万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい (仙託びゟ)
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救い手か、魔の手か

 その言葉が、天使が口にした警告であるのか、悪魔が口にした誘惑であるのか、その時のアイネスフウジンには区別がついていなかった。

 

 一般市民の家庭に生まれたアイネスフウジンは、おおよそ裕福とは言えない環境で育った。母親と、自身と、2人の妹。父を除いて全員がウマ娘であるため、食費にかかる負担は大きかった。

 特にいくら食べても減る自身の腹が憎かった。かつて稼いで貯めてあったレースの賞金を切り崩し、減っていく数字を子に見せないよう「ウマ娘の親子っていうのはこういうもの」と笑う母と、その減りを少しでも遅くしようと日夜働く父の優しさが痛かった。

 アイネスフウジンも、少しでも両親の負担を減らそうと進んで家事や妹の世話を務めた。安くて腹が膨れるスタミナバーで腹を満たした。

 地方トレセンでもいいと言った自分を中央に送ってくれた家族のために、少しでも多くのレースに勝ってその賞金を家族に返さなければならない。

 そう思い挑んだこの選抜レースでその男に投げかけられた言葉はあまりにも残酷なものだった。

 

「そのままでは近しい未来、その脚は壊れて使い物にならなくなりますよ」

 

 あるレースに勝つためなら走れなくなってもいいと言ったウマ娘がいたらしいが、アイネスフウジンにとっては逆だった。

 勝てなくてもいい、恩を返すために走り続けられる脚が欲しい。

 12月の、まだ麗らかな(ハル)は遠いと吹きつける風の中、現れた男は一片の慈悲もなくそう宣告した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 悪魔のような男だった。クセがついてややウェーブのかかったアッシュグレーの髪は七三にセットされ、顔には薄ら笑いが浮かんでいる。アンダーリムの黒縁メガネの奥には、細められた目蓋(まぶた)で半分以上隠れた灰色の瞳が覗いていた。

 

 高い上背を包む細身のスーツと革靴と手袋は黒で統一され、ジャケットの下には灰色のワイシャツ。ネクタイだけがワインレッドに色づいている。ともすれば大企業の営業マンか敏腕弁護士かエリート刑事ではないか、などと思える男の胸元には、確かにトレーナーバッジが光っていた。

 

 しかし、何かこう、そこはかとなく、胡散臭い男だった。

 

 男の異様な存在感に、それまでアイネスフウジンをスカウトしようと息巻いていたトレーナーたちは一斉に押し黙り、男の歩く道を空ける。

 

「え、えっと……?」

 

「左足、痛むんでしょう? 私には原因も、対処法も、解決法もわかっています。生憎なことに貴女は私の担当ではない。この先、私が担当することになる娘の前に立ちはだかるかもしれない貴女のために、懇切丁寧奉仕する利も義理もない」

 

 突き放すような言葉に反し、男はコツコツと革靴の(ヒール)で地面を鳴らしながらアイネスフウジンまで歩いてくる。

 反射的に身を引いて、それまで庇っていた左足に体重が乗ってしまい、ズキと今は我慢できないほどではない痛みが走る。

 最近この痛みが現れやすくなったのは、確かだ。

 

「しかし、とても運がいいことに私もフリーなのですよ。だから、私と契約する、というのであれば、トレーナーとして貴女の脚部不安を解消し、末永くターフを走れるようにして差し上げましょう。如何(いかが)か? アイネスフウジン」

 

 私と一緒に来なさい。

 

 男の言葉に信頼できる要素はどこにもない。ただアイネスフウジンの足の不調を見抜いた。言ってしまえばそれだけ。

 しかし、アイネスフウジンにはまるで、男の誘いを断ることが、自らの脚をへし折るのと同義であるかのようにさえ感じた。まるで今、男には目の前に脚の折れたアイネスフウジンが視えているかのように!

 

「わ、わかったの……よろしくお願いするなの……」

 

 アイネスフウジンは震える声でなんとかそう絞り出した。脚は震えていないだろうか、血の気は引いていないだろうか、そんな些細なことでも、目の前の男に見咎められればそこにつけいってくるのではないかとさえ感じた。

 所詮、人間。たとえ体格差があったとしても、まともにやれば身体能力ではウマ娘が負けることはない。その筈なのに。

 

「わかりました。駐車場、A-13番に黒のヤールフンダート*1……若者には伝わりにくいでしょうか。車の外で待ってるので、帰宅準備が終わったら来てください。書類を書いてもらうのと、来てもらいたい場所がありますから」

 

 そう言うと、男は今気づいたかのように「失礼しました、こちら名刺です。お控えください」と名刺をアイネスフウジンに手渡して、さっさとその場をあとにした。回らない頭で眺める特徴のない簡素な名刺の表面には『中央トレセン学園所属トレーナー 網 怜-Toki Amiba-』と書かれている。

 黒のヤールフンダートについてはよくわからなかったものの、周囲のトレーナーがビクリと反応していたこともあり、特徴がある車なのだろうと現実逃避じみた思考回路でぼんやり考えていた。

 

 真っ先にスカウトをもぎ取ったはずなのに、その場にいた他のウマ娘たちから気の毒そうな顔で見送られたアイネスフウジンは、シャワーを浴び私服に着替え、荷物を持って駐車場へ向かった。

 トレーナーやウマ娘たちの反応の意味はなんなのだろうか。もしかして自分が知らないだけで有名な危険人物なのだろうか。ぐるぐるとそんな考えが回るアイネスフウジンは、無意識に様々な行動を普段より大幅に急いでとっていた。

 

 実際は網と名乗ったあの男、能力はともかくキャリアに関しては中央のトレーナー試験に合格したばかりの紛れもない新人なので、当然あの場にいた誰ひとりとしてその存在を知りもしてないし、全員雰囲気で「ヤバそう」と感じていただけである。

 

 伝えられていた番号、A-13番の駐車場所が見えてきたアイネスフウジンは、網がそばに立っている車を見て荷物を取り落としそうになった。

 父が持っていたファミリータイプのワンボックスカーとは一線を画す、重厚感のある真っ黒な車体。知識が一切ないアイネスフウジンの目から見ても相当の高級車であることが見て取れる。

 そんな存在が厄ネタとさえ感じるセダン*2の周りには不自然なほどの空白ができている。当たり前だ。何らかの事故で万が一傷1つでもつけたら飛ぶのは財布の中身か首だ。

 

 そんなマイカーのボンネットに腰掛けた網がアイネスフウジンに気づいたことを察して、アイネスフウジンは慌てて近づく。

 

「お、お待たせしましたの……」

 

「いえ、それほど待っていませんよ。むしろ急いで来て足の負担になってはいけませんから」

 

 実際は無自覚のままに急いで来たのだがそれには触れずに網は後部座席のドアを開く。

 わざわざドアを開いて待っている相手を待たせるのはそれこそ失礼の極みであると思い、アイネスフウジンは自分の生活圏内と2桁ほど値段の違う世界へ踏み込むことに抵抗を感じつつも、車へと乗り込んだ。

 

 本当に車かも疑わしかった。

 ワンボックスカーの合成革でできたシートとはまるで違うクッション製のシート。アームレストなどまるで建物のそれだ。

 呆然としている間に網に預ける形となった荷物はトランクへと運び込まれる。

 この時点でアイネスフウジンは完全に逃げ場を失った。

 

「ライティングテーブルがあるので、そこでこの書類に記入をお願いします」

 

「は、はい……」

 

「それと、シートベルトを……」

 

 言われてようやくシートベルトの存在を思い出したアイネスフウジンは、急いでカチリと音がなるまで金具を押し込む。

 それが自分の動きを封じるものでもあることは完全に頭から抜け落ちている。勿論、網はただ胡散臭いだけであり、性格は悪くとも悪人ではないのでなんの他意もないのだが。

 

 アイネスフウジンは自分の知識をフル動員し、書類におかしいところがないか探した。レースに負けたら激しい体罰が待っていたり、はたまた身体で支払えとあられもないことになったり、賞金の分配がおかしなことになっていないかなど、書類の隅に小さな文字が書いていないかまで確認した。

 

 結論として、そのようなところは見当たらなかった。失礼かとも思ったが、運転席から見えないようにウマホを使って正式な契約書の内容と比べたが、理不尽に改変されている部分はない。

 ちなみに、ヤールフンダートの運転席には後部座席を確認できるモニターが付いているため、アイネスフウジンの行動は逐一把握されており、網は「しっかりした娘さんだなぁ」などと呑気なことを考えていた。

 

 結局おかしなところは見つからず、最後の抵抗としてアイネスフウジンの『ス』と『ン』を少し崩して『ヌ』と『ソ』に見えなくもないように書いてから網に声をかける。

 

「か、書けましたなノォッ!!?」

 

「どうかしましたか?」

 

 素っ頓狂な声をあげたアイネスフウジンに対し網は声にも顔にも出さずに驚いていたが、それに気づくはずもないアイネスフウジンも驚いていた。

 窓の外の景色が動いている。それはつまり車が動いているということだ。

 

「え? い、いつから……? 動……えぇ……?」

 

「書類を渡してすぐに発進したので、もうじき到着しますよ」

 

 停車していると勘違いするほどの静粛性に驚愕した。エンジン音も振動も驚くほどになかった。

 中央の人はみんなこんなすごいのだろうか。

 庶民の中の庶民であるアイネスフウジンが貧富のカルチャーショックを受けている間に、車は目的地へ到着した。

 

 

☆★☆

 

 

「屈腱に軽い炎症がみられますね」

 

 白衣に身を包んだ中年男性が告げる。

 連れてこられた先は百貨店ほどの大きさがある大学病院だった。いつ予約をしたのか、到着してから程なくしてアイネスフウジンの診察となった。

 基本、一般市民は権威に弱い。アイネスフウジンも例外ではなく、普段かかっていたような開業医の病院とはあまりにも規模が違う人手と患者の数に慄いたアイネスフウジンに、目の前の中年医師の言葉を疑う思考の余地は残されていなかった。

 正直最初は、痛みに関する説明から対処法まで網が行うものだと思っていたのだ。すべて内々で済ませるつもりではないかと。

 しかし網はあっさりと、あの自信満々にアイネスフウジンへ選択を迫っていた時からは考えられないほどにあっさりと、診察を他者の手へ委ねた。

 

「いえ、初対面の、トレーナーであることしか保証されていない人間よりも、れっきとした医師の方が遥かに信用できるでしょう?」

 

 何を当たり前なことを言っているんだこの田舎娘は? とでも言いたげ*3な網の様子に、アイネスフウジンは顔が熱くなるのを感じた。

 診察代はそれほど高い額ではなかったとはいえ、あっという間に網が支払ってしまった。自分で払うとも言ったのだが「経費で落ちますから」「支払い能力が違います。大人に任せなさい」と完全に拒否されてしまった。

 

 その後は再び揺られることもない高級車に乗せられて、中央トレセン学園の寮まで送られることとなった。

 寮に入った途端、友人たちに群がられて身の心配をされ、ようやく地に足がついたように感じたアイネスフウジンだったが、翌日には既に「借金を返すためにアルバイトを掛け持ちしていたアイネスフウジンが遂に借金取りに捕まった」と噂が立っており、必死に噂を否定して回るのであった。

*1
ドイツ語で"世紀"の意味。

*2
エンジン、乗客、貨物の各コンパートメントを備えた3ボックス構成の乗用車。お高い乗用車と言われて思い浮かべるのは大体セダン。

*3
気の所為である。



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地獄への道が善意で舗装されているなら、天国への道は如何程のものか

 噂について否定して回ったその日のうちに、トレセン学園の事務室に呼び出されたアイネスフウジンは、契約書類が本物かを確認させられた。

 切羽詰まって行った見苦しい抵抗の痕跡(アイネヌフウジソ)に内心悶えながらも肯定すると、事務員は心配そうにしながら契約が正式に成立した旨と、ハラスメントなどのカウンセリングを行う相談室の情報を伝えてきた。

 そこでようやくアイネスフウジンは気になっていたことを聞くことができた。あのトレーナー、網(とき)は、なにかよからぬ噂があるのだろうか、と。

 

「いえ、網トレーナーはつい先日、中央トレーナー試験を首席で合格されたばかりの新人トレーナーですので、過去になにか瑕疵があるわけではないのですが……」

 

「……単純に雰囲気が怪しかったから?」

 

「一応、あれほどの才能を持つ人材が、どこの名門から出たわけでもない単なる資産家の三男坊であったことは不自然と言えば不自然ですけど……はっきり言ってしまえば、単に胡散臭い雰囲気だったからですね」

 

 この時点でアイネスフウジンの脳内では網の印象はどちらかであるとほぼ固まっていた。

 あらゆる不都合な情報を隠し仰せてこちらの感情を巧みに支配するあまりにも巧妙な詐欺師か、見た目で損してるだけのお金持ちのお兄ちゃんかである。

 そして的を射ているのはどちらかと言えば圧倒的に後者であった。

 

 

 

 網による指導はその次週から行われた。徐々に内心の網への評価が上がり、その分先週の自身の対応を思い返しては罪悪感に駆られるアイネスフウジンに対し、網はなんら気にしていないようにアイネスフウジンの足について話し始める。

 

「ですので、脚に極端な負荷がかかっている原因は体幹の未熟さにあります。重心のブレが足首に不規則な負荷をかけ、体幹のブレが着地の衝撃を強め、体幹が衝撃を吸収しきれないため、分散できなかった衝撃が下半身へ向いてしまっているわけです」

 

 ホワイトボードを用いて行われた説明は非常にわかりやすいものだった。それこそ、新人だとは到底思えないほどに。

 アイネスフウジン自身、アルバイトの際に立ち姿を指摘されたりと体幹が弱いことは自覚していた。それがここまで脚に悪影響を及ぼしていたと改めて指摘され、ゾッとする。

 あの時アイネスフウジンのスカウトを望む声の中に、それを理解していたトレーナーはいたのだろうか。網以外の手を取っていたら自分は……

 

 実際、ベテランは言うに及ばず、中堅程度のトレーナーであればアイネスフウジンの体幹の弱さに気づき、脚への負担に目を向けることはあっただろう。

 しかしそれは、大抵の場合は早くともメイクデビューを終えたあとになっていただろうし、最悪の場合すべてが手遅れになったあとという可能性もあり得た。

 

「幸い、脚の筋肉については既にクラシックでも通用するものがあります。二の脚を残すのが苦手なようですが、それはやりようがある。ですので、まずはすべての原因である体幹の弱さを克服することから始めます」

 

「具体的には何をするの?」

 

「トレーニングはプールでの遠泳を中心に、体幹の筋力トレーニングを行っていきます。水泳は全身の筋肉をまんべんなく鍛えるのに効果的ですし、心肺機能の強化はスタミナに繋がります。二の脚に期待ができない以上、せめて垂れにくいという長所を伸ばしていくべきでしょう」

 

「わかったの」

 

「完成形としてはスタミナで相手を磨り潰す逃げを目標としますが、貴女の適性距離は延びても2400m程度だと見ていますのでクラシック三冠は諦めてください。ダービーを勝ちたいと言うのであれば手を尽くすので、メイクデビューまでに何を目指すのか考えておいてください」

 

「はい!」

 

「よろしい。では着替えた後にプールに集合。ストレッチとウォーミングアップを行ってからトレーニングに移ります」

 

 アイネスフウジンが走る時間は大幅に減った。それまでトレーニングと言えばとにかく走ることを考えていたが、網はむしろ逆だった。

 

「もちろん走り方を覚えるために必要な分は走らせますが、ウマ娘の脚というのは消耗品です。どれだけ気をつけていても磨り減っていく。走らないに越したことはありませんよ」

 

 ランニングジャンキーでないにしても、走らないとストレスが溜まるのがウマ娘という生き物だ。その点、網はギリギリを見極めるのが上手かった。

 ストレスが悪影響を及ぼす前のタイミングで、トレーニングにインターバル走を組み込んでくる。

 トレーニングの内容自体は、まるで甘くない。むしろ厳しい。今まで自分が限界までやると言って行ってきたトレーニングはなんだったのかと思うほどに。

 その代わり、負担が極力かからないように逐一指摘を入れたり、サポーターを着けさせて負担を減らしたりと、神経質とも思えるほど慎重に扱った。

 

 一番意外だったのは、アルバイトだ。

 アイネスフウジンは当初、トレーナーがついて本格的なトレーニングが始まったらアルバイトなんてやっている暇はなくなると思っていた。

 たとえ時間が合うような深夜や早朝のアルバイトを見つけても、トレーニングで消費される体力がそれを許さないだろうと。

 

「アルバイトは今までどおり続けてください。辞めるにしても規定の日数……大抵は1ヶ月ほどですね。辞める1ヶ月前に申し出てください。雇用先に迷惑がかかりますから」

 

「へ? ……い、いいの?」

 

「家庭事情は人それぞれですから。デビュー後は賞金が入るようにはなりますが、それまでのライフワークバランスをすんなりと変えられる者はそういるものじゃありませんし。トレーニングメニューはそれを前提に組めばいいだけの話です」

 

 そんなさも当然という風に返されてしまい、事実アルバイトをこなす体力を残して毎日のトレーニングが終わる。いや、正確には、トレーニングの直後は限界に近いのに、アルバイトまでに十分回復するように、丁寧なケアがなされるのだ。

 そうして季節が春に変わった頃には、自分の成長を深く実感するほどにトレーニングの効果が現れていた。

 

「アイネス、最近姿勢良くなってるよね。筋肉ついてきた?」

 

「そうなの。トレーナーのお陰なの!」

 

「あぁ、あのトレーナーさん……アイネスがそこまで信用してるなら大丈夫なんだと思うけど、正直結構警戒してたんだよね……」

 

「……まぁ、怪しげな見た目なのは否定しないの……」

 

 目下、アイネスフウジンの悩みはトレーナーの胡散臭さだった。

 アイネスフウジンにとってトレーナーは既に恩人であり、尊敬する人物でもある。そんなトレーナーが誤解されていることがなんとももどかしく思ってしまうのだ。

 と、思うと同時に「いや、あれは仕方ないなの……」と思う自分もいた。実際、網はあまりにも胡散臭い男だからだ。

 人を小馬鹿にしたような声音とか、張り付いたような薄ら笑いとか、土埃で汚れやすいトレーナーという職に相応しくないほど高価そうなスーツとか、全体的に。

 

 ふと頭をよぎる思考があった。

 そういえば顔はいいなと。

 胡散臭い雰囲気が多くをかき消しているから印象に残らないが、網の顔は上等な類に入る。いや、上等な類であることが胡散臭さに拍車をかけている。

 例えば普段あそこまでキッチリとキメている網が、服を着崩して髪を乱して、敬語なしで詰め寄ってきたら……

 

 そこまで考えて、アイネスフウジンは頭を振る。走りに恋するアスリートとは言え、同時に花盛りの乙女でもある故にそういう方向に思考が流れがちなのは致し方ない。

 しかしトレーナーとウマ娘、教師と学生、大人と子供。一線を引かなければならない相手なのだ。

 確かにトレーナーと言う極めて献身的な男性が身近にいることで間違った男性観を抱いたり、逆に依存的な恋愛感情を向けるウマ娘は少なくない。

 しかし、ウマ娘にとってトレーナーは唯一でも、トレーナーにとって担当ウマ娘は唯一ではない。弁えなければいけない。

 

 そう自分に言い聞かせ、せめて自分が父親で築いた男性観を粉砕されないようにしなければと心に決め、今日のトレーニングメニューのミーティングを行うために、トレーナー寮の網の部屋のドアを開けた。

 

「だから手ェ出してねえっつってんだろうが!!」

 

 閉めた。

 思えばノックをせずに他人の部屋に勝手に入ってしまうのはマナーとしてどうなのか。人には決して見せたくない一面というものがあるはずで、それを侵さないためのマナーだ。

 特に大人というものは立場を守るために何重にも仮面を――

 

「テメェと一緒にすんなボケ!! 相手は学生! 未成年! 手出したらしょっぴかれんだよ!!」

 

 アイネスフウジンの現実逃避はドアの向こうから聞こえてくる怒号に遮られた。

 ウマ娘の聴覚というものは人間に比べて鋭敏で、特に指向性に優れる。意識しなければドアに遮られ聞こえなかったであろう音が、意識してしまってからは同じ条件でも聞こえるようになったりする。

 

「巫山戯んな、なんで大事な大事な教え子を股間で物考える金と顔しか取り柄がねえ産業廃棄物野郎に会わさなきゃなんねぇんだ? テメェが金で買った"恋人"どもが大勢いんだろうが巣に籠もっとけやクソが!」

 

 それにしてもこのトレーナー、キレキレである。

 アイネスフウジンは一度ここを離れて適当なところで時間を潰してから再訪すべきだろうかとウマホで時間を確認する。ミーティングの時間には数分早い時刻だ。携行食を食む時間くらいはあるだろう。

 

「着拒してんのに毎度毎度番号変えてかけてきやがってよぉ……愛液臭え口で兄と呼ぶな顔面猥褻物!! 爛れろ!! 爛れて死ね!!」

 

 妹たちにはいい子に育ってほしい。アイネスフウジンはそう思った。




一日一回は更新したいと思いますがストックががが。


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信じる者は儲かる

 トレーナーの意外な姿を見た日から2ヶ月ほど経ち、アイネスフウジンのメイクデビューの日がやってきた。

 ウマ娘の育成に触れたことのない人間からは、メイクデビューは軽く見られがちである。メイクデビューに出走するウマ娘は玉石混交の新人たちだ。言っては悪いが、その大半は未熟である。

 そこから原石を探し出すことに楽しみを覚える通もいるが、大抵の観客は強いウマ娘が気持ちいいレースをするところが見たいのである。

 

 一方、出走するウマ娘からすればどうかと言えば、端的に言うのならば重賞と同レベルの重圧がかかっていることさえある。

 メイクデビューを勝ち抜けるのは10人程度のうちわずか1人。勝てなければ未勝利戦へと進むことになるが、そこでも勝ち上がれるのは1人。

 そうして未勝利戦に勝てぬままデビュー翌年の9月になれば、参加できる未勝利戦がなくなり強制終了。その後は地方に転属するか障害競走に路線変更するか、引退するかである。

 遠い未来、未勝利戦に勝てぬまま行った格上挑戦に勝利、そのまま重賞まで勝ち進み見事重賞ウマ娘となった『流星のシンデレラ』が現れ未勝利ウマ娘に希望を与えるのだが、それは数少ない例外に過ぎない。

 『1着になれるのはたった1人』の意味合いが、メイクデビュー及び未勝利戦とそれ以外では、少し変わってくるのだ。

 

 だからこそ、メイクデビューの地下バ道というのは空気がヒリつく。重賞レースの『競い合う』雰囲気とはまた違う、焦燥感混じりの『奪い合う』熱気。

 コースに向かう途中で、地下バ道の壁に(モタ)れるトレーナーの姿を見つけて、空気にあてられて弱気が頭をもたげていたアイネスフウジンは、助けを求めるように視線を向けた。

 

「とりあえず軽く流してきてください」

 

 しかし、トレーナーから与えられたのはそんな言葉だった。

 

「へ? え〜っと……」

 

「手を抜けというわけではありませんが、全力も本気も出すまでもありません。ペースを作るとかそういうことを考えずとも、貴女が走りたいように走れば自ずと1着をとれます。レース中の注意として私が教えたことをひとつひとつ確認して来てください。それと、ゴール後のストレッチはきちんとやること」

 

「わ、わかったの!」

 

 叱咤でも激励でもない。しかし、トレーナーは自分の勝利をまるで疑っていない。いや、敗北することを考えてすらいない。

 過信でも盲信でもなく、予習復習までした問題を解いて検算まで行い、答え合わせを待っているといったような雰囲気で投げられた言葉は、思いの外アイネスフウジンの心を軽くした。

 

 ゲートに収まる。この狭く金属質な空間を嫌うウマ娘は多い。本能的に走ることを求める以上、その対極である拘束を嫌がるのは自然とも言える。

 メイクデビューではその傾向は顕著になる。前述の不安や焦り、練習とは異なる本番の重圧がそうさせるのだろう。

 だが、このゲートは必ず開く。一対の扉が作る狭い隙間が広がることだけに意識を集中させると、不思議と周囲の音も気にならなくなった。

 

 ゲートが開けばあっという間だった。軽く大地を蹴ってゲートを飛び出せば、他の足音は瞬く間に後ろへ流れていく。

 内ラチに体を寄せて無理なく思考できる速度を保ちながら、アイネスフウジンはトレーナーの教えを振り返る。身体の上下の揺れを極力なくし、滑るように走ること。上へ向ける力が多いほど前へ向ける力は減り、落下の衝撃は強くなる。

 無駄な力が脚を壊す。ウマ娘と人間とでは体の作りがところどころ異なるが、その一点は同じだとトレーナーは説いた。それは不必要な力を使うなということでもあり、使った力を無駄にするなということでもあった。

 

 後ろから聞こえた足音に気が付き、アイネスフウジンは少しスピードを上げて再び集中する。無駄のないコーナリング、体重移動、上半身の筋肉で下半身を補佐する、下半身に上半身が乗っているだけにならないように。

 正面から風が吹き付ける。いや、アイネスフウジンが空気に体当りしている。間違いなく走ることへの負担にはなっているが、その風がただ気持ちいい。

 もうすぐ次のコーナー、そう思ったとき突然大きな音が鳴って、アイネスフウジンは反射的に耳を伏せた。

 

「へ……? あれ……?」

 

 それが観客の声だと気づき、ゴール板がはるか後方にあることに気づき、レースが自分の勝利で終了したことを掲示板の確定の文字で知ったアイネスフウジン。

 しばらくその実感のなさすぎる勝利に呆然としていたアイネスフウジンは、混乱する頭に次に何をするべきかを尋ねる。どうしよう? えっ、終わり? どうするんだっけ?

 

「……そうだ、ストレッチ」

 

 地下バ道に戻ってからでいいものを、ターフ上でストレッチを始めてしまったアイネスフウジンが我に返るまで、あと2分。ライブは盛況のもとに終わったという。

 

★☆★

 

「ね? 言ったでしょう?」

 

「まったく実感が湧かないなの……」

 

 ウイニングライブが終わって、アイネスフウジンはトレーナーからお褒めの言葉を頂戴すると同時に「おおむね問題なしだが集中し過ぎて周りが見えていなかったのは減点」とぐうの音も出ない指摘をされる。

 

「没入するならいっそ周囲のことなんて目に入らないくらいに没入すべきですね。後ろから突っ込まれたからスパートをかけるのではなく、きちんと自分の体力と現在地を把握して、自分のタイミングでスパートをかけてください」

 

「はーい……でも、勝ったんだぁ……」

 

「えぇ、それはもちろん。文句なしの勝利でした」

 

 事実、網がレース前に言ったとおり、他のウマ娘は敵にもならなかった。アイネスフウジンとそれ以外、そんなレースの様相はかつてのマルゼンスキーを彷彿とさせるものだった。

 メジロ家のライアンとマックイーン。その2人を中心に動くと思われていた世代に現れた旋風。それが今のアイネスフウジンに抱かれているイメージだった。

 レース後に喜びもせずストレッチを始めたのもそれを後押ししていた。本人は混乱していただけだったのだが、ストイックに見られたらしい。

 

「あの、申し訳ありません。今お時間大丈夫でしょうか?」

 

 地下バ道、その中途で話していた2人に話しかける者がいた。その顔に見覚えこそなかったものの、風貌を見れば網はもちろんアイネスフウジンでも十分に素性を推測できた。

 

「私、月刊トゥインクルの乙名史と申します。もしよろしければインタビューをさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 乙名史と名乗った記者の他にも、数人の記者がインタビューを申し出た。慣れないことに固まるアイネスフウジンを庇うように、網が前に出て矢面に立つ。

 

「アイネスフウジンのトレーナーの網と申します。アイネスフウジンは少々不慣れでして私が対応させていただきますが、よろしいでしょうか?」

 

「はい、それで大丈夫です。ありがとうございます。いやぁ、それにしても素晴らしい走りでした!」

 

 流れるように語りだした乙名史にアイネスフウジンは面食らい、網は半ば聞き流しながら相槌を打つ。一通り語って満足した乙名史は、一息ついてから質問を始めた。

 

「アイネスフウジンさんは1600mを走り終えてもまだ余裕がありそうですが、このままマイル路線に進むおつもりですか? それとも、スタミナを強化して中長距離2400mのオークスを含むティアラ路線まで見据えていますか?」

 

「次走はデイリー杯ジュニアステークス、そのまま朝日杯へ進むことを予定しています」

 

 乙名史の質問にそのまま答えることはなく、少しずれた答えをしかし明確に答えた。「マイル路線に行くのか」と言う問いに対して「次はマイルのGⅡ、その次はGⅠを走る」と答えれば、自然と思考は「マイル路線に行くのだな」と予想する。

 網は日本ダービーを見据えていたが、そのことを明かすつもりがないから遠回しに誤魔化したのだ。

 乙名史がその答えで満足すると、ついで別の男性記者がおずおずと手を挙げた。

 

駿女(しゅんめ)の高橋です。あの……たいへん申し上げにくいのですが、網さんがその……アイネスフウジンさんを脅して契約したのではないかという噂がありまして……」

 

「ち、違うなの!」

 

 その言葉を聞いて、反射的にアイネスフウジンは声を上げた。その誤解は自分が原因だ。自分が変に怖がったりしたから……あれ? いや普通に脅してたよねあの言い回しは? あれ?

 声を出してから改めて思い返して、アイネスフウジンは思考の迷路に迷い込んだ。実際、網には脅しているつもりは毛ほどもなかったが、あの場は確実に網の言い方が悪かった。

 固まってしまったアイネスフウジンの代わりに網が対応を始める。幸い、アイネスフウジンが反射的に返答したおかげで事実と違うということは記者にも伝わっていた。

 

「私、こんな風貌ですから、誤解を受けやすいんです。現在は改善していますが、アイネスフウジンが脚部不安だったことは事実ですし、その改善を契約の条件として提示しましたが、契約自体は両者同意の上で結んでいます。こちら、アイネスフウジンの当時の診断書です」

 

「あぁ、これはどうも……」

 

 質問してきた記者は診断書を見て、その発行元を見て息が詰まった。

 点十字病院。かつて『第三のウマ娘』と呼ばれたウマ娘が友を亡くした無念をきっかけに、自らの賞金の大半を出資して興された病院であり、現在この界隈に限れば最も権威のある病院である。

 本院ではなく分院のひとつではあったが、それでも十分信用に足る権威があった。ちなみにアイネスフウジンは診断書を取っていると知らなかったためそちらに驚いていた。

 

「大変失礼いたしました……!」

 

「いえいえ、こんな顔に生まれたほうが悪いんですよ、ははは」

 

 顔だけのせいじゃない。乙名史以外の全員が思ったが口には出せなかった。

 

「いやぁ、そうそう脚部不安、脚部不安についてなんですけども……」

 

 発せられたそのねっとりとした声音に、思わずアイネスフウジンは警戒をあらわにした。

 目を向けた先で、恰幅のいい中年記者が不気味な笑みを浮かべていた。



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即堕ちガマガエル

 声を発したのは中年の記者だった。よれたスーツに恰幅のいい体、イボの多い顔は唇が厚く、前髪は後退している、眼鏡の奥の目はじっとりと湿っていて、一言で言えばガマガエルのような風体をしている。

 

「月刊ターフの蒲江と申しますけども、脚部不安であったウマ娘にわざわざ大差をつけさせることはなかったんじゃあないですかな? しかも、わざわざ、脚に負担がかかりやすい逃げで」

 

 言いがかりのような質問に抗議しようとしたアイネスフウジンを網が押さえる。

 

「もしも脚部不安が改善していなかったらどうするおつもりです? そうでなくとも再発するかもしれない。ウマ娘の脚はひとつの財産です。それが失われた時、あなたは責任を取れますか?」

 

「責任ですか……」

 

「えぇ、そうですとも。リスクを承知で力を誇示することを指示したんですから、当然責任を取るつもりもあるんですよね?」

 

 ある種、卑怯な質問だ。気づかずに「責任を取るつもりだ」とでも答えれば、その手前の部分を切り取って「脚部不安の疑いが残るウマ娘に危険な指示をした」と報道するだろう。

 それなりに場数を踏んでいれば引っかからないが、経験の浅い新人トレーナー相手に、蒲江はこの手で何度もそういう記事を書いてきた。

 もし気づかれても「あぁこれは失礼」とでも言って誤魔化し、「で、責任は取れるんですね?」と質問を続けることで抗議の隙を潰すつもりでいた。

 胡散臭いが人の良さそうな網の対応を見て、いけると思ったのだろうし、今までもその判断で成功してきた。しかし、今回に限っては相手が悪かった。

 

「ははは、いやだなぁ。どうやら、月刊ターフさんの記者というのは冗談がお好きなようだ。わざわざ大差、力を誇示、ですか……ふふ、あの程度(・・・・)で……」

 

 記者からは苦笑に見えたであろう網の笑みは、アイネスフウジンには舌なめずりに見えた。

 

「まずひとつ。私はアイネスフウジンに『指導内容をひとつずつ確認するために流してこい』と指示しましてね。全力とは程遠いですし、大差は言うならば結果としてついてしまった(・・・・・・・・・・・・)に過ぎないのですよ」

 

 この発言に驚いている記者もいたが、乙名史含め全力を出していないことに気づいている記者もいた。蒲江も引っ掛けようとしただけで後者だ。

 引っかからなかったかと内心舌打ちをしながら、蒲江はそれを表情には出さずに続ける。

 

「これは失礼しました。いやぁ他のウマ娘を赤子扱いでしたからてっきり……それで、責任を取るつもりはおありだったんですか? 決して全力でなかったとしても再発の可能性はあったでしょう」

 

「いえいえ、それこそ、中央トレーナーB種免許を持つ者として責任を持って『可能性はなかった』と断言しましょう」

 

 この発言には皆が面食らった。B種免許は通常のトレーナー業務に加え、故障や脚部不安の有無について正式に診断を下し、一部の医療行為を行う資格を持つ者に与えられる免許である。

 名門の出ならまだしも、ただの資産家の生まれである網が取得していることは想定していなかったのだろう。

 当然、可能性がゼロなどと断言はできないのだが、網はその肩書を盾に注意を向けハッタリを押し通した。

 そして、網はまだ足りないというかのように追撃する。

 

「ところで月刊ターフさん! 先程ウマ娘の脚は財産だとおっしゃっておりました。えぇその通りです。でしたら、あなたの発言でうちのウマ娘が走れなくなったら当然責任を取るおつもりだったのでしょうね?」

 

「……は?」

 

 その返しが予想外だったのか、蒲江は呆けたように声を漏らす。あまりにも詰めが甘い。弱者ばかりを食い物にしていたために、弱者に擬態していた者からの反撃に慣れていないがゆえに晒した無様である。

 そしてその隙を網は逃さない。

 

「だってそうでしょう? あなたは月刊ターフ……失礼、創刊からどれほどかは承知しておりませんけども、タイトルから察するにウマ娘を専門とした記事を書いていらっしゃる。それほどの方がウマ娘相手に『君は脚部不安で故障するかもしれない』とおっしゃった。それがウマ娘の心身にどれほどの影響力を持つことか……B種免許を持つ私でもそう声をかけるときは非常に気を使いました。あぁもちろんここまで録音させていただいておりますので言い逃れは結構。ウマ娘にとってそれはそれこそ死刑宣告に等しい一言……レース中に故障すれば命を落としかねないのですから、走ることに恐怖を覚えるかもしれません……そのくらいは承知の上で、自らの発言に責任を持っておっしゃられたのですよね!? 月刊タァーフさん!!」

 

 まくし立てる網には先程までの愛想の良さは残っていない。慇懃な口調こそ残しているが、その声色から察せられるのはあまりに嗜虐的な色である。

 網の身長は高い。背の割に痩身ではあるが、188cmの上背から見下された蒲江はまさに蛇に睨まれた蛙の様相である。

 

「そ、そんなつもりは……」

 

「そんなつもりはない!? ほぉう! 言葉を扱うことを生業としているあなたが!! 自らの発言で与えるであろう影響について考えず、軽はずみにあのような言葉を投げかけたと!?」

 

「う……あ……」

 

「先程の問いにお答えしましょう、責任を持つ覚悟、無論ありますとも! ウマ娘の人生を預かる者として、自らの人生で(もっ)てそれに応えるのがトレーナーとしての責任です!」

 

「素 晴 ら し い !!」

 

 収拾がつかなくなるかと思われたその時、会話に割り込む形で声をあげたのは乙名史だった。

 ギョッとして身を引く網。その隙をついてほうほうの体で逃げ出す蒲江。ヒートアップする乙名史。

 結局乙名史は数分間、トレーナーとウマ娘との絆、ウマ娘に対するトレーナーの心構えを語り倒し、網とアイネスフウジンを称賛すると駆けつけた上司に引きずられて帰っていった。

 嵐のようなインタビューが終わりアイネスフウジンの魂が上の空から帰ってきたのは、網の運転する車の中、あと少しでトレセン学園に着くというところだった。

 

 沈黙。

 網にしてみれば、特段本性を隠していたつもりはなかった。大人として当たり前のよそ行きの自分。胡散臭さはどうにもならないが、それでも人当たりがいいほうがマシな印象を与える。

 しかし、この悪癖だけは昔からどうにもならない。揚げ足を取り、重箱の隅をつつき、引っ掛け、煽る。物心ついた頃から汚らしい建前と醜い嫌味や当てこすりに塗れた上流階級の社交場に身を置いていたが故に生まれた嗜虐趣味。

 不幸中の幸いであったのは、彼がそれに嫌悪感を覚えたことだろう。潔癖さ故の嫌悪と一抹の良心が彼に歯止めをかけていた。

 しかしその(たが)は、悪意(どうるい)と相対することで容易に外れてしまう。正当な反撃という大義名分を得ることで、溜まっていた鬱憤とともに濁流のように流れ出す。

 

「……トレーナー」

 

「……なんでしょう」

 

 平静を取り繕う網の声は強張っていた。トレーナーとウマ娘の間の信頼関係は何より重要視される。それこそ、生まれ持ったどの才能よりも、培ってきたどの努力よりも。

 だからこそ自分の醜さを、隠してはいなかったがだからといって見せたくもなかった。網自身と正反対の、裕福でこそないが家族と良き隣人の愛情に恵まれて生きてきたことが容易に推測できる少女の前では。

 

「……あの記者、逃げる時にズボンのお尻破けてたの」

 

「ブボッフ!!」

 

 予想外の一撃で気管支に多大なダメージを受けた網は、すぐさま車を路肩に止めてハザードを焚いた。

 何度か大きく咳き込み、ドリンクホルダーのお茶を飲んで呼吸を落ち着けるのを、アイネスフウジンはただ静かに待っていた。

 

「あと、大声出すときは先に合図してほしいの。耳が痛いの」

 

「あぁ、それは失礼……それだけ、ですか?」

 

「別に! あのくらいのおイタで目くじら立ててたら長女はやっていけないなの!」

 

 あまりにもあっけらかんとしたアイネスフウジンの言い分に虚を突かれた網とは対照的に、アイネスフウジンは「汗が臭っちゃうから早く帰りたいの〜」などと若干顔を赤らめながら呑気に言っている。

 決して無関心というわけではない。しかしまるっきり気遣っているが故の言でもないのだろう。ただ、受け入れた。そう考えるのが一番それらしい。

 

「……いいんですかそれで……こんな性悪、いつか貴女を食い物にするかもしれませんよ?」

 

「そんな悪人は『教え子に手なんか出さない』って声を荒らげてまで反論しないの」

 

「……聞いていたんですか」

 

「『手なんか出してない』から『爛れて死ね』まで聞いてたなの」

 

「全部じゃねぇかよぉ……」

 

 気が抜けた網はハンドルに突っ伏して項垂れる。アイネスフウジンが許容したのだからそれでいいはずなのだ。むしろ今までより関係は良くなるだろう。それでも、今の滑稽な自分を客観視する余裕が、網の自尊心にはなかった。

 

「あ、でもひとつお願いなの」

 

「合図と合わせてふたつ目ですが……?」

 

「さっきのは指示なの。お願いは、あたしの前では敬語じゃないほうがいいの」

 

 網はなんとなく、アイネスフウジンがそう言うであろうことを予期していた。半年以上の付き合いになるのだから、アイネスフウジンの性格はおおよそ把握できている。

 過剰に慇懃に、ビジネスライクに接せられるよりも、多少荒っぽくてもフレンドリーな方がいいのだろう。網は深く溜息をつきガシガシと頭を掻いた。

 

「……人前ではやらねぇぞ」

 

「それでよしなの!」

 

 屈託なく笑うアイネスフウジンに、眩しそうに目を細めた網は眼鏡を拭き、ハザードランプを切った。

 

「おら、汗臭えから帰んぞ」

 

「あー! セクハラなのー!」

 

「10年はえーよ」

 

 笑い合う2人の間にしがらみはもうない。

 その後、見事に門限を過ぎてしまい寮長のヒシアマゾンに2人揃って叱られることになるのであった。




月刊タァ↑ーフさん


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白刃、練体、紅玉、哄駆。或いは好敵手たち。

※当小説内でのダイイチルビー、ケイエスミラクルは実装発表前に作者オリジナルキャラクターとして書かれたウマ娘です。
 一人称、口調など修正しましたが、性格や言動などに違和感が残るものになっています。ご了承ください。


 どんより。

 そんな擬音がまさに似合うと言った空気が、中央トレセン学園のとある教室、その一角に展開されていた。その席に座っているのは、当たり前ではあるがトレセン学園の制服に身を包んだウマ娘である。

 長い芦毛を襟首で結んで背中に流し、木綿の鉢巻を締めたウマ娘。両肘を机につき、手の甲に口元を埋める彼女の目つきはギラギラと鋭く光っている。

 

 元々目つきが悪い方ではあった。何が不機嫌なのか、今の彼女は普段のそれを大きく上回る、触れるもの皆傷つけるような危うさがある。

 周りのウマ娘も、今までの生活で触れてきた彼女の人格を鑑みれば、無闇矢鱈と人を傷つけるようなことはしないとわかっていても、本能的な恐怖が先に来るようで、彼女の周りには空白ができていた。

 そんな彼女に遂に声をかけたのは、教室に入ってきたばかりの彼女の友人たちであった。

 

「ちょっ、ハクタイセイ大丈夫!? ダイエット中のマックイーンみたいになってるけど!?」

 

「何かあったのー?」

 

「……ライアン殿……アイネス殿……」

 

 そのウマ娘――ハクタイセイは、絞り出すようにか細い声を返す。普段の凛とした彼女とはかけ離れた雰囲気だ。

 アイネスフウジンのメイクデビューから数日後、ハクタイセイもメイクデビューに挑んでいる。メジロライアンはアイネスフウジンよりも先にメイクデビューを終えているので、この3人は既に全員がメイクデビューを迎えていることになる。

 生憎、アイネスフウジンはバイトのシフトが入っていたためにハクタイセイのメイクデビューを見に行くことはできなかったが、URA公式アプリの出バ表を見る限り、ハクタイセイもメイクデビューを勝ち抜いたはずだ。

 

「レースの内容に不満でもあった?」

 

「も、もしかして、故障とか……?」

 

 2人の言葉にハクタイセイは弱々しく首を振る。そして、弱々しい声で一言「パドック……」とだけ返した。

 パドック。準備運動のための周回レーンと中央にあるランウェイで、ファンたちに自分の調子をアピールする場のことだ。

 このパドックでの様子を見て、ファンたちはウイニングライブをできる限りいい席で見るべく1着を予想して、あるいは単に推しだからという理由でチケットを購入する。

 そんなパドック。要するにお披露目台であるが、何かあったのだろうかと、アイネスフウジンはウマチューブを開いてハクタイセイのメイクデビューのパドック映像を調べ始める。

 そして、すぐにそうとわかるタイトルの動画が出てきた。

 

「『【悲報】オグリファン芦毛ウマ娘、パドックでスベり怒りの大差勝ち』」

 

 無慈悲なアイネスフウジンによるタイトル読み上げにより、ハクタイセイの体がビクンと大きく跳ねる。

 再生された動画に映っていたのは、上着のジャージを纏ったハクタイセイ。その目は鋭く観客を向いており、仕上がりは上々に見える。

 そして数秒後、ハクタイセイは羽織っていた上着を勢いよく脱ぐと、その場に力強く叩きつけた。ビターンと音をたてるがごとく。

 

 ハクタイセイには心から尊敬するウマ娘が3人いる。

 ひとりはハクタイセイの師である、『日本の』とさえ呼ばれたアイドルガール、ハイセイコー。

 ひとりは恵まれない生まれながら不屈の闘志で這い上がり、有終の美を飾ってみせた『白い稲妻』、風か光かタマモクロス。

 そしてもうひとり、地方からやってきて中央を震撼させた、今の日本で知らない者はいないだろう『芦毛の怪物』オグリキャップ。

 縁深い自らの師とは別に、日本ウマ娘業界に蔓延る論説、「芦毛のウマ娘は走らない」という呪いから自らを解き放ってくれた芦毛のふたりを、ハクタイセイは尊敬、いやさ崇拝、或いは信仰していた。

 

 問題のシーン(上着ビターン)は、オグリキャップの中央移籍後初レースであるペガサスステークスのパドックでの一幕。それをオマージュした形になる。

 自らも芦毛の先達に続き、芦毛への偏見を払拭してみせる。あるいは偉大なる先達に恥じぬ走りを見せる。そんな決意を籠めたアピールだった。

 の、だが。オグリキャップ自身の知名度は高くとも、GⅢのパドックの出来事である。言ってしまえば、マニアック過ぎてわかる者が少なかった。

 わかる者はわかる者で「ほう、あいつなかなか分かってるじゃないか」と勝手に納得して騒ぎ立てたりはしないので、パドック現地はただただ沈黙が降りてしまった。

 故に、スベった。

 

 映像のハクタイセイは渾身のドヤ顔を観客に向け、その雰囲気を察するごとに若干表情がひきつり、やや速歩きでパドックを後にした。

 そしてシーンが変わり、映されたのはゲートが開いた直後に大逃げを始めるハクタイセイの姿。ハクタイセイの得意脚質は王道の好位追走、つまりは先行である。

 解説の「掛かってしまっているようですね。一息つけるといいんですが」の声が現状を正しく表していた。

 その結果、大差での勝利にはなったが、代償としてスタミナを使い尽くしグッタリと倒れ込むハクタイセイの姿が映されて、動画は終わった。

 

 動画を見ていたアイネスフウジンとメジロライアンの視線がハクタイセイに戻る。あるいはやり取りに耳を傾けていたクラスメイトたちの視線がハクタイセイに集まる。ハクタイセイの目は据わっていた。

 

「オグリキャップ殿を模倣しておいて大衆の前で無様を晒す……あまりにも……あまりにも生き恥……師の顔に泥を塗る蛮行……」

 

 拙い。その後の展開を覚ったクラスメイトたちが身構える。比較的ハクタイセイに近いが故にいつでも押さえられるようにする者。極力関わらないように後列に引っ込む者。ウマホを取り出す者。

 

「……っ! 私は恥ずかしいっ!!」

 

 それはそうだろう。そんな感想が心中で一致したクラスメイトたちの見ている前で、ハクタイセイは椅子から崩れ落ちたかと思ったら、その場で正座をした。

 勢いよく制服のトップスを脱ぎ捨てると、女子高生にしては簡素なブラに包まれたバストがあらわになる。当然ヒトオスはこの場にいないので、そんなサービスシーンに興奮する者も僅かだ。

 

「到底生きていられんっ!!」

 

 ハクタイセイが慣れた手付きでカバンの外ポケットから取り出したのは、彫刻用の小刀であった。

 ハクタイセイは小刀の鞘を素早く抜き放ち、刃先を自らの白く滑らかな腹部に向ける。

 

「かくなる上は命で以て(あがな)う他なしっ!!」

 

「確保オォォーッ!!」

 

 それを合図にハクタイセイを拘束するクラスメイトたちの手付きは手慣れていた。いつものことなのだ。

 

「放せ!!」

 

「放すわけないだろアホ侍!!」

 

「誰か刃物! 刃物()って!! 写真じゃなくて!!」

 

「後であんたらのウマスタとウマッターチェックするからね!! これあがってたらマジ往復ビンタね!!」

 

「ライアンさぁん!! 早くっ、そんな保たない!! なんで死に向かってそんな毎度アグレッシブになれるのこの娘ぉ!!」

 

 (とてもやかましい)

 漢字の成り立ちがよくわかる光景である。

 結局いつものように、メジロライアンによるアームバー*1が炸裂して事態は終息に向かう。

 

「ぐあああああああ!!」

 

「今だ!! 刃物取れ!! だから写真じゃねえって!!」

 

「待って!! ライアンさんプロレス技かけて恍惚としないで!!」

 

「はっ! ごめん、筋肉が喜んでたから……」

 

「これだからメジロ家は!!」

 

「死ぬ! 死んじゃう!!」

 

「いや死のうとしてたんでしょアンタ」

 

☆★☆

 

「……騒がしいですね……私、抗議しに行って参ります」

 

「ハハ、元気があるのはいいことだよ、ルビー」

 

「それでも限度があります……!」

 

 そんな大立ち回りが演じられているアイネスフウジンたちの教室の直下。保健室でふたりのウマ娘が話していた。

 片や黒鹿毛を2本の縦ロール――ツインドリルではなく横髪をロールするタイプである――にセットしたウマ娘。長く伸ばした後ろ髪のサイドは三つ編みの編み込みがあり、結び目にはルビーの髪飾り。左耳につけた耳飾りは赤と黄の薔薇をあしらったコサージュになっており、後頭部に結んだ大きな赤リボンが目立っている。

 もうひとりは弱々しくベッドの上で体を起こしている、水色の短髪のウマ娘。右耳に青いラインが入った黄色い耳カバーが特徴的だ。

 

「ミラクルさんのお体に障ったら大変なんですよ? 一昨日もまた高熱を出したと聞きましたし……」

 

「父さんもルビーも大袈裟だよ。おれにはこのくらいいつもの事なんだから……」

 

「ミラクルさんが呑気すぎるんです……! 皆さんに恩返しするのでしょう? 私だってミラクルさんがいなくなったら……」

 

「ウェーイ! お嬢たちいるー?」

 

 ガラガラと扉が開かれるや否やテンアゲ盛り盛りな声が聞こえたと同時に、赤リボンのウマ娘の顔から表情が抜けた。

 そして現れたテンションの高い、青いエクステ混じりの黒鹿毛に対してアイアンクローをかけ始めた。

 

「あだだだだだだだぁ! やっべ、マジパない!! ガチの痛みでつらたにえんなんだけど!?」

 

「ミラクルさんが休んでらっしゃるんです。少し静かにしていただけませんか……?」

 

「あはは、ルビーとヘリオスは仲がいいなぁ!」

 

 ダイイチルビー、ケイエスミラクル、ダイタクヘリオス。保健室の常連客たちである。もっとも、本当の意味で保健室を利用するのはケイエスミラクルのみで、ダイイチルビーはその付き添い、ダイタクヘリオスはそんなダイイチルビーを追いかけてやってくるのだが。

 病弱で倒れがちなケイエスミラクルを一度助けたのをきっかけに、何が琴線に触れたのかケイエスミラクルの世話を焼き続けるダイイチルビーと、そんなダイイチルビーを気に入ってちょっかいをかけ続けるダイタクヘリオス。

 3人ともに同学年ではあるが、ダイタクヘリオスとダイイチルビーは既にメイクデビューを終えており、ケイエスミラクルだけは体調の問題で来年デビューとなる。

 マイル〜スプリントという短距離路線を争うライバルたちである。

 

「まったく……それで、なんの用事ですか?」

 

「……へ? 用事?」

 

「お帰りはあちらです」

 

「うぃ〜〜〜〜」

 

 今日もお嬢様はつれない。促されれば特に文句も言わず帰るダイタクヘリオスを見送って、保健室の扉が閉まる。

 ケイエスミラクルとの時間を邪魔されて憤懣やるかたないダイイチルビーと、それを微笑ましそうに見守るケイエスミラクル。なんだかんだ言いながら、これで成り立っている3人である。

 

 一方のダイタクヘリオスはその日の放課後、ある一軒家に来ていた。

 その家の主である女性はダイタクヘリオスの姿を認めると、「いつもありがとうね」などと声をかけて中へ招き入れる。

 女性に手土産を渡して向かうのは2階の一室。部屋の中には、流星のある栗毛のウマ娘がひとり、ベッドの上に腰掛けていた。その左足には、鈍重なギプスがついている。

 

「……いやぁ、治らんねぇ、ゼンちゃんのイップス*2

 

「心の持ちよう、というのは分かっているのだけれどね……」

 

 栗毛の彼女は既にレースを引退した身だ。その原因は正真正銘左足の故障。現在は身体的には完治したはずなのだが、左足は未だに痛みを訴えてきている。

 最大のライバルとされたあのウマ娘へ仕掛けてしまった斜行が原因か、あるいはその次のレースで受けた体当たりが原因か。それとも他に原因があるのか、彼女は心に傷を負って、未だ癒えていない。

 厄介なのはその心の傷が表面的には本人にすらわからないことであり、目下その原因の最有力とされている相手には様々な理由で会えていない。

 

「彼女も忙しいから……」

 

「ゼンちゃん、マジお人好し過ぎんよ……ま、なんかあったらウチも協力するからさ! のんびりいくしかないっしょ!」

 

 彼女はダイタクヘリオスの姉貴分のような存在だった。昔から色々と世話を焼いてもらい、ダイタクヘリオス自身も彼女のことを慕っている。

 だからこそ、彼女の現状に納得いっていない。確かにあのクラシック戦線で、彼女はどうやっても二番手にしかなれなかったかもしれない。

 しかしあとから分かったこととはいえ、彼女にはスプリンター、マイラーの資質があった。故障さえ、イップスさえなければ、マイルの天才として『マイルの皇帝』と対等に渡り合ったかもしれない。

 現実はそうならなかったと分かっていても、そう思わずにいられない。

 

 ふと、栗毛の彼女がベッドサイドにあるラックに並べられた写真立てを眺めていた。彼女は時折、在りし日を眺めるようにそうする。

 ダイタクヘリオスも同じようにそれを見る。その瞳には彼女らしからぬ剣呑さが宿っていた。

 

「ルナ……私は……」

 

 そう呟く姉貴分の前に、いつかあの『皇帝』を落日させて引きずり降ろす。そう心に誓い、太陽は今日も輝く。忘れてはならない。闇を照らす太陽の表面は、いつだってグラグラと煮えたっているのだ。

*1
腕ひしぎ十字固め。

*2
精神的要因で発症するスランプの一種。硬直や幻痛などの症状が現れる。



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朝日杯と青髪買いで韻が踏める

 時は進み、アイネスフウジンにとって初のGⅠタイトルである朝日杯フューチュリティステークス出走前。

 

 メイクデビュー勝利から非重賞を挟まずいきなり送り出されたGⅡのデイリー杯ジュニアステークスでは、スタート直後から同学年のマイラーであるダイタクヘリオスとハナを奪い合うことになったが、淀の登りで脚力に物を言わせ突き放し、再びの大差勝ちを演じた。

 網はアイネスフウジンに対して「理想的な勝ち方ではあるが、大逃げしてくる相手に対して無理にハナを取りに行かなくていい。全体のペースを握らなくても勝てる相手に対してハナを取るのはあくまで結果であり、まず自分のペースで走ること」と指摘したが、それと同時に「ダイタクヘリオスは要注意だな。あれは伸びる」と警戒していた。

 アイネスフウジンは結局日本ダービーにこそ出るが基本はマイル路線、長くても2200m程度までに留めるつもりであり、マイラーであるダイタクヘリオスは、これからしのぎを削るライバルとなるだろうと網は予想していた。

 なお、ダイタクヘリオスはそのレースでは10人中4着とまた微妙な入着を果たしたのであるが。

 

 そして、GⅠ。本来なら個々の希望したイメージを参考に作られるオリジナルの勝負服を着用する最も格の高いレースではあるが、ジュニアオンリーである朝日杯においてはまだ発注した勝負服が完成しておらず、みなトレセン学園から配布される汎用勝負服を着用している。

 オリジナル勝負服はもちろん、この汎用勝負服も子ウマ娘や地方トレセンの学生にしてみれば憧れの品である。汎用勝負服を模した子供服を着た我が子に「将来は中央所属か?」などと言うのが父親の定番親バカ発言となっているほどだ。

 また、オリジナル勝負服を作って汎用勝負服が不要になったウマ娘が小遣い稼ぎにオークションサイトで売ったことがきっかけとなり、オリジナル勝負服が届いた際に汎用勝負服を学園に返却する義務が生じる制度となった。

 

『先週の阪神ジュベナイルフィリーズに引き続きジュニアウマ娘たちがクラシックシリーズへのスタートダッシュを決めるため集う朝日杯フューチュリティステークス、もうじきに発走となります。3番人気はこの娘、7枠12番サクラサエズリ。この評価は少し不満か、2番人気5枠9番カムイフジ。そして1番人気、メイクデビューからいきなりデイリー杯へコマを進め、そのどちらも大差での勝利を刻んできた5枠8番アイネスフウジン』

 

 他のゲートから漂ってくるピリッとした敵意に、アイネスフウジンは冷や汗をかく。体のボルテージが嫌でも上がっていく。

 目の前の鉄扉に全ての意識を注ぎ込み、周囲からのヒリつく空気を意識的に遮断する。ただ、ひとりの走りに没入しきる。

 

 結果、そのふたりがゲートから飛び出したのはほぼ同時だった。外枠の不利を埋めるため、サクラサエズリが走行妨害と判定されないよう慎重に内ラチへと斜行する。

 力強い踏み込みは、あるいは先頭争いを制するだけの力がある。アイネスフウジンに網というトレーナーがいなければ、競り合いでの体力消費を嫌って先行策に甘んじただろう。

 しかし、今ここにいるアイネスフウジンは、網の指導によって底上げされたスタミナがある。得意な1600mと言ってもGⅠ、油断できない以上ペースを握りたいアイネスフウジンが加速する。

 

『サクラサエズリ、ここでハナを譲りアイネスフウジンの後ろに張り付きます! その後ろ、アラカイセイ、ヘイセイトミオー、クロスキャストと続きます! ホワイトストーンは最後方、出遅れてしまいましたここから上がってこられるか!?』

 

 朝日杯は中山の1600m*1という非常にトリッキーなコースだ。

 その特徴はなんと言っても円形に近いコース形状と最終直線直前まで続く下り坂、そして最終直線に待ち受ける急な登りだろう。また、最終直線手前にある鋭いカーブも忘れてはならない。

 円形に近いが故に内枠と外枠ではあからさまなまでに走行距離に差が出る。もし外側を長く続く下り坂のハイペースで走らされれば、あっという間にスタミナは底をつく。だからハナを切って内々を走る。

 そして当然、それほどのハイペースで走っていれば最終コーナーで大きく膨らむこととなる。それ故に、淀の下りほどではないがスピードを緩める必要がある。しかし。

 

『アイネスフウジン! これは速い! 脚を緩めることなく中山の下りを駆け下りていく!!』

 

『これまでのレースでも、逃げのセオリーであるローペースにコントロールしての体力温存ではなく、ハイペースのスタミナ勝負を押し付ける力押しのレースを見せてきました。スタミナに相当な自信があるのでしょう』

 

『しかし、この調子で中山ラストの急坂を登る脚が残るのか!? いやそれ以前に、直線前のヘアピンコーナーを曲がりきれるのか!?』

 

(コーナーはわからない……でもこの人は、坂はものともしない……!!)

 

 アイネスフウジンに追いすがりながら、サクラサエズリは考える。今年はメジロ。そう言われながらも、彼女の所属するサクラ家はそんな下馬評を覆そうと研究を重ねていた。

 昨年はサクラチヨノオーがダービーを制し、スプリントの覇者となる資質を持つ異端児(バクシンオー)も順調に育っている。だからといって今年を諦める理由にはならない。それはメジロ以外のどの名門も思っていたことだろう。

 サクラサエズリにしてみれば、はじめからティアラ路線を進むと決めていた自分に対して「せめてティアラでサクラの名を」と言ってきたのには苛ついたが。

 

 そんな中で寒門から突如現れた、世代を引っ掻き回す暴風。アイネスフウジン。阪神JFではなく朝日杯を選んだのなら、ティアラ路線には来ないだろう。しかしそういう問題ではない。

 かつて「30秒で描いた絵にこんな高値をつけるのか」と問うた客に「30年と30秒だ」と答えた画家がいたと言う。それに(なぞら)えて言うのならば。

 

(サクラ家(こっち)は30年走ってるんだ!! そう簡単に負けてたまるか!!)

 

 静かに燃えながら、サクラサエズリはそれでも冷静に脚を溜める。アイネスフウジンから離されすぎない程度に、下り坂と体重移動を利用して脚を残し、短い最終直線で差し切る。

 しかし既にスリップストリームを利用できないほどの距離がついてしまっている。となればサクラサエズリの狙いはひとつ。最終コーナー、膨らんだアイネスフウジンの内を突いて距離を詰める。

 そして最終コーナー。その差は縮まらなかった。

 

『あ、アイネスフウジン! ほとんど速度を落とさず、コーナーを曲がりきりました!!』

 

(最短距離は意識しない。曲がる方向の肩を前に出す感覚で、前へ、前へ、前へ!!)

 

 かかる遠心力を軽減しながら、ほとんど膨らまずにコーナーを曲がりきったアイネスフウジンは、そのままトップスピードで登り坂へ入る。

 それを見たサクラサエズリもコーナーを曲がりスパートに入る。一瞬でも、同じ路線に進むことがないことに安堵してしまった自分を叱咤しながら。

 しかし、登り坂によって削られるスピードの差が、アイネスフウジンとサクラサエズリとの距離となってはっきりと現れる。

 

 こうして、アイネスフウジンは3度目の大差で初のGⅠを制した。

 

☆★☆

 

「上出来」

 

 ウイニングライブを終えて身支度を整えたアイネスフウジンに、すっかり彼女の前では被っていた猫を脱ぎ捨てた網が声をかける。

 

「強いて言うなら大差にしたところだな。僅差で勝つのが怖かった(・・・・・・・・・・・)か? 突き放して余裕が欲しかった」

 

「あはは……後ろの娘がすごい鬼気迫ってきてたの」

 

「名門のプライドってやつかね。あんだけ走って今後の脚が残ってりゃいいが……」

 

 レース場を出て駐車場へ行く途中のことだった。アイネスフウジンがウマ娘の鋭い聴覚で、自分たちに駆け寄ってくる足音に気がついて歩を止めた。

 それにあわせて網も止まり、アイネスフウジンが向いた方に視線を向ける。その方向から、何やら目が痛くなる色彩の娘がたったか(・・・・)走ってきて、自分たちの前で止まった。

 その小柄な少女は息を荒らげながら、それでも興奮したような輝く瞳でアイネスフウジンを見上げる。憧れ、尊敬、そんなものが混ざった感情を真正面から叩きつけられ、アイネスフウジンは少したじろぐ。

 一方網は、そのあまりに目立つ髪色を中央トレセン学園で見たことがあると気づき、「へー、こんなあからさまにアホそうなのでも受かんのか、中央トレセン」などとド失礼なことを呑気に考えていた。

 そして、そんなアホそうな少女が口を開く。

 

「お前、ずっとすごいな! ターボもああやって勝ちたい! ビューっとぶっちぎりで一番で!」

 

 まくし立てるような賛辞はメイクデビューの時の乙名史記者を彷彿とさせるが、あの立て板に水なマシンガントークではなく、とにかく出てきた言葉を順番に並べ立てているだけという様子の少女は、自らの興奮を体全体で表している。なんとも微笑ましい光景だ。

 

 アイネスフウジンが少女の相手をしている間、網はこの青髪のウマ娘についてURA公式アプリで調べる。毛色からも検索できるのだが、稀にいるウマソウルの影響からか毛色が変わってしまっている娘には対応していない。

 最近有名なのは『硝子の令嬢』ことメジロアルダンだろう。遺伝子的には黒鹿毛のはずの彼女は、ウマソウルの影響で芦毛に近い青みがかった白に変わってしまっている。

 幸いなことに、アイネスフウジンがちょうど少女の名前を聞き出していたため、それを入力して直近のレースを確認する。どうやらまだ未デビューのようだが、選抜レースの動画があった。

 

(ツインターボ……なるほど、こりゃ愉快なのがいたもんだな)

 

 ここで網は考えを改めた。アホそうではない。アホだ。

 ツインターボが得意とする作戦は大逃げ、しかも同じ大逃げでもダイタクヘリオスのような、あくまで自分のペースを調整しスパートの脚を一切残さないというだけの大逃げとは違う。

 言うなれば、破滅逃げ。スタートから許す限りの燃料をエンジンに注ぎ続け、途中で尽きたらそれでおしまいという作戦も考えもなにもない、ある意味原初の走り。

 その行き着く究極形こそかの『狂気の逃げウマ娘』カブラヤオーだろう。とはいえ、ツインターボが「速度を緩めようとしない」のに対し、カブラヤオーは「速度を緩められない」のだが。

 そしてもう1つの違いは、カブラヤオーが日本ダービーを逃げ切るスタミナを保有していたのに対し、ツインターボは2000mでさえ運頼みであるということだ。

 しかし、それよりも、なによりも、網はツインターボに可能性を見出していた。

 

(こいつは化ける(・・・)ぞ……本人の根気次第だが、条件は揃ってる……)

 

 網は計算を始める。ウマ娘をふたり以上担当するには相応の実績が必要。担当がG1を3勝するか重賞を計20勝。後者はあまりにも遠い。

 しかし、前者ならあと2つ。走らせる予定の直近から言えばNHKマイル杯と日本ダービー。勝てれば揃うし、勝たせるつもりでいる。

 だから網

 

「なぁ、ツインターボ」

 

 悪魔の契約を切り出した。

 

「お前を勝たせてやろうか?」

*1
2014年まで。それ以降は阪神での開催。本小説では(都合よく)史実に準拠。



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人数が倍、仕事も倍

 結論から言えば、ツインターボのスカウトは成功した。それはもう呆気なく成功した。強いて言うなら、ツインターボに対していきなり敬語無しで話しかけたことにアイネスフウジンが不満を表したくらいか。

 網にしてみれば、こういうタイプ(アホ)は敬語を使うと単にわかりにくくなるだけで、ストレートな言葉の方が伝わるから非効率的だと判断しただけだ。

 

 スカウトに成功したとはいえ、まだ網は複数の担当を抱えることを許されるだけの実績がないため、NHKマイル杯と日本ダービーを勝ったあと、それまでは仮ということになったのだが。

 アイネスフウジンは「え? そんな条件でOKするの?」という顔をしていたが、ツインターボは二つ返事でOKしていた。

 恐らく何も考えていないのだろう。そうでもなければあと少しでメイクデビューが始まるというその直前の時期までトレーナーを得ずスカウトの予約を待つなんて恐ろしくてとてもできない。しかも口約束だ。

 

 ツインターボは教官による合同トレーニングのあと、自主トレの時間帯に抜け出して網たちのトレーニングに加わっている。

 網がアイネスフウジンにつきっきりにならなければならないのは技術的な指導だけなので、それなりの時間ツインターボに付き合ってやることができた。

 

「えええ!? 走らないの!?」

 

「お前の場合、走り方にも問題は多いがそれ以前の問題だ。スタミナがなさ過ぎる」

 

 網はまず、アイネスフウジンが遠泳をするプールサイドで、ツインターボが克服すべき課題について説明していた。

 わざわざ買ってきたスケッチブックに図を描いて説明するあたり、網も適当に相手をしているわけではないのがわかる。

 プールサイドでやる理由は、担当ウマ娘のトレーニングにおける安全管理もトレーナーの仕事であり、完全に目を離すことはできないからだ。

 

「体を動かす燃料には2種類の使い方がある。呼吸をして酸素を取り入れることで燃料を燃やす有酸素運動と、酸素を使わずに燃料を燃やす無酸素運動だ。スタミナが足りないとか体力が足りないと聞くと、この燃料が足りないように聞こえるが、ほとんどの場合は間違いだ」

 

「そうなの!?」

 

「ほとんどの場合はな。いいか、レース中に使うのは基本的に有酸素運動だ。スタミナが足りないっていうのは、この燃料を燃やすための酸素を取り込む能力が足りないという意味だ。この能力は心肺機能が強ければ高くなる。何故かわかるか?」

 

「えー? んー、心肺は心臓と肺でしょー? 酸素を取り込むってことは息を吸うってことだから、肺が強ければたくさん酸素が吸えるから?」

 

「半分正解だ。その酸素を血液に載せて全身に送り届けるために、血管とポンプである心臓の強さが必要なんだ。これが弱いと酸素が足りなくなり、燃料が燃やせない」

 

「あ、それじゃあ、もう一個の使えばいいんじゃない!? 酸素いらないやつ!」

 

「そう、実際体もそうしてる。だけど、無酸素運動は有酸素運動より短時間に出せるパワーが大きい分、有酸素運動に比べて遥かに疲れやすいんだ。だから長く運動するときは疲れにくい有酸素運動を多く使う。つまり?」

 

「えっとつまり、息を吸うのが足りないと疲れやすい使い方ばっかりになるからすぐに疲れるってこと? だから、息を吸う力を鍛えればいいんだ!」

 

Exactly(その通りでございます)!!」

 

 こうやって必要性を本人から引き出させ、アイネスフウジンと同じトレーニングに誘導することに成功した。

 ちなみにツインターボにとってのわかりやすさを優先させているため、網の説明も完璧に正しいとは言えない。

 それでも、ツインターボ自身の理解を深めるためというより、ツインターボ自身に納得(・・)させるために自分で考えさせて答えを出させるということを、網はできる限り心がけた。

 この先、長期的に指導するなら反発は少ないほうがいい。無理矢理やらせるより納得の上でやらせたほうが、はじめの手間はかかっても最終的な労力は遥かに軽減できる。特にツインターボのようなタイプ(ワガママなガキ)は。

 

「ん? でもそれなら走ってても鍛えられるんじゃないのか?」

 

「走ればその分、脚に負担がかかるだろ。脚に負担がかからないトレーニングがあるならそっちの方が得だ。練習で速く走れても本番のレースをあんまり走れないうちに引退とか嫌だろ?」

 

「それはヤダ!! わかった! ターボ頑張る!」

 

「走り方の指導も挟むからその時に思う存分走れ。お前の場合、走り方にも課題が山盛りだ」

 

 アイネスフウジンのアルバイト中は走り方のアドバイスが主だ。端的に言ってしまえば、ツインターボの走り方には無駄が多かった。

 ただでさえツインターボはピッチ走法であり、無酸素運動の比率が高いために疲れやすい。そこに無駄な動きが加わると一気に燃費が悪くなるのだ。

 その走り方こそ網が注目したポイントではあるのだが、諸刃の剣である以上しっかりと指導しないとデメリットしか現れない。

 アイネスフウジンにメイクデビューで確認させたような基本的な心構えを徹底的に教えこんだ。とはいえ、そんなに簡単に無駄を削れれば苦労などない。

 

「か、体、上下させない、着地、へぶっ!!?」

 

 案の定、脚が(もつ)れて転ぶ。襲歩(しゅうほ)*1ではなく駈歩(かけあし)*2程度の速さだから大事には至らない。何より網のケアが迅速かつ適切なのもある。

 

「ゔー……考えながら走るの難しい……」

 

「お前それレース全否定だぞ」

 

 逃げほど考えて走ってる脚質もない。ペースメーカーと呼ばれ、レース全体に働きかける力が最も強いのが逃げなのだ。

 それは大逃げも同様で、ペースメーカーとしての役割を放棄する代償に、スタミナ管理に関しては通常の逃げ以上に神経質にならざるを得ない。破滅と紙一重であり、その境界で踏み留まるだけのスタミナ管理ができるからこそ大逃げが成立するのだ。

 

 しかしツインターボはスタミナ管理などできない。常にエンジンを全開にして走る、それしかやらないのではなく、それしかできないのだ。

 何故ならレース中にものを考えられないから。それはマルチタスクが苦手ということでもあり、脳に回す酸素が足りないと言うことでもある。

 だから網はそれを補い破滅逃げのまま大逃げにする道を選んだ。ペースを考えずとも済むほどのスタミナをつけ、かつ消費するスタミナを削る。そうしてようやくツインターボはスタートラインに立てる。網はそう考えた。

 ツインターボの『走りの無駄を削るトレーニング』は二段階。今は考えなくて済む、体が覚えれば反射的に行える部分を反復練習で刻み込む作業。

 コーナリングのような少し考える必要がある部分は、もう少し全身持久力が向上し、脳に酸素が回るようになってからの二段回目の作業となる。

 

 網の仕事量は倍以上に増えた。アイネスフウジンが聞き分けがよく真面目で、飲み込みも早いためあまり手がかからないタイプだったのに対し、ツインターボは渋々でやらせると効率が一気に下がるうえに不器用だったからだ。

 アイネスフウジンのレースローテは既に決まっているので、それにあわせたカーボローディング*3の計算、トレーニング後のケア、基礎トレーニングの運動量調整、運動能力の計測と記録、仮想敵のデータ収集。そこにツインターボの技術指導とケアが加わる形になる。

 

 朝日杯から1週間、仕事量が増えた日々にもようやく慣れてきた頃。網はトレーニング後にアイネスフウジンから相談を持ちかけられていた。

 

「トレーナー、ちょっと聞きたいことがあるの。レースの賞金のことなんだけど……」

 

「あー……仕送りか? お前の場合」

 

 ウマ娘のレース賞金は一般的な成人の年収を上回るほど高い。それ故に一部のウマ娘を除いて多くのウマ娘は高額の賞金を得ると同時に銀行口座を2つ作り、管理を学園に委託する。

 片方はウマ娘が自由に引き出せる口座で、もう片方は引き出しに学園への申請が必要となる。当然、それぞれの口座に振り込まれる金額には差があり、まず賞金をウマ娘とトレーナーで分配し、それぞれ税金が引かれる。

 ウマ娘が受け取った賞金のうち、ひと月に最高15万円分が自由口座へ、残りが貯蓄口座へ振り込まれる。また、ウマ娘とトレーナーの分配比や自由口座へ振り込まれる金額上限は変更が可能だ。

 

「仕送りの場合、この他口座に送金っていうのがいいと思うんだけど、実際どうなの?」

 

「あー……言っておくが俺の担当はお前が初めてだから、経験則とかはあんまり役に立たないかもしれんが……まず、未成年の娘から仕送りを貰って素直に受け取る親はいない」

 

「ゔっ……」

 

「反応からするとなんとなく察してたみたいだな……まぁ世の中には子にたかる(・・・)親もいるが、お前のとこはそうじゃないだろ? そういう時は物納にすんだよ」

 

「物納?」

 

「直接金なんか渡すから生々しくなる。妹いるんだろ? 子供のウマ娘なんて手加減知らないから靴なんか消耗品だ。幼児用のシューズなんか贈ってやれば拒否したって行き場がないしお前本人は使えないし受け取るしかないだろ」

 

「な、なるほど……」

 

 アイネスフウジンは入学前のことを思い出す。自分も頻繁に買い替えていた記憶があるし、妹たちも相当数の靴を履き潰していた。

 レース選手のウマ娘がトレーニングで履き潰すのとは質が違う、手加減なしかつ無茶な制動で履き潰される幼児用のシューズは、男子小学生の傘、消しゴムと並ぶ消耗品であった。

 

「それから、学費の振り込みを貯蓄口座からにしとけばそっちから引き落とされる。今は親に出してもらってんだろ? あとは食い物だな、日持ちするようなやつ。それなら比較的向こうも受け取りやすいし。他には旅行券とか家族分贈ってやって休みにでも……って、そうだ。お前明日どうすんの?」

 

「明日……あぁ、クリスマス! それなら外泊許可を取ってあるから、家族と過ごすつもりなの」

 

 既にトレセン学園は冬季休暇に入っており、レース前のウマ娘以外は帰省して家族と過ごす場合もあるし、学園に残り年末年始もトレーニングというストイックな娘もいる。

 

「もしかしてトレーニングするつもりだったの?」

 

「いや、お前から希望がなけりゃ休みのつもりだった……あと年末年始もな。そんくらい休んだって支障は出ねぇよ。んで、帰省すんならケーキとか妹へのクリスマスプレゼントとか買ってってやりゃいいんじゃねえかな。書類には仕送り代って書いときゃ通るし」

 

 貯蓄口座からの引き出しに申請が必要と言っても、それは金銭感覚が狂ったり詐欺に遭ったりして大金を引き出すことを予防するためであり、それほど多額でなければ大抵の理由で通る。

 過去には甘味代という名目で月に1万おろしていたウマ娘もいたらしい。

 

「うん、ありがと、そうしてみるの!」

 

「おーう」

 

 アイネスフウジンを見送った網は再び書類に目を落とす。

 家族。網の世話を焼いたのはベビーシッターだったし、サンタの魔法にかかったこともない。兄弟でひとつのケーキを分け合った覚えもない。しかしそれを孤独だと思ったこともないし、寂しいと思ったこともない。手にしたこともないものの何を羨めというのか。

 網にとっての家族像の多くは創作物から得られる知識であり、その多くは自分と同じ家族とも呼べないものか、あるいはアイネスフウジンのような愛に溢れた家族。

 普通の家族は滅多に書かれない。書く必要などないから。彼の家族はごく一般的な家族だと書いておけば皆想像できるから、わざわざそこに文を割くことをしない。

 だから、断片的な情報で思い浮かべる網の中の普通の家族像は、両極端な家族のイメージよりも曖昧で不安定なものだ。

 

「トレーナァーっ!! 練習すんぞ!!」

 

「ノックくらいしろクソガキ」

 

 散歩をせがむ犬のようなテンションで部屋に入ってきたツインターボにセンチな感情を蹴散らされた網は思わず半眼になる。

 

「お前、クリスマスとか年末年始に帰省とかしないのか。友達と過ごしたり」

 

「んー、ネイチャもイクノも帰ったし、ターボは帰るより走ったほうが楽しいからいいや!」

 

「あっそ……」

 

 中央トレセンに入っている以上、家族仲に問題があるわけではないだろう。ターボの家は便りがないのがいい便りなのだろうと網は納得した。

 

「そうか。そんじゃ、今日はトレーニングのあとケーキとなんか欲しいもんでも買いに行くぞ」

 

「えっ!? いいの!? ターボぬいぐるみ欲しい!!」

 

「勉強道具でもいいんだが?」

 

「イ゛ヤ゛」

 

 今日くらいサンタクロースになってやってもいいかと、網は柄にもなくそう思った。

*1
馬の歩き方。ギャロップとも呼ばれる全力疾走。

*2
馬の歩き方。襲歩よりも遅い。

*3
エネルギー源であるグリコーゲンを効率よく体に溜め込むための運動量と食事メニューの調整。



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オグタマライブ ??/12/17

掲示板形式なんもわからんので馴染みのある形式で似たようなのやる回。


「ええか? せーのでタイトルコールやぞ」

 

「大丈夫だ。任せてくれ」

 

「ほんならいくで? せーの……」

 

「オグ「オグタマライブ」タマーライブー!! いやちゃうねん!!」

 

「なにがだ」

 

「もっとこう、あるやん! タイトルコールって装飾品があるやん! コールとちゃうやんそれ、音読やん!」

 

「ちゃんとやったぞ」

 

「いやどこがやねん!」

 

「ちゃんと台本通りにやった」

 

「ウチもやわ!!」

 

 流れ出すBGM。事前に録音されていたタイトルコールが流れる。同時に画面上部に視聴者のコメントが流れ出す。

 

『芝』

『茶番で芝』

『茶番が出鼻』

 

「茶番とか言うなや! 企画の人が頑張って台本書いてくれとんねん!」

 

「だがタマも本番前は『なんやこれお笑い舐めとんのか!』って言ってたぞ」

 

「当たり前やろなんやこの茶番!!」

 

『茶番言うな』

『言っていいことと悪いことがあるぞ』

『調子のんなチビ』

 

「なんで初回でこういう流れが完成しとんのや!! もっと時間かけて構築されてくもんとちゃうんか!! あと誰がチビや!!」

 

「この番組は、ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスと、トゥインクルシリーズ現役ウマ娘の私オグリキャップが、レースの実況解説をしたり話題のウマ娘を紹介する番組だ」

 

「ええか? これがトゥインクルシリーズ現役なんにオグリが呼ばれた理由やで。ウチだけやとコメントとの漫才で番組が一向に進まへんからや」

 

「私はカサマツの宣伝もできると聞いて引き受けたが、タマはなんでこの仕事を引き受けたんだ?」

 

「んなもん金に決まっとるがな。ドリームシリーズは間ぁが長いねん。ウン千万ポンとくれるトレーナーなんか別次元にでも行かなおらんわ」

 

「? トゥインクルシリーズの賞金はどうしたんだ?」

 

「あんな? オグリは飯以外なんぼも使っとらんから気にしとらんのかもしらんけど、レースの賞金ってごっつ税金かかんねんで。半分くらい持ってかれんのや」

 

「そんなに」

 

「飯代とか経費で落とせるからオグリも忘れず領収書もらいや?」

 

「トレーナーに泣きながらお願いされたからちゃんと貰っているぞ」

 

『急に世知辛い』

『確定申告してるんだ……』

『ウマ娘の確定申告はトレーナーの仕事だから確定申告できないとトレーナーになれないゾ』

 

「よう知っとるやん。せやから大抵のウマ娘はトレーナーから確定申告の書き方も教えてもらっとんのや」

 

「私はまだだぞ」

 

「アンタははよ教えてもらいや。ボケとるけど物覚え悪いわけちゃうんやから」

 

「タマ、そろそろ今日のレースが始まる」

 

「せやな、ほなら見てこか。今日実況するレースは朝日杯フューチュリティステークスやね」

 

「ジュニア限定のGⅠで中山芝1600mだな。このコースの特徴はスタート直後から始まる緩い下り坂だ」

 

「途中ちぃと勾配が変わるねんけど、コースの半分は下り坂やね」

 

「それから、コースがおにぎりのような形になっているのがわかるだろうか」

 

『わかるけど』

『例え方が食いしん坊』

 

「まぁオグリの言ってる例えがいっちゃんわかりやすいやんか。スタート直後から緩くカーブ、ほんで第2コーナーから第3コーナーまでがまた緩いカーブを描いてんねん。ほんで第3コーナーと第4コーナーは間ぁが狭くて急。その直後に最終直線や」

 

『中山の直線だ!』

『中山の直線は短いぞ!』

『中山の直線は短いぞ、後ろの子たちは間に合うのか!』

 

「そう、310mしかない最終直線は後ろの脚質に不利。しかも、最後の最後ゴール直前に急勾配の上り坂がある」

 

「逃げ有利なんは確かやけど、半端な逃げやとここで捕まることもままあるわな」

 

「むしろハイペースになりやすい分、差し有利と言ってもいいかもしれない。そしてそれ以上に、明確に内枠有利だ」

 

「見ての通りコースの殆どがカーブになっとって直線が最終直線くらいしかあらへん。せやからどうしても内側に入るのが有利になってくんのや」

 

「それを踏まえて今日の出走者を見てみよう」

 

「1番人気はアイネスフウジンやね。2番人気は4戦2勝で全戦三連対のカムイフジ、3番人気はGⅡの京王杯ジュニアS含めて3連勝中のサクラサエズリや」

 

「ふむ、やはり注目はアイネスフウジンだな。ここまでメイクデビューとGⅡの2戦をどちらも逃げで大差をつけて1着。しかもセオリーから外れたハイペースな逃げを打っている」

 

『やばば』

『清々しい勝ち方で好き』

『スタミナおばけ』

 

「せやね。今回のコースとこれ以上ないくらい噛み合っとる。しかも、ウチが見た感じこの娘ぉの売り(・・)はスタミナやのうてパワーやね。最終直線の坂も楽勝やろ」

 

「タマ、ホワイトストーンはどうだろう。芦毛だ」

 

「別にウチらが芦毛やからって芦毛びいきするわけでもないけど、ホワイトストーンはお母ちゃんの弟子みたいなもんでなぁ。普通に知り合いやし頑張ってほしいわ」

 

『ホワイトストーンちゃんかわいいよホワイトストーンちゃん』

『でもカノープスなんだよな……』

『ホワイトストーンはカノープス所属』

『既にカノープスの香りがしてるんだよな、ホワイトストーン』

 

「なんでや! カノープスええやろ別に!! 各所に失礼なこと言うなや!!」

 

「カノープス。あぁ、ダイナアクトレスが所属しているところか」

 

「せやね。他に有名どころと言えばスダホークとかか。あそこは少数精鋭って感じのチームやね」

 

「タマ、カノープスの香りとはどういうことだろう。特別な芳香剤でも使っているのか?」

 

『ピュアオグリン』

『かわよ』

『オグリンはそのままでいて』

 

「あれやろ。GⅢやGⅡで勝てる実力はあんのにGⅠで勝ちきれない。さりとて惨敗するわけでもなく5着くらいにいつもいるっちゅー立場が板についてもうてるってことやろ。失礼なやっちゃわ」

 

「あぁ、確かにダイナアクトレスもあの秋天で4着、その前の毎日王冠でも5着だったか」

 

「シリウスシンボリに蹴られとったときな……否定できひんのがつらいねん」

 

「今年はカノープスから他にイクノディクタスもデビューしている。このレースにはいないが頑張ってほしいな」

 

「言うてる間に発走やわ」

 

「ファンファーレはスリーサウザンドの皆さんがやってくれているぞ」

 

「3000m以上のレース勝ったことあるウマ娘が集まったブラスバンドやろ? やっぱ肺活量あんなぁ」

 

「タマは入らないのか? 天皇賞勝ってるだろう」

 

「ウチは楽器とかサッパリやわ」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「ゲート入りは比較的スムーズだな」

 

「初GⅠだけあってピリついとるけどな。ええ緊張感やないか?」

 

「……来た。いいスタートだ」

 

「疾風迅雷やね。流石、反応が早いわ。アイネスフウジンとサクラサエズリのハナ獲り合戦やな」

 

「サクラサエズリも上手いが、それ以上にアイネスフウジンが強いな。逃げとは思えないハイペースだ」

 

『はっや』

『ホワイトストーン出遅れた』

『掛かってるんじゃないの?』

『最後まで保つか?』

 

「サクラサエズリ後ろにつけたな。まだ諦めとらんよ」

 

「だがアイネスフウジンのコース取りも上手い。これで垂れないのであれば、サクラサエズリの勝ち目はないな……」

 

「まだ後ろのほうが勝ち目あるわな……んで普通に考えれば保たへんのやけど……行けてまうんやろなぁ……」

 

『全然緩めないじゃん』

『スタミナもそうだけどこれ曲がれんの?』

『最終コーナー辛くね?』

『ラップタイムヤベェ』

 

「サクラサエズリからしてみればこのコーナーでどこまで追いつけるかやけど……」

 

「……曲がりきったな……コーナー、僅かに膨らんだが許容範囲内だろう」

 

「アンタの基準で言うなや。あんなん膨らんでないも同然やないか。内なんか突けるか」

 

『来た! 中山の直線!!』

『中山の直線は短いぞ!!』

『中山の直線!!』

 

「何がアンタらをそこまで掻き立てんねん」

 

『中山の直線の良さがわからないからオグリに差されんだよ』

 

「おい今のコメ投稿者覚えたかんな。言っていいことと悪いことがあんねんでホンマ」

 

「やはり坂は障害にならないか……アイネスフウジンゴール。タイムは……」

 

「うん、レコードやね。そらあんなハイペース維持しとったらレコードも出るわ」

 

『つっよ』

『こんなん勝てるわけないやん』

『来年のマイル路線は決まりか?』

 

「クラシック出てきたらおもろいねんけどなぁ」

 

「タマ。流石に3000mはキツいと思うぞ」

 

「そうやろなぁ。2400mくらいはいけそうやけどなぁ」

 

『ムリです』

『普通のマイラーは2500mも走れねんだわ』

『オグリンは異常個体だから……』

『しかしレコードか……2代目マルゼンスキーだな。走り方からしても』

 

「はぁ? どこがやねん」

 

「マルゼンスキーとは走り方が違うな」

 

「マルゼンスキーは逃げとらんからな。アイネスフウジンは完全に逃げやけど」

 

「それにまだ精神的にも仕上がりきってはいないようだ」

 

「あー、最後のあれな、必要ないスパート。レコード狙っとったわけでもなさそうやし」

 

「まだまだ成長の余地があるのは楽しみだな」

 

『ウソでしょ……大差のレコードレースにダメ出ししてる……』

『これは漫才コンビのタマオグリンじゃなくて白い稲妻タマモクロスと芦毛の怪物オグリキャップ』

『ホワイトストーン5着で芝』

 

「芝はやすなぁ! 出遅れた割に頑張っとったやないか!!」

 

「最後まで諦めないのは大事だ」

 

「ホワイトストーンは是非GⅠ勝ってコイツらに目にもの見せてほしいとこやね」

 

「さて、ウイニングライブが始まる前にはお別れという指示が出ているのでこの辺りで締め、か?」

 

「せやな。ほんなら今日はこの辺で。担当はタマモクロスと」

 

「オグリキャップでした」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『かわいい』

『ほなな〜』

『オグリのほなな〜かわいい』




仕事始めで執筆時間一気に減ってん(言い訳)
極力投稿ペース維持するけど間に合わんかったら許し亭許して


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長女のサガ

 2月14日、バレンタインデー。

 日本においては最早チョコレートしか共通点がない様々な儀式が行われる行事であり、中央トレセン学園でも様々なパターンが見られる。

 自らのトレーナーにチョコを贈るウマ娘。自らのトレーナーにド本命チョコを贈るウマ娘。自らのトレーナーにチョコをたかるウマ娘。ウマ娘たちからチョコが集まるウマ娘。ウマ娘たちにチョコをばら撒くウマ娘。ダイエットに泣くウマ娘。どれも中央トレセン学園において定番の光景だ。

 

「毎度のことながらすごい光景なの……」

 

「あはは……」

 

 アイネスフウジンがここ2、3年ほどの定番として見ている、友人の机から零れ落ちるチョコの山も、やはり見慣れた光景だ。

 メジロライアンはモテる。それはもうモテまくる。ただし、同性に。基本的に品行方正で誠実、爽やかで頼りがいがあると言う点でそれはいたしかたないことなのだろう。

 アイネスフウジンにしてみれば、同室のこの親友が思いの外乙女であることを知っているので、若干の同情を向けてしまうのであるが。

 

「また幼馴染さんと食べるの?」

 

「マックイーンも最近はダイエットで苦しんでるからそれも難しいんだよなぁ……かと言って捨てたり誰かにあげるのはくれた娘に申し訳ないし」

 

 勿体ないよりも先に申し訳ないが来る辺り、メジロライアンの生まれの裕福さと誠実さが見て取れる。ライアンのチョコレートはメジロ家へ輸送されたものの保管する場所がなく、結局メジロ家の使用人たちが消費することになった。

 

「そういえば、アイネスのトレーナーって男の人だよね。チョコとかあげるの?」

 

「うん、お世話になりっぱなしだし……ただ、トレーナーってお金持ちな人っぽいから、市販のチョコだとちょっと口に合わないかなって……」

 

「それじゃあ、ちょっと高い贈答用のやつ買う? あたし色々教えてあげられるけど」

 

「うーん……それはそれで、子供からそんな高価なもの貰うわけにはいかないーって断られそうで」

 

 正確には「子供が変に気ィ使って散財すんな」だろうけれど、網は未だにアイネスフウジンとツインターボ以外の前ではきちんと猫を被っているので、アイネスフウジンも多少オブラートに包んだ。

 

「てことはもしかして、手作りとかしちゃう?」

 

「それも考えたんだけど、ここ1年一緒にいて、なんか手間をかけたものより実用性あるものの方が喜ばれる気がして……」

 

 そう言ってアイネスフウジンはちらりとカバンの中に入れた、今日渡す予定のものを覗き見る。

 

「シュークリーム……」

 

「シュークリーム? いいじゃん、チョコシューとかにすれば普通にバレンタインデーっぽくて」

 

「ううん、そうじゃなくて……」

 

 アイネスフウジンはウマホでそれの商品ページを検索して、画面をメジロライアンの方へ向けた。

 

「こっちなの……」

 

「っあー……靴磨き剤(シュークリーム)……」

 

 革靴以外履いているのを見たことがない網なら、間違いなく入用にはなるだろうという予想から選んだものだ。

 わざわざこっそりと革靴の色を撮影して、靴屋で同じ色のクリームを選んでもらったのだ。靴屋の主人は恐らく父親へのプレゼントだと思ったことだろう。

 

 そして実際それを受け取った網の反応であるが。

 

「……貰いもんに文句つける気はサラサラないし、普通に使えるからありがたく受け取るけど……バレンタインは一切関係ないな、これ」

 

 ぐうの音も出なかった。

 

「あと俺ホワイトチョコ以外のチョコ食えないから、チョコを避けたのも正解。次回はコンビニでチョコクッキーでも買えばいいから」

 

「来年も渡すつもりだけどしっかり注文が入るとは思ってなかったの」

 

「いらんって言ったのにお世話になってるからと普通にチョコ買ってこられるよりいいと思ったからな」

 

 これも反論できなかった。

 

 

★☆★

 

 

「メジロライアンさん、ハクタイセイさん、少々お時間いただいてもよろしいでしょうか」

 

 ふたりが呼びかけられて振り向いた先にいたのは、見るからに胡散臭い黒ずくめの男だった。

 ハクタイセイは反射的に警戒をあらわにするが、メジロライアンがその人相に思い当たって僅かに警戒を緩める。

 

「えっと、アイネスのトレーナー、ですよね……?」

 

「えぇ、常日頃アイネスフウジンがお世話になっているようで……」

 

「……貴殿がアイネス殿の」

 

 名刺を渡され、メジロライアンが知っていたということもありハクタイセイも警戒を緩めた。一応、相手は自分たちの親友が信頼を寄せる相手であり、そのアイネスフウジンを既にGⅠ勝利、しかもかの『怪物』マルゼンスキーの記録を超えるレコード勝利へ導いた腕利きである。

 しかしそれでも、ふたりの本能的な部分がかの人物に油断はするなと囁きかけていた。

 一方の網も、相手が自分と相性の悪いタイプであることに気がついていた。こういうタイプには、昔から無条件に警戒されてきた。

 とにかく早急に用事を済まそうと、網は笑顔の仮面を被ったまま続けた。

 

「実はおふたりに聞きたいことがありまして……アイネスフウジンが欲しがっているものについて、なにか心当たりはありませんか?」

 

「……欲しがっているもの……? えっと、それは……」

 

「なんらかの贈り物という形で?」

 

「えぇ、ほら、もうじき彼女も誕生日でしょう。ですので、プレゼントと思いまして……去年は渡しそびれてしまったので……」

 

 意外にも素朴な答えに、メジロライアンとハクタイセイは顔を見合った。嘘をついているのかと一瞬疑いもしたが、嘘をついてまでアイネスフウジンの欲しがっているものを知る理由ってなんだ? という疑問しか出ない。

 相手が欲しいものを知ることの理由など、それを与えるためか与えないようにするためかだろう。そして後者は、学友に漏らす程度の品を手に入らないようにするのはあまりにも難易度が高いことと、労力と効果が割に合わないという理由でまずあり得ない。

 恐らく、教えても問題ない。結局、ふたりはそういう判断に至った。

 

「えーと、アイネス、確か洗顔タオルがもうぼろぼろになってたからそろそろ買い替えたいって言ってたよね」

 

「消しゴムがもうじき使い切るとも言っていた……あとは、シャンプーがなくなった、だったか?」

 

 いくつか心当たりを挙げていくうちに、その場にいた3人全員の顔から表情が消えた。

 

「……消耗品、ばかりですね」

 

「……みたいですね……」

 

「華の乙女の姿か……? これが……?」

 

 アイネスフウジンは物欲がないわけではない。ただ、貧乏な環境と妹ふたりに譲る姉としての立場から、自身の欲求を表現すること、というより、欲しいという想いそのものを自覚する前に抑えてしまう癖がついていた。

 ふたりは網を伴って他のクラスメイトにもあたってみたが、残念なことに日用品の中でも消耗品くらいの情報しか出てこなかった。

 

「…………」

 

「えっと……お役に立てず申し訳ありません」

 

「いえ、おふたりは悪くありませんよ……ごく普通の日用品を渡すことにします」

 

 ちょっと意識改革が必要かと考えて若干被っている猫が剥がれかけていた網は、メジロライアンからの謝罪を流して、再び仮面を被りなおす。

 すると、そろそろその場から離れようとした網の腰にそれなりの、衝撃が走った。

 

「トレーナー! なにしてんのー?」

 

「……ツインターボ、身体能力の差を考えてください……」

 

 偶然通りかかったツインターボがタックルしてきたことに、網は僅かに青筋を浮かべながらも敬語を崩さずに言う。

 ツインターボも、彼が人前で猫を被っていることは知っているので、敬語には触れないようにする。ツインターボはかしこい。

 

「えっと、その子は……」

 

「ターボはツインターボだぞ!!」

 

「中等部生か……? 確か貴殿は新人と聞いていたのだが、もう既にふたり目を?」

 

 暗に「《チーム結成許可証》を持っていないのにふたり目のスカウトを?」と疑いの考えが戻ってきたハクタイセイに対して、網はこれについては言い訳できないと素直に話し始める。

 

「仮、というところです。彼女からは素質を感じましたので、先んじて予約させていただきました」

 

「ということは、GⅠ3勝する気満々と……いやぁ、そのアイネスの同期が目の前にいるのにすごい自信ですね」

 

「…………」

 

 それをただ挑発か無自覚と受け取っておどけた口調で返すメジロライアンと、既にNHKマイルカップへ出走が公表されていることから、それがどういう意味を持つのかに気づいたハクタイセイの間で、若干対応が分かれる。

 

「……そのこと(・・・・)は、アイネス殿も知って……?」

 

「えぇ、このこと(・・・・)はむしろアイネスフウジンからのリクエストです。後悔しないようにと」

 

「……そうか。なら、私からは何も言うまい」

 

 そんなふたりの雰囲気に違和感を覚えながらも、メジロライアンはその正体を掴めず、話に入れないでいる。

 

「それでは、私はこのあたりで。お付き合いいただきありがとうございました」

 

「あ、はい、それじゃあ……アイネスをよろしくお願いします!」

 

「えぇ、もちろん」

 

 網を見送るふたりのうち、ハクタイセイの目にだけ、やや剣呑な(かげ)りが落ちていた。



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兄より優れた弟など

 時は飛んで、4月。

 トレーニングへ移行したアイネスフウジンは、すっかり常連になった温水プールで100m息継ぎなしで泳ぎながら、脳に酸素を回すことに慣れるためにぼーっと思考を回す。

 一緒にいてもう1年以上。アイネスフウジンはバレンタインの昼、メジロライアンにそんなことを言った。正直、メイクデビューでの勝利よりも実感が湧かない。

 理由はなんとなく分かっている。網ひととなり(・・・・・)はよくわかったつもりだが、それ以上のことを何も知らないからだ。

 網は確かにアイネスフウジンの生活を様々な面で変えていった。しかしながら、変わり方があまりにも自然すぎてまるで変わったように思えない。

 網が行ったのはあくまでアイネスフウジンのトレーニングやレースに関わる部分だけで、私的な部分はほとんど関わっていない。実際、アイネスフウジンの生活は去年と何ら変動していない。精々、金銭的な余裕ができたくらいだ。

 それほど、網()を出さない。

 

 網は知っている。アイネスフウジンが何故走り、何を目指しているのか。

 アイネスフウジンが他のウマ娘たちよりも名誉にこだわらず、言っては悪いが金稼ぎとしてのレースを求めていることも網は知っている。GⅠを選んで走らせているのだって、アイネスフウジンなら十分な賞金が出る順位に入れるという確信があってのものだ。

 たくさん走れるのであれば、GⅢやGⅡのレースを数走ったほうが賞金は出るかもしれない。しかし、ウマ娘の脚の耐久は有限だ。

 GⅠレースなら一度に稼げる金額は申し分ないし、ある程度は間が空くから脚を休める期間も作れる。もちろん、網もアイネスフウジンもどうせ走るならGⅠ、しかも勝利という気持ちはあったが。

 

 対して、アイネスフウジンは網がなぜトレーナーになったか知らない。網のプライベートは、いつか聞いたあの電話以外まったく表に出さない。

 もちろん、知らなくたっていいものだ。トレーナーはウマ娘のために最善を尽くす。そのためにウマ娘の心の内を、その熱量を知るべきだ。

 しかし、ウマ娘は結局のところ、自分のために走る。トレーナーの想いまで背負う必要はない。

 

(でも、なんか、モヤるの)

 

 でもそれは、まるで薄っぺら(・・・・)ではないか。

 きっとそれでは、ダービーウマ娘を目指す娘には勝てない。

 きっとそれでは、三冠ウマ娘を目指す娘には勝てない。

 きっとそれでは、絶対に譲れない夢を持つ娘には、決して勝てない。()で妥協してしまう程度の想いでは、今しかない娘たちには、勝てない。

 

 何より、アイネスフウジンは知りたいと思った。なぜあの日、網が自分をスカウトしたのか。

 網が自分に何を求めるのか、自分を通して何を夢見ているのかが。

 

 プールからあがる。インターバルをおくためだ。レーンではまだツインターボが必死に泳いでいる。ウマ娘は人間よりも泳ぐのが苦手な者が多いが、意外なことにツインターボは普通に泳げる。非常に意外だが。

 それを監視する網の隣に座ったアイネスフウジン。網はプールサイドでもスーツだが、上からレインコートを着ている。

 そこまでしてなぜスーツなのか。スーツしか持ってないのか。寝てるときもスーツなのか。アイネスフウジンとしては色々気になっているけど、なんとなく聞けてない。

 それよりも、聞くことがある。

 

「トレーナー、聞きたいことがあるの」

 

「なんだ」

 

「トレーナーって、なんでトレーナーになったの?」

 

 はぐらかされるかと思ったアイネスフウジンだったが、網は意外なことに少し考えてから「別に隠すことでもないか」と呟いて話しだした。

 

「俺は五人兄弟でな。上ふたり下ふたりの真ん中だった。一番上は優秀だったが事故で死んだ。二番目は優秀だったが性格が悪くて早々に摘まれた。俺は稼業の才能がなかった。四番目は才能がない上に性格も悪くて表に出せなかった。そんで、一番下が天才だったしまだマシな性格をしてた」

 

「それなら性格は遺伝を疑うところなの」

 

「言うねぇ」

 

 でも、環境的なとこも大きいんだよ。そう呟く網の声色には嫌悪がこもっている。憎しみとか怒りとかではない。不快害虫を見たときのような生理的嫌悪感。

 

「俺が親から与えられたのは無関心だった。まぁ放り出されないだけマシだったな。欲しいもんは与えられたし……気障な言い方になるが、愛以外は、な。欲しいと思ったことはないが」

 

 その声色にも、眼差しにも、さして感情は宿っていない。ただ記録を読み返しているだけ、そんな雰囲気。

 

「んで、トレーナーになった理由? たまたまだよ。テレビでやってたレースが、ミスターシービーの菊花賞。痺れたね。翌年ルドルフがなんかやったが、シービーには及ばないと思った。確かにルドルフは強いんだろうが、あいつは淀の坂でまくりに行かなかったからな」

 

 非常識なる才能、ターフ上の演出家、ミスターシービー。

 より人に讃えられたのは? シンボリルドルフだろう。だが、より人を驚かせたのはミスターシービーだ。

 

「きっかけはそれだな。ルドルフを目指すやつは多いが、シービーに憧れてシービーを目指すやつはそう聞かない。ルドルフは完成形だが、シービーは異端だからだ。俺は俺の手で異端(シービー)を作って、見てる奴に『どうだ、驚いたか』って言ってみたかった」

 

「……だから、ハイペースな逃げと破滅逃げ、なの?」

 

 アイネスフウジンの問。その意味はわかるだろう。

 奇を衒って、それができるウマ娘だからスカウトしたのか。そういう質問。

 

「まぁ、半分はな」

 

 それを、網はあっさり肯定した。

 

「正確にはお前らにそれをやらせてる理由の半分か。もう半分はお前らはそれが一番勝てるからだ」

 

「じゃあ、なんであたしをスカウトしたの?」

 

「勘。こいついいなと思ったから誘った」

 

「そ、そんなふわふわしてていいの?」

 

「いいんだよ。大事なのは今俺が担当してるのがお前だってことだ。譲れない想いとか、叶えたい夢とか、そういう御大層なもん持たなくても、そういうのは見る側が勝手に見とけばいいんだ。俺たちはさ、負けたくないって思ってりゃいいんじゃねえの?」

 

 きっかけはあのレースだったけど、別にトレーナーでなくてもよかった。天才である弟に負けたくなかったから、なにかの才を欲した。網はそう話す。

 

「お前、日本ダービー出るんだろ? 正直、距離適性外だと思う。延ばそうと思えばギリ延ばせるけど、本当にギリギリだ。あれってなんでだ? レースにこだわりないんだろ?」

 

「……友達が出るから」

 

 友達。メジロライアンと、ハクタイセイ。クラシック路線で三冠を目指すふたりの友人。そのふたりに、日本ダービーという大舞台で勝ちたい。

 本気で三冠を目指してるウマ娘たちにとってははた迷惑な話で、別のレースでやれと思うかもしれないが。それでも、このレースで、本気でぶつかって、勝ちたいと思ったから。

 

「それだけありゃ十分だろ。夢なんて叶えるか破れた時点でおしまいのもんより、出るレース出るレースただ絶対に負けたくないって思ってりゃ、それで」

 

 それで、()に妥協しなくなるには十分。アイネスフウジンは、先程の自分の思考にも、網の言葉を借りてそう結論づけた。

 

「ねぇ、トレーナー。NHKマイルのあと日本ダービーに出るって、公表しないんだよね?」

 

「ああ。その方が意表を突けるだろ? 盤外戦術の一種ってやつだ……まぁ、言いたい奴がいるなら言ってもいいが。そういう質問だろ?」

 

「うん。ありがとうなの、トレーナー」

 

「何言われても気にすんな。俺が絶対壊させねぇし、日本ダービー(そこ)が全盛期だったなんて言わせねぇ。来年も再来年も全盛期で走らせてやるからよ……キリが良いし今日はトレーニングここまでだ。ストレッチしたらあがっていいぞ」

 

「はい!」

 

 アイネスフウジンを見送って、網はひとつアクビをした。随分と信頼してもらったものだなどと考えながら、泳ぐツインターボを眺める。

 なぜ自分がここまで慕われているのかと考えると不思議になってくるが、どうやら今のところ自分のやり方は間違っていないらしい。仮初の関係しか築いてこなかった網にとって、ともすればこれが本当の意味で人と関わる初めての経験だ。

 期待されたのならば、それに応えねばならない。それが今の自分の負けられないことなのだから。




今朝はデータが消えたと勘違いしてアホ焦りました。単に消えてなかっただけです。


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連戦布告

 夕食時を過ぎた食堂。人気(ひとけ)の去ったその一角に彼女たちは集まっていた。今年のクラシック世代を牽引する3人のウマ娘、メジロライアン、アイネスフウジン、ハクタイセイ。

 各々が自分の注文した軽食を口に運びながら、和やかな雑談を勧めていた。

 

「それで、話したいことって何? アイネス」

 

「わざわざ改まってまで……恋の相談と言うやつか?」

 

「あはは……話したいって言うより、宣戦布告かな」

 

 にこやかなアイネスフウジンの口から飛び出した剣呑な単語に、メジロライアンとハクタイセイは少しばかり面食らった。

 

「宣戦布告……レースのことだな。次走は今週末のニュージーランドトロフィーだろう? NHKマイル杯トライアルの……マイル路線に行くなら私たちとはぶつからないと思うが……」

 

「うん、まだ公表してないんだけどね。あたし、NHKマイルの次走、日本ダービーにするつもりだから」

 

「――っ、無茶だ!」

 

 あっけらかんと言い放ったアイネスフウジンにメジロライアンが噛み付いた。しかし、その反応もあながち間違ったものではない。

 ウマ娘の脚は強靭であるとともに脆い。ダメージは蓄積され、いつ崩れるかもわからない消耗品だ。そしてそのダメージは、連続して酷使することで一層負担を増していく。

 練習や軽いランニングなど、制限のうちで走るくらいなら大したことはないだろう。しかし、往々にしてレースというのは自身の限界を超えた走りになる。そして、その超えた分のダメージは脚に残り続ける。

 だから大抵のトライアルレースは本戦のひと月は前に開催される。1ヶ月間しっかり休養と調整を行って本戦に出られるようにする配慮からだ。

 しかし、NHKマイルカップと日本ダービーとの間隔は僅か3週、同じ月の間に開催される。たかが1週の差と笑うなかれ、それがどれだけ致命的な差かは競技者自身が最もよく知っている。

 そも、トライアルから本番と、本番から本番ではさらに大きな差が生ずる。トライアルはあくまで『前哨戦』なのだから、全力は出したとしても限界を超えることはない。しかし、本番は容易に限界を超えうる。

 しかも、アイネスフウジンには脚部不安があった。同室であるメジロライアンがそれを知らないはずない。

 狼狽えるメジロライアンとは対照的にハクタイセイはむしろ納得がいったような表情をする。

 

「やはりか……」

 

「やはりって……知ってたの!?」

 

「先日アイネス殿のトレーナーに会っただろう。あの時青髪のウマ娘を、チーム結成の許可が出るGⅠ3勝してからスカウトすると言っていた。次走がNHKマイルカップなのは知っていたから、あとは自ずとだ。一応、NHKマイルから安田記念という可能性も考えていたが……」

 

 メジロライアンは絶句している。あの時はまだアイネスフウジンの次走がNHKマイルカップだと知らず、皐月賞から日本ダービーのクラシック路線へ行くものと思っての対応だった。

 そして、あとから次走がNHKマイルカップだと知ってもその時の記憶に繋がらなかった。普段のメジロライアンなら気づいただろうが、メジロ家の一員として向けられる期待の重圧による精神の疲弊から、今の今まで気づかなかったのだ。

 

「無茶じゃないの。トレーナーがついてるから」

 

「〜〜ッ! トレーナーへの信頼はよく分かるよ! あたしだって同じだから! でもいくらなんでもそれはっ……」

 

「……アイネス殿。貴殿がその心算(つもり)なら、私はそれに応えるのが道理だろうな……手加減はしない。全力で迎え討たせてもらう」

 

「タイセイ!?」

 

 あっさりとアイネスフウジンからの宣戦布告を受け入れたハクタイセイに、メジロライアンが信じられないものを見るような目を向ける。

 それもそのはずだろう。ハクタイセイの師、『日本の』ハイセイコーこそ、NHKマイルカップから日本ダービーへ進むローテーションで敗戦を喫しているのだから。

 ハイセイコーがシンザンと並び奉られる『神話』から『伝説』へと堕ちた日本ダービー、その心身が限界を超えた悲壮な表情は、確かにハクタイセイの脳裏にこびりついている。

 

「ライアン殿、そういきりたつことはない。ただひとりのウマ娘が無茶を承知で挑んでいる。それだけの話だ」

 

「で、でもっ! それじゃあアイネスの脚が……」

 

「見苦しいぞッ! メジロライアン!!」

 

 ハクタイセイが吼える。

 もう、メジロライアンは困惑の極地にいた。心配ではないのか、だって、アイネスフウジンは親友なんだぞ。たとえ故障に繋がらなかったとしても、燃え尽きる(・・・・・)かもしれないような連戦、何故許容できる。

 そう目で訴えるメジロライアンに、ハクタイセイは低く続けた。

 

「心配ではある。私も以前までのアイネス殿なら止めていた。しかしライアン殿、アイネス殿の顔を見ろ。私はその顔を知っている。トレーナーへの信頼ではない、確信(・・)だ。自らが望み、トレーナーが応えた。だからその確信に殉じるという覚悟だ。それを我々がとめるのは、優しさではなく侮辱だ」

 

「ぁ……ッ!!」

 

「であればその矜持、こちらも応えねば無作法というもの」

 

 ハクタイセイは席から立ち上がると、食べていたサンドイッチを一口に飲み込む。そのハクタイセイの姿をアイネスフウジンは強い熱量を持った視線で見つめる。一方のメジロライアンは迷子の子供のような表情をしていた。

 

「……私は明日から休学を申し出ている。東京優駿が終わるまで、トレーナーと共に道場での鍛錬をすることになった。貴殿らと顔を合わせるのはレース場でのみになるだろう。ライアン殿とは皐月と優駿の舞台、アイネス殿とは優駿の舞台……貴殿らとの勝負を楽しみにしている」

 

 有無を言わせぬ迫力。アイネスフウジンの灼けつくような視線とは違う、冷たく研ぎ澄まされた刃のような視線。ふたつの視線に、メジロライアンは気圧されたように視線をふらつかせる。

 メジロライアンだってウマ娘だ。寝食を共にした親友としのぎを削る覚悟はしてきた、そこに異論はない。しかしメジロライアンが彼女たちの選択を受け止めかねているのは、やはり優しさであり弱さなのだろう。

 メジロライアンは自らの心弱さを自覚していた。しかし、これ程までに意識の差があるとは思っていなかった。他者を慮れるからこそ、決死の覚悟をしている友人の姿がこんなにも苦しい。

 

 結局、その後はろくに話もできないまま解散となった。メジロライアンは最後まで浮かぬ表情を見せていたが、本番直前に知って狼狽えられるよりはよほどマシだろう。

 メジロライアンを部屋に残し、アイネスフウジンは網の部屋へやってきた。一応、誰に話したかを報告するためだ。恐らく網のことだから察しているとはアイネスフウジンも思っているが。

 

「あー、トレーナーお酒飲んでるの」

 

「ノックしろっつってんだろ」

 

 網はショットグラスに果実酒を注いで飲んでいた。酒に強いのか量を飲んでいないのか、表情と呂律を見た限り素面だろう。

 アイネスフウジンが網の対面に座ると、網は特に何も言わず、もう一つ普通のサイズのグラスとりんごジュースを持ってきて、注いだ。

 

「乾杯はしねぇぞ。グラスが傷む」

 

「はぁい」

 

 互いに、グラスの中身を口に含む。机上の皿に盛られたチーズクラッカーを続けて食べると、塩味が口に残った甘味とブレンドされ、調和が生まれた。

 しばしの沈黙。切り出したのはアイネスフウジンからだった。

 

「宣戦布告、してきちゃったの」

 

「……そうか。あのふたりだな」

 

「うん……ねぇ、トレーナー」

 

「なんだ」

 

 素っ気ない網の返事にくすりと笑いながら、アイネスフウジンは続けた。気分の高揚からか、酒精の入っていないただのジュースなのにアイネスフウジンの顔はかすかに赤らんでいる。

 

「日本ダービーを勝ったあとのレース目標、トレーナーに決めてほしいの。あたしのワガママで日本ダービーに出ることにしたから、そのお礼」

 

「ワガママじゃなくて希望だ。そんで、それを叶えるのがトレーナーの仕事だよ」

 

「じゃあ報酬! どのレースに出てほしい?」

 

「じゃあとりあえず無難にマイルチャンピオンシップと来年の安田記念、そのトライアルと……」

 

 網は考える。せっかく期待できるレベルの実力を持つウマ娘が自分から出るレースを委ねてきているのだ。

 それなら派手に、世間受けするレースがいい。今からトレーニングすれば十分勝つ公算はある。

 

「……海外旅行にでも連れて行ってもらうとするか」

 

「ふふふ〜、凱旋門賞なの?」

 

「ばっ、マイルじゃねえのかよ!?」

 

「だって、来年も全盛期って言わせるって言ってたの。それなら日本ダービー(2400m)と同じ距離じゃないと!」

 

「なんで自分からハードル上げてくのかねぇ……まぁ、素人じゃワンチャン知らねえレースより、ド素人でも名前聞いたことある凱旋門賞のほうが面白いか」

 

 この時代に凱旋門賞が取れれば、きっと日本全土が大騒ぎになる。

 悪どい笑みを浮かべた網を見て、アイネスフウジンも似たような笑みを浮かべる……が、残念ながら悪い顔が様にならなさすぎる。

 

「言ったからには途中でリタイアなんて許さねえからな」

 

「望むところなの!」

 

 週末に次走、ニュージーランドトロフィー。次翌週に皐月賞。翌月にNHKマイルカップ。その3週後に、日本ダービー。

 すべてが終わるまで残り、僅かひと月半。




ストックはここで終わり!

いやプロットだけなら2000年代まで出来てるんですけどね……肉付けがね……


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白刃閃く

 メジロライアンはメジロ本家にとっては転換の一手だった。

 まだ秋の天皇賞が3200mを走っていた頃から続く『天皇賞のメジロ』という矜持、あるいは妄執。それをただただ受け継ぐための研鑽を重ねてきたために、メジロ家は時代の流れに置き去りにされ始めていた。

 そんな時代遅れという錆からの脱却。少しずつ他の名門からの遅れを取り戻すため、衰退しつつある長距離特化のノウハウよりも、新進気鋭の指導者を取り入れた打開の一手として、クラシックディスタンスでの力もつけることを目的とした育成をメジロライアンは施された。

 故に、メジロライアンは幼い頃から多くの期待を向けられていた。メジロ家がこれまで守り続けた誇りを新たな形で次代に繋ぐ。それが、メジロライアンに課された使命だった。

 

 メジロライアンが本格的な指導を受け始めて間もなく、分家にいつも黒い服を着た芦毛の少女が現れた。

 どう見てもメジロライアンより年下であるそのウマ娘は、不慣れなお嬢様言葉をたどたどしく使いながら行儀作法の指導を受けていたのが、メジロライアンには印象的に写った。

 メジロマックイーン。元々本家筋のウマ娘が、家同士の顔を繋ぐために嫁いだ先で生まれたダイヤの原石。小さいながらも結果を出し始めていたその家はトレーナー側を輩出する家であったため、メジロ分家に養子として入ってきたのが彼女だった。

 そしてその才能こそ、連綿と続くメジロ家の呪い(・・)、長距離への強い適性だった。メジロマックイーンは、メジロ家の総帥であり始まりのメジロであるメジロアサマの弟子、師弟による春の天皇賞制覇を成し遂げたメジロティターンによって、ステイヤーとしての才能を磨き上げられた。

 

 かくして、クラシックディスタンスへの挑戦を課されたメジロライアンと、メジロ家の矜持を託されたメジロマックイーンは、その代のメジロ家を担う2本の柱となった。

 

 

 

 4月3週、GⅠ、皐月賞開催。

 スポーティな勝負服を纏ったメジロライアンは、しかしまるで集中できずにいた。原因は火を見るより明らか、先週のアイネスフウジンによる宣戦布告だ。

 先週のニュージーランドトロフィーではアイネスフウジンが快勝した。自然、その先のNHKマイルカップにも出走するだろう。順調に進めば更にその先、日本ダービーの舞台で彼女とは相まみえることになる。

 もはや自分が何をしようとその時はやってくる。まだ世間はアイネスフウジンの選択を知らないが、自分と同じように感じた人間たちが反対運動でも起こしてくれればもしかするかもしれない。

 

余裕(・・)そうだな、ライアン殿」

 

「……タイセイ」

 

 メジロライアンに話しかけてきたのはもうひとりの好敵手(ライバル)、ハクタイセイ。芦毛の髪をひとつにまとめ、額には白い鉢巻。白を基調とした戦装束に、黒を基調とした生地に白い星をあしらった陣羽織を重ねたモノトーンの勝負服。腰に佩いた模造刀が彼女の鋭い気配を更に研ぎ澄ましていた。

 

「眼前の敵より先のレースに思いを馳せていると見える。皐月の舞台など取るに足らぬか、あるいは私など眼中にあらずか」

 

「違う! そんなんじゃ……」

 

「わかっている。わかって言っている。違わぬだろう。今この瞬間の私との、私たち皐月に挑む者との戦いと、ひと月先の友に対する憂いと、貴殿の中でどちらの比重が大きいか、何も違わぬだろう!」

 

「っ、ぐぅ……!」

 

「ひと月も先の、そもそも起こるかもわからぬ、自分のことでさえない事柄(こしょう)と比してさえ、皐月の舞台は、メジロの名は軽いのかっ! メジロライアンッ!!」

 

 侮り、軽視、そんなつもりが実際にあるかどうかなど関係ない。事実として軽視されているのだから。

 レース前は目の前のレースにすべての意識を注ぐ。それができないのならせめて自らの足でその舞台を降りる。

 それさえしないのは裏切りだ。共に競う好敵手への、勝利を願う家族友人への、背負うべき家名への、自らの経験を託した指導者への、枠から溢れ出走が叶わなかった者たちへの、そして何より運命を共にするトレーナーへの裏切りだ。

 そうハクタイセイは吼える。

 

「アイネス殿の脚を慮る貴殿の良心は、その裏切りを看過しうるのか!? 二律背反甚だしいぞ!!」

 

 ハクタイセイの糾弾にたじろぐメジロライアン。しかしその目から迷いは消えない。

 メジロライアンの弱さはそこにある。どうしても拭えない、いくら体を鍛えようとも脆いままな心の弱さ。メジロライアンの唯一かつ最大の欠点。

 最早、皐月賞(この場)での克服は望めまい。ハクタイセイはメジロライアンに背を向け言い捨てる。

 

「……腑抜けめ。私は勝つ。勝って証明する。芦毛は走る。ハイセイコーの選択は間違っていなかったと。この髪の呪いを断ち切るために、勝つ。貴殿は、そこで見ていればいい」

 

 ハクタイセイの背中を呆然と見送りながら、メジロライアンはただ立ち尽くす。弱さを自覚し、過ちを過ちと認めながらもなお、(わだかま)りが心をブレさせる。

 体験したことはあるだろうか。不安とは、ひとつ湧くとたちどころに心を埋め尽くしていく。思考が定まらなくなり状況判断が追いつかなくなる。

 

『――全ウマ娘、ゲートに収まりました』

 

 目の前で開いたゲートの音が、メジロライアンにはひどく遠くに聞こえた。歓声も、足音も、怒号も、呼吸も、何もかもが遠い。

 いつレースが始まったのかすらメジロライアンにはわからない。出遅れずにスタートすることこそできたが、差しの中でも最後方の位置で走っていた。

 

 一方のハクタイセイは、既にメジロライアンのことは頭にはない。あるのはただ、このレースを制することにすべてを注ぐという意思。

 先頭を行くのはフタバアサカゼ。このレースにアイネスフウジンはいない、フタバアサカゼの単逃げの状態。ハクタイセイは得意の好位追走で機が熟するのを待つ。

 縦に伸びた馬群、よほど内枠に閉じ込められていない限り抜け出るのは容易。ならばあとはそのタイミング。

 最終コーナーを曲がって、フタバアサカゼは先行集団に捕まる。やや外めにつけていたハクタイセイは、ここだと言うようにスパートをかけた。

 

 メジロライアンは自分の目を疑った。

 突如として眼前に現れた、一面の雪原。暗い空に猛吹雪。身も心も凍えていくような漆黒と白銀の世界。闇と雪で一歩前すらもわからない。襲い来る向かい風が脚を重くするのに、脚を動かさないと凍てついてしまいそうだ。

 あまりにも孤独な、周りから隔離された世界。

 

「う、あ、あああああああああぁぁぁ!!」

 

 メジロライアンは反射的に駆け出していた。耐えられなかった。重苦しい、何もかもが嫌になってしまうその世界に取り残されることに。解放されたい、ここから早く出たい。道標もない白の上をがむしゃらに突き進んだ。

 不幸中の幸い、あるいは毒が反転したのか、精神的負荷が許容荷重を超えたことで理性の機能が停止(フリーズ)し、剥き出しになった本能が体に鞭を打つ。

 観客からはただゴールに向かって競い合うウマ娘の姿が見えているだろう。流れた汗が地面に届く前に凍りつく錯覚。それを、この場を走る幾人かのウマ娘が共有していた。

 白の呪い。己につきまとった偏見と蔑視の吹雪を彼女はそう語った。心を凍てつかせ、身を切り刻む吹雪のような呪い。しかし、それを打ち払ったのもまた、白く輝くふたつの光だった。

 

 メジロライアンは見た。目の前の闇を斬り裂く白刃の剣閃。溢れ出す光はこの暗闇の呪縛からの脱出口。

 道を切り拓き、いの一番に駆けていくウマ娘が、芦毛を揺らしてゴール板を突き抜けた。

 

『ハクタイセイゴールイン! ハクタイセイです! 去年のウィナーズサークルに引き続き、またも芦毛のウマ娘がクラシックを制覇しました!!』

 

 ウイニングランを終えたハクタイセイは、観客席へ深々とお辞儀をしてから地下バ道へと消えていく。これからクールダウンと小休憩を挟みライブがあるのだ。

 その背中を、メジロライアンは見つめる。掲示板に点灯する自身の順位は2着。着差は3バ身差。決定的な着差ともうひとつ、あの吹雪荒ぶ世界で幻視した、己の風を味方にして駆ける黒鹿毛の姿がチラついて離れなかった。




メジロ家の設定に自己解釈、独自設定があります。
ウマ娘ではマックイーンのほうが期待されてそうな描写もありましたが、本作品では都合上史実通りメジロライアンへの期待が大きかったという設定でいきます。

芦毛への偏見でハクタイセイが苦しんだのも独自設定です。ただ当時2頭の芦毛が世論を覆した直後とはいえまだ偏見を抜けきっていない人間も多くいたでしょうし、そんなに史実と大差はないのかなと思っています。


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爆逃げ

『すごい! なんだこの脚は!! 出遅れたはずのダイイチルビーが直線で怒涛の追い上げ!! 仁川の坂をものともしない!! 差すかっ! 差すかっ! 差したぁっ!! ダイイチルビー直線一気!! 桜の女王に華麗なる一族からダイイチルビーが戴冠いたしました!!』

 

 マグマのように煮えたぎる血液を肩で息をしながら落ち着ける。無様な出遅れ、貴種にあるまじき失態から見出した己の才能に、ダイイチルビーは拳を握る。

 最終直線、先頭から遥か後方に自分がいることへの、血が沸騰したかのような怒り。起爆剤となったそれは前方への推進力へと化けた。

 

「お嬢、おっつー☆」

 

 地下バ道に反響する軽い声に眉を顰めながら、飛んできたスポーツドリンクを受け取る。

 

「……貴方からの施しは「それミラクルから」ありがたく頂戴いたします」

 

「病室から中継見てたってさ。スポドリでも奢ってやってくれって、やったじゃん?」

 

「正直不服です。己の真価を見つけたとはいえあのような不格好なレース……」

 

 歯噛みするダイイチルビーにダイタクヘリオスは困ったように笑い、ダイイチルビーはそれに苛立つ。

 腐れ縁。ふたりの間柄を問われれば、ダイイチルビーはひどく嫌そうにそう答えるだろう。目をつけられて、つきまとわれている。

 生まれも、育ちも、性格も、レースに向ける姿勢も、今日判明した得意とする脚質まで正反対。同じなのは髪色だけ。

 

「それに……貴方が出ていない。何故出なかったのです。阪神ジュベナイルフィリーズに勝利した貴方ならこちらに出るのが道理でしょう……」

 

「ん〜、いやぁ、あっちの方がバイブスアガりそうだったから?」

 

「私では不服と……?」

 

「じゃなくて! えっと……んー、お嬢もそりゃ好きピなんだけど、アイネスは今ウチにこみこみでバトっときたい感高いから……」

 

「日本語で話してくれません……?」

 

 こういうところもダイイチルビーは苦手だった。自分の知らない言葉で煙に巻こうとする。ダイタクヘリオスからすればもちろんそういうつもりはない――誤魔化したい気持ちはないでもない――けれど。

 そして何より嫌なのが、それでもダイタクヘリオスに確かな実力があると自分の心が認めてしまっていることだ。

 

「……はぁ、もういいです。貴方と話していても疲れるだけなのは前々から理解していました。せめて、無様に敗北することだけはしないでくださいね」

 

「いやぁ、それちょっとキツめかも……多分負ける」

 

「なんです……?」

 

 戦う前から弱気なのか。そう問い詰めようとしたダイイチルビーの目に映ったのは、普段のおちゃらけた姿からは想像もできないほどに鋭く瞳を光らせたダイタクヘリオスの姿だった。

 

「2回マジでぶつかってみたけど、なんつーの? ステ差でパワゲされた感満載みたいな? ウチがMPゼロんなるまでガチってやってる走りをフツー(・・・)にやられたら勝ち目ないっしょ」

 

 ダイイチルビーは息を飲む。言っていることの細部はわからなかったが大筋で何が言いたいのか理解できた。

 大逃げというのは、通常二の脚に残しておくスタミナを道中に配分することであらゆる駆け引きから離脱し、逆に他のウマ娘には追うか追わないかの選択を押し付ける作戦だ。

 そしてこれを完璧な形で成功させるのは、想像するよりも遥かに緻密なスタミナ管理が要求される。ゴールまで一切垂れないで走りきれるだけのスタミナ消費で可能な道中の最高速度を、レース中に起こるあらゆるイレギュラーに対処しながら維持し続けるという規格外の管理能力が。

 何も考えずしてそれを成功し得るのは、破滅覚悟の玉砕が他バを巻き込んで泥沼の消耗戦にすり替えたパターンを除けば3つ。

 

 レコードタイムとラップタイムを参照して区間ごとの目標タイムを算出し、その目標タイムを体内時計のみを頼りになぞりきるか。

 

 自分の出しうる最高速度を維持し続けてもなお尽きないほどのスタミナを蓄え、惜しげもなく注ぎ込むか。

 

 恐怖かあるいは快感か、己の体からの危険信号(スタミナ切れ)さえ認知できないほどの強い感覚にひたすら没入するか。

 

 そのいずれも手札にないダイタクヘリオスがターフのハナを駆けるその裏には、想像を絶する思考量が渦巻いている。その証左こそこの数ヶ月で彼女につけられたアダ名、『笑いながら走るウマ娘』にある。

 脳の使いすぎで常に酸欠寸前の状態にあり、酸素を求めて口をいっぱいに開けながら、神経は脳や体をクールダウンさせようと笑みの形を求める。そして昂り続ける感情は行き場を求め、笑いという形で噴出するのだ。

 

 ダイタクヘリオスが毎回そんな半死半生の状態になりながら、スタミナをつぎ込んでようやく出せる速度に、余力を残してついてくる。

 そんなことをされたらもう、打つ手がない。

 

「では貴方……負けるつもりで走るんですか?」

 

「アッハハハ、そんなまさかぁ! ウチはいつでも勝つ気MAX爆盛ボンバーだし?」

 

 いつものようにおどけながらダイタクヘリオスは笑う。手に持ったウマホに映る出バ表には、2番人気(・・・・)の文字。

 勝てない、勝てるわけない。勝つすべがない。そう言われるほど、ダイタクヘリオスの本能は熱く滾る。

 

「策はないけど、意地で勝つ!」

 

 バカ上等。

 

 

 

 来たる5月2週、NHKマイルカップ。

 ダイタクヘリオスはアイネスフウジンの前を走っている。驚異的なスピードで、追走するアイネスフウジンと10バ身前後の差をつけてのハナ。

 大逃げにわざわざ乗る必要はないと指示されていたアイネスフウジンがダイタクヘリオスに代わりペースメーカーを務める――当然それも他のウマ娘にしてみれば破滅的ハイペースである。

 

『ダイタクヘリオス、後方脚質有利の府中でいつも通りの大逃げ……いえ、大逃げに近いハイペースを展開するアイネスフウジンをさらに上回る爆逃げでハナを進みます!! 2度の坂、長い最終直線、コーナーにある下り坂で息を入れるのは困難、スタミナは大丈夫なのかぁ!!?』

 

(保たんが!? マジムリ1000%じゃんこんなん!! 誰よこんなん考えたヤツ!! ウチでしたぁー☆)

 

 アイネスフウジンが余力を残して並んでくる以上、普段通りの逃げ方ではどうあっても勝つことができない。

 だから、普段以上のスピードで逃げつつ、足りないスタミナを根性で補う。脚は止めなければ止まらない。稼いだリードを守りきる。

 

「爆☆逃げぇ!!」

 

 元々得意な最終コーナーでの突き放し。末脚をほとんど余さない大逃げでありながら、スムーズなコーナリングと直線に入ってからの急加速。

 ダイタクヘリオスは歯を食いしばる代わりにキツくキツく拳を握りしめ、前へ前へと脚を動かす。しかし。

 

「いや、ムーリーぃぇはははははははははは!!」

 

 少しずつ、垂れる。かろうじて最後の坂を登りきった直後に、ダイタクヘリオスは大幅に失速した。

 しかしそれでも、ダイタクヘリオスとアイネスフウジンが作り出したハイペースの影響は大きく、マイラーたちの限りあるスタミナを根こそぎ奪っていたこともあり、ダイタクヘリオスはアイネスフウジンにこそ抜かれたものの他のウマ娘相手にはそのリードを守りきり、アイネスフウジンに次ぐ2着へと2バ身差で滑り込んだのだった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「で、どう思った」

 

 NHKマイルカップ後、学園へと帰ってきたアイネスフウジンは網によるマッサージを受けながらレース内容を思い返す。

 序盤こそ競り合っていたダイタクヘリオスが徐々に加速していって、みるみるうちに距離が離れていった。しかしその結果は未来のチームメイト(ツインターボ)のような破滅逃げ。

 レース場の性質とレース展開のおかげでリードを守りきったようだが、GⅠのレースとは思えないお粗末な幕切れだった。

 しかし、網のダイタクヘリオスに対する印象は変わらないどころか、上方修正さえされていた。

 

「ダイタクヘリオスは走るのが巧い。あのコーナリングもそうだが、意識的か無意識か全体的に負担の少ない走り方を徹底している」

 

「負担が少ない?」

 

「あぁ。ダイタクヘリオスの競走成績を見たが、クラシック期に入ってからはともかくジュニア期の出走回数は群を抜いている。その負担があまり見られないことが疑問だったが、あの走り方なら納得だ」

 

 かつて『最強の戦士』と讃えられた神話の住人は、金にならなければ走らなかったという。ならばどうしたかと言えば、オープン戦を使って調整を行った(・・・・・・・・・・・・・・・)のだ。

 実際、トレーニングと比べてレースの方が得られる経験は格段に多い。

 

「前にも言ったが、ダイタクヘリオスは伸びる。このレースはレース自体を利用したトレーニングであり布石だ。開花するとすれば……来年のマイルチャンピオンシップ辺りか……」

 

「フランスから帰ってきて十分休めてる頃合いなの」

 

「そうだな。恐らくお前の連覇がかかったレースになる。互いに1年半分成長しているとして、同じ走り方をされても同じように勝てると思わないほうがいい」

 

 普段繊細な大逃げを成功させているダイタクヘリオスがGⅠで見せた不格好な爆逃げ。そのインパクトはあまりにも大きい。それこそ、目に焼き付くくらいに。

 観客の多くが彼女を『バカ』と笑っただろう。観戦していた、あるいは出走したウマ娘は「次に爆逃げされたときは惑わされずに勝てる」とたかをくくっているだろう。

 それが彼女の狙い通りだったとしても、強すぎる光はどうしても残像となる。

 例え彼女が何も考えていなかったとしても、起きている事象が同じならば結果も同じだ。

 

「『バカ』を見て笑っていたはずが、『バカを見る』羽目になりかねない」

 

 事実、何も考えていないのだが。

 

「……でも今はそれよりも目の前の日本ダービーなの」

 

「そうだな。日本ダービーにダイタクヘリオスは出ない。なら今は気にする必要はない。俺が覚えておけばいいだけだ」

 

 アイネスフウジンの脚に不調はない。ゼロとは言い切れないが、故障はしないだろう。

 予定は先程公表した。蜂の巣をつついたような騒ぎになったが、想定内だ。マイル路線トップをひた走る娘が、中長距離に分類されるクラシック戦線のど真ん中に乱入してきたのだ。さもありなんである

 今日と同じ府中の、今度は2400m。ダービーを逃げで勝つのは難しいという言葉の通り、逃げが不利になる条件がフルコースのように揃っている舞台だ。

 だからこそ。

 

「勝つぞ」

 

「うん」

 

 負けたくない。

 時代の土手っ腹に風穴を空けてやる。

 日本ダービーまで、あと3週。



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【閑話】「『ウマ』って何?」

「トレーナー、『ウマ』ってなに?」

 

「ハァ?」

 

 アイネスフウジンが、どこぞの小さくてかわいいうさぎのような声を出した網の方へ目を向けると、どうやらツインターボの勉強を見てやっているようであった。

 ツインターボの発した質問はアイネスフウジンも疑問に思ったことがあるので、話に加わるため同じ机につく。

 

「だから、ウマ娘の娘って女の子のことでしょ? じゃあ、『ウマ』ってなに?」

 

「あー……それな、逆なんだわ」

 

「「逆?」」

 

 ウマ娘がふたり揃って首を傾げたところで、網はホワイトボードにペンを走らせる。

 

「酒の肴ってわかるか?」

 

「鮭の魚?」

 

「お酒の肴、おつまみのことなの」

 

「そう、その『肴』。それと、ツインターボの言ったフィッシュの『魚』」

 

 ホワイトボードに書かれた『肴』と『魚』。両方『さかな』と読む言葉だ。網はそのうち、『肴』に波線を引いた

 

「このふたつだと、実は(こっち)のほうが先に使われてたんだよ」

 

「そうなの!?」

 

 これに驚いたのはアイネスフウジンで、ツインターボは『肴』が身近でないためかピンときていないようだった。

 

「『肴』は元々『酒菜』と書いた。菜は今でこそ野菜とか草花の意味で使われることが多いが、昔はむしろ『おかず』という意味で使われることが多かった。主菜副菜の菜だな。つまりそのまま『酒のおかず』という意味だ。そんで、この頃『(こっち)』は別の読み方をしていた。『うお』だ」

 

「うお座のうおだ!」

 

「出世魚とか、魚河岸とかも言うの」

 

「そう。で、江戸時代辺りで肴の主流になったのが刺し身とかの魚だった。ここから、『(うお)』が『さかな』と呼ばれるようになったわけだ」

 

「……え? それがどう関係あるの?」

 

「まぁ、今の若者って『魚』が先に『さかな』と呼ばれてたと思ってるやつが多いんだよ。つまり逆なんだよな。『ウマ』の娘だから『ウマ娘』じゃなくて、『ウマ娘』って言葉から『娘』って言葉が生まれたんだよ」

 

「「ええええ!!?」」

 

 これはふたりにとって衝撃だった。しかしすぐに疑問が浮かぶ。

 

「……でも、『ウマ娘』から『娘』が生まれたなら、やっぱり『ウマ』ってなに? ってならない?」

 

「『ウマ娘』、漢字で書くと『娘』だな。そもそも、『』だけで『うまむすめ』って意味があるんだよ。だから『娘』だとウマ娘娘みたいな……」

 

「チゲ鍋!!」

 

「サハラ砂漠なの!!」

 

「まぁそこはいいんだが。知っての通り漢字のルーツは大陸、漢の国、つまり中国だな。そこではウマ娘って意味で『』が使われてた。読みは『バ、マ』だ。んでこの漢字が日本に渡ってくる前にウマ娘って言葉は生まれてる。元々は『埋まんとする()』だったんだよ」

 

「うまんと……?」

 

「脚の力が強くて、足が地面に埋まってしまうような女。つまり『埋まんとする女』だ。それが変化して『うまむすめ』になった。ここまではいいな?」

 

 網の問いにふたりが頷く。

 

「そんで、ウマ娘ってのは基本的に種族として顔が整ってる。だから、昔は美しい女性を褒めるとき『うまむすめみたいだ』とか言った。それが短くなって『あの女性はうまむすめだ』みたいに言うようになったが、種族の『ウマ娘』と褒め言葉の『うまむすめ』が口頭で区別をつけられなくなってきたんだ」

 

「アホじゃん!」

 

「よくあることだよ。そこで『』が渡ってくる。『この漢字がうまむすめって意味らしい』『なんて読むんだい』『マだかバだってよ』『ンマ? そんじゃあじゃないうまむすめはただのむすめだな』ってことで、ではない、つまり種族的にはうまむすめではないが、褒め言葉のうまむすめに当てはまる人間を『むすめ』と呼ぶようになった。後から漢字が当てはめられて『良い女』で『娘』だ。ここから娘の意味が拡がっていったと」

 

「えーと、つまりどういうことだ?」

 

「元々は『うま、むすめ』じゃなくて『うまむす、め』だった。あとから『うまむすめ』って意味で『ま』と読む漢字が入ってきた。そのせいで『うまむすめ』から『むすめ』が分離したんだ」

 

「「なるほどー!!」」

 

「だから今でも『』だけでウマ娘を表す言葉はいくつもある。『バ身』『バ群』『バ車』とかな……ところで、だ」

 

 網は笑っていない笑みでふたりを見て、問いかける。

 

「これ、中等部のはじめの方で習うんだが?」

 

「「あっ、ッスー……」」

 

「ツインターボはともかく、アイネスフウジンは確認してなかったな? お前、テストの点数とか大丈夫なのか? 補習とかあったら夏合宿の時間とか減るんだが?」

 

 アイネスフウジンは途端に脂汗をたらし始めた。実はアイネスフウジン、しっかり者のようではあるがあまり成績はよろしくない。昔から妹の世話を焼いていて、トレセンに来てからは掛け持ちでバイトをしていたため時間が取れなかったことが原因だ。

 しかし、学生の本分は勉強、バイトより優先させるべきなので自業自得である。

 

「アイネスフウジン、お前も今すぐわからないところまとめてもってこい!! 今日は終わるまでトレーニングなしだ!!」

 

「わ、わかったの〜!!」

 

 この突発的な勉強会によって、ふたりの成績は平均点に届く程度まで持ち直したそうである。



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背負うべきもの

「マックイーン! 大丈夫!?」

 

「ライアンさん……? もう、大袈裟ですわ」

 

 NHKマイルカップの僅か2日後、メジロライアンはメジロ家の一室に駆け込んでいた。メジロマックイーンがあやめ賞の後、メジロ家の主治医によって処置を受けたと聞いたからである。

 一目散に武田主治医のもとへ駆けつけると、既に処置は終わり自室で休んでいると聞かされ、方向転換して突撃した次第だった。

 

「ただの骨膜炎(ソエ)ですわ。菊花賞までには間に合わせるつもりです」

 

 ならよかった、とは言えなかった。確かに骨膜炎(ソエ)はウマ娘の種族病の中では比較的治りやすい病気だ。人間の骨膜炎と同じくショックウェーブ治療が有効で、それに加え休養をとれば間違いなく治るだろう。メジロ家の主治医は優秀だ。

 だからと言って発症していいわけもない。そもそも、メジロマックイーンが骨膜炎(ソエ)を発症したのはデビュー前で、今回のはそれが悪化したものだ。

 

「でも……」

 

「それより!」

 

 話を逸らした、というわけでもなく、メジロマックイーンはずいっとメジロライアンに詰め寄る。その目には責めるような光が宿っていて、反射的にメジロライアンは目を背けた。

 

「なんですの、あの皐月賞での走りは」

 

「うっ……」

 

「メジロの誇りはどこに置いてきましたの」

 

 皐月賞、メジロライアンは2着だった。結果だけならそう悪いものとは言えないだろう。しかし、その走りは正直決して強いレースと呼べるものではなかった。

 惜敗であればよかった。しかし結果は1着のハクタイセイと3バ身差。しかも精神的に完全に飲まれながらのゴールである。

 

「……じゃあ、もう、マックイーンがとってよ……クラシックも……天皇賞も……」

 

「!!」

 

「あたしじゃムリなんだよ……もう……」

 

 メジロライアンから漏れた本音。今までただ強い責任感によって堰き止められ続けていた、どうしようもなく弱い部分。

 どれだけ鍛え続けても強くならない。期待されるのが怖い、期待に応えられないのが怖い、期待を裏切るのが怖い。

 

「結局、あたしはメジロの誇りのためになんて走れてない。期待を裏切るのが、失望されるのが怖いから……保身なんだよ……」

 

 普段のメジロライアンからなら絶対に出ないであろう、己を深く傷つける心の膿が、深く重くらしい重圧感に押しつぶされて流れ出る。何もかも投げ出し逃げてしまえたら。いっそ楽だろう。本能に身を任せてしまえたら。

 

「あたしは……マックイーンみたいに強くないんだ……」

 

 自分よりも年下で、しかし自分よりも大きな一族の期待を背負っているメジロマックイーンをみるたび、劣等感が積もっていく。

 今までは耐えられていた重圧は自分と周りとの意識の溝を自覚する度に重くなる。泥濘に足がハマったように、ゆっくり。

 

「どうして……マックイーンはそんなに強くあれるの……? 期待を重く感じないの……? 怖く、ないの……?」

 

 手を伸ばせば触れられる距離にいるはずのメジロマックイーンが、どうしようもなく遠くにいるかのように思える。

 あの重圧を受けて、どうしてそんなにもしゃんと立っていられるのか。知りたくて、メジロライアンはそう訊ねた。

 

「当たり前ですわ。天皇賞を勝つことがメジロ家における私の大義。期待はそれを私が成すと皆様が信じていらっしゃるというだけ。期待があろうとなかろうと、私の大義は変わらないのですから」

 

 そんな、強く自信に満ち溢れたメジロマックイーンの言葉に、メジロライアンはどこか違和感を覚えた。なにか食い違っているような、そんな違和感。

 自分が意固地になっているからだろうかと自分を納得させようとするメジロライアンに対して、メジロマックイーンは悍ましいほどにするりと言い放つ。

 

「それに、恐らく、私が日本ダービーで1着をとっても、世間はともかくメジロ家の方々は眉一つ動かさないでしょうから」

 

 メジロマックイーンの言葉を、メジロライアンは一瞬理解できなかった。

 

「……え……?」

 

「直系の子孫であるとはいえ、私の母は一度メジロから出た身。それなのに私がこうしてメジロの家で多くのことを学ぶことができているのは、ただひとえに私には天皇賞をとる(ステイヤーとしての)才能があったから」

 

 メジロライアンには、クラシックディスタンスの才能があった。しかし、天皇賞(3200m)を走れるだけのスタミナがない。

 そんな折に現れた、本家の血が流れる長距離覇者の才能を持った娘。それに、メジロ家が食いつかないはずがない。

 

「……そんな顔をしなくとも、別に、両親と引き離されたわけではありませんわ。会いたいときに会いに行けたので……話したことはありませんでしたっけ?」

 

「…………」

 

「まぁ、そういうわけですので、私のメジロ家での存在理由は天皇賞をとることにあります。メジロ家の未来を切り拓くための第一歩となるライアンさんと違って、私がクラシックを勝ったところでメジロ家は何も変わりません。とはいえ、菊花賞は流石に私も本気でとりにいきますが……」

 

 メジロマックイーンの言葉がほとんど耳に入らない。

 メジロの(じつ)を残すために育てられたメジロライアン、メジロの名を残すために育てられたメジロマックイーン。その差を、この時メジロライアンは初めて明確に理解した。

 メジロマックイーンは期待などされていない。そんなものは期待じゃない。呪いだ。古くからの拘泥を、執着を、捨てきれなかった自尊心を、幼い子供に詰め込んで縛り付けるだけの、どろどろとした大人による呪詛だ。

 

「それにライアンさん、違うでしょう?」

 

 再び鋭くなったメジロマックイーンの声がメジロライアンを現実へ引き戻す。

 

「あなたは弥生賞を勝利しています。あの時のあなたは迷いもなく、メジロに相応しい勝利を演じました。その時と皐月賞の違いは重圧(プレッシャー)ではないでしょう」

 

「え……あ……」

 

「アイネスフウジンさん、ですわね」

 

 そうだ。確かにプレッシャーによる精神的な負担もありはした。しかし、あそこまでメジロライアンの精神を揺らしたのはやはり、アイネスフウジンによる中2週という無茶なローテの暴露だったのだ。

 

「ライアンさん、あなたは優しすぎます。それは、あなたが背負うものではないのです」

 

「…………」

 

「私がメジロ家の矜持として天皇賞制覇を背負うように、NHKマイルカップから日本ダービーへの出走と、その結果、故障をしようと敗北をしようと、それを背負うべきはアイネスフウジンさんであり、あなたではないのです。背負うべき責任を間違わないでください」

 

「……あたし……は……」

 

「1番背負わなければならないのは、あなたが望んで行動したことの結果に対する責任です。アイネスフウジンさんはそれを自身で負うつもりで決意し、恐らく彼女のトレーナーもそれを支えるつもりで責任をとろうとしています。そこにあなたの介入する隙間はないのですよ」

 

 メジロライアンにメジロマックイーンの言葉が沁みていく。その通りだ。

 結局自分は、逃げ道を探していたのだと自嘲する。これだけ多くのものを背負っているから、それが重圧になっても仕方ないと自分を納得させられる言い訳を。

 

(アイネスが、マックイーンが、自分自身の覚悟で負っているそれと比べれば、あたしの負うそれなんて軽いものだ……)

 

 自分は挑戦者だ。メジロ家からクラシックという戦場に挑戦する者だから、今回の皐月のように励ましの言葉が多くかけられている。

 アイネスフウジンは故障すればそこで終わりだ。それでも、その責任を自分で選んだ。メジロマックイーンは王者として天皇賞に挑む。メジロ家の誇り(呪い)を胸に、負けられない戦いとして。

 

(それに比べてあたしは……そう、ただ、あたしが負けたくない、それだけだ)

 

 そう思い至り、メジロライアンは自身の頬を張った。痛みに耐えるため一度閉じた目が再び開いたとき、そこにはもう弱気は存在しない。

 己を鍛えようと上を向く、麗しき挑戦者の瞳が収まっていた。

 

「……もう大丈夫そうですわね」

 

「うん、ごめん、ありがとう」

 

「それはあなたのトレーナーにおっしゃってあげてください。彼、あなたを元気づけようと私含め皆に色々と聞いて回っておりましたのよ?」

 

「トレーナーさんが……!」

 

 メジロライアンはもう一度感謝を伝えてメジロマックイーンの部屋を飛び出す。向かう場所はメジロ家のグラウンド。そこに、メジロライアンのトレーナーが待っていた。

 メジロ家からの推薦で出会いこそしたが、ここまで1年、共に過ごし、育み、鍛えてきた絆は本物だ。

 

「……よかった、ライアン、調子は戻ったみたいだな」

 

「はい! ご迷惑おかけしました!」

 

「いや。正直、お前が実力出しきれてないのは俺が未熟だからじゃないかと思っているんだ。メジロライアンというウマ娘の今出せる実力は、もっと上にあるんじゃないかと。自分を見直すきっかけになったさ」

 

「そ、そんなこと!」

 

「いいんだ。ライアン、次は勝つぞ」

 

 期待ではない。呪いでもない。重圧でさえない。

 メジロライアンを見るトレーナーの目を、顔を、彼女は見たことがあった。

 それは信頼を超えた、確かな『確信』の顔。

 メジロライアンの胸が、魂が、熱く燃える。

 

(あぁ……アイネスもこんな感覚だったのかな……だったなら、そりゃあ止められないや)

 

 今にも走り出したいと。自分とこの人のために負けたくない、勝ちたいと、魂が叫んでいる。

 

「――はいっ! トレーナーさんに、自分の担当したウマ娘の中でライアンが1番強かったと、いつまでも言わせる、そんな活躍を見せて差し上げます!」

 

「! ハッハッハ!! そりゃいいな!! じゃあ、早速ダービーに向けての調整だ!! 皐月賞ウマ娘だかNHKマイルの覇者だか知らんが、お前の筋肉で叩きのめしてやれ!!」

 

 負けたくない。

 時代の先端に名を刻んでやる。

 日本ダービーまで、あと3週間。



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愛成風神

 5月5週、東京レース場、日本ダービー開催。

 

 泣いても笑っても生でただ一度しか挑戦できない最も誉れ高き舞台。

 ダービーウマ娘になるのは一国の宰相になるよりも難しいと言ったウマ娘がいた。

 大外でいい、他のウマ娘の邪魔もさせない、ただ彼女がどこまで行けるのかが見たいと懇願したトレーナーがいた。

 教え子がダービーウマ娘になるなら指導者を辞めてもいいと言った教官がいた。

 そして出走が叶うのは、数百から数千のクラシック級ウマ娘からわずかに18人*1。出走の権利を得ることすらもあまりに狭い門なのだ。

 

 今、地下バ道で一堂に会した18人の優駿。各々が最後の調整や、トレーナーとの会話を行っている。

 その中に、アイネスフウジンはいた。突き刺さる視線にただのマイラーと侮るものはない。その侮りひとつが勝敗さえ分けることを彼女たちは知っている。

 ダービーを逃げで勝つのは難しい。2400mという距離設定はURAの基準でこそ中距離とされているが、より正確とされるsmile区分では有記念などと同じ長距離(long)なのだ。

 それに加え、垂れた逃げを躱しやすい最終直線は長く、スタミナを注ぎ込んできた逃げにトドメを刺す緩い上り坂が続く。この東京レース場は、圧倒的に後方脚質が有利なのだ。

 

 しかし、アイネスフウジンには破滅的とも言えるハイペースで逃げ切ることができるだけのスタミナがある。

 ハイペースではない普通の逃げで来ると考えている者がおよそ半分、今まで通りのハイペースで通してくると考える者がもう半分。そのどちらも、真剣にアイネスフウジンを警戒していた。

 

 そのアイネスフウジンが地下バ道に視線を巡らせると、ふたりのウマ娘と目があった。言わずもがな、メジロライアンとハクタイセイだ。

 3人は互いの存在に気づきながら、しかし言葉は交わさない。このレース前、告げる必要のある言葉を持っていなかったからだ。

 謝罪なんてものはすべて終わってからでいい。絶対に勝つという宣戦布告もいらない、ここに立っている以上、勝つつもりで走るのは当然のことなのだから。

 ただ、メジロライアンが調子を取り戻している。その事実がわかっていればそれでいい。アイネスフウジンとハクタイセイにとっては、それで十分だった。

 

「トレーナー。それじゃ、勝ってくるの」

 

 網に告げてターフへ足を向けるアイネスフウジンに続き、次々と選手がコースへと旅立っていく。

 

『やって参りました優駿の舞台、日本ダービー、 今年はどんなドラマが待ち受けているのでしょうか。 天候は晴れで良バ場、フルゲートでの出走になります。

 3番人気は3枠6番メジロライアン、前走皐月賞では2着に破れましたがその前のトライアル弥生賞では1着。GⅠ勝利こそないものの期待が持てる娘です。メジロ家悲願のダービー制覇となるでしょうか。

 2番人気は8枠15番ハクタイセイ、皐月賞ウマ娘です。ホープフルステークスも制覇しGⅠ2勝をあげており、師の名から「白いハイセイコー」と呼ばれている実力者です。

 そして1番人気、4枠8番アイネスフウジン、前走NHKマイルカップを制覇し僅か中2週での出走、朝日杯も制覇しておりGⅠ2勝です。今まで1600mより長いレースは走っておらず2400mは初挑戦、逃げで勝つのは難しいと言われるダービーを得意の逃げで駆け抜けられるか。

 ゲート入り完了、間もなく発走となります』

 

 実況による場繋ぎが終わり、ウマ娘たちは全員ゲートに収まった。心臓と耳鳴りがうるさいほどの静寂。アイネスフウジンが感じ取っているその場の空気の緊張は、同じGⅠでも朝日杯のそれとは比べ物にならない。

 緊張と集中が、途切れるか否か、その境界を踏み越えんとする者が現れるギリギリで、ゲートが開いた。

 

 ゲートが開くと同時に、アイネスフウジンが勢いよく飛び出していく。間違いなく普段通りのハイペースでの逃げに他の出走者たちの警戒が強くなる。

 単騎逃げは強い。競り合う必要がないからスタミナの消費は減り、完全に自分のペースで走れるからストレスが減る。

 だからと言ってアイネスフウジンに襲いかかる影はない。アイネスフウジンのペースについていったら間違いなく潰れるからだ。追走ならともかく、ハナ争いをするのは自殺行為に等しい。

 観客などからは勘違いされがちだが、アイネスフウジンのそれは大逃げではなくあくまでハイペースな逃げだ。つまり二の脚が存在する。

 

 カムイフジがアイネスフウジンを追走し、先行勢がそれに続く。朝日杯にも出走していた面々はアイネスフウジンに食らいついて行く者が多く、それ以外の先行勢は中団に構え、そこから差しと追い込みが続く。

 向正面、隊列は縦長、ハイペースにも拘わらず前残りしやすい逃げ有利の展開だ。アイネスフウジンは展開を維持するためカムイフジを引き離しにかかる。

 

 アイネスフウジンが豊富なスタミナを惜しみなく使いレースを翻弄する一方、そのスタミナの多さが逆にアイネスフウジンの不利に働いてもいた。

 

(今のアイネス殿についていったら間違いなく潰れる……焦るな……今は脚を溜めて、第3コーナー(3角)から早仕掛けして、差し切る!!)

 

 アイネスフウジンのスタミナが今よりも少なければ、もっとギリギリの勝負になっていれば、ハクタイセイはアイネスフウジンに追走していただろう。そうなれば、彼女のスタミナはまず間違いなく保たなかった。

 しかし、それでは勝ち筋を自ら捨てることになることに気づいたハクタイセイは、いつものように中団、好位追走を選択した。

 

(アイネスのスタミナは絶対足りる……第3コーナー辺りから仕掛け始めないと間に合わない!!)

 

 後方10番手を進むメジロライアンも、アイネスフウジンの様子がギリギリであれば、同じくギリギリまで脚を溜めていただろう。

 しかし、メジロライアンは多少スタミナを注ぎ込んででも早めに仕掛け始めることを選んだ。

 結果的に、ふたりはアイネスフウジンを射程範囲に収めることに成功した。

 

 先頭のアイネスフウジンと追走していた番手*2のカムイフジとの距離が1バ身ほどまで縮んだ状態で、アイネスフウジンが第3コーナーに突入する。

 カムイフジが失速し始め、他の先行集団もヨレ始める。アイネスフウジンは滂沱のように汗を流しているが脚色(あしいろ)に衰えは見えない。

 アイネスフウジンが最終コーナーを回りながらスパートをかけ始めるその直前、第3コーナーへ突入したハクタイセイとメジロライアンが仕掛けた。

 

 最終直線、アイネスフウジンと番手との距離は4バ身ほど。残り500m余り、アイネスフウジンは更に脚に力を籠める。

 垂れてきた先行勢を横目に、ハクタイセイが遅れて外から最終直線へ入る。眼前にあるアイネスフウジンの背中は失速どころかジリジリと離れている。

 

 だが、条件は整った。

 

(来たっ!! "領域(ゾーン)"!!)

 

 最終直線、先頭のアイネスフウジンを追走するハクタイセイを中心に風景が塗り替わる。星なき夜闇と一面の猛吹雪。

 "領域(ゾーン)"、超集中状態に入ることで一時的に身体能力が跳ね上がる現象。

 原理は解明されておらず、心象風景のような幻覚を見ることもあるため脳内麻薬の大量分泌によるリミッター解除と言う説があったり、その幻覚が周囲のウマ娘に伝播することからウマソウルとの関連性が疑われている。

 先の皐月賞でその入り口に踏み入ったハクタイセイは、ハイセイコーによる指導の元"領域(ゾーン)"を習得するに至っていた。

 

(ハクタイセイが"領域(ゾーン)"に! くそっ、動けあたしの脚!!)

 

(脚が重い……これが"領域(ゾーン)"……!)

 

 メジロライアンはもちろん、アイネスフウジンもそれについて知っていた。吹き荒れる冷嵐を前に失速を始めるアイネスフウジンの背後から、白刃と化したハクタイセイが迫る。

 

(くそっ! くそっ! 覚悟を決めても結局あたしは届かないの!? なんのためにここまで鍛え上げたんだ!! この程度で音を上げるなよ!! あたしの筋肉っ!!)

 

 領域の中をメジロライアンが押し進む。最早メジロライアンもバ群からは抜け出し、追うふたりの背中は少しずつ近づいてはいる。

 ターフが弾けるような力強い一歩一歩が、爆発のようにメジロライアンの体を押し上げる。アイネスフウジンの背をハクタイセイが捉え、そしてその背にメジロライアンの手が届くその寸前。

 

 風向きが、変わった。

 

 

 

「日本ダービー、恐らく誰かしら"領域(ゾーン)"に入る」

 

「"領域(ゾーン)"?」

 

「今は詳しく覚える必要はねぇ。簡単に言えばリミッター解除状態だ。大抵は絶好調のときにきっかけを掴むんだが、ハクタイセイかメジロライアンはもうそのきっかけを掴んでると思っていい。他にも誰かいるかもしれない」

 

「……どうにかできるの?」

 

「精神的なスイッチである以上、なんのキッカケもなしに"領域(ゾーン)"に入るのは難しい。ゲームみたいに言えば大抵は発動条件があるからそれを防げばいいんだが……できれば苦労はしない。だからだ」

 

 日本ダービー直前、体が軽いとはしゃぐアイネスフウジンに、網が告げる。

 

「ここ一ヶ月で、日本ダービーに合わせてコンディションが最高潮になるように調整してきた。アイネスフウジン、"領域"に入ってこい(・・・・・・・・)

 

 

 

 銀色に可視化した空気の奔流、つまりは、風。

 冷気も、吹雪も、何もかも飲み込んで後ろへと流していく向かい風を纏う少女は、裏腹に追い風に背を押されるかのように軽やかに加速していく。

 再び突き放される距離。一拍遅れて、ハクタイセイは夜闇を切り裂き追走する。

 

 暴風、突風、疾風。風とは、速さの象徴である。風とは、自由の象徴である。

 ほんの一瞬だけ、ハクタイセイがアイネスフウジンに並び、そしてまた突き放される。

 その横を抜け、代わりにアイネスフウジンに肉薄し始めるのはメジロライアン。

 残り100m、呼吸が止まる。鍛え上げた筋肉で行われる無酸素での疾駆。人間で言う短距離走の走り。あと少し、残り1バ身の距離まで詰め寄り。

 

 詰め寄り。

 

 詰め寄り。

 

 近づかない。縮まらない。

 むしろ、離されていく。

 否、離される時間さえ、最早ない。

 

 連続してゴール板が踏み鳴らされる。ゴールした者から順に失速していき、息も絶え絶えにその場に崩れ落ちていく。

 喉を鳴らしながら息を吸う者、何度も咳き込みながら横隔膜を落ち着かせようと必死になる者、何度拭っても溢れ出る汗で瞼さえ開けられない者。

 それぞれがすべてを出しきった戦いの中で、たったひとりの勝者は拳を挙げた。

 

『ゴール!! ゴール!! 1着はアイネス! アイネスフウジン!! 2着メジロライアン!! 3着はホワ――』

 

「……あたしの……勝ち……っ!!」

 

 横たわっていた彼女が戦友の姿を探すため身を起こすと、爆発したかのような歓声が巻き上がる。

 思わず身を竦めたアイネスフウジンに降り注ぐのは、魂を震わせるような走りを見せた勝者へ贈られる賛辞。

 

「アイネスー!! 良かったぞー!!」

「アイネスフウジンー!!」

「かっこよかったよー!! フーちゃーーん!!」

 

 バラバラに聞こえていた声援はやがて名を呼ぶだけのものに揃っていき、20万の声がただ彼女の名を呼び続ける。

 予想だにしない出来事にアイネスフウジンが呆然とする。意外なことかもしれないが、URAが創設されて以来、会場中の観客が自然と勝者の名を叫ぶことなど初めてだったのだ。

 ボーッと浴びせられる自分の名を聞いていたアイネスフウジンに、一足先にある程度回復したハクタイセイとメジロライアンが手を差し伸べる。

 それに掴まってよろよろと立ち上がったアイネスフウジンは、状況を飲み込んで、再び拳を突き上げた。

 

 再度、山鳴りのような歓声。

 これからのURAのレースすべてに影響を与える文化の始まりたるその日本ダービーは、こうして幕を閉じた。

*1
当時は史実だと頭数制限はなかったが、当作品では出走人数制限は現代に準拠する。

*2
ばんて。逃げ馬を追走する前から2番目の馬のこと。



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オグタマライブ ??/05/27

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやで〜!」

 

「まいど。トゥインクルシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど〜』

『まいどー』

『オグリのまいどかわいい』

『まいど〜』

 

「さて、今日は本年度クラシック2つ目、日本ダービーの実況をしてくで!」

 

「出走者はこんな感じだな」

 

「うちらのファンの娘おるやん。こないだ皐月賞勝っとった娘」

 

『ハクタイセイちゃん』

『デビュースベり芸』

 

「ファンだから贔屓するわけではないが、注目に値する娘だな。だが今回は少し距離が長いか?」

 

「見るからに2000ジャストが得意ですみたいな走りしとったからなぁ。距離の不利をどう覆すかやと思うで。皐月賞で"領域(ゾーン)"に入りかけとったから、そこからどこまで成長したかやな」

 

「メジロライアンは皐月賞では不調そうだったが、今日は仕上げてきているな」

 

「若干張り切りすぎとるのはまぁ許容範囲やろ」

 

『会場歓声すげぇな』

『黄色い声すご』

『ライアン女子の圧よ』

 

「オグリもこんなんやんなぁ? キャーキャー言われとる」

 

「そうなのか?」

 

『オグリギャルな』

『オグリギャルは散歩中の柴犬見てる感覚だろ』

『オグリントコトコでワロタ』

 

「犬なのか……」

 

「不満なら街で餌付けされんのやめぇや」

 

「断ると寂しそうな顔をするからな……」

 

『アイネスフウジンはいけんのか?』

『アイネスフウジンに2400mは無理だろ。2000mが限界』

『出たな距離不安おじさん』

『アイネスフウジンの脚心配』

 

「あー、いけるんとちゃう? 言うて中2週やし」

 

「あそこのトレーナーはケアの腕がいい。見ていてわかるくらいだ」

 

『お前ら基準だとそうかもしらんが』

『マイルCSからJC行った感覚は信用ならねぇ』

『G1連闘奴〜wwwwwwwww』

『何気に桜花賞トライアル→桜花賞→オークストライアル→オークスのイクノディクタスもイカれてる』

『イクノはそれで勝ててればな……』

 

「いやうち基準でも中2週はキツイわ。オグリと一緒にすなや」

 

「突然の裏切り」

 

「そうやなくて、今日アイネスフウジンびっくりするくらい仕上がっとるから、全然走りきるんちゃうかなって」

 

「確かに。絶好調といった面持ちだな」

 

『ホワイトストーンちゃん!』

『白石さん今日こそG1勝ってくれ〜』

『善戦マンからいきなりダービーウマ娘になったらカノープス壊れちゃう』

 

「いきなりってか善戦マンはこれまで善戦しとったから善戦マンなんやからいきなりとちゃうやろ」

 

「今回はGⅠ2勝のアイネスフウジン、ハクタイセイにGⅠ級のメジロライアンの3強プラスホワイトストーンに、他のウマ娘がどこまで食らいついていけるかというレースになりそうだな」

 

「ほなコースチェックしよか。日本ダービーのコースは東京レース場の芝2400m」

 

「特徴は中央のレース場では最も長い526mの直線だな」

 

「直線が長いと芝の荒れてへんとこを選べるし、加速のしやすさがダンチや。府中が後ろ有利って言われる所以(ゆえん)やな」

 

「スタートから第1コーナーまで距離があるから、結果的に内枠の有利は薄くなる。それから、第3コーナー手前に上り坂、第3コーナーから最終コーナーにかけて緩く下り坂があり、最終直線で緩い上り坂がある」

 

「とことん逃げの体力を削りに来るコース設計やね。『ダービーを逃げで勝つのは難しい』なんて言われるだけあるわ」

 

「事実、ダービーを逃げ切ったウマ娘はカブラヤオーを最後に現れていない」

 

『ドビビリのカブラヤオーか』

『現役時代は狂走なんて呼ばれてたのに……』

『俺当時完全にクールビューティーだと思ってたわ』

『カブラヤオーと比べるとアイネスフウジンの逃げ方がマトモだとわかる』

『そうかな……そうかも……』

 

「とか言ってる間に発走や」

 

「今回のファンファーレは海上自衛隊東京音楽隊の皆様に演奏していただいている」

 

『そういえばなんで自衛隊がレースのファンファーレなんてやってるん?』

『広報活動の一環』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「スタートしたな。おおかたの予想通りアイネスフウジンがハナを切った」

 

「トバしてはいるけど今までほどじゃないなぁ。流石にスタミナ温存してくるかぁ」

 

『いやわからん』

『今までと違いがわからん……』

『ライアンとハクタイセイは後ろか』

 

「ハクタイセイはいつも通りの中団好位やね。ライアンはやや後ろ……縦長になってきたなぁ」

 

「ハイペースで進んでいる。コーナーを抜けて向正面、単騎のハナと先行集団先頭のカムイフジとは3バ身から4バ身差。縮めようと追走しているようだが……」

 

「無理やろうね。アイネスフウジンはあれでスタミナ温存しとるから、前でガツガツくっついとったら先にバテてまうわ。掛かっとんのか?」

 

「マイルの朝日杯で完敗して、中長距離のダービーでも負けるのが我慢ならないのだろうか。だいぶ焦れ込んでいるように見えた」

 

「あー、わかるわー。ウチも毎日王冠1着が2500mで差してきた思たらその後安田とかマイルCSとか勝っとってわけわからんくなったし」

 

『こいつらに実況させると凄さが霞むな』

『緩い雰囲気出してるから忘れるけどこのふたりもレジェンド級なんだよな』

 

「第3コーナー前の坂はなんとか乗り越えたようだが、先行集団の多くはここで脱落だろうな」

 

「後ろのウマ娘はこの辺で仕掛けんと詰むで」

 

『ライアン来た!』

『ハクタイセイも仕掛けた』

『一流は流石なんだなぁ……』

『ホワイトストーンちゃんも来てるよ!』

『アイネスフウジンは4角スパートか……スタミナ温存策が吉と出るか凶と出るか……』

 

「コメ欄も言うとるけど、アイネスフウジンが最終コーナーまでスパート渋ったんはスタミナ気にしたからやろうね」

 

「見た目ほどスタミナは残っていないようだな」

 

「こっからは根性勝負や。気持ち途切れたやつから負けるで」

 

『おわっ』

『ふぁー』

『なんや』

『どしたん?』

『領域キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』

 

「あぁうん、ハクタイセイの"領域(ゾーン)"が出たんやね」

 

「流石にカメラ越しだと視えないな」

 

「現地勢のどんくらいがしっかり見えてんのかもわからんけどな」

 

『ハクタイセイのゾーンってどんなん?』

『猛吹雪の夜みたいな感じ』

『俺オグリンの領域見たことあるけどあれにちょっと似てた。オグリンのに比べて攻撃的だけど』

『皐月で食らってダービー落とされたけどスゲェ寒かったゾ』

『おはワイルドファイヤーネキ』

 

「アガってきたライアンと逃げるアイネスの脚色が曇ったな」

 

「ホワイトストーン上手いな、"領域(ゾーン)"食らわん位置で待機しとるわ」

 

『アイネスフウジン再加速!!』

『アイネスも覚醒!?』

『アイネスの"領域"キタ!?』

『ハクタイセイー!!』

 

「あー……"領域(ゾーン)"やね……今年のクラシック質高ない? あれ普通シニア期とか、早くてもクラシック秋天辺りできっかけ掴むもんとちゃうんか?」

 

「よく見てみるとライアンも"領域(ゾーン)"に入りかけてるな。こちらはまだうまく発現していないが」

 

「精神性の違いやろね……ハクタイセイ落ちてきたな……」

 

「アイネスフウジンはここでゴール、2着はハクタイセイ抜いてメジロライアン、3着にホワイトストーンだな」

 

『まーたカノープスだよ』

『何故皐月賞ウマ娘を差しておいて勝ちきれないのか』

『距離不安おじさん見てるー?』

『不安なのは事実だろ、3連対含め全員うずくまってるし』

『うおっ、スゲェコール』

『今までこんなんあった?』

 

「気持ちええ勝ち方したからなぁ……応援したくなったんやろ」

 

『ヒトカスやるやん!』

『その優しさを普段から見せろヒト畜生』

『なんだぁ……テメェ……?』

 

「ヘイトスピーチ……」

 

「対立煽りに触んなや。無言で通報、ええな?」

 

「ウイナーズサークルで授賞とインタビューだな」

 

『出た、黒い人』

『相変わらず怪しい』

『なんか青いのいない?』

『アイネスフウジン騙されてない? 大丈夫?』

『ダディー! 青いのおるー!』

 

「ここまでコテコテに怪しいと逆に怪しくないんちゃうか?」

 

「ジェイソンが斧を持っているようなものか?」

 

「いやそれは100パー殺人鬼やん」

 

『Q.日本ダービー出走はどちらの希望?』

『A.選択肢として提示したのは自分(トレーナー)だが、希望したのはアイネスフウジン』

『黒くてデカくて笑顔が胡散臭いからもう怪しすぎる』

『Q.勝利は確信していた?』

『A.勝率はそれほど高くないと思ったからこの日までにコンディションを整えた。それを踏まえれば間違いなく勝てると断言できる』

 

「どんな管理能力やねん」

 

『おかしいこと言ってる』

『アイネス「レース前に"領域"に入ってこいって言われた」』

『入れって言われて入れるもんじゃないんよ』

 

「確かに一発目の"領域(ゾーン)"って絶好調なときか苦戦してるときやけど……ムチャクチャやな……」

 

『Q.意図して"領域(ゾーン)"を発現させた?』

『A.それはない。仕上がりきった手応えがあったからハッタリで言った。精神的な比重が大きいことは知っていたからハッタリでも効果的だと思った』

『アイネスすごい顔しとるやん』

『アイネスめっちゃ驚いてて芝』

『そらハッタリじゃなかったら超人の類やろ。領域やぞ』

 

「普段からの信頼が見て取れるな。トレーナーが期待を裏切らないからこそウマ娘も指示を信じられる」

 

「怪しいナリしとるけど関係は良好みたいやね」

 

『月刊ターフの記事はやっぱガセか。トレーナーが話題作りのために無理矢理ダービー走らせたってやつ』

『こんだけ信頼してるのわかるんだからガセで間違いないだろ』

『なんであそこ潰れないの?』

『陰謀論好きとか人類ウマ娘対立厨がこぞって買ってるから』

『アイネスとメイクデビュー走った娘から聞いたけど月刊ターフそこで難癖つけて網Tにろんぱっぱされて逃げ帰ったらしい』

『逆恨みやんけ!』

 

「はいはい、当放送は月刊トゥインクルの企画でお送りしておりますがコメ欄の他社叩きは触れないでいくでー」

 

「タマ、それは触れているのでは……?」

 

『Q.これからも中長距離に出走する予定?』

『A.今回はアイネスフウジンが出たいと言ったから出した。アイネスフウジンの適正距離はマイルで間違いないから基本的にはマイル路線、長くても2200m』

『宝塚出す気満々で芝』

『日本総大将やってくれんかなと思ったけど無理か。海外勢にアイネスの超高速バ場食らわしたかった』

『インタビュアー青い娘チラッチラ見てて芝』

『アイネスフウジンが出たいって言ったら出るぞ』

 

「まぁ担当の意見を尊重するってゆーとるようにもとれるわなぁ」

 

「なるほど、これが情報戦」

 

『Q.そちらの方(青いの)は?』

『A.担当ではないが個人的に指導している娘』

『ターボやんけ!』

『ツインターボやん』

『誰や』

『開幕ダッシュちゃん』

『有名人?』

 

「いや、見たことはないな……」

 

「ウチ模擬レースで見たことあるわ。開幕からスパートかけて途中でバテて沈んでくとこ」

 

『芝』

『アホで芝』

『ターボ「ターボはツインターボだぞ!」』

『これは愛しいアホ』

『個人的に指導……?』

 

「なんかまたエラいこと言うてんねぇ!」

 

「自信満々だな」

 

『ターボに全部バラされてて芝』

『【速報】アイネスT、ダービー勝つの前提で事前スカウト』

『朝日杯終わってからって言ってたからNHKマイル勝つのも前提か?』

『笑顔引きつってて芝』

『アイネスとライアン表情逆やろ、なんでアイネスが驚いててライアンが苦笑やねん』

『しかも今年デビュー予定かよ!?』

 

「この青いのも青いのでなんで受け入れてんねん……」

 

「なにかまずいのか?」

 

「詳しくは省くけどアイネスフウジンが全勝してへんかったら正式なスカウトがメイクデビュー開始に間に合わんねん。未勝利戦の回数は決まっとるから、メイクデビューがズレ込むほど不利やろ?」

 

「1回目のメイクデビューで勝てばいいのでは?」

 

『それはそう』

『怪物に常識を説いてはいけない』

『タマ、諦めろ。オグリだ』

『ツインターボってこれ言えるくらい強いんか?』

『昨年末の選抜レースはドベ』

『ダメじゃん』

『問題行為にはならんの?』

『ウマ娘側が納得しとるから問題にはできひんけどグレーゾーン』

 

「まぁ実際に勝たせてるわけやからな……チーム制度も優秀なトレーナーにいっぱいウマ娘育ててもらおうって制度やし……」

 

『ライアンとハクタイセイ知っとんったんか』

『【悲報】ターボ、アホ』

『最大の仮想敵相手に最大の挑発カマされたアイネスTェ……』

『もしかして:自業自得』

『担当の誕生日プレゼントのリサーチする優しさと悠々と制度のグレーゾーン歩く悪辣さの高低差で耳キーンなるわ』

『レースより盛り上がってきてて笑うわ』

 

「インタビュアー困ってるぞ」

 

「色々聞きたい気持ちとライブの時間が近いことの板挟みなんやろなぁ」

 

『ターボ「ターボ、テイオーに勝つ!」』

『癒やし』

『テイオーってトウカイテイオーか?』

『皇帝の秘蔵っ子やん』

『茨の道っていうか有刺鉄線』

『流石にシメの指示が出たか』

 

「はい、このあとはライブやね。長かったわ」

 

「いつもどおりウイニングライブ前にお別れだ」

 

「それじゃあみんなぁ」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほな』

『ほつー』

『ほななー』

『オグリのほなな〜助かる』




タボボの件でアイネスフウジンが驚いてるのは、そのことをライアンたちが知っていたことに対しての驚きです。


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初太刀

 ナイスネイチャはごく一般的なウマ娘である。

 彼女がそう自嘲する理由など、もはや説明するまでもあるまい。周りのウマ娘より速く走れて、自分の才能に自信を持って、そして本物の天才に出会い、目が眩んだ。

 そんな、これまでの生までもひどくありふれたナイスネイチャは今、これまたよくあるピンチに陥っていた。

 

 選抜レース3着。姉弟子の娘(トウカイテイオー)がぶっちぎったレースの次のレースでそんな成績を残し、そして誰からもスカウトの声がかからなかったナイスネイチャは悩んでいた。

 6月1週、水曜日、週末からはメイクデビューが始まる。本格化は始まっていると診断が出されているため、早々にデビューを決めたいところではある。しかしトレーナーからお声がかからなければそれもできない。

 いや、やりようはある。自分から売り込みに行けばいい。無理だ。ナイスネイチャはおおよそ自分の長所を並べ立ててお伺いを立てるという行為がいちばん苦手であるという自負がある。

 ならばもうひとつ、チーム加入である。複数のウマ娘を受け持っているトレーナーが結成しているチームの中には、加入テストを行うことでメンバーを募集(・・)しているものがある。

 それこそシンボリルドルフを輩出した中央トレセン学園の最強チーム《リギル》がそうだ。もちろん、そんなエリート中のエリートが所属するようなチームに合格できるとは思っていないので、実際に選ぶのは違うチームになるだろうが。

 

 そんなチーム加入の選択肢が浮かび始めて、早半年。未練がましく専属トレーナーの可能性を捨てきれず、「トレーナーにスカウトされず、リギルは無理そうだからここに来ました〜」感が溢れ出るのはいかがかと言う抵抗から踏ん切りもつかず、メンバー募集中のチームはどんどん減っていく。

 そして手元に残った1枚の募集用紙。チーム《カノープス》の募集用紙。既にデビューした友人のイクノディクタスを始め、日本ダービー3着のホワイトストーン、オークス2着にジャパンカップ3着のダイナアクトレス、メイクデビュー以降全戦掲示板入りの猛者ミスターアダムスが所属している。

 過去には日本ダービーと菊花賞で2着、春の天皇賞と宝塚記念では3着をとったスダホークが所属していたチームだ。

 

 ゴン、と、机に突っ伏した頭がいい音で鳴る。それなりの歴史があるチームなのに、見事にGⅠ勝利がない。しかし重賞は普通に勝っているので強いチームではある。

 なんて自分にぴったりなんだろう、そう思ってしまう自分に涙するナイスネイチャ。未勝利のまま引退していくウマ娘が数多くいるなかでその思考回路は果たして本当に卑屈なのか、むしろ自信過剰ではないかと思う方もいらっしゃるだろうが、種族としてウマ娘は闘争本能が強いこともあり基本的に多かれ少なかれ自信過剰だ。

 絶対評価はともかくとして、相対評価的には卑屈でひねくれ者と言えるのが、ナイスネイチャというウマ娘だった。

 

 そんなナイスネイチャの目に、なんとも鮮やかな色彩が映った。クラスメイトであり手のかかるアホ、わざわざ選抜レースでテイオーと当たるように列に並び、スタートと同時にスパートをかけた挙げ句バテて失速しドンケツでゴールした、キラキラどころかネオンライトの如き光を放つ少女、ツインターボである。

 当然そんなツインターボのもとにもスカウトするトレーナーは現れず、しかし「次こそ勝つ!」などとテイオーに宣言していた彼女を見て「この子状況わかってるのかな」などと心配になったものであり、そしてこのギリギリの状況で焦ってもいない今のツインターボを見ていると、同じような心配が頭をもたげる。

 そこでナイスネイチャの頭に名案がよぎる。《カノープス》の募集にツインターボを誘い、あたかも「アホな友達の付き添いでして〜いやこの子が心配で一緒のチームがいいなぁと〜」という顔をしていれば志望動機を誤魔化せるのではないかというものだ。

 

「ターボ、アンタ今日暇?」

 

「えぁ? ターボ今日チームでトレーニングがあるから空いてないぞ?」

 

 予想外の返事に固まるナイスネイチャ。彼女の浅はかな考えは非情な現実に阻まれた。

 

「えっ!? ちょっ、アンタチームとか入ってたの!?」

 

「へ? う、うん……」

 

「ど、どこのチーム!? チーム名は!?」

 

 正直ひどい話ではあるが、ナイスネイチャはツインターボがスカウトされることはないだろうと思っていた。トレーナーとは才能がありかつ言うことを聞くウマ娘を選ぶものだと思っていたからだ。

 穿った見方ではあるが、これはそう間違った話ではない。指導に対して文句ばかりで作戦は拒否、なんてウマ娘では育てようがないし、トレーナーにも生活があるのだから。正直、ツインターボは扱いにくく敬遠されるタイプではあるのだ。

 それも、スタミナ管理皆無な逃げという絶望的な走りしかできない以上、ナイスネイチャの認識は正しいと言わざるを得ない。

 焦り気味にツインターボに問いかけるナイスネイチャに対して、ツインターボはやや考えてから返した。

 

「え? わかんない」

 

「……は?」

 

「ターボが入ってチームになるからまだチーム名ついてない。ターボも手続きとかまだだし」

 

「……それ入ってるって言うの……?」

 

 現実として、ツインターボは書類上チームに所属していない。

 しかし、「トレーナーと同レベルの指導してくれる人がいるなら、手続きはメイクデビュー直前になってもいいよね!」というのもまぁ事実である。

 本来そんなことは早々起こり得ないのだが、諸々の偶然が重なり起こってしまっていた。

 

「……あ、ネイチャまだスカウトされてなかったんだ」

 

「ぅぐっ!!?」

 

 特に悪気もなさそうな一言がナイスネイチャを抉る。外部から見る多くの人間は未勝利のまま引退していくウマ娘の数で現実の厳しさを語ることがままあるが、トレーナーの絶対数が足りていない以上、こうしてそもそも選ばれず消えていくウマ娘もまた、一定数存在するのだ。

 そうしてようやく溢れ出てくる焦り。商店街(あちら)が勝手に期待しただけとはいえ、応援されて中央に来ておいてそもそもデビューすらできずに出戻りって一番やってはいけないやつじゃないかという今更な考えが頭をよぎる。

 

「おっ、よかったなネイチャ! 面接してくれるって!」

 

 良薬口に苦し。ナイスネイチャにとって一筋の光明とも絶望への切符とも言える一言がツインターボから告げられる。

 ウマホのメッセージアプリを操作するツインターボ、どうやらそのトレーナーとやらに連絡をとったらしかった。

 面接、ナイスネイチャにとってもっとも苦手と言って差し支えない科目。彼女はコミュニケーション能力は人並み以上にあるが、自身について正確に把握して正確に売り込むという能力に欠けていた。

 だがアホは容赦しない。ツインターボはナイスネイチャを抱えあげると早速と言った様子でいつも待ち合わせているグラウンドへと走り始めた。

 

 

 

「……いや、チーム名決めたじゃないですか、一昨日。チーム加入申請書も貰ってますし」

 

「へぁ?」

 

 先程は嘘をついた。ツインターボは書類上もチームに加入している。

 チーム結成に際して支給された部室までナイスネイチャと共に連行されたツインターボは、まぁ大層アホそうな声を上げる。

 ナイスネイチャという突然の訪問者(らちひがいしゃ)を前に猫を被り直した網は、心のなかで溜め息をついた。

 実際、日本ダービー翌日の月曜日、早めにチーム結成をしてしまわないとツインターボのデビューに差し支えるため、早々にチーム結成申請を行っていた。

 基本的に最初に議題に上がるのはチーム名、慣例に倣うなら、恒星の名前。有名どころはおおよそ使われており、過去には《サン》という名乗るのにクソ度胸が必要そうなチームもあったという。

 網としては一切どうでもいい、変な名前にならないよう星の名前ではあってくれという気持ちだったが、意外なことに真剣に命名しようとしたのはアイネスフウジンだった。

 

「あ、これどうなの? 《ミラ》だって」

 

「聞いたことないー」

 

「変光星の一種で、膨らんだり縮んだりしてるから一等星より明るく見えたり、逆に肉眼では見えなくなったりするんだって。しかもガス噴きながらすごい速さで移動してるらしいの!」

 

「速い!? じゃあターボそれがいい!!」

 

 網はそんな宇宙の問題児みたいな星の名前にするのかと思いつつも、名前だけならマトモだし2文字5画だから電子でも筆記でも記入が楽という理由で、チーム《ミラ》は誕生していた。

 そしてそれをそっくり忘れていたツインターボは、再び名前と由来をアイネスフウジンによって説明されてはしゃいでいた。

 

「……ええっと、ナイスネイチャさん、ですよね? ツインターボから話は聞いています。模擬レースなどの映像も見させていただきました」

 

「――っ! は、はいっ!!」

 

 一方のナイスネイチャはあまりにも突然の出来事に意識があっちこっちへ飛んでいた。目の前にいるのは寒門市井の星、名門のメジロライアンとハイセイコーの愛弟子ハクタイセイを押し退けダービーウマ娘となった、話題の中心ことアイネスフウジンである。

 ナイスネイチャもテレビ越しに観戦していたが、強大なライバル相手に1度も先頭を譲ることなく府中を駆け抜けたその姿はトウカイテイオーと遜色ないほどにキラキラしていた。その後のインタビューは見ていなかったために青いの(ツインターボ)がアイネスフウジンと関わりがあることを知らなかったのだが。

 そして、そのアイネスフウジンを育て上げた、この一見不審者か詐欺師のような男も傑物である。トレーナー業は完全に門外の出身でありながら、初担当のウマ娘が既にGⅠ3勝のダービーウマ娘。こちらもまた、市井のホープである。とはいえ、こちらは実家の財力に一般人とは大きな格差があるが。

 

「私としては、ナイスネイチャさんの加入は問題ないと思っています。実力としては申し分ないかと……つきましては、いくつか聞き取り調査をしておきたいのですが、よろしいですか?」

 

「は、はい! 何でも聞いてください!」

 

「それではお聞きしたいのですが――」

 

 そうして網はごく自然に、ナイスネイチャの心を解体する始まりの一言を発し始めた。

 

「貴女は何を目標として走るつもりでいますか?」



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信じられない

 網がナイスネイチャの走りを見てまず覚えたのは、圧倒的な既視感だった。

 あぁ、努力してきたんだなぁ。そう感じさせられる走り。努力してきたみんながやる走り(・・・・・・・・・・・・・・)だ。この道に進むなら、多かれ少なかれ努力なんて誰だってやる。

 この教科書には、テキストには、サイトには、こう走れと書いてある。だからこう走る。それを手がかりに頑張って脚を速くしよう、スタミナをつけよう、パワーをつけよう。そういう走り。

 短距離(スプリント)を走りたいのか、マイルを走りたいのか、中距離(ミドル)か、中長距離(クラシック)か、それとも長距離走者(ステイヤー)になりたいのか。どれにしても中途半端で目的がわからない、強いて言うならスプリンターの才能はないということと、中団で走ると言う手段(・・)だけはハッキリしている。

 

 筋肉の付き具合も歪だ、と言っても、これはアイネスフウジンもそう違わなかった。下半身偏重の筋肉の付き方。名門ではない、ノウハウのない彼女たちにとって、脚を速くすることはイコールで脚を鍛えることに繋がるのだろう。言わずもがな走ることは全身運動だ。全身の筋肉を余すことなく使うことになる。

 アイネスフウジンは『長い期間走る』ことと『マイルが得意だからそのくらいを走る』ことははじめからハッキリしていたから、それを目安において指導することができた。

 『GⅠをとりたい』なら選択肢が多いミドルからクラシックディスタンスに舵を取るし、『誰かに勝ちたい』ならその相手を仮想敵にして勝ち方を教える。あるいは向いていないであろう『短距離で勝ちたい』ならやんわりと向いてないことを伝えつつ、最悪本人が満足するまでマイル転向できる程度に鍛える。

 そのおおよその道筋をつけるための簡単な質問。

 

「貴女は何を目標として走るつもりでいますか?」

 

 それをきっかけとして、網によるナイスネイチャの精神分析は幕を開けた。

 

「えー……と……とりあえず重賞制覇……ですかね?」

 

「ふむ……出てみたい重賞は?」

 

「あー……思いつかないです、すみません……」

 

「いえいえ、重賞とだけ聞かれてパッと出てきませんよね」

 

 にこやかにそう返しながらも、網はナイスネイチャの内面を少しずつ読み取っていく。

 ナイスネイチャには大目標がない。それこそ、コツコツ勝てるレースを勝てればいいとしていたアイネスフウジンと同タイプ。知識にあるのは有名なGⅠレースばかりだが、自分がそんな大きなレースに出られるとも思えない。

 無論、重賞と言うくくりであればGⅠも重賞であるなどという揚げ足を取るまでもなく、こういう手合は妙にGⅠ以外を軽視しがちなのだが、それは単純に感覚が追いついていないと言うだけだろう。

 それならそれでやりようはある。むしろ、下手に理想が固まっていない方がいい。ナイスネイチャはアイネスフウジンほど才能があるわけではない。それなら、走る距離は長いほうがいい。

 

「では、目標に菊花賞を据えて、それに向けて鍛えていくことにしましょう。最終的な目標はGⅠ勝利、菊花賞で達成できたら次の目標を決め、出来なかったら翌年の大阪杯か秋の天皇賞を……」

 

「ちょちょ、ちょ、ちょっと待ってください、菊花賞!? アタシがですか!?」

 

「はい。勝算はありますが?」

 

「レースの映像見たんですよね? アタシですよ!? そ、それに、来年なんですよ? トウカイテイオーも出ますよね!?」

 

「出ますねぇ。あぁ、彼女は無敗三冠を目指しているようですが、対抗して自分もと言うのはやめてくださいね。皐月賞と日本ダービーはツインターボに取らせる予定ですから」

 

 「言いませんよ!」と言おうとして、その直後に続いた言葉にナイスネイチャの思考が止まる。ツインターボに二冠? トウカイテイオーを倒して?

 ツインターボの実力も、トウカイテイオーの実力も、ナイスネイチャは知っている。ツインターボは笑われがちだが、いつかは重賞勝利できるだけの実力がある。だが、トウカイテイオーはそんなものではない。

 

「リップサービスではありませんよ? ツインターボの目標はそのまま『トウカイテイオーに勝つ』ことでして……まぁただトウカイテイオーに勝つというだけでしたら、今の実力でもおふたりとも十分倒せる(・・・・・・・・・・・・・・・・・)んですが……」

 

「嘘ッ!!」

 

 思わず、叫んでいた。それこそ、自分の実力なんてナイスネイチャ自身が一番知っている。トウカイテイオーには、天地がひっくり返っても敵わない。

 自分が夢見たキラキラ(・・・・)を侮辱させたくない。そんな衝動的な激情に任せて、相手が誰かも忘れて叫んでいた。

 机に叩きつけた手のひらがジンジンと痛み、カランと弾き飛んでいった椅子が床に転がる音が聞こえる。ツインターボはその様子に目を丸くしているが、アイネスフウジンは「またやってるの……」と言った表情だ。

 それを、網は冷めた目で見ていた。ちなみに、本人に煽った自覚はまるでない。が、特に反省もしていない。「あっ、ここが地雷かぁ〜」くらいの感覚だった。

 ナイスネイチャとトウカイテイオーの繋がりはツインターボの雑談で出てきたから知っている。ナイスネイチャの馴致(じゅんち)指導員*1はトウカイテイオーの母親、トウカイナチュラルの馴致指導員も務めていたナイスダンサーというウマ娘だ。

 恐らく、その繋がりで幼い頃から交流があったのだろう。そこで強い劣等感を抱くようになった。

 網は心中で述懐しつつ、激昂したナイスネイチャをいなす。

 

「落ち着いてください、何かご不満な点でも?」

 

「っ、あ、いえ、すみません……」

 

「いえ、お気になさらず。いきなりこう言われても疑う気持ちは理解できますので……そうですね、先にトレーニングを見ていただきましょうか。ついでに、ツインターボと模擬レースでもしていただければ、幾分かは納得いただけるのではないかと……」

 

「そう……ですね、じゃあ、それでお願いします……」

 

 怒鳴ったことへの後ろめたさがあるのか、尻すぼみ気味に了承するナイスネイチャ。そんなナイスネイチャを伴って、チーム《ミラ》の3人はいつも通りのトレーニングを始めた。

 まぁ要するに、走らないトレーニングだ。

 

「……えっと、本当にこんな感じなんですか……?」

 

「まぁ、基本こんな感じですね」

 

 現在、制服のままのナイスネイチャとレインコートにスーツ姿の網は、プールサイドからツインターボのトレーニングを見ていた。

 当のツインターボは楽しそうに水底にばら撒かれたゴムだか塩ビだかよくわからない材質の貝型の玩具を拾っていた。皆さん小学生の頃に経験したであろうあれである。

 ただし難易度は当然数段上がっており、ツインターボの片手にはその小物を入れる網に拾った貝が入ったものがあり、機動性は段々失われていく。さらに、ツインターボは3分は潜ったまま拾い続けており、息継ぎをしていない。

 特に訓練をしていない一般人が平均30秒程度、トレーニングを積んでも1分程度であることを考えるとかなりのレベルアップが見てとれる。

 

 一方アイネスフウジンが下半身のストレッチを終えたあと始めたのは、プールサイドに敷いたマットの上での、青竹踏みonバランスボードである。

 見たまんま、バランス感覚を鍛える円形タイプのバランスボードの上に、半分に割った青竹を接着しただけの代物だ。

 一見とてもではないがウマ娘のトレーニングとは思えない、精々ダイエットみたいな光景だが、網が真面目に考えて効果的と判断したトレーニングである。

 青竹踏みは足裏の感覚を向上させる効果がある。重い芝でも正確に力を加えて走るための基礎トレーニングだ。バランスボードはもののついでにバランス感覚も鍛えておこうと言うだけだが、不規則な重心の移動が足裏への刺激になるという嬉しい偶然があった。

 まぁつまり、来年のフランス遠征に向けたトレーニングなのである。

 

 今回はナイスネイチャがいるから、プールサイドでもできるこのトレーニングをやらせているが、普段はツインターボが水泳部になっている間はアイネスフウジンはひとりでダートや坂路を走っている。

 ちなみに、網自身坂路の有用性を深く理解できているわけではなく、「関節にダメージいってないな……やり得か?」程度の考えでやらせているため、サブの練習項目である。

 

「……これ、アイネスフウジンさんも……?」

 

「去年の今頃は泳いでましたね」

 

 アイネスフウジンの顔をちら見するナイスネイチャ。苦笑いのアイネスフウジン。学園の基礎メニューにも水泳はあるが、ここまでガッツリ泳ぐとは思わなかったという気持ちと、トレーニングと言うからには走るものだと思っていたという気持ちは、同じ市井の出としては痛いほどわかる。

 でも、効果的なのだ、これが。

 

「ツインターボ、そろそろ模擬レースをしますから一度上がってシャワーを浴びてきてください」

 

「ガボボボ(トレーナーの敬語やっぱ気持ち悪いな)」

 

「では、ナイスネイチャさんも用意をして第3グラウンドに来てください」

 

「は、はい……」

 

 また3……などと呟きながら去っていくナイスネイチャとツインターボを見送り、アイネスフウジンが後片付けをしながら網に問いかける。

 

「それで、どんな感じなの?」

 

「才能で言えばツインターボ以上お前以下くらい。普通にものになるしトウカイテイオーに勝てるってのもマジ。GⅠのふたつみっつとれんじゃねえか?」

 

「問題はメンタル?」

 

「メンタルだな、間違いなく」

 

 露骨に面倒くさそうな顔をする網に、アイネスフウジンは苦笑する。

 

「でも担当するつもりなんだ」

 

「放置してたら見ててイライラしそうでな」

 

「昔の自分と被るから?」

 

 真顔でアイネスフウジンの顔を見る網。ニヤつくアイネスフウジン。

 網は軽くアイネスフウジンの鼻をつまんで引っ張る。

 

「ぷぇ〜〜……」

 

「おもしれぇ口利くようになったなぁおいお姉ちゃん。妹さんに悪影響じゃねえか?」

 

「トレーナーに似ちゃったの〜」

 

 網が昔のことを欠片も気にしていないことを知っているからこそのからかい。アイネスフウジンはこのあたりの距離感を掴むのが抜群に上手かった。

 

「それで、そのメンタル面はなんとかなりそうなの?」

 

「できるだけ穏便な方法でなんとかするが、ダービーに間に合わなきゃ荒療治だ」

 

「あれ? ダービーはターボちゃんにとらせるんじゃないの?」

 

「単純に時間の問題だよ。ダービーあたりに間に合わなきゃ菊花にも間に合わん。皐月は出さんがダービーには出して、GⅠの空気に慣れてもらわなきゃ直るもんも直らん」

 

 後片付けを終えたふたりが第3グラウンドへ向かうと、ツインターボとナイスネイチャがそれぞれ準備を終えていた。

 軽くウォーミングアップをしていただけのナイスネイチャに対してツインターボが「ストレッチはちゃんとやっといたほうがいいぞ!」と声をかけ、何か釈然としない気持ちを抱えながらも体を伸ばすナイスネイチャがいたことは余談である。

 

「ふたりとも準備はできてますね。距離はジュニア級であることを考えて芝の1600m、右回り。ナイスネイチャさんの要望があれば1800mか2000mにもできますが……」

 

「……じゃあ、2000mでお願いします」

 

 ナイスネイチャの心中、無意識のちょっとした打算があった。スタミナに自信があるわけではないが、距離が長いほどツインターボがバテる確率は上がる。

 闘志とはまた違う、仄暗い『負けたくない』という感情を抱いたまま、ナイスネイチャはゲートへ向かった。

*1
馴致は慣れさせること、馴染ませること。実際の馬では乗馬馴致、幼駒馴致などとして使用するが、当作品での馴致は主に「子供の頃に基礎的な走り方を教える」ことを指すものとする。



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 1000mまでは余裕だった。1400m過ぎたあたりで疑問に変わり、1600mで焦りに変わった。1800mで確信に変わったそれは、2000mで衝撃に変わった。

 いつもの如く、スタートと同時に飛び出したツインターボを、ナイスネイチャは後ろから追走する。いずれ息を切らして垂れてくるだろうとたかをくくって脚を溜めていた。

 侮り。相手が見知ったツインターボであること、その実力を知っていると思い込んでいたからこその油断。

 ナイスネイチャとツインターボが最後に模擬レースを行ったのは4ヶ月前。その間、自分がほとんど成長していなかったが故に、そんなものだと認識していた。

 

 だが現実はどうだ。一向に垂れてこないツインターボをよくよく観察してみれば、そのランニングフォームが見違えていることくらいわかる。

 以前のダバダバと擬音が出ているような走りではない、まだ荒削りではあるものの形になりつつある無駄の少ない走り。

 垂れるどころかコーナーでさらに差を広げられそうになり、ナイスネイチャはようやく自身の間違いに気づく。ここで急いで早仕掛けを始めた行動力には光るものがあるだろう。

 だが、それでは足りない。はっきり言ってしまえば、ナイスネイチャがツインターボに勝つことのできる手段は、はじめからひとつとして存在していなかった。

 その理由も、ひどく単純な彼我の力量差。ステータス差による蹂躙。

 

 4バ身。ツインターボにつけられた着差。そのことを噛み締めながら、荒れた息を飲み込んだナイスネイチャはツインターボを見る。

 以前はレース後、精根尽き果てたかのように地面に転がっていたツインターボは、息は絶え絶えであるもののしっかりと立ってウォームダウンを行っている。

 

「お疲れ様なの」

 

「うひゃっ!?」

 

 ひんやりとした感覚が急に頬に触れ、変な声を出してしまったナイスネイチャが思わず振り向くと、いたずらな顔をしたアイネスフウジンがスポーツドリンクを持って立っていた。

 

「水分補給、大事なの。汗びっしょりだよ?」

 

「あ、あぁはい、ありがとうございます……」

 

 友人の様変わりした走りに身も心も追いつかず、半ば呆けたままそれを受け取るナイスネイチャ。実際、ツインターボの力のつき方は目覚ましいものがある。

 ツインターボは物覚えが悪かった。そりゃあもうとことん悪かった。頭にも体にも使われない栄養はどこへ行っているのか首を傾げざるを得ないほどだ。

 一方で、体の覚えはよかった。元々字が綺麗だったりムーンウォークが得意だったりと、脳を使わない体で覚えるようなことはぐんぐん吸収するタイプだったのだ。

 だから、網はとにかく正しいランニングフォームを反復練習で覚えさせた。その結果がこれだ。

 

「どうだった? 走ってみて」

 

「……速かったとは思います……でも……」

 

 トウカイテイオーよりも強いとは思えない。

 ナイスネイチャの中で、その考えに変わりはなかった。だが網は、今のままの自分たちでもトウカイテイオーを倒すのに十分と言ってのけたのだ。

 その真意を知りたい。どんな考えで、その答えに至ったのか。

 

「すみません、《ミラ》のトレーナーさん」

 

 だからその答えをナイスネイチャは網へ問いただす。

 

「どうして、トウカイテイオーに勝てると思うんですか?」

 

「お答えできません」

 

 返ってきたのは簡潔過ぎる拒絶だった。

 

「は……はぁ!?」

 

「いえ、お答えすることそれ自体は簡単なんですけど、どうやらナイスネイチャさんはトウカイテイオーに対して強いこだわりがあるご様子。仮にその貴女がトウカイテイオーに抱くイメージが変わり、人間関係に齟齬が出たとき、今のままでは責任をとれないんですよ。これでもトレーナーなので、口にする言葉には社会的な責任が伴う身ですから」

 

 そこまで言われれば、ナイスネイチャにも何を言わんとしているかわかる。それと同時に、これは挑発だ。

 ナイスネイチャは勝てないと思った。網は勝てると思っている。幼い頃から間近でそのキラキラを見続けてきたナイスネイチャより自分の方が正しくトウカイテイオーを理解できているとそう言っているのだ。

 無論、運動後の血圧上昇に伴い頭に血が上ったナイスネイチャの思い込みによるものが強いこの考えではあるが、網にそんな挑発的な考えがまるでないことを除けば、遠回しにそう言っているも同じというのは間違っていない。

 

「わかりました。なら、アタシ、《ミラ》に入ります」

 

「……それでは、契約書類の準備をしましょう」

 

 先にシャワーを浴びてくるようにとナイスネイチャとツインターボに促す網と、それに素直に従うふたり。

 そしてそれを眺めて「やっぱりああいう台詞似合うなぁ」などと考える耳年増(アイネスフウジン)の姿があった。

 

 

 

 シャワーを浴びて再び頭が冷えたナイスネイチャは先程の自分の醜態に内心悶絶し、冷や汗だか脂汗だかを垂らしながら書類を書いていた。

 目の前にはにこやかな(胡散臭い)トレーナー。横にはツインターボを膝に乗せたアイネスフウジンが座っている。

 現在地はチームの部室……ではない。エントランスホールの一角にあるカフェテリアのような場所だ。周囲には他の生徒たちの姿も見える。

 

 網自身アイネスフウジンに付随して……いや、ウマ娘間ではアイネスフウジンに負けず劣らず高い知名度を持つようになった。ウマ娘にとってはアイネスフウジンは憧れの対象であり、そんなアイネスフウジンを育てたトレーナーにスカウトされれば自分も、という発想が出るのは自然な成り行きである。

 そんなわけで、いくら胡散臭いとは言え有名人。しかも多くの生徒はオグタマライブでのタマモクロスやオグリキャップからの人物評を聞いているため、網に対する警戒の眼差しはかなり緩くなっている。

 強いて言うなら、名門出身の警戒心が強いウマ娘であったり、単純に臆病、あるいは人見知りなウマ娘からは遠巻きにされたり避けられたりする程度だ。

 とはいえ、そんな有名人ふたりと別の意味で有名なツインターボ、顔の広いナイスネイチャが集まっていれば、当然注目は集まる。網の狙い通りであった。

 

 ナイスネイチャから書き終わった書類を受け取った網が事務受付へ席を立って、ようやくナイスネイチャは息を入れることができた。

 先程までの自分の行動にどうにも納得がいかない。頭に血が上りやすい状況ではあったとはいえ、あそこまでカッとなりやすかっただろうかとナイスネイチャは首を捻る。

 しかし、結局答えが出ないままに網が戻ってきてしまったため、改めて網と相対する。

 

「では先程の続きですね。おふたりがトウカイテイオーに勝てると言った理由……の前に、まずひとつ勘違いしているようなので正しておきますと、トウカイテイオーに勝つために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……へ?」

 

 梯子を外されたような感覚に呆気にとられた声が盛れるナイスネイチャ。そんな反応も想定内だった網は、さらに続ける。

 

「確かにトウカイテイオーは才能豊かで強いウマ娘だ。間違いありません。柔軟な筋肉に天性のバネ、それを使いこなす本能に学習能力を持ち合わせている。弱いわけがない。しかし、『だから負けない』なんて口が裂けても言えないんですよ」

 

 今の世で『絶対』の二文字を名乗ることが許されるのはただひとり。そしてそれはトウカイテイオーではないと、網は言う。

 ナイスネイチャだってそれは知っている。上には上がいる。トウカイテイオーが憧れ、慕う存在。しかしそれは自分たちよりも当然格上の存在だ。

 

「そしてその『絶対』でさえ3度……あるいは2度敗北している。まぁ皇帝に土をつけた彼女たちがフロック(まぐれ)だったとは決して言いませんが、はっきり言って彼女たちが皇帝より強かったとは思えない」

 

 王を殺すのは王ではない。兵士も、処刑人も、暗殺者も、あるいは民衆も、王より下の存在だ。網はそう語る。

 

「何より、弱点らしい弱点が見当たらない皇帝陛下に比べ、トウカイテイオーには明確な弱点が多くある。精神的に未熟で挑発に弱く掛かりやすい。頭はいいが駆け引きに弱い。瞬間的な判断力に欠ける。

 柔軟な筋肉が可能にするピッチ走法相当の回転数を持つストライド走法……『テイオーステップ』は脅威ですが、加速力と速度持続を併せ持つ代わりにs……弱点も併存してしまっている」

 

 双方の走法。くだらない洒落になりかけた文脈を無理矢理かき消した網の判断は英断だったと言える。何故ならナイスネイチャのツボだったからだ。間一髪である。

 

「トウカイテイオーの筋肉が柔らかいと言うこともあって、単純にパワー不足。加速力は回転数で補っていますが、上り坂に弱くコーナーで膨らみやすい。スタミナの消費もピッチ走法相当。総合して、牽制や駆け引きが苦手でスタミナを浪費しやすい。これがトウカイテイオーの弱点です」

 

 圧倒的な分析力。ナイスネイチャがなんとなく感覚だけで気づいていたものも、まったく気づいていなかったものも、それぞれが整理されてまとめられた説明に一切口を出すことができなかった。

 

「ですから、貴女たちをトウカイテイオーより強くするには相応の時間が必要ですが、トウカイテイオーに勝つという目的を果たすのであれば弱点をつけばいい。納得いただけましたか?」

 

 網の言葉には半ばハッタリがある。まずナイスネイチャの実力が網の分析より低かったこと。これは先程の模擬レースで発覚したことだが、ツインターボとの着差は開いても2バ身だと予想していた。

 だから正直、今のナイスネイチャの実力では作戦があっても足りない。それをわざわざ告げる必要はないと判断したから言っていないが。

 今はまず、ナイスネイチャが劣等感の中で自分を守るために培ってきてしまった誤った価値観を少しずつ破壊し、正しい知識を与える。それが網の目的だった。

 

(しかし、一気にやり過ぎると拒絶反応が起こるんだよなぁ……加減が面倒クセェ)

 

 思考回路がオーバーフローしてしまったナイスネイチャをツインターボに任せて今日は解散とし、アイネスフウジンを伴って部室へ戻ってきた網がナイスネイチャをどこから籠絡していくか考えていると、アイネスフウジンが少し緊張した様子で話しかける。

 

「トレーナー、聞きたいことあるんだけど……さっきの説明、テイオーちゃんが故障する可能性については敢えて触れなかったの?」

 

 流石に気づいてなかったことないよね? と言外に問いかけるアイネスフウジンに、網は溜め息をついた。




最近アクセス数とかコメント数が急増してビビってます。喜んでます。ありがとね。


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トレーナーによる分析

 叩きつけるような走り方がどうだとか。

 柔らかすぎる筋肉がどうだとか。

 高く飛ぶから衝撃がどうだとか。

 

 そんな話をわざわざ読者へ語るのは釈迦に説法というものだろう。競馬の世界でも、ウマ娘の世界でも、既に耳に――もとい目にタコができるほど見てきた説明だと思うので省略する。

 もし知らないという方がいるならこれだけ覚えておけばいい。『トウカイテイオーの走り方は脚に大きすぎる負担を強いている』。

 

「で、それがなんだ?」

 

 網は決して善人ではない。確かに多少の人情はあるが、それは相手のことを彼の感性で気に入ったからスカウトし、担当となったから責任を持って克服させたという、ただそれだけのことだ。

 顔を合わせてさえいない、情報でしか知らないウマ娘のもとにわざわざ出向いて、「お前の走り方は故障に繋がるから改善しろ」などという言葉を、相手が納得するまで吐き続けることになんの意味があるのか。

 「シンボリルドルフの秘蔵っ子」という肩書にも「師弟2代による無敗三冠」という記録にもなんの興味も感慨も湧かない。

 

「大体、世の中に間違った走り方で壊れていくウマ娘が年に何百人いる? その中のトウカイテイオーという個人を特別扱いするだけの価値を俺は見出してない」

 

「そりゃ、あたしだって可哀想だなぁって気持ちはあるけど、見境なく助けられると思ってるほど夢見がちじゃないの」

 

 でもネイちゃんは違うでしょ?

 続けたアイネスフウジンの言葉に、網は苦い顔をする。

 ナイスネイチャにその話をすれば、一も二もなくトウカイテイオーに伝えに行くだろう。その話をトウカイテイオーが真剣に聞くだろうか。

 風聞だけで判断するなら、聞かない。心配のし過ぎだと茶化すだろう。そこに網が言っていたという情報を付け加えても大した変化はない。というか、逆効果だ。

 トウカイテイオーは既に専属のトレーナーがついている。トレーナーを通さず一足飛びにウマ娘へそれを伝えるのはいい印象を持たれないし、トレーナーへの忠告も、やはり新人の網が行うのは印象が良くない。

 名門出のエリートで、それなりにキャリアを積んでいる相手だ。門外漢の出身で新人で、いきなり結果を出したような男にアドバイスなどされても受け入れられないだろうと網は判断した。

 今ナイスネイチャに話しても行き着く先は取り合われないという結果だけだ。

 

「だから避けたんだよ。今するべきじゃないから。負荷を一気にかけたら壊れるに決まってる。そのくらいわかるだろ?」

 

「うん、だから念の為なの!」

 

 アイネスフウジンは網を信頼しているが、それは盲信ではない。だから言葉にして確認を取る。それを理解できるから、網もぶつくさと言いながらちゃんと答える。

 実に面白いことに、育ちも性格もまるで違うこのふたりは「言葉にしなければ伝わらない」という信条を共通して掲げていた。

 もっとも、その根本は「相手の想いを間違わず受け取りたい」と「考えがすれ違うだけ時間のロスだしいいことがない」とかなり異なったものだが。

 

「とりあえず今さっき根本となってた『トウカイテイオーへの無自覚な信仰』を砕いたわけだが、これは本当に大元でしかなくて、これを破壊したところで何が変わるわけでもねえんだよな……」

 

「と、言いますとぉ?」

 

「トウカイテイオーを基準にした『自己の過小評価』、単純な知識不足からの『価値観のズレ』、防衛本能からくる『心理的予防線』とその副作用である『因果の曲解』。このあたりは引っ剥がさないとレースに差し障りが出る」

 

 ホワイトボードに次々とまとめて書いていく網。ツインターボはともかくとして、それなりに頭が回り他者の機微に敏いアイネスフウジンとは情報を共有するべきだと判断したのだ。

 バランスを崩せばどうなるかわからないから、変に手を出させないよう触れてはいけない点を説明する意味もある。

 

「俺は心理カウンセラーじゃないから確かなことは言えんが、恐らく『価値観のズレ』は一番矯正しやすいし影響も少ない。『心理的予防線』は実際には見てないがああいう手合は間違いなく持ってる。『勝てるはずないから期待しないでおいて』とか『掲示板入りがいいとこでしょ』とか、予防線張る癖。『因果の曲解』は予防線張ったせいで勝てても『まぐれ』としか思えなくなることだから予防線さえなくなれば一緒に消える」

 

「『自己の過小評価』は『心理的予防線』に繋がってそうだけど、過小評価から連動して消えないの?」

 

「消える。が、負担がデカい。かと言って予防線から消すと、心理的な防壁がなくなって言い訳が利かなくなりそのまま崩壊する。だから価値観を矯正しつつ実力をつけさせて、成功体験で基盤を作ってやってから取り除く必要がある」

 

 結論、当分できることはない。

 最低でもオープン戦をクリアしてGⅢに挑むまで手のつけようがない。それまでは情報を集めつつ実力をつけさせ、信頼を得ることで心理的な距離を埋めていく。網はそう締めくくった。

 

「だからお前は余計なことは言うな。何も気づいてないふりをしろ(・・・・・・・・・・・・・)。俺ができるかもわからんが責任は持てる。お前はできないし責任も持てない。だから何も知らないふりして、ナイスネイチャの負担が強くなったときの駆け込み寺になってやれ……なんだその顔は」

 

「よかった、頼ってくれたの」

 

 アイネスフウジンとしては、全部網が自分で抱え込んでしまうのではないかと考えていた。もしそうなら説得して自分を頼らせようと。

 それを察して、網は鼻で笑った。

 

「自分以外の誰かの生まで責任持つんだから使えるもんは全部使う。そんなとこで無駄に自尊心抱えて自爆するほうがバカらしい。っていうか……」

 

 網が会話に間を空けたためにキョトンとするアイネスフウジンの鼻を、網がつまんで軽く引っ張った。

 

「ぷぅうぇ〜〜……」

 

「ガキが大人の心配なんか10年はえーよ。経験値がちげぇんだからまずは自分のことをしっかりとやれ。学園の課題は終わったのか?」

 

「ちゃんとやってるの〜」

 

「ったく……お前このあとバイトだろ? 早めに終わらせたんだからさっさと行ってこい」

 

「車乗せてって」

 

「遠慮とかなくなってきたなお前……」

 

 1年半経てば慣れもする。網がガソリン代ごときを渋るほど財布の紐が固くないことも知っている。

 使えるものは使うのは網だけではない。むしろ、貧乏人(アイネスフウジン)の十八番である。

 

 学園の駐車場までやってきたふたり。網愛車(ヤールフンダート)が見える位置まで来たときにそれに気づいた。

 普段はその物々しい雰囲気と万が一の弁償に怯えて、両サイドが空きになっているヤールフンダート。その隣に、真っ赤なボディの外車が駐まっていた。

 

「なんかすごそうなくるま」

 

「語彙力が溶けてますよ。ランボルギーニ・カウンタック、貴女のお父上が生まれる前から子供の頃辺りの年代に生産されていた海外製の自動車ですね」

 

「こ、これがあの……お高いの?」

 

「えー、まず私のヤールフンダートが新車でざっくり2000万しました。GⅠを1回勝てば買える値段ですね」

 

 重賞と金銭の扱いが軽い網に、どの口が価値観の矯正とか言っているのだろうかと思うと同時に、自分が汗まみれで乗っていた車の値段に改めて驚きながらも自身の収入で買えることに気づき、

あぁこうやって金銭感覚が壊れていくんだなと実感するアイネスフウジン。

 

「ランボルギーニ・カウンタックは現在生産しておらず、年毎に100台前後の受注生産となっています。新車で買ったとしたら4億くらいですかね。中古で買っても私の愛車より高いと思いますよ。税金諸々の処理を差し引いてもGⅠ級を3回は勝たないと……」

 

「タンマタンマ〜、ちょっと大袈裟じゃなぁい?」

 

 桁が更に1つ違う額にアイネスフウジンが完全にフリーズしたあたりで、ストップをかける声が割って入ってきた。

 カウンタック。この日本において、その名前を知らない者はいない。車の知識がない者でも、若者であっても、その真っ赤な車体は彼女の代名詞なのだから。

 

「……いやはや、こんなところでお目にかかれるとは」

 

 『スーパーカー』、マルゼンスキー。

 生ける伝説のひとりがそこにいた。



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お姉ちゃんとチャンネーとアッシーくん

 当方未所持なため知らなかったのですが、マルゼンスキーのたっちゃんは父親のおさがりが公式らしいです。
 個体差でお願いします。


 神話を終わらせた『古兵(ふるつわもの)』スピードシンボリがターフを去った時から、伝説を終わらせた『絶対の皇帝』シンボリルドルフが現れるまでを表す、トゥインクルシリーズの『伝説時代』において、シンボリルドルフと並び別格とされたウマ娘。

 シンボリルドルフが『絶対』ならば、彼女は『無敵』と称された。シンボリルドルフは負けたが、彼女は負けなかった。

 ウマ娘として根本的な()()が違う、故にその深紅の勝負服を指して人はこう呼んだ。『上位種(スーパーカー)』と。

 『スーパーカー』マルゼンスキー。高校生離れした肢体に制服を纏い、ウェーブのかかった鹿毛を揺らした彼女がそこに立っていた。

 

「……少なくとも、あたしがたっちゃんを買ったときはイチキュッパだったわよ?」

 

「1億9800万をイチキュッパと表現するのは無理があるのでは?」

 

「1980万よ!」

 

 ランボルギーニ・カウンタックが2000万前後で売られていたのはそれこそ生産開始と同時期(半世紀前)くらいではないだろうか。その知識があった網だが口には出さない。沈黙は金である。

 

「このセダンはあなたのかしら? 随分いいクルマ乗ってるわね! たっちゃんには負けるけど……」

 

「おや、競争バとバ車ウマ娘*1を比較する趣味をお持ちで?」

 

「あら、こりゃまた失礼しました! ねぇ、もしよければ乗せてくれないかしら。何気に、ショーファードリブン*2って乗ったことないのよね〜」

 

「ははは、構いませんよ」

 

 断っても得はない。受け入れればコネクションができるかもしれない。何よりアイネスフウジンのシフトも迫っているので目的地へ向かい始めたい。

 そんな思いもあり、網はマルゼンスキーを車内へと招いた。日本は左側通行、先に出るであろうアイネスフウジンが出やすいよう、先にマルゼンスキーが後部座席へ乗り、あとからアイネスフウジンが座る。

 ふたりがシートベルトを締めたことを確認して発車してから、網は手元のスイッチを操作した。ショーファードリブンである以上、運転席から後部座席をもてなす機能は標準装備されている。

 

「あら、おったまげ〜」

 

「ふぇ!? ちょっと! あたしこれ知らないの!」

 

 スゥーッと音もなく上がってきたのはフットレストだ。それだけではない。後部座席のシートが稼働し、背中と腰を押圧するマッサージ機能が働き始めた。

 

「「あ〜〜……」」

 

「アームレストのスイッチで調整できますので、そのあたりはご随意に」

 

 そのままアイネスフウジンのバイト先*3まで10分足らず。後部座席のふたりは普段使われない機能をフル活用してもてなされたわけだが、今までこの素敵機能を隠されていた(使っていなかっただけ)アイネスフウジンはご立腹であり、「帰りもお願いするの! あとこれから乗るときも!」とぷりぷりしながらの出勤であった。

 そしてヤールフンダートはマルゼンスキーを乗せたまま行くあてもなく走り始める。

 

「それで、どこまでお送りいたしましょう?」

 

「ちょっとあなたとおしゃべりしたいから、適当に回してもらえる? アッシー代は出すから」

 

 内心メンドクセェと思いながらも、網は笑顔で了承する。マルゼンスキーと親交を深めるのは決して悪いことではない。

 マルゼンスキーの主戦場はマイルから中距離だった。アイネスフウジンがその走りから得るものは大きいだろう。

 それに、"領域(ゾーン)"。アイネスフウジンが日本ダービーで踏み入ったそれを習熟させるための先達も必要だ。マルゼンスキーとのコネクションは網にとってこれ以上ないエサだった。

 

「巷じゃあなたの担当ちゃん、マルゼンスキー(あたし)の再来とか言われてるらしいじゃない?」

 

「はは、ご存知でしたか。いやぁ過分なお言葉を頂いております」

 

「……う〜ん、ねぇ、()()、やめてもらえる?」

 

「? どれでしょうか。なにかお気に障りましたか?」

 

「そのおカタい口調よ〜。なんだか他人行儀でお姉さん傷ついちゃうナ〜? 多分だけど、普段のあなたってもっとアブない話し方でしょ? そっちのほうが話しやすいヮ」

 

 他人だろ、という言葉を飲み込んで網は考える。ここまで言われて猫をかぶり続けるメリットは薄い。しらばっくれても相手の機嫌を損ねるだけだ。

 マルゼンスキーも確信を持って言っているわけではないのだろうが、それ以上に網は相手に指摘されてまで猫をかぶり続ける気はない。そもそも網のかぶる猫とはそのくらい薄っぺらいものだった。

 

「ハァ……あとから文句言うなよ」

 

「ふふ、そっちのほうがよっぽどイイ男よ。それで、担当ちゃんがそんな風に呼ばれる気分はいかが?」

 

「どこが? って感じだな。節穴どもが雁首並べて」

 

 もちろん、これはアイネスフウジンとマルゼンスキーの走りが似ていると評されたことへの感想である。

 網はマルゼンスキーの走りを高く評価している。シンボリルドルフが完成形、ミスターシービーが変異形のそれであるなら、マルゼンスキーの走りは()()()のそれだ。

 「ただ走っているだけで強い」と称される彼女の走りは、既に多くの有識者によって解析され、その正体は掴めている。

 

 マルゼンスキーの強みは"完全最適化されたランニングフォーム"にある。走りに付随するあらゆる動作において無駄がない。ロスがない。だから()()

 最適なランニングフォームというものはウマ娘ごとに、つまり筋肉の質やつき方、骨格などによって異なる上にひとつしかない。だから基本的には皆、限りなく最適に近い形を目指して妥協する。

 最適に()()形であればまだ幅があるから、ひとつでないから、汎用性があるから、『基本』として指導する側(トレーナー)に教えられるから。その『基本』から調整して適用できるから。

 一方、能力のあるトレーナーは、それぞれのウマ娘から割り出した最適値を教える。しかしそれも、なかなか体に覚えさせられるものではない。誤差が出る。『基本』との間に初めから存在する誤差が上乗せされるよりはマシだが、完璧とは言えない。

 

 マルゼンスキーには、その学習が必要ない。本能に自らの体格に最適なランニングフォームを刻み込まれている。教えられるまでもなく、ただ走るだけで最適値を叩き出し続ける。

 ウマ娘がウマ娘である以上出てしまう誤差がない。だからその誤差の分、あらゆる基準値が他のウマ娘を上回る。文字通りの規格外。

 故に、『スーパーカー』。ただのスポーツカー(ウマ娘)とは文字通り格が違う。本人はエンジンの違いなどと嘯いているが、その実、機構すべてが上回っているからこその二つ名なのだ。

 

「あんたに似たウマ娘なんか金輪際出てこねぇよ、突然変異種が」

 

「あら、酷い言い様。クラっときちゃうわぁ……」

 

「そもそも逃げウマ娘のアイネスフウジンと()()()()()()()()()()あんたとじゃまるで別だろ」

 

 あら、そこまで分かっちゃうんだ、と。マルゼンスキーは笑みを浮かべる。

 マルゼンスキーの評価は3つに分かれる。一般層や多くのウマ娘、トレーナーからは逃げウマ娘だと思われている。他のウマ娘の先頭を行き、ぶっちぎるからだ。

 経験を積んだり才能があるウマ娘やトレーナーからは『結果的に逃げになってしまう差しウマ娘』だと思われている。

 そして、一握りのウマ娘やトレーナーが、本当にただ走っているだけと気づく。相手によって走り方を考えるとか、そういったことをする必要がないのがマルゼンスキーだと。

 

「あんたから学べることが多いのは否定しないがな」

 

「例えば……"領域(ゾーン)"について、とか?」

 

「…………」

 

「ダービーで担当ちゃん、入ってたわね」

 

 "領域(ゾーン)"。数百人はいる同世代のウマ娘でも、ほんの上澄みにしか入ることを許されない。その上ごく感覚的なものであるが故に、研究は遅々として進んでいない。

 だからこそ、"領域(ゾーン)"を制御できるようになるには、"領域(ゾーン)"を完全に使いこなせるウマ娘に師事することが最も効果的だ。

 その伝手がないウマ娘ほど、GⅠを勝てても一発屋になりやすい。1度"領域(ゾーン)"に入れてもそれ以降が続かないからだ。

 当然だが、マルゼンスキーは"領域(ゾーン)"を使いこなしている。その伝手が自分からやってきたのだ、逃す気はない。が。

 それをマルゼンスキーの側から持ちかけてきたのがきな臭い。

 

「……何かお悩み事でも……?」

 

「話が早くて助かっちゃうヮ! ……いやぁねぇ、そんな警戒しないでも平気よ」

 

 網がバックミラー越しに見たマルゼンスキーは、学生だとはとても思えない妖艶な笑みを浮かべていた。

 

「ひとり、預かって欲しいコがいるの」

*1
カウンタックはスポーツカー、つまりドライブを楽しむために使う車であり、セダンはあくまで乗用車。使用意図が異なるものである以上単純比較はできない。

*2
お抱え運転手が運転し、カーオーナーは後部座席に乗ることを前提とした車。当然後部座席の方が乗り心地がよく、様々な機能がついている。

*3
正確には以前店の前まで送迎した際に他の店員にビビられたため、少し離れたところで降ろしている。




誤字報告していただいた中で、誤字ではない単語があったためここでご報告いたします。

若干ゃ
→「若干ゃ草」で検索。けものフレンズ由来のスラング。

ウォームダウン
→クールダウンの間違いではなくちゃんとあります。


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斯くして死神は葬られた

 彼女には悩みがあった。昔から不幸に付き纏われることだ。

 行った先では雨が降り、渡る信号は赤ばかり。書店に行けば自分の前で売り切れ、電車はちょうどドアが閉まる。

 それは祝福の名を授かった彼女に対してあまりにも皮肉で、他者の幸せを願う彼女にとってあまりにも大きすぎる苦痛だった。

 自分の走りで誰かを幸せにしたい。子供の頃に描いた夢も、自分が関わったせいで不幸にしてしまっては叶わない。それでも諦めきれず、中央トレセン学園へ入学することはできた。

 しかし、昨年末に行われた選抜レースに出走登録こそしたものの、強すぎるストレスで震えや吐き気を催して結局出られずじまい。多くの人に迷惑をかけた。

 

 どうして自分はいつもこうなのだろう。自分をただ責めて、もうすべて諦めてしまおうかと思っていた矢先のことだった。

 彼女の母親の知り合いだと言って以前から気にかけてくれていた、マルゼンスキーがある話を持ってきたのだ。

 マルゼンスキーと自分の母親の関係は知らなかったが、いくら車が渋滞にはまっても「大丈V!」となんら気にせずドライブに誘ってくれるとてもいいウマ娘。そんなマルゼンスキーからの提案を無碍にできず、彼女はトレセン学園のカフェテリアに来ていた。

 

『あなたをスカウトしたいってトレーナーがいるの! ガンバってアピールしてらっしゃい!』

 

 そんな微妙に虚偽である言葉を信じて向かった指定のテーブルに座っている、おそらくはその『スカウトしたいというトレーナー』の姿を見て、彼女は怯んだ。

 はじめに、そのあからさまに胡散臭い容姿と態度に対して。そしてその相手が、今年のダービーウマ娘、アイネスフウジンのトレーナー、網であったことに対して。

 少しの間その場で竦んでいた彼女だったが、彼女が網に近づく前に、網の方が彼女に気が付き声をかけた。

 

「おや、貴女がライスシャワーさん、ですよね? 私、トレーナーの網と申します。本日はお時間いただき――」

 

☆★☆

 

 数分後。

 

 ひととおりライスシャワーの話を聞き終わって、網は嘆息する。「こんな特殊な加害妄想も珍しいな……」と。

 事実、ライスシャワーの運がちょっとびっくりするくらいないことを除けば、ライスシャワーの周りで起こる不幸の原因にライスシャワーはなんら関与をしていない。

 自分の関係ないことで他人が負った被害に対して責任を感じて心を病んでいる。なんだそれは、新手のギャグか。しかし如何せんライスシャワーは真剣である。

 とはいえ、ナイスネイチャに比べれば随分単純だ。要するに長い年月と回数をかけて、不幸と自身の存在が強く結びつくように刷り込まれてしまっているだけだ。

 確かにこういう思い込みというのは厄介だ。他人が論理的に因果関係を否定しても心理的に響かない。他人の言葉と自身の体験、よほど自分がない人間でない限り優先するのは後者だろう。

 だから、網はそこから否定するのではなく、ライスシャワー自身が()()()()()()()ように誘導することにした。

 

「ライスシャワーさん、ごっこ遊びってやった経験はありますか?」

 

「ふぇ? ごっこ遊び……?」

 

「えぇ……あぁ、もちろん最近という話ではありません。子供の頃で構いませんよ。ウマ娘というのは憧れを強く持つもので、大抵はなにやらごっこ遊びに興じると思うんですが……例えば、魔法使いの役をやったことはありませんか?」

 

 昔、まだ自身の不幸体質に気がついていなかった頃、ライスシャワーは比較的我が強い子供だった。今でこそやや気弱に見えるが、年上相手にも基本敬語を使わなかったり、妙なところで図太かったりと片鱗は残っている。

 そんなわけで、ごっこ遊びでも自分のやりたい役を堂々と主張していたわけだが、その中でも魔法使いの役をやったことはあまりなかった。

 そう答えたライスシャワーに網は続ける。

 

「とはいえ、誰かがやっているところを見たことはあるでしょう? 子供の想像力とはバカにできないもので、呪文を唱えて身振り手振りをするだけであたかも本当に魔法が見えるかのようにごっこ遊びをしてみせます……ところでライスシャワーさん、その歳になって、小さな子どもたちのお世話をしたことは?」

 

「え、えっと……うん、あるよ……」

 

「それではごっこ遊びに付き合ってあげたことは?」

 

 それも、ある。ライスシャワーが首肯を返すと、網はなるほどなるほどと大仰に頷いた。

 

「あれ、ものの分かる歳になってからやってみるとなかなか恥ずかしいものでしょう。子供というのはこちらのやる気を割と正確に見抜いてくる。少し手を抜くと『真面目にやって!』と返ってくるので恥を忍んでやらざるを得ないんですよね。……そうそう、例えばですよ。男の子がごっこ遊びで超能力者の役をやっていたとしましょう」

 

 話が飛んだようにライスシャワーには思えた。しかし、網が淀みなく話しているところを見るに、彼の中では話は繋がっているのだろう。

 芝居めいた口調に絵本の朗読のような感覚を抱いたライスシャワーは、なんとなくそれに聞き入っていた。

 

「例えば意のままに風を操る能力者。風はそもそも見えませんから、案外ごっこ遊びとは相性がいい。彼のお気に入りでいつもそんな役ばかりやっている。

 するとある日、彼の身振り手振りにあわせて本当に風が吹いた。もちろん偶然です。風というものは大気の流れ、いわば自然ですから人間ひとりが干渉して生み出せる風なんてたかが知れている。

 しかし、回数を重ねるうちに少しずつ本当に風が吹くときが多くなってきた気がしてきた。中にはえぇ、例えば、かいた汗が動いたときに冷えてそれを風と勘違いしたとか、茂みが揺れた音を風の音と勘違いしたとか、そういうものも含むでしょう。しかし、彼の認識では確かに増えていた。

 そして彼は得意げに宣言するのです。『本当に風を操れるようになった!』と」

 

 なんとなく、嫌な予感がした。ライスシャワーの第六感が告げる報せに彼女が耳を傾けたときには、もう手遅れだった。

 

「微笑ましい限りです。彼は子供ですから、風がなにかなど知りもしないのでしょう。では例えば、いい大人が同じことを真剣になって吹聴していたらどうでしょう。途端にそれを見る目は厳しくなります。なべて感想は『恥ずかしい』でしょう。そんな能力なんて科学的に、論理的に、あり得ないと私たち大人は理解しているからです」

 

 ライスシャワーの目の前に座る悪魔は、口元を三日月状に歪めて、ハッキリと死刑宣告を発した。

 

「ところで、ライスシャワーさんには『不幸を呼び寄せる能力』がある、でしたか?」

 

 ライスシャワーの顔がにわかに発火する。当然それは光エネルギーと熱エネルギーを伴う酸化反応が発生したというわけではなく、彼女の体温が急激に上昇したことの比喩表現(メタファー)である。

 何故そうなったか。理由は簡単、羞恥である。網が回りくどく()()()()と、ぶつ切りにすることで否定させずに刷り込んだ論理を唐突に繋げたからだ。

 

 子供はごっこ遊びをする。

 大人はその内容が現実にありえない事を知っているからごっこ遊びを恥ずかしがる。

 子供は無知ゆえにごっこ遊びを本当だと信じ込んでしまうことがある。

 大人がそうなってしまったら、恥ずかしい。

 

「行った先で雨が降る……天候操作ですか。雨というものは雲の水分とチリなどが混ざって重くなり落ちてきたものです。それを引き起こすということは水の操作か重力操作か……信号機の点滅や電車の発車時刻は決まっていますから、それを毎回決まった結果に固定するというのは電気操作でしょうか? あるいは時間操作? 売り切れに関しては、他人の購買意欲に干渉しているんでしょうかねぇ」

 

「あ……う……」

 

 最初からそう煽られたならライスシャワーも反論しただろう。『だって今までそうなってきたのだ』と。

 しかしそれを否定する論理を、細かく区切って既に飲み込まされてしまっている。そんなことはあり得ない、と。

 天候はまだいいだろう。晴れ男や雨男と言うように、個人で天候が変わるのでは? という発想は案外普遍的なものだ。

 しかし言われた通り、信号や電車は時間が決まっているのだ。ライスシャワーの存在の有無で結果が変化するわけがない。売り切れに関したって、そんな大勢の人間を操れるわけがない。

 

 そして、網はそれを否定していない。網は肯定している。へぇ、そういう能力持ちなんですね、ハハッ。と。

 それを羞恥に感じて、ライスシャワーは自ら否定せざるを得なくなった。

 言っていることはライスシャワー自身の説明とさして変わらない。ただ、心理というのは言い方ひとつで印象を大きく変えてしまう。『可哀想』と『哀れ』のように。

 ただまぁ、『そうなってしまう』と『そうすることができる』は大きく違うのだが、発生原理が超常的な点は一致している。

 

「なんとも沢山の能力を持っていらっしゃる……あぁ、それともそう具体的なものではなくもっと包括的に『運命を操る能力』とかなんですかね? おや、どうしました、顔が赤いですよ? ……あぁなるほど! 自分の意思でそんなことするわけないですものね! わかっていますよ、能力には時たま自分では制御できないものもありますからね。どうでしょう、いっそ名前でもつけて封印してしまうというのは。そうですねぇ、ではタロットカードになぞらえ――」

 

「もうやめてぇ!!」

 

 斯くして。

 ライスシャワーの心に巣食っていた死神(もうそう)は彼女自身の手によって葬られた。

 その心に大きな黒歴史(きず)を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? どうしたのタイセイ……タイセイ?」

 

「ライアン殿……もうなんか……殺してくれ……」

 

「は!? え!? タイセイ!?」

 

「生き恥……いっそ殺せ……あぁぁあぁぁぁああぁ……」

 

「タイセイーっ!!?」

 

 ついでに、カフェテリアにいた無辜のウマ娘(厨二病患者)を道連れにして。




はい、お米ちゃんでした。

多分界隈で1番コメディチックなライスの不幸妄想克服イベント。


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ワナニカケル、スナヲカケル

「ナイスネイチャ、貴女はこっちです」

 

 ナイスネイチャは外へトレーニングに行くチームメイトを追おうとして網に呼び止められた。

 結局、ナイスネイチャは網の率いるチーム《ミラ》へ加入した。ナイスネイチャの加入後すぐにライスシャワーなる先輩が加入してきて、同時に3人!? などと驚いたが、どうやらライスシャワーは来年のデビューであるようだ。

 流石に同世代3人となるとトレーナーひとりでは誰かしらおざなりになることは明白であるので当然と言えるだろう。そういったことができるのは、サブトレーナーなどを擁している大人数チームくらいだ。

 と、そこまで考えて、ナイスネイチャはその同期の姿が見当たらないことに気がつく。

 

「トレーナー、ターボが見当たらないんだけど……」

 

「ツインターボは今日メイクデビューなのでいませんよ」

 

「へぇっ!? ホントに? それ見に行かなくていいやつなの……? ていうか、ついていかなくていいの!?」

 

「知り合いに付き添いを頼んであります。それに、今回のレースは見たところで大して参考になりません」

 

 ナイスネイチャは社交的に見えて人との間に壁を作るタイプの性格をしているが、反面他者との距離感を掴むのがうまい。観察力とか視野の広さとか、呼吸を読むのがうまいのだ。

 そんなわけで、トレーナー相手にも基本的には敬語を使わなくなった。ただでさえこのトレーナーは基本的に敬語人間なので、ある程度距離を詰めるにはナイスネイチャの側から寄る必要があったのだ。

 とはいえ、ナイスネイチャの目から見れば網の態度には不自然さというか、ぎこちなさが見て取れるため、裏になにかあることには勘付いているのだが。

 

 これは網の敬語が下手であるというわけではない。彼とて幼少期から悪意の坩堝で揉まれて育っている。素人相手はもちろん、相応の経験者相手にも簡単にボロは出さない。

 単純に、ナイスネイチャの観察力が高すぎることがその理由だ。多くの人間に囲まれて生きてきたのは――そこに善意か悪意かの差はあれど――ナイスネイチャも同じだ。それだけ多くの人を見てきた。

 そして、ナイスネイチャ本人もその仄暗い卑屈さと劣等感、自己嫌悪を覆い隠すために、社交的でのんびりとした表面的な性格を取り繕っている。そんなある種のシンパシーが、ナイスネイチャの嗅覚を鋭くさせていた。

 そうして他者を観察する癖が、彼女の卑屈をさらに歪ませる原因にもなっているわけだから一長一短ではあるのだが。

 

 そんなナイスネイチャからの追及に網は動じずに返すが、当然その意味がよくわからずに首をひねる。

 そんなナイスネイチャに対して、網は出走予定表を見せて答え合わせをした。

 

「えっ、ちょっとなにこれ!? ターボが出てるのダートじゃないですか!!」

 

「いい経験になるでしょうし、今のツインターボならダートでも問題なく勝ち抜くことはできますから。彼女の走り方はダートでは有利に働きますし、それならばデータを取られないほうがいい……それに、あまり着差をつけすぎて勝ってしまうと警戒されますからね」

 

 網の言っていることは理解できる。トウカイテイオーは多くのウマ娘やトレーナーから注目を受けている。それはつまり、警戒されていると同義だ。

 それでいながら、毎回ぶっちぎって勝っている。先日のメイクデビューでもそうだった。あれはトウカイテイオーの本来の走りだろう。自身の底を隠していない、それは自信であり余裕、そして慢心であり油断だ。

 研究して小手先の技でどうにかしようとも、この脚ひとつでぶっちぎってやる。そう言えば聞こえはいいが、自分の情報をできるだけ相手に与えないのは戦略の初歩である。それを疎かにするのは明確な失敗だ。

 問題は本当にツインターボが勝てるのかであるが、今までのツインターボの姿を見ていれば心配にもなるだろうが、こうして《ミラ》に入ってからのツインターボを見てみれば、恐らく勝つのだろうとナイスネイチャは考えていた。

 

 ツインターボのスタミナは相当強化され、走り方も洗練されてきた。不慣れなダートでの戦いであっても、1600m程度ならそれほど失速せずに完走できるだろう。

 大逃げと破滅逃げの違い。それはよくスタミナが保つように計算するか否かと表現されるが、それは別の見方をするならば、スタミナが保つように()()()するか否かだ。

 道中のスピードを自身の最高速よりも緩め、コース全体をバテずに走りきれるよう計算する。瞬間的な最高速ではなく、コース全体のタイムを合計した時に最高速になるように走るのが大逃げだ。

 一方の破滅逃げは違う。大逃げが距離で、バ場の状態で、スタミナで、出力する速度を変えるのに対して、破滅逃げは最高出力を出し続ける。

 だから最高速度は大逃げより速いが、失速した分をあわせた合計タイムは遅い。当たり前の論理である。だが、破滅逃げをしてなお足りるほどのスタミナがあるなら。走っている相手は悪夢だろう。

 ()()()()()()()()()()()()()のだから。

 妨害も、牽制も、駆け引きも、撹乱も、あらゆる全てが距離という単純かつ絶対の壁に阻まれ、ただスタミナが切れることを祈るしかないのだ。

 強いて言うなら、そんな理を破壊できるのは、理の通じない"領域(ゾーン)"という不確かな力だけだろう。

 

 長々と破滅逃げの強さを解説したが、では破滅逃げが強いのかと言われると否である。それは上の解説が『成功すれば』の仮定に伴うものであり、そして破滅逃げは、成功しないから破滅逃げであるからだ。

 走る速度と消費するスタミナは正比例しない。 スピードを上げれば、スタミナの消費量は指数関数的に増加する。ステイヤーはマイルでロングスパートかければ強いのではという理論が否定されるのはこれが理由である。いわんや、ゴールまで最高速をなど。

 そしてそんな破滅逃げを、ツインターボは網の手によって開花させつつあった。無論まだまだ先は長い。完成などしないかもしれないが、最後まで保たずともリードを守りきれれば十分なのだ。

 

 祝福、嫉妬、焦燥、安堵、様々な感情がないまぜになった自分の内面の、負の側面にどうしようもない厭悪を覚えるナイスネイチャを、網の声が現実へ引き戻す。

 

「さて、残っていただいたのは他でもありません。貴女のメイクデビューの日取りですが、来週に決まりました」

 

「えっ、ちょ、はやっ!?」

 

「今後のスケジュールと目標を考えて一番遠い日程にしたんです、これでも。もう少し早くお話を持ってきていただければ調整はできたのですが、昨日の今日ですので」

 

 それを言われると、ナイスネイチャに返す言葉はない。うだうだと現実に反抗して時間を浪費したのはナイスネイチャ自身だ。

 そんなナイスネイチャに網は無慈悲にも宣告する。

 

「ですので、それまでの時間いくらトレーニングに注ぎ込もうと、貴女が強くなる可能性は絶無です」

 

「……そこは、可能性はありませんとか、ゼロですとか、そういう言い方でよかったんじゃないっすかね……」

 

 絶無て。事実かもしれないけど絶無て。納得できない思いを引きずるナイスネイチャ。しかし、そのナイスネイチャに聞き捨てならない言葉が聞こえる。

 

「と言うよりも、貴女はそう簡単に強くなれません」

 

「は……はぁ!!?」

 

 いきなりの衝撃発言、いや、ナイスネイチャにしてみればもはや問題発言だろう。言葉にならない声をあげながら、身振り手振りを最大限使って網を問いただす。

 

「簡単に言えば、色々です。今までの間違ったトレーニングの穴埋めとか、体質とか、根本的な能力限界とか、まだまだ伸びしろはありますが、典型的な晩成型。しかも上がり続けるのではなく、ピークが長く続くタイプです」

 

「……それ、死刑宣告ってわかって言ってマス?」

 

 お前強くなれないぞ。そんなことを面と向かって言われれば、どれだけ温厚なウマ娘でも後ろ回し蹴りを食らわせるだろう。

 しかし、網は悪びれもこゆるぎもせずに返す。

 

「言ったでしょう、勝つのに強い必要などないと」

 

 断言。一見矛盾するその言葉には、しかし有無を言わせぬ説得力がある。

 

「『弱者の兵法』。貴女にはそれを極めてもらう」

 

 人間は飛ぶ鳥を落とすために石を用いた。人間は泳ぐ魚を曳くために網を用いた。いつだって自然に対して弱者だった人間は、それでも搦手で以て打ち勝ってきた。

 運動は酸素を消費する。全身を使う運動は、平常時よりも多くの酸素を求め、容赦なく酸素を奪い取っていく。どこから? 普段使っている(ばしょ)から。

 

「ナイスネイチャ、貴女の最大の長所はそこにある。貴女は走っているときに脳が使える酸素量が他のウマ娘に比べて抜きん出て多い」

 

 ぐだぐだと、あぁ周りは速いな。脚が重いな。また3着がやっとか。そんなことを考えながら走っていた。己の無力さに述懐しながら、周りの走りに嫉妬しながら。

 そんなことを考えながらも、コース取りを間違えたことはない。チャンスを見逃したことはない。間違えなくとも、見逃さなくとも、追いつけるだけの能力はなかったけれど。

 

「理由はわかりません。しかし、レース中の貴女の視線は、他のウマ娘の数倍は動いている。視野が広く、観察力が高い。レース中に貴女が見ているものは、他者より圧倒的に多い。その情報量を前に、貴女の走りは揺らいでいない。むしろ、安定している」

 

 お馴染み3着。そんな自嘲。大多数のウマ娘が「ふざけるな」と声を上げるだろう、無知ゆえの傲慢な自嘲。

 裏を返すまでもないがあえて裏を返すなら、それは馴染めるほどに3着を安定してとれるということだ。

 

「他者が必死になって体と頭で酸素の奪い合いをして、ようやく普段の数十分の一の速さで頭を回している中で、貴女は悠々と切る手札を選べる」

 

 今までのナイスネイチャには、ターンが回ってきても切る手札がなかった。開いていく差を埋める手札もなく、惰性でパスを宣言するのみ。

 しかし、そこで切る手札を持っていたら。

 

「学びましょう、策を。(かざ)しましょう、武器を。本能で走る獣たちを、知恵を以て打倒しましょう」

 

 その声音の隠しきれない愉悦の色に、ナイスネイチャは網の本性をなんとなく感じ取った。

 本当にアタシ、キラキラできるのかな。そう考える彼女の目尻は、間違いなくキラキラしていた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「いやぁ、流石中央所属。とんでもない走り方するね、キミ」

 

「んぁ? 当たり前だ! ターボはテイオーに勝つ最強のウマ娘だぞ! 芝だってダートだって一番速いんだ! ファンになった!?」

 

「アハハ、それに個性的だ。キミみたいなのがいっぱいいるのかな、中央。わたしも今からでも目指してみようかな。()()もいることだし」

 

「ん? お前も中央に来るのか? よっし! その時はターボの弟子にしてやるぞ!」

 

「うーん、弟子よりはライバルとして並びたいところだね。ツインターボ、いい名前だ。名前からして速そうだ」

 

「見る目あるなぁお前! よし、ターボ様が名前を覚えてやろう! 名乗るがよい!」

 

「ふふ、ツインターボほどじゃないけど、わたしも相当『走る』って感じの名前なんだよね。多分、一発で覚えられるよ」

 

 

 

 

 

 

 

「わたしの名はハシルショウグン。中央(そっち)に行ったときはよろしくね、ツインターボ」




砂駆ける描写なし! ドン!


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皺寄せ

 パドック、ウォームアップラン*1。模擬レースではどちらも行われないから、ナイスネイチャにとっては初めての経験だった。

 メイクデビュー。他のレースとは質が違うその異様な熱気に萎縮するウマ娘も多い中、ナイスネイチャは自分でも不思議なほど落ち着きを保っていた。

 

『勝たなくても構いません。いえ、できれば()()()()()()()()

 

『……は?』

 

『貴女は一度、未勝利戦を経験したほうがいい』

 

 レース前に網からかけられた信じられない言葉。ウマ娘に『勝つな』と言うトレーナーなど聞いたことがない。

 冷や水を浴びせるかのような言葉に珍しく湧いていた闘志が萎んでいったナイスネイチャは、逆に冷静になって周りを見る余裕ができた。

 ナイスネイチャはこれまで、メイクデビューを()()()()()()()()()()。それどころか、重賞だって、GⅠ以外を見たことは映像でだってない。参考にするために見る先人のレースだってGⅠのものばかりだ。

 そんなナイスネイチャでさえ、この空気は他のレースとは異質であると気づいた。そして、その理由も聡明なナイスネイチャなら想像がつく。

 

(GⅠで1着を取れるのはすごいこと、でもここで1着を取るのははじまりでしかない……むしろ、ここで1着を取れないと始めることすらできない……?)

 

 1着をとることができれば。それを思い描くのが普通のレースだ。しかし、メイクデビューと未勝利戦は1()()()()()()()()()を強く意識させる。否が応でも負の指向性を持って進む思考の行き着く先が、この肌が焼けるほどの戦意。

 1着以外意味がない。その言葉は真実でありながら虚偽でもある。2着以降でも意味はある。なんだかんだ言って3着まではライブでメインに立てるし、強いレースさえすれば入着できなくとも記憶に残ることはある。1着以外意味はないというのは、あくまで克己心を養うための常套句だ。

 しかし、メイクデビューと未勝利戦、条件戦では、真の意味で『1着以外意味がない』。1着とそれ以外。1着だけが駒を進め、それより下はまとめてもう1度。どれだけ好走しようと、どれだけ着差を縮めようと、垂らされた蜘蛛の糸を掴めるのはひとりだけ。

 

 ぶるりと、ナイスネイチャの体が寒気に震えた。まだ6月の末であるにもかかわらずだ。皆が皆、知ってか知らずか、他を蹴落として先へ進もうとしている。

 トウカイテイオーなら。あの快活な天才なら。1着以外をとるなんて想像もしないだろう。頭の片隅にもひっかからないだろう。当たり前のように走って当たり前のように1着をとる。彼女にとってメイクデビューなど、華やかな第一歩に過ぎない。

 しかしどうだろう、凡人(じぶんたち)にとってのメイクデビューは華やかさとはかけ離れている。ナイスネイチャは滲んでくる弱気を必死に食い止める。

 

 網がツインターボのメイクデビューをナイスネイチャに見せなかったのはこれが理由である。ツインターボは、実力はともかくとして人間性としてはトウカイテイオーに近い。

 有り体に言えば、自己評価が高く空気が読めない。例えこれからダートを主戦場にしていこうと決意してその第一歩を踏み出そうとしているウマ娘たちに、芝が主戦場の自分が交ざっても、勝つことを疑わないしなんの躊躇いもなくぶっちぎる。

 そんな様子を先に見せていたら、ナイスネイチャの心に僅かながら余裕が生まれていただろう。

 

 語弊を恐れずに言うならば、ナイスネイチャはツインターボのことを、以前かなり下に見ていた。

 それはかつてであればまったく間違った認識ではない。1着こそとれずとも上位には食い込んでいるナイスネイチャと最下位常連のツインターボとでは明確な実力差があった。

 そして今この時点での実力差もナイスネイチャは見誤っていない。今のツインターボの実力には遠く届かないことをしっかりと認識している。

 その上で、ナイスネイチャは未だにツインターボを下に見る感覚が抜けていない。理屈ではなく感覚的な部分でだ。親戚のおばちゃんが、成人したばかりの親戚を変わらず子供扱いするのに近い。

 「ターボがいけたのだから自分だって」。そんな感情で余裕を持たれては網にとっては不都合だった。

 

 高まり続ける緊張に視野が狭まっていく感覚がナイスネイチャを支配する。バクンバクンと心臓が鳴り続ける中

 

「――ぁ」

 

 ゲートが開いた。

 

「〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 

 自分がゲートに入っていることすら忘れるくらいに雰囲気に飲まれていたナイスネイチャはなんとかスタートを切ったが、完全に出遅れている。

 12人立てで11人の背中が見えている絶望的な状況からスタートしたナイスネイチャのメイクデビュー。どうせ差しなのだから出遅れの被害は少ないと考えてはいられない。

 何故なら、ナイスネイチャは遅い。身体能力が他のウマ娘に劣っている。だからできれば前目につけたかった。

 焦りで茹で上がった頭を落ち着かせながらバ群を眺める。出遅れたのは間違いなく失策だが、しかし確認したいことは確認できている。

 網の言った通り、他の走者を観察しながらの走行に不自由はしない。ナイスネイチャは最後尾にいることをいいことに、警告が出ない程度に外へ向かって斜行する。

 ナイスネイチャがウォームアップランで確認したとき、内の芝は外の芝より荒れていた。その日の前までのレースにパワーが強いウマ娘が多かった影響だ。

 20m程度長く走ることになるかもしれないが、スタミナはともかく外の方が加速しやすいと読んだのだ。今回のコースは芝1600m。ナイスネイチャにとっては少し短い距離だから、優先順位は間違っていない。

 

 そしてナイスネイチャは自身の才能を如何なく発揮し、順当に判断し、順当に手札を切り、順当に順位を上げ……

 

「お疲れさまでした、ナイスネイチャ」

 

「……ッス」

 

 順当に負けた。

 着順は3着。1着と2着がアタマ差、2着とナイスネイチャがクビ差。出遅れがなければもしかして、と思わせる決着だった。

 

「お、お馴染み3着〜……」

 

 沈黙。その場にいるのは網とツインターボ、ナイスネイチャの3人。アイネスフウジンはダイタクヘリオスと合同で練習しており、ライスシャワーはミホノブルボンと合同で練習(をストーカー)している。

 ツインターボは最近できた友人とUMIEN(メッセージアプリ)でなにやらやり取りしており、網は「コイツ意外と神経太ぇな」と感心していた。

 

「……ッスー……」

 

「敗因はわかりますか?」

 

「……出遅れぇ……ですかねぇ……」

 

「それがわかっているなら上出来でしょう。今までの『なんとなく走ってなんとなく負けていた、理由はわかりません』より余程いい」

 

 網的には皮肉でもなんでもなく思ったままを言っただけだ。はじめから「むしろ負けてこい」と言っていたのだからどちらかと言えば百点満点の結果だろう。

 まぁ負けた本人にしてみれば痛烈な皮肉にしか聞こえないのも道理だが。

 

「まだ改善点と言えるほど巧く出来ている部分がありませんし、身体能力的な部分から言うとそもそも基準値に達していないので指摘できる点はありません」

 

「うぐぅ……」

 

「ただ、外を走ったのはいい判断でしたし、レースを冷静かつ広い視野で見ることができているのは確認できました。方針は今まで通りで良さそうですね」

 

 疲れて動けないなら運びますがとの網の申し出を丁重に断ったナイスネイチャは、駐車場へ向かう網とツインターボを若干肩を落としながら追う。

 駐車場への中途、網は次のスケジュールについてナイスネイチャに話し始めた。

 

「次回の出走予定は3週間後の土曜日。東京レース場で芝1800m未勝利戦です」

 

「えー、と。考えがあるんでしょうから文句はありませんケド、若干日程遠くないですか?」

 

「トレーニングの時間を少しでもとったほうがいいでしょう。貴女の場合」

 

 ぐうの音も出ない。いや、最早ナイスネイチャ自身もわかっているのだ。自身が弱いことは以前からわかっていた。その上で、『努力をすればカバーできる程度』の問題だったのだと。

 不貞腐れる前に視点を変えていれば。自分は弱いと思考停止してないで、少しでも頭を回していれば。そのためにトレセン学園がある。そのために膨大な量の過去のレースの情報が残されている。

 正しい筋肉の付け方を調べようと思ったことはあったか? 少しでも有利になれる作戦を学ぼうと思ったことは? 走る相手のデータを集めて並べて羨む以外にすることがあったのじゃないか?

 今のレースだって出遅れがなければ。普段はただネガティブな述懐が出てくるだけなのに、今は勝てた可能性について考えている。

 すべての原因は自分の怠慢だった。その事実に、ナイスネイチャはただ歯の根を鳴らした。

 

 

 

 それからの3週間。ナイスネイチャは網に言われるがままトレーニングを繰り返した。

 トレーニングの内容は水泳での有酸素運動と上半身や体幹のトレーニングという無酸素運動を交互に行うものだった。やはりというか、走るトレーニングはやらなかった。

 それに加え、網曰く『弱者の兵法』、つまりレース全体を牽制し、掌握し、支配する手段について学んだ。

 文章にすればそれだけのことだが、ナイスネイチャにしてみれば一変と言っていい。今までのナイスネイチャのトレーニングはおおよそ徒労と呼んで差し支えないものだったのだから。

 どうすれば脚が速くなるのかも知らずに、ただ教官の指示に従ったトレーニングと、見様見真似の闇雲なトレーニングを続けていた。

 

 トレーナーがおらずチームにも所属していないウマ娘は、トレセン学園に勤務する教官が複数人をまとめて指導する。当然個人個人にあわせたメニューではなく、能力の底上げを考えた基礎的なメニューだ。

 それはまだいい、間違いなく効果はあった。問題はナイスネイチャが闇雲に行っていたトレーニングだ。その多くはただ走るというものだったが、はっきり言ってほとんど無駄だった。

 脚を使うトレーニングにも種類があるが、そのほとんどが目的を意識して行うものだ。フォームの改善が目的のテンポ走、トップスピードの底上げが目的の加速走などである。

 確かにただ走っているだけもスタミナはつくが、それなら水泳を行ったほうが脚の負担になりにくいし、脚の遅筋を鍛えるのが目的ならエアロバイクのほうが同じ理由で適している。

 

 今行っている網のトレーニングメニューはそんな闇雲なトレーニングで偏った筋肉を整え、この先のトレーニングの下地を作るものが主だったが、それでも筋肉のバランスが僅かながら改善したために走りやすくなった感覚をナイスネイチャに与えた。

 ほんの少しだが、それでも速くなった実感がある。ナイスネイチャにとって、それは本当に久しぶりの経験だった。だから、今度こそという気持ちでこの未勝利戦の舞台、東京芝1800mへ足を運んだ。

 

 その無知を自覚しないままに。

*1
返し馬のこと。英語だとウォームアップなのでそのまま使いました。



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当作品は京言葉及び京都府民の方々への偏見を加速させる意図はありません

このオリウマ娘だーれだをやりたいがために最後のギリギリまで名前を出さない作者のクズ。


 そこは死地だった。

 メイクデビューの異様な戦意と比べてもなお余りある、殺気のように肌を削ぐ熱。出走する予定のウマ娘たちがとっている行動こそメイクデビューと大差ないが、その表情には一片の余裕もない。

 重苦しい静寂の中で体を温めて荒くなった呼吸の音が、乱暴に耳を撫でた。

 

「今回の出走者、ほとんどはこれが2戦目の方々ですので、これが()()()()()()()()()()()だと考えていただいて差し支えありません」

 

「ッッ!?」

 

「こちらから言うことは特にありません。8月中に条件戦に乗ればいいので余裕はありますから、あまり気負わなくても結構です。それでは、健闘をお祈りします」

 

 そう言い残してトレーナー用の観覧席へ向かう網。ひとり残されたナイスネイチャはなんとか落ち着こうと体を掻き抱く。

 勝つことへ向ける正の感情も、周りからは確かに感じ取れる。しかし、それ以上に苛立ちや焦燥といった負の感情が空気をビリビリと揺らしていた。

 

「あら、1着候補が来やはったわぁ」

 

 ナイスネイチャがそんな言葉に振り向くと、栗毛でありながら前髪のほとんどが大流星で白く染まった、おかっぱ頭のウマ娘がナイスネイチャの方を微笑みながら見ていた。

 しかし、ナイスネイチャはそのウマ娘が浮かべる、目が笑っていない微笑みの裏に隠れた敵意を敏感に察知し、警戒とともに視線を彼女のほうへ彷徨わせる。

 両耳に白い耳カバー、右耳には(かんざし)のような耳飾りを着けたそのウマ娘、ゼッケン番号は6番だが、名前の部分は組んだ腕で隠れて見えない。

 そんな栗毛の言った言葉を否定しようとして言葉に詰まっているナイスネイチャに向かって、栗毛は目を細めて笑った。

 

「照れるわぁ、そない熱っぽく見つめはって……惚れてしもたん?」

 

「へっ、いや、ちがっ!」

 

「ま、思っとったより初心(うぶ)なんやねぇ……ええ反応しはるわぁ」

 

 クスクスと口元に手を当てて笑う栗毛に、ナイスネイチャは恐ろしいものを覚える。栗毛の視線は未だに剣呑なものを宿しており、少しも緩んでいない。

 態度と感情でここまで乖離しているウマ娘を見るのは、ナイスネイチャにとって初めてだった。

 コールタールに塗れているかのような重い空気は会話の間も変わらない。それどころか、栗毛が言った『1着候補』という言葉に釣られて、何人かのウマ娘から観察するような視線を向けられているのが肌で感じられる。

 『1着候補』に対していつものように「そんなことはない」と言おうと思って言えなかった。ここに来る前に見せられた出バ表で見た限り、ここにいるのは自分以外掲示板にも入れなかった下位のウマ娘だから。

 体を抱えるようにギュッと抱き寄せる。震えが止まらない。

 

「なんや調子悪そやわぁ……家で休んではったほうがよろしいんとちゃう?」

 

「っ、だ、いじょうぶ……だからっ……」

 

「あらそう? ほんならうち、からだ(ぬく)めてくるさかいこの辺りでごめんやす。ほんまに、勝手に温まるなんて羨ましぃわぁ」

 

 最後に挑発らしき言葉を吐いて、栗毛のウマ娘は去っていく。ナイスネイチャはそのゼッケンで名前を確認することも忘れて荒く息をしていた。

 一見友好的な態度から滲み出す悪意。未だ周りから向けられている名指しの敵意。ナイスネイチャは、完全に場の空気に飲まれていた。

 ナイスネイチャが今まで体験したことのないほど張り詰めた空気に頭の血液がサーッと下がっていく。そんな中で、ナイスネイチャの中に残された冷静な部分が考えを巡らせる。

 網はこの空気を体験させたいと思っていたのだろう。だとすれば、学ぶべきことはそこにあるはずだ。そう思い至ったナイスネイチャは、遂に自分の無知だった部分に目を向けた。

 

 そしてようやく、周囲のウマ娘たちの気持ちを、今まで実感できていなかった純然たる事実を理解した。多くのウマ娘が、レースに生を懸けているという事実を。

 

 未勝利戦の数は有限で、時間もまた有限だ。救済措置はほぼ機能しておらず、取り残されれば都落ちは確定する。オープンに行けるウマ娘の数は、実質決まっていると言っていい。

 目の前にいるのは最早ライバルなどではなく、自分の将来を破壊しうる敵。そう考えてしまうウマ娘もまた、少なくない。

 今はまだ7月中旬。クラシック戦線に参加するなら2月までには条件戦に乗り、重賞かトライアルに挑戦したい。クラシックを諦めるなら来年9月が期限。

 前者なら約半年、後者なら1年と2ヶ月。まだそれだけの時間があるにもかかわらず、これだけの焦燥が漂っている。

 これから先のことを考えてナイスネイチャの体が竦む。負ければ、次も未勝利戦。より重くなった空気の中で走ることになる。

 

 負けることのデメリットが自尊心を傷つけられること以外になかったからこそ、そんなもんだしょうがないと妥協できていた。妥協してしまっていた。

 負けても次があるが、次はいつかなくなる。果てが見えてしまっている。そもそもこの煉獄を長い間走ることが苦痛になる。敗北は身を削ることになる。

 妥協が、諦観が、言い訳が許されない。心を守るためのそれは、現実からは守ってくれない。ナイスネイチャの心から余裕はとうに失せていた。

 

 ウォームアップランでコースの観察を終え、作戦を組み立てる。出せる最高速度で他のウマ娘に劣るナイスネイチャが勝つためには、他のウマ娘が最高速度を出せる時間を減らす必要がある。

 つまり、スタミナを浪費させるか、スパートのタイミングを誤らせるか。そのどちらかで、失速させるかスピードに乗り切れなくさせる。

 今回のコースは東京の1800m。特徴のひとつは明確に内枠有利となるポケットスタート後すぐのコーナーだろう。スタート後僅か100mでコーナーに入るため、ほぼ斜めに走ることになるからである。

 今回、ナイスネイチャは内枠気味の位置。正直かなり有利な位置取りだ。中盤で外に出てスパートに備えることもでき、バ群から周りをコントロールすることもできる。

 ゲートに入って、殺気立った空気に冷や汗を垂らしながら発走を待つ。怯える心を奮い立たせるように、ナイスネイチャは数度地面を蹴った。やがて全員のゲート入りが完了し、ほんの数瞬、空気が完全に凪いだ。

 

 ゲートが開く。

 

 飛び出したふたりの逃げウマ娘がハナを奪い合いながらスタート直後のコーナーへ突入する。当然やや外枠に配置されたほうのウマ娘が僅かに遅れ、それでもほぼ差がない状態でコーナーを抜ける。

 中団はほぼ団子状態。固まったバ群の中、ナイスネイチャは周囲に目を向ける。

 

(逃げ2、中団は……ペース考えると多分先行5、差し3、それと……追込1)

 

 先程の栗毛のウマ娘は最後方にいた。出遅れたのではなく、慣れた足運びでスルスルと下がっていったのが見てとれた。

 府中の最終直線は長い。自然、差しや追い込みが有利になる。そして仕掛けどころを間違えさせにくい。どうやって追い込みを牽制するか考えながらも、ナイスネイチャは打てる布石を打っていく。

 

 コーナー直後の直線。この直線も最終直線と同じく長い。ナイスネイチャは直線の序盤でやや脚を速め、固まった先行集団の隙間へするりと入り込む。

 すると、先行策をとっていたウマ娘のうち、先程ナイスネイチャを警戒していたウマ娘たちが掛かり気味にスピードを上げた。

 東京芝1800mはスタート直後から緩やかな下り坂になっている。逃げや先行はスタミナをあまり使うことなく加速できるからこの下りは有利に働くのだが、今回の場合勝手が違う。

 ナイスネイチャによって誘発された掛かりによる加速は半ば本人たちの意識外での出来事、そんな状態で坂を下れば当然ブレーキが利かず飛び出す形になる。

 後ろから詰められた逃げウマ娘ふたりも同じく加速し、さらに片方が完全に掛かり暴走を始めた。

 

(……なるほど、冷静に考えればこの空気はむしろアタシに味方してる……)

 

 焦りと興奮。運動によって頭に血が上りやすくなっている今、ナイスネイチャのアドバンテージは更に大きくなっていた。

 下り坂で余計に加速してしまった前方の集団は、間違ったペースでの走りでスタミナを浪費する。後方集団はレースがハイペースになったことを認識しながらも、脚を溜めることに終止する。

 だからナイスネイチャは、下り坂直後の急な上り坂で露骨なまでに減速した。

 

「うわっ!?」

 

「ちょっ……」

 

「はいゴメンよ〜……ッ」

 

 ナイスネイチャが先行集団へ追いつくときには開いていた僅かな隙間は時間とともに閉じている。つまり、ナイスネイチャの後ろにはふたり、先行バが走っていたことになる。

 ナイスネイチャはそんなふたりを巻き込みながら後方集団へと垂れつつ、少しずつ減速することによって脚を溜めはじめた。急減速は負担になり逆効果なので、ゆっくりと。

 ナイスネイチャを避けようと横に動けば、上り坂を斜めに登ることになる。当然だが、真っ直ぐ登るよりも斜めに登る方が走る距離は長くなるし、スタミナは急激に消耗することになる。

 それは、巻き込まれて垂れてきた先行バふたりを前にした後方集団にとっても同じだ。既に団子状態だった中団は縦に伸びている。

 

(これで追込が届かなくなれば助かるんだけどっ……?)

 

 栗毛は動かない。ただ自分のペースを保って最後方を追走している。

 急な上り坂が終わって、第3コーナー、曲がりながらの下り坂。僅かながら脚を溜めたナイスネイチャは、下り坂を利用してできるだけスタミナを使わずに加速して上り坂での減速分を取り戻す。

 ナイスネイチャによって掛かっていた先行集団は直線と上りで脚を溜められないまま、加速にしろ減速にしろスタミナを使わざるを得ないコーナーの下り坂でも同じように脚を使わされる。

 

 第3コーナーから第4コーナーへ、下り坂から緩い上り坂へ。暴走してスタミナを消耗しすぎたハナの逃げウマ娘がズルズルと垂れてくる。先行集団のうち何人かはこのコーナーで少しでも脚を溜めることを選び、再び後方集団との距離が詰まる。

 ナイスネイチャは下り坂での加速からそのままスパートに移る。下り坂からの勢いで体を外に出し、これから垂れてくるであろう先行集団を進路から外した。

 後方集団もナイスネイチャと同じように下り坂で加速してスパートに移り、戦局は最終直線へと移行する。

 

 高低差2m、距離160mの急な上り坂。2つ目の高い壁にして(ふるい)

 ナイスネイチャによってスタミナを浪費させられた逃げウマ娘ふたりと先行集団がこの急坂に阻まれ垂れていくのを横目に、ナイスネイチャは外から一気に坂を登り切る。

 わずかに遅れて最終直線に入った後方集団が先行集団を避けるために減速する。冷静にはじめから外を通っていたひとりを除いて。

 

(一番引っかかって欲しいやつが引っかかってないじゃん!!)

