86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか (ぺこぽん)
しおりを挟む

1話 復讐者

あまぷらで一気見してハマりました。
22,23話は何度見ても泣けるので、そろそろ涙腺おかしくなるんじゃないかな。
そこで、モチベが続く限り、書いてみようかなと。

作者は原作3巻まで流し見で、軍事関係はミリしらなので勢いよく誤魔化します。

主人公の名前すらまだ決まってない見切り発車でいってみます。



 その戦場に、死者はいない。

 

 戦場は悲惨だ。

 昨日、寝食を共にし、笑いあった仲間が呆気なく失われる。

 彼らが永遠に戻ってくることはない。

 

 誰だって、誰かが失われるのは嫌だ。

 でも、自分自身が死ぬ事は怖くはなかった。

 

 "私は復讐者だから"

 

 あの日誓った呪いは、まだ私の中で生きている。

 それが死に立ち向かう恐怖を忘れさせてくれる。

 戦場に立つ意味を、勇気を奮い立たせてくれる。

 

 "私はまだやれるはずだ"

 

 あの日からずっと。

 ずっと、ずっと戦ってきたのだ。

 

 家族を奪われた。

 大事な、守らなくちゃいけなかった友達をも奪われた。 

 残されたのは自分だけ。

 

 唯一残ったのは自分だけなのだ。

 残された自分だけが、彼らを覚えていられる。

 

 死ぬのは怖くない。

 何度も言い聞かせるよう告げた言葉を、再び思い出す。

 

 でも、もし……死んでしまったら。

 そこが自分が行き着けた先で、終わりだ。

 もう、彼らを思い出すことも嘆くことも、花を供えてあげる事も出来ない。

 

 何より、奴らに一矢報いてやる事すら出来ない。

 

 ―――それだというのに。

 

 自機、有人搭乗式無人機 M1A4 <ジャガーノート>は動かない。

 否、動けないのだ。

 

 <レギオン>との戦闘中。

 南部部戦線第一戦区第三防衛戦隊"マンゴネル戦隊"の前衛である彼女は、突出しすぎた。

 戦隊の仲間の負担を減らす為、戦隊長の命令を無視し、斥候型を先に潰そうとしたのだ。

 

 自分は号持ちで、それだけの腕前を持っているはずなのだ。

 だが、いくら凄腕でも周囲の環境までは変えられない。

 

 自機の足を見事にレギオンの伏せ釣りに誘き寄せられ、取られてしまった。

 先日の大雨で、ぬかるみとなった平地にだ。

 恐らく戦前の穀倉地帯だろうが、長年の戦火がその土壌を覆い隠してしまっていたのだ。

   

 ここには、ワイヤーアンカーを撃ち込む遮蔽物もない。

 さらに、度重なる戦闘で整備が追い付かないほど、自機の脚部は脆弱となっていたのだ。

 或いは、それさえなければ時間を掛けて、脱出出来たかも知れない。

 或いは、無視しているある存在の言葉に耳を傾けていれば良かったのかもしれない。

 或いは……。

 

 でも、もう手遅れだ。

 

 私が屠った幾つかの残骸を乗り越え、レギオンが迫る。

 後方の仲間も、異常なほど集結してくるレギオンに囲まれ、戦闘中だ。

 聞きたくもない断末魔が、パラレイドを通して伝わってくる。

 こちらの援護どころではない。

 

「嫌……」

 

 ―――戦場に死者はいない。

 

 言い得て妙だ。

 棺桶と揶揄されるガラクタに乗り込み、戦場に赴く。

 中にいるのは尊厳をほぼ奪われた、唯の人の抜け殻。

 望むべくものはなく、未来もない。

 死体が乗っている様なものだ。

 

 そして今、その死が確定しようと、すぐ間近に迫って来ていた。

 

「動いて、動いてよぉッ!!」

 

 ありったけの力を込めて操縦桿を動かすが、さらに前脚が沈み、接合部が呻きを上げるだけだ。

 

「いやっ……」

 

 腰の拳銃に手を伸ばした。

  

 死に方は自分で選ぶ。

 そう以前、仲間と語り合った。

 意思も何もない機械に殺される位なら、自らの意思で自死すると。

 

『目を借りる!』

 

 ふいに声がした。

 パラレイドを通した声だ。 

 

「何……!?」

 

 一瞬、薄暗い部屋の中、コンソールのスクリーンに映った男の姿が目に入った。

 ほんの一瞬だった。

 

 その男がまだ青年にも届かない、少年と言える位の年だという事に気付くのに数瞬。

 それから、そいつが銀髪銀瞳のアルバだと認識するのに、そう時間は掛からなかった。

 

 己が忌避する最大の存在が、自分の中にいる。

 

「ああ……あああぁぁあああ!!」

 

 聴覚による同調すら受け入れ難いというのに、こいつはそれ以上の事を勝手にやったのだ。

 思わず自身の左目を握りつぶそうと、片手を伸ばす。

 

『出ていけッ!! 私の目を! 体を返せッ!!』

 

 怨嗟の激昂が口から漏れ出す。

 

『死ね、死ね、死ねッ!!』

 

 バキッと金属音が響き、操縦桿の一部が壊れる音がした。

 勢い余り尖った金属で手を切り、血が流れ出し、操縦席を赤く染める。

 

 すぐに視界は自身のものに戻ったが、未だ視覚を同調したままなのは感じ取れる。

 以前、視覚の同調は、ハンドラーが失明する恐れがある為、される事はないと聞いた事がある。

 だが、その事を嬉しく思う前に、未だ嫌悪が勝った。

 

『返ッ……』

 

 言い終わる前に眼前に、爆発音が響いた。

 爆発が穴だらけの棺桶に、悲鳴を上げそうになるほどの熱量と衝撃を運んでくる。

 何が起きたのかは、ハンドラーの言葉ですぐにわかった。 

 

『着弾位置を確認しただけだ。……すぐに返す』

 

 思わず目を閉じた私に、ハンドラーは言葉通り視界を返してきた。

 

『お前は……』

 

 そうだ。知っているはずだ、この声。

 私達、マンゴネル戦隊のハンドラーの声だ。

 

 ハンドラーの声は、酔っ払っただみ声が大半だ。

 大抵聞こえてくるのは、こちらを豚と罵る雑言か、噴き出したくなる優越性を御高説する戯言だけだ。

 

 でも、こいつは違った。

 必要以上には関わって来ないし、補給などの仕事はきちんとこなす。

 エイティシックスなどと、関わりを持ちたくない高潔な部類の白豚様なのだ、と仲間は嘲笑っていた。

 

 だから、戦闘時以外はすぐに同調を切る私には、あまり馴染みがない。

 そして、そいつが今は私に直接、話し掛けてきている。

 特に戦闘中にハンドラーの命令に対応するのは、戦隊長の役目のはずなのに。

 

 それが何故……。

 

 疑問を口にした。

 

『他の皆は……』

 

 すぐに答えは帰ってこなかった。

 

「マンゴネル戦隊で反応が確認できるのは……あなただけだ。"ウルフスベーン"」

 

 パーソナルネームを呼ばれると共に、空が晴れた。

 阻電攪乱型が爆炎で蹴散らされ、久しぶりの青空が垣間見える。

 誘導飛翔体が全てを焼き付くしていく。

 

 空を、地上のレギオンを。

 あれほど手間取った敵が、鉄屑の様に砕け散る。

 

 衝撃で自分の機体も跳ね上がり、沼地から脱出する事が出来た。

 逡巡する間もなく、57mm滑空砲を眼前に迫るレギオンに放つ。

 

『なんで……』

 

 正確無比なミサイルが降り注ぐのに構わず、私は突き進み、さらにレギオンを倒す。

 

『なんで、今更迎撃砲なんてッ!』

 

 あれほど仲間を殺した敵が、呆気なく壊れてゆく。

 無機物と無機物の衝突。

 生物である人間が入り込める隙などない。

 本来、こんな場所にいなくてもいいはずだ。

 

 すぐに壊滅の域に達したレギオンは、撤退の動きに入入り始めた。

 

 いつだって出来たはずなのだ。

 いつだって、仲間を救う事が出来たはずだ。

 この白豚は。

 

 迎撃砲の本来の役割は、エイティシックスの反乱防止だ。

 だが、その他にも数年前から度々使用され始めていた。

 

 弾薬の使用期限を超えた時だ。

 

 数年しかもたない弾薬など、お笑い草だが。

 在庫処分とばかり、偶にこちらが戦闘中にも関わらずに降り注ぐ事がある。

 ハンドラーが着弾点など気にせず、使用するからだ。

 隊の仲間はその事を、スコールと呼んでいた。

 

『答えろ!ハンドラー!!』

 

『あの時が、最大効率でレギオンの数を減らせれたタイミングだった』

 

 包囲された戦隊が生き残る術はなかった。

 ただ、突出して空白が生まれていたウルフスベーン以外、着弾から逃れる術はなかったのだ。

 だからといって……。

 

『だから……!皆の上にミサイルを撃ち込んだっていうのか!?』

 

『すでに彼らの反応はなかった。助けられたのは、あなただけだ』

 

 そんな事信じられるものか。

 白豚のいう言う事など、全て嘘なのだから。

 

『誰が助けてくれなんて言った……』

 

 絞りだす怨嗟の声を受けても、ハンドラーは何も言い返さない。

 二人だけの接続となってしまった同調は、対面するだけの感情を相手に伝えてくるはずだ。

 

 だが、繋がって届くのは、吐き気を催す嫌悪感だけ。

 およそ人らしい、感情が伝わってくる事などない。

 

 しょせん、あの白豚共はけだものだ。人間ではないのだ。

 

『戦闘が終わったなら早く切って。意味なんてないでしょ。……一秒でもあんたなんかと繋がっていたくなんかないッ!!』

 

 普段、アルバに対する敵意は隠していた。

 仲間の為だった。

 でも、その仲間が死んだ今、その意味もない。

 補給を止められようが、無意味な突撃命令で死亡宣告を受けようが知った事ではない。

 

 言葉だけで殺せるのなら、あの白豚どもを永遠に呪ってやろう。

 それこそ死ぬまで声を張り上げてやる。

 

『では最後に通達だけ。あなたに別戦区への移動の命が下った。ウルフスベーン』

 

 またか。

 どうでもいい。

 

 このまま、逃げだしてみようか。

 それとも、一抱えの爆弾と共に、グラン・ミュールの地雷原に突入してやろうかしら。

  

 いや。

 自分がそんな事を望んでいない事はわかっている。

 それでは復讐にならない。

 

 せめて、あの子が帰ってこられる場所を……。

 

『あなたの次の任地は東部戦線第一戦区第一防衛、スピアヘッド戦隊だ』

 

 へえ、ついにここまで辿り着いたの。

 思った事はそれだけだ。

 追憶を邪魔された私は、歯を噛み締め音を鳴らす。 

 

『死ね』

 

 私は、一方的に同調を切った。

 

 

 無機質なコンソールに、静寂が戻る。

 戦場とは騒乱が嘘のように消え去り、ここには何もない。 

 幾つものケーブルに繋がれた手元の端末を動かしていた少年の手が止まる。

 

 目を閉じ、同調していた視界に残る残像を思い返す。

 それさえもすぐに消え失せていく。

 パラレイドで戦場と同じく感じていた音が、爆炎が敵が。

 ここにはない。

 

 ただ、残るのは少女の声。

 それだけが頭の中で、何度も楔を打つかのように反響する。

 

 同調が切れているのを、少年は今一度確かに確認する。

 

「……すまない」

 

 それから、少年は呟いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 戦場は遠く

主人公の名前が決まらない……。


 

「それでは本日の戦況をお知らせします。第十七戦区……」

 

 街頭のスクリーンにアナウンサーの笑顔が映っている。

 場所はサンマグノリア共和国第一区の首都。

 

 平和を体現したかの様な街並みに、平和を享受する人々。

 白系種ーアルバだ。

 ここには、かつては移民として受け入れらていた様々な色を持つ有色種がいたはずだ。

 だが、今はいない。

 

「……であり、本日もわが軍の戦死者は0名であります」

 

 ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐は、その言葉に僅かに眉をひそめた。

 

 

 国軍本部を兼ねる、ブランネージュ宮殿の一角にレーナは入る。

 その中には、共和国軍人の士官達が勤務している。 

 だが彼らは、今日も相変わらず、酒に溺れ、娯楽にふけっていた。

 

「昨日は傑作だったな、あの豚ども」

「五十機以上は壊れたかなあ」

 

 レーナは聞くに堪えない言葉に足を止めた。

 

「おい、諸君。お人形好きのお姫様が睨んでるぜ」

「なんですか、ミリーゼ少佐。ただ無人機が壊れただけでしょう」

 

 ソファーに座り込む男達が嘲笑う。

 

「ははっ、お優しいことで」

「お優しいといえば、お坊ちゃんもだなあ。ああ、あの時は最高だった」

「ああ、南部のか。ちょっと他の戦区のレギオンを押し付けちまったら、お坊ちゃんの戦隊壊滅だったもんなあ」

 

 そこで一人の男が口笛でひゅーと音を鳴らす。

 

「そこに迎撃砲が……」

 

 手の平をひらひらと上昇させ、そして膝を手で打ち鳴らした。

 

「ドカン!」

 

 一歩詰め寄ろうとしていたレーナの足が、止まった。

 

「よっぽどお坊ちゃんの方がお優しいよなあ。なんせひと思いに壊してやったんだからよ。確か、せいせいしたとも言ってたか?」

 

 男達はそこで大笑いを始めた。

 

「貴方達!……」

「おはよ、レーナ」

 

 そこに、レーナの行動を静止する声が割り込んだ。

 友人のアンリエッタ・ベンローズ技術大尉だ。

 

「あんな馬鹿連中に構うのなんてやめなって」

「でも……!」

「いいから」

 

 アネットはレーナを引っ張り、歩きだす。

 

「……アネット。彼らが言ってた事は本当なの?」

 

 レーナは信じられない気持ちで、目を伏せた。

 各戦隊が受け持つレギオンは、ハンドラーが負うべき責務だ。

 命令を軽視し、他の戦区にレギオンを押し付けたなどと、軍規違反ではないか。

 

 だが、それ以上に……。

 

「ああ、迎撃砲の事? そういえば結構前から使われ始めてるわよね、あれ」

 

「彼らを巻き込んで撃ち込まれたなんて……」

 

「なんでも大勢が一度に使用申請したから、システムエラーを起こして誤発射されたらしいわよ。偶然、レギオン集結地点に発射されたからよかったけど」

 

「それをせいせいしたって、……そんな言葉で片付けるなんて、あってはならないはずだわ」

 

 迎撃砲は正しく運用すれば、部隊の損害を抑える事が出来るものだ。

 だが今は、弾薬の使用期限が過ぎたと認められるまで、使用申請すら出来ないのだ。

 それですら、ほとんどのハンドラーは新しいおもちゃを手に入れた子供の様に持て遊び、まともな運用がされていないのが現状だ。

 

「実際、ハンドラーをやめたがってたから、丁度良かったとも言ってたらしいわよ、あのお坊ちゃんは」

 

「そんな事……。待って、お坊ちゃんって誰の事なの?」

 

 自分がお姫様と、揶揄されているのはわかる。

 しかし、よく聞くお坊ちゃんとは一体。

 

「あれ、レーナ知らなかったっけ。きっと前にパーティーでも会った事があるはずよ」

 

 そこで、アネットは首を捻った。

 

「ほら、あのー。有名な。なんだっけ」

 

「え、知らないの?」

 

「だって、皆お坊ちゃんって呼んでるから。……ああ、シュタット財閥!その一人息子!」

 

 だが、名前までは出てこないらしい。

 

「あとで調べておくわ。もしかしたらお見合い相手にいたかもしれないし」

 

「シュタット家の人とお見合いを!?」

 

「そ。一応、申し込んだだけ。二、三個年上だし。でも家柄が違いすぎて相手にされてなかったかも」

 

 ミリーゼ家も嘗ては貴族であり、シュタット家もそこまで格は高くないが同じ元貴族だ。

 だが全然、記憶にない。

 常に壁の花となっていたレーナでは無理らしからぬが。

 

 とにかく名前がわかったら、言ってやりたい事があるのだ。

 機体は無人機ではなく、生身の生きた人間が乗っているのだ

 彼らも同じ共和国民であり、共に戦う仲間であると。

 

「どうしてそんなに無人機に入れ込むわけ?」

「アネット、彼らは無人機ではないわ」

 

 こちらの思惑を察したアネットの諭す声に、レーナは反論する。

 そこでレーナの情報端末に侵入警報が届いた。

 

「じゃあね、レーナ。あんまりエイティシックスなんかに入れこまないようにね」

 

 

 管制室に入り、無機質なコンソールに向き合う。

 レイドデバイスを首に嵌め、スクリーンに視線を向けた。

 

「認証開始。ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐。東部方面軍第九戦区、第三防衛戦隊指揮管制官」

   

 認識後、管制システムが作動し始めた。

 

 まず、ホログラムのスクリーンに各種観測機器の膨大なデータが表示される。

 それから遥か前線にいる友軍機と、その先に膨大な敵性存在を示しているレギオンの存在が輝点となって映し出される。

 

「最新のマッピングデータを更新。第三戦隊半径1000mまでの詳細データをプリセット」

 

 その言葉でホログラムが情景を変え、二次元的視点が三次元域に拡大される。

 廃墟の存在、身を潜める地形、それからジャガーノートの弱点となる脆弱地形の詳細。

 それらは命を預かる戦隊が、実際に展開している場所のものだ。

 

 これらは数年前から整備されたシステムだ。

 

 ジャガーノートのガンカメラのデータから入手した情報を、データ化しホログラムで表示しているのだ。

 とはいっても阻電攪乱型のせいで、残念ながらリアルタイムではない。

 戦闘や哨戒任務の際に得たデータが元となっている。

 

 一体、これが作られる前のハンドラーはどうやって管制していたというのだろうか。 

 

 だが、それでもほとんどのハンドラーは、そんな面倒な情報を扱おうとはしない。

 そもそもハンドラーの役割は、エイティシックスの監視が目的だというのが、大勢の意見なのだ。

 実際、この機能を使用するのは自分だけなのかもしれない。

 

 それでも、自分と同じ意思を持つ誰かが、このシステムを作ったのだ。 

 彼らの、エイティシックス達の生存率を少しでも上げるその為に。

 レーナはその事を少しだけ嬉しく思い、笑みを浮かべた。

 

 そうだ。今度、このシステムを作った人に会ってみよう。

 きっとハンドラーとしての視点で、もっと改良する事が出来るかもしれない。

 

 レーナは一回だけ、コンソールを優しく撫でた。

 

「知覚同調、起動」

 

 そして、戦場の音がレーナの元に届く。

 

 

 機体が、ジャガーノートが爆散した。

 中にいた人間も共に、機械の様に砕け散る。

 手足が、内臓が、頭が断末魔と共に引き裂かれる。

 

 それでもなお蠢く死体は、こちらに口を向けた。

 何かを呟く言葉は、音となって届く事はない。

 わからない、聞こえない

 

 ―――聞く事が出来ない。

 

 目が覚める。

 

「お坊ちゃま。どうされましたか?ひどいうなされ声が聞こえましたが」

 

 控えめなノックの音と共に、こちらを心配する女性の大きめな声が聞こえた。

 

「大丈夫だ、ルイーゼ。なんでもないよ」

 

「そう、ですか。ご無理をなさらないで下さいね」

 

 どうやら、昨晩遅くまで起きていた事は悟られていたらしい。

 

「では、朝食の準備が出来ておりますので、お待ちしております」

 

「ありがとう」

 

 そう言い返し、扉の前からメイドであるルイーゼが離れていく。

 それを確認してから、リードは体を起こし、ベットから降りた。

 

 天蓋付きの豪勢なしつらえだ

 他の家具も部屋の大きさもそれに見合ったもの。

 リードはカーテンを開けると、日差しが差し込み、外の景色を見た。

 

 第一区の首都。

 それも見晴らしの良い一等地だ。

 場所は戦前から薬剤、医療などで財をなしたシュタット財閥の宮殿の一室。

 

 その景色をどうでも良さそうに見た後、少年は軍服を取り出した。 

 共和国軍人のもので、階級は少佐。

 

 鏡でリードは、何度も何度も自分の姿を確かめる。

 長めの銀髪に、銀瞳。

 

 なるほど、軍でお坊ちゃんと馬鹿にされる訳だ。 

 リードルフ・シュタット少佐。

 年は19。

 19のはずなのだが、そうは見えないだろう。

 

 未だ成長途中の身は平均身長から到底低く、未だ声も若い。

 何より顔は少女の様であり、童顔から幼く見られがちだ。

 

 仇名の極めつけは軍務中のリードに、ルイーゼが忘れものを届けに来た事だろう。

 何もいつもの調子で、名前を呼ばなくてもいいものを。

 

 だが、6も年上でよく尽くしてくれている彼女を諫める事など出来ない。

 

 リードは執拗なほどの、身だしなみの確認を終え机に向かった。

 机に置かれているのは、昨夜遅くまでまとめていた意見具申書だ。 

 

 題は"戦後 86区の劣等種たるエイティシックスの最終的解決"

 

 それを引っ掴むと鞄に放り込み、足を止めた。 

 瞳を一度閉じ、一息ついた呼吸の後、顔を上げる。

 そして、部屋を出る前に声を発した。

 

「行ってきます。おじい様、おばあ様」

 




主が、『おまえの名は何か』とお尋ねになるとそれは答えた。『我が名はレギオン。我々は、大勢であるがゆえに』

やっぱ、レギオンって聞くとガメラ2なんですよね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 手向けの花

パーソナルネーム変えました。
こっちの方がカッコ良さそう。


  

 総数二十三機のジャガーノートが、廃墟ビルの陰に身を潜めている。

 スピアヘッド戦隊の全機だ。

 今は他部隊の救援任務中であり、こちらを捕捉したレギオンと間もなく会敵する時刻だ。

 

『今日はハンドラーがいないから、気楽だよなあ』

 

『それな。耳元で喚かれると集中削がれるんだよねえ』

 

『次の着任なんてこなきゃいいのにさ』

 

 戦闘が始まるで各々、体を楽にし、雑談に興じている。

 

『残念なお知らせだ、ラフィングフォックス。すでにハンドラー交代の通達が届いているそうだ』

 

『えぇー、まじかよ、キルシュブリューテ。それ誰情報よ』

 

『アンダーテイカーからだよ、ファルケ』

 

 すぐにほぼ全員から、嫌そうな声が上がり、カイエは苦笑した。

 

『本当だ』

 

 シンからは短く、それを保証する声が届く。

 

『べっつに、どんな白豚が来ようとさあ、すぐに潰れて終わりだよな』

 

 ハルトが挑みかける様な声を上げ、カイエはふむ、と呟く。

 

『しかし、今度は以外と気骨のある者が担当になるやもしれぬぞ。ウルフスベーンはどう思う?』

 

 カイエは隣に並び立つ僚機の操縦者に、質問を飛ばしてみる。 

 そして、それには半ば予想していた返答が返ってきた。

 

『誰だろうと一緒よ、白豚なんて皆死ねばいい』

 

 凛とした透き通る声に反し、汚物を吐き捨てるようない方だ。

 声の主は、第四小隊隊長リア、パーソナルネーム"ウルフスベーン"だ。

 

『おお、未だ我らの歌姫の心意気は相変わらずか』

 

『そうだー、そうだー』

 

 クジョーの茶化した物言いをし、それにクレナが同意の声を上げる。

 そして、歌姫と呼ばれたリアは、ただ一声だけ発した。

 

『……来た』

 

 視力の良さで真っ先に気づいたリアの声に、全員が意識を切り替える。

 接敵するのは、救援先の部隊を壊滅させたレギオンの軍勢だ。

 恐らくすでに、救援対象は戦闘継続が不可能となったのだろう。

 

 生存者が生きていればいいが、この戦闘の意味はすでに失われているかもしれない。

 それでもなお、命令は絶対であり、レギオンがいなくなる事はない。

 防衛線を死守する事が、スピアヘッド戦隊に課せられた任務なのだから。

 

『撃て』

 

 十分にレギオンを引き付けた後、シンの合図で一斉射撃を開始する。

 斥候型、戦車型の崩れ落ち、レギオンの隊列に乱れが生じた。

 

 すぐに初段発射位置から、全機体は退く。

 レギオンからの反撃が始まるが、彼らはすでにそこにはいない。

 各小隊がそれぞれ、別の隊の援護に周りながら、各々の連携を取る。

 その指揮を執るのが戦隊長シン、パーソナルネーム"アンダーテイカー"。

 

『第四小隊、北西の小隊を誘引して、第五小隊射程内まで後退』

 

 シンからの指示で、リア率いる第四小隊は移動方向を変更する。

 

『了解』

 

 ワイヤーアンカーを使い、廃墟から飛び降りると、指定されたポイントまで向かう。 

 スクリーンはすでに、敵性ユニットを示すブリップで埋め尽くされていた。 

 

 だが、止まる謂れなどない。

 中隊規模に成長しつつある集団を分離すべき、第四小隊は突撃する。

 レギオンの攻撃に、遮蔽物を利用しつつ反撃。

 

 レギオンの優先破壊対象を、第四小隊に変更する事に成功した。

 斥候型が釣られ、動きに乱れるが、奴らもそう単純ではない。

 隊列を整え、集結体勢を取るのを見て、リアは舌打ちをした。

 

『先に戦車歩兵型を潰しておく。キルシュブリューテ、後の指揮はまかせた』

 

『了解した。だが、無茶だけはしないでくれよ、ウルフスベーン』

 

 機体に二輪の紫色な花を描いたリアが、廃墟から飛び出す。

 無理無茶無謀な特攻行為に、カイエは苦笑を零すのみだ。

 

 戦車型の砲撃を機体すれすれで回避し、さらに高速移動。

 砲撃の雨を交わしながら、戦車型に肉薄し、至近距離での徹甲弾をぶち込む。

 すぐさま飛び退き、次の敵機を攻撃すべく、移動を開始。

 

 シン以外ではリアしか装備していない高周波ブレードは、戦車型の脚部を叩き切った。

 一瞬の停止。

 そこに戦車型に付き従う斥候型が、機銃を掃射してきた。

 

 歩く棺桶と揶揄される通り、対人兵器でもジャガーノートには命取りだ。

 アルミ合金の操縦席は、豆鉄砲でも中の操縦者を簡単に挽肉に変える。

 リアは獣じみた反射神経で飛び退くと、すぐさま反撃に移った。

 

『相変わらず我らが小隊長は、すっげぇな』

 

 クジョーが、感嘆の声を上げた。

 今、第四小隊はカイエの指示の元、当初の狙い通り、レギオンを引き付ける事に成功している。

 

 リアの攻撃で切り離されたレギオンは、迷子の羊だ。

 羊飼いがいない羊など、まさに鴨そのもの。

 後は砲撃で第五小隊の攻撃地点まで、誘導してやるだけの簡単なお仕事だ。

 

『あんな真似、出来るのはアンダーテイカーとウルフスベーン位なものだよ』

 

 自分では射撃も前衛も、オールマイティにこなせると思っているカイエだ。

 だが、それでも彼らと同じ事をしろと言われたら、数秒と持たず戦死だ。

 

 その事に、称賛はあれど羨ましがる声はない。

 全員が同じ思いを抱いているのだろう。

 あれは、全員がパーソナルネーム持ちのスピアヘッド戦隊の中でも、別格。

 

 ――化け物と呼ばれる存在なのだと。

 

 

 会敵から数十分。

 間延びした体感時間が過ぎる中、戦闘の終了が見えてきた。

 各機が散開しつつ、レギオンを防衛範囲から追い出していく。

 

『ウルフスベーン、報告だ。さっき右奥の廃墟に、何か人らしきものが見えた』

 

 射撃位置を変更途中、突然クジョーが声を上げた。

 

『負傷者かもしれない。確認してみるぞ』

 

 敵味方識別信号にも、パラレイドにも反応はない。

 だが、無視するわけにはいかない。

 リアは警戒の声を飛ばしつつ、クジョーに許可を出した。

 

『了解、気を付けて。私もすぐに向かうから』

 

 時刻は夜だ。

 そして、人に見間違う可能性のある自走地雷が闊歩する戦場。

 だが、任務は救援であり、同胞を見捨てる選択肢など元よりない。 

 条件としは、最悪の部類だった。

 だから、

 

『うお、くっそ!!』

 

 クジョーの叫び声が聞こえ、その、最悪の事態を迎えたのだと全員が理解した。

 

『シリウス、逃げて!!』

 

 リアは機体を回頭し、急いでクジョーの元に走る。

 だが、いくら最大速度で移動しようと、自走地雷の起爆時間には到底間に合うはずもない。

 また、助ける事が出来ない。

 

『ああぁああああッ!!』

 

 リアが悲痛な声を上げるが、手は届かない。 

 だから、せめてもとリアはワイヤーアンカーを発射した。 

 そして、届いた。

 

 

 届いて、自走地雷をクジョーの機体から弾き飛ばす事に成功した。

 奇跡だ。

 まず、もう一度成功させろと言われても、リアですら二度と再現不可能な奇跡。 

 

 ―――だが、遅すぎた。

 

『来んな、リア!』

 

 そして、覚悟を決めた声が響き、自走地雷が爆発した。

 もし自走地雷の種類が対戦車地雷であったなら、この距離なら助かる可能性もあった。

 だが、違った。

 

 対人目的としても設計されたそれは、別の損害をクジョーに与える。

 内部に仕込まれた直径3.2mmの鉄球が襲ったのだ。

 

『ああああ!痛ってえええ!!ぐあああっ、くっそぉぉッ!!』

 

 被弾してしまった。

 

 重要な血管であったり、臓器を傷つけてさえいなければ、まだ助かる可能性はある。

 まともな医療設備がない前線でも、簡単な摘出手術位なら行えるからだ。

 戦闘さえ終われば、すぐにでも手当が出来る。

 

『死にたくねえよぉ……』

 

 だが、クジョーの喉の奥に血が溜まった声を聞いて、全員が悟ってしまった。

 ああ、……この声は助からない。

 

 戦場で何度も聞いた死ぬ前の声色。

 そしてパラレイド越しに伝わってくる死への恐怖。

 それらが全てクジョーの命が、残りあと僅かだと告げていた。

 

『死にたく、ねぇ……けどタダで死んでやんねえ……』

 

 クジョーが決死の声を上げるのがわかった。

 何をするのかは、すぐに分かった。

 

 機体に備え付けられた救難信号を発信したのだ。

 

 これもまた数年前に改造された機能だ。

 戦場で孤立無援した部隊が救出を求める目的で、周囲に見境なしに強力な電波を発信するもの。

 パラレイドがある今となっては、必須というものではない。

 

 だが、別の目的での使用価値が上がったのだ。

 発信された電波は当然の如く、レギオンも感知するわけで。

 

 そして感知されたそれは、レギオンが敵性を誤認識する様に改造されているのだ。

 さらに強力な電波を発信する元となる通信装置の電磁波が、彼らを引き付ける。

 演算能力の低い阻電攪乱型が、ジェット機のエンジンだと誤認識するほどに。

 つまりは、迷子の羊達を導くものを呼び寄せる犬笛。

 

 ―――囮役だ。

 

 空を埋め尽くしていた阻電攪乱型が、一斉に降下を始める。

 普段攻撃に転じるはずがない、阻電攪乱型が襲い掛かってくる様は悪夢そのものだ。

 

 そして、その動きに釣られ、他のレギオン達もクジョーの機体に集結していく。

 電波の発信源を破壊する目的でだ。

 

 当然、中にいる者が無事であるはずもなく、

 

『約束、忘れんなよ、……シン』

 

 電波を介さないパラレイドは、阻電攪乱型に埋め尽くされた中でも、クジョーの言葉を全員に届かせた。

 

『ああ』

 

 そしてシンの声と共に、連続で二発の砲弾が発射された。

 

『待っ……』

 

 助けられないとわかっていても、リアは声を上げずにはいられなかった。

  

 向かう先はすでにレギオンに取り囲まれ、醜悪なオブジェとなったクジョーの機体だ。

 一発目は群がる阻電攪乱型を蹴散らし、二発目がすぐに続く。

 

 そのまま二発目は、唯一確認出来るクジョーの機体の一箇所。

 その、弾薬格納庫に着弾した。

 

 そして中の砲弾を巻き込み、多数のレギオンを巻き込んだまま爆発する。

 死ぬ前の数舜、クジョーの最後の言葉は、彼に届いていた。

 

『跡は頼んだぜ……死神』

 

 

 整備音が鳴り響く格納庫に、負けじと怒り声が響ている。

 

「まいど、まいど、お前らはなぁ!!」

 

 アルドレヒトが肩をいからせ、一人の少女にサングラス越しの視線を向けている。

 

「シンほどじゃねえが、お前も出撃の度に足回りを壊しやがってよお!」

 

 リアは落ち込んだ様に、アルドレヒトの毎度のお小言に頭が上がらないままだ。 

 夜黒種の長い綺麗な漆黒の髪を、幽鬼の様に垂らしている。

 瞳も同じく漆黒、山猫の様に大きな瞳が、今はしおらしく伏せられていた。

 

「毎度すまないと思っています。いつも無茶をするなと言い聞かせてはいるんだが」

 

