悪くも武人肌というか。

 

「特に何も言われずついてきてしまったわけだが、何か聞きたいことがある、ということでいいのだな?」

「……うむ」

 

 サウロスが真面目な表情になる。

 

 やはり、聞かれるだろうか。

 聞かれないわけがない。

 フィットア領転移事件の日の前日、ルーデウス・グレイラットの十歳の誕生日。

 大事な孫娘が、家庭教師にやってきていた男にプレゼントした、世界に一つだけの杖。

 それを持っている、謎の老人。

 なにせ、災害のあとだ。

 盗んだとか、奪ったとか、そういうのならまだいい。

 殺したのではないか、という疑惑に繋がるとまずい。

 彼はエリスを溺愛していたし、たぶん、俺――ルーデウスのことも嫌いじゃなかったはずだから。

 

 それでも、俺は直接サウロスに「来い」と言われてついてきたわけじゃない。

 そうしようと思えば、クルーエル兄妹と別れるときに馬車を降りてもよかった。

 でもきっと、結果として、前回同様処刑されることになるのだろう。

 実の息子、ジェイムズと、パウロの弟であり、ミルボッツ領主であるピレモン、そして、ダリウス。

 サウロスはこいつらに嵌められ、殺された。

 重要なのは、ダリウスが絡んでいるということだ。

 ヒトガミの使徒の可能性が限りなく高い人間。

 なら、サウロスの処刑がヒトガミの指示である可能性もある。

 

 それに、あの襲撃についてもそうだ。

 あの時、俺たちはサウロスの乗っていた馬車を修理した。

 彼らはそのまま隣町へ行こうとしていたが、野営の準備もなかったし、時間的に微妙だったので一旦引き返すように言ったのだ。

 そして彼らはそれを聞き入れ、俺たちは道中に襲われた。

 俺やクルーエル兄妹を殺すなら戦力的に不足しているとしか言えないが、それが彼らを狙ってのことだったら?

 

 サウロスは、生かしておくべきだ。

 感情的なことを抜きにしても、な。

 

 あまり気は進まないが、嘘が通じるのを祈るしかない。

 動揺を見せないよう、表情を作った。

 

 だが。

 

「……フィットア領の現状を、教えてもらいたい」

 

 サウロスの口から出たのは、傲慢なる水竜王に関してではなかった。

 

「現状?」

「聞くところによれば、貴様はフィットア領からやってきたという。ならば直接その目で見ているはずだ、フィットア領の現状を」

 

 いや、まあ、そうか。

 彼は領主だ。

 貴族らしからぬ性格ではあるものの、領民を想う心は誰にも負けない。

 千里眼に魔力を通し、それを見せつつ話す。

 

「何もない」

「何もか」

「ロアも、村々も、なにもかも。生物はいない、人工物はない、あそこはただの未開拓地だ」

「……そうか」

 

 人の痕跡の消えたフィットア領を思い出す。

 転移事件直後のあの場所を見たのは初めてだった。

 本当に何もない。

 難民キャンプなどがあったときでも物寂しい感じがしたのに、それ以上だった。

 

「国が公表した情報を鵜呑みにはするまいと思っていたが、事実だったのだな」

「サウロス様……」

「……だが、分かることはある」

 

 それを聞いても、サウロスは狼狽えなかった。

 悲しそうな表情を一瞬だけ浮かべて、それだけだった。

 

「儂だけがあの災害を生き残ったとは考えられん。噂ではフィットア領にいたはずの人間が別の場所に突然現れた、なんてこともあるらしいからな。ならば、生存者がいる」

 

 ぐい、と飲み物を飲み干して、

 

「その生存者たちのために、迅速にフィットア領を復興させねばならん」

 

 グラスを机に置く。

 

「ルード・ロヌマーよ。頼みがある」

 

 そうして俺の目を見据えた。

 純粋で、熱い目だった。

 

「儂に、雇われてはくれぬか」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話「指針」

 サウロスとの話し合いが終わり、俺たちは二階のゲストルームへと案内された。

 部屋にはいくつかのベッドが少し離れて並んでいる。

 大きさとしては、人が三人寝れそうなくらいだった。

 そのうちの一つにナナホシが座る。

 

『とりあえず、俺たちは無事に王都アルスへとたどり着くことができた。ひと月と経ってしまったが、身体は大丈夫か?』

『はい。おんぶしていただいていましたので』

 

 初めてにしてはそこそこの長旅になってしまったが、ナナホシに不調は見受けられない。

 治癒魔術も、最初の靴擦れを治したぐらいで、その後彼女に使うことはなかった。

 

『これから、どうするんですか?』

 

 当初の目的――王都アルスへの到着は成された。

 よって、新たに行動の指針となるようなものを決めておかなければならない。

 

『最初は、タントリスに言ったように持ち物を売って、その金でしばらく活動するつもりだったが……タイミングよくうまい話が転がり込んできたからな』

『さっきの、サウロスさん……フィットア領の領主様、ですよね? その方に雇われる、ということでしたが』

『ああ』

 

 サウロスは俺が水魔術を扱えることを知っていた。

 まあ、旅の途中、のどが乾いたら特に隠さず使っていたからな。

 それからいくつか質問を受けた。

 水魔術、特に天候を扱う魔術はどうだ、土魔術についても問題はないか、とか。

 

『フィットア領の復興に向けて早速動き出すみたいだ』

『それとルードさんと、何の関係が?』

『復興の拠点として開拓村が作られるだろうから、その村の防壁を作ったりだの、消えた川の堤を作り直したり……色々だな。こういう時に魔術師がいないと、いちいちどっかで石を切って運んでくるか、そもそも後回しにされるか、ってなってしまう』

 

 実際、俺がフィットア領に戻ってきたとき、そういったところの設備はまったく整っていなかった。

 国がまともに動かなかったから、というのもあるか。

 だから魔術師である俺を見つけたのは、サウロスにとって幸運だったのかもしれない。

 ちょっと不用心すぎる気もしないでもないが。

 

『なら、また向こうに戻るんでしょうか』

『いや……』

 

 もちろん、それが確実だし、一番楽だ。

 だが、王都アルスでやるべきことがある以上、ここを離れるわけにはいかない。

 しかし、サウロスの誘いを断るということも、できなかった。

 

 向こうが提示した報酬としては、金銭と、住む場所。

 要は、この屋敷に滞在することを許す、ということだ。

 宿屋で過ごすよりも、この辺りなら兵士の数も多いし、油断は禁物にせよ、そこそこ安全だろう。

 

 それに、サウロスの処刑を防ぐ必要があった。

 一介の冒険者がどうにかできるようなものじゃない。

 政治の世界に口出しするってことだからな。

 なら、ここで貴族のパイプを持つことは今後にとって重要な布石となるに違いない。

 

 よって、受けることにはした、のだが。

 

『俺はフィットア領へ運ぶ石材を魔術で用意すればいい、ってことになった』

 

 正直、土魔術と水魔術を復興に適したレベルまで習得している魔術師は俺以外にもいる。

 サウロスがなぜ俺にこだわるのかはわからないが、俺のその提案を二つ返事で了承した。

 一応、俺の用事が終わるまでは、ってことなのだろうか。

 結局運ぶ手間が生じるわけなのだが……まあ、石材を用意してくれるだけでも助かるんだそう。

 聞くところによれば、一人の魔術師に全部やらせてしまうと、面倒くさいことが起こるかもしれないとか。

 いろんな所に協力を要請して、復興し、最終的に「みんなの力でやり遂げた!」として、変に褒賞などを出させないように、みたいな。

 

 サウロスは納得していなかったが。

「恩人に対しての礼すら渋るのか」とお怒りだった。

 アルフォンスの「これもルード様が迷惑を被らないために」というフォローが無ければ、王城にでも突っ込んでいってたかもしれない。

 彼は俺たちについてあまり良く思っていないようだが、主の決定に従うというスタンスを貫いている。

 ならば、その流れをどう良くしていくか、という指針で行動するのがあの執事なのだろう。

 ありがたいことだ。

 

 ちなみに、貰う報酬に関して、金については最低限度だけ貰うことにしている。

 サウロスはフィットア領復興のため、ボレアス家の全財産を使おうとして不満を買ったからな。

 その辺、俺の頑張り次第でどうにかなる……といいのだが。

 

『石材なんて用意できるんですか?』

『ああ。満足いく出来かどうかは確認するまでわからんが、ほら』

 

 手のひらより小さめな石を作り出す。

 俺お手製の黒くて硬い奴だ。

 

『こいつをどう思う?』

『すごく……硬いです』

 

 あまり本気で作ると硬さ重視で異常に重くなってしまうので、その辺を気を付けなければいけないが。

 これを使って壁などを作ってくれる職人たちがしっかりしてくれれば、相当ひどい災害でもない限り壊れることはないだろう。

 

 今後の予定としては、まずこの石材を用意する仕事をこなす。

 そしてサウロスの処刑を防ぎ、アリエル派の失脚を阻止する、ということになる。

 言葉にすれば簡単だが、行動に移すのは容易じゃない。

 

 サウロスを生かす方法については、一つ考えがある。

 処刑に大きく関わった者の一人、ピレモン。

 奴は第二王女アリエル派の筆頭貴族である、とされている――が、アリエルたちのクーデターが失敗したのち、奴は失脚することなく、それどころか重鎮の座を手に入れていた。

 第一王子派筆頭貴族のダリウスに取り入って、どちらに転んでもいいように動いていたのだろう。

 

 だが、奴はそれでも第二王女派の筆頭貴族である。

 ならば今のところ、アリエルにつくことのほうがメリットがあると考えているはずだ。

 もうすでに第二王女派が明確に勢いを落とした、ということはなさそうだし、現在もどちらかといえばアリエル寄りではあるだろう。

 

 なら、サウロスが第二王女派になれば?

 かつ第二王女派が盤石であれば、ピレモンはそうやすやすとサウロスを処刑しようとはできないのではないだろうか。

 だから、これがサウロスを生かす方法の一つ。

 

 問題はある。

 第二王女派がサウロスを必要とする可能性が低いことだ。

 国にとっては、領地を失ったこと以上に、それに伴った利益の損失がかなり痛手となっているはず。

 また、サウロスは災害の不満の避雷針のような役割も持っている。

 領民の怨嗟ごとサウロスを引き取るようなことをしてくれるか?

 難しいだろう。

 サウロスは今一人だ。

 この屋敷を貸してくれているという貴族も、切り捨てるときはあっという間だろう。

 

 サウロスは弱みだ。

 それを覆すような材料がない限り、第二王女派が振り向くことはない。

 ……裏を返せば、その材料が手にはいれば、もしかしたらうまくいくかもしれない。

 ただ、それに加えてアリエルの失脚も防がなければ、ピレモンにとってサウロスの処刑が不利益だとは思われないだろう。

 どちらも、こなさなければいけない。

 出来るか?