 

(ふふ、期待外れや思っとったけど、えげつないことしはるやないの……ま、もっとこっそりしいひんと丸わかりなんやけど……)

 

 外から先行集団も後方集団も躱して、直線から急加速した栗毛の追い込みがぐんぐんと距離を詰めてくる。

 あと100m。ふたりが並ぶ。

 

「っぐ……ま、け、るかぁああああああああ!!」

 

(やったらできるやないの……っ!!)

 

 ナイスネイチャの最後のひと踏ん張りに栗毛のポーカーフェイスが崩れる。どちらが先にゴール板を踏んだのか。直後には判らずふたりで掲示板を見上げる。

 ふたりがゴールしてからほんの少し間が空いて他のウマ娘たちもゴールし始める。そんな中、確定の点灯と共に1着の表示が灯る。

 

 勝ったのは6番、栗毛のウマ娘。着差はハナ差。

 

「……は、ぁぁぁぁぁぁ……」

 

 口から深く深く息を出しながらその場に座り込むナイスネイチャ。もうなんもかんも出し尽くしました〜と言いたげなその態度をくすくすと笑いながら見下ろす栗毛の目には、もう侮りや嘲りの色はない。

 

「負け、負けかぁ……負けたかぁ……」

 

 でも2着とか、そんな自己弁護も出てこない。出し尽くして、負けて。

 

「やぁ……ほんにナメとったわぁ……堪忍しとくれやすなぁ、ネイチャさん」

 

 出走前と違うトゲの取れた声色で、栗毛のウマ娘は謝りながらナイスネイチャに手を差し出した。ナイスネイチャは一瞬キョトンとしてから、その手をとって起き上がる。

 

「走る前の腑抜けた態度、あれ演技やったん? それとも走っとるうちに成長しはったん?」

 

「アハハ……お恥ずかしながら素でして……いやホントナメてたのはこっちの方です……スミマセン……」

 

「そやったらお互い様やねぇ。あんさん強いんやさかいあんなビビっとったらあかんよ?」

 

「い、いやぁアタシなんてそんな……」

 

「そない謙遜すんのもあかんて。それともあんさんとハナ差にしかならんかったうちも大したことあらへんの?」

 

「や、やややややそういうわけじゃ……!」

 

 ナイスネイチャはようやく自分のしている自嘲が失礼にもなりうることを自覚して慌てるが、栗毛のウマ娘はからかい半分だったようで「さーライブやライブ」と地下バ道へ戻っていく。

 空気が軽くなったかのような錯覚さえあったナイスネイチャだったが、栗毛と自分以外の雰囲気はむしろより悪くなっていると言ってもいい。ライブの間こそしっかり明るさを保っていたが、地下バ道や更衣室での雰囲気は最悪なまま。

 でも、その雰囲気に対する怯えは、ナイスネイチャの中にはもうなかった。

 

「3週間の成果は出ていたと思います。1着のイブキマイカグラはメイクデビューこそ掛かりがあって敗着しましたが、元々が有望株であったので仕方が――」

 

「トレーナー」

 

「――はい」

 

 網からの評価を受けながらも、ナイスネイチャの中にあるひとつの想いは消えない。相手が強かったから仕方ない、なんて、今までの常套句に納得ができない。

 

「アタシ、悔しいです。やることやって、全部出しきって、それでも負けた」

 

「…………」

 

「次は……1着、欲しいから。がんばる、からっ!」

 

 重賞でもなんでもない、序盤の未勝利戦での敗北。

 それでも、諦められない。慰めはいらない。勝ちたいと。泣いたのはいつぶりだろう。泣きじゃくるナイスネイチャにタオルを渡して、その頭を網は軽く撫でた。

 

「……それが私の仕事です」

 

 まずひとつ、諦めという呪縛から放たれたナイスネイチャは、ようやく、本当の意味で『夢』へと歩き始める。

 その姿は、間違いなくキラキラしていた。

 

 

 

 2週間後。ナイスネイチャは遂に条件戦へ駒を進めることとなった。




めちゃくちゃ難産だったわ……色んな意味で……

以下翻訳
「照れるわぁ、そない熱っぽく見つめはって……惚れてしもたん?」
『何ジロジロ見てんだお前』

「ま、思っとったより初心(うぶ)なんやねぇ……ええ反応しはるわぁ」
『この程度で動揺してんじゃねえよ』

「なんや調子悪そやわぁ……家で休んではったほうがよろしいんとちゃう?」
『この程度でビビってんならさっさと帰れ』

「あらそう? ほんならうち、からだ温めてくるさかいこの辺りでごめんやす。ほんまに、勝手に温まるなんて羨ましぃわぁ」
『ビビりすぎて震えてんの見てて情けないわ』


後半のセリフは大体そのままです。


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成長

 7月3週、チーム《ミラ》のメンバーは中央トレセン学園にいた。7月から8月までを学園で過ごすチームは珍しい。大抵のチームはどこかしら夏合宿を行うことが多いからだ。

 網曰く「合宿の意図は慰安による効率の向上だ。練習設備や練習環境だけならトレセン学園以上に整っている場所なんて各名門の敷地くらいだろう」との言に、ナイスネイチャの出走予定が重なった結果、7月中は学園でのトレーニング、8月中盤に慰安の催しを行うと発表された。

 トレーニング狂じみたところのあるライスシャワー、合宿に惹かれてはいたものの慰安の催しに釣られたツインターボ、つい最近家族と温泉旅行へ行っていたアイネスフウジンから文句は出ず、自身が一因であることもあってナイスネイチャも否やはなかった。

 

「ナイスネイチャ、《ミラ》に所属して1ヶ月と少し経ちました。加入の際に少しいざこざもありましたし、少々面談をしたいのですが……」

 

「あ、はい、りょーかい……」

 

 ツインターボとライスシャワーが遠泳へ行くのを見送り、ナイスネイチャはチームの部室で面談を行うことになった。

机を挟んで向こう側には網とアイネスフウジンが座っている。

 

「では、まず強く反応していたトウカイテイオーについてですが、どうでしょう。まだ絶対に勝てないと思いますか?」

 

「え〜と、正直、まだアタシがテイオーに勝てるっていうのは信じらんないです……ただ、トレーナーの指示や作戦があれば勝てないこともないのかな〜……って」

 

 トウカイテイオーがグラウンドで走っているのを見かけるたび、やはりナイスネイチャはまだトウカイテイオーには届かないと思い知らされる。

 前までであれば、勝てたとすればそれはまぐれだと。実力ではないと言い張っていただろう。しかし、今のナイスネイチャには『何がどう勝ちに繋がるか』の知識がある。

 すべてが知識通りに上手くいくわけではないだろうが、勝つべくして勝った時は、きっとそれをありのまま受け入れられるだろうとナイスネイチャは認識していた。

 

「はい、今はそれで十分です。クラシックはそれでも問題は出てこないと思います」

 

「へ? えーと……そこから先は……」

 

「知識を積み重ねて自分で作戦を組み立てる訓練ですね」

 

 ナイスネイチャは机にゴンと額をぶつけた。不満ではない。当たり前のことを失念していた自分への呆れであった。

 覚えるだけなら誰でもできる。自分で使い所を見極めて、時には理論を分解再構築して応用するところからが本番である。

 

「それでは、改めてご自分で目標を決めてみてください」

 

 網に紙とペンを差し出され、ナイスネイチャは考え始める。自分がどんな答えを求められているのか。

 対して、網としては、答え自体はそれほど重要視していない。自分の中に一定の目標があるか。曖昧なものではない()()という方針があるかの確認だ。だから、真剣に悩んでいる時点で割と合格にするつもりではあった。

 しかし、ナイスネイチャはしっかりと成長を遂げていた。

 

「えー……と、まず一度オープン戦に格上挑戦したいですね。肌で感じたんですけど、多分条件戦の間は実力自体にそれほど差はないと思うんです」

 

 そこで一度区切って、ナイスネイチャは網を窺う。当然、それに過度の反応を返すことはなく、網は目で続きを促した。

 

「多分……オープン特別……いや、リステッド競走*1くらいまでは実力に大きな差がなくて、差がついてくるのはGⅢから先だと思うんです」

 

「理由は?」

 

「GⅠ級の実力者が降りてくるのは重賞までだからです。それより下は()()()()()()と言われかねない……どころか、得られるものが割に合わないから……それはGⅡ級とGⅢ級と概ね同じで、そりゃ例外もあるでしょうけど、基本的には出てこない……かと……」

 

 ナイスネイチャの考えは的を射ている。理由も概ね正しい。事実、重賞で好走したウマ娘はその後オープン戦以下で走ることが極端に少なくなる。GⅠを複数回勝利しているウマ娘など、GⅢに出ることさえなくなることもある。

 これはナイスネイチャの言う通り、ウマ娘の脚が消耗品であるが故にコストパフォーマンスが悪いと言うのがひとつ。観客が同格同士の対戦を求めているというのがひとつ。

 そして、同格同士の、いや強敵との勝負を求めているのは、他ならぬウマ娘の本能であるというのも大きい。

 

「えっと、アタシとしてはまずGⅢを勝っておきたいんですよね。重賞級か違うかで大きな差がありそうなので……ただ、GⅢを絶対に勝てるとはちょっと言い切れないので、先にオープンを勝っておきたいなぁ……って……」

 

 弱気すぎただろうかとナイスネイチャが網の様子を再び窺う。網も変わらず続きを促すが、雰囲気が固くなったような素振りはない。

 

(えー……どういう感情なのそれー……あってんの? ダメなの? ゔー……)

 

 ナイスネイチャは網の様子から考えの方針を導くのは諦め、玉砕覚悟で最後まで話すことにした。

 

「それでですね……チームに入ったとき、トレーナーはアタシが菊花賞、皐月賞とダービーをターボで分け合うって言ってたんだけど……アタシとしては、ダービーに出るからには、勝ちを狙いたい、ん、ですよね……」

 

 この発言には、網も片眉を上げた。もちろん、悪い意味ではない。網としても、出走するからには勝ちを狙うべきではあるという考えが基盤にあるからだ。

 その上で、手段としての出走も躊躇わないというだけで。

 

「自信があるってわけではないんですけど、でも、負けるつもりで挑むのは、なんか、もう嫌かな、って」

 

「……えぇ、いいと思います。その考えはとても。ツインターボも歓迎するでしょう」

 

「ヘヘ……えっと、なわけで皐月賞は回避して、ダービートライアルの青葉賞に出てからダービー、その次は神戸新聞杯を踏んで菊花賞。翌年は日経新春杯から始めて、阪神大賞典、春天と通ろうかなって……」

 

「ふむ……大阪杯でなくていいんですか?」

 

「えっ、そっちはターボが出るのかなぁって思ってたんだけど……違いました?」

 

「いえ、そのつもりなら助かります」

 

 ホッと胸をなでおろすナイスネイチャに対して、網は感心していた。大まかな流れは自分が想定していたナイスネイチャのローテーションとほぼ同じだったからだ。

 正確に言えば、ナイスネイチャは有記念にも出られると網は思っている。ナイスネイチャがそれに言及しなかったのは、単純に人気上位を取れるとまでは思っていないからだろう。

 

「では、結論から言いますと、メンタル面の問題はおおよそ改善できたようですね。正直、ここまで早く解消できると思っていなかったので驚いています。何か契機がありましたか?」

 

「アハハ……いえ、お陰様で……」

 

「では私から課題ですが、ホープフルステークスに出ましょう。もちろん勝つつもりで挑んでいただきますが、ダービーをとりたいならやはりGⅠの空気には慣れておきたいので」

 

 ホープフルステークス。中山2000mのジュニア級のGⅠ。ある意味、皐月賞の試金石ともなるレースだ。だからこそ、ナイスネイチャはそこにもツインターボを出すものだと思っていた。

 

「ツインターボの初芝レースは若葉ステークスです。それまでにダートのオープンを何度か走ってもらいますが……ツインターボはまだトウカイテイオーに目をつけられていないので、ギリギリまで意識されないでおきたいんです」

 

 さて、と。網が襟を正す。場の空気が緊張したことを感じ取り、ナイスネイチャも居住まいを正した。

 

「ナイスネイチャのメンタル面も改善が見られたので、これ以上先延ばしにするより、ここで伝えておきたいと思います」

 

「えーと……アタシなんかしちゃったり……?」

 

「いえ、トウカイテイオーについてです。貴女は知っておいたほうがいいかな、と」

 

 一拍おいて、網はナイスネイチャの目をしっかりと見ながら、躊躇わずに口に出した。

 

「トウカイテイオーの走り方は負担が大きい。最悪、クラシック期中に故障します」

*1
オープン戦の中で格が高いもの。種別はオープン戦と同じだが、グレードとオープンの中間に位置していると扱われる。



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忠告明暗

「マヤからテイオーちゃんに?」

 

「そうっ! 同期のアタシから言うと角が立つからさ! お願いっ!」

 

 今、こうしてトレセン学園の食堂で、ナイスネイチャが頭を下げている理由は他でもない。トウカイテイオーの脚に関することだった。

 昨日、ナイスネイチャは網から『トウカイテイオーの走り方は負担が大きく故障の蓋然性が高い』ということを聞かされ、どうにかそのことをトウカイテイオーに伝えたいと考えた。

 しかしどうだろう。走り方の負担が大きいと忠告するということは、つまり実質ランニングフォームを変えろと言っているに等しい。どう改善するにしろ当然それだけ、他のトレーニングがおろそかになる。

 そのうえで、ナイスネイチャは一応、トウカイテイオーとクラシック戦線でしのぎを削りあうことになるライバルである。そんなナイスネイチャから直接トウカイテイオーにそんな忠告をするのは、周囲からの妙な勘繰りを生みかねないと、ナイスネイチャは考えていた。

 かと言って放置する気はさらさらない。誰かを経由して忠告するという方針を思いついて、誰に頼むか考えた結果がマヤノトップガンだった。

 

「マヤノだったら『わかっちゃった』で理由とか誤魔化して言っちゃえるじゃん? デビューもまだ先みたいだし、同室だし……」

 

 このマヤノトップガンという少女は、言わばトウカイテイオーの同類である。凄まじい観察眼と理解力で一足飛びに技術を習得していく、まさに天才。

 そんなマヤノトップガンの代名詞とも言える「わかっちゃった」は生徒間でも有名であり、当然だがトウカイテイオーも知っているだろう。少なくとも、ナイスネイチャから口を出すより信頼性は高くなるはず。

 

「う〜ん……実はね? マヤからも言ったことあるんだよ? 走り方が危ないよって」

 

「え……そ、そうなの!?」

 

「うん。テイオーちゃん、『まさかー!』ってはぐらかしてたけど。マヤわかっちゃったんだよね、テイオーちゃん、わかっててやってる」

 

 マヤノトップガンの言葉に、ナイスネイチャは「あ゛〜……」とうめき声をあげながら机へと突っ伏す。

 その可能性を考えていなかったわけではないのだ。トウカイテイオーは『無敗の三冠』にただならぬこだわりを見せている。だから、フォームの改造という大仕事に時間をとられることは許容できないのだろう。

 

 フォームの改造と言えばその程度と思ってしまうかもしれないが、それは今まで培ってきた技術を土台からひっくり返す行為である。

 体に刻み込んだものを上書きし、覚えさせ直す。ツインターボに網が行っているような調整とは規模が違う。

 

「……テイオーのトレーナーは?」

 

「全面的にテイオーちゃんを信頼してるって感じ。何かあったら言ってくれるだろうって」

 

 本来、トウカイテイオーの走り方の欠点に真っ先に気づくべきはトウカイテイオーのトレーナーだ。しかし、今回に限ってはそれを責めるのは酷だろう。

 気づいているのだって化け物じみた観察眼を持つマヤノトップガンと、トレーナーの中でもずば抜けた分析力を持つ網だけであり、アイネスフウジンは網の分析から網が隠しているであろうそれを察したに過ぎないのだ。

 他の多くの人間は、トウカイテイオーの走り方が抱える爆弾は、そもそも想像だにしていない。なにせ、トウカイテイオーの走り方は前例がない特異なものなのだから。

 そもそも、網でさえ脚への負担が大きいということしかわかっていない。例えば、トウカイテイオーの脚がその負担に耐えられるほど頑丈である可能性だってあるのだ。

 

 だから、ナイスネイチャたちも下手に大事にするわけにはいかない。それがどんなゴシップに繋がるか、ナイスネイチャたちには()()()()()()()のだから。

 

 また、故障の多くは突然やってくるものではない。人体には壊れるという危険を伝えるためのアラートとして痛みがあるのだ。大抵、予兆としての痛みが発生する。

 だが、トレーナーが想像するよりも遥かに、ウマ娘はそれをトレーナーに()()()()()()()。ウマ娘という種族の負けん気が悪い方向に働いているのか、我慢してしまう。そして、最悪の事態に陥る。

 そして、トウカイテイオーという娘が人一倍負けん気が強い意地っ張りであると、二人は知っていた。

 

「……打つ手なし、かぁ……」

 

「んー、一応あるにはあるけど……」

 

「ホント!?」

 

 マヤノトップガンの言葉にナイスネイチャは一縷の希望を抱く。しかし、マヤノトップガンは難しそうな顔で続けた。

 

「皐月賞で誰かがテイオーちゃんをバチボコに負かして、無敗三冠の夢を終わらせてからなら説得できるかもしれない」

 

「バチボコに」

 

 それはもう完膚なきまでに。

 トウカイテイオーがフォームの改善をしたがらないのは、恐らくクラシック戦線に間に合わないからだ。クラシック戦線にこだわるのは無敗三冠が原因だ。

 だから無敗三冠をとれないように一冠目から潰してやれば、クラシック戦線にこだわる理由はなくなり、フォームの改善を受け入れるかもしれない。単純かつ無慈悲な結論であるが、それ以外に方法は見つからない。

 そして、ナイスネイチャは皐月賞には出走しない。

 

「……マジ頼むよ……ターボ……」

 

 ナイスネイチャは、最早あの騒がしい()最下位常連の友人が、高すぎる壁を乗り越えることを祈るしかなかった。

 

 

 

★☆★

 

 

 

「ツインターボ、久しぶり」

 

 トレーニングの休憩中、アイネスフウジンは聞き慣れない声を聞いて視線を向けた。

 そこにいたのは彼女の後輩でありチームメイトのツインターボと、見たことのない芦毛のウマ娘だった。

 

「おー! ショーグン!! ショーグンも中央(こっち)来たのか!!」

 

「うん、昨日からね。わたしなら中央も狙えるって張り切ったトレーナーが、中央にいる親戚のトレーナーに渡りをつけてくれたんだ」

 

 アイネスフウジンが話を聞く限り、相手は元々地方トレセンの生徒だったらしい。ツインターボは最近大井レース場でのレースが多いため、そこで出会ったのだろうと当たりをつけた。

 と、そこで近くで聞いていた網が話に入っていく。

 

「元大井所属のハシルショウグンさんですね。うちのツインターボがいつもお世話になっております」

 

「いえいえ、彼女の走りは……いや、正直参考にはならないんですけど、面白いなぁって見せてもらってます」

 

「いや、はは、それはごもっとも」

 

 参考には当然ならない。ていうか参考にしてはいけない。

 

「ツインターボともそのうち走ってみたいものですけど……彼女、芝の方ですよね」

 

「あー……やっぱりわかりますか」

 

「失礼ながら、ダート経験が浅い中央のウマ娘やトレーナーなら誤魔化せるかもしれませんが、ダート屋や、地方出身のウマ娘には割と」

 

 それは経験値の違いであり、如何ともし難い。幸い、網が騙したいのは地方出身どころかエリート中のエリートであるため支障はないだろうと判断した。

 

「わたしも基本はダート路線で行くつもりですけど、もし芝で出会ったら、その時はよろしくお願いします」

 

 人当たりのいい柔らかな態度は天然のものだろうとアイネスフウジンは判断する。そうでなければツインターボが背中にひっつくセミになるほど(こんな)に懐くことはないだろう。

 

「あぁ、ところで今日これから時間はありますか?」

 

「へ? えぇ、一応ありますけど……」

 

「それはよかった。ツインターボ、今日はあがっていいからハシルショウグンさんを連れて整体に行ってきなさい。最近重心が崩れてきていますよ」

 

「わかった!!」

 

「あぁ、お金は心配することはありません。実を言うと友人紹介割引がありまして、紹介した側は割引、された側は初回無料になるんですよ。クーポンはツインターボが持っているはずなので、是非」

 

 網の突然の申し出に驚き、はじめは所持金の問題で断ろうとしたハシルショウグンだったが、機先を制した網の説明で納得し、そういうことならと話に乗ることにした。

 

 ツインターボとハシルショウグンがその場を離れたあと、アイネスフウジンはなんとなく予感を覚えて網に話しかける。

 

「ねぇ、もしかして整体に行かせたかったのってターボちゃんじゃなくてあの子のほうだったりするの?」

 

「何だお前、エスパーか」

 

「流石に唐突すぎるの……ターボちゃんや初対面の人じゃなきゃ気づくの」

 

 網の目には、走っていなくともわかるほど重心の崩れたハシルショウグンの姿が映っていた。

 直接の忠告はマナー違反になるが、トウカイテイオーのようにフォームそのものが原因でないなら整体で十分矯正できるし、整体師の言う事なら飲み込みやすいだろうという配慮だ。

 

「罪滅ぼしみたいなものだな。ただの自己満足だ」

 

「うん、それでいいと思うの」

 

「ま、向こうが感謝してくるようなら精々ダートの走り方を教わるといい。お前がダートに行くことはないだろうが、洋芝の走り方に活かせることもあるだろう。あのウマ娘、なかなか逸材みたいだぞ」

 

 トウカイテイオーに、アイネスフウジンに、ハシルショウグン。何気にツインターボの相眼の精度ってかなりいいんじゃないだろうか。

 網は去っていくふたりの人影を見ながらぼんやりとそんなことを考えていた。




トウカイテイオーが忠告を聞こうとしないのも仕方ないことなのだという必死な説明回。


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渭樹江雲

 中央トレセン学園、生徒会室。

 そこに、日本で最も有名なウマ娘がいる。

 ウマ娘のレースが盛んなこの世界のこの時代において、その勇名は遠い異世界(げんじつ)のあらゆるアイドルホースを凌駕する。

 

 七冠戴く"絶対"の皇帝、シンボリルドルフ。

 URA史上初の無敗三冠、URA史上最多のGⅠ7勝、ドリームトロフィーリーグ長距離部門最多連勝。中央トレセン学園初の生徒会長選挙満票での選出。URA史上初の顕彰ウマ娘選考委員会満票での選出。シンボリ家次期総帥。おまけにURA特別広報委員。

 未だ未成年のうら若き乙女であるにも拘わらず様々な肩書を持つ彼女は、今や日本国内においてVIPとして扱われる存在である。

 

 しかしそんなVIPにも、いや、VIPだからこそ仕事がある。それはもう並のブラック企業会社員に比肩するレベルの仕事がある。

 しかも仕事の能率が悪く何が何に対して作用しているのかよく分からないようなブラック企業の空仕事と違い、シンボリルドルフの行う事務はおおよそすべてが中央トレセン学園とURA、ひいては日本のウマ娘レース業界に影響を与える重要なものばかりだ。

 忙殺。そう、忙殺である。しかも本人が望んで忙殺されているのだからどうしようもない。

 まぁそれでも、手が空く時間というのは来るものである。

 

「さて、待たせたね、マルゼンスキー」

 

「大丈V! アポも取らずに押しかけたのはこっちだもの」

 

 仕事が一区切りついたシンボリルドルフは、応接用のソファに座っていたウマ娘、マルゼンスキーに声をかけた。

 マルゼンスキーがこうしてシンボリルドルフを訪ねてくるのは珍しいことではない。というか、シンボリルドルフが多岐にわたる仕事を請け負いすぎているだけであり、ドリームトロフィーリーグへ進んだウマ娘は本来そこまで忙しくはない。

 その中でも特にマルゼンスキーは基本的に、例えばスポーツドリンクのCMであったりシューズの広告であったりという、宣伝への出演以外の仕事は断っているため、有り体に言って結構暇なのだ。

 

「お忙しい皇帝陛下に代わって、()()()の娘のライバルになりそうな娘たち、ピックアップしてきたわよ」

 

 マルゼンスキーがそう言ってハンディタイプのビデオカメラをシンボリルドルフに渡しつつ、シンボリルドルフのお気に入り、すなわちトウカイテイオーと同世代の有望株について語り始めた。

 トウカイテイオー。シンボリルドルフが日本ダービーを制覇した時に、記者の間を縫ってその少女は現れた。

 当時小学生だったと思われるトウカイテイオーは、シンボリルドルフに向かって「ルドルフさんみたいになる」と宣言した。その頃のシンボリルドルフは少々()()()()()こともあって、トウカイテイオーのそんな純粋な態度が救いにもなった。

 そして、七冠を制覇し名実共に日本一のウマ娘に輝いて、そのカリスマから気兼ねなく話しかけてくれる者が少なくなってしまってからも、トウカイテイオーはカイチョーカイチョーと慕ってくれている。

 トウカイテイオーは、シンボリルドルフの日常における清涼剤のような役割を担っていた。

 

 事実として、トウカイテイオーは強い。同年代であれば無双の強さを誇っていると言ってもいい。特に自他共に――トウカイテイオーはシンボリルドルフの弟子としてメディアにも取り上げられているため、デビュー前からそれなりの知名度があった――『テイオーステップ』と呼称している独特な走法。

 『テイオーステップ』は一歩一歩の間隔を長く取り、跳ぶように走る『ストライド走法』と、一歩一歩の間隔を短くして脚の回転数を上げる『ピッチ走法』を()()()()()ものである。

 跳ぶように長い歩幅を保ちながら、素早く脚を引き戻して次の一歩を踏み出す。この走法は、シンボリルドルフでさえ真似することができなかった。

 小回りが利かないというストライド走法の弱点とスタミナの消費が早いというピッチ走法の弱点も併せ持ってしまっているという点を差し引いても、『テイオーステップ』は非常に強力な武器となる。

 だから、シンボリルドルフは贔屓目なしに、来年のクラシック三冠はトウカイテイオーが、自分に続いて無敗で制覇するものだと思っている。

 

 マルゼンスキーが用意したビデオカメラのメモリーには、ピックアップされた有望株たちのレース映像が入っていた。

 シンボリルドルフはマルゼンスキーの説明を頭に入れながら、そのレースをひとつずつ確認していく。

 イブキマイカグラ、ヤマニンゼファー、フジヤマケンザン、リンドシェーバー。現状、目に留まったのはそのくらいだろうか。

 ライバルは多くない、そして、現状どのウマ娘もトウカイテイオーに届く気配はない。弟子可愛さではなく事実としてトウカイテイオーには届かない。

 

 そう判断したとき、マルゼンスキーの口から映像にはなかったウマ娘の名前が溢れた。

 

「そうそう、あとツインターボちゃん」

 

「……ツインターボ? 映像にはなかったようだが……()()ツインターボかい?」

 

 ツインターボ。中央トレセン学園では比較的有名だ。と言っても実力を評価されての名声ではない。

 第一にその髪色。鮮やか青という人間ではまずありえない人工的な色を持つ髪は、ウマソウルの影響によって変色したとされる稀有な特徴だ。

 そんな目立つ身なりで、『開幕からスパートをかける』などという荒唐無稽な走りを見せれば当然悪目立ちする。

 最近噂を聞かなくはなったが、一時期彼女の名前が飛び交っていたときは、おおよそが揶揄の声だった。とはいえ、彼女の人柄からかそれも悪意あるものではなく、無茶をする子供をからかうようなものだったのだが。

 

「えぇ、()()ツインターボちゃん。今年のダービーウマ娘のトレーナーにスカウトされたのよ」

 

 そのトレーナーもまた有名人だ。いい意味でも悪い意味でも。

 まずその容姿。カラスを思わせる全身を黒でかためたフォーマルなコーディネートに、蛇のような表情。第一印象で物事を決めつけてはならないと自戒しているシンボリルドルフでも、()()()()怪しい印象を受ける。

 そのうえで名門の出ではない無名の新人でありながら初めての担当をダービーウマ娘に導いた実力と強運、グレーゾーンを闊歩するような悪質なスカウトなどが原因で、特に名門出身のトレーナーから、やっかみ半分義憤半分の悪評を囁かれている。

 しかし、その実力は確かであり、かつ彼が担当したアイネスフウジンの得意な脚質は。

 

「セオリーを無視したハイペースな逃げ……か」

 

「ぴったりじゃない?」

 

 ツインターボの脚質も、どれに当てはまるかと聞かれれば逃げだ。確かに、第2のアイネスフウジンとなっても不思議ではない。

 シンボリルドルフは目の前のPCでツインターボのデータを確認し、片眉を上げた。

 

「しかしマルゼンスキー……ツインターボは現状、出走しているのはダートのみのようだが……」

 

「知ってるわよ。そういう作戦なんだって。皐月賞トライアルまで芝を走らないようにしてマークを外すって、トレーナーの指示」

 

 なるほど、と、シンボリルドルフも納得した。ダートを走って、全戦全勝。それだけの実力を見せておけば芝に来るとは思わないだろう。今までの成績不振もバ場適性があっていなかったからだと思わせることもできる。

 アイネスフウジンの時も、マイル路線を行くと見せかけて突然のダービー参戦だった。

 

「まさに奇策縦横と言ったところか……」

 

「どうする? テイオーちゃん負けちゃうかもよ?」

 

「なに、負けたらテイオーの実力がそれまでだったという話さ」

 

「あら、意外と冷たいのね?」

 

「事実だ。それに、私はテイオーが勝つと信じているからな」

 

 甘やかすわけでもない、しかして冷たいわけでもない。トウカイテイオーに対して、シンボリルドルフは後継を育てる皇帝として振る舞う。トウカイテイオーの憧れに、期待に背かないように。

 

「……そう言えば、前から思ってたんだけど、テイオーちゃんがあなたを見るときの目、少し、こう、変じゃない?」

 

 マルゼンスキーがそうこぼしたのを、シンボリルドルフはしかしピンと来ない。

 

「? いや、初めて会った時から変わっていないと思うが……」

 

「それ、初めて会った時から思ってたのよ。確信を持ったのは最近なんだけど、あの子の目と同じような目を最近見た気がして……本当に憧れなのかしら?」

 

 それを憧れられている本人に聞くのはどうなのだろうかと考えながら、シンボリルドルフはトウカイテイオーの目を思い返す。

 何も変わったところはない、と、思う。が、それを確信しきれるだけの根拠もない。シンボリルドルフは一流のウマ娘ではあれど、心理カウンセラーではないからだ。

 

「……わかった、テイオーのトレーナーに掛け合って、テイオーに悩みがないかのカウンセリングと、精神的なリフレッシュを勧めよう。私を見る目が、と言うなら、私自身でないほうがいいだろう」

 

「えぇ。言い出しっぺだし、あたしも気にしてみるわ」

 

 そう言って、マルゼンスキーは生徒会室を去っていった。心理的な闇を抱えるウマ娘は少なくない。彼女たちは悩みを抱え込みすぎてしまう傾向にあるからだ。

 おそらくは大丈夫だろうと思っていても、トウカイテイオーへの憂慮はシンボリルドルフの心に蟠った。

 

「……切磋琢磨。テイオーと渡り合える好敵手が現れてくれることを願う、か」

 

 かつてそれを失った皇帝は開きかけた心の傷に蓋をして、再び仕事に向かう。

 まだ自分は、"皇帝"でいなければいけないのだと、自分自身に言い聞かせて。



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今日も少女は探してる

 夏祭り。トレセン学園の生徒たちにとってそれは、府中にある大慶(たいけい)神社で行われる夏祭りを指す。

 東京において最大規模の夏祭りであるこの大慶祭は、合宿に行っている生徒を除く多くのトレセン生にとっては夏の一大イベントであり、中には合宿地から大慶祭のためだけに一時期帰還する生徒もいるほどだ。

 とは言ってもその内容自体はごく普通の夏祭りであり、春秋のファン感謝祭とは逆にファンたちが屋台を出してウマ娘たちをもてなし交流を行うその雰囲気が唯一の特徴か。

 大きなレースが少ない、ある種の空白期間となっている夏季の、ウマ娘たちにとっての貴重な慰安であるため、各名門やトレセン学園、URAなどから開催費のカンパもあり、人手もトレセン学園OGや中央の生徒と交流を持ちたい近隣の地方トレセン生によって十分確保されている。

 そんなこともあり、夏のこの時期に府中が最も盛り上がるのが、この大慶祭の3日間なのである。

 

 しかし、そんな夏祭りに一切関わらない人間も存在する。

 網怜。人混みという存在がゴキブリレベルで嫌いな種族である。

 これは彼の生育環境が大きく関わっており、幼少期に半ば無理矢理参加させられていた、資産家や好事家による社交パーティーの、酒と下卑た悪意の臭いを思い出してしまうためである。

 そのため、彼は担当しているチームメンバーを夏祭りに送り出してからは、ひとり黙々と自身のトレーナースキルを上げるために勉強を行っていた。

 

 網の能力の高さはその観察眼と、ストックした膨大な知識を元としている。言わば検索機構のようなものだ。反面、実を言うと応用能力に乏しい。

 彼の応用能力が高く見えるその要因こそが、サンプルとして蓄える知識の量にある。照らし合わせる能力に貧しているのを、量でカバーしているのだ。

 だからこそ、網にとってそのまますべての能力に直結する知識の蓄積量を、彼は常に磨き続けている。

 

 そんな網が勉強の合間にふと窓の外を見たとき、初めてそれの存在に気がついた。

 かなりの毛量がある栃栗毛を革製の髪飾りで左右に結っている背の低いウマ娘が、満面の笑みで部屋の中を覗いていた。

 網は冷静だ。ウマ娘にはとにかく個性的(へん)(やつ)が多いことなど百も承知であるため、この程度で驚いてはいられない。

 網は勉強の手を止め、席を立って窓を開け対話を試みることにした。

 

「こんにちはお嬢さん、ここはチーム《ミラ》のチームルームですが、なにかご用事ですか?」

 

「こんにちマーベラス!!」

 

 網はめげない。

 例え相手の第一声が自分とは異なる文化圏の挨拶だったとしても。

 

「ネイチャいますかー?」

 

「ナイスネイチャのお友達でしたか。彼女なら現地集合だからと既にここを出ましたが……連絡は行っていませんか?」

 

 網がそう伝えると、そのウマ娘――マーベラスサンデーは自分のウマホを取り出して確認し、「ワォ!」と呟いた。

 

「教えてくれてありがとうございマーベラス!」

 

 きちんとお礼を言えるのは偉い。しかしこれはきちんとなのだろうか。そんなことを考えながらも、網はそれをおくびにも出さずに、走り去るウマ娘を見送った。

 

 一方のマーベラスサンデーは、会場までの道すがらマーベラス探しをしながらふらふらと歩いていた。

 ナイスネイチャのトレーナーはなかなかマーベラスだったと思いながら歩くマーベラスサンデーの耳が、なにやらマーベラスな雰囲気を察知する。

 当然そんなマーベラスをマーベラスサンデーが見逃すはずもなく、道を逸れて声が聞こえる方へと歩き始めた。とは言え、元々行く方向からはそう外れていないところでそれは見つかったのだが。

 

「それじゃあ、マックイーンちゃんの脚は大丈夫そうなの?」

 

「はい、お陰様で菊花賞には間に合いそうですわ」

 

「ホント、間に合ってよかったよ!」

 

 そこにいたのは、マーベラスサンデーでも知っているウマ娘たち。アイネスフウジン、メジロマックイーン、メジロライアンの3人だった。

 どうやら3人共行き先は大慶祭であるようで、マーベラスサンデーが向かっていたのと同じ方向へ歩いていた。

 

「わたくしより、おふたりのご友人のほうが心配ですわ」

 

「タイセイはね……屈腱炎の方はよくなってきてるみたいなんだけど、メンタル面がね……」

 

「メンタル……なにかよろしくないことがあったんですの……?」

 

 話の流れがマーベラスではない方向へ行き始めたのを察して、マーベラスサンデーは気をしっかりと保つ。

 

「タイセイって、オグリさんの大ファンなんだよ……」

 

「あぁ……そうですわね、オグリキャップさんも大変ですわよね……」

 

 オグリキャップ。言わずと知れた『芦毛の怪物』であるが、普段どおりの短いローテーションで、制覇した安田記念から人気投票で堂々の1位をもぎ取って向かった宝塚記念で、オサイチジョージに(やぶ)れ2着。

 そしてその数日後、両腕の骨膜炎(ソエ)と右脚の飛節*1軟腫を発症してしまい、現在は療養にあたっているが経過はよくないらしい。

 そのため、崇拝レベルの大ファンであったハクタイセイは自身の屈腱炎のことよりもそちらに対して落ち込んでしまっていた。

 これに関してはメジロマックイーンも、贔屓球団の応援している選手が故障してしまったときに意気消沈した経験があるため、ハクタイセイに深く同情した。

 

「元々復帰は来年になる予定だったんだけど、それまでに心が折れないか心配で……」

 

「大袈裟にも思えるけどありえるの……」

 

「なるほど……なんとか勇気づけて差し上げたいですわね……」

 

 その後しばらく話は続いていたが何か具体的な案が出ることはなく、今度なにか見舞いを持っていくということで結論がついた。

 全体の話の流れとしてはマーベラスではなかったが、その麗しき友情はマーベラスだったので、マーベラスサンデーはとりあえずそれで良しとすることにした。

 再び歩き始めたマーベラスサンデーの耳に、再びマーベラスの気配が届いた。

 その気配を追って再び道を逸れると、フルーツパーラーのテラス席でシンボリルドルフとトレーナーと思われる男性が話しているのが見えた。

 一見すればスキャンダルにも思える光景だが、その男の顔をマーベラスサンデーは見たことがあった。友人であるトウカイテイオーを担当しているトレーナーだ。

 シンボリルドルフはトウカイテイオーの馴致を担当した師であると聞いていたため、マーベラスサンデーはふたりの会合をトウカイテイオーのトレーニングについての相談だろうと当たりをつけた。

 

「それでは、テイオーはなにも……?」

 

「あぁ。レースについては好調だし、トレーニングをサボることもない、至って平常運転だよ。その平常運転が同期のウマ娘を、少なくともレースの文脈では歯牙にもかけないというのは問題かもしれないけどね」

 

 トウカイテイオーも悪意あってやっているわけではないし、コミュニケーション自体は正常にとっている。

 単純に相手を『敵として見れていない』だけだ。油断とも余裕ともとれるが、いい兆候であるとトレーナーは考えていないようだ。

 シンボリルドルフもそれは同感だ。確かに、シンボリルドルフの目から見てもトウカイテイオーの仕上がりは目覚ましいものがあり、今の時点ではそれに比肩するウマ娘はいないだろう。

 しかし、それはあくまで今の時点ではの話であり、これから急成長を遂げるウマ娘がいないとも限らない。

 

「まぁ、そのあたりは俺がフォローしてみせるさ。帝王陛下からのご指名があったからにはな」

 

「あぁ、テイオーをよろしく頼む……そうだ、私について、なにか言っていなかったか?」

 

「ルドルフさんについて? いや、いつもどおりめちゃくちゃ言ってるけど。『トレーニングが忙しくてカイチョーに会いに行けない!』とか『カイチョー成分が足りない!』とか」

 

「ふむ……いつもどおりか……」

 

 シンボリルドルフは先日マルゼンスキーから指摘された点を確認してみるも、トレーナーから見て普段の態度に変わりはないようだ。

 ただ、マルゼンスキーが言っていた「出会った頃からおかしかった」と言うのが、どうにも頭から離れない。

 心に抜けぬトゲを刺したままのシンボリルドルフに、トレーナーは別の話題を取り出した。

 

「俺から1つ心配なのは、やっぱり怪我だな。俺は()()()()みたいにB種免許は持っていないし、アイツ自身負けん気が強いから……いや、言ってくれると信じてはいるんだが。流石に、故障で引退なんてなったら、アイツのルドルフさんみたいになるって夢も叶わないし」

 

「あぁ……それは私からもフォローしておこう……?」

 

「どうした?」

 

「……いや、なんでもない……というより、言語化できない違和感があったんだが……駄目だな、考えてもわからん。今度、直接テイオーに会ってみることにしよう」

 

「あぁ、そうしてやってくれ」

 

 ふたりの会話はそこで途切れた。

 麗しき師弟愛、不穏ではあったがとてもマーベラスであったと、マーベラスサンデーは満足げに歩き出す。

 そんな風にあっちこっちと道草を食いながら、他者の倍ほどの時間をかけてようやく目的地へと辿り着いた。

 

「もー! マベちん遅いよー!」

 

「まぁまぁ、マーベラスが遅いのはいつものことだから」

 

「マーベラース! ゴメーン! たくさんのマーベラスを見つけてたから遅くなっちゃった☆」

 

 マーベラスサンデーを待っていたのは今日共に出店(でみせ)を巡る友人たち。

 マヤノトップガン、ナイスネイチャ、そして……

 

「マーベラスも来たんだし、はやく行こうよ! もうボクはちみー分が切れて禁断症状出そうだよ!」

 

 先程話題に上っていた、トウカイテイオーである。

*1
ウマ娘の足首から踵に存在する特徴的な関節。



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帝王の表裏

 大慶祭、雰囲気を楽しみたい若者たちが本格的に来始めるのは夕方から夜にかけてであり、まだ日が高いところにある今はそれほど多くの人が詰めかけているわけではない。

 屋台で買った遅めの昼食を食べるため、マーベラスサンデーの案内で連れてこられた『穴場スポット』とやらは、本当に他に人がいない……というより、言われなければ気づかないだろう神社の抜け道の先にあった。

 雨水が流れ込まないよう、入り口が周りの地面より一段高くなっている、そう大きくない洞穴の入り口。マーベラスサンデーが持ってきていたランプを明かりに、天井のあまり高くない道を少し歩く。

 1、2分の間に最奥に辿り着いたそこは、イメージとしては雪洞(かまくら)の内部に近い。2m程度の高さがある四畳半程度の空間に、簡素なテーブルとベンチが置かれている。

 トレセン学園の一部の生徒間で代々伝わっているというこの一角は、トレセン学園創立から間もない頃に当時のトレセン生の手によって作られたらしく、洞穴自体は天然のものであったらしい。

 各々買っていた焼きそばやらたこ焼きやらお好み焼きやらを食べ終えて、息もつかぬうちに射的のような娯楽系の出店(でみせ)へ向かったマヤノトップガンとマーベラスサンデーを見送って、ナイスネイチャは一息ついていた。

 

「いやー、それにしてもテイオーも残るとは意外でしたなぁ。ネイチャさんはてっきりあのふたりと一緒にお祭りを満喫しに行くもんだと思ってましたよ」

 

「ボクはあそこまで子供っぽくないよぉ! それに、ここもなんか秘密基地っぽくてワクワクするじゃん? ボク気に入っちゃったなぁ」

 

 子供っぽくないと言った直後に子供っぽいことを言い出すトウカイテイオーに、ナイスネイチャは呆れ笑いをこぼす。

 しかし、本人を目の前にするとやはりつい考えてしまう、トウカイテイオーの脚にかかっているだろう強い負担。

 トウカイテイオーのランニングフォーム、いわゆる『テイオーステップ』を自身でも試してみたナイスネイチャだったが、その負担を味わうどころか、そもそも再現さえすることができなかった。

 あのストライド幅で、あのピッチで、走り続けることがどれだけ困難なことか。努力では到底届かない、関節の可動域という限界に阻まれるだけに終わった。

 だから、トウカイテイオーの脚がどれほどダメージを受けているのかも、それをトウカイテイオーがどこまで自覚しているのかも、まったくわからない。

 

「そう言えばさ、ネイチャもやっぱりクラシック三冠、目指すの?」

 

「へ? あ、うん……皐月賞は回避するけど、ダービーと菊花賞は()()()()()

 

 唐突に振られた話題にナイスネイチャは少し驚く。対戦相手をあまり気にかけないトウカイテイオーが、大慶祭の最中にクラシック戦線の話題を出してくるとは思っていなかった。

 質問に答えながら、ただの世間話だろうと納得したナイスネイチャだったが、トウカイテイオーはさらに深く切り込んだ。

 

「ふーん……()()()()()ってことは、ボクに勝つつもりでいるんだ」

 

 ナイスネイチャの言葉尻をとらえてそう煽ってくるトウカイテイオー。ナイスネイチャが珍しく強い言葉を使ったのをからかうように笑う。

 ナイスネイチャも言葉選びに失敗したことを自覚しながら、しかし訂正する気は起きなかった。

 

「……うん、そう。当然。出るからには、勝つよ。テイオーにだって」

 

「! へぇ、言うようになったじゃん、ネイチャ」

 

 トウカイテイオーへの宣戦布告と勝利宣言。今までのナイスネイチャであれば考えられない強気な態度に、トウカイテイオーは面白いものを見たと言うように口角を上げる。

 実際、トウカイテイオーはナイスネイチャの実力を高く評価している。当然自身の方が強いことは前提だが、レース中の機転や勝負どころを見逃さない冷静さには特に一目置いていた。

 それこそ、敵に回ると厄介だと、思うほどに。

 そのナイスネイチャが、()()()()本気になった。トウカイテイオーはナイスネイチャの言葉をそう捉えた。

 

「でも、ダービーも、菊花賞も、当然皐月賞も、このボク、テイオー様のものだ。どれひとつ譲る気はないよ」

 

「アタシだって譲ってもらう気はないよ。全力で奪い取る」

 

「アハハッ!! そうこなくっちゃ!!」

 

 威風堂々。当然だ、ナイスネイチャにとってはトウカイテイオーへの挑戦であるが、トウカイテイオーにとっては幾多もの相手から向けられたうちのひとつにすぎない。

 トウカイテイオーの態度にその事実を突きつけられ、ナイスネイチャは乾いた笑いが出た。

 網は言っていた。トウカイテイオーは精神的に未熟ゆえに挑発に弱いと。これのどこが精神的に未熟なのかと、ナイスネイチャは久方ぶりに本心から網の言葉を疑った。

 

「さて、そろそろボクらも行こうか、マヤノたちを待たせすぎても悪いしね」

 

「あ、うん、そうだよね。行こう」

 

 トウカイテイオーに促され、洞穴を出て大慶祭の会場へと戻ってきたナイスネイチャは、先に屋台で遊んでいるだろうマヤノトップガンとマーベラスサンデーを探す。

 すると、屋台の前を避けた道の端になにやら人だかりが出来ているのが見えた。

 

「なんだろう、あれ」

 

「さぁ? 行ってみる? ふたりがいるかもしれないし」

 

 ナイスネイチャとトウカイテイオーが人だかりのほうへ近づくと、にわかにトウカイテイオーの耳がピーンと反応した。

 

「カイチョーの声だ!」

 

「へ? ちょっ、テイオー!?」

 

 カイチョー! などと言いながら人だかりをかき分けていくトウカイテイオーを、ナイスネイチャができるだけ迷惑をかけないように少しずつ人混みを縫って追っていく。

 ナイスネイチャが人だかりの中心に辿り着いたそこには、困ったように笑うシンボリルドルフとその腰にひっついたトウカイテイオーの姿があった。

 

「ちょいとテイオーさんや。マヤノとマーベラスはどうすんのさ」

 

「カイチョー優先だよー! ボク最近カイチョーに会えてなくてカイチョー欠乏症になっちゃいそうだったもん!」

 

 アンタはちみーでも同じようなこと言ってなかったかとやや呆れ気味のナイスネイチャをよそに、シンボリルドルフに甘えまくるトウカイテイオー。

 そんなトウカイテイオーを撫でながら、シンボリルドルフはナイスネイチャへ話しかける。

 

「テイオーの友だちかな? いつもテイオーが世話になっている」

 

「あ、えっと、な、ナイスネイチャって言います! その、テイオーのお母さんがアタシの姉弟子にあたる人で、それで割と昔から付き合いがあって……」

 

「ほう、ということは私よりよほど深い関係かな?」

 

「確かにネイチャの方が長いけどカイチョーとの方が深いよ!」

 

 シンボリルドルフの言葉にトウカイテイオーが否を唱えると、ナイスネイチャとシンボリルドルフの表情は苦笑で一致した。

 ふと、ナイスネイチャはシンボリルドルフからならトウカイテイオーも無茶な走り方を改めるよう説得できるのではないかと考え、今脚のことを話題に出そうとして、思いとどまった。

 今周りには、恐らくはシンボリルドルフ目当ての人だかりがあるし、そうではなくてもシンボリルドルフ自身影響力が大きすぎる。責任をとることができないナイスネイチャが今そのことを話題にするのは無責任だと考えたからだ。

 そんなナイスネイチャの様子を緊張したものと思ったからか、シンボリルドルフは自分からナイスネイチャへと話題を振った。

 

「ナイスネイチャくんは、もしかしてテイオーと同期になるのかな?」

 

「あ、はい! えと、ついこないだデビューしまして、クラシックはテイオーと当たる予定になります……」

 

「ふむ、身内贔屓になってしまうが、テイオーは強いだろう。勝つ算段はあるのかな? はっきり言って、ティアラ路線も視野に入れていいと思うが……」

 

 これは、現在のナイスネイチャのことを考えると正しいアドバイスだ。ナイスネイチャとトウカイテイオーとの実力差を覆すのは、それこそ強力なサポートがなければ難しい。

 それならば、トウカイテイオーとの対決を避けてティアラ路線を進むというのも確かに1つの手だ。マルゼンスキーから聞いた有望株の中に、ナイスネイチャが挙がっていなかったことも理由のひとつだ。

 特に、シンボリルドルフは『ティアラ路線に進んでいれば有望であっただろう好敵手を、クラシック路線で潰してしまった』経験があるために、半ば余計な世話であることを自覚しながらもそう口に出した。

 そんなシンボリルドルフに反論したのは、意外なことにトウカイテイオーだった。

 

「大丈夫だよカイチョー! ネイチャ強いから! ていうか、多分ボクが負けるとしたらネイチャだもん。ボクのライバルだから!」

 

「て、テイオー!?」

 

「ほう、テイオーがそこまで言うか……」

 

「い、いや、アタシなんて突出したところのないごく平凡なウマ娘なんでぇ……ご期待に添えるかどうか……っていうか、テイオーアンタそんな風に思ってたの!?」

 

 トウカイテイオーからの予想外の暴露に一気に平静を失うナイスネイチャと、当然と言った顔を見せるトウカイテイオー。そして、そこまで肩入れする相手がいることを知らなかったシンボリルドルフが三者三様の反応を見せる。

 

「確かに実力だけならボクの方が絶対強いけど、ネイチャには絶対負けないって言えないもん。油断してたら負けそうな感じがあるし……」

 

 トウカイテイオーの言ったそれは、まさに網からの評価とおおよそ同じものだ。網が観察眼と知識から分析したそれを、トウカイテイオーは本能的に感じ取っていた。

 

「それに、ネイチャが所属してるのって《ミラ》じゃん! 今年のダービーウマ娘を育てたトレーナーがいるのにクラシック戦線までに大して実力が伸びないなんてあり得ないもんね」

 

「ほう、そうか君()《ミラ》所属か……」

 

「君()……?」

 

「いやなに、先日マルゼンスキーから『《ミラ》に所属するツインターボがトウカイテイオーのライバルになるかもしれない』と聞いてね。今度調べようと思っていたところだったんだ」

 

 そんなシンボリルドルフの言葉にトウカイテイオーは「ツインターボ? 誰それ」と首を傾げているが、ナイスネイチャは驚いていた。まさかあのツインターボがマルゼンスキーとシンボリルドルフに目をつけられていると思っていなかったからだ。

 しかも、あのマルゼンスキーをして「トウカイテイオーのライバルになりうる」と言わしめている。ナイスネイチャはその事実を知って、なぜだか嬉しくなった。

 

「いや〜、そうなんですよ。ツインターボってばアタシなんかより断然強くて、《ミラ》に入ってからは今のところ勝てたことなくて……」

 

「えー! そんなに強いの? そのツインターボっての……」

 

「かつての噂通りの彼女がそのまま強くなっているのであれば、私は最も戦いたくないタイプのウマ娘だな……」

 

 シンボリルドルフはすべての能力が高水準に纏まっているが、その真価はレースそのものを支配下に置くほどの制圧能力にある

 さながらチェス盤の駒を動かすかのように、シンボリルドルフは他のウマ娘さえ誘導し己の手足の如く使()()

 しかし、そんなシンボリルドルフの支配も、ツインターボまでは文字通り『届かない』。

 

「はは、それは流石に過分な評価かもしれませんけど……まぁ、強いには強いけどバカなんで、この間なんて『テイオーより強い皇帝にも勝つ!!』なんて大口――」

 

「ムリだよ!!!」

 

 ナイスネイチャの言葉を割って入ったトウカイテイオーの否定にこもった感情の揺らぎは、シンボリルドルフにもナイスネイチャにも大きな衝撃を与えた。

 トウカイテイオーと長い年月触れ合ってきた中で、その声は一度も聞いたことのない響きを持っていた。

 ナイスネイチャとしては、まぁ「カイチョーに勝てっこないよ!」くらいは言われると思っての言葉だったが、ここまで強い、それこそ怒り半分の否定が入るとは思っていなかったため困惑のさなかにあった。

 

「テイオー……? どうしたんだ……?」

 

「ッ! ご、ごめんねカイチョー! ボク他にも友だち待たせてるから!! 今度また生徒会室に遊びに行くね!!」

 

「あ、ちょ、テイオー!? テ、テイオーがすみません……ちょっとあのアホ追いかけなきゃいけないんで失礼しますっ!」

 

「あ、あぁ……気にしないでくれ……」

 

 そうまくし立てて、打って変わってその場から逃げ出すかのように離れていったトウカイテイオーを追って、ナイスネイチャも手短に挨拶をしてその場をたつ。

 シンボリルドルフはトウカイテイオーの様子にマルゼンスキーの言葉を思い出して、なにか関連があるのではないかと思うに留まったが、トウカイテイオーの表情が見えていたナイスネイチャはそんなトウカイテイオーに危ない感覚を抱いていた。

 

 ほんの一瞬、あの一瞬にだけ見せた、切羽詰まったような、追い詰められたような、普段のトウカイテイオーではあり得ない暗く淀んだその表情に。

 

 そのあとなんとかトウカイテイオーやマヤノトップガンたちと合流できたナイスネイチャだったが、トウカイテイオーの様子はいつもどおりに戻っていて、結局なにも聞き出すことはできなかった。



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華麗なるお嬢様

 11月3週、京都レース場、マイルチャンピオンシップ開催。

 

 レース直前の地下バ道、18名の出走者たちが各々のルーティンをこなすなかで、そのウマ娘は現れた。

 桃色を基調とした勝負服にサンバイザー、胸元には緑のバツ印。シニア級で安田記念と高松宮記念のGⅠ2勝をあげているバンブーメモリーを押しのけ、初のシニアレースにも拘わらず一番人気に躍り出た今年のダービーウマ娘。

 『レースを綾なす風神』アイネスフウジン。

 

 自然、多くの視線がアイネスフウジンへと向く。彼女は既にマイルのGⅠを2勝しており、また、マイルチャンピオンシップと同じ淀での開催であるデイリー杯ジュニアステークスも制覇している。意識しないことなどできない。

 さらに言えば、後方有利である府中の2400mでさえ、このアイネスフウジンは逃げ切っている。しかも、メジロの刺客とハイセイコーの愛弟子を振り切って。

 今日はそれよりも800mも短い。アイネスフウジンがハイペースを崩すことは、ほぼあり得ない。朝日杯、NHKマイル、日本ダービーの3つ全てでレコードを打ち立てたその脚が、垂れてくるという希望的観測はしてはならない。

 間違いなくこのレースでも、レコードを出してくる。

 

「……要はこっちもレコードを出せばいい。それだけ」

 

 そう言ったのは、水色のジャージのようなラフな上下に赤いリボンをぐるぐると巻き、最後にタスキのように斜めに結んだ特徴的な勝負服を着た、調子が良さげな鹿毛のウマ娘。

 目立った戦績はないが、CBC賞でバンブーメモリーを破った経験がある彼女の言葉は、その場のウマ娘から2種類の反応を引き出した。

 怖気づくか、奮い立つか。

 

(……シニア級でも逃げ腰になる方は多いのですね)

 

 彼女はそのどちらでもなかった。

 走るならば頂点を目指すのは当然、今更諭されるようなことではない。怖気づいた者は言うまでもなく、この程度で蒙を啓かれるような凡愚と同じであってはならないと己を律する。

 白いインナーのワンピースドレスに紫のジャケット。胸元にはアクセントの赤いリボン。

 今年の桜の女王にして、バンブーメモリーを下したスプリンターズステークスの勝者、『華麗なる一族』ダイイチルビーだ。

 

(脚質は大きな問題ではありません。要はこの1600mを誰より速く駆け抜ければいい)

 

 それは、このターフにおいて絶対の真理。最後に求められるものはただ、速さ。相手がどう走るかなどというのは、究極的には関係ない。

 そう考えれば、始めはあまり気に入っていなかった追い込みという脚質にも、抜かなければならない相手が常に見えているという利点がある。

 アイネスフウジンには作戦という作戦はないし、あったとしても距離の壁でほとんど関係ない。ならば、本当に勝負を分けるのは速さだけだ。

 

(問題は私が彼女を上回れるかですが……そこを憂いていては、そもそもターフを走るウマ娘足りえません。常に何者よりも自分こそが速い、その気概あってこそ、君臨する資格があるというもの)

 

 ダイイチルビーは、アイネスフウジンに次いで因縁の相手を見る。

 青の基調に黄色のアクセントをつけたカジュアルな勝負服に青いメッシュの入った黒鹿毛、ダイイチルビーが阪神ジュベナイルフィリーズで後塵を拝した、ダイタクヘリオスだ。

 何かにつけて絡んでくるダイタクヘリオスだが、最低限のマナーはあるのかレース前のこの地下バ道でちょっかいをかけてくることはない。

 好意的な見方をすれば、さしもの笑い袋もレースに対しては真剣に臨むということなのだろうかと、ダイイチルビーはそこまで考えて不必要な思考を頭の隅へと追いやった。

 

 ゲート入り。ゲートに怯えるウマ娘はシニア級になってもそれなりにいる。本能的なものはなかなか逆らえるものではない。

 人間で例えるならばバンジージャンプであったり、ブルーホール*1や街灯のない夜道に抱く感情が近いだろうか。

 ゲートが開くと同時にまず飛び出したのは、やはりと言うか当然と言うか、ダイタクヘリオスとアイネスフウジンのふたりだった。

 ダイタクヘリオスは総合優勝を果たしたサマーマイルシリーズの4戦のすべてを、大逃げから好位抜出、あるいは普通の逃げを駆使した、印象に似合わぬ巧妙な走りで駆け抜けてきていた。

 しかし、リステッド1戦とGⅢ3戦を経てのこのGⅠの大一番でダイタクヘリオスが選択したのは、NHKマイルカップのときと同じ爆逃げだった。

 

 アイネスフウジンのおよそ1バ身前をキープしながらハイペースで逃げ続けるダイタクヘリオスを、アイネスフウジンが追う。

 NHKマイルではなかなか終わらなかったこの追いかけっこは、しかしこの淀の舞台では早々に終わりを告げる。1600mではスタート後直線の次に来る淀の坂である。

 ダイタクヘリオスが坂が苦手というわけではない。しかし、アイネスフウジンは特に坂や重バ場を得意とするパワー系のウマ娘である。刻一刻と差は縮まり、坂の頂上に達した時にはふたりはほぼ並んでいた。

 

 それを追うのはふたりのハイペースに食らいつく者と余力を残す者。例えば逃げを基準にいつもの差し切り位置をなんとか維持するバンブーメモリーは前者であり、自分の脚を信じ直線一気まで脚を溜めるダイイチルビーは後者だった。

 特に、スプリンター寄りのダイイチルビーはバンブーメモリーに比べスタミナが少ない。ギリギリまで仕掛けを我慢しなければ、そもそもハイペースに飲まれて沈む可能性さえある。

 

 中盤の上り坂でスタミナを根こそぎ奪われたダイタクヘリオスが下り坂の加速でなんとか粘るが、最終コーナーからスパートをかけ始めたアイネスフウジンに突き放される。

 それにつられて、坂の頂上にいたバンブーメモリーを含む数人が同じように仕掛けた。ここで仕掛けないと逃げ切られる予感に駆られたのだ。

 やや遅れて、体が直線に向いた瞬間、下り坂から緩く加速し始めていたダイイチルビーが動き出す。

 

 ダイイチルビーの一族は皆、さながら今後ろへと垂れていったダイタクヘリオス(バカ)のように逃げで自分のペースを展開することを得意としている。

 そんな一族の中で『天翔けるウマ娘』による馴致を受けた彼女は、『偉大なるターフ上の演出家』と同じ直線一気の才能に目覚めた。

 桜花賞で、ダイタクヘリオスに抱いていた苛立ちの一因が脚質への嫉妬だったことに気づいた時は、あまりの屈辱に反吐が出るほどだった。

 そして、人格はマシとはいえアイネスフウジン。ハイペースな逃げでダービーを勝ったウマ娘。

 不甲斐ない自分と自分の前を走る者共への怒りで固く握りしめた拳から滲んだ血が後ろへと垂れていく。

 

(私は華麗なる一族、ダイイチルビー……)

 

 充血した目が真っ赤に染まる。ダイイチルビーの後ろを走っていた最後方の追い込みウマ娘は、ダイイチルビーの足下に弾け、砕け散った紅玉(ルビー)の足跡を視た。

 

「私の前をッ、走るなぁあああああああ!!」

 

 爆発的な加速と同時にぐんぐんと前との差を詰めていくダイイチルビー。途中躱されたバンブーメモリーも懸命にそれを追うが差は開くばかり。

 ダイイチルビーが至ったそれは、間違いなく"領域(ゾーン)"の入り口であった。

 府中ほど長くはないが、平坦な道が続く最終直線、既に追い込み始めたダイイチルビーに周囲の光景は見えていない。事前に確認し、空くと予想して決めてあったルートを盲目的に走るからこそ、追い込みは他の脚質を凌駕する加速と最高速度を誇る。

 平均速度こそアイネスフウジンには及ばないが、少なくともこの最終直線でのダイイチルビーの速度は、アイネスフウジンを遥かに上回っていた。

 

 しかし、あと少し、あと少しで手が届くというその瞬間、目の前のアイネスフウジンが暴風を纏ってさらに加速した。

 日本ダービーで入門したアイネスフウジンの"領域(ゾーン)"。スリップストリームを取るか取られるかした時の風の乱れが、アイネスフウジンの過集中のスイッチを入れる。

 それと同時に、ダイイチルビーの脚が重くなる。スタミナ切れだ。そもそも、京都の外回り1600mはマイラーには不利なコースだ。

 心臓破りの坂は言うに及ばず、レースの前後半でタイム差がつきにくいこのコースでは息を入れるタイミングが非常にシビアで、他の1600mと比べてスタミナを節約するのが難しい。

 だからこそ、東京と同じく京都の外回りは後方有利のコースではあるのだが、本質的にスプリンターなダイイチルビーとダービーを勝ち抜いたアイネスフウジンではスタミナの絶対値に大きな差があった。

 

 ダイイチルビーの後ろから鋭く駆け込んだ赤リボンのウマ娘が、並ぶことなく一瞬でダイイチルビーを躱してアイネスフウジンに迫るのを見ながら、それでもダイイチルビーは止まりそうにさえなる脚を懸命に動かしてゴール板を駆け抜けた。

 

『アイネスフウジンとパッシングショット、並んでゴールイン!! 3着はダイイチルビーです!! 1着はちょっとわかりません、現在写真判定が行われています! 確定までしばらくお待ちください』

 

 思わず内ラチに(もた)れかかったダイイチルビーの見る先には、互いの健闘を称え合い握手をするアイネスフウジンと赤リボンのウマ娘――パッシングショットの姿。

 掲示板に確定の文字が表示され、映された結果は両者コースレコード、ハナ差でパッシングショットの差し切り勝ち。

 なかなか勝ちきれず2着3着に甘んじてきたパッシングショットがようやく掴んだGⅠのトロフィーに、むせび泣くファンの姿も見られる。

 本気で走ったとは言え既に息は静まり始めていて、まだ余力が見えるアイネスフウジンに対して、すべてを出しきって息も絶え絶えと言った様子でトロフィーを掲げるパッシングショット。

 周囲のウマ娘は、特に今回初めての黒星を喫したアイネスフウジンと、以前彼女に敗北した経験のあるバンブーメモリーはパッシングショットのその様子から、彼女の限界を覚っていた。

 

 勝利者インタビューによって明かされたパッシングショット引退宣言とウイニングライブが終わり、帰り支度を済ませながら絡んできたダイタクヘリオスを適当にあしらっていたダイイチルビーは、その道すがらアイネスフウジンの後ろ姿を見つけた。

 話しているのは彼女のトレーナーである男性と、ダイイチルビーも交流がある名門メジロ家出身の寵児メジロライアンと、先日菊花賞を制したメジロマックイーンだ。

 アイネスフウジンの姿を見て、ダイイチルビーは悔しさがぶり返してきた。あの時の感覚――ダイイチルビーはそれを"領域(ゾーン)"だと気づいていないが――をものにしていれば、勝敗は自分に傾いていたかもしれない。

 しかし、勝負の世界でもしもは禁句。だから悔しさを押し込めて、押し込めて、押し込めきれず、アイネスフウジンに近づいたダイイチルビーは懐から取り出した白手袋を放った。

 庶民には馴染みのない習慣ではあろうが、メジロ家と交流があるなら意味はわかるだろうと予想しての、宣戦布告。

 

「アイネスフウジンさん、来年の安田記念で今日の借りは必ず返します。首を洗って待っていてください」

 

 なんともテンプレートな台詞を吐いて颯爽と去っていくダイイチルビーにツボったダイタクヘリオスの笑い声をバックに、アイネスフウジンは呆気にとられながら考える。「もしあたしが安田記念出ない予定だったらどうするつもりなんだろう」と。

 お嬢様の例に漏れず、ダイイチルビーも周りが見えなくなりがちな性格であった。

*1
海穴。海の一部分だけ深くて色が濃くなるやつ。海洋恐怖症の画像でよく見る。




 アイネスフウジンメインだとただ走って最後ギリギリで躱されただけになって物語性もなにもないのでダイイチルビーをメインに。チョイ役のパッシングショット(史実勝ち馬)を添えて。
 流石にGⅠを完全スルーとはいかなかったので今後も出てくるダイイチルビーとアイネスフウジンを接触させる回になりました。


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初の大舞台

 12月末、中山レース場、ホープフルステークス開催。

 

 このレースの次のレースに、URA一年の総決算となる有記念を控えた、ジュニア級ウマ娘の大一番。レースの格としては阪神ジュベナイルフィリーズや朝日杯とは創設日の都合で一歩譲るが、それでも貴重なジュニアGⅠだ。

 ジュニア期の時点でGⅠウマ娘という名誉を戴けるのはわずかに3人。そしてその栄誉は、その先のクラシック、シニアでGⅠをとれなかったときに呪いともなりうる。

 

 汎用勝負服への着替えが終わり、ナイスネイチャはパドックへと出る。既に自分より前の出走者のアピールが始まっている。

 ナイスネイチャは特になにか言うこともなく、自分の番にステージへ立った。まばらな拍手とそれなりの応援。あまりに自分らしい人気に内心苦笑する。

 今回のナイスネイチャは5番人気。未勝利戦を勝った7月からオープン戦を1勝、GⅢを2戦1勝しているナイスネイチャだが、始めの2連敗と前走の3着が響いてのこの位置である。

 また、ホープフルステークスは有記念の直前に開催されるため、有記念目当てで来た観客がついでに観ていくというパターンも多い……というより、そうなるようにURAが調整している。*1

 そのため、ただでさえ微妙な人気な上にそもそもホープフルステークス目当てでない(かさ)増しの観客がいることで、なんか寂しい感じのお披露目になってしまっているのだ。が。

 

「ネイチャー! やったれー!」

 

 人混みの中、野球帽とサングラスでバレバレの変装をした皇帝の秘蔵っ子がそんな風に声をかけたことで、先程までの倍以上の視線がナイスネイチャへ突き刺さった。ナイスネイチャはそれに苦笑を返しながらも内心ほくそ笑む。

 レース中、他の出走者に影響を与えるにはそれなりに注目されている必要がある。相手の意識に引っかかるからこそ策が通じる。取るに足らない存在ではいけない。

 ナイスネイチャは自らに足りない注目度を、トウカイテイオーの友人という立場で底上げすることにした。考えついたきっかけはあの夏祭りでの1幕である。トウカイテイオーのライバル発言は、シンボリルドルフ目当てで集まっていた人だかりからSNSで拡散された。

 「見合ってない」だの「パッとしない」だの結構な言われようではあったが、そんなことはナイスネイチャが一番わかっている。少し前までならともかく、ある程度吹っ切れた今、そんな意見も余裕を持って見ることができるようになっていた。

 

 パドックでのお披露目が終わり地下バ道へと戻ってきたナイスネイチャを出迎えたのは、ライバルたちからの警戒の視線。おおよその目的は達成できたらしいと内心安堵するナイスネイチャに、ウマ娘がひとり話しかけてきた。

 

「また()()()*2こと考えとんの? あんさんそういうの好きやねぇ」

 

「……なんでいるのさ、マイカグラ」

 

 イブキマイカグラ。未勝利戦でナイスネイチャを僅差で破った因縁の相手。しかし、今回のナイスネイチャの発言には別の意味が含まれている。

 イブキマイカグラは2週前、阪神ジュベナイルフィリーズを制しており、既にGⅠウマ娘に名を連ねている。中1週でわざわざホープフルステークスに出る必要はない。

 

「えぇ〜、うちがいたらあかんの?」

 

「はは……いや、お好きにドーゾ。アンタの舌戦に乗ってたら無駄に神経すり減らすだけだし」 

 

「なんや、おもろないなぁ」

 

 ブー垂れるイブキマイカグラだが、おどけたその態度の裏にはやはり濃く鋭い戦意が宿っている。未勝利戦での彼女の殺気は未勝利戦故のものではなく、彼女の本質そのものであったらしい。

 ナイスネイチャの感じた通り、イブキマイカグラはその物腰に反してかなりの気性難であり、さらにひとりで走るのでは満足できずレースを求め続ける競走狂(レースジャンキー)の気があった。

 

 ナイスネイチャは体をほぐしながらコースイメージの再確認を行う。今回の中山芝2000m、同レース場の1600mとは大きく違った性質を持つコースだ。

 中山芝1600mが外回りで頂上から緩やかなカーブを下り続けて最後の急坂を迎えるのに対し、2000mは内回りで楕円形なため向正面に下りの直線があり、さらにスタート地点が坂の手前であるため、スタート後とゴール直前で2度の急坂を登る必要がある。

 中山の直線が短いのは変わらない。それなりにスタミナのあるイブキマイカグラは今回まくり気味に突っ込んでくるだろうとナイスネイチャは予想する。

 幸いなことに、今回は12人立てとGⅠにしては出走者が少ないのに対して、先行策をとるであろう出走者は5人。先行対策はできるから問題はなさそうとすれば、問題は逃げだ。

 

 ゲート入りが完了し、ナイスネイチャはゲートに集中する。今のナイスネイチャの実力だと、GⅠ級で逃げに牽制を打てるのはスタート直後の瞬間だけ。

 ゲートが開くと同時に飛び出す。トレーニングによって特に強化されたスタミナを急速に消費するが、必死にハナを取りに行っていると()()()()()()()()ならない。

 逃げたナイスネイチャを追って本来の逃げウマ娘たちが走ってくる。ナイスネイチャは中山の急坂で敢えて少しずつ速度を緩め、逃げウマ娘にハナを譲った。

 

(逃げが2人、ってことはアタシ含め後方が5人ね)

 

 ナイスネイチャは自身が外枠に配置されていたことを利用して、内でポジション争いをしている先行グループも先に行かせ、息を整えながらそのすぐ後ろにつける。

 外と内のどちらにも行ける中間の位置を走りながら坂を登りきり、既に第2コーナーに突入している逃げのふたりを確認する。ペースは確実に速い。

 確かに中山は前方優位なコースだが、先行の数が多いと話は変わってくる。スタート後の坂で第1コーナーのためにポジション争いをすることになるから、スタミナがガリガリと削られる。

 さらにナイスネイチャは逃げウマ娘を掛からせることでハイペースを演出し、逃げから続く前脚質全体に対して負担をかけた。

 こうなると前脚質は2度目の急坂で止められ、むしろ差しのほうが有利になる。と、ナイスネイチャは事前に教えられていた。

 

 第1コーナー、第2コーナーでやや内気味を走りつつ、ナイスネイチャはまた少し速度を緩め、自分より後ろにいる後方脚質に圧をかけた。コーナーで追い抜くためにポジションを変えるのはスタミナを消費する上に難しい。特に内にいる相手を抜くためには、自分から外に出る必要がある。

 先行集団からやや引き離された後方集団は焦れる。ただでさえ直線が短い中山で大きく引き離されるのは致命的になりかねない。

 第2コーナーを回りきって向正面に入ったタイミングで、ナイスネイチャが大きく内によれた。それを機と見た差しが3人、ナイスネイチャを外から追い抜いて先へ進む。

 そして、その先にある下り坂で減速しきれず、先行集団の後ろをつっつく形になった。

 

(おーこわ。前よりえげつなくなっとるやないの)

 

 イブキマイカグラが内心で呟いた通り、その結果は明確だった。第3コーナーで差しに追いつかれた先行のうち3人は早仕掛けの位置でスパートをかけてしまう。残る2人もスパートこそかけていないものの、やや速度が上がったように思える。

 ナイスネイチャはそれを眺めながら、悠々と下り坂をゆっくり降りていく。一方イブキマイカグラは下り坂の途中までをナイスネイチャを風よけにして降り、残り1/3ほどになったタイミングでナイスネイチャを躱して、下り坂を使い加速しながらまくりの体勢に入った。

 しかし、そこまでがナイスネイチャの読み通りだ。

 

 大外上等でまくりあげたイブキマイカグラが最終直線で見たのは、外側を垂れてくる他のウマ娘たちだった。

 逃げも、先行も、差しも、息を入れられないままハイペースで走らされた影響で完全にスタミナを使い果たしていた。さらに一部のコーナー巧者を除き、多くのウマ娘が減速しきれずにコーナーを走った結果膨らみ、外側で垂れることになっていたのだ。

 さながら蜘蛛の巣に引っかかったかのように垂れてくるウマ娘にブロックされ、まくりの加速を捨てて内に行かなければならないイブキマイカグラを横目に、コーナーの内をしっかりと曲がりきったナイスネイチャは、溜めていた脚を解放し一気に坂を駆け上がる。

 ゴール板を踏み抜けて、歩を緩めながら掲示板へと目をやる。1バ身差。目で見てわかる着差のため早々に確定した結果は、確かにナイスネイチャの勝利を証していた。

 

「はぁ〜……してやられたわぁ。あんさん、いい性格にならはったなぁ……」

 

「へへ……お陰様で」

 

 ナイスネイチャが初めてのGⅠ勝利を噛み締めていると、イブキマイカグラが冗談交じりにそう声をかけてくる。その態度の裏にはしっかりと悔しさが滲んでいる。

 イブキマイカグラは言葉と態度と感情が裏腹で非常に面倒な性格をしているが、その反面裏の感情を読むのはそこまで難しくないことをナイスネイチャは理解した。

 イブキマイカグラ自身、本来の性根が本心を隠すことに向いていないのだろう。案外、このわかりやすい娘とも仲良くなれるかもしれない、なんて考えていると、改めてワァッと歓声が上がった。

 

 正確には、ここに来てようやく観客の声がナイスネイチャの心に届いたのだが、5番人気のナイスネイチャが1番人気だったイブキマイカグラをくだす番狂わせを演じた結果、ナイスネイチャの実力が改めて評価されたのだ。

 間違いなくトウカイテイオーのライバルとなりうる有望株のひとりとして。

 

「……いやぁ、流石に荷が勝ちすぎない……? てか皐月出ないよアタシ……?」

 

 作戦の思わぬ副作用に余韻も何もなくなるナイスネイチャ。幸いなことに、この期待のホープの判明の話題は、直後の有記念でオグリキャップが起こした奇跡の復活によってだいぶ下火になったために、ナイスネイチャは商店街で三冠でもとったのかというほどの盛大な祝勝会を開かれる程度で済んだのであった。

*1
JRAはしてくれない。現実ではホープフルステークスは有馬記念の後に開催されており、有馬記念を大トリにしたい競馬ファンたちと有馬が後だと64億売上が減ったから有馬先にしたいJRAの間で冷戦が起こっている。

*2
京言葉的にはこすいよりこっちで正しいらしいです。



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オグタマライブ前半 ??/12/23

※本作のメジロラモーヌは実装前に書かれたオリジナルキャラクターになっています。ご注意ください。


《オ グ タ マ ラ イ ブ》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやで〜!」

 

『芝』

『クソ圧タイトルコールで芝』

『圧と威厳がすごい』

『まいど〜』

 

「今日は年末のお約束、ホープフルステークスと有記念の2本立て拡張スペシャルとなっとんのやけど、この有記念に普段相方として出演しとるオグリキャップが出走するんで、代役としてこのふたりに来てもろたで!」

 

「まいど。七冠の顕彰ウマ娘、シンボリルドルフだ」

 

「まいど。トリプルティアラを戴きました、顕彰ウマ娘のメジロラモーヌと申します」

 

『伝説時代のクラシックティアラツートップじゃん』

『七冠とトリプルティアラにまいどと言わせた女タマモクロス』

『名門双璧の次期総帥コンビ』

『皇帝陛下にタイトルコールやらすな』

 

「ウチに言うなぁ!! ウチかて今初めて聞いたわあのタイトルコール!!」

 

「イイだろう」

 

「アンタにイイだろうって言われてNOって言えるウマ娘はアンタ以降の世代にもファンにもおらんねん!!」

 

『思えば直近4戦は楽だったよな……』

『マーチ、スパクリ、バンメモ、イナリな』

『今思えば安田の時にマーチさん来てくれて良かった……』

 

「勝手に盛り上がって勝手に暗くなるなぁ!! ほらレース盛り上がっとんぞ!!」

 

「ホープフルステークスの特徴は中山の内回りである点だな。同じ中山でも朝日杯は1600mで外回りだが、内回りだと距離以外に大きな違いがある」

 

「この坂でございますね。発走してやや走ったところで1度目の、一周してゴールの直前に2度目の急坂がございます」

 

「外回りと(ちご)てちゃんと直線があるし、コースとしての性質も変わってくるわな」

 

「注目株はイブキマイカグラでございましょうか。前走の阪神ジュベナイルフィリーズを制覇しており、新GⅠ2つ目を狙っての出走となります」

 

『死ねどすさんだ!』

『死ねどすはん今日もギラついてはりますわぁ』

『マイカグラが言ってないセリフ』

『マイカグラなら「まだ生きてはったん?」って言うぞ』

『「閻魔さんに嫌われてはるんやねぇ」だぞ』

 

「悪質なシミュレーションやめぇや!!」

 

「私としては、ナイスネイチャに注目したいところだな」

 

『誰?』

『誰だ?』

『どの子?』

『テイオーがライバル宣言してた娘か』

『わからん』

 

「へぇー、また通なとこ……って、結局身内可愛さかいな」

 

「いや、なかなかどうして先日の札幌ジュニアステークスを見たときになかなか好走していてな……昔を思い出したよ」

 

『皇帝が昔を思い出したってマ?』

『でもメイクデビュー含めて未勝利戦2敗してんぞ』

『3-1-1-0って書けば強そう』

『重賞以外はレース映像公開されんからなぁ……』

『皇帝は特権で見れるんちゃう?』

 

「シンボリルドルフ様を思い出すとおっしゃいますと、レースの支配でしょうか?」

 

「そうだな。ナイスネイチャは状況判断が巧い。視野が広いのかな。その場その場で最適な動きをしてレースをコントロールするのに長けている」

 

「ほーん。お、言っとったらちょうど出てきよったで」

 

「先程もパドックでテイオーから声をかけられて、他の出走者から警戒されていたが、テイオーからはナイスネイチャ本人に応援に来てくれと頼まれたと聞いている。恐らく、テイオーの知名度を利用して敢えて注目を引き付けるつもりだろう。そのほうがレースをコントロールしやすいからね」

 

「なんや、ペイザの逆みたいなことやるやっちゃな……」

 

『めっちゃ外枠に入れられてる』

『中山2000mは1角まで距離あるからあんまり枠順関係ないゾ』

『今回先行多いな……後ろ有利な展開になる?』

『レース展開に自信ニキおるやん』

 

「そうですね……好位につこうとする方々が急坂で競り合われますので、その人数が多いほど体力の消費も激しくなります。そうなると、最終直線での再びの急坂に耐えきれません」

 

「ナイスネイチャがそれを誘発させてくることは間違いない。問題はそれをどこまで利用してくるかだな……」

 

『ふぇぇ……そこまで考えるのか……』

『俺ウマ娘だけど走りながらそこまで考えられるのは異常』

 

「とか言ってる間に発走や」

 

「ファンファーレを担当してくださるのは、薫風フラッシュオーケストラの皆様です」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぷぺー』

『ぱぱpぺー』

『ぷぺったな』

 

「スタートと同時にナイスネイチャが飛び出しよったで」

 

「割と有名な戦術だな。上のランクになってくると通じにくいが、ああすることで逃げを掛からせ、レースをハイペースになりやすくする。坂を使って見えるように沈むことで、他の逃げに自分もああなるのではないかという危機感を与えることにも成功している」

 

「ほぼ大外に配置されたのを利用して先行集団をやり過ごしておられますね……逃げに釣られて先行もペースを上げざるを得ない状況に追い込まれました」

 

『序盤チョロっととは言え差しが逃げとやりあってスタダキメるとかマジでキツイんだが?』

『急なギアチェンジは体力ゴリッと持ってかれるぞ』

『作戦筒抜けで芝』

 

「傍目八目。我々は外から見ているからより俯瞰的に見られるというだけだ。実際に走っている者たちが走りながらそこまで思い至れるかと聞かれれば難しいとしか言えない」

 

「いやウチまったくわからへんかったけど……」

 

『あっ(察し』

『ッスー……』

『いい天気っすね……』

 

「気ィ使うなや!! チマチマしたこと考えんでも勝てればエエねん勝てれば!!」

 

「あら、今度はナイスネイチャ様が後方に働きかけていらっしゃいますね」

 

「コーナーは追い抜きにくいからな。内を突かれない程度に内に、しかし内に行きすぎない位置で減速することで、より多くの後続を巻き込むことに成功している」

 

『なんでコーナーは追い抜きにくいの?』

『余計にスタミナを消費するからだろ』

『直線なら横に避けてまっすぐ抜かせばいいけど、曲がりながらだと外に行くだけでモロに走る距離伸びるし、コーナーは速度緩めて脚を溜めたいとこだから』

『長文ニキthx』

 

「あー、ネイチャ的には抜かれても抜かれんでも後ろへの嫌がらせになるんか……大人しい顔してえげついこと考えるわ……」

 

『「えげつい」って表現はじめてみた

どこの生まれの人?』

『どこでもいいだろw言語学者なのかよw』

『◇これはタマモクロスと言って大阪生まれ大阪育ちなんだ』

 

「これ言うな」

 

『ネイチャよれた』

『スタミナ切れか?』

『いやわざとだろ』

『【悲報】イブキマイカグラ以外ネイチャの作戦で全滅』

 

「自ら隙を晒すことでそれまで圧迫していた分を噴出させたか……この先は下り坂だから掛かったまま降ると想定以上のスピードが出る。しかしそれだと曲がりきれないからコーナー前で緩め、最終直線で再び加速という急な切り替えが必要になる」

 

「差しに追いつかれた先行が焦って早仕掛けをいたしましたね……」

 

『ホントに全滅じゃん』

『ネイチャトコトコで芝』

『マイカグラとネイチャはセオリー通りか?』

『いや、マイカグラがまくりに行った。スタミナ温存してるから大外覚悟か』

 

「ふむ……なるほど、うまく利用したな……」

 

「はい。膨らんだ差しと先行が急坂で減速し、イブキマイカグラ様の障害物となっていらっしゃいます」

 

「ウチいらんのとちゃう?」

 

『走者の人そこまで考えてないと思うよ』

『真顔でなんてこと言うの視聴者ちゃん』

『ちゃんと考えてた定期』

『でもレース中にそこまで考えられるのはマジでバケモン』

『ネイチャもスパートかけたけどそんな速くないな?』

『能力が高くない分を作戦でカバーしてるのか』

『それができるだけで超能力なんですがそれは……』

 

「あんだけやって1バ身差まで詰められてんのはマイカグラが速いんかネイチャが遅いんか……」

 

「さながら詰将棋を見ているようで、気持ちの良いレースでございました」

 

「うむ、逃げのサクラハイスピードが掛かんながらも果敢な走りを見せ3着に入ったところまで含め、皆が全力を出しきったいいレースだった」

 

『?』

『副会長ー! 早く来てくれー!!』

『しまった、アドリブだ……!』

『これがロイヤルジョーク……』

 

「おらボケナス*1ども、インタビュー始まるぞ静かにせい」

 

『タマ、コメントは音を発しないからインタビューの邪魔にはならないぞ@オグリ』

 

「何見とんねん余裕か!!」

 

『オグリもよう見とる』

『本人で芝』

『中央を無礼るなよ』

『ネイチャのトレーナー黒い人で芝』

『黒い人じゃん。ターボはどうした』

 

「アイネスフウジンのトレーナーでもある網トレーナーだな。今期はナイスネイチャの他にもツインターボを担当している」

 

「ほーん、同期生ふたり面倒見とんのか」

 

『そういや最近ツインターボ見ないな』

『元気にダート走っとるで』

『テイオー倒すって言ってなかったっけ……』

『帝王(賞)倒す』

『わからんぞ。そう思わせて急に芝に来るかもしれん』

『皐月出やんの!? なんで!?』

『なんやその理由……』

 

「『プレッシャーに弱く、本人に三冠を取りたいという希望もなかったため、敢えて皐月賞を外すことで三冠を取らなければならないと自分を追い詰めることを避ける』ですか……」

 

「その分、日本ダービーに専念したい、と言うならばそれほど不可思議な選択でもない。しかし、来年でようやく3年目という新人のトレーナーがそれを容認できるのはなんというか、すごいな……」

 

「こんだけ走れる娘ぉ受け持ったら、もっと浮かれてまうよなぁ、普通」

 

『他に理由があって、それを隠すための嘘の可能性が微レ存』

『それにしたって皐月賞回避を選べる謎の胆力って話だろうよ』

『タボボが皐月賞出るから、とかかね?』

『黒い人「ツインターボに皐月賞取らせるのでナイスネイチャには我慢してもらいます」とかだったら笑う』

『黒い人なら言いかねない』

『また勝利前提やんそれ。テイオー出るんやぞ』

『ツインターボは言うまでもなくナイスネイチャもテイオーには敵わんやろ』

『テイオーが無敵で最強だもんに!』

 

「はいはい、最強議論はよそでやりぃ。次レースはオグリも出とる有記念! ってことでインターバル挟んでから再開するでー」

 

 

 

 

後半に続く

*1
ボケニンジンにしようとしたけど語源的に無理があった。オタンコニンジンはまぁオタンコナスのナスはオタンチンのチンなのでニンジンに例えたとしてもおかしくはない。お短小人参。



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オグタマライブ後半 ??/12/23

「というわけでね、後半始まりましたけどもー」

 

「有記念、総決算だな」

 

出バ表

1.オースミシャダイ

2.ヤエノムテキ

3.オサイチジョージ

4.ランニングフリー

5.メジロライアン

6.サンドピアリス

7.メジロアルダン

8.オグリキャップ

9.キョウエイタップ

10.ミスターシクレノン

11.リアルバースデー

12.エイシンサニー

13.ホワイトストーン

14.ゴーサイン

15.カチウマホーク

16.ラケットボール

 

「オグリをはじめ、メジロ家からはGⅠ勝利こそないものの好成績を残すラモーヌの妹アルダンと期待の貴公子ライアンが出走。皐月賞、大阪杯、秋天とGⅠ3勝のヤエノムテキ。最低人気からエリ女を制覇したハイセイコーの弟子、『砂の貴婦人』サンドピアリス。宝塚でオグリとの接戦を制したオサイチジョージ。今年のティアラ戦線からもエイシンサニーとキョウエイタップが参戦しとるで」

 

「他にも、現状すべての重賞レースで掲示板に入っているホワイトストーン。昨年の春の天皇賞で2着、宝塚記念で3着のミスターシクレノン。勝ちきれないが狙った相手を最後には倒す執念の挑戦者リアルバースデー。前走、鳴尾記念でハナ差の激戦を繰り広げたゴーサインとカチウマホーク。GⅡ*1のオールカマーを制覇しているラケットボール。作家としても売り出し中のランニングフリー。そして、ミスターシクレノンとランニングフリーに勝利した経験のあるオースミシャダイなどが出走している」

 

『二度あることはサンドピアリスさん!』

『( カ)アルダン! カノープスに来ないか?』

『ランニングフリーの新作読んだわ』

『ホワイトストーンちゃん!』

 

「ふふっ……さて、注目はやはりオグリキャップか。見たところ、直近3戦に比べれば悪くなさそうに見えるが……あぁそうそう、会場を捜索したが爆発物は仕掛けられていなかった」

 

「オグリんトレーナーとかナルビーさんとこにも爆弾は()えへんかったみたいやで。ホンマ人騒がせなやっちゃわ」

 

「負け続ける姿を見たくないという気持ちは理解できますが、あまりにも稚拙で幼稚な行動でございます。少々冷静になっていただきたいですね」

 

『ホンマヒトカスはこれだから……』

『ハクタイセイも激おこやったもんな』

『ハクさんオグリ追いかけ回した出版社に殴り込んだってマ?』

『正確には真剣持って殴り込みに行こうとしたところをライアンに取り押さえられた』

『養生してくれよ屈腱炎……』

『名前を言ってはいけないあの出版社な』

『月刊タ○フ』

『は? またあそこかよなんで潰れないの』

『「オグリキャップを取材した記者は数日前に自己都合退職しており、取材当日はフリーライターとなっていたため弊社とは無関係です」だと』

『やタ糞』

 

「はいはい月刊ターフは置いといて話題進めるで〜」

 

「タマモクロス様、名前を出すのは……」

 

「タマモクロスも被害者だからな……実家に押しかけられたことがある」

 

「さて、よう見てみると、クラシック勢以外はオグリ、ヤエノ、ピアリスしかGⅠ勢おらんのな」

 

『そんなホイホイとれねんだヮ』

『GⅠが当たり前のようにいると思うなよ』

『いや1年に一定数輩出はされてんだよ』

『ピアリスをそこに入れていいんか……?』

『ピアリスよりアルダンとライアンの方が人気高いの残当』

『てかピアリス16人中15番人気じゃん、GⅠウマ娘なのに』

『ピアリスちゃんはしゃーなし』

『エリ女ゴール後のはしゃいでるピアリスと呆然としてるトレーナーの温度差好き』

『ホワイトストーンちゃん1番人気!!』

 

「ゲート入り始まんでー。流石にオールスターだけあってスムーズ……あ」

 

『ヤエノどうした?』

『ヤエノが』

『ムテキさん!?』

 

「……蜂、のようだな……?」

 

「蜂に驚かれたヤエノムテキ様が思わず逃げてしまわれたようでございますね」

 

「今トレーナーが落ち着かせたろうと……あ」

 

『痛い』

『今のは痛い』

『裏拳……』

『トレーナー業はこれがあるからな……』

『そしてこの土下座である』

 

「袖口のゴミを蜂と見間違えて払おうとした手の甲がトレーナー様のお顔に……」

 

「あーあー鼻血ブーやんけ。トレーナーが」

 

「トレーナーの怪我はレースに関係ないから問題ないだろう」

 

『皇帝スンとしてて芝』

『心配したれやwwww』

『日常茶飯事、ヨシ!』

『なんでそんな塩なんだ……』

『ヤエノのトレーナーは皇帝現役時代にリギルのサブトレやってて皇帝から色々教わってたらしい。ある意味弟子みたいなもん』

『身内への対応が両極端な皇帝』

『てかトレーナーってあの爺さんじゃないんか』

『今年の安田記念から爺さん腰やって入院してる。代役やろ』

 

「ヤエノも落ち着いてゲート入ったし、ファンファーレやな」

 

「本レースのファンファーレは陸上自衛隊中央音楽隊の皆様です」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメント欄もよく啼いている」

 

「発走や! っと、ひとり出遅れたか?」

 

「逃げを宣言していらっしゃいましたミスターシクレノン様が出遅れていらっしゃいますね」

 

「ふむ、押し出されるような形でオサイチジョージが出てきたな。後ろにはメジロアルダンとヤエノムテキ。ランニングフリーとリアルバースデーが先団か」

 

「ミスターシクレノンは少しずつ上がってきとるな。ティアラ組はまとめて後ろや」

 

「オサイチジョージ様がペースを握っていらっしゃいます。かなりのスローペースで進行しておりますね」

 

「オグリキャップにとってはかなり都合のいい展開だな。オグリキャップが勝てるとすればスローペースだ」

 

「アルダンとヤエノがバチバチやな。芦毛2人は中団で様子見か」

 

「状況は膠着しております。このまま進むでしょうか……」

 

『実況がスムーズですげぇ』

『露骨にコメ減ったな』

『みんな集中しとる』

 

「向正面入って、オグリは位置ちょっと上げたな。攻めあぐねてる感じがあるけどどないや……?」

 

「ライアンはバ群の中で、脚を溜めております。この大舞台でしっかり落ち着いている辺りを見ますと精神的な成長が見て取れますね」

 

「向正面中間過ぎてミスターシクレノンがハナを奪いに行くがオサイチジョージも譲らない。少しペースが加速してきたか?」

 

「残り800、勝負所でオグリがジョージに並びよった! さぁやったれオグリ!」

 

『来た! オグリ来た!』

『マジで来る?』

『※この放送では贔屓実況は当たり前です』

『キタキタキタキタ』

『ホワイトストーンちゃんがんばえー!!』

 

「リアルバースデーの様子がおかしいな……故障か……?」

 

『え? 普通に走っとらん?』

『わからん』

『皇帝の眼力……』

 

「オグリ先頭! ラストの急坂を一気に登る!」

 

「ライアンも来ております! 後方外からライアン!」

 

「いやでもオグリや! こらオグリ! 内のホワイトストーンは伸びきらん!」

 

『ウチのホワイトストーン?』

『告白か?』

『大胆な告白は芦毛の特権』

 

「告白ちゃうわ! あぁもうオグリゴール! オグリ1着!! オグリ1着や!!」

 

「2着にはメジロライアン、3着にホワイトストーンが入った」

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』

『おぐりいいいいいいいいいいいいいいいい』

『俺たちの夢が帰ってきた!!』

『オグリ復活!! オグリ復活!!』

『すごいウマ娘だわ。スーパーガールだ』

 

「ようやったでオグリ! 有で醜態晒すなとか言うとったアホどもに目にもん見せたったやろ!! 右手挙げてアピールや!」

 

『右か……?』

『左手じゃね?』

『左手だゾ』

『◇これは左手と言って器を持つ方の手なんだ』

 

「うっさいな間違えただけやろ!!」

 

「しかし、これでオグリキャップもドリームカップへ来るのか……ふむ、楽しみだな」

 

「同感でございます」

 

「ホンマやで。やっと借りを返せるわ」

 

『うわぁ! 急にギラつくな!』

『机のお茶震えてて芝枯れる』

『ハイセイコーのウマスタ芝』

『ハイセイコーなんやこれwwwwww』

『おいたわしやハクタイセイ……』

『嬉しすぎて死んだ』

 

「なんやなんや何を盛り上がっとんねん」

 

「どうやらハイセイコー様のウマスタグラムに本レースに対するハクタイセイ様の反応がアップロードされたようですね」

 

「ぶち上がっとるやん、なんやこれ」

 

『インタビュー始まるぞ』

『ゲタの記者だけ寄らせてもらえてなくて芝』

『流石にインタビュー控えめか』

『まああんなことがあったらな……』

『無難な質問やね』

『今の質問……』

『あ……』

『? なんや』

『オグリさんその回答は』

 

「あぁ……あかんわ」

 

『Q.今回ラストランと言うことですが、どのような気持ちで臨まれましたか?』

『A.最後だから勝ちたいとか、トレーナーやカサマツのみんなのためにとか色々ある。それと、私のファンがひとり、故障で休んでいるのに私のためにすごく怒ってくれたと聞いた。私も怪我には悩まされた身だが、諦めずに挑戦した結果、こうしてここに立たせてもらうことができた。どうか、最後まで諦めないでほしいという想いが届いてくれることを祈る』

『あっ……(察し』

『ハイセイコーのウマスタ更新』

『合掌』

『RIP』

『南無三』

『【朗報】ハクタイセイ、ファンサービスに脳を焼かれて無事死亡』

 

「……こらしゃあないわ」

 

「まぁ、よかったんじゃないか。今年の集大成としては」

 

「せやね……さて、それじゃライブ前に終わりにしよか〜進行はタマモクロスと!」

 

「シンボリルドルフと」

 

「メジロラモーヌでございました」

 

「ほんじゃ皆様良いお年を!」

 

「「「ほなな〜」」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

 

 

 

 

 

★☆★

 

 4月1週、大阪杯。

 

『最終直線! 競り合っているのはホワイトストーンとヤエノムテキだ! オサイチジョージも粘っているが少し苦しい! これは1着は絞られたか? いや、ひとり抜け出した! モノクロの勝負服、あれは――』

 

 芦毛の髪が空をなびく。その目にもう憂いはない。

 結局、彼女を呪っていたのは、縛っていたのは、いつだって彼女自身だった。侮蔑も、怪我も、自分自身の諦めがいつだって邪魔していた。

 だって、あの人は諦めなかった。諦めずに走った先で奇跡を掴んだのだ。

 自縄自縛の枷から解放された少女は走る。眼前に広がるのは己の領域。闇夜と雪原のそこに、既に吹雪はやんでいた。

 

 ライバルたちは目にする。神速の一太刀、鋭く奔る白い刃が、雪原を切り裂き道と成るのを。

 

『ハクタイセイだ!! ホワイトストーン、ヤエノムテキ、オサイチジョージ、名だたる強敵たちを押しのけて、ハクタイセイが阪神のゴール板を斬り裂いた!! 芦毛伝説は終わらない! 終わらせない! オグリキャップの作り上げた奇跡をなぞり、屈腱炎を乗り越えてハクタイセイ、奇跡の復活!!』

 

 

 

 

SideH: 白き太刀筋、道と成りて

*1
当時はGⅢでしたが現在のグレードに合わせます。



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人は見たいものを見て信じたいものを信じる

 3月3週、阪神レース場、若葉ステークス開催。

 理由は不明ながら、元々出走を予定していたトウカイテイオーが1ヶ月前に出走を弥生賞に変更したため、当初10人立てだった出走人数が当日にはフルゲートの16人立てとなっていた。

 その多くは当然、皐月賞への優先出走権を狙ってのものだ。若葉ステークスは上位2着まで皐月賞への優先出走権が与えられる。

 トウカイテイオーが出走を予定していた時は、1着が実質的に確定していたから残り1枠……というのが、凡百のウマ娘、トレーナーの共通認識だった。

 ウマ娘は基本的に負けず嫌いだ。それが裏返り「負けるのが嫌だから勝負しない」となる者も少なくはない。もちろん例外の方が多いが、()()がいる世代ほどその傾向は顕著に現れた。

 そこでトウカイテイオーが抜けたらどうなるか。まず優先出走権が増える。そして単純に、1着になれる可能性が出てくる。中には弥生賞の出走予定から若葉ステークスに変えた者までいた。

 これは良くないと、URAは異例の措置を打ち出した。トウカイテイオーの出走取り消し以前に出走登録をしていたウマ娘に対し、若葉ステークスの優先出走権を与えたのだ。

 トウカイテイオーが出走していたとしても出走を決意していたウマ娘たちが、賞金額優先のルールによって除外されてしまう可能性を防ぐための処置である。

 

 そして、そんな事情とは一切関係ない出走者がひとり、地下バ道で体をほぐしていた。

 栗毛のおかっぱに前髪を覆う大流星、ジュニア級にも拘らず昨年度の『三女神様につけてもらいたかった名前ランキング』で堂々1位に輝いた注目株、イブキマイカグラである。

 阪神ジュベナイルフィリーズ1着、ホープフルステークス2着という、実績だけ見ればトウカイテイオー以上の注目株であり、既にどうなろうと皐月賞への出走は揺るがない彼女が何故若葉ステークスへ出走を決めたかというと、端的に言えば偵察である。

 偵察は偵察でも、威力偵察である。

 

 ネットで情報収集中に見つけた記事、大慶祭での一幕。見出しや内容のメインはトウカイテイオーがライバルだと明言したナイスネイチャに関してのものだったが、その中にもうひとつ、別の名前があることに気がついた。

 しかも、ナイスネイチャだけではなく、かの皇帝シンボリルドルフにまで言及されている。ここまで来て、情報を集めないわけにはいかない。

 しかし、恐らくはナイスネイチャかトレーナーの作戦だろう(と、イブキマイカグラは考えている)か、その相手は今までダートのオープン戦にしか出ておらず、芝のレース自体もこの若葉ステークスが初めてになる予定だった。

 基本的に一般公開されているレース映像は重賞のもののみで、メイクデビューや条件戦、オープン戦のレース映像はドリームカップへ進んだウマ娘かURA職員にしか公開されていない。

 もし見たいのならばそれこそレース場で撮影している物好きな一般人が、動画サイトにアップロードしたものを探すしかないのだが、あいにく未だにマイナーと言わざるを得ないダートで、しかも地方レース場の大井。探してもレース動画は出てこなかった。

 そして、この若葉ステークス以降は間違いなく皐月賞へ直行するだろう。ここを過ぎればもう偵察のチャンスはなくなる。そう考えたイブキマイカグラは、観客席からの映像撮影をトレーナーに任せ、自身は同じターフの上で偵察することを決めたのだ。

 

 ナイスネイチャのチームメイトであり、完全なダークブロワー*1*2、ツインターボの偵察を。

 これを威力偵察としたのは、ダートのオープン戦しか走っていなかったため、皐月賞に出るにはツインターボの賞金額がいささか心もとなく、出走優先権なしでは除外の可能性も十分にあり、イブキマイカグラがそれを奪うことでそもそもツインターボを皐月賞に出られなくするという作戦も、駄目で元々程度に考えていたからである。

 

 容姿はわかっていたため探し人はすぐに見つかった。目に痛い鮮やかな青い髪。ツインターボだ。イブキマイカグラはジャブ程度に軽く声をかけようとして、やめた。

 イブキマイカグラにとって、少し頭がいい程度の相手はカモだ。自分のペースに持ち込んで精神的に疲弊させられる。逆に少し頭が悪い程度の相手なら、軽く混乱させてやれば集中力を乱せる。そして頭のいい相手は、やりあっていて楽しい。これも問題ない。

 イブキマイカグラの天敵は、言葉の裏、行間、空気を読もうとさえせず、皮肉も当てこすりも社交辞令も通じない、ただただ脊髄反射的に言葉を返してくる、要するにバカだ。

 こちらが言葉を弄すれば弄するほど疲れるのはこちら、という相手がイブキマイカグラは特に苦手であり、ツインターボからその雰囲気を感じ取ったのだ。

 結論としては、イブキマイカグラの判断は正解だったと言える。

 

 ツインターボが走り始める。いつも通りの全力全開、阪神レース場の最終直線、下りから一転しての急坂をものともせずにゴール板を駆け抜けた。

 ざわつく観客席、驚きで声も出ない者もいる。出走しているウマ娘たちはほとんどが後者だ。イブキマイカグラも言わずもがな後者である。

 ツインターボはどうだと言わんばかりのやりきった顔で息を整えながら地下バ道へ戻っていく。間違いなく、そのポテンシャルをいかんなく発揮した素晴らしい走りだった。

 

 ただし、ウォームアップランであるが。

 

(……えっ、アホなん?)

 

 ウォームアップランで最終直線の約350mを全力疾走したツインターボ。確かに間違いなく速かった。あのテンの速さは脅威だ。実際のレースになれば、スタート直後にハナを奪うのは不可能だろう。

 なにかのブラフか? 逃げを見せておいて実際は脚を溜めるつもりか? そんな疑念が渦巻きながらのゲート入りが終わり、発走。

 

 ツインターボはなんの衒いもなくハナを奪いに行く。それを見て、他の逃げウマ娘が必死に後を追う。逃げという脚質は作戦として逃げを打つ者以外にも、その性格から逃げざるを得ない者もいる。

 しかし、ツインターボに追いつくことはできない。そこから勝負根性で粘れるか、精神的に追い詰められ疲弊しバ群に沈むかは彼女たちしだいだ。

 

 イブキマイカグラは追い込みを得意としている。今回もバ群の殿、最後方で脚を溜めながら虎視眈々と前を狙う、しかし。

 

(ハイペースすぎる……! うち追込なのに先行のペースで走ってへん……!?)

 

 イブキマイカグラは早々にバ群についていくのを諦めてペースを緩めた。どうせ1着をとらなくても皐月賞には出られる。ここで無理をする必要はない。

 しかし、他のウマ娘はそうはいかない。折角トウカイテイオーがいなくなって皐月賞への切符が手に入るチャンスが回ってきたのだという焦りが判断を鈍くしていた。

 破滅的なスピードで逃げ続けるツインターボを追走して、まず追加で出走した6人のウマ娘が掛かった。そしてそれを見て、元々出走を決めていたウマ娘たちも掛かった。

 中にはイブキマイカグラと同じように、冷静に脚を溜めようと減速した者もいるが、それでも自分が普段より速いペースで走っていることに気づかない。

 

 最終コーナーを曲がりきるまでにひとりまたひとりと脚が限界を迎えて垂れていく。少なくとも、逃げと先行の脚質だった者たちは全員が脱落し、もはや走りの(てい)をなすのがやっとといった様子だ。

 差しや追込はどうか。後方、まだ第3コーナーにさえ達していないイブキマイカグラを除けば、こちらもなんとか走っていると言った様子だ。

 そしてこの状況を作り出した張本人であるツインターボは。

 

「ッヒュー……ッハッ……」

 

 ただひとり最終直線へ入りながらも、遂に逆噴射。差しや追込と同じくヘロヘロになりながら走っている。速度は刻一刻と落ちていっている。

 今のツインターボならば、差しや追込はもちろん先行でも簡単に躱すことができるはずだ。ただし、万全の状態であれば。

 もはや死屍累々、誰も彼もスタミナを使い切って、前半のハイペースが嘘のように泥沼のスローペースが展開されている。

 ツインターボがなんとか最後の急坂の前まで辿り着いたとき、イブキマイカグラが最終コーナー手前からスパートに入った。

 ゾンビのようにコースをふらつくウマ娘たちを一気に躱しツインターボの背中に迫るイブキマイカグラ。しかし、早々に冷静になったとはいえ、序盤の僅かな間でも破滅的ペースで走っていた影響は容赦なく脚にのしかかる。

 ツインターボが坂を登りきった辺りでイブキマイカグラも急坂へ脚を踏み入れる。差しきれる。観客も、実況も、イブキマイカグラ本人さえそう錯覚した。

 自分の体を襲うあまりの重さに、脚に怨念が纏わりついたかのような感覚を受ける。中山の急坂で経験したはずのそれよりも、今この瞬間の急坂は遥かに高い壁となっていた。

 大減速。イブキマイカグラの走りとは思えないゴール前の失速で観客席がざわめく。故障を疑う者さえいた。

 ウマ娘のレースとしてはあまりにゆっくりとツインターボがゴール板を踏んで間もなく、イブキマイカグラがゴール板を踏み、そして、3着以下がタイムオーバーになるまで、ゴールすることはなかった。

 

 このレースでタイムオーバーとなったウマ娘全員にかけられる罰則期間は、1着のツインターボのタイムが例年の1着とそれほど変わらなかったにも拘らず、URAの裁定によって免除された。しかし、出走したウマ娘のほとんどが、これから1ヶ月を完全休養にあてざるを得ないほどの疲労が残った。

 波乱と言えば波乱、衝撃と言えば衝撃。そんなレース結果を、各紙はレース後倒れ込んだツインターボの写真とともに、重賞レースもかくやというほど大々的に報じた。それほど話題性があったのだろう。

 一部の目敏(めざと)い専門家はツインターボのコーナリングを称賛したが、ほとんどの人間はこの勝利をフロック(まぐれ)だと断定した。トウカイテイオーの対抗バとなりうるイブキマイカグラをくだしてしまったことも一因にあるだろう。

 一部の反応には、「他のウマ娘の脚を故意に壊そうとした悪質な走り」と批判する声もあったが、いつの間にかツインターボの選抜レースの動画――若葉ステークスと同じく破滅逃げで、かつ他のウマ娘は掛かっておらず、ツインターボが最下位に沈む様子――が出回り始めてからは一気に鳴りを潜めた。

 

 そして、皐月賞がやってくる。

*1
Dark Blower。誰からもマークされていない、大番狂わせを起こす者を表す慣用句。ダークブロワーという慣用句自体、ウマ娘レースが由来となっている。

*2
Blower、英語でウマ娘を表す単語。直訳すると「吹く者」となることからホラ吹きや送風機を意味することもある。語源としては、走ったあとに荒く息をする様子から「吹く者」を意味するBlowerと呼ばれたという説や、走る様子が強風のようだったため、強風を表すBlowから転じたという説が主流。アメリカの最上級GⅠレースであるBCは、Blower's Capの略称である。




ツインターボのウォームアップ参考映像
https://i.imgur.com/EnIgLp0.mp4


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【閑話】ライスの一日

※当作品のライスシャワーはアプリ版にならいトレーナー以外の歳上には敬語を使うこともあります。誰にでもタメ口ライス派の方々はご注意ください。


 ライスの1日は身だしなみチェックから始まります。朝ごはんを食べに食堂へ行くので、きちんとしてからじゃないと恥ずかしいからです。

 少し前までは部屋で買い置きのパンを食べて、すぐにトレーニングに行っていましたが、トレーナーさんに言われてからは朝のトレーニングはやらなくなりました。

 少し抵抗はあったけど、逆効果になるらしいです。トレーナーさんは「効率のいいトレーニングは努力だが、効率の悪いトレーニングは努力ではなくて徒労と言います」って言っていました。

 その代わり、朝ごはんを前よりもたくさん食べるようになりました。トレーナーさん曰く、朝食べたエネルギーが日中に使われるから朝こそエネルギーを補給するべきらしいです。

 

 洗顔と歯磨きをして、髪をセットします。この髪型は少し油断すると前髪が目に入っちゃうから大変です。でも、好きな絵本に出てくるキャラクターの髪型でお気に入りですし、ライスにも似合っているので、美容院に行くときは、結局いつもこの髪型にしてもらっています。

 そのあとはメイクです。と言っても、ライスはあんまりお化粧をしません。濃すぎるのはライスに似合わないし、どうせトレーニングで泳いだり汗をかいて落ちちゃうからです。

 ライスが普段使ってるのは、レッドローズのリップティントとグロス、それからローズピンクのチークを薄く入れるくらいです。ライスは元々眼力が強いタイプで、マスカラやアイシャドウを使うと怖くなっちゃいます。

 眉を整えるのも日課です。あまりこだわり過ぎると永遠に終わらないのでそこそこに。でも描くのは苦手なので、とりあえず整って見えるようにするだけです。

 前日に洗濯、アイロンがけをしておいた制服に着替え低酸素マスクを着けたら、必要なものだけ持って食堂へ急ぎます。時間は待ってくれません。ライスは午後の時間をトレーニングに使うため、色々なことを午前中に終わらせてしまいたいのです。

 

 食堂に着いたら、リクエストリーダーという機械にスマホかカードのQRコードをかざします。トレーナーさんから専用の食事メニューが指定されているウマ娘は、これで料理人さんたちに来たことが伝わります。

 ライスがトレーナーさんから指定されているメニューは、基本的な栄養バランスのとれたメニューに加えて、鉄分とタンパク質が多く補給できるメニューになっているみたいです。

 トレーナーさんが言うには、長い距離を走るために鉄分が重要らしいです。でも、ウマ娘も女性なので鉄分は不足しやすいので、色々な方法でこまめに摂るようにと指示されました。

 それからライスは煮干しを持ち歩いています。口が寂しいときに案外重宝するものです。

 

 朝ごはんを食べ終わったら一度部屋に戻ってフリータイムです。時間は7時前くらいで教室には8時半までに着けばいいので、1時間半くらいは暇になります。

 ライスはこの時間には絵本を読むことが多いです。夜の空き時間に読んでしまうと、どうしても眠るのを先延ばしにしたくなったり、読んでるうちに眠くなっちゃったりするからです。

 

 勉強はそんなに苦手ではありません。でも、学園の授業は眠くなりがちです。そういう時は、先生に隠れてこっそりと煮干しを頬張ります。噛んでいると眠気が遠のくんです。授業中も低酸素マスクを着けているので噛んでいてもあまり目立ちません。普段真面目にやっているので先生から疑われないのも大きいです。

 ライスは数学以外の教科はそこそこいい点数をとれます。暗記は得意ですし、外国の絵本を読むのである程度の外国語はわかります。英語は日常会話程度、他にはフランス語とイタリア語を簡単なものならわかります。授業で習う程度の英語なら問題ありません。

 数学が問題で、小さな計算ミスを見逃してしまうことが多かったり、証明問題が苦手だったりします。

 

 お昼ごはんはひとりで食べることが多いです。ライスはたくさん食べるタイプなので見られるのが恥ずかしいし、少し前まで()()だったので、あまりお友達を作ろうとしていませんでしたから。

 お昼ごはんは消化に良いものを中心に食べます。最近はおじやを中心におかずを追加したメニューが多いです。主食はおじややリゾットばかりですが、トレーナーさんが色々なアレンジメニューで出してくれるので飽きません。

 

 午後からはチームでのトレーニングです。ジャージに着替えてからチームの部室へ行きます。ライスが所属するチーム《ミラ》は去年できたばかりのチームで、ライスを含めても4人しかいない少人数なチームですが、その半分のふたりがGⅠウマ娘なんです。

 部室のドアを開けると、もうライス以外の皆さんは来ていました。トレーニング開始の時間まではまだ余裕があるのですが、皆さん気合が入っています。

 

「あ、ライスちゃんはろはろ〜今日もガンバローね〜」

 

「うん! お姉さま、ライスがんばる!」

 

 この方がチーム《ミラ》の初期メンバーにして、昨年日本ダービーを勝ち抜いたダービーウマ娘、アイネスフウジン()()()()です。

 カッコよくて強くて、でも優しいすごい人です。まるであの絵本に出てきたお兄さまみたいで、学年は一緒だけどお姉さまって呼ばせてもらってます。

 

「ライスライス! 見てコレ! ターボカッコいい!?」

 

「はーいはい、わかったからさっさとジャージに着替えようね〜……あ、ライス先輩おはようございまーす」

 

「うん、ターボさんもネイチャさんもおはよう!」

 

 今年クラシック級のツインターボさんとナイスネイチャさん。ネイチャさんはもうジュニアのGⅠで勝っていて、ターボさんももうすぐ皐月賞に出るみたいです。

 ふたりとも学年は一番下なので、かわいいかわいい後輩です。でも、ネイチャさんはお姉さんっぽい性格かも?

 

 ターボさんが着ているのは、皐月賞で着る勝負服でしょう。ダボッとしたカラフルな空調服がターボさんによく似合っています。もちろん練習では着ないので、ネイチャさんによって強制的にお着替えです。

 練習まではストレッチです。できるだけ体に余計な負荷をかけないようにするのがトレーナーさんの指導方針らしく、ストレッチやサポーターの装着は念入りです。

 

「ホラホラ見てー! ターボぴーんってできるようになった!」

 

「あらほんと」

 

「おー……!」

 

 ターボさんの見事なI字バランスです。思わず感嘆の声を上げちゃいました。

 

「へっへん! ライスはできる!?」

 

「ライスは体硬いから……ちゃんと柔軟しないとなぁ……」

 

「でもライスちゃんはその分すっごい鍛えられてるの!」

 

 お姉さまが後ろからライスのジャージをめくりあげて、ライスのお腹がターボさんとネイチャさんに見られてしまいました。

 相手がおふたりなので今更なんですが、少し恥ずかしいです。

 

「え……すっご、引き締まってるって言うか……バキバキじゃん……腹筋割れてるし……」

 

「多分あたしより筋肉あるの」

 

「おぉ〜、シックスパックだ……ごはんパック……」

 

「ブッフォ!!」

 

 ターボさんの呟いたごはんパックが笑いの沸点が低いネイチャさんのツボに入ってしまいました。ついでに吹き出したときの唾がお腹にかかりました。ネイチャさんが落ち着くまでにボディシートでお腹を拭いておきます。

 ライスはこう見えてしっかり鍛えています。トレーナーさんによると、エネルギーの補給はされてたけど体作りの材料が足りていなかったから、鍛えた分がちゃんと反映されていなかったらしいです。

 なので、チームに入ってトレーナーさんから出される食事メニューを食べるようになってからは、今までに比べればあっという間に筋肉がついてしまいました。

 ちょっと見た目がかわいくないなぁとは思いますが、ライスの服はこういう部分は隠れちゃうのが多いので大丈夫だと思います。

 

 トレーナーさんが来たらトレーニング開始です。チームとは言いますが、実は一緒にトレーニングすることはあんまりありません。それぞれ必要なトレーニングが違うからだそうです。

 スタミナをつけるための水泳は皆やってるのですが、ライスは泳ぐのが苦手でビート板を使うことになります。そうすると結局上半身の筋肉はほとんど鍛えられないので、ライスだけ別のトレーニングで代用することになりました。

 普段着けている低酸素マスクではなく、低酸素マシンのマスクを着けた状態でのエアロバイクです。トレーナーさん曰くあくまでスタミナに繋がる全体持久力の向上が目的だから、鍛えられる筋肉は関係ないそうです。

 

 その後は筋トレをしたりランニングをしますが、その前に栄養の補給としてトレーナーさんが作るドリンクを飲むことになっています。

 プロテインと豆乳、BCAA、クエン酸などを配合したもので、有酸素運動をしたあとの体の材料がプロテイン、無酸素運動の筋トレをする前のエネルギー補給がBCAAらしいです。味は良くも悪くもありません。微妙です。

 筋トレは週に1度くらいしかやりません。超回復の時間が必要らしく、それはライスも知っていたんですが具体的にどのくらい間隔を空ければいいかわかっていませんでした。どうやら今までは多かったようです。

 ランニングではお姉さまと一緒にダートを走ったり、ひとりで芝を走ったりしています。ダートでは力の入れ方を、芝ではランニングフォームをトレーナーさんにチェックしてもらいながら探っていきます。

 ライスはステイヤーの素質があるらしくて、ある程度の距離がないと力がうまく発揮できないとのこと。できれば3000mは欲しいけど、長距離のレースは国内だと少ないので、シニアからは海外遠征が多くなるらしいです。

 ダートでのトレーニングは洋芝対策だと言っていました。

 

 ノルマのトレーニングが終わったら自主練で、脚に負担が出ない程度のスピードでのジョギングやランニング、坂路訓練は、サポーターを巻いた上でなら許可されています。

 ライスは低酸素マスクを着けた状態でそれをやります。ライスと同期になる予定のミホノブルボンさんがいつも坂路にいるので、それに負けないように頑張っています。

 それにしても、ミホノブルボンさんのトレーナーさんはなんだかヤクザさんみたいな顔をしています。厳つい方です。ライスのトレーナーさんがインテリヤクザさんみたいな顔をしているので、一度会わせて話しているところを見てみたかったりします。

 それから、最近トレーニング中に見ていて気になる人がいます。ライスのアルバイト先の娘さんなんですが、頑張りすぎて壊れないか心配です。トレーナーさんに相談したらなにか案を貰えるでしょうか。

 

 トレーニングが終わったら先にお風呂です。髪の量が多いとトリートメントとコンディショナーが大変ですし、髪の毛を洗い終わったら纏めておかないと、首の裏を洗いにくいです。

 切っちゃおうかなと思うこともありますが、あんまりライスにはショートカットは似合わないのでお手入れを頑張っています。

 

 晩ごはんはお風呂上がりにスキンケアとヘアケア、テールケアを終わらせてからです。トレーニングと同じで欠かすと下りはあっという間なので毎日しっかりやっています。

 晩ごはんのメニューはタンパク質とミネラルを中心に、糖質は控えめです。特に脂質はあまり摂らないことになっているみたいです。

 朝ごはんをしっかりたくさん食べるようにしてから、夜の量は自然と減りました。トレーナーさんによると、低酸素トレーニングの効果でもあるみたいです。

 

 その後は、学園の課題を終わらせてまたフリータイムです。同室のロブロイさんとお話したり絵本を読んだり、そして11時頃には眠ってしまいます。

 

 それでは、おやすみなさい。




ライスの影が薄かったので皐月の前に閑話。


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ターボエンジン

 4月3週、中山レース場、クラシック戦線初戦、皐月賞開催。曇り空の下行われることとなった第1の冠、芝は稍重。

 まだ肌寒さが残る中、会場は十分すぎる熱気に包まれていた。

 

「トウカイテイオーさん」

 

「ん……あぁ、えっと……イブキマイカグラ、だっけ……」

 

 カツン、カツンと蹄鉄で地下バ道の床を鳴らし、『テイオーステップ』を踏むトウカイテイオーに話しかけたのは、今日の2番人気、イブキマイカグラだった。

 足袋と雪駄のような形のシューズ、黄色と赤の帯を締めた、紅葉のような赤を基調とした着物のような勝負服、その黄色の枯れ葉模様をあしらった袖を翻して、袖口で口元を隠しながらトウカイテイオーに言葉を返す。

 

「せやよ。名前、覚えてもろてたとは思ってへんかったわぁ」

 

「アハハ、いい名前だと思ったからね」

 

 心にもないことをおくびにも出さないで言い放つイブキマイカグラ。

 トウカイテイオーは天才である。そして、多くの天才の例に漏れず、トウカイテイオーも興味がないものを記憶する力が弱い。

 トウカイテイオーの眼中にないかのような態度は悪意あるものではなく、()()()()()()()()のだ。

 そんなトウカイテイオーの傲慢を皮肉るイブキマイカグラの言葉を、トウカイテイオーは意に介することなく受け流す。皮肉に気づかなかったわけではない、トウカイテイオーはその態度に反して聡明な方ではある。

 ただ単に響かない。キミたちだって興味のないものは忘れるだろ? 覚えてほしければそれだけの価値を示してみせてよ。そんな感性を持つトウカイテイオーにとって、その皮肉は的外れでさえあった。

 

 それだけの実力がある。傲慢に相応しい才能がある。トウカイテイオーはこれまでのレースで、3()()()()()()()()()()()()()()()()。それは、もはや隔絶した実力差がある証左である。

 イブキマイカグラと同じレースを走ったことはないが、イブキマイカグラのレースを見た上で自身の方が上だという認識に変わりはなく、そしてそれは正確な認識だ。

 だから、イブキマイカグラはこうして話しかけた。精神的に揺るがさなければ勝てないから。

 『流星の帝王』、地に住まう者の手の届かぬところで光り輝き、わざわざ地まで降りてきて格の違いを見せつける生まれながらの上位者。

 

舞神楽(マイカグラ)だろ? ボクの余興として踊ってなよ」

 

 言いたいことを言って踵を返すトウカイテイオー。彼女の弁護をするようだが、本来はこんな積極的に毒を吐くような性格ではない。意地の悪いところはあるが、自覚している行動は極めてサッパリしている。

 だからこの態度は、イブキマイカグラの土俵に上がったというただそれだけのことだ。

 

(なんや、()()()は疎いと思とったけど、意外に楽しめるやん)

 

 イブキマイカグラは、トウカイテイオーに呼吸の合間をついて踵を返されたことで会話が中断されてしまったため言い逃げをされてしまったが、もう少し楽しめたかもしれないと少し惜しさを抱えた。さりとて、ゲート入りも近く既に地下バ道には誰もいない。

 そんな、少しのモヤモヤが原因だったのだろうか、以前は話しかけるのをやめた青い髪がふらりと視界の端に入った。ひとり残っていた。

 ツインターボ、フルゲート18人立ての皐月賞で6番人気の、あの暴走機関車が、軽くストレッチをして体を温めていた。

 だから、野次程度に軽く問いかけた。

 

「なんや、あんさん、今日は走ってきいひんかったんやね」

 

 そんな問いかけに、ツインターボはイブキマイカグラの想像より淡白に答えた。

 

「ん? んー、今日はもういいって」

 

 そう一言だけ告げて、ツインターボもゲートへと向かう。すると、ゲート前のウマ娘から一瞬だけ視線が向く。

 ツインターボのペースに乗ったら破滅する。その情報はすでに知らない者はいない状況で、逆に無理に追いかけなくとも勝手に落ちてくるというのも共通認識だった。

 それは、トウカイテイオーも同じだ。トウカイテイオー自身は覚えていなかったが、トウカイテイオーのトレーナーがツインターボの存在を気にかけていたため、自分たちが見に行くことはないが、カメラマンに依頼して*1若葉ステークスのレース動画を撮影してもらっていた。

 一般的な規格であるゲート入り完了から順位確定までのその動画を見た結果、ツインターボはトウカイテイオーの興味から外れた。考慮に値せずと。

 トウカイテイオーは皐月賞のレコードを更新するつもりでいる。例年と変わらない程度のタイムなら敵ではないと判断したのだ。

 

「フッフッフ……ここで会ったが百年目……年貢の納めどきだ!! テイオー!!」

 

「……えっと、誰だっけ……? 会ったことある?」

 

「ツ、イ、ン、タ、ア、ボ!! お前を倒すさいっきょーのウマ娘だぁ!! 覚えとけ!!」

 

 叫びながら誘導員に半ば引きずられるようにゲートへ運ばれるツインターボ。1枠1番の彼女が入らないと他が入れない。頭にハテナを浮かべながらそれを見送って、大外の自分のゲートへ向かった。

 

(……「()()()()()()()()()」って……そういうこと……?)

 

 一方のイブキマイカグラはゲートへ向かいながら、表情が引き攣るのを感じた。彼女が気づいた通りであれば。

 

(これ、今気づいてもどうにもできへんやないの……!)

 

 もしそうなら、イブキマイカグラに打つ手はない。もはや自分の脚を信じるしか。いやしかし、それでも、心構えができるだけマシだとイブキマイカグラは思い直す。出走している何人がこのことに気づいているのかわからないのだから。

 せめて、掛からないようにするしかない。

 

「……イブキマイカグラ(11番)、気づいたようですね」

 

「ターボちゃんと最後なにか話してたから、余計なこと言ったのかも?」

 

「へ? え、なんのこと……?」

 

「ターボさんになにか作戦を……?」

 

 観客席から見守る網が双眼鏡でイブキマイカグラの表情を見て確信に近い推測を口にする。それに対するアイネスフウジンの返答は的を射ていた。

 ナイスネイチャとライスシャワーはなんのことかわかっていない。網が意図して話していなかった。そのほうが効果があるし、実際、あの時の頭を抱えたナイスネイチャの姿は説得力を増したと言っていい。

 アイネスフウジンは単純に網の性格から察したいつものやつである。

 

「小細工ですよ。トウカイテイオーの"領域(ゾーン)"は怖いので……できれば使わせたくないんです」

 

「あ〜……あのグンッて伸びるやつ……理不尽だよネェ……」

 

 トウカイテイオーの走法『テイオーステップ』には、その先に"領域(ゾーン)"が存在している。恐ろしいことにトウカイテイオーはデビュー以前から"領域(ゾーン)"を完璧に使いこなせるまでの習熟を見せていた。

 トウカイテイオーの"領域(ゾーン)"は比較的容易に過集中のスイッチ(はつどう)の条件を満たせるものであるが故に、発動を阻止するのは難しい。

 その反面、トウカイテイオーはその"領域(ゾーン)"を惜しげもなく使ってきたため、多くのトレーナーはその発動条件を朧気に把握できている。そのうえで、発動条件の緩さに頭を抱えるのだが。

 

 一方、幸運なことに1枠1番の最内に配置されたツインターボの隣、1枠2番のゲート内では、白のインナーに黄色い燕尾服風の勝負服、頭には赤い、師と同じシルクハットを被ったウマ娘、シャコーグレイドが顔を顰めていた。

 18人中16番人気という位置に甘んじることになったシャコーグレイドの師は、シンボリルドルフの1年前に三冠を達成した『ターフ上の演出家』ミスターシービー。それ故に、シンボリルドルフの弟子であるトウカイテイオーを強烈に意識している。

 若葉ステークスの事件の際、唯一トウカイテイオーを追って若葉ステークスから弥生賞へと移るほどに。

 だからこそ、トウカイテイオーの他に意識するウマ娘がいる。世間がトウカイテイオーのライバルと囃し立てるイブキマイカグラ、トウカイテイオー自身がライバルと宣言したナイスネイチャ。

 そして、シンボリルドルフとマルゼンスキーが言及したというツインターボ。

 だからこそ、ツインターボに対しても一片の油断もない。常に最悪を想定して、それに対応できるように仕上げてきたつもりだった。だが。

 

(……隣、メッチャうっさい!!)

 

 右隣から聞こえてくる、キーンという甲高い音と、プシューという噴出音。それに若干集中力を乱されていた。

 

 ゲート入りが終わってファンファーレが鳴る中、網が呟く。

 

「まぁ、"領域(ゾーン)"自体はツインターボも入門しているようですが……」

 

「「……えぇ!?」」

 

 網の言葉に驚いたのはナイスネイチャとアイネスフウジン。ライスシャワーは、驚いてはいるようだが声を上げてはいない。

 3人とも、ツインターボのレースを何度か見ているが、"領域(ゾーン)"を使っているのは見たことがないから、使えないものだと思っていた。

 

「えーっと……それじゃあターボの"領域(ゾーン)"って、発動条件が滅茶苦茶ムズカシイとか……?」

 

「いえ、むしろ1番緩い部類の"領域(ゾーン)"です」

 

 網の返答にさらに混乱するナイスネイチャと、何かに感づいて双眼鏡でツインターボを凝視するアイネスフウジン。

 

「そもそも、ツインターボのレースを見ておかしいと思いませんでしたか? 何故ツインターボがあれほど毎回きれいに()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……あ」

 

 多くのウマ娘はゲートを嫌う。それは本能的なものであり、克服するにはゲートが開くのを待ち続ける強い集中力が必要だ。

 対して、ツインターボは明らかに注意力散漫なタイプに分類される。しかし、そんなツインターボがスタートに失敗したところをナイスネイチャは見たことがなかった。

 

「答えは簡単。ツインターボの"領域(ゾーン)"は、()()()()()()()()()()()()()の"領域(ゾーン)"だからです」

 

 アイネスフウジンが覗く双眼鏡の先に見えた、ツインターボの足。

 アイネスフウジンには、ツインターボが履いた靴に付いているエンジンマフラーが微かに震え、その後方の空気が熱で歪んでいるように見えた。

 

 そして、ゲートが開くと同時に、ターボエンジンが炸裂する。

 

『各ウマ娘一斉にスタート!! ――先頭を行くのはやはりこのウマ娘!! ツインターボ、今日もターボエンジン全開であります!!』

 

 2000mの死闘が始まった。

*1
依頼されてウマ娘のレース動画を撮るのはカメラマンの主要な仕事の1つである。



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咆哮

 一歩、二歩、そして三歩目には既に1バ身の差をつけ先頭を走り始めたツインターボ。極小規模の"領域(ゾーン)"が生んだ爆風に押されるかのように加速していく。

 ツインターボの持っている武器、その1つ目がテンの速さ、すなわちスタートダッシュの加速力。小柄であるが故の脚の短さはそのまま脚の回転数に直結する。

 皐月賞に出走している他の逃げウマ娘に初動で蓋をされるどころか競り合いにすらならない立ち上がりの早さは、この畳み掛けるようなストライドによって成り立っていた。

 特にこの日の皐月賞は稍重のバ場であり、他の逃げウマ娘は脚を取られうまく加速できていない。そんな中、脚を取られようが構わず次の加速のために脚を回すピッチ走法は大きく有利に働いたと言える。

 

 一周目の急坂でまったくスピードを落とさないツインターボと後続とは、第1コーナー以前で既に5バ身から6バ身ほどの差がついている。

 ツインターボは放置していても垂れてくる、むしろ追ってしまえば破滅しかない。そう頭では理解していても、目に見える距離の差は焦りに繋がる。無意識のうちに速めそうになった先行集団の脚を緩めたのは、堂々と構えるトウカイテイオーの存在だった。

 ツインターボがペースメーカーとして機能していない以上、先行集団のペースメーカーは他の逃げウマ娘となるのが普通だ。しかし、それを上回る信頼感がトウカイテイオーにはあった。

 トウカイテイオーがペースを間違えることはないだろうという、今までの実績に基づいた希望的観測のもと、レースの基準はトウカイテイオーによって作られ始めた。

 

 ナイスネイチャならば、それを利用して他バに働きかけスタミナを削りに行くだろうが、トウカイテイオーはそんなことをする必要はないとばかりに自分の走りに集中する。

 一方イブキマイカグラは差し集団の後ろ、追込にしては前寄りのポジションで、極力スリップストリームに入れるようにして脚を溜める。イブキマイカグラにとって、どれだけ脚を溜めた上で仕掛けるタイミングを間違わずに追い込めるかで、このレースが決まる。

 

(自分で思い至ってもまだ信じきれへん……ホンマにあれ()()()()()()()の……!?)

 

 ツインターボが垂れてこなかったら、普通に走っていては負ける。そのことを前提として走っているイブキマイカグラと、もうひとり。

 

(ちっ……マズい。私の脚じゃこの位置からは届かない……前に出なきゃ……!)

 

 シャコーグレイド。イブキマイカグラと同じく追込脚質の彼女は、位置を中団後方まで上げながらも極力競り合いを避けて維持する。

 先行集団の先頭トウカイテイオーが第1コーナーに入ったとき、ツインターボは既に第1コーナーの坂を登りきり最高到達点に辿り着かんとしている。距離にして10バ身ほど。

 

(いや、ホント、イカれてるでしょっ……!!)

 

 ここで初めて、トウカイテイオーがツインターボを意識した。記憶の海から拾い上げた若葉ステークスの映像。コースの形状に差はあれど距離は同じ2000m、いや、中山の皐月賞の方が起伏が激しい分スタミナは多く消耗する。

 ならば、若葉ステークスでさえ逆噴射して、他のウマ娘が同様に掛かっていなければ入着さえ難しい有様だったツインターボが、この皐月賞を走りきれる道理はない。ごく単純な理屈だ。

 あの派手な勝負服も、大袈裟な言動も、こちらを掛からせる原因。気にしたらスタミナを削り取られて若葉ステークスの二の舞になる。無視するのが一番だとわかっていても、視界の端に鮮烈な青がチラつく。

 

(鬱陶しい!!)

 

 苛立ち紛れに、トウカイテイオーはコーナーを曲がりながら、大外から一気に内へと詰めた。斜行ではない。コーナーの曲がるタイミングを調整することで曲がり切った先が内へ収まるように調節したのだ。

 比較的ハイペースで走りながらもこのような技術を使えるのが、トウカイテイオーの天性の才能である。生まれ持ったセンスと体の柔軟性の高さは、トウカイテイオーのレースの幅を大きく拡げていた。

 

(タッ、ァーボッ、がっ、いっ、ちっ、ばぁん!!)

 

 一方、ハナを突き進むツインターボは、内ラチへ体を擦り付けるような勢いで第2コーナーへ突入する。ツインターボの2つ目の武器が、このコーナリングの巧さである。

 基本的に、コーナーはストライドが短いほど有利だ。これは感覚的に理解できるのではなかろうか。

 まず単純に、歩幅は短いほど小回りが利く。体の向きを修正できる機会が多い分、内へ内へと引きつけながら走ることができる。

 一方大跳びでのコーナリングは、強く踏み込む分外側へ力がかかることになる。それ故、どうしてもコース取りが大雑把になりやすい。

 コーナーの最内とそのすぐ外とでは、一周した時の平均で13mほど走る距離に差が出てくる。当然、内の方が走る距離は短い。そして、外に向かうほど距離は長くなっていく。

 スタミナ消費を見ればそのくらいと思うかもしれないが、着差で考えれば約5バ身。勝負を分けるに足る距離差であることは間違いない。半周でも約2バ身半だ。

 トウカイテイオーのようなセンスはなくレースの幅なんてあったもんじゃないが、狭いその極一点を限界まで尖らせることで、ツインターボはトウカイテイオーの才能に肉薄せんとしていた。

 

『ツインターボが第2コーナーへ突入! 後続は今まさに坂を登りきり第1コーナーも僅かと言うところ! トウカイテイオーが先行集団から抜け出し、シンホリスキーの1バ身後ろに陣取る! 普段のトウカイテイオーの位置と比べると明らかに前、これは意図したものか、それとも掛かっているのか!? ツインターボからトウカイテイオーまで10バ身以上はあるぞ!』

 

 どちらなのか、その実況の声がトウカイテイオーに届いていたとしても、確固たる答えは出なかっただろう。ただ、本能的に感じたままに速度を上げていた。

 

 "もしかして、ツインターボは垂れてこないんじゃないか"

 

 破滅逃げを相手にするとき、その思考こそが最も危険であることをトウカイテイオーは知っている。焦燥を掻き立て、スタミナと精神力を浪費させることが破滅逃げの目的なのだから。

 

 "本当に破滅逃げならの話"

 

 疑心暗鬼、レース中の回らない頭で考えるには堂々巡りがすぎる思考。そこに迷い込んでいるのさえ、破滅逃げにとって有利になる。

 眼中にないなら眼中にないで徹底すればよかった。意識してしまった時点でトウカイテイオーは既にドツボにはまっていた。

 本来ならレースの展開というのは、大抵スタートから第1コーナー、第3コーナーから先の間で大きく変動し、第1コーナーから向正面終わりまではおおよそ膠着した状態が続く。

 それはセオリーだからそうなるのではない、そうするのが最も勝利に繋がるからこそセオリーとなったのだ。セオリーから外れた破滅逃げも逆噴射の危険と背中合わせであり、成功率は著しく低い。

 だから、常識的に考えて、セオリー通りであれば、ツインターボを意識してスタミナを消費するのは失策であり、ツインターボを無視して普段通りのペースを貫くことこそが正解。トウカイテイオーの選択は正しいものだ。

 しかしそれでも、トウカイテイオーの本能は警鐘を鳴らし続けている。

 

 ツインターボが長い下り坂に入る。前傾姿勢を保ちながら変わらないスピードで坂を下っていくツインターボを第2コーナーの中間ほどで見ていたイブキマイカグラは、その巧さに舌を巻いた。

 下り坂で体重を後ろに引くのは悪手。着地のブレーキが強くなってしまうため、脚に負担がかかるしスピードを殺してしまう。

 本来、下り坂は加速ポイントではなく休憩ポイントだ。体重を前に崩して、脚主導で走るのではなく体の落ちていく方向を下から前へ変えるイメージで、ただついていかせる。そうして脚を休ませる。

 意外なことにツインターボはそれができていた。ただ全力疾走するだけなら下り坂で加速しそうなものだが、余計な力を出さず重力による速度の保持ができている。

 これも、ピッチ走法が関係している。ストライドが大きいほど、当然だが一歩一歩の坂の落差が大きくなる。そうすると、脚にかかる衝撃も当然大きくなる。それがブレーキになりやすいのだ。

 前に前に出ようとする体にピッチ数が追いつくことが肝要であり、わざわざ脚の力を使って体を押し出してやる必要は本来ない。

 

 距離の差は約20バ身。およそ50mもの差がついている中、一応は平穏を保っていた展開が動き出す。ツインターボが第3コーナーに入ったのだ。

 加速する。加速する。ツインターボはまだ加速し続けている。僅かに側面を見せたツインターボの顔を見て、トウカイテイオーは坂を下る脚を速めた。

 

 目に入ったのは、不敵な笑み。

 

『垂れないっ! 止まらないっ!! ツインターボ第3コーナーを曲がりなお加速するっ!! ターボエンジンはまだ動き続けているっ!! イブキマイカグラがスパートっ、シャコーグレイド、トウカイテイオーも、それぞれツインターボを猛追するため早くもスパートを切った……のに、それさえ遅すぎる!! 今っ、ツインターボ()()()最終コーナーへ入った!!』

 

(やっぱり、若葉ステークスはフェイク!!)

 

 イブキマイカグラは出走前のツインターボの言葉を思い出す。「もういいって」というのは、明らかに()()()()()()()()()()を伝聞している。そして「今回は」ということは前回はよくなかった。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 その目的はなんだ? レース前に全力疾走する意味なんて本来ない。むしろスタミナを無駄に消費してしまうだけだ。しかし、それこそが目的だったら?

 

(スタミナの最大量を誤魔化すためや!! ずっとダートのマイルしか走ってへんかったんも、わざわざテイオーさんの参加する若葉ステークス(リステッド)に突っ込んだんも、全部正しい情報を渡さへんため……)

 

 ツインターボが策を弄するタイプに見えないから、突拍子もない行動によって覆い隠されていた。なまじそれを直接目の当たりにしてしまっていたから。

 

(せやけど、ギリギリまで脚は溜めた……今のタイミング、今が仕掛けどころだったはずや……稍重の芝やさかい今仕掛けんと間に合わへん!)

 

(チィッ!! 本当に垂れてこないやつがあるかっ!! 稍重の場で……どんなスタミナしてんだっ!!)

 

 稍重。芝が水を含んでいるということであり、それは芝に対して脚の力が伝わりにくいということ。そしてそれは、体を前に押し出しにくく、加速しにくいということである。

 この時点で、スパートをかけた3人以外のウマ娘がツインターボに追いつける可能性は消えたと言っていい。そのうち、最初に第3コーナーへ入ったのはイブキマイカグラだった。

 理由は簡単で、3人の中で最も加速力とスタミナがあるからだ。3人の中で最も早いタイミングでスパートを切り、下り坂の力で一気に加速したイブキマイカグラが第3コーナーを進む。

 しかし、その内を突いてコーナーでイブキマイカグラを追い抜いてきた影がある。トウカイテイオーだ。体の柔軟性を目一杯使い、イブキマイカグラが僅かに膨らんで空いた最内を鋭く狙ってきた。

 一手遅れてシャコーグレイドがそれを追う。能力ではふたりにやや劣るシャコーグレイドだが、精神力が凌駕していた。

 

(負けられないッ!! ボクは、無敗で三冠を取らなきゃいけないんだ!! カイチョーに追いつかなきゃ……シンボリルドルフと同等にならなきゃ……ッ!!)

 

 レース終盤に至ったツインターボのスピードは、スパートをかけてトップスピードに乗った3人に大きく劣っている。

 スパートをかけたそのタイミングから、今まで溜め込んできたリードが瞬く間に縮まっていく。それでも、ツインターボの脚は止まらない。

 

(勝つ! 勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ!! トウカイテイオーに、勝ぁぁぁつ!!)

 

 ツインターボの口が開き、荒く息が漏れる。それでも失速しない。スピードは落ちない。エンジンはまだ止まっていない。ギザついた歯を食いしばって、小柄で低い重心をさらに落とす。

 そして、全員が最終直線に突入する。後続3人は既に先頭ツインターボから7バ身差まで詰めてきている。ツインターボが最終コーナーを曲がりきるまでに13バ身ものリードが消え去った。

 

 観客の反応は様々だ。ジュニア期を含めて初めて追い詰められた表情を見せるトウカイテイオーへの動揺、破滅逃げという派手かつ無謀な作戦であと一歩まで追い詰めているツインターボがそのまま逃げ切るのではないかという期待、師の名を背負ってトウカイテイオーの背を追うシャコーグレイドへの叱咤、この瀬戸際でギラついた眼光と凶暴な笑みを隠さなくなったイブキマイカグラへの畏怖。

 

 そして何より、多くの有識者が抱いたトウカイテイオーが勝利することへの確信。

 7バ身、それは、トウカイテイオーの射程内だ。その程度の距離なら、『テイオーステップ』の持つ圧倒的な加速力で覆すことができる。

 事実、7バ身の距離を覆し、さらに3バ身差をつけて圧勝したレースだってある。まだ手札は切りきっていない。勝ちの可能性は残っている。

 

(差しきれるッ!! この位置ならまだっ……!?)

 

 ただし、その手札が切れるならの話だが。

 猛追するトウカイテイオーは、急坂に阻まれた。かろうじてスピードは微減で済んだが、トウカイテイオーにのしかかった負担は予想を遥かに超えて大きいものだった。

 そもそも、坂道でかかる負担はストライド走法の方が遥かに大きい。そして、『テイオーステップ』はピッチ走法ではなく、ストライド走法の派生である。

 その上、『テイオーステップ』は柔軟性を活かして可動域目一杯まで使うことで成り立っている。今までの中山や阪神の急坂でそれほど負荷を感じなかったのは、ひとえに余裕があったからだ。

 余裕を失うほどスタミナを削られ、精神力を削られ、ギリギリのトウカイテイオーにその負担は重すぎる。

 

 ツインターボとの距離はゆっくりと縮まる。

 

 5バ身、4バ身、3バ身、2バ身半。

 届かない。

 

 1バ身に、"領域(ゾーン)"の発動条件に届かない。

 

 ツインターボのスタミナを正しく把握できていれば、ツインターボが垂れてこないことを前提に考えてスパートを早く切れていれば、破滅逃げに精神力を削られず冷静に状況判断できていれば詰められた着差が、"領域(ゾーン)"へ跳ぶことを妨げる。

 

(待て!! 待てよ!! ねぇ待ってよ!! こんな、こんなところでっ!! 1つ目で!! 負けちゃダメなんだ!! 勝たなきゃッ!! ボクは、ボク……ッ!!)

 

「っあ……あああああああああああああああああああああッッ!!!」

 

 グウンと、咆哮とともにトウカイテイオーの体が急加速する。"領域(ゾーン)"ではない、まさに意地の末に見せた急成長。ここで進化できるから、トウカイテイオーは()()なのだ。

 詰まる、距離が、背中が、見えて、1バ身。ツインターボの走りは緩んでいる。

 

 

 

 終わりを告げて、緩んでいた。

 

 

 

『ゴオォォォォォオル!! なんとなんと逃げ切ってしまった!! 最後の最後まで失速することなく!! 前評判をひっくり返してっ!! 前走がフロックなどではないことを証明したっ!! フロック(まぐれ)で帝王を倒せるかっ!!? ツインターボ、ターボエンジン全開で逃げ切ったッ!!!』

 

 皐月の幕が下りる。ダークブロワーの奮闘に地鳴りのような喝采が送られる。

 圧倒的だった。最初から最後まで1度も先頭を譲らず、ただの一度も振り返らず、前に進むことだけに全力を注ぎ続けた小さな逃亡者の戴冠を祝う。

 

 芝は稍重、曇りの中山。

 空は、まだ晴れない。



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オグタマライブ ??/04/14

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやで〜!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいどー』

『何度聞いてもオグリンのドリームシリーズ感慨深い』

『オグリのまいどたすかる』

 

「さて今日はクラシック路線第1戦、皐月賞を見ていくで!」

 

「先週のティアラ路線第1戦、桜花賞はとても盛り上がっていた。皐月賞も楽しみだな」

 

『シスタートウショウちゃんのやる気ない感じ好き』

『あの気だるい雰囲気から嘘みたいな末脚』

『靴から蹄鉄外れたルーブル、シンデレラってアダ名正直全く似合ってなくて好き』

『あのシンデレラ家ぶっ壊しそう』

『灰かぶりっていうか灰まみれになってそう』

『スカーレットブーケちゃんかわいい将来元気な子供を産みそう』

『死ね』

『純粋な殺意で芝』

 

「おうおうコメントでも群雄割拠やんけ」

 

「前走で圧巻の走りをしたスカーレットブーケや、名門トウショウ家の令嬢シスタートウショウ、GⅡウマ娘のノーザンドライバー、中央トレセン学園補欠入学ながら5戦全勝のイソノルーブルと誰が勝ってもおかしくない状況だった」

 

「そのイソノルーブルがうっかり蹄鉄を落としたことに気づかず発走して沈み、このレースはシスタートウショウが他のウマ娘を押しのけて堂々1着、桜の冠はトウショウ家に渡ったわけやな!」

 

『イソノルーブルは落鉄さえなければ……』

『いやまぁ、そこは所詮補欠って感じだったけど』

『全勝って言ってもブーケみたいにクラシック路線相手に勝ったわけでもないしな』

『sageは掲示板行ってやれ』

 

「はいはい喧嘩しぃなや。今回の皐月賞もいいメンバー揃っとるで。あのシンボリルドルフの一番弟子で現状無敗の天才トウカイテイオーをはじめ、対してミスターシービーの愛弟子、トウカイテイオーには今のところ負け続きやけど実力は見劣りせんシャコーグレイドや、阪神JFを勝ち抜きホープフルでも2着の実力派イブキマイカグラがしのぎを削るワケや!」

 

『死ねどすはん!』

『いやでもトウカイテイオーでしょこれは』

『流石にテイオー』

『死ねどすはんワンチャンあるやろ』

『シャコたんにも勝ってほしくはあるけどテイオーが強すぎる……』

『シャコーは焦れ込んでてなぁ』

『死ねどすに華京院の魂を賭けるぜ』

 

「やっぱ評価的にもテイオーが一歩抜けてるなぁ」

 

「タマ、ツインターボはどうだろうか。彼女も今まで全勝している」

 

「ゆーてもなぁ、前走の若葉ステークス以外全部ダートなんよなぁ……前走もあれやったし」

 

『前走はあれフロックだろ』

『俺はタボボ応援したい』

『ワンチャンないとは思わないが相手が悪い』

『てか優先出走権なければ弾かれてもおかしくないやん』

『ロマンはある』

『記念出走じゃないの?』

『打倒テイオー言ってたけど無理やろ』

『大丈夫? 黒い人の担当だよ?』

『一気に不穏になるのやめーや』

 

「ふむ、意見は割れているがテイオーが強いという意見が多いようだ」

 

「ほんじゃコースの説明してくで。今日の皐月賞は中山芝2000m。弥生賞やホープフルと同じ内回りやな」

 

「大体はホープフルステークスと同じだが、今回は先日の雨の影響が抜けきっておらずバ場が稍重となっている」

 

「マイカグラとグレイドは追込脚質やから不利な条件になるわな」

 

『逆にテイオーは先行だから有利という絶望』

『テイオーのために設えた舞台やん』

『タボボにも有利なんだよなぁ』

『テイオー最強!テイオー最強!テイオー最強!』

 

「荒らしはブロックしてくで〜。巣に帰りや〜」

 

「タマ、率直すぎるとまた苦情が来る」

 

「現役時代からこのキャラで売っとんねんこちとら。望むところや」

 

「そうか。と、何やら騒ぎか?」

 

「ターボがテイオーに因縁つけとんのか? 会場のマイク拾っとる番組ある?」

 

『堂々別番組確認始めんの芝』

『リビングかな?』

『タボボ「絶対勝つ!」テイオー「誰だっけ?」』

『アウトオブ眼中で芝』

『アウトオブ眼中はもう死語なんやで……』

『おはマルゼン』

『死ねどすはんどうした?』

『マイカグラの顔引きつってる』

『シャコたんも顔しかめてんな』

『死ねどすぶぶ漬け食いすぎた?』

 

「言うてる間にゲート入り終わったわ」

 

「今日のファンファーレは船橋トレセン学園ブラスバンドクラブの皆さんだ」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『【速報】タボボ、ゲート内で領域発動』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよ、は?」

 

『マ?』

『これはふかし』

『ふかしとんちゃうぞ』

『マジだって。俺見てる席の近くに黒い人おったから聞き耳立ててたら「ツインターボの領域はゲート内で発動する」とか言ってたもん』

『黒い人の近くとかアイネスねーちゃんいるじゃん裏山』

『信じて欲しかったらフーねーちゃんの隣立ってアヘ顔ダブルピースしろや』

『アイネスちゃんナンパしてこい』

『鬼かな?』

 

「あー……こっちの掴んだ情報やとホンマっぽいわ……って走り始めとるやんけ!!」

 

「先頭に立ったのはツインターボだな。もう数バ身差がついている」

 

『気持ち悪いくらい勢いよくスタートしたな』

『やはり……領域か……!?』

『タボボが領域使えるとか聞いてないっすよ!!』

『黒い人「聞かれてないからね」』

『黒い人この間の皐月賞出走インタビューよくあの顔できたな』

『Q.トウカイテイオーは強敵?』

『A.怖くないところがありませんが、強いて言うならこの時期に領域を使い慣れてるのが怖いですね』

『どの口が言ってんねん』

『黒い人の近くにいるけどチームメイトも知らんかったらしい』

『チームメイト知らんうちにまた増えてへん?』

 

「他の逃げが遅く見えんのはあれ芝か?」

 

「芝だな……」

 

「ターボはピッチやからやんな?」

 

「だろうな……」

 

『最近開き直って解説放棄してんな……』

『ウマ娘のレースに自信ニキー』

『稍重のバ場だと力が伝わりにくくて加速しにくい。他の逃げがスピード出せないのはこれのせい。ツインターボは小刻みに走って数で加速稼いでる』

 

「若葉ステークスの時から思っていたが、ツインターボはピッチ走法を差し引いても坂が得意だな」

 

「なんや全体的にペース速いな。掛かっとんのか?」

 

「これくらいのペースじゃないとツインターボに追いつけないからじゃないか?」

 

「なんやオグリ、ツインターボ足りる派かいな」

 

『やっぱロマンだよなぁ!!』

『いや無理でしょ』

『逆噴射不可避』

『タボボならいける』

『距離限界おじさん大量発生じゃん』

『事実若葉ステークスで垂れたろ』

『阪神2000mで無理なら中山2000mも無理だよ』

『どんだけリードしてても垂れたらテイオーに差されておわおわり』

『若葉の1700mくらいで垂れたから中山足りるわけない』

 

「いや、あれは参考にならんだろう」

 

「なんでや。距離一緒やんけ」

 

「前回はウォームアップランで体力が減っていたんだからその分を加味しないと」

 

『あ』

『え』

『あっ』

『は?』

『あああああああああああ』

 

「……あ、そか。こいつ準備運動で全力疾走しよったんや……」

 

「ウォームアップランから発走までの時間は休めていただろうから単純な計算にはならないが、ツインターボが前回走ったのは2350mほどになるだろう? それでは比較にならない」

 

『単純計算だと2050mは垂れずに走れるな……』

『1ヶ月の成長と高低差の違い考えても2000mいけるんじゃないか?』

『タボボおおおおおおおおロマンを見せてくれええええええええ!!』

『死ねどすはん位置がだいぶ前』

『死ねどす気づいとったんかワレェ!!』

『シャコーグレイドも中団にいるぞ!!』

『テイオーいつもどおりだ』

『マイカグラの顔引きつってたのこれか』

『やばいやばいやばいテイオー気づいてないじゃん』

『テイオーなら垂れなくても差せるだろ』

 

「いやほんでこいつコーナリングエグいうまいな!」

 

「ほとんど内ラチスレスレを進んでるな……」

 

「これオグリより巧ない?」

 

『ターボのツインテが内ラチにチリチリチリチリしとる』

『選抜レースの時からコーナーは上手かったタボボ』

『なんでターボコーナーこんな上手いんだ』

『コーナーだけオグリクラスはヤバい』

『子供って白線に沿って歩きたくなるじゃん、あれだよ』

『芝』

 

「だいぶ離されたな……10バ身くらいか……」

 

「テイオー苛立っとるな……」

 

『今の斜行じゃないん?』

『内突いただけだから斜行にならん』

『タボボ下り坂もうめぇ』

『あのキャラで小技が巧いターボ』

『なんでや距離限界誤魔化す知略もあったやろ』

『それは黒い人の仕込みでしょ』

『黒い人のニオイがする』

『黒い人はそういうことする』

『でもなんだかんだ言って黒い人が盤外戦術使うの初めてか?』

『一応マイル路線行くと思わせていきなりのダービーはあった』

 

「そろそろ最終コーナーやな……」

 

「……垂れる気配はないな」

 

「むしろスパートかかってへん?」

 

『うわあああああああああああああああああ』

『神 展 開』

『テイオー走れえええええええええ!!』

『たあああああぼおおおああおおお!!!』

『これは行ける!! 行けるぞ!!』

『いっけええええええええ!!』

『いやテイオーはえええええええええ!!』

『シャコたんと死ねどすも来た!!』

『追込差し返して突き放す先行ってなんだよ!!』

『ていおーがんばれていおーがんばれていおーがんばれ』

『最終直線でも垂れねぇ!!』

『中山の直線は短いぞ!!』

『中山の直線!!』

『中山の直線は短い!』

『テイオーは間に合うのか!?』

 

「なんや久々に湧いたな中山の直線民」

 

「これは失速しないな。最後まで保つ」

 

『口開いたあああああああああ!!』

『【朗報】逆噴射装置故障』

『【悲報】逆噴射装置故障』

『垂れない!! 垂れない!!』

『たれろたれろたれろたれろ』

『うおおおおおあおあちいいいいいいいい』

『死ねどすさん顔怖っ』

『ていおおおおおおおおおおおおお』

『こんな追い詰められた顔のテイオー初めて見た……(キュン』

『なんで領域出ないんテイオー』

『マイカグラ人2、3人殺ってそうな顔してる』

『ターボおおおおおおおおおおおいけええええええええええええ』

 

「うおっ、こっから伸びるんか」

 

「侮れないな……だが足りない」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』

『いったあああああああああああああああああ!!』

『あああああああああああああああああああ』

『テイオー……テイオーが……』

『やりやがった!! マジかよあの野郎ッやりやがったッ!!』

『いや死ねどすさん顔怖』

『はああああああああああああああああああああああ???、、???、??』

『すげえええええええええええええええ!!!!』

『底国民*1お通夜で芝』

『タボボお手々ブンブンかわいい』

『フーねーちゃん喜んでてかわヨ』

『いやマジどうすんだよこんなん。テイオーで届かないならもう無理だろ』

 

「1着ツインターボ、2着トウカイテイオー、3着シャコーグレイドは4着のイブキマイカグラとクビ差やね」

 

「最後にシャコーグレイドが意地を見せたな。テイオーの伸びと同時にマイカグラを差し切っていた」

 

『2400mあったらわかんなかった』

『それはそう』

『2400mスパートかけ続けて垂れないのはもうウマ娘じゃなくてUMA娘』

『カブラヤオー「あの……」』

『マジかー……いや完全に若葉ステークスに騙されてたわ……』

『非表示コメ爆増してて芝』

『運営さんお疲れ様です』

『ロマンの塊かよ……今後も期待しちゃうじゃん……』

『こんなんキメられたら脳みそぶっ壊れる』

『久々に最後までわからないレースを見た気がする』

『テイオーの目死んでね?』

『泣いてさえいないの怖い』

『俺は瞳孔カッ開いてる死ねどすさんが怖い』

 

「インタビュー始まるで」

 

『黒い人登場』

『チームメイトは観客席でお留守番やね』

『落ち着きがないタボボ』

『ターボ止まれ』

『ステイ! ターボステイ!』

『実家のイッヌと挙動が同じで芝』

『相変わらず黒い』

『私服どうしてんの』

『トレセン生だけど水泳のトレーニング監督してるときプールサイドでスーツにレインコート着てたの見た』

『それは芝』

『プールサイドでスーツ脱がないならもう絶対脱がないじゃん』

『夏暑そう』

『ネクタイ色は変わらないのに柄はちょくちょく変わってんのも芝』

『なんで見てんだよそんなとこ』

 

「相変わらず胡散臭いなぁ……」

 

「あれほど懐かれているなら扱いは悪くないはずだが」

 

『Q.トウカイテイオーを押さえて勝利した感想は?』

『A.ホッとしてます。8割くらいは勝てると思ってたけど、2バ身差くらいはつけられると思っていたので冷や汗をかきました』

『タボボ「ひゃくぱー勝つだろお!」かわいい』

『タボボかわいい』

『癒やし』

『Q.前走のウォームアップランは作戦ではないかと言われていますが』

『A.ツインターボは諸事情で手加減ができないので、事前にスタミナを使わせて2000mを走りきれるか不明瞭にさせるため、ウォームアップでの全力を指示しました』

『Q.ダートのマイルに出走していたのも?』

『A.はい。情報をできるだけ隠すためのものです。ツインターボの主戦場は芝のミドルなので、ダートのマイルはもう走らないと思います』

『諸事情(バカ)』

『諸事情(常に全力)』

『案の定全部黒い人の仕込みで芝』

 

「何気に専門でもない砂のマイルで勝ち続けとんのも強いな……」

 

『Q.トウカイテイオーは強敵だった?』

『A.間違いなく最大の壁でした。情報は完全に絞るのではなく半端な情報を掴ませて誤解させるのが効果的なんです。走りきれるんじゃないかという疑問が少しでも生まれていたら、最後領域が発動するまで詰められて抜かれていたと思います。2度は通用しないでしょうし、今回も最後の最後での伸びは予想外でした』

『丸一年準備して偽情報で油断させて完全な不意打ち食らわせてようやく1バ身差しかつけられなかったのか』

『黒い人テイオーべた褒めじゃん』

 

「テイオーはオグリと似てるとこあるやんな。爆発力っちゅーか」

 

「ならツインターボはさしずめホーリックスか」

 

『オグリンのお気に入り子ちゃんじゃん』

『完全にノーマークだったからな、ホリ子』

『オグリはマークしてたゾ』

『あのオグリが飯食うのやめてガン見した女』

『ホリ子の庇護欲そそる感じ好き』

『髪色違うけど黒い人のチームに新しく増えた子ホリ子に似た雰囲気よな』

『ホーリックスはウサギ娘って言われても信じる』

『Q.ツインターボがゲート内で領域を使っていたのではと言われていますが真偽の程は?』

『A.別に隠すことではないので言いますが使ってます』

『ホンマにさらっと言ったな』

『隠すことではない(本番前インタビューですっとぼけ)』

『Q.次走はやはりダービー?』

『A.そのつもりです。トウカイテイオーはもちろんシャコーグレイドやイブキマイカグラも怖いですね。リンドシェーバーはマイルに行ってくれたのでかち合うことはなさそうですが』

『Q.2400mは走りきれそうですか?』

『A.ノーコメントということでお願いします』

『なにわろてんねん』

『Q.ダービーにはナイスネイチャも参戦する予定ですか?』

『A.はい。本人から参戦の意思を聞いています』

『Q.チームメイト同士の対決になりますがいかがお考えですか?』

『A.そんなもんでしょう。枠がひとつな以上勝つのはどちらかですが、ふたりともそれで遠慮するような性格はしていないので、全力でぶつかりあって納得のいく戦いにしてほしいですね』

 

「ウマ娘の意思優先で勝数にこだわらんのええなぁ」

 

「3年目の新人がこの判断をできるのはすごいと思う」

 

『胡散臭いけど熱いとこあるよな黒い人』

『テイオーはインタビューNGか』

『このあとのライブ大丈夫か?』

『カチタマ*2は笑わんでいいからマシ』

『テイオーのトレーナー悔しそう』

『そりゃ悔しいだろ、あんだけの才能……』

『こいつがもっとちゃんと情報集めとけばテイオー勝てたんじゃねえか』

『安井Tもよくやったろ。犯人探しみたいなのやめろ』

『底国民のdis先は安井T、ターボ、黒い人の3択になってんな』

『黒い人に手出したらガチで裁判沙汰になって潰されそう』

 

「さて、そろそろライブになるからこの辺で締めんで〜。そんじゃみんなぁ」

 

「「ほなな〜」」

 

 

 

『ほなな〜』

『ほな』

『ほなーな』

『ほななー』

『オグリのほなな〜助かる』

*1
テイオー信者の蔑称。掲示板でたむろしている。テイオーファンとは別の迷惑な人たち。

*2
『winning the soul』のこと。




足りないと足らない、どっちも正解らしいです。
誤字報告ありがとね。


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それぞれの1ヶ月、そして日本ダービーが来る

視点があっちこっちどっち。


 ■祝電

 

「ターボちゃんおめでとう!」

 

 ウイニングライブが終わり、着替えてレース場から出てきたツインターボをアイネスフウジンが出迎える。ナイスネイチャとライスシャワーは用を足しに行っており、網は車で待機している。

 アイネスフウジンとツインターボの走り方はよく似ているが、ツインターボのそれはアイネスフウジンの走り方を更に尖らせたようなものであり、成功させる難易度に天と地ほどの差がある。

 それを成功させ、何よりあのトウカイテイオーを退けたツインターボを、アイネスフウジンは称賛の笑顔で迎えた。

 

「……あっ、うん、ありがと」

 

 しかし、当の本人であるツインターボの返事は浮かないものだった。

 アイネスフウジンはそれを見て、実感が湧かないのかと推測する。アイネスフウジンも、朝日杯を勝ったあとは喜びよりもふんわりとした世界から切り離された感覚があった。

 インタビューの時はレース後の興奮もあったのかシャカシャカと動いていたツインターボだったが、今はなにやら遠くを見ているようにおとなしかった。

 

「……そうだ! ショーグン!」

 

 とはいえ、すぐに何か思い出したようでスマホをいじり始めたときには普段の雰囲気に戻っていたが。

 アイネスフウジンも、メッセージアプリに溜まったチームメイトへの祝電を確認し、返信していく。ナイスネイチャのホープフルステークスの時もそうだったが、仲のいい友人はチームメイトが勝ったときにもお祝いメッセージをくれる。

 メジロライアン、ハクタイセイ、メジロマックイーン、パッシングショット、と、メッセージを見ていく中で、なんとなく引っかかるメッセージがあった。

 

「ん? ……これ、ヘリオスちゃん……?」

 

『ターボおめうぃんFooooo!!

マジテンションブチアゲフィーバー!!

やっぱ爆逃げしか勝たん!

可能性の先を見たぜぃ!! あざまる水産!!』

 

 いつも通りのテンションの高いダイタクヘリオスからのメッセージ。その中で、なんとなく「可能性の先を見た」というワードが浮いているような気がした。

 パッと見れば、爆逃げで勝ってみせたことへの称賛なのだが、アイネスフウジンはそこに別のニュアンスを感じ取っていた。

 

「……気の所為、かな?」

 

 返す文面を迷っているうちにナイスネイチャたちが戻ってきたので、メッセージを送ってきた友人たちにスタンプで返信をして、網の車へと向かった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ■モラトリアム

 

「屈辱ですわ……」

 

 4月の末、ダイイチルビーは実家の療養施設にいた。

 3月に行われた高松宮記念、母親との二代制覇を掲げた大一番で優勝を阻んだのはなんと忌々しい青メッシュの黒鹿毛。

 その悔しさをバネに安田記念でダイタクヘリオスとアイネスフウジンに雪辱を果たすため、ハードトレーニングを積んだ結果、捻挫による靭帯損傷の故障を受けてしまった。

 全治1ヶ月。マージンを取った上で調整やリハビリまで考えると、安田記念にはとても間に合わない。踏んだり蹴ったりである。

 ちなみに、ダイイチルビーの出走回避を見て、アイネスフウジンも安田記念を回避、宝塚記念でメジロライアンと対決することに決めたというのは余談である。

 

「ハハ……ドンマイ、ルビー」

 

「……まぁ、ミラに看病されるのも悪くありませんし、今はこの屈辱を甘受し、マイルチャンピオンシップでこそリベンジを果たしますわ……!」

 

 普段看病される側であるケイエスミラクルは、ダイイチルビーのお見舞いに来たときに彼女に請われて簡単な看病をすることになった。

 はじめはダイイチルビー付きの看護師が諌めていたが、ダイイチルビーが譲らないでいると諦めたように「お嬢様の話し相手になっていただけますか?」と頼まれたのだ。

 そう、看病と言っても、ただの話し相手である。意識ははっきりとしているし、歩くのを避けたほうがいいと言う以外に生活に不便はないのだから。

 

「しかし、このままだとミラに追い抜かれてしまいますわね……というか、アイネスフウジンの所属チームも同じ名前では? ややこしい名前をおつけなさったものですわ……」

 

「ははは……わたしは"ケイエスミラクル"だから正確には同じ名前でもないけど……」

 

 ミラはあだ名である。しかもダイイチルビーが勝手に呼んでいるだけだ。

 

「ミラとの戦いは、その前のスプリンターズステークスになりますわね。えぇ、昨年はわたくしが制覇しておりますから、負けは致しませんわよ」

 

「うん、胸を借りるつもりで挑むよ。でも、そう簡単に連覇できると思わないでほしいね」

 

「っ! そ、そんな……いえ、でもミラにでしたらいつでも胸くらいお貸しします……や、やっぱり心の準備が……」

 

「ルビー?」

 

 ふたりの団欒は続く。例え宝石の輝きがいつか失せるとしても、奇跡がいつまでも続くとは限らなくとも、少なくとも今この瞬間は偽物(イミテーション)ではないのだから。

 

 

 

☆★☆

 

 

 ■なんかちがう

 

 走る。走る。走る。

 ツインターボがこれほど走るトレーニングを行うのは、網にスカウト(欺瞞)されてから初めてのことである。

 その理由は、ツインターボのフォームがかなり整ってきたことと、ライスシャワーの伝手で手に入れた情報により、坂路訓練が骨や関節、靭帯に対する負担の低さの割に筋肉への負荷が大きいという結論が出たためである。

 以前からその負担箇所の偏りによる故障確率の低減は注目していた網であったが、想像以上の効果があることがわかり本格的に運用し始めた。

 ただ、坂路訓練だけでは伸ばしきれない部位がある可能性も懸念として残り、当面は坂路訓練だけではなく他の筋肉トレーニングと併用する形になる。

 なお、この懸念は返礼としてその()()へと伝えられ、あちらのトレーニング内容も少なからず見直されることとなった。

 

 現在ツインターボが行っているのはトレッドミルを使った坂路訓練だ。傾斜をつけ、上りと下りを繰り返す形。

 トレッドミルはランニングと違い、脚への負担が比較的少ない。その分、前に蹴り出す力は鍛えられないため、全身持久力や精神面のトレーニングになる。

 

「た、ターボ、さん……そっ、そろそろっ、やめたほうが……っ」

 

「ぁぁぁぁ!」

 

 もはや言葉の体をなしていない叫びだが、トレーニング開始時から一緒に走っているライスシャワーには、それがなんと言っているかわかった。つまり、「まだまだ」である。

 ライスシャワーと同じように低酸素マシンのマスクを着け、既に坂路2本相当を走っている。ツインターボの全力疾走からすればマシンの速度は抑えられているが、それでもそろそろ一般のウマ娘なら音を上げる頃だ。

 事実、ツインターボの走りは既にへろへろもいいところで、口は開き、天井を仰ぎ、全身から汗を垂らしている。ただ、それでもトップスピードより格段に下がるが遅くはないその速度を落とすことはない。

 

 網がツインターボにした指示は「お前が限界だと思うまでやれ」だった。低酸素マシンも指示してはいない。隣のライスシャワーを見てやりたいと言い出したのはツインターボだ。

 ライスシャワーもツインターボがこうなってから何度か声をかけているが、答えは毎回「まだ」だった。

 

 皐月賞のあと、ツインターボはその功績をそれこそ学園中に自慢する……ものだと思っていた。それぐらいやってもおかしくないと。

 しかし、その予想に反してツインターボはやけに大人しく、時折遠くを見つめるように考え込む。そんなことをしたあと、《ミラ》の面々の前で「なんかちがう」と呟き、さらにトレーニングに没頭するようになった。

 オーバーワークになるような無理は網がさせないようにしているものの、限界ギリギリまでトレーニングを続けるその表情は、今までツインターボが見せたことのないものだ。

 

「――ぁべっ」

 

「ターボさん!?」

 

 そして限界が来る。

 息も絶え絶えと言った感じでトレッドミルによって射出され、マットの上にぽいされたツインターボを介抱するため、ライスシャワーはツインターボのトレッドミルの倍の勾配で作動していたマシンを降りて、ツインターボのマスクを外す。

 トレッドミルの衝撃吸収構造とマットのお陰で怪我はなく、単純に極度の疲労だろう。ライスシャワーはツインターボを小脇に抱えて椅子の上に寝かせると、再びトレッドミルでのランニングを開始するのだった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

■責任

 

「――もしもし、安井です。お久し振りです。有の時の鼻はもう大丈夫ですか? ……ハハ、そうでしたか。いえ、よかったよかった。……はい、そうです。その話です。早ければダービーが終わった頃にでも。はい、そうなると思います。ならないように最善は尽くしますが……はい。ご迷惑おかけします。貴方ならルドルフさんも納得してくれると思います。はい……ありがとうございます。それでは、失礼します」

 

 電話を切って、安井は深く溜息をつく。

 ニュースで報じられるそれに、安井への批判は驚くほど少なかった。ニュースに映る有識者や専門家は誰もあの新人の策を見破れていなかったのだから当然だ。批判はすべて自分に返ってくる。

 一方、無責任に書き込める匿名掲示板では酷いものだ。戦犯扱いから役立たず発言。酷いものでは殺害予告まである。

 安井とてそれなりの年数をトレーナーとしてやってきているのでこのような経験は初めてではないが、流石に期待されていただけあって規模はだいぶ大きい。

 

 負けるのもおかしくないほど《ミラ》の陣営が見事だったとも、若葉ステークスの映像がウォームアップランまで入っていればとも、言い訳しようと思えばできる。

 しかしそれはトレーナーとしての責任を放棄する行為であり、なによりあの皐月賞で期待以上の能力を引き出したトウカイテイオーへの背信だ。

 今回の敗因はツインターボを侮っていたことではなく、仕掛けるタイミングのミスだ。そもそも領域を出せなければ勝てないという状況に追い込まれた時点で負けていた。

 トータルでツインターボより速く走れるのなら、ツインターボを意識していようがしていまいが勝てていたはずだ。スタミナだけを見ればトウカイテイオーは2000m走り終えても余裕があった。それならもっと手前からスパートをかけるべきだった。

 これをトウカイテイオーの判断ミスと思ってはいけない。自分は指導者なのだから、弥生賞の時点でそれを指摘して皐月賞に間に合わせるべきだった。少なくとも、安井はそう考えた。

 

 安井がトレーニングスケジュールを練るためパソコンを開くと、メールが何通か届いていた。もちろん、殺害予告のような迷惑メールはしっかりと分別されている。

 そしてその何通かも、すべてが別の出版社からのインタビューの依頼だった。トウカイテイオーは皐月賞で負けはしたものの未だ注目株だ。ツインターボのせいで極度のハイペースになったこともあり、負けたトウカイテイオーのタイムも――ついでに言うなら4着のイブキマイカグラまで――レコードを更新するものだったからだ。

 むしろ、ツインターボというライバルが現れたお陰で注目は増している。ツインターボがダービーをとるのか、トウカイテイオーがリベンジを果たし師弟二代ダービー制覇を達成するのか。

 さらにトウカイテイオーがライバル宣言をしたナイスネイチャも日本ダービーには参戦する。他にも、日本ダービーから参戦するライバルはいる。

 トウカイテイオー一強と考えられていたクラシック戦線が一気に戦国時代になったからか、ファンのボルテージは上がり調子だ。

 

 だが、だからと言ってトウカイテイオーのメンタル面にいい影響があるわけではない。皐月賞直後の抜け殻のような状態こそ比較的すぐに脱したが、どこか空元気のような雰囲気が抜けきらなかった。

 負けん気の強さからオーバーワークにならないかを心配したが、トウカイテイオーは思いの外冷静だった。皐月賞の最後に出した領域なしの末脚をものにするため、無理をしない程度のトレーニングで底上げを図っている。

 だが、その落ち着きがいつ崩れるかはわからない。トウカイテイオーという娘は、その才能と強さで忘れがちになるがまだ子供なのだ。

 今まで重圧は自信によって支えられていたのだろうに、皐月賞の敗北で期待の重圧はモロに彼女の身に降りかかるはずだ。

 

 さらに言えば、大慶祭の日にシンボリルドルフから言われたことも安井の心に引っかかっていた。自分の気づかない、気づけていない心の闇がある可能性もある。

 このクラシックシーズン真っ只中に、毎日予定が詰まっているであろうシンボリルドルフが、一番弟子のためとはいえ暇を作ってメンタルケアできるとは安井には思えない。

 今の所、日本ダービーに対するモチベーションは落ちていないように見えるが、なんの弾みで揺らぐかもわからない。

 インタビューの依頼はトウカイテイオーと安井に対するもの。URAからは「ひとつは受けて欲しい」と打診が来ている。

 安井とてその気持ちはわかるが、この綱渡りの状態で受けるのは危険すぎる。やはり断ろうと安井が考えていたときだ。

 

「トレーナー? インタビュー、受けるよ、ボク」

 

「え、テイオー?」

 

 いつの間にか後ろにいたトウカイテイオーが、パソコンを覗き込んでそう言った。安井が見る限り、その顔に無理をしている雰囲気はない。

 流石にあの抜け殻状態でインタビューは受けさせられないと皐月賞直後のインタビューは安井の独断で断っていたのだが、確かに今はそのような様子は見えない。

 

「本当に大丈夫か? 無理してるようなら……」

 

「大丈夫だって! ボクはカイチョーみたいに成るんだから、カイチョーならこのくらいのインタビュー軽くこなすでしょー?」

 

 カラカラと笑って見せるトウカイテイオー。本人がこう言っているのに無理に断らせるわけにもいかず、結局一番メンタルを考慮して無難な質問をしてくれるだろう月刊トゥインクルからのインタビューを受けることになった。

 安井の脳裏には、「無敵のテイオー様」といういつもの言葉が出てこなかったことが、最後まで引っかかっていた。

 

 

 

★☆★

 

 

 

 ■決意

 

「青葉賞2着おめでとー!」

 

「あははー……なんか微妙だよね、やっぱ」

 

 マヤノトップガンからの祝福を素直に受けられないナイスネイチャ。一戦一戦を真面目に勝ちに行くことは決意したものの、流石に日本ダービーという本番前のトライアル、青葉賞に全力を出すわけにもいかず、いくつかの作戦を試行するに留めていたこともあり、一応1着を狙ったものの結果は2着となった。

 2着でも日本ダービーの優先出走権は与えられるのでその点については問題ないが、なんとなく不完全燃焼なのは確かだ。

 日本ダービー、網はツインターボを勝たせるつもりであると話していたが、ナイスネイチャも本気でこれを取りに行くことは既に当人たちに話してある。

 網は「ナイスネイチャが納得できるように」と、ツインターボは「全力でもターボが勝つ!」と言って受け入れてくれたから、遠慮をする気は一切ない。

 

「……それじゃ、やっぱり無理だったかぁ」

 

「うん。多分、テイオーちゃんかなり焦ってる」

 

 マヤノトップガンによるトウカイテイオーのランニングフォーム改善の説得は、再び失敗に終わった。いつものような跳ね返すような態度ではなく、いなすような、躱すような、そんな断り方だったと言う。

 トウカイテイオーのメンタルに変調があるのは間違いないし、それは網()()()()なのだろう。網はトウカイテイオーの精神面が未熟だと言っていた。

 元々ツインターボに日本ダービーを勝たせるつもりだったということは、ナイスネイチャの行動無しでもう一度トウカイテイオーを打倒するつもりだったのだろう。

 と言うことは、むしろ皐月賞敗着で大きく精神的に揺らがせることを前提としていたと考えたほうが自然だとナイスネイチャは思う。

 そして、トウカイテイオーのメンタルにダメージを与える作戦は見事成功したようだ。無敗の三冠という夢の出鼻を挫くことで。

 

 ウマッターなどのSNSでの評価は賛否両論だ。当然、網やツインターボを称賛する声のほうが大きいように見えるが、中には1度『フロック』と言ったことを訂正したくないのか未だその論調を押し通そうとする者や、トウカイテイオーのファンからは不満そうな声もある。

 とはいえ、後者に関してはそれほど不思議でもない。応援していた相手が負けたら不満は出るだろう。実害がない限りは網も放置すると言っていた。

 ツインターボはネットニュースや匿名掲示板はもちろんSNSも見ないし、網はこの程度の悪意でどうにかなるようなメンタルをしていないとナイスネイチャは考えている。

 

 日本ダービーまで勝ってしまったらこの辺りはどうなるだろうと考えて、ナイスネイチャは自然と自分が『トウカイテイオーに勝つ』ことを前提に考えていることに気づいて苦笑した。どうやら、身につけていた謙虚さは随分と痩せ細ってしまっていたようだ。

 

(でも、やるからには勝つ。夢見なきゃ、ね)

 

 それが、ツインターボの勝利によってもたらされたものなのかはわからない。恐らくは今までの積み重ねが一番大きいだろう。

 日本ダービーまで1ヶ月をきった。決戦の日は、近い。

 

 

 

★☆★

 

 

 

 ■先触れ

 

「おはようございます、███████さん。駿川です。お届け物をお預かりしているので確認をお願いします」

 

 事務員である駿川たづなが彼女の部屋にやってきたのは、朝の自主トレが終わったあとだった。彼女のルームメイトは海外からの招待戦に出走するため、一路アイルランドへ飛んで留守にしている。

 そのため最近はルームメイトの遊びに付き合わされることもなく、比較的快適な毎日を送っていた矢先のことだった。

 

「匿名の贈り物ですね。ファンではなくトレーナーさんで、こちらでどなたかは把握しているので不審なものはないと思いますが、念の為にここで確認していただけると助かります」

 

 その要請に特に否もなかったため、駿川が持ってきた段ボール箱を開き、中を確認した。

 まず出てきたのは手紙と思われるメモ。読みやすい丁寧な字はペンで書かれていた。

 時節の挨拶などを除いてさわりだけ抜き出すなら、『担当しているウマ娘から貴女のことを聞いて、先行投資としていくつか贈り物をしたい。スカウトを前提としたいところだが、現在複数担当を抱えていてスカウトは少々先になるため、他のトレーナーがスカウトに来たならそちらを優先して貰うために匿名とした』と言うことだった。

 友人自体は少ない彼女だが、心当たりはある。しかし、お節介焼きな友人たちもまだ担当トレーナーは契約していなかったはずだが。

 そんなことを考えながら中を改めた段ボール箱の中の贈り物は、しかし確かに彼女のために贈られたであろうと予測できるものだった。

 

「これは……なんでしょう、なにかの機械……?」

 

 駿川が疑問をこぼす。箱に書かれた説明書きを読む限り、低速ジューサーであることが見て取れた。

 すぐさまウマホで詳しいことを検索してみる。評判の高い低速ジューサーで、製品の中では手入れがしやすいものであることや、確かに自分向けであることが確認できた。それと同時に、数万円はするものであることもわかり、気が遠くなりかけたが。

 段ボール箱の中にはレシピも同梱されていて、その中には低速ジューサーを使わないものもあった。

 

「こっちの袋は……ビタミンCとビタミンB群の粉末サプリメントですね。飲み物に溶かして飲むことができるもの……」

 

 それの使い方もレシピに書かれていた。水溶性が云々こまめに摂取などということだったが、とりあえず有用であることは見て取れた。なくなったら通販サイトで買い足すといいとも。

 少なくとも怪しいものではない。サプリメントの販売会社もメジャーなもので、品質の保証もできるものだろう。

 彼女は、とりあえずそれを受け取っておくことにした。彼女にとって有益なものであることは間違いないし、最悪、会った時に突き返せばいい。サプリメントも仕送りで買って返せる程度の値段だ。

 

「一応、学園を通したものですからそう悪質なことにはならないと思いますけど……何かあったら、事務の方に相談してくださいね」

 

 駿川はそう言って帰っていった。

 ███████は考える。自分をスカウトしたいなどという奇特なトレーナーがどんな人物かを。期待しながら、しかしそんな期待を押し込めながら。

 

 後日、心当たりである友人たちから知らないと言われ、首を傾げることになるのはまた別の話。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ■到来

 

「トウカイテイオー、ツインターボ、イブキマイカグラ、シャコーグレイド、そしてナイスネイチャ」

 

「いやぁ、あたしを差し置いてなにやら目立ってくれちゃってるじゃないの」

 

「でも、真打ってのは遅れてやってくるもんだし?」

 

「まぁあたしが来たからにはもうデカい顔させないから」

 

 

 

「そろそろ、あたしも混ぜろよ」

 

 

 

110(ひゃくじゅう)%(ぱー)、勝ってやるし!」

 

 役者は揃った。

 日本ダービーが、来る。




 下から2番目今じゃなくてもよかったかな……
 でもここ逃すとタイミングがな……

 伏線回でもある。これまでも結構まいてきたけど。新人予定の子もチラッと。
 ここまで小ネタも結構まいてきたけどあまり指摘がない辺り小さすぎて気づかれてないのかネタというほど面白いものでもないからスルーされてるのか。
 まあ気づいた人が少し面白い、調べてみてなるほどとなる程度の小ネタなんで気が向いたら探すのも一興。


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対峙

「ツインターボォ!!」

 

 5月4週、東京レース場。日本ダービー、開催。

 バ場は良。晴天ナリ。

 

「どうやらあたしのいないところで好き勝手やってくれたようだが、あたしに勝とうなんて110(ひゃくじゅう)年早い!!」

 

 ナイスネイチャの視線の先には、相変わらず目に悪い青髪の皐月賞ウマ娘、ツインターボに対し、なにやら声高に宣っている、ツインターボに負けず劣らず目に悪い、原色に近い赤、青、緑の3色が入り交じる勝負服を着たウマ娘がいた。

 何を隠そうこのうるさいのが青葉賞でナイスネイチャを押し退けて1着を獲得した、日本ダービーから参戦となる優勝候補にしてマルゼンスキーの弟子、レオダーバンである。

 見ての通りアホだが、アホさと強さが比例しないのはツインターボの例を見ればわかるだろう。

 一方こういう宣言に反応しそうなもうひとりのアホは、意外なことにそんなレオダーバンをぽかんとした顔で見ている。

 

「ネイチャさん、趣があってええ感じの勝負服やねぇ」

 

「地味って言いたいのね」

 

似合(うつ)ってはるよ? 侘び寂びやねぇ」

 

「アタシも地味って言いたいのね」

 

 先程までシャコーグレイドで遊んでいたのに、ナイスネイチャを見つけるやいなやニコニコと話しかけてくるイブキマイカグラの口撃は絶好調だ。よほど皐月賞の時の()()()で不完全燃焼だったのだろう。

 レオダーバンに絡まれたときは対応もそこそこに逃げ回っていたあたり、レオダーバンもイブキマイカグラの苦手なタイプに入るのだろう。

 

 なんとも緊張感がない光景に乾いた笑いをこぼすナイスネイチャだが、チラリと周囲の様子を窺う限り、余裕がある表情を見せているのはこの面子だけだ。

 アホふたりが弛緩させている空気のすぐ外では、鋭く様子を窺う出走者たちの闘気と戦意で溢れている。

 

 そして、その緊張が一際(ひときわ)高まった。ただそれだけで、見ていないのに何が起こったか。()()()()()わかってしまう。

 ナイスネイチャの振り返った先。観客席から見た皐月賞の時とは違う、重圧と威圧を身に纏ったトウカイテイオーがそこにはいた。

 余裕の笑みはない。引き結んだ唇に鋭く光る双眸は、ナイスネイチャが今まで見たことのないものだ。それこそ、帝王と呼ぶに相応しいような。

 皆一様にその姿を見て冷や汗を垂らす中、しかし、そんなトウカイテイオーに対してナイスネイチャは「勝てない」とは思わなかった。

 トウカイテイオーはそのまま歩いてきて、ツインターボの前に立った。ツインターボは、いつものような騒がしい宣戦布告もせず、ただ、じっとトウカイテイオーの目を見つめる。

 

「ツインターボ。ボクは今日、勝ちに来た」

 

 幼さの抜けきらない高い声でありながら、地を震わせるような重低音にも聞こえる。そんな声色で名を呼ばれたツインターボは、ギュッと固く口を結ぶ。

 

「キミに、キミたちに勝って、ダービーをとる。師弟二代のダービー制覇を成して、シンボリルドルフが取り忘れた宝塚記念と秋の天皇賞を勝って、ついでにあと4つGⅠをとって、皇帝に並ぶ」

 

 言いたいことは言ったと言わんばかりに目を細めるトウカイテイオー。GⅠ未勝利とか、そういう野暮なことを言わせないだけの存在感がそこにある。

 そんな肺を締め付けるような圧迫感の中、いとも自然にツインターボはトウカイテイオーへ応えてみせた。

 

「トウカイテイオー。()()()はお前を追い抜く」

 

 場に合わせてなのか、普段は使わないような一人称でツインターボが宣言する。

 

「なんのレースがどうすごいとか、そういうことはわからない。だから、ずっとお前を倒すために走ってきた」

 

 ツインターボは一歩、さらに一歩トウカイテイオーに近づく。トウカイテイオーのほうが上背は僅かに高い。そんなトウカイテイオーの顔を両手で掴み、自分の顔の間近に引き寄せて言った。

 

「あたしを、このツインターボを見ろ」

 

 数瞬の沈黙の後、ツインターボはトウカイテイオーから手を放し、踵を返してターフへ向かう。最早地下バ道(このばしょ)に用はないと。

 それにつられて、何人かのウマ娘はターフに向かって歩き出す。そんな中で、まだそこに立っているトウカイテイオーに向かって、ナイスネイチャは自分の決めたことを伝えるために話しかける。

 

「余韻に浸ってるとこ申し訳ないんですがね……その()()()()とやらにはアタシは入ってると思っていいんだよね?」

 

 トウカイテイオーの視線がナイスネイチャを射抜く。メイクデビューの時、未勝利戦の時、ホープフルステークスの時、そのどれとも違う強烈な圧迫感。

 皐月賞に負けた精神的ダメージを窺い知ることはできない。奥底に隠しているのか、それとも既に立ち直っているのか。

 肌がビリビリと震えるその緊張に、やっぱりトウカイテイオーは立っている舞台が違うのだと再確認する。

 

 だが、それがどうした。

 

「アタシは納得するために来た。自分の選んだ道に納得するために。だから、これで終わりにはしない。この先も、ずっとアンタの走るレースで、虎視眈々と勝利を狙い続ける。もちろん、今日も」

 

 舞台が違うなら引きずり下ろせばいい。そのための武器を、今まで研いできたのだから。

 

「アンタの脚がどうなろうと、もう遠慮なんかする気ない。アタシはアンタに勝つ。二度と油断するな、トウカイテイオー」

 

 ナイスネイチャの宣言を聞いて、トウカイテイオーは薄く笑った。それがどんな感情かはナイスネイチャにはわからない。ただ、否定的なものでないことは伝わった。

 急に気恥ずかしくなったナイスネイチャは、ツインターボと同じくターフへ向かう。その後ろで、鈴を転がすような、可笑しくて仕方ないという声が聞こえてきた。

 

「いやぁ、仲えぇなぁ。青春やわぁ。人のことはみごにして見せつけてくれるやないの。なぁ?」

 

「あなたたちがどう()()()()()()()勝手だが、蚊帳の外は腹が立つ」

 

 イブキマイカグラ、シャコーグレイド。彼女たちにだって言い分がある。

 

「うちは楽しみに来た。皐月もよかったけど、今のあんさんはもっと素敵や、テイオーさん。せやけど、まだ物足り(ほい)ないわぁ。なぁ、目の前の楽しみほっぽって何見てはるん?」

 

「私は刻み込む。あなたに、ターフに、このダービーを見ているすべての人に、シャコーグレイドというウマ娘の名前を。ミスターシービーの弟子という存在を。決して忘れさせない」

 

 地下バ道から、ひとりまたひとりとウマ娘たちがターフへ歩いていく。トウカイテイオーはその背中を見つめたあと、ゆっくりとその後を追ってターフへと歩き始めた。

 

 観客たちの声援が大きくなる。地下バ道から出てきてゲートへと歩いていくウマ娘たちは、皆が皆間違いなく強者だ。

 まずここでも先頭を譲る気がないと言わんばかりにツインターボが姿を現す。続いてシンホリスキー、イイデセゾン、コガネパワー。次々と現れる今年の優駿たち。

 ナイスネイチャ、イブキマイカグラとシャコーグレイド。そしてトウカイテイオー。遅れてレオダーバンが殿(しんがり)を走ってゲートまで向かう。

 

『さぁつい先日一強と言っていたのはどこへやら、かつてない群雄割拠、人気上位6人がほぼ横並びで拮抗する形となりました第58回日本ダービー。4戦3勝、前走青葉賞ではナイスネイチャに先着しておりますレオダーバン。ホープフルステークスを制覇したGⅠウマ娘がまさかの5番人気となっておりますナイスネイチャ。同じく阪神JFを勝利しホープフルで2着、前走皐月賞では4着に入っているイブキマイカグラが4番人気。3番人気はGⅠ未勝利ながら、ここまですべてのレースで三連対を逃さず、皐月賞を除けば連対に入り続けておりますシャコーグレイド。皐月賞では後塵を拝する結果となりましたが実力は本物、未だ人気と期待衰えずトウカイテイオーが2番人気。そして前走、クラシック一冠目を劇的な勝利で手にして魅せた無敗の皐月賞ウマ娘、1番人気ツインターボ』

 

 泣いても笑っても冠はひとつ。手にできるのはひとりだけ。同着などというデウス・エクス・マキナを運命は認めない。

 世代のトップを決める戦いが始まる。



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勝者は選び、敗者はただ受け入れるのみ。

『ゲート開いて今一斉にスタート! ハナを切るのは見なくてもわかるぞ、エンジン音を響かせて、今日もツインターボは全開だ! スタートが上りの途中にあることなどものともしない! 後を追うのはイイデサターンとシンホリスキー、ふたりとも皐月賞では苦渋を飲まされた逃げウマ娘、雪辱を果たすために追走しますが既に差は2バ身から3バ身、ツインターボ影を踏むことすら許しません!!』

 

 スタートから第1コーナーまでの460m、不気味なほど静かに日本ダービーは始まりを告げた。

 いつものように逃げるツインターボと控えるイブキマイカグラにシャコーグレイド。ポジションを奪いに来ると思われていたレオダーバンも、他の出走者に働きかけると思われていたナイスネイチャも、そして大外のトウカイテイオーも、ポジション争いをせずにそのままコーナーへと向かう。

 優勝候補たちの動きに戸惑ったのは他のウマ娘たちだ。目立つということは、多かれ少なかれ基準にされることを意味する。特にトウカイテイオーとナイスネイチャは最重要なマーク対象だ。

 しかし、大外から動かないトウカイテイオーは言わずもがな、牽制すらしないナイスネイチャをマークしていいものかという迷いが周囲には生じていた。

 そして来たる第1コーナー、展開が動く。

 

『トウカイテイオー! 皐月賞でも見せた大外からの強襲! 類まれなる足捌きで瞬く間に内側へと詰めていき、イイデサターンの後ろにピタリとつけました!』

 

 まずトウカイテイオーがポジションを確保。東京のホームストレッチはゆるやかな上り坂となっている。スタミナ勝負になるだろうこのレースで、ゆるやかでも坂道での斜行を嫌ったがためのタイミングだ。

 皐月賞と同じポジションになるが、この判断は正しい。皐月賞では仕掛けるタイミングを間違えたために差しきれなかったものの、事実として距離が2400mあれば勝てていた。

 今のポジションは、トウカイテイオーの脚力があれば、ツインターボが垂れようが垂れまいが飲み込むように差し切ることができる位置だ。

 

 再び沈黙するレース展開。ツインターボがジリジリと離していき、それに食らいつくシンホリスキーと動かないイイデサターンという構図になった先頭集団。

 トウカイテイオーを皮切りに中団も動き始める。なおも動かないナイスネイチャを数人がマークし、自在脚質のホクセイシプレーがトウカイテイオーを外側からマークする。

 ほぼフリーなレオダーバンはバ群の中、追込勢は動かない。

 

(……そろそろかな……っ)

 

 鋭く息を吐きながら、第2コーナーでナイスネイチャが前に出た。コーナーでわずかに膨らんだ前の内を突きするりとマークから逃れると、そのまま内ラチ沿いに上がっていく。

 それに野性的な速度で反応を返したのはレオダーバン。豊富なスタミナに物を言わせて、ナイスネイチャについていく。

 ナイスネイチャはそのまま中団を通り過ぎ、先行の集団の後ろへ――つかずにそのまま更に前へ出た。

 

(はぁ!?)

 

(嘘だろう!?)

 これに驚いたのは追込のふたり、イブキマイカグラとシャコーグレイドだ。ナイスネイチャが「掛かった」ようには見えない。ツインターボと同じチームのナイスネイチャがペースにつられて掛かるとも思えない。

 

(ナイスネイチャに、レオダーバンまで……? ツインターボが垂れないことを前提に動いてはいるけど……まさか、なにかあるのか? あの位置からじゃないと差しきれないなにかが……トウカイテイオーもかなり前に構えて……くそっ!)

 

 シャコーグレイドと同じ考えに至った差しと先行が位置を上げる。シャコーグレイドも、自分の脚と相談しつつ位置を前目に修正した。

 一方のトウカイテイオーは第2コーナー終盤でそれに気づく。

 

(っ、いやらしい! ネイチャだなっ、これっ!!)

 

 ナイスネイチャに追い立てられて上がってきたバ群がトウカイテイオーの後ろ、さらには横につく。スリップストリーム目当てに風除けとして使っていたイイデサターンが蓋になり、トウカイテイオーが包囲される形になった。

 

(向正面の上り坂で十中八九イイデサターンは垂れる……それまでに包囲から抜け出さないとボクも垂れるしかなくなるっ!)

 

 向正面入って下り坂を200m、ちょうど向正面の中間地点には、長さ100m高低差1.5mの急坂がある。今トウカイテイオーが入れられているのは、そんな泥沼への檻だった。

 そして、そんな様子を最後尾から、イブキマイカグラが冷静に観察する。

 

(ふぅん、ネイチャさん、()()()()()()()()()())

 

 イブキマイカグラの考えた通り、ナイスネイチャは今回ここまでを差しではなく先行気味に走っていた。

 そもそもナイスネイチャは中団で走ることを主な作戦としている。差しに限った話ではないのだが、意図的に今まで差ししか見せてこなかったことで自分を差しだと刷り込んでいた。

 さらには、同じ差し脚質のレオダーバンを目線と表情で挑発することで釣って、自分についてこさせた。青葉賞の時にレオダーバンの性格を把握して、それができると踏んだのだろう。

 差しであるナイスネイチャとレオダーバンが先行の位置まで上がってきているという事実と、トウカイテイオーが前目の位置につけているという事実、そしてツインターボの存在が、他のウマ娘のペースを狂わせた。

 

(他の娘ぉの目ぇがテイオーさんに行ってる間に下がって中団……前目の差しくらい? で待機……ほんまに計算ずくなんやね……さっきの加速もいうほど脚使うてへんやろ。頭下がっとったし)

 

 これも正しい。ナイスネイチャは下り坂を利用して重心を前に崩すことで加速しながらも脚のキレを守っていた。

 

(言うて、ハイペースになるんやったらうちにとっては都合ええけど……届くんかなぁこれ……)

 

 その一方、トウカイテイオーはナイスネイチャによって組まれた檻から抜け出そうと四苦八苦していた。

 第2コーナーが終わり直線が来る。問題の急坂は額面通りより殊更(ことさら)に近く感じる。

 普通の方法じゃ出られない。だからトウカイテイオーは()()()()()()()()を採った。威圧だ。地面が抉れるような力強い一歩と同時に放たれた威圧が、前を走るイイデサターンに直撃する。

 後ろから迫ってくるプレッシャーが急激に強まり、イイデサターンを呑み込まんと近づいてきたことでイイデサターンは見事に掛かった。

 

 イイデサターンが飛び出したために開いた前方の隙間から包囲を抜けたトウカイテイオーは、再び包囲されないようにやや外側へと移動しつつイイデサターンとシンホリスキーを避けるように位置取りを調整した。

 

(対応されたかぁ……まぁしてくるよね、そりゃ)

 

 相手はトウカイテイオーだ。このくらい対応してもらわなければ困る。

 

(それに()()()()()()()()()()。悪いねターボ、本気で行くよ)

 

 トウカイテイオーが威圧したイイデサターンが、ツインターボを追走していたシンホリスキーに近づく。最早、このふたりの逃げウマ娘に勝ち筋はひとつしか残されていない。

 すなわち、まったく失速せずにゴールしつつツインターボが垂れるのを祈ることだけである。

 はっきり言ってしまえば不可能だ。しかし、このハイペースで二の脚も残せない逃げにはそれしか残されていない。

 幸いなことに、あるいは不幸なことに、ふたりにはそれなりの勝負根性というものが備わっていた。その勝ち筋を掴み取ろうと、後続を少しでも引き離すために下り坂を使って加速する。

 その結果、ふたりは見事ツインターボの影を踏むこととなった。

 

 先頭3人からトウカイテイオーまでおよそ12バ身。そんな状況でもツインターボは後ろを振り向くことはない。後ろを振り向くという小さなアクションも破滅逃げにとっては削るべき無駄だからだ。

 しかし、ウマ娘にはその鋭敏な聴覚がある。足音、呼吸音、それらが自分の真後ろから聞こえてくることに気づいたツインターボは、掛かった。

 破滅逃げは始めからスパートをかけていると表現されるが、それは微妙に語弊がある。正確には、持久に向く有酸素運動から無酸素運動に切り替わらないギリギリのスピードで走っている。

 しかし、今この瞬間、ツインターボは確かに()()()()()()()()()()()()

 

 直後、上りの急坂。ピッチ走法でそれを難なく駆け上るツインターボに対して、他ふたりの逃げウマ娘たちは限界が訪れた。

 追走していたふたりが垂れ、足音が離れていくことによって冷静さが戻ってきたツインターボは、上り坂の直後に来る第3コーナー半ばまで続く下り坂を利用して脚を休めつつ息を整える。

 ただ全力で走るだけではない。この1ヶ月続けていた低酸素状態での坂路トレッドミルによって、ツインターボは全力で走りながらこの程度の思考なら保てるまでになっていた。

 

(思ったより冷静になるのが早い……成長したね、ターボ!)

 

(負けない! 負けない! 絶対に勝つんだッ!!)

 

 《ミラ》同士の食い合いの中でもうひとつ、動いた影があった。

 

「あたしを無視すんなぁああああああ!!」

 

 ナイスネイチャを、トウカイテイオーを追い抜いて、大きく吼えながらロングスパートをかけたのは、フリー状態だったレオダーバンだった。

 レオダーバンはツインターボ並に考えるのが苦手だ。ナイスネイチャの挑発にも即座に乗っかり利用された。しかし、その実力は間違いなく本物だ。

 レオダーバン、トウカイテイオー、ナイスネイチャの順で坂を登りきる。ツインターボとの差は24バ身ほど。

 

 そして坂の下りから、トウカイテイオーが遂にスパートをかけ始めた。『テイオーステップ』によるピッチ走法並の回転数を誇るストライド走法と下り坂によって急加速するトウカイテイオー。

 しかし、下り坂での『テイオーステップ』は文字通りの自殺行為だ。元々「骨を支える筋肉が柔らかすぎるために、体重による衝撃や蹴ったときの脚力から骨を守りきれなくて負担になる」のが『テイオーステップ』の弱点だ。

 それなのに、下り坂というストライドの落差が大きくなる地形でそれを行うのだから、骨にかかる負担もより大きくなる。

 そんな諸刃の剣を抜き放ったトウカイテイオーが、瞬く間にレオダーバンを躱しツインターボに迫る。

 

 しかしツインターボも再度それを引き離そうと必死に脚を動かす。未だエンジン止まらず、失速の気配はない。

 舞台は中央のレース場で最長を誇る526mの最終直線へと移り変わる。

 ツインターボが真っ先に最終直線の門番たる高低差2mの急坂へ突入する。坂とコーナーは本当の意味でツインターボがトウカイテイオーに(まさ)っている点だ。ほぼ失速なしに駆け上がる。

 膨らみ気味に最終コーナーを曲がり切ったトウカイテイオーは上り坂でやや減速する。柔らかい筋肉はどうしても瞬間的な力に欠ける。

 僅か150mの上り坂、ツインターボはここで再び僅かながらにトウカイテイオーを引き離す。差は19バ身ほどか。

 

 シャコーグレイドは中盤で浪費した体力が仇となりまだスパートにたどり着けていない。一方後ろからまくりのスパートをしかけて迫りくるイブキマイカグラを振り払うように、レオダーバンも最終直線へと入った。

 ツインターボが急坂を登りきり、ここからは真綿で首を絞めるようななだらかな上りがゴールまで380mほど続く。

 口は開き、前傾姿勢を保って重心を維持するのがやっとな様子になっても、ツインターボは垂れない。しかし、その後ろから急坂を登りきったトウカイテイオーが、流星のような末脚で追走しグングンと差が縮まる。

 19バ身は15バ身に、10バ身に、5に。そしてゴールまで残り200mほどになったとき、遂にその距離が1バ身まで縮まった。

 

「これがっ!! ボクの!! 『テイオーステップ』だあッ!!」

 

 ツインターボの視界が突き抜けるような青空に塗り替わる。それを遮る雲の群れは、残酷なまでの才能の壁の象徴。そして、軽やかにそれを跳び越えて天に腕を伸ばす"領域(ゾーン)"の主。

 どれほど土に塗れようと、トウカイテイオーは紛れもなく天才だ。

 

 

 

 それがどうした。

 

 

 

(ッ!!?)

 

「っあ……」

 

 トウカイテイオーが戦慄し、ツインターボが呻く。

 恐怖か、怯懦か、悪寒か、怖気か、体中を這い回る嫌な感覚に神経が暴走する。

 殺意と悪意を煮詰めたようなそれは耐え難い重圧であり、射抜くような()()

 根こそぎに体力を奪われるような感覚に、軽やかだった足取りは瞬く間に重くなる。

 

 息を殺して、足音を合わせて、心音に潜んで、彼女はすぐ後ろまで迫っていた。

 戦場(レース)すべてを視界に収め、睨まれた者はみな沈みゆく。その様から、彼女は初GⅠ勝利のその時からその異名をつけられた。

 

《八方睨み》と。

 

「「ネイチャぁああ!!」」

 

「油断、するなって……言った、でしょっ!!」

 

 天才ならば、雲を超えていくならば、その脚を掴み引きずり落とせ。泥沼の、凡人(じぶん)のフィールドに。

 トウカイテイオーとツインターボが失速し、道中で坂を有効に使いながら脚を残していたナイスネイチャが一気にふたりを差しに行く。脚を残していたと言っても、ナイスネイチャも限界が近いことは変わらない。

 

「っぐぅ……ボクは、勝つんだッ!! ダービーをとるんだァッ!!」

 

「負けないっ!! 負けないっ!! 負けないっ!!!」

 

 ナイスネイチャがふたりの間を縫って差し切ろうとした瞬間、トウカイテイオーとツインターボは再起した。

 並んだまま、誰かがよれて、また、もつれ合いながら、残り50m。最早順位の入れ替わりがわからないギリギリの攻防。

 トウカイテイオーはもがく。帝王などという気高い姿からは程遠く、ただひとりのウマ娘としてみっともなくもがく。足音がひとつ後ろに遠のく。見なくてもわかる。ツインターボだ。何故なら。トウカイテイオーの視界に、見慣れた幼馴染の背中が映っていたから。

 

 観客席からあがる歓声。それを、トウカイテイオーは他人事のように見ていた。

 

 

 

 

 

 気がついたら、トウカイテイオーはひとり控室にいた。勝負服はじっとりと不快な汗で滲んでおり、運動の後だというのに恐ろしいほどに寒い。

 ゴールしたあとから控室に来て、椅子に座るまでの記憶がない。ただ、ハッキリ負けたということは覚えていた。ナイスネイチャの背中が目に焼き付いている。

 涙は出なかった。自分でもゾッとするほどに感情が動かない。トウカイテイオーはただ、疲れに身を預けるように項垂れていた。

 

「……テイオー」

 

 どれくらいそうしていただろうか。トウカイテイオーに部屋の外から声がかかった。それでようやく我に返ったトウカイテイオーは、急いで普段の自分の仮面を被る。気にしていないのだと。負けたものは仕方ないと言い聞かせて。

 

「と、トレーナー? 入って大丈夫だよ? 着替えてないから」

 

 努めて明るい声で応えるが、若干声が上ずって震えていることに自分でも気がついていた。

 控室に入ってきた安井トレーナーの顔は苦渋に満ちている。トウカイテイオーは、それを見てようやく、とっくに麻痺していると思い込んでいた胸が痛んだ。

 

「ライブだよね! 急がなきゃ、お客さん待ってるよね! 大丈夫、ボク2着の振り付けもちゃんと覚えてるし……っていうか、皐月の時とおんなじ――」

 

「1着だ」

 

「……へ?」

 

 トウカイテイオーは、安井の言葉が理解できなかった。何かの慰めかとも思ったが、その顔はあまりにも苦々しいもので。

 安井は、振り絞るように告げる。

 

「ナイスネイチャが、ツインターボへの走行妨害で降着になった」

 

 音が遠い。

 

「ナイスネイチャはツインターボの下に、ツインターボとお前はひとつずつ順位が繰り上がる。だから、1着はお前になった」

 

 ただ、理解したくない。

 

「審議を申し立てたのは、ナイスネイチャ自身だ」

 

 日本ダービーは、まだ、終わらない。




 賛否両論あるかもしれませんが、当初予定していたストーリーで押し通します。
 懸命に走った18人の主人公をお称えください。


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鍍金の王冠を手に、真なる黄金を見失う。

「なんでっ!!」

 

 声を荒らげているのは、2着に繰り上がったツインターボだ。ナイスネイチャは、それをただ受け入れていた。自分たちの控室の中、網はマスコミの対処で席を外しており、立ち会っているアイネスフウジンとライスシャワーは何も言わない。

 ゴールの直前、ナイスネイチャはツインターボのほうへ大きくよれたことを自覚した。ゴールしてすぐ、ナイスネイチャは審議を申し立て、パトロールカメラの映像が確認された。

 その結果、ナイスネイチャは確かにツインターボの進路へ出ていた。そしてツインターボがその瞬間再加速しており、進路にナイスネイチャが現れたことでブレーキをかけて失速したことは明確であると認められた。

 そしてもうひとつ、トウカイテイオーの右側、外側が大きく空いていたのに、わざわざツインターボとトウカイテイオーの間を抜けようとしたことも争点となった。

 府中の直線は長く、トウカイテイオーの外を抜ける程度の移動は誤差であり、わざわざふたりの間を抜けようとすることは、これまでのレースから視野が広いことが明白であるナイスネイチャにとって不自然であるというのが裁決委員の見解だった。

 あの瞬間、ナイスネイチャにそれを考える余裕がなかったのが事実ではあるが、裁決委員の言い分もまたナイスネイチャは確かに妥当だと思い、反論もしなかった。

 そしてその結果、ナイスネイチャの妨害がなければツインターボは再加速、ナイスネイチャに先着していたと判断され、ナイスネイチャの申し立ては受理。降着処分となった。*1

 ただし、自分から申し立てをしてきたことと、余裕がなかった可能性も十分にあることを加味して、それ以上の罰則や戒告は行われなかった。

 また、ナイスネイチャによる妨害がなかった場合、ツインターボがトウカイテイオーに先着していたか否かは明言されることはなかった。裁定の争点はツインターボとナイスネイチャの先着関係のみにあり、トウカイテイオーは無関係であるからだ。

 

「別に邪魔になってなかった!! ネイチャ勝ってたじゃん!!」

 

「いやぁ、あれを邪魔になってないというのは無理があるよ、ターボ」

 

 事実、ツインターボの右脚にはアイシングが施されている。ブレーキの際に負荷がかかり熱を持っていたため、網によって施された処置だ。

 網の見立てでは後遺症は残らないとのことだったし、ツインターボが痩せ我慢できる程度の痛みだったのが不幸中の幸いか。

 

 実際のところ、ナイスネイチャが進路妨害を確信した理由は降着の理由には含まれていない。理由とは認められないからだ。

 あの時、ナイスネイチャは自分の後ろから、()()()()()が響いたことに気がついた。

 恐らくそれは、ツインターボに芽生えかけた2つ目の"領域(ゾーン)"になるはずだったものだ。しかし、それが形をなす前にタイミング悪くナイスネイチャがよれてしまった。

 "領域(ゾーン)"は未だ一種のジンクスの域を出ない。科学的に立証されていない以上、それをルールとして規定するわけにはいかないし、だからこそ"領域(ゾーン)"を使った妨害が成り立つ。

 ナイスネイチャの《八方睨み》は"領域(ゾーン)"ではなく、レースの後半に極度の興奮からウマ娘の感覚の一部が過敏になることを利用した威圧の一種であるが、これもまた反則にはならない。

 だから、これらは審議の裁定には影響はしない。しかし、ナイスネイチャにツインターボが先着した可能性を確信させるには十分だった。

 

 ダン! と、叩きつけるようにドアを開ける音が響いた。

 全員が音の方向を向く。トウカイテイオーが荒く息をしながら、右膝に手をついてそこに立っていた。流石に、あのレースのあとに走ったらそうなるだろうとナイスネイチャは他人事のように考えていた。

 トウカイテイオーの顔面は蒼白で、目は暗く乾いて淀んでいる。トウカイテイオーが、審議のランプが点灯した掲示板を確認する間もなく控室へふらふらと戻ってしまっていたことには気づいていた。恐らく、結果が彼女のトレーナーである安井から伝わったのだろう。

 誰かが声をかけるよりも先にトウカイテイオーはよろめきながらナイスネイチャに近づき、半ば叫ぶように言い募ろうとして、言葉を詰まらせた。

 

「なんでこんなっ……!」

 

 そこから先が出てこない。心に渦巻く(わだかま)りを表現する言葉が出てこない。ナイスネイチャは、そんなトウカイテイオーの言葉をただ待った。

 そして、トウカイテイオーが絞り出すように口にしたのは、ただ純粋な感情だった。

 

「こんなダービー貰ったって……嬉しくない……ッ!!」

 

 胸ぐらではなく腕を掴んだのは、ナイスネイチャの理性がそうさせたのだろう。

 

「甘ったれるなッ!!」

 

 予想外であろう一言に、トウカイテイオーが目を(みは)る。ナイスネイチャは誤解を生む可能性に辿り着き、更に言葉を重ねる。

 

「アンタのために、やったわけじゃない……!! アタシは、アタシが納得するためにやったんだっ。アタシはあんな1着を認められない。納得できない。だから、申し立てたんだ……くだらない同情なんかと一緒にするなッ……!!」

 

 それは、この1年に満たない時間で培ってきた、いや、壊れたそれを取り戻してきた、ナイスネイチャのプライドからの叫びだった。

 あんな結末を、あんな勝利を、『キラキラ』してるなんて思えない。思いたくないから。

 安いプライドかもしれない。でも、それを同情から譲っただなんて思われるのは嫌だった。

 

「確かに押し付けられるアンタにとっちゃ迷惑な話だと思うよ! でも、そこまで含めて勝負なんだ……っ!」

 

 トウカイテイオーのフォーム改善を、脚の心配をすることを辞めると決めた時に、ナイスネイチャは自分のために走るのだとも決意していた。

 トウカイテイオーが自壊覚悟で走るのが自己責任なら、敗北の結果を背負うこともまた自己責任だろうと。

 

「……これで終わりじゃないんだ、テイオー。菊で待っててよ……アンタに預けたトロフィー、かっぱらいに行くから……」

 

 訥々と口にした言葉に、重い沈黙が生まれる。当事者も、傍観者も、一言も話すことができない。

 そんな沈黙に割って入ってきたのは手を打ち鳴らす音だった。

 全員が入り口を見る。立っていたのは、着物のような勝負服、イブキマイカグラだ。

 

「お馴染み4着〜、なんてな。油断しすぎや、ブン屋さんにすっぱ抜かれても知らんよ? うちと(ちご)て丸ままあげんで、都合のいいとこだけ引っこ抜くんやから」

 

 イブキマイカグラは控室のドアが開きっぱなしなっていたことを指してそう忠告すると、ウマホを弄りながら去っていった。

 唐突に現れて唐突に去っていったイブキマイカグラを呆然と見送る皆だったが、我に返ったトウカイテイオーがよろよろと控室から退出してようやく、ナイスネイチャたちも我に返った。

 

「……まぁ、そういうわけだから。どうせあんなんでダービー貰っても今みたいに拒否しても、どっち選んでも後悔するのなんて目に見えてるんだから、アタシはこれでいい、これがいいの。これで納得してるの、ターボ」

 

「ゔぅ……バカだよ、ネイチャ……ターボよりよっぽどバカだ……」

 

 さしものツインターボも、あそこまでナイスネイチャの覚悟を見せられては、渋々とは言え納得せざるをえない。うつむいて涙をこらえるツインターボの頭を、ナイスネイチャが優しく撫でた。

 

「戻りました。入っても大丈夫ですか?」

 

 そのタイミングで、網が戻ってきた。ナイスネイチャが許可を出すと、網が室内へ入ってくる。

 その表情は至って平然としており、普段と様子はさして変わらない。

 

「ライブは選手の肉体的、及び精神的な疲弊を鑑みて、今から更に30分の休憩を入れたのちに行うそうです。それまで選手は待機ですので、好きに過ごしてください」

 

「わ、かりました」

 

「いやぁ、月刊ターフから『今回の降着でトウカイテイオーは"鍍金(メッキ)の王冠"を戴いてしまったわけですが、もしかしてそれも作戦の一貫だったのでは?』なんて聞かれてしまいましたよ。人をなんだと思ってるんですかねぇ……」

 

 月刊ターフ。アイネスフウジンも一度被害に遭いかけた悪質な出版社だが、皐月賞の敗着を含めトウカイテイオー陣営に忖度している雰囲気がある。

 トウカイテイオーを通してシンボリ家相手に媚を売っているつもりなのか、単純にシンボリ家を敵に回すのが怖いのか。

 メジロ家やシンボリ家に対する批判も載せている『ハロンを駆ける』の出版社と違い、大きな権力を持つ相手には喧嘩を売らない辺りが完全に小物である。

 そして実績があろうと後ろ盾を持たない零細の人間に対してはどこまでも大きく出るのだ。慇懃無礼に傲慢に、世間の声の代弁者だと言い張って。

 それが結果的に、彼らが(おもね)ろうとしている大物に対する失礼になっていることもあるのが、端的に彼らの記者としての()を表していると言っていいだろう。

 

「えっと……トレーナー、なんていうか、えー……そのー……」

 

「謝らないでくださいね」

 

 ナイスネイチャが言いあぐねている間に網が先んじて釘を刺す。

 

「貴女が間違っていないと思い、自分が納得できる選択をしたのでしょう? それならその選択を自分で過ちだと認めるようなことはしないでください」

 

「でもほら……アタシひとりのダービーじゃなかったわけだし、トレーナーにも迷惑かけたわけだから……」

 

「迷惑なんてかけて当然です。私は貴女のトレーナーなんですから。子供(あなたたち)の行動の責任を取るのが大人(トレーナー)の仕事です」

 

 その答えは一見すれば綺麗事だ。しかし、それが本心から出たものだと、アイネスフウジンは知っている。「子供のくせに大人に気を使うな」と、乱暴な素の口調で何度も言われているのだから。

 それが、彼が自覚を持たなければいけない子供であったことや、責任を取らない大人を見てきたことが原因なのだとは、アイネスフウジンに察することはできなかったが。

 

「ほら、トレーナーもこう言ってるから、暗くなるのはおしまいなの! 大体、トレーナーはお金持ちだからGⅠ賞金くらい端金(はしたがね)だもんね〜」

 

「あ……でも、テイオーさんには謝ったほうがいいんじゃ……つらそうだったし……」

 

「何を言ってるんですか。トウカイテイオーに謝るなんて、トウカイテイオーに対して気を遣ったと言っているのと同じでしょう。ナイスネイチャは勝者として自分の都合だけで選択しないといけないんです。トウカイテイオーのことを考えて、勝者が敗者に配慮して選択することは、勝負それ自体を茶番に変えてしまいますから」

 

 それは勝者の権利ではなく、勝者の義務だ。勝負を貶めてはならない。敗者を貶めてはならない。この勝負の結果は一切の忖度なく、ただ力がぶつかり合って出たものであると保証しなければ、勝負そのものが成り立たなくなる。

 トウカイテイオーが2着を()()()悲しむのも、1着に()()()悲しむのも、どちらも等しくトウカイテイオーが背負うべきものであり、勝者には健闘を称える権利はあっても、慰めてやる権利はない。それをするべき人間は他にいる。

 そんな網の持論を聞いて若干の萎縮を見せるライスシャワーの肩に、アイネスフウジンが手をおいて庇う。

 

「ちょっとトレーナー。ライスちゃんは対人関係とか不慣れなんだからその辺のズレは仕方ないの! そんなにまくし立てなくてもいいの!」

 

「お姉さま、フォローはありがたいけど若干抉ってるよ……」

 

 暗かった雰囲気はだいぶ普段のそれに戻ってきている。ナイスネイチャは、心底このチーム《ミラ》に加入してよかったと感じた。

 ただ、ライブの時の、トウカイテイオーの未だ強張った表情に、彼女が立ち直れることを誰よりも強く祈っていた。

 

 

 

 その後、レース後のトウカイテイオーに跛行*2があったとの声が多数寄せられ、レントゲンによる検査が行われた。その結果『左脚足根骨*3骨折、全治6ヶ月』と診断されたことが発表されたのは、それから3日後のことだった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「急に押しかけてすみません、ナチュラルさん」

 

「いいんですよぉ、お仕事忙しいんですもの……こちらこそテイオーもお世話になってるのにお返しもできなくって……」

 

「それこそ遠慮無用、私がテイオーを気にかけるのは私が好きでやっていることですから」

 

 繁忙期であるこの時期に、なんとかスケジュールに穴を空けることができたのは、日本ダービーが終わったあとだった。

 時間はある。しかし、下手に動かしたら完膚なきまでに壊れかねない状態になってしまっていた。シンボリルドルフは、今ほど自分の立場を恨んだことはない。

 

「では、やはり……」

 

「えぇ、そのくらいからです。テイオーの雰囲気が変わったのは……」

 

 トウカイナチュラル――トウカイテイオーの母に目的の話を聞く。シンボリルドルフはそれ以前のトウカイテイオーを知らなかったし、トウカイナチュラルはその変化を悪いものだとは察していないようだ。

 第51回日本ダービー。その日を境にトウカイテイオーに起こった変化を聞いて、シンボリルドルフはトウカイテイオーの心の闇に、ひとつの確信を抱いた。

 

「……責任、か」

 

 トウカイナチュラルが一度奥へと引っ込んだときに、シンボリルドルフはそう溢した。

 ウマホを見る。マルゼンスキーからSMSで送られてきたのは「テイオーちゃんの目、思い出した」という言葉と2枚の画像。それでシンボリルドルフはすべてを察して、最後の確認としてここにやってきていた。

 マルゼンスキーにも感謝のメッセージを送った。きっと彼女も思い出したくないものだっただろう、記憶に蓋をしていただろうから。

 

「お待たせしました。これ、お土産ね」

 

「すみません、頂戴します」

 

「それと……よかったらこれ、テイオーに渡してもらえないかしら……あの子、学園に行くときに忘れていってたのよね……」

 

 それは、1枚の写真だった。数人の友人たちと遊んでいる写真だろうか、同じ年頃の子供たちがトウカイテイオーと一緒に写っている。

 トウカイテイオーは学園入学から、一度も帰省していない。これを渡す機会がなかったのだろう。シンボリルドルフは、それを受け取って今度こそトウカイテイオーの実家をあとにした。

*1
競馬での裁定と詳細で差異があるかと思いますが、人としての知能を持つウマ娘との判断基準の差であるとお考えください。

*2
歩行に支障が生じていること。なんらかの障害によるものであることが最も多い。

*3
実馬であれば脚の半ばにあるが、ウマ娘は人間と同じく踵あたりにある。つま先立ちなどで痛みを紛らわして隠そうとすることはできる。



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折れていた心

「テイオー」

 

 暗いそこに、トウカイテイオーはいた。

 大慶祭前の5月末、まだ手入れもされておらず、ホコリが溜まったあの神社裏の隠れ家。ランプがなければ先も見えないような洞穴の奥のベンチで、トウカイテイオーはひとり膝を抱えて座っていた。

 もうじき初夏だというのに乾ききった空気は、トウカイテイオーの心を表しているようだ。トウカイテイオーはこれまで、皐月で夢潰えたあの日からこれまで、一度も泣いていない。泣けていない。

 

「カイチョー……なんで……」

 

「マヤノトップガンから聞いた。テイオーならここだろうと」

 

 シンボリルドルフの顔を見たマヤノトップガンは薄く笑って「会長さんもわかっちゃったんだ」と呟き、トウカイテイオーの居場所を教えた。「マヤやテイオーちゃんのトレーナーさんじゃダメなんだってわかっちゃったから……」と言って。

 シンボリルドルフの予想通りなら、確かにこの問題を解決できるのは、恐らくシンボリルドルフだけだろう。

 シンボリルドルフは持ってきたランプを机の上に置くと、トウカイテイオーの隣に座った。

 

「カイチョー……ボクの脚、壊れちゃった……」

 

「…………」

 

「マヤノからもネイチャからも言われたけど、最初から知ってたんだ……それでも、三冠が欲しくて……カイチョーみたいになりたくて……でも、全部ダメになっちゃった……」

 

 トウカイテイオーの骨折は、競技生命を絶たれるほど絶望的なものではない。医者の言う通り、安静にして治ったあとに復帰トレーニングを施せば、現役復帰は十分に叶うものだ。

 しかし、その先で得られる栄光がシンボリルドルフに並ぶことは、恐らくないだろうとトウカイテイオーは覚っていた。

 そんなトウカイテイオーを見据えて、シンボリルドルフは自分の至った真実が間違っていないという確信を強くする。そして、今まで気づかなかったことを恥じた。

 

「でもね、カイチョー……違うんだ……全部ダメになっちゃったのも悔しいんだけど、そうじゃないんだ……わかんない、わかんないんだけど……ボク、()()()()()()()()()んだ……ねぇ、なんでなのかな……全然泣けないんだよ……」

 

 自分で既にそこまでは気づいていたのかと、シンボリルドルフは一度目を閉じて、改めてトウカイテイオーと向き合った。

 

「……テイオー、私は君の師だよな?」

 

「カイチョー……?」

 

「だから……いや、よそう、言い訳は。これは私のエゴだ。ただ、私は君に乗り越えてほしいと願ってる」

 

「カイチョー、何、言って……」

 

「向き合うときが来たんだよ、テイオー。君が安堵しているのはな」

 

 シンボリルドルフは、突きつける。ここですべての(もつ)れを解こう。一度すべてを終わらせよう。それが歪みに気付けなかった自分の取るべき責任だと。

 

「それは、ドリームカップに出なくて済むから……私と、シンボリルドルフと同じレースで走らなくて済むからだよ」

 

「……ぇ」

 

「マルゼンスキーに言われて、ようやく違和感を抱くようになった。あれだけ負けず嫌いで意気軒昂な君が、これまで一度として『シンボリルドルフを超える』と言わなかった。君が掲げた無敗三冠を達成すれば、私と直接対決できるドリームカップへ招かれるのは確実であるにも(かか)わらずだ。テイオー、君は……」

 

 マルゼンスキーが、送ってきた画像を思い出す。そこに写っていたのは、マルゼンスキーではなく一般のカメラマンが撮ったであろう、マルゼンスキーと同じ世代を走っていたウマ娘の写真だ。

 その目は、ふとした瞬間に現れるトウカイテイオーの闇と同じ色をしていた。あるいはこれはシンボリルドルフも知らないことだし、マルゼンスキーも記憶の片隅に引っかかっただけなのだろうが――チーム《ミラ》に加入する前のナイスネイチャと同じ目を。

 それは、圧倒的な才能を前に、心が折れてしまった、そんな目。

 

「君は、私を超えることを、私に勝つことを諦めていた。私に会ったあの日本ダービーで、既に」

 

 シンボリルドルフの突きつけた真実は、トウカイテイオーの心にストンと落ちた。反発も否定もする間もなく、深い納得とともに、心の隙間へとカチリと(はま)った。

 刹那、トウカイテイオーの顔から苦しみが抜け落ちる。そこにあったのは、虚無だった。自分自身からさえ隠し通していた、天才の抱える埋められない虚しさ。

 

「テイオー、君は紛れもなく天才だ。素質だけなら私を上回る。君はこれまで負けたことがなかったのだろう。事実、非公式戦含め皐月賞まで無敗だった。だけどだからこそ、私の日本ダービーを見て『絶対に勝てない』と思ってしまった」

 

 シンボリルドルフの走りは、そういう走りだ。圧倒的なスピードでレコードを刻むわけでも、数バ身の大差をつけて勝つわけでもない。ただ、レースそのものを支配し、最後にほんの少しだけ上回って勝つ。

 そのレースを見て、つまらないと言う者もいる。レコードや着差というわかりやすい指標がないから。しかし、トウカイテイオーから見たそれは違う色を帯びていた。

 先が見えない、果てが見えない、例えそのシンボリルドルフを超えたとして、瞬きのあとには、またそのほんの少し先に背中が見えるような、どこまで行ってもほんの少しだけ上回ってくるような、決して越えることのできない壁。

 トウカイテイオーはシンボリルドルフに、誰よりも"絶対"を見ていた。

 

「それは、極まった負けず嫌いである君には耐え難い真実だった。自分が一番速い、そうでなくてはならない、そうでないなら上回らなければならない、しかし、どうやっても勝てない。そんな苦悩の末に、君の願いは歪んだ。私を超えることから、私を超えたと()()()()ことへ」

 

 自分はシンボリルドルフを超えることができない。自分はシンボリルドルフを超えたと自分で認めることができない。

 だから、自分ではない誰かに認めさせる。

 シンボリルドルフに憧れていると、シンボリルドルフのようになりたいと公言して、シンボリルドルフと比較させよう。

 無敗の三冠、GⅠ7勝、シンボリルドルフの歩みをなぞろう。そうすればきっと、トウカイテイオーはシンボリルドルフと同じになれる。

 シンボリルドルフと直接戦わずとも、シンボリルドルフのいる場所へ行くことができる。

 当然、そんなことをトウカイテイオーが考えていたわけではない。そんな打算はどこにもなかった。トウカイテイオーの中にあったのはただ、自分の心を守ろうとする本能。

 

「ナチュラルさんに聞いたよ。君は私の日本ダービーを境に雰囲気が変わった。より活発に、より積極的になった。そして、レースで加減をしなくなった。それは反動だ」

 

「あ……は、はは……そうか、ボク、諦めてたんだ……最初から……」

 

「防衛機制の『摂取』、『取り入れ』とも言うらしい。それか、もうひとつ進行した『同一視』か。いずれにしろ、恥ずべきことではない」

 

 自分にとって理想的な相手や立場を模倣し、不都合な事実から逃避することで心を守る本能。

 マルゼンスキーを見たウマ娘がレースから身を引いて心を守った『逃避』や、トウカイテイオーを見たナイスネイチャがショックを和らげるためにした『抑圧』と同じ。

 それは心が持つ本能であり、何もおかしいことはない。

 

「ただ、それがある限りは、先へは進めない。だから乗り越えなければならないんだ、テイオー」

 

「無理だよ……カイチョーに勝てるわけない……それにボクの脚は……」

 

「治る。医者もそう言っていたのだろう。諦める理由にはならない。私だって故障した。しかしそのあと菊花をとったんだ。テイオーだって……」

 

「無理だよ!! カイチョーを超えられるわけない! カイチョーは……シンボリルドルフは絶対なんだ……七冠ウマ娘で……そんなの……勝てっこないよ……」

 

 トウカイテイオーは、泣いていた。どれだけ絶望の底にいても流れることのなかった涙が、彼女の瞳から溢れて、木のベンチに吸い込まれた。

 ナイスネイチャがトウカイテイオーに勝つことを認められなかったように、トウカイテイオーはシンボリルドルフに勝つことを認められない。神格化してしまっている。

 だが、トウカイテイオーはようやく自分の心と向き合うことができた。ここからが正念場だ、と。シンボリルドルフは一度大きく深呼吸してから、トウカイテイオーに語りかけた。

 

「テイオー、君は、私の日本ダービー以外に私のレースを見たことがあるかい?」

 

「…………、……ない……」

 

 記憶を探ってみても、トウカイテイオーの脳裏に浮かぶのはあの日本ダービーだけだ。無意識のうちに避けていた。シンボリルドルフの走りを見ることを拒んでいた。

 シンボリルドルフは「そうか」と一言呟いて、一度目を閉じた。

 考える。マルゼンスキーが自分のトラウマの瘡蓋(かさぶた)を剥がしてまでヒントを与えてくれたんだ。トウカイテイオーの心の底に無遠慮に立ち入って、隠れていた本心を曝したんだ。自分が自分に同じことをするのに、なぜ躊躇する。

 少しの沈黙ののち、シンボリルドルフは語り始めた。それは、シンボリルドルフの古い傷であり、シンボリルドルフが『皇帝』となったきっかけ。

 

「テイオー、私はな、()()()()()()()()()()()()




 ここまで張ってきた伏線がちゃんと機能してるのかどうか。それが心底心配です。


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皇帝曰く、真なる黄金とは

 トウカイテイオーは耳を疑った。シンボリルドルフが七冠ウマ娘でなければ、一体何だというのだ。

 しかし、シンボリルドルフはそんなトウカイテイオーの困惑を知ってか知らずか続ける。

 

「更に言うなら、三冠ウマ娘でさえない。そうだな、いいところGⅠ6勝か……いや、普通はこれでも十分な成績か。不満を言っていたら世のウマ娘から非難轟々だな」

 

「なに……言って……」

 

「私は、皐月賞をとれていないんだよ、テイオー」

 

 シンボリルドルフの、皐月賞。トウカイテイオーは見たことがなかったし、周りはトウカイテイオーも知っているものと思い込んでわざわざ話題に出すこともなかった。

 それは、シンボリルドルフのファンの一部が『黒歴史』と評することさえある、"絶対"についたひとつの瑕疵。

 

「私はな、それまでかなり荒れていたんだ。それこそ気性難、ライオンだなんて呼ばれるほどまでに。常に苛立っていたと思う。誰かが隣に立つのさえ嫌った。だから、常に独りだったよ。そんな私に近づいてきたのはそれこそシリウスシンボリかスズパレードか……彼女くらいのものだった」

 

 その彼女が誰なのか、トウカイテイオーは心当たりがあった。シンボリルドルフの同期でクラシック路線に進み、GⅠを勝利できたウマ娘はふたりだけ。

 ひとりは今名前が出てきた、宝塚記念を勝利したスズパレード。そしてもうひとり、NHKマイルカップを制覇したウマ娘。

 

「……ビゼンニシキ」

 

「……そうだ。私は皐月賞で彼女と当たり、最終直線でふたりともが抜け出して一騎打ちになった。彼女が私の隣に並んだ時、気づけば私は彼女に体当たりを仕掛けていたんだ。反射的にな」

 

「そんな……!」

 

「幻滅したか? ……弥生賞で、斜行してきた彼女の腕が当たる事故があって気が立っていたとか、疲れでよれたせいもあるとか、色々言い訳のしようはあるが……何を言ったところで無様を重ねるだけだ」

 

 俯くシンボリルドルフの顔には、苦渋と後悔が見て取れた。心の底のこびりついた、皇帝の古傷。

 

「当時、降着制度はなかったから、私はそのまま着順を変えることなく1着となった。体当たりをしなくとも私が1着をとっていたと言う者もいるが、しかしそれでも、降着制度さえあれば私は自分から……いや、私には無理か。今も、あの時も」

 

「カイチョー……」

 

 ナイスネイチャも、同じ気持ちでトロフィーを手放したのだろうか。もしも手放すことができなければ、ナイスネイチャは同じように後悔を抱えて生きることとなったのだろうか。

 そして今、それとは違う後悔を抱えているのだろうか。シンボリルドルフのときにはいなかった、手放したトロフィーを拾ってしまった自分という重石によって。トウカイテイオーは、そんな考えが頭から離れなかった。

 

「体当たりをしたという事実に動揺したままのウイニングライブ……映像で残っているが、あれは見ていられないな。振り付けや歌の歌詞や音程を間違えることはなかったが、声は震えていたし表情も取り繕えていない。頭が冷えたのは控室でしばらく呆然としてからだ。血の気が引いたよ。謝りに行ったが、相手のトレーナーが激怒していてね……二度と会わせないとまで言われてしまった。結局、日本ダービーで顔をあわせたんだが、一言も話せなかったよ」

 

「その……確か、ビゼンニシキは……」

 

「あぁ。NHKマイルカップで勝ち、日本ダービーで惨敗したあとに短距離路線へ転向。その初戦で故障して、引退したんだ。皮肉なことに『マイルの皇帝』*1の前に敗れてね……それから、一度も会っていない――合わせる顔がない」

 

 彼女を追い詰めた原因たる自分が、今更どの面を下げて会いにいくのか、と。そこまで話して、シンボリルドルフは一度言葉を切った。

 トウカイテイオーは、何も言えなかった。自分の知らなかった、知ろうとしなかった、シンボリルドルフの暗い過去。もうひとつの側面。かつて、暴帝であったときのシンボリルドルフ。

 

「テイオー、私の"領域(ゾーン)"を知っているか?」

 

「えっ……あ、うん……聞いたことはある……」

 

 見てはいない。言外にそう答えた。唯一見ていた日本ダービーでは、"領域(ゾーン)"は使われていなかったから。

 しかし、それでもシンボリルドルフの"領域(ゾーン)"は有名だ。陽光射し込む白亜の城。皇帝を出迎える真紅の絨毯と、神威を表すかのように弾ける神鳴り。

 サマー・ドリーム・ミドルでの「汝、皇帝の神威を見よ」の実況とともに、シンボリルドルフの象徴ともなっている"領域(ゾーン)"だ。

 

「あれはな、2つ目なんだ。1つ目の"領域(ゾーン)"を公式戦で使ったことは、一度もない。知っているのは、私の同期と、シリウスの世代くらいだな」

 

 それは、トウカイテイオーにとって初耳だった。確かに、シンボリルドルフの"領域(ゾーン)"は『神威』以外知られていない。()駿()()()()()2つ目の"領域(ゾーン)"に目覚める者も少なくないのに、シンボリルドルフはひとつだけであるというのは有名な話だった。

 

「紅葉舞う月下の山中と、自分の背を追う敵を一切の慈悲なく撃ち落とす矢が、元々の私の"領域(ゾーン)"だ。私はあまり好きではないし、かつてもそうだった。理由は今と違い、使ってしまうとつまらないというものだったがな」

 

 今は何故。その理由を、シンボリルドルフは口にすることなく続ける。

 

「間違いなくそれは、当時の私の心の内を表したものだったのだろう。だから私は、自分の戦い方を変えたんだ。皐月賞の過ちを二度と犯さないように」

 

「それって……」

 

「ああ。テイオーが見た日本ダービー。あれが、私が変わった第一歩だよ」

 

 完璧などではない。完全でもない。完成さえしていない。トウカイテイオーがかつて心折られたそれは、たったの1ヶ月で組み立てられた付け焼き刃だった。

 

「勉強をしたんだ。毎日毎日過去のレースの映像を頭に叩き込んで、分析して、対策を組み立てて、作戦を考えて、その末にできたのがあの走り方だ。あの走り方はな、特徴があるんだ」

 

「特徴……?」

 

「外から見ると何をやっているのかわかりにくいんだよ。常に相手の勝ち筋を潰して、自分の負け筋を潰して、転がった勝ちを拾う。レースを理解していないと、それこそ『いつの間にか勝っていた』ようにしか見えないんだ」

 

 あの日のトウカイテイオーのように。

 言外に付け足されたその言葉を、トウカイテイオーはリフレインする。そして、それは逆に言えば。

 

「レースを理解すればするほど、仕組みが見えてくる、ということでもある。もちろんそう容易いことではない。生半可な理解で紐解かれるつもりはないが……テイオー、君は無意識に私のレースを見ることを避けていたから気付けなかったんだろう。しかし恐らく、君が私のレースを見て、かつてのような絶望を感じることは、もうないと思う」

 

 それは、慰めには聞こえない。ただ、事実を淡々と述べているのだと、トウカイテイオーにもわかった。

 自分は、枯れ尾花に怯える子供でしかなかった。絶望的な壁など最初から存在していなかった。

 トウカイテイオーの絡まっていた心は、ようやく解れたのだ。

 

「……テイオー、私は君が羨ましいと思っている。いや、妬んでいるとさえ言える」

 

「え……!?」

 

「競い合える友がいる。それは、なにものにも代えがたい才能だ。……気づいたときには、私の手からはもう零れ落ちていたものだ……」

 

 強者が常に孤独ではない。しかし、シンボリルドルフが現役である間、シンボリルドルフに()()()者は現れても、()()()()()者は現れなかった。

 多くの場合、ドリームシリーズに進んだウマ娘は成長が止まり、劣化との戦いになる。ようやく渡り合える好敵手を手に入れても、それで研ぎ澄まされることはない。

 

「ウマ娘は切磋琢磨してこそ、より強く練り上げられる。私たちは、ひとりでは強くなれないんだ、テイオー。友を、好敵手を大事にしなさい。それは、王冠よりもかけがえのない真なる黄金(たからもの)だ」

 

「カイチョー……」

 

「テイオー、これから君は、強くなれる。私は待っている」

 

 シンボリルドルフは立ち上がり、テイオーに背を向ける。ついてこいと言うかのように振り返って、宣言する。

 

「ドリームシリーズへ来い。そして、私を、"絶対"を超えてみせろ、テイオー」

 

 トウカイテイオーの胸に、魂に火が点る。それは、決して消えることのない不屈の炎。帝王の伝説は、ここから始まるのだ。

 そこにもう虚無はない。悔しさはバネに、敗北は糧に、今まで虚しさの中に消えていたすべてを原動力へと変えて、トウカイテイオーは立ち上がる。

 

「もう、大丈夫そうだな」

 

「うん……ありがと、カイチョー」

 

「気にするな。腑抜けた弟子に叱咤激励しに来ただけさ」

 

「ははっ。流石ボクのシショーだ。バッチリ効いたや。そうだね……考えすぎてた。考えなくてもわかることだった」

 

 その顔にあるのは、いつもの小生意気な不敵の笑み。

 

「無敵のテイオー様が、骨折なんかに負けるはずない。当然、皇帝にだって負けない。勝ってみせるさ!」

 

 強い炎は風を跳ね除け、雨を飲み込み地を焦がす。

 この先幾度その身が折られようとも、その歩みが止まることは、心が折れることは、決してない。

 

 

 

 シンボリルドルフとトウカイテイオーが連れ添って神社から出ると、1台のワンボックスカーが停まっていた。トウカイテイオーにも見覚えのある、トレーナー安井の愛車だ。

 シンボリルドルフが当たり前のように助手席へ乗り込んだので、トウカイテイオーは後部座席に乗ろうとして、気がついた。運転手である安井とシンボリルドルフの他にもうひとり、後部座席の奥に座っている人物がいた。

 三十路を過ぎたくらいの男性で、胸元にはトレーナーバッジが着いている。

 

「あっ……えっと……」

 

「キミが、トウカイテイオーか。はじめましてだね、ボクは岡田優輝(おかだゆうき)という。ルドルフが現役のとき、リギルでサブトレーナーをやっていた」

 

「昔は頼りなかったが、今はそれなりに信頼できる相手だ」

 

「ハハ、相変わらず手厳しいな、ルドルフは」

 

 トウカイテイオーがシートベルトを締めて、車が発進する。トウカイテイオーはなんとなく、状況が飲み込めてきていた。つまり、きっとそういうことなんだろう。

 そして、その考えどおりの結論を安井は口にした。

 

「俺は……テイオーのトレーナーを降りることになった。俺はリギルのサブトレとしてもう少し経験を積む。今後は、お前のトレーナーは岡田さんが務める」

 

「……そっ、か……そう、だよね……ボクのせいか……」

 

「違うさ。これがトレーナーの仕事だ。お前はお前の意思で走った。俺はその責任を取る、それだけだ」

 

 トウカイテイオーの脚の故障は、日本ダービーのレース中のものである可能性が十分に考えられるというのが、医者の見解だった。

 その事実は、『だから決してトウカイテイオーが弱いわけではないんですよ』とでも言いたいかのような月刊ターフの記事をはじめ、多くの新聞や雑誌、ネットメディアで飛び交った。

 その結果、批判が集中したのは当然のごとく、トレーナーである安井だった。結果として、安井はトウカイテイオーが故障したことの責任を取ることになった。そして多くの人間の認識は、そこに皐月賞の敗着の責任も含むものだろう。

 

「テイオー、これはケジメだ。もしお前がこれを辛いと感じてくれているんだったら、それがお前への罰だ。それ以外のすべては、俺が持っていく。だからお前は気にせず前へ進め」

 

「トレーナー……ごめん……ボク……」

 

「ちゃんと前見て歩け。もう転ぶなよ」

 

 トレセン学園へ向かっていた車は、涙が乾くまで道を逸れることとなったが、文句を言う者はいなかった。

 

 

 

「そうだ、テイオー。ナチュラルさんからお前に届け物だ」

 

「ズズッ……え、なになに? ……あー! 懐かしいなぁこれぇ……まだカイチョーのダービー見る前の頃の写真だよ〜」

 

 トウカイテイオーが受け取った写真。特徴的な流星があるトウカイテイオーを中心に、同年代のウマ娘たちが写っているそれ。

 トウカイテイオーの後ろでピースをしている、流星のないテイオーのような娘や、芦毛の臆病そうな娘、トウカイテイオーと肩を組む焦げ茶の二つ結びの娘や、後ろの方で転んでる娘など様々なウマ娘が写っている。

 

「でもあれだなぁ……スバル姉以外名前覚えてないなぁ……この娘とか、いっつも駆けっこして仲良かったはずなのに……あ、もちろんボクがいつも勝ってたよ?」

 

「スバル……あぁ、トウカイスバルか。ウイナーの弟子の」

 

「そうそう。それで……あ! ごめんトレーナー! ちょっと停めて!!」

 

 急に声を上げたトウカイテイオーに驚いた様子の安井だったが、歩道を歩くウマ娘の姿を見つけて納得したのか、路肩に寄せて車を停めた。

 トウカイテイオーは車を降りて松葉杖を突きながら、並んで歩いている青ともふもふに近づいていき、声をかけた。

 

「ターボ! ネイチャ!」

 

「ん、うぇ、えぇ!? テ、テイオー!?」

 

 予想外の狼狽を見せるナイスネイチャ。それはそうだろう、ここ数日の彼女のメンタルはそれはもうどん底だった。

 鍍金(メッキ)の王冠を押し付け一方的に菊花賞での再戦を挑んだ相手が、実は日本ダービーで既に故障していて、しかも菊花賞には出られなくなっていたのだ。

 自己嫌悪と罪悪感と後悔とでぐちゃぐちゃになっていたナイスネイチャを見かねて、網の指示でここ数日はトレーニングを完全に休みとしてツインターボやアイネスフウジンにあっちこっちへ連れ回させていた。

 そんなところへ唐突なトウカイテイオーである。ナイスネイチャも急に現れた意中の相手(語弊)に戸惑っているその間に、トウカイテイオーは勢いよく頭を下げた。

 

「ごめん! 菊花賞出られない!!」

 

「あぁぇうぉ!? え、いやいやいや、謝るのはこっち……でもないっていうか謝るようなことではないから!!」

 

 ナイスネイチャが謝るのはアカンという網の言葉を思い出して7割くらい吐き出していた謝罪を飲み込み弁解するナイスネイチャ。

 そしてそのナイスネイチャを一切気にせず、トウカイテイオーは言葉を重ねる。

 

「あと、今までちゃんと見れてなかったことも、ごめん!」

 

「え、あ、うん……」

 

「もう、大丈夫だから。ちょっと遅くなるかもしれないけど、待ってて」

 

 まっすぐと自分を見据えてはっきりとそう伝えるトウカイテイオーに、ナイスネイチャは――絶対にそんなはずはないのだが――心配していたのがバカらしくなってしまった。

 よく考えれば、自分があーだこーだと考えたって仕方がない。トウカイテイオーの周りにはあれだけ善き人たちが大勢いるのだ。そのひとりに自分が含まれてるとは(つゆ)とも思わないナイスネイチャは、返事の代わりにトウカイテイオーの額にデコピンをお見舞いした。

 

「そう、それで、ターボも。必ず追いつくから、待っててよ」

 

「おう! ま、今更ちょっと待たされるくらいどってことないよ!」

 

 そう言って笑いあう3人を、車の中から見つめるシンボリルドルフ。かつての自分にはなかった眩しすぎる黄金。

 きっとトウカイテイオーは強くなる。そう再び確信して、彼女を預ける新たなトレーナーへと声をかける。

 

「テイオーを頼んだよ、優輝」

 

「あぁ、任せてくれよ。ボクと彼女はキミの弟子だよ?」

 

「君はウマ娘優先主義とか言って、ウマ娘が走りたいと言えば故障するかもしれなくとも走らせるから信用ならん」

 

「それは直せないから、他のところでなんとかするさ」

 

 これから先、トウカイテイオーを待ち受けるのは決して楽な道ではないだろう。

 しかし、トウカイテイオーは独りではない。だからきっと乗り越えていける。シンボリルドルフは、西陽に照らされた眩いばかりの友情の未来に思いを馳せた。

*1
ニホンピロウイナー。現役当時、マイル戦においてはシンボリルドルフを上回ると言われた『マイルの皇帝』。事実、ドリームシリーズでシンボリルドルフとマイル戦を3度争い、そのすべてに先着している。




 88年生組はこれで一区切りです。終わりではありませんがあくまで主人公はチーム《ミラ》なので、他の面子の話もやっていきます。

 元々書き始めた当初はオリウマ娘の話だったんですが、あれもこれもそれも書きたいと詰め込んだ結果オリ主をトレーナーにして年代またいで詰め込んだほうがエエなと結論づけたのがこれなので、話はあっちこっちします。
 この辺りは改める気はありませんので、色んな所にスポットライトを当てながらも、チーム《ミラ》が世間を騒がせる様子をこれからもご覧いただければ幸いです。

 ちなみに88年生組のストーリーには個人的にイメソンがあって、SCANDALさんの「瞬間センチメンタル」をイメージしていたりします。有名なのでたぶん皆さんご存知だと思いますが、ぜひ聞いてみていただきたいです。


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オグタマライブ ??/05/26

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやでー!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいどー!』

『まいど』

『おつ』

『オグリのまいどたすかる』

 

「さて、今日はクラシック戦線第2戦、日本ダービーの実況をやっていくで!」

 

「先々週のNHKマイルカップではリンドシェーバーが、オークスではイソノルーブルが1着となった」

 

『ルーブル信じてたで!(クルー』

『補欠とか関係ないんや、入った時点ですごいねん中央(クルー』

『やっぱ裸足のシンデレラなんだよなぁ(クルー』

『ウラレ民*1の手首はもうボロボロ』

 

「んで今日の日本ダービー、皐月賞を戦ったツインターボとトウカイテイオー、イブキマイカグラやシャコーグレイドに加え、日本ダービーから新たに参戦するのはホープフルの勝者ナイスネイチャと、新星レオダーバンや!」

 

「前評判ではこの6人の人気がほぼ拮抗している。誰が勝ってもおかしくないという評価だろう。個人的には、レオダーバンは少し距離が足りないような気がする。彼女はステイヤーだろうな」

 

『レオダーバンアホの子で好き』

『110の娘』

『なんで百十なんだろうって文字打って理由に気づいた』

『百獣か……』

『タボボ並のアホの子がいるとは……』

『タボボは無敗の皐月賞ウマ娘様やぞ、控えろ』

『この時点で無敗三冠の権利がタボボにしかないの芝』

『絶対行かないと思うけど菊花賞行ってほしい』

『黒い人なら菊花賞はネイチャに取らせるだろ流石に』

 

「ゲート入りはスムーズだな。トウカイテイオーの雰囲気が皐月賞とはだいぶ違うが」

 

『ひりついてんな……』

『皐月で負けて慢心が抜けたか』

『タボボも心なしキリッとしてる』

『してるか?』

『わからん』

 

「2400mはまずツインターボが走りきれるかが問題だな」

 

「いけるんちゃう? 皐月のあと割とぴんぴんしてたやろ」

 

『ていうか初っ端からスパートかけてなんで大丈夫なの?』

『普通に走らせたら長距離保つのかね』

『2400m大逃げしきったカブラヤオーは後ろから来るウマ娘への恐怖で疲れを忘れてリミッター解除してるらしい』

『あのビビリスピードだけじゃなくてスタミナにも寄与してたんか』

『ホントに恐怖だけで走ってんの芝』

『マジレスすると正確には有酸素運動から無酸素運動に切り替わるギリギリで走ってる。無酸素運動になるとスタミナ消費量が一気に上がるから』

 

「私たちはそういう理論はよくわからない」

 

「トレーナーに任せてるもんなぁ」

 

『それはそう』

『それがトレーナーの役割』

『タボボに限らずトレーナーは外付け頭脳よ』

 

「おっ、ゲート入り終わったな」

 

「今日のファンファーレは府中農業大学吹奏楽団のみなさんだ」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「ハナをとったのはやはりツインターボだな。シンホリスキーとイイデサターンが後を追う」

 

『隊列が動かねぇ』

『テイオー大外のまま走ってるな』

『ネイチャがまんじりともしないの怖い』

『俺は死ねどすはんが怖い』

『この前ウマッターで「い段、う段、んの後にはんは付けへんさかい死ねどすさんやよ」って呟いてた』

『本人に捕捉されてて芝』

『死ねどすはいいのか(困惑)』

『全国のウマ娘が憧れる名前の姿か……? これが……?』

『見た目だけならウマスタグラムっぽいのにウマッター派なのか死ねどすさん』

『両方運用してるぞ。ウマスタにはキラキラした感じの、ウマッターではアンチ煽ったりキッズ釣ったり』

『ウマッター垢名「イブキマイカグラ@タヒねどす」で芝』

『コンプラには配慮するのか……』

『ID@mykgr_dieなんやが』

『うーんこの火の玉ストレート』

 

「ネイチャがわからんすぎてマークにつけてへんな。テイオーも大外やし」

 

「今までのレースでは積極的に動いていたからな」

 

『そんな動いてたか?』

『移動って意味じゃなくて働きかけって意味だろ』

『それでもわからん……』

 

「おっ動いたな。相変わらずけったいなフットワークやな」

 

「ツインターボとはまた違うコーナーの巧さだな。よほど足首が柔らかいのだろう」

 

『位置取り大体皐月賞と一緒?』

『皐月の時2400あれば差しきれたって言ってたからまぁ妥当』

『あとは仕掛け位置かぁ』

『ネイチャがマークされ始めた』

『うわ、かなりマークされてる』

 

「今気づいたが、ツインターボは皐月賞のときより遅く走っているんだな」

 

「え? さよか? ウチは見てもようわからんけど……」

 

「一回りか二回りほど遅いようだ。これなら走り切れるんじゃないか?」

 

『ツインターボが加減した……だと……』

『タボボ調整とかできたんだ』

『ハイローなくてオンオフのみだと思ってた』

『ミニ四駆かな?』

 

「ナイスネイチャが動いたな」

 

「上がってくな……おーおー先行集団に突っ込んどるで」

 

『え? 掛かった?』

『ナイスネイチャって差しだったよね』

『タボボと同じチームなんでしょ? 掛かるか?』

『あの位置からじゃないと差しきれないとか?』

『いやそれはまさかよな』

『シャコたんが上ってったけど死ねどすさんは動かず』

 

「ナイスネイチャにつられて全体的に位置を上げたな。狙いはこれか」

 

『テイオー囲まれた』

『は? なんでテイオーが囲まれてんの』

『ネイチャが掛からせたやつらがバ群になってテイオー囲った』

『チーミングじゃんこんなん』

『ちげぇよ』

 

「なるほど、下り坂か。下り坂で前に重心を崩して脚を節約しながら加速したんだ」

 

「なんやレオダーバンも上がっとるんやけどなんあれ」

 

「それはわからんな」

 

『見てたけどネイチャがちらっと見てた』

『流石にこじつけ』

『マイカグラは位置上げてないけど届くのか?』

『府中の直線は長い』

 

「イイデサターンが掛かったからトウカイテイオーが抜けたな」

 

「どう見る? ウチにはトウカイテイオーがなんかやったように見えた」

 

「ルドルフのような威圧を使えるとは思えないから、音とかじゃないか?」

 

『テイオーがなんかやったのは確定なのか……』

『なんであいつらレースで能力バトルやってんの?』

『そもそも領域とか言ってる時点で』

『レーヌ』

 

「シンホリスキーとイイデサターンがペースを上げおったな」

 

「掛かったのも有るが、それ以外の勝ち筋がなくなったからな。この時点でツインターボを抜かないともう勝ち目がない」

 

『ターボに追いつくか?』

『あ』

『いやまだ上がんのかよ』

『常にスパートなのでは?』

『だから正確には無酸素運動だけにならないギリギリのラインだって』

 

「逃げふたり坂で垂れてもうたな」

 

「これは脱落だろうな……む」

 

「レオダーバンが上がってきよったけど無茶苦茶しよるなこいつ」

 

「この距離をロングスパートか……本質的にはステイヤーなのか?」

 

『なんか叫んでない?』

『レオダーバン、吠える』

『百獣の王だから……』

 

「府中の上り坂付近でツインターボと後続まで約20バ身差か」

 

「ツインターボが坂得意なんもそうやけど、トウカイテイオーは坂苦手やんな」

 

『タボボ垂れないぞ!』

『既視感』

『今回は2400mだから差せる』

『シャコたんスタミナ限界そうだな』

『何気にナイスネイチャも来てる』

『レオダーバンと死ねどすさんが競り合いか』

『差しの110と追込の死ねどすがこの位置で競り合ってるのはもう死ねどすの勝ちでは?』

 

「うっわエゲツないわぁ、20バ身が秒で溶けるやん……」

 

「ストライド走法並の歩幅でピッチ走法並の回転数を出してるからな……む」

 

『!?』

『は?』

『どうした』

『故障か?』

『縁起でもないこと言うな』

『ネイチャ来てる』

 

「これあれか、ネイチャか」

 

「そうだな。今度はルドルフの威圧に近いかもしれない」

 

『【速報】ネイチャ、皇帝と同じことができる』

『妨害だろこれ』

『睨みつけられたから妨害になりましたは流石に……』

『皇帝敵に回したいなら言ってこいよ』

『ふたりが失速した隙にネイチャも追いついたな』

 

「3人並んだで!」

 

「直線もあと僅かか……む」

 

『ターボおおおおおおおおおお!!』

『流石に2400mはきつかったか』

『ネイチャが前!』

『ネイチャよれんかった?』

『テイオーまた負けかよ』

『ネイチャ1着!』

『タボボ垂れた……』

『ダーバンとマイカグラはマイカグラが勝ったか』

『テイオーってもしかして弱い……?』

『んなわけねぇだろカス』

『テイオー弱かったらここにいるほとんどが弱いんですがそれは……』

『テイオーどこ行くんや』

『地下バ道』

『テイオー顔死んでた』

『ネイチャもどこ行くん?』

 

「なんや、ナイスネイチャが本部の方行ったな」

 

「ナイスネイチャがゴール手前でよれた。その直後にツインターボが失速したから、走行妨害と判定されたのかも」

 

『マジで?』

『わからん』

『審議点いた』

『審議ランプ』

『ネイチャ呼び出し?』

『睨みが妨害だったんだろ』

『ちげえよバカか』

 

「ふむ……あぁ、変わったな」

 

「ナイスネイチャがツインターボの後になったっちゅうことは、ナイスネイチャがツインターボの走行妨害したっちゅうことやんな?」

 

「そう判断されたということになる」

 

『マジかよネイチャ最低だな』

『同じチーム同士で食い合ってる……』

『タボボ……』

『テイオー棚ぼたじゃん。笑えよ』

『画面見ろ。審議申告したのネイチャ本人』

『えぇ……』

『黙ってたらバレなかったのに』

 

「ええスポーツマンシップやないか」

 

「しこりを残したくなかったんだろうな」

 

『テイオーにしこり残ってんぞ』

『てかツインターボがあそこから勝ってたは無理があるだろ』

『あそこから再加速とかあんの?』

『ビデオよく見ろ。実際一瞬加速してる』

『ネイチャが横から出てきてブレーキかけてんのか』

『足大丈夫なんか?』

『黒い人また引きつった笑顔してそう』

『テイオーこの結果見ずに帰ったけど……』

『無能が知らせに行くだろ』

『安井Tのこと無能って呼ぶのは普通に誹謗中傷だからやめろ』

『実際安井じゃなけりゃ勝ててたろ』

『勝ってんじゃん。喜べよ』

『おこぼれで勝って被る王冠は美味いか?』

『冠食うな』

 

「荒らすな荒らすな」

 

「コメントNGが間に合っていないな……」

 

『黒い人出てきた』

『ポーカーフェイスやな』

『Q.審議申告はナイスネイチャがしたのは本当か』

『A.本当。判断はナイスネイチャの独断だが追認する』

『Q.走行妨害がなければツインターボが勝っていたと思うか』

『A.ナイスネイチャより先着はしていたでしょうが、トウカイテイオーとどちらが勝っていたかはわからない』

『いやわかるだろ』

『絶対タボボだぞ』

『テイオーに決まってんだろ』

『だから濁してんだろ』

『Q.ナイスネイチャがわざとツインターボを妨害をした可能性は?』

『A.やるならルールに違反しないようにやるでしょう』

『やらないって言わないの芝』

『妨害すんの認めてんのかよ性格悪ぃな』

『戦術の範囲内ってことだろ。テイオー負けたからってかっかすんなよ』

 

「ルドルフもやってるやつやかんな」

 

「それもまた技量だろう」

 

『Q.今回の降着でトウカイテイオーは"鍍金の王冠"を戴いてしまったわけですが、もしかしてそれも作戦の一貫だったのでは?』

『ターフ芝』

『ターフだけ本文まんまで芝』

『今まで要約してたのに唐突な全文で笑っちゃった』

『クソターフ』

『やタ糞』

『うんち!』

『A.それをやるならもっと効率的な方法はいくらでもあるのに、わざわざダービーを逃してまでやる意味はない』

『ド直球で芝』

『やろうと思えば』

『答え方が黒い』

『こいつなんで中央受かったんだよ』

『有能だからだろ』

 

「マジでターフ潰れへんかな……」

 

「タマ、音入ってる」

 

『火のタマストレートで芝』

『白い稲妻から引火しそう』

『Q.ナイスネイチャが自分からダービーを手放したことに対してなにかありますか?』

『A.本人の納得が優先です。それに、ダービーは去年いただきましたので。皐月も貰ったことですし、次は菊が欲しいのでそちらで頑張って欲しいですね(本文ママ)』

『ぐう聖』

『悪の親玉のような外見から聖人みたいな発言』

『これは有能トレーナー』

『好感度稼ぎだろ』

『好感度稼ぎでもこのコメントが瞬時に出るのすごいわ』

『黒い人「菊とれ」ネイチャ「はい……」』

『当たり前定期』

 

「ライブは30分後か」

 

「早めに閉じてもええかもな」

 

『死ねどすさんのウマッター』

『マイカグラなんしてんの』

『死ねどすさんこれ盗撮……』

 

「なんやなんや」

 

「イブキマイカグラのウマッターでなにか投稿されたようだな」

 

『ネイチャVSテイオー』

『ネイチャ……』

『まぁ見た感じよれただけっぽかったけど』

『勝負の世界は厳しい』

『死ねどすさんどんな顔してこれ撮ってんの』

『やらせだろ』

『テイオーこれはこれでおつらい……』

『確かに青春だけど死ねどすさんウマートの「お熱いおふたり」はまた意味が変わってくるだろ』

『痴話喧嘩かな?』

『幼馴染みだったはず』

『テイネイクルー?』

『タボボもしょぼんとしとる』

『黒い子こっち気づいてない?』

『ミラの新しい子めっちゃこっち見てて芝』

 

「まぁそれ以上は掲示板でやりや。こっちはそろそろ閉じとこか」

 

「そうだな。それじゃあ今回はここまでだ」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『はークソ』

『ほなな〜』

『ほなな』

『ほななー』

『ラス米ならゲタが滅びる』

『オグリのほななたすかる』

*1
URAレース民の略。特に掲示板に入り浸ってる人たち。



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俺は医学の天才だ

 ナイスネイチャとツインターボがトウカイテイオーと和解したその週の日曜日。ライスシャワーがメイクデビューに勝利した。

 アイネスフウジンやナイスネイチャのようにメイクデビューで緊張したわけでもなく、苦戦したわけでもなく、先行押し切りで普通に走って普通に勝った。

 ライスシャワーの課題は肉体面よりも精神面である。具体的に言えば、ライスシャワーは強い目標がないとステータスに大きなマイナスがかかるような不安定さがあったのだ。

 あったのだが、網が対処する前に勝手にミホノブルボンという超えたい相手を見つけて勝手に目標に据えてしまったため、網が手を出すまでもなくなっていた。網としては楽なものだ。

 時折変に自意識過剰かつネガティブになるのさえどうにかしてしまえば、ライスシャワーはかなり手のかからない娘だった。オーバーワーク気味だったのも言ったら辞めたし。

 

 というわけで思わぬところで手が空いた――本来はライスシャワーを抜いてもひとりで3人の監督をするのは至難の業だが、網の指導方法はトレーニングと食事のメニューを考えて、あとはやってはならないことをやらせないだけなので難しくはない――網は、少し早めに予定を消化することにした。すなわち、新人のスカウトである。

 本来、ライスシャワーの同期をスカウトするなら遅すぎるし、その次世代なら早すぎるのだが、ライスシャワーからの相談でスカウト相手が決まっており既にアプローチをかけている。

 そうなると、変に時期を待つより早めに手元に置いてしまったほうがいい。他のトレーナーからは睨まれるかもしれないが、網はウマ娘からの評判はともかく同業者からの評判は特に気にしていなかった。

 

「ライスシャワー、その段ボール箱を持ってついてきてください」

 

「? はーい」

 

 軽い様子で返事をして、ごく一般的なサイズの段ボール箱を軽く持ち上げるライスシャワー。女の子に荷物を持たせるとはと思うかもしれないが、この文化圏では普通のことだ。

 トレセン学園に通うウマ娘はおおよそ間違いなくサラ系種であるためそれほどでもないが、バ車ウマ娘やばんえいウマ娘で有名な中重系種などは特にものを運ぶことを好む者が多い。

 その影響で、未だに多くの文化圏で「ウマ娘により多くの荷物を持たせられる男は甲斐性がある」などという言説がまかり通っており、無論、荷物は基本ウマ娘が持つものだ。

 なお、人間の女性に荷物を持たせようとする男は普通に引かれる。

 

 そんなこんなでやってきたいつものカフェテラス。目的のウマ娘はひとり、ウマホをいじって待っていた。 

 ライスシャワーと同じくらいには小柄な体躯は、意外とガッシリしているライスシャワーとは違い華奢なためさらに一回り小さく見える。

 短めに整えられた鹿毛が揺れるのを見て、網は「そういやうち鹿毛か黒鹿毛しかいねぇな」などという感想がよぎった。

 彼女こそ、今回のスカウト対象であり、ライスシャワーのアルバイト先の花屋の娘でもある、高等部のナリタタイシン。ナリタ流の所属ウマ娘である。

 

 まとめて名門、寒門とくくってはいるが、名門は正確には名門と名家に分けられる。メジロ家、シンボリ家、トウショウ家など名門の代表とされているのは大概名家だ。

 名家というのは、文字通りの『家系』である。ウマ娘レースに人生を懸け、自らの"血統"と"技術"、そして"矜持"と"名前"を繋いできた、連綿と続くウマ娘レースの貴族たちだ。それが影響しているのか、名前の一部を同じくするウマ娘が産まれやすい。 

 一方の名門は言ってみれば『流派』あるいは『私塾』に近い。サクラ軍団を筆頭に、ヒシ梁山泊、キョウエイ・インター組、マチカネ一門などがあるが、これらは血の繋がりは関係なく、小学生ほどの才あるウマ娘たちを集めて、トレセン学園へ入学するまでの指導を行うのだ。

 この名門と名家に当てはまらないのは、名家である本流のニシノ宗家と、その分家であるが血縁はないために名門に分類されるセイウン分派やシロー分派を纏めての呼び方、ニシノ一家。

 そして、かつてはひとつの名家であった幾つもの名家が連携して、ひとつの名門のように振る舞っている最大規模の派閥、社北(しゃほく)グループである。

 

 閑話休題、ナリタ流と言えば、オースミ流と源流を同じくしながらも指導方針の違いから独立し、ナリタの冠名*1を専門に指導するようになった門派であり、名門と言うには少々新興である。しかし、実績自体は出している。

 ではナリタタイシンの評判はと言えば、あまり良いとは言えない。その原因は彼女の体格にある。ツインターボやライスシャワーを筆頭に小柄なウマ娘は少なくないが、ナリタタイシンは華奢に過ぎた。

 「本当に走れるのか?」という台詞が嘲笑や揶揄、あるいは忠告や心配として囁かれる一方、強いという話はとんと聞かない。それは、彼女の後輩に当たるナリタブライアンが、デビューは更に先になるにも拘わらず既に高い評判を得ているのとは完全に反対にと言っていいだろう。

 

「お待たせしました、ナリタタイシン」

 

「……えっ、あ、はい……」

 

 現れた人物が予想外だったのか、一瞬フリーズしたナリタタイシン。普段は気を張って比較的おおよその人物に対して敬語を使わないのだが、反射的に敬語が出てしまっていた。

 元来臆病で人見知りする性格であり、さらには若干人間不信気味であるナリタタイシンにとって、胡散臭さの塊である網は一種の鬼門だった。胡散臭くはあるが慇懃で丁寧、かつ基本笑顔であるため、強く出ることに抵抗を覚えるためだ。

 

「私が今回貴女をスカウトしたいと考えている、チーム《ミラ》担当の網です。こちらはご存知かもしれませんが、うちに所属しているライスシャワー」

 

「えっと、ナリタタイシン……です」

 

「よろしくお願いします。あぁそうだ、ジューサーは気に入っていただけましたか?」

 

「!! えっと……あれ高いんじゃ……」

 

「先行投資です。それに経費で落ちます」

 

 そんな話から始まった面接は、しかし「基本的には手紙に書いたとおりです」で終わった。ナリタタイシンにスカウトされる意思があり、網にはスカウトする意思がある。それで十分だった。

 例えばこれが、時期が選抜レース直前でナリタタイシンが焦っていたり、悪評が今よりも更に多くトラブルが続いて精神を消耗していたり、トレーナーが無名の新人で第一印象に地雷を踏んでいたら、ナリタタイシンはもっとひねた反応を返していただろう。

 しかし今のナリタタイシンは、今までの積み重ねで精神的な消耗はあるもののまだ余裕があり、新人ではあるものの実績を上げている網のアプローチが落ち着いた事務的なものであったために、冷静に受け入れることができた。

 先に数万円にも及ぶ物資的投資を受けていたという点も大きい。価格というわかりやすい指標で示された期待であったために、人間不信気味なナリタタイシンであっても信用することができた。

 

 ここで一度、場所を部室へ移すことになった。ナリタタイシンが加入を渋るようなら、ライスシャワーに持たせていた段ボール箱を渡して一度保留にするつもりだったが、案外するりと加入してしまったために、ライスシャワーは特に意味もなく荷物を持って往復することになった。

 部室で腰を落ち着けて、網は本題へと入る。先んじての聞き込みで、ナリタタイシンがその体躯をコンプレックスとしていること、地雷であることはわかっていたために、先に「当面は弱点の補強を軸にします」と前置きした上で話し始める。

 

「自覚はあるかと思いますが、貴女の弱点は()()()()()()()()()()()()()点にあります」

 

「……はっきり言ってくれていいんだけど。体が小さいのが悪いって」

 

「いえ、小柄な体躯は戦術でどうにでもなりますのでそれはあまり」

 

 てっきり普段受けているそれに繋がると思って強がりな面を出しかけたナリタタイシンは、肩透かしを食らってキョトンとした顔をする。

 

「バ群に入ると不利になるなら逃げか追込の脚質を選んで、そもそもバ群に触れないように逃げ切るか大外から差しきればいいので、問題は単に体を作るための栄養が足りていないことです」

 

「は、はぁ……」

 

「なので、当面は体質改善ですね。筋肉の材料であるタンパク質が不足した状態で過度にトレーニングを積むと、体は今ある筋肉を分解してエネルギーに変えようとするので、完全に無駄に終わります」

 

「あ、それライスも言われた。肩コリ」

 

「カタボリック*2です」

 

 意識の隙を突かれて気の抜けた返事をするナリタタイシンの前で天然ボケを炸裂させるライスシャワー。それに突っ込む網が続けた説明は、わかりやすく的確だった。

 

「趣味はゲームとお聞きしたのですが、もしかして夜遅くまでゲームをやったりウマホをイジっていたりしませんか?」

 

「あ、えっと……はい……」

 

「夜は早めに寝てください。トレーニングの量が減るので趣味はその時間に。それと、ブルーライトカットメガネを支給するので、夜間はそれを使用して、ウマホもブルーライトを抑制するリラックスビューを使用してください。大抵どの機種にも付いています。

 理由としては、睡眠が浅くなるからです。睡眠が浅いと、深い睡眠のときにしかされない成長ホルモンの分泌に差し障りますし、寝不足にもなります。実際昼寝をしているところが目撃されていますし。さらに、自律神経失調症にもなりやすくなります。こちらは既に症状が出ているようですね」

 

「えっ」

 

「見た限りでも疲れやすさや頭痛、ふらつき、イライラや不安、集中力と記憶力の低下、感情の起伏が激しくなるなどがあります。覚えがありますか?」

 

 ナリタタイシンは頷く。身に覚えしかなかった。

 

「自律神経失調症は栄養不足と睡眠不足、ストレスから発症するのでそこを改善することです。なのでブルーライトによる負荷を減らして早めに寝てください。それと、食にこだわりもないようなのでこちらで消化吸収によいメニューを登録しておきます。食堂で三食食べてください。ジューサーで作るジュースも今後は食事メニューにあわせて指定します」

 

「は、はい……」

 

「トレーニング前にはBCAA、トレーニング後にはプロテインを摂取してください。これも当面はこちらで支給します。それと、ビタミンB群とビタミンCのサプリメントは、メモの通りの方法で摂取してください」

 

 網からの怒涛の指示にもはや頷くことしかできないナリタタイシン。病院の診察のようだと感想を抱くが、実際これから始まるのは半ばリハビリである。

 

「トレーニングが軽くなるので不安はあるでしょうけど、貴女の体が正常に成長する状態になるまでは指示に従ってください」

 

「わ、かりました……」

 

「それと、今後のトレーニングメニューの参考にしたいんですが、なにか目標のようなものはありますか? 抽象的でも構いません」

 

 ナリタタイシンは一度目線を下げ、何かを考えている様子を見せる。ナリタタイシンは今までの4人と違い、一門でレースに関する十分な知識を得ている。

 それを踏まえた上で、しかしナリタタイシンは覚悟したようにこう述べた。

 

「見返したい……今までバカにしてきた奴ら、無駄だって嘲笑ってきた奴ら全員……!」

 

 網から笑みが消える。ナリタタイシンは反応を試したのだ。網が信頼に足るか否か。

 今までの問答で信用はできると考えている。しかし、身体を預けようと心を預けることができるかは別問題だ。

 理解を示さないのであればあくまでビジネスライクな関係を築けばいいし、理解してくれるのならば。

 網は少し考えたあと、再び笑顔を作って答えた。

 

「……了解しました。トレーナーとしてはウマ娘のモチベーションになるならそれでも構いません。具体的な目標は適性で判断しつつこちらで決定します」

 

 あくまで事務的な反応。ひとまずはそれで納得しようとしたナリタタイシンに、しかし網はこう続けた。

 

「……というのが、(いち)トレーナーとしての建前です」

 

「……ぇ」

 

「私個人としては、是非成し遂げていただきたい。見縊られたまま終わりたくない、今まで嘲笑してきた奴ら全員吠え面をかかせてやると言う気概は非常に素晴らしい! えぇ、貴女の才能を見抜けなかった無能共を逆に嗤ってやりましょう、貴女なら叶います。いえ、私が叶えさせましょう!」

 

 刺さった。網の心にぶっ刺さった。

 何故ならこの男、まさにそのモチベーションでトレーナーとしての才能を開花させた男だからである。

 

「そうですね。それでは当面の大目標は凱旋門賞とキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの制覇にしましょう。それとクラシックをひとつかふたつとりましょうか」

 

「えっ、ちょっ……」

 

 そこまで行ったら見返すどころか大事件ではないだろうか。そんなナリタタイシンの思いをよそに、そもそも今年中に凱旋門賞制覇を予定している網はトレーニングメニューの調整に入る。

 

 こうして、チーム《ミラ》に新たなメンバー、ナリタタイシンが加わり、ライスシャワーは「やっぱりこのトレーナーさん割と黒い人だ」との認識を再確認した。

*1
ウマ娘の名前の一部のうち、共通して所有するウマ娘が多い部分。効率などから、同じ冠名を持つウマ娘を集めて指導する名門が多い。

*2
異化。筋肉が分解されエネルギーとして使われること。慢性的なパワー不足に陥り、加速力が下がる。対義語はアナボリック。



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落伍者

書いとかなきゃいけない話なので短めだけど投稿。


 6月2週、京都レース場、宝塚記念開催。

 チーム《ミラ》にとっては、初めてのグランプリレースとなる宝塚記念、アイネスフウジンは人気投票1位での出走となった。

 他にはメジロ家からメジロライアンとメジロマックイーン、GⅠ3勝のハクタイセイ、カノープスのホワイトストーン、有記念では出遅れたミスターシクレノン、クラシック級のイイデサターンとイイデセゾン、古豪のバンブーメモリーなどが出走している。

 

 アイネスフウジンが地下バ道を通ってターフに向かう途中、メジロライアンとそのトレーナーが話しているのを見かけた。

 気迫がここまで伝わってくる。網ほどハッキリわからないが、それでもメジロライアンの調子が極まっていることはアイネスフウジンでもわかった。

 自分の心に生まれそうになる弱気を押し込んで、アイネスフウジンはターフに立つ。例え負けるとしても、負けるつもりでターフに立つことはあってはならない。やるからには、全力での真っ向勝負。

 

 ゲートが開く。真っ先に飛び出したアイネスフウジンは、ハイペースのままレースを進める。先頭に立ち、距離は離れているはずなのに、背中に受ける気迫は全く変わっていない。

 ハクタイセイの鋭い気迫ではない、熱い、灼熱のような気迫。間違いない、メジロライアンの気迫だ。

 しかし、アイネスフウジンにできることはひとつだけだ。全力で走り、押し切る。そうしてアイネスフウジンが最終直線に入ったとき、地鳴りが響いた。

 

 それは、幻覚ではない。多くの観客が目にしていたのは、湯気。

 メジロライアンの筋肉が隆起する。血管が脈動する。脚に溜まる乳酸の阻害を丸々無視して、前へと力強い一歩を踏み出し続ける。

 全身が持った熱が汗を乾かし、湯気となって可視化する。

 一歩一歩が地面を鳴らし、瞬く間にアイネスフウジンとの距離が詰まる。アイネスフウジンの"領域(ゾーン)"もスイッチが入るが、それでも、並ぶことなく抜き去っていった。

 麗しき肉体は麗しき精神より形作られる。暴風の前でも、奇跡の前でも、暗夜の前でも諦めず、ただ挑戦し続けた大器がその片鱗を遂に現した。

 

 ゴール板が力強く踏み越えられ、観客席からは声援と黄色い声がかけられる。麗しきメジロの挑戦者が手にしたトロフィー。メジロの新たな道への第一歩を多くの者が祝福した。

 そんななか、それを複雑な眼差しで見つめる人影を、メジロライアンは見逃さなかった。

 

 

 

「ごめんトレーナーさん、インタビュー後で受けるんで抑えといてください!」

 

「ちょ、ライアン!?」

 

 レースからライブまでは、選手の体を休めるためのクールタイムが取られる。その時間はインタビューを受けたりもするのだが、メジロライアンがどこか走り去っていくのをアイネスフウジンは見かけた。

 いつにもまして真剣な表情だったメジロライアンを心配して、アイネスフウジンはハクタイセイとともにメジロライアンを追いかけることにした。

 選手用の通路と観客席の合流口に、果たしてメジロライアンはいた。観客席から来た誰かと話しているようだが、ライブホールへ行くところであったなら道が違う。恐らくそのウマ娘は帰るつもりだったのだろう。

 鹿毛の長髪に細い流星。令嬢らしい服を纏った彼女の人相をアイネスフウジンは見たことがなかったが、その名前には覚えがあった。

 

「観に来てたんだね……パーマー」

 

 メジロパーマー。アイネスフウジンと同世代にデビューしたもうひとりのメジロであり、メジロ家の未来を託されたメジロライアン、メジロ家の過去を課されたメジロマックイーンとは違い、誰が口にしたわけでもないが、()()()()()()()である。

 

「……まだ、ライブがあるはずですが、ライアンさん」

 

「パーマーを見かけたからさ……そっちこそ、帰ろうとしてたよね」

 

「……このあと、トレーニングがありますので」

 

 表面的にはにこやかに話しているようだが、メジロパーマーの表情には影がある。丁寧に突き放すような言い回しに、しかしここで引き止めなければ決定的にすれ違うような気がして、メジロライアンはさらに言葉を重ねた。

 

「あ、あぁ、ところで、最近調子はどうなの? 昨日のニセコ特別は惜しかったけど……」

 

「……いえ、私にはどうやら障害レースの才()ないようで……」

 

「ちょ、障害レース!? なんで!?」

 

 障害レース。有名かつメジャーなターフやダートで行われる平地レースに対して、長い距離を置かれた障害を飛び越えながら競い走る、ハッキリ言ってダートよりも更にマイナーな種目だ。

 未勝利のまま一年が経過して出られるレースがなくなったウマ娘が、苦肉の策として障害レースへ転向する話は比較的よく聞く。しかし、メジロパーマーはオープン級で勝っている。障害レースへ転向するとはメジロライアンは思ってもいなかった。

 そしてそんなメジロライアンを、メジロパーマーは更に突き放す。

 

「ライアンさん、私ごときにわざわざ意識を向けなくても構わないんですよ。所詮、私はあなたの予備なんですから……」

 

「ッ!! そんなことない!! パーマーはそんなんじゃ……」

 

「事実です。いいんですよ、私自身が一番わかっています。自分の才能が、あなたたちに遠く及ばないことくらい」

 

 菊花賞と春の天皇賞を制覇し、メジロ家の使命を果たしたメジロマックイーンと、ここまでGⅠ勝利はなかったものの重賞では結果を出し、そして今日遂にGⅠを初制覇したメジロライアン。

 それに比べると、メジロパーマーはメイクデビュー後連続2着、その後の未勝利戦とオープン戦で連勝したきり勝ち星がないまま骨折で長期療養。復帰してからも勝つことができぬまま、また故障。

 その格差、実力差は素人目に見ても明らかであり、他ならぬ本人が一番それを理解していた。だから、障害レース転向も視野に入れたトレーニングを始めていたが、メジロパーマーは有り体に言って、障害を飛び越えるのが拙かった。

 元々他のふたりに比べて期待されておらず、結果も出せていないから注目すらされていないメジロパーマーの中では、あからさまなほどの劣等感が渦巻いていた。

 

「そ、そんなこと……」

 

「中途半端に優しくしないでください……! もう、私はあの家に見放されているんです。これ以上、私をあそこに縛り付けるのはやめて……」

 

 そう吐き捨てて、メジロパーマーはメジロライアンの制止を振り切って走り去る。ライブの時間が迫っているメジロライアンがそれを追うことは叶わず、結局、その背中を見送ることしかできなかった。

 メジロパーマーの背を見ながら、メジロライアンは呟く。

 

「……なら、なんで観に来てくれたんだよ、パーマー……」

 

 諦めたいのに、諦められないから辛い。ウマ娘が最も多く体験する苦難を抱えた縁者に、メジロライアンはただ自分に何ができるのかを考えていた。

 重たい空気の中、しかしライブが始まりかねないためにアイネスフウジンもメジロライアンに声をかけざるを得ない。あまりにも気まずく、どちらが声をかけるかハクタイセイと譲り合っているうちに、メジロライアンがアイネスフウジンとハクタイセイの存在に気がついた。

 

「あ、えっと……ライアンちゃん、ライブ始まっちゃうの……」

 

「あぁ……ごめん、ありがと。情けないとこ見せちゃったね」

 

 困ったように笑うメジロライアンの顔には、グランプリの勝者とは思えない悲哀が見て取れた。

 

 メジロ家の暗雲は未だに晴れず。




 メジロ三部作、メジロライアンの無力感→責任感、完結。
 メジロパーマーの劣等感へ続く。


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ワクワクご夏合宿タイム

 8月1日。チーム《ミラ》の面々はトレセン学園正門前へと集まっていた。昨年はなかった夏合宿を今年はやると網が言い出したためだ。

 とはいえその話がなされたのはナイスネイチャのメンタルが死んでいた5月末のこと。丸2ヶ月準備期間があったため特に問題なくことは進んだ。

 ちなみに、アルバイトをやっていたアイネスフウジンとライスシャワーは長期欠勤手続きをした上での参加になる。アイネスフウジンに関しては、ダービーウマ娘になってからはバイト先に一目見ようと野次ウマが詰めかける事態になり、接客業系のバイトは辞めざるを得なくなっていたのだが。

 

 正門前に現れた()()にチーム《ミラ》の面々は唖然としていた。これが初見となるナリタタイシンやライスシャワーは勿論、庶民派のナイスネイチャや、もはや高級車自体は見慣れているであろうアイネスフウジンまでもが。例外は無邪気にはしゃいでいるツインターボくらいか。

 

「なげー!」

 

 長かった。

 ストレッチリムジン。金持ちが乗ってる胴体部分が長いあの車が、トレセン学園正門前に鎮座していた。

 実はその事象自体はそれほど珍しくない。名家のウマ娘が実家に送迎を頼んだ場合、大抵こういうお前はどこへ向かうんだといった風情の高級車が現れるからだ。

 問題は、送られるのが揃って庶民の一般人だということである。

 

「お待たせしました。乗っちゃってください」

 

「乗っちゃってくださいっていうか……えー……」

 

 ナイスネイチャが困惑の声を出している間に、網がドアを淡々と開けていく。

 イメージしているようなキャバクラのソファとテーブルがそのまま入ってるような横向きのベンチシートは既に法で禁止されているため、単純にシートの列が増えただけだが、それでも十分な衝撃を与えている。

 固まって動けないナイスネイチャとナリタタイシンを尻目に、ツインターボとライスシャワーが躊躇なく乗り込んでいく。もう一度言うが、ライスシャワーはこれが初見のはずである。

 

「わー……伸ばしたの?」

 

「あぁ、いえ、これは別に買いました。車種は同じですが。ストレッチリムジンしかないと不便ですし」

 

(そりゃ不便だろうけど。そんなシャー芯のBとHBみたいなノリで?)