 そこにカイエが庇う様に、リアの隣に立った。

 

「なら、ついでに操縦桿を壊す癖もやめるように言っといてくれ!一体全体、どんな握力してるんだ、お前さんの小隊長は!」

 

「あ、あはは、善処します」

 

 カイエが苦笑いをして、リアの肩を軽く叩く。

 

 それでも相変わらず、普段の苛烈な気概が消えたリアの様子に、アルドレヒトは気が削がれてしまった。

 

「たくっ、この事は、シンの野郎にがつんとぶつけてやる」

 

 アルドレヒトも、いつも機体の扱いについて優等生なカイエには強くは当たれず、怒りはもう一人の方に向ける事に決めた様だ。

 

「だが、シンの機体もそうだが。リア、お前の機体まで壊れたとなりゃ、補給まで全然、間に合わないぞ」

 

 それはまさしく切実な現実だ。

 彼が口うるさくなるのも、当然というものだろう。

 命を預ける機体を整備する者として、補修せず戦場に送り出すなどプライドが許せたものではないはずだ。

 

「私の分をシンに回してください。もう余り無理はしませんから」

 

 リアはカイエからもらったヘアゴムで、乱雑に髪をまとめ、そう答えた。

 戦死者の機体の部品を使う事に忌避はないが、クジョーの機体も完全に砕け散り、何一つ回収出来なかった。 

 となれば、優先順位を考えるべきだろう。

 

「私が前に出すぎたから……それにシンなら、十分対処可能だったから。だから……」

 

 そこにライデンがジャガーノートから飛び降りてきた。

 

「悪い、アルドレヒトのおっさん。今日はこいつちょっと思い詰めてる所があるみたいだからさ、この辺で」

 

「……ああ」

 

 ライデンに目配せされたカイエは、さっとリアの手を引いて歩き出す。

 

「さあ、行こう。リア」 

 

 

 夜の兵舎をぐるりと回ると、カイエとリアが世話をしている花壇がある。

 毎日の世話の成果はあってか、幾つかの花は綺麗な大輪を咲かせている。

 

 その中の一つを手折り、リアは胸に抱いた。

 花の名はウルフスベーン。

 リアのパーソナルネームであり、機体にも描かれている花だ。

 

 それを持って向かうのは、兵舎の前の草原。

 エイティシックスには墓標を作る事が許されていない。

 だから、この戦場が彼らの眠る地だ。

 

「クジョーは、リアの歌う歌が好きだったな」

 

「そうだったね……」

 

 カイエは、花をそっと草原に置いている友人を横目で見る。

 

「きっとまた歌ってあげれば、クジョーも喜ぶ事だろう。それにいつまでも暗い顔をしていたら勿体ないぞ」

 

「何が?」

 

「リアの笑顔がだ。私ももっと見てみたいな」

 

 普段日本人形の様に整った顔を、激情以外変化させる事が少ないリアだ。

 それは本人も自覚していた。

 

「……また、そんな事を臆面もなく」

 

 カイエという少女は突然、人を困惑させる突拍子もない事を言いだす事が多いのだ。

 リアとしては妙に気恥ずかしい。

 

「今夜は星が綺麗だな。こういう夜は皆と過すのが一番だ」

 

 確かに綺麗だ。

 以前見た流星雨ほどではないだろうが、流れ星の一つ位は見つけれそうだ。

 

「あ、流れ星!早く願い事を三回言わなくては、ほらリアも!」

 

 少し大袈裟な物言いは、カイエなりの気遣いなのだろう。

 いつまでも悔やんでいても、何も解決はしないのだ。

 それに悲しいのは私だけではないはずだ。

 彼女も他の仲間も同じ様に悲しんでいるのだ。

 

 いつまでも私だけがこうしているわけにもいかない。

 

「クジョーも、一緒に見ている事だろう」

 

 シンとの約束。

 きっとシンが、皆を行き着く所まで連れて行ってくれる。

 

 それがここに来て、私達の救いとなった。

 行ける所まで、行って見たいのは本心だ。

 

 それこそが、復讐となるのだから。

 

 でも、それ以外にも別の気持ちがある。

 行く所があるのなら、帰る場所もあっていいはずだ。

 今までの、そして彼らとの思い出が、かけがえのないものである様に。

 守りたい。

 

 きっといつか、あの子も帰ってこられる場所を。

 




 クジョーは囮役にて最適!
 ……いえ、毎度死に方が違うクジョーさん、ホントすみません。

 救難信号は適当すぎるかもしれませんね。
 死に設定になりそうです。

 やぱっりガメラ2に引きずられる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 一時の晴れ間

 

 本日は晴れ、晴天なり。

 

 的中率100%の予報を受け、スピアヘッド戦隊員は休息を取っていた。

 リアは水が入ったじょうろを持ち、花に水をやっている。

 今日は当番はない為、余暇を楽しむ余裕が生まれていた。

 

 少し森まで足を伸ばし、珍しい植物でも探してみようか。

 そんな事を考えていた所。

 声を掛けられる。

 

「リア、こっちの洗濯物を運ぶの手伝ってくれる?」

 

 アンジュが両手に抱え持つ洗濯物を、少し掲げていた。

 後ろには女子隊員全員が同じように分担して、洗濯物を持っている。

 カイエがやって来て、リアの手からじょうろを受け取った。

 

「いいけど、全員で行くの?」

 

 リアが不思議がると、カイエはうむ、と頷いてくる。

 

「そうだ。もうシンの許可はもらったからな」

 

 アンジュが一番大きな洗濯物が入った袋を、リアに預けてきた。

 戦隊腕相撲ランキング一位のリアにとって、なんら負担ではない。

 負担ではないが。

 果たして、全員で運ぶ必要性はあるのだろうか。

 

「行こ、行こ!」

 

 クレナは待ち切れない子供の様な表情だ。

 

「そういう事だ」

 

「そういう事、そういう事!」

 

 そして、リアはミクリとマイナに、ぐいぐいと背中を押され初めた。

 

「え、どういう事!?」

 

 察しの悪いリアは困惑したまま、女子総勢七名で河原に向かう事となったのである。

 

 

 河原につくと、いつもの洗濯場でさっそく洗濯を始める。

 部隊員全員分の洗濯物ともなれば大量だ。

 だが、七名もいればあっという間に終わってしまう。

 

 ただ、一人。

 リアだけは、絶対に洗濯物を洗う係りにはさせてもらえなかったが。

 前に軽く擦ったつもりが、ライデンの服を破いた過去があるからだ。

 決してわざとではない。

 

「「「終わったーっ!!!」」」

 

 そして全員で、面倒事は終わったとばかり万歳。

 当然、その後の時間が目的だったわけで。

 

 すぐに、上着を脱ぐと浅瀬に飛び込んだ。

 

 水は透き通っていて、底を見通せるほど。

 たまに釣りをして、川魚を食事の足しに出来る程の清涼な川だ。

 これも、この場所でしか味わえない良い所だと言えよう。

 

「気持ちいぃー!!」

 

 クレナが濡れるのに構わず、水をばしゃばしゃと跳ね上げる。

 それが、横にいるレッカに掛かり、すぐに応酬が始まった。

 

「やったなー」

 

「それ!」

 

 陽光に煌めく水滴と、女子たちの矯声を聞きながら、カイエは目を細める。

 まさに、この世の天国だなぁ。

 ……特に、男子たちにとっては。

 

 などとぼんやりしながら、隣の浅瀬に立つリアを見る。

 リアはタンクトップ姿で、クレナと同じくらいの豊満な谷間をカイエに見せつけている。

 いや、偶然見えているだけだが。

 到底、自分よりも年が二つも下とは思えない。

 

「じー……」

 

 無意識に声が出ているリアは、腰を屈めているからだ。

 視線の先は、ヤマメだろうか、ゆらゆらと泳いでいる川魚。

 リアの手が一瞬、煌めくと掻き消える。

 

 再び見えたその手には、魚が乗っていて、すぐに逃がさない様に岩場に放り上げる

 目にも止まらぬ早業だった。

 

「さすが、山猫」

 

 部隊内で呼ばれている渾名を、カイエは口にする。

 

「わお。やるう」

 

 近くで見ていたアンジュも驚くが、うーんと悩む声を上げた。

 

「でも、一匹だけというのも不公平よね。全員分は無理かしら」

 

「やれない事はないわよ」

 

 ふふん、と自慢げに鼻を鳴らすリアである。

 だが、別に手持ちぶたさでやっただけで、魚が欲しいわけではない。

 朝食を食べた後だし、お腹が減っているわけではないのだ。

 

「今日は食事当番ではないのだからやめておこう。こいつは逃がしてやるとするか。武士の情けというものだ」

 

 カイエはそっと魚を、川に戻してやった。  

 すると、ざぶんといきなり水しぶきが大量に降りかかってきた。

 主にリアに降りかかり、カイエも幾らか被害を被る。

 まさか、魚がやったわけでもあるまい。

 

「リアー、ごめん!!」

 

 クレナが両手を合わせた姿で、謝ってきている。 

 でも、隣のマイヤとレッカがにやにやしてる所を見ると、わざとかもしれない。

 運動能力が高いリアがいると面白いから、遊びに誘ったのだろう。

 

 しかし、リアはというと、長い髪が顔に張り付き、幽鬼の様なひどい有様だ。 

 ぷるぷると体を震わし、拳を握りしめている。

 

「クーレーナー! そこになおれ!!」

 

 リアは一足飛びで、クレナ達に飛び掛かっていった。

 その表情は明るく、笑顔だ。

 前と比べるとよく笑う様になったなあ、とカイエは思い、笑みを零した。

 リアは半ば津波の様な水を、クレナに浴びせ始める。

 

「リア、ちょっと、ぎぶぎぶだってばあ!」

 

 さすがに参ったのかクレナは、すぐに降伏を宣言する。

 

「カイエー!見てないで助けてよー!」

 

 援護に入ったレッカとミクリ、マイナだが、それでもなお劣勢だ。

 

「残念だが、リアに喧嘩を売る方が悪い、骨は拾ってやろう」

 

 合唱したカイエに、アンジュがくすりと笑う。

 

「リアちゃん、戦隊でも上位の格闘能力だものね」

 

 さすがにシンには負けるが。

 シン曰く、直線的で動きを読みやすいとの事だ。

 もっと、頭を使えとよく言われている。

 

「確か、今の所ライデンと五分五分だったかな?」

 

「最近、喧嘩する事も少なくなったけどね」

 

 最初の頃は、リアはよくライデンに突っかかっていたものだ。

 自分をもっと前線に出せとの要望だが、シンから隊の指揮を任される事が多いライデンは、許可を出さなかったのだ。

 突撃する馬鹿は一人で十分だ、との事らしい。

 

「まあ、リアがウルフスベーンで、ライデンがヴェアヴォルフだからなあ、致し方ないのかもな」

 

 ウルフスベーン、別名トリカブト。

 狼を殺すほどの毒を持つという逸話がある花だ。

 

 以前、シンから借りた植物図鑑で、その記述を見つけた時、全員が納得し、爆笑した思い出がある。

 

「あら、でもダイヤ君とは仲が悪いわけじゃないわよ」

 

「はて、狼と犬を同じに見てもいいものだろうか……」

 

 カイエとアンジュは、顔を見合わせて笑った。

 

「「クッシュン!」」

 

 まさか同時刻、別々の場所で二人がくしゃみをしていたなど、誰も永遠に知る事はない。

 

 さて、一遊びすると今度は雑談にと、女子たちの興味は移っていった。

 食事の話から、石鹸の匂いの話、果ては、好みの男性のタイプへと。

 女三人いれば姦しいというが、色恋の話となると特にだ。

 

「そんなに悪い奴じゃないんだよねー。あの鉄面隊長も」

 

 レッカがクレナに向けて、にやにやとした表情を浮かべる。

 

「ごめんねぇ気が回らなくて。あんたもシンも当番ないんだから、口実作って二人にしてあげればよかったわよねー」

 

「ち、ちがうもん。私、別にそんなんじゃないもん!!」

 

 鉄板ネタのクレナからかいを、我先にと女子たちは行う。

 

「でも、シンの方は、何考えてるかわからないよねえ」

 

 果たしてクレナの努力は実るのかが疑わしく、曖昧な表情をレッカは浮かべるしかない。

 

「そういえば、最初リアの事をアリスって呼ぼうとしたら、珍しくシンが反対してたよね」

 

「ああ……もしかして、昔の彼女とか!」

 

「えっ!?」

 

 マイヤがもろに衝撃を受けているクレナに、挑発的な笑みを向ける。

 

「なに、クレナ、気になるのー?」

 

「いや、それは!……そのごにょごにょ……」

 

 頬を赤くし、指を引っ付け離しするクレナを見た者は、ほぼ全員同じ感想であった。

 

「「「「「クレナ、かっわいいー!」」」」」

 

 リアだけ少しきょとんとした表情で、首を傾げていたが。

 その姿に気づいたアンジュが、声を掛ける。

 

「ちなみにリアちゃんは、誰か気になる人はいないの?」

 

「気になる……」

 

 リアは困ったように、眉根を寄せた。

 こういう話題はこの隊に来るまで、誰かと話をした事も、考えた事すらない。

 到底そんな余裕はなかったとも言えるけれども。

 それに、もうそういうのは……。

 

「ライデンとか? 喧嘩するほど仲が良いって言うし!」

 

「えぇー、あのキザ男~?」

 

「ない、……絶っ対ない」

 

 リアが心底本気で嫌そうな表情を浮かべ、全く脈はないなというのは全員の共通認識となった。

 またもや、クシャミをする者がいたが、これもまた関係ない話である。

 

「そういえば、前に幼馴染を探してるって聞いたけど、その人の事?」

 

 レッカが隊が編成された時、リアが皆に訊いて回っていた事を思い出した。

 

「ううん……あの子は……」

 

 リアが視線を落とし、聞いてはいけない事を聞いてしまった事をレッカは悟った。

 こういう事はよくある話で、部隊内でも珍しくもない。

 でも、まだリアは受け入れる事が出来ていないのだと、皆わかっていた。

 

 そこにカイエが、リアに後ろから飛びつき、お腹に手を回し撫でまわす。

 

「うひゃい!」

 

「おお、相変わらずリアの腹筋は素晴らしいな」

 

 見事にシックスパックに割れた腹筋を、カイエは遠慮なく撫でまわす。

 別にリアは、筋トレをしているわけでもないが、元々こうなのだ。

 とはいっても決して筋骨隆々というわけでもなく、出る所は出て引き締まっている健康的な体つきだ。

 

「や、やめてって! カイエ~!」

 

「お、こうか。よいではないか~、よいではないか~」

 

 くんずほぐれつする二人は全身を絡め、先ほどの雰囲気は霧散していった。

 

「くすっ……ほんと、仲が良いよね、カイエとリア」

 

 上手く場をほぐしてくれたカイエに、クレナは感謝しながら呟く。

 

「もし男子たちが見てたら、泣いて喜ぶんじゃない?」

 

 カイエの攻撃で、胸元近くまで服が捲れ上がっているリアの姿は、女子の目から見ても艶かしかった。

 

 

 で、実はそれを見ている三つの男子の視線。

 茂みに潜むのはハルト、セオ、ダイヤの三人だ。

 

「ないない、あんなの見て喜ぶなんてクジョーくらいなもんでしょ」

 

「そうそう、クジョーの奴、何が歌姫だよ。あんなの、山猫じゃなくて山ゴリラじゃん」

 

「さすが、素手で自走地雷を破壊する女……」

 

「俺なんてこの前、ちょっと花壇の花折っちゃたらさ、アイアンクローで宙吊りだぜ」

 

 ハルトはその時の事を思い出したのか、青い顔をしている。

 

「うわ、女子にアイアンクローで宙吊りなんて、おそらく人類初でしょ」

 

「お前らなあ、ちょっと静かにしろぉ」

 

 目線を一切逸らそうともしないダイヤが、二人にうるさいぞとばかり注意をする。

 さっきまで一番、覗きに反対していたはずなのだが。

 なんだが、無性にむかついてくる。

 

「目標多数、構え」

 

「撃てぇ」

 

 目配せしたセオとハルトにより、ダイヤは生贄となった。 

 普段拳銃を持ち歩かないリア以外、女子がすぐさま物音に対し、拳銃を構える。 

 

「ちょ、嘘。ま、待って……」

 

「ダイヤーくーん……?」

 

「あ、あはは、アンジュ。カオガコワイヨ」

 

 こってりしぼられるだろう戦友を見捨て、ハルトとセオは身を顰める。

 だが、すぐさま発見される事となった。

 あっと言う間に回り込んだリアによって、二人は捕まえられたのだ。

 

「むが、むががああ!」

 

「むあ、むむわわあ!」

 

 リアが、二人をがっしと捕まえ、アイアンクローで宙吊りにしている。

 女子にしては背の高いリアがすると、二人はまるで、じたばたと蠢く蜘蛛のようで哀れだ。

 全く同情する謂れはないが。

 こうして二人は、見事女子に同時にアイアンクローで宙づりにされる人類初となったのであった。

 

「で、なんの用なのだ?」

 

 何を言っているかわからない二人は無視し、カイエはダイヤに質問をする事にした。

 

「予報が変わったって」

 

 すぐさま全員の表情が変わる。

 一時の晴れ間が終わりを告げるのだった

 

 損害報告 スピアヘッド戦隊 戦死者0名。

 




ヒロイン紹介みたいなものです。

あと、すみません。
戦闘シーンを書くのは苦手なので、必要なければカットで。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 決めた生き方

 

 戦闘が終了した日、あるいはない日はスピアヘッド戦隊は暇である。

 今日はいつも通り、夕食後、自由な余暇の時間を、各々楽しんでいる。

 特に格納庫前の広場では、射的大会で大いに盛り上がっていた。

 

 カイエは標準的な点数を出し、ライデンが全弾命中させる。

 しかし、本当の天才はいるものだ。

 

「「「うお、すげえええっ!」」」

 

 クレナが神業な射撃を繰り広げ、歓声が上がる。

 ファイドも殊更、射撃の的となる缶を奇抜に積み上げている。

 

「次、誰だっけ?」

 

「じゃあ、私」

 

 ハルトが何の考えもなしに振ると、答える声があった。

 リアがハルトが持っていた拳銃を奪い取り、構える。

 

「バカ野郎、リアに持たせんじゃねえっ!!」

 

 ライデンの顔が引き攣った。

 リアの射撃の腕を知る者は、というか全員。

 蜘蛛の子を散らすように、逃げようとする。

 

「死にたくなきゃ、取り押さえろッ!」

 

「「了解!」」

 

 何故か、自分の方に飛んできそうな嫌な予感を覚えたライデンは、覚悟を決めた。

 その死地に、付き従う者が数名。

 

「んーっ……」

 

 周りなど意に返さず、集中しているリアである。

 しかし、腕や体に飛びつかれ、銃口を上に持ち上げられると、抗議の声を上げた。

 

「ちょっと、私だって練習したいんだけど!」

 

「なら、この先10キロほど進んだ先で一人でやれ!」

 

 ライデンが叫ぶも、リアはむう、と嫌そうに拘束を振りほどこうとする。

 

「うお、何この怪力!」

 

「あ、危ないって……!」

 

「うげっ」

 

 リアは、拳銃を抑えていたセオを気遣う。

 だが、軽く振ったつもりの銃床が顎にクリーンヒットしたセオは、膝から崩れ落ちた。

 

「セオおおおぉっ!!」

 

 そこに、カイエがやれやれとした顔で近づく。

 

「全く、何をみなしてやっているのか」

 

 カイエは、セオが抜けた穴を埋め、簡単にリアの腕を取ると、関節を決めてしまった。

 銃口を空に向ける様にして、肩をがっしと抑える。

 

「リアー、落ち着こうな。以前拳銃は持たないと約束したろー」

 

「か、カイエ、タップタップ!!」

 

 痛みを訴えるリアだが、カイエがその手を緩めることはない。

 

「どうだまいったか。極東に伝わりし我がじゅーじゅつの腕前は」

 

「わ、わかったから!」

 

 冷や汗が浮かんできたリアを見て、カイエも腕を緩めてやる事にした。

 

「流石、猛獣使いだぜ」

 

 余計な一言を言ったライデンには、リアの蹴りが命中する。

 

「あだっ」

 

 そこでライデンの声と同時に、銃声が響いた。

 見ると、的が全部綺麗サッパリ撃ち落とされている。

 シンが面倒くさそうな顔で、さっさと争いの火種を消したのだった。

 

『戦隊各員、今よろしいですか?』

 

 そこに突然、レイドデバイスが起動し、パラレイドの通信が入る。

 最近、交代したハンドラーの、毎夜続いている定時連絡だ。

 

「っ……!」

 

 文字通りリアの毛が逆だった。

 関節を決めたままのカイエを、そのまま上にかち上げ、つい指に力を入れてしまう。

 

 一発、明後日の空に向けて、発射されてしまった。

 

『っ、今、銃声が聞こえませんでしたか!?でも、レギオンの反応は……!?』

 

 エイティシックスは、銃器の所持を禁止されている。

 もし、ばれたら少し面倒な事になるのだ。

 どうやらハンドラーは、勘違いしてくれている様だが。

 

 そしてシンが冷静な口調で、嘘をついた。

 

『いえ、ブラックドックがフライパンを落としたんです』

 

『あ、すみません、お食事の最中でしたか』

 

『いえ、もう片付けの最中なので、お構いなく』

 

 ダイヤが、俺ぇという感じで自分を指さしているが、どうやらうまく誤魔化せた様だ。 

 

「……ごめん」

 

 リアは皆に頭を下げて、逃げるようにその場を後にした。

 

 

 カイエが、その後を追いかけてくる。

 リアは、いつもの花壇の傍で立ち尽くすように、立っていた。

 極東黒種のカイエよりもなお黒い、夜黒種のリアの姿は黒い影の中にいる。

 その髪も瞳も、目を凝らさないと見失ってしまいそうだ。

 

「どうして、皆は耐えられるの? あんな奴に……まるで、今まで何もなかったかの様に声を掛けてくる奴に」

 

 リアは唇を噛み締め、ぎゅっと拳を握っている。

 

「うん……別に耐えているわけではないのだよ、リア」

 

 カイエは、リアから視線を外し、夜空を見上げて言葉を続けた。

 

「私達は決めただろう? 彼らにされた様に、彼らと同じ様にはならないと」

 

 そうだ。

 この隊に来た時に一緒に話し合ったのだ。 

 どう生きるのか、と。

 そういう生き方もあるのだと、衝撃を受けた事を今でも忘れていない。

 

「だから、皆との大切な時間を削ってでも、あいつの相手をしてあげるって?」

 

 自分の生き方を、考え方を変えられる事はわかった。

 でもだからといって、懇切丁寧に相手に合わせてまでやる必要はないはずだ。

 

「そう、だな。何と表現したらいいか今は思いつかないが、そう。彼女はきっと悪い人ではないのだよ」

 

「……」

 

「私は興味が湧くのだよ。彼女が何を考え、私達にそんな風に振舞おうと考えたのか」

  

 特にハンドラーと会話する事が多いカイエは。そんな事を考えていたのか。

 でもきっと、他の多くの者は暇つぶしだと考えているはずだ。

 そう受け止められていたら楽だったろう。

 でも、リアにとっては耐え難い苦痛でしかなかった。

 

「私、まだカイエみたいに……皆みたいにはなれそうにもない……」

 

 唇を噛み締めたリアは、俯いた。

 これは、そうと決めた事に対する、皆への裏切りだ。

 死んでいった仲間が秘めていた想いを汚す行為だ。 

 

「リアはそれでいいと思う」

 

 だが、帰ってきたカイエの返答は優しい声だった。

 

「アルバの全員が悪人ばかりでなかったように、エイティシックスの全員が必ずしも善人ではなかったように」

 

 一番その事をよくわかっているカイエが、その事を語る。

 

「だから、私達スピアヘッド戦隊の中でも、彼らにされた事を決して許さない……いや戦う理由が違う者がいてもいいと、私は思う」

 

「……ありがとう」

 

 そしてカイエは苦笑して、一声付け加える。

 

「でも、彼女一人のせいという訳でも、アルバの中の全員が悪いわけではないと、リアもわかってはいるんだろう?」

 

「それは……でも、私が出会った人は全員クズだったわ…………私も含めて」

 

 復讐を誓った人は大勢いる。

 でも、本当はそいつらの顔も、声ももう覚えていない。

 記憶に残るのは銀髪銀瞳の人間。それから同じエイティシックスの大人達。

 覚えているのはそれだけだ。

 

 唯一、はっきりとわかるの自分の顔だけ。

 

 復讐する対象が、意味が本当はわからない。

 でも、それがリアにとって生きる意味となっていた。

 そうでなければ、生き残る事は出来なかったのだ。

 それさえも失ってしまったら、何が残る。

 

 あいつらに復讐出来るのなら、いっそレギオンに……

 

「リア……それだけは駄目だ」

 

 カイエはこちらの考えを察したように、否定してきた。

 そんなに長い付き合いでもないはずなのに、どうしてこの少女はこうも自分の気持ちが手に取る様にわかるのだろうか。

 

「リアが持っているものは、私はそれだけではないと、知っているよ」

 

 月明りがカイエを照らした。

 影の中に取り残されているのはリアだけ。

 

 そこにカイエがゆっくりと手を伸ばしてきた。

 リアは導かれるように、カイエに手を伸ばす。

 

 帰る場所を守りたい。

 

 一度だけ吐露した想いを、カイエは覚えてくれているのだろう。

 

「……もう、大丈夫。いつもありがと、カイエ」

 

「それは言わない約束だ」

 

 カイエは戯ける様に言い、リアの手を取った。

 

 彼女が、皆がいればまだ、私は戦える。

 ここにいよう。

 行き着く先まで、皆と一緒に行こう。

 

 私の生き方はそれからだ。

 

 リアはカイエに手を引かれ、月明かりの下に戻った。

 




うーん、いつになったら主人公は出てくるのでしょうか。

いやー書いてて、もう主人公の出る幕なさそうですね。
神無月の巫女みたいな。
EDしか見たことないですが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 最終的解決

「信っじられない!」

 

 レーナが机にずしんと、音を立てて書類の山を叩きつけた。

 振動で紅茶が入ったカップが揺れ動き、慌ててアネットが手を伸ばす。

 

「ちょっと、レーナ。落ち着きなって」

 

「これを読んで、落ち着いてなんていられるわけがないでしょう!」

 

 レーナは再び、ばんばんと書類の山を叩く。

 アネットが興味なさそうに、視線を下に向けた。

 

 書類の山は、最近発行された軍の機密書類の一部だ。

 題名は、"戦後 86区の劣等種たるエイティシックスの最終的解決"

 発案者 ディミトリ・クロード中将 以下、共同発案者 リードルフ・シュタット少佐。

 

 シュタット財閥の一人息子。

 アネットがお坊ちゃんの名前を思い出し、レーナに伝えたのが数日前。

 

 そこで、本人に会う前に少し情報収集をしようとレーナが動いたのだ。

 そして、少佐としての権限で、この書類を見つけてしまったのが運の尽き。

 アネットは、お人好しな親友の騒動に付き合わされる羽目となったのであった。

 

「これも、これも、これも!」

 

 レーナは書類の山を、次々にと捲る。

 

 そのほとんどに発案者、もしくは共同発案者として、彼の名前が存在する。 

 そして、一々確認するのが面倒なほど、題名の趣旨はほとんど同じ。

 アルバの称賛、そしてエイティシックスの対処についてだ。

 

「これは同じ共和国市民であるはずの、国の為に戦ってくれている彼らを裏切る行為だわ」

 

 特に一番上の書類の内容はレーナにとって、当然許容出来るものではなかった。

 

「86区の解体……!」

 

 86区は前線とグラン・ミュールに挟まれる形で存在する。

 エイティシックスを集める目的で、作られた場所。

 強制収容所だ。

 

 それを解体するという事は、彼らを解放するという事ではない。

 彼らを……この世から消滅させるという事だ。

 つまり、国を挙げての虐殺。

 

「5年間の兵役で、市民権を手に入れたエイティシックスも、その家族も大勢いるはずなのに。彼らが何て思うか……」

 

 レーナはぎゅっと唇を噛み締める。

 

「だって終戦まであと二年でしょ?……そろそろ、そういう事を考える輩も現れると思ってたけど。なんというか、うちの国らしいわね」

 

 アネットは、気だるげに紅茶をすすった。

 斜め読みしただけでも、あまり気持ちの良い内容ではなかったからだ。

 それがエイティシックスという、人以下の存在とされる彼らが対象でもあってもだ。

 

 前線にて今なお戦い、高い戦闘技術を身に着けたエイティシックス。

 強制収容所内で、派閥を形成し、徒党を組んだエイティシックス。

 どれも、少年少女といっていい若者たち。

 

 そんな彼らは二年後、レギオンの停止した後どうなるのか。

 彼らを我々は、どう処理すべきなのか。

 この意見書は、それを問い掛けてきていた。

 

 彼らが素直に武器を放棄し、投降してくるのか。

 例え、共和国との間に地雷原と迎撃砲があるとはいえ、我々は安心出来るのか。

 もし、戦後、我々の末裔がこの所業を発見した際、何を歴史に残すのか。

 

 だからこその 86区の解体。

 

 エイティシックスを分離し、抵抗する機運を削ぎ、我ら高潔なるアルバの血が一滴でも流れる事無きよう、エイティシックスを少しずつ、最終目的地まで移送するのだ。

 

 表現を解体など、最終などと、誤魔化してはいるが、何を意図しているかは明白だった。

 

「それにグラン・ミュールの爆破ねぇ」

 

 エイティシックの強制労働によって建てられた壁を、彼らの子らによって、破壊させようとする趣旨だ。

 グラン・ミュールにはエイティシックによって建造された際、彼らの生きた証があちこちに刻まれている。

 証拠隠滅の為の爆破処理。

 その爆発物取付作業をエイティシックスの子供達にやらせようというのだ。

 

「知識も技術もない彼らにそんな事をさせたら、どれだけ犠牲者が出るか……それに処理範囲によっては86区にも被害が出るわ。一体何を考えていたらこんな事を……」

 

「私としたら、景観の邪魔だから賛成なんだけど。まぁ、だから、その前に彼らを移送しようって話でしょ。行き先は最終目的地……じゃなくて監獄だけど」

 

「監獄って……彼らは犯罪者じゃないわ!」

 

 憤慨して拳を握り締めるレーナに対し、アネットは冷めた口調だ。 

 

「国家がそうと決めたら、白も黒となるのよ、レーナ。あのお坊ちゃんも、監獄建設の為にわざわざ自分が持ってる第三区の土地を供与するって、大判ぶるまいよね。ほんっと金持ちって嫌い」

 

 書類によると、監獄の着工予定は来月。

 つまり、この狂った計画はすでに承認されているという事だった。

 

「間違ってるわ。こんな計画、今すぐ止めなくちゃ……ジェローム叔父様に」

 

「無駄、発案者に中将の名前があるのよ。軍の規律は絶対。一応言っておくけどレーナもその対象内なんだからね」

 

 レーナは立ち上がり掛けていた体を、すとんと椅子に戻した。

 

「頼るならレーナのおば様の方じゃないの。で、その伝手でお坊ちゃんに求婚を申し込むのよ」

 

「何でそうなるのよ……?」

 

 レーナは睨むように、アネットの方を向く。

 何を言っているのか。

 お見合いを繰り広げていたのはアネットの方ではないか。

 

「それで、この私が結婚してあげるんだから、あの計画を中止して~、って懇願するの」

 

「は、はあ!?そんな事するわけないじゃないっ!第一、結婚は……そんな条件なんかでするものじゃないわ!」

 

 顔を赤くしたレーナは首をぶんぶんと振る。

 

「それに私なんかじゃ……」

 

 あまり男性経験がない事は、自分でも自覚している。

 他の少女達が青春を謳歌している中、自分は士官学校の道を進んだのだ。

 

 だから、パーティーに行っても、何を話題にしたらいいのかわからない。

 軍事関連の話題であれば、幾らでも話せるのだが、おそらくほとんどの男性は興味がないだろう。

 だから、最近はスピアヘッド戦隊の皆との方が、会話が弾んでいるほどである。

 

「何言ってるのよ。レーナはもっと自分を見るべきよ」

 

 彼女が謙遜するくらいだと、今だ結婚出来ていない私はどうなるのだろうかと、アネットは頭が痛くなった。

 全く、何度レーナに好意を伝える伝書鳩役を頼まれた事か。

 

「それに、もっと自分を大事にすべきだわ。ちゃんと休暇を取ってる? 若さに頼ってると後で痛い目見るわよ」

 

「わ、わかってるわよ」

 

 レーナは自分の髪を何度も撫でた。

 そういえば、最近スピアヘッド戦隊の為に、詳細な地図情報を送ったり、戦術予報を立てたりと立て続けに夜更かしをしてしまっていた。

 実は以前より、枝毛が増えた様な気がしている。

 

「でも、結局はそういう事なのよ」

 

「何が?」

 

 アネットが突然脈絡なく、話題を振った。

 

「本気で計画を止めたいのなら、すでになりふり構わず行動してるはずでしょ。ね、結局はレーナも他人事なのよ」

 

「それは……」

 

 レーナは押し黙るしかなかった。

 本当に止めたいのなら、思いつく事は幾らでもあるのだ。

 