 やってみるしかない。

 とにかく動くしか、ないんだ。

 

『……ルードさん』

 

 ふと、

 

『……私にも、何か手伝えることはありませんか?』

 

 ナナホシがそう聞いてきた。

 

『どうしてだ?』

『何から何までおんぶにだっこでしたから。少しは私も役に立とうかと、思って』

『……そうか』

 

 ……まあ、恩を作りすぎるというのも、気になるものだ。

 俺からすれば、そんな意識しての行動というわけでもなかったし、軽く捉えてほしいものなのだが。

 

『とにかく、まずは言葉を覚えないとな』

『……そうですね。……はい。今日もよろしくお願いします、ルード先生』

 

 今日はやることはない。

 夜になったら水神流の道場に行ってもいいが……いや、やめておこう。

 わからないところで疲れは溜まっているものなのだ。

 今晩はゆっくり休むべきだろう。

 

『どこまで話したか……ああ、そうだな、確か――』

 

 いつも通りアイスブレイクを行い、授業を始めた。

 

 ……時間がどれくらいあるかはわからない。

 サウロスに近づけても、それ自体が処刑の抑止力になるわけじゃない。

 もっと、食い込む必要がある。

 この国の、政界へ。

 まずは一歩踏みしめることができたことを喜ぼう。

 

 その次の一歩。

 何のピースが必要か、俺にはまだ分かりかねた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話「ピース」

 

『アスラ王国王都アルスの王城シルバーパレス。

 白い花を咲かせる植物を集めた庭園。

 通称、白百合の庭園。

 

 そこに、突如として魔物が出現した。

 白百合の庭園にて散歩をしていた第二王女アリエルの目前に、である。

 魔物、ターミネートボアは王女の護衛、守護術師デリック・レッドバッドを瞬時にして殺害。

 王女へとその凶牙を向けた。

 魔物は王女の守護騎士ルークの手によって撃破され、王女は窮地を脱した。

 ルーク、体を張って王女を守ったこと天晴なり』

 

 サウロスに雇われ、アルフォンスに指示されるまま仕事をこなすこと数週間。

 その間に、そんな大事件の報を知った。

 その一報は貴族たちを震撼させ、今回の災害の恐ろしさと、対応を急ぐべきだと気づかせる機会に――は、ならなかった。

 

 彼らの、主に第二王女派の関心は、その事件の報に隠された部分に寄せられていたからだ。

 アリエル王女を救ったのは、守護騎士ルークなどではない。

 これまた転移事件により突如現れた、少女。

 ”シルフィエット”。

 少年でありながら、無詠唱魔術を扱う天才。

 守護術師デリックと入れ替わるように表舞台へと上がってきた彼女を、貴族たちが放っておくはずもなかった。

 だが、政争の道具になることはない。

 アリエルがいるから。

 彼女は、シルフィエット――シルフィを自分のすぐそばに置くことに決めたのだ。

 

 ……その中で、気になることを聞いた。

 

「ターミネートボアは内々に王城内に運び込まれ、

 王女が庭園を歩くタイミングを見計らって解き放たれた。

 これは第二王女排斥派の陰謀に違いない。

 それが可能だったのは、王城の警備を司っているオーガスト卿だけである。

 オーガスト卿は第一王子派の急先鋒。

 この陰謀は第一王子派の仕業に違いない」

 

 そう主張する貴族が現れたということ。

 彼は第二王女派の一人、リストン卿。

 間違いない。

 この発言は彼自身の弱みとなって返ってくる。

 代償は地位の失墜。

 そうなれば、すぐにダリウスが動く。

 奴の手にかかればアリエルの失脚など容易いことだろう。

 

 しかし、まだ。まだ、第一王子派は準備期間のはずだ。

 アリエルが暗殺されかけたのが、フィットア領転移事件からおよそ一年後のこと。

 動き出すのは、さらに早くから。

 それがおそらく、タイムリミットになる。

 

 どうにもできない期間が続く。

 サウロスは俺を雇ってくれたが、政界へ足を踏み入れさせはしなかった。

 彼は今のところ、ボレアス家の財産を全部つぎ込む、なんてことはしていないみたいだし、復興についても、順調だと思う。

 だが、シルバーパレスにはまだ入ることはできていないし、必然的に、アリエルに会うこともなかった。

 

 ある程度強引な手段も視野に入れるべきか、否か。

 そう考えていたある日のことだった。

 

 


 

 

 夜。

 辺りが静まり返る頃、俺とナナホシはある場所にやってきていた。

 

「――サイレント! それにルードさんも!」

 

 水神流の道場の隣にある建物。クルーエル家の屋敷へと。

 事前に連絡していたので、それなりに身だしなみを整えたイゾルテが出迎えてくれる。

 一か月という期間、一緒に旅をしてきたわけだが……この顔立ちの良さは色あせないな。

 幼少期の俺であれば、割と簡単にコロッといくかもしれなかった。

 

 今日もまた遅くまで鍛錬していたのだろう、湯あみしたばっかのようで、どこかほかほかとしている。

 水神レイダには、俺がイゾルテの鼻を折ったのだと言われたが。

 イゾルテはもともと練習熱心だったみたいだし、ただの勘違いではないだろうか。

 そんな風に考えていた。

 

「二人とも、ようこそわが家へ……とはいっても、もてなしらしいもてなしもできないのですが」

「うわ……! すご……」

「そうでもないみたいだ」

 

 イゾルテに連れられるまま歩くと、リビングへとたどり着いた。

 そこにはタントリスが立って待っており、すぐ横のテーブルの上には豪勢な料理がずらりと並んでいる。

 いい香りだ。

 ナナホシが目を輝かせていた。

 

「ほとんど私が作らせていただきました。結構自信があるんですよ、特にこのシチューとか」

「料理、上手なのね」

「ええ、はい。剣術一筋だから、家事全般駄目なんじゃないかって良く思われるんですけどね」

「あまり、他人に料理をふるまったりなんて機会も少なかったですからね」

 

 俺たちは促されるまま席に座る。

 今日は、旅での個人的な礼だの、旅が無事に終わって良かったという打ち上げだの、まあもろもろを含めた、小さなパーティーを開くことになっていたのだった。

 クルーエル兄妹にだけ準備させるのも悪かったのだが、「こちらにお任せください」と言われていた。

 これを見るに、それが正解だったのかもしれない。

 

「ちなみにお師匠様は、水帝の方々に懇親会のようなものへ連れていかれましたので、今日は私たちだけのパーティーになります」

「……いえ、それはイゾルテが無理やり水帝の皆様に――」

「兄上、どうかしましたか?」

 

 タントリスが黙らされた。

 まあ、旅の仲間だけで打ち上げをしたいということなのだろう。

 重箱の隅をつつくような真似はすまい。

 

「……一か月は長いようで短い期間でしたが、私としては、得るものの多い良い旅であったと思っています。ルードさんのような方に出会えたことで、自分の剣への意識がまだまだ未熟であると思い知らされましたし、サイレントのような、得難い友達にも会うことができました」

 

 よ、よせやい。

 あまりにも真面目な顔で言うものだから、すごく恥ずかしい。

 ほれみろ、ナナホシが恥ずかしさのあまりにやけている!

 

「これは音頭みたいなものなんですから、シャキっとしてください」

「わ、わかった。続けてくれ」

 

 俺の前に座るタントリスは、旅を思い起こすように目を閉じていた。

 

「私はこの出会いを幸運だと思っていますし、二人とはこれからも長く付き合っていきたいと考えています」

 

 イゾルテがグラスを掲げる。

 中に入っているのはもちろん、酒だ。

 年齢的にあれな気もするが、地球の常識を持ち込むほど無粋な人間はここにいない。

 ナナホシも少し興味があったのか、少し薄めた果実酒をグラスに入れている。

 

「旅が無事終わったこと、そして、我々が出会えたことを祝して」

 

 ――乾杯。

 パーティーが始まった。

 

 


 

 

「――あ、あの馬車に乗っていたお方は、つまり、その」

「おっと、喋りすぎたかな……まあ、さるお方、とだけ言っておこう」

「お、教えてくれないんですか!? 気になるところまで言っておいて!」

 

 最初は粛々と始まったパーティーだったが、料理を半分ほど食した頃ぐらいには酒もいい感じに入り、賑やかな空気になっていた。

 今はクルーエル兄妹の興味を引いていた謎の老人についての話をしていたが、途中で内容をぼかすと、面白いぐらいイゾルテが反応してくれるので、ついつい調子に乗ってしまう。

 

「しかし噂になっていますよ。フィットア領の復興に使われている石材はかつてないほどの硬度を誇るとか」

「あ……私も耳にしました。うちの道場の者が、本気で斬りかかっても剣のほうが駄目になってしまう、なんてぼやいていました」

 

 俺が作り出している石材について、実際に仕事に取り掛かる前に職人に確認を取っていた。

 及第点は取れるだろうと思っていたのだが、予想以上に出来が良かったらしく、「うちで働かん?」とまで言われた。

 噂は噂を呼び、力試しに試し切りを行う者まで現れる始末。

 ……一周回って、アスラ王国はフィットア領の復興にちゃんと力を入れてくれている、という認識になっているらしく。

 噂とかその辺は放置状態にあった。

 

「やっぱり、怪しくないですか?」

「……ええ、全くです。やっぱりあの老人はフィットア領の貴族、あるいはその関係者……とかじゃないですか? それで、ルードさんは雇われて、あの石材を作り出しているんです。だってそうでしょう、あんな石、ルードさんにしか作れませんから」

「どうだったかな。なあサイレント?」

「私はちょっと、言葉が分からないので」

「最近流暢になってきたのによく言いますよ。というかですね、サイレントのその格好! ローブの下、そんなきれいな服着ていましたか?」

 

 今のナナホシは、貴族が着るようなちょっとしたドレスを着ていた。

 旅の途中は制服一着を俺が洗濯したりして、どうにか毎日着ていたのだが、さすがに彼女も気になってくるだろう、ということで。

 屋敷にはドレスとかの掘り出し物があったので、確認を取ってから使わせてもらうことにしていた。

 

「まあ、パーティーだし」

「……そうですか。深くは聞きませんよ……ええ」

 

 そこまで老人の正体が気になっていたのだろうか。

 意地悪しているわけではないのだが、軽く落ち込む彼女を見ると教えたくなるな。

 これが美人パワーか。

 とりあえず今のところ、サウロスとの関係を誰かに教えるつもりはない。

 心の中で謝っておこう。

 

「こちらとしては、何不自由なく過ごせている。そちらはどうだ? 二人とも、今まで以上に鍛錬に力を入れていると聞く」

「私たちですか?」

 

 俺の石材の噂もよく広まっているが、最近はイゾルテたちのことも聞くようになった。

 なんでも、イゾルテに関しては水王一歩手前ぐらいに急成長を遂げている、とかなんとか。

 

「ただの噂ですよ。確かに水王の方と手合わせ致しましたが、ほとんど向こうの良いように動かされ、結果としては惜敗とも言えないようなものでしたから」

「……見ている側にとっては、そうではなかった、ということでしょう」

 

 タントリスはくいっと酒でのどを潤し、続ける。

 

「今までのイゾルテは水聖の地位に甘んじていた部分がありましたからね。最近になって格上の方と鍛錬に励むようになって、”これは水王も近いということか!?”と周りは思ったわけです」

「どちらにせよ、分不相応な噂です」

「なるほど。見違えるほど向上心が芽生えた、ということか」

 

 襲撃のあった晩を思い出す。

 確かに、水聖であることにかなりの自信を持っていた気がする。

 

「私は、ルードさんを倒せるぐらい強くなることを目標にしましたから」

「俺?」

 

 そこでなぜ俺の名前が出てくる。

 

「正直、水王の強さを思い知った今でも、ルードさんの方が脅威だと私は感じています」

「……そうか? 俺は闘気を纏えないからな、お前でも簡単に対処できる相手じゃないか」

「ご謙遜を。……そういったところからも、学んでいかなければいけないのですね」

 

 気づく。

 イゾルテの目には、圧倒的な尊敬の念が込められていることに。

 

「先生――そう、そのような存在なのです、ルードさんは」

「……酔ってるな?」

「ええ、今までの私は自分に酔っていた。だからこそ、一から鍛えなおし、水神流の教えというのをもう一度――」

 

 ……どうやら本当に鼻を折っていたらしい。

 だからといって、こんな老いぼれを尊敬する相手にしてほしくないのだが。

 

「タントリスも、結構噂になっていたぞ」

「私も、ですか? ……ああ、そうですね。普段は経営のことばかり勉強していて、鍛錬は二の次になっていましたから。今は早朝からトレーニングを行ったりもしていますし、街の方々が見かけることがあったのだと思いますよ」

 

 今回の旅を経て、変わったことはかなりある。

 良い変化なのだとは思う。

 最初は、王都アルスで動きやすくするための付き合いだったが。

 今は違うよな。

 居心地の良い関係だ。

 

「ルードさん、楽しそうですね」

 

 口に触れると、口角が上がっているのが分かる。

 酔いで顔を赤らめたナナホシが、俺の顔を覗き込んでくる。

 新鮮なドレス姿が艶やかだ。

 

「そう、だな」

 

 やることはいっぱいあるし、時間だって無駄にできない状況だ。

 でもこうして騒げる機会があるっていうのは、悪くない。

 過去転移を決意したときは、こんな気持ちになれるとは微塵も思っていなかったからな。

 

「……そういえば、ルードさん。お師匠様の礼、何にするか決められましたか?」

 

 イゾルテが思い出したように声を上げる。

 

「このパーティーがそれじゃないのか?」

「これは私たちからのお礼……いえ、みんなの打ち上げですから」

「……そういうものか」

 

 全然思いつかないので、肩でも揉ませようかな。

 嘘だ。

 

 彼女の名前を使えるとなれば、政治的な動きもできやすいんだが、それを受け入れてくれるかどうか。

 ただ、もしかしたら、という期待がないわけじゃないので、結論は出せずじまいだった。

 

 ともかく、今日は楽しもう。

 料理はまだ残っているし、話したいことだって沢山ある。

 こういう日常が大事なんだ。

 それを思い知っているから。

 これを、噛みしめる。

 

 


 

 

 まだほとんど日も出てないくらいの、早朝。

 

「――ッ!」

 

 物音で目が覚める。

 隣のベッドではナナホシが頭を押さえながら寝ていた。

 

 物音は外からだった。

 こちらに近づいている。

 何かを引きずるような音。

 そして微かに、血の匂い。

 だけど、気配からは敵意を感じない。

 

 どん、と鈍い音がする。

 どうやら扉に何かをぶつけたらしい。

 

 イゾルテも気づいたのか、下へと降りていく。

 俺は階段のところまで移動して、イゾルテが扉を開けるのを待った。

 

「え?」

 

 彼女が警戒しながら扉を開けると、

 

「あ、兄上!? ど、どうしたのですか、これ、は」

 

 そこには満身創痍のタントリスが立っていた。

 

 状況がつかめない。

 彼は早朝のランニングに出かけていたはずだ。

 なぜこうも傷だらけになっている?