 

 混乱しているナイスネイチャは自分の(たと)えの微妙さに気づかなかった。

 とはいえ乗らなければ始まらないので、慣れているために先の質問の後すんなりと乗ったアイネスフウジンに続いてナイスネイチャとナリタタイシンも乗り込んだ。

 助手席にアイネスフウジン、2列目に躊躇なし組、3列目に躊躇組である。

 

 高級車の多機能によるOMOTENASHIを受けながら1時間弱、目的地に到着したチーム《ミラ》は駐車場からさらに移動する。

 

「そういえば、これから合宿なのに車は置いてくの?」

 

「知人に頼んでトレセン学園へ運転していってもらう予定です」

 

「……ねぇ、さっきから気にしないようにしてたんだけど……ここ、空港だよね? ……合宿先って、どこ?」

 

 ナイスネイチャが冷や汗を垂らしながら網へ聞く。先程の高級車のことを考えると可能性がないと言い切れなくなったからだ。

 そしてその問いに、網はあまりにもあっさりと答えを述べた。

 

「パリです」

 

 パリ、巴里、Paris。フランスの首都。花の都。

 いきなり告げられた海外渡航にナイスネイチャとナリタタイシンが宇宙へ行っている間に、手続きは完了し、チーム《ミラ》は空の上へと旅立った。

 ちなみに、パスポート類は海外遠征の可能性から入学時に発行手続きが行われており、生徒手帳と同じカバーケースに入れられているため、基本的にみな持ち運んでいる。

 

 

 

「アノ……合宿1ヶ月間って聞いてたんスけど……パリに? 1ヶ月?」

 

「そうですね。30泊31日です」

 

「桁……!」

 

 飛行機の中、庶民派ウマ娘のナイスネイチャが頭を抱えた。当然初海外である。

 トレセン生が想像する夏合宿の行き先と言えば、海か、山か、避暑地――例えば北海道である。それがまさかのパリ。

 「昼は外で食べるよー」などと親に連れ出され、ファミレスでも行くのかなと思っていたら高級レストラン、しかも親はいつの間にかドレスコード完璧みたいな状況に戸惑うナイスネイチャは、自分の(たと)えの微妙さに気づかなかった。

 

「え、どうしよ。アタシ、フランス語とか話せないんだけど」

 

「こちらの伝手で通訳を依頼してありますし、パリ市内なら主要な施設は英語が通じますよ。それに、最近のウマホの翻訳アプリはすごいですしね」

 

 加入から2ヶ月の間に敬語が抜けたナリタタイシンの真っ当な心配を、網がしっかりとフォローする。網家は家業の関係で海外へ行くことが多いため、通訳との広い伝手があった。

 なお、これらの会話は口頭ではなくメッセージアプリを介して行われている。理由は簡単で、口頭の会話ができる状況ではないからだ。何故か。

 

「ねぇ、目を逸らしてたんだけど、これってファーストクラスなの……?」

 

「いえ、ビジネスクラスですけど」

 

「これで……!?」

 

 ほぼ個室だからである。

 飛行機でイメージするような1列6席とかのシートではない。壁に囲われたネットカフェのような、しかしさらに豪華度を増したような席である。

 シートもふかふかで、おおよそ庶民が想像できるものではなかったため、アイネスフウジンは絶句した。

 網的にはファーストクラスにしなかっただけ庶民派たちの胃と精神に配慮したつもりであるが、彼女たちは完全にファーストクラスだと思い込んでいたのだ。

 ビジネスクラスと聞いていくらか楽になったが、残念なことにビジネスクラスでも片道で1人2桁万円後半ほどの値段になることを彼女たちは知らない。ちなみにファーストクラスだと1人200万円ちょい*1だ。

 無邪気にアニメ映画を見てキャッキャしているツインターボや機内食のカレーをもりもり頬張るライスシャワーが図太いのである。いや、ツインターボに関してはすごさを理解しきれていないのかもしれない。

 

「パリまでは13時間ほどかかるのでそれまでは自由時間です。メッセージアプリが使えているのでおわかりでしょうけど、Umi-Fi(ウマイファイ)も繋がるのでご自由に」

 

 その直後、ナリタタイシンはウマホゲーへと没頭し始めた。自分のよく知る世界へ旅立つことで精神を落ち着けようとしているのだ。

 アイネスフウジンも持ち込んでいたサブトレーナー試験*2のテキストを読み始め、会話が完全に途切れた。

 ナイスネイチャはこの落ち着かない空間で何をしようか迷った挙げ句、結局機内食を食べて寝る以外は、ウマホでのインターネットサーフィンで時間を消費したのであった。

 

 

 

 パリに到着したチーム《ミラ》一行は、現地空港で通訳と合流し、マンションへと向かう。流石に1ヶ月の長期滞在となると、ホテルよりマンスリーマンションを契約したほうがやすくあがった。

 流石に到着したその日は休みとなり、翌日からのトレーニングとなった。

 日本に比べてウマ娘レース先進国であるフランスは流石と言ったところか、一般に開放されているトレーニング広場でもしっかりと芝が張られているところがあった。

 申し訳程度にレーンがあるだけなので、決してレースコースと言えるようなものではないが、トレーニングには十分だ。

 

「洋芝は、例え丈が日本の野芝に比べて短くても、地下茎の密度が高いためクッション性が高く、力が吸収されて伝わりにくい傾向にあります。十分なパワーを発揮するにはしっかりと芝を掴むことが必要です」

 

 そう説明されてどんなものかと走ってみたチーム《ミラ》のメンバーだったが、言われた通り思うようにスピードが出せない。日本のダートコースや重バ場を走っている感覚に近く、足が沈み込んでしまうのだ。

 結局、1日目はロクに慣れることもできないままトレーニングを終えることとなったチーム《ミラ》のメンバー。夏合宿でのトレーニングはおおよそこの感覚に慣れることに費やされた。洋芝でしっかりパワーを伝える感覚を養えれば、それは日本の芝でも活かせる武器になる。

 それと同時に、《ミラ》の普段のトレーニングでは脚への負担を考えてあまり行われないために養いにくい『前へ踏み込む筋肉』を鍛えるトレーニングを行った。

 

 洋芝への適応が早かったのはアイネスフウジンだ。元々最近は洋芝を見据えたトレーニングを多く積んでいたのが要因だろう。とはいえ、それでも合宿期間ギリギリまでかかってのことだった。

 アイネスフウジンに次いで慣れ始めるのが早かったのはツインターボだった。元々ピッチ走法は芝質やバ場状態での不利が比較的少ないためだろうが、しかし慣れはしてもトップスピードは日本でのそれよりかなり落ちていた。

 苦戦したのはナイスネイチャ、ライスシャワー、ナリタタイシンの3人だ。ナイスネイチャは単純に向いていない。ライスシャワーは向いていないなりにコツは掴んでいたがパワー不足。ナリタタイシンは適性はあるがパワー不足と言ったところか。

 トレーニングの内容はコツを掴むためのペース走、インターバル走と、パワー強化のための併走が主で、週に1回ずつ、完全オフで観光をする日とフランスのレースを観に行く日を作った。やはり、生で見てみるとわかることも多い。

 

「さて、レースを幾つか見てもらいましたが、日本のレースとの主な違いがわかりますか?」

 

「はい! 全体的にスローペースなレースが多かったの!」

 

「うん、あれだと、追込のペースで走っても中団より前に出るかもしれない」

 

 フランスのレース場は自然の地形を利用したものが多く、日本のコースに比べると起伏が激しい。そのため、スタミナを多く消耗し、パワーも必要になる。その上に洋芝の重い芝質だ。前半は大幅にペースを抑えると言うのがフランスのレースの定石となる。

 

「それを理解しないで走っていると、普段のレースが出来ずにペースを崩し、負けてしまうというパターンは多いです。逆に、凱旋門賞をとったようなウマ娘がジャパンカップでは高速バ場に適応できず、スピードについていけないまま負けてしまうパターンもあります」

 

「なるほど……」

 

「はい! でも、ひとりすごい速く走ってるのいたよ? ギューンって!」

 

「垂れてたけどね……あと、露骨にブロックしてるのとか……」

 

「ラビットと呼ばれる選手ですね。海外レースはチーミングプレイが制限されていないので、反則にならない程度にペースを乱したりブロックしたりと、他陣営を妨害する専門の選手が走るんです。日本ではあまりないことなので、走るときは気をつけてください」

 

 芝質の違いの他にも、このように基本戦術からチーミングなど、慣れない定石の壁に阻まれるケースは非常に多いことを、網は繰り返し伝えた。

 そして次のレースの終盤辺り、アイネスフウジンがモゾモゾとし始め、ゴールと同時に勢いよく立ち上がった。

 

「ご、ごめん、ちょっとお花摘んでくるの!!」

 

「あ、ちょっと、通訳を……あー……」

 

 余程焦っていたのか通訳を置き去りにして観客席を出て、会場内でトイレを探していたアイネスフウジンだったが、なかなか見つからずに焦り始めた。

 従業員に場所を聞こうにも、フランス語は当然ながら英語でもなんと言えばいいか思い浮かばず、尿意と焦りは翻訳アプリの存在も忘却させていた。

 本格的にヤバい。旅の恥はかき捨てというが、数ヶ月後ここに全力をぶつけに来るのにこんな恥をかき捨てていけるわけがない。アイネスフウジンがなんとか身振り手振りで場所を聞こうと決意したとき、後ろから声をかけられた。

 

「あれ、アイネスなにしてんの? トイレ行けた?」

 

「た、ターボちゃん!」

 

「場所わからないの? ターボ聞いてこよっか?」

 

 アイネスフウジンが何か言う間もなく、飲み物を買いに来たツインターボがトテトテと従業員に寄っていった。

 そして驚いたことに、とても流暢な英語で会話をし始めたのである。

 アイネスフウジンが尿意も忘れ呆然とそれを見ていると、ツインターボがにこやかに戻ってきた。

 

「あっちだって! 行こ!」

 

 結論から言えば、アイネスフウジンは間に合った。

 その後、網たちと合流し、先程の出来事が話題に出る。

 

「ターボちゃんが英語話せるって知らなかったの……」

 

「そう言えばターボが英語の授業で撃沈してんの見たことないし、英語の成績は異様にいいんですよね……」

 

「そりゃ日米ハーフですからね、ツインターボは」

 

「「そうなの!!?」」

 

 網から落とされた衝撃の事実に、ふたりは驚きの声を上げた。ナリタタイシンとライスシャワーはあまり興味がないのか、ふたりでチュロスを食べている。

 

「彼女のお父上がアメリカの生まれで、馴致指導員もアメリカの方だったから、幼い頃から英語に触れる機会が多かったんでしょうね。聞いている限り日本語より達者に話してますよ」

 

「へぇ〜……人は見かけによらないってホントだよね……」

 

 網も含めたチーム《ミラ》の中で1番英語が得意なのがツインターボだったりする。ちなみに、網は普通にフランス語で会話をしていた。

 

 

 

 そんなこんなで1ヶ月が経って夏合宿が終わり、再びビジネスクラスの飛行機へ乗り込んで日本へ、そしてトレセン学園へと帰ってきた。

 ツインターボなどは夏休み明けに自慢するなどと言っているが、学校の課題がかなり残っていることを忘れているので網に泣きつくことになる。

 

 ひとり部室に残っていたアイネスフウジンが、網へと話しかける。

 

「次に行くのは9月の中頃かぁ……ねぇトレーナー、本当にフォワ賞に出ることは()()()()()()?」

 

「あぁ。凱旋門賞も、レース中継の準備やら現地でみたいやつ向けの旅行プランの準備がギリギリできるあたりまで公表しない。そのほうが驚くだろ?」

 

 フォワ賞と凱旋門賞はフランスのレースであり、当然URAの管轄ではない。そのため、極論を言ってしまえば参加を報告する義務はない。*3

 凱旋門賞挑戦は色々なところにとってのビジネスチャンスなので、直前まで隠しておくと流石にバッシングが来る。

 そのため、時期を見計らって凱旋門賞挑戦の方は公表するつもりだが、フォワ賞は場合によっては、誰も知らないうちに終わるだろう。海外遠征が報道されていない状態では、海外のGⅡレースを見る者はかなり少ない。

 

「それより大丈夫か? 通訳以外ついていかせなくて」

 

「大丈夫なの。できれば当日くらいは来てほしいけど……ネイちゃんやターボちゃんの菊花賞と秋天も近いし、ライスちゃんも結局クラシック期で海外の長距離重賞挑戦するでしょ? ついててあげてほしいの」

 

 フランスでは話題にあがらなかったが、海外遠征での敗因にはもうひとつ、メンタル面が大きなウェイトを占めている。

 言葉が通じない完全なアウェー。心細くないはずがなく、精神の摩耗はそのままレースに直結する。

 

「そうか……キツくなったら連絡よこせよ。半日待てば着くから」

 

「何十万かかるのをそんなに気軽に言えるのは稼げるようになってからも全くわからない感覚なの……」

 

 約束を果たすため、風神は花の都を駆ける。

 その日は、着々と近づいていた。

*1
このちょいは30万円を超えるので全然ちょいではない。

*2
トレーナーが研修としてサブトレーナーになる以外に、サブトレーナー専門の免許も存在している。自己管理ができるようになるためドリームシリーズ入りしてからのことを考えて取得する優駿も多い。

*3
現実の海外遠征と異なる可能性があります。




 海外へ行った経験がないため描写に違和感がある可能性があります。お許しください。


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風神と雷神のワイルドハント

 時は9月22日。ナイスネイチャが参加したセントライト記念。ナイスネイチャが1着となったこのレースのインタビューでチーム《ミラ》のトレーナーである網怜が、昨年のダービーウマ娘アイネスフウジンによる凱旋門賞出走を公表した。凱旋門賞の開催日が10月6日なので、既に開催2週間前である。

 それはまさに青天の霹靂だった。報道陣にとっても、ウマ娘レースファンにとっても、URAにとっても、そしてナイスネイチャにとってもである。

 GⅠレースすべてで連対、GⅡ以下では負けなし。なるほど、確かに海外挑戦は妥当な判断である。しかもトライアルレースとなるフォワ賞を既に制覇しているとさえ言っている。

 この時点で、フォワ賞からは既に1週間経っており、URAから問い合わされた仏連の職員はこれが事実であることを証言しながら「何故貴国がこのことを知らないのか」と心底不思議そうに質問したという。

 

 マスコミ各社は慌てた。アイネスフウジンへインタビューしようにも、既にフランスへ旅立ってしまっており、では他のチームメンバーにと思っても、そちらにとっても初耳であったろうことは意識を宇宙へ飛ばしているナイスネイチャを見れば瞭然だった。

 残っているのは網だけで、こちらはのらりくらりと追及を避けてくる。公表が遅れたことに関する批判も同様で、「びっくりしたでしょう?」という一言しか返ってこなかった。

 旅行会社は慌てた。シンボリルドルフのアメリカ遠征以来の、日本ウマ娘による海外挑戦。しかもURAの悲願である凱旋門賞である。当然その集客力はすごいものとなる。飛行機の予約は瞬く間に埋まり、中には今からパリへ飛んであちらで凱旋門賞を待つ者さえいた。

 URAは慌てた。飛行機の予約が埋まっており、テレビ中継スタッフが現地へ飛べないのだ。最終的に、国営テレビのスタッフを中央トレセン学園理事長の自家用機に乗せてパリへ飛ぶことになった。

 

 そして、ナイスネイチャも慌てた。翌日、何も聞いていなかったのにクラスメイトから質問攻めされたためだ。とはいえ先日、ツインターボを筆頭にフランスでの夏合宿の話をしてしまっている。無論、ナイスネイチャも鼻につかない程度に自慢していた。なにか知っていると期待するのも仕方ないことだろう。

 

 そんなこんなで各所がとにかく準備に奔走している間に、2週間はあっという間に過ぎた。

 

「最近皆さんお疲れ気味のようなので、3日ほど休養を取ります」

 

 お前のせいだろと言いたくなる網の一言で練習が休みになった凱旋門賞当日、学園にいると質問攻めに遭いそうなナイスネイチャは、商店街の馴染みのバーへと足を伸ばした。もちろん、そこの人間関係とお馴染みなだけであり、ナイスネイチャが飲酒をしたことはない。

 

「あら、ネイちゃんいらっしゃい」

 

「おぉちょうどよかった! ネイちゃんちょっとそっち座って! ひとり帰っちゃってメンツが足んねえんだわ!」

 

「ちょっと〜、アタシうら若き乙女なんですけど?」

 

 そう言いながらも、ナイスネイチャは据えられた麻雀卓の空席へ座る。馴染みのおっさんふたりとトレセン生の知らない先輩であろうウマ娘が席に着いていた。

 「菊花賞頑張ってね」などと言われながらサービスされるオレンジジュースをありがたくいただき、周囲の環境から慣れてしまった手付きで牌を並べていく。

 店の天井近くにあるテレビには、これから始まる凱旋門賞の中継が映っている。

 

「今あれに出てる娘、あなたのチームメイトなんでしょう?」

 

「へ? あ、えぇはい。そうですね……」

 

 先輩らしきウマ娘に聞かれて、ナイスネイチャは若干生返事気味に答える。その様子を見て、そのウマ娘は更に質問を重ねた。

 

「相手は強敵。前走キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで7馬身差を叩き出したGⅠ4勝ウマ娘、ジェネラスと、そのジェネラスとアイルランドダービーで競り合ったスワーヴダンサーのふたりを筆頭に全員が日本のGⅠウマ娘クラス……本当に勝てると思う?」

 

 挑発じみた質問に、ナイスネイチャは相手の顔を改めて確認する。が、鹿毛の長髪をポンパドールにセットしたそのウマ娘の顔に、やはり見覚えはない。

 だからナイスネイチャは、当たり前のことを答えることにした。

 

「いやー、勝てるかどうかはわかりませんけどね。少なくともアイネスさんは勝つつもりであそこに立ってると思いますよ」

 

 そう答えて視線を戻したテレビ画面の中では、見慣れたピンクの勝負服のウマ娘がゆっくりとストレッチを行っていた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 10月6日。パリ・ロンシャンレース場。凱旋門賞、開催。

 バ場は湿り気を含んだ稍重。洋芝でこの重さは相当な覚悟が必要だと、アイネスフウジンはウォームアップランで念入りに感覚を確かめる。

 1番人気は前走を同格のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで後続に7バ身差の圧勝を見せたジェネラス。アイネスフウジンはフォワ賞での勝利を加味しても、14人いる中で12番人気だった。

 久方ぶりの日本からの挑戦者を、フランスの目が肥えたレースファンたちは興味深そうに眺めている。そしてウマ娘からは、やや侮りの視線が向けられていた。

 

『ウマ娘後進国から来た挑戦者か……しかも、前走が初めての海外戦……ラビットを相手にした経験もないのか……?』

 

 母国語で呟いたのはスワーヴダンサー。明確にライバルと決めているのはジェネラスであり、アイネスフウジンは変わったラビットとでも考えるつもりだった。

 何故なら、アイネスフウジンの脚質はハイペースな逃げ。パリ・ロンシャンでのセオリーとは真逆のものだからだ。

 何か挑発してやろうと思っても、どうやら言葉がまともに通じない。これだから英語後進国*1はと、スワーヴダンサーは悪態をついた。

 

 アイネスフウジンは先日のフォワ賞を走って得た経験を思い出す。坂が得意なアイネスフウジンでも、このパリ・ロンシャンレース場の坂はキツいと感じるものだった。600m間で高低差10m。

 これは、日本のレース場で最も大きな急坂である中山レース場の急坂の2倍を超える高低差になる。さらに、平坦な最終直線は東京レース場の最終直線とほぼ同じ長さである。

 観客席に詰めかけた日本人観光客の数は例年の数倍となっている。それだけの人間が、アイネスフウジンのレースに期待しているのだ。

 

 フランスのレースにファンファーレはない。風車下のゲート内でアイネスフウジンは深く集中する。アイネスフウジンはゲートが得意である反面加速力に難がある。テンの遅さをゲートの巧さでカバーしているのだ。

 だが、凱旋門賞においてはその不利はおおよそ関係なくなる。

 

 ゲートが開くと同時に2番のアートブルーが飛び出す。速いペースが他のウマ娘たちの感覚を狂わせる。間違いなくラビットだ。

 一方のアイネスフウジンはゆっくりと加速してバ群を抜ける位置までアガると、グリーンベルト*2へ移動しながら少しずつ加速を続けた。

 基本的に、急加速や急減速はスタミナを大量に消費する。周りがセオリー通りのスローペースを維持するなら競り合ってくる者もいないと、ゆっくりとスピードを上げていく。

 そして、アートブルーを躱し、後続と5バ身差をつく位置につけるように今度は少しずつ減速し、アートブルーのペースに合わせる。400mをフルに使ってポジションを確定させた。

 1番人気のジェネラスはバ群の中からそんなアイネスフウジンを眺める先行の位置。スワーヴダンサーは後方待機の策を取ってスタミナを温存する。

 

(ラビットにしては中途半端……そもそも日本からの参加はコイツひとりだ。何を考えてる?)

 

 400m地点を過ぎ、心臓破りの上り坂が始まると、2番手になったアートブルーのスピードが明らかに下がる。直線600m間で続くこの上り坂は、東京レース場の急坂よりも急な坂が4倍の距離続くと言えばどれほどのものか想像できるだろうか。

 坂が得意なアイネスフウジンも、稍重と洋芝でパワーが伝わりにくい中のこの急坂を相手に苦戦を強いられる。洋芝自体に慣れることはできていても、能力的な問題は早々解決できるものではない。

 しかし、稍重の苦難は洋芝とこのレース展開に慣れている他のウマ娘たちにも平等に降り注ぐ。落ち着いて脚を進めるスワーヴダンサーに対し、ジェネラスは競り合いによる消耗が始まっていた。

 

 アイネスフウジンの作るペースは例年よりも明らかに速いが、日本のレースに比べればかなりのスローペース。にもかかわらず、アイネスフウジンの体力は通常のハイペース並に削られている。

 そして中間地点を過ぎた。パリ・ロンシャンは後半からペースが上がり始める。上りと同じ勾配の、今度は下り坂が第3コーナー、第4コーナーと続く。スピードを出しすぎれば勝手にスパート状態になってしまうし、この重い芝ではあっという間に膨らんでしまうだろう。 

 ここでスパートをかけてしまっては、残りの800mなどとても保たない。凱旋門賞は、『偽りの直線(フォルスストレート)』までで如何にスタミナを温存し、最終直線へ活かせるかになってくる。スタミナを浪費するわけにはいかない。

 それでもこの下り坂を走っている以上、どう頑張ってもスピードは少しずつ上がっていく。スパート状態になればスタミナを消費するのだから、この600mのカーブも我慢するしかない。

 

 はっきり言ってしまえば、アイネスフウジンの走りはこのレースに対して非常に有利に作用していた。ラビットやブロックは意味をなさず、加速しにくさはハイペースで走ることで帳消しになる。

 だからポイントは、坂でどこまでスタミナを節約し、後ろからの猛追を退けるかの一点に絞られる。

 アイネスフウジンはこの下り坂に対し、ただ単純に駆け下りてスタミナを犠牲に加速しスパートに繋げるでも、セオリー通りゆっくり降りてスタミナを温存するでもない。

 チーム《ミラ》お得意の、前傾姿勢と重力を使った加速。上半身主導で脚をついてこさせることで、スタミナを節約しながらスピードを上げる策を採った。

 

 事ここに至ってようやく、スワーヴダンサーやジェネラスを始めとした出走者がアイネスフウジンの狙いに気づいた。

 日本よりも遥かに逃げに厳しい欧州レースで、東京レース場よりも遥かに逃げに厳しいこのパリ・ロンシャンレース場で、セオリーを無視したラビットのようなハイペースでの逃げで、凱旋門賞を制覇しようというのだと。

 それは最早、日本ダービーで破滅逃げをするかのような狂気の沙汰。しかし、彼女についているのはそれを指揮し、制覇直前まで導いた若き天才だ。

 

 フォワ賞ではハイペースな逃げでなく、先行に近い逃げを見せた。このレースよりも遥かに劣る相手が、しかも7人しか出走しなかったフォワ賞は、そんな欺瞞の脚質でも獲ることができた。

 いくらダービーウマ娘でも、フランスでのアイネスフウジンは無名だ。アイネスフウジンについて調べたところで、フォワ賞を見ていれば「アイネスフウジンは先行ウマ娘」というバイアスが働く。

 ただでさえ日本のウマ娘は欧州レースのスローペースに対して適応できず、ハイペースで走ってしまう傾向にある。だから、今回のアイネスフウジンの走りも『掛かり』だと見做されていた。

 しかし、ここまで自分のスピードを制御しきってなおこの速度を出していたとしたら。

 

 やや加速した状態で『偽りの直線(フォルスストレート)』へと突入したアイネスフウジンはスパートのタイミングを待つ。この緩やかなカーブの途中、ゴールまでスタミナが保つギリギリの位置を。

 後続も続々と『偽りの直線(フォルスストレート)』に入りスパートへの準備を始める。パワーとスタミナを重視する欧州のウマ娘はここからが本番だ。

 

 そして『偽りの直線(フォルスストレート)』の中間地点、アイネスフウジンがスパートをかけ始めた。

 スパートをかけてからスタミナの消耗が激しくなるまでには時間差がある。スタミナの消耗はスパートをかけたか否かではなくスピードに依存するからだ。

 当然、スピードが出るまでに時間がかかれば、それだけスタミナの減り始めは遅れる。それを計算してのスパートだ。

 一方スワーヴダンサーは『偽りの直線(フォルスストレート)』出口付近で大外に出てスパートをかける。これもまた、バ群を抜けて内を突く凱旋門賞のセオリーからは外れた作戦だ。

 

 そして、最終直線。真っ先に飛び出してきたのはアイネスフウジン。どんどんと加速していくアイネスフウジン。それを追うのは、バ群の外から一気を仕掛けるスワーヴダンサーだ。

 ジェネラスも先行の好位から抜け出して追おうとするが、スタミナを消費しすぎた影響で思うようにスピードが出ない。

 ハナのアイネスフウジンと14人中11番手にいたスワーヴダンサーとは10バ身差。直線に入った直後、スワーヴダンサーの"領域(ゾーン)"が発動した。

 

 雷が落ちたかのような爆音がパリ・ロンシャンに響く。『落雷の踊り子』の異名を誇る彼女の圧倒的な末脚が牙を剥き、府中とほぼ同距離ながら府中とは違って平坦な533mの最終直線で垂れたアートブルーを躱して、一筋の稲妻と化したスワーヴダンサーがアイネスフウジンへと詰め寄っていく。

 一方のアイネスフウジンも『偽りの直線(フォルスストレート)』を滑走路代わりにして加速したスピードをさらに上げていく。

 フランスの実況はスワーヴダンサーに差し切れと叫び、日本の実況がアイネスフウジンに逃げろと祈る。海外レースならではの贔屓実況を、ファンが、ウマ娘が見守る。

 

 スワーヴダンサーの圧倒的な加速力も稍重の芝に削がれ、残り300mの地点でようやく1バ身まで詰め寄った。

 そこで遂に、アイネスフウジンが"領域(ゾーン)"に入る。乱気流を身に纏い、再びスワーヴダンサーを突き放さんとさらなる加速を見せる。

 しかしそれでスワーヴダンサーのスピードが落ちたわけではない。更に加速し始めたアイネスフウジンを逃すまいと追って、スワーヴダンサーも加速を続ける。

 残り200m、ふたりが完全に並ぶ。後ろから追いすがるマジックナイトが展開した宵闇の"領域(ゾーン)"は、ふたりの"領域(ゾーン)"へ割って入るに至らない。

 このまま行けば、最高速度の差でスワーヴダンサーが僅かに上回る。それを、アイネスフウジンは持ち前の勝負根性でなんとか押さえつけ前を譲らない。

 

『極東の風神と西欧の雷神が花の都を掻き回す!!』

 

 日本の実況が叫ぶ。

 

『パリを襲った《嵐の決闘(ワイルドハント)》の終焉は間近だ!!』

 

 フランスの実況が叫ぶ。

 

『勝者はどっちだ!? いや、勝ってくれ!! アイネスフウジン(スワーヴダンサー)!!!』

 

 願いが重なる。残り100m、僅かに抜け出したのはスワーヴダンサー。遠くなる横顔を追うも、壁のように立ちはだかる向かい風がアイネスフウジンを押し流そうとする。

 アイネスフウジンを守る乱気流の盾が剥がれていく。あと一歩が重い。諦めが頭にチラつき、それを押し込める。

 

(負けたくない!!)

 

 余計な考えは失せた。アイネスフウジンに残されたのはただ強い本能。

 少しでも前へ、少しでも先へ、目の前の雷光を追い越すために限界を超えたその先で、遂にアイネスフウジンの集中が切れ、"領域(ゾーン)"が壊れる。残り50m 。

 

 

 

 そして、新たな風が吹いた。

 身を護るための乱気流()ではない。より速く駆けるため、より先へ進むために背中を押す追い風()の"領域(ゾーン)"。

 負けたくない、ではない。勝ちたい。目の前の強敵に。今の自分自身に。

 

(()()()()勝ちたい!!)

 

 三度(みたび)加速したアイネスフウジンがスワーヴダンサーに追いつき、ほとんど横一線に並んだまま、ふたりはゴール板を通過する。

 写真判定、その結果を誰しもが固唾を飲んで見守る中、そんなもの見るまでもないと、黒い男は観戦席を離れ地下バ道へと向かう。

 

 

 

 

 

 翌日のフランスの朝刊の大見出しに踊る話題はただひとつ。

 曰く、『極東より神風(きた)る!!』だった。

*1
事実。

*2
仮柵によって前走まで保護されており、他の部分よりも遥かに荒れが少ない最内のコース。



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オグタマライブ ??/10/06

それと閑話。


 ■奇跡の終わり

 

 

『さぁ中山の最終直線! 期待の超新星、3度レコードを叩き出している『奇跡の子』! 中団につけていたケイエスミラクルが徐々に上がって4番手につけた!! ここから差し切り、伝説を続けるのか!! 後方からは前年制覇者『華麗なる一族』のダイイチルビーも大外から仕掛けてきている!!』

 

 去年のマイルチャンピオンシップからの修行の末、やっと形になった"領域(ゾーン)"を発動させて令嬢は走る。

 全身を血液が巡り力が行き渡るのと同時に眼は紅く染まる。足下に現れた紅い水晶を踏み砕きながら、直線の短さなど知らないと言わんばかりに加速する。

 目指すは先頭、誰も触れることさえ叶わない場所。

 

 初めて会った日に気づいた、彼女こそが運命だと。全身が燃え上がるような胸の高鳴りに突き動かされ、ただひたすらに彼女と同じターフを走る日を待った。

 そして今、ダイイチルビーは楽しくて仕方がない。どちらが勝つのか、自分が、はたまた相手か。どちらにしろ、レースが終われば互いを讃え合うのだと信じて疑わなかった。

 

 そんなダイイチルビーの右側を、見慣れた影が流れていかなければ。

 

「……ぇ」

 

 レース中に振り返ることもできず、残りの100mほどを走りきってようやく後ろを振り返る。ゴールからは数人がそこに集まっていることしか確認できない。

 

 程なくして、ケイエスミラクルの故障と競走中止、骨折後に地面に衝突したことで、現在昏睡状態となっていることが発表された。

 

 

 

★☆★

 

 

 

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど!』

『まいど〜』

『オグリのまいどたすかる』

『まいど……』

 

「っちゅーわけでね、あの黒いのがやらかしてくれたんで、急遽な! 急遽、オグタマライブ特別編を開始することんなったわけや」

 

『黒い人はURAに恨みでもあるんか』

『マスコミにはありそう』

『エスミラ関連でURAがてんてこ舞いなタイミングでこれだもんな』

『ケイエスミラクルの件で変な団体が騒いでるらしいな。「体の弱いウマ娘がレースに出るのが可哀想だから規制しろ」って』

『そいつらの頭が可哀想』

『URAくんそいつらの相手で手一杯なとこに爆弾放り投げられて可哀想。いいぞもっとやれ黒い人』

『一部ファンはまだお通夜状態だもんな』

『ワイ会場民、テンポイントを思い出し過呼吸で運ばれる』

『勝てば官軍よ、勝てば』

『黒い人本当に「びっくりしたでしょう?」って言ってて笑っちゃった』

『茶目っ気すら胡散臭いのホンマ芝』

『自分のGⅡ勝利(しかも菊花賞トライアル*1)のインタビューで爆弾発言されたときのネイちゃんの顔よ』

『この二週間でウマッターのリプ欄のお馴染みになったスペースネイチャ』

『お馴染みリプライ〜』

『またチームメイトにも何も言わんかったんか黒い人……』

『報連相ができない大人!』

『フランスでムッシュノワールって呼ばれてるらしいで』

『Mr.ブラックは芝』

『海渡っても黒い人扱いで芝』

 

「海外遠征したんはルドルフ以来か?」

 

「順番的には、ルドルフの海外遠征より前に海外遠征に行って、ルドルフより後に帰ってきたシリウスのほうが後になると思うが」

 

『言うて誤差』

『4、5年前ってことやね』

『オリンピックか?』

『ワイトレセン生、タボボに夏合宿でパリ行ったと自慢されたがこんなことになるとは……』

『フォワ賞制覇は一部ネット民の間では話題になってたけど如何せんタイミングがタイミングであんま広まらんかったのよな』

『トレセン生だけどクラスメイトの生き死にがかかってるとこだったから話題に出しにくかったのもある』

『ここにいるトレセン生、何割が本物なんやろ』

 

「まぁなんやかんやあったけど大舞台も大舞台やしな! 仕事やししっかり盛り上げていくで!!」

 

「私は故障で遠征できなかった身だからな。楽しみだ」

 

『相方が速攻盛り下げてて芝』

『ハクタイセイが(おも)出死(だし)してまう!!』

『またハクタイセイちゃんに流れ弾飛んでる……』

 

「凱旋門賞が開催されんのは、フランスにあるパリ・ロンシャンレース場。距離は2400mや!」

 

「日本で言うところの府中のような位置づけのレース場で、多くの主要レースが行われる。特に、僅か土日の2日間で凱旋門賞を含む10のGⅠレースと3つのGⅡレースが行われる、凱旋門賞ウィークエンドが有名だな」

 

「ほんでその凱旋門賞ウィークエンドの日曜日第4レースが凱旋門賞や! コースの説明してくで!」

 

「コースは右回り。釣り針のような形をしているのが特徴だな。スタート地点は向正面で、1000mの直線から始まる」

 

「この直線の400m地点から、高低差10mの上り坂になんのや。高低差とか勾配とか言われてもようわからんようなら、府中の急坂よりキツいのが600m続くと思えばエエと思うで。正確にはゆったりから始まって段々キツくなって、頂上の200m手前からさらにキツくなる感じや」

 

『地獄で芝』

『脚壊れちゃう』

『構成自体は淀に似てんのか。スケールはダンチだけど』

『これに挑むマイラーがいるらしい』

『距離限界おじさんが来ちまう……!!』

 

「ほんで上りきったとこから第3コーナーと最終コーナー、計600mを今度は下り降りるわけやな。山っちゅうより波型をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれんわ」

 

「キツい下りを駆け下りるわけだから、当然スピードが出やすくなる。ここでどこまでスタミナを温存できるかが鍵だな」

 

「降りきったとこから最終直線……やなくて、『偽りの直線』っちゅうほんの少しだけカーブしとる直線が250m続く。ここで騙されてスパートかけてまうと、最終直線にスタミナが足らんようになるわけや」

 

「そこを超えるとようやく最終直線だ。平坦な最終直線が府中とほぼ同じ533m続く」

 

『もう(逃げじゃ勝て)ないじゃん……』

『逃げキツ杉内?』

『きっっっっっつ』

 

「まぁ、素人でもわかる逃げウマ娘殺しのコースだな……」

 

「一応トライアルで同じコースのフォワ賞で1着とってんねんけど、出走者8人やしあんま参考にはならんやろな」

 

「さらに言えば、当然のことながらこのコースは洋芝が使われている。北海道のコースを走ったことがあるウマ娘ならわかりやすいかもしれないが、洋芝は地下茎の密度が日本の野芝より高く、その分クッション性が高い」

 

「力が伝わりにくいっちゅうこっちゃな。そら金があんなら合宿に行ってでも慣れたいとこやわ」

 

『聞けば聞くほど絶望的じゃん』

『プラスの情報さんどこ?』

『これが世界最高峰のレースか……』

 

「ほんでライバルの紹介や。今回出走すんのはアイネスフウジン含め14人。まず注目なんはサウジアラビア王族が運営する名門『ロイヤルグリーン』のジェネラスやな!」

 

「現在クラシック級にも拘らず既にGⅠ4勝。イギリスとアイルランドの2カ国のダービーを制覇し、前走のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは後続に7バ身差を着けて圧勝。欧州三冠最後の冠を求めて凱旋門賞に臨む」

 

『はー強』

『なにそのラスボス』

『"王"じゃん』

『勝負服緑一色なのになんでこんなカッコいいんや』

『今シンコウ軍団の悪口言ったか?』

 

「ジェネラスがぶっちぎって1番人気。ほんで2番人気がフランスのダービーウマ娘で、アイルランドダービーではジェネラスと競り合ったGⅠ2勝のスワーヴダンサーや。電撃的な末脚から『落雷の踊り子』っちゅう異名もあるらしいわ。親近感湧くわぁ」

 

『勝負服も青と白だしな』

『青い円が連なった耳飾りええな』

『強気な視線に相反して縁が青いエプロンドレスでかわいい系の服やな』

 

「飛び抜けているのはこのふたりだが、他の出走者も実力者ばかりだ。アイネスフウジンが12番人気なのがそれを証明しているな」

 

「いや、それは単純にアイネスがフランスでは無名っちゅうことがデカいねんけどな……さて、そろそろゲート入りも終わりそうやな! あっちにはファンファーレとかないからゲート入り終えたらすぐ発走や」

 

『ぱぱキャンかよ』

『鳴かせろ』

『ぱぱ活させろ』

 

「それはまた意味が違てくるやろ」

 

「ゲート開いたぞ」

 

「うお、ホンマや。飛び出したのは、えーと、14番人気のアートブルーやな」

 

『ラビットやろなぁ』

『これはラビット』

『ラビットってなんや』

『あっちのレースはチーミングありだから、勝つ気のないペースメーカー専も出る。それがラビット』

 

「……遅ない?」

 

「海外遠征計画のときに教わったが、このロンシャンレース場でもあちらでは起伏が緩いタイプのレース場なんだ。それほどスタミナを消費しやすくパワーが重要なヨーロッパのレースにおいて、前半はスローペースで体力を温存するのがセオリーらしい」

 

「ほーん。ほんでそのペースを乱してスタミナを浪費させるためのラビットなんやな」

 

『駆け引きだな』

『ルドルフ現役リアタイ勢のおっさんたちが好きそうな展開』

『5年前やぞ』

『ルドルフ現役リアタイがおっさんと言われる事実に泣いた』

『当時20歳だから今おっさんじゃないんだが?』

『25はオッサンやろ』

『なんだァ? てめェ……』

『ワイ将、キレた!!』

 

「アイネスフウジンもゆっくり出てきたな」

 

「急な速度変化はスタミナを使うから、どうせ競り合ってくる相手もいないと見てゆっくり仕掛けたんだろう。妨害役にブロックされてたら危なかったが、なんとかバ群を抜けたといったところか」

 

「んで、ここから上り坂やな。最初はゆったり始まって、途中でグイッと勾配が上がるで」

 

『うわ』

『見てわかる坂』

『フー姉ちゃんラビット抜いてて芝』

『盛 り 上 が っ て ま い り ま し た』

 

「さぁ下りや! ここからペースが一気に上がるで!」

 

「アイネスフウジンは例によって脚を休ませながら加速。後続に差を着けていく」

 

『これは勝ったんじゃないか?』

『コレ簡単にやるけどマジでムズいからな。普通に転ぶ』

『勝ったな、畑入ってくる』

『フー姉ちゃんの勝ちパターン』

『いやアイネスここから結構差されてね?』

『結構(2回)』

 

「さぁ『偽りの直線(フォルスストレート)』や!」

 

「強いて言うならスパートのための準備をするタイミングだな。ここのはじめからスパートをかけてしまうと800mのスパートを強いられる」

 

『欧州勢も動き始めたな』

『スワーヴダンサーが大外に出た』

『マジックナイトちゃんかわいくね?』

『フランスティアラ路線のシルコレちゃん』

『ヴェルメイユ制覇者やぞ』

『マジックナイトちゃんアガってきてる』

 

「アイネスフウジンが『偽りの直線(フォルスストレート)』の中間あたりからスパートかけよったな……これはどないや……?」

 

「アイネスフウジンはああ見えて加速が苦手だ。恐らくスパートの速度に到達するのが遅くなると考えての仕掛けだろうな」

 

「アートブルーが垂れて代わりにピストレブルーとマジックナイトが抜け出してきたで! いよいよ最終直線や!!」

 

『うわなんかきた』

『はっや!!?』

『テイオーみたい』

『やべ』

 

「スワーヴダンサーだな。間違いなく"領域(ゾーン)"に入っている」

 

「中継越しでもこれってことはこの音は"領域(ゾーン)"の幻覚とちゃうんか!!?」

 

「単純に"足音"ということだろうな……まさに『落雷の踊り子』と言ったところか。だが、バ場が悪いのがアイネスフウジンの有利に働いている。良バ場なら差し切られているだろう」

 

『アイネスも加速した!』

『領域来たっぽいけどすぐ並ばれてる』

『マジックナイトも来てるな』

『後ろは足りないだろ。一騎打ちだ』

『風神と雷神とか熱い』

 

「アイネスフウジンも粘っているが……これは意地だな。速度はスワーヴダンサーの方が速い」

 

「アイネスぅ!! 日本の意地見せんかいゴラァ!!」

 

『ぬかれた』

『あああああ』

『あかん』

『もう(距離)ないじゃん』

『キッツ』

『来た』

『かそく』

『お』

『うおおおおおおおおおお!!』

『抜き返したろ!!』

『最後並んだ!!』

『再加速来た!!』

『写真判定! まだある!!』

『最後の何?』

 

「どっちや!? どっちが勝ったんや!?」

 

「正直わからん」

 

『うおおああああああああああああ!!』

『きたあああああああああああああああああああ』

『かったあああああああああああああ』

『まじか』

『よっしゃああああああああああああああああ』

『wryyyyyyyyyyyyyyyyyyyy』

『まつりだああああああああああああああああああ』

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

「タマ、落ち着けタマ」

 

「落ち着けるかい!! 日本の悲願やぞ!!」

 

「いや、私も興奮しているがしかし落ち着け。インタビューが始まるから」

 

「ああもうなんでパーソナリティなんてやっとんのやウチは!」

 

『火のタマストレートで芝』

『歯に衣着せぬいつものタマちゃん』

『遂に矛先が自番組に向いてて芝』

『落 ち 着 け』

 

「フランスでも黒いなぁ!!」

 

「言い方が日焼けなんだが彼は黒い服を着ているだけだぞ」

 

『おっ』

『初手牽制で芝』

『牽制っていうか威嚇で芝』

『威嚇っていうか脅迫で芝』

『黒い人「アイネスフウジンのご実家への取材は全面的に拒否させていただきます。現在不審者対策として警備員を雇用し配置しているので、不審者と()()()()()()()()()賢明な判断をお願いいたします」』

『訳: 来たらしょっぴく』

『民間警備員には逮捕権ないけどこの人ならSP雇ってそうで怖い』

『実家突撃しなきゃ怖くないんだよなぁ……』

『暗にマスコミ対策って言ってるよね』

『明にマスコミ対策だぞ』

『黒い人はマスコミに親でも殺されたんか』

『黒い人の親は今元気にイタリアで個展やってるぞ』

『マ? 同じ苗字だけど流玄(りゅうけん)の息子やったんか』

『誰?』

『誰だそれ』

『巨匠ってレベルの美術家。URA本部のシンザンの絵描いた人って言えばわかるか』

『そりゃ金持ちだわ。5代くらい続く美術家一家だ』

 

「おっ、今回は普通にアイネスフウジンが答えるんか」

 

「流石にすべてトレーナーがインタビューを引き受けるわけにもいかなくなるからな。単独でテレビ番組に出演することも出てくるだろう」

 

『Q.日本の名門名家、URAの悲願である凱旋門賞を制覇した今のお気持ちをお聞かせください』

『A.立場とか出身とか国籍とか関係なく、アイネスフウジンと網怜が凱旋門賞を獲ったと思ってるの。その上で、すごく嬉しいです!』

『寒門や日本を代表してるつもりはないってこと?』

『まぁ本人にしてみればそういうことなんやろうな』

『若干冷や水ではあるが、アイネスにしてみれば自分の勝ちを濁されたくないのかな』

 

「日本を代表したいなら自分らでとれゆーこっちゃな」

 

「それもまたひとつの意見だろう」

 

『Q.やはり強敵はスワーヴダンサーでしたか?』

『A.走ってる時は夢中で、隣にいるのが誰かわからなかったけど、間違いなく強かったの!』

『Q.これまで戦ってきたライバルと比較しても?』

『A.それは無理! みんな強いから単純に比べられないの!』

『Q.主戦場はマイルと聞いていたが、凱旋門賞挑戦はアイネスフウジンさんが提案したものですか?』

『A.はい! トレーナーはジャック・ル・マロワ賞か、ムーラン・ド・ロンシャン賞がいいんじゃないかって言ったけど、どうせなら有名なのがいいなぁって』

『どうせならで800m延長して得意距離より外で勝負するのか……』

『そのふたつなら楽勝だったって言ってる……?』

『来年そのふたつ制覇期待してるで!!』

『サセック○ステークスも頼むって打とうとしたらNGくらって芝』

 

「恐らく本質的にはマイルからミドルが得意なんだろうな」

 

「それでもようわからんけどな」

 

『Q.凱旋門賞挑戦はいつ頃から考えていた?』

『A.ニュージーランドトロフィーの前くらい』

『!?』

『ダービーどころかNHKマイルも獲ってないときかよ』

『まだ朝日杯しか獲ってないマイラーが凱旋門賞挑戦決定するってマ?』

『可愛い顔して野心すげぇな』

 

「志が高いのはエエことやね」

 

『Q.網トレーナーへ質問です。勝てると思っていましたか?』

『A.厳しい戦いになるとは思っていましたが、勝てると思って送り出しました。負けても来年また今より強くして送り出すのがトレーナーの仕事ですし、信じて送り出すのもトレーナーの仕事です』

『Q.同じ世界最高峰のレースでもマイルのレースを勧めたと仰っていましたが、説得しようとは思いませんでしたか?』

『A.ウマ娘側のモチベーションがなければ何もかも成り立ちません。なので、ウマ娘の希望を最優先にしています』

『ウマ娘優先主義ってやつか』

『この顔ですげぇウマ娘大切にしてるんよな黒い人』

『Q.次走の予定は?』

『A.アイネスフウジンはマイルチャンピオンシップですね。間違いなくダイタクヘリオスが難敵なので、マイルで彼女に勝てるか挑戦させたいと思います』

 

「ダイタクヘリオスの評価高いな」

 

「確かにダイタクヘリオスには底知れなさがある」

 

「さよか? ウチはわからんわ」

 

『Q.ジャパンカップで日本総大将をやって欲しいとの意見もありますが』

『A.本人の希望優先。ツインターボには長い距離だし、ナイスネイチャは菊花賞後は有に向けて調整したいから、チーム《ミラ》からは今年はジャパンカップに出走はしない』

『マ?』

『テイオーだけじゃなくてネイチャもアイネスもおらんのか……』

『長い距離(ダービー2着)』

『Q.ツインターボは日本ダービーで2着ですが長いんですか?』

『A.あれはメンタルの状態が偶然2400m走りきれる細工を仕込める状態だったからできたこと。恐らくもう二度とあの状態にはならない』

『Q.日本ダービーは偶然だと?』

『A.実力以上のものが出せる状況だったのは偶然ですね』

『ここまでか』

『ツインターボに関しては距離限界おじさんが勝ったか』

『距離限界おじさんって勝てるんだ……』

『大穴じゃん』

『日本帰ってきてからも取材受けてくれよ頼むよ頼むよ〜』

 

「まぁ、その辺りはおいおいやろな」

 

「頃合いだし、こちらも畳んでおくか」

 

「せやな。そんじゃここらでお別れや」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほななー』

『ほなな』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「すげぇなぁ。ネイちゃんの先輩、凱旋門賞とっちまったよ」

 

「……獲っちゃい……ましたねぇ……」

 

 ナイスネイチャは、とんでもないものを見せてくれた、と思った。こんなの見せられたら菊花賞、勝つしかないじゃないか、と。

 店内はお祭り騒ぎだ。そりゃ、凱旋門賞制覇は日本のレースファンの悲願だ。そうもなろう。

 

「ロン」

 

 と、そんな騒ぎを邪魔しない程度の宣言が響き、ナイスネイチャの上家に座っていたおじさんの捨て牌が拾われる。

 手牌を倒して和了を宣言したのは、ポンパドールの先輩ウマ娘だった。

 

「見ての通り役満。親の役満は48,000点でおじさまのハコね」

 

「いやぁはは、参ったね。役満直撃とは……」

 

「凱旋門賞制覇の次は役満と来たか! こりゃめでたい!」

 

「すみません、私はそろそろお暇しますね。トレーニングがあるので……一番好きな役で和了れたので、満足です」

 

 もう何が起こっても面白いのか笑い合う卓仲間に挨拶をして、先輩ウマ娘は帰っていった。

 残された牌を眺めるナイスネイチャ。付き合い程度でしか打たないためそこまで詳しいわけではない彼女は、その役満の名前が思い出せず、結局自分で思い出すことを諦めた。

 

「おっちゃん。この役なんていうんだっけ」

 

「んー? まぁ役満なんかなかなか出ないからな……覚えてなくても打てるか……まぁロマンだから覚えておきなよ! この役は比較的出やすい役満だから。この3つが刻子で揃えばいいんだ」

 

 おじさんは倒された手牌から3種類9個の牌を抜いて揃える。

 

「大三元ってんだよ」

 

 

 

 ■南入

*1
1995年からの施行なので1991年当時はトライアルではありませんが、現在の制度で行きます。



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オグタマライブ ??/10/13 前半

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど〜』

『まいど!』

『2回行動』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

『さっきぶり』

『もう見た』

 

「せやな〜。まぁみんな知っとると思うけど今回は特別編なんよ」

 

「今間違いなく時の人であるふたりにゲストとして来てもらっている」

 

「まいどなの〜! 凱旋門賞ウマ娘のアイネスフウジンと〜」

 

「毎度どうも。トレーナーの網怜と申します」

 

『フー姉ちゃん!!』

『どけ! 俺は弟だぞ!!』

『フー姉ちゃんだ』

『アイネス〜』

『黒い人やんけ』

『実在したんだ……』

『ムッシュノワールだ』

『風神と魔神』

『うわ黒っ』

『よく見ると顔がいい』

 

「まぁ……ちゅーわけでね! 何故かこの野生の天才コンビの帰国後初取材に我々オグタマがご指名いただきましてね……いやなんでなん? ウチらインタビューについてはド素人もエエとこやで?」

 

「質問内容は月刊トゥインクルの方でまとめてくれてるでしょうし、マスコミ被害者(おふたり)が間に入るなら質問内容も吟味するでしょう? 忖度や下心もありませんし、まぁアイネスフウジンの今後の練習としては最適かなと」

 

「まぁ、言うてこの番組てトゥインクル主導やのーてURA主導のファンサの一環にトゥインクルが乗っかってきた形やからな」

 

「今回の質問内容は月刊トゥインクルからのものの他に、リスナーからリアルタイムで募集し編集が通したものも含まれる。あからさまに変なものは通さないと思うが、変な質問は来るだろうな」

 

「ネタ質問やな。笑えん質問は読まんで」

 

『流石芸人』

『トゥインクルシリーズきっての芸人』

『ウマペディアの主な勝鞍に上方漫才大賞って書かれてるだけあるわ』

 

「うん単純にデマやねそれはね。書かれてへんわ。ないよな?」

 

「ないな」

 

「うんもう嘘やもんなただの」

 

「とりあえず編集部からの質問を先に消化してしまおうか……おふたりとも名門や名家との関わりのない在野の出身ですが、その差を覆し日本の悲願を達成するに至った秘訣のようなものがあれば教えて下さい」

 

「いや教えるわけないやんそんなん」

 

「ウマ娘個々人にとって最高効率なトレーニングをさせ続ければいいんですよ」

 

『なるほど完璧な作戦っスね───っ、不可能だという点に目をつぶればよぉ〜』

『無理難題で芝』

『それっぽい言い草だけど何ひとつとして具体的なこと言ってないぞこいつ』

『効率を上げるにはどうすればエエんや』

 

「効率を上げるのに1番重要なのはウマ娘本人のモチベーションですね。トレーニング、レース、作戦指導、信頼関係全てに関わるので、ウマ娘の希望は最優先にしたほうがいいです」

 

「ほーん、ただお人好しっちゅうわけでもないんやな」

 

『計算された優しさか』

『やっぱ黒くね?』

『いや黒いのは間違いないだろ』

『見た目の話じゃねえよ』

『露悪的なお人好しだゾ』

 

「逆にお聞きしますが、皆さん相手に好かれる努力はなさらないんですか?」

 

『やめろカカシ、その術は俺に効く』

『残酷すぎる天使のテーゼやんけ』

『正論パンチ!』

『何気ない質問がリスナーを傷つけた』

 

「うちのトレーナーはお金持ちだから賞金の額に興味ないし、トレーナー同士でつるまないから対抗意識もないし、とにかくトレーナーとして働くことで自分のトレーナーとしての才能を自覚することが生き甲斐だからそれ以外の拘りもないの」

 

「なんやそれ、新手のナルシストかいな」

 

「事実として天才の範疇に入ると自負していますよ。結果と実績が証明しているじゃないですか」

 

「ゲームでキャラのカスタマイズとか育成プランとかデッキ構築をそれ単体で無限に楽しめる人種なの。あたしたちがそれをどう使うかは拘らないし、お題があったほうがやりやすいみたいな感性してるの」

 

『急に親近感』

『職人気質なナルシストから和マンチオタクになったぞ』

 

「和マンチってなんや」

 

「TRPGのスラングだな。笠松にいた時によくやったが、ミニーがノルンからよくそう呼ばれていた。ルールブックを読み込んで効率よく強いキャラを作ったり、あくまでルールの範囲内でできるだけ自分が有利になるように振る舞うプレイヤーのことだ。ルールを破ることはないが、穴や隙を突くことは多い」

 

「それなの!」

 

『えぇ……』

『それでいいのか()』

『まぁ……結果的に?』

『ウマッターで落書きとか言ってお題募集してめちゃくちゃ上手いイラスト載せてくる人種じゃん』

 

「話が逸れましたね。効率のことですが、体にかかる余計な負担をできるだけ取り除くことも重要ですね。負担の少ないトレーニングで体を作ってから、正しいランニングフォームを教える。それから、ストレッチなどの準備運動の徹底とトレーニング後のケアの徹底。バンデージやサポーターも有効です。一番効率が悪いのは怪我ですね」

 

『それはそう』

『オグリも怪我に苦しめられたしな』

 

「なのでとりあえずB種免許を取るといいと思いますよ」

 

『言うが易しさん!?』

『簡単に言うなや』

『難易度が司法試験並なんだよなぁ……』

『B種ってなんや』

『簡単に言えばウマ娘専門の医療免許みたいなもん』

 

「あとはウマ娘の才能と適性を見極めて、正しい方針のトレーニングを積ませることです。極端な例ですが、カブラヤオーに先行のトレーニングを積ませても絶対に強くはなりませんでしたし、ニホンピロウイナーに春の天皇賞を獲らせようというのは無茶でしょう」

 

「ほな、あの娘はどうなん。ミホノブルボンゆー今年デビューした娘。あの娘スプリンターやのにクラシック三冠とる言うとるで」

 

「見た限りですが、彼女には努力の才能があります。正しい指導者がつけば可能性はあるでしょう」

 

『黒い人努力の才能とか言う人だったんだ』

『ガチガチの理論派だと思ってたから意外』

 

「トレーニングというのは自身の限界を拡げる作業ですから、当然身体から危険であるというアラートが鳴ります。このアラートは肉体が壊れる限界よりかなり手前で鳴るので、それを無視して限界を更新し続けるだけの精神力と、本当に肉体が壊れる限界を見極めてやめられるだけの分析力と判断力が必要です。分析力と判断力はトレーナーの方で受け持てますので、その代わりにそれができるトレーナーを選ぶ鑑識眼と運、トレーナーの指示を守る従順さがあることを、努力の才能と呼んでいます」

 

「あー……なんかわかるわ。あの娘、トレーナーの言うことは絶対みたいな感じやもんな」

 

「ミホノブルボンと言えばかなりのスパルタトレーニングを積んでいると聞くが、あれは網トレーナーとしてはどうなんだ?」

 

「坂路訓練は故障に繋がる部位への負担が少ない効率的なトレーニングです。その代わりに負荷をかけるべき場所にかなり強い負荷がかかるので、それを長時間続けるにはかなりの精神力が必要になります。ミホノブルボンにはこの精神力があるので間違いなく効果的かと。ただ、坂路訓練だけではどうしても負荷がかからない筋肉があるので、それは別途鍛える必要がありますが」

 

「方針としては正しいと?」

 

「えぇ。距離適性を延ばす、スタミナを養う訓練としては最善かと。もちろん、ミホノブルボンが高い精神力を持つということが前提ですが」

 

『やっぱり理論派だった』

『めっちゃ批判食らってたけど黒い人的には正解なんか』

『ちゃんとわかるように説明されると納得しちゃうんだよなぁ……』

『黒沼T叩いてた出版社息してる?』

『マイラーに凱旋門賞勝たせたトレーナーが言ってんだから間違いないわな』

 

「あぁ、それなんですが、今アイネスフウジンの一番力を発揮できる距離って、多分マイルじゃなくてミドルレンジなんですよね」

 

「ほん? そらまたなんでや?」

 

「凱旋門賞で課題が見えたんですが、スタミナが養われた反面、最高速度に伸び悩みが出ているんですよ。なので現在の最適性はミドルで、今後はスピードを磨くトレーニングになると思います」

 

『よかった、マイラーに負けた海外の精鋭はいなかったんだ……』

『どっちにしろ範囲外なんだよなぁ……』

『なんか大体トレーナー側のコツだったけど、ウマ娘側のコツはないの?』

 

「あー……勉強してください。とにかく正しいトレーニングをできるようにしましょう。分析力と知識を養えばそれで名門との差は7割埋まります」

 

「あとの3割はなんだ?」

 

「執念ですね。メジロ家最大のアドバンテージは天皇賞に向ける執念じみたモチベーションだと思いますよ。ただこの執念は一長一短ですけどね」

 

『なんか納得』

『なるほど、この分析力か』

 

「一発目の質問がめっちゃ尺取ったな……次行くで。凱旋門賞挑戦の公表タイミングが遅れたことについてURAから苦言を表明されましたが、実際の理由はなんでしょうか? やって」

 

「あー……色々複合的に理由はあると思うけど、一番ウェイトを占めてるのはセントライト記念のインタビューのあれで間違ってないと思うの」

 

「驚かせたかったから?」

 

「びっくりしたでしょう?」

 

『お茶目かよ』

『こう言っちゃホント申し訳ないんだけどくっそ迷惑だった』

『ワイ旅行会社社員、ビジネスチャンスに乗り遅れて泣く』

 

「いや、でもフォワ賞勝った時点でもう少し話題になると思っていたんですよ。ここまで広まらないとは思いませんでした」

 

「帰国してから聞いたんだけど、顔見知りが生死の境にいることもあって気づいてても話題にしにくかったって」

 

『空気が死んでたからね……』

『ケイエスミラクルかぁ……』

『ケイエスミラクルの故障で話題が流れた感じはある』

『海外に目を向けてる余裕がなかったよな』

『海外レースガチ勢は気づいてたけど内輪で楽しむから外に流れてこないし、ウマッターでもそういうのに気づくアカウントほどフォロワー少ないんだよな』

 

「あ、でも、今年うちからデビューするライスシャワーが来年海外遠征するので、今のうちからその予定を公表しておこうと思っていたんですよ」

 

「は? 来年? クラシックから海外遠征するんかい」

 

『ライスシャワーってあの黒い子?』

『あの娘そんな強いんか』

『黒い人がここで予定を公開……? 妙だな……』

 

「初めての遠征は3月30日のドバイゴールドカップですね。その次が4月21日のサンファンカピストラーノステークス、少し飛んで8月1日にグッドウッドカップ、9月12日にイギリスセントレジャー、日本に戻ってきて菊花賞とステイヤーズステークスに出ます」

 

「待て待て待て待て待て待て。なんて?」

 

『知らんのばっかや』

『英セントレジャーだけわかった』

『順番で、ドバイGⅡ3200m、アメリカGⅢ2800m、イギリスGⅠ3200m、イギリスGⅠ3000m、日本GⅠ3000m、日本GⅡ3600m』

『えぇ……(困惑)』

『なぁにこれぇ』

『ステイヤーズステークスって生きてたんだ』

『菊の出走優先権とらないのか……』

 

「生粋のステイヤーなのか……?」

 

「まだ実際に走らせたわけではないのではっきりとは言えませんが、2500mで短いだろうという雰囲気があります。恐らく適正距離は2800mから3800mです」

 

「はぁ……そりゃまた……」

 

『ブルボン終わったな』

『流石にガチガチのステイヤー相手に長距離で勝てへんやろ』

『まだわからんぞ』

『そろそろ、三冠が見たいよー』

 

「ちゅーことはなんや、シニア入ったらゴールドカップやらカドラン賞やら獲りに行くんかいな」

 

「ステイヤーズミリオン制覇を考えていますね」

 

「またさらっと言いよる……」

 

「いえ、別に不自然なことではなくて、国内に3000m級のレースが6つしかなくて、うち1つはクラシック限定の菊花賞なんですよ。なのでライスシャワーが自分の土俵で十全に実力を発揮するには海外遠征するしかないんですよね」

 

『それはそう』

『短距離もそうだけどもう少し国内整備してほしいな』

『マイルからクラシックディスタンスに偏ってるもんな』

『別に国内に限った話でもない。長距離軽視の傾向はどこの国でもある』

 

「話ズレてきたから次行くで。アイネスフウジンさんのご実家に警備を配置したと仰っていましたが、その後不審者などは現れなかったのでしょうか? どうなん?」

 

「凱旋門賞開催日前に取材の申込みが来たそうなので、丁重にお帰りいただいたとのことです。その上で、不法侵入やストーカーのような不審者は現れなかったらしいので、効果はあったのかなと思っています」

 

『警備員いなかったら無理矢理取材してたやつじゃね?』

『余裕で突撃してそう』

『でも親御さんに取材はそこまでアレなことではないのでは……?』

『先にトレーナーを通して取材交渉するんだよ普通。いきなり実家に突撃してそこから取材交渉とかその時点で舐め腐ってる』

『ゲタはどうしてる?』

『ゲタくんはフランス紙でフー姉ちゃんをKAMIKAZE扱いしたことについて批判記事書いてたよ』

『流石に凱旋門賞獲ったウマ娘を批判はできんか』

『それとは別口で「網トレーナーが警備に見せかけてアイネスフウジンの家族を軟禁して言うことを聞かせているのではないか」みたいなコラムもこっそり堂々と書いてた』

『こっそりなのか堂々なのかどっちなんだ……』

『ページの隅の方なんだけどやたらと目立つんだよあのコラム』

『アイネスフウジンの人気は批判しようがないから黒い人単体に攻撃するためにアイネスフウジンと黒い人の世間のイメージを引き剥がしにかかってきたのか』

『アイネスフウジンをスカウトしようとしてたのに黒い人に脅されて手を引いたとかいう自称ベテラントレーナーのインタビュー記事、粗だらけでホンマ芝』

 

「あれは笑いましたね。脅すなら少なくとも面が割れないように人を挟みますよね。自分で直接行って脅すとかありえませんよ普通」

 

『なんで有識者風やねん』

『(知ってはいるんだ……)』

『もっと効率的で法に触れない方法があるんですよハハハ』

 

「でも実際のところ、ふたりの初対面はどうだったんだ? 編集部からも質問で来ているが、今でこそ信頼関係は強いようだがはじめからそうというわけではなかったんだろう?」

 

「そうですね。私が選抜レースでスカウトしたのがキッカケですから」

 

『フー姉ちゃん……?』

『アイネスなんやその顔』

『やましいことがある顔か』

『まーた風評被害』

 

「ハハハ、もうこれぶっちゃけたほうがいいんじゃないですか?」

 

「だよねー……うん、正直めっちゃ怖かったの」

 

『芝』

『芝』

『それはそう』

『芝』

『笑うわ』

 

「このままじゃ故障しかねないけど自分なら防げますよ~みたいな感じでスカウトしたので特に探られて痛い腹はないんですがね?」

 

「『自分の担当でもないウマ娘を助ける義理はありませんが、担当になるなら最善を尽くしましょう』的なことも言ってたの。ニュアンスがちょっと違ったの」

 

『うーんグレー』

『普通に脅迫やないか』

『いや、スカウトされなければなにかするって言ってるわけじゃないから脅しではないぞ』

『言ってることはまぁ間違ってはいないんだよな。そら担当じゃないウマ娘のことまで面倒見てらんない』

『ただし見た目でだいぶバイアスがかかる』

『灰色発言に真っ黒外見があわさって黒く見える』

 

「しかし、乙名史記者いわくメイクデビューの頃にはかなり信頼関係が築けていたそうだが」

 

「スカウト直後に病院に連れて行かれて診察代とか全部払ってくれたし、怪しく見えてもやましいことはないからすぐ誤解だって気づいたの」

 

「すれ違うのは時間の無駄なので、基本的に自分の意図はすべて伝えるようにしていますからね。トレーナーになってからこうなったわけでもありませんし、自分の印象との折り合いの付け方は心得ています」

 

『ホントカナァ?(疑心暗鬼ゴロリ)』

『折り合いをつける(誤解されないようにするとは言ってない)』

『でもあんた基本「聞いてない!」「聞かれてませんからね」じゃねーか』

『意図はすべて伝える(凱旋門賞挑戦をチームメイトに伝えない)』

『あんたのせいで今ウマッターでネイチャの姿を見ない日はないんだぞわかってんのか』

『お馴染みリプライ〜』

 

「何が怖いって見るからにヤクザが乗ってそうな車に乗せられたときが一番怖かったの!」

 

「なんやねんヤクザの乗ってそうな車て」

 

「私の愛車、黒のヤールフンダートなんですよ。と言っても伝わるか微妙ですが」

 

「タマ、これだ」

 

「うわ厳つっ! 完全にスジモンやんけ!」

 

『物々しくて芝』

『いつも府中レース場の駐車場にあるこれアンタのかよ!!』

『推しの持ち物と同じもの買うマンよかったじゃん、買えよ』

『ム・リ』

 

「でも貴女、今は乗るたびリクライニングしてマッサージ機能フル活用でくつろいでますよね」

 

「そりゃ3年近く乗ってれば慣れるの」

 

「それでは次が編集部から最後の質問だ。アイネスフウジンの今後の出走方針はどうお考えですか?」

 

「その場のノリなの」

 

「アイネスフウジンは元々金銭目的で走るつもりだったので、レース以外でもそれなりに稼げる立場になった今無理して走る意味も薄いんですよね」

 

「とりあえず来年一杯は走って、それからドリームシリーズに移籍してたまに走りつつ、普段はサブトレーナーとして働こうと思ってるの」

 

『ド正直で芝』

『アイネスフウジン、デビュー前はアルバイト掛け持ちしてたから稼ぎたいのは結構切実なのでは?』

『日本初の凱旋門賞ウマ娘の姿か……これが……?』

『凱旋門賞ウマ娘ともなればテレビに講演会に引っ張りだこやろしなぁ』

『URAが保護するレベルやろ』

『フー姉ちゃんがサブトレやるチーム裏山』

『言うてミラやろ』

 

「まぁそういうことやね。ほんじゃ次はリスナーからの質問やってこか」



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オグタマライブ ??/10/13 後半

「ほんじゃ最初の質問。『黒い人はいつも黒いスーツを着ていますが、黒いスーツ以外の私服を持っていないんですか?』」

 

「持ってますよ」

 

『は?』

『マジか』

『なんでスーツしか着ないんだよwwww』

 

「着慣れているからですね」

 

「私服って言っても大体Yシャツとかのフォーマルファッションなの。スーツと大して変わらないの」

 

「スーツがそぐわない場というのはありますから、必要とあらば他の服を着るのは社会人としてのマナーですし、必要になれば都度購入します。着物とか浴衣も持っていますよ」

 

『黒い人の浴衣見てぇ』

『ウマッターのファンクラブが騒ぎ出してる』

『あんのかよ黒い人のファンクラブ』

『顔はいいからな』

 

「次の質問だ。『いつも黒一色の服を着ていますが、シンコウ軍団となにか関わりがあるのですか?』」

 

「ありません」

 

『バッサリ』

『まぁ黒一色と聞けばウラレファンはシンコウ軍団思い出すよな』

『ないんだ』

『そりゃそうだ』

 

「『チーム《ミラ》のスカウト基準はなんですか? 今のところ名門からはスカウトしていないようですが、寒門になにかこだわりがあるんでしょうか? また、こういうウマ娘は優先的にスカウトしたいという基準があれば教えてください。』これはウチも気になるなぁ」

 

「フィーリングです。名門寒門は特に気にしてません。メジロ家やシンボリ家でも縁があればスカウトしますし、なければそれまでです」

 

『意外過ぎて芝』

『別に寒門の星ってわけでもないんやな』

『ただの一匹狼』

『才能で選んでるわけじゃないのか』

『まぁ、寒門をここまで強くできる指導者は貴重だし、寒門中心で育てて欲しさはある』

 

「トレーナーのモチベーションは多分育ててて面白そうかどうかだと思うの。王道な先行や差しよりも奇を衒ったことができる人材だとスカウトされやすいの。ただ変なことができるんじゃなくて、それを戦術として昇華できるかが重要なの。要するに他人にはないアピールポイントがあると有利。とはいえ、それもトレーナーが勝手に見つけてくれるパターンもあるの」

 

『デビューしてる面子見てなんか納得する解説だわ』

『セオリー無視のハイペース逃げ、スタートスパートの破滅逃げ、皇帝一歩手前のレース支配、長距離特化(仮)だもんな』

『尖った性能のキャラ作りたくなるのわかる〜』

 

「あとトレーナーしつこいのとか鬱陶しいの嫌いだから、自分から売り込むのは初回でダメならやめたほうがいいの」

 

「スカウトされたいから言うて押しかけるなっちゅーことやで。次、『今年のジャパンカップ、日本総大将は誰になると思いますか? できればアイネスさんかネイチャさんに出てほしいです』やって。アイネスはマイルCS出るから無理にしてもネイチャはいけるんちゃう?」

 

「実際、URAの方からも要請は来てるんですよね、出てくれないかと。ただ、ナイスネイチャも初めての長距離レースのあとすぐになりますし、十全なコンディションでは挑めないと思いますので遠慮したいなと。候補としては今年中に引退予定とはいえまだ現役でGⅠ3勝のハクタイセイか、2400mも十分視野に入っているGⅠ2勝のイブキマイカグラですかね」

 

『ライアンは?』

『屈腱炎』

『テイオー復帰は無理か……』

『アルダンや白石さんも強いけどGⅠ勝利なしだから日本総大将できるかって聞かれるとな……』

『マックイーンはどうなん?』

『所感だがいいか? マックイーンはステイヤーだから2400mだと少し短い』

『死ねどすさんはマイラーやろ』

『マイラー(菊花賞出走決定済)』

『そこに凱旋門賞とったマイラーがいるじゃろ?』

 

「ツインターボはアカンの? メンタルがどーのこーの言っとったけど」

 

「あのタイミングは、ツインターボ自身トウカイテイオーとの関係で悩みがあった時期で没頭できる何かを欲していて、体に刷り込むにはちょうど良かったんですよね。なので、普段より遅いペースのトレッドミルを体力の限界ギリギリまで走らせて体にペースを覚えさせました。だから2400m足りたんです」

 

「今は違うと?」

 

「もう元のペースに戻ってるでしょうし、また刷り込むにしても今の精神状態じゃうまくいかないでしょうね……」

 

『おかしい。言ってることは普通のことなのに疑わしい』

『黒い人は嘘をつかないで真実を隠すの上手いよね』

『すべてを疑え』

『どうせ2400m走れるようにしてくるゾ』

『(今は)無理ですね』

 

「風評被害ですよね?」

 

「自業自得なの」

 

「次だ。『トレーナーさんの好みなタイプはウマ娘で言うとどんなタイプですか?』」

 

「なぁええんか!? これホンマに流してええんか!?」

 

『あっ、ッスー……』

『何が始まるんです?』

『第三次大戦だ』

『ファンクラブ民だろこれ』

 

「んー……そうですね、それこそミホノブルボンとか、オグリキャップとか好みですよ」

 

「いやアカンアカンアカンアカン!! どんな意図やったとしても荒れるてこれ!!!」

 

『クール系か?』

『ファンクラブ民阿鼻叫喚で芝』

『本人を目の前にしてのそれはもうプロポーズなんよ』

『アイネスが動じもしないのが逆に怖い』

『良かったなオグリ。好きなだけ飯食えるぞ』

『飯コメで露骨な反応を見せるオグリで芝』

『お前も十分自腹で食えるやろ!!』

 

「トレーナー、わざとやってる?」

 

「ええまぁ」

 

「ホンッマええかげんにせえよ?」

 

「あの……トレーナーはウサギとかフェレットとかタヌキとかアヒルとかの『一見無表情に見えてめちゃくちゃ感情豊かな動きをする小動物』が好きだから……その……ね?」

 

『オグリ小動物扱いで芝』

『定期的に訪れるオグリのペットタイム』

『オグリがスンッてしてて芝』

『この面でウサギ好きとかいうギャップよ』

『あざといのわざとやってない?』

『こうどなじょうほうせん』

 

「私は小動物ではない」

 

「ハハハ。飲食店でお腹いっぱい食べたいときは事前に食べたいメニューを決めておいて1ヶ月ほど余裕を見て予約しておくと比較的店側も快く受け入れてくれますよ」

 

「ほんとか」

 

「店側が恐れるのはいきなり現れて店にある食料を平らげる上に従業員が忙殺され、他の客に対するサービスが滞るからですので、事前に来る日時がわかっていて、注文の量に耐えうる材料も人手も揃えておけるという条件なら、単純に売上が伸びるという点で歓迎されるのではないでしょうか。仮に断る場合でも、店先で断るのと電話先で断るのとでは心理的にも違いがありますし」

 

『なお、バイトにとっては悪夢』

『オグリ来襲特別手当ほしいわ』

『1ヶ月あれば臨時の短期バイト雇えるかな』

『なるほどこの感じか』

『確かに癒やし』

『無表情なのにキラキラしてるな』

 

「ただ、食べ放題へ行くのはやめておいたほうがいいですね、流石に。店側が破産しますから」

 

「むぅ、それは仕方ない。次だ。『アイネスフウジンさんのお好きな男性のタイプはなんですか?』」

 

「なぁホンマに大丈夫かこれ!!?」

 

「正直今のところロマンスを味わいたい以外で恋人を作る理由がないし、そんな理由で将来にまで関わるかもしれないような相手を選ぶのは気が引けるのもあって恋愛は考えてないの。強いて言うならそれなりにカッコよくてマイナスポイントができるだけ少ない、あたしのほうが収入が多くても就職はしてくれる人なの」

 

「アカンこれはこれですごい現実的や!! 無事かリスナー!!」

 

『なんとか致命傷で済んだぜ』

『たかがメインブレインをやられただけだ!』

『そもそも雰囲気が庶民派で気安くても圧倒的高嶺の花だぞ』

『その条件だとトレーナーはどうなの?』

 

「いや〜キツイの」

 

「教え子に手を出すことはありえませんよ」

 

「黒いのはわかるけどアイネスはなんでやねん。ええやん、条件にあっとるで」

 

「手のかかる弟みたいな感じで恋愛対象としては見れないの」

 

『弟……?』

『弟……?』

『????』

『お馴染みリプライ〜』

『これがスペースネイチャ状態か』

 

「この人けっこう猫かぶりなの」

 

「あぁ言っちゃうんですねそれ」

 

『芝』

『容赦なくて芝』

『この黒い人また味方から暴露されてる……』

『黒い人がたいして慌ててないのも芝』

『猫被ってんのはうっすら察してたけど弟みたいってことは割とやんちゃ方向なのか』

 

「ご想像におまかせします」

 

「まあ担当に無体なことしとるっちゅー噂はほぼほぼ払拭できるやろ、この感じは」

 

「それでは次だ。『来年クラシックを迎えるウマ娘たちの中で、自分の担当のライバルになりうるウマ娘はいますか?』だそうだ。これはさっき話題に出たライスシャワーのライバルになるな?」

 

「そうですね。まず国内ですが、ライスシャワーとステイヤー路線が被りそうという点で菊花賞のライバルになるだろうウマ娘はマチカネタンホイザですね。王道で遊びがない、没個性的でありながらも量産型に収まらないので油断ができない怖さがあります。マチカネ一派では珍しいタイプですね」

 

『褒めてんのか貶してんのかわかんねぇな』

『多分褒めてるんだよな……?』

『大丈夫、マチタンカノープスだから』

 

「それと、距離延長がうまくいった場合はミホノブルボンもライバルになりうるかなと。ただこのふたりはアイネスフウジンと似たタイプで格上に対する手札が少ないので、菊花賞で負けることはまずないと思います」

 

「それとはまた別だけど、ブルボンちゃんとライスちゃんは結構仲がいいの。よく一緒にトレーニングしてるし」

 

『昨年のクラシック組もそうだしTTNin死ねどすもそうだし、結構ライバル同士って仲良いのな』

『永年3強も仲いいだろ』

『ルドルフとニシキとかシリウスとミホシンザンとかのバチバチしてるイメージが強くてな……』

『ルドルフとニシキそんなバチバチしてたか?』

 

「前の世代で言えば、当然と言えば当然ですが、春の天皇賞でぶつかるだろうメジロマックイーンですね。あれはステイヤーのひとつの答えとも言えますから」

 

「まー勝鞍が菊花賞と春天やもんなぁ……もろステイヤーやわあの娘は」

 

『マックイーンが春天三連覇すると思う?』

『連覇までは確実やろ。今年のクラシック組にあれに勝てるステイヤーおらんし』

『死ねどす』

『死ねどすさんに3200mは長い』

『距離限界おじさんまだ生きてはったん?』

『ここまでダーバンなし』

『ブルボンの三冠阻止よりマックイーンの三連覇阻止のほうが反発多そう』

『メジロ家は信者おるからなぁ……』

『まだ連覇すらしてないのに三連覇の心配すんのか……(困惑)』

 

「それから国外も当然怖い存在はいると思います。ただやはりステイヤーはクラシックディスタンスのプレイヤーに比べると情報が少ないので……事前の対策は難しいかなと」

 

「なるほどなぁ……次、『トウカイテイオーの復帰はいつ頃になると思いますか? また、怪我の原因はなんだと思いますか?』これ大丈夫なん? 燃えへん?」

 

「復帰時期は正確には言えませんが早ければ大阪杯、遅くとも宝塚記念には出てくるでしょうね。怪我の原因に心当たりはあります」

 

『おっ』

『マジか』

『有能』

『安井とは違うわ』

『黒い人がテイオーのトレーナーやってくれ』

『安易な安井disやめろや』

 

「まずトウカイテイオーは非常に柔軟性があります。だからこそあれほどのストライドを生み出せるんですが、柔らかい筋肉は衝撃を吸収する能力が低いんです。その上で、トウカイテイオーは叩きつけるような走り方をしていますから……」

 

「ダメージがモロに骨に行ったっちゅうことか?」

 

「語弊を恐れず端的に言えばそうなります。ただ、トウカイテイオーのランニングフォームは前史に類を見ない特殊なものです。ストライドピッチと言いましょうか……いえ、テイオーステップですかね? つまり根本的にデータ不足なんです。私のこれも半ばこじつけに過ぎませんし、B種免許を持ってる身としても正確なことは言えないんですよ。事実、安井氏を批判している方でそれを指摘できた方はいらっしゃるんですかね?」

 

「まぁ、いないだろうな」

 

「あとからならなんとでも言えますがね。怪我しないようにする改善案は根本的にあのテイオーステップを矯正してランニングフォームから変えてしまうか、筋肉が衝撃を吸収できる程度になるまで鍛えることですが、どちらにしろクラシックに間に合わせるには時間が足りませんでした。これは邪推ですが、安井氏を今批判している方々は、クラシックを回避する判断をしていても批判していたのではないですかね?」

 

『ホント歯に衣着せねぇなこの人』

『そこが気に入った』

『底国民のライフはもうゼロよ!』

 

「そういうわけですので、トウカイテイオーは今後も怪我と付き合っていくことにはなると思います。いくら矯正しても、彼女の負けん気によっては本能に負けて解放してしまうかもしれませんし、新任の岡田氏もトウカイテイオーの意思を尊重してそれを黙認するでしょう。ただ、だからと言って弱体化することを期待はできないんですよね……レース中に急激に成長しますから、彼女」

 

「あぁ、皐月でもダービーでもあったなぁそんなん……」

 

『ワイ健全なテイオー民、この先も怪我する可能性が高いと言われ号泣』

『岡田Tってヤエノ鼻血事件の人?』

『せやで。皇帝の弟子や』

『本格的にルドルフの肝いりコンビになったわけか』

『あの人、黒い人よりウマ娘優先主義だから確かに怪我するってわかってても無理すること許しそう……』

『期待って……』

 

「そりゃライバルが弱くなればこちらは勝てますから。期待しますよ、トレーナーとしてはね。担当を勝たせるのがトレーナーの仕事です。ライバル間の仲が良いのは幸いですが、だからと言って相手を叩きのめすのに躊躇はしません。勝者はひとりしかなれないのですから、こちらの夢を叶えるために相手の夢を踏み潰す。それが競争社会というものです」

 

『まぁ目を逸らせない現実だわな』

『タマとオグリもレースではギラギラしてたしな』

『皇帝の七冠の中途でも夢破れたウマ娘が一山はいたんだよな……』

『正論オブ正論』

 

「本音を言うと弱すぎても意味はないので競り合ってギリギリ負けるくらいの弱体化でお願いしたいですね」

 

『そういうとこだぞ』

『キレイな笑顔でなんて物騒なこと言ってんの』

『まーた批判記事増えるぞコレ』

『基本的に聖人ムーブなのに要所要所でオブラートも何もない汚い現実を交えた黒い発言するからアンチが増えるんだよな』

『信者も増えてる』

 

「というか、ほとんど私への質問なんですね」

 

「アイネスのほうは割とウマッターとかで質問に答えとるしなぁ……ワタアメやっけ、あのサイト使(つこ)うて」

 

「網トレーナーはこう、極端に情報が少ない。SNSもやっていないしな」

 

「トレーナーの情報って要ります?」

 

『人間のファンにとってはそうでもないけど、ウマ娘にしてみれば割と欲しいのよ』

『自分がウマ娘からどれだけ狙われてるか自覚して』

『一部では寒門の救世主みたいな扱いされてるぞ』

 

「あー……それじゃあいくつか。寒門のウマ娘を受け持ってきて気づいたことなんですが、筋肉の付き方が偏ってます。寒門のウマ娘は上半身が未発達なことが多く、下半身偏重の鍛え方になっていることが多いんです。走ることは全身運動ですので、当然全身の筋肉を使います。筋肉の偏りはそのままランニングフォームの歪みに繋がり、それが余計な負担、スタミナの浪費、スピードの阻害を起こしてろくな事になりません」

 

「ええんか? そんなん言うてもうて」

 

「スカウトしてもらいたいウマ娘が詰めかけてトレーニングが滞るよりマシです。いいですか? まず自分の適性を知ることです。素人でも先行や差しができない性格は判別できます。バ群が怖い、周りにウマ娘がいるとイライラする、周りに釣られがちな方は向いていません。逃げるか追い込むかしてください。トレーナーのいない方はトレーナーに聞くよりベテランの教官に聞いたほうが参考になります。トレーナーは担当外の娘に下手なこと言えないので曖昧に済ませがちですが、長く務めてる教官は下手なトレーナーより経験豊富で真摯になってくれます。もちろん礼節を忘れずに」

 

「ここで止めるとめっちゃ文句言われるからあんま止めたないんやけど尺保たへんから別んとこでやってくれへん? それこそ講演会向けの内容やろそれ」

 

『寮のルームメイトが部屋を出てった。これ絶対教官探しに行ったわ』

『栗東寮ドタバタで芝』

『美浦も大して変わらんぞ』

『名家出身としては基本的なことを知らない方々が多いことにビックリしました』

 

「このくらいなら調べればわかります。ただ、寒門の方はこのあたりの知識を軽視して『トレーニング方法』やら『脚を速くするには』みたいな方向で調べがちなんです。ハッキリ言って、間違った努力は努力ではなく徒労です。まずは正しい知識をつけてください。学園で教わることを疎かにしてトレーニングに傾倒すると間違いに気付けないまま時間切れを迎えますよ」

 

『ひえっ……』

『ウマ娘以外にも効くタイプの説教』

『泣いた』

『無差別テロかな?』

『その忠告あと10年早く聞きたかったよ』

 

「なんやこっちにも耳に痛いわ」

 

「若そうなのに苦労が見えるな……そう言えばおいくつなんだ?」

 

「私ですか? 23ですよ。大学も出ています」

 

『若っ』

『わっか』

『20代前半の色気か? これが?』

『三十路くらいだと思ってたわ』

『高等部生が何人か立ち上がってて芝』

『そらイケメン金持ちで若手の有能トレーナーやぞ。乙女ゲー世界の住人や』

『なお、教え子に手は出さないと公言済み』

 

「トレーナーは絶対手出さないと思うから諦めたほうがいいの。卒業してからのほうがまだ可能性があるの」

 

「どうかトレーナーが未成年に手を出した場合の末路を考えてくださいね。破滅したくないので」

 

「さて、ええ感じやけど尺ないわ尺! 今回はこんなところでしまいにするで! いやブーイングがすごい! 画面埋まっとるやん!!」

 

「次回は何事もなければ再来週、秋の天皇賞の予定だ。よろしく頼む」

 

「はい、てことでおしまい!! タマモクロスと!」

 

「オグリキャップと」

 

「アイネスフウジンと〜」

 

「網怜でお送りしました」

 

「「「ほなな〜」」」

 

『ほなな〜』

『ほなな』

『ほななって言え』

『ほなな〜』

『網……ほななって言え……言わないなら帰れ……』

『無言で手振るだけの黒い人芝』

『ほななー』

『オグリのほななたすかる』

 

 




 ヤマニンゼファー、こっちでもタイムライン的には出番が近いから来るなら来るで早めにどんなキャラなのか出してくれ。



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【閑話】大切な真珠のようなあなた

 アイネスフウジンの母親は、アイネスフウジンにひとつ、嘘をついていた。アイネスフウジンは、母親が稼いだ賞金を切り崩して生活費に回しているものだと思っているが、事実は違う。

 

 何故なら、彼女は競走ウマ娘にはなれなかったからだ。

 

 産まれたときから体が弱かった彼女はレースに出られるだけの能力が備わっていなかった。幸いなのは、走りたいというウマ娘としての本能も薄かったことだ。その本能が正常であれば、彼女の人生は地獄だっただろう。この本能の欠如が障碍として認められ、国から補助金が支給されることとなったことも、不幸中の幸いだったろう。

 彼女は非常に人間関係に恵まれていた。周囲の人間にも、人生のパートナーにも、師と姉弟子にも。

 彼女の師はイギリスのウマ娘だったが、本能の欠如故に残った部分の本能をうまく御せない彼女に根気よく教え込んだ。

 姉弟子は自身が子供を成せない体であったため、妹弟子である彼女の子の誕生を我がことのように喜んだ。アイネスフウジンやその妹たちが着ている服や遊んでいる玩具の多くは、姉弟子によって買い与えられたものだ。

 

 彼女の夫となった男は献身的に働いた。彼女の主治医であったこの男は、どうにも儚げな彼女に入れ込んだらしい。彼女が死にかけた日には、仕事の外でも一晩中看病し続けた。

 男は結婚前はそれなりの資産を持っていたが、その多くは彼女の体調を人並みに戻すための治療費に消え、残りはアイネスフウジンたちの養育費となった。

 彼女が些細な見栄からアイネスフウジンに嘘をついたとき、彼女は罪悪感から一晩中涙を流した。夫はそのくらいの見栄と笑って赦したが、子供相手に嘘をついたことと、夫の献身を横取りした罪悪感は彼女の心を強く締め付けた。

 

 アイネスフウジンの馴致指導員として雇ったのは、馴致指導員として衰え始め、GⅠ2勝ながら安価で雇うことができたフランスのウマ娘だった。

 その指導員は彼女に対して非常に親身になってくれ、アイネスフウジンの保育まで請け負ってくれた。また、同時期に教わっていたアイネスフウジンの姉弟子となる芦毛のウマ娘も、非常に優しい性格をしていた。

 このふたりのおかげで、彼女たちは夫婦両軸で共働きという選択肢を採ることができたのだ。

 

 双子が産まれたのは、アイネスフウジンがトレセン学園へ通うようになる2年前のことだ。ギリギリになるまで双子であると判明しておらず、堕ろすことはできなかった。もっとも、早くわかっていても彼女にはその決断はできなかっただろう。

 妹たちが産まれ、急激に姉としての自覚に目覚めたアイネスフウジンは、その頃から進んで家のことを手伝い始め、些細なワガママも言わなくなった。

 そして、アイネスフウジンは奨学金を貰いながら中央トレセン学園に入学することとなった。トレセン学園が斡旋する中等部でもできるアルバイトをいくつも掛け持ちし、頻繁に帰ってきて妹たちの面倒を見るアイネスフウジンは彼女の自慢であり、無力さの象徴でもあった。

 

 なかなか本格化が起こらず中等部から高等部へ進学してからまた年が過ぎ、あぁあの娘は大丈夫だろうかと心配で仕方なくなってきた頃、本格化が来て選抜レースに出ることになったと連絡が来た。

 そしてその年の12月、無事1度目の選抜レースでトレーナーにスカウトされたと聞いた時に、心の底から安心した。これで、あとは少しでも長く走ってくれればそれでいい。あわよくばオープンウマ娘になれればいいが、1勝クラスでも2勝クラスでもいいと。

 競走ウマ娘になれなかった自分の代わりに、娘は中央のターフに立てるのだと。

 

 そんなアイネスフウジンのレースを初めて観たのは、翌年の年末、つまりほぼ1年後のことだった。

 体調を崩して入院していた彼女は、見舞いに来た夫と双子とともに、病室のテレビでレースを観ていた。そこに映し出された朝日杯のレース中継に、娘の姿が映ったのだ。

 朝日杯だ。GⅠだ。条件戦やオープン戦どころか最高格だ。しかも1番人気だ。前走がGⅡで大差勝ち?

 完全に混乱している間にレースは進む。先頭を一度も譲らない。結局、アイネスフウジンはGⅠの舞台で前を譲ることなく大差勝ちしてみせた。レースの世界に身を置けなかった彼女でもわかる、あまりにも強い勝ち方だ。

 小学生となった双子曰く、この時の夫妻の顔はまさに「ポカーンとした顔」そのものだったという。

 

 その1週間後、彼女が退院して既に帰宅し日常の生活に戻っていたとき、アイネスフウジンが帰省してきた。クリスマスシーズンから年始にかけては毎年クリスマスケーキを片手に帰省していたアイネスフウジンだったが、その年のケーキはホールだった。

 更に、妹たちに流行りのゲーム機をクリスマスプレゼントとして買ってきたと言って、妹たちに渡していた。大喜びの妹たちは、早々にサンタの夢からは覚めている。覚まさざるを得なかったことを、彼女はやはり気に病んでいた。

 それから妹たちが寝たあと、段ボール箱に詰まった妹たち用のシューズやら服やら文房具やらを"仕送り"として渡された。両親ともに遠慮しようとしたが、自分が持っていても仕方がないものだと言われれば納得するしかない。

 それから、両親に対してもささやかなプレゼントが渡された。ちょっとだけ豪華なマッサージ機と、男性物の腕時計。孝行娘からのクリスマスプレゼントに彼女は感涙し、夫は「母さんは泣いてばかりだな」と笑いながらも、その声は鼻水混じりのものだった。

 

 正月に予約のおせちやら妹たちへのお年玉(2千円ずつだったので流石に遠慮するほどでもなかった)を渡したアイネスフウジンは、三ヶ日の終わりとともにトレセン学園へ帰っていった。

 アイネスフウジンが帰っていったあと、学費の引き落とし口座が変更されたことが通知され、その意味を察した彼女は立派な娘を持った誇らしさと親としての不甲斐なさでまた泣いた。

 

 2月頃、不穏なニュースが彼女の目に留まった。アイネスフウジンがトレーナーによって不当に扱われているのではないかという疑惑の記事だった。

 心配になって娘に電話したものの、「勘違いされやすいだけで悪い人じゃないの」とDV被害者のようなことを返されるばかり。娘の言葉を疑うわけではないが、親としては心配が抜けきれない。

 そこで姉弟子に相談してみるとその記事を載せていた雑誌の名を聞くや否やボロクソに罵倒した。

 

「人の見た目を揶揄した挙げ句、桜の冠にケチつけようとした、難癖をつけることしかできない蝿どもだ。竈の(たきぎ)にもならないから資源回収に出しちまいな」

 

 どうやら、姉弟子も現役時代に被害に遭ったようで、『マイルのGⅠで大差勝ちはありえない、薬でもやったんではないか』だの『ウマ娘としても異様な筋肉。バケモノみたいだ』だのと書かれたようだ。

 とは言え、後者は悪い言葉を使えばと前置きした上で褒めていた評論を、わざと悪し様に載せて批判のように見せていたのだが。

 

 ちなみに、現役時代『アマゾネス』と呼ばれたこの姉弟子は、確かに筋骨の存在が目立ちはするが、烏の濡れ羽のような漆黒の青毛に豊満な肉体と女性的魅力に満ち溢れたようなウマ娘であり、多くの男性ファンを作りながらも未だに独身を貫いているとか。

 

 そして「人間がウマ娘に勝てるわけないんだから本当に危なくなったらどうにでもしてしまえる。そんなに気にするな」と脳筋極まりないアドバイスをした姉弟子は、妹たちに菓子を買い与えて帰っていった。

 

 その後、NHKマイルカップで同じマイルのGⅠウマ娘であるダイタクヘリオスに完勝を納め、このままマイル路線に行くのかと思っていた彼女は、試合後のインタビューで明かされたダービー挑戦の報せに言葉を失った。

 GⅠの中2週が危険な挑戦であることは彼女でも知っていた。トレーナーが無理にやらせているんじゃとも思ったが、自信を持って自分の判断だと言い切る娘の顔に嘘の色は見えなかった。

 その顔は、かつて彼女が夢見たターフで走っていた、鮮やかなヒーローたちと同じ表情を宿していた。

 この娘はもう、自分が心配するほど弱いウマ娘じゃない。ひとりの立派な戦士なんだと思い至り、ようやく彼女は子離れをするに至った。

 それからの彼女は、アイネスフウジンの活躍で心を痛めることはなくなった。

 

 痛めることは。

 

 挑戦すると聞いた時はただただ無事で帰ってきてくれと祈った日本ダービーを、皐月賞ウマ娘とメジロ家の令嬢を押し退け制覇したのを目の当たりにしたときは腰が抜けかけたし、その後のGⅠでも常にあと少しで1着という位置にいるので毎度ハラハラしている。

 「湯治に付き合ってほしいの!」などと言っては家族全員を連れて温泉旅行へ行ったり、定期的に保存の利く食べ物を送ってきたり。

 挙句の果てにはばんえいウマ娘という姉弟子を遥かに超える筋肉を持つウマ娘たちの民間警備員が警備と身辺警護をするからと挨拶され、実際にマスコミが追い返されているのを見るなど、今までの生活では考えられない出来事が多々あった。

 そして遂に日本初の凱旋門賞ウマ娘になってしまった時にはしばらく放心状態になって、数日経った頃にようやく実感が湧き、また久しぶりに大泣きに泣いた。

 

 URAからは以前から届いていた、GⅠウマ娘の親族向け高セキュリティ物件への転居補助制度。大袈裟だと思っていたけど、こうなると心配になってくる。

 あまりにも贅沢な悩み事を持って帰ってきた自慢の娘は、以前とまったく変わらない態度で、あの頃と同じ表情で笑ってみせる。

 

 その笑顔は彼女にとって、真珠の宝石のようにキラキラと輝いていた。




 調べて改めて知ったんや……アイネスフウジンの母が競走馬としてデビューしてなかったとか……

 姉弟子に養子入りしてるルートとか考えたけど双子との歳の差の問題でどうにも上手くいかずこの方向になりました。
 姉弟子さんは好きな競走馬のうちの1頭です。桜の実況含めて大好き。あのCMシリーズの中でも屈指の出来だと思う。

 
【挿絵表示】

 これは需要があるのかないのかわからないけど自分で描いた死ねどすさん。
 色合い調節したら鹿毛みたいになっちゃった。


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秋の盾

 10月27日、東京レース場。天皇賞開催。

 天候ハ小雨、不良バ場ナリ。

 

「今日は勝ーつ!! いや、今日も勝ーつ!!」

 

 地下バ道に響き渡る高い声。

 今この栄誉ある天皇賞に挑む18の優駿の中で唯一のクラシック級ウマ娘にして、GⅠを制した経験のあるふたりのウマ娘の片割れ。

 最早その実力を疑う者はいない。皐月賞での勝利と日本ダービーでの接戦、そしてトライアルである前走オールカマーでの圧勝。

 「3000m走れないからシニアに逃げた」という、今後しばらくは更新されないだろう訳のわからない評価をいただいた破滅しない破滅逃げ、『不滅の逃亡者』ツインターボである。

 正直に言えば網的には2200mであるオールカマーはギリギリか? とハラハラしていたのだが、思いの外ツインターボを警戒した他バが脚を残すために距離を開きすぎ、差しきれずに前残りしてくれた。

 

 ツインターボが如何にアホみたいな、事実アホそのものである言動を取ろうが、今この時流、戦国時代と呼ばれるこの年のクラシック組の中で、ミドルディスタンスであれば最強候補と目される彼女は当然、この2000m(ミドルディスタンス)である秋の天皇賞において2番目に警戒されて然るべき存在である。

 そう、2番目に。

 

「っ! 来たぞ……」

 

「あぁ……やはり気迫が違う……」

 

 地下バ道がザワつく。威風堂々とした姿で現れたのは、今回最も警戒されている1番人気。長距離級では未だ負け無しの現役最強級ステイヤー。

 『メジロの体現者』メジロマックイーン。

 

 ツインターボとメジロマックイーンとの人気の差は僅かだった。ミドルディスタンス同世代最強候補のクラシックウマ娘と、夏の上がりウマ娘であり覚醒後は2200mと2400mでも十分な実力を示しているシニアの最強級ステイヤー。

 適性と実力を鑑みて彼女たちの優劣を分けたのは、まさにその1年の差。なにせ、URA前史において、クラシック級で天皇賞を勝利したウマ娘は未だいないのだから。

 しかし、それでもメジロマックイーンを除いた16のシニア級ウマ娘を退け2番人気。メジロマックイーンが鋭い視線を向ける先にいるのは当然、ツインターボだった。

 

「……いやぁ、まさかまさかだよねえ。()()タボボとマックちゃんがライバル同士って……1年前の私に言っても信じないだろうね」

 

 そんなふたりを観察する芦毛。

 GⅠには勝てない。しかし掲示板には載り続ける。チーム《カノープス》のジンクスを体現した善戦ガール。後に語り継がれる名勝負を特等席で観察し刻み込まれたその体、誰が呼んだか『白い石碑』。

 実を言うとメジロマックイーンとはクラスメイト、ツインターボとは気の合う友人、ついでにナイスネイチャは母親の妹弟子であり、トウカイテイオーは母親の師が同じで交流もある。

 最近の話題の中心たちとことごとく交流を持つ彼女も、周りから注目されずとも虎視眈々と勝利を狙っている。

 3番人気なのだからもう少し警戒されてもいいはずなのだが、どうにも彼女は影が薄い。そして、その影の薄さを彼女は伏兵として最大限活用する。

 

「ネイちゃんは最近目立つことで色々やってるみたいだけど、私はいっそこうして目立たないことで色々やってくんだわ」

 

 

 

 発走直前、ゲート入り完了。

 ゲートが開くと同時に、ツインターボが飛び出し、僅かに遅れてムービースターとミスターシクレノンが続く。最も重い段階である不良バ場。加速しにくいそのターフを蹴って、各々が四苦八苦しながらゆっくりとスタートした。

 スタートしてしばらく直線が続き、最初のコーナーが見えてくる。府中の2000mはポケットからのスタートになるため、コーナーは3つしかない。そして、直線から間もなくコーナーに入る特性上、府中の2000mは内枠が大きく有利だ。

 

 2枠3番、ピッチ走法で不良バ場を駆けるツインターボが当然のようにハナをとる。一方、7枠13番の不利を貰っていたため内をとろうと進路を傾けようとしたメジロマックイーンの脳を、強烈な記憶が駆け巡った。

 

(……危ない、雨と悪路のせいで視野が狭くなっていましたわ。このまま行っていたら斜行……もしかしたら降着になっていたかも……)

 

 その記憶は日本ダービーのもの。ナイスネイチャが進路妨害による降着を自己申告した、今年のクラシックで最も印象深いシーンだろう。

 

(自ら申し立てたからこそスポーツマンシップと見做されただけで、本来降着となることは恥……メジロの名を背負うわたくしがそのような痴態を晒し名に泥を塗るなど許されません)

 

 メジロマックイーンは気を引き締め直し、ゆっくりと他の出走者を妨害しないように内へと移動した。結果的にやや中団気味の位置になった。

 

 

 

「持ち直しましたね、メジロマックイーン」

 

 一方、関係者用の観客席では、ツインターボを見守る網たちがその様子を観察していた。

 

「ただ、メジロマックイーンの悪いところも出ていますね。斜行を警戒しているんでしょうが、慎重になりすぎてます」

 

「トレーナーさん? 実際のところ、勝てるの? ターボは」

 

「ふむ……そもそも、クラシック級とシニア級のウマ娘で大きく違うところはどこだと思いますか?」

 

 ナイスネイチャからの問いかけに逆に問いかけた網。その漠然とした問いに、ナイスネイチャは自信なさげに答える。

 

「あ〜……強さとか、そういうわけではなく……ですよね?」

 

「えぇまぁ……強さにもいくつか種類があります。このうち、身体能力的な面で言えば、実はそれほど差はありません」

 

 「1年も長くやってるのに?」というナイスネイチャの質問に答えるように網は「成長曲線が異なりますからね」と答え解説を始める。

 ツインターボの成長曲線はごく普通のものだ。シニア級まではおおよそ上昇を続け、それ以降は少しずつ衰えていく。

 一方、このレースで有力とされているメジロマックイーンは典型的な晩成型である。夏の上がりウマ娘であった彼女はクラシック前半をほとんど活躍せずにおわった。

 その代わり、菊花賞から頭角を現し始め、そこから少しずつ上がっていく。1年経ったが、ここがピークではないだろう。

 

「もうひとつ、シニア級がクラシック級に絶対的な有利を持つ点があります。それは、経験値です」

 

「あー……レースに出た回数が多ければ、それだけ状況判断はやりやすくなりますよねぇ……」

 

 レースはトレーニングの数倍成長する。そう言われる理由はそこにある。実戦で磨かなければどんな作戦も机上の空論で終わる。

 レースに出ればそれだけ技術は実戦で使えるものへと最適化される。牽制への対応力も上がるし、駆け引きもうまくなるだろう。

 しかし、それは一般的な観点でしかない。

 

「ツインターボには関係ありませんからね」

 

「まぁ……そうよねぇ……」

 

 雨を体に受けながらも先頭を突っ走る小柄な体躯。

 数バ身開いた距離はあらゆる駆け引きを拒み、牽制を無効化する。経験によって研がれた武器を投げ捨てさせ、レースを駆けっこに、単純な速さ比べにする。だから極論、経験の差など関係ない。

 実際、バ群のなかで小競り合いがあれど、ツインターボはそれに一切関わることなくハナを進んでいる。

 

 長らく膠着した展開が動いたのはレース後半になって間もなく。ツインターボから10バ身ほど遅れてバ群が最終コーナーに入ったタイミングだった。

 

(……わたくしはわたくしの務めを果たす。天皇賞の制覇はメジロの悲願。それは秋の天皇賞も例外ではありません。適性外の距離なれど……時は来ました、参ります!)

 

 メジロマックイーンの周囲が色づく。曇天の灰色から緑と花のそよぐ庭園。それはメジロマックイーンの原初の風景。始まりの中庭。メジロマックイーンが()()()()()()()あの日の景色。

 メジロマックイーンがバ群を抜け出しツインターボを追走する。距離が短いならその分距離単位で使えるスタミナは増える。

 メジロマックイーンの強みは、その余分なスタミナを正確に割り振れることだ。余らせず、不足させず、確実に成功するロングスパート。

 

(これがわたくしの最速……ツインターボさん、お望み通りの速さ比べですわ!!)

 

 府中の最終コーナー入り口からスパートをかけ始めたメジロマックイーンの姿に、観客席からどよめきがあがる。

 ツインターボとの差を詰めていくメジロマックイーンを見て、網も低く唸った。

 

「流石最強級のステイヤー……府中の最終コーナーからロングスパートを始めるとは……」

 

「あたしのダービーでは、ライアンちゃんやタイセイちゃんは第3コーナーからスパートし始めてたけど……」

 

「2400mより2000mの方が短いから、道中のペースは速くなります。スタミナというのはスピードが上がるほど消費が増えますが、消費量が加速するタイミングが2箇所ありまして……長くなるので帰ってからにしましょう。下に行きますよ」

 

 網の指示でチーム《ミラ》のメンバーは、ゴール近くのスタンド付近にある待機場所へ向かう。

 一方、ツインターボは最終直線、急坂を登り終え残り300m。そのタイミングで、遂にメジロマックイーンがツインターボの後ろへ張り付いた。

 メジロマックイーンはまだジリジリと加速している。両者ともにスタミナは十分残っている。

 

(不良バ場なのでやはり走りにくい……しかし、これなら差しきれるはず……)

 

 メジロマックイーンが更にひと押し加速したその時。

 ツインターボが急速にスピードを上げた。

 

「ッ!!」

 

 残り150m急いで追走するメジロマックイーンだが、届かない。勢いそのままに、ツインターボはゴール板を突っ切った。

 URA史上初の、クラシック級による天皇賞制覇。歴史的瞬間を目撃した観客席から、雨の音をかき消すほどの喝采が響く。

 

 しかし、ツインターボが止まる気配がない。ゴール後もそのスピードを保ったまま走り続ける。観客たちが困惑の表情を見せ始めたとき少しずつスピードが落ちてきて、足元が覚束なくなったタイミングでようやく脚を止め、その場に倒れ込んだ。

 

「ちょっ、ターボ!?」

 

「ライスシャワーはツインターボをこちらに運んできてください。アイネスフウジンは酸素マスクの準備」

 

 素早く指示を出した網に従って、ライスシャワーがツインターボを小脇に抱えて待機場所へと持ってくると、アイネスフウジンが携行の酸素ボンベをツインターボに装着。網は屈腱付近を氷嚢(ひょうのう)でアイシングし始める。

 ツインターボは泡を噴いてグッタリしていた。

 

「トレーナーさん!? ターボは大丈夫なんですか!?」

 

「えぇ、ただの酸欠ですから」

 

「酸欠って……さっきの加速が原因?」

 

 ナリタタイシンがそう聞くと、網が頷く。オールカマーでも見せなかった急加速。どうやら、使ったあとの反動も大きかったようだ。

 

「あれって、結局なんなの? ダービーで出そうになった"領域(ゾーン)"?」

 

「いえ、違います。単なる技術ですよ」

 

 心当たりがあったナイスネイチャが網に問うが、網がそれを否定する。続く言葉と先程までの情報で、ナリタタイシンがなにか勘付いたようだ。

 

「もしかして、無呼吸運動?」

 

「正解」

 

「はぁ!?」

 

 ウマ娘は通常、走行時に大量の酸素を必要とする。それこそ、レース前に鼻血が出て鼻呼吸が出来なくなれば、競争中止の判断を下すほどに。

 しかし、タイミングよくほんの少しの間だけならば、疲労困憊にはなるが危険はない。

 

「人間でも使う技術です。呼吸を止めることで使っている筋肉を速筋に無理矢理切り替え、瞬発的に強い運動ができるようにする。当然無酸素運動になりますから急激に疲労します。ゴールまでに間に合えばいいですが、間に合わなければ逆噴射。奥の手と言うやつですね」

 

 そしてもうひとつ。ツインターボはこの無呼吸運動を行うときに網から言われていることがある。

 先頭にいて、もうすぐゴールのとき、後ろから足音が聞こえたら使っていい。そして、使ってるときは走ること以外考えるな。

 周りのウマ娘のことも、ゴールそれ自体のことも考えずに走るから止まれない。それこそ体力が切れるまで。

 

「お見事です。まさか、あんな隠し玉を持っていたとは……」

 

 2着でゴールしたメジロマックイーンが、チーム《ミラ》のもとへやってくる。令嬢らしい柔らかな笑みの裏には、未だ獰猛な戦意が見え隠れしていた。

 

「ダービーでは見せなかったものですわよね? 先程の加速。まさかダービーを天皇賞の布石にするとは……」

 

 違う。単純に最近覚えただけだ。

 

「えぇ、今回はわたくしの負けですわ。しかし、来年はこうはいきません。メジロに捧ぐため、来年の秋の盾はわたくしがいただきます。それまで、勝利は預けておきますと、ツインターボさんにお伝えください」

 

「……あっ、はい」

 

 言いたいことだけ言って、メジロマックイーンは去っていった。

 

「……流石にダービーを捨て石にはしねぇだろ……」

 

 思わず素が出た網の呟きを、近くにいたためにギリギリ聞き取りながら、アイネスフウジンはぼんやりと「お嬢様ってみんな思い込みが激しいのかな」などと、去年手袋を投げてきた令嬢を思い出していた。

 

 なにはともあれ、ツインターボはURA史に名を残す偉業を達成してのけた。恐らく、本人は何がすごいのかよく理解できないと思うが。

 

 

 

「……うん、やっぱ目立ちたいわ」

 

 一方、《カノープス》の善戦ガールはやはり善戦して3着に食い込み、またもや偉業を特等席で目にすることになったのだった。




 ホワなんとかさんが本来のネイチャポジに……

追記
笛関係、納得いかなかったのでやっぱ別のにしました。


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オグタマライブ ??/10/27

 カミノクレッセって変名でアニメにおったんすね……
 別の子にしました。


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいどー』

『まいど〜』

『まいど』

『まいど〜』

『まいど!』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今日は秋の天皇賞や。いちいち確認取る必要もないと思うけど一応言うとくで。場所は府中、距離は2000mや!」

 

「加えて、本日は小雨が降っており、先日からの雨で芝の状態も悪く不良バ場となっている」

 

「なんや不良バ場って珍しい気がするなぁ」

 

「事実珍しい。私も詳しいわけではないが、日本の芝は水はけがよく不良バ場まではなりにくいと聞く」

 

「まぁ昨日の雨はハンパなかったしなぁ」

 

『マジでゴリ濡れなったわ』

『ヘイト天候雨は謝罪しろ』

『ヘイト天候is何』

 

「雨が降ると芝が水を含み重くなる……つまり、力が伝わりにくくなるわけだ。さらに芝に足を取られやすくなる」

 

「あとは蹴っ飛ばした水滴やら土やらが目に入りやすくなんねや。普通に雨粒も目に入るしな」

 

「眼鏡をかけている娘などは悲惨だな」

 

『眼鏡はチャリ乗ってても辛い』

『メイショウビトリアーーー!!!』

『眼鏡っ娘メイショウビトリア死亡確認!』

『いや、メイショウビトリアなんかつけてるぞ』

『ゴーグルみたいだけど勝負服にあんなんついてたか?』

 

「パシュファイヤーやな」

 

「ん? ホライゾネットじゃなかったか?」

 

「どっちでもええねん。まぁ、簡単に言えばゴーグルやね。耳カバーとかバンデージみたいなもんで、申請すれば誰でも使えんねん。ただ視界が制限されんのが嫌やし、着けるのはそれこそ眼鏡かけとるやつが多いけどな」

 

「強い撥水加工がされていて、雨程度なら走っているときの風圧で流れるし泥もつきにくい」

 

『はえーすっごい』

『どこで売ってますかね?』

『ホシホシの実を食べた全身欲しい人間になったわね』

『スポーツ用品店行けばあるぞ』

『ウマ娘レースコーナー広いとこならだいたい置いてる』

『レースコーナー、ウマ娘のファングッズくらいしか見たことなかったわ』

『ライアンのファングッズダンベルで芝なんだよな』

『フー姉ちゃんのサンバイザー、ハクタイのハチマキ、マックイーンの茶器と来といてライアンダンベルなの笑う』

 

「ほんで今回の注目は春天を制した最強格のステイヤー、メジロマックイーンと、同じ距離の皐月賞を制してるクラシック級のツインターボや」

 

「ダービーよりは短い2000mだが、皐月賞とは違い逃げに不利な府中。ツインターボにはどう影響するのか」

 

『クラシック級で天皇賞制覇したら初?』

『初やで』

『皐月と秋天制覇したら流石にクラシック最優秀ウマ娘選ばれるやろな』

『去年はフー姉ちゃんだっけ?』

『一昨年のジュニアと去年のクラシックがフー姉ちゃん』

『去年のジュニアは?』

『死ねどすさん』

『去年のシニア最優秀兼年度代表はオグリンだったけど、今年はフー姉ちゃんで決まりやろなぁ』

『凱旋門賞は強すぎ』

『日本国内の格付けなんだから海外のレースより国内レースで評価すべきだろ。今年のアイネス日本GⅠ勝ってねえぞ』

 

「菊花賞には出ぇへんかったんやね」

 

「流石に3000mはきつかったんだろうな」

 

『距離限界おじさん「また勝ってしまったか……」』

『お前は負けっぱなしだろ』

『3000mでは勝てないからシニアに逃げたとか言われてて芝』

『鬼島津かな?』

 

「さっきコメにも出とったけど、ツインターボはこれで勝てばURA史上初のクラシック級による秋天制覇になるで」

 

「今まで出てなかったんだな。意外だ」

 

「誰かしらやっとったもんやと思っとったわ」

 

『扱い軽ない?』

『クラシックシニア混合レースは直近でも去年スプリンターズステークスをお嬢が、安田記念を死ねどすさんがクラシック級で制覇してるからな』

『そのふたつと天皇賞は流石に格が違うんだが、格とかあんま気にしなさそうなんだよな、このふたり』

 

「ほんで、メジロマックイーンとツインターボ以外だとどないなん?」

 

「ホワイトストーンだろうか。未だにGⅠ勝利はないが、いつもいいところまではいっている」

 

『カノープスだ』

『カノカノしてきた』

『カノ……カノ……』

『ホワイトストーンちゃんバカにすんなよ!』

 

「はいはい、そろそろゲート入り終わんで」

 

「今回のファンファーレは陸上自衛隊中央音楽隊の皆様だ」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「飛び出したのはツインターボだな。内枠だし、かなり有利と言えるだろう」

 

「府中の2000mはこう、反転したひらがなの"て"みたくコーナーから直線が伸びとって、その直線がスタート地点になるんよ。イメージできとる?」

 

『なんとなく』

『てか実際に見てるからわかるわ』

『百聞は一見にしかず定期』

 

「なんや腹立つな。ほんで、当然やけどコーナーがすぐなんよ。せやから、内枠の有利が顕著に出るんや。外枠はかなり斜行せな内側に入れんからな」

 

「事実、今メジロマックイーンが斜行しそうになって踏みとどまったな」

 

「せやな。今よれとった角度で突っ込むと降着やったと思うわ」

 

『ターボはえー』

『ひとりだけ加速力が違うんだが』

『そう見えるだけで普段より遅いゾ』

『周りが遅いんじゃ』

 

「チーム《ミラ》は夏合宿をパリでやったと聞く。重い芝に対するトレーニングは積んでいたのだろう」

 

『なんそれ』

『え? パリ? え?』

『合宿でパリすか……』

『ミラさんヤベーな……』

『今最も入りたいチーム、ミラ』

『送迎がリムジンだしな……』

『それは名家は割とそう』

 

「動かへんなぁ」

 

「メジロマックイーンが少しずつ前に位置取りを変えてきているな。仕掛けるのか?」

 

「仕掛けるなら最終コーナー辺りとちゃう? 多分スタミナ保つやろ」

 

「今気づいたがメジロマックイーンは雨の中でもほとんど走りが変わらないな」

 

「たまにおるよな、なんか知らんけど雨得意なやつ」

 

『スパート入った』

『最終コーナーってことはゾーン入ってるっぽい』

『マックイーンの領域って庭園だっけ』

『メジロ家のお庭らしい』

『ここからスタミナ保つのマジで流石名家って感じだわ』

 

「後ろはホワイトストーンが地味に抜けてきとるけど、これはマッチレース状態やな」

 

「このペースだとツインターボは厳しいな……メジロマックイーンは配分を間違えないだろうからこのままなら差し切られる」

 

『メジロマッチレースさん!!?』

『メジロマッタクタレナイさん!?』

『メジロマッコウショウブさん!!?』

『なんこの弾幕』

『エグい追い上げだな』

『タボボがんばえー!』

 

「うお!? なんや今の……」

 

『タボボ再加速!?』

『ツインターボじゃなくてセカンドターボやんけ』

『いつの間にニトロ積んだん?』

『あー、マックイーンこれは無理そう』

 

「ダービーのときに見せた再加速か……?」

 

「いやどこいくねーん!」

 

『ターボ……止まるんじゃねえぞ……』

『フー姉ちゃんのメイクデビューじゃん』

『おいおいどこまで行くんだ』

『!?』

『あ』

『タボボ!!?』

 

「オイオイオイオイ大丈夫なんかアレ!!?」

 

「ふむ……待機場所にチーム《ミラ》の姿が見える。既に処置の準備はできているようだな」

 

『なんか来た』

『黒い子ちゃん』

『この前デビューのライスシャワーだっけ』

『お米ちゃん』

『小脇に抱えてって芝』

『持ち方が荷物なんよ……』

『おいおい泡噴いてんぞ』

『メイクデビュー前までよく見た光景』

『懐かしいなターボの泡噴き……』

 

「アイシングと……あれはなんだ?」

 

「知らん。見たことないわ」

 

『酸素ボンベやぞ』

『濃いめの酸素が入った空気』

『マックイーンとなんか話してるな……』

『ドラッグストアに売ってるぞ』

 

「空気!? 金出して空気買うんか!?」

 

「話に聞いたことはあったが都市伝説だと思っていたな……ダイビングか何かの話と混ざったものだと……」

 

「ホンマに効果あるんか? 気の所為やのーて? 水素水みたいなもんとちゃうんか?」

 

『オカルト扱いは芝』

『スポーツドリンクみたいなもんよ』

『初めて遭遇したわこんなカルチャーギャップ』

『インタビュー来たけどタボボおぶられてるな』

『流石に小脇には抱えない黒い人』

『人身売買に見える』

『意識はあるっぽいなターボ』

 

「まぁ、処置見た感じ酸欠やろうけど、脚冷やしとったからな……」

 

『Q.天皇賞制覇おめでとうございます。URA史上初の偉業を成し遂げた感想をお聞かせください』

『A.成し遂げたのはツインターボであって自分ではないので、今はとりあえず褒めてやりたい気分です』

『A.将軍(?)!! これでターボのが多いぞ!!byタボボ』

『将軍って誰だ?』

『ハシルショウグンか? ジャパンダートダービーとった』

『仲いいのかね』

『案の定天皇賞とかよくわかってなさそうなターボ』

『クラシック級初の天皇賞制覇<友達とのGⅠ勝数比べ』

『獲ったセミの数みたいな言い方しおってからに』

 

「あんくらい気楽だと人生楽しそうやな」

 

『Q.最後に見せた末脚は新しい領域ですか?』

『A.ナイショです(人差し指立て)』

『こいつこの前のオグタマライブで女性ファン多いの知って露骨にサービス出してきたな。いいぞもっとやれ』

『でもなんか裏切るタイプの味方に見えるわやっぱ』

『Q.ゴール後に転倒していたようですが故障の可能性があるのでは?』

『A.極度の疲労が原因なので転倒の前に失速します。使う位置については指示してあるので、レース中に転倒することはないはずです』

『Q.ツインターボの次走の予定は既に決まっていますか?』

『A.金鯱賞を踏んで大阪杯の予定です。しばらくは休養ですね。流石に体の負担が大きいので』

『Q.先日トーク番組でトウカイテイオーの復帰は早ければ大阪杯と仰っていましたが、つまりトウカイテイオーとのマッチメイクであると考えてよろしいですか?』

『A.他の出走者を確認しなければトウカイテイオーとのマッチレースになるかはわかりませんが、ツインターボの希望でトウカイテイオーの復帰にあわせた形ではあります』

 

「なんやスムーズやな」

 

『変な質問がないからな』

『ゲタ死んだか?』

『この前尻尾が大量に切られてたからほとぼりが冷めるまで待つんやろ』

『黒い人に噛み付いても旨味がないことに気づいたか』

『今はケイエスミラクルのトレーナー批判記事とウマ娘保護()団体の扇動やってる』

 

「さて、今回はこんなところやな」

 

「秋のGⅠ戦線は始まったばかりだ。次回はJBCシリーズを実況する。先程話題に出たハシルショウグンも出走予定だ」

 

「てことで、今日はここまでや!」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』




月刊ターフ:とある政党と綿密に癒着した政治系の雑誌を取り扱う出版社から出版されている。
 下っ端は割とマトモなやつもいるが、特にウマ娘レース関連の部署は上の方が天下りしてきたやつらで埋まっている。
 上の奴らが言いたいことを発信するために大体の記事は検閲され、気が済むまで書き直させられる。
 インタビューで馬鹿なことやるのは調子乗って直々にインタビューしにきた上のバカか、コネ入社した下のバカか、もしくはもうこんな出版社潰れちまえとわざと失礼なことを聞く自爆テロを起こしに来た下っ端。
 最近黒い人に噛みつくのは旨味がないからやめろと一番上から言われ、渋々トカゲの尻尾切りをして形だけ謝罪した。今はまだおとなしい。
 しかし諸悪の根源は辞めておらず、鬱憤が溜まっている。


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その先へ

 遅れました。


 11月3日、京都レース場、菊花賞開催。

 トウカイテイオーは療養中のため、ツインターボは秋の天皇賞へ出走したために不出走となったこのレース。優勝候補は4人。

 

 1番人気、日本ダービーで自らトロフィーを手放したものの元1着、チーム《ミラ》への期待も票として現れたナイスネイチャ。

 2番人気、GⅠ2勝ながらいずれもマイル。ただし中長距離への適性は見せており、長距離への期待もかかるイブキマイカグラ。

 3番人気、GⅠ未勝利ながら日本ダービーとトライアルレースでステイヤーの気質を見せたレオダーバン。

 4番人気、他の3人、ないし5人に比べ明確に劣ると評され始めているシャコーグレイド。

 

 突出して警戒すべき相手(トウカイテイオー)はおらず、警戒したところでどうしようもない相手(ツインターボ)もいない。

 全員がこう考えることに抵抗を覚えながらも、明確に「これはチャンスである」と考えていた。それは、今名前が挙がらなかった14人の出走者もまた同様だ。

 クラシック最終戦。そこにかける想いは皆同様に大きい。もうじき冬も始まるというのに、ジリジリとした真夏のような熱気に包まれていた。

 

 地下バ道にカンカンという高い音が響く。イブキマイカグラがアメリカンクラッカーを鳴らしていた。間違いなくレース前の舌戦を避けられたから、単純に音で集中を乱す作戦だろう。

 本人は白い耳カバーを着けて音の影響が少ないのか、真剣にアメリカンクラッカーで遊んでいるため逆に集中できているフシがある。敵にデバフ、自分にバフだ。

 何人か間違いなく苛立ち紛れに体を揺すったり顔を顰めているので効いてはいる。ナイスネイチャはその行動を呆れ眼で横見し、自身の耳カバーをキュッと結び直した。

 

(確かに有効そうだけど、なんか、真似したくはないなアレ……)

 

 恐らく、今最も警戒されているのはナイスネイチャである。理由は簡単、その行動ひとつひとつが自分の走りを乱してくる、そんな相手を警戒しないわけがない。

 そして警戒してくる相手の何割かは、マークをすることで逆にナイスネイチャの作戦の幅が広がることに気づいており、そのうち数名はナイスネイチャの行動を努めて無視しようとしてもやりようがあることにも気づいている。

 ナイスネイチャ自身は長距離に強いというわけではない。しかし、距離が延びれば駆け引きの時間も延び、それだけ多く働きかけることができる。

 特にスタミナがギリギリの後半などは、どれだけ警戒していても対応に限界が出てくるだろう。並みのスタミナでも、ナイスネイチャは持久戦にはめっぽう強い。

 

 結局、イブキマイカグラはゲート入りギリギリまで地下バ道でアメリカンクラッカーを弄っており、時間になるとそれを地下バ道の隅にポイと捨ててさっさとターフへ走っていった。

 何人かがそのアメリカンクラッカーを忌々しそうに睨みながらターフへ向かう。ヘイトを一身に受けながらも、イブキマイカグラは顔色一つ変えていなかった。

 

(ライス先輩の妹弟子*1とは聞いてたけど、マイペースというか図太いところはそっくり……やっぱり師弟って似るものなんだ……)

 

 ナイスネイチャは余計な思考を打ち切ってゲートへと入る。関東とは違う関西用のファンファーレが流れてしばらく。集中が途切れるか否かの嫌なタイミングでゲートが開いた。

 同時に飛び出したのはシンホリスキーとイイデサターン。これまでのクラシックレースでも先陣を切ろうとし、ツインターボによって阻まれてきたふたりだ。

 飛び出したとは言え今回は3000m、しかもスタート地点は淀の坂の途中から。ツインターボが避け、スタミナが保つとは到底思えない長距離GⅠだ。ふたりも努めてスローペースに保とうと、競り合いもそこそこに脚を緩める。

 イブキマイカグラとシャコーグレイドはいつも通り脚を溜める後方に控え、レオダーバンは中団やや後ろの位置。3枠5番で比較的内側にいるナイスネイチャは、パリで培ったパワーを活かして坂を上り前目に控えた。

 

 209m、すぐにカーブに入りながらもやや上り坂が続き、急勾配の下りが来る。シンホリスキーとイイデサターンはスピードを抑えてスタミナを保とうとする。

 しかし、その内を突いてふたりの前に現れたナイスネイチャの姿を見てシンホリスキーは動揺し、イイデサターンは舌打ちを飛ばした。

 

(《ミラ》お得意のお手軽加速……! どうせあとで脚を溜めるために垂れてくる、どうやらお隣さん(シンホリスキー)は掛かったようだし、ここは冷静に……)

 

 ナイスネイチャに釣られて速度を上げてしまったシンホリスキーとは対照的に、イイデサターンはセオリー通りゆっくりと坂を下る。

 イイデサターンの予想通り、坂を下り終わったナイスネイチャはゆっくりとスピードを下げながら、最内をスルスルと垂れてくる。

 息を整えながら、ナイスネイチャは最内のまま中団辺りまで垂れてきてその位置をキープした。

 

(中盤はしっかり脚を溜める……アタシはなかなかにズブいから次の下りでは全力で下る必要がある。それだと最終コーナーは大回りになるし、スタミナは温存しないと……)

 

 そんなナイスネイチャの考えとは反対に、周りはやや速まったペースで進む。菊花賞では比較的中盤のペースが速くなりやすい傾向にある。

 ナイスネイチャは考える。はっきり言って、今回のレースは人気上位4人以外は勝手に垂れていくだろう。根本的にスタミナが足りていない。

 菊花賞は特にまぐれが起こりにくいレースだ。今この状態で脚を溜めようとできていないウマ娘が上位に来るのは難しい。そういう意味では、しっかり脚を溜めているのはやはり、イブキマイカグラ、レオダーバン、シャコーグレイド、そして……

 

(フジヤマケンザン……あれはダークブロワーだ)

 

 ナイスネイチャより少し前、先行集団の殿を行くウマ娘。8番人気のフジヤマケンザンは、しっかりと息を入れていた。

 

(さて……どうしようかね……アタシの技術って基本前にしか効果ないし……レオダーバンはともかく、怖いふたりが揃って追込なのよね……)

 

 ミスターシービーのイメージがあるから勘違いされがちだが、菊花賞で追い込みというのは比較的不利な脚質になる。王道の先行か差しが強いのだ。

 だからか、イブキマイカグラは普段より前につけて差し気味の位置を走っている。

 

(……仕方ない、ぶっつけ本番だけど、やってみるか)

 

 上手くいくことを願いながら、ナイスネイチャは膠着する状況で動かないことを決めた。正確には簡単な小競り合いで囲まれないようにだけ注意しつつ、できるだけスタミナを温存する。

 そして、現れるのは心臓破り淀の坂。ここに来てシンホリスキーは一気に垂れ始める。イイデサターンも粘るが失速していることは否めない。

 ペースが速かった面子も少しずつ垂れ始めた。大きく(ふる)い分けされ、1着争いに絡めるか否かの烙印を押されていく。

 ナイスネイチャも限界を訴え始める脚を叱咤して坂を登る。そして坂の頂上、コーナーへ入ってしばらく経ち、ナイスネイチャから見て追込のふたりの位置が()()()()()()()()()()()()()

 

 ナイスネイチャの《八方睨み》は、要するに視線を利用した威圧の一種だ。受ける側はともかく、与える側のナイスネイチャは相手を強く意識する必要がある。

 だから逆に言えば、見えれば使える。

 

(ッ!! クソっ!!)

 

(……なるほどなぁ……)

 

 明らかにペースが落ちたシャコーグレイドと、冷や汗をかきながらもペースを崩さずスパートをかける準備をするイブキマイカグラ。

 

(流石にマイカグラは精神が太い……んで、()()()は外か) 

 

 ふたりの動揺を確認して、ナイスネイチャは前を向き直す。今の《八方睨み》で捉えられるのはコーナーの内側から見える、つまりまだ内で脚を溜めているウマ娘だ。

 つまり、外から差すために外側へ移動した者を確認することはできない。

 

「おおおおおおおおおおおおあおおおおおおおおおおっっっ!!!!」

 

 咆哮とともにナイスネイチャの左側を駆け抜けていった影。レオダーバンだ。ナイスネイチャと同じく、大回り覚悟で坂を駆け下りるつもりだろう。

 だが、そうなることを予期してナイスネイチャは敢えてスパートのタイミングをやや遅らせていた。

 

(もうっ……一発ッ!!)

 

 感情というものは消費する。怒りは怒ればそれだけ解消され、哀しみは泣くことで消えていく。余程のことがなければ、心のニュートラルは平静だ。

 だからこそ、《八方睨み》を連発することは難しい。一度のレースで1回か、効果が減ることを覚悟して2回使うか。

 ナイスネイチャは、レオダーバンが自分を躱して前へ出たときに、その2発目をフジヤマケンザンへと同時に叩き込んだ。

 

「ッ……オオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 レオダーバンはそれで一瞬体をよろめかせ、しかしすぐに持ち直して再び叫び、気合を入れてスパートを続ける。

 レオダーバンの一番の武器はこの肺活量だ。決して無理をして叫んでいるのではない。呼吸にあわせて声を出すだけでこれなのだ。

 

 最終直線、フジヤマケンザンが粘りながらハナを走り、レオダーバンとナイスネイチャがそれを追走する。そのやや後ろからイブキマイカグラが追い込み始め、シャコーグレイドがなんとか後方集団を押さえながら後を追う。

 フジヤマケンザンが失速し始め、レオダーバンが躱す。このままならレオダーバンが逃げきって1着だろう。イブキマイカグラももうすぐ後ろまで来ている。

 ナイスネイチャの視界が暗くなり始める。心臓は痛いくらいに脈打っていて、気管は焼け付くように痛い。口の中に鉄の味がにじみ、脚がただ軋む。

 

(保てっ!! もう少しなんだ!! あんだけ啖呵切っておいて、こんなとこで負けられるかっ!!)

 

 ナイスネイチャは、必死になった。手を伸ばせばそこにある輝きを追って走る。遠いところにあると思っていた。いつかと夢見ながらも届かないと諦めていた。

 かつてのあの日、輝きに目を焼かれ失ったものを積み直して今ここにいる。だからもう、()()()ではない。この先にあるものを求めて手を伸ばす。

 

(絶対にッ!! 勝つんだ!!)

 

 走って、走って、大音量に耳を()かれて我に返った。暗くなっていた視界は色を取り戻し、クラクラと左右に回りながら景色をナイスネイチャへ伝えてくる。

 脚はぷるぷると震えて、しゃがみこんでしまわないようにするのが精一杯で、喉がかすれ飛んでしまったのではないかと思うくらいに呼吸さえもが辛い。

 耳にぶつかるその音が歓声だと気づいてようやく、レースが決着したことに気づく。恐る恐る、ナイスネイチャは掲示板へと顔を向ける。

 

 1着、5番。

 

 何度見直しても変わらない。審議のランプも灯らない。2着とアタマ差の、紛うことなき1着。

 はしゃぐものだと、もっと声に出てしまうものだと思っていたが、考えていたより言葉が出てこない。

 

 ナイスネイチャはただ、勝ったのは自分だと拳を上に掲げた。

*1
史実では当然ながらイブキマイカグラのほうが先に産まれているが、本小説での設定だとイブキマイカグラは中等部生で年下であり、ライスシャワーのほうが先に教えを受けているため、イブキマイカグラが妹弟子ということにする。




 ウマ娘で時間が溶けてます。新シナリオ強い。
 しばらく更新頻度が落ちるかもしれません。頑張って書きますがウマ娘もやりたいのでやらせてください。

かしこ


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オグタマライブ ??/11/03

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど〜』

『まいど!』

『まいど』

『まいどー』

『まいど〜』

『オグリのまいどたすかる』

 

「ちゅーことで今回はクラシック最終戦菊花賞の実況やってくで!」

 

「去年は夏の上がりウマ娘であるメジロマックイーンが名家の誇りを見せ、ステイヤーとしての真価を発揮した京都外右回り3000mのコースだ」

 

『前から思ってたんだけど夏の上がりウマ娘ってなに?』

『夏前までオープンにも上がってないような弱小だったのに夏でめっちゃ成長して菊花賞獲るレベルの強豪になったやつ。夏前にオープン級だと当てはまらないのよ』

『今回だとナイスネイチャが夏にすごい成長してたけど、元々がGⅠウマ娘だから夏の上がりウマ娘にはならない』

『説明に自信長文ニキサークルU』

『サークルUは死んだんだ……もういない……』

『ウマミリーマートのURAコラボ、テイオーのはちみー売り切れてるんだが????』

『ウママのコラボはイナリのイナリが美味いぞ』

『イナリが入っとるやんけ!!』

『タマのはんぺんサンド買ったぞ、美味かった』

『マックイーンのミルクティーとフー姉ちゃんとライアンのプロテインバーもいいぞ』

『スパクリのミルクセーキはなんかもうちょいなんとかならんかったんかボトルデザイン』

『哺乳瓶型なのレースしか見てない勢にはわけわからんと思うわ』

『ハクタイセイとオグリの芦毛バクダンおにぎりハクタイセイ要素なくなってて芝』

 

「私のちりめんじゃこおにぎりは元々もう少し大きくする予定だったんだが企画段階でNGが入ってな……」

 

「もう少しってのは手のひらより大きいくらいのおにぎりをひと抱えあるバスケットボールサイズにするのに必要な差分を表現するには不充分やと思うで」

 

『(ヒトミミ向けじゃ)ないです』

『ウマ娘だと意外にいけちゃうサイズなんだよね……』

『改めて別種だと強く意識させられる胃袋のサイズ差』

『ここまでスプリンターアソートなし』

『バンメモ、お嬢、ヘリオスだっけ』

『バンメモのチョコビスケット、ルビーのラズベリージャムクッキー、ヘリオスのソルトクラッカー』

『今年のクラシック組でテイオーだけコラボ商品あるの贔屓じゃね?』

『単純に企画段階中に故障で暇だったから話が行ったんだろ。他のメンツは夏合宿とかあるし』

『ムテキ、おチヨ、アルダンの三色丼も美味かったぞ』

『肉そぼろ、桜でんぶ、紫蘇の実の三色丼な』

『なんで紫蘇の実?』

『アルダンのチョイスだが何故かはわからん』

 

「あぁ、あれなんか他のふたりにあわせて和風にしたかったから味重視でお任せしたらしいで」

 

「企画の人が、それならカルシウムや鉄分が豊富な紫蘇の実にすればメジロアルダンらしくなるのではと言っていたな」

 

『カルシウム……ガラスの足……』

『そう言われるとあのぷちぷち食感に胸がザワザワするものを感じる』

『ティアラ組によるソフトグミもなかなかのものだった』

『まとめられた感あったけどシャダイカグラが「ティアラみんなで一緒にしようっていうのはウマ娘側からの提案」ってウマッターに流れてた』

『リアルシャダイの弟子はマイペースなようでフォローが上手い』

『そのリアルシャダイの弟子のイブキマイカグラ、今地下バ道でアメリカンクラッカー鳴らしてたことに関してトレーナーが裁決委員にお叱り受けてるからレース後にお説教だゾ』

『なんでそんなもん鳴らしてんだよwwwwww普通に妨害だろwwwww』

『レース前だし前例がないから今回は戒告処分で済ますとのこと。次やったら出走停止かな』

 

「で、そのイブキマイカグラは今回2番人気、1番人気はナイスネイチャやね」

 

「この夏の成長で地力もついてきている。ここからどうなるか期待できるな」

 

「ほんで3番人気がステイヤー適性の高いレオダーバン、4番人気がシャコーグレイドやねんけど……」

 

『シャコたんがだいぶ離されてるな』

『間違いなく弱くはない。弱くはないんだが……』

『そもそも長距離走れるかも微妙そう』

 

「ん、ゲート入りしまいやな」

 

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「飛び出したのはシンホリスキーにイイデサターンだな」

 

「毎度毎度ようやるわホンマ」

 

「今回はツインターボがいないからハナをとられることはないだろうが、そもそも淀で3000mだ。まともに逃げ切るのは至難だろうな」

 

『ネイチャちょっと前め』

『好位差しくらいの感じか、ダーバンは中団だな』

『サターンがハナを譲ってシンホリスキー先頭、スローペース気味?』

『シンホリスキーとしてはスタミナ温存したいし、サターンもちょっかいかける理由がないからな』

『今回後ろに控えるやつ多くて先行も薄いな』

 

「そら長距離の一番の敵は周りやのーて坂と距離やからな」

 

「ふむ、ナイスネイチャがまたなにか仕掛けたな」

 

『出た、インチキ加速』

『淀の坂はゆっくり登ってゆっくり降りるとはなんだったのか』

『の、上りはゆっくりだったし……(震え声)』

『別に駆け下りてるわけじゃないからスタミナ温存しながら加速してんのがマジでナーフされろって感じ』

『インチキ効果もいい加減にしろ!』

 

「シンホリスキーは掛かったが、敢えて控えていたイイデサターンは冷静に見極めたな」

 

「ほんでまたズルズルーっと垂れてきたなナイスネイチャ。急制動ちゃうからスタミナ消費もそれほどやないと思うけど……」

 

「しっかりと脚を溜めているように見えるな。菊花賞はこの平坦な中盤に脚を溜められなければうまくスパートをかけられない」

 

「まぁ大概焦るやつが多いんやけどな」

 

『実際溜めてるっぽいのは人気上位4人?』

『あとフジヤマケンザン』

『フジヤマケンザン誰ぞ』

『まだオープン級じゃない勝ちに恵まれない娘。弱くはないんだよね』

『ネイチャ珍しく動かないな。やっぱ長距離きついか?』

『やってるぞ』

『色々やってはいる』

『わからん』

 

「ナイスネイチャはまぁ多分小技で色々やってるわな。息遣いとか視線とか」

 

「だが、普段よりはおとなしいとも思う。やはりスタミナを温存しているんだろうな」

 

「長距離は真ん中ダレるわ。せやから玄人向けとか言われんねんな」

 

『ステイヤーがなんか言ってる』

『ステイヤーが長距離否定してて草』

『お前春天勝ってるだろ』

 

「秋天も勝ったし!! とか言うてる間に2度目の上りや。こっから崩れんで」

 

「まともにスタミナを温存できていなければここで脱落することになる」

 

『シンホリスキーーーー!!!!』

『シンホリスキー脱落』

『イイデサターン粘るやん』

『でも落ちてきてる』

『ボロボロで芝』

『流石に上位陣は強い』

『シャコたんは少し失速してるか?』

『外側にいるのに元気に走ってるダーバン見てると笑ってまう』

『あ』

『なんだ?』

『ネイチャか?』

『ナイスネイチャのにらみつける!』

『効果が違うんですがそれは』

 

「ナイスネイチャがコーナーの位置関係を利用して威圧を飛ばしたな」

 

「後ろに飛ばすのにコーナー利用とか皇帝でもやらんのちゃう?」

 

「ルドルフは使わなくてもできるからな」

 

『つよい』

『皇帝マジで皇帝』

『ナイスネイチャは量産型ルドルフだからなぁ……』

『あんなもん量産できてたまるか』

『下位互換でも十分強いのなに……』

 

「言うて皇帝やなくても牽制とか威圧は普通にやるんよ?」

 

「ほとんどは逃げが怖い差しが威圧で足止めしたり、差し切られたくない先行が後ろ牽制して道潰したりと基本的には相手を絞っているが」

 

「当たり前や。あんな四方八方に無差別爆撃できるほうが特殊やろ。走りながら細かい調整と有効な妨害と自分の位置関係と考えとったらまともな走りにならんわ」

 

『シャコーグレイド、粘ってるけど厳しそう』

『死ねどすさんは割となんとかなってる?』

『死ねどすさんポーカーフェイスだからな』

『死ねどすさん常に威圧受けてるような環境で育ってるから耐性あるんだろ』

『何? 修羅道の出身?』

『京都だろ。似たようなもんだ』

 

「実際精神力の強さは重要だ。ギャロップダイナはルドルフの威圧や牽制を強靭なメンタルでガン無視したから勝てたとも言われている」

 

『あの人は強靭とか精神力とかじゃない。ただ狂ってるだけだ』

『暴れん坊ダイナ』

『マジでジャックナイフなんだよな……』

 

「レオダーバンとフジヤマケンザンにも威圧入れおった」

 

「引き換えにナイスネイチャの気力もだいぶ削られたようだ。それに、レオダーバンへの効果が薄い」

 

『レオダーバンずっと叫んでるの何?』

『ライオンアピール』

『肺活量は同世代でもトップレベルだよなほんと』

『肺活量だけならマックイーンと並ぶ』

『いやそれはない』

『レオダーバンもナイスネイチャも淀の坂駆け下りて芝』

 

「シービーやアイネスフウジンはパワーでコーナーを制し、ツインターボは技術で曲がるが、この辺りは膨らむことを覚悟して加速を取っているな」

 

「フジヤマケンザンとシャコーグレイドは脱落やな……イブキマイカグラが差し切るかレオダーバンが逃げ切るかナイスネイチャも粘っとるけどどうや……?」

 

『前4人ほとんど差なし』

『ネイチャ!』

『ネイチャがダーバン躱した』

『ケンザン完全に垂れたな』

『死ねどすさんもダーバン差した』

『おおおおおおおおお!!』

『シャコたんせめてケンザン抜け!』

『死ねどすさんいけるやん長距離』

 

「アタマ差でナイスネイチャ1着。2着がイブキマイカグラでクビ差の3着がレオダーバン。1バ身半差がついてフジヤマケンザン4着、半バ身差で5着がシャコーグレイドやね」

 

「最後ナイスネイチャがひと伸びを見せたな。いい勝負根性だった」

 

『これには黒い人もにっこり』

『黒い人はいつもにっこりだぞ』

『マイカグラ差しきれんかったか』

『ダーバンは3着か。いやでもステイヤー適性は十分だろうな』

『マック「春天で待ってる」』

『海外逃亡しかねぇ……』

『マイカグラはマイラーおじさん……終わったよ……』

『ナイスネイチャふらふらなのに2着の死ねどすさん余裕ありそうで芝』

『いや、マイカグラも結構脚に来てる』

『死ねどすさん野良でロードレースしてるからスタミナあるんやろな』

『初耳なんだが?』

『ウマッターの裏垢で相手募集してるゾ』

『裏垢とか見つかんねぇんだけど』

『峠攻める死ねどすさん想像してワロタ』

『裏垢っていうか名義分けだけどな』

『DEATH_DOSで検索すると出てくる』

『死ねどす気に入って擦り倒してんじゃんwwwwwww』

『語感それっぽいの芝』

『本当は大阪生まれだろこいつ』

『謎に頑丈なのロードレースで鍛えたから?』

 

「ナイスネイチャ迫真のガッツポーズをイブキマイカグラの話題で流すなや可哀想やろ!」

 

「それはそれとしてタマが気になって最後までコメント追っている間にナイスネイチャが一息ついてインタビューに入るぞ」

 

「はよ言えや!」

 

『Q.クラシック最後の一冠を手中に収めた感想をお聞かせください』

『A.えと、思ったより言葉が出てこないっていうか、もっとワーッてなるものだと思ってたけど実際はこう噛みしめる感じだったなーって思いました……まる』

 

『あれ? 作文?』

『インタビュー慣れしてないなネイチャ』

『テイオーウマスタでコメントしてるけどお前それでいいんか』

『テイオーが「実質二冠じゃん!」は芝』

『自分からネタにしていくのか……』

『ガキが……完全に吹っ切れたのはめでたいが反応しにくいぞ……』

『でも最近は普通に仲良くしてる写真結構アップしてて嬉しい』

『杞憂底国民根こそぎ無に還したからな』

 

「クラシック秋でこんだけ初々しいのもレアやね」

 

『Q.次走は有記念と聞いていますが、意気込みはいかがですか?』

『A.シニア相手のGⅠは未経験ですし、GⅡやGⅢとは勝手が違うと思うので、今年は先輩方に胸を借りるつもりで行きたいと思います』

 

『ネイチャのお胸をお借りしたい』

『死ね』

『今後商店街には立ち入れないと思え』

『行く先々の商店街に可愛がられるネイチャ好き』

『あのモフモフには商店街を惹き付ける何かがある』

 

「笠松の商店街にいてもしっくりくる気がするから一度来てほしいものだな」

 

『Q.有記念に当たって不安はありますか?』

『A.どうせ出るなら勝ちたいとは思いながらも負けても勉強できることはあるので、それほど不安はありません。強いて言うなら人気投票で得票数が足りないかもしれないことですね』

 

『菊花賞ウマ娘でGⅠ2勝が出られんことないやろ』

『ネイチャに投票するゾ』

『どうせ商店街の組織票がある』

 

『Q.流石に出られるのでは?』

『A.だといいんですけど、最近ウマッターでアタシの画像がすごい流れてくるんですよ。まぁそれは別にGⅠレースに出る時点で覚悟してたんでいいんですけど、たまに名前を間違えて覚えられてるみたいなんで、見知らぬスペースネイチャさんが有に出ることにならないか心配ですね』

 

『芝』

『芝』

『それは芝』

『芝2500m』

『ちゃんとスペースナイスネイチャって言います……』

 

「ええウケ狙いやんけ、やるなぁ」

 

「タマの浪速の血が騒いでいる」

 

『流石勝鞍上方漫才大賞』

『上方漫才大賞勝ってるだけあるな』

 

「勝ってへんて! 前のその話題のとき否定の仕方が悪かったせいでwikiには載ってないだけでウチが上方漫才大賞とったのはホンマやと思っとるやつ出てきたんやぞ!!」

 

「否定の仕方のせいならタマのせいでは?」

 

「ウチの勝鞍に上方漫才大賞加えたいやつとマトモに戻したいやつとで編集合戦になって、今ウチのページ保護されて編集でけへんようになっとんのやぞ!! アンサイクロでやれや!!」

 

『芝』

『それは芝』

『もう出ちゃえよ上方漫才大賞。こんだけウケてるんだし』

 

「ちょっと心惹かれるんやめぇや!! ハイハイ終わり終わり!! インタビュー終わっとるし終わりや!! 〆るで!!」

 

「ということで、次はエリザベス女王杯で会おう」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな』

『ほななー』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』




 遅れました。
 温かいお言葉多くてありがたいです。新シナリオやりながらも、毎日更新てきないにしろ週6か週5更新くらいはキープしたいです。


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三者三様

 11月12日、京都レース場、火曜日。天候は晴、良バ場。

 

『勝った勝った! 先月の東京に続いて京都も制した! 名家シンボリ未だに健在! これで破竹の3連勝、年末の中山に向けて大きな弾みをつけました!!』

 

 掲示板を見る。同じ名家のシンボリが1着を飾る中、自分は着外。もはや溜息も出ない。乾いた笑いを溢して重い足取りでその場をあとにする。

 自分がなんのために走っているのかわからなくなっていた。想いを乗せて走るのはあの娘たちがいる。なら、何も持っていない自分が、何ももたせられずに走る意味は?

 下手に重賞を獲ってしまったから条件戦の馴れ合いにも戻れず、なんとか自分を励まそうとするトレーナーの痛々しいほど前向きな言葉が突き刺さる。

 先のことを考えようとすると立ち込めている暗雲に遮られる。いつ来るかもわからないタイムリミットに怯えて、焦りを原動力に脚を動かしていた。

 

『秋の中山大障害に向けて、シンボリクリエンス、京都ジャンプステークスを制覇です!』

 

 耳の中の残響を叩き出して京都レース場をあとにする。もう、バックダンサーの振り付けは完璧に踊れるなと述懐しながら駅へと向かうその途中、ふと気づけば道を逸れ別の場所へ向かっていた。

 向かった先は、鴨川。なぜほど近い淀川ではなく鴨川に来たのかはわからないが、ただなんとなくそちらへ向けて歩いていた。

 

 鴨川の土手に座りこみ、川の流れを眺める。冷たくなり始めた風が、まだ薄っすらと汗をかいている顔を撫ぜた。

 ふと、遠くに小学生ほどのウマ娘が数人、かけっこをして走っていくのが見えた。その姿が幼い頃の自分と重なって、カバンから定期入れを取り出し、そこに入れておいた写真を眺めた。

 髪を切る前のメジロライアン、まだ黒鹿毛の黒髪なままのメジロアルダン、澄まし顔のメジロラモーヌ、ヤンチャそのものなメジロマックイーン。

 そして、まだ何も知らないメジロパーマー(じぶん)

 仲間たちと肩を並べて走れることを疑ってもいないその無垢な笑顔に締め付けられて、定期入れから写真を取り出し、真ん中からふたつに引き裂こうとして、できなかった。

 当たり前だ。いくら本家の人間たちに見放されたところで、彼女たちまで自分を嘲るような性格はしてないなんてわかりきっているのだから。

 

 メジロラモーヌも、メジロアルダンも、メジロライアンも、メジロマックイーンも、そして総帥たるお祖母様も、とてもお優しい。

 いつまでも浸かっていたくなる心地よい微温湯(ぬるまゆ)。飢えなければ勝てないのに、優しさの飽食で満たされてしまっている。

 いっそ、こんな絆なんて最初からなければなんて思いながら、心のどこかでそれに縋って離れられない自分に軽蔑する。

 こんな想いをしている娘なんて、メジロ家にさえ、特に分家筋には大勢いるのに、悲劇のヒロイン気取り。偶々はじめから本家筋で、有力な同期と縁ができただけの無才。

 

 自虐に浸っていると、不意に吹いた風が写真を攫った。

 あ、と。声を出す間もなく反射的にそれを追いかけ、なんとか掴まえたはいいものの、斜面になっている土手を踏み外し、そのまま鴨川へと着水した。

 

 カバンは無事だった。土手に置きっぱなしになっていたからだ。無駄にヒラヒラとした私服のドレスと長い髪はビショ濡れになってしまったけど。

 この状態で新幹線に乗ることなどできず、仕方なく近場のホテルに宿泊予約を入れて、乾くまでまたその辺りを歩くことにしたメジロパーマーを、年齢のよくわからない声が呼び止めた。

 

「そこな水も滴るいいお嬢さん。どうだい? ひとつ辻占いでも」

 

 特に意識もせずに声の方を向いたメジロパーマーの目に入ったのは、コテコテの紫ローブを着て目深なフードで顔を隠した、仮定ウマ娘だった。

 これまた紫色のテーブルクロスを敷いた台を前にして座り、水晶玉なんぞを弄っている。はっきり言って、ベタすぎて胡散臭さよりバカにしているのかという苛立ちが勝った。

 

「お代は結構、お若いお嬢さんの未来をちょいと覗かせてもらいたいだけさね」

 

 ボイスチェンジャーでも使っているのか、声から年齢はわからない。そもそも、耳が痛くなるからウマ娘という種自体がノイズが入りやすいボイスチェンジャーをあまり好かない。

 そこまでして素性を隠したいとなれば顔見知りの犯行かとも考えたが、生憎こんな茶番を仕掛けてくる交友関係はない。結局、メジロパーマーは考えることを放棄して流れに身を任せることにした。

 

「……どうぞ」

 

「ありがとよ……むっ、こ、これは……お嬢さん、あんたもう少しだけ京都にいたほうがいいね。うん、具体的には日曜日くらいまで」

 

「…………」

 

 せめて努力をしろと言いたくなるような棒読みの大根芝居だったが、メジロパーマーに何を言いたいのかは伝わった。つまり、日曜日に開催されるマイルチャンピオンシップを観ていけと言いたいのだろう。なんのためにかはわかりかねるが。

 メジロパーマーの適性はメジロライアンとおおよそ同じかそれより長いくらいで、マイルに適性はない。それは各所で太鼓判を捺されている。

 しかし確かあのレースには、凱旋門賞を制覇したアイネスフウジンがでていたはずだ。奇しくも自分の領分と同じクラシックディスタンス(2400m)を、自分と同じ脚質で逃げ切ったマイラーが。

 幸い、金なら――頭に『親の』と付くが――ある。支障はない。メジロパーマーは占い師もどきに一礼して、トレーナーに日曜日まで京都に滞在する旨を伝えるためにウマホをカバンから取り出しながら、ホテルに向かって歩き始めた。

 

 

 

「悪いね、メジロのお嬢さん。ちょっくら、あの娘達のために利用させてもらうよ」

 

 フードを外してボイスチェンジャーを切る。鹿毛の髪が垂れたそのウマ娘は、歩き去るメジロパーマーの背を眺めながら独白した。

 

「わたしゃ結局あの娘達に何もしてやれなかったからね……ま、Win-Winなんだから赦しておくれよね」

 

 そう呟き、彼女はそこから去って、鴨川の河川敷には誰も残らなかった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「ミラ、わたくしです。入りますわね」

 

 ダイイチルビーがノックをしてから病室へ入る。

 スプリンターズステークスで故障と同時に事故を起こし、昏睡状態に陥ったケイエスミラクルが意識を取り戻したのはそれから1週間後のことだった。

 命の危機は脱しており、順調に回復すれば来年の高松宮記念までには退院できると医者は言った。それと同時に、競技復帰は難しい、とも。

 ケイエスミラクル自身は本人が自分の危険性をよく理解していたことと、本人の気性が穏やかであることも手伝って、ある程度は割り切れていた。

 GⅠタイトルこそ手に入らなかったが、3つのレースでレコードを取ったことで十分名を残せたし、恩返しの方法はレースで勝つだけではない。後進の育成を助ければいいからだ。

 それにショックを受けたのは、ケイエスミラクル本人よりもダイイチルビーだった。ダイイチルビーに自覚はなかったが、ダイイチルビーによるケイエスミラクルへの依存はそれほどのものだった。

 

 それからダイイチルビーは毎日、トレーニングのある日はトレーニング後にケイエスミラクルの病室へ行脚している。

 正直ここまで来ると鬱陶しいと思うのだが、微笑みを崩さず文句ひとつ言わないケイエスミラクルの器の大きさが窺える。

 そんなケイエスミラクルの見舞いは、普段はほとんどダイイチルビー以外が来ることはない。保健室登校と言っても差し支えなかったケイエスミラクルの交友関係は狭く、それこそ親族かトレーナーか、それかあのパリピマイラーくらいのものである。

 しかし、珍しいことにその日は先客がいた。しかも3人。いずれも見覚えのある顔ぶれだった。

 

 ひとりは黒鹿毛。いかにも大和撫子と言わんばかりの真っ直ぐなぬばたまの黒髪を長く伸ばした落ち着いた雰囲気のウマ娘が、車椅子に座ってケイエスミラクルのベッドの横からダイイチルビーを見ている。

 その車椅子を押しているのは鹿毛。ピンと伸びた背筋は黒鹿毛の(たお)やかさとは反対に凛とした雰囲気を醸し出しており、ポニーテールやデニム生地が多めに使われた私服と相まって活発な印象を受ける。

 そしてその傍らにもうひとり鹿毛。おおよそ他方の鹿毛と同じくらいの背丈ながら、その童顔やミディアムにカットされたクセ毛が可愛らしく跳ねていることから、ややあどけない印象を与える。

 総評すると、ご主人様と犬2匹といった風情の3人組だが、素性はそのような可愛らしいものではない。

 

 今年の短距離路線に颯爽と現れ、既にGⅢふたつとGⅡひとつを制覇した異端の驀進(ばくしん)。サクラバクシンオー。

 『芦毛の怪物』と同じ世代に生まれ、師と同門の想いを背負い日本ダービーを制しながらも、ついぞ(くつわ)を並べることのないまま退いた報恩の忠臣(ちゅうしん)。サクラチヨノオー。

 そして、産みの両親と育ての母を早くに亡くし、唐突なトレーナーの辞任により担当の変更を余儀なくされ、二冠を咲かせながらも度重なる故障で日本ダービーはその指をすり抜け、有で散った悲運の星辰(せいしん)。サクラスターオー。

 

 血統ではなく魂を継ぎ、桜の下で絆を誓う。名家に匹敵するとその名を轟かせる、名門サクラ軍団。その次期筆頭候補3人が、ケイエスミラクルの病室に集結していた。

 異なる流派に身を置きながらも血脈を受け継いできた『華麗なる一族』のダイイチルビーとは正反対の存在。しかも、ひとりは自らと同じ短距離路線の有望株との邂逅に、反射的に警戒するダイイチルビー。

 しかしその警戒はあっという間に削がれた。

 

「これはこれは!!! スプリンターズステークス連覇の実績を持つスプリントの女王、ダイイチルビーさんではないですか!!! (わたくし)、サクラ軍団が門弟、サクラバクシンオーと申します!!! 同じ短距離路線に身を置くものとして、どうぞよろしくお願いします!!!!」

 

 うるさい。

 ダイイチルビーの素直な感想だった。

 それこそ、あのパリピのほうが幾分もマシだ。音量調節機能が狂っているのだろうか、あるいはそういう嫌がらせなのだろうかと目の前の壊れたスピーカーを睨んでみるも、あちらはとぼけた顔でこちらを見るばかり。

 

「……ここは病院ですので、どうかお静かに」

 

「ちょわっ!? それは失礼致しましたっ!」

 

 まだ十二分にうるさいがそれでもマシになった声量でそう答えて、サクラバクシンオーは口を(つぐ)む。代わりに口を開いたのはサクラスターオーだった。

 

「ご友垣様もいらしたことですし、私たちはそれにて失礼させていただきます。貴女様の未来に佳き星辰があらんことをお祈り申し上げます」

 

「ははは、ありがとう」

 

 ケイエスミラクルの相槌を聞いて、サクラ軍団はそれぞれがケイエスミラクルとダイイチルビー双方に会釈をして病室を出ていく。あとには、ダイイチルビーとケイエスミラクルだけが残された。

 

「……サクラ軍団の方々、なんのご用向だったんですか?」

 

「警戒することはないさ。ただ短距離路線のライバルになり得る相手の顔を見に来ただけだよ。まだおれの引退は公表してないからね」

 

「ミラクルさん……やはり、考え直してはくださらないのですか……?」

 

「うん……もう決めたことだ。ごめん」

 

 そう。ケイエスミラクルは今年中にトゥインクルシリーズを引退する。秋のGⅠ戦線での盛り上がりに水を差すことを良しとせず、引退発表を先延ばしにしている状態だった。

 だから、ダイイチルビーも諦めきれないでいる。年末までになんとか説得しようと意固地になっているのだ。しかし、問題はもはや精神的な部分を超えている。

 故障の内容こそ粉砕骨折であるが、その後、失速したとはいえそれなりのスピードで地面に頭部をぶつけたことが原因の、平衡感覚障害。

 日常生活ならば問題にならない程度のものであるが、高速の世界に身を置くものとしては大問題だ。何より、彼女ひとりの危険に留まらない。

 レース中に平衡感覚を欠き、斜行して他のウマ娘に衝突する可能性は十分にあるのだ。

 リハビリで治ったとしても再発の可能性が考えられる以上、ケイエスミラクルは迷うことなく引退を決意していた。

 ダイイチルビーの懇願は、もうただの我儘に過ぎない。

 

「……それでルビー、ひとつ頼みがあるんだ」

 

「!! はい! 私でよければお力になります! なんなりとおっしゃってください!」

 

「はは……今週の日曜日、外出許可が下りたから、連れて行ってほしいんだ。マイルチャンピオンシップの観戦に」

 

 ケイエスミラクルの言葉に、ダイイチルビーは一瞬言葉に詰まった。マイルチャンピオンシップは、ダイイチルビーが今年出ようとして出られなかったレースだ。

 ダイイチルビーの前走、マイルチャンピオンシップのトライアルレースであるスワンステークスで、ダイイチルビーは完全に折り合いを欠いていた。

 結果、最下位は免れたものの16人中14着。スプリンターズステークスの連覇者としては目を覆いたくなる無様な走りだった。

 それを理由に、目の前で親交の深い相手の故障を目にしたことが原因のイップスであると判断され、ダイイチルビーもまた療養することになり、マイルチャンピオンシップは回避を余儀なくされた。

 普段のケイエスミラクルなら、そもそもそれを会話に出すことも避けようとするだろう。ケイエスミラクルが望めば、ダイイチルビーは自分の心情を度外視してそれを叶えようとするだろうから。

 そして実際、ダイイチルビーはケイエスミラクルの頼みに是を返した。

 

「……それは……いえ、わかりました」

 

「ありがとう……あと、ごめん」

 

「いえ……私の暴走で、ミラクルさんには随分迷惑をかけていますから……」

 

 自覚はあったんだ。そう声には出さない。そういう雰囲気じゃないことを、ケイエスミラクルはちゃんと理解していた。

 

 一方、サクラ軍団。病院を出てすぐのバス停のベンチに座っていたウマ娘に、サクラスターオーは話しかけた。

 

「ケイエスミラクル様にはきちんとお伝えしましたよ」

 

「あざまる水産〜! いや、ウチが病院入るとメンブレしてるお嬢とワンチャン鉢合わせるからさぁ……それはちょっと、いや、ウチは平気だけどお嬢様が余計テンサゲかなーって日和ってたんだよねー」

 

 口調からお分かりだろう。ダイイチルビーの同期でありマイルチャンピオンシップに出走予定のマイラー、ダイタクヘリオスだ。

 何を考えているのかは窺えないが、サクラスターオーは病院の前でダイタクヘリオスに会ったとき、ケイエスミラクルへ「ダイイチルビーと一緒にマイルチャンピオンシップを観に来てほしい」と伝言を頼まれたのだ。

 元々敵情視察だったから、ダイタクヘリオスからケイエスミラクル引退の情報を伝えられた時点で目的は終えているし、その情報の対価としてその頼みを受け入れた。

 

「しかし、良かったのですか? ケイエスミラクル様に無断で引退を明かしてしまって」

 

「んー、ヘーキだと思う。ミラクルが引退隠してんのって、せっかくバイブスアガってんのをサゲないようにだし、サクラのお嬢様たちもそのへん同じだから言いふらしたりしないっしょ?」

 

「ええ!! そういうことならば私!! 学級委員長の名に懸けて隠し通しますとも!!!」

 

「バクちゃん、声」

 

「ちょわっ!?」

 

 サクラ軍団のやりとりにケラケラと笑うダイタクヘリオス。彼女は一体何を思うのだろうか。

 その日は晩秋にも拘わらず、高い高い陽が出ていた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

『おい見ろよフェザント! こっちじゃこんなちっせーのがGⅠとってんだとよ!! レースは体格じゃねえんだよ!!』

 

 府中にあるとあるホテルの一室。英訳された日本のウマ娘レースに関するページを見て、青鹿毛のウマ娘がスラング交じりのアメリカ英語で嗤うのを聞いて、芦毛の彼女は眉間を押さえた。

 

『……なぜ貴様がここにいる、サン――』

 

『おおっと、ここじゃあ俺のことはシルヴァーエンディングと呼べ』

 

『……毛色しかあってないじゃないか』

 

 彼女の名はゴールデンフェザント。ジャパンカップへ出走するためにアメリカから来日した、米国のGⅠウマ娘だ。

 ゴールデンフェザントは目の前のベッドであぐらをかいてスマホをイジる、慎みもなにもない()()シルヴァーエンディングを胡乱げな目で見つめる。

 

『シルヴァーエンディングにしろなんにしろ、ジャパンカップには出走しないはずだが? というか、本国で元気に走ってるんじゃないか?』

 

『おう。まぁ念の為だ。走りたくなったときに適当に借りる』

 

『…………』

 

 ゴールデンフェザントは真面目な後輩を哀れんだ。どうせこのクソッタレな気性難に脅されて名義を貸してしまったのだろう。

 

『……いや、それにしても私の部屋にいることはおかしいだろう』

 

『あ? なんだよわかるだろ? 節約だよ節約。節制は美徳だぜ?』

 

『……それで得をするのは貴様だけだが』

 

『良かったじゃねえか、俺をもてなせて。徳を積んだぜ?』

 

 ――なぜゴアはこいつから目を離したのだ……

 すっかり問題児の目付役が板についてしまった優等生に筋違いな恨み節を吐きながら、ゴールデンフェザントは目の前の黒いのをなんとか追い出すための策を講じ始めるのだった。




 本小説のサクラバクシンオーはスプリンターとして骨を埋めるつもりでいます。
 これはミホノブルボンを短距離の道へ誘っていたアニメ版の設定に近いものとなっており、アプリ版の全距離制覇を目論む委員長ではありません。ご了承ください。

 あとパーマーがこの時期まで障害競走やってるのはオリジナル展開です。史実とは異なります。


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風神と太陽神

 11月17日、京都レース場、マイルチャンピオンシップ。

 澄んだ空気に陽光が差し込む晴天。雲ひとつない快晴の空の下、日本が注目するレースが始まった。

 スポットライトが当たっているのは当然ながら、凱旋門賞ウマ娘アイネスフウジン。そしてそのインタビューで言及された、黒服の男(Monsieur Noir)が警戒するマイラー、『笑う』ダイタクヘリオス。

 

 はっきり言って、ダイタクヘリオスが警戒される意味を理解できている者は少なかった。確かに阪神ジュベナイルフィリーズに勝利し、昨年のサマーマイルシリーズを制覇したマイラーとしての実力はあるのだろう。

 しかしGⅠそれ自体はその阪神JF以外には短距離の高松宮記念しか勝っていないし、アイネスフウジンとの対戦ではすべて先着を許している。

 何より、彼女は巫山戯ていた。今でこそツインターボという成功者がいるが、彼女が始めたその時には無謀そのものであった破滅逃げ――もとい、爆逃げ。時には自爆逃げと呼ばれるそれで勝てたことは一度もない。

 彼女の勝利はすべて好位からの抜け出しか一般的な大逃げだ。いや、大逃げ自体もそれなりに珍しいのだが、それでも彼女の()()()大逃げは相応に磨き上げられたものだった。

 それに比べた爆逃げはなんの研鑽もない、ただ走っているだけとさえ言える。

 

 それでもアイネスフウジンは彼女を警戒していた。今から1年以上前に網から言われた一言が頭から離れないでいたからだ。

 

 『バカ』を見て笑っていたはずが、『バカを見る』羽目になりかねない。

 

「わかってるな、アイネス」

 

「わかってるの、トレーナー」

 

 他のチームメンバーを先に関係者観戦席へ送り出したあと、網はアイネスフウジンに最後の指示を出していた。

 

「ダイタクヘリオスの直近のレースは昨日見せた通り、ダイタクヘリオスが逆噴射するまでの距離は少しずつ延びている。ただ単にスタミナを上げてきているだけだから1600mを破滅逃げで走りきれるとは思えないが、単純なスピード勝負ならお前は追いつけない」

 

「破滅逃げが成功したら勝てないってこと?」

 

「あぁ、間違いなく勝てない。だから、成功する可能性は考えても無駄だ。成功しないことを前提に動け。だが、逆噴射してもセーフティリードをもぎ取られる可能性がある。出し惜しみはせず、できるだけリードをされないような位置で追走しろ」

 

「蓋をするって手は?」

 

「相手が出遅れればそれもアリだが、出たタイミングが少し早い程度じゃお前の加速力で蓋は無理だ」

 

 網は分析の結果を誤魔化さない。無責任に慰めるくらいなら、責任を持って傷つける。

 アイネスフウジンもそれを理解しているから、その言葉をしっかりと飲み下す。

 

「もちろん否定できないのは、破滅逃げではない大逃げをしてくる可能性だ。その場合、ダイタクヘリオスの失速は期待できないだろう。それに……」

 

「直近のレースが()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そうだ。ツインターボとは違う。演技くらいはできるだろう」

 

 最高速度だと思っている速度がそうでないかもしれない。スパートに見せかけて脚を溜めているかもしれない。皮肉にも、ツインターボが他陣営に与えていた疑念を、網は抱くこととなっていた。

 

「下りでスパートをかけて、最終直線より前にダイタクヘリオスを抜く。そして、最終直線で"領域(ゾーン)"に入って突き放す。それが現状採れる最善策だろう」

 

「あとは状況に応じて判断……なの」

 

 網はアイネスフウジンの答えに頷くと拳を突き出す。アイネスフウジンはそれに自分の拳をぶつけ、にやりと笑う。

 

「行ってこいアイネス。負けても笑って迎えてやるよ」

 

「レース前から担当が負けることを考えてるなんてふてぇトレーナーなの」

 

 アイネスフウジンは踵を返しターフへ向かう。網はそれを見送って観戦席へと移動した。

 

 全ゲート入り完了。ゲートが開くと同時にアイネスフウジンが飛び出した。ただそれだけで、観客席が沸きに沸く。そしてすぐにアイネスフウジンを躱しハナに立ったダイタクヘリオスにもまた歓声。

 網による警戒の発言のお陰で、マイルにおけるダイタクヘリオスはアイネスフウジンに匹敵しうる実力を秘めていると、懐疑的ながらもそう思われていた。

 

 ハイペースで淀の向正面を走り抜け上り坂へと辿り着くと、ダイタクヘリオスは僅かにスピードを落としながらもそれを駆け上がっていく。

 アイネスフウジンはそれを追走しながらも考える。これは破滅逃げなのか、それとも大逃げなのか。今のは坂の失速なのか、それとも脚を溜めているのか。

 

(実際にターボちゃんと模擬レースしたことはなかったけど、ここまで厄介だとは思わなかったのっ!!)

 

 今までのダイタクヘリオスは確実に失速するだろうという確信があった。だからあまり気にせずに自分のペースを保てた。

 しかし、実際に二者択一を迫られるだけでこれほどまでに揺れ動かされるとは想像しきれていなかった。

 ナイスネイチャほどレース中に考える余裕のないアイネスフウジンは、ダイタクヘリオスが残る体力で逃げ切れるものだと仮定して行動することに決めた。

 下り坂を使えば一時的にダイタクヘリオスのスピードを超える速度を出せ、ダイタクヘリオスを躱せる。逆にダイタクヘリオスが坂を使って加速してしまえば、スタミナは保たずに尽きるだろう。

 スタミナに(まさ)ることを押し出して"領域(ゾーン)"に繋げる網の指示を実行するため、アイネスフウジンは淀の下りで思い切り踏み込んだ。

 

 淀の坂を駆け下りていくアイネスフウジンに躱されながらも、ダイタクヘリオスは笑う。まだ諦めない、勝ちたいからじゃない、負けたくないからじゃない、当然そのふたつもそうだけれど、何より楽しいから。

 こうして競い合って、同じレースで全力を出し合うのが楽しいから。

 

(ヤバ、やっぱバイブスアガるわ! つか病みながら走るとかぶっちゃけムリぢゃね?)

 

 お気に入りのお嬢様が最近暗い。理由はわかっている。怪我しがちな友人がレースから身を引くからだ。

 

(そりゃ、ぴえんこえてぱおんみたいなコト起こってメンブレしてんのはわかるけど、いつメンが無限にサガッてんの見たくないし、だからってお嬢様がアガるようなエモいパワワとかわからんし、それでイキってるってリムられたらつらたにえんだし!)

 

 ダイタクヘリオスは切り替えが早い。感情は一過性でしかないことをよく知っている。表面的な感情なんてコロコロ変わって、心の底からの感情は忘れていても折に触れて思い出すものだ。

 それを不真面目と捉える者もいるが、しかし、少なくとも目の前の出来事に対して、ダイタクヘリオスはとても真摯だ。

 

(じゃーもうウチは走るしかない定期ってことで、いつものムーブしか勝たんワケよ! 『走ってりゃ("は"知ってりゃ)"ぴえん"も"ハピエン"』ってエラい人も言ってた的な!? だって走るのってこんなに楽しいし!)

 

 泣きたいときは泣けばいい。泣きたいときに笑うよりよっぽどいい。我慢せず泣くだけ泣いて、笑えるようにすればいい。

 どんな悲しみが心を覆っても、必ず笑える日が来るとダイタクヘリオスはいつだって主張する。勝っても負けても、笑わせても笑われても、笑顔ならば万事こともなし。

 

(だって、アガんない太陽なんて絶対ない!! 見とけお嬢様!!)

 

 ダン! と。

 力強い踏み込みの音に気を取られたアイネスフウジンは思わず後ろを確認して、そこにダイタクヘリオスがいないことに気づいた。

 それと同時に、背中を焼け付くような暑さが襲う。もっと速く走れと急かすような、心の底から浮かされるような熱量。それはさながら、照りつける太陽。

 最終直線に入る直前に、ダイタクヘリオスは外からアイネスフウジンを差し返した。ダイタクヘリオスが脚を残している可能性も、最高速度を誤魔化している可能性も、アイネスフウジンは考えていた。その上で、ダイタクヘリオスはそれらが最も効果的な瞬間に使ってきた。

 

 太陽の熱に押されるように、ダイタクヘリオスがワープのような急加速を見せる。アイネスフウジンとの距離がジリジリと開いていく。

 およそ1バ身半。一度開いてしまったその距離はまさに、皐月賞でトウカイテイオーがツインターボに開かれた絶望の1バ身半の再現。"領域(ゾーン)"にギリギリ届かないセーフティリード。

 奥歯を噛み締めて、アイネスフウジンが前傾体勢をとる。ハイペースが原因で、後続が近づくことでの"領域(ゾーン)"の発動は見込めない。それでも、これは意地だ。アイネスフウジンも、いつの間にか笑っていた。

 

 意地で半バ身を縮める。アイネスフウジンが"領域(ゾーン)"を発動させダイタクヘリオスに迫る。それでもまだダイタクヘリオスのほうが速い。

 競り合いで乱気流が追い風へと変わる。アイネスフウジンとダイタクヘリオスが並び、ゴールの直前にアイネスフウジンがギリギリ前へ出る。

 

 そしてゴールの瞬間、ダイタクヘリオスが大きく前へ跳んだ。

 

 アイネスフウジンが目を瞠る。観客が沈黙する。ダイタクヘリオスのトレーナーが思わず立ち上がる。

 

 ダイタクヘリオスは走っていた勢いでつんのめって、何度か飛び石を跳ねるようにして勢いを殺したあと、ゴロゴロとしばらく転がってから止まった。

 観客席はざわつき、無事なのか、どっちが勝ったなどと言い合っている。ダイタクヘリオスのトレーナーが関係者観戦席から飛び出してダイタクヘリオスの下へ駆け寄る。

 

「ヘリオスーー!!? なにやってんの!? なにやってんのお前!? お前この……お前ーー!?」

 

「んぁ? トレピぢゃん、わっしょい」

 

「わっしょいじゃねんだわ!! バカかお前!? いや担当を疑うのはトレーナー失格だな、バカだお前!!!」

 

 一見すれば中学生男子に見える童顔低身長なこの青年こそダイタクヘリオスのトレーナーであり、もちろん成人している。

 声変わりしながらも高さを保っている声はヤングアダルトと言った雰囲気を持っていて、彼は小中学生のときに図書館のヤングアダルトコーナーを警戒して近づけなかった過去を持つ。

 

「あ、そだ! 結果! 勝った!?」

 

「わからん、今写真判定中で……あっ」

 

 トレーナーが掲示板の方を見たとき、写真判定の表示が消えて順位が確定する。

 3着までの着差は4バ身。そして、ハナ差の1着は7枠12番。ダイタクヘリオス。

 

 目を丸くして、事態を飲み込んで、盛大に笑いながらトレーナーの首に腕を回しながら、ダイタクヘリオスは叫んだ。

 

「うぇーーーーい!! うぃなーーーー!!」

 

「ヘリオス! 苦しい! 絞まってるから!」

 

 凱旋門賞ウマ娘アイネスフウジンはおろか、バンブーメモリーより下の3番人気での勝利。しかしながら、観客席からは惜しみない歓声が贈られる。

 そのレースは盛り上がるに足るものだったから。ダイタクヘリオスの笑顔と奇想天外な一手は、見事に観客の心を掴んだ。

 負けたアイネスフウジンも、それを見ていた網も笑っている。全力を出して、してやられた。侮ることなく、しかし上回られたのだ。さっぱりとした悔しさに笑うしかない。

 そして、凱旋門賞ウマ娘を制したジャイアントキリングに、ダイタクヘリオスのトレーナーはまったく驚いていない。最初から最後まで、彼はダイタクヘリオスの勝利を信じていた。

 だって子供でも知っている。北風と太陽では、太陽が勝つのだと。

 

「……ルビー」

 

「皆まで言わないでください。彼女が何を言いたいのかは、普段の会話よりも余程よく理解できましたから」

 

 ダイイチルビーは一度大きく溜息を吐き、車椅子のハンドルに突っ伏した。ケイエスミラクルははしゃぎまわるダイタクヘリオスを見て柔らかく微笑む。

 

「お嬢様ーーーーーー!! 見てるかーーーー!! 勝ったぞーーーー!!」

 

「……ルビー」

 

「……皆まで言わないでください……」

 

 頭を抱えたダイイチルビーに、ケイエスミラクルは苦笑する。憂いは晴れただろうかと空を見上げて、その青さに目を細めた。

 

「……いいなぁ」

 

 呟いたのは、走る意味を失くしていた令嬢。彼女はただ、その輝く笑顔に強く惹かれた。

 昔々の、まだ何も知らずに走っていたあの頃を思い出す。そうだ、そう言えばそうだった。あの頃は使命とか、意味とか、そういうものを求めてなんていなかった。

 

 走るのは、楽しいんだ。競うのは、楽しいんだ。

 

 メジロパーマーの頬を涙が伝う。それなのに、心の底からは笑いがこみ上げてくる。令嬢らしくなく、服の袖で雑に涙を拭いながら、メジロパーマーは笑う。

 子供に戻ろう。期待されていないなら、何も背負っていないなら、むしろ都合がいいじゃないか。自分のためだけに、楽しむために走れる。

 どうせなら、最高に楽しく走ってやろう。そして、今度はセンターの振り付けを。

 

「頼んだら教えてくれるでしょうか、爆逃げ」

 

 暗雲は晴れた。目の前には道がある。水たまりもぬかるみもあるけど、もう汚れなんて気にしない。

 泥だらけになりながら走っていこう。メジロパーマーは快晴の下を再び歩み始める。まずは友達を作ろうと、太陽に手を伸ばしながら。

 

 淀の空は、快晴ナリ。




『俺は医学の天才だ』の名門についての説明に修正を加えました。

オースミ・ナリタ一門
→オースミ流、ナリタ流
 調教師によって冠名を使い分けていたことを反映し、指導方針の違いで独立したことにしました。

マチカネ一派
→マチカネ一門
 オースミ・ナリタ一門から一門をこちらに変更しました。マチカネに門という字を使いたかったので。


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オグタマライブ ??/11/17

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど〜!』

『まいど!』

『まいどー』

『まいど〜』

『オグリのまいどたすかる』

『オグリのまいどたすかるニキたすかる』

『オグリのまいどたすかるニキたすかる』

『えぇ……(困惑)』

『なんで複数人いるんですかねぇ……』

『単数でも十分おかしい』

『だんだん先鋭化されてきたな』

 

「せんでええねんそんなん」

 

「今日はマイルチャンピオンシップを実況していく。昨年はパッシングショットが初のGⅠ制覇という有終の美を飾って引退していった」

 

『パッシングショットちゃん現地勢ファン俺氏、パッシングショットちゃん最初で最後の本能スピードメインボーカル兼センターを最前列で観てむせび泣く』

『マジでウマッターに貼られる泣いてる栗毛リボンのウマ娘の画像みたいになってたもんな、あの時のパッシングショットファン』

『あぁデジたんの』

『おチヨがお星様とマルゼンの意志を継いでダービー獲った時の限界デジたんの画像』

『未デビューなのに圧倒的な存在感でウマッターを闊歩するデジたんほんますこ』

『ウマ娘レースに興味ないウマッター民が何故か知ってるウマ娘三銃士を連れてきたよ!』

『デジたん、スペースネイチャ、オグリチャン』

『なんでも教えてくれるオグリチャン。たまに明らかに本物の知能を超えてるやつがいる』

『ちゃんとスペースナイスネイチャって言え』

『デジたんは何者なの』

『中央トレセン生であることと同人作家であることとウマ娘限界オタクであることとウマッター垢とウマシブ垢しか知られてない謎のウマ娘』

 

「今回の注目はやっぱり凱旋門賞ウマ娘のアイネスフウジンや! 当たり前やけどぶっちぎりで1番人気やな」

 

「一方、網トレーナーが警戒していたダイタクヘリオスは3番人気だ。2番人気にはバンブーメモリーが入っているな」

 

「せやけどダイタクヘリオスは1番人気の時には勝てへんでそうじゃない時ほど勝つっちゅー謎のジンクスがあるからなぁ」

 

『気まぐれジョージ思い出すわ』

『伝説時代きっての癖ウマ娘じゃん』

『エリモジョージとテスコガビーとカブラヤオーが同世代なのマジで狂気の世代』

『狂人、狂戦士、狂気の三狂な』

『テスコガビーとアイネスフウジンのマッマがライダー*1同じ姉妹弟子だぞ』

『じゃあアイネスフウジンのブラッドエアライダー*2がテスコガビーのライダーなのか』

『今更アイネスフウジンの強さに納得したわ』

『本人の努力の結果だぞ』

『ガビ姐さん、フー姉ちゃんが凱旋門賞獲った日のウマッター、ビールグビグビで芝』

『お体に障りますよ……いやマジで……』

『ガビーはん……持病の痛風が……!』

『なお、翌日』

『あっ(察し)』

 

「秒で話題が逸れんねんな。今に始まった話とちゃうけど」

 

「思うのだがこれを舵取りするのが私たちの仕事では?」

 

「はーホンマ、(ha)ー」

 

「話を戻すぞ。両者ともにしばらく日本国内のGⅠ勝利に恵まれていないが、重賞自体は獲得している」

 

「国内に限定すればダイタクヘリオスは3月の高松宮記念、アイネスフウジンに至っては去年のダービーやもんな」

 

『アイネスフウジンが弱いってことじゃなくてそれだけ群雄割拠してるということなんよな』

『凱旋門賞ウマ娘を差し切ったウマ娘が国内にふたりもいるらしい』

『なお、片方は直後に屈腱炎で長期療養、片方は直後に脚の限界で引退』

『哀しいなぁ……』

『いついなくなるかわからんから推しは推せるときに推せが鉄則なんだわ』

『ファンレターとか迷わず出せよ。電子メールより手間がかかる分、手間をかける程に推してるってことは伝わるから履歴書手書きよりよっぽど意味があるぞ。ソースは現役時代のうち』

『ファンレター貰ったウマ娘ネキ勝鞍教えて』

『天賞と帯広記念』

『ばんえいの民でござったか……』

『BG*3Ⅰ2勝ウマ娘もよう見とる』

『普通にめちゃくちゃ名ウマ娘で芝』

『っょぃ……かてなぃ……』

 

「まぁでもダイタクヘリオスはともかくアイネスフウジンは凱旋門賞勝っとるしそこは疑わんでええやろ」

 

「あと気になるのはやはりバンブーメモリーか。ここ最近はやはり勝ちに恵まれていないが、貫禄の2番人気だ」

 

「ってとこでゲート入り完了やね」

 

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「スタートはアイネスフウジンのほうが早かったが、ダイタクヘリオスが急加速してハナを取りに行ったな。アイネスフウジンは気性で逃げをやっているわけではないからハナを譲ったようだ」

 

「またこれぶっ壊れハイペースになるんちゃうか」

 

『【悲報】ダイタクヘリオス終了』

『爆逃げだああああああああああああ』

『ダイタクヘリオスが爆逃げで逃げ切ったとこ見たことないんだが』

『最初期にツインターボが保たないと思われてたのはダイタクヘリオスにも一因がある』

『疾風迅雷やね』

 

「アイネスフウジンもよくついていっているな」

 

「ハナを取るわけでもなく後ろから追走。流石に身内にツインターボがおるだけあるわ」

 

「スピードではダイタクヘリオスに軍配が挙がるが、アイネスフウジンの武器はスタミナ面だからな。だが、それでも少しずつ差が開いているな」

 

「まぁ坂で縮まるやろ」

 

『縮んだ』

『やっぱアイネス坂強いな』

『パワーが違うわ』

『スカウトしたいところだな』

『BGⅠ2勝ネキステイ』

『凱旋門賞ウマ娘をばんえいに連れて行かないでお願い』

『でもムキムキなフー姉ちゃんはちょっと見てみたいかも』

『ばんえいとサラは種が違うんよ……』

『でもまだヘリオスがリードしてるな』

 

「んん……いや、ダイタクヘリオスはわざと緩めたな」

 

「ほ? あれか? 坂で失速と見せかけて脚溜めるやつ」

 

「恐らくはそうだろう。スタミナは恐らく最後まで保つが……他になにか隠し持ってるような気もする」

 

『オグリの勘は当たるからな』

『直感派がちゃんと勉強してるからマジで怖い』

『にしてもマジにっこにこだよなヘリオス』

『ヘリオスガチ陽キャだから陰キャオタクには眩しすぎる』

『でもヘリオスは陰キャ相手にもめちゃくちゃいい娘だぞ』

『距離は近いしノリも軽いけど相手の気持ちちゃんと考えてるってわかる』

『俺あのゲラ聞いてると釣られる』

『こっちが吃っててもニコニコしながら待ってくれるからな。ただ「なに言ってんのかわからんくて芝!」って笑われたけど』

『それは芝』

『お前が言うな定期』

『パリピ語マジわからん』

『言うてネットスラングから輸入してるの結構多いからわかるときはわかるぞ。芝とか定期とか』

 

「アイネスフウジンが仕掛けたで。いつもの逆落としやな」

 

「スピードで敵わなくとも、下り坂のこのタイミングなら一時的に限界を超えたスピードが出せる。そして、最終直線に入ってしまえばアイネスフウジンは"領域(ゾーン)"が使える」

 

『フー姉ちゃんのゾーンってなんだっけ』

『領域非公式wikiによると、最終直線で前か後ろの1バ身以内にウマ娘がいると乱気流の領域、それとは別にもうひとつ凱旋門賞初出の領域がある』

『ヘリオス抜かされたけどこれヘリオス詰みか』

『ヘリオスのが速くても領域使えば逃げ切れるだろうしな』

『ん?』

『え』

『おい……なんでヘリオスが前にいる……』

『い、今起こったことをありのまま話すぜ……アイネスフウジンがダイタクヘリオスを抜いて最終直線に入ったと思ったらダイタクヘリオスが先に最終直線に入ってた!』

『出た! ヘリオスの何故かあんまり話題にならない4角ワープだ!』

『4角ワープ期待してずっとヘリオス見てたけどマジでワープかと思うくらいの急加速で外側からぶち抜いた』

 

「なぁオグリ、この加速はあれやんな」

 

「十中八九"領域(ゾーン)"だろうな。だがそれだけではない。最終直線の手前で差し返して引き離すことで、アイネスフウジンが"領域(ゾーン)"に入れなくした。それに、あそこで加速できたことを考えるとやはりスタミナを残していた……つまり、わざとスピードを緩めていたんだ。恐らく、これまでのトップスピードも演技だろう」

 

『マジかよ……』

『ヘリオスそこまで考えてないと思うよ』

『考えてようがいまいが結果的にこうだろ』

『オグリが賢く見える』

『この番組見てるとオグリの知らない面が見れるな』

『アイネスも加速した』

『いけ! 追いつけ!』

『ヘリオスのほうが速い』

『いや、意地で詰めた』

『ゾーン来た!?』

『フー姉ちゃんもゾーン!』

『ないよぉ! もう距離ないよぉ!』

『差した!』

『抜いた!』

『アイネスだ』

『!?』

『は?』

『え』

『?』

『なに』

『おい』

『????????』

『トンダアアアアアアアアアア』

 

「え、なにしとん」

 

「跳んだな」

 

「いやいやいやいやなにしとん!? え、ぶっ倒れとるやん!!?」

 

「一応無事なようだが……着順は写真判定が入ったようだな」

 

『もうなんか言葉が出ねえよ』

『本人もぽかーんとしてんの芝』

『※良い子は真似しないでください』

『できないんだよなぁ……』

『普通本能的にやらんわあんなん』

『アイネスフウジンもぽかんとしとるやん』

『ショタトレ普通にヘリオスしばいてて芝』

『あれ見て体罰って言うやつがひとりもいないのホント笑う』

『ショタトレ、一応そこそこの名門トレーナーやろ』

『完全に親戚のねーちゃんに振り回される厨房』

『ヘリオス1着確定!』

『黒い人が言ってた意味がようやくわかった。強いわこれ』

『ショタトレそこ代われ』

『おねショタはいいぞ……』

『実際ヘリオスが全部意図してやってたなら食わせ者過ぎる』

『何があれって「意図してやってた」って言っても誰も信じないだろうことがあれ』

 

「1着がダイタクヘリオス、ハナ差の2着がアイネスフウジン、3着に4バ身差でプリンスシンだ」

 

「アイネスフウジンも惜しかったんやけどなぁ」

 

「ダイタクヘリオスが一枚上手だったということだな。今年は本当に大番狂わせが多いな」

 

『フー姉ちゃんもニコニコでええやん』

『あそこの空気めっちゃ美味そう』

『黒い人もわろてる』

『してやられたって雰囲気やな。黒い人としてもヘリオスはわざとやったって認識なんか』

『言うて今のフー姉ちゃんの適正距離はミドルってこの前言うとったし……(震え声)』

『ダイタクヘリオスは凱旋門賞ウマ娘に勝ったマイラーの称号を手に入れた!』

 

「えー、このあとインタビューなんやけど……何言うとるんかわからんから各自で確認してな」

 

『芝』

『それは芝』

『解説放棄で芝』

『こっちだってわかんねえよ!!』

『ショタトレ首絞まって気絶してるから本格的にヘリオスしかインタビューできないゾ』

『もうだめだぁ……おしまいだぁ……』

 

「ってなわけでしめるで!」

 

「それではまた来週」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほななー』

『ほなな〜』

『ほななー!』

『オグリのほななたすかる』

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「ぴえん」

 

 中央トレセン学園の片隅にある巨大な切り株の前にダイタクヘリオスは立っていた。

 この切り株は中央トレセン学園の名物であり、簡単に言ってしまえば王様の耳はカバの耳というやつである。

 悔しかったことや抑えきれない思いの丈をこの切り株に空いた巨大な(うろ)へと叫ぶことでストレスを発散させるのが代々伝わるならわしだ。

 ダイタクヘリオスはぴえんだった。マイルチャンピオンシップで見事な走りを見せたダイタクヘリオスによってダイイチルビーは元の高飛車な調子を取り戻すことができた。

 ダイタクヘリオス的にはそれで、バイブスぶち上がったお嬢様がダイタクヘリオスを見直し「ヘリオスとルビーはズッ友だょ……!」となる予定だったのだが、すげなく玉砕したのであった。

 

「お嬢様がつれないんだよー!!」

 

「あ、あの……」

 

「んぁ?」

 

 そんな風に心に湧いた無情を叫んでいると、そんなダイタクヘリオスに声がかかった。振り向いたダイタクヘリオスの目線の先にいたのは、どちらかと言うとダイイチルビー側の世界の住人であった。

 制服に着崩しはなく、物腰も柔らかそう。長く伸びた鹿毛はしかし整えられていて、前髪に細い流星がある。

 ダイタクヘリオスはクラスメイトである彼女のことを知っていた。

 

「えっと……メジロパーマーだよね? ウチに用事?」

 

 メジロ家の令嬢と繋がりがあるわけもなく、今まで話したこともない相手……いや、ダイタクヘリオスから一方的に声をかけたことはあるのかもしれないが、それをいちいち覚えているわけでもない。

 そんなメジロパーマーの、しかし真剣そうな表情にダイタクヘリオスもやや気圧される。そして、メジロパーマーはダイタクヘリオスに向かって深々と頭を下げた。

 

「うぇっ……?」

 

「私に爆逃げを教えてください!」

 

 それはもう綺麗なお辞儀である。流石はお嬢様だなどとダイタクヘリオスは一瞬現実逃避しかけ、慌ててメジロパーマーをなだめすかして頭を上げさせる。

 さてどうしようかと考えて、ダイタクヘリオスはメジロ家がどのような家柄であったかを思い出した。それは、ダイタクヘリオスの目的にちょうどいい。

 

「うし、わかった! おけまる! 教えたげるぜお嬢様!」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「ウチ色に染め上げてやるからなぁ〜……そんでさ、ウチからも頼みがあるんだけど」

 

 ダイタクヘリオスの言葉に首を傾げるメジロパーマーに、ダイタクヘリオスは難しいことじゃないと前置きをしてから言った。

 

「ウチにさ、長い距離走るコツ、教えてよ」

 

 

*1
年少期ウマ娘を指導する、馴致指導員を含めたウマ娘指導員全般の総称。ウマ娘の本能を乗りこなすことからこう呼ばれ、優れた弟子を出したライダーをリーディングライダーと呼ぶ。

*2
blood heir rider。血脈を継ぐライダー。ウマ娘の本能に関わる幼少期馴致を担当する者にはライダーの他にウマ娘の母親がおり、結果的に母親のライダーの指導方針も色濃く受け継がれることからそう呼ばれているというのが主流な由来。諸説ある。

*3
ばんえいグレード。ばんえいウマ娘レース協会が設定する独自グレード。BGⅠ、BGⅡ、BGⅢがある。



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リベンジ

 遅れました。


 11月19日、東京レース場、ジャパンカップ開催。

 

『……なぜ貴様がここにいる』

 

『応援。関係者っつったら通してくれたぜ? 俺様が応援してやんだから泣いて喜べよ』

 

『……ザルなのか、この国の管理体制は……』

 

 勿論そんなわけがなく、(自称)シルヴァーエンディングがサブトレーナーからぶんどった本物の関係者証を使っただけである。

 

『じゃあ行ってくるが、くれぐれもおとなしくしておけよ。貴様に何を言っても無駄だということはわかっているが他所様に迷惑をかけるようなことは避けろよ』

 

『んなもん言われんでもわかってるわ』

 

『そうだな。わかった上でやるのが貴様だ』

 

 ピューゥとわざと下手な口笛を吹いた暴れ黒豆を放置し、ゴールデンフェザントは地下バ道へ向かう。これ以上付き合っていてもレース前に疲労がたまるだけだからだ。

 しかし、向かった先の地下バ道でもあからさまに疲れそうな出来事が起こっていた。

 

「フランスだか、ラ・フランスだか知らんけど、日本で好き勝手するのは110年早いし!! このレオダーバンが全員まとめて倒してやるから!」

 

『……ねぇ、何言ってるのこの娘』

 

『ごめん、あたし日本語わからないわ。あんた日本のマンガ好きでしょ、通訳してよ』

 

『私が読んでるの英訳版なんで日本語はちょっと……』

 

 派手に暖簾に腕押しをしている騒がしいのを見つけて、ゴールデンフェザントは呆れた視線を向ける。ちなみに、ゴールデンフェザントは日英仏の3ヶ国語は日常会話程度なら問題ない。

 はじめこそ目の前のアホに困惑していた様子のフランス勢だったが、ややもすれば余裕が戻ってきたのか、本人に伝わらないであろう母国語でバカにし始める。

 

『ていうか、フランス語は無理にしてもせめて英語くらい勉強してほしいわ』

 

『それね。マジック、あんたが出てた凱旋門賞獲ってったジャパニーズも英語すらできてなかったんでしょ?』

 

『一応ほんの少しは話せてたみたいだけど、かなりたどたどしかったし役には立たないでしょうね……しかし、リベンジしに来たのにまさか日本の大レースに出走してないなんてね……逃げたのかしら』

 

 マジックと呼ばれた小柄な鹿毛の少女。彼女こそ、凱旋門賞で3着を獲ったフランス所属のウマ娘、マジックナイトである。

 マジックナイトの言うとおり、アイネスフウジンはジャパンカップには出走していなかった。それどころか、チーム《ミラ》からは誰も出走しておらず、有に向けて回避したメジロマックイーンや、引退を控えたハクタイセイさえ出走していない。

 今回出走しているのはメジロアルダンやホワイトストーン、フジヤマケンザンといった実力はありながらもGⅠ未勝利なメンバーがほとんどであり、海外との交流戦としては確かに心もとない面子であった。

 

『あら、マジックナイトさんホンマにその漫画好きなんやねぇ……確かに本場に来たからには、シーンのひとつも真似しとうなるわぁ』

 

 どうせ理解していないと挑発交じりに放った言葉尻を掴み、パリ訛りの強いフランス語で話しかけた日本のウマ娘がいた。

 マジックナイトと同じく小柄な体躯に栗毛と特徴的な大流星。そして日本の民族衣装、着物に似た勝負服の少女にして、今回の日本の出走者で唯一のGⅠウマ娘。イブキマイカグラだ。

 

『それにしても、ムルムルのファンなんて珍しいわぁ……あぁ、別にええと思うよ、何が好きかなんて人それぞれやし、似たような場面に出くわしたら再現したくなるものやよね』

 

『……私が好きなのは主人公のナナミだし、別に再現をしたわけではない』

 

『あぁ、そら失礼いたしました。ところで、あんさんら早めに日本に来て観光とかしはったん? 日本も見て回るとこ多いから楽しめたやろ。土産買うてへんのやったらトレーナーさんに頼んで買うてきてもらっとくとええよ? もっとも、うちの凱旋門賞ウマ娘さんと違うて"グループ割"かなんかで来た方々にはちょいと財布がつらいかもしれんけど』

 

『…………』

 

 立て板に水で繰り出される言葉に沈黙するフランス勢。その中で唯一、その()()()()をいくらか理解しているマジックナイトがイブキマイカグラを睨む。

 そんな視線を受け流しながら、イブキマイカグラは「こわやこわや」と歩き去っていった。

 ゴールデンフェザントはそれを見送り、ただ首を傾げる。最後の嫌味はなんとなくわかったが、反論くらいはできただろうにと考えていたのだ。

 そんなゴールデンフェザントの肩に手が置かれ、彼女が反射的に振り返った先には、(自称)シルヴァーエンディングがニヤニヤと笑いながら立っていた。

 

『いやーあの女おっかねぇ! わざわざパリ訛り練習したんかねぇ?』

 

『……あぁ、訛っていたから威圧的に聞こえたのか? 母国語話者しかわからないニュアンスがあるのか……』

 

『あ? ……キシシッ、違う違う! ありゃ特上の嫌味だよ! あのマジックナイトっつーチビは日本のマンガにハマってるらしくてな、なかでも魔法少女モノに出てくるナナミってキャラがお気に入りらしいんだ』

 

 マンガに関しては先程も会話に出てきたので、ゴールデンフェザントも把握している。お前がチビ(それ)を言うのかと思いつつ視線で続きを促すと、黒いのは更に続ける。

 

『そんでムルムルってのは噛ませ犬のザコ敵でな。ナナミに一回負けてリベンジを仕掛けるんだが、偶然ナナミがいなかったからって「私を恐れて逃げたか」ってまたテンプレなセリフを吐くわけだよ。んで、マジックナイトがそのマンガにハマってることを知ってるやつが、マジックナイトのお気に入りキャラが誰かなんて間違えるわけないだろ?』

 

『……つまりあれか。「お前はお前の好きなキャラに簡単に倒される噛ませ犬と変わらない」を遠回しに言ったのか』

 

『それに加えて、「自分が噛ませ犬のセリフを吐いてることに気づきもしないのか間抜け」もだな』

 

 ゴールデンフェザントが顔をしかめると、黒いのは『それだけじゃない』と指を立てる。

 

『最後の嫌味だが、大事なのはその前だ。「今のうちに土産は買っておけ」。そんなん普通レースの後でもいいだろ? つまり「負けてすぐ帰るんだから」ってのが頭につくわけだ。それを踏まえると観光云々も「負けたら楽しむどころじゃないんだから今日までに目一杯楽しめたか?」って挑発になるな』

 

『……それは勘繰り過ぎじゃ……』

 

『で、最後の嫌味の本当の意味だが、こんだけ嫌味垂れるやつが資金難なんてそんな単純な煽りをするわけないわな。つまり資金難じゃないって知ってて言ってる。じゃあ何を皮肉ったのかって言えば「グループ割」だな』

 

 まだピンとこないゴールデンフェザントを喉の奥で笑って、黒いのは説明してやる。

 

『要するに何人か纏めて飛行機に乗れば割引されるサービスってことだ』

 

『いや、それはわかるが……』

 

『資金難でもないのにまるで割引サービスを使ったみたいに一緒に来て、ひとかたまりで仲良しこよしやってる。つまり「群れなきゃ挑めないヘタレの雑魚共」って遠回しに言ってんだよありゃあ』

 

 肉食獣のような歯を剥き出しにして笑う黒いのにゴールデンフェザントはドン引きした。そこまで人の言葉を悪し様に捉えられるのかと。母国でマスコミやら教官やら有識者やらから総叩きにあって人間不信なのかと。

 生憎のことに彼女の気性難は生来のものである。

 

 ゲート入りが完了して、慣れないファンファーレをやり過ごしながらゴールデンフェザントはゲートが開くのを待つ。

 ゲートが開き、ゴールデンフェザントは差しの位置につく。今回は先程のマジックナイトやスプラッシュオブカラー、ワジドというフランス勢、日本のレオダーバンやホワイトストーン、ニュージーランドのラフハビットにイギリスのロックホッパーなど差しが多い。

 むしろ、前脚質なのはメジロアルダンとフジヤマケンザンくらいで、全体的に控えていると言っていい。逃げがいないため全体的にスローペースになっていた。

 このままでは前残りの可能性があり先行有利。そう判断し、ゴールデンフェザントが序盤のうちに中団まで上がろうと考えたとき、グイとペースが一段階上がった。

 

(なんだ? 急にペースが……まさか?)

 

 ゴールデンフェザントがなにかに思い当たり先頭の方を見る。そこには、ハナに立ってレースを引っ張るフランスのワジドの姿があった。

 

(ラビットか? いや、しかし同じフランス所属とはいえ、全員チームは違ったはずだろう……そもそも、日本ではラビットは禁じられているはずだ!)

 

 困惑するゴールデンフェザントだが、レースは止まらない。どちらかといえばハイペース寄りの展開はゴールデンフェザントにとっても追い風になっているのは確かだが、どこか釈然としないままに結局今の位置をキープすることにした。

 一方、最後方のイブキマイカグラも。

 

(いやぁ、露骨やなぁ)

 

 フランスのウマ娘がひとり、イブキマイカグラを執拗にマークしていた。

 1バ身ほど先のやや外側を走行するスプラッシュオブカラーは、イブキマイカグラがスパートをかけてコーナーで少しでも膨らめばブロックできる場所にいる。そして、コーナーを過ぎれば内側に詰めて直線一気をブロックするだろう。

 進路妨害の斜行であればルールに抵触するが、やや内に入る程度の距離であるため、これは恐らくギリギリ反則にはならない。そう判断できる距離である。

 

(ほんであのラビットも、そういうことなんやろな)

 

 ゴールデンフェザントにはひとつ認識の間違いがある。日本で禁止されているのは「勝つつもりがないのに出走すること」でありラビット行為ではない。いや、ラビット行為は勝ちを捨ててチームをサポートすることだから間違ってはいないのだが。

 しかし、今日本には「ラビットかと疑われるようなペースで走りながらもGⅠで勝利をもぎ取ったウマ娘」が何人もいる。ラビット行為を指摘しにくい状況にあった。

 ワジドは今回出走しているフランス所属のメンバーの中では、メインは差しでありながら唯一前の脚質でも戦えるウマ娘である。「勝つつもりで逃げた」と言われてしまえばそれを否定するのは難しいのだ。

 

(悪いわね……正直ちょっと気が引けるけど、日本に負けるわけにはいかないのよ、私たち)

 

 マジックナイトはホワイトストーンを押さえている。これで、主要な日本の有力選手は押さえた形になる。

 スポンサーからの指示。そう言われてしまえば、マジックナイトたちに抗うすべはない。日本のレースは完全なスポーツだが、アメリカのレースはビジネスであり、そして、フランスのレースはコネクションである。

 上流階級同士の社交の場であるフランスやイギリスのレースでは、メンツというものが非常に重視される。極東のレース後進国から来たウマ娘に()()()()()()されたままではいられない。そういう輩は一定数存在しているのだ。

 

(私だってプライドばかり高いお貴族様*1たちに思うところはある。アイネスフウジンに負けたのは彼女が強かったから。でも、私にも人生ってものがある以上、ルール違反でないラフプレーを指示された程度で文句言ってられないのよ。それに……)

 

 レース終盤に差し掛かり、マジックナイトが勝負を仕掛ける。消耗したメジロアルダンとフジヤマケンザンを躱し、ワジドと競り合いにならないようやや離れた位置で府中の直線を駆ける。

 

(ムルムルのクソ野郎と同じ扱いは流石に赦せねぇわ!!)

 

 フランスで未だ魔女文化が残るブルターニュ地方の、魔女の血を引く家系の出身であるマジックナイトは、魔女に並々ならぬこだわりを持っていた。

 最近のクールジャパンな魔法少女像に憤っていた彼女を虜にした存在こそ、古き良きクラシックスタイルな魔女をモチーフとした魔法少女、ナナミだったのだ。

 そんなナナミの両親の仇であるムルムルと同一視されるのはたとえただの挑発とわかっていても我慢できず、結果として彼女の中の躊躇を投げ捨てさせていた。

 

(さぁ、最終直線。闇の帳が降り、魔女(わたしたち)の時間が来る……"魔女狩り"狩りの始まり!!)

 

 後ろに置き去った先行の日本勢が本能的な恐怖に気圧されてやや勢いが削がれる。それとは反対に"領域(ゾーン)"に入ったマジックナイトはひとりゴールへと加速した。

 マジックナイトの月夜の町へ景色が塗り替えられ、後続を突き放しにかかる。

 

 そんなマジックナイトの耳に、咆哮が届いた。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

『っぐぅ!!?』

 

 耳を劈くような叫びに、マジックナイトは思わず呻く。集中力を大きく乱されたマジックナイトの"領域(ゾーン)"が崩れ始め、代わりに現れたのは広大なサバンナ。

 唯一、完全にノーマークだった日本の獅子が唸りを上げて最大外(さいおおそと)から仕掛けてきたのだ。

 レオダーバンのロングスパート。スタミナと、その化け物じみた肺活量によって力任せに行われる、レオダーバン最大の武器。

 本来ならばレース中に叫ぶというのは自殺行為ですらあり、ルールで明確には禁止されていない。実際、レース中に叫ぶウマ娘が他にちらほらいるのも事実であり、かつてシンザンさえ叫んだことがあると逸話で残っているため禁止するのを躊躇われたという理由もある。

 とはいえ、普通のウマ娘ならば本当に最後の最後、気合とともに短く叫ぶ程度であり、長時間叫び続けるのは正気の沙汰ではない。それを可能としているものこそ、彼女の肺活量だった。

 叫べば力が入る。吐くときに叫ぶだけでいいならやってやる。そんな子供のような理屈。しかしそれは間違いなく効果的だった。

 

(っ、しまった……でも、まだ私のほうが速い……っ!?)

 

 並ばれることなく抜き去っていったレオダーバンにジリジリと距離を開けられながらも立て直そうとしたマジックナイトを、今度は悪寒が襲う。ねっとりと這うような寒気、煮詰められた、しかし冷たい悪意。

 そんな彼女の横を、その視線の持ち主が追い抜いていく。

 

(貴族の小間使いごときに、ウチが腹の探り合いで負けることなんてあらへんて)

 

 自分をマークしていたスプラッシュオブカラーを"領域(ゾーン)"で呑み込み、スタミナを根こそぎ()()()()()イブキマイカグラがレオダーバンを追走する。

 最後の力を振り絞ってそれを追いかけるマジックナイトだが、イブキマイカグラによってタイミングよく垂らされたスプラッシュオブカラーを避けてスパートを掛けたゴールデンフェザントが、ゴールの直前、ギリギリで追い抜いて4着をもぎ取った。

 

『強い強い! 1着から3着まで日本が独占! たとえアイネスフウジンがいなくても府中のターフを踏み荒らさせはしないとばかりに海外勢を完封だ! 1着レオダーバン、2着イブキマイカグラ、TTNだけではないと、今年のクラシック級は強いと今ここにレオダーバン初のGⅠ制覇! 3着はホワ――』

 

 実況の口上も遮るほどの歓声が上がる。息を整えながらマジックナイトはそれをただ聞いていた。

 マークする相手を間違えたのか、あるいは、()()()()()()()()()()。唯一のGⅠウマ娘であることを利用して、自分たちを過度に挑発して。完全にしてやられていた。

 

『あら、どないしたん?』

 

 声が聞こえた。あの腹の立つパリ訛りが。

 

『やりたかったんとちゃうの? チーム戦(コレ)

 

 まぁうちが勝手にやっただけやけど。などと言って、イブキマイカグラはマジックナイトに近づく。背丈はそれほど変わらないため、目線はしっかりとあう。

 

『でもよかったやん。日本語ってややこしいやろ? 流石に外から来たお客さんにそないややこしい歌、歌ってもらうわけにはいかんからなぁ』

 

 そう言ってカラカラと子供のように笑うイブキマイカグラ。それを見て、ゴールデンフェザントはようやく、レース前に黒いのが言っていたことがおおよそ芯を捉えているのではないかと認識し始めていた。

 

*1
表向きには貴族制度は廃止されているが、実質的に貴族という上流階級は存在しているらしいよ。



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オグタマライブ ??/11/24

 昨夜寝落ちしました。


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど〜』

『まいどー』

『まいど』

『まいど!』

『オグリのまいどたすかる』

 

「ということで、今日はジャパンカップを実況していく」

 

「なんだかんだ言うてルドルフ以来海外勢に勝てとらんから、今年のメンバーには気張ってほしいわ」

 

『今年のメンバーGⅠ勝ってんの死ねどすさんだけなんだよなぁ……』

『クラシック2着3着の人たちが多い』

『マックも有に向けて回避だしなぁ。まぁ流石にここのシニアGⅠ3戦は日程的にキツいのか』

『それを考えるとネイチャも休んだのは正解だよな』

『強いウマ娘が走ってるところは見たいけど強いウマ娘が走れなくなるところは見たくない』

『ケイエスミラクル……』

『テイオー……』

 

「今回出走しとる海外勢は、アメリカからふたり、イギリスとフランスから3人ずつ、ニュージーランドとオーストラリアからひとりずつや。特に、アイネスフウジンの凱旋門賞で3着やったマジックナイトなんかは見覚えあるんちゃうか?」

 

『マジックナイトちゃん好き』

『マジックナイトちゃんちっちゃくていいよね……』

『ただフランスは一部で借りを返せくらいの勢いで煽ってる奴らがいるからなぁ……』

『流石に日本で海外レース並みの妨害はやってこないだろ』

『わからんぞ。日本にも日本のレースに抵触しない程度に妨害がうまいやつらがいるだろ』

『皇帝みたいなのが何人もいてたまるか』

『でもネイチャクラスなら……?』

『うーん、いないと言い切れないのが』

 

「もうゲート入り終わるで。やっぱスムーズやね。なんやフランス勢の顔強張っとったけど」

 

「そうか? 私にはよくわからなかったが……何か仕掛けてくるのかもしれないな」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「今回は目立つ逃げウマがいないから先行が引っ張る展開になると思うが、来るとすればフランスが……む」

 

『ワジドがあがってきた』

『掛かったか?』

『アイネスみたいでやんした……』

『コレ保つのか?』

『ワジドは逃げできないことはないと思うけど』

『あーそういうことかこれ……』

 

「ラビットやろ。フランス陣営は差し多いからペース速めて後ろ有利にしにきたんや」

 

「ふむ、しかしルール違反になるのではないか?」

 

『マジレスするとならない。日本の立場からするとフー姉ちゃんやらタボボやらヘリオスやら、最近だとブルボンやらのハイペース逃げの有力ウマ娘がどんどん出てきてる状況で、メインでないとはいえ逃げができるウマ娘がハイペースで逃げるのを「勝つ気がない」と断言するのは無理』

『いやでもどうなのそれ』

『ルールの穴ではある』

『駄目ではないんだがなぁ……』

『こすい』

『死ねどすさんがガッツリマークされてるしな』

『でもマジックナイトはこういうことするタイプじゃない気がするんだよなぁ……』

『スポンサーの意向だろ。向こうはそういうの強いし』

『チーミングはあかんやろ』

『ルール守ってるなら批判される筋合いなんかあるかい。直接ぶん殴ったわけでもなし』

『ニシノライデンさんのコメント』

『うーん名家の斜行王』

『皇帝「名家だから斜行はお手の物というわけだな」』

『皇帝が言ったセリフだからズルいもんな』

 

「まぁ海の向こうのやり方っちゅーのはうちらも結構戸惑ったところやからなぁ」

 

「ペイザバトラーだな。彼女は今回のとはまた違うラフプレーだが」

 

「ウチはええと思うで。勝つためになんでもやるくらいのハングリー精神あったほうが好みや。金と名誉がかかっとんねんからルールの中ならなにしてもええやろ。ウチはウチが勝ちたいからチーミングとかやらんけど。さて、この流れやとマジックナイトがエースになるんか? ゴールデンフェザントがフリーやけど……」

 

「うーん……日本に勝つのではなく、日本を勝たせない作戦なのかもしれないのか? アメリカのゴールデンフェザントなら構わないと」

 

『それは流石にどうなの』

『アウトでしょ』

『オイオイ……』

『言うて決まったわけでもないから』

 

「あぁ、失言だった。すまない」

 

「オグリは自分の持つ影響力ちょっと考えなあかんな」

 

「それは間違いないがタマが言うのか……?」

 

『それはそう』

『芝』

『両方とも庶民根性が抜けない』

『しかしレース展開動かねえな』

『死ねどすさんはスプがうまいことブロックしてて、白石さんはマジックナイトがマーク、ワジドが隊列引っ張って縦長の展開だからただの差しでも不利だな……』

『卑しい女ずい……』

『カーッ!』

『レオ田マークされてないの芝』

『レオ田ァ! ナメられてんぞレオ田ァ!』

 

「動くとすればやはり最終コーナーだろうな」

 

「いや、今レオダーバンがロングスパートかけよったで」

 

「そういえばレオダーバンはそうだったな……」

 

『今マジックナイトちゃん領域出してたっぽいけどどうした?』

『現地民だけどレオ田の叫びでふらついたから多分割られた』

『割るってなんだよ』

『ゾーンって過集中のことだろ? 集中途切れさせればキャンセルできるんじゃね?』

『キャンセルできないほど集中してるからゾーンなのでは?』

『どっちも真でキャンセルできないほどの集中をキャンセルできるダーバンの叫びがヤバい』

『なんかスプ沈んでんだけど?』

『見てたけど多分死ねどすさんがなんかした』

『なんかってなんだよ』

『わかんねぇよ』

『え? 領域って直接攻撃とかできる類のものなの?』

 

「タマの電気は当たっても別に痛くなかったが」

 

「知らんてそんなん」

 

『正確に解明されたわけではないが、大まかな分類としての分析結果は、スピードが上がるタイプや加速力が上がるタイプは筋肉の活性化、スタミナを回復するタイプは血流促進や疲労分解の促進、または耐疲労能力の強化、他者への攻撃はレース中で鋭敏になってる感覚神経に対して圧をかけてるらしいな。この圧は領域でなくても技術でできる。例はネイチャの八方睨み』

『領域研究に自信ニキ!?』

『他者への攻撃って単語がレースで出ると思わんかったわ』

『ハクタイセイの領域が吹雪で寒くなるとかって聞いたけどそれが妨害系統か』

『死ねどすさんの領域が妨害系統で、スプラッシュオブカラーはそれ食らったってこと?』

『ゾーン以外のなにかかも知れないけど何か食らって沈んだ』

『ウマ娘レースって異能バトルだったんだ……』

 

「レオダーバンとイブキマイカグラがマジックナイト躱しよったな。マジックナイトも踏ん張っとるけど」

 

「一瞬マジックナイトの体がブレた。ルドルフが使う足止めの類の支配だな」

 

『足止めの類以外の支配があるのが芝』

『皇帝ホンマに何?』

『その皇帝ですら伝説でしかないのがウマ娘レースの深淵。皇帝でも神話には及ばない』

『1着レオダーバン!』

『レオ田ァ! 初GⅠ制覇ァ!』

『若干おこぼれ感あるけどやったなレオ田ァ!』

 

「ゴールデンフェザントもマジックナイト躱してゴール。3着や……ちゃうわ、え? いつ抜いたん?」

 

「わからん。いつの間にかホワイトストーンがマジックナイトを抜いて3着に入っていた」

 

『完全に見失ってたわ』

『俺ずっとホワイトストーンちゃん見てたけどいつの間にかゴールしてた』

『認識の大外を走るな』

『俺ホワイトストーンがゴールした瞬間を見た記憶がないわ』

『まさか……領域……?』

『違うと思う。ただの素質』

『カノ……カノ……』

『赦してやってくれ、彼女はカノープスなんだ』

『なにげに3着まで日本勢独占って初?』

『それどころか1着日本だってルドルフ以来だろ』

『レオ田ァ!』

『フランスここまでやってこれはダサいな』

 

「はいはいレース走った娘ぉ批判すんのはナシな。なにはともあれ頑張ったんやから」

 

「私は普通に走っていればマジックナイトはもう少し順位を上げられたように思えるが、これも選択だろう」

 

『インタビュー始まる』

『レオダーバンやー』

『タボボの時は黒い人がほとんど代わりに答えてたけど、同じタイプのレオ田は自分で答えるのな』

 

「アカンわ、擬音族や」

 

タマ(大阪人)が言うのか? それを?」

 

『芝』

『レオ田ァ!!』

『レオ田ァ!』

『レオ田ァ!!』

『レオ田トレの怒号キタ』

『本場本元のレオ田ァ!!』

『一昨年までスパルタのやべー女で恐れられてたのにレオ田に引っ掻き回されて熱くて面倒見がいいことがバレたレオ田トレだ』

『今年のトレーナー人気ランキングでランクめっちゃ上がってそう』

『女性部門はクレッセトレとパーマートレが2強だろ。イケメン姐御系のクレッセトレとゆるふわ小動物系のパーマートレ』

『おハナさんとか樫本サブトレのリギル勢も人気だ、女子人気ランキングは上位陣が強い』

『クリークの奈瀬トレとかタマのとこのコミちゃんも人気だよなぁ……』

『男性トレ部門は黒い人がどこまで上がってくるかだよなぁ……沖野トレあたりは抜いてきそうだけど』

『沖野Tはかっこいいときとアカンときの落差が強い』

『一昨年から代替わりしたカノープスのトレは?』

『南坂トレか。優男系で結構いいのでは?』

『ブルボントレが一部でカルト的人気があると聞く』

『黒沼トレな。網トレと並ぶともう完全にそういう事務所』

『男性トレはヘリオスのとこのショタトレダルォ!?』

『サンエイサンキューのとこの羽原Tもいいと思う。ちょっと荒いけどウマ娘思いで』

『サンエイサンキューって今年デビューした子だっけ』

『そう、ブルボンとかお米の同期』

 

「話逸れまくっとんな」

 

「インタビューも終わったしそろそろ締めでも……」

 

『待て、なんか来た』

『来ないぞアストラル』

『ウマッター見ろ。死ねどすさんの』

『また動画?』

 

「アカンわ、祇園族や」

 

「なんの動画なんだ?」

 

『マジックナイト?』

『フランス勢やね』

『何言ってるかわからん』

『フランス語だからだな』

『は?』

『うわ』

『BOO YOU WHORE !! EAT SHIT !!』

『えぇ……』

 

「なんやなんや、何が起こってんのや」

 

『端的に言えばフランス勢のウマ娘がフランストレーナー(女)から体罰受けてる』

『ビンタされた程度だけどこれは……』

『いや、言ってることも酷いぞこれ。普通に役立たずとか言ってるし』

『ペティナボット? って何?』

『意味合い的には"クソチビ"かな。かなり罵倒的な意味合いで』

『ヒトカスがウマ娘に勝てると思ってんのか……?』

『マジックナイトは特に田舎の生まれだからなぁ……』

『メチャクチャ小柄だからなかなかスカウトされなくてやっと拾ってもらったって聞いたから逆らえないんやろ』

 

「けったくそ悪い」

 

「まったくだ」

 

『死ねどすさんのウマート「仲のええことで」は完全に皮肉』

『これなんの意図での投稿なんだ』

『死ねどすさん意外とお人好しだから普通にリークでは?』

『他国の事情に首突っ込めんし』

『てかやっぱ上からの指示かよ』

『えぇ、それ脅しでは?』

 

「最後の最後に嫌なもん見たわ……」

 

「各所が心配だが、私達は座して待つことしかできないな」

 

「せやなぁ……終わっとこか。タマモクロスでした〜」

 

「次は阪神ジュベナイルフィリーズで会おう」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

『オグリのほななたすかるニキたすかる』

 

 

 

☆★☆

 

 

 

『はぁ……これからどうしよ』

 

 フランス、パリ。ジャパンカップで無様を晒したマジックナイトは、トレーナーとの契約を切られた。ワジドとスプラッシュオブカラーはトレーナーが違い、今回の日本遠征はマジックナイトのトレーナーが代表して統率していた。だから日本で叱責されたのもマジックナイトだけだった。

 トレーナーのスポンサーたちの多くが、凱旋門賞でアイネスフウジンにしてやられたことに反感を覚えていたらしい。日本勢に勝たせるなという指示を、マジックナイトは断れなかった。

 理由はおおよそ前述の通りだ。GⅠ1勝、上位入着多数と言っても、マジックナイトの小柄な体躯は実力に比して低く見積もられる結果をもたらしており、まったくスカウトされなかった。半ば拾われる形になっていたのだ。

 しかし、今回完全に見捨てられた。あのトレーナーに愛想が尽きていたのはマジックナイトも同じなのでそれはいい。しかし、トレーナーがいなければレースには出られない。今からスカウトしてくれるトレーナーなどいないだろう。

 なにより、冷静になって考えてみると、ジャパンカップのときの自分の言動はよろしいものではなかったと理解できることがショックだった。

 なにはともあれ、これでもうレースには出られない。田舎に帰るしかないかと電車の時間を確認しようとしたときだった。

 

『そこの小さなお嬢さん。アタシといいことしねぇ?』

 

 声がかかった。

 振り返って声の主を見る。背の高い鹿毛のウマ娘がいた。アジア系の顔立ちに、前髪から細い流星が伸びている。マジックナイトより年上ではあろうがまだ学生のように見える彼女の胸元には、フランスのトレーナーバッジが輝いていた。

 

「……なんだぁ? フランス語間違えたか? あー……『アンタをスカウトしたい』これでいいのか?」

 

『ぇぁ……』

 

 予想外だった。なにせ、マジックナイトのトレーナー()()()女性はそれなりに名門で有名なトレーナーだ。スポンサーの数も多く、マスコミとの繋がりもある。

 そんな相手に目をつけられている以上、自分をスカウトすればスカウトした新しいトレーナーまで目をつけられることになる。

 

『や、やめたほうがいいですって! 私、目つけられてるし、ろくな事にならない……絶対後悔します!』

 

 相手のことを考えてとかではなく、自分のせいで他人が巻き込まれるのは嫌だ。しかし、そんな浅はかな保身を見抜いたのか、女はがしりとマジックナイトの頭を掴んで顔を近づけた。

 

『うるせぇ。アタシがスカウトするっつったらもう確定なんだよ! 大体、"絶対"だなんてくだらないもんは、アタシがとっくにぶっ壊してんだ!』

 

 唖然としたマジックナイトに、ウマ娘は『驚いたか?』と得意げに鼻を鳴らし高らかに宣言した。

 

『アタシの名はギャロップダイナ。皇帝に土をつけた女だ!』




「私のほうが先に勝ったんだが……?」


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まくる

【悲報】ホープフルステークス、ナレ死


 12月22日、中山レース場、ホープフルステークス、有記念開催。

 

 ホープフルステークスに挑んだライスシャワーは2着となった。適性より短いホープフルステークスを今後の負担が大きくなるだろうステイヤーであるライスシャワーが走る必要はないがと前置きされた上での提案だったが、ライスシャワーは出走を選んだ。

 

「遠征前に、ブルボンさんの背中を覚えておきたい」

 

 ライスシャワーのローテーションは、ほとんど日本に帰らず海外を巡りExtended*1レースに出るというものだ。皐月賞には日程が合わず、日本ダービーには出走するがトライアルレースには出られない。

 日本ダービー、恐らくミホノブルボンが出走するであろうそのレースまでに、ライスシャワーが出走するレースは2戦。そのレースを戦い切るために、追いかけるべき背中を目に焼き付けておきたいというのが、ライスシャワーの希望だった。

 果たして、ライスシャワーに3バ身差をつけてミホノブルボンはホープフルステークスを勝利し、朝日杯フューチュリティステークスを含めたジュニアGⅠを2連勝することとなった。

 敗北しながらも目的は達成したライスシャワーの目には、前向きな悔しさが浮かんでいた。*2

 

 そして、有記念。1番人気は国内長距離レースは残り有記念のみのメジロマックイーン。2番人気に菊花賞を獲ったナイスネイチャ。3番人気に病み上がりのメジロライアン。その下にはGⅠの掲示板に食い込んだフジヤマケンザンやプレクラスニーが連なり、ダイタクヘリオスも9番人気ながら番狂わせを期待されている。

 

「順当に行けばメジロマックイーンとナイスネイチャのどちらかが抜け出す。ナイスネイチャがどこまでメジロマックイーンを牽制して、仕掛けるタイミングを間違えさせることができるか」

 

「順当に行けば、ね?」

 

 関係者観戦席にアイネスフウジンたちを残して、網は彼女の誘いに乗っていた。彼女は生憎、チーム《ミラ》の関係者には数えられないからだ。

 

「マルゼンスキー、貴女は番狂わせが起こると?」

 

「起こっても不思議じゃない、とは思ってるわ。アナタの目をもってしても分析しきれないものがあるから」

 

「えぇ、それは否定しませんよ。私は決して万能でも全能でもありませんから」

 

「レースに『絶対』はない。波乱尽くめの一年は波乱で終わるのが相応しいと思わない?」

 

 ふたりの会話をよそに、この年最後のレースの火蓋が切られた。

 

 先に駆け出したのはプレクラスニー。秋の天皇賞ではツインターボを追走し、負けて強いレースでハナ差の4着に食い込んだ。*3

 その後ろではメジロマックイーンを先頭に、フジヤマケンザン、オサイチジョージ、ダイタクヘリオスらが先行集団を形成する。

 好位から差し切りを狙うメジロライアンの後ろで、ナイスネイチャやオースミシャダイは中団後方、最後方にイブキマイカグラが控える。

 

(……なるほど、ナイスネイチャ……やりにくいですわね)

 

 メジロマックイーンにとって2500mは短いと思われがちだが、このくらいまでは適正な距離と言っていい。メジロマックイーンにはロングスパートがあるし、ステイヤーとしては加速力も十分にあるパワータイプだ。事実、2000mでも本職のツインターボにしっかりついていった。

 そんなメジロマックイーンの立ち上がりを牽制し、バ群に飲み込ませようとしたのがナイスネイチャだった。なんとか対処して先行集団の先頭につけたが、それからも牽制は続いている。

 

(うわ〜、マジつらたん!)

 

(んふふ、相変わらずやわぁ……こんくらいはやってもらわんとなぁ)

 

(こ、これが《八方睨み》……!)

 

 メジロマックイーンだけではない。先行も、差しも、追込も、それぞれ息を入れたいところ、位置を上げたいところ、内に入りたいところを的確に潰し、焦らし、塞いでくる。

 レース全てを睥睨し敵の強みを尽く封じる。強者を制する弱者の兵法、《八方睨み》に戦慄する強者たち。その仕掛け人であるナイスネイチャはどうかというと。

 

(やることが……やることが多い……!!)

 

 必死だった。普段よりも息が乱れ、思考も安定していない。その理由はとても簡単で、グランプリというレースの性質にあった。

 

(マークする相手が多すぎる……!! ヘリオス先輩は距離が長いからそこそこでいいかもしれないけど、マックイーンもマイカグラもライアン先輩も、なんならフジケンやプレちゃん先輩も怖い!)

 

 グランプリレース。当然だがそこに出てくるのは()()()()()()()()()()()ウマ娘たち。もちろん回避する者は回避するが、それでも出走するのは現役で上から数えたほうが早い実力者たちだ。

 誰を警戒すればいいかではない、誰も彼もが警戒対象。それを処理するナイスネイチャの脳みそは悲鳴をあげていた。

 

(2500m……あと1000……大丈夫、脚はまだ保つ、息も……今度こそメジロに一矢報いる……!)

 

(ネイちゃんがせせくってくるもんでえれぇくんだりぃけんど、まだ飛べるだら? わたしぃ!)

 

 プレクラスニーが前を見据える。きらびやかな芦毛を靡かせてまもなく第3コーナー。自らのスタミナを確認して、まだいけると歯を食いしばる。

 牽制でスタミナを削られながらも、フジヤマケンザンがメジロマックイーンの後ろを取りスリップストリームで脚を溜める。

 

(中山の直線は短い……ホープフルではそれでネイやんにやられてもうたし、4角で仕掛けたほうがええのやろか)

 

(やっぱり本調子とはいかないか……でもあたしだってメジロだ、ギリギリまで食い下がってやる!!)

 

 イブキマイカグラが3ヶ月弱ぶりの面白いレースに笑みを浮かべながら仕掛けどころを窺い、メジロライアンは病み上がりの体を押して上位を虎視眈々と狙う。

 

(ヤッバ!! もう息、ムリっしょ!! ちょい早かった! アッハ! 意地張って出んじゃなかったわ! でもまだ終わってないし!! 最後までネバギバが絶対!!)

 

(仕掛けどころ……国内最後の長距離の冠、メジロ家として取り逃したくない……時は来ました、参ります!)

 

 ダイタクヘリオスが口を目一杯に開けて息をしながら、最後まで諦めないと引き攣った笑みを浮かべる。マイラーとして明らかに長い距離でも脚を止めることはない。

 メジロマックイーンが自らの矜持を懸けてロングスパートを始める。フジヤマケンザンからスリップストリームが剥がれ、プレクラスニーへとジワジワ距離が縮まっている。

 

(クッソ!! 仕掛けどころ間違わないか!! こうなりゃ意地だ、全力叩き込んで……押さえる!!)

 

 そして、ナイスネイチャが躊躇わせの失敗を覚り、メジロマックイーンの背中を睨めつける。脚は十分に溜まっている。少し早いがと、最終コーナーよりかなり手前でスパートを掛けた。

 

(勝つのは……)

 

(自分だ!)

(わたしだ!!)

(うちや!)

(あたしだっ!)

(ウチしか勝たん!)

((わたくし)がっ!)

(アタシだぁ!!)

 

 

(手牌は上々、上家(カミチャ)下家(シモチャ)対面(トイメン)も怖くないところがない。それでも、負けっぱなし(ヤキトリ)じゃいられないのよ)

 

 伏兵。

 彼女もまた『芦毛の怪物』と同じ世代に生まれたウマ娘だった。しかしながら、怪物とは対照的に日陰を歩き続けてきた。

 体が弱く保健室通い、おまけに内気で臆病で勝負根性に欠けていた彼女は、あからさまにレースに向いていない、才能のないウマ娘だった。

 それでも、走り続けた。かつて間近で見た背中、神と称された戦士の背中を追って。菊を飾った師の想いを背負って。今この瞬間だって、表彰式に立つための正装なんかを着ているトレーナーを信じて。

 

(本日良バ場、芝の噛み合いは悪くない。でも逃げのプレクラスニーはそれほどコーナーが巧くない。今日はスピード乗ってるけど、逆に膨らむはず)

 

 自分と同じ世代に生まれた怪物が有を獲った時は、ただただ遠い世界の出来事に思えた。あそこに自分がいればなんてことさえ思えなかった。

 でも、あの凱旋門賞は違った。心が震えた。自分と同じ市井のウマ娘が、世界最高峰の舞台で勝った。これで燃えないウマ娘がいるか?

 

(普通は危ない最内(ウラスジ)だけど、ツッパするだけの価値がある)

 

 最近ずっと見てきた夢だ。赤五筒(アカウーピン)で役満を和了る夢。その矢先にやってきた5枠8番。後輩たちに「私センターのチケットを買ってね! 勝てなかったら私が代金持つから!」なんて大見得を切った。

 狙うは1着、それ以外は全部負け。レースも麻雀も同じだ。

 

(この5枠8番……五八筒(ウッパーピン)両面(リャンメン)待ち、無駄にはしない! 通らば!!)

 

 最内に切り込み、もう周りは見ない。目の前に垂れてきた逃げがいれば詰み(放銃)、そのまま共倒れになるしかない。

 それを覚悟で最終コーナー、曲がると同時に全力スパートをかける。その瞬間、嘘のように体が軽くなった。

 目の前には誰もいない。ただ一本、立直棒のような真っ直ぐな道ができていた。ここにすべてを懸ける。心臓が破れようが脚が折れようが筋が千切れようが、止まるつもりなんてない。

 そもそも、こんな大舞台に自分が立てていることが奇跡だ。この中で最も長くトゥインクルシリーズを走り続けてきて、それなのに僅かGⅢ1勝。自分より下の成績は今年クラシックに出た新人だけ。

 なら、これで壊れようが関係ない。ここが自分の最後の舞台()だ。せめて、GⅠウマ娘を育てたこともある、自分にはもったいないトレーナーに最後の恩を返したい。

 

(コース取り(テンパイ)はできた、勝ち筋(ツッパ)も通った、ならあとは勝つ(和了る)まで走り(ツモ切りし)続けるだけ!! それでも追いつけない実力()差なら、どんなエンディングでも受け入れてやるさ、でも……)

 

 今まで出したことのないスピードで最内をひた走る。全盛期(親番)はとうに過ぎてこれだけ脚を酷使すれば、これが引退(オーラス)になるだろう。だからせめて、最後くらいは。

 

(勝つんだ!! 私が!! この有記念で!!)

 

 イブキマイカグラも、メジロライアンも、ナイスネイチャも追いつけない。

 ダイタクヘリオスも、フジヤマケンザンも、プレクラスニーも追い抜いて。

 

「ぶっトべえええええぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 翻ったメジロマックイーンの芦毛を差し切って、ゴール板を踏み抜いた。

 果断を笑顔に変えて、舞い込んだ幸運を掴み取って、まさかの大金星をあげたダークブロワーに、観客は数瞬の沈黙の後、突沸した。

 

『ゴール!! ゴール!! 1着、ダイユウサクです!! コレはびっくりダイユウサク!! ダイユウサクです! 黄色いスカート、ダイユウサク! あのコスモドリームであっと言わせた、虎澤、虎澤トレーナーのダイユウサクです!!』

 

 バクバクと鳴る心臓の音さえかき消す観客の大歓声。ふと目をやった関係者観戦席で、妹とトレーナーが大袈裟なくらいに喜んでいるのを見ながら、ダイユウサクは仰向けに寝転んだ。

 まだ息が整わない。真っ青に澄んだ中山の空。日本ダービーでアイネスフウジンが見上げた空もこんなだったのかなどと思いに耽るダイユウサクの視界に、大丈夫かと心配そうな表情を浮かべた、才能ある後輩たちの顔が映った。

 メジロマックイーンの芦毛()と、ナイスネイチャの耳カバー(赤と緑)。それは彼女の大好きなあの役満と同じ色で。

 

「ふふっ、御無礼!」

 

 14番人気ダイユウサク、並み居る強豪をまくりきり、1バ身半の着差をつけて有を制覇。

 波乱の年のエンドマークは、大波乱で幕を閉じた。

*1
smile区分において2701m以上の超長距離を指す。

*2
本格化などの影響で、現時点でのライスシャワーは史実より少し強い程度であり、ここまでのトレーニングの結果がしっかりと出るのはまだ先になる。ただ、現時点でもスタミナ面は大きく成長している。

*3
史実では6馬身差ついていたが、マックイーンの降着で1着になっている。本作ではマックイーンの斜行がなかった影響で好走しつつも、最後にホワイトストーンに躱されたが、走り自体は悪くなかったため評価は史実より高い。




 最後のシーン(コレ)とか5枠8番(コレ)もずっと書きたかったネタ。


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オグタマライブ ??/12/22

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『もうみた』

『もうみた』

『もうみた』

『もうみた』

『オグリのまいどたすかる』

 

「ちゅーわけで後半戦や」

 

「前半のホープフルステークスではミホノブルボンとライスシャワーの緒戦となったわけだが、今回はミホノブルボンの勝利となった」

 

『誰だよブルボンはスプリンターって言ったやつ!!』

『距離限界おじさん息してる?』

『言うて朝日杯のときにわかってたやろ』

『朝日杯は1600mでホープフルは2000mなんだが?』

『マイラーに凱旋門賞とらせた前例がいたやろ』

『前例じゃねえよあんなの、特例だろ』

『マジで申し訳ない限りなんだけどライスシャワーの腹筋しか記憶に残ってない』

『あのへそ出しルックであの腹筋は目に毒でしょ』

『ロリっ子のバキバキ腹筋とかいう新たな性癖に目覚めた』

『お米ちゃん高等部でブルボンと同い年やで』

『あの腹筋でギロ*1したい』

 

「あんたらパーソナリティが女子高生であることをちゃんと意識せぇな?」

 

「自分を客観視してくれ」

 

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

『すみませんでした』

 

「さて、今回の有記念、有力な優勝候補は誰や?」

 

「やはり1番人気のメジロマックイーンと2番人気ナイスネイチャだろう。3番人気のイブキマイカグラは水をあけられているが、これは菊花賞、ジャパンカップとなかなかにきついローテーションを通ってきたからだと思われる」

 

『以降お前が言うな禁止』

 

「言うてもなんや普通に余裕ありそうやんなぁ」

 

「彼女が野良ロードレースで鍛えていることは知らない人も多いからな」

 

「ほんで……オグリ、あんた的にはどうなんや、あいつ」

 

「……そうだな。5枠8番のダイユウサクは私の同期でクラスメイトにあたる。とはいえ、面識自体はそれほどなかったが」

 

『ほへー』

『もうベテランじゃん』

『ベテランって言うよりなんていうかこう……引退の縁に引っかかってるみたいな……』

『成績だけ見れば下から2番目、しかも勝ってるのはクラシック級のフジヤマケンザンだけか』

『人気順もブービーだな』

 

「恐らく、これが引退レースになると思う。既に全盛期は過ぎているだろうし、ここから先は悪あがきにしかならない。だからこそ、有終の美を飾ってほしいという気持ちはあるな」

 

「それができるかどうかはダイユウサク本人次第やな。誰だって勝ちたいんはおんなじや……ってとこでゲート入り完了、ファンファーレやな」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「ハナを切ったのはプレクラスニーだな。秋の天皇賞では負けながらも強いレースを見せてくれた」

 

「隊列に変わったところはなし。穏当にそれぞれのポジションをキープしよったな」

 

「正確には、ナイスネイチャがメジロマックイーンに牽制を仕掛けて、バ群へ沈ませようとしたのが見えたが失敗したようだな。メジロマックイーンは先行集団の先頭につけている」

 

『ヘリオスが好位だ! まだわからんぞ!』

『先行のヘリオスは無難に強い』

『2500mはいやーキツいでしょ』

『ヘリオスがまだ長距離だって気づいてない可能性がある』

『それは芝』

『2500mはちょっと長いマイルだから……』

 

「ふーむ……細かいが、要所要所でナイスネイチャが各方面に牽制を入れている。ほとんどは視線による誘導や足音による焦らし、あとは自然なブロックだろうけど……本当に視野が広いな」

 

「ほんまやわ。何個目ン玉ついとんねん」

 

「グランプリレースだから警戒する相手も多いということだろう。しかし、やはりその分無理をしていることは否めないようだ。ところどころ甘さが目立つ」

 

『目立ってねえが?』

『プレクラスニー逃げきれる?』

『スタミナ配分は上手いほうだと思うけど……いかんせんスタミナが保ったからと言って勝てる相手でもない』

『フジヤマケンザンはマックイーンの後ろにつけたか。垂れないしいい位置だと思う』

『ネイチャ当たり前のように後ろにも妨害飛ばしてて芝なんだ。後ろに目でもついてんのかよ』

『威圧はともかく普通の撹乱や牽制は後ろ相手の方がやりやすいぞ(やりやすいとは言っていない)』

『当社比』

『もはやなにやってんのかわからん』

『普段はわかるみたいな言い方やめろ』

『何が起こってるかわかるのは位置上げようとしたタイミングでよれて道が塞がるときがあるくらいだわ』

『表情見てると走りにくそうにしてるのはわかる』

 

「ペースは遅くもなく速くもなく。この位置なら先行がやや有利か」

 

「メジロマックイーンが強いとこやな……勝ち筋は?」

 

「"領域(ゾーン)"次第では他の出走者にもあると思う……」

 

「坂は相変わらずナイスネイチャが強いな……あと坂に強そうやのはメジロマックイーンやな」

 

「メジロマックイーンはああ見えて性質はアイネスフウジンに近い。適正な距離の幅が広くパワーがあるタイプだ。実際、2000mも短いと言われながらも苦にした様子はない」

 

「カーブはダイタクヘリオス辺りが上手いわ。せやけど流石にスタミナが保たんか?」

 

『@1000』

『ここから正念場だな』

『プレクラスニー垂れないで粘ってる』

『メジロマックイーンスパートきった!』

『ケンザンがキツそうだな』

『スパートタイミングはここでいいのか?』

『わからん』

 

「ナイスネイチャもロングスパートに入ったが、差しで脚を溜めていれば足りるか……?」

 

「おいオグリ、ダイユウサク動いたで!」

 

「こちらも早仕掛けか……そうしないと間に合わないという考えだろうが果たして……」

 

『加速すごい』

『これゾーン入ってる?』

『わからん』

『オースミシャダイさん!?』

『スミシャならマイカグラにスタミナ削られて沈んだ』

『この前のJCずっと見てたんだけど、死ねどすさんの領域これスタミナ削るだけじゃなくて自分のスタミナ回復させてるっぽい』

『複合型ってこと?』

『いや複合型ってなんよ』

『スタミナ吸ってんの? どんな原理?』

『普通に威圧と疲労回復を同時にやってるだけで別々の効果だと思う。吸ってるわけじゃない』

『コーナーエグっ』

『プレクラスニーのさらに内入ってったな』

『むしろ垂れたプレクラスニーがいたから他のウマ娘が内側入るの躊躇ったところに、一番内側の当たらない位置を突き差した感じ』

『これワンチャンプレクラスニーが最内で垂れてたらヤバかったんじゃ……』

『結果論だからなんとでも言えるが、プレクラスニーのスピードが速かったから膨らむと見たんだろうな。だが、あの時点で他の選択肢すべて捨ててそこに一点張りするのは強い』

『このレースにかけてるんだろうな』

『いやそれにしても速いだろこれ』

『差しだけどやってることは追込だからな。要するにはじめから走るコース決め打ちしてそこだけに集中するから差しよりスパートしてから全力出しやすいんだよ』

『正確には全力を出しやすいんじゃなくて、限界を超えやすくなる』

『後ろからネイチャと死ねどすさんも来てるけど追いつかないなこれ』

『マックイーン粘ってるけどどうだ?』

『マックイーン顔顰めたな』

『ネイチャの威圧?』

『だとすればダイユウサクに効いてないのなんでや』

『無我の境地にいるからだと思う。過集中のゾーンと違って思考を放棄して本能だけで走ってる状態』

『ヘリオスうううううううう!!』

『ヘリオス死亡確認!』

『フジケンもキツそう』

『ネイチャ届くか!?』

『いや、もう距離がない』

『差したああああああああああああああ!!』

『ダイユウサクやりおった!!』

『実況これはビックリってお前……』

『感想が素直すぎる』

『ギャロップダイナ思い出す』

 

「やったやん、オグリ」

 

「うむ。特別仲がいいわけではないが、やはり感慨深いな」

 

『仲がいいわけではないことを強調するな』

『インタビュー来るぞー』

『トレーナーメチャクチャ正装で芝』

『スーツピンシャキじゃんどうした』

『ダイユウサク苦笑いだぞ』

『負けてたらどうするつもりだったんだよ虎澤』

『顔面汁まみれで芝』

『ダイユウサク距離おいてて芝なんだわ』

『隣のヒトミミ誰や』

 

「妹さんじゃなかっただろうか。人間の妹さんがいると聞いたことがある」

 

『仲いいやん』

『身内の情報って友達じゃないとなかなか回ってこないぞ』

『Q.初GⅠ制覇にしてレコードタイムの記録おめでとうございます』

『A.レコードですか!? うわほんとだ!!』

『いや芝』

『本人がビックリしとるやんけ』

『特にハイペースでもないのにレコードってことは普通に今までの誰よりも速かったんやぞ』

『Q.勝因はなんだと思われますか?』

『A.えっと、頑張りました』

『もうインタビュー慣れしてないってレベルじゃなくて芝』

『インタビュアー諦めてトレーナーに聞きに行ったのにトレーナー汁でグッチャグチャになってて何言ってるかわかんねぇ』

『インタビュアーついに妹さんにインタビューしにいってんじゃん』

『妹さんいくつ?』

 

「中学生だったはずだ」

 

『耳にネズミーのカチューシャしとるけど』

『TDL帰りじゃね?』

『Q.そちらは妹さん?』

『A.妹です。父が忘年会に行く代わりに来たそうです』

『父親痛恨で芝』

『Q.全力以上を出し切った走りに、観客からは引退するんじゃないかという憶測もありますが?』

『A.あー……走る前はまだ走ろうと思ってたんですけど、実際に走ったあとになるとこれ以上は無理だなぁって』

『Q.引退するということですか?』

『A.そうなりますね』

『しゃあない』

『これは残念だけど当然』

『あの末脚見てたら文句言えん』

 

「インタビューもここまでやね。波乱ずくめの有記念やったけども、どうやった? 今年一年振り返ってみて」

 

「まさに予想のできない一年だった。

 スプリンターズステークスを制覇したダイイチルビーを抑えてダイタクヘリオスが高松宮記念を制覇したところから始まり、

 ハクタイセイ復活の大阪杯、

 桜花賞でのイソノルーブル落鉄、

 皐月賞でツインターボの逃げ切り、

 メジロマックイーンによる春の天皇賞師弟三代制覇、

 ナイスネイチャ降着とトウカイテイオーの故障となった日本ダービー、

 イブキマイカグラの安田記念クラシック制覇、

 メジロライアンのGⅠ初制覇となった宝塚記念、

 ダイイチルビーのスプリンターズステークス連覇とケイエスミラクルの故障事故、

 アイネスフウジンの凱旋門賞、

 ツインターボによる秋の天皇賞クラシック制覇、

 ダイタクヘリオスによるアイネスフウジンを破ってのマイルチャンピオンシップ制覇、

 日本勢が上位を独占したジャパンカップ、

 カミノクレッセを破りハシルショウグンが東京大賞典を制覇しダートGⅠ2勝JpnⅠ2勝の計4勝を達成、

 スプリンターだと思われていたミホノブルボンによる朝日杯とホープフルステークスの制覇、

 そしてこの大番狂わせの有記念。

 特にG1においては、予想通りにレースが進んだことのほうが少なかったのではないだろうか」

 

『本当にほとんど大番狂わせで芝』

『ほとんど1番人気勝ててねえぞ』

『チーム《ミラ》率もなかなかに高いな』

 

「見てる側からしてみたらこのくらい何があるかわからないほうがおもろいんとちゃうか?」

 

「ルドルフの現役時代、ルドルフが出ると必ず勝つからつまらないという者もいたらしい。そういう者にしてみればそうなのかもしれないな」

 

『実際そう』

『俺としては強いウマ娘が強い勝ち方をしてくれればそれで』

『推しが勝つのがええんや』

『楽しみ方は人それぞれやんな』

 

「さて、次回のオグタマライブは大晦日の特別編となる。今年の各優秀賞ウマ娘6人をゲストに迎えて、年越しを一緒に過ごすことになる」

 

「年越しを家族と祝いたいっちゅーやつもおるやろうし全員が全員来てくれるとは限らへんから、あんま期待せんで待っとってな」

 

「少なくとも、私たちふたりは参加することになるだろう。ゲストがひとりも来なかったらその時はイナリとクリークでも呼んでくるか」

 

「イナリはともかくクリークはアカンやろ。年越しは奈瀬Tとイチャつくんとちゃうんか?」

 

『キマシタワ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』

『ヒヒ^〜ン』

『デジたんがヤエノムテキに対して遂にデレを出したシヨノロマンを見たときにあげた鳴き声じゃん』

『え、あのふたりってそうなん?』

『そうとしか言えんやろ』

『クリナセかヤエシヨかどっちに対してだよ』

『どっちもだろ』

『誤解です@奈瀬』

『本人降臨で芝』

『奈瀬Tもよう見とる』

 

「まぁ、そんじゃこんなとこでお別れや」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

*1
楽器。




 更新はどうするんだ、あと5分しかありません! 更新はこないのか!? 更新はこないのか!? 更新きたっ! 更新きたっ!
更新きたっ! 更新きたっ! 更新きたっ! 更新きたっ!!  抜け出すか!
日付変更と! 更新!!  更新!!
更新かーー!! 更新かーー!! 僅かに更新かーー!!