 広場やテレビで演説してもいい、士官会議で上官に盾ついてもいい。

 ビラを配り、反政府組織としての活動を始めるのはどうだろうか。

 

 でも、そんな事で今更、人々の意識が変わるわけもなく、全てが徒労に終わる可能性が高い。

 そして、結局は行動する事が出来ていない。

 今の自分の立場を、地位をかなぐり捨てての行動は……取れない。

 

 これでは、偽善と言われても仕方ない、とレーナは今自覚してしまった。

 

「じゃあ、お坊ちゃんに会うだけ会ってみる? 今日は来てるんじゃない? ハンドラーやめたから、技術部に来るとかいう話があるくらいだし」

 

「ハンドラーから、技術部に?」

 

「そ、むかつく事に、あのお坊ちゃん天才の部類だから。レーナが抜かすまで最年少少佐昇進記録を持ってたし」

 

「そうだったの?」

 

 レーナの記憶にはない。

 年も離れているし、士官学校でも顔を合わせる事はなかっただろう。

 

「もっとエイティシックス以外にも興味持ちなって。そういえば以前、パラレイドの同調が甘いとか言われた時には、引っ張叩きたくなったくらいだわ。顔に比べて可愛くないったら。研究部配属じゃなくて安心したくらいよ」

 

 前に軍のデータでの写真をアネットに見せてもらった事を思い出す。

 年の割に、まだ幼そうな印象を持つ人だったが。

 あの可愛げのある顔で、こんな残酷な事を考えているなど到底信じられない。

 

 なら、前に聞いた迎撃砲によるマルグリット隊壊滅の真実は……。

 

 迎撃砲は今の所、レーナは使用した事はない。

 スピアヘッド戦隊でも使用すべき場面は何度もあったが、その度に使用申請は却下されたのだ。

 どうやら他のハンドラーの間でもそうらしい。

 

 なんでもシステムエラーの原因が、突き止められるまで使用厳禁となっているのだ。

 でも、もし、シュタット少佐が犯人だとしたら

 彼がその残忍な意図を技術をもって、迎撃砲を不正使用したのだとしたら……。

 

「で、会うの?会わないの?」

 

 アネットが急かす様に言ってくるが、レーラは首を振った。

 会っても恐らく、気分を害するだけだろう。

 きっと、彼も堕落してしまった共和国軍人と変わらない、いやもっとひどいかもしれない。

 そんな事に時間を浪費するくらいなら、他の事で有意義に使いたい。

 

「顔を合わせたくもないわ」

 

 アネットは予想していたのだろう。

 そう、と言ったきり、この話題は終了となった。

 

「そういえば、あの管制コンソールのシステム担当者について調べてくれた?」

 

 レーナは以前、アネットに頼んでいた事を口に出す。

 もしかしたら、自分の同じ想いを抱いてくれているかもしれない。

 その人物と接触してみたいと考えていた。

 

「調べておいたわよ。ちゃんとディナー奢ってよね」

 

「はいはい、わかってるから」

 

 PCに向かったアネットを急かす様に、レーナが背中を押す。

 

「え~と、元々、あのシステムの製造元はエール……長いわね、略すとAIC社。元々、戦前は航空機産業でパイロット養成システムを作ってた会社ね」

 

 資料を捲っていくと九年前の当時の、企業名が表示される。

 

「きっと戦時特別法で、うちと同じように民間から軍部に徴収された口ね。あ、でもほら、代表者名が削除されてる。エイティシックスだったんだわ」

 

「じゃあ、今も軍内部に?」

 

「ううん、七年前に記録の更新はストップしてるし、登録も削除されてるわね。とっくの昔に民営化されたんだわ。どこも予算の削減で軍縮気運だから」

 

 アネットがスクロールする記録は簡易なもので、それぐらいの情報しかわからなかった。

 もっと詳細なデータもあるはずなのだが、管理が杜撰な軍部がデータのゴミの中に埋もれさせてしまったのだろう。

 

「軍縮って……そんな。プロセッサーの管制は最も優先されるべきものだわ」

 

「別にエイティシックスの為になる事なんて、誰もしやしないわよ」

 

 呆れて物が言えないレーナであった。

 どこまで私達は愚かなのだろうか。

 しかし、そうだとしたら疑問が湧く。

 

「じゃあ、システム更新は?誰かがやっているはずよ。私がハンドラーを始めてからも何度か改良されているもの」

 

 詳細な位置情報や、地図の表示機能もその一部だ。

 そのお陰で、先日の戦いでも部隊員の命を救えた場面もあったのだから。

 

「メンテナンスは技術部が受け持っているみたいよ。でも大量の補修部品の在庫が残っているだけで、当時の技術者なんてもういないんじゃない?」

 

「じゃあ、その会社の人と連絡は……?」

 

 アネットはレーナの疑問に、首をすくめた。

 

「デジタルが残ってないなら、それを当たってみるしかないんじゃない」

 

 アネットが指さしたのは机の上の紙の束。

 レーナ曰く、ヤギのエサにしかならない物を指さしていた。

 

 

 

 

「え~、ですがミリーゼ少佐殿。何度も申し上げますが、調べ様がないと言いますか……」

 

 気弱そうな若い伍長が、レーナの前で言い訳を繰り広げている。

 

 場所は、軍内部の書庫管理部。

 戦時下、巨大な行政機能を軍部に召集すべく、大量の書類をこの場所に移動させたのだ。

 しかし、させただけであって、管理も運用もされていないのが実情である。

 

 レーナが求める書類はここにあるはずなのだが。

 

「いえ、その……せめてその企業の管理番号でもあれば探しようもあるのですが……」

 

 レーナの目線にびくつく様に、伍長は身を屈めている。

 他の隊員はレーナの事など、ほったらかしで雑談に興じている始末。

 壁際の男女に至っては、レーナが居た堪れないほどの、距離感で囁きあっている。

 つまり、この伍長は貧乏くじを引かされたのだろう。

 

「では、案内して下さい。私が探しますから」

 

「……本気ですか?」

 

「ええ」

 

 きっぱりと言い切った言葉をレーナは、後悔する事となった。

 

 伍長に嫌そうに案内されたのは巨大な書庫間。

 ジャガーノートが裕に10機は入りそうな空間が広がっていた。

 その中には、書類。山の様な書類。

 すべてが乱雑に積み込まれ、今にも崩れてきそうだ。

 

 思わずレーナの唇がひくひくと、引き攣った。

 

 

 

「これ、ランチやディナー所の話じゃないんだけどー」

 

 困った時の親友だ。

 結局、一週間分の食事を、レーナの給料が吹き飛ぶくらいのお礼をする条件でアネットの手伝いを得る事となった。

 

「本当にこの中にあるの? もう諦めたら?」

 

 捜索開始からすでに三日目。

 探すというよりは、すでに書類を無闇に放り投げているアネットが投げやりに言った。

 

「きっと彼らを助けようとする人達だわ。それで秘密裏に……」

 

「聞いてない……って、あった」

 

 放り投げようとした書類が、まさにレーナが求めるものであったのだ。

 

「本当!」

 

 がっしとレーナがにじり寄ると、アネットの手から資料を奪い取る。

 

「これでもっと彼らの手助けになれる……!」

 

 蜘蛛の巣を帽子に貼り付けたままのレーナは、書庫係の伍長のもとに、走り戻った。

 置いてきたアネットの事などすでに頭にない。

 伍長、心底信じられないものを見る目を浮かべながら、書類をレーナから受け取った。

 

「えっと今、調べますから……」

 

 レーナの落ち着かない身動ぎに、冷や汗を書きながら伍長は、PCに番号を打ち込んだ。

 

「AIC社は、六年前に倒産してますね」

 

「倒産っ……!?」

 

 レーナはショックを受けた。

 何だったのだろうか私の苦労と、これから消えゆく給料は。

 

「あ、でも」

 

 そこで伍長の言葉が、遠慮がちに上がった。

 

「別の企業が事業を引き継いでますね」

 

「本当ですか!?」

 

 レーナは思わず身を乗り出して、デスクのPCを覗き込んだ。

 いきなりレーナが近づいた事により、伍長の顔が赤くなる。

 もっと自分を気にしろというアネットの指摘は正しい。

 

「ヴァンデュラム株主会社……代表者、ベクター・ランドル……所在地84区……」

 

 レーナは声に出してゆっくりと読んでいく。

 

「主な事業目的は、児童用遊戯道具作成……」

 

 一瞬、頭がフリーズしてしまった。

 今、一体何が書いてあった?

 

「つまり……そのおもちゃ、です」

 

 伍長が真っ赤な顔で告げてきた。

 

 そこでレーナも自分がはしたない格好をしていた事にようやく思い至った。

 

 姿勢を正すも、心の中までは戻らない。

 溜息も出したくなるというものだ。

 

 レーナは呆れ果てる他なかった。

 この国は本当に終わっている。

 あれほどの技術を持っていた企業が、よりによっておもちゃとは。

 まさか、おもちゃ会社が今もシステム改良を続けているわでもあるまい。

 

「お疲れ様」

 

 肩を叩くアネットの顔が、何故か今は憎たらしかった。

 




文章を切るタイミング悪かったので長くなりました。
独自設定のほどは、お目溢しをお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 仕事中毒

 レーナがアネットへのおごりで、財布がだいぶ軽くなった数日後。

 夜の自室にて。

 日課となったプロセッサー達との定時連絡の為、パラレイドを起動した。

 

『――に刻む、本当の世界で……っ!!』

 

 聞こえてきたのは女性の歌声。

 それも透き通った、胸の奥に響く、本当に――綺麗な声だった。

 その歌が、ぷつりと止んでしまう。

 

『戦隊各位、今日もお疲れ様でした』

 

『お疲れ様です。ハンドラー・ワン』

 

 アンダーテイカーがいつも通り、最初に応じてくれる。

 しかし、歌が再び聞こえてくる事はない。

 

『あの、先ほどの歌声は誰が……?』

 

『ああ、ウルフスベーンだが、……っと、別にいいではないか』

 

 キルシュブリューテが答えてくれる。

 その際、誰かが飛び付いて邪魔をする様な音がしていたようだが。

 もしかして、ウルフスベーン本人だろうか。

 

『先ほどは歌を中断させてしまい、すみませんでした。もし、よかったら今度、聞かせてもらえませんか? とても素晴らしい歌声でした』

 

『…………』

 

 レーナへの返事は、パラレイドの同調を切断される事だった。

 ウルフスベーン。

 彼女はスピアヘッド戦隊の中でも、特にレーナと関わりあいになろうとしない相手だ。

 

『すまない、彼女は恥ずかしがり屋なんだ。だが、いつか聞いてやって欲しい』

 

『ええ、是非』

 

 代わりに答えたキルシュブリューテに、レーナは首肯した。

 

『ではアンダーテイカー。まずは今日も補充物資の納入日についてなのですが……』

 

 

 事務的なやり取りがしばらく続く。

 その間、カイエは背中を何度も、執拗に引っ掻かれていた。

 犯人は、猫の様に爪を立てているリアだ。

 

「どうして言っちゃうのよ。カイエの馬鹿……!」

 

 カイエに対し、リアは小声で文句を言う。

 

 全く時間を気にせず不用意に歌っていたのは、リアの方なのだが。

 リアは気分の良い時には、無意識に歌いだす癖があるのだ。

 カイエは同じくパラレイドを切断し、どうどう、とリアの手を押さえた。

 

「それは……リアの歌は、もっと大勢の人に聞いてもらうべきだと、私は思うんだ」 

 

「そうそう、声だけは良いんだから。声だけは」

 

 隣でトランプで遊んでいるハルトが、何度も執拗に頷く。

 リアがその頭を叩き、積み重なっていたトランプタワーは崩れ去った。

 

「何すんのさー、馬鹿猫」

 

 カイエとクレナは協力して、床に散らばったトランプを拾い集め、混ぜ始める。

 

「確か、幼馴染に歌っている時の姿が好きだと言われたのだろう」

 

 ハルトがカイエの言葉に、片眉を上げた。

 

「姿って……歌声じゃなくて?」

 

「……また、勝手に人の思い出を」

 

 ハルトの疑問を無視し、リアはカイエを恨みがましい目で見つめる。

 

「別に、ただ癖になってるだけだから……」

 

 花の世話をする以外は、特にやりたい事もないのだ。

 だから、口ずさんでいるだけ。

 

 両親が教えてくれた歌。

 あの子に歌ってあげた歌。

 今でも、唯一覚えている幸せな記憶の残滓。

 

 それをなぞり、一時の現実逃避をしている様なものだ。

 

「そろそろ本気で痛いぞ、リア。あ、こらお前まで」

 

 そこで、ソファに仔猫が飛び乗り、リアに並んでカイエを引っ掻き始めた。

 普段は仲が良くないリアと仔猫だが、ご同類と思われているか、偶に真似をしだすことがあるのだ。

 

「ほら、行こ」

 

 見かねたクロエが仔猫を抱きかかえる。

 それから、ごく自然に、と本人が思っている動作でシンのそばに歩み寄り、同じソファに腰掛けた。

 仔猫はすぐにシンの膝下に移動する。

 リアも気が済んだのか、トランプ遊びに加わる事となった。

 

 いつの間にかハンドラーとの話題は、お互いの生活環境や料理、近況報告にと移っていた。

 特にハンドラーの最近の話になると、全員の笑い声が上がる事となった。 

 管制システムの開発者と連絡を取ろうとしたら、徒労に終わった苦労話だ。

 

『んなもん、ハンドラーの仕事の範疇じゃねえだろう。ご苦労なこった』

 

 ライデンが呆れた声を出し、苦笑する。

 他の皆も同様の意見だろう。

 

『そんなに頑張ったアピールしても、誰も感謝なんてしないからね』

 

『いえ、これはハンドラーとしての職務ですから』

 

 セオの辛辣の言い方にも、めげないハンドラーである。

 努力が、頑張った者が必ず報われると信じている声。

 理想を追い求める志。

 もし、エイティシックスの行き着く先を知ったとしても彼女は、今のままでいられるのだろうか。

 

『まあ、先日はその管制システムのお陰で、私は命を救われたわけだから、余り大きな声では笑えないな』

 

 カイエは残り一枚になった手札を持ち、おそらくジョーカーを持つハルトに手を伸ばす。

 

 思い出すのは、二日前の戦闘の事。

 

 先行した第4小隊が、危うく湿地帯に突撃する羽目になる所だったのだ。

 それを未然に防いだのが、ハンドラーの警告と詳細な地図データのおかげだった。

 他にも数多くの場面で、管制システムは隊員の命を救う結果となっていた。

 確実に部隊員の、さらに機体の損耗率が減少する結果に繋がっている。

 

『しかし、おもちゃとはな。それであなたはそのおもちゃ会社とやらを覗いてみたのか?』

 

『まさか。私には遊んでいる暇はありませんから』

 

 ジョーカーを今度はカイエから取ってしまったリアが、慌てて高速で手札をシャッフルしている。

 

『そりゃ、ご苦労な事で』

 

 セオが呆れたように肩を竦めて、スケッチに戻る。

 

『俺達なんて、暇な時はずーっと遊んでるっすよ』

 

 ダイヤが、壊れたラジオを一旦置いて、伸びをした。

 

『皆さんは、普段は何をして余暇をお過ごしなのですか?』

 

 カイエが一番に上がり、残りはハルトとリアの戦いとなった。

 ハンドラーの問いにカイエは、部屋の中を見渡す。

 

『そうだな。天気が良い日などは、外でサッカーなどをするが、今は私は、ファルケとウルフスベーンの三名でババ抜きを、ラフィングフォックスはスケッチ、ブラックドックはラジオの修理、スノウウィッチは編み物、ヴェアヴォルフはクロスワード、アンダーテイカーは読書だな』

 

 いつも通りの風景だ。

 

『そういうハンドラー・ワンこそ。軍とはいえあなたも休日くらいはあるだろう。その時は何を?』

 

『えっと……』

 

 言い淀む声が返ってくる。

 

『戦域管制の技術向上や、戦術予報を立てたり……もちろん、友人と食事に行く事もありますよ。……偶にですが』

 

『あんた、俺らが戦死する前に過労死しちまうぜ』

 

 ライデンのからかう声。

 それに、シンが珍しく軽く笑った。

 

『あまり戦場に囚われすぎては駄目ですよ。それに休息も仕事の内です、ハンドラー・ワン』

 

 カイエも同意見であった為、忠告してあげる気になった。

 

『あなたはその、あれだな……』

 

『な、何でしょうか? キルシュブリューテ』

 

 前に処女と言われた事を、まだ気にしているのだろうか。

 ハンドラーの声は、警戒を含んでいる。

 

『ワーカーホリックという奴だな』

 

『わ!?わーかー?』

 

 ハンドラーが戸惑った声を上げている。

 

『じゃあ、僕らの方はどうなるのさ? 強制児童労働に超過勤務だよ』

 

 セオの突っ込みに、違いねぇという笑い声が部屋に沸き起こった。

 

『ええと、だな、私が知ることわざに袖振り合うも他生の縁というものがあるんだ。前にも言ったが、ハンドラー・ワン。あなたは悪い人ではない。だから私はあなたの事をもっと知りたい』

 

 それは本心からの言葉だった。

 リアが嫌そうな顔を浮かべているのは、決してババ抜きで負けたからではないだろう。

 

『これは別にあなただけに限った話でもないのだがな』

 

 カイエは普段、秘めている想いを声に出した。

 

『きっと、私達はもっとお互いの事を知るべきだと思うのだよ。知らないからこそ、恐怖を抱き、不要に恐れてしまう』

 

 戦場を知らない新兵が、敵を知り、いずれ戦闘で震えを知らなくなる様に。

 名前も知らなかった隊員同士が、一つの想いを胸に抱く事になる様に

 

 色付きと呼ばれる人種がいなくなった後に生まれた共和国の子供達が、もし私達を見たらどう感じるのだろうか。

 

『別にそれで、今の私達の現状が変わるとまでは思わないが、何か変わるものもあって欲しいと思う』

 

『そうですね。そうなって欲しいと私も思います』

 

『と、言うわけで、明日にでも街に行って、共和国内の様子でも教えて欲しい。あなたが見て感じた街や人々の様子を。ずるいぞ、するのはこっちの話ばかりで、あなたとは戦場の事ばかり。まったくもって、花の十代の女子が話す内容ではないな』

 

『ですが、もしレギオンの襲来があれば……』

 

『確か今日貰った戦術予報では、レギオンの襲来の可能性は限りなく低かったはずだが?』

 

 日々精度が上がってきているレーナのレギオン襲撃予想だ。

 それでも偶に外れることがあるが、

 しかし、シンがいれば何も問題はない。

 

『……それはそうですが』

 

 まさか自分が立てた戦術予報が役に立たないとは、言えまい。

 

『では、明日はお休みだな、ゆっくり休んで欲しい。お互いの事をもっと知るために』

 

『わかりました。ありがとうございます、キルシュブリューテ』

 

『……ああ、ハンドラー・ワン』

 

 カイエの返事は少しだけ遅れた。

 

 お互いに知り合う、その最初の第一歩は何だろうか。

 それは、両親に厳しく躾けられたカイエにとっては当然の事だ。

 初対面で、もし顔を合わせていればするであろう当然の行為。

 

 だが、ハンドラーとプロセッサー。

 その仕組みに当てはめられた時から歪な関係は、それを許さないのだろう。

 

 記号で呼び合う存在。

 それは 仕方のない事だとわかっていながら、少し悲しさを覚えていた。

 もし死んでも、記憶に残るのは記号だけ。

 

 だが、

 

『ですが、もし何かあったらすぐに連絡を下さいね』

 

 その事に気づき、さらに私達に深入りすれば、この深窓の令嬢は傷つくのだろうな。

 だから、あえてカイエは何も言わなかった。

 気付かないならいっそ、そのままで。

 それが、きっとがお互いの為なのだろうから。

 

『もっと、楽に生きたほうが良い、ハンドラー・ワン。あなたは私達とは違うのだから』

 




結論ありきで途中を書くと、結構迷走しますね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 ゲーム

 レーナは第一区の玩具屋に来ていた。

 幸せそうに歩く親子が、しばしレーナに怪訝な目線をやり、通り過ぎていく。

 

 今更ながら、軍服で来るべきではなかったと、後悔しているレーナであった。

 

 先日のキリシュブリーテの言葉もあり、休暇申請を受理されたレーナは街に出掛けてみたのだ。

 それでも軍服を脱がなかったのは、今なお戦場にいる彼らを置いてのんびりする気には、やはりなれなかったからだ。

 何かあったらすぐに、管制室に戻る心構えでいる。

 

 そして玩具屋に来たのは、ヴァンデュラム社の一応の調査の為だ。

 さすがにあの会社がある84区まで足を伸ばすには時間が足りない為、せめて製品だけでも売られてないかと考えたのだ。

 

 ふと、隣の棚を見ると、子供向けの機械がいくつも陳列されている。

 無人式自律戦闘機械 M1A4 ジャガーノート 1/48スケール 3割引きの文字が躍っていた。

 

 レーナは身を屈めて、じっと観察してみる事にした。

 よく出来てはいる。

 しかし、勿論細部は違うし、装備などデタラメだ。

 

 88mm滑腔砲や、別途取り付け可能なミサイルランチャーなど夢の話。

 そんなものがあれば、もっと戦況を楽に進められているはずだ。

 何より……そっと操縦席があるはずの場所に、レーナは手を伸ばす。

 

 しかし、当然だがそこは開く構造にはなっていなかった。

 誰も知らない、いや例え知っていても無いものとして扱っている。

 そこに、機械の部品としてエイティシックスと呼ばれる子供達が乗っている事を。

 

 金属の冷たい刺激が、レーナにある一言を思い出させる。

  

 "あなたは私達と違うのだから"

 

 それが、今レーナに棘の様に刺さってきていた。 

 

 ジャ、ジャーン!!

 

 突然、警戒な電子音が響き、レーナは現実に呼び戻される。 

 発生源は、玩具屋の隣に併設されたゲームセンターだった。

 

 ふと、足を向けてみる気になる。

 

 昔、父に遊園地に連れて行ってもらった記憶を思い出したのだ。

 その時、クレーンゲームでお菓子のメダルをねだった事も。

 もう、ずいぶんと昔の様に感じる。

 

 懐かしさを覚えながら、音がしたゲームに近づいてみた。

 わざとくすんだ銀色に塗装した、大きめの四角い箱の筐体だ。

 

 君は迫りくる脅威から、皆を守れるか!?

 

 などというキャッチコピーが書かれた仕切りに手を掛け、中を覗こうとする。

 すると、まだ人が入っていたらしく、レーナはぶつかりそうになった。

 

「し、失礼いたしましたっ!!少佐殿!」

 

 相手は眼鏡を掛けた少年で、慌ててこちらに向けて、敬礼をしてきている。 

 その後、逃げるように走り去ってしまった。

 

 あの年齢なら、たぶん士官学生だろう。

 昼間からこんな場所で遊んでいて、我が国の将来は大丈夫なのだろうか。

 などと自分の事は棚に上げて、レーナは筐体に入ってみる事にした。

 

 筐体の中の暗さは、少し馴染みの管制室に似ている。

 中央には操縦席、その左右に操縦桿があり、それぞれにトリガーがついてある。

 レーナは固い座席に行儀よく腰掛けると、正面のスクリーンに向いた。

 

 Rank1 D・Y 995点

 

 表示されているランキング一位は、もしかして先ほどの少年の点数だろうか。

 最高点が1000点だとしたら、かなりやり込んでいるに違いない。

 

 硬貨を入れると、ゲームが始まった。

 

 スクリーンに映像が流れ始める。

 長ったらしい説明文が流れ始めたので面倒になり、レーナは右のトリガーでスキップしなが

 ら流し見する事にした。

 

 時は共和歴1000年。

 宇宙から来訪した宇宙生命体ギアスと、戦争に直面した人類。

 君は新兵として、戦闘機械ジャガナンに乗り込み、敵と戦う事となったのだ。

 

「え、ええ!?」

 

 いきなりゲームスタートの文字が現れ、カウントダウンが開始される。

 

「まだ、操作方法も聞いてないのに……!」

 

 どうやら重要な説明も、スキップしてしまった様だ。

 だが、所詮はゲームで、操作は子供用だった。

 何も難しい事はない。

 

 なるほど、右の操縦桿で前後移動、方向転換は左。

 砲弾の発射は右のトリガー、左のトリガーで急速移動。

 

 場所は茶色い荒野。

 現れる白い蜘蛛に似た丸い宇宙生物が、正面に現れ始める。

 左下の地図には、敵性マークを示す輝点がいくつも輝いていた。

 

「これなら……!」

 

 一回だけやってみようと、レーナは決めたのだった。

 

 

"You Lose !!" 

 

 そして、一体何回この文字を見る事になってしまっただろうか。

 さらに軽くなってしまった財布に、硬貨はすでにない。

 

 何をやっているのだろう私は……。

 こんな遊戯をした所で、彼らの気持ちなどわかるはずもないのに。

 

「え……?」

 

 そこでようやく違和感を覚えた。

 ちょっと、待って欲しい。

 何かが引っ掛かる。

 

「……戦術教本」

 

 このゲームをクリアするコツがあるのは、すぐにレーナにはわかった。

 地図に表示された敵性勢力に対し、自動で動く友軍を適正な位置に導く事なのだ。

 そこでしばらく粘ると、ボーナスタイムとして、遠方からの援護砲撃が始まる。

 

 そうだ、これは立派な戦術教育システムではないか。

 

 まともなハンドラーならすぐに、気が付くはずだ。

 士官学校で習う戦術教本の内容が、今のゲームで展開されている事に。

 

 それどころか、ゲームの難易度が上がるほど、宇宙生物の動きは変化していく。

 戦術を変え、より強かにこちらをおびき寄せ、各個撃破を狙ってくるのだ

 それは、最新のレギオンの戦略形態と見事に一致している。

 

 何故、こんなものがゲームなどに……。

 

 軍の機密情報が漏洩している。

 それもただの市街地に、子供が遊ぶ場所にだ。

 

 宇宙生物だの、戦闘機械などと謳っているが、何を意味しているのか、わかる者にはすぐにわかるだろう。

 一体、情報統制監視局は、いつ働いているのだろうか。

 普段、手抜きの使いまわしの戦況発表しかしない癖に。

 

 誰が何の目的でこんなものを……。

 

「お姉ちゃん、変わってよー!」

 

「あ、ごめんなさい」

 

 深く思考に入り込んでいたレーナは謝る。

 どうやら一人で長時間ゲームを占拠してしまっていたようだ。

 子供達と入れ替わり、レーナは筐体を調べてみる事にした。

 

 何か手がかりがあるかもしれない。

 そして、半ば予想していたものを発見する事になった。

 

 ヴァンデュラム社。

 保守・点検技術者  ラグア・イリノス

 

 掻き消えそうな社名と、殴り書きされた名前があった。

 そして、その下には連絡先の電話番号も。

 

 

 番号をメモし、帰宅後、そこに電話を掛けてみる事にした。

 数回のコールの後、電子音声が響く。

 

「ヴァンデュラム社カスタマーサービスでございます。弊社製品の購入については一番を……」

 

 一番最後に告げられる相談窓口番号まで、待たされる事数秒。

 そして番号入力後しばらく待った後に、というよりだいぶ待たされてから、繋がった。

 

「はい、こちらヴァンデュラム社……ご要件をどうぞ」

 

 やる気のなさそうな女性が電話に出る。

 

「あの、そちらにラグア・イリノスという方はご在籍でしょうか?」

 

 レーナの質問にすぐに返答が返ってきた。

 

「あ~、今、イリノスは外出中ですね。何か御用でしたら、伝言を残しましょうか~?」

 

「あ、いえ……失礼しました」

 

 レーナはそのまま電話を切ってしまった。

 

 ちょっと気が急いてしまっていたようだ。

 まさか、お宅、軍の機密情報を勝手に使ってませんか、とは聞けるはずもない。

 もし、本当に管制システムの更新をしてもらっているなら、感謝したい所だが、その際に戦闘データを勝手に盗み出されているのだとしたら、レーナは目を瞑るわけにはいかない。

 

 しかし、どうしたものだろう。

 

「ううん……」

 

 そうだ、直接行って確かめればいいのではないか。

 

 ……いや、無理だ。 

 

 自分はハンドラーとしての職務があるし、ヴァンデュラム社まで、お邪魔するには時間が厳しい。

 その間にもレギオンの攻撃が迫ってくるかもしれないのだ。

 

「あ、でも。軍の管轄内なら……叔父様に頼むという手も」

 

 もし、軍の管轄内にヴァンデュラム社があるのだとしたら、誰か別の人に行って調べてもらう手もあるだろう。

 しかし、それではヴァンデュラム社の社員が逮捕される可能性もある。

 

「理由は何であれ、彼らの為になっていますから……」

 

 となると、軍を通さず、その近辺の有力者に確認してみるという手はどうだろうか。

 自分のおひざ元で、何か怪しげな事が行われているのなら気になるはずだ。

 

 その為なら、あの母にだって頭を下げようとも。

 

 幸いにもヴァンデュラム社の情報のコピーは、書庫管理部からもらってきている。

 それには、会社の詳細な情報が載ってあった。

 今もそこにあればの話だが、会社の所在地も記載してある。

 

 レーナはPCで住所を検索してみる事にした。

 しかし、表示された地図は戦争前、もしくは戦争発生時の古いものだった。

 

 85区は外周部に行くほど、当時の街並みを維持している事の方が少ない。 

 大抵は戦時中、急ピッチで建てられた兵器製造工場に置き換わっているからだ。

特に共和国工廠社が当然、エイティシックスが持っていた土地を、足りなければ低所得者の多くの土地を接収し、今なお工場は稼働を続けている。

 

 それでも、旧貴族であった人々の土地が接収される事は少なかったのだ。

 それは彼らが、あの戦時下でもお偉方に働き掛け、利己的に自分の財産を守ろうとした結果だ。

 

 後は、そのまま残っているとしたら戦略上必須であった為、残された場所。

 食料プラントや、生産プラント、それから病院だ。

 

「あった……」

 

 レーナは発見した。

 ヴァンデュラム社の所在地は、嘗て大きな病院があった場所だったのだ。

 

 すでに病院は経営されていないだろうし、取り壊されているかもしれない。

 そして、恐らく書類を確認する限り、ヴァンデュム社は土地を借りているだけの様だ。 

 ならば、土地の権利はそのまま残されているわけで。

 

 当時の情報によると、その土地の所有者はハウツマン・シュタット。

 

 数年前に、自殺したシュタット財閥の総帥の名だった。

 幼かったレーナでも、その事についてニュースが流れていたのを覚えている。

 

 当時の記事を検索してみる。

 新聞記事によると、ハウツマン氏は妻と二人で書斎にて、服毒自殺を図ったらしい。

 その第一発見者は、当時一緒に住んでいた孫

 事件性はなく、心因性の病が原因だったと診断されている。

 

 つまり、土地の現在の所有者はハウツマン氏の相続人に譲られている。 

 ハウツマン氏は、ご息女を戦争時に亡くされており、残された血縁は一人の孫のみ。

 

 その最近何かとよく見る事となった氏名を、レーナはじっと見つめた。

 

「これは……アネットに言った事、取り消さなくちゃ……」

 

 

 

 翌日、ブランネージュ宮殿の入口にて、レーナは足を止めた。

 正面からこちらに向かってくるのは、同じ階級章の少年。

 

「おはようございます。ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐」

 

 本当は色々と心の準備をしてから、と思っていたのだ。

 

 レーナとは敵対すべき、到底相容れない存在。

 その人となりを、あの幾つもの報告書から簡単に読み取れる。

 そんな彼にお願い事をするなど、気が咎めていたのだ。

 

 だから、思わずレーナは唖然としてしまった。

 まさか、会おうと思ったその日に、本人の方から訪ねてくるとは。

 

「ちょっと、お話よろしいでしょうか」

 

 リードルフ・シュタット少佐がそこにいた。 

 




こまけぇこたぁいいんだよ!!の精神でお願いいたします。
とにかく、話を進ませたかったんです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話 名前

 共同の執務室の一室にレーナとリードは、向きなおっている。

 すぐ傍に椅子があるはずなのだが、お互い立ったままだ。

 紳士らしく椅子を勧めたリードに、レーナが首を振ったからだ。

 

「以前……二年前でしたか、革命祭のパーティーの際、お会いしましたね」

 

「そ、そうですね」

 

 レーナの口調は固い。

 相手があのリードルフ・シュタットだという以前に、全く覚えていなかったからだ。

 

「……ミリーゼ少佐。まさか、覚えてません?」

 

「そ、そんなわけないじゃないですか、シュタット財閥の方を忘れるなんて非礼致しません!」

 

 からかう様に笑うリードに、レーナは勢いよく抗議する。

 

 その時、ふと気がついた事があった。

 シュタット少佐の話し方に、どこか訛りがある事にだ。

 

 スピアヘッド戦隊の、祖父や親が元は様々な国の移民であった彼らと普段会話しているからこそ気付く違和感。

 もしかして、少佐はどこか別の国に住んでいた経験でもあるのだろうか。

 

「ミリーゼ少佐のお噂はかねがね。今はスピアヘッド戦隊のハンドラーを任されておられるそうですね」

 