 いや、傷、なんてものじゃない。

 

 ずっと血が垂れ流されている。

 

「る、ルードさん」

「ちょっと待ってろ、今すぐに――」

 

 階段を駆け下りて、タントリスに治癒魔術をかけようとする、その時、彼に支えられていた人物に気づく。

 どうやら、引きずるような物音は、これが原因だったらしい。

 問題は、その顔。

 

「なぜ、ここにいる」

 

 記憶がよみがえってくる。

 すぐに、名前が出てきた。

 

「トリス――」

 

 小麦色の髪をした、盗賊の女がそこにいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話「トリス」

 酷いものだった。

 タントリスの身体の傷はナイフによってつけられたもののようで、深くはなかったが、いかんせん数が多すぎる。

 彼は帯剣して出ていたから、応戦しなかったというわけではないはず。

 多分、多数の敵を相手にしたんだ。

 動脈を傷つけられていたことによる出血多量で、あと数時間もしないうちに死んでしまっていただろう。

 俺がいたのは不幸中の幸いだった。

 治癒魔術をかけたあと、タントリスは気を失ってしまったので、二階にある部屋で寝かせている。

 イゾルテと起きてきたナナホシが看病していた。

 

 ……もう一人、タントリスが連れてきた少女を見る。

 こちらは一見して大きな外傷がなく、それほど危機的状況にあるとは思えなかった。

 それでも少し出血が見られたので、傷を治癒するために服を脱がしたのだが。

 

 言葉を失った。

 彼女の傷口は紫色に大きく腫れあがり、触ってみると異常なほどの熱を持っていることが分かった。

 毒だ。タントリスには使われなかった、毒が彼女に使われていた。

 初級、中級と解毒魔術を使用してみるが、患部の腫れが引かない。

 上級のうち、覚えていた何種類かを唱えると、ようやく効果が現れた。

 これは間違いなく、殺すための毒だろう。

 

 俺も何回か使われたことがあるから分かる。

 この知識が誰かのために役立つ時が来るとは思わなかったが。

 

「……」

 

 イゾルテは今、血で汚れた部屋着から着替え、旅の中でも使っていた剣を携えている。

 タントリスのそばに座り、静かに彼が目覚めるのを待っていた。

 だが、彼女は手が白くなるほど強く剣を握っており、下手人を見つけ次第殺してやるといった気迫を発していた。

 

 ナナホシは状況がつかみきれてないが、かつてあったように、また襲撃のようなものがあったのだろうと察しているようだ。

 昨日の酒が残っているのか、王都と呼ばれる街でもここまで治安が悪いことに複雑な思いを抱いているのか、ずっと沈鬱な表情を浮かべていた。

 

 外は騒然としている。

 長く続く血の跡がクルーエル家の屋敷に伸びていることで、騒ぎを聞きつけた兵士がやってきたりもした。

 イゾルテはすぐに下手人を見つけさせようとしていたが、俺はそれを制止して、サウロスから与えられた、ボレアス家ゆかりの者であることを示す紋章を見せ、兵士を引かせた。

 理由は、一つ。

 今も寝ている、この少女――トリスのことだ。

 

 トリス。

 かつて、俺から離れていったシルフィを追って、アスラ王国まで来たときに世話になった女盗賊だ。

 その時見た彼女より、今のトリスは一目でわかるほど小さい。

 それほど年を取っていたというわけではなかったのか。

 

 トリスがなぜこの王都アルスにいて、毒を盛られる事態になって、タントリスに支えられながらうちにまで来たのかはわからない。

 それでも、彼女はこの国について精通している。

 その知識を頼りたかったので、トリスが盗賊であることが明るみになり、兵士に連れていかれる、なんてことは防ぎたかったのだ。

 もちろん、この後の周りに対する言い訳も用意しておかなければならないが。

 サウロスには土下座でもするとしよう。

 

 


 

 

 一時間後、タントリスが目を覚ました。

 イゾルテが駆け寄って身体を起こすのを手伝ってやる。

 

「すみません、皆さん……ああ、生きてるんですね、どうにか」

「兄上、あまり無理はなさらないでください。傷はルードさんが治癒してくださいましたが、今は安静にするべきです」

「また迷惑をかけて、しまったわけですか。……申し訳ございません、ルードさん」

「……ふざけろ。生きていることだけ喜んでろ。謝るな」

「……」

 

 つい強い口調が出てしまった。

 俺自身、どこか落ち着きがなくなっている。

 タントリスはそんな俺を見て、少し呆気に取られていたが、すぐに何かを思い出したように辺りを見回し、

 

「あの子は」

 

 隣のベッドに横になっているトリスを見て、息を抜いた。

 遠目でわかるぐらいには呼吸が安定している。

 

「……よかった」

 

 そうして、目覚めた時以上の安堵の声を出した。

 そんな様子を見て、イゾルテが何か言いたげに口を開きかけたが、微笑むだけにとどめた。

 殺気立っていた時の彼女を押し隠すような笑みだ。

 

「兄上。ゆっくりでいいです、ゆっくりでいいので、何があったか、お話しいただけませんか?」

「そうです、ね。……そういえば、イゾルテ? 人目も気にせずボロボロのまま帰ってきてしまいましたが、兵士の方はまだ来られていないのですか?」

「来た、が……この問題はこちらが処理する、と言って引かせた」

「こちら?」

「……さるお方、だ」

 

 今は、それで納得してくれ。

 そう意思を込めてタントリスの目を見る。

 

「あの子は、知り合いですか?」

「……」

「わかりました。ですが、そうであるならば、辻褄が合うのかも、しれません」

 

 彼はそう言って、今朝の出来事を話し始めた。

 

 


 

 

 昨日のパーティーのあと、夜も遅くなってしまったので、俺とナナホシはこちらの屋敷に泊まることにした。

 一応、少しでも気配がすれば起きられるよう、警戒しつつ寝ていた。

 

 タントリスはそんな中、俺たちが起きる数時間前に、日課のトレーニングをするために家を出たという。

 まだ辺りは暗い中だ。

 彼が言うには、水神流の基礎として、視界に頼らない鍛錬方法があるのだとか。

 これもその一環だったらしい。

 

 本来であれば、鎧も着込んで、実際の装備の重さを実感しつつ、ランニングで身体にそれを馴染ませたかったのだが。

 鎧の音が近所迷惑になりかねないので、帯剣だけしていた。

 いつものルーティンでは、街を大きく回るようにランニングをし、その後素振り、筋トレなどで身体を作るトレーニングを行い、鍛錬の時間になれば技術を磨く。

 そんな感じで朝を過ごす。

 俺と出会い、イゾルテの練習への向き合い方が変わったことに触発されて、朝練をこなすようになっていったのだ。

 

 今日も特にいつもと変わらない朝になるはずだった。

 だけど今朝はいつもよりも空気が澄んでいて、少し遠回りをしたくなったんだそうだ。

 俺たちとパーティーをして、気分が高揚したままだったのかもしれないな。

 とにかく、そういうことでいつもは通らない場所にまで足を運ぶことになった。

 

 異変に気付いたのは、アルテイル川にやってきた時だ。

 王都アルスは下水道が整備されており、下水がアルテイル川の下流へと運ばれるように出来ている。

 タントリスはあまりそのことについて知らなかったようで、臭いもするし、すぐに立ち去ろうとしたのだが。

 なぜか明かりがついていた。

 ランタンのようなものの明かりだった。

 

 下水道の修繕でもしているのかと思ったタントリスだったが、何か様子がおかしいこと気付く。

 そこにいるのは十人にも満たないくらいの、おそらく男。

 その格好に違和感を覚えたのだ。

 夜の闇に溶け込むような黒い服。

 旅の途中、襲撃された際、相手がそういった服を着ていたことから、怪しく思ったタントリスはランニングを中断し、そいつらに近づいていった。

 

 微かに話し声が聞こえるぐらいにまで接近してから、様子をうかがうと、ランタンの明かりで何かがきらめくのが見えた。

 金色だったと、タントリスは言う。

 おそらく、金貨。

 明らかに普通の光景じゃない。

 目を凝らしていると、下水道のほうからまた何人か出てきた。

 二人ぐらいの大男と――縄につながれた女。

 

 ……アスラ王国には黒い噂が絶えない。

 なにせ貴族は変態ばかりだし、私利私欲に満ち満ちているような人間しかいない。

 それに、風の噂だが、貴族と、この辺りを根城にしている盗賊集団が密接に関わりあっていると聞いたことがある。

 人身売買なんかも横行しているのだろう。

 兵士を呼ぶ暇もなく、タントリスはその男たちに向かっていった。

 

 結論から言ってしまえば、タントリスは負けなかった。

 相手はまともな武装もしていないような者ばかりで、売られそうになっていた少女を助けることには成功した。

 だが、数の不利は大きく、無傷とはいかない。

 なにせタントリスは、しばらく剣の練習をおろそかにしていたからな。

 たとえ格下が相手だろうとも、隙を見せれば、奴らは見逃してくれなかった。

 

 しかも少女を助けようとした瞬間、最初に下水道から出てきて金を受け取ろうとしていた男が、小さな投げナイフを彼女に刺したのだ。

 そうしてその場を逃げ去ったという。

 タントリスが言っていた、辻褄が合う、というのは、彼女が地位の高い家の出でもあった場合、報復を恐れて情報を消すだろうと考えたから。

 貴族の誘拐。

 前に一度、そんな大事件が噂されていたことがあったという。

 

「――そうして彼らを退け、その子を支えながら、どうにかここまでやってきたということです。……まず近くの誰かに助けを求めればよかったのですが、あまり頭も回っておらず……とにかく帰ろうとして、死にかけました」

「……」

 

 今朝のことについて言い終えたタントリスが、のどの渇きを訴えたので水を出して飲ませた。

 ……死にかけた、ね。

 間違いなく、一歩間違えれば死ぬような戦いではあっただろう。

 毒がタントリスに向かっていれば、もっと人数が多ければ。

 あっけらかんとして見えるのは、治癒魔術により傷が完治しているからか。

 

「立派ですね、兄上は」

 

 しゃがみこんだイゾルテが、見上げるようにタントリスと目を合わせた。

 

「ですが、お師匠様にはきっちり説教していただきますから」

「……おや、今になって震えが……?」

 

 彼自身、俺たちに心配かけないように振舞っているのかもな。

 妹であるイゾルテがいるからか、不器用な気づかいをする。

 

「ふぅ」

 

 そんな彼らを見て、ナナホシが息を吐いた。

 今のところは大丈夫だとわかったのだろう。

 

 ……しかし、どういうことだ?

 タントリスが言ったように、確かにトリスは貴族の出なのかもしれない。

 じゃあ、盗賊になったのは、いつだ?

 もしかして、この人身売買を阻止しなかった先が、あのトリスだったのか?

 それともただ単に、身内でいざこざがあって、トリスがその標的になっただけ、とか?