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表彰式

 府中ビッグレッドホテルロイヤルホール。

 12月30日の夜、そこには多くのウマ娘レース関係者が集まり、最優秀ウマ娘の表彰式が行われようとしていた。*1

 

 ある意味当然なことではあるが、チーム《ミラ》のメンバーもそこに招待されていた。チームの中からURA賞の受賞者が出たのだから当然と言える。なお、学生であるため礼装である学生服での出席だ。

 ちなみに、チーム《ミラ》の中では網を除けばアイネスフウジンとツインターボ、ナイスネイチャが、以前にもこの舞台に立っている。アイネスフウジンが一昨年度のジュニア級最優秀賞と、昨年のクラシック級最優秀賞を受賞していたからである。

 

「いやぁ〜、いつ来ても慣れませんねぇここは……」

 

「……あっちはそうでもないみたいだけど」

 

 若干声に震えが交ざっているナイスネイチャの呟きを拾ってナリタタイシンが視線で示した先には、テーブルに盛られたビュッフェをモリモリ食べているツインターボとライスシャワーの姿があった。

 アイネスフウジンなどは一昨年の初参加時、結局最後まで躊躇して使うことはなかったとはいえタッパーを持参していたので彼女たちを笑うことはできない。

 

「やぁターボ。久しぶり」

 

「んぁ! ショーグン!」

 

 ツインターボが走っていってビタッと張り付いたのは、GⅠ2勝とJpnⅠ2勝、今年度のダート走最優秀ウマ娘最有力候補である、地方からの移籍者、ハシルショウグンである。

 ジャパンダートダービーで勝利した後に、フェブラリーステークスと帝王賞を勝利していたカミノクレッセをJBCクラシック、チャンピオンズカップ、東京大賞典で破り、その経歴と髪色から『砂のオグリキャップ』と呼ばれるまでになった。

 

「今年はターボの負けだけど来年は負けないぞ!」

 

「ははは、わたしはGⅠ級と言ってもふたつは国内格付けだし、引き分けでいいんじゃないかな」

 

「ダメー!」

 

 そんなやり取りを横目に見ていると、遂に表彰式が始まる。お偉方の長ったらしい挨拶が終わると、その年のURA賞受賞者たちが呼ばれ、表彰が始まる。

 ウマ娘の表彰部門はジュニア部門、クラシック部門、シニア部門各世代と、ダート部門、短距離部門*2、障害部門の6項目。

 それらの条件にあった現役ウマ娘の中から、URA関係者、記者、有識者の投票によって選ばれる。そのため、成績だけでなく世間に与えた影響なども加味される。

 それに加え、教え子の総合成績によって選定されるリーディングライダーが表彰される。リーディングトレーナーについては、複数の人数がおおよそ同点になりうるため、基本的に表彰は行われず、リーディングランキングが発表されるに留まる。

 

 今年の受賞者は以下の通りと決まった。

 

最優秀ジュニアウマ娘、ミホノブルボン。

最優秀クラシックウマ娘、ツインターボ。

最優秀シニアウマ娘、アイネスフウジン。

最優秀短距離ウマ娘、ダイタクヘリオス。

最優秀ダートウマ娘、ハシルショウグン。

最優秀障害ウマ娘、シンボリクリエンス。

リーディングライダー、ノーザンテースト。

 

 各々が表彰台の前に立ち、賞状を受け取る。そして、リーディングライダーを除く6部門のなかから選定された、年度代表ウマ娘の表彰となる。

 多くの人間たちが見守るなか、半ば予想通りのウマ娘がそれに選ばれた。

 

「年度代表ウマ娘、アイネスフウジン」

 

「はい!」

 

呼ばれて再び表彰台へ上がるアイネスフウジンを見る目は決して好意的なものだけではない。鬱陶、嫉妬、蔑視、そういった視線も当然含まれている。

 全員が全員、ただその実力を認めて褒め称えるだけであるわけがないのだ。人間やウマ娘が心を持つ生き物である限り、そこには必ず影がさしうる。

 そして当然、ウマ娘レースは単なるスポーツだけの世界ではない。それは芸能であり、ビジネスであり、さらには政治にも絡みうる。直接的に干渉してくることはないかもしれないが、だからこそ蟠りは心の底に溜まりやすい。

 逆に言えば、己を高めて先人たちの記録に挑み、好敵手たちとしのぎを削るという建前、あるいは本心を盾に、既得権益や自尊心、立場関係、そんなものを悪意なく奪われうるのがウマ娘レースの世界だ。

 悪意をもって奪われたのならば恨める、糾弾できる、己は被害者なのだと。理不尽に奪われた、虐げられた者だと。しかしそこにあるのは、悪意など欠片もない純粋な研鑽と勝負、そして力の及ばなかった敗北者という烙印だけだ。

 恨むということすら表沙汰にすることを赦されない。相手が悪行を為していない以上、それをしてしまえば糾弾され、侮蔑を受けるのは自分の方だ。

 

 だからこそ人はその鬱憤の行き先を求める。(おおやけ)にすれば多くを失うような唾棄すべき感情を、自分という存在に結びつかせず吐き出すことのできる仮面を欲する。近年発達した匿名性の高いインターネットなどは恰好の居場所だ。

 自分から多くのものを奪っていったのに、正当性を盾に英雄ヅラをするあいつを貶め、嘲笑い、溜飲を下げる。行動の真意を捻じ曲げ、存在しない悪意を植え付け、悪性という化粧(メイク)を擦り付ける。

 表ではきれいな自分を取り繕いながら、裏では相手に落ち度がないことがわかっているからこそ表にできない心に溜まったヘドロを吐き出し、また取り繕わなければならない日々に戻る。

 

 心というものは脆い。それを嫌というほどわかっているから、網はそんな現実逃避を否定しない。陰口程度いくらでも叩けばいい。

 探すことをしなければ見つからないような溜まり場が、インターネットにはいくらでも転がっている。その程度で楽になるなら、同じ泥を背負う者を見つけて吐き出しあえばいい。

 網が嫌うのは、そんな廃棄物をわざわざ掘り起こして世間様にばら撒き、したり顔で救世主を気取りながら信徒から巻き上げた金で懐を温める輩だ。

 個人が法人に、あるいは匿名の集団に変わっただけでも、説得力が増したような錯覚に陥り勘違いする。自分の言い分には正当性があると。そして今度は表で同じことをやり始める。

 そこまでいかなくとも、その数倍の人数が後ろ暗さを抱えながらも代弁者による間違った擁護を求める。「あなたは間違っていない」と言われる安堵を欲する。

 

 そう言った連中によって需要が生まれると、それを食い物にするため、わざわざ人の迷惑にならないようにという良心の枷によって見えないところで(たむろ)していたのに、「代わりに言ってやった」「知られざる真実を晒してやった」と声高に喧伝する輩が現れる。

 それによって手に入れることを欲するものの多くは金と立場である。まれに本気で陰謀論を暴いてやったと得意になる患者も現れるが、大抵はそういう輩だ。

 

 アイネスフウジンのスピーチが終わり、トレーナーである網に水が向けられる。そうして登壇した網のスピーチが始まる。

 

「ご紹介に預かりました、最優秀クラシックウマ娘のツインターボと、最優秀シニアウマ娘兼年度代表ウマ娘のアイネスフウジンのトレーナーを務めている網怜と申します。この度は結構な賞をいただき光栄でございます」

 

 無難な話し出しから始まった網のスピーチは、やや不穏な方向を横切る。

 

「ここに立つこととなった理由を私はやはり凱旋門賞であると認識しております。なにせアイネスフウジンは今年国内のGⅠを勝っていませんから……そのことにご不満がある方もいらっしゃるでしょうけども、私がそれに対してどう思ってるか申し上げれば批判の的になるであろうことは明確ですので少々避けさせていただきたく存じます」

 

 会場からは笑いが起きる。嘲笑の類ではなく単純な失笑だと言っていいだろう。みな、自分の都合のいいようにそれを解釈したからだ。

 

「さて、私もアイネスフウジンも名門とはとても言えない市井の出身でありまして、そんなアイネスフウジンが凱旋門賞を獲ったことで、去年の日本ダービーのときにも起こりました寒門からの期待の声が増したわけですけども、そんな寒門の方々に私から言いたいことがございます」

 

 と、ここで網は一度言葉を切る。テレビで中継を見ている寒門のウマ娘たちが、次の言葉を待つ。何を言ってくれるのかと。

 しかし、網の発した言葉は、ある意味彼女たちの期待を裏切る言葉だった。

 

「皆さん、現実を見てください」

 

 梯子を外すような冷徹な言葉に会場がザワつく。それを理解した上で、網は続けた。

 

「勘違いしていただきたくないのですが、決して夢を見るなと言っているわけではないのです。ただ、アイネスフウジンという前例だけを目標にして進めば、挫折したときの苦痛はそれこそ再起不能なまでに大きくなるでしょう。現実を確認して、自分にできることをひとつずつ飛ばさないでやってください。失敗してもやり直せるように少しずつ。アイネスフウジンはそれをやったからここに立っています」

 

 甘くはないが実は確かにそこにある。網が伝えたいことはそれだった。

 甘い希望に縋るな。辛い現実を積み重ねて夢に届かせるのだ。自分たちはただ寒門にとって都合のいい旗印になる気はない。ついてくるつもりならそれ相応に厳しい現実を歩く覚悟をしろ。足りていないものを自覚しろ。

 

「私からは以上です。名門名家の方々からお叱りを受けそうで怖いのですが、一家秘伝の技でもなし、心構えくらいは共有してもよいのではないかと思い、この機に話させていただきました」

 

 網が一礼して壇上から降りると、真っ先に拍手を返したのはメジロ家の総帥だった。

 続いて、ニシノ家、トウショウ家、シンボリ家が続き、拍手は会場中に広がった。

 苦い顔をする者もいたが、それを表にはしない。

 

 その後、しばらくの歓談を経て、表彰式は閉幕したのだった。

*1
現実では1月に前年度の表彰が行われるが、この世界線では諸々の兼ね合いで年明け前に済ませていることにする。

*2
史実での当時は短距離における成績の優秀な馬が選ばれる賞であったが、2008年より選考基準が1600m以下に変更されたため、本作ではそれを採用する。




 結局のところ何が言いたい回だったんだこれ?????

 多分ゲタがまだ生きてられる理由とか。


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オグタマライブ ??/12/31

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいどー』

『まいど〜』

『まいど』

『まいどー』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今日は前回言った通りURA賞受賞者たちがゲストで来てくれよったでー。ほれ、挨拶せい」

 

「まいど〜! 最優秀シニアウマ娘兼年度代表ウマ娘のアイネスフウジンなの〜!」

 

「おー! ツインターボだぞ!」

 

「ウェーイ! ダイタクヘリオスでーっす!!」

 

「まいど。最優秀ジュニアウマ娘に選ばれました、ミホノブルボンと申します」

 

「まいどー。最優秀ダートウマ娘のハシルショウグンです」

 

「まいど! わたくしシンボリ家の末席を汚しております、シンボリクリエンスと申します! この度は最優秀障害ウマ娘をいただきました!」

 

「ふたりほどお約束を理解してくれへんかったけど気にせんと続けるで」

 

『メンバーがだいぶ自由だな……』

『クリエンスってどうなん?』

『シンボリ家のなかでは割と自由なほう』

『自由っていうかド天然』

『爆逃げふたりは通訳必須だろ』

『フー姉ちゃんが頼り』

『ハシルショウグンとミホノブルボンのキャラがよくわからん』

 

「言うて今回はなんかノルマがあるわけではないから、募集しとった質問を消化しながら年明けるまでのんびり雑談してくで」

 

「ではひとつめの質問だ。『正直アイネスフウジンが受賞したのが納得いかない。凱旋門賞はすごいけど、国内の賞は国内レースで決めるべき。春天1着に秋天有2着のメジロマックイーンのほうが相応しいのではないか』」

 

「なぁホンマにええんか!? 場合によってはウチもう逃げんでこれ!!?」

 

『質問する方もする方だけど選ぶ方も選ぶ方だろ』

『真っ向から喧嘩を買っていくスタイル』

『おっ? ゲタか?』

『ゲタくん最近気持ち悪いくらい大人しくて気持ち悪い』

『一気にひりついたと思ったけどなんかひりついた顔してるのクリエンスだけで芝』

『クリエンスが「え? 怒るところじゃないの?」みたいな顔しとるやん』

 

「えっ、これわたくしがおかしいのですか!? 普通憤りますよね!?」

 

「せやんな!? これ結構な暴言やんな!? なに平然としとんねん!!」

 

「いや、なんか怒るより先に『わぁ、本当に言われた』っていう感動みたいなのが来てるの」

 

「本当にってなんやねん」

 

「トレーナーが『絶対こういう批判来る』って言ってたの。それに、トレーナーが言ってたやつのほうがよっぽど暴言なの」

 

「あの黒いのがなんて言うとったんや。なんや聞くん怖いねんけど」

 

「『実力で勝ち取った研鑽の証である凱旋門賞のトロフィーが手元にあるのに、URAのお歴々や記者の方々の考えひとつで貰えるか貰えないか左右されるような賞ってそんなに欲しいものですか?』みたいな……」  

 

「やめやめやめやめ!! 四方八方に喧嘩を売り歩くなぁ!!」

 

『芝』

『あんまりにもバッサリで芝』

『怖いものなしか?』

『発言が名家とかのそれなんよ』

『ライブ放送でコレ言うの一種のテロでしょ』

『危険と呼ぶか、冒険と呼ぶか』

『危険でしかねえよ』

『何が笑うって黒い人が言ってるところをありありと想像できるとこよ』

『あと条件だけ考えると顕彰ウマ娘も当てはまるのが芝』

『これでURAがキレたら貰えなくなるのはウマ娘なんだからちょっと考えなしすぎない?』

 

「あ、それに関してはチームメンバー全員『どうしても欲しいかって言われると別に』で意見が一致してるから問題ないの」

 

『あってくれよ』

『こんな怖い類友そうそうねえぞ』

『今《ミラ》のメンバーでわかってるの誰よ』

『フー姉ちゃん、タボボ、ネイチャ、お米ちゃんかな?』

『表彰式のとき茶髪のちっさい娘いたけどあれは違うんか?』

『あの灰○哀みたいな娘?』

『言うほど似てるか?』

『タボボはそもそもその辺り理解してない。ライスは見た感じ滅茶苦茶マイペースだから気にしないタイプか? そんでネイチャは……なんだろう』

『わからん。こだわりないのかね』

『ひとりで現役4人と推定デビュー前ひとりの面倒見てんのなんなんだ黒い人……』

『ヘリオスうるせぇ!』

『ヘリオスげらげらで芝』

『クリエンスがカルチャーショックで思考停止してる』

『タボボの相手してるショウグン癒やしか』

 

「まぁ、言われてみれば金にもならんしな……いや、ネームバリューとかあるやろ。のちのち講演会とか呼ばれる可能性は高いほうがええんちゃうんか?」

 

「凱旋門賞ウマ娘に優るネームバリューって早々あるの?」

 

「それ言われると弱いなぁ……それこそ無敗三冠とか欧州三冠になってきそうやわ」

 

『元貧乏族の生々しい金の話……』

『これ以上追及すると本当に価値がわからなくなり始めるからやめよう!』

『次だ次!』

 

「ではふたつめの質問だ。『皆さんはデビュー前どんなトレーニングをしていましたか』」

 

「これはアレやな。最近基礎を固める論が流行っとるから、本当に強いやつはどないなんか〜ってことやろ」

 

「チーム《ミラ》は大体みんな水泳から始まるの。全身の筋肉をまんべんなく鍛えながらスタミナをつけるためなの」

 

「意図としてはシンボリ家でも似たような感じですね! 主に自重(じじゅう)トレーニングが多いですが!」

 

「地方でも、まずは体作りからってことで自重トレーニングとか、全身運動から始めますね」

 

『チーム《ミラ》と名家、地方の見解が一致』

『地方は名家名門が行くことは少ないから、中央より基礎のところからキッチリ教え込むのかね』

 

「私は坂路訓練からはじめました。現在は、坂路訓練を中心に足りない部分は別のトレーニングで補う形をとっています」

 

『坂路訓練か……』

『めっちゃキツくない? あれ』

『黒い人が故障はしにくいから効率的って言ってたな』

『ブルボン鋼メンタル説』

『これが努力の才能かぁ……』

 

「あの〜……ウチ普通に走ってたんスけど……初っ端から……」

 

『芝』

『芝』

『芝』

『ヘリオスはそうだろうなって安心感があるな』

 

「次の質問だ。『以前の放送で、網トレーナーの素はかなりやんちゃと言ってましたが、実際どんな感じなんですか?』」

 

「これもこれで勝手に言ってええやつなんか?」

 

「特段どうしても隠したいってわけじゃなくて、半分くらい癖になってるらしいの」

 

『同室の子があからさまに背筋正して芝』

『案の定人気ランキング上位に食い込んできたからな』

『多少過激なこと言っても人気出るわあんなハイスペック』

 

「えっと、全体的に世話焼きなヤンキーみたいな感じなの」

 

「世話焼きなヤンキーて」

 

「口調は荒っぽくて、余裕綽々な感じなの。性格そのものは変わってないから、素って言ってもそれだけなの」

 

『あーギャップあっていいな』

『だめだ想像できん』

『デジたん任せた!!』

『コミケ終わった直後にそれは鬼で芝』

『ナマモノは流石に……』

『でもアリよりのアリ』

『あーいけません! エッチ過ぎます!』

『どこまで乙女ゲー属性を盛るんだ……』

『世の中不公平だよな……』

 

「それチームメンバーはみんな知っとるん?」

 

「んー、多分知らないと思うの。あたしとタボボちゃんだけ。ネイちゃん以降のメンバーが居る時は敬語だし」

 

「ふむ、メンバーだから見せるというわけでもないのか」

 

「あたしは身内の方と電話してるときに聞こえて偶然知ったの。タボボちゃんはスカウトの時からで、こういうタイプは敬語を使うよりこっちのほうが伝わるからって」

 

『へー、その程度の切り替え基準なのね』

『じゃあ敬語やめてって言ったらやめてくれんのかな』

『どっちも捨てがたくて……』

 

「次の質問。『ターボとショウグンは仲がいいみたいだけどいつ知り合ったの?』だそうだ」

 

「去年の6月ですね。ターボのメイクデビューってダートだったから大井に来たんです。その時にわたしから声をかけて知り合いました」

 

「こう言ったらなんやけど、ようこれに話しかけよう思たな」

 

『本当になんなのは芝』

『火のタマストレートなんな』

 

「さて、そろそろゲームでもやるか」

 

「質問やら雑談やらだけでウン時間繋ぐのしんどいからなぁ……」

 

『ついにガチでウマチューバーみたいなこと始めるやん』

『そもそも雑談だけだとヘリオスが最悪笑ってるだけになりそう』

『ブルボン機械破壊体質って聞いたけど大丈夫?』

『何その体質、世紀末か?』

 

「はじめてのやつもおるし、操作感とか関係ないゲーム選んだから平気やろ」

 

「はい。それに、今回は配信機材などの機械類が多数あると事前説明がありましたので、ゴム手袋を用意し対策してきました」

 

「そういうわけで一発目はこの電車で全国回って物件を買い漁る貧乏神のゲームやるで」

 

「二人一組になり、ターン毎に交代ということになる。チーム分けは……」

 

 

 

 ここから先は有料コンテンツになります。入場チケットをご購入の上で再入場してください。




ないよ、続きないよぉ!!


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【番外編】チーム《ミラ》+αの現ステータス

 以前「ゲームでのステータス表記はたまにやってくれるとわかりやすくてありがたい」とコメントにあったのでやってみます。
 レースではその他補正も諸々乗りますので参考程度に見てください。


アイネスフウジン 育成期間満了

スピード:S+

スタミナ:S

パワー:SS+

根性:SS+

賢さ:A

芝:S 洋芝:A ダート:E

短距離:D マイル:S 中距離:S 長距離:D

追込:G 差し:G 先行:B 逃げ:S

 

《中山レース場○》

《東京レース場○》

《京都レース場○》

《札幌レース場○》

《パリ・ロンシャンレース場○》

《コンセントレーション》

《先駆け》

《アルピニスト》*1

《じゃじゃウマ娘》

《決死の覚悟》

《急転直下》*2

《脱出術》

《スピードグリード》

《布石》

《遊びはおしまいっ!》

《一声風靡》

 最終直線で前後どちらかに他のウマ娘が近づくと、勝負に勝とうとして前へ踏み込む。

《愛成風神》

 残り300m以降で競り合うと、培ってきた絆が追い風となり速度がすごく上がる。

 

ツインターボ シニア期

スピード:A

スタミナ:C+

パワー:B

根性:S+

賢さ:D

芝:A 洋芝:C ダート:B

短距離:D マイル:B 中距離:A 長距離:B

追込:G 差し:G 先行:G 逃げ:S

 

《中山レース場◎》

《東京レース場◎》

《道悪の鬼》

《大逃げ》

《円弧のマエストロ》

《弧線のプロフェッサー》

《湾曲のスペシャリスト》*3

《逆落とし》

《勢い任せ》

《登山家》

《末脚》

《ターボエンジン全開!》

 ゲート内でレースへの情熱を燃やし、スタートダッシュがうまくなる。*4

《█████████████》

 レース終盤に████████と██████が████を再び吹かし、████て██████。現在使用不可。

 

ナイスネイチャ シニア期

スピード:C+

スタミナ:B+

パワー:B

根性:C

賢さ:SS

芝:A 洋芝:C ダート:F

短距離:G マイル:D 中距離:A 長距離:A

追込:B 差し:S 先行:A 逃げ:B

 

《中山レース場◎》

《東京レース場◎》

《京都レース場◎》

《差しの達人》*5

《先行のコツ○》

《八方睨み》

《独占力》

《魅惑のささやき》

《逆落とし》

《かく乱》

《見惚れるトリック》

《惹かれるトリック》*6

《逃げ焦り》

《逃げけん制》

《逃げためらい》

《先行焦り》

《先行けん制》

《先行ためらい》

《先行駆け引き》

《差しけん制》

《差し駆け引き》

《追込焦り》

《追込けん制》

《きっとその先へ……!》

 

ライスシャワー クラシック期

スピード:C

スタミナ:B

パワー:D

根性:B+

賢さ:D

芝:A 洋芝:C ダート:E

短距離:D マイル:C 中距離:A 長距離:S

追込:E 差し:B 先行:A 逃げ:B

 

《根幹距離◎》

《非根幹距離◎》

《食いしん坊》

《コーナー回復○》

《ペースキープ》

《スタミナキープ》

《逆落とし》

《ウマ込み冷静》

《直滑降》

《████████████》

 

ナリタタイシン デビュー前

スピード:F+

スタミナ:G+

パワー:F

根性:E+

賢さ:E

芝:A 洋芝:B ダート:G

短距離:F マイル:D 中距離:A 長距離:A

追込:B 差し:B 先行:C 逃げ:F

 

《一匹狼》

《おひとり様○》

《追込のコツ○》

《垂れウマ回避》

 

 

 

 

イブキマイカグラ シニア期

スピード:B+

スタミナ:A

パワー:B

根性:C

賢さ:A

芝:A 洋芝:D ダート:E オンロード:A

短距離:C マイル:S 中距離:A 長距離:A

追込:A 差し:D 先行:F 逃げ:G

 

《右回り◎》

《迫る影》

《強硬策》

《まなざし》

《下校の楽しみ》

《策士》

《演目・八岐酒宴神楽舞》

 レース終盤が迫ったときに後方にいると、嗜虐性が疼き近くのウマ娘からスタミナを吸収する。

 

レオダーバン シニア期

スピード:B

スタミナ:B

パワー:B+

根性:A+

賢さ:D

芝:A 洋芝:D ダート:F

短距離:G マイル:E 中距離:A 長距離:A

追込:D 差し:A 先行:B 逃げ:C

 

《差し切り体勢》

《全身全霊》

《深呼吸》

《逃げためらい》

《先行ためらい》

《110年早いし!》

 レース終盤が近づいている時に中団にいると百獣の王たる咆哮をあげて進出を開始する。

 

ハクタイセイ 育成期間満了

スピード:S

スタミナ:B

パワー:A+

根性:C

賢さ:C

芝:A 洋芝:D ダート:G

短距離:G マイル:E 中距離:A 長距離:A

追込:E 差し:A 先行:A

 

《根幹距離○》

《右回り○》

《真剣勝負》*7

《スピードスター》

《食い下がり》

《白き一太刀、道と成りて》

 最終直線で前の方にいると芦毛の呪縛から解き放たれ、吹雪の中を前へ踏み込む。*8

 

ダイイチルビー 育成期間満了

スピード:B+

スタミナ:D

パワー:S

根性:SS

賢さ:C+

芝:A 洋芝:D ダート:F

短距離:A マイル:A 中距離:D 長距離:G

追込:A 差し:A 先行:C 逃げ:F

 

《直線一気》

《豪脚》

《電撃の煌めき》

《抜け駆け禁止》

《Bloody Jewelry》

 最終直線で後ろの方にいるとき、華麗なる一族の血が沸騰してゴールまで速度をすごく上げ続ける。

 

ハシルショウグン シニア

スピード:A

スタミナ:C

パワー:A

根性:B

賢さ:C

芝:B 洋芝:B ダート:S

短距離:C マイル:B 中距離:A 長距離:E

追込:G 差し:B 先行:A 逃げ:F

 

《大井の申し子》

《チャート急上昇!》

《レースプランナー》

《臨機応変》

《Galloping General Girl》

 レース終盤に十分な体力を残したまま前の方にいると加速力が上がる。

*1
《登山家》上位スキル

*2
《逆落とし》上位スキル。下り坂でスタミナ回復。汎用。

*3
《中距離コーナー》上位スキル。

*4
《コンセントレーション》+《先駆け》程度の効果。

*5
《差しのコツ○》上位スキル。

*6
《トリック(後)》上位スキル

*7
《真っ向勝負》上位スキル

*8
《〇〇ためらい》+速度加速複合




 デバフネイチャはキラキラが欲しい面白いよね。


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かしまし娘たちと花と空

 遅くなりました。
 ニシノフラワーの年齢設定は非公式です。


 ニシノフラワーは8歳である。無論、中央のウマ娘トレーニングセンター学園は中高一貫校であり大学施設も併設されているが、初等部は存在していない。

 しかし、ウマ娘は中等部級の学力と本格化の兆しがある場合、特例として跳び級が認められている。

 名家ニシノ家に生まれた、高等部級の学力を持つ神童(ギフテッド)であり、阪神ジュベナイルフィリーズを制した麒麟児(タレンテッド)。それがニシノフラワーであった。

 

 ニシノフラワーという少女を一言で表すならば、十人中十人が"天才"と答えるだろう。それは大まかに言えば正しいがより突き詰めると間違いだ。彼女は天才であり、なおかつ秀才である。

 無論、それがギフテッドのギフテッドたる所以なのだが、その強すぎる好奇心と研鑽思考は彼女の能力を飛躍的に高める反面、同年代との感覚に隔絶を生んだ。

 クラスメイトは彼女のことを理解できず、彼女もまたクラスメイトのことを理解できない。ただでさえ名家の生まれという格差が存在する中で、それは決定的だった。

 そして彼女は4年という歳月を飛び越えて中央トレセン学園の門を叩いた。日本最高峰の競争ウマ娘養成施設。年上ばかりのこの環境ならば、何か新しいものを見つけられると信じて。

 

「フラワーさん!!!! この学級委員長たる私と昼食を共に食べませんか!!!!?」

 

 そして知った。知能指数と年齢に相関関係はない。

 

「バクシンオーさん、あんまり大きな声を出すと皆さんに迷惑ですよ?」

 

「ちょわっ! これは失礼! 私としたことが委員長みのないことを!」

 

 依然としてサクラバクシンオーの声はデカいのだが、ニシノフラワーの顔に浮かんでいるのは慈愛だ。ニシノフラワーはこのトレセン学園で母性に目覚めていた。

 ニシノフラワーとこの壊れたスピーカーことサクラバクシンオーは、短距離(スプリント)路線を争う好敵手である。ただし、1000m(短距離)1600m(マイル)という幅を走るマイラーでもあるニシノフラワーに対して、サクラバクシンオーは1200m以下、長くても1400mが限界な生粋のスプリンターなのだが。

 一昨年の選抜レースまでは、ここにミホノブルボンを加えた3人が短距離路線の覇権を争うとされていたのだが、そのミホノブルボンがまさかのクラシック路線を選び、あまつさえ朝日杯とホープフルステークスを連勝してしまったのだから、世の中何が起こるかわからないものである。

 

「そうです!! ここはブルボンさんも誘って短距離の良さを啓蒙し、スプリンターも目指すよう説得しましょう!!」

 

「へぇえ!? いや、む、無理だと思いますけど!? 何度断られたんですかバクシンオーさん!?」

 

 2進数を用いても両手では足りない程度の回数である。しかし、そんなニシノフラワーの指摘に対してサクラバクシンオーはしたり顔で返す。

 

「フッフッフ、わかっておりますともフラワーさん!! このサクラバクシンオー同じ轍は踏みません!!」

 

「4桁踏んでるんですよ! (わだち)どころか立派な道ができてるんですよ!」

 

「よく思い出してくださいフラワーさん!! 私はスプリンターを目指すよう説得するのではありません、スプリンターも目指すよう説得するのです!!」

 

 まず自分が断られた回数思い出してと言いかけて、反射的にその言葉の意味を考えるために閉口したニシノフラワーに思考時間を与える気などないと言わんばかりの立て板に水でサクラバクシンオーは続ける。

 

「クラシック三冠を目指すその意志はもちろん尊重すべきです!!! しかし、それは決して短距離を諦めるということにはなりえません!!! クラシック三冠をとりつつ、短距離のGⅠにも出ればいいのです!!!」

 

 自信満々に言い放つサクラバクシンオーにニシノフラワーは言葉を詰まらせる。それがどれだけの苦難なのかわかってて言っているのかわからずに言っているのかは判断できないが、少なくともわかっているニシノフラワーからしてみれば、「不可能」と切って捨てることができない言葉だった。

 『比較不可の野武士(アンタッチャブル)』と、かつてそう呼ばれたウマ娘は、重賞という概念の根付いていなかった神話時代において、朝日杯フューチュリティステークスの前身こと朝日杯ジュニアステークス(1600m)春の天皇賞(3200m)京都記念(2400m)、スプリンターズステークスの前身こと英国フェア開催記念(1200m)と、全距離区分の重賞級レースを制覇しているのだから。

 

「それでは私!!! 学級委員長みずからブルボンさんを誘うため、一度教室へ戻ります!!! いざ、バクシンバクシーン!!!」

 

「あっ、ちょ、バクシンオーさん!? 廊下は全力では走っちゃいけませんよー!?」

 

 ニシノフラワーが教養が枷になるという初めての体験をしている間に、サクラバクシンオーはあっという間に廊下の向こうへ消えた。

 無性に不安に駆られたニシノフラワーは、速歩(はやあし)程度の速度でサクラバクシンオーの向かったであろう彼女たち高等部の教室へ向かう。

 定期的に勉強会の講師として高等部のウマ娘たちに勉強を教えているニシノフラワー(8)は、当然高等部にもかなりの数の知り合いがおり、「フラワーさんこんにちは〜」だの「またヘリオス?」だの「フラワー様ああ! 微分無理だよおおお! わかんないよおおお!」だのと声がかかる。

 知り合いに挨拶を返し、赤点『追試』行き(無理ニングチケット)をスルーしながらサクラバクシンオーのいるはずの教室へ入る。するとそこにはサクラバクシンオーとミホノブルボンの他にライスシャワーもいた。

 

「がああああ」

 

 サクラバクシンオーはミホノブルボンにアームロック*1をかけられていた。

 

「モノを食べる時は、誰にも邪魔されず自由で、なんというか、救われていなければダメなんです。独りで静かで豊かで……」

 

「折れます!!! 私の委員長アームが!!! ポッキリと折れてしまいます!!!!」

 

「ブルボンさん! それ以上いけない! 流石に!」

 

 これが高等部である。

 唐突に目の前に現れた、温厚なはずの友人が見せたバイオレンスな光景。それによって思考が完全に停止したニシノフラワーを救ったのは、彼女が磨き続けてきた教養だった。

 

「ブルボンさん!! ロボット三原則は!!?」

 

 なんかズレてはいたが結果的にサクラバクシンオーの腕は助かった。

 

 

 

 結論から言うと、ミホノブルボンを食事に誘うのは失敗した。

 

「食事中の談笑は咀嚼効率の低下を招きます。エネルギーの効率的な吸収のため、十分な咀嚼は重要なファクターであり、妨げられるべきではないと判断します。私は食事を完了させてから合流しますので、皆様は先に歓談を開始していてください」

 

 ミホノブルボンの主張はもっともだった。ミホノブルボンは言及しなかったが、行儀作法の面でもあまりよろしくない。ニシノフラワーは古くは華族に連なるニシノ家の生まれであり、そのあたりは当然厳しく育てられていた。

 

「でも、それじゃあブルボンさんどこで食べるの?」

 

「西校舎一階の職員用ラバトリーは使用頻度が低く比較的清潔であり、単独での食事には向いています。職員用と銘打っていますが、生徒が使うことを禁止してはいないことも確認済みです」

 

「私、昼食時間は寮室に帰らないようにしますから寮室で食べてください!」

 

 ごく普通に便所飯を受け入れる同室の住人に対するニシノフラワーの懇願は功を奏した。

 

 そして現在、全員の食事が終わり食堂での談笑中、ミホノブルボンが持っていたストップウォッチへと話題が移った。

 ミホノブルボンは磁気か電気かはわからないが、一般的な人間より強い何かを発生させる体質*2らしく、それが原因で精密機器類が壊れることもままある。もちろん、触れるものオールブレイクというわけではないが。というより、そんな存在が現代文明で生きていくのは無理だ。

 そんなミホノブルボンがアナログ式でなくデジタル式のストップウォッチを持っていたのは、体内時計を鍛えるトレーニングに使っているということだった。

 

「文字盤を視認せずに、一定の秒数で停止させるというトレーニングを、タスクの余暇を使って実行しています」

 

「ブルボンさんの走法って、体内時計重要ですもんね」

 

「なるほど!!! でしたら折角ですし、誰が目標に近い秒数で止められるかで勝負をしませんか!!!?」

 

 声はデカいがサクラバクシンオーの提案はまともなものだった。ストップウォッチ機能はウマホであればデフォルトでついているので、新たに何かを用意する必要もない。

 そうして始まった30秒チャレンジ。5回勝負の結果、ミホノブルボンに軍配が上がった。5回全てで誤差0.03秒以内。流石にレース中の茹だった頭ではまた結果も変わってくるだろうが、平時であればほぼ絶対的な体内時計を持っていることが証明された。

 次いでニシノフラワー。最初の一回こそ3秒ほどのズレが出たが、それ以降は1秒以内に収める学習能力の高さを見せつけた。

 そしてサクラバクシンオーはある意味予想通りというか、平均して5秒前後早いタイミングで時計を止めていた。しかし、それでも彼女は最下位ではなかった。

 

「あはは……」

 

 苦笑いをこぼすライスシャワー。ウマホに示された秒数は、47秒。17秒オーバーである。5回平均で13秒程度の遅れを記録したライスシャワーが、ぶっちぎりで最下位となった。

 

「なるほど!!! ライスさんはかなりのんびり屋さんなんですね!!!」

 

 サクラバクシンオーの評価はまさにと言った感じだろう。事実、ライスシャワーの間の取り方とか、時間感覚は独特であったりする。

 そんな折、ニシノフラワーはもしかしてと閃いたことを聞いてみる。

 

「えっと、皆さん細い通路とかで、前から歩いてきた人とお互いに道を譲り合って、左右に往復することってありませんか?」

 

「えぇもちろん!!! 学級委員長ですから道を譲るのは当然です!!!」

 

「私も経験したことはあります。数度試行したのち、タスク『待機』を実行しています」

 

 この現象はおおよそ共感できるものではないだろうか。特に日本人はこういった経験は多いと思われる。

 

「へぇ〜、そんなことあるんだ……」

 

 しかし、どうやらライスシャワーにはない経験だったようだ。曰く、いつの間にか前から来た人がどちらかに避けているので、自分は反対側を歩くとのこと。

 

「じゃあ、会話の切れ目に誰かと話し始めるタイミングが被ったことは?」

 

「はい。多くはありませんが存在します」

 

「私もたまにありますよ!!!」

 

 ミホノブルボンはそもそも普段自己主張が多くはない。そのため、話し始めが被ることも少ないのだが、対するサクラバクシンオーは声がデカいため被ったときも相手の声が聞こえずに気がついていないだけである。

 

「えっと……ライスはないかな」

 

 そしてやはり、ライスシャワーには心当たりがなかった。

 ここに来て、ニシノフラワーはライスシャワーの不幸体質の原因に思い当たった。ライスシャワーは他者と比べて生きるリズムが著しく異なっているのだ。

 ライスシャワーの遭遇する不幸のほとんどは、このリズムのズレが起因している。

 電車の発着時刻はある程度乗客の利用時間にあわせて決められているし、信号機の変わるタイミングは交通状況などのデータを集約して決められている。そのデータから外れた値であるライスシャワーは自然と合わないタイミングに遭遇していた。

 雨については、ライスシャワーの生活リズムが天気予報の放送タイミングとあわず、そのマイペースさからウマホなどで天気予報を確認することも、事前に傘を持って出かけることもしないことが原因だ。

 商品の売り切れは言わずもがなである。

 

 極度に精神の太いマイペースから来る、間の悪さ。それが一般人とのズレを生み、社会のリズムから微妙に外れることが彼女の不幸の根幹にあった。

 当然、それに加えてマイナス思考も理由にあったのだろう。確証バイアスである。事実、周囲の不幸まで自分のせいにしていた黒歴史の頃に比べ、ライスシャワーは自身に降りかかる不運を気にしなくなってきている。

 

 そして、その独自のリズムからくるマイペースさと図太さは、レースにおいては強い精神力という大きな武器になる。特に、自分のペースを貫くことを強く要求される長距離レースでは。

 ライスシャワーの最も大きな武器は、豊富なスタミナではなくこの強靭なメンタルなのだ。

 

(それを見抜き、早期からステイヤーに振り切ったトレーニングを指示した鑑識眼と、クラシック期の前半から海外の長距離重賞レースに出走させることを躊躇わない決断力。チーム《ミラ》のトレーナー、網怜。得難い人材ですね……)

 

 ニシノフラワーは、名家の生まれである。

 たとえ、気の置けない友人たちとの団欒の最中であっても、それは決して変わることはない。自分の一挙手一投足が、家の未来に関わるのだから。

 

(利用するわけじゃないですけど。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 純粋に友情を求める子供としてのニシノフラワーと、家の利のために打算を張り巡らせる令嬢としてのニシノフラワー。そのふたつは相反するものではない。

 だから、悪意の坩堝である上流階級の世界は、ニシノフラワーには荷が勝ちすぎている。それでも、求められているからにはやるしかない。

 

「だーれだっ」

 

「ひゃあっ!?」

 

 ニシノフラワーの視界が塞がれる。後ろからは聞き馴染みのある声。ニシノフラワーはもぞもぞと自分の目を覆っている手を外しながら声の主に応える。

 

「もー、こんなことするのスカイさんだけですよー」

 

「えー? そうかなぁ。そうでもないと思うんだけど〜」

 

 セイウンスカイ。ニシノ家の分派、あくまで名家ではなく名門として技だけを継承する、セイウン組の門弟であり、ニシノフラワーの幼馴染みで、親姉妹を除けば最も関係の近い存在でもある。

 しっかりものでありながらまだまだ子供の域を抜けないニシノフラワーと、一見不真面目に見えるがその実抜け目のないセイウンスカイとは、非常に噛み合ったコンビだった。

 

「いや〜、先輩方いつもフラワーがお世話になってまして、セイちゃんまことに感謝感激雨霰ですよ」

 

「もうっ、自己紹介くらいちゃんとしてよー」

 

「あはは……大丈夫、お世話になってるのは間違いなく全面的にライスたちだから……」

 

 この学年でニシノフラワーにお世話になっていないウマ娘はそろそろ4割を切る、大人気講師(8)である。

 

「それで、なんのようなんですか? スカイさん」

 

「ん? 別になにもないよ〜。強いて言うなら耳飾りがちょっとナナメになってたから直してあげただけ」

 

 そんな風におどけてから、セイウンスカイは「じゃね」と軽く手を振って去っていった。雲のように掴みどころのない、それこそライスシャワー並みにマイペースな少女であることは、彼女が細かな騒動に関わることが多いためか比較的有名である。

 

「……そろそろ昼休みも終了時間になります。午後からのトレーニングにむけて準備に入りますので、お先に失礼します」

 

「あ、そだね。それじゃあこの辺りで解散ってことで」

 

「そうですね!!! それでは私もリギルの集会へ行ってまいります!!! それではまたっ!!! バクシーン!!!」

 

 各々が次の予定のため席を立ち、ニシノフラワーもそれに倣って食堂を出る。途中、彼女が立ち寄ったのはお手洗いであった。

 食堂から一番近いトイレではなく、理事長室から近いトイレ。そこは来客が使うことが多いため、学園で唯一隙間がなく完全に区切られている個室があるトイレだった。

 完全に密室になったことを確認して、ニシノフラワーは手の内にあったそれを取り出して広げた。

 

 それは端的に言えば、紙の帯だった。1cm程度の幅がある、数十cmほどの帯に、ズラッと不規則に平仮名が並んでいる。紙の帯に対して横書きに見えるが、それだと文章にはなっていない。

 先程、目を塞がれた際にセイウンスカイから受け取った『別になにもない』、つまり緊急性のない定時報告である。一見すれば、それは意味のない落書きにしか見えない。

 

(一寸(ちょっと)で、(ナナ)めでしたよね)

 

 ニシノフラワーはポシェットから数本の木の棒を取り出すとそのうちの一本、『3.03cm』と書かれた七角柱を選び、その角に紙の帯の端をあわせてくるくると、やや斜めになるように巻いていった。

 一寸(3.03cm)の幅がある7面それぞれに1文字ずつ平仮名が割り振られていき、全て巻き終わる頃には棒に沿って縦書きの文章が浮かび上がっていた。

 

(ちゅういたいしょうしゅうへん いまだうごきみせず。たいしょうほんにんにかげりなく とれえなあにもいろはみえず。かいごうにておやかたさま たいしょうほんにんにきけんなしとはんだん。こんごのこうりゅうけいぞくをきょか。ただしはいごかんけいはそのかぎりにあらず。ゆめゆめけいかいをおこたるべからず。あなたひとりのからだではあらぬゆえ)

 

 その報告にニシノフラワーは小さく安堵する。とある友人から向けられていた感情に裏がないであろうと判断され、これから先の付き合いを許可されたからだ。

 もちろん、友人となりうる者すべてがこのような審査を受けているわけではないが、その彼女の背後、すなわち関係者が少しばかりきな臭かったため、このような措置をとっていた。

 安堵すると同時に、もしも彼女がその背後とやらに利用され、自分に牙を向けたとなったときのことを考える。名家の令嬢として時に冷酷になることも必要だが、きっとその時、自分は非情な判断をくだせないとニシノフラワーは自覚していた。

 だから、できる努力は惜しまない。もしものその時に利用された彼女を救えるように、自分の手だけで足りないのなら、多くの人脈を繋いでみせる。

 

 ニシノフラワーは報告書を処理するために棒から外そうとして、最後の一文をよくよく見てみる。

 「貴女ひとりの体ではあらぬ故」、それは名家として、家の将来も背負わねばならないニシノフラワーへの戒めだろう。しかし、その文字には幾分かの躊躇が浮かんでいた。

 自分より歳下の幼馴染みに、重い運命を背負わせる呪縛をかけるその言葉を書くことへの躊躇い。ニシノフラワーよりもずっと冷静で賢しい判断ができるあの幼馴染みが見せる心の揺らぎ。

 それをしっかりと目に焼き付けて、少し微笑んだニシノフラワーは報告書を便器へと捨てて水を流す。水溶紙でできたそれはあっという間に溶けて流れて消えていった。

 

 1月中旬、花咲く春はまだ遠く、雲の隙間の空は青い。

*1
正確にはリストロックである。

*2
実在するらしいよ。




 おぼろげながら浮かんできたんです。フラウンスという単語が。

 正直()()辺りの話をしっかり描写すると(お馬さんではなく)馬主様のイメ損に繋がるのではないかと躊躇いがあります。
 だから多分、かなーりぼやかして、チーム《ミラ》が関わる部分だけ描写することになると思います。あしからず。


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" n "

 最近こいつ12時に更新してねえな。


 夕暮れ。本番前の最後の調整から戻ってきたトウカイテイオーを岡田が迎える。折れた骨は昨年内に繋がり、そこからここまではリハビリ。

 岡田とトウカイテイオーの判断。それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。トウカイテイオーの強さの根幹には、どうあがいても『テイオーステップ』があったからだ。

 その分トレーニングそれそのものの方向性を変えた。具体的に言えば、そして結果から見れば、そのトレーニングは網がチーム《ミラ》に施しているトレーニングメニューと似たものになっていた。

 すなわち、負担の少ないプール運動と、坂路での軽度の調整。そして、基本的には走らない、走ることで鍛えていた筋肉は別の方法で鍛える。レース以外での負荷を限りなく削る。

 そして、勝負服の調整。シンボリルドルフに寄せて作られていたデザインを一新して、脚の保護能力を上げた。衝撃の吸収を筋肉だけでなく、ブーツ全体で補うことで補強した。

 

 『テイオーステップ』そのものの調整は、レース中に行う。実際、今までの2回のGⅠで、トウカイテイオーはそのランニングフォームを研ぎ澄ませてきた。

 皐月賞ラストの強力な伸び、日本ダービースパートでの最適化、それぞれのレースでトウカイテイオーの強さは、半年のトレーニングを上回る飛躍を見せた。

 トウカイテイオーの肉体は()()()()()()。最高の仕上がりなのだ。必要なのは、それを正しく扱う技術であり、それはもはやレースの中でしか見つからない。しかも、その身を削り合うような接戦の中でしか。

 だから、ふたりの覚悟は決まった。怪我を承知で今までの走りを押し通し、洗練させる。小さな故障は許容する。その結果のブランク期間よりも、よほど大きいものを掴めるからだ。

 岡田の仕事は、その怪我をレース中に発生させないような調整と、致命的な故障にならないようなケア。再起不能になるような故障でなければ、トウカイテイオーは復活できる。それも、前より強くなって。

 問題があるとすれば、怪我をするたび岡田へは多くの批判が集まるだろうということだ。ただでさえトウカイテイオーの故障が原因で担当が交代したということになっているのだから。いわんや、調整に失敗して再起不能になったときなんて。

 

 先日の金鯱賞に、ライバルは出てこなかった。シャコーグレイドは故障で休養、レオダーバンとナイスネイチャ、イブキマイカグラは春の天皇賞に向けて調整、そしてツインターボは賞金額が足りているためトライアルに出走せず、大阪杯に向けて力を溜めている。

 接戦にも削り合いにもならず金鯱賞を勝ち抜いたトウカイテイオーは大阪杯に出られる。ツインターボが出走する大阪杯に。そしてその後は、春の天皇賞。

 金鯱賞のあとのインタビュー、ランニングフォームを変えていなかったことについて聞かれたとき、岡田とトウカイテイオーは自分たちの選択のすべてを話した。

 賛否は両論だった。否が多く岡田の目についたのは精神的に躊躇いが残っていたからだろう。

 

(……いや、ボクが批判されることなんてどうということではないんだ)

 

 岡田は決意を固めた表情のトウカイテイオーを見る。乱暴な言い方になるが結局のところ、ウマ娘は故障の恐怖からは逃げられない。

 無駄な故障はするべきではない。しかし、トウカイテイオーにとって故障してでもやるべきと判断するなら、それは必要な故障だ。

 トウカイテイオー自身がそれを覚悟している以上、トレーナーである自分が仕事を、批判から彼女を守ることを投げ出すわけにはいかない。それが、命さえ懸けて走っている彼女たちに示せる誠意だから。

 

 

 

 そして、4月5日、阪神レース場。大阪杯。先週行われたドバイゴールドカップでライスシャワーが先達を背に1着を手にし、ドバイワールドカップではハシルショウグンが世界の広さを前に7着と涙を飲んだその熱がまだ冷めやらぬ中での開催。

 出走者数は少なく7人。有名どころであればカノープスのホワイトストーンとイクノディクタスがいるが、両者ともにGⅠ勝利はなし。

 故に、本人たちにとっては非常に不本意であるだろうが、このレースは完全なマッチレースとなるだろうと多くの観客から――ホワイトストーンなどは本人さえ――考えていた。

 誰と誰のと聞かれれば簡単である。

 

 同世代ミドルディスタンス(2000m)の覇者、ツインターボ。

 復活のトウカイテイオー。

 

 1番人気は当然ながらツインターボ。2番人気に、療養明けでありながらも金鯱賞での()()()()を評価されてトウカイテイオー。

 世間の声の多くはこのTT対決に期待するもの。特にトウカイテイオーに注目するものには、フォームの改善をしないと決定した岡田を責めるもの、病み上がりのトウカイテイオーがツインターボ相手にどこまで食いつけるのか興味を示すもの、あるいはトウカイテイオーが勝てるのではないかと期待するもの。

 

(皐月とは真逆だ)

 

 くすりと笑って、トウカイテイオーは地下バ道を進む。赤を基調とした勝負服、先日の金鯱賞では、その少しばかり多い露出に対してファンからは「腹を冷やすなよ……」という感想が多かった上着と、不死鳥を思わせる炎のようなスカーフ。

 ブーツの素材は厚いものになり、内部構造は衝撃を吸収するものになっている。もちろんURAの規定以内だ。

 軽くステップを踏む。あの日と変わらぬ『テイオーステップ』。最適化によって跳躍は低く鋭くなり、力のベクトルは前へ向かったため落差での衝撃は幾分か軽減された。しかし今なお、その負荷は大きい。

 

「テイオー」

 

 声をかけられて、トウカイテイオーは振り向く。初めて会った時から大きく変わった周囲からの評価に拘わらず、その2色の瞳は未だにトウカイテイオーを自らのライバルであると認めている。

 トウカイテイオーはこのレースをマッチレースだと認識してはいない。敵は6人。なにより、自分は今は、いや、今()チャレンジャーなのだ。決して油断はできない。

 

「ターボ」

 

 それでも、やはり彼女を前にすると心が疼く。彼女に、ツインターボだけに勝ちたいと叫ぶ。

 自分だけじゃない。ツインターボもあの日から更に強くなっている。他に意識を割いたら負けると本能が警鐘を鳴らしている。

 

「テイオー。あたしを、見てるな」

 

 ツインターボが口角を吊り上げる。嬉しそうに、とても嬉しそうに。

 

「今日こそ、追い抜く」

 

 普段のツインターボからは考えられないほどに静かな宣言。それは、日本ダービーに聞いたものとほとんど同じものだった。

 

「あたしが、ツインターボが勝つ」

 

 それを聞いて、トウカイテイオーは思い直した。そうだ、その通りだ。誰かに負けない、ではない。自分が勝つんだ。

 だけど、それじゃきっと足りない。だから他の5人には頑張ってもらおう。自分は、トウカイテイオーはツインターボだけを見る。見てほしかったら、この視界の中に入ってこい。

 マッチレース上等、それが嫌なら自分の力で覆してみせろ。相手にされないと嘆く暇があるなら、その隙を食い破るくらいやってみせろ。目の前の青はそれをやってのけたぞ。

 トウカイテイオーは開き直ってツインターボを見据える。迷いはない。脚が壊れる恐怖も、皇帝に並べないという焦りもない。ただ、目の前のライバルに負けたくないという、勝利を望む本能。

 今なら、地の果てまで駆けていけそうだ。

 

「ターボ、ツインターボ。帝王を無礼(なめ)るなよ」

 

 どちらが上かは考えない。今からターフで決めるのだ。胸の炎が一際大きく燃え上がる。そのくらいしないとツインターボには勝てない。炎は、青いほうが熱いのだ。

 だから、あくまでも尊大に、不遜に、傲慢に言い放つ。

 

「絶対はボクだ」

 

 今ここに、3度目の戦いが始まる。




 また逆張り(テイオーのフォーム改善)してるよこの作者。
 いや、でも実際こうだと思うんすよ。調教師さんもこの走り方だから勝てたって言ってるし、賛否両論あっても多分こっちのほうがいいと思いました。(直前までどう改善するか考えてた顔)

 史実だと死ねどすさんとダイユウサクもいましたが、ダイユウサクは有で引退、死ねどすは流石にレース出過ぎということでお休みになりました。

 ライスの長距離レースはイギリスのGⅠまではナレ死です。

 今回は短いですがご勘弁ください。

 あとマスコミについてですが、ゲタ以外にもアレなとこはそこそこありますし、ちゃんとしてるとこもそこそこあります。ちゃんとしてるとこがアレな記事書くこともままありますし、逆もあります。
 これ書き始めたきっかけのひとつが、黒い人の「月刊タァ↑フさん!!」が頭から離れなくなったことなので、とりあえずその件までは引っ張りますがその後はマスコミの影は薄くなると思います。

 何故こんなこと言い始めたかというとエゴサしたからです。てか毎日してます。5回くらいしてます。TwitterとGoogleでしてます。しゅき。

 後書きが長いウェブ小説は廃れるというのが個人的な通説ですがどうか見捨てないでください。


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変わったもの、変わらないもの

 スタートは()()だった。

 "領域(ゾーン)"を発動したツインターボと全く同時、ゲートが開いたそのタイミングにトウカイテイオーはスタートを切った。天性の感覚、トウカイテイオーはやはり天才だ。

 ツインターボとトウカイテイオーとの距離がゆっくりと離れ、一度目の急坂でトウカイテイオーが失速し、差は5バ身から6バ身ほどになる。

 

(ターボに対して何を予想しても無駄だ。余裕を持って差し切れると思うな。ターボの限界なんてボクにはわからないんだ。あのトレーナーが何段の保険を仕込んでるのかなんて想像できない)

 

 皐月賞では事前の情報で撹乱され、日本ダービーでは危うく土壇場の覚醒にやられるところだった。そしてトウカイテイオーが出ていない秋の天皇賞では、完全な隠し玉でメジロマックイーンを封殺した。

 ツインターボを差そうと策を巡らせれば、それだけ袋小路に追い込まれる。相手は兵を指揮してこちらと読み合いをしてくる参謀ではない、こちらを一方的に罠へ追い込む策士だ。

 

(だから考えるのはどう差し切るかじゃない。ボクがこのレースで出せる最速タイムの出し方、どこまで速く走れるか……!!)

 

 ツインターボがレース(駆け引き)を拒否して駆けっこ(パワーゲーム)を望むなら、それを受け入れた上で押し通す。

 ツインターボのやり方に適応したトウカイテイオーに対して、ツインターボは変わらない。変われない。いつだって先頭に立って先頭を走り切る、そんなやり方をただひたすらに研ぎ続けてきた。少しでも最短距離を、少しでも最小の動きで、少しでも速く。

 仁川の第1、第2コーナーがやってくる。間が狭く繋がったヘアピンカーブ。坂こそないが、少しの膨らみが大きなロスに繋がる難所。

 

(思ったより引き離せてないっ!! テイオーも強くなってるんだ!! でもっ、まだまだ脚は軽いっ!! 息もできてるっ!! それに、ターボ曲がるのは得意だもん!!)

 

 ツインターボがコーナーに入る。目一杯体を傾けて、体が外へ膨れる前に内側へと蹴り込んで内ラチへ引きつける。最内の更に内、目の前を内ラチが通過していく限界まで。

 いつもやって来たことだ。狭い公園で走り回るには、小刻みに曲がることが必須だった。植えられた木や遊具すれすれを走ることもあった。必要だったから鍛えられた。

 トウカイテイオーはそれを驚愕しながらも冷静に眺める。コーナーで引き離されるのは予想していたし、それで掛かることはない。だけど、そんなコーナリングはトウカイテイオーにさえできないと確信した。

 

(だからって、独壇場にさせておくわけにはいかない!!)

 

 だから、トウカイテイオーは自分のやり方でコーナーを攻略する。柔軟な筋肉を活かし、緻密な体重移動をしながらも安定した体勢を保つ。ストライドの大きさによるコーナーの不利を埋めるように、そのストライドで通れる最短距離を見極める。

 それを後ろから追走するホワイトストーンは戦慄をおぼえていた。

 

(いやいやいやいや!! なによそれ!! そこまでやる!?)

 

 ツインターボとトウカイテイオーがほぼタイムアタックをしていることをホワイトストーンは知らない。だからこそ、自分の限界を引き出し続けるその走り方は自傷行為にさえ見えた。

 そして逆に、そんなふたりを淡々と、眈々と観察する目。レース前にこそ正攻法では勝てないと先行策を考えていたが、結局最も得意とする中団での勝負に決めた。

 

(無為な先行の奇策に出たところで彼女たちには届かない。かと言ってこのまま惰性で脚を溜めたところで彼女たちには及ばない)

 

 進退窮まる情況でイクノディクタスは分析する。レース中の酸欠の中でも脳へ酸素のリソースを回す能力はナイスネイチャに迫るであろうその思考回路で、勝利への道筋を()めつける。

 

(導き出される解はひとつ。限界ギリギリまで追い縋り、スパートと同時に私の限界を超えればいい)

 

 鉄の女は諦めない。自分の命を()け続けることにおいて、彼女の右に出る者はいないのだから。

 

 コーナーを抜けた向正面はほぼ平坦。完全な地力勝負での300m。スピードに乗りやすくはあるが、この先のコーナーは下り坂になっているため、ここでスピードを出しすぎるとコーナーでのブレーキが利かずオーバースピードで膨らむ。

 仁川の最終直線は中山ほど短くはないが決して長いとは言えず、最後の坂はトウカイテイオーにとっては不利に働くだろう。だから、この直線で少しでもタイムを縮めるのが理想だ。

 コーナー前での急減速にスタミナを削られずどこまで耐えられるか。そして、ツインターボにとってはどこまで距離を詰められずにこの直線をやり過ごせるか……ではない。

 中盤の距離の差なんてもはや関係ないことはツインターボだって理解できている。これはどちらが先にゴールできるかの勝負でしかなくなっているのだから。

 直線においてツインターボにできることは、ただひた走ることしかない。

 一方、トウカイテイオーはここで加速する。脚を多少使うことになるが、クラシックディスタンスをメインに戦うつもりであったトウカイテイオーにとって、ミドルディスタンスの2000mならむしろ脚は余る。

 

 そうやって縮められた距離は、コーナーによって再び開く。緩やかな下り坂になっている第3、第4コーナーをツインターボはやはり最短コースで駆け抜ける。

 しかし、それだけじゃない。

 

(ターボだって、強くなってるだけじゃない!! 巧くなってるんだ!!)

 

 コーナーに入ると同時に、ほんの少しだけ脚を緩める。ツインターボが、自らの意思で()()()()()

 前傾姿勢による重心先導の走り方で結果的に脚が溜まるそれではなく、息を入れることで能動的に脚を溜める技術を、ツインターボは覚えていた。

 それに気づいたトウカイテイオーは、笑った。

 

(なんで、こんなになるまで気付けなかったんだろう。ボクのライバルって、スゴいんだ……!!)

 

 トウカイテイオーも、神業と言える足さばきで緩やかなコーナーを下りながら脚を溜める。最終直線ですべてを出し尽くして、自分にとっての最速タイムをひねり出す。

 そして、トウカイテイオーがツインターボからわずかに遅れて最終直線へと突入したとき、その脳裏に過るものがあった。

 

(……あ……)

 

 それは、風化しかけていた記憶。相手を抜かすことではなく、自分のほうが速く走りゴールすることだけを考えて走っていた子供の頃の駆けっこ。

 いた。みんなが自分を褒めそやす中、普段は臆病なくせにいつまでも挑み続けて、結局一度も前を走らせずに勝ち続けてきた、鹿毛のウマ娘が。あの写真で肩を組んでいたあのウマ娘が。

 髪の毛の変色はウマ娘にとっては比較的珍しい現象で、個人差はあれどそのほとんどは、例えばメジロパーマーの写真に写っていたメジロアルダンのように、幼少期は一般的な毛色をしているケースが多い。

 トウカイテイオーは、皇帝との邂逅という強すぎる光に眩んで今の今まで思い出せずにいたその記憶の少女と、目の前のライバルをようやく重ねた。

 

『ゴールじゃなくてあたしにかつっていわせてやる!!』

 

『あたしを、このツインターボを見ろ』

 

『あたしを、見てるな』

 

 一度も見ることのなかった背中が、今はずっと目の前にある。

 

『いつかぜったい、おまえをぬかしてやる!!』

 

『トウカイテイオー。あたしはお前を追い抜く』

 

『今日こそ、追い抜く』

 

 なんてことない。追いかけていたのは自分だけじゃなかった。3度目なんかじゃない、本当の最初から、何度目かなんて覚えていないこの" n "度目の勝負まで、ツインターボはずっとトウカイテイオーを追いかけ続けてきた。

 トウカイテイオーが忘れていても、その姿を見ていなくても、ツインターボはずっと、トウカイテイオーを。

 涙が溢れそうになって、一瞬だけギュッと目を瞑り目の前を睨みつける。昔あのとき自分はなんて言っていた? 皇帝を前に膝をつく前の、正真正銘『無敵のトウカイテイオー様』は。

 

「『抜かせるもんか、お前なんかにこの(ボク)が』!!」

 

 瞬間、炎が燃え上がった。ストライドが更に大きくなる。脚のピッチがさらに上がる。地の果てまで駆け抜けるような、前へと向かう跳躍。

 ツインターボが息を止める。無理矢理末脚をひねり出す無呼吸運動。この日のために、制御できるまでに仕上げてきた。そのための、円弧での一息。

 

(私……だってッ!!)

 

 イクノディクタスが限界を優に超える。筋が千切れる音を聞きながら、骨の軋む音を聞きながら、目の前のふたりに追い縋る。

 痛みという体のアラームを振り切って、しかしそれでも届かない。今のふたりは、あまりにも()()()()()()()

 マッチレースだ、ふたりの駆けっこ(しょうぶ)なのだ。レースの神が「武士の情けだ、イクノディクタス」と叫んだ。

 

 ツインターボとトウカイテイオーの末脚は上がり続ける。先にゴールするのは、お前に勝つのは自分だと言わんばかりに。

 ふたりが並んだ。速さならばトウカイテイオーが有利だが、目の前には最後の急坂。ツインターボが坂に差し掛かって、ほとんど失速せずに登り始める。

 口は開いていないが、口の端からは泡が噴き出している。それでも前だけを見て、ただひたすらに脚を動かす。前を、ゴールだけを、まっすぐと見つめる視界の端に、陽炎が揺らめいた。

 

 それは、烈火の中だった。抜けるような青空ではない、身を焦がすような灼熱の中で、彼女は跳ぶのではなくただ駆ける。彼女は、トウカイテイオーはウマ娘なのだから。

 何度も聞いてきた『次こそは絶対に勝つ』がトウカイテイオーの頭の中を木霊する。そんな声に、トウカイテイオーはあの頃とは違う響きを以て答える。

 

「絶対は、ボクだ」

 

 トウカイテイオーの脚が斜面を捉える。なんてことはない、パワーが足りないのなら走り方で補えばいい。トウカイテイオーの十八番だ。

 柔軟な足首を存分に使い、登坂の最適解を導き出す。ツインターボがスタミナ不足を克服したように、トウカイテイオーも坂を攻略する。

 吹き上がる上昇気流のように加速したトウカイテイオーがツインターボの一歩前を行く。ツインターボの視界に映る、変わったのに変わらない背中。

 

 たった7人のレースとは思えないほどの歓声が降り注ぐ中、へろへろになってその場に座り込むツインターボ。

 勝ったけど違和感があった皐月賞と違う、負けたけど納得できたレース。悔しいけど、それだけじゃない結果。

 流れる汗を拭って息を整えるツインターボに、トウカイテイオーが手を差し伸べる。その顔には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいた。

 

「テイオー……次こそは、勝つ!!」

 

「『やれるものなら! ボクに勝てたら名前覚えてやるよっ』、だっけ?」

 

「!! っえへへへへへへははははははっ!!」

 

 トウカイテイオーから飛び出した懐かしい台詞に、ふたりの間に笑いが起きる。立ち上がったツインターボとトウカイテイオーが互いに手を掴んで、互いの健闘を称え合った。

 

「いやぁ……やっぱ別格っすわ、あのふたり……イクタスちゃん大丈夫? だいぶ無理してたっぽいけど」

 

「筋肉にいくらかダメージが残っていますが、骨に異常はなさそうです。この傷は、また成長を呼んでくれるでしょう」

 

 今回は届かなかったふたりを見ながら、イクノディクタスは心を燃やす。鋼は一度熱したら、なかなか冷めないのだ。主役はふたりだけではないのだと証明するために。

 

「ま、でも今はあの子達が主役っしょ。次どうかはわからんけどね」

 

「勝ちますよ、次こそ」

 

 歓声は鳴り止まない。戦いはまた、次の舞台へ。

 

 

 

「んじゃ、いっちょやってみますか、爆逃げ」




 皆さんの温かいコメントのお陰で今年一番の陽気になりました。コート着てったので普通に暑いです。手加減してください。


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オグタマライブ ??/04/05

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど〜』

『まいどー』

『まいどー』

『オグリのまいどたすかる』

 

「ちゅーわけで、今日は今年2個目のGⅠ、大阪杯の実況してくで」

 

「阪神レース場の右回り内側のコース、出走者数は7人だ」

 

『少ねえ!!』

『GⅠなのにこんな少ないことあるんだ』

『大阪杯は割と最近までGⅡだったからその時の感覚が抜けないトレーナーも多い』

『GⅠはGⅠなんだけど確かにブランドが違うみたいなとこある』

『出走者が出走者だしな』

『実質テイオーとターボのマッチレースだろ』

『テイオー民まだ夢見てんのか。いい加減目覚ませ』

『ターボは2000mならマックイーンにも勝ってんだぞ』

『マックイーンステイヤーじゃん』

『そもそも皐月賞で負けてんだろテイオーは。あれからターボは強化されててテイオーは療養明けだぞ』

『逆張りマンだからテイオーに期待しちゃうわ』

『この前の金鯱賞見てなかった情弱がいますね……』

『ぶっちゃけ今のテイオーダービーのときより強いぞ』

 

「ウチもワンチャンあると思うけどなぁ……オグリはどう思う?」

 

「所感でいいか? トウカイテイオーにも十分勝ち目はあると思う」

 

「せやんなぁ。あらもう体の基本性能の方は完成しとって、それをちゃーんと扱うためのコツをレース中に掴むたびに超強化されるやつやで。オグリと似た部分があるわ」

 

『あー、それであの宣言だったわけか』

『正直まだ納得いってない』

『怪我なんて自己責任なんだから走らせてやりゃいいんだよ』

『それでレース中に故障して他のウマ娘巻き込んだら目も当てられねえだろ……』

『レース中に故障しないように調整すんのがトレーナーの仕事』

『調整しようがする時はするじゃん』

『そんなもんレース出る限りはみんなそうだろ。絶対に怪我しないウマ娘とかありえん』

『極論厨は話混ぜっ返すな』

『ぶっちゃけ今回の件で文句言ってんの人間だけだよ。ウマ娘側からすれば当たり前の選択』

『それはない。ウマ娘側でも巻き込まれたくないって意見はあるよ』

『車が壊れるかもしれないけど許容以上のスピード出しますなんてやつがレース出るの迷惑でしかないだろ。車が壊れる可能性なんてどの車にでもあるなんて問題じゃない。命かかってんだぞ』

『人間とウマ娘の価値観の違いだよなぁ、ここ……命かかってんじゃなくて命かけてんだよ』

『責任取るのはトレーナーなんだよなぁ……』

 

「おい、掲示板行けやアホンダラ……学べや」

 

「タマ、荒い。言い方」

 

「こんなやつらに気い使うん無駄でしかないやろ。これで逆ギレするやつなんかはなっからウチのこと嫌っとんのやからガツンと言うたればええんや。クソは便所でせぇ言うてんのにキレられる筋合いないわ」

 

『芝』

『※JKです』

『えぇ……』

『もうこれただのオッサンだろ……』

 

「進行すんで。1番人気がツインターボ、2番人気がトウカイテイオーや」

 

「ツインターボの得意な2000mで、最後に急坂もある。妥当なところだろう」

 

「トウカイテイオーは良バ場うまいからそこは有利になるやろな」

 

「イクノディクタスとホワイトストーンはどうだ?」

 

「あんまハッキリ言うこととちゃうけど、力不足やな」

 

『ハッキリ言うじゃん』

『火のタマストレート』

『もしかして機嫌悪い?』

 

「ちゃうわ! 単純にツインターボとトウカイテイオーには届かへんやろなーて思ただけや!」

 

「まぁ、実際それは否めないだろう。残酷なことだが」

 

「せやろ? あのふたりはもう一皮剥けへんとアカンよ。それに、他の3人について言及もせん時点でウチのこと非難できる立場にないて。眼中にすら入ってません言うてるようなモンやんけ」

 

『ウマ娘レースはすべてを受け入れる。それはそれは残酷な話ですわ』

『受け入れはするが通用するとは言ってないんだよなぁ……』

『それでも死ぬ気で走ることに異議があると私は思うよ』

『いいこと言った感じだけど異議はあっちゃ駄目だろ』

『ふぁっきゅー予測変換』

 

「ほら、レース始まんで」

 

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「スタートは……同時か? ツインターボとトウカイテイオーが同時にゲートを飛び出した」

 

『ターボって領域持ってなかったっけ』

『妙だな……』

『現状の仮説では、ツインターボの領域はゲート内での集中力を極限まで上げてゲート開放と限りなく同時にスタートダッシュがきれるというもの。それに加え、恐らくは単純な加速力も上がっているものと思われる。しかし、単にスタートダッシュを成功させるというだけならば、極論、領域を使わずとも集中力があればいい。トウカイテイオーは領域並の集中力を自身の力ひとつでなしてみせたんだ』

『どうした急に』

『フー姉ちゃんも割とゲート得意だし、上澄みの何割かが到達する集中力をゾーンで引き出してるのがタボボなのかも』

 

「言うて差はすぐつくんやな」

 

「トウカイテイオーは逃げではないからな。ハナを押さえてツインターボを前に出さない作戦は取らなかったようだ」

 

『今までなんでみんなやらなかったんだ? ツインターボに蓋する作戦』

『トウカイテイオーとかアイネスフウジンレベルの集中力がないとツインターボの初動に追いつけなかったからだろ』

『去年寝てたのかな?』

 

「ツインターボは相変わらず飛ばしとるけど、これトウカイテイオーもかなりペース速ない?」

 

「速い。しかし、無理して出している速さではなさそうだ」

 

「掛かっとるっちゅーわけじゃないんか」

 

『うわあああああ』

『コーナーエグっ』

『毎回言ってると思ったけど今回のコーナーなんかすげーやべー(語彙力)』

『当たってない? 大丈夫?』

『グレイズだろこれ』

『ターボバカになりすぎて危機感もバカになったか?』

『テイオーのコーナリングも地味にやばいぞ』

『派手にやばい定期』

『なにあの……なに?』

『足首どう曲がってんのそれ』

『膝も何その曲がり方』

『折れてないの? 折れてないわ……』

『俺が描いたイラストみたいになってんじゃん』

『涙拭けよ……』

 

「ツインターボは本当にコーナーが巧いな……コーナーだけならルドルフレベルの巧さがある」

 

「いやホンマになんやねんあれ……」

 

『イクノもいったあああああああああ!!』

『イクタスさん!?』

『月1.5くらいのペースでレース出てるイクノディクタスさん!!?』

『まだ3月なのにもうこれで6レース目のイクノディクタスさん!?』

『眼鏡と内ラチ擦れて火花散ってんよ……』

『怖すぎてワロエナイ』

『相変わらずイケメンだぁ……』

『マックイーンがガチ惚れしてる疑惑がある女』

『目つきがサッカーボーイと同類』

『実際ライダーが同じなんだっけ?』

『フランスのディクタスやね。なんかあの人がライダーやると目つき悪くなりがち』

『ディクタスアイだっけ。あれで睨まれるとゴリッと精神が削れる』

 

「向正面入るで」

 

「ここでの動きは少ないと思う。精々がトウカイテイオーが距離を詰めるくらいだろうな」

 

『これマジで脚残るの?』

『わからん。少なくとも普通なら残らない』

『わかってんじゃん』

『普通じゃねえんだよテイオーは』

『ほとんど逃げのペースだぞ。テイオー逃げたことあんの?』

『あるわけないが?』

 

「第3コーナー入るで。ここでまたツインターボが引き離すやろな」

 

「思ったよりも引き離せないかもしれない。トウカイテイオーも()()()()()()()

 

「あー……レース中に進化するっちゅうやつな……アホらしいけどあり得るから怖いんよ……」

 

『ほんとだ。さっきより差が開いてない』

『トウカイテイオーがさっきよりもスピード出せてるのか』

『さっきのコーナーよりは緩いのもあるだろうけどな』

『いつ見ても変態的な足首の使い方だ……くるぶしが地面につくんじゃねえのか』

『露出も多いしな』

『変態はお前定期』

『それだけじゃない。ツインターボが脚を溜めてる』

『は? ツインターボが全力以外で走るわけ……』

『いや、脚の回転数落ちてる。マジだ』

『スピード自体はそんな落ちてねえな。ここって下りだっけ』

『めっちゃゆったりした下り』

 

「そらもうシニアやぞ。ツインターボかて成長するわ」

 

「奇しくも皐月賞と似たような状況だ。直線がやや長い分と、差がやや縮まっている分トウカイテイオー有利か。坂の位置もこうなるとトウカイテイオーに傾いている」

 

「せやけどツインターボは溜めた脚と秋天で見せよった末脚がある。どっちが勝つかはまだわからんで」

 

『最終直線!』

『仁川の舞台!!』

『仁川の舞台だ!!』

『仁川の舞台はここから坂がある!!』

『ここから坂!!』

『いや伸びスッゴ』

『なんやそののびぃ!!』

『ターボものびる!!』

『ジリジリ縮まってるけど』

『届くか!?』

『わからん!!!』

『テイオーステップ!!』

『追いつくぞ!!』

『何気にイクノの伸びもいいけど』

『坂!!』

『ターボは坂強い!!』

『ホント失速しねぇな』

『!!?』

『飛んだ!?』

『飛んでねぇわ!!』

『上り坂で加速は流石に変態機動過ぎんか』

『テイオーが先だ!!』

『テイオー1着!!!』

『マジで1番人気が勝てないな最近』

『実力伯仲の証拠だからいいことだ』

『テイオー復活!!!』

『テイオー民が沸いておる』

 

「1着はトウカイテイオー、2着に半バ身差でツインターボ、3バ身離れてイクノディクタスが3着だな」

 

「ホンマにレース中に進化するん怖いわぁ……」

 

『目がギラついてるタマのほうが怖いが』

『完全に獲物を見る目やん』

『ほんで結局テイオーのラストの加速はなんやったん』

『条件はわからないがトウカイテイオーの2つ目の領域で間違いないだろう。だが、上り坂を攻略したのは領域ではなくて単純な技術力だな』

『領域研究ニキスパナついてて芝』

『黒い人が明確に弱点って言ってた坂が弱点じゃなくなったのか』

 

「ほら、インタビュー始まるで」

 

『当たり障りのない滑り出しやな』

『テイオーも無難な返し』

『まぁ俺らにしてみれば激戦だけどやってる方からすればそうでもなかったかもしれんしな』

『最後の加速について聞かんな』

『いつもの領域だと思ってんじゃない?』

『Q.ツインターボさんを攻略するにあたってなにか作戦はありましたか?』

『A.ツインターボを相手にしても後ろの考えをどこまで読みきれるかわからないからタイムアタックのつもりで自分の出せる最速タイムを出すことを意識したよ』

『まぁそれはそう』

『黒い人相手に読み合いできないから力でねじ伏せるって言われたのマジで芝』

『【悲報】ネイチャ死亡』

『ネイチャは死なんぞ何言ってんだ』

『ネイチャならタイムアタックモードに入ったら入ったでやりようもあるし、皇帝ほどではないけどファンネルも飛ばすからな』

『ファンネルて』

『他のウマ娘を武器にする族』

 

「ホンマなんなんやろな……」

 

「ルドルフの支配は力ずくで抜けようとすると深みにはまるからある程度コツがいる。ネイチャが今どのくらい使えるかわからないが」

 

『そのうちネイチャ相手の五感消し始めそう』

『本格的にレーヌなんだよなぁ』

『Q.故障しないようにリミッターをかけることをせず、対症療法のみで続けるとお聞きしましたが』

『A.自分が望んだ。それが1番強くなれるし強く出れる。競技できないレベルになったらそれはもうそこまで』

『覚悟ガンギマリやん……』

『自分は良くても周りはどうなのよ……』

 

『Q.レース中に故障した場合周りのウマ娘を巻き込んでしまうのではないか』

『A.問題があるなら問題提起をする権利があるURAや競走相手がしている。問題があるのに問題提起しないほうが問題だと思う』

『? よくわからん』

『死ねどすさんとやりあうだけあるわ……辛辣』

『うっわエグい切り口』

『注意されてないからいいだろってこと?』

『概ねそうだけどそこに「自分たちは黙ってやっているわけではなくて事前にそういうことをすると宣言しているんだから、問題があるならその段階で注意を入れるのが普通。問題があるのに注意をしないというほうが間違ってるんだからそういう意見は注意をする側に言え」ってのが入ってる』

『ついでに問題提起をする権利を「URAと競走相手のウマ娘陣営」に限定してるから、「所詮部外者であるマスコミに文句言われる筋合いはない」って行間も入ってると思う』

『マスコミがURAに直接突っかからないことを完全に読み切ってるな』

『URA相手にでも食ってかかりそうなハロ駆けはテイオー支持に回りそうだしな、スタンス的に』

 

『はえー、テイオーって頭エエんやね』

『テイオーはフラワーレベルで頭いいぞ』

『フラワーってニシノフラワー?』

『あの阪神JFとったちびっ子?』

『ニシノ家の姫やぞ』

『トゥインクルシリーズの登録ページ見てみたら飛び級で8歳だって』

『ファッ!?』

『トレセン生だけどマジで頭良くて多分高等部の大半より頭良い。教師のお墨付き』

『待て、飛び級は飛び級だけど学年は中等部だろ?』

『何故か高等部の範囲やってんのよ。この前クラスメイトが微分教わってた』

『高校生に微分教える小学生ってなに……』

『ウマ娘定期的によくわからん生命体生まれるよな』

『フラワーは中等部1年の学年主席だからね〜』

『テイオーが花ちゃんの高等部範囲のノート見て「教科書よりわかりやすい」って言ってんの見たことあるからテイオーも高等部の範囲理解してるはず』

『頭いいのになんであんなガキっぽいんだろ……』

『でも最近は風格出てきてない?』

『確かに。なんか言い表しにくいけどヴィンテージ感出てきた』

『あー、渋みみたいな感じな』

『で、タマたちは進行しなくていいの?』

 

「いや、なんや盛り上がっとんなぁ思て……」

 

「止めるほどの話題でもないしインタビューのほうも取り立ててコメントすることがなかったからな……」

 

「強いて言うならニシノフラワーが頭ええのはリアルガチやで」

 

「サッカーボーイが頭上がらないうちのひとりだからな」

 

『オグリに明かされたサカボの頭上がらないリスト誰だっけ』

『皇帝、マルゼン、天、雷電あたり?』

『理事長も』

『あー北味さん』

『お孫さんかわいいよな』

『何年連続でリーディングとってんのよあの婆様』

『まだ婆って歳じゃないだろ』

『それこそお孫さんがフラワーと同じくらいじゃね?』

『確か60いくかいかないか』

『北味の婆様には今のトレセン生の大半が頭上がらんやろ』

 

「そろそろライブやからしめんでー」

 

「それでは、次回は高松宮記念だ。今年こそダイイチルビーが母娘による2代制覇を成し遂げるのか、それともダイタクヘリオスが連覇するのか、楽しみだな」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほななー』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほな』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』




トウカイテイオー シニア期
スピード:SS+
スタミナ:A
パワー:S
根性:SS+
賢さ:S+
芝:S 洋芝:D ダート:G
短距離:F マイル:C 中距離:S 長距離:B
追込:D 差し:A 先行:A 逃げ:C

《ライトニングステップ》
《神業ステップ》
《技巧派》
《レーンの魔術師》
《注目の踊り子》
《ノンストップガール》
《究極テイオーステップ》
《絶対はボクだ》


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しかく

 4月21日、アメリカ、サンタアニタパークレース場。

 シニア混合のGⅢ長距離レース、サンファンカピストラーノステークスでは、ひとりのウマ娘が警戒された。

 ひと月前、3200mのGⅡレース、ドバイゴールドカップを勝利した()()()()()()の日本ウマ娘、ライスシャワー。

 そして、その警戒は正しく、かつ無駄になった。

 

(クソッ、なんなんだ、コイツ!!)

 

 イギリスから参戦した彼女は自分の後ろにピッタリとついて追走するライスシャワーに戦慄する。2800m、3000mを超えていないとはいえ、それは十分Extended(長距離)クラスに相当する距離だ。

 逃げをうつものはおらず、自然先行集団が固まって先頭を走る。よくあるスローペースでの前残りの展開だ。普通ならば。

 

 しかし、実際はひとりが抜けて集団を引っ張る形になっている。不本意にも。今まで逃げたことなどない彼女がそうなっていることを、しかし誰も文句は言わないだろう。

 シニア2年目のそれなりにレースの経験を積んできた、位置取り争いが激しく大小の衝突さえ日常茶飯事である海外のレースでさえ感じたことのない、あまりにも明確で鋭い()()

 首筋にナイフを当てられたかのような、自分が今、死の淵にいるのだという身も凍るようなプレッシャーを流し込まれ、彼女の脚は下がることを許されない。後ろには死神がいる、極東からやってきた真っ黒い毛色の刺客が。

 掛かる、掛かる、掛かる、スパートこそかけていない、実際のスピード自体は恐らくそれほどではないのだが、長距離レースとはとても思えないペースで走る。そしてその後ろを、ライスシャワーはほとんど離れず追っていく。

 そしてレース終盤、スタミナ自慢たちが溜めていた脚を使ってスパートをかけ、ハイペースで体力を磨り潰したはずの前を走るふたりを躱そうと迫る。

 

 その瞬間、先頭を走らされていた彼女は、世界がズレたような感覚に陥った。

 

 それは例えば、世界が自分を残して丸々僅かに異なるものへ変わってしまったかのような違和感。不安感。緊張感。それは、殺気によって張り詰めていた彼女の精神を急激に消耗させる。

 息が乱れる。満足に呼吸のテンポを整えることもできず、みるみるうちに酸素の供給が追いつかなくなる。荊棘(いばら)(つる)が首に、脚に、腕に、巻き付き締め付けているかのような息苦しさと体の鈍り。

 目の前が暗闇に閉ざされていく。頭が回らなくなり、自分が走っている意味さえ見失いかけた時、ふっとすべての(いまし)めが解けた。

 体の緊張が消えると同時に力も抜けていく。糸を切られた操り人形のようにズルズルとバ群へ消えていく。もはやまともに動かなくなった脚に鞭打つ彼女はその寸前、黒い影が自分の横を通り抜けていくのを見た。

 

 一方、それを後ろから見ていた中団のウマ娘たちは目を疑う。ハナの後ろにピッタリとつけて逃げていたライスシャワーが、想定よりも早いタイミングでスパートを始めた上、想定よりもスピードを出しているからだった。

 ネットでの中継を見ていた日本人はその黒にかつての白を重ねた。"地を這うような"と(たと)えられた、地面ギリギリまで体を低くしたその前傾姿勢は、さながらかの『芦毛の怪物』を想起させるものだったからだ。

 正面から受ける空気抵抗を限りなく削ぎ落とすため、空気と衝突する面積を狭めながら、ライスシャワーは前へ前へと進もうとする体をさらに前へ蹴り出すために脚を動かす。

 ブレーキなどない。体重移動と蹴り足の両方がアクセル。いくら洋芝より軽いからと言って、それでも日本の芝よりかは幾分かクッション性があり重たいアメリカの芝を、まるで日本の高速バ場でも走っているかのように滑る黒い影に、観客は恐怖すら覚えた。

 なにより、彼女の目は、少しでもバランスを崩せばそのまま顔面から地面と衝突するとは思えないくらいに凪いでいて。隣に死があるとは思えないくらいに平静で。

 

 それがゴール板を駆け抜けたとき、歓声は起こらなかった。

 海外のウマ娘が激しく競り合いをする様を『命知らず』などと言うこともあるが、それとはまったく別の方向性を持つ『命知らず』な走りに、皆が皆一様に呑まれていた。

 絶句、あるいは唖然。2400m(Long)級でさえ長いと言われるこのクラシック前半に、2つ目の長距離(Extended)級重賞レースを勝ち取った新進気鋭のステイヤーへの畏怖。

 

『ねぇ、ちょっと、そこの黒いの』

 

 平然と息を整えてクールダウンのストレッチを行うライスシャワーに、十分に脚を溜めてスパートをかけた結果1バ身差の2着に破れたウマ娘が話しかける。スラング交じりなアメリカ英語ではあるが悪意は感じられない。

 

『あんた、あんな景気よく逃げ打ってたのにあの末脚残すって……どんなスタミナしてんのよ……』

 

 ライスシャワーがスパートで見せた末脚は彼女たちのそれに比べれば数段劣るものだったが、しかしそれは彼女たちが脚を残していたからであり、序盤からハイペースで走り続けたライスシャワーとは条件が違う。

 それでいながら潰れている様子もなく、こうして息を整えるだけでごく平常に見えるライスシャワーに戦慄しながらも、そのウマ娘はライスシャワーのスタミナを称えた。

 それに対してライスシャワーが返した答えは、彼女を面くらわすには十分だった。

 

『ありがとう。でもわたし逃げてないよ? 逃げの人の後ろを走ってたんだから、先行でしょ? 脚はちゃんと溜めてあったよ』

 

 確かに、ひとり逃げを打った相手を追走するにしろ、それに競り合いを仕掛けてハナを奪いに行くのでなければ、脚質区分的には逃げではなく先行になる。

 

 しかし、しかし()()()()()()()()()

 

 それを言うならハナを走った彼女も逃げではない。ただ運悪く少し前に位置を取ろうとした結果ライスシャワーに目をつけられ、逃げの如きペースで走り続けざるを得なかった不幸な先行ウマ娘だ。

 そしてそれをほぼ同じペースで追走したライスシャワーも、脚質としては先行でも走行ペースは逃げ並みではないのか。

 話しかけてきたウマ娘や周囲でそれを聞いていたウマ娘はまた絶句し、英語間違えたかな? などと思いながら、ウイニングライブの最終チェックのため控室へ戻るライスシャワーを見送った。

 

 翌日、ライスシャワーにインタビューしようとしたアメリカのマスコミは、彼女がレース当日中にアーケーディアを発ち、今朝日本への飛行機に乗って帰国したことを知り、再び唖然とするのだった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 ライスシャワーが海外で初めて『極東の黒い刺客』と認識されてから5日。

 4月26日、京都レース場、天皇賞開催。

 ライスシャワーがレース後即帰国したのも、当然ただのマイペースというわけではなく、この天皇賞の観戦に間に合わせるためでもあった。

 なにせ貴重な国内の長距離GⅠである。しかも、来年自分が戦うであろう国内最高峰のステイヤー、メジロマックイーンが出走するのだから、観ないという選択肢はなかった。

 出走者で注目株は他に、菊花賞ウマ娘であり今話題のチーム《ミラ》メンバーでもあるナイスネイチャ、国内長距離GⅢであるダイヤモンドステークスを制覇したイブキマイカグラ、そして、初めての長距離となるトウカイテイオーだ。

 元々出走を予定していたカミノクレッセは、開催日が近いJpn1ダートのかしわ記念に空きが出たためそちらへと出走登録を移した。

 国内でも有力なステイヤーであるレオダーバンは、未だ療養中である。

 

 そして、それらの挑戦者よりも王者メジロマックイーンの心を揺らす存在もまた出走していた。

 

「パーマーさん……」

 

 メジロパーマー。自分と同じメジロの娘。

 メジロライアンから、メジロパーマーとの間の隔たりについては聞いていた。そのうえで、メジロマックイーンは対話を選ばなかった。

 メジロマックイーンは、ある程度距離が縮まった相手でないとコミュニケーションに難が出る性格をしている。取り繕うあまり冷たい印象を与えるからだ。

 幼少期はまだ交流があったが、トレセン学園にメジロパーマーとメジロライアンが入学した日から交流が滞っていた。今のメジロマックイーンが対話をしようとすれば、余計に拗れる可能性があると判断したのだ。

 それよりも、今は目の前のレース。前年王者、メジロの血筋として、天皇賞の連覇を落とすわけにはいかない。特に、このレースには油断できない相手が多く出ているのだから。

 有記念でも肉薄されたナイスネイチャとイブキマイカグラ、そして、トウカイテイオー。2500mが短かったと言い訳はできない。一筋の慢心もなく、勝ち取らなければならない。

 そんなメジロマックイーンの決意は、地下バ道で僅かに揺さぶられた。

 

 長かった髪はゴムでまとめられ、勝負服は以前見たことのあるデザイン案から一新された、スポーティでアクティブなものになっている。

 それそのものはメジロライアンもさして変わらないのだが、問題はそれがメジロパーマーであるということだ。メジロパーマーは、メジロ家から期待されないが故に。期待されても応えられないが故に。せめて令嬢然としようとしていた、そうでなければ、メジロ家である資格でさえ失うとまで考えていたのだから。

 

(……心境に変化があったのですね、パーマーさん。それが吉であるか凶であるかは存じませんが)

 

 メジロパーマーに何があったのかを、メジロマックイーンは正確には知らない。だから、すべてはレースで知ろうと考えた。

 全選手がゲートに入る。天皇賞というレースのブランドは、それこそ大阪杯とは真逆。天皇の名を頂く栄光あるレースだ。相応しいだけの緊張感が、ゲートを取り巻いている。

 

 緊張が高まる。それを乗り越えようとする者、意に介さない者、利用しようと考える者。様々な思惑が交差する中でゲートが開く。

 

 真っ先にゲートを飛び出したのはメジロパーマー。

 その脚は、既にハイスピードを刻んでいた。




 炊きたて半ライス。


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勝ちよりも価値があるもの

 観客の多くが、あるいは出走したウマ娘の多くがこう思った。

 

「ナイスネイチャがまたなにかやった」

 

 事実、実況などは『12番メジロパーマー飛び出しました!! 3200mを走るにはあまりにも速いペース、誰かがなにか仕掛けたのか!?』とほぼ断定に近い推測まで立てていた。

 スタート直後、数人からのマークによって若干動きを阻害されたナイスネイチャは、ポーカーフェイスを維持しながらも当然その展開に驚いていた。

 

(いやいやいやいやアタシじゃないし!! そんな見てこなくても……いや、見られてるならそれはそれでやりようはあるけどさ!)

 

 マークに付いたウマ娘を寄せて、後方の強敵を妨害する後々の布石として配置しながら、ナイスネイチャはメジロパーマーについて考察する。

 ハッキリ言って、メジロパーマーはナイスネイチャが最も苦手とする走り方をしてきた。すなわち大逃げ、あるいは破滅逃げ――彼女たち曰く爆逃げ――と呼ばれる作戦だ。

 周りのウマ娘をけしかけるにはある程度条件を満たす必要があり運が絡むし、視線による威圧もここまで距離が開くと効力が減ってくる。

 なにより、あのハイペースで走り続けることによって周りのペースが乱れ、その都度作戦の修正が必要になる。微調整が増えるほど、ズレが溜まっていく。

 単にハイペースになるだけなら後方脚質のナイスネイチャに都合がいいが、いくら脚を溜めたところでナイスネイチャはさして()()()()()のだから。

 

(ターボやアイネス先輩と併走やら模擬レースしたことはあるけど、やっぱサッパリわからないわ……どうやってちょっかいかけんのよあんなん!!)

 

 あるいは、はじめから来るとわかっていれば備えようはあるのだが、まさか3200mを大逃げしてくるとは思っていなかったが故の油断。

 後の布石を今のうちに敷きながらメジロパーマーへの対策を考えるナイスネイチャ。一方、メジロパーマーの動きはナイスネイチャとは無関係であると確信している者もいる。

 

(ふーん……あら掛かった動きやないなぁ……動きに硬さがないし、周りを気にするでもない……おもろいなぁ、3200を逃げきるつもりなんや……)

 

 序盤の追込特有の視野の広さで読み取ったメジロパーマーの様子からそれを看破したのはイブキマイカグラ。菊花賞の結果を踏まえて前目に構えるつもりだったが、ハイペースの消耗戦を見据えて脚を溜めることにした。

 

(ネイチャの仕業……にしてはメリット薄いよね。同じメジロだし、マックイーンのラビットなのかな……勝つ気があるにしろないにしろ、ボクの場合まずこの距離を走り抜くことができるかどうかだ。よそのことを気にしてる余裕はないし、掛からないようにだけ気をつける……!)

 

 トウカイテイオーがメジロパーマーをラビットだと考えた理由は妥当なものである。誰が一番得をするのかと聞かれれば、このハイペースでも十分勝負できるメジロマックイーンなのだから。

 しかし、その予想の正否に関係なく、トウカイテイオーはまずこの初めての長距離レースで万全な勝負ができるかどうかを課題とした。

 

 関係者観戦席でそれを眺めるチーム《ミラ》のメンバーも、メジロパーマーの行動にざわついていた。

 

「なにあれ……あれで逃げ切れるわけ?」

 

「多分逃げ切れると思うの」

 

「えぇ、末脚は期待できませんが、勝負できるところまで粘れると思いますよ」

 

 ナリタタイシンの呟きにアイネスフウジンが、ついで網がそう予想を返す。試しに説明してみろと促す網の目線を受けたアイネスフウジンは、自身がそう思った理由を説明していく。

 

「少なくとも、本人はヤケになっての走りとか掛かりとか、ラビットみたいに勝つ気がないわけじゃなくて、勝つための大逃げをやっているの。逃げって結構自分の精神状態に左右されるから、集中できない状態でやろうとするとあっという間に潰れるの。でも、パーマーさんはスタートからここまで一度もランニングフォームを崩してない、それどころか、すごくきれいな形で走ってる。全身に集中力が行き渡ってる証拠なの」

 

「加えて言うなら、メジロパーマーはこの天皇賞まで何度か障害競走へ出走していました。ご存知の通り、障害競走は3000mが当たり前の世界です。それほど良い結果を残せていなかったのはスタミナ面ではなく障害を越えるのが苦手だったためであるそうなので、恐らく十分なスタミナを持っているかと」

 

 アイネスフウジンの説明を網が補足する。それを聞いていたナリタタイシンは、納得とともに浮かんできた疑問を口にした。

 

「じゃあ、なんでそれを()()()()()()()()()()()()?」

 

 網の口ぶりは、まるでメジロパーマーがこの作戦を実行することを予測していたかのようだった。確実性がないにしろ、可能性があることを先んじて知らせておくだけで、ナイスネイチャの対応にも幅ができていたはずだ。

 それを怠った網に対する疑問は正当なものだったが、これに網が返したのもまた、一理あると思わざるを得ないものだった。

 

()()()()時期を過ぎたからですよ。私がすべて教えて導くのはクラシックの終わりまで。シニアから先は、自分で考えて予測する力もつけていかなければなりません。いわば、これもまたトレーニングですね。それに、予想外への対応力というのも鍛えなければ。私も万能ではありませんから」

 

 そう言われて、ナリタタイシンは今度こそ納得したように眼下のレースを観る。向正面から始まったレースはスタンド正面を通り過ぎ、第1コーナー――この場合は先に第3、第4コーナーを通っているので、この第1コーナーが3つ目のコーナーになる――を過ぎて第2コーナーへ入ろうとしている。

 レース前半が終わり、ややもすれば後半戦。中だるみしやすい長距離レースも、ようやく動き始める。

 

(やっぱそう簡単に逃してはくれないか……いやー、昔の口調に戻しただけなのに慣れないなぁ!)

 

 逃げて差せるわけでもなし、できるだけリードを開いておきたいメジロパーマーの思惑に反して、メジロマックイーンは付かず離れずしっかりと追走してくる。

 ライスシャワーのようにマークするわけではない。仮にメジロパーマーがペースを変えようと、ただ自分のペースでスタミナ管理をし続ける。

 メジロマックイーンがステイヤーとして秀でているのは肉体面だけではない。例えば2000m(ミドルディスタンス)であればスタミナを余さず使える地点からロングスパートを仕掛けられるような、そして長距離でこそ本領を発揮する、精確なスタミナ管理能力。

 

(これが、この走りがあなたの答えですのね、パーマーさん)

 

 メジロマックイーンはレース中であるにも関わらず、メジロパーマーの走りに見惚れていた。今までのメジロパーマーの走りとはまるで違う、何に縛られることもない自由な走り。

 まだ自らの背負うものも、行く先も、何も知らず考えずに走っていたあの頃のような走り。それは、メジロの名という(くびき)から解き放たれたという証左。

 

(自分のために走るあなたの選択を肯定します。自分のために走ることのできるあなたの現在を祝福します。しかし、私がそれを羨むことはあってはならないのです)

 

 妬むことも、望むことも、羨むことでさえ。一滴の迷いは決意を濁らせる。そのような心構えで栄えある天皇賞の盾を頂くことなどできるはずがないのだから。

 自らの信念をメジロに捧げた。自らの心を支える役割をメジロという矜持に預ける対価に、メジロ家の名を背負った。

 

(ですから、容赦はいたしません。全身全霊を以てあなたを打倒いたします。お覚悟を)

 

 向正面、淀の坂に差し掛かる。レースも終盤に入り、ハナを進むのは変わらずメジロパーマー。メジロマックイーンが先行集団の先頭で追走し、中団の差し気味の位置にトウカイテイオーとナイスネイチャ、イブキマイカグラはまだ最後方。

 長く大きな上り坂が、これまですり減らしてきたスタミナをさらに削っていく。メジロマックイーンはそれを踏まえてスタミナを使ってきたためにまだ余裕がある。

 

(余裕があるのは、わかってる……よっ!!)

 

 ナイスネイチャの溜め込んできた負の情念を視線に込めて睨みつける。その不穏な雰囲気を、レースの興奮で鋭敏になったウマ娘の感覚が過剰に捉え、伝達してしまう。

 

(来たっ!! ネイチャのっ……ぐぅ、相変わらずキツい……!!)

 

(ッ! ……いえ、大丈夫、想定内ですわ。これならまだ問題ありません……)

 

(これがヘリオスの言ってた……なるほど、これはキツい……!)

 

 ナイスネイチャの放つ悪意が前方脚質のウマ娘たちを襲う。トウカイテイオーとメジロマックイーンはそれを受け、脂汗をかきながらも堪える。メジロパーマーは単純な距離の壁である程度削がれたそれにヒヤリとした感覚を覚えるが、それでも体勢を崩さずに走る。

 

(このくらいなら、社交会の最中(さなか)より全然マシ!!)

 

 メジロマックイーンに比べて、メジロパーマーは多くの悪意を上流階級という環境から押し付けられてきた。だからこそ育てられた悪意への耐性。

 

(まだまだ、これも……ッ!!? っぐ、この、感覚……)

 

(もうあんさんだけの専売特許とちゃうんよ? ネイやん?)

 

 ナイスネイチャが先団への目くらましを仕掛けようとしたタイミングで、イブキマイカグラの妨害が入る。纏わりつくような感覚に足を引っ張られ、ナイスネイチャも、もちろんそれよりも前のウマ娘たちも、一瞬、ほんの少しだけ失速する。

 そして、ナイスネイチャの背後にイブキマイカグラが立った。

 

(ほな、いただきます)

 

 直後、紅葉が舞った。

 ナイスネイチャの視界を埋め尽くす紅い落葉。不規則に舞うそれに視線を誘導され、ナイスネイチャの平衡感覚が変調する。

 過剰に荒くなる息がナイスネイチャのスタミナを奪う。そんな一瞬の攻防の後、ナイスネイチャはイブキマイカグラの背を追っていた。

 

(まずい……ここで仕掛けられたら、アタシも仕掛けないと間に合わない!!)

 

 ナイスネイチャとイブキマイカグラが仕掛ける。しかし、それを見送りながらもトウカイテイオーは仕掛けることができない。

 

(っぐぅ…………スタミナが足りてない、ダメか……でも、最後まで足掻く!)

 

 最終コーナーを過ぎたメジロパーマーが、速度を抑えながらも坂を駆け下りて最終直線へ入る。それを追うメジロマックイーンは最終コーナーからロングスパートをかける。

 

(さぁ来いマックイーン!!)

 

(時は来ました。参ります!!)

 

 最終直線半ば、ナイスネイチャとイブキマイカグラがメジロマックイーンのすぐ後ろまで迫り、そしてメジロマックイーンがメジロパーマーに並びかけ、追い抜く。

 

「ッ、まだだぁ!!」

 

「っ!?」

 

 それを、メジロパーマーがさらに差し返す。再び先頭はメジロパーマー。しかしメジロマックイーンも譲らない。その表情を見た者は、誰ひとりとして彼女のことをラビットだなどと呼ばないだろう。

 全員が懸命に脚を動かし、我先にとゴールを争う。そこに、忖度や手心など介在する余地はないのだと言わんばかりに。

 

 だから、メジロパーマーが失速した瞬間、悲鳴さえあがった。

 

 メジロマックイーンが先頭でゴール板を駆け抜け、ほんの僅かな差でイブキマイカグラが、ナイスネイチャが、そしてメジロパーマーが順位を決定づけた。

 メジロマックイーンからイブキマイカグラまで半バ身、そこからハナ差でナイスネイチャ、またハナ差でメジロパーマー。1着から4着まで1バ身差に満たない接戦。

 制したのは、去年の王者。ステイヤーのハイエンド。

 

 『名優』メジロマックイーン。

 

 歓声に応えるメジロマックイーンを背に、メジロパーマーは地下バ道へと向かう。敗北は敗北、それでも、メジロパーマーの胸中にあるのは爽やかな悔しさだけで、暗澹たる膿は残っていない。

 パサリと、そんなメジロパーマーの顔にタオルが被さる。

 

「パーマー、おつ!」

 

 タオルをどけたら、太陽があった。

 相方が負けたのに満面の笑み。いや、それは勝ちよりも大切なものを知っているからこその笑顔。だから、メジロパーマーもそれに応える。

 

「楽しかったっしょ? ナイス爆逃げ!」

 

「うん、楽しかった……またやりたい、次は一緒に」

 

「おけまる!!」

 

 ふたりが拳を突き合わせる。これで終わりじゃない。まだいくらでも先がある。これを始まりにする。

 

 その後、半泣きになりながらハムスターのようなメジロパーマーのトレーナーが突進してきて、メジロパーマーが鼻水だらけの勝負服でライブをする羽目になったのも、まぁご愛嬌。



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オグタマライブ ??/04/26

『オグリのまいどたすかる』

『オグリのまいどたすかる』

『オグリのまいどたすかる』

『オグリのまいどたすかる』

『オグリのまいどたすかる』

 

「早い早い早い早い!! まだタイトルコール入ってへんから!! 画面待機中のままやろ!? ほんで単独犯とちゃうんが質悪いわ!!」

 

「新しいパターンだな……」

 

 

 

《オグタマライブ!》

 

「この空気でいつものタイトルコールは無茶ぶり過ぎんか!? あぁもう、まいど!! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!!!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『芝』

『芝なんだ』

『芝3200m』

『オグリのまいどたすかる』

 

「やかましいわ!!」

 

「今日の予定を確認する前に、いつもどおり直近の出来事を整理しておこう」

 

『お嬢の高松宮記念親子二代制覇!!』

『前すぎんだよなぁ……』

『下僕民落ち着け』

 

「桜花賞の1着はニシノフラワー、皐月賞はミホノブルボンが制覇することとなった」

 

「なんや久々に1番人気が勝ったような気がするわ」

 

『終わってみればミホノブルボン楽勝って感じだった』

『どこがスプリンターなんだよあれの』

『スプリンターはスプリンターなんだよなぁ……』

『ダービーはキツイだろ』

『距離限界おじさんかと思ったけどライスシャワーがいるんだよなぁ、ダービー』

 

「そのライスシャワーは先日アメリカで行われたGⅢのサンファンカピストラーノステークスを制覇。Extended級重賞レースで2本目の勝利をあげた」

 

「日本ダービーでミホノブルボンとは2度目の対決になるさかい、それも楽しみやな」

 

「とはいえ、まずは目の前の春の天皇賞だ。メジロマックイーンはこれに勝てば連覇だが、ナイスネイチャやイブキマイカグラ、トウカイテイオーなどライバルは多い」

 

『オイ……なんで……ライスが会場にいる……』

『あの……サンファンカなんたらかんたらって確か5日前……』

『マジでアメリカでのインタビューぶっちしてきたのかお米』

『これは試合前にアポとってなかったアメリカのマスコミ側にも落ち度がありますよ()』

『米「試合後にインタビュー申し込めばエエやろ」米「レース終わったんで帰りますね」米「(既にライスシャワーが米国にい)ないです」』

『どっちも米じゃねえか、分けろよ』

 

「ウチまだあの娘のキャラ掴みかねてんねんけど……天然なんか?」

 

「年越しスペシャルのときのアイネスフウジンは間違いなく天然モノだと言っていたが……」

 

『アメリカではNinja Girlって言われてる模様』

『そりゃそうだよ』

『日本人で黒けりゃ忍者って風潮あるからな』

『でも確かにあのマークの仕方は殺し屋とか暗殺者っぽさある』

『勝負服も黒いよね、洋風だけど』

『勝負服の情報どっかで出てた?』

『お米のウマスタ』

『あれな……恐らく自室を背景にハンガーに掛かった勝負服の写真(加工ゼロ)……』

『着た自撮りとかさぁ!! あるじゃん!!』

『親に送る写真でももっとまともに撮るぞ』

『サンファンカでマークされてた娘、ウマッターで「もうアレと走るのやだ」って言ってた』

『何があったんだ一体……』

『京都JSでマークされてたキタサンロッキーが「カチコミでもなかなかない殺気、カタギにしとくのが惜しい」って言ってた』

『北三組マークしたんか!!!?』

『怖いものなしかよ』

『北三組別にヤーさんじゃねえから!! ……ないよね?』

『名家じゃないのに一家って呼ばれるのはあそこだけだぞ』

『北三組太鼓判の殺気とかティーンズ女子に向けていいもんじゃねぇ……』

 

「わからん!! ライスシャワーのキャラがわからん!!」

 

「などと言っているうちにゲート入りが終わるぞ」

 

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「ゲートが開いて……これは、メジロパーマーか? メジロパーマーが勢いよく飛び出したな」

 

『なんだ?』

『掛かり? ネイチャ?』

『またネイチャ?』

『パーマーってこんな感じだったっけ』

『ライアンとマックイーン以外にメジロいたんだ』

『ネイチャか?』

 

「いや、見た限り意図的に逃げているように見えるな……」

 

「言うても3200mやぞ? スタミナ保つんか?」

 

『距離限界タマちゃん』

『スタミナ保つフラグ立ったな』

『パーマーイメチェンしたんか』

『パーマートレーナーしか知らんかったわ』

『これラビットじゃね?』

『マジかよメジロ最低だな』

『ネイチャはネイチャでなんかやってるぞ』

『憶測で物言うのはいいけど憶測で批判すんのはやめろや』

『ワイ将現地勢、「ターボも走る!!」と大はしゃぎなタボボを眺めてにっこり』

『通報した』

『バンメモさんこっちです』

 

「長距離レースのダレる時間やってきたで」

 

「タマ、ライスシャワーの現役中は恐らく長距離レースの実況が増えるからそういうことは言わないほうがいい」

 

「実況することも解説することもあらへんもん。精々ナイスネイチャがワチャワチャしとるだけやろ専門外やあんなん、ルドルフ呼んでこいルドルフ」

 

「無茶を言うな」

 

『長距離が軽視される原因よな』

『なんだかんだミドルからクラシックのスパッと決着つく感じが気持ちいいからな。長いとダレる』

『故障率も上がるしな』

 

「ウチにしてみればとりあえずナイスネイチャの周りにおる娘らは全滅やろなぁとしか言えんわ」

 

「トウカイテイオーの走りは安定して見えるが、やはりまだ探り探りと言った雰囲気だな。少し厳しいかもしれない」

 

「怪我前より強なっとんのは確定なんやろ? こら菊花賞出とっても厳しかったんとちゃうか?」

 

『うーん、流石にこれ見ると……』

『皐月とってればファンとしてはまぁ反論したかもしれないけど、菊とっても二冠だし意地張る理由ないからな』

『菊のネイチャは見事だったからな』

『夏辺りまで主役不在って論調あったのにな』

『結果だけ見れば長距離不安組が抜けて適性ある娘が順当に揃った感じよな。レオ田も立派に日本総大将やったし。死ねどすさんも死ねどすしたし』

『あのJCは日本総大将レオ田と軍師死ねどすの二枚看板でしょ』

『アサシン白石もお忘れなく』

 

「今回は割かし淀の坂まともに登っとるなぁ……」

 

「いや、イブキマイカグラが仕掛けたな。ナイスネイチャも恐らく威圧したが、イブキマイカグラの"領域(ゾーン)"に飲まれたようだ」

 

『イブキマイカグラの領域は証言により紅葉吹雪であることが判明している。視覚的な撹乱効果があるようだが、一番きついのは平衡感覚がやられてペースが乱れ、スタミナの浪費に繋がる点だな。それと、自身の疲労回復効果もあるように思える。本質的にはマイラーであるイブキマイカグラが長距離を走れるのはこの領域のお陰だろう』

『どうした急に』

『領域研究ニキスパナついてから活き活きしてんな』

 

「スタミナ回復系の"領域(ゾーン)"ってあれか、クリークみたいなんか……なんやねんスタミナ回復系の"領域(ゾーン)"って。自分で言うてて意味わからんわ」

 

「引退後に聞いたが、あれはどうやら一時的な心拍の強化による血流促進の結果の酸素供給の効率化であるらしい」

 

「わからーん! ウマ娘がようわからーん!!」

 

『死ねどすさんがネイチャ抜いてネイチャもスパートかけたな』

『こうしてみるとネイチャそんな速くないな』

『GⅢやGⅡ常連の中だと速い方なんだけど、GⅠウマ娘と並ぶと見劣りするよな』

『そのスピードのハンデをひっくり返すレース支配能力って地味にヤバい?』

『派手にヤバい定期』

『派手ではない。微妙にヤバい』

『マックイーンがいつの間にかスパート入ってんな』

『なんならマイカグラより前に入ってたぞ』

『ゾーンも入ってるっぽい?』

 

「最終直線や! こっからが見せ場やで!!」

 

「あからさまに活き活きし始めたなタマ」

 

『テイオーは遠いか……』

『上位4人に絞られたかな』

『先行集団ボロボロやん』

『全部ネイチャってやつの仕業なんだ』

『ネイチャもキツそう』

『マックイーン差したな、いつものやつ』

『!?』

『おおおお!?』

『すげぇ』

『差し返した!?』

『ラビットの顔じゃねえな。マジだぜこれは』

『メジロとメジロの一騎打ち』

『なんでここまで3000m逃げて差し返す脚が残ってんだよ』

『パーマーは障害やってるからな』

『語弊』

『ちゃんと障害競走って言ってください』

『障害競走杞憂民まだいたんだ……』

『がっ……! 駄目っ……!』

『おしいいいいいいいいい!!』

『特に推しでもないのにパーマー応援してたわ』

『そこで失速かああああああ』

『結局マックイーンじゃん。ラビットおつ』

『おっと会話が成り立たないアホがひとり登場〜〜必死に走るウマ娘をラビット扱いするとテストでは0点なの知ってたか? マヌケ』

『ゴライザスさんじゃん』

『すれ違うカウガールウマ娘がその場で頭を下げるほどの伝統的カウガールのゴースト・ライダー・イン・ザ・スカイさん!?』

『ネットあるある。普通に暴言かと思ったら漫画のセリフ』

 

「いやーええもん見せてもろたわ。ああいう勝負根性大好物やでウチは。メジロパーマーナイスファイトや!」

 

「1着はメジロマックイーンが見事連覇達成。2着にイブキマイカグラ、3着ナイスネイチャ、4着メジロパーマーで、2着、3着、4着がそれぞれハナ差、1着から4着まで1バ身差足らずという接戦だった」

 

「トウカイテイオーも意地の5着で掲示板入りや。着差もそんなでもないし、スタミナ増やしたら長距離も射程に入るんとちゃう?」

 

『スタミナ増やせればね……』

『怪我するたびに縮むからな……適正距離』

『そう言えばテイオーはこれが初めての歌わないライブか』

『なんだかんだ三連対に入ってたからな、毎回』

 

「インタビュー始まるで」

 

「とはいえ、流石にメジロ家相手だと当たり障りがない内容だな。メジロマックイーンもそつがない」

 

『パーマーについて言及してくれないかな』

『Q.メジロパーマーの大逃げについては事前に知っていた?』

『A.いえ。パーマーさんとはここ数ヶ月ほど話をしていませんでしたし、天皇賞に出走することも出バ表を見て初めて知りました。結果的に今回は私が勝ちましたが、パーマーさんが勝っていた可能性も十二分にあったと思っています。パーマーさんの奮闘を称賛すると同時に、自らの力不足を実感いたしましたので、より研鑽を積もうと思います』

『お手本みたいな答え』

『「ラビットだった」って言わせない予防線張ってるし、やっぱ名家のお嬢様だな』

 

『Q.現在海外の長距離路線で活躍しているライスシャワーは、来年の天皇賞でライバルになると思いますが、現在彼女についてどのような印象をお持ちでしょうか』

『A.間違いなく強敵だと思っております。彼女は私とはまた違ったステイヤーの才能をお持ちであり、加えてあの網トレーナーがついているので、警戒するのは当たり前のことです。しかし、どれほど強敵だとしてもメジロの誇りにかけて打ち勝ってみせますわ』

 

『Q.マックイーンさんは海外遠征をしないのですか?』

『A.まずは国内を固めてからですわね。せめて、有を勝って国内の長距離GⅠは制覇したいですわ』

 

「んー、そんなもんかいな」

 

「そうだな、このあとはライブだ」

 

「次回はNHKマイルカップやぁ、お楽しみにな〜」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

『【悲報】テイオー故障』



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気性難なあいつが勝てない存在

 府中市、某所。

 人通りの多い道の端、自販機の前を陣取ってウマホをいじる人影が一つ。背はそれほど高くなく、スキニーのダメージジーンズと、『BITE "D" HARD』と書かれたラフな黒いTシャツに包まれた手脚は、一見すれば針金細工のように細長い。

 手脚に相応しく体つきも貧相で、タイトなシャツが体にピッタリと張り付いているせいでそれが余計目立って見えた。

 目深に被ったウマ娘用のベースボールキャップとスポーツタイプのサングラスでその顔を窺い知ることは難しいが、あまり手入れのされていない青鹿毛は、帽子に収まりきることなく溢れ出していた。

 左右両方の耳に多くのピアスがついているが、一番目立つのは右耳につけた逆十字架のピアスだろう。

 

 日本ではシルヴァーエンディングと名乗っているそのウマ娘は、ウマホを見ながら不機嫌そうに眉を寄せる。有り体に言えば、彼女は今、道に迷っていた。

 去年の11月から日本に残り続けている彼女は、ゴールデンフェザントが置いていった監視役を撒いてよく遊びに出る。その結果できた野暮用でまたも監視役を撒いてホテルを出てきたものの、見事に迷ってしまったのだ。

 募る苛立ちに貧乏ゆすりまで始まり、外国ウマ娘であることも合わさり本格的に誰も近寄らなくなってきたタイミングで、そんな彼女に話しかける勇気ある少女が現れた。

 

『あの、大丈夫ですか?』

 

 (自称)シルヴァーエンディングより少し明るめな黒鹿毛の少女。ライスシャワーである。

 

 

 

『いやー、助かったぜ!! まさか道案内までしてくれるとはなぁ!!』

 

『役に立てたならよかったぁ……』

 

 ライスシャワーが、(自称)シルヴァーエンディングの目的地が偶然にもライスシャワーの目的地と同じであったため、それならと道案内を買って出たことで、(自称)シルヴァーエンディングもやや機嫌が回復し、ふたりで大通りを歩いている。

 

『それにしても、今噂の"殺し屋"がこんなぽやぽやしてるとは思わなかったわ、ホント』

 

『こ、"殺し屋"!? なにそれ!?』

 

『なんだ、自分のことなのに知らなかったのか? ドバイとアメリカの長距離レースで、常にひとりをマークして追い回す"殺し屋"って、結構話題だぜ?』

 

 正確には、『殺し屋』と呼んでいるのはごく一部であり、アメリカで有名な呼び方は『ニンジャガール』なのだが、シルヴァーエンディング(自)は『殺し屋』の方を気に入っているためそちらで覚えていた。

 

『さ、流石に恥ずかしいからやめてほしいかな……』

 

『そうか? いいと思うけどな……そんで、次走はどうすんだ? また長距離か?』

 

『……あ、ううん。一度日本ダービーに出てからかな。それからグッドウッドカップとイギリスセントレジャーに出る予定』

 

『……マジかよ。夏のシニアステイヤー王決定戦とイギリスクラシックの三冠目だぞ……マジに勝つつもりか……?』

 

『? 出るからには勝つつもりじゃないの?』

 

 これはシルヴァーエンディング(仮)の聞き方が悪かった。「勝てるつもりか」と聞けば「勝てないかもしれないけど精一杯頑張る」くらいの返事が返ってきたのだ。

 ただでさえ母語が違うのに、シルヴァーエンディング(偽)はところどころ言葉の使い方が適当なために起きたすれ違いだった。が、シルヴァーエンディング(笑)が抱いた印象は『可愛い顔してめっちゃ自信満々なやつ』であり、さして間違っていないどころか的を射ていた。

 

 黒いのが立ち止まる。何故か。赤信号だからである。いくら彼女が傍若無人の権化であるからと言って、流石に車の行き交う赤信号を渡るのは無理だ。命に関わる。

 しかし、かと言って看過するのも無理だ。何故か。ライスシャワーと歩き始めてから11の信号機すべてにおいて赤信号で引っかかっているからである。

 

『おいライスシャワー。都会の信号機ってのは嫌がらせのためにカメラでもついてんのか?』

 

『ううん、違うと思う。わたしよく信号待ちするけどカメラとか見たことないから……』

 

『いやいや11分の11だぞ。どんな確率だよ。そういうのはカジノのスロットで出してくれよ』

 

『大したことじゃないよ。わたしお出かけすると行き帰りで2、30回は赤信号に引っかかるし……』

 

『じゃあお前だよ原因!!』

 

 黒いのが苛立ち紛れに交差点のポールを蹴飛ばす。このポールはウマ娘による攻撃に耐えるため、根本以外はぐにゃりと簡単に曲がり、じんわりと元の形に戻っていく特殊なゴムで作られている。1分もしないうちに戻るだろう。

 そして理不尽にも思える黒いのの叫びはあながち間違いではない。信号機はライスシャワーの歩調だとおおよそ7割程度の確率で赤になり、黒いのは道を教えてもらうためにその歩調に合わせて歩いているのだから、原因は間違いなくライスシャワーにあった。

 

『お前あれだ、信号機変える係のヤツに嫌われてんだよ。それかそういう星の下に生まれてきたんだ』

 

『やだなぁ、大都市は何者かの管理下にあってあらゆるものが監視され操作されているとか、超常現象を無意識のうちに発生させる存在と生まれながらに決められているとか、そんなことが実際に起こるわけないよ。ファンタジーやメルヘンじゃないんだから』

 

『おいどうした急に』

 

 ちょっとキツめのジョークのつもりで言ったら、いきなり目からハイライトを消した低く平坦な早口で現実的すぎるド正論で反論してきたライスシャワーに、けっこう呑気してた黒いのもビビった。

 

『とにかく、お前と歩いてると信号に引っかかり続けるのは理解した』

 

 調子を狂わされっぱなしな黒いのは帽子越しにガシガシと頭を掻くと、ライスシャワーをひょいと小脇に抱えた。

 

『もう俺様が運んでいくから、お前ナビだけしてろ』

 

『うん、わかった……あ、今のところ右……』

 

『おせぇよ!! もっと早く言えや!!』

 

 彼女のお世話係が見れば目を剥くだろう、振り回されっぱなしの黒いのがそこにはいた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 同時刻、府中市、点十字病院第2分院。

 

「アタシはね、ライブにテイオーが出てなかったときにまさかと思って、テイオーが故障したって聞いたときはもう血の気が引いたわけよ?」

 

 ナイスネイチャとツインターボは、入院中の同期のもとへお見舞いに来ていた。

 ぐちぐちとぼやくナイスネイチャの横では、ツインターボがペティナイフでくるくるとリンゴの皮を剥いていた。見事に繋がったまま、しかも薄めである。

 

「そんで気が気でない状態で学園に戻ったらテイオーに迎えられてマジでビビったわ。軽度の剥離骨折で激しい運動は厳禁だけど日常生活に問題はなし、秋天やジャパンカップは厳しいけど有記念には間に合いそうって言われたときは気が抜けてマーベラスやマヤノと一緒にくすぐりの刑に処しましたとも」

 

 誰の見舞いか。もちろんトウカイテイオーではない。彼女は今頃寮の自室でマヤノトップガンに遊ばれているだろう。

 

「3日も経たないうちになんでアンタが故障してるんですかねェマイカグラ……!?」

 

「あはは、やってもうたわ」

 

 イブキマイカグラであった。

 春の天皇賞から2日後の未明、イブキマイカグラはこの病院へ意識不明の状態で運び込まれた。救急車を呼んだ同伴者曰く、スリップしバランスを崩して転倒。ガードレールに頭をぶつけて気を失ったとのこと。

 奇しくも同世代で同じような故障から引退に追い込まれた天才スプリンターがいたことで、過敏になっていたテレビ各局のマスコミはニュース速報としてこれを報じ、瞬く間にお茶の間へ伝えられた。それを視聴していたナイスネイチャは茶碗を落とした。

 しかし、結果から言えばイブキマイカグラは翌日には目を覚まし、ただの脳震盪で受け答えにも問題なし。脚はぽっきりときれいに折れていたためくっつけば後遺症なし。

 念の為1週間入院ということにはなったが、事態とは裏腹に非常に軽症で済んでいた。

 

「しかも!! その原因が野良ロードレース中の事故って!! なんで長距離GⅠ走った2日後の深夜に峠攻めてんのよアンタは!!」

 

「あんたやない、DEATH_DOS(デス・ドス)や」

 

「知らんわ!!」

 

「おう、剥けたぞ」

 

「あらおおきに」

 

 呑気に剥かれたリンゴを頬張るDEATH_DOS(デス・ドス)に、ナイスネイチャは心配して損したと頭を抱える。皆さんご存知の頭を抱えるナイスネイチャのポーズである。

 一方ツインターボはリンゴでうさぎを作り始めていた。

 

「えぇほんまに。元気そうでなによりやわ、マイカグラ」

 

 そんな、はんなりと上品でやわらかな響きであるのにも関わらず、室温を数度下げたのではないかというほどの冷たさを纏った声がかかり、ナイスネイチャは病室の出入り口を振り返る。

 立っていたのはひとりの妙齢のヒトミミ女性だった。いかにも着物美人と言った風体で、なかなかに大人の気品と余裕を感じさせる。

 顔に浮かべた微笑みは優しげであるが、しかしどこかイブキマイカグラと似たような雰囲気を感じさせた。言うなればそう、凄味である。

 

「天皇賞では惜しかったからヘコんでるんやないかと心配やったけど元気いっぱいそうで安心したわ」

 

「と、トレーナー……ご機嫌うるわしゅう……」

 

 慄いている。

 あのイブキマイカグラが顔面蒼白で慄き声を震わせている。ナイスネイチャは信じられないものを見たという顔をした。

 

「厳しいローテーション結構、野良ロードレース結構。結果として実ぃになっとるんやったら調整すんのはこっちの役目やわ……せやから、結果にはご褒美あげんとあかんわなぁ?」

 

「え、ええて! そんな無理せんでも!!」

 

「あかんえ? 大事なだーいじな教え子にご褒美も与えられんようなトレーナーになりたないし」

 

「そ、そないイケズなこと言わんで……堪忍やぁ! な? 今回だけ赦してぇ……!」

 

 必死に縋りつくイブキマイカグラには、普段の飄々として余裕ぶった雰囲気は欠片もない。あまりの落差にナイスネイチャの顔はキング・クリムゾンのCDジャケットのようになっていた。

 しかし、イブキマイカグラのトレーナーは無慈悲にも死刑宣告をくだした。

 

「ひと月、餡こ抜きや」

 

 餡こ? アンコ? ANKO?

 首を傾げるナイスネイチャ。しかし、イブキマイカグラの顔は絶望に染まっていた。

 

「そんな……後生や……それだけは……」

 

「だーめ。せやから、これもうちがいただきます」

 

「えゃっ!!? そ、それ、御福餅○家の御福餅……」

 

 手を伸ばすイブキマイカグラの目の前で、トレーナーはそれを頬張る。ついでにツインターボの口にも放り込む。

 呑気に「うめー!」と叫ぶツインターボを見て、イブキマイカグラは力なく腕を下ろし項垂れた。

 この言い草だと当然トレーナーは事前に知っていたはずなので、わざわざこれをするためだけに菓子を買ってきたことになる。

 

(このトレーナーにしてこのウマ娘あり、か……)

 

「挨拶遅れまして失礼。うちはイブキマイカグラのトレーナーで社北グループ専属トレーナーの伊吹大江言います。あんじょうよろしゅう」

 

「あ、はい。ナイスネイチャです。よろしくおねがいします」

 

「うちの子、ちぃとヤンチャやけど悪い子やないから、これからも仲良ぅしたってな? アホなことやっとったらうちに言うてくれれば叱ったるさかい」

 

 そう言って渡された名刺には、恐らく伊吹に繋がるであろう電話番号が書かれていた。なんとなく、悪魔と契約してしまったような気分になったナイスネイチャだった。

 にこやかに、かつどこかツヤツヤとした伊吹が帰ったあとすぐ、イブキマイカグラは不貞腐れたように眠ってしまった。微かに鼻を啜る音が聞こえたので泣いているのかもしれない。

 見舞いの相手も寝てしまったため、それじゃあそろそろ帰るかなどとナイスネイチャが立ち上がったタイミングだった。病室のドアが再び開いた音が聞こえた。

 

『おーDEATH_DOS(デス・ドス)、俺様が、SS(ダブレス)様が見舞いに来てやったぞ』




公式ライスとの共通点
・他人に対して優しいし他人のために頑張れる娘
・間も悪いし要領も悪い


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オーダー

 ナイスネイチャが彼女を見た第一印象は「関わりたくない」だった。だって明らかにガラが悪い。しかし不運なことにこの部屋の出入り口はひとつしかない。

 などとグルグル考えているうちに、不良(確定)はナイスネイチャなど気にせずズンズンと近づいてくる。と言ったタイミングで、ようやく彼女の小脇にライスシャワーが抱えられていることに気づいた。

 

「ライス先輩!?」

 

『あ? 何だお前こいつの連れか?』

 

『え、あ、えっと……』

 

 昨年のフランス合宿の後、網に「せめて英会話くらいはできるようにしましょう」と詰められたため、それなりに英会話はできるようになったナイスネイチャだが、急に話を振られると流石に動揺した。

 そんなナイスネイチャをよそに、質問に答えたのはツインターボだった。

 

『おー、ライスはあたしらのチームメイトだぞ』

 

『ほー。ってことはあれか、お前ら全員凱旋門賞ウマ娘と同チームってわけね。ま、いいや』

 

 黒いのはそれで興味を失ったのか、ライスシャワーを割と雑におろしてイブキマイカグラに近づく。

 

『俺様が見舞いに来てやったってのに寝てんのかよオイ。あ? なんだ泣いてんのか? ガキっぽいとこもあんだな』

 

 ゲラゲラと下品な笑い方をする黒いのだが、イブキマイカグラは負けたことでも怪我のことでもなく、お預けされた好物のことで泣いていた。

 ツインターボが剥いてそのままになっていたウサギのりんごを当たり前のように口にしながら笑う黒いのを見る、ライスシャワーを除いたチーム《ミラ》ふたりの感情はおおよそ「なんだこいつ」である。

 そしてまた唐突に、黒いのは『そうだ』と顔をナイスネイチャたちの方へ向けた。

 

『思い出した。お前らもコイツと同じであれだろ。皇帝の一番弟子に土つけたライバル共。ええと……ナイスネイチャとツインターボ、だっけか』

 

 正確に言えば、イブキマイカグラはトウカイテイオーに先着したことも、GⅠを勝ったこともあれど、トウカイテイオーが出走したGⅠという条件で1着をとったことはないのだが。そしてそれは、ナイスネイチャもまた同じである――少なくとも公式な結果はそうなっている。

 しかし、トウカイテイオーのライバルと言われればそれは間違いではないし、名前を呼ばれたのだから人違いでもない。ふたりはその問いに頷いた。

 黒いのはそんなふたりをジロジロと不躾に観察し、一通り満足して鼻で笑った。

 

『大した事なさそうだわ』

 

『なんだとぉ!!』

 

 瞬間沸騰するツインターボを適当に押さえつけながらナイスネイチャは考える。目の前にいるのがイブキマイカグラと野良ロードレースでやりあった相手なのだろう。

 見た限りでは決して強そうとは思えない。もちろん喧嘩であれば別だろうが、競技者として見れば100人中100人が走らないと答えるだろう。

 ロードレース、すなわち公道を使ったレースは条例で制限されていることが多い。アスファルトの硬い路面はウマ娘の脚にかかる負担が強く、事故の危険性も高まるからだ。

 しかしながらこれを禁止しきれていない、黙認すらしてしまっているのは『ウマ娘専用レーンで偶然複数人で走っているだけだ』と強弁されてしまえば完全に否定することはできないからだ。精々できることはスピード違反での取り締まりくらいだろう。

 閑話休題、そんなロードレースでとはいえ、イブキマイカグラ相手に競り合える相手だ。ただものでないのはわかる。たとえ、外見がまったくそう見えなかったとしても。

 

(言われっぱなしなのは癪に障るけど、アタシが3流なのは……今はそうでもないかもしんないけど、まぁ自認はしてますし? 下手につっかかって取っ組み合いになるのもアホらしいだけだし、適当に流しますよーっと)

 

 カッとなることもあるが、基本的にナイスネイチャは事なかれ主義である。揉め事は起きないに越したことはない。

 ツインターボの口にお見舞いのニンジンを放り込んで黙らせると、お得意の愛想笑いで流す。黒いのはそれをつまらなさそうに見ると、懐から取り出したペパーミントキャンディーを咥えて、踵を返して病室の出入り口へと向かった。

 

『……これに負けてるんじゃトウカイテイオーも底が知れてんな』

 

 

 

Wait.(待てよ)

 

 自称シルヴァーエンディング――SS(ダブレス)は立ち止まる。その声を聞いたからではない。自分の肌を刺すような感覚からだ。

 本来、ナイスネイチャなどの一部のウマ娘が駆使する《八方睨み》と呼ばれる技術を始めとした所謂『威圧系デバフ』は、レース中で感覚過敏に陥った状態の相手にこそ効果を発揮する。超能力ではない純然たる技術だ。

 しかし、SSはこう見えて多くの激戦を制してきた猛者であり、それ以上に過酷な運命を乗り越えてきた反逆者(レジスタンス)だ。彼女の殺気や悪意に対する感覚は、自分に対して向くそれをことごとくさらっていく。それが彼女が常に苛ついている理由のひとつでもあるのだが。

 そして、そんなSSに突き刺さっているのは、ナイスネイチャがこれまで能動的に出してきたものとはそもそも質が違う。溜め込んだストレスを局所的に発散するそれではない。

 爆発的に増加した負の感情が濁流のように溢れ出すのを、指向性を持たせてSSに突きつけている。

 

『……喧嘩を買ったと思っていいんだな?』

 

『「生憎、腰抜けに払う金はないね」』

 

 ナイスネイチャがツインターボの翻訳を通して伝えた言葉。安い挑発ではあるが、少なくとも先程まで事態を丸く収めようとしていた者のすることではない。SSは再びナイスネイチャに興味を向けた。

 

『「アンタと違ってこっちには競技者として超えちゃいけない一線がある。それをわかった上でそのラインの外から挑発するなんて、檻の中のライオンに石投げてる腰抜けと何が違うのさ?」』

 

『ご自分がライオンだとでも? 人間様がどいつから絞めようか悩んでるニワトリ(chicken)じゃなくて?』

 

『「そう思いたいなら結構結構コケコッコー(cock-do-what-you-want-doo-doo)*1。ニワトリ追うしか能のないワンちゃんは尻尾巻いて逃げてればいいよ」』

 

 交わされる言葉の応酬。それを聞いているライスシャワーとイブキマイカグラ(狸寝入り)は、単純にツインターボの翻訳能力に舌を巻いていた。

 返ってきた思いの外 強烈な挑発に、青筋を浮かべながらも楽しそうに笑うSS。ニイッと裂けた笑みの隙間から鋭い牙のような歯が覗く。

 しかし、完全に()()()なっているナイスネイチャはそれに臆さず続ける。

 

『「アンタがウマ娘で、逃げずに檻の中へ来るって言うなら、そっちが売った喧嘩は適正価格で買ってやる。晩秋の府中、詳しい日付は自分で調べな」』

 

ジャパンカップ(国際招待競争)……ホーム()じゃねえと怖くて戦えねえか?』

 

『「お生憎様、こっちのチャンピオンズカップ()はそっちのダート()とはものが違うよ。それに、家畜相手に(ホーム)がいいって泣きつくつもり?」』

 

『おいおい先に芝っつったのはそっちだろうがよ』

 

『「日本じゃ、獅子は兎を狩るにも全力を尽くすって言うのよ?」』

 

 言い合いが一度止まる。SSからすれば、取ろうと思えば取れる揚げ足も突ける穴もいくらでもある。いい負けた雰囲気になるのは癪だが、しかし条件は整った。これ以上続けるのは見苦しい。

 

giggle(キシッ)……AHA-HA-HA-HA-HA-HA-HA-HA-HA-HA-HA!!」

 

 キャンディーを噛み砕いて、SSが笑う。幸い防音設備が整っているため、周囲から苦情は来ないだろう。一通り笑ったSSは、凶悪な笑みを浮かべたままナイスネイチャを睨む。

 

『ふぅ……シルヴァーエンディングだ。()()()()()()()()()()()。吐いた言葉は飲めねえぞブロンズコレクター?*2

 

『「(シルバー)より青銅(ブロンズ)のほうが丈夫で強いよ?」』

 

 ナイスネイチャの返事を鼻で笑って、SSは今度こそ病室から出ていった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「それで、冷静になってから思い返すたびにひっくり返ってるんですか? あれは」

 

「もう1ヶ月前のことなの……」

 

 控室のベンチにうつ伏せで突っ伏すナイスネイチャをよそに、チーム《ミラ》によるレース前の作戦会議が始まった。

 5月31日、東京レース場。ライスシャワーが出走する日本ダービーの開催である。

 出走するのは当然ライスシャワーだけだが、勉強になるということで出走しないメンバーも作戦会議には参加している。

 

「注意すべきはマチカネタンホイザとミホノブルボンですね。要注意だったレガシーワールドは昨年末の事件で担当トレーナーに契約を打ち切られ、さらに制裁としてクラシック限定GⅠへの出走を禁止されました。現在は新しいトレーナーがついていますが、ライスシャワーが当たるとしてもステイヤーズステークスでしょう」

 

「そう言えば、その新しいトレーナーってどんな人なの?」

 

「競走ウマ娘として有名だった方なので、多分知ってると思いますよ? ギャロップダイナですよ、GⅠウマ娘の」

 

 数秒の沈黙。それはレガシーワールドに捧げられた黙祷だった。

 問題児ではあった。しかし、ギャロップダイナに委ねられたならば、もう。

 

「話を続けますが、マチカネタンホイザはあまり考えなくてもいいと思います。潰れることはないと思いますが、ミホノブルボンより速いということはまずありませんから」

 

「……やっぱり、ブルボンさんだね」

 

「はい。知っての通りですが、ミホノブルボンの脚質は逃げ。それも、従来の逃げとも、ハイペースな逃げとも、大逃げや破滅逃げの類でもない。常に同じペースで走り続ける逃げ方を得意としています。他の逃げのようにペースコントロールをするでもなく、掛からせてスタミナを消耗させるでもなく、あくまで自分の世界に没入する逃げです」

 

 それはある意味、ツインターボやアイネスフウジンよりも余程、カブラヤオーに似ている逃げだ。カブラヤオーは恐怖により肉体のアラートを無視するが、ミホノブルボンは自らの理性の下でそれを行っている。

 狂気とは理性を失うことではなく、理性以外のすべてを失うことだと説いた作家がいた。それに基づくならば理性の怪物たるミホノブルボンは、まさに『狂気の逃げウマ娘』の再来であろう。

 

「2400m走りきるでしょう。余裕はないと思いますが」

 

「ライスはどうすればいいかな?」

 

「いつも通り、ミホノブルボンをマークして動いてください。厳しい戦いになるかもしれませんが」

 

「頑張ってなの、ライスちゃん」

 

「わかった! アイネスお姉さま、ライス頑張る!」

 

 返事をして、頑張るぞーおー、と地下バ道へ向かうライスシャワーを見送るチーム《ミラ》。やがて、アイネスフウジンが切り出した。

 

「ライスちゃんのマーク、威圧を強くすればブルボンちゃんも削り切れるんじゃないの?」

 

「……ライスシャワーの威圧については、本人が無自覚なので指摘しようがないんですよ……何故あれほど強い威圧になっているのかもわかりませんし、根本的に感性が人とズレているので探るのも一苦労でしてね……」

 

「えぇ……」

 

 困惑するアイネスフウジンは、自分を慕う後輩が出ていった扉をただただ見つめるだけだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「今回もっとも警戒すべきなのはライスシャワーだ」

 

 用意した資料に目を通しているミホノブルボンに対して黒沼がそう告げる。黒沼自身はそれほど徹底したデータ主義というわけではないのだが、ミホノブルボンはこうしたデータを逐一参照するタイプであるため、必要に応じて膨大なデータを整理して与えている。

 本当に覚えられるのかと疑うこともあるが、ミホノブルボンは失念することこそあれど覚えられないということは一度もなかった。忘れていることも、指摘すれば思い出せる。

 この強固な記憶力も、ミホノブルボンの持つ鋼の精神力を鍛えた一因なのだろう。嫌なことさえ忘れられないのだから。

 

「ホープフルステークスの時にお前が抱いた、漠然とした違和感。恐らく、今回は形になって襲ってくるだろう」

 

 その言葉に、ミホノブルボンの視線が黒沼に向く。無機質な瞳だが、その奥には強い意志と熱量が含まれていることを黒沼は知っている。

 

「マスター、事案: ホープフルステークスはステータス『緊張』の影響による気の所為(計器エラー)であったと……」

 

「あぁ、お前はそう判断して、あくまで懸念材料として俺に報告した。その懸念が当たったんだよ」

 

 ミホノブルボンは精密機械に弱い。装備によってある程度軽減できるため現代社会から排斥されるわけではないのだが、それとはまた別に単純な機械音痴も発症している。

 そのため、ネット上でのデータ収集に関しては、ミホノブルボンはとことん疎くなる。

 

「ライスシャワーが出走した2度の海外レースとそれ以前に出走した国内レース。そのすべてで、ライスシャワーがマークした相手は強い殺気を感じたと証言している。お前がホープフルステークスで感じたのは、それと同質のものだろう」

 

 ミホノブルボンの"領域(ゾーン)"はかなり特殊なものだ。そもそもトウカイテイオーと同じく最初から使えていたということもあるが、もっと根本的なところに違いがある。

 言うなれば、彼女の"領域(ゾーン)"は二段式なのだ。

 一段階目、スタートと同時にミホノブルボンは"領域(ゾーン)"を構築する。しかしそれは周囲に展開されることなく、彼女の内側へと構築される。そこは彼女だけの世界、彼女の内面である大宇宙だ。

 何者にも惑わされず、刻々と進む時間だけを頼りに、道なき道を目的の星に向けて一直線に進み続ける。未知に満ちた彼女だけの世界。

 そして二段階目。すべての行程が成立した状態で最終直線に入ったときに発動する、星の海からの発進。彼女とともに走ったウマ娘が"領域(ゾーン)"であると認識しているであろう宇宙は、彼女が自らの"領域(ゾーン)"から飛び出したときに砕け散る"領域(ゾーン)"の断片でしかない。

 

 黒沼は、ミホノブルボンがライスシャワーの威圧を受けて違和感で済んでいたのは、この"領域(ゾーン)"の一段階目が原因だろうと読んでいた。

 

「お前の"領域(ゾーン)"の一段階目はレースに効果を表すものではなく、あくまで強固な精神統一でしかないが、その防壁は確かにお前を守っていた。しかし、ライスシャワーも成長している。お前の防壁をライスシャワーの殺気が貫かないとは限らない。無論、お前の精神力ならそれで潰れることはないだろうが、守られた結果として、お前はその殺気を経験することなくここに立ってしまっている」

 

過去の経験(モデルケース)の欠如による耐性(セキュリティ)の脆弱性、ということでしょうか」

 

「あぁ。潰れることはないだろうが、その動揺がお前の掛かり癖を誘発して、二段階目に入れない可能性は十分考えられる」

 

 ミホノブルボンの"領域(ゾーン)"、その二段階目が発動するには、一段階目の間に出遅れず、掛からず、予定通りにレースを進める必要がある。

 特に、ミホノブルボンは未体験、不測の事態に弱い。黒沼が憂慮するのはそこだった。

 

「……まぁ、なんだかんだ言ったが今のお前なら負ける相手ではないはずだ。落ち着いて、冷静にレースを進めれば勝てる。2つ目の冠もとってこい」

 

「オーダー『日本ダービーの制覇』を受領。ミッション内容を確認。ミホノブルボン、出撃します」

 

 ミホノブルボンに油断はない。慢心も。ただ冷徹なまでに目の前の勝利を追い続ける『サイボーグ』。

 

 ライスシャワーとミホノブルボンの、2度目の戦いが始まろうとしていた。

*1
cock-a-doodle-doo: 英語圏でのニワトリの鳴き声。do what you want: 好きにしろ。doo-doo: う○ち。をあわせた表現。作者オリジナルなので実際に通じるかは不明。通じねえよ。

*2
ナイスネイチャは9戦3着4回となんだかんだ多く、SSは3着以下を取ったことがない。



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悪夢か

 ゲートの開放と同時に、ミホノブルボンがハナを取る。そこからはいつもと全く同じ光景だ。

 外からはわからない、彼女の内側だけに展開される"領域(ゾーン)"、星々の浮かぶ黒い海をひとり走る。

 

 それは彼女の夢の象徴だ。望まれるがままを返すだけの、他者の常識の中でのみ生きるロボットでしかなかったミホノブルボンに夢と憧れを与えた、星の海を縦横無尽に駆け巡るエネルギーの塊たる戦闘機。

 自らの体をその憧れに(なぞら)えて、常識の重力から解き放たれ、ただ夢という星に向かって突き進む。

 夢への航路に、羅針盤や地図などという便利なものはない。だから、ただ刻々と進む時間の中で、己の居場所だけをハッキリと自覚して一歩一歩進み続ける。

 

 日本ダービーは、これで優勝候補が3年連続で逃げをうったことになる。そして前例の2回ともに、最後までペースを落とさずに逃げている。片方に至ってはそれでダービーを獲っている。

 もはや、ミホノブルボンがこの2400mを逃げ切ることを疑う者はほんの一握りだ。

 そして、そんなミホノブルボンの目下のライバルとも言える、ライスシャワーが後ろにつく。スリップストリームを求めて他者の後ろにぴったりとマークすることは珍しいことではないが、ミホノブルボンほどハイペースで走る相手の後ろにつくなど自殺行為でしかない。

 

 ライスシャワーの身体的な適性は本来逃げだ。有り余るスタミナを使って相手をすりつぶす、パワーをそのままスタミナに変換したアイネスフウジンとも言えるのが彼女の脚質である。

 にもかかわらずなぜライスシャワーが先行という作戦を採っているの かと言えば、それは逃げに精神的な適性がまるでないからだった。言ってしまえば、ライスシャワーは追う対象がいなければポテンシャルを発揮しきれないのだ。

 自分よりも強い逃げか先行がいるときに真価を発揮する、天性の追跡者。それは、まさにミホノブルボンの対極に位置する能力だった。

 ちなみに、差しや追込はどうかとなると、今度は身体的な適性の壁が存在している。差しは訓練次第でできるかもしれないが、追込は難しいだろう。

 後続との差が開く。日本ダービーという大舞台、2400mというクラシック級前半では長い距離、精神的、肉体的両方に強い負荷がかかるこの状況で、先頭のふたりだけがいつも通りの自然体で走っていた。

 

(……くそっ、やっぱ、走りにくい……!!)

 

 先頭から離れた集団で、ナリタタイセイが心中で毒づく。原因は、ライスシャワーだった。

 ライスシャワーの呼吸は、非常に独特なリズムで行われている。それは、彼女の肺活量であったり、常人との精神的なズレから発生する特徴だ。

 先頭から離れたと言っても先頭のミホノブルボンから2バ身から3バ身、メートルにして5mから7.5m程度。ライスシャワーとはさらに近い。レース中の鋭敏な聴覚なら、それこそ1m程度しか離れていないくらいのと同じ程度の感覚だ。

 だから先行で走るウマ娘たちにとっては、ライスシャワーの呼吸音は、自らのペースを乱す毒となる。それだけではない。ローペースな呼吸と裏腹に回転の速いピッチも、不規則に揺れ動く長髪も、彼女たちを惑わす無自覚の牽制として機能していた。

 

(疲労蓄積率、許容範囲内。行程は1/2地点を通過、予定ラップタイムとの差、許容範囲内。万事良好(オールグリーン))

 

 向正面の直線半ばを過ぎ、ミホノブルボンの走りに狂いはない。予定通りの秒数でコースを駆け抜け、スタミナも十分に残っている。このまま進めば予定通りのタイムでゴール板を駆け抜けることができるだろう。

 

(懸念事項、ライスシャワーさんのタイム……2400mの予想タイムは2.26.9。予定ゴールタイムの2.25.2よりもあとではありますが、最終直線で競り合いになる可能性は考慮すべきですね)

 

 そしてもうひとつ、ホープフルステークスで抱いた違和感。すなわち、ライスシャワーの発する威圧について。

 "領域(ゾーン)"に潜っている現在、ミホノブルボンは他の"領域(ゾーン)"に比べてもさらに深い集中状態にある。それこそ、常人であれば他の出走者やコーナーの存在も忘れ、直進し続けるだけの機械になるような過集中状態だ。

 こうしてまともにレースとして成立するよう走ることができるのは、ミホノブルボンのずば抜けた自己認識能力と精神力があってこそだろう。

 その過集中状態を貫通して一瞬だけ感じた、あの肌が粟立つ感覚をどうしても拭い去れないでいる。それに、黒沼からの忠告もあった。

 

(……注意を向けておくべきでしょう……か……?)

 

 ミホノブルボンの視界の端。それこそ、注意を向けなければ気づかない位置にそれはあった。赤いメッセージウィンドウ。今まで表示されたことのなかった見慣れない警戒色のそれに書かれていたのは、ひどく簡潔な英単語。

 

『⚠WARNING!!』

 

(警告(Warning)……!?)

 

 警戒するならば、注意を向けるべきではなかった。無関心を貫くべきだった。毒への最良の対抗策は、抗体でも解毒薬でもなく回避することなのだから。

 ひとつ、またひとつと新たなメッセージウィンドウが現れる。そのすべてが同じくミホノブルボンへ警告を表すものだ。

 

(何が……いえ、疲労蓄積率は危険水準未満。身体各所の耐久に問題はなし。観測可能範囲に危険存在なし。ライスシャワーさんの威圧によるセンサーエラーであると推定……)

 

 ミホノブルボンの自己認識能力はすべてにおいて正常値であると示している。しかし、意識してしまったがゆえに暴走した危機察知能力は、ガンガンと警鐘を鳴らしていた。

 そして遂に、ミホノブルボンの首に荊棘(いばら)が巻き付いた。

 

(疲労蓄積率の急増を確認。呼吸機構の異常(エラー)が原因であると推測……本当に?)

 

 呼吸のペースがおかしいことに気づくが、確信が持てない。自己認識と現実が、世界の内と外がズレ始める。"領域(ゾーン)"が侵蝕され、ライスシャワーの殺気がぬるりと這入りこんでくる。

 脂汗が滲む。何か恐ろしいものがすぐ近くに来ている、漠然とした恐怖が脚に鞭打ち前へと急かす。

 

(走行ペースの逸脱を確認、修正を……落ち着いて、酸素給排のペースを修正。出力を修正。規定のペースを再確認。不明な危険存在を参照値から除外。疲労蓄積率、ギリギリ許容範囲内。全動作安定を確認(システムオールグリーン))

 

 寸前で、持ち直した。視界からメッセージウィンドウが消え始め、再びミホノブルボンだけの世界へと戻っていく。"領域(ゾーン)"を侵蝕し始めていた荊棘はボロボロと崩れていった。

 ミホノブルボンには掛かり癖がある。一定以上の混乱が引き起こす思考の暴走。過集中状態にあった意識が瞬間的に散漫し、入出力のバランスが崩れることによる意識のオーバーフロー。

 一度そうなると、通常の状態に立て直すことは難しくないが、再び過集中の"領域(ゾーン)"へ潜ることは困難になる。そのギリギリのラインで踏みとどまることができた。

 彼女を助けたのは、ひとえに状況の変化。能動的な"領域(ゾーン)"からの脱出、つまり最終直線が近づいたことだった。意識が切り替わるタイミングで、誤作動を起こしている感覚を一度すべて意識から切り離したことで、攻撃から抜け出したのだ。

 しかしそれは、あと少し状況の変化が遅ければ間に合わなかったということでもある。

 

(……いえ、懸念事項の確認はオーダーの完遂後です。予定タイムから誤差±0.05以内。最終直線への突入を確認。G00(座標指定) 1st.F∞(速度無限大);……ミホノブルボン、発進します)

 

 ミホノブルボンの"領域(ゾーン)"が収縮する。ラップ走法によって溜まっていた脚を放出し、末脚へと変換する。砕けて消えていく"領域(ゾーン)"の残滓が、さながら"領域(ゾーン)"が展開されたかのように周りに伝播していく。

 スパートから追い抜きにかかっていたライスシャワーとの距離が再び開き始める。ライスシャワーもそれを詰めようとするも、ジリジリ、ジリジリと差が伸びていく。

 

『ブルボン先頭でまもなく400mの標識を切る! ここからはブルボン未知の世界! しかしブルボン先頭であります!』

 

 何を今更。ミホノブルボンはいつだって未知の世界を駆けてきた。

 

『ライスシャワーが追走! マヤノペトリュースもやってきた! しかし届かない! まだ2バ身から3バ身! 残り200mだ! 2200m地点通過!』

 

「……ブルボン……?」

 

 黒沼だけが、ミホノブルボンの異変に気がついた。リードを維持すればいい。それだけでいいのに、ミホノブルボンは加速を続けている。突き放す必要はないのに。

 

『ブルボン先頭! ブルボン先頭! ブルボン先頭だ! ブルボン3バ身から4バ身!! 恐らく勝てるだろう! 恐らく勝てるだろう! もう大丈夫だぞ、ブルボン!! 2400m3バ身から4バ身、5バ身リードで逃げ切った! シンボリルドルフ以来の無敗二冠達成!!』

 

 自分がゴールしたのを確認し、脚を緩めたミホノブルボンは滝のように流れる汗を拭う。襲いかかる疲労に膝をつきたくなるのを辛うじて耐える。

 まるで初めて坂路訓練を行ったときのような重い疲労。スタミナが増え、レースではラップ走法を行うようになってからは長らく体感していなかったものだ。

 最終直線に入り、"領域(ゾーン)"から進出したとき。ライスシャワーの殺気がミホノブルボンに突き刺さった。"領域(ゾーン)"の二段階目は無事発揮できたが、その時ミホノブルボンは間違いなく()()()()()()

 必要以上に突き放したのは、怖かったからだ。あの瞬間、鋼の精神力を恐怖が凌駕した。

 

 息を整えながら周りを見渡し、ひとりクールダウンを始めているライスシャワーを見つける。"領域(ゾーン)"というミホノブルボンの内面、自分だけの世界を脅かしてきた荊棘。それはさながら、正確無比に稼働する機械の内側を蝕み狂わせるウイルス。

 知らぬうちに、ミホノブルボンは震える腕を抱えていた。

 

(……ライスシャワーさん。彼女は、私を脅かす悪夢(ウイルス)なのでしょうか……?)

 

 日本ダービーでの勝利は既定路線だった。ミホノブルボンにとって未知の距離ではあったが、それ以上にライスシャワーにとって全力を出しきれない距離であったから。

 次に戦うときは3000m(菊花賞)。ミホノブルボンにとっては当然未知。しかし、ライスシャワーにとってはそここそが本領。

 

(……いえ、それでも。私の目指す夢へ向かうのに、避けて通ることはできないレース。ライスシャワーさん、必ずあなたを超えてみせる)

 

 もとより、この程度で諦められる夢ならば、ミホノブルボンはここに立っていないのだ。

 

 

 

「お疲れ様です。ライスシャワー。どうでしたか?」

 

「うん、ブルボンさんまた強くなってた」

 

「えぇ、今のままなら3000mは厳しいでしょうけど、それまでに確実に仕上げてきます。油断していては足をすくわれますね」

 

 このレース、網は勝つ見込みこそあれど実際に勝てると思ってはいなかった。あくまでライスシャワーのモチベーションを保つためのレースだ。

 ライスシャワーは追う相手がいないと本領を発揮しきれない。ライバルの存在を強く意識させておかなければ、ライスシャワーは集中力が維持できない。

 自分の納得できる目標を見失うとスランプに陥るのは、ライスシャワー個人というよりもリアルシャダイがライダーを務めたウマ娘全体に言える特徴だった。

 

「しかし、その前にグッドウッドカップです。こう言ってはなんですが、間違いなくミホノブルボンよりも余程強敵が出てきます」

 

 ライスシャワーはその言葉に静かに頷く。スタミナはひとまず十分鍛えられている。課題はスピードと、洋芝に適応するためのパワー。

 グッドウッドカップまであと2ヶ月。できることならすぐにでも現地入りしたい。しかしナリタタイシンのメイクデビューはともかく、宝塚記念のことがある。

 言ってしまえば、ライスシャワーならひとりで行かせてもメンタル面に大きな変調はないだろう。しかし、日本の芝質よりは重いもののそれほど大きな変化がなかったこれまでと違い、洋芝に適応するためにはしっかりと指導する必要がある。

 どうしようかと悩み始めた網に声をかけたのは、アイネスフウジンだった。

 

「トレーナー、任せてほしいの」

 

「……、……わかりました。任せましょう。私とライスシャワーは3日後からイギリスに飛んでトレーニングを始めます。アイネスはメンバーのローテーションを確認して、トレーニング内容や調整に微修正を加えてください。何かあれば一時帰国しますので連絡を」

 

 網の指示に力強く首肯を返し、アイネスフウジンと網は軽く拳をぶつける。

 アイネスフウジンがチーム《ミラ》所属の競走ウマ娘兼()()()()()()()になって初めての単独業務が始まろうとしていた。




 昨日寝落ちしました。


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オグタマライブ ??/05/31

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいどー』

『まいど』

『まいど』

『まいど〜』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今日はクラシック戦線の2戦目、日本ダービーや。今年も無敗の皐月賞ウマ娘がおるからそこも楽しみやな」

 

「奇しくも昨年の無敗の皐月賞制覇を達成したツインターボと同じく逃げウマ娘であるミホノブルボンだな」

 

「圧倒的な1番人気やな。ただ、ここ最近は番狂わせも多いからなぁ」

 

『歴史的快挙があったしな』

『カノープス設立以来初のGⅠ勝利を歴史的快挙扱いは……正しいのか……?』

『勝ちきれないってイメージがあったし、こんだけやってて初勝利は快挙でいいんじゃないか?』

 

「まぁ、代表はそれやな。イクノディクタスによるヴィクトリアマイル制覇。チーム《カノープス》に所属するウマ娘からGⅠウマ娘が出んのは初めてや」

 

「NHKマイルの時もオークスの時も触れた話題だな」

 

「擦りたがりがおんねんて。んで、2番人気はライスシャワー。3番人気に《カノープス》からマチカネタンホイザやて」

 

『マチタン!!』

『マチタンなぁ……』

『なんか地味よね』

『没個性な感じ』

『一味足りない』

『見込みはあるんだけどまだ仕上がってないのよね。頼ってくれればアドバイスくらいするんだけど』

『弥生賞見に行ったとき俺に向かって手振ってくれたからファンなんだよね』

『は?』

『お前あのB列の汗臭いデブだろ。手振ってたの俺にだから』

『害悪勘違いオタクマジで氏ね。俺だから』

『なんでカノープスはネスト放置してんの? それでタンホイザがファンサしにくくなったらどうすんだよ』

『普通に考えて先輩である私に決まってるでしょ』

『地味とか言ってた奴らが唾飛ばして反論してんの芝』

『魔性の女ってこういうのを言うんだな……』

『乙女ゲーのヒロイン張ってそうな女』

『マチタンの良さをわかってるのは俺だけだよな系厄介オタク製造機』

 

「ライスシャワーは今回はキツイやろか。ステイヤーもステイヤーやしな」

 

「2400mは日本では中距離だが、smile区分だとLongに分類される。ミホノブルボンに敗着したホープフルステークスよりはマシだと思うが、どうだろうな……」

 

「ミホノブルボンは2400m走りきるやろし、あれやな、ライスシャワーの威圧がどこまでミホノブルボンに効くかやな」

 

『黒い人の話だとブルボンの精神力はかなり強いから厳しいかも』

『言うて本気で勝ちに行くわけでもないのでは? 適性距離外やし』

『適性距離の話を言うならブルボンはガンガンの適性距離外だが?』

『黒沼T上裸にジャケットは暑いのか寒いのかどっちなんだよ。シャツ着ろ』

『網T5月末にガッツリスーツは流石に暑いだろ』

『黒沼トレは12月でも上裸ジャケットだし網トレは8月でもスーツだぞ』

『トレーナーは温感に問題があるやつしかいねえのか』

『トレーナー職へのイメ損がすぎる』

 

「あと期待できんのどのへんや?」

 

「ナリタタイセイだな。オースミ流から独立したナリタ流の生徒だな。ナリタ流では他に姉妹でリギルに所属しているナリタブライアンが有名か」

 

「へぇ、姉妹でリギルってのはおもろいな。強いんか?」

 

「姉のビワハヤヒデは特筆した噂がないのだが、ナリタブライアンに関しては正直強いという噂しかない。小学生の頃から片鱗を見せていて、ナリタ流でも随一だったらしい」

 

「ほーん……そら姉ちゃんは肩身狭いやろなぁ」

 

『肩身狭いっていうか空間が狭いっていうか……』

『凡人の姉と天才の妹か……』

『ビワハヤヒデは今年デビューか』

『ナリタ流出身で今年デビューの娘がミラにいるぞ』

『マ?』

『こないだフー姉ちゃんのウマッターで紹介されてた』

『出た、チーム《ミラ》唯一の公式情報アカウント、アイネスフウジンのウマッター』

『頼むから何かしらのSNSで報連相してくれ黒い人』

『この娘か。ナリタタイシン』

『また小柄だな。タボボやお米に比べればマシだけど』

『お米は小さく見えて中身ガチガチだからなぁ……』

『あー、この娘か。だいぶマシになったな、体格。俺が見たときはそれこそライスと同じくらいだった』

『黒い人ロリコンなん?』

『フー姉ちゃん真っ先にスカウトしてるから違うと思う……多分』

『お米ちゃんのバイト先がタイシンの実家だからコネスカウトだぞ』

『ネイチャもコネって言ってなかった?』

『ネイチャはタボボが連れてきた』

『この前カーラジオでちらっと聞いたけどお米ちゃんを黒い人に預けたのマルゼンさんなんだって。フー姉ちゃんの領域訓練する代わりにって』

『黒い人の交友関係なんなんだよ』

『まぁ予想はつく。車関係だろ』

『あー、高級車繋がりか』

『ナリタタイシンってなんか評判めっちゃ悪くなかった?』

『そうなん?』

『高等部からの外部生なんだよな』

『なんか中学でゴタゴタあったらしくて、その頃のタイシン知ってる奴らの周辺は悪印象持ってんじゃね? ソースは妹』

『こりゃ《ミラ》入りするにはまずメンバーと仲良くなるのが先か?』

『そうなると次に入りそうなのって誰?』

『ミラメンバーと仲良くてデビュー前だと、マヤノトップガンとかマーベラスサンデーか?』

『色んな意味で有名なふたりじゃん』

『小学生の時に天才ウマ娘としてテレビで紹介されたマヤノトップガンと、つい最近まで都市伝説のたぐいだと思われてたマーベラスサンデーか』

『芝』

『有名の方向性が違いすぎて芝』

『結局ナリタタイセイの話題毛ほども出ないじゃん』

『皐月賞は頑張ってたよね……』

 

「こいつらホンマ一個話題渡すと永遠に喋っとんな」

 

「導入してよかったな、コメント読み上げソフト」

 

「このレース前の虚無時間雑談で繋ぐんしんどいからなぁ」

 

『URAから出ると思わなかった音声合成ソフトな』

『今何が出てんだっけ?』

『1stシリーズの"佐倉千代"、"新座ミホ"、"晴戸鈴"の3種、2ndシリーズの"メモのこえ"と"ヤエのこえ"の2種で計5種だな』

『これ読み上げてるのどれでもなくね?』

 

「サンプルもろてきたからな」

 

「発売前のテスターとしてURAからお借りしたもので名称は未定。音源提供はランニングフリーだ」

 

『あー』

『わかる』

『ちょっと声優の○澤さんっぽいよね』

『あー、ざーさんね』

『最近の技術すげぇなぁ』

『タマ、テイオー、ターボあたりの読み上げソフト欲しい』

『本人より聞き取りやすそう』

 

「しばいたろか」

 

「そろそろ発走だぞ」

 

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「ハナをとったのはミホノブルボン、他に逃げはいないようだが、ライスシャワーが早速マークしに入ったな」

 

「あれライスシャワーは逃げとちゃうんか? ミホノブルボンとほぼおんなじペースで走っとるやん」

 

『競り合って前に行こうとはしてないから……』

『逃げより後ろにいて、ハナを取ろうとしてない、先行だな!』

『なんかもうそういうバグだろ』

『バグらせたところでなんの意味が……?』

 

「これまでと同じであれば、ここからミホノブルボンのペースに入るな」

 

「ツインターボとかほどやないけど結構なペースで逃げよるからな」

 

「ライスシャワーはそれについていけるものの、うまく抜け出さなければミホノブルボンに追いつくことができない」

 

「ちゅーかこの展開になった時点でもう8割方決まったやろ。ミホノブルボンかライスシャワーやて。いくら差しや追込が脚溜めたところで間に合わんわ」

 

「残りの2割は?」

 

「ライスシャワーがミホノブルボンを削って奇跡的に共倒れしたところを漁夫る」

 

『辛辣ぅ!!』

『ハイペースな逃げが台頭してきたせいでパワーゲーム感強くなったな』

『本来そのハイペースな逃げに仕上げる段階が一番難しいから、このくらいパワーゲームできないととは思うんだけどな』

『去年みたいにこのペースで逃げるやつにちょっかいかけたり素で差しきれるやつが複数いるほうが異常』

『言うてタボボも去年は2000mでなら無敗だろ』

『テイオーって強かったんだな……』

『過去形にすんなまだつえぇよ』

 

「ほんまナイスネイチャおらんだけでレースの動きがめちゃくちゃ少なくなるんよな」

 

『芝』

『常になんかしてるからなネイチャ』

『ネイチャいないレースのほうが明らか多いんだけどレースでの情報量はトップクラスに多い』

『見てる方もわけわからんくなってくる盤面を走りながら把握しつつ逐一操作してんのマジで頭おかしい』

 

「しかしホンマに言うことなくなるな。もう向正面やぞ」

 

「……先行集団は潰れたかな。思ってたより早かったが」

 

「全体的に掛かり気味な様子なのが多いようだが……皐月賞のときにこの傾向はなかったよな?」

 

「あらへんね。なにやっとんのかはわからんけど、先行集団の異変の原因はライスシャワーやね」

 

『えぇ……』

『あの位置から振り向かずになんかできることあるんか?』

『ゾーンか?』

 

「"領域(ゾーン)"……かは、わからないなちょっと……あぁ、今後ろの何人かが失速したのは"領域(ゾーン)"の影響だろうな」

 

「位置的にはマヤノペトリュースのか? スパートかかって、まだライスシャワーはミホノブルボンについていっとるね」

 

「しかしミホノブルボンの"領域(ゾーン)"は最終直線での加速……恐らくそこで突き放されるだろう」

 

『ここ最近見ることが多くなったな、領域』

『そうなってくるとやっぱ生で見たいんだよなぁ……』

『現地勢だけどペトちゃんのゾーンはブドウが弾けるイメージとアルコールの香りだった』

『ブルボンも領域発動したな』

『お米ちゃん引き離された』

『よくあのハイペースで脚残せるな……』

『ワンツーは決まったな……3着争いがペトちゃんとマチタンか』

『ペトちゃんは伏兵だったな……領域持ってきてるとは思わなかった』

『言うてペトちゃんも重賞級だからな』

 

「決まったな。1着ミホノブルボン、2着ライスシャワー、3着がマヤノペトリュースだ」

 

「今回はほとんど前評判通りの結果やね」

 

「ここからミホノブルボンは菊花賞に向けてのスタミナ強化、ライスシャワーはイギリスでの長距離GⅠに向けたトレーニングが始まる。再び相まみえるのは菊花賞か」

 

『こうしてみると今回のダービー完全にお米ちゃんにとっては片手間というかついでというか……』

『天皇賞観にきたついでに出た感じがあるよな』

『ピロウィがNHKマイル出るついでに皐月賞にも出てきた感じ』

『それだとライスが手抜いたふうに聞こえるからやめろ』

『手は抜いてないだろうけどなぁ』

『とまれ菊花賞でのお米ちゃんラスボス感が高まったな。適性外の距離でもここまで粘れるなら』

『粘る言うても5バ身差だからな』

 

「インタビュー始まったで」

 

『ブルボンのインタビューは答弁って感じだよな』

『台本覚えてきました感が強い』

『まぁでも質問内容は想定できるよな、大体』

『菊花賞じゃなくて秋天行ったほうがいいんじゃないのかって質問するんだ……』

『まぁ、一応しとこうって感じなんじゃない?』

『昨年距離不足考えて秋天行って勝ったクラシックがいたからなぁ』

『流石にマイルスプリント路線に行くみたいな質問は来ないな』

 

「こんなもんやな。ほなこんなところで締めとこか」

 

「次回は安田記念だな」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』




《ほろよい☆テイスティング》
 最終コーナー以降で後方にいると周囲のウマ娘を躊躇わせて加速力が上がる。


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【閑話】BNWの日常と四天王の日常と死んだオタク

 構想では2000年代で締めとなるので四天王のクラシック世代は描かれない予定なんですよね。
 しかし思いついちゃった設定やキャラがもったいないので閑話でお漏らししていく。

【追記】
ジャングルポケット実装につき工事中です。


 ウイニングチケットから見て最初に違和感を覚えたのはいつの頃だっただろうか。ちょうど去年のこのくらいの頃だったかもしれない。

 ナリタタイシンのはじめの変化は水分補給をよくするようになったことだった。水分補給は確かに大事だが、それほど注視していなかったとはいえ、ふと目にしたときに水を飲んでいることが多くなった気がした。

 それから、昼寝をするところを見なくなった。それまでは結構な頻度で授業中や休み時間に、机に突っ伏したりトレセン内の昼寝スポットで寝ていたりというのがなくなった。

 

 元々ナリタタイシン側からウイニングチケットやビワハヤヒデに絡んでくることはほとんどない。それでも仲がいいと表現されるのは、他のクラスメイトだと露骨に避けたり輪から外れたりするような状況でも、このふたりだとそれなりに付き合うからだ。

 しかし、ナリタタイシンにとってふたりの認識は友人以上にライバルなのだろう。トレーニングを一緒にするといったようなことはおおよそないと言っていい。手の内を見せたくないのだろうとウイニングチケットは思っている。

 だから午後の共同トレーニングや自主練で見かけないのはいつも通りなのだが、それを加味しても放課後や昼休みに捕まえにくくなったように感じた。どうやら朝のトレーニングも減らしているらしい。

 そのことをビワハヤヒデに相談してみても「オーバートレーニングを控えるようになったのはいい変化じゃないか」とバナナをぱくつきながら話すばかり。ビワハヤヒデが喜ばしく思っているのはナリタタイシンがバナナをメインにしたスムージーやバナナヨーグルトを食すようになったからだとウイニングチケットは知っている。

 

 去年の夏休みも、7月に行われる教官による合同合宿でもナリタタイシンは見かけなかったし、8月はそもそもまるまるトレセン学園を留守にしていたようで会うことさえできなかった。

 9月に再会したときに問い詰めてみたものの適当に流された。とは言うものの、周りのクラスメイトにしてみればウイニングチケットはかなり構ってもらっている方なのだが。人懐っこく交友を重要視するウイニングチケットの基準も、一般的とは言い難い。

 そもそも、ナリタタイシンの雰囲気はむしろ若干和らいで絡みやすくなっている。自分から絡みに来ることは依然ないし、カラオケやゲーセンに誘っても断りはするものの、昼食時に囲んで食べ始めてみても逃げることはなくなったし、話しかければ会話もしてくれる。

 

 そしてその食事であるが、栄養食品を中心に味気ない食事をしていたナリタタイシンが、この頃には食が細いなりに料理らしい料理を食べるようになっていた。しかしそのメニューが学食にはないものだったということで周囲に激震が走った。

 ナリタタイシンが特別メニューの申請ができる、それはつまりトレーナーがついたということだったからだ。

 ナリタタイシンは以前は「いつも不機嫌*1で目つきが悪く*2、無口だから何考えているかもわからない上に基本的に人の輪に加わってこない。かと言ってレースが上手いわけでもない」という、まさに不良といった印象を持つ者が多かった。

 それが現在は、自身の走る動機を理解してくれて、かつ同情や嘲笑を交えずに小柄な体躯との向き合い方を示してくれるトレーナーが見つかり、実力向上の目処も立ったことでストレスが激減し、雰囲気が柔らかくなった。

 体質と生活リズムの改善で寝不足もなくなり、授業中の居眠りもなくなった、周囲は気づかない程度に体格もやや大きくなったため三白眼も和らいだ。なにより、雰囲気が和らいだことで周囲がナリタタイシンと交流しようとし始めたため、コミュニケーションに難はあるが悪人ではない彼女の人格面が広まった。

 その結果、学園内での風評はともかく、クラス内でのナリタタイシンの印象は大きく改善していた、とはいえ、それは彼女の人格面での印象であり、華奢な肉体とレース下手であることは否定できない。

 そのナリタタイシンが選抜レース以前にスカウトされたのだから、それはもう激震である。ディープなインパクトである。特にウイニングチケットなどには。

 

「ダイ゙ジイ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙イ゙ン゙!! な゙ん゙で゙お゙じえ゙でぐれ゙な゙がっ゙だん゙だ゙よ゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙!!」

 

「なにか言ってるのはわかるんだけど第一声で鼓膜やられてなに言ってんのかまったくわからない」

 

 爆発的な音圧が耳に繰り出されたせいで耳がキーンランドカップ(GⅢ)になってしまったナリタタイシンをひょーいと持ち上げて振り回すウイニングチケット。

 耳が回復するまでに6分を要しながらも、改めてウイニングチケットの訴えを聞くナリタタイシンは既に諦めている。ウイニングチケットを相手にこの手の文句は言うだけ無駄だと。制御とかそういう段階じゃないのだ。

 後ろに控えているビワハヤヒデも何も言わない。口の中はバナナで埋まっているからだ。

 

「なんでトレーナーがついたこと教えてくれなかったんだよお!!」

 

「聞かれなかったから」

 

 これが指導の成果である。見事に因子を継承していた。そんなことはない。実際の理由は教えたのをきっかけに根掘り葉掘り聞かれるのが面倒だったからだ。結局先送りになっただけだったが。

 

「ハヤヒデもなんか言ってやってよぉ!!」

 

「いや、私は知っていたからな」

 

「ブルーギル!!」

 

「ブルータスか? ブルーギルは魚だぞ。まったく、URA.NETのアプリから確認できるだろうに」

 

 URA.NET。URAが発信している中央トレセン学園と各地方トレセン学園の生徒、所属トレーナーの情報やレース日程、過去の重賞レースの映像などを閲覧できる完全会員制のページであり、生徒手帳に記載されたIDによって管理されている。

 とはいえ、一般の生徒やトレーナーでは見られる情報は生年月日や所属チーム、担当など当たり障りのない情報であり、プライバシーに関わる情報は掲載されていない。当たり前だが。

 ちなみにウイニングチケットのページは今に至るまで一度も開かれたことがない。使わない生徒はとことん使わないのだ。*3

 

「しかしタイシン、お前が《ミラ》に入るとはな……あそこなr」

 

「えぇっ!? タイシン《ミラ》に入ったのお!!?」

 

 ビワハヤヒデの言葉を遮りながら、ウイニングチケットが渾身の驚きを繰り出す。それはそうだろう。なにせ昨年の10月当時、チーム《ミラ》といえばそれはもう話題の的だったのだから。

 カブラヤオーの再来とも言われる大逃げの皐月賞ウマ娘、自ら降着を申し出た幻のダービーウマ娘、そしてURA史上初の凱旋門賞ウマ娘。しかもいずれも名門はおろか寒門にさえ通っていない市井の出身で、育て上げたトレーナーさえ門外の出身。

 なお、一人目はその後URA史上初のクラシックでの天皇賞ウマ娘、二人目は無事菊花賞ウマ娘の称号を手に入れることになるのだが。

 そんなチーム《ミラ》は網の発言があってなお、特に寒門のウマ娘からは憧れの的であり、人気はチーム《リギル》に並んでいる。

 だというのに、チーム《ミラ》は《リギル》のような試験制ではなく完全スカウト制。《リギル》が軍隊とすれば《ミラ》は特殊機関、《リギル》がFBIなら《ミラ》はCIAのような扱いである。

 

 ウイニングチケットは驚いているが、ビワハヤヒデはそれを知ったとき驚きながらも納得していた。ナリタタイシンの体格が改善してきているのも知っていたし、それが《ミラ》の網が指導した結果だとすれば納得しかない。

 

「ちなみに私も《リギル》への所属が内定している。実際に所属するのはもう少し先になるがな」

 

「エ゛エ゛ッ!!? ハヤヒデもぉ!!? トレーナーいないのアタシだけじゃん!!!」

 

「この時期にトレーナーいないのは普通でしょ」

 

 ナリタタイシンが鼻で笑う。以前から「タイシンは人見知りなんだからマジメに探さないとトレーナー見つからないよぉ!!」とうざったかったことへの意趣返しが成ってご満悦である。

 ぐぬぬと唸るウイニングチケットを尻目に、ナリタタイシンはふたりをしっかりと見据える。

 

「そういうわけだから、これまでのアタシと同じだと思わないこと。アタシも、本気でトゥインクルシリーズ獲りにいくから。ナメてかかってきたら痛い目見るよ」

 

 こっちに気を遣ってる余裕はなくなったぞと、ナリタタイシンはお節介焼きの友人たちに宣告する。そしてそれはふたりにとっては、自分はもう大丈夫だと言っているようにも聞こえた。

 のちに、この3人はBNWと呼ばれ、TTN世代に負けぬ接戦熱戦を繰り広げることになる。そんな彼女たちの歯車が噛み合ったのは、間違いなくこの瞬間だろう。

 

 

 

 

*1
寝不足と自分の実力への不満が原因。

*2
背が低いので三白眼気味になる。

*3
例: ミホノブルボン



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ない(無慈悲)

 アイネスフウジンがサブトレーナーとして、イギリスへ行った網の代わりにチーム《ミラ》の様々な管理を行い始めて1週間。とはいえ、元々やること自体はそう多くない。

 基礎的な部分は既に網が考えてマニュアルにまとめてあり、アイネスフウジンはそれを見ながら指示をするだけだ。

 マスコミへの対応は基本的に一度トレセン学園が預かり、学園から各個人やチームへ話が行くようになっている。直接取材を申し込んでくるような記者へは「学園を通してください」の一点張りでいいと網から指示されている。

 網の影響でアイネスフウジンもかなり図太く……もとい精神的に強くなっている。それでもやはりライスシャワーが一番のメンタル強者なのだが。

 

 そんなアイネスフウジンが目下考えていたのは、宝塚記念への出走登録についてだった。

 遠征中のライスシャワーやデビュー前のナリタタイシンは当然出走できないが、残りのメンバーであるアイネスフウジン自身とツインターボ、ナイスネイチャは人気投票の結果、出走登録をすれば優先される。

 なにせツインターボは人気投票1位、アイネスフウジンは2位であるし、ナイスネイチャも10位以内には入っている。

 ちなみに凱旋門賞をとったアイネスフウジンよりツインターボのほうが上の順位なのは、単純にファン層が広いからだ。キャラや走り方のインパクトから子供からお年寄り、カジュアル層などにもまんべんなく人気がある。

 普段あまりレースを見ないという人も、ツインターボのマスコット的な点を気に入って、人気投票を見かければとりあえずツインターボに入れておこうといった流れになりやすいのだ。

 そこを問われると、アイネスフウジンはウマ娘レースファンからの人気はあるが、カジュアル層には凱旋門賞のすごさが伝わりきらない点があった。

 

 そういうわけで、あとは本人たちの意思確認である。

 

「ターボちゃんは出るよね? 適正距離(2200m)だし」

 

「出る!!」

 

「ネイちゃんはどうするの?」

 

「うーん……それなんですけどねぇ……」

 

 ナイスネイチャが悩むのには理由がある。

 まずひとつ、そもそもナイスネイチャがグランプリレースを苦手としていること。他のGⅠに比べてマークを絞りづらく、対応しなければならない相手が多くなりがちなグランプリレースは、地力が低いナイスネイチャにとって鬼門だ。

 もうひとつ、今回は逃げ、しかも大逃げが多くなるだろうという点だ。

 

「えっと、アイネス先輩は出るんですよね?」

 

「うん、今年は勝つの!」

 

「っ……すよねぇ……」

 

 ツインターボとアイネスフウジンが確定。更におそらくメジロパーマーも出てくるだろう。

 結論から言えば、勝算が著しく低い。出るレースにこだわりがない点はチーム加入当時から変わりがないナイスネイチャにしてみれば、クラシック限定(一生に一度)ならともかくシニアレースに無理に出る必要はないのだ。

 それこそ、まだGⅡに出ても弱い者いじめだの雑魚狩りだの言われないであろうGⅠ2勝のうちにそちらを回るのがいいとさえ思っている。

 これが網相手であれば同意を貰えただろう。彼は苦手な相手を避け、得意分野で勝負することに理解がある人間であり、ウマ娘の希望を優先してくれる。

 しかし残念なことに網は現在渡英してお米の促成栽培に身をやつしている。そして目の前にいるのはサブトレーナーであるアイネスフウジン。

 網の個性にかき消されて目立たないが、アイネスフウジンは結構な体育会系であり、根性の人である。

 

「ネイちゃんもせっかく出られるんだから苦手を克服するいい機会だと思うの! ネイちゃんとの公式レースは初めてだから楽しみなの!」

 

「おー! 今度はネイチャも一緒か! ターボ負けないぞ!」

 

「あ、はは……ウッス、出ます……」

 

 そして迎合しがちなナイスネイチャは悪意なき押し付けと多数決に弱い傾向にあった。

 情に棹をさしたナイスネイチャが流されていくのを、ナリタタイシンは若干気の毒そうな顔で見ながら、自作のドライフルーツを頬張るのだった。

 

 

 

 と、いうのが、2週間ほど前の話。

 6月28日、阪神レース場。宝塚記念開催。

 行きの新幹線はツインターボの希望でグリーン車であった。アイネスフウジンとナイスネイチャは「飛行機をエコノミーからビジネスクラスにするよりは安い」と思ってしまったことに若干へこみ、ナリタタイシンは充電用コンセントの存在に気づいてそれ以降もグリーン車を使うようになる。

 

 閑話休題。ナイスネイチャは本日同じレースに出走するメンツを見渡して、乾いた笑いを溢した。

 勝負服で意気込んでいるアイネスフウジンとツインターボ。向こう側にはメジロパーマー。予想通りである。それはいい。

 しかし、メジロパーマーと親しげに話しているのは何を隠そう本家爆逃げダイタクヘリオス。有記念にも出ていたため、人気投票の上位で目にしたときにもしかしてとは思っていたが、2200mならワンチャンを狙いに来るか。

 そしてもうひとり、見逃せない、見逃してはいけない出走者。

 

「ライスシャワーさんのチームメイト、チーム《ミラ》の皆さんと認識。本日は胸を借りさせていただきます」

 

「……why、無敗の二冠ウマ娘?」

 

 そう、つい先月日本ダービーを制覇し、無敗の三冠ウマ娘に王手をかけたはずのミホノブルボンが、無敗という栄誉をかなぐり捨ててまさかのクラシックでの宝塚記念への出走であった。

 凱旋門賞ウマ娘をはじめとしたシニア級のGⅠウマ娘を相手に賭けるには少々大金が過ぎないだろうか。そんな気持ちを込めたナイスネイチャの呟きにミホノブルボンが答える。

 

「この宝塚記念における対戦経験は、残る一冠、菊花賞での戦いにおいて非常に重要であると判断し、出走を決定しました。私の目標はクラシック三冠の制覇であり、無敗であることは菊花賞での勝率を上げることより優先されるものではありません。優先順位を間違えては、ライスシャワーさんには勝てませんので」

 

 ミホノブルボンの"領域(ゾーン)"は過集中状態を作り出すが、前を走られると崩れやすいという弱点がある。ここまでは幸いそのような走法の相手とは当たらなかったが、ここから先で当たらないとは限らない。その相手が菊花賞に出てこないとも。

 だから、ミホノブルボンは無敗の三冠をとる権利を捨ててまで、宝塚記念への出走を決めたのだ。

 

「……そうすか……」

 

 そんなミホノブルボンのストイックな選択も、ナイスネイチャにしてみれば逆風でしかない。破滅逃げ3人、ハイペースな逃げ2人、普通のレースに普通の逃げが多くても3人程度であることを考えれば異常事態と言える。

 出バ表が発表された時、「めっちゃおもしろそう」「ズルい」「出たかった」とトウカイテイオーやイブキマイカグラからの愚痴メッセージに付き合っていたため、メンタルが結構削られていたこともあり、ナイスネイチャは切羽詰まっていた。

 

「……まぁ、一緒に頑張りましょうや」

 

「……ホワなんとか先輩……」

 

「ホワイトストーン!!」

 

 ホワイトストーンはナイスネイチャのことを、なんか他人と思えない後輩と認識していたが、初対面である。ホワイトストーンは距離の詰め方が下手だった。

 とはいえ、彼女も含め、集まったのは皆希代の優駿である。ひとり、またひとりとターフへ向かうのを見て、ナイスネイチャもそれを追う。

 

 URA史上最も異質な宝塚記念が幕を開けようとしていた。

 

 

 

「……す、救いはないのか……?」

 

 なお、最も絶望していたのは、このレースにおいて6人目の逃げウマ娘であり、唯一セオリー通りの逃げを得意とする、昨年のステイヤーズステークスをレコード勝ちした彼女、メイショウビトリアであった。




 ビトリアのセリフを調整。
 アニメの見た目から口調を調整しました。


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むべ山風を

 昨日寝落ちしました。


 ガシャン、と金属音がして、ウマ娘たちの目の前のゲートが開かれると同時に逃げウマ娘がハナをとるために飛び出す。

 中には先頭でなくとも逃げのペースで走れればいいという逃げウマ娘もいるにはいるが、大半の逃げウマ娘は先頭に立ってペースを作ることを目的としたり、心理的な問題で先頭に立たなければならなかったりする。そのため、位置取り争いは常である。

 そして、今回その先頭争いをする逃げウマ娘は、出走者13人のうち6人。ほぼ半数だ。しかもそのうち4人はGⅠを複数回制覇している。当然、激しい競り合いが予想されていた。

 

 しかし。

 

『ゲートオープンと同時にハナをとったの、は……め、メイショウビトリアです!! メイショウビトリア先頭!! 続いてメジロパーマーとダイタクヘリオス、アイネスフウジンの順!! ツインターボとミホノブルボンは出遅れました!!』

 

 誰もが予想し得なかった展開に会場中がザワつく。当然、メイショウビトリア自身も驚愕である。

 そして、多くの観客たちが、ターフを走るウマ娘たちが、何が起こったかを予測する。天皇賞の時と同じく、不審な状況の元凶となり得るウマ娘へ視線が集まった。

 

(……あ〜らあら、また人のせいにしてくれちゃって〜……ま、今回はアタシなんだけど)

 

 『八方睨み』ナイスネイチャ。天皇賞でこそ予測していなかったメジロパーマーの大逃げを牽制しきれなかったが、今回は多くが逃げてくることがわかっている状態でのスタートだ。

 それならそれで、やりようはある。

 

(結局ぶっつけ本番になったけど、うまくいってよかった……とはいえ、効いたのはアイネス先輩にブルボン先輩、あとターボか……ま、半分止められれば上々かな)

 

 ナイスネイチャが行ったのは普段彼女がやっているのとほぼ同じ、視線による威圧である。外枠近くに配置され、ナイスネイチャの右手側にすべての逃げウマ娘たちが揃っていたことを利用した。

 本来、こうした威圧はレース中の興奮によって感覚過敏になっているウマ娘にこそ効果がある。だから、ほとんどの威圧はレース中盤から終盤にかけて行われる。

 しかし例外もある。それが、ゲート内。ゲートが開く瞬間を見極めるために集中しているそのタイミングは、ラストスパートと同じくらいに感覚が過敏になる。

 

 スタートダッシュには2種類ある。テンが速いタイプと、ゲートが巧いタイプだ。

 前者は即ちパワーがあるタイプであり、多少の出遅れをひっくり返すだけの加速ができる。反面、ゲートから出た直後に前を押さえられて蓋をされることもしばしばある。

 後者は文字通り、ゲートが開くタイミングを見極めるのが巧いタイプだ。ゲートが開いた瞬間に飛び出す、そんな最初の一歩が巧い。

 当然、このふたつの特性を併せ持つウマ娘もいるがそれはさておく。重要なのは、後者の特徴があるウマ娘はゲート内で集中状態にあるということだ。

 

 ナイスネイチャのしたことは文字にすれば単純だ。ゲートに集中して感覚が過敏になっている相手に対して、ゲートが開くというそのタイミングで、視線での威圧をぶつけた。それだけである。

 それだけだが、効果は劇的だった。集中して構えている間、身体は緊張状態にある。そして、ゲートが開いた瞬間に緊張を解いて、バネのように走り出すのがスタートの基本だ。

 ゲートの方向へ向けた意識が、緊張を解いたその瞬間に横からの威圧を貰えばどうなるか。その結果がこれだった。

 

 なんということはない。集中しきれていなかったメイショウビトリアは逆に威圧に気づくことなくスタートを切ることができた。多少なりとも集中はしていたが加速力に頼るタイプだったメジロパーマーとダイタクヘリオスはそれを追走。

 深く集中してスタートを切るタイプであるアイネスフウジンはモロに威圧を食らい、"領域(ゾーン)"が発生するほどの()()()()()()()()()()ツインターボとミホノブルボンは、"領域(ゾーン)"が割れるほどのダメージを負って出遅れたのだ。

 

『ハナをとったメイショウビトリアをメジロパーマーとダイタクヘリオスが躱して先頭争いが始まりました! ツインターボも猛追!! 懸命に爆逃げふたりを追って先頭を目指す!! アイネスフウジンはハイペースながら普段よりも抑えて先行気味の動き、ミホノブルボンはそのやや後方にいます、こちらも先行策か!?』

 

 まずはツインターボが掛かった。彼女は気性によってハナを取ろうとしているタイプであり、前を走られるという状況に対してミホノブルボンよりも弱い。

 ごく一般的な逃げのペースをキープしようとするメイショウビトリアをさっさと追い抜いて、破滅ペースの逃げを見せるメジロパーマーとダイタクヘリオス。それを今に抜かさんと言う勢いで、ツインターボはアイネスフウジンやメイショウビトリアを追い抜いて駆け上がっていく。

 

 次々に追い抜かれたことでメイショウビトリアも掛かって、ややハイペースな走り方になる。アイネスフウジンはその後ろでスリップストリームを確保した。

 そしてミホノブルボン。想定よりも更に過酷な、スタート時点で既に"領域(ゾーン)"を割られ過集中から引きずり出されるという状態でのスタートになった。

 

(想定外……いえ、油断していました。想定できる範囲内であったはず……これ以上の思考は無駄であると判断。プラン2へ移行します)

 

 ミホノブルボンが考えていたこのレースの1つ目の目的は、前を走られている状態でいかに"領域(ゾーン)"を維持して、掛からずに走れるかであった。しかし、それはレース開始とともに崩れた。

 故に2つ目。擬似的な"領域(ゾーン)"への潜航。"領域(ゾーン)"を経由せずに脚を残し、最終直線で末脚を発揮する。

 ミホノブルボンの"領域(ゾーン)"は過集中状態へ潜航することによって発揮される自己管理能力と精神統一であり、最終直線での末脚はその副産物に過ぎない。つまり、"領域(ゾーン)"なしでも予定通りのタイムで走ることができれば、最終直線で加速することは理論上可能だ。

 星の海ではなく緑のターフに航路を転換したミホノブルボンだが、しかしペースは既に速くなり(掛かり)始めていた。

 

 先頭集団は2-1-2-1で進んでいる。ハナを競り合うのがメジロパーマーとツインターボで、その後ろにダイタクヘリオスがつける。1バ身ほど開いて掛かり気味のミホノブルボンとメイショウビトリア、メイショウビトリアの後ろにアイネスフウジンが走っている。

 そして、その後ろは今までの大逃げほど離れていない。逃げ全体が出遅れたことが響いているのか、ハイペースに巻き込まれているのか、団子となったウマ娘たちが位置取りを争っている。

 ナイスネイチャは逃げへの干渉を諦め、今は周りへの工作に専念していた。アイネスフウジンが()()()逃げの殿(しんがり)に陣取ったことが原因だ。

 逃げへちょっかいをかけるには、威圧による干渉と他のウマ娘を介した干渉がある。前者は弾数制限があり多くは使えない。かと言って、後者はシニア2年目のアイネスフウジンによってしっかりと防がれていた。

 前への干渉を無駄だと理解させることで、ナイスネイチャの牽制を後ろに集中させるのが目的だろう。ナイスネイチャはそのことに気づいていたが、だからといってどうにかなることではない。

 

(機会を待つしかないかぁ……)

 

 今は相手の思惑通りに動くしかないし、実際それが最善だろう。

 一方で、先頭争いはレース半分を過ぎてなお苛烈だった。互いに差し返しあうツインターボとメジロパーマー。一見互角に見えるふたりだが、主導権は明確にメジロパーマーが握っていた。

 理由はメジロパーマーがしばらくの間出走していた障害競走にあった。障害競走はその名の通り、コース上にある障害物を飛び越えて行うレースだ。ジャンプするたび、小刻みな加速をする必要がある。その経験が、この先頭争いに対して有利に働いた。

 そんなふたりを見ながら、元々先行策をより得意としているダイタクヘリオスはふたりの後ろで爆逃げしつつも機を窺う。

 

 そして、遂にレースが大きく動く。

 

「っ……!! カハッ!!」

 

 ツインターボが大きく口を開けズルズルと垂れ始める。およそ2年ぶり、人によっては初めて見ることになるだろう、ツインターボの逆噴射だ。

 ツインターボの破滅しない破滅逃げは"領域(ゾーン)"を使って誰よりも早くゲートを飛び出し、他のウマ娘が加速しきる前にハナを奪い、誰もいない先頭を競り合うことなく走り続けることを前提としている。

 つまり、そもそも競り合いを想定していないのだ。何故ならツインターボに競り合いの判断などできない、そこまで頭が回らないから。だから、はじめから切り捨てていた。

 

 第3コーナーでツインターボが沈みはじめ、ここまで耐えていたメイショウビトリアにも翳りが見え始める。それを見たアイネスフウジンが、最終コーナーでメイショウビトリアを躱してスパートをかけるために準備を始める。

 しかし、そのタイミングでメイショウビトリアが()()()()と大きく失速した。メイショウビトリアの失速に巻き込まれ、後ろに張り付いていたアイネスフウジンも速度を下げざるを得なくなる。

 

(ネイちゃんなの!! また嫌なタイミングで……)

 

 ナイスネイチャの威圧だ。間違いなく絶妙なタイミング。アイネスフウジンが前傾姿勢に入ろうとしたタイミングでの威圧を、メイショウビトリアに対して放った。

 元々失速しつつあったメイショウビトリアはそれで完全に失速し、後ろにいたアイネスフウジンはスパートを中止してメイショウビトリアを避けることに集中しなければならなくなった。

 さらに、メイショウビトリアを躱して今度こそスパートをかけようとしたタイミングで、今度はアイネスフウジン自身へ威圧が飛んでくる。アイネスフウジンだけでなく、メジロパーマーやダイタクヘリオスもそれを受けたらしく、ふたりの体勢がやや揺らぐ。

 

 体勢を立て直したアイネスフウジンとメジロパーマーが、最終直線に入ってようやくスパートをかけ始める。そんなふたりの内を抉るように、ダイタクヘリオスが"領域(ゾーン)"に入りながらスパートをかけ。

 

「ゲ、ェエッ!!?」

 

 かけ、ようとして、踏ん張りきれなかった脚が芝の上を滑り、力が流れて"領域(ゾーン)"が強制的に解除される。先程の威圧でスタミナを削られきったのが原因だった。

 なんとか体勢を立て直そうとするが、完全にスタミナが底をついて、走るのがやっとの状態。転ばないようにするので限界だった。

 

「アハハハハハ!! ムーリー!! あとは頼んだパーマー!! アハハハハハ!!」

 

「オッケー!」

 

 そのまま大きく外に逸れながら失速していく、失速慣れしている感があるダイタクヘリオスに託されたメジロパーマーが最終直線を駆ける。

 

(G00(座標指定)1st. F∞(速度無限大); ……エラー。疲労蓄積率が規定値を大幅に逸脱……通常のスパート態勢に移行します)

 

 掛かり気味だったミホノブルボンは末脚を発揮しきれず、なんとか失速をしないように持ちこたえている。

 追走するアイネスフウジン。ナイスネイチャも迫ってきているが間に合うかはわからない。仁川の舞台には、これから坂がある。

 

 アイネスフウジンがメジロパーマーのすぐ後ろまで接近し、"領域(ゾーン)"の条件が満たされる。乱気流を纏ったアイネスフウジンが加速し、メジロパーマーを躱す。

 

「こっな……くっそぉ!!」

 

 目の前の乱気流を乗り越えようと意地でそれを差し返し、再び先頭をメジロパーマーが取り戻す。しかし、この競り合いでアイネスフウジンが、もうひとつの"領域(ゾーン)"の条件を満たした。

 風に押され走るアイネスフウジンと、風を乗り越えんと進むメジロパーマー。疾風と嵐が仁川の坂へと差し掛かる。どちらも上り坂を得意とするふたり。大きな失速を見せることはない。

 

『アイネスフウジンか!? メジロパーマーか!? 今ふたり並んでゴール!! 写真判定は……アイネスフウジン!! クビ差でアイネスフウジンが勝利をもぎ取りました!!』

 

 勝負根性は互角、決め手となったのは、残されたスタミナだった。序盤から競り合いを続けていたメジロパーマーと、スリップストリームで温存を続けたアイネスフウジンとの差。メジロパーマーが力押しで勝つには、その差は開きすぎていた。

 負けはした、しかし確かに感じた手応えを噛みしめるメジロパーマーに、差し出される手があった。顔をあげると、アイネスフウジンが握手を求めていた。

 

「パーマーちゃん、ナイスランだったの」

 

「あ、はは。意地だよ意地。まぁ、今回は随分引っかき回されてたから、それに助けられたのもあるけど……」

 

「それを上手く利用できるところまで含めて実力なの!」

 

「おやぁ、もしかしてターボ磨り潰してアイネス先輩の足引っ張っただけのアタシの話してます?」

 

 求められた握手に応じるメジロパーマー。9番人気が見せたまさかの大善戦と、アイネスフウジンが彼女の実力を認めたことにより、観客たちが大きくどよめきながらも歓声を上げる。

 そんなふたりの話に交ざってきたのはお馴染み、3着に駆け込んだナイスネイチャだった。自虐風におどけながらの登場に、そういう会話には慣れていないメジロパーマーはややギョッとした感じだったが、アイネスフウジンは笑いながら対応する。

 

「チーミング疑われないから好都合なの。それより、ネイちゃんまた手札増やしたの?」

 

「前々から考えてはいたんですけど試すタイミングがなくて……もうちょっと相手が少なければ意識が分散されなかったと思うんですけど、流石に6人はキツいっすわ……」

 

 アイネスフウジン1着、メジロパーマー2着と上位に食い込んだ逃げウマ娘であるが、ミホノブルボンは5着、ダイタクヘリオスは7着、ツインターボは11着、メイショウビトリアは12着と大きく順位を落としており、掲示板入りしたのはミホノブルボンだけだった。

 その結果を作り出したのはほぼほぼナイスネイチャが原因であるため、間違いなく技術はアップしている。

 

「ま、課題も見えましたよ。やっぱアタシ基本的に『弱者』なんで、しばらくは基礎能力の底上げですね」

 

「ネイちゃんとターボちゃんはランニング系のトレーニング全面解禁するように言われてるから、トップスピード上げ頑張るの! トレーニング後のケアも忘れずに……って、そう言えばターボちゃんは大丈夫なの?」

 

 アイネスフウジンがツインターボの姿を探すと、端の方で酸素ボンベを吸入しているのが見えた。天皇賞のときと違って意識はあり、体を起こしている状態だ。単純にスタミナ切れだろう。

 

 一方、掲示板入りはしたものの完敗と言える結果となったミホノブルボンは、別の方向性でのメンタルトレーニングの必要性を感じ取っていた。

 ミホノブルボンは強い精神力を持っている。それは間違いない。しかしそれは、目標に向かうまでの困難に耐えるという点での強さだった。

 今回浮き彫りになったのは、その真っ直ぐ向いた精神力、集中力を根本から逸らされる、ズラされることへの弱さ。そして、一度崩れたところからのリカバリーの難しさだった。

 掛かり癖はその発露のひとつでしかなかった。

 

(この強化は間違いなくライスシャワーさんへの対抗策(セキュリティ)になる……マスターと再度話し合わなくては)

 

 チームでの会話へ向かったアイネスフウジンとナイスネイチャを見送り、メジロパーマーは大の字になっているダイタクヘリオスのもとへ向かう。

 

「ヘリオスー無事かー?」

 

「パーマー……ちょ、体力ミリだわ……だいぶキャパい……」

 

「へばってんね〜……ま、今回は乙ってことで」

 

 ダイタクヘリオスの手を引っ張り立ち上がらせるメジロパーマーは、ダイタクヘリオスへと悪戯の相談でもするかのように、こっそりと話し始める。

 

「ちょっとこのあとトレーニング付き合ってくれる? ()()のコツ、掴んだかも知んない」

 

「……マ? やったじゃんパーマー」

 

「できることなら秋天までに仕上げたいけど、どうせなら完璧にしてからかましたいし……中途半端に見せるくらいなら秋天負けてでも有までお預けってことで……」

 

「イイじゃん……おけまるっド肝バッコーンしてやろうZE☆」

 

 かくして、荒れに荒れた宝塚記念は幕を下ろすこととなる。しかし、忘れてはならない。嵐は思っているより大きいのかもしれない。

 去ったと思っていた嵐が、実は単に()の部分に入っただけだった、ということも、少なくはないのだから。




 パンサラッサドバイターフ逃げ切り同着1位おめでとう。
 シャフリヤールドバイシーマクラシック1着おめでとう。


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オグタマライブ ??/06/28

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど〜』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「てことで宝塚記念なんやけど、先週の安田記念のときも言うたけどなんやこのメンツ」

 

「アイネスフウジン、ツインターボ、メジロパーマーが出走するのはほぼ予想通り。だが、それに加えダイタクヘリオスとミホノブルボンまで出走している」

 

「ダイタクヘリオスは有にも出とったしまだええわ。なんでミホノブルボンまで出とんねん。お前無敗やろ」

 

「事前のインタビューでは『菊花賞を勝つにあたっての自己研鑽のため』と語っている」

 

『そもそも菊花賞に勝てなきゃ無敗でも意味がないから、無敗捨ててでも経験値を稼ぎに来たってコト?』

『そりゃまぁゲームとかで考えれば納得はできる選択だけどこれ現実だぜ?』

『これが黒い人も唸った鋼の意志……』

『唸ってたか?』

 

「ほんで地味に《ミラ》のGⅠメンバーはフル参戦やな」

 

「網トレーナーはチーム同士での食い合いに抵抗がないからな」

 

「見とるこっちは強いやつ同士が戦うとるさかいおもろいんやけどな」

 

『実際この距離なら誰が強いん?』

『言うてベストレンジのターボかアイネスでしょ。パーマーはメジロでステイヤーだし、ヘリオスはマイラー。ブルボンはわからんけど、現時点ではアイネスの下位互換だわ』

『ターボは他の大逃げとの対戦経験ないからなぁ。ヘリオスとパーマーに揉まれてどうなるかよ』

『ターボがパーマーとヘリオスに揉まれる!?』

『座ってろ』

『ばんの民さんこっちです』

『ドーモ、BGⅠ2勝ウマ娘です』

『アイエエエ!!?』

『名ばんバもよう見とる』

『てかターボ競り合うんか? ゾーンでぶっ飛ばしたターボに他が追いつけるん?』

『俺はネイチャがグッダグダに掻き回してくれることに花京院の魂を賭けるぜ』

『誰かメイショウビトリアの話もしてやれよ』

『ビトリアなら出バ表発表のときにウマッターで「微トリア」って呟いてたぞ』

『芝』

『芝』

『自虐で芝』

『仮にヘリオスとブルボンが出なくても十分キツイんだから回避しろよwwww』

 

「事前の人気投票では1位がツインターボ、2位がアイネスフウジンだったが、レース前でのチケット売り上げではアイネスフウジンが1番人気、ツインターボが2番人気となっている」

 

「人気投票の3位はミホノブルボンやけど、3番人気はナイスネイチャでチーム《ミラ》が上位独占やな。ミホノブルボンは4番人気や」

 

『ネイチャは8位だったね、人気投票』

『スペースネイチャに票が流れた可能性』

『ないです』

『そういや今日黒い人いないのか』

『お米ちゃんと一緒にもうエゲレス行ったで』

『てかダービーの3日後には日本におらんかった』

『落ち着きなくて芝』

『タイシンちゃんだけ待機場所におるで』

『酸素ボンベと氷嚢(ひょうのう)握りしめてかわいいね♡ 溶けるぞ』

 

「さて、そろそろ発走やで」

 

『ぱーぱー↓ぱーぱー↑』

『ぱーぱー↓ぱーぱー↑』

『ぱーぱー↓ぱーぱー↑』

『ぱーぱー↓ぱーぱー↑』

『ぱーぱー↓ぱーぱー↑』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

『!?』

『え』

『なに』

『なんぞ!?』

『ネイチャァ!!』

『ま た ネ イ チ ャ か』

『なんでもかんでもネイチャのせいにするなって何回も言ってネイチャだこれ!!』

『アイネスとタボボとブルボンが出遅れてんのにネイチャが関係ないわけないんだよなぁ……』

 

「どう思うオグリ?」

 

「ナイスネイチャの威圧で間違いないだろうな。ゲートが開く直前に、集中しているところへ威圧をぶつけられたせいで一瞬早く集中が途切れる。それでゲートが開いていないのに前に出そうになって、慌てて止めたところでゲートが開いたから出遅れたんだ。これだけ威圧のコントロールができるのは、今回の出走者にはナイスネイチャしかいない」

 

「ちなみに聞きたいんやけど、ルドルフやったらどうするん?」

 

「ゲートが開く直前まで威圧を押し付けてスタミナを削り続ける。両隣の逃げじゃないウマ娘に殺気を当て続けて極限的な集中状態にして、逃げウマ娘より先に前に出して蓋にする。今回のナイスネイチャと同じ手を使うこともあるだろうな」

 

「エグ」

 

『地獄絵図で芝』

『悪魔か?』

『皇帝です』

『タマの端的な感想で芝』

『オグリはルドルフの研究者なん?』

『オグリはルドルフの遊び相手だぞ』

『自分を負かした先輩方と、バチバチやりあった同期と幼馴染に逃げられてお労しくなった陛下の心の隙間を埋めてくれた大事な大事な玩具』

『世界で一番ルドルフのデバフ食らってる女』

『待ってすげぇ初耳情報出てきてビビるんだけど皇帝ってそうなの』

『いや知らん』

『状況だけ見ればまぁ間違ってないけどさぁ!!』

『シリウスがドリームシリーズ行ってないの謎だもんなぁ……ギャイナさんはフランスでトレーナーやってて、カツラギエースはプロのチェスプレイヤーだっけ?』

『ニシキが故障して引退、スズパはここ数年行方不明だもんな』

『言い方よ』

『スズパが行方不明なのはいつものことだろ』

『スズパ定期的に行方不明になるからな……』

『なんでウマホを持たないのか……』

『ハガキで生存報告するのはいいんだが現在地を書け』

『届く頃には別のとこにいるだろ』

『よく読み上げソフト用の音源録れたよな』

『社員が偶然会って直談判したその日のうちに収録したんだっけか』

 

「疾風迅雷やね」

 

「先頭がメイショウビトリアからメジロパーマーに替わって、その後ろをダイタクヘリオス。ツインターボがアガってきてるな」

 

「掛かっとるやろなぁ……」

 

「ブルボンも掛かってるな。いつものラップ走法ができていない」

 

『いきなり波乱な展開』

『読めるかこんなもん』

『言うて少しずつ収まってはきてる』

『タボボ競り合いきつそうだな』

『ヘリオスが先行策だからワンチャンあるで』

『先行……?』

『大逃げペースなんですがそれは』

『米「逃げの後ろにつけてたら先行だよ?」』

『帝「ソウダヨ」』

『米帝になってんの芝』

 

「あー……ナイスネイチャが前出ようとした後ろの進路塞いで圧かけつつ前のウマ弾いて前に飛ばして、アイネスフウジンがうまいこと捌いて、ナイスネイチャがコーナーの内塞いで外から追い抜かさせて、同時にアガって掛からせて、前が焦って……アカンわ知らんもう」

 

『放 棄』

『これは仕方ない』

『同じレース出てるとわからないけど、こうして見てるとマジで動かされてるって感じ』

『言うても思い通りってわけじゃないっぽいけどね』

『実際に行動に移したことが、やりたかったことの半分程度で、そのうち効果があるのが3割、狙い通りの効果なのがそのうちのさらに3割って言ってたっけか』

『じゃあ実際はこの3倍くらい動いて6倍くらい考えてんのか……』

 

「ムリやわぁ……考えてる間に走ったほうが速いもん」

 

「考えずに走っても速くなれなかったから考えているんだろうな。もっとも、考えられるというそれそのものもまた才能だが」

 

『あぁターボ!!』

『タボボ……』

『なんかすげぇ久しぶりに逆噴射したターボ見たな』

『2年ぶりくらい』

『俺初めてなんだが』

『ターボって逆噴射すんの!?』

『すげぇ字面だ……』

『ずっと競り合ってたからまぁそうなる』

『ビトリアも!?』

『アイネスフウジンがスパートかけようとしたタイミングで垂れるか……』

『垂らしたんだろ。ネイチャが』

『ネイチャはそういうことする』

 

「後ろの方はズタボロやん、ホンマエグいわ」

 

「ダイタクヘリオスがコーナーで体勢を崩して失速。ナイスネイチャは追いつけるか?」

 

『こんだけ引っ掻き回してこのざまかよ』

『チーミングでは?』

『一番ダメージ受けてるのがターボでアイネスもそれなりにダメージ受けてるんですがそれは』

『アイネス抜いた』

『パーマー差し返した!?』

『パーマーの勝負根性すげえわ』

『二の脚残ってるのなんなんだ』

『でもアイネスには及ばず』

『写真判定だけどなんかアイネスフウジンにしか見えなかった』

『これで日本のシニアGⅠとってないからって難癖つけてたやつも黙るだろ』

 

「なんやそれ。シリウスの前でも同じこと言えんのか」

 

『芝』

『芝』

『それは芝』

『ムリ、ム リ』

『レジェンドテイオーのことはまだ赦してないからな(震え声)』

『ライデン、ギャイナにタメ口利けるからなシリウスは』

『シリウスの戦績どうなん?』

『GⅠ勝鞍は日本ダービーと、バーデン大賞典とガネー賞*1

 

「1着はアイネスフウジン、2着にメジロパーマー、3着はナイスネイチャだった」

 

『お馴染み3着〜(覇気)』

『お馴染み3着〜(凄み)』

『お馴染み3着〜(古今無双)』

『GⅠの3着はすごい定期』

 

「ツインターボがまた買うた空気吸っとるで」

 

「タマ、言い方」

 

『今日は黒い人おらんからタイシンが応急処置しとる』

『言うて冷やすだけやしな』

『殿、こちらの氷、懐で温めておきました』

『サルゥ!!』

『うーん、これは猿』

『猿、無能』

 

「インタビューやで」

 

「今回は網トレーナーがいないからどうなることやら……」

 

『言うて凱旋門賞ウマ娘相手に変な発言したら袋叩きやろ』

『最近は直接ディスるんじゃなくて「世間はこんなこと言ってる人がこんなにいますよ」みたいな感じで責任転嫁しながらディスる出版社増えてきたから、こういう場で妙な発言はしなくなったな』

『Q.今回は網トレーナーが不在でしたが、影響はありましたか?』

『A.事前にマニュアルを残していってくれているので支障はなく運営できている。レースへの影響もないと思う』

『フー姉ちゃんサブトレの免許とったからな』

『凱旋門賞ウマ娘のサブトレとかすげぇな』

『言うてサブトレならやることは補助やろ』

 

「さて、インタビューも終わったし今回はこれまでやな」

 

「日本のGⅠ戦線はこれで前半戦が終わったことになる。しかし、今年も海外遠征に挑むウマ娘たちがいる」

 

「気ィ抜いて見逃さんようにな〜」 

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

*1
史実のシリウスシンボリは日本ダービーだけですが、本作では追加で海外GⅠ2勝しています。




 こいつ最近寝落ち多いな?


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縁は繋がる

 ライスシャワーはイギリスを満喫していた。

 

 グッドウッドカップが開催されるのは8月1日で、渡英したその日は6月1日、ちょうどふた月前だった。

 当然、時差ボケなどが落ち着いた3日後からイギリスの芝に慣れるためのトレーニングが始まるのだが、それも毎日ということはない。去年のフランス合宿と同じようなメニューになった。

 ただひとつだけ違ったのが、7月の中旬頃にライスシャワーがまとめて1週間分の休みを頼んだことだった。ストイックなライスシャワーには珍しいことだが、ブランクが出ない程度の軽いトレーニングはするということだったので網も許可を出した。

 

 そんな1週間、ライスシャワーはイギリス観光を楽しんでいた。ライスシャワーたちはグッドウッドレース場があるイギリス南部の都市に宿泊していたが、ライスシャワーはまずそこから列車で北上し、黄色いクマの出身地へと向かった。

 100エーカーと言われているが実際は6400エーカーある森をはじめとした黄色いクマの舞台となった町並みを楽しみ、ハチミツなどを買い込んだ。

 続いてさらに北上し、青い蒸気機関車のモデルとなった機関車が保存されている国立鉄道博物館を見学。次に不思議の国のアリスの作者であるルイス・キャロル由縁の街を巡った。

 そこからまた北上すれば、今度は野ウサギの出身地であるミュージアムがある。

 

 ライスシャワーはイギリスでの絵本の聖地巡礼を満喫していた。

 

 

 

(よかった……とっても……!)

 

 移動時間含めた1週間の聖地巡礼を終え宿泊地へ戻ってきたライスシャワーは、トレーニング終わりにカフェでデジカメに収めた写真を眺めながら余韻に浸っていた。

 ライスシャワーの絵本という趣味は絵本を読むことに留まらず、ライスシャワー自身が絵本を自作することにも及んでいる。レースの賞金で500色の色鉛筆をはじめとした絵本製作のための道具を購入してから、彼女の創作意欲は右肩上がりとなっていた。

 当然、それでトレーニングがおろそかになるようなことはない。ライスシャワーのストイックさは、現在日本で滝行に勤しんでいるミホノブルボンに負けずとも劣らないものだ。

 ライスシャワーは手元の紙ナプキンに持っていた鉛筆で軽くスケッチをする。デフォルメされた大きなカラスと小さな黒猫の絵は、次回作の構想だろう。

 

 ライスシャワーが紅茶を飲もうとしてナプキンがなににも押さえられていない状態になった時、タイミング悪く風が吹いてナプキンを宙に舞い上げた。

 ライスシャワー自身、あくまでアイデアを出力するために描いただけの落書きであり、そこまで執着はなかったので特に慌てることもなく、誰かに見られないといいななどと考える程度であった。

 しかし運悪く、というか間の悪いことに、飛んでいったナプキンは通行人の顔にぺしゃりと張り付いてしまった。

 これには流石に声にならない悲鳴をあげるライスシャワー。いくら事故で図太くなったとはいえ、これを謝ることなく済ませるという考えはライスシャワーの中にはなかった。

 さらに言えば、ナプキンを手に取ったその通行人が、ナプキンに描かれていたイラストを見てしまったことも原因だった。

 

 すぐに謝ろうとしたライスシャワーだったが、彼女が戸惑っているうちに、その通行人のウマ娘の表情が変わったからだ。それも怒りや悲しみといった負の感情ではなく、喜びや興奮といった正の感情を表すほうへと。

 しばらくナプキンを眺めていたその鹿毛のウマ娘は、小走りにライスシャワーの方へと走ってきた。ライスシャワーのテーブルに鉛筆が転がっていることから、描いたのがライスシャワーだと気づいたのだろう。

 よく見てみれば少女の身なりはライスシャワーから見てもいいものであると判断でき、見るからに上流階級と言えるものだ。

 いくら上流階級が身近にいる上にマイペースなライスシャワーであっても、赤の他人相手に気軽さを持つことはできない。確かにライスシャワーの感性はズレがあるが、一致しているところに関してはかなり敏感であった。

 

『ネェ、これ描いたのってキミ?』

 

『ひゃい! そ、そうです……』

 

 ライスシャワーはてっきりイギリスの貴族かと思っていたのだが、聞こえてきたのは流暢なアメリカ英語だった。甘噛みしながらも答えたライスシャワーに、少女は質問を重ねた。

 

『コレ、なんてマンガのキャラ?』

 

 聞かれた言葉の意味がわからず一瞬ポカンと呆けてしまったライスシャワーだが、なんとか再起動してそれに答えを返す。

 

『えと……なにかの作品のキャラじゃなくて、今適当に描いてただけなので……すみません……』

 

 特になにか悪いわけではないのだが、自分が悪いと思ってしまうとあれほど図太かったメンタルが一気に弱るのがライスシャワーだ。以前はすべて自分が悪いと考えてしまう悪癖のせいで常時この状態だったのを矯正されてからはあまり見なくなったが、元々の性根であるため根治したわけではなかった。

 そんなライスシャワーの様子とは対照的に少女は高揚したように頬を赤くして続ける。

 

『ナンデ謝るの? スゴいよ! とってもかわいくて素敵! ネェ、もしよかったらこれ、貰ってもイイ?』

 

『ふぇえ!? あ、えと、そ、そんなものでよければ……ど、どうぞ……』

 

『アリガトウ! そうだ! これボクのLANEアカウントなんだけど、もしよければトモダチ登録しない?』

 

『は、はひぃ……!』

 

 完全に思考がこんがらがっているライスシャワーに対してどんどん懐へ入り込もうとする少女。気がつけば、ライスシャワーのLANEには少女のアカウントが登録されていた。

 

『えっと……シア、さん?』

 

『ウン! みんなからそう呼ばれてるから、キミもそう呼んでくれると嬉しいな! キミは……ライスだね、ヨロシク!』

 

 そうまくし立てて一度握手をすると、少女――シアは『それじゃまたネ!』と言ってあっという間にいなくなった。

 嵐に襲われたような気分になりながらも、自分の絵を褒められたという実感がようやく湧いてきたライスシャワーは、にへらと相好を崩す。

 本格的に創作意欲が湧いてきたライスシャワーは残っていたスコーンを一口で食べ終わると、ウェイターを呼んで会計を済ませホテルの自室へと戻っていった。

 

 

 

『お嬢様、おみ脚のご加減は如何ですか?』

 

『心配しすぎだよ、フィー。ちょっと散歩しただけじゃないか』

 

 フィーと呼ばれたスーツ姿のウマ娘は、現役の競走ウマ娘でもあり脚部不安があるシアの補助兼御目付役でもあった。

 アメリカの名家の生まれであるシアは、その脚部不安からデビュー時期を決めあぐねている状態であり、暇を持て余した彼女が物見遊山に繰り出すのは珍しくない。

 今回は、最強ステイヤー決定戦とも言えるグッドウッドカップを生で観たいとの一言により、こうしてイギリスまで足を運んでいた。

 流石にこれほど遠出になることはそう多くない。アメリカは特性上、長距離、しかも芝のレースというものが非常に限られているということでの訪英だった。

 フィーを伴って車へ乗り込んだシアは、つい先程の出会いについてフィーに語り始める。

 

『さっきイイ絵描きを見つけたんだ。絵柄はトゥーンやマンガというよりは絵本って感じだったけど、スッゴクかわいくて気に入っちゃった。本人も小さくてかわいいウマ娘で、持って帰っちゃいたいくらいだよ』

 

『冗談でもやめてくださいね。「黒い白鳥(ブラックスワン)」の愛弟子が他国で誘拐だなんて、どれほど世間を揺るがすか』

 

『そうそう、会長や姉弟子(アネキ)みたいな黒鹿毛の娘……もしかしたら青鹿毛かも? ま、連絡先は交換したから粘り強く交渉するよ』

 

『……ご当主様には報告申し上げます。その方のお名前は?』

 

『エット……ライスなんとかだったハズ……?』

 

『……もしや、ライスシャワーでは?』

 

 小柄な黒鹿毛でライス、それもグッドウッドカップを控えたこの時期に現地にいるとなれば、フィーにも思い当たるウマ娘がいた。

 今まで()()()()()()()()()でもあるのかと言われるほどに海外レースへの参加が少なく実績も残せずにいたレース後進国日本、そこからハリケーンのごとく突如現れ、"世界の"凱旋門賞を制覇した『神風』アイネスフウジンと同じチームに所属し、GⅠ勝利こそないものの、クラシック級でありながら各国の長距離レースでシニア級の実力者を尻目に快勝し、グッドウッドカップへ出走を表明している『極東の黒い刺客』。

 

『……お嬢様、本気で慎重にお願いいたします。毎年の4月1日(エイプリルフール)にその方が発見されたなんてニュースを見たくはないので』

 

『……そんなに?』

 

『今回のグッドウッドカップの優勝候補ですよ。クラシック級にも関わらず。今はまだ実績こそありませんが、それはつまり()()()()()()()()()ということです』

 

 フィーの言葉に『へぇ〜』などと気の抜けた返事を返しながら、シアは外側に曲がった右脚をプラプラと振る。

 ライスシャワーのトレーナーも、ウマ娘レースとは無関係ではあるが上流階級の生まれで、彼の父は著名な画家、弟は先日アイルランド王室の依頼で肖像画を描いていたはず。

 流石に王族との(その)コネを使えるほど気軽ではないと言え、それだけの人物の血縁である。摩擦を起こすのは避けたい。

 

『フィー、勝てる?』

 

『無理でしょうね。私には荷が勝ちすぎます』

 

『弱気だナァ』

 

『そもそも、私の出走はお嬢様が観戦をするための建前でしょうに』

 

 ライスシャワーとは違いシニア級であり、しかしGⅡウマ娘に留まる彼女が世界一を決めると言っていい舞台に立ったのは、そういう意味合いが強い。

 当然シアもわかっていて言っているので、特段気にした様子もない。

 

『マァともあれ、俄然楽しみになってきたナァ、グッドウッドカップ』

 

 シアはニヤリと笑うと、ライスシャワーのLANEへとスタンプを飛ばした。



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間隙

 1日粘ったけど書くことがない回。


 8月1日、グッドウッドレース場、グッドウッドカップ開催。

 

 ライスシャワーに割り振られた控室には網と、訪英した他のチーム《ミラ》メンバーの姿があった。が、ライスシャワーの姿はない。

 

「トレーナーさん……? アレ、ライス先輩に教えるのって本当にアレだけでよかったんですかね……?」

 

「問題ないでしょう。あれ以上の情報は、ライスシャワーには無駄でしかありませんから」

 

 網がライスシャワーに与えた情報は、グッドウッドレース場という特殊なレース場のコース構造と、優勝候補と想定している3人のウマ娘の情報だけだった。

 今までのレースでも網は他のウマ娘の情報についてほとんどライスシャワーに教えていない。必要なのはマークする相手の情報だけ。

 それ以外の情報を聞いたところでノイズでしかない。集中すべき相手はとにかく絞る。相手をこれと決めたライスシャワーこそ、本当に強いのだ。

 

「って言ってもアタシたちじゃそこまでわかんないわけなんで、しっかり説明してもらえると嬉しいんですけども? ライス先輩のレースを見る上でも」

 

「そうですね……とりあえず、ライスシャワーに教えた3人についてお話しましょうか」

 

 まずは一人目。今回最大の優勝候補とされ、パドックアピール前の時点で1番人気にも推されている前年覇者、ファーザーフライト。長距離重賞を複数勝利しているベテランのトップステイヤーだ。

 警戒すべきウマ娘ではあるが、彼女の脚質は追込。ベテランということもあってマーク対象にするには適役とは言えない。

 

 続いてロックホッパー。イギリス所属のウマ娘でファーザーフライトよりは1年後輩。GⅠ勝利はないがGⅡ4勝GⅢ3勝の他、昨年のジャパンカップと先月行われたエクリプスステークス以外では掲示板を外していない安定した実力を持っている。

 しかし、こちらも差し脚質であるためマーク対象には向かない。

 

 そして最後、ヴィンテージクロップ。未だ目立った活躍がないが障害競走を2勝しておりスタミナは出走者の中では随一。これまでのレースで見せた脚質が先行だったことから、マークするには最適だと考えられる。

 

 指示した作戦は序盤はヴィンテージクロップをマーク、中盤から終盤にあがってきたファーザーフライトかロックホッパーにマーク対象を変えて抜け出すというもの。

 ヴィンテージクロップはロックホッパーと同期であるのにメイクデビューが遅く、その影響で経験が少ない。その割に能力はあるので、ライスシャワーが掛からせやすく、掛かっても後半まで保つだろうとの判断だった。

 

「楽に勝てるとは言いませんが、勝算は十分にあるレースです。ライスシャワーはパワーこそやや不安がありますが、坂での体重移動が巧く苦にしないところがありますから、あとは洋芝への適応さえうまくいけば、ですね」

 

 

 

 一方、ライスシャワーはちょうど地下バ道へと踏み込む。身に纏うのは日本ダービーでも披露した、黒いウエディングドレスのような勝負服。

 地下バ道で自身のパドックアピールを待つウマ娘たちは、そんな毛色を含め全身を黒で埋め尽くした装いを見てにわかにざわつく。

 ライスシャワーの名は、アイネスフウジンに次いで海外に知られていた。祝福を意味するその名とは裏腹に、相対した者の前途を(とざ)す、極東から来た『黒い刺客』。

 その小柄な体躯を見て侮る者や、アジア特有の童顔を見て侮る者はここにはいない。彼女が現れた瞬間、地下バ道を支配する空気が確かに()()たのだから。

 そもそも、ライスシャワーの姿を見る機会の多くは写真越しのものだろう。そして、ライスシャワーは写真写りが極端に悪い。シャッターとズレが出るのか、なんとも悪どく見えてしまうタイミングで撮れてしまう。

 ライスシャワーに畏怖を覚えている彼女たちはみな、ライスシャワーのペースに呑まれないようにと目を逸らす。そんななか、ひとりだけライスシャワーのことを観察するように見つめるウマ娘がいた。

 中分けの鹿毛にあどけなさの残る顔つきでありながら、どちらかと言えば大人びたイメージを抱かせるウマ娘。アメリカ所属、フェアリーガーデンである。

 

『ヨォ、フィー。珍しいな』

 

『ファズ……お嬢様のリクエストよ』

 

『あぁ、なるほど……んで、お嬢様の狙いは"刺客"かい?』

 

 フェアリーガーデンに話しかけてきたファーザーフライトはライスシャワーを眺める。流石に歴戦、発走前から気圧されることはないようだ。

 

『プライベートで知り合ったみたいでね。レースとはなんの関係もないスキルにご執心なのよ』

 

『遂にMIB(メン・イン・ブラック)でも雇うのか?』

 

『ところがどっこい、絵本作りらしいわ』

 

『そりゃまた随分と意外な……いや、ルックスだけ見りゃそうでもないか?』

 

『それはともかく……あなたから見てどうなの? ライスシャワーは』

 

 フェアリーガーデンがそう聞くと、ファーザーフライトは少し考えてから答える。

 

『一言で言うなら、違和感だな』

 

『違和感……? いえ、言わんとしてることはなんとなく伝わるけれど……』

 

 ライスシャワーを見ていて覚える微細な違和感。緊迫した空気の中に現れたときだったからこそ感じた空気のズレは今はもうわからないが、言いようのない違和感がある。

 

『何がどうやってかはわからんが、真面目に付き合うとことごとくペースを乱される。ま、付き合ってやる義理はないがな』

 

『なるほど……殺気に関してはどう思う?』

 

『そもそも殺気なんか受ける機会ないだろ、真っ当に生きてきて。ま、それもあたしは最後方だから特に関係ないかね』

 

 ライスシャワーの放つ殺気についてその身で体感した者は、日本のウマ娘を除くとふたりしかいない。そのうちのひとりは「二度と一緒に走りたくない」と証言し、もうひとりは頑なに語りたがらない。

 そのような殺気を一介のウマ娘が放てるものなのか。なんらかの裏稼業があるのかと探ってみたもののそれらしき情報は得られなかった。

 

(とはいえ、日本の競走ウマ娘育成の最高権威機関に通っているわけだから、素性ははっきりしてるんだろうけど……)

 

 自らの主の安全のため、フェアリーガーデンはライスシャワーを見極める。



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夜霧に潜む者

 キエエエエエ!!


 レース場は国によって様々な特色がある。例えば日本は起伏が少なくよく整備されていて、地下茎の密度が薄い野芝であるため、レースのペースが速くなりやすい。スポーツとしてレースが行われている面が強く、ウマ娘が気持ちよく走ることを念頭に置いているからだ。

 アメリカは狭い土地にレース場を作るため小回りな小さいレース場が多く、ビジネスとしてのレースであるために整備しやすいダートが主流だ。

 では欧州におけるレース場はどうか。日本がスポーツ、アメリカがビジネスならば、欧州は貴族の娯楽、社交でありステータスだ。それがレース場にどう影響するか。

 ウマ娘レースの歴史は欧州が最も古く、整地やコース整備、建設のノウハウが生まれる前は、貴族が自分の庭でウマ娘を走らせていた。その名残が未だにレース場に残っているため、地形を大きく反映させたレース場が多い。

 

 つまりどういうことかというと、端的に言えば変な形のコースが多いのだ。

 

『さあグッドウッドカップただいまスタートいたしました。先頭ペースメーカーはロコモーティブ。その後ろにヴィンテージクロップとライスシャワー。フェアリーガーデンは少し離れてその後方。昨年覇者ファーザーフライトは最後方です』

 

 このグッドウッドカップが行われるグッドウッドレース場はその最たるものであり、元々は公爵の領地にあるレース場なのだが、まともな形に作るには王族の領地を通る必要があり、それを避けたために中途半端な形になったのだ。

 その形は例えるなら、『&』を180度回転させて、下に直線を引いた感じだろうか。いや、やはりこれを口頭で説明するのは無理があるから各自検索してもらいたい。

 

 グッドウッドカップはこの『逆さ&』の下の丸の左側の半ば辺りがスタートの右回りコースである。右回りコースなのは間違いないのだが、非常に奇妙なことにスタートの直後に左へのカーブがあるのだ。

 しかもこのカーブ、カーブ半ばで二手に分かれており、まっすぐ行かずにさらに左へ進路を取る必要がある。さらに言えば、そこからは上り坂になるのだ。

 欧州におけるペースメーカーは自分のチームを有利にするためだけにいるわけではない。後続が道を間違えないようにする道案内の役割もまた、ペースメーカーの仕事である。

 今回ペースメーカーとしてハナに立ったロコモーティブは、自分にライスシャワーのマークがついていないことを確認して心底ホッとしていた。

 

 一方、マークがついたのはヴィンテージクロップ。実績こそないものの豊富なスタミナを評価されているウマ娘だ。簡素でラフな黄色い農婦風の勝負服を纏った麦わら帽のウマ娘が、鹿毛を揺らしながらライスシャワーを確認する。

 

(おいでなすったね……あんたが狩るかあたしが刈るか、勝負といこうじゃないか)

 

 精神面にはそれほど自信があるわけではないヴィンテージクロップだが、スタミナ面に関してはそれを補って余りあるほどの自信を持っていた。事実、ヴィンテージクロップのスタミナは歴代のウマ娘たちを見てもトップクラスに入るレベルだ。

 

(……なんだ、思ってたより大したことない……?)

 

 ヴィンテージクロップがライスシャワーの動きのなさに警戒する。今までのレースを考えて、もっと頻繁に揺さぶりをかけてくるものだと思っていたからだ。

 しかし、ヴィンテージクロップに伝わってくるのはほんの少し意識を向けられていると言うくらいの視線程度。殺気と呼ぶには程遠い。

 

 レースに動きはない。日本の長距離レースと欧州の長距離レースの最たる違いがここである。

 日本の長距離レースは読み合いと駆け引き、牽制の応酬だ。自分は極力体力を温存しながら周りの体力を削り、有利な位置を確保する。

 一方で欧州の長距離レースはスタミナ温存に重きを置く。日本のコースの数倍の起伏がある欧州のレース場では、駆け引きや牽制をする余裕などない。スタミナを温存できるような内側を突き、できるだけ体力を使わないでいるのが基本だ。

 だから、レースは膠着し、非常に静かに進んでいく。それが何をもたらすのか誰も知らないままに。

 

 坂を登りきってレースはおよそ5分の2、『逆さ&』の頂点に来た辺り。ここから今度は下り坂へ入るという地点、ヴィンテージクロップの中にはモヤモヤとした妙な感覚が渦巻き始めていた。

 暗唱できるほどに読み返した詩文のなかに含まれた誤謬のような、意識しなければ気づかない、しかし気づいてしまえばどうしようもなく意識してしまう、そんな違和感。

 思わず後ろを確認する。マークしてきているライスシャワーは一般的なマークに比べれば近い距離にいるが、特別な動きは見られない。

 少しずつ、ヴィンテージクロップの中でライスシャワーの存在が、違和感が大きくなり始める。微弱にしか感じなかった視線が背中に突き刺さるのを感じる。

 

(……ッ! 大丈夫、ちょうど収穫タイミングだ……!)

 

 ヴィンテージクロップが"領域(ゾーン)"に入る。上にはブドウの樹、地面には小麦の穂。どちらも彼女の実家で作られている作物。その両方が実り、熟した豊作の風景。

 瑞々しい果樹の恵みが、豊かな大地の恵みが、彼女の乳酸分解能力を押し上げる。純粋なスタミナ回復系に類する"領域(ゾーン)"だ。

 

(さぁ、今年(このレース)も豊作、あたしの体力が尽きることはない。削れるもんなら削って……へぁ……?)

 

 体力的な余裕を得て、ライスシャワーと相対するように改めて意識を向けるヴィンテージクロップ。それと同時に、ゾクリと彼女の背筋に冷たいものが走った。

 それは、先程までは殺気とさえ感じられなかったはずの視線。しかし、今彼女に当てられているのは視線などという生易しいものでない。首筋に突きつけられたナイフのような、冷たく鋭いナニカ。それを彼女は殺気と受け取った。

 思わず背後にいるソレから逃げ出そうと脚を速めるが、追跡者からの圧力は弱まることなく、むしろより強くなってヴィンテージクロップに突き刺さる。

 ズレる、ズレる、ズレる。いつの間にかそれの息遣いに引っ張られてズレた呼吸のペースが、ヴィンテージクロップの脳に、体に運ばれる酸素の量を制限し、目の前に霧がかかったかのように視界が狭くなり始める。

 瞬きのたびに、先程一瞥したライスシャワーの走る姿が浮かび上がる。その像から発せられる違和感は荊棘(イバラ)となって、ヴィンテージクロップの首に、脚に、腕に絡みついた。

 

 その様子を観察していたフェアリーガーデンが、ヴィンテージクロップの異変に気づく。荊棘こそ見えていないものの、明らかに掛かっているヴィンテージクロップの様子は尋常ではない。

 しかし、他人の様子を気にしている余裕はない。ライスシャワーへ意識を向けていたフェアリーガーデンも、そのズレによってペースが狂っていく。

 脚も、呼吸も、ペースが崩れるだけで大きく体力を消費する。自分の体のリズムと脳が認識するリズムのズレは、乗り物酔いのような不快感を生み精神を蝕む。

 ライスシャワーの後方につけているウマ娘たちは皆、そんな天然の撹乱によって惑わされていた。

 

 下り坂となっている最終コーナーへ差し掛かり、ヴィンテージクロップが無意識に急加速する。酸欠という霧に包まれた彼女の意識はライスシャワーの圧力から精神を守ることに費やされており、まともに思考することを許されていない。

 常時危険信号が鳴り響き、それに急き立てられるように脚を前に出す。ヴィンテージクロップの"領域(ゾーン)"は塗り潰され、ヴィンテージクロップ自身が意識し(受け入れ)てしまったライスシャワーの"領域(ゾーン)"へと変わっていく。

 ハリボテの街並みに降りる夜闇、立ち込める霧。制限された感覚の中で、ただ危険信号だけが暴走している。心臓が煩わしいほどに(こだま)し、耳がハウリングしている。止まってしまえばいいのになんてありえない感想が漏れた。

 背後に迫るものへの恐怖、自分の体と精神がズレていくことへの恐怖、世界から切り離されたかのような恐怖、これ以上レースを続けることへの恐怖。ザッピングされる恐怖によってヴィンテージクロップの緊張が最高潮へ達したその瞬間だった。

 

「カヒュッ……」

 

 喉笛が、掻き斬られた。

 

 無論、現実にそうなってなどいない。すべては彼女の頭の中でだけ起こった幻覚だ。しかし、まるで首から身体中の血液が流れ出ていくかのように血の気が引き、全身が冷たくなっていく。それでも走るのをやめないのは、ウマ娘としての意地か本能か。

 ふと視線を上げれば、自分を追い抜いてスパートをかけるライスシャワーの背中が見えた。ようやく身体に熱量が戻ってくるが、乱れた呼吸は戻らず、浪費したスタミナも時間も返っては来ない。

 思い出すのは()()()()瞬間の記憶。夜霧の街に潜むその姿を、刺客と、吸血鬼と、あるいは忍者などと喩えるものもいるだろう。しかし、イギリス出身の彼女は、そのすべてと違うイメージを重ねていた。

 もはや自分に勝ちの目がないことを覚った彼女は、せめてレース後のインタビューで意趣返ししてやろうと、笑いながら力尽き垂れていった。

 

 最終コーナーの下り坂でスパートをかけたライスシャワーと、反対に急激に失速したヴィンテージクロップ。ロックホッパーら中団のウマ娘たちはライスシャワーに撹乱され、自覚していたよりも多くのスタミナを失っている。

 ライスシャワーの被害に遭っていないのは、ライスシャワーがよく見えていない最後方の追込ウマ娘たち。その中に、ファーザーフライトはいた。

 

(前の様子がおかしい……ライスシャワーがなんかやってんのか……? !! ヴィンテージクロップ……R.I.P(安らかに眠れ)……まぁいい、脚は溜まってる。ひっくり返すぞ……!)

 

 最終直線、ファーザーフライトが末脚を解放して、一気に順位を上げ始める。グッドウッドレース場の最終直線は、東京レース場のおよそ倍の距離である約1000mを誇る。先頭のライスシャワーまでは7、8バ身はあるが、追い込むには十分な距離だ。

 ファーザーフライトが"領域(ゾーン)"に入る。長く続く滑走路と、彼女に並走する複翼機。彼女が常に胸に抱く憧憬。空へ旅立つ複翼機の如く、最終直線(滑走路)を疾駆する。

 バ群の横を通り抜けるファーザーフライトにロックホッパーが追い縋ろうとするが、うまく加速をかけることができず引き離される。

 ファーザーフライトは一直線にライスシャワーへと詰め寄っていく。バ群を追い抜ききり、バ身の差は縮まっていく。その背中が、近く、近く……ならない。

 

(っクソッ!! なんで失速しないんだよ!! なんつースタミナしてんだアイツ!!)

 

 ゴールへと駆けるライスシャワーのスピードは全く緩まない。差は縮まっているものの、劇的とはとても言えない。差し切るには……少し足りないか。

 

『諦めるかよボケがああああああああ!!』

 

 全力を振り絞って更に先へ脚を進める。前年王者の意地。猛々しい叫び声(エンジン音)と共に迫りくるファーザーフライトがライスシャワーに迫る。

 ゴール板が2度鳴った。その差はほとんどない。

 

 ファーザーフライトがライスシャワーを差し切ったのは、ゴール板を過ぎて2バ身あとだった。

 

 

 

 歓声はない。その代わり、ひとりまたひとりと立ち上がり、観客たちが手を打ち鳴らす。歴戦の戦士たちから逃げ切ってみせた極東の刺客に向けた悔しさ混じりの敬意は、万雷の拍手となって降り注いだ。

 

『クッソ、なんでお前、息そんな、余裕そうなんだよ……信じらんねぇ……』

 

『いや、ホント、死んだかと思ったさね……』

 

 息を整えるライスシャワーにファーザーフライトとヴィンテージクロップが声をかける。

 

『し、死んだかとって……大丈夫? なにかあったの……!?』

 

(え? 嘘だろ?)

 

(無自覚……? あれで……?)

 

 アイルランド所属だがイギリス出身のヴィンテージクロップと、反対にアイルランド出身だがイギリス所属のファーザーフライト。イギリスでは必須スキルである相手の感情を読み取るコミュニケーション能力が、ライスシャワーの反応が素であると判断し、ふたりは逆に困惑していた。

 一瞬の苦笑いのあと、ふたりはライスシャワーに手を差し出す。ライスシャワーは順にふたりと握手を交わした。が、ファーザーフライトと握手を交わした瞬間、握った手がそのまま高く挙げられた。

 ライスシャワーの腕を挙げたファーザーフライト、それは前年王者が挑戦者の勝利を讃えるもので、堂々たる前王者の姿に再びの拍手が響き渡った。

 

 

 

 数日後、切り裂きジャックの別名であるホワイトチャペルマーダーをもじったであろう、『ブラックチャペルマーダー』などという物騒な異名をつけられたことを知ったライスシャワーが悶絶する姿が、ホテルの一室で目撃されるのであった。



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名探偵(ホームズ)になりきれない男と、市民(ユーザー)友好的(フレンドリー)な警官

 ??/8/2 : 先日放送いたしましたオグタマライブvol??はレース中の半分以上の時間を沈黙が占めるという放送事故が起こったため、アーカイブ掲載を中止いたしました。


『それで、実際のところどうなんですか?』

 

 ロンドンのウィンストミンスター街メリルボーン地区に南北に伸びる通り。しばしばベイカー街と呼ばれるそこの219番地、かつてベイカー街221Bと呼ばれていた場所にある高級賃貸マンションの一室で、鹿毛のウマ娘は換気のために窓を開けながら、パイプの煙を(くゆ)らせる男にそう問いかけた。

 

『あと、室内でパイプ吸わないでくださいっていつも言ってますよね』

 

『そう固いことを言うなよワトソンくん』

 

『ワトソンじゃねぇです。クソホームズナード』

 

『名前に反してまったくフレンドリーじゃないな君は』

 

 男の軽口に対して額に青筋を浮かべながらも、少女は椅子にどかりと座り込んでため息をつく。

 

『レース中のヴィンテージクロップの様子は明らかに異常でした。特にレース後半、下り坂に突入してからは、考えられないような掛かり方のあとに瞳孔の収縮、急激な失速、顔の血の気が引いて、まるで死人のようでした。そして、そのヴィンテージクロップがレース後のインタビューで発した言葉が』

 

『「レース中、()()()()()()()()()()()()」、か。しかし同時に、それはルールに違反する妨害ではなく、精神的な勝負に惨敗しただけであるとも明言している』

 

『あれですかね。"領域(ゾーン)"ってやつ。何が起きてもとりあえず"領域(ゾーン)"で説明できるでしょう』

 

 そもそも、"領域(ゾーン)"の存在が初めて確認されたのが、2世紀前のここイギリスでのことだ。日蝕の闇に呑まれた娘たちが我に返れば、既に先頭を走っていた彼女は遥か遠くへと駆け抜けていたという。

 研究機関が"領域(ゾーン)"について調査を重ねているが、実例がそれほど多くない――多くても各国で年に二桁のウマ娘が習得していれば豊作と言っていい――上に、実証実験が難しいため、詳しくは解明されていない。

 

『ライスシャワーの特質については概ね理解できたよ』

 

 しかし、それとは裏腹に男はそう返した。

 

『彼女の特質はすべて彼女の()のズレによって引き起こされている』

 

『間、ですか?』

 

『日本の武道においては比較的ポピュラーな概念だね。まぁ、物事のリズムや距離と考えてくれればいい。彼女はそのリズムが、一般的な他者と比べて大きくズレている』

 

『はぁ……それがどうなってああなってるんです?』

 

『まず大きいのは呼吸だろうね。それからやや速めのピッチと、それにややズレた腕の振り。それらが総合的に他のウマ娘のリズムからズレている。知っているかな? メトロノームはバラバラに揺らしてもしばらくすればリズムが揃う。これはメトロノーム以外にも散見される、同期現象と呼ばれるものだ。しかし、ライスシャワーはその同期現象を起こさない』

 

『つまり、ライスシャワー以外の足並みが揃って、ライスシャワーだけがズレたままと?』

 

『足並みだけじゃない。呼吸のリズムなんかもだ。レース中の動きが少ない長距離レースなら余計にそうだろうね』

 

 緩慢な展開も、蓄積された疲労も、慢性的な酸欠も、思考を鈍化させる。ならばあとは摂理に従って揃うだけだ。

 その中でライスシャワーだけが、他とズレた自分のペースを維持し続ける。

 

『今度はライスシャワーのリズムに、他のウマ娘のリズムが同期し始める……?』

 

『そう簡単にはいかないだろうね。流石に周囲のリズムが揃っているのに、ただひとりのリズムが狂っているからと言ってそれに合わせてしまうということはなかなかないだろう。しかし、まず間違いなく異分子は目立つ。目立つものを人は意識してしまう』

 

 一度意識してしまえば、そこからはもう泥沼だ。集中力が削がれ、やがて意識はライスシャワーへと収束していく。ライスシャワー以外が意識から放り出されるようになれば、少女の言う通りライスシャワーのペースに同期してしまうだろう。

 しかしレース中である以上、ある程度は周囲の情報は頭に入ってくる。感覚と現実のズレは呼吸のペースを乱し、乗り物酔いのような不快感を生み出す。

 

『恐らく、ライスシャワーの放つ殺気というのもそれほど強いものではないんじゃないかな。感覚なんてのは結局のところ、受け取る側の問題だからね』

 

『ライスシャワーが殺気を放ってるんじゃなくて、受ける側が殺気として受け取っている、と?』

 

『もちろん、マークしている時点でライスシャワーは相手に集中しているだろう。凝視するような視線はマーク対象に集まるはずだ。その視線を受け取ったマーク対象は初めの方は比較的穏やかな様子だ』

 

 男はモニターに映るグッドウッドカップ序盤のレース映像を拡大し、ヴィンテージクロップの顔を見えるようにする。少女は、それを2mほど離れた椅子からぼんやりと眺める。別に表情はどうでもよかった。

 男としても説明するのに比較したほうが自分が整理しやすいだけで、表情そのものが肝要なわけではないから、それを指摘しない。

 

『レースが進むに連れてヴィンテージクロップの顔は厳しくなる。グッドウッドカップは16F(ハロン)だが、18Fある昨年のノーヴィスハードルでは同じくらい走ったときでも、ここまで(しか)めてはいない』

 

 1Fがおよそ200m。グッドウッドカップは16Fで3200mほどだが、ノーヴィスハードルは3600mの障害競走だ。

 

『そして、下り坂に入る直前。ここの表情の変わり方を見るに、ヴィンテージクロップは恐らくここで"領域(ゾーン)"に入った。脚を上げる高さや足取りに変化があることから、スタミナに関連する身体機能の向上だろうと思われる』

 

『ほんとなんでもありですよね、"領域(ゾーン)"』

 

『そうでもないさ、ちゃんと科学に即している。脳は普段1割しか使われていないという有名な都市伝説は確かに虚妄ではあったが、逆に脳が体にリミッターをかけているということ自体は実証されているからね』

 

『確かにそれなら瞬間的なパワーアップの説明はつきますけど……スタミナ回復とかはどうなんですか?』

 

『ひとつめ、疲労物質は溜まったままだが無理やり動かせるようになっている。ふたつめ、疲労物質の分解能力が上がった。みっつめ、心肺機能が一時的に強くなった。大体はこのあたりじゃないかな?』

 

 男の言葉はあながち間違ってはいない。事実、ヴィンテージクロップの"領域(ゾーン)"は疲労物質の分解能力を向上する効果によってスタミナ回復を実現している。

 

『アドレナリンや分解酵素の大量分泌みたいに、こじつけて説明しようとすればいくらでもできるさ。ブラックボックスはまだ開いていないからね。まぁ、幻覚が共有されたりするのは何故かわからないから、結局の所まだ解明されていないところも多いのは確かさ。それこそ、異世界の魂が宿っているウマ娘ならではの、科学から外れた現象かもね』

 

『結局はオカルトですか』

 

『オカルトなんてものは「まだ科学ではない」という意味でしかないよ。進化論だって地動説だってある時点まではオカルトだったんだから』

 

 男は拡大したままのレース映像をスロー再生する。すると、画面に映るヴィンテージクロップの顔が一瞬余裕を取り戻したように見えたあと、一気に強張った。

 

『"領域(ゾーン)"によってスタミナに余裕が出て、そこで油断せずにライスシャワーに対する警戒を強めてしまったんだ。警戒するということは、つまり意識するということだからね』

 

『意識したから余計にライスシャワーの視線を感じてしまった……でも、それだけじゃ殺気と言うには弱くないですか?』

 

『そうかな? 呼吸ペースを乱されて酸欠状態にある時点で、そもそも40mphの速さで走っている時点で、体は死の危険を感じている状態だ。酸欠状態のせいで視界は狭くなり、追い立てるように真後ろから足音と呼吸音、そして鋭い視線が迫ってくる。怖いと思うけどねぇ……』

 

『物は言いようですね』

 

 しかし推論として筋は通っている。神の視点から見れば、男は誰よりもライスシャワーの特性について正確に把握していた。それこそ、網やライスシャワー本人よりも。

 この、イギリスにおいてほぼ網怜と似たような経歴を持つ男。

 ICPO(インターポール)ロンドン警視庁(スコットランドヤード)に一族の多くが所属している警察一家から突然変異的に現れた新進気鋭のトレーナー。

 兼業でやっている探偵業は閑古鳥が鳴いているのに、大量に舞い込んでくる国立ウマ娘競走協会(NBRA)からのチーム設立要請(「担当を増やせ」という声)を探偵業に差し障るからという理由で拒否するホームズかぶれの奇人。

 彼の名はアーサー・シェリングフォード。彼の担当ウマ娘である少女も、胡乱げな顔をしながらも彼の推理力については信用をおいていた。

 

『瞳孔の収縮や血圧の低下は血管迷走神経反射かな? 強い精神的負担に襲われたときなどに、副交感神経が過度に活発になることに起こる反応。もしそうだとすると、目眩や吐き気も併発してるだろうね。体が冷たくなり気が遠くなる。なるほど、()()()()とはよく言ったものだ』

 

『それ、危険じゃないんですか? 転倒とか』

 

『そんなこと今更だろう。ルールに違反していない以上、死の危険なんて織り込み済みで走っているんだろう?』

 

 少女はアーサーの問いに、薄く笑うことで答える。

 死に対する恐怖はある。薄い者もいるがごく一部だ。しかし、「死ぬのが怖いくらいで走るのを辞める理由にはならない」と答えるウマ娘は大多数を占めるだろう。

 

『それで、いつも通り長々と理屈をこねくり回してましたけど、肝心要の対策は?』

 

『初歩さ、ワトソンくん』

 

『ワトソンじゃねぇし、その「自分はコアなファンだから間違って広まった方じゃなくて正しい原作台詞を使っちゃうぜ」みたいなドヤ顔でホームズの台詞引用するのウザいからやめろって何度も言ってますよね?』

 

 少女の訴えを無視してアーサーが取り出したのは、それほど珍しくもないものだ。

 

『……耳カバー?』

 

『ライスシャワーがマークするということは、君が前を向いている限りはライスシャワーは視界には入らないということだ。つまり、ライスシャワーから受ける影響のほとんどは聴覚によりもたらされる。だからそれを制限する。一般的な耳カバーよりも遮音性を高めたものだよ』

 

 促されて少女がそれを装着すると、なるほど少なくとも周囲の雑音はほぼ聞こえなくなったと言っていい。目の前で話しているアーサーの声も、ささやき声程度にしか聞こえなくなった。

 

『これで完全な実力勝負に持っていけるってことですか』

 

『"領域(ゾーン)"の存在がまだはっきりとはわかっていないのが、一応気がかりではあるがね。ゆめゆめ油断しないように』

 

『もちろん。ライスシャワーの実力は認めるけど、私の国でこれ以上好きにはさせませんよ』

 

 ハーフアップの鹿毛に丸い流星、スレンダーな長躯を持つ彼女は、3つの樫の冠を手にしながらも英国クラシック三冠の最後の冠さえ手にせんと決意した。




てなわけでオグタマライブの代わりにこれです。


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悪役(Villain)たち

 前回で思いの外ライバルの強さを伝えきれておらず評価が低かったのでage回です。強いんすよ。


「今回注意すべきなのはユーザーフレンドリーです」

 

 網が提示した画像に写っている鹿毛のウマ娘に注目が集まる。例によって出走するのはライスシャワーだけだが、勉強会のように全員がそれを見守っていた。

 英セントレジャーステークスまで残り2週間といった時期に、網は普段より早めにライスシャワーへ情報を伝えていた。

 

「彼女は典型的な好位抜出型の先行ウマ娘です。これと言った特徴や際立った武器はありませんが、その分、非常に高い地力を持っています。例えば、このヨークシャーオークスではスタートで後手に回ったものの立て直し、直線手前で前が塞がったものの外へ出て差し切っています。多少の不利を帳消しにできるだけの地力の高さが持ち味ですね」

 

「オークス三冠って……マイル、ミドル、ロングを全部取らなきゃいけないトリプルティアラとは別の難しさがあるようなことやってますが?」

 

 ユーザーフレンドリーが制覇している英オークス、愛オークス、ヨークシャーオークスはすべて約2400mで執り行われている。smile区分では長距離(long)に当たるレースである。それも、ヨークシャーオークスはオークスと言っても現在はシニア混合である。

 3000m弱の英セントレジャーと比べれば600mの差があるものの、クラシックディスタンスを走れたうえでの出走という時点で十分なスタミナがないという楽観視は危険だ。

 

「正直に言って、スタミナ以外の面では明確にライスシャワーを上回ってると考えていいでしょう」

 

「口径も集弾性も速射性も上だろうと、装填されてなければ撃てない。そういうことでしょ?」

 

 網の言葉にナリタタイシンがそう問い返すと、網はにやりと笑って頷いた。

 

「今回は、超長距離という相手が経験したことがないこちらの土俵であるという点が最大にして唯一のアドバンテージと言っていいでしょう」

 

「それって、結局のところいつも通りマークしてすり潰すってことでは?」

 

「そもそも、普段のマークでこんな事態になる理由を、私はまだ理解しきれていないんですよね」

 

 網が貼り出したいくつかの記事から、ライスシャワーがそっと目を逸らす。隣のツインターボがライスシャワーの頭を掴んでホワイトボードの方へ向けようとすると、ライスシャワーは右目を隠している前髪を分けて両目を隠した。

 

「○天カードマンだ……」

 

「ぶっふぉ!!」

 

 アイネスフウジンの呟きでナイスネイチャが撃沈した。

 都合2キルというスコアを叩き出した記事の内容は、ヴィンテージクロップへのインタビュー記事だった。そこには『黒い刺客(Shadow Hitman)』やら『青薔薇の追跡者(Blue-rose Chaser)』やら『黒衣の花嫁(Black-chapel Murder)』やら、仰々しい異名を冠したライスシャワーについてのコメントが掲載されていた。

 元々、ウマ娘レースにおいて選手層は思春期真っ只中の少女たちであることから、要するに()()()()趣向になりがちである。そこに加えてヴィンテージクロップによる意趣返しが交わり、このような惨状となっていた。

 報道各社も、各国を飛び回る刺客を『悪役』として売り出そうと乗っかっている。もちろんそれは『憎まれ役(Heel)』ではなく『敵役(Villain)』であり、ライスシャワーをこき下ろすような記事はごく一部である。敵役(Villain)が魅力的であるほど、主役(Hero)は映えるのだから。

 ちなみに、フランスで『黒い紳士(Monsieur Noir)』、アメリカで『スレンダーマン(Slender Man)』などとあだ名された網は、イギリスでは『極東のモリアーティ(Eastern Moriarty)』と呼ばれていた。ウマ娘レースにおいて最も長い歴史を持つ新聞社による命名だ。ノリノリである。

 ライスシャワーとしては敵役にされるのは別にいい。ヴィランとしてでも人気はあるようだし、勝ってもブーイングということはなく、褒めてはもらえるからだ。しかし、流石に異名などは黒歴史(ふるきず)が痛む。

 

「この流れだとあたしはモラン大佐なの?」

 

「いや、モリアーティとジャック・ザ・リッパーが関連してるのってコ○ンの劇場版か憂○だけだと思うんだけど……あと精々Fa○e……」

 

「ジャック・ザ・リッパー関係なしにフィクサーっぽいって理由じゃないですかね? もしくは、このユーザーフレンドリーのトレーナーなんかの敵役(Villain)として、とか?」

 

 ナイスネイチャが指した記事にはユーザーフレンドリーのトレーナー、アーサー・シェリングフォードについての特集が組まれている。

 初めての担当で英二冠ウマ娘『優雅なるカモメ(Elegant Seagull)』ナシュワンを育て上げた新進気鋭のトレーナー。日本におけるB種免許に相当する資格を持ち、幅広い知識と教養を兼ね備える才人。

 微に入り細を穿つ分析力と、オールラウンダーの育成を得意とする堅実な指導力。そして突飛かつどこか抜けている奇人ぶりと甘いルックスが相まって、非常に高い人気を誇っている。

 

「えぇ、彼にも要注意でしょう。もしかしたら、ライスシャワーの能力面については私より彼のほうが理解できている可能性すらあります。恐らく、単純な分析力であれば私を大きく上回っている……と、思います。情報が少ないので断言はできませんが」

 

「そんなに……? 正直、最後のマイナス要素が大きすぎる気がするけど……」

 

「確かに、英二冠まで取らせておいて英セントレジャーへ向かわせず凱旋門賞を目標にした挙げ句、前哨戦のGⅡで奇策を仕掛け敗着、そのままナシュワンは何故か引退し、その理由を今も語っていないという明らかな喧嘩別れのスキャンダルなど明確な欠点はありますが、彼はそれに自覚的ですからね」

 

 アーサーはナシュワンの引退レースとなったニエル賞の後、「やはり自分はあくまで探偵(解き明かす者)であり、指揮官(策を立てる者)にはなれないようだ」と語っている。

 だからこそ、レース中の判断や作戦は担当ウマ娘の自己判断に任せ、アドリブ対応というハンデを負いながらもそれを覆せるような高い地力を持てるように指導している。彼自身は対戦相手の能力を分析し、判断材料として担当へ提示、それで対応しきれない部分に、()()()()()()としての助言を与えるのだ。

 トレーニングは大筋を決めて詳細は放任しがちな代わり、レースに関わる点においては細かく指示を出したり作戦を提示したりと手を加える網とは、ある意味対照的である。

 

 ちなみに、実際のところナシュワンの引退はアーサーへの不満でもなければ喧嘩別れでもなく、負けたことで「萎えて飽きた」からというむしろアーサーが不憫に思える理由だったりする。未だに連絡を取り合っているため、アーサーはそのうち、ナシュワンは英ドリームシリーズに行くだろうと考えている。

 

「でもそれって、才能があるウマ娘しか育てられないってことなの。やっぱトキさんの方が上なの」

 

「えぇ。分析力や知識の幅に関しては譲りますが、それ以外の点で劣っているつもりはありませんよ……とはいえ、それとこれとは話が別です。こちらが付け焼き刃の奇策を弄したところで見抜かれて終わり、普段の行動には対策が立てられているでしょうし、スタミナ以外の地力ではおそらく負けているので、スタミナのゴリ押しが失敗すればそのまま負けに繋がります」

 

 ライスシャワーは前髪から手を放し、網の話を聞く。

 

「ユーザーフレンドリーへのマークに固執しないでください。ハナをとったウマ娘へマークを移して、ハイペースなレースにすることも考慮に入れておいてください」

 

「とにかく、ユーザーフレンドリーさんのスタミナを削るように動けばいいんだよね?」

 

「端的に言えばそうです。あとは、本番までにどこまでこちらも地力を高められるかですね……」

 

 ライスシャワーは、加入当時のツインターボやナイスネイチャは言わずもがな、加入当時のアイネスフウジンを上回る程度の地力を加入時から備えていた。

 デビュー済みの4人の中で、最も才能があるのが彼女なのである。

 

 英セントレジャーまで2週間。対決のときは近い。



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【閑話】今昔月下歌

 そのままレースだとテンポ悪い気がしたので閑話です。


『さぁ、今回のサマー・ドリーム・ミドルは阪神2200m、宝塚記念と同条件での開催! 出走者は9名! いずれも名だたる優駿たちだが、やはり注目はこのふたりだろう!! 七冠戴く"絶対"なる皇帝、シンボリルドルフ!! そしてその皇帝と同世代で、皇帝の手から冠を奪い手にした好敵手のひとり、終わらぬ凱旋、スズパレード!!』

 

 阪神レース場に期待の歓声が満ちる。トゥインクルシリーズで一定以上の成績を掲げた者が進む各種シリーズのうち、ほんのひと握り、目覚ましい活躍を遂げた本物の優駿にしか出走が許されないドリームシリーズ。

 そんな夢の舞台に上がるのは、トゥインクルシリーズを引退してからそれなりに長い時間が経った今でも()()()()は誰かと聞かれればその名を挙げる伝説世代の代表。そして、その陰に隠れながらもGⅠレースを制したライバルのひとり。

 特に、スズパレードというウマ娘はひどい放浪癖を持っていて、そもそも連絡がつく事自体が稀。それどころか普段の居場所さえまともに知られていないため、めったにドリームシリーズへ出てくることはない。

 故にこそ、まさに夢の対決となったこのレースに抱く観客たちの期待は大きく膨らんでいる。そして、それは出走者、特に皇帝シンボリルドルフも同じであった。

 

「珍しいな、レド。お前がドリームシリーズに出てくるとは」

 

「おや随分な言い様だ。わたしだってウマ娘の端くれ、心躍る優駿たちとのひと時を望む時だってあるさね」

 

 ゲート内、偶然にも隣同士になったふたりが、旧友との数カ月ぶりの会話を楽しむ。そこにレース直前であるという緊張感はなく、さながら町中で偶然鉢合わせたかのような、気安い和やかな雰囲気が漂っていた。

 

「ふふ、それもそうか……さて、では行くとしようか。当然、真剣勝負」

 

「手心は無用、だろう? わかっているさ」

 

「……流石だ」

 

 シンボリルドルフから発せられる圧力が数段増した。歴戦のウマ娘たちと言えど、その圧力に思わず表情が歪む。ブルリと体を震わせるものもいた。

 「手心は無用」。そう聞いてファンたちは、レース関係者たちは、あるいは他のウマ娘たちはどんな印象を抱くだろう。「手加減はいらない、本気で挑んでこい」と皇帝が胸を貸しているように見えるだろうか。

 否。そうではないと、シンボリルドルフの圧力を真正面から受け冷や汗を流すスズパレードは知っている。これは、一部の相手にしか見せないシンボリルドルフの()()だ。

 即ち、「手加減する気はない」という死刑宣告である。

 

 ゲートが開く。逃げが2、先行が4、差しが3、追込が1。スズパレードは先行し、シンボリルドルフは好位につく。伝家の宝刀、王道覇道の先行押切だ。

 シンボリルドルフがやや右へ進路を取る。地面へ視線を這わせ、逆に左へ行くように見せながらも動かない。そして、後ろへ放つ威圧。たったそれだけの細工で出走しているウマ娘9人全員が()()()()()

 シンボリルドルフが内に入ろうとして、地面を見て外へ出た――ように見えた後続は、内側の芝をシンボリルドルフが避けたと考え内へ入るのを躊躇する。

 その瞬間に放たれた威圧で、後続は完全にペースを落とすことになった。シンボリルドルフに翻弄されてはスタミナがどれだけあっても足りないからだ。

 後ろの雰囲気が変わったため、逃げウマが片方、競り合いを仕掛けるのをやめて様子見に入る。すると余裕を得たもう片方の逃げウマが、自分に有利な展開を作ろうとレースをローペースに調整する。

 そして、シンボリルドルフ以外の先行が彼女による仕掛けを警戒して外側へ逃げた。

 

 ほんの一瞬のアクションで、シンボリルドルフは完全にレースを支配してみせた。それぞれの優駿たちがなんとか主導権を取り戻そうと藻掻くも、そのことごとくが彼女たちをより深い泥濘(ぬかるみ)へと落としていく。

 

(はは……相変わらずじゃないか、ルナ)

 

 スズパレードは笑う。破滅しかないシンボリルドルフの支配から抜け出そうと革命を目論むレジスタンスのように、シンボリルドルフの支配の網の穴を、それがシンボリルドルフによって用意された穴だということを知りつつも探し続けながら笑う。

 シンボリルドルフが体を傾ければ差しウマが掛かる。シンボリルドルフが目線を鋭くすれば逃げウマが怯む。必死に裏をかこうと進路を探す追込が、シンボリルドルフによって仕立て上げられた舞台へ上がる。

 シンボリルドルフの絶対帝政に抗うには、それを上回る智慧か、強靭な意志か、あるいは厄災さえ味方につける運がなければならない。

 

(しかし、シリウスは嫌いそうだ……まったく我らが皇帝陛下は、表面をいくら繕っても()()()()()()()()())

 

 最終コーナー、シンボリルドルフが動く。全体を通して外側に寄るように動かされていた先行ウマ娘たちが、それに抗いながらも散らばっているその()()()()()()()()前へ躍り出る。

 抜かれたら追いつけない。逃げウマ娘ふたりはシンボリルドルフに躱されまいと死力を振り絞り速度を上げる。その結果、最終コーナーで大きく膨らむことになる。

 大外に進路を取っていた追込ウマ娘が、膨らみながら垂れてくる逃げウマ娘にブロックされて仕掛け時を失い、シンボリルドルフが完全にフリーになる。

 

『最終直線! 早くも抜け出してきたシンボリルドルフが、すぐ後ろに後続を引き連れながらもハナを突き進む!! モニターの前の皆様は誠に残念ながらご覧いただけないでしょう!! しかし、現地で実況しております私の目の前には今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!』

 

 仁川の最終直線が赤に染まる。主を出迎える赤絨毯へと。白亜の壁、射し込む陽光、その瞬間、阪神レース場にいる全員がその光景を共有した。

 そして訪れる雷鳴。人の手によって文明の奴隷に堕とされた今、それでも神の権能と畏れられる雷を纏い、皇帝は堂々と、決して速くない歩みを進める。

 

『さぁ、今! 汝、皇帝の神威を見よ!! これこそが"絶対"なる皇帝、シンボリルドルフであります!!』

 

 シンボリルドルフを追う後続。背中に手が届くその距離にいるのに、届かない。あと一歩が追いつけない。追いつけても追い越せない。自分の鼻より前に皇帝の軍靴が置かれている。

 

 桜花賞、テスコガビー、約10バ身。

 朝日杯()()()()ステークス、マルゼンスキー、13バ身。

 海外に目を向ければ、ベルモントステークス、セクレタリアト、31バ身。

 

 歴史を見れば、人々を魅了したのは他の追随を許さぬ圧倒的な着差だ。しかし、シンボリルドルフはそれをつけない。必要以上の着差をつけない。

 つまらないとさえ形容された完璧なレース。演出など欠片もない、徹底された支配の上に転がる勝利を拾う、そんなレース。

 だから観客も、もはやレースを楽しんでなどいない。()()()()()()()()()()()()()()その結果を楽しんでいる。それはさながら、使い古された勧善懲悪の時代劇を楽しむかのように。

 

 気がつけば、ゴール板はとっくに通り過ぎていた。

 1着、シンボリルドルフ。着差、1バ身半。

 

()()()()。やはりあんたは、()()()()()()()()()()だよ」

 

 スズパレードの呟きは歓声に消えた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 ドカッと鈍い音が響き、スズパレードは目を覚ます。眠気眼を擦り、自分の頭の横から生えた脚の主を見上げる。

 鋭い視線を投げつける鹿毛の少女が、不機嫌そうにスズパレードを見下していた。

 

「レド。模擬戦だ。来い」

 

「せめて模擬レースって言いなよ……まったく」

 

 抉れた地面から脚を引き抜いて、少女はさっさと先を歩いていく。後ろに縛った手入れも手抜きだろう髪が揺れるのを見ながら、スズパレードは二度寝をして痛い目を見るのは避けようと重い腰を上げた。

 走ることになったのは東京レース場。家の力で使っていない時間帯に使えるようにしたのだろう、観客のいない府中のターフに集まった未来の優駿たち。

 シリウスシンボリ、メジロモンスニー、トウショウレオ、ニシノライデン、サクラユタカオー、ビゼンニシキ、ミホシンザン、一癖も二癖もある者ばかり集まっている。いや、正確に言えば、まともな気性を持つウマ娘であれば、()()に関わろうなどとしない。

 彼女は隣を通り過ぎることさえ赦さない、文字通りの気性難、暴れ獅子なのだから。

 

「ボサッとするな。さっさとゲートに入れ」

 

 重く、静かに、体の内側へ突き抜けるように響く声。ニヤニヤと笑っていたシリウスシンボリがたまらないといった様子で喉を鳴らして笑う。ガンガンとゲートを蹴っているのはニシノライデンで、「駸々(しんしん)と参りましょう!」と叫んでいるのがサクラユタカオー。

 皆が避けた1枠2番――1枠1番に入った()()の隣のゲートに入ったスズパレードが、ゲートが開くのを待つ。

 告げられた距離は、東京1600m。まだ体が未完成な今、それは長すぎず短すぎず、クラシック級で走るミドルレンジと同じくらいの負担だ。

 

 ゲートが開き、飛び出したのはニシノライデン。続いてサクラユタカオーとスズパレード、()()が追走し、その後ろからビゼンニシキ、トウショウレオ、ミホシンザン、メジロモンスニー、シリウスシンボリが追う。

 なんの面白みもなく淡々とレースは続き、最終直線で盛大に斜行し大外へすっ飛んでいくニシノライデンを()()が追い抜きハナに立った。

 当然、独走など許す気はない。全員が各々の全力で()()を追いかけ、その背に手を伸ばす。もう少しで、差しきれる。そう考えたとき、後ろを確認した双眸が後続を睨んだ。

 少女の鹿毛に唯一映える白の流星――いや、大きくカーブしたそれは星ではなく月と呼ぶべきだろうか――が揺れる。

 

 そして、誰ひとり例外なく、両脚と心臓を射貫(いぬ)かれた。

 

 目の前には赤い道。舞い落ちた紅葉で以て彩られた府中の最終直線。薄暗い月下の山中に光る双眸が、森に潜む獣のごとく後続を睨みつけている。

 膝をついてしまいたくなるほどの暴威。無論、そんな無様な真似をするような者はここにはいない。そんな弱者は、そもそも彼女と並び走ることを許されない。

 興味を失ったかのように前を向き直り走り去る背中を、それでも懸命に追いかける。しかし、差は縮まらないまま、ゴール板を駆け抜けた。

 

 スズパレードは、()()に今度はビリヤードでと勝負を仕掛けに行くシリウスシンボリをぼんやりと見ながら、ビゼンニシキの隣に座る。

 

「いやー、やっぱ強いね、あの娘は」

 

「そうね」

 

「負けてられないさね、わたしらも」

 

「……そうね」

 

 答えるビゼンニシキの目の奥にある鋭い光は鈍っていない。見てみればニシノライデンも。そして、スズパレード自身も。ここにいる中で()()と同じクラシック期を走ることになる者は、誰ひとり()()に追いつくことを諦めていない。

 

 たとえ()()が、恐るべき暴帝、シンボリルドルフだとしても。

 

「何が『月の女神(Luna)』だ。『気狂い(Lunatic)』だろ、ありゃあ」

 

「せめて『獅子(Lion)』と呼んであげなよ、ライデン」

 

「Lしかあってねえよ」

 

 スズパレードは欠伸をひとつ漏らし、目を閉じた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「あの……すみません?」

 

 声が聞こえて、スズパレードは顔を上げる。

 目の前にいる、まるで『A』のような形の流星を持つ鹿毛の少女の顔を見て、自分がうたた寝していたことを思い出したスズパレードは、少女に手元にあったそれを手渡して言った。

 

「そんなら、いっそのこと()()()()()に直接教えを請うといい。()()を持っていけば、まぁ話くらいは聞いてくれるさね」

 

「は? え、えーと……ほ、本当に……?」

 

「多分、Maybeね。占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦さね」

 

「占い師が言うのそれ……?」

 

 狐につままれたような顔をして去っていく少女を見て、スズパレードは「菊花賞、頑張りな」と声をかけてから欠伸をひとつ漏らした。全く今日は運がいい。水晶玉の処分先が見つかったと、少女が持っていった水晶玉にはもう目もくれないで、簡素な台を片付け始めるのだった。

 

 一等星も、鈴も錦も雷も、地に落ち冠を戴いた月を再び輝かせるには足りなかった。

 願わくば、月の光を取り戻す太陽が現われんことを。



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 9月12日、ドンカスターレース場、英セントレジャーステークス開催。

 前評判では、長距離での実績を持つライスシャワーが1番人気を獲得した。日本のウマ娘が海外で1番人気を獲得するのはかつてないことであるが、グッドウッドカップを勝利したことはそれだけの実績となっていた。

 一方、ほぼ拮抗した票数で2番人気になったのはユーザーフレンドリー。オークスと名のつくGⅠを3勝した、ティアラ路線の優駿だ。長距離の実績こそないものの、十分な優勝候補である。

 

(あれがライスシャワー……相対してみるとそれほど凄みを感じませんね……レースが始まるとスイッチが入るのか、それとも擬態なのか……)

 

(ユーザーフレンドリーさん……すごい気迫……ブルボンさんと比べると、広くて重い感じがする気迫だ……疑ってたわけじゃないけど、絶対強い……)

 

 彼女たちの間に言葉はない。しかし、それでも互いの立ち居振る舞いを見れば、ある程度の実力は測ることができる。

 ユーザーフレンドリーの勝負服は、スコットランドヤードの制服に似たフォーマルファッションに黄色と黒の安全ベストを合わせたもの。それに加えて官帽を被っている。

 ライスシャワーと同じく黒を基調としながらも、アクセントとなっている色は青と黄色で対照的だ。

 

 実力伯仲のこのふたり以外の評価があまり高くないうえに出走者自体が少なくマッチレースと囁かれていることや、ウマ娘だけでなくトレーナーも対照的であるがゆえに『ホームズ&レストレード警部VSモリアーティ教授&ジャック・ザ・リッパー』『東西の若き天才トレーナー対決』などと煽られ、例年以上の観客を動員していた。

 

『父親はスコットランドヤードの警視監、既に英オークス、愛オークス、ヨークシャーオークスと3つのオークスを制覇したティアラ路線の名刑事ユーザーフレンドリーと、各国の長距離レースを強襲してはその道の先達をことごとく沈めてきたグッドウッドカップ王者の『黒い刺客』ライスシャワー。片やティアラ路線から、片や遠く極東から、イギリスのクラシック路線最後の一冠、14F(ハロン)132Y(ヤード)に殴り込んできた異分子たちによる、イギリスウマ娘レース史上もっとも異色な英セントレジャーステークスが始まろうとしております』

 

 出走者のゲート入りが終わり、発走準備が整った。

 先陣を切ったのはマックザナイフ。ソナスがそれに続き、ユーザーフレンドリーは3番手、そのすぐ後ろにライスシャワーがついた。

 ドンカスターレース場を一言で言うならば、右倒しになった洋梨である。そのヘタ付近、ヘアピンカーブが終わった直後がスタートラインとなる。

 そこから長い直線、左回りの長く緩いカーブ、そしてまた長い最終直線へと続く。

 

(耳カバー……意外にちゃんと機能してますね。外の音が聞こえなくなることより、()()()()()()()()()()()()()()ことが大きい……)

 

 ライスシャワーを含む他のウマ娘の呼吸音と足音は、今のユーザーフレンドリーには聞こえていない。自分の呼吸音を正確に認識することが、ペース維持に繋がっている。

 ユーザーフレンドリーにとって、3000m弱という距離は未知の世界。多少先頭から離されてもスタミナを温存するためにローペースに持ち込みたい。

 もちろん、ライスシャワーにはそれに付き合う義理はない。

 

『400m地点、ライスシャワーが早くもユーザーフレンドリーを躱して……抜かない! いや、やや抜いたか、ユーザーフレンドリーの右前に出て速度を合わせる!』

 

 そもそも、マークするのに真後ろへつける必要など毛頭ない。ライスシャワーにしてみれば、ユーザーフレンドリーの仕掛けるタイミングをつぶさに把握できればそれでいい。

 ライスシャワーはそれほど柔軟性や機転が利くタイプではない。自分で考えるより、他者に従うほうが向いている。だからこれも、先んじて網に指示されていた作戦のひとつに過ぎない。

 そして、ユーザーフレンドリーとアーサーも、ライスシャワーがマークしながらも前に出る可能性については思い当たり、警戒していた。

 

(落ち着いて……ライスシャワーを意識してしまうのはその強い違和感から来るもの。ならばそれ自体は()()()()()()()()()、それだけのことです)

 

 物事を纏めて考えるのではなく別個で考える。線で繋がった点ではなく、ふたつの点と線を見る。そもそも、意識してしまったら必ずペースが乱れるわけではないのだ。

 意識しないという根本的な対策が取れなくなったなら、現象に対する別個の対応をするだけ。ユーザーフレンドリーは、ここ数日の間インターネットで探していた、条件に合うジャズを脳内で再生し始める。

 暇があれば繰り返し繰り返し、それこそ夢に見るほどに何度も聴いた曲だ。そのテンポが乱れることは早々ない。

 彼女が探していた曲の条件とは言わずもがな、彼女の走りとテンポが合致することである。自分の中にペースメーカーを作ることで、ライスシャワーの影響から外れたのだ。

 

(すごい……ユーザーフレンドリーさん、全然揺らいでない……残り2000mくらい、リードがないと厳しいかもしれない……)

 

 ライスシャワーは作戦を再び切り替える。ユーザーフレンドリーを突き放すため、自分の出せる流し速度の最高速ギリギリを攻めながら、カーブへと突入する。

 一瞬だけ内ラチに頬がかすりひりつくような痛みが走るが、それで怯むこともなく最内のさらに内を狙い、体勢を低くしながら曲がっていく。

 

(な、なんですかそれ!? そんな位置、少しでも上体が……いや、頭を上げたら……それどころか、崩れた体勢を保たせ直そうとしただけでも、内ラチの底に頭から突っ込むことになるじゃないですか!?)