「ええ、及ばずながら尽力しています」

 

 リードは一歩だけレーナに近づいた。

 本当にアネットは言っていた通り、背は低いようだ。

 レーナとほとんど変わらない。

 

 それに、19という年の割に若く、いや幼く見える顔つきだ。

 未だ成長期を終えていないという感じがする。

 柔和そうに見える顔は少女の様で、レーナも思わず警戒が緩む。

 

「スピアヘッド戦隊といえば、アンダーテイカーはご健在ですか?」

 

「彼をご存じなのですか!?」

 

 思わずレーナは驚いた。

 彼がハンドラーをしていた事は聞いているが、まさかアンダーテイカーの担当でもあったとは。

 

「以前、彼の部隊のハンドラーをしていた事がありまして……そうだ、彼の哨戒報告書の事、知ってます?」

 

 レーナは以前、全く日付も内容も同じ報告書を出してきたアンダーテイカーに小言を言った事がある。

 今では何かしらの理由があって、哨戒任務を行わなくてもいいのだと理解しているが。

 その時の事を思い出し、それを共有出来た事が少し嬉しくなり、笑みが零れた。

 

「ええ! でもシュタット少佐。あなたも見逃していたのですか?」

 

「当然でしょう。今ではミッションレコーダーの方は戦闘後、勝手に管制システムが回収してくれる事になっていますし。哨戒任務など、手を抜く抜かないは彼らの自由です。第一、エイティシックスの言う事など信じられないですしね」

 

 両手を広げ、肩を竦めたリードの姿に、レーナの笑みが消えた。

 エイティシックス。

 

 顔を少し歪めて、放った侮蔑の言葉。

 やはり、あの報告書から読み取った通り、彼も同じなのだ。

 

 レーナの目が鋭くなる。

 その変化を知ってか、知らずかなおもリードは話を続ける。

 

「彼を管制するのはなかなか骨が折れるでしょう」

 

 その通りだ。

 愚痴を言い出せばきりがないかもしれない。

 だが、もうこの人と彼らの事については話したくはなかった。

 

「そうそう、アンダーテイカーといえば……」

 

 ふいに、リードの顔が真顔に戻る。

 

「ミリーゼ少佐は、声を聞かれました?」

 

「声?」

 

 何の事だろうか。

 

「いえ、何でもありません」

 

 何の事か気になったレーナではあったが、リードは別の話題に移ってしまった。

 

「では、ミリーゼ少佐を伺った要件なのですが」

 

 そうだ、何故こうもタイミングよく彼は私に接触してこようとしたのだろうか。

 

「実は、今度の革命祭のパーティでダンスのお相手をお願いしようかと思いまして」

 

「へあっ!!」

 

 思いもよらない言葉にレーナは真っ赤になる。

 それを見て、リードはくすりとと笑い、冗談です、と付け加えてきた。

 

 からかわれたのだとわかり、レーナは帽子のつばを下げて、表情を隠し唸る。

 何なのだこの人は。

 

「本当は知り合いから、貴方が私の報告書にアクセスしていると聞きまして。それに、書庫管理部の方からも、私が所有する会社を熱心に探しておられたと」

 

 そこまで情報が筒抜けな事に、レーナは驚く。

 別にこそこそと嗅ぎ回っていた気はないのだが。

 

「直接言ってもらえれば、すぐに手助けが出来たのですが」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい。ヴァンデュラム社は少佐が所有されているのですか?」

 

「ええ、出資は100%うちの資金からですよ」

 

 そうだったのか。

 ならもっと話しは早いではないか。

 あまり長居はしたくない為、レーナはさっさと要件を切り出す事にする。

 

「あの、出来ればその会社を調査したいと思いまして」

 

「……それまた、どうしてです?」

 

「それは……言えない、です」

 

 レーナは秘密にする事にした。

 出資しているとはいえ、会社の実情を知らない事は多いだろう。

 何よりエイティシックスを蔑視する様な彼が、あの事を知ったらどんな行動に出るか……。

 

「無理は承知です。ですが、是非お願いします」

 

「私もシュタット財閥が所有する企業について、関わりが多い方ではないのですが……ハンドラーとしての業務に関わることなのでしょう? なら、可能か確認を取ってみようと思います」

 

「本当ですか!?」

 

 レーナは顔をぱっと明るくしたが、リードが二本指を突き出してきた。

 

「ただし、お願いが二つだけあります」

 

 その言葉に、レーナは身構える。

 

「私に出来る範囲の事なら……」 

 

 そういえば今頃、自覚する。

 狭い執務室に二人っきり。

 それも年の近い男女だ。

 何を要求されるのだろうか……。

 

「そんなに警戒されなくても……ちょっとしたお願い事を聞いてもらいたいだけですから」

 

 こちらの警戒する動きを察したのだろうか。

 リードは愛嬌のある笑みを浮かべると、窓際の方に視線を向けた。

 

「あれを読んでどう思いましたか?」

 

 あれというのが何を指しているかは、すぐにわかった。

 

「言ってもよろしいので?」

 

「ええ、忌憚のない意見を聞いてみたいのです」

 

「あれは……」

 

 レーナはぎりっと歯をきしませると、声を張り上げる。

 

「あれは、人類史における最低最悪の、決してあってはならない部類の計画です!」

 

 言えるなら言ってやりたいと思っていた言葉が胸から溢れた。

 

「即刻、あの計画は中止すべきです!!」

 

 レーナは腕を振り、全力でリードの考えを否定した。

 

「そうですか?」

 

「……は?」

 

 だから、気に抜けたリードの返答に唖然とする事になった。

 

「人道にもとると言いたいのでしょう。だが彼らは人ではないのですよ。国家から人権を剥奪された人もどきです」

 

「彼らは、彼らは人間です!決してそのような扱いをされていいはずの人達ではありません!」

 

 今もなお戦ってくれているのは、今彼が人もどきと呼んだエイティシックス達だ。

 ハンドラーをやっていたならこの人にも、それがよくわかっているはずだろうに。

 

「貴方は間違っていますっ!」

 

 机を叩き、熱が上がるレーナに比べ、リードは逆に冷めていくようだった。

 

「知っています。だから、それをわかった上で、私はこの計画を進めようとしているのです」

 

「どうして、そんな事を……」

 

 出来るのだろうか。

 どうして平気でいられるのだろう。

 

「我々は知っています。我々自身に戦う力はすでにないと。それどころか、その気概すらすでに失われています」

 

 その通りだ。

 それが兵役を他人に押し付け、高みの見物をしてきた者の末路だ。

 

「レギオンが全機能を停止後、彼らはいとも簡単に我々に反抗せしめるでしょう。それを止めるには余りにも多くの血が流れてしまいます」

 

「すでに多くの彼らの血が流れているんですよ……」

 

 レーナは数多く散っていた彼らの事を知っている。

 エイティシックス達にもう子供世代しかいない事がその証だ。

 

「では、貴方はどうするのですか? 貴方自身の考えはないのですか?」

 

 リードの指摘は正しい。

 否定するならば、ただ無責任に叫ぶだけではあってはならないはずだ。

 

「戦後は強制収容所を閉鎖し、彼らに間違っていたと謝罪すべきです」

 

「それは、今更手遅れでありませんか?」

 

「確かに亡くなった大勢の方は……もう戻りません。でもせめて生き残った彼らに賠償をし、慰霊碑を立てるぐらいはすぐにでもすべきです」

 

 今は死者を回収する事も、ましてや墓を作ることすら禁じられているのだ。

 しかし、リードは否定する様に首を振った。

 

「すでにお金で解決できる程の死者数ではないでしょう。アルバと色付きには決して埋まる事のない溝が出来てしまった」

 

「そんな事はありません! 私は今でも彼らと交流を……」

 

「今更、全て無意味です。九年前、誰かが吐いた毒がこの国を汚してしまったんです。もう後戻りは出来ないのですよ」

 

 冷たく凍えそうな声色のリードは、レーナの言葉を遮った。

 

「だからこそ、ここで断ち切らなければ!」

 

 あの人が、助けてくれた首のない騎士の兵士が語った想いが、今まで散っていった想い全てが無駄となる。

 

「我々に精々出来るのは、人質を取り、背中に銃口を突きつける事だけですよ」

 

「では、……本当に彼らを絶滅させると?」

 

 もしリードが侮蔑の表情で、さらに彼らを貶める事を言っていれば、レーナは感情を抑える事を出来なかったかもしれない。

 だが、リードの表情は能面の様に無表情で、口調も冷静だった。

 

「これが今の共和国の現状です。私が動かなければ、結局は他の誰か同じ事をしたでしょう。そうなればもっと非人道的な計画となっていたかもしれない」

 

 何もわざわざ監獄に連行する必要はないのだ。

 鉄格子越しの銃弾を放つだけ。

 食料供給をを止めるだけ。 

 それで十分だ。

 

「そんなのって……」

 

 無力を感じるしかなかった。

 それを止める手段がないという事に。

 結局は自分もそちら側に立っているのだと、自覚せずにはいられなかった。

 

「……ミリーゼ少佐。一つだけ聞きたい。貴方は慰霊碑を建てるべきだと言いましたよね」

 

 確かにそう言った。

 それくらいしか彼らに報いてあげる方法がないと思ったからだ。

 

「すでにエイティシックスの多くの記録は削除されています。勿論、前線に送られた彼らも」

 

 それはレーナも知っている。

 ただ記号を与えられ、破棄される書類の山。

 一度だけ破棄前のそれを見たことがあった。

 

「貴方は一体、彼らの墓に何を彫るんです?」

 

「そんなの決まって……あ」

 

 衝撃が走った。

 

 ……名前以外、墓に刻むものなどない。

 自分を自分たらしめる、生まれて最初に与えられるものだ。

 

 それを私は……知らない……。

 

 彼らの名を……!

 

「それで、ミリーゼ少佐。もう一つのお願いなんですが」

 

 傍から見ても青ざめているとわかるレーナに、リードは無視をしているのか話を続ける。

 

「今度デートに行きませんか? ちょうど明日もレギオン襲撃の可能性低いという予想を聞いていますし」

 

 焦点が合っていないレーナの前で、リードはスケジュール帳を捲っている。

 

「ちょっと遠出をしましょうか。では、明日の8時にメインストリートの噴水広場の前で待ち合わせをしましょう。あ、軍服で来てくださいね」

 

 そう言うと、予定を殴り書きした紙をレーナの手に押し付けてきた。

 

「え、あ……はい……」

 

 ほとんど操り人形の様に、レーナは答える。

 それに対しリードは、まるで気が付いていないかの様に、最後まで捲し立てた。

 

「では、明日。楽しみにしています」

 

 ようやくリードが部屋から出ていった後、レーナは崩れ落ちた。

 全身がゆっくりと震えだし、それは徐々に嗚咽にと変わる。

 

 何故、聞かなったのだろう。

 自分の名前さえ、名乗らなかったのだろう。

 

 今まで死んでいった人に、弔いの言葉を掛けていた自分は何をしていたのだろう。

 一体、誰と向き合っていたのだろうか。

 

 私も結局は同じ……。

 遠い安全圏でただ、同情している振りをしてるだけの卑怯者だったのだ。

 

「私は……」

 




そろそろ疲れてきたのでペースを落とします……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 死霊の声

『何か御用でしょうか、ハンドラー・ワン』

 

 レーナはスピアヘッド戦隊に同調を繋いだ。

 涙を拭い、少なくとも平静と思える声に戻るまで数時間。

 ようやくレーナは勇気を振りしぼったのだった。

 

『……あの。少し、皆さんよろしいでしょうか……?』

 

 哨戒報告の時間でもないのに、ハンドラーが朝から繋いできたので戦隊員は不思議そうにしている様だ。

 

 レーナは深く息を吸い、吐き出した

 今更、言い出すのが怖くなってくる。

 だが、逃げてはならないと、過去の自分の言動が背中を押してきた。

 

『……今まで、本当に申し訳ありませんでした……』

 

 こちらの真摯の謝罪の言葉は、しっかりと同調で伝わったのだろう。

 戦隊員はいきなりの事で、惑うしかない。

 

『私の名前はレーナ。ヴラディレーナ・ミリーゼ、と言います。階級は少佐です。……なりたてですが。本当に、……本当に今更ですが、皆さんの名前を教えていただけませんか……?』

 

 しばしの沈黙が続いた。

 

『急にどうされました。俺達の名前なんて知る必要はないでしょう』

 

 どうでもよさそうな無関心を滲ませた、アンダーテイカーの返答。

 

『それは……私は皆さんをエイティシックス、と呼んだ事はないと、都合の良い事を言いながら、結局は私も同じ扱いをしていただけだと気付いたんです……だから』

 

 あれほど忌み嫌っていた存在と同じだったのだ。

 それも指摘されるまで、自覚すら出来ていないほどの。

 

『許して欲しいとは言いません。それでも、もし、よろしければ皆さんの事を知りたいのです……』

  

 アンダーテイカーだろう、本をパタンと閉じる音が聞こえた。

 

『何故、ハンドラーはレギオンには傍受されない同調下でもコールサインの使用が義務付けられ、人事ファイルの開示もされないか、理由を知っていますか?』

 

『はい……』

 

 プロセッサーを人として、考えない様にする為。

 しかし、それは卑怯な行いだ。

 背負わなければならないもののはずだ。

 

『はあ……。プロセッサーの年間生存率は0.1%未満。精鋭揃いのこのスピアヘッド戦隊とはいえ、いずれ誰かは死ぬでしょう。……死より酷い惨状を知るかもしれません』

 

 溜息をついたアンダーテイカーは、自らの死を平然と、滔々と語る。

 

『それでもなお、その名を聞きたいと言いますか?』

 

『はい、卑怯者でいたくはありませんから』

 

 レーナの決意を込めた言葉に、挑む様な返答が帰ってきた。

 

『あのさー、豚が自分の豚さ加減に気が付いて、謝ってきたからって何。仲良くなれるとでも? あんたは結局、壁の中にいて……』

 

 ラフィングフォックスの辛辣な言葉が、急に一人の少女の声に遮られる。

 

『私はキルシュブリューテ。カイエ・タニヤだ』

 

『……カイエ、僕が話してたのにさ』

 

『別にいいではないか、セオ。こうして歩み寄ろうとしてくれて、私は嬉しく思うぞ。実は私の方こそ、貴方の名前を知りたかったのだ』

 

 一番自分の話に答えてくれていたのは彼女、カイエだったのだ。

 それがさらに申し訳無さを、レーナに感じさせた。

 

『戦隊副長 ライデン・シュガだ。……まずは最初に謝っておく。セオの言う通り、あんたが毎晩繋いでくるのを俺達は聖女気取りのおめでたい野郎だと、ずっと馬鹿にしていた。だから、それについては詫びる、悪かった』

 

 彼らしく粗暴でありながら、どこか気遣うライデンの言葉は続く。

 

『あんたが悪い人間じゃないって事はわかってるが、その上で言っておきたい事がある』

 

 その先はラフィングフォックス、セオが引き継いだ。

 彼が話してくれたのは、共に戦った戦隊長の、アルバでありながら前線に戻ってきた人の話であった。

 

『だから、壁の中にいてあんたがアルバである以上、あんたと僕達は対等じゃないし、仲間とは認めてないって訳。それだけ』

 

 セオはその思い出をどうでもよさ気に話し、気は済んだのか口調がいつもの調子に戻る。

 

『って、もう皆僕の名前喋っちゃてるから今更だけど、僕はセオト・リッカ、セオでもリッカでも可愛いいくそ豚ちゃんでも好きに呼んでよ』

 

『ごめんなさい……本当に。ありがとうざいます』

 

 それから、次々と全員が名前を告げてきた。

 慌ててレーナは手帳に、名前を書き綴っていく。

 大切に、自分の心に刻み込む様に。

 

 そして、名前を告げる声が止まり、書き終わった所で気が付いた。

 スピアヘッド戦隊は、今は総勢22名のはず。

 まだ二人、名前を名乗っていない人がいる。

 

『あの、ウルフスベーン。貴方の名前も教えて頂いてよろしいでしょうか……?』

 

『……ヘカーテ』

 

 彼女は短く、簡素な言葉であったが答えてくれた。

 

『確か、女神と同じ名前でしたよね』

 

 何やら苦笑が沸き起こっているが、それが何を意味しているのかは、レーナにはわからない。

 

『勘違いしないで。別に私の名前を知って欲しくも、あんたの名前も知りたくもない。ただ、皆が答えてるから、私も答えただけ』

 

 ヘカーテと名乗った少女は、さらに険しい言葉を続ける。

 

『それに、あんただけを嫌ってるって訳じゃないから、安心して。私が知るアルバは、どいつもこいつも最低最悪の奴らばっかりだったから、全員を平等に嫌ってるわ』

 

 ぽつりぽつり、と憎悪が滲み出る様に、怨嗟が漏れ出すように話は続く。

 

『戦争に志願した親は帰ってこなかったし、すぐに私達も強制収容所なんかに送られたし。あんた、あそこがどんな生活か知ってる?』

 

 レーナは知らない。

 ただ一度、ヘリで上空から見下ろしただけ。 

 その時すら、それが何なのか理解していなかったほどだ。

 

『あんなのは家畜の生活よ。あいつらはその日の気分で配給を減らし、私達を気晴らしに撃ち殺した………同い年の幼馴染すら、あんた達に連れて行かれた』

 

『連れて行かれた……?どういう、事でしょうか?』

 

 殺されたのではなく、連れていかれたという言い方が気になった。

 

『乳幼児や子供が売られるという事は、収容所では跡を絶ちませんでしたから』

 

『そんな……』

 

 アンダーテイカーの補足に、レーナは息を吞んだ。

 血の気が引く思いだった。 

 その子の末路が、どうなったかなど考えなくてもわかる話だ。

 

『ああ、そう言えば。最近は私の部隊全員を迎撃砲で吹き飛ばしたハンドラーもいたわね』

 

『っ……ヘカーテ。あなたはもしかしてマンゴネル戦隊の……!』

 

 リードが嘗て担当していた部隊。

 報告書にあった、ただ一人の生き残りが彼女であったとは。

 激昂していた彼女の声が、次第に冷たく、深い井戸に落ちていくように小さく静まる。

 

『それがあんた達の本性よ。だから、あんたの事も信用しない。どうせ、あんたも上っ面だけ。目の前の現実に直面したら、きっと見て見ぬふりをするか、逃げ出すわ』 

 

 その言葉にレーナは私は違う。と反論したかった。

 でも、声には出せない。

 その経験もないくせに語るのは、再び卑怯者になると思ったからだ。

 

『だから必要なければ、私には関わって欲しくない。以上!』

 

 そう言うと、彼女に同調を切られてしまった。

 

 同胞が今まで積み重ねてきた罪を、レーナ一人で簡単に拭えるとは思えない。

 だから、行動で示していくしかないのだろう。

 いつか、許して欲しいとまではいかなくとも。

 再び、同じ人として向き合う為に。

 

『リ、ヘカーテはそう言っているが、私はこれからもお話ししてみたいのだがな』

 

『是非、これからもよろしくお願いします。タニヤ准尉」

 

『うむ、カイエで構わない。時に、どうして急に私達の名前を聞く事に思い至ったのだ?』

 

『……知り合いに聞かれたんです。彼らが亡くなった時、お墓に何を彫るのかと』

 

 彼女がいる以上、リードの名前を出す訳にはいかなかった。

 

『お墓ね。何、作ってもいい事になったの?』

 

『いえ、……申し訳ありません。それもまだ禁止されたままです。せめて慰霊碑を建てれたらと思ったのですが』

 

 セオの問いに、レーナは無力から頭を下げる事しか出来ない。

 

『どうせ作るなら、金ぴかピンで頼むぜ』

 

『どでかい銅像がつけれる奴がいいっす』

 

 ハルトがふざけ、ダイヤもそれに悪乗りし始めた。

 

『ダイヤ君、私まだ死ぬつもりはないのだけれど?』

 

 アンジュがからかい、おろおろとダイヤが言い訳を始める。

 皆が笑い出し、レーナもそれにつられてくすりと笑った。

 

『ふむ。その知り合いというのは男性だな』

 

 そこでふいに、カイエが訳知り声で言ってきた。

 

『そ、そうですけど……あ』

 

 少しレーナは慌ててしまった。 

 別に男性だとばれて、不都合などないはずなのにだ。

 

 そして、もうひとつ思い出した事がある。

 彼、リードとデートの約束をしてしまっていた事に。

 

 あの時は、呆然自失でつい、了承してしまったのだ。

 だが、こうして落ち着いてみれば、私は一体何をしたのだろうか。

 あの自分とは正反対の人と、二人で出掛けようなどと。

 

 これこそ、スピアヘッド戦隊の、彼らに対する裏切りに思えてくる。

 

『もしや、デートの約束をすっぽかしている事でも、思い出したのだろうか?』

 

『そ、そんな訳ありません!デートなんかするわけないじゃないですかっ!』

  

 むきになって否定し、カイエの戸惑った声と、面白がる女子隊員の声が重なった。

 カイエがなんの気なしに聞いた事に、レーナが過剰に反応してしまったのだ。

 

 それから、質問攻めを躱す事に数分。

 からからわれ尽くされたレーナはもう一人、最後に残った人の名前を聞くことをようやく思い出したのだった。

 

 改めて、アンダーテイカーに同調を繋ぐ。

 どうやら席を立ったらしいアンダーテイカーは、自室にいるのか一人だけの様だ。

 

『あの、まだ貴方の名前を、聞いていないのですが』

 

『ただ、忘れていただけです。失礼しました』

 

 そして、彼、シンから、レーナは忘れられない名前を思い出す事となった。

 

 

 その午後。

 レーナは、すぐに自身が誓った想いを試される事となる。

 

『少佐、レギオンが来ます』

 

 シンの声がはっきりとした声で告げてきた。

 

『どうして、まだ何の警報も……』

 

 レーナは訝しがるが、いつもシンが何らかの手段で把握しているのを知っている。

 その彼が言ったのだから、間違いはないのだろう。

 

 ブリーフィングにレーナも参加し、幾ばくかは役に立てたと嬉しく思っていた所、水を差すシンの声が上がった。

 

『少佐。今日はパラレイドは、切っていてもらえませんか?』

 

 それから続いて言われた言葉をレーナは、訝しんだ。

 シンは、黒羊が多い、と言ったのだ。

 

 それが何なのか説明はなかったが、レーナとしてはどんな理由であれ、職務放棄する訳にはいかない。

 彼らの名を聞き、自分は対等でも、共に戦う仲間でもないと知りながら、彼らの役に立つと決めたのだから。

 

『……忠告はしましたよ』

 

 

 最初に聞こえてきたノイズを聞いた時、シンが同調するなと警告した意味だけはわかった。

 

『……かぁさん』

 

『かぁさんかぁさんかぁさんかぁさんカぁさん……カぁさンかぁさんかぁさん』

 

『いやだいやだイやダ……いやだいやだいやダイヤダいやだイヤだ』

 

だけど、その意味は分からず、レーナは恐怖から悲鳴を上げる事となる。

 

『少佐!切りますよ!』

 

 シンは舌打ちをして、レーナとの同調を切断した。

 ハンドラーのいない久しぶりの戦場。

 

 それも黒羊が率いる、通常よりも手ごわい相手。

 

 犠牲は0では済まなかった。

 

 マシュー・ナナキは砲弾を食らい戦死。

 ルイ・キノは斥候型に取り囲まれて戦死。

 

 二人を失った。

 その証は今は、シンの胸ポケットに入っている。

 

 口数が少ない戦闘後の帰投中、ライデンが苛立ちを隠せていない声を出した。 

 

『リア、お前シンの命令を無視しようとしたろ。別にマシューとキノが死んだのはお前のせいじゃねえ。わかってると思うが、もし、次命令違反したら女でもぶっ飛ばす、いいな』

 

『……ちっ』

 

 舌打ちしたリアに、ライデンがおまっ、と怒鳴り、同調下の為、耳を塞いでも無駄だと知りながら塞ぎたくなる口喧嘩の応酬が響く。

 

『少佐。もう繋いでこないかな』

 

 そんな中、セオが漏らした言葉に誰も返答はなかった。

 

『…………』

 

 シンすらも否定も肯定もしなかった。

 ようやく子供じみた口喧嘩は終わったライデンが言う。

 

『あの声を聞いて、繋いできた奴はいねえからなぁ』

 

 しかし、思い出した事があった為、否定し直す。

 

『ああ、いや。一度だけ繋いできた奴がいたっけな。そいつもそれっきりだったが』

 

 カイエは、常に隣りにいる小隊長に声を掛けた。

 

『リア、本当の名前を言わなくても良かったのか? これでお別れかもしれないんだぞ』

 

『リアだけずるいー。あれなら私も、言わなきゃよかった』

 

 クレナがぶーたれている。

 リアの返答は意地悪をする子供の様に、素っ気ないものだった。

 

『死ぬまで間違えてればいいのよ、あんな奴。それが私の復讐』

 

『それは……なんというか、みみっちいとしか言いようがないな』

 

 カイエは呆れたように嘆息する。

 それから、悲しむ様に、名残惜しむ様に小さく呟いた。 

 

『せっかくお互いを知り合えたというのにな……』

 

 

 

 

 

 あツい、イやだ……イやだ。ままママ……しにたくない……しにたくない!

 

『や、あっ……嫌ぁああああああ……っ!』

 

『少佐!切りますよ!』

 

 レーナは頭を抱えたまま、管制室で一人、床の上で丸まっていた。

 

 ……今の声は……何?

 

 同調しているプロセッサーの声でも、知っている誰かの声でもない。

 

 ……死霊の声。

 

 スピアヘッド戦隊就任前におじ様から聞いた噂、そしてそれが事実である衝撃。

 レーナは体の震えを抑えきれず、恐怖から逃れる様に目を瞑ってしまう。

 

 だから、スクリーンに自軍の二機に戦死マークが出ている事に気が付いたのも、しばらく後の事だった。

 

 

 

 損害報告……、書けない。

 

 夜、自室にてペンを握りしめたまま、レーナは顔を歪ませた。

 私のせいで、名前を聞いたあの二人がもういない。

 私が管制を放棄したから……。

 

 私のせいだ……。

 

 もう一度同調するのがつらい、申し訳ない。

 それ以上にあの声を、断末魔を、愛する人を最後に呼ぶ声を聞くのが恐ろしかったのだ。

 

 一体、あの声は……。 

 

 "ミリーゼ少佐は、声を聞かれました?"

 

 朝の会話が呼び起こされる。

 

「シュタット少佐……」

 

 少佐は、あの声の事を知っていたのだろうか。

 




時系列をいじったら、レーナが僅か半日で誓いを破った人みたいになっちゃいました。

次回、レーナのどきどきデート大作戦
1.リードとデートに行く
2.シンに声について聞く
3.ハンドラーを辞めて、研究部に行く


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 デート

 朝8時、レーナは噴水広場の前で約束の相手を待っていた。

 昨日の戦闘の後、結局レーナはスピアヘッド戦隊に再同調する事は出来なかったのだ。

 

 吐き気がするほどの恐怖が襲う中、何度も自分を叱咤激励しながらも、結局は叶わなかった。

 

 そこでまずは、シュタット少佐が放った言葉の真意を確かめる事にしたのだ。

 彼はきっと、何かを知っているに違いない。

 

 でも、本当はそれを言い訳にして、先送りにしているだけなのだという事を、自覚はしていた。

 

「遅いですね……」

 

 あまり眠れなかった為、瞼に隈が出来ていないか確認する為にも、何度か目を擦る。

 それでも、きちんと身支度を整えてこれたのは、ミリーゼ家の令嬢としてのプライドだろうか。 

 それとも、いつも着慣れている軍服だったからだろうか。 

 

 ……しかし、何故デートにシュタット少佐は軍服で来て、などと言ったのでしょう。

 

「お待たせしました!」

 

 その非常識な疑問も、リードが現れた時にはレーナの頭の中から吹っ飛んだ。

 

 車を運転して現れたのは、自分と同じく軍服姿の少佐だ。

 それはまあいい。

 

 けれど、運転している車の方には唖然とさせられた。

 この第一区を行き来する車は高級車で占める中、リードは塗装が剥げかけた荷台付きの小型トラックでレーナの前に現れたからだ。

 

「すみません、ちょっと収穫を手伝ってまして、遅れました」

 

 リードは慌てて降りてきて、レーナの為に助手席を開ける。

 しかし、お世辞にも綺麗とは言えない座席にはいくつも葉っぱが落ちていて、リードはさっと手で払いのけた。

 

「え、ええと……」

 

 今日はデートの目的で、呼んだのですよね……?