 

 彼女の出自について聞くことはなかった。

 だけど、今のトリスを見て、あの粗暴な女盗賊が重なるかと言われれば、否だ。

 なら、本当に貴族、なのだろうか。

 

 考え込む俺と、隣のナナホシにクルーエル兄妹が顔を向けた。

 

「……二人とも、本当にありがとうございます」

 

 心配してくれたこと、傷を治してくれたこと。

 

「ああ、全くだ。お前たちはいつも、どちらか片方が怪我をしている」

「……ふふ、そうですね。最初はイゾルテが怪我をしていましたね」

 

 ナナホシの言葉に、イゾルテが苦笑いを浮かべた。

 少しの間、部屋の空気が弛緩する。

 

「……ぅ」

 

 その時、寝ていた少女、トリスが小さく声を上げ身じろいだ。

 全員が一瞬顔を見合わせて、タントリスを除いて、トリスの周りに移動する。

 彼女はうなされるように顔をしかめて、それから少ししてから、ゆっくりと目を開けた。

 

「ぁ、え……?」

 

 身体を起こそうとして、ベッドに手をつくが、うまく力が入らないようだった。

 見かねて、俺がそれを手伝おうと近づくと――

 

「ひッ」

 

 俺の顔を認識したトリスが、顔を腕で隠した。

 

「も、申し訳ございません、申し訳ございません! すぐ、すぐに夜伽の準備をいたしますから、痛いのだけは!」

「――――」

 

 トリスの言葉使いじゃない。

 やっぱり盗賊だと思ったのは俺の勘違いであるのか。

 いや、それとも怯えているだけだろうか。

 なぜ?

 

「ルードさん」

「ん、あ、ああ」

 

 イゾルテが入れ替わるようにトリスのすぐ近くにやってくる。

 それを見たトリスが、少しずつ落ち着きを取り戻し、それから数分して、俺たちを見回した。

 

「……え?」

 

 状況を飲み込んだトリスは、まるで意味が分からないとでも言いたげに首を傾げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話「トリスティーナ」

 

 トリスが目覚め、落ち着いたところで、俺たちは彼女に事情を聴こうとした。

 

「……申し訳ございません」

 

 しかし彼女はその口を固く閉ざし、一向に喋ろうとしてくれない。

 居心地悪そうに俯きながら、それでも態度は軟化せず、確固たる拒絶を感じられた。

 ”夜伽”、と言っていた。

 なぜ俺の顔を見て怯えたのか、察しはつく。

 だから、イゾルテに聞き出してもらおうとしたのだが、それとこれは関係ないようで、事態の改善とはいかなかった。

 

「助けていただいたことは本当に感謝しています。このような命を、身を挺して救ってくださったタントリス様には、返しきれぬご恩を感じております」

 

 何か理由があるのは間違いない。

 今も震えているというのに、毅然とした態度でタントリスに頭を下げている。

 

「ですが、もう大丈夫です。ルード様に治癒して頂きましたから、すでにこの身体に不調は存在しません。すぐにでも、解放して頂ければ」

「そ、そうは言ってもですね……貴女は、やんごとなきお方なのでは――」

「いいえ。私はただの村娘でございます。家格のない私にここまで尽くしていただいたこと、忘れはしません。礼は必ずや、後ほど返させていただきます」

 

 取り付く島もないな。

 本当に事情を説明したくないみたいだ。

 ……とはいえ、彼女の言葉使いはただの村娘というにはあまりにも無理がある。

 その振る舞いから、小さな所作まで、気品を感じさせるのだ。

 

「ここから出て、どこに行く」

「っ……い、家に、帰ります。両親が、心配していると、思いますので」

 

 俺が声をかけると、びくりと肩を震わせる。

 男性恐怖症、みたいなものだろう。

 目覚めて早々、謝罪するのが身に染みつくような環境にいた彼女の”家”とやらが、まともなものであるとは到底思えない。

 

「……イゾルテ、タントリス」

 

 トリスを刺激しないように、意識して声を出す。

 

「少し、彼女と話がしたい」

 

 


 

 

 クルーエル兄妹は部屋を出ていく。

 病み上がりだというのに、タントリスには悪いことをした。

 

 部屋には俺とナナホシとトリスだけがいることになる。

 念には念を入れて、音が漏れないように魔術を発動させておく。

 

 さて、タントリスたちを部屋から追い出したわけだが。

 もちろんそんなことで彼女が口を開いてくれるとは思っていない。

 というか、俺のことがよっぽど苦手らしく、ただ単純に話したくないと思われてそうだ。

 まあいい。

 トリスが事情を話したくない理由には何となく察しがついている。

 

「これであいつらは巻き込まない」

 

 イゾルテとタントリスは、水神レイダ・リィアの血を引く孫として結構有名だ。

 レイダはもとより、彼らの影響力も計り知れない。

 敵に回せばどうなるか、分からないほど馬鹿な奴はいないだろう。

 

 トリスも、名前だけでも聞いたことがあるはずだ。

 だけど、彼女は承知の上で、タントリスたちを巻き込まないようにしていた。

 

 相手が大馬鹿者だからか。

 あるいは、それを選択肢に入れられるほどの、権力者だからか。

 彼女は、逃がすにはあまりに大きすぎる魚である。

 ここで情報を引き出しておきたい。

 

「俺は、サウロス・ボレアス・グレイラットの関係者だからな。この問題に首を突っ込まないわけにはいかない」

「ボレアス家の、紋章……」

 

 懐から紋章を取り出す。

 せいぜい城壁を自由に通れるようになる通行証だけの役割しかないと思っていたが、そこそこ効力があるみたいだ。

 ホント、なんでこんなもんをポンと渡したんだ、あの爺さん。

 

「ボレアス家の方々と、私の問題と、何の関係があるのでしょうか」

「お前は知らないのかもしれないが、フィットア領主であるサウロス殿の孫娘が誘拐されたことがある」

「……誘拐、ですか?」

「名を、エリス・ボレアス・グレイラット。結果としては、とある天才少年によって救い出された、とされている。真偽は不明だがな」

 

 ちなみに天才少年とは無論俺の事である。

 

「そして、我々は裏で手を引いていた黒幕について、すでに当たりをつけている。サウロス殿お付きの執事を使い、誘拐に手慣れたごろつきを雇い、まだ年若いエリス殿を我が物としようとした、外道。そいつの名前は」

「……」

「――上級大臣、ダリウス・シルバ・ガニウス」

「……っ」

 

 態度を崩さないようにしていたトリスが、小さな反応を見せる。

 脂汗を浮かせ、手は震えており、呼吸は少し浅くなっている。

 彼女が目覚め、俺の顔を見た時の反応と同じ――いや、名前を聞いただけでこれだ。

 

 そうか。

 いや、まさかとは思った。

 変態的な趣味を持った貴族なんて、アスラ王国ではマジョリティーである。

 しかし、タントリスが言ったように、彼女が貴族であると仮定して、それを誘拐できるような人間となれば。

 相当な権力者であることは明々白々。

 

「サウロス殿はエリス殿を溺愛していた。彼女のご尊父様、お母様もまた、並々ならぬ愛を注いでいた。それが一度とはいえ、その手から奪われたのだ。助けが入らなければ、永遠に」

「……」

「我々は奴を許さん」

 

 トリスはいつの間にか、俺の目を見つめていた。

 怯えはある。恐れはある。だが、それよりももっと、燃える何かが宿っている。

 

「関係、なかったか? お前はただの村娘であり、解放すれば、明日から、いつも通りの、幸せな日常に戻れるのか?」

「……あの男は、強大です」

「であれば我々は、もっと強くなろう」

 

 俺は知っている。

 彼女は決して弱くなどない。

 貴族として幸せな毎日を暮らしていたであろう彼女が、地獄のような日々を送り、盗賊団に売られて、それでも。

 この俺を、歴史に残る大盗賊だと信じて疑わないような、あの目を思い出せば。

 トリスの心が今もなお、決して折れてなどいないことが分かる。

 

「お前が必要だ。改めて、名乗らせてもらおう。――ルード・ロヌマー。バシェラント公国から出稼ぎにきた、一介の魔術師だ」

「……トリスティーナ。トリスティーナ・パープルホース。パープルホース家の次女でございます、ルード様」

 

 


 

 

 そうして、トリス――トリスティーナは、淡々と自身の境遇について話した。

 幼い頃、ダリウスに攫われ、性奴隷のように扱われていたこと。

 用済みとなり、処分されそうになったところを、金に目がくらんだ部下が盗賊団に売り払おうとして、そこでタントリスに助けられたこと。

 

 まるで他人事のように話していた。

 一切の感情を切り捨てているようにも思えた。

 彼女はそうやって生活してきたのだろう。

 これまでのことを語ってくれたが、所々、寒気すらするような仕打ちを受けていたという話もあった。

 そんな生活をしてきて、心を壊さなかったというのだから凄まじい。

 

「お前は、自身がトリスティーナ・パープルホースであることを証明できるか?」

「はい。こちらを」

 

 彼女は胸元から指輪を取り出した。

 きれいな紫色の宝石が嵌められており、その宝石の中には、これまた美しい馬の彫り物細工が施されていた。

 パープルホース家にとっての紋章みたいなものだろう。

 

「ダリウスには、これを常に持っておくよう言いつけられておりました。貴族の娘であるという付加価値が、あの男を悦ばせていたのでしょう」

「……そして、盗賊団に売り払われるときには、商品価値を守るために奴の部下に持たされていたわけか」

 

 少し、考え込む。

 彼女の話に嘘は見受けられない。

 だからこそ、違和感を抱く。

 ……こんなに都合よく事が運ぶものか、と。

 

 罠かもしれないと疑うことはできる。

 例えば彼女が偽物だったり、ダリウスがこちらによる糾弾を見据えて、何かのネタで反撃してくるかもしれない、とか。

 俺はトリスティーナを使って、アリエル達第二王女派に取り入るつもりだ。

 だから、もしダリウスの反撃があれば、それはアリエルの失脚へとつながることになりかねない。

 とはいえ、おかしな点もある。

 もし彼女が偽物でも、連れてきたのはタントリスだ。

 ならタントリスはヒトガミの使徒か?

 いいや、たぶん違うだろう。

 

 襲撃があった日のことを思い出す。

 あれの刺客はおそらく、いや、きっとサウロスたちに差し向けられていた。

 もし彼が死ねば、俺は貴族社会への足掛かりを失い、アリエルに接触することができなくなり、本来の歴史通りに彼女は失脚するだろうからな。

 

 サウロスは、全く噂にもならないほど完璧にその身分を隠し通していた。

 そうでなくとも、フィットア領転移事件の報を知り、サウロスのいる位置を知り、暗殺者集団を集め、そして配置する、なんて芸当が、あの一か月の期間でできるわけがない。

 未来予知でもしない限り。

 だからあれは、ヒトガミの仕業。

 

 しかし彼は生き残った。

 彼の馬車を直し、一旦前の街に引き返すようタントリスが言って、そしてその結果俺たちが襲われた。

 相手にならなかったわけだし、俺たちへの刺客という線は薄い。

 だからタントリスがヒトガミの使徒である可能性は低く、彼が連れてきたトリスティーナも、偽物であるとは言い難い。

 

 つまり、その時、失敗したのだ。

 ヒトガミが。

 あの反則級の予知能力が。

 奴は失敗するのだ。

 

 このまま順調にいけば、第一王子派の筆頭貴族であるダリウスを失脚させることができる。

 勢いを失った第一王子グラーヴェルに代わり、アリエルが次第に台頭してくるだろう。

 アリエル陣営の勝利だ。

 

 もちろん、ヒトガミはそれを妨害してくるだろうが。

 奴が、後手に回っている。

 なぜかはわからない。

 だが明らかに、予知が狂っている。

 

 なら、動くしかない。

 

「奴は、俺の敵だ。失脚させるために、お前には政争の道具になってもらう。我々のために、我々がセットした舞台で、我々が描いた脚本通りに、我々が指示したまま、悲劇のヒロインを演じるのだ」

 

 変えられる。

 未来は変えられる。

 ここはもう、奴の掌の上なんかじゃない。

 

「……どうせ死んでいた身です。私に出来ることであれば、あの男をこの手で堕とすことができるのであれば、全て、差し上げます」

 

 口元に触れる。

 口角が上がっているのが、分かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話「話し合い」

 俺たちは、トリスティーナを連れて帰ることにした。

 ご近所さんやレイダへの説明はクルーエル兄妹に丸投げする。

 彼らは終始トリスティーナをどうするのか聞いてきたが、彼女からは「巻き込まないようにしてください」と頼まれていたので、ぼかして答えることしかできなかった。

 まあ、ことがうまく運べば、近いうちに知ることになるだろうさ。

 

 しかし、帰るとはいっても、トリスティーナは外に出るのを怖がっていた。

 衆目を浴びることや、男性の視線に晒されることが堪えられないのだろう。

 彼女は心に傷を負って、癒える暇もないまま俺に協力すると誓った。

 なら、彼女の負担にならないように、できるだけサポートしたい。

 