 

 内ラチのレーン直下、膝上程度の高さしかない、ポールまでの僅かな余白に潜り込んだライスシャワーの、地面を這うような低い、低い姿勢に、ユーザーフレンドリーが動揺する。

 怪我をすること、死ぬことが怖くないとは言わないが、それで走れなくなるくらいなら死んだほうがマシ。死ぬのが怖いくらいで走れなくなるわけがない。確かにユーザーフレンドリーはそうアーサーに言外の肯定を返したし、それを撤回するつもりはない。

 しかし、ライスシャワーのそれはもはやそういう次元にない。まるで恐怖そのものを抱いていないかのような、躊躇いのない危険への吶喊(とっかん)

 そもそも、相手の真後ろにつけるマークというそれさえ普通とは言い難いのだ。マーク対象が垂れたとき、一瞬でも判断を間違えばそのまま激突し、縺れたまま転倒すれば死の可能性すらあるのだから。

 それをさも当然かのように行っていたライスシャワーの異常さを改めて認識して、ユーザーフレンドリーは戦慄した。

 

 そして、ライスシャワーに引っ張られた意識を辿り、荊棘(いばら)のツルが伸びる。

 

(ッ! しまった!)

 

 ズレによる撹乱こそないものの、叩きつけられる殺気じみた威圧は背中越しでもユーザーフレンドリーの精神力を削るのには十分な威力がある。

 ライスシャワーは位置的なマークを外していても、未だにユーザーフレンドリーを意識から外していなかった。

 ライスシャワーのほうが前にいるのに、あたかも追われているような感覚に陥るユーザーフレンドリー。押し潰すような圧ではない、薄く鋭く研がれた刃を首筋に突きつけられたかのような冷たい殺気に背筋が寒くなる。

 カーブは半ば。レースも後半戦へ突入すると言ったところ。しかし、ユーザーフレンドリーもただこのままおとなしくやられているつもりは毛頭ない。マークと威圧は、ライスシャワーの専売特許ではない。

 

 ライスシャワーの荊棘が一本、置き換わるようにその姿を変えていく。緑色だったそれは鈍く光る銀に、伸びていたツルは頑丈な鎖に。

 その先端がライスシャワーの手首を捉え、カシャンと金属音がライスシャワーの耳へ届く。彼女の手首を(いまし)めたのは、手錠だった。それと同時に、ライスシャワーは全身が軋むような強い圧迫感を覚えた。

 喉までせり上がってきていた悲鳴をグッと呑み込み、ライスシャワーはそれを受け止める。考えるまでもない、ユーザーフレンドリーから返ってきた威圧だ。

 網が分析したユーザーフレンドリーの情報には、ひとつ大きな認識齟齬があった。網はユーザーフレンドリーを「地力は高いが際立った武器はない」と評した。しかし、表側に露出していないだけで、彼女には間違いなく大きな武器が備わっていた。

 

 それが、この負けん気の強さだった。

 

 並の威圧ではしてきたほうが潰れかねないほどのカウンター。追い詰めた犯人を逃さないとでも言うかのような、猟犬のような、あるいは壁のような分厚い圧迫感。

 恐怖こそない。その執念と強い意志から与えられる感情は畏怖だ。勝利への自信を、確信を、揺るがせるには十分なほどの、研がれてなどいない鈍器のような畏怖。

 もちろん、それでユーザーフレンドリーへとのしかかっている威圧が和らぐわけではない。あくまでも一方的に殴られ続けるという状況でなくなったというだけだ。

 ここから先は、真っ向からの殴り合いだ。どちらが先に倒れるか。互いの精神の削り合い。視線は交わらない、しかし、激化した感覚がより相手の姿を鮮明に映し出す。

 少しでも気を抜けば、己を支えることを止めれば、あっという間に軟くなった精神を削り取られ、あるいは押し潰され、()()()()ことになるだろう。

 

(……すごい)

 

 ライスシャワーは素直にそう感じた。決してグッドウッドカップの出走者たちが弱かったわけではない。ファーザーフライトなどは明らかに自分よりも格上であったし、ヴィンテージクロップもベテランながら伸びしろを感じさせた。

 ライスシャワーが勝てたのはひとえに精神力の差だ。身体的な能力では恐らくスタミナさえ及ばないが、それを補って余りある精神力で磨り潰した。自覚はないが、結果そうなった。

 ユーザーフレンドリーはそのふたりに比べれば身体的な能力ではやや劣る代わり、強い精神力を持っていた。

 

 ライスシャワーは精神力こそ強いものの、それを持て余している。自己主張もするしマイペースどころかゴーイングマイロードだから忘れられがちだが、彼女にはその強靭な自我によって押し通したいほどの想いがないのだ。

 優しさ、他者を優先する謙虚さと言えば聞こえはいいが、それは人格形成期に培われるべきだった目的意識の欠如だ。自らが目的を持って動けば不幸が降り注いだから。しかも、自分にだけでなく周りにも。

 だからライスシャワーは憧れる。眩い光に向かって、たとえ傷ついてもまっすぐに歩いていける者に。

 それは、才能を持たず生まれた舞台での栄冠を目指す者であり、荒れ狂う暴風の中でも笑顔を浮かべて誰かを信じることができる者であり、そして、強い精神で恐怖に立ち向かいながらそれに打ち勝つことを選べる者だ。

 勝つことを諦めないのではなく、勝って得るものを諦めないことができる者だ。挫折しようとも、妥協しない者だ。

 

(だから……勝ちたい! この人に、ユーザーフレンドリーさんに!!)

 

 彼女の中で、レースに勝ちたいのではなく、ユーザーフレンドリーに勝ちたいのだと決まった。

 相手をこれと決めた時のライスシャワーは、怖い。

 

『ッグ……なぁっ!!?』

 

 思わず、ユーザーフレンドリーから呻き声が漏れた。

 ライスシャワーの圧力が強まった。それこそ、膨れ上がったと言っていいほどに。

 想定はしていた。ライスシャワーの殺気が無意識である可能性も、更に上がある可能性も。事前にアーサーからも伝えられていた。その上でなお、想定を上回られた。

 精神ではない、本能へ直接響く恐怖。目の前に刃物を突きつけられれば目を閉じてしまうように、暗闇を前に躊躇するように、寒さを前に身体を竦めるように、それは自分の命を守るためにプログラムされた不随意運動。集中が途切れて、ふたりを結んでいた手錠の鎖が引きちぎれる。

 一瞬の硬直は幸いにして、ユーザーフレンドリーにとっての不利になることはなかった。ただ、その瞬間ライスシャワーの精神力はユーザーフレンドリーを凌駕したという事実を、眼前に突きつけられた。

 

Bloody hell(クソッ)!!」

 

 悪態をつき、あえて頭に血を上らせることで交感神経を優位にし、血管迷走神経反射に備える。急激な緊張から解放されて弛緩しつつある体の筋肉を振り絞り速度を維持する。

 カーブは終わりを告げ、1000m近い最終直線へと入る。ライスシャワーがそれとほぼ同時にスパートをかけ始めるとユーザーフレンドリーは目を(みは)った。

 

(ここからスパートをかけられるんですか!? あれだけのスピードで道中を走っておいて!? グッドウッドカップのときとは違って、スリップストリームもないんですよ!?)

 

 ライスシャワーの複合的なスタミナの豊富さの理由のひとつに、そのLT値の高さというものがある。走るスピードを上げればそれだけ疲れるのは当然だが、ある一定のスピードを超えるとその疲れる度合いが指数関数的に上昇する。それがLT値だ。

 簡単に言ってしまえば、他のウマ娘に比べて速いスピードで走っても、疲労する速度が回復する速度を超えにくいために、疲れにくいのだ。

 やや遅れて、残り800m地点でユーザーフレンドリーもスパートをかけ始める。スタミナが持つかは賭けだが、これ以上待ったら追いつけなくなると本能が告げていた。

 

 ユーザーフレンドリーがスパートをかけたタイミングから、ライスシャワーとユーザーフレンドリーの距離はジリジリと縮まっていく。その前ではハナに立っていたマックザナイフをソナスが追い抜き先頭に立つが、ライスシャワーが後ろから近づくと、ライスシャワーから放たれる殺気に怯み、ふたりともが一瞬硬直し、躱された。

 残り400m。ユーザーフレンドリーがソナスを躱してライスシャワーに迫る。脚が悲鳴をあげているが、それを無視してゴールへと駆ける。ライスシャワーの殺気は未だにジクジクと全身を斬りつける。しかし、大量分泌したアドレナリンが、怖気を完全に拭い去る。

 並びかけてきたユーザーフレンドリーを見て、ライスシャワーは歯を食いしばりながらさらに脚に力を込める。教会の鐘は鳴らない。彼女はまだそこには至っていない。

 

 間違いなくマッチレース、わかりきっていた構図、しかしそれであっても、観客たちへと提示されたその光景は胸を高鳴らせるものがあった。

 紳士気取りのナイスミドルが杖を握りしめて叫ぶ。騒がしく野次を飛ばしていた子供が息を呑んで行く末を見守る。

 リビングのテレビの前で有休を取ったサラリーマンがライスシャワーを応援すれば、ドンカスターのスタンドから女学生のグループがユーザーフレンドリーに声援を送る。

 東京にある大学の研究室でノートパソコンを覗き込みながら青年がユーザーフレンドリーを励ませば、ロンドンを行くビジネスマンがイヤホンのラジオに耳を澄ませながらライスシャワーの勝利を祈る。

 

 ライスシャワーの儚げな表情も、ユーザーフレンドリーの澄まし顔もそこにはない。あるのは闘争本能を剥き出しにした、ウマ娘という獣が宿す戦士の表情。

 言葉はない。叫びもない。口よりもまず体を動かせと、堅い芝を(えぐ)りながら、一歩でも、相手より、前へ。

 

 実況がゴールを叫ぶ。ドンカスターレース場に、示し合わせたかのような沈黙が降りる。天を仰ぐライスシャワーと、へたり込むユーザーフレンドリー。3着のソナスが早々に決定し、1着は写真判定。

 ライスシャワーが長距離無敗記録を更新するのか、ユーザーフレンドリーがオークス三冠にクラシックの冠を重ねるのか。その答えが、掲示板に表示された。

 

 スカートを翻し、勝者が観客たちへと淑女としてのカーテシーを捧げる。そして戦士として、引き抜いた短剣を空へ掲げた。

 

 1着、ライスシャワー。着差、アタマ差。

 接戦を制した『黒い刺客』へ悲喜交交(ひきこもごも)の、しかし満場の祝福が籠もった拍手が贈られた。




 仕事終わりにせっせか書いた文と、休日一日使って書いた文の量がほぼ同じだと、この世の理不尽を覚えるな。

 ペース、テンポは早いも速いも間違いではなく、本作では速いを採用しております。誤字報告はお控えください。


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オグタマライブ ??/09/12

 仕事から帰るやん?
 飯食って風呂入るやん?
 続き書こうとスマホ持って布団入るやん?

 寝ちゃうんだなぁ。


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

「まいど〜。ドリームシリーズウマ娘兼チーム《フォーマルハウト》サブトレーナーのスーパークリークでーす」

 

『まいど』

『まいど〜』

『クリーク!?』

『まいど〜!』

『なんかおる!』

『外?』

『ママ!』

『ママーーーー!!』

『オグリのまいどたすかる』

『スタジオじゃなくね?』

 

「うふふ、ママでちゅよ〜」

 

「ちゅーわけで、長距離レースの解説役としてクリークを呼んだったで」

 

「少なくとも私たちよりは作戦立てて長距離を走っているからな」

 

『悲しい事件だったね……』

『オグリが無言でタマが頷くだけだったからな』

『放送事故』

『てか奈瀬ちゃんチーム作ったんだ』

『何故奈瀬Tのサブトレ前提』

『クリークが奈瀬トレから離れるわけないだろ』

『フォーマルハウトってどの星?』

『みなみのうお座の一等星やな。奈瀬Tがうお座だけどうお座は最高でも三等星だから』

『アイネスも本格的にトゥインクルシリーズから引退してドリームシリーズやりながらサブトレやし』

『もしかしてクリーク今奈瀬ちゃんと同棲中?』

『むっ?』

『ほう?』

『ソースはよ』

『《ミラ》のナリタタイシンのウマッターで、「同室がサブトレになってトレーナーと住むからって部屋を出てった。解放感がすごい」って見かけたから。確信はない』

『タイシン……小さめ……あっ』

 

「せやで。こいつ今奈瀬ちゃんと一緒に住んどる」

 

「や、やだ〜も〜」

 

『ひひ^〜ん』

『キマシタワー』

『奈瀬ちゃんと言えばこの前のインタビュー記事笑った』

『永世三強のそれぞれのイメージのやつな』

『オグリ→何考えてるのかわからないから少し苦手。 クリーク→大人しくて付き合いやすい。 イナリ→怖い(断言)』

『今でこそ丸くなって面倒見の良さが出てきたけど現役の特に地方から出てきたてのときとか不発弾みたいな怖さがあったよな、イナリ』

『永世三強+タマはレース中とプライベートのギャップが強すぎる』

『そろそろ屋外なの気になるんだが』

 

「せやせや。今日はライスシャワーによる海外クラシックへの挑戦ということで、なんと開催地、ドンカスターレース場から中継でお送りするで!!」

 

「URAによる交渉の結果、カメラ車に同乗させていただけることになった」

 

『ふぁぁぁぁぁぁあ!?』

『プイイイイイイイイイ!!?』

『すげぇえええ!!』

『カメラ車って?』

『エゲレスのレースではカメラ積んだ車がウマ娘に並走して撮るんや』

『日本だと千直では並走カメラあるやな』

『日本のカメラワークはマジで後進国だわ』

『しかしなぜオグタマに白羽の矢がたったのか。国営放送とかちゃうんか』

 

「知らんわ」

 

「URAの方の気遣いらしいな。なんでも乙名史記者の姉が、網トレーナーの弟が懇意にしている通訳だそうで、網トレーナーとも面識があるらしい」

 

「ほーん」

 

『興味/zeroじゃん』

『どうでもよさげで芝』

 

「んじゃ今回の注目どころやな。まぁもちろんライスシャワーなんやけど、もうひとり、ライスシャワーとほぼ人気が拮抗しとんのが、イギリスのユーザーフレンドリーやな」

 

「ユーザーフレンドリーちゃんですね〜。えっと、英オークス、愛オークス、ヨークシャーオークスと3つのオークスを勝っている娘です」

 

『オークス三冠!?』

『オークスハットトリックって書いてある記事見たことあるぞ』

『まあ2400m強くても3000m強いかはまた別の話』

 

「ゆうてあれやろ? トレーナーがナシュワン育てたっちゅーやつやろ?」

 

「アーサー・シェリングフォードだな。まず間違いなく弱いことはないだろう」

 

『あー、トレーナー界のシャーロック・ホームズか』

『黒い人と対比されてるらしいな』

『寒門出身の天才新人トレーナーで顔がいい男か』

『黒い人とばっちりでモリアーティ呼ばわりされてて芝』

『それは芝』

『スレンダーマンよりはマシだから……(震え声)』

『お米もジャック・ザ・リッパーとか呼ばれてんでしょ?』

『ホームズ&レストレード警部VSモリアーティ教授&ジャック・ザ・リッパーって盛り上がってる』

『ユーザーフレンドリーの勝負服が警官なのな』

 

「さて、そろそろ発走だな」

 

「おお、動いた……こういう視点で見んのもおもろいな」

 

「先頭を走っているのはマックザナイフ、ソナスが追走しユーザーフレンドリーは3番手、ライスシャワーがその真後ろだな」

 

「日本ダービーのときの、後続へなにかしたときの仕掛けが私にもよくわからないんですよね〜……」

 

『今回はゾーン発動したらオグタマクリークは見えるのか』

『動いてんのすげぇ』

『日本もこんくらいカメラワークしてほしいよな』

 

「レースはヨーロッパのセオリー通りローペースでの進行ですね〜」

 

「だが、約2900mのこのレースで、3200mをハイペースで走りきったライスシャワーがローペースに付き合う必要もない」

 

「前に出ましたね。自分の姿を見せて牽制する作戦でしょうか。焦れてくれればありがたいですし、そうでなければわからないように少しずつペースを上げてついてこさせることもできます」

 

『これお米の判断かな』

『黒い人の仕込みに一票』

『お米を仕込むって寿司屋かな?』

『いくら以外も早く握らせろ』

『でもユーザーフレンドリーも動じてないぞ』

『流石に対策練ってきてるか』

『ってことはお米が何やってるか分かってんのか』

 

「流石はトレーナー界のホームズってとこやな」

 

「ドンカスターレース場はまずこの直線を終えると、左回りの大きなカーブになっている。そしてその先に最終直線だ。ヨーロッパにしては起伏が少なく、ほとんど平坦なのも特徴だな」

 

「ほんでカーブ入ったで、相変わらずおっそろしいとこ通るわ……いやいや内過ぎん?」

 

「ラチの下に潜ってますね〜……」

 

『ほんまミラは……』

『ネイチャはやってないだろ!』

『ターボもキレイに曲がってるからこんな風にはならんぞ』

『じゃあアイネスとライスだけじゃん』

『イクノもやってたぞ』

『日本が誤解されんか……?』

『アメリカでもサンデーサイレンスがやってたしセーフセーフ』

『あれは存在がアウトだろ』

『ラチギリコーナリングのイメージを損害してるまであるサンデーサイレンス』

『頬に掠るどころか頬に掠り続けて血出ても続けるからなサンデーサイレンスは』

『ラチギリギリなのもそうたけど体勢もヤバいぞ』

『オグリと大して変わらないんだけどライスのが小さい分余計に低く見える』

『これ頭上げたら死ぬのでは?』

 

「おおう!?」

 

「これは……イバラですか……?」

 

「恐らくライスシャワーの"領域(ゾーン)"だな……マーク対象に巻き付くイバラのつるか……」

 

「首に手首に脚に絡んどるな……これが息すんの邪魔しとんのか……」

 

『遂に直接攻撃するゾーンが出てきちゃったじゃん!!!』

『そろそろ領域にもルールを制定すべきでは?』

『領域はあくまでウマ娘の身体や精神に起きている現象を幻覚で表現しているに過ぎない。そのイバラも本当に巻き付いているのではなく、「息苦しくなり体の動きが鈍るほどのプレッシャー」を表現しているだけだ』

『どうした急に』

『領域研究ニキだ!』

『すごいぞ! プロだ! プロが来たんだ!』

『お前ら忘れてないか? ひと月前「ライスシャワーに殺された」って言ったやつがいたことを……』

『ヒェッ……』

『このまま絞め殺されるのかな?』

『首がポトンかもしれんぞ』

 

「……タマちゃん。ユーザーフレンドリーさんの()()()()は視えますか……?」

 

「んあ? んや、なんもあらへんよ」

 

「私には、ライスちゃんがもうひとり視えます。ユーザーフレンドリーさんのうしろに、短剣を構えたままぴったりとつけているように」

 

「なんやそれ怖っ」

 

「……クリークは共感力が高いから、恐らくユーザーフレンドリーにだけ視えているものが伝わっているんだろう。イバラがプレッシャーなら短剣は殺気か……」

 

『ヒェッ……』

『わかっちゃった。これグッサリいかれるやつだ』

『中には誰もいませんよ……?』

『追ってるのに追われてるのか……』

 

「む、イバラが……」

 

「一本変わりおったな。あれ……手錠か?」

 

「ライスシャワーのイバラが一本手錠に変化して、ライスシャワーの手首にはめられた。恐らく、ユーザーフレンドリーの"領域(ゾーン)"だな」

 

「威圧のカウンターでしょうか。マークされたときに逆にマークし返すような……」

 

『なんでレース中にチェーンデスマッチしてんの……』

『威圧し返されて微動だにしないのすげぇ精神力だなライス……』

『いや、顔しかめたから効いてはいる。ただそれで動揺するとラチに突っ込んで死ぬ』

『本当にうちらがやってたレースと同じやつこれ?』

『条件戦でも死闘のつもりだったけど雲の上だとガチで命賭けるんだ……』

『お米さん!?』

『ライス!!?』

『え』

『ユーザーフレンドリーが』

『お米さん顔』

『[tips]ライスシャワーはイブキマイカグラの姉弟子』

『フレンダ声出てる』

 

「待てや、こっちまで殺気飛んできよったで!!?」

 

「スイッチが入ったように思える……ライスシャワーの顔付きが変わった」

 

「"領域(ゾーン)"自体に変化はありませんが、ユーザーフレンドリーちゃんの背後のほうのライスちゃんが存在感を増していますね……」

 

「雰囲気としてはミホノブルボンを相手にしていた日本ダービーに近い。相手が威圧に呑まれないでいることがスイッチの条件か……?」

 

「手錠の鎖が切れよったな。ライスシャワーからのびとったイバラも消えよったけど……」

 

「ユーザーフレンドリーちゃんの手錠の鎖が、幻覚のほうのライスちゃんの短剣を弾いたように見えました。多分、ヴィンテージクロップちゃんのときのような最悪の事態は免れたんだと思います……」

 

『異能バトル……』

『最終直線!』

『最終直線だ!』

『ドンカスターの直線なっが!!』

『ドンカスターの直線民初めて見た』

『大体1000mあるからな』

『1000mでスパートかけとるんやが!?』

『スタミナ足りるんか!?』

 

「足りる顔しとるわ」

 

「足りるだろうな」

 

「足りますね〜……ユーザーフレンドリーちゃんもスパートをかけました」

 

『ユーザーフレンドリーのほうが速い!』

『逃げきれるか!?』

『来てる来てる来てる来てる』

『マックザナイフ逝ったー!!』

『ソナスも逝ったー!!』

 

「ソナスちゃんの首から血が!!?」

 

「幻覚や!! 落ち着きぃ!!」

 

「あれがヴィンテージクロップが食らった……それ程の殺気か……」

 

『首斬られてるの怖くて芝枯れる』

『ガチの切り裂きジャックじゃん』

『稲の葉っぱは指切れるからな』

『どんな原理が働いてそうなるんだよ……』

『並んだ!!?』

『並ばれた!!!』

『今だから言える、フレンダ推しだからそっち応援したいゴメンお米!! 頑張れフレンダ!!』

『推しは仕方ない』

『フレンダー!! 逮捕してくれー!!』

『いけええええええお米ええええええ!!』

『日本食の旨さを教えてやれぇ!!!』

『※朝はパン派』

『どっちも頑張ってええええええええええ!!』

『デジたん!!?』

『デジたんおるやんけ!』

『デジたんもよう見とる』

『【悲報】隣で見てた弟ふたりが米推しと友推しで殴り合いに』

『芝』

『日英戦争じゃん』

『片方米だぞ』

『日日なんだよなぁ……』

『顔すげぇ』

『可愛い子も美人さんも走ってる時みんなイケメンになるのズルくない?』

『おおおおおおおおおおおおおおお!?』

『どっち!? どっち!?』

『お米だろ』

『やーわからん』

『タマー! どっちだー!?』

 

「わからんてそんなん!!」

 

『はーつっかえ』

『辞めたらこの仕事』

 

「いてこますぞ!!」

 

「写真判定の結果が出たな……アタマ差でライスシャワーの勝利だ。おめでとう」

 

『うおおおおおおおおおおおお!!』

『あああああああああ』

『キタアアアアアアアアアアアアアア!!』

『初の海外クラシック制覇!!』

『フレンダ推しだけどライスシャワーもよく頑張った!! おめ!!』

『プヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

『カーテシーだ!』

『お嬢様がやるやつ!』

『ふつくしい……』

『からの抜剣』

『からの抜剣!?』

『何故抜いたし』

『敵将討ち取ったり?』

『違う、そうじゃない』

『ちぃ知ってるよ。これテンション上がってノリでやったからあとで恥ずかしくなるやつ』

 

「ウチらはインタビューとかでけへんから乙名史ちゃんに任すで」

 

「今回は他の局も来ているしな」

 

『おー握手』

『友情ー』

『友情ー』

『友情のマグネットスティックやん』

『イギリスはチワワのイメージだわ』

『俺は教授のイメージ』

『これは流石に教授』

『何の話してんねん』

『トレーナー同士も握手!』

『しかし顔がいい』

『BLゲーか?』

『黒い人のクイーンズイングリッシュ綺麗やな』

『発音もいい』

『でもなんて言ったかわからん』

『英語に自信ニキー!!』

『貴方は私たちを叩き潰したがっているが、あいにく私たちは叩き潰されるのなんてまっぴらだ。かな? わからん』

『The Memoirs of Sherlock Holmesに収録されたThe Final Problemの作中でモリアーティ教授がホームズにかけた台詞ですね! 一人称単数が複数になってる以外はそのままです!』

織足(おるたす)(こと)ネキおるやんけ!』

『本紹介ウマチューバーと言う名の文学限界オタクウマチューバー織足琴ネキもよう見とる』

『へー、モリアーティ教授の台詞か。モリアーティ教授って呼ばれたからかね』

『引用するほうもするほうだけど秒で理解する方もする方だわ』

『あっちのトレーナーもわかったっぽいぞ』

『めっちゃ顔ニヤけとるやん!!』

『イケメンはニヤけてもイケメンなのか……』

『黒い人って割とノリいいよね』

『あ、お米が』

『何言ってんのかわからんけどなんの話題かはわかる』

『赤しゃり……』

『赤飯じゃなくてか』

『言うほど赤くないしな、赤しゃり』

『タイムリーだから……』

 

「ほんならインタビューから先はウチらやることないし切るでー。パーソナリティーはタマモクロスとー」

 

「オグリキャップ」

 

「ゲストのスーパークリークでした〜」

 

「「「ほなな〜」」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

『ママーーーーーーーーーーーーーー!!!』



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お忍び

 府中某所。

 そこにその男の姿はあった。普段着ているカッチリとしたスーツとは違う、柔らかい素材のYシャツにベストとループタイ、下はチノパン。

 髪も下ろしており、普段と装いの異なる彼に注目する視線はない。いや、流石にその『ほぼコンパス』だの『体の半分脚』と呼ばれる長い脚は隠せていないので、誰何されるのとはまた別の注目を受けているのだが。

 腕時計を確認しながら誰かを待っている様子の彼に近づいてくる小柄な人影。長い髪は後ろで結い、いつもは片目が隠れるようにセットされている前髪は、うまいこと編み込まれて両目が見えるようになっている。

 ガーリーワンピースにメガネという装いでやってきたそのウマ娘は、耽美でやや近づきにくい雰囲気を醸し出している男へ躊躇いなく近づいていく。

 デートか、というには少々アブない年齢差を感じさせるふたり。見ようによっては兄妹に見えなくもない。

 男がウマ娘に気づいたタイミングで、ウマ娘が口を開いた。

 

「トレーナーさんって、黒い服着てないと本当に誰だかわからないね」

 

「前髪シンメトリーに切り揃えて差し上げましょうか?」

 

 喧嘩を売ったつもりはライスシャワーにはなかった。

 

 

 

 帰国後、網とライスシャワーはふたりきりで出かけていた。理由はと言えば、網が頻繁に通っている店に、ライスシャワーが興味を示したからだった。

 他のメンバーも誘ってはみたものの、あいにく都合がつかないか興味がないかの2択であったために、ライスシャワーとふたりきりという状況が出来上がってしまったのである。

 実年齢以上に歳の差があるように見えるふたりは既にこの辺りでは顔が売れすぎていることもあり、変装をして待ち合わせをしていた。

 

 府中駅前から少し歩いたところにその店はあった。パステルカラーを基調に使ったガーリーなカフェ。おおよそ網には似つかわしくない外装をしている。

 看板に書かれた店名は、『うさぎカフェ キャロット』。

 

「違和感がすごいね、トレーナー……」

 

「本当にズケズケと物を言いますね貴女?」

 

 喧嘩を売ったつもりはライスシャワーにはなかった。

 

 店のドアを開けるとカランコロンと軽快なベルの音が鳴り、ドアを開けてすぐ左側の台の上で寝ていたフレミッシュジャイアントがピクリと反応して、またすぐに眠りについた。陽がちょうど差し込むこの時間帯、この台は彼女の指定席である。

 手の消毒と検温を済ませていると、カウンターの奥から店員がやってきた。出迎えたウマ娘の店員は網とライスシャワーの顔を見て一瞬動きを止めるが、すぐにマスク越しでもわかる営業スマイルを取り戻す。

 完全会員制であるため網がライスシャワーにウマホを使った会員登録を促す。

 

「ところでアイネス、バイトは辞めたんじゃなかったのか?」

 

「……どうしても一日だけシフト入れないかって泣きつかれて……」

 

 トレードマークのサンバイザーを外して髪を下ろし、マスクを着けているため変装としては十分だろう。よく見ればメイクも普段と違うように見える。

 網としては、やることをやっているならバイトをするしないは制限しないので構わないし、それをアイネスフウジンも知ってはいるのだが、バイト先でトレーナーと会うのは流石に気まずいものがあった。

 

「登録終わったよ」

 

「あ、それではこちらで手続きをいたしますね」

 

「うん、お願いお姉さま」

 

「…………」

 

 流石に身内に通じるレベルの変装ではなく、ライスシャワーにも普通にバレていた。

 

 念入りに消毒を受けて店の奥に行くと、床に座れるようにマットが敷いてあり、そこにウサギが転がったり走ったり餌を食べたりしていた。

 常連である網は既にミトちゃん(ロップイヤー牝2歳)にロックオンされ、右脚におやつよこせ攻撃を受けているため、しゃがみこんであぐらの上に乗せ、注文したウサギ用のおやつを献上する。

 一方のライスシャワーは、ウサギたちに群がられて毛玉のようになっている奥の客が気になって仕方がなかった。

 

「あ、網トレーナー、今日はライスさんとご一緒なんですね」

 

「お久し振りです、ニシノフラワーさん、セイウンスカイさん。えぇ、ライスシャワーのメンタル回復のためですね」

 

「そうだ、グッドウッドカップと(イギリス)セントレジャーステークス、優勝おめでとうございます。あのライスさんが精神的に疲れるって、やっぱり海外レースだとプレッシャーが違うんですね……」

 

「そちらこそ、難敵を倒してのスプリンターズステークス制覇おめでとうございます。ライスシャワーのメンタルが削られたのはレース以外のところですけどね」

 

「ちょ、ちょ、ちょ、えっと! ふたりは知り合いだったのかな!?」

 

 黒い人の会話を止める赤いの質問にニシノフラワーは「これ触れないほうがいいやつだ」と察し、即座に話題を転換する。一方セイウンスカイは未だにウサギに埋もれている。

 

「はい、2月に初めてきた時に偶然お会いして、それからは頻繁に……というか、私が来たときには必ずいますよね?」

 

「週3で来てますからね」

 

「(それはもう)飼っては(いかがですか)?」

 

「どうにも生き物を飼うのは苦手で……」

 

 ニシノフラワーの圧縮言語による提案を切り捨てる網。その膝の上ではカエデちゃん(ネザーランドドワーフ牝3歳)が構えとスタンピングを繰り返している。ミトちゃんはおやつを食ってどっか行ってしまった。

 

「折角ですからおふたりで戯れてきては? ライスシャワーは学園も休んでいましたし、ニシノフラワーさんとは今日が久しぶりでしょう」

 

「じゃあそうしましょうか。ライスさん、こっちの大きい子と遊びませんか?」

 

「わぁ……おっきい……」

 

 同年代に見えるが実際はダブルスコアの年齢差があるニシノフラワーとライスシャワーがリンちゃん(フレミッシュジャイアント牝6歳)と遊び始めるのを見て、網は手元のカエデちゃんを撫で始める。

 すると、そんな網にウサギたちの中から起き上がったセイウンスカイが近づいてきて隣りに座った。

 

「いやー、お久し振りです網トレーナー。セイちゃん寂しかったですよ〜」

 

「それほど仲が良かった記憶はありませんが?」

 

「もう、ツレないですねぇ、マブじゃないですか私たち〜」

 

 セイウンスカイは網に会うたびにこうやって実のない会話を仕掛けてくる。基本的に、どことも言えない着地点に不時着のような落とし方をして去っていくのだが、この日はどうやら話に方向性があるようだった。

 

「ああやってるとフラワーも年相応の女の子って感じですよね〜。ライス先輩はちょっと幼い感じですけど。知ってます? フラワーってメチャクチャ頭いいんですよ」

 

「えぇ知ってますよ。会うたびに聞かされますから」

 

「え〜? そうでしたっけ? おかしいな〜セイちゃんこの歳で健忘症かなぁ?」

 

 すっとぼけるセイウンスカイ。こうやって迂遠に、迂回して、迂曲の末に本題へ辿り着かせる。というよりも、本題を覚らせないようにいくつもあるどうでもいい話の中に紛れ込ませる。自分の本心を隠す会話術。ある意味では、それは網とは正反対の会話術だ。

 しかし、今回は割とわかりやすくはっきりと、そして早々に()()へ入った。

 

「……そう、フラワーもまだ子供なんですよね〜。8歳のお子様。それなのに経験に不釣り合いな才能を持たされて、トゥインクルシリーズで戦って、名家のオツキアイに担ぎ出されて……」

 

 遠い目で語るセイウンスカイの瞳に宿っているのは、非常に複雑な感情だ。

 

「8歳のお子様がですよ。年上の死闘に交ざって魂を削り合って、大人たちに交ざって汚い世界を渡ってるわけですよ。そりゃ幼馴染として心配にもなるの、網トレーナーならわかってもらえません?」

 

「……そうですね。心中お察ししますよ」

 

 網もそうだったから。違うのは、周りから求められていた才能がなかったことだけだ。そして、持っている者の負担も想像がつく。

 

「周りの大人がこぞって助けるどころか負担を増やす。情けないもんですよ。あいにく助けてあげたいセイちゃんもまだ子供なもので――」

 

「セイウンスカイさん。そうじゃありません」

 

 網がセイウンスカイの話を遮ってこぼす。

 

「そんな回りくどい真似しなくても、子供が大人に助けを求めるときは『助けて』でいいんですよ」

 

 セイウンスカイのそれは大人の駆け引きだ。本来子供には必要ないものだと網は思っている。

 そんな網の大人としての言葉を聞いて、セイウンスカイは安心したように笑う。

 

「言質、取ったと思ってもいいんですかね?」

 

「えぇ、そのようにニシノフラワーさんにはお伝えください」

 

 ――そして、強張った。

 

「……えっとそれは、頼りにしていいってことを、ですよね?」

 

「それもそうですが、こうやって回りくどく人を使わなくてもいいと伝えてください。少なくとも私はしがらみの少ない身ですから」

 

 ピクリと、今度はニシノフラワーの耳が反応した。

 セイウンスカイが網に対してこうして話を持ってきたのは、幼馴染を想うが故のセイウンスカイの独断ではない。ニシノフラワーからの指示だ。

 そもそも、2月にこの店に来たその理由も、不自然さがないように網と距離を詰めるための布石だった。

 

「基礎的なスペックではそちらが上なんでしょうけど、こういうのは結局()()ですから。あまりお気になさらず」

 

「……それも伝えておきますね〜」

 

「いえ、これは貴女に」

 

 セイウンスカイ、撃沈であった。

 

 

 

「いや〜、ごめんねフラワー。バレバレだったっぽいや」

 

 帰りの車の中で、セイウンスカイは特に気にした様子もなくニシノフラワーへと報告する。こちらの打算は見抜かれていたが、それを含めても(よしみ)を結べたため、ニシノフラワーはそれでひとまずは満足だった。

 不穏な色はニシノフラワーの目にも見え始めている。余裕はないかもしれない。だから、少しでも頼れる先は多くしておきたい。

 

「フラワー、私もいる。みんな味方さ、肩の力抜いて……ね?」

 

 セイウンスカイが微笑みかける。それにつられて、ニシノフラワーも顔を綻ばせた。

 秋華賞は近い。ただし、ニシノフラワーは出走しないが。



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菊花賞前それぞれと、SOS

⚠警告
 この回には馬主さんのイメージを損ねる可能性がある描写があります。この作品はフィクションであり、実在の団体、人物とは関係ないことを念頭に置いてお読みください。


 

 

 

「なんとか勝てました……本当はメイクデビューでこれを出したかったんですけど……」

 

「いや、十分だ。そのメイクデビューだって2着だしな。なにはともあれ、よく頑張ったよ」

 

「はい……ありがとうございます、トレーナーさん……!」

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です、タンホイザさん」

 

 イクノディクタスが話しかけるが返事はない。そんな余裕は今のマチカネタンホイザにはなかった。

 彼女の所属するチーム《カノープス》は、中央トレセン学園では《リギル》《デネブ》《ポラリス》《アルタイル》に次ぐ歴史を持つ。そしてそれ相応の重賞ウマ娘を多数育て上げながらも、長らくGⅠウマ娘を輩出できていなかった。GⅢ、GⅡは勝ててもGⅠは善戦止まり。実力は疑いようがなくとも勝ちきれない。そんな印象が根強く残るほどには。

 しかし、その呪いを破壊したのが、マチカネタンホイザの友人である、このイクノディクタスだった。デビュー前の故障に悩まされたもののそれを乗り越えてからは一度の怪我もなく、確実に月に1走、場合によっては2走、中2週や中1週も珍しくないという破滅的なローテーションでトゥインクルシリーズを走ってきた。

 ついたあだ名が『鉄の女』。それだけ走ってもGⅡ以上では勝てたことがないことを揶揄するものだったが、それが変わったのが今年の大阪杯でのことだった。

 ツインターボとトウカイテイオーの激闘にホワイトストーンとともに参加していたイクノディクタスは、その戦いの中で一皮剥けた。何かを掴んだとも言えるかもしれない。

 ヴィクトリアマイルでは今年の高松宮記念を制した桜花賞ウマ娘、ダイイチルビーの追い込みから逃げ切り、見事《カノープス》に初のGⅠ勝利をもたらした。

 そんな仲間の姿を見せられて奮起しないわけがない。マチカネタンホイザは改めてクラシック戦線への志高く、イクノディクタスに続いて《カノープス》へとGⅠのトロフィーを持ち帰ると決めた。

 

 しかし日本ダービーで見せつけられたのは、その気勢を削ぐには十分なほどの、同期との間に立ちはだかったあまりにも大きな壁だった。

 無敗で二冠ウマ娘となった『サイボーグ』ミホノブルボン、日本ダービーこそ(おく)れを取ったが、海外の長距離レース或いはExtended区分のレースでは無双を続けている『黒い刺客』ライスシャワー。

 普通、5バ身の着差があれば話にならないほどの実力差があると言われるなかで、適正距離外で2着に入ったライスシャワーとミホノブルボンとの着差が5バ身。ミホノブルボンと自分との着差は、大差ギリギリの9バ身差だった。

 なによりマチカネタンホイザを打ちのめしたのは、両者ともに決して才能があるとは言えないなかでの敗北だったことだ。

 ミホノブルボンははじめスプリンターとしての期待を寄せられていたところを、距離適性をとにかく延ばし続けての勝利であるし、ライスシャワーの本領は超長距離であり日本ダービーでは少し短い。

 一方でマチカネタンホイザはステイヤー寄りではあるが、ミドルからの広い適性があると言われている。日本ダービーは十分、彼女の全力を発揮できる距離だったはずだ。

 あのふたりは普通じゃない。そんなふたりが、片やさらに努力を積み上げて距離適性を延ばし、片や今度は自分の本領を発揮して、菊花賞に臨んでくる。

 

 普通じゃ、勝てない。

 普通のままでは、普通の努力ではあのふたりに勝つことはできない。それを理解して諦めることができるほど、マチカネタンホイザは頭が良くはなかった。

 普通の努力で勝てないなら、普通でない努力をすればいい。その考えに行き着くのは当然の帰結だった。

 もともとイクノディクタスの過剰なローテーションを許可していた南坂トレーナーは、マチカネタンホイザからの要請に応え、尋常ではない負荷がかかるトレーニングメニューを組み立てた。

 ミホノブルボンのスパルタトレーニングは有名だ。彼女が結果を出すそれ以前は、他トレーナーから苦情が来るほどだった。マチカネタンホイザのトレーニングメニューはそれを超えるハードトレーニングだった。

 マチカネタンホイザにはミホノブルボンやライスシャワーを超える精神力はない。それでも、そのハードトレーニングを維持するためにあらゆる工夫を施した。そのうちのひとつが、イクノディクタスなど第三者による管理だ。

 特にイクノディクタスは適任だった。自分に厳しいローテーションを課しているだけあって、依頼すればマチカネタンホイザが泣こうが喚こうがトレーニングメニューを終えるまでやめることを許さなかった。

 正直、トレーニング量に後悔することもある。それでも、やれることすべてをやらずに菊花賞を迎えるほうがよほど後悔することを、マチカネタンホイザは確信していた。

 

「次はプールでの水泳です。私は先に行っていますので、タンホイザさんは着替えてきてください」

 

「ヴェアアアアア……」

 

 今日も悲痛な鳴き声が響く。

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん……ごめんなさい、負けてしまいました……」

 

「名家のニシノ家相手によくやったよ。しかも半バ身差じゃないか。ジュニアGⅠでこれだけできればクラシックも十分期待が持てるさ」

 

「そうでしょうか……お父さんにはあと少しだったのにと言われたんですが……」

 

「あぁ……まぁ、あの人はどうやらニシノ家をライバル視してるみたいだからな……勝ったのがニシノだったから気が立っていたんだろう。オレからもあまり追い詰めないように言ってみるよ」

 

「はい……ありがとうございます……」

 

 

 

 

 

 

 息も絶え絶えというのはこういうことを言うのだろう。そんなことをメジロパーマーは考えながら、倒れ伏すふたりを見つめていた。

 

「あー……どうする? 今日はこんなもんにしとく?」

 

「ヴェェッフォ!! ゲホッ、っはー、ま、まだアゲてけるっしょ……」

 

「そう? 君は?」

 

「や、やれまひゅ……」

 

 去年末からの相棒であるダイタクヘリオスと、つい最近自分たちのトレーニングに同行するようになった『A』のような流星を持つウマ娘は明らかにまだやれるという雰囲気ではないが、これももはや見慣れた光景だ。

 ダイタクヘリオスはスプリント~マイル路線ではトップクラスの実力を持っているのだが、何故だかより長い距離、しかもミドルどころかクラシックディスタンスを目指しているようで、ミホノブルボンの距離適性延長がさらなる起爆剤になって燃えている。

 一方『A』は今年クラシック級であり、菊花賞での勝利を目標としていて、どうやらメジロパーマーの時と同じ()()占い師に焚きつけられてやってきたようだった。

 菊花賞で爆逃げをするつもりだとすれば、その理由はミホノブルボンなのだろう。ミホノブルボンはレコードタイムに()()タイム――ツインターボというレコードタイムを大幅に押し上げた存在が原因で、ミホノブルボンはここまでのクラシック二冠ではレコードタイムを更新できていない――を正確に刻んで走っている。だからこそ、このラップ逃げを完遂させることは、レコードタイムに()()タイムでゴールすることを許すということになる。

 ミホノブルボンの敗戦は現状、前を押さえられた宝塚記念だけである。もちろん敗着の理由が前を押さえられたことであるとは限定できないが、あの時のミホノブルボンは間違いなくいつものコンディションで走れてはいなかった。

 ミホノブルボンに勝つにはふたつにひとつ、レコードタイムを更新するほどの走りをするか、ミホノブルボンのペースを崩すしかない。

 

 しかし、菊花賞の本命はミホノブルボンではない。長距離という舞台において未だ負けなしの世代最強ステイヤー、ライスシャワーだ。

 ライスシャワーの得意な戦法は、優勝候補を決め打ちして執拗にマークし、スタミナで磨り潰す好位追走だ。今回、ライスシャワーがマークしてくるのは十中八九ミホノブルボンだろう。そしてそのミホノブルボンは先頭を走るのだ。つまり、ミホノブルボンの前を走らない限り、ライスシャワーの後方への幻惑を食らい続けることになる。

 そもそもライスシャワーに勝つこと自体が困難すぎることをさておいても、勝ち筋は極端に狭いと言っていい。後方からの追い込み一気か、ミホノブルボンに並走以上の走りをするか。

 その二択で後者を選んだのだが、どちらにしろイバラの道だ。

 

(まぁ、あっちの思惑がどうあれ、あの占い師のおかげで事態が好転したのは確かだし、後継を育てられるほど自分の能力があるとは思ってないけど、乗り掛かった舟は沈ませたくないよね)

 

 『A』がシニアに上がる来年は、自分たちも最後の年になるだろう。果たしてその1年で脅威になりうるかはさておいて、とりあえずはこの後輩を難敵相手に善戦できる程度までは仕上げてやりたい。

 それに、どうやらメジロパーマーの()()()には、彼女についてこられるレベルの相手が必要なようだから。

 

「それじゃ、もうワンセット行こうかー」

 

「「うぃーっす……!」」

 

 よろよろと立ち上がるゾンビたちを見ながら、メジロパーマーは苦笑するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「桜花賞は残念だったが、そこまで気落ちすることはない……と言いたいけど、やっぱりお父上か?」

 

「……はい。期待外れだと……」

 

「今回もニシノが1着か……責めるわけじゃないが、チューリップ賞じゃなくて弥生賞を希望したのもお父上からの指示なんだろう? オレはお前の希望はなるたけ通したいと思ってるが、お父上の指示にただ盲目に従う必要はないんじゃないか?」

 

「ありがとうございます、トレーナーさん……でも、もう少しだけ頑張ってみます……」

 

「……そうか。わかった。オレもお前が勝てるように最善を尽くすよ」

 

 

 

 

 

 

『菊近し、淀の坂越え、一人旅、と言った様子でしょうか』

 

 諸事情により例年の阪神レース場ではなく、京都レース場での開催になった神戸新聞杯――菊花賞トライアルは、実況の一句通りミホノブルボンの独走状態となっていた。

 京都レース場はその長い坂が特徴であり、他のレース場に比べるとスタミナが必要となる。いわんや、もともと長距離レースである菊花賞など。ミホノブルボンが二冠を獲りながらもこのトライアルに臨んだのは、例年とは違って京都レース場の予行ができるからというのが大きかった。

 しかし、はっきり言ってしまえばそれ以外の収穫がないに等しいと言っていいレース。ミホノブルボンは今までにない感情を抱いていた。

 ミホノブルボンにとって最重要なのはクラシック三冠の夢を叶えることであり、淡々と、下見が必要であるからこの神戸新聞杯に出走した。であれば、レース内容の如何は問われないはず。もちろん他者から何か言われることはあろうが、少なくともミホノブルボン自身に不満は浮かばないはずなのだ。

 しかし、ただの通過点であるはずのこのレースにおける圧倒的な展開でミホノブルボンは無感情ではなく、漠然とした()()()()()を感じていた。

 敗北の危機を覚えた日本ダービーや、圧倒的な格上としのぎを削った宝塚記念に比べて、あまりにもあっけなく、あまりにも中身のないレース。ただ、走っただけ。そんな思考が、ミホノブルボンの心理を動かしていた。

 

『ヤマニンミラクルはまだ遠い! 影も踏めない! ミホノブルボンの影を踏むことはできない! 完全にミホノブルボン先頭だ! 三冠へ向かって視界よし! ミホノブルボン快勝! 圧勝です!』

 

 後続を突き放して5バ身差の圧勝。無意識のうちに日本ダービーの時のように、しかしあの時とは明確に異なる理由で不必要な着差をつけての勝利となった神戸新聞杯。観客から贈られる声援は、ミホノブルボンの心を埋めることはなかった。

 この不可解な感情についてトレーナーに尋ねることを、感情についての説明そのものが漠然としすぎているという理由で中止してしまったミホノブルボンにとって、もはや解析は手詰まりだった。

 

(ライスシャワーさん……やはりあなたは私の悪夢(ウイルス)なのですか……? 私を蝕むこの感情(バグ)は……)

 

 自らに芽生えた特異点の先に見える景色はなんなのか、今のミホノブルボンにそれを知る術はない。

 

 

 

 

 

 

「オークスはよく頑張った。向こうの距離適性の関係もあるんだろうが、ニシノに先着できたじゃないか」

 

「ありがとうございます……でも、勝つことはできませんでした……」

 

「……また、お父上か? お前自身はニシノ……ニシノフラワーと仲はいいんだろうに……お守りを貰ったって嬉しそうにしてたじゃないか」

 

「トレーナーさん……次走は札幌記念をお願いします」

 

「夏の重賞か……正直、勧めたくはない。オレ自身は、夏は休養とトレーニングに当てるべきだと思う。正直、ここまでのローテーションもかなり無理をしているんだ」

 

「大丈夫ですよ……イクノさんやヘリオスさんのような方々もいるじゃないですか」

 

「特殊な例をそれが一般的であるかのように持ち出すのはやめろ……とにかく、札幌記念は出ていい。だが、秋華賞までにお父上ともう一度よく話し合ってくれ」

 

「……わかり、ました……」

 

 

 

 

 

 

「あ、アイネス先輩!!? 今手ぇ空いてます!? てか空けてください!!」

 

「どうしたのネイちゃん、そんな泡食ったような顔して」

 

 能力維持のためのトレーニングを終えて他のメンバーよりひと足早くチームルームへ戻り、サブトレーナーとして資料作成やら情報収集やらをやっていたアイネスフウジンは、なにやら慌てた様子のナイスネイチャが駆け込んできたことに驚いた。

 普段どっしり構えているナイスネイチャが思わぬ事態に慌てるということは日常茶飯事ではあるが、これほど大仰な慌て方はそれほど多くない。

 一旦ナイスネイチャを落ち着かせようとするが、時間が惜しいと言ったような勢いで――と言うより、ナイスネイチャ自身も混乱しているのか――ナイスネイチャはまくしたてる。

 

「いやあの、なんか、アイネス先輩にご来客が来てんですけど、それがあの、えーと……」

 

「チョイと失礼、おおいたいた。久しぶりだね(フウ)の字!」

 

 ナイスネイチャを押し退けて顔を出したのは、女丈夫と言った雰囲気を纏うウマ娘だった。

 雑に纏められた青毛は黒く美しく、荒いその様さえ映えさせている。着崩した着流しに下駄というラフな格好はいやらしさを感じさせずむしろ様になっており、たすきで纏めた袖口から覗く腕や、裾からはみ出した脚などは、全盛期をとうに過ぎた今でもなまじいな実力の現役に劣ることはないだろう。

 中性的でありながら少年然とはまだ違う、迫力のあるハスキーボイスに、荒々しくも流麗なその様は、かつて男女を問わず多くのファンを惹きつけたことを確信させる。

 トゥインクルレースでの栄光を、特にティアラ路線でのそれを志すウマ娘であれば、彼女の顔を知らぬ者はいない。

 彼女が戴いた桜で実況を担当したベテランのアナウンサーが、その経験を以てして「後ろからはなんにも来ない」と三度叫ぶ以外の言葉を持ち合わせなかったというその逸話は、伝説時代においてさえ彼女の世代が『最狂世代』、或いは『三狂世代』と称される一因なのだから。

 

「ビー姉! 去年ぶりなの!」

 

「おーう、元気そうでなによりさ!」

 

 『狂戦士』テスコガビー。伝説時代を彩った一角であり、アイネスフウジンの母親の姉弟子であり、アイネスフウジンのもうひとりの師ともいえる存在である。

 

 

 

 唐突な有名人との遭遇で完全にテンパっていたナイスネイチャ(なお、同じく遭遇した他のメンバーはナリタタイシンが少し驚いた程度で、網含めまったく動じていなかった)をトレーニングへ送り返し、アイネスフウジンはテスコガビーの相手を始めた。

 とはいえ特に緊急の用事があるわけではなく、近くに寄ったからついでに顔を見に、という程度のものだったために、交わされる会話はとりとめのないものであるが。

 

「んでその時の記者がガマガエルだか肉団子だかみたいなやつでさぁ。あんまり失礼だったから睨んでやったら逃げてったんだ……でもそれからも色々と粘着されてねぇ……や、マスコミもピンキリなのはわかってるけどね? 随分執念深いやつだったからウザったいったらありゃしなかったよ。引退してからもしつこく難癖つけてきてねぇ……」

 

「あ、あはは……」

 

 殆どは愚痴だったが。シラフではあるはずである。

 そして、そろそろ帰るかという直前になって、テスコガビーは唐突に真剣そうな顔で話し始めた。

 

「で、風の字あんたドリームシリーズ行くらしいじゃないさ」

 

「うん、サブトレーナーやりながらだけど」

 

「それならこいつは先達としての忠告だ。いいかい? ドリームシリーズはトゥインクルシリーズ以上に()()()()()()()()()()()()。トゥインクルシリーズは挑戦だが、ドリームシリーズは文字通り夢だからだ。だからマスコミ以上に、観客に振り回されるんじゃないよ。なんのために走るのか、走り続けるのか、しっかり考えておきな」

 

 言いたいことだけ告げて、テスコガビーは返事も聞かずにチームルームを後にする。アイネスフウジンが幼い頃からのことではあるが、テスコガビーというウマ娘はなんとも自由な女だった。

 とはいえ、その言葉に考えさせられることはできた。正直に言えば、既に税金を差し引いても一生の生活ができるだけの貯金ができている。稼ぐにしろ走らずとも、講演会やら自伝やらは歓迎されるだろう。

 

 今の自分が走りたいと思う理由、それはなんだろうか。友人たちとの再戦か、先達への挑戦か、あるいは。そんな風に考えて、やめた。

 

「理由なんてなくていいの」

 

 走りたいと思ったから走る。走るからには負けたくない。そんな自分に夢を見たいなら勝手に見ていればいい。ガヤに振り回されるほど自分の風は弱くない。

 あの日アイネスフウジンの背中を押してくれた風はまだ吹いている。なら、前に進むのは難しくない。

 

 風は、迷わない。

 

 

 

 

 

 

「必要ない! 紫苑ステークスかローズステークスか、片方だけで十分だ! いや、ローズステークスから秋華賞までじゃあロクに休養もとれない。ローズステークスに出る必要はない!」

 

「いえ、お願いします、トレーナーさん」

 

「無茶だ! そもそも、札幌記念は勝ったからいいものの、そのあとの函館記念だって無茶だったんだ! お父上が無理を通してるならオレから説得する! だから無理はしないでくれ!」

 

「ありがとうございます。気持ちは嬉しいです。でも、ダメなんです。お願いします、走らせてください」

 

「なんでっ……! お前がそんな……そんなことする必要はないだろうっ……!」

 

「お父さんは悪くないんです。お父さんの期待に応えたい、それだけなんです」

 

「……っ!! わかった、出てもいい……ただ、秋華賞の結果には、責任が持てない……っ」

 

「……ありがとう、ございます……」

 

 

 

 

 

 

 夜の府中を走る車の中で、ニシノフラワーはスクラップブックを眺めていた。その顔は憂いに満ちていて、しかし瞳の奥には覚悟したような雰囲気を(たた)えている。

 スクラップブックに集められた記事は、とあるウマ娘とそのトレーナーについてのことだ。善戦しながらも結果は残せずにいた彼女は、イクノディクタスを彷彿とさせるローテーションを進みながら、札幌記念や紫苑ステークスという重賞を勝利したことによって注目を集めていた。

 しかし、そのローテーションにトレーナーは反対であったらしい。それでもそのウマ娘が厳しいローテーションを押し通したのは、彼女の父親が理由だった。

 彼女の父親は寒門のスクールを経営しており、自分の娘であるそのウマ娘もそこでレースを教えた。自分の娘だから、おそらくはそんな理由で重すぎる期待を籠めた。

 そんな期待は、彼の学生時代に確執があった男への対抗心へと変わった。あの男の子供よりいい成績をとれと、男の子供であるニシノフラワーなどに負けるなと。そのウマ娘の父親に対するインタビューからは、そんな本音が透けて見えた。

 

 ニシノフラワーはそのウマ娘自身とは、非常に友好的な付き合いがある。自己主張と自己肯定感は少ないが、控えめで気遣いのできるいい娘だ。当然、ニシノフラワーのほうが歳下ではあるのだが。

 だからこそ、自分への対抗心なんかで壊れてほしくなかった。本人を説得したこともあったが、そのウマ娘自身父親と共依存的な関係にあるのか、父親に従うことに強迫観念を持っているようで、意見を変えることは叶わなかった。

 ヘタに干渉すれば父親にそれが伝わり、ニシノフラワーとの関係そのものを切るように言われるかもしれない。そうなると、派手に動くことも出来ない。父親の因縁ではあるが、ニシノ家の問題ではないためにニシノ家の力は借りられない。

 

 ニシノフラワーはスクラップブックをめくる。そこにあったのはそのウマ娘のトレーナーに関する記事だった。

 そのウマ娘は結局紫苑ステークスを制覇し、ローズステークスで2着という結果を出したものの、秋華賞が控えているのに無茶なローテーションを断行したことで秋華賞に万全の状態で挑めなくなっていた。

 秋華賞前のインタビューで、そのウマ娘のトレーナーである羽原トレーナーは「調子は絶不調、こんな出来では勝てない」と漏らした。ここまでマイナスな言葉をインタビューで使うということが、そのウマ娘の状況がどれほどのものかを物語っていたのだろう。

 結論から言えば、そのウマ娘は秋華賞に勝った。

 ニシノフラワーは出走していなかったが現地で観戦していた。そのウマ娘が走る様子は、さながら手負いの獣のようだった。

 ゴールしたあとは立つのもやっとの状況で、1着であるにも関わらずウイニングライブを欠席するという事態にまで発展した。

 

 そのウマ娘の次走は、エリザベス女王杯を予定していると発表された。

 

 秋華賞からエリザベス女王杯へというローテーションは珍しいものではない。しかし、彼女の場合それに至るまでのローテーションが過酷すぎた。本来であれば年内は完全に休養に向けなければならないだろう。

 明らかに本人の体調を無視したこの決定は、そのウマ娘の父親による決定であるという。

 

 ニシノフラワーのウマホにメッセージが入る。セイウンスカイからだ。そこに書かれている言葉を見て、ニシノフラワーは素早くあるアプリを開く。

 そして、運転手に対して指示を出すと、ニシノフラワーを乗せた車は府中の町を走り出した。

 

 

 

 

 

 

「クソッ……ふざけるなっ、ウマ娘を……自分の娘を何だと思ってるんだっ……!」

 

 羽原はトレーナーとしては鍛えられた体で、自らの担当ウマ娘を背負って走っていた。

 その顔には強い怒りが見て取れた。その一因にはとある出版社とのいざこざがあるのだが……それ以上に、担当ウマ娘の父親の存在が彼の逆鱗に触れていた。

 限界をさらに振り絞ってまで獲った秋華賞での1着。サンエイサンキューが遂に獲った1着だというのに、父親はそれを褒めるのもおざなりにこう口にしたのだ。

 

「次はエリザベス女王杯だな」

 

 担当ウマ娘――サンエイサンキューの身体は明らかに限界を迎えている。エリザベス女王杯に出そうものなら、そこで壊れてしまうだろう。そんなことは素人でさえわかる、まがりなりにもレース指導者である父親なら言うまでもなくわかっているはずだ。

 羽原は直接抗議した。そもそも、ここまでの無茶なローテーションはこの父親がサンエイサンキューに半分強制したものだったのだ。これ以上はトレーナーとして見過ごせなかった。

 しかしそれに対しての父親の返事は「これ以上口を出すならトレーナー契約を解約する」というものだった。こんなことになるとは思っていなかった羽原は、契約の時に『保護者の判断で契約を解約することができる』というサンエイサンキューから提案された項目を加えたことを後悔した。

 

 半ば衝動的にサンエイサンキューを連れて出てきてしまった。しかしどうするというのだろう。トレーナー契約を解約されてしまえば、羽原はサンエイサンキューのトレーナー、保護者としての立場を失う。そうなってしまえばサンエイサンキューが同意していようが、未成年略取誘拐罪が成立してしまう。

 今のうちに病院へ連れていけば入院させることはできるだろう。しかし、保護者である父親に連れ戻されて終わりだ。

 いっそのこと犯罪者になってでも、サンエイサンキューのエリザベス女王杯出走を回避させたい。そんなことまで考え始めていた羽原の前に、1台の車が停車した。

 すわ父親が追いかけてきたのかと身構える羽原だったが、車からその手を伸ばしていたのは予想外の人物だった。

 

「乗ってください、サンキューさんのトレーナーさん」

 

 幼くも覚悟を決めたその声に、羽原は従うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「夜分遅くにすみません。網さん、お願いします、助けてください」




 題材にするのは色々と危ないかもしれないけど、どうしても書きたいと思いました。どうかよろしくお願いします。


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父親

 落とし所……こんなところで……どうでしょう……


 10月某日。点十字病院第3分院屋上。

 

「失礼、ニシノフラワーさんでよろしいですか?」

 

 手すりの向こうを眺めていたニシノフラワーに声をかけたのは、網のような黒ずくめではなくグレーに近い色のスーツを着た男性ふたり。こういうものですと出したその手に掲げられていたのは桜の代紋。

 ニシノフラワーは隣に立っているボディガードに目で確認を取る。対してボディガードが軽く肯く。本物であると言う意味だ。

 

「はい、私がニシノフラワーです。刑事さんが何かご用でしょうか」

 

「サンキューをどこへやった」

 

 食い気味に詰問したのは当然刑事ふたりではない。その後ろにいた人物、ニシノフラワーも知った顔である。彼こそがサンエイサンキューの実の父親、水崎喜晴であった。

 ニシノフラワーへ食ってかかろうとした水崎を刑事の片割れが宥め、もうひとりの刑事が丁寧に事情を聞き始める。

 

「昨晩、サンエイサンキューさんが行方不明になりました」

 

 違う。ニシノフラワーはそれを知っている。サンエイサンキューが行方不明になったのは3日前の晩だと。刑事が嘘をついているのではなく、水崎が刑事へ嘘を伝えたのだろう。

 水崎がそうした動機は、すぐ刑事によって明示された。

 

「えー、彼がサンエイサンキューさんのお父上なんですが、彼曰く担当トレーナーとの契約解除が済んでから姿が見えなくなり、連絡もつかなくなったとのことで……」

 

 つまり、サンエイサンキューと羽原トレーナーとの担当契約解除が受理されるのを待っていたのだ。羽原がサンエイサンキューを連れ去ったその時、羽原がまだサンエイサンキューの担当だったか否か、つまり保護者としての権限があったか否かで、警察の対応が変わるから。

 サンエイサンキューが行方不明になったときまだ羽原が担当であれば、なんらかの事情があるのかもしれないと考慮される場合がある。しかし、契約解除の直後に行方不明となれば、むしろ羽原への疑いが強くなる。

 そもそも、羽原の世間での評判はそれほどよくない。トレーナーとしての才能はあるが、人格面で難があるというのが一般的な評価だ。

 その原因は彼の歯に衣着せぬ物言いと直情、過去の八百長疑惑や、マスコミとのいざこざによるイメージの悪化が主な理由である。特に、直近のトラブルは報道各社によって取り上げられている。

 

 トラブルのきっかけは秋華賞前のインタビューだった。サンエイサンキューの調子を聞かれ「見ればわかるでしょう」「こんな出来では勝てない」と不満を隠さない答弁のあと、独り言として「ここまで悪く言って2着以上とかだったら頭でも丸めなきゃな」と漏らした。

 その独り言が月刊ターフの特報に、「羽原、秋華賞でサンエイサンキューが2着以上なら坊主」という、まるで羽原がサンエイサンキューを勝たせる気がないかのような解釈ができる見出しで掲載されたのだ。

 原因は月刊ターフの記者が遅刻し、取材に間に合わなかったことだった。その記者、岩戸記者は羽原へ直接インタビューを試みるが、過去の八百長疑惑で月刊ターフと確執があった羽原はこれを拒否。

 コメントを取れなかった岩戸記者は、取材に間に合っていた他社の記者たちから取材内容を又聞きし、このような見出しを作ったのだ。

 

 そして、サンエイサンキューの評価を下げまいと、それまで過酷なローテーションについては陣営内で意見が割れたとしか明言していなかったことが、この勝つ気がないという解釈によって最悪の形で仇になっていた。

 すなわち、「羽原は八百長のためにわざと拒否するサンエイサンキューに過酷なローテーションを組ませたのではないか」という憶測が生まれたのだ。

 そして、その憶測を前提にすれば「羽原の狙いが外れ、ローズステークスは2着、紫苑ステークスと秋華賞で勝ってしまったサンエイサンキューとの担当契約が切れた直後にふたりが行方不明」という構図が出来上がってしまったのである。

 

 厄介なのは、当の月刊ターフ自身は今回については事実しか書いていないことだ。だからこそ、証言が出る。サンエイサンキューのローテーションや行方不明は事実だし、羽原の呟きもニュアンスに違いはあれど文字に起こせば変わらない。

 月刊ターフの疑わしい記事だからという理由で裏を取った人間ほど、今回の件についてはドツボにはまっていた。

 だからこそ、表向きは娘を心配する父親でしかない水崎の言葉を、警察は容易に信用した。とはいえ、水崎が「ニシノもグルだ」と言ったにも関わらずこうして丁寧に対応している辺り、盲信しているわけではないようだ。ニシノフラワーへ話を聞きに来たのも、彼女の両親への聞き取りが終わったあとである。

 

「そういうわけですので、羽原氏かサンエイサンキューさんの行方について、何か心当たりがあれば教えていただけると……」

 

「こいつらがあの男を匿ってるに決まってる!」

 

 いきりたった水崎が叫ぶが、刑事によって止められる。ボディガードの元ばんえいウマ娘が前に出てニシノフラワーを庇う後ろで、ニシノフラワーは考えを巡らせながら冷静に応える。

 

「匿ってません。病院にいると思いますよ」

 

「ふん、そう言うと思って近辺の大きい病院に確認は取った!! 入院させたら私に連れ戻されるから、お前たちが匿っているんだろう!!」

 

「そもそも、私がサンキューさんを誘拐する理由も、それに協力する理由もありません」

 

「知っているんだぞ! お前がエリザベス女王杯に出るということ!! サンキューがエリザベス女王杯に出たら負けるから、出させないように監禁しているんだろう!!」

 

 その叫びで、刑事の片割れは勘違いに気づき、もう片方も違和感を覚えたようだ。それはそうだろう、その叫びは水崎がサンエイサンキューをエリザベス女王杯に出そうとしていると言っているようなもの。過酷なローテーションを提案していたのが羽原ではなく水崎だと言っているようなものなのだから。

 そもそも、水崎が嘘を吐いたのはサンエイサンキューが行方不明になった日時だけである。ローテーションに関することは言及すらしていない。そして言及したとして嘘を吐く気もなかっただろう。水崎には間違ったローテーションを提案したというつもりはまるでないのだ。

 そしてそのことで、ニシノフラワーは昨晩網に提示された可能性が事実であったと理解して、やりきれない想いを飲み込む。

 

「……匿ってはいませんが、行き先は知っています」

 

「ほらな!! やっぱりグルだ!!」

 

「落ち着いてください水崎さん。えー、ニシノフラワーさん、サンエイサンキューさんがどこにいるのか教えていただいても?」

 

「えぇ、もちろんいいですよ」

 

 その言葉に、ニシノフラワーが観念したと思ったのか、水崎が勝ち誇ったような顔をする。これでサンエイサンキューがどこにいようと、親として連れ戻すことができる。

 たとえ本当に入院していたとしても、羽原とニシノがグルになって病院に圧をかけ、嘘の診断をしたのだと主張できる。世論は水崎に傾いているのだから。仮にそれが難しくても、羽原が選んだ病院など信用できないと、自分の息のかかった病院へ移させればいいのだ。

 しかし、ニシノフラワーが口にした言葉で、水崎の思考は完全に停止した。

 

「サンキューさんは、アイルランド王立シャーガー医学院にいます」

 

「……は?」

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「つまり、サンエイサンキューさんを彼女の父親から、合法的に手の届かないところへやってほしいと?」

 

「は、はい……そうと言えばそう……? です……」

 

「ふむ……少々お待ちを」

 

 3日前、ニシノフラワーとサンエイサンキュー、羽原らを自宅へ――網は寮ではなく自宅からの出勤である――招き入れた網は、ニシノフラワーが自分の住所を知っていた理由には触れず、隣の部屋へと姿を消した。

 網の人柄について、ここでサンエイサンキューを見捨てるような人間でないことはわかっている。今隣の部屋で通報をしているということはないだろう。

 しかし、ニシノフラワーは網の反応に違和感を覚えていた。ニシノフラワーに報告されている情報では、網はその生い立ちから、子供に過剰な干渉をして未来を操作しようとする親という存在を心底嫌っているはずだ。それにしては、網の反応は冷静すぎた。

 しばらくして戻ってきた網はこう切り出した。

 

「ツテを辿って、アイルランド王立シャーガー医学院にコンタクトが取れました。ご存知ですか?」

 

「へ……? えっと、ごめんなさい、わからないです……」

 

「王族のウマ娘も利用している、アイルランド王国の最高権威的病院ですよ。愚弟……あぁ、ふたりいるうちの下の方が都合のいいことにアイルランド王族とコネクションがありまして、今少し相談してきました」

 

 網の弟については知っていた。網賢志郎(けんしろう)。網家きっての天才芸術家であり、絵画を中心に様々な分野に手を出している麒麟児。確かに彼は、アイルランド王族の肖像画を描いた件でいたく気に入られていたと聞いている。

 

「出国は早いほうがいい。恐らくサンエイサンキューさんのお父上は通報を遅らせますから、その間に現地入りしてください。ビジネスジェットをチャーターします。大体2000万かからないくらいですが、賞金で十分賄えますね? あぁ、即金で無理そうなら立て替えておきますよ、無利子で」

 

「へ? は、えっと……」

 

「決めるなら早いほうがいいので、()()の先の方ともご相談して決めてください」

 

 網は耳元を叩きながらそう言った。それが何を指しているかは自明だ。ニシノフラワーが耳カバーの中に仕込んだワイヤレスイヤホンと、ミニサイズのピンマイク。

 見抜かれていたことに若干の恥ずかしさはあったが、しかしこれに関しては、相談せずとも答えを決めていた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「疑わしいとお考えなら確認してみては? それで連れ戻したければお好きにどうぞ。私がとやかく言えることではありませんから。あぁそうそう、羽原さんもそこにいらっしゃいますよ」

 

 水崎は歯噛みする。連れ戻せるはずがない。ニシノに勝つことに拘るほど世間体を気にしている水崎には。王族が懇意にしているような病院を相手にして無理やり連れて帰るなど。喧嘩を売っているようなものなのだから。

 そしてこれを明かすことになんの問題もない。むしろ明かすべきだ。羽原はケガをしたサンエイサンキューを病院に連れていき、自分も入院しているだけ。ニシノフラワーは病院のツテがなかったから知り合いを頼っただけだし、網は病院を紹介しただけだと。後ろ暗いところはなにもないと。

 ニシノフラワーが暗にそう主張していることに気づいた水崎は砕けんばかりに歯を噛み締めて、そして、その場に倒れ込んだ。

 

「タキさん! お医者さんを呼んできてください!」

 

 この展開を予期していた――網によって伝えられていた――ニシノフラワーは、ボディガードのウマ娘に素早く指示を出す。

 サンエイサンキュー自身から聞いたことがあった。男手ひとつで育ててくれた自慢の父なのだと。それを、網もライスシャワーから伝え聞いていた。

 網の持つB種免許はあくまでウマ娘の故障などに対する医療行為を許可するものであり、人間の細かい医学知識を保証するものではないが、それでも単純に知識として持っていたその可能性を、網はニシノフラワーへ、あくまでひとつの可能性として話していた。

 

 脳腫瘍や脳卒中などの脳へのダメージで、性格が大きく変わってしまう症例について。

 

 結果だけ言えば、倒れた場所が病院の屋上だったこともあり、水崎は一命をとりとめた。倒れた原因はくも膜下出血であり、それとは別に脳梗塞が見つかった。それが原因で性格が変わった可能性は十分にあるというのが、担当医師の診断だった。

 後日、このことはアイルランドのサンエイサンキューへ伝えられた。その時はすぐにでも日本に帰ろうとしたサンエイサンキューだったが、羽原とニシノフラワーからの説得もあり、まずは最低限日常生活に支障が出なくなるまではアイルランドで療養することになった。

 水崎は命は助かったものの、意識を取り戻していない。そんな水崎が目を覚ます前に競技人生を終わらせてしまうのはどうなのかと羽原が説得し、サンエイサンキューはひとまず無理なローテーションをしないことを約束した。

 また、担当契約については水崎が錯乱状態であったことから、復帰後にURAから派遣された職員がサブトレーナーとして補助につくことを条件に再契約されることとなった。

 

 担架で運ばれていく水崎を見送り、ニシノフラワーはふっと息をついた。ひとまず、親友を蝕もうとしていた『最悪の結末』は遠ざけることができたのだ。

 水崎がいつ目を覚ますのかも、目を覚まして性格がどうなっているかもわからない。しかし少なくとも、サンエイサンキューがアイルランドで療養する限りは故障の心配はない。

 水崎の入院も報じられるだろう。脳機能の低下を理由にすれば、過酷なローテーションを提案していたのが水崎であることを公表しても、サンエイサンキューのイメージダウンは抑えられるだろう。そうすれば、羽原の悪名も改善されるはずだ。

 

 この先どうなるかはまだわからない。しかし、ニシノフラワーは確かにひとつの運命を覆したのだ。




 結末について賛否両論あるでしょうが、とりあえずはこの方向で。


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【ほぼ閑話】2度目の秋

 9月20日、中山レース場。オールカマー。

 秋の天皇賞の優先出走権を懸けたそのレースの勝者は、予想外と言わないまでも意外なウマ娘だった。何故なら、彼女は国内最上級グレードのレースを6勝した優駿ではあるものの、そのいずれもがダートで行われたレースだったからだ。

 己の領分を弁えず、生意気にも芝というより多くの猛者たちがしのぎを削りあう修羅道へ足を踏み入れてきた慮外者に、格の違いを見せつけてやろうなどと考えていた娘たちを一太刀に撫で切りにして、彼女はその頂点に立った。

 その走りは王道たる好位抜出。しかしそこに駆け引きはなく、にもかかわらずその歩みを止めることができる者はひとりとしていなかった。出走していたウマ娘は一度戦ったことのある、とあるウマ娘を引き合いに出してこう語った。

 

「すぐ目の前にいるのに、まるでツインターボと走っているようだった」

 

 インタビュアーは勝者に問う。優先出走権を手に入れた秋の天皇賞へ出走するのかと。

 トウカイテイオーは出てこない。今、ブランクを打ち消すためのリハビリトレーニングを進めており、ターフに帰ってくるのは有記念辺りになるだろう。イブキマイカグラも同様だが、こちらはさらに先の復帰になりそうだ。

 メジロマックイーンも脚部の不調を療養するためにこの年末はレースを休むと公表されている。ナイスネイチャはジャパンカップに向けて調整を行うために天皇賞は回避した。

 イクノディクタスに至ってはオーストラリアのティアラ路線にあるマイルGⅠレース、エンパイアローズステークスに出走するために日本にさえいないという状態だ。

 しかし、それを差し引いても、今年の天皇賞には巨大な壁が立ちはだかっていた。ミドルディスタンスであれば最強格、昨年URA史上初のクラシック級での天皇賞制覇を成し遂げ連覇を狙う大本命。

 

 『不滅の逃亡者』ツインターボ。間違いなく出走するであろうその優駿の名を出して、インタビュアーは再度問うた。砂の舞台からやってきたばかりのあなたが、昨年の覇者に挑むのかと。

 それに対して、彼女の答えはひどくあっさりしたものだった。

 

「もちろん。わたしはターボのライバルだからね」

 

 たとえそこが自らの本領でなかったとしても、彼女は走る。それが彼女、『将軍』ハシルショウグンなのだから。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 そして、11月1日。東京レース場。天皇賞開催。

 本命であるツインターボと対抗であるハシルショウグン、爆逃げコンビことメジロパーマーとダイタクヘリオス、ホワイトストーン(なんか知ら)カミノクレッセ(んけどいつ)ムービースター(もいる人たち)以外で注目を集めているのは、モデル業でゴールドシチーと肩を並べる美少女、トウショウファルコである。

 競走ウマ娘としては自らの容姿を疎んでいたゴールドシチーとは反対に、その可憐な容姿を武器にファンを増やし、シニア2年目で遂に重賞勝利。初めてのGⅠレースとなる彼女を応援するファンは多く、実力と比べれば高い人気を誇っている。

 宝塚記念での骨折から療養が明けたばかりのヤマニングローバルもまた人気がある。トウショウファルコと違いGⅡを3勝している十分な実力者なのだが、ジュニア期に右脚を複雑骨折し、骨をボルト2本で繋ぐ必要があるほどの重度の故障でクラシック期を棒に振っていた。そして復帰から1年半経過した宝塚記念でまた骨折しながらも、そこで諦めることなくリハビリを続けて復帰しためげない健気な姿に心打たれたファンが多数いるわけだ。

 

 このようにレースの実力以外で華がある者もいるが、しかし当然、レースの主役と言ったらやはり実力で決まるものである。

 発走前、中継カメラで抜かれたツインターボは笑っている。余裕というわけではないが、心の底から湧いてくる『楽しみ』という感情に突き動かされた表情筋がその形へ導いている。

 互いに好敵手という共通認識を持っていながら、デビューからこれまで一度として同じレースを走っていなかった芝と砂の猛者たち。その初めての手合わせが始まろうとしていた。

 

「あれ? そういえばライス先輩は?」

 

 一方こちらは関係者観戦席。チーム《ミラ》のメンバーはいつものごとく、ツインターボのレースを確認するためにそこに集まっている。

 そんな中、ひとり足りないことに気づいたナイスネイチャが網に確認しながらも、今日は観戦せずに来週の菊花賞に向けて追切をしているのかと予想を立てる。しかし、それに対する網の答えは否だった。

 

「ご友人が観戦に来ているとのことで、一緒に見るために一般席へ向かいましたよ」

 

「へぇ……誰だろ。ブルボン先輩は観戦より追切優先させそうだし、フラワーあたりかな?」

 

「いえ、先日中央トレセンに転入してきた留学生ですよ。渡英した際に知り合ったらしいです」

 

 そう言われてナイスネイチャがまず思い浮かべたのは、先日の英セントレジャーステークスでライスシャワーと鍔迫り合いを演じたイギリス所属のウマ娘、ユーザーフレンドリーだろう。

 しかし、デビュー前の留学生がトゥインクルシリーズでデビューしたり、海外所属のウマ娘が遠征に来ることはあれど、海外所属のウマ娘がデビュー後に日本へ所属変更するなどという話は聞いたことがない。

 というところで、ナイスネイチャはURA.netのアプリで直近の転入生について検索し始めた。留学してくるにしろ、この時期にというのは珍しいためそれほど時間もかからず見つかった。

 

(おっ、いたいた。出身はアメリカだけど、この人以外いないしあってるよね。えっと……ダンツシアトル先輩ね……? え゛)

 

 ナイスネイチャが絶句するのも仕方ないことだ。ダンツシアトルは歴史こそそれほど長くないものの、アメリカではそれなりの格を持つ名家の生まれだったのだから。

 本来なら彼女のライダーがアメリカの無敗の三冠ウマ娘であるシアトルスルーであることに驚くものだが、ナイスネイチャは残念なことにそちらの感覚には未だ疎い。

 

(……いや、アタシが交流するわけでもないし、落ち着け落ち着け……)

 

 ナイスネイチャがよく考えてみれば当たり前のことを思い出して現実に引き戻されたタイミングで、ファンファーレが鳴り響いた。

 

 ゲートが開くと同時に領域(ゾーン)によって弾かれるように先頭に立ったツインターボを、メジロパーマーとダイタクヘリオスが追走する。宝塚記念とは逆の構図だ。

 だからメジロパーマーはツインターボに競り合いを仕掛けようと、先を走るツインターボに向けて加速する。

 

(……あ、無理だこれ)

 

 そして、すぐに退いた。

 競りかけるために消費するスタミナと消費させるスタミナが割に合わない。メジロパーマーは感覚でそのことに気づいたのだ。だから冷静に考えて、退いた。

 

 さて、ここで勘違いされがちなことを訂正しておこう。メジロパーマーとダイタクヘリオスのふたりを比べれば、ダイタクヘリオスのほうが頭がいい。

 知識量という意味では、曲りなりにも名家で教育を受けていたメジロパーマーのほうが教養があるだろう。しかし、地頭のよさとなると、実はダイタクヘリオスに軍配が上がるのだ。

 だから、メジロパーマーが競りかけたときに、メジロパーマーが気づいたそれにダイタクヘリオスも気づいていた。

 

「爆逃げヒウィゴー!!」

 

 それはそれとして、ダイタクヘリオスはバカだった。

 当たり前のようにツインターボへと競りかけに加速するダイタクヘリオスにメジロパーマーはギョッとする。メジロパーマーはダイタクヘリオスの本質を掴みきれていなかった。

 彼女は、パリピなのだ。

 

(なんか来たああああああああああ!?)

 

 逃げるツインターボ、追うダイタクヘリオス。最高速はダイタクヘリオスのほうが上であるため、あっという間にツインターボを抜かしてハナに立ったダイタクヘリオス。

 しかし、その直後に入ったコーナーで再びツインターボが先頭に立ち、そのままコーナー全体で大きく引き離す。ここは、コーナーが得意なツインターボが、そもそも道中での競り合いにも慣れていないダイタクヘリオスを蹴り落とした形だ。

 これがメジロパーマーであれば、ハナを再び譲ることにはなれどそこまで離されずに済んだかもしれないが。

 次の直線の途中にある得意な坂を使って、コーナーでつけたリードを守るツインターボ。冷静にダイタクヘリオスはもう駄目だなと判断したメジロパーマーは、ハイペースで逃げながらもツインターボを差すための脚を溜める。

 

 一方、不気味なほどに動きがないのは、逃げ3人を除いた前から2番手にいるハシルショウグン。その安定した走りは、さながら重戦車を連想させるものだ。

 先行という脚質の常として、位置取り争いによってスタミナが削られ続けるというものがある。しかし、ハシルショウグンが発している威圧は自らに近づくことを許さない。

 ライスシャワーのような突き刺さる殺気でも、シンボリルドルフのような支配する神威でもない。ただ寄せ付けない、ハシルショウグンを中心に発せられる、ただ「近寄りがたい」と思わせる斥力。

 悠々と走るその将軍を、誰も止めることは叶わない。

 

 最終直線。砂で鍛えられた、先行脚質にとっては破格の加速力でハシルショウグンがメジロパーマーとダイタクヘリオスを躱しツインターボへと迫る。

 しかし、十分にリードをとっていたツインターボを差し切ることはできず、見事ツインターボの秋の天皇賞連覇によって、その年の天皇賞は幕を閉じた。

 

 そして翌週、クラシック最後の一冠が幕を開ける。




 というわけでほぼ閑話です。
 忘れちゃいけないけどこれ以上のボリュームは出ませんでした。


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(つわもの)たちの夢

 本日早朝に1話更新しております。お見逃しなく。


 11月8日、京都レース場。クラシック最後の一冠、菊花賞開催。

 秋華賞を勝ち抜いたGⅠウマ娘サンエイサンキュー、その父親とトレーナーの三者が揃って入院するという事件も冷めやらぬ時期での開催。

 凶兆とも言える出来事を払拭してくれという願いさえ垣間見える観客たちの興味の先にあるのはふたりのウマ娘。彼女たちが繋げている功績のどちらが絶たれるかの行く末だ。

 

 ライスシャワーが『リミットブレイカー』を下しエクステンデッドディスタンスの無敗記録を伸ばすか、ミホノブルボンが『黒い刺客』を討ち取りシンボリルドルフ以来のクラシック三冠を手にするか。

 国内での成績を見るならば、あるいはGⅠでの勝数を見るならば格上なのはミホノブルボンだ。しかし、彼女はこれまで適性距離を延長し続けながら勝利を勝ち得てきた挑戦者であり、その上本質はスプリンターである。

 それに対してライスシャワーはGⅠ勝利数でこそミホノブルボンに劣っているものの、勝利した重賞はジュニア期のひとつを除きすべてがExtended区分(2701m以上)の超長距離レースという生粋のステイヤーであった。

 適性の差、経験値の差。ミホノブルボンがクラシック三冠という夢を掲げるのと同時に口にする「適性距離の壁を突破する」という文言がまさにそこに立ちはだかっていた。

 最も強いウマ娘が勝つと言われる菊花賞で、種類の違う強さを持った万能者(ジェネラリスト)専門家(スペシャリスト)の対決。その人気は、シニア級相手に勝利しているという点でライスシャワーへとやや天秤が傾いていた。

 

(最終チェッククリア。システム、オールグリーン。ミホノブルボン、いつでも発進できます)

 

 地下バ道で最後の確認を終え、周囲を見渡すミホノブルボン。彼女の目に映るのは覚悟を固めた優駿たち。その半数ほどは、ミホノブルボンやライスシャワーといった()()()()()()強者への畏怖と諦めで委縮しているように見える。それでも、完全に諦めきってはいないところは流石にGⅠへ出走するだけはある。恐らく、できるだけ高い順位を狙いつつあわよくば、あるいは一矢報いてやろうというつもりの者が多いだろう。

 ミホノブルボンにとって、そのタイプの出走者たちは敵にならないだろう。何故なら、ミホノブルボンの走り方、ラップ走法というものは、その"万が一"に対して滅法強いのだから。レースを、展開を、勝利を画一的なものに落とし込む。それがラップ走法の恐ろしさ。それは、すべてを技術、人の手によって導くことによる運の否定であり、運命の否定だ。

 

 そんな中ミホノブルボンが目にとめたのは、当然と言えば当然か、今回の最大の壁にして好敵手、ライスシャワーの姿。深い呼吸、程よい脱力、適度な緊張。精神的、肉体的にも万全のコンディションのように見える。チーム《ミラ》のトレーナーを相手にする段階で、不調という可能性は捨てなければならない。

 ライスシャワーを観察しているうちに、ここ最近頭を悩ませている正体不明の感情の存在が増してきていることに気づいた。言い表すのならばそれは高揚であり、熱量であると言える。その正体を理解せずにこの舞台に立とうとしているのは、果たして正解であるのか。

 そのうちに、ライスシャワーもミホノブルボンに気づき視線を向けたが故か、二人の視線が衝突した。だからと言って何が始まるわけではない。自分が改めてライスシャワーの姿を確認し、ライスシャワーがミホノブルボンの姿を認識した。それだけだ。

 そして、()()()()がどれだけ致命的な事態になるかにミホノブルボンが気づかないはずがない。こうなった時のための作戦を用意してこなかったわけではないが、それにしても相手が相手なのだからもう少し余裕は欲しかった。

 

 ライスシャワーの武器はいくつかある。それは中継映像の動画記録を何度も見直した英セントレジャーステークスに多くが登場していた。ひとつはその、人並外れたスタミナだろう。それこそ、ミホノブルボンとは比べ物にならないほどの。ライスシャワーが()()()3000mの道程でスタミナ切れを起こすなどということは、それこそ天変地異が起こってもあり得ないだろう。

 ふたつめは正体不明の攪乱。これがどのようなものかは、未だミホノブルボンにも把握しきれていない。ライスシャワーより前方にいる限りは影響を受けないと考えられはするが、だからライスシャワーが自分より前に出てくる可能性もないとは言えないのだ。

 そしてみっつめがあの殺気だ。以前耐えきれたから今回も耐えきれるというナイーブな考えはミホノブルボンにはない。日本ダービーの最終直線、それに吞まれかけたのだから。夏季中のメンタルトレーニングで克服できたという過信もない。英セントレジャーを確認し、日本ダービーの時の殺気より上はないなどという油断もない。

 だから本来、ライスシャワーという存在を意識せず、隠しフォルダにでもしまっておけたのならそれが最良だった。だが意識してしまったこの段階ではそれももう望めまい。

 耐えきれるか耐えきれないか、克服できたかできていないか、上があるか否か。そのいずれにも関係なく、真っ向から挑んで耐えきるのみである。

 

 一方、ライスシャワーはミホノブルボンを目にしてもそれほど強い思いを抱くわけではない。既にライスシャワーにとってミホノブルボンという存在の格付けは終わっている。もちろん、それはマイナスの意味ではない。

 見果てぬ夢へ邁進(まいしん)し続ける尊敬すべき相手であり、自身の全力を以て相対すべき相手。それは決して揺らぐことはなく、それこそが自然体。

 本来、ライスシャワーというウマ娘は伏兵でこそ真価を発揮する性質があった。彼女自身が優秀なマークマンでありながら、マークされることが苦手だったからだ。相手の後ろをとるという戦術も、死角に入り込むことで相手の意識からすり抜けることを目的とした戦術だった。

 事実、彼女に宿る()()()()()()()が辿った運命では、25戦のうち1番人気での勝利はわずかに1度。1番人気での入着回数すらそれを含めて2度と数少ない。()は目立ちたがり屋ではあったが、一方でひどく繊細でもあったからだ。

 翻って今ここにいる彼女はより精神的に安定したと言える。だからこそ、注目されている程度では揺るがない。自分のやることがはっきりと見えているのなら、ただそれをやるだけだ。

 調子はいい。グッドウッドカップや、英セントレジャーステークスの時と同じ、自分の能力を余すことなく使うことができるという確信。調子というパラメータが上限に達しているかのような感覚がライスシャワーを満たしていた。

 

 そんな主役(ヒーロー)悪役(ヴィラン)の姿を見る端役(モブ)の姿がある。輝かしいほどに輝く優勝候補たち。彼女たちの勝利を確信する者がたくさんいる。羨ましいと思う。妬ましいとも。しかしそれ以上に、彼女はただひたすらに悔しい。

 出番の時間はみな同じ、わずか3分程度の晴れ舞台。それでも浴びる視線の量にはこれほどの差がある。その理由に納得はしているが、それでも悔しい。

 自分は努力してきただなんて陳腐でなんの価値もない言葉に縋らない。努力してきたのは相手も同じだなんてことは言われるまでもない。

 マッチレースなんて言わせない。勝ち目がないなんて言わせない。いてもいなくても、その時誰が走っていようと結果は変わらなかったなんて言わせない。そのために鏃を磨いてきた。器に血汗(けっかん)を注いできた。

 だからあわよくばなんていう甘い言葉は吐かない。一矢報いるなんて半端な結果では終わらせない。意志を以て好機を手繰り寄せ、その腹を喰い破る。

 彼女たちのそんな想いがどれだけ影響したのかは誰にもわからない。ただ、2番人気と3番人気、4番人気の差は、前日までとは比べるまでもないほどに縮まっていたという。

 

 ゲートに収まったミホノブルボンはもう、あとは自分の世界へと入るだけだ。そこから先は、周囲からは隔絶された状態でただゴールへと脚を動かすだけ。もちろん、そううまく事が運ぶことはないと理解してはいるが。

 事前の情報は現実を下回っていることを前提に考える。もはやライスシャワーの荊棘から逃れることはできないだろう。

 だが、それがなんだというのか。その鎖は重力よりも絶対的か。その棘は現実よりも鋭利か。その恐怖は、諦めよりも自分を殺し得るか。

 その敵は、常識よりも強大か。

 

(問題なし(オールグリーン))

 

 何者よりも自由であるが故に、何者よりも真っ直ぐに。

 

 菊花賞、開演。




 昨日更新しそびれた上にほとんどダイジェストみたいな閑話だったのでお詫びの2回行動です。
 こんなことやってるから明日の更新が怪しくなるんだよなぁ。


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天に蓋などなく、我らに枷などなく

※番手は脱字ではありません。


『さぁ今一斉にスタート。先頭に立ちましたのはミホ……いえ、違う! キョウエイボーガン!! キョウエイボーガンです! キョウエイボーガンが先頭! ミホノブルボンは番手です!』

 

 観客席がざわめく。(おおゆみ)に弾かれた矢の如く、文字通りゲートから飛び出したのは、(やじり)のような流星を持つウマ娘、キョウエイボーガンだった。

 誰しもがミホノブルボンがハナを取ると思っていた。キョウエイボーガンと、ミホノブルボン以外は。

 

(そう簡単に動じないよなぁ!!)

 

(それは、想定内です。キョウエイボーガンさん)

 

 既に領域(ゾーン)の中にいるミホノブルボンだが、前を走る存在には気がついていた。それが誰かはわからないが。そして、既にその程度で揺れるような精神ではない。

 そもそも、ハナを取られることは想定していた。宝塚記念で一度体験している以上、それは奇策でも未知でもない。

 というよりも、そもそも前に他者がいる程度のことに気を取られている余裕もないのだが。

 

(……ッ!!)

 

 首筋に当たる冷たい感触。決して現実ではありえない、自分の脳が作り出した紛い物ではあるが、それが五感を伴ってそこに存在している場合、虚実を如何にして判別すればいいのか。

 全身の感覚が危険を訴えている。逃げろと、死にたいのかと、あらゆる計器が赤いランプで警告し、ミホノブルボンの恐怖心を駆り立てる。

 しかし、荊棘は来ない。呼吸の乱れと疲労を具現化した荊棘がミホノブルボンを縛ることはなく、ただ針で刺したかのような殺気に似た威圧だけがミホノブルボンを襲う。ミホノブルボンがライスシャワーのペースに呑まれていない証拠である。

 危機が瞬きのうちに命を刈り取ることができる位置にあるという錯覚を前に、ミホノブルボンはそれを受け入れ、反抗せずに抵抗した。

 威圧を返すほど意識を割くことはできない。しかし、ただただ耐え抜くだけならば。

 

(落ち着きましょう……冷静に考えて、健全な女学生が()()()()()()()()()()()()……さらに立ち返ってみれば、そもそも()()()()()()()()()())

 

 そも殺気とはなんぞや。ウマ娘は日々レースという死の淵を駆けているが、レースに、コースに、ウマ娘を殺そうなどという意思は存在していない。

 果たして、自らを殺そうという意思に直面した事がある者が、殺気を浴びたことがある者がどれほどいるのだろうか。殺気を浴びたことのないミホノブルボンが、なぜそれを殺気だと断言できるのか。

 

(ライスシャワーさんが発しているのは()()()()()()。定義不明の強い感情の発露でしかない。死の危険はあくまで錯覚(エラー))

 

 ミホノブルボンの推測はおおよそ当たっている。ライスシャワーはあくまで、スパートのタイミングを逃さないように、マーク対象の動きをつぶさに観察しているだけ。

 それを殺気だと感じてしまうのは、要するに、錯覚なのだ。

 ミホノブルボンへ斬りかかっていた殺気が霧散する。いや、正確に言えば、威圧のようにすら感じるほどの強烈なマークの圧力は未だ存在している。

 しかし、そこに殺意がない以上それは殺気ではない。焦りを抱く可能性こそあれど、恐怖を覚える必要などない。

 

 目に見えて安定したミホノブルボンの走りを見て、ライスシャワーは嘆息する。ライスシャワーは自身のマークと威圧の特異性を既に自覚していた。

 というか、あれだけ様々な場所で自分のレースが繰り返し流され、自分に関する記事を目にしていれば嫌でも自覚する。

 とはいえ、ライスシャワーが自覚できているのは自らの威圧がそれこそ殺気と呼べる性質を帯びていることと、自分と走っているとペースを乱されるということだけだ。未だに、威圧を制御することもできていない。

 それでも、自分の威圧の脅威は正しく理解できているはずだ。ヴィンテージクロップやユーザーフレンドリーがあれほど疲弊していたのだから。

 しかし、眼前2バ身差の辺りを走っているミホノブルボンは、恐らくそれを克服してみせた。

 

(やっぱり……ブルボンさん、すごい……!!)

 

 その心中に渦巻くのは高揚。自分が超えるべき相手は、自分の遥か上にいてなお、まだ歩みを止めない。

 

(でも……ライスにはこれしかないから……!)

 

 小器用に走り方を変えるナイスネイチャのような真似はできない。ライスシャワーが網によって見出されたのは、ツインターボと同じ1つの武器を磨き続ける特化した才能。

 あまり認識されていないことではあるが、3000mという距離をまともに走れるウマ娘というのは非常に少ない。大抵は、スタミナを温存するために抑えて走り、なんとか保たせる。

 しかし、3000m以上がベストな距離であるライスシャワーは抑える必要がない。

 

(スパートは2回目の下り坂……そこで全力……!!)

 

 

 

 キョウエイボーガンには昔から見る夢があった。どんなシチュエーションなのかはわからない。ただ、自分自身を否定され続ける悪夢。

 

『勝てもしないくせに』

『くだらない走り』

『███████の邪魔をした』

 

 体が震え、全身が痛む。嗚咽が漏れ、吐き気に見舞われる。そうやってひとしきり苦しんで目を覚ます。

 何度夜中に飛び起きたか。うなされ、両親や同室の娘を心配させたことも少なくない。走るのが嫌になったこともある。それでも。

 

『坊は、走るの上手いねぇ』

 

 そんな母親の一言で、呪いは原動力へ化けた。

 一番最初の母親(ファン)が喜んでくれるなら悪夢なんて怖くない。傷ついた分だけ強くなって、折れた分だけ立ち上がって。

 気づけば周りに人は増えていた。チームの皆、トレーナー、走り方を教えてくれたメジロパーマーやダイタクヘリオス。キョウエイボーガンを応援してくれてる人は確実に存在する。

 

(邪魔だろうと! くだらなかろうと! 勝つためにここに来た!!)

 

 好きなだけ(なじ)ればいい。好きなだけ(ののし)ればいい。その程度で、撃ち出された矢が止まる理由にはならない。

 一度目のゴール板を越えて第1コーナーへ走る。速度はまだ衰えておらず、ミホノブルボンとの差はかなり開いている。

 

 このままキョウエイボーガンが失速しなければ。もしかしたらキョウエイボーガンは失速しないのかもしれない。初めこそ無謀だと笑っていた観客たちの間に、そんな雰囲気が漂い始める。

 しかし、ミホノブルボンに動揺はない。淡々と自分のペースを貫く。後方集団はライスシャワーの撹乱でジリジリとスタミナを削られ始めていて、レース前から諦観が見えていた者などはもう既に限界が近い。

 わずかに膨らみながらもコーナーを曲がっていくキョウエイボーガン、後を追って内側をきれいになぞるミホノブルボン。そして、内ラチギリギリをついていくライスシャワー。

 

 まだスタミナに余裕がある者は、虎視眈々と脚を溜めつつ機を狙う。その中で、それでは届かないと確信している者がいた。

 普通の先行や逃げなら、前半脚を溜めていれば多少差が開いていても、失速したタイミングでスパートをかけて差しきれるだろう。

 しかし、彼女たちが失速するだろうか? 本当に?

 

(だってあのふたりは()()()()()())

 

 それなら、普通じゃない相手に勝つには、普通のことをしていたのではダメだ。どうすれば差しきれるか、彼女はずっと考えていた。

 "領域(ゾーン)"に入る。差しの集団から抜けながら、息を入れる。スピードを上げながら休めるという地味な"領域(ゾーン)"だが、今は効果的だ。

 コーナーを越えて向正面。差しの先頭、先行の終端、好位差しと言える位置につけて機を窺う。

 幸いなことに体力には余裕がある。だから、誰よりも早くスパートをかける。しかし、早すぎれば体力は保たない。その見極め。

 

 一方、番手ミホノブルボン。襲い来る鋭い威圧に耐えながらも、余裕を失いつつあった。それは威圧が原因ではない。

 

(……試算終了。やはり、このままでは()()()()()())

 

 ミホノブルボンの予定タイムより、ライスシャワーの予測タイムのほうがゴールが早い。

 これがミホノブルボンの最大の弱点である。予定タイムよりも遅い相手には必ず勝てるが、予定タイムより速い相手には勝てない。

 もちろん、それをミホノブルボンが把握していないはずはない。だから、少し余裕を見て、レコードタイムよりも速いタイムを目標に据えた。

 しかし、ライスシャワーはそれすら上回っている。

 

(マスター……プランBへ移行、プロトコル・ハメッシュ・アバニームを開始します)

 

 向正面に入った直後のミホノブルボンを見て、また観客からざわめきがあがる。ミホノブルボンのスピードが目に見えて上がったからだ。

 すわ掛かったかと疑う声の中、ライスシャワーはひとり「違う」と確信していた。

 

(迷ってない。焦ってるわけでもない。ブルボンさんは冷静に間に合わないと判断して、自分でスピードを上げたんだ……!)

 

 驚嘆するライスシャワー。彼女は当たり前のように、その判断が()()()()()()()()()()()()()()()ことを前提にしていた。

 しかし、観戦席の網はより正確に状況を見ている。

 

「果たしてあのスピードでスタミナが保つのか……?」

 

 端的に言えば、今ミホノブルボンが走っている速度を出し続ければ、確実に失速する。

 

「……ブルボン……」

 

 サングラスの奥の眼光を歪めながら、黒沼が静かに呟いた。

 

 "領域(ゾーン)"の宇宙を進んでいたミホノブルボンの感覚に赤いCAUTION(注意)の文字が浮かぶ。彼女自身、このままではスタミナが足りないことには気づいていた。

 

(しかし、この速度を維持しなければ、間違いなく敗北する(ミッションフェイルド)……ならば維持することが前提条件。そのうえでスタミナを温存する……)

 

 ゆっくりと、深く大きな呼吸をするミホノブルボン。彼女の内側で展開していた"領域(ゾーン)"が拡張していく。

 

(十分な酸素を循環させ補足する。(Circulating and Complementing ample Oxygen.)……オペレーション・CaCao、開始)

 

 ミホノブルボンの内側にあった"領域(ゾーン)"は形を変え、ミホノブルボンの血液循環効率を上げるものへと変化する。

 ミホノブルボンの疲労が軽減し、視界からCAUTIONが消えていく。この土壇場で、ミホノブルボンは"領域(ゾーン)"を派生させた。当然意図的なものではない。しかし、意志なしにそれは起こらない。

 

(システム、オールグリーン……!)

 

 淀の坂に差し掛かり、キョウエイボーガンの勢いがガクッと落ちる。観客はそら見たことかと目を覆う。しかし、それでもキョウエイボーガンは止まっていない。

 

「こっ……な、くそおおおおおおお!!」

 

 叫びながら脚を動かす。それは"領域(ゾーン)"なんて整ったものではない。本来、"領域(ゾーン)"として引き出される力が暴走しているような、粗雑で強引な過集中。

 脚に溜まっている疲労物質が筋肉の動きを阻害する、それでもその抵抗そのものを無視して無理矢理に動かす。無茶であろうと、彼女は止まらない。

 幸い、キョウエイボーガンほどではないが後続も失速している。ミホノブルボンでさえ、この上りではわずかに失速した。

 

(このリードを、絶対に守りきるッ!!)

 

 一方ライスシャワー。淀の坂を上りきりコーナーを往く。前とはそれほど離されていないが、油断をすれば逃げきられるだろう。

 下り坂を前にして、ライスシャワーはスパートの準備を始めて……その途中、何者かが横を通り過ぎた。

 

(ッ……!!)

 

 想定外の相手。下り坂に差し掛かっているミホノブルボンを追い抜いてキョウエイボーガンを追う彼女は、マチカネタンホイザ。

 どうやって追いついたのか。場面はわずかに遡る。向正面の終盤、マチカネタンホイザは覚悟を決めた。

 

(普通じゃない相手に普通じゃ勝てない……普通じゃないやり方をしなきゃ……!)

 

 だから、マチカネタンホイザは選んだ。『非常識』とさえ言われた天才の選択。

 

 すなわち、淀の上りでスパートを掛けた。

 かつて三冠ウマ娘、ミスターシービーが見せた離れ業。それをマチカネタンホイザはぶっつけ本番で敢行したのだ。

 重力に引かれ失速しそうになるのを耐え、先行集団を追い抜きながら外を回って先頭を目指す。

 そして、ライスシャワーとミホノブルボンを、差した。

 

(マチカネタンホイザさん……!? まさか、上りでスパートを……!?)

 

(あ、はは……本当に……!?)

 

(勝つ! 勝つ!! 勝つ!!! 勝つんだ!!!)

 

 未完の大器に水が満ちる。血と汗を溜め続けた大器が、今片鱗を覗かせた。

 

『マチカネタンホイザ!! 淀の昇り龍を成功させてみせた!! ライスシャワーとミホノブルボンを抜き去って、先頭キョウエイボーガンへ迫る!! しかし、ライスシャワーとミホノブルボンもそれを追う!! 本当に今まで逃げのペースで走っていたのか!? なぜそんな脚が残っているのか!! 菊の冠を戴くのはこの4人に絞られたか!?』

 

 実況も興奮を隠せない。完全なダークブロワー、マチカネタンホイザとキョウエイボーガンの奮闘。ライスシャワーとミホノブルボンのマッチレースとさえ目されていたレースでの熱狂。観客席からは怒号のような激励と声援が飛ぶ。

 

(G00(座標指定) 1st.F∞;(速度無限大)。システムオールグリーン。ミホノブルボン、行きます!!)

 

 最終直線、ミホノブルボンが"領域(ゾーン)"を飛び出し、1着の星へと駆ける。それを追走するライスシャワーも、坂を下った加速をそのまま、命知らずの超前傾姿勢でスパートに入る。

 

「負けるかあああああああああああああ!!!!」

 

 少しずつ、ほんの少しずつ失速しながらも、キョウエイボーガンは叫びで自らを奮起しながらゴールを目指す。

 淀の平坦な最終直線、残り100m。よっつの影が並んだ。全員が歯を食いしばり、後ろへ流れていく汗を気にすることもなく、前だけを睨みつけて走る。

 僅か100mの間に、ミホノブルボンがマチカネタンホイザを差す。ライスシャワーがキョウエイボーガンを差し、差されたキョウエイボーガンがライスシャワーを差し返す。

 

(……理解しました。今まで私は、目標しか見ていなかった)

 

 だからこそここまで来られた。それを否定はしない。一心不乱にクラシック三冠を目指してきたから、この舞台に立っている。

 

(でも今は、どうでもいい。クラシック三冠も、距離の壁も、どうだっていい)

 

 鋼の意志を持ったサイボーグは願う。燃料などではない、熱く煮えたぎった血潮を巡らせて。

 

(勝ちたい……ッ!! 皆さんに、()()()()()()()に、()()()()()()に……()()()()()に!! あなたたちに勝ちたい!!)

 

 4人の咆哮が重なった。

 

 

 

(……悪夢(ウイルス)だと、そう思っていました。不明な感情(バグ)を引き起こす悪夢(ウイルス)だと)

 

 朦朧とする意識の中でミホノブルボンは思う。

 

(でも、違った。クラシック三冠だけ、夢だけを見ていた私の世界は拡がった)

 

 写真判定のために引き伸ばされた掲示板に灯っている番号は5着のものだけ。

 

(この菊花賞、勝っていても負けていても、私はきっと()()()()()()。以前までなら……)

 

 4着、キョウエイボーガン。

 肩を落としながらも、かけられる温かな声にはにかみ手を振る。

 

 3着、マチカネタンホイザ。

 寝っ転がってジタバタと手脚を動かすが、その顔は困ったように笑っている。

 

 やや時間をおいて、2着と、1着。

 

(あなたは私にとっての、最高の奇跡(アップデート)でした)

 

 一度瞑目して、開き、勝者の手を掴んで、掲げる。

 今にも泣きそうなくらいに悔しいけれど。叫びだしそうなほどに胸が痛いけれど。

 それでも、今までのどのレースよりも満たされたから。

 

 1着、ライスシャワー。

 もつれあった4人全員がレコードタイムでのゴール。

 そこには悪役も端役もおらず。

 

 菊花賞、終幕。




 昨日なんか21時には寝てたっぽいんですよ。
 3、4時間返してくれ。


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オグタマライブ ??/11/08

 最近隔日更新になってない? だらしねぇな?


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

「まいど〜。ドリームシリーズウマ娘兼チーム《フォーマルハウト》サブトレーナーのスーパークリークで〜す」

 

『まいど!』

『まいど〜!』

『ママいど』

『まいどー』

『オグリのまいどたすかる』

 

「こないだのエンパイアローズステークスはイクノディクタスが出走して3着の奮闘、世界に通用するのは《ミラ》だけとちゃうって証明したな!」

 

『1着じゃないじゃん』

『お? 一着至上主義(笑)か?』

『海外遠征で全勝してる《ミラ》が異常なんよ……』

『普通に海外の強豪相手に3着まで粘ったなら十分やろ』

『でもそのイクノも日本ではカノープスやってたんだよね……』

『なんで日本勝てないん?』

『負け惜しみじゃないけど日本のウマ娘はなんか環境の変化に弱い傾向にある。黒い人は多分その辺りの調整が巧い』

『コンディションでデバフ入ってんのか……』

『すまない、サンエイサンキュー入院ですべてが灰色に見えてるんだ』

『あれ結局何が正解なの?』

『ゲタの「羽原謝罪!」は嘘松だとして、他のとこでも結構羽原が無茶させたって出てるよな』

『でもあれソースないじゃん』

『無茶させたのソースもゲタだぞ』

『あの八百長発言?』

『あれは別に八百長発言でもないのをゲタが変な解釈したから……』

『せやけど一般人相手には強い言葉のほうが通るんだなぁ……』

『レースファンにはゲタのクソさは染みてるけどそうでもない一般人にはその辺りよくわからないからな』

『ほんとクソ』

『まぁサンエイサンキューについては続報を待つことだな。もちろん公式発表を』

 

「そろそろええか?」

 

「月刊ターフの話題が出たあたりからタマが露骨に機嫌悪くなったな」

 

「タマちゃん、もうちょっとポーカーフェイスできないかしら……」

 

「ん゛んっ!! あー、今日はクラシック第3戦の菊花賞や。注目は三冠が懸かったミホノブルボンと、長距離レース無敗記録が懸かったライスシャワーやな」

 

「どちらも間違いなく強者だが、やはり有利なのはステイヤーであるライスシャワーか」

 

『パドック見てみ。マチタン仕上がってんぞ』

『マチタンがマチカネタンホイザになってる……』

『1時間前までえいえいむんって言ってたのに……』

 

「タンホイザちゃんもステイヤーですからね〜。優勝候補と言ってもいいかと」

 

『ライスシャワーは英セントレジャー勝ったんだし菊花賞は出なくてよかったじゃん』

『は?』

『なーに言ってだ』

『いやまぁ言い方はあれだが気持ちはわかる』

『他の子に取らせてあげたいって気持ちはまぁないとは言えん』

『グッドウッド勝ってるし実質シニア級だもんなぁ』

『好きなのに出ればいいとは思うがメルボルンカップ行けばよかったんちゃう? とは思う』

『でもお前らライスが出なかったら本命不在とか言うじゃん』

『海外で勝ってようが出たいもんは出たいよなぁ!?』

『一生に一度やぞ』

『それはみんなそうじゃん』

『ブルボンはあと一冠は菊花賞じゃないとダメだけどライスは長距離レースなら菊花賞じゃなくてもいいじゃん』

『お米ちゃんは最後の一冠を取りに来る全力のブルボンを相手にして勝ちたいんだぞ』

『余計たち悪くね?』

 

「ここのコメントで議論すんなや。匿名掲示板で実況解説したろか」

 

『芝』

『お前の部屋でウンコ構文は芝』

 

「おら始まんで。鳴けや」

 

『鳴けと言われると』

『おう鳴かせてみせろや』

『うちら鳴かせたら大したもんやぞ』

『それなりのもん用意できとんのやろなぁ?』

『ぐっ、体が勝手に……』

『そんなバカな……この俺が……』

『ぐあああああああああ』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

 

「なんやこれ」

 

『おや、キョウエイボーガンの様子が……?』

『bbbbbbbbbbbbbbbbbbbbb』

『OK!!(Bダッシュ)』

『違う、そうじゃない』

『え? なに? ライスシャワーのラビット?』

『なわけねぇだろバァカ!』

『宝塚でブルボンが前走られると弱いってわかったからかな……克服してそうなもんだが』

『ブルボンの邪魔してるだけじゃんこんなん』

『ウマ娘レースではルール無用だろ』

『やっぱ怖いスね、ウマ娘レースは』

 

「見た限りだとミホノブルボンに動揺は見られないな」

 

「そら強化してきとるやろ」

 

「先頭がボーガンちゃん、番手がブルボンちゃんで、ライスちゃんは4番手で多分ブルボンちゃんをマーク中ね」

 

『これキョウエイボーガンスタミナ足りるか?』

『正直言って足りないとは言いきれない』

『パーマーとかいるからなぁ……』

『あんなんが何人もいてたまるか』

『でもボーガン最近爆逃げコンビと仲いいじゃん。ウマスタとか見るに』

『シニア級2年目とクラシック級じゃ違うだろ』

『そう言えば米圧にも動じてないなブルボン』

『滝行が活きたな……』

『アホ面で流されていくブルボンの動画マジで芝』

『スペースブルボンだゾ』

『ちゃんとスペースミホノブルボンって言え』

『何が面白いってあれを黒沼Tが撮影してウマッターにあげたのが芝』

『あれなんで黒沼Tも一緒に滝行してんの……』

『一心同体ってマックイーンも言ってたからな』

『お前らせっかくママが長距離の解説してくれてんのに……』

 

「――ということで、後ろの方は今牽制しあってるんですよ」

 

「ほんでライスシャワーに一網打尽で削られとんのやな」

 

「えぇ、まぁ……そこは、ねぇ……?」

 

「こうしてみるとライスシャワーのコーナリングの異常さが際立つな」

 

『内ラチの下通ってるもんな……』

『技術も度胸もおかしい』

『ブルボンスピード上げた?』

『ブルボンのスピード速くなった』

『掛かったか?』

『スタミナ保つの?』

 

「いえ、このままだとライスちゃんに対してのリードが足りないから加速したんだと思いますけど……スタミナが足りるかは……」

 

「マチカネタンホイザが抜けてきたな。差しの先頭に立った」

 

『淀の坂』

『ボーガン逆噴射?』

『ボーガン失速したな』

『案の定じゃん』

『ムチャシヤガッテ』

『できもしないのに結局ブルボンの邪魔しただけかよ』

 

「あん? それの何が悪いねん。勝つつもりでやってルールの範囲内で他の足引っ張るのなんか当たり前やろ。アンタレース観るの向いてへんで」

 

「タマ、スルー」

 

『ボーガンスピード下がったけどふんばってるぞ』

『てか普通上り坂はスピード下がるわ』

『ブルボンも失速してんね』

『ライス失速しねえんだが!?』

『《ミラ》は坂に強い。はっきりわかんだね』

 

「おっ?」

 

「む」

 

「あらあら?」

 

『マチタン!?』

『マチタンが』

『シービースパートだああああああああああああ』

『どいつもこいつもすげぇぞ今回!?』

『ボーガン持ち直した!』

『ライス差したぞ』

『ライスはまだスパート掛けてないからもう一回来るだろ』 

『下りでスパート!』

『上りに比べてスパートかけられがちな下り!』

『ブルボンもスパート』

『ボーガン失速してるか……?』

『ほんの少しずつだけどしてる……?』

『スタミナのあるやつの走り方ではない。気力だけで走ってる』

『ライス差し替えしたぞ!』

『ブルボンも前出た!』

『並んだ!!』

『並んだ!?』

『ボーガン!!?』

『ボーガン差し返すの!?』

『マチタン! マチタン!』

『俺は最初からボーガン応援してたし』

『三冠とれええええええええええ』

『タイムすげぇぞ!?』

『いけええええええええええええ』

『写真!! 写真判定!!』

『5着だけ確定か』

『言っておくけど5着もタイムだけならいいタイム出してんだぞ?』

『これ写判てことは4人全員がレコード切った……ってコト!?』

『菊花賞レコードとれる人材が同じ年に固まるとか……』

『オオアオ』

『ミドルが薄い年って珍しいな』

『ミドルからクラシックはブルボン無双だろ』

『ブルボンはスプリンターなんすよ(震え声)』

『短バクシン、哩フラワー、中ブルボン、長マチタン、超ライス』

『スーパーライス!?』

『読めないけど読める>>哩』

 

「結果が出たな」

 

「4着から順に出てるみたいやね」

 

『ボーガン4着!!』

『いや頑張ったよこれは』

『無茶しなければもっといけてたのでは?』

『ライスより後ろだと撹乱くらってスタミナ逝くんやぞ』

『チームの横断幕映ったな』

『仲いいなぁ……』

 

「3着はマチカネタンホイザ……4着とはハナ差だな」

 

『マチタン3着!』

『ばばんば〜』

『ばばんば〜』

『ばばんば〜』

『カノカノしてきた……』

『カノープス(レコード)』

『ジタバタンホイザかわいい』

『何あの動きかわいい』

『あざとい』

 

「ほんで……2着、ミホノブルボン! 1着がライスシャワーや!」

 

『おおおおおおおおおおおおおおお!!』

『あああああああああああああ』

『お米ええええええええ!!』

『豊作! 豊作ですぞ!!』

『正直三冠見たかった』

『気持ちはわかるが秘めておけ』

『いやみんな頑張ったよ』

『それはそう』

『よかった……なんかこう、よかった』

 

「さて、インタビューやね」

 

『黒い人!』

『黒い人今日も黒いね!』

『お米とあわさって更に黒いね!』

『外見悪役中身聖人コンビ』

『黒い人は特段聖人でもないぞ』

『お米「悪い人じゃないけどひどい人です」』

『あれホント笑うから』

『何があったんだあの評価』

『一瞬ネット荒れたよな』

『あ』

『ん』

『こ』

『ちげぇ』

『なんだ』

『クソ』

『クソだ』

『うんち!』

『引っ込め』

『誰か飛び下痢食らわせてやれよ』

『変換ミスってひでえことになってるの芝』

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「月刊ターフの蒲江と申します。菊花賞出走の動機などございましたらお聞かせ願えますか?」




 わざわざ最初に「番手」は脱字じゃねえって書いたのに誤字報告が来ました。
 なのでコメント欄での「城之内死す」ネタを禁止します。

追記
 甘く見てた♡ 次回予告系全面禁止にしておけばよかった♡
 なんかもう、なんて返せばいいか分からんコメントに返信のやめます♡ できるだけ返すようにするけどたまにこれは何を伝えたいのってコメントあるので♡
 そこまで深刻でもないけど平文だと重たくなるので語尾にハートをつけてます♡


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再来のガマガエル

 100話でキリもいいのでここで(ターフを)終わらせようか迷ったんですが、分けたほうがテンポはいいので分けます。
 んで昨日更新できなかったので2回行動です。


「全力のブルボンさんと戦うためです」

 

 ライスシャワーは正直にそう返答する。ライスシャワー自身に菊花賞への強いこだわりはない。あるのはミホノブルボンへのこだわりだ。

 

「ということは、ミホノブルボンさんと戦えれば菊花賞でなくともよかったということですかね?」

 

「ブルボンさんが全力で戦えるなら、確かに菊花賞じゃなくても構いません。私は、ブルボンさんが全力で、肉体の限界を超えて挑戦するのは、三冠が懸かった菊花賞だと思います」

 

「では、やはり菊花賞そのものではなく、ミホノブルボンさんに勝つことが目的だったと……いえいえわかりますよ。ウマ娘同士の競い合い、素晴らしいと思います……しかし、やはり世間一般的にはそれだけとは言えないようで、ライスシャワーさんが菊花賞へ出走したことへの批判もあるんですよ」

 

 蒲江の発言それ自体は事実だ。

 『芦毛のアイドル』オグリキャップ含む永世三強から始まり、アイネスフウジンの凱旋門賞制覇が大々的に取り上げられ、TTNが牽引する戦乱世代で盛り上がり、そしてミホノブルボンの三冠リーチという出来事の連続で、日本のウマ娘レース界は未曾有の盛り上がりを見せている。

 それとともに増えたのがライト層だ。ウマ娘が走っているところはすごいし周りがすごい記録だと言っているならすごいんだろう、その程度の認識のファンが急増していた。

 現代で言うなら、野球や将棋のことをよく知らないファンが、メジャーリーガーが二刀流で何本ホームランを打ったとか、最年少の棋士が次々と記録を伸ばしているとか、そういうことで盛り上がるようなものだ。

 例えば、その棋士が様々な読み合いの末に打った一手が原因で負けたとしても、ライト層には「様々な読み合い」の重要性は伝わらず、単なる「敗因のミス」にしか思えない。

 グッドウッドカップや英セントレジャーステークスは日本では馴染みが浅い。海外コンプレックス、あるいは海外アレルギー的な海外遠征への苦手意識と実際に遠征に弱い日本ウマ娘の特性で、近年までファンの間でも海外のレースへはそれほど目が向けられていなかったのが原因である。

 だから、ライト層から見ればライスシャワーの長距離重賞無敗記録のすごさが上手く伝わらない上に、「無敗記録は確かにすごいが、記録を続けるのは菊花賞でなくてもいい」という情報は伝わるのだ。

 そして、海外での悪役(ヴィラン)扱いの情報を部分的に知ってしまうことも多く、「海外では本当に嫌われている」と思っている者も多い。

 

 一方、ミホノブルボンの三冠。そもそも三冠という言葉自体はウマ娘レース以外でも使われているため、「特定の3レースを勝利」という条件の限定性が伝わりやすい。

 また、クラシック三冠のレースは毎年大々的に広告が打たれる。テレビでも雑誌でもネットでも広告が出るため目に留まるし、それが毎年なのだから嫌でもすごさが刷り込まれる。

 そして、URAの集客を狙った広告により、ミホノブルボン自体が世間一般にもプッシュされていた。彼女自身、性格に(激しい意味で)癖があることが多いウマ娘の中では温厚で万人受けするし、ファンサービスにも寛容だ。

 長年ウマ娘レースを見てきたファンが知っている、ちゃんと情報を調べればわかるようなことでも、ライト層はそれほど調べない。素人にもわかりやすく(あつら)えられた「三冠候補の主役ミホノブルボンVSそれを阻む悪役ライスシャワー」の構図で満足する。

 

 それ自体はファンが増える上で致し方ないことだし、昔からあった。人間は良くも悪くも「わかりやすくハッキリしたもの」に惹かれる。問題は、昔に比べて情報化社会になり自分の意見を気軽に発信できるようになったことである。

 特に、SNSや匿名掲示板。匿名性は人の枷を外す。善悪に拘らず、気に入らない、自分の意見と食い違うものがあれば攻撃したくなるのもまた人間の性質だ。

 ライスシャワーにどんな正当性があっても「ミホノブルボンの三冠を阻止するライスシャワーが気に入らない」から叩き、その批判に正当性を後付けする。

 

 ライスシャワーの制覇した英セントレジャーステークスはイギリスのクラシック三冠最終戦で、日本の菊花賞と同じ立ち位置のレースだ。と、この情報だけを知ったライト層はこう思う。

 

『既に似たようなのをとってるなら出なくてもいいじゃない』と。

 

 クラシック三冠の最後の一冠を日本のステイヤーが勝つことの伝統的価値や、菊花賞が春の天皇賞と同じ京都レース場開催の長距離レースであり出走そのものに意味があることを、ライト層は理解していない。

 多くの人間は軽く説明されれば納得し、一部の人間は詳しい説明を要求し、ごく一握りの人間は納得しないだろう。

 問題なのはその説明は一対一での説得でない限り、例えば雑誌やテレビでチラッとやるだけでは注目されず意味がないということだ。

 そう言った層を取り出してみれば、確かに批判の意見は多いだろう。しかし、そんな偏った意見に効果があるのだろうか。

 否、蒲江はそれを攻撃に使おうとはしていない。あくまで「自分の意見ではなく世間の声ですよ」というポーズのために、わざわざそんな意見があることを示唆したのだ。

 もちろん、大半の人物はそれが世間の声を借りた蒲江の意見だと言うことは一目瞭然だろう。しかし断定できない時点でなかなか指摘することはできない。

 

「個人的な勝負がしたければ個人協賛レース*1を開けばいい、という声もあります。夜間競走(ナイター)に空きはありますし。ライスシャワーさんとミホノブルボンさんは仲のいいご友人でいらっしゃいますし、交渉すれば全力でレースをしてくれるのでは?」

 

「あ、えっと……レースについてはトレーナーさんに任せてますから……」

 

「……応対代わってもよろしいですか?」

 

 蒲江の質問に対して、口下手なライスシャワーが助けを求めるように網を見る。そこで、網が選手交代を申し出た。

 ライスシャワーの容姿は庇護欲を誘う。ここでライスシャワー相手に突っ込み続けても印象が悪いだろうと、蒲江はそれを了承する。

 

「えー、まず前提として聞いておきたいのですが、先の意見はあくまで貴方自身の意見ではなく、そういう意見もある、ということですね?」

 

「えぇもちろん。私自身ウマ娘レースの世界に身を置いて長いですから、ライスシャワーさんが菊花賞に出走することの意義は承知しておりますとも」

 

「であればそれは私たちの責任ではありません。競走ウマ娘の仕事はレースに勝つことであり、トレーナーの仕事は担当に勝たせることです。ウマ娘レースを楽しむために必要な知識を広報で流布するのはURAがするべき企業努力でしょう」

 

「えぇはいそれは確かに正論でしょう。しかし、しかしですよ? ウマ娘レースにはお客様がいます、客商売です。ウマ娘レースを楽しんでいただいているファンの皆様に対する配慮をするべきでは? ルールではなくマナーとして」

 

 そんなマナーねえよと思いつつ、網は蒲江の考えを把握した。蒲江は正論を感情論で飲み込みに来ている。無知な大衆(ライト層)を武器にした同調圧力、報道機関がよく使う手だ。

 

「確かに菊花賞は日本において唯一のクラシック限定の長距離GⅠですが、ライスシャワーさんは既に英セントレジャーステークスを制覇していらっしゃいますよね? チーム《ミラ》は海外挑戦に積極的です、それは海外レースに価値を見出しているからでしょう。それならば菊花賞に拘る必要はないのでは?」

 

 迂遠に「菊花賞より英セントレジャーステークスのほうが格上」ということを前提としつつ、その前提が網の意見によるものとすり替えている。

 相手の言動から相手の意見を決めつけ、さも前提のように語り否定の機会を奪う。一段飛ばしのレッテル。冷静に聞けば見抜くのも容易だが、語調や環境で混乱させて見抜きにくくしている。

 更にあえて「菊花賞を下に見る」ではなく「英セントレジャーに価値を見出す」と言ったことで、否定の言葉を間違えると「海外レースに価値があると思っていない」と歪んだ解釈をされる可能性がある。

 だが、はっきりと同格だと言うのも憚られる。日本にも英国にも、自分たちのほうが上だという自尊心は確かにあるのだから。

 

「……英セントレジャーステークスをとっているから菊花賞はとらなくていい、という論調こそ菊花賞を軽んじるものでは?」

 

「いえいえ滅相もない! そんなことは考えておりませんとも! しかし皆様、この会場にいる皆様、ミホノブルボンさんの三冠を観に来たという方も多いでしょう! えぇ、ミホノブルボンさんはあと一冠、菊花賞さえ勝てば三冠ウマ娘の栄誉が手に入ったんです! ()()()()()()()()()()()()()()()()()! 翻ってライスシャワーさんの長距離重賞無敗記録は、直近であればメルボルンカップ……オーストラリアの3200m級GⅠレースでもよかったでしょう。日本国内最長のGⅠレースである春の天皇賞と同じ距離だ、予行練習にもなるでしょう」

 

 ならねぇよバカ。とは言わない。距離よりも開催されるレース場が同じことが予行には重要であることは、蒲江が演説の対象にしているライト層は知らないのだから。

 網がここでそれを説明しようとも流されて終わりだろう。最初にデカい声で印象付けたほうが勝ちだ。もちろん、ちゃんと理解している観客もいるだろうが、ライト層のほうが数は多い。母数が違いすぎる。

 

「メルボルンカップよりも菊花賞を選んだというのは、それこそメルボルンカップの価値を軽んじているか、ミホノブルボンさんの三冠に懸ける想いやそれを望む方々の声を軽んじているのではないですか!?」

 

「メルボルンカップはこの先何度でも挑戦できます、菊花賞はこの機を逃せば挑戦できません。それでは不十分ですか?」

 

「ではあくまでファンを軽んじると!?」

 

 回答を歪める。そんなことは言ってない。

 勝手にファンの気持ちを代弁する蒲江に、会場のファンから否定の言葉はかからない。自らの顔が周囲に晒された状態で、沈黙に一石を投じることを日本人は得意としていない。

 そしてライト層はその沈黙を肯定とみなす。もちろんあとから調べれば簡単にわかることだ。

 

 そこで網は蒲江の考えを正確に理解した。もうこいつは()()()()()()()()()()()()のだと。

 

「ウマ娘たちのライブの時間も迫っています、もう言い逃れはいいでしょう。ファンの想いを裏切ってまで菊花賞を選んだことについて一言お願いします!!」

 

 網は知りもしないことだが、月刊ターフの廃刊はこの時点で()()()()()()()()

 蒲江は、月刊ターフの出版社が発刊する他の雑誌の編集部へ回される。事実上栄転扱いだ。編集部は表に出る職ではないのでここでの外聞は気にならない。

 だから蒲江は最後の機会にここに来たのだ。この先ここでの詭弁がバレようと関係ない。ただ、この一時(いっとき)、その場しのぎのものであってもいいから、網に謝罪させる。そのために。

 ただの鬱憤晴らしであり、どうなってもいい。日本が住みにくくなるなら、ウマ娘レースとは縁遠い国の海外部署に転勤すればいい。

 

 そんな蒲江の思惑を朧気ながら理解し、網は打つ手を決めた。

 

「えぇ、軽んじています!」

*1
当作品では中央レースでも個人協賛レースを行えるものとしています。




 一度に書ききらないでガマガエルの思惑を一度飲み込んでもらうために切りました。ただのバカだと歯ごたえないしね。
 作者は素人なので粗があっても赦して♡ダメです(自戒)


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ドボン

 これには蒲江も言葉を続けられなかった。

 流石にこの程度で謝罪に繋がるとは考えていなかったが、それでもこうも完全な肯定が来るとは思っていなかったのだ。

 その隙を突いて、網は更に畳み掛ける。

 

「確かにそういう皆さんもいらっしゃるでしょう。しかし皆さんには誰がどのレースに出るのか決める権利はありませんし、レースの結果を決める権利もありません。金が賭けられているわけでもありませんし、予想外の結果を楽しめないならレースを観るのに向いていませんよ。演劇でも観ていればいい」

 

「そ、それはいくらなんでもあんまりな言い草では!!?」

 

「えぇそうかもしれませんねぇ。しかし知ったことではありませんよ。私はルールに定められた通りのことしかしていませんし、罰せられることはしていませんから」

 

 悪びれずにそう言う網に、蒲江は思惑の失敗を覚った。網のような人種は世間体を気にして()()()()()()()()()()()()()と思っていた。

 

「どうやら私、イギリスなどではモリアーティ呼ばわりされているらしいですし、今さら風評など気にしませんよ。私は担当を勝たせるだけです。というか、弱い敵に勝ってるのを観て楽しいですか? ぬるま湯に浸って得た勝利にそれこそ価値などありますか?」

 

 ここで一転正論。

 そしてトドメ。

 

「あぁそうだ、ついでに丁度いいので宣言させていただきます。メジロマックイーン、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 観客から怒号のような声が飛ぶ。が、それはマイナスの感情ではない。網が露骨なまでに悪役ムーヴを通したことで評価が逆転した。茶番を喜劇に変えてみせた。

 この菊花賞は、ライスシャワーはあるいは挑戦される側だったかもしれない。しかし、網が言及した()()は違う。

 正真正銘、日本最強のステイヤーVS世界有数のステイヤー。その挑戦状を叩きつけたのだ。盛り上がらないはずがない。

 網への罵声が飛べど、それは悪意によるものではない。悪役を引き立たせるためのそれだ。そうして、ライト層も網がどのような立ち位置なのかを理解する。

 悪党は謝るかもしれないが悪役は謝らない。この時点で、蒲江の思惑は完全に粉砕された。

 

 しかし当然、それだけで終わらせるはずがない。

 

「あぁしかし残念だ。もしかしたら来年の天皇賞は()()()()()()()()()()()んですよね。いや、それどころか今後日本で()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 網のわざとらしい再びの爆弾発言で、会場には沈黙が落ちる。ライト層はおろか、ファンの中でもその言葉の真意がわかる者は一部しかいない。

 そんな意識の間隙に、網はするりと言葉を差し込んでいく。

 

「ウマ娘のレースは通常5人以上の出走者がいなければ中止となります。例えば、過去『無敵』とさえ言われたマルゼンスキーというウマ娘は、同じレースで走ることを厭われ、出るレース出るレースがあわや中止になるという状態に追い込まれました。それでもレースが中止にならなかったのは、マルゼンスキーの人徳もありますが、『もしもマルゼンスキーに勝つことができたら』という挑戦が一因であることは間違いありません。しかし、その『もしも』すら奪われてしまったら? 勝つことがそもそも困難なレースで、たとえ勝ってもそこに待っているのは非難ばかり。そんなレース出たいと思いますか?」

 

 網の言っていることは正しいように聞こえるが詭弁だ。反論の余地は大いに残されている。しかし、それを指摘するだけの知識を、今網がターゲットにしているライト層は持ち得ない。

 先程は蒲江に有利に働いた沈黙による肯定も、今度は網に味方する。ライト層の意識に、『勝者への批判はレースへの意欲減衰に繋がる』という論理が芽生えた。

 それは先程まで蒲江に乗せられ、網やライスシャワーへの批判を自分の意見として持っていた者にとっては毒そのものだ。多くの人間は「自分の責任」を嫌うのだから。

 逃げ道を、正当化を、あるいは責任の転嫁先を探す聴衆に、網は助け舟を出す。

 

「とはいえ、三冠や三連覇、偉大な記録の誕生を見たいという気持ちは誰しも当たり前に持ち得るものです。昔から、人はそういう願いが裏切られたときの暗い感情を、人に見えないように吐き出して処理してきました。そして吐き出されたものは見てみぬふりをする。暗黙の了解です」

 

 彼らの感情を肯定する。それは悪ではないと。あなたたちに責任はないと。これもまた議論が分かれる意見だが今は置く。網の目的はそう思わせることで、「では誰が悪いのか」という思考へ持っていくことだから。

 

「この情報化社会のインターネットには、幸いなことに吐き出すのに丁度いいものがたくさんある。SNSの非公開アカウントや、匿名掲示板がそうです。流石に殺害予告誹謗中傷脅迫などの犯罪になってきたり、我々に直接そのような言葉をかけるというのなら対処しますが、わざわざ見に行かなかれば目に入らないような場所であれば、それもまた必要なこと。ストレスを溜め込んでは体に毒ですから。『王様の耳はカバの耳』*1で悪いのは秘密を吐き出した床屋ではなく、それをばら撒いた葦なのです」

 

 もちろん、本人の目につかなければ意味がないというアンチも存在するが、この話の対象は彼らではないので省略する。

 不満くらい誰だって持つし、それを吐き出すことだって誰もがすることだ。悪いのは、皆が見えないところに吐き出したそれを、わざわざ衆目に晒そうとする輩。そう示唆する。当然、不満の行き先はひとつ。

 

「も、申し訳ございませんでしたぁっ!!」

 

 会場の敵意が自分に纏まろうとしていることを察した蒲江は、すかさず土下座を繰り出した。当然、これは本心の謝罪でもなければ敗北宣言でもない。

 土下座は日本において最上級の謝罪でありながら、同時に脅迫の性質を持っている。恥も外聞も投げ捨てた行為であるがゆえに「ここまでしているのに赦さないのは人の心がない」という印象を押し付ける効果があるのだ。

 半ば追い詰められたときの条件反射になっている土下座、相手が一般的なトレーナーであれば効果があっただろう。

 

 しかし相手は上流階級の子息であり、そのような手は幾度となく見てきた網である。

 

「……顔を上げてください、蒲江さん」

 

 労るような網の声に、蒲江は内心(ほぞ)を噛みながら、反省した表情を作って顔をあげる。

 

「私は責めているわけではありませんよ。()()()()()()()()()()()()()、貴方はそれほど彼らの意見をここに持ち出すということに、記者としての使命を感じていたんですよね? ですから、胸を張ってください。()()()()()()貴方の記者精神は誇るべきものですよ」

 

 声音だけは労るような、しかし文脈と行間を読めばなんとも薄っぺらい称賛の言葉は、死刑宣告に等しかった。

 

「い、いえっっ!! 私の判断が間違っておりましたっ!! ここで本来持ち出すべきものではありませんでした、平にご容赦をっ!!」

 

「あ〜……えー、困りましたね。私に謝られても仕方ないんですよね……」

 

「……赦してはいただけないと……?」

 

 若干相手を責めるような言い方に「どの口が」と多くの者が思っていたが、あまりの網オンステージに口を挟む勇気はない。

 勘違いしている蒲江に、網は無慈悲にも現実を突きつける。

 

「ではお聞きしますが、私が赦したらどうなるんですか?」

 

「え……?」

 

「だってそうでしょう。私は今回の件で被害を被っていませんから。日本で記録を邪魔したくないと、正確には記録を邪魔したと批判されたくないという風潮が広まったとしても、我々は海外レースに出るだけですから。その風潮で損をするのも、頼んでもいないのに隠していた意見を持ち出され代表ヅラされて憤っているのも、私ではないでしょう?」

 

 私は赦そう。だが世論(こいつ)が赦すかな!?

 報道機関の得意技、世論ファンネル。蒲江が利用した彼らの攻撃の矛先は、網によって見事に蒲江自身へと誘導された。無論、ここまでくればライト層の方々でも大半は察しているのだが。

 

「わ、我々には報道の自由があります! その自由を持ったものの義務として、自らの意志とは別の場所にある様々な意見をも報じなければならないのです!!」

 

「そうですね。ですから報じることは責めていませんよ。自由には義務だけでなく責任が伴います。記者としての義務で報じたことで生じる影響への責任が」

 

「わ、私は上に指示されて、仕方なく!! 本意ではなかったのです!!」

 

「そうですか。本意ではないことでも必要があれば行う。流石のプロ精神だ。では、責任も()()()()受け入れてくださいよ、ねぇ! 月刊タァーフさん!!」

 

 WEBサイトのQ&Aのほうがまだラグあるぞというほどに、にべもない答弁を立て板に水で返す網の様子に、会場からも笑いが漏れる。

 クスクスと響く失笑は、無様を晒す蒲江には、自分への嘲笑にしか聞こえなかった。

 

「あ、あああ、ああああああああああああああああああ!!!」

 

 そして、脳のキャパシティを完全に超えた蒲江は発狂し、なりふり構わずその場から逃げ出した。

 蒲江の声が聞こえなくなるまでそれを無言で見送った網は、ひとつ咳払いをして注目を集めると、いつもの胡散臭い笑顔で語りだした。

 

「え〜、ご来場の皆様、並びに番組を御覧の皆様、長々と茶番に付き合っていただき誠にありがとうございます。実は昨今の日本でのウマ娘レースブームによって、少々マナーに疎い新規ファンの方々が目立つようになってまいりました。私どもチーム《ミラ》もそのブームの一因であります故に、マナー違反をしたらこんなことになる危険があるぞ、と、少々マナー違反防止の啓発運動としてこのような寸劇を演じさせていただきました。不愉快に思われる方もいらしたでしょうことをお詫びいたしますと同時に、()()()()()()()URA、および、()()()()の月刊ターフさんに拍手をお願いいたします」

 

 いかにもわざとらしい。そして胡散臭い。ペラペラとよく回る舌で並べた、さも台本がありますといったような文句を語り、観客に終劇を促す。

 その視線の先にはこの場の責任者であったURA役員の姿があり、網の目は「あのバカを止めなかったことはこれで誤魔化してやるから話を合わせろ」と語っている。

 実際、こう言われてしまえばそうするしかない。URAは蒲江の暴挙を止められなかった責任があり、それを逸らせるならそうするだろう。報道陣も、マスコミ側である蒲江の醜態をわざわざ報じて、自分たちのマイナスイメージを広めるような真似はしない。

 故に今回のことは、表向きは網の語ったとおりに処理され、精々インターネットで永遠にネタにされる程度で済むだろう。

 

「インタビューの時間を削ってしまい申し訳ありません。ライスシャワー陣営は後日記者会見の時間を作りますので、そこで質問などは受け付けさせていただきます。それでは、このあとのウマ娘たちのライブステージ、どうか最後までご覧になってください」

 

 蒲江の前では口にしなかった謝罪をさらりと吐き出し、網は堂々と奥へ引っ込んでいった。

 

 

 

「いやぁ、災難でしたねぇ」

 

 ライブ自体は恙無(つつがな)く終わり、チーム《ミラ》は自由時間を過ごしていた。

 網は気力を使いすぎ――蒲江相手の無双は愉しかったが、それはそれとしてあのモードは自己嫌悪で精神が削れるため――ホテルでアイネスフウジンに介抱されつつ先に休んでいた。

 なお、この際すでに猫かぶりを維持する気力もなくなっていた網の素が《ミラ》の全員に露見したのだが、誰ひとりとして驚いていなかった。さもありなん。

 ツインターボにせがまれたナリタタイシンがホテルでゲームをするということで、ナイスネイチャとライスシャワーはふたりで夜の京都を散策していた。

 少し遠くへ足を運び、桂川に架かる橋の上を歩いていたそんな折、ナイスネイチャ的には晴れ舞台を台無しにされたライスシャワーを気遣ってのそんな一言だったのだが、ライスシャワーはキョトンとしながら首を傾げる。

 

「えっと……あんまり気にしてなかったり?」

 

「……あ、うん。ライスはアイネスお姉さまに褒めてもらえたからそれで……」

 

 そもそも菊花賞に毛ほども思い入れがないライスシャワーは、勝ったことを褒めてもらったことで満足していた。ライスシャワーの中では、あのインタビューは網に応対を交代した時点で終わっている。

 兎にも角にも、一切気にしている様子がないライスシャワーに、ナイスネイチャは少々戦慄しつつも安心するのであった。

 

 

 

 話は変わるが、ウマ娘という種族は基本的に人間の身体能力を凌駕する肉体を持っている。しかし、だからといって日常的にその力がすべて使われているわけではない。

 普段からフルパワーで生活していては必要なエネルギーが莫大な量になるし、何より周囲の構造物が保たない。そのため、ウマ娘は物心ついてすぐに手加減を教えられる。とはいえ、中には手加減が下手で物を壊しがちなウマ娘もいるのだが。

 兎角、何が言いたいかというと、ウマ娘は突発的な衝撃に対して無防備である、ということである。

 

「……ッ!!」

 

 ナイスネイチャがそれに気づけたのは、持ち前の視野の広さからだろう。

 だから、ナイスネイチャはライスシャワーを押し退けて自分がその矛先へ潜り込んだ。

 次の瞬間、ナイスネイチャを強い衝撃が襲う。踏ん張っていなかったナイスネイチャの小柄な身体は、ぶつかってきた贅肉で重い肉体に対してあまりにも軽すぎた。

 腰ほどまでしかない欄干を軽々と乗り越えたナイスネイチャの身体は、重力に引かれて下へと落下していく。

 

「ネイチャさん!!?」

 

 ナイスネイチャを跳ね飛ばしたその男を素早く組み伏せたライスシャワーが、ドボンという重量物が水に落ちた音に悲痛な叫びをあげる。

 通行人が異変を察して警察を呼んだり、ライスシャワーから組み伏せられた負け犬を受け取ったりする中、ライスシャワーは呆然と欄干の向こうを見ていた。

*1
ロバ? 何その生物?



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気狂い死神

 これで赦して。


 この記録はあくまでウマ娘レースに関する諸事を纏めたものであるため、本筋から逸れたものは多く語ることはない。とはいえ、気になる者もいるだろうから結果だけ記しておく。

 

 元月刊ターフ記者、蒲江曳舟は駆けつけた警察官によって逮捕された。後の裁判では心神喪失と見做され罪には問われなかったが、僻地の精神病院へと入院する運びとなり、ろくな娯楽もない一人用の病室で三十余年生活した後、くも膜下出血を発症。激痛で失神したため安静状態となり結果的に止血されたが、3時間後に再出血、さらに2時間後に再々出血、それから3時間後の4度目の出血を以て死亡した。

 蒲江が()()()心神喪失であったかはわからないが、おおよその動機は掴めている。月刊ターフの廃刊後、隣国の支社へ編集者として栄転することになっていたが、騒動の直後、飛び火を嫌った出版社によって懲戒解雇処分を受けていたのだ。

 更に、蒲江の銀行口座からは彼の妻によってすべての預金が引き出されており、犯行当時は行方をくらませた状態だった――現在は彼女の実家で確認されている。

 つまるところ、人生が完全に行き詰まったことを理解しての犯行だった。

 これについて世間の声はおおよそ冷ややかなものだった。一部、網が追い詰めすぎた結果ではないかという意見も見られたが、それも大きくは広がらなかった。

 出版社は取材や取り調べに対して無関係を貫いたが、クレームの電話とスポンサー撤退、売上の低迷の末に倒産を余儀なくされた。一部の社員からは逮捕者も出たという。

 以上が、月刊ターフに関する諸々の顛末である。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 ピピピピッという無機質な高い電子音が響き、文字盤に数字が表示される。

 

「38.9℃。咳に疝痛……。感冒(かぜ)だな。それと、おそらく食中毒」

 

「あ゛〜……」

 

「ついでに喉荒れな」

 

 11月8日、気温は10℃前後の中で川へと落下したナイスネイチャ。幸いなことに橋がそれほど高くなかったことと水深が2m程度はあったこと、尻の脂肪部からの着水だったことなどが理由で、外傷らしい外傷は尻尾を痛めた程度で済んだ。

 その後、中央トレセン水泳部と呼ばれるほどのチーム《ミラ》のトレーニングの成果によって着衣での水泳も練習していたことが功を奏し、岸へと無事に辿り着くことができた。

 とはいえ、風邪はひく。さらに川の水を飲んでしまったことが原因で、腹を下してしまっていた。

 ちなみに、ライスシャワーのほうは事件直後こそ自分のせいでとヘコんでいたが、アイネスフウジンによる説得で「自分の()()()」ではなく「自分の()()()」であるということを納得させたことで、ナイスネイチャへかけた言葉は謝罪ではなく感謝になっていた。

 

「……あの〜……トレー……」

 

「却下」

 

「まだ何も言ってませんが!? ッゴホッ!」

 

「ジャパンカップは出走させない。そんな状況で出走させられるわけないし、出たとしても勝てねぇよ」

 

 一度素を出してしまっているため敬語なしの繕わない口調でそう断言する網に、ナイスネイチャはなおも言い募ろうとする。しかし、網はそれを遮って続けた。

 

「無理にお前を出走させたら、場合によってはチーム《ミラ》全体に罰則が及ぶ。確かに今年大きなレースがあるのはお前だけだが、ライスシャワーはまだステイヤーズステークスが残ってるんだぞ?」

 

 そう言われてしまえば――さらっとGⅡレースを大きなレースから外している点を除けば――ぐうの音も出なくなるナイスネイチャ。ジャパンカップへの出走に拘る理由はSSとの対戦、つまりは私情である。いや、出走レースの選考基準は基本的に私情なのだが、それでもチーム全体より優先させることは、小市民なナイスネイチャには難しかった。

 しかも今、チーム《ミラ》にはクラシック期を来年に控えるナリタタイシンがいる。彼女本人の要望によって、デビューは人があまり来ない夏に終わらせているし、ツインターボと同じく若葉ステークスを経由して皐月賞に乗り込むことになっているため半年近くは猶予があるのだが、それでもなにもないに越したことはない。

 しかし、種族的に負けず嫌いなウマ娘にとって、不戦敗ほど悔しいものはない。しかも、ナイスネイチャ本人ではなくトウカイテイオーの名誉を懸けた戦いである。ナイスネイチャの目には涙が浮かんでいた。

 そんなナイスネイチャを見て、網は深く溜息をつく。彼自身、保護者としての監督責任を感じており、ナイスネイチャの両親の元へ直接謝罪に行っている。が、事の原因であるとは全く思っていない。

 網の落ち度は監督責任がある子供から目を離したことであり、蒲江を追い詰めすぎたことに関しては、そもそも追い詰めすぎたとさえ思っていなかった。

 

「……そのジャパンカップだが、お前の代わりに出たいと言ってるやつがいてな。賞金額も足りてるし、恐らくそいつが出走することになる」

 

 その言葉を聞いたナイスネイチャは、ザッと知り合いの顔が頭に浮かぶ。

 まずチーム《ミラ》のメンバーは違う。アイネスフウジンは引退しているし、ツインターボは天皇賞で消耗しており、ジャパンカップへのローテーションは少しキツい。ジュニア期で参加資格がないナリタタイシンや、ステイヤーズステークスに出走するライスシャワーもあり得ない。

 イブキマイカグラはまだリハビリ中であるし、レオダーバンは海外遠征中、シャコーグレイドに至っては、恐らく賞金額が足りていない。 候補が浮かんでは消えていく。

 

 

 

 その答えが出たのは、ジャパンカップの出バ表が出た3日前のことだった。

 

 ナイスネイチャの熱は発症の4日後には下がり、1週間のうちに快癒したものの、結局ジャパンカップに登録することはできなかった。一体誰が。そうモヤモヤする十数日を過ごし、ウマホで出バ表を見たナイスネイチャは、ウマホを落とした。

 

 廊下をカツカツと心なし速く歩いてきたナイスネイチャが、勢いよく教室の扉を開ける。そして、目的の人物に向かって真っ直ぐ近づいた。

 

「あっ、おはよーネイチャ」

 

「ッ!! なんで!!」

 

 ジャパンカップの8枠14番、恐らくナイスネイチャが入るはずだったその番号に書かれていた名前は、トウカイテイオーだった。

 事前に聞かされていたトウカイテイオーの復帰時期は、ジャパンカップには間に合わないが有記念には間に合う、といった時期だったはずだ。1ヶ月の前倒しは流石に早すぎる。

 

「そんなの望んでないよ! 脚は完治してるのかもしれないけど、仕上がってもいないのに勝とうと無理してまた骨折なんかしたら……こんなんで代わってもらったって嬉しくない……っ」

 

「なるほど、こんな感じだったのか……」

 

 トウカイテイオーは、彼女の肩を掴んで揺さぶるナイスネイチャの胸ぐらを掴んで顔の前まで引き寄せ、言った。

 

()()()()()()()

 

 トウカイテイオーの一言にナイスネイチャが目を瞠る。静かな、しかし重い一言。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どうやら、本来ケンカを売られたのはボクらしいしね……だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一言一言噛んで含めるように、トウカイテイオーはそうナイスネイチャへ語る。レース中でもないのに、その圧に気圧される。

 かと思えば、そんな雰囲気は一瞬にして霧散し、いつものイタズラな笑顔に戻る。

 

「だからさっ。心配しないでよ。ボクは無敵のテイオー様だぞ?」

 

 そもそも、トウカイテイオーを止めることなどできない。少し考えればわかる。だから、既にトウカイテイオーを止めることは諦めていて、せめて自分の感情を伝えようとしていた。

 しかし、こう言われてしまえばもう、それすらもできない。

 

「ま、観ててよ。ちゃーんと勝ってくるからさ」

 

 

 

 そして、ジャパンカップ当日。

 ナイスネイチャの代わりに参加を表明した帝王の姿を見て、他の出走者が息を呑む。トウカイテイオーの歩みに躊躇いはなく、病み上がりとはとても思えない。

 

『なんだよ』

 

 そんなトウカイテイオーの前に立ちはだかるのは、ナイスネイチャと対決を約束していたアメリカのウマ娘、シルヴァーエンディング……いや、SS(ダブレス)

 パーカー付きのジャージを着て前を閉めて、フードを深く被っているせいで、その全貌は判然としない。しかし、その全てに噛みつくかのような威圧とすべてを見下したような声音で、初対面のトウカイテイオーにも彼女がSSであるとはっきりわかった。

 

『ナイスネイチャはおやすみか? 怖くて逃げ出しちゃったとか?』

 

 煽るようにそう話しかけるSSの口は裂けるように口角が吊り上がり、ギザギザと鋭い歯が覗いている。安い挑発だ。

 反応しないトウカイテイオーになおも挑発を続けようとしたSSの声を遮るように、トウカイテイオーが声を上げる。

 

『何を語る必要がある? ウマ娘(わたしたち)がこれから走るのに、わざわざ言葉を交わす必要があるか? ――下品だぞ』

 

 流麗な、いっそ厭味なほどに完璧なクイーンズイングリッシュで、トウカイテイオーはそう語った。

 そうして、表情が消えたSSとトウカイテイオーが睨み合う。数秒か、数分か、それが続いたとき、ふたりの真横をとんでもない()が通り過ぎた。

 それに気づいたふたりがその圧へと視線を移すと、そこに立っていたのは見たことはある立ち姿と勝負服。

 赤と青を基調に星をあしらった、古き良き魔女のようなローブを模した勝負服に身を包む鹿毛の少女。昨年醜態を演じた、フランスのウマ娘、マジックナイト。

 一部の日本のウマ娘などは、彼女をじっと睨んでいる者もいる。マジックナイトはそれを甘んじて受け入れ、それでも一言だけ、拙い日本語で宣言する。

 

「勝ちに来た」

 

 ただ、そう一言。

 その宣戦布告を聞いたSSが、高らかに笑う。そんなSSの横をすり抜けてマジックナイトと相対したトウカイテイオーは、彼女に流暢なフランス語で返した。

 

『受けて立とう』

 

 そして、マジックナイトの横も通り過ぎて、トウカイテイオーはターフへ向かう。その姿は、復帰を1ヶ月前倒ししたことによる影響を一切感じさせない。

 威風堂々を体現したかのような姿に対して欠片も気圧されず、SSがそれに続く。

 

 そして、マジックナイトが、ハシルショウグンが、イクノディクタスが、ユーザーフレンドリーが。名うての優駿たちがそれに続く。

 そんな歩みの中で、ユーザーフレンドリーだけが、険しい顔でSSの背中を見つめていた。思い出すのは、彼女のトレーナー、アーサーが打ち合わせで言っていた言葉。

 

("シルヴァーエンディング"がシルヴァーエンディングじゃない、って……そういうことなの……?)

 

 パドックでのお披露目でも上着を脱がなかったシルヴァーエンディングに対する不信感が、アーサーの言葉を補強する。そして、その時がやってきた。

 全員がゲートに収まり、一呼吸。ゲートが開き皆がスタートを切ったその瞬間、シルヴァーエンディングが肩に羽織るだけにしていた上着をその場に置き去りにした。

 会場がざわつく。上着の下から現れたのは、シルヴァーエンディングの勝負服とは似ても似つかないものだったからだ。

 着用者の性格に似合わぬ、カッチリとした黒カソック。羽織るストラの色も黒で、金と紫で刺繍がされている。

 腰にはホルスターに入れられたリボルバーとベルトが巻かれた聖書。手には白手袋。脚はロングブーツ。首からは聖ペトロ十字のロザリオ。

 手入れのされていない青鹿毛を靡かせ、長い前髪の隙間から爛々と眼光がチラついており、狂ったような凶悪な笑みを浮かべている。

 この府中に集まったファンの多くがその姿を知っている。様々な意味で有名なアメリカの大問題児二代目にして異端児。

 

 『気狂い死神(Mad Death)』サンデーサイレンス。

 引退したはずの二冠ウマ娘がそこにいた。




知 っ て た


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【閑話】静謐なる安息日

 前話までのサンデーサイレンスに対するヘイト管理について、数件の苦言と低評価をいただきまして、それに伴って幾分か表現を修正するはずでしたが、直そうと思っても「なんかちげぇな」となるのでやめました。このままいきます。バッチコイ低評価。
 ただイメ損って言われるのも怖いので今回はサンデーサイレンスさんに関する拙作世界線での生い立ち編です。
 先に言っておきますが、7、8割原作通りです。


 アメリカの競走ウマ娘で最も気性難だったのは誰かという議論になると真っ先に名前が挙がるのが、『司教(Bishop)』ヘイルトゥリーズンの弟子であり、『赤銅の刺客(Copper Hitman)』や『冷徹な異端審問官(Cold Inquisitor)』とも呼ばれる欧州へ渡った稀代の悪役(Villain)ロベルトの同期。『精神異常修道女(Sr.Psychotic)』、或いは『理不尽な侍祭(Hot Acolyte)』ことヘイローであろう。

 冷徹でありながらも冷静であった一般家庭出身のロベルトとは反対に、アメリカでも超が3つつくほどの良家の令嬢でありながらデビュー前に殺人未遂で少年院へ送られた経験さえあるヘイロー。彼女が自らの賞金で孤児院を建て院長を務め始めた時は全米が耳を疑った。それだけ、彼女の気性難は筋金入りだった。

 そしてまた、そのヘイローの弟子であり彼女の建てた孤児院で長い時を過ごした義娘とも呼べるサンデーサイレンスも、アメリカでは悪名を轟かす存在だった。

 

 その生涯は悲嘆に満ち溢れ、同情に値するものだったろう。ストリートチルドレンとして生まれ父親の顔を知らず、母親は生き別れるまでの7年間、クリスマスを共に過ごしたことは一度もない。*1

 ストリートの大人たちからは小柄で貧相な体躯、愛想と人相の悪さや、もとの青鹿毛が灰色になるほど、周りのストリートチルドレンの中で極まって不潔だったことから嘲りと罵りを受け、ウイルス性の腸疾患に苦しんだときは、生死の境を彷徨うほどに悪化するまで誰も助けようとせず、運良く感謝祭の日で病院がスラム住人を対象にした無償の治療を行っていなければ命はなかっただろう。

 さらには、スラム区域の開発に伴って養護施設へ送られる際にバスの運転手が心臓発作を発症したことで横転事故を起こし、そのバスに乗っていたサンデーサイレンス以外の、彼女が少年時代を共に過ごした悪友たちはひとり残らずこの世を去った。

 彼女自身もまた、全身に無数の裂傷と打撲を負って入院、ヘイローと出逢ったときは、生まれつきの重度の外反膝も相まって、まるで常に乗り物酔いを起こしているかのようにまっすぐ歩くこともままならない状態だった。

 

 サンデーサイレンスとヘイローがふたりきりの孤児院でどのような時間を過ごしてきたかは、両者ともに一度として語っていないため、(よう)として知られていない。しかし、ふたりの間に互いを母娘と呼び合うほどの絆が生まれていたのは確かだった。

 しかしその触れ合いがサンデーサイレンスの心を癒やすには、周囲の悪意は大きすぎたと言える。現役時代のとある事件で評判を落としていたロベルトと違い、過激かつ理不尽な言動でもそれなりの数が存在していたヘイローの熱狂的なファンでさえ、「気狂いが死神を引き取った」と揶揄していたのだ。

 その背景には、ストリートチルドレンでありろくに授業料も払えず育ちも悪い、かつ到底走れるとは思えないほどの肉体的ハンデキャップを抱えているのにもかかわらず、ヘイローという名選手であり名指導者からの指導を、それこそ文字通り昼夜関係なく受けることができるという環境への嫉妬や、サンデーサイレンスの生い立ちや事故で唯一生き残ったということに対する好奇があった。

 なにより、ろくな教育も受けられず世間とは違うストリートの常識で育ったサンデーサイレンスと周囲との軋轢が、数え切れないほどのトラブルを生んだ。

 

 しかしながら、そんな世間の声に逆らうように、いや、そんな、世間の声があったからこそ、サンデーサイレンスは大きく成長したと言える。

 ジュニア期のレースをすべて連対に収めたサンデーサイレンスは、クラシック級に上がってからGⅡのサンフェリペハンデキャップとGⅠのサンタアニタダービーで連勝、特にサンタアニタダービーでは、コース史上最大着差の11バ身差をつける圧勝であり、彼女のトレーナーがヘイローに「あの真っ黒いのは走るぞ」と電話をかけたほどだった。

 前評判から一転、米国三冠のひとつめ、ケンタッキーダービーの優勝候補と目され始めたサンデーサイレンスは、ここで宿命の好敵手と巡り会う。

 

 当時既に3代目『偉大なる栗毛(Big Red)』と評されていた名家の優駿、イージーゴアである。

 

 ふたりの出会いはケンタッキー州。サンデーサイレンスが自身とヘイローに対しての侮辱を吐いてきた、彼女に言わせれば不良もどきのボンボン数人を人間ウマ娘関係なく叩きのめし、ついでに小遣い稼ぎとカツアゲをしていた時に、それを見咎めて制止したのがイージーゴアだった。故に、当初互いの第一印象は最悪だった。

 サンデーサイレンスにしてみれば、人の話を聞こうとしない、見てくれだけで判断して正義を押し付ける鼻持ちならないクソアマであり、イージーゴアにしてみれば暴力で人を脅かし金を強請る荒くれの乱暴者である。

 無論、サンデーサイレンスの暴力は過剰にも思えるかもしれなかったが、相手がバタフライナイフなどの凶器を所持していたことから正当防衛の範囲内であり、彼女の言い分を全く聞かなかったイージーゴアにも非はある。それと同時に、カツアゲに関しては完全に犯罪であり、サンデーサイレンスにも落ち度があった。

 

 そして2度目の邂逅。互いの氏素性を知ってからの改めての初対面はケンタッキーダービー当日、イージーゴアの謝罪から始まった。

 自らの非を認め謝罪しながらも、改めてカツアゲの件を咎めてきたイージーゴアに対して、サンデーサイレンスは「しつけぇウゼェ死ね」の3語で対応したという。

 

 彼女たちのクラシック三冠争いは、ケンタッキーダービーとプリークネスステークスの両方を、1番人気だったイージーゴアを押し退けてサンデーサイレンスが制覇した。

 そのうちケンタッキーダービーは、スタート直後にサンデーサイレンスが体勢を崩したことによる他選手との接触があったものの降着には至らず、それに対する批判とバ場や天候の特殊性が影響し、結果とは裏腹にサンデーサイレンスの評判は伸び悩んだ。

 さらにプリークネスステークスでは彼女の宿泊地に押しかけたファンとも呼べない程度の観光客やマスコミに対する罵倒や挑発。

 さらにはトレーナーの判断でそれらのストレス源から遠ざけるために部屋に籠もったことを理由に、イージーゴア陣営に忖度したイージーゴア贔屓のマスコミ各社によって薬物疑惑――ドーピングと違法薬物の両方の線で――を報道されたこともあり、サンデーサイレンスの能力評価はかろうじて上がったものの人物評価は下がり続けていた。

 そもそも、セクレタリアトの再来とさえ言われていたイージーゴアの人気が高かったことも、そのイージーゴアをことごとく負かしてきたサンデーサイレンスの人気低迷を引き起こしていた。

 そして遂に、米国三冠を懸けた最後の1戦、1番人気をイージーゴアから奪い取ったベルモントステークスで、サンデーサイレンスはイージーゴアに敗戦を喫する。

 イージーゴア勝利に盛り上がるマスコミや世間とは反対に、サンデーサイレンスの胸には冷たい失望と不信感が渦巻いていた。

 

 そこからサンデーサイレンスはトレーニングをサボりがちになり、次の目標に定めたBC(ブロワーズカップ)クラシックの試運転に選んだスワップスステークスでプライズドに敗れた。それはまだ良かった。

 その敗戦を揶揄し、さらには師であり義母でもあるヘイローさえ侮辱するような記事を出した新聞社へ乗り込んでのトラブル。トレーナーと偶然居合わせたイージーゴアが止めなければ暴力事件に発展していただろうとさえ言われるこの事件によって、サンデーサイレンスの評判は地に堕ちた。

 余談だが、この事件に対してヘイローは「アタシは、もしこの便所紙屋にアタシがなんかしら書かれたことにキレてたんなら、自分で行って神の御下に送ってやってたよ。なんもしてないんだからそれはこの程度の(さえず)りなんて、靴の底にへばりついたガムほどにも気にしてないってことさ。だから、あのバカ娘がキレたってんならそれはアタシの名誉を守るためでもなんでもなく、ただのガキの癇癪だよ」とコメントしている。

 

 ともあれ、サンデーサイレンスは事件後、ひと月近く行方を(くら)ました。これを必死に捜しに東奔西走したのが、彼女のトレーナーと、イージーゴアだった。

 イージーゴアは風聞を恐れた周囲の制止を振り切ってサンデーサイレンスの薬物疑惑を真っ向から否定。件のトラブルについても擁護するコメントを公表し、G1レースを2勝する傍ら、余暇をすべてサンデーサイレンスの捜索に費やした。

 

 イージーゴアがサンデーサイレンスを見つけたのは9月始め、彼女の生まれたスラム跡の一角に建てられた教会だった。

 安息日の午後、他に誰もいない静謐な教会で祈りを捧げるサンデーサイレンスの姿を見て、イージーゴアは後に「呼吸が止まった」と語っている。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 「美しい」と、そう思った。

 会うたびに見ていたボサボサの、手入れのなっていない髪の毛ではない。艶のある流れるような青鹿毛と、彼女の師の勝負服にも似た修道服の彼女は、イージーゴアが今まで見てきたどの人物よりも美しく見えたが、しかしそうではない。

 振り返ったサンデーサイレンスの、初めて見る憂いに染まったその表情を、イージーゴアは堪らなく美しいと思った。

 

「……なんだよ、その顔」

 

 そんなサンデーサイレンスの、困ったように笑う顔も、吐き出すような声も、初めて見るもので。彼女に言われて初めて、イージーゴアは自分の瞳から涙が零れていることに気づいた。

 

 ヘイルトゥリーズンの弟子は、あのヘイローさえも含め、いやむしろヘイローを筆頭に、全員が敬虔な信徒である。

 そこから、例えばロベルトの弟子であるリアルシャダイなどは敬虔でこそないものの信徒であり、それは更に、彼女の弟子であるシャダイカグラやライスシャワーにも幾分か影響を与えている。

 一方、ヘイローは自らの弟子には教義を授けなかった代わり、娘とも言えるサンデーサイレンスがその影響を色濃く受け継いでいた。即ち、サンデーサイレンスは敬虔な信徒であった。

 知っているものこそ少ないが、サンデーサイレンスは今までも、日曜日の早朝は毎日必ず教会へ赴き祈りを捧げていたし、食事の前の祈りも忘れたことがない。

 

 イージーゴアは、サンデーサイレンスが幼い頃の仲間をみな亡くしていることを思い出した。当然、あの事故に関してサンデーサイレンスに思うところはないし、彼女を死神などと思ったこともない。

 イージーゴアがサンデーサイレンスの隣に並び、神に祈りを捧げてからサンデーサイレンスの方を向くと、サンデーサイレンスはそれをギョッとしたような顔で見ていた。

 

「……なんですか」

 

「いや……そんな顔しながら隣で祈られたらこんな反応にもなるだろフツー……」

 

「どんな顔ですか……」

 

「5日ぶりに食うパンを横から掻っ攫われたような顔」

 

 サンデーサイレンスはガシガシと頭を掻いて、せっかく整えてあった髪を乱しながら、「バカンスも終わりか〜」などと嘯いている。しかし、イージーゴアは調べていて知っていた。彼女がしていたのはバカンスなどではない。今までの賞金を使った、ストリートチルドレンへの奉仕活動だった。

 素性を隠した彼女は各地のスラムを回り、ストリートチルドレンを中心に孤児たちを、近くの孤児院や養護施設へ預かってくれるように交渉して回っていた。時には多額の寄付をしながら。

 

「……正直、あなたの勝負服(カソック)は形だけのものだと思っていました。あくまで師であるヘイロー女史を尊敬しているだけで、神の存在など信じていないものと……」

 

「あ? カミサマはいるに決まってるだろうが」

 

 呆れたようにそう断言するサンデーサイレンス。その顔は普段見ていた人をバカにするような表情だ。

 しかし、それは次の瞬間にはひっくり返っていた。サンデーサイレンスは、強い憎悪を込めたような表情と声で吐き捨てる。

 

「じゃないと、俺様が殺してやれないだろ」

 

 ミドルスクールの生徒がエッジロード*2(かか)って言うような格好つけのそれではない。本気の憎悪。

 

「俺様をこんなクソみてぇな運命に放り込みやがったカミサマをこの手でぶっ殺す。そのためにはカミサマがいなきゃ話にならねぇ……まぁ、義母(おふくろ)に会えたことは感謝してるし、悪友(クソったれ)どもが安らかに眠れるように、おだててやんなきゃならねぇから面倒なことやってるけどよ……いつか空の上でふんぞり返ってるクソ野郎(サノバビッチ)を蹴り落として、代わりに俺様がその席に座ってやる。そうしたら、俺様を産んだアバズレも、散々イジメてくれやがった排泄物(████)どもも、コケにしてくれやがった便所紙売りも、全員まとめて地獄送りだ」

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 サンデーサイレンスが発見された後、イージーゴアと彼女とは頻繁に交流するようになったのだが、その理由は語られていない。ただ、イージーゴアが周囲に無理を言って、サンデーサイレンスの世話を焼くようになったことは、世間の首を傾げさせた。

 

 それから、サンデーサイレンスはGⅠレース3戦、うちBCクラシックはイージーゴアとの対戦になるもこれらをすべて勝利し、2着となったハリウッドゴールドカップハンデキャップステークスを最後に競走ウマ娘としては致命的な故障が発覚し、骨折によって先んじて引退していたイージーゴアを追うような形でターフを去った。

 

 世間一般の常識の通じない魔窟で育ち、悪意と運命に虐げられてきた彼女にとって、罵倒も挑発も標準語だ。だからといってそれを赦す必要はない。彼女自身も、赦しなど求めていないのだから。

*1
アメリカではクリスマスを家族で過ごすことを大変重要視しており、クリスマスに子供を放置する行為は最悪の虐待、それこそ親権を取り上げられてもおかしくないほどである。

*2
刃の領主。日本で言うところの邪気眼に近い概念。いわゆる厨二病。



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運命に

《ミラ》どこ……ここ……?


 11月12日。

 

「……ヨォ、なんのようだ? 珍しく、突っ掛かりに来たってわけじゃあなさそうだが……」

 

 『不遜なる宮廷道化師』『開拓の一等星』、シリウスシンボリ。

 

「皇帝サマと喧嘩でもして、私に鞍替えか? テイオー」

 

 シリウスシンボリが指導する、行き場を失った者たちの集まりに、トウカイテイオーは来ていた。

 通り魔と言う名の逆恨みによる報復に巻き込まれたナイスネイチャがジャパンカップを回避することが公表され、裏で自分がジャパンカップへの出走を決めたその直後のことである。

 背中越しにいつものからかうような口調でそう問いかけたシリウスシンボリだったが、いつもは来る反論が来ないことを訝しみ振り返ると、そこに立っていたトウカイテイオーの表情は、今まで見たことのないものだった。

 その表情への既視感に目を瞠るシリウスシンボリへと近づいていったトウカイテイオーは、普段と違う様子に周りのウマ娘たちがトレーニングを中断して様子を窺う中、シリウスシンボリに一言要求した。

 

「シリウス、ボクと併走して」

 

 シリウスシンボリはそんなトウカイテイオーの要求に、意外そうに目を丸くする。今まで勝負を申し込まれるようなことはあっても併走、つまりトレーニングに付き合ってくれなどと頼まれたことはなかった。

 それはシリウスシンボリを頼るということであり、そんなことをするくらいならトウカイテイオーは彼女に甘いシンボリルドルフに頼るからであり、反対にそんなシンボリルドルフと対立することが多いシリウスシンボリに頼ることなどないと思っていたからである。

 シンボリルドルフの弟子であるトウカイテイオーから頼られたということに(くら)い愉悦を覚えながらも、シリウスシンボリはいつものように応答する。

 

「……ははっ、おいおい()()()、ちょっと、人にものを頼む態度じゃないんじゃないか? 『お願いします、併走してください』じゃ――」

 

 トウカイテイオーの腕がシリウスシンボリの胸元に伸び、襟口に指を引っ掛けるような形で自分の方へ引き寄せる。

 トウカイテイオーが目線を下へ向ければ、シリウスシンボリの着けている下着が襟の隙間から見えただろうが、トウカイテイオーの目は至近距離でシリウスシンボリの目だけを見つめていた。

 

「御託はいいから()に従え、シリウスシンボリ」

 

 周りのウマ娘から黄色い叫びがあがるが耳に入らない。シリウスシンボリはただ、そう傲慢に言い放ったトウカイテイオーの瞳の奥にチラつく獅子のような眼光に、かつての月と同じものを見た。

 

「……はっ、あは――アハハハハハハッ!!」

 

 トウカイテイオーの手を振りほどき、我慢できないというように顔を覆ってひとしきり笑ったシリウスシンボリは、獲物を見つけたとでも言わんばかりの視線をトウカイテイオーに向ける。

 

「いいだろう。その挑発にノッてやる。月にもなれない流星(流れ星)ごときが、一等星(わたし)を御せると思うなよ、テイオー」

 

 シリウスシンボリが放つ圧力が増す。日本で初めて()()()G()()()()()()()()()が、そこにはいた。しかしそれでも、トウカイテイオーは怯まない、退()かない。

 自分にとって今必要なのは考えを巡らせる皇帝の戦い方ではない。輝く才を叩きつける、月や一等星のような戦い方だ。

 目的は単純明快。日本の誇りを守ることではない。ただ、売られた喧嘩を買うために。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

『……し、シルヴァーエンディングではありません!! ターフにいるのは、3枠3番はシルヴァーエンディングではない!! 米国二冠!! ケンタッキーダービーとプリークネスステークスを制した荒くれ者!! 『運命に噛み付いた者(レジスタンス)』サンデーサイレンスだ!! アメリカのダートで恐れられた()()()退()()()()()()覇者が今、どういうわけか日本、府中のターフで走っています!!』

 

 唖然とした実況アナウンサーが数秒無言になったのも責められまい。3枠3番のゲートから飛び出したその神父服(カソック)のウマ娘は、様々な意味でこの場にいるはずのないウマ娘だったのだから。

 まず、適性がおかしい。サンデーサイレンスはダートの、しかも特に1600m〜2000mを得意としたである。日本の芝と米国の土ではバ場が全く異なる。

 次に、そこを走ると登録されていた名前は、確かにシルヴァーエンディングであったはずだ。未だ現役のアメリカのウマ娘であり、入場時に係員が顔を確認している。パドックでも同様だ。

 そしてそもそも、実況の語る通りサンデーサイレンスは奇しくもアイネスフウジンが凱旋門賞を制覇したあの年に、既にアメリカのシリーズを引退しており、登録抹消となっている。

 

 サンデーサイレンスが潜り込んだトリックは簡単だ。シルヴァーエンディング(本人)()(おねがい)してエスパー伊○よろしく大きめのボストンバッグに入った彼女を控室へ持ち込ませ、パドックから戻ってきた段階ですり替わったのだ。

 シルヴァーエンディングはサンデーサイレンスのデビュー前、サンデーサイレンスと彼女の師であるヘイローを侮辱したことで、周りの友人たちがサンデーサイレンスによって叩きのめされる中、ひとり腰が抜けて失禁しているところを写真に収められている。

 それ以降、(サンデーサイレンスはその件について完全に忘れており口に出したことはないが)サンデーサイレンスからの頼み事を断ることができなくなっていた。

 しかしながら、今回の件についてはサンデーサイレンスがあえて明確に脅し、その際の音声を録音しておいたものをシルヴァーエンディングに渡しており、「サンデーサイレンスに脅されて仕方なくやった」とシルヴァーエンディングが言い逃れできるようにしているというのは余談であるし、特にサンデーサイレンスのイメージ回復にはならないだろう。

 兎にも角にも、状況的にも適性的にも環境的にも完全に敵地(アウェイ)で走ることとなったサンデーサイレンスは最後方に位置どった。

 

 一方、トウカイテイオーは王道の好位追走の構えでありながら、長い直線を持つ府中の特性を考えた末脚勝負を想定し、脚を休めながらバ群の中へ紛れる。

 ブロックされる危険は十分にあるが、それさえも抜け出せるという強い自信に裏付けられた作戦だ。同時に、差しから追込を得意とするサンデーサイレンスを相手にしても、末脚で負けることはないという自信も垣間見える。

 

 最初のコーナーへ先頭を走るウマ娘が辿りつくよりも前に、掲示板には審議のランプが灯る。事態の異様さを察したウマ娘たちは掲示板のランプを見て、即座にサンデーサイレンスをマークから外す。サンデーサイレンスが競走中止処分となるだろうことを確信しての判断だ。

 実際、この時点でサンデーサイレンスの競走中止処分は決定している。

 しかし、それでもなおトウカイテイオーを始めとする約半数のウマ娘が、サンデーサイレンスに勝つことを目標として走っていた。理由は簡単、たとえサンデーサイレンスが最悪の評判を持つウマ娘であっても、その実力は間違いないものとして認められているからだ。

 GⅠ6勝の二冠ウマ娘。戦績全連対。このジャパンカップを勝つことではなく、そのウマ娘に勝つことに、彼女たちは意味を見出した。

 

 最初のコーナーから中盤にかけて、高速バ場になれていない海外ウマ娘たちがハイペースになり始めるなか、一度野芝を体験しているマジックナイトは適度にペースを緩め、先行の位置をキープしながらしっかりと脚を溜める。

 イクノディクタスは、怪我明けのトウカイテイオーとダート専のサンデーサイレンスより、2400mのオークスを3勝しているユーザーフレンドリーを強敵と見てマークしにかかるが、それを察知したユーザーフレンドリーの"領域(ゾーン)"に絡め取られ、マークし合う形になる。

 そしてレースの動く中盤、第3コーナー、はじめに仕掛けたのはハシルショウグンだった。ハシルショウグン――ダートを主戦場とする彼女は、BCクラシックを勝っているサンデーサイレンスをこの場にいる誰よりも意識していると言っていい。

 そんなサンデーサイレンスにハシルショウグンが勝っていると断言できるのが芝での経験だった。ハシルショウグンはオールカマーと天皇賞の2戦に加え、普段のトレーニングでも芝を走るようにしている。

 それでもダートで慣れているハシルショウグンは、ダートと芝では加速の感覚が大きく違うことを理解している。これは、意外と両方走ったことがあるウマ娘でなければ実感できないものだ。トレーニングではわかりきれない。

 

 それがわかっているから、レッツゴーターキンとヤマニングローバルはハシルショウグンの加速に感服した。

 このふたりも、ダートでの競走経験があるウマ娘だ。だから、その違いを知っているからこそ、先日の秋の天皇賞でもしっかりと加速してのけたハシルショウグンの才を羨んだ。

 

(これがGⅠウマ娘……!)

 

(つっても、ウチだって負けてらんねぇし……!!)

 

 差しのレッツゴーターキンがスパートをかけようとした第3コーナー半ば。彼女の横を何かが通った。

 しかし、レッツゴーターキンがいるのは最内のはずだ。左を見ればすぐそこに内ラチがあるのだから……と、そう思いながら前へ抜けていった人影を見て、血の気が引いた。

 レッツゴーターキンは彼女のレースを観たことはない。だが、チーム《ミラ》が話題になる中でよく名前が挙がるためにそのことを知ってはいた。しかし、流石に都市伝説か何かだろうと思っていたのだ。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

『チーム《ミラ》にはコーナリングが巧いウマ娘が多い』

 

『内ラチギリギリを攻めるアイネスフウジンや、ことコーナリングではシンボリルドルフやオグリキャップさえ敵わないかもしれないと評するツインターボは言わずもがな、ナイスネイチャだって他のウマ娘と比べれば飛び抜けている』

 

『そして、ツインターボが巧いと言うなら、ライスシャワーは異様だ。一歩間違えば内ラチに衝突しかねない、いや、なにかの間違えで内ラチに衝突していないだけとも言える命知らずのコーナリング』

 

『あんなコーナリング、ライスシャワー以外にはひとりしか見たことがない』

 

 

 

『サンデーサイレンスしか』

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 レッツゴーターキンの視線の先には、内ラチのスレスレどころか、内ラチに左頬を擦りつけながら、そこから鮮血を飛び散らせながら、位置を上げ始めているサンデーサイレンスの姿があった。

 時速60kmオーバーで金属製の内ラチに皮膚が接触し続ければどうなるか。まず皮膚が摩擦熱で火傷となり、次に火傷で硬質化した皮膚が摩擦に耐えられず裂ける。そんな単純な現象の結果がそこにはあった。

 正常な精神構造をしていればその激痛を堪えきれず弾かれる。しかし、サンデーサイレンスにとってはこの程度は怪我のうちにさえ入らない。

 

(ここまで俺様を死に損なわせたカミサマが、こんなとこで殺すわけがないんだよ!!)

 

 痛みに怯んでいては生きていけなかった。怯んだところで痛みが去るはずもない日々を送ってきた。

 走りのスピードこそ上がってはいない。しかし、他のウマ娘に比べて走る距離が劇的に短い最々内。ただ走っているだけで少しずつ位置が上がっていく。

 そんなサンデーサイレンスを見て、手錠で繋がれていたユーザーフレンドリーとイクノディクタスは互いのマークを解除して、サンデーサイレンスを警戒し始める。だが、少しばかり遅すぎる。

 最終コーナー、多くのウマ娘たちがスパートをかける。トウカイテイオーやマジックナイトも例外ではない。そんな中、スピード差で再び後ろへ流れていくサンデーサイレンス。

 

 最終直線に体が向いたとき、サンデーサイレンスの足元が爆ぜた。

 前提として、サンデーサイレンスはコーナーを得意とする反面、直線が苦手である。それに加え、適性から400mオーバーのクラシックディスタンスに慣れない高速バ場、そして芝。

 そんな状況で、しかしターフが抉れるほどに地面を踏み抜いたそのストライドは、もはやバ場がなんであれ関係ないほどの爆発的な加速を生んだ。

 観客席のざわめきがどよめきに変わる。最後方から飛んできた死神に、日本の、世界の、優駿たちが切って捨てられる。

 

 レッツゴーターキンが躱された。ハシルショウグンも抜かれ、イクノディクタスの睨みを気にもかけず、ユーザーフレンドリーが少し粘るが引き離される。

 牙を剥き出しにした凶悪な笑顔で、グングンと先頭までの距離を詰めていく。

 

 これが、サンデーサイレンス。

 

 "D"espair(絶望に)"D"estiny(運命に)"D"eath(死に)"D"emagogue(デマに)"D"emos(民衆に)

 

 Biter "D"eus hard(神に噛み付いた者)

 

 サンデーサイレンスとトウカイテイオーが並ぶ。

 そして追い抜こうとさらに踏み込んで、しかし、抜けない。サンデーサイレンスと同じだけ、トウカイテイオーも加速する。

 トウカイテイオーの"領域(ゾーン)"が展開される。どこまでも広がる荒野の、その地の果てまで駆け続ける。空は抜けるように青く、白い雲が浮かぶ。衒いを捨て、剥き出しになった闘争本能に、何者にも縛られない天衣無縫さ、2つの"領域(ゾーン)"が融合したトウカイテイオーの心象風景。

 それに呑み込まれそうになったサンデーサイレンスを、サンデーサイレンスの"領域(ゾーン)"が遮った。

 

 荒野とは逆の青々とした芝生、青空とは逆の鬱々とした雨天、身体に打ち付ける、あの日と同じ雨。存在しないはずの雨粒が身体を濡らす。

 そしてどこまでも続く墓石の葬列。それは、今や彼女しか覚えていない悪友たちの名が刻まれた墓石。彼女が背負うと決めた十字架。

 現実の彼ら彼女らの墓石はたったひとつだけ。名前さえ刻まれていないガラクタ。サンデーサイレンスにとって、彼らの墓はここだった。

 ここに来られる条件は、最終直線での競り合い。つまり、強敵がいなければ来ることはできない場所。それでも、彼女は常にそこにいる。だからこそ、無価値を意味する聖ペトロの逆十字を掲げ、だからこそ、葬式を意味する黒のストラを纏う。

 それが、彼女にできる追悼だったのに、それさえ、無慈悲な故障(うんめい)に奪われた。

 アメリカのウマ娘レース協会は、XYZ靭帯に発症した小さな断裂という致命的な故障が発覚したサンデーサイレンスに、日本で言うところのドリームシリーズへの進出拒否を告げた。

 

 まだ別れの挨拶も言えていなかった。だから、最後に。

 

(これで最後だ。結局、カミサマは俺から何もかも奪っていく)

 

 シルヴァーエンディングにはほんの少しばかり悪いと思っている。思っていても思い留まる気はなかった。

 

(それでも、俺様はまだ死ぬわけにはいかねぇ。今すぐにでも死にてぇけど、死ねねぇ理由が出来すぎた)

 

 義母に、トレーナーに、親友。失った量には到底及ばないが、それでも彼女を繋ぎ止める大切な楔だ。

 

(だから、()()()はまだ必要ねぇ)

 

 サンデーサイレンスの視界の端を、バラのレイがかけられた墓石が流れていった。ただ、それだけだ。それで終わり。

 

That's great.(似合ってんぜ)

 

 現実に戻ってくるサンデーサイレンス。間違いなく先程よりも加速しているのに、横には未だトウカイテイオーがいる。

 脚への負担が大きいテイオーステップ。目一杯広げたストライドを、足首の力でバネのように突き飛ばし、前へ前へと跳び続ける。

 

 そして、それでも前にいるマジックナイトとの差はジリジリとしか縮まらない。マジックナイトもまた、"領域(ゾーン)"に入っている。

 あのとき終わるはずだった。圧倒的な理不尽の前に屈しそうになった中で、それらを蹴り飛ばして自分の運命を捻じ曲げた、もっと理不尽なあのギャロップダイナ(トレーナー)に見せつけるために。

 アンタの目は間違ってなかったと笑ってやるために。

 あの日失った誇りを取り戻すために。

 

(抜けるもんなら、抜いてみろ!!)

 

 運命に噛み付いた者。

 

 運命を蹴飛ばした者。

 

 そして、運命に立ち向かう者。

 自らの過酷な運命を前に何度も膝を屈しながらも、それでも立ち上がり前へと進み続ける。

 骨が軋む。筋が(ほつ)れる。身体はとうにリミットを超えている。それでも脚は緩めない。壊れたらまた治せばいい。何度だって挑み続けてやると。トウカイテイオーは身体を前へ伸ばす。

 

 3人の咆哮が重なる。3人の体が重なる。

 戯れにも見えた。死闘にも見えた。

 

 運が悪ければ、見た人によっては、判定が違えば。そんな言い訳のできない、絶対的な1バ身が、最後の最後に勝敗を分けた。

 掲示板を見て、勝者は天高く指をさす。

 

 1着、トウカイテイオー。

 

 府中のターフを、今年一番の地鳴りのような歓声が響いた。



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オグタマライブ ??/11/29

 2日間休みは赦されない


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど〜』

『まいどー』

『まいど〜』

『まいどー』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今日はジャパンカップやで〜」

 

「今日は本題に入るのが早いな」

 

「話題があらへんのよ。秋天、菊花賞、エリ女、JBC、マイルCSで大体語り尽くしたやろ」

 

『秋のGⅠラッシュの弊害』

『言うて話題は何度擦ってもいい』

『ゲタまじで許さねぇ……』

『ネイチャを返して』

『ゲタの話題はやめとけ荒れるから』

『特 級 呪 物』

『テイオーは大丈夫なんか?』

『1ヶ月繰り上げってどうなん?』

『キツい』

『しんどい』

『正直未知の領域』

『ブルボン出てほしかったよな』

『屈腱炎だぞ。引退しないだけいいと思え』

『ブルボンだから屈腱炎でも諦めないんだろうなって確信がある』

『DEATH_DOSがリークしてたけどアメリカのシルヴァーエンディングってのがネイチャとテイオーにケンカ売ったらしい』

『命知らずか?』

『実際シルヴァーエンディングってケンカ売れるくらい強いんか?』

『そうでもない』

『即答は芝』

『一応GⅠは取ってるけどダートの1800だからな……』

『実際本当になんで喧嘩売ったのか謎』

『パドック見てもよくわからんな……』

『謎ファッションな』

『イキリ厨二か?』

 

「ほんまなんの目的でのリークやねんイブキマイカグラ」

 

「タマ、DEATH_DOSだ」

 

「知らんわ!!」

 

「ちなみに今回は、昨年のジャパンカップにも出走したマジックナイトや、英セントレジャーステークスでライスシャワーと熱戦を繰り広げたユーザーフレンドリーも出走している。日本からはトウカイテイオーの他、ハシルショウグンやイクノディクタスが出走している」

 

『マジックナイトはどの面下げてきてんだ』

『無論、この面にて』

『あれはあのオバハントレーナーが悪いんやって』

『でも実行犯ですよね?』

『やったからには言い訳はできんよ』

『お前らそんなこと言っていいのか? マジックナイトの今のトレーナーギャロップダイナさんだぞ』

『全部オバハンが悪いよオバハンが』

『トレーナーに指示されたら断れんて』

『むしろよく帰ってきたよ。ナイスメンタル!』

『手のひらスリップストリームじゃん』

『ギャロップダイナに逆らってはいけない』

『今回出てるレガシーワールドもギャロップダイナがトレーナーやってんだぞ』

『え? チーム持ちだったん?』

『チーム《サン》だぞ』

『太陽は芝』

『恒星だけどさぁ!!』

『あれギャロナパイセンのチームやったんすか……』

『主張が激しすぎる』

『関係者席ギャロナの周りだけガランとしてて芝』

『黒い人の車駐まってるときの駐車場くらい距離空いてんじゃん』

『レガシーワールドも丸くなっちゃって……』

『尖ってるとこ全部へし折られたからな』

『去勢って言われてんの流石に思春期女子に対してひどすぎん?』

『言われてんのか? 初めて聞いた』

 

「おら、そろそろ発走やぞ」

 

『シルヴァーエンディングそれ脱がんの?』

『脱がなくても怒られはしない。上着一枚程度なら』

『ちゃんと申請してればな』

『してるやろ流石に』

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

『!?』

『は!?』

『え』

『どうした?』

『ええええええええええ』

『!!!!??、?る、??!?』

『なんでや』

『え、なに』

 

「オギャーーーッ!!!?」

 

「どうしたタマ。クリークを呼ぶか?」

 

「呼ぶな!! てかなんでオグリはそんな落ち着いてられんのや!! いや言わんでええわかったわ、アンタサンデーサイレンス知らへんのやろ!!」

 

『サンデーサイレンス???』

『嘘だろサンデーサイレンス知らん民おんのか』

『ヘイローの弟子の中で一番ヘイローに似てるって言われてるやつ』

『ほーん……なんでいんの?』

『アメリカのダートGⅠ6勝してる二冠ウマ娘だゾ』

『なんでいんの!!?』

『ウマッターのタイムラインがアホノブルボンとスペースネイチャで埋まってて芝』

『なんでスペースネイチャは複数種類画像があるんだよ』

『貼られるたびに俺の知らないスペースネイチャの画像が出てくるんだ……』

『ちゃんとスペースナイスネイチャって言え』

『なんでダートの覇者が日本の芝走ってんだよ』

『ハシルショウグンは?』

『なんで日本のダート覇者とアメリカのダート覇者が芝で対決してんだよ』

『日本とアメリカじゃダートの種類が違うから芝なら平等だな!』

 

「んでサンデーサイレンスもなんで普通に走れとんねん」

 

『爆速審議ランプで芝』

『それはそう』

『審議ランプくん迫真の点灯』

『これどっち? ケンカ売って引っ込みつかなくなったシルヴァーエンディングが替え玉頼んだの? サンデーサイレンスがシルヴァーエンディングのフリしてケンカ売ったの?』

『流石に前者やろ……前者だよな?』

『2番目だったらシルヴァーエンディングが被害者すぎる』

『でもシルヴァーエンディングがジャパンカップ出走しにくるのも謎なんだよな。シルヴァーエンディング自身がダートのマイラーだし』

『死ねどすさんが事故った時に野良レースしてたアカウントがアカ名『SS』なのは関係あるかね』

『どこで会ったのかと思ったけど死ねどすさんのお見舞いで会ったのか。それなら死ねどすさんが事態を把握してるのも納得』

『死ねどすじゃないぞ、DEATH_DOSだ』

『じゃあもうシルヴァーエンディングは完全に被害者じゃん』

『サンデーサイレンスだからなぁ……やりかねねぇな……』

 

「えー、そのサンデーサイレンス? は現在最後方。トウカイテイオーは中団差し寄りの位置取りだ」

 

「ユーザーフレンドリーとイクノディクタスがマークしあっとるように見えるけど、あれまた手錠で繋がれとんのかな」

 

『すげぇ響きだな……手錠で繋がれてるって……』

『なんかえっちだよな』

『ティアラ路線のウマ娘同士のイチャイチャからしか得られない栄養素がある』

『イチャイチャ……?』

『鎖がガチャガチャだろ』

『ふたりとも目がスゲェ……』

『サンデーサイレンスもサンデーサイレンスなんだがハシルショウグンはなんでそんな芝で走れてんのか……』

『ラジオパーソナリティが砂から芝に来たタイプだからツッコみにくいんだよなぁ……』

『◇普通はそう簡単に芝とダートの両方は走れないんだ』

『カミノクレッセとかダートならリギルクラスだけど芝はカノープスだよな』

『チーム名を強さの尺度にすんのやめーや!』

 

「さて第3コーナーや。勝負が動くで」

 

「ハシルショウグンがロングスパートに入った。ダートの2600mが勝鞍にあるだけあってスタミナは十分だな」

 

「これで芝も走れんのやから恐ろしいわ……いや待て待て待て待て!!」

 

『ヒェッ……』

『!?』

『えぇ……』

『うっわ……』

『え、当たってるよね?』

『当ててんのよ』

『血出てない?』

『痛い痛い痛い痛い』

『これがあるからお米の時そんな驚かなかった』

『イカれてんな……』

『顔こえええええええええ』

『サンデーサイレンスの師匠のヘイローの師匠のヘイルトゥリーズンの弟子のロベルトの弟子のリアルシャダイの弟子は米どすコンビです』

『無理やり納得させるな』

『理性が納得できてないのに腑に落とすな』

『流石に遠いよ!』

『リーズン教会の仕事で人殺してそうな方と趣味で人殺してそうな方じゃん』

『ロベルトは無愛想で無口なだけで優しい姉ちゃんやろ!! ヘイローはうん……』

『ロベルトは一生懸命なだけだから……タイミングが悪かったよ……ヘイローは否定できない』

『ヘイローは殺してそうっていうか未遂まで行ってるしなんなら院卒』

『少年院卒やめろ』

『後光(サーチライト)』

『シンボリ家やメジロ家並の名家の令嬢やぞ』

 

「スピードは上がってないのに走る距離の違いだけで上がっているな……」

 

「他ん娘らもスパート始めよったで」

 

『流石にスパート始まったらまた抜かれてくな』

『逆に言えばまだスパートかけてねぇんだぞ』

『抜け出したのはテイオーとナイト?』

『フレンダも抜けたって言っていいんじゃねえか?』

『!?』

『だから』

『あのさぁ』

『ふぁあああああああ』

『ダートウマ娘が日本の芝に向かってなんだその急加速は』

『うっわエグ……』

『シービーのがすごい』

『芝三冠ウマ娘と比べんなや』

『芝千切れとんどるやん』

『芝……お前のことは忘れないよ……』

『ごぼう抜きじゃん』

『フレンダちょっと粘ったな』

『ショウグンはここまでか』

『なんでダートウマ娘がここまでできんだよ……』

『ダートは芝の2軍じゃないからな』

『2軍どころかあっちじゃダートのほうが立場は上だぞ』

 

「"領域(ゾーン)"入ったか?」

 

「入ったようだな」

 

「サンデーサイレンスとトウカイテイオーやんな」

 

「マジックナイトも入ったようだぞ」

 

『マジックナイト粘るやん』

『なんかこう、ミスがない感じだよな』

『ギャイナがトレーナーとは思えないまともさ』

『テイオーの加速がヤバい』

『絶対脚の負担デカいでしょこれ』

『回転率がやばいのにあのストライドはでかすぎる』

『これで追いつけないってマジックナイトどんななんだよ』

『意地と執念だな……』

『観戦席のギャイナさん気ぶりじじいみたいになってんじゃん』

『並んだ!!』

『4つ点の馬ができた理由がわかる。これはそう見えるわ』

『骨折して療養明けなんだよね……?』

『なんであそこまで脚上げてあのピッチが出るんだよ……』

『何がヤベェってこの3人から後続がそんなに離されてないのがヤベェ』

『ユーザーフレンドリーもナチュラリズムもついていけんのやべぇだろ……』

『世界ってすげぇ……』

『速すぎてちょっと怖いんだが』

『また故障しないよな……?』

『うるせーーーーーーしらねーーーーー』

『走れテイオオオオオオオオオオ』

『勝てー! 勝てー!』

『うおおおおおおおおおおおおおおおお』

『抜けた!!』

『抜いた抜いた!!』

『いったろ!!』

『いったああああああああああああ!!』

『だりゃっしゃああああああああああああああ』

『おらあああああああああああああああ』

『きたきたきたきたきたきたきた』

『勝ったあああああああああああああああああ』

 

「まぁ言うてサンデーサイレンスは失格なんやけどね」

 

『余韻』

『もうちょっとこうさぁ……』

『それはそうだけども……』

 

「1着はトウカイテイオー、2着にマジックナイト、3着はナチュラリズムだ。去年に引き続き日本勢がジャパンカップを制覇したぞ」

 

「あん?」

 

『なんだなんだ』

『なんか出てきたな』

『ばんの民!?』

『ゴッツ』

『デカすぎんだろ……』

『平均190m超えの世界だ。面構えが違う』

『190m超えは高層ビルでもそうないんよ』

『進撃のばんえいで芝』

『あの娘達も女の子なんだぞ!! 控えろ!!』

『でも正直ばんの民の筋肉に埋もれて果てたい気持ちはある』

『ばんの民8人がかりでSSネキ押さえ込まれたが?』

『もがいてて芝』

『ゴアネキ!?』

『ゴアっさんどうしてここに!?』

『イージーゴア出てきた』

『本当になんでだよ』

『芝』

『芝』

『芝』

『しばかれてて芝枯れるわ』

『現地民やけどすげぇいい音したゾ』

『サンデーサイレンス連行』

『どなどなど〜な〜ど〜な〜』

『イージーゴアが謝ってんな』

『いやなんでよ』

『完全に無関係なイージーゴアが現役時代のライバルというだけでここまでする理由はまだよくわかっていない(wiki)』

『保護者……』

『テイオーぽかーんとしてんじゃん』

『せっかく格好良く決めてたのにねぇ』

 

「…………終わるかぁ」

 

『コメントに困って終了宣言は芝』

『まだインタビューあるから!』

『テイオーのインタビュー!!』

『Q.波乱の展開でしたがいかがでしたか?』

『A.日本と帝王の意地と誇りを見せつけられたと思うけど、それ以上にアメリカのフロンティアスピリッツを見せつけられてコメントに困る』

『フロンティアスピリッツ(オブラート)』

『そらコメントに困るわこんなもん』

『ドリフか?』

『Q.曲がり形にもサンデーサイレンスに勝利した感想をお願いします』

『A.出てきたからには言い訳なんかさせないモンニ!』

『モンニいただきましたー!』

『最近はカッコよかったから公の場で聞けなかった半角テイオー』

『モンニモンニしている』

『Q.1ヶ月早い復帰な上に非常に過酷な戦いになりましたが、故障していた脚の方は大丈夫ですか?』

『A.ヒリヒリして辛(から)い』

『からい?』

『?』

『あ、故障と胡椒?』

『えぇ……』

『皇帝よりは……』

『まぁ皇帝よりは』

『大事なとこなのに茶化すなぁ!!』

『大事なとこだから茶化したのかも』

『茶化さないと受け答えがキツかった……?』

『不穏なこと言うなよ……』

『大丈夫だよな……? 今度こそネイチャとの有見せてくれるよな……?』

『終わった……』

『インタビュー終わり』

 

「さて、サンデーサイレンスの処遇やらトウカイテイオーの脚やら気になることはあるが、それは後日発刊されるであろう月刊トゥインクル号外編か、トゥインクルWEBのニュースページでご覧いただきたい」

 

「初めてスポンサーの宣伝らしい宣伝したなぁ……」

 

「というわけで、今回はここまでだ」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』



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特異点

 ジャパンカップの後、サンデーサイレンスは未だ日本にいた。理由は簡単で、アメリカウマ娘レース協会(USABR)から無期限追放処分が決まったからだ。引退してこれ以上レースに出る予定はないのだが、この無期限追放処分はそれ以外の行為、つまり『アメリカでの講演会やコーチなどを含めた活動を認めない』というものだ。

 とはいえそもそも、アメリカの有識者たちはサンデーサイレンスにコーチとしての能力はないと考えている。指導者として人格的な問題があり、本人が理論派ではなく感覚派な上に、特徴的な外反膝によって彼女の走りは彼女用に最適化されており見て参考にすることも難しいからだ。

 そもそも、先に引退したイージーゴアという人格者であり良血な優秀なコーチ候補もいるため、またいつ爆発するかもわからない爆弾を持ち続ける意味が薄かったこともある。

 

 一見厳しく見える処分だが、若者からのアウトロー的人気こそあれどアメリカの古くからのレースファンやマスコミからの評判は悪く、たびたび起こすトラブルや今回の最悪国際問題に発展しかねない替え玉事件、シルヴァーエンディング()()からの訴えもあり、むしろ実はかなり穏当な処分がくだされたわけだ。

 本来ならば罰金刑は勿論のこと、最悪裁判沙汰になる可能性もあったが、そこは実績とシルヴァーエンディング()()、そしてイージーゴアからの擁護があったゆえのことだろう。

 永久追放ではなく無期限追放なのも、万が一他国でコーチとして成功しようものなら連れ戻そうという魂胆もあるのだろう。もっとも、それはサンデーサイレンスのコーチとしての成功が、それを失うことで日本が国際問題にしてでも奪われまいとするほどの大成功でなければの話だが。

 そういうわけで、なぜかURAからもそれほど厳しい抗議文章が来ることもなく、それをサンデーサイレンスのレースによる興行効果を考えての恩赦かいつもの政治音痴かだろうとたかをくくったUSABRは、これ幸いと軽い処分で済ませサンデーサイレンスに恩を売ろうとしたわけだ。問題はと言えば、サンデーサイレンスがそれを恩として受け取らなかったことだが。

 

(さーて、どうすっかねー)

 

 そもそもサンデーサイレンス自身も自分が指導者向きではないと考えていたため選択肢が減ったわけでもないのだが、これで彼女が競走ウマ娘としてできることは本格的に底をついたわけだ。

 今回のレースで芝も()()()()に走れることがわかったものの、左脚にはめられたギプスの通り今回のレースで完全に故障した体では今度こそ他国での競走復帰は無理な話だろうし、別競技への転向も難しい。

 他にできそうなことと言えば自叙伝でも書くことだ。18歳足らずにも関わらず波乱に満ちた半生は当然人気が出るだろうが、そこは彼女の生育環境からくる教養のなさがネックになっていた。誰かに語って書かせるという手もあるが、他人を信用していない彼女はそれが歪んだ形で書かれることを考えて選択肢から外した。

 イメージ重視の芸能人など、ウマ娘としては容姿もよろしくなくかつイメージの悪い彼女はできるはずもなく、あとは政治家かなどと冗談で口にしたときは「色物枠(ポストトランプ)ですか? 国のボスよりギャングのボスのほうが向いてますよ。もちろんギャング(本物)じゃなくてストリートギャング(チンピラ)のほうですが」というイージーゴアからの苦笑を買っていた。

 税金を差し引いても一生働かずに過ごせるだけの賞金は稼いでいるため無理に働く必要もないかと自堕落な方向へ考えが纏まりかけた時、不意に声をかけられた。

 

『そこのお嬢さん、君がサンデーサイレンスで間違いないかな?』

 

『……俺様がお嬢様かとうかは知らんがサンデーサイレンスは俺様しかいねぇな?』

 

『ははは、それはそうだ。先程君とよく似たお嬢さんに声をかけてしまってね』

 

 声をかけたのは老年の男だった。ボディガードと思われる伴がいるということはそれなりに立場がある人間なのだろう。

 サンデーサイレンスは自分に似た少女とやらが気になりはしたが、ひとまず目の前の男の話を聞くことにした。気に入らなければ無視して立ち去ればいいしどうせやることもない。

 

『私は社北グループ総代表、吉野庵児(あんじ)と言う。あぁ……社北グループについては知っているかな?』

 

『知らん』

 

『はは、手厳しいな。ウマ娘レース発展途上国ではあれど、一応最大手ではあるのだが……』

 

『気にするな。俺様はフランス(蛙食い)のとこのもイギリス(二枚舌)のとこのも知らん』

 

 サンデーサイレンスはそもそも、先日のジャパンカップを除けばアメリカでしか走ったことがない。ダートが盛んな国が他にないこともあるし、サンデーサイレンスが他国に行って問題を起こすことを危惧したトレーナーが自国のレースにしか出さなかったからだ。

 アメリカから出た途端問題が起こったので、その危惧は正しかったと言える。

 

『さて、本題なのだが……日本で、ウマ娘たちのアドバイザーをやってくれないかな?』

 

『アドバイザー……? コーチじゃなくてか?』

 

『コーチという柄ではないだろう』

 

 サンデーサイレンスは、それはそうだといった様子で鼻を鳴らす。

 

『まぁ、アドバイザーというのはあくまで建前でしかなくてね。本音を言うと、ただの年寄りのわがままでしかないんだ』

 

『ワガママァ?』

 

『私は、君に恋をしてるんだと思うよ』

 

『……俺様に棺桶と乳繰り合う趣味はねぇんだが……』

 

『アッハッハ!! そうだろうさ、お若い娘さんだ。引く手あまたなのにこんな死に損ないに付き合う義理はない』

 

 そう笑いながら語った吉野は、不意に表情に影を落とす。

 

『……そう、死に損ないだ。先は長くない。私が逝ったら、社北グループは恐らく分裂するだろう。(せがれ)たちは、良くも悪くも優秀だからね……リアルシャダイ、ディクタス、それに秋川くんも指導者として優秀だが、優秀だからこそ、日本のウマ娘レースから多様性が失われるんではないかと思ってしまってね……』

 

『……じゃあ、建前でもなんでもねえじゃねえかよ』

 

『いやいや、確かに君を日本に招くことは私の最期の大仕事になるだろうが、それでもやっぱりわがままなんだよ。君のBCクラシックを観たとき、私は君の走りに惚れていたんだ』

 

 吉野が、サンデーサイレンスにウマホを放る。それをなんとかキャッチしたサンデーサイレンスの耳元から聞こえてきたのは、ひどく聞き馴染みのある、しかし最近聞いていなかった声だ。

 

『まったく、4年近くも顔出さないどころか声も聞かさないなんて大した親不孝もんじゃねぇかクソ義娘(むすめ)

 

『おふくろ……』

 

 サンデーサイレンスの義母であるヘイローの声だ。

 自分をおいて逝った(がおいてきてしまった)悪友たちの弔い、償いのために走ると決めて孤児院(いえ)を出たときから、そういえばもうそんなに経つのかと思いながら、その予想外の声を受け止める。

 というか、義理でも娘に向かってbitch(クソ)って言う親がいるのか。

 

『吉野の爺さんに話は聞いてるよ。どうせ帰ってきても穀潰しになるだけなんだから、精々そっちで家畜みたいに働いてこい』

 

『改めてアンタに育てられてなかったら俺の口の悪さも百分の一くらいになったんじゃねえかなって思うよ』

 

『そんときゃお前は唖者(Mutant)*1より喋んなかったろうぜ』

 

 実際、サンデーサイレンスがヘイローのところへ来てから数ヶ月はロクに喋ることもなかったのだから、サンデーサイレンスもこれには言い返せなかった。

 なんだかんだこの義母とは何度も喧嘩をしたこともあるが、口論でも取っ組み合いでも一度として勝てた試しなどないのだ。

 病や怪我で死にかけたときでも気丈だったサンデーサイレンスが唯一怯えるのがヘイローに対してである。

 

『と言うかお前、マスコミ(便所紙売り)に負けて引退レースで負けて日本(イナカ)でも負けて、果てにゃ全米ウマ娘レース連盟(豚共)にも負けて大人しく泣き寝入りか? いつからそんなに聞き分けが良くなった? アタシゃ野良犬拾った覚えはあるけど負け犬拾った覚えはねぇんだが?』

 

『GⅠ1勝すら(2軍)でしかできなかった老いぼれが年甲斐もなくイキってんなよ。発破かけてぇのがバレバレだぞヘタクソ』

 

『これまで発破かけなきゃならねぇ機会なんかなかったからな。よくぞこうも見る影もなくなるほど見窄(みすぼ)らしくなったもんだ。死に損なってたガキの頃の方が「喉笛食いちぎってやる」って気概が見えてまだ立派なもんだわ』

 

 ほら、勝てない。サンデーサイレンスは自嘲気味に聞き流し、最後に『ありがとよ』とだけ呟いて電話を切り、吉野にウマホを投げ返した。

 吉野は地面に落ちたウマホを側付きに拾わせてサンデーサイレンスに向き直る。

 

『いやキャッチしろよそこは』

 

『はっはっは、目も体もついていけんわ』

 

『ならなんではじめに投げたんだよ……』

 

 呆れながら頭を掻き、結局大人の思惑通りに収まったことに若干の居心地悪さを感じるサンデーサイレンスは、やはり自分はスラムのガキだった頃から何も進めてないんだなと改めて考える。

 

『……日本語はワケ分かんねぇって聞くが?』

 

『通訳でもつければいいだろう。トニービンはそうしているぞ?』

 

『俺様は通訳でも取材でも言葉を歪められるかもしれねぇってのが一番キライでね。一等質のいい日本語の教本があんなら寄越せ』

 

 そういう条件ならやってやると、そう言い捨てたサンデーサイレンスを愉快そうに笑いながら、吉野(おう)は目でついてくるように促す。

 

 その数日後、サンデーサイレンスが日本の社北グループによってアドバイザーとして雇用されたことが全世界のウマ娘レース界に発信された。

 アメリカの指導者は『日本人の名家モドキが成功しそうにない気狂いの弟子のスラム生まれを買っていった』と嘲笑い、日本でも期待半分不安半分といった様子で迎えられることとなる。

 

 これが、後に『日本ウマ娘レースの特異点』とさえ呼ばれる名アドバイザーの門出になることを、この時は関係者以外誰も予期できなかっただろう。

*1
唖者をGoogle翻訳にかけるとヒットするが、「唖者 mutant」ではヒットせず。mutantの元の意味から考えて、仮にそういう言い方があっても間違いなく差別用語だが、ヘイローのキャラを考えて採用。



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三話題無

追記:活動報告にて、5月中の投稿についてなんか書いてます。ご一読ください。休止ではないです。


■【Splat○○n2】休日だし朝からフェスやる

シンドレイ・618回視聴・13時間前

 

 

 

「あ、あ、あ……あー。声入ってる?」

 

『入ってる』

『キタ』

『おはどれいー』

『おはどれー』

 

「その挨拶やめない? シンド、レイだから。シンで区切らないでよ」

 

『むしろ俺たちが奴隷』

『レイちゃんのイカ久々』

『イカダーイ』

 

「最近はガッツリ詰めたトレーニングばっかりでコントローラー触るのも久し振りだけどちょうどフェス中に予定が空いたからやる」

 

『わーい』

『わーい』

『わーい!』

『入院中にいいもんみっけ! @無敵☆最強☆テイオーちゃんねる』

『テイオー!?』

『モノホンじゃん』

『養生して』

『安静にしててよ!?』

『結局脚折りやがって!! しかも一番ひどい形で!!』

『復帰1年ってなんだよ!!』

 

「いらっしゃい。アンタらフェスどっちに投票した?」

 

『ひどくこざっぱりしてる〜〜〜!!』

『えっらい塩対応で芝』

『仮にもジャパンカップ勝ったウマ娘が自分の放送に来た時のウマ娘の反応とは思えん』

『シンドレイ、ターボ派説』

『ニシノフラワー好きなのでスプリンターにした』

『農民なのでステイヤー』

『同じく農民、ステイヤー』

『ブルボン推しはどっちにすればいいですかね……?』

『ミドルディスタンスはどっちだ?』

『すべてのウマ娘は本質的にマイラー』

『藤沢トレの言ってない台詞じゃん』

 

「アタシはうちのチームにステイヤーが多いからステイヤーかな」

 

『レイちゃん走んのはどっちなん?』

『なんだかんだチーム入ってる娘多いよね』

『名家生まれでもないのに専属がつくのなんて本当にガチでマジの上澄みも上澄みだけだぞ。そして《リギル》や《シリウス》みたいな名チームに入れるのもほんの一握りだけ』

『トレーナー不足は深刻やで……』

『レイちゃんってデビューしてんの?』

 

「特定しようとしてない?」

 

『ムリ。ム リ』

『母数がどんだけいると思ってんだ』

『4桁から3桁まで絞れる程度だぞ』

 

「まぁいいや……アタシはクラシック三冠路線に行くつもり。多分多く走るのはクラシックディスタンスだと思う」

 

『おおう……』

『もうクラシックGⅠ出るのは前提なんか』

『言うて目標言うときはとりあえずGⅠ言わん?』

『私現役時代トレーナーに目標聞かれてアイビスサマーダッシュ連覇って答えたわ』

『おは超絶怒涛のスプリンター』

『頭バクシンかよ』

『いつデビューかはわからんが来年のクラシック組めぼしいのおる?』

『朝日杯勝ったエルウェーウィンとハナ差のビワハヤヒデかな』

『ビワハヤヒデは早熟のマイラーじゃないかってトレーナーが言ってた @無敵☆最強☆テイオーちゃんねる』

『じゃあNHKマイルの方行くんかな』

『ナリタタイシンは? ミラに入った娘』

『ようわからん』

『ミラに入った以上弱くはないと思うけど……』

『タイシンはないよ。細いしちっこいし』

『なんか不良って聞いたけど』

『一部にめちゃくちゃなアンチがいるよな』

『中学一緒だったけど暗くてよくわかんない娘だった。不良っていうより陰キャってイメージだったけど』

『多少弱くても黒い人ならなんとかしてくれんでねか?』

『レイちゃん米読まずに淡々とギアガチャしてて芝』

『流石に神ギア多いっすねぇ!』

『ウイニングチケットは?』

『うるさい』

『うるさい』

『うるさい』

『なんでそういうこと言うの? 聞いただけじゃん』

『そうじゃなくてうるさいんだって』

 

「ダィ」

 

『死』

『耳逝ったんだが?』

『予備の鼓膜あってよかったわ』

『ミュートかな?』

『一瞬だけなんか聞こえたけどそれ以降何も聞こえん』

『てかマジで聞こえん』

『今はガチミュートっぽいぞ』

『レイちゃんの声と違ったからフラったかな?』

『声……声……?』

『破裂音にしか聞こえなかった』

『急用入った午後に放送し直すから一旦解散 @シンドレイ』

『りょ』

『おけ』

『把握』

『おつどれい〜』

『オツ・ド・レ』

 

 

 

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三度(みたび)()()れても折れぬ心

 

 

 

 トウカイテイオー、3度目の骨折。今回は重傷か、復帰1年。

 

 その見出しは、ジャパンカップでトウカイテイオーがアメリカの最も新しい伝説に勝利したことで沸き立っていたウマ娘レースファンに冷や水を浴びせるには十分なものだった。

 ある程度の観察眼がある者はライブで左脚をかばうような動きをしていたことで察していたが、ジャパンカップで恐らくヒビが入っていた骨が、直後に砕け粉砕骨折という今までで最も重い故障に繋がってしまった。

 原因はいくつも挙げられたが、そのどれもが理由とするには十分なものであり特定には繋がらなかった。

 批判は意外と少なかった。安井の時と比べて、今回は直前のレースで大きな勝利を収めており、かつ故障するのではないかという危惧がある状態で、トウカイテイオーが自ら出走の意思を表明していたからだ。

 その怪我の程度の大きさに悲嘆はせど、故障したことそれそのものについては、「あぁまたやったか……」という諦観の声が多かった。

 

 サンデーサイレンスへ向かう非難も予想よりもだいぶ少なかった。形はどうあれトウカイテイオーとサンデーサイレンスという夢のマッチングを見ることができたからか、サンデーサイレンスが社北グループに所属し中央トレセン学園でアドバイザーとして勤めることになったこと。

 そしてひと月ほど前に――詭弁ではあるが歪んだ形で――ウマ娘の走ることへの意志を批判することが、最悪の場合どういう結果に繋がるかを見せられたこともあり、そういう意見を投げることに慎重になっていたからだろう。

 

 しかし、身内は容赦がなかった。具体的にはナイスネイチャ、マヤノトップガン、マーベラスサンデーは容赦がなかった。

 

「これより、第1回有罪確定裁判を始めます」

 

「待って!? こんなに存在理由がない裁判ってある!?」

 

「被告人、静粛に。というか安静に」

 

「させる気があったの!? 判決が確定してる公判はただの公開処刑なんだけど!? 魔女裁判でももうちょっと取り繕うよ!?」

 

 慈悲なき異端審問官から鉄槌がくだされようとしていたとき、病室のドアからノックの音が響いた。

 これ幸いとトウカイテイオーが爆速でそのノックに対して入室を許可すると、入ってきたのは4人とも、特にトウカイテイオーとナイスネイチャは見知った顔である今回の元凶サンデーサイレンスと、大柄な栗毛のウマ娘だった。

 栗毛の方も見覚えはある。なんせサンデーサイレンスの宿敵であり、3代目『偉大なる栗毛(ビッグ・レッド)』と呼ばれた彼女、イージーゴアもまた、サンデーサイレンス同様有名人だからだ。

 ただ、4人の目はそこではなく、サンデーサイレンスの首元に向いていた。それもそのはず、表情の引き攣ったサンデーサイレンスの首には、無骨な金属製の首輪のようなものが装着されていたからだ。

 マヤノトップガン辺りはそれを見て、「デスゲームものの首輪爆弾みたい」とわかった結果、連鎖的にイージーゴアの手元のスイッチにも気がついた。

 

「ここはトウカイテイオーさんの病室で間違いないですか?」

 

「……あ、は、はい!」

 

 イージーゴアが流暢とは言えないまでも不自然さの少ない日本語で問いかけると、何故かテンパったナイスネイチャが答えた。

 それを確認して、何かを促すような素振りを見せたイージーゴアに対してサンデーサイレンスが何やら渋ってみせると、突如サンデーサイレンスの体が跳ねてその場に崩れ落ちた。

 

『いいから謝れって言ってるでしょうサンディ』

 

『いやマジで絶対気にしてねぇってコイツら!! 勝ったら謝れとも言われてねぇし日本でもあんくらいの挑発珍しくなあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?』

 

 叫んだと思いきやその場で痙攣し始めるサンデーサイレンス。なお、この場にいるウマ娘は全員英語を理解できる。一番英語が苦手なのがナイスネイチャかサンデーサイレンスというレベルである。

 サンデーサイレンスの主張は半分正しく半分間違っている。まず、サンデーサイレンスの言う通りトウカイテイオーもナイスネイチャも挑発については特に気にしていなかった。

 ナイスネイチャは言われた直後こそ直情的に沸騰したが、その後の挑発合戦をあとから頭を抱えるくらいに恥じる程度にはその場の勢いでの問答だったと言えるし、トウカイテイオーに至ってはジャパンカップに出るための方便と、ナイスネイチャへの日本ダービーのときの意趣返しのために建前としただけだ。

 そもそも、同期に煽りの塊みたいな輩がいる彼女たちがこの程度をいちいち根に持っていたらきりがない。

 もちろん、もう半分の間違っている点は、日本でもこのような挑発が珍しくないという主張である。アメリカでは日常茶飯事である挑発や罵倒のたぐいではあるが、日本ではあまり見られない。しかし、トウカイテイオーとナイスネイチャには何故サンデーサイレンスがそんな勘違いをしたか想像がついていた。

 

(絶対マイカグラだ……)

 

 DEATH_DOSとのロードレースの際に何か吹き込まれたのだろうか。そう思うと、自分たちが大して気にもしていないのにギプスをはめた脚を庇いながら床の上をのたうち回るサンデーサイレンスが哀れに思えてくる。

 

「本当に申し訳ありませんでした。()()、性根がだいぶひん曲がってて……」

 

「あ、いえいえ、アタシたちも相応に言い返しましたし、悪気はなかったっぽいんで……」

 

「まぁ、悪気はなかったと思いますよ。悪気()

 

 ただちょっとナチュラルに他人を見下してるだけで。そんな内心をイージーゴアは声に出さなかった。

 床に転がるサンデーサイレンスを見て、トウカイテイオーが笑みを浮かべる。トレセン組はその笑みが何か悪いことを思いついた時の笑みであることを知っていたため、なにかやらかすのだと察してサンデーサイレンスに同情する。

 

『……ま、ほら、私は彼女に勝ちました(・・・・・)から? しかもキッチリ1バ身差つけて。()()()()()敗者(・・)の謝罪くらい寛大な心で受けてあげないとねぇ?』

 

 サンデーサイレンスの嫌いなもの : 厭味(いやみ)ったらしい()()()()()

 

 トウカイテイオーがわざわざクイーンズイングリッシュで発した言葉のあからさまなほどにバカにしたような言い方とニヤケ面に、サンデーサイレンスは反射的にいきり立つが、即座にイージーゴアの手元のスイッチが押され、再び痙攣しながら床に沈む。

 

「……あの、さっきから気になってたんですケド、それなんすか?」

 

緊箍児(きんこじ)です」

 

「きん……?」

 

「なんで西遊記……?」

 

 緊箍児。孫悟空の頭についているあの輪っかである。ただし、こちらは締め付けるのではなく、ケーブルを伝って全身の各所についた電極パッドへ電流を送るものになっている。

 ちなみに、西遊記であることを看破したのはマヤノトップガンである。

 

「どうせ反省もしないんだからせめて無様を晒して相手の溜飲を下げるくらいのことはしませんと、と思いまして……」

 

「なんか怖いこと言ってる!?」

 

「結局言っても聞かないバカって暴力に訴えるのが一番理解できるんですよね」

 

「なんか怖いこと言ってる!!」

 

 イージーゴアは確かに良家のお嬢様である。しかし、結局のところ彼女もまた生粋の米国育ちなのである。

 さしものサンデーサイレンスも電流という文明的な拷問を受けたことはなかったようで、未知の刺激に年相応な半泣きを見せながらも「このタビはマコトニ申し訳ありませんデシタ……」とクッソ片言な日本語で謝罪することとなった。

 

「こちら、つまらないものですが……」

 

「あ、ハイ……」

 

「それでは、私たちはこれにて失礼いたします」

 

 イージーゴアはサンデーサイレンスを引きずって病室を出ていった。

 しばらくの間沈黙が降りていた病室だったが、誰ともなく「じゃあ裁判再開しよっか」と言い出すと、「まだやんの!?」というトウカイテイオーの悲鳴が響いたという。

 

 

 

■ ??-5/??/?? Memory into N.T

 

 

 

 朝、学校に着いたら上履きをひっくり返す。昇降口の床にパサッと湿った土と少しの砂利のような大きさの小石が落ちた。履き口を下にしたままトントンと上履きの踵を地面に打ち付けて、中の土を出し切ってしまってから、ハンカチで中を払う。

 ふと、後ろから誰かの舌打ちが聞こえた。振り返らない。どうせ誰の舌打ちかなんてわからないし、誰の舌打ちだろうとかわらない。

 教室に入る。ほんの一瞬だけ沈黙が挟まり、同じクラスになった人たちはまた会話を始める。机に何かをされた跡はない。そういった見つかりやすいことはしてこない。

 

 授業中。誰が悪いわけでもない、ただの偶然。自分の番が回ってきた時に黒板に書かれていた問題の位置が、たまたま上の方だっただけ。

 問題の答えを黒板に書いていると、後ろからくすくすと声を潜めて笑う声が聞こえた。野次を飛ばしてくるわけではない。ただ、自分の姿を滑稽だと嗤っている。

 席について、ただ黒板の内容をノートに写すだけの授業。不意に目の前を何かが横切る。危うく目に触れていたであろうそれに反応して顔をあげると、前の席の生徒がプリントを回してきていた。

 プリントを受け取ると、前の席の生徒は前を向き直して、やはり舌打ちをした。それが、プリントを受け取るのが遅かったからか、プリントが彼女の目に当たらなかったからかと疑ってしまうのは、彼女の非ではないだろう。

 

 給食。他の生徒にも親切にしている女子生徒が、彼女の分の給食を多めによそった。余計なお世話だとも言えず、かと言ってわざわざ皆が食べ始めてから前に量を減らしに行くのも、囃し立てられるのが目に見えているために嫌になる。

 結局、そのあとの休み時間をほぼ丸々使って食べ終えて、給食当番でもないのに片付けまでやらされた。担任からは「食べ切れなさそうならはじめに減らしてもいいんだぞ」と言われ、理解されないであろう気持ちを飲み込んでただ頷いた。

 

 過剰に反応する自分が悪いのかと言う気持ちもある。しかし、頻繁に耳にする陰口や揶揄がそれを否定する。これは、明確に自分に向けられた悪意であると。

 ()からはじき出される。気にしない。あんな低俗なやつらと一緒にいたくはない。孤立も悔しくはない。中学の3年間をそうやって棒に振っても、どうせもとから大したものじゃないんだと、狐のように葡萄(ぶどう)(そし)る。

 自分が悪意を向ければ、相手は待ってましたと言うかのように数倍の悪意で返してくる。だからもう、反応なんてせずにただやり過ごす。そうして、来るのかもわからないいつかに向けて、憎悪の火に枕の(たきぎ)を焚べ続ける。

 

『チビのくせに』

『あの子根暗なんだもん』

『通用するわけ無いじゃん』

『調子乗ってない?』

『なんであんたみたいなのが《ミラ》に……』

『チケゾー先輩に悪影響だろう』

『ハヤヒデの重石になってるのはお前だ』

『似合ってないよ、制服』

『出来損ない』

『危ないから辞めたほうが……』

『みんな心配してるんだよ』

『じゃんけんで負けた人でよくない?』

『ちょっと空気読めよ』

『私より下がいてよかったよ』

 

 

 

『もっと大きく生まれたかったよね……ごめんね……』

 

 

 

「ああああああああああああああああああああっ!!」

 

 栗東寮。ルームメイトは数ヶ月前に部屋を出て、今は一人部屋となっているそこに、ナリタタイシンの号哭が響く。

 荒く息をする彼女の瞳孔は起きた直後にも関わらず開ききっていて、冬であるというのに寝汗でパジャマがぐっしょりと湿っていた。

 枕元のウマホで時間を確かめると、午前3時18分という早すぎる時間が示されている。

 

 原因はわかっていた。数日前、唐突に部屋に入ってきた半泣きのウイニングチケットに連れ出された先の食堂で、珍しいことにビワハヤヒデが揉めていた。

 どうやら、揉めた相手はインターネットに書かれていたナリタタイシンの悪評を鵜呑みにして、ビワハヤヒデにナリタタイシンとつるまないように忠告しようとしたらしい。

 インターネットには以前からナリタタイシンに向けたアンチの書き込みは比較的多い方ではあったが、ナリタタイシンがチーム《ミラ》に所属したことが公になってから、その量は大きく増えた。

 菊花賞後の事件もあり人目につくところからは減っているが、その分、裏では多くのアンチがついている。その理由までは、ナリタタイシンは知らないが。

 そう言った虚実交々の噂をなにかの折に目にしてしまい、悪意なく忠告しようとしてしまったのだろう。そういうお節介な者は少なくない。

 

 ナリタタイシンにしてみれば自分に直接向いていない悪意は目に入れなければいいだけだが、ビワハヤヒデにはナリタタイシンが悪く言われたことが我慢ならなかったのだろう。

 結果的にその生徒はビワハヤヒデに謝ったものの、ナリタタイシンに謝ることはなかった。

 

 小柄な体は侮りを生む。知性ある生き物は自分よりも下にある者を見て、それを嘲り、哀れみ、自分は上なのだと再確認して満足を得る。

 今の自分はあの頃とは違うんだ。そう理性はわかっているのに、自分自身が自分の力を信じきれていない。それが、過去の悪意に姿を変えて悪夢として襲いかかってくる。

 震える体を抱きしめ、夜闇から隠れるようにナリタタイシンは再び布団を深くかぶり直した。

 

 

 

 

 

 

「タイシンがわたしより上とか、ありえないから」



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さいかい

活動報告に5月中の更新についてご報告があります。
休止にはならないと思いますが、ご一読ください。


「打ち止めだな」

 

 死刑宣告である。

 復調し、有記念に向けての調整を始めたナイスネイチャに対して、網は驚くほど率直にそう言った。無論、それはナイスネイチャが出すことができる最高速度の話である。

 

「ここまで成長が見られないとなると、まぁ間違いなく成長限界まで辿り着いたと見ていいだろうな。成長曲線から考えるに、天井は低いがピークが長く続くタイプなのはほぼ確実だろう」

 

「デスヨネー」

 

 それはナイスネイチャ自身が体感してよくわかっている。しかし、専門家から伝えられるとやはり心にクるものがあった。

 自らの能力が限界に達しているのに、勝ちたい相手には届いていない。たとえ彼女の弱者の兵法(戦い方)がそういうウマ娘を対象にしたものだとしても、本来、力量は高いに越したことはないのだから、その可能性を絶たれたことは大きな痛手であろう。

 それに、最近は彼女のいわゆるデバフが効果を発揮しにくい状況も多い。例えば警戒する相手が多くなるグランプリであったり、牽制が届かない大逃げであったりだ。

 そんな状況にも対応できるような牽制を学んではいるが、これがなかなか難しい。

 

 今年GⅠ勝ち星がないのは、デビューしたばかりのナリタタイシンを除けばナイスネイチャだけである。それでも、基本的に3位に入っているのだから実力はあるのだが。

 勝利を求めるようになることができたナイスネイチャにとっては、この先行き見えない状況は非常に耐え難いものだった。

 ツインターボもトウカイテイオーも、まだまだ強くなっているのだ。

 

「どーぉしましょうかねぇ……」

 

「お前人の足引っ張る作戦ばっか練習してるだろ。教本渡してあるんだから自分を有利にするタイプの策も……忘れてたんだな」

 

 先に妨害手段を鍛えようと言うつもりで後回しにしていて、そのまま忘れていたナイスネイチャは、あからさまに「ヤッベ」という顔をして網から目を背けた。

 例の事件後、開き直ってチームメイトの前では完全に素を出すようになった網だが、これが案外接しやすい塩梅だった。商店街ガールなナイスネイチャにしてみれば敬語を使う大人のほうが珍しい存在なのだ。

 取り繕わなくなった網は深く息を吐き、呆れを全力で表現したあと、教本をパラパラとめくって付箋を貼っていき、ナイスネイチャに放った。

 

「中山2500mで有用そうなものをピックアップしておきましたから、確認しておいてください」

 

「アッ、敬語」

 

 ニッコリと胡散臭く笑う網だが、ナイスネイチャには青筋が浮かんでいるように見えた。

 「ヒィン」と半泣きになりながら教本の中身を頭に詰め込んでいるナイスネイチャをチームルームへ放置して、網はグラウンドへ行く。グラウンドでは、ライスシャワーとナリタタイシンが併走中だった。

 体質改善を最優先にしてきたナリタタイシンは、今年の6月にようやく本格的な体作りに入った。それからの変化は劇的と言えるもので、うっすらと腹筋が割れてきている。

 そんな彼女がチーム《ミラ》では珍しい走り込みをやっている理由は、脚質改造をするためだった。ナリタタイシンはそれまで差しをメインに戦っていたのだが、差しで走るスパート距離をナリタタイシンの出せる最高速度で走り切るには、彼女のスタミナは足りていなかった。これは、全身持久力と筋持久力という意味でもあり、エネルギーという意味でもある。スタミナ不足でもあり、栄養不足だったのだ。

 現在、そのふたつはどちらも十分なラインに達しているため、差しでも問題なく走ることができるだろう。しかし、ナリタタイシンの性格はバ群に囲まれがちになる差しには向いていない。今までの模擬レースのような少人数のレースでは目立たなかっただろうが、オープンや重賞ともなればその問題が表出するだろう。

 また、それ以上に網は、ナリタタイシンの追込の資質を高く評価していた。つまるところ、彼女の脚のキレ、加速力である。

 

 今行っているトレーニングは、追込としての仕掛けどころを覚える作業だ。差しよりも更に遅れて仕掛け始めるため、見極めがうまくいかなければ差しきれなくなることも多い。

 幸いなことにナリタタイシンは追込にとって重要な、他のウマ娘にブロックされないコース取りが巧かったため、それを養う時間をこのトレーニングにあてていた。余談だが、この瞬間的な判断力はナリタタイシンの趣味であるテレビゲームによって培われたものである。

 ライスシャワーが併走相手に選ばれたのは、彼女の低く前へ進むランニングフォームが脚に負担をかけにくいことと、彼女の目下の課題が最高速度の向上であること、スタミナ面では既に完成形に近いことが挙げられる。

 勿論、ランニング系のトレーニングを行ったあとは十分なマッサージとストレッチを行う。ライスシャワーが聞き出したミホノブルボンのケアはやや不足していた。それが屈腱炎に繋がったのだろう。

 チーム《ミラ》、ひいては網の手腕として評価されているのは、その成績よりもむしろ、現状の成果を故障者を出さずに成してきたことだ。

 ウマ娘の脚は消耗品。そう言われるほどに、ウマ娘は故障しやすい生き物であり、ウマ娘レースは故障しやすい競技だ。それに対してしっかりとした医療知識を持つことを示すB種免許は、司法試験や司法書士と比較されることすらある最難関資格である。

 トレーナーというだけでも慢性的な人員不足に陥っているのに、それほどの人材がどれほど貴重かは想像に難くない。

 

 網が門外の出身でなければ、名門と言わずとも、トレーナーを輩出した実績のあるスクールなどに通ってさえいれば、あらゆる名家が囲い込みに動いただろう。

 しかし、経験とノウハウを重要視するトレーナー業界で、蓄積が完全にまっさらな状態というのは非常に判断がつきにくかった。

 料理店で例えよう。他の店が長年注ぎ足し続け、何代にも渡って研究を重ねて発展させてきた秘伝のタレと同レベルのタレを、いきなり出てきた店舗が提供できると言い出した状況だ。

 どの食材をどのくらい加えればどう味が変化するのか、それは結局のところ経験からしか出てこない。皆が秘匿している、秘伝しているのだから、調べて出てくることはないのだ。

 それが常識で、だからこそ「様々な食材と調味料の味を調べ尽くし、計算と微調整だけで味を完成させている」などにわかには信じられないのは責められることではないだろう。 

 そして、そんな網も、決して完璧というわけではない。

 

「ねぇ、トレーナー。実際のとこ、アタシってどのくらい戦えそうなの。チケットと、ハヤヒデを相手にして」

 

 トレーニング後、ナリタタイシンは意を決して網にそう問いかけた。網が良くも悪くもこういう質問で答えを濁したり贔屓目に見たりすることはないとわかっているからこそ、答えを聞くのに躊躇いはある。しかし、聞かずにはいられなかった。

 網は自分の試算を思い出し、眉根を寄せる。逡巡し、しかしやはり、正直に話すことにした。

 

「皐月賞は十割勝てる。菊花賞も……八割勝てるところまで持っていくことはできるはずだ。だが……正直、こういうときに"絶対勝てない"だの"相手が悪い"だの言うのはモチベがだだ下がりするから言いたくないんだが……ハッキリ言って、ダービーは"相手が悪い"。日本ダービーのウイニングチケットには"絶対に勝てない"」

 

 ナリタタイシンはショックよりも先に『意外』という感想が浮かんだ。ナリタタイシンの中でのイメージでは、言っては悪いがウイニングチケットよりもビワハヤヒデのほうが手強かったからだ。

 そして、それは網の認識も同様だった。()()()()()()()()()()()()

 

「ここまでのレースタイムから算出したウイニングチケットの成長曲線は、比較的早熟気味に上がってきている。成長限界がはっきりとしていないから明確には言えないが、恐らく成長のピークは5月後半に来る」

 

「……日本ダービーの開催日も5月後半……」

 

「それだけじゃない。ウイニングチケットの利き脚は左で、左回りの府中に有利だ。呼吸のリズムは1700mや1800mでは乱れていたが、1600mや2000mでは整っていた。根幹距離が得意なんだろう。後方脚質は府中の長い直線で真価を発揮する。坂は得意とは言えないんだろうな。いつも中山の急坂で失速しているのを、早熟故にステータスで乗り越えている。緩やかな坂ならいいが、淀や中山は得意とは言えないだろう。そして恐らく2000mではスピードに乗り切っていないから、トップスピードを活かし切れるのは2400mから先で、スタミナ面から見ると3000mは長い」

 

「いや、いやいや……ちょっと待って。そんなこと、ある?」

 

 あまりにも、整いすぎている。すべてがその一点に集中していて、それだけに特化していて、それだけに専門している。

 それはまるで。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()ようなウマ娘だよ、ウイニングチケットは」

 

 クラシック期の5月後半、左回りで2400mの、直線の長いコースで行われるレース。そのすべての条件を満たすレースは、日本で唯一日本ダービーしかない。

 

「もしも、は、レースの世界じゃ禁句なんだが……あくまで俺が思うに、だ。もしも、歴代のウマ娘の日本ダービー時点での能力で比べるのならば。ウイニングチケットよりも速く走ることはできるかもしれない。が、ウイニングチケットと同じ日本ダービーを走ったら……アイネスフウジンも、トウカイテイオーも、ナイスネイチャも、ミホノブルボンも。

 

(トキノミノル)も、

真祖(セントライト)も、

最強の戦士(シンザン)も、

"無敵"のスーパーカー(マルゼンスキー)も、

ターフ上の演出家(ミスターシービー)も、

"絶対"なる皇帝(シンボリルドルフ)さえも、

 

ウイニングチケットには勝てない」

 

 なにより、その信念が違う。執念が、執着が違う。

 ウイニングチケットよりも速い相手と走れば、ウイニングチケットはその相手よりも速くなる。相手が誰であっても、日本ダービーでウイニングチケットは負けない。()()()()()()()()()()()()()相手より速く走る。それができる。

 

 日本ダービーを勝てれば、競技者として終わってもいい。

 

「だから諦めろとは言わない。だから負けても仕方ないとは言わない。だが、日本ダービーにおけるウイニングチケットを超えたいなら、()()()()()()

 

 それほどか。

 ナリタタイシンは自分の心音が全身に響くような感覚に陥る。しかしそれは絶望とは程遠く、今までレースで、あるいはゲームで受けてきた高揚感とはまた違う昂り。

 

「ついでに言えば、相手のトレーナーも厄介だな。柴原(しばはら)政祥(まさよし)。御年88歳の大ベテランだ。多くのGⅠウマ娘を輩出してきたが、唯一ダービーウマ娘だけは送り出したことがない」

 

「……チケットは、昔っから日本ダービーに憧れて、ダービーウマ娘になりたくてトレセンに入ったって言ってた」

 

「ダービーに向ける情熱は並々ならないと思っていいな。柴原氏がウイニングチケットに目をつけたのも偶然じゃない。本気で日本ダービーを獲りに来てる。調整は完璧にしてくるだろう」

 

 周囲の雰囲気が重くなる。ナリタタイシンにも、網にも、強いプレッシャーがかかっていた。なにより、網自身が珍しいことに弱気なのだ。弱気というよりも、現実をしっかりと見据えているが故の諦念と言えるかもしれない。

 網の持ち味は、普通であれば勝てないほど能力差がある相手に対しても、能力以外の相性や技術でワンチャンスを作り出すものだ。

 だからこそ、今回のウイニングチケットのような、相手のほうがあらゆる相性が噛み合っている状況に滅法弱い。

 

「……ま、諦めたいなら好きにすれば。アタシはそんなの知ったこっちゃないし」

 

 だから、網の言う通りおそらく勝てないのだろう。ともすればKGⅥ&QESキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスや凱旋門賞よりも高い壁なのだろう。

 それでも、ナリタタイシンが立ち向かわない理由にはならない。

 

「でも、()()()()()()()()()()()。あっちがふたりで走ってるんだから、アンタがしっかりしてくれないと……勝てるレースも勝てないから」

 

 ナリタタイシンは、それだけ言い捨ててその場を離れる。言い回しを迷った結果、普段言わないような直球の言い回しになって気恥ずかしかったからだ。それでもまだ素直でないの範囲内なのだから彼女も筋金入りである。

 ナリタタイシンを見送る網はその背を見ながら、当たり前だと呟いた。たとえ十割負けるとしても、仕事を疎かにする気は毛頭ない。

 網はウイニングチケットの弱点を洗い出すため、残業を決意するのだった。

 

 一方、ナリタタイシン。着替え終わり、トレセン学園の廊下を歩いている。その時だ。自分を呼び止める声が聞こえた。

 

「あれ? もしかしてタイシン? なんか久しぶりじゃね?」

 

 ナリタタイシンの苦手な軽薄そうな声に反射的に振り向く。

 そこには、ナリタタイシンの中学生時代に2つ上の先輩だった、金髪に褐色肌の男が立っていた。

 

 



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どんな音楽が好きそうに見えますかね?

 絶句である。

 喩えるなら家の前に生きているか死んでいるかわからないセミが転がっているときのような顔で、ナリタタイシンはその男を見る。

 中学生時代からナリタタイシンはこの男のことが苦手だった。特別害されたという記憶がないから嫌いとまではいかないし、それを言うなら中学生時代のナリタタイシンは周囲の人間は嫌いか無関心かの2択だった。そんな中で、嫌いではないが苦手という分類をされていたこの男は珍しいとも言える。

 

「……なんでいんの」

 

「聞く前に通報しようとすんのウケる」

 

 パーソナルスペースというものが存在しないのではないかと思えるほどに距離が近い。対人関係においてインファイターな上にスキル構成はガチタンクなのだ。ナリタタイシンにとっては天敵のような相手である。

 話は逸れるが、トレセン学園で働く事務員は実は女性より男性の方が多い。これは、うら若き乙女であるウマ娘と多く接することを考慮して厳格な面接を実施してなおである。というか、女性が集まらないのだ。

 ウマ娘という種族は、人間に比較して知能の面でやや劣る傾向がある代わりに、身体能力と容姿の面では大きく上回っている。そして女性しか存在していない。自然、トレセン学園で働く女性は日常的に容姿端麗な女性を多く傍に置くことになる。

 なんせかつては美しい女性のことを「ウマ娘のようだ」と褒めていたほどである。いくら人間としては整った容姿の女性であっても、ウマ娘と並べば埋没する。十人が十人とは言わないが、そんな常に比較され、あるいは自らと比較してしまう環境で働くのは気が引けるわけだ。

 そういうわけで、トレセン学園に勤める事務員、用務員などの従業員は、男性の方が高い割合を占めている。

 だから別に、目の前の金髪インファイターがトレセン学園にいること自体は特段不自然なことではないのだが、それはそれとして不審者然とした態度は彼の人柄を知っているナリタタイシンであっても、というか、だからこそというか、ともかく警戒させるに足るものであった。

 

「何をフラフラしている? 大人しく待っていろと言っただろう」

 

「あ、バナナパイセン。トイレってどこっすか?」

 

「その呼び方をやめろ。トイレならそこの突き当りを右だ」

 

 そんな男――笹本(ささもと)秀吉(ひでよし)に声をかけたのは、意外にもナリタタイシンの親友であるところの芦毛のモジャモジャ、ビワハヤヒデであった。

 ビワハヤヒデと親しげ(に見えるが笹本は誰に対してもこの調子)な会話をしたあとそそくさと廊下の端へ消えていった笹本を見送り、ナリタタイシンはビワハヤヒデに向き直る。

 2週間前の日曜日、朝日杯フューチュリティステークスでビワハヤヒデは惜しくも2位に甘んじた。それはいいのだが、先週のトラブル以降、ナリタタイシンはビワハヤヒデやウイニングチケットから心なし距離をおいていた。

 彼女らがナリタタイシンの風評を気にしないことは確信していたが、彼女らの風評が悪影響を受けてしまう可能性を気にしてのことだ。少なくとも、あの場でナリタタイシンに対して悪印象を持っているウマ娘は、ビワハヤヒデに直接忠告せんとしたあのウマ娘ひとりだけではないようだったから。

 だから、それを指摘されまいと、ナリタタイシンはあえて先にビワハヤヒデへ話しかける。普段通りを装って。

 

「……で、アイツなんなの」

 

「あぁ……笹本と言ってな、新しくリギルに入ってきたサブトレーナーだ」

 

「リギルの!? ……大丈夫なの?」

 

「あぁ見えて試験の成績自体は優秀だったようだし、研修中だが指示されたことはしっかりやっているようだ……何かにつけてふざける面があるのは否定しないが」

 

 チーム《リギル》と言えば歴史と実力を兼ね備える名実共に中央トレセン学園のトップを――最近ではチーム《ミラ》の台頭により実力面こそ劣るのではないかと言われ始めているが――頂いているチームだ。

 そんなチームに笹本が……? と疑問が頭を過ったナリタタイシンだったが、それが見た目だけで判断しているように思えて思い直す。直後にビワハヤヒデの言葉を聞いて、見た目だけじゃなく性格を含めた判断だったことを思い出したのだが。

 

「どうにも《リギル》は堅いというか、近寄りがたい雰囲気があるからな。実力はあるが雰囲気が合わないから敬遠しているという生徒も多い。というところで、雰囲気を和らげてフレンドリーな空気を作ろうという会長のアイデアだそうだ」

 

「前から思ってたけど会長ってちょっとアレだよね」

 

「天才とは多かれ少なかれ常人とズレを持つものだ」

 

 それは、この友人もそうだろうとナリタタイシンは内心で漏らす。ビワハヤヒデは分析や計算を得手とするにもかかわらず、優秀すぎる妹がいる影響からか自身の評価の物差しにナリタブライアンを使う癖がある。

 自己評価が低いわけではない。ナリタブライアンを無意識に神格化し、理性やら常識やらがその神格化を現実的なものに矯正する際に自己評価が歪む。

 他者と自分との相対評価もナリタブライアンの絶対評価も、あるいはナリタブライアンと他者との相対評価も正確に行えるのに、ナリタブライアンと自分の相対評価を基準にしているが故に、自分の絶対評価が歪んでいるのだ。

 自分は決して弱くないし、自分の理論は《リギル》の強者たちにも通用する。そんな正しい認識を持つと同時に、ナリタブライアン(てんさい)と違って()()である自分がナリタブライアン(いもうと)の姉であり続けるために研鑽を重ねる。

 (いもうと)を持つがゆえに(じぶん)を見られない天才。それがビワハヤヒデへ抱くナリタタイシンの評価であった。

 

「……それじゃあ、アタシもう行くから」

 

「ぁあ〜!! タイシンちょっち待って!」

 

「おい笹本。君、手は洗ったのか」

 

「バナナパイセンちょっとあとにして! タイシンに一応言っとくんだが……"アテナ"にバレたぞ」

 

 笹本の言葉に、ナリタタイシンは凍りついた。

 "アテナ"とは、ギリシャ神話における知恵、芸術、工芸、戦略を司る女神であり、美しい容姿を持つと同時に非常にプライドが高いことで知られる。

 黄金の林檎やトロイの木馬などが登場するトロイア戦争は、トロイアの王子パリスが最も美しい者に贈るとした黄金の林檎をヘレネースパルタ王妃へ贈ったことに憎悪したアテナがヘーラーと結託して起こした戦争だ。

 また、アテナより美しい髪を持つと自慢していたメドゥーサや、織物勝負でアテナを上回る作品を作ったアラクネーを怪物に変えるなどしている。

 美しく優秀であるが傲慢で嫉妬深く自分勝手。そんな女神の名は、かつてナリタタイシンが通っていた中学校では、似たような特徴を持つ一個人の、表向きは尊称、裏では蔑称として扱われていた。

 『鈴木服飾グループ』の役員令嬢、鈴木美穂。ナリタタイシンのことを、最も目の敵にしていた人物である。

 

「……なんで」

 

「お前のチーム最近目立ってんじゃん。それで、同中(おなちゅー)に《ミラ》入ったやつがいるってお前のことを自慢してた奴がいて、そこに"アテナ"もいたんだよ」

 

「サイアク……」

 

 当然、それほど仲が良かった友人と言える人間などいない。ただチーム《ミラ》の人気に便乗したいだけの赤の他人だろう。そういう人間は湧いてくるだろうと予想していなかったわけではないが、"アテナ"に知られてしまったのが面倒だ。

 ウマ娘の勝負服作製にも携わっている服飾グループ役員の娘であるにもかかわらず、"アテナ"はウマ娘に関する事柄に疎かった。幸い、ナリタタイシンの周りには当時嫌がらせをするような人間だけでなく、善人(余計なことをするやつら)もいたため、彼らを使って"アテナ"から自身の進学先を隠すことに成功していた。

 そうでなければ、"アテナ"は何が気に入らないのか、ナリタタイシンが中央トレセン学園へ進学することに何かしら難癖をつけてきただろう。

 

「……タイシン? どうした、大丈夫か? ……おい、笹本、何を言ったんだ」

 

「ふぅー! 冤罪ィ〜!」

 

「……大丈夫。そういうんじゃないから……」

 

 顔を青くしたナリタタイシンを見て勘違いしたビワハヤヒデが笹本を責めようとするのを()めて、ナリタタイシンは一度大きく息をついた。

 

「……じゃ、アタシもう行くから」

 

「おい、タイシン!?」

 

「夜道とか気ぃつけろよー」

 

「君は手を洗ってこい笹本!!」

 

「俺年上ェ〜イ!」

 

「いやほんと、大丈夫だから……」

 

 その場を立ち去るナリタタイシンの背を見送るビワハヤヒデ。何もかもを抱え込みがちな友人の姿を見る彼女の目は、どこか無力感を湛えていた。




 笹本は一発キャラじゃありません。


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嵐の前の騒がしさ

 トレセン学園の旧校舎側にあるグラウンド。普段は誰も使わないこのグラウンドは、必要最低限だけ整備されてとある集団によって占拠されている。

 『開拓の一等星』シリウスシンボリ率いるドロップアウトグループ《C-Ma(シーマ)》。正道には戻れない、裏道からそれでも日の目を見ようと藻掻く者たちだ。

 

「だからアイシングは念入りにしろって言ってるだろ。来年デビューで焦ってるのはわかるけど、お前は腱が弱いんだからこんなんじゃすぐ屈腱炎になる」

 

「へへ……すんません、シリウスさん……」

 

「まったく。折角チームに入れたっていうのに、なんでこんな掃き溜めに戻ってくるんだか」

 

「うらぶれてたあたしを見捨てないで……見放さないでいてくれたのは、シリウスさんですから! 絶対GⅠ獲って、シリウスさんに見せに来ます!」

 

「期待しないで待ってるよ」

 

 怪我、金銭面、勉強、様々な理由でトレーニングに支障をきたし、それを取り戻すために無茶なトレーニングをして、学園生活に影響が出る。それが反省文などに繋がり、またトレーニングに遅れが生じる。

 そんな悪循環の中でも走るのを諦められない彼女たち、学園の規則の内側では断罪されるべき彼女たちの矢面に立って、生徒会や風紀委員と日々睨み合うシリウスシンボリ。

 彼女も理解はしている。シンボリルドルフが生徒会長として、皇帝として、様々なアプローチですべてのウマ娘の幸福のために動いていることを。それでも、取りこぼしてしまうものが必ず出てしまう無情も。

 理解しているからこそ、苛立つ。

 

(……クソッ)

 

「あの……シリウスさん。お客さんっす……」

 

 シンボリルドルフと自分自身への苛立ちに心中で舌打ちをしたシリウスシンボリに、取り巻きのひとりが声をかける。

 その声に振り向いたシリウスシンボリは、意外な人物を目にした。

 

「……へぇ、最近は珍しい客がよく来るもんだ。お前は私になんの用なんだ? なぁ、████████?」

 

 シリウスシンボリは今まで呼んだことのない来客の名を舌の上で転がすと、肉食獣のように微笑んだ。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

『ゴール!! ジュニア級最後のGⅠレース、ホープフルステークスを制したのはやはりB()W()の片割れ、ウイニングチケットだ!! 早仕掛けからのまくりできれいに差し切った!!』

 

 大きく右手を挙げ、栄えあるGⅠ制覇をアピールするウイニングチケットを、ナリタタイシンは観戦席から眺める。隣にはトレーナーである網、サブトレーナーであるアイネスフウジンや、その他のチーム《ミラ》のメンバーが揃っている。

 ただし、その中にひとり、唯一ナイスネイチャの姿はない。それもそのはず、今しがた決着したホープフルステークスの次に発走となる一年の集大成、有記念にはナイスネイチャも出走しているからだ。

 

「アイネス。ウイニングチケットがあの勝ち方を選んだ理由はわかるか?」

 

「うん、最終直線が短い中山だからって言うのもあるけど、スタミナに余裕はないはずなのにギリギリ手前のラインから早仕掛けしたのは、急な坂が苦手だからなの。急な上り坂で加速ができらず、差しきれないと考えたから早めにスパートをかけたの」

 

「そうだな。対策は?」

 

「早仕掛けすることがわかってるなら、中盤に牽制をいれてスタミナを削っておくの。もしくは大外以外を塞ぐように誘導して、スパートで浪費させるのもアリなの」

 

「個人の資質もあるが、ナイスネイチャのように威圧でスタミナを削る手もある。これはナリタタイシンでもできると思うが……」

 

 ナイスネイチャの《八方睨み》と呼ばれる威圧の源泉となっているのは、蟠った負の感情である。逆に言えば、それがなければ威圧できない程度にはナイスネイチャは圧が足りないのだが。

 しかし、ナリタタイシンに関してはもともと人を遠ざける雰囲気があるのと同時に、溜まりに溜まった鬱憤がある。威力としては十分だろう。

 

「じいちゃああああああああああああああああああん!! アタシ勝ったよおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 ターフに水をやりながら駆け出したウイニングチケット。残念ながら両目から流れ出す水は塩水なので芝にとってはデバフにしかならない。

 そんなウイニングチケットをウィニングサークルで待ち受けるのは彼女の担当トレーナーでありチーム《レグルス》を率いる最高齢トレーナー、柴原政祥御大である。

 杖をついて好々爺のごとき微笑みを以てウイニングチケットを迎える柴原。

 

 その左足に、全長30cmのトラックのラジコンが衝突した。

 

 直後、錐揉み回転しながらトラックとは反対方向へと大きく吹っ飛ぶ柴原。

 エネルギー保存の法則に従えばラジコンとの衝突がその方向へ生むエネルギーは限りなく0に近くなるため、その横方向の運動エネルギーは彼の脚によって作られたと考えるのが妥当だろう。

 

 会場の声援がピタリとやみ、ウイニングチケットも思わず泣き止んで呆然とする。柴原の後ろでは《レグルス》のサブトレーナーが引き攣った笑顔を見せながらラジコンのコントローラーを操作していた。

 

「じ、じ゙い゙ぢゃ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」

 

 数十メートル離れた位置にあるアナウンサーのマイクに拾われるほどの声を放ちながら、倒れ伏した柴原老人へと駆け寄るウイニングチケット。彼女が放つ涙の量はさきほどと比べておおよそ2倍を超えている。

 柴原老人を抱え起こすウイニングチケットに、柴原老人は息も絶え絶えに声をかける。なお、外傷内傷ともにない。

 

「おぉ……チケゾー……わしゃもうあかん……お迎えがきおった……」

 

「ああああああああああああああああああああ!! 死なないでええええええええええええええええええええ!!」

 

「うっせ……いやチケゾー……お前がダービーを獲るところ……この目でしかと見届けた……」

 

「これホープフルステークスだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! まだ死なないでええええええええええええええええええええ!!」

 

 流石に会場の観客たちもなんとなく状況を察した。茶番である。ちなみに古参ファンにとっては恒例の光景であるため全く心配していなかった。

 ウイニングチケットが柴原老人を抱き寄せようとしたところで、柴原老人の枯れ枝のような腕が俊敏に動き、ホイップクリームスプレーをウイニングチケットの顔面に噴射した。

 ウイニングチケットがそれに反応する前に、柴原老人はウイニングチケットの手からするりと逃れ、あっという間に駆け抜けていく。

 

「はーっはっはっはぁ!! わしゃまだまだ死なんわアホがぁ!!」

 

「アホはお前だダボが!!」

 

 捨て台詞を吐いて高笑いしながら逃げようとした柴原老人であったが、後方のウイニングチケットを見ていたがために前から近づいてくる《レグルス》所属のウマ娘に気づかなかった。

 老体でも耐えられる程度に精一杯手加減したクリームパイを顔面に食らった柴原老人は「お豆腐っ!?」という悲鳴をあげながらその場に倒れ込んだ。

 一方ウイニングチケットもクリームが目に入ったのか目を押さえてそのあたりを転がっていた。ウマ娘の眼球がやけに丈夫なことは医学的にも証明されているので問題はないだろう。

 

「ジュンペー、チケゾーに濡れタオル持ってったげて。わたしはジーニアス止めてくるわ」

 

「えっ、止めるって何。ジーニアスあれ以上なんかやんの!? ちょっとリリー!?」

 

 去年のエリザベス女王杯を制した《レグルス》所属のウマ娘が、柴原老人へ追撃をかけようとしているウマ娘を取り押さえる。

 その間に、若干混乱して見えるサブトレーナーは、何故かその場にリモコンを置いて控室へと駆けていった。

 

「……あのチームからGⅠウマ娘がそれなりな数出てるという事実よ」

 

「トレーナーの人柄と能力に相互関係はないからな」

 

「それは重々承知してるの」

 

 ひと悶着あったが、その後なんとかホープフルステークスの表彰は完遂され、遂にナイスネイチャの出番となる有記念が開催するのだった。

 

 

 

「で、ヘリオスは本当に大丈夫なの? 長距離(2500m)走って」

 

「わからん! けどなんかイケる気がする!」

 

 地下バ道。アップを終えたメジロパーマーとダイタクヘリオスが会話をしている。ジャパンカップの衝撃で霞んでしまったが、つい先月のマイルチャンピオンシップでダイタクヘリオスは、マイルGⅠ2勝の新星ニシノフラワーらを退け2連覇を成し遂げた。

 日数は経っているが、その疲れは抜けきってはいないはずだ。

 

「まぁなんとかなるっしょ!」

 

「ヘリオスがそう言うなら、まぁ平気か!」

 

(……だとは思うんだけどねぇ……)

 

 ダイタクヘリオスは考える。今回怖いのは目の前の親友(ズッ友)もそうだが、やはりナイスネイチャだ。

 メジロパーマーやツインターボのように何をしてくるかわかる相手ならいい。

 あるいは全く情報がない、何をしてるかまるでわからない相手なら個別に警戒しなくて済む。

 だがナイスネイチャのように、何をしてくるかは予想できるがその数が多すぎて警戒しきれない相手が一番厄介だ。

 

(まぁ、だからこそやるんだけど!)

 

 だが、そのナイスネイチャのような相手こそダイタクヘリオスの仮想敵だ。予行演習になるかは怪しいところだが。

 ダイタクヘリオスがチラリと流した視線を感じ取って、ナイスネイチャがそちらへと目を向ける。ここ1週間程度で付け焼き刃ではあるが、相対的でなく絶対的に自分を有利にする立ち回りを頭に入れては来たが、付け焼き刃は所詮付け焼き刃だ。

 宝塚記念で使ったスタートダッシュ対策はこのふたりには効果が薄かった。最高速度はおそらくふたりとも上がっていて自分は頭打ち。ナイスネイチャの勝ち筋はもはや、付け焼き刃を成功させるしかない。

 

(そろそろ、3着じゃなくて1着が欲しいしね)

 

 メジロパーマーは目の前の親友の笑顔を見ながら考える。馴れ合っているが、ターフに上がれば彼女も敵だ。しかも適性距離外でこそあれGⅠ4勝の強敵。

 それに引き換え、自分は重賞にこそ勝てているが、GⅠは善戦止まり。しかも親友であるがゆえに、()()()()()()()()()()()()。生半可な走りでは上回れない。

 

(まぁ、生半可な走りなんてした覚えないけど)

 

 流石にそろそろ、自分を信じて待っている相棒(トレーナー)にひとつくらいはGⅠトロフィーを持って帰りたい。

 

(泣きすぎて脱水にならなきゃいいけど)

 

 先日、自転車に「パーマー号」と名付けようとしていた自分のトレーナーを案じて、メジロパーマーはくすりと笑った。

 

 今年のクラシックGⅠを獲ったウマ娘は出ておらず、圧倒的カリスマを持つ者も欠けている。しかし、集ったのは間違いなく強者達。

 嵐の有記念が始まる。



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最後に笑うのは

 お待たせしました。今日から少しずつペースを戻していきます。
 活動報告の方で第一話から第十話までの小ネタ解説を投稿していますのでそちらもよろしければどうぞ。


 ダイタクヘリオスはマイラーである。

 これは自他ともに認める事実であり、彼女の勝利した重賞の殆どがマイル以下の距離であることが示すとおりだ。だから、本来2500mはおろか2200mでさえ長い。2000mだってギリギリなのだ。

 また、爆逃げが代名詞となっている彼女ではあるが、彼女の脚質はどちらかと言えば先行寄りである。むしろそちらのほうが勝率はいい。

 事実、だからダイタクヘリオスは去年の有記念では好位を追走したのだ。結果は伴わなかったが。

 

 だから、今回もダイタクヘリオスは先行策を採るものと、多くの観客は予想していた。

 

『さぁ、今ゲートが開きます!! 飛び出したのはやはりこのふたりだ!! メジロパーマーとダイタクヘリオス!! 爆逃げコンビが有のハナをもぎ取った!! それに続くのはキョウエイボーガン!! 暮の中山もかなりのハイペースになりそうだ!!』

 

 下り坂の中途からスタートするコースの構造を利用して、スタート直後から加速していく3人。その後ろからフジヤマケンザンを先頭に先行集団が脚を溜めながら追走する。

 確かに有記念の舞台である中山レース場は最終直線が短く後方脚質には比較的不利なコースだが、しかしそれと同時にゴール前に鎮座する急坂もまた有名だ。

 スタミナを消費しすぎた結果、この上り坂で逆噴射ということも逃げウマ娘には少なくない。とりわけ、メジロパーマーが障害競走において障害の跳び越しが苦手なのは少し調べれば出てくる情報である。

 有記念に出走するウマ娘がその程度の情報を見逃すはずもない。前目につけながらも最終直線で差し切る。そのために、スタミナの消費を抑えながらも位置取り争いを激化させていた。

 

 ナイスネイチャはそれを最後方から、さながら追込のような位置で見据えていた。スタートダッシュでの急加速でスタミナが削られることを嫌い、緩やかな加速をしながら追込のいないこのレースの差し集団殿(しんがり)へ陣取る。ナイスネイチャはこの位置から、自身が有利になるための工作を行っていく。

 現在、レース展開は逃げの3人と離された先行集団、その後ろの差し集団と縦長の展開になっている。後方脚質にとってハイペースであることは望ましいが、この縦長の展開は拙い。

 単純に先頭までの距離が長いため、届かない可能性があるのだ。

 

 だから、ナイスネイチャは最初のコーナーを曲がった下り坂の終わり時点で、ほんの僅かにスパートをかけ始めた。いや、スパートとも言えない、あまりにもジリジリとした微々たる加速で、最後方にいたナイスネイチャがひとつ前のレッツゴーターキンへ迫る。

 レース中のウマ娘は時速60kmを超えるスピードで流れていく景色の中で走っている。自動車を運転した経験がある方ならば、少しずつ追い抜きをかけてきた別の車に気づかなかった経験はあるだろう。速いものに適応している時の脳は、相対的に遅々とした速度で動くものを極端に認識しづらくなるのだ。

 いわんや、半酸欠状態で走っている最中でのことなど。レッツゴーターキンには、あたかも()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように見えた。

 それを、ナイスネイチャが加速していると捉えられるなら問題はない。しかし、レースの基本は楽観視を禁ずるものだ。例えばこれが、()()()()()()()()()()()

 本当の最悪はそれこそが落とし穴だった場合なのだが、酸欠と焦りで緩慢になった思考ではそこまで届かない。だから、手が届く距離にいるナイスネイチャを差し返すために、レッツゴーターキンは加速した。加速、してしまった。

 

 レッツゴーターキンが加速し(掛かっ)て自身を追い抜いたのと同時に、ナイスネイチャは加速をやめて息を入れる。ここから先はドミノ式だ。

 レッツゴーターキンへ与えた変化は前へ前へと進んでいく。しかも、ナイスネイチャではなくレッツゴーターキンが、その前のウマ娘たちを巻き込んで仕掛け人を増やしていくのだ。自然、前に行くほどより掛かりやすくなる。

 とはいえ当然、状況を冷静に判断できる者もいる。ホワイトストーンやイクノディクタスのような歴戦のウマ娘に、ヒシマサルのような頭が回るウマ娘だ。

 だがそれで構わない。この作戦は全体のハイペースを維持したまま、展開を団子にして差しやすくするためのものだ。デバフとは違い、その程度の誤差なら大勢に変わりはない。

 早々にダイタクヘリオスが先行集団へ沈んでいく。菊花賞より距離は短いものの、キョウエイボーガンの持久力は根性によるものであり、さらに完璧に仕上がっていた菊花賞と比べればコンディションも見劣りする状況。限界は近いだろう。

 

 レース後半、ナイスネイチャは少しずつ外へ移動し始める。スタミナを消費しすぎないように、団子集団の最外よりもわずかに外。

 それを気にしないレオダーバンが大外からまくり始める。メルボルンカップを制覇し、香港ヴァーズでも3着に滑り込んでの遠征帰りであるのにあの領域崩しの咆哮は健在で、何人かそれで走りのテンポを崩されたのが見えた。

 瞬発力でも劣っている自覚があるナイスネイチャもまた、溜めに溜めた脚を解き放ってまくり気味に早仕掛けを始める。

 それと時を同じくして、相対的に後ろの位置に変わっていたイクノディクタスから《八方睨み》が放たれる。ナイスネイチャに比べれば冷たく刺すような、鉄杭の如き視線に射抜かれたウマ娘たちが精神を磨り減らされる。

 そして、遂に雪崩のごとく限界を迎えたウマ娘たちが垂れてきた。巻き込まれたホワイトストーンが減速し、イクノディクタスはメガネのフレームをラチに擦りつけながら、最々内で壁を躱す。

 スパートが始まる。ロングスパートを始めていたレオダーバンを追いかけるように、スタミナが残っている面々が先頭のメジロパーマーへと詰め寄っていく。

 

 遠征の疲れが出たのか、レオダーバンが失速する。ナイスネイチャの"デバフ"が放たれ、キョウエイボーガンも力尽きた。

 最終直線に入る。失速こそしていないものの加速もないメジロパーマーのリードは最早ない。ナイスネイチャが遂にその背中を捉えようとしていた。イクノディクタスの末脚も伸びている。

 だが、それでもメジロパーマーは笑っている。笑みを消すのは今じゃない。

 

 ナイスネイチャがメジロパーマーの横を通り過ぎる。その瞬間、メジロパーマーは自分の中でスイッチが入ったことを自覚した。

 超集中による限界突破(リミットブレイク)。"領域(ゾーン)"。それが引き起こす未解明の共鳴現象に、ナイスネイチャは巻き込まれた。

 吹き荒ぶ強風、打ち付ける豪雨、空には曇天。すぐ前を見ることも難しい大嵐の中、ナイスネイチャをメジロパーマーが差し返す。

 急坂でスピードを落とすことなく駆け上がっていくメジロパーマーの背中を睨みながら、ここまで来て離されてたまるかとナイスネイチャは強く脚に力を込める。

 

(ッ……! やられたっ……!!)