 と、問いただしたくなったが、レーナは言葉を飲み込んだ。

 

 いくら自分にこういった経験がないとはいえ、これはさすがにないだろう。

 助手席のシートの席は綻び、足元にはごみが散乱している。

 

 それにリードの言った収穫とは、後ろの木箱に入れられたリンゴの事だろうか。

 荷台には他にも瓶やら、何やらよくわからない荷物が所狭しと乗せられている。

 

 まさかシュタット財閥の御曹司が、こんな車しか持っていないという事はないだろう。

 もしかして、昨日真っ向から意見を対立させた自分への嫌がらせなのではないだろうか。

 ほんとに、なんなのだろうか、この人は……。

 

 思わず固まっているレーナに、リードは声を掛けてきた。

 

「どうしました?……彼らの墓に彫る名前でも悩んでいましたか?」

 

 片頬だけを釣り上げる、歪な笑い顔と共に。

 レーナはむっとして、戦いに赴く様な面持ちでトラックに乗り込んだ。

 

「遅れたお詫びと言ってはなんですが、これをどうぞ」

 

 運転席に座ったリードは、赤く熟れたリンゴを一個差し出してくる。

 

「い、いいのですか!?」

 

 どうぞ、どうぞと差し出されたリンゴを、レーナはあたふたと受け取った。

 

 自然の果物を食べられる事など、滅多にないのだ。

 大抵は、食料生産プラントで合成された形だけ似せた偽物だ。

 

 ごくりと、唾がなるのも当然だった。 

 市場に流したら一体、一個いくらになるのだろうか。

 

「そんなに畏まらなくてもいいですよ。シュタット家の敷地に生えている木から採ったものですから」

 

「こんなに採れるものなのですか?」

 

 後ろの木箱を見る限り、かなりの数だ。

 

「昔からリンゴは医者いらずと言うでしょう?シュタット家は、代々医師の家系ですからね。戦前から庭はリンゴの木だらけなんですよ」

 

 じゃあ遠慮なく、とも言えず。

 レーナは後でどう食べようか悩みつつ、大事そうに座席に横に置いた。

 

 トラックはリードの運転で、首都の街並みを移動し始める。

 一応、軍籍であるレーナも講習さえ受ければ、免許は貰えるのであるが、乗る予定がないレーナは取っていない。

 

「あの、シュタット少佐」

 

「リードで構いませんよ、同じ階級ですし」

 

「いえ、シュタット少佐の方が先任ですから」

 

 本当は、そこまで馴れ合いたくないというのが本音だ。

 こちらの気持ちを知らずか、レーナの固い口調をリードは気にした様子はない。

 

「それで、今日はどちらに向かわれるのですか?」

 

 レーナは一番聞きたい事よりも、まずは目的地を訪ねた。

 彼と話しをするにせよ、どこかきちんと向き合える場所でしたかったからだ。

 こうも狭い社内だと、何かと落ち着かない。

 

「少佐は第一区を出られたことは?」

 

 質問には、質問を返された。

 

「一応……ないですけど」

 

「じゃあ、いい機会ですね。今日は84区まで行く予定なので」

 

「84区って……まさか」

 

「ええ、ミリーゼ少佐はヴァンデュラム社を調査されたかったのでしょう? 許可はすぐにとれたので是非とも行ってみましょう」

 

 レーナがお願いしたのは昨日なのだが、もう彼は動いてくれたというのだろうか。

 しかも、彼自ら運転して直接現地に乗り込もうというとは。

 予想だにしていなかったデートの目的に、レーナは動揺する。

 

「あの、許可とは、誰に取ったのでしょうか?」

 

「俺です。だって俺の会社ですから。いやー、正直あの場でOKしても良かったのですが、その前に少佐と議論をしたかったもので。すみません」

 

「っ……そうですか」

 

 いたずらを成功させた子供の様な顔で笑うリードに、レーナは眉根を寄せ、苛立ちを隠せれない。

 そして、気が付いた事がある。

 

 リードの雰囲気が昨日会った時とは、大分違うという事に。

 口調も違うし、砕けているというか、どこか自然体に感じるのだ。

 

「その事については感謝しますが、その。あまり遠くは困ります。いつレギオンの襲撃があるかわかりませんし……出来るだけ管制室から離れたくないのです」

 

 レーナは口ごもりながら、色々な意味でやんわりと行きたくないと伝えた。

 敵に備えるという理由の癖に、自分から彼らに同調する事すら出来ていないのにだ。

 それでも、襲撃があればレーナは取るものも取らず同調するつもりではあった。

 

「今日はレギオン襲撃予測の可能性は低いのでしょう?それに、一応俺から隣の戦区に応援を要請しておきましたから」

 

「あれはシュタット少佐が!? 私がいくらお願いしても動いてくれなかったのに……」

 

 朝、頼んでもいない応援要請の受諾が隣の隊から来ているのにレーナは驚いたのだ。

 あれを少佐がやってくれていたとは。

 

「持つべきものは友というものです」

 

 リードは微笑し、言葉を続ける。

 

「それに……もしもの時もアンダーテイカーがいるならば、何も問題ないでしょう」

 

「っ……」

 

 レーナはリードの含みがある言い方に顔色を変え、横を向く。

 リードの軽薄な笑みは、姿を消していた。

 

「やはり……少佐はあの声の事をご存知なのですね。一体……あれは」

 

 戦慄したレーナの声に、リードは初めて気遣う様な声を出す。

 

「ミリーゼ少佐。昨日眠れてませんね。まさか俺が質問したその日に、あの声を聞くとは……間がいいというかなんというか」

 

 レーナは信号が赤の間、リードがじっと自分の顔を見ている事に気が付き、慌てて正面に視線を戻した。

 

「あの声については向こうについてから話しましょう。きっとその方が理解が早いと思いますし。……それに聞くならば、直接彼に聞いたほうがいい」

 

「それは……わかってはいるのですが……」

 

 レーナの逡巡に対し、事情をわかっているのだろうかリードはそれ以上何も言わなかった。

 そうなるとレーナも、話題がなくなり、とりあえず目下の目的を案ずる事となる。

 

「少佐は、何故私がヴァンデュラム社を調査したいのか……ご存じなのですか?」

 

「ええ」

 

 レーナは少し血相を変えてしまう。

 知っていて、現地に行こうとしているのだとしたら、今すぐ彼を止めた方がいいのだろうか。

 彼らの為にとなるのならば、今ここでハンドルを奪って事故でも起こした方がいいのかもしれない。

 

 本気でレーナが手に力を入れ始めた時、リードの言葉がそれを止めた。

 

「ラグア・イリノスという人物に会いたいのでしょう?」

 

「どうしてそれを……」

 

 あれ、自分は彼にその名を告げただろうか。

 疑問が大きくなる前に、彼は驚くべき事を言ってきた。

 

「俺は彼の事をよく知ってまして、実は管制システムの改良をこっそり依頼したのも俺なんですよ」

 

「え……?」

 

 どうして少佐がそんな事を……。

 それではまるで……。

 

「向こうにつけば彼に会えますから、それも向こうについてからのお楽しみとしましょう」

 

 と言い終えた所で車が止まった。

 

 どうやら第一区の区画の端に到達したようだ。

 前方には検問があり、通行する車の一台一台を憲兵が調べている。

 

 勝手に区間内を移動したり、危険なものを持ち込まない様にする為のものだ。

 ライフルを担いだ一人の軍人が、リードの方に近づいてくり。

 

「あれ、先日ぶりです、少佐殿~」

 

 髭を生やした一等兵が、その凶悪そうに見える相貌を崩してリードに話し掛けてきた。

 

「やあ、軍曹」

 

 一回りも上の年齢の軍曹にリードは、気さくに会話をし始める。

 

「また、大荷物ですか……。一応仕事としては全部確認しなきゃならん事になってるんですがね」

 

「固い事を言うなよ、今日もいいだろう。特別に先日の負け分は俺のおごりでいいぞ、どうだ」

 

「そうこなくっちゃ。次回もお願いしますよ」

 

 何の話かわからないレーナは、じっと黙ったままだ。

 しかし、自分の話題が出ると、さすがにじっとしてはいられなかった。

 

「少佐ー、今日は女連れですか? まさかデートじゃないでしょうね?」

 

「違います!」

 

 呆れた声の軍曹にレーナは全力で否定するもリードは、まあ、そういう事だと肩をすくめるだけだ。

 それから、リードが身分証を渡したので、レーナもそれに続く。

 軍人ならば区画間の移動も、比較的容易い。

 身分証の確認の間に、リードが不思議そうに首を捻ってきた。

 

「あれ、俺デートって言いましたよね?」

 

「これは、絶対に、違います!」

 

 リードの軽口に、レーナが赤い顔で否定をする。

 どう考えても内容が、デートとは無縁の存在だ。

 自分が想像するのは……もっと、こう……。

 

 そこまで想像した所で、ようやくレーナはぷすぷすと鎮火したのだった。

 

「どうして俯いてるんです? もう、検問は通過しましたよ」

 

 レーナは第一区を出たという感慨もなしに溜息をついた。

 それにしても、リードは顔が利くのだなと、レーナは改めて感心する。

 列になっている検問も、対した時間も掛からず通過出来てしまった。

 

「そう言えば、先ほどの軍曹の負け分とは、何の事なのでしょうか?」

 

「ああ、ポーカーです」

 

 気になった内容は、まさかの賭け事だった。

 

「奥さんにどやされるだろうに懲りない奴なんです……何故か、弱い奴こそやりたがるんですよね。まさにカモという奴です」

 

 にやりと笑ったリードの言葉に、レーナも釣られて笑ってしまった。

 どかかで聞いた様な気がするセリフだ。

 

「ま、これが友というものです」

 

 それだけは絶対に違うと思ったレーナであった。

 




あれ、思ったより話が進みませんね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話 矛盾

 第一区以外の街並みを見るのは初めての事だったが、レーナにとって特に目新しいものはなかった。

 変化したものといえば、旧貴族の名残を残す豪邸がなくなり、ごく一般的な住宅が立ち並んでいる所か。

 あとは、通りを歩く人の数が第一区よりも多いと感じたぐらいだ。

 

「……」

 

 二人の間に会話はないが、気まずい訳ではない。

 ただ、余りレーナがリードと話したい普通の話題がないだけだ。

 となると、やはり口を開けば彼らの話になる訳で。

 

「昨日はありがとうございました。……少佐は気付いていたのでしょう? 彼らを人扱いしながらも名前すら聞いていなかった私の馬鹿さ加減を……」

 

 あのリードの言い回しは、皮肉でもなんでもなかった。

 ただ、議論の相手として選んだレーナが、その土俵に立つ資格すらないと諭すものだったのだ。

 

「そういうつもりでは……。と、まさか……彼らに名前を聞いたのですか?」

 

 リードは驚いた声を上げる。

 

「はい、スピアヘッド戦隊22名分の本当の名前を教えてもらいました」

 

 彼らの名前はきちんと似顔絵と共に、レーナの記憶に刻まれている。

 しかし、その中の二名の声を、もう二度と聞く事は出来なくなった。

 その事に、覚悟はしていたはずだが、やはり胸が抉られるように痛みを覚える。

  

「大抵の者は、今更聞いて何になると、目を背けるでしょうに。どうやらミリーゼ少佐、俺は貴方を見誤っていたようだ。謝罪します。……その上で」

 

 ふいにリードの声が、真摯に気持ちを込めたものに変わる。

 

「俺は貴方を尊敬します」

 

「そんな事は……。私は知ろうともしないで、嘆いていただけの愚か者ですから」

 

 あの時ですら、ただ卑怯者でいたくない、という自分本位の考えだっただけだ。

 シンと比べれば、自分が背負おうとしているものなど、わずかなものでしかないだろう。

 自分は未だ、二人の死と向き合うのに苦しんでいるというのに。

 

 そこにリードが、ぽつりと語り始める。

 

「無知は罪ではありません。幼子が物を知らないからと言って怒る道理はないでしょう? ただ……知る事が出来て、やれる事があるのに、それをしようとしない奴は……」

 

 リードの最後の言葉は、小さくなって聞き取れなかった。

 だが、何を言おうとしたのかはレーナは、理解する事が出来た。

 

 怠惰な豚。

 "白豚" そう彼らに言われるのは残当。

 そう揶揄されて当然の行為を、我々は犯してきて、今もなおその罪を重ねているのだ。

 

 見て見ぬふりをする者も、同罪であるはずなのに。

 その事を今の共和国の人々は、国家の礎たる理念もろとも失ってしまっているのだ。

 

「それにしても、彼らに名前を教えてもらえるとは。きっと、貴方は信頼されているのでしょうね」

 

 リードの声に、どこか憧憬が秘められている様に感じるのは気のせいだろうか。

 

「いえ……」

 

 レーナは首を微かに振った。 

 その頼りない信頼は、彼らを守ろうとしたり、共に戦ったりした先人達がいたからこそだ。

 自分はまだ、何も成せてはいない。

 

「そうあろうと努めています。……努めていました」

 

 今の状態では訂正する以外、選択肢はなかった。

 

「……少佐は、名前を聞かれた事はあるのですか?」

 

 レーナは半ば期待せず、リードに訊いてみた。

 恐らく、エイティシックスなどの名前を知りたくはないし、教えるつもりもない。

 そんな返答が返ってくると予想していたのだが、思いもよらぬ答だった。

 

「いいえ……。俺は……彼らに名前を聞く資格はありませんから」

 

 絞り出すように声を出したリードに、レーナは拳を握りしめた。

 彼が放った内容の真意を考えるよりも、リードの言葉に納得する事が出来なかったのだ。

 

 これから数多くのエイティシックスを監獄に送り、虐殺をするという計画を発案をした彼が。

 よりにもよってその彼が、自分には資格がないなどと、訳のわからない事をほざいたのだ。

 いっそ彼らを罵る言葉を吐かれた方がレーナも、呆れただけで済んだだろうに。

 

「どうしてそんな事を……っ」

 

 言えるのだ。

 それは逃げではないか。

 彼こそ、もっとも名前を聞くべき責務があるはずだ。

 

「マンゴネル戦隊!! 少佐が最後にハンドラーをされていた部隊の名前です!それは覚えていますよね!?」

 

 思わず叫んでしまった。

 昨日の少女の声が脳内で木霊する。

 あれほど綺麗な声で歌っていた彼女が吐いた毒が、レーナの胸に沸き起こる。

 

「ええ……」

  

 まるで同調した際の彼女の意思が、レーナに乗り移ったかの様だ。

 レーナ自身、自分が抱える苛立ちを彼にぶつけてしまっていると自覚しながら、なおも言葉は止まらなかった。

 

「今、その一人の生き残りの少女がスピアヘッド戦隊にいます!」

 

「知っています。俺が彼女に戦隊移動の通達をしましたから」

 

 リードの口調は固かった。

 

「迎撃砲を不正利用し、彼女の部隊を壊滅させたのは貴方なのでしょう!? それでも少佐は彼女の名前すら知ろうとも思わないのですか! 資格などという言葉で逃げて……知ろうとしない事は罪ではないのですか!?」

 

 一息で言い放ったレーナは荒い息を繰り返す。

 そしてリードがどう反応したのか、確認しようと視線を向けた。

 

「俺は……」

 

 だから、その時になって初めて気が付いたのだ。

 正面を向いたままの彼の横顔を。

 まるで、泣き出すのを悟られまいとしている子供の様な顔だ。

 何かを耐えている様な表情でもあった。

 

「彼女の名は、ヘカ……っ」

 

 言おうとした言葉が遮られる。

 リードがハンドルから片手を放し、伸ばした手の平をレーナに向けてきたからだ。

 

「彼らの名前を言わないでもらえますか? お願いですから……」

 

 リードから今まで聞いたことがない、悲痛な声が滲み出ている。

 レーナはようやく、自分が衝動で何を言ってしまったのか自覚し、唇を噛んだ。

  

 ―――自分に彼を責める資格などない。

 

 彼を糾弾すべき立場なのは彼らなのであって、自分は違うのだ。

 自分も結局は、彼と同じ体制側につく、白豚なのだから。

 

「っ、少佐!前を!前!!」

 

 その時、停止している前の車に激突しそうになっている事に、レーナは気が付いた。

 衝突まであと僅か。

 レーナ自身、話す事に必死になっていて警告が遅れてしまった。

 

 しかし、リードが急ブレーキを踏み込んだ事により車は、前方の車の残り僅か数センチ手前で停止する。

 後、少し警告が遅れていたら事故になっていただろう。

 

 レーナは逸る心臓を押さえながら、リードを見る。

 

「……すみません」

 

 その言葉が何を意味しているのか。

 リードは全く慌てた様子もなく、一声だけレーナに告げてきた。

 

 運転中はこの話題はやめようと考え、また自分は絶対に運転はしないと誓ったレーナであった。

 

 

 しばらく無言のまま、幹線道路を移動する。

 次に口を開いたのはリードだった。

 

「……マンゴネル隊の壊滅は俺のせいです」

 

 ぽつりと吐き出された言葉は冷たく、重い。

 

「あのクソ共が、勝手に戦線を放棄するなど予想もしていなかったんです。……いや、片手落ちでハンドラーをしていた俺のせいでもあるか……」

 

 そう言えばレーナも聞いたのだった。

 自慢げに職務放棄を酒の肴にしてた彼らの話を。

 しかし、シュタット少佐の口から、こんな悪態が出てくるとは意外だった。

 

「同調で気付いた時には戦線は崩壊。管制室に飛び込むも、マンゴネル隊は一人を残してほぼ包囲され、壊滅状態でした。だから、せめて彼女一人だけでも救うには、迎撃砲を使用するしかなかったんですよ」

 

「では、迎撃砲のシステムエラーというのは……」

 

「俺の仕業です。正規の手順を踏んでいる時間などなかった。無理やり以前仕込んだバックドアで砲撃統制システムに侵入して、発射したんですよ」

 

 彼が言っている事は本当の事なのだろうか。

 だが、自分にこんな手の込んだ嘘を彼が吐く理由はないはずだ。

 

「まあ、俺の仕業だと誤魔化すのに、だいぶ骨を折りましたけど」

 

 自嘲する様に鼻を鳴らしたリードは、しらばくぶりに頬を歪めた笑みを見せる。

 

「実は数年前、迎撃砲を使える様に働きかけたのは俺なんですよね」

 

「少佐が?」

 

 聞いたことがない話だった。

 

「では、ここで質問です。戦争がなくなって一番困るのは誰だと思います?」

 

 そこで、リードは生徒に問題を出す先生の様に、声を弾ませた。

 

「軍人……でしょうか」

 

「確かに、今の軍はただの失業対策にすぎませんからね。戦争が終わると大勢の人が職にあぶれるでしょうね。ですが、それ以上に困る人達がいるんですよ」

 

 そこで、リードは車を停止させた。

 またも、前の車が停車したからなのだが、今度はゆっくりとしたものだった。

 

「例えば共和国工廠……つまりは、軍需産業です」

 

 共和国工廠……RMI。

 今やレギオンに対する装備、弾薬、戦闘機械……戦争に関する全てを生産する企業だ。

 

「彼らは戦時下で急速に、この国家に根を下ろし、今や国政すらも左右する大きな存在となっています。そんな彼らが戦争が終わるからと言って、今の利潤を放棄して、軍縮をおいそれと受け入れると思いますか?」

 

「それは……」

 

 あまり考えた事はなかった。

 レーナにとって、そういう政治事の話は遠い世界の事だったからだ。

 真面目にパーティーに出たり、令嬢として生きていたならば、そういう世界に足を入れていただろうが。

 

「そこで、当時そんな彼らのお偉方に迎撃砲の使用を俺がご注進したんですよ。わざと弾薬の嘘の使用期限を申告していまえばいいとね」

 

 リードはどこか投げやりな言い方だ。

 

「ついでに今なら軍から割高で、弾薬再装填作業も引き受ければいいと。彼らは目の色変えてましたよ。まあ、そりゃそうでしょうとも。巡航ミサイル一発で目玉が飛び出る額ですからね」

  

 片手をひらひらと、札束の様に躍らせていたリードの手が止まる。

 

「まあ、幾つか政治的なやり取りでもあったのでしょう。俺の目論見は見事叶いましたが、あの時は浅はかな考えでした。結局、迎撃砲も使う側がクソだと効果がないどころか有害だったのですから」

 

 ハンドラーがわざとプロセッサー毎、レギオンを吹き飛ばすなど日常茶飯事。

 でも、少なくとも少佐はその様な意図ではなかったのだ。

 となると、彼に謝らなくてはいけない。

 

「あの、先程は不確かな事で糾弾してしまいした。申し訳ありません」

 

「いえ……所詮は俺も、その金の亡者の一員ですからね」

 

 その時、後ろからクラクションを鳴らされ、リードは車を発進する。

 

「この道路、どうしてこんなに渋滞してるか知ってますか?」

 

「そういえば随分と込んでいますが、いつもこんなものなのでしょうか?」

 

「まさか、今、中央まで続く幹線道路の拡充工事をしているからですよ」

 

 拡充工事……。

 何の為にだろうか。

 

「終戦の時の軍事パレードの為ですよ」

 

 リードは、レーナの疑問に答えた。

 レーナは工事をする作業員を横目に見ながら、リードの話を聞く。

 

「お偉方はジャガーノートをずらりと凱旋式に並べて、民衆に誰のお陰で生き延びれたか見せつけたいそうで」

 

「え、でもジャガーノートには……」

 

「勿論、彼らは乗せないでしょう。今の技術でも真っ直ぐ進むぐらいの自動化技術はありますからね」

 

 それはまたもや我が国らしいとしか言いようがない。

 

「ちなみに工事にはうちの企業が関わってまして、かなり儲けさせて貰いました」

 

 リードにレーナはきつい視線を向ける。

 それに動じた様子はなく、リードは首を竦めた。

 

「……少佐は一体、何がしたいのですか?」

 

 どうしても答えて欲しかった質問に、リードは答える事がなかった。

 曖昧な表情を浮かべ、一度だけ耳を指で押さえる仕草をしただけだ。

 ただ、それだけだった。

 

 矛盾している。 

 彼の言動がわからない。

 

 片やエイティシック達の虐殺行為に加担し、片や一人のエイティシックスの為に、迎撃砲を無断使用する。

 管制システムの改良に関わり、国家の隠蔽にも金儲けの為に関わっている。

 

 何がしたいのか見えてこない。

 

 ただ、一つだけはっきりと気が付いた。

 彼は、今日は一度も彼らをエイティシックスと呼んだ事がない事を。

 




思ったよりぐだぐだ会話回となってしまいました。
次こそは、話を進めれるはず!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話 共和国工廠

 その後、リードとの間に特に会話はなく、車に揺られ続けられ数時間。

 寝不足のレーナが眠気覚ましに足をつねる事に、耐えられなくなっていた頃。

 ようやく目的地に到着した様だ。

 

 その頃になるとはっきりと、違いが分かる様になっていた。

 

 所狭しと乱立された集合住宅に、景観というものは存在しない。  

 所々、崩れ落ちた箇所もあり、幌を被せてその中で暮らしている者が大勢見える。

 通りには鉄くずなどのゴミが散在し、そのすぐ横で焚火を起こしてる人々の服装は薄汚れていた。

 

 じっとレーナが乗る車を、目線で追ってくる大勢の白系種の人達。

 誰もが今までレーナが見た事がない程、淀んだ目をしていた。

 

「少佐、あまり顔を出さないで下さい」

 

 リードは窓に顔を寄せていたレーナに忠告してくる。

 どういう意味か問いただす前に、リードはハンドルを切り、ある敷地に入って行った。

 

 両脇に立つ門には、共和国工廠と書かれた古びた看板がかろうじてぶら下がっている。

 座り込んだ警備兵らしき人物が、手を上げて挨拶をしてきた。

 

 その周りには、子供達が集まり、何やら食べ物を分けてもらっていたようだ。 

 擦り切れた服を着た子供達の白い髪は、誰もが汚れ、清潔とは程遠い。

 

 車が止まり、ようやく地面に降りたレーナは、まずは匂いに顔を抑える事になった。

 

「っ……」

 

 ただ、臭いのとは違う。

 本能的に健康を害しそうとわかる化学成分を含んだものだ。

 

「後でわけてもらえるから、大人しく待ってろって」

 

 荷台を振り返ると、リードが子供達に取り囲まれていた。

 その集まりをかき分ける様に、リードは荷台に上り、木箱を一つ抱える。

 

「さあ、行きましょうか、あの工場の奥にヴァンデュラム社があります。寄り道しますけど、危ないですからちゃんと、付いてきてくださいね」

 

「わ、わかりました」

 

 子供ではないのだ。

 そんな言い方をされると、むっとしてしまう。

 しかし、その意味はすぐにわかる事となった。

 

 工場の中はレーナが今まで体感した事がない様な汚さだった。

 様々な機械が動き、耳を塞ぎたくなる騒音を立てている。

 見た限りだが、何らかの部品を製造する自動生産工場なのだろう。

  

 ただ、自動工場といっても、誰も人がいないわけではなかった。

 レーナが目を逸らしたくなる恰好で、汗を流しながら大勢の男性が働いている。

 奥の作業机にも、幾人もの年配の女性達が細かな部品を手を動かして磨いていた、

 

「おやっさん!!」

 

 その中の一人の壮年の男性に、リードが声を張り上げた。

 思わず身を引きたくなるほど、むわっとする臭いを漂わせた熊の様な人がやってくる。

 

「リード! てめぇは、またきやがったのか! 誰が入っていいって言った!!」

 

「まあまあ、そう言わずに。また、トラックでありったけ持ってきましたんで。皆さんで分けて下さい」

 

 リードのにこやかな笑みに、おやっさんと呼ばれた人物は禿げ上がった頭を掻く。

 

「あ、ああ。いつも助かるな」

 

 リードへの何かの礼もそこそこに、今度はレーナの方を向いた。

 じろりとした剣呑な視線に、レーナは挨拶すら出来なくなるほど委縮してしまう。

 

「こんな嬢ちゃんを連れてきて、どういうつもりだ?」

 

「うちの会社に用事があるだけですから。すぐに抜けます」

 

 リードがレーナの前に立ち、猛獣から庇う様な格好になっていた時、誰かが物を落としたのだろう。

 けたたましい金属音が鳴り響いた。

 

「こら、てめぇ!何してやがるッ!!」

 

 レーナが自分が叱られたと思い、びくつくほどの怒声だ。

 しかし、対象の相手は後ろ。

 操作盤で、クレーンを動かしていた若い男だった。

 

「俺は散々言ってるよなぁ!! エイティシックス共がへまして死ぬのはあいつらの勝手だが、俺らが作った部品のせいで死んだと言われる気はねぇってな!!」

 

 その余りな言い様もだが、何より内容がレーナは気になった。

 ここの人達は、無人であるはずの戦闘機に人が乗っている事を知っているのだろうか。

 

「あまり長居してると、あの人の怒声で鼓膜が破れますよ」

 

 リードは耳を抑えて苦笑し、勝手知ったる様子で工場内を進み始める。

 慌ててレーナも追いかけ始めた。

 

 そしてすぐに働く人達の誰もが、自分を睨みつける様に見ているのに気が付いた。

 知らない場所という事もあり、思わずリードに身を寄せる。

 まさか、彼が自分をわざと危険な目に会わせようとしているとは考えたくはないが。

 

 騒々しい工場を抜け、雑草が生えた裏手に出ると、ようやくレーナは一息付く事が出来た。

 

「あの、ここはジャガーノートの生産工場なのでしょうか……?」

 

「ええ、そうですよ。共和国工廠は大部分の自動生産工場を、当時前線近くだった85区の外周部に作ったんです」

 

 リードは遠目に、黒い煙を吐きあげている工場群を見やる。

 その外観も、当然すぐ傍の工場も錆びだらけで、その役目を果たせているのか不安になる。

 それをリードもわかっているだろう。

 呆れる様な口調で、肩をすくめた。

 

「すでにどれも、自動工場とは名ばかりのものばかりですよ。生産性を度外視した稼働もですけど、7年もまともに改修が行われてませんからね」

 

「では、ここの人達は……」

 

「共和国工廠に雇われている人達です。主に補修や部品交換、後は完全に動かなくなった機械の代わりも務めています。中央にいる奴らは認めやしないでしょうがね。自分達の工場が半自動工場と化してるなんて」

 

 リードはそこで後ろを振り返った。

 

「それにあの言葉、気付かれたでしょう? ここの人達は操縦席の組み立てにも関わっているんです。無人式自律戦闘機械などと謳っている機械に必要であるはずがないものを」

 

「やはり、そうなのですね。なら……」

 

 知っているというのなら、あんな発言をしなくてもいいものを。

 

「ミリーゼ少佐。別にわかっていてなお、ここの人達は86区の人々に優しく出来るわけではないのです。彼ら自身、日々の生活で精一杯ですから」

 

 それはここに来るまでに目にしてきた光景で、レーナにもわかった事だ。

 中央とこの外周部では、あまりにも生活水準が違いすぎる。

 勿論、前線や強制収容所とは比べるべくもないが、それを第一区に住むレーナが言えるはずもなかった。

 

「ですが、中には自分の仕事に誇りを持ち、その役割をきちんと果たしている人もいるのですよ」

 

 リードの言葉にレーナは頷いた。

 さっき、あの人が怒鳴った理由もそれなのだろう。

 あの怠惰を体現した共和国軍と比べれば、ここの人達の方が何億倍も人らしい。

 

 それからリードが辿り着いたのは、巨大な倉庫だった。

 正面の巨大なゲートの横には勝手口。

 横着にも木箱で両手が塞がっているリードは、足でその扉を蹴って開けた。

  

「ひっ……!」

 

 そして、床に倒れ伏している人物を見てレーナは悲鳴を上げた。

 対して、リードは冷静にその白衣を纏った人物の横腹を足で小突く。

 

「ベクタ博士ー、死ぬならベットでお願いします」

 

 リードの冷淡な声に死骸、いや眠っていただけの人は体を起こす。

 

「違う……あの理論は駄目だ!こうして、ああ……くそっ、あやつさえいれば……」

 

 ぶつぶつと、唸り声を上げて飛び起きたのは、髭を蓄えた初老の男性だった。

 目にも止まらぬ速さで、リードが持つ木箱からリンゴを奪うと、すぐに傍にあるデスクの端末に向きなおる。

 

「ちゃんと、食事は取ってくださいよー」

 

 リードの言葉を無視し、老人はレーナから見れば、眩暈がしそうな数列を打ち込み始めた。

 呆れた様にリードは薄暗い部屋の電気を点けると、テーブルに木箱を置き、溜息をつく。

 

「あのこちらのご老人は?」

 

「ベクター・ランドル博士です。数年前、資金援助の代わりにヴァンデュラム社の名ばかりの社長に招いたんです」

 

 ああ、そう言えば資料に書いてあった様な。

 

「彼は元々、大学で人工知能の研究をしていまして、7年前、無人式自律戦闘機械の開発にも携わっていたのですよ」

 

「じゃあ、ランドル博士は今も開発を!?」

 

 人工知能が開発されたのなら、シン達は戦わなくてすむ。

 本当に、人の犠牲のない戦場が実現するのではないか。

 レーナは期待の眼差しでリードに詰め寄ったが、彼の表情はおもわしくはなかった。

 

「そう……出来てたら良かったんでしょうね。残念ながら、当時国家総動員でも完成させられなかったプロジェクトを俺達だけで達成するのは、予算的にも人員的にも不可能なんです」

 

「……それは、本当に残念ですね」

 

 レーナは肩を落とした。

 

「もし共和国に慧眼があり、良心というものが残っていたなら完成させられたかもしれませんけどね」

 

 リードが本当に惜しむような声を上げる。

 

「どういう事でしょうか?」

 

「強制収容所に送られた方の一人と博士は、共同研究をしていたそうなのですよ。そして彼が最もその根源に近かったそうです。ですが、共和国はその英知も、研究成果も全て亡き者にしてしまった。まあ、呆れた話です」

 

 そんな愚かな話はないと、レーナも憤りを感じる。 

 共和国は自らの首を絞め、取り戻しがつかない選択をしてしまったのだ。

 もし、その過ちがなければ今どんな世界が広がっていただろう。

 

 声と名前しか知らない彼らと並んで歩く日常があったのだろうか。

 




やっぱりオペレーション・ハイスクールは尊いですよね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話 訓練

 ベクター博士のキーボードを叩きつける音で、レーナは現実に引き戻された。

 

「今、博士の方にはジャガーノートのOSの改良をしてもらっているのですよ。その成果………と言える程のものではないですが、まあ、お見せましょう」

 

 そして、リードは先ほどから見えていた窓の先を指さした。

 博士の部屋を出て、ジャガーノートが立ち並ぶ倉庫に足を踏み入れる。

 

「ここは元々、ジャガーノートの試作機をテスト運用する場所だったのですが、ここ数年ただの予備機の倉庫となっていたので、俺が貰い受けました。元々、シュタット家が共和国工廠に貸与していた土地を返してもらっただけですけどね」

 

 50機はあるだろうジャガーノートには、作業服を着た人達が張り付き整備をしている。

 その中の幾つかのジャガーノートは、レーナが見た事がない形をしていた。

 

 黒塗りされた機体や、足回りが改良されているのか太い脚部を持つ機体。

 さらに奥には普通のジャガーノートの倍以上ある機体もあった。

 主砲の口径は120㎜だろうか、何故か機体の後方にまで機銃が装備されている。

 

「ああ、あれは開発当時の試作機で名前もなく、製造されたのも一機だけの代物ですよ」

 

 レーナが足を止めたのを見て、リードは隣に立ち説明を始める。

 

「ちょうどレイドデバイスが完成しようかという時に、あるアホな将校が発案したんですよ。搭乗員2名で、2人の視界を同調して、前後同時に見えるようにすればいいと」

 

 レイドデバイス。

 長期間の接続や、過度の同調はハンドラーに死を招くほど危険な代物だ。

 

「その将校は、同調の危険性についてわかっていなかったのでしょうね」

 

「ええ、普通の人間は脳が負荷に耐えられず死にますからね。武器管制と操縦を別々に行うという発想は珍しくもないのですが、レギオン相手の戦闘では、その思考ロスは命取りだ」

 

 それはレーナ自身も管制をしていて理解していた。

 何故、履帯式戦車が廃れてしまったのか。

 

 その理由は、レギオンの進行速度だ。

 同じだけの物量をぶつけない限り、自らの破壊を厭わない機械相手では足の遅い戦闘機では飲み込まれてしまう。

 そして、物量戦を可能とするだけの生産設備を共和国は有していない。

 

 その点、ジャガーノートは身軽だ。

 4脚歩行とワイヤーアンカー使用し、市街地では三次元的な戦場をも展開出来る。

 それでも、なんとか拮抗出来ているレベルだが。

 

 そしてそれは、おびただしい死者の上に成り立つ彼らが受け継いできた戦果だ。

 

「中距離での戦闘が主になっている今、レギオンの攻勢を止め、味方の損害を抑えるには機体の性能を更に向上させるしかないと考えました」

 

 それは指摘の通りだ。

 誰もがシンやリアの様な戦闘機動が可能となれば、より一層被害を減らせる。

 しかし、その機動に中の操縦者が耐えられるかどうかはレーナは頭になかったが。

 

「そこで、その現状を変えようと俺達はここで第5改修型ジャガーノートを試作しています。とはいっても予算も生産設備もないないづくしですけどね」

 

 ここでも、またもや予算の話か。

 

「シュタット家の財産も俺が全部自由に使えるならいいんですけど、親戚がうるさいですからね。そこで、これまたお偉方を騙して、なんとか生産に漕ぎ着けようとしている所です」

 

「今度はどんな内容の話を?」

 

 レーナは少し呆れた声を上げた。

 迎撃砲使用の件といい、こんな事をしていて彼は大丈夫なのだろうか。

 

「凱旋式で今のみすぼらしいジャガーノートでは示しがつかないでしょう、と。それで予算をぶんどりました。で、立派ながわだけ作ればいいという言い分は無視して、性能証明を逆に落として報告しているんです。財務報告書なんて出したら、役人は血相を変えるでしょうね。ま、誰も現場を見に来る中央の人間なんていませんから、問題ないですけど」

 

 それはまた無茶苦茶な。

 

「生産設備の方も、今ではRMIから一部借りる事が出来ていますが、なかなか量産に進めませんね」

 

「その、RMIに新しく生産設備を作ってもらう事は出来ないのですか?」

 

「無理でした。大量生産の弊害です。おいそれと仕様を変更しようとすれば、莫大な資金もいりますし、何より今の生産に支障が出ますからね」

 

「では、現場への配備はまだ先なのですね……」

 

 レーナが悔し気に倉庫に並ぶジャガーノートを見渡す。

 試作機とはいえ、現行のジャガーノートより確実に、性能は上のはずだ。

 それを彼らの元に届けたい思いは、レーナも同じだ。

 

「実機は、まだですがOSのアップデートは現行の機体にも何度もこっそりと行っていますよ」

 

 リードの言葉に、レーナは視線を彼に慌てて戻した。

 

「で、では。戦場での死者数が減少傾向にあるのは……」

 

 レーナが戦術を組み立てるに当たって、調査したデータがその兆候を示していたのだ。

 数年前の過去の傾向と比べ、前線での死者数が少しづつ減少している。

 その代わり、重症者の割合が増加してはいるのだが。

  

「博士の自立戦闘支援プログラムの成果でしょうね。特にその統計を、新兵の中の死傷者だけに絞ると、さらにその割合は減少していると思いますよ」

 

「新兵のみですか?」

 

「ええ、実は操縦者の熟練度に対し、OSが操縦補助を行えるようにしているんです。まあ、熟練者には逆に邪魔となりますから、そこは臨機応変にオンオフするような仕様にしてあります」

 

 そこまで出来ているとは。

 

「ちなみに俺達は、そのプログラムをアンダーザヘッドとか、アンダーヘッドって呼んでます」

 

 頭より下。

 つまり、頭脳がないという意味だろう。

 ということはやはり。

 