 ということで、ナナホシに貸していたローブを着せ、フードを深くかぶらせる。

 もともとサイズが大きいので、視界が完全に隠れてしまう。

 ナナホシと手をつないで、彼女に先導してもらう。

 目をつぶっておけばいい、そう伝えた。

 

 なお、道中、着慣れないドレスのせいで代わりに注目を浴びていたナナホシについては、省略しよう。

 

 


 

 

 屋敷に帰ると、都合よくサウロスとアルフォンスがいた。

 最近は、他の領主や貴族にフィットア領復興の資金を援助してもらうよう聞いて回っているみたいだが、結果は芳しくなく、屋敷にいるときはピリピリしているときが多い。

 どいつもこいつも、保身的で、民のことをなんとも思っていない、とか。

 そう怒鳴るのを見るに、彼がボレアス家の資金を全部使おうとしたのは、そんな貴族たちに我慢ならなかったからなのではないだろうか。

 それで処刑されるとは、理不尽以外の何物でもないが。

 

 とにかく、トリスティーナについてと、今後の計画を話さなければならない。

 アルフォンスに話し合いの準備をしてもらい、俺たちは応接間で待つことにしていた。

 数分もしないうちに、サウロスが応接間へとやってくる。

 今日も不機嫌そうに肩を怒らせていたが、俺の隣に座るトリスティーナを見て、少し落ち着きを取り戻す。

 彼女のたたずまいから、何かを察したのかもしれない。

 

 アルフォンスが人数分の飲み物をテーブルに置き、対面するようにサウロスが座ってから、話し合いが始まった。

 

「――私はトリスティーナ・パープルホースでございます」

 

 その言葉とともに取り出されたパープルホース家の指輪を見て、二人が目を丸めた。

 だが、それから続くように語られた、彼女の経歴――多少脚色しつつではあるが、ダリウスによる凌辱を耳にして、彼らの表情は険しくなっていく。

 ――そして、彼、ルード様に助けられたのです。

 と、タントリスのことを隠して、今朝の出来事までを話した。

 

「……ダリウスめが、そのようなことを」

「しかしダリウス卿は一度、エリス様を同じような手口で誘拐しております。トリスティーナ様の指輪、あれは間違いなくパープルホース家の物でしょうし、全くの嘘、ということも無いかと」

「ふん。そうだったな。あの豚め、どこまで腐っているのか」

 

 サウロスたちはあっさりとトリスティーナの話を信じてしまった。

 どうやら、一昔前に、まだ八歳であった彼女が誘拐された、という話が一部の貴族から出てきていたらしい。

 それ以上大きく話が広がることはなかったが、サウロスたちの耳には入っていた。

 だから、指輪があることも相まって、話の信憑性が認められ、嘘ではないと判断したのだろう。

 

「ですが、こうも考えられませんか。パープルホース家は次女をダリウス卿に売ったのだ、と。……実際、あの頃不安定だったパープルホース家は急に立て直し、ダリウス卿とはより懇意になっていましたから、もしや、というのもあります」

「……それについては、私には分かりかねます。ですが、有り得ない話ではないでしょう」

 

 アルフォンスの言葉に、トリスティーナは冷静に応える。

 安定しているように見えるのは、近くでナナホシが寄り添ってくれているからだろう。

 クルーエル家を出てからずっとトリスティーナの手を握ってくれている。

 彼女の身に何があったのか、分からないわけではなかったのだ。

 

「だからダリウスに売れ、とは言うまいな」

「最悪、それも手かと」

「アルフォンス!」

 

 ……俺たちの前でする話ではないだろうが、分からなくもない。

 サウロスたちはまだ第二王女派についているというわけではない。

 どちらかといえば、中立である。

 確かに、トリスティーナをダリウスに売り、ある程度の地位を約束してもらうのも手かもしれない。

 だが、ここにいるのはサウロス・ボレアス・グレイラット。

 それを許すはずもない。

 

 アルフォンスを睨みつけるサウロスを諫めるように、トリスティーナが口を開く。

 

「もし、私が手に負えない、と。そうなりましたら、そうしてくださいませ。私が所詮、厄介者でしかないことは理解しております」

「……」

「それを承知で、助けを求めます」

 

 頭を下げるトリスティーナに、サウロスは落ち着きを見せ、アルフォンスは変わらず涼しい目をしていた。

 アルフォンスは、主の決定に身をゆだねてくれる。

 だから、ここからは俺の出番だ。

 

「アリエル王女を擁する第二王女派は、リストン卿の失言を突かれ、じき瓦解していくだろう。そして、それを彼らが理解していないとは思わない。必ず、第一王子派への”武器”を探しているはずだ」

 

 一介の冒険者が貴族に口を出す。

 見るものが見れば抱腹絶倒ものだろう。

 だけど、目の前の彼らは笑わない。

 俺が魔術で作った石材、あれを見てから、彼らは俺に”価値”を感じていたから。

 それは、こういった場の発言力にもなる。

 

「それがトリスティーナ・パープルホース、ということか。確かにな。例え、パープルホース家が本当に次女を売ったのだとしても、表向きは誘拐。叩こうと思えば存分に叩けよう」

「彼女はいわば手土産だ。……だがもちろん、彼女を連れていって、”第二王女派にしてください”なんて頼もう、という話ではない。貴方も、あのノトス家の愚物と肩を並べさせてくれと頭を下げるのは癪だろう」

「ふん」

 

 サウロスは、第二王女派筆頭貴族のピレモンとはかなり仲が悪い。

 腐ってもミルボッツ領主なので、彼にも復興の支援を頼んだらしいのだが、すげなく断られたとか。

 サウロスが今最も優先しているのは、フィットア領の復興。

 ならば。

 

「ダリウスと違うのは、第二王女派はこの武器が喉から手が出るほど欲しい、というところ。ダリウスに売り渡せば、そこで情報を消してハイ終了、だ」

「しかし第二王女派に渡すのならば、トリスティーナを保護しなければいけなくなる。結果的に、まあ、儂らがその役目を担うことになるだろうな」

「そう。長い期間の協力が必要になる。向こうも、ある程度はこちらの要求を吞まなければ、せっかくのチャンスを取り逃すかもしれない、と思うだろう」

「なるほど、なぁ」

 

 にやり、とサウロスが悪い笑みを浮かべた。

 多分、俺も似たような顔をしている。

 

「「フィットア領の復興への支援」」

「――それを、要求する」

 

 サウロスとハモった。

 同じ考えをしていたのか。

 

「だが、それはトリスティーナが武器としての価値を持っている間だけだ。その後はどうする」

「簡単だとも。彼女を使いダリウスを失脚させれば、第一王子派はその勢いを失くす。そこで寝返りを目論む貴族も出てくるはずだ。そいつらに、寝返りの条件として突きつければいい、フィットア領の復興の支援を。金銭の喪失で泥舟を乗り捨てられるのならば、奴らは嬉々としてこの話に乗る」

「小賢しい連中の財布にも頼らねばならんのは気に食わんが、しかし悪い話ではない」

 

 そしてもし、第二王女派が失敗したら。

 トリスティーナをダリウスに売る。

 無論、サウロスにその気はないだろうが、アルフォンスには乗るメリットの方が多い話と思われておきたい。

 

「……」

 

 しかし、心配いらなそうだった。

 アルフォンスは、小さく、微笑んでいた。

 

「フィットア領の復興に進歩が生まれるかもしれず、さらに言えば、あのダリウス卿に一泡吹かせられる、ときましたか」

「……あのクソタワケも一緒に、な」

 

 いや、あれはきっと悪い笑みだ。

 彼らも貴族。はらわたには悪いものも抱えているのだ。

 

 ぐい、と飲み物を一気に飲み干し、サウロスが立ち上がる。

 

「トリスティーナ・パープルホースよ」

「はい」

「貴様の地獄もここで終わる」

「……はい」

 

 サウロス自身、トリスティーナを政争の道具にするのはあまり気が進まないのだとは思う。

 だけど、当のトリスティーナがそれを認めている。覚悟している。

 この目の前の男は、それが分からぬ馬鹿ではない。

 なら、全力で事に当たろう。

 やると決めたのなら、やり遂げよう。

 そう思うのが、サウロスだ。

 

「ルード・ロヌマーよ、貴様を雇って正解だった。あの時拾った選択は間違いなかった!」

「……だがな、冒険者風情に耳を貸しすぎだ。貴方はもう少し――」

「貴様でなければこうはならん!」

 

 どういう意味だよ。

 部屋に入ってきた時と打って変わって、ずいぶんと上機嫌だ。

 相変わらずナナホシにはうるさがられているが。

 

「第二王女派との話し合いの場はすぐに用意いたします。それまではこの屋敷をお使いください」

 

 アルフォンスが頭を下げ、サウロスのあとに続いて部屋を出ていく。

 二人とも、すぐにでも動くのだろう。

 

「……噂には聞いておりましたが、変わったお人なのですね、サウロス様は」

「ああ。だからきっと、助けになってくれる」

 

 応接間の窓から、外を見る。

 丘の上に建つ、シルバーパレスを。

 そこにいるだろう、シルフィのことを。

 

 これで、あの場所にも手が届く。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間話「友好2」

「――ぁぁあああああああああああああああああッ!!」

 

 絶叫とともに、トリスティーナは目を覚ます。

 勢いよく上半身を起こしたせいで背中が痛みを訴えた。

 叫んだせいで喉も痛い。

 鉄の味がする。裂けたのだろうか。

 

「ぁ、あ、はぁ、はぁ、え……え?」

 

 ここはどこなのだろうか、そう一瞬考えて、すぐに思い出す。

 サウロス・ボレアス・グレイラットに貸与された屋敷の、ゲストルームだ。

 脂汗を拭いつつ、奥の方にあるベッドを見ると、ルード・ロヌマーが静かに寝ていた。

 

 ――俺も、個人的な理由で政界に足を踏み入れたい。お前には、”自分を救い出してくれたルードが傍にいなければ、まともに会話もできない”ことを装ってもらう。

 

 そう、彼から言われていたので、トリスティーナは言う通りに演技した。

 結果として、同じ部屋で眠るようにアルフォンスたちから指示されていたのだ。

 絶叫したせいで起こしていないかと心配したが、特に身じろぎ一つない。

 鈍感なのか分からないが、トリスティーナは安心したようにゆっくり息を吐いた。

 

 背中に嫌な感触がある。

 全身汗びっしょりで、衣服が肌に張り付いているらしい。

 酷い悪夢を見た、と、今度は大きなため息をつく。

 地獄のような日々をリプレイするかのような、夢。

 昨日までは、毎日のように見ていた。

 起きても地獄だったし、夢の中でも地獄だった。

 あの男は、日中は上級大臣としての職務をこなし、夜遅くに帰ってくるから、トリスティーナにとって夜とは、絶望そのものであった。

 

 今は、静かだ。

 と、思ったら、扉の外からどたどたと足音がする。

 トラウマを刺激されて、一瞬吐き気を催すが、足音の軽さから、あの男ではないと分かる。

 扉が開かれた。

 

『――る、ルードさん!? 何があったんですか!?』

 

 現れたのは、ロウソクを手に持った黒髪の少女、サイレント・セブンスター。

 息を切らせながら、部屋を見渡し、トリスティーナの姿を見つけ驚いた。

 どうやら、相当ひどい顔をしているらしい。

 どうしたのか、とサイレント――ナナホシが駆け寄ってくる前に、

 

「う、ぁ」

『……えっ』

 

 じわ、と目から熱いものがこみあげてくる。

 視界が歪んで、鼻の奥がつんとしてくる。

 夜だから、とか、近くに寝ている人がいるから、とか配慮することもできずに、ぼろぼろと涙がこぼれてくる。

 手ですぐにぬぐい取るが、止まらない。

 

 なんだか自分自身が情けなくなる。

 だけど。

 泣いても殴られないし、無理矢理押し倒されることも無い。

 これが夢じゃない。確かに助け出されたのだ、と。

 そう実感がわいてきて、もはや歯止めが利かなくなっていた。

 

「ぅ、ぐ」

『あ、の、ちょっと? 大丈夫……?』

 

 しゃくりあげるように、息を吸って、

 

「うわぁああああああああああああああああああ!!」

 

 号泣した。

 

 


 

 

「……え、っと……泣き、やんだ、かしら」

「申し訳ございません……もう、少しだけ……」

「……わ、かったわ」

 