 

 一方のメジロパーマーも余裕はない。想定よりも早く追いつかれ、"領域(ゾーン)"が()()()()。このタイミングでは"領域(ゾーン)"もスタミナも最後まで保たない。

 

(多分、ネイチャからは逃げ切れる……ネイチャにここから差し返す末脚はないはず。イクノも適性より距離が長いから大丈夫……)

 

「くっ、そおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 心中で呟きながら歯を食いしばって速度を保つメジロパーマー。失速はしない、しかし伸び切らない。悔恨の咆哮をあげながら走り続けるナイスネイチャ。

 

 そんなナイスネイチャの横を抜けていく影があった。

 

「勝つぞーーーー!!! パーーーーマーーーー!!!」

 

 それはずっと、ギリギリまでバ群の中で息を入れ、スタミナを回復させ続けていた伏兵。輝かしい太陽を背負って、ダイタクヘリオスがそこにいた。

 誰も気づいていなかった。ダイタクヘリオスがそこまでスタミナを身に着けていたことに。策を巡らせ続けていたことに。この一瞬を狙っていたことに。

 再加速したダイタクヘリオスがメジロパーマーと並ぶ。その瞬間、ふたりの表情から笑みが消えた。

 誰も予想していなかった展開。GⅠ未勝利と純マイラーが有記念のラスト1ハロンを競り合う。観客の顔にも彼女たちを笑うものはない。

 

(乗り越える!! どんな障害だって、どんな嵐だって、私の脚で飛び越えてみせる!!! 勝つのは私だ!!!)

 

 限界はとうに超えている。そのはずなのに、燃えたぎるように熱い脚は止まろうとしない。メジロパーマーの本能が、一切のブレーキを破壊し尽くした。

 解けかけていた"領域(ゾーン)"が、メジロパーマーの想いに呼応して息を吹き返す。雨脚はまた強くなり、再びメジロパーマーが加速する。

 

「これが私の、大逃げだあああああああああああああ!!!」

 

 そうして、ゴール板を踏み越える。写真判定をするまでもない。

 1バ身差で、1着、『嵐を呼ぶ逃亡者』メジロパーマー。

 

 息を整えながら掲示板を確認するメジロパーマーの腰に、大泣きしながら彼女のトレーナーがタックル――もとい抱きついてくる。後ろからはダイタクヘリオスが笑いながら肩を組みかけてきた。

 勝利者へインタビューをしようと近づいてきたカメラに対して、自分のことのようにダイタクヘリオスがピースを見せる。それを見て、自分もピースサインを送ったメジロパーマーの顔にも笑みが浮かんでいた。

 

 "バカと笑え。最後に笑うのは勝者(わたし)だ。"

 

 嵐の先に待っていた快晴の下で、彼女は大いに笑っていた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 年が明けて、某日。中央トレセン学園、生徒会室。

 

「……先に、念の為聞いておこう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 生徒会長の席に座るのは言うまでもない。『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフ。しかし、平時の穏やかな視線とは違い、その双眸には剣呑な輝きが宿っている。

 その原因は、彼女の前にある机の上に落ちていた。偶然シンボリルドルフしかいない生徒会室へ突如やってきた闖入者(ちんにゅうしゃ)が彼女に向かって投げつけたもの。

 反射的にシンボリルドルフが顔を庇った手に当たったそれの意味を彼女なら、上流階級の一員たるシンボリ家次期総帥ならば理解できている。

 だが、その闖入者は上流階級からは程遠い生まれ育ちであるために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思いつつも意図を詰問する。

 

 投げつけてきたその、()()()の意図を。

 

「その反応ってことは、間違ってないってことだよね。なら聞くまでもないでしょ、皇帝陛下」

 

 貴族のルールにおいて、白手袋を投げつけることは即ち、決闘の申し込みを意味する。簡潔に言えば、それは果たし状だ。

 目の前のウマ娘から発せられる圧力に、シンボリルドルフはまるでそれが別人であるかのように錯覚する。一度見た顔を二度と忘れない彼女を以てしても、そう錯覚するほどの凄みをその挑戦者は持っていた。

 グツグツと煮え滾る6,000℃の睥睨。その顔に、笑みはない。

 

「アンタを玉座(そこ)から引きずり下ろしに来た。ウチと戦え(はしれ)、シンボリルドルフ」

 

 ギラギラとした灼熱を(たた)えたダイタクヘリオスが、『"絶対"なる皇帝』へ叛逆を叩きつけた。




 ストーリーライン的事情で、オグタマライブは延期となります。


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月と太陽

 千葉県成田市、シンボリ本家。

 そのグラウンド――否、()()()

 

「シンボリ家が保有する自家コースだ。簡潔に言うと、東京レース場と全く同じ形状に作られている」

 

「へぇ……パないわぁ……」

 

 感嘆したように、いつもの軽妙な口調で返事をするダイタクヘリオスだが、依然その顔に笑みはない。既に双方運動着に着替え終わり、シンボリルドルフは古めかしいゲートを操作して準備を始めていく。

 そのかたわら、シンボリルドルフはダイタクヘリオスからあの表情、あの態度を向けられる心当たりを己の記憶から探ってみたが、そもそもダイタクヘリオスと交流した機会そのものが少なく、何度思い返してもその理由は見当たらない。

 

「……君の要求を確認しよう」

 

 シンボリルドルフが背後のダイタクヘリオスへ語りかける。そう、ダイタクヘリオスはこの模擬レースにおいて、シンボリルドルフに対してひとつの要求を通していた。

 そもそもシンボリルドルフという伝説と模擬レースをすること自体が、多くのウマ娘にとってはご褒美と言ってもいいのだが、それ故に模擬レースなど仕掛けてくる相手もいなかったシンボリルドルフは殊更今回の挑戦を快く受け入れていた。

 だがそれとこれとは話が別である。いくら勝者の権利とはいえ、シンボリルドルフの権能の範囲を超える要求は叶えられないからだ。

 

「君が私に勝ったら私は君の要求に応える。物品や権利を要求する気はなく、私に対する行動の強制が目的で、それは大衆の面前で行われるものではないし、私が肉体的、社会的、財産的に損害を受けるものでもない。しかしその内容自体は今は伝えられない。で、いいのかな?」

 

「回りくどく言えばそんな感じ」

 

「そして……舞台はここ、東京レース場とほぼ同コースのシンボリレースコースの、芝2()4()0()0()m」

 

 それは、シンボリルドルフの勝鞍、日本ダービーやジャパンカップと同じ府中のクラシックディスタンスであり、シンボリルドルフにとって最も得意な距離。そして、マイラーであるダイタクヘリオスにとっては完全にアウェーである。

 しかしこの条件は、ダイタクヘリオス自身から言い出したものだ。この距離でないと意味がないからと。

 

「……自惚れるわけではないが、正直に言って2400m(この距離)で君が私を打倒するには、いささか難中之難がすぎると思う。私はマイルも走れなくはないし、公平を期すならば1800mあたりが妥当だと思うが……」

 

 シンボリルドルフの提案を遮るように、ダイタクヘリオスがゲートへ収まる。何も言わず、シンボリルドルフの方を一瞥さえしない。その後ろ姿からは圧力のような熱気が放たれ、シンボリルドルフの肌を焼く。

 

「慣れたと思ってはいたが……いや……往々にして参るな、これは……」

 

 昔から敵意や悪意を向けられることは多々あった。勝ちすぎると、全てのウマ娘が敵になる。自らの走りを謗られることもまたあった。しかし幾多のそれを踏みつけて上へと上り詰めても、決して慣れることはない。

 いくら考えてもダイタクヘリオスから向けられる熱く鋭い感情の心当たりは――あるいは無自覚に目を背けているのか――見つからない。シンボリルドルフは他にしようもなく、ダイタクヘリオスに続いてゲートへ入った。

 

 ファンファーレも歓声もなく、ただ無機質な音だけを鳴らしてゲートが開く。ふたりしか走者がいないため、必然どちらかが逃げを打つ形になるのだが、他に走者がいたとしても、ダイタクヘリオスがハナを奪っていただろう。

 それはいつも見せている破滅的な爆逃げ……では、ない。十人並みの相手であればそれで騙されたかもしれないが、シンボリルドルフはダイタクヘリオスが上手く力を抜いていることに気づいていた。

 比較対象がいない一対一の模擬レースだからこそ採れる作戦。しかも、ここ一年間のレースで()()()()()()()()()()()()()からこそ、この()()()()()()()()は有効となる。

 

(この一年間、私との模擬レースだけを見据えて布石を打ち続けていたとでも言うのか……? マイラーとして実績を残しながら距離延長に固執していたのも、爆逃げというシアトリカルな作戦を印象付けたのも、すべてこの2400mのため……?)

 

 シンボリルドルフの視線が鋭くなる。1年、いやそれよりもさらに前から、自分だけを打ち倒すために準備を重ねてきた者が現れた。それに対するシンボリルドルフの感情は、歓喜だ。

 トウカイテイオーの皐月賞、ミホノブルボンの菊花賞、片やトウカイテイオーに勝利するためだけにデビュー前から入念に仕込まれた情報戦で、片やミホノブルボンに超克するためだけに己の限界を遥かに超えた者たちの死闘。それらを観ながら、シンボリルドルフは心の内に棲む緑眼の怪物を必死に抑えつけるしかなかった。

 脳裏に蘇るのは、片や自分を上回る知略で世界諸共この皇帝を翻弄しきった『沈着にして激情の軍略家』、片やただその暴虐的なまでの精神力ですべての計略を打ち破った『革命家』。見事『天衣無縫』の仇を討ってみせた彼女たちとの激走。

 日本最高峰のウマ娘として一線を退いてからは、なんの因果かドリームシリーズでさえ手に入らない本当の意味での死闘への、どうしようもない渇望と嫉妬。

 

(……悪いがダイタクヘリオス、君が私に向ける感情の正体は曖昧模糊としたままだ。しかし、今はそれを私にぶつける判断をしたことに感謝させてほしい……)

 

 道中での駆け引きなど起こり得ない逃げと追走の一対一、互いにスタミナを消耗しレースは終盤へと突入する。

 僅かずつリードを開いてきたダイタクヘリオスと自分のペースを保っていたシンボリルドルフとの距離が、スパートをかけたことによって徐々に縮まっていく。

 長い長い直線の前の最終コーナー。まだハナを保つダイタクヘリオスの後ろに"領域(ゾーン)"の太陽が現れグンと加速する。しかしそれでもシンボリルドルフの末脚に対抗するには足りない。

 

(ここまでか……いや、贅沢は言うまい。ありがとう、ダイタクヘリオス)

 

 ダイタクヘリオスのすぐ後ろ1バ身のところまで迫ったシンボリルドルフは、名残惜しく思いながらも外側を差す。

 

 その時、ダイタクヘリオスを中心に嵐が渦巻いた。

 

「なァッ!?」

 

 再び急加速しハナを奪うダイタクヘリオスの"領域(ゾーン)"に似た()()()に目を(みは)り驚愕を零すシンボリルドルフ。いや、それは確かに"領域(ゾーン)"であった。

 ただし、ダイタクヘリオスのでは、ない。

 

("継承"か!? 噂には聞いていたが、まさかこの目で見ることになるとは……!)

 

 "領域(ゾーン)"の継承。より強く絆を深め、ともにトレーニングやレースを戦ってきた相手の"領域(ゾーン)"を受け継ぐ現象。有名なところでは、『偉大なる栗毛(ビッグ・レッド)』たちが代々受け継いでいるという"領域(ゾーン)"がそうだろう。

 ダイタクヘリオスが発動したそれは、間違いなくメジロパーマーの"領域(ゾーン)"だった。

 

(……だが、府中(ここ)の直線は長いぞ)

 

 シンボリルドルフはより強く踏み込み、再びダイタクヘリオスを差しにかかる。ダイタクヘリオスの横を通り過ぎ、少しずつその足音が後方へと遠ざかっていく。

 蹄鉄が地面を抉る音が響く中、しかしシンボリルドルフは、ガラスが砕けるような音を聞いた。

 

(――ッ!! まさか!?)

 

 反射的に後ろを確認したシンボリルドルフの目に写ったのは、紅い結晶を踏み壊しながら猛追するダイタクヘリオスの姿。目が赤く充血したその"領域(ゾーン)"は、『華麗なる一族』のダイイチルビーのものだ。

 だが当然、それだけでは足りない。突き離された今、ひとつだけでは足りない。足りない筈なのに。何かに導かれるように加速し続けるダイタクヘリオスの脚が、やがてシンボリルドルフを差し返す。

 そしてシンボリルドルフはその正体を知った。ただひとつの『一番星』を目指し自らの道を切り拓き続ける独尊にして独走の"領域(ゾーン)"。

 

(ダイタクヘリオス……君は一体どれほどの……いや、問うのは無粋か……!)

 

 刹那、ダイタクヘリオスは自らの動きが大きく鈍ったことに気がついた。それはまるで鎖のように彼女の四肢に絡みつく。

 それは戦術戦略に頼らない、ナイスネイチャなどが使う《八方睨み》と似通った技術。威圧とは違い、自分という一点に相手の意識を集中させることで、前へ向かう意識を削る《独占力》と呼ばれる技術だ。

 スピードを削がれたダイタクヘリオスをシンボリルドルフが三度(みたび)差し返す。そう、()()だ。

 それは彼女の絶対帝政を象徴する"領域(ゾーン)"。三度の追い抜きの後に現れる雷鳴と白亜の巨城。

 

汝、皇帝の神威を見よ

 

 ダイタクヘリオスとシンボリルドルフの距離が見る間に離れていく。本来ならばセーフティリードと言ってもいい距離で、その上ダイタクヘリオスにはシンボリルドルフの"デバフ"が巻き付いている。勝負は決した。

 

 

 

 ――否、その行進(パレード)は終わらない。

 

「ッ!!?」

 

 鳴り響いた『鈴の音』に、今度こそシンボリルドルフは息を呑んだ。何者にも縛られず己の進みたい道を歩み続ける()()が生んだ領域(りょういき)が、ダイタクヘリオスを縛めていた鎖を砕く。

 残り300m、最終直線の緩やかな坂で、追い風に吹かれるかのようにシンボリルドルフを猛追するダイタクヘリオス。だがそれでもシンボリルドルフにはわかるこれでもまだ足りない。あと一歩自分には届かない。

 

(あるのか!? 君に、お前に、私との差を埋める何かが!? まだ残っているのか!?)

 

 ダイタクヘリオスがその身の限界を超えて再現し続けてきた継承された"領域(ゾーン)"の欠片。それを以てしてもまだ届かないこの一歩を。

 

 踏み切る。

 届かせる。

 継承ではなく完成。

 不完全で未完成のまま終わっていた魂を受け継ぎ、欠片ではなくただひとつ、己のものとして。

 陽光が錦糸を照らし出す。

 

 シンボリルドルフの脳裏を掠めたのはあの3月。皐月賞の前哨戦。

 

(そうか、()()は――あのとき領域(そこ)に手を伸ばしていたのか)

 

 シンボリルドルフが歯を食いしばる。一歩は埋まった。このままなら、差し切られる。シンボリルドルフの脚に熱量が籠もった。

 

(これは、あの時の続きか。もし万全な()()が日本ダービーに出ていたら、ここまで私を追い詰めただろうか。なら――負けるわけにはいかない)

 

 そこにはもう皇帝はいない。いるのは1頭の、気高き獅子(ライオン)

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ふたりの雄叫びが重なる。残り200m。差は1バ身もない。

 

 

 

 そして、紅葉が舞った。

 

 

 

 汗だくでその場に倒れ込み、仰向けに寝転がるダイタクヘリオス。その顔に、シンボリルドルフが乾いたタオルを投げ落とした。

 

「……君の勝ちだ」

 

 シンボリルドルフの言葉に、ダイタクヘリオスは彼女を睨む。

 先にゴールしたのはシンボリルドルフだった。見知らぬ、2つ目の"領域(ゾーン)"に射落とされたダイタクヘリオスもそれを理解している。だからこそ、なんのつもりだという視線を突き刺す。

 

「……あの"領域(ゾーン)"を使う気はなかった……いや、もしも使うことがあれば負けとすることを決めていたんだ」

 

「……アンタの自分ルールは知らんけど……まぁいいや……じゃあさ、皇帝さん。ゼンちゃんと――ビゼンニシキと、一回ちゃんと話してくんない?」

 

 やはりか、と、シンボリルドルフは思った。

 最後に顕現したダイタクヘリオスの2つ目の"領域(ゾーン)"を見たときにようやく思い出した。というより、目を背けることを止めた。ビゼンニシキがダイタクヘリオスの師であるということを、シンボリルドルフが知らないはずがないのだから。

 

「……だが、私には彼女に合わせる顔なんて……」

 

「それは()()()()()()()っしょ。知らんし。アンタに合わせる顔があってもなくてもこっちには関係ないし」

 

「……彼女のトレーナーから二度と会わせないと……」

 

「ゼンちゃんのトレーナー、もう随分前に引退したよ。知ってるっしょ……知ってんだろうがっ!!」

 

 ダイタクヘリオスの、怒声。聞いたことないそれに、シンボリルドルフは一瞬体を硬直させた。

 

「立場がどうとか、約束がどうとか、合わせる顔がどうとか相手がどうとかっ!! アンタも、ゼンちゃんも!! 結局会わない理由を作って避けてるだけだろっ!!」

 

「ッッ!! お前に、お前に何がわかるッ!!」

 

「わかんねーよ!! なんもわからんしっ!! アンタもゼンちゃんのこと知らないだろっ!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 シンボリルドルフが言葉に詰まる。ダイタクヘリオスは更に続けた。

 

「ゼンちゃんにアンタの昔のキャラ聞いた! なんでイメチェンしたか知らんけど、それ周りの友達に相談とかしたわけ!? 急に別人みたいになって、前のアンタが好きだった人はどうすればいいわけ!?」

 

「ッ……そ、れは……」

 

「カッコつけたいのかわかんないけど友達にくらい弱み見せろよ!! 頼れよ!! なんでも自分だけで抱え込もうとするなよ!!」

 

「わた、しには……出来るだけの力が……」

 

子供(ポニー)みたいなヘリクツこねんなっ!! 同じスピード出せても、全力疾走でようやく出せるのか流してても出せるのかでは全然違うだろっ!!」

 

 揺らぐ。

 弱みを見せまいと、日本のウマ娘の頂点に祀り上げられ、その役目をまっとうせんと歪に作り上げてきた仮面が。

 強固に糊着して外れなくなっていた、外すことすら考えなくなっていた仮面が。

 

「言わなきゃわかんないじゃん! 頼って、縋って、弱みも愚痴も吐き出せばいいじゃん! 信じてもらいたいなら、まず信じろよ……っ!! そうじゃなかったら……信じてるのに信じてもらえない方は、どうすりゃいいんだよ……」

 

 錦は身を退いた。『獅子』が『皇帝』になった理由を知らぬまま、もはや傍に自分は必要ないと。

 鈴は思うままに、『皇帝』に救われた者など知ったことではなく、『獅子』こそを欲してそのために動いた。

 一等星は反発した。誰よりもその猛気に惹かれ、誰よりもその自由さに焦がれて傍らにいたからこそ、猛気も自由も捨て去ったことにも、その末にさえ頼られなかったことにも耐えられなかった。

 

 確かに『皇帝』は多くの者を救い、導いてきた。それは疑うまでもない。

 しかし、それならば『獅子』に惹かれた者たちは蔑ろにしていいのか。

 

「ひとりで抱え込み過ぎなんだよ……アンタは……」

 

 精根尽き果てたような声とともに太陽は沈む。

 今宵、月は。




 伏線回収に100話以上かけてるってマ?


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獅子は谷より戻りて頂にて陽を仰ぐ

 こいつサボりすぎじゃない?
 いや難産だったんだって。


 シリウスシンボリにとってシンボリルドルフという存在がどのようなものであるか、という問いに、簡潔に返すことができる回答をシリウスシンボリは持っていない。

 同じシンボリ家に所属する本家と分家の娘であり幼馴染というのが、おそらくパーソナルデータとして提出する場合の模範回答だろう。客観的な事実だけを羅列し、そこに心情などの不確かなものは介在していない。

 

 シンボリルドルフとの邂逅を、シリウスシンボリは記憶していない。いつの間にか傍にいて、いつの間にかそれが当たり前になっていたのが物心ついた頃だった。

 ウマ娘というのは、三女神から真名(まな)を授かるまで、禍から身を隠すための仮の名を与えられる。などというのはもはや古い格式であり、今では単なる場繋ぎの渾名という性格が強いが、ともかくシンボリルドルフがシンボリルドルフと呼ばれる前、ルナと呼ばれていた頃の彼女は狂気的(Lunatic)の名に恥じない気性難であり、気の赴くままにシリウスシンボリを連れ回すのが常だった。

 そして、シリウスシンボリ自身もシンボリルドルフに並び立てるのは自分だけだとごく自然にそう考えていた。他者が隣を通ることさえ許さない生まれながらの王者がそれを許しているのは自分だけだと、思い上がりでなくそう考えていた。

 『全てのウマ娘が幸福であれる世界』という、ウマ娘個人としてはあまりにも巨大で傲慢な夢をバカ正直に叶えようとする姿さえ、シリウスシンボリにはドン・キホーテなどには見えなかった。 

 

 だから、シンボリルドルフが思い描く未来で、自分が隣にいないことなど考えてもみなかった。

 

 突然だった。皐月賞のあと、図書室に籠もったシンボリルドルフが、次に見たときは見る影もなくなっていた。

 生まれ持っての王は造り物の王様に成り果てていた。獅子は牙と爪をへし折って人間のふりをしていた。取り繕った仮面の裏を、誰にも見せなくなっていて、そんな状態で分不相応な夢を、前よりも下手くそに叶えようとしていた。シリウスシンボリには何も告げないままに。

 誰よりも強く自由だったはずの獅子は、自ら強さを削ぎ、檻の中で藻掻いていて。それを見て褒めそやす大衆が、何より褒めそやされて満足している獅子自体が気持ち悪くて、認められなくて、何度も吐いた。

 都合のいいように解釈して、シンボリルドルフが取りこぼした者たちを掬う役を勝手に任されていれば、ある日贈られたのは怖くもなんともない咎めるような視線と叱責の言葉で。

 シンボリルドルフは自分の力だけで夢を叶えようとしていて。そこにシリウスシンボリの力など欠片も必要ないのだと突きつけられて。

 

 そしてシリウスシンボリは孤高になった。かつて在った獅子のように。

 

 

 

 シリウスシンボリの意識が微睡みの中から浮かび上がった。

 いつもの溜まり場、本格的に寒さが増してきたなか吹く空風(からかぜ)も気にせず居眠りをしていたシリウスシンボリの耳に聞こえてきたのは、取り巻きたちのかしましい声だった。

 

「いやむりっしょ。あんなスヤスヤなシリウスさん見たことある? 起こせない起こせない」

 

「しかしナイター。来客なのだから起こさないと後ほど怒られるのはあなたですよ」

 

「チョー見苦しいってファイバー。ジャンケンで負けたんだから行ってこいって」

 

「頼まれたの自分なのになんとか他に押し付けようとジャンケン提案して初っ端一人負けしたワイパーは流石に情けなさすぎるよなぁ!!」

 

「うっせぇし! 主に声量が!! あとそこまで本名からかけ離れたらもはやあだ名でもなんでもないんだよ!! アタシにワイパー要素もファイバー要素もナイター要素もねぇだろ!!」

 

「あんたもチョーうるさいんだけど」

 

 来年……いや、年が明けたから今年メイクデビューを迎える予定のグループ。全員運のいいことに入れるチームを見つけたにもかかわらず、何が楽しいのか隙を見てはこの溜まり場へやってきてはトレーニングをしていく物好きたちだ。

 会話の内容を聞いて、シリウスシンボリが欠伸をしながら身を起こすと、騒いでいた4人娘はピタリと騒ぐのをやめて慌て始めた。その様子を見て、「起こしてしまったかって起こしに来たんだろう」とシリウスシンボリは喉の奥で笑った。

 

「あ、えっと、シリウスさん、オハヨウゴザイマス……」

 

「聞こえてた。それでダイバー、客は?」

 

「あ、あっちに……あとシリウスさん、アタシ、ダイバー要素もねぇっす……」

 

「この前足滑らせて池にダイブしてたなぁ!!」

 

「シャラップ!! スター、シャラップ!!」

 

 なんやかんや騒いでやかましい4人娘をスルーし、シリウスシンボリは指された方へ顔を向ける。そこにいたのは見知った顔であり、かつ最近見ていなかった珍しい顔。

 

「本当に最近珍しい客が多い。私になにか用事か? スズパレード」

 

 シンボリルドルフの同期でもあり、()()()()()()()()()()()()()*1シリウスシンボリと同じようにシンボリルドルフに振り回されていたうちのひとり。宝塚記念制覇者のスズパレードだった。

 ドリームシリーズに登録していながら学園を休学し、全国を放浪してろくにレースに出ていない彼女は、学園に常駐していながらドリームシリーズに登録していないシリウスシンボリとはある意味真逆の存在だろう。

 そんなスズパレードがトレセン学園に戻っている事自体珍しく、シリウスシンボリに会いに来ることはなおのこと珍しい。ふたりの間に親交はほぼないと言ってよく、シンボリルドルフだけが彼女たちを繋ぐ唯一の(よすが)なのだから。

 

「用事というか、お誘いかね」

 

「誘い? デートでもしたいのか?」

 

「あんたとのデートはプランニングが大変そうだね。まぁ似たようなもんだが、わたしが誘うのはドリームシリーズの観戦だよ。もうすぐウィンター・ドリーム・クラシックだろう?」

 

「あぁ……なるほど。お前はいい加減まともに繋がる連絡手段を持て。わざわざ会いに来なくても良かっただろう」

 

「つれないねぇ。久々に顔を見たかっただけだというのに」

 

「嘘つけ」

 

「はは、それじゃ当日現地集合で。すっぽかしたらあの写真ばら撒くから」

 

 スズパレードがドリームシリーズの名を出すとシリウスシンボリは一瞬眉を顰めたが、あくまで観戦と知って表情を和らげる。

 シリウスシンボリが承諾しながらも呈した苦情をあっさりと流し、スズパレードは去っていく。

 その様子を眺めていた4人娘は、なにやらコソコソ*2と話し合っていた。

 

「あれ……確か今回の出場者って……」

 

「ライバーは思わせぶりな言い方好きだよなぁ!!」

 

「配信業はしてねぇけど!?」

 

「マンちゃんもライターもチョーうるさい……って、あ〜、カイチョーさん出てんのね……これシリウスさん荒れん?」

 

「会長のレースは観ようとしませんからね、シリウスさんは。チョーさんそのあたりなにか知ってますか?」

 

「いや、知らんけど」

 

「痴情のモツレだよなぁ!!」

 

「「スターシャラップ!!」」

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「……ハメたな?」

 

「なんのことやら」

 

「痴情のモツレだなぁ!!」

 

「マンちゃんチョー黙って、マジで」

 

 ウィンター・ドリーム・クラシック当日。東京レース場。

 あからさまなまでに不機嫌なシリウスシンボリが飄々としたスズパレードを睨めつけ、その後ろで4人娘*3がシリウスシンボリの怒りに震えていた。

 

「お前の連絡先が通じないから断りの連絡を入れられなかったんだが?」

 

「断らせるつもりはなかったから問題ないね」

 

 シリウスシンボリのこめかみに青筋が浮かぶが、スズパレードはそれを気にせず踵を返し会場へと歩いていく。

 

「安心しな。今回のはきっとシリウスも気に入るさ」

 

「……チッ」

 

 スズパレードの口ぶりが思わせぶりなのはいつものことだが、今回のスズパレードの口調からはどうにもこれまでのそれとは違う、歓喜のような興奮のようなものを感じたシリウスシンボリは、舌打ちをひとつうつと結局スズパレードについていくことにした。

 

「……どうしよ。アタシあの雰囲気のふたりにチョーついていきたくねぇ……」

 

「ご安心を。おふたりからは10mほど離れた席でチケットをお取りしています」

 

「ゴンさん流石だよなぁ!!」

 

「ゴンさんではなくパラさんと呼びなさいスターさん」

 

 

 

 場内には既に歓声が響いていた。シリウスシンボリが見る限り、ターフ上にシンボリルドルフの姿はまだ見えない。どれほどシンボリルドルフの人気が高いかが窺えて、それが自分の知る、自分の信じるシンボリルドルフからかけ離れたものであることに、シリウスシンボリは密かにほぞを噛んだ。

 席について、改めてターフ上を眺める。同じ府中の舞台でかつて自分が破ったミホシンザンや、()()アイネスフウジンの姉弟子であると昨今再び注目を集めている『優しすぎるダービーウマ娘』ウィナーズサークルなどがウォーミングアップを行っている。

 

 不意に、シリウスシンボリの隣、スズパレードとは反対側の席に誰かが座った。なんの気なしにシリウスシンボリがチラリとそちらを見て、そこにいた見知った顔に目を瞠ったあと、これもスズパレードの仕込みだと思い至りスズパレードへ半目を向ける。

 

「……どうも」

 

「……まさか、お前まで呼ばれてるとは思わなかったな、ビゼンニシキ。()()()()とのいざこざはもういいのか?」

 

 未だ脚にはイップスのギプスを嵌めたまま、松葉杖を手にしたビゼンニシキがそこに座っていた。

 ビゼンニシキはシリウスシンボリの質問に、少し微笑んでから答えた。

 

「きっと、見ていればわかるよ」

 

「は? それどういう――」

 

 シリウスシンボリがその真意を聞こうとしたときだった。突如、歓声がやんだ。

 シンボリルドルフが現れたのか、いや、それにしてもこの沈黙はなんだと、シリウスシンボリは注目をターフ上へ戻し、そして、それを見た。

 そこには確かに、シンボリルドルフが立っていた。

 

 見慣れてしまった勝負服(緑の軍服)ではなく、紅葉模様の着物を纏ったシンボリルドルフがそこにいた。

 

「――ハハ」

 

 シリウスシンボリは知っている。その目に宿る鋭い光を。尖すぎる、獣の眼光を。

 シリウスシンボリは覚えている。観客にもライバルにも一瞥もくれず、一言もかけず、ひとり無遠慮にゲートへ入るあの威風堂々たる様を。

 自分が追い続けてきたものだ。負い続けてきたものだ。知らないはずが、忘れているはずがない。

 

 それを知る者が、ターフ上にもいた。

 ミホシンザン。()()()のシンボリルドルフを知る彼女は戦慄する。自然災害のような不運にぶつかってしまったことを呪いながら、しかしどうしようもなく高揚している自分の精神を抑えつける。

 シンボリルドルフの隣のゲートに入る。走ってもいないのに痛いほどに脈打つ心臓の鼓動を無視して、ただゲートだけに集中する。

 

 そして、蹂躙が始まった。

 

 アナウンサーさえ何も言えない。言葉が見つからない。いつものシンボリルドルフであればレースを支配し、一切の無駄なく、淡々と勝利を拾いに行く。そんな戦い方をしていたはずだ。

 今のシンボリルドルフも確かにレースを支配してはいる。しかし、それはいつもの計算しつくされた戦術によるものではない。

 シンボリルドルフから溢れ出る、怖気の走るほど強く重い覇気。力ずくで押さえ込んでいるかのような無理矢理の支配。

 走り始めた直後だというのに、選手たちが皆一様に苦しげな顔をしているのがその証左だ。

 

 全身に受ける圧力を堪えて、ウィナーズサークルが脚を溜めることも諦めて前へ出る。シンボリルドルフから発せられる覇気を少しでも周りではなく自分へ集中させるためにシンボリルドルフを至近距離でマークする。

 このままでは、()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう判断し、躊躇いなく己の勝ちを捨てた。

 その様子を見て、他のウマ娘は僅かに冷静さを取り戻す。今ここにいるのは皆、歴史に名を刻むに十分な優駿たちだ。

 

 しかし、そんな希望さえ、獅子は踏み砕いて前へ行く。

 

「……なんて顔して観てるの、シリウス」

 

 ビゼンニシキが呟く。それはそうだろう、シリウスシンボリの浮かべた笑みは、飢えた肉食獣のそれだ。

 何があったかなんてどうでもいい、求めていたものが今そこにあるというだけで全身が疼く。今あそこを走っていない自分を殺してしまいたくなるほどに。

 

 最終直線、ミホシンザンが動く。師に授かった大鉈を引き抜き、大外からシンボリルドルフを仕留めに行く。

 他のウマ娘も、おおよそベストタイミングと言える仕掛けでスパートを始め、ウィナーズサークルを振り切ったシンボリルドルフを猛追する。

 

 話は変わるが、URA史上で"領域(ゾーン)"が会場全体を範囲に巻き込み、観客の全員が目撃するまでに拡がったのはこれまで僅か3回。

 

 『幻』トキノミノルが日本ダービーで見せた、すべてが白黒に染まり、彼女以外のすべてが()()()()()()()()()()()()()かのように見えたという時間。

 『憂姫』クリフジが日本ダービーで見せた、レース場全体を巻き込んだ()()と靖国の桜。

 『最強の戦士』シンザンが有記念で見せた、レース場を真っ二つに叩き割った巨大な大鉈。

 

 そしてここに、この日からもうひとつ例が加わることになる。

 

 花曇の雲を一筋の矢が切り裂き、顔を出したのは太陽ではなく月。

 どこからともなく舞い始めた紅葉は、手で触れた瞬間にはすっと溶けて消えていく。

 初めて目にする"領域(ゾーン)"であるというのに、皆が皆直感的にシンボリルドルフのものであると確信した。

 

 あとのことは語るまでもないだろう。

 1着、シンボリルドルフ。その他には誰も無し。

 

 

 

 シリウスシンボリは天を仰ぐ。失くしたものが返ってきた。それだけのことなのに、こんなにも胸が躍る自分自身に嫌気が差しながらも、顔のニヤつきを抑えられない。

 余韻を楽しんだあとは、もはやウイニングライブなど見る必要もないとシリウスシンボリは席を立つ。そうしてひとり会場から出ていこうとして、あと一歩というとき。

 まだ音楽もかかっておらず、他のウマ娘が位置取りを確認しているそのタイミングで、スピーカーが鳴った。

 

『シリウスシンボリ』

 

 名が呼ばれる。いつもの温和な声色ではなく、あの頃の、人を人とも思っていないかのような冷徹な声。

 条件反射的に歩みを止め、声の方へ耳を傾けるシリウスシンボリに、ステージ上のシンボリルドルフは続ける。

 

『勅令だ。私は皇帝を続ける。お前もそこで続けろ』

 

 それは、シリウスシンボリにとって最も欲しかった言葉で。

 今更いままでやってきたことを改めるような生半可な真似はシンボリルドルフには似合わない。このまま半端なまま引きずるような真似もまたシンボリルドルフには似合わない。

 己の道を逸れぬまま、ただ、取りこぼした者たちを任せると、その口から聞きたかった。彼女が思い描く未来で、傍らでなくてもいい、その瞳の中に自分を写していてほしかった。

 

 追いかけていた一等星を手中に収め、シリウスシンボリは満足げに会場をあとにした。

 

 

 

「ルナを救って、シリウスを救って、私を救って。そのついでにメジロのお嬢さんや矢じりのお嬢さんを救って、それであなたの思い浮かべていた英雄譚は終わりかしら? レド?」

 

「ははは。そんな大層なものじゃないさ。わたしはあくまで、またあの獅子(ライオン)を見たかっただけだよ、ゼン」

 

 ビゼンニシキは思い出す。あの日、シンボリルドルフはわざわざ、引退したビゼンニシキのトレーナーの元へ出向いて謝罪し、ビゼンニシキに会う許可を得てからやってきた。

 自分が変わったこと、変わってまで叶えたい夢があること、ひとりで勝手に抱え込んで、勝手に遠ざけていたこと、今まで謝罪にも来なかったこと。それらを一方的に告げて謝罪するその姿、というか、その強引さに昔の面影を見て、ビゼンニシキはシンボリルドルフが帰ったあとひとりで笑ってしまった。

 ビゼンニシキに、シンボリルドルフに対する恨みはなかった。斜行云々と言うなら自分だってやったことだし、故障はシンボリルドルフとは関係ない。無意識の隔意が生んでいた壁は、会って話をするというあまりに簡単なことで取り除かれた。

 

「そう、ならあの娘に感謝しなきゃね」

 

「ああ。とはいえ、あんたの弟子はわたしには眩しすぎるね。どうやったら今どきあんな娘ができあがるんだか」

 

 ステージで始まったウイニングライブから視線を外し、スズパレードは空を見る。

 "領域(ゾーン)"の月夜は既にそこにはない。ただ、雲ひとつない空に太陽が、キラキラと輝いていた。

*1
ただのシリウスシンボリによる付き合いの長さマウントでありストーリー的には重要ではない。

*2
ひとり除く

*3
ひとり除く




・ナイター、ファイバー、ワイパー、ダイバー、ライバー、ライター
 名前不明。ツッコミ気質だからいじられがち。栗毛の短髪。名前を捩ったあだ名だったはずが山手線ゲーム状態になっている。

・チョーさん
 名前不明。トーセンジョーダンをダウナーにした感じのギャル。栗毛のサイドテール。唯一のティアラ路線志望。「チョー〇〇」が口癖。

・パラさん
 名前不明。丁寧な話し方をする。栗毛姫カット。ゴンさんとは呼ばれたくない。

・マンちゃん、スター
 ほぼ名前が出てる。黙ることを知らない。鹿毛の短ツインテ。チビ。

 この取り巻き4人はクラスメイト。


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皐月前

 お久し振りです。
 


 府中の中心地とも言える立地にある大型のショッピングモールは、目前に迫りつつある桜花賞・皐月賞フェアが行われていることもあり、賑わいを見せていた。

 ファングッズ売り場の棚に所狭しと並べられたぱかぷちは特に歴代の桜花賞・皐月賞ウマ娘のものがクローズアップされており、出走表こそ確定していないもののまず間違いなく出走するだろうとされているウマ娘の応援グッズなども、小気味よい売れ行きを見せている。

 丁度そんな応援グッズコーナーを見ていた親子連れの父親が、小学生の息子に彼が好きなビワハヤヒデのお面を買ってやろうと手に取ったとき、父親の手がクイクイと引かれた。

 

「ぱぱ、あれ」

 

 息子が指を向ける方を見るまでもなく視界に飛び込んできたのは、目立つほどに膨らんだ芦毛の髪だった。その親子ばかりでなく周りの客もチラチラと視線を向けている。とはいえ、彼女が――正確には彼女()()が――見られているのはその髪だけが原因ではない。

 なんせ、同じ顔が目の前の棚と自分の手の中にあるのだから。

 

「よ゙がっ゙だよ゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙!! ダイ゙ジン゙も゙皐゙月゙賞゙出゙ら゙れ゙る゙ん゙だ゙ね゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙!!!?」

 

「うっさい。チケット、公衆の面前」

 

「だから言っただろう。重賞を2勝しているんだ、出走できないということはまずないと……いやそれにしてもチケット、声量」

 

「ゔる゙ざぐでご゙め゙ん゙よ゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙!!!」

 

「止めようとすると余計大きくなるんだけど」

 

「トランプタワー建築時の手の震えか?」

 

 まぁ正確に言えば頭のデカさではなく声のデカさで目立っていたのだが。

 ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン。今注目されている3人の競走ウマ娘である。特にウイニングチケットとビワハヤヒデは2()()という形で、今年の皐月賞の優勝候補として数えられている。

 古将、柴原政祥トレーナー率いるチーム《レグルス》に所属するウイニングチケットと、中央トレセン学園最強と言われるチーム《リギル》に所属するビワハヤヒデはともに、先日行われたトライアルレースである弥生賞と若葉ステークスにそれぞれ勝利し、皐月賞への優先出走権を獲得している。

 同世代のウマ娘たちの中では抜けた実力を持つこのふたりに期待が集まるのは至極当然なことだろう。

 

 そして、それとはまた別にこのナリタタイシンも注目を集めている。ここまで無敗。京都ジュニアステークスと共同通信社杯を勝っており、前評判に比べれば戦績は上々。

 とはいえ、ウイニングチケットとビワハヤヒデのふたりには劣ると見る者が多く、掲示板に載る可能性はあっても優勝は難しい。世間一般の印象はおおよそそういうものだ。

 ただでさえ、ナリタタイシンというウマ娘は非常に華奢な体つきをしている。小柄な実力者と言われれば、直近では秋の天皇賞を連覇している皐月賞ウマ娘『不滅の逃亡者』ツインターボや、世界最強格のステイヤーと目されている『黒い刺客』ライスシャワー。小学生からの飛び級でありながらGⅠ3勝をあげた『早咲きの乙女』ニシノフラワーがいる。

 少し歴史を遡れば、オグリキャップと並んで芦毛の呪いを覆した『白い稲妻』タマモクロスや、同じくオグリキャップと熱戦を繰り広げ永世三強の名を(ほしいまま)にした『大井から来た猛将』イナリワンが挙げられる。

 しかし、彼女らが小柄ながらに筋肉の付き具合などから体が鍛えられていることを見て取れるのに比べて、ナリタタイシンの小柄さはそのまま脆弱さに見える華奢さがあった。

 栄養状態や体力こそ、トレーナーによる栄養管理で改善されておりレースに影響が出るほどではないのだが、それが見た目に反映されづらい体質であるようだ。そして、そのような事情など世間は知ったことではない。

 

 そんなナリタタイシンが注目される理由は、はっきり言って戦績よりも所属するチームにあった。

 チーム《ミラ》。先述したツインターボやライスシャワーの他、日本初の凱旋門賞ウマ娘であるアイネスフウジンなどが所属する、新進気鋭の強豪チーム。であればナリタタイシンも凡百ではないのだろうと。

 ウイニングチケットやビワハヤヒデには流石に()()()()()()()()()、勝てなくともレースを盛り上げてくれるのではないか、という期待がそこにはあった。

 

 勿論、「あのチーム《ミラ》が、網怜がその程度で済ますはずがない」と、ナリタタイシンの優勝を期待する声もある。

 しかしそれは、ホープフルステークスを制することで実力をハッキリさせたウイニングチケットや、《リギル》所属であること、デビュー前でありながらも模擬レースやトレーニングで既に話題となっているナリタブライアンの実姉であることを差し引いても実力を評価されているビワハヤヒデとは違い、ナリタタイシン本人ではなく《ミラ》への信頼であった。

 

 さらに、幸運なことになのか不運なことになのかはわからないが、先日行われた大阪杯が「ナリタタイシンも皐月賞で勝てるのではないか」という声を大きくしていた。

 理由は簡単。メジロマックイーン、ナイスネイチャ、ツインターボ、イクノディクタスなどの錚々たる出走者を押しのけ、レッツゴーターキンが11番人気で勝利し、()()G()()()()を成し遂げたのである。

 ツインターボを差し切ったその末脚は前走までのそれを大きく上回る鋭さで、()()()()()()()()()()()かのような鬼気迫る走りは"領域(ゾーン)"を凌駕する何かがあったと同時に、レースに絶対はないのだと再確認させるに至った。

 ただでさえその前週の高松宮記念で、サクラバクシンオーが圧倒的な1番人気での圧倒的な勝利を、先月はフェブラリーステークスで1番、2番人気のハシルショウグンとカミノクレッセが盛大なマッチレースを見せたあとだったのだから、この大番狂わせは2戦とのギャップで強く印象付けられただろう。強いものは強い、が、絶対ではない。

 あるいはスプリングステークスを制し、史上二人目となる()()()()()中央重賞ウマ娘となり、皐月賞への切符を手に入れた者がいることも一因か。

 

 ()()()()()()()()()()()()()、ナリタタイシンが皐月賞を勝つこともあり得るのではないか。

 

 ただ、それらを加味してもナリタタイシンの人気は他のふたりに比べて大きく劣っていた。

 今回、ツインターボのときのようにギリギリまで実力を隠す作戦を網は選んでいない。

 それは「自分の実力を見せつける上で不純物を混ぜたくない」というナリタタイシンによる希望だ。作戦など関係なく自分の脚だけで、勝てるということを証明する。そういう意図があった。

 そのためにはじめから実力を隠すことなく重賞を2勝、無敗で勝ち進んできたのにも関わらず、くだらない色眼鏡のせいで劣ると思われていることは、ナリタタイシンの精神を逆撫でた。

 

 ――とはいえ、その色眼鏡は特別間違ったものの見方であるとは言えないのだが。

 ナリタタイシンを主役に据えるのなら、確かにその体格を見た者たちが浮かべる侮りや同情、あるいは心配といった感情は余計なお世話でしかなくひどく苛立つものだろう。

 しかし、よく考える必要などないほどに、()()ではなく()()であるその体躯は本来レースにおいて大きなハンデとなる要素なのだ。ナリタタイシンがそれをどう感じているかはともかく、客観的に見て彼女への評価は妥当なものだった。

 

 そんなわけでこの3人が並んで歩いていれば、目立つのは基本的にウイニングチケットとビワハヤヒデの2人であり、体格差もあってナリタタイシンは目立たないことが多い。

 実際、今も3人を見ている人の多くはそのふたりに気を取られ、ナリタタイシンまでは注視していない者がほとんどだった。

 

「あっ! ハヤヒデ、タイシン! 見てみてカブトムシ売ってるよお!!」

 

「旬だからな。だが寮はペット禁止だ、諦めろチケット」

 

「ハヤヒデええええええ!! こいつら交尾してるよおおおおおおお!! 生命の神秘だあああああああ感動したああああああああ!!」

 

「なんでもいいのかお前は」

 

 何度か言及しているが、ウマ娘というのは意識外の衝撃に対して、その人間を凌駕する膂力を発揮できない。ナイスネイチャが暴漢の一撃に耐えられなかったように。

 

「そう言えばタイシン、そのカバンのストラップ……タイシン?」

 

 ビワハヤヒデが振り向いた先に、ナリタタイシンはいなかった。

 

「……やはり今度から手を繋ぐか……」

 

 ナリタタイシンもウイニングチケットも、気がつけばどこかへ行ってしまうのはいつものことだ。このショッピングモールにはゲームセンターも入っているので、そこへ行ったのだろう。ビワハヤヒデはそう結論付けて、LANEで自分たちはフードコートへ行くことを伝えるメッセージを送ると、ペットショップの奥へ入っていくウイニングチケットを追いかけた。

 

 ビワハヤヒデの背後で、多目的トイレの『使用中』のランプが光っていた。




 隔日か……3日に1回は少なくとも……


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過去からの

 ショッピングモールにある多目的トイレ。用を足すための機構は洋式の便座が一つだけあり、他にあるのは基本的に必要なトイレットペーパーやウォシュレットなどの付属品、洗面台、折りたたみ式の赤ちゃんベッドと、場合によっては手すり。

 ドアはスライド式で、開閉は内外に設置された大きめのボタンを押すことで行われるため、手が使えなくても開けやすい。

 つまるところ、文字通りの多目的。老若男女の境なく、健常者から障害者まで利用でき、化粧直しやおむつの取替なども行えるように設計されているのがこの多目的トイレであり、多くは病院や大型のショッピングモールなど、多数の老若男女が行き来する施設に設置されている。

 ナリタタイシンは、ペットショップへ向かうウイニングチケットに気を取られて足を止めたその一瞬の隙に、多目的トイレの中から体を引っ張り込まれたのだ。

 

 軽く突き飛ばされたナリタタイシンは体勢を崩すが、尻餅をつく前になんとか体勢を立て直す。そうして睨みつけた先には、ふたりの男が立っていた。

 ふたりともマスクで顔の下半分が覆われているために人相はよくわからないが、少なくとも友好的な態度ではない。しかし、露出している目は笑みの形に歪められていた。愉悦の笑みに。

 

「おぅ、ひさしぶりぃ」

 

「おぉ〜睨んでんの? ウケる〜」

 

 人を小馬鹿にしたような口調でナリタタイシンに話しかける男たち。ナリタタイシンは彼らの素性こそ思い当たらないが、心当たりだけはいくらでもあった。ナリタタイシンにつきまとう残響。トレセン学園入学以前に自分を嘲っていた男のうちの誰かだろう。

 先日笹本からかけられた忠告が頭に浮かび、けしかけられた、とナリタタイシンは察した。四半年(しはんとし)も前のことだったために杞憂だったのだろうと()()をくくっていたのだが、"アテナ"はどうやら未だにナリタタイシンに執着していたようだった。

 嘲笑や同情、嫌悪の類は散々経験してきたナリタタイシンだが、"アテナ"がナリタタイシンに抱いている感情はそのどれとも違っているように感じていたが、まさか顔を合わせなくなって3年以上経ってからも執着が続いているのは、ナリタタイシンも思っていなかった。

 ともあれ、今は目の前の問題だ。ナリタタイシンは揶揄されながらも鋭い視線をふたりへ向け続ける。ナリタタイシンが今のような斜に構えた自己防衛的な態度を取るようになったのは中学へ進学してからで、それまではただ弱気で優しい性格だった。

 眼前のふたりはどうやら小学生の頃に絡んできていた輩だったようで、当時であればこれで怯んでいただろうナリタタイシンの依然として反抗的な態度と眼光にたじろいだように見えた。

 

「は? タイシンのクセになにチョーシのって睨んでんの?」

 

「あれだろ? なんかいいチーム入って目立ってるからだろ? たいしたレース出てるわけでもないのに雑魚狩りしてイキってんだわ」

 

「え、なに、タイシンに負けるようなんでも中央トレセン入れんの? 俺中央入っときゃよかったなぁ〜賞金ガッポガッポじゃん」

 

「……言いたいことはそれだけ? 大した用もないならもう行きたいんだけど」

 

 男たちの表情と声色からは嘲りの色が察せられる。ナリタタイシンにはその発言がレースへの無知から来るものなのか、あるいはナリタタイシンへの挑発のために無知を装っているだけなのかを判別することはできない。

 しかし、そのどちらにしろナリタタイシンの感情を逆撫でするという目的は共通している。どんな反応を示そうが、ナリタタイシンにとっては損にしかならない。ナリタタイシンはふたりの煽りに対して無感動を貫いた。

 

「てかタイシンをスカウトするとかトレーナー節穴かよ。なに? 金積んでスカウトしてもらったん?」

 

「枕じゃね?」

 

「こいつの貧相な体で枕営業はムリでしょ! 小学生抱いたほうがマシ!」

 

 下世話な話になってきた辺りで、ナリタタイシンにはもはや呆れのほうが強くなってきた。何も考えていない馬鹿のボキャブラリーなど所詮こんなものだ。

 誇れるようなことではないが、ナリタタイシンは同年代の女子高校生としては比較的インターネットに親しんでいる。そこには、人を煽り、貶し、嘲ることに悦楽を見出し人生の浪費としか言えないほどに時間と労力を注ぎ込んでいるような、人として進退窮まったどうしようもなく救えない人種が跋扈しているのだ。

 当然こちらもピンキリではあるが、眼の前にいるふたりは明らかに"キリ"に分類される稚拙な相手であり、ナリタタイシンにとってはもはや、偶然日本語に聞こえるだけの雑音のようなものであった。

 ナリタタイシンの心情の変化に気づいたのか、男ふたりはマスク越しにもわかるほど露骨に表情を歪ませた。

 

「なーにすました顔してんのぉ?」

 

「効いてないふりしても苛ついてんの見てわかるから! カッコつけなくていいよ?」

 

 実際はナリタタイシンから苛つきは一切見て取れず、むしろ男たちの声からのほうが明確な苛つきを感じ取れる。

 そんな男たちの必死な様子に、ナリタタイシンは思わず鼻で笑った。わざとらしく声を出して笑うような見せつける笑い方ではなく、本当にバカらしいから思わず笑ってしまったとしか解釈できないほど自然な嘲笑だった。

 人が悪口を言うとき、無意識に自分が言われたくない言葉を使っているという俗説をご存知だろうか。その例に違わず、ナリタタイシンへ執拗に挑発を行っていた彼らの『嘲笑』という行為をナリタタイシンが図らずも跳ね返した結果、それは男たちの薄っぺらな逆鱗に触れた。

 

「ッッ!!!」

 

「……もういいや、やることやってさっさと行こうぜ」

 

 怒鳴りつけそうになった片割れをもうひとりが抑え、落ち着いたところで何かを取り出してナリタタイシンに近づく。

 取り出したのはタバコだった。男たちはそれぞれタバコを咥えると点火して吸い始める。ナリタタイシンからは見えていないが、光センサーによる煙探知式の火災報知器にはプラスチックのボウルが被さった状態で固定してあり、作動しないようにされている。当然、男たちの細工である。

 断っておくがこのふたりは未成年である。あまりに堂々とした未成年喫煙にナリタタイシンが顔を顰めた。

 

 しばらくタバコをふかしていたふたりだったが、片方が唐突にナリタタイシンの頭、というよりも髪を掴んで引き寄せ、その顔に口に含んでいた煙を吹きかけた。

 幸運だったのはその直前に大きく息を吸い込めたことだろうか。咄嗟に呼吸をとめたナリタタイシンは煙の不快感と頭皮に走る痛みこそあれ、煙を吸ってしまうことはなかった。

 そして男に髪の毛を掴まれているという状況とはいえ相手は人間。ウマ娘であるナリタタイシンが本気で抵抗すればこの程度の拘束は抜け出せるだろう。

 

「暴れるなよ? ウマ娘様がヒトミミ相手に暴力なんか振るったらヤバいんだろ?」

 

 抵抗できれば、だが。

 ウマ娘の持つ膂力は成人男性はおろか、人間の限界を遥かに超越している。それ故に問題となっているのがウマ娘による『過剰防衛』だった。

 法が定められる前から頻発していた、ウマ娘が襲われた際に抵抗したことで襲撃者を殺害してしまったという事案。

 人間がウマ娘に勝てるわけがないというのは一般常識でありながら、華やかで見目麗しいウマ娘のビジュアルはその認識の現実味をなくし、死の恐怖という歯止めを消し去る。その結果、数多の犠牲から学習せず、安易にウマ娘を襲撃する事案は未だに多い。

 いや、むしろウマ娘による暴力が過剰防衛として扱われやすくなったことでウマ娘がそれを恐れ抵抗しないという判例が割合を増したせいで増えてさえいる。

 勘違いしてはいけないのは、悪人はウマ娘側にも存在するということだ。この法令が定められる前は、男性を殺傷したウマ娘が罪から逃れるために正当防衛を主張することも多かった。

 

 人間が空手やボクシングの実力者であるというだけで過剰防衛に抵触しやすくなるのだから、人外の膂力を持つウマ娘もそれに類するという判断は至極自然なものであることは確かであるのと同時に、ウマ娘への差別問題としても取り上げられている。

 どちらが間違っているということもないのだろう。種が違う以上、その間に摩擦が生まれないというほうが不自然であり、これはその一例に過ぎない。

 そして、その歪みは今容赦なくナリタタイシンを襲っていた。つまるところ、皐月賞を目前に控えているナリタタイシンは万が一にも過剰防衛として出走停止処分が課されることを恐れ、抵抗を躊躇うだろう、と。少なくとも男たちはそう考えていたのだ。

 

 ウマ娘には毒耐性があると言っても、それはあらゆる毒が効かないということではない。肝臓の強さ故にアルコールで酩酊状態にはなっても二日酔いにはなりにくい反面、麻酔は普通に効いたりする。タバコに含まれる有害物質のいくつかもウマ娘に牙を剥く。

 即効性こそないものの、タバコの煙は肺へダメージを与える。一般人ならこの場で吸った程度なら不快感だけで済むかもしれないがアスリート、特にウマ娘には致命的なダメージになる。

 

 もっとも、この程度の事態を予想できていないわけがないのだが。

 ナリタタイシンは上着のポケットから何かを取り出すと、自分の髪を掴んでいる男に突きつける。男がそれがなんなのか認識しようと顔を上げた瞬間、手に持ったそれ――小さなスプレーのノズルから、細かくなった液体が噴射された。

 

「ウアァッ!?」

 

 情けない悲鳴をあげ、男は液体がかかった目の周りを手で押さえる。当然、タバコを持っていない方の、つまりナリタタイシンを掴んでいた方の手で。

 枷が外れたナリタタイシンはヒラリと男を躱し出口へと迫る。もうひとりの男がそれを阻止しようと動き出すが、不意打ちならばともかく()()()()()ウマ娘に人間が敵うはずもない。

 多目的トイレの仕様上押しやすく作られたドアの開閉ボタンがナリタタイシンの手によって押され、扉が開かれる。その先に立っていた人物が、懐から取り出した手帳を見せながら宣言した。

 

「警察です。通報を受けてきました」



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備えあれば憂いなし

 ナリタタイシンに通報する素振りはなかったのにもかかわらずそこに立っていたふたりの警察官の姿に男たちが狼狽する。警官のそばにはショッピングモールの警備員もおり、逃げることはまず難しいだろう。

 おまけに、少なくとも未成年喫煙の現行犯である。言い逃れもできない状況で、男たちはあえなくショッピングモールの警備員控室へ連れて行かれ事情聴取を受けることとなった。

 ナリタタイシンは念の為に持ってきていた帽子を目深に被ってから、前を歩く警察官に続いて歩きながら、ウマホのLANEアプリを開いてビワハヤヒデから来ていたメッセージに対して、合流が遅れる旨を伝える返信を送る。警備員控室に着くと、男たちとは別室に通された。

 

「すぐ保護者の方が来てくれるそうだから、今はゆっくり休んでね」

 

 付き添っていた警備員からそう声をかけられる。間違いなく子供扱いされているのだが、悪意からでないだけマシだとナリタタイシンはそっと受け流した。

 警察官からナリタタイシンへの事情聴取が終わった頃に、保護者という立場でやってきた網が部屋へ入ってきた。網はナリタタイシンに一言「お疲れさまです」と告げると、警察官に勧められて着席する。

 ふたりの間の淡白なやり取りを警察官は一瞬訝しんだが、それで今回の加害者と被害者の関係が変わるわけではないため気にしないことにした。

 それから間もなく、男たちの事情聴取を行っていた警察官がもうひとりへ何やら報告し、ナリタタイシンへ問いかけた。

 

「ナリタタイシンさんの証言とあちらの証言で食い違っている点があるのですが、その点について確認させていただいてもよろしいでしょうか」

 

 男たちは未成年喫煙と火災報知器への細工こそ認めたものの、ナリタタイシンへの暴行は否認していた。旧友であるナリタタイシンに久しぶりに再会したため話をしていたのだが、自分たちが未成年喫煙をしたことに腹を立てたのか液体を噴きかけてきたのだと主張したのだ。

 警察官もその言い分を鵜呑みにはしていないようで、心情的にはナリタタイシン寄りであったのだが、なにぶん現場は防犯カメラのないトイレの中であったため、いくら状況証拠が揃っていても一方的に否定することもできない状況だった。

 そんな警察官の質問に答えたのは網だった。

 

「それでしたら、こちらが役に立つかと」

 

「こちらは……?」

 

「ナリタタイシンが被害に遭った際の会話の録音です」

 

 網の言葉に「何故そんなものがあるのか?」という訝しげな表情を返す警察官へ、網は冷静に説明を始める。

 笹本からの忠告があったあと、ナリタタイシンは網にそのことを相談していた。本来は抱え込むタイプであったナリタタイシンだが、網の前に隠し事は無駄だったためだ。

 そこで考えられた対策のうちのひとつが、ナリタタイシンがカバンに着けていたストラップだ。このストラップが果たす役目に近いもので説明するなら、Blowertooth*1の通話用イヤホンだろうか。ただし、これにはマイクとボタンしかついていないが。

 ストラップのボタンを押すと、設定された番号へ通話が繋がる。この際、自動的にスピーカーモードにしてくれる。ナリタタイシンはこれを使って、密かに網へと連絡を取っていた。

 普段はLANEを使って連絡を取っているため、通話の方に連絡が来れば非常事態だと判断し、すぐに録音できるというわけである。それとはまた別のウマホを使って通報したのも網だった。

 録音器具を持たせるのではなくこのような方法を取った理由は、相手に奪われて録音を消されたり、その場で気づかれて消すように強要されるのを防ぐためだ。

 

 その説明で納得した警察官たちは録音された音声を再生し始め、おおよそナリタタイシンの証言と一致していることを確認した。正確には始めのほうが途切れていたため多目的トイレへ引き込まれたのか否か、その後どういう経緯で録音の状況になったかは不明だったが、少なくとも男たちが偽証をしていたことは明らかであり、偽証罪が追加されたかたちだ。

 しかし同時に、ナリタタイシンが男へなにか液体を噴きつけたことも確認された。そのことについて問われたナリタタイシンは、ズボンのポケットに入っていた小さなスプレー――正確には霧吹きを取り出してテーブルに置いた。

 

「必要なら手荷物検査も受けますけど、持ってるスプレーはそれだけですよ」

 

「中身をお聞きしても?」

 

「ただの水です。暴力に訴えるより余程安全でしょう?」

 

 ナリタタイシンはそう敬語で問いかける。まさか過剰防衛とは言わないよね? という圧を感じられる敬語であったが。

 正確に言えば、顔に水をかけただけでも暴行罪は成立しうる。しかしこの場合、ナリタタイシンひとりに対して相手はふたり、しかも手には火の着いたタバコという()()を持っており、さらには髪の毛を掴まれていたわけで、その上で素手よりも殺傷性の低い水をあえて選択したという点が酌量されれば心象はかなり良くなる。まず間違いなく正当防衛の範囲内に収まるだろうというのが網の考えだった。

 その分、かなりの至近距離でしか効果がないが、ある程度距離さえ空いていればウマ娘の身体能力で逃げ切ることはできると割り切っての判断だった。

 警察官はナリタタイシンの言い分を信用したようだったが、相手からごねられたときに嘘をつくことはできないためと、中身の検査のためにスプレーを押収、及びナリタタイシンの所持品検査を行い、ナリタタイシンと網を解放した。

 

 

 

 翌日、ナリタタイシンはトレーニングの前に網に呼び止められた。

 

「あのふたり、罪を認めたとさ。それと、やっぱり誘導したやつがいるそうだ」

 

「やっぱり……」

 

 男たちは何者かによって、ナリタタイシンがあのショッピングモールへ来ることを事前に聞かされていた。さらに、ナリタタイシンの活躍や、体に痕が残らない攻撃についても入れ知恵されていたようだ。

 しかし、その何者かの特徴は精々がガタイのいい男性だったということくらいしか判明しなかった。

 

「今回の加害者から辿って教唆犯を見つけるのは難しいだろうな……」

 

「……"アテナ"が怪しいのは確かなんだけど、笹本も怪しくない?」

 

 リギルに所属するサブトレーナー、笹本。ナリタタイシンに"アテナ"のことを忠告してきたチャラ男である。過去に彼から被害を受けたことはないが、今回のように何人も人を挟んでいたならばわからない。

 それに、ナリタタイシンが昨日あのショッピングモールへ行くという情報が漏れていたのも気になる。トレセン学園内でしか、その話題を出したことはないからだ。

 

「ないとは言い切れないな。少なくとも、トレセン学園内に誰かしら主犯と繋がっている人物がいることは確かなわけだし……」

 

 "アテナ"の情報そのものが、彼から目を逸らすためのフェイクである可能性だって否定できない。

 結局のところ、今回の事件はナリタタイシンに危害を加えようとする何者かが存在すること以外は何もわからなかったと言っていい。

 とはいえ、ナリタタイシンの中で焦燥感はそれほど燻っていない。理由はいくつかあるが、特に大きいのは男たちとの対面で常に精神的余裕を持っていられたことだ。

 かつて心を抉っていた言葉がただの戯言にしか聞こえないほどに空虚に思えたことが、ナリタタイシンに確かな成長の実感を与えていた。

 

「念の為、これからはほとぼりが冷めるまでは外出時には『岡っ輓曳()*2』のボディーガードを雇うことにした。これで直接的には仕掛けてこなくなると思うが……」

 

「このまま何もなければそれでいいし、仕掛けてくるとすれば……だよね」

 

「まぁ、そのために餌をチラつかせたからな。届くのは明後日、動くとすればそこだろう」

 

「うん……ところで、あのふたりは結局どうするの?」

 

「未成年だからな。少年法が適用されるだろうから、民事で訴えて賠償金をむしり取る。金はいらんが見せしめは必要だからな。ただ、少し時間を置く。訴えるのは皐月賞のあとだ」

 

 GⅠウマ娘という肩書があれば、ただの重賞ウマ娘よりも多くの賠償金を請求できる。慰謝料――心の痛みだけの問題ではなく、彼女たちの体それ自体が数億の収入をもたらす商売道具なのだ。

 彼らが行った蛮行は、工場の大型機械を壊そうとしたことと同義だと言っていい。

 既にナリタタイシンが皐月賞を穫ることを前提に話している網に、ナリタタイシンは若干の呆れを浮かべた。

 

 それから数日後、皐月賞まであと数日と迫ったタイミングで、再び事態が動いた。

*1
ウマ娘世界のBluetooth。オリジナル。

*2
日本の全国シェアナンバーワンの民間警備会社。引退後のばんえいウマ娘が多数在籍。



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所詮子供

今回で"アテナ"関連は終わらせるので長いです。
次話ほぼ会話無しで丸々一話使うよりいいよね。


「タイシン、ちょっといいッスか?」

 

 皐月賞を数日後に控えたある日のトレーニング前、ナリタタイシンに話しかけてきたのは中央トレセン学園の風紀委員長、バンブーメモリーだった。

 普段あまり交友のない相手ではあるが、今日ナリタタイシンはバンブーメモリーに話しかけられる心当たりがあった。

 

「……なに?」

 

「ついさっき、タイシンの部屋から美浦寮の先輩が出てきたッス。だから一応、タイシンから部屋に入る許可を貰ってるのか聞こうとしたら逃げ出したんで、捕まえて今は生徒指導室にいるッス。それでタイシンには、部屋に問題がないか確認してほしいんスけど……」

 

 いくらなんでも、交友関係の広くないナリタタイシンの、しかもスーパークリークが部屋を出て一人部屋と化している寮室に、他寮の先輩が入るのは不自然過ぎる。

 ナリタタイシンに対する風評――というか、妬み嫉みの声はバンブーメモリーも把握していたため、部屋が荒らされている可能性も考慮して確認をしてもらいたいのだろう。

 現状把握のためとはいえ、仮定被害者の部屋に勝手に入る権限は風紀委員長とて持っていないとバンブーメモリーは考えていた。

 ナリタタイシンは「わかった」と了承を返し、LANEで網に「多分かかった」とメッセージを送ると、バンブーメモリーを連れて自室へと向かった。

 

 結論から言えば、部屋は荒されていなかった。賞金で買い替えたゲーミングPCも、中古の配信機材も、網から贈られた高そうな(実際高い)ジューサーも手を付けられていない。

 ただ、勉強机の上に置かれていた小包、勝負服在中と書かれた伝票の貼ってある枕ほどの大きさの小包だけが、ズタズタに切り裂かれていた。

 「確定か」、とナリタタイシンは溜息を吐きながら、机の上の小包を拾い上げた。

 

 ナリタタイシンの勝負服が届いたのは今朝で、これは皐月賞に出走するウマ娘としてはかなり遅い時期だ。そして、この到着を知っているのは学園内ではチーム《ミラ》のメンバーと、小包を届けたたづな女史のみ。

 だから知っているはずがないのだ。勝負服を注文した、"アテナ"の父親の勤める会社の関係者以外は。その関係者が、外部に漏らさなければ。

 

(普通、こんな見え見えの罠に突っ込んでくる……?)

 

 ナリタタイシンはそう考える。つまるところ、網が提案した作戦は単純なものだ。あえて"アテナ"の父親が勤めている会社に勝負服製作を依頼した。

 さらに"アテナ"にその情報が回るようにした。具体的には《ミラ》メンバーのSNSへの書き込みや、笹本に依頼しての拡散などだ。あとはそれを耳に挟んだ"アテナ"が父親から情報を手に入れれば、なにか仕掛けてくるのではないかと。

 どの会社に依頼したかは知っていても、いつ到着するのか知っている人間は限られる。

 もちろんこれだけではなく他にもいくつか餌を撒いたが、引っ掛かったのは結局これだけだった。それがよりにもよって一番個人の特定がしやすい仕掛けだったから、ナリタタイシンは呆れていたのだ。

 実際、確かにナリタタイシンや網の立場から見ればバレバレではあるのだが、そうでないならば情報が少なすぎて警戒するのは無理というものだろう。"アテナ"にしてみれば、自分はまだバレていないことが前提なのだから。

 

(まぁ、ゲームのシナリオを相手にしてるわけでもなく、相手も所詮同い年の子供なんだからこんなものか……)

 

 そこまで考えて、ふとナリタタイシンは背中に冷たい圧を感じて振り返った。そこには、見るも無惨になった小包を見て、表情を失くし据わった目をしたバンブーメモリーが立っていた。

 完全にプリティーフィルターが外れてシングレナイズされている。持っている竹刀が軋んで音を立てている。

 バンブーメモリーというウマ娘は決して気性が激しいタイプではない。だが彼女は『夢』を背負って走るウマ娘だ。彼女自身、一度提出した勝負服の草案が諸事情で通らなかった経験もあるからこそ、ウマ娘の『夢』が詰まった勝負服への蛮行を見て、憤りが心を埋め尽くしたのだろう。

 たとえその怒りが実行犯へ向かおうともナリタタイシンには関係ない。しかし、勘違いは解いておこうと、ナリタタイシンは小包の中から切り裂かれて穴だらけになったそれを取り出した。

 

「落ち着きなよメモリー。ほら、これ」

 

「ぁ……え? ……んん?」

 

 小包から現れたのは勝負服……ではなく、ボロボロのビニールに包まれた使い古されたタオルだった。この作戦は現行犯を捕まえるのではなく、誰がやらせたのかを確定させるための仕掛け。わざわざ本物の勝負服を使う必要はないから、届いた直後に中身を入れ替えておいたのだ。

 

 勝負服が無事であることを説明され安堵したが、しかしそれでもまだ行われた行為自体に憤懣やるかたない様子のバンブーメモリーを伴って、ナリタタイシンは実行犯のいる生徒指導室へやってきた。

 既に網が到着しており、いつもの胡散臭い笑みで実行犯のウマ娘を眺めている。

 一方の実行犯はしおらしくしている……様に見えるが、何度も似たような表情を見てきたナリタタイシンには、それが上辺だけのものであるとわかった。

 実行犯は最高学年にも関わらず未だにスカウトされておらず、チームにも入っていないためデビューしていなかった娘だった。もはやデビューを諦めており、見つかって捕まること自体最初からわかっていてやったのだろう。それで退学になったとしてもどうでもよかった。

 それでも表面上は反省しているように見せていた彼女だったが、ナリタタイシンが部屋に入ってくると一瞬憎悪の宿った視線をナリタタイシンへ向けた。しかし、ナリタタイシンはそんな彼女が何者なのかまるで心当たりがなかった。

 

「ナリタタイシン、彼女に見覚えは?」

 

「……ない。初対面……だと思う」

 

 網の質問に対して正直に答えるナリタタイシン。網はそれを咀嚼して、席を立った。

 

「では、私達はこれで。彼女の扱いについては学園にお任せします」

 

「えっ、はっ!?」

 

 さらりと言い捨ててその場をあとにしようとした網に、たづなが狼狽しきった声をあげながら引き止めた。

 ナリタタイシンも表情こそ出していないが動揺しており、実行犯も驚愕を顕にしていた。

 

「……おっしゃりたいことはわかりますが、もう用はないので。先程も申しましたが、そちらの彼女が切り裂いた小包の中身はすり替えておいたもので、中にはブラックライトを当てると光る塗料を染み込ませたタオルが入っていました。部屋から出てすぐにここに連れてこられたのですから、その塗料が付着した刃物をまだ持っているんでしょう? 確認すればすぐにわかります。ブラックライトがないなら提供しますが?」

 

「えぇ、いや、そうではなくですね……」

 

「罪状の確度でないなら情状酌量の余地があるかどうかですか? ナリタタイシンが他者に危害を及ぼすようなウマ娘だとは思いませんが、仮にそちらの彼女がナリタタイシンによってなんらかの損害を被っていたとして、それがこのような陰湿な犯行に及ぶに足る理由となりますか? そもそもナリタタイシンは先程彼女とは初対面だと断言しましたが、なにかされたと言うなら当然既知の関係でしょう。何故初対面と嘘を吐いたときに糾弾しなかったのですか? というか、先程から何度も動機を聞かれているのに黙秘していますが、報復として行ったなら動機はむしろ言いたいのでは? 自分の動機が情状酌量に値しないと理解している証拠でしょう」

 

「えっと……」

 

「動機自体は興味ありませんしね。彼女が何を思って犯行に及んだのか聞いたところで心動かされることもないでしょう。なんらかの因縁があるならともかく、なんの接点もない相手にいきなり犯罪行為に走る相手の考えなど聞くだけ無駄でしょう。彼女に反省の色がないことは、駿川女史も気づいているでしょう? ナリタタイシンはもうじき皐月賞という大舞台が控えています。無意味なことに時間を使わせたくないのですが」

 

「む、無意味って……」

 

「彼女の犯行の有無で私やナリタタイシンのこれからになにか違いがありますか? 彼女の行為は彼女以外になんの影響も及ぼしていない。無意味以外のなんですか。まぁ、そもそも聞かずとも動機なんて精々嫉妬くらいのものでしょう。くだらない」

 

 いつかの菊花賞のときのような、相手を追い詰めていくような語調ではない。終始淡々と吐き捨てるように。網はこれ以上ここにいる意味を否定した。

 教え子が被害に遭った怒りも、追い詰められているであろう少女への哀れみも、単純な好奇心すらなく、ただ無関心を言葉にするだけ。

 

「……ッ!! あんたにな――」

 

「わかりませんよ」

 

 少女が放とうとした激情の叫びは、あたかもその口がどんな言葉を紡ごうとしているかわかっていたかのように、そのほとんどを言い終わることさえなく遮られた。

 

「ひとつ言っておきます。ナリタタイシンが私にスカウトされた理由には確かに幸運が関わります。ナリタタイシンが私の目に留まるという幸運がなければ彼女は私にスカウトはされなかったでしょうから。しかし、かと言って『自分はスカウトされていないのに何故ナリタタイシンが』などというのは的外れな言い分です」

 

「なにを――」

 

「私は別にナリタタイシンを才能で選んだわけではありませんから」

 

 実行犯は網を睨む。なにを綺麗事を、そう言いたげな顔だ。しかし、その顔は網の言葉によってすぐに別の表情に歪むことになる。

 

「ツインターボとナイスネイチャ。酷いことを言いますが、私の教え子であるこのふたりは決して才能があると言えるようなウマ娘ではない。特にツインターボについては貴女も知っているでしょう? 条件戦を抜けられず散っていくウマ娘がいる。それはつまり、才能の有無関わらずスカウトするトレーナーはいるということです」

 

「――じゃあ……」

 

「勿論運が悪いからでもありませんよ? いくら運が悪くとも、巡り合わせが悪くとも、貴女をスカウトしたいと考えるトレーナーが、この6年間でひとりとして貴女と出逢わないなんてことはあり得ない」

 

 特級に巡り合わせが悪いライスシャワーだって、網と巡り会ったのだ。6年間もの時間を与えられてひとりとも出会えないのなら、そこには運などという不明瞭なものではない明確な理由がある。

 そしてその理由は、ある意味では才能や運よりもなお残酷な理由。

 

「聞きたいですか? それがなにか」

 

 だからこそ、たづなは網がそれを言うのを止めようとした。だからこそ、網は自分の意思で告げるのではなく実行犯のウマ娘側から聞いてくることを促した。

 彼女の脳内には様々な感情が巡っているだろう。今後への諦観、ナリタタイシンへの筋違いな憎悪、網への苛立ち、自分が歩んできた6年間の徒労への憤慨、自分がスカウトされなかったことへの疑問。

 自分は間違っていなかった、だから悪いのはそれ以外だ。耳を塞いでそう信じ込みたかった。網が告げようとしている理由を、こじつけでもいいから否定できればそれができるような気がして、彼女は聞いてしまった。 

 

 

()()()()()()()()()()()()と考えるトレーナーがいなかったんですよ。他者を導き育てることを生業(なりわい)とするトレーナーに対して、嫉妬に狂って犯罪に手を染めるような性根を隠しきれるわけがありませんから」

 

 原因はお前にしかない。そんな意味を含む言葉を告げられて、実行犯は遂に逃げ場を失った。

 

 

 

 生気を失ったかのように、実行犯のウマ娘は聞かれるがまますべてを話した。動機は結局網の予想した通り。

 ナリタタイシンがショッピングモールへ行く日にちを漏らしたのも彼女だった。彼女の後輩でありナリタタイシンの同級生であるウマ娘たちから情報を仕入れていたのだ。

 経緯としては、とある匿名掲示板に建てられているナリタタイシンアンチのスレッドに、中央トレセン学園の生徒だけがわかるというパスワードで入れるチャットルームのURLが貼られたらしい。実行犯はそのチャットルームに入室した後、また別のチャットルームへ誘導され、そこで情報のやりとりをしていたようだ。あまりにもインターネットリテラシーの低い話に、ナリタタイシンも網も頭痛がする思いだった。

 網が問題のスレッドを調べてみたものの、当該のレスは既に削除されていた。履歴からURLを直接辿ってもみたが、チャットルームそれ自体も削除されていたため情報を確定させるには至らなかった。

 しかし、『中央トレセン学園の生徒にだけわかるパスワード』が残っていた。具体的に言えば、学園内の見つかりにくい場所にパスワードの書かれた付箋が貼ってあった。

 つまり、学園内にその付箋を貼った協力者がまだいるということなのだが、それ自体はなんら法にも校則にも違反していないし、候補が広すぎて探すのも面倒なので網はほうっておくことにした。

 余罪があれば最後にわかるし、余罪を調べるのは網の役目ではないからだ。

 

「それで、この後どうするの?」

 

「興信所に丸投げ」

 

「は?」

 

 てっきり、主犯がほぼ確定したことで嬉々として追い詰めに走ると思っていたナリタタイシンは呆けた声を出した。それに対して、網は呆れたように返す。

 

「あのな、いくら能力があったって俺はウマ娘のトレーナーか資産家の息子でしかないの。身の程ってもんがあるんだよ。餅は餅屋に任せるのが一番。なんでも自分でやるってのはミステリー漫画の見すぎだよ」

 

「まぁ……それはそうか……」

 

「多分だけど、主犯がお前と同い年の子供だとして、そこから実行犯までは2人挟んでる。ひとりは主犯の身近にいる下の身分の人物で、ひとりは特殊便利屋だろうな。しかも、恐らく大きな後ろ盾のないところ」

 

「そこまでわかるもの?」

 

「高校生のできることなんてたかが知れてる。その上で自分まで辿り着かないように人にやらせるとしても、それほど遠い関係の相手に自分の情報を漏らさせず、かつ逆らわせずに言うことを聞かせるのは手間がかかる。弱味を握ってる身近な人物を脅してやらせてるのが一番早くて確実だが、それだけだと足がつく。だから、その身近な人物を脅して、間に特殊便利屋を挟む」

 

 特殊便利屋、なんでも屋などと言えばフィクションの中のもののように聞こえるが、これらの業種は多数存在する。

 無論、彼らの殆どは様々な雑事の代行であったり、人手が必要な場合の手助けなどが基本的な業務だが、稀に、違法行為も請け負うような便利屋も存在する。

 

「暴力団とかがシノギとしてやってる場合もあるんだが……これ言ったらちょっと拙いかもしれないけど、大抵の暴力団ってのはウマ娘レースに絡んでる」

 

「えぇ……」

 

「シューズ会社へ投資してたり、ジュニア教室のパトロンやったり、あとは違法賭博とかな。そういうことがあるから、裏社会ではウマ娘レースに関することにちゃちゃ入れるのはタブーなんだよ。利権や面子が複雑に絡み合いすぎて、どのウマ娘に触ったらどこが出張ってくるかわからないから。下手したら全面戦争になる」

 

「へー……」

 

 なんでそんなこと知ってるんだろう。ナリタタイシンは思ったが賢いので口には出さなかった。

 

「だからウマ娘への嫌がらせの片棒担ぐなんてことするのは、余程全体の情報を把握してるフィクサーみたいなデカいとこか、素人がやってるところくらい。前者に依頼するようなコネも金も高校生が持ってるとは思えない。前者にやらせようとすれば7、8桁の金が動く案件だからな。いくらなんでも親が気づく」

 

 そもそもが数千万円の賞金が発生するウマ娘レースに、利権と面子が絡んでくるのだ。生じるリスクも、それに見合っただけの代金も相応のものになる。

 

「金持ちの娘が使用人の弱味を握って便利屋に依頼させ、便利屋越しに犯行を唆した。恐らくこれが全体像だ。だから、興信所に依頼してその便利屋を探す。そこから依頼した人物を見つけ出して、証拠を掴む。弱味を握られてるならその弱味次第でこっちにつけることもできるからな」

 

「……なんか、"アテナ"が哀れに思えてきた」

 

「そもそも、大層なあだ名があったって言っても所詮中学生の頃のあだ名だからな。それなりに身なりの整った大人からしてみれば所詮子供の浅知恵だ」

 

 だからまずは大人(おれ)に相談をしろよ、と。

 ナリタタイシンはそんな裏の意味が聞こえた気がした。

 

 

 

☆★☆

 

 

 鈴木美穂はウマ娘という種族を嫌っている。

 そんなことを大っぴらにしていれば人種差別だなんだと騒ぎ立てられる世の中を鬱陶しがりながら、表面上はウマ娘相手でも和やかに振る舞っている。まぁ、本人の尺度では、の話だが。

 彼女は人間に寄生しなければ種として存続することもできないのに、さも人間と対等な立場であるかのように振る舞うウマ娘の傲慢を嫌悪していた。

 ミソケイロニスト*1としては比較的ありふれた考えだ。とはいえ、様々な理屈をつけようともその根幹にあるものの種類を数えれば片手で事足りる。

 

 その圧倒的な能力差によって人類が被支配種に成り果てるのではないかという恐怖か、自分と違う存在へのありふれた嫌悪か、単に自らの利益のために都合のよい標的としているのか、あるいは嫉妬か。

 "アテナ"とさえ呼ばれている鈴木の根底にあるのも嫉妬だった。しかし、彼女の傲慢な自尊心は嫉妬しているという事実を自覚することさえ拒絶していた。

 そしてその自尊心は、嫉妬している、見下している、嫌悪しているという負の感情を表に出すことさえ厭った。そんな態度を見せれば、それはウマ娘という種を強く意識してしまっていることの証明になってしまうから。

 だから彼女は表面的にはウマ娘とも友好的に接していた。そんな生活で溜まったストレスを解消できる健全な趣味を見つけていれば、あるいは彼女も正道に留まれたのかもしれない。

 しかし、不運なことに、そんな趣味よりも早く彼女は見つけてしまった。ナリタタイシンという存在を。

 

 ナリタタイシンはウマ娘としても平均を上回る容姿をもっているが、しかし鈴木が見つけたときのナリタタイシンは、その少食さからくる慢性的な軽度の栄養失調によって、有り体に言えば貧相な容姿をしていた。

 そんな容姿に加え、どちらかと言えば内向的で鬱屈した感情を外に出さず溜め込むタイプであったこともあり、その態度や雰囲気も手伝って極度に陰鬱な印象を周囲に与えていたのだ。

 ナリタタイシンを揶揄していた者たちの言葉を借りれば『ウジウジしたコミュ障ぼっちの陰キャ』である。

 反抗もせず、助けも求めず、ただ小さく反応を返すだけの彼女は、子供の無垢な残忍さと大人の狡猾な醜悪さを併せ持った思春期の彼らにとって都合のいいサンドバッグであったわけだが、話の本筋である鈴木美穂から離れるため話をもとに戻す。

 

 ウマ娘でありながらウマ娘という種のアドバンテージをことごとく持っておらず、あらゆる点で自分より劣った存在であると認識した鈴木は、ナリタタイシンという個人をウマ娘という種の認識の代表に据えた。

 ナリタタイシンが惨めであればあるほど、自分がウマ娘よりも優れた存在であると思えた。自分が手をくださずとも周りが勝手にナリタタイシンを攻撃する。鈴木はただ眺めているだけで良かった。

 だからこそ、鈴木はウマ娘やナリタタイシンに対する負の執着を周囲に覚られることなく義務教育を終えたのだ。笹本やナリタタイシンからの警戒も、単純に性格が悪いという一点からくるものであり、彼らさえ鈴木のミソケイロニストとしての一面には気づいていなかったのである。

 そして高校へ進学してしまえば、学園生活からウマ娘の姿は減る。多くは地方の、一握りは中央のトレセン学園へ進むし、一般の高校へ進学したウマ娘も、体育の授業などの兼ね合いで1クラスに集められることが多いからである。

 鈴木が認識するウマ娘の情報は、意識して目を背ければそれほどストレスにならない量まで削られていた。

 

 だからあるいは、性根こそ歪んでいるものの自らの手は汚していないこの時点であれば、周囲との折り合いをつけ、ミソケイロニストなりに平穏な人生を生きていけただろう。

 彼女の目の前でナリタタイシンの成功を声高に吹聴する愚か者さえいなければ。

 

 あとはおおよそ、網が推理した通りである。ナリタタイシンの成功を知った鈴木はそれを認められず犯行に及んだ。

 勝負服を破壊しようとしたトレセン生へ教唆した便利屋は網の雇った便利屋によって素早く特定され、そこから鈴木が弱味を握って脅していたハウスキーパーへ辿り着いた。

 あとはそのハウスキーパーへ持たせたICレコーダーによって鈴木による脅迫の犯行場面が録音され、それが証拠となってハウスキーパーへの脅迫罪で起訴される運びとなった。

 

 この起訴で親に露見し、父親が相当な額の示談金を積んだことでハウスキーパーへの脅迫に関しては被害届は取り下げられた。ナリタタイシンへの加害に関しては再間接教唆*2として正犯と見做され、ナリタタイシン(の代理人として網)が示談を拒否したため保護観察処分を受けた。

 少年法によって実名報道は避けられ、網の働きかけで父親の勤務先が巻き込まれることはなかったが、その代償として父親からの厳しい再教育と心療内科及びカウンセラーへの通院が科せられることとなった。

 甘い対処に思えるが、一家全体を勤め先ごと潰すより、親を利用して鈴木へ罰を与え続けるほうがいいと網は考えたのだ。これから先、今までのような贅沢な暮らしはできなくなる。父親と保護司の監察のもと、父親の伝手でアルバイトをしながらミソケイロニーに折り合いをつけていくことになるだろう。

*1
Misochironist。ギリシャ語の「μῖσος mîsos(嫌悪、憎しみ)」と神話の賢人であり、英雄アキレウスの祖母としても知られるウマ娘「Chiron(ケイローン)」を由来とする。

*2
犯罪を教唆するように教唆することを教唆すること。



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醜くても目を逸らさず

初めて元ネタなしの完全オリジナルネームドウマ娘が登場します。ご注意ください。


 4月3週、中山レース場、クラシック戦線初戦、皐月賞開催。天候は快晴、芝は良バ場。

 

「…………」

 

「おー! かっけー!」

 

 能天気にもはしゃぐツインターボ以外の頭の回るメンバーはナリタタイシンの勝負服を見て、正確にはそのボトムスを見てなんとも微妙な表情を見せていた。

 そんな目線の先にいるナリタタイシンも、同様に微妙な表情を浮かべている。

 無論、先日の事件では勝負服に傷一つつくことなく、それからも特に問題なく今この時を迎えることになっているのだが、では何が彼女の心を突いているかといえば。

 

「……新手の皮肉か何かかな……?」

 

「違うから」

 

 ライスシャワーの溢した通り、それは確かにある意味では皮肉と言えるものになっただろう。

 ナリタタイシンの希望は『パンク系』の衣装。それに相応しい、ピンクと黄色を基調としたトップスとインナーに、デニム生地のボトムスという組み合わせになっているのだが。

 そのボトムスが、まるで()()()()()()()()()()()ダメージジーンズだったのだ。

 

 わざわざ自分の将来に傷をつけてまでして挑んだ犯行は失敗に終わり、にも関わらず相手は傷をつけた衣装をファッションとして取り入れている。

 もちろん全て偶然であるのだが、それはまるで「お前のやったことは一から十まで全部無駄」と言っているかのような様相を見せていた。

 まぁ、もちろん彼女がこの皐月賞を観ているとも限らないが。

 

 製作当時の"アテナ"の父もまさか自分が丹精込めて傷をつけているダメージジーンズに娘が追加ダメージを与えようとしているとは思うまい。結果的に傷がついたのは娘の経歴と彼の見知らぬウマ娘の経歴と精神だったのだが。

 

 閑話休題。議題は皐月賞で注意すべきことに移る。

 

「ここまでのレースで慣らしてきたが、とにかく仕掛けどころを間違えないこと、それと自分の走るべきコースを見失わないことが肝心だ」

 

「焦りは禁物……だよね」

 

「お前はトップスピードに乗るまでが恐ろしく早い。だからこそ、少しでも早いタイミングで仕掛けるとあっという間にトップスピードに乗ってスタミナが吹っ飛ぶ。適切な場所からスパートできれば、最後尾から全員ぶち抜ける」

 

 この後方不利の中山2000mで。ナリタタイシンは後方一気の追い込み策を採ろうとしていた。近年の皐月賞ウマ娘に追い込みで勝っているウマ娘はいない。遡れば、ミスターシービーまで戻ることとなる。

 中山の直線と急坂は、それほどまでに牙を剥く高い壁だ。

 

「要注意なのはビワハヤヒデだな。勝鞍自体にそれほど目立ったところはないが、やり口が実力を隠してる時のそれだ。それに見てたらわかると思うが、毎回()()()()()()()()()で勝ってる」

 

 レースにはイレギュラーが多い。たとえまったく同じメンバーで同じコースを走っても、バ場の状態や天候でレースの展開は大きく左右される。

 それなのに、メンバーも、コースも、距離さえ違うレースすべてで同じ勝ち方。しかも、王道の先行抜け出しという実力が如実に現れる作戦でだ。

 

「それとウイニングチケット。今回は決め手に欠けるが、それでも同じコースであるホープフルと弥生賞を勝ってる」

 

 ()()が揃ってないとはいえ、早熟タイプで既に体の仕上がり方は世代トップだ。地力がかなり高いと言える。

 とはいえ、網はこの皐月賞に関しては十中八九勝てると確信していた。それだけの力をナリタタイシンは持っている。イレギュラーがあるとすれば。彼女が揺らぐことがあるとすれば。

 

「あと、これは念の為に教えておく。今回の出走者に地方から参加してきたウマ娘がいるだろ?」

 

「あぁ、えっと……イズミスイセン、だっけ? スプリングステークスに勝って話題になってた」

 

 下河邊トレセン学園所属のウマ娘、イズミスイセン。完全なダークブロワーであり、一部ではフロックとも揶揄されているが、少なくとも相応の実力はあると網は考えていた。

 しかし、それ以上に網が気になったのは彼女の素性だった。

 

「イズミスイセンの姉はヒュブリス。この間の勝負服襲撃の実行犯だ」

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ナリタタイシンがパドックのお立ち台から去るのを彼女は見ていた。大きく白とピンクに分かれた色調のシンプルなデザインの勝負服、地方のウマ娘が中央GⅠに出走する際に貸し出される『貸服』を着た彼女こそ、一部からは『オグリキャップの再来』と呼ばれている、この皐月賞のダークブロワー、イズミスイセンだ。

 流れる芦毛の髪に右耳に着けた水仙の花をモチーフにした耳飾り。少なくない数の地元の仲間が応援しに来ている中で、彼女もお披露目を終える。

 一瞬、パドックから降りた先でナリタタイシンと目があった。どちらからともなく重なった視線を逸らし、一度控室へ戻る。

 

「いいの? スイセン」

 

 トレーナーである児玉(こだま)栄子(えいこ)が問う。事前にナリタタイシンとの間の確執を伝えられていたが故だろう。

 

「うん。今あいつに会ってもレースに良くない影響が残るだけだ。それに、謝罪したところで赦してもらえるとも赦されたいとも思ってないから」

 

 イズミスイセンはかつて、ナリタタイシンを嘲笑していたうちのひとりだった。目の前であからさまに揶揄の言葉を吐いたこともある。

 イズミスイセンよりひとつ上の姉、ヒュブリスは、小学校から直接中央トレセン学園に合格した。一方で翌年受験したイズミスイセンは不合格で、そのまま地元の中学校に進学した。

 親が目をかけるのはいつも姉になった。親が話題を出すのはいつも姉になった。イズミスイセンと話した時間より、姉と電話をしていた時間の方が長い日もざらにあった。

 

 そんな中で、イズミスイセンはナリタタイシンと出逢った。

 並のウマ娘よりは速い。走ることが本能であるウマ娘は、小中学生のうちはレースの世界へ本格的に入る気がないウマ娘でも遊びとして競走することがある。だから、十人並のウマ娘と比べれば才能があることははっきりしていた。

 しかし、トゥインクルシリーズを目標とするであろう才能のあるグループの中では話は別だ。たとえ才能という刃を持っていても、それを振り回すにはナリタタイシンはあまりにも貧弱だったからだ。

 勝利の先でこそ呼吸ができると感じレースの世界へのめり込んだナリタタイシンだが、踏み込んだ先では、少なくとも中学生の間は高い実力を持っているとは言えなかった。

 そして、イズミスイセンはナリタタイシンよりもいつも一歩前にいた。自分よりも下がいる。そのことに、姉への強いコンプレックスがあったイズミスイセンは溜飲を下げていた。

 

『通用するわけ無いじゃん。あなたみたいな小っちゃいのが』

 

 だから、ナリタタイシンが中央へ進むと聞いて、本当にそう思ったのだ。身の程知らずと。きっと心が折れるだろうと。

 しかし、地方のトレセン学園へ進学したイズミスイセンが耳にしたのは、ナリタタイシンが中央トレセン学園に合格したという情報だった。

 ――合格したからと言って通用するとは限らない。そう心の中で自分を納得させようとしても、そもそも合格さえしなかった自分が浮き彫りになるだけだった。

 そもそも、中学からの進学の時に再び中央を受ければよかったのだ。中央を受けたところで地方の受験資格がなくなるわけでもあるまいに。そんな自分が心底嫌になった。

 

 自分が腐っていくのを感じていた。下河邊トレセン学園に入ってから実力は伸びている。トレーナーとも巡り会えた。本格化の時期に合わせるためにデビューこそ前ではあるが限りなく成長を実感できている。

 それでも、膿んだ精神がドロドロと心に降り注ぐのを止められなかった。

 

『似合ってないよ、その制服』

 

 一度だけ、互いにトレセン学園へ入ったあとにナリタタイシンとすれ違ったことがある。

 虚勢を張って、かつてのように揶揄の言葉を投げつけて。寮に帰ってから自己嫌悪で吐いた。なんて醜い。

 自分の醜さを誤魔化すようにトレーニングに明け暮れて、デビューしてからは地方レースでもトップクラスの実力を身に着けた。交流レースでも中央相手に十分戦える、『オグリキャップの再来』なんて言われて、それでも周りなんて見られず、ただ目の前の醜い自分だけが目に入って。

 

 そんな中、ナリタタイシンが皐月賞に出るのだと知った。

 

 ナリタタイシンは成長していた。身体的にも精神的にも。実力ばかり身についた自分とは違って、ナリタタイシンの表情から見える心の余裕はかつてとまるで違うものだとひと目でわかるほどに。

 

 赦されたいと思った。赦されてはならないと思った。謝って楽になりたいけど、それは自分のエゴだ。ナリタタイシンにとっては、余るほどいる敵のひとりに過ぎない。謝って何になると言うんだと自分に呆れた。

 それでも、二度と関わらないまま生きるのは嫌だという我儘を止められなかった。

 

 いっそ醜くてもいい。恥でもいい。赦されなくてもいいから。せめて、自分のほうが上だと宣ったあの言葉だけでも真実にしたかった。

 

 トレーナーに無理を言って芝のトレーニングを積んで、イズミスイセンは中央の切符を手に入れた。かつて諦めた場所に、そして、ナリタタイシンと同じ舞台に立った。

 軽蔑も侮蔑も嘲笑も受け入れる。だから。

 

「今日も私が勝つよ。ナリタタイシン」




賛否両論ありそう。


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並んで

 ゲートの中でナリタタイシンは思い出していた。パドックで目があった貸服のウマ娘、イズミスイセン。

 彼女があの実行犯の身内であったことは知らなかったが、むしろイズミスイセン自身が自分と面識があるウマ娘であることを思い出した。名前こそ覚えてはいなかったが、顔を見て認識が合致した。

 恨みがないと言えば嘘になるし、どうでもいいと言うほど達観もできていない。しかしその一方で、個人個人に対する恨みは既に『他の奴ら』という一絡げに纏められ、イズミスイセンから受けた言葉はすぐに思い出せても、それを言ったイズミスイセンの顔はすぐに思い出せなかったくらいだ。

 謝罪されたとして、それを受け入れるつもりはない。赦す気はさらさらないし、彼女個人に謝られても何かが変わるわけではないのだ。奇しくも、イズミスイセン自身もそれを理解していた。

 

(でも、そこにいるなら()()()())

 

 心には余裕がある。他にあるのは程よい緊張と、レースへの期待と高揚。

 

(アタシがマジだってこと、教えてあげる)

 

 ゲートが開く。BNWの3人はそれぞれが違う脚質の位置につく。ビワハヤヒデはいつもの先行、ウイニングチケットはやや控えて差しの位置。そしてナリタタイシンは最後方。

 一方、イズミスイセンはウイニングチケットよりやや後ろの差しの位置にいた。ダートでは先行気味に走る彼女が、芝に適応する上で選んだのがこの位置だった。

 

(芝の上だと思ってるよりもかなりスピードが出る……いつものペースで走るとスタミナが保たないし、脚を残さないと後ろからでも差し切られる……ダートとはまったくセオリーが違う。力押しは通用しない……!)

 

 イズミスイセンの頭に浮かぶのは中央で芝とダートを行ったり来たりしている化け物と、大井から中央へ渡り砂を蹂躙している化け物。カミノクレッセとハシルショウグン。

 その両方ともが、芝のレースを先行で勝っている。とてもではないが真似できるとは思わなかった。

 

(イズミスイセン。中央転属の話も出たが、断って地方に残ったと聞いていた……なるほど、相応の実力はありそうだ)

 

 ビワハヤヒデは分析する。ダークブロワーであるイズミスイセンのデータは少なく、芝のレースに至っては1レース分しか存在していない。

 その不明瞭さから危険度を上に設定していたが。

 

(だが、これなら予想値を外れることはない……やはり注意すべきはチケットとタイシンか……実力に関してはチケットから逃げ切れるかどうか、1バ身以内の決着になりそうだが、逆に言えばある程度予測はつく……その点、タイシンは不安定性が脅威だ)

 

 ウマ娘は大きく分けて、負けないレースが得意な者と勝つレースが得意な者がいる。前者の代表こそが『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフと、『名優』メジロマックイーンと言えるだろう。ビワハヤヒデ自身もこちらに分類されると考えている。

 一方の後者は『ターフ上の演出家』ミスターシービーや『傷だらけの帝王』トウカイテイオーが分類される。まだデビューこそしていないがビワハヤヒデの妹であるナリタブライアン、そしてナリタタイシンが、こちらに分類されるウマ娘だ。

 後者の特徴こそ、ビワハヤヒデ曰く『乱数の幅の広さ』である。自他のコンディションやレース展開に影響されやすく、負けるときはあっさり沈んだかと思えば大番狂わせの金星を挙げたりもする。

 

(その点、今日のタイシンは明らかに()()()()()。上方修正が必要か……)

 

 前半を過ぎてビワハヤヒデは逃げふたりの後ろ3番手。中団にウイニングチケットとやや後方にイズミスイセン、ナリタタイシンは未だ最後方。

 

「……逃げがペースを握れてないの」

 

「えぇ。ビワハヤヒデのレースコントロールが抜群に上手い。ナイスネイチャのように臨機応変に小細工を仕掛けるのではなく、恐らくはじめから描いてきた設計図のままに周りを走らせている」

 

「こざ……?」

 

 俯瞰してみればよくわかる。一見逃げのふたりがレースを引っ張っているかに見えて、その実逃げ不利のハイペースかつ詰まった展開になっている。逃げが後続を押さえきれていない。

 

「すごい圧迫感だよね……」

 

「確かにあれに追いかけられたら焦るの」

 

「先輩方わざとやってます?」

 

 彼女の頭はデカくない。しかし存在感は圧倒的だ。

 ビワハヤヒデの走りはブレない。体幹の強さもそうだが、自分の走りに一切の迷いや疑いがない。そのブレなさが周りを焦らせる。

 最終コーナー手前、計算通りのハイペースの中でしっかりと息を入れ、早々に前ふたりを捉える。ここから最終コーナーで抜け出して突き離すのがビワハヤヒデのいつもの勝ちパターン。

 しかし、スパートの一歩を踏み出そうとした瞬間、ビワハヤヒデの背後から強い圧迫感が襲った。《八方睨み》のような鋭い威圧ではない、暴力的な、殴りつけるような、あるいは面で圧し潰すような圧迫感。

 イズミスイセンの威圧だった。息を入れた相手の緊張が弛緩する瞬間を狙った威圧で多くの走者が萎縮した。

 それを機と見たウイニングチケットが一気に位置を上げる。最終直線が短い中山レース場で早仕掛けをするのは有効な手だ。2400mを目標とするウイニングチケットにはそれを可能にするだけのスタミナもある。

 

 レースは佳境の勝負所に突入する。ナリタタイシンは最後方から動かない。前から順に名前を呼んでいた実況が、ナリタタイシンの名前を呼ばなかった。

 ビワハヤヒデが加速する。一瞬タイミングがズレたものの前を捉えて抜け出し、突き離しにかかる。それを見た後続も、引き離されまいとスパートをかけ始める。

 バ群を避けるように大外に振っていたウイニングチケットが追い上げる。GⅠ制覇の末脚は伊達ではない。遠回りのロスなどものともせずビワハヤヒデに迫る。

 

 最終直線、そんな強者のぶつかり合いを見ながら、イズミスイセンは歯噛みした。自分の脚は動いている。他のウマ娘たちは次々後ろに流れていくのだ。

 しかしそれでも、ビワハヤヒデに、ウイニングチケットに、届かない。

 

(あぁクソッ!! 遠いなぁGⅠ!!)

 

 一度目の受験で折れ、二度目の受験では背中さえ見えなかったGⅠの背中は、それでも遠く遠くに、見えている。

 

 その時、最後方から影が迫った。

 イズミスイセンを抜き去って、ナリタタイシンがスパートを切る。観客たちがその急加速にざわめいた。急速に上がっていく影は次々に先行を抜き去っていく。

 バ群の外目の位置を突っ切って、最短距離で先頭を目指すナリタタイシン。その背中を見て、イズミスイセンは力を絞り出す。待ち受けるのは中山の急坂。

 

(くっ……わかっていたが、計算に実力が追いついていないか……!)

 

 上り坂で僅かに減速するビワハヤヒデ。それでも、追走して差し切らんと走るウイニングチケットに前を譲らない。

 接戦を演じるビワハヤヒデとウイニングチケットに、ナリタタイシンとイズミスイセンが迫る。ナリタタイシンとイズミスイセンの差は縮まらない。むしろ刻一刻と開いている。

 坂を登りきり、ナリタタイシンが並――ばない。そのままビワハヤヒデとウイニングチケットを躱し先頭に立つ。

 それを見て、ビワハヤヒデが差し返す。ウイニングチケットは伸びが苦しい。イズミスイセンは諦めない、()()諦めない。

 

 最終的にはほとんど並んでのゴールイン。しかし、写真判定するまでもなく差は歴然。1着、ナリタタイシン。

 観客が沸く。高く振り上げた拳が天を衝くその背中が、背丈以上に大きく見えて、イズミスイセンは掲示板で自らの決着を見る。

 3着。ビワハヤヒデの後塵を拝し、それでもウイニングチケットを差し切っての3着は、地方のウマ娘ならば上々の結果だろう。しかしそれでも。

 

(……勝ちたかったなぁ……)

 

 彼女でなくたって、誰でも思うことだ。今更しみじみと考えることではない。

 

(……謝るべきか)

 

 レース前は、変な影響が出ないようにという気持ちもあった。今は、それは関係ない。許しを請う気持ちは依然としてない。謝罪に対する考えも変わってはいない。

 謝るのも謝らないのも、どちらも自分の意志で、相手のことを考えてと言っても結局は自分の考えで、だからといってナリタタイシンに「謝ったほうがいいか」なんて口が裂けても言えなくて。

 それは至極簡単なことで、間違いを犯したその時点で、詰んでいるのだ。加害者側が何を選んだところで加害者でしかない。

 

「……え……?」

 

 程よい疲労からかいつの間にか座り込んでいたイズミスイセンに手を差し伸べたのは、あまりにも予想外なことに、当のナリタタイシンだった。

 

「……えっと……」

 

「言っとくけど、赦す気はないから」

 

 言葉が詰まって出てこないイズミスイセンに対して、ナリタタイシンは無理やり手を掴んで立ち上がらせながらそう言い捨てる。

 

「アタシの勝ち。ざまみろ」

 

 べーと、からかうように笑いながら舌を出すナリタタイシンに、イズミスイセンは一瞬呆気にとられたあと、これでいいのかと納得した。

 

「似合ってんじゃん、勝負服」

 

「当たり前でしょ」

 

「次は勝つから」

 

「あっそ、精々頑張れば?」

 

 皐月賞閉幕。ナリタタイシンの因縁もまたひとつ幕を下ろし、舞台は次へと進む。




 謝罪関係はどうあがいても納得できない層が出るんですよね。感情論しか出ないので。結局「時と場合と人による」が正解なんすわ。だから色んな意見感想あって然るべきなんだけど、せめてちゃんと読んでからにして(哀願)
 まぁ今回のことはこれが正解だったってことで。ヨロシャス。

 スプラトゥーン3が面白いのが悪い。


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オグタマライブ ??/04/18

 遅れたのはなんもかんもSplatoon3が悪い。
 文句はイカに言え。


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今日は皐月賞の日やけども」

 

「先週の桜花賞はチーム《カノープス》のユキノビジン、チーム《デネブ》のマックスジョリーとの接戦を制し、チーム《ベガ》のベガが桜の女王を戴冠した」

 

『チーム《ベガ》のベガ』

『逆に考えろ。チーム《ベガ》以外にベガが入ったらややこしくてかなわんぞ』

『カノカノしてきた……』

『ユキノビジンめんこいべ……』

『素朴な可愛さがあるよね』

『ゴールドシチーと並ぶと画になる』

『セクシーなのキュートなのどっちが好きなの』

『古いぞオッサン』

『マックスジョリーの話もしてあげて……』

 

「ユキノビジンは水沢トレセンからの転属やねんて。オグリどう思う?」

 

「元々中央に来ることを予定していたが、家の事情で岩手を離れることが出来なかったためにジュニア期は地方で経験を積んでいたと聞いた。元は地方一本で行くつもりだった私とはまた違ってくる」

 

『そういうのもあんのか』

『これ以上地方から有力選手を引き抜かないでくれ……』

『地方は中央の余り物じゃねえんだぞ』

『イズミスイセンマジで地方の星』

『中央転属断ったんだっけ?』

『あれは別に地方でやりたいからじゃなくてトレーナーが中央免許持ってなかったからだぞ』

『「児玉トレーナー以外のトレーナーを選ぶ気はありません」だっけ』

 

「それもまた選択のひとつだ。キッパリとそう言えるのは羨ましいものがあるな」

 

『オグリン……』

『キタハラ……』

 

「……まぁ、そういうわけで! 今回の期待の選手のひとりやな、イズミスイセン! 地方の下河邊トレセン所属で皐月賞トライアルのスプリングステークスを制覇しとる。実力は申し分なしやろ」

 

「身体能力や技術面よりは、その場その場の対応力と並々ならぬ勝負根性が素晴らしいと思う。競り合いや追い比べには滅法強いだろう」

 

「せやけど『オグリキャップの再来』は言いすぎやな。なんぼほどおんねんオグリの再来。バースか」

 

『日本人は再来好きだから……』

『一回脳を焼かれるともう一回ってなるんや……』

 

「世間的にはやはりBWが話題か。ビワハヤヒデとウイニングチケット、片やGⅠ勝利こそないが常に強い勝ち方でレースを制している。そして片や、皐月賞と同条件のホープフルステークスと弥生賞を制覇した」

 

「コース的には先行脚質のビワハヤヒデ有利やけど、ウイニングチケットが中山2000mむしろ得意な方やからわからんな。あと、ウチとしてはステージチャンプなんか気になるな。リアルシャダイの生徒はノリにノッとるからな〜」

 

「同じくリアルシャダイの生徒であるイブキマイカグラとライスシャワーは来週の天皇賞に出走予定だ」

 

「ライスシャワーと同じ《ミラ》からはナリタタイシンが皐月賞に出走しとるな。ビワハヤヒデやウイニングチケットと仲ええんやったか」

 

『ちっさ』

『なんかヒョロいな……風で飛びそう』

『小さくて強いからギャップがいいよな』

『タマはふくらはぎバッキバキだしライスは腹筋がパックのご飯だけど、タイシンはなんか小柄で筋肉も薄そうだから心配になる』

『黒い人が育成して下手なことにはならんやろという信頼』

『ウマチューバーのシンドレイがナリタタイシンってマ?』

『口数少ないから特定班が苦労してたけどライブのボーカルからしてほぼ確定だと』

『まぁ言っちゃ悪いがそんな有名な配信者でもないし』

『登録者爆増してて芝。そういうとこだぞ』

 

『他に身バレしてるウマ娘ウマチューバーって誰がいる?』

『沢山いるだろ』

『てか顔出ししてたら大体バレてる』

『S.B.F chanel好きなんだけど名前出てたっけ』

『出てるだろ。シャトル、ブリザード、フォーチュンって』

『あれ実名だったんだ……』

『タイキシャトル、タイキブリザード、タイキフォーチュンの3人組な。特にタイキシャトルはリギル所属だから未デビューだけど有名』

『◇ドットcomでよく動画をあげてる栗毛のウマ娘はドットさんじゃないんだ。知らなかったのか?』

『えっ、ウマトックの方に無断転載されてるあの人ドットさんじゃないの』

『リギル所属のテイエムオペラオーだよ。何故かドットcomに動画をアップした数がドットさんより多い』

『顔出ししてないウマ娘でバレくらってるのは?』

『隠したいって本人が思ってるから顔出ししてないんだろ。と言いつつあえて挙げるなら織足琴ことゼンノロブロイ』

『あの娘は本レビューのノイズになるから顔出ししてないだけだしな』

『公然の秘密状態なのはべるちゃんねる?』

『正式発表前にメジロ讃歌のピアノカバーアップしちゃっただけだから()』

 

「はいはい話戻すで。ナリタタイシンといえばなんかゴタついとったみたいやけど、その辺りの話はどうなん?」

 

『あーね』

『報道されたのは男二人から暴行未遂にあったってことくらいか?』

『よくわからん』

『俺氏、被疑者と同級生。事情聴取された模様』

『自首しろ』

『ほな……行こか……(署)』

『オマワリサン!! こっちです!!』

『特に何もせずウマホ弄ってたらやってきたDQNふたりが俺の存在に気づかず普通に犯行計画を練ってただけなんだが???』

『影うすすぎて芝』

『なんで通報しなかった』

『マジでやると思ってなかったんだよ。ウマ娘側が過剰防衛恐れて反撃抵抗してこないこと前提の計画なんて』

『それはそう』

『ウマ娘に反撃されたら地面の染みなのによくやるわ』

『網氏としてはレース前の大事な時期にこんなことで時間使いたくないんだろ』

『で、実際どうなんタイシン。勝てそうなん?』

 

「ポテンシャルは十分、と言ったところか」

 

「そろそろ走るで」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「飛び出したのはアンバーライオンだ。アイネスフウジンから始まったハイペース逃げの流れを継いだひとりだな」

 

「ツジユートピアンが追走しとるけどこら掛かっとるな。アンバーライオンが思っとったよりハイペースだったからやろな」

 

「ビワハヤヒデが3番手で先行集団の先頭。イズミスイセンとウイニングチケットは後続に控え、ナリタタイシンは最後方」

 

『タイシンは完全に追込転向したよな』

『差しより上手くいってるからヨシ』

『皐月って追い込み勝てるんか?』

『ハイペースだからワンチャン……スローペースのダービーで逃げが勝つくらいには……』

『ここ3年のうち2回は逃げが勝ってるからいけるな!!』

『アイネスフウジンはハイペースで勝ってるんですが……』

 

「タマの時と同じか?」

 

「まぁ状況は似とるやろな」

 

『何の話?』

『タマは一時期バ群恐怖症で追込やってた』

『昔はタマもヒョロかったからなぁ……』

『リアル欠食児童だったからな』

『今も食は細いだろ』

『タマモクロスはアイネスフウジンの貧困とナリタタイシンの少食を併せ持つ♤』

『タマはチビ煽り大阪イジり辺りはネタにしてくれるけど食細いのはマジで気にしてるからイジるのやめとけ』

 

「マジトーンで偽情報流すのやめぇや。知らん人が信じるやろ。あとチビ煽りもやめろ」

 

「派手な展開もなく中盤に突入。ハイペースな割に纏まっているな。前から後ろまで12バ身ほどか」

 

「ビワハヤヒデがいるとレース展開が落ち着くなぁ。ルドルフとはまた別のタイプの支配って感じやわ」

 

「ルドルフが常に自分の利になる展開を描いていくパズルのような支配ならば、ビワハヤヒデははじめに敷いたレールに乗せて想定通りにことを進ませるタイプの支配だな」

 

「下手にレールから降りようとすると手遅れなほどに置いてかれたりするやつな」

 

『やっぱあの威圧感がデカいよ』

『誰頭デ』

『言ってねえよ!』

『ある意味マックイーンより退屈なやつ』

『なんのスリルもない勝ち方だもんな』

『別の意味でめっちゃ怖いけどな。なんだよ毎回同じ勝ち方って』

『実際走ったことないとすごさがわかりにくいやつ』

『お前タイムリープしてね?』

『なんでこれが話題にならなかったん?』

『妹が圧倒的すぎてな……』

『ナリタブライアンとかいう化け物のせい』

『未本格化でドリーム勢と走って入着した化け物』

 

「終盤入るで。逃げふたりを捕まえてビワハヤヒデがスパート……ん、なんや」

 

「ビワハヤヒデだけじゃないな。他にも数人動きが鈍った」

 

『あれはイズミスイセンの威圧で息を入れたり落ち着いたりして緊張が解けた相手を潰す技だと言うことをお前に教える』

『サンクス、ありがとうございました』

『チケゾーとスイセンあがってきてる』

『ナリタタイシンまだ後ろだけど大丈夫なんか』

『実況に名前を呼ばれない女』

『タイシンアンチ板大盛りあがりで芝』

『失せろ』

『言わんでええ』

 

「節穴共が。あんな目ン玉ギラッギラさせとるやつが何もやらかさんわけないやろ」

 

「ビワハヤヒデ先頭で最終直線に入った。ここからは急坂に入るが」

 

『中山の直線は短い!』

『中山の直線は短いぞ! 後ろの子たちは間に合うのか!?』

『中山の直線は短いぞ!!』

『中山の直線(ry』

『中直短』

『中山の直線は短いぞ! ナリタタイシンは間に合うのか!?』

 

「ウイニングチケットはビワハヤヒデに迫るが、イズミスイセンは伸びが足りないか……?」

 

「ガレオン!!? おいガレオン!!」

 

『ガレオオオオオオオオン』

『ガレオンさん!?』

『ガレオンさんマズいですよ!?』

『ステージチャンプちゃんが!?』

『ガレオンてめぇ』

『は』

『なに?』

『うわ』

『エッグ』

『どうした』

『?』

『なにあれ』

『カメラァ!!』

『差し切れチケゾー!!』

『これはハヤヒデ』

『預言者だけどハヤヒデがアタマ差で勝つよ』

『ハヤヒデか……』

『ファッ!?』

『なにっ!?』

『ウッソだろおい』

『どこから来た』

『あ、ありのまま今あったことを話すぜ……カメラがゴール前のビワハヤヒデやらウイニングチケットやらを映してどっちが勝つかと思っていたら、画面外からぶっ飛んできたナリタタイシンがビワハヤヒデを差し切っていた!』

『タイシンが加速したとこの芝何cmヘコんでる?』

『クソデカ芝塊が飛んだのは見えた』

『恐らくタイシンが加速する直前にカメラがタイシンから外れたものと思われる』

『カメラマン、無能』

『これは戦犯カメラマン』

『イズミスイセンもちゃっかり3着に入ってるんだが』

『タイシンと競り合って超加速してたよスイセン』

『現地勢と中継勢のコメント差だったか』

『あれ整備の人泣いてるだろうな……』

 

「ちゅうわけで、1着は上り34.6の豪脚を見せてナリタタイシン! 2着にビワハヤヒデ、3着はイズミスイセン。ウイニングチケットは惜しくも5着で確定や」

 

「4着に滑り込んだのはシクレノンシェリフだった。ガレオンは最終直線でステージチャンプに進路妨害があったとして8位降着の処分が出ている」

 

『残当』

『マイシンザンさんも頑張ったんだがなぁ……』

『マイシンザンはNHKマイルが本番だから(震え声)』

『ステージチャンプは7着か』

『ガレオンもリアルシャダイのとこの子なんだよなぁ』

『リアルシャダイ頭抱えてるでしょこれ』

『リアルシャダイは腹抱えてるぞ』

『リアルシャダイはそうだろうな……』

『タイシンアンチ板大荒れで芝』

『アンチは所詮、敗北者じゃけぇ』

『いやもう全くもって、おっしゃる通りです……!!!』

『八百長とか言ってるやつおるやん』

『八百長で上り34.6とは????????』

『レースもよくわからんトーシロがドーピングとかイカサマとかわけわからんことほざいとるわ』

『ドーピング扱いって普通に名誉毀損だからな』

『俺ちょっと裏社会の住民やってるんだけど今黒い人が便利屋に声かけてナリタタイシンに対する過度なアンチ書き込み総ざらいしてるから、個人情報開示請求からの誹謗中傷で起訴されるのを震えて待て』

『お前も震えて待て』

『>>裏社会の住民 何やってんだお前ェっ!!!!』

『自首して……』

『アンチざまぁなんだけどそれより気になる部分が多すぎる』

『いや俺は法は犯してないから。わかる人にはわかると思うけどギリギリ翻案権*1を侵害しないレベルでデザインを崩した勝負服作ってる*2

『芝』

『芝』

『お世話になってます……!!!』

『女子高生がおるんやぞ!!』

『これNGに入れろよ……』

『確かに裏社会だけどクッソ浅瀬で芝』

 

「こちとら18でもう成人しとるんやぞ。意味くらい察しとるわ」

 

「レンタルDVD店で前に並んでた客が私の勝負服に似た服を着た女優のソレを借りているのが見えたことがある」

 

『地獄みてぇな体験で芝枯れるわ』

『てかシバかれろそんなやつ』

『夢破れたウマ娘のセーフティーネットやぞ』

『アウトなんだよなぁ……』

『アーカイブ大丈夫これ????』

『編集でカットします@運営』

『ダメだった』

『上のコメ次々NG食らってて芝』

 

「インタビュー始まるで……ってここも黒い人かいな」

 

「ナリタタイシンも答えてはいるが端的というか淡白というか」

 

『次はダービー狙いか』

『「ダービーに挑戦」? 妙だな』

『黒い人なら「ダービーをとります」くらい言いそうだよな』

『英ダービー行く気だったりして』

『ないとは言い切れないのが《ミラ》なんだよなぁ……』

『流石にクラシック路線行くでしょ……行くよね?』

『直近の事件に関しては話さないか』

『流石にGⅠの勝者インタビューで話すことじゃない』

『インタビュアーも流石に弁えてるな』

 

「こんなとこか。ほなそろそろ〆るで」

 

「次回は三連覇がかかるメジロマックイーンと長距離無敗のライスシャワーが激突する春の天皇賞だ」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

*1
アレンジに対する著作権。「エ○ァのア○カ風」とか銘打ってるコスプレAVはこれをガッツリ犯しているけど親告罪なので版権元から訴えられなければセーフ。

*2
こいつが法を犯してるか否かは裁判次第。



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揺れない

 チーム《ミラ》ではGⅠレースを勝利した際に祝勝会を行う。これは決して珍しいことではなく、祝勝会を行う慣習は多くのチームに存在する。

 むしろ、ほとんどのチームは重賞勝利であったりGⅠ入着であったりと緩い条件でも祝勝会をすることさえあることを考えれば、《ミラ》の方針は厳しいとも言える。

 それでも祝勝会の頻度はすべてのチームの中でトップクラスなのが《ミラ》というか、網のトレーナーとしての面目躍如である。

 

 そんな祝勝会は、基本的に主役であるその日の勝者の希望で決めることが多い。庶民の感覚が抜けない人たち(ナイスネイチャやアイネスフウジン)はここでビビって商店街の小料理屋であったりファミレスであったり、あるいは焼肉やスイーツの食べ放題を希望したりする。

 ツインターボは遠慮せず食べたいものを希望するし、ライスシャワーは遠慮こそするものの()()となったら自重はしない。最悪自腹を切ればいいという考えなので《ミラ》の祝勝会費で最も多くの割合を占めているのはライスシャワーだ。

 

 そして、今回が初めての祝勝会主役となった皐月賞ウマ娘、ナリタタイシンの希望であるが。

 

「なんでもいい」

 

 母親に夕飯の献立何がいいか聞かれたときの思春期男子か。

 ただし著しい違いとして、献立を聞いている人間に本当になんでも用意できるだけの財力があるという点がある。

 とはいえ「なんでもいい」と言われたときは、大抵の場合なんでもよくはない。「なにがいいか」は曖昧だが「なにが嫌か」はハッキリしているケースが多いのでそれを察する必要がある。

 結果として、外食をそれほど好まないナリタタイシンに配慮し、チームルームに寿司の出前をとることになった。比較的お高価(たか)い店の寿司である。

 一般的な店のものと比べ一貫一貫が小さく握られているのが特徴で、少食のナリタタイシンが色々なネタを食べられるようにと網が配慮した結果の選択だった。

 

 ということで、チームルームのテーブルには所狭しと寿司桶が並び、その隙間に飲み物であったり醤油皿であったり、あるいは味噌汁*1であったりが置かれている。

 

「ツインターボ、落ち着いて食え。そんながっつかなくても多分すぐにはなくならねぇから。多分」

 

「ネイちゃん、ソレとってほしいの」

 

「ん、これですか? ほいどうぞ〜」

 

「んー! ターボもちょうだい!」

 

「へ? これワサビだよ? ターボ大丈夫?」

 

 《ミラ》の祝勝会では、基本的に乾杯の音頭は取られない。仕切りたがり屋がいないから、というのもあるが、大抵ツインターボが先走って食べ始めるからである。

 ワサビをつけた寿司を食べたツインターボが悶えているのを見ながら、ナリタタイシンはチビチビと寿司をつまむ。網の誤算は配慮したにもかかわらず、ナリタタイシンが結局サーモンしか食べていないことであるが、その辺りは個人の自由なので特に言及しないことにした。

 

「何回食べても大トロより中トロのほうが美味しく感じる……やっぱ庶民舌じゃこんなもんかねぇ……」

 

「今のうちに食っとけ。歳取ると体が受け付けなくなるぞ」

 

「トレーナーさん、商店街のジジババみたいなこと言いますなぁ」

 

 網の忠告をナイスネイチャが茶化す。

 実を言うと、網も、成人男性としてはという前提がつくが、食は細い方である。そしてそれ以上に偏食家であり、目の前の寿司ネタも半分以上は食べられない。*2

 大トロも嫌いではないのだが脂っぽいところが好きになれず、ナイスネイチャと同じく中トロのほうが好みであった。

 

「ネイチャー、麦茶とってー」

 

「ん、どぞー」

 

「ありがと! んー! このブリ、美味ーベラス☆」

 

「……ん!? あれ!? マーベラスなんでいるの!?」

 

 ごく当然のように《ミラ》に交ざって寿司を囲んでいたのは、ナイスネイチャのルームメイトでありよくつるんでいる友人のひとり、マーベラスサンデーであった。

 ナイスネイチャの驚き交じりの質問に、何故かマーベラスサンデーのほうが不思議そうに首を傾げる。

 

「そうそう、いい機会だから紹介しておく。新しく《ミラ》に加入したマーベラスサンデーだ。デビューはまだ先になるがトレーニングには参加することになる。かなり独特な感性を持っているが慣れろ」

 

「マジで!!? うぇ、え? ホントに!?」

 

 困惑するナイスネイチャを後目(しりめ)に、アイネスフウジン、ツインターボ、ライスシャワーなどはすでに歓迎ムードで、ナリタタイシンは我関せずと茶をすすっている。

 実を言うと、マーベラスサンデーからの加入希望は皐月賞よりも前に声掛けされていた。ただその直後、間が悪くナリタタイシン襲撃事件と勝負服襲撃事件が立て続けに発生し、その流れでアンチ一斉摘発のための根回しをしていたために、加入受理だけして紹介ができていなかったのだ。

 いやそれでもルームメイトである自分にくらいマーベラスサンデーからなにかあっても……などと絶句するナイスネイチャ。もちろんマーベラスサンデーの加入が嫌なわけではなくむしろ歓迎してはいるが、複雑な心境はあるものである。

 そんな感情を込め、ナイスネイチャがマーベラスサンデーの頬を両手で挟み込むと、むにょっと潰れた頬に挟まれた口からイクラが一粒発射されナイスネイチャの額にヒットした。

 

「それじゃ、マーベラスサンデーも加えて今後の予定を話しておく。飯食いながらでもいいから聞いてくれ」

 

 網の声に、寿司を食べ進めながらではあるが全員の目が網の方へ向いた。それを確認して、網は予定を確認していく。

 まずは直近、ライスシャワーの天皇賞だ。三連覇が懸かるメジロの『名優』メジロマックイーンの他、メジロパーマーやレオダーバン、イブキマイカグラなど油断のできない相手が出走する。

 とはいえ、ライスシャワーも萎縮はしていない。自然体で、元のポテンシャルを十分活かせる状態だ。おそらく勝てるだろうと網は踏んでいる。

 

 続いて、ナリタタイシンの日本ダービーだが、正直に言えば網は勝てると思っていない。トレーナーがウマ娘を信じなくてどうすると言われれば甘んじて受け入れるしかないが、それほどまでに日本ダービーでのウイニングチケットは次元の違う位置にいると考えていた。

 言ってしまえば、適性の違い。ウイニングチケットの日本ダービーへの適性が高すぎて、相対的に他のウマ娘が低く見える。それこそ、スプリンターがステイヤーに3200mで挑むかのように。

 皐月賞でウイニングチケットが沈んだのは、右回りや短い最終直線など不得意な条件が重なったからに過ぎない。むしろ、そんな条件でホープフルステークスを勝ち抜いた地力の高さを網は評価していた。

 

 それが終われば、次は宝塚記念。ツインターボの距離ではあるが、本人の希望から今回はツインターボは宝塚記念に出走しない。そのため、今年の宝塚記念はチーム《ミラ》からはナイスネイチャひとりの出走となる。

 そして、ツインターボはライバルとの戦いのため、今度は自分が相手の土俵へ立つのだと帝王賞に向けて意気込んでいる。トレーニングでは頻繁に走っているが、実際にレースで走るのは久しぶりであるため、勝ち負けよりも彼女との勝負を満喫してその先の大一番に備えてほしいところだ。

 マーベラスサンデーのデビューは来年になる。今年いっぱいはトレーニングと適性分析に集中しておきたい、というのが建前で、網としては「本人からの希望がないのなら、ナリタブライアンのクラシックと被せたくない」という本音がある。

 あのウマ娘は網から見ても怪物だった。できればまともにはやり合いたくはない。とはいえ、わざわざそれを口に出すつもりもないが。

 

「まぁまずはライスシャワーだ。メジロマックイーンを相手に勝てるだけの実力はもう持ってる。とはいえあちらは歴戦、油断せず胸を借りるつもりで行ってこい」

 

「う、うん! ライス、頑張る!」

 

 言っては悪いが、メジロマックイーンにとっての春の天皇賞三連覇に比べて、ライスシャワーにとっての長距離無敗記録は重さが足りない。

 一方で、メジロマックイーンにとっての春の天皇賞はメジロの執念そのものだ。それが何を成すのか。勝てると思いつつも、網はそれを確信しきれなかった。

 

 

 

 そして、天皇賞当日。

 地下バ道は静かに、しかし確かな熱気で溢れていた。

 今ここにいるウマ娘は、皆が皆挑戦者だ。何故なら絶対王者が、この春の天皇賞を連覇し、三連覇に手をかけようという番人がいるから。

 栄えあるこの春の天皇賞の舞台で、普段着ている黒を基調とした勝負服ではなく、他の同門(かぞく)と同じく純白に碧翠をあしらった勝負服を纏い君臨する少女。

 

『名優』メジロマックイーン。

 

 普段の姿こそ冷たく見えて実は相当に親しみやすい愉快な小娘なのではあるが、レースに臨むメジロマックイーンからは親しみやすさなどというものは消え失せる。そこにいるだけで周囲が萎縮する圧倒的な存在感。

 そして今回は、そんなメジロマックイーンが明確に意識する相手も出走する。沈黙の地下バ道に現れたのはメジロマックイーンとは正反対の色を纏った少女。

 

『黒い刺客』ライスシャワー。

 

 日本と英国、ふたつの長距離レースで同世代最強のステイヤーであることを証明し、遂に自国の王者へ刃を突きつける。

 

「……ライスシャワーさん、本日はよろしくお願いいたします」

 

「マックイーンさん、勝ちに来たよ」

 

 周囲の雰囲気がざわりと動く。ライスシャワーの静かな宣戦布告に、そしてそれを受け取ったメジロマックイーンから放たれた圧に。その圧を至近距離で受けながら、ライスシャワーはほんの少しも揺るがない。

 

「いつもやってるやつ、やりに行かなくていいの?」

 

「お米姉やん相手に舌戦するなんて無駄もええとこやわ。こっちの()ぁズラされて無自覚に返り討ちに遭うんがオチやな」

 

 それを見ながら、互いの身内について話すのは、メジロマックイーンの姉貴分の一人であるメジロパーマーと、ライスシャワーの妹弟子であるイブキマイカグラだ。

 ふたりとも、前回の春の天皇賞では接戦を演じながらも、メジロマックイーンの後塵を拝していた。あれから一年、ライスシャワーという大物を前に隠れてはいるが、彼女たちも間違いなく天皇賞の盾を狙う刺客であった。

 

「ま、精々寝首かかさせてもらいますわ」

 

「そ……私も、いつもどおり突っ走るだけさ。器用じゃないんだ、それしか出来ないからね」

 

 互いのプライドがぶつかりあう。勝利を戴くのはただひとり。

 天皇賞が始まる。

*1
ナイスネイチャの希望でインスタント味噌汁が常備されている。ご飯モノの献立には味噌汁が欲しくなるらしい。

*2
とりあえず貝類とウニ、イクラ以外の魚卵はダメ。エビカニやイカタコも食べられはするが好みじゃない。アレルギーはないので単に好き嫌いが激しいだけ。



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かけて

 ゲートが開くと同時にスタートをきったのは、誰もが予想していた通りメジロパーマーだ。昨年と同じ構図だが、もはや誰もメジロパーマーが3200mを逃げ切れないとは考えていない。

 今年の阪神大賞典、阪神3000mを大逃げし、最終直線で差してきたマチカネタンホイザを、仁川の上りで()()()()()勝ったそのスタミナを侮る者はいない。

 

 そして、二番手で追走するのもまた去年と同じメジロマックイーンだ。去年と同じように走っていたら勝てない。メジロパーマーはハッキリとそれを認識していた。

 そしてそれだけではない。今年の天皇賞には、()()が潜んでいる。

 

(……ッ! なるほど、これが……)

 

 メジロマックイーンに向けられる鋭く冷たい圧力。ライスシャワーの殺意のような威圧は、王者たるメジロマックイーンの精神すら揺らがせる。

 しかしそれでも、メジロマックイーンはスタミナ配分を誤らない。幼少期から繰り返し鍛えられてきた、自身のスタミナを把握する感覚は、ライスシャワーの威圧の中でも見失われない。

 ライスシャワーの撹乱によってペースをズラされても、自身に残っているスタミナさえ把握できていればそこから逆算して修正できる。メジロマックイーンが王者たる所以(ゆえん)

 「絶対の強さは時に人を退屈させる」。トウカイテイオーを差し置いて、今最も"絶対"に近いとされているウマ娘によってレースは支配される。

 ペースメイクはメジロパーマーが、精神的な優位はライスシャワーが握っていても、メジロマックイーン自身が物差し(Ruler)である限り、この場の支配者(Ruler)は彼女なのだ。

 

 グッドウッドカップではヴィンテージクロップを相手に圧倒的な精神力で、英セントレジャーではユーザーフレンドリーを相手に超長距離の適性差で、そして菊花賞では同期の好敵手たちを相手に燃やし尽くすスタミナの量でライスシャワーは勝ち抜いてきた。

 しかし、今回の天皇賞、メジロマックイーンはそれらすべてにおいて格上である。だからこそ、格上の相手を倒すほどの爆発力が必要だった。

 

 本来、その爆発力こそがライスシャワーの武器である。相手を定め、絶対に勝つのだと、自らの大切な存在のために己を振り絞って戦うのだと、鬼を宿すほどに研ぎ澄まされた精神で以て打倒する。それがライスシャワーというウマ娘だった。

 しかし、今ここにいるライスシャワーは違う。網の処置によってメンタルが安定し、全体的なステータス自体は他の世界線を歩んだライスシャワーよりも上だろう。ただし、下振れがなくなり安定したということは、上振れることもなくなったということでもある。

 さらに、ライスシャワーは未だにレースに対する明確なモチベーションを見つけられずにいた。英セントレジャーの時から変わらず続く目的意識の欠如。下手に初手で安定させてしまったが故に、そしてそれでも大抵の相手には勝てる状況だったが故に表面化してこなかった。だから網さえも見逃していた問題が、今ここで表出した。

 と、長々解説してきたが、多くの人にはこの一言で十分だろう。

 

 今のライスシャワーには、鬼が宿っていない。

 

 レースは間もなく後半、1600m地点に差し掛かる。マイルが1走終わるほどの時間、ほとんど動きなく進んでいたレースが、ここで動く。

 

(……さぁ、参ります)

 

 余裕を持って序盤を走り、要所でのクールダウンや綿密なレースプランニングをこなし、コーナーでの無駄を最小限に抑え、己に蓄えたエネルギーを適切に消費して。十分に確保したスタミナを以て、春の盾の王者がきらめきを放つ。

 日経賞で覚醒した2つ目の"領域(ゾーン)"に入りながら、メジロマックイーンが残り1600mの超ロングスパートを開始した。

 

 観客がざわめく。実況が一瞬言葉を失い、掛かったのではないかと疑いを持つ。1600mのスパートなど正気の沙汰ではない。1000mでもロングスパートと呼ばれるのだから。

 それを一番感じているのは、このハイペースを演出してきたメジロパーマーだった。背後から迫ってくる圧力。昨年よりも遥かに早い段階で迫り始めたそれに大きな焦りが湧く。

 しかし、メジロパーマーも既にアクセルを目一杯にふかしている。ジリジリと迫ってくるメジロマックイーンを相手に対抗する手札がないのだ。

 

 一方のライスシャワーは、メジロマックイーンを相手に冷静にマークを続けていた。それは自然、()()()()()()()()1()6()0()0()m()()()()()()()()()()()()()()()ことに他ならない。ライスシャワーに備わった規格外のスタミナは、それを十分可能にしていた。

 さらに、ライスシャワーも"領域(ゾーン)"に入る。メジロマックイーンと言えど、ライスシャワーの荊棘(いばら)からは逃れられない。そして今のメジロマックイーンにとってスタミナを削られるということは、そのまま"領域(ゾーン)"の効果を削られることに直結する。

 

(マックイーンさん……流石……! これが、日本最高峰の長距離走者(ステイヤー)の実力……!!)

 

(これがライスシャワーさんの"領域(ゾーン)"……これ程の重圧……いえ、重いのではなく、鋭い……まさに殺気……!)

 

 3人が後続を引き離して最終コーナー、メジロマックイーンが2つ目の――正確にはこちらが1つ目だが――"領域(ゾーン)"へ入る。さざ波のようにきらめいていた心象風景が、庭園へと切り替わる。さざ波が長距離の王者としての象徴ならば、これはメジロとしての貴顕の象徴。

 遂に、ライスシャワーの"領域(ゾーン)"によって辛うじてここまで粘っていたメジロパーマーがメジロマックイーンに躱される。メジロパーマーの"領域(ゾーン)"*1が発動するのは最終直線であり、最終コーナーのこの場では条件が揃っていない。

 それでもメジロパーマーは諦めず、脚を緩めることはしない。この程度の苦境、挫折、今まで散々味わってきたのだから。

 

(ライスシャワーさん、あなたを見縊るわけでも、侮るわけでもない。しかし、メジロ家のウマ娘、春の王者として、このレースは譲れない!!)

 

 メジロマックイーンは軽やかに淀の坂を降りていく。速度を落とさず、さりとて膨らまず、スムーズに最終直線へと突入する。

 一方、ほとんど最内を走るメジロパーマーの()()()()()()()()()()、淀の下りを()()()()()()駆け下りるライスシャワー。その姿に、観客席から悲鳴さえ上がった。

 ここまで、メジロマックイーンとライスシャワーの間の距離が1バ身より広がったことはない。ステイヤーとして、メジロ家の技術の粋を詰め込まれたメジロマックイーンの走りに、ライスシャワーは確かについていっていた。

 

(負けない……この人に……マックイーンさんに勝ちたいっ!!)

 

 遂に、ライスシャワーが完全にメジロマックイーンを意識するに至った。

 膨れ上がる殺気、しかし、メジロマックイーンはその荊棘が自らの身体(せいしん)に食い込むことも厭わず、荊棘を引きちぎりながら最終直線を駆ける。

 ガリガリと削られる精神とスタミナ。メジロマックイーンを律するのはただその使命感のみ。それだけで、メジロマックイーンは悲鳴を上げる身体を動かし続ける。

 

(足りない……これじゃ足りない……まだ、上がある……!)

 

 絶対的な速度差が隔たる1バ身を埋めるために、ライスシャワーの荊棘がメジロマックイーンを解放し、ライスシャワー自身に巻き付く。

 今までのレースで最もスタミナを消費させられ、それでもまだ余裕が残る自身の体力を荊棘に捧げ、ただひとりに向けられていた意識が一度ライスシャワー自身へ戻ったことで、彼女の集中力は一歩先へと踏み込む。

 その時、メジロマックイーンは鐘の音を聞いた。

 景色が塗り替わる。聳える黒の教会から鐘の音が響き、足下の薔薇が月光に照らされて蕾を開く。

 ライスシャワーに巻き付いていた荊棘も花開く。かつては『不可能』を、そして今は『奇跡』を司る青い薔薇。

 

(ライスだって、咲いてみせる!!)

 

 加速したライスシャワーがメジロマックイーンに詰め寄っていく。その距離は最早、半バ身もない。

 

 

 

 メジロマックイーンは、レースが嫌いだった。

 幼い頃、その才能を見出され、彼女はメジロを抜けた母のもとからメジロ家へと引き取られた。あとになってみれば自由に会いに行けることはわかったのだが、その当時のメジロマックイーンにとっては両親から引き離されたように感じた。

 しかし、そんなメジロマックイーンの感情を押し留めたのが、母親の嬉しそうな微笑みだった。

 メジロマックイーンの母親には走る才能がなかった。だからこそ、半ば政略結婚としてメジロの外へ嫁いだのだ。

 そんな状況で、自らの娘がメジロを冠した名を授かり、一族の使命である天皇賞を走る才能を見出されたのだから、親として嬉しくないはずがない。

 だからメジロマックイーンはその時、寂しさを飲み込んだ。

 

 レースよりも家族と観戦に行った野球のほうが好きだと言う気持ちを飲み込んだ。

 高尚な舞台よりもくだらない映画のほうが好きだと言う気持ちを飲み込んだ。

 高価なディナーよりも甘ったるいケーキのほうが好きだと言う気持ちを飲み込んだ。

 

 自分がメジロ家として立派に成長すれば、母親は喜んでくれる。会いに行くたびに見られるその笑顔のために、メジロマックイーンはその名に相応しいウマ娘になると誓ったのだ。

 メジロと言う家に連綿と受け継がれてきた使命(呪い)を成就するためにメジロ家へ入った自分にとって、それこそがメジロ家のウマ娘としての存在価値であると頑なに信じ込んで。

 長い距離を走ることは苦痛で、楽しいと思えなくて、逃げたくなるときも、理不尽な大人を蹴り飛ばしたくなるときもあった。しかし、それを律するだけの異常なまでの自制心がメジロマックイーンには備わってしまっていた。

 誇りを杖に、菊の舞台と二度の春を勝ち取った。メジロの名に恥じない、己の使命を全うした。そうして走ってきて、では、今はどうだ?

 

 昨年の天皇賞、自分は確かに使命を以て走った。では、この天皇賞は。変わらないはずだ。前人未到の同一GⅠ三連覇、それを天皇賞で成し遂げることで、メジロの悲願は間違いなく完成する。

 今自分は、それを原動力に走っているのか。

 

 

 

(勝ちたい)

 

 違う。

 勝たなければならないのだ。メジロ家のウマ娘として。

 

(勝ちたい……負けたくない)

 

 理性にひびが入る。本能が鎌首をもたげる。自らを律していたメジロ家としての使命という大義を、初めて見失う。

 

(勝ちたいっ!! 私の、()()()()()()()()!!)

 

 初めてレースを楽しいと感じた。いつだってメジロ家の使命に押し潰されそうになりながら、その重圧を存在証明として走ってきた。

 でも、今は違う。メジロ家の誇りではない。春の王者となった、『名優』メジロマックイーンとしての誇りが、勝ちたいと叫んでいる。

 

 極限まで研ぎ澄ました誇りが、翼に変わる。

 

(私は今、夢を駆けている!!)

 

 

 

 ライスシャワーがその背を捉えようとした瞬間、メジロマックイーンの走りが息を吹き返した。

 それどころか、加速する。限界を超え、天まで昇るかのように翼を広げて、速度を上げ続ける。今まで誰も到達したことがない、『3つ目の"領域(ゾーン)"』。

 

 ライスシャワーもそれに食らいつく。ふたりがもつれ合うようにゴール板を越えた瞬間、誰もが息を呑んだ。

 メジロパーマーを差し切ったイブキマイカグラが3着に表示され、1着と2着は写真判定。それほど時間を待たず、観客から怒号のような歓声が上がった。

 

 ハナ差で、1着、メジロマックイーン。

 前人未到、春の天皇賞三連覇達成。

 

 世界を制したライスシャワーは強い。しかし、やはり日本のメジロマックイーンは最強と呼ぶに相応しいウマ娘だった。

 誇りを守りきった王者と、ギリギリまで追い詰めた刺客。ふたりを讃える声が響く中、ライスシャワーは爽やかな悔しさを滲ませながらメジロマックイーンに声をかける。

 

「おめでとう、マックイーンさん。ライス負けちゃったけど……次は負けないよ。いつか、ドリームシリーズでリベンジしてみせるから……!」

 

 手を差し出したライスシャワーの言葉を受け止め、微笑んでその手を握り返したメジロマックイーンは、ライスシャワー以外誰にも聞こえないような、ただなんでもないことを言うかのような声量で、ライスシャワーに応えた。

 

「ありがとうございます。でも――申し訳ありません。次は、ありません。私は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 王者が下した選択を、驚愕の表情で受け取る刺客。その顔から目を逸らし、メジロマックイーンは()()()と音がした、己の脚へと視線を落とした。

*1
拙作オリジナルの領域を描写した後の育成実装だったのでここでは公式の固有とは別物になっております。




 この流れでライスが勝たん展開ある???
 いやいつもの逆張りじゃなくてね。決めてた展開なんで。必要な展開なんで。許し亭許して。


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オグタマライブ ??/04/25

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

『オグリおつかれー』

『オグリ頑張った!!』

『惜しかったけど手に汗握ったわ』

 

「ありがとう。あと一歩届かなかったが、それでもあのメンバーで走れたことが嬉しいと思う」

 

『中山2000であの戦いが見られるとは……』

『ドリームカップ様々だな!!』

『ヤエノ、アルダン、サッカー、チヨノオー、オグリの皐月賞とか夢すぎる……』

『クリークがいなかったのだけ残念』

『クリークはイギリスのナーサリーライムシリーズの方に出てたからな』

『なにそれ』

『え、知らんそれ』

『ドリームシリーズの国際版みたいなの。イギリス国内だけだとなかなか集まらなかった長距離路線にお米ちゃん効果で注目が集まってるから、それなら外から人集めようって女王陛下が新設したんだと』

『長距離以外にもやるらしいけど、他の距離は英ドリームシリーズの方でも人が集まるから、初回は長距離ってことになったんだっけか』

 

「そんだけライスシャワーの活躍が影響与えてるっちゅうことやな! さて、今回はその長距離レースの日本最高格、春の天皇賞や! はっきし言って、正真正銘日本一のステイヤーを決定する戦いが始まるで!!」

 

「なお、この売出し文句は台本に書いてあるものであり、メジロマックイーンとライスシャワー以外の出走者及び全国のステイヤーをないがしろにする意図は私たちにはない」

 

『大事』

『アイドルだからね。イメージって大切だからそこちゃんとしとかないとね』

『※悪いのは編集部です@運営』

『芝』

『責任のたらい回しで芝』

『マスメディアもイメージって大切だからね』

『イメージが最悪になった結果どうなったかを忘れてはならない』

 

「実際問題、実績っちゅう話をすんねやったらこのふたりが日本トップっちゅうても間違いやないわな」

 

「長らく天皇賞自体が勝ち抜け制……つまり春秋のどちらかで一度でも勝ったら出走権を失うという規則で行われていたこともあるが、それでもニチドウタローからこちらまで、春の天皇賞を連覇したウマ娘はメジロマックイーンだけだ。ライスシャワーも海外の長距離GⅠ、しかも世界のステイヤーが集まるグッドウッドカップとイギリスのクラシック三冠のひとつである英セントレジャーステークスを勝ち取っていて、こちらも日本では唯一となっている」

 

「ライスシャワーは超長距離(Extended)無敗っちゅうても、それはメジロマックイーンもおんなじやしな」

 

「有記念は2500m(Long)だからな……」

 

『うーん、欺瞞』

『それ言ったらお米もLongの日本ダービーで2着だしな』

『?「マックイーンは距離が保つだけで相手が相手ならスプリングステークスでもぶっちぎれる」』

『マック父落ち着け』

『マック父ってマックイーンのトレーナーやってるんだっけ』

『トレーナーはやってるけどマックイーンのじゃない』

『マックイーンのトレーナーは奈瀬ちゃんやね』

 

「なお、レオダーバンとマチカネタンホイザは出走前に衝突事故で鼻血を出したため、双方出走取消となっている」

 

『レオ田ァ!!』

『レオ田ァ!!』

『人様にまで迷惑かけてんじゃねえぞレオ田ァ!!』

『鼻血大丈夫かレオ田ァ!!』

『ちゃんと冷やせよレオ田ァ!!』

『どうも俺のマチタンがご迷惑をおかけしまして……』

『は? 俺のマチタンなんだが?』

『マチタンなら俺の隣でむんむんしてるが?』

『それピンクフェロモンだぞ』

『腐ったバニラの香り』

『ウマ娘芸人界きっての汚れ芸人やめろ』

『なんだかんだ言ってかわいいのが腹立つ』

 

「今回の注目ポイントはやはりメジロマックイーンとライスシャワーの走りだろうか」

 

「それもそやけど、メジロパーマーがまたペースを引き上げてくるやろ。メジロマックイーンもライスシャワーもそれに乗っかってくるやろし、相当ハイペースになんで」

 

『阪神大賞典マジで頭おかしい』

『マチタンの差しが完全に入ったのに……』

『なんであそこから差し返せるんだ』

 

「あんだけハイペースにして差し返すスタミナがあるんは流石メジロって感じやな」

 

「他に注目すべきは……イブキマイカグラだろうか。久しぶりの出走になる」

 

「療養明け……でエエんか? ケガしたん去年の今くらいやろ。しかもハデにコケたけど結果的には軽症やったって聞いたで。休みすぎとちゃうか?」

 

『DEATH_DOSの方でも活動なかった』

『あのレースジャンキーが走ってないとかマジで後々後遺症出たんじゃないかとビビったわ』

『死ねどすさん死なないでどす』

『怪我よりあんこ禁止令のほうが響いてた説』

『それは芝』

 

「お、そろそろ始まるみたいやで」

 

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「ハナを取ったのはメジロパーマー、その後ろをメジロマックイーンが追走。3番手にライスシャワーだ」

 

『知ってた』

『知ってた』

『知 っ て た』

『ハイペースで走る方も走る方だけどついていく方もついていく方だわ』

『3200mなんすよ? 1600mの勢いじゃねえの?』

『本来スローペースにしたいはずの逃げ先行が率先してハイペース作ってんの芝』

 

「……あれやな。ナイスネイチャもおらんし」

 

「展開は縦長、脚を残したい先行と前目に出たい差しが逆転した位置取りを取っている箇所も見られる。最後方のイブキマイカグラはじっくりと構えているようだ」

 

「……長距離が衰退傾向になっとる理由がわかるわ」

 

『言うなタマ』

『確かに動きはないけどマックイーンはお米ちゃんからバリバリ殺気食らってんのよな』

『でも乱れねぇよな、マックイーン』

『長距離走るのは完全に体に覚えさせられてるんだろ』

 

「コメントも露骨に少ななったし」

 

「クリークはまだイギリスだからな……解説に呼べなかった」

 

「解説するとこなんかあるかい。前3人がステータスでゴリ押ししとるだけやないか」

 

『退屈なレースってマックイーンの代名詞だからな』

『俺は苦しそうに前3人についていってる先行の娘見て興奮してるよ』

『死.ね』

『火の玉ストレートで芝』

『わざわざNG避けまでするのか(困惑)』

『いや出走するだけですごいと思うよ。俺ならまず出走したくねぇもんこのメンツで』

『タマならどう? 春天勝ったことあるやん』

 

「負けるとは思わへんけど出たいとも思わんわ流石に」

 

『芝』

『え』

『ん!?』

『おいおい』

『掛かった?』

 

「……いや……多分だが……スパートをかけた……?」

 

「おいおいおいおい、まだ1600過ぎたとこやないか!! なんぼなんでも早すぎるやろ!!」

 

『こないだの日経賞でも半分くらいからスパートかけてた』

『日経賞は2500mだから半分でも1250mスパートだろ。それでも長いけど。短距離とマイルの差があるんだぞ』

『スタミナ保つのか……?』

『マックがスタミナ管理間違えるとは思わないから足りるはず』

『ライスもついていくなぁ!!』

『なんなんこいつら頭おかしいんか』

『折角広げたパーマーのリードないなる』

『世界よ、これが日本だ』

『一緒にすんなボケ』

 

「メジロマックイーンの表情に変化が。ライスシャワーか?」

 

「ライスシャワーの"領域(ゾーン)"やろね……スタミナガリガリ削られてるはずやで」

 

「ライスシャワーはスリップストリームも得ている。有利なのはライスシャワーか……結果的にだが、メジロパーマーも粘っているな」

 

「淀の坂あの速度でのぼるんか……」

 

『ミスターシービーが無言で頭振るレベル』

『流石にのぼりで速度落ちたけど』

『落ちてんのマックイーンだけだが?』

『ライスはともかくなんでパーマーは落ちねぇんだよ』

『こわい』

『でもこのままだとマックイーンのゾーンが来るな』

『あれ発動してないとこ見たことないんだけど』

『パーマー抜かれた』

『流石にきつかったか』

『マックイーンキレイに坂降りるよな……』

『領域に入ってるからだろ。領域入ってないときの坂下りはそれなりだぞ』

『インチキ効果ばっかりに注目してるけど、基本的に集中力の増加だからな、ゾーンって』

『お米ちゃんどこ通った!!?』

『最内のパーマーの右から出てきたんだけどここ左回りだっけ?(畏怖)』

『想像してみてください。70km/h前後出てるバイクで壁と電信柱の間をすり抜けるようなもんです』

『詰まる詰まる』

『場所によっては通り抜けできねぇよ』

『でもマジで数cm体勢崩れたら死ぬくね?』

『関係者席の黒い人動揺してて芝』

『よかった……黒い人も人の子だったんだ……』

 

「もうなんも言えんわ」

 

『仕事を放棄するな』

『なんか言え』

 

「ライスシャワーは下り坂で加速。メジロマックイーンとの差はわずか。このままいけば差し切れるが……」

 

「ここからまだ上がるんか!? なんやねんあいつホンマ……」

 

『現地勢だけど多分お米がふたつめのゾーンに目覚めた』

『ハナガサイタヨ』

『まぁ急加速したからV越しでもわかる』

『マックも!?』

『【速報】マックイーン、飛ぶ』

『なんかテイオーの第二領域と似てね?』

『匂わせか?』

『逃げ切った!?』

『差した!!』

『写真判定!!』

『どっちだ!?』

『どっちにも勝ってほしい(毎回言ってる)』

『てかマックイーンこれ領域3つ目?』

『2つじゃねえの?』

『このレースだけで3つ出てる』

『説明しよう。メジロマックイーンの領域は今まで2つ。1つは菊花賞から見せている領域でほとんど分析が済んでいる。恐らくは最終コーナーに差し掛かったときに先団にいれば発動する類のものだろう。菊花賞以降発動しなかったことはないのでかなり条件が緩いと思われる』

『どうした急に』

『長文領域解説ニキ!? 生きていたのか!?』

『2つ目は日経賞で見せたもので今回が2回目の発動となる。レースの半分が終わったタイミングで発動し、ロングスパートを補助する効果があると思われる。そして今回、3つ目の領域が発現した。領域を2つ持つウマ娘は珍しいがいないわけではない。その一方、3つ目の領域を獲得した例は日本では確認されておらず、国外で僅か3例。ニジンスキー、ミルリーフ、ジョンヘンリーの3人だけだ』

『教科書に載ってる人なんだが』

『その3人に並べられんのやばない?』

『また、現場で見ていたが、確かにトウカイテイオーの第2領域と相似が見られる。両方共に実力伯仲のライバルとの接戦で開花という共通点はあるが、関係性は謎だな』

『てかオグリもタマも無言?』

『どうした? 放送事故か?』

 

「……庇っとるよな」

 

「ああ……左だろうか?」

 

「左やな……」

 

『待て』

『やめて』

『おい         おい』

『うわほんとだ……』

『領域に身体が追いつかなかったか……』

 

「えー……結果出たで。1着メジロマックイーン、ハナ差で2着がライスシャワー。3着までが4バ身差でイブキマイカグラや」

 

「メジロマックイーンはこれで春の天皇賞三連覇になる。どう転んでも悔いはないと思うが……やはり無事であってほしいな」

 

『まだ未確定だろ!! 怪我したかどうかは!!』

『今日勝ったらソロ曲のライブもあったのに……』

『ライブよりマックイーンの体のこと考えろボケ』

『インタビューきた!』

『あああああああああめっちゃクーリングしてるううううつうううう』

『なんで病院行かねえんだ!! インタビューあとでいいだろ!!』

『メジロ家とかファンとかいいから病院行ってくれマジで』

『【悲報】故障関係なく引退は確定』

『【悲報】ドリームシリーズ入りの予定はなし。引退後は馴致指導員を目指す』

『【怒報】ライブやる』

『病院いけええええええええ!!!!』

『アホか!? アホだ!!』

『トレーナー止めろ!! 縛ってでも病院連れてけ!!』

『パーマー!?』

『パーマー!!』

『パーマーさん!!?』

『いいのはいったな』

『マックイーン呆然』

『そらいきなり平手食らったら呆然とするわ。それはそれとして残当』

『パーマーよくやった。今のうちに連れてけ』

『脚めっちゃ震えてんじゃんよくライブやるとか言ったな』

『背景の死ねどすさん迫真の拍手』

『この人映るだけでおもろいのズルくない?』

『スマブラの負けたキャラみたいな拍手やめろ』

『ライス勝ち逃げされた感じか……不完全燃焼だな……』

『仕方ない』

『言っとくけど故障をライスとかパーマーのせいにするなよ』

『めっちゃレコード更新してるじゃん』

 

「……まぁ、色々あったけど、インタビューも終わったししめよか」

 

「次回は2週間後のNHKマイル。その次週のオークス、さらに次週のダービーとGⅠが連続する。ぜひ見てほしい」

 

「それじゃ」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

『ラス米ならマックイーンの怪我が治る』




6連勤がやってくる


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時は待ってくれず、その時は訪れる

「そうか。そちらまで手が回っていなかったが、彼女も勝ったか」

 

「羽田盃勝って、次は東京ダービーだって。南関東三冠狙うって言ってた」

 

 東京優駿。別名を日本ダービー、開幕。

 皐月賞でしのぎを削りあった、イズミスイセンは日本ダービーへの優先出走権を蹴って一度地方へと戻っていった。

 もちろんこれは中央への――語弊を承知でこう称するが――下剋上を諦めたわけではない。ただ、自分の足元を疎かにして勝てるほど中央は甘くないと知っていただけのことだ。

 きっかけこそ過去の精算的な意味合いが大きかったものの、地方所属のウマ娘として、地方所属のまま中央のGⅠを制するのはイズミスイセンのもうひとつの目標になっていた。

 

「……でも、今はあっちを気にしてる余裕なんてない。ハヤヒデならわかってるんでしょ?」

 

「あぁ……やはり、網トレーナーも気付いていたか」

 

 ナリタタイシンとビワハヤヒデの目線の先にいるのは、BNWの最後の一人であり、彼女たちの親友でもある。そして、分析を得意とする者たちの間ではこの日本ダービーの最有力とされているウマ娘、ウイニングチケットである。

 普段であればレース前だとしても、ナリタタイシンやビワハヤヒデの姿を見つければ、かなりの声量で話しかけてくる彼女だが、今日は珍しくピリついた雰囲気を出しながらウォームアップに勤しんでいる。

 

 感覚の鋭いウマ娘ならばわかるだろう。菊花賞でキョウエイボーガンが、あるいは大阪杯でレッツゴーターキンが見せた『"領域(ゾーン)"のその先』に、ウイニングチケットは入っていた。

 この日本ダービーというレースは、様々な要素がウイニングチケットの得意なものでできている。左回り、長い直線、2400mのクラシックディスタンス。さらに今日は晴天の良バ場。季節は春の終わり。そして、本格化はピークに達している。

 

「正直に言うとな。今日、この日本ダービーに勝つことのできる方程式は終ぞ見つけることができなかったよ」

 

「アタシも言われた。絶対に勝てないってさ」

 

 日本ダービーにおけるウイニングチケットをビワハヤヒデは"n+1"と解いた。それは奇しく網と同じ見解だ。

 日本ダービーを走る何者よりも速く。たとえ己の最大値を出し切ったとして、ウイニングチケットはそれを上回る。

 だがそれでも。

 

「それで、諦めたのか?」

 

「まさか」

 

 それは諦める理由にはならない。それは走らない理由にはならない。

 理屈は、理性は、既に半ば負けを認めてしまっている。それでも、彼女たちの本能が「あの場には自分が必要だ」と叫んでいる。

 負けるから諦めるなど、負けるから走らないなど、負けるから手を抜くなど、友に対する侮辱にほかならないと。

 何より、勝利への切符がライバルの手にある程度で負けを認めるなと。

 

「チケットには悪いけどさ、アタシ、三冠穫るつもりだから」

 

「奇遇だな。私も、皐月を落とした程度で三冠を諦めるほど素直ではないんだ」

 

 もとよりそれは、奪うものなのだから。

 勝利を望むは本能だ。

 

「ハヤヒデ、タイシン」

 

 日本ダービーが、来る。

 

「勝負だ」

 

 

 

★☆★

 

 

 

『腑抜けた?』

 

『そや。うちら――リアルシャダイの教え子には憑き物というか、よくあることなんよ』

 

 網は、天皇賞のあとにイブキマイカグラから告げられた言葉を思い返す。

 正直、あの天皇賞は()()()()()()()()()。たとえ、メジロマックイーンが覚醒してなんらかの強化をその場で生み出そうと、余裕を持って勝つことができると思っていた。

 しかし結果は、ライスシャワーも同じく覚醒して、なお、敗北。予想外としか言いようがない。なにより、ライスシャワーのタイムは前年までのレコードを更新できてさえいないというのが、網には想定外だった。

 メジロマックイーンが強くなったのは間違いない。しかし、自分の想定よりもライスシャワーが力を発揮できていなかった。そう考える他ない。

 

『燃え尽き症候群が近いんかなぁ。自覚がない時とある時は人によって(ちご)とるんやけど、とにかくモチベーションがだだ下がりするんよ。うちが去年の秋レース出ぇへんかったのもそうやし、シャグラ姉さんがエリザベス女王杯で急に調子落としたんもそうや』

 

『燃え尽き症候群……ですか。なるほど……対処法は?』

 

『人による……としか言えへんな……うちは時間が解決した。もしくはシャグラ姉さんみたいに、直らんまま引退になる可能性も考えなあかん』

 

 イブキマイカグラから得られた情報はここまでだった。

 ライスシャワーは他人を理由に走ることができる娘だ。だから、網がトレーニングメニューを提示している以上、それをこなすことに対して手を抜いているようには見えない。

 だが、精神的に身が入っていないのならば、肉体を鍛えるトレーニングはともかく、技術向上を目的としたトレーニングの効果は薄れかねない。

 現状、ライスシャワーの次の目標はひとまず来年のステイヤーズミリオンを制覇することになる。それまでにいくつか長距離のGⅠレースを勝っておきたい。

 とはいえ、長距離のGⅠレースというのは思いの外少ないので、しばらく時間が空く計算になる。その間にライスシャワーと話し合う時間を作らなければならないと網は考えた。

 

(ライスシャワーの内心を思いの外把握できていない……ツケが回ってきたか)

 

 最初こそ強烈な矯正をしたが、ライスシャワーはマイペースでこそあれど手はかからなかった。根本的にメンタルが強いため、一度直してしまえば手を加える必要がなかったからだ。

 それが裏目に出た。純然たるコミュニケーション不足だった。

 

「お集まりいただき、ありがとうございます」

 

 部屋に入ってきた男性の声で、網の意識が現在へ引き戻される。

 日本ダービー当日、出走5時間前。網は中央トレセン学園の一室に呼び出されていた。

 他に呼び出されたのは皆、日本ダービーに出走予定のウマ娘のトレーナーたちだ。その中には、チーム《リギル》のトレーナーである東条ハナ、サブトレーナーの樫本理子や笹本の姿も見える。

 ここにいるトレーナー、サブトレーナーの条件として、日本ダービーの出走者のチームであることの他に、『隠し事が下手ではない』が指定されていた。

 

「それで、わざわざ集めて何を話そうって? しかも、そちらさんのトレーナーには内緒で?」

 

 あるトレーナーが、この場に皆を集めたその人物に端的に質問を投げる。

 たった今入ってきたその男性、チーム《レグルス》のサブトレーナー、一岡潤平(いちおかじゅんぺい)は、後ろに控えている所属ウマ娘のリンデンリリーとオギジーニアスに目線を送ってから、それに答えた。

 

「それを話す前にお願いしたいことがあります。これから話すことは、ここだけのオフレコにしてもらいたい。特に、今日日本ダービーに出走するウマ娘たちとマスコミには、絶対に話さないでください」

 

 その言葉で、網は何が起こったのかをおおよそであるが把握した。

 日本ダービー関係者が誰も知らないのは問題だが、出走ウマ娘が知ってしまっては間違いなくレースに影響がある。だからこそ、このメンバーなのだろうと。

 果たして、一岡の続けた言葉は網の予想通りのものだった。

 

「昨日、柴原先生が倒れました。今は入院していますが容態は芳しくなく……危篤と診断されました」




 柴原の名前をちなんだものにするか最後まで悩んだ理由。
 必要な展開なので変える気はありません。


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土産

※この作品はフィクションです。現実とは異なる点が多々ございます。ご了承ください。


 ふたりが出会ったのはある夏の日のことだった。

 ビワハヤヒデとナリタタイシンが一足先にチーム入りしトレーナーを持ったことに焦りを覚えたウイニングチケットは、フラフラとトレーナー探しに歩いていた。

 実際はこの日より数日前に行われた選抜レースでウイニングチケットは見事な走りを見せ、彼女をスカウトしようと名乗りをあげるトレーナーも少なからずいたのだが、その名乗りはことごとく彼女の声に阻まれて彼女には届いていなかった。

 ちょうどそんなときだった。ウイニングチケットがふと三女神像の陰に目をやると、何者か人影が横たわっているのが見えたのだ。校舎裏、階段の防災扉の裏、切り株のウロ、柴原政祥による都度4回の試行が実った瞬間である。

 倒れている柴原を見つけるや否や彼の元へと駆け寄るウイニングチケット。その際に発した悲鳴で柴原が本当に召されかけたが彼は負けなかった。

 

「う、うぅ……水……水、もしくはダービー……」

 

「お爺さん!? どうしたの!!? しっかりしておじいさあああああああああああああん!!?」

 

「うっせ……おぉお嬢さん……わしゃもう駄目じゃ……体は思うように動かんし飯も3杯しか食えん……せめて最後にダービーウマ娘を育ててみたかっ……た……」

 

「ああああああああああああああああああああ!! おじいさあああああああああああん!! アタシなるよおおおおおおおお!! ダービーウマ娘になるよおおおおおおおおおおおお!!」

 

「やマジでうっせ……じゃ、じゃあこれに記入しとくれ……」

 

 こうして、ウイニングチケットは柴原の名演技と巧みな話術によってチーム加入申込書類にサインをしたのだった。

 

「ということで新しいチームメンバーを連れてきたぞい!」

 

「ぞいじゃねえんだよ枯れ枝ァ!!」

 

「カンピョウッ!!?」

 

「あの茶番で騙されて連れてこられる方も連れてこられる方だけどアホな方法でスカウトしてんじゃねえよぉ!!」

 

「す、《スピカ(ズタ袋で拉致)》よりマシじゃろ……?」

 

「スカウトにおいてマシもクソもあるかよぉ!!」

 

「落ち着いてジーニアス。あなたも茶番で連れてこられたから悔しいのはわかるけど」

 

「あたしはジュンペーにスカウトされましたけど!!?」

 

 ウイニングチケットを伴って《レグルス》のチームルームへと戻ってきた柴原を襲ったのは、チームメンバーのオギジーニアスによる剛速球(スポンジ)だった。

 大したダメージもないくせに素っ頓狂な悲鳴をあげながら吹っ飛ぶ柴原に追撃しようとするオギジーニアスを、同じくチームメンバーであるリンデンリリーが押さえる。

 目の前で行われた急展開についていけず唖然とするウイニングチケットに、ジュンペーこと《レグルス》のサブトレーナー、一岡潤平が声をかけた。

 

「うちのトレーナーが騙したようでゴメン……今ならまだ加入申込書類も出してないし、入らないなら入らないで構わないから……」

 

 申し訳無さそうに、控えめにそう言う一岡に対して、しかしウイニングチケットは首を横に振って答える。

 

「ううん、アタシ、ここに決める。だって、すっごく楽しそう!」

 

 ウイニングチケットはリンデンリリーに押さえられているオギジーニアスに向かって変顔をしている柴原のもとへと歩いていき、問いかける。

 

「おじいさん! アタシ、ウイニングチケット! 夢はダービーウマ娘になること……おじいさんはアタシにダービーを勝たせてくれますか?」

 

 ウイニングチケットの単純で真っ直ぐな問いかけ。

 その瞳をしっかりと見据えて、柴原はニヤリと歯を見せて笑いながら答えた。

 

「当然。勝たせられんかったらトレーナー辞めてやるわい」

 

 これが、ダービーを夢見る少女と、ダービーだけを掴めていない老人の出会い。

 

 

 

★☆★

 

 

 

「じいちゃんはさー。なんで死んだふりするの?」

 

 ある日のこと。ウイニングチケットがふとそんな疑問を口にした。

 きょとんとした表情の柴原に対して、ウイニングチケットはさらに問いかける。

 

「じいちゃんいつも死んだふりしてるじゃん。そのうちみんな信じてくれなくなっちゃうよ!」

 

「大丈夫よ。ハナから信じてるやついないから」

 

 オギジーニアスによる事実陳列は残念ながら虚しく虚空へ消えた。

 ウイニングチケットによる根本的な疑問に柴原は即応する。

 

「そりゃおめぇ、まさにそのためさ」

 

「ふぇ?」

 

「『あのクソジジイがくたばるわけねぇ、どうせまた俺らの反応見てほくそ笑んでやがるぜ』っつって小突き回されてる内にスーッと逝けりゃあ本望だ。わしゃあ死ぬときに泣かれたかないんだ。笑って見送れなんざ言うつもりはねぇが、湿っぽいなかで逝くくらいなら『やっとくたばったかあのジジイ』『地獄から這い出て来ねぇようによく焼いて棺桶の蓋に釘打っとけ』とでも言ってくれたほうが随分マシさね」

 

 爺はよく人をからかう。それで相手に損させることは早々なく、精々顔が汚れるくらいのものだ。特にやらかしたときはしっかり身銭を切って落とし前をつける。

 誰にでも馴れ馴れしく、いつまでもクソガキのような男だった。

 

「特にチケゾー! お前の泣き声なんかは極楽にいても地獄にいても聞こえるくらいデケェんだから、わしが死んで当分は泣くんじゃねえぞ! 気が滅入るからな!!」

 

「ムリだよおおおおおおおおおおおおお!! じいちゃんに死んでほしくないよおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

「ウルセェってんだろがぁ!!?」

 

「お前もうるせぇんだよクソジジイ!!」

 

「ジーニアス、君もね……」

 

 どこか情けなく愛嬌がある、しかし頼りになり威厳に満ちた、獅子(レグルス)のような男だった。

 

 

 

★☆★

 

 

 

 ウイニングチケットが思い返してみれば、前兆は確かにあった。指摘して、病院に行かせようと思えばそれもできたかもしれない。

 しかし、それをしなかった。唯一指摘しようとした一岡に対して柴原が「言うな」と低く返事をしたその時に、この哀れな男の意地を通す共犯者になったのだ。

 『皇帝の杖』こと岡田トレーナーの『ウマ娘優先主義』に対して、意外なことに柴原は『徹底管理主義』を掲げており、若い頃はオーバーワークしようとするウマ娘を力と技で押さえ込み『剛腕』のあだ名をほしいままにするほどだ。

 経験を積みながらも老いで勘の鈍った今、病床の上から指示を出して、己のやり方で正確な指導ができるかわからないからだろう。

 自身の体のことは自身が一番良くわかっている。これが最後なのだと。

 

(泣いたらダメだ!! 泣いたら視界が曇る!!)

 

 わかっている。別れが近いことなど。

 楽しかった。今までの人生と比べれば短い間だったけど、《レグルス》での日々はとても楽しかった。自分がここまで来られたのは、柴原のお陰だ。

 ここで勝って、ダービーウマ娘になる。それが自分にできる唯一の恩返し。

 

 ウイニングチケットというX(変数)の、X(未知)なる"領域(ゾーン)"に触れたビワハヤヒデが、《変数Xからの贈り物(Presents from X)》によって己の"領域(ゾーン)"を開花させ最終コーナーを回る。

 ウイニングチケットはそれを昇り龍が如き差し足で躱し先頭に躍り出る。

 

 最終直線、迫りくるナリタタイシンの影がウイニングチケットを捉えるのを、全身全霊の末脚で粘る。

 

 ビワハヤヒデも、ナリタタイシンも、ウイニングチケットを越えて栄光を掴むことを未だに諦めていない。勝者は自分だ、切符をよこせと、己のプライドをぶつけ合い追いすがる。

 激しい競り合い、それでも、勝利のチケットは、彼女()へ。

 

「ダービーウマ娘に、なるんだぁあああああああああ!!」

 

 幼い頃に描いた彼女の夢。

 もはやそれは、彼女だけの夢ではない。

 ジュンペーが、ジーニアスが、リリーが。そしてなにより、誰よりも、ダービーを()()()()()()()

 最後のチャンスを、夢を、自分に託したのだから。

 

「夢の先へっ、届けえええええええええええええええええッッ!!!」

 

 瞬きさえ許さない、熱狂の2()()2()3()() 。

 

 最後の直線を制した者の名は――

 

『ウイニングチケット! ウイニングチケット!! 先頭はウイニングチケット!!! トレーナー柴原念願のダービー制覇をウイニングチケットが決めました!! 勝ったのはウイニングチケットです!!』

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「申し訳ありません。こちらどの局のカメラでしょう? ――あぁ! はいはいわかります。カメラさん2台ありますね? ……もしよろしければ、お一方ついてきていただいてよろしいですか? 損はさせませんので……」

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「チケゾーっ!! こっち!!」

 

 府中2400mを走りきり、その場に膝をついて倒れてしまいそうなほどの疲労がウイニングチケットを襲う中、その声がやけに響いて聞こえた。

 それがいたのは地下バ道の出入り口。ひとりの男性がウイニングチケットに向けて手を振って――

 

 飛んできた()()を反射的にキャッチする。手の中のそれは、何の変哲もないヘルメットだった。

 彼は確か、と、ウイニングチケットは記憶を巡る。そこにいたのは、チーム《リギル》のサブトレーナー、笹本だった。

 『何をやっているんだあのたわけはッ!!』という声がリギルの関係者席から聞こえるが、それを気にした様子もなく笹本はチケゾーを呼び続ける。

 

 不意に、ウイニングチケットの体が浮く。

 誰かに持ち上げられたと考えたときには既に元いた場所を大きく離れ、自分を持ち上げたのがリンデンリリーであると気づいたときには笹本のもとまでたどり着いていた。

 

「リギルの新人トレ。うちの可愛い後輩、怪我させたらただじゃ済まないんで」

 

「フゥー! 怖!」

 

 やっと、何が起こっているのか察したウイニングチケットが、素早くヘルメットを被って、震える脚に鞭打ってなんとかバイクにまたがる。

 

「しっかり掴まっとけ」

 

 笹本の声と共に景色が後ろへブレる。

 激しいエンジン音と共に地下バ道をバイクが駆け抜ける。観客の声援も混乱も置き去りにして、地下バ道を抜けたバイクは進路を駐車場、そして公道へ向ける。

 公道へ出たバイク、それを追う1台の黒い車がいた。網のヤールフンダートだ。

 

 遡ること数分前、網はとあるテレビ局のスタッフと接触していた。

 局のカメラマンと撮影カメラを借り受けて愛車に乗せた網は、《ミラ》のメンバーがビワハヤヒデとナリタタイシンを担いでやってくるのを、駐車場出口近くで待っていた。

 

「ちょ、なにこれ!? 説明して!!」

 

「遂に笹本がやらかしたかと思えば、リンデンリリーや網トレーナーまで……悪巫山戯では済まない。なんの事情があってこうなっている?」

 

「端的に言いましょう。ウイニングチケットの所属するチーム《レグルス》のトレーナー、柴原政祥御大が昨日心筋梗塞で倒れ入院、今危篤状態で生死の境を彷徨っています」

 

 事情を聞かされていたアイネスフウジン以外のメンバーが、ビワハヤヒデとカメラマンも含めて絶句する。そして、目の前を走り抜けたバイクに続いて車が発進したとき、その目的地がどこなのか察した。

 笹本、ウイニングチケットを乗せたバイクと、チーム《ミラ》、ビワハヤヒデ、カメラマンを乗せた車は都道9号に入り、柴原の入院する病院へと向かう。

 

「そのカメラの映像、レース場の電光掲示板と繋がったって!」

 

「えっ」

 

「皆様お騒がせしております。先程のレースで3着に入りましたナリタタイシンの所属するチーム《ミラ》の担当トレーナー、網怜と申します。今何が起こっているのか説明させていただきます」

 

 日本ダービーにも出走していたステージチャンプが所属するチーム《カノープス》のトレーナー、南坂によって会場に映し出されたカメラマンの映像を通して、網が事情を説明する。

 昨日、柴原が倒れたこと。それを出走ウマ娘に知られ、レースに影響が出ないよう箝口令を敷いた上でトレーナー間でだけそのことを共有したこと。

 そして、レース後にウイニングチケットを、最速で柴原のもとへ送り届ける計画を立てていたこと。

 

「幸いにして……と言うとナリタタイシンに睨まれてしまうのですが、ウイニングチケットは日本ダービーを勝利し、その様子を柴原御大は病床で中継越しにご覧になられていたそうです。手を尽くしても最早延命は不可能な状況ですが、せめて最期の挨拶だけでもと、乱暴ではありますがこのような手段を取らせていただきました」

 

 事前に周知させておけば混乱は少なかっただろう。しかし、出走ウマ娘に広がった動揺は、少なからずレースに影響を与えていたはずだ。

 だから、処罰覚悟でトレーナー全員が共犯になり、この舞台を整えた。

 

 走ることおよそ15分、柴原の入院する病院に到着し、駐車する前にウイニングチケット、アイネスフウジン、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、カメラマンcarried by ライスシャワーが先んじて下車し、院内へ向かう。

 面会の手続きを終わらせて待機していたチーム《リギル》のサブトレーナー樫本理子から面会用ネームプレートを受け取り、アイネスフウジンの案内で柴原の病室へ向かう。*1

 

 病室には、ベッドの上で横になっている柴原と、寄り添うように座っているオギジーニアス、同じトレーナーである柴原の甥、そして立っている医者の姿があった。

 横たわる柴原の表情からは平時のふてぶてしさが失せ、本当に死の淵にいることが窺い知れる。

 カメラマンはそれを映さない。ただ、音だけ拾って部屋の入口で待機する。それが最低限の気遣いだからだ。

 

「……じいちゃん……」

 

 静かに、ウイニングチケットが柴原に近づいて、その手を取る。

 

「ダービー、勝ったよ。アタシが、アタシたちがダービー、とったんだよ」

 

 ウイニングチケットの声を聞いて、柴原が微かに瞼を動かし、口角を上げる。

 つい昨日の昼まで、不調こそあれど普段通りに振る舞っていた柴原の姿からは想像もできない、小さな、小さな反応だった。

 

「……見とぅたわい。よくやった、チケゾー。ダービーだけ取れんとやいのやいの言うてたアホタレ共に、いい冥土の土産ができたわ……」

 

「じいちゃん、アタシ泣かない。泣かないから……」

 

「ハッハッハ……十分湿っぽいわ……そこに、中継の、あるんじゃろ? 入ってこい。しっかり、音だけでも通しとくれ」

 

 カメラマンは柴原の問いかけに反応し、嗚咽を堪えてベッド横まで行く。柴原の顔は映さず、ウイニングチケットの後ろ姿とオギジーニアスやナリタタイシン、ビワハヤヒデらの表情が映るように構えた。

 

「ジュンペー。聞こえとるか? まだ青いが、お前は天才だ。それこそ、奈瀬の嬢ちゃんや岡田の小僧と並ぶ、歴史を変える天才じゃろう。お前に《レグルス》を託す」

 

 一岡が事故で死の淵を彷徨ったとき、柴原は「お前の死神はわしが追い払ってやったわい。なぁに、ここまで何度も死神を追い払ったしぶといジジイだ。死神の1体や2体増えたところで変わらん」などと嘯き、一岡を励ました。

 それは、リンデンリリーのときも、オギジーニアスのときもそうだった。ふたりとも事故で瀕死の重体まで陥った経験があり、半ば奇跡のような回復を見せた。

 一岡は人目も憚らず泣く。リンデンリリーは、涙を流しながら、声を殺して泣いた。

 

「最後に……観客の方々、60回ダービーを勝った、柴原です。ちょいと早いが、お先に失礼します。チケゾー、皆、長生きしろよ」

 

 柴原の心拍が弱っていく。命が、抜けていく。

 

「……陽次(ようじ)……待たせたな」

 

 その日、ひとりの偉大なるトレーナーが、この世を去った。

*1
樫本が案内しようとすると1階の時点で体力が切れるため。




都合によりオグタマライブ回はございません。レースほとんどやってないしね。あしからず。



【追記】

 これ書いたあとに婚活ヒトオスVtuberの最新話読んだから情緒のジェットコースターえぐい。


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届け

ちょっと早めに更新。



 光陰矢の如し。*1日本ダービーから長いようで短い1週間が経った。

 同じ府中で開催された安田記念はツインターボやナイスネイチャと同期のヤマニンゼファーが制覇し、TTNだけではないということを再認識させた。

 柴原の死は様々な媒体で華々しいドラマとして流され世間の話題を席巻した。『虎は死して皮を留め人は死して名を残す』などというが、どちらも人によって飾り立てられ消費されるという意味では同じなのかもしれない。

 

「あっ、ハヤヒデーっ!! 遅いよー! 遅刻!」

 

「フッ、待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」

 

「辛くない側の台詞じゃん」

 

「松見って誰!!!!?!?!?」

 

「チケット、黙って」

 

 BNWの3人は、皐月賞の前、ショッピングモールの一件で台無しになってしまった物見遊山を改めて行おうと集まっていた。

 特に宛も目的もなく歩き、話をする。菊花賞まで時間がある彼女たちは、そのくらいの余裕を手に入れていた。

 

「そうか、夏休み中はタイシンは海外合宿か」

 

「まだひと月は先のことだから気が早いけどね」

 

「いーなー……《レグルス》も海外行かないかなぁ」

 

「流石に厳しいんじゃない……? 今ごたついてるし、そもそも資金力の差が……」

 

 チーム《レグルス》は結局、一岡サブトレーナーが継ぐこととなった。チームを新設するには実績が足りていないが、引き継ぎということであればリンデンリリーとエリザベス女王杯を制覇している一岡にはその資格があった。

 柴原の甥で同じくトレーナーである柴原祥臣(よしおみ)が継いだほうがいいのではないか、という声もあったが、彼自身既に今担当しているウマ娘がいることと、柴原老の遺言だからということで固辞した。

 

「ごたついてるって言うならあの時出てたチーム全部そうじゃん」

 

「まぁ、それはそうなんだけど……」

 

「私たちに配慮した結果だから、申し訳ないな……」

 

 日本ダービー出走チームのトレーナーが共同で行った騒動は、当然問題となった。世論の反発はあったが、それでも『問題としない』という前例を作るべきではないと判断したのだ。

 特に重かったのが実際に違反行動である、閉会前のウマ娘を連れ出した《リギル》の笹本と《ミラ》のツインターボ、ライスシャワー、その責任者である網であり、次いで違反行為こそないものの犯罪一歩手前であった《カノープス》の南坂であった。

 《ミラ》は罰金処分であり、網のポケットマネーから出したため実質被害はなし。笹本はそれに公道での速度超過が追加されるわけだが、それもまぁ、払えない金額ではない。

 南坂は電子計算機損壊等業務妨害罪と見なされる可能性があったが、URAからの口添えにより『業務妨害に至っておらず、むしろ観客の混乱を抑える行為』と判断され起訴には至らなかった。

 世間からの評価は比較的良好と言ったところだろうか。結局、日本人はお涙頂戴のドラマに弱い。

 

「しかし、これで私だけがクラシックの冠を取っていないことになるのか。菊では覚悟しておいてもらおう」

 

「そ。アタシも負けるつもりはないけど」

 

 ビワハヤヒデは、世間的にはマイラーよりのミドルディスタンスランナーと言われている。ジュニア期にマイルを多く走り、成績も良好だったのが大きいだろう。

 しかし、ナリタタイシンは知っている。ビワハヤヒデの本領はクラシックディスタンス以上の距離であると。油断などできようはずもない。

 そんなやりとりの後、違和感に気がつく。こういった話題のとき真っ先に騒ぎ出すウイニングチケットがやけに静かなのだ。

 確かに彼女の射程距離は2400mそこそこが限界だろうが、それで諦めるような性格でないのは百も承知だ。

 

「チケット?」

 

「大丈夫か、チケット。やはりまだ……」

 

「あ……ううん、違うんだ。えっと……」

 

 トレーナーを亡くしたことが、やはりまだ吹っ切れていないのかと慮るふたりに、モゴモゴと口を動かしてから、ウイニングチケットは話し始めた。

 

「アタシ……菊花賞が終わったら、引退しようと思ってるんだ……」

 

「……へ?」

 

「チケット、それは……」

 

 ウイニングチケットは早熟型である。本格化のピークが日本ダービーと被っていたから、彼女はあれほどまでのパフォーマンスを見せることができた。

 しかし同時に、彼女の全盛期は決して長く続くものではなかった。早熟型にしても高い実力の代償。そのことをウイニングチケット自身察しての発言なのか、いやそれでもウイニングチケットにしては諦めが早すぎないかと顔を(しか)めるナリタタイシン。

 それを見て、ウイニングチケットは急いで(かぶり)を振った。

 

「ち、違う違う!! そう言うんじゃなくて、さ……やりたいことができたんだよ」

 

「やりたいこと……?」

 

「うん……アタシ、レース実況アナウンサーになりたいんだ」

 

 レース実況アナウンサー。それは文字通りウマ娘レースにおいて実況を担当する各局のアナウンサーのことであり、ある意味では、ウマ娘を除く関係者の中で一番の花形とも言える存在である。

 時に正確に、時に劇的に、観客の興奮を、驚愕を、悲嘆を、喝采を代弁する存在であり、『レースのドラマ』とは切っても切れない存在である。

 

「まぁ……チケットなら向いてると思うけど……どうしたの、急に」

 

「あー……そりゃあね? アタシの限界が見えちゃったからって理由もなくはないけど……届ける仕事をやってみたくなったんだ」

 

 ウイニングチケットは濁して伝える。だが、ナリタタイシンも、ビワハヤヒデも、なんとなく伝わった。ウイニングチケットはその声を張り上げて、天国まで届かせたいのだ。彼に聞こえるように。

 安直な、子供っぽい考えだと斜に構えた意見がナリタタイシンの頭をよぎる。それと同時に、自分にはない純粋な、それでもしっかりと地に足がついた目標を掲げたウイニングチケットを羨んだ。

 自分はどうだろうか。バカにしていた奴らを見返して、その後は?

 不意に自分が空っぽになっていくような感覚に駆られて、ナリタタイシンは身震いした。

 

「でも……アタシも、菊花賞はふたりと走りたい。アタシには長いかもしれないけど、それでも最後まで走りたいんだ」

 

 ウイニングチケットの目に諦めはない。いつものウイニングチケットの目だ。

 

「……アタシだって、三冠は逃したけど二冠はまだ諦めてないよ。うちには世界最強クラスのステイヤーがいるしね」

 

「甘いなタイシン。私はまだ三冠も諦めていない」

 

「いやそれは流石に諦めなよ」

 

 クラシックに輝く3つの冠。それを過ぎれば、ウイニングチケットは引退、アナウンサーの道へ。ナリタタイシンは洋芝の経験を積み欧州へ。そしてビワハヤヒデは国内で、己の答えを探しに。

 いずれ道は分かたれる。けれども、今この時は、3人の歩む道はひとつだった。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 府中市内、とあるうさぎカフェ。

 個人的な理由でその店に訪れた網は、偶然にもライスシャワーと遭遇した。ウサギと戯れる彼女の姿はどこか普段よりもフワフワと……こう、その……普段通りかなぁ?

 ともかく、現状ライスシャワーは間違いなくスランプなのである。

 

 ここまで、ライスシャワーはステイヤーとしては比較的短いスパンで走ってきた。ステイヤーは走る距離が長い分、当然だが脚にかかる負担も大きい。だから網は夏季の海外レースへの参加を見送り、秋シーズンまでの療養を命じていた。

 

 ライスシャワーのスランプの原因、あるいはきっかけとなったものは把握できている。十中八九、ライバルの不在だろう。

 ライスシャワーが認める好敵手であるミホノブルボンとユーザーフレンドリーはどちらもステイヤー路線ではなくクラシックディスタンスを主戦場としている。超長距離で顔を合わせる機会はほとんどない。

 そして新たにライバルになるかと思えた、それこそ、ライスシャワーに長距離で初めて勝ち越したメジロマックイーンはその1戦で引退。しかもドリームシリーズには出てこないつもりらしい。

 メジロマックイーンに言い方は悪いが勝ち逃げされ、ライスシャワーは不完全燃焼のまま燻っている。その気持ちを、網は共感することができた。

 まだ彼が親からの関心を諦められなかった時代。目標と、あるいは壁とした長兄の突然の事故死。敵視していた次兄の半幽閉による社会的な死。

 行き場を失い空吹かしし続ける熱の煩わしさを、網は確かに覚えており――それが、決して届きえない才能の前に経験した挫折よりも苦い記憶であることも覚えている。

 ライバルを定める機会を増やせばとも思うが、それは思惑から外れればただただいたずらに脚を消費し、寿命を縮める愚行になりうる。

 

(そもそも俺は心理カウンセラーじゃねえんだ。共感できたところで門外漢ができることなんて限られてる)

 

 精々、ライスシャワーの眼鏡にかなうようなステイヤーを見つけ出し、レースをマッチングするしかない。結局、行動は現状維持だ。

 トレーナーとして活動して5年目。あまりにも遅い、初めての行き詰まりだった。

 

 一方、ライスシャワーは――当然だが――網よりも正確に、自分の現状について理解していた。

 眠りから覚めたあとのような、あるいは、甘いものをお腹いっぱい食べたあとのような、地に足のつかないふわふわとした感覚。

 ひとつひとつ、ライバルと戦いタイトルを取り続け、遂に自分を負かす強敵と出会えた。次の目標に狙いを定めて、その直後にそれは雪のように消え去った。

 今足をかけようとしていた頂が消え、その座は幻のまま、自分は頂に腰掛けている。目標がなくなり、成果だけが残った。

 言ってしまえば、ライスシャワーは満足してしまったのだ。一息ついて、冷静に俯瞰して、満ち足りてしまった。もう、それでいいか。そう思ってしまった。

 

 多分、ライスシャワーがそれを話せば、網は走り続けることを無理強いしない。そのくらいは、この3年間で理解してきた。だからこそ言えないのだ。

 「走らなくていい」と言われたら、本当に走れなくなりそうで。引き留めるものがなくなれば、そのままどこかへ漂っていってしまいそうで。

 『走りたい』という前向きな動機はなく、ただ『未練』というあやふやなか細い縄で宙ぶらりんになって、今この立ち位置にぶらさがっていた。

 

 これが、あるいは正しい歴史を支え合って歩むライスシャワーとそのトレーナー(お兄さま)のふたりとの違い。網たちふたりは支え合っていない。互いに己の足で立っている。だから、交わらない。

 

「……失礼、電話がかかってきたので席を外しますね」

 

「あ、うん。わかった。いってらっしゃい」

 

 網を見送り、再びウサギと戯れるライスシャワーは、その袖が小さく引っ張られる感覚に気づき振り返る。

 そこにいたのは、こう、名状しがたい人物だった。

 いや、名状はできる。その黒鹿毛やアシンメトリーの髪型、容姿を見れば、誰もが『ミニチュア版のライスシャワー』と例えるだろう。

 小学校低学年くらいだろうか。色々と簡略化なされているが、造り自体は非常に丁寧なライスシャワーの勝負服のコスプレ衣装を纏った少女は、見た目だけならば見事にライスシャワーを再現していた。

 しかし、ライスシャワーの袖を引く少女は、ぱかりと口を開けたふてぶてしい表情で見事な仁王立ちを見せており、醸し出す雰囲気がライスシャワーと異なりすぎていた。

 両者の目と目が合い、数秒。少女が口を開いた。*2

 

「よろしくゥ!!」

 

「????????????????????」

 

 何、この、何。

 自分は何をよろしくされたのだろうか。恐らくまず間違いなく自身のファンであろう少女を前に、ライスシャワーの頭はクエスチョンマークで埋まっていた。

 

「ちょっとミア!? ダメでしょ他のお客さんに迷惑かけちゃ……! へ、も、ももももも、もしかして、本物のライスシャワーさん、ですか……?」

 

「えっと……はい」

 

 ミアと呼ばれた少女を制止しようとやってきた、恐らく彼女の母親であろう女性は、ライスシャワーが本物であると理解した瞬間に膝から崩れ落ちた。ライスシャワーは未だに自分がスター級有名人である自覚が足りなかった。

 彼女がしどろもどろになりながら言うには、母子ともにライスシャワーの大ファンであり、英セントレジャーステークスなどは現地まで見に行ったほどであったらしい。

 特に、ミアは周囲から一歩抜けてレースが上手く、いつも勝ってしまうために距離を置かれがちであったことを悩んでいたらしく、そんな折に悪役(ヴィラン)扱いをされながらも勝ち続けるライスシャワーの姿に憧れを見出したのだとか。

 

「負けるほうが悪い!!」

 

「でもライスこの開き直り方は危険だと思うな」

 

「それは私もそう思います……」

 

「なんだとぉ……」

 

 でも、こうして煽るようになってから、少なくとも遠巻きに見られることはなくなったと母親は苦笑する。ウマ娘の幼少期など対抗意識の塊のようなもので、負け続ければ嫌になるが挑発すればなにくそとなるものだ。

 そんな苦笑とライスシャワーの意見にミアは不服そうにしながら、しかしやはり笑顔でライスシャワーに指を突きつける。

 

「姉貴ィ!!」

 

「"姉貴"!!!!?!?」

 

「いつかアンタに勝つから、よろしくゥ!!」

 

 ライスシャワーの袖から手を放し、サムズアップを見せながらミアはそう(のたま)った。

 ファンから投げつけられた突然の宣戦布告に目を丸くするライスシャワー。

 

「あたし、()()()()()()()()()()()()()()()()()ウマ娘になって、ドリームシリーズでアンタを倒しに行くからヨッ!! それまで長距離最強でいてくれよナッ!! よろしくゥ!!」

 

 その言葉を聞いて、ライスシャワーはハッとした。好敵手たちを目標にした自分のように、自分を目標にするウマ娘もまた存在するのだと。

 その娘たちにとって今のライスシャワーは間違いなく、衰退し始めている長距離路線の英雄(ヒーロー)だ。ならばその座を、簡単に明け渡していいものか。

 

「……わかった。あなたが来るまでライスは()()で待ってる。あなたも……強いステイヤーになってね」

 

「もちろんサッ!! なんて言ったってあたしの名は――」

 

 

 

 戻ってきた網が見たものは、ファンであろう母子を見送りながら、どこか晴れ晴れとした様子のライスシャワーだった。

 

「……なんか、勝手に立ち直ってる……」

*1
「でも私のほうが速いですよ?」

*2
慣用表現。口は開きっぱなし。




フェス行ってきます。マンメンミ。


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緑と赤緑

 ナイスネイチャが出走予定の宝塚記念が迫り、同時にツインターボの帝王賞も近づいている。網としてはツインターボがハシルショウグンに勝つイメージがつかない――これは当然で、ツインターボはダートを走れないことはないが本職とは数段劣る。ライスシャワーが1200mでサクラバクシンオーに挑むようなものである――ため、本人が満足できればそれでいいかと思っている。このレースに関しては、目的は()()()だ。

 ただし、ナイスネイチャに関してはそうはいかない。と、少なくともナイスネイチャ自身はそう思っている。最後に勝ったのは年始の日経新春杯、GⅠに至っては菊花賞以来丸一年勝っていない。焦りの感情が表れて当然だ。

 と言っても、彼女が学んだ作戦や戦術が身になっていないわけではない。人は多くは1位しか見ないが、GⅠという大舞台で入着し続けるなどという芸当はただ事ではない。

 だが、それでも、タイムに表れない成長、相対的な基準しかない評価。対戦相手がいなければあまりにもわかりにくい進歩は、その存在をナイスネイチャ自身に疑問視させていた。

 

(ううん――たとえ本当に進歩していても、勝てなきゃ意味がない)

 

 かつてのナイスネイチャならば、入着という結果で満足していた――あるいは妥協していただろう。しかし、速く走ることに見切りをつけ、勝つための技術を学んでいるのだ。

 レースという、相手よりも速く走るという本能を慰める側面が多分に含まれている舞台でそれだけを極めるのは紛うことなく邪道で、自分はそれを歩んでいる。

 なのだから、そこに妥協があってはいけない。速く走ることを妥協し、勝利まで妥協しては、何も残らない。ナイスネイチャはそう自分を追い込み、貪欲に知識を吸収しようとしていた。

 

 宝塚記念2週間前。ナイスネイチャは学園の図書室にいた。網から渡された本に書かれていた戦術はすべて覚え、どう運用するかを試行錯誤する段階にいる。

 戦術をより効果的に運用するための知識。素材を調理するためのレシピのヒントを求めて、この図書室にやってきた。

 『知は力なり』。中央トレーニングセンター学園現理事長ノーザンテーストの座右の銘を徹し、彼女は私財を惜しげもなく使い、ウマ娘のレース関係のもののみに拘らず多くの蔵書を図書室へ収めている。

 とはいえ、ナイスネイチャは今回奇を衒う気はない。中には料理のレシピやら詩集やらで新たな作戦を思いつくトレーナーもいるらしいが、生憎自分にそんな才能はないと知っているからだ。

 ナイスネイチャが目をつけたのは、ウマ娘の解剖学について書かれた入門書のようなものだった。戦術の効果が何に由来するものなのかを分析し、応用の幅を拡げるのが目的だ。

 

 その本を取ろうと手を伸ばし、背表紙に指が触れそうになった瞬間、ナイスネイチャは反対側から別人の手も伸びてきていることに気づき、しかし手を止めるには間に合わず指同士が触れ合った。

 

「っあ、す、すみません!」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 そこにいたのは長い黒鹿毛のウマ娘だった。細身のスーツを着ており華奢な印象を受ける一方、上背は高く貧弱には見えない。胸に着けられた入校バッジは、この学園の出身者であることを証明している。また、黒縁の眼鏡が印象的だ。

 ナイスネイチャは、その顔がどこかで見たことがあるような気がすれど、上手く思い出すことができずにいた。あるいは、どこか彼女のトレーナーと似通った雰囲気がそれを招いているのだろうか。そのうち、相手のほうが先に、ナイスネイチャの正体に行き当たる。

 

「君、もしかしてナイスネイチャかな? 菊花賞ウマ娘の」

 

「ひゃ、ひゃい!! ご、ご存知で……?」

 

「流石にここ数年の菊花賞ウマ娘を覚えていないようなウマ娘は全国でもそうはいないさ。勝った菊花賞よりも日本ダービーを語られる方が多いのは如何ともし難いが、『帝王』と『逃亡者』に割って入った『赤緑(せきりょく)の刺客』とあっては致し方ないかもね」

 

「そっ、そんな『緑の刺客』に(なぞら)えられるなんて恐れ多い……!」

 

「はは、しかし、君たちTTN世代は何かとTTGと比べられているからね。まぁ、それほど被るんだろうね。とはいえ、私が知っていたのは、よく世話をしていた後輩が君に注目していたからなんだけどね」

 

 黒鹿毛のウマ娘は解剖学の本と、その近くにあった本を1冊取るとナイスネイチャに渡す。

 

「これ、解剖学ならこっちの本もおすすめだよ。初心者向けと明記はされてないけど、初心者でもわかりやすく書かれている」

 

「あ、ありがとうございます……って、それならこっちは先輩が読んでください! ……取ろうとしてました、よね?」

 

「あぁ、確かに読もうとはしていたけど、特段その本にこだわる理由もないんだ。現役時代湯治の機会が多くてね。暇つぶしに本を読み漁っていたら、すっかり濫読派だよ」

 

 そう苦笑する黒鹿毛のウマ娘の手元をよく見れば、複数の本が館内持ち運び用のカゴに入れられて提がっている。その多くは医療書に属するもので、初心者向けの簡単なものから難解な専門書の類まで入れられていた。

 

「……お医者さん志望なんですか?」

 

「一応、既に免許は持ってるんだ。学生時代からその道に関わってはいたからようやくって感じだけどね」

 

 答えて、黒鹿毛のウマ娘は待つかのように黙る。いや、実際待っているのだろう。ナイスネイチャに、多くのものを聞き出し己のものにしようという気概があるか試すために。

 かつてのナイスネイチャなら遠慮してその一歩を踏み出すことはなかっただろう。しかし、今のナイスネイチャはなによりも勝利を欲している。目の前に転がされたチャンスを拾わないという選択肢はなかった。

 

「えっと……先輩ってライバルとかいたんですか……?」

 

 その第一歩が日和ってこの質問というのも、なんともナイスネイチャらしいが。

 一方の黒鹿毛のウマ娘は、「よりによって自分にその質問をしてくるか」と、本当にナイスネイチャが自分のことを誰だかわかっていないと改めて感じ苦笑する。

 

「あぁ、いたとも。いつも私の前を走る強敵たちが。私は結局、いつも追い縋ってばかりだった。私から助言をするとすれば、相手がまだターフの上にいる間に、思う存分走っておくことだ」

 

「は、ハハ……あっちが出てこないとどうしようも……」

 

「あはっ、それはそうだ! ……そして、よく考えれば戦術面で君の参考になりそうなことは私にはないな。いつも内ラチ沿いを好きなように走っていただけで戦術も何もなかったからなぁ」

 

 あっけらかんとそんなことを今更言い放つ黒鹿毛のウマ娘。はじめこそ知的な雰囲気を――医師免許を取得している以上知的なのは確かなのだろうが――醸し出していたのに、今はどこか抜けているようなイメージが先行している。

 

「アハハ……、って、もうこんな時間!? すみません、アタシこれからトレーニングなんで、この辺りで失礼します!!」

 

「焦らないでちゃんとウォームアップするんだよー。怪我に泣かないようにねー」

 

 急いで本の貸出手続きを終わらせて図書室を出ていくナイスネイチャを見送ってから、黒鹿毛のウマ娘は再び読書へ戻る。

 時計の長針が120°ほど傾いた頃、図書室に新たな来客が入ってきた。長く伸びたツートンの鹿毛に三日月のような流星。知らぬ人などいない『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフだ。

 シンボリルドルフは図書室に入ってきて図書委員と二、三言葉を交わしたあと、振り返って黒鹿毛のウマ娘を目にすると、目を(みは)り早歩きで近づいてきて、頭を下げた。

 

「会長、ご無沙汰しております」

 

「ルドルフ、今の生徒会長は君だろう。いつまでも私なんぞに(へりくだ)るんじゃない。それに、私はあいつの代理でしかない。あの時代、生徒会長は誰かと聞かれたら皆が皆『テンポイントだ』と答えるよ」

 

 そのウマ娘の名、グリーングラス。

 テンポイント、トウショウボーイとともにTTG世代と呼ばれ一時代を築いた英傑のひとり。『第三のウマ娘』『緑の刺客』。

 ナイスネイチャがその名を思い出せなかったのも無理はない。現役時代から成長し顔立ちは面影を残しながらも大きく変わっているし、当時のトレードマークだった緑の鉢巻を外し、黒縁の眼鏡をかけているため印象も違っているのだから。

 彼女の言う通り、当時の生徒会長といえばテンポイントだっただろう。しかし、テンポイントの死後、辞退したトウショウボーイの代わりに生徒会長を引き継いだのが、当時副会長であったグリーングラスであり、シンボリルドルフはちょうどその頃生徒会入りしたのだから、彼女にとって生徒会長はグリーングラスという印象が強いのだ。

 

「さっき、君の言っていたナイスネイチャに会ったよ。あれは確かに君の好きそうなタイプだな。しかし、TTGにはいなかったタイプだ」

 

「先輩方は地力での殴り合いでしたからね……」

 

「強いものは強い。そういう時代だったんだ。それを変えたのは君だろう」

 

 強者でもまだ先があることを、弱者でも強者に迫れることをシンボリルドルフは示した。過程やきっかけはどうあれ、結果的にそうなった。レースの世界はそうやって進歩していく。

 

「常に進化し続けるテイオーは強い。己の強みを知っているツインターボも強い。その壁を、己の弱さを知っているナイスネイチャがどう越えていくか。楽しみですよ」

 

 ナイスネイチャは弱い。こと才能の集まった彼女の周囲のウマ娘たちに比べれば凡百と言ってもいいほどに。彼女の代名詞と言える《八方睨み》だって、押しの弱い彼女より有効的に使えるウマ娘は大勢いる。

 それでも走り続ける姿は、多くのウマ娘たちの救いにもなっている。

 

 『すべてのウマ娘たちに幸福を』。シンボリルドルフの理想に最も近いウマ娘は、ナイスネイチャなのかもしれない。シンボリルドルフはそう考えていた。

 

 間もなく、宝塚記念が来る。

 




もしかしたらあとで修正するかも。


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星を目指す者

 宝塚記念のスタートは異様な程に静かだった。

 正確にはそれが正常なのだろう。しかし、あのナイスネイチャがまたなにか仕掛けるのだろうと考えていた他のウマ娘たちからすれば肩透かしに終わるような開幕だったのは間違いない。

 なんの障害もなく、メジロパーマーがいつものようにハナを取ってグングンとレースのペースを上げていく。天皇賞の再上映、異なっているのは、今度こそメジロパーマーが逆噴射することは――この2200mの舞台では――ないだろうことと、それは他のウマ娘たちにも言えるということだ。

 先行のウマ娘たちは幾人かはメジロパーマーに食らいつき、ハイペースについていっている。レオダーバンが外めに控え、フジヤマケンザンは内につけている。

 ナイスネイチャはバ群の中、最内の内ラチギリギリを静かに走っていた。そのやや後ろで、イクノディクタスが警戒しながら脚を溜める。

 

(何も仕掛けてこない……? いえ、もう既に何か仕込みをしていて、私たちが気づいていないだけ……?)

 

 背筋に薄ら寒い汗が伝う。だが、実際ナイスネイチャが何をしているのかはまったくわからない。本当に、ただそこでセオリー通りに走っているように見える。

 そんな危機感を抱いているのはイクノディクタスだけではない。不気味なほどにいつも通り走れている現状に、ナイスネイチャとの対戦経験があるウマ娘は皆訝しんでいた。

 そのうち、ナイスネイチャばかりに警戒し続けてもどツボにハマると無理やり意識を切り替えた者と、それでもナイスネイチャを警戒し続ける者とがおよそ半数ずつ。仁川の坂を登り、コーナーへと入っていく。

 

 カランカランと、金属同士がぶつかり合う音が響き、ウマ娘の鋭敏な聴覚がそれを拾う。幾人がその正体を確認する。ある意味では予想通り、音の発生源はナイスネイチャだった。ナイスネイチャの腰に巻かれたリボンについている金具が、内ラチにぶつかって音を立てていた。

 

(ネイちゃんにしちゃあばかになりきなせせくり方さ。なんか企んどんのけ?)

 

 フジヤマケンザンは先団からその音を聞き取ったが、しかし警戒以上のことはできない。気を散らそうとしているならあからさますぎるし、それを気にするというのは思うツボだからだ。

 ただ、ハナを気持ちよく駆けているメジロパーマーをそのままにしておくのはまずい。ナイスネイチャが障害物なら、メジロパーマーは制限時間だ。

 ナイスネイチャがメジロパーマーを撃ち落とすことを期待する、というのはあまりに消極的で無責任だろう。宝塚記念に出走するほど自分の走りに自負のあるウマ娘たちはそれに頼ろうとせず、自分たちの力でもメジロパーマーを追い落とそうとする。

 そして、メジロパーマーも当然おとなしくそれにやられるようなウマ娘ではない。レースは緊迫のハイペースを更新し続けていた。

 

 そのままレースは続き、向正面も終わりに差し掛かろうとしている。コーナーのはじめから軽い下り坂になっている阪神の終盤、レオダーバンが"領域(ゾーン)"に入り、咆哮とともにスパートに入る。

 

 誰も気づいていない。自分が擬似的な"領域(ゾーン)"に入っていたことに。

 

 レオダーバンの咆哮とともに、()()()()()()()()()()()()の耳に硝子が割れるような音が響いた。

 

 会場が騒然とする。実況が言葉を失った。何が起こったのかがわからない。ただ、レオダーバンが何かをやった結果、走っている全員が皆一様に異変を見せたのだ。

 一番軽くてイクノディクタスやメジロパーマーのように軽い失速、しかしウマ娘によってはよろめき大きく失速する者もいる。

 そして恐らくそれを為したであろうレオダーバンさえ、動揺とともに"領域(ゾーン)"を失い失速しているのだ。

 

 完全に無事に走っているのはただひとり。しかし、それならナイスネイチャは一体なにをやった?

 観客や実況といった外から観ている者はナイスネイチャの"領域(ゾーン)"を疑う。しかし、実際にそれを受けた出走者は違うとわかっている。何をされたかわからない。

 

 だが、ナイスネイチャがやったことは単純だ。まずひとつは直接的な牽制を控えたこと。ただし、音や気配を利用して無意識に選択を絞るような牽制はむしろ増やしていた。そうすることで、気づかないうちに相手に負担を押し付けることが、この作戦の下準備。

 例えば、金具と内ラチをぶつけて音を鳴らし、心理的に内ラチから遠ざけることで、コーナーで膨らませて脚を消費させたこともそのひとつだ。

 

 そしてもうひとつ。最序盤からゆっくりと、バ群全体に少しずつ威圧をかけていたこと。

 普段の《八方睨み》は突然威圧をぶつけることで動揺させる技術だが、今回のこれは違う。相手が気づかない程度の威圧を積み上げることで、相手は無意識に対抗するように威圧を放って相殺しようとする。

 こう言うとファンタジーにも聞こえるが、要するに自覚がないうちに『気を張って警戒する』のだ。そうすることで、出走者全員が"領域(ゾーン)"に満たない過集中状態に入れられた。

 全員の威圧が相互に干渉しあい、威圧の網ができていく。こうなると、あとはナイスネイチャは何もしなくていい。参加者同士が威圧で潰し合うからだ。

 

 ナイスネイチャの長所である『脳への酸素供給量が多いことによる、レース中の思考能力』は、実はそのまま『レース中に過集中になりにくく、"領域(ゾーン)"に入りにくい』という短所に変わる。

 しかしそれが、さらに利点へとひっくり返った。他のウマ娘がレオダーバンの"領域(ゾーン)"によって、強制的に入れられていた擬似的な"領域(ゾーン)"を割られダメージを受けたとき、ひとり過集中になっていなかったナイスネイチャは影響を受けず冷静にスパートを始めた。

 レオダーバンがよろめいたのは単純に軽い酸欠になったからだ。それまでずっと過集中状態で、普段よりも呼吸が少なくなっていたのに、咆哮でさらに酸素を消費したことが原因だろう。

 

 ナイスネイチャが最内から一気に追い抜いていく。彼女の牽制によって内ラチ付近のレーンには、ダイユウサクの有記念のように空白地帯が出来上がっていた。

 しかし他のウマ娘も歴戦。メジロパーマーやフジヤマケンザンなど、早いうちに立て直したウマ娘は数テンポ遅れながらもスパートに入りナイスネイチャから逃げる。

 ナイスネイチャの走力は平凡だ。このままなら逃げ切られてしまうだろう。だから、ナイスネイチャはさらに策を用意する。

 

 先頭集団を迎えるは仁川の大坂。高低差1.9mに脚を踏み入れたメジロパーマーはそれを越えようとして、初めて自分の左脚が想定以上に消費していることに気がついた。

 それは他のウマ娘も同様だ。左脚にかかっていた負荷が急坂で爆発し一気に失速していく。それでも根性で踏ん張る者もいるが、最早加速とは言えずなんとか粘っている状態だ。

 ナイスネイチャはこのレース中ずっと内ラチ沿いにおり、全員の右側から牽制を行っていた。それで全員の意識が右側に向いたにも関わらず、実際にナイスネイチャが使った策は、例えばコーナーで膨らませながら、それをできるだけ抑えようと左脚で踏ん張らせるように、どれも左脚へ負担がかかるものだった。

 威圧網が完成して自身の手が空いてからは、威圧を右側から集中させることでそれを加速させている。右に意識を向けさせることで、体は無意識に右脚を庇うような走り方になる。そしてその分、左脚に負担がかかっていたのだ。

 先団のうち垂れてきたウマ娘が後続をブロックし、空いた内を走っていたナイスネイチャが抜け出す。

 

 しかし、その後ろをピッタリとついてきていたウマ娘が、ナイスネイチャの外を抜けて躱しかけた。

 

(イッ……ク、ノオォォォォォォ!!)

 

(ネイチャさんの策を読む必要はなかった。ネイチャさんと同じ走りをすれば、一部を除いて策を掻い潜りスリップストリームも得られる。精神的な策は、根性で乗り切ればいいっ……!!)

 

 イクノディクタスにとっては幸いなことに、ナイスネイチャの走りは平々凡々なそれで、ついていくこと自体はそれほど難しくなかった。

 しかし、イクノディクタス自身の走りもそれほど飛び抜けたものではない。実力は伯仲。ここにきて、ナイスネイチャは初めて格上ではない完全な同格との力比べを体験することになる。

 

(負けないっ!! ていうか、ヴィクトリアマイルと安田記念通って宝塚記念に出るようなローテ通ってきたやつに負けられないっ!!)

 

 完全な横並び、ふたりの視線が交差し、それはやがて本気の威圧のぶつかり合いに変貌する。追い縋るメジロパーマーはそれに割って入る余裕はなく、速度を維持して後ろを突き放すことしかできない。もはや前ふたりのマッチレースと化していた。

 レオダーバンもかくやというほどの咆哮をあげるナイスネイチャと砕けんばかりに歯を食いしばるイクノディクタス。肌に電流が走るような威圧のビリビリとした感覚。

 

 ゴール板を抜け、電光掲示板に着順が映し出される。歓声の中、勝者は拳を握り、小さくガッツポーズをとった。

 

「――っし……!!」

 

 ナイスネイチャ、一年越しのGⅠ制覇。そして、自分の戦術の成長を実感するという課題の達成。ナイスネイチャの中で、何かが芽吹いた。

 

(あとは、これが……テイオーに通用するかどうか)

 

 彼女の目指す先には、かつて目を眩ませた光。

 着実に、彼女らしく一歩一歩光へと向かうその歩みに、かつての躊躇いはもうない。

 

(……ハハッ、3年。3年経ってようやく、あの日のターボと同じところを目指し始めた、かぁ……)

 

 友人たちは、まだ自分の前を走り続けている。しかしそれは、追う背中があるということ。

 

(勝ち逃げはさせない。アンタらがターフにいるうちに、勝ってやるから)

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「帝王賞連覇おめでとうございます!」

 

「いやぁ、結構危なかったと思いますよ。ターボがあそこまで粘るとは」

 

 宝塚記念から3日後。帝王賞が終わり、そのインタビュー。ハシルショウグンとのワンツーフィニッシュとはいかず、ツインターボは5着に収まった。

 ツインターボは悔しそうだが満足した表情だ。本当に勝てると思っていたのだろうか。

 

(思ってたんだろうなぁ。バ鹿だし)

 

 網は考える。本当に勝てると思っていて、かつ負けて折れるタイプなら絶対に出走させなかったが、ツインターボはそういうタイプではない。だからこそ本人の希望通りに出走させたのだ。

 

「――それで、ハシルショウグンさんの次走は南部杯でしょうか。それとも、もう一度秋の天皇賞に殴り込んで、ツインターボさんと芝での再戦を?」

 

「はは、流石にそれは……1勝1敗でちょうどいいですし、そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一瞬、何を言われたのかわからないと言うように沈黙が場を支配し、直後に取材陣から大きなざわめきが起こる。ツインターボが三連覇を懸けた秋の天皇賞に出ない。何故か。そしてそれをハシルショウグンが知っているのは何故か。

 その答えとでも言うように、近くで見ていた網とツインターボを筆頭に数人がインタビューをしている取材陣の前に乱入してくる。

 

 南関東クラシック二冠、羽田盃、東京ダービーを制し、ジャパンダートダービーでの三冠に王手をかけた地方の新星、イズミスイセンとそのトレーナー児玉栄子。

 ヴィクトリアマイル、安田記念、宝塚記念を連戦し、そのどれもで入着した『鉄の女』イクノディクタスとそのトレーナー、チーム《カノープス》の南坂慎。

 そしてツインターボとハシルショウグン。シニア級もクラシック級も、芝も砂も、クラウンもティアラも入り交じった集団に困惑する取材陣。

 そんな取材陣に、ハシルショウグンが宣言した。

 

「わたしたちは10月末にアメリカで行われるBCS(ブロワーズカップシリーズ)に参戦します。イズミスイセンがBCダートマイル、イクノディクタスがBCマイル、ターボがBCターフ、わたしがBCクラシックにそれぞれ出走予定で、必要になればトライアルに出走し、優先出走権を得るつもりです」

 

 その発表は、驚きをもって迎えられることとなる。




 費用は網持ち(何人も参加させたほうが面白いからイクノとスイセンを誘った主犯)。


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オグタマライブ ??/07/18

こういうこともある。


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「網トレがまたやらかしおったで」

 

「タマ、あくまで合同遠征だ」

 

「せやかてオグリ。南坂トレが主催網トレやってゆーとったからなぁ」

 

『びっくりしたでしょう?』

『びっくりしたでしょう?』

『ビックリしたでしょ?』

『脳内再生余裕だわあの胡散臭い笑顔』

 

『タボボは2400m走れるんか?』

『2200mまでは余裕。去年時点で2400m走れたのは運が良かったって黒い人が言ってたから、あれからスタミナ鍛えてればいけそう』

『いやダービー走ってたやん』

『あれはタイミングがよくて一時的にスタミナ伸ばせたから』

『一時的に伸ばせるもんなの?』

『心肺に負荷かけてしばらく酸素の許容量増やすことはできる。個人差あるけど200mくらい長くても走れる』

 

『《ミラ》以外のウマ娘もどんどん海外遠征していけ〜』

『実際なんで日本のウマ娘はあんま海外遠征してへんかったん?』

『ヒトミミにはわからん感覚かも知れんがウマ娘は環境変化に弱いんよ。メンタルガタガタになる子とか激痩せする子とか全然眠れなくなる子とかいる。あと現地の水が合わないとか』

『やけに関西レース弱い子とかいるよね』

 

『イズミスイセンは格上挑戦になるんやね』

『南関東三冠取ったし日本のダートでは中央含めても上澄み。ただしアメ公に通用するとは言っていない』

『イズミスイセンって姉がタイシンに嫌がらせしてた娘だっけ。黒い人から誘ったんか?』

『もう姉じゃないぞ』

『両親が離婚してスイちゃんは父親が、姉は母親が引き取ったって。戸籍的にはもう他人よ』

『父親、スイちゃんがネグレクト受けてるの知らんかったって泣きながら謝ってた』

『なんで知ってんだよそんなん』

『嘘松か?』

『てか知らんかったってあり得るんか?』

『仕事で海外行ってたらしい』

『少なくとももうタイシンとスイセンの間にわだかまりはないぞ。この前イカで配信コラボしてた』

『芝』

『タイシンがバレスピ使ってんの解釈一致だったわ〜』

『リッターとか使ってそうだと思ってた』

『2の頃は使ってたけど3になって使ってないね』

『チャージャー有利なステージ多いからつまらないんじゃね?』

『ガロンとか洗濯機とか流行り武器絶対使わないけどそれはそれとして竹とかの弱武器も使わないっていうこだわり』

 

『カノープスのホームページでイクノのアメリカでのローテ発表してるけどバチクソにトチ狂ってて笑っちゃった』

『7/17 ダイアナステークス(GⅠ)、8/7 グレンズフォールズステークス(GⅡ)、8/14 ビヴァリーDステークス(GⅠ)、8/28 ボールストンスパステークス(GⅡ)、9/4 フラワーボウルステークス(GⅠ)、9/25 アセニアステークス(GⅢ)、10/3 ワヤステークス(GⅢ)、10/16 サンズポイントステークス(GⅡ)、11/6 BCマイル』

『僅か4ヶ月で連闘3、中一週2のイカれたローテ』

『ここまでのイクノの実績がなかったら袋叩きに遭ってるぞ南坂』

『仮にもGⅠウマ娘をこのローテで走らせるのは実績あって本人の希望でも袋叩きだろ』

『いつの間にか俺たちが南坂に袋叩きにされてるぞ』

『南坂は増える』

 

『ショウグンは……まぁうん』

『無難』

『相手によっては勝てるか……?』

『日本のダートとアメリカのダートは砂浜と踏み固めた畑くらい違うから通用するかはぶっちゃけわからんぞ』

『ショウグンVSアメリカも見てみたいけど、俺はそれよりショウグンVSスイセンが見てみたい』

『それは東京大賞典までお預けか? チャンピオンズカップは流石に近すぎるよな?』

『イクノなら行ける』

『訳)いけない』

 

「ま、そこんとこは置いといて。今日は特別編やで」

 

「ナイスネイチャが勝利した宝塚記念の解説を改めて試してみたいと思う」

 

『嫌な事件だったね……』

『全員ポルナレフ状態だったからな』

『何が起こったのかまったくわからん』

『完全に放送事故だったな』

『いやでもあれは皇帝かクイーン呼んでこないとわからんて』

『秘密兵器は?』

『秘密兵器は作戦とか気にしないだろ』

『皇帝と化かしあって勝ったクイーンと策をぶち抜いて勝った秘密兵器』

『秘密兵器に負けたとき皇帝泣いたってマ?』

『岡田トレが証言してるからマ』

 

「いやホンマ何回も見返して未だにわかってへんねんけどなにしとんねんナイスネイチャ」

 

「それではVTRを見ていこう」

 

『スタートん時は普通よな』

『むしろなんも起こらなかったからビビった』

『みんなキョドってはいる』

『出遅れもなしで全員スムーズに位置取りしてるな』

『イクノって結構早い段階でネイチャマークし始めてるのな』

 

「ここからしばらくレース自体に動きはない」

 

「強いて言うならこのコーナーでようやくナイスネイチャから牽制が飛んだくらいやな」

 

『え、どれ?』

『勝負服の金具が内ラチに当たって音が鳴ってる。らしい。よくわからん』

『この金具前からあった?』

『確認したけどなかった。今回から』

 

「牽制やろ。音で警戒させてコーナー膨らませとるんや」

 

「レースはこのまま展開し、向正面の終盤でようやく変化が訪れる」

 

「レオダーバンが"領域(ゾーン)"で叫びながらスパートかけようとして、なぜかナイスネイチャ以外全員が一斉に失速しとるんよ」

 

『絶対ナイスネイチャがなにかやったと思って何度も見てるんだけど何かやった様子がない』

『いや、ネイチャのスパートタイミング見るとここでなにか起きると確信してたのは確か』

『レオ田のスパートはわかりやすいから見えてれば即応できるぞ』

『失速してるのはレオ田のゾーン割りと違うんか?』

 

「いくら宝塚記念っちゅーても全員"領域(ゾーン)"使えるなんてあるわけないやろ」

 

「実際、このメンバーで使えるのは、メジロパーマー、ニシノフラワー、レオダーバンの3人だけで、他のウマ娘の"領域(ゾーン)"は確認されていない。そして、メジロパーマーの"領域(ゾーン)"はそもそもこのタイミングで発動できるものではない」

 

『でも失速の反応はゾーン割りと似てるよな』

『その割にレオ田本人も食らってる』

『うーん、わからん』

 

「アカン、結局なんもわからんことがわかっただけや」

 

「失速の直接の原因はレオダーバンの叫びでいいんじゃないか? レオダーバンが叫んだときにこの状況になるようにナイスネイチャが仕込みをしていたとか」

 

『仕込みって言ってもなにかしてる様子はなかったからなぁ……』

『ジョジョ、逆に考えるんだ。「何もしてないように見える仕込みってなんだ?」と考えるんだ』

『威圧系?』

『でも威圧されてたらわかるんじゃないか? 出走してたウマ娘もよくわからん感じだったぞ』

『うーん、ここから先は仮定に仮定を重ねる形になりそうだな……』

 

「ナイスネイチャが一枚上手だったっちゅうことやな」

 

「仕方ない。それではそろそろ終わりにしようか」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』



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合宿のことと、7人目

 7月の上旬、チーム《ミラ》《カノープス》と地方出身組による合同海外合宿が始まった。

 渡航費用や滞在費用はすべて網持ちでありそれだけでも数千万円ほどの出費になるため、BCシリーズに参加しない《カノープス》のメンバーやイズミスイセンのトレーナーである児玉からはかなり恐縮されていたが、網にとっては経費で落ちるこれらの費用を負担することは税金対策にもなるためそれほど損というわけでもない。

 ちなみにであるが、ハシルショウグンに関してはBCチャレンジに指定されているフェブラリーステークスを勝利しているため、10月からは指定の宿泊施設に泊まった場合の宿泊費とレース登録料が大会運営負担となっている。

 イクノディクタスも出走予定のフラワーボウルステークスに勝てばBCフィリー&メアターフへの優先出走権と費用補助を受けられるのだが、今年のBCフィリー&メアターフはデルマーレース場での11f――約2200mであり、成績的にマイルのレースの方が良いと判断したことからBCマイルへ出走予定としたようだ。

 

 そして、《ミラ》のメンバーに関しては――

 

『ヤァ! よく来たネ、待ってたヨ、ライス!』

 

『うん、しばらくお世話になるね、シア』

 

 アメリカのクラシック無敗三冠を達成した優駿、シアトルスルーを師に持つ良家のお嬢様であり、ライスシャワーの友人でもあるダンツシアトルの実家が所有する使われていない別荘を、好意から*1借りることになっていた。

 当然、使用人などはついていないためその辺りは自炊だが、アイネスフウジン、ナイスネイチャ、ナリタタイシンと自炊要員は豊富な《ミラ》には問題がない。

 フランスやイギリスと違ってアメリカには安くて多い店がかなりあるから、食費くらいは《ミラ》以外のメンバーでも捻出できるだろう。

 

 さて、アメリカのレース環境と言えばダートである。しかも、日本の砂と違う土寄りのダートであることは最早語るまでもない。よって、日本のダートに慣れ親しんでいた地方出身組のふたりはまず感覚の切り替えを余儀なくされる。

 逆に芝質は軽く、欧州よりは日本の芝に近いため、アメリカのGⅠに挑戦する気がなく、単に合宿に来たメンバーも感覚のズレなくトレーニングができるだろう。

 もっとも、《カノープス》のデビュー済みメンバーは皆この機会にアメリカのレースに出走するようだが。

 

 さて、《ミラ》メンバーのトレーニング内容を見ていこう。まずツインターボだが、アイネスフウジンが完全にサポーターとして付き、徹底的にスタミナ増加のトレーニングをする。

 具体的には主にC(コンスタント・ウェイト)N(・アプネア・)F(ウィズアウト・フィンズ)*2と、膂力の強いウマ娘用の背嚢型低酸素マシンを使ったランニングでスタミナを鍛えることとなる。

 日本とアメリカのトレーニング環境の違い。主だったものは土質の違いや敷地面積の違いなどがあるが、敷地面積からくるプールの広さもそのひとつだ。アメリカには日本と比べ、広く深いトレーニング用プールがいくつもある。

 ちなみに、逆にあまり違いがないのはトレーニングマシンだ。だから、海外合宿などする場合の主な目的は、遠征のために現地の芝質、土質に慣れるためか、メンタルトレーニングを兼ねるため、慰安を兼ねるためのいずれかになる。マシントレーニングばかりなら日本でやっても大差ないのだ。

 ツインターボのトレーニングには、菊花賞のためにスタミナをつける必要があるナリタタイシンも付き合うこととなった。

 

 ナイスネイチャは総合的なトレーニングをしながら、アメリカのレース観戦をしにいくようだ。

 実は、宝塚記念で彼女が行った《疑似領域破壊》は欠点が多い。経験が豊富な相手や威圧を受け流すような精神性の相手にはそもそも効きにくいし、ナイスネイチャが能動的に採れる手段ではそもそも疑似領域を破壊しきれない可能性がある。

 また、破壊直後に"領域(ゾーン)"に入られると実質的に無効化されることになったり、疑似領域状態から"領域(ゾーン)"に入った場合はナイスネイチャにはそれを破壊する手段がなかったりという欠点もある。

 宝塚記念には領域破壊を得意とするレオダーバンが出走していたからこそ、確実に効果が出ると考えてこの作戦を軸にしたのだ。

 とはいえ、単純に疑似領域状態にするだけでもスタミナや精神力を削る効果や、他の作戦にはめやすくする効果はあるので、完全に無駄ではないのだが。

 ともかく、そんな欠点だらけの作戦が巧くいったからと言って油断はできない。そのため、アメリカで行われているようなラフプレーも作戦に取り込もうと観戦することにしたのである。

 また、アメリカの図書館に置かれている蔵書や論文もチェックして、とにかくここでしか得られない知識を溜め込むことにした。お陰で、次回の定期試験でナイスネイチャの英語の点数が急上昇することとなるのは余談である。

 

 ライスシャワーはツインターボと同じように背嚢型低酸素マシンを背負った状態で、大型坂路トレーニングを行う。これは来年のステイヤーズミリオンを見越してのトレーニングだ。

 今までライスシャワーが走ってきたコースもそうだったが、欧州のコースは坂の起伏が大きいものが多い。その中でも、ステイヤーズミリオンに指定されているゴールドカップが開催されるアスコットレース場は、世界各国のレース場の中でも屈指の高低差を持つコースなのだ。

 なにせ高低差22m。中山レース場の約4倍もの高低差を持つコースを4000m走るのだ。はっきり言って正気の沙汰ではない。

 ライスシャワーが坂への対応が巧いと言えど、それほどの起伏は未知の領域だ。それこそ、長距離でなくていいから事前にアスコットレース場のレースに出ることを想定するほどに。

 打てる対策はすべて打つつもりで、網とライスシャワーはトレーニングに挑む。世界最強のステイヤーとしての名を維持するために。

 

 マーベラスサンデーについては網の見立ての結果、骨と内臓が弱い傾向にあることがわかったため、食生活の改善と水泳での全身の筋肉トレーニングを行うことになった。

 それに加えて、彼女の()()()()を伸ばす方法を模索することが網の課題となった。これに関しては、既存のトレーニングの知識だけではどうにもならないことだったからだ。

 しかし、この才能を武器にまで昇華できれば、それはマーベラスサンデーの強みになりうる。網はそう確信していた。

 なお、マーベラスサンデーとの会話は日本語より英語のほうがスムーズに理解できることがわかったのも余談である。

 

 普段とは異なる環境でのトレーニングは、何よりメンタルに強い負荷をかける。彼女たちにとってもっとも鍛えられたのは精神力だろう。

 何より、アメリカという地の名物であるジャンクフードや大盛りメニューの誘惑による体調管理失敗(太り気味)との戦いは、《ミラ》の精神力を大きく鍛えたという。*3

 

 

 

☆★☆

 

 

 

『それじゃあ、シアは年末辺りにはデビューするんだ』

 

『ウン! 《ミラ》には今年デビューの娘はいないノ?』

 

『マーベラスは来年デビューの予定だし……うん、今はいないかな……』

 

★☆★

 

 

 

 時は過ぎて9月。菊花賞出走予定のナリタタイシンと秋の天皇賞出走予定のナイスネイチャ。そのコンディション管理をする網と、網から直接トレーニングの指示を受けなくてはならないマーベラスサンデーは日本へと帰国した。

 ツインターボはアイネスフウジン、ライスシャワーのふたりと共にアメリカに残り、BCシリーズまで滞在することになる。

 そして――

 

「頼むっ!! アタシを、チーム《ミラ》に入れてくれっ!!」

 

「……あー……えーと、まずお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 

 網の前で深く頭を下げ懇願するウマ娘。やや明るめの鹿毛に小柄な体躯。まだあどけなさを残す顔のつぶらな瞳は、しかし何か覚悟に満ちていた。

 

「アタシはビコーペガサス。どうしても、勝ちたい人がいるんだ!!」

*1
バ群での位置取りではない。

*2
フィンを使わず素潜りでどれだけ深く潜れるかを競う競技。

*3
ナリタタイシンを除く。



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あかし




 それはビコーペガサス来襲から遡ること数日。スプリンターズステークス後の優勝者インタビューでの出来事だった。

 

「サクラバクシンオーさん、スプリンターズステークス、レコード更新しての制覇おめでとうございます!」

 

「いえいえ、学級委員長として当たり前のことですよ!」

 

「昨年覇者のニシノフラワーさんを破っての勝利となりましたが、それでも当たり前と?」

 

「えぇ、確かに昨年はフラワーさんの努力が実を結び、見事この私を打ち破って見せました。今年のフラワーさんが努力を怠ったとは言いません。ただ、学級委員長という壁が昨年より高くなっていただけのこと!! そして、学級委員長が日々進化するのは当たり前の話!! つまり、今日私がフラワーさんに勝てたのは当然の帰結なのです!!」

 

 現世代スプリンター最強格――いや、現世代最強スプリンターであるサクラバクシンオー。その受け答えの端々から捉えられる傲慢さに、しかし悪意はない。

 それは自負であり、確信であり、誇示である。自らの脚に対する絶対の自信。その揺るぎなさの証明。当たり前だ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「サクラバクシンオーさんは、これで高松宮記念とあわせて春秋スプリント制覇、更に国外GⅠのチェアマンズスプリントプライズ、ダイヤモンドジュビリーステークス、ジュライカップを挟んで短距離GⅠ5連勝という快挙を達成しております! 名実ともに世界最強のスプリンターと呼ばれてもよい実績と言えますがいかがでしょうか?」

 

「私に勝てる方が現れないなら、私が最も強いのでしょうね! しかし、今日のフラワーさんもゼファーさんも、私をヒヤヒヤさせる走りを見せてくれました! 頂点は依然として私ですが、それに迫る方々は海外にも多くいらっしゃいますから、私とてこれからも止まらずに驀進し続けるべきでしょう!」

 

「国外では、チーム《ミラ》に所属する同期のライスシャワーさんが、長距離路線で最強格と呼ばれる活躍を見せていますが、同期として、そして、トレセン学園最強チームの座を守り続けていたチーム《リギル》のメンバーとして、対抗心などはあるのでしょうか?」

 

「ライスさんは良き友人であり良きライバルです! それ以外の何者でもありませんし、私たちの走る道が交わらない限りは対抗も何もありません! その答えが出るのは、いずれ彼女と覇を競い合う日が来たときでしょう!! そして、確かに私は《リギル》に所属していますが、それは私が信頼するトレーナーさんが《リギル》所属のサブトレーナーであったからです。私は《リギル》の、或いは《サクラ軍団》の名を背負っているのかもしれませんが、それはあくまで結果に過ぎません!! 背負う名のために走るのではなく、走ったあと皆が見る背にその名があるのです!! 私がこの胸に抱き示し、そのために走ると決めているのは、学級委員長という務めだけです!!!」

 

 だからサクラバクシンオーは揺るがない。曲がらない。折れない。確固たる目標が定まっており、その中途にあるものは道でしかない。

 

「これからの出走予定はお決まりなのでしょうか? やはり香港スプリントを?」

 

「体調次第では、英チャンピオンズスプリントステークスにも出たいところですね! 来年はライトニングステークス*1から始めて、招待が来るならアルクオーツスプリント、来なければ高松宮記念の連覇になりますね……あぁ、そうでした! これは言っておかなければ!」

 

 サクラバクシンオーがわざとらしく咳払いをすると、カメラが彼女の一挙手一投足を見逃すまいと集中する。

 

「もしも、これ以上私に勝つことのできる方が現れないのならば、私がこの短距離の頂に居座り続けるのは不健全だと思うのです。それはきっと、この道の衰退を呼びます。故に、来年のスプリンターズステークスでの勝利を短距離路線の修了として、トゥインクルシリーズを引退、ドリームシリーズへ移籍します!」

 

 絶対的な強さは時に人を退屈させる。

 高すぎる壁は挑戦する気力さえ奪う。

 クラシック路線やティアラ路線ならばいざしらず、自らがいるスプリント路線において、停滞とも呼べるその強さはやがて衰退へと繋がる。サクラバクシンオーはそう判断した。

 

「短距離での格付けは済んだ、と?」

 

「今私がそれを叫んでも納得しない方のほうが多いでしょう。だからこその1年です。私はこれから出走するスプリントレースで勝ち続けます。そして日本における集大成である来年のスプリンターズステークスに勝利することで、私自身の格を証明するつもりです。それ以降、衰え始めた私に勝ったとしても、それが私を超えたことになるとは、ファンはもちろん何より挑戦者自身が納得しないでしょう」

 

 傲慢。言外に「格付けは済んだが疑うなら付き合ってやろう」と遥か高みから見下ろすような発言。しかしそれも当然だろう。短距離で彼女が敗れたのはクラシック期でのただ一度。そしてその敗戦以降進化し続け、前人未到の短距離GⅠ5連勝。今世代最強は疑いようもなく彼女なのだから。

 

「1年、長いようで一瞬です。だからこそ今言わねば間に合わない。来年、私は自ら立てたこのレコードを、再び更新してトゥインクルシリーズのターフを去ります。私が最強であることに異を唱えたければ、それまでに私に勝ってみなさい!!」

 

 力強く、かの『"絶対"なる皇帝』でさえ言わなかった世界に向けての勝利宣言に、最早呆気にとられるしかない記者を差し置いて、サクラバクシンオーは再び咳払いをする。

 再び前へ向けたその瞳は、本題はここからだとでも言うかのように未だ炎が宿っている。

 

「そして、ドリームシリーズでの話ですが――私、サクラバクシンオーは学級委員長として、すべてのウマ娘の規範たる存在であるべきだと考えております。それは、短距離路線だけの話ではないのです」

 

 記者たちがざわつく。サクラバクシンオーが3度走ったことのある1401m以上のレースでの成績は散々なものであり、だからこそ彼女のことを多くのファンは"筋金入りのスプリンター"だと認識していた。

 しかし、この前置きから想定される本題は。

 

「まずはマイル。それからミドルディスタンス、クラシック、そしてロング、エクステンデッド。あるいはダートまで、すべての条件で規範となってこそ学級委員長!」

 

 事実、彼女が言いたかった本題はこちらなのだろう。先程の勝利宣言などは()()()に過ぎない。既に彼女の中で格付けは終わっているのだから。

 

「ブルボンさんという先駆者がいる以上、距離延長は絵空事ではないと考えています! なのでドリームシリーズでは主に距離延長への挑戦、そして全距離区分で『挑戦される側』になることを、学級委員長の最終目標として驀進したいと思っています!!」

 

「そ、それはつまり、ドリームシリーズではスプリント戦には出ない、ということでしょうか……?」

 

「ドリームシリーズにはまだ私が戦ったことのない相手がいます。その方々に勝利を収めなければ真に頂へ立ったとは言い難いでしょうから、それまでは、全く出ないということはないと思います。裏を返せば、その方々が出走しないのであれば、私が出走する理由はないということです」

 

 ドリームシリーズ。その名の通り、かつてトゥインクルシリーズを駆けた優駿たちが集い覇を競い合う『夢』の舞台。それならば、優駿がトゥインクルシリーズで叶えられなかった『夢』を追うこともまたひとつの選択だろう。

 サクラバクシンオーの選択はファンに僅かな未練とこれからへの期待を以て受け入れられた。そして同時に、すべての好敵手たちの闘争心を煽る。

 それでも、サクラバクシンオーは高らかに笑うのだ。目指す先は誰かの背中ではなく、見果てぬ地平の彼方のように終わりのない速さの先の先。

 あらゆるウマ娘(全距離区分)規範(最強)たる学級委員長()となることこそが、彼女の唯一の目標なのだから。

 

 

 

★☆★

 

 

 

「無理です」

 

 網は言葉を濁さなかった。それほど、ビコーペガサスの願いを叶えるために越えなければならない壁は高かったからだ。

 

「サクラバクシンオーは今シニア級、来年のスプリンターズステークスではシニア2年目です。彼女が宣言通りに引退するならば、貴女はクラシック級で彼女に挑まねばなりません」

 

 ツインターボがトウカイテイオーに勝利する、なんてものではない。2年もの経験の差はそれほどまでに大きい。

 その上、恐らく来年もまだ、いや、来年こそサクラバクシンオーは最盛期を迎える。衰えは期待できない。

 

「これから1年足らずで貴女をサクラバクシンオーの領域まで押し上げることははっきり言って不可能です。付け焼き刃で勝てるほど、サクラバクシンオーは甘くない」

 

 それは正論だ。ビコーペガサスに反論の余地を与えない、致死性の正論だ。事実、ビコーペガサスは網の言葉にただ歯を食いしばって耐えるだけだ。

 

「そして同時に、自分の勝利を疑っている時点でサクラバクシンオーには勝てない。彼女の強さは自分の勝利を疑わないことにありますから。貴女がどんな動機からサクラバクシンオーに勝ちたいのかはわかりませんが、絶対に勝てない勝負に絶対に勝てると信じながら挑めますか?」

 

 ビコーペガサスはその問いにすぐには答えなかった。ただ、問を一度飲み込んで、考え、しかし目から光は失われず、決意したように口を開いた。

 

「やってやる……! たとえ負けるとわかっていても、やらなきゃいけないことがあるんだ!」

 

「それは貴女がやらなければならないことなんですか? 他の誰かがやるのでは?」

 

「『誰かがやるだろう』は『誰もやらないかもしれない』だ! だから、アタシがやるッ!!」

 

「わかりました。では、こちら加入届になりますので書いておいてください」

 

 あんまりにもあっさりとした返答に肩透かしを食らったビコーペガサスは目を丸くする。

 

「え……いいのか……?」

 

「サクラバクシンオーに勝てるようにする、などと無責任なことは言えませんから、勝てなかったからと言って、あとで文句を言われたくなかっただけですよ。負けるかもしれないとわかっていて、それでもいいと言うなら結構」

 

「そんなことしねーよっ!!」

 

 これはもはや言うまでもないだろうが、そもそも網にとって担当が勝とうが負けようがなんの感慨もない。勝てればよし、負けたなら原因を洗い出して次へ繋げるだけだ。

 網がサクラバクシンオーにビコーペガサスが負けることを気にしたのは、ひとえに敗戦後のビコーペガサスのメンタルにどれだけ影響するかを考えたに過ぎない。負けたことで壊れさえしなければどうとでもなるのだ。

 

「まぁ仮にサクラバクシンオーに勝てなくとも、スプリンターとして一流と言える程度には育てることを約束しますよ……それに、サクラバクシンオーに勝てる可能性は0%ではありません。運のいいことに、今はそれについて研究せざるを得ない状況でしたから、あとは貴女次第――」

 

「トレーナーさん!! タイシン先輩が!!」

 

 網の声は、ナイスネイチャの声にかき消される。

 すぐにナリタタイシンがいるであろうトラックへ目を向けた網が目にしたものは、しゃがみ込むナリタタイシンと、地面を赤く染める血溜まりだった。

*1
現在はブラックキャビアライトニングに改名されたレース。ブラックキャビアはまだ世に出ていないのでこの世界線では改名前。




赤し


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秋の始まり

「運動性前篩骨動脈領域鼻出血……職業病ってやつだな」

 

 季節の変わり目、つい先日まで残暑だったのが、吹き込んできた寒気のせいで一時的に気温が下がっていたのが原因と網は診断した。

 

「ゔぇ……キーゼルバッハ部位からじゃなくてですか……?」

 

「なんだ、勉強したのかナイスネイチャ」

 

「え、あ、ま、まぁ……そうね……チョットだけ……?」

 

 キーゼルバッハ部位――鼻に指を挿入して触れられる程度の範囲。言ってしまえば、鼻への刺激で出血するのは8割以上ここからである。

 前篩骨動脈領域はその奥、喉までは行かないが指では届かない中程にある部位で、人間の場合はおいそれと鼻血が出たりはしない。

 しかし、血圧が高くなりやすく、特に頭に血が上りやすい競走ウマ娘などは、ここからの鼻出血が起こるケースが比較的高い。

 キーゼルバッハ部位からの鼻出血と前篩骨動脈領域からの鼻出血との差は、主にその出血量にある。簡単に言ってしまえば、キーゼルバッハ部位の鼻出血が主に毛細血管からの出血なのに対し、前篩骨動脈領域の場合は比較的太い血管が走っているのだ。

 だから、後者のほうが出血量が多くなりやすく、また、一度出血すると止まりにくい。網はナリタタイシンの鼻に綿球を詰め、チューブとボトルの付いたマスクを着けさせると、口に回ってきた血をそこへ吐くように指示した。

 

「ナイスネイチャ。この番号に電話かけて後鼻出血の鼻粘膜焼灼術で予約入れてくれ。マーベラスサンデーはナリタタイシン抱えてついてこい」

 

「いい……自分で歩ける」

 

「トレーナー、アタシはどうすんの?」

 

「あー……ナイスネイチャと一緒に待機、トレーニングはするなよ、休憩にしとけ。マーベラスサンデーは念のためついてこい」

 

 ナイスネイチャとビコーペガサスを残して、網たちは駐車場で車に乗り込み病院へと向かう。

 鼻粘膜焼灼術とは、電気メスなどを使って出血部位を焼き固める手術のことだ。部分麻酔を使って行われ、痛みもなく日帰りできる施術だが、出血量が多い場合貧血対策に輸血が必要になることもあり、その場合は入院が必要になる。

 ナリタタイシンは小柄な分、血液の総量が少ないが、今回は早期に発見できたため総合的にはそれほど出血量が多いとは言えないだろう。

 

「外傷性でない鼻出血の場合、1ヶ月の出走停止命令が出される。京都新聞杯にはギリギリ出られないな……」

 

「……菊花賞は出るから」

 

 マスク越しに少しくぐもったナリタタイシンの声は、しかし確かに網の耳に届く。その瞳にはなにがなんでも出走してやるというギラついた光が宿っていた。

 

「なら、しばらくは安静にしとけ。再発したら次は2ヶ月出走停止で確実に出られなくなるぞ」

 

「……止めないの?」

 

「止めてほしいのか?」

 

 定番の返しではあるが、実際にそう聞かれると言葉に詰まる。そんな様子のナリタタイシンを見て、網は続けた。

 

「しばらくは有酸素運動を控えて、無酸素運動で体が鈍らないようにだけしておけ」

 

「うん……ありがと」

 

「これが俺の仕事だ」

 

 ふたりのやり取りを見たマーベラスサンデーが、小声で「マーベラス☆」と呟いた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 9月末、神戸新聞杯。菊花賞トライアルであり、優先出走権を懸けた戦いだ。

 先頭を行くのは水色の刺繍が縫い付けられた赤いトガ*1をアレンジしたような勝負服を着たウマ娘、ネーハイシーザー。先行よりの脚質だが、このレースでは終始先頭でレースを引っ張っている。

 その後方、ピッタリとつけてきているのは芦毛の長毛種、ビワハヤヒデ。序盤から先団を維持し、予定通りに事を運んだことで"領域(ゾーン)"へと入りさらに速度を上げながら終盤に入る。

 しかしネーハイシーザーも粘る。ドロップアウトグループ《C-Ma》で鍛えられた反骨精神はこの程度で折れはしない。

 

「パイセーン!! チョーがんばれええええええええ!!」

 

「BNWがなんぼのもんじゃあああああああああああい!!」

 

「負けたら焼肉奢ってもらうよなぁあ!?」

 

「スターさん、それ普通逆では?」

 

 ネーハイシーザーを応援しているのは同じく《C-Ma》に属していた今年度デビュー予定のウマ娘たち。特に"スター"と"パラさん"はデビューを2週間以内に控えたなかでの応援だ。

 彼女たち《C-Ma》は中央トレセン学園の生徒の中でも、家庭の事情や学力、トラブルなどで健全な学園生活のサイクルから弾き出され復帰が難しくなっていた者たちが所属している、シリウスシンボリが指揮する非公式トレーニンググループだ。当然、エリート中のエリートである《リギル》、そこに所属するビワハヤヒデに対して、複雑な感情が入り混じった反抗心を抱いている。

 特にクラシック路線へと進む"スター"と"アイヤー*2"はビワハヤヒデの妹であるナリタブライアンとまともにぶつかり合うことになるため、姉であるビワハヤヒデに対してもバチバチに火花を飛ばしていた。いや、"スター"はよくわからんけど。

 

 それはネーハイシーザー自身も例外ではない。後ろからかかる圧力を推進力に変え、残る仁川の坂を越えようと加速する。

 しかし、直線に入った直後にビワハヤヒデがネーハイシーザーに外から並びかけ、並ぶ間もなく躱し、突き離す。今度はネーハイシーザーがそれを追いかける番になるが、差は縮まらず開くのみ。

 1と1/4バ身が開いたとき、ビワハヤヒデがゴール板を踏み抜いた。1着はビワハヤヒデ。2着に入ったネーハイシーザーも菊花賞への切符は手に入れることができたが、勝利を目の前にしての悔しい敗戦となった。

 

「パイセン、チョーお疲れ様ー」

 

「いやー、かなり惜しかったっすね!」

 

「まぁ本番の菊花賞は来月だ。それまでに調整し直して今度は勝ってやるさ」

 

「焼肉は叙○苑がいいと思うんだよなぁ!!」

 

「スター、シャラップ!」

 

 はしゃぎ回る後輩たちに囲まれて苦笑いを浮かべながらも、その目は今もまだビワハヤヒデを眺めながら獰猛に光っている。

 そしてもうひとつビワハヤヒデを見る視線。《C-Ma》のかしまし娘たちを監督するためについてきた彼女たちのリーダー、シリウスシンボリは、ビワハヤヒデの走りを見て冷や汗を垂らした。

 ビワハヤヒデに、かつての『"絶対"なる皇帝』が重なって見えたからだ。

 

「……何が『凡人の姉と天才の妹』だよ……姉のほうが余程バケモンじゃねえか……」

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 来たる10月末。天皇賞。ナイスネイチャが出走するレースである。

 もしもメタ発言が許容されていたら、ナイスネイチャ辺りが「今絶対菊花賞行く話の流れじゃなかった!?」などとツッコんでいたかもしれないが、この小説は真面目な作風なので地の文以外でそのような展開は差し控える。

 

 アメリカへの合宿で一皮剥けた……かどうかはわからないが、間違いなく成長したと自負しているナイスネイチャ。そんな彼女の仮想敵は、今まであまり関わってこなかった晩成の同期。

 『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフの愛弟子であるトウカイテイオーと並び、その時代に皇帝と呼ばれた『マイルの皇帝』ニホンピロウイナーの愛弟子、ヤマニンゼファー。

 安田記念を勝利し、スプリンターズステークスでも2着を取った彼女が天皇賞に出走する。1200mから2000mへの距離延長だ。

 何よりナイスネイチャが警戒していたのは、ヤマニンゼファーの精神性。そよ風のごときそのメンタルは、威圧が効きにくい。宝塚記念で使った《威圧ネットワーク》の効きが弱い相手だからだ。

 

(とはいえ、策はあれだけじゃない。ターボのBCターフとタイシン先輩の菊花賞……その前座だなんて言わせないから……!!)

 

 天皇賞が来る。

*1
古代ローマの民族衣装。

*2
表記揺れあり



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ふきとじよ

 大変遅くなりました。





 スタート直後にナイスネイチャが仕掛けた。威圧を放ちながらやや外側によれたのだ。それは外部から見る分にはほんの僅かなズレだったが、ナイスネイチャの外隣でスタートしたウマ娘からは威圧の効果もあってそのまま突っ込んでくるように見えた。

 反射的にナイスネイチャを避けようとした彼女の動きは外へ向かって波及していく。これによって、スタートからコーナーまでの短さで悪名高いこの東京2000mの第2コーナーで、なんとか斜行にならない程度に内へ入ろうとしていたウマ娘たちはそれを阻止される。

 

 比較的内寄りのゲートにいた逃げウマ娘が勢いよくペースを上げていく中、ヤマニンゼファーは番手でレースを進める。その後方外側にナイスネイチャが張り付いた。

 この先、ナイスネイチャが威圧をかけることで掛からせた逃げウマ娘は終盤で垂れる。その時にヤマニンゼファーが外に避けられないようブロックすれば、ヤマニンゼファーは垂れウマに巻き込まれて仕掛け時を逸するだろう。

 

(悪風……空気が淀んでいますね……)

 

 だが、今の位置取りに留まることを嫌ったヤマニンゼファーは、多少走行距離が伸びるのを承知でやや外側にコースをずらす。早々に策をひとつ潰されたナイスネイチャは、それを見て内心舌を打った。

 

 これは偶然ではない。ヤマニンゼファーの独特な言い回しのせいかあまり認知されていないが、彼女にとっての大きな武器はその精神性よりもむしろ、この"空気"を読む能力にある。相手の考えを直感的に察する力に長けており、それをもとにして思惑を外す。

 ナイスネイチャは知らないだろうが、彼女にとってヤマニンゼファーは天敵と言っても過言ではない。

 

 しかし、感知できるということは回避できることと同義ではない。

 

(……っ! なんて複雑な乱気流……まるで颱風(たいふう)の中にいるみたい……!!)

 

 ナイスネイチャの仕掛けた牽制がヤマニンゼファーの安全地帯を少しずつ削り取っていく。一歩でも踏み外せば終わりというほど破壊的なものではないが、足を取られれば連鎖して泥沼に嵌まる。

 いつの間にか、ナイスネイチャとヤマニンゼファーの間にウマ娘が数人入り込んでいる。ナイスネイチャが速度を緩めると同時に、自分の前へ後続を誘い込んだのだ。

 自分の策がことごとく外されていることは、しばらく攻防を続けていればナイスネイチャにも理解できた。だから、直接ヤマニンゼファーに仕掛けるのではなく、間に他のウマ娘を挟んで間接的に影響を与えることにしたのだ。

 ヤマニンゼファーにしてみれば、そのウマ娘たちの動きがナイスネイチャの予測の範疇か不測の事態か不明なのだ。かと言って、その先まで読もうとすると体に回す酸素が足りなくなる。

 ナイスネイチャ式の徹底マーク。2200〜3000mが本領のナイスネイチャと、1200〜1600mでしか勝てていないヤマニンゼファー。恐らく、一度スパートの出始めを妨害できれば、立て直してもう一度とはいかない。ナイスネイチャは、2000m初挑戦というスタミナ面への不安をヤマニンゼファーの攻略点と見ていた。

 

 向正面の長い直線。ナイスネイチャは外目につけたままゆっくりと上がっていき、再びヤマニンゼファーの後方外側につける。先程と酷似した構図にも関わらず、ヤマニンゼファーが感じる風の流れは少しばかり異なっていた。

 

(内側に淀み……でも、外側に向かって微風……? ()()()()()……?)

 

 先程はヤマニンゼファーを内側に閉じ込める策だった。今回も同じような思惑が働いているはずなのだが、同時に外へ誘い出そうという思惑も見える。

 状況にそれほど変わりはない。内側にいれば策に嵌ま(が淀んでい)るのは明白だが、逃げた先に罠が置いてある可能性が否めない。

 前の逃げウマ娘は未だハイペースを維持しており、いつ逆噴射してもおかしくないし、まくりに行くには早すぎる。迷っているうちにどんどん向正面の終わりが近づいてくる。

 

(さながらここが颱風の目……八方塞がりならば、覚悟を決めるしかありませんか)

 

 ヤマニンゼファーは意を決して再び外側へとレーンを移動する。これで少なくとも垂れてくる逃げウマ娘にブロックされることはなくなったはずだ。

 その瞬間、向正面最後の下り坂を利用したナイスネイチャがヤマニンゼファーとの距離を詰め、ヤマニンゼファーの内に入りながら、コーナーの膨らみを利用して威圧とともに外側へと詰めていく。

 コーナーで内側から外への動きであるため斜行と取られにくく、ぶつからないようにナイスネイチャとの距離を維持するためにヤマニンゼファーもやや膨らまざるを得ない。

 それによって、後続として迫ってきていたウマ娘たちが開いた内側を通って位置を上げていく。

 

 その瞬間、ヤマニンゼファーは嫌な風が吹いたのを感じた。

 

「っ!!」

 

 位置を上げていったウマ娘たちに気を取られていた一瞬の間に、先程までヤマニンゼファーの内側にいたナイスネイチャが、今度はまた外側後方にピッタリとつけてきている。間違いなく、この展開はナイスネイチャの想定通りだ。

 しかしそれがわかったところで、今のヤマニンゼファーにできることはない。

 

(来るのがわかってても、こうすれば避けられないでしょ!!)

 

 膠着状態のままコーナーは進み、そして最終直線。ナイスネイチャの《八方睨み》が前方のウマ娘たちを襲う。

 

(くぅっ……!! 暴風……いえ、鎌鼬のように鋭く容赦のない威圧……!!)

 

(アタシだって勝ちたいんだ!!)

 

 並の威圧では揺らがないヤマニンゼファーをたじろがせる程の威圧。以前のナイスネイチャならば出せなかったであろうそれは、勝利への執念からくるもの。

 それが直撃した先団のウマ娘が一気に崩れる。たとえわかっていても覆せない破滅。ナイスネイチャによって退路を断たれているヤマニンゼファーに、垂れてくる壁を躱す術はない。

 

「遍昭がアンコール希望だってさ……っ!」

 

 後方に流れていくヤマニンゼファーを横目に、ナイスネイチャがスパートを開始する。仕掛けこそ多く敷いたが、それでもスタミナは十分残っている。

 ナイスネイチャが一際強く踏み込んだとき、ナイスネイチャの後ろから突風が吹き荒れた。

 

「……風は囚われぬもの。(いまし)められることなく吹き渡るからこそ風である」

 

 不可解としか言いようがない。ほんの一瞬だけ人と人でできた壁に開いた、大きさも時間も僅かな隙間。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()隙間とさえ思えないそこを通り抜けて、そよ風(ゼファー)と呼ばれた暴風が唸りを上げる。

 最終直線、最も風を浴びることができるその場所でこそ、ヤマニンゼファーの風を読む能力は一際強くなる。それこそ、どのウマ娘がどのように動くか、一瞬先の未来さえわかるほどに。

 飛躍的に向上したコース取りの技巧には、どのようなブロックも通用しない。風を捕らえられる枷などないのと同じように。

 一歩、また一歩とヤマニンゼファーがナイスネイチャへと迫る。ナイスネイチャのもう一つの誤算は、ヤマニンゼファーが本質的にスプリンター〜マイラーであると誤認していたことだろう。

 ヤマニンゼファーには、2000mを走りきるだけのスタミナが十分存在していた。加速しきった風に、肉体という檻を持って走る者は追いつけない。

 

 

 

 走り切って、ナイスネイチャは内ラチに拳をぶつける。あと少しだった。勝てないレースではなかった。今回不足していたのは敵の情報だ。

 悔しさが滲む。しかし、その悔しさは卑屈さではなく闘志へと焚べられていく。どこともなく、あるいは未来を睨みつけるナイスネイチャの眼光とは裏腹に、その口元は吊り上がるように笑っていた。

 

 このレースは糧になる。

 決戦は2ヶ月後。今度こそ、帝王を落とす、と。




 これ解説すんのかぁ……

 ◇タマ、謎は解くよりも作る方が難しいんだ。知らないのか?


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オグタマライブ ??/10/31

《オグタマライブ!》

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

『まいどって言え』

『黙っちゃった』

『芝』

『仕事しろ』

『観念しろ』

『モクロス仕事しろ』

『なんか言え』

 

「エエやんもう。何がどうなったからどうとか知らんでも。誰が勝ったかわかるやろ」

 

『解説全否定で芝』

『勢いだけで突き進むのはTV FUJIの青山アナがやってるから』

『宝塚のときの青山ホンマ笑う』

『奇しくもゴール前一瞬青山とオグタマ両方黙って完全に放送事故だったの芝』

『奥義「サカヲノボル」』

『テレ関と3窓しろとあれほど』

 

「そもそもこの番組始まった当初ウチに解説期待してた視聴者なんぼほどおんねん。どうせ基本ウチとオグリの漫才目当てやろ」

 

『まぁ感覚派のタマが解説できるとは思ってなかった』

『今も解説してるのほとんどオグリだしな』

『オグリも大概感覚派のはずなんだけどなぁ』

 

「キタハラと勉強してるからな」

 

『っぱオグキタよ』

『式はいつ挙げるんです?』

『キタハラ禿げろ』

 

「私とキタハラはトレーナーと担当の関係であって信頼こそしているが恋愛関係にはない。キタハラのトレーナーとしての風評に関わるからその手の話題は控えてほしい。あとキタハラは最近本当に危なくなってきてるから髪の話題も控えてあげてほしい」

 

『真面目な話かと思ったら最後で芝』

『真面目な話だろ!!』

『キタハラの芝は枯れてるんだよなぁ』

『誰の頭皮が大井2000mだって!?』

 

「さて、前置きはこのくらいにしておいて、来週発走のBCシリーズを控え、日本でも注目の秋のGⅠシリーズ1戦目、秋の天皇賞がもうじき発走となる」

 

「スプリンターズステークスは秋のGⅠ戦線とちゃうんかってやつもおると思うけど、暑さに弱いウマ娘的には9月はまだ夏っちゅーことで納得せぇ」

 

「今回の注目はやはりチーム《ミラ》のナイスネイチャと、ニホンピロウイナーの弟子にして安田記念の勝者、先日のスプリンターズステークスでも2着になったヤマニンゼファーだろうか」

 

「言うてヤマニンゼファーてマイラーとちゃうの? ニホンピロウイナーの弟子やろ?」

 

「確かに、1800m以上の距離に出走するのは今回が初めてなようだ。だが、距離延長の前例はいくらでもあるからな」

 

『いくらでもあるっていうか近年エラいくらい出てきたっていうか』

『1800m延長とかいうわけわかんないことしたスプリンターがいるらしいからな』

『なんでスプリンターが菊花賞でレコード2着なんですかねぇ……』

 

「他に注目どころというと、ホワイトストーン、ムービースター、カミノクレッセ辺りだろうか」

 

「いつもの奴らやね。こんくらいの距離のGⅠ見とると大抵おるわ」

 

「フジヤマケンザンやセキテイリュウオーも期待できるだろうか。そしてやはり、ナイスネイチャだな」

 

『黙るな黙るな』

『大丈夫、解説期待してないから』

『!monadのブログ見んべ』

『モナドのブログこそ期待すんな。本業は作曲なんだから』

『天は二物を与えるんやなって……』

『!monadの曲聞くに相当理論派な人だからネイチャのパズルみたいなレース運びとか琴線に触れるんだろうな。普段レースの話しないのにネイチャのレースの話題には触れてる』

『あぁ、ナーバスタマちゃんモードだ』

『ナーバスになっちゃった』

『わァ……ァ……!』

 

「そろそろ発走の時間だぞ」

 

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

『よう鳴いとるって言え』

 

「スタートだ。ハナを取ったのはロンシャンボーイだな。その後続くようにヤマニンゼファー……ん、外枠側が乱れたな」

 

「ナイスネイチャがなんかしたんやろ」

 

『それは見ればわかるんよ』

『まぁネイチャから外側が見事に乱れてればそりゃネイチャがなんかしたんだろって思うわ』

『多分威圧でよろめかせたのが伝播した感じだと思う』

 

「ナイスネイチャはヤマニンゼファーの後方にマークし始めたな」

 

「……思ったより静かやな……宝塚ん時みたいな感じなんか?」

 

「ナイスネイチャがあの位置まで上がってるのは珍しいから、恐らくヤマニンゼファーをマークしているものだと思うが……」

 

「ロンシャンボーイは掛かっとんな」

 

「セキテイリュウオーは中団、ホワイトストーンは後方だ」

 

『すげぇ、マジでなんもわからん』

『おっ、お前ネイチャは初めてか? まぁ肩の力抜けよ』

『肩に力入れてもわからんからな』

『インテル入れろ』

 

「向正面に入って、ナイスネイチャの後続が位置を上げたな。これは誘ったか?」

 

「聞くな、わからん」

 

『芝』

『それは芝』

『清々しいな』

 

「全体に動きはないな。ムービースターがやや前に出たくらいか」

 

「ナイスネイチャがまた前に出てきおったで」

 

『あぁ〜』

『なるほどそういう』

『?』

『わからん』

 

「なるほど。この状態が続くようなら最終直線の前にロンシャンボーイを威圧してヤマニンゼファーの壁にする。そして今のようにヤマニンゼファーが動いたら、内側を通らせた後続を最終直線で垂れさせて壁にする。そういう作戦だったわけか」

 

「あ〜、なんとなくわかったわ」

 

『多分本当になんとなくわかってるんだろうけど何もわかってなさそうな顔』

『人ってこんなに何もわかってなさそうな顔できるんだな……』

『ダイユウサクが地獄待ちの倍満に振り込んだときの顔』

 

「言いたい放題やな」

 

『待て』

『え?』

『また領域なのか?』

『◆また領域なのか――?』

『どうやって抜けた今!?』

『おおおおおおおお!!!』

『ネイチャ逃げろ!!』

『きてるきてる』

『ぜふぁああああああああああ』

『いけええええええええええええ』

『いや抜かれんのはええなおい!!』

『ああああああああああああ』

『うおおおおおおおおおおおおおお』

『勝ったああああああああああああああああ』

『おあああああああああああ』

 

「確定した。1着がヤマニンゼファー、2着ナイスネイチャ。3着にホワ……」

 

「いや待て待て待て待て!! おかしいやろ!!