「操縦者が必要ないとまではいかないのですね……」

 

「そうですね、せいぜい親機に随伴する移動砲台ぐらいにしかなりませんし、現場の士官が戦闘中に操作する事は困難です。しかし、かといって現場が見えないハンドラーからでは指示を出せない」

 

 どっちつかずの中途半端か。

 あの博士が頭を抱えていた理由もわかるというものだ。

 それほどまでにレギオンを作った帝国の技術と、共和国の技術は乖離している。

 

「まあ、それでも今の所、操縦者が気絶しても基地に帰還するお掃除ロボットぐらいの動きは出来ますよ」

 

「そうですか……」

 

 そしてようやく倉庫の端に辿り着くと、壁際に机が並べられていた。

 その上には乱雑に書類が置かれ、付箋がいくつも張られたPCは画面が見えない程だ。

 

「では、お約束のラグア・イリノスとご対面と行きましょう!」

 

 そう言いリードは笑顔で手を広げたが、今はデスクに誰もいない。

 

「えっと、どちらに?」

 

「ラグア・イリノスはここにいますよ」

 

 さらに二、三度がばっと目の前で手を広げてくるが、やはりリード以外誰もいない。

 

「シュタット少佐……からかうのも」

 

 拳を握ったレーナは、語気を強めた。

 今までも散々振り回されて、レーナにはストレスが溜まっているのだ。

 さっさと言え、という雰囲気を感じ取ったのだろう。

 

「すみません……実は、ラグア・イリノスという人物は架空の人物なんです」

 

「架空……」

 

「情報統制局の熱心なお怠けのお陰で、ダークウェブ、ネットの奥底では、隠れて今の政府を批判する人も大勢います。彼らは表立って声を上げる事はありませんが、少しでもと、手を貸してくれる人もいるんです」

 

 あまりPCに詳しくないレーナでは知らぬ情報だった。

 

「勿論、全員が全ての真実を知っているというわけではありませんが、政府のいう事を丸のみするのを嫌う陰謀論者ってのは、一定数どこにでもいますから」

 

 そこでPCに通知があったらしくリードは、手を伸ばす。

 リードはPCをいくつか操作をした後、再びレーナに向き直った。

 

「そこで、そういう人達の協力を得るのに、その名前を利用しているのですよ。少佐もその口で、この会社に辿り着いたのでしょう?」

 

「じゃあ、あのゲームもシュタット少佐が?」

 

「ええ、あれも俺と、賛同してくれた人々が作ったものです。名前を残したのも、あの真の意味に気付いた人が連絡をしてくるようにです」

 

「そういえば私はシュタット少佐に、その名前を言った事はないはずでしたよね」

 

 電話した次の日、リードがすぐに接触してきたのは偶然ではなかったのだ。

 逆探知とでもいうものだろうか。

 レーナの動きはリードに筒抜けとなっていたわけだ。 

 

「ばれてます? あの時は嘘をついてすみませんでした。それにしても肝を冷やしましたよ。いきなりあんな場所で堂々と体制批判をするとは……。貴方はカールシュタール准将に守られている様ですけど、俺はおいそれとキャラを崩すわけにいかなかったので」

 

「やっぱり、少佐は猫を被っておられたんですね」

 

 リードの昨日の澄ました顔よりも、今日の同年代の様な子供じみた表情の方がレーナにとっては好ましい。

 といってもちょっとだけ好感度が上がったというレベルだが。

 

「ということは、あのゲームには本物の戦闘データが使用されているのですね」

 

「ええ、大元はこいつでして」

 

 そう言うとリードは壁際の大型の装置を指さした。

 

「これは……なんですか?」

 

 その装置は巨大な筐体にいくつも油圧式のパイプが取り付けられ、どうも前後左右、更に回転まで筐体を動かすことが出来るテスト装置の様に見えた。

 

「ジャガーノートの戦闘シミュレーターです。操縦をまだ共和国軍人が担うべきだと考えていた人がいた時代、生産された数台の内、唯一現存する最後の一台です」

 

 そんなものがあるとは知らなかった。

 

「ミリーゼ少佐も乗ってみます?」

 

「いいのですか!?」

 

 レーナは色めき立った。

 別に彼らと同じ戦場に立って、戦いたいという訳ではない。

 ただ、知る事が出来るのなら知ろうと思ったのだ。

 

 併設されたデッキを登ると、少佐が操作盤でシミュレーターを開いてくれた。

 中は狭く、ジャガーノートの実機とそっくりの操縦席にレーナが入ると、目の前のスクリーンに文字が見えた。

 

 No.1  Y・R  900点

 

 誰だろうか、と思う間もなくリードが手を伸ばしてきて、手垢で擦り切れた操縦桿を操作する。

 

「では、新兵訓練用のプログラムからやってみましょう」

 

 すると眼前の三面スクリーンが変化し、廃墟を主とした戦場の風景となった。

 遠くに出現するレギオンの姿も嘗て見たものと同じ。

 

「ベルトはして、絶対に口を開けないでくだいさいね。慣れてないと舌を噛みますから」

 

「え?」

 

 質問をしようとする間もなく操縦席は閉じられてしまった。

 

 すぐに動き始めた。

 本当はゲームセンターにおいてあったのが、少し動くくらいだろうと安易に考えてしまっていたのだ。

 なにせ、普通の少年が高得点を叩きだしていたくらいだ。

 

 だが、それはすぐに間違いだと悟る。

 座る人の事を考えていない座席は、ただ移動するだけで疲労を操縦者に与える。

 スクリーンは決して見やすいとは言えず、圧迫されるような感覚は棺桶の様だ。 

 

 更に急加速、急旋回、砲弾発射時の衝撃。

 目前に着弾するレギオンの攻撃。

 シミュレーションという事を忘れ、思わず目を閉じ身構える。

 

 レーナ自身が操縦せず、誰かの戦闘データを追体験しているのを踏まえても、強烈な体験だった。

 またもや何度か目の胃を振り回されるような加速がレーナに襲う。

 

「き……っ!」

 

 悲鳴を上げれば舌を噛むとわかっているのでひたすら耐えるしかなかった。

 

 

「お、終わった……」

 

 シュミレーターがようやく終わりを告げ、コックピットが開かれた時にはレーナはぐったりとしていた。 

 なんとかベルトを外し、デッキを降りると、リードが待ち構えていた。

 

「どうでしたか?」

 

 にこやかな笑顔で、ゲロ袋代わりだろうかごみ箱を掲げて。

 レーナは青ざめた表情で、揺れる頭に吐き気を感じつつ、リードを睨んだ。

 

 まさか、彼はこうなるとわかっていたのだろうか。

 生まれたての小鹿の様な足取りで、レーナはふらつく体をなんとか起こす。

 

「はい、散った散ったー」

 

 すぐ傍ではさっきまで作業していた人達が、声を張り上げている人にもお金を渡していた。

 悔しそうな声を上げている人の会話が耳に入ってきる。

 

 自分が吐くかどうかを賭けの対象にされていたのだ。

 

 意地でも絶対に吐くかと、誓ったレーナであった。

 リードはごみ箱を地面に降ろすと、満面の笑顔を浮かべる。

 

「ちなみにアンダーテイカーの操縦データもありますが、こちらも体験してみます?」

 

 悪魔か。

 




書きたい事は書ききってると思いますが、何か抜けてるような。
気をつけていないと、レーナがどうしてbotになりますし。

それとなく読み取って貰えると恐縮です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話 矛盾の結末

「お待たせしました。どうぞ、飲むと落ち着きますよ」

 

 レーナは湯気の出ているカップを受け取った。

 あの後、乗り物酔いが治らなかったレーナは、博士がいる部屋まで戻ってきたのだ。

 椅子に座り、飲み物の香りを嗅ぐと、確かにだいぶ気分が落ち着いてきた。

 

「紅茶……ではないですよね。変わった香りですね」

 

「昔、祖父が極東からの移民だった方に茶葉の苗木を譲ってもらったそうで。その際、育て方と発酵のやり方も。それを、うちの使用人の一人が大層大事に育ててまして……。ああ、これはお茶というそうです」

 

 タニヤ准尉……カイエにも飲ませてあげたいな。

 そう考えながらレーナは、少し苦みがありならも甘味を感じるお茶を冷ましながら口をつけた。

 

 リードも対面に座り、先程きちんと剥いてきたリンゴが乗った皿をテーブルに置く。

 そういえば、もう昼を回った頃だろうか。

 食欲をそそられるのだが、傍に置かれたプラスチック爆薬の様な物体が気になり、手を出せなかった。

 

「どうして、あの訓練装置を共和国は活用していないのですか? きっと新兵の生還率を格段に向上させられるはずです」

 

「ええ、埃を被っていたあれを発見した時、俺も量産と配備を具申しましたが、当然のように却下されました」

 

「どうして……」

 

「リソースの問題です。あの訓練装置の製造には、大体ジャガーノート1000機分を製造するのと同コストが掛かりまして、当然生産設備も、もう残ってはいません。……上にはプロセッサーなどいくらでも代わりがいるのだから、訓練など無駄だとにべもなく言われました」

 

「おかしいです、そんなの……」

 

 レーナの悲痛の声に、リードも同意見なのだろう。 

 カップを握るリードの手には力が込められ、白くなっていた。

 

「そこで腹いせに、中央の士官学校近くのゲームセンターにこの廉価版をばらまいたんです。だいぶ性能を削いだせいで、本当に子供の玩具になってしまいましたが」

 

 それを自分が発見したわけだ。 

 

「それで少佐が釣れて、今こうして楽しいお茶会を出来ているというわけです」

 

 餌に食いついた魚みたいに言わないで欲しいのだが。

 レーナはコップ越しに、リードを睨んだ。

 その意図を誤解したのか、リードはさて、と前置きする。

 

「そろそろ本題に入りましょうか。少佐がスピアヘッド戦隊、いえアンダーテイカーとの同調で聞いたあの声についてです」

 

 リードはカップを置くと、レーナを真正面から見た。

 こちらをまるで意に関していない博士がキーボードを叩く音が響く中、レーナは自分が唾をのみ込む音がいやに大きく聞こえた。

 

「俺も彼のハンドラーだった時、あの声を聞きアンダーテイカーに尋ねました。一体、あれは何だと」

 

 リードは過去を思い出すように、視線を下げる。

 そして一拍置いた後、リードは底冷えする声で告げる。

 

「あれは……亡霊の声だそうですよ。そして彼はその声を聞く異能を持っていると」

 

 そしてレーナは、衝撃の事実を聞かされる事となった。

 

 レギオンの活動時間が残り二年弱というのは、間違いである事。

 その中央処理装置の代わりとして、人間の脳を代用している事。

 今、減少している様に見えるレギオンの観測数は欺瞞である事。

 

「ミリーゼ少佐も、後できちんと彼に確認したほうがいいでしょう。今はさらに実情が変わってきているかもしれません。確実に悪い方向に……」

 

「その事を、……上層部に報告はしたのですか?」

 

 到底信じれない情報に目を白黒させながら、レーナは思案する。

 だとしたら、今の現状を変えなくてはいずれ……。

 

「ええ、軍需産業が喜びそうな報告はいくつか。しかし、その情報の出所は伏せましたから、大抵の上層部は戯言だと切り捨てました」

 

 確かに、証拠がなければ誰も信じてはくれないだろう。

 それならば、別の手も。

 

「何故です? 彼の能力を国のプロジェクトとして……」 

 

「本気ですか……?きっとこの国は、また金の卵を産む雌鶏を殺す事でしょう」

 

 腰を浮かしかけていたレーナは、すとんと座席に戻る。

 彼の事を思うなら伏せていた方がいい、と言ったリードはお茶を飲み干した。

 

「っ、……そう、ですね」

 

 実験送りにされ、解剖されるかもしれない。

 それは戦場で死を迎えるより悲惨な未来に違いない。

 

 

「少佐。この戦争、共和国は負けるでしょう」

 

 それからリードは、まるで他人事かの様にぽつりと告げた。

 

「どうしてですか? 今からでも変えていけば……」

 

「……全ては先ほども言ったリソースの問題です。共和国は徐々に機能不全に陥っているのですよ」

 

 リードはそこでナイフを取り出すと、プラスチックだと思っていた物体を切り分け、一欠片を口に運ぶ。

 よほどまずいのか顔を顰めながら、わざわざレーナの分も切り分けてくれた。

 

「ギアーデ帝国との戦争の始まりから9年……その間、この国は鎖国状態の様なものです。資源といえば85区と前線基地までのわずかな土地のみ。そんな中、中央では贅沢を享受し、一方戦争の為に、毎年およそ10万機のジャガーノートをロールアウトしていますよね」

 

 確かに、共和国は資源に乏しい。

 それなのに中央では、毎年革命祭を行い、旧貴族はなおも昔の生活を維持している。

 合成食料に文句を言いながら、政府への不満を言うものも大勢。

 しかし、それもレギオンが停止、共和国が元の領土を取り戻せすまでの話だと、民衆は考えているはずだ。

 

「今ジャガーノートに一体何機不良が発生していると思います?……足りないんですよ。鉄もアルミも、何より機械部品とその中枢となる半導体。特にレアアースといった資源が」

 

 ジャガーノートの悪名は、ハンドラーをやっていれば嫌でも耳に入ってくる。

 ナイフで抉れるほど柔い装甲、脆弱な脚部、これもリードが言った事が関係しているのだろう。

 

「通称スカベンジャーと呼ばれる自動機械が、戦場で壊れたジャガーノート、果てはレギオンの残骸からも資源を回収していますが、それでも明らかに足りていない」

 

 リードが皿をこちらに押し付けてきたので、レーナは仕方なくプラスチックだと思っていた合成食料を手に取った。

 

「プロセッサーがいなくなるか、ジャガーノートを生産出来なくなるか、どちらも時間の問題です」

 

 86区の戦死者は、毎年生産されるジャガーノートの生産数と同数。

 どちらが尽きても、共和国は戦う武器を失う。

 

「うっ……」

 

 レーナは合成食料の味に、口を抑えた。

 しかし吐いてなるものかと、慌ててお茶と一緒に飲み込んだ。

 

「そのクソまずい合成食料にも如実に現れています。初めは、戦場でしか食べられていなかった物が、強制収容所に、そしてついには85区外周部まで」

 

 リードがもう一個勧めてきたので、慌ててレーナは首を振った。

 

「生産プラントも発電設備も中央が独占し、余剰がなくなれば当然後回しにされる場所は増えるという事です。特に外周部と中央の格差は激しい。中央は見て見ぬふりをしていますが、政府への不満は次第に高まってきています」

 

 そこでリードが、じっとレーナを見ているのに気が付いた。

 

「特に白系種の中で、ミリーゼ少佐の様に旧貴族の血を引く白銀種は目の敵にされていますから、少佐も軍服を着ていなければ、今日襲われる危険性もあったんですよ」

 

 そうか、そういう意味でも軍服を……。

 レーナが感じたあの敵意の視線は、余所者だから向けられたものではなかったのだ。

同じ旧貴族でもリードは純血ではないのか、白系種に近い。 

 それでも、ここでの関係を築くのに、どれだけ苦労があっただろうか。

 

「俺はいわゆる賄賂という奴でなんとか受け入れてもらっています。特にこの地域は病院が少なく医療品の配給も少ない。後ろの荷台の幾つかはうちの病院からくすねてきたものなんですよ」

 

 リードはレーナの表情を読み取ったのかそう答えた。

 

「ここ84区はまだましな方です。工場があり、働き口がありますからね。しかし、他の地域はもっと治安が悪化している場所もあります」

 

 リードはレーナが食べなかった合成食料をつまむと、一気に飲み込む。

 それから、皿を回して、今度はリンゴの方を差し出してきた。

 

「つまりはレギオンに滅ぼされずとも、いずれ共和国は内部から崩壊するという事です」

 

 レーナはリンゴに手を伸ばす。

 かつて楽園で、知恵の樹になっていたとされる果物を。

 果たして、今自分に語り掛けてきている彼は神の子を誑かした蛇か、それとも……。

 

「そうはならないと、私は信じたいです」

 

 一口齧ったリンゴは瑞々しく、とても甘かった。

 こんな話を聞いていなければ、きっと至福の時を過ごせただろううに。

 

「……そうですね。それにそんな杞憂よりも、レギオンの襲来が先なのは確実でしょう」

 

 リードは食べ残った合成食糧を、博士のデスクにと運んで行った。

 その動きにすら気が付いていないのか、博士はなおも端末に向きなおったまま。

 放っておいたら、飢え死にしそうな人だ。

 

「しかし、人の脳構造を手に入れ、高い処理能力を獲得したはずのレギオンでも、あるロジックには縛られています」

 

「ギアーデ帝国の敵を倒す事……でしょうか」

 

「そう。その為にレギオンは戦略を変化させる事はあっても、目的を変化させる事はない」

 

 リードもリンゴを食べ、咀嚼音をさせながら続きを話す。

 

「つまり、幸か不幸かレギオンは俺達を包囲して、じわじわと飢え死にさせる様な戦略は取らないでしょう。いつかは、確実に俺達を討ち滅ぼす大攻勢が始まります」

 

 大攻勢……。

 その為に、襲撃を減らし、戦力を温存し、余剰戦力の構築。

 一度の総攻撃の為の準備期間が、まさに今だという事か。

 

「その日は近いです。予測では三年以内。……目を背けていても必ずその日は訪れる」

 

「少佐はそれを知って……」

 

「ええ。ハンドラーでは、戦場の一人は救えても、大局は変えられません。だから、ハンドラーを辞めてこっちに専念したかったのですが、やり手のいないハンドラーはなかなか辞めさせてもらえず、最後はマンゴネル隊の様な結果になってしまいました……」

 

 それでも、と切り出したリードの声は、決意を滲ませたものだった。

 

「俺は、俺達はその日の為に、少しでも手を尽くしています」

 

 

 その後、レーナはリードの協力者と交流を深める事になった。

 同じく昼食を食べに来た彼らは、合成食料をプラスチック爆薬だと、笑いながら不味そうに食べていた。

 

 様々な人がいた。

 第一区で技術者をしていたが、政府の技術非開示に疑問を持ち、辿り着いた者。

 博愛主義者でエイティシックスも同じ人間なのだと、義憤に駆られ参加した者。

 実際に、家族や友にエイティシックスがいて、今の現状を変えたいと思った者。

 

 改めて、レーナは一人で戦っていたわけではないのだと、実感する事となった。

 

 そうして気付けば、ずいぶんと時間が過ぎ、夕暮れとなってしまっていた。

 机に突っ伏して眠る博士と、なおも整備を続ける彼らにお別れを告げる

 荷台が空になった車に戻るも、工場は今もなお休む事無く稼働が続いていた。

 

 朝と違いだいぶ空いた幹線道路を車は進む。

 定期的な振動を感じつつ、次第に暗くなる空を見ていると、レーナが今日得た情報が次第に整理させていった。

 

 そして、リードと再び車内にいると、嫌でも朝感じた矛盾にも辿り着いた。

 

「シュタット少佐、貴方の行動は矛盾しています」

 

 今日レーナが見てきたリードは、彼が隠してきた本当の姿だろう。

 

「大攻勢が始まるのなら、86区の彼らを監獄に送るなど愚の骨頂です。戦力の低下を招くのですから。それにグラン・ミュールも……あれはレギオンに対し、有効的な防御手段のはずです」

 

 リードが発案者となっていた計画の全てが、今日聞いた話を矛盾する。

 

「ええ、俺はあえて、朝言いませんでした。しかし、今日真実を聞いた後では、少佐も理解出来るかと思います」

 

 リードはハンドルを握ったまま、人差し指を立てた。

 

「では最後の質問です。大攻勢の際、レギオンはどんな戦略をとるでしょうか?」

 

「……物量作戦だと思います。そして、こちらが全方位に部隊を展開している以上、どこか一方向から一斉に仕掛けてくるはずです」

 

「正解です。しかし、それではもう一手足りない」

 

 何が足りないというのだろうか。

 レギオンの攻勢パターンを見るに、自分の推測に間違いはないだろう。

 

「少佐もご存じでしょうが、昔の国家間の大戦時、大艦砲主義というものがありました」

 

「はい、士官学校で習った事を覚えています……それが?」

 

「とにかく大口径で遠距離から狙い撃ちする……かつてあった列車砲が最たる例ですね。しかし、航空機の登場、特にロケット技術の進歩でそれは廃れていきました」

 

 そう、すでに過去の遺物だ。

 

「しかし、再び空の時代は終わりました。阻電攪乱型が空を覆いつくす今では戦闘機も迎撃ミサイルも無用の長物です。しかしそれは航空戦力の保有をロジックで禁じられたレギオンも同じ事」

 

 レーナはそこで自分の心臓が早鐘を打つのが聞こえた。

 と、いう事はつまり……。

 

「歴史は繰り返します。おそらくレギオンは超長距離砲を建造しているでしょう。我々が手の届かない位置から壊滅的な大打撃を与える為に。大攻勢はその後です」

 

 リードが言っているのは、あくまで仮定の話に過ぎない。

 本来なら、ただの機械に過ぎないレギオンは、そこまでの戦略的思考を持ち合わせないはずなのだ。

 しかし、奴らが人の高度な思考能力を手に入れたという話を聞いた後では、絵空事とは思えなかった。

 

「グラン・ミュールなどただの薄い壁でしかない。大攻勢の足止めぐらいにしか役には立たないでしょう。なら、こちらのタイミングで、先兵もろもと爆破出来る方がいい」

 

 リードはそれから、人差し指を下に向けた。

 

「この幹線道路の拡充もその為です。レギオンを誘い出す場所として最も最適になる様に設計しました。この下には地下空洞も同時に建設し、ある振動を与えるだけで簡単に崩壊する様にしています」

 

 それもリードの計画に賛同する人が関わっているのだろう。

 一体、どれだけの人が彼の計画に携わっているのだろうか。

 

「それらの時間稼ぎの間に、全プロセッサーに85区内での戦闘を要請します。それしか、共和国が生き残る術はありません。……それでも試算では、守り切れるのは精々第9区まで、最悪の場合は第3区すら守り切れるか怪しい」

 

 レーナはそこで、ようやく思い至った。

 自分が義憤にかられ、極悪非道の計画だと非難したものの本当の狙いを。

 

「で、では、監獄は……」

 

「86区の人達を保護する為です。上層部には、処刑場としてのガス室が入った図面を提出しましたが、実際は俺の手のかかった協力者が建造に携わっています」

 

 レギオンの大攻勢の予測は3年以内。

 そして、監獄の建設完成予定は1年後。

 処刑が実施されない事に上層部が疑問を抱く頃合いとしては、ぎりぎりのタイミングだ。

 

「彼らはいざという時の保険です。応じてくれないプロセッサーもいるでしょうが、同胞が生きていると知れば、戦ってくれる者も大勢いるはずです」

 

 保護……。

 ものは言いようだが、それはあまりにも卑怯なやり方ではないか。

 

「そんなやり方で、彼らは答えてくれるでしょうか……?」

 

「それしかありません。前に言ったでしょう? 我々に精々出来るのは、人質を取り、背中に銃口を突きつける事だけ、と」

 

 リードの引き攣った歪んだ笑みに、レーナは押し黙るしかなかった。

 それからゆっくりと口を開く。

 

「リードルフ・シュタット少佐。貴方は……何者なのですか?」

 

 レーナは聞かざるを得なかった。  

 彼がどうしてこのような計画に至ったのか。

 

 誰もが周囲の人から否が応でも影響を受けてしまうものだ。

 汚れた家庭環境で育てば、片付けが苦手になる様に。

 堕落した思想に触れれば、気付かない内に己も同様に染まる様に。 

 

 しかし、それでも転機が訪れる事はある。

 嘗て自分が前線に赴き、感じた戦場の姿、出会った人。

 自分がショーレイ・ノーゼンから影響を受けたように。

 

 レーナは、今なら彼が答えてくれるのではないかと考えた。

 

 きっと彼は自分を信頼して、あの場所に案内してくれたのだ。

 レーナが中央に密告する事がないと確信して。

 それでも、自分も秘密裏の計画に賛同するのならば、もっと彼の事を知る必要がある。

 

「そう、ですね……ミリーゼ少佐にはお話ししましょう」

 

 走る車内の中、誰にも聞かれる心配のない場所。

 ゆっくりと、リードはその重い口を開いた。

 

「俺は……リードルフ・シュタットという人物ではありません」

 

 レーナは耳を疑った。

 この人は、何を言っている。

 

「ましてや、アルバでも、エイティシックスと呼ばれる彼らでもない。ただの……」

 

 リードの銀瞳の色合いが青く変化した気がした。

 

「―――裏切者です」

 




いい所で終わらせる為に長くなりました。
そろそろ、主人公の正体に感づかれた人もいるのではないでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話 助けられた者

「裏切り者……、 どういう……?」

 

 いや、それよりもその前に彼は何と言った?

 レーナは急に、隣に座る同乗者に恐怖を覚える。

 得体の知れない何かを相手にする様に。

 

「昔話をしても?」

 

 しかし、その相手の声はごく普通で、落ち着いた声色だった。

 だから。

 え、ええとレーナは戸惑いながら返事を返す。

 

「元は俺はギアーデ帝国の生まれなんです。父はある貴族の血を引く傍流の家系だったらしいのですが、当時の記憶は朧気ですね」

 

 そういえばリードルフ・シュタットの母、マリアンナ・シュタットの事は以前調べたが、父親については記録にはなかった。

 その人の事だろうかと、レーナは一瞬思うも、先程彼が自身を否定した事を思い出す。

 

「5歳の時、父は俺を連れ立って、俺の……病気の為に遠縁の親戚を頼って共和国に移住しました。意外とこの国の医療技術は発展しているんですよ」

 

 そこで、リードは片手で耳を抑える仕草をした。

 

「そこで父は、共和国でも指折りの名医だったハウツマン氏を頼ったのです」

 

 ハウツマン・シュタット。

 数年前、自殺したリードの祖父。

 ……何故彼は、祖父である人の名前をそう呼ぶのか。

 

「そして9年前あの日、戦争が始まりました……」

 

 共和国歴358年。

 大国ギアーデ帝国が始めた周辺国家への侵略戦争。

 

「父は戦場に駆り出され、俺は7歳の時、強制収容所に連行されました」

 

「なっ……」

 

 強制収容所……!?

 彼が?

 では彼はエイティシックス……!?

 

「で、ですが!その髪も瞳も!白系種にしか……」

 

「髪は毎日染めてるんですよ。瞳の色は特殊な薬品を注射して変えています。肌は元々、色白だったので」

 

 対向車線の光に照らされる彼の髪も瞳も、アルバのそれにしか見えない。

 いや、でも瞳の色が確かにさっきは……。

 

「俺の本当の名前はヨナ。ヨナイス・ラングレイといいます。年も実はミリーゼ少佐と同い年なのですよ」

 

 その名前は彼、いやヨナに、何故かとてもしっくりくるものだった。

 それもそうか……彼の本当の名前だからだろう。

 

 それに年齢。

 19にしては、幼いと前々から感じていたが、そういう事か。

 

「強制収容所からどうやって……?」

 

 何故、強制収容所に連れていかれたエイティシックスである彼が、今現在リードフル・シュタットとして生きているのだろう。

 到底、信じる事が出来ない告白だ。

 今日一日、彼に付き合い、その多くの秘密を知らされていなければ、戯言だと一蹴してしまう程の。

 

「……俺が強制収容所にいたのはたったの一年でした。それでも無限に感じる様な地獄でしたよ。食料は貰えず、いつも飢えてて、喉の渇きから泥水を啜り、いつ死んでもおかしくない状態の日々。俺は収容所のバラックの中にすら入れてもらえませんでしたから」

 

「そんな……収容所には配給があったはずです。……それにどうして子供であった貴方がそんな目に……」

 

 レーナは苦虫を嚙み潰すかのように話す彼に、動揺した声を上げる。

 

「耳も聞こえず、まともに喋れない子供など何の役にも立たないでしょう?」 

 

「耳……?」

 

「ええ、俺は幼い頃の病気で、耳が聞こえなくなったんです。今では治療の甲斐あって聞こえるようになりましたが。ついでに当時、俺はある事情あって言語能力が未発達だったんです」

 

 それで最初に会った時、彼の発音に違和感を感じたのか。

 彼の話し方の特徴を、訛りと勘違いしていたのだ。

 

「前線で兵士になれる訳でもなく、後方で仕事が出来る訳でもない。……強制収容所は無駄飯食らいを生かしておくほど、余裕がある場所ではありませんでしたから」

 

「そんな状態で、どうやって生き延びたというのですか……?」

 

 レーナには想像もつかない凄惨な日々だろう。 

 今まで家族に愛されて、普通の生きてきた7歳の子供が味あうには、あまりも残酷すぎる。

 

「父が頼った遠縁の親戚には同い年の幼馴染がいたんです。彼女が俺の事をずっと守ってくれていたんです。あの時までは……」

 

 そこで彼は、優し気に緩く頬を緩めて、微笑みを浮かべた。

 レーナが出会って、初めて見る表情だ。

 しかし、最後の言葉を告げる時にはその表情は掻き消える。

 

「俺はハイツマン氏に助け出されました。あの地獄の様な強制収容所から……たった一人だけ」

 

 悔恨を、懺悔を告げる様に彼は声を絞り出す。

 一人だけ、という事は……守ってくれたという少女は……。

 レーナは、その事を尋ねるなど出来るはずもなかった。 

 

「何故、ハイツマン氏は貴方を助けたのですか?」

 

 だから、代わりに一番気に掛かった質問をする。

 当然の疑問だ。

 アルバの中でも、特に移民に対し排他的であった旧貴族一員であったハイツマン氏は、何を思い彼を助けたというのだろうか。

 

「彼は孫を探していたんです。一人娘であるマリアンナ・シュタットの息子。一族に望まれた子ではなかったリードルフ・シュタットを」

 

 今まで、リードルフ・シュタットと名乗っていた彼はその名を他人事の様に語る。

 改めてレーナは、彼はその名の人物ではないのだと実感する事となる。

 

「望まれた子ではない、というのは……?」

 

「マリアンナが結婚した相手は有色種だったのですよ。当時のハイツマン氏はそれを許さず、自分の娘と生まれたばかりの子供を一族から追放しました」

 

 家柄や、格式。

 時代にそぐわない旧貴族であるならば、到底認めれなかったのだろう。

 レーナはそれが自分の事のように、胸に鈍い痛みを感じた。

 

「彼女はリードルフと一緒に有色種が多い地域で暮らしていたそうです。しかし、戦争が始まり二人がいた地区は戦火に吞まれてしまいました。その時になって、ようやくハイツマン氏は後悔したのでしょう……」

 

 行政区85区外の地域は、今は廃墟と化している。 

 85区内に逃げ延びれた人が、どれだけいただろうか。

 

「娘を、そしてせめて孫だけでもと探し回ったそうです。医師として、いくつもの強制収容所を伝染病予防という名目で」

 

 リードルフは当時10歳。

 もし、生きていれば面影から探しだす事は可能だったのかもしれない。

 

「しかし、いくら探しても見つけ出す事は出来なかった。ただ、代わりに、最後の強制収容所で俺を見つけたんです。……呆れた事に、俺はその時、無邪気にも本当の祖父母が迎えに来てくれたなんて思っていたんですよ」

 

 リードは微かに首を振ると、小さく自嘲した。

 

「俺は病院暮らしが長かったせいで、耳が聞こえないどころか、文字すら読めなくて……あの頃は戦争の事も、収容所の事も何一つ理解してなくて……その手を取りました」

 

 彼は、まるで救いの手を取るべきではなかったというう風に。

 ありったけの後悔を滲ませた声で言った。

 

「俺は彼の患者でしたから、面識があったんです。それにあのままだとまず間違いなく死んでいたでしょう。だから、助けてくれたのでしょうね。収容所からこっそり連れ帰った俺を、ハイツマン氏はリードルフとして育ててくれました。……祖父母は本当に良くしてくれましたよ。教育を与えてくれて、普通に話せる様にもしてくれた」

 

 いくら治療で耳が聞こえるようになったからといえ、後から言語能力を獲得するのは並大抵の努力ではなかっただろう。

 

「実は祖父が軍の伝手で、レイドデバイスを手に入れてくれたのですよ。そのお陰でもあります」

 

 そうか、聴覚の同調。

 耳が聞こえなくても相手が聞こえている音で、自分の出している声を確認する事が出来る。

 

「……何歳の時に貴方は、この国の実情を知ったのですか?」

 

 子供であった彼は貪欲に知識を吸収したに違いない。

 そして、いつかは自分が何者で、どうしてあそこにいたのかに辿り着いてしまうはずだ。

 

「俺がはっきりと周りの事がわかったのは2年後でした。10歳の時になってようやく俺は何が起こったのか、自分が何者かわかったのですよ。ちょうど、リードルフが13歳として、中等部に通わなくてはならない年でもありましたし」

 

 そうか、戸籍上リードルフとして生きるには年を偽らなければならなかったのか。

 そして彼は全てをわかった上で、アルバしかいない学校に通ったのだろう。

 それは……どんな苦痛だっただろうか。

 彼の家族を死に追いやった人達と、自分を偽りたった一人で生きていく人生は。

 

 ―――恨みはなかったのだろうか。

 

「前に……ハイツマン氏が服毒自殺したという記事を読みました。教えて下さい。何があったのですか?」

 

 だから、この事はどうしても聞かなくてはならなかった。

 到底、その死と彼が無関係なはずはないと思ったからだ。

 その答え次第で、レーナ自身の命が危ぶまれようとも。

 

「……恩返しがしたかったんです」

 

「え……?」

 

 予想だにしない彼の声とその内容に、レーナは呆気にとられるしかなかった。

 

「……助けてくれたお礼にと。あの時、俺は愚かにも本当のリードルフがどこにいるか探し出してあげようなんて考えたんです」

 

 どうしてそれが、あんな結末に……?