 トリスティーナは、駆け寄ってきたナナホシに抱きついて、あらんかぎりに泣きじゃくった。

 貴族の娘らしい美しい顔が、涙やら鼻水やらで台無しである。

 少しずつ落ち着きを取り戻してはいるのだが、震えが止まらない。

 ナナホシはちょっと力を入れて、より密着するよう抱きしめる。

 

「…………」

 

 トリスティーナがどんな目に遭ってきたのか、クルーエル家の一室で聞いていた。

 耳にするだけで心の中がかき乱されるような記憶を淡々と語る彼女に、二日酔いとはまた違う気持ち悪さを抱いてたのを覚えている。

 彼女自身にではなく、その境遇だとか、常識の違いだとか、ダリウスとかいう男そのものに。

 

(大丈夫なように、見えたのだけれど)

 

 ナナホシの記憶にあるのは、気丈に振舞うトリスティーナの姿。

 救いの手がすぐそばに差し出されているのに、巻き込まないようイゾルテたちを慮っていた彼女が、ここまで傷ついているなんて思わなかったのだ。

 

(いや、有り得ないか。……私だったら、とか考えたくない)

 

 抱きしめた彼女の肩は、想像以上に細い。

 栄養不足だとかそういう不健康そうな細さなのではなく、単純に小さいのだ。

 成長途中の身体、といったところ。

 

(たぶん、私より年下よね)

 

 日本でも、小さい子が狙われた事件はいくつもあった。

 ニュースでは数分程度に纏められて、事実だけを伝えてくるが、その裏にはもちろん、トリスティーナのように傷ついた子がいたはずだ。

 こうして目の前にして、よく分かる。

 悲惨さだとか、痛々しさだとか……しかしどこか他人事な自分が、少し嫌いになった。

 

「もう、大丈夫です」

 

 気づけばトリスティーナの震えは止まっていた。

 顔はまだぐちゃぐちゃだが、何かに怯えた様子はないし、呼吸も安定している。

 ナナホシは彼女の顔をハンカチで拭いてやる。

 

「も、申し訳ございませ、む」

「鼻、チーン、って」

「……恥ずかしいです」

「泣いた後で、今更じゃないの」

 

 ぐしぐしと鼻を掴んで、鼻水を出し、ハンカチでふき取る。

 

「わあ、べっちゃべちゃ」

「見ないでくださいっ」

 

 丁寧に折りたたんで、近くの机に置いておく。

 

(朝になったら洗濯してもらおう)

 

 ルードの水魔術を思い起こす。

 ナナホシが転移してきて一番最初の時しかり、今回しかり、あの魔術は体液に縁でもあるのだろうか、と馬鹿なことを思っていた。

 

「眠れなさそう?」

「……はい。目が覚めてしまって……申し訳ございません、付き合わせてしまって」

 

 ナナホシは首を横に振って、トリスティーナの手を取った。

 

「気にしないで。私も、えーっと、や、野暮用? が、あって起きてただけだし」

「邪魔してしまったのでは」

「別に中断したって、後から再開できるし」

 

 夜更かしは慣れてるから、と笑う。

 というか、こんな状況で寝ようとは思えない。

 

「来て」

「え?」

 

 ぐい、とトリスティーナの手を引っ張る。

 泣いた後で力のない身体が、そのままナナホシにぶつかりそうになる。

 

「おっと」

 

 また抱きしめられる。

 見上げれば、至近距離で目が合った。

 ナナホシは、ロウソクを手に取って微笑む。

 

「……本を読んでたのよ。ロウソクを使ってたのだけれど、そうね。この火が消えるまで、ゆっくりしない?」

 

 それに、呆気にとられたまま、

 

「よ、喜んで……」

 

 とてもフレンドリーだな、とトリスティーナは思った。

 

 


 

 

 二人は居間にやってくる。

 ロウソクを真ん中のテーブルに置く。

 それほど明るくならない。

 火に集まるように椅子を持ってきて、座る。

 

「……」

 

 居間は日当たりが良い方角に設けられており、日光を取り入れるための大きな窓が設置されている。

 トリスティーナはその窓から見える外を何度も見つめては、ロウソクの火に視線を戻していた。

 外に興味があるわけではないだろう。

 

「トリスティーナさん、でいいのよね」

「え、あ……はい。トリスティーナ・パープルホースでございます……?」

 

 いつの間にか強く握られていたこぶしに、ナナホシが手を重ねる。

 

「私はサイレント・セブンスターです」

 

 そしてこぶしごと握り、ぶんぶんと振った。

 

「あの……?」

「友好の第一歩は自己紹介から、って教わったのよ」

「友好、ですか?」

「ええ、友達になりましょう?」

 

 手を好き勝手にされながら、トリスティーナは首を傾げた。

 理解できないことが起こると自然とそうなるので、癖なのだろうなあ、と思っていた。

 友達。なりましょう。なりましょう……。なりましょう…………。

 脳内で言葉が反響する。

 

「素敵な言葉ですね」

「え?」

「……?」

「はい、か、いいえ、の答えで」

「はあ」

 

 今度はナナホシも首を傾げた。

 右に傾げたのを見て、右利きなのかなあ、とトリスティーナは思っていた。

 

「…………なりたいですか?」

 

 返答は腕の上下運動と微笑みだった。

 そんな言葉を投げかけられたのが数年ぶりというのもあるが、思わず思考を放棄してしまっていた。

 貴族という身分である上、重い過去も持っていて、厄介者であるだけではなく、急に泣き出して手を煩わせてしまうほどの情緒不安定女。

 そんな女と友達?

 彼女は見る目が無いのだろうか?

 

(いや、そうなるのは、良いことではあるんですけれど)

 

 サイレント・セブンスターとは元々、どこかで友好を結ぼうと思っていた。

 彼女自身に何か特別な思い入れがあるのではなく、ルード・ロヌマーの関係者だから、関わりを持っておこう、という打算からであった。

 正直なところ、トリスティーナは彼をあまり信用していない。

 もちろん命の恩人ではあるし、彼に政争の道具として使われるということに不満を抱いているわけでも、約束を反故にする気でもない。

 

 ただ、ルードはあの男と、どこか似たような香りがする。

 だから、あまり心を許そうとは思わなかった。

 彼が大事にしているナナホシと仲良くなれば、そういった憂いは断ち切れるだろうと考えていた。

 

 まさか、向こうから誘われるとは思わなかった。

 利用してやろう、とか思っていたはずなのだが、今はもう、私はやめておけと言いたくてたまらない。

 

「…………」

「う」

 

 ナナホシは変わらぬ様子で返答を待っていた。

 どう断ろうか考える。

 打算なんてもうどこかに吹き飛んでいた。

 

 しかし、あれだ。

 とても腕が痛い。

 ナナホシが腕で遊び始めている。

 

「わ、私は、色々な厄介事を背負っています。あの男にどうされるかも、分かりません。距離を取っておいた方が、いいに決まっています」

「ルードさんならきっとどうにかしてくれるわ。どうせ駄目だ、って思いながら生活するのって、辛くない?」

「変に希望を持つよりは……全然」

 

 ダリウスは強大だ。持ち前の狡猾さで上級大臣にまで上り詰めた手腕は、超えるにはあまりにも大きすぎる壁である。

 サウロスたちが失敗し、第二王女派が失脚し、自分はダリウスの元に連れていかれる。

 あり得る結末だろう。

 

「大丈夫」

「何を根拠に……」

「ルードさん、背負うの好きだし」

 

 言っている意味はよく分からなかった。

 

「ほら、暗いことばかりじゃなくて、今回の一件が終わってからしたいこと、考えましょうよ」

 

 だけど、ナナホシが自分を気遣ってくれているのだということは痛いほどわかった。

 トリスティーナは視線を落とす。ナナホシに握られた自分の腕が見えた。

 

「どうして、私を気遣ってくださるのでしょうか? 私みたいな人間は、簡単に見捨てられるのが普通です。今回みたいなのは、私に利用価値があるからというだけで、友達に、なんていうのは」

「……」

 

 サウロスは確かに変わった人で、善人であるのだとは思う。

 領民を第一優先に動く領主なんてものは彼ぐらいのものだろう。

 でもきっと、利用価値が無ければ、こんな関係にはならなかった――

 

「よーしよしよしよし」

「きゃっ!?」

 

 腕を引かれて抱え込まれる。

 頭をがしがしと撫でられた。

 

「え? ……え? な、なんです、か、えっ?」

「タントリスさんは貴族であろうがなかろうが助けたでしょ」

「……」

 

 髪をぐちゃぐちゃにされながら、助けられた時のことを思い出す。

 

「それに、私もつらい時があったから。その時、ルードさんに色々親切にしてもらって、どうにか折れずに済んだから」

 

 ナナホシは、王都アルスまでの旅路を思い出す。

 何もないわけではなかった。

 知らない場所と知らない人と、知らない常識。

 それでもなんとかやってこれたのは、彼がいてくれたからではないだろうか。

 

「……要は、おすそ分け?」

 

 自分には余裕がある。

 人に親切にしたって罰は当たらない。

 撫でる手を止め、トリスティーナの頭を抱えるように抱きしめる。

 

「まだ外が怖い?」

「…………い、え」

 

 ナナホシの身体は温かい。

 触れていると、恐れていたものが遠ざかっていくように感じる。

 

「……眠くなるまで、何かお話でもしましょうか」

「お話」

「と言っても、知っている話なんて……ああ」

 

 そういえば、と。

 この世界に来てから、ずっと聞かされていた話がある。

 

「んんっ。えー、ルード・ロヌマーの昔話」

 

 彼女に受けるかどうかはわからないが、時間をつぶすくらいならできるだろう。

 この話を聞いてから受ける授業のことは、不思議と嫌いではなかった。

 

「まずは、そうね。被虐の姫ニンフィが大怪獣ソマルゴンに襲われるところからかしらね」

「…………?」

 

 ロウソクの火はまだ消えない。

 

 


 

 

「……嫌なことを思い出したな」

 

 夜。

 俺は、トリスティーナの叫びで目を覚ましていた。

 男の俺が出る幕じゃないと思って寝たふりをしていたが、それでよかったようだ。

 ナナホシが設定盛り盛りの昔話を聞かせようとしているところで、自分の部屋に戻るために踵を返す。

 ナナホシがあそこまで世話焼きだとは思わなかったな。

 珍しい一面を垣間見た。

 

 しかし、そうか。

 トリスティーナのトラウマは相当なものだったらしい。

 どうにかしてやりたい気持ちもあるが、この屋敷にいるのは俺とサウロスとアルフォンス、それからナナホシ。

 異性に恐怖心を抱いている彼女に接することができるのは、ナナホシだけだ。

 こうして自分から関わりに行ってくれたのは、ありがたい。

 道具として使ってハイ終わり、じゃ後味が悪いからな。

 これで、改善に向かってくれるといいんだが。

 

「……」

 

 廊下の窓から星空を見上げる。

 ふと、思い出していた。

 俺が、女というものをどんな風に扱ってきたのか。

 特に荒れていた時期のことを。

 

 トリスティーナの叫びが、いやに耳に残っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話「入城」

 トリスティーナの夜に対する恐怖心は、この一週間で大分薄れた。

 突然起きて泣き叫ぶことがなくなったのだ。

 まだ悪夢は見るみたいだが、それでも、起きることが怖くないというだけで、心労は驚くほど減ったのだという。

 

「サイレント様、サイレント様!」

「はいはい、なに?」

 

 大きく変わったのは、ナナホシとトリスティーナの関係だ。

 あの晩以降、彼女たちは夜になると居間の方へと抜け出し、二人っきりで話すようになっていた。

 トリスティーナにとっては、数年ぶりの同性の友達となるからか、親しくなるのにそれほど時間はいらなかったのだろう。

 今ではもう、姉と妹かのように、トリスティーナはナナホシに引っ付いて回っていた。

 

 ……まあ、俺については警戒されたままのようだが。

 とはいっても、サウロスたちがいる前ではその様子を微塵も見せない。

 俺の言いつけ通り動いてくれている。

 彼女と話すには、その近くに俺がいなくてはならない、と周りに思い込ませているのだ。

 例え俺がただの冒険者で、貴族社会に相応しくない人間だとしても、それらしい理由でシルバーパレスへと足を踏み入れられるように。

 今後のためにも、アリエルとは接触しておきたかったから。

 

「……トリスティーナ」

「あ……は、い」

「そろそろ時間だ」

 