"領域(ゾーン)"とかそういう次元の話とちゃうぞ今の!? 集中力云々で物理法則乱されてたまるかい!!」

 

『てか何が起こったん? 俺には壁の後ろから壁の前に瞬間移動したようにしか見えなかった』

『気づいたら抜けてた』

『領域ってそんなんありなん?』

『人体透過するなら服も透過しろよ!』

『死ね』

『見てたんだけど3Fくらい隙間開いた時間あったよ』

『現実のfpsいくつなんだよ』

『60fpsだとしても0.05秒だぞ』

『見てからじゃ遅いもんな。開くのわかってたのか?』

『見聞色じゃん』

『穏やかじゃないですね』

『すり抜けは無理でも未来予知なら集中力でイケそうな気がする(感覚麻痺)』

 

「未来予知でどこにスキマ開くか見てタイミングあわせたっちゅーんか? そないなことある?」

 

「いや、むしろそれで納得した。恐らく、ヤマニンゼファーが元々観察力というか洞察力が高いタイプなんだ。ナイスネイチャが道中でヤマニンゼファーをマークしていたのにも関わらず、ヤマニンゼファーの走りにはブレが少なかった。最初はナイスネイチャが宝塚記念のときのように水面下で仕掛けを作っているのかと思っていたがそうではなく、ヤマニンゼファーがすべて躱していたんだ。その洞察力が"領域(ゾーン)"によって強化されたのが、あの壁抜けの真相だろう」

 

『タマ! 顔!』

『何だその顔は』

『もうこの際はっきり役割分けよう。解説のオグリとツッコミのタマで』

 

「せめて実況させろや!!」

 

「そろそろインタビューが始まるぞ」

 

『ゼファーのインタビューはターボとかレオ田ァとはまた違う意味でよくわからんからな』

『おっ、今日は羽原Tいるじゃん』

『羽原ー! サンキューちゃんは大丈夫かー!?』

『あれからもうじき1年か……』

『この間退院して今リハビリ中って言ってたぞ』

『じゃあもう帰国してんのか』

『ソースは?』

『スカイチノフのウマッター』

『誰だよスカイチノフ』

『1行版の荒巻スカルチノフをハンネにして固定ウマートに何故か荒巻スカルチノフのAA画像を貼ってる謎のウマ娘。恐らく現役中央生で未デビュー。普段は猫の写真やフィッシングの写真が多いが、結構頻繁にニシノフラワーについての呟きもする。ニシノフラワーについての情報はデジたんより正確』

『色々言いたいことはあるけど基準にされるデジたんで芝』

『流石未デビューな上に現状特別な後ろ盾もないのに一般認知度がビックリするほど高い一般ウマ娘オタクウマ娘アグネスデジタル』

『ダンスロボットダンスみたいに言うな』

『アグネスって最近できたとこ?』

『データ重視派のスクールやね。名家ほどではないけど大きめの家が支援してるとこ』

 

『なんでスカイチノフなんだ……スカイどっから来た……』

『スカイチノフのあげた動画でフラワーが「スカイさん」って呼んでるから。恐らくニシノ家関連のセイウン組のセイウンスカイだと思われる』

『特定はやめとけ……遅かったか……』

『消されたな』

『消された(意味深)』

『名家の情報戦を一手に担うセイウン組を敵に回したらそらそうよ』

『学習してくれ』

 

『てかなんでスカイチノフからサンエイサンキューに繋がるの』

『フラワーの情報が載るからだろ』

『それはわかってんよ。ニシノフラワーとサンエイサンキューって仲悪いんじゃなかったっけ?』

『いつまでマスゴミのデマ信じてんだよ。めっちゃ仲いいぞ』

『まぁいくらかはイメージ戦略も入ってるだろうが仲いいか悪いかならいいだろうな』

『てかニシノ家の伝手でもなければあんな病院入れないだろ。愛国の王家御用達だぞ』

『ニシノ家って国内には手広いけど国外はそうでもないんじゃないの?』

『病院なんて伝手なくても入れるだろ』

『救急病院ならともかくウマ娘のスポーツ病院だと技術漏洩の可能性があるから国外の患者は紹介状必要なとこもあるぞ』

 

『ヤマニンゼファーって羽原トレの担当だったんだ。安田記念のときいたっけ』

『安田記念のときはサンエイサンキューの方で手が離せなかったから祥臣トレに監督頼んだって言ってた』

『流石柴原相談役』

『あのふたり顔がいいから並んでると花があるよね』

『若き天才羽原トレと苦み走ったいい男の柴原甥トレな』

『もう甥ってつけなくても誰だかわかるのか……』

『やめろよそういうこと言うの……』

 

「お前らがアホ言うとる間にインタビュー終わったで」

 

「私達の知らない情報もあって普通にコメントの方を見入ってしまった」

 

『芝』

『それは芝』

『仕事しろ』

『まぁオグタマはこんくらい緩くていいよ』

 

「まぁ、そろそろ時間や。来週はBCシリーズの長期特番、休憩挟んで菊花賞の実況や」

 

「どちらにも担当が出る網トレーナーはどうするんだろう。間に合うのか?」

 

「最悪プライベートジェット飛ばすやろあの人なら。〆んで」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』



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トラッシュトーク

 イズミスイセン、BCダートマイル、5着。

 イクノディクタス、BCマイル、7着。

 現状、日本のウマ娘によるこのBCチャンピオンシップでの成績は健闘はしているもののパッとしないものだった。

 

『……このイズミスイセンってのは、日本のダートトリプルクラウンじゃないのか?』

 

『しかたねぇこったよ。日本のダートトリプルクラウンってのは、ウチらにとっての芝三冠みたいなこったから』

 

『フーン、自虐?』

 

『ちげぇよ』

 

 片や栗毛、片や黒鹿毛のウマ娘たちは、遥か極東からやってきた挑戦者たちを見やる。それほど期待していたわけではないが、まぁ良くて自国の中堅レベル。

 このアメリカのレースの祭典であるBCチャンピオンシップで輝くには少々役者不足と言わざるを得ない。そう判断していた。

 

『アメリカ芝路線のトップが"アメリカの芝はあの程度"なんて言ってんだから自虐でしかないでしょ。舐めたこと言ってるとしばき回されるよ。ってか僕がしばく』

 

『いや殴るこたぁないだろ!? それに、肝心のウチらの相手はそう侮るもんじゃないさ』

 

 黒鹿毛が手にしているタブレットに映し出されているのは、彼女たちの出走するBCターフに参戦してきた、日本の刺客。

 そう、まさに刺客だろう。2年前、極東のレース後進国から突如現れ、フランス最高峰のトロフィーをかっ攫ったKAMIKAZEと、この1年半ほど各国の超長距離路線を荒らし回っているNINJA。

 そんなふたりのウマ娘を育て上げた黒い怪人(SLENDERMAN)が、今度はまた別の刺客を放ってきた。

 

『「NonStop Rabbit」か……相変わらずイカれてんね、アイツら』

 

『油断できねぇぞ。そいつはそれでもクラシック1冠と、日本のエンペラーズカップを連覇してるんだ。GⅠ3勝、格上ってこった……お前の』

 

『そうだね。僕はGⅠ2勝だから。ところでアンタはGⅠ4勝するのにデビューから何年かかったんだっけ?』

 

『3年で4つだなぁ? そっちは2つを1年半だっけ? あれ? 変わらなくない? まさか計算ミスってこたぁないよなぁ?』

 

『3年かけてやっと4つとれるようになったのと、1年半で既に2つとれてるのとでは雲泥の差があるの理解できないかな? 1年半の伸びしろがあるんだよ単純計算できるわけないだろ』

 

『希望的観測が上手なこった。終わりに向けて華々しく輝きを増すプレイヤーもいればアッサリ消えてくプレイヤーもいるんだぜ?』

 

『流石、終わりが近い人が言うと説得力が違う』

 

 辛辣な応酬が続く。険悪そうに見えて、これがアメリカのウマ娘のおおよその平常運転である。レース前のトラッシュトークと言えば、どこぞの京都弁が頭に浮かぶが、彼女たちのそれはオブラートも何もない。煽りと挑発の連続。それでもこの程度ならじゃれ合いだ。

 

『2400mは勝ってないみたいだけど……スタミナ保つの?』

 

『SLENDERMANの担当だぞ。ありゃステイヤーならお手の物だろ。距離延長くらいしっかりしてきてるってこった』

 

『いやにあっちの肩持つじゃん。負けたときの予防線?』

 

『まさか』

 

 黒鹿毛のウマ娘がパドックへ進む。果たして日本からの挑戦者はただの無謀な集団か。それとも自分たちの喉元に牙を突き立てるに足る兵士なのか。

 シニア2年目で花開いた芝のトップスターは獰猛な獣のように笑う。

 

敵役(かたきやく)は強いほうが勝者が際立つってこった』

 

 

 

★☆★

 

 

 

『そういうわけで、私も出走いたしますので、本日はよろしくお願いいたします』

 

『おう! よろしくな!』

 

 一方ツインターボ、出走予定のBCターフの地下バ道に、意外なことに見知った顔があった。この合宿中に何度も見ていた、ダンツシアトルの付き人、フェアリーガーデンである。

 忘れられることも多いが、彼女はアメリカ所属の現役競走ウマ娘である。それも、重賞勝利の経験もある実力者だ。BCチャンピオンシップに出走するというのも不思議ではない。

 

 地下バ道の一角ではアメリカ所属のウマ娘たちがトラッシュトークを楽しんでいるのが見える。これが他国のウマ娘が来ないGⅡやGⅢのレースならば、一角と言わず地下バ道がそんなやり取りで溢れ返るだろう。

 アメリカのウマ娘にとって、レース前のそんなやり取りはレースそのものとはまた別種のプライドを懸けた勝負なのだ。

 他国のトラッシュトークに馴染みのないウマ娘を巻き込まない程度の気遣いはある*1が、中には自ら望んで巻き込まれに行くウマ娘もいる。

 

『お高く止まったイギリスの二枚舌がよぉ……舌ばっか速く回って脚回んねえんじゃねえか?』

 

『随分とまた甘えきった挑発だね。相手のことをろくに調べもせずステレオタイプのパブリックイメージに甘えきった罵倒が的を射ることはないし自らの怠慢を晒しているのとさして変わらないよ。そういう向上心のかけらもない性根が透けて見えているからここ最近勝てると思われていない(人気順位が低い)んじゃないかな?』

 

『案の定よく回ってるじゃねえか舌がよぉ!』

 

『ここはそういう場だろう? だから的外れだと言っているんだ。そもそも二枚舌を罵倒として用いるとして、それは人格面への攻撃であって能力面への攻撃ではない。むしろその弁舌能力を肯定している。極東の島国でさえ「神官の嘘は方便、騎士の嘘は武略*2」と説いているのに頭を使おうともしないキミと違って、ワタシは勝つために常に思考している。もっとも、キミ相手であれば次回公演の台本を(そら)んじていても勝てそうだけどね。ロクに使わないなら重りになるだけなんだからどこかにおいてきたほうがいいんじゃないか? どうせならキミのトレーナーが接吻(キス)できるように銀の皿に載せてあげよう』

 

『バッババババ、バカヤロウ!! 誰があんなムーニーバレー*3野郎とキスなんかするか!!』

 

『おっと予想外な効き方をしたぞ?』

 

 顔を真っ赤にしたアメリカのウマ娘が控室へと走り去り、イギリス所属の赤と白を基調とした舞台衣装のような勝負服に身を包んだ鹿毛のウマ娘が高笑いをあげた。

 イクノディクタスはともかく、イズミスイセンはこの雰囲気に圧され集中力を乱してしまったことも敗因だろう。

 しかし、一方のツインターボは平静を保っている。イヤホンで音楽を聴いているからというのもあるが、身近にアメリカ人がいる環境で育ったアメリカ人ハーフのツインターボにとって、この雰囲気はホームに近いものがあるのだ。

 そんなツインターボに人影がかかる。ツインターボが見上げた先にいたのは、アメリカ所属であろう黒鹿毛のウマ娘だった。

 まず目を引くのはその巨躯。2mはあろうかというその大柄な肉体は日焼けからか遺伝子からか褐色に染まっており、勝負服のボトムスから覗く脚には隆起した筋肉が見て取れる。

 その後ろにジャージのような勝負服を着た気怠げな栗毛のウマ娘を連れて、彼女はツインターボのことを見下ろしていた。

 

『お前がツインターボか』

 

 野獣のように笑う黒鹿毛に歯を見せて笑い返し、ツインターボはイヤホンを外して立ち上がった。

 

『アタシがツインターボだ。でも、悪いけどお前のことは知らない』

 

『そりゃ情報収集が足りねぇってこった。このレースの1番人気、芝のコタシャーンたぁウチのこったぞ』

 

『ふーん。まぁ覚える気はないけど。お前を見るのはこれで最後で、レース中に見ることはないんだから』

 

『そりゃ勇ましいこった。だが身の程を知らないと恥をかくだけだぜ?』

 

『お前より強いやつが日本で待ってるからね。前座は前座らしくアタシより後ろで踊ってな』

 

『なら安心しろ、そのバトンはウチが継いで、アンタもソイツもぶっ潰してやるさ』

 

 トラッシュトークのインファイト。日本育ちとは言え遅れを取るツインターボではない。強豪コタシャーン相手に一歩も退かず渡り合っていた。

 睨み合いは両者同時に目を逸らし、間もなくゲート入りの時間になる。

 

 BCターフ、発走。

*1
サンデーサイレンスが日本でガッツリトラッシュトークを仕掛けにいったのはイブキマイカグラのジャパンカップでのトラッシュトークを見たことと、DEATH_DOSとのロードレースの際に嬉々としてトラッシュトークが行われたため。つまり大体死ねどすのせいである。

*2
明智光秀の言。「仏の嘘は方便、武士の嘘は武略」

*3
ムーニーバレーレース場。コックスプレートなどのレースが行われるオーストラリアのレース場。直線の長さは世界最短の173m。ムーニーバレー野郎の意味は推して知るべし。



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2400m

 ゲートが開くと同時に、激しいエンジン音と共にツインターボが先頭を切る。各陣営がラビットとして送り込んだウマ娘はそれを見て瞠目する。

 慌ててツインターボに競り合いに行くがその背中を掠めることすらできず、着差はあっという間に4バ身から5バ身ほどまで伸びた。それでも破滅覚悟でツインターボに食い下がるラビットたちとツインターボによってペースは吊り上げられる。

 

(なんだよこれ……! やっぱイカれてる、わかっててもこんなの疑うだろ!!)

 

(レース映像は見たしわかってるつもりだったけど、いざ一緒に走らされるとどうしてもスタミナが保つはずがないって思っちまう……)

 

 先程コタシャーンとトラッシュトークをしていた栗毛のウマ娘、ビエンビエンは心中で毒づく。差しの位置で様子を窺いつつも、気づかぬうちに自分もペースを上げてしまっていた。

 一方コタシャーンは最後方の追い込みの位置取り。あれだけツインターボのスタミナは足りていると予測していたのに、レース中の回らない頭と実際についていっている自分の感覚が待ったをかけてくる。それを意思の力で捻じ伏せて、自分のペースを維持する。

 

 差し掛かる最初のコーナー。驚くなかれ、このデルマーレース場は1周が1408m。そのうちコーナー部分が約850mと日本のレース場に比べて長い間コーナーを走ることになる。

 そしてそのコーナーも、地方レース場でも滅多にないような小回りのコース。自然、スピードを抑えなければ大きく膨らむことになる。

 だが、ツインターボは一切スピードを落とさず、そのままのスピードで第3コーナーへと突っ込んでいく。流石に膨らんだ内側を突いてツインターボを躱そうとする――というよりも躱すことのできる――者はいないが、膨らめばそれだけ走る距離は長くなり、必要なスタミナは増える。

 出しているスピードが速いほど多くのスタミナが必要になるため、ツインターボほどスピードを出していればコーナーで膨らむだけで加速度的に消耗量は増加する。まさに無謀な吶喊。

 ――膨らめば、の話だが。

 

WTF(ウソだろ)!?」

 

No way(あり得ない)……」

 

 後続のウマ娘たちが思わずと言った様子で声を上げ、あるいは呆然と呟きを漏らす。ツインターボがスピードをほぼ維持したまま、内ラチを()()()()()()()()()()()曲がっていくのだから無理もない。

 『破滅しない破滅逃げ』という大きすぎる個性に隠れて忘れられがちだが、ツインターボの最大の長所は――"領域(ゾーン)"によるスタートダッシュを除けば――そのコーナリング能力だ。

 小柄な体と脚の回転の速さを活かしたピッチ走法によって、コーナーの最短距離を縫うように進む。先程コーナーでの膨らみは大きなロスになると言ったが、それは逆説的に言えば、コーナーで膨らまなければ大きなリードになり得るということ。

 それは後続に大きな動揺をもたらした。なにせ、奥の手を出してきたとか切り札を切ってきたとかの単純なプラスではない。『マイナスになると思っていたところがプラスに転化した』のだ。

 それは『ツインターボが2400mを走りきる可能性』に大きな説得力を与えた。となれば次に起こるのは己への猜疑だ。このペースで進んで、ツインターボに差をつけられて、本当に差し切り捕まえることができるのか?

 そんな不安と焦りに焼かれながら、しかしBCチャンピオンシップに挑む歴戦の猛者たちは掛かりそうになる脚を必死に抑える。ここで抑えなければスタミナの消耗云々どころか、ツインターボとの距離を詰めることさえままならない。

 それがわかっていても、何人もの選手が抑えきれずに掛かり始める。

 

(いや、抑える必要などない! むしろ抑えるべきではない!! このワタシの煌めきを抑えられるわけがないのだから!!)

 

 そんな中、ひとりの鹿毛のウマ娘が掛かったと言ってもいいほどの加速を見せた。後方集団のバ群から抜け出し好位につけ多くの注目を浴びた彼女が"領域(ゾーン)"を展開する。

 それは歌劇場。幼い頃から祖父母に連れて行かれた、『王族』を冠する祖国最大の歌劇場こそが彼女の原風景。掛かることで、消耗した分のスタミナを回復するように疲労を癒やす効果のある彼女の"領域(ゾーン)"。

 

(世界よ刮目せよ!! 今ワタシは煌めいている!!)

 

 イギリスからの参戦者、オペラハウスは虎視眈々とツインターボの背中を狙っている。そして、その煌めきに目が眩む者がいるのも事実。掛かりながらもたいして消耗もなく好位置を取ったように見えるオペラハウスに対して焦りを抱く後続が、コーナーであるにも関わらず位置取り争いを始めたのだ。

 既に先頭のツインターボから最後尾のコタシャーンまでは40バ身以上の差が開いた縦長の極地のような展開になっている。

 ただでさえ直線の短いコースなのだから、この時点で後方脚質は既に絶望的なまでの不利を抱えたことになる。

 

(あれが『黒い刺客』のチームメイト……言動で侮っていましたが、恐ろしい精神性……)

 

 フェアリーガーデンが唸り、ツインターボに下していた評価を訂正する。破滅逃げと簡単に言うが、それを行うにあたってのしかかる精神的重圧は想像よりも遥かに大きい。速さは自由であり、孤独なのだ。

 前に誰もおらず、周りにも誰もいない。後ろの遥か遠くから僅かに足音が聞こえるばかり。そんな状況で、ゴールする前に体力が切れるかもしれないという不安と戦いながら、力をセーブしようとする体に鞭打って全力を出し続ける。

 本能というエンジンに理性でブレーキをかけるのではなく、本来よりも強い負荷で強い出力を得(ターボをかけ)る。名前通りの破滅へと向かっていくその姿に戦慄さえ覚えた。

 

 1周1408mであるが故に6度迎えることとなるコーナーは既に4つ過ぎ向正面半ば。1周を僅かに過ぎた計算になる。ツインターボの脚色(あしいろ)は衰えない。

 ラビットとして出走していた者たちは既に力尽き、ギリギリ走りの体を成しているだけの状況でコタシャーンの後方へ流れていく。普段であればいくらラビットでもあそこまで消耗すまい。

 異常なまでのハイペース。しかもそれを引き起こしているのが、本来前残りしやすいスローペースを好むはずの逃げウマ娘。

 コタシャーンは納得した。これは戦いにくい。こんなレースは()()()()()()()()()()()()()()()。相手に未経験のレース展開を押し付け、自分の領分で走り抜ける。そして一切の駆け引きを拒否。

 

(おもしろい!!)

 

 ツインターボだけが最終コーナーに突入したのを見ながら、5つ目のコーナーでコタシャーンは末脚を解き放つ。ツインターボが自分の土俵で戦おうとするなら、自身も自分の武器で戦うだけ。

 

 それを決意した瞬間、コタシャーンは初めて"領域(ゾーン)"へ――いや、"領域(ゾーン)"のその先へと至った。

 

 前にいるウマ娘をゴボウ抜きしツインターボへと迫るコタシャーン。一方ツインターボは、残りは僅かな最終直線のみと言ったそのタイミングで、遂に失速し始めた。

 ツインターボは枯渇しかけている燃料をこそいでこそいで走り続け、勝ち得たリードを崩しながらゴールを目指す。コタシャーンは限界のその先まで脚を突っ込みながらツインターボの背を追う。

 ツインターボが残り150mを過ぎたとき、遂にコタシャーンが最終直線へと入った。直線へ入ったことでさらに加速するコタシャーンと、勢いは完全に衰え精神力だけで走っているツインターボ。

 コタシャーンにとってツインターボの走りは最早亀の歩みよりも遅く、手を伸ばせばその背に届く。

 

(……Shit(クソッタレ)……!)

 

 しかし、限界の先に辿り着いたからこそ、コタシャーンはツインターボに勝てないことに気づいてしまった。

 

 

 

 最終的なふたりの着差は僅か1バ身半。

 しかしツインターボは確かに、あのダービーと同じ距離で、栄冠を勝ち取ってみせた。



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オグタマライブ ??/11/06(現地時間)

☆★☆

 

「さて、休憩明けて、次はツインターボが出走するBCターフだ」

 

『イクノ惜しかったな』

『走るレース減らしてたら勝ててたかな?』

『いやー、キツイでしょ』

『でも結果だけ見ると調整ミスった感じあるよな』

『ボールストンスパステークス、フラワーボウルステークス、アセニアステークス、ワヤステークスまでGⅢ2勝GⅡとGⅠを1勝で4連勝。続くサンズポイントステークスも3着』

『完全に調子の波を見誤った感じよな。もしくはフィリー&メアターフに出てれば勝ててたかも?』

『レースにタラレバは厳禁。今言っても仕方ないことやで』

 

『イズミスイセンはシニア相手によく頑張ったよ』

『今回は完全に格上挑戦やったしまた来年頑張って欲しい』

『地方所属に酷なこと言ってやんなよ……今回だって黒い人のお陰で来られたようなもんじゃん……』

『は? 喧嘩売ってんの?』

『今どき地方が中央の2軍みたいな考えの人ってwww』

『ちげぇよ。遠征費用だよ』

『あぁ……うん……』

『それはまぁ……』

『黒い人が全部負担してるってマ?』

『マ。ソースは南坂T』

『正確にはフェブラリーステークス勝ったショウグン組だけBC運営から補助金がある』

『しかもカノープス全員分の合宿費も出してる』

『10万ドルPON☆とくれたぜ』

『実際10万ドルじゃ済まないかもしれないんだよなぁ……』

 

「BCターフは2400m。直線の短いデルマーレース場だと、2400mでも1周半、コーナーを6回回ることになる」

 

「ツインターボはルドルフに『自分よりコーナー上手いかもしれん』ってお墨付きもらっとったやんな」

 

「私もコーナーは得意な方だが、ツインターボのコーナーは圧巻だな」

 

『ていうかミラはコーナー上手い人多い』

『フーねーちゃんもうまかったしネイチャもタイシンもうまいもんな』

『おい、米食えよ』

『コメェ……』

『ライスはなんか上手いとかそういう話じゃない』

『内ラチの下走ってるやつ初めて見たもん』

 

「今回の注目はコタシャーンだな。今年に入ってから芝で活躍しているウマ娘だ」

 

「イクノディクタスんときも言うたけど、向こうさんじゃ芝は下火やからなぁ」

 

「昨年までの戦績から考えるにまさに覚醒といった感じだな。他にはコタシャーンの目下ライバルでもある麒麟児ビエンビエン、イギリスからの参戦であるオペラハウスなどが要注意だろう」

 

「おおう、もう発走や。危ない危ない」

 

『学習してくれ』

『3度目だぞ』

『そろそろファンファーレなしに慣れてほしい』

『ファンファーレなしに慣れて国内レースのとき「うっさいわボケェ!!」って怒鳴るのが見える見える』

『そういうとこだぞ』

 

「ファンファーレミスはまだしもなんでやってもない逆ギレまで詰られなアカンねん!!」

 

「さぁスタートを切った。ツインターボ早速先頭」

 

『知ってた』

『いつもの』

『やっぱこれだね』

『ラビット唖然で芝』

『どうしてラビットより速いんですか?』

『ダービーんときより速くね?』

『そらお前2年前やぞ』

『ラビットはペースメーカーで本人に勝つ気ないからいいけど、タボボはほっとくと勝っちゃうから大変よな』

 

「他の出走者も戸惑っているようだ。対応しきれず走りが乱れている」

 

「コタシャーンは流石やな。あんなかでもしっかりペース保っとるで」

 

「コーナーに入る……うん、やっぱり上手いな……」

 

『エグい』

『なんであんな膨らまないで曲がれんだあの速度で』

『後続の顔よ』

『昨日今日とGⅠが連続してクッソ荒れてるバ場でこれよ』

『逆に考えるんだ。あんな超小回りコーナーの内ラチ沿いなんて誰も走れないから荒れてないんだ』

『後続焦り出したな。掛かってるのも増えてきてる』

 

「確かに掛かっているが、オペラハウスに関しては例外だろうな。情報によると、彼女の"領域(ゾーン)"は掛かったときにスタミナを回復するといったものだそうだ」

 

「なんやそのゲームみたいな説明」

 

「もっと詳しい理屈のようなものもあるんだろうが、わかりやすく結論だけ言えばそうなるんだ」

 

『先頭から殿まで40バ身とか言われてて芝』

『もうこれ(追込)ムリでしょ』

『あの狭いコーナーで位置取り争いしてるの末法って感じだ』

『【悲報】ラビット終了』

『マジで同情するわ……』

『あの絶望の表情よ……興奮してきたな』

『死ね』

 

「さぁ、ツインターボが最終コーナーに……なんだ?」

 

「あ〜、入ったなアレ」

 

「"領域(ゾーン)"……いや、大阪杯のレッツゴーターキンに近いか……」

 

『限界を超えた……ってコト!?』

『ターボ!?』

『タボボの速度が!?』

『すげぇ追い上げ』

『40バ身差ってこんなすぐ埋まるもんなん?』

『タボボがんばれええええええええええええええええ』

『あと直線だけ』

『いけええええええええええええ!!!』

『きてるきてる』

『ヤベェ!?』

『これ追いつかれる』

『逃げ切れターボおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

『あと100!!』

『コタシャーンヤベェ』

『おおおおおおおおおおおおおおおおおお』

『こんな長い100mある?』

『きたあああああああああああああああああああ』

『うおっしゃああああああああああああああああああああ!!』

『勝った勝った勝った勝った!!』

『タボボ最強!! タボボ最強!! タボボ最強!!』

『日本勢アメリカGⅠ初制覇!?』

『いやイクノがフラワーボウルステークス勝ってるって』

『せやった』

『いいだろ? BCターフだぜ?』

『それはそう』

 

「っしゃあ!! 勝ったで!!」

 

「1着ツインターボ、2着コタシャーン。3着にはビエンビエンが入った。これで、日本のウマ娘によるBCチャンピオンシップシリーズでの初勝利を飾ったことになる」

 

『なんだかんだ言ってタボボ以外は順当な順位か』

『ビエンビエンも少しずつタボボのハイペースに順応してたからな……次はゾーンなしでコタシャーン並に詰めてくるかも』

『流石麒麟児って言われるだけはあるな』

『タボボも最後の方失速してたけどやっぱ2400mは長かったか』

『ダービーの逆噴射はネイチャのデバフと黒い人の外付けスタミナトレーニングで相殺だったからな。今回はデバフない分外付けスタミナもなかったんだろ』

『性格的な部分が大きいって言ってたからなぁ』

『次走ジャパンカップ出てほしいけど無理かな』

『いやーキツイでしょ』

『タボボお手々ぶんぶんで芝』

『タボボかわいいよタボボ』

 

 

 

★☆★

 

 

 

 関係者席へと戻ってきたツインターボは、ドカッと客席に腰掛けてからコーラのストローをすする。網はそんなツインターボに労いの言葉をかけ、そのまま帰りの準備を進めておくと言ってその場を離れた。

 現在時刻は11月6日の9時35分。日本時間では7日の2時35分だ。菊花賞の発走時間は15時40分の予定で、フライト時間が10時間ほどになるので余裕がない。

 それでも、ツインターボが次のレースは観ていきたいだろうと言うことで、先に準備だけ終わらせることにしたのだ。

 

『よう優勝者(Champ)、あんだけバカみたいな走りしといて元気そうなこったな?』

 

『ん、名前忘れたけど、苛立ってるの(Champ)

そっちの方じゃない?』

 

『ハハ! 言い返せねぇな』

 

 ツインターボに声をかけてきたのはコタシャーンだった。コタシャーンはツインターボの隣に座り、コースの方を眺める。

 

『次のレース……BCクラシックにもジャパンのウマ娘が出るのか?』

 

『うん、アタシのライバルがね』

 

『芝と土でライバルかよ』

 

『アタシ一応ダートも走ってるからね。重賞は1回だけだけど』

 

『へぇ、そりゃ知らんかったわ……まぁ、あんま期待はしてやらんこった。イズミスイセンもそうだったが、ジャパンとアメリカじゃ()()()()

 

 それは、単に土質のことを言っているわけではないと、ツインターボには察することができた。

 

『芝じゃ遅れを取ったが、ダートはアメリカ(ウチら)の領分だ。確かにジャパンじゃ相当強いんだろうが、そう簡単に勝てると思ってもらっちゃ困る』

 

 それは、自国への愛国心。ただでさえレース後進国である日本の、さらに劣るダートの選手に負けてたまるかという強烈な自負。

 

『勝つよ』

 

 しかし、そんなコタシャーンに対してツインターボはただ一言、力強い断言で返した。

 

『……随分な自信だこった。そんなに強いのか、あのHashiru Shogunってのは……』

 

『強い』

 

『ふーん……まぁ精々見せてもらおうってこった。その……言いにくいな。日本語の名前か? なんて意味だ』

 

『んー、ハシルはGallopingで、ショウグンは……General? かな?』

 

『「走る将軍」か。そりゃ、随分と手強そうな名前だな。城に引きこもってる王様より、戰場(いくさば)の将軍のほうがよほど怖い』

 

 ふたりが話してる間に、発走時間になる。ゲートに入ったハシルショウグンの表情はリラックスしたもので、海外レースへの萎縮は感じられない。

 そしてその日、アメリカのウマ娘レース史に消えない名前が刻まれることとなる。

 

 

 

「ハシルショウグンは勝つだろうな」

 

 ツインターボはハシルショウグンの勝利を確信していたが、その理由はライバルへの信頼もあれど、それ以上に己のトレーナーへの信頼があった。

 

「初めて会ったときに脚がガタガタになってるのを見てから気にはなってたんだが、合宿中に間近で見て理解できた。ハシルショウグンは足裏の感覚が抜群にいい。あの脚の惨状は体重移動が拙かった頃に蓄積したダメージだ。足裏の感覚が飛び抜けていいからこそ、しっかりと地面を掴んで走れる。芝でも成績が出てるのはそれが理由だ」

 

 地面に足がついた瞬間、適切な体重移動とどれだけ力を入れなければならないかを察知する力。ハシルショウグンはそれが飛び抜けて高かった。足裏から逐一伝わってくる感覚、それにいちいち反応し余計に乱れて脚に負荷がかかるの悪循環。

 しかし、感覚に体が追いつけば。

 

『……WTF』

 

 それは光の道だった。

 ハシルショウグンの走るべきルートが、ダートの土の上に映し出されている。

 それはまさに、将軍の走る花道。ターフでもダートでも、砂でも土でも、踏みしめ、蹂躙する。将軍の進撃は何人たりとも止められない。

 

 

 

 2着以下と5バ身差をつけ、ハシルショウグン、BCクラシックを制す。そのレースはまさに圧倒。砂であろうと土であろうとそこに走るべき道さえあるのなら、何者も寄せ付けず押し通る。

 BCターフとBCクラシックを日本の刺客に持っていかれることとなった今年のBCチャンピオンシップは、アメリカのウマ娘レース界隈に強い衝撃を残したのだった。



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四叉路

短めです。


「ナリタタイシン、調子はどうだ」

 

「トレーナー。アタシの方は大丈夫。そっちこそ、強行軍だったんでしょ? 平気なの?」

 

「トレーナー免許の受験生時代は4眠7日とか普通だったからな。この程度なら問題にならねぇ。飛行機の中で寝られたしな」

 

「その表現睡眠に使う人初めて見たんだけど」

 

 帰ってきた網は早速ナリタタイシンの仕上がりを確認する。もう既に15時を回っており、発走まで1時間を切っている。

 鼻出血のあと、ナリタタイシンはしばらくの間は激しい運動を制限されていた。そのため、菊花賞までの時間はほとんどがその制限分のブランクを埋めるリハビリに費やされていた。

 ナリタタイシンの現在の競走能力は日本ダービーの時よりスタミナが伸びた程度である。当初菊花賞の勝率は8割と見ていたが、今は五分五分と言っていいかもしれないと網は考えている。

 ただ、その原因はナリタタイシンのトラブルよりも、むしろビワハヤヒデの成長のほうが大きい。特に、神戸新聞杯で見せた走りは網の目から見ても怪物じみたものだった。

 

「……まぁ、出るからには勝ってこい。ただし怪我はするな。怪我せずに勝ってこい」

 

「普通は勝たなくてもいいから怪我はするな、とかじゃないの? ……って、言うだけ野暮か。そっちこそ、体調崩さないようにちゃんと休みなよ。そのためにアイネスさんとかいるんだから」

 

「あぁ。とりあえず菊花賞が終わったらアメリカでツインターボのライブをやって、その後はツインターボとナイスネイチャの有記念の調整。ビコーペガサスのデビューは来年になるが、それさえ終わればあとはビコーペガサスとマーベラスサンデーのコンディション管理だけだ」

 

「もしかして休むの意味が違う文化圏で育った?」

 

 ナリタタイシンはそう言うが、網に休む暇がないというのもまた事実である。では網がチーム人数を増やしすぎているのかと言われるとそうでもない。

 サブトレーナーを抱えていないチームでも、有名どころなら10人程度は参加しているし、サブトレーナーがいるチームはそれ以上に抱えている場合もある。

 網は新人とは言えサブトレーナー免許を取得したアイネスフウジンがいる状態で、チーム参加者は6人。特別多いとは言えない。

 では何故ここまで忙しいのかと聞かれれば、やはりひとりひとりにかなり手間がかかるメンバーが揃っているからだろう。

 

 マーベラスサンデーはああ見えて虚弱気味なため、まめに管理をしておかないと体調を崩すだろう。

 ビコーペガサスはハードゲイナー――つまり、食べたものの吸収効率が極端に悪い体質だった。これについては先天的な体質であるため改善は期待できない。解決策としては、少量ずつを長時間に渡り摂取することで量を吸収させるという基本的なものである。

 中央トレセン学園の校則では授業中の飲食は飲み物のみ可であるため、プロテインなどを配合した栄養ドリンクを飲み続けさせることでより多くの栄養を摂取させることになった。

 さらに加入直後にデビューが迫っていたため時間がまるで足りていない。集中的に面倒を見る必要がある。

 

 余談だが、このビコーペガサスが飲んでいる栄養ドリンクに含まれている栄養サプリメントは、網が出資した研究の試供品である。

 なんでも東大で行われているその研究に、中央トレセン学園の生徒がひとり参加していると聞いて興味を引かれたのがきっかけで出資したのだが、これがなかなかどうして順調に結果を出しており、この試供品もそれなりに高い効果を発揮していた。

 

 そんな新人ふたりに加え、破滅逃げという特殊な走法と監督が必要な幼さを持つツインターボ。管理しなければオーバーワーク気味になりかねないライスシャワー。生活習慣の改善はされてきたとはいえ、直近で負傷しているナリタタイシンと、ナイスネイチャを除いて皆サポートを厚くする必要があるメンバーだ。

 

 とはいえ、ひとつひとつの仕事が過密というわけではない。今回は国内外を反復横とびしているため忙しく見えるが、実際は機内で睡眠をとっているし、慢性的に仕事があるというだけで普段も見た目ほど忙しくはないのだ。

 

 閑話休題。

 体のチェックが終わり、問題ないと送り出されたナリタタイシン。地下バ道には既にライバルたちが集まっていた。

 ビワハヤヒデ、そしてウイニングチケット。ナリタタイシン自身を含め三強、BNWと並び称されている好敵手たち。

 

 今回のレース、菊花賞である京都レース場3000mはウイニングチケットの得意なコースから条件は外れている。ウイニングチケットには少々長く、右回りなうえに非根幹距離だ。

 全盛期ではあるかもしれないが絶頂期は確実に過ぎ、仕上がりもダービーに比べれば数段落ちる。しかし、それでもウイニングチケットは勝ちに来ていた。

 そしてビワハヤヒデ。網が特に警戒するようにナリタタイシンに伝えた相手。警戒すべきはそのレースコントロール能力。

 レースを乱すナイスネイチャとはまた異なる支配の仕方。言わばレースプランニング能力と言えるだろう。事前に決めた道筋に、周囲を巻き込むよう誘導する力。それ故に、ビワハヤヒデはいつだって()()()()()ができるのだ。

 そして、網はその走りの中にまだ、得体のしれない不気味な何かが潜んでいることを察知していた。網の目でさえ測りきれなかった、隠し通された恐ろしい何かが。

 ナリタタイシンにはその感覚は理解できずとも、油断ができない相手であることははっきりわかっている。その上で、策を巡らせるタイプではないナリタタイシンは、結局自分の最善で走るしかない。

 

 3人の視線がぶつかる。言葉を交すことはない。今更ここで口にする必要のある言葉などない。今から自分たちは同じレースで走るのだから、それ以上の対話はない。

 これが、3人が揃ってトゥインクルシリーズで走る最後のレース。悔いを残さない。そして――

 

(勝つ。いちばん強いのはアタシだ……!)

 

 菊花賞が来る。




 雨穴さんの『変な絵』を読むので次回遅くなるかもしれません。


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シェイドロールの怪物

 レースは何事もなく進行している。長距離のレースでは序盤の動きが緩やかであることもその理由だが、ビワハヤヒデのレースコントロール能力で前残りしやすいスローペースに抑えられ、各ウマ娘が仕掛けにくい、動きにくい状況にあることも理由だ。

 平穏に進む長距離レース。昨年のような波乱も、一昨年のような混乱もない、なんのスリルもないレース。多くの観客の間ではそうだった。

 しかし、ほんの一部。それは例えば皇帝の杖であったり、天賦の直感を持つウマ娘と非凡なるそのトレーナーであったり、或いは中継を観ていた英国の若き天才であったり。そして或いは、黒き怪人であったり。

 彼らはそれを見て、すぐに気づいた。ビワハヤヒデの走りに潜む、明確な()()に。

 

(……マジか……クソ、神戸新聞杯は生で見るべきだったか……!)

 

 中継からは伝わりきらない、直接観て、初めてそれに気がついた。ビワハヤヒデの身体能力が上がっている。

 成長することが異常なのではない。夏という長い時間、合宿もある。日本ダービーと比べれば成長して然るべきだ。しかし、その成長度合いは網が想定していたビワハヤヒデの成長曲線を大きく上回るものだった。

 そもそも、網はビワハヤヒデを『劣化しにくい準早熟型』だと考えていた。GⅠ勝利こそないものの、すべてのレース、多くの重賞で全連対。特に、()()()()()()()()()()()()()()()()相手にあそこまで詰め寄った力量。

 ナリタタイシンもどちらかと言えば早熟型で、ウイニングチケットは超早熟型。それと張り合って一歩及ばないビワハヤヒデも、ふたりよりは緩やかだが菊花賞後、クラシック期の終わり頃にピークを迎えるくらいの成長曲線を考えていたのだ。

 しかし、目の前のレースを走る芦毛のウマ娘の走りから感じられる余裕はそうではない。本気の走りであっても、全力の走りかもしれなくても、死力の走りでは決してない。その余裕を埋めるだけの能力が備わっているとすれば――

 

(ビワハヤヒデは、()()()()()()()()か……っ!)

 

 夏の先、秋のGⅠ戦線から本格的な成長が始まる、晩成型。

 

 強行軍のツケが回ってきた。情報収集に欠けがあった。網はそんなケアレスミスを自嘲する。

 逃げを打ったウマ娘の後方、3番手の位置を追走するビワハヤヒデはいつも通り。憎らしいほどに涼しい顔をして、逃げウマ娘に縄を着け巧みにペースを調整している。

 ナリタタイシンは最後方。脚を溜め、最終直線の切れ味にすべてを懸ける。強硬策で少しずつ位置を上げ、仕掛けていないギリギリを狙って走っている。

 

(……さて、ここまではおおよそ計算通りと言ったところか)

 

 ビワハヤヒデが息を入れながら背後を確認する。間もなく終盤、ビワハヤヒデはスパートをかけ始めるタイミングだ。

 ビワハヤヒデの視線の先にいるのはナリタタイシンとウイニングチケット。今回最も警戒しているふたりだ。とはいえ、ウイニングチケットにはそれほど大きな警戒を抱いているわけではない。

 問題はナリタタイシン、彼女は乱数の振れ幅が大きいため、勝利の方程式から逸脱する確率が最も高い。今回負けるとすればナリタタイシン。ビワハヤヒデは内心でそうアタリをつけていた。

 メンタルをフィジカルに変える力、或いは爆発力。ビワハヤヒデの持っていない才能。

 

(持っていないものを羨んでも仕方ない。ないならないなりに……積み上げるだけだ)

 

 そしてビワハヤヒデが"領域(ゾーン)"に入る。好位追走の完成形。常に先頭集団を陣取りペースをコントロールし、終盤近くで逃げを捉えて先頭に躍り出る。そんな積み重ねてきた実戦経験が"領域(ゾーン)"に昇華したもの。

 後続を突き離すようにスピードを上げるビワハヤヒデと、それに食いついて行こうとする後続。しかしビワハヤヒデにつられてスピードを上げたウマ娘は、淀の上りに阻まれて少しずつ距離を離されていく。

 ツジユートピアンは早々に躱され垂れ始めたが、同じく躱されたシュアリーウィンはビワハヤヒデのすぐ後ろで食い下がっている。しかし限界は近そうだ。

 最終コーナー手前になってウイニングチケットが仕掛ける。

 

(だが、そこから仕掛けたらチケットのスタミナではゴールまで保たない)

 

 ビワハヤヒデは冷静に分析する。ウイニングチケットの領域はここで入るタイプではなく、垂れ始めてからは発動しない。これでおおよそ、ウイニングチケットに勝ちの目はなくなった。

 

(あとは――ッ!!)

 

 急激に高まる圧力。遠くからでもわかるほどの威圧が籠もったまなざし。そして、"領域(ゾーン)"。

 鬱蒼と茂った森。それはナリタタイシンの人生に付き纏ってきた多くの障害物の象徴。薄暗い闇夜は彼女の心に落ちた影。その木々の隙間を、ナリタタイシンは()()()を纏って走り抜ける。

 そして、暁光。闇を払う地平の先の夜明け。その光跡こそ復讐の一矢。

 仕掛けたわけではない。ただ、ビワハヤヒデをその鬼脚の射程範囲に収めるため、ジリジリと導火線を辿るように位置を上げている。ただそれだけなのに肌を灼かれるようなプレッシャーが押し寄せる。

 このまま坂を下り、あの最終直線まで行ったら――

 

(上振れても3割、下振れたら8割差し切られるな……)

 

 ビワハヤヒデは冷静にそう断じた。そう断じて、対抗策を打つ。

 

(ッ!?)

 

(……?)

 

 ナリタタイシンが息を呑み、網は目を細める。そして、観客席はざわめいた。ビワハヤヒデが唐突に失速し、シュアリーウィンに差し返されたからだ。

 しかしそのことに1番動揺しているのはシュアリーウィン本人だ。だが降って湧いた好機。すぐに気を取り直してビワハヤヒデをブロックする位置へ移動する。そう、今走っているレーンより、僅かに外側へ。

 

 その瞬間、ビワハヤヒデがシュアリーウィンの内側から差し返し再び先頭に立った。

 

(必要なのはルーティンワークによるスイッチ。理論上、ダービーで偶発的に発現したX(モノ)だけでなく、これでも条件は満たしている)

 

 ルーティンワークによって集中力が増すのは何もウマ娘だけでなくごく普遍的な現象で、だからこそ"領域(ゾーン)"の発動条件にもルーティンワークが密接に関わっている。

 例えば、終盤に3度追い抜く。例えば、残り200mで先団にいる。例えば、例えば、例えば。

 

 そう、例えば、()()()()()()()()()()()()()()()

 

(終盤まで好位を維持し、逃げを捉えて内側から追い抜く。シンプルで隙のない私の『勝利の方程式』を今満たした)

 

 ビワハヤヒデが2つ目の"領域(ゾーン)"へと入る。風景が変わるようなことはない。何故なら今この場の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

((ゆえに)win(勝つ) Q.E.D(証明終了))

 

 "領域(ゾーン)"によってビワハヤヒデが迫っていたナリタタイシンを突き離し、観客席からは感嘆の声があがる。だが、網はそれを驚愕の表情で、彼らしくなく絶句しながら観ていた。

 

(……んな、バカな……いや、理論上は可能だが、だからって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?)

 

 そうでなければ、あの不可解な急減速と急加速の説明がつかない。仮にあれが"領域(ゾーン)"のスイッチだとすれば、併走などのトレーニングで"領域(ゾーン)"の発動条件を確認することはできない。トレーニングに()()()()()()はないからだ。

 しかし、ビワハヤヒデが公式のレースであの"領域(ゾーン)"を出したことはないし、それ以外の模擬レースを行ったという記録もない。つまり、ビワハヤヒデは初めて使う"領域(ゾーン)"の発動条件を、確信を持って行ったことになる。

 しかも、強敵との死闘ではなく、巨大な感情の発露でもなく、単に綿密な理論だけでその手に掴んだのだ。

 

 『日陰役(Shade role)の怪物』。そんな言葉が網の頭に浮かぶ。ナリタブライアンの走りを見て、できれば相手にしたくないと、確かに怪物のような才能だとそう感じたことを思い出す。

 

(ふざけろ! 姉のほうがよっぽど怪物じみてるじゃねえか!!) 

 

 妹の、ナリタブライアンの強烈すぎる光がビワハヤヒデの姿を眩ませていた。ビワハヤヒデがナリタタイシンの射程から外れる。差しきれない。チェックメイトだ。完全に行き詰まった。

 

「まだ終わってない!!」

 

 だが、この程度で折れるならナリタタイシンは復讐者になどなっていない。発現時間を過ぎ解けていく自らの"領域(ゾーン)"を必死に編み直し、再び過集中の世界へ潜ろうと試みる。しかし無情にも"領域(ゾーン)"は空へと解けていく。

 

(なら創るだけだ!!)

 

 "領域(ゾーン)"はそもそも、その現界に多くの精神力を使う必要がある。幸か不幸か、ナリタタイシンはそれに耐えうるだけの精神力を備え持っていた。その代償として、耐えきれない肉体を犠牲にしながら。

 最終直線が迫り、"領域(ゾーン)"を形にして速度を上げながらも、ナリタタイシンの体に高い負荷がかかっていく。

 

(最後なんだ!! 最後なんだよ!! 3人でこの舞台に立てるのはっ!!)

 

 ガラクタのような肉体だとしても、それで翼が手に入るなら、いくらでも鋳溶かして材料に使ってやろう。そうして、勝機を創り出す。

 観客席から悲鳴が上がる。負荷に耐えきれなくなったナリタタイシンの鼻の血管が破れ、鼻出血として流れ出したのだ。しかしそれでも、ナリタタイシンは脚を止めない。残り400mの最終直線、ビワハヤヒデを再び射程距離に収め、血染めの剃刀(かみそり)を抜き放った。

 ビワハヤヒデとの距離が縮まる。互いに持てるものすべてを使って2つ目の"領域(ゾーン)"を作り上げた末の接戦。淀の平坦な最終直線。観客席に一瞬の沈黙が降りた。

 

 届かず。

 半バ身残し、1着、ビワハヤヒデ。

 

「アイネス!!」

 

 網が叫ぶのと同時に、アイネスフウジンが救急ボックスを持ってナリタタイシンのもとへ急行する。倒れ込みそうになるナリタタイシンを支えて上半身を支えたまま座らせる。

 鼻血が喉へ流れないように下を向かせたタイミングで網がナリタタイシンのもとへ辿り着いて、応急処置を引き継ぐ。

 

「トレーナー……どっち、どっちが……?」

 

「お前の負けだよ。ったく、言いつけ両方とも破りやがって……休ませる気あるのかよお前……」

 

「負け……かぁ……」

 

 ナリタタイシンは悔しげではあるものの、どこか穏やかに息を吐いた。

 

「……ライブ、出るか? 出るならバルーン法で止血して、終わってから病院だ。この量は輸血必要だろうな……」

 

「出る……」

 

「わかった。だがふらついたら引きずり降ろして病院連れてくから、今は休んでおけ。ライスシャワー、ナリタタイシンを控室に……」

 

「タイシン!」

 

 「歩くから、歩くから」と呟きながらも、ライスシャワーによってお姫様抱っこで運ばれるナリタタイシンのもとに、ビワハヤヒデとウイニングチケットがやってくる。

 

「タイシン……網トレーナー、タイシンは大丈夫なのか……?」

 

「えぇ、競走能力に後遺症は残りません。とはいえ、しばらくは療養が必要ですが」

 

「そう、か……」

 

 ビワハヤヒデが幾分か安心したように溜息をつき、ウイニングチケットは号泣する。そうして、控室の前まで来たとき、BNWの誰からともなく拳を突き出し、それが3つぶつかった。

 

「……次はドリームで。ハヤヒデとアタシのレースをチケットが実況。約束」

 

「あぁ……任せておけ」

 

「うん!! ……あれ、なんかアタシだけ目標若干キツくない?」

 

 激闘のクラシックを制した3人が笑い合う。3人が同じレースを走ることはもうない。しかし、三強は確かにここにあった。BNWはBとNとWに。それぞれの夢へと、再び歩み始める。




 姉貴の強さはこんくらい盛っていい。


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オグタマライブ ??/11/07

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「ちゅーわけでBCシリーズ終わって息もつかんうちに菊花賞や」

 

「とは言え私たち自身は普通に半日以上時間があったわけだから特段慌ただしいと言うこともなかった。問題は網トレーナーだ」

 

「網トレやけど、既にレース場で確認されとるで」

 

『ヤバい』

『ま、まぁ飛行機の中で寝られるから多少はね……?』

『※アメリカのレースではライブは後日行うのでこの後またアメリカへとんぼ返りです』

『BCターフで稼いだ賞金全部飛行機代で消える説』

 

「普通こういう時んためにサブトレーナーがおるんやけどな」

 

「さて、今回の菊花賞、注目はやはりナリタタイシン、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットの3人だろうか」

 

「BNWやな」

 

「このうち、ウイニングチケットはこの菊花賞が引退レースとなる」

 

『ファッ!?』

『マ?』

『聞いてないよ〜(駝鳥)』

『チケゾーはSNSやってないからな……メガネキがウマスタで言ってたぞ』

『しかしなんでまた……ダービー取って燃え尽きたか?』

『なんかやりたいことができたって言ってた』

『トレセン学園ではアナウンサーの勉強してるチケゾーの姿が確認されてるぞ』

『女子アナチケゾー!? ウッ……』

『死ね』

『毎朝チケゾーが見られるようになるんですか!?』

『いや実況アナだろ』

『オグタマライブに呼んだら? 実況のチケゾー、解説のオグリ、ツッコミのタマで役割分担できるぞ』

 

「大してウケてないネタ擦るな!! スカ確定したスクラッチくじか!!」

 

「この3人の中で優勝候補となるのはやはりナリタタイシンだろうか。ステイヤー寄りのミドルディスタンスランナーで、トレーナーのステイヤー路線での成績もある。次点で、マイラーであるという意見もあるが2400mで好成績を収めているビワハヤヒデか」

 

「ウイニングチケットとネーハイシーザーやったらどっちのがあるんやろなぁ……ネーハイシーザーは上り調子、ウイニングチケットは下り調子やけど」

 

『俺はネーハイシーザーに花京院の魂を賭けるぜ』

『シッショーはビワハヤヒデは完全にステイヤーだって言ってたけど』

『マイラーは皇帝の杖情報やぞ』

『本質的にマイラー』

 

「さて、そろそろ発走だ」

 

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

『ぱーぱーぱー↓ぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

 

 

〜中略〜

 

 

 

「ほんでウチが思わず反射的に『そんなら食うて見ろやー!』てツッコんだらおもむろに立ち上がったオグリが秋天みたいな走りで海鮮市場に走り出して売りもんのイクラを……」

 

「タマ、レースが動くぞ」

 

「ん、やっとかいな。アレやな、ナイスネイチャみたいにごちゃごちゃ動かれると言えることないけど、動きがないと動きがないで言うことなくなるな」

 

『ワガママ』

『どうすりゃいいんだ』

『ちょっと待て続き気になるとこで止めんな』

『ちゃんと金は払ったよな?』

 

「リスナーは私のことをなんだと思ってるんだ。タマのツッコミに対してカウンタージョークをしただけで本当に食べ尽くしてはいない。500gパックを買っただけだ」

 

「まぁ流石にそこまで非常識とちゃうかったやんな。500gのイクラで米20kg食っとったんは忘れへんぞ」

 

「ビワハヤヒデが"領域(ゾーン)"を発動して後続を突き離した。いつも通りの作戦だな」

 

「ホンマよー毎度毎度おんなじレース展開にできるな……」

 

『【悲報】ツジユートピアン終了』

『シュアリーは粘ってる!!』

『でもハヤヒデは末脚あるし……』

『誰だよブライアンじゃない方って言ってたやつ』

『ハヤヒデやぞ』

『自称なんだよなぁ……』

『自分を客観視できないのか』

 

「ナリタタイシンも"領域(ゾーン)へ入ってビワハヤヒデを追走……なんだ?」

 

『ハヤヒデ!?』

『ハヤヒデ』

『何があった!?』

『失速……』

『いや、故障じゃないっぽい』

『ホントだ、加速した』

『ん? んんんー?』

『おぉ、2つ目』

『ゾーンか?』

『領域っぽいな』

『待て待て』

『おおー!』

 

「……タマ、どう思う?」

 

「どうって……まぁこの時期に2つ目の"領域(ゾーン)"持っとんのは流石ってとこやな。ミホノブルボン以来やんな? 菊での2つ目は」

 

「そうなんだがそうじゃなくてな……今のビワハヤヒデは狙ってやったよな?」

 

『どうしたオグリ』

『なんやなんや』

『タイシンもゾーン2個目!!』

『タイシンいけええええええ!!』

『タイシイイイイイイインン!!』

『!?』

『ちょ』

『なんだ?』

『血じゃね?』

『タイシン故障!?』

『鼻出血だ』

『なんだ鼻血か』

『ヤベェんだよレース中の鼻血は』

『最悪死ぬぞ』

 

「……後にしよう。最終直線、抜け出しているのはビワハヤヒデ、ナリタタイシンが追走。シュアリーウィンは失速。ウイニングチケットは仕掛けているがスタミナが限界か」

 

『いけえええええええええええ!!』

『うおおおおおおおおおおおおおお!!』

『ハヤヒデえええええええええええ!!』

『差し切れえええええええええええ!!!』

『あああああああああああああああああああ!!』

『なんとかなれええええええええええええ!!』

 

「……届かず。ビワハヤヒデの逃げ切り1着。ナリタタイシンは半バ身差で2着だ。3着にはネーハイシーザーが……」

 

「おいおい大丈夫なんか!? ふたり倒れよったで!?」

 

『タイシン!! は、フーねーちゃんが行った』

『シーザー!?』

『シーザーどうした』

『血?』

『血だ』

『鼻血?』

『口から出てんぞ』

『喀血!?』

『シィィィザーーァァァッ!!!』

『シィィィザーーァァァッ!!!』

『シィィィザーーァァァッ!!!』

『シィィィザーーァァァッ!!!』

『シィィィザーーァァァッ!!!』

『シィィィザーーァァァッ!!!』

『おまえら……』

『お前らこんな時に……』

『不謹慎だぞ』

『ちゃうねん』

『シーザーの後輩がやっとんねん』

『どっから持ってきたんだあのバンダナ』

『シバかれてて芝』

『残当』

『なんつったっけあの娘』

『スターって呼ばれてんの聞いたことある』

『マンちゃんって呼ばれてた気がする』

『ほなスターマンやないかい!!』

 

『あのバカ4人な』

『バカルテット?』

『それはまた別の』

『なんだっけ、マンちゃんとチョーさんしか覚えてねえや』

『マンちゃん、チョーさん、パラさん、バイザーじゃなかった?』

『え、ライアーじゃね?』

『ファイターって呼ばれてたぞ』

『ファイバーだった気がする』

『タイガーじゃね?』

『ヲタ芸かよ』

『とりあえず母音がアイアーなのはわかった』

『で、4人はどんな繋がりなん?』

『はい、わたしたちは、シリウス組ウマ娘です!!』

『ウマトーーーークかよ』

『シーマだっけ? あのアウトロー軍団』

『ネーハイシーザーもC-Maだぞ』

『そういう繋がりか』

『落ちこぼれって言われてんの聞いたことあるけど全然優秀じゃね?』

『シリウスさんこの人です』

『ちげーって!! マジで伝聞!! マジで!!』

『ホントかなぁ(疑心暗鬼ゴロリ)』

『スターマンマジでうるせぇなwwwwww』

『どっから出てんだあの声量』

 

『スターマン見てたらナリタタイシンいなくなってるし』

『黒い人のフーねーちゃんで治療してお米に運ばれてったよ。お姫様抱っこで』

『それは米』

『米稔るわ』

『大豊作』

 

『で、結局なんだったん?』

『ハヤヒデの領域のときな。オグリンどうした?』

 

「いや、あー……"領域(ゾーン)"に詳しいリスナー諸兄に聞きたいんだが、君たちの見解だとビワハヤヒデの第2領域の発動条件は何だと思う?」

 

『内側から抜くこと、は確定だろうな。あとは前の方にいること?』

『最終コーナーも条件だな。ビワハヤヒデは失速してすぐに内から抜き返せたけど、最終コーナーを待ってた』

『あー……え? おかしくね?』

 

「そう、おかしいんだ。あの"領域(ゾーン)"は今回が初めて発動したものだろう?」

 

「せやけど……それはナリタタイシンも同じなんちゃう?」

 

「いや、ビワハヤヒデとナリタタイシンとは明確な違いがある。ビワハヤヒデは"領域(ゾーン)"の発動条件をハッキリと把握して、意図的に満たそうとしていたんだ」

 

『あー、なんで知ってたの? ってことか』

『併走でも内から抜けるから……(震え声)』

『◇併走に最終コーナーはないんだ』

『……じゃあどういうこと?』

 

「ビワハヤヒデは、あのタイミングで必要に応じて、即興で"領域(ゾーン)"を創り出した。意図的にだ」

 

「……ハァ?」

 

『うっわ……(ドン引き)』

『マジで?』

『ヤバいを通り越してもうヤーバーババーバーババー』

『いやマジでヤベェっていうかバケモンだよこんなん』

『よくわからん。TCGで例えろ』

『デッキの一番上が光って盤面のメタカードが出現する』

『ヤベェわ』

『例えで芝』

『ディスティニードローじゃん』

『どこが凡才なんだよ!!!! お前の!!!!』

『タマもオグリも領域会得の厳しさを知ってるからこそ信じられんよなぁ……』

 

「なんかもう……終わるわ……」

 

「タマがナーバスに」

 

「ほな……」

 

「ほなな〜」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

『タマ今日は暖かくして寝な』

 

 

 

★☆★

 

 

 

 秋華賞優勝者、ユキノビジン。

 天皇賞・秋優勝者、ヤマニンゼファー。

 菊花賞優勝者、ビワハヤヒデ。

 エリザベス女王杯優勝者、ホクトベガ。

 JBCシリーズ優勝者、割愛。

 マイルチャンピオンシップ優勝者、シンコウラブリイ。

 ジャパンカップ優勝者、イブキマイカグラ。

 チャンピオンズカップ優勝者、イズミスイセン。

 香港スプリント優勝者、サクラバクシンオー。

 香港ヴァーズ優勝者、レガシーワールド。

 阪神ジュベナイルフィリーズ優勝者、ヒシアマゾン。

 朝日杯フューチュリティステークス優勝者、ナリタブライアン。

 

「――っ、ふぅ……」

 

「パマちんお疲れぃ!!」

 

「ヘリオス、ありがとね、手伝ってもらって」

 

「モーマンタイ!! ウチらズッ友じゃん? ……にしても、マジでやるん? ()()

 

「……まぁ、ね」

 

 嵐の逃亡者は、再び嵐を巻き起こす。

 波乱のGⅠレースが、来る。




 副題:君に贈る


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繋げるもの、繋がるもの

 長くなりました。


 メジロマックイーン。メジロ家令嬢。菊花賞ウマ娘。天皇賞師弟三代制覇。春の天皇賞三連覇。『名優』。クールビューティ。近付きがたい雰囲気を持った高貴なる少女。引退して早半年、最近はメディア露出も減り、ミステリアスさも併せ持つようになった。

 このような世間一般からの彼女への評価は、メジロマックイーンの徹底した自制心によるイメージ戦略によるものが大きい。すなわち、メジロ家令嬢たるもの、いついかなる時も優雅たれ。

 これはメジロ家の方針開拓を目的として育てられたメジロライアンや、メジロ家の異端児である()()()メジロパーマーを除き、多くのメジロ家令嬢に課せられ、同時に従ってきた標語である。

 しかし、メジロマックイーンのそれは病的なまでに徹底されていた。それ故に、メジロマックイーンの素の性格を知る者はメジロ家の極一部に限られている。それこそ、彼女のトレーナーですら知らないのだ。

 本来の彼女はむしろ享楽的な性格をしている。それ故に、そんな自己を抑圧し続ける生活は彼女に強いフラストレーションを与え続けていた。

 にも関わらず、彼女がそれに耐え続けることができたのは、ひとえに彼女に才能があったからだろう。努力が結果に繋がり、目標を達成できるだけの才能。たとえ彼女にとっては好ましくない長距離レースへの才能であっても、だ。レースを好んでいないとはいえ、ウマ娘の本能として走ることは快感であり、それで称賛を得る、目標に達することは十分なストレス解消になっていた。

 

 何が言いたいのかといえば、その才をいかんなく発揮できていたターフ上から離れ、メジロ家の未来を担うためのトレーナーの勉強を始めた彼女の前には初めて、凡才の立場という名の壁が立ちはだかっていた。

 思うように進まない進捗、過去問題集での自主模擬試験も結果は出ず、最後のレースで脚に抱えた故障によってストレスを解消するために体を動かすことさえままならない。

 それでもこの半年、メジロマックイーンはよく耐えたほうだった。ステイヤーとして、そしてメジロ家の令嬢として己を律し続けた精神力を遺憾なく発揮して。

 

 しかし、努力を続けただけで結果が出るならば多くのウマ娘が涙を溢しながらターフを去ることはない。

 

 メジロマックイーンのメディア露出が減った理由はトレーナー試験への勉強へ時間を割いたからではあれど、それは最大の理由ではない。

 精神的負担による自律神経失調、適応障害、軽度の鬱。それらに処方された薬による身体的負荷の蓄積で大きくやつれた姿を衆目へ晒すことを、彼女自身が嫌ったのが最大の理由だ。

 それでも彼女は進むことをやめようとしない。かつてメジロライアンはメジロマックイーンに施されたそれを呪いと呼んだが、その呪縛の鎖は逃さないための足枷ではない。立ち止まることを許さず前へと引きずり続ける轡鎖(くつわくさり)*1だ。

 優雅なる血族(Elegance Line)たれと己を騙し続けた正確な口八丁(Elegance Line)はもはや狂うことさえできない。

 

「ねぇ、マックイーン。もう、トレーナー目指すの止めなよ」

 

 その姿は、因縁を突き抜けた者(Line Breakthrough)にとっては見るに堪えないものだった。ノックの音にも呼びかけにも、メジロパーマーが部屋に入ってきたことにも気づかなかったメジロマックイーンが、その言葉にゆっくりと幽鬼のような生気のない視線を向ける。

 虚ろ、という表現がピッタリなほどに何も映っていない瞳。やつれているのにもかかわらず、その表情だけがかつてのように凛と律されたまま残っている。

 

「なんでそんなになってまでトレーナーになりたいのさ」

 

「……私には、メジロ家の誇りを次代に繋ぐ責務があります。次期総帥はラモーヌさんが就くでしょうけれど、天皇賞への技術を受け継げるのは私しかいません。絶やしてはならないのです」

 

 額面通り受け取れば、いや、もしも健康的な者が言っていれば感じ入るものもあっただろう。しかし、今のメジロマックイーンではただ痛々しいだけで。

 こんな言葉を吐かせるのか。使命という名の呪縛を、誇りという名の足枷を、伝統という名の洗脳を、期待と言う名の強制を、夢という名の妄執を、子供に擦り付けた大人たちは。

 ギリと知らず歯を鳴らすメジロパーマー。メジロ家の誇りは、名は、こんなになってまで継がせるだけの価値が本当にあるのか。

 メジロパーマーは知っている。メジロマックイーンが本来どれほど素朴な少女であるかを。だからこそ、己の背より大きな荷物を背負い込むその姿を見ていられなく、しかし、メジロという()から逃げた自分がそれ以上何を言えるわけもなく、用意してきた紅茶とサンドイッチを置いて部屋を出るしかなかった。

 

 部屋を出て、総帥のいるだろう書斎へ向かう途中、見知った短髪が目に入った。

 

「パーマー、君もか」

 

「私も……? ライアンも……てことは……」

 

「……外に出ようか。ガゼボ*2で話そう」

 

 メジロライアンの表情で何かを察したメジロパーマーは、ともに屋外にあるガゼボへと移動する。当時はまだ10月も初めだが、吹きさらしのガゼボは十分に肌寒い。

 

「それで、マックイーンのことだけど……お婆様に伺ってみた。なんとかならないかって」

 

 メジロ家初代、現総帥、メジロアサマ。メジロ家を作り上げた女傑であり、メジロマックイーンにレースを教えたメジロティターンの師でもある。故に彼女は、メジロ家内ではもちろん絶大な権力を持っている。

 そして、決して情のない人物ではない。だからこそ、何かを期待してメジロライアンはメジロアサマに、メジロマックイーンについて相談したのだ。

 

 結論は、既にメジロアサマにさえどうしようもないとのことだった。

 メジロ家の何者かや関係者に強制されてやっているのならば、メジロアサマが庇護して止めることもできる。しかし、メジロマックイーンはあくまで自分の意志でそれをやっているのだ。

 メジロマックイーンの精神力は折り紙付きだ。メジロアサマや、次期当主であるメジロラモーヌが何を言っても最早止まる気はないだろう。事実、一度メジロアサマがメジロマックイーンに直接苦言を呈したものの、それは結局止めるまでには至らなかった。

 もしもメジロマックイーンの意に沿わないまま止めようとするのならば、物理的に拘束するか、メジロ家そのものを潰してしまうしかない。しかし、それではメジロマックイーンが精神力の主柱を失った果てにどうなるかわからないし、メジロアサマの一存で潰せるほど、メジロ家の社会的影響力は小さなものではない。

 

「……結局、説得するしかない……か」

 

 メジロライアンとメジロパーマーの考える、次代へのバトンタッチ。それは奇しくも同じものであり、メジロマックイーンとは考えを(こと)とするものであった。

 すなわち、『継ぐべきは王者の技ではなく、王者の魂である』ということだ。

 極論、勝てるなら技などなんでもいい。メジロ家出身の馴致師、トレーナーでなく、新進気鋭の馴致師と若き有望トレーナーに教えを受けたメジロライアンと、友と編み上げた走りでグランプリを勝ち取ったメジロパーマーの間で、その考えが共通していた。

 見せなければならないのは『走り方(技術)』ではない。『走り(生き様)』だと。その在り方を受け継いでこそ、メジロの名を受け継いだことになると。

 

「……やっぱり、証明するしかない。マックイーン自身に私の走りを見せて、納得させるんだ。メジロ家から離れた私が言うのもなんだけどね」

 

「うん……でも、問題はどうやって見せるかだよね。マックイーンは部屋から出てこないし、レースもどのレースに出るか……たぶん、生半可なレースじゃ納得してくれない」

 

 少なくともGⅠレース。メジロパーマーの得意距離で候補に挙がるのは、秋の天皇賞、ジャパンカップ、有。直接見せるために国内レースに絞るとこれだけになる。

 さてどうするか、と、ふたりが悩み始めたときだった。

 

「わたしにいい考えがある」

 

 聞き慣れない声にふたりが視線を向けると、そこにはトレセン学園の制服を着て青い耳カバーを着けた、前髪に星*3のある青鹿毛のウマ娘が立っていた。

 もちろんふたりはその少女に心当たりも見覚えもなく、しかしどこか(ちか)しい印象を受ける。

 

「えっと……君は……」

 

「わたしが誰かは関係ないけど、尋ねられたら答えよう。覚えていられるかはアナタ次第……」

 

 少女はゆっくりと名乗る。しかし、ふたりはあとから思い返しても彼女の名前だけが(もや)がかって思い出せなかった。

 

「わたしはユーバーレーベン。コンゴトモヨロシク……」

 

 

 

★☆★

 

 

 

 それから約2ヶ月半、12月25日、クリスマス。

 メジロマックイーンが自分が眠っていたことに気づいたのは、まさに目を覚ましたその時だった。

 不本意ながら睡眠をとった彼女の顔は普段よりもマシになっているが、2ヶ月半前からは確実にやつれ具合が悪化している。

 それでもメジロマックイーンの脳裏に浮かぶのは、睡眠で時間を浪費してしまった後悔だ。最早、睡眠時間を確保するよりも眠らずに勉強を続けるほうが効率が悪く結果的に時間の無駄であるという至極簡単なことにさえ思い至らない程に消耗していた。

 だからだろう。

 

「確保」

 

「!!!?!?!??」

 

 メジロマックイーンは窓からエントリーしてきた見知らぬ青鹿毛のウマ娘に一切反応できないまま、ズタ袋に詰め込まれてしまった。

 まともに周囲の状況も確認できないまま、浮遊感から一度飛び降りたということだけ認識し、何処かへと運ばれるのを抵抗もできず受け入れるしかないメジロマックイーン。むしろ、軽く意識が飛びそうになっている。

 

 停止、そしてエンジン音。車に押し込まれたことがわかった。間違いなく誘拐である。残念なことに、メジロマックイーンには誘拐被害に遭うだけの要因がごまんとある。

 そう考えていたのだが、思いの外すぐにその考えは覆される。聞き覚えのある声が聞こえてきたためだ。

 

「ちょっと!? このままじゃシートベルト着けられないよ!?」

 

 ぼんやりのその声を聞いていると、ズタ袋が開かれ解放される。とはいえ、車から飛び降りるわけにもいかないため最早抵抗もできないのだが。

 既に発進している車内で手早くシートベルトを締められたメジロマックイーンは状況を確認する。見知った顔はひとり、メジロライアン。

 それと、自分を拉致した青鹿毛のウマ娘。当初はサングラスとマスクをつけていたのだが、今は外している。そして、運転手の成人女性。こちらもウマ娘で、髪色は芦毛だ。

 

「ライアンさん……? 一体何のつもりですの……?」

 

「マックイーンに見てもらいたいレースがあるんだ。これが最後。これが終わったら、もう何も言わない」

 

 そう言われて、メジロマックイーンの頭にはそれまで何人かの知り合いから言われた諫言(かんげん)が浮かんできた。だが、それで心が動くことはない。最早、それは言葉を意味として認識できているだけであり、感情にまで届いていないのだ。そんなメジロマックイーンのようすを、メジロライアンは悲痛な表情で見つめている。

 そして、ふとメジロマックイーンが感情とは別のところにある疑問に辿り着いた。

 

「……でも、有記念は明日ですわよね?」

 

 そう、年末の大レース、有記念はホープフルステークスとともに明日。ダートのGⅠである東京大賞典も来週の水曜日だ。今日行われるのはGⅢでジュニア級限定のフェアリーステークスくらいで、メジロマックイーンも他に芝、ダートどちらにも大きなレースはないと記憶していた。

 雨粒が車の窓を叩く音が車内に響く。今朝から降り続いている雨はどんどん雨脚を強くしている。嵐が近づいていた。

 

 車が到着したのは中山レース場。傘を差していても雨が体を濡らす中、メジロマックイーンは多少ふらつきながらも青鹿毛の少女とメジロライアンに連れられてレース場へ入る。

 雨のせいか盛況とは言い難い観客席からそのレースが見えた。

 

『さぁ、メジロパーマー軽快に逃げております、未だ先頭。平地の「嵐の逃亡者」は()()()()()でも嵐を巻き起こすのか!!』

 

 そう。メジロパーマーが走っているレースは平地競走ではなく、しかしれっきとした国際グレード『J(ジャンプ)・GⅠ』を持つGⅠレース。

 

 その名を、『中山大障害』。4100mを走破する障害レースである。

 

 平地でのレースの才のみを重視して育てられたメジロマックイーンは知らなかったことだが、『長距離のメジロ』とメジロ家が呼ばれた理由はなにも天皇賞だけではない。

 メジロアンタレス、メジロマスキットなど、J・GⅠウマ娘も同じく輩出しているからこそ、メジロ家はそう呼ばれていたのだ。

 しかし、メジロマックイーンの馴致を務めたメジロティターンやメジロマックイーンのトレーナーである奈瀬はともかく、メジロマックイーンの幼少期に彼女を教育していた人間には、障害レースを軽視していた者が多かった。

 だから、見ての通りメジロパーマーがこのまま中山大障害を走破し、トレーナーになることができれば、メジロマックイーンの言う『メジロの名を次代に繋ぐ』という目的は達成できる。メジロマックイーンの理論でも、メジロマックイーンがトレーナーになる必要はなくなる。

 だが、()()()()()を考えてメジロパーマーやメジロライアンはこのレースを見せようとしたのではない。その想いは確かにメジロマックイーンに伝わっていた。

 

 苦手な飛び越しをなんとかこなしながら、他よりハイペースに逃げ続けるメジロパーマー。大雨と強風、バ場は泥濘(ぬかる)んでおり最悪。文字通り叩きつけるような雨が痛みさえ覚えるだろうこのレースを走りながら、しかしメジロパーマーは笑っていた。

 いつものようにピンと背中を伸ばし、障害のみならずこの嵐と逆境を飛び越えてこそ『嵐の逃亡者』だと。血族の呪縛(Line)も、妄執の鎖(Line)打破してやる(Breakthrough)と言わんばかりに。

 

 そして訪れる最終直線で、風は彼女の味方になった。

 他のウマ娘が最終直線前の泥濘んだダートで足を取られる中、真っ先に最終直線へ飛び込んだメジロパーマーに吹いた追い風が背中を押す。

 嵐の中に太陽が昇る。その熱いくらいの陽射しは友から託された心象の欠片。ひとり加速したメジロパーマーを追おうと最終直線でスパートをかけようとした後続に対して、今度は逆風が吹き荒れた。

 上手くスパートをかけられずもたつく他の面々と違い、既に加速を終えていたメジロパーマーはぐんぐんと距離を離して真っ先にゴールへ飛び込んだ。

 

『ゴール! ゴールです!! 嵐の逃亡者がまたやりました!! URA史上初、平地と障害レース両方のGⅠレースを制覇したウマ娘が、今ここに誕生しました!!!』

 

 あぁ、これだ。そう思った。

 まだ物心ついたばかりの子供が、親の喜ぶ顔が見たいとか、家柄の挟持とか、そんな殊勝なもので動くわけがない。

 あの日、レースが嫌いですらあったメジロマックイーンの背中を押したのは理屈じゃない。

 

「……ライアンさん、いえ、ライアン。ありがとうございます。あとで、パーマーにも謝らないといけませんね。他の皆様にも……」

 

「マックイーン……!!」

 

 メジロマックイーンの表情はやつれたままだが、そこに浮かぶ表情は幽鬼のようなものではなく、本当に穏やかな、想い出を懐かしむような笑みだった。

 

「……しかし、拉致(あのような行い)は流石に強硬手段が過ぎませんこと!? 一歩間違えば大事故でしたわよ!?」

 

「ご、ごめん……アタシも拉致してくるとは知らなかったっていうか……普通に車で送っていくだけだと……」

 

「そもそも、あの青鹿毛のお方はどなたなんですの!? 運転手の芦毛の方も!!」

 

「あ〜それは……って、あれ? どこに行ったんだろう」

 

 メジロライアンが周囲を見れど、既に青鹿毛のウマ娘は姿を消していた。名前を思い出そうとしてもどうにも思い出せず首をひねるばかりだった。

 

 

 

「……お師様。計画成功」

 

「おーう! ナイスだったぜレーちゃん! まぁアタシが介入しなくてもメジロ家が離散するくらいでそんなに歴史が変わるわけでもないんだけどな〜。これで、メジロ家が家としてはレースから身を引くくらいの規模で落ち着くと思うぜ」

 

 青鹿毛のウマ娘が車の助手席に乗り込むと、とある有名映画にも登場した外国車を発車させる。嵐はさらに酷くなるばかりだ。

 

「さーてこの時代のアタシに会う前に帰んぞー。アタシならなんとかなるとは思うけど面倒事はごめんだかんな! そのためにレーちゃんを矢面に立たせたんだし」

 

「ラキにお土産も買ったし、()()()()()()大師匠も見られたし、満足」

 

「よっしゃあ! そんじゃ"ブロッケン・G"、出港じゃーい!」

 

 急発進する"ブロッケン・G"。その後ろに積まれた動力源に、いつの間にかセットされていた避雷針とコードから伝わった雷の電力が供給されると、激しい火花が散るとともに、そこには車の影も形もなくなっていた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 メジロマックイーンはひとり立ち尽くしていた。行きに送ってくれたあの車がいなくなっていたためである。

 メジロライアンが迎車を手配したあと、空き時間にメジロパーマーと共にトイレへ立った。現在、メジロマックイーンはやつれた顔を一般人に見られないように、何故か残されていた青鹿毛のウマ娘のサングラスとマスクを着けて待っている。の、だが。

 

(な、なんですの!? この方は!?)

 

 正面のベンチに座っているウマ娘が、滅茶苦茶にこっちを見ている。というか、ガンたれている。バチクソにメンチを切っている。

 視線だけで人を殺せそうなウマ娘に見られながら、しかしメジロマックイーンだとバレないためにその視線から目を逸らし続けるメジロマックイーン。メジロライアンが軽く変装をしてメジロマックイーンを迎えに来たのは、それから10分後のことだった。

 

 

 

『なんだあいつ、おもしれー』

*1
紀元前から使われていたとされる奴隷階級の口に着けられる拘束具の部品。轡から繋がれた鎖のことを言う。轡自体は発言、食事、閉口の制限と、鎖あるいは手綱からの刺激を伝える役割がある。人が奴隷を牽く場合は手綱が使われ、鎖が使われたのは車で牽引するときや、その場に繋ぎ止めるときだった。

*2
西洋の庭園にある四阿。うみねこのなく頃にでベアトリーチェが茶しばいてるところと言えばわかりやすいか。わかりにくいか。そっか。

*3
丸い白徵。流星ではなく、グラスワンダーのようなただの丸い模様。




【追記】
 最近話題のAIくんが黒い人を描いてくれました。
 大体こんな感じです。

【挿絵表示】


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咆哮3つ

 12月26日。嵐から一夜明け、天には真逆の太陽が輝いてターフを微力ながら乾かしている。前日の偉業達成に人々の熱が冷めやらぬ中、一年の集大成が始まろうとしていた。

 まずはホープフルステークス。ジュニア級GⅠ最後の一戦を勝ち抜いたのは、豊富なスタミナで勝負を仕掛けたエアダブリンだった。

 人々は、来年のクラシックでエアダブリンはナリタブライアンのライバルになるか。いや、メイクデビューはまだだがサクラローレルも資質ありだと口々に話し合っている。

 しかし、やがてファンファーレが響けば観客たちの意識はすべてターフへと引き戻される。ゲートの中で鬼たちが笑う。いつまでも来年の話などしているんじゃない、今年はまだ終わっていないのだからと。

 『不滅の逃亡者』『傷だらけの帝王』『赤緑の刺客』、一昨年のクラシックで三強と呼ばれたウマ娘たちに、唯一参戦している今年の三強は太刀打ちできるのか。

 トウカイテイオーは静養明け、ツインターボは距離不安でそれぞれ人気をやや落とし、ナイスネイチャは安定感はあるものの1着には力不足ではないかとされたため、一番人気はビワハヤヒデが手にしたが、二番人気のナイスネイチャとは僅かな差だ。

 

 ゲートの中でエンジンがふかされる。誰もが、彼女が真っ先にゲートを飛び出すとわかっていた。最後はともかく、いつだって最初は彼女が一番なのだ。

 

『さぁ、有記念スタートです!! まずはツインターボが後ろを引き離しにかかります!!』

 

 "領域(ゾーン)"とともにハナを切ったツインターボが早速大きくリードを獲りに行く。しかし、それを許さない影が2つ。

 

『先頭ツインターボ、軽快に逃げております。トウカイテイオーとビワハヤヒデ、先行脚質の2人がしっかりとツインターボに追随する。真後ろにヤマニンゼファー、短距離敗戦の雪辱を果たし三階級制覇なるか。そのやや後ろにエルカーサリバーとベガ、前目につけている差し集団先頭はマチカネタンホイザ、並んでナイスネイチャ、やや後方イクノディクタスとウィッシュドリーム、追う形でセキテイリュウオーが続く。差し集団最後尾は様子を見ながらの走りなのかもうひとりの復帰戦サンエイサンキュー。エルウェーウィンがもう一度ビワハヤヒデに土をつけんと最後方で脚を溜める。出遅れが響いたホワイトストーン最後尾』

 

 14人中9人がGⅠウマ娘。屈指の有記念はまさに集大成というほかない。

 ツインターボの破滅逃げによってレースのペースは跳ね上がる。しかし、比較的小回りで最終直線の短い中山2500mでツインターボの独走を許せばその差を埋めることは困難。誰もがこの殺人的ハイペースに付き合うしかない。

 

(クッ……ソ!!)

 

(ぐぅ……っ!)

 

 大阪杯でツインターボを差し切ったトウカイテイオーと、勝利の方程式を築き上げたビワハヤヒデの表情は苦しい。しかし当然だ。2人が見つけ出した勝ち筋は所詮、掻き乱す者がいないことが前提なのだから。

 いや、ツインターボとのマッチレース同然だから、駆け引きを投げ捨てたタイムトライアルをするという力技なトウカイテイオーはともかく、ビワハヤヒデの勝利の方程式は工作に対応できるようになってはいる。

 しかし、それは並の妨害であればの話だ。

 

(これほどまでに式が乱されるかッ!! ナイスネイチャ……ッ!!)

 

 少しでも消費を抑えたいハイペースであるにも関わらず、尽きず止まらず動かされ続ける盤面。爆心地は当然、ナイスネイチャ。

 しかしナイスネイチャにも余裕はない。普段よりも遥かに乱れからの復帰が早い。それもビワハヤヒデだけでなく全員の。

 ツインターボという掛かり続ける逃げと、ビワハヤヒデというブレないペースメーカーが、出走者の基準として牽制からの立ち直りを早めていた。

 しかしだからと言って攻め手を緩めればナイスネイチャの勝ち目は限りなく薄くなる。素の身体能力や才能では劣っているのだから。

 

(ダメだ、ターボだけじゃなくてネイチャやビワハヤヒデも警戒しないと……でもそれじゃターボが……!!)

 

(軌道修正で精一杯、こちらから牽制を入れるのは不可能か……わかってはいたが厳しいな……)

 

 苦戦しながらも、しかし最善か次善のペースで走り続けるトウカイテイオーとビワハヤヒデ。その後ろ、ヤマニンゼファーがスリップストリームを得つつも冷や汗を垂らす。

 

(なんて乱気流……それだけではありませんね……気を抜いたら雲の果てまで飛ばされてしまう……)

 

(くっ、マーク対策にまで気を回せん……)

 

 風はヤマニンゼファーに味方する。しかし、そのヤマニンゼファーも未知のハイペースにガリガリとスタミナを削られている。

 レースは中盤に入り、思うようにリードを取れていないツインターボがギアを1つ上げる。ここから先はスタミナが保つ保証のない破滅との境界線。

 それでもツインターボは脚を止めない。コーナーの最短距離をなぞり向正面の直線、下り坂の《逆落とし》で息を入れ、スタミナ消費を最小限に保ちつつ後続を引き離す。

 その坂の半ば辺りで、ツインターボの脚がにわかに重くなった。崩れそうになるバランスを持ち直し、ツインターボは再び前を見る。

 その異変は後続にも発生していた。ナイスネイチャの引っ張るような威圧とも、イブキマイカグラの纏わりつくような威圧とも、ライスシャワーの冷たく引き裂くような威圧とも、ユーザーフレンドリーの駆るような威圧とも、イズミスイセンの圧し潰すような威圧とも違う。

 空間そのものが歪み、重たくなったかのような、荘厳な峡間にも似た威圧。そこにあるのは、竜の王が坐する谷。セキテイリュウオーの発する"領域(ゾーン)"。

 距離の関係で比較的影響が薄かったツインターボと先行集団の距離が離れる。しかしそれでも、思ったよりも距離は離せていない。10バ身程か。

 向正面を越え第3コーナー、そしてツインターボだけが最終コーナーへ辿り着いたとき、遂にその時がやってきた。

 

「っく……ップハァッ!!?」

 

 ツインターボが息を詰まらせ、失速を始めた。観客席から――或いは別の世界であれば、様式美的なその奮闘に称賛交じりの喝采さえ叫ばれたであろう逆噴射に――悲鳴交じりの声があがる。

 持っていたリードをすべて吐き出しながら懸命にゴールを目指すツインターボ。しかしそれで逃げきるには、今日レースを共にしているウマ娘たちは甘くない。

 "領域(ゾーン)"を発現させたビワハヤヒデとトウカイテイオーがツインターボに迫り、そのまま抜き去って先に最終直線へ到達した。

 ほぼ間をおかず、ヤマニンゼファーがツインターボを躱して最終直線へ入る。そして、短いその直線で"領域(ゾーン)"を発動させようとしたときだった。

 ヤマニンゼファーが足を踏ん張りそこねバランスを崩した。転倒こそしなかったものの、大きく集中を乱されたヤマニンゼファーが外へ膨らみ、"領域(ゾーン)"を展開できず最終直線へ入る。

 

(これでゼファーは終わり……ッ!! あと3人!!) 

 

 それは、ナイスネイチャの策だ。嵐の後の重バ場、最内はツインターボのルートで、そのやや外をトウカイテイオーが通るとして、ビワハヤヒデが"領域(ゾーン)"を発動させるために最終コーナーで内から追い抜くには()()を通るしかない。

 であれば、"領域(ゾーン)"を発動させ踏み込んだ最終コーナー終わり際の()()の芝は、雨とホープフルステークスとビワハヤヒデによって荒れた滑りやすい芝になる。

 ナイスネイチャはこのハイペースとスリップストリームによってヤマニンゼファーが牽制を読み取りにくくなっていることを利用して、少しずつそのレーンを通るように誘導していたのだ。図らずも、セキテイリュウオーの"領域(ゾーン)"もそれを助長させる結果になった。

 

 早めにあがってきていたナイスネイチャがツインターボとヤマニンゼファーを躱して最終直線へ入る。それと同時に、ナイスネイチャから不可視の鎖が放たれた。《八方睨み》と《独占力》、そう名称される技術だ。

 それは、トウカイテイオーよりもビワハヤヒデにより大きな効果をもたらした。

 

(っ゛っ……!! こんな、これほどまでかっ……!?)

 

(どけっ、ビワハヤヒデッ!! そこは……テイオーの隣(そこ)はアタシの場所だっ!!)

 

 ジワジワと縮まる彼我の距離。しかし、冷静に回るナイスネイチャの頭が答えを弾き出した。このままでは届かない。ナイスネイチャの脚は最速で回っている。それでも、トウカイテイオーとビワハヤヒデに追い付くには至らない。

 視界が少しずつ暗闇に染まる。それは壁、あるいは底。自分の限界。どうやっても超えることのできない、絶対的な壁。

 

(ハハ……才能の差、努力の差、埋まらない差……所詮は小手先じゃこの程度なのかなぁ……まぁ、多分テイオーもドリームシリーズに行くし、そこでまた戦うことになるでしょ。また勉強して、強くなって、今度こそ……)

 

 ナイスネイチャの思考が止まる。

 

(……今度? それっていつ来るの? その今度も、また今度って言うの? どうして二度と来ないかもしれない今度を簡単に受け入れられるの? ……そうだ、限界なんて、アタシの弱さなんてとっくに知ってたじゃん。それでも、ここがアタシの限界なんて、そんなの納得できるわけ無いじゃん!!)

 

 ナイスネイチャの前の壁に光が溢れる。壁の向こう側、自分の肌も見えないほどに暗いその場所に、壁が崩れた向こうから光が差し込んだ。

 

(いつかきっとその先へなんて言いたくない。乗り越えるなら今だ。アタシもたまには、主役になってみたいじゃん)

 

 

 

 ツインターボは懸命に走り続けていた。しかし、それでも身体は重くなり、脚はどんどん回らなくなってくる。すぐ後ろまで後続が迫り、前にある背中は遥か遠い。

 

《いいよ、もう》

 

 心の底で諦めが首をもたげる。エンジンはとうに止まったまま。

 

《2400mだってギリギリだったんだもん、2500mなんてはなから無理だったんだ》

 

(…………)

 

《相手はみんな2500mが得意なやつらだ。失速したターボに勝てるわけないよ》

 

(……うるさい)

 

《もういいよ諦めたって。誰も責めないし失望もしないよ。BCターフだって勝ったんだ。テイオーにも1回勝ってる。それで――》

 

(うるさいッッ!!)

 

 ()()()()()を怒鳴りつけ、前を睨むツインターボの眼は、まだ死んでいない。

 

(BCターフで勝ったからなんだっ、1回勝ってるからなんだっ!! 今!! ここで!! テイオーに勝たなきゃなんの意味もないっ!!)

 

《勝ってどうするの。それで一体、何が変わるの。この1回勝ったくらいで何も変わらない。今まで通り、ターボはテイオーやネイチャと並んで三強。誰が一番強いなんて考える人いないよ》

 

(誰が考えるかなんてどうでもいいっ!!)

 

《ビワハヤヒデだって強かったじゃん。あのトレーナーが言うくらいなんだから、負けたって仕方な――》

 

(仕方ないなんて聞き(言い)たくないっ!! アタシは、諦めるなんて絶対に嫌だッ!!!)

 

 ツインターボのエンジンが、()()()()()()()()

 

《嫌だ嫌だって駄々こねてても仕方ないでしょ。それなら、どうするんだよ》

 

(わかんないなら、そこで見てろよ)

 

 

 

「いつまでも、名脇役なんて言わせないっ!!!」

「これが諦めないってことだぁッ!!!」

 

 膨れ上がる存在感に、ビワハヤヒデが総毛立つ。残り250m、余裕なんてもうないはずなのに、その距離がどこまでも続いているかのように思えた。両脇を2つの影が抜けていく。遠ざかる背中があっという間に小さくなるようだ。

 

「「トウカイテイオオオオオオォォォォォッッ!!!」」

 

 トウカイテイオーは振り向かない。ただ近づいてくる好敵手の咆哮に笑って、更に加速した。三度の骨折、長期休養。幾人もの強敵。善戦はできるだろう、しかし、それを乗り越えて勝つなんて絶対に無理だと多くの人が言った。

 それでも少なくともこのふたりは、直接聞いたわけではないけれど、トウカイテイオーが勝てないだなんて考えてもいなかったはずだ。そして他にも、自分を信じる人がいる。だから。

 

「"絶対"を破るのは、ボクだああァァァァッ!!」

 

 熱は観客席を伝播し、病にかかったかのように皆がただ信じる者の名を叫ぶ。

 

『ツインターボ!! 負けるなっ!! お前を倒すのはウチだっ!!』

『トウカイテイオー!! 俺様に勝っておいて負けるなんざ赦さねぇぞ!!』

「けっぱれ!! マチタンさん、イクノさん、けっぱれええええっ!!」

「リュウオーパイセンやるときゃやるよなぁ!!?」

「チョー頑張れっ!! リュウオー先輩ーっ!!」

「行けっ! ハヤヒデ、負けるなっ!!」

「ハ゛ヤ゛ヒ゛デ゛エエエエエエエエッ!!」

「走れっ……テイオー……っ!!」

「姉貴……ッ!!」

「たーぼさあああああああんん!! がんばれええええええええ!!」

「気張りやぁ、ネイちゃん!!」

「サンキューさんっ!! 頑張ってぇっ!!」

『"絶対"を蹴飛ばせっ! トウカイテイオーっ!!』

「ターボっ、走れええええええっ!!」

「ネイチャちゃあああん!! テイオーちゃああああん!! 頑張れえええええっ!!」

「まくれっ、ぶっトばせッ!!! ネイチャァッ!!!」

「壁を越えろっ!! ナイスネイチャッ!!」

 

 

 

「「「ウオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」」

 

 

 

 中山の最終直線、残り200m。3つの影が並んだ。

 その瞬間、過去も未来も消え去った。

 ただ、今と今のぶつかりあう、魂のデッドヒート。

 

 それは、戯れにも見えた。死闘にも見えた。

 

 決着はハナ差。栄光を手にし、その手を掲げたのは――

 

「……ッ、勝ったあああああああああッ!!!」

 

 その『勝者』の名は、ツインターボ。

 

 きっとその日、レースのすべてがそこにあった。




 当初のプロットではこれが最終レースでしたが、なんかまだ続くみたいです。
 ただこれを書くのも1つの目標だったんで気持ち的には一区切りですね。


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オグタマライブ ??/12/31

賢者タイム


《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今回は年末特別編ちゅーことでゲストに来てもろたで!」

 

「まいどー! トゥインクルシリーズウマ娘のトウカイテイオー様だよ!!」

 

「まいどぉ! ツインターボだぞ!!」

 

「あはは……まいど〜、お馴染み3着、トゥインクルシリーズウマ娘のナイスネイチャですよ〜」

 

『TTN!』

『TTNだ』

『伝説になった3人じゃん』

『TTN!!』

『おぉ、TTN』

『TTGの再来』

『タボボかわいい』

『ネイチャそれこそデビュー前後は「毎度3着は自虐じゃねえよ」って思ってたけどあの有でも3着なのは流石に持ってるわ』

『有記念3年連続3着とかいう謎記録』

 

「ということで、巷ではTTNと呼ばれている、今年の有記念でトップスリーを占拠したツインターボ、トウカイテイオー、ナイスネイチャに来てもらったぞ」

 

「レース内容に関しては後で触れるとして、トウカイテイオーは今回故障せんで済んだんか?」

 

「うん、今回は無傷だったよ〜。まだまだ現役だもんね!」

 

『モンニ!!』

『モンニモンニ』

『モンニ!』

『モンニ-!』

 

「んで、逆にツインターボは引退すんねんな?」

 

「うん! ドリーム移籍だけどね!」

 

「ナイスネイチャはどうするんだ?」

 

「あ〜、アタシも現役ですかねぇ……ちょーっと2人に比べて勝鞍薄めかなぁって」

 

『薄め(GⅠ3勝)』

『薄め(重賞11勝)』

『薄め(ホープフル、菊花賞、宝塚記念)』

 

「いやいや! 比較的ですよ比較的!! ターボはGⅠ5勝な上にクラシックでの天皇賞制覇と秋天連覇、BCターフ勝ってるし、テイオーはGⅠ勝数は同じだけどジャパンカップでサンデーサイレンスに勝ってるし……それにアタシふたりに直接対決で勝ったことないから!」

 

「いやダービーは実質ネイチャの勝ちだったでしょ」

 

「テイオーがその話蒸し返すの!!? ウソでしょ!!?」

 

『禁忌』

『ウマ娘レースファンの間でタブーにされてる話を本人が堂々と擦ってくんの芝』

『まぁテイオーの立場からすればそう言いたくなるのは自然』

『まぁふたりは現役続けるんだから、ここからのレースで勝負してもろて』

 

「そうだよね! まだ直接対決できるんだし、春天で勝負だよ、テイオー!」

 

「ちゃっかり得意距離で勝負してこようとしてるね!? ボク香港トリプルクラウン狙いに行くからちょっと春天はパスかな!」

 

『テイオー次走香港か』

『距離的にはティアラ路線と同じだからありっちゃあり。ティアラと違って距離延長2回だし』

『やっぱウマ娘的には1600m→2400m→2000mより1600m→2000m→2400mのほうが楽なんだ』

『ティアラ路線組だったけど1ヶ月足らずで800m延長はキツい。2400m走れる娘が1600m走るんでも調整とかで崩れやすいし』

『香港トリプルクラウンってどれだっけ』

『香港スチュワーズカップ、香港ゴールドカップ、香港チャンピオンズ&チャターカップやね』

『春天から香港C&Cまでは中3週あるではないか。行け』

『1ヶ月足らずで800m調整すんのは短縮でもキツいんだって!!』

『しかも海外遠征』

『言うて芝質はそんな変わらんし、坂ないし』

『でも俺は春天勝ってテイオーに三階級制覇してほしい』

『いやーキツイでしょ』

『言いたかないけど来年の春天はまず間違いなくハヤヒデがいるからな……クラシックディスタンスならともかく3000mでハヤヒデとテイオーが対決したらちょっと……』

『テイオーは長距離苦手だしね』

 

「あ〜、多分アタシもハヤヒデ先輩には勝てなさそうだわ……」

 

「今回先着してたしスタミナはあるから距離延びたら勝てんのちゃう?」

 

「有はメンタル的な爆発もあったんですよ。あと単純に、アタシが成長打ち止めなのに対してハヤヒデ先輩はうちのトレーナー曰く晩成型なんで今より強くなってるはずなんですよね……」 

 

『えっ、早熟じゃねえの?』

『いや早熟でしょ……早熟って言ってよ』

『黒い人が言ってるならそうなんだろうよ。黒い人の中ではな』

『でも黒い人の言ってることだし……』

『晩成ウマ娘がダービーの仕上がりまくったチケゾー相手に勝ち負けできてたことへの恐怖で夜も眠れない』

『落ち着け、来年はナリタブライアンもいるぞ』

『ティアラ路線にはヒシアマゾンもいるぞ』

『う わ あ あ あ あ あ あ あ』

 

「戦う前に諦めるのはキラキラしてないんじゃないのぉ?」

 

「戦力差を正確に把握してるってわけョ。いぶし銀って言うじゃん?」

 

「銅じゃん」

 

「コイツぅ〜」

 

『イチャつくな』

『いやもっとやれ』

『なんだこれ』

 

「ほんじゃ、そろそろ有の振り返りすんで」

 

「まず確定順位を見ていこうか」

 

1着 ツインターボ 

2着 トウカイテイオー ハナ差

3着 ナイスネイチャ ハナ差

4着 ビワハヤヒデ 1バ身差

5着 マチカネタンホイザ 3バ身差

6着 セキテイリュウオー 半バ身差

7着 ヤマニンゼファー 1/4バ身差

8着 イクノディクタス クビ差

9着 ベガ アタマ差

10着 ウィッシュドリーム 半バ身差

11着 サンエイサンキュー 1バ身差

12着 エルカーサリバー 2バ身差

13着 エルウェーウィン 10バ身差

14着 ホワイトストーン クビ差

 

『やっぱ前4人が抜けてるなぁ』

『白石さんどうした』

『エルウェーウィンはマイラーだから仕方ないな! 白石どうした』

『エルウェーウィンは追込だから今回の超ハイペースについてこれんかった。白石は出遅れた』

『サンキューはよう頑張った』

『よう無事に帰ってきた』

『おかえり』

 

「では実際のレースを見ていこう」

 

「まずゲートやな」

 

『白石の出遅れな』

『タマがリアタイ時「ネイチャがなんかやった」って言ってたやつ』

『実際のところどうなん?』

 

「なんもやってないですね」

 

「なんでや!」

 

『芝』

『芝』

『これは芝』

『芝生える』

『じゃあこれ素の出遅れか』

『持ってるなぁ白石さん』

 

「〜〜……まぁええわ。んで、道中やけどこれ何してるん? ぶっちゃけなんもわからんのやけど」

 

「えっと、要点だけ抜き出すと、アタシより前走ってる人たちは焦らしたり掛からせたりしてターボのハイペースに巻き込ませて、アタシより後ろ走ってる人たちは逆に前に出るのを躊躇わせてスローペースを維持させてました。ほら、バ群がアタシから前と後ろで割れて縦長になってきたでしょう?」

 

「なるほど、後ろ二人が差しきれないわけだな」

 

「まぁこれはハヤヒデ先輩にも益があるから妨害されなかったっていうか、最初からアタシがこの策を仕掛けてくることまで計算に入れてたからスムーズにいってますけど、ハヤヒデ先輩の不利になるような牽制は弾かれるか、通じてもすぐ立て直されちゃってますね」

 

「仕掛ける方も弾く方もわけわからんわ」

 

『悔しいけど俺ら全員の代弁者』

『これやってるふたりとも自称凡才ってマ?』

『才能 #とは』

 

「で、この辺で遅くなったんは"領域(ゾーン)"か?」

 

「多分そうだと思うよ。ボクも脚重くなったし」

 

『恐らくはセキテイリュウオーの領域だな。後方にいるときにレース後半に入ると前方のウマ娘を萎縮させる威圧効果があるらしい』

『ゾーン研究ニキじゃん』

『ちーっす』

 

「ほんで距離が詰まった辺りで、ツインターボが逆噴射やな」

 

「残り400m程度でスタミナ切れか」

 

「ハヤヒデ先輩がずっと後ろからターボのことつついてたからね……普段より早くスタミナ切れたっぽい」

 

「キツかった」

 

「最終コーナー出口近くでビワハヤヒデとトウカイテイオー、ヤマニンゼファーがツインターボを躱して前へ。しかし……」

 

「ここでヤマニンゼファーも失速。これはナイスネイチャやろ?」

 

「まぁそうですね」

 

『そうですねて』

『何したん』

 

「簡単に言えば、メッチャ芝の荒れてるレーンに誘導して滑らせました」

 

「もうめちゃくちゃやな」

 

『そんな簡単に言わんといてください』

『なんでそれができちゃうんだよ』

『理論上は可能ですねのやつじゃん』

 

「で、こっからはもう作戦もなんもない展開やな」

 

「少し場面を戻す。まず、ビワハヤヒデが内側から抜いて"領域(ゾーン)"を展開。その後を追うようにトウカイテイオーが"領域(ゾーン)"を連続で展開して抜け出す」

 

『FUJIのアナウンサーが「トウカイテイオーが来た!! トウカイテイオーが来た!?」って自分で言って驚いてたわ』

『療養明けだしきついと思ってたからなぁ……』

『全然フルスロットルだったな』

 

「その後、ナイスネイチャが威圧を放ち前ふたりが減速。ここでツインターボとナイスネイチャがほぼ同時に"領域(ゾーン)"を発現。急加速して3人が並ぶ」

 

『ここ何度見ても熱い』

『やべえよ』

『何回か見てると1回くらいテイオーが勝ってるんじゃないかって思ってまう』

『マジでTTGの再現だわ』

『TTNはTTN、TTGはTTGだぞ』

『この辺でコメ鯖落ち』

『落ちたねぇ』

『掲示板もウマッターも落ちたぞ』

 

「審議時間何分やっけ」

 

「7分だ。結果としてツインターボの勝利が確定したわけだな」

 

「実際走ってみてどやったん?」

 

「よくわからん! でも勝てたからよかった!」

 

「さよかー!」

 

『タボボかわいいよタボボ』

『デビュー時の俺に伝えても絶対信じないだろうな……ここまで来たかって感じだ』

『さよかぁ!』

『さよかー!』

 

「トウカイテイオーはどやった?」

 

「んー……そりゃ、ターボとネイチャは勿論なんだけど、ボク的にはビワハヤヒデの手強さが印象的だなぁ。圧迫感というか、常にギチギチに詰められてる感じというか……」

 

「アタシもハヤヒデ先輩は強かったと思いますね〜。多分、牽制とか妨害だったらアタシ以上に巧いです。今回アタシが有利に戦えたのは、ハヤヒデ先輩の基本が防戦で、アタシが攻戦だったから、一方的に戦えただけですよ」

 

「いや見ててもわからんけどな」

 

『芝』

『芝』

『芝』

 

 

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提案日(てやんでぃ)

 新年の行事による慌ただしさも一通り終わり、新年明けの行事で滞っていた事務作業での忙しさも薄れてきた頃。チーム《ミラ》はチームルームで会議を行っていた。

 今回の議題はふたつ。チームメンバーの目標確認と、火急の事態への対応報告。特に後者の割合が強かったため、前者は軽くさらうだけとなった。

 

 ナイスネイチャは大阪杯から宝塚記念を通るローテ。天皇賞は回避するが、この春シニア三冠とも呼ばれる負担の強い――2000mから1200mの距離延長、その3200mから今度は1000mの距離短縮を、クラシック三冠より短い期間で行うため――3戦すべてに、ビワハヤヒデが出てくる。それ故に網による目標設定も全レース3着以内と緩めだ。

 ライスシャワーがこの春から夏にかけて特に力を入れることとなる。そう、ステイヤーズミリオンである。

 

 アスコットレース場開催GⅠレース、ゴールドカップ。19f210y(約4014m)

 グッドウッドレース場開催GⅠレース、グッドウッドカップ。16f(約3219m)

 ヨークレース場開催GⅡレース、ロンズデールカップ。16f56y(約3270m)

 

 以上の3レースに加え、いずれもExtendedクラスの指定されている重賞レースのうちひとつの計4レースに勝利することで得られる称号こそ、ステイヤーズミリオン完全制覇。言わば、今世代最強のステイヤーという称号である。

 

 また、ライスシャワーのゴールドカップに伴い、目標のひとつにキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスを掲げるナリタタイシンは、世界有数のクソコースと名高いアスコットレース場の経験を積むため、アスコットレース場開催の重賞レースを走る予定である。

 

 既にクラシック期を迎えているビコーペガサスは早急にデビュー、間に合えばNHKマイルカップを、それ以外にはスプリントからマイルの重賞を夏の間も走り、シニア期のランナーに揉まれながら経験を積み、スプリンターズステークスに挑む形になる。

 網曰く晩成型であるマーベラスサンデーはひとまず秋までのデビューを目指すことにするようだ。

 そして、引退組のアイネスフウジンはドリームシリーズサマーミドルディスタンスへの参加を目指し、レース勘を取り戻しつつ体の仕上げ直しが目標となる。ツインターボに関してはメディアへの対応が主になるか。

 

 と、ここまで駆け足で流し、本題とばかりに網がふたつ目の議題を切り出す。と、同時にテーブルに書類の束を置いた。

 

「……エト……それは一体……?」

 

「安心しろ、お前らに読ませるような書類じゃない。これは《ミラ》への加入申込書類だ。もちろんすべて記入済みで、すべて確認済みで、かつすべてお祈り済みだ」

 

 お祈り。就活生にとっての悪魔のワードであり、トレセン生の大部分にとってもほぼ同様の意味で恐れられる、要するにお断りの俗称である。

 マーベラスサンデーが書類の束を手に取り、パラパラ漫画のように素早くめくっていく。

 

「124枚あるね〜」

 

「oh……」

 

「お疲れ様なの……」

 

「唐突に披露された特殊技能についてはスルーなの?」

 

 瞬時に枚数を把握したマーベラスサンデーの呟きに嘆息するナイスネイチャと、それだけの人数の情報を検分し、かつ不承認を決定して通達まで行った網への労いを口にするアイネスフウジン。

 誰もツッコまないところへ鋭く差し込んだナリタタイシンの呟きは誰も拾わなかった。

 

「でもなんで今さらになって? こーいうの、来るならそれこそアイネス先輩の凱旋門賞とか、ターボのBCターフとかで来そうなもんですよね。そりゃ、我ながらあの有は熱かったとも思いますが……」

 

「有記念も確かにキッカケのひとつだろうが、一番大きいのはコイツだな」

 

「ゔぁ……」

 

 網が親指で指し示した先には、唐突に先輩や同輩からの視線の集中を受けて変な声を出してしまったビコーペガサスがいた。

 

「ビコーペガサスがチーム加入の嘆願に来た時、割と周りに生徒がいたんだよ。その直後はコイツがチーム入りできたか分からなかったから噂も下火だったが、有の中継で関係者席にコイツの姿があって、『自分からチーム加入を申し込んで《ミラ》入りした』事実が出回った結果だろうな」

 

「うっ……ゴ、ゴメン……迷惑かけたみたいで……」

 

「いつか起こることだった。逆に言えば、いつまでも曖昧なままで済ませられることでもなかった。きっかけができただけだ」

 

 ちなみに言うと、申請者のうち八割はダメ元での申込みである。ツインターボやナイスネイチャ、ナリタタイシン、ビコーペガサスなど、元々それほど才能を見出されていたタイプでないウマ娘が多く加入していることから、その手のウマ娘からの申請が多かった。

 残り二割のうち一割もダメ元ではあるが意味が違ってくる。網目当てのワンチャン狙いである。彼は教え子に手を出すことはないと明言しているのでノーチャンだが。

 閑話休題。網はそこで一度言葉を切って「と、言うことで」と仕切り直す。

 

「事後報告となるが、これからチーム《ミラ》は完全スカウト制と定める。で、定める前の最後の加入者としてメンバーがふたり増えることとなった。今日は都合が合わず紹介は後日となる」

 

「……結局増えるんだ。大丈夫なの? 新しくメンバーが増えるからって、こっち疎かにされても困るんだけど」

 

「それに関して、現状基礎能力トレーニングの監督と庶務をアイネスに一任し、俺は技術トレーニングの監督と各種選手管理を受け持っているわけだが、ビコーペガサスとマーベラスサンデーはまだ基礎能力トレーニングが主の段階。そこに新人ふたりが入ってきて、こちらも基礎能力トレーニングからだから、俺が主に行うナリタタイシンやライスシャワーへの技術指導へはほとんど影響はないだろう」

 

「アタシの作戦考案は引き続き単独作業なんすね」

 

「アドバイスくらいはしてやる。話を戻すぞ。チームメンバー増加に伴って、基礎能力トレーニングの監督や庶務の仕事が回らなくなる可能性を考えて、サブトレーナーをひとり追加する運びとなった」

 

 これにはメンバーたちからも「おぉ」と声が上がる。現状唯一のサブトレーナーであったアイネスフウジンは元々《ミラ》のメンバーであったため、《ミラ》に初めて選手以外のメンバーが参加する形になるからだ。

 

「ナイスネイチャとツインターボが特番に出演する代わり、あちらのラジオパーソナリティの伝手を辿ってサブトレーナー免許を取得しているウマ娘を紹介してもらったからな」

 

「あぁ、アレってそういうことだったんですね。他の大きい番組より優先したからなんでかなぁって思ってたけど……いや、まぁオグタマライブも人気ですけどね?」

 

 ナイスネイチャがそんなぼやきを零すと。その直後、チームルームの扉が開く。そこに立っていたのは、確かにここにいる全員が見知った顔だった。

 

「おうダンナ! 悪ィな、遅れちまったかい?」

 

「いえ、ちょうど貴女の話をしていたところですよ」

 

「なら話が早えや! 《ミラ》でサブトレーナーやることんなったイナリ様だ! よろしくな!」

 

 イナリワン。オグリキャップ、スーパークリークとともに永世三強と称された優駿である。

 意外な人物ではあったが有名人の登場に「おぉー」と若干気の抜けた歓声が上がる。イナリワンと同室のツインターボなどは、「イナリだ!」と嬉しそうだ。

 

「イナリ、サブトレ免許持ってたんだな!」

 

「あー、うん、まぁなぁ……」

 

「トゥインクルシリーズの成績が良かったことで色々と免除されるからなんとなく取り得だと言って取ったものの、レースの才能はあっても教える側の才能がなかったから元担当トレーナーのもとでちょっとした手伝いをしただけで終わらせて、ドリームシリーズの合間もずっと暇しているタイプのウマ娘は結構多いぞ。どうせ基本的に指導を頼むつもりもないから手伝いとして雇った」

 

「ダンナ、確かに江戸っ子って言ったらなんでもハッキリ言う(たち)ではあるんだけど限度がある」

 

 一歩間違えれば悪口である。が、その通りだったためイナリワンも否定はできなかった。

 

「それで、サブトレーナー増やしてまでメンバー加入させるほどの人材だったの?」

 

「まぁそうなんだが、正確には『今のうちから手を付け始めないと間に合わないかもしれない』やつらでな。デビューは少し先になる」

 

 こいつらだ、と。網はメンバーに新規メンバーの資料を見せた。




 急に人が増えたなぁってなるけど、ここで入れとかないといけないのよ……
 これだけの数を扱いきれるかは謎。


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8人目と9人目、あるいは問題児ふたり

「……やっぱ厳しいか……」

 

 網はトラックを走るウマ娘たちを見ながら呟く。その視線の先にいるふたりのウマ娘。片やサブトレーナーとして加入したイナリワン。そして片や、新規加入メンバーである鹿毛のウマ娘。

 そんな鹿毛のウマ娘への対応に、網は頭を悩ませていた。彼女が稀にいる、致命的に芝への適性を持たないウマ娘だったからだ。

 野芝と洋芝を走るために必要な能力は全く異なる。逆に言えば、両方の芝が苦手というウマ娘は珍しいのだ。むしろ、野芝とアメリカダート、洋芝と日本ダートのほうがそれぞれ適性は近いとされている。

 とは言え、その事自体はあまり広まっていない。洋芝が得意なウマ娘がわざわざ日本のダートの適性があるか試すことはまずないし、その逆もまた然り。そのため現状、あくまで理論上でしかない。

 その上で、新人の彼女は野芝も洋芝も走るのが苦手という特殊なタイプだった。走りに妙なクセがついていて、それが原因で野芝では反発力が強すぎて負担が大きくなり、洋芝ではうまく掴めず力が伝わりきらないためだ。

 走り方のクセを矯正するのは難しい。トウカイテイオーの場合もそうだったが、彼女の場合は特に走り方の基盤、根幹的なところに問題があった。それこそ馴致の段階で矯正すべきだった問題だ。

 それが矯正されていなかったのは、筋肉の使い方のクセであったのが理由だろう。見ただけではわかりにくく、表面化しづらい。直すにしてもその方向性を言語化しづらい。そしてそれは、今から矯正する場合も問題になる。

 

「一通り走りを見てみたが、こちらの考えは変わらなかった。お前は芝に向いていない。ダートを走る気はないか?」

 

 併走から帰ってきた新人に、だから網はそう提案していた。日本のダートで実績を残して、クラシック秋かシニア期からは米国のダートへ挑戦する。そういうプランだ。

 網としては、これで頷いてくれればよかったのだが……

 

「嫌なのだ!! ウインディちゃんは絶対、芝で走るのだ!!」

 

 当の本人、シンコウウインディは納得していなかった。しかしまぁ、それは仕方ないことだろう。ご存知の通り日本でダートは下火だ。中央トレセン学園に入学したからには、地方のトレセンでは早々走れない芝を走るものだと考えるのが普通だ。

 クラシック三冠を夢見て競走ウマ娘を志した場合もあるだろう。それをいきなりダート路線へ行けと言われても納得できるはずがない。

 それにウマ娘の夢と現実を擦り合わせて、一番いいところへ届かせるのがトレーナーの仕事だ。理想論ではあるし、網本人の心情とはそれほどその論に近いものではないのだが、少なくとも一般的なトレーナーの目指すべき境地はそこだろうと網はそう思っている。

 だからまぁ、このシンコウウインディに対してもできる限りのことはしてやろう。

 

「ウインディちゃんはクラシック三冠をとってチヤホヤされたいのだ!! ダートなんてダサいの走りたくないのだ!!」

 

 それが、シンコウウインディと出会ったときに同じことを言われるまでの網の考えだった。

 悪意でバカにしているわけではないし、格下とかそういう意味ではなく美的感覚とかポリシーとかそういう価値観的な観点からの言葉なのはわかる。だからわざわざ『ダートはダサい』と言い腐っているその考えを矯正する気も網にはないのだがそれはそれ。

 義務として、大人として、仕事は責任持って行うけど、蔑ろにされてまで心情を慮ってやるつもりはなかったので、網は内心芝路線をバッサリ切り捨て、どう躾をしながらダート路線を了承させるかを考え始めた。

 

「ならあれだ、トリプルクラウンでも目指すか? アメリカのクラシック三冠。あれならダートだが日本のクラシック三冠と同じくらい注目されてるぞ?」

 

 これは元々、網としては苦肉の策だった。BCシリーズとアメリカのクラシックシリーズ、どちらもアメリカの大シリーズではあるが、その難易度はクラシックシリーズのほうが格段に高い。

 アメリカのウマ娘レースはビジネス。その回転速度の加速は続いており、日本ほどシニア期が重要視されず、代わりにジュニア期から仕上げる早熟性が重要視される。

 当然、クラシックシリーズには早熟の、BCシリーズや日本のクラシックシリーズよりもレースの求める水準の高いウマ娘たちが出走することとなる。ヨーロッパのクラシックシリーズやBCシリーズに勝つことより、アメリカのクラシックに勝つことが難しい理由はそこにあるのだ。

 だがそれでも、芝が致命的に苦手なシンコウウインディが日本の芝クラシックを走るより勝算はあると網は踏んだ。

 シンコウウインディは本格化の具合にもよるが今年か来年。網の掴んでいる情報が、ここから日本のクラシックシリーズの激化が進むと予見していたからだ。

 

 社北グループを中心に、頭角を現し始めた未デビューのウマ娘が増えてきている。社北グループが雇い、そして中央トレセン学園へ派遣している()()()()()()()()が原因だろう。何を隠そう、《ミラ》のメンバーであるマーベラスサンデーも、加入前にその影響を受けたひとりだ。

 アメリカ二冠ウマ娘、サンデーサイレンス。日本でアドバイザーを始めた彼女のアドバイスは、その粗暴な性格からは意外なことに的を射ていることが多かった。

 ウマ娘個人の個性や特色を重視することで潜在能力を引き出しやすくする。反面それ故に、耐久性と出力のアンバランスさからウマ娘の本能が無意識にかけているリミッターを外しやすく、いともたやすく限界を超えかねない危うさもある――もちろん、そのリスクもきちんと通達した上での指導である。

 そんなリスクを鑑みても、アドバイスに従うだけの価値があると、そう考えさせられるだけの実績が、今年デビュー予定とされているウマ娘たちの練習中の走りから見て取れた。

 フジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシ――マーベラスサンデーもその一人であるが――サンデーサイレンスが最初期、それこそ社北グループから声がかかる前に、気まぐれにアドバイスを与えたウマ娘たちが、未デビューとは思えない走りを選抜レースで見せたのだからさもありなん。

 

 網も、マーベラスサンデーがサンデーサイレンスから受けたアドバイスを矯正することはしなかった。確かに虚弱気味なマーベラスサンデーには負担が大きいものであったが、その点は網がフォローすればいい。サンデーサイレンスのアドバイスにはそう思わせるだけの良い影響があった。

 マーベラスサンデーの走りからは、理論よりも感覚派、あるいは超感覚派と呼ぶべきものを感じ、網は早々に技術指導を投げた。ある意味ではナイスネイチャと同類、ある意味では対極にいる存在が、マーベラスサンデーと言えた。

 そんなマーベラスサンデーにとっては、ガチガチの理論派である網からの技術指導よりも、感覚で捉えるサンデーサイレンスのアドバイスのほうが有用なものだったと、網は考えたのだ。

 その分、マーベラスサンデーには基礎能力トレーニングの充実と体質改善、そして()()()()()()()――無論、レース前に唐突に花を咲かせる*1方の癖ではない――に力を入れることにしたのだが、閑話休題。シンコウウインディのことである。

 

 このサンデーサイレンスの弟子たちが、ちょうどシンコウウインディのクラシックから本格的に数を増やしてくるとなると、その難易度はグンと上がる。それなら、トリプルクラウンのほうが勝算は上ではないか、というのが、網の考えだった。

 

(やれやれ、とんだ問題児を掴まされたもんだ……)

 

 ぶーたれながらも、クラシック三冠と同等の注目度と聞いて興味を持ったのか即拒否はしてこなかったシンコウウインディを見ながら、網は内心溜息をつく。

 そもそもそんな面倒の塊のようなシンコウウインディをあの数の加入希望者から選んだ理由は、彼女の両親からの打診だった。簡単に言ってしまえば、彼女の父親は網家が懇意にしている通訳一族、その中でも()()世話になっている通訳の女性、その兄なのだ。

 借りというか義理というか、こちらが問題児を押し付けているという罪悪感もあり突っぱねることができなかった。

 

 その性格から周囲との摩擦が多く集団行動が苦手なシンコウウインディ。年齢から考えても情緒が幼く、その割に細かいところにこだわる部分には対人関係や社会行動に不向きな傾向が見られる。

 無論、網は心理カウンセラーでもなければ心療内科医でもないため診断も断定もできないが。

 面倒見のいいイナリワンをサブトレーナーとして雇った理由もそこにある。体の良い保護者である。

 芝を走るならかなりの矯正が必要になるし、日本にしろアメリカにしろダートを走るなら芝用に練習していた動きを直す必要があり、どちらにしろ長い時間がかかる。

 ただでさえ反骨精神に満ちたシンコウウインディに長い時間の矯正というストレスを与えるのだからストッパーは必要だ。腕っぷしが強く喧嘩慣れしたイナリワンは適役と言えた。

 

「……とにかく当面は体作りだな」

 

 網はシンコウウインディの育成方針を決めて、背後で行われていた()()()()()()()()()への説教へと耳を傾けた。

 

「あたしも網さんもね? 別に走っちゃダメって言ってるわけじゃないの。でもね、平時から毎日30km近く走るのはウマ娘でも正気の沙汰じゃないの。ステイヤー適性ないよね? ミドルの走り方で走ってるよね? アホなの?」

 

「ぜ、全力で走ってるわけではないので……」

 

「いや当たり前なの。その頻度と規模のランニングでギャロップするやつはアホ通り越して自殺志願者なの」

 

 滾々(こんこん)と説教を続けるアイネスフウジンの前で、正座をしてそれを甘んじて聞いている栗毛のウマ娘。もはやそれが誰かを論じる必要さえないだろう。

 

「あと走った距離は報告してって言ったよね? ウマホのアプリで万歩計入れてもらったし使い方も教えたよね? なんで記録消しちゃったの?」

 

「……10kmまでって言われたじゃないですか。それでこのアプリ、5km過ぎてから1kmごとに、『あと何kmです』って通知が入るじゃないですか。『残りこれだけしか走れないのか』って思うと気分が沈んできて……その……気づいたら消してました……」

 

「アホなの?」

 

 ツインターボの大逃げを見て、「あれこそ理想」「ずっと先頭で気持ちよく走りたい」と熱弁していたところを当のツインターボが発見し、そのまま「弟子にした!」と得意満面に連れてきたことでチーム加入することとなった彼女。

 幸いにもツインターボと距離適性はほぼ同じな上、才能だけならツインターボよりも数段上。さらに、網的にも面白いと感じる()()()()()があったため、ツインターボのトレーニングメニューを流用しつつ調整しようと思っていた矢先の出来事である。

 

 このウマ娘、ビックリするくらい勝手に走る。放っておけば走ってるし恐らく休日にも走っているため脚にかかる負担がマッハなのだ。

 ツインターボはアホはアホなりに考えないお陰でちゃんと誘導すればトレーニングメニューに文句は言わなかったし、スタミナ作り兼体幹トレーニングの水泳もすんなり受け入れた。

 しかしこの先頭民族はほぼ走りのないトレーニングメニューに絶句、愕然、消沈し、ふと気づけばトレーニングの合間に走っている始末。本人に悪気はないし恐らく走っているのも本当に無意識のうちになのだと察せるのが逆にたちが悪い。

 

 《ミラ》メンバーには珍しいことに早期にその才能を見出されており、学園生活でも優等生側にいる、遅刻や門限破り以外は比較的品行方正な生徒であったため、それほど手はかからないだろうと考えていた。

 しかし実際は比較対象である交友関係が、『幾度となく注意勧告を受けている汚部屋ならぬガラクタ部屋住人の占いマニア』、『将来有望なマイラーでありながら不定期に黒煙を発生させるBBQ通り魔』、『とにかく一挙手一投足がズブい遅刻常習犯』、『煽り癖のあるお調子者で賭け麻雀の常習犯』、『ひたすらにやる気に欠ける粗暴な「気狂い死神の正統後継者」』、『C-Maですら匙を投げかねない素行不良ヤンキーと小柄で虚弱体質ないじめられっ子のコンビ』、『懐に地球を忍ばす美女』、『目を離すといなくなっている神出鬼没なパリピ』、『男性職員に繊細な対応が義務付けられる男性恐怖症のお嬢様』など、あまりにも個性豊かな問題児一歩手前の生徒ばかり――生徒会副会長も友人ではあるが――であったため、相対的にかなりまともに見えていただけで、本人は走ることしか頭にない先頭民族だった。

 

「アイネス、仕方ない。コイツは走ることと呼吸が同義な国から来た異文化圏のウマ娘だと思え。そもそも俺たちと走ることの意味が違う。多分止まったら死ぬんだ」

 

「ウソでしょ……魚扱いされてる……」

 

「でも実際問題どうするの? いくら思考回路から走るのに必要なこと以外オミットされてても、生物学的に一緒な以上脚の負担は減らないの」

 

「アイネス先輩、《ミラ》に入ってから若干性格変わりましたよね……?」

 

 実はアイネスフウジンは前々から彼女とは交流があったため、先頭民族っぷりは知っていた。そのため、教育係を買って出たのだ。

 そんなアイネスフウジンからの問いかけに、網はライスシャワーが運んできたダンボールから大量の何かを取り出した。

 

「えっと……これは……?」

 

「サポーターだ。主に靭帯への負担を減らすもの、骨への負担を減らすもの、それと骨を守る筋肉以外への負担を減らすものだ。着け方を教えるから、プライベートで走る時はすべて着けてから走れ。それと、睡眠時間、休憩時間を減らすことは許さん。距離はどうでもいいが時間超過はするな。トレーニングもサボるなよ」

 

 次々とサポーターを取り付けられ、タイツの見える範囲がどんどん減っていく脚に対して「ウソでしょ……」の声を漏らすランニングジャンキーに、網は淡々と指示を出した。

 こうして、《ミラ》に加入したそれぞれ違うタイプの問題児ふたりは、少しずつチームに馴染んでいくことになるのだった。

*1
お花を摘みに行ってきますわ。




 なお、2次創作で擦り倒されている沈黙の日曜日をどうやって回避するか問題に対して作者はライスシャワーの不幸ネガティブ問題と似たような答えを出します。
 つまり絶対王道には行きません。


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縁繋がりて

「隣、よろしいですか?」

 

 中央トレセン学園のカフェテリアでコーヒーを嗜んでいた網に、聞き慣れない声がかかった。風体、人相に加えバックボーンに実績と、中央トレセン学園内でもイレギュラーであり触れにくい存在である網は、同業者の交友関係が著しく狭い。プライベートで交流があるのは《カノープス》の南坂くらいである。

 しかしそんな実力派イロモノである網は非常に目立つ。近づきがたい存在ではあるが、同じ空間にいると嫌でも目を引くタイプだ。そんなわけで多くの視線を浴びながらのコーヒーブレイクだった網に声をかけたのは、当然ながらそれほど交流のない人物。

 しかし、網もよく知る人物ではあった。というより、今日日トレーナー業を営んでいて彼女を知らない者はそう多くないだろう。何せ、スーパークリークに天皇賞春秋連覇を、メジロマックイーンに春の天皇賞三連覇を与え、デビュー6年にして天皇賞を計5つ。春の天皇賞でも4つ取っている*1『盾女』にして『若き天才トレーナー』。

 

 チーム《フォーマルハウト》担当トレーナー、奈瀬文乃。

 

「……構いませんよ」

 

 色々な勘案が網の頭を巡り、しかし結果的に同席を許した。カフェテリアがざわつく。網も奈瀬と同じく『若き天才』と呼ばれるタイプのトレーナーである。

 天才と呼ばれる若い男女がこうして膝を交えていれば、色恋に結びつけたくなるのが人の性というもの。しかも、ここは特にその傾向にある女子高生という生物が棲息する場である。

 しかしその心配はない。そう網が判断したのは相手が奈瀬だからであった。別に彼女を信頼しているわけでもない。まぁ簡単に言えば、『奈瀬とスーパークリークはデキている』という噂が、少なくとも七十五日ではどうにもならなさそうな程度には流れているためだ。

 その噂の真偽は定かではないし網には興味ないが、とりあえずこのような密会にも見える状況でも妙な誤解は呼ばないだろうと判断したためだ。

 これがタマモクロスやエルウェーウィン、ロンシャンボーイなどを擁するチーム《アルシャウカット》のトレーナー、小宮山勝美などであれば、またひと騒動あったかもしれないが。

 しばらく間をおいて奈瀬が切り出した話題は、雑談や世間話のような内容ではあったが、彼女の声のトーンからそれが本題であることは察することができた。

 

「……あの娘……サイレンススズカをスカウトされたと聞きました」

 

「……えぇ、先日正式に加入していただきました」

 

 サイレンススズカを狙っていたチームやトレーナーは多かった。チーム《リギル》でも勧誘をしていたし、メジロラモーヌやアグネスレディー、ダイイチルビーに、《ミラ》と関わりが強いところではニシノフラワーなどのティアラ路線活躍ウマ娘を多く担当し『クイーンメーカー』と渾名される、チーム《シェダル》の担当トレーナー、小内忠や、前述の小宮山も勧誘していたほどだ。

 奈瀬もそのひとりだったのだろう。そう網が予想を立てていると、奈瀬がそう遠くない答えを話し始める。

 

「僕も、彼女をスカウトしようと思っていたんです。彼女の模擬レースで、気持ちよく逃げる彼女に魅せられて……当時、まだハイペースの逃げはそれほど根付いていませんでしたから」

 

 他のトレーナーなら、サイレンススズカに先行を勧めるだろう。それは間違っていない。ある種のギャンブルであるハイペースな逃げよりも、王道で地力向上に繋がり、脚への負担も少ない先行のほうがいい。

 しかし、奈瀬の頭からは逃げを打つサイレンススズカの姿が焼き付いて離れなかった。

 

「大変、不躾な問であることは承知の上です。網さん、サイレンススズカを、どのように育成しますか?」

 

「ツインターボと同じように、大逃げで。彼女にはその才能があります。どれほど血を繋いでも、どれほど技を繋いでも決して手に入らない天賦の才が。そしてそれ以上に、彼女にとって控えた走りなど()()()()()()()()()()()

 

 ツインターボとはまた別の意味で、サイレンススズカも先頭でしか走れない。それは彼女の普段の言動を見ていれば容易に想像がついた。

 サイレンススズカのモチベーションは勝つことでも走ることでもない。誰よりも前に、誰よりも先に、そこにある景色を見ることにあるのだから。

 その答えを聞いて、奈瀬は安堵と喜色を滲ませた微笑みを見せた。それは例えば、以前BCシリーズから帰ってきたツインターボとハシルショウグンへと想いをぶつけてきた小学生ほどのウマ娘たち――マルちゃんとリユちゃんなどと呼び合っていたか。――のような瞳。

 

「見つけた」

 

 差し込まれた声に、網はどこか寒気を感じて目を向ける。その先にいたのは、学園という舞台において異色な色を纏った少女だった。

 それは有り体に言えば、網と同じ全身黒ずくめ……ただし、網がスーツ一式である一方、少女が纏っているのは黒を基調としたモノトーンに僅かに黄色の差し色が入ったゴシックアンドロリータ、いわゆるゴスロリである。

 青薔薇と黄薔薇のコサージュとヴェールがついた黒のボンネット。多くのフリルとレースで装飾されたフリルシャツとパニエ付きのエプロンドレス。腰には黄色いリボンがついている。

 ハイソックスと編上げのエナメルブーツも黒。同じく黒のレースグローブがはめられた手には、フリル付きの日傘を持っている。

 髪は黒鹿毛の超ロング。いわゆる姫カットにされた前髪には、ヴェール越しにハート型の流星が見える。カラーコンタクトでも入れているのだろうか、瞳は鮮やかなまでの赤。

 見事なゴスロリ衣装であり非常に完成度が高い、その手の趣味を持つ者でなくても見惚れるような出で立ちであるのだが、問題がひとつ。中央トレセン学園は、原則として制服着用を義務付けている。

 つまり網の前に現れたこの生徒は派手に校則違反を遂行中であるわけなのだが、その手のことにうるさいはずの風紀委員、バンブーメモリーは、彼女の姿が目に入っているはずなのにカフェテリアの一席で友人と談笑中なのが見て取れる。

 

「……あぁ、黒騎士様。聖域から課せられた戒めは問題にはなりません。何故ならこの衣裳は我が魂の戦装束であるからです」

 

 何言ってんだコイツ。

 文脈から話の対象が自分しかいないことを察した黒騎士(黒い人)はその一言を飲み込みながら、知り合いなのかと伺うような目で奈瀬を見る。奈瀬は頭を抱えていた。知り合いであるようだ。

 マーベラスサンデーというある種の独自言語を操る担当ウマ娘を持ってたが故に、元々上流階級間の会話で鍛えられた言葉の裏や行間を読む能力が最近さらに向上するというあまり嬉しくない成長を見せた網は、黒鹿毛のウマ娘の言葉を脳内で速やかに翻訳し始める。

 

「……勝負服だから校則違反にはならない……です、か? いえ、というより、黒騎士って……」

 

「貴方様のことです。青薔薇の死神姫を守る、この世界の特異点たる黒騎士様」

 

 誰だ。いや、ライスシャワーか。

 本人が聞いたら間違いなく発狂するであろう二つ名を臆面もなく口にしながら、影のある笑顔を向ける少女は、ふと気づいたように声を上げた。

 

「わたしとしたことが名乗りを忘れるとは……失礼いたしました。わたしはそちらにいらっしゃる()()()の魂の伴侶。真名を、ダンスインザダークと申します」

 

 一瞬、網は偽名を疑ったが、ふとマーベラスサンデーのライバルとなりうるウマ娘を調べていたときに見た名前が頭に浮かんだ。ダンスパートナーというティアラ路線を走るウマ娘の妹として、ダンスインザダークという名前が挙がっていたはずだと。

 

「待ってダーク……あまりこう、誤解を招くことは言わないでほしい……」

 

 推測するに『旦那様』やら『伴侶』やらに反応したであろう奈瀬がストップをかける。事実、カフェテリアにいるウマ娘たちはダンスインザダークの発言に反応し、「二人目……?」「ハーレム……」「そういうのもあるのか……」などと囁きあっている。浮気とか二股とかそういう言い方がない辺り信用はされているようだ。

 

「旦那様、誤解ではなく正当なる理解です。わたしと旦那様は前世よりの縁にて繋がっている魂の伴侶。彼方ではわたしの至らなさより冠をふたつ落とし、旅路も道半ばで終えてしまいましたが、再び此世に舞い戻ったからにはあのような無様は晒しません。今度こそ貴方様に初めてのダービーを捧げ、3つの冠を戴いて見せましょう。そしてきっとその先へと……」

 

「ダーク。君が何言っているのかは正直良くわからないが、君は僕のパートナーだ。君が望むなら、僕は必ず君を主役(シンデレラ)にしてみせる。だからこう……もうちょっと落ち着いてもらえると……」

 

「……ふ、ふふ……ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……あぁ、旦那様、わたしの、わたしだけの騎士様……貴方が憶えておらずともわたしは憶えています。必ずこの魂に焼き付いた烙印(スティグマ)を消し去り、運命に抗ってご覧に入れます……相棒面の年増にも、貴方を泣かせた栗毛にも、顔だけの一匹狼気取りにも、渡さない、今度こそ……ふふふ……ふふふふふふふふ……」

 

 不気味に笑うダンスインザダーク。困惑する奈瀬トレーナー。ざわつくカフェテリア。「修羅場ってやつだなぁ!!」叫ぶスターマン。

 

 網はそっとその場を去った。

*1
史実ではメジロマックイーンの天皇賞が1つ消えるが、イナリワンの天皇賞(春)で騎乗していたので成績的にはほぼ同じ。新人がこれ。なんなら5年でこれということ。ヤバい。




 何故か初期プロットからいたやつ。
 一方初期プロットに影も形もない死ねどす氏。


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かしまし娘たちと学びの冬

 久々に与太っぽい。


「……というわけでして。トレーナーさんからストップが入りまして、ライトニングステークスは回避することになりました! 私としては問題ない感触ではあったのですが、信頼するトレーナーさんからの意見ですから、学級委員長としては聞き入れるべきと思いまして!」

 

「故障は怖いですからね〜……足元不安があるなら、無理はしなくていいと思いますよ」

 

「ライトニングステークスで私に挑戦しようとしてくれていた方々には申し訳ない限りです!」

 

 実際はサクラバクシンオーという蹂躙マシーンが出走しないことに安堵したウマ娘も少なくないのだが、ナチュラルにライトニングステークスへ出走するウマ娘は自分へ挑戦しに来ていると認識している彼女に、ライスシャワーは苦笑いを向けた。

 これで、サクラバクシンオーは出走予定通りに進んだ場合でも最大でGⅠ8連勝が限度となった。それでも数字上は『"絶対"なる皇帝』を超える大記録となるのだが、クラシック三冠やグランプリレース、ジャパンカップを含めた七冠と比べてどちらの方が格上か、と聞かれれば、人の数相応の答えが返ってくるだろう。

 そもそもサクラバクシンオーは、自身の目標たる学級委員長と競合しない生徒会長であるシンボリルドルフとは張り合う気がないので、そこにこだわることはないのだが。

 

「フラワーさんの次走は京都ウマ娘ステークス?」

 

「はい。それから阪神ウマ娘ステークスに出て、ヴィクトリアマイルですね。私は多分、年内引退になると思います」

 

「ブルボンさんは京都記念から大阪杯の予定ですよね!」

 

「はい。その後は、海外挑戦も視野に入れています」

 

「ライスは今年も海外メインだから、どこかで会うかもしれないね」

 

 ついこの間デビューしたような気さえする。それでも、今年中に少なくともこの中からふたりは引退する。去っていく者のほうが多いこのトゥインクルシリーズで、しかし友人が引退するのはやはり寂しいものがある。

 とはいえ、元々同じレースを走ることはもうないだろうスプリンターたちとステイヤーの間柄、彼女たちが引退したとして日常が変わるわけでもないのだが。

 

「そう言えば、サイレンススズカさんは《ミラ》に入ったんですよね。私のトレーナーさんが少し残念そうにしていました」

 

「《リギル》の田分サブも悔しがってましたよ!」

 

「……そんな人いましたっけ?」

 

「エアグルーヴさんがそう呼んでいたから、恐らくそうでしょう!」

 

 それは『たわけ』ではないだろうか。《リギル》のたわけこと笹本サブトレーナーを頭に浮かべながら、ライスシャワーとニシノフラワーは内心で確信した。

 

「サイレンススズカさん……記憶データベースには自主トレーニング中の姿が多数確認できます。熱心な方なのですか?」

 

「うん……まぁ……なんというか……ん〜……」

 

「? 不明瞭な回答を検知。何か認識にエラーが?」

 

 熱心と言えば間違いなく熱心ではある。不要なまでに。

 結局、サイレンススズカの自主トレーニングという名の疾走癖は、『巨人の流星』*1に登場する大レースステップ養成ギプスさながらの様相となったサポーターの上からさらに各種プロテクターやヘルメットを装備させ、スクーターに乗ったアイネスフウジンか、原付に乗ったイナリワン、たまにライスシャワーの3人が日替わりで補助併走することを条件に解放された。

 初めのうちは網による「脚の負担を考えてある程度セーブしろ」という言葉に、サイレンススズカも素直に従っていた。少し常識が他者と違うところがあるだけで、基本的に気性難ではないのだ。

 しかし、その言いつけをしっかりと守っていたサイレンススズカは日に日に見てわかるほどにやつれていった。これは偶然目にしたメジロパーマーしか理解できないだろうが、メジロ末(トレーナー資格受験勉強)期ーン(末期のメジロマックイーン)よりもやつれていた。メジロマックイーンに謝れ。なお、現在メジロマックイーンは『欲の解放+5』によって無事リバウンドしヨツミワドウになった模様。

 文句は言わない。指示にも従う。しかし露骨なまでに弱っていく。網は半ギレになりながら許可を出さざるを得なかった。結果として、「負担を減らす」から「折れたときにすぐ対処できる」に考えを切り替えたのだった。とっぴんぱらりのぷう。

 と、そんな説明を長々として会話の流れを占有していいものだろうかとライスシャワーが考えている間に、ニシノフラワーが口を開いた。

 

「ブルボンさん、多分、嗜好が原因の耐久限界を無視した暴走です」

 

「把握しました」

 

 それでいいのだろうか。いいか。ライスシャワーは考えないことにした。多分あってるから。

 と、そんなやり取りが終わったタイミングで、やや遠くの方から声がかかった。

 

「いたいた! 見つけたチョー探したニシノ神〜! 勉強教えて〜」

 

「ワンチャン留年の危機なんだけど。ウケる」

 

「キャロルさん、ジョーダンさ……留年!? それはウケるとか言ってる場合じゃないんじゃ!?」

 

「まぁなんとかなるって。トウジンぱいせんとか留年4年目らしいし」

 

「流石にそれはチョーやばくね?」

 

「も、もう! どこがわからないんですか!?」

 

 こうしてニシノフラワー教室が始まることで、大抵の場合彼女たち同期会の雑談タイムは終わりを告げる。トレセン学園に限らず、一般入学それそのものがスポーツ推薦のようなところがある各地方トレセン学園では、入学における学力のハードルが低い分、入学後に勉強で苦労する者も少なくない。

 ただし、トゥインクルシリーズを走る上でノルマとされるラインはこれもまた低く、とりあえず赤点さえとっていなければいい、という程度である。そして、それでもなおそのラインを割ってしまう生徒も少なからずいる。

 とはいえ、一部のウマ娘――ケイローン症候群と呼称されるウマ娘特有のギフテッドであり、多くは対人関係や共感能力に問題を抱える代わり、飛び抜けた知能を持つ――を除けば、全体的にヒトよりも知能指数が低く楽観的な傾向があるのはウマ娘の種族的特徴でもある。

 学園側からは定期的な補習勉強会――学年を問わず監督教師に質問しながら勉強できる自習会のようなものも開催されているのだが、そもそも赤点を取るような生徒が自発的に勉強会の情報を仕入れて参加するようなことはないため、「赤点は取らないけど平均点より少し下で、トゥインクルシリーズでもそれほど良い成績が出せていないので、将来一般に進むために学力を上げたい」という生徒が主な参加者である。

 

 そもそも義務教育とその延長である高等学校でのいわゆる『お勉強』の本質は『学び方を学ぶ』ことにある。将来、興味を持ったことや必要となった知識について学ぶ際、どうやって学習、勉強したらよいかを学びながら、そのついでに必要最低限の教養を身につけることが義務教育の主目的だ。まぁ、これは人間でも気づいていない、意識していない者が多いのだが。

 必然、このトレセン学園においては勉強ができない者は()()()()()()()()()()()()が狭まっているということになるため、学園側としても意識改革に努めてはいるのだが、うまくいっていないというのが現状だった。

 決して教師の質が悪い訳ではない。問題は、補習が必要な生徒は大抵焦りで視野狭窄に陥っており、補習の報せや意識改革の弁論が届いていないことだ。そして、補習が必然な生徒のなかでもまだ視野狭窄に陥っていないものは、認知度と評判の差でより知られている方へ行きがちになる。そう、ニシノフラワー教室である。

 ニシノフラワーが補習会に教師側で出れば、補習会の存在や教師でも個別指導すれば――確かにニシノフラワーの教え方はわかりやすいが、教師のそれよりわかりやすいと感じるのは教師は学力の違う生徒を一括で教えなければならないからであるため――個々にあったわかりやすい教え方ができることが周知され解決するのだが、ニシノフラワーが現役のトゥインクルシリーズウマ娘であること、飛び級制度を利用した中等部未満の子供であること、名家の生まれであることなどが、学園側から依頼をすることを躊躇わせていた。

 

 閑話休題。そんなわけでニシノフラワーは最近はニシノ様、フラワー様を通り越してニシノ神、フラワー神などと呼ばれている。

 

「……新たな情報をインプット。ステータス《足元不安》とステータス《学力不安》を同等の脅威と認識しました」

 

「……ブルボンさん、一緒に頑張ろ?」

 

 ミホノブルボンは現文が苦手であった。

*1
頑固でスパルタな元トレーナーの父親によって厳しい英才教育を受けたウマ娘、ホシノヒユウマ(誤字にあらず)が綺羅星競走で八大競走制覇(この場合、クラシック三冠+天皇賞+有記念を指す)を目指すストーリーを描いたウマ娘レース漫画の金字塔。ライバル作品は「曳けないソリがあるものか」で有名な『バンエイ』。



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でも私のほうが速いですよ?(光陰矢の如し)

 一気に時間を飛ばします。プロットの空白期間ェ……


『ビコーペガサス差し切ってゴール!! 未勝利戦3戦目にして遂に勝利を掴みました!!』

 

 2月の後半、ビコーペガサスが未勝利を脱出。これで格上挑戦ではあるが、重賞へのチャレンジができるようになったことになる。次回は3月の中盤にある短距離のGⅢレース、ファルコンステークスを目標とし、体作りを続けるのが主なトレーニングメニューだ。

 《ミラ》加入から4ヶ月、体質自体は改善していないが対策は有効に機能しており、なんとか同期デビューのウマ娘とも勝ち負けできる程度には成長することができた。 

 しかし、ビコーペガサスの目標を考えれば、それでは到底足りない。相手はトップクラスどころか、スプリンター界のトップをひた走るサクラバクシンオーなのだから。

 そもそも、クラシック期デビューに関わらずメイクデビューを含めて三連敗、4戦目で初勝利というのが既に拙い。勝ち負けできるとは言ったが、今のビコーペガサスは明確に同期の中でも下位だ。

 それはビコーペガサスも自覚している。日々トレーニングをするビコーペガサスの目には焦りが見え隠れしていた。

 そもそも、ビコーペガサスの脚質は得意距離である短距離〜マイルで力を発揮しにくい差しから追込という後方脚質だ。よほど筋力がなければ加速力が足りず伸び切らないというのに、その筋力を鍛えづらい。

 小柄で華奢なためにバ群で不利になるという共通点を持つが、中長距離を得意とするナリタタイシンと違い、短距離ではバ群を躱すために外を通る分のロスが大きくのしかかる。

 

(この調子でNHKマイルに出すのは厳しいな……GⅢやGⅡで経験を積ませつつとにかく体を仕上げないと勝負にもならん)

 

 やれることはやる。だが、最終的にはビコーペガサス次第。それが網の見解だ。どんなウマ娘でも、どんな条件でも勝たせてやるだなんてヒーローのようなことを言うつもりはない。

 

 一方、同じく今年デビューする予定のマーベラスサンデーは順調だった。元々虚弱体質というだけで、身体的な成長は十分な素質を持っていた彼女に対して仕込んだのは、《躊躇い》と呼ばれる技術だった。

 ナイスネイチャが得意とする《焦り》や《牽制》のように無駄な挙動を誘発し疲労させる技術ではなく、単純に相手の脚を鈍らせる技術。

 余談だが、無論ナイスネイチャが《躊躇い》を苦手としているわけではない。

 

 閑話休題。なぜマーベラスサンデーにこの技術を教えたかと言えば、それは彼女の悪癖に起因するものが原因だ。彼女は先頭に立つと、集中力が途切れるのだ。

 この悪癖はウマ娘には時折見られる珍しくないもので、業界用語では"ソラを使う"と呼ばれる。この悪癖の影響をできるだけ少なくするために、多くの場合はゴール直前でハナに立ちギリギリで差し切るという、ある意味でシンボリルドルフのような作戦をとる。

 しかしこの作戦には、自他の能力を把握し、その場の状況を加味して出力をコントロールするための思考力と状況把握能力が求められる。それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()可能かもしれないが、マーベラスサンデーにそれを求めるのは難しい。

 だから、ある程度余裕を持たせるために《躊躇い》の技術を覚えさせている、というわけだった。正確には少し違うのだが。

 ナイスネイチャのように理論だった技術としてそれを吸収させるのは、極端な感覚派であるマーベラスサンデーには難しい。だから、結果的にそういう効果が現れるなら、過程はすべてマーベラスサンデーに任せることにした。

 結果、基礎能力のトレーニング以外の技術指導では、網はマーベラスサンデーに一切指示をしないという異様な状況になっていた。

 結果的に見れば、その判断はマーベラスサンデーに対しての最適解だったと言える。マーベラスサンデーの戦い方は、どう頑張っても余人が介入できるものではなかったからだ。とはいえ網は、むしろその戦い方を知ってこそ技術指導から手を引いたのだが。

 

 クラシック戦線に参加しないチーム《ミラ》の春はあっという間に過ぎ去っていった。強いて言うならば、大阪杯でナイスネイチャがミホノブルボン、ビワハヤヒデに次ぐ3着に入った程度だろうか。

 《ミラ》に関係する――とまで広げれば、ビコーペガサスの目標であるサクラバクシンオーが無事アルクオーツスプリントを制覇し、短距離GⅠ連勝数を7勝に伸ばして、GⅠ制覇数だけならばシンボリルドルフに並んだ。

 ライスシャワーが海外へ行くために昨年のワンツーが不在となった天皇賞は前評判通りビワハヤヒデが勝利。クラシック路線ではナリタブライアンが二冠を達成と、4月5月はこの姉妹が話題を席巻したと言える。

 ティアラ路線では、桜花賞ではオグリキャップの従妹であるオグリローマンとジュニアクイーンであるヒシアマゾンの激突でオグリローマンが勝利。オークスでは《C-Ma》のチョウカイキャロルが2人を破っての1着と大番狂わせを巻き起こした。

 

 そして、6月。ロイヤル・アスコットが開催される。

 フランスの凱旋門賞ウィークエンド、アメリカのBCチャンピオンシップのように、一週間で多数の重賞レースが同じレース場――イギリス王室が所有する国営レース場、アスコットレース場で行われ、ナリタタイシンが出走するGⅡ、11f221y(約2404m)のレース、ハードウィックステークスと、ステイヤーズミリオンの2戦目、ライスシャワーが出走するGⅠ、19f210y(約4014m)のゴールドカップが開催されるレース週間である。

 ステイヤーズミリオンの1戦目を同じくアスコットレース場で開催されたGⅢ、15f209y(約3208m)のサガロステークスで勝利したライスシャワーはこれが本戦となり、一方来年、同じくアスコットレース場で開催されるキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスに出走する予定のナリタタイシンは、アスコットレース場を体感するための慣らしだ。日程ではライスシャワーの2日後、ナリタタイシンが走ることになる。

 

 ゴールドカップ当日。地下バ道で出番を待つライスシャワーに声がかかった。

 

『やぁ、ライス。ひさしぶりさね』

 

『あ、えっと……ヴィンテージクロップさん!』

 

 ライスシャワーに話しかけてきたのは、過去にグッドウッドカップで対戦経験があるウマ娘。イギリス生まれアイルランド所属なステイヤーのヴィンテージクロップだった。

 ()()()()()()()()()()()という経歴を持つ彼女は既にシニア3年目であり、ライスシャワーよりも1つ上の代にあたり、先行策を得意とするために前回の対戦ではライスシャワーのマーク対象になったことへの反撃として、ライスシャワーに物騒な二つ名を授けた主犯でもある。

 とはいえ、ふたりの間には既にわだかまりはなく、特段顔を合わせることもなかったため、ヴィンテージクロップが強敵の視察に来た、程度の再会だった。

 

 ヴィンテージクロップとの会話を終えたライスシャワーが目に留めたのは、今回網によって強敵だと知らされていた相手。前年、前々年のゴールドカップ連覇者、ドラムタップスだ。

 レザージャケットにデニムパンツ。ウマ娘用ヘッドホンを首からかけた勝負服と、短く刈った鹿毛。彼女の脚質は追込であるため、ライスシャワーが後ろにピッタリとついてマークすることは叶わない。

 恐らく今回最大の壁と言える相手を目にして、むしろライスシャワーの心は燃え上がる。自分の勝利を願い、信じてくれているファンのために、自分は世界最強のステイヤーで有り続けるのだと。そんな祈りを込めて。

 

 世界最長レース、ゴールドカップが始まる。



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故障

最近遅い理由

・イカのフェスがあった
・親知らずを抜いた


 グレートブリテン王国初代国王の妃、ウマ娘アン・ステュワート*1により見出された由緒正しきコース、アスコットレース場。ロイヤル・アスコットのレースの数々を含む多くの重賞レースが開催されるイギリス競バの聖地である。

 と、同時に。他国、特に日本のウマ娘レースファンや競走ウマ娘からは『稀代のクソコース』、『ゲロマズおにぎり』『自殺の名所』『聖地じゃなくて整地しろ』などと揶揄されることも多い。その理由は、自然の地形をそのまま活かしたコース形状にある。

 

 例えば、クイーンアンステークスで使われる直線1600mは、スタートから250mは平坦だが、残りの1350mが高低差20mの坂になっており、スプリントの距離を登り続けるものとなっている。これは東京レース場最終直線の坂よりも急勾配であり、それが1350m、約8倍の距離続くのとほぼ同等である。

 また、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスで使用される2400mでは、スタート直後から760mで高低差20mを下り、僅かな平坦コースのあとに鋭角コーナーを10m分登りながら600m走り、最終直線で500m走りながらさらに10m登ることになる。

 わかるだろうか。この途轍もない負担が。東京レース場の坂が160mで2m登るもので、中山レース場でも110mで2.2mの坂だ。それを遥かに超える距離と高低差。

 

 そして、ゴールドカップに使われる4000mコースは、直線のゴールから1350m地点付近をスタート地点として、コースを1周――ほぼ2400m――するコースになっている。そう、1350m登り続け、760mでその登ってきた距離を降り、僅かなモラトリアムの後にまたゴールまで20mの高低差を、ヘアピンコーナーを曲がりながら登り続けるという、どう考えても頭のおかしいコースに。

 これこそ、ゴールドカップが世界で最も過酷なレースと呼ばれる所以(ゆえん)である。

 

 10人立てで始まったゴールドカップ。先頭を切ったのは唯一の逃げ脚質、アルカディアンハイツ。奇しくも英セントレジャーステークスの時と同様2番手にソナスがつけ、3番手にヴィンテージクロップ。ライスシャワーはその後ろに陣取った。ドラムタップスは最後方だ。

 ペースは日本の感覚で言えばかなりのスローペース。しかし、洋芝の登りであることに加えて4000mの長丁場となるこのレースでは、このスローペースが適切と言える。

 ライスシャワーによる天然の撹乱が、少しずつ他のウマ娘のペースを乱し始める。後方のウマ娘は勿論、近ければ前方へも効果を発揮するそれは強力なデバフだ。

 しかし当然、ゴールドカップに出走するようなウマ娘は一筋縄ではいかない。

 

(……コレか。ライスシャワーの《ペースブレイク》……生憎、リズムキープは得意分野なんでね。この程度で乱せると思うなよ……っと!)

 

 アメリカでロックバンドのメンバーとしても活躍するドラムタップスは、ドラム演奏で鍛えたリズムキープ能力でライスシャワーの撹乱に真っ向から抵抗する。

 一方、前方のソナスは早くも"領域(ゾーン)"を展開する。自身の心音に耳を澄まし、深い集中状態になることで周囲からの威圧や牽制を弾く精神防壁だ。この"領域(ゾーン)"は、クラシック期の英セントレジャーステークスでライスシャワーに敗れたあとに、彼女に対抗するために編み出したものだった。

 

(前は負けた……でも、今回は負けない……! 勝負だ、ライスシャワー!)

 

 そしてヴィンテージクロップ。彼女は()()()()()。豊富なスタミナとスタミナを回復する自身の"領域(ゾーン)"を信頼し、ライスシャワーのペース崩しをある程度甘んじて受け止めて走っている。

 既にライスシャワーにマークされることによる冷たい威圧も感じているのだろう。グッドウッドカップでの恐怖を思い出し顔には脂汗が滲んでいるが、瞳にはそれを跳ね除けんとする意志が宿っていた。

 

 ライスシャワーは明らかに今までとは違う雰囲気を感じ取っていた。それはそうだろう。アスコットゴールドカップは世界最高峰のステイヤーが集まるレースであり、その理由は、半端なステイヤーではそもそもまともにレースとして走り切ることさえ難しいことにある。

 通常、距離が長くなればなるほど逃げや先行などの前方脚質は不利になり、脚を溜めて体力を温存できる差しや追込のような後方脚質が有利になる。だが、このゴールドカップは例外で、余程の実力がない限りは前方脚質のほうが有利なのだ。

 何故ならば、後方で脚を溜める余裕など残らないからである。ただ普通に走っているだけでスタミナが尽きる。そこに、脚を溜めようなどと考える余裕はない。そんなゴールドカップを追込で連覇している、後方脚質を後方脚質として機能させているドラムタップスが規格外なのだ。

 ほとんどのレースでは有り余るほどのスタミナをつけ、世界最大級の坂を登り切る筋力を身につけたものだけが()()()()()()()()することを許されるゴールドカップ。そこに出走する彼女たちが、なんの意志も宿っていないついでのような撹乱に屈する訳がない。

 1000m地点を過ぎる。世界的にメジャーなクラシックディスタンスであれば既に残り半分になろうとしているところだが、このゴールドカップではまだ1/4に達したばかりだ。

 

 そんな折、突如降り注いだ冷気のような圧力に、坂を登っていたウマ娘たちがバランスを崩しかける。

 ヴィンテージクロップは覚えがある。グッドウッドカップのときと同じ、喉元に刃を突きつけられたような、殺気にも似た威圧。

 無防備に受ければ呑まれる。しかし身構えれば動きが硬くなる。

 

(おいおい……このレベルの殺気はマークした相手にしか飛んでこないんじゃなかったのかよ……っと)

 

("領域(ゾーン)"越しでも意識が持っていかれる……っ! ライスシャワーも、英セントレジャー以上に進化しているの……っ!?)

 

 ドラムタップスも、ソナスも、その底冷えする威圧に慄く。一対一でこそ鋭く光っていたライスシャワーの殺気が、相手から意識されなければマーク対象にしか発せられなかったのははるか昔の話。

 勝利への執念を手に入れたライスシャワーの威圧は既に受動的なものではない。特定の強者から勝利を守りきるレースは頂点に立った自覚によって、すべての出走者を狩り尽くして勝利を奪い取るレースへと変わった。

 防御手段を持たず真正面から受け止めていたヴィンテージクロップに、ライスシャワーの濃い殺気が襲いかかる。現実と感覚の乖離。ズレる、ズレる、ズレる。

 乖離が頂点に達し、緊張の糸が引きちぎれる瞬間、ヴィンテージクロップの首へナイフの幻影が迫り――

 

(……そう何度も簡単に()れると思うなよ)

 

 大鎌の刃がそれを受け止めた。

 ヴィンテージクロップが"領域(ゾーン)"で刈り穫った穀物(スタミナ)が、第2"領域(ゾーン)"の効果で酒精(熱量)へと変わり、交感神経を刺激して血流が速まる。

 血管迷走神経反射から脱し、冷たくなりかけていた体が戻ってくる。彼女だけではない。先頭を走るアルカディアンハイツも"領域(ゾーン)"によって躱している。

 彼女の周りに広がるのは楽園の如き光景。精神状態を落ち着かせ、背中に純白の翼を羽撃(はばた)かせたアルカディアンハイツは高みへと飛び立つ。

 

 長い上り坂が終わり、コースは下り坂へと推移する。上りよりも遥かに急勾配な下り坂。日本にはこの規模の下り坂があるコースなどない。

 まだレースは1/3を過ぎた程度。しかし、ライスシャワーは今までのレースとは異なる視点からレースを経験して、驚きで胸をいっぱいに埋めていた。

 こちらから踏み込めば踏み込むほど、相手は全力で応えて、抗ってくる。脚質では追走する側だろうが、格上を追いかけてばかりだったライスシャワーが今、意識の上でも追いかけられる側に回ったことを自覚した。

 周りは強敵ばかりで、コースは過去にないほどに過酷。だからだろうか。勝利への執念は加速し続け、その果てに――

 

(でも――ライスが一番強い……ッ!!)

 

 鬼が、覚醒めた。

 

 

 

 下り坂が終わり僅かな猶予。ここからまた再び上りが始まる。丁度残り2000mを切ったあたりか。先頭は未だアルカディアンハイツがひた走る。

 

(――っえ……?)

 

 その横に、ライスシャワーが並んだ。

 ごく自然に。当たり前のように。ライスシャワーが併走し、そしてなお加速して前へ出ようとしている。それは普通のレースならばよく目にする光景だが、このゴールドカップにおいては、いや、普通のレースでも残り2000mでは見られないだろう。

 ()()()()()

 

(……いや、いやいやいや。ウソでしょ)

 

 アルカディアンハイツは自身のペースを保ちながらも、理解できない眼の前の光景をぼんやりと眺める。思わず後ろを振り向き、ライスシャワーがいた位置を確かめる。眼の前に見える背中が幻覚だと信じて。

 しかし、そこに見えるのは恐らく自分と同じ表情をしたソナスの姿だけ。

 

(や……っりやがった、あいつっ!!)

 

 ヴィンテージクロップも歯噛みしながら、徐々に、本当に少しずつ離れていくライスシャワーを睨む。2000mのロングスパートなんて聞いたこともない。それも、このアスコットレース場でだ。

 だが、ソナスは驚きながらもその選択を不思議と思っていなかった。だって英セントレジャーステークスでも見せられたのだ。ライスシャワーは()()()()()()

 バランスを崩せば地面に衝突するような低い姿勢で下り坂を駆け下り、頭を上げればラチに激突するコーナーの内の内を走る。ライスシャワーとはそういうウマ娘だ。

 それに比べれば、2000mロングスパートのなんて安穏なこと。失敗しても失速するだけだ。

 

 坂の中盤、ヘアピンコーナーへと突入する。日本では到底ありえない急角度でのカーブ。とはいえ、膨らむようなスピードで走っていることなど、このコースで行われるレースではそうそうないのだが。

 アルカディアンハイツにライスシャワーと競り合うか、通すか、その二択で迷いが生じる。普通ならば通すところだ。この殺人ペースに乗っていけば確実にゴール前で脚が上がる。

 しかし、だからこそ恐ろしい。隣で感じるこの気迫から、ライスシャワーがバテる光景が想像できない。

 ここから先、もう平坦な道はない。ゴールまでずっと上り坂が続く。長距離で牽制に長ける出走者もいるが、それを出すだけの余裕はない。

 一方で、ライスシャワー自身にもそれほど余裕があるわけではない。スタミナ自体は――信じられないことに――保つだろう。しかし、力がうまく芝へ伝わっていないこともはっきりと理解できる。

 そもそも、ライスシャワーはそのスタミナで誤魔化してきたものの、未だに洋芝を得意としているわけではない。むしろ、その遅筋を主軸に鍛えられた小柄な体は洋芝を苦手としている。

 自分で思っているよりも上がらないスピード。失速を想定してリードを取っておきたいというライスシャワーの考えを嘲笑うかのように、後続との距離は広がらないまま直線へ入る。これで残すはこの直線とコーナー、そして最終直線だけになった。

 

(クッ……ソ……! これが世代交代ってやつかよ……負け犬の発想だが、コイツが現れる前に連覇できててよかったって思っちまった……コイツがまたアスコットに来るかはわからないけど、次世代のステイヤーたちに同情するぜ……っと)

 

 既に息が上がり始めているのはなんとゴールドカップ連覇のドラムタップスだ。これには観客たちも動揺を隠せない。一体どうしたんだチャンピオンとばかりに声援が上がる。

 だがある意味当然だろう。今までのレースとは違う。今回のレースには、ライスシャワーが出ているのだ。引き上げられたハイペースの中、ドラムタップスの脚は確実に消耗していた。

 だが恥じることはない。それが普通だ。追込の(てい)を残していた昨年までのドラムタップスと、今ここにいるライスシャワーが異常なのだ。普通は、この辺りからはもう、半分泥仕合になる。

 体力が切れた者、精神力が切れた者から脱落し、最後まで持ち堪えたなかで一番前にいたウマ娘が勝つ。

 

 だが、最終コーナーを曲がりきって遂にライスシャワーが入ってきたこの最終直線。亀の歩みのようにゆっくりと広がっていくバ群との距離。

 切れるだろう。バテるに決まっている。早く脚を上げてくれ。悪夢を目の前に、後続はそう祈りながらも、重く、重くなった脚を回してその背中を追い続ける。

 しかし先頭との距離は、いつスタミナが尽きるかとばかり考える観客たちを置き去りに、スタミナが切れてくれと祈る後続の願いを振り切って。

 2バ身差。短いようで絶対の距離。

 

 ライスシャワーはこのゴールドカップのゴール後、初めて「心底疲れた」様子を見せながらも、長距離路線の頂点として、観客の声援に応えた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ゴールドカップ翌日。空港ロビー。

 

「……わかった。帰国したらすぐに向かう」

 

「アイネスお姉さまからだったの? トレーナーさん」

 

「あぁ」

 

 網は通話を切って、眉間を押さえながら振り絞るように呟いた。

 

「サイレンススズカが左脚を骨折した」

*1
史実ではグレートブリテン王国初代女王。グレートブリテン国女王になる前はアイルランド王国の女王もやってた。ウマ娘世界ではアイルランド王国が独立しっぱなしなため、ひとまずアン女王がウマ娘でブリテンに嫁いだことにしておく。




 この話のプロット立てたの9月頃なんですよ。
 まぁね? だからゴールドカップで2000mロングスパートだって十分ヤバいと思うんですよ。
 4000m大逃げがマジで化け物なだけでね? 比べられるとね? ショボく見えるけどね?
 君のことだよアポロレインボウうううううううううう!!



Q.二次創作で何度も擦られたサイレンススズカの沈黙の日曜日をどう回避しますか?

A.デビュー前に一回折ります。


【追記】
あっさりし過ぎたので多少加筆。


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サイレンススズカの特異性

 ススズの怪我はまだ早い♤とも思ったけど調べてみたらここしかタイミングがなかった。


 事の経緯も何もない。

 いつも通りガチガチに固められた脚で走っていたら、ポキリ、である。幸いにも現場は東京レース場の近くであり、土地柄、競走ウマ娘向けの整形外科系病院は充実していたため、サイレンススズカは素早く運び込まれることとなった。

 単純骨折で、全治2ヶ月。下腿の骨折としては平均よりもむしろ短いと言えるのだが、サイレンススズカの顔はFXで有り金を全部溶かしたかのようになっていた。

 

 とはいえ、今回の怪我について、一概にサイレンススズカが悪いとは言えない。何故なら、骨折の原因が不明だからである。

 疲労骨折ではないのかと言われれば、疲労骨折に見られる兆候の類が――サイレンススズカの()()()を加味しても――なかったという理由で否定できるし、かと言って外傷骨折かと言われれば、骨折以外の外傷がないことが奇妙だ。

 結論から言えば、原因不明。ただ、網はサブトレーナーのふたりとサイレンススズカ、それと、興味を持っていたナイスネイチャの4人に対して、「推測でしかないが」と前置きをした上でこう切り出した。

 

「ウマ娘という種族は酷くアンバランスだ。出力できる運動量と身体的耐久性がまるで釣り合っていない。思うに、今回の骨折の原因はそこにある」

 

「……つまりどういうことでぃ」

 

「すみません、正直全く……」

 

「あ〜……えっとつまり、スズカ先輩のパワーにスズカ先輩の体が耐えられなくて、瞬間的に疲労骨折した……?」

 

「あり得るの? そんなこと……」

 

「疲労骨折っていうと長い時間かけて、って印象になるが、要するに骨の耐久限界を超えたってことだ。普通ならばあり得ないが……サイレンススズカの場合、簡単にリミッターが外れるからな……」

 

 大逃げ。一見なんの考えもなく走っているようにも見えるその脚質は、作戦として成立させるためにはダイタクヘリオスのような――この例も誤解を招きそうだが――多大な計算を必要とする。

 レース中の計算なしに大逃げが成立する例は、玉砕覚悟の破滅逃げを除けば3パターン。

 

 まず、自分の出しうる最高速度を維持し続けてもなお尽きないほどのスタミナを蓄え、惜しげもなく注ぎ込む。あるいは、スタミナを消費する無駄な動きを極力抑えられるように体に覚えさせるパターン。

 これは例えば、メジロパーマーやツインターボ、キョウエイボーガンが代表的だろう。最もわかりやすい例だ。

 

 次に、レコードタイムとラップタイムを参照して区間ごとの目標タイムを算出し、その目標タイムを体内時計のみを頼りになぞりきるパターン。これは、結果的に大逃げになってしまうパターンと言える。

 代表というか、このような特徴的な逃げ方ができるのはミホノブルボンしかいない。

 

 そして3つ目。伝説時代に名を残した『狂走』を代表とする、努力や遺伝ではどうにもならない天賦の才。つまるところ、己の体からの危険信号さえ認知できないほどの強い感覚にひたすら没入できるパターン。

 『狂気の逃げウマ娘』と呼ばれた『永世三狂』のひとり、カブラヤオー。現役時代こそ知られていなかったが、幼少期に体験した対人トラブルのせいで酷く臆病だった彼女は、バ群に埋もれればまともに走ることさえできなかった。

 それをなんとかしようと彼女のトレーナーは彼女の両親とともに考え、そして大逃げという選択をした。これが、見事に嵌った。

 背後から後続に追われる恐怖によって、カブラヤオーは走っている最中、一切疲労を自覚することがなかったのだ。

 それが、疲れを見せず2400mを大逃げしきった狂走の正体。そして、サイレンススズカに宿っている天賦の才。

 

 カブラヤオーが恐怖によって覆い隠したそれを、サイレンススズカは走ることによって感じる悦楽によって塗り潰す。

 

「当然、疲労を感じないからと言ってそれは疲労しないということじゃない。かの狂走カブラヤオーも最後は故障しての引退。この才能は諸刃の剣だ。遮ってしまう肉体のアラートは疲労だけじゃない。自壊しないように制限しているリミッターも簡単に外してしまう」

 

「あの……その言い方だと語弊というか……なんかこう、ふしだらな女みたいな雰囲気になりませんか……? 悦楽って……」

 

「というか、公道で何km/h出したんだお前。言っとくけど、コイツらの原付やらスクーターが併走してるってことは法定速度の30km/hを超えるなってことだからな?」

 

 網に詰められ目を背けるサイレンススズカに代わって、アイネスフウジンが答える。

 

「60km/h以上出てたの」

 

「本気も本気の走りじゃねえか全開走厨アホ栗毛がよぉ!?」

 

「トレーナーさん、それは十返舎一九に失礼なの」

 

 ちなみに65km/h出ていた。これはスプリントの上がり3ハロンでも速いタイムに入る速度である。

 なお、ナイスネイチャはツボに入って撃沈した。

 

「とにかく、完治までランニングは禁止……っていうか物理的にできないだろ。幸いデビューまで余裕あるし、休め」

 

「え? 死ねと?」

 

「マジで走ってないと呼吸できねぇのかお前?」

 

「添え木とテーピングとサポーターと鎮痛剤でなんとかなりませんか……?」

 

「左旋回のし過ぎで脳がイカれたんですか?」

 

「選手生命より一時の快楽(ランニング)を取るならそれはふしだらでなんの間違いもないの」

 

「骨折より先に頭直してきなべらぼうめ」

 

「ウソでしょ……そんなに辛辣……?」

 

 さもありなんである。

 

 

 

 メメント・モリ・スズカを網に任せ、ひとりトイレへ立ったアイネスフウジンはその帰り道、聞き覚えのある声と聞き覚えのある会話に足を止めた。

 

「んでさー、アタシここの産婦人科で産まれたんだけどさー。うちのママ、チョー難産だったらしくてー。分娩中ずっとソーラン節歌ってたんだって。チョーウケる」

 

祝歌(キャロル)なのにソーラン節なの斬新すぎるわ」

 

「わたしの産まれた病院は潰れてたんだよなぁ!!」

 

「あー、あの今ソコカラファインになってるとこね。なんだっけ、医療ミスで死人出したんだっけ」

 

「私は不祥事があって院長が逮捕されたと聞きましたが……」

 

「待って、マンちゃんそれどうやったの? 小声で叫ぶって斬新すぎない?」

 

 そこにいたのは、シリウスシンボリ率いる《C-Ma》のメンバー、チョウカイキャロル、サクラチトセオー、スターマン、アワパラゴンの4人だった。

 

「チーちゃん、久しぶりなの!」

 

「んー? あ、アイネスじゃん。どしたんこんなとこで」

 

 アイネスフウジンは、その中のサクラチトセオーと親しげに挨拶を交わす。その様子をチョウカイキャロルは意外そうにしながら口を開いた。

 

「何? チトっち《ミラ》の総大将と知り合いだったん?」

 

「何度かバイト先が被っててね〜」

 

「《リギル》狙いって聞いてたから、別のチームに入っててビックリしたの」

 

「いやぁ、後輩が先に入って暴れてくれちゃったからさぁ……流石に入りにくかったなぁって」

 

「あぁ……バクシンオーちゃんね……」

 

 納得したように息をつくアイネスフウジン。確かに、スプリンターの驀進王となった後輩がいるチームに入るには、かなり強いメンタルがいるだろう。比べられるのは確実だからだ。

 まぁ、そもそも《リギル》の加入倍率とそれを潜り抜けた者たちのことを考えると、いかな優駿であってもそう簡単に加入できるものではないのだが。

 そんなことを考えているうちに、アイネスフウジンはサクラチトセオーが病院に来た用事に思い当たった。

 

「……ってことは、病院には同期のお見舞いなの?」

 

「お見舞いっていうより、リハビリの付き添いかな? 前々から脚は弱かったみたいだし、再発はしたくないみたいだからリハビリはしっかりしないとね。そっちこそ、《ミラ》に故障者でも出た?」

 

「うん、ちょっとのっぴきならない事情で」

 

「何その顔。チベットスナギツネみたいになってるけど」

 

 「黒の魔人でも流石に故障を完璧には防げないのかぁ」と嘆息するサクラチトセオーにこの世の不条理を説きたいアイネスフウジンだったが、サイレンススズカの名誉のため踏みとどまった。何せ、彼女は未だクールビューティーのイメージが強い。

 ほんの半年前まで同じようなイメージだったメジロマックイーンが見事なまでに愛されマスコット枠に収まったのに対し、サイレンススズカはまだ本性を知られていないのだ。言っても信じてもらえない可能性まであった。

 

「チトっち〜。そろそろ行かんと午後練始まる〜」

 

「シリウスさん、去年の()()()以来張り切ってますからね」

 

「お陰でアタシもオークスとれたし、パラさんは平地じゃなくてよかったん?」

 

「えぇ。障害には障害の輝き方があると、あの中山大障害で知りましたから。私はこの道を貫こうと思います」

 

「わたしは打倒ブライアンなんだよなぁ!!」

 

「おう、クラシック出られなくなったあいつの分までチョー頑張れー」

 

「じゃあ、アイネス。私はこの辺で」

 

 去っていく《C-Ma》の面々を見送って、アイネスフウジンも帰途へついたのだった。

 

「……あれ、球節炎って再発するっけ……」



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 なんもかんもポケモンが悪い。


(……アハ……いっそ笑けてくるわコレ……)

 

 ナイスネイチャは浮かんでくる苦笑いを隠すこともせず、それでもしきりに周りに働きかける。

 6月末、宝塚記念。ビワハヤヒデとの都度3度目の対戦となるこのGⅠレースで、ナイスネイチャは初めての経験を味わっていた。

 ()()()()()()()。いくら牽制をしても、フェイクを織り交ぜても、バ群のウマ娘たちはそれを完全にスルーしている。

 出走ウマ娘たちが特に牽制や駆け引きに強いウマ娘ということはない。単純に、ナイスネイチャの牽制や駆け引きを認識する余裕がないのだ。

 認識されない、というのが、ナイスネイチャ自身を認識されていない。マークされていないという状況なら、むしろナイスネイチャに有利に動く。相手の意表を突き、奇襲を仕掛け、大いに乱せるからだ。

 しかし、その仕掛けそのものを認識されないとなると話は別だ。それはつまり仕掛けに反応されないということで、仕掛けていないのと同じ、完全に無意味であるということなのだから。

 

 そんなレースを作っているのが、好位追走、逃げの後ろに張り付いているビワハヤヒデだ。

 レース前。パドックで彼女の姿を見た網は顔を引き攣らせていた。何をどうやったらそこまで仕上げてこられるのかと。

 

『正直、春天で天井だと思ってた。冗談じゃねえ、まだ成長してやがる』

 

(ホント、冗談じゃないよね……こっちはもう打ち止めだっていうのに、涼しい顔しちゃってさ)

 

 すべてはビワハヤヒデの計算通りに。揺らぎも乱れも許されず、必定の敗北へ突き進まされる。圧力で注意力を掻き乱され、脳は楽な方へ楽な方へと流れていく。道を逸れようとすれば細かく修正される。

 確立された得意パターンの押し付け。ビワハヤヒデの必勝ルート。このまま行けばビワハヤヒデの一人勝ちになると誰もがわかっているのに、途中下車などさせてもらえない。

 終盤まで先団を維持し、最終コーナーで逃げを捉え、突き離す。シンプルで隙のない王道の作戦。

 

(ハハ……身体能力で上回られてるのに、頭脳戦でも技術でも負けてちゃやってらんないわ)

 

 東京の最終直線よりはるかに短いのに長く思える最終直線。ナイスネイチャも加速しているはずなのに距離を詰めることすら叶わない。

 着差5バ身。余裕の現れ。決着に意外性はなく、敗北の可能性もなく。真の強さはスリルすら拒む。

 

 

 

 ――その、帰り際。

 阪神レース場の通路でナイスネイチャは偶然、彼女たちの姿を目にした。ひとりは今回の勝者であるBNWが一角、ビワハヤヒデ。そしてもうひとりは、ビワハヤヒデの実妹にして今年のクラシック路線を蹂躙している二冠ウマ娘、ナリタブライアンだ。

 ナイスネイチャは思わず通路の曲がり角で身を隠す。特段隠れなければならないわけでもないのだが、ふたりの会話が気になったのと、それを立ち聞きすることへの呵責から取った行動だった。

 

「流石は姉貴だ。疑っていたわけでもないが、あそこまで余裕の勝利だと清々しいな」

 

 満足げに、どこか誇らしげに姉を称えるナリタブライアンの言葉を、広げたノートを片手に聞いているビワハヤヒデ。その視線はノートから動かない。

 

「しかもまだ強くなっていると来た。はは、年末の有が愉しみだ。あんたの背中を超えるために私は――」

 

「いや」

 

 ビワハヤヒデはノートを閉じ、静かに告げる。

 

「ここまでだ」

 

 沈黙。

 

 耳が痛くなるほどの重い重い静寂が降り、空間を感情が伝播する。混乱と呆然、ナイスネイチャが抱いたこの感情は誰のものか。

 

「――な、にを……」

 

「この宝塚記念を最後に、私はトゥインクル・シリーズを引退する。ブライアン、お前との対決はドリーム・シリーズに持ち越しだ」

 

「なんでだ!! 姉貴はまだ衰えてない!! まだ走れるだろう!!?」

 

 ナリタブライアンの悲痛な叫びはナイスネイチャの、そして数日後に同じ報告を知らされるファンの心情を正確に代弁していた。

 そんな痛々しい妹の姿を前に、しかしビワハヤヒデはあくまで涼しい顔を崩さずに告げる。

 

()()()()()()()()()()()()だ、ブライアン。これ以上の成長で手に入る、手に入ってしまう出力に、私の体は耐えられないんだよ」

 

 「このまま続ければ秋の天皇賞で私の脚は壊れる」。そんなビワハヤヒデの宣告に、ナリタブライアンは瞠目し、場に再び静寂が訪れた。

 ナイスネイチャの胸に訪れたのは絶対強者が去る安堵と勝ち逃げされたことへの虚無感。そんな身勝手な感情に対する自己嫌悪。

 

 ぷちっ。

 

 静か過ぎる廊下に小さな破裂音。

 ナリタブライアンの顎を伝った雫が廊下に落ち、熟れて弾けた木の実のような跡を残す。

 

「……ドリーム・シリーズには来られるんだな?」

 

「あぁ。成長曲線もいずれは下降に向かう。そうすれば、私の限界値が私の強度に見合ったところで収まるだろう」

 

「……わかった」

 

「すまないな。私自身も自分の成長曲線を見誤っていた……長く走れるというのもまた、才能だと痛感したよ」

 

 その言葉には、決して厭味や皮肉ではない、心からの羨望が宿っていた。志半ばで走る力を失う者。あまりにも早く衰えゆく者。走り続けるに足る力さえ得られない者。このターフを去る原因は多すぎる。

 だから、走り続けることができるそれ自体がひとつの恵まれた才能なのだと今ならわかる。振り向けば、足下(そっか)へ続く自身の蹄跡(あしあと)と並んだ、持ち主を失った蹄跡(あしあと)がいくつも残っているのだから。

 ――これ以上は無粋だ。ナイスネイチャはそっと、静かにその場をあとにした。

 

 

 

「それにな、ブライアン。こんなことを私が言うのは傲慢なのだが、私がいなくなったトゥインクル・シリーズというのも捨てたものじゃない。お前の渇きを潤す強者はまだまだいるさ」

 

「どうだろうな……」

 

 ナリタブライアンはクラシック期に入ってから負けていない。ジュニア期の頃は競りかけられると競ってしまう悪癖のせいで何度か負けを経験していたが、それを克服し脚を溜めることを覚えてからは無敵と言っていい強さを誇っている。

 強者との(しのぎ)を削る戦いを望むナリタブライアンにとってもまた、己の成長は求めるものでありながら同時に忌避するものとなっていた。

 渇きは潤わず、飢えは加速する。それは日本ダービーでさえそうだった。そんなナリタブライアンの貴重なモチベーションのひとつが、自らが認め、あるいは自らが所属する生徒会の長である"絶対"よりも強いのではないかとさえ感じている姉、ビワハヤヒデとの公式レースだったのだ。

 わかりやすくぶら下げられた餌だが、それが遠のいたナリタブライアンの鬱憤は、表に出ていないだけでかなりのものだった。端的に言えば、拗ねていた。

 

「まぁそう言うな。私は出られないが、有記念にはきっと()()も出てくる。去年の有では『不滅の逃亡者』が勝ったし、『赤緑の刺客』もそれに迫るだろうが、試行回数を増やせば最も多く勝つのは恐らく()()だぞ」

 

「……確かに、有では姉貴が負けていたが、今なら姉貴のほうが強いだろう」

 

「――いや、恐らく、クラシックディスタンス以下の距離では私は勝てない」

 

 確かにビワハヤヒデは連対率は高いものの、勝率はそう高くない。相性や距離の問題はあれど、直近でも大阪杯ではミホノブルボンに負けている。

 これは何度も例示したことだが、強さには『格下に負けない』強さと『格上に勝てる』強さがある。前者はシンボリルドルフやメジロマックイーンで、後者はナリタタイシンやナリタブライアンだ。絶対性と爆発力とも呼ばれる種別。

 ビワハヤヒデの最も恐ろしいところは、それを両立させていることにある。ナリタブライアンほどの爆発力はないが格上相手にも勝ち筋を残し続け、シンボリルドルフほどの絶対性はないが格下相手の勝ち筋を潰し続ける。

 どちらかに極端に特化した相手以外には負けないし、特化した相手でも勝ち筋を見つける。それが勝利の方程式。そんなビワハヤヒデがハッキリと「勝てない」と言ったことが、ナリタブライアンには衝撃だった。

 

「当初の目標とは違うだろうが、彼女も香港で念願の三冠を戴いたからな。いやはや、お前や彼女を見ていると、悔しいが、天才はいるのだと思い知らされる」

 

「――それほどか」

 

 ナリタブライアンの顔には、知らぬ間に、獣のように獰猛な笑みが浮かんでいた。そんなナリタブライアンに、ビワハヤヒデが告げる。

 

「……神は、愛ゆえに人に試練を与える。挫折し、絶望し、それでも前へ進もうとする者を愛する。そして、試練を乗り越えたものに報い祝福を与える。であれば――トウカイテイオーこそ、現役で最も神に愛されたウマ娘だ」

 

 煮え滾る本能を押さえつけながら、ナリタブライアンは姉の言葉を脳に刻む。相手にとって不足なしと。

 

「ブライアン……お前はどこか、脇が甘い。油断や慢心はないんだろうが……隙はある。気をつけろ」

 

「フン……わかっているさ」

 

 既にナリタブライアンには年末の有記念しか見えていないのか、ビワハヤヒデの忠告にも気もそぞろのまま応える。

 そんなナリタブライアンに、ビワハヤヒデは小さく溜息をついた。



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ありきたりな結論

「なぁ、ビコーはなんでバクシンオーに挑むのだ?」

 

 8月。スプリンターズステークスまでの日数も本格的に少なくなってきた頃。

 ライスシャワーはステイヤーズミリオンの残りの2戦、グッドウッドカップとドンカスターカップを快勝し、見事ステイヤーズミリオン完全制覇の称号を得て世界最強のステイヤーの証明を果たした。

 ナリタタイシンもアスコットレース場開催のGⅡレースに出走し、初のアスコットレース場で2着と好成績を残したと同時に課題を見つけることもでき、勝利よりも大きなものを得たと言っていいだろう。

 一方、7月にデビューしたマーベラスサンデーはメイクデビューと続く2戦目、3戦目をことごとく差し切られての2着。先日ようやく未勝利を抜け出したところだ。

 網の指示によってソラを使わないようにゴール直前に差し切れる仕掛けのタイミングを見定めるようにしていたのが原因で、敗戦は見事にソラを使ってしまった結果だ。

 それに加え、マーベラスサンデーの()()()()()をクラシックGⅠまで秘匿するため、本調子で走れていないというところもある。

 

 サイレンススズカは思いのほか衰弱していない。

 エアグルーヴをはじめとする友人たちが、走ること以外でサイレンススズカが没頭できる趣味を探し、気を紛らわせることに協力してくれたためだ。

 結果としては、サイレンススズカは走る他にパズルに没頭する癖があることが判明し、ジグソーパズルや知恵の輪、ナンプレなどを経費で購入し与えることで、サイレンススズカの走れないことによるストレスを抑え込むことに成功した。

 もうじき休養期間が明けるため恐らく再びサイレンススズカは走り始めるだろう。今後は併走役がハーネスの手綱を持って制御しつつのランニングとなる。幸い線が細いサイレンススズカに対して、アイネスフウジンとイナリワン、ライスシャワーの3人は体幹がガッシリしているため、原付やスクーターのような乗り物を使わず、脚で併走すれば問題なくストッパーとして機能するだろう。

 

 シンコウウインディの噛み癖矯正については、対処療法としてひとまずガムを噛ませている。噛み癖は原因の根本が何なのかによって矯正の仕方が変わるからだ。

 現状、ガムを噛ませておけばトレーニングに支障は出ていないため後回し、ということになっている。最悪、レース中は勝負服にセーフティマスクを取り入れればいい。

 

 そしてビコーペガサス。彼女は未だに重賞を取れずにいた。

 善戦、惜しいところまでは行くのだが届かない。なんとか3勝クラスまでは勝ち抜きオープンまで上がってきたものの、そこから先はさっぱりだった。

 そんな折に、《ミラ》に入る前から交流があったシンコウウインディから、ビコーペガサスは冒頭の言葉をかけられた。

 

「なんで……って……?」

 

「バクシンオーに負けたくないと思うのは別にいいのだ。でも、お前弱っちいし、バクシンオー以外にも全然勝ててないのだ」

 

「ヴッ……」

 

 シンコウウインディはあけすけで言葉を飾らない。気遣いがないとも言えるが、そういう点では網に近い感性を持っている。ここに網がいれば、内心シンコウウインディの言葉に頷いただろう。

 網が同じことをビコーペガサスに聞いていないのは、ごく単純に興味がないからだ。それを知らずともトレーニングメニューは組めるし、それがモチベーションになっているなら言うことはない。

 そして、シンコウウインディがそれを聞いたのも興味本位であった。

 

「バクシンオーより先に勝たなきゃダメな相手はたくさんいるのだ。同期とか、先にデビューしたやつでも同じくらいの強さのやつとか……バクシンオーは上すぎるのだ。てことは、お前は『負けたくないから』バクシンオーに挑んでるわけじゃないのだ。バクシンオーに挑戦するのなんて、強くなってドリーム・シリーズに行ってからでもいいのだ。誰か特定の奴に負けたくないって理由もわかるけど、お前とバクシンオーにそんな因縁聞いたこともないのだ」

 

 シンコウウインディの言葉を、ビコーペガサスはじっと聞いている。正直、シンコウウインディの言葉は正しい。

 ビコーペガサスには、サクラバクシンオーにこだわる理由はない。仲はむしろ良好ではあるが、だからといって切磋琢磨しあうライバルというほど近しいわけでもない。強さだけを見るなら、自分より強い相手の方が多いと言えるから、やはりシンコウウインディの言う通りだ。

 

「正直、ウインディちゃんはお前がバクシンオーに勝てると思えないのだ。お前がなんで弱いのかはウインディちゃんにはハッキリとはわからないけど、体が育ちきってないのが理由のひとつなのはわかるのだ。あと1年か2年してからデビューすれば、クラシック限定のレースでも十分勝てたかもしれないのに、それを捨ててまでなんでバクシンオーにこだわったのだ?」

 

 シンコウウインディの問いかけに、ビコーペガサスはしばし思考を回す。自分の考えを反芻し、しっかりと言葉にしてから語りだす。自分の信念を。

 

「アタシはさ……正義の味方になりたかったんだよ」

 

「知ってるのだ。ウザいほど聞いたのだ」

 

「……そりゃ、アタシは今も子供だけどさ。小学生と中学生って、知識とか思想とか、やっぱ違ってくるんだよ。当たり前だけど」

 

 ビコーペガサスの憧れるヒーローとは、正義の味方だ。では、正義とは何か。遍く中学生が至るそんな考えとその答えに、ビコーペガサスも例外ではなく行き着いてしまったのだ。

 それは最も軽々しく無責任な真実であり、どうにも遠く触れ得ない現実。多様性、即ち『人それぞれ』である。

 

「現実に怪人みたいな絶対悪は早々いなくて、正義の敵は悪じゃなくてまた別の正義なんだ。だから、正義の味方っていうのは『大勢の味方』で、『秩序の味方』なんだと思う」

 

 民衆を宥めるために無辜の贄を処しようとも。

 膨れ上がった国民を養うために他国を滅ぼそうとも。

 皆と違う者は和を乱すから排斥するために囲んで詰ろうとも。

 正義に、なってしまう。

 

 多くの人が、私が、あるいは貴方が、辿り着いたことがあるであろう答えの一片。もしくは一側面。物語では使い古された思想のテンプレートは、正義を目指す少女にはまだ大きかった。

 それでも、大人になれば鼻で笑うようなその詭弁に、幼気(いたいけ)な少女は真正面から挑んだ。

 

「アタシは弱い。レースもそうだけど、子供なアタシにできることはスゴく少ない。大人になればできることは増えるけど、きっと何かが擦り切れて、今みたいにただ思うままに生きることはできなくなる。だから、ヒーローを目指せるアタシは今しかなくて、なら今のアタシにできることで目指すしかなくて」

 

 弱い自分では『大勢の味方』にはなれないし、『秩序の味方』にもなれない。背負えるものはあまりにも小さい。だから。

 

「アタシは『誰かの味方』でいようって、そう思ったんだ」

 

「……その誰かが、バクシンオー?」

 

「うん」

 

 速さは、自由か、孤独か。その答えは未だ出ずとも、他に出ている答えがある。王者は、孤独だ。

 『勝つべき戦い』はもはや残されていない。残っているのは『勝てる戦い』。どうせ勝つ戦いに『確信』はあっても『期待』はなく、『声援』はあっても『応援』はない。

 だからマルゼンスキーはトゥインクル・シリーズを辞めた。だからシンボリルドルフは多くのウマ娘の幸福に夢を改めた。だから、サクラバクシンオーは短距離を修めたと判断した。

 

「もう、バクシンオー先輩と『同じレースを走る』人はいても、バクシンオー先輩に『挑戦する』人はだいぶ少なくなってる。もし、スプリンターズステークスに『挑戦する』人がいなかったら……本当に、バクシンオー先輩はもうスプリントに戻ってこなくなる気がするんだ」

 

「だから、バクシンオーに『挑戦する』のだ? 棚ぼたやフロック狙いでも記念出走でもなく、あくまで勝ちを狙って」

 

「うん。それにさ、ヒーローっていうのは、一回決めたら諦めないんだ」

 

 だって、ヒーローが諦めてしまったら、誰が守るというのか。

 色々なヒーローを見てきた。でも、諦めたヒーローはいなかった。いや、あるいは諦めた時点でヒーローではなくなったのかもしれない。

 

「この先、アタシよりも強くて、バクシンオー先輩を超えようとするウマ娘が出てくるかもしれない。その時にバクシンオー先輩がまたスプリントを走れるように、諦めずに追いかける存在がいるって伝えたい。言葉じゃなくて、走りで伝えたいんだ」

 

 学級委員長みたいに、あちこち走り回って大勢を救けることはできない。風紀委員長みたいに、正しさで大勢を守ることはできない。

 でもだから、学園のヒーローとして、たったひとりを助け、守りたい。それが、ビコーペガサスの出した結論だった。

 

「……なんてさ。結局はカッコつけなんだけどな。『諦めない』ってヒーローっぽいから、それをやりたいだけ、かもしれない。アタシって形から入るタイプだから」

 

「……それなら、それでいいと思うのだ。ウインディちゃんだって形から入るタイプなのだ」

 

 シンコウウインディはそんなビコーペガサスの、幼年期と思春期の境にある、夢と現実が入り交じった少女の憧憬に納得して、意地悪そうに笑った。

 

「でも、まずは勝たなきゃなのだ。賞金足りなくて除外されても知らんのだ」

 

「ヴッ……お、仰るとおり……」

 

 戦いの秋はまだ少し遠い。




 人数が増えるとストーリーにあんまり絡まなかったりドラマが少なかったり、描写するとダラけたり助長になるレースが多いからばっさりカットするレースも多くなる。
 ビコーのキャラがまだあんまりつかめない(露出が少ない)から探り探りである。何故ビコーをメインキャラにしようと思ったんだ。それはバクシンオーの引退レースが書きたかったからです。


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バタフライエフェクト

 最近更新遅くない?


 まもなく繁忙期なんです。許し亭許して。


ペーガソス(古希: Πήγασος, Pḗgasos, ラテン語: Pegasus, Pegasos)は、ギリシア神話に登場するウマ娘の1人である。蜜蝋で固めた翼によって自由自在に飛翔する能力を得るが、太陽に接近し過ぎたことで蝋が溶けて翼がなくなり、墜落して死を迎えた。ペーガソスの物語は人間の傲慢さやテクノロジーを批判する神話として有名である。

名前はイーカロス(古希: Ἴκαρος, ラテン文字化:Īkaros, ラテン語: Icarus)とする文献も見つかっている。

 

 

 

出典:Wikipeuma

 

 

 

★☆★

 

 

 

『さぁ外からひとり大きく回って、シャドーロール!! ブライアンだ!! ナリタブライアンあがってきた!!』

 

 京都2400mの最終コーナー。まくり気味にあがってきたナリタブライアンがバ群を避けるように大外から追い抜きハナに立つ。

 ナリタブライアンの足が地面を踏みしめるとともに、地面にヒビが入り、溢れた光が影を散らす。ナリタブライアンの"領域(ゾーン)"が見せる幻を前に、後続のウマ娘が怯んだ。

 

「――しゃらくせぇなぁ!!」

 

 ひとりを除いて。

 バ群の内側から伸びてきた人影が、爆発するかのような末脚を見せるナリタブライアンに追い縋る。影を縫い、星が(またた)く。彼女はその名を与えられたが故にただ純粋に星であれる。

 観客がざわめく。クラシック期に入ってから無敗だった。それどころかその影を踏むことさえ叶う者はいなかったナリタブライアンに、彼女は迫り、遂に追い抜いたのだ。

 立場が反転する。怪物が食らいつく側に回る。眼の前に現れた獲物を食い破らんと躍動する『影を嗤う(Shadow Lol)怪物』。その威光を受け、しかし星は更に強く輝く。

 クラシック無敗の怪物と無名の星。観客の誰もが予想だにしなかった接戦に驚くなか、一等星を中心に集まった屑星の集団、《C-Ma》のメンバーだけは……いや、彼女たちも派手に驚いていたが、とりあえず応援はしていた。

 

(っ……!? コイツ、どこにそんな……)

 

「見たか!? 見たな!? 今見たな!? 私を!! おい、ナリタブライアン!! 私だ!! 私が、スターマンだっ!!」

 

 走りながら叫び続ける。それは本来自殺行為とも言える酸素の浪費だ。しかし、スターマンにはそれを可能とする――レオダーバンと同種の才能があった。残念ながらレオダーバンとは違い、レースに活かせるものではなかったが。

 ノーマークだった相手の奮戦。思考の外からの刺客に動揺するナリタブライアン。強者を嗅ぎ分ける彼女の嗅覚がマイナスに作用した。怪物の末脚に揺らぎが生じる。爆発力が下振れる。

 

「勝者は私だ!! 文句は言わせないっ!! これきりだろうが、GⅠじゃなかろうがっ!! 勝つのは、勝ったのは、スターマンだっ!!」

 

 咆哮とともにスターマンがほんの一瞬早くゴールラインを踏み抜く。クビ差。ナリタブライアンにとって、クラシック初の敗戦だった。

 ギリギリまでナリタブライアンの逆転を思い描いていた観客たちは変わらない現実に驚く。確かにジュニア期こそ敗北も目立ったが、しかしクラシック期での圧倒的な勝利はそんなご都合主義さえ夢想させてしまうほどのものだったのだ。

 《C-Ma》の面々もそれは同じだった。いや、むしろ他の観客に比べても驚きは大きいとさえ言える。スターマンの実力は知っており、その上で善戦はしても勝利まではいかないと思っていたからだ。

 そんななか、シリウスシンボリだけが満足げに笑う。実のところ、彼女も予想以上の成果に驚いているのだがそんなことはおくびにも出さない。

 

 とはいえこれはステップレース。本番は来月の菊花賞だ。自身のトレーナーに地面と水平に跳んでのドロップヘッドを食らわせたスターマンを睨みながら、怪物は笑みを浮かべていた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ……と、世間的には騒がしいクラシック路線は《ミラ》には関係なく。しかし久々の――正確にはライスシャワーの長距離路線があるのだがあまりに危なげがなさすぎるので除くとして――大舞台がやってきた。

 GⅠレース、スプリンターズステークス。ビコーペガサスの初GⅠである。幸いなことに定員割れを起こしていたため、賞金額が低いビコーペガサスも出走登録することができた。

 しかし、ビコーペガサスの人気は戦績を考えれば高い。それはこう言ってはなんだが、他に有力な候補が――ひとりを除いて――いないこと。そして、《ミラ》というチームのネームバリューがそれほど大きくなったことを示している。

 つまり、ビコーペガサスが評価されてのことではないことを意味していた。

 

 事実、この地下バ道でレースを待つウマ娘たちは皆、ビコーペガサスを含め互いに対して一切視線や意識を向けていない。彼女たちが見つめる先にいるのはただひとり。

 短距離の絶対王者、サクラバクシンオーだけだ。

 

 彼女たちの視線に籠もった感情は様々であり、その多くは羨望や嫉妬、あるいは畏怖。学園でサクラバクシンオーの人柄を知らない者はいないのだが、それを踏まえても負の感情が多い。

 その視線の中心で、サクラバクシンオーは普段の騒がしさが嘘のように佇んでいた。

 

「うん、調子良さげなの!」

 

「ありがとう、アイネス先輩」

 

「お礼なら網さんに言ってあげてほしいの! 多分、レースが終わったらすぐフランスに行っちゃうけど……」

 

 そう、スプリンターズステークスから程なくして、フランスでライスシャワーが出走するもうひとつの4000m台レース、カドラン賞があるため、網はまた日本を発つ。

 しかしこのスプリンターズステークス、仕上げ切らなければそもそもビコーペガサスでは相手にもならない。網はそう判断し、この一週間でビコーペガサスの調子を整えきった。今は発走まで関係者席で休んでいる。

 

 ビコーペガサスはアイネスフウジンからの最終チェックを受け立ち上がると、真っ直ぐサクラバクシンオーの方へ向かう。サクラバクシンオーも知り合いであるビコーペガサスを見つけると、嬉しそうに笑った。

 

「おぉ、ビコーさん! いやはや、出バ表を見て知ってはいましたが、遂にこの学級委員長に挑戦ですか! いいでしょう、スプリントの先達としてお相手を――」

 

「……あぁ。バクシンオー先輩。アンタを倒しに来た」

 

 サクラバクシンオーは、ビコーペガサスの言葉に、一瞬キョトンとした顔を見せる。ふたりの視線が交差する。周囲の反応は二分(にぶん)。事前の成績から身の程知らずと生暖かく見る者と、それでも《ミラ》ならと慄く者。

 その視線の中、揺らぐことなく立つビコーペガサスを見て、サクラバクシンオーは一瞬。ほんの刹那の間だけ、普段のサクラバクシンオーからは想像もできないような獰猛な笑みを浮かべ、そしてまた、再び溌剌(はつらつ)とした笑顔に戻った。

 

「――えぇ! 全力でお相手しましょう! このサクラバクシンオーが!」

 

 

 

 レースが始まる。それは蹂躙だった。

 その距離の短さから(まぐ)れが起きやすいスプリント。そのなかで()()()()()()というサクラバクシンオーの異常性を正しく理解できている者は少ない。

 彼女の頭の中には計算など一欠片もないだろう。しかし、その走りは紛れもなく短距離における『勝利の方程式』そのものだ。なにせ、ビワハヤヒデはサクラバクシンオーの走りを基盤にして自らの『勝利の方程式』を作り上げるに至ったのだから。

 そして、ほんの僅かなロスが絶望の差になる、ほんの一瞬の迷いが絶対の距離に繋がる、加減点が大きい短距離という舞台の『勝利の方程式』は、ビワハヤヒデの得意とする中長距離のそれよりも遥かに成立させづらい。

 にも関わらずそれを本能だけで成立させているサクラバクシンオーは、どう考えても異常なのだ。

 誰もがその背中を前に諦めた。意識に浮かばずとも無意識に『2着』を狙い走る。それはさながら、人が空を諦める姿に似ていた。

 

 そんな彼女たちの間をすり抜け、バ群を飛び出したウマ娘がいた。

 

 飛翔するかのように駆けるその背には翼。未熟とされるその体をひたすらに躍動させ、彼女はひとり太陽(サクラバクシンオー)へと迫る。

 網から授けられた策とも言えない欠陥兵器。ぶっつけ本番、発現するかもわからない"領域(ゾーン)"を成功させるため、網はビコーペガサスの調子を仕上げきった。

 網から授けられた蝋の翼が羽撃(はばた)く。太陽に手を伸ばす者はいても、それを掴み取ろうと本気で考える者はいない。それが不可能だとわかっているからだ。しかし彼女はそれを理解しながら、愚者になってでも太陽を求めた。

 

 だから彼女も、全霊を以てそれに応える。

 

(……きっと、私がここに立つのはあまりに早すぎた)

 

 その魂に焼き付いた王者の記憶。それに比べ、遥かに舞台は整っていた。しかし、役者が揃わなかった。それはまるで、運命が彼女を頂点に祀り上げるかのように、この時代において彼女に比肩する者は特異点を以てしても生まれ得なかった。

 何も起こらなければ、彼女は王冠を玉座に置いて次の舞台へ進んだだろう。だが、傲慢にもそれを引き留める腕があった。その事実が、奇しくも彼女を同じ運命へと導く。

 即ち、次代のスプリンターへの礎を築く道へ。

 

(しかし、早すぎたとしても私は、この世代で走れたことに後悔はありません。短距離路線はここから始まるのです。この学級委員長を規範として。あぁ、それはまさに本望ではありませんか!)

 

 自分を見て心が折れるなら結構。()()()()のウマ娘が自分の背を追いかけようと、決して追いつくことはないだろう。

 しかし、この絶対的な背中を見てなお追いつかんと努力し続ける者がいたならば、その手はいつか必ず太陽をも掴み取る。

 

(だから私は示すのです。私がすべての距離で規範となるという()()()を目指すのだから、私を追い抜く程度の()()を目指してみろと、この走りで)

 

 幸いにも、そんな者たちと再び轡を並べる夢の舞台があるのだから。

 

(だから――これは最後の愛の鞭。この驀進王を越えて来なさい)

 

 サクラバクシンオーの"領域(ゾーン)"が発現する。それはただ、愚直なまでに、滑稽なほどに、走るというただそれだけに傾いた彼女の根源。

 

(いざ、勝利に向かって、驀進ッ!!!)

 

 一度は縮まった距離が再び開く。たとえ太陽が蝋の翼を焼き尽くそうとも、長い年月の末に人間が空を手に入れたように、いつか彼女たちが自分を超えてくると確信しているから。

 4バ身差、自らのレコードを塗り替え出したタイムは1:06.9。ペーガソスの羽撃きは運命を超えることはできなかったが、太陽を星の更に先へ押し上げた。

 

 宣言通り、サクラバクシンオーはマイル、そしてその先を目指す。ただし、電撃の驀進王として王冠を頭に頂いたまま。

 奪えるものなら奪ってみろと。いつか太陽を掴む龍が現れることを信じて。

 

 ビコーペガサスは、短距離の王を短距離の王として掴み留めることに、確かに成功したのである。




 それ(実況の台詞)使いたかっただけやろお前。はい。



 テンプレオリシュ面白いよね。


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【切り抜き】最近のオグタマ集【オグタマライブ】

短いです。


『????年サマー・ドリーム・クラシック オグリキャップ出走につき欠席回 ゲスト:アイネスフウジン』

 

「はぁ〜! ほんならあのゴツい車2台あるんか!?」

 

「2台で7000万円くらいするはずなの。ホント網さんといると金銭感覚ぶっ壊れるの」

 

『その辺のGⅡの優勝賞金より高くて芝』

『俺の年収の20年分くらいンゴねぇ……』

『ひとりで乗るならリムジンの必要ないし純粋にウマ娘のために1台買い足してるんだよな……』

『なんだろう……聖人みてぇな行動のはずなのに聖人に見えない……』

『金持ち喧嘩せずという言葉が嘘ということがわかりましたね(網Tは喧嘩大好きなため)』

 

「あの人が好きなのは喧嘩じゃなくて蹂躙なの」

 

「蛮族か?」

 

「あっ、ゴメンちょっと待って……あの人が好きなのは蹂躙じゃなくて処刑なの。大義名分あったほうが喜ぶから」

 

『娯楽が中世なんよ』

『世が世なら異端審問官とかになってそう』

『実際に何人かムショ送りにしてるからなんの反論もできない』

『岡田大僧正、天才福富、柴原御大ときて魔人網だぞ』

『あの歳でここに並べてくるのがヤバい』

『大僧正って呼ばれてんのは皇帝の杖のお父さんだっけ?』

『せやで。岡田、福富、柴原の央苑花の15期生組』

『皇帝の指導したのが大僧正、皇帝に指導されたのが杖』

『そのうち杖のほうが2代目大僧正になるだろ。もう大僧正引退してるし』

『他に若い人で並びそうなのいる?』

『そら奈瀬ちゃんだろ』

『天才って言うなら羽原Tも中々』

『秀才枠は南坂か?』

『同期ではないんだけどね、全員』

『天才奈瀬、異才羽原、秀才南坂、鬼才網って感じ』

 

「網さんはあれでどっちかというと秀才型なの」

 

「ほ〜ん。分類がようわからんわ」

 

『いやそこの分類は割かし有名だろ』

『回を経るごとにアホアホなのがバレてくなこのウマ娘』

『そもそもウマ娘が大概アホなのにな』

『ヘ、ヘイトスピーチ……』

 

「まぁ、最近は長い方でも入りきらなくなったからリムジンバスチャーターしてるの」

 

「知らんわもう」

 

『拗ねちゃった』

『まぁ世界が違いすぎるのはわかる』

『大丈夫? 税金の分残ってる?』

 

「むしろ節税って言ってたの」

 

『経費で落ちるんだ……』

『闇落ちしそう』

『ここまで住んでる世界違うと音楽の趣味とかも変わってきそう』

『黒い人はなんかクラシック聞いてそう』

 

「網さんはホルストの『木星』とかよく聞いてるの。電話口から聞こえてきたり、車内でかかってたり」

 

『もうわからん』

『なに? ホルスト? 戦艦?』

『木星ってwwwww金星とか水星とかもあんのかよwwwww』

『あるぞ』

『あるが?』

『組曲『惑星』なんだからそりゃあるだろ』

『マヌケは見つかったようだな……』

 

 

 

★☆★

 

『????年ゴールドカップ 2000mスパートの反応』

 

 

 

「やっと半分か? 長いわぁ……」

 

『長いのもそうだけど坂が……』

『笑っちゃうくらいクソコース』

『なんであんな涼しい顔して走れるんだいお米ちゃん』

『歩くのもキツいだろ』

 

「ん? 待ちぃ。いやいやいやいや待て待て待て待て!! 何しとんのや!?」

 

「ロングスパート……だな。いや、間違いない。スパートをかけている。ニホンピロムーテーの菊花賞1600mロングスパートや、去年のメジロマックイーン春天1600mスパートは有名だが、この起伏で2000mスパートとは……」

 

『ハナ切ってた娘ポカンとしとるやん』

『スタミナお化けかな?』

『ライスシャワー、肺が4つある説』

『結局なんだったんだろうな。ネズミ花火eatって』

『反復守備だろ』

『粘ってる後続もバケモンやけど相手が悪かったなこれ……』

『黒い人の顔よ』

 

「なんでお前がいっちゃん驚いとんねん!!」

 

「ニホンピロムーテーのようにトレーナーから指示があったわけではないのか……」

 

『黒い人の貴重なポカン顔』

『うわ、大爆笑じゃん』

『なんか笑い方のイメージ違くない?』

『普段の網Tの笑い方じゃないな』

『「ダッハハハ!!」みたいな笑い方』

『これが素でしょ』

『やんちゃ坊主だ……』

『そしてご満悦』

『ワイプずっと黒い人映すやん』

 

 

 

★☆★

 

 

 

『????年 ドンカスターカップ(ライスシャワーによるステイヤーズミリオン完全制覇リーチのためGⅡレースだが特別放送)』

 

 

 

「は〜……これで正真正銘の世界最強ステイヤーっちゅうわけかぁ……」

 

「私たちが現役の頃は、とにかく春天でのパフォーマンスでステイヤーとしての能力が評価されていたからな」

 

「ここ数年で海外遠征するウマ娘も増えてきとるしなぁ……逆に、海外から日本に来とるウマ娘も少しずつ増えとる。海外遠征を敬遠しとるウマ娘も、ウカウカしとったら海外から来た奴らに()されてまうで」

 

『世界最強ステイヤーは実質マックイーンだが?』

『戦争が始まるからそれ以上はいけない』

『マックイーンと決着がつけられなくて凹んでるのはライス当人なんだから』

『一方メジロ饅頭はマスコットキャラクター化を加速させていた』

『後の世界最強ステイヤーを打ち負かした春天三連覇ウマ娘の姿か……? これが……?』

『ウマ娘レースの実況より阪神戦の実況の方が同接多い女』

『「ぶっちゃけ長距離より2200くらいのほうがマシですわ」とか言ってたのマジで腹と頭抱えた』

『好きとかじゃなくてマシなのがもうね』

『年始に奈瀬ちゃんが新年の挨拶にマック訪ねたらサマー・ドリーム・ロング走らされると思って窓から逃げたってマ?』

『イクノ情報だからマ』

 

「サマー・ドリーム・クラシックのとき、出走するアルダンの応援に来ていたメジロマックイーンと会ったんだ」

 

「ほーん」

 

「以前会ったとき、メジロマックイーンは食事の手を止めて挨拶していたんだ。今回も先に挨拶しようと急いで口の中のものを飲み込んだんだが、食べてるうちに挨拶することを忘れたのか二口目にいっていた」

 

『芝』

『芝なんだ』

『芝3200m』

『そんなん芝』

『パクパクモンスターやんけ』




年末です。
繁忙期がやってまいりました。
更新頻度が下がりますのでご留意ください。
1月半ば辺りから戻り始めます。多分。


なぜそんな時期から投稿し始めたんだ去年の僕よ。


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カドラン賞「どうして……」

カドラン賞はやると言ったな。
あれは嘘だ。


 

『ライスシャワー強い! 後続を置き去りにして独走状態!!』

 

 つい先日行われた世界最長の平地レース、カドラン賞の映像を、彼女は繰り返し繰り返し眺めていた。そこから何かを学ぼうと言う意図はなく、ただその姿を目に焼き付けるように。

 ライスシャワーの脚が抜きん出て速いわけではない。他の出走者と比べれば、ロンシャンレース場のコースに必要なパワーも劣ってはいる。しかし、ライスシャワーはそれを覆してなお余りあるほどのスタミナと、その身を危険に晒しながらも攻めたコースを走ることのできる精神力を持っていた。

 そもそも出走するウマ娘が少なく、さらに実力者も出揃いづらいカドラン賞は、ライスシャワーによる蹂躙で幕を閉じた。

 

 レース映像を見終え、彼女は先日トレーナーが言っていた言葉を反駁する。彼女のトレーナーが言うには、ライスシャワーの全盛期も終わりを迎えようとしているらしい。来年の天皇賞まで保てば上出来だと、強面の顔を更に険しくさせる。

 そして、彼女とそのトレーナーは、示し合わさずとも同じ考えに至る。天皇賞まで保てば上出来と言うならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

「お前はお前のことだけ考えてろ。ライスシャワーは大丈夫だろう」

 

 大舞台を前に過度に緊張しているわけではない。精神状態はフラットで、レースに悪影響が出ることもないだろう。今日も彼女の鼓動は正確に時を刻み続ける。

 

 始まりは、ライスシャワーを認識したのは入学式のこと。自分のちょうど前に座っていたのがライスシャワーだった。ただそれだけ。

 それから奇妙な縁でたびたび話をするようになり、互いに特段コミュニケーション能力に長けているわけでもないのに交流を持つようになったのは、多分にあの学級委員長が影響していると言える。

 ライスシャワーを好敵手として意識し始めたのは、ホープフルステークス。それは、日本ダービーを経て意識から警戒へと変わった。菊花賞で最大の敵になるのは、己の夢を阻みうるのはこのウマ娘だと。

 それは現実になった。黒い刺客は菊の舞台で大きすぎる壁として立ちはだかり、彼女の求めていた3つ目の冠を攫っていった。

 そしてそれと同時に、彼女が定めていた()()()をも消し飛ばして、その先に広がる果てのない未来を示してみせたのだ。

 

 かつてスプリンターと呼ばれた彼女の本領は、今現在はミドルからクラシックディスタンスにある。彼女もライスシャワー同様ピークからは衰えが現れ始めているが、それでも本領であれば上位に食い込む実力者だ。

 だから、本来戦場に選ぶべきはその距離のレースなのだろう。しかし、彼女が海外に足を運んでまで選んだレースはその範囲を外れたものだった。

 彼女にとってレースとは常に距離の壁への挑戦の連続だった。その果てに、ライスシャワーはいる。

 

 このレースは、ライスシャワーへの宣戦布告。

 

『ミホノブルボンだ! ミホノブルボン遂に三階級制覇!! メルボルンカップをミホノブルボンが勝利し、マイル、中距離に続き長距離でもGⅠ制覇です!!』

 

 

 

★☆★

 

 

 

 画面の向こうの好敵手と目が合う。長いレースのあとだというのに崩れない表情と、平坦な口調とは裏腹に熱の籠もった言葉。

 

『メルボルンカップを勝利し、栄えある三階級制覇を成し遂げた感想をお聞かせください!』

 

 ミホノブルボンに対して鼻息荒くマイクを向けるインタビューアーの質問に、ミホノブルボンは表情を崩さないながらも興奮した様子を隠さずに答える。

 ただし、その答えはインタビューアーの期待していたものではなく、しかしながら満足させるには十分なものだった。

 

『私にとって、このレースは()()()()()()()()()()レースではなく、()()()()()()()()()()レースでした。確かに彼女たちは強敵でしたが、私が打破すべきは()()()()()()()()なのですから』

 

 それは端的な宣戦布告。

 いや、すべてはとうの昔に始まっていた。菊花賞から、あるいは日本ダービー、ホープフルステークス、入学式の出会いか、それともこの世界が生まれる以前から絡まった運命か。

 

『ライスさん……ライスシャワー。春の天皇賞、()()()()()()()()()()()()()()()。それが私の目標(オーダー)

 

 まるで本当に目の前にいるかのように、ライスシャワーとミホノブルボンの視線が画面を越えて交差する。好戦的とは言えない両者の表情が、その一瞬ウマ娘の本能に染まった。

 世代最強として二冠を戴きながらも菊の冠を逃した者と、世界最強として長距離を蹂躙しながらも春の盾を逃した者。

 ふたりの運命が、再び交わろうとしていた。

 

 

 

★☆★

 

 

 

『"KAMIKAZE"と"Nonstop Rabbit"は引退済、"String-Puller"はグランプリ出走のために回避、"BlackChapel Murder"はもちろん新人(Newbie)も適性外……』

 

 アメリカはマサチューセッツ州。鹿毛のウマ娘がパソコンのディスプレイを睨みながら呟く。その部屋には薄く煙が充満しており、彼女自身はマスクを使用している。

 

『おぉい! 辛気臭ぇ顔してないでお前もヤろうぜ!!』

 

『こっちは未成年だって何度も言ってるだろう!! トびたいならひとりでトんでろ!!』

 

『お前と吸えば文字通り楽園(Paradise)にイけそうなんだよぅ』

 

 逝ってろ。などと彼女は毒づく。そもそも清く正しい青少年がいる部屋でブリってんじゃねぇメッドメンへ行けと。

 腕は確かだし腐れ縁があるせいでズルズルとコンビを続けてきたことを、このときばかりは彼女も後悔する。

 

『というか、来月にはジャパンに飛ぶってのにあの調子で大丈夫なのかね……』

 

 近年海外へと台頭してきた元弱小国、日本。数年前までは自国の招待レースで勝つことさえ難しかった日本のウマ娘たちが、飛躍的にレベルアップしている。

 その秘密を掴まんと、また、やられっぱなしで終われないと、各国の猛者が例年よりも勇んで招待レース――ジャパンカップへ出走を表明している。彼女が新しく開いたウィンドウには、現時点で表明しているウマ娘のリストが映っていた。

 

 ブラジル所属、Blackの実力者、サンドピット。

 今年の凱旋門賞を制覇した『鉄鋼王』カーネギー。

 ニュージーランドの古強者、ラフハビット。そして――

 

『"Nemesis"……』

 

 英語で「難敵」を意味する言葉ともなっているギリシア神話の復讐を司る女神、ネメシスの名で呼ばれたのは、"Slender-man"の教え子で唯一ジャパンカップに出走する予定のウマ娘。

 『逆襲の剛脚』ナリタタイシン。

 

 海外でのナリタタイシンの評価は、他の《ミラ》のメンバーに比べて高くない。それはURA史上に名を残すであろうほどに活躍したアイネスフウジン、ツインターボ、ライスシャワー。ツインターボや、サンデーサイレンスを打ち破ったトウカイテイオーと互角の戦いを繰り広げたナイスネイチャと比べてという相対的な評価もあるが、絶対的な評価としても、ナリタタイシンは未だGⅠ1勝で――上澄みの中では――微妙な成績であることが原因だ。

 そしてだからこそ、網に煮え湯を飲まされている各国の、特にトレーナー陣がこのジャパンカップで意趣返しをしようといきり立っているのだ。

 

『"Slender-man"を……というより、"Nemesis"を甘く見すぎじゃないかね、それは』

 

 皐月賞以後にナリタタイシンが負けたのは3度。仕上がりきったウイニングチケット相手のダービーに、完成したビワハヤヒデ相手の菊花賞。そして、慣れないアスコットレース場(クソコース)でのレース。

 はっきり言って、負けるべくして負けたレースばかりだ。これらのレースを実際に見てなお弱いなどと言えるほうがどうかしている。

 そこまで考えたとき、彼女のウマホから着信音が響いた。画面に表示された名前は、歳の離れた友人の娘。ナリタタイシンと同じく、中央トレセン学園に在籍しているウマ娘のものだった。

 

『Hallo! 来月のジャパンカップって、確かパラちゃんも出るよね?』

 

『相変わらず急だね。その予定だけど?』

 

『じゃあさ! サポートにマヤのトレーナーちゃんつけない!?』

 

 国際招待レースで来訪したウマ娘とトレーナーには、開催国のトレーナーが開催国の環境に慣れさせるためのサポートとしてつく権利が与えられている。多くの国で適用されているこの制度は、スポーツマンシップに強く影響を受けたものである。

 彼女は通話相手が薦める相手のことも知っていた。このジャパンカップには出ていないが、件のトレーナーもGⅠトレーナーである。信頼に値する。というよりも、自身のトレーナー(ヤクチュウ)が信用できない。それこそ、日本でキめてしょっぴかれなければいいなと思う程度には。

 

『……うん、じゃあお願いしようかな……』

 

『アイコピー!!』

 

 この判断が吉と出るか凶と出るかは、まだ誰も知らない。




 お久しぶりです。
 繁忙期が本格化する前に1話だけ更新して失踪してないことをアピールする。
 月末までには落ち着いてくれるはずです。


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アウェー

 「今回は厳しい戦いになる」と、ナリタタイシンは網からそう聞かされていた。ナリタタイシンにとっては「今回も」だが。

 

 意外なことに、チーム《ミラ》にはジャパンカップに出走したメンバーがいない。国内の猛者とはグランプリレースで、国外とはそれこそ海外遠征で対決しており、他のチームより出走の意義が薄いことが大きい。唯一、ナイスネイチャは出走予定だったことがあるが、()()事件で回避となっている。

 とはいえ、《ミラ》の側にその気がなくとも、ファンやURAからしてみれば、彼女たちに出走してもらいたいという考えは非常に大きい。昨今は日本陣営が勝ち越しているが、それまでは海外勢に荒らされていた現実がある。日本総大将を背負う者は、相応の強者であってほしいのだ。世界に通用している《ミラ》の面々は恰好の旗印と言える。

 

 ではそんな《ミラ》のうち、ナリタタイシンはどのような評価を受けているかと問われれば「微妙」と言う他ない。

 「三冠ウマ娘が輩出された年は世代が弱い」という言説があるが、その逆の現象が起こっている。すなわち、「世代が強かったが故に目立たなくなっている」のだ。

 最も目立つ日本ダービーで接戦ながらも圧倒的な走りを見せたウイニングチケット、同世代では抜きん出た実力を披露したビワハヤヒデ。そのふたりに食らいついて常に掲示板を外さなかったナリタタイシンは間違いなく強者である。

 しかし「じゃあどれくらい強いの?」と聞かれると、勝ち星が少ないがために返答に困るのだ。洋芝とアスコットレース場に慣れるためとはいえ、海外遠征で黒星を貰っているのもマイナスだ。そしてやはり、長期間の療養でそもそも出走数が少なく、判断材料が足りていないということもあった。

 決して弱いと思われているわけではないが、しかし他の《ミラ》メンバーと比べると一歩劣る。ナリタタイシンの評価は、おおよそそのようなものだった。

 だから、結果的に日本総大将への期待はナリタタイシンに向けたものより、チーム《ミラ》のメンバーという肩書に向けられたものが多かった。悪意や隔意があるわけではない。ただ無意識に「"《ミラ》の"ナリタタイシン」という認識が強いというだけ。

 

 ナリタタイシンの瞳に(くら)い炎が灯る。確かにナリタタイシンの名声は上がった。少なくとも、かつてのように嘲笑交じりの侮りや、望んでもいない憐憫交じりの忠告が投げかけられることはなくなった。

 これで目標を達成したと言うにはあまりにも中途半端。しかし、昨年の故障が影響して、名誉挽回の機会に恵まれなかったという焦りが、ナリタタイシンの中で燻っていた。

 

「マベちゃんの疝痛、だいぶ良くなってきたってネイちゃんから連絡来たの。年末には間に合いそうだって」

 

「診断するのは俺であってナイスネイチャじゃない。あとで様子を見に行く。あとアイネス、お前声の調子大丈夫か?」

 

「ちょっと遅れた声変わりなの。お医者さんは問題ないって」

 

「その辺りはB種免許の範囲外だから俺に言われてもわからんからな。しっかり専門医にかかりつけておけよ。さて……それじゃナリタタイシン。最終チェックだ」

 

 網がそう言って、控室の壁にプロジェクターから画像が映し出される。

 

「まず要注意なのはブラジル出身のサンドピット。こいつに関しては恐らくお前が負けることはないだろう。だが、今回のレースで台風の目になるのは間違いなくこいつだ。何故なら――」

 

「大逃げウマだから、だよね」

 

 映し出されたのは黒人種に近い褐色肌と金髪のような栗毛を持つ美丈女。白のワイシャツに黒のサスペンダーとネクタイ、そして黒のロングパンツを勝負服とする彼女が、アメリカの名優が演じた代表作の役柄に(なぞら)えて『生存者(Uninfectee)』と呼ばれるウマ娘、サンドピットだ。

 

「ツインターボに比べて()()はないが、その分スタミナが豊富で力押しが得意だ。どちらかといえば、メジロパーマーに近いタイプだな。とはいえここまでの走りを見る限り、府中2400mで逃げ切れるとは思えないが、こいつの走りに惑わされないようにしなければ崩されるだろう」

 

「大丈夫。リズム感には自信あるし」

 

 普段から1Fの差を争う世界にいるナリタタイシンの体内時計は、ウマ娘の中ではトップクラスの精確さを誇る。同期のライバルに強力な逃げウマ娘がいなかったために目立っていないが、崩されにくさは自負通りのものがあるだろう。

 

「キングスシアターはKGⅥ&QESでのパフォーマンスこそ良かったが他はGⅠウマ娘としては平々凡々。特段気にする相手でもない。凱旋門賞を勝ったカーネギーは要注意だが、重バ場巧者で唯一芝が堅かったレースでは掲示板ギリギリ。突くとすればそこだな」

 

 続いて鹿毛のウマ娘がふたり、連続で映し出された。今年開催されたナリタタイシンの目標となるレースを勝利したウマ娘たち。網は大したことないなどというが、当然上澄みも上澄みだ。

 ナリタタイシンからしてみればこのふたりでさえ十分な格上であるのだが、網が「厳しい戦いになる」とまで言うのだから、それはこれ以上の難敵が存在するということでもある。

 そして、最後に映し出されたウマ娘こそ、このレースでもっとも注意すべき相手だった。

 

「ブリーダーズカップターフ2着、パラダイスクリーク。成績だけならマイルからミドルディスタンスあたりが適性といったところだが、最近は少しずつ適性距離を延ばしてきている」

 

 パラダイスクリークは珍しい経歴の持ち主だ。元々はアメリカに所属していたが、今年から日本へ転属しながらアメリカでレースを続けており、このジャパンカップが日本での初出走なのだという。

 それをサポートした後ろ盾が名家ニシノ家だというのだから話題にならないはずもなく、現在はニシノ家の繋がりと、旧友であるらしいマヤノトップガンからの紹介で、マヤノトップガンの担当である羽原トレーナーがサポートについているらしい。

 

「状況判断と駆け引きが巧い。生半可なコース取りをすれば前を塞がれかねないし、道中警戒しすぎてもスタミナを削られるだろう。特に、相手はこちらをマークしてくる蓋然性が高い」

 

「他に押し付けるのも難しいってことね……厄介」

 

「強いて言うならアメリカ出身にしては()()()なレースをするというか、教科書通りな走り方になりがちな印象を受ける。インサイドブランク*1にも忠実だし、今まで通りならマージンを含めて隙ができる……が、今回もそうだとは限らないな」

 

 網の濁した言葉にナリタタイシンは視線で続きを促す。それに応えて、網は「あくまで想定だが」と枕において話し始めた。

 

「サポートについている羽原トレーナーがその辺りの矯正をするだろう。アメリカでのトレーナーであるマシュー・ディラン・"()()()"・ベイは放任主義だったようで、トレーニングメニューの立案よりはその後のケアや事務関係を任されていたようだ。だが、羽原トレーナーがサポートするとなればその辺りはカバーしてくるだろう」

 

「つまりどうすればいいわけ?」

 

「前が詰まったら終わりだからな。スパートするときはとにかくよく観察してからだ。安易に内を突くと塞がれるだけだから、多少ロスを覚悟して外に出たほうがいいな。ただし、できるだけ覚られないように」

 

「了解」

 

 ミーティングが終わり、ナリタタイシンは控室を出て地下バ道へ進む。今回出走している相手に特段親しい相手はいない。必然、孤立する形になる。

 じろりと周囲を見渡すナリタタイシン。ナリタタイシンは小柄ではあるが顔は美人系に分類され、どちらかといえば大人びている。また、小柄であるがゆえに下から見上げる形になりやすく、自然と三白眼になりがちだ。そのため、目つきが悪くなりやすく、意図的に睨んだつもりがなくとも怯まれることは間々あった。それは、海外レース一戦を除いたレースでも同じことであった。

 しかし、今この場に怯むようなウマ娘はひとりとしていない。皆が皆、ナリタタイシンを睨み返し、好戦的な態度を向けている。

 ここにいる多くは海を越えてまで強敵と戦いに来た海外の猛者と、それに相対しようという日本の軍勢。その程度の眼光で怯むはずがない。

 そして、このジャパンカップにおいて普段と大きく違うことがある。その違和を、地下バ道の空気がナリタタイシンへと伝えていた。

 

 本来、ホームなのは日本勢であり、海外勢はアウェーだ。あくまでも個人競技であるとはいえ、海外からの刺客を迎え撃つという同じ志のもと、ある程度纏まった、一種の連帯感が生まれる。

 それに対して海外勢は連れ立っての参戦でもなければ基本的に個人で寄る辺ない。だからこそ、帯同ウマ娘というメンタルサポーターがいるのだ。

 しかし、今年のジャパンカップはその点異様だった。運が悪いのではない。必然の果ての現実だ。

 

 海外勢が、打倒《ミラ》、打倒ナリタタイシンで纏まっているのだ。

 

 アウェーの空気が覆される。たとえ誰一人意識していなくとも、無意識のうちに向けられる意識の矛先は揃えられ、ナリタタイシンへと牙を剥く。

 網が要注意と評した者も、そうでない者も、そのどれもが大きな壁に見えた。

 

 あるいは、「今回は厳しい戦いになる」という言葉は()()が理由だったのか。ナリタタイシンは溜息をひとつ零し、震える体を押さえつけながらパドックへと向かった。

*1
現実で言うところの「内ラチ1頭分ルール」に相当。明確なルールとして定められている訳ではないが、追い抜きのときに内ラチ沿いにいると制裁を食らう。追い抜き時じゃなければ問題なし。内ラチの下? 頭がおかしいのか?




 生きてます。


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鬼脚

は?(ぱかライブを見て)


 ゲートが開くと同時に、周囲の風景が一変した。

 まず現れたのは一面に続く砂漠。広大な大地に敷かれた砂のカーペットは、しかし我々が想像するよりも白く透き通っている。

 レンソイス・マラニャンセス国立公園。ブラジルに存在する、世界有数の美しさを湛えた白砂漠こそが、彼女の"領域(ゾーン)"が象る心象風景。波のようにうねる白いキャンバスの上を往く対照的な"黒"は際立って目を引く。

 大自然の織りなす芸術さえも遊び場(Sandpit)に、伯国の逃亡者がハナを駆ける。

 

(TOKYOの最終直線(Reta final)は長いからさ! リード貰っとかないと保たないじゃん!? ペースは貰ってくぜ、"Iansa"!!)

 

 通常、ナリタタイシンのような直線一気による最後方強襲タイプの追込は、ペースのハイロー以前に縦長の展開に弱い。

 ナリタタイシンも例に漏れず。クラシック級で活躍できたのも、バ群を伸ばす強い逃げウマ娘がいなかったことと、中団の層が厚かった(ビワハヤヒデとウイニングチケットがいた)ことが大きい。大抵、ビワハヤヒデの図式によってローペースの団子展開に持ち込まれていたからだ。

 もちろん、ナリタタイシンを指導する網がそんな弱点をただただ放置するわけもなく対抗策は持たされているのだが、それよりも先に()()()()()()()()()()()()()()()が待ったをかけた。

 

 サンドピットの前方、影一つ落ちていなかった砂の海に、突如墨のような黒の幻影が垂れる。

 それに反応する間もないまま重力に引かれるように後ろへと傾いていく重心を、サンドピットは前傾姿勢を強めることでなんとか持ち堪える。

 しかし、重くなった脚は加速を妨げ、急速に疲弊を増すサンドピットの目には、まだ平坦なはずのコースの先がまるで急な登り坂のように見えた。

 

(……っ!! 違う! 登りはまだ……どころか、もうすぐ下りのはず! 確か……音!! 音だ!!)

 

 サンドピットを襲ったそれの正体は、"音"によって起こされる"領域(ゾーン)"。前に指向性を持って放たれた強い踏み込みの音が、前を走るウマ娘の三半規管を揺らし、平衡感覚を乱す。

 ツインターボとメジロパーマー。URA史に名を刻んだふたりの大逃げウマ娘と相対し、その中で編み出した()()の対逃げウマ用妨害"領域(ゾーン)"。

 

(――『諸人登山』はキッツいら?……結局タボちゃんもパーマー先輩もまたぶつかる前に引退しちまったけえが、お披露目にはざく(十分)な舞台だだよ!)

 

 日本はナリタタイシンだけではないと、()()()()()()()直前に出走しているフジヤマケンザンが矜持を見せつける。

 結局、大逃げとしてはそれほど速くないペースが定まり始め、おおよそのポジションが確立されていく。ナリタタイシンは当然、最後方。

 眼の前のウマ娘を壁にして体力を残しつつ、下り坂を減速せずに駆け下りる。ただそれだけで観客が沸き立つのが煩わしく感じた。

 テレビで評論家が賢しらに『《ミラ》のお家芸』などと語っていたが、そんな大層なものではない。これは《ミラ》にいれば()()()()()()()()()()()()だ。

 《ミラ》、あるいは網の指導下において、もっとも重要視されるのが体幹の筋肉である。それがすべての運動の基礎であり、基礎のない土台の上に成り立った技術など砂上の楼閣でしかないからだ。

 それ故に、《ミラ》ではまず走ることすらさせられず、むしろ禁じられ*1、全身運動のためのトレーニングを徹底させられる。その延長線上にある技能こそ、強靭な体幹が生み出すバランス感覚による、坂道での姿勢制御能力である。

 閑話休題、ナリタタイシンは苛立ちを自覚すると、レースに集中できてないのだとそれを頭の隅へ追いやった。気もそぞろな状態で競える相手などここにはいない。

 

『イくぜ』

 

 パンクファッション風の勝負服を着込み、『()()()()()』のワッペンをつけた鹿毛のウマ娘が"領域(ゾーン)"を発動する。

 象るのは彼女が冠する『王の劇場(King's Theater)』。イギリスに存在する国立劇場……ではない。アイルランド出身の彼女が魅入られたのは、廃墟。

 アメリカはブルックリン、キングス郡にある閉鎖された劇場(キングスシアター)こそが、彼女の原風景。退廃の美、朽損の優。ただ一時(いっとき)栄華を誇ったものが朽ち、廃れ、滅びゆく時に発せられるエネルギーの解放。

 舞台上で骸骨たちが奏でる退廃的な前向きの朽音(ポジティブパンク)はキングスシアターが踏み鳴らした足音を過集中させた相手にぶつけたもの。ナイスネイチャが宝塚記念で使用した技術と類似したものだ。

 レオダーバンの咆哮のように"領域(ゾーン)"を破壊するには至らないが、そうでなくともダメージを与えるには十分な威力がある。

 

『些事』

 

 それに惑わされることなくペースを維持しているのは、機関車とその運転手をモチーフにした勝負服に、キングスシアターと同じく『赤地白星』のワッペンを付けた鹿毛のウマ娘。『鉄鋼王』カーネギーだ。

 同名の実業家の他、重バ場を踏み抜くパワーと揺るがないメンタルからそうあだ名される彼女には、キングスシアターの"領域(ゾーン)"は通りが薄い。

 

『やっぱアンタにゃ効かねえか、ネグ!』

 

『笑止』

 

 同じチームで走っているわけではないし、生まれや育ちにも関わりがないふたり。その共通点であり関係性の要である『赤地白星』のワッペンは、ウマ娘レース界で多大な功績と影響力を持つさる国の王族が出資者(パトロン)である証だ。

 普段以上に"領域(ゾーン)"の飛び交うレースに観客たちが沸き上がる。そんなレースの中で、ひとりバ群で息を潜めるウマ娘がいた。

 

 パラダイスクリーク、彼女は"領域(ゾーン)"を使えない。殻を破れていない自覚がある。それと同時に、"領域(ゾーン)"なしでそれまで戦い続けた己の走り方への自負がある。

 『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』。かつて同じこのジャパンカップで『白い稲妻』と『芦毛の怪物』を下した『WILD JOKER(仮面の道化)』に似て非なるもの。

 だからこそ、多くの出走者の目が向いているナリタタイシンがマークしているのが自分であることに、パラダイスクリークは早い段階で気づくことができた。

 

(なるほど……やっぱり駆け引きもできるようだ。こっちからは手の出しにくい位置をキープしている。クラシック期はビワハヤヒデの陰に隠れていたか)

 

 ナリタタイシンがとってくるであろう戦術の予想はついている。抜刀術の如き一瞬の切れ味で撫で切りにしてくる最後方強襲。そのために、確実に潰されないルートを探すことを優先しているのだろう。ナリタタイシンからパラダイスクリークへのアプローチはない。

 しかしその分、ナリタタイシンへも手が出せないような位置取りを徹底していた。ここまで来ると、むしろ他のウマ娘が総じてナリタタイシンを意識していることが裏目に出ているとも言える。

 

 結局、サンドピットはそれほど大きくリードすることはできず、それでも自慢のスタミナで粘りながら終盤を迎える。

 かと言って、"領域(ゾーン)"のあとも仕掛け続けていたフジヤマケンザンに余裕があるわけではない。彼女自身もまた、キングスシアターの"領域(ゾーン)"やパラダイスクリークからの牽制で削られている。

 

(この辺り……ナリタタイシンは強襲の前に、最終コーナーで位置を上げてくる)

 

 最後方強襲を謳いながらも攻めっけのあるナリタタイシンが発現した"領域(ゾーン)"は、ふたつともじりじりと前へ出るものだ。

 そうでもしなければビワハヤヒデに追いつけなかった、ということだろうが、ナリタタイシン自身の適性とはやや噛み合いが悪い。

 ナリタタイシンが自身の"領域(ゾーン)"を使用したレースは少ないものの、パラダイスクリークはナリタタイシンの気質面からそれを予測していた。

 

(同じことを考えるのは私だけではないのも――)

 

(――まぁ察しとるわな)

 

 オーストラリアの古強者、ラフハビット。

 擦り切れた修道服を勝負服としている彼女が、ナリタタイシンの進路を塞ぎにかかる。意図するのは当然ナリタタイシンのスパートの妨害……ではない。

 正確に言えばそれも目的のひとつだが、そう簡単に達成できるとも思っていない。彼女の主な目的はふたつ。前を塞がれそうになったナリタタイシンが暴発して仕掛けどころを間違うことか、ブロックを躱すためにレーンを変更してロスを食らうことだ。

 

(ウチはこれしかでけへんし、似たようなタイプは事前に察してくる……多分、"Slender-man"も対策は用意しとるやろ。でも、わかられとるからやらんっちゅーのは話が別やわ)

 

 最終コーナー半ば、前を塞がれたナリタタイシンの動向を全員が警戒する。早仕掛けをしてくるか、大外に出るか。《ミラ》のメンバーなら、多少仕掛けどころを間違っても覆してくるだろうし、多少のロスなら飲み込むだろう。

 しかし、ナリタタイシンは動かない。ラフハビットの背中についたまま、スリップストリームでロスを減らすような悪あがきをするだけ。

 ある者はそれを意外に思いながら、ある者は《ミラ》だからといって警戒しすぎたかと興味を失いながら、ある者はまだ警戒していながらも自身の仕掛けを考えて、ナリタタイシンから目を離していく。

 しかし、背中に張り付かれているラフハビットはそれどころではない。背後で膨れ上がる存在感と熱量に、冷や汗が止まらなくなっている。

 その異変を敏感に察知して、パラダイスクリークもナリタタイシンを依然警戒している。

 

(一体どうする気? ――ダメ、最終直線が近い。これ以上気にしていられない)

 

 パラダイスクリークが視線を前に戻し加速を始める。彼女のサポートを務めている羽原が言っていたことを思い出していた。ナリタタイシンの他に、日本勢で警戒すべき相手がいると。

 マーベラスクラウン。正確には、彼女を指導している小宮山勝美。かつて『白い稲妻』を指導し、今は諸事情によって日本を離れている東条ハナの代理としてチーム《リギル》でナリタブライアンの指導をしている。

 小宮山の泥臭さと諦めの悪さを、羽原は警戒していた。

 

(マージンを……とらない。インサイドブランクギリギリを突くつもりで……)

 

 マーベラスクラウンの動きを見て確信した。羽原の予想通り、マーベラスクラウンは最内を通っている。もしもパラダイスクリークがいつも通りマージンをとってコーナーを回っていれば、ロスの分間に合わなかったかもしれない。

 最終直線、サンドピットとフジヤマケンザンが垂れて、出てきたマーベラスクラウンとパラダイスクリークが並ぶ。マーベラスクラウンを差し切るためにパラダイスクリークが前を睨んだ、瞬間だった。

 会場からどよめきが漏れる。時折悲鳴に似た声まで聞こえたそれは一瞬出走者の意識を引き付け、その後怒号のような感嘆の叫びに変わった。

 

 爆心地は言うまでもなく、ナリタタイシン。

 最終直線の直前までラフハビットの後ろに甘んじていたナリタタイシンが、最終コーナーの出口、最終直線に出た瞬間のことだった。

 

 ナリタタイシンが出した右脚が、大きく滑った。

 あわや転倒。そう動揺した観客たちとは打って変わって、ナリタタイシンは冷静だった。当然だ、最後方にいて後続の進路妨害にならないと判断されるだろうことをいいことに、()()()()()()()()()のだから。

 体が完全にラフハビットの陰から抜け出た瞬間、軽い体重を利用してあえて滑らせていた足を芝に食い込ませ、起死回生となる抜群の切れ味を誇る末脚を解き放つ。

 ゴボウ抜き、撫で斬り、バ群を割って現れたナリタタイシンが、マーベラスクラウンとパラダイスクリークの背中を捉える。マーベラスクラウンとパラダイスクリークとの差は、観客のどよめきに気を取られたか否かだ。

 パラダイスクリークとナリタタイシンがマーベラスクラウンを僅かに差し切り、ほとんど並んでゴール板を抜ける。

 即座に写真判定のランプが点灯し、マーベラスクラウンはハナ差の3着と表示される。誰もがその結果に注目する中、パラダイスクリークは最終直線へ入ったタイミングからの映像が映し出されたスクリーンをじっと見つめていた。

 

(抜け出てくるとは思っていた。だから観客のどよめきも気にしなかったが……こんなムチャクチャな方法で抜けてくるなんて……!!)

 

 一歩間違えば大事故に繋がるそれは、しかし()()()()()()()()()()()()()()ために審議対象と見做されなかった。最後方だったナリタタイシンに後続がおらず、進路妨害にならなかったことも大きい。

 しかしそれは、ナリタタイシンの小柄故に軽い体重と、それに反した芝をしっかりと掴み切るパワー。そして、《ミラ》のトレーニングで培われた体幹とバランス感覚があってこそ成り立つものだ。

 それを、このぶっつけ本番で成功させる度胸。

 

("逆襲の鬼脚(Nemesis)"のメンタルをまだ過小評価していたか……)

 

 写真判定にかかった時間はURA史上最長の11分36秒を記録した。その結果を見た観客たちの歓声は、国際招待レースに相応しいものだったことは言うまでもない。

 

 第14回ジャパンカップ。勝者、ナリタタイシン。

*1
一部を除く。




【追記】
天井


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オグタマライブ ??/11/27

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「ちゅーわけで、今回はジャパンカップの実況をやってくでぇ〜」

 

「今年のジャパンカップは国内外から近年稀に見る錚々たる顔ぶれが集まっている。国外からは凱旋門賞ウマ娘『鉄鋼王』カーネギーに、KGⅥ&QESウマ娘の『空の玉座』キングスシアター。珍しいところだと、ブラジルから『黒金』サンドピットにオーストラリアからはラフハビットが出走している」

 

「まぁ、理由は瞭然やけどな」

 

『ミラ参戦!!』

『ミラが初めてジャパンカップに出てくるからなぁ』

『URA広報ウマッターのあげた画像から読み取れるあからさまな安堵よ』

『ジャパンカップ出なさすぎてURAと黒い人の不仲説出てたのホント芝』

『トレーナーが個人で元締めと渡り合うな』

『てかミラがジャパンカップ出たことないの意外だわ。なんで出てないんや』

『そらお前、メリット薄いからやろ』

『ジャパンカップの利点って、国外のウマ娘とホームでやれることと賞金額の高さ、あと名誉くらいだからな』

『ミラは国外選手と戦いたければ遠征するし、名誉より意外性だからな……』

『少なくともトレーナーは賞金にこだわってないしな。てか歴代メンバーでも賞金目当てだったの当時貧乏だったフーねーちゃんくらいじゃない?』

『そのフーねーちゃんは適性の問題でマイルCS行ってたしな』

『適性の問題(日本ダービー、凱旋門賞制覇)』

『メジロ家は黒い人の距離延長技術を買収しろ』

『黒い人「泳げ」』

『マジこれなの芝』

『日本トップクラスのチームの異名が未だに水泳部なの締まらなさすぎる』

 

「まぁ、盛り上がっているようだが、知っての通りチーム《ミラ》からナリタタイシンが出走する。チーム《ミラ》からジャパンカップへの出走は初めてになるな」

 

「ホンマはナイスネイチャがいっぺん出ようとしとったんやけどな」

 

『嫌な……事件だったね……』

『なんかやけに場内カメラに映る二人組のメガネの方!!?』

『人違いです!!!』

『特段経歴も後ろ盾もないただの一般ウマオタクなのにめちゃめちゃ有名になってる二人組じゃん』

『去年の有が強すぎた』

『フリーランニングがインタビューアーやったレース後の観客へのインタビューのやつな。あれ笑ったわ』

『自由走「えーと、おふたりはどのようなご関係で?」メガネ「そりゃもうずぶずぶの関係ですよ」自由走「ずずず、ずぶずぶ!!?!?!!?」』

『フリランにお腐れ様疑惑付いたのホンマイメ損』

『いやまぁジョークなんだろうけど、レースのときもまぁいい具合にゴール前取ってたから抱き合いながら泣き崩れた瞬間がしっかり映ってたのも変に信憑性生んでるよな』

『本人たちは抱き合った記憶ないのホンマ芝』

 

『スマンにわかなんやが結局なんでナイスネイチャはジャパンカップ出なかったん?』

『目の前の機械は飾りか?』

『下駄の仕業です』

『一応実行犯の暴走だから……』

『結果的に芋づる式にすべて消え去ったしネイチャも無事だったからまぁ……』

『簡単に言えばネイチャが襲われて川に落ちた結果風邪引いて出走取り消しになった』

『それ以来ネイチャは有にお熱で調整のためにジャパンカップは出てないのよな』

『秋天出てないんだしジャパンカップ出てもいいと思うんだけどな』

『黒い人、あのナリで脚に負担のかかるような無理はさせないからな』

『自分は平気で無理するのにな』

『なんでトレーナーが米日間を反復横とびしてるんです???』

 

「タマとしてはマーベラスクラウンが気になってるんじゃないか?」

 

「コミちゃんが育てとるからゆーていちいち気にせえへんわ。あんまナメた走りしくさったらシメに行くけどな」

 

『ヒエッ』

『これは芸人タマちゃんじゃなくて白い稲妻タマモクロス』

『尼崎南部のヤンキーやん』

 

「せめて大阪で喩えろや!!」

 

「おっと、ここで速報が入った。マチカネタンホイザが鼻出血で出走取消だそうだ」

 

「急やな! てかまたかいな。あの娘もついとらんなぁ」

 

『マチタンェ……』

『待ちかねてんだよなこっちはな』

『内因性? 外傷? 内因性ならちょっと怖いが』

『わっからん』

『まぁマチタンは有も出るし、個人的に楽しみなのは来年の春天だから』

『ブルボンとお米の対決に挟まるマチタン』

『因縁の菊花賞で僅差の3着やぞ』

『ブルボンからの宣戦布告マジ心躍ったわ』

 

「盛り上がっとるとこ悪いんやけどそろそろ始まんで」

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「コメ欄もよう鳴いとる」

 

「飛び出したのは10番サンドピットだ。逃げウマ娘としては外枠に配置されたのが痛いか?」

 

「言うて他に目立つ逃げもおらんし、ペース握れんのやからトントンくらいなんちゃう?」

 

『おっ』

『加速したな。ゾーンか?』

『サンドピットの領域は単純な加速力上昇だという分析結果が出ている』

『なんか各所の考察スレが合同で考察wiki出してフォーマット整えてから本格的にゲームみたいな字面になってきたな……』

『まぁどこそこの筋肉が〜とか言われてもわからんし何が起こるのかわかってればいいんだからこれで正解なんだろうけどな』

 

「ん、ほんで今度はなんや」

 

「サンドピットの動きが鈍ったようだな。"領域(ゾーン)"か単なる技術かは判別できないが」

 

『こちら現地勢ウマ娘。フジヤマケンザンが踏み鳴らした足音と予想。観客席にも聞こえた』

『領域の効果もあると思うぞ。俺は登り坂が見えてる』

『サンドピットの体勢も前傾姿勢になりそうになってバランス崩してる』

『フジヤマケンザンの領域は確認されていないから、それが本当なら貴重な情報だな』

『フジケン香港カップ前にこんなとばして大丈夫か?』

『もう誰も逆落としに驚かなくなってて芝』

『あれ持ち上げてんのもうニワカだけだろ。ミラの基本技術やぞ』

『名家が秘伝として継承するレベルの技術のはずなんですがねぇ……』

 

『キングスシアターも領域展開したっぽい』

『キングスシアターの領域はデバフだな。効いていなさそうなカーネギーの領域は精神集中によるメンタルガードだと推測されている』

『おっ? チーミングか?』

『この程度ならチーミングの埒外だよ』

『そもそもパトロンが同じなだけでチームじゃないしな』

『迂闊に変なこと言うと王族から詰められるぞ』

『ひぇっ……』

 

『タイシン動かないな』

『いままでもほぼ最後方だったからまぁ』

『タイシンの最後方強襲は特殊だからなぁ……』

『まくり気味に位置上げておいてなんでその切れ味が出せんだよって毎度思う』

 

「これは……バ群の中の誰かが牽制しているのか……? いや、その牽制を食らわないようにした結果の位置取りなのか……」

 

伏兵(JOKER)がおるっちゅうことか?」

 

「かも……しれないな」

 

『ペイザかぁ……』

『ふたりにとっては良くも悪くも強烈な思ひ出やよね』

『とか言ってる間にラフハビットが露骨な牽制に来たな』

『タイシン上がってこない』

『なんか知らんうちに知らん人が来てる!!?』

『知らん人言うな。パラダイスクリークGⅠ4勝やぞ』

『その割に印象薄い……薄くない?』

『本格化したのが今年入ってかららしいのと、本人の見た目が地味』

『いぶし銀って感じよね』

 

「間もなく最終直線だが、ナリタタイシンは間に合うのか?」

 

「言うて府中やからなぁ……こっからまだ5分の1残っとるで……っと、マーベラスクラウン、エエ度胸しとるやん」

 

「パラダイスクリークもあとに続いたな。マージンをとるイメージだったが、ここで一皮剥けたか」

 

「サンドピットとフジヤマケンザンが垂れたから、このふたりとナリタタイシンの叩きあイイイッ!!?」

 

『タイシン!!?』

『ファッ⁉』

『なんやそれ!!』

『あぶねええええええええ』

『見失った』

『はっや』

『加速エグい!!』

『ビビった』

『差した!!』

『差し切ったか!?』

『どっちだ』

『写真判定』

『マベクラ3着か』

『マジでわからん』

『パラクリが先に見えた』

『これ上がり3F何秒だよ……』

 

「あ、あー……えと、3着にマーベラスクラウン、2着と1着はパラダイスクリークかナリタタイシンかで写真判定や……にしてもビビったわぁ……アレわざとやんなぁ……?」

 

「私にもそう見えたが……審議はないようだな」

 

『は?』

『え? わざと?』

『さっきのスリップだよね? わざと……?』

『ウソやろイナリ』

『イナリおらんわ!』

『イナリ今ミラのサブやってんねんで』

『わざとできるもんなの……?』

『できるかできないかで言われれば技術的には可能ですとしか……』

『足を滑らせながら転倒しないように上体を支える体幹とバランス感覚と、横滑りしてる動きのベクトルを一瞬で前に向ける脚力と、転倒の恐怖を乗り越えるクソメンタルがあればできる』

『【悲報】俺氏、背後に座っているチケゾーに気づかず鼓膜が予後不良』

『芝』

『それは芝』

『向正面にまでも聞こえたんだぞwwwww』

『一番被害受けてるのは姉貴なんだよなぁ……』

『まぁ絶叫する気持ちはわからんでもない』

『ナリタタイシンの出るレースでは耳栓持ち歩いてる俺氏大勝利。なお、チケットはフジケンで買ってた模様』

『ほーん、ってことは黒い人の豪快な笑いは聞こえんかったんやな』

『ぢぐじょ゛ゔ』

『今回もご満悦な黒い人』

『最近充実してる人』

『黒い人が笑ってるの見てタイシンがわざとやったってきづけたところある』

『傍から見てると担当が事故りかけて爆笑してる鬼畜だからな』

 

「いや長いな!? 間ぁ保たんて!!」

 

「実際、ほとんど差がなかったからな。ここまで来ると運も絡んでくるだろう」

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「結果が出たようだ。1着はナリタタイシン。2着パラダイスクリークの順で確定だな」

 

「もうネタなくなるとこやったわ……インタビューだけ見て終わらせよか……」

 

『ニコニコの黒い人』

『わざとやりましたかって聞かれてるな』

『答えてエエんか』

『確定したからな。言うて妨害にならないから降着ないやろ』

『ジャパンカップになんの価値も感じてなくて芝』

『「どこで走ったかより誰と走ったかでしょう」確かに究極はそこなんだけどさぁ……』

『前から思ってたけど黒い人っていい意味でトレーナーとしての自覚ないよね。ファンが育成してる感じ』

『語弊はあるけど言いたいことはわかる』

『趣味でトレーナーやってるやつ(ただし責任はしっかり持つものとする)』

 

「今回はこんなもんやろ。しめんで」

 

『マーベラスクラウンを?』

 

「ちゃうわ!! はい、タマモクロスと」

 

「オグリキャップでした」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』



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黒く

 暮れの中山、ホープフルステークスの勝者はタヤスツヨシ。朝日杯を勝利したフジキセキと並んでサンデーサイレンスの教導を受けた者が結果を残したと言える。

 その一方で、マーベラスサンデーの走りは凡走と言ってよいものだった。この結果についてファンの間では様々な意見が飛び交った。

 ビコーペガサスを引き合いに出し「網トレーナー率いる《ミラ》でもすべてのウマ娘がGⅠを取れるわけではない」と期待のし過ぎを諫める者。「マーベラスサンデーは晩成型だからここから伸びてくるのだ」となお期待する者。

 あるいは「網トレーナーのことだから本気を出させていないに違いない。そうやって実力を誤認させてクラシック三冠に控えているのだ」と訳知り顔で語る者もいた。

 そして、そんな者たちのうちいくらかは、「ジュニアとはいえGⅠで手加減をして捨て石にした」と憤りを口にする。

 

 日本においてジュニア期のGⅠというものは、他のGⅠに比べて軽視されがちだ。それこそ、ジュニアGⅠを勝ったきり一向に勝てないウマ娘に対して用いる時の『ジュニア最優秀ウマ娘』という言葉が、早枯れという意味の蔑称になり得るほどに。

 その傾向は特にトレーナーに強い。あからさまにジュニアGⅠを軽視するような言動は取らずとも、どこかそう考えるところがあるトレーナーは多く、自身にそのような考えはないがそう考えることを理解できるというトレーナーは更に多い。GⅠを勝つためにGⅠを叩き台に、ということも少なくはない。

 一方で、その傾向はウマ娘には少ない。GⅠはGⅠ、それ以前に勝負は勝負だ。それを理解しているから、レースで手を抜くということに抵抗があるのだ。

 クラシック三冠を取りに行くための作戦だ、決して手を抜いているわけではない。そう理屈で理解はできていても感情が勝手に燃え上がる。

 

 なお、そんな彼女たちが網の腹の(うち)を知ったとしたら、その肌は赤兎の如く赤く燃え上がっただろう。実力を誤認させるためというのも、マーベラスサンデーの地力を鍛えるためというのも、どちらも間違いではない。

 しかし、網の個人的な思惑の最も多くを占めている理由はそれらではない。マーベラスサンデーの本気を温存したい理由は酷く単純。そのほうが面白いからだ。

 マーベラスサンデーの真価はインパクトが大きい。それ故に、それをクラシック三冠のはじめに持ってきたかった。

 戦略的な要素も十二分にあるが、網が最優先に考えたのはエンターテイメント性だ、などという要らぬ事実は知らぬが仏だろう。

 

 閑話休題、有記念である。出走ウマ娘は例年通り国内有数の実力者ばかり。

 ふたりが引退し、残るひとりもジャパンカップへ出走して不在の前年の強豪BNWに代わり、香港トリプルクラウンを制覇したトウカイテイオーと、有記念3年連続3着という珍記録を持つナイスネイチャ。前年ふたりに勝って引退したツインターボを含めてTTNと呼ばれていたふたりが、クラシックを駆け抜けてきた今年の優駿を迎え撃つ。

 その中でも特に抜きん出た人気を誇っているのが、『"絶対"なる皇帝』以来のクラシック三冠を制覇したナリタブライアンだろう。

 

 皐月賞、4()()()()

 日本ダービー、6()()()

 菊花賞、9()()()

 

 無敗でこそないものの、合計1()9()()()()の歴史的大差をつけた圧倒的な爆発力と、肉食獣を彷彿とさせる地を這うかのような走行フォームによって濁りひとつない黒鹿毛がバ群をぶち抜いていく様は人々を魅了し、『影を纏う(シャドーロールの)怪物』とまで称されていた。

 世間の評価などどうでもいいナリタブライアンであったが、昨年の菊花賞で『怪人』網怜が言っていた……と、ツインターボが漏らしたことで定着した『陰を演じる(シェードロールの)怪物』*1という姉であるビワハヤヒデの異名に(なぞら)えたネーミングには満悦していた。

 他にも、秋華賞とエリザベス女王杯を勝利し、なおかつナリタブライアンに名指しで「なかなかやる」と評された『女傑』ヒシアマゾンや、彼女とティアラ路線で鎬を削った《C-Ma》出身のオークスウマ娘『超越の賛美歌』チョウカイキャロル。ナリタブライアンとクラシックを競い、三冠の舞台でこそ敗北したものの、クラシック期の彼女に唯一土をつけた『大星』スターマンなどが注目を浴びている。

 しかし、それでもやはり多くに期待されているのはナリタブライアンだろう。

 

 地下バ道、ナリタブライアンがひとり瞑目し集中力を高める。ナリタブライアンにとってははじめての、自分より経験を積んだ相手との戦い。しかしそれは、ナリタブライアンの中で『格上との戦い』を意味するものではない。

 たとえシニア級の先達が相手であろうと互角以上に勝負ができる。それだけの自負があった。

 獲物を見定めるような視線が地下バ道を這う。視線は喉元に噛みつくように、ひとりのウマ娘、トウカイテイオーへと突き刺さった。

 香港トリプルクラウンを記念して作られた新たな衣装。最初の青白の勝負服に似ているがアレンジが施された意匠は、『帝王』から『戦士』へと印象を変えたように思える。

 つい半年前まで最も意識していた実姉から告げられた、自分よりも強い相手。果たしてその実力は自分の渇きを癒すに足るものなのかと、心のなかで舌なめずりをする。

 

 そんな視線を受けて、トウカイテイオーはしかし不敵に笑った。全く違うはずなのに、自分と似ていると感じたからだ。

 あれは別の道を歩いていたときの自分だ。だからこそ負けられない。そして当然ナリタブライアンだけでなく――

 

(ネイチャ。キミにもね)

 

(あらあら、意識してくれちゃってぇ……まっ、負ける気なんてさらさらないんですけど)

 

 交差した視線にナイスネイチャは笑う。トウカイテイオーとナリタブライアン、それだけではない。4度目の参加になる有記念で、キラキラしていないウマ娘などいなかった。

 星の如き(まばゆ)いばかりの輝きは闇を切り裂いて道を示す。しかし、強すぎる光は時に目を灼き視界を奪う。かつて流星の光に狂った少女は、今、正しく前を向いている。この4年で築き上げてきた蹄跡は、そう簡単に見失うようなものではない。

 

(毎年毎年有に出させてもらえるのもありがたいけど……そろそろ勝ちが欲しいじゃん?)

 

 そうして、ナイスネイチャの体がゲートに収まる直前のことだった。レースを前に拡張された感覚が、観客席から向けられる毛色の違う視線を捉えた。

 そこに含まれるのは、憧れというにはあまりに濁った色の感情。羨望、あるいは、嫉妬。ナイスネイチャは知っている。光が強くなれば強くなるほどに、そこにできる影もまた濃く大きくなるのだと。

 

 

 

 ビワハヤヒデはチーム《リギル》のサブトレーナーとして有記念に来ている。単にナリタブライアンのレースを見届けるという目的もあるが、それ以上に、メンタル面が心配なチームメイトの補助としてもここに来ていた。

 そんなチームメイトはまっすぐにナリタブライアンを見つめている。そこに敵意はない。悪意もない。嫉妬や羨望の感情でもない。ただひたすらに悔しい。そんな目だ。

 なにせ、一生に一度のクラシックで()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「ローレル……大丈夫か?」

 

「えぇ……ねぇ、ハヤヒデさん。ブライアンちゃんは()()()だよね……?」

 

「……大丈夫、だろう……」

 

 言葉に詰まった。正直、大丈夫だと言えるだけの自信がビワハヤヒデにはなかった。ナリタブライアンの走り方は脚にかかる負担が大きい。特に、ナリタブライアンは()()()()()()()。なんとか競られたときの掛かりグセは矯正できたものの、その分の負担はすべて末脚に行ってしまっている。勝てるようにはなったが、負担の総量は変わっていない。

 サクラローレルはナリタブライアンをライバル視していた。ナリタブライアン自身、今はともかく《リギル》に入ってサクラローレルと知り合ってからサクラローレルが故障するまでは、彼女の実力を認めていた。

 もちろん今は認めていないというわけではないが、ナリタブライアン側からサクラローレルを意識することはほぼなくなった。『自分の渇きを満たす相手』という枠に入らなくなったのだろう。

 『戦うことすらできなかった』ことへの無念が、サクラローレルの中にドロドロと渦巻いている。これでナリタブライアンが故障でもしてしまえば、サクラローレルのメンタルがどうなるかわからない。

 

 ビワハヤヒデがサクラローレルへ再び視線を向けたとき、サクラローレルの奥にいるウマ娘に視線が飛んだ。

 スターマンがつるんでいる《C-Ma》のメンバーが、スターマンのトレーナーから許可を貰ったからかそこにいた。シリウスシンボリを筆頭にスターマンと仲がいいであろうメンバーが揃っているのだが、そのうちふたりが、これからレースが始まろうというのに関係者席をあとにしたのだ。

 これが知りもしない相手であれば、トイレにでも行ったのかとスルーしていただろう。しかし、片方が決して看過できない相手であったから、ビワハヤヒデの顔は悲痛に歪んだ。

 だからといって声をかけることはできない。自分とナリタブライアン()の存在が、()()にどれだけの精神的負荷になっているかわかっているから。

 

「タケヒデ……」

 

 強い光は、濃い影を作る。

*1
本来は『日陰役の怪物』という意味であったが、「妹の影に隠れて目立たない」というマイナスの意味にも解釈できるため、後日SNSでアイネスフウジンが『陰を演じる』と能動的かつ戦略家としてのイメージになるようフォローした。『日陰役の怪物』は口頭で読みだけだったので世間的には『陰を演じる怪物』の方しか伝わっていない。



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前例がない故に

 ゲートが開いてからしばし。もうじきに700mを通過するところだろうか。位置取り争いは既に一段落し、各々が終盤に向けてスタミナを温存しつつ流し気味のペースで走っている。そう、()()()()()のだ。それを許さない存在がここにはいるはずなのに。

 それをもっとも敏感に感じ取り訝しんでいるのが、考えうる限り最高の位置取りを手に入れたトウカイテイオーだった。

 

(ここまでおとなしいと普通は逆に怪しいんだけど……なにもしてないように見せて仕込みしてるときのネイチャってもっと自然にやるよなぁって言うのは、ボクの買いかぶりかな……?)

 

 トウカイテイオーがロスを最小限に後ろを確認する。後続の先行集団数人の後ろ、バ群の熱気に押され掛かり気味にも思える位置にナリタブライアンが見える。

 そして、さらにその後ろ。見慣れた赤緑の勝負服は、全体を睥睨し牽制できる絶好の位置にいた。にも関わらず、その顔は深い険しさがこびりついている。

 

(……ま、ネイチャとのマッチレースってわけでもなし。残念だけどネイチャの運が悪かったってことで)

 

 そもそも、ナイスネイチャだけに気を取られていられる余裕はない。かつての自分の夢を半分だけ叶えた怪物が相手なのだ。トウカイテイオーは前へ向き直ると、意識を己の走りに戻した。

 

 一方のナイスネイチャはトウカイテイオーとは対照的に、己の走りができないでいた。思ったように頭が働かない。そのくせ、心臓の鼓動はどんどん早くなっていく。そしてそれが()()()()()()()()()

 熱に浮かされるという表現がちょうど当てはまるような不安定な思考。視野が狭まり、まともに周りの状況がわからない状態では牽制もままならない。

 

 ただ、ひとりを除いて。

 

(――っとに、やってくれる――ッ!!)

 

 意識を後ろに向ければ否が応でも聞こえてくる足音。怯えた野生動物が林に隠れ潜むように他のウマ娘の気配がぼやける中、その気配だけはハッキリと存在を主張している。

 狩人であれば落第点。だが、彼女は狩人ではない。だからこそ、真っ向から敵の目の前に姿を現す。

 隊列は変わっておらず、相手はナイスネイチャの後ろにいるはずなのに、まるで併走で競り合っているかのような威圧がナイスネイチャにかかり続ける。それに呼応して、ナイスネイチャからも制御できない威圧が漏れ出し、精神力を削っていく。

 その"領域(ゾーン)"はさながら、どちらかが倒れるまで逃れることを許さない密林の檻。女傑が望む小細工も問答も無用の決闘場(コロシアム)

 

「さァ……タイマンだ」

 

 高みの見物を許さないナイスネイチャの天敵、ヒシアマゾンが牙を剥いた。

 

(最ッ悪……!)

 

 ナイスネイチャはあまりの相性の悪さに歯噛みする。地力で劣るナイスネイチャにとって、序盤に崩し、中盤で削り、終盤を損なわせるのが、か細い唯一の勝ち筋だ。

 対するヒシアマゾンの"領域(ゾーン)"は強制的な一対一への連行。徹底的なマークで意識を自身へ集中させ、視野を狭めて周囲への注意を疎かにさせるものだった。

 この時点でナイスネイチャは、ヒシアマゾン以外への牽制と、他者を経由して間接的に行う牽制を封じられたことになる。

 それだけではない。この"領域(ゾーン)"は宝塚記念でナイスネイチャ自身が見せた、周囲への疑似"領域(ゾーン)"の強制と類を同じくするものだ。ナイスネイチャのそれが他者の威圧を利用して効果範囲をバ群全体に拡めたのに対し、この"領域(ゾーン)"は対象を絞ることでそれ以外の効果を軒並み増幅させている。

 とはいえ、これは"領域(ゾーン)"に限りなく近い現象を技術だけで再現したナイスネイチャの異質さにこそ舌を巻くところなのだが……

 閑話休題。過集中の影響で長所を潰され、"領域(ゾーン)"の効果で技術を封じられたナイスネイチャに出来ることは、一刻も早くヒシアマゾンとの精神力勝負(タイマン)に勝利し"領域(ゾーン)"から脱け出すために、《八方睨み》に温存している精神力を攻撃に回すことだけだった。

 一方、ヒシアマゾンも余裕があるわけではない。

 

(ハハッ、コイツが《八方睨み》ってワケか……TTNの『赤緑の刺客』は伊達じゃないってことだねッ!!)

 

 歯を食いしばりながらも冷や汗を垂らすヒシアマゾン。ナイスネイチャは確かに身体能力や才能で劣る。しかし、その精神力で劣っているわけでは決してない。

 元々の根性であるとか、生来のメンタルの強さであればヒシアマゾンに軍配があがるだろう。だがその分、ナイスネイチャは長い期間をこのトゥインクルシリーズで戦い抜いてきた経験と、それに鍛えられた精神力がある。

 それでもヒシアマゾンはナイスネイチャ相手に勝ち負けできると踏んで、ナイスネイチャをフリーにして周りを利用した牽制で削られるくらいならタイマンに持ち込んだほうが勝ち目があると考えて行動したのだが、ナイスネイチャの精神力はヒシアマゾンの推定を大きく上回っていた。

 

(でも、そうこなくちゃ面白くないッ!!)

 

 レースは既に後半戦に入ろうとしていた。

 

 

 

(結局、牽制らしい牽制も来ないまま終盤か……)

 

 ナリタブライアンは脚を溜めながら、先行集団の最前列を走る背中を、獲物を狙う肉食獣のような眼光で見つめる。スターマンの限界は菊花賞で見切り、ヒシアマゾンも先行でマークされたならともかく追い込み相手なら問題はない。トレーナーから注意されていたナイスネイチャからの牽制が来なかった今、注意すべきはトウカイテイオーただひとりだ。

 その判断はあながち誤りというわけではない。しかし、この視野の狭さはナリタブライアンにとって明確な弱点と言えた。

 今までその基礎スペックの圧倒的な高さから、搦手を受けても真正面から踏み潰すことができたが、これからもそうだとは思えない。というのがナリタブライアンのトレーナーを務める小宮山勝美の考えだった。

 だから、忠告より直観を優先しがちなナリタブライアンに、実際にナイスネイチャの搦手を体験させるつもりだったのだが、当のナイスネイチャがヒシアマゾンに封じ込まれてしまったのは誤算だっただろう。

 

(そろそろ動くか)

 

 それまで温存していたスタミナをエネルギーに変換して右脚に籠める。ミシリと地面が軋み、芝のクッションを貫通して行き場を求めた力が大地の奥底へ潜っていく。

 ナリタブライアンの"領域(ゾーン)"。なんの衒いも不思議もない。道中、己に課してきたリミッターの解除。掛からないように封じ込めてきた、"怪物"さながらな脚力の解放。

 道中で競り合っていれば、その時に溜まったフラストレーションによってさらに効果は上がるが、今回はナリタブライアンの威に圧された周囲が近づくことを敬遠したために、それが発揮されるまでには至っていない。

 そして、それで十分。

 

「――散れ」

 

 最終コーナー。ナリタブライアンが踏みしめた大地が割れ、光が漏れる。影も、壁も、罠も、敵も、己を阻むものすべてをただ力で粉砕する、圧倒的爆発力の表れ。

 瞬く間にトウカイテイオーを捉え、並ぶことなく追い抜く。その呆気なさに拍子抜けさえ覚えるが、しかし油断せずにさらに前を目指す。そんな性分だからこそ、ナリタブライアンはクラシック三冠で莫大な着差をつけて勝利したのだ。

 

 そう、だから、油断などなかった。にも関わらず、だ。

 

 最終直線、ナリタブライアンの横を流星が飛び去った。

 

「なァ……ッ!!?」

 

 瞠目するナリタブライアン。だが、先行していたトウカイテイオーに比べて、脚を溜めていたナリタブライアンはまだ余力は残っている。中山の短い直線、再び追い抜いてしまえばその差が明確に現れる。

 そう思って最終直線でさらに加速し、まさに全身全霊の末脚でトウカイテイオーに迫る。

 

 迫る。

 

 迫――れない。

 

 トウカイテイオーとの差が縮まらない。あの小さな背中に届かない。ナリタブライアンより遥かにスタミナを消耗しているはずのトウカイテイオーが見る間に遠のいていく。

 ナリタブライアンの肉食獣の如き走行フォームは特徴的で、それこそ『怪物』とあだ名される程のものだ。しかし、前例がいなかったわけではない。それは、同じく地を這うような極端な前傾姿勢で『怪物』と呼ばれた『芦毛の怪物』を例に出すまでもなく明らかなことだ。

 しかし、トウカイテイオーの()()に前例はない。小柄な体のバネを隅々まで使い、何度も引きちぎれては編み直された筋肉で折れるたびに補強された骨を武装し、柔らかすぎるとまで言われた関節を最大限に駆動させてようやく実現する、前人未到のストライドピッチ。ストライド走法の歩幅をピッチ走法並みの回転数で成す無法。

 ()()()()走りの限界を極めた、しかし"絶対"に有り得ない机上の空論を、実現してみせた彼女のその走りを、前例がない故に人々はこう称する他になかった。

 

 究極の『テイオーステップ』と。

 

 爆発力? 限界を知ったこともないのに。()()()()()()()()()()()()()()()。皐月賞を勝った程度で調子に乗るな。

 スタミナ? 1年で覚えた付け焼き刃の温存術で、4年間の挫折と復活の末に培ってきた技術と経験を上回れると? 菊花賞を勝った程度で図に乗るな。

 怪物? 狩る側の肉食獣? ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「"絶対"なんてないさ……ッ!!」

 

 格上の意味を、格上の範疇を、履き違えていた。

 油断こそしていなかった。しかし、それは確かに慢心だった。奇しくも、()()()()()()()()()()()を見たことがなかったが故に。

 そして、それは明確な"隙"。

 

(……なるほど、こんな感じ……?)