 と疑問を投げかける前に彼は口を開いた。

 

「生憎、俺はある事情……能力のお陰で、人並以上に時間だけはあったので、プログラムを弄るのが得意になったんですよ。そして見つけてしまった」

 

「生きて……いたのですか?」

 

「いえ。……軍のデータにクラッキングして見つけたのはマリアンナの死亡報告書でした。彼女はアルバですから、一応身元不明の遺体として、検死に回されていたんです。そしてその身体的特徴と、幼少期の治療の痕跡が彼女と完全に一致していました」

 

「それは残念……です」

 

「ええ……その報告書によると、マリアンナは軍の一人が誤射により一緒にいたエイティシックスの子供もろとも撃ち殺してしまったそうです。強制収容所に連行しようとした所、母親が庇ったせいで、驚いて二人を撃ってしまったと長ったらしい兵士の言い訳と共に、当時の状況が書いてありました」

 

「そんな事って……」

 

 二人は戦争を生き延びていたのだ。

 あの戦場をだ。

 きっとその後、彼女は父であるハイツマン氏に助けを求めていただろう。

 

 もし出会えていれば、ハイツマン氏は二人を受け入れていたのだ。

 愛情を持ち、血の繋がった孫を匿ったに違いない。

 それなのに……、子供を無理やり引き離そうとした同胞によって殺されてしまった。

 そんな悲惨な事はないだろう。

 

「……それを伝えた夜、祖父母は自殺しました」

 

 彼は背筋が凍るほど冷たい声で、淡々と告げた。

 レーナはぞくりと、言い表しようのない感覚に襲われ、思わず大声を上げてしまう。

 

「どうして……っ!」

 

「さあ、……どうしてでしょうね? 今頃になって自分達がただの代償行為として、汚い色付きの子供を育てている事に気が付いたのか。それとも……」

 

 彼の続きの言葉は、小さくなって聞き取れなかった。

 ただ、陰影を濃くしたその表情は、同い年とは思えぬほど苦悩が刻まれていた

 

「何れにせよ、俺は彼らに娘と孫の二度目の死を与えてしまったんです。一度は受け入れらていたのかもしれない……でも、もう一度は耐える事が出来なかったのでしょう」

 

 そう告げた彼の声は微かに震えていた。




主人公の名前がようやく決まりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話 裏切者

 そう言い終えた後、彼は一度堪えられない様に、大きく深呼吸をした。

 

「それから俺は、医道を志すべしというシュタット家の家訓を破り、軍に入りました」

 

「何故、軍に? 」

 

 別にシュタット家であるならば、屋敷から出ずに引きこもる手もあったはずだ。

 その方が安全のはずだ。

 わざわざ危険を犯してまで、何故この国の中枢に……。

 

「俺は家の財産を継いだのですが、後見人などの厄介事がありまして、身の安全の為にも早く一人前になる必要があったのですよ。それに軍人になれば、強制収容所に行けると、同胞に会えるとも考えました」

 

 そこで彼の視線が、声色が一段下がった。

 

「そして……俺はそこで真実を知りました」

 

「っ……」

 

 軍に入ったのなら嫌でも耳に入っただろう。

 この国がひた隠しにしている、無人式自律戦闘機械に人が乗っているという真実。

 それを聞いた時、彼は同胞の扱いについて何を思ったのだろうか。 

 レーナが視線を向けると、彼は片頬を引き上げ、引き攣った笑みを浮かべていた。

 

「俺はその事を知って、少しでも彼らの役に立とうとハンドラーを志しました」

 

 そして、事実彼はハンドラーになったのだ。

 ハンドラーとして、再び同胞と声を交わしたのだろう。

 なら、その後は……。

 

「彼らに自分の事を話されたのですか?」

 

「一度だけ……。最初に着任した部隊の戦隊長に、愚かにも、俺は自分の正体を打ち明けました」

 

 彼は歯をぎりっと噛み締め、嘲る様な声を出す。

 

「俺は彼に、嬉々となって自分がどんな体験をして、どんな思いで、この場所に辿り着いて、どんなに役に立ちたいかを語ったんですよ……」

 

 最初に同胞と声を交わした時、彼の胸に沸き起こった思いは何だったのだろう。

 年を三つも偽り、自分の名も姿さえ、隠す生活はどれだけ苦痛だったか。

 どれだけ、打ち明けたかった事だろうか。

 

「そして……俺は裏切者と罵られました。少佐の事を笑えない程、俺は大馬鹿者だったんですよ、どうしようもないほど」

 

 裏切者……。

 そこでレーナは、彼が息を漏らして笑っている事に気付く。

 たが、それが自分自身を嘲笑う笑みである事は間違い様もなかった。

 

「どうして裏切者、と……」

 

「決まっているでしょう。同じ有色種でありながら、アルバと同様に、壁の中でのうのうと生きてきた俺は彼らからしたら裏切者でしかない。しかも、その事を自覚もせず、共に戦おうなど、どの口が言えたものか。俺は彼らの思いなど知ろうともしなかった。……ただ、縋ろうとしたんです」

 

「でも、……それは貴方はどうしようもなかった事のはず。何も知らない貴方に選択肢はなかったはずです。そうでしょう……!?」

 

 レーナは否定したかった。

 あの話を聞いて、誰が彼を責められるというのか。

 子供だった彼に、耳も聞こえなかった彼が何を出来たというのか。

 

「だったら、正体を明かして戦場に赴き、共に戦えばいい。そうしないのは、結局は俺が卑怯者だからですよ」

 

 彼は憎しみをありたっけ込めた様な声を上げた。

 レーナはそこで、ようやく思い至る。

 他の誰でもない彼自身が、一番彼を責めているのか。

 

「その後、彼は他のアルバに俺の正体を言いふらしてやると告げ、同調を切りました。……しかし、その日の戦闘で彼は……戦死しました」

 

 彼は笑う様な泣く様な、判別つかない歪んだ表情を浮かべた。

 

「俺はその事に、心底ほっとしたんですよ」

 

「っ、それは……」

 

「彼が死んでくれて……誰にもばれる心配がなくなって、安堵したんです」

 

 別に彼は、その戦隊長の死を願ったわけではあるまい。

 ただ、結果としてそうなっただけなのだろう。

 

 でも、彼の心に決して消える事のない咎を残したのだ。 

 彼が感じたものは人としてなら、否が応でも誰もが持ち合わせているものなのに。

  

「……その時、俺は逃げだそうかと考えました。見て見ぬ振りをして、目をつぶろうかと。この壁の中でリードルフとして、ただ怠惰に生きていこうかとも思いました」

 

 しかし、彼はそうしなかったのだ。

 だから今、彼は私にその秘密を打ち明けている。

 シンとの出会いで、レギオンの大攻勢を知り、それに備え、今も準備を進めている。

 

「貴方は何故、戦えたのですか……?」

 

 レーナは自分が出すべき答えを求めていると自覚しながらも、言葉に出さずにはいられなかった。

 同胞に裏切者と罵られ、たった一人自らを卑怯者と自覚しながらも、前に進めるその意思。

 それをどうやって彼は得たというのだろうか。

 

「約束がありましたから」

 

「約束……?」

 

「帰ってくる場所を守ると……、そう彼女と約束しましたから」

 

 彼は優しげな笑みを、初めて子供らしいと思える顔をした。

 

「少佐。俺は何も同胞の為に、義憤に駆られて動いてるわけではないのですよ……それに。共和国に対しても、それほど恨みを抱いているわけでもありません」

 

「そんな事あるはずありません……!だって、貴方の家族も、友人も、生活も全て奪ったのは共和国なのですよ!」

 

 レーナは彼が言った言葉を否定する様に、声を張り上げる。

 復讐するには十分な動機のはずだ。

 

「恨みを抱くには遅すぎたのですよ。当時の俺からしたら、アルバより収容所の大人達の方が恐ろしかったくらいで……。それに俺は命を助けられ……罪を重ねすぎました」

 

「罪って何がですか……生き抜いた事がですか!?」

 

 それを罪だというのなら、共和国はとうの昔に地獄行きだ。

  

「俺はハンドラーだったのですよ。俺の、ただの個人の願いの為に、彼らに戦えと命じ、今まで何人を死地に送ったか」

 

「で、ですが、貴方は彼らを少しでも救おうとしていて、今もしているじゃないですか!」

 

 彼が動いたからこそ、多くの事が変わったのだ。

 迎撃砲も管制システムも、ジャガーノートの改良も。

 全て彼がいなければ成せなかった事のはず。

 

 罪と言うのなら罪でもいい。

 だが、その罪を洗い流せるほどの成果を彼は成し遂げたはずだ。

 

「結局全ては、約束を守り、彼女に生きていて欲しかっただけですよ。……俺がヨナとして残されたのはそれだけでしたから」

 

 生きていて欲しいといっても、その人は……。

 もし収容所で生き残っていたとしても、いずれは戦場に送られるはずだ。

 プロセッサーとして……。

 

「その人の名前を聞いても?」

 

 レーナが知っている人の中に、もしかしたらその人物がいるかもしれない。

 

「……・ナハト」

 

 彼が言い淀みながら告げた名前は、聞き取る事が出来ない。

 彼を見れば、何度も音を出さずに口の形を変えていた。

 

「実は、知らないんです。どうやら、彼女の名前は長く、俺には発音が難しかったらしくて……」

 

 彼が耳が聞こえない時に出会った二人。

 そうか、彼はその子の声も名前も聞いた事はないのか

 

「レイ、だったのかリアだったのか……。何度も何度も口の形を教えられた筈なのに、もう、覚えてもいないなんてな……」

 

 彼は悲しげに自嘲して、首を振る

 どちらにせよ、残念ながらレーナには心当たりがない名前だった。

 そして レーナは再び矛盾に行きあたってしまう。

 

「どうして、朝は彼らの名前を言わないで欲しい、と言ったのですか……?」

 

 聞く資格がないという真意は、彼の話を聞いてわかった。

 でも、聞かないと彼女が生きているかどうかすらわからないはずだ。

 

「名前は相手に覚えていて欲しいから名乗るのですよ。彼らは裏切者などに、名前を憶えていて欲しくはないでしょう。俺も偽りの名前を名乗りたくはない……」

 

「では、彼女をどうやって……!」

 

「……強制収容所の解体を目指したのは彼女を探す為でした。もし、生きていればいつかは、見つけられるはずだと。そこにいなければプロセッサーとなっているか、それともすでに……いないか」

 

 だとしたら彼の願いは……。

 彼の意思はどうなるのだろうか。

 彼も立ち止まって、しまうのだろうか。

 

「どちらにせよ、俺はリードルフの皮を被って生きる薄汚い裏切者です。彼女が生きていようと死んでいようと、俺はこんな姿を見せたくはない……」

 

「っ貴方はよくやったはずです。誰がそこまで出来たと思います?貴方だから出来たのですよ。全ての事情を知ってから6年。たった6年でここまでやってのけたのですよ!それを……」

 

 誇ってもいいはず……。

 言おうとした言葉をレーナは飲み込んだ。

 その事を声に出すことなど出来るはずもなかった。

 

 ―――それが一番、彼を逆に苦しめてしまうとわかっているから。

 

 そのまま、互いに無言のまま数時間が過ぎ、車はようやく第一区に戻ってきた。

 ミリーゼ家の近くの道路に止め、レーナはゆっくりとした動作で車から降りる。

 

 運転席側に回り込むと、彼は窓を開け、先ほどまでの表情とは打って変わり、今日初めて会った時と同じような笑顔を浮かべてきた。

 

「今日のデート、楽しかったですよ」

 

「だから、違いますって……」

 

 からかってくる彼はいつものリードルフその人だ。

 仮面を被り、正体を隠した偽りの姿。

 そこでレーナは、はたと気が付く。 

 

「少佐の事は、これからもシュタット少佐とお呼びした方が?」

 

「是非そうしてください。前線に送られるなら本望ですが、まだ絞首刑にはなりたくありませんから」

 

 あ、でもとヨナはにやりと笑みを浮かべる。

 

「二人だけの時には、ヨナと呼んでくれてもかまいませんよ」

 

 その言葉に、レーナは一瞬絶句。

 それから顔が赤くなるまで時間は掛からなかった。

 それはまるで、愛しい男女の仲の様ではないないか。

 

「そんな事しませんっ!」

 

「ははっ、冗談です」

 

 にっとヨナは笑う。

 散々からかわれるレーナであった。

 案外こういう所は、彼の素なのかもしれない

 

「ミリーゼ少佐、忘れ物です」

 

 そこでヨナが、レーナの席の横に置いてあったリンゴを投げてきた。

 朝に貰ったまま置き忘れたままだったのだ。

 

 レーナは今度はしっかりと受け止めた。

 すると、さっきは言えなかった言葉がレーナの中から沸き起こる。

 何か伝えなければ、彼は消えてしまいそうで、潰れてしまいそうで。

 

 だから、あの約束以外にも、寄る辺となれるものがあるのなら。

 

「私も……私も戦います。だから、少佐も最後まで共に戦いましょう」

 

 レーナは決意を秘めた口調でそう言った。

 それにヨナは、静かに返答を返す。

 

「ええ」

 

 

 ヨナは軽く手を振って別れを告げた後、車を発進させる。

 ふと、バックミラーを見ると、レーナはレイドデバイスを起動する所だった。

 

 彼女は逃げずに戦う事を選んだのだ。 

 しかも、すぐさま有言実行とは彼女らしい。

 

「最後まで、か……」

 

 ヨナは呟いた。

 

 ―――最後とは、いつの事を彼女は指していたのだろうか

 

 この国にとっての最後。

 彼らにとっての最後……。

 

 今日、終ぞ彼女は気付くことがなかった。

 どこにも有色種の姿が見えない事に 

 

 別に知ろうとしないかったわけではないはずだ。

 ただ、思考の常識の範囲外だっただけだ。

 

 それだけ、彼女は優しいのだ。

 共和国をまだどこか信じているのだろう。

 

 そして、それを伝えていないスピアヘッド戦隊の人々も。

 

「あの事を伝えたら……流石に彼女も」

 

 逃げ出してしまうだろうか……。

 いや、……きっと恨まれ、罵られる事だろう。

 

 だが、今は協力者として、彼女にはいなくなって欲しくはない。

 彼女になら自分が最後を迎えても、後を任せられる。

 

 ―――自分の最後。

 

 それはきっと、どこにも行く場所がない裏切者に相応しい末路だ。

 




主人公、あんまりレーナをからかいすぎると後でシンに殺されそう……。

あと、すみません。
主人公のぐだぐだ過去話に、だいぶ掛かりましたね。
もっと上手く纏めれたら良かったんですけどね。
今回もだいぶモチベがやばかったです。
後で修正するかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話 帰る場所

「おや。シュタット君、もう行ってしまうのかね」

 

 ヨナは後ろから声を掛けられた。

 時刻は昼過ぎ、場所は第三区のカジノ。

 

 いくらか稼ぎ、大いに損をし、同じ様に騒ぐギャンブラーと混ざり、宴もたけなわといった所だった。

 声を掛けてきたのは、ヨナが自分の手札に賭けた全額を勝ち取った相手だ。

 

「今日は負けすぎました。次回はお手柔らかに」

 

 二つの意味でよく腹を肥やした大企業の社長相手に、柔和な笑顔を浮かべ、ヨナはその場を後にする。

 

 外に出ると、どんよりとした曇りが広がっていた。

 風も吹きすさび、ヨナはコートを前で合わせ帽子を目深に被った。

 それから自然と、足はある場所にと向かっていく。

 

 賭け事は必要な行為だ。

 普段明るみに出せない資金を密かに動かしているヨナにとって、ギャンブルで散財する御曹司というのはいい隠れ蓑なのだ。

 しかし、それでも次第に誤魔化しようがない程、シュタット家の財産を使い果たしてきていた。

 

 その事を親戚や経営陣が追及してくるのは時間の問題だろう。

 そうなれば、出自の怪しいリードルフについて調査が入り、今までの様な活動は難しいかもしれない。

 

「ま、それもそうなったらだ……」

 

 ぽつりと呟き、一人の少女の姿を思い出す。 

 例え自分がいなくなっても、後を任せられる人物。

 ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐。

 数日前、自分の正体を明かした一人。

 

 協力者は大勢いるが、彼女にだけはほぼ全ての事を話したつもりだ。

 他の協力者には、秘密にしている事も多い。

 

 何故なら多くの者が耳を傾けたのは、シュタット家の力あってこそだ。

 政府が発表しているレギオンの二年後の停止は、嘘偽りだと唆し、自分の財産を守る為に計画に協力を取り付ける。

 シュタット家の者が言うのならと、信頼して手を貸してくる者が多いのは祖父母の人徳があったからだろう。

 しかし、その発案者が実は、血の繋がらない全くの赤の他人で、しかもエイティシックスだったと知ったら彼らは何を思うだろうか。

 

「はは……」

 

 乾いた笑いを零した所で、ヨナは足を止めた。

 目の前にはごく一般的な住宅が広がっている。

 

 その内の一軒。 

 かつて、ラングレイ一家が暮らしていた場所だ。

 9年前の戦時特別治安維持法により、その家は政府に徴収され、数年前まで白系種の共和国民が住んでいた。

 それをヨナが手を回してその家を、ついでに目立たない様に、すぐ隣に隣接する数軒を買い上げたのだ。

 

 門扉に手を掛け、中に入る。

 父はほとんど財産を持たずにこの国に来たので、本当はこんな家に住めるほどの暮らしを送れるはずではなかったはず。

 しかし、それに援助を申し出てくれたのが隣に住む遠縁の親戚ナハト家だったのだ。

 

 父と二人で暮らしていた事を思い出す。

 母はヨナが3歳の時に亡くなったから、この国に持ってこれたのは写真だけだった。

 その写真もすでにないが、綺麗な青い目をした女性だった事は覚えている。

 

 そこで自分とリードルフはよく似ていると追憶する。

 その境遇が。

 

 リードルフの父親が、母親の一族に受け入れられなかった様に、自分の母親もまた父親の一族に受け入れられなかったのだ。

 父は母との結婚の為、一族を捨てた。

 そして、母と生まれたばかりの自分と三人で暮らしていたそうなのだが、母は数年後、病気で亡くなってしまった。

 

 まだ幼い子との生活に、父は困り果てたのだろう。

 あれほど二度と戻るまいと決めていた一族に手を借りる事となり、条件として一族が決めた相手と再婚する事になったそうだ。

 その継母の事を自分は、本心から毛嫌いしていた事を覚えている。

 何故なら、何一つとして覚えていないからだ。

 

 相手も同じ気持ちだったのだろう。

 ただし、毛嫌いという段階ではなく憎悪であったが。

 

 母は花が好きだった。

 自分も母が摘んできた花を花瓶に挿しているすぐ傍に行き、その花の香りを一緒に匂うのが好きだった。

 そして、その意志を継いだ父が花壇の手入れをよくしていたのを覚えている。

 

 いつだったか、継母がその花壇で花を掘り起こし、キッチンに入っていくのを目撃した。

 そして、その日。

 俺は夕食で出されたスープを飲んで、その後、急に倒れた。

 

 ひどい高熱だったそうだ。

 生死を彷徨った結果、俺は聴覚を失う事となった。

 

 父は当然、継母を疑った。

 それを一族は察していたようだが、体面を気にしたのだろう、大事にする事はなかった。

 

 そして父は連邦を出て、共和国に移住したのだ。

 勿論、俺の治療の目的もあったのだろうが、あの一族が住まう土地にいたくなかったのが本心だろう。

 自分にとっては、その時は父が全てだったから、当然喜んで付いて行った。

 

 ―――そしてあの子と出会ったのだ。

 

 吸い込まれそうな大きな黒い瞳をした、綺麗な黒髪の少女だった。

 ヨナはレンガで出来た生垣に沿って歩きながら当時の事を思い出す。

 

 あの子は何度大きな声で叫んでも、俺が反応しないので、平手打ちをくらわしてきたのだった。

 

 ああ、今思い出しても酷い。

 まあ、その後両親に怒られたのか、泣き腫らした目でその子は謝りに来て、仲良くなったのだが。

 

 あの子と初めて出会った時、生垣はその一箇所だけ崩れていた。

 だが、住んでいた人が直したのだろう、今は綺麗に修理されている。

 

 それは他の場所も同じだ。

 二人で作った秘密基地も、二人で身長を競い合って削った柱の傷も。

 全て痕跡を残してなるものかといえるほどの執拗なリフォームによって消え去っていた。

 

 懐かしいと思えるのは、雰囲気くらいなものだ。

 ここには、何も自分が存在していたと思えるようなものは残っていない。

 

 名前すらもそうだ。

 強制収容所から助け出された時、自分が覚えていたのはヨナという名前だけで、実は家名すらまだ覚えていなかった。

 祖父場は名前すらもを忘れさせようとしていたようだったが、自分は忘れる事はなかった。

 

 その後、フルネームを知ったのは祖父のお陰だったが。

 医師としての矜持があったのだろう。

 彼は自分が受け持っていたエイティシックスの患者のカルテを、持てるだけ全て自分の書斎に隠していたのだ。

 

 それを偶然発見した事により、ヨナは自分の名を知る事となったのだ。

 しかし、残念ながら幼馴染の方は超優良健康児だった為、カルテは存在しなかった。

 

 出生証明書も個人番号も、果ては公共料金の請求先も、エイティシックスに関わる全てをこの国は抹消したのだ。

 いかに残りやすいデジタルデータとはいえ、物理的に破壊されてしまってはどうしようもない。

 

 だから、ナハト家の名を知ったのはさらにその後だった。

 軍に入り、倉庫で古い記録を漁っているとあの子の父親の名前を見つけたのだ。

 カビの生えた倉庫だけは、さすがに誰も手を付ける気すら起きなかったのだろう。

 

 テオドーア・ナハト

 彼は元々共和国軍人で、何度か勲章を授与された事のある程の人物だった。

 写真に写った軍服を着た彼を、ヨナは覚えていたのだ。

 

 とても優しく強い人だった。

 だから、帝国の侵略に対し、真っ先に戦車隊を率い、立ち向かったのだろう。

 

 戦死した記録もなかれば、死体もない。

 当然、共和国軍に属してたという存在すらも。

  

 それでも、ようやくその一家の名を知る事が出来たのだった。

 

「どうだ。ちゃんと約束、守ってるだろ……」

 

 答える人は誰もいない。

 しかし、嘗てあの子と帰る場所を守ると、指切りをして約束した事を忘れはしない。

 

 二人の父親が戦争に行ってしまった後、必ず彼らが帰ってくる場所を守ろうと誓ったのだ。

 その誓いは、強制収容所に送られても毎日交わしていた。

 声が届かずとも、分かりあえたたった一つの想い。

 

 ―――あの場所を守ろうと、いつかあの場所に帰ろうと。

 

 その誓いは未だ果たせれていない。

 帰ってきたのは一人だけ。

 迎え入れた者は誰一人としていないのだ。

 

 しかし、もしも強制収容所で彼女が生き残っていたなら、きっと監獄で出会えるだろう。

 あそこでは脱獄防止の名目で、収監する前に顔写真を撮る仕組みにしてある。

 

 きっとわかるはず。

 一目見れば彼女だと、わかるはずだ。

 

 その時は生きていた事に安堵し、彼女を影から見守ろう。

 そして、それを喜びその後を生きよう。

 奪った命の為に、贖罪の日々を過ごそう。

 

 では、もしすでに彼女はあの時、死んでいたとしたら……。

 その時はお墓を作り、みっともなく泣き喚こう。

 懺悔し、あの時に一人だけ助かった過去を呪い、絶望を抱えて生きよう。

 

 そして、もし彼女がプロセッサーとして、今も戦場にいたとしたら……もしくは、もう戦場で朽ち果てているとしたら……。

 

 自分のこの姿を見て、彼女がヨナだと気が付く事はないだろう。

 だから、正体を明かす事なく、甘んじて差し出すものを全て受け入れよう。

 

 出来ることならその時は彼女に、もしくは彼女と共にいた者にして欲しい願う。

 

 ーーーどちらにせよ、その結末は近い。

 

「彼女は今、何を見てるんだろう……」

 

 ヨナは自問する様に声を漏らし、空を見上げた。

 例え、手の届かない遠く離れた場所にいるのだとしても……。

 

 空だけは同じものを見ていたい。

 

 

 

 轟音。

 耳障りな飛翔音を立て、遥か彼方からの砲弾が地面に着地し、地面を抉る。

 機体のすぐ傍に着弾し、その余波に煽られようとも動きを止める事はない。

 そして微かに耳が捉えた音にリアは一瞬、曇り空に意識を向ける。

 

『長距離砲兵型だ。砲撃来るぞ』

 

 シンの警告で、全機一斉に散開行動に移る。

 第四小隊率いるリアは木々の隙間を移動しつつ、砲撃を回避する。

 並外れた反射神経で着弾の隙間を縫い、迫る戦車型に反撃の砲弾を撃ち返す。

 

『あー!もう!ほんっとに邪魔ッ!』

 

 クレナの怒声に賛同する声を上げたいが、その暇すらほぼない。

 

『てゆーか、これ隣の隊の長距離砲兵型まで撃ってきてない!?いくらなんでも多すぎでしょ!』

 

 セオの苛立ちを混じらせた声に、ライデンが感心を含ませた返答をする。

 

『学習したんだなぁ。俺達が向こうの進路呼んで、待ち伏せてるって』

 

 ただでさえ厄介な黒羊相手に、こちらを炙り出そうとする戦略。

 隠れている遮蔽物を長距離砲撃で潰して、誘い出そうとしているのだ。

 そこにのこのこと、出ていけば戦車型の120ミリ滑腔砲の餌食というわけだ。

 

『うへぇ、俺らみたいなアルミの棺桶に大盤振る舞いだなあ!嬉しすぎて涙でそう!』

 

 余裕の笑みを零すハルト。

 だが、その実それほど余力があるわけではない。

 集中力を刻々と削る砲弾の嵐。

 一瞬の判断の後に、通り過ぎる砲弾。

 ただ掠っただけでも、戦死を意味する無慈悲な攻撃だ。

 

 判断を誤れば死。

 それもこちらは衰える事のない機械の身体ではないのだ。

 いずれ疲労は蓄積し、限界に達する。

 

『こちらも、迎撃砲さえ使えれば……っ』

 

 ハンドラーの悔し気な声にリアは舌打ちをする。

 機体を急旋回させ、制限を解除した姿勢制御を無理やりねじ伏せ、僚機を置き去りに森を抜ける。

 

『キルシュブリューテ、西側の牽制をお願い。私は前に出る!』

 

『無茶だ!ああ、もうっ!』

 

 カイエの警告を無視し、戦車型の射線を斥候型を盾にし、身を隠す。

 砲撃と同時に、再び旋回移動。

 近接猟兵型を高周波ブレードで仕留めた所で、再びの砲弾の嵐。

 

 後方から再び長距離砲兵型の攻撃だ。

 戦車型の優先攻撃対象を自機に代え、連携を乱そうとするも余りに多勢に無勢だ。

 機銃を搔い潜る術を持たず、リアは木々を盾に一時撤退する。

 

『こちらブラックドック。スノウウィッチが足を取られた、援護を頼む』

 

『了解。第四小隊は後退しつつ、第五小隊と合流を。ガンスリンガー、その間の牽制行けるか』

 

『まかせてッ!』

 

 沼地にでも嵌ったなら、ファイドが引っ張り上げるまで時間が掛かる。

 その間の戦域の維持を別の隊が引き受ける必要があった。

 

『第四小隊、了解っ……』

 

 シンの命令で、リアは悔し気に砲撃しつつ後退を始めた。

 この状況では、誰かが前に出なければ中衛の負担ばかりが増えていく。

 そして限界はすでに訪れていたのだろう。

 

『バーントテイル!』

  

 戦車型に狙いを定め、疲労の為か周囲が疎かになっていたレッカのすぐ傍に砲弾が落ち、機体が中破する。

 

『第六小隊、誰か行けるか』

 

『砲撃で今すぐには難しい』

 

『この地形……今だとっ』

 

 同小隊員も砲撃で釘づけにされている中、リアが叫ぶ。

 

『私なら行ける!』

 

『ダメだ、第四小隊が今抜けたら戦線が崩れる』

 

 シンの命令に、一瞬だけリアは動きを止めた。

 そこにアンジュの、ダイヤの行動を制止しようとする声が届いた。

 

『待って、ダイヤ君!』

 

『大丈夫』

 

 ダイヤはレッカの機体がある河原に砲撃の中、救助に向かう。

 しかし、その目前で砲弾が掠め、自身の機体も横転してしまった。

 

『ぐっ……!』

 

『ブラックドック!そこを離れて下さいッ!』

 

 レーナの必死な声が意味するのは迫る自走砲の軍勢だ。

 機体は動かせず、重機関銃の銃弾には限りがある。

 結果は明白だった。

 

『ブラックドックッ!』

 

 レーナの悲痛な声が上がる。 

 




おい、主人公。
お前の長い語りのせいで話が進まんじゃないか!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話 死にたがり

 そして、自走地雷の三体がダイヤの機体に飛び付いた。

 

『ッ……』

 

 時限信管が作動し、自身の死を簡単に予想が出来たダイヤは口を開く。

 待ってくれ……。

 せめて、あと少しだけ。

 自分が想いを寄せる女性の名前を呼ぶ事ぐらい……!

 

『動くな!ブラックドック!!』

 

 しかし、そこにリアの叫び声。

 視線を向ければリアの機体が迫っていた。

 

 ダイヤの機体に衝突する勢いで突撃するリアの機体が展開するのは高周波ブレードだ。

 僅かな操作の誤りで、ダイヤの首を斬り落とすほどの距離。

 

『らあああぁッ!!』

 

 気迫の声と共に一閃。

 上部に取り付いていた二体の自走地雷を、組み付き用のアンカーを残し、遠くに吹き飛ばした。

 

 だが、もう一体が残っている。

 リアは一瞬でベルトを外し、機体の警告を無視。

 そのままジャガーノートのコックピットを開き、機体の勢いを受けたまま、外に飛び出す。

 

 その手に握るのはライフル。

 抱えた想いは一つだけだった。

 

 ―――今度こそ、救ってみせる!