 トリスティーナの顔から笑みが消え、毅然とした表情になる。

 仕事モードだ。

 そんな分かりやすく態度を変えられるの、結構ショックなんだけどな。

 

「あの?」

「いや、なんでもない。昨日のうちに伝えた通り、ようやく第二王女派との話し合いの場を設けることができた。とにかくお前には、ダリウスとの過去がどれほど凄惨だったかを、嘘偽りなく、それでいてオーバーに表現しつつ話してもらう」

「はい」

 

 屋敷の出口では、アルフォンスが誰かと話していた。

 向こうに見える高級そうな馬車には、目立つように金色の紋様が施されていた。

 紋様は、アリエル・アネモイ・アスラ――俺たちが取り入ろうとしている第二王女派のトップのものである。

 

「相手はアリエル王女だ。緊張して失敗などしてくれるなよ」

「……ええ、大丈夫、です。まさか第二王女その人が出てくるとは思いませんでしたけれど」

「事はそれほど大きい、と捉えたのだろう」

 

 下手に動けば第一王子派へと情報が洩れたり、あるいは裏切ってトリスティーナを売り渡そうとする輩に見つかるかもしれない。

 アスラ王国の貴族というのは、そういう人間ばかりだからな。

 そうした環境の中で、この短い期間で、最も安全であると言えるアリエル王女と約束を取り付けられたサウロスたちの手腕は流石というほかない。

 

 しかし、それでも、少なくとも『サウロスがアリエルに会いに行く』という情報は必ず洩れる。

 シルバーパレスへと赴く以上、人の注目を集めないわけがないからだ。

 その中で、俺やトリスティーナの見た目の情報も伝播するだろうし、それがダリウスの耳に入れば、すぐにトリスティーナが生きていると気づき動き出すだろう。

 

 ……もうすでにダリウスは気づいているのではないか、という懸念はあった。

 だが奴にはこれといった動きはないし、今滞在している屋敷の周囲に怪しい気配も無かった。

 あれほど目立つ動きをしていたのにもかかわらず、だ。

 奴の部下による、私欲に目がくらんだ結果起こった失態だ、逃げ去ったという男がダリウスに事の顛末を話さなかった可能性もある。

 ならば、情報はできるだけ操作した方がいい。

 

「ルードさんの言ったとおりに、髪、染めましたけど……本当にこんなので効果があるんですか?」

 

 ナナホシがこちらに寄ってきて、トリスティーナの髪を手に取る。

 アスラ王国では珍しくもない、小麦色の髪――ではなく、黒く染まった髪を。

 

「……サウロスが動くにあたって、情報を集めだす人間も出てくるはずだ。俺とお前は特に人目を気にせず動いていたから、俺たちの情報はすぐに集まるだろう」

「なるほど。トリスティーナを私に偽装する、ということですね?」

「ああ。もう少し胡散臭くしてやれば、しばらく奴らの目を欺ける」

 

 近くに置いてあった水晶球をトリスティーナに渡す。

 占命魔術に使われるものだ。見た目重視なので、安物である。

 謎多き男冒険者と占命魔術師を連れだって王城に行くサウロス――第一王子派にとっては滑稽に映るだろう。

 

「顔については、これを使え」

 

 懐から、用意しておいた仮面を取り出す。

 土魔術で作った、黒い仮面だ。

 トリスティーナはそれを被り、ナナホシが持っていた手鏡で自分の格好を確認していた。

 

 トリスティーナは今、ナナホシに貸していたローブを着ている。

 ローブは結構ボロボロだし、仮面の色も違うが、しかしこうして見ると懐かしいもんだ。

 ナナホシも、最初はこんな格好をしていたからな。

 今の彼女を見て、トリスティーナ・パープルホースであるとは誰も思わないだろう。

 

「サイレントにはしばらくの間留守番してもらうことになるが……」

「はい、分かってます。何かあれば、”これ”に念じろ、ですよね?」

 

 ナナホシは正八面体の黒い石を取り出す。

 近くで見ないと分からないが、黒い塗料で魔法陣が描かれていた。

 

(あめんぼあかいなあいうえお……これで聞こえてるんですか?)

(……これに発声練習はいらん)

(本当に直接聞こえるのね……)

 

 石の正体は、俺が作った魔道具。

 あの魔法陣は”通信魔術”のものであり、石の中には魔力結晶が埋め込まれているため、魔力を持たないナナホシでも扱うことができる。

 名前は、そうだな――携帯念話とでも名付けようか。

 遠くの相手とも思考の送受信ができる優れものだ。

 俺がこれを作り上げた時、その相手なんてペルギウスくらいしかいなかったが。

 

「――ルード様」

 

 屋敷の玄関口から、アルフォンスに呼ばれる。

 どうやら話し合いが終わったみたいだ。

 正装に着替えたサウロスと、おそらく馬車の御者である少女がこちらを見て待っている。

 

「……これから俺たちは、奴の敵となる。覚悟は――」

「できています。私は私の役目を全う致しましょう」

「行くぞ」

「はい」

「行ってらっしゃい、ルードさん、トリスティーナ」

 

 ナナホシが手を振る。

 彼女を置いていくのは心配だが、この屋敷にはアルフォンスが待っていてくれることになっている。

 もし何かあれば、俺ならば数秒でここまで飛んでこれる。

 ……今は、今のことに、集中するべきだ。

 

「……」

 

 シルフィ。

 お前はやっぱり、そこにいるのか?

 

 


 

 

 アスラ王国王城シルバーパレス。

 噂に名高い名城は、間近で見ても圧倒されそうなほど、荘重であった。

 今まで見てきた城壁も、まるで要塞かと思うほど堅牢であったのにもかかわらず、王城を囲むそれは比較にならないほどの巨大さを誇っている。

 厚さも、高さも、城壁に使われる建材も、全てにおいてトップクラス。

 そこを守る騎士の多さも、警備の厳重さも、ついに俺たちがそこに足を踏み入れるのだ、という実感をもたらした。

 トリスティーナは息をのんだ。

 銀色に輝く王城の美しさに見惚れたのか。

 あるいは、あの地獄の日々はもうないのだと、更なる確信を得ることができたのか。

 その表情は仮面に隠れてわからない。

 だが、きっと。

 この城にいる、心強い味方と、倒すべき敵を、心に思い浮かべているに違いない。

 俺も、そうだ。

 歴史を変えたどり着いた場所だ。

 覚悟はできている。

 

 俺たちは王城シルバーパレスへ入城した。

 

 


 

 

 入城後、まずボディーチェックが始まった。

 特に、情報のない俺に対しては念入りに。

 杖とか武器になりそうなものはその場で預かられたが、携帯念話についてはスルーされた。

 その辺は、サウロスの信頼によるものだろう。

 

 そうして、馬車の御者であった少女――エルモアに、応接間へと通される。

 扉の前には甲冑に身を包んだ騎士が立っていた。

 貴族と庶民を分ける、あの城壁にいた兵士とは格が違う闘気を感じる。

 流石に厳重だな。

 

 応接間は思ったよりも狭い部屋だった。

 貴族らしい豪奢な壁紙とかが目立つぐらいで、テーブルやソファに関しては目に優しいシックな色合いで統一されている。

 まあこれも、俺が分からないだけで金貨うん十枚とか掛かるだろうが。

 

「……」

 

 しかし、エルモアからの視線が痛いな。

 一応俺がトリスティーナの付き人として同伴すると伝えてはあるはずなのだが、風貌が駄目なのだろうか。

 髭くらいは剃っておくべきだったか。

 それとも、そもそも王女に会える身分でもないからと、下に見られでもしているのだろうか。

 今の王城は色々ごたごたしすぎてて、ストレスが溜まっていたりもしそうだ。

 大人しくしておこう。

 

「む」

 

 扉が叩かれ、エルモアが対応する。

 顔を出したのはまた少女――あの子は、確か、クリーネ、か?

 どうやら飲み物を持ってきてくれたらしい。

 アリエルかと思ったのか、反応したサウロスが小さく息を吐いて視線を前に戻す。

 

 ……エルモア、クリーネ。

 この二人はアリエルの従者で、貴族であるはずなのだが。

 馬車の御者に給仕、普通はメイドとかにやらせる仕事すら任されているということは、出来るだけトリスティーナの情報が洩れないよう徹底しているのだろう。

 

 しかし、もどかしい。

 サウロスにとってはフィットア領の復興への足掛かりを得る機会であり、トリスティーナにとってはダリウスに復讐できるチャンスである。

 彼らも少なからず緊張しているみたいだが、俺としてはやはり、あの扉からいつシルフィが出てくるか気が気じゃなかった。

 自分でもわかるほど、呼吸が浅くなっている。

 

 だが、大丈夫だ。

 魔力災害の日に飛んできて、歴史を変えてきて、すでに分かっている。

 死んだ彼女たちと再会できるということは、ちゃんと分かっているのだ。

 そりゃ、会ったら抱きしめたくなるかもしれない。

 少しはうるっと来てしまうかもしれない。

 だけど、流石にこの場で泣き出すなんてことはない。

 俺も年だし、涙なんてとっくに枯れているだろう。

 とにかく、安全であることを確認できればいい。

 今大事なのは話し合いだ。

 ……よし、落ち着いてきたな。

 

「……!」

 

 再び扉が叩かれる。

 エルモアが対応し、クリーネは静かに部屋の隅でそれを待った。

 先ほどとは明らかにエルモアの対応が違う。

 慇懃に、物音を出来るだけ立てないようにしつつ、少し頭を下げ、扉を開けた。

 

 現れたのは、トリスティーナと同じくらいの背丈をした少女。

 現代地球でもそうそういない、と言えるほど美しい金色の髪を靡かせて、部屋に入ってくる。

 彼女にとっては何気ないであろう一挙手一投足が、計算されているのではないかと思わせるほど、魅了させてくる。

 圧倒的なカリスマ性。

 圧倒的な存在感。

 間違いない――間違えるべくもない。

 この国に、彼女に比肩する人間はいないのだから。

 

 俺たち三人はすぐに立ち上がり、王族に対する礼をする。

 彼女こそが、アリエル・アネモイ・アスラ。

 アスラ王国第二王女である。

 

 さらに、足音が一つ。

 追随するように部屋に入ってきたのは、少年。

 茶髪をオールバックにしたイケメンであった。

 その顔には自信が満ち溢れているが、さしもの彼ですら、アリエルのオーラには遠く及ばない。

 守護騎士、ルーク・ノトス・グレイラット。

 あのピレモンの息子だ。

 サウロスは眉一つ動かさない。

 家と人をちゃんと区別しているということだろう。

 

 ……彼がヒトガミの使徒であった確証は得ている。

 今もそうであるかはわからないが、使徒ではない、と楽観的にとらえるわけにはいかない。

 が、正直なところ、優先的に排除したい敵ではない。

 もし、また道を誤るようであれば、殺す気ではいるのだが。

 

 彼はクーデター時、おそらくヒトガミに唆されただけなのだろう。

 俺がロキシーを死なせたように、彼もまた、アリエルを死なせた。

 ルーク自身も死んだ以上、それが目的だったわけではないだろうし。

 個人的な恨みはあるが、過去に戻ってまでぶつけるものでもない。

 

 ルークはアリエルの傍に立つ。

 

 そして。

 もう一つ。

 足音が、聞こえる。

 

「……っ」

 

 その足音で。

 気配で。

 昔の記憶が一気に思い起こされる。

 もう虫食いとなってしまった思い出が、彼女が誰かを理解させる。

 

 一見すれば、少年だった。

 白い短髪に、サングラスをかけている。

 特徴的な耳は、長耳族の血が流れているから。

 体型は小柄だ。小学生ぐらいにしか見えない。

 背筋は正しく、歩き方もしっかりしているように見えるが、表情はこわばっている。

 どことなく頼りなさげな雰囲気を纏いながら、最後の側近がやってきた。

 守護術師フィッツ。

 ……本当の名を、シルフィエット。

 俺の心の病を治してくれ、俺を最初に迎え入れてくれた、家族。

 

 アリエルの守護術師になったのはごく最近だというのに、頑張って礼儀作法を覚えたんだな。

 今も失礼が無いよう、細部に気を配りながら、守護術師としての体裁を保っている。

 俺の記憶では、シルフィはアリエルとルーク、二人ととても親しかった。

 友達のために、というやる気が、サングラスの下から感じ取れるような気がした。

 