 

 砕いたはずの影が、ナリタブライアンに牙を剥く。後ろから絡みつくように伸びてきた影が四肢に巻き付き視界を閉ざす。今までに体験したことのない事態に動揺しながらも、ナリタブライアンは歯を食いしばりながらトウカイテイオーへ追い縋る。が、脚が思うように動かず、トウカイテイオーの背中は暗闇に消えていく。

 影に覆われた視界でナリタブライアンに突き刺さる視線のような威圧。体の動きが鈍る。脚が前に出ない。呼吸が荒れ、心臓が跳ねる。ナリタブライアンの精神は今まで経験してこなかった事態に飲まれていく。

 

 ふとナリタブライアンが我に返ったときには既にゴール板を越えており、掲示板のナリタブライアンの名は3着に表示されていた。

 1着、トウカイテイオー。2着、ナイスネイチャ。世代交代はまだ早い。

 

「ッ……最後の……」

 

 アレさえなければ。もう少しトレーナーの言葉に耳を傾けていれば。そう言いかけてナリタブライアンは口を噤んだ。言い訳はいくらでも湧いてくる。しかし、ナリタブライアンの矜持が言い訳を許さなかった。

 だが、ナリタブライアンは無表情気味である割に感情が表情に出やすい。おおよそ何を考えているのか分かったのか、トウカイテイオーがナリタブライアンに声をかけた。

 

「お疲れ様、ブライアン。それと……最後のアレ、食らったのはブライアンだけじゃないよ?」

 

「……そう、なのか……?」

 

 そんなことで嘘をつく意味はないとわかっていても、にわかには信じがたかった。ナリタブライアンには、むしろあの瞬間トウカイテイオーは更に加速したようにさえ見えたからだ。

 そして、それが本当だとするならば――最早なんの余地もなく、完敗だった。

 

「……テイオー」

 

 トウカイテイオーが地下バ道へと足を向ける直前、ナリタブライアンがそれを引き留める。そして、もし仮に負けたとき聞こうと思っていた問いを、トウカイテイオーに投げかけた。

 

「姉貴は、私より強かったか?」

 

 ナリタブライアンの問いに、トウカイテイオーは笑って答える。

 

「うん、手強かったよ。君よりよっぽど、ね」

 

 トウカイテイオーが右手を挙げたのを見て、観客からテイオーコールが鳴り響く。彼女の手はさながら天を衝くかのように、ただ一本、人差し指を立てていた。

 

「ま、ボクとしては、引退レースがただの()()にならなさそうでホッとしてるけどね」

 

 

 

★☆★

 

 

 

 有記念翌週、大晦日。15:00、東京レース場。

 今日行われるのは夢の祭典。綺羅星の如く駆け抜けた優駿たちが夢の続きを駆ける舞台、ドリーム・シリーズのレース。東京2400mで行われる、ドリーム・ウィンター・クラシック。

 マッチレースなどありえない、出走するすべてのウマ娘が伝説級のそれであるこのレースで、しかし人々は「マッチレースになるのではないか」と囁いていた。

 

 1枠1番、『不滅の逃亡者』ツインターボ。

 8枠24番、『"無敵"のスーパーカー』マルゼンスキー。

 

 青と赤、ふたつのエンジンが唸りをあげる。

 

 今日もあなたの夢が、私の夢が走る。



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スーパーカー

「よかったの? 出なくて」

 

 暮れの東京。大きなレースが終わり普段は閑散としているレース場が、今は大きく揺れている。当然だろう。これから始まろうとしているのは、文字通り夢のレースなのだから。

 その観客席、特等席と言ってもいい場所を陣取ったウマ娘――既にギプスを外しているビゼンニシキが、横に座る旧友へ問いかける。相手の名は言うまでもないだろう。

 ただの観客席さえ玉座に見えるほどの威風堂々とした姿を見て、それが誰かと問いかける日本人はいない。今日本一有名なウマ娘。

 『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフだ。

 

()()()()と戦いたいという猛者は多い。私の我儘でその枠をひとつ埋めてしまうのは気が引けてね」

 

「マルゼンスキーと一番戦いたがっていたのは、ルナ、あなたじゃない?」

 

「……ニシキ、そう呼んでくれるな。私にも世間体というものがある。流石に幼名をこの歳になって呼ばれるのは……」

 

「はぐらかさないでよ」

 

 ビゼンニシキの追及に普段の微笑みを消したシンボリルドルフは、再び、今度は別種の笑みを浮かべて眼下を見下ろす。

 

「私は中央トレセン学園の生徒会長であり、URA特別広報委員だ。観客が何を見たいかは把握している……これはマルゼンスキーとツインターボのレースだ」

 

 他の出走しているウマ娘――幼馴染であるシリウスシンボリさえも敢えて除き、シンボリルドルフはそう答える。

 その笑みはすべてのウマ娘の幸福を願う穏やかな生徒会長のものからは程遠い。

 

「私が出走()たら、主役を簒奪(うば)ってしまうじゃないか」

 

 荒ぶる、君臨せし皇帝の冷笑。

 「それはとても"退屈"なことになる」と嘯くシンボリルドルフを横目に、「やっぱり隠してるだけで本質は変わってないのね」と内心で独り言ち、ビゼンニシキはコースへと視線を戻した。

 

 

 

 マルゼンスキーは今で言うクラシック三冠、当時はまだ八大競走と呼ばれていたそれに出走していない。当時のURAは父母のどちらかが外国人であるウマ娘がそれらのレースへ出走することを禁じていたからだ。

 「誰の邪魔もさせない。大外枠でいい」と言い募った彼女のトレーナーの言葉は、今も多くのファンの間で語り草となっている。

 マルゼンスキーの愛弟子であるサクラチヨノオーが日本ダービーを勝った時も、URAの制度が改定されハーフのウマ娘がクラシックレースに出られるようになったときも、マルゼンスキーの名はまず真っ先に語られた。出ていれば勝っていた『幻の三冠ウマ娘』のひとりとして。

 勿論、嬉しかった。トレーナーが自分のため、必死に規則と戦ってくれたことも。弟子がダービーウマ娘になったことも。可能性ある後輩たちの未来が拓けたことも。

 

 しかしそれと同じくらい、「消費された」という思いがどこかにあった。

 

 もちろんその思いは彼ら彼女らに向けたものではない。自分が日本ダービーに、クラシックレースに出られなかったことを、美談に繋がる()()として消費する世間に対して。

 ドリームシリーズに転属してからも出走したのは初期の数回だけで、それからはたとえシンボリルドルフから挑発交じりに出るように言われても出走しようとしなかったのも、そんな蟠りを抱いたまま走るのが嫌になったからだった。

 

 それが変わった契機は、やはり《ミラ》の存在が大きい。

 良くも悪くも、《ミラ》のトレーナーは自由だった。ウマ娘の希望を第一に、世論の批判は盾となるというトレーナーは少なくない。しかし、真っ向から世間の批判を捻り潰しに行くトレーナーなどどれほどいるのか。

 いかな人格者も大衆からの批判には勝てない。少数の雑音に声を荒げれば最後、それを野蛮と評し無数の矛先を向けられることになる。そうして自分の評判が悪くなればスカウトもままならなくなり、生活に困ることになるし、なにより教え子の評判にも関わる。

 たとえ野次へ攻撃し、撃退に成功したとして、それが大衆からの攻撃に繋がれば元も子もない。

 だから多くのトレーナーは、教え子を守りつつただ耐えることを選ぶ。例えば、トウカイテイオーの初代トレーナーである安井のように。そうすればそのうち少数の雑音は、多数から疎まれるか飽きるかしてどこへともなく消えていく。

 

 しかし網は違った。彼にとって後ろ盾がない故に元から0だった評判も、資産がある故に考えることのない収入の低減も関係ない。

 だから徹底的にやる。自分の考えを押し付けてくる相手に対しては、その弁舌でとことんまで反論する。それで相手が考えを変えるにしろ変えないにしろ引き下がるならそれでいい。意見の相違を認めていないわけではない。

 対してそこで攻撃してくるのなら採算度外視で法に訴える。構図が逆転する。安全な外野からトレーナーを攻撃して人生を危ぶませていた者が追い立てられる側になる。

 それがわかれば、もう迂闊に攻撃などできない。人生を捨ててまで攻撃し続ける価値などないのだから。

 

 清々しいほど自分の道を生きていく網に導かれるように、彼のもとに集ったウマ娘たちも自分の道を貫いていく。その在り方を羨ましいと思った。

 自分のトレーナー以外を選ぶことなど考えたことはない。ただ、網のような存在が、自分がトゥインクルシリーズを走るより前に、せめてドリームシリーズへ入るより前にいてくれたら。

 

(いえ、これ以上はきっと、求めすぎね)

 

 マルゼンスキーは周囲を見渡す。

 かつて諦めた府中の2400m。走るウマ娘はマルゼンスキーを含め、2()4()()。今回のドリームレースで擬えている日本ダービーのフルゲートは18人立てであるが、今回特例処置でこの人数でのレースになった。

 抽選の当選枠を増やさなければいけないとURAを思わせるだけの人数からこのレースへの出走希望が相次いだからだ。そもそもドリームシリーズへ出走できる者がほんの一握りであるにも関わらず。 

 そして今この場にいるウマ娘で、諦めの表情を浮かべている者などひとりとしていない。瞳に宿るのは闘志、戦意、渇望。ウマ娘の本能を剥き出しにした感情。――かつてとある同期が最後まで自分に向けて浮かべてきた表情。

 

(スピちゃん……)

 

 ひとりを思い出せば、他に印象深い同期も思い出される。

 クラシックの一冠を取りながらも評価が伴わず引退後に過酷な労働環境に身を置き、病院のベッドの上で見舞いに行ったマルゼンスキーに「あなたのせいじゃないよ」と微笑んでみせた者。

 『最も運のいいウマ娘が勝つ』と言われる日本ダービーを勝利し「名前通り歴代で一番運がいい」と揶揄されたと笑って話した者。

 マルゼンスキーが思わず足を止めるほどの鬼気迫る勝利への執念を見せ――なお届かず、「何故止まった」と詰め寄り襟首を掴みながら泣き崩れた者。

 ひとりとして、ドリームシリーズへ来ることが叶わなかった。

 背負うものが重いわけではない。背負うことさえできなかった事実が重かった。公式の場で戦えないことが。

 

 パン! と。マルゼンスキーは自身の両頬を打つ。これからレースが始まるのだ。集中しなければ、ここに集まった者たちに失礼だ。そう気を取り直し、先にゲートへ進んでいった者たちを見る。

 

 例えば『開拓の一等星』シリウスシンボリ。

 例えば『百獣の咆哮』レオダーバン。

 例えば『報恩の"忠臣"』サクラチヨノオー。

 

 そして、『不滅の逃亡者』ツインターボ。

 

 胸が躍る。本能が『強敵』だと認めている。早く走らせろとエンジンが空吹かしを繰り返す。

 ゲートに向かって歩を進める。クジの結果、マルゼンスキーにあてがわれたのは奇しくも大外枠。8枠24番という本来有り得ない数字のゲートに入り発走を待つ。

 

 不意に、彼女の隣のゲートに誰かが入った。

 左隣ではない。そこには既にレオダーバンが入っていた。右隣。存在しないはずの、25番。

 そして、立て続けにまた3回。26、27、28番のゲートが埋まる。

 驚いて大外枠のはずの自分よりも更に外枠を見たマルゼンスキーの目に、見覚えのあるウマ娘たちが映る。

 観客も、事態を把握して叫ぶ。興奮と、歓喜と、期待の叫びだ。

 

 皐月賞ウマ娘、ハードバージ。

 ダービーウマ娘、ラッキールーラ。

 菊花賞ウマ娘、プレストウコウ。

 

 そして、ヒシスピード。

 

 ドリームシリーズに来られなかったはずの彼女たちが、そこにいた。

 

 言いたいことはたくさんある。しかし、ゲートの中で、レースの前に、言葉を交わすのは無粋。

 これから思う存分語り合えるのだ。この広大なターフの上で。

 

 マルゼンスキーのクラシックが、始まる。




 なおハクタイセイは嬉しすぎて死んだ。


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ふたりの勝者

 ゲートから走り出した優駿たちが目にしたのは、赤と青の背中だった。

 当たり前のようにハナを切るツインターボとマルゼンスキー。立ち上がりはツインターボのほうがやや前を取っていたが、マルゼンスキーがすぐに内側へ詰めながら迫ってくる。

 8枠24番という大外を超えた大外からの発走は、逃げウマ娘にとって大きすぎるハンデだ。

 逃げウマ娘はスタミナのロスを最小限に抑えるため、できる限り内を走ることが求められる。コーナーではひとつ外側のレーンを走るだけで約6バ身のロスが生まれると言われているのだから、当然コーナーまでの直線で内へ移動しなければ多大なロスを受けることになる。

 しかし、直線で斜行にならない程度に内へ移動するのもそれはそれでロスになる。そして大抵の場合、そうして確保できる位置は内枠になったウマ娘より外側のレーンか後ろかだ。外枠、大外枠はそれほどに不利を被るのだ。

 

 しかし、そんなことはマルゼンスキーには関係ない。誰もが注目するだろう本当に最小限のロスで、マルゼンスキーはツインターボへと競り合って行く。

 大逃げの強者同士のぶつかり合いに会場が沸く中、ほんの数人だけがその光景に目を瞠る。特に顕著に動揺を表したのはマルゼンスキーのトレーナー、御渡だった。

 

「マルゼンスキーが……競り合った……?」

 

 それは、無意識にツインターボを低く見積もっていたから、マルゼンスキーと競り合っていることに驚いて……ではない。

 何度も言うが、マルゼンスキーは正確には大逃げどころか逃げウマ娘でさえない。彼女のランニングフォームが完璧過ぎるがゆえに、ただ走っているだけで後続に大差をつけてしまう結果大逃げに見えるだけだ。

 普通の逃げウマ娘と違って、わざわざ破滅的ペースで逃げ続けるツインターボに追随し、競り合ってハナを奪わなければ自らのペースが崩れるわけではない。言ってしまえば、先行策に徹して脚を溜めたほうが勝率は遥かに高いと言える。

 しかしこのレースで、マルゼンスキーは初めて()()()()()()()()()()()()()、その作戦に従って動いている。

 

(あぁ、そう……納得ね)

 

 気ままに空を飛ぶツバメではなく。

 獲物を狩る鷹のように。

 

(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!)

 

 レースで走ることではなく、レースで戦うことを選んだ。

 

 最初からトップに入るギア。規格外のエンジンが唸りを上げ、逃亡者を後ろから追い立てる。着実に縮まっていくふたりの距離。

 しかし、忘れてはならない。スーパーカーのエンジンは規格が違うというのならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――ターボの()()()ついてこい……っ!!」

 

 爆発したかのようにさらにもう一段階加速して、ツインターボはマルゼンスキーを突き離す。たとえ普通車のエンジンと比べ規格外でも、スーパーカーの規格に収まった走りでは、エンジンが単体で持ちうる限界を超えて走るターボには敵わない。

 府中2400mという長い道のりを走り切るために必要な貴重なスタミナを惜しげもなく注ぎ込んで、ツインターボは数千万倍の出力で己の『これしかない』を振りかざし、マルゼンスキーを退けた。

 ツインターボが危うくハナを取られそうになる、あるいはマルゼンスキーがハナを奪われたという衝撃的な展開に、古参新参区別なく観客が感嘆の叫びを上げる。

 無敵のスーパーカーが、序盤の小競り合いとはいえ押し負けるとは、かつてその鮮やかで艶やかな強さに魅せられた者たちは見たくなかっただろう。しかし、同時に見たかったのだ。マルゼンスキーが、誰かと対等に戦う姿を。

 そして、それを最も待ち望んでいた者は――

 

 

 

 ツインターボがハナを保ち、マルゼンスキーとふたり最初のコーナーへ突っ込んでいくのを、後方で脚を溜めながらシリウスシンボリは見ていた。

 マルゼンスキーは疾い。自分の走りに最適なフォームを無意識に使いこなし、一歩一歩に一切の無駄なくコーナーを曲がっていく。それに比べれば、ツインターボのランニングフォームはなんて無駄が多いことだろう。

 しかし、走りそのものではマルゼンスキーのほうが巧くとも、コーナー全体を見ればツインターボのほうが巧い。

 疾いが故に速度を調節し、統一規格の積み木を積み上げるかのように走るマルゼンスキーだが、そこには最適化されたがゆえの隙間がある。

 一方、ツインターボは乱雑に切り分けられた木片を、試行錯誤して組み合わせ、一分の隙もないコーナリングを辿っていく。差は埋まらない。

 

 シリウスシンボリはしかし、そんなふたりの走りよりも、表情に目を奪われた。シリウスシンボリだけではない。多くの観客が、そして御渡トレーナーが。

 悔しげに眉を(ひそ)めながらも、争いへの昂りをありありと感じさせるマルゼンスキーの凄絶な笑みに。

 御渡の頬を涙が伝う。それは彼がマルゼンスキーに出会ったあの日、マルゼンスキーが求めなかったものだ。

 多くのトレーナーがそれを与えると言い募り、しかしマルゼンスキーは求めなかった。ただ楽しく走ることを求め、そこへ他者が介在することを不要とした。

 あたかも、無意識に心の底で、そんなことは、他者と競い合うことはできないと知り、遠ざけているかのように。

 

 だから、マルゼンスキーがはじめから求めず、御渡が(つい)ぞ与えられなかったもの。好敵手と競い、追いついてやると燃える熱量が、マルゼンスキーの瞳に宿っていたことに、御渡は歓喜した。

 同格の相手と競い合う舞台、マルゼンスキーから奪われていたクラシックの舞台が、今、目の前にある。

 

(……ったく、なんて顔しやがる)

 

 一方のシリウスシンボリはシニカルに笑う。幸いにも彼女は好敵手に恵まれていた。覇を競い合った『踊る勇者』をはじめとする海外の猛者たち。クラシックではすれ違ったが常に意識しあっていた『最強の戦士の愛弟子』。そして、『"絶対"なる皇帝』。

 そんな彼女でも、今のマルゼンスキーの表情を見ていれば羨望の感情が湧き上がってくるのだから、()()()()()ウマ娘たちには堪らないだろう。それは、シリウスシンボリの目にほんの一瞬だけ映った、観客席の雷光を見ればわかる。

 幼馴染がどんな表情をしているのか想像し、シリウスシンボリは喉の奥で笑った。

 

 ウマ娘の誰もが今のマルゼンスキーを羨み嫉妬する中で、その矛先が異なる者たちもいた。

 ヒシスピード、ハードバージ、ラッキールーラ、プレストウコウ。マルゼンスキーの同期であった彼女たちが嫉みを向ける先は、ツインターボだ。

 対等なライバルとしてマルゼンスキーと競う。彼女たちが何よりも、あるいはクラシックの冠よりも強く欲し、求めたもの。何故、あそこにいるのが自分じゃない。マグマのようにドロドロと煮え滾る感情を燃料にして、脚を進める。

 

 先頭ふたりとバ群とは、もはや深い谷の両岸ほども離れているように思えるほど隔絶している。しかし、ツインターボに2400mは長い。有記念で見せた"領域(ゾーン)"が他の出走ウマ娘たちにとっては不確定要素だったが、その有記念でも途中で失速していたことは間違いない。

 そして、マルゼンスキーの本領はマイルだ。やはり2400mを大逃げするのは長い。多くのウマ娘はそう判断し。あるいは、「足りるかもしれない」と思いつつも末脚勝負に賭ける他に選択肢がないために、ふたりを追わず脚を溜める。

 

 しかし、向正面。そんなバ群から飛び出す影があった。

 

『こ、これは! ヒシスピードだ! ヒシスピードがバ群から抜け出て……掛かったのか!? いや、違う、()()()()だ!! スパートとしか思えないが早すぎる!! 正気なのか!?』

 

(うるせぇ! こっちはとっくに狂ってんだよ!!)

 

 マルゼンスキーに勝てないことなんて自分が一番わかってる。そこにある差が、奇跡なんてちゃちな贈り物(いやがらせ)で覆る程度のものでないことも、なにより、2400mという距離がヒシスピード自身にさえ長いことも。

 ヒシスピードが追いつく。向正面半ば、ツインターボの隙を虎視眈々と狙っていたマルゼンスキーに追いつく。

 ゴールまでまだ半分以上残っている。このまま走り続けて保つはずがないことは素人でもわかる。それでも、ヒシスピードの脚は弛まない。弛めない。弛められない。弛めて、たまるか。

 

(アタシだ!! アタシなんだ!! "皇帝(シンボリルドルフ)"でも"不滅(ツインターボ)"でもない!! アイツの、マルゼンスキーの同期で、ライバルは、アタシだッ!!)

 

 競り合う。少しでも触れれば崩れそうなほど不安定な走りのまま、完璧なフォームで走るマルゼンスキーに。

 競り合う。酸欠寸前で青い顔に引き攣った笑みを浮かべてマルゼンスキーを睨みながら。

 競り合う。この一瞬、一秒、マルゼンスキーに自分以外を見せるかと言わんばかりに、競り合う。

 他の誰でもない、自分自身に胸を張るために。

 

 論ずるまでもなく、そんな時間は長く続くものではない。クラシックレースへの出走経験があるとはいえ彼女の適性はスプリントからマイルであり、そんな彼女が後先考えず全力で走り続ければどうなるかは火を見るよりも明らかだ。

 第3コーナーに辿り着く前にズルズルと垂れていくヒシスピード。勝ちの目はもはや絶無であり、ドリームシリーズでは前代未聞のタイムアウトさえありうる。

 しかし、疲労が色濃く映ったその表情は、どこか晴れやかなものだった。

 勝ちを捨てたその行動を責める者は、少なくともこの会場まで足を運んだ(ファン)たちの中にはいなかった。普段は偉ぶって「最後まで勝ちを諦めず貪欲に走るのがレースへの礼儀」と知った顔で話す老年のファンさえ、その姿には感じ入るものがあった。

 

 先頭ふたりが第3コーナーに突入する。そこでさらにツインターボとマルゼンスキーとの差が開く。ツインターボにとってはここが最後のリードチャンスだ。

 ツインターボの今のスタミナと"領域(ゾーン)"があれば、最後まで垂れることなく走り切ることができる。それは大逃げの完成形と言えるだろう。

 しかしそれを言うならば、マルゼンスキーが行う大逃げは究極形だ。

 

 ツインターボが最終コーナーへ入る。減速しない。垂れない。

 マルゼンスキーが最終コーナーへ入る。――加速する。加速する。差が、詰まる。

 ツインターボに追い縋り、大逃げとほとんど変わらないスピードで走っておきながら、マルゼンスキーのギアは今やっとフルスロットルに入った。

 存在しないテールランプが光跡を描き、浮かび上がった夜のハイウェイを疾走する。エンジンの違い、時代の違い、格の違い。スーパーカーの異名を決定づけたマルゼンスキーの"領域(ゾーン)"。

 

 しかしツインターボ以外に対して圧倒的なリードをつけたマルゼンスキーの遠くなるテールランプを見ながら、後続のウマ娘は誰ひとりとして絶望していない。

 自分たちは数合わせじゃない。噛ませ犬じゃない。感動を作るための材料として消費されてたまるか、と。奇しくもかつてマルゼンスキーが抱いたのと同じ反骨精神を以てスパートをかける。

 

 『開拓の一等星』が起死回生を賭けて道を切り拓けば、『妖精女王』が自らの王国(ティル・ナ・ノーグ)を展開しそれを追う。『百獣の王』があげる咆哮の中を、『舞神楽』の紅葉が乱れ舞う。

 全盛期を現役半ばに終えた『桜の忠臣』も、一度競走能力を失いながらも夢の舞台に復帰した『光の道程(みちのり)』も、力の限り追い上げを始める。

 そのどれもがトゥインクルシリーズの一世を風靡した英傑たち。夢路の果てに輝く綺羅星の欠片。

 

 そのなかで、真っ先にマルゼンスキーまで到達し競りかけたのは、同期の皐月賞ウマ娘、ハードバージだった。残るは府中の最終直線。それだけとはいえ、それだけと言えない過酷な最終直線である府中で、一度体を壊している彼女が今マルゼンスキーに並びかけた行く末に勝利がないことなど誰でもわかる。

 それでも、マルゼンスキーより先にどこかへと辿り着かんと走る彼女。その覚悟を浮かべた表情に、マルゼンスキーは一度頷き、より強くターフを踏み締める。

 

(あぁ……やっと終わった……肩の荷が、下りた)

 

 残り400mを先に駆け抜けたのはマルゼンスキー。始まっていなかったマルゼンスキーのクラシックであると同時に、()()()()()()()()()ハードバージのクラシックが幕を閉じる。

 2000mでマルゼンスキーに負けたことよりも、2000mでマルゼンスキーに太刀打ちできたことが胸に残る。何度も繰り返し見てきた悪夢、皐月賞でマルゼンスキーに大差で負けるという悪夢。マルゼンスキーと比較され、落ちぶれ、嘲笑われるどころか記憶からさえ消えていく中で棲み着いた心の自傷が癒えていく。きっともう、魘されることはない。

 

(わたしは、マルゼンスキーのライバルたり得た)

 

 マルゼンスキーがツインターボの背中を捉える。あと一歩詰めれば追いつけるというところで、ツインターボは粘る。ターボエンジンが再起動する。

 ツインターボの呼吸が止まる。無呼吸による一時的なブースト。"領域(ゾーン)"で回復したスタミナを惜しげもなく消費してマルゼンスキーから逃げる。

 ツインターボとマルゼンスキーのデッドヒート。それは観客が想像していた光景であり、そして、それだけではない。

 マルゼンスキーは"無敵"だったが、それは"絶対"ではない。かつてのスーパーカーより現代の軽自動車のほうが性能が良いように、時代は常に進化する。

 幾人もの挑戦者たちが残り400mで追い上げる。まだ諦めていないぞと、残り1mでも、先にゴールの先にいれば勝ちなのだから。

 

(日本ダービーは、最も幸運なウマ娘が勝つ)

 

 そんな中で、最もマルゼンスキーに迫ったウマ娘は内心で独白する。

 

(アンタと戦えて、あたしは最高にラッキーだったぜ)

 

 最初にゴール板を踏んだのは。

 

 

 

 ドリーム・ウィンター・クラシック。

 勝者、マルゼンスキー。

 

 

 

 

 

 

 

「脚を止めるなァっ!!! マルゼンスキィイイイ!!」

 

「合点承知の助ッ!!!」

 

 ブレーキは踏まない。

 アクセルが入る。

 スピードを弛めつつあるウマ娘たちの横を、ふたりが走り去る旋風が撫でた。

 まだ終わってない。まだ終われていない。彼女のクラシックは、彼女たちのクラシックはまだ終わることができていない。

 だから止まらない。同じ轍は二度と踏まない。マルゼンスキーが彼女の目の前で、レースの半ばに脚を止めることはあってはならない。

 

 ()()6()0()0()m()。府中の舞台で菊の花が咲く。

 

(マルゼンスキー、僕は、君が嫌いだ)

 

 誰からも期待され、誰からも望まれたマルゼンスキーを、誰からも期待されなかった彼女は誰よりも見ていた。

 

(これは証明だ。()()()()()()()()()()())

 

 『幻の三冠ウマ娘』だなんてもう言わせない。

 白銀の髪を翻し、鬼を宿した者が往く。

 

 マルゼンスキーの表情に笑みはない。そこにあるのはひとりのウマ娘がラストスパートを、限界の先を目指して走る、闘志に溢れた苦悶の表情。誰も見たことがなかった、"無敵"の見せる()()

 

 迫る。迫る。迫る。並ぶ。

 

 突き、放す。

 

「アアアアアアァァァァァァッ!!!」

 

 ゴール板はない。合図もない。本当に3000mかもわからない。目算ばかりのその場所に、しかしそんなものは要らないはっきりした着差をつけて、彼女は先着した。

 ツインターボが、レオダーバンが、サクラチヨノオーが、脚を縺れさせながらヘロヘロと倒れ込むマルゼンスキーを支え称賛する。彼女は勝者であり、同時に敗者だ。

 ラッキールーラが、ヒシスピードが、ハードバージが、やりきった顔でへたり込む彼女を支え称賛する。彼女は敗者であり、勝者だ。

 600mの暴走を誰も責めない。彼女の勝利を、ただ歓声と嗚咽が出迎えた。

 

 東京変則3000m、勝者、プレストウコウ。

 

 その日、勝者はふたりいた。




 同着? しねえよそんなもん!

 お久しぶりです。退職時のワチャワチャにより遅れました。


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【切り抜き】最近のオグタマ集②【オグタマライブ】

 すみません、お待たせしております。
 離職に伴うワチャワチャが続いております。
 今回も短めです。閑話的な感じでお読みください。


『????年 有記念 ラストスパートへの反応』

 

 

 

「ちょっと待てぃ!!」

 

『雷切かな?』

『雷切のボブじゃん』

『相席酒場か?』

 

「エエねんそういうんは!! なんや今の最後の!! ナイスネイチャなにしたん!!?」

 

「"領域(ゾーン)"……のようには見えなかったが、しかし似たようなものなのか……?」

 

『話は聞かせてもらった。あれは領域ではない』

『領域研究に自信ニキ!?』

『生きてたのかゾーン研究ニキ!?』

『《八方睨み》や《疑似ゾーン網》のような技術の一種だろう。やっていることはヒシアマゾンの領域に近いな。威圧を当てることで起こる反応を「視野が狭くなる」ことに特化させた目くらまし……ここまで来ると《奇術師》と言っても過言ではない技量だな。いきなり使えるようになったというよりは、今まで練習してきたものを、ヒシアマゾンの領域を食らったことでコツを掴んだといったところだろう』

『急にめっちゃ喋るじゃん』

『言ってることわかるけどわからん』

『それだけじゃなくね? ネイチャ《八方睨み》のとき明らかに速くなってるよね?』

『確かに……』

『偶然だぞ』

『いや、速くなってるな……』

『技術の応用法を知ったことで別方向に活用させられるように進化したのか……? 少なくとも領域には見えないが確かなことは言えないな……』

『長文ニキ、ありがとうございます』

 

「ほえ〜……もうなんかわけわからんな……」

 

「私たちもまだ強くなる余地がある、ということだろう?」

 

「……オグリぃ、そない言い方してエエんか? ()()すんで……?」

 

「あぁ、望むところだ」

 

『あぁ、シングレってる……』

『いいよね、シングレ路線……』

『シングレ路線ってなんだ』

『それまでなんだかんだかわいい路線ばかりだったウマ娘写真集界隈で唐突に出てきた、レース中のバッチバチな表情を写したオグリメインの写真集「シンデレラグレイ」のこと。転じてバチバチしてる様子』

『結局なんで急にあの路線になったんだっけ?』

『機器の進化でようやく走行中のウマ娘をまともに撮れるようになったからだったはず』

『CG技術の発達で領域のイメージをあとから加工で付け加えられるようになったのもデカい』

『今じゃ割と多くなったもんな、シングレ路線』

 

 

 

『????年 ドリーム・ウィンター・クラシック振り返り放送』

 

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今回は年末に行われたドリーム・ウィンター・クラシックの振り返りだ」

 

「結局発走前に鯖落ちして、その日のうちは直らんかったからなぁ」

 

『いやでもしかたない』

『そら(あんなん見せられたら)そう(なる)よ』

『うちの爺ちゃん病室で観てて「悔いはない」って言ってそのまま逝きかけたからな。峠は越えたからよかったけど』

『洒落にならねぇ』

『実際伝説だからな……』

『ついこの間まで永世三強引退でしばらくこんな強い世代も来ないんだろうな……とか思ってた気がするんだわ。蓋を開ければこれだもんな』

『神話時代、伝説時代から引き継いだ英雄譚時代とか言われてるよな』

『そういうの好きな連中、一定数いるよね』

 

『まぁ言うて今回のレースに関しては賛否両論あったろ』

『ドリームシリーズに出る資格のないウマ娘がドリームシリーズに出走したことについてか?』

『いいじゃんな。ファンは喜ぶ、ウマ娘も喜ぶ。Win-Winで』

『喜ぶウマ娘が一部に限られるのが問題なんだよ。あの4人、あるいはマルゼンだけを特別扱いしていいのかってことだ。特別扱いってことにしなきゃきりがなくなるし、変な前例は作らないほうがよかったって意見は別に間違ってないだろ』

『スケールを下げれば、賞金額で足切り食らったレースに自分より賞金額低かったやつが出てるようなもんだからな。そら出られなかったやつらからすれば鬱憤溜まるわ』

『ドリームシリーズのくくりでやるからアカンのや。そういうコンセプトのレースを企画すればエエねん。ルドルフを主役に据えて参加してもらって、優先出走権を例えばスズパとかギャイナさんやエース、シービーとかシリウスとかにつける。そんであとは抽選にするとか』

『まぁそれが安定だよな……今回は多分企画に間に合わなかったんだろ。次回あたりはその辺うまく調整してくれるさ』



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青いねぇ

「ねぇ、そういえば怜さんってウインディちゃんからイタズラされてないの?」

 

 アイネスフウジンがふと気になってそんなことを聞いたのを、《ミラ》のメンバー数人が注目する。

 シンコウウインディのイタズラ癖については、《ミラ》内にとどまらず学園全体でも有名である。底に藁を敷いてある落とし穴や吊るしこんにゃく、水鉄砲の罠など、怪我に至るようなものはないが多くの生徒が被害に遭っている。

 現在はイタズラ被害はチーム内に限るものになっているのに加え、ツインターボやビコーペガサスというちょうどいい遊び相手やイナリワンという叱ってくれる相手もチーム内で見繕えるため、生徒全体への被害はかなり減少している。

 のだが、アイネスフウジンは今のところ、網が被害に遭っているのを見たことがない。そして、それは他のチームメンバーも同じだった。

 現在、シンコウウインディはツインターボとともに《ミラ》のホームページを作成するのに部室を離れていたため、ちょうどいいということでそんな質問を網へと飛ばした。

 

 それを聞いた網は、懐から1台のデジタルカメラを取り出した。網の持ち物としては珍しくそれほど性能の高くない安物だ。

 アイネスフウジンはそれを受け取って起動すると、なんとなくそういう意味だろうとメモリーを確認する。そして、「うわぁ……」と声を漏らした。そこに収められていた写真は皆同じものだった。

 端的に言ってしまえば、シンコウウインディが縛られている写真だ。そこにいやらしさや色気は微塵もなく、まさに「下手人」といった様相で写っている。

 

「ガキの悪知恵なんざ大したことないからな」

 

 どうやら、イタズラを仕掛けられる前にすべて返り討ちにしているらしい。

 

「シンコウウインディのイタズラ癖は承認欲求から来ている。要は構ってやって注目してやって、反応してやればいいんだから、わざわざイタズラに引っかかってやる必要はない。逆に引っかかったとしても無反応ってのは一番拙いな。まぁ、その点はツインターボとビコーペガサスがいれば完全に無反応になることはないだろうが」

 

「……実際さ、ウインディ先輩ってなんであんな感じなんです? 言っちゃなんですけど、ちょっとこう、(おさな)すぎる気が……」

 

 ああ見えて、シンコウウインディは高等部生であり、ナリタタイシンとはクラスメイト、サイレンススズカやライスシャワーよりも歳上だ。

 まぁナリタタイシンやライスシャワーと並べてもそれほど違和感はないのだが、体躯とは裏腹に精神的に成熟しているナリタタイシンと、趣味や言動が幼いように見えて自分の外見なら赦されるとわかってやっているライスシャワーである。どちらも年相応の情緒が出来上がっている。それと比べれば、確かにシンコウウインディの情緒は稚すぎると言っていい。

 ナイスネイチャの質問に、網は自明といった様子で答える。

 

「シンコウウインディの父親は進鋼産業の社長で、母親も会社の役員なんだが、これが元々そうとうの子煩悩でな。まぁ蝶よ花よと育てたらしいんだ」

 

「え、ウインディさん社長令嬢なの……?」

 

「言われてみれば、所作というかそういう部分はちゃんとしてるよね……」

 

 基本的にトレーナーである網以外は庶民出身だったことと、シンコウウインディ自身にお嬢様というイメージがなかったこともあって、ライスシャワーとナリタタイシンが意外といった反応を見せる。

 

「それで、社長令嬢ってことで周りも持ち上げるわけだ。身内だけならそれで済んだだろうが、赤の他人はそんなの知ったこっちゃない。それでも、トレセン学園に来るまでは大人しかったらしいぞ?」

 

「あー、寮入りで周りに褒めてくれる身内が完全にいなくなったから……」

 

「そういえばアマさんに聞いたけど、ウインディ先輩って料理できるし掃除とかもこまめにやってるって……」

 

「基本、家にひとりでいるなら必須なスキルだな。俺も一通りできる」

 

 さらっと闇をチラ見せする網だが、アイネスフウジン以外は気づかなかった。

 

「トレーニングの妨害にはならないよう厳命してるし、あれも線引は弁えてる。取り返しの付かないようなことはさせないようにしてるから、多少は大目に見るか、逆に思い切り対策を取ってやれ」

 

「あー……じゃあアレは? 噛みつき癖」

 

「本人は無自覚なようだが、注目が欲しいからだろう。一種の赤ちゃん返りだな。加減は覚えさせたから甘んじて受けろ」

 

 にべもない網の言葉に苦笑する面々。その中でマーベラスサンデーだけが知っていた。網が自分の衣服に、犬の躾に使うビターコートスプレー――いわゆる苦味剤を噴きかけていることを。

 だが、マーベラスサンデー自身は一度シンコウウインディに噛みつかれたとき、シンコウウインディはフレーメン反応のような顔で固まったあと離れていき、それ以降二度と噛まれていないため、まぁいいかとスルーした。

 

「アタシのときもそうだったし、ライス先輩の時とかもそうだったらしいですけど、よくもそう完璧に分析できるもんですね」

 

 ナイスネイチャが嘆息する。実際、網は何度も「自分は心理カウンセラーではない」と言いつつ、担当のウマ娘のメンタルケアを成功させている。

 それほど知識がなくとも経験があればまた違うのだろうが、ナイスネイチャを相手にしたときはまだ2年目の新人だ。そんなナイスネイチャ相手に、網は一瞬言い淀んで理由を口にした。

 

「あ〜……こう言ったら悪いんだがな、お前らみたいなコンプレックスとか、そういう手の話は上流階級(おえらいさん)の子供には珍しくないんだわ」

 

 ウマ娘の競技人生以上に、上流階級の権力争いは汚泥にまみれている。そこにスポーツマンシップはないし、レースという真っ当にぶつけ合える場所もない。トレーナーと担当という他人だからこそある程度節度ある関係ではなく、親子親類という近い関係だからこそ、礼節なく、無遠慮に蔑み、比べ、どこまでも残酷になる。

 「慣れだな」と軽く言う網だが、それを聞いていた側の意見は概ねマーベラスサンデーの「マーベラスじゃない……」の一言に要約できた。

 

「で、今年の目標だが……ここにいないシンコウウインディは早めにデビューさせて、アメリカのジュニアGⅠを目指させる」

 

「アメリカはジュニアGⅠに力入れてるんでしたっけ。何回か聞いた気が……」

 

「あぁ。それで、マーベラスサンデーは皐月賞だな。賞金額は十分だから直行。そのままクラシック戦線だが……強敵なのは《リギル》のフジキセキ、《ポラリス》のジェニュインだな」

 

「マヤノとタヤスツヨシは?」

 

 マーベラスサンデーのライバルとしてふたりのウマ娘を挙げた網に、ナイスネイチャがそう質問する。マーベラスサンデーやナイスネイチャの友人であるマヤノトップガンや、皐月賞と同条件であるホープフルステークスの勝ちウマ娘であるタヤスツヨシの名前が挙がらなかったことが疑問だったからだ。

 それに対し、網は歯に衣着せず答える。

 

「マヤノトップガンは今年出てくるんだろうが、本格化を迎えてない。テクニックだけならマーベラスサンデーのほうが強いだろう。タヤスツヨシは逆に、ホープフルステークスで底が見えた。負けることはない……で、ライスシャワーは春天を目標に、必要なら阪神大賞典を叩くが……」

 

「ううん、ブルボンさんが阪神大賞典に出るって言ってたから、ライスは出ない。決着は、天皇賞でつけたいから」

 

 ライスシャワーの目には、いつにないほどの決意が見て取れる。目指すものが決まった。あとはまっすぐそこに進むだけ。そうなったライスシャワーは強い。

 

「……そうか。どちらにしろ、春天がライスシャワーの引退レースになる。悔いを残さないように。ナイスネイチャは……なんというか、正気か?」

 

「アハハ……」

 

 ナイスネイチャが網に提出したプランは、有記念以外出走しないというものだった。

 

「……これならドリームシリーズに行ったほうがいいんじゃないか?」

 

「いやぁ……アタシ的には有に勝ってから行きたいんですよ。せっかく長く走れる脚を貰ったんですし、テイオーやターボが有勝っててアタシだけ勝ってないって、悔しいじゃないですか」

 

「……なるほど、それは理解した。で、それ以外出ないというのは?」

 

「他に、やりたいことがあるんです」

 

 ナイスネイチャは網の目を見てそう話し始める。

 

「ターボのウィンター・クラシックで、ハードバージ先輩が出てきたじゃないですか。アタシ、あの人のこと知らなかったんですよ。()()()()()()なのに。それで色々調べてみたんです。ハマノパレード先輩にオペックホース先輩、タニノムーティエ先輩、GⅠウマ娘でさえ引退後の就職先でうまくいかないことがあるって知りました。それなら、勝てなかったウマ娘は……」

 

「……それで?」

 

「……引退後、アタシは多分ドリームシリーズに入れると思います。そこで走りながら、引退後のウマ娘の就職支援活動をしたいんです。そのために、地方を回って色々調べ物とか、伝手を作ったりとか、今のうちからできることをしていこうかなぁ……って」

 

 言っていて、自分がそれほど綿密なプランを立てていなかったことに気づき、だんだん気まずくなるナイスネイチャ。その様子をジト目で見ていた網は、ため息を一つもらした。

 

「志は立派だが、浅い」

 

「ヴッ」

 

「……それならむしろ走れ。より多くにお前の走りを見せて支持者を増やせ。GⅢやGⅡでもいい。いいか、お前が本当に就労支援をしたいというなら、お前が直接それに携わりたいというのはただの自己満足であり、お前にできる一番の支援はその足で稼いで既存の団体に寄付することだと思え。素人のお前が頭をひねるより遥かに有用だ。お前が支援の意思を見せれば、ファンの中にも同調するやつが出てくる。あとはその母数を増やすために、やっぱり走れ。今のうちからできることがしたいというなら、それがお前のできることだ」

 

 立派なことをしようと思わなくていい。

 走って夢を見せることが、お前にとって最も立派なことだ。

 網はナイスネイチャにそう言い捨てた。

 

「まぁ、あれだ。中学生によくありがちなやつだから、そこまで恥ずかしがらんでもいいぞ」

 

「ネイチャ真っ赤☆」

 

「ゔぁ〜……」

 

 自身のモフモフテールで顔を隠しながら机に突っ伏すナイスネイチャ。だが、彼女の選ぼうとした道を、《ミラ》のメンバーは誰も笑わなかった。

 

 なお、《ミラ》のホームページはホームページとしての体裁は整っていたものの、ギラギラしたデザインと『悪の組織』というコンセプトが原因で速攻作り直させられたという。

 



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【閑話】その想い、未だ変わらず

 春のGⅠ戦線までの繋ぎ回。


「担当に告られたときってお前らどうする……?」

 

 そう口に出したのは今年クラシックを走るマヤノトップガンの担当トレーナーである羽原だった。現在、新年会という名目で開催された飲み会で、彼は管を巻いている。

 網は基本的に大人数で飲むよりひとりでいるほうが好きなため飲み会という文化をあまり好んでいないのだが、今日集まっているのはそれなりに親交を重ねることになったメンバーであり、基本聞き役に回るという網のスタンスを尊重してくれるため、参加するのもやぶさかではないのだ。

 

「あー、サンエイサンキューちゃん?」

 

「まだ中等部だし一過性のものだからって断ったんだけどさぁ……卒業してもまだ好きだったらって言われて保留にしてしまった……」

 

「まぁ妥協点はそのあたりだよなぁ……」

 

 苦笑しながらウーロンハイをすするのは《レグルス》のトレーナー、一岡だ。一方で同じく苦笑している《カノープス》の南坂は烏龍茶を飲んでいる。

 

「俺はまだそういう経験ないからなぁ……南坂さんとか黒沼さんはそのあたりどうなんですか?」

 

「私もそのような感情を向けられたことはありませんね……」

 

「俺もないな」

 

 一岡の問に南坂と、ミホノブルボンの担当トレーナーである黒沼が答える。ちなみに主な理由は、南坂は担当と一定の距離を置く立ち回りをしがちであり、かつ先代から引き継ぐ形で《カノープス》のトレーナーとなったため、複数人を同時に担当したことしかなく、ひとりから強い感情を向けられていないから。黒沼は強面すぎるため、ミホノブルボン以前の担当からも告白されたことはない。

 

「そもそも中等部だから付き合ったら駄目なんだよな……」

 

「ヤらなきゃセーフだろ」

 

「いやまぁ法的にはそうなんだが……」

 

 トレーナーという職業の世間での立場は『教師』ではなく『マネージャー』のイメージに近い。また、昔からトレーナーと担当ウマ娘間での恋愛という事例はかなりの数発生してきているため、世間的には意外とその辺りは、少なくとも教師との恋愛と比べれば寛容だったりする。

 それでもやはり、少なからず大の大人であるトレーナーと幼いウマ娘との恋愛に眉を顰める層がいるのは、やはり見た目の印象に強く引っ張られているのだろう。

 一方でウマ娘が担当トレーナーへ強い感情を抱く原因は科学的にほぼ解明されており「まぁ仕方ないよね」という意見が多い。

 というか、一部の過激派を除けば、トレーナーと担当ウマ娘の交際に強い嫌悪感を抱く者はそう多くない。問題はその後だ。

 

 要するに、法を犯すなの一言に尽きる。

 

 真剣に交際? なら卒業まで待てるよね? ところでトレーナー業は続けるの? 次の担当を迎えるわけだけどうちの娘とどっちを優先するの? あ、辞める? じゃあ次の職は? まさか娘の蓄えだけにぶら下がるわけじゃないよね?

 

 そんなわけで、トレーナー業界で「教官職に転向」と言うワードは「寿退職」の隠語として使われることもある。

 対して、()()()()()()()()()()()()トレーナーが、あるいはウマ娘が相手を押し倒し、どちらの事例でもトレーナーのほうが検挙されるというパターンも少なくはない。「トレーナー逮捕といえばシャブかウマっ気」とは昔からのお決まりのようなものである。

 一方、海外では「強豪チームがドバイで勝ったと思ったら現地でトレーナーがチームメンバーらにいただかれてそのまま帰ってこなかった」なんてジョークも存在している。オイルマネーがそのまま重婚資金になる事例である。

 

「奈瀬さんは……」

 

「クリークは18だから合法」

 

「いや、最近別の子からめっちゃアプローチ食らってるって聞いたけど」

 

 店の入り口で入店拒否されかけた合法ショタことダイタクヘリオスのトレーナー、岸江が突っ込むと、レモンサワーを飲んでいた《フォーマルハウト》の奈瀬が机に額を叩きつけながら突っ伏す。スーパークリークとダンスインザダークの間で始まった正妻戦争は激化するばかりなのである。

 

「明らかに奈瀬とクリークの間にダンスインザダークが割り込んできた形なのにビックリするくらい馴染んでるからなぁ……あれは荒れるぞ……」

 

「そう言えば南坂。サブトレ時代に担当してた娘とはどうなったんだ? あの未勝利の」

 

「どうなったって……どうにもなりませんよ、ハローさんとは。そんな関係じゃありませんでしたし。たまに食事に行く程度です」

 

 クソボケがよ。

 

 その場にいる数人の内心が揃った。特に件のOGウマ娘ことライトハローに頻繁にやけ酒に付き合わされているメジロパーマー担当トレーナーの山崎などは、頼むからさっさとくっつくか振ってやってくれないと肝臓が保たないなどと南坂を睨んでいた。

 そして話の矛先は網へと向く。

 

「で、網さんはバレンタインデーのチョコの何割本命だったんですか?」

 

「私だけ趣旨が変わってませんか?」

 

 この場にいる男性陣の顔面偏差値は高い。正統派のイケメンである一岡に優男風の南坂、強面だがそれはそれとしてダンディな色気ある男の黒沼に、合法ショタではあるが整ってはいる岸江。一番下でも羽原というかなりアベレージの高い集団だ。

 その中で網は、もちろんイケメンであるのだが、群を抜いてというわけではない。ただ、ファンの数に関しては飛び抜けている。

 言っては悪いが、話題性に事欠かない凄腕の金持ちというステータスがくっついているのだから、()()()イケメンよりも狙う女性は多いわけだ。優良物件この上ないだろう。

 

「網さんは担当に手を出さないと公言してますし、情に流されるイメージがないですからね」

 

「南坂と同じ感じだよな。ビックリするくらいビジネスライクなイメージ」

 

「正直あたしは狙ってるんだけどファンに刺されそうで怖い」

 

 少なくともチーム内での恋愛はないだろうというのはおおよその共通見解のようだ。網は、まぁ減るもんでもないし、と、素直にチョコの総量を口にする。

 

「2t。個数は数えてません。添付されたメッセージは全部読みましたが、内容物になにが混入してるかわからないのでチョコ本体はすべて廃棄ですね」

 

「トン!?」

 

「漫画のキャラが貰う量じゃん」

 

 これは網の与り知らぬことではあるが、実際数%程度のチョコレートに()()()()()が混入していた。

 それ以前に網は普通のチョコレートは苦手だと公言しているし、チームのホームページにも「トレーナー及びウマ娘への加工食品の差し入れはご遠慮ください」と掲示してあるので当然の処置である。

 

「メッセージには連絡先が書いてあるものや釣書が入っているものもありましたし、裸体や性器の写真が添付されてるものもありましたよ」

 

「ねぇ食事中なんだけど!!?」

 

「これは失礼」

 

 吠える山崎。網はわかっててやっているし反省もしていない。

 実際、普段からファンレターの仕分けは業者を雇ってある程度フィルタリングしているので、少なくとも網含む《ミラ》メンバーへその手の危険物が渡ることはなく、自動的に弁護士へ証拠品として移譲される。それの延長線上である。とはいえ、ただチョコを送ってきただけの相手は流石に提訴しないが。

 

「まぁ実際網が恋愛するところとか想像つかないしな」

 

「大丈夫? 恋愛感情ある?」

 

「あなた方の担当の出走レースすべてにナイスネイチャ出走させましょうか?」

 

「「スミマセンでしたっ!!」」

 

 爆逃げコンビは担当トレーナー同士も仲がいい。

 

「だけど実際どうなんすか? ネットなんかだと、網さんとアイネスってもはや熟年夫婦みたいな扱いされてますけど」

 

「ないですね」

 

「即答……アイネスって今2年だろ? そんな時間かからず卒業するし、それからなら……」

 

「いやぁ、ないですね」

 

「頑な……」

 

 信頼しているのは事実だし、それなりに特別深い感情を向けている自覚はあるが、アイネスフウジンに対する恋情は網にはない。

 網はカルピスハイを一口飲んで、深く息を吐いた。

 

 

 

 一方その頃、アイネスフウジンも同期の顔見知りたち(アポが取れなかったダイイチルビーを除く)とのパジャマパーティーで恋バナに入っていた。

 

「――では、横川トレーナーはメジロ入りということでよろしいのですね? ライアン?」

 

「待って待って待って待って!!? 違うから!? てかメジロ入りってなに!?」

 

「いやぁ、でもライアン、横川さんに撫でてもらったとき完全に乙女の表情になってたよ」

 

「いや、だって、あ、あれはトレーナーさんの撫で方もおかしかったじゃん!!」

 

「まぁ確かにあれは愛撫と言っても過言では……」*1

 

「過言だよ!!?」

 

 なお、とうの横川は飲み会の方で酔い潰れて寝ている。

 

「アイネスはその辺りどうなん? そっちのトレ優良物件じゃん。いつの間にか下の名前で呼ぶようになってたし」*2

 

「ないなの」

 

「即答!?」*3

 

「いやぁ……ムリなの」

 

「そこまで拒絶するほどか!?」*4

 

「ところでマックちんそのアルフォート何箱目? 爆食いじゃね?」

 

「7箱目ですね」

 

「イクノ数えてんのヤバみ沢なんだけど」

 

 信頼しているのは事実だし、それなりに特別深い感情を向けている自覚はあるが、網に対する恋情はアイネスフウジンにはない。

 アイネスフウジンはファンタグレープを一口飲んで、深く息を吐いた。

 

 

 

「あれはほら、妹/弟的なものだから」

 

 

 

 メジロマックイーンはその月、2kg太った。

*1
第5話「白刃、練体、紅玉、哄駆。或いは好敵手たち。」にてハクタイセイの半裸を撮ってたモブの台詞。

*2
「白刃、練体、紅玉、哄駆。或いは好敵手たち。」にて、「確保オォォーッ!!」、「後であんたらのウマスタとウマッターチェックするからね!! これあがってたらマジ往復ビンタね!!」、「これだからメジロ家は!!」と言っていたモブの台詞。

*3
「白刃、練体、紅玉、哄駆。或いは好敵手たち。」にて、「誰か刃物! 刃物奪って!! 写真じゃなくて!!」、「今だ!! 刃物取れ!! だから写真じゃねえって!!」と言っていたモブの台詞。

*4
ハクタイセイ。




横川トレーナーがメジロライアンを撫でる参考動画
https://youtu.be/FVoCSVBbG64?t=540


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王者不在

 お久しぶりです。
 マジで難産でした。


 3月末、高松宮記念。

 ビコーペガサスの控室では、網が今日の対戦相手について話しているところだった。

 

「今回、特別気をつけるべき相手はいない。実力伯仲……といえば聞こえはいいが、全体的にレベルが低い。国内のウマ娘はGⅢ勝利が最高で、外国のGⅠウマ娘は慣れないバ場がハンデになる」

 

 GⅠとしてはかなり層の薄い出走メンバーとなっているが、短距離路線において、それはあまり問題ではない。そもそも、短距離は荒れる。それはウマ娘レース界隈において大きな共通認識だ。

 距離が短いということは、単純に駆け引きに使える時間が少ない。バ場の影響をモロに受けるし、縦長の展開になりづらい。

 ついこの間まで未勝利クラスにいた人気の低いウマ娘が当たり前に勝ちうる。むしろ、サクラバクシンオーという絶対王者が1年以上君臨し続けたことが異常なのだ。

 

「特に、今日は今朝方の雨が影響して重バ場だ。後方脚質のお前には不利に働く。展開によっては、無理せず先行策を採ったほうがいいだろうな」

 

 そもそも、スプリントでは後方脚質はあまり有効とは言えない。仕掛けどころの見極めが難しく、加速しきるだけの距離もないからだ。

 確かに縦長の展開になりにくい点に関しては差しに有利かもしれないが、同時にバ群が横に広がりやすくブロックされやすい。

 本格化こそしたもののパワーに難があるビコーペガサスにはかなり不利な環境だった。

 緊張した面持ちで控室を出ていくビコーペガサスを見送り、網は傍らのアイネスフウジンに問いかける。

 

「どう思う」

 

「気負っちゃってると思うの。世間の評判を意識しすぎてるって感じ」

 

 《ミラ》のメンバーは今まで、世間の評判がプレッシャーになることが少なかった。ツインターボやライスシャワーは言わずもがな、ナリタタイシンは意識してはいるがむしろ批判をエネルギーにするタイプだし、ナイスネイチャは世評を話半分に聞くタイプだ。

 それらに比べると、ビコーペガサスは確かに世間の声を真に受けすぎているように見えた。

 

「どうにかするの?」

 

「あれがいい方向へ転ぶなら構わない。責任感で強くなるタイプもいる。もし凶と出るなら何かしら考えるしかないだろうな」

 

 控室を出たビコーペガサスは地下バ道へ向かう途中、パドックで見た、観客たちが自分に向けてくる視線を思い出して足を止めた。

 去年まで、サクラバクシンオーへ挑戦する一意で走ってきたから気にしていなかった。サクラバクシンオーが去り、それでもモチベーションを失ってはいなかったが、心のどこかに緩みが出ていた。重圧はそこにのしかかった。

 他のメンバーと比べて、ビコーペガサスのこれまでの戦績は明確に劣っている。《ミラ》のメンバーとして、自分は力不足なのではないか。『《ミラ》のメンバーである』という期待を向けられるたびに、ビコーペガサスの中でそんな思考が頭をもたげる。

 ビコーペガサスがそれほど強くない、ということは、網から直接告げられている。当然、その『強くない』の水準が一般的な感覚よりかなり上なことは理解している。

 それと同時に、世間が自分に求めているものはその水準のものなのだということも。

 

「…………」

 

 ヒーローは期待に、声援に、信頼に、応えるものだ。

 ビコーペガサスは小さな拳を固く握って、地下バ道へと再び足を進めた。

 

 

 

 ビコーペガサスの評判は、本人の実力を見てのものだけでも悪くはない。

 昨年のスプリンターズステークスで、クラシック級ながら一昨年のサクラバクシンオーが樹立したコースレコードを上回るタイムでゴールを駆け抜けたビコーペガサスは、それをさらにサクラバクシンオーが上回っていたために勝利こそ逃したもののかなりの評価をされていた。

 未成熟な体の限界を超える走りをしたことで、この高松宮記念まで療養を強いられていたのだが、体はしっかりと本格化を始めている。そのため、スプリンターズステークスを超える走りを期待されている。

 期待が糧となるか毒となるか。生真面目なビコーペガサスの性格から、どちらへ転ぶかはまだ予想がつかないでいた。

 

「実のところどうなんだ熊さん? ビコーペガサスの実力は」

 

 貴族服と軍服の中間のようなデザインの勝負服に身をつつんだ、西洋人風の顔つきをした鹿毛のウマ娘は、付き従うように立っている大柄なトレーナーへそう問いかけた。

 

「そうでもない」

 

「ほう? 慎重論者の熊さんが相手を低く見積もるというのは珍しいね」

 

「勘違いするな。弱いわけではない。だが、あのスプリンターズステークスほどのパフォーマンスは出せないだろうということだ」

 

 《ミラ》のトレーナー、網怜は"領域(ゾーン)"を意図して起こさせることができる。そんな与太話もある。しかし、この熊と呼ばれたトレーナーはスプリンターズステークスでのビコーペガサスの"領域(ゾーン)"が未完成であることを見抜いていた。

 

「あれは恐らく、サクラバクシンオーに太刀打ちするために(あつら)えた分不相応の付け焼き刃だ。サクラバクシンオーという明確な高い目標がいたスプリンターズステークスだったからこそよしとしたんだろう。この高松宮記念で使うのは割に合わん」

 

「言うじゃないか。高松宮記念も栄えあるGⅠレースだぞ?」

 

「『魔人』はレースの格には頓着しないからな」

 

 網が「GⅠだろうとフロックはあるでしょう」という一言で世間をざわつかせたのは記憶に新しい。これには幾人かの評論家が噛みつき至極正当な抗議をしたが、網には糠に釘であった。

 

『理由なき敗北はありえませんが理由なき勝利はありえますよ』

『勿論、勝つべき者が勝つべくして勝つレースもあるでしょう。しかし同時に、負けるべき理由を持った者が負けていき、残ったひとりが勝者となったレースもあって然るべきだと思いますがねぇ』

『GⅠ批判ではありませんよ? むしろ、GⅠだけは決してまぐれが起こらないなんて、それこそ暴論では?』

 

 これで久々に炎上した。論理的に正しかろうと、人間に感情がある以上、GⅠ1勝しか勝鞍がないウマ娘などを批判する意図にとれるために、この言説は敬遠されてきたのだが、網は配慮しなかった。割と網側の落ち度である。

 たちが悪いのは、網の担当した現役、あるいは引退したウマ娘の中でGⅠを2勝以上できていないのは、今年クラシックのマーベラスサンデーを除けばビコーペガサスのみという点である。

 そして、それを指摘した「もしスプリンターズステークスでビコーペガサスがサクラバクシンオーに勝っていても、それがフロックだったと言えるのか」という問いに対して、即座に「フロックでしょうね」と返し質問者を絶句させた。強がりや買い言葉ではなく、それはそうだろう? という語調であるのが明らかだったからだ。

 

 『本格化前にデビューしたクラシック級のウマ娘が、現役どころか歴代最強クラスのスプリンターに勝ったとして、それがまぐれ以外のなんですか』と。悪びれもせずそう返されてしまえばもはや何も言えない。感情論を一切排した正論なのだから、受け入れられずとも納得するしかないのだ。

 しかし、その後に続けた『そのまぐれを起こさせるのがトレーナーの仕事でしょう?』という一言には、多くのトレーナーからツッコミが入ったが。日本において『黒い人』に続いて『魔人』という異名が流行り始めたのは、ちょうどその頃からである。*1

 

「それに、相手がどうでもお前のやることは変わらないだろう」

 

「まぁそれも確かだがね。最近、熊さんはあの猫被りにご執心じゃないか、少しは構ってくれてもいいとは思わないか?」

 

「"あれ"は酷く気分屋な上に我が強い。が、担当したからには責任を持たなければならないからな」

 

「まったく、『死神の後継者』殿にも困ったものだな」

 

 鹿毛のウマ娘は息をついて、地下バ道を見渡した。地下バ道の空気は張り詰めている。サクラバクシンオーに抑え込まれ雌伏の時を過ごしていたスプリンターたちにとって、久しぶりの勝利を目指せる舞台だ。

 そんな姿を彼女は鼻で笑う。

 

「サクラバクシンオーに屈し諦めていた者が、諦めずに挑んだビコーペガサスに勝てるかよ」

 

 彼女も、屈していなかった。諦めていなかった。だから、あの日自分を追い抜いて駆けていった翼に、夢を見た。

 

「ビコーペガサス、サクラバクシンオーに抗ったのは君だけではない。かつて帝国から自由を勝ち取った故国のように、今度は私がこのスプリントの長となる」

 

 襟元に刺繍された星条旗の金属製の星が、地下バ道の灯光を鈍く反射していた。

*1
同時に『TASの悪魔』『才能と引き換えに情を失った哀しき化け物』という異名も一部で流行った。




 早くここ終わらせてマベサンクラシック行きたい(暴言)


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短距離レース書くことなくない???

 ビコーペガサスは他のウマ娘、特に体格とパワーに恵まれた者に向くと言われる短距離の世界のウマ娘たちと比べ、いささかそれらの面で劣っている。

 そんなビコーペガサスがスプリントでは不利となる後方一気の作戦で戦えているのは、ひとえにその高い瞬発力と柔軟性によるものだ。

 それはナイスネイチャとは似て非なる性質。周囲の状況を深く理解し操るのではなく、自分の立ち位置を瞬時に理解して即応する才。

 一瞬の迷いが命取りになる電撃戦で、人助けというヒーロー活動のために拡げた察知能力と判断速度が仕掛けどころを迷わず探り当てる臨機応変な動きを可能にしていた。

 そんな勝負勘を持つビコーペガサスはレース開始直後、登り坂があるのにもかかわらず、ゲートが開くと同時に飛び出していきみるみる離れていくウマ娘の背中を見ながら、このレースのペースが非常に速くなることを察し、ギアをひとつ上げた。

 

 ただひとり、バ群を突き抜けた位置をひた走る先頭のウマ娘。それは近年、その作戦において華々しい結果を残すウマ娘が目立ってはいるものの、決して強いとは言い難い。サッカーで言えばオーバーヘッド、野球で言えばアンダースロー、そんな作戦。

 電撃戦においてはそれよりも長い距離と比べればその作戦の難易度は下がるとはいえども、好んでその作戦を決行する者は多くない。しかし、不意打ちに近い形でそれが現れれば、間違いなくレースは荒れる、大逃げという作戦を星条旗のウマ娘、エイシンワシントンは迷いなく打ってきた。

 スタミナが尽きる前にゴールへ。最も単純な思考が、距離の短いスプリントでは現実味を増す。自然、そんな大胆不敵な逃亡者を好きにはさせまいと追う後続によって、レースのペースが引き上げられる。そしてその分、展開は早くなる。

 

 刻一刻とゲームエンドが迫る中、ビコーペガサスは自身の勝利が絶望的になったことを感じていた。展開、能力、バ場、それらすべてが、ビコーペガサスの勝ち筋を封じていたからだ。

 大逃げしているエイシンワシントンを差すにはふたつの手段がある。コーナー手前からまくり上げるか、最終直線で強襲するか。

 

 前者が難しい理由は、ビコーペガサスのスタミナ面にある。ただでさえ重バ場で足を取られスタミナを浪費している上に、中京レース場はスパイラルカーブという形状を採用している。

 スパイラルカーブとは入り口のカーブが緩く、出口に行くほど(きつ)くなるように設計されたコーナーのことであり、高速でコーナーに入りやすい代わりに遠心力が強くかかるため、スピードが出ているほど外側へ振られ、バ群がバラけやすくなるという特徴がある。

 つまり、まくるためにスピードを上げてコーナーへ突入すると、それだけ長い距離を走る必要があるということだ。その上、エイシンワシントンに釣られてハイペースになっているこのレースでは、先団の多くがスパイラルカーブで外へ振られ、最終直線の外側に垂れたウマ娘が溜まる蓋然性が高い。踏ん張りにくい重バ場ならなおさらだ。

 

 では最終直線で追い込むのはどうかと問われれば、それは確実に仕掛けどころを逸していると言わざるを得ない。理由はやはり、重バ場が関係している。

 力が伝わりづらく加速しづらい重バ場で十全に加速しきるには、ビコーペガサスは非力すぎるのだ。

 網に提案されていた先行策は最初に切り捨てた。まくりよりもスタミナを浪費する上に恐らく追いつけないからだ。

 

 ハッキリ言ってしまえば詰みだ。ウマ娘レースの世界では最後まで勝者はわからないと言われるが、敗者が早々にわかってしまうことは少なくない。

 相性が悪い相手、不利な環境、経験の差、能力の成熟度、すべてがビコーペガサスの向かい風となっていた。

 スパイラルカーブを進むエイシンワシントンは、そんなビコーペガサスを一瞥し、すぐに前へ目を向け直す。

 

(……スタミナは十分。このまま粘りきれるな……さぁ、どうするビコーペガサス)

 

 ビコーペガサスは確かに詰んでいる。ただしそれは、1着をとるということに対してだ。ビコーペガサスの実力なら、掲示板どころか3着以内にまで迫ることができるだろう。エイシンワシントンはその程度にはビコーペガサスを評価していた。

 スパイラルカーブを飛び出したエイシンワシントン。2番手とはまだ3バ身差。息はあがっているが、失速は僅か。このままなら先頭のままゴール板を踏み抜ける。

 

(だからと言って、ビコーペガサス/アタシが諦める理由にはならないッ!!」

 

 最終直線に入ったビコーペガサスが飛び立つ。

 足は重い芝を滑り、思うように力を伝えなくとも、懸命に一歩を踏みしめて前へ前へと加速する。

 3着で、2着でいいやなどという消極的な感情は一切見えない。その走りから見いだせるものはただ"1着をとる"という不屈の意志。

 網によって調整され齎された蝋の翼ではない、ビコーペガサス本来の翼が羽撃く。スプリンターズステークスのそれとは比べるべくもない未熟な翼。

 群を抜き、ビコーペガサスが、ヒーローの雛がエイシンワシントンに迫る。

 

『……小さきヒーロー、ビコーペガサス。だが、スーパーヒーローならば合衆国(われわれ)には一日の長があるぞ?』

 

 それを迎え撃ったのは、夜闇(ダーク)極彩(ビビット)という相反する概念を孕んだ建国者の"領域(ゾーン)"だった。

 ヒーロー或いはヴィラン(正体を隠す者共)の舞台である月下の摩天楼と、誇張(カリカチュア)省略(デフォルメ)の象徴たる背景という、ふたつのテクスチャが覆い被さる。

 ビコーペガサスの"領域(ゾーン)"が塗り替えられ、過集中が崩れる。それは、エイシンワシントンがゴールへ駆け込むには十分な隙だった。

 

 1着、エイシンワシントン。ビコーペガサスは眩んだ隙を後続に突かれ僅差の3着。

 

 地下バ道へ戻ってきたビコーペガサスを網が出迎える。よくやった、とは思っている。網自身、短距離への調整を苦手としている。集積したデータから様々な演算を経て経験の差を埋める網にとって、データが不足している短距離レースは鬼門と言えた。

 本格化前だったクラシック期とは違い、成長途中とはいえ本格化が始まったシニア期の初GⅠでの敗北が、ビコーペガサスのメンタルにどれほど響いているかを確認しようとその表情を見る。

 上出来ではある。あらゆる不利を埋めて、勝ち取った結果としては十分すぎる。ビコーペガサスは最善の最良をやり通した。

 

 そのうえで、ビコーペガサスの瞳には悔しさが滲んでいた。勝てなかったことへの悔しさではなく、己の力不足への悔恨が。

 

「……まずはクールダウンです。レース運びに言うことはありません」

 

「うん……」

 

「何が不足しているのかわかっているならば、鍛えるだけです」

 

「……うん」

 

 ビコーペガサスは未熟である。

 しかし未熟とは、未完成とは、可能性の同義語だ。少なくとも諦めない限りは。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 翌月。クラシック戦線が始まった。

 中山レース場、皐月賞。天候は曇、稍重。

 優勝候補筆頭とされていた最優秀ジュニアウマ娘であり、前哨戦の弥生賞を快勝したフジキセキが故障で不出走という波乱の中で、出走者たちは群雄割拠と言える。

 フジキセキと同じく日本において最初にサンデーサイレンスの薫陶を受けたホープフルステークス勝ちウマ娘、タヤスツヨシと、前哨戦の若葉ステークス勝ちウマ娘、ジェニュイン。

 弥生賞でフジキセキに続いて2着に入ったホッカイルソー。ニッポーテイオーの愛弟子でここまで全連対のダイタクテイオー。

 そしてジョーカー、《ミラ》のマーベラスサンデー。

 

「なるほどな。お前が警戒するのもよくわかる。全員仕上がってるし、かなり完成度が高い。誰が勝ってもおかしくないな」

 

 ファンファーレが鳴り響く中、観客席で、若き天才のひとりと呼ばれているトレーナーは、傍らの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()担当へと語りかける。

 

「でも、お前なら勝てたんじゃないか? マヤノ」

 

 マヤノトップガン。

 ()()()()()()()()()()()た彼女は、ダートでのレースを最初の1戦だけにおさめ、京成杯を勝利、()()()()()3()()に入って優先出走権を手にしたにも関わらず、皐月賞へ出走しないことを決めた。

 世間ではすわフジキセキの二の舞か、脚部不安のぶり返しかと騒がれたが、トレーナーである羽原はマヤノトップガンの判断を尊重しただけだ。少なくともレースでの戦術と戦略においては、マヤノトップガンの天性の直感以上に頼れるものはないと理解しているから。

 

「ムリだよ」

 

 そして、そのマヤノトップガンからそんな断定的な一言が飛び出してきたことに、羽原は驚愕を隠せなかった。

 

「一回でも見れてたらわかったかもしれないけど、結局ここまで見せずに来ちゃったからなぁ……うん、多分マヤでも初見じゃムリだと思う」

 

「……やっぱ、マーベラスサンデーか?」

 

 マーベラスサンデーはマヤノトップガンの特に仲の良い友人のひとりであり、親友とも言える。

 《ミラ》のトレーナーである網はマーベラスサンデーの本気を隠させているというのは、多くのトレーナー、ウマ娘たちの中での共通認識となっていた。だが、それを踏まえてもマヤノトップガンがそんな弱気を見せるとは、羽原も予想外だったのだ。

 

「一回外から見て、一回体験して、それでようやく届くかなーって。だから皐月は捨てて、ダービーで試して、勝負は菊花賞かな? マベちんが秋天に行かなければだけど」

 

「――そこまで、なのか……」

 

 あのマーベラスサンデーというウマ娘の本気は、それほど強いのか。

 そんな意味を持った羽原の唸りに、マヤノトップガンがしかし、首を振った。

 

「ううん、そこまで強いってわけじゃないよ?」

 

「……は?」

 

「ただね、()()()()()()

 

 マヤノトップガンの返答と同時に、ゲートが開き。

 

「マーーーベラーーーッス☆!!!」

 

 前代未聞が始まった。



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驚くべき(マーベラス)空間

 ウマ娘レースにおいて、「目を疑う」という経験は枚挙にいとまがない。勝利への執念から容易に己の限界を超えるウマ娘たちの走りは、人間の想像力など簡単に飛び越えていく。

 何が起こってもおかしくはない。自分の見たものを疑わない。それを信条としていた羽原は今初めて、「自身の正気」を疑った。

 

「……マヤノ、お前、()()を知ってたのか……?」

 

 震える声で、隣にいる相棒に話しかける。この担当ウマ娘は『理不尽』であると断言して皐月賞への出走を蹴った。何かしら情報を掴んでいたのかと。

 しかし、それをマヤノトップガンは否定する。

 

「ううん。ただ、マベちんのトレーナーなら、マベちんの何を隠すかなぁって考えてたら、多分こういう方向かなって。()()()()とは思ってなかったけど」

 

 会場が騒然としている。そこは既に、コンクリートで形作られた現代のレース場ではない。レース場全体を飲み込むマーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"によって様変わりしている。

 だが、そうではない。その程度のことではない。確かにこれほど大規模な"領域(ゾーン)"は尋常ではない。しかし、前例がないわけではない。日本に限定しても、シンザン、クリフジ、トキノミノル、そしてシンボリルドルフの4人が、会場全体を巻き込むほど大規模な"領域(ゾーン)"を見せている。

 

 だから、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"はそれらとは、それらとすら、一線を画している。

 それは例えば、持続時間。前述のそれらは、ゴール前のほんの数秒、大衆の目前に晒されただけだったが、マーベラスサンデーのそれはスタート後の直線を終え、コーナーに突入してなお形を保っている。

 それは例えば、侵蝕率。前述のそれらで最も現実を侵蝕したのはシンボリルドルフの第2"領域(ゾーン)"であり、それさえただ会場内の風景を変えるに留まっている。他の3つに至っては、現象を起こしたに過ぎない。一方、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"は、客席の感触や会場の空気といった、それ以上のリアリティを以て観客たちへ伝わっている。

 しかし、それらでさえない。それらはまだ既存の"領域(ゾーン)"の範疇に収まっている。言ってしまえば常識の範囲内なのだ。『過集中が起こす集団幻覚』という"領域(ゾーン)"の定義の。

 

 それは、まさに異界。パッチワークのように継ぎ接ぎされた密林、遺跡、海底、月面、それらが数秒ごとに、万華鏡のように移り変わる。

 そんな光景を、()()()の観客が目にしていた。集団幻覚では説明がつかない、モニター越しに。

 

 その日、世界史上初めて、"領域(ゾーン)"が()()された。

 

 

 

Tips : 怪異は実在する。魔法は実在する。たとえ観測されていなくとも、少なくともこの世界ではそれが証明されている。

 

 

 

(ふざけるなっ!! こんな、こんなものっ……!!)

 

 そう心中で吐き捨てたのは誰だったのだろうか。この皐月賞を走るウマ娘の、恐らくひとりだけではあるまい。

 稍重のターフを走っていたはずだ。しかし、足から伝わる感触は硬い岩壁であり、時に鬱蒼と生い茂った丈の長い雑草であり、時に巻き上がる水中の泥砂であり、時に手応えのない無重力の月面だ。

 それだけでない。落盤に巻き込まれる。クレバスに落ちる。見たことのない生物に襲われる。おおよそ死を覚悟した瞬間、一瞬だけ意識が遠のいたあと、すぐ走っている状況へと引き戻される。そんな現象だけが、この異様な空間が現実ではないと証明している。

 裏を返せば、それ以外は彼女たちにとって、現実に他ならない。

 

(こんなもの、レースじゃないっ!!)

 

 避けようとすれば、発生した障害は避けることができる。しかし、それに集中しようとすればするほど、レースの走りとはかけ離れていく。この世界の主を除き、レースなどさせてもらえていない。

 出走者も、トレーナーも、観客も、そして、TVや配信越しにそれを見ている視聴者も、騒然か呆然の2種類の反応しか取れていない。

 レース中止の判断がなされていないのは、URA役員と判定員に対し、網が事前に「これが"領域(ゾーン)"である」ということを実演で説明してあったからだ。あくまで直接的な妨害はされておらず、会場も実際に変化しているわけではないと、計測機器によって証明されている。たとえ撮影することができていても、これは幻覚に過ぎないと。

 そもそも、"領域(ゾーン)"の定義自体が曖昧なのだ。研究が追いついていない以上、これを"領域(ゾーン)"ではないと言い切ることはできない。そして"領域(ゾーン)"ならば受け入れるしかない。ウマ娘レースの歴史は、既に"領域(ゾーン)"が存在しなかった時間のほうが短いのだから。

 

 そんな大義があれど、実際に同じレースを走っているウマ娘にしてみれば冗談ではない。その理由は前述のウマ娘たちの心情に尽きる。レースをさせてもらえないのだ。レースのために行ってきたトレーニングなどなんの意味もなさない。

 マーベラスサンデーが、正確にはそのトレーナーである網が隠し玉を用意していることは予想していた。しかしそれは、例えばツインターボのスタミナ偽装やナリタタイシンの末脚隠蔽のような、一種の初見殺しだと思っていたのだ。一度見られれば対策を立てられてしまうから隠しているのだと。

 蓋を開けてみれば、一度見ればどころか、対策も何も思いつかない理不尽。

 もはやこの皐月賞はレースの体をなしていない。スローペースを狙っていた逃げウマ娘は転がる巨岩に追われ、大逃げのようなハイペースを強制させられている。各々が迫りくる神秘の脅威への対処に追われ、レースを組み立てられないでいるのだ。

 一発逆転の"領域(ゾーン)"も発現さえできない。こんな状況で集中などできるわけもないのだから当然だ。

 

 いや、ただひとり、かろうじてこの事態に抵抗できている者がいた。裏を返せば、彼女以外は対処は疎か抵抗さえできていないのだが。

 魂に宿る勝利の経験か、或いは『正確無比』を意味する真名の言霊か。レースとも呼べないこの騒乱の中で、ジェニュインだけがレースという形式にギリギリ指一本引っかかっていた。

 条件戦で中山2000mを走った経験を正確に思い描き、それをなぞるように体を動かすことで、最小限の誤差で走ることができている。その物理的な障害となる他のウマ娘がまともに走れておらず、邪魔にならないというのが幸運だった。

 しかしそれでも、ベストパフォーマンスからは程遠い。

 

 マーベラスサンデー本人は未だ中団を走ってはいる。しかし、それは彼女の得意とする脚質が差しだからというだけであり、やろうと思えばいつでも追い抜けるのだろう。

 その動きを見れば、彼女もまた"領域(ゾーン)"の世界に囚われていることはわかる。ただ、その世界への対処法に精通しているだけで。

 実のところ、どんな原理で、どんな力が働いてこうなっているのか、網は疎かマーベラスサンデーにさえわかっていない。それどころか、マーベラスサンデーには「これが"領域(ゾーン)"である」という自覚すらない。

 事実、"領域(ゾーン)"では、ないのかもしれない。しかし、誰もそれを観測できない。誰も区別をつけられない。だから、"領域(ゾーン)"として扱うしかない。まさに、未知。

 

 ゴール前300m、マーベラスサンデーが先頭を走っていたウマ娘を躱しハナを奪う。その瞬間、異界の風景は朝靄のように消え去り、元の曇り空のターフが現れる。

 マーベラスサンデーの悪癖である、先頭に立つとソラを使ってしまう癖。この悪癖は、普通にレースをする分には問題ない程度には矯正できたのだが、過集中を必要とする"領域(ゾーン)"の維持ができるほどの集中力を保てるまでには矯正できていなかった。

 我に返ったウマ娘たちが立て直そうとするも、その多くはまだ最終コーナーの入口付近。最後尾のウマ娘などまだ第3コーナーという絶望的な状況だ。

 唯一ジェニュインだけがマーベラスサンデーの背中を捉えているが、それでもまだ5バ身以上の差がある。

 

 担当が理不尽に蹂躙される様を見せられたトレーナーたちは、八つ当たりだと知りながらも元凶であろう黒い魔人を睨む。

 奴が皐月賞まで温存などさせず、ホープフルステークスでこれを使わせていれば。こんな理不尽があると事前に知っていれば、NHKマイルカップに目標を変更することもできたのに。

 そんな網に、あるいはマーベラスサンデーに注がれているのは、しかし怨嗟の視線だけではない。それはかつてのナリタタイシンやビコーペガサスのような、フィジカルに致命的な難を抱えるウマ娘たちからの、希望の眼差し。

 ナイスネイチャのような難解な策謀よりも圧倒的に派手でわかりやすい"領域(ゾーン)"という強大な力は、彼女たちの目を眩ませた。

 そんな様々な感情の籠もった視線を受けながら、嘲るかのような笑みでそれを受け流す網の眼下で、後続を置き去りにしたマーベラスサンデーが今、ゴール板を駆け抜けた。

 

 

 

「アレ怒ってない?」

 

「最後の減速、流したんじゃなくてソラ使ったからだと思うの。お仕置きかな?」

 

「あ〜……南無」



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オグタマライブ ??/04/16

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「さて、今日はみんな大好き皐月賞の時間やでぇ」

 

「優勝候補だったフジキセキとマヤノトップガンが出走回避したものの未だ群雄割拠。誰が勝利してもおかしくない状況だ」

 

『フジキセキのクラシック見たかった……(´・ω・`)』

『トップガンはなんで出ないん?』

『わかっちゃったんやろ多分』

『トップガンと羽原だからなぁ……俺らにはわからん何かがあったとしてもおかしくない』

『そこらへんのトレーナーがやったら袋叩きだろうけど羽原だからなぁ……』

 

「まぁとりあえず注目選手の紹介しとくで。まずはジェニュイン。フジキセキと同じくサンデーサイレンスが社北でアドバイザー始める前にアドバイス受けた娘や」

 

「フジキセキは《リギル》所属のウマ娘で、デビュー前から注目を浴びていた分、サンデーサイレンスによるアドバイスを受ける前後の比較がしやすかったから、より――尖った、と言おうか。より尖った走りになり、実力が明らかに上がっていたことから、サンデーサイレンスのアドバイスにも注目が集まった」

 

「社北のホームページによると、それぞれのウマ娘が本能的に走りやすい走法を教えとるっちゅう話やな。ただ、話によるとその走法がわかるウマ娘とわからんウマ娘がおるから、誰にでも教えられるんとちゃうみたいや」

 

「また、走りやすくなる分、自分の限界を超えやすくなり、故障の危険性が高まるとも事前通告されるようだ」

 

『そらノーペインノーゲインよ』

『でもその結果引退に追い込まれたフジを見てると、自己責任を承知の上で教えに従ったとわかっていてもモヤモヤする……』

『寮長若干やつれてたからな……』

 

「いやでもそんなんサンデーサイレンスのアドバイス以外でも同じやろ。どんなトレーニングでもアドバイスでも結果的に限界を超えやすくなるんやったらそら故障しやすくもなるわ」

 

「手段がひとつ増えただけのことだ。サンデーサイレンスに文句を言うのは筋違いだろうな」

 

『それはそう』

『サンデーサイレンスが批判に傷つくのが想像できん』

『あいつは中指立て返すタイプだからな』

『そもそも社北がケツ持ってる以上怖くて文句も言えんわ』

『SS単体でも怖いが?』

 

「ほんでジェニュイン本人の話やけど、『精密機械』とか言われとんのか?」

 

「全戦連対と安定した成績に加えて、フォームが崩れないことからそう呼ばれているらしいな。重賞勝利こそないが、リステッドであり前哨戦である若葉ステークスを制している」

 

「ほんでこっちはホープフルステークス勝ちウマ娘のタヤスツヨシやな」

 

「フジキセキ、ジェニュインと同様の経緯でサンデーサイレンスからアドバイスを受け取っていて末脚が売りだ」

 

「次。《ミラ》のマーベラスサンデーやな」

 

『タヤスツヨシ簡素すぎん?』

『短くて芝』

『まぁ気持ちはわかる』

『言及することは特にないけど言及しなかったらしなかったで各方面から突き上げ食らうからな』

『ホープフルが八百長って言われてんの芝も枯れるんだよな』

『まぁ2着のマベサンが《ミラ》所属じゃなければ信憑性ある程度にはアレだった』

『《ミラ》所属が八百長はなんかもうありえないもんな。メリットがない』

『それはそれでマベサンが露骨にハナとってソラ使うタイプっていう悲惨な事実が明らかになるのだが』

 

「マーベラスサンデーは今んとこ重賞いくつか出て全部掲示板内、その賞金で皐月賞出てるみたいなもんやな」

 

「敗着はほぼ全てゴール直前で差し切られている。コメントにもあったが、先頭になるとソラを使うタイプだろうな」

 

「せやけどなんか隠してるっぽいし、一番警戒すべきやろなぁ……」

 

『隠し方が露骨』

『《ミラ》ってだけで疑われるようになったから隠してることを隠さなくなった黒い人』

『マヤノトップガンの出走回避はマベサンの隠し玉を見るためだった……?』

『それならレースに出て見たほうがよくね?』

『でもあのふたり仲いいし何かしら知ってそう』

 

「次行くで。ホッカイルソー、フジキセキが勝った弥生賞で2着やったけど、強いレースが評価されての高人気や」

 

「成績自体も3着以内のみと安定しているな」

 

「ほんで最後の注目株、ダイタクテイオーや。アーリントンカップで2着、毎日杯を勝っとるし、ニッポーテイオーの弟子やからNHKマイルカップに行くもんやと思っとったわ」

 

「松国ローテかもしれないな。それにしても前哨戦までしっかり出ているのだが……」

 

『ニッポーテイオーはマイル路線の本命やからとりあえず怪我せずに戻ってきてほしい』

『ジェニュインもどっちかというとマイル寄りじゃね?』

 

「そろそろ発走すんでー」

 

 

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

『ぱぱぱぱー』

 

「…………」

 

「…………」

 

『!?』

『は』

『!!?』

『、?』

『なんこれ』

『ファッ!?』

『現実?』

 

「…………」

 

「…………」

 

『黙っちゃった』

『いやそれはそう』

『待って、現場組なんだけどゾーンがすごい』

『配信組も見えてるから絶句してんだよ!!』

『CGじゃないの?』

『こちら現場組、客席が岩になった。どーぞ』

『こちら現場組、手触りが完全に苔。どーぞ』

『領域研究ニキー!! 早く来てくれー!!』

『いやわからん。これ本当に領域? @領域研究者』

『お前が分からなかったら誰もわからんだろ!!』

『お手上げで芝』

『【速報】各掲示板が阿鼻叫喚。4chanでは外人が阿鼻叫喚』

 

「……あ、ペイザからLANE来た。アメリカ中継でも見えとるわ」

 

「ホーリックスからも連絡が来ている。オーストラリアでも見えてるらしい」

 

『まーたミラが世界を驚かせてしまったか』

『違うそうじゃない』

『菊丸が分身し始めた辺りを思い出した』

『かろうじてレースの概念を守っていたものが完全に異能バトルになった瞬間』

『伝説時代が英雄譚時代になったって言ったやつ誰だよ。都市伝説時代じゃねえか』

 

「えっ……てか、何人か死んでへん……?」

 

「致命傷を負うたびに復活しているな……見る限りでは痛みなどは感じていなさそうだが……」

 

『URAに問い合わせたけど事前の協議で問題ないと判断されてるって』

『黒い人しっかり根回ししてんじゃん!!』

『びっくりしたでしょう?』

『びっくりしたでしょう?』

『びっくりしたでしょう?』

『黒い人わらわらで芝』

『確信犯だ……』

『やめろー! こんなのレースじゃない!!』

『実際レースになってないんだよなぁ……』

『やりたい放題じゃん』

 

「えー……1着、マーベラスサンデー。2着ジェニュインやね、一応……」

 

「言葉が見つからない」

 

『ここまでのまとめ

・他の領域と違って撮影はできるが、苔とか触っても汚れないし死んでもリスポーンしてるので多分現実ではない

・効果範囲自体はレース場全域だけど建造物内は変化なし。表面だけ

・多分ターフの感触も変化してる

・領域の影響で直接怪我することはない

・本人も食らってる』

『VRウマレーター状態……ってコト……!?』

『逃げの子可哀想過ぎて芝』

『でもラストで思いっきりソラ使ってたゾ』

『走りそのものは普通に強い止まりだから、クラシックでは抜けててもシニアならもっと強いやつたくさんいる。走りそのものは』

『レースになればな』

『誰が悪いってわけでもないんだが一生に一度のクラシックがこれなのは流石に同情するわ』

『クラシックでタイムオーバーってどんくらいぶりだ?』

『【悲報】スペースネイチャ』

『またチームメイトが何も知らされてない……』

『チームメイトどころかルームメイトなんだよなぁ』

『ネイチャウマッター「レースでもできるのそれ……」』

『レース外でもできるのこれ!!!?』

『もう"異能"じゃん』

『マーベラスクラウン氏「何も知らない」と供述』

 

「これ初見で勝てるとすればルドルフか?」

 

「ルドルフなら勝ち目はあると思う、あとはマルゼンスキーか……ハッキリ言って私は無理だ」

 

「ウチもアカンわ。初見やないとすればどないや」

 

「タマならいけるんじゃないか? 私は……少し相性が悪い」

 

『皇帝への圧倒的信頼感』

『会長の山の方の領域ぶち当ててほしいわ』

『世界が壊れたらどうする』

 

「インタビュー始まるで」

 

「トレーナー不在のようだが……珍しいな」

 

『黒い人がついてないの確かに珍しい。てか初めて?』

『報道陣の詰め寄り方よ……』

『まぁ気持ちはわかる。前代未聞やし』

『これ相手にうまく立ち回れると思われてんのか。黒い人がそこまで読めてないわけないし』

『?』

『は?』

『んんんん?』

『なんて?』

『なんもわかんなくて芝』

『すまねぇロシア語はさっぱりなんだ』

『ロシアへの熱い風評被害』

『報道陣諦めてて芝』

『これにアドバイスできたサンデーサイレンスってもしかしてヤベー奴ッスね。忌憚のない意見ってやつッス』

『いや、マーベラスってもうちょい普通に喋れるはずだけど@無敵☆最強☆テイオーちゃんねる』

『マ?』

『モノホンテイオーじゃん』

『報道陣をあしらうための演技……ってコト……!?』

『意外と知能派』

 

『【悲報】フンギャロ、怒りのお気持ち表明』

『意訳「ちゃんと解明できるまでマベサンはこっち来ないでください。マジで」』

『残当』

『フランス壊れちゃう』

『トウショウ家も反応してんぞ』

 

「サマンサやね」

 

「サマンサだな」

 

『知り合いなん?』

『サマンサトウショウ*1はオグリの同期でクラスメイトだっけ。重賞ウマ娘ぞ』

『あー、あのメカニックの娘か』

『サマンサの技術明らかに物理法則無視してるよなと思ってたけどあれも異能なのか……』

 

「こら日本ダービーはどこまでマーベラスサンデー対策できるかにかかっとんな……せやないとマーベラスサンデー一強になるで……てか人集まるんか?」

 

「集まるだろう。あれは体験しないと対抗できない代物だ。皐月賞前に知られていればNHKマイルへ行く道もあったが、ダービーなら選択肢はない」

 

「ダイタクテイオーとかジェニュインあたりはダービー避けて安田行きそうやけどな……さて、ほなこのへんでしめよか」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』

*1
スイープトウショウの祖母のモデルとなっていますが、本作では別人とします。



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ある日、山の中

 ついに一週間とか間開けよったでこいつ


『やぁ! ノンストップ・ラビット!! 長い幕間だった(久しぶりだ)ね!』

 

 皐月賞が終わった翌週、ドリームシリーズに向けて体作りをしていたツインターボのもとに、珍しい来客があった。来客である身振りが大げさな鹿毛のウマ娘は流暢なイギリス英語でツインターボに話しかける。

 

『……あぁ! オペだな!! 久しぶり!!』

 

 客人の顔を見て少し記憶を漁り、ツインターボは客人の名前を思い出す。そもそも、それほど会話をしたわけでもなく、特段仲が良かったわけでもない。同じレースで一度だけ走った程度の仲であるから、すぐに思い出せなかったのも無理もないことである。

 彼女の名はオペラハウス。BCターフでツインターボと対戦したイギリスのウマ娘である。とはいえ、彼女は7着と掲示板にも入っていないのだが。ツインターボがかろうじて覚えていたのも、キャラのインパクトが強かったからである。

 

『いやぁ、急に押しかけて申し訳ない。ワタシという無類の煌めきを放つ存在を目に収めるためにはそれなりの心構えが必要だろうに……』

 

『変わらないなぁお前。で、なんの用?』

 

『いやなに、用があるのはワタシではなく妹でね……ほら、君のチームメイトにNINJAがいるだろう? 妹は彼女のファンでね、一度会ってみたいと言うことだったから連れてきたんだ』

 

『待って姉さん話を聞く限りだと姉さんとライスシャワー限りなく親交がないに等しいんだけど!? 完全に無理に押しかけてるよね私たち!?』

 

 オペラハウスに待ったをかけたのは彼女に似た鹿毛のウマ娘――オペラハウスの言葉を信じるなら妹であるらしい少女だった。

 弁解しておくと、オペラハウスはややシスコンじみたところがあるため、妹さえ絡まなければここまで図々しくはない。

 そしてこの妹、常識はあるのだがどうにも味付けの濃い姉相手だと流されがちなところがあった。それに加え、ライスシャワーへの憧れも彼女の思考を鈍化させたのだろう。

 

『あー、残念だけど、ライスなら今いないよ。春天に向けて北海道行ってる』

 

『ほ、北海道ですか……短期合宿みたいな……?』

 

『支笏湖で耐久潜水と恵庭岳で高所トレーニングするって』

 

 具体的な地名を出されてもピンとこなかったオペラハウスの妹は、やっぱり世界一のステイヤーともなるとトレーニングからして違うんだなぁなどと思考を飛ばした。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 恵庭岳。北海道に位置する山であるここを選んだ理由は、「日本一水質が良い湖」こと支笏湖に隣接することにある。

 日本に存在するプールでは深くても5m程度なのに対し、支笏湖の平均水深は200m超だ。深く潜ればそれだけ、体にかかる負荷は上がる。

 とはいえ、いくらウマ娘の身体能力が人間を凌駕していようとも200m生身で潜るわけもなく、精々が10m前後の辺りを長時間潜水するというトレーニングを行った。

 そして現在は、隣接する恵庭岳での登山中である。高所トレーニングの有用性については、もはや言うまでもないだろう。

 ウェアラブルデバイスでライスシャワーの状態を確認し、適切なタイミングで網のいる休憩地点へ戻りつつ、ひたすらに自身を追い込んでいく。

 ここ数日で履き潰したシューズの数は、サイレンススズカがひと月に履き潰すシューズの数に匹敵する。これは、一般的なウマ娘が四半期に履き潰すシューズの数とおおよそ同じである。

 行っているトレーニングの効果は、通常トレーニングと聞いて思い浮かべるようなステータス上昇、能力の底上げではない。言うなれば、一時的な限界の拡張。成長というよりはバフに近いだろうか。

 

 そして、ライスシャワーが網からの指示を受けて一度休憩地点へ帰還しようとしている、その途中の出来事だった。

 ライスシャワーからやや離れたところの藪が、がさりと音を立てた。ライスシャワーはその音を聞き咄嗟に警戒する。

 

 恵庭岳は北海道の山であり、当然、熊も生息している。一般的に熊と遭遇した時は背を見せて逃げてはいけないというルールがあるが、これはウマ娘でも同じことである。

 確かに走力だけを見ればウマ娘は熊を上回っているし、競技ウマ娘であればスプリンターでもない限り熊より長く走ることもできる。しかしそれは整備された道での話だ。

 山道とは言え舗装されているわけではなく、脚に対する負担が強い山中で、ウマ娘の脚はあまりに脆い。トレーニング目的ならともかく、熊から逃げてどちらが先に走行不能になるかと問われればウマ娘だろう。*1

 熊鈴やホイッスルといった対抗策も持ってはいるが、今まで熊と遭遇したことがないライスシャワーは、とてつもない緊張感に包まれていた。

 

 そうして、藪の中から黒い影が現れた。

 

「ヨッ!」

 

「…………」

 

 子供特有の低頭身。ライスシャワーによく似た片目隠れの黒鹿毛。何を考えているのかわからない目。

 いつかうさぎカフェで出会ったライスシャワーのファンの少女が現れた。

 

「……なんで?」

 

「よろしくゥ!!」

 

 混乱するライスシャワー。何かをよろしくしている黒鹿毛。そんな仮称雑穀の後ろからさらに複数のウマ娘が現れた。

 そのうちふたりはライスシャワーも見たことがある。ツインターボやそのライバルであるハシルショウグンに憧れていると言っていたウマ娘のコンビであり、マル、リユと呼び合っていた少女たちである。

 他にふたり、知らない小学生ほどのウマ娘がいる。片方は特徴的な「6」のような形の星があるウマ娘であり、もうひとりはひときわ小柄な体躯のウマ娘だ。

 そしてそんなとねっ娘*2たちの後ろに、引率であると思われる栗毛のウマ娘が立っている。

 長身ではあるが猫背であるがゆえに下から見上げる形になる三白眼の瞳。美しい毛色とは裏腹にボサボサで乱雑にくくられた髪。顔の下半分を隠しているマスクといった様相の、中高生程に見えるジャージ姿のウマ娘だった。

 

「ミア、先突っ走ったらアホふたりの二の舞に……あっ、えっと、登山客の方ッスか……? すんません、ウチのが迷惑かけて……」

 

「あー!! ぐらんしってる!! このひとおこめちゃんだ!!」

 

「グラン人に向けて指さしたら、えっ、お米ちゃんって、ライスシャワーさんッスか……? マジ? ホンモノ……」

 

 ライスシャワーに指を向ける「6」のウマ娘、有名人との遭遇に完全に固まったマスクのウマ娘、注意したマスクのウマ娘に対しておおよそ原型を留めないレベルの変顔を敢行する雑穀とにわかにカオスが生まれつつある場で悠然と動き出したのは、一番小柄なウマ娘だった。

 

「そなた。このひとたちみてない?」

 

「そな……えっと……?」

 

 ライスシャワーに差し出されたウマホには撮影されたであろう写真が映っている。小柄な少女は、2枚の写真をスライドして交互に見せた。

 一方に写っていたのは少女たちと同じくらいの年かさの芦毛の少女で、もう片方はマスクのウマ娘と同じくらいの年のウマ娘である。とはいえ雰囲気にはかなり差があり、ボサボサした栗毛で長身のマスクのウマ娘とは対照的に、ストレートの鹿毛をした小柄な、クールそうに見えるウマ娘だった。

 

「えっと……ううん、見てないかな……」

 

「それはざんねん。それと、サインがほしい。よのいもうとがそなたのファンなので」

 

「よ……余……? あ、うん、いいよ……」

 

「メロちゃん、その言葉遣いはネーちゃんどうかと思うッスわ……」

 

「そにもぷいおねえちゃんもどこまでいっちゃったんだろうね?」

 

 ライスシャワーが小柄な少女から受け取った、新品ではないが洗濯してから使っていないであろうタオルに、同じく渡されたマジックペンでサインを書いた、その直後のことだった。殺戮者のエントリーだ。

 ライスシャワーたちからわずか数十メートルの藪中から現れたのは、日本に生息するクマのスタンダード、ヒグマであった。

 即座に臨戦態勢に入ったのはなぜか一番小柄な少女であったが、すぐに保護者であるマスクのウマ娘がとねっ娘たちを背中に隠すように立ち位置を変える。しかし、その脚は当然ながら震えていた。

 最悪なことに、ヒグマはすでにこちらめがけて走ってこようとする仕草を見せている。ライスシャワーは首から提げていたホイッスルを手に取り咥える。効果がなければそれで終わりだが、他に手段もない。

 

 その瞬間、世界が明転した。

 

 

 

『マーーーベラーーーッス☆』

 

 

 

 ふと気がつけば、ライスシャワーたちは網が待機している休憩地点に立っていた。

 ヒグマに遭った直後からの記憶がないライスシャワーたちは皆しばらく混乱と硬直で動けずにいたが、ライスシャワーに対して網が声をかけることで我に返ることとなった。

 

 

 

「いやー、お世話になったッス」

 

 ペコペコと頭を下げるマスクのウマ娘。探し人である芦毛のとねっ娘と鹿毛の少女は網とともにいた。

 改めて事情を聞くと、トレセン生であるマスクのウマ娘と鹿毛のウマ娘は、それぞれの親戚の子供であるとねっ娘たちを預かって登山に来ていたのだが、その途中で何故か走り出した芦毛のとねっ娘と、それを追いかけた鹿毛のウマ娘が逸れていたとのこと。

 偶然ながらふたりは網の用意したライスシャワーの休憩地点へ行き着き、LANEで位置を送ろうとしたタイミングで、ライスシャワーたちが現れたらしい。

 しかしながら、ライスシャワーたちが現れた瞬間を誰も見ておらず、いつの間にかいたとしか言えない状況に、皆首を傾げるしかなかった。

 

「おるねぇよ。であれば、れいとしてあれをおしえてやるのはどうだろうか?」

 

「えっ、"アレ"……? いやでも、"アレ"ってアタシ以外できるヒト見たことないんだけど……」

 

「でも、私も"アレ"はステイヤーには有用だと思う。流石に『偉大なる栗毛(ビッグ・レッド)』の等速ストライドには劣るけど」

 

 それぞれの年齢層で小柄なふたりがそんなふうにマスクのウマ娘に教えるよう促す"ナニカ"に対して、網は少し興味が湧いた。

 等速ストライドと言えば小柄な鹿毛が言う通り、最大着差31バ身差という現実離れした数字を叩き出したアメリカの三冠ウマ娘、2()()()偉大なる栗毛(ビッグ・レッド)』ことセクレタリアトの使う、空前絶後の技術のことだ。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という驚くべき技術。ピッチ走法で加速し、スピードに乗ったらストライド走法へ切り替える。そんな荒唐無稽な技術を、セクレタリアトは当たり前のように行っていた。

 そんな技術を例に出す程の技術をこのマスクのウマ娘は持っていると、目の前のウマ娘たちは言っているわけだ。

 

 網の目から見ても、目の前のふたりはかなりの才能があると言える。マスクのウマ娘はトウカイテイオーやナリタブライアンのような爆発力のあるタイプに見えるが、そもそもの身体能力もトップクラスと思える。とはいえ、まだまだ荒削りだが。

 一方、小柄な鹿毛のウマ娘は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、網は戦慄していた。先程走っているのを見た限り、走法はグチャグチャで走るのが下手という印象はあったものの、それを補ってなお大きく余りある程に、彼女の体は完成していた。いや、そう言ってしまえばこの鹿毛のウマ娘が言う技術の信憑性は薄れるのだが。

 

 結論から言えば、このマスクのウマ娘から教わった技術を、ライスシャワーは完全には会得できなかったが、ほんの端だけ、ライスシャワーは真似ることができるようになった。

 思わぬ収穫だが所詮付け焼き刃。本番の天皇賞でどれだけ通じるかは期待できない。

 

 しかしこれだけは言えることがある。

 

 天皇賞。京都3200m。

 ゲートに入ったライスシャワーには、鬼が宿っていた。

 

 因縁の、決着の3200mが、来る。

*1
ちなみに、そんなウマ娘や熊をも凌駕する驚くべき走行能力を持つ生物もこの世には存在する。それは、奇跡のアホ、ダチョウである。ダチョウはウマ娘のレース中の速度に並ぶ時速60km以上のスピードを数時間維持することができ、さらにはウマ娘とは違い骨が見えるほどの傷を負っても自然治癒することができる程の回復力と、感染症にかからない免疫力を備えている。しかし、そんなダチョウにも弱点が存在する。それは、壊滅的な頭の悪さである。ダチョウはその身体能力の代償としてバチクソ小さな脳みそを持っており、その大きさはクルミほどでシワもない。重量にしておよそ40gと、ダチョウ自身の眼球1個の重量よりも軽い。それ故に知能なんてものは存在せず、一匹走り出せば周りのダチョウもわけも分からず走り出し、その理由は誰にもわからない。記憶力に至っては終わっており、群れ同士がすれ違う時に群れのメンバーが入れ替わり、それに気づかない。それが奇跡のアホ、ダチョウである。

*2
ウマ娘に対してちびっ子と同じニュアンスで使われる言葉。



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奇跡なる旅路の果て

 4月末、京都レース場、天皇賞。

 一度交差し、別の方向へと進んでいた縁が、再び交わる。

 昨年の三冠ウマ娘、ナリタブライアンは故障により出走回避となった今、観客の注目は一組に集中していた。

 

 過去最も三冠に近づいた二冠ウマ娘。海外遠征でもクラシックディスタンスを中心に活躍を広げ、そして遂に昨年、鬼門であった超長距離GⅠを勝利した、『サイボーグ』ミホノブルボン。

 世界最強の現役ステイヤー。日本のウマ娘としては異端、あるいは先駆けとなる、海外クラシックレースでの勝利と、クラシック期での海外シニアレース勝利を成し遂げた、『黒い刺客』ライスシャワー。

 

 そのふたりが、再び相まみえる。しかも、三冠を阻止したライスシャワーへ、阻止されたミホノブルボンが宣戦布告するという形で。

 そしてライスシャワーにとっても、一昨年は国内最強のステイヤーであった『名優』メジロマックイーンによって敗れ、昨年は世界を征していたが故に逃した春の盾への挑戦でもある。

 両者にとってリベンジとなる天皇賞。盛り上がらないはずがない。

 

 しかし、レース前一番の盛り上がりを見せるはずのパドックで、それは起きた。一番人気、ライスシャワーのお披露目で彼女が観客の前へ立ったときに、会場全体から音が消えたのだ。

 誰もが声を発することさえできなかった。ライスシャワーのその風貌に呑まれ、言葉を失った。

 

 言うなればそれは鋭角。見ていて痛々しいほどに一切の無駄を削ぎ落とし、研ぎ澄まされた一本の刃。それはあまりにもおどろおどろしく、美しい極点だった。

 カーテシーの後に戻っていくその背中を見ながら、観客たちはまだ言葉を発せない。()()()()勝つのかという彼らの中の天秤は、大きくライスシャワーへ傾く。

 

 そしてそれは、ミホノブルボンの登場で再び水平へ引き戻された。

 言うなればそれは真球。鋭角とはまた別の、あらゆる無駄を削ぎ落としたカタチ。研ぎ澄まされし極点に相対するは、磨き上げられた完全。

 

 この瞬間、今この場でどちらが勝つのか断言できる者は、彼女たちのトレーナー以外にいなくなった。

 

 ゲートという無機質で冷たい閉所へ入ることを恐れるウマ娘は少なくない。しかし、それとはまた違う理由で、あるウマ娘はゲートへ歩を進めることを拒んでいた。

 それでも意を決してゲートへと向かうのは、流石にGⅠ出走者と言ったところだろう。しかし、触れれば傷つけるような刺刺しい荊棘が、ゲートを埋め尽くすように巻き付いている。そんな風景を幻視した彼女の心は、もう半ば折れかかっている。

 

 そんな、普段よりも長いゲート入りの中で、ミホノブルボンの戦いは既に始まっていた。自身の内側へと没入する彼女の"領域(ゾーン)"は、菊花賞からさらなる進化を遂げている。これはそのうちのひとつ。

 

(カタパルトへの搭乗を確認。発艦準備完了(Perfect Boot All Clear)神経回路過稼働開始(Clock Up Starting))

 

 ミホノブルボンの意識が加速する。過集中を超えた過集中により、正確無比な体内時計が限りなく引き延ばされる。それは、スタートダッシュにおける一種の完成形。

 音が消え、目の前のゲートだけが視界に入る。ほんの少しずつ、その鉄の扉が開いていく。無限に等しい時間の中で、緩慢極まるゲートの動きを、ミホノブルボンはただひたすらに観察する。

 そして、2枚の扉の間隙がミホノブルボンを通すギリギリの広さまで開いた瞬間、ミホノブルボンは加速を開始した。勝負服の金具がゲートに擦れ火花が散る。ゲートが開き切る前にスタートを切ったミホノブルボンは、観客席からはさながら、ゲートをこじ開けたかのようにさえ見えていた。

 

 スタート直後、既に後続と2バ身の差がついた時点で、ミホノブルボン以外の逃げウマ娘の勝ち筋が消えたと言える。もはや、ミホノブルボンからハナを取り返すのは至難の業だ。

 そもそも、ミホノブルボンは先頭に拘泥していない。彼女はただ勝利するペースを刻み続けるだけであり、マルゼンスキーとはまた別の意味で、先頭にいるのはただの結果なのだから。

 深層心理の宇宙(そら)を往くミホノブルボン。一方ライスシャワーはミホノブルボンのやや後方の位置でマークする。ただそれだけで、ミホノブルボン以外の後続たちは乱れ、削れていく。

 異様にテンの速いミホノブルボンに追走できるだけの加速力をライスシャワーが出せているのは、恵庭岳でマスクのウマ娘に教わった技術が理由だ。ストライドの幅を変えることはできないが、ピッチの速さを走りながら変える技術。

 人間程度の速さなら問題なくできるが、ウマ娘の出すスピードでやるにはかなりの難易度を強いられるその技術を、限定的ながらスタート直後にだけ扱うことで、なんとかミホノブルボンについていくことができていた。

 レコードタイムのラップペースで走り続けるミホノブルボンと、それに追随するライスシャワー。彼女たちについていけるウマ娘はいなかった。

 

 奇妙だ。そう考えたのはどちらが先だっただろうか。

 ミホノブルボンは訝る。ライスシャワーから一切の殺気が飛んでこないことを。ライスシャワーの戦法はいつも同じ、生来のテンポのズレと殺気と紛うほどの威圧で持って撹乱した上で、徹底的なマークをして差し切る、まさに刺客というべきスタイル。

 しかし、レース中盤になった今でも、ライスシャワーから威圧はまったく飛んできていない。もちろん、己の"領域(ゾーン)"に籠もるというミホノブルボンの力との相性もあるが、感知にさえ引っかからない。

 ミホノブルボンは第2領域を展開し息を入れつつ、ライスシャワーの思惑を推測し始めた。

 

 一方のライスシャワーもまた、ミホノブルボンの走りに疑問を感じていた。

 ミホノブルボンの走法は同じラップペースを刻み、レコードを上回ることでそれよりも遅い相手に負けないというもの。だが、このままのペースで進めば、ライスシャワーは確実にミホノブルボンを差しきれるのだ。

 その程度を計算できないミホノブルボンではないと、ライスシャワーは信頼している。だからといって、このペースで走ってライスシャワーを上回る末脚を出せるのだろうか。

 

 淀の3200mをハイペースで走り抜けるふたりは、完全にマッチレースの様相を見せている。

 残り1000m、ライスシャワーがロングスパートを始める。淀の上りを駆け上がる常識破りのロングスパート。程なくしてライスシャワーはミホノブルボンを抜き去り先頭に立った。

 下りでさらに加速する。後ろからミホノブルボンもスパートをかけた気配がするが、しかしライスシャワーには追いつけない。やはりステイヤーの間合いでは勝てないのかと、観客たちは勝負を見切り始める。

 だが、ライスシャワーは違った。ミホノブルボンならば必ず追いついてくる。理由は言えずともそんな確信があった。それは信頼か、あるいは危険を察知する動物的な本能か。そしてそれは、瞬く間に現実になる。

 

(If[#001EQ01,02,03](条件分岐:前方を維持) S180(ピッチ速度指定:360/m) G00(座標指定) 1st.F∞(速度無限大);……(I'll Never Lose)(注釈:絶対に負けない))

 

 最終直線に向いた瞬間、"領域(ゾーン)"を纏ったミホノブルボンがライスシャワーを躱す。その速度は、明らかに今までのミホノブルボンの"領域(ゾーン)"よりも速い。

 "領域(ゾーン)"の進化。ここに来て、ミホノブルボンはさらに新たな境地を切り拓いた。条件を満たすことで、今までよりもさらに速度を上昇させる。

 ラップ走法を維持した上で逃げて差す。カブラヤオーやサイレンススズカが感情でスタミナのアラートを掻き消しているそれを、ミホノブルボンは精神力で無理やり捻じ伏せてスパートをかけたのだ。

 

 しかし当然、自身を追い抜いたミホノブルボンをライスシャワーはそのまま見逃すことなどしない。彼女自身も"領域(ゾーン)"を展開しながら、ミホノブルボンへ差し迫る。

 抑えていた殺気を自身の爆発力へと変える。()()()()()()()()()()ことに対するライスシャワーの適性は非常に高い。ライスシャワーの左目に黒い炎が灯り、鬼のように獰猛な走りで芝を抉った。

 互いに、今までの走りではダメだと直感したからこその走りの進化。それが、抱いた違和感の正体だった。

 

 どちらも、全盛期を過ぎたことによる衰えなど見えないほどの好走。3000m以上を走ってきた彼女たちの顔から、首筋から、あるいは髪を伝って、浴びたような汗が滴り空中に置き去りにされる。

 ゴール直前でふたりが並ぶ。ほんの少しでも前に出ていた方の勝利。その一瞬の勝ち筋を賭け、ミホノブルボンはスタミナの尽きかけた体で、ライスシャワーはスタミナで補った速度で、どちらも限界を超えて体を前に突き動かす。

 

 そして、決着。

 

 掲示板には写真判定の文字。観客たちがそれを固唾を呑んで見守るなか、しかしふたりの中では既に決着がついていた。

 あのライスシャワーが、3200mでスタミナを使い果たし限界ギリギリで立っている。それだけの激戦。酸素を求め荒くなる呼吸を整え、鉄の味を感じながらもミホノブルボンがライスシャワーへと近づく。

 それを認めたライスシャワーとミホノブルボンの、どちらからともなく手を差し出す。

 

「ライスさん……」

 

「……ブルボンさん」

 

 互いに手を握り合い、示し合わすこともなく口にした言葉は、奇しくも同じものだった。

 

「「わたしに終着点(ゴール)をくれてありがとう」」

 

 あなたはわたしの奇跡だった。

 

 勝者に惜しみなく浴びせられる祝福はシャワーのようで、それはきっと、幼い頃の彼女が求めた幸福だった。

 

 天皇賞、勝者、ライスシャワー。




 ちょっと納得いってないんであとから追記修正するかもしれん。


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糸口

 ――その年の日本ダービーは、後の世で様々な感情を込めて『史上最悪の日本ダービー』と呼ばれることとなった。

 

 昨月の皐月賞から大きくメンバーが入れ替わっての出走となった日本ダービー。前走での優勝候補であったジェニュインやタヤスツヨシ、ダイタクテイオーなどが出走を回避しNHKマイルカップへと道を変えた。余談だが、NHKマイルカップの勝者は激しい追い比べの結果ジェニュインがダイタクテイオーに先着した。

 一方の日本ダービーでは、青葉賞で優先出走権を手にしたマヤノトップガンを始めとした新顔の実力者に、ホッカイルソーのような一部の皐月賞出走者が参加し、一強と目されるマーベラスサンデーへ挑む形になっていた。

 皐月賞に出走した者は、最悪日本ダービーを捨ててでもマーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"の攻略法を探るつもりだったが、皐月賞に出走していなかった者の中には、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"について甘く見ている者も少なくはなかった。

 

 まぁそもそも、甘く見ていようと見ていなかろうと、警戒しようとしなかろうと、そんなことはなんの関係もないのだが。

 

「う、うわぁああああああ!!?」

 

「なにこれ!? なにこれ!!?」

 

「しっ、死にたくなああああああああ!? 生きてる……?」

 

《クマーーーーーーベラス!!》

 

「いやマジで何こいつ!!!?」

 

 阿鼻叫喚であった。

 海底火山の近くを走り抜ける者、断崖絶壁から落ちていく者、ヒグマに襲われる者、通路左右の壁から発射される矢を紙一重で躱す者、クレバスに落ちるヒグマ。

 観客席まで巻き込んで行われたのは皐月賞の再演。しかし、誰もが()()()()()()()()()()ことに必死になっているなかで、唯一ひとり、別の方向へと目を向けている者がいた。

 

(そんなに簡単じゃないとは思ってたけど……マベちんの後ろが安置ってわけじゃないよね……っ!!)

 

 デビュー前から「才能だけであればトウカイテイオーをゆうに超える」と評されていた不世出の天才、マヤノトップガンだ。

 変幻自在とも言われる自在な脚質を活かし、スタート直後にマーベラスサンデーの真後ろに陣取ったマヤノトップガンの狙いは、マーベラスサンデーの通るルートをなぞることで、"領域(ゾーン)"による妨害を躱そうというものだった。

 しかし、当然そんな簡単な攻略法があるわけもない。マーベラスサンデーの通るルートが必ずしも安全なルートであるとは限らなかった。

 マーベラスサンデーが走り抜けた月面が次の瞬間には海の大穴(ブルーホール)に変わる。マーベラスサンデーが作動させた罠の飛び火を食らう。そんなことが起こり、被害を躱しきれなかったのだ。

 

("領域(ゾーン)"を壊すためにマベちんの集中力を乱す作戦も失敗したし……現状打つ手なしかなぁ……)

 

 マーベラスサンデーがソラを使う癖があるのは既に周知の事実である。しかしそれは『ハナを取り油断したときに集中が切れやすい』ということであり、『単純に集中が切れやすい』ということではない。

 現状マヤノトップガンが使える威圧やテクニックでは、マーベラスサンデーの集中を乱すことはできなかった。

 

(……ま、いっか。元々威力偵察のつもりではあったもん。ちょっと悔しいけど)

 

 マヤノトップガンはそう自分を納得させると、未だ続くマーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"を観察することに徹し始める。

 

 レースは進み残るは最終直線。このまま、またマーベラスサンデーの圧勝か。そう観客皆が思ったときだった。唐突に、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"が壊れた。

 柵から解放され、真っ先に我に返ったのはマヤノトップガン、そしてホッカイルソーのふたりだった。すぐに体勢を立て直しマーベラスサンデーの後を追う。対するマーベラスサンデーは集中が切れたという様子ではないが、顔を顰めながら懸命にスパートをかけていた。

 

 結果、皐月賞ほどの圧勝ではないものの、3バ身差をつけてマーベラスサンデーが1位入線。チーム《ミラ》初の二冠ウマ娘となった。

 

「旦那、ありゃあどういうこった? 他のやつらがなんかしたって感じはなかったんだが……」

 

 ゴール後、ひと通りケアを終わらせたマーベラスサンデーの介抱をアイネスフウジンに任せ、取材陣の対応へ向かう網に、イナリワンがそう尋ねる。

 イナリワンが見た限り、他の出走者による妨害や威圧によって"領域(ゾーン)"が壊されたわけではなく、ソラを使った様子もなかった。では、何故マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"が突如として壊れたのか。

 その問いに答えたのは、意外なことに網ではなかった。

 

「あー……多分なんですけど、マーベラスが枯渇したんだと思いますよ。ハイ」

 

 控えめにそう口を挟んだのはナイスネイチャだった。マーベラスの枯渇。おおよそ聞き覚えのない響きにしばし言葉を失うイナリワンに、ナイスネイチャは「そりゃ意味不明だわ」と思い直し慌てて補足を試みる。

 

「え、えーと、アタシが朝から遠出して外泊して帰ってきたときとか、偶にあんな風に萎れてるんですよ、マーベラスは。それを本人は『マーベラスが枯渇した』って言ってるんです。本人曰く、驚きが足りないとかなんとか……」

 

「現実的にこじつけるなら、あの空間の維持にはかなりの精神力を使う、ということだろうな。皐月賞で派手に使い、日本ダービーまでに精神力が回復しきらなかった。そんなとこだろ」

 

 ナイスネイチャの説明を、網が自己流に推察して要約する。とはいえ、マーベラスサンデーの空間展開は完全に未解明の領域に入るので、その説明が正しいかもわからないのだが。

 

「とはいえ、菊花賞はまたフルスペックで使えるだろ。なんなら、"領域(ゾーン)"を使わせたあとはそのマーベラスとやらを補給してやればいいしな」

 

「んー……じゃ、パワースポットにでも誘ってみましょうかね。マーベラスってそういうスピリチュアルでオカルティックなの好きだし」

 

「外国の遺跡でも巡ってきたらどうだ? 多分経費で落ちるし、金ならあるだろ?」

 

 網の提案でマーベラスサンデーとナイスネイチャの謎合宿が決定した一方で、羽原とマヤノトップガンが控室でマーベラスサンデー対策について話を進めていた。

 

「で、実際に体験してみてどうだったんだ? 俺には初見の割には対応できてるように見えたが……」

 

「う〜ん……うん、大丈夫トレーナーちゃん。マヤ、()()()()()()()から」

 

 マヤノトップガンは少し考えて、軽い感じで頷いた。羽原はこの時点で、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"対策について考えることをやめた。マヤノトップガンが『わかった』と言うのなら、なんとかする策があるのだろう。

 ただし、マヤノトップガンはそれを言語化することができない。考察より先に理解が発生するマヤノトップガンの払う制約。途中式を経由しないがために、その理解はマヤノトップガンだけの占有物になってしまう。

 だから、羽原はマヤノトップガンを鍛えるのだ。たとえどんな方法でマヤノトップガンがあの"領域(ゾーン)"を攻略するにしても、それに不足しないだけの能力をマヤノトップガンにつけさせるために。

 

「マヤノ……菊花賞、勝つぞ。You Copy?」

 

「I Copy!」

 

 ふたりの天才は牙を研ぐ。比類なき未知を食いちぎるために。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 一強状態だった日本ダービーとは打って変わって、翌月の安田記念は群雄割拠の並びとなった。

 ハートレイクを始めとした海外からの刺客、ティアラ路線の強者であるホクトベガとヒシアマゾン、ウマチューブでBBQを主に行うチャンネルで活動している『S.B.F』のメンバーであり、マイル路線で優秀な成績を収めているタイキブリザード、シリウスシンボリ率いる非公式のトレーニング団体《C-Ma》のメンバーからはネーハイシーザーとサクラチトセオーのふたり。

 そして、《ミラ》からビコーペガサス。

 

 中京レース場と比べればビコーペガサスに有利な府中のマイルレース。バ場は良バ場。加速は十分に取れる環境だ。

 《ミラ》の一員として、ビコーペガサスは改めて自らの頬を張り、気合を入れ直した。



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乱戦

一度落ちた更新速度ってマジで戻らねえな。


 府中の1600mは逃げ不在であったために、ほぼ横並びで始まった。互いが互いを牽制しつつ、おおよそ団子状態で向正面を走り始める。ビコーペガサスは、その中団よりやや後方の位置につけていた。

 間もなく、ビコーペガサスに"領域(ゾーン)"が覆いかぶさる。ビコーペガサスの"領域(ゾーン)"ではない。敵と自分を閉じ込める密林の檻。

 

「さぁ、タイマン――はぁッ!?」

 

 ビコーペガサスの後ろから早くも仕掛けられたヒシアマゾンの"領域(ゾーン)"は、想定していた効果を発揮することはなかった。

 密林の境界が白く塗り潰され侵食される。別の何かが融けるように滑らかに入り込もうとしているのだ。それは熱帯の密林(アマゾン)とは対照的な猛吹雪(ブリザード)

 

(おっと悪いネ〜、この凸コラボは突発で強制だからサ!)

 

 タイキブリザードの"領域(ゾーン)"。誰にでも近づいてコラボする共感能力が、過集中によって隔てられる"領域(ゾーン)"の壁を突破する。

 さらに、ビコーペガサスやヒシアマゾンだけでなく、周りを走っていたウマ娘も"領域(ゾーン)"に巻き込み、好位抜け出しが得意なタイキブリザードに都合がいいローペースの前残り展開にするべく主導権を握りにかかった。

 しかし、それを簡単には許さない者もいる。

 

(大丈夫。星が私を導いてくれる)

 

 レースにおける最善のルートを見出す効果のあるホクトベガの"領域(ゾーン)"がさらに割り込むように展開され、タイキブリザードの牽制をはねつけた。

 結果的にタイキブリザードがペースを握ることにはならなかったが、他者へ干渉するタイキブリザードの"領域(ゾーン)"はまだ展開されたままであり、その影響下から抜け出したホクトベガだけがひとつ抜けて有利な状況になる。

 実力伯仲同士の優駿による"領域(ゾーン)"の応酬が続くなか、ビコーペガサスは苦しい状況に追い込まれていた。

 

(これは……ちょっとヤバいかも……っ!)

 

 団子になったバ群の内側に閉じ込められる形で、ビコーペガサスは周囲を囲われていた。自然と経済コースを走る形になっているが、控えるレースをしているビコーペガサスにとってはメリットが薄い。

 それよりも、小柄なビコーペガサスにしてみればこうして封鎖されていることへの圧迫感と、抜け出す隙間が見つからないことのデメリットのほうが多く感じた。

 おまけに未だに吹き(すさ)んでいるタイキブリザードの"領域(ゾーン)"が視界を悪くしている。

 

(なんとか抜け出さないと……でもどうする……?)

 

 正直に言って打つ手がない。無理やり抜け出すことも、抜け道を探すことも難しいからだ。

 

「や〜なところにハマったね、ビコー。タイシン先輩ならどうします?」

 

「ああなったら、最終直線まで耐えるしかないでしょ。コーナーに入れば少なからず外に振れてバ群がバラけるから、そのタイミングで抜け出すしかない。あそこまで最内に押さえ込まれると、コーナーで抜いたとき制裁取られるから……そっちならどうする?」

 

「アタシならレバガチャよろしく無差別に牽制ばら撒いて崩れるのを待ちますかねぇ……ビコーならタイシン先輩のやり方選ぶと思いますけど」

 

 関係者席でナイスネイチャとナリタタイシンが議論し合うが、ここでも出た結論は待機。動きようがないビコーペガサスを尻目に、レースは否応なしに展開を進めていく。

 バ群は大きく2つの勢力に分かれている。端的に言えば、バ群を解こうとする勢力と固めようとする勢力だ。

 前者の勢力はハートレイクやサクラチトセオーなどの後方脚質で控えているウマ娘だ。彼女たちにとってスパートの邪魔になるであろう目の前にあるバ群の塊は目障りでしかない。スパートが始まる前になんとかバラけさせて隙を作りたい。

 一方後者はまさにこのバ群の塊を作っているタイキブリザードを始めとする先行勢と、そのタイキブリザードに有利を取れている好位差しのホクトベガだ。現状の有利を維持するために不安要素は増やしたくない。

 唯一、ビコーペガサスをマークしに行ったがためにビコーペガサスとともにバ群の内側へ取り込まれてしまったヒシアマゾンはビコーペガサスと同じく動けない立場にある。

 

(威圧は出してるんだけどねぇ……この吹雪のせいで伝わる前に弱ってるのか……完全に天敵に出会っちまった感じだね)

 

(ホクトベガに効いてないナァ……この吹雪の中ではっきり進む方向がわかってるのカ……密林も掻き消しきれてないし、やっぱGⅠウマ娘は手強い……)

 

(星の導きは続いてる。このままコーナーに入っても、ちゃんと抜けられるはず……ペースを強制されて息を入れられてない内側の走者より、スタミナを残せる)

 

 各々の思惑が絡み合いながら、向正面を抜けたバ群はコーナーへと突入する。およそ平均ペースで突入したバ群は大崩れすることはなく、やや外側へ膨らむ程度で進んでいく。

 

(クソっ! インサイドブランクに引っかかるから躱せない……っ! なんとか抜けないと……)

 

 ビコーペガサスの眼の前に少しだけ隙間が開いたが、コーナーで最内を抜けると制裁を受ける可能性があるため、迂闊に躱しに行くことができない。

 ビコーペガサスは冷静に考える。仮にバ群がバラけたとして、末脚勝負でヒシアマゾンに勝てるか。互いに"領域(ゾーン)"は使えない。ビコーペガサスは差し気味の位置にいるのに、このままでは追い込みの仕掛け位置からのスパートを強いられる。

 中距離どころかクラシックディスタンスを走れるヒシアマゾンと、マイル以下のスプリンターであるビコーペガサスではスタミナの残量が違いすぎるし、追い比べが強いヒシアマゾンに最終直線での競り合いでは勝てる気がしなかった。

 

(考えろ、考えろっ!! ()()()()っ!! 逆境こそがヒーローの居場所だろっ!?)

 

 決して良い方ではない頭を回し、この悪意なき包囲網を抜け出す方法を考える。彼女は戦士(ヒーロー)の卵であって、『不世出の覇王』でも、『常識破りの火酒』でも、『進撃せし貴婦人』でもない。正面突破など夢のまた夢だ。

 

 

 

 では、彼女の特性とはなんなのか。

 

 例えばアイネスフウジンであれば、異様なまでの粘り腰である。

 例えばツインターボであれば、天性のコーナリング能力である。

 例えばナイスネイチャであれば、常人離れした思考速度である。

 例えばライスシャワーであれば、心身双方に蓄えられた無尽蔵のスタミナである。

 例えばナリタタイシンであれば、爆発的な加速力である。

 例えばマーベラスサンデーであれば、異能と言ってもいい"領域(ゾーン)"への適性である。

 

 《ミラ》に所属するウマ娘は、網によるスカウトの以前か以後かに関わらず、特異的な才能を見出されている。

 それは未だデビューしていないシンコウウインディやサイレンススズカに関しても同様であり、また、ビコーペガサスが例外となることもない。

 では、彼女に見出された才能とはなんだったのか。残念なことに、それは特別レースに大きな影響を与えるほどの切り札的な強みを持っているわけではない。なんなら、才能と言っていいかすら怪しい基礎能力。

 

 

 

 ビコーペガサスが速度を落とした。そんな光景が目前に見えたヒシアマゾンは自然と選択を迫られる。外側は他のウマ娘にブロックされている。内側はコーナーで膨らんだ分空いているが、こちら側に避ければヒシアマゾンがビコーペガサスをコーナーで最内から抜いたことになり、インサイドブランクに抵触しかねない。

 もちろんそんな確信があるわけではない。しかし、そもそもが窮地であるこの包囲網の、スパート直前でレース終盤であるこのタイミングで、冷静に判断して内に避けるだけの思考能力は、ヒシアマゾンには残っていなかった。

 だから、ヒシアマゾンは安牌に逃げた。ビコーペガサスとともに速度を下げるという安全策に。

 

 その瞬間、コーナーが終わった。

 力の向きを、中央最長の府中の最終直線へと向けるため、バ群がバラける。

 急減速したビコーペガサスに釣られて減速させられたヒシアマゾンはスパートへの対応が一瞬遅れ、バラけたバ群を抜ける動作において後手に回る。それはさらにそのヒシアマゾンの煽りを食らったサクラチトセオーも同じである。

 タイキブリザードやホクトベガは定めていた通りのスパートを切ってゴールへ迫る。だが、この長い直線において、遅れを取ったといえどヒシアマゾンの末脚は侮れない。

 

(昨年のエリザベス女王杯では辛酸を嘗めた……でもヒシアマゾン、この安田は私が……っ!?)

 

 そう考えて懸命にスパートをかけるホクトベガの隣を一閃し、翼が羽撃(はばた)いた。

 

 小柄な上にハードゲイナーであるビコーペガサスの体重は軽い。それこそナリタタイシンよりも。体重の軽さはスプリントにおいて不利ではあるが、ステイヤーにおいて有利とされる。その理由はひとえに、()()()()()()()()()()()からだ。

 これはナリタタイシンやライスシャワーにも言えることだが、ことビコーペガサスには顕著に現れていた。すなわち、多少無理な制動をこなせるということ。

 そしてもうひとつ、()()()()()()()()()()()()()()()という至極当然な自然の摂理。

 

 ()()()()()()()()()()()。減速でヒシアマゾンに不利を押し付け、急加速と遠心力でかかる負荷をその軽い体重で減らせるだけ減らし、膨らんだ最終直線の最内をビコーペガサスは駆け出した。

 

「うおおおおお お お  お   おっ!!」

 

 府中の坂を駆け上がる。圧倒できるほどの着差はついていない。すぐ後ろから北斗が、吹雪が、女傑が、湖光が襲いかかる。

 だがしかし、()()()()()()()()()()()()。元々諦めの悪いウマ娘という種族の中で、ビコーペガサスに備わった群を抜いた才能。例えば敗北の決まった戦いを前にしても驀進王(おう)に勝つことを諦めない。勝負根性や鋼の精神力とはまた違う、その諦めの悪さ。

 

 膝を屈しない戦士(ヒーロー)の才能。

 

「アタシだって《ミラ》だああああああああああっ!!!」

 

 再び、《ミラ》の現役メンバーからGⅠ未勝利がいなくなる。

 "領域(ゾーン)"の飛び交う戦場(レース)で、その力を振るえない彼女が、力を振るわないままに勝ち取った勝利に歓声が響く。

 

「まったく、やってくれたねぇビコー!!」

 

「っわわ! あ、アマさん!?」

 

「完全にしてやられたヨォ!」

 

「わばばばばば!?」

 

 掲示板に結果が映し出された直後、ヒシアマゾンにわしゃわしゃと頭を撫でくり回されたビコーペガサスは、その後飛び込んできたタイキブリザードに抱え上げられて振り回される。

 そんな微笑ましい様子を地下バ道から眺めていた2着のハートレイクに、栗毛のウマ娘が話しかけてきた。

 チームこそ違えど、ハートレイクも栗毛のウマ娘もスカウトされて祖国を離れ、UAEに所属している。この栗毛はやたらと人に絡みたがるため、ハートレイクは半ば世話係のように押し付けられていた。

 

『よぉ、こっぴどくやられたじゃねぇか。相変わらず楽しそうじゃねぇなお前は』

 

『……言い訳はしない』

 

『ま、心配すんな。意趣返しはあたしがやってやるよ。ちょうどいいことに、今回お前を負かした《ミラ》のメンバーが、キングジョージに乗り込んでくるらしいからな。どれだけ遊べるのか楽しみだ』

 

 不敵に笑う彼女に対して、ハートレイクは呆れたように息を吐いた。このウマ娘はいつもそうだ。強者相手でも弱者相手でも、着差をつけずギリギリで勝つことを楽しむ。先日の英ダービーでもそんな悪癖を出しながら勝ったせいで、イギリスではいい目を向けられていないのだ。

 

『そんな目をするなって。最近日本も調子に乗ってるからな。あたしがチョロッと分からせてやることにするさ』

 

 ハートレイクは思う。『《ミラ》がこいつを分からせてやってくれないかな』と。



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敗北見えざる者

 6月に入り、加入当初に決めていたナリタタイシンの目標レースのひとつ、KGⅥ&QEステークスの開催が近づいているということで、チーム《ミラ》の一部メンバーは一足早い夏期合宿を行うことになった。

 便利なもので、トレセン学園では遠征中の生徒のためのリモート授業が導入された。海外遠征が多くなってきた昨今の情勢を加味してのことである。これによって、夏季休暇前でありながら長期間の海外渡航と授業の両立が可能となったのである。

 そんなわけで、トレーナーの網と本命であるナリタタイシンに加え、マーベラス補給のためイギリスのパワースポットを巡る目的でついてきたマーベラスサンデーと、宝塚記念に出走する予定だったが左脚の骨にヒビが入ったことで休養とすることになったナイスネイチャ、KGⅥ&QEステークスの行われるアスコット(鬼畜おにぎり)レース場経験者でありアドバイスができるライスシャワーの5人でのイギリス遠征と相成った。

 

 一方で、メイクデビューが近づいているシンコウウインディは、ダートGⅠである東京大賞典*1などのダート経験があるイナリワンと、協力を取り付けたハシルショウグンによって、しっかりとダートの戦いを仕込まれている。

 できるだけ早いうちにアメリカの2歳重賞に出走してアメリカダートに慣れさせたいがために、《ミラ》のトレーニングにしては珍しく走ることで感覚を養うトレーニングを中心に行われていた。

 シンコウウインディの目標はトリプルクラウンではあるが、日本ダートでまともに走れないうちにアメリカへ送る気はないし、目標後に日本ダートでのレースを蔑ろにさせる気は網にはない。目立ちたいと言ったのがシンコウウインディ自身である以上、日本のダートでも結果を出す必要があるのだから。

 

 話はイギリス遠征組に戻る。

 マーベラスサンデーはナイスネイチャを引き連れて、ネス湖やストーン・ヘンジなどのオカルトスポットを巡っているため別行動。ライスシャワーも観光に出かけているなか、ナリタタイシンはひとり、郊外のトレーニング場で洋芝への馴致を行っていた。

 アスコットレース場の2400mは、レース場を約一周するコースだ。スウィンリーボトムへ向けて760mで20m下る直滑降ののち、残りの1700m弱を登り続ける。中山レース場の最終直線がマイルレースほど続くと考えればいい。

 ナリタタイシンにとってはしかし、むしろ登り坂よりも序盤の下り坂のほうが鬼門だ。それはナリタタイシンの脚質が追い込みであることに起因する。つまるところ、スピードが出すぎてしまうのだ。

 760mで20mの下り。勾配にして約2.6%。想像しにくいかもしれないが、少なくともレースにおいてはかなりの数字になる。意識せずに走ればあっという間にペースが崩れてしまうし、スピードを抑えるにしてもスタミナの消費は大きい。

 逆に言えば、坂に強い《ミラ》の中でも小柄だがパワーは強いナリタタイシンが洋芝に慣れてしまえば、コースに関してはそれ以外に敗因になりうる懸念はない。

 

「……ふぅ」

 

 坂路を終え、息を整えながらベンチへ戻ってきたナリタタイシンは、水分補給をしてからウマホへ目を落とす。そこに映っているのは、普段起動しているウマホゲームではなく、レースに関する記事だった。

 英国の有名出版社が配信している記事で、来週に迫ったKGⅥ&QEステークスについて記されたそれに、ナリタタイシンの名前も載っている。昨年アスコットのターフに沈んだ『復讐者(リベンジャー)』が、自国のレースで他国の強豪を蹴散らしたのに飽き足らず、遂にアスコットへ舞い戻ると。

 しかし、最も目立っているのはナリタタイシンではない。UAE所属のとあるウマ娘が、その記事の最大面積を飾っていた。

 

 アラブ首長国連邦(UAE)と呼ばれる連邦国家のうち、ドバイ首長国の王族*2が運営する養成団体、ゴドルフィン・レーシング。三女神のうちの一柱であるゴドルフィンバルブの名を冠する組織である。

 UAEにおいては、燃費の悪いウマ娘ではなくラクダを重用していたことから、元々ウマ娘を使った示威行為兼ウマ娘のストレス発散として行われ始めたウマ娘レースの歴史は浅い。近年、ドバイ首長国の皇子ふたりがウマ娘に魅了されて設立したのが、このゴドルフィン・レーシングだ。

 そして、歴史が浅い故に、ゴドルフィン・レーシングの本拠地であるドバイ首長国で行われるレースの数は少ない。自然、ゴドルフィン・レーシングの本領は海外遠征になる。同時に、ゴドルフィン・レーシングの所属メンバーは他国からのスカウト選手が主であることになる。

 他国から有望なウマ娘を金でスカウトし、他国のレースに勝利するというゴドルフィン・レーシングのあり方は欧州、特に英国のレース関係者からは"遊牧民族"や"海賊"のような印象を持たれている。*3理由は簡単だ。

 

 日本にとってのウマ娘レースは競技(スポーツ)である。

 米国にとってのウマ娘レースは興行(ビジネス)である。

 これらと同様に、欧州にとってのウマ娘レースは社交(ポリティクス)である。前述の通り、貴族たちが自身の擁するウマ娘や、その育成環境を誇るための示威行為として始まったのが、欧州における近代ウマ娘レースの起こりである。

 一方でUAE、すなわちゴドルフィン・レーシングにとってのウマ娘レースは日本に近く、上記の通り娯楽(エンターテイメント)である。そんなゴドルフィン・レーシングが、日本のように弱小であった期間もなくいきなり台頭し始めるのが面白くないのは当然だろう。

 

 だから、()()が大きく取り上げられるのは当然と言えた。そのゴドルフィン・レーシング所属のウマ娘は、英国クラシック三冠を勝ち取った最新のウマ娘である『烈火の舞踏家』ニジンスキーの弟子のひとりであり、英ダービー、KGⅥ&QEステークス、凱旋門賞の3レースを勝利すると宣言した上で今年の英ダービーを勝利しているのだから。

 

『バカらしいと思わないか? "Nemesis"』

 

 声をかけられたナリタタイシンが振り返る。

 そこに立っていたのは、たった今読んでいたネットニュースの記事に載っていたウマ娘だった。

 

『ライオネルが……あぁ、あたしのトレーナーなんだが、ソイツが「王になれ」って言うんだよ』

 

 そのウマ娘は不遜に語る。

 記事の大題に書かれた、彼女が嘯いた『あたしは自分はレースの神なんじゃないかと思い始めてる』という大言に相応しい態度で。

 

『神になれるのに、王になる必要があると思うか?』

 

 『敗北見えざる者』ラムタラがナリタタイシンを見下ろしていた。

 

『……アンタがラムタラ?』

 

『その問いはYESだ、ナリタタイシン』

 

 ナリタタイシンは、ラムタラが自分を見る目に覚えがあった。今までの人生で何度も晒されてきた、しかし久しぶりに向けられる目。格下を見る目だ。

 

『……敵情視察でもしに来た? それとも宣戦布告?』

 

『偶然通りがかっただけだよ。わざわざ出向く意味もねぇだろ』

 

『そのまま通り過ぎてくれてもよかったんだけど? 馴れ合うつもりはないから』

 

『ハハ、噂通りの狂犬だな。誰にでも噛みつくのか』

 

 ニヤニヤと笑いながらナリタタイシンを見下ろすラムタラに、ナリタタイシンが抱いた感情は「鬱陶しい」ひとつだった。

 一方ラムタラはわざわざ出向く意味はないと言ったが、実のところ、SNSでナリタタイシンの目撃情報を調べた上で出向いている。

 ラムタラはとにかく他者に絡みたがる。それは誰かと比べた上で常に上に立ちたがる悪癖からくるものなのだが、ナリタタイシンは不運にもそのターゲットに選ばれてしまったのだ。

 

『キングジョージの障害は鉄頭(カーネギー)くらいのもんだと思ってたからな。歯ごたえ期待してるぜ、ナリタタイシン。精々噛ませ犬として、立派に散ってくれ』

 

狂犬(Mad-Dog)噛ませ犬(Underdog)と人のことを随分犬呼ばわりしてくれるね、エミネム好きのパクり猫(Copy-Cat)。思春期? 生憎だけど、猫が犬に踏み潰されるのはトムジェリ以来世界の常識だよ。流行り物好きのミーハーにクラシックの良さは理解できないだろうけど』

 

 煽り返しにラムタラの頬が紅潮するのを見て、「煽ってきたくせに随分と煽り耐性が低いな」と苦笑したナリタタイシンはベンチから立ち上がると、ラムタラに背を向けて歩き出した。

 

『ヒップホップじゃエリートが雑草に逆襲される話はお家芸でしょ? キャスティングしてあげるから、綺麗に踏み潰されなよ、エリート様』

*1
史実ではまだオープン戦の3000mだったが、本作では既に国際GⅠ2000mであるものとする。

*2
王国ではなく首長国なので王族というのは正確ではないが、便宜上王族と表記する。

*3
史実の当時、英国のレース関係者にゴドルフィンに対しての反感があったのは事実ですが、あくまでフィクションの設定です。悪しからず。



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一歩半

 キングジョージⅥ&クイーンエリザベスステークス当日、アスコットレース場。出走者は僅か8人だが、少人数での開催なのは例年通りのことだ。

 ゲートの中で、ナリタタイシンは控室での網との最終打ち合わせを思い出す。

 

「結論から言えば、今回のレースはラムタラ以外脅威じゃない」

 

 控室。網は確信を以てそう断言した。それに対して、ナリタタイシンが即座に問いを返す。

 

「カーネギーは? ラムタラが要注意なのはあたしも同意するけど、ジャパンカップで感じた限り、カーネギーもかなり強いよ?」

 

「あぁ、確かに強いウマ娘ではある。他のレースなら強敵だったかもしれない。強い精神力もあるし、全体的な身体能力も高くまとまっている。だが、今回のKGⅥ&QEステークス……アスコットレース場では別だ。カーネギーはアスコットの坂を攻略できるほどのパワーがないんだよ」

 

 『鉄鋼王』カーネギー。ラムタラと同じくゴドルフィン・レーシング縁のウマ娘である。ラムタラとの違いは、ラムタラがゴドルフィン・レーシングの養成施設でトレーニングを受けているのに対し、カーネギーはあくまでゴドルフィン・レーシングの経営主による支援を受けているだけで、所属はフランスのトレセンであるということである。

 ジャパンカップではナリタタイシンの後塵を拝したものの、ライスシャワーやミホノブルボンのようなメンタル強者に匹敵する精神力の強さは、実際のスタミナを超えたポテンシャルを発揮する。しかし、単純な登坂能力に欠けている点は如何ともし難いと、網はそう分析した。

 

「加えて、今年のKGⅥ&QEステークスも例年通り少人数での開催になる」

 

「つまり、前が塞がりにくいから差し切りが成功しやすい」

 

「その通り。他にめぼしいウマ娘もいない以上、警戒すべきはラムタラだ。とはいえ、俺はそれほど苦もなく勝てると踏んでる」

 

 そう前置きをして、網はラムタラの注意点を話し始める。ナリタタイシン自身はラムタラを十分警戒しているが、正直に言えば網はラムタラを警戒しろと口にしながら、その実まったく警戒していなかった。

 実際、警戒しようがないというのもある。ラムタラが走ったレースはメイクデビューと賞金を積むためのリステッドレース、そして前走の英ダービーの3つだけなのだ。ゴドルフィン・レーシングで養成されていることもあり、情報が少ないのだ。

 だから、網はラムタラについては所感を述べるにとどめ、その上で警戒しておくようにとだけナリタタイシンに告げる。

 

「ラムタラはステータスは高くまとまっているものの、いや、それ故にレース自体はそれほど巧くない。なまじ自分の身体を使いこなせていて、それで勝ってきたために、基本の戦術がゴリ押し。脚質に柔軟性はあるが、これと言った尖った武器がない」

 

「だから爆発力がない、と?」

 

「接戦をしたがる悪癖も付け入る隙だ。負けん気は強いんだろうが、自然後手に回ることになる」

 

「同じ位置からのよーいドンならあたしに分があるね」

 

 ラムタラとの戦いではない。ナリタタイシンにとってこのレースは、アスコットという強大な関門との戦いだ。それが、ふたりの間での最終的な共通認識だった。

 

 ゲートが開く。それと同時に青い勝負服を着たウマ娘が勢いよく走り出した。英セントレジャーとミラノ大賞で2着を取ったアメリカ所属の善戦マン、ブロードウェイフライヤーだ。

 勢いよく、とは言ったものの、下り坂でスピードが出過ぎてしまえば、起伏の激しいアスコットレース場でスタミナが保つはずもない。そのため、あくまでペースを握るための逃げとしてバ群を引っ張っていく。

 当然、スピードを抑えながら走っているのはナリタタイシンも同じだ。

 

(ッ……! 相変わらず、このダウンヒルは堪える……)

 

 下り坂でスピードを抑えようとすれば、平地とは比べ物にならないほどの負荷が脚にかかる。ナリタタイシンはその負荷を体重移動でできる限り軽減させながら、700mの下り坂を駆け下りる。

 そんなナリタタイシンを嘲笑うかのように、熱波のような威圧が常に降り注いでいる。それがそこにあるだけで発せられる、強者の圧。ナリタタイシンの眼前を走るラムタラの発する圧力が、容赦なくナリタタイシンに浴びせかけられていた。

 それは他の走者にも同じように放たれている。躱せているのは、精神への防御札を持つカーネギーくらいのものだろう。しかし、ラムタラがナリタタイシンを意識していることで、より強い威圧がナリタタイシンを襲っていた。

 なによりたちが悪いのは、この威圧自体は()()()()()()()()()()ことだろう。まさに王、あるいは神たる素質を、紛れもなく彼女は持っているのだ。

 

(さぁ、楽しませてくれよ"Nemesis"……お前も神の名を冠するのならな……!)

 

 下り坂を降りきってスウィンリーボトムへ突入する。ここからは、ゴールまで続く長い長い上り坂が始まる。

 ブロードウェイフライヤーと後続との距離がやや縮まるが、彼女もGⅠ戦線で戦ってきた優駿。リードをキープしつつ、依然ハナをきりつづける。だがやはり、ラムタラの威圧が効いているのか、その表情は苦悶に溢れている。

 バ群は坂を登りながら、少しずつ全体を縮めていく。最終コーナーが刻々と近づいてきている。そこを超えれば最終直線。東京レース場の最終直線とおおよそ同じ長さ。

 

(もうすぐホームストレッチ、ナリタタイシンが仕掛けてくるポイント……さぁ、勝負と行こうぜ)

 

 傲慢、慢心。それもひとつの王の、あるいは神の資質。

 しかしそれは、『相手を正しく理解した上で』という前提があることを、ラムタラはわかっていなかった。

 

 だから、一瞬何が起こったのかラムタラには分からなかった。

 最後方にいたはずのナリタタイシンが、最終直線に入った瞬間、いつの間にか前にいた。

 

(……は)

 

 息が止まった。

 ナリタタイシンのレースは映像で見ていた。ナリタタイシンの武器がその豪脚であることも、知ってはいた。

 

F○ck(クソがッ)!!」

 

 一瞬で、バ群を切り裂いて、ナリタタイシンは先頭に立っていた。

 

 それを認めたラムタラも急加速してナリタタイシンを追う。最高速度はラムタラに分があるのだろう、ナリタタイシンは既に最高速に近いスピードに達しているが、まだジリジリと離されているとはいえラムタラは最高速度まで達していない。

 ただ、もどかしい。加速する世界の中で、なかなか縮まらない距離がラムタラの精神を苛立たせる。逃げウマ娘を追走していれば、この程度の距離を詰めることはザラにあるはずなのに。

 それはそうだ。脚を目一杯使って保っている逃げウマ娘のリードと、溜めてきた末脚を存分に使っている追込のリード。距離が同じでもその着差が同じ意味を持つはずがない。

 

『無礼るなぁあああああ!!』

 

 それでも、最終直線半ば辺りにはラムタラの速度がナリタタイシンを超え、少しずつ距離が詰まっていく。

 一方のナリタタイシンは、やはり慣れない洋芝に苦戦していた。強く踏ん張らないといけない洋芝で、今は軽い体重が不利に働いている。それでも、多少脚への負荷が増えるのを承知で、地面を抉るように強く強く踏みしめて前へ進む。

 2400mとはとても思えない疲労で脚を止めそうになるのを堪えて歯を食いしばったナリタタイシンに、ゴール直前、遂にラムタラが並びかける。

 

『ナリタタイシイイイイイイイイイン!!』

 

 事ここに至ってラムタラは油断しない。差し切る。ラムタラの足がナリタタイシンより一歩先へ行った。

 

『……吠え面かいてろ』

 

 その瞬間、ナリタタイシンは末脚が伸び、ラムタラの一歩半先にいた。

 

 

 

 歓声と拍手の中、ラムタラは呆然とする。

 負けるなんて欠片も考えていなかった。ナリタタイシンは強いとわかっていたし、油断していたつもりもない。それでも、上回ってこられるとは思いもしなかった。

 掲示板を見るまでもない。自分がゴール板を踏むより前に、ナリタタイシンがゴール板を踏んだ。

 

 ラムタラの敗因はやはり、一瞬でもナリタタイシン相手に様子見をしたことだろう。あるいは先行ペースで走っていれば、ナリタタイシンを振り切れたかもしれない。

 だが、接戦で走りたいがゆえに後方で陣取り、最終直線で一瞬、ナリタタイシンを待ってしまった。

 

 確かにナリタタイシンの最高速度よりも、ラムタラは速い。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()において、ラムタラはナリタタイシンの足元にも及ばない。

 

『……あたしの勝ち』

 

 聞こえてきた声は確実にラムタラへ向いていた。ラムタラは芝を睨み、そちらへ顔を向けられない。

 

GG(グッドゲーム)

 

 ラムタラの欧州三冠はここで断たれ、欧州のGⅠにまた、日本のウマ娘の蹄跡が刻まれた。




 マーベラスのダービー書いてるときの僕「タイシンのKGと凱旋門賞相手ラムタラやんけ!!?」


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オグタマライブ ??/07/27

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

 

「今日はイギリス、アスコットレース場で開催される国際GⅠ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスを実況してくで!」

 

「アスコットレース場と言えば、昨年ライスシャワーが勝利した世界最長の平地レース、ゴールドカップの開催地でもある。そこで開催されるKGⅥ&QEステークスは、距離こそ約2400mとゴールドカップより大幅に短いがそれでもクラシックディスタンス。そしてアスコットレース場の起伏の激しさから、世界有数の過酷さを誇るレースだ」

 

『タイピングがクッソ面倒くさいレース』

『略してもめんどいの何?』

『走るのも面倒だぞ』

『封鎖しろ封鎖』

『アスコットやめろ』

『東京2000mもやめろ』

『chu♡ 坂キツくってゴメン♡』

 

「今回の注目枠はなんちゅーても《ミラ》のナリタタイシンやな」

 

「ナリタタイシンは昨年ライスシャワーがゴールドカップを制覇した時に同じアスコットレース場開催の重賞で勝利を逃している。一方で、デビュー当時からインタビューなどでは欧州三冠のうち英ダービーを除いたふたつ、KGⅥ&QEステークスと凱旋門賞が目標だと言っていたからな」

 

『デビューしたときは正直ムリだと思ってたわ』

『タボボ並に前評判悪かったから仕方ない』

『完全に風評変わったのってダービーくらいからでしょ』

『アンチスレ今もう完全に息してないからな』

『うちの職場で「ナリタタイシンはないww」って言ってたおっさん今めっちゃ肩身狭そう』

 

『娘の通ってる高校にナリタタイシンの元同級生でナリタタイシンのことボロクソに言ってるやつがいたらしいけど、今は別のウマ娘のことボロクソに言っててナリタタイシンの話題になるとどっか行くって。あと彼女に振られたらしい』

『芝』

『それは芝』

『ナリタタイシンアンチってコンプレックス拗らせて自分より下認定したやつ虐めて精神保ってるやつばっかだからな』

『タイシンアンチゆ虐とか好きそう』

 

『イズミスイセンもようやっとる』

『かしわ記念勝ってたな』

『ナリタタイシンアンチからはクッソ嫌われてるイズミスイセン』

『あいつらからすれば裏切り者だしな』

『タイシンアンチから嫌われるとか爆アドやんけ』

『俺は未だにイズミスイセンが赦された的な雰囲気になってるのが納得いかない』

『誰もお前の納得なんて求めてないから大丈夫やぞ』

 

『ダートと言えば《ミラ》の新人がダートでデビューしましたけども』

『シンコウウインディなぁ』

『どうせ芝に来る』

『もう騙されないゾ』

『黒い人への熱い信頼』

『どうせGⅠ取るんだろ?』

『《リギル》全盛期にGⅠ率70%とかでキャッキャしてたのが懐かしいわ……』

 

「さらに、今回のレースでは欧州三冠を目標に掲げている英ダービーウマ娘、ラムタラも出走している。どこかホークスターを思い出すな」

 

「傲岸不遜って感じやね。アメさんでは珍しゅうないみたいやけど」

 

「ゴドルフィン・レーシング所属のウマ娘で、イギリスでの人気は低めだが、フランスでの人気は高い」

 

『フランス出身なん?』

『アメ公言うてたやん』

『フランスのレース出たことないのになんで人気なんだ』

『そらお前フランスだからだろ』

『フランス人はイギリスのレースを勝ったイギリス以外所属のウマ娘が好きやぞ』

『芝』

『芝』

 

『ラムタラあっちの記事でめっちゃイキってたぞ』

『エミネム好きなんやなぁって……』

『見てきたけど中2やん。そういうことやろ』

『これで負けたら黒歴史やぞ』

 

「オグリ、今回の勝負どう見とる?」

 

「カーネギーは勝ち負けできる実力があるが、パワー不足な点でアスコットでは不利だからな……おそらくナリタタイシンとラムタラの一騎打ちになる」

 

「せやな……総合力ではラムタラのほうが上やけど、併走癖があるみたいやから、そこを突ければって感じやろなぁ」

 

『舐めプしとるん?』

『舐めプって言うとなんか違う気がする』

『言うて競り合いながら流して勝った皇帝と同じ感じやない?』

 

「そろそろ始まるで〜」

 

『ないよぉ! ファンファーレないよぉ!』

『ファンファーレがないということは、ファンファーレがないということです』

 

「ゲートが開いた。逃げウマ娘がひとりいるな」

 

「ブロードウェイフライヤーやって。こんなコースでようやるわ」

 

「まずは700m超の下り坂。勾配は見ての通りかなり急だ」

 

『見てるとそうでもないように見えるんだけどこれ実際に走ってみるとマジでキツいのよな』

『体感滑り台』

『ていうか人少なくね?』

『アスコットはいつもこうよ』

『日本で言うところの天皇賞の姿か……? これが……?』

『やっぱクソコースなんじゃないスかね。忌憚のない意見ってやつッス』

 

「2400mやけど正味3000mくらいあるんちゃう?」

 

『2400mは2400mやろ』

『何言ってんの?』

『2400mということは、2400mということです』

『12f定期』

『さっきから進次郎おるな』

 

「わあっとるわ!!! 3000m走ってるくらいの負担あるやんなぁってことや!!!」

 

「下り坂でスピードを抑えれば負担が増えてスタミナが削れ、出しすぎればそれよりもスタミナが削れる。さらにそこからは府中並の上りが最後まで続く……少なくとも、日本のどのレース場の2400mよりも負担は大きいだろうな」

 

『ここで現地のメディア漁ってたら出てきたラムタラの情報

・傲岸不遜な物言いだがチーム内で最年少(ラムタラ以外全員高等部)なため微笑ましく見られている。

・トレーナーはゴドルフィン・レーシング専属の若き天才、ライオネル・トッデルー。ラムタラは口八丁でうまいこと丸め込まれてる。

・師であるニジンスキーは「昔からこんな感じ」と苦笑い。

・同期からはバチクソ嫌われてる。』

『芝』

『これは芝』

『これはナリタタイシンの恥ずかしエピソードも出さないと不公平やろ』

『配信中にスプ○で味方が馴れ合い始めたのにキレてトレーナーに情報開示請求しろってメッセ送ったこととか?』

『芝』

『気持ちはわかる』

威カ(いか)業務妨害かな?』

『なお、断られた模様』

『本人はキチゲ溜まりすぎたせいって言ってるから……』

『人気配信者の配信に映った時点で晒し上げなんだよなぁ……』

 

「最終直線入んでー」

 

「相変わらずトップスピードに乗るのが早いな……」

 

「人数少ないのもあってあっちゅうまに差し切っとるな……」

 

『いやでもラムタラも速いこれ』

『追込ウマ娘が逃げる展開になってるやん』

『ラムタラ速くね?』

『トップスピードはラムタラのが上か?』

『"領域(ゾーン)"使わんのな』

『ラムタラの隙を突きたかったからかな?』

『並ぶ並ぶ』

『いやラムタラはえぇ!!』

『追いつかれた』

『!?』

『なに!?』

『伸びた!!』

『急加速するやん』

 

「イナリみたいなもんやな……イナリもそうやけどナリタタイシンってやけに競り合いに強いから……」

 

「最後の追い比べで伸びたわけだな……さて、1着ナリタタイシン、2着ラムタラで確定だ」

 

『最後ちょっと危なかったけど終わってみれば余裕を持った勝利って感じだったな』

『ラムタラ悔しそうだな』

『チームメイトからヤジ飛んでて芝』

『誰やねん』

『ゴドルフィン・レーシングのホームページのメンバー名鑑に載ってた。多分リワイルディングって娘』

 

「インタビューやね」

 

『無難』

『まぁナリタタイシンだからな』

『他のミラがまともじゃないと!?』

『マーベラス☆』

『すみませんでした』

『あ、いや、カマした!?』

『「ざまぁみろ」いただきましたー!!』

『アンチボーボーで芝』

『言ったあと照れてんの笑うわ』

『声震えてたぞwww』

『日本語で言ったあたりどの層向けなのか丸わかりなんだよなぁ……』

 

「さて、ほなインタビュー終わったしこっちも締めるでー」

 

「ナリタタイシンの次走は凱旋門賞を予定しているらしい。《ミラ》の次走は来週土曜、新潟ダート1800m1勝級をシンコウウインディが。GⅠではビコーペガサスがスプリンターズステークスにリベンジする予定だ」

 

「ほな、タマモクロスと」

 

「オグリキャップがお送りしました」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』




 寝てました。
 アパオシャいいよね。


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常識(あたりまえ)の裏側

正直ダイタクヘリオスより台詞考えにくいやつが出てくると思ってなかった。


 社北グループ。いま日本で最大規模を誇る()()()()であり、世界的に見ても有数の、民間による競走ウマ娘養成団体である。

 社北グループは代々技術や血脈を継いできた名家名門と異なり、海外から積極的に新たな技術を日本に取り入れることを是としていた。

 例えば、社北グループに所属していた有名な指導者といえば、社北グループの創始者である()()()、吉野庵児の親友にして戦友、『名伯楽』ノーザンテーストだろう。

 十数年前に社北グループのコーチを辞し、トレーナーの名家である秋川家に嫁いで秋川マーチを名乗り、中央トレセン学園理事長の座についたことでも有名だ。

 彼女は元々カナダで生まれ、フランスのレースでGⅠを制覇しているのだが、吉野庵児率いる社北グループはノーザンテーストを支援することの条件に、引退後日本へ渡り指導者をすることを掲げていた。

 このように社北グループは海外から指導者を招いているなか、近年で有名なのは3人。『欧州王者』トニービン。『睥睨』ディクタス。そして――

 

 

 

 府中某所にある社北グループのトレーニングセンター。その第二トラックでふたりのウマ娘が併走をしていた。

 ウマ娘の中では珍しい栃栗毛の、2つに結わえたボリューム豊かな髪を揺らしながら走っているのは、チーム《ミラ》に所属する二冠ウマ娘、マーベラスサンデーだ。

 彼女との併走が尋常なものであるはずがなく、その"領域(ゾーン)"としても異端な現実を侵食する空間異常によって塗り潰されたコースで、しかし併走相手は()()()()()()()()()()()()()()

 それは、彼女もまた一種の異端に類するものだからである。

 

「成る程、確かに『BZRR』……"別位相"が『重なり合う』している……? "エントロピー"に異常な変化はないから……観測した情報を『共有する』している?」

 

 マーベラスサンデーと同じく、常識(あたりまえ)の向こう側に存在する『観測者』ネオユニヴァースの眼には、マーベラスサンデーによって投射された異界の風景も実際のコースの様子も、すべてが視えていた。

 

「アハッ☆ ユニもマーベラス☆」

 

「『MVLS』……それが"キーワード"なのかな? ネオユニヴァースは『とても興味深い』を感じるよ」

 

『……いつからジャパンのウマ娘レースはビックリ人間博覧会になったんだ?』

 

 そんな異次元の併走を眺める、全身黒づくめの針金細工のようなウマ娘がひとり。彼女こそ、吉野庵児が最後にスカウトした社北グループ所属のアドバイザー、『気狂い死神』サンデーサイレンスである。

 既にトゥインクルシリーズで結果を残しているマーベラスサンデーやフジキセキ、ジェニュインを筆頭に、今年デビューしたバブルガムフェローやダンスインザダークなどによって、サンデーサイレンスのアドバイスは的確さが証明され、アドバイスを受けに来るウマ娘は数を増やしつつあった。

 母数が増えれば、その分異端も増える。サンデーサイレンスの目に捉えられているふたりは、その典型と言える。

 なお、この異常な能力に対してサンデーサイレンスが与えた影響は一切ないということも記しておく。

 

 しかしながら、関与の有無に関わらず、類は友を呼ぶものである。

 

『……あなたが、サンデーサイレンスさん、ですね……』

 

『あぁ? ……あ?』

 

 サンデーサイレンスは聞き慣れない声に母国語で呼ばれ――トレセン学園の生徒は英語ができる者とからっきしの者の両極端であり、サンデーサイレンスにあわせて英語で会話する者は少なくない――振り返って、話者の顔を見て固まった。

 そこにいたのは自分だった。いや、当たり前だが、正確に言えば自分ではない。目の前の少女は顔つき自体は似通っているが人相には大きな違いがあるし、サンデーサイレンスよりも幾分健康的な体つきをしている。

 窺うような視線は、どこか宙を彷徨っているように見える。そんな自分とそっくりな少女のことを、サンデーサイレンスは耳にしたことがあった。

 

『――マンハッタンカフェ、だっけか』

 

『ご存知でしたか……えぇ、私がマンハッタンカフェです』

 

 少女――マンハッタンカフェは、粗暴なサンデーサイレンスとは対照的に丁寧な態度で頭を下げる。その様子に、サンデーサイレンスは奇妙なものを見ている気分になり目線を逸した。

 

『噂は聞いてたよ。俺様に似てる奴がいるってな。お前もそうだろ?』

 

『はい。そうですね』

 

 それにしては挨拶に来るのが遅くないか? と、サンデーサイレンスは自身を棚に上げてそんなことを思った。それを声に出さなかったのは、サンデーサイレンス自身が自分にそっくりな存在に対してそれほど興味を抱いておらず積極的に探すことをしなかったためだ。

 一方マンハッタンカフェも、相手がそんな事を考えているのを――おおよそサンデーサイレンスが顔に出やすい性格であるために――察しながら、敢えて触れることはしなかった。というのも、たとえ今になって会いに来た理由を訊かれたとしても、それがマンハッタンカフェの()()()に端を発するものであり他者に理解してもらうのは困難だと、マンハッタンカフェが今までの人生でよく知っていたからである。

 

『それで? 用事は挨拶だけかよ?』

 

『えぇ、まぁ……』

 

 マンハッタンカフェは何か言い淀んでいる。サンデーサイレンスはそれを察しながらも、こちらも触れることはしない。面倒事の香りしかしないからだ。

 マンハッタンカフェはサンデーサイレンスの隣に座り、マーベラスサンデーとネオユニヴァースの併走を眺め始める。その間、マンハッタンカフェはチラチラとサンデーサイレンスの横顔を瞥していた。

 しばらく併走を眺めていたマンハッタンカフェだったが、併走が終わる頃になるとサンデーサイレンスにその場を辞す旨を伝えて去っていった。

 

『妙なやつだったな……あ?』

 

 サンデーサイレンスが去っていくマンハッタンカフェの背中を見てしばらくコースから目を離し、再びコースへと視線を戻した時には、何故かマーベラスサンデーとネオユニヴァースはその場から消えていた。

 

『……マジでなんなんだよ……』

 

 サンデーサイレンスは唸るように声を漏らした。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「……それで、こちらの方は?」

 

 網はマーベラスサンデーが拉致してきた少女――マンハッタンカフェを見る。マンハッタンカフェもまた、網のことを見る。互いに怪訝な表情を浮かべる中、マーベラスサンデーだけは笑顔だった。

 さらにもうひとり、完全に異物であるのがネオユニヴァースだ。彼女はマーベラスサンデーに連れてこられたのではなく、マーベラスサンデーとともにマンハッタンカフェを連れてきた側だからだ。

 

「えーと……名前なんていうの?」

 

 初対面なのかよ。

 そんなツッコミが飛び出しかかるがなんとか堪えた。

 

「あー……私、マンハッタンカフェと申します。えっと……こちらの方に連れてこられまして……」

 

 マンハッタンカフェが助けを求めるかのような視線を向けてくる。真意はマーベラスサンデーのみぞ知るのだが、いかんせんマーベラスサンデーである。「マーベラスだから」以上の情報が現れるかさえ怪しい。

 そんな状況を打破したのは、意外なことに異物であるネオユニヴァースだった。

 

「……マーベラスサンデーのトレーナー。"オカルティズム"についてどう思う?」

 

「オカルティズム……それは本来の神秘学に関して言っていますか? それとも、広義のオカルトについて?」

 

「後者だよ、トレーナー」

 

 ネオユニヴァースからの問いかけは突然だったが、「オカルティズム」という単語によってマンハッタンカフェの表情に変化が齎されたことを認識した網は、問題を先に進めるためにそれに答えることにした。

 一方のマンハッタンカフェは、この状況に半信半疑といったところだ。クラスメイトであるネオユニヴァースが、マンハッタンカフェと同じく『この世ならざるもの』を視認できている――その対象は相違があるようだが――ことは知っているし、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"が自身が足を踏み入れている怪異の領域に近いことも知っている。

 そのふたりが何故かマーベラスサンデーの所属する《ミラ》のトレーナー、網のもとへとマンハッタンカフェを連れてきた。そのことに、なにか意味があるのではないかと。

 

「……そうですね。現時点で証明するには論拠が不足しているもの、ですかね」

 

「その意見はアファーマティブなもの? それともネガティブなもの?」

 

「オカルトに理解はある方だと思いますよ? 極論で言ってしまえば、証明される前は進化論も地動説もオカルトだったんですし。ただ盲信するわけではありませんけどね。証明できないことは確かなのですから」

 

 そもそも、"領域(ゾーン)"の存在自体がオカルト……いや、ウマ娘という存在そのものが、オカルトに片足を突っ込んでいるようなものなのだ。頭ごなしに否定することはできないと、網はそう考えている。

 それを聞いて、ネオユニヴァースはマンハッタンカフェへ向き直ると、いつもの何を考えているかわからない無表情のまま語りかける。

 

「『NPRB』だよ、マンハッタンカフェ……ネオユニヴァースが観測した限り、彼はこの『世界(バース)』における"特異点"……

運命を歪める『ニュートリノスター』のような存在。ぼくの『世界(バース)』の『EBNA』ほどではないけど……君に対していい影響を与えると思う」

 

「トレーナーさん☆ カフェはとってもマーベラスだよ!」

 

 この時点で、網は少なくともネオユニヴァースがマーベラスサンデーと同類であり、このマンハッタンカフェにも共通する部分があるということを把握した。

 それは、理解不能であるマーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"について理解する手がかりになるかもしれない、ということでもある。マーベラスサンデーは言語表現が非常に感覚的な上に、その感覚自体が人とズレているために、相互のすり合わせが難しい。

 だから、網としてはより多くのデータを収集したかった。その恰好の相手が現れたのだ、ある意味では渡りに船とも言える状況だった。

 

「……マンハッタンカフェ。ひとまず、話してみませんか? 貴女の抱えるオカルトな事情について」

 

 怪異と生きる少女に、人の悪魔が笑いかけた。




「ライスシャワーですか? あれは実際に他人を不幸にする能力があるかどうかはどうでもいいんですよ。仮に本当だとしても嘘だと本人が思い込んでくれれば精神的には解決しますから」


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EXTRA RULES

「なるほど」

 

 網はマンハッタンカフェの話をひと通り聞いて息を吐く。マンハッタンカフェが語ったのはある意味ではよくある話だった。

 曰く、霊感がある。マンハッタンカフェ本人は霊感という言葉は出さず、自身の見えるものに対して『不思議な子たち』と表現していたが、まぁ霊感でいいだろう。

 

「……その、見えるものがなにか、というのはひとまず置いておきましょう。死んだ人間の霊魂か、はたまた妖怪や妖精の類かはわかりませんが、それについては特段悩んでいるわけではないようですし」

 

「……はい。彼女は……『お友だち』は、少なくとも自分を幽霊ではないと主張しています」

 

 曰く、普段は気配、あるいは意思のようなものを感じるだけの存在、『お友だち』。マンハッタンカフェが走っている時、または走る前になると姿が見えるなにか。

 マンハッタンカフェが競走ウマ娘を志したきっかけであり、長年追い続け、追いつけない影であるという。

 

「私は『お友だち』に追いつくこと……『お友だち』の顔を見ることを目標に走っています」

 

「ふむ……理解はしました。重ねて言いますが、私は貴女の見るものを否定しません。否定することにメリットがありませんからね。ただ、その目標となる『お友だち』を私は見ることができない以上、目標を超えるのにどの程度能力が足りていないのか判断できるのは貴女だけですので、その差については逐一認識を擦り合わせる必要があることを覚えておいてください……っと、そもそも契約を結ぶかどうか未定でしたね」

 

「そうですね……」

 

「現状、私は貴女の走りについて何も知らない状態ですので、スカウトするという言葉に説得力があるかはわかりませんが、貴女をスカウトすることに私は利を見出しています」

 

「利、ですか……?」

 

 怪訝そうなマンハッタンカフェに対して、網は頷いて続けた。

 

「私は『お友だち』に興味がある。貴女の情報を総括すると、『お友だち』はウマ娘サンデーサイレンスに似た容姿と能力を持ち、常人には見えないが霊魂ではない何か、ということですよね?」

 

 『お友だち』はサンデーサイレンスに酷似している。当初マンハッタンカフェは『お友だち』の姿をマンハッタンカフェ自身に似ているのだと考えていたが、自身に瓜二つであるサンデーサイレンスの走り方を見てからはそう思い始めていた。

 特に『コーナリングの巧みさ』は、サンデーサイレンスと『お友だち』の最大の共通点と言えるし、『お友だち』がサンデーサイレンスの走りをしているのであれば、マンハッタンカフェが長年追いつけないことも頷ける。

 他に似ているウマ娘がいないとは限らないが、マンハッタンカフェがサンデーサイレンスに会いに行こうとした当初、マンハッタンカフェは『お友だち』の妨害に遭い断念せざるを得なかった。挨拶が遅れたのはこのためだ。

 何故妨害したかはわからないが、サンデーサイレンスと『お友だち』の間に何かがあるというのは、ほぼ確実だと考えている。

 

 そんなマンハッタンカフェの考えに、網は自分の考察を差し込む。

 

「しかし、私の見立てでは『お友だち』はサンデーサイレンスと全く異なる人格をしている」

 

「それは……?」

 

「『お友だち』は楽しそうに走っている、と先程貴女は仰っていました。しかし、サンデーサイレンスはそうではない。彼女はレースにそれほど娯楽を見出していませんから」

 

 サンデーサイレンスがレースを志した理由は、亡き友の追悼と運命への反抗であるというのは有名な話だ。マンハッタンカフェが評した『お友だち』の走りである、荒々しく野性的な走りというのはまさにサンデーサイレンスの走りに通ずるものがあるが、楽しそうに走る姿というのは疑問が残る。

 

「……では、『お友だち』とは一体なんなんでしょうか……?」

 

「結論から言えば、わかりません。が、幽霊ではないという本人の言を信用するのならば、候補はそれほど多くはありません。私はそれを、"領域(ゾーン)"に近いものだと考えています」

 

「……"領域(ゾーン)"、ですか……?」

 

 困惑したようなマンハッタンカフェの声。それに答えるように声をかけたのは網ではなかった。

 

「『ウマ娘とは、異世界から来訪した魂と名前を受け継ぎ、新たな運命を紡ぐ存在である』」

 

「ライスさん……」

 

「色んな絵本や物語の題材にもなってる、始祖神話の一節だよ、カフェさん。トレーナーさんは、これが関係あると思ってるんだよね?」

 

「えぇ。ウマ娘固有の超常現象については、"領域(ゾーン)"を含めおおよそこの『異世界からの魂』が関係しているというのが私の持論です。おおよその身体機能が同一であるヒトとウマ娘の、物理的以外の相違点がそこですから。当然単なる消去法ですから実証はできておらず、あくまで仮定でしかありませんが」

 

「つまり、『お友だち』は別世界のサンデーサイレンスの魂である、と?」

 

「断言はできません。しかしそう考えれば筋が通るのは確かです」

 

「……だと、するならば。ユニヴァースさん、あなたなら何かわかりませんか?」

 

 マンハッタンカフェが、ネオユニヴァースへと話を振る。それは的確なパスだったと言っていいだろう。彼女はこの場で唯一()()を観測できるのだから。

 

「アファーマティブ……と言っていいのかな。ネオユニヴァースはマンハッタンカフェとサンデーサイレンスの『LINK』を観測しているよ」

 

「『LINK』……そのままの意味なら、関連しているという意味に捉えられますが」

 

「それも、アファーマティブ。ぼくの『世界(バース)』では、多くの者がサンデーサイレンスの『LINE』を継いでいた。その中で、最もサンデーサイレンスと『LINK』していたのがマンハッタンカフェだったんだ」

 

「では、やはり『お友だち』は別世界の……」

 

「……ネガティブ。正しくはそうじゃない」

 

 その否定は、マンハッタンカフェにとっては想定外だった。話の流れは、確実にマンハッタンカフェが想定していた結論に向かっていたはずなのだ。しかし、それをネオユニヴァースは訂正する。

 

「ぼくの『世界(バース)』のサンデーサイレンスと、わたしの『世界(バース)』のサンデーサイレンスでは姿()()()()。君の『FRND』がこの『世界(バース)』のサンデーサイレンスと同じ姿を『持つ』しているなら、それは別世界のサンデーサイレンスではないよ」

 

「……こんがらがってきましたね……なにがなんだか……」

 

「まぁ、それが気になるのはこちら側の事情であり、貴女が達成を望む目標には関係ありませんから。さて、それでどういたしますか?」

 

 再度問われて、マンハッタンカフェは考える。素直に言えばマンハッタンカフェにとっても渡りに船と言って過言ではない。

 自身の身体の虚弱さや乗り物への弱さについて、マンハッタンカフェは理解している。網であればそれらへの対応策を用意してくれるだろう。指導能力については言うまでもない。

 しかし、マンハッタンカフェにはまだ言っておかなければならないことがある。

 

「……私としては、契約したいと思っています……ただ、私は霊障に巻き込まれることが多く、強い縁を持ってしまった場合、あなたもそれに巻き込まれる可能性があります……」

 

「……成る程、実害が起こる可能性は考慮していませんでしたね……」

 

「正直、霊障への認識が十分でないかもしれない、とも思っています。なので、試用期間を設けてほしいです。あなたが許容しきれるか……」

 

「……わかりました。そういうことでしたら、そうしましょう」

 

 交渉成立と網は笑う。この先、一体何が起こるのか誰もわからない。いくら魔人と言われていようとも、彼だって人間なのだから。



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見えぬ者

 雑に絡ませた直後の実装で公式が絡ませてるとは思わんじゃんよ。


「ふぅん……それじゃあカフェ、君は《ミラ》に入ることにしたと?」

 

 中央トレセン学園の一室、元々は空き教室であったその部屋には既に空き教室の面影はなく、神秘と科学という相反する属性を持った品々で真っ二つに分かれている。

 その部屋でソファに腰掛けながらコーヒーをすするマンハッタンカフェに向けて鹿毛のウマ娘、アグネスタキオンはそう問いかけて、手元のカップをザラリと傾けた。

 

「まだ試用期間です。決まったわけではありません」

 

「その話が出たのも2週間前だろう? 決まったようなものじゃないか! それだけ近くにいるなら、霊障の洗礼も受けたんだろう? 彼はどう切り抜けたのかな?」

 

「……なにも」

 

「……ほう?」

 

 マンハッタンカフェに仮契約を持ちかけた《ミラ》のトレーナー、網は、俗に言う零感、つまるところ、怪異に対するチャンネルが一切開いていない人種だったのである。

 それは霊が見えないということではない。それだけでは正確ではない。彼は()()()()()()()存在でもあった。よって、なににもならない。

 

「ふぅん……それはまた、なんとも拍子抜けな結末だねぇ……君のパートナーは君と同じものを見られるか、霊障に対して『慣れた!』なんて肝の太いことを(のたま)える人間だと思っていたが」

 

「パートナー……というほど近い関係でもありませんよ。彼の伴侶は、強いて言うならアイネスフウジンさんでしょう」

 

「それにしても、《ミラ》には私も目をつけていたんだけどねぇ。まさかカフェに抜け駆けされるとは……私のことも推薦してくれないかな?」

 

「抜け駆けした覚えはありませんが……止めておいたほうがいいですよ。恐らく、あなたと彼は反りが合わない」

 

「……ふぅん? 私は似てると思ったんだがねぇ。彼は私と同じ『理論的な浪漫派』だろう?」

 

「ある一面を見ればそれも間違っていませんが……近くで見た限り、網トレーナーは自作の薬剤とか認めないタイプですよ。博打はするけどそのための無駄なリスクを排するタイプですから」

 

「よし、《ミラ》は諦めよう。彼とは利益を提示しての情報交換程度にとどめておいたほうがよさそうだ」

 

 清々しいほどに前言を撤回するアグネスタキオン。その判断とマンハッタンカフェの洞察は正しいと言えるだろう。網は正しい治験をしていない薬品を認める気はないし、それを自分の身で治験するほど狂ってもいないからだ。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

『ハ゛ヤ゛ヒ゛デ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ッ゛!!!!! ド゛ン゛マ゛イ゛だ゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!』

 

『スマン、ノイズキャンセリングでほとんど何言っているのか聞こえなかった』

 

「ヘッドホンの音質良くしたことが凶と出ることってあるんだ」

 

 高音も低音も綺麗に通す高音質ヘッドホンは、爆音を超えた爆発音も正確に伝達しナリタタイシンの鼓膜を破壊した。

 UMACORD*1を介しての通話をしているのは、ナリタタイシンがフランスにいるからである。

 あの長ったらしい名前のGⅠを勝ったあと、ナリタタイシンはフランスへ飛んだ。そこに滞在し、凱旋門賞に向けて洋芝への馴致を進めているのだ。

 そんなナリタタイシンと、日本にいるウイニングチケット、ビワハヤヒデが通話をしているのは、ナリタタイシンのKGⅥ&QEステークス勝利を祝うためではない。*2

 

『いや、実際強かったよ、メジロマックイーンは。完全に勝利の方程式を――それこそゴールの瞬間までなぞっていたはずなのに、負けていた。正直意味が分からなかった。というより、今も意味がわからない』

 

 サマー・ドリーム・ミドル、阪神レース場2200m。宝塚記念を模したドリームシリーズのレースに出走したビワハヤヒデは、対戦することとなったメジロマックイーンにクビ差で敗れたのだ。

 引退当初はドリームシリーズへの出走を否定していたメジロマックイーンだったが、担当トレーナーであった奈瀬によりケーキバイキングと引き換えに出走を受諾。*3ただ、今後も超長距離を走ることはないとのこと。

 

「脚は大丈夫なの?」

 

『なんとかな。周りからは引退せずに一年間調整してればよかったのにとも言われたが、走った感覚から計算するとやはり引退したのは正解だったよ……これからまた調整だな』

 

 そもそも、ビワハヤヒデにトゥインクルシリーズに対しての悔いは既に残っていないのだ。人生に一度のクラシックを終え、天皇賞の盾とグランプリの杯をもぎ取っただけで得られる名誉としては十分。そして、勝利の方程式も完成させることができた。であれば、さらなる強者を求めドリームシリーズへ行くほうがむしろ自然だ。

 それよりも、ビワハヤヒデは自分より心配する対象がある。それを関係ないこの場で口に出すことこそなかったものの、話題が近づいたことで頭をよぎったことは声のトーンから馴染みのふたりには容易に看破できた。そして、ふたりがそれを察したことも理解できたのだろう、ビワハヤヒデは雰囲気に応える。

 

『……あぁ、いや。ブライアンについては大丈夫だ。あいつは、強いからな……』

 

 ナリタブライアンは阪神大賞典を勝ったあと、春の天皇賞を前に故障し、今もリハビリを続けている。そんな彼女の走りが見る影もないほどに乱れているのは、素人目にすら明らかだった。

 元々、ナリタブライアンの怪物的な走りはその天性の肉体と野性的な勘に支えられたものだった。技術を打ち砕くフィジカルの暴力。だがしかし、それはその肉体と勘のふたつが噛み合ってこそ発揮されるもの。

 要は、故障によって歯車が狂ってしまったのだ。噛み合わない感覚と肉体に、調整する技術を培わずに走ってきたツケが響いている。そして力を発揮できていないという事実が、ナリタブライアンを途方もない焦燥感に悩ませていた。肉体のダメージよりもむしろ、メンタルへの影響のほうが心配になるほどに。

 しかし、ビワハヤヒデはそれを踏まえて、ナリタブライアンならば克服できると疑っていなかった。それがあるいは、ナリタブライアンという怪物の光を間近で見続けたが故に眼が眩んだ結果だとしても。

 そんな理性的――と、自分では思っている――判断で、姉としてのただ心配だという感情を抑えられる程度には。

 だから、ビワハヤヒデが心配する相手は、ナリタブライアンではない。

 

『……最近、タケヒデが口を利いてくれないんだ……』

 

「……はぁ」

 

 弁解しておくが、ナリタタイシンの口から出たのは溜息ではなく気の抜けた返事である。とはいえ、そりゃそうだと言わなかっただけ頑張ったとも思える。

 ビワタケヒデとは、あまり知られていないビワハヤヒデとナリタブライアンの妹である。()()ビワハヤヒデとナリタブライアンの妹が何故それほど知られていないのか。端的に言ってしまえば、それはふたりほどの素質がないからである。

 重賞を取れる程度の素質は見える。だから才能がないと言ってしまっては他のウマ娘に失礼だろう。だが、それも上ふたりの姉と比べてしまえばほんのちっぽけな光だ。

 それがどれだけ彼女のプレッシャーに、コンプレックスになっているか。ナリタブライアンという巨大すぎる光を受けて、己を凡才だと錯覚する()()()()()()()()ビワハヤヒデにその心情を正しく察しろというのは難しいのかもしれない。

 

「……思春期ってそんなもんだよ。少し放っといてあげな」

 

 だから、ナリタタイシンはビワハヤヒデの嘆きをそれとなく誤魔化して、ビワタケヒデの精神の安寧を祈るのだった。

 

 

 

★☆★

 

 

 

 ゴドルフィンレーシングのとあるチームの間でざわめきが起きていた。

 曰く、()()ラムタラが真面目にトレーニングを積んでいるのだと。才能だけで走っていると揶揄されながら、それでも実力主義のチーム内で頭抜けて強かったが故に批判されていなかったラムタラが。

 その理由も周知のものだった。KGⅥ&QEステークスでの敗戦。それは、勝ち続けてきたラムタラの、『敗北見えぬ者』の初めての挫折だった。

 

 油断していた。慢心していた。本気ではあったが、全力ではあったが、決死ではなかった。だが、それを言い訳にできるほど、彼女は誇りを捨てていなかった。

 そして、その程度の挫折で折れるほど、彼女は素直ではなかった。

 

『一皮剥けたではないか、ラムタラ』

 

『……ヤゼール。そう、見えるか』

 

 現れたヤゼールと呼ばれたウマ娘は、尊大な態度を隠しもせずにラムタラへそう話しかける。

 ラムタラの所属する団体の長、つまり、一国の皇子の娘、すなわち彼女自身も皇族。それがヤゼールの持つ肩書である。

 ラムタラが神を名乗るようになったのは、彼女と出逢ってからである。生まれながらの王であったヤゼール。その在り方は、ラムタラの脳に強く焼き付いた。同じ王を目指しても紛い物にしかならないと、そんな確信とともに。

 

『日本の鬼神に負けたのがよほど響いたと見える』

 

『……いや、否定はしないけどよ……』

 

『余は、今の主の顔のほうが好ましいと思う。励め』

 

 言いたいことだけを言ってさっさと去っていった王の背を、ラムタラは何も言えぬまま見送る。口の中で「言われなくとも」と呟いて、ラムタラはトレーニングを再開した。

 既に、ラムタラに油断も慢心もない。その瞳に、二度目の敗北は映っていなかった。

*1
通話やメッセージのやり取りができるサービス。

*2
それは当日のレース後にLANE通話によって行われており、不用意に通話を始めたナリタタイシンのウマホから鳴り響いたウイニングチケットの声は、現地人に「earraper……」と称された。

*3
自分で費用を出せばいいじゃんという点に関しては気づいていなかった。



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理解できません……

 お久しぶりです(定型文)


「#スイーツクッキング♪ #カレン #with #ボーノ☆ #with #マヤちんチャンネル #with #ビコーペガサス #with #ファル子 #with #ニシノフラワー #with #エイシンフラッシュ」

 

「カレンさん。調理中にウマホを触るなら先にウマホも殺菌消毒するか、専用のカバーを着けてください」

 

「は〜い! 流石フラッシュさん、準備いいですね!」

 

 トレセン学園の家庭科室で自撮りをアップしているのは、『Umastagram』の超有名インフルエンサーであるCurrenことカレンチャン。

 他にも、ウマドルとしてリアルでの活動を主にしているスマートファルコンや、『UmaTok』で動画投稿を行っているチーム《ミラ》のビコーペガサス、カレンチャンと同じくウマスタグラマーであるヒシアケボノや、『Umatube』で配信活動を行っているマヤノトップガンなど、デビュー未デビューを問わず既に世間的な認知度が高いメンバーがコラボして菓子作りの企画を行うために集まっていた。

 そんなこの場を取りまとめているのは、唯一この場でメディア露出していないウマ娘であるエイシンフラッシュだ。

 ひとり毛色の違うエイシンフラッシュが何故この場に呼ばれたのかと言えば、それは彼女の両親が生国であるドイツでケーキ職人を営んでおり、彼女自身も菓子作りを趣味としているからだ。

 

「ボノー、バターの湯煎終わったぞー」

 

「うんうん、おっけー☆ マヤちゃんは薄力粉ふるえた?」

 

「こんな感じ?」

 

「できてるよー! それじゃあこのふたつとお砂糖を、ダマにならないように混ぜていこう!」

 

 ヒシアケボノの音頭で菓子作りが進むヒシアケボノ、ビコーペガサス、マヤノトップガンの組。一方、エイシンフラッシュ、カレンチャン、スマートファルコンの組も順調に進んではいる。

 

「それにしてもマヤちゃん。今回って、フラッシュさんを呼んだのマヤちゃんなんだよね? 正直、あたしひとりでもみんなのこと見てられると思うんだけど」

 

 暗になぜエイシンフラッシュを誘ったのか尋ねるヒシアケボノ。そう、エイシンフラッシュをこの場に呼んだのは、エイシンフラッシュと親交のあるカレンチャンでもスマートファルコンでもなく、あまり接点のないマヤノトップガンだった。むしろ、スマートファルコンはエイシンフラッシュについてきた形になる。

 そしてヒシアケボノの言う通り、単に講師役としてならば普段から料理関係をメインに動画配信をしているヒシアケボノがいれば事足りる。であれば、マヤノトップガンはなぜ、配信関係は素人であるエイシンフラッシュをわざわざ誘ったのか。

 

「んー……なんとなく、かな?」

 

「そっかー」

 

 その答えは曖昧なものだった。マヤノトップガンの洞察力と理解力は彼女自身の論理構成能力を超えており、だから彼女はその類まれなる洞察力で得た結論を、『なんとなく』や『勘』として出力するしかない。

 普段からつるんでいる友人であるヒシアケボノはマヤノトップガンのこういった答えには慣れているため、特段それを追及せずに流した。

 しかし、その答えは間もなく現れることになる。

 

「……カレンさん? それは一体何を……?」

 

「ちょっとアレンジ加えてみよっかなーって! こう、エディブルフラワー的な……」

 

「エディブルフラワー……食用花なんですか? それは」

 

「食べられると思うよ? お刺身に付いてた菊だから……」

 

「捨ててください」

 

 ……結論から言えば、カレンチャンはアレンジャーだった。

 その場のセンスと閃きで新たな道を作っていくという点で芸術家肌なカレンチャンとしてはさもありなんな性質ではあるのだが、こと料理、それもお菓子作りとは相性が悪いのは歴然だ。

 これが並大抵の相手であれば、カレンチャンのカワイイに圧されて流されてしまうのであるが、監督しているのは特に精確さにこだわりを持つエイシンフラッシュである。勝手な真似は許されなかった。

 

「あ〜……ね」

 

 カレンチャンの性格は付き合いのあるマヤノトップガンならば把握しているだろうし、エイシンフラッシュの几帳面さ加減は学園内では有名だ。ヒシアケボノはマヤノトップガンが何を「わかっちゃった」のか納得して声を上げた。

 

 その後、カレンチャンがたびたびオリジナリティを発揮しようとするところをエイシンフラッシュが止めつつ、ヒシアケボノたちの組に関しては特に問題も起こらず菓子作りは順調に進んでいく。

 やがて、偶然にもデビュー組と未デビュー組で分かれていたこともあるからか、ヒシアケボノたちの組の話題はレースに関するものへと移っていった。

 

「マヤちゃんは神戸新聞杯だよね? 菊花賞トライアルの」

 

「そだよー。モチロン菊花賞が目標!」

 

「アタシはマーベラス先輩がチームメイトだから応援しづらいけどガンバレー……実際、どうなんだ? ()()、攻略できんの……?」

 

 ()()とは言わずもがな、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"のことであろう。日本ダービーでマーベラスサンデーと対決したときのマヤノトップガンは、マーベラスサンデーの背後につけ続けるという戦法でこれを破りにかかったが、通じることはなかった。

 しかし、そんなビコーペガサスの問いにマヤノトップガンは事もなげに答える。

 

「うん、多分イケると思うよ? なんとなくアレがなんなのかわかったし」

 

「わ、わかるもんなのか!?」

 

「マベちんと一緒にいたらむしろ簡単にわかるよ。多分、ネイチャとかも一緒にレースしたらわかるんじゃないかな?」

 

 ビコーペガサスはマーベラスサンデーと併走したことはあっても、レース中、併走中にあの"領域(ゾーン)"に巻き込まれたことはない。しかし、観客席でレースを観ていたときに巻き込まれたことはあった。

 ビコーペガサスにとって、マーベラスサンデーの"領域(ゾーン)"はまさに理解不能。攻略なんて夢のまた夢としか思えなかった。

 

「そういうビコーちゃんはやっぱりスプリンターズステークス?」

 

「あぁ、そうだぞ。ボノも出るんだよな?」

 

「出るよ〜☆ うふふ、楽しみだね!」

 

 去年ビコーペガサスは本格化前だったこと、相手が絶対王者(サクラバクシンオー)だったこともあり、前年のレコードを超える結果を出したにも関わらず1着をとることは叶わなかった。

 だからこそビコーペガサスは今年のスプリンターズステークスを勝ちたいと思っている。しかしそれと同時に、ヒシアケボノという友人の強さも身にしみて理解できているのだ。

 

 雑談もそこそこにクッキーが焼き上がり、各々大体同量ずつを分け合ってその日は解散となった。撮影された動画は編集したあと、それぞれのチャンネルで投稿されるだろう。

 ビコーペガサスとヒシアケボノは皆と別れたあと、ふたり連れ添って歩いていた。単純にふたりの向かう方向が同じだったからだ。

 ヒシアケボノはそのまま寮へ戻り、後日トレーナーへ渡すつもりでいたが、ビコーペガサスは寮までの中途に《ミラ》のチームルームがあるため、そこでメンバーが自由にとって食べられるように置いておこうと思っていた。

 ツインターボあたりは喜ぶだろうとか、シンコウウインディがワルぶって独り占めしないように注意しなければなどと話しながら、ふたりがチームルームの前まで来た時、不意に、《ミラ》のチームルーム内からガシャンという何かが倒れる音が響いた。

 すわ事件かと、ビコーペガサスとヒシアケボノは慌てて目の前にあった扉を開いてチームルームへと押し入った。

 

「ちょ、ッ……ええっ!?」

 

「……トレーナー……さん……?」

 

 ふたりの前に広がった光景。

 チーム《ミラ》のトレーナー、網の胸ぐらに、ヒシアケボノのトレーナーが掴みかかっているという、剣呑な光景だった。




 職業訓練校に通い始めたことでちょっとゴタついてました。
 Excelの問題の消費税計算で答えが5%換算になっていたのを見て時代を感じました。誰も直さなかったのかよ。


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あるトレーナーの苦悩

 時間を遡ること数十分前。

 

「いらっしゃいませ」

 

 ノックの音に反応して、網がチームルームのドアを開く。そこにいたのは、ひとりの男性だ。

 第一ボタンを開けた半袖のワイシャツに長ズボンというカジュアルとフォーマルの間にあるような、名門生まれのトレーナーにはよくある服装をした彼は、「失礼します」と一礼して部屋に入ってくる。

 

「どうぞ、お座りください。飲み物でもお出ししましょう。珈琲も紅茶も……麦茶やジュースなんかもありますが……」

 

「いえ、お気遣いなく」

 

 彼がそう遠慮すると、網は自分の分だけリンゴジュースを注いで応接テーブルに置くと、応接テーブルに面した椅子に腰を下ろした彼と相対するように座った。

 

「本日は時間を取っていただいてありがとうございます」

 

「いえいえ、ちゃんと事前にアポイントメントをいただいておりましたから。突然やってきて取材、なんて不躾な人間でなければ、相応の対応をいたしますよ」

 

 冗談めかしてそう語る網だが、その"不躾な人間"が架空の人物ではないことを、来訪者の彼は察している。

 一方の網は、若干居心地悪そうに座る目の前の彼を観察していた。所作は硬くキッチリとしたイメージがある。網と同じく鋭い目つきをしているが、狐や蛇のような胡散臭い印象がある網に比べると、威圧感のある猛禽類のような鋭さを持った目が、黒縁の角メガネの向こうに見えていた。

 髪は短く整えられており、全体的に清潔感のある男性だった。

 

「それで、飛田トレーナー。本日は一体どのようなご用向で?」

 

 飛田裕一(とびたゆういち)。ベテランと言うほどではないが網よりも経歴の長いトレーナーのひとりであり、ヒシアケボノを担当しているトレーナーだ。

 遡ること2週間前、飛田は《ミラ》のメールアドレスを通じて網との会談を申し込んできた。その是非を判断する過程で飛田がヒシアケボノの担当であることを知った網は、ヒシアケボノと交流のあるビコーペガサスを通じて飛田の人柄を知り、彼の目的を大枠で予想しつつ了承したのだ。

 そうして、飛田が切り出した今回の用件は、網の想定を外すものではなかった。

 

「……単刀直入に言いましょう。網トレーナー、あなたの知恵をお借りしたい」

 

「……まずは、聞きましょう。どうぞ、続きを」

 

 飛田は網に促され、一拍おいて話し出す。端的に言ってしまえば、飛田が求めている知恵とは、網の怪我を防止する技術のことだった。

 《ミラ》の異常性はチームメンバーのGⅠ勝利率もさることながら、レースに詳しい者ほどその故障の少なさに目が行く。これまで7人がデビューし、()()()()()を除けば故障したのは僅か2人。それも一度ずつだ。

 トウカイテイオーやナリタブライアンを例に挙げるまでもなく、ウマ娘の全力は常に故障と隣合わせである。そんな常識の中で、《ミラ》のメンバーが残した戦績と怪我率は、まるで釣り合うものではなかった。

 網のトレーニングメニューの特徴は、ステータスの伸び幅や技術指南よりもむしろそこにある。いかに負担をかけないかを念頭に置いたトレーニングを、徹底的に負担に強い体作りをしたうえで行っているからこその、故障の少なさ。

 飛田が欲している知恵は、まさにその負担の軽減にあった。

 

 ヒシアケボノの身体には相当な負担がかかっている。

 印象だけで語るなら体が大きいということはイコールで頑丈、丈夫であるというイメージが起こるだろうが、それは正しいとは言えない。確かに巨体を支える骨は相応に太いのだが、一方で骨密度は一般的な範疇に収まっている。筋質もまたそうだ。

 程度を考えればやや軽微な範囲ではあるが、限界を超えたサイレンススズカや、宝塚記念で引退しなかった場合のビワハヤヒデに近い爆弾が、ヒシアケボノには巻き付いていると言っていい。耐久性が出力に追いついていないのだ。

 その上でヒシアケボノは、電撃戦と言われるスプリントという負担の大きな舞台で、他の追随を許さないほどに()()()パフォーマンスを見せている。

 いつ壊れてもおかしくない。その危険はすべてのウマ娘に付き纏っている。しかし、ヒシアケボノは特にそれが紙一重の位置にあるのだ。

 

 ヒシアケボノの才能ならばGⅢやGⅡだけでなくGⅠ級の活躍を狙える。それを理解した上で、飛田は早期引退の打診をした。

 GⅢさえ取れないウマ娘は大勢いる。GⅢを取れただけで十分な名声だ。GⅠに挑戦するのは止めないが、それでも無理はせずに早いうちに引退したほうがいいんじゃないか、と。

 トレーニング中の故障ならまだいい。だが、スプリントレースの最中で故障したら大惨事だ。それこそ、つい数年前に()()()()()()()()()()()()()()()()がターフの上で散っているのだから。

 GⅠを取れたらそこまで。取れなくともシニア期の暮れで引退。飛田はそう提案した。

 

 そして、ヒシアケボノはそれを承知の上で、観客が望むものを魅せるために、自分の走りを貫くことを選んだ。

 

 以前までなら、強く止めれば優しい彼女は飛田の意見を飲んだかもしれない。しかし、タイミングが悪かった。彼女の覚悟を決めさせてしまう出来事があった。

 同期であるフジキセキ引退の正式発表だ。将来を期待され、晴れ舞台の前に躓いた彼女は、観客の眼を汚さず去ることを選んだ。最後まで、舞台上の役者として。一片の悲哀も見せずに。

 その姿が、ヒシアケボノに舞台を最後まで、最期まで歩む決意をさせた。サクラバクシンオーという絶対王者が盛り上げ、《ミラ》の刺客ビコーペガサスが薪を焚べているスプリントレース界に向いている観客の期待に、応え続ける決意を。

 そして、担当がそれを選んだなら、トレーナーはそれを支えるために全力を尽くす。

 

「…………」

 

 事情は理解した。網は自身の技術に執着がない。怪我をしにくい体作りであったり、負荷の少ないトレーニングメニューについては、そもそも少し勉強すれば誰にでもできることだ。

 そして、飛田も学んだからこそ分かっているのだろう。それでは足りないことに。

 ヒシアケボノの場合、体作りで増した耐久を、同じく体作りで強くなった出力が常に上回りかねない。速筋偏重の体質はスプリンターとしては大きな武器だが、諸刃の剣だ。

 負担の少ないトレーニングメニューも延命でしかなく、そもそもその終端がいつ来るかがわからないのが問題なのだから解決策にならない。

 そしてそれらを解決しうるのは、他者には真似できない領分――網の観察眼を最大限に使った日常的なコンディション管理とケアに頼るしかないということにも。

 

「申し訳ありませんがお引き受けできかねます」

 

 だからこそ、網は断る。

 

「貴方もご承知の上でしょうが、貴方の望みを達成するためにはヒシアケボノが私の管理下に入る必要があります。そして、そこまでやってしまうと私がヒシアケボノを担当する上での業務を規定以上に受け持っているとして、トレーナー規約に抵触するおそれがあります」

 

「ッ……!! で、でしたら……っ!!」

 

「貴方とヒシアケボノとの契約を解消し、正式にヒシアケボノを《ミラ》に加入させる、ですか? それこそ誰の得にもならない」

 

 網にヒシアケボノへの思い入れはまるでない。端的に言って()()()でしかないのだ。

 それに、網は気にするまでもないが風評というものもある。飛田が移籍を受け入れようと、名門生まれである彼の背後関係がどう思うかはまた別だ。

 

「貴方のそれは独り善がりでしかありません」

 

「……なら、どうすれば……」

 

 弱音を零した飛田に向けて、網はただ思ったように口にした。

 

「やりたがっているんだから壊れるまでやらせてやればいいんですよ」

 

 次の瞬間、飛田は反射的に網の胸ぐらを掴んでいた。

 

 チームルームの扉が開く。



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信じる

「トレーナーさん!?」

 

「っ……! ヒシアケボノ……」

 

 突然入ってきた自身の担当の姿を見て我に返った飛田は、慌てて網の胸ぐらから手を放し、そのまま最敬礼した。

 

「も、申し訳ない!! 頭に血が上っていた!!」

 

「いえ……こちらも無神経な言い方でした」

 

 それは本当にそう。

 

 とはいえ、双方の態度にもいたしかたない点はある。網は明らかに言い方が悪し様であったが、《ミラ》には元々体が弱い上に自分ではブレーキをかけることができないマーベラスサンデーや、目を離したら壊れているサイレンススズカのような放置できないメンバーがいる上に、海外挑戦を控えているナリタタイシンやシンコウウインディもいる。

 さらに言えばそこにいるビコーペガサスはヒシアケボノと同じ短距離からマイルの路線を走るライバルである。そんな状況でヒシアケボノを引き取るというのは、メリットどころかデメリットしかない。

 加えて、網はまるで気にしていないのだが、世間体というものがある。まだGⅢ級とはいえ有望株であるヒシアケボノを《ミラ》が引き取ったとすれば、邪推する者は少なくないだろう。

 その事自体は網はまるで気にしないのだが、その邪推がチームメンバーに及ぼすであろう影響にまで考えが至っていない飛田に対しての苛つきはあった。

 

 一方の飛田にも情状酌量の余地がある。そも、事は命に関わることなのだから。

 一歩間違えば、間が悪ければ、『流星の貴公子』の悲劇が繰り返されることとなる。《ミラ》のメンバーにさえ、その分岐点はいくつもあったのだ。

 にも関わらず、当の担当は既にその瀬戸際を走る覚悟を決めている。トレーナーの名家で厳しく育てられた飛田だからこそ、想定していたよりも遥かに過酷な死地へ担当を送り出すことも、担当の覚悟と望みを無下にすることもできず板挟みになっていた。その結果が、網の一言で爆発してしまった訳だった。

 

 普段はカタブツであり仏頂面で厳しくはあるが、声を荒げたり暴力を振るったりすることはなかった飛田の見たことのない行動に、ヒシアケボノは飛田を案ずるように隣に立ち支える。

 一方ビコーペガサスは網の性格を知っているため、おおよそ非は網にあるんだろうなぁと思ったがヒーローなので口には出さなかった。

 

「……今日はこれで失礼します……どうやら、私は少し頭を冷やした方がいい……」

 

 結局、飛田はヒシアケボノに連れ添われて部屋を出ていった。その背中を、ビコーペガサスは何も言わず見送った。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ビコーペガサスが再び飛田を見かけることになったのは、それから数日後のことだった。偶然ビコーペガサスが通りがかったベンチに、飛田が座っていたのだ。

 何をするでもなく、ただ座って地面を見つめているだけ。その姿を見て、ビコーペガサスは無性に声をかけなくてはならないという使命感に襲われた。

 

「こんにちは、ボノのトレーナー」

 

「……君は……」

 

 飛田はビコーペガサスの挨拶に反応すると、慌てて居住まいを正し、やや深めに会釈した。

 

「先日はそちらに迷惑をかけた。すまない」

 

「あぁいや、多分うちのトレーナーが余計なこと言ったんだと思うし、気にしなくても……」

 

 事実、あの騒動は《ミラ》になんの影響も及ぼさなかった。そもそもあの騒ぎを知っているのは網とビコーペガサスだけだし、当の網が一切気にしていなかったのだから当たり前である。

 飛田はビコーペガサスの返答に「そう、か……」と小さくこぼし、ビコーペガサスから顔を背けて座りなおす。ビコーペガサスはなんとはなしに、その横に座った。

 

「……君は……君たちは、怖くないのか?」

 

「へっ?」

 

「《ミラ》のツインターボ、ライスシャワー、ナリタタイシン……いや、《ミラ》だけじゃない。サッカーボーイ、トウカイテイオー、メジロマックイーン。君たちは死と隣り合わせの場所で、超えるべきでないラインを簡単に超えようとする……走るのが、怖くないのか?」

 

 何度も言うが、彼のそれは決して杞憂ではない。

 世の中のウマ娘の割合で言えば、競走ウマ娘でないウマ娘はそれほど少なくはない。走らずに生きる道は決して間違っていないし、そういう選択肢は確実に存在している。

 同時に、彼もそれに答えがないことをわかっている。それはいうなれば、彼女たちの『存在意義(レゾンデートル)』なのだ。彼女たちの魂が、走れと訴えかけるのだから。

 

 走ることが怖いのは彼女たちではない。自分なのだと。

 

「……師に、相談したんだ。『それでよくトレーナーが務まるな』……だとさ」

 

 はっきり言えば、驕っていた。

 ヒシアケボノの直前に担当したウマ娘は間違いなく優駿だった。エリザベス女王杯で2着、春秋マイルを同年制覇し『マイルの女王』とまで言われ有終の美を飾って引退した。

 掲示板を外したこともなければ、脚部不安に悩まされたこともない。間違いなく優秀なウマ娘だった。

 それを自分の手柄だと思ったことはない。しかし、忘れていた。こんなにも近くに、死があるのだという恐怖を。

 言ってしまえば、怖気づいたのだ。自分が走るわけでもないのに。あるいは、自分が走るわけではないからこそ。

 師の言葉は、そんな飛田の怯懦を的確に捉え、刺し貫いた。

 

「わからなくなってしまった。ヒシアケボノの無事を祈る私の考えはエゴでしかないのか。彼女と話し合えば合うほどに……」

 

 項垂れる飛田。担当とちゃんと話し合えなんて、そんなありきたりなアドバイスが的を射るような段階はとうに過ぎていた。

 だが、そんな飛田に対してビコーペガサスが投げかけた言葉もまた、ありきたりなものだった。

 

「欲張りでいいんだよ」

 

 項垂れていた飛田は顔を上げて、いつの間にか飛田の前に立ちあがっていたビコーペガサスを見る。会話が繋がっていないように感じたが、しかしその言葉はどこか芯を捉えているようにも思えた。

 

「欲張り……?」

 

「うん。ボノのトレーナーはボノに故障してほしくない。もっと言えば、レース中に故障してそのまま死んじゃうのが嫌なんでしょ? でもそれって、走らせちゃいけないってことじゃないよね」

 

「それは……そうだが……」

 

 無事に走り切れるとは限らない。裏を返せば、走れば故障すると決まったわけではないのだ。そして、レース中に故障をしても、それで死んでしまうとは限らない。

 

「じゃあ、ボノは走らせて、そのうえで怪我させなければいい」

 

「……できるのか? そんな都合のいい方法が……」

 

「わかんないよ。アタシはトレーナーじゃないんだから」

 

 ともすれば無責任にも思えるほどにあっけらかんとビコーペガサスは返した。思わず縋りそうになった直後に梯子を外された飛田はビコーペガサスの顔を見たまま唖然とする。

 

「怪我をさせない方法って、トレーナーが考えるものじゃないの?」

 

「それは……そう、だが……」

 

「うん、だからアタシ()()は、トレーナーを信じるんだ」

 

「信じる……」

 

 飛田はそこで、ようやくビコーペガサスが何を言わんとしているのか理解した。

 ウマ娘はトレーナーを信じて、トレーナーの教えが無事に帰してくれると信じて走る。だから、トレーナーはウマ娘が無事に帰ってくると信じて送り出す。それは、ウマ娘とトレーナーの関係の初歩だ。前に担当していたウマ娘は、怪我の予感もさせずに走りぬいた。だからいつの間にか意識しなくなり、忘れていた。

 

 

「私は……ヒシアケボノを信じ切れていなかったか……」

 

 「それでよくトレーナーが務まるな」と、師の言葉が蘇る。言われて当然だ。パートナーを信じることは、トレーナーとしての義務だ。それすらできないような人間に、トレーナーが務まるはずがない。

 

「まぁ、アタシは、ボノのトレーナーくらい心配性なトレーナーがいてもいいと思うけどな」

 

 自責し始めた飛田に対して、ビコーペガサスは続ける。

 

「ボノのトレーナーなら、ボノが怪我しないようになんだってするだろ? それこそ、この間うちのトレーナーに頼みに来たみたいに。それだけボノのことを想ってるんだから、ボノだってボノのトレーナーのこと信じられると思う」

 

「……そうかな。そう、思ってくれているのかな、彼女は」

 

「ボノの友達として断言するよ。ボノはそういうやつだから」

 

 飛田はヒシアケボノのことを思い返す。あの体も器も大きな少女の事を。

 

「……ありがとう。結局、私の覚悟が弱かっただけの話だったんだな」

 

 飛田はビコーペガサスに礼を告げると、ベンチから立ち上がる。

 

「君のおかげで助かった。この礼は必ずしよう」

 

「いらないよ」

 

 飛田の言葉に、ビコーペガサスは首を振って、ニカッと笑った。

 

 

 

「人を助けるのは、ヒーローとして当たり前のことだからな!」




ただしD-HEROデストロイフェニックスガイ、テメーはダメだ。


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 8月上旬、アメリカはサラトガレース場。

 行われるレースはジュニアGⅡであるサラトガスペシャルステークス、ダートの6.5ハロン。約1300mで行われるスプリント戦だ。

 シンコウウインディの適性距離からは外れているが、そもそも日本だとダートの重賞は3ヶ月は先だし、シンコウウインディのメイクデビューは1200mだ。そして、若干の適性外であることを踏まえても、アメリカの土質をシンコウウインディに体験させることのメリットのほうが、網は大きいと考えた結果だった。

 

 同年代の日本のウマ娘と比べても小柄なシンコウウインディは、アメリカのウマ娘と並ぶと体格に歴然とした差があった。平均して頭一つ分ほど凹んでいると言っていい。さらに言えば、ジュニア期を重要視するアメリカのウマ娘はこの時期の体の仕上がりが違っている。それこそ、ジュニア級とクラシック級ほどの差があるのだ。

 それをわかっていても、シンコウウインディの目から闘志は消えない。相手がどんな強敵だったとしても、最後の最後まで諦めない。目の前に抜けない壁があったとしても、絶対に噛み付いてやると。

 

『おっとこれはどうしたことだ!? 最終直線でシンコウウインディ失速!! 故障ではないようだがいったい何があったんだ!?』

 

『僕には前を走っていたブライトランチに対して噛みつきに行ったように見えたけど』

 

 その通りです。

 

 

 

「ウインディちゃん、正座なの」

 

「……ウインディちゃんは悪くないのだ」

 

「正座」

 

「ハイ」

 

 シンコウウインディ、初の海外遠征、4着。

 数字の上で見てみれば、まぁよくやったんじゃないかという結果ではある。ダートが傍流である日本のウマ娘が、ダートの本場アメリカの重賞での初出走で勝ち取った順位なのだから。

 さらに言えば、《ミラ》のトレーナーである網は担当の勝敗には頓着しない。富にも名誉にも興味のない彼が重要視するのは、面白いレースをするかどうかと、ついでにウマ娘本人の満足である。

 とはいえ締めるところは締めなければならない。その点を担っているのが《ミラ》のサブトレーナー、現在日本唯一の凱旋門賞ウマ娘であるお姉ちゃん、アイネスフウジンである。

 

「ウインディちゃんに噛み癖があるのは知ってるけどあれはダメでしょ」

 

「あ、あれは、ちょっと、昂ぶったのだ……」

 

「噛まないようにできる? 目立ちたがりなのはわかるけど、ああいう目立ち方はウインディちゃんの本意じゃないと思うよ」

 

 ツインターボの無呼吸スパートしかり、ライスシャワーのラチ下コーナーしかり、危険度の高い行為はたとえ勝つための戦術であっても、少なからず批判の声はある。

 あまつさえシンコウウインディのそれは勝利自体に一切寄与しない、むしろ不利になる行為だ。今でこそ、ネットでの話題は笑い話で済んでいるようだが、これが続くようなら評価がどうなるかはわからない。

 

「……ちょっと難しいかもしれないのだ……」

 

「んー……怜さん、どうにかなるなの?」

 

「ガードでも着けてみたらどうだ? 物理的に噛めないようにすれば変わるだろ」

 

 網が提案したのは、口の周りを覆う籠のようなものだった。以前サンデーサイレンスについて調べたときに、関連情報として出てきたのだ。なんでも、サンデーサイレンスの育ての親であり走りの師でもある『理不尽な侍祭(Hot Acolyte)』ヘイローが、アメリカのトレセン学園生時代に着けていたらしい。

 画像付きでシンコウウインディに見せてみたところ、「悪役の拘束具みたいなのだ!」とまんざらでもない様子だった。

 

「まったくなの……それで、課題は?」

 

「純粋なフィジカル差だな。単純にあっちが仕上がってるのもあるが、日本の芝ほどじゃないにしろアメリカのダートだと適性が薄い。仕上がりの差はトリプルクラウンの頃には埋まってると思うが、適性に関してはこっちで走り込むしかない」

 

「どうする? またシアちゃんにお願いするの?」

 

「いや、そんくらいの金なら俺が出せる」

 

 シアとは、ライスシャワーの友人でありアメリカ出身のウマ娘、先日の宝塚記念を勝利してGⅠタイトルを勝ち取ったダンツシアトルのことである。

 去年の今頃などは彼女の別荘を借りてアメリカ合宿と相成ったわけであるが、流石に連年で世話になる訳にはいかない。

 結局、シンコウウインディはサブトレーナーであるイナリワン、英語が堪能なツインターボの3人でそのままアメリカに滞在、突発的だがアメリカ合宿を行うこととなった。

 なお、2日でイナリワンがキレてウマ娘のシッターを雇うことになったのは完全に余談である。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「おい、そろそろやめておけ。壊れるぞ」

 

 中央トレセン学園旧校舎の校庭にあるトラック。

 そこが、シリウスシンボリ率いる非公式チーム《C-Ma》が使うことを()()()()()縄張りである。

 在校生であり現役のドリームシリーズウマ娘であり、しかもトレーナーとしての免許も持っていない――サブトレーナーの免許は持っているものの――シリウスシンボリは当然チームを持つことなどできない。だが、シリウスシンボリによって悪循環からすくい上げられた者の成績はバカに出来ない。

 例えば天皇賞を勝ち取ったネーハイシーザー。オークスウマ娘となったチョウカイキャロル。全盛期のナリタブライアンに勝ちきったスターマン。中山障害春秋連覇を達成したアワパラゴン。これだけの優駿が埋もれていたのだ。

 「すべてのウマ娘に幸福を」というシンボリルドルフと理事長の理念にも通ずるシリウスシンボリの功績は、明確にルールに違反しない限りの黙認という形で認めることとなった。

 

「シリウスさん……でもアタシ……」

 

 しかし、実る果もあれば腐る果もある。

 よくつるんでいた他のウマ娘たちがことごとく結果を出しているなか、彼女たちのなかで真っ先にOP入りした彼女は、故障の連続で重賞を勝つに至っていなかった。

 彼女の競走能力が劣っているとは、シリウスシンボリは考えていない。だからこそ、目の前で苦悩する彼女の姿がひどく痛々しい。

 

「右脚、治りきってないんだろ。それに、左も最近……」

 

「……バレてましたか」

 

「どんな強いやつでもケガには勝てない。それで大事なレースに出られないなんてことになったら、一生後悔するぞ」

 

 そんなウマ娘をひとり知っている。

 『最強の戦士』の最後の教え子。無敗で皐月賞を勝っておきながら、故障に泣いてダービーに出られなかったウマ娘を。

 無論、出ていたとしても()()()()()()()()とは思わないが。

 

「……ウス」

 

 そんなシリウスシンボリの心情が伝わったのか、バカ4人組のひとりである彼女は、シリウスシンボリに投げ渡されたタオルで滝のように流していた汗を拭った。彼女自身、焦りがあったことは認めている。

 同期であるナリタブライアンの三冠と故障、友人たちの輝かしい活躍、そして、同じく同期であるサクラローレルの、競走能力喪失に等しいとさえ言われている大怪我。

 自分の事ではないはずのそれが、まるで死神に「次はお前だ」と言われているように思えた。

 

「……まぁ、焦ってるのはお前だけじゃないがな」

 

 そう言ってシリウスシンボリが視線を飛ばした先にいたのは、一つ上の姉に似た鋭い目つきと鮮やかな黒鹿毛を持つウマ娘。まるで強迫観念に駆られるように走るその姿は、明らかに追い詰められた人間のそれだった。

 

「タケヒデ……」

 

「あいつもあいつで難儀なことだよな……まったく、くだらない」

 

 こちらも、シリウスシンボリには覚えがあった。他でもない自分の事だ。前年に竹馬の友――シリウスシンボリ本人に言えば「腐れ縁だ」と否定するだろうが――であるシンボリルドルフが史上初の無敗三冠を達成し、歴史に名を刻んだ。当然、流れが違うとはいえ同じシンボリ家であるシリウスシンボリにも期待がかかった。そしてそれが原因となり、トレーナー間のトラブルによって皐月賞に出ることができなかったのだから。

 

「カミサマってのがいるなら、とんでもない下種野郎だな」

 

 それでも、人は神に祈らずにはいられないのだ。一等星は静かに息を吐いた。



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なんかタイムリーやね

 お久しぶりです。ちょっと寝込んでました。
 ボチボチ頑張ります。


 10月1日フランス、ロンシャンレース場。凱旋門賞、開催。

 かつてはナリタタイシンと同じ《ミラ》の――いや、《ミラ》となる前からの最初のメンバーである――アイネスフウジンが制覇するまで日本を阻み続けてきた高い壁、世界最高峰のレースであり、ナリタタイシンが網に課された最後の目標レースである。

 出走ウマ娘たちの気炎は高まっている。相手は()()《ミラ》のウマ娘だ。特にフランス現地所属のウマ娘はアイネスフウジンの時のリベンジに燃えているといってもいい。

 それでなくとも、今回も優駿が集まっている。ナリタタイシンとは何度も走っている『鉄鋼王』カーネギーをはじめ、去年の英オークスと愛ダービーを制し、ゴドルフィン・レーシングでは初のクラシック制覇をもたらした『プリマ』バランシーン。フランストリプルティアラのうち仏オークスと、凱旋門賞と同レース場同距離であるヴェルメイユ賞の二冠を達成した、社北グループ欧州支部所属のウマ娘カーリング。重賞を順に勝ち上がり現在全勝、GⅠ初挑戦ながら高い人気を誇っている『ツバメ』ことスウェインなど、みな強敵揃いだ。しかしその中で、KG6&QEステークスで戦った難敵ラムタラの姿はいまだ見えていなかった。

 

 一方、ナリタタイシンは与えられた控室でひとり瞑想のように気分を落ち着けていた。今日戦うのは()()()()優駿たち。その過酷さと開催時期から少人数での開催になることが常なKG6&QEステークスに比べれば、ライバルの数は倍近い。

 普段こそ気丈に振る舞っているものの本来の気性は大人しく気弱であるナリタタイシンの心を、誰もいない控室の沈黙がじりじりと焦がし、不安が鎌首をもたげ始めたその時、ノックの音が飛び込んできた。

 

「タ゛イ゛シ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ン゛!!」

 

「もうアンタ名前クライングチケットに変えなよ」

 

「久しぶりタイシン、元気にしてたか?」

 

「たった今元気じゃなくなったんだけど」

 

 そこにいたのは、ナリタタイシンの友人でありクラシック路線で覇を競い合ったBNWの一角、ウイニングチケットとビワハヤヒデだった。

 ナリタタイシンはこの数ヶ月、フランスでトレーニングを積んでいたために、久しぶりにふたりと顔を合わせることとなった。とはいえ、ふたりからは定期的にLANEメッセージが来ていたので毎日のように顔は見ていたのだが。主にスタンプで。

 

「いやほんとなんで?」

 

「すごいでしょ!! 結構売れてるんだ、アタシのスタンプ!!」

 

「私が諸々の手続きをしたんだ。どうだった?」

 

「スタンプ爆撃が物理的な攻撃力を持つとは思わなかった」

 

 ナリタタイシンが何度か本気でブロックしようか悩んだという音声付きチケゾースタンプ、150Pで配信中である。

 

「ていうか、わざわざ来なくてよかったのに。日本で中継くらいされてるでしょ。旅費だって無料(タダ)じゃないんだから……」

 

「ふふ……見誤るなよタイシン。私たちだってGⅠウマ娘だ。旅費くらい出せるさ」

 

「タイシンの晴れ舞台だもん、生で観たいじゃん!」

 

「……ふーん……ところでハヤヒデ、その髪なに? ギャグ?」

 

「フランスの水が合わなかったんだって」

 

「ヘアケアグッズは持参したんだが水質にまでは目が向かなかった」

 

 積乱雲の如く膨らんだビワハヤヒデを前にナリタタイシンは深く息を吐く。気の置けない友人たちとの何気ないやり取りは、間違いなくナリタタイシンの不安を和らげていた。

 そんな自覚を憎まれ口で誤魔化したことは、もちろん目の前の友人たちにはバレているのだが。

 

「はぁ……じゃ、行ってくる」

 

「あぁ、勝ってこい、タイシン」

 

「祝勝会の準備しとくからね!」

 

 自身の勝利を1mmも疑わない友人たちに背中を押され、ナリタタイシンは大舞台へ赴く。地下バ道に出ると同時に襲い掛かってきたのは多数の視線。間違いなく、ここにいるすべてのウマ娘がナリタタイシンを意識している。

 しかし、対するナリタタイシンの心には幾何の不安も残ってはいなかった。睨み返すナリタタイシンの鬼気迫るような雰囲気に幾人かのウマ娘はたじろぎ、あるいはより戦意を奮い立たせる。

 まさに一触即発の空気。だが、それが暴力として発露されることはない。なぜなら、ここに集った彼女らは、皆()()()だから。

 

 決着は、ターフの上で。

 

 燃え上がるかのような闘気。しかし、そんな熱気の海を割って、一際大きな熱量がナリタタイシンへと歩み寄ってきた。

 誰もが息を呑む。この凱旋門賞における最大の仮想敵はナリタタイシンだ。それは殆どのウマ娘の共通認識だった。何故なら、ナリタタイシンは()()に勝ったのだから。

 しかしそれでも、皆が()()の敗北を目にした今であっても、誰一人として()()の敗北を思い浮かべることができずにいた。

 日本の優駿であれば彼女たちの抱くその感覚、その畏怖が、『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフに対して抱くものと同じであると気づけただろう。

 

 『敗北の見えざる神』。ラムタラがその神威を現した。

 

『……ナリタタイシン』

 

 ラムタラが口を開く。そこには、ある種軽薄だった以前の彼女の面影はない。人を試す神の如き様相ではない。

 それは暴威。神だから畏れられるのではなく、畏れられたものが神であるという自然の摂理。常識の内にある者を、ただその圧倒的な存在だけで圧し潰す舞台装置としての神。

 それだけで周囲のウマ娘は察する。相手に合わせて、ギリギリで追い抜き勝利する。ラムタラはその遊びを止めたのだ。

 

 遊ぶのでもなく、競うのでもなく、勝ちに来ている。

 

『お前にとって、神とはなんだ』

 

 ラムタラの口から零れた疑問。それは、彼女の命題だった。

 敬虔な夫婦のもとに生まれた彼女は、常に信仰を隣人として生きてきた。だからこそ疑問に思った。神とは一体なんなのか。

 感謝にも、称賛にも、叱咤にも、あらゆる事柄で父母が引き合いに出す神とはいかなる存在であるのか。それがわからなかった彼女は、両親の猛反対を押し切って洗礼を受けずNones(無宗教者)となった。

 

 独学で神について調べ、彼女は神とはつまり絶対的で圧倒的な存在であると定義した。人々が抗えない、限りなく強大な存在。

 人が神になることがあるのだと知った。ならば自分にも。神が与え給うた恩寵ではない。このラムタラ自身が神となれば、両親も――

 

『クソッタレ』

 

 ナリタタイシンの返答は端的だった。

 ラムタラのバックボーンなど毛ほども興味がない。この質問も、厨二病的な戯言程度にしか思っていないのだろう。

 しかし、その上でナリタタイシンにとっての神とはいかなる存在かと問われれば、それ以外の答えは出てこなかった。

 

 神とは救いである。なら何故今まで救わなかった。

 神とは試練である。なら、そんなもの不必要だった。

 神とは、ただそこにあるだけの舞台装置である。これが一番マシか。だが、それでも、虐げられ、嗤われ、暗闇を彷徨ったナリタタイシンの答えは変わらない。

 ナリタタイシンの脳裏に過ったのは、『こんな体に産んでごめん』と泣きながら謝る母の姿。

 

『どうでもいいよ、そんなこと』

 

 今日勝つのはアタシだ。

 ナリタタイシンはそう言い残して地下バ道をあとにする。

 周囲のウマ娘は、ラムタラとナリタタイシンの間でどのような意思疎通が行われたのかわからない。事実としてなんの意思疎通にもなっていないのだから当然だ。しかし、ナリタタイシンの勝利宣言だけははっきりと理解できた。

 ふたりの存在に怖気づいていたウマ娘もこれで奮起し、戦意を滾らせていた者はより昂る。そしてラムタラは。

 

『……いや、勝つのはアタシだ』

 

 凱歌を歌うのは誰か。

 凱旋門賞が、来る。



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「でも」じゃなく、「だからこそ」を貴女へ

 本当に遅くなりました。
 3回くらい書き直した結果です。
 過去一難産でした。


 前走まで、ラムタラはマークする相手に合わせた脚質で走っていた。相手が先行なら先行で、差しなら差しで。そして、ナリタタイシンが相手だった前走では追込で。純然たる才能と能力の暴力だけで勝利していた。

 それは競うためだった。今までは、ラムタラは僅差での勝利に固執していた。それはある意味では勝利よりも娯楽を優先したと言える。より正確に言うのならば、ラムタラにとっては勝利は優先せずともついてくるものであったからだ。

 しかしそれも、ナリタタイシンに敗北するまでの話。今、ラムタラの望むものは勝利しかない。それ故にラムタラは、この凱旋門で勝つための作戦を選んだ。

 

 ゲートが開くと同時にラビットのウマ娘が勢いよく飛び出していく。欧州において、勝つための逃げというのは未だあまり一般的ではない。個人競技である日本では逃げは各個が勝利するための作戦として認識されているが、チームプレイが許されている欧州では、逃げはイコール仲間を勝たせるための犠牲(ラビット)に他ならないからだ。

 だから、逃げウマ娘(ラビット)の後ろには当然、先行が来る。そこにラムタラは位置取っていた。凱旋門賞を含む欧州のレースにおいて、先行と差しという王道の作戦が最も勝率が高い作戦である。まさに、勝つための選択だった。

 

 一方のナリタタイシンはいつもと同じく追込の位置取り。だが、ナリタタイシンが位置取りを決めようとした直後、目の前に他のウマ娘が割り込んで進路を塞ぐ。さらに、外側から別のウマ娘が、内ラチへと圧迫してきた。

 散々馴らしたとはいえ本調子とは言えない重い洋芝の上で躱すこともできず、内側へと押し込まれる。ロンシャンレース場はスタートから1000m地点まで長い直線となっているため、内側を走るメリットはない。

 しかし、このまま蓋をされた状態でレースが終盤に入ってしまえば、いくらナリタタイシンの加速力があったからと言って差し切るのは至難の業だろう。

 スリップストリームを取られないように、真正面からはややズラしているのが巧妙だ。

 

(ちっ……鬱陶しいな)

 

 ナリタタイシンは激しいマークと強固なブロックに眉根を寄せながらも、隙がないかと周りを観察する。そうしているうちに、マークを受けているのがナリタタイシンだけではないことに気が付いた。

 ラムタラやカーネギー、カーリングといった列強たちは皆、多かれ少なかれ厳しいマークを敷かれていた。流石に、2人がかりというのはナリタタイシンとラムタラくらいのものであったが。

 ナリタタイシンと同じくふたりからのマークを受けているラムタラはしかしそれを一顧だにしていない。ナリタタイシンの反骨精神のような精神力の強さではない、神たる余裕から生まれる精神力の強さ。

 

 これまで、チーム《ミラ》のメンバーは欧州のレースにおいて、チーミングでの妨害を受けたことはなかった。それは、アイネスフウジンは欧州には珍しいハイペースの逃げで、ライスシャワーは圧倒的なスタミナですり潰すことで、それぞれマークを寄せ付けなかったからである。

 しかし、ナリタタイシンはそうではない。序盤は脚を溜め、終盤で爆発させる典型的な追い込みの直線一気型だ。それ故に、真価を発揮する最終直線以外では付け入る隙がある。最終直線での一気を潰すための、最内への封印。

 一方先行するラムタラへは、コーナーでスタミナを無駄使いさせるためにこまめに干渉しながら外へと誘導している。それぞれに有効な潰し方を、しっかりと実践してきていた。

 

(とはいえ……できることもないよね)

 

 ナリタタイシンは冷静にその位置で追従する。前述の通りロンシャンレース場はスタートから1000m長い直線なので、この状況がただちに悪影響を及ぼすことはない。

 それに、この状況を想定していなかったわけではない。序盤から厳しいマークをされることは、網からあらかじめ示唆されていた。

 というか、フランスでのレースでチーミングによる妨害専門走者(デバッファー)を想定しないのは片手落ちがすぎる。

 だから、()()なるのはナリタタイシンの想定通りであり、しかしここから()()なるかは、ナリタタイシンは正確に読むことができていなかった。

 

(……なにこれ……どんな脳みそしてたらこんな連携できんの……?)

 

 直線が終わりコーナーへと差し掛かった辺り、ナリタタイシンはこの辺りでブロックに緩みが出るだろうと踏んでいた。前にいるウマ娘は難しいかもしれないが、ナリタタイシンの左側を塞いでいる方なら、少し下がって外側を回ることにはなるが突破できるだろうと。

 だが、蓋を開けてみればふたりの連携が崩れることはなかった。横をブロックしているウマ娘が膨らんだから間を抜けようとすれば、前をブロックしているウマ娘がすぐに塞ぎに来る。

 それで内が空いたから今度は右を抜けようとしても、前のウマ娘が合わせただけでなく、膨らんでいた横のウマ娘も詰めてきて身動きを封じられる。

 これが、ナリタタイシンが加速し始めた直後に横から飛び出してくる形で塞いだのなら違反が取れる。しかし、このブロックの仕方では違反にはならない。

 

 言うは易し、しかして実際に行うとなれば簡単なことではない。特に前を走るウマ娘は、後ろも見ずにナリタタイシンの動きに合わせる必要がある。そも、約70km/hで走りながら細かく位置取りを調整することさえ、並の能力では難儀するのだ。

 人間で、車に乗っていて、かつ60km/h前後でも車線変更に苦手意識や恐怖心を持つ者は少なくない。それをより速い速度で走っている生身で、より繊細にコントロールしなければならない。

 前後の位置取りならばともかく、左右の位置取り変更はそれほど制御が難しく、容易には行えない技術なのだ。ましてやそれを後ろも見ずに、スリップストリームを取られないように微調整するなど。

 

 コーナーは終盤に差し掛かる。ここを超えれば最終直線の前にある第二の直線、通称『偽りの直線(フォルスストレート)』。

 流石に、ここで最終直線と勘違いしてスパートを始める、なんて間の抜けた姿を露呈するウマ娘は多くない。しかし、「直線が終わらない」という状況は、走者に予想以上の精神的負荷をかける。

 焦りは強張りを生み、スタミナを浪費させる。本当にスパートできる距離を見誤らせることもある。最終直線と勘違いしたからではなく、仕掛けどころの感覚を狂わされたがゆえに。

 

 しかし、そもそも現状ナリタタイシンはスパートをかけられる状態にない。偽りの直線に入る直前になっても、ナリタタイシンは特注の檻から脱出できていないからだ。

 苦虫を噛み潰したような顔で眼前のウマ娘を睨みつけるナリタタイシン。その眼差しがブロッカーへと突き刺さり、チリチリと皮膚が焦げるようなプレッシャーが彼女を襲った。

 しかし彼女は喉から漏れかけた悲鳴を噛み殺し、自分の役割に没頭する。ナリタタイシンの進路は依然塞がれたままだ。

 

「……シッ」

 

 他方、鋭く息を吐き、ラムタラが神威を振り撒く。ラムタラをマークしていたウマ娘たちは、ただそれだけで目の前が暗闇に覆われたような錯覚にさえ陥った。

 不安定になったマークの隙を突き、ラムタラがスパートをかけ始める。その後を追うのはスウェイン、カーネギーも来ている。

 その姿を視界に収め、ナリタタイシンはひとつ舌打ちをした。

 

「焦るなよ、ナリタタイシン……」

 

 関係者席で網は呟く。焦燥を顔に浮かべるナリタタイシンとは対照的に、網は至極冷静に趨勢を見守る。

 網の目には勝ち筋が見えている。あとはナリタタイシンがそれを拾えるかどうか。

 

 『偽りの直線(フォルスストレート)』に入ってナリタタイシンはほんの数拍の間、()()ことに集中した。風景がゆっくりと流れていく。視野が広がる。瞬きほどの時間ののち、ナリタタイシンはわずかに速度を落とした。

 それと同時に、ナリタタイシンの動きを察知したマークマンふたりもナリタタイシンを詰める。同じように速度を落として蓋になるような動きを継続させたのだ。

 後ろを確認せずにマーク対象に合わせて位置取りを変える絶技。それは素直に感嘆に値するものだ。仲間の勝利の礎となるために磨かれた技術。前方にいたマークマンはその集大成に手応えを感じていた。

 

 彼女の()()()を、ナリタタイシンが通り過ぎるまでは。

 

Eh(えっ)……?」

 

 思考が追いつかない。掠めるように彼女を抜いていったナリタタイシンはすぐに彼女の眼前までレーンを戻す。そして、急激な進路妨害と見做されないようにそのままスパートへ移行した。

 その直後、彼女の右側を内ラチが通過して、初めて彼女はナリタタイシンを封じ込めていたラチが一時的に途切れていたのだと気づく。しかし何故。その答えはすぐにやってきた。

 

『ご、合流地点……!? いや、でもだからって……!!』

 

 『偽りの直線(フォルスストレート)』にふたつある、他コースとの合流地点。その交差口には当然、柵は存在していない。

 しかし、それで柵が途切れるのは合流地点ひとつに対して僅か50m程度。時速70kmで走っているならタイムにして2.5秒ほどの、まさに刹那。その間にレーンを変更して、追い越してレーンを戻す。それをやりきらなければ、戻ってくるレーンに正面から衝突する危険行為。

 しかし、ナリタタイシンはやり遂げた。『偽りの直線(フォルスストレート)』の半ばからスパートをかけ始めたナリタタイシンの体躯はぐんぐんと加速し先頭集団へ迫る。

 

 そして、正真正銘最終直線。ナリタタイシンは間違いなく勝利を射程範囲に捉えた。

 

『(ッ……ここで来るか、ナリタタイシン……!!)』

 

 背後から近づいてくる鬼気迫る勢いにラムタラが一瞬たじろぐ。しかし、すぐに精神的に立て直したラムタラは、残り400m地点で神威とも呼べるプレッシャーをさらに強く周囲へ叩きつけた。

 カーネギーやスウェイン、そしてもちろんナリタタイシンもそれをもろに食らうが、そこは歴戦の優駿であり、さらに特に反骨精神の強いナリタタイシン。勝負どころで増したプレッシャーに潰されることはない。

 それはもちろんラムタラも承知の上。だからこれは、ナリタタイシンを狙ったものではない。

 

 ラムタラが狙ったのは、自分を狙っていたふたりのマークマン。ギリギリで粘っていた彼女たちだ。

 

 スタミナも底を突こうとしていながらも意地だけで走っていた彼女たちは、ラムタラのプレッシャーを浴びて遂に心が折れ、急激に失速していく。そんな彼女たちが、壁となってナリタタイシンの眼前に降ってきたのだ。

 横にそれるには時間が足りない。彼女たちを躱すには一度速度を下げてからでないと――観客たちの意見は万事休すで染まる。

 

 ――網以外は。

 

「そうだナリタタイシン。進め。茨の先に答えはある」

 

 その直後、ナリタタイシンがさらに加速する。まるで壁に突っ込むかのように。

 ヤケになったかのような暴挙に観客席から悲鳴があがる。しかし、彼らの予想した悲劇は起こらなかった。

 迫ってくるふたりの間、ほんの僅かに空いたその隙間が閉じる前に、ナリタタイシンは()()()()()()()()()()、すり抜けたのだ。

 やや体勢を崩しながらも加速し続けるナリタタイシンがラムタラを追う。残り300m。もはや着差は2バ身もない。

 

 ナリタタイシンの頭に過去の記憶が走灯のように過ぎる。それは、ナリタタイシンを脆弱に産んでしまったことを涙しながら謝罪する母の姿。

 

(もう、謝らせないッ!! 勝つんだ、この体でッ!!)

 

 応報を。敵意に仇を、悪意に罰を。そして、慈愛に恩を。今ナリタタイシンは、()()()()()()()()()()()()()()

 

 食いしばったナリタタイシンの奥歯が砕けるのと、彼女たちがゴール板を踏み抜けるのは同時だった。口の中の違和感を気にする間もなく、ナリタタイシンの目は掲示板へと向く。

 フランスロンシャンレース場に沈黙が降りる。誰もが、その決着を固唾を飲んで見守っている。ただひとり、網だけが、応急キットを持ってナリタタイシンのもとへ急いでいた。

 

 写真判定が終わり、順位が確定する。その日、歴史は再び更新された。

 史上2度目の、日本ウマ娘による凱旋門賞制覇。日本から来た小さな鬼神が、神に再び敗北を突きつけた。

 

 凱旋門賞、1着。ナリタタイシン。

 

 それは、ナリタタイシンが真の意味で、すべてに打ち()った瞬間だった。



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オグタマライブ ??/10/01

《オグタマライブ!》

 

「まいど〜! ドリームシリーズウマ娘のタマモクロスやぁ!」

 

「まいど。ドリームシリーズウマ娘のオグリキャップだ」

 

『まいど』

『まいど』

『まいど』

『オグリのまいどたすかる』

『なんか久しぶりな気がする』

『前回は先週のセントライト記念と函館ジュニアステークスだったはずなのに4ヶ月くらい経ってる気がする』

 

「なに言うてんねん初っ端から」

 

「本日は凱旋門賞。フランスからの中継となっている」

 

「URAも太っ腹やなぁ。旅費は全部URA持ちやで」

 

『相変わらず財布の紐がかたい』

『ちなみにオグリンの食費は……?』

『URAを破産させるおつもりで?』

 

「最近私のことを星の戦士かなにかだと思っている人が多い気がするんだが、私の胃は決して底なしというわけではないんだ」

 

「ぶっちゃけウマ娘の平均食事量で考えればウチとオグリ足して割ってトントンってとこやで」

 

『でも口にうどんの丼含んで丼だけ出したとか聞いたけど……』

『俺は蕎麦って聞いた』

『カツ丼じゃないんか?』

『丼ものではないだろ流石に……ないよな?』

 

「オグリ?」

 

「ノーコメントだ」

 

「行儀悪いからやめろな?」

 

「……わかった」

 

『オカンだ……』

『実家の母ちゃん元気かな……』

『J( 'ー`)し たかし……』

『カーチャン!?』

『カーチャン……』

 

「誰がオカンや!!」

 

「とりあえず今回の出走者について解説していこう」

 

「話題の急カーブやな……今回日本から挑戦しとんのは《ミラ》のナリタタイシンや。正直また《ミラ》かって気ぃしかせんなぁ」

 

『国内捨ててるってわけでもないのがね……』

『GⅠ勝利がノルマのやべーやつら』

『ビコペのスプリンターズステークスとマベサンの三冠目も迫ってるのにフランス渡る黒い人』

『言うて菊花賞はまだひと月あるから……スプリンターズステークス? うん……』

 

『言うて今回フーねーちゃんの頃よりは絶望的って感じしないよな』

『アイネスフウジンのときはスワーヴダンサーとかいうやべーやつと初対戦だったからな……今回の仮想敵であるラムタラはタイシンと一回やりあってるし勝ち越してる』

『英ダービー見てると間違いなく強いけどな……その前回も割とギリギリの勝負だったし』

『油断はできないけど悲観するほどでもないから純粋に応援できる』

『現地勢俺、前が髪』

 

「あとはカーネギーとかも要注意やな」

 

「前哨戦のフォワ賞を制覇している。油断はできない」

 

『タイシンが全勝してるから弱く見えるけど、凱旋門賞に出られるやつが弱いわけないんだよなぁ……』

『未だにタイシン弱い論者湧いてるのホンマひで』

『湧いてるし沸いてる』

『ワイワイワーイwwwwwwww』

『くっそこんなわけわからんコメントで笑っちまった』

『流石にマスコミとか有識者連中は手の平返しとったけどタイ弱民は元気やね』

『マスゴミは大衆に阿るからな。現状ナリタタイシンは世間的にはベビーフェイスだからそりゃageする』

『今のアンチの主流はウマ娘全体のレベルが下がってるとかだっけ』

『俺が若い頃ならタイシンはGⅢも勝ててないとかそんな感じの老害にタイシンアンチが乗っかってる』

『ラキ珍派もいるぞ』

『巣から出てこない辺り黒い人にしっかりビビってるんやろなぁ』

『俺のクラスにタイシンと同中だったアンチがいたんだけど今不登校になってる』

『いじめる側は標的なんて誰でもいいからなぁ……』

 

「辛気臭いわ!! 凱旋門賞やで!?」

 

「じきに始まるからな。そろそろ不穏な話題は切り上げるとしよう」

 

『フランスはファンファーレを奏でろ』

『ファンファーレを採用しないフランスを許すな』

『オーケストラにファンファーレを演奏させろ』

『無茶苦茶言うやん』

 

「さぁスタートや」

 

「ナリタタイシンはいつも通り追い込み……むっ」

 

『めちゃくちゃマークされてるやん』

『閉じ込められたな……』

『向こうでは普通なんだろうが慣れない光景だな』

『でも他のやつも結構マークされてるな』

『カーネギーとかスウェインとか』

『でもふたりからマーク受けてるのはタイシンとラムタラだけか』

『流石にマークにそんな人員割けないだろうからなぁ』

『本場だけあってマークの練度が違うわ』

『まぁタイシンの脚なら序盤抑えられてもどうにでもなる』

『終盤抜けられるかって話だろ』

 

「こうなってくるとホンマ別の競技やな……」

 

「とはいえ、郷に入っては郷に従えという。日本は挑戦者側だからな。それに、マークされているのはナリタタイシンだけではない」

 

「あと、多分マークしとるやつら精神的にも圧かけとるやろ? ナリタタイシンはあんま効いてへんみたいやし、収支ではむしろ有利なんかな」

 

「いや、仮想敵であるラムタラも効いている様子が見られないからな……やはり、最終直線のスパートにどれだけ影響してくるかによるだろう」

 

『こういう時ってどうすんの? 教えてエロい人』

『コーナーで膨らんだタイミングで抜くかなんとか揺さぶりかけるんだが……』

『コーナー入ったんだがこれは……』

『えげつないな』

『ピッタリついてくる……』

『キッツ……♡』

 

「流石にこれ専門でやっとるだけあるわ……ナリタタイシンも威圧しとるんやろけど、それでも動きが精彩を欠いとらん」

 

「タマだったらどうする?」

 

「最高速度でブチ抜いたる」

 

『い つ も の』

『老舗の味』

『高らかに笑った』

『能力としてはトップクラス、作戦としてはドブカス』

『トップクラスとドブカスで韻を踏むな』

『おバカ』

 

「ルドルフとかならなぁ……そもそも囲わせへんねんけどなぁ」

 

『さす皇』

『最終直線入るぞ』

『結局抜けてないじゃん』

『タイシンアンチスレが若干「イケんじゃね……?」みたいな雰囲気になってんの芝』

『非国民がよ……』

『は?』

『えっ』

『?????』

『いつ抜いた?』

 

「別レーンとの合流口で抜いて、ラチにぶつかる前に元のレーンに戻ったな……」

 

「簡単に言うとるけど2秒ちょいしかないやん……なんちゅう度胸しとんねん」

 

『怖』

『一歩間違えたら死ぬんですよ!?』

『お米といいタイシンといいミラはさぁ……』

『黒い人アンチも結構いるけど危険な走り方教えてるみたいな風潮は否定できないものがある』

『言うて60fpsで100フレーム以上あるんだから廃ゲーマー的には余裕よ(震え声)』

『加速かかった!!』

『いけいけいけいけ』

『【悲報】タイシンアンチスレお通夜』

『届くか!? ラムタラも垂れてないぞ!?』

『現地勢俺、無事耳が死ぬ』

『壁が』

『そこまでするかよ!?』

『うわ』

『いや、普通に垂れてるっぽい』

『威圧だぞ』

『ラムタラが仕掛けた』

『会場にいるけどビリビリ伝わってくるわ……髪で見えないけど』

 

「ラムタラが威圧で垂らした感じやな……」

 

「伝わってくる圧がルドルフ並みだ……困憊(こんぱい)したラビットでは耐えられないだろうな……」

 

「ッ、抜けよった!!!?」

 

『わ』

『ええええええええ』

『強』

『何が起きた』

『すり抜けんかった!?』

『届け! 届け!』

『いけいけいけいけいけいけいけいけ』

『捩じ込んだ』

『日本なら違反取られてるやつ』

『うおおおおおおおおおおおおあああああああああ!!!』

『勝ったああああああああああああああああああ』

『きたあああああああああああああああああああ』

『シャッ!!シャッ!!シャッ!!シャッ!!』

『いやまだ』

『写真判定! 写真判定です!』

『予祝やぞ』

『俺のサイドエフェクトがナリタタイシンの勝ちだと言っている』

『ワイトもそう思います』

 

「オグリもそうだそうだと言っている」

 

「いや何言うとんねん」

 

『そのネタ知られてんの芝』

『本人が乗ってくるのか……』

『きたあああああああああああああああああああ!!!(再放送)』

『勝 訴』

『判定勝ち!! 判定勝ちです!!』

『凱 旋 門 破 壊』

『壊すな壊すな』

『フランスのいい耳鼻科教えてくれ』

『アンチスレ立ったり座ったり忙しいな』

『同時視聴番組に出てる評論家崩れ落ちてて芝』

『最後までアンチタイシンだったやつなwwwww』

『大暴落で放心する中国のおっさんみたいになっとる』

『お米のウマスタ!!』

『ライスさん!?』

『http~ #ナリタタイシン #凱旋門賞 #フラワーショップリリー #号泣 #カメライス #タイシン母 #チームミラ 』

『語らねばなるまい……ナリタタイシンの実家は花屋を営んでおり、ライスシャワーはそこでアルバイトをしている……ナリタタイシンがチーム《ミラ》に入ったのもライスシャワーによる紹介があったことがきっかけで、休日にはよくふたりでキャンプをしに行っている……ナリタタイシンのゲーム配信にもチーム戦のときなどに度々ライスシャワーが登場するなど絡みは多く、昨年タイシン家とライス家が合同で温泉旅行に行った写真がウマスタにアップされたときは一部界隈がお赤飯状態だったことを……』

『どうした急に』

『お母さん泣いてはるわ……』

『タイシン血噴いてない?』

『噴いてはいないだろ。口元から垂れてるだけで』

『いやいやいやどうしたんだ』

『前科があるから怖い』

 

「んー……奥歯砕けたみたいやな。網トレーナーが色々持ってきとるわ」

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「インタビュー始まんでー」

 

『通訳の人!』

『いつもの通訳の人』

『月トゥの記者の親戚だっけ』

『乙名史記者の従姉だったはず』

『あの一族は多言語話者の英才教育受けてて通訳多いからな。むしろ乙名史記者が異端』

『先祖が言葉がなくても正確にニュアンスを掴んで伝えられるほど通訳の才能があったから音無、転じて乙名史を名乗るようになったって何かの本に載ってた』

 

『Q.凱旋門賞を制覇した今のお気持ちをお聞かせください A.やってやった、それだけ』

『解釈一致』

『まぁタイシンが流暢にコメントするのは想像できん』

『しかめっ面しようとしてるけどドヤ顔が漏れ出てるの好き』

 

『Q.随分とマークされていましたが(日記者) A.それがこっちの普通なんでしょ? そのうえで勝ったんだし別に……』

『つよい』

『この貫禄よ』

『でもまぁそりゃそうだよな』

 

『Q.最後のすり抜けはかなり紙一重の攻防だったと思うが恐怖はなかったのか A.なかったとは言わない。でもレース中にそんなこと考えてる暇はなかった』

『まぁそれはそう』

『ウマ娘すぐ無茶するからな』

『すぐ無茶してすぐ怪我しやがる……』

『無事に帰ってこい……』

 

『Q.最後血を吐いていたようだがなにかあったのか A.奥歯が砕けた。応急処置はしてあるからこの後のカリキュラムにはおおよそ問題ないはずby黒い人』

『さす黒』

『さす魔人』

 

『Q.最後になにか一言 A.「小柄でも勝てた」じゃない、「小柄だから勝てた」んだ。アタシは「アタシ」でよかった』

『つよい』

『アンチ見てるー?wwwって煽るつもりだったけど茶化せないくらいかっこいい』

『こんなん親御さん涙ちょちょ切れでしょ』

『観客席にサイレンみたいなのいるな?』

『同じ涙でもこの差よ』

 

「さて、インタビューも終わったしこんなとこやな」

 

「他の出走者へのインタビュー、ウィニングライブの様子は別番組で見てくれ」

 

「ほな、ウチらはこのあとフランス観光して帰るわ」

 

「「ほなな〜」」

 

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『ほなな〜』

『オグリのほななたすかる』



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阻んだもの

再就職先、内定出ました。


――負けた。

 

 コンディションに不調はなかった。レースに不利はなかった。油断も慢心もなかった。ただ、完膚なきまでに敗北した。

 報復の末に鍛え上げられた鬼脚が、神を穿った。

 

『悔しいな……』

 

 滴り落ちる滝のような汗。酸欠でクラクラと揺れる視界。自分じゃない彼女に向けられた歓声はどこか遠くに聞こえた。

 目指した3つの冠のうち、ふたつを落とした。そんな風に言ってしまえばひどく陳腐な結末だ。あるいは、そのふたつがシニア混合かつ世界最高峰のレースであると言えば、人々はその健闘を称賛するだろう。

 そして、それを超える賞賛を浴びている、同一年のKGⅥ&QESと凱旋門賞とを制したこのレースの勝者は、つい1、2分前までは誇らしげな表情を浮かべていたが、今は不機嫌そうな顔で、彼女のトレーナーである黒服の男によってなんらかの処置を受けている。

 脚ではなく口内を診ているようなので、故障ではないようだなとラムタラはそれをどこか冷静に見ていた。

 

『……うん、悔しい』

 

 噛みしめるように再び口にする言葉。どこか晴れやかだ――なんて簡単に吹っ切れるわけではない。割り切ってすっきりと前を向けるほど冷めていない。

 にも関わらず、体に溜まっていた熱は冷めていく。まるですべてが終わったと言うかのように、もう走ることはないとでも言うかのように、体が『走る』という行為を止めていこうとしているのが手に取るようにわかった。

 確かに欧州三冠を、世界の頂をとった暁には、それを最強の証明として引退するつもりではあった。しかし、現実は精々が世代最強。クラシック期の段階で世界最高峰のレースの先頭を争い、僅差で敗れたことは評価できるだろうが、世界最強からは程遠い。

 何より、ラムタラの体は未だ発展途上なのだ。本格化は終わっているがまだ成長曲線は登り坂であり、能力の減衰までは猶予がある。

 ウマ娘にはこのような一種のスランプのような現象に苛まれ、肉体は全盛期であるにも関わらず現役を引退する例が歴史にも散見されている。そんな外なる理が、ラムタラを蝕もうとしていた。

 

『……クソッ』

 

 疲労と倦怠感から体を引きずるようにして控室へ戻ってきたラムタラ。まだウイニングライブが残っているから、それまでにある程度体力を回復させなければならない――ラムタラという競技者の最期を汚さないために、などと、無意識の考えが体を動かしていた。

 ラムタラの意思が現役続行を望む一方で、より本能に近い場所にある意志は、既に折れかけている。それを自覚できぬまま、噛み合わない歯車を無理やり回そうと、次のレースを考える。

 

 そんなラムタラの控室に、ノックの音が響いた。

 そういえばアポイントメントが入っていたなと、ラムタラが声をかけて入室を許可すると、入ってきたのは垂れ眉が特徴的な、小太りのアジア系男性だった。その後から、秘書か護衛か付き人が数人入ってくる。

 ラムタラは反射的に手近な棒――今回はモップが一番近いか――を確認する。日本の治安であればいざ知らず、海外において密室に一対多の状態でならばウマ娘がヒトミミに乱暴を働かれることも少なくない。

 とはいえそれは杞憂だったようで、男が取り出したのは彼のものであろう一枚の名刺だった。

 

『株式会社「是々」の代表、弓野秀秋と申します』

 

 株式会社『是々』。日本において、馴致指導者の質と数であれば社北グループに迫ると言われる、ウマ娘育成における一大勢力、正午グループの運営母体である。

 彼らの自己紹介を受けて、ラムタラは彼らの目的を覚った。つまるところ、彼らはラムタラをスカウトしに来たのだ。競技者としてでなく、指導者として。

 

『もちろん、今すぐにというわけではありません。とはいえ、早いほうがよいのはもちろんですが……』

 

 その意図はラムタラにも理解できた。要するにこの『是々』という組織は焦っているのだ。ライバルとされる社北グループの台頭に対して。

 そしてその社北グループの勢いが増しているその中心にいる存在こそが、『気狂い死神』サンデーサイレンスであった。

 サンデーサイレンスをスカウトした当時の社北グループ代表、吉野庵児以外の誰しもが予想しえなかったであろう彼女の指導能力。社北グループを大きく前進させた名指導者という存在を是々グループは求めた。このあたりのフットワークの軽さは、名家であるメジロやトウショウ、シンボリとの違いとも言えるだろう。

 確かにラムタラであれば、性格は別として指導者としては申し分ない成績を持っている。そして、指導力と性格が思いの外関係ないことはサンデーサイレンスが証明している。

 そして、「名選手がすなわち名監督にはならない」ということは十分に理解できていてもなお飛びついてしまうほどに、正午グループは焦っていたのだ。

 

 なにより、ラムタラにはサンデーサイレンスと比べて、指導者として大きなアドバンテージがあった。彼女は()()()()()のである。

 有望なウマ娘に指導できるウマ娘は、全盛期から時間が経った者が多い。それほど優秀ならば、指導者ではなくドリームシリーズへ進んだり、自身のトレーナー*1のもとでサブトレーナーになるからだ。

 サンデーサイレンスは怪我が原因なのでどちらの例からも外れるが、走れないことには変わりがない。弓野も今すぐにではないと前置きしているが、その実、故障で走れなくなる前にと思っているのは透けて見えた。

 

『……指導者』

 

『えぇ、契約金も2500万ドル……いえ、3000万ドル出しましょう。と言っても、あなたの成績を考えればはした金でしょうから、これはこちらの誠意と考えていただければと……』

 

 3000万ドル。凱旋門賞の優勝賞金に迫る額であり、契約金としては確かに破格だろう。サンデーサイレンスと社北グループとの契約金が1100万ドルだったのだから、そのおよそ3倍だ。

 このまま身を委ねても……そんな考えがラムタラの脳裏を過ぎる。

 

『…………』

 

 弓野からさらに説明を受けた後に差し出された契約書。ラムタラの手が、近くのペン立てへ伸びる。そこから引き抜いたボールペンをノックして、署名欄に、ペン先を、滑らせる。

 

『……ハ』

 

 ただ、契約書に僅かに残された、ペン先に依る凹みの軌跡を見て、ラムタラは思わず失笑を漏らした。

 

『ハハハ……』

 

 インクは、出なかった。

 なんのことはない、それは単なる偶然だ。しかし、ラムタラの意識を変えるには十分だった。

 敗北、喪失感、勧誘。まるで自分が引退を選ぶのを誘うかのように誂えられた道筋。その中で、何本も置いてあったボールペンの中で自分が選んだそれだけが、さながら運命を拒むかのように不都合だった。

 

『……いや、すまない。ジャパンの指導者。もうすこし、走ることにした』

 

 ナリタタイシンは言った。神とはクソッタレである。

 なるほど、ウマ娘に走ることを諦めるような道を用意するような、最高に性格の曲がったやつだ。

 その思惑を、たった一本のボールペンが阻んだのだとしたら、なんと滑稽で愉快だろうか。

 

『……そう、ですか。いや、残念です……』

 

『まぁ、あくまで延長だ。引退する頃にまた話を聞いてやるさ。そのときはアタシに直接ではなく、ちゃんと然るべきところ(ゴドルフィンレーシング)を通してくるんだな』

 

 ゴドルフィンレーシングでは、当然引退後のウマ娘をコーチとして再雇用している。そこを通せば横槍が入るのは当たり前で、だからこそ彼らはラムタラに直談判しに来たのだろうと、そうわかった上でラムタラは告げる。「退かないならこの場で上を呼んでもいいんだぞ」とチラつかせて。

 引退後に改めて上を通せば横槍が入るのは確実だが、ここで食い下がってラムタラに告発され、ゴドルフィンレーシングの頭を跨いでスカウティングしたことがバレて印象が最悪になるよりはマシだ。

 弓野はそう判断して、ここは大人しく引き下がることにした。

 

 弓野たちが帰った控室で、ラムタラは改めて体を伸ばす。

 体に熱が戻っている。ウイニングライブのことを考えるその思考は、しかし先程までとは大きく様子が違っていた。

 

『……まだ、終わってない』

 

 始まりは、両親が信じる神への反発だった。

 遠回りはしたが、結局のところラムタラは同じところに戻ってきた。

 

『さぁ、神に反逆しようか』

 

 ひとまずは、反逆の先達に教えを請うとしよう。

 神は再び歩き始める。

*1
あるいは夫




Q.ラムタラ、負けてグチャグチャになってるんやろなぁ……

A.なんかもう情緒がそんな場合じゃなかった


あと、体が全盛期なのに魂が萎えてくやつ公式でもアイネスがやってたしええやろと思って書いてたけど、これ公式じゃなくて他所様のアイネスだわ。


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【閑話】白百合の述懐

書く予定なかったから試行錯誤になった閑話です。


 彼女の人生は決して良いものとは言えないものだった。

 会社員の父と、地方トレセンで2勝クラスだった母の間に生まれた彼女はお世辞にも走りの才に恵まれたとは言えず、彼女自身も中等部で本格化を迎えてから地方トレセンの1勝クラスで現役を終えた。

 競技者としてはまず名を残すことができるような成績ではなく、"かけっこ"と割り切れない程度にウマ娘としての本能に対して真摯でひたむきだった彼女は、最後まで苦悩し続けた。

 その末に、彼女はトレセン学園を辞めた。中等部でピークアウトを迎えたウマ娘が高校でトレセンではない学校へ転入することは、競争が激しく夢破れるものが多い競走ウマ娘界では少ないことではない。彼女もそのひとりだった。消化不良ではあったが、納得してのことだった。

 

 転入した先の高校で彼女は、彼女の心をデビューから支え続けていた同い年の『ファン』の少年と再会を果たした。

 何が琴線に触れたのか、ただの未勝利戦でも勝った時には涙を流して喜んでいた少年。そんなふたりの間に恋心が芽生えるのは当然のことだろう。平均的な青春時代を過ごしたふたりは、高校卒業から程なくして籍を入れた。

 

 共働きでの生活は楽なものではなかった。稼いだ賃金のほとんどを、ふたりの共通の夢である花屋の開店資金として貯金に回していたからだ。

 幸いだったのは、彼女がウマ娘として――どころか、人間と比較しても少食だったことだろう。ウマ娘の支出で高い占有率を誇る食費が大きく浮いたことは、家計への大きな助けになった。

 

 そうして彼女たちが二十代半ばに差し掛かった頃に、府中近くの商店街の片隅でひっそりと、彼女から名前をとった『フラワーショップリリー』はオープンした。

 愛想の良い彼と、小動物のような雰囲気を持つ彼女が経営する花屋は、ちょうどその商店街の同業が店を畳んだタイミングだったこともあって、地元の人間からすぐに受け入れられ、間もなく軌道に乗った。

 生活に余裕が出れば、授かりものもあった。日に日に大きくなるお腹を撫でながら、幸せな日々を過ごしていた、ある日のことだった。

 

 彼が、命を落とした。

 

 なんの前触れもなく、彼の命は事故によって奪われた。車を運転していたのはとある産婦人科の一人息子だった。彼女たちの家から最も近いところにあったのだが、その一人息子の素行がよいとは言えないこともあって避けていたというのに。

 受け取った慰謝料は彼女が現役時代に稼いだ額どころか、ふたりで貯めた開業資金よりも大きな数字になった。自分たちの思い出が小さく見える寂寥感(せきりょうかん)と、彼の命はこの程度のものなのかという憤懣(ふんまん)との間の葛藤で何も手につかない日々。

 そんな中で、彼女はひっそりと破水とともに、誰にも見られることなく彼の忘れ形見を産み落とした。

 近隣住民によって呼ばれた救急車が到着する頃には、へその緒が繋がったまま産声を上げるウマ娘の赤子と、貧血で意識が遠のきつつある彼女が、清潔なタオルケットの上に横たわっていた。

 

 喪中に産まれた娘の存在だけが、彼女の心を支えていた。自分が折れるわけにはいかないのだと。この小さな命を潰えさせるわけにはいかないと。

 亡き夫は実家との折り合いが悪く、義父母を頼ることはできなかったが、幸いなことに彼女の実父母は移り住んで娘の世話を見てくれた。

 状況が状況なだけに、近所の大人たちがあれこれと気を回してくれたことも大きく、彼女の心労は大きく軽減されたのも助けとなっただろう。しかし、これには悪い面もあった。

 

 子供というのは大人が思っているよりも大人の動きに敏感だ。だからこそ、周りの大人がこぞって世話を焼く存在が現れたことを、本能的に「気に入らない」と感じたのだろう。

 彼女の娘――ナリタタイシンと名付けられたウマ娘は、他の子どもたちと大きな隔意を作った状況で育つこととなった。

 そして子供は大人が思うよりよほど狡猾で、ナリタタイシンがうまく周りに馴染めていない理由を、おとなしくて引っ込み思案であると思っていた彼女が本当の理由を知るのは、ナリタタイシンが小学生の高学年になってからになってしまった。

 

 その頃になれば、子供も大人からの注目というようなものは排他の理由としては弱いものになっていた。が、それでも幼い頃から続いている「なんか気に入らない」という感情がなくなるわけではない。

 そして、ナリタタイシンの矮躯はそんな子供たちに、自身の悪感情を理由づけさせるには十分なものだった。より露骨になった行動は、彼女が娘の置かれた状況を把握するのにも、同じく。

 しかし、ナリタタイシンは大人を頼らなかった。いじめの事実をひた隠しにし、母に心配をかけまいとした。それどころか、家事などは進んで引き受け、母の負担を減らそうとし始めた。

 

 そうしたある日、彼女は自身が足枷に思えてしまった。

 ナリタタイシンが隠し続けていながらも半ば察していたいじめの現場を目の当たりにし、堰を切ったように流れ出す涙を止めることもできず、それが優しい娘にとって重荷になると解っていても、懺悔せずにはいられなかった。

 

『もっと大きく生まれたかったよね……ごめんね……』

 

 その言葉が呪いになるとわかっていても、彼女も限界だったのだ。

 支えられて生きてきた。支え合って生きてきた。支えを喪って、娘を支えにしてしまったから、彼女は脆かった。

 産んだのが自分でなければと、そう思ってしまう。自分は娘のために、何もしてやれていないのだ。

 

 自身とは逆に、普通校だった中学から中央トレセン学園へと娘が進学したときは、まるでパンドラの箱だと思った。そこにはきっと、無数の絶望とほんの僅かな希望が入っているのだと。

 娘の才能は稀有なものだと、親の贔屓目なしにそう思っていた。だからこそ、自分が受け継がせてしまった身体は、あまりに重すぎるハンディキャップであり、自分はどこまでも娘の足を引っ張っているのだと打ちのめされた。

 

 それと同時に、寮生活になったがために娘の状況が完全に隔離され、本人からの連絡からしか情報が得られなくなったことで、彼女の想像はネガティブな方向へ行き続ける。

 胃に穴が空いた。吐く日も多くなった。魘されることもまた。仏壇の前で、夫に何度も祈った。どうか娘を守ってほしいと。

 少しでもと娘の情報を欲して、学生限定のアルバイトも雇い始めた。幸いなことに、中央のトレセン学園からもふたりのアルバイトが来ることとなったが、当時はそれほど娘のことは語られなかった。

 2年が経ち、娘がデビューする様子は見られない。彼女の悪い想像が膨らむばかりだったある日、それは一気に好転を見せ始めた。

 

 娘が唐突にデビューする旨を告げたかと思えば、自分には縁さえなかった中央の重賞を立て続けに勝利し、果てにはGⅠ、クラシック戦線の一冠である皐月賞を勝ってしまった。

 あまりにも実感がない出来事。娘の現状がわからないどころか、今や街の至る所が娘のことで持ちきりになった。

 三強としての戦い、ジャパンカップでは日本総大将として力を見せつけ、海外に渡ってまたGⅠを獲った。そして、今。

 

『「小柄でも勝てた」じゃない、「小柄だから勝てた」んだ。アタシは「アタシ」でよかった』

 

 娘にかけてしまった呪いは、祝福へと変わった。

 世界最難関のレースを勝利し、ナリタタイシンはその花を見事に開かせた。

 アルバイトとして雇っていたふたりのトレセン生は、なんの運命かふたりともが娘のチームメイトとなって自身の隣で喜びを分かち合っている。

 

 かつて流した涙の何倍もの涙を流しながら、嗚咽を必死に抑え込む彼女に、最近できた友人たちから声がかけられる。

 

「おめでとう、まぁ今日は飲みな。ウチから特上の酒持ってきてるからさ」

 

「これからが私たちの正念場ですよ。タイシンちゃんが作ってくれたネームバリューで、お客さんすごいことになりますから。うちもそうでしたし」

 

 片や酒屋を経営する肝っ玉母さん。片やヒトミミのお淑やかなママさん。さながら彼女らの娘たちのように三者三様、まるで違った個性を持つ友人たち。

 そんな彼女を見て、もう一組の『親たち』もまた、静かに息をつく。何もしてやれなかったと悔いていたのは、彼らも同じなのだ。傷つき続ける娘を見ながら、できたのは孫の世話くらいだったのだから。

 

「……さて、私たちも祝杯といきましょうか」

 

「そうだな……寿司でもとるか」

 

 ふと、老眼鏡越しに見えた仏壇の遺影に写る青年の笑顔が、普段よりも輝いたような気がしたのは気の所為かあるいは歳の所為か。

 ただ、彼は一度も酌み交わすことのなかった酒を一杯、義息子に供えた。




 コロナ感染→年末年始→再就職とかいう多忙コンボキメられてこのザマです。
 次も遅くなるかもしれませんがエタらないので見捨てないでください。


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