 ブエナ村にいたとき、彼女は緑色の髪をしていた。

 今はもう見る影もない。

 それどころか、王族の守護術師として身だしなみを整える必要があるからか、髪の綺麗さは段違いだ。

 きっと触ればさらさらで、時折耳に手が触れたりすると、顔を赤くして注意されるんだろうな。

 でも、仕方ないな、と言いながら受け入れてくれるんだ。

 あの、守護術師フィッツの顔を、はにかませながら。

 

 サングラスをかけてても、やっぱりシルフィだと分かる。

 今になって思うと、どうして彼女だと気づかなかったのか不思議なくらいだ。

 だってそうじゃないか。

 目が隠れていたって、髪の色が違くたって、あの鼻の形や、唇を見れば、分かるに決まっているじゃないか。

 

 ああ。

 だってほら。

 こんなにもかわいいのだから。

 

「ぁ」

 

 だめだ。

 これは。

 

 泣く。

 

「……っ、ぉお」

 

 隣にいたトリスティーナが異変に気付く。

 それから、サウロスが気づき、シルフィがぎょっとした。

 ルークは眉をひそめ、アリエルは変わらず微笑を浮かべている。

 

「ぐ、ぉぉ、ぉおおおおおおおお……」

 

 生きている。

 彼女が生きている。

 腕がある。

 顔には傷一つない。

 石を投げられ、ずたぼろになんかなっていない。

 

 涙がこみあげてきて、止まらない。

 視界が歪んで、だれがどんな顔をしているのかもわからない。

 枯れていると思った涙が、ここにきてとめどなく押し寄せてくる。

 声を我慢しようにも、漏れ出てくる。

 俺はここにいる。

 俺はルーデウス・グレイラットなんだ。

 そう叫びたくなる。

 

「ルード、様?」

 

 トリスティーナが声をかけてくる。

 その声に、少し落ち着きを取り戻すが、それでも泣き止めない。

 

「…………失礼、します」

「っ!」

 

 そんな俺に、トリスティーナが近づいてくる。

 片手にはハンカチが握られていた。

 思わず避けた俺に、今度は足を踏み出して、ほとんど密着するぐらいに近づく。

 

(避けないでください)

 

 小声で囁かれる。

 

(だ、だが、お前は……男が)

(私はルード様がいないとまともにしゃべれない、という設定なのでしょう? こういう時に動かないと、信憑性が無くなりますから)

(……)

(早く泣き止んでください。私は悲劇のヒロインですのに、そんなに泣かれたら話のインパクトが削がれてしまいます)

 

 震える手で涙を拭われる。

 すぐに、情けなさだとか、恥ずかしさだとかが襲ってきて、涙が引っ込んでいく。

 アリエルの従者たちは”お前が泣くの?”みたいな顔をしていた。

 

「平気ですか?」

「……」

 

 アリエルに気を遣われてしまった。

 強がりなことを口にしてもあれなので、頷いておいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話「応接間にて」

「では、始めさせていただきますね?」

 

 アリエルは流石だった。

 急に泣き出した老人のおかげで変になりかけていた空気を、一瞬で緊張させる。

 彼女に促されるままに、俺たちはソファーに座る。

 アリエルもまた向かい合うように座り、ルークとシルフィはその隣に立つ。

 

「……」

 

 シルフィはサングラスの上からでもわかるほど俺のことを気にしていた。

 目が合うと、わざとらしく視線を前に戻す。

 まあ、明らかにシルフィを見てから泣き出したしな。

 自分の知り合いだろうかと記憶を探っているのかもしれない。

 可愛らしい仕草だ。

 ガン見しよう。

 

「?、っ!?」

 

 見られていることに気づいたシルフィの視線があっち行ったりこっち行ったり。

 そしてもう一度目が合って、あたふたあたふた。

 すっげぇかわいい。

 

「んんっ」

 

 アリエルの咳払いで正気に戻った。

 いかんいかん。今の俺はルード・ロヌマーなのだ。

 バシェラント公国の魔術師ルード・ロヌマーは、いたいけな少女で遊んだりはしないのだ。

 

「……遅ればせながら、私がアスラ王国第二王女、アリエル・アネモイ・アスラでございます」

 

 仕切り直すように告げられたアリエルの自己紹介から、話し合いはスタートした。

 

 


 

 

 話は順調に進んだ。

 俺は付き人とはいえ、ただの冒険者なので口出しすることも無かった。

 だからだろうか、エルモアたちだけじゃなく、ルークや、もしかしたらアリエルまで俺の扱いに困っていそうだった。

 飛び交う会話はすべて機密事項。

 それを傍で聞く、他国の出の冒険者。

 俺に向かう視線は信用とは程遠い。

 いたたまれなくなって、シルフィを観察していた。

 

 話し合いの段取り自体は事前に取り決めがあったらしく、スムーズに進行していった。

 トリスティーナが仮面を取り、指輪を見せ、ダリウスに何をされてきたのか、その過去をつまびらかに語る。

 アリエルはトリスティーナと共に怒り、時に涙し、母のように彼女を慰めた。

「五歳の誕生日に出会ったあの少女が歩んでいい未来じゃない」――ダリウスは決して許さないと誓って、アリエルはトリスティーナの手を握った。

 

 第二王女派の協力は簡単に得られた。

 よくよく考えれば、最初からその気でなければ話し合いの場なんか設けないか。

 となると、アリエルのあの態度も、用意されたものなのかもしれない。

 話を聞く姿勢が完璧すぎるのだ。

 というのは、穿ちすぎか。

 トリスティーナは憑き物が落ちたかのような、心酔しきった様子でアリエルを見つめていた。

 

 トリスティーナが落ち着くのを見計らって、次はサウロスとの話になった。

 こちらが対価として要求している、フィットア領の復興についてだ。

 これは、現状としては厳しいかもしれない、とのことだった。

 アリエルの想像以上に貴族たちが支援を渋っているおかげで、無理に動こうとするとダリウスに察知される可能性が出てくる。

 だけど、アリエルとしては、復興支援は行いたいと考えている。

 結論としては、トリスティーナの件について決着するまでは、最低限の支援で我慢してもらう、となった。

 裏を返せば、ダリウスが失脚した暁には全力で支援できるということ。

 サウロスにとって、この政争に勝たなくてはいけない理由が増えたわけだ。

 それまでは俺がせっせこ働くことにしよう。

 

 さて。

 二人の話が終わり、この場は解散になるかと思われたのだが。

 

「――ルード・ロヌマー様」

 

 俺に声がかかる。

 アリエルの真っすぐな瞳に見つめられる。

 

「まずはお礼を。トリスティーナを助け出していただいたこと、感謝申し上げます。本当は正式な礼として、国からの褒賞を差し上げたかったのですが」

「……まさか。身に余る光栄でございます」

 

 トリスティーナを助け出した、という功績はサウロスのものとなる。

 これは、後々、フィットア領の復興支援に、円滑に周りを協力させるための策だ。

 たとえアリエルの鶴の一声があろうとも、”理由”が無ければ貴族の重い腰は上がらない。

 ダリウスを排斥した功労者となるであろうサウロスは、第二王女派での高い地位を手に入れることになるはず。

 そんな彼に媚びを売る機会を見せるのだ。

 とまあ、そんなこんなで、俺のことは表向きには無かったことにされる。

 そもそも助け出したのはタントリスだし、褒賞なんて辞退するつもりだったが。

 

「しかし、友人の命の恩人であるルード様に、我々が返礼も無しというのはあってはならない話……そうではありませんか?」

「国からの褒賞は出さないという話では」

「私個人の礼でございます」

 

 ……部屋の温度が下がった気がする。

 ルークの顔がこわばって見える。

 アリエルはいつも通りの微笑に浮かべていた。

 

「聞くところによれば、ルード様はバシェラント公国から参られたそうで。あの国からいつも輸入させて頂いている魔道具はどれも一級品でございますから、そこの出であるルード様も、やはり魔術に精通しているのではありませんか?」

「いえ。私は才が無く追い出されるように国を出た人間、そんな才など私には――」

 

 アリエルが何かを机に置く。

 この部屋にはあまりにも似つかわしくない、真っ黒の四角い物体。

 石材。

 俺が作ったものだった。

 

「我が国の宮廷魔術師、研究者、魔道具関連の技術者、様々な人間に調べて頂きました。しかし誰もが口をそろえて”意味不明”と――彼らにそう言わしめるほどの石を量産しているルード様を、才が無いなどとは口が裂けても言えません」

「…………」

 

 どうして、とは聞くまい。

 彼女のことだし、至る所に情報網が敷かれていたのだろう。

 俺が石材を作っている光景は一部の関係者を除き誰にも見せなかったが、有り得ない速度で在庫は増えていくし、突如ボレアス家に近づいてきた魔術師との関連性を考えれば誰だって察しが付く。

 

「それに加え、無詠唱魔術の使い手でもあるとか」

 

 しかしこうなるともう、ほくろの位置まで知られてそうな気がしてくるな。

 大国の王女様直々の返礼とあって、それはさぞかし豪華なんだろうなあとか思っていたが、雲行きが怪しくなってきた。

 妖艶な笑みをより深くして、アリエルは続ける。

 

「今、宮廷魔術師の席が一つ空いております」

「……」

「より、動きやすくなるはずです」

 

 考える。

 アリエルの目的は何なのか。

 ただの礼などではないことは明らか。

 この誘いは必ずアリエルにとってのプラスがある。

 

 冒険者が宮廷魔術師になること自体はおかしくない。

 とはいえ、信用もしていないような男に考えなしに授けていい役職でもない。

 ……信用?

 いや、そうか。

 信用か。

 恐らく、アリエルは俺の立ち位置をはっきりさせたいのだ。

 

 サウロスはフィットア領の復興を。

 トリスティーナはダリウスの魔の手からの解放を。

 それぞれ目的があるから、手を組むにあたって敵味方の区別がつく。

 俺にはそれが無い。

 どうせ、トリスティーナを助け出したのがタントリスだっていうことも見抜いているのだろう。

 だから、()()()()()()にした俺のことが信用ならない。

 いっそ無理やりにでも立ち位置をはっきりさせるために、貴族社会にいてもそれほどおかしくない役職を与え、自分の派閥に取り入れ、首根っこを抑えようとする。

 この誘いはたぶん、そういうことだ。

 

「私には一つ、この国で成し遂げねばならないことがございます」

 

 そんなものは無駄だ。

 そこに割く労力は、打倒ダリウスに向けてもらいたい。

 改めて、アリエルの目を見据える。

 

「そのために、ダリウスが邪魔なのです」

 

 貴族のように迂遠な言い回しはしない。

 

「成し遂げねばならないこと、とは?」

「貴女を王にすることでございます」

「――」

 

 部屋の中の誰かが息をのんだ。

 アリエルが初めて笑みを崩し、目を丸くした。

 

「私には敵がいます。奴はダリウスの味方をし、卑怯な手を使い、第一王子派の勝利を盤石なものにするべく影で動いています」

「…………」

「それを阻止したいのでございます」

 

 まあ、信用ならない男の言葉だ。

 ただの出まかせと思われているだろうな。

 だけど、本心だ。

 ヒトガミの狙いはアリエルの失脚。

 それの阻止こそが俺の動く理由。

 

 痛みすら感じるような沈黙を破るように、アリエルがクスリと笑った。

 

「……ああ、申し訳ございません。これはとんだ失礼を……王の立役者に対する礼ではありませんでしたね」

「む……い、今のは言葉のあやでですね。何も、私ごときが手を出さなかったからといって、王になれやしないと言っているのではなくて」

「いえ、ちゃんと分かっています。ただの意地悪です」

 

 ダメじゃん。

 

「少々、事を急ぎすぎました。この話はまた今度、じっくりといたしましょう」

 

 そう言って、一つ息を吐いてから、サウロスたちの目を見つめた。

 

「今後はダリウス上級大臣を失脚させるべく動いていきます。それについては、どうか我々にお任せください。サウロス様には今まで通り復興に専念して頂いて構いませんので」

 

 アリエルは、すでに第二王女派の主軸となっている貴族をまとめあげ、動き出すための準備を整えている。

 サウロスにもやるべきことがあるので、政争はほとんどアリエル達に任せる形になるだろう。

 こうした話し合いも、出来るだけ行わないようにするとのことだった。

 トリスティーナがバレる危険性を極限まで下げるのだ。

 

 とりあえず、今、確認できるところを確認し、作戦は詰められるところまで詰める。

 失敗は許されない。

 ヒトガミの意向にも気を付けなくてはいけない。

 俺たちは日が暮れるまで、話し合いを続けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。