  

 戦隊一の身体能力と怪力で振りかぶったライフルの銃底は、残った一体に命中。 

 そのまま弾き飛ばす事に成功した。

 

 だが、それは止まる事の出来ないリアも一緒だ。

 慣性のまま、投げ出され、共に落ちていく。

 

『駄目だ!』

 

 そこにダイヤが残った脚部で無理やりに機体をねじ込ませた。

 リアを庇う様に、少しでも爆発から逃れるように。

 

 そして、爆発が起きた。

 

『ウルスフベーン!ブラックドック!』

 

 カイエは爆炎に向けて叫ぶが、応答はない。

 レッカに迫る斥候型を排除した所で、救援を呼ぶ。

 

『ファイドにバーントテイルの保護を。私は二人の所に行く!』

 

『……ごめん、キルシュブリューテ』

 

 機体から脱出したレッカを身を隠すのを見届けた所で、カイエを止める声がした。

 

『キルシュブリューテ、デンドロアスピスがやられた。第四小隊を率いて第五小隊と戦車型の足止めをしろ。スノウウィッチ、ブラックドックの代わりに指揮を……いけるか』

 

『……ええ』

 

 アンジュの噛み締めるような声を聞き、カイエも従う他なかった。

 

『キルシュブリューテ、了解』

 

 リアの救助に今すぐ向かいたい。 

 だが、それは他の戦隊員を危険に回す行為だ。

 今でさえ、リアが抜けた穴を埋めるのは並大抵ではない。

 

 カイエは、今は小隊を預かる身としてこれ以上、独断行動をとるわけにはいかなかった。

 

『レウコシア、ガンメタルスコール。済まない、すぐに戻る』

 

 カイエは辺りの自走地雷を機銃で吹き飛ばすと、後ろ髪を引かれながら前線にと戻っていった。

 

  

 

 戦闘は終わった。

 損傷した阻電攪乱型が群れに戻れず、蝶の様に飛び交う中、スピアヘッド戦隊の面々は帰投の準備に入る。

 持ち帰るものは来た時と同じ、弾丸の消費で軽くなった自機くらいなものだ。

 

 そして戦死した者は置いていく。

 それが戦場での、エイティシックスの定めだ。

 

 だか、それは助からない傷を追った者も同じで、彼らをレギオンにさせない為にも、成さねばならない事がある。

 

『少佐、同調を切って下さいと言ったら応じてくれますか……?』

 

『それは……』

 

 シンの前にはダイヤの機体があった。

 左半分は爆発の熱で黒焦げ、その中の搭乗者も当然被害を受けている。

 

 ダイヤの左半身は焼け爛れ、およそ全身の四分の一程度の損傷。

 左脇から首、そして左頬の辺りにまで、その熱傷は届いていた。

 

「っ……ぁ……シン」

 

 まだ意識はあり、こちらを認識する事も出来ている。

 だがシンには、多くの戦友の死を見届けてきた死神にはわかっていた。

 例え、今ここでダイヤを助けたとしても……その後は。

 

 ―――長く苦しませるくらいなら、いっそここで。

 

『待って……シン』

 

 拳銃を引き抜こうとした手が、ある声で止まる。

 

『ウルフスベーン!生きていたのですかっ!』

 

 ハンドラーの嬉しそうな声を煩わしそうに同調を切り、リアはシンに懇願する様に、再び口を開いた。

 

「お願いだから……」

 

 カイエに支えられて歩くリアも怪我を負っていた。

 しかし、ダイヤに守られたお陰で、そこまで爆発に巻き込まれる事はなかったらしい。

 ただ、その長い黒髪は焼け落ち、背中には軽い火傷を負っていた。

 

『……ハンドラー・ワン』

 

『何でしょうか……?』

 

 シンは拳銃から手を離し、必死に走ってくるアンジュに目を向ける。

 

『損害報告です。デンドロアスピス、グラディアトルの両名は戦死。ウルフスベーンは軽傷、ブラックドックは……重傷です』

 

 レーナの息を吞む音が聞こえた。

 

 

 

 前線基地に帰還した彼らは、ダイヤに出来るだけの手当を施した。

 しかし、所詮は最前線で病院も、軍医すらいないこの場所では出来る事に限りがあるのだ。

 体を拭いてやり包帯で巻き、後は本人の回復に頼る他はない。

 

「そのポンコツをファイドに捨てるように言っとけ!」

 

 ライデンが苛ついた声で、メディカルユニットを足で蹴とばした。

 ダイヤの状態を三度熱傷と診断したこの機械は、それ以上の治療をする事なく停止したのだ。

 

「ライデン君……」

 

「……悪ぃ、外の空気吸ってくる」

 

 ダイヤが横たわるベットの傍に座るアンジュは目を伏せ、それにライデンは首に手を当て、部屋の外に出た。

 

 何も死を見慣れていないという訳ではない。

 戦場で嫌というほど見てきたのだ。

 

 ダイヤよりもっと酷い状態すらも。

 手足が吹き飛び、内臓が飛び出し、殺してくれと懇願する戦友達を。

 

 だが、彼らは死んでいった。

 戦場で戦って死ぬ事を、自分達エイティシックスはそういう生き方を進むと決めたのだ。

 それが、唯一残された自分たちの存在証明。

 

 だが、運悪く生き残っちまった奴はどうなる。

 戦う事も出来ず、仲間に取り残され、ただ死を待つばかり。

 

 ―――そこに誇りなどあろうはずもない。

 

「リア……」

 

 そんな事を考えていたせいだろうか、気付くと手が動いていた。 

 治療を終えて部屋から出てきたリアの頬を平手で叩く。

 思いの外、力が入りすぎていたのだろう、歯に当たったリアの唇から血が一筋流れる。

 

「言ったよな、次命令違反したら殴るって。お前が勝手に部隊を離れたから、シュリとオーチは死んだ。助けたダイヤもあの様だ」

 

 何に対して苛ついているのか、わからないわけではない。

 だが、止められなかった。

 

「一人救って二人死んだ! 釣り合わねえだろうが!」

 

 リアはいつもの様に言い返して来なかった。

 ただ、黙って唇を噛み締め、流れた血はそのまま床に落ちる。

 

「ライデン、責めるなら私もだ。リアと同じく私にもその責もあるはずだ」

 

 カイエがそこで、リアの隣に立つ。

 確かにカイエも、リアに連れだってレッカの救助に向かった。

 だが、それは小隊長であるリアにこそ負うべき責任のはずだ。、

 

「ライデン、黙認したのは俺だ。文句があるなら、まず俺に言え」

 

 そこでシンがライデンの肩に手を置き、淡々と言葉を続ける。

 

「それに今日の戦闘では誰が死んでもおかしくなかった。結局は今日死ぬか、明日死ぬかの違いでしかない。そうだろ」

 

「……ああ、そうだったな」

 

 いずれは平等に訪れる死だ。

 だが、それに至る道は様々でダイヤもリアも、結局は自分で選んだだけなのだ。

 それを他人がとやかく言うことではない。

 そして、シンがそう認めるのなら、副長である自分が出る幕ではなかった。

 

「俺は少佐に今日の事を報告してくる。……喧嘩するなら騒がしくないように裏でやってくれ」

 

 そう言うとシンは自室の方にと戻っていった。

 そして、その物言いのせいか、ライデンの頭に上った血が急に去っていく。

 

「らしくねぇ……熱くなっちまってた。一発は一発だ、やれよ」

 

 ライデンはある法典の通り、片頬をリアに差し出した。

 そして振りかぶられる手。

 

「ぐはっ……!」

 

 ライデンは吹き飛ばされ、壁に背中を叩きつけられる事となった。

 リアが降り下ろした手の形は拳。

 

「グーパンかよ……」

 

「私、シンの所行ってくる!」

 

 恨めし気に呟いたライデンなどリアは無視し、シンの後を追いかけて行った。

 尻もちついたままのライデンにセオが近寄り、不思議そうに眉根を寄せる。

 

「何でリアに、そんな突っかかんの? 何、好きなの?」

 

「ちげーよ」

 

 ライデンは呆れたように吐き捨て、去っていくリアの姿に目をやる。

 暗闇に溶けていく黒髪。

 我らが死神とよく似た髪色。

 

「死にたがりは二人もいらねぇんだよ……」

 

 似ているのはそれだけではないのだ。

 きっと過去の何かに、逃れる事の出来ない呪縛に。

 ずっと囚われている所が。

 

 

 損害報告……戦死者三名、至急隊員の補充を求む。

 東部戦線第一戦区第一防衛隊スピアヘッド戦隊、管制官。

 ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐

 

 

 

「っ……痛ったー!」

 

 リアは涙目になりながら、裸で頭からシャワーを浴びせられていた。

 火傷の治療を済ませた背中には水が掛からない様にしてあるものの、体中にいくつもついた擦過傷には染みる。

 

「ほーら、動かないの!」

 

 シャワー室で同じく裸のレッカがリアの頭を後ろから抑える。

 カイエが微妙に片腕である部分を隠しながら、リアの髪に手をやった。

 

「まだ黒いのが出てくるぞ。うわ、取れた。す、すまない、リア!」

 

「え、何!? 何が取れたって? 私の髪どうなってるの!?」

 

 カイエの髪には熱で縮れたリアの黒髪が纏わりついている。

 残念ながら戦隊の中でも羨ましがられていた艶のあるリアの髪は、無惨にも失われていた。

 

 なんとか汚れを全て洗い流した後、リアは濡れた猫の様に大人しく体を拭かれるままになっている。

 

「あんたって、ほんと……なんでもない」

 

 リアの上半身を拭いていたレッカが、戦慄した表情で引き攣った笑みを浮かべている。

 それから、乾かし終わった後は、洗面台の前の椅子にリアを座らせた。

 全員かなり疲れてはいるが、このままリアの髪を放置しておく事など女子のプライドが許さなかったのだ。

 

「ほら、真っ直ぐ前を向いていろ」

 

 カイエの指示に嫌そうに身震いするリアだったが、ハサミで髪を遠慮なく切り始めると睡魔が襲いかかり、船を漕ぎ始めた。

 

「カイエ、どうしようっか」

 

 そこで、女子隊員の髪のカットを常に受け持っているレッカが困った声を上げた。

 カイエも後ろに回り込み、レッカと同じく悩み出す。

 

「これは……。リア、どうやら覚悟してもらう必要がありそうだ」

 

「うーん……別に……坊主、でも…いいわよ」

 

 リアは眠気を堪えながら、途切れがちに言い返す。

 

「それは却下だ。……しかし、折角綺麗な黒髪だったのにな。惜しい限りだ。好きで伸ばしていたんだろう」

 

「ううん……。ただ、お母さんに……言われただけ。髪の毛ぐらい……伸ばしとかないと、婿の貰い手が……ないって」

 

「それを言うなら、嫁の貰い手だな」

 

 カイエは苦笑し、眠気のせいかいつもより口が回る親友を面白そうに見つめた。

 

「……ヨナも綺麗だって……言ってくれたから」

 

 ああ、確かリアの幼馴染の名前だったか。

 戦隊結成の時に、一度だけ聞き覚えがないかと全員に訪ねた人。

 

 ヨナイス・ラングレイだったか。

 

 強制収容所でアルバに連れて行かれた幼馴染の男の子か。

 どこに連れて行かれたかはわからず、今も手掛かりはないらしい。

 

 運が良くて他の収容所に移送されたか、最悪人体実験など為に連れ去られたか。

 それでもよほど大事な思い出なのだろう。

 その名を口に出すリアの表情は、今まで見た事が無いほど穏やかだった。

 

「それに……約束……したから」

 

 レッカがハサミを動かす手を止める。

 

「約束って、どんな?」

 

 その質問にリアが答える事はなかった。

 頭がだらりと下がり、規則的な寝息が代わりに聞こえてくる。

 

「もうっ、教えてくれてもいいのに」

 

 少し興味があったらしいレッカは唇を尖らせながらも最後の仕上げに入る。

 約束の内容を一度だけ聞いた事があるカイエは、そのことには触れず、ただ優しく微笑んだ。

 

「さ、終わりっ!」

 

 レッカは答えてくれなかった意趣返しか、リアの両肩を思いっきり叩きそう告げた。

 

「ふわあっ!」

 

 慌てて飛び起き、リアはしげしげと鏡で自分の姿を確かめる。

 

「……ありがとね、レッカ」

 

「どういたしまして」

 

 ベリーショートとなった髪を撫で回すリアお礼に、腰に手を当てたレッカに満足気な顔だ。

 

「さ、夜食を作ってアンジュの所に持っていってやろう。彼女も休まないと」

 

 カイエは手を打ち鳴らし、提案をする。

 

「賛成、クレナにも声掛けてくる」

 

 レッカがご機嫌で出ていって、カイエも続こうとするとリアが声を掛けてきた。

 

「ねえ、変……じゃないかな」

 

 坊主でもいいといった割にこういう所を気にする辺り、可愛らしいな思うレッカであったが、当然その事を口にする事はない。

 

「私は好きだぞ、その髪型。リアらしい」

 

 とまあ、そういう風に返すとリアは、嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

 しかし実際の所、戦隊内での評判は他の女子は苦笑い、男子は絶句であったが。

 




感想、評価など貰えるとモチベゲージが回復します。
よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話 特殊装備

体もってくれよ!!俺のモチべぇ!!


 「第一戦区第一防衛戦、スピアヘッドへの補給物資……」

 

 輸送係の伍長は怪訝そうに、書類にサインするレーナに胡乱気な視線を向けた。 

 そして当然、次にレーナの後ろにある頑丈そうな二つのコンテナに目が行く。

 

「少佐……このコンテナの中身は一体何でしょうか?」

 

「と、特殊弾頭に特殊装備です……」

 

 引き攣った声でレーナは答える。

 当然怪しい事、この上ない。

 

「本当でしょうか……?」

 

 そこにレーナがそっと差し出す手には、お金の束が握られていた。

 ありったけのレーナの財布の中身すべてだ。

 それを伍長は一瞬目が泳ぎ、受け取りそうになるも、なんとか手の平で押し返す。

 

「こ、困ります。最近、ただでさえ輸送部隊の方に余計な荷物が増えて困ると苦情がきていまして……」

 

「え……」

 

 レーナに動揺からなる言葉が漏れた。

 まさか、断られるとは思ってもみなかったわけで、その後の対応など用意しているわけもない。

 

「一度中身を改めさせて貰い、精査さして頂いた後に……」

 

「そ、それは!」

 

「いいだろ、伍長」

 

 あたふたと慌てて手を動かすレーナに救いの声が掛かった。

 

「……シュタット少佐。もしや貴方の入れ知恵ですか」

 

 ヨナがレーナの隣に立ち、有無を言わせずレーナの倍の金額を伍長のポケットに突っ込む。

 

「技術部からの依頼でもあるんだよ。新兵器の開発はどこの部署も拮抗していてな。エイティシックスなら安全を気にせず試験が出来るだろ?」

 

 軽薄そうにヨナが笑うのを演技だとわかっているのでレーナは反応しない。

 

「伍長もどの勝ち馬に乗るか、考えてみたらどうだ」

 

 ヨナが身を乗り出すと、伍長は諦めたとばかり白旗を上げた。

 しかし、融通が利かないのか部隊の仲間の非難の方を気にしたのか、最後に躊躇しながら口を開く。

 

「で、では。せめてミリーゼ少佐の物は正式に技術部からの申し出をしてからで」

 

「そんな……それでは間に合わなっ……」

 

 何かを言い掛け、慌ててレーナは口をつぐんだ所で隣から肩に手を回してき者たがいた。

 

「伍長、わかるだろ。ここは俺の顔を立ててくれよ」

 

 ヨナがレーナの肩を抱き、傍から見ればそういう関係であるかのように思わせる様にしてきた。

 レーナは顔が赤くなるのを自覚しながらも、こくこくと意味もなく首を振る。

 

「……わかりました」

 

 気弱そうな伍長は諦めて、首を縦に振ったのだった。

 

 

 輸送部に念押しした後、二人は通路を歩いていた。

 

「先程は、不埒な真似をしてすみませんでした」

 

「いえ、少佐が来てくださって助かりました」

 

 ヨナが申し訳無さそうに眉を下げるのに、レーナは首を振る。

 

「もっと早く来れれば良かったのですが、彼の説得に手間取ってしまいまして」

 

「大丈夫でしょうか……」

 

「ええ、あれでも腕は確からしいですから。……それより昨夜は急に少佐が訪ねて来られて、驚きましたよ」

 

 レーナはヨナの助けに感謝しながら、昨夜の事を思い出していた。

 

 

 

『戦死扱い……ですか』

 

 戦闘後、シンからの同調で告げられたのはイルマ少尉の状態だった。

 

『回復は、見込めないのでしょうか……?』

 

『俺は医者ではないのではっきりした事は言えませんが、あの状態ではもって一週間でしょう』

 

『そんな……』

 

 重度の火傷はいずれ壊死していくだろうし、抗生物質がなければ感染症で死に至る。

 廃墟を探せば薬品は見つかるかもしれないが、どれも使用期限が怪しいものばかりだろう。

 それに助かっても再び戦えるまで、どれだけ時間がかかる事か。

 

『だから、ダイヤを戦死した事にして下さい。幸いレイドデバイスも熱で壊れてしまいましたし、誰かが確認しに来る事もないでしょう』

 

『ですが、負傷者は収容所に移送され、そこで治療を受ける決まりで……』

 

『あそこにまともな医療設備はありません。むしろ前線の方が恵まれているくらいです。それに少佐のそれは建前で、輸送部の連中はそんな面倒をするよりヘリから落とす選択をするでしょう』

 

 ここ最近の誰の仕業か、当たりと言われる幾らか上等な機体の為か、機体が破壊されながらも生き残るプロセッサーが増えてきているのだ。

 それは傷痍兵が増える事を意味し、使えない部品など破棄するのがアルバの常の考えだ。

 

『それならせめて、俺達の元で死なせてやりたい』

 

 シンはぎゅっと拳を握った。

 リアとアンジュがいる限り、すぐさまそんな真似は出来ないだろうが、すぐに彼女らも悟る事だろう。

 そうなったら約束通り、一緒に連れて行くだけだ。

 

『ちょっと待って!』

 

 そこにリア同調を繋いできた。

 背中を庇う動きをしながらもリアはシンに追い付いてきて、その黒い瞳を向けてくる。

 

『ねえ、あんた。私達に悪いと思ってるんでしょ』

 

『ヘカーテ少尉……』

 

 そこでリアは、耳が痛くなるほどの大声で叫ぶ。

 

『だったらなんとかしてよ! 私達の上にミサイルを降らせる金があるんだったら、まともな薬や医療道具ぐらい送れるでしょ!』

 

 シンは耳を塞いでいたが、同調しているので意味がないとすぐに気付き、腕を降ろす。

 

『なんとかします……!だから、少しだけ待っていて下さい!』

 

 レーナの決死の声に、リアは悔しそうに唇を噛んだ。

 アルバにお願いをするなんて、屈辱だと言いたげに。

 それでも仲間の為と思い、行動を起こしたのだろう。

 

『部下が失礼しました。ですが、俺からも可能であればよろしくお願いします』

 

『最善を尽くします』

 

 そうしてレーナとの同調は切れた。

 静寂が二人の間に流れる。

 

「……いつまでその名前でいるつもりなんだ?」

 

「……ずっとよ」

 

 まあ、いいかとシン踵を返そうとした所でリアの声が掛かる。

 

「ねえ、勝手な事しないよね……。別にあいつの事を信じてるわけじゃないけど、それでもアンジュが……」

 

「わかってる。けど、どうにもならない事もある。その時は覚悟しておいてくれ」

 

 そうシン言い放ち、足を踏み出そうとするのを止め、代わりに数度鼻を鳴らした。

 

「……早くシャワーを浴びたほうが良い。特に頭」

 

「え……嘘!?」

 

 慌てて戻っていくリアを見て、もう少し別の言い方があったかと考えるシンだった。

 

 

  

 その後も戦闘は継続的に続き、遂にダイヤを除き戦えるスピアヘッド戦隊の隊員は今や14名になってしまった。

 

 直す者のいなくなった壊れたラジオをライデンはいじっていたが、諦めて元の位置に戻した。

 今もアンジュやリア達が、必死の看病をしているこのラジオの持ち主が再び修理出来る日は来るのだろうか。

 

『こんばんは』

 

『感度良好だ、少佐。……野郎ばっかりでむさ苦しくてすまねぇなあ』

 

 いつもの時間に繋いできた少佐にライデンは答える。

 答えてきた声の主がいつもと違うのに、レーナは不思議そうにしていた。

 

『あの、……ノーゼン大尉はどうかしましたか?』

 

『寝てるだけだ、疲れたってよ』

 

 人員が減り、それに伴って増える各員の負担。

 そしてそれを預かるシンにだけ聞こえる亡霊の声。

 

『俺には……俺達にはわかんねぇけど、やっぱしんどいんじゃねえかな。四六時中レギオンの声が聞こえるってのは』

 

 疲労が限界を迎えるのも仕方がないというものだ。

 レーナはそういえば、シュタット少佐にも何か能力があると言っていた事をを思い出していた。

 彼もそういう時があるのだろうか。

 

『そうですか……。物資の輸送の手続きを完了したと連絡したかったのですが』

 

『だったら、ちゃんと届いてからにしてくれ。どうせ届かなきゃ、あいつも信じやしないしな』

 

『ヘカーテ少尉ですね。でも、なんとか彼女との約束は果たせそうです。……それで、イルマ少尉の状態は……?』

 

 レーナは先日、戦死扱いにしたダイヤについて尋ねる。

 ニ階級特進じゃないのかと、巫山戯る余裕は今のライデンにはなかった。

 

『なんとか持ちこたえてるってレベルだ。やっぱ火傷と熱が酷くてな。今も看病を続けてるがどうだか……』

 

『もう少しだけ、持ちこたえさせて下さい』

 

 ライデンは頬を擦りながら、嘆息する。 

 この少佐はどこまでお人好しなのだか。

 そうまでする労力に自分達の命など、到底見合わないというのに。

 

 そして、この少佐に協力しているであろう人物もだ。

 到底、今迄の行動を、この少佐一人で成しているとは思えない。

 きっと、協力者がいるはずだ。

 何故か少佐は、その協力者をひた隠しにしているが。 

 

『全く、あんたも大概だな。そっちの方が倒れないように程々にやってくれ』

 

 少しはこの定時連絡も休んでも、罰は当たらないはずだ。

 

『あんまり無茶してるとあんたも、ハンドラーの亡霊に仲間入りしちまうぜ』

 

『ハンドラーの亡霊?』

 

 レーナの怪訝な声にライデンは、笑みを浮かべながら説明する。

 エイティシックスでまことしやかに囁かれている噂を。

 

『何でも俺達がおっ死にかけた時に聞こえてくるんだとよ。突然、知らねぇハンドラーからの同調。亡霊の声が』

 

 ライデンは聞いた事はないが、以前いた部隊の仲間は実際に聞いた事があると言っていた。

 怪しい事この上ないが、それで命を救われたとかも。

 まあ、ただの怪談の類の話だろう。

 

『案外、今もあんたの隣にいるかもな』

 

『えぇっ! っあいた!!』

 

 慌てたレーナの声がし、それからどこかに体をぶつける音も。

 セオが笑い声を漏らし、ライデンも顔を見合わせて同じく笑う。

 

『驚かせて悪かったな。ただの冗談だ』

 

『シュガ中尉、やめて下さい。もう』

 

 むくれた様なレーナの声だ。

 豪胆な割に、ネズミを怖がったり令嬢らしい所は、からかいがいがあるとライデンは思う。

 その後、取り繕うような咳払いの後、

 

『とにかく大尉もですが……やはり各員の負担が増えていますね。補充を急がせます。こちらに最優先で人員を送るように手をつくしますから』

 

 レーナは悔し気な声でそう言ってきた。

 

『ああ……そうだな』

 

 ライデンはその後の会話を適当に答えながら、腕を組んで後ろに回した。

 いくら申請しても来るはずのない補充。

 だが、その徒労の意味を彼女に告げるのは……未だ憚られていた。

 

 

 

「レーナ……なんだって、あんたそんなドレスなんか……?」

 

 アネットがレーナに向けて怪訝な表情で呟いている。 

 場所は革命祭のパーティ。

 

 色鮮やかなドレスを着込なす淑女が集まる中、レーナの纏う黒は悪目立ちする。

 

「素敵でしょ、おかげで誰も話し掛けてこないわ」

 

 しかし、そんな事などお構いなしに、レーナは不敵な笑みを浮かべて裾を翻してきた。

 叔父様に部隊の補充の吉報を貰い、いくらか気分が良くなったレーナはパーティーに出るだけ出てみようという気になったのだ。

 

「お二人とも、こんばんは」

 

 そして誰も声を掛けてこないと、レーナが誇らしげに言った傍から声が掛けられる。

 もの好きな奴は誰だと、アネットは目を向けるとシュタット家のお坊ちゃんが立っていた。

  

 仕立ての良いスーツに、物腰の良さそうな姿。

 腹立たしい程、礼節を弁えた旧貴族特有の物腰。

 

「ミリーゼ……嬢。それに確か、ベンローズ嬢でしたか」

 

 レーナの名前を少し言い淀んだが、この場で階級を呼ばない辺り徹底している。

 

「シュタット……さん。貴方も来られてたのですね」

 

 レーナが少し親し気な笑みを浮かべるのを見て、頭を軽く下げていたアネットは怪訝な表情を浮かべた。

 そしてその二人が、幾らか親密そうに会話を交わすのを見て、それこそその表情は一変する。

 

「ちょっと、レーナ」 

 

 アネットはレーナに耳打ちする。

 

「ねえ、いつの間に彼と仲良くなったの。前まで親の敵みたいな敵意をぶつけてたのに」

 

「え……あ。そうよ、今でもそう」

 

 レーナが慌てて取り繕う様に彼を睨み、ヨナがそれに同調する様に身を縮めた。

 怪しい事この上ない。

 

 それでもこの親友が、エイティシックス以外に興味を向けたのはいいことだ。 

 お似合いな二人に見えない事もない

 

 そこで、アネットは自分の婚約者の姿を見つけ、慌てて顔を伏せる。

 

「どうしたの?」

 

 レーナが覗き込んでくる。

 

「向こうに今日、新作のおやつを送り付けた婚約者がいるの。またね」

 

 アネットはドレスを翻して離れていくのを、ヨナは不思議そうに首を傾げた。

 彼女のお菓子作りの腕を知らずに済んだのは幸運だと、レーナは苦笑いを浮かべる。

 

 そこに花火が揚がる音が聞こえ、同時にレーナのレイドデバイスに同調が入った。

 

『少佐』

 

『ノーゼン大尉……』

 

 レーナは申し訳なさそうにヨナを見てきた。

 それにヨナは軽く頷き、レーナは頭を下げて、会場から離れていく。

 ヨナはそれを見送った後、パーティーの群れの中に戻っていった。

 

 彼女の判断は正しい。

 ヨナは張り付けた仮面で、談笑しながら心の中で思う。

 

 息が詰まり、胸を掻き毟りたくなる焦燥感を抑えながら、ヨナは殊更無意味な会話を続ける。

 必要な時間だと、思いながらも逃げ出したい気持ちは強まる一方だ。

 

 次第に目の前で会話をする男性の口の動きがゆっくりとなっていく。

 それに合わせ、音も間延びした様に、古びたテレビを通してみる様に間抜けな音となってヨナの耳に届く様になる。

 

 ヨナはその音を聞き流しつつ、止まったような時間の中でレーナに意識を向けた。

 彼女は花火に照らされるテラスの中にいる。

 

 ふいにその手が宙に伸ばされる。

 そして力を込めて握られた。

 

 後姿しか見えない。

 それでも 大切な何かを決意した様な姿だった。

 




早く書き終えて、リアルに傾注しなければまずいような……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話 声の主

 ぱちぱちと独特な小さな音を立てて、火花が目の前で踊っている。

 暗闇の中で、その小さな光だけがカイエとリアを淡く照らしていた。

 

 ふと、遠くで微かに花火が打ち上がる音が、カイエの耳に届いた。

 今頃は、居残り組以外の他の皆はサッカースタジアムで打ち合げ花火を楽しんでいるのだろう。

 

「たーまやー、かーぎやー」

 

 ふと、そんな言葉がカイエの口から無意識に漏れた。

 

「それって、どういう意味?」

 

 すっかり短くなった髪にはまだ慣れないのか、リアの後ろ髪を触ろうとした手は空を切る。

 

「あ、いや。実は私は知らないんだ。昔、革命祭の花火を見ていた時、父がよく口ずさんでいた言葉なんだ」

 

 その意味を聞く前に父はいなくなってしまった。

 少し感傷に浸った顔をリアに見られる前に、線香花火は終わってしまう。

 

「カイエも、皆と行ってきたら良かったのに」

 

「リアが行かないなら、私もここにいるさ。アンジュの傍にいてあげた方がいいだろうしな」

 

 そこでカイエはもう二本線香花火を取り出し、リアに片方を渡し、自分の物に火をつける。

 リアはゆっくりと、遠慮がちに手を伸ばしてくる。

 アルバからの贈り物なんていらない、と言っていたリアだったが、この小さな花火くらいいだろうと説得した所、応じてくれたのだ。

 

「私、花火は嫌い……」

 

「また、どうして?」

 

「すぐに消えるから。ぱっと光ったと思ったらすぐに終わっちゃう」

 

 それは線香花火を長持ちさせる方法を知らないからで、殊更リアはじっとしておくという事が苦手だからだ。

 カイエはくすりと笑うと、自分の線香花火を近づけ、リアのそれと合わせた。

 すると二つの火球が合わさり、さっきよりも大きな火球となる。

 

「ほら、こうやってじっとしていると長持ちするし、二つに合わせればさらに大きくなる」

 

「あ、ずるい」

 

 自分の分の火球カイエに奪われたリアは、拗ねたような声を出し、今度は自分から花火を手に取った。

 他の花火もそうだが、確かに線香花火の寿命は短い。

 いくら長持ちさせようと頑張ろうとも、一瞬で明るく輝き、いつかは燃え尽きる。

 自分のマークの桜と同じ様に、僅かな間に潔く消えていく。

 

 それは自分達の行末を示している様で、カイエはぽつりと声を漏らした。

 

「リア……もしこれから先、私が死ぬ事があればお願いがあるのだが、いいだろうか」

 

「なんでそんな事……!」

 

 リアは勢いよく顔を上げ、その衝撃で線香花火は短くも終わりを告げる。

 

「私はよく戦えたよ。この戦区でここまで生き残れたのは奇跡だと思う。それはきっと隣にリアがいたからだ」

 

 リアの僚機として行動する事の多いカイエはそう分析した。

 実際の所、エイティシックスの死亡率は男性よりも、女性の方が高いのだ。

 

 男性よりも体力が劣る女性。

 特に小柄で、前衛を務める事もあるカイエにとって、その差は命取りだ。

 まあ、リアの様な規格外は偶にいるが。

 

「そんな事ない。カイエがいたから私もここまで……」

 

「ああ、皆のお陰でここまで来れた。そしてこれから先も……例え、死んだとしてもきっとシンが連れて行ってくれる」

 

 だから、とカイエは前置きして、リアの揺れる瞳を見つめた。

 

「その時は、私が死んだ事で彼らを恨まないで欲しい。その事をリアが抱える必要はないんだ」

 

 未練がないという訳ではない。

 恨みがないという訳でもない。

 ただ、その重みまでリアにこれ以上背負って欲しくないだけなのだ。

 この放っておけば自分を傷つけ、消えてしまいそうな少女に。

 

「約束して欲しい。その時が来てもその後も。私の事で想うのは、こうして一緒に花火を楽しんだ思い出だけにして欲しいんだ」

 

「……わかった。でも、……そんな事にはならない、させないから」

 

 膝を抱えたリアは、決意を秘めた表情でカイエを見返していた。

 そこに風が吹き、二人の花火を掻き消していく。

 だが、同時に営舎の窓から顔を出したアンジュが声を掛けてきた。

 

「っ……ダイヤ君が」

 

 一瞬、二人は最悪の事態を予想するが、アンジュの目に浮かんでいるのが喜びの涙だと気が付き、力を抜いた。

 

 

 結論から言うとダイヤは助かった。

 

 レーナが送ってきた特殊弾頭とは、別のコンテナの特殊装備。

 その中に入っていた遠隔操作可能な改良型メディカルユニットに、バッテリーで冷却されて届いた人工培養皮膚によって。

 

 無事メディカルユニットを立ち上げた所、アルバの医者と思われる男から通信が繋がり、手術の助手をやれという命令で、アンジュ以下手先の器用な者が手伝う事となったのだ。

 なんで私がエイティシックスなどを助けにゃならん、とぶつくさ言っていた割に、その医者はきちんと移植手術をこなし、プライドからか手を抜く事はなかった。

 

 しかし、こんな不衛生な場所に加えて今後の術後処置も出来ない訳で。

 助かっても酷い跡が残るだろうと言われたが、命が助かるのなら対した問題でもなかった。

 

 そして、薬の効果で熱も引き今まで眠っていた所、ダイヤは目を覚ましたのだった。

 

「……ごめん、アンジュ。全然……大丈夫じゃ、なかった」

 

「ほんっとに……どじなんだから、ダイヤ君は」

 

 なんとか笑みを浮かべたダイヤに、アンジュは大粒の涙を流す。

 カイエがレーナを含めて全員に同調を繋ぎ、その吉報に歓声が上がる事となったのだった。

 

  

 だが、その喜びに浸る時間はあまりなかった。

 彼らは戦場にいて、助かる命よりも多くの命が奪われる。

 それは変えられようのない事実だった。

 

『アンダーテイカー、報告を』

  

『戦隊各員、これよりレギオンの前進拠点の制圧に掛かる』

 

 レギオンの前進拠点の攻撃任務が下され、スピアヘッド戦隊は囮とわかっていながら、その任を拒否する事など出来ようもなかった。

 周囲の伏兵を気にしながら市街地へと、各機進軍していく。

 

『嫌な感じがするな……』

 

 ライデンがぽつりと漏らした言葉に同意する者が数名。

 そして、その予感は的中する事となる。

 

『全機停止。……一機来るぞ』

 

 シンの声に各機散開し、周囲の警戒を行うが、それより気になったのは一機という言葉。

 何故たったの一機。

 

『―――帰ル』

 

 そして、ぞっとする様な低い男の声が聞こえた。

 同調を、シンの異能を通しての声。

 レギオンの亡霊の声だ。

 

『なんだありゃ……』

 

 そして姿を現した敵に対するライデンの声に同意する者は全員だった。

 見た事がないレギオンだ。 

 

 太い四脚の脚部を持ち、獅子に似た一対の鬣、敏捷性を思わせる白銀の鋭利な機体。

 今まで見てきたレギオンとは、基本設計から異なる姿。

 最も長く戦ってきたシンですら、一切の情報がない敵だった。

 

 まだ、彼らはそれがいずれ高機動型と呼ばれるレギオンの試作機である事を知らない。

 

『どうしました!? アンダーテイカー報告を』

 

『敵の新型です。……声は把握していたのですが、まだ遠くにいたはず。移動速度が尋常じゃない。……ッ!』

 

 シンの表情が一変する。

 敵がその姿通りの敏捷性を生かして、突進してきたのだ。

 

『帰リたイ……帰ル帰る帰るカえる帰ル帰ル帰るカえる帰ル!』

 

 全機すぐに砲撃を開始するが、その機体は遮蔽物を巧みに利用し、左右に機体を振り避ける。

 高起動型と呼ぶにふさわしい動きだ。

 

『あいつの相手は俺がする。どうやら敵は待つ事に飽いたらしい』

 

 シンが声を聞き届けるまでもなく、続々と周囲に隠れていた敵が集結してきていた。

 とてつもない速度で接敵する新型に、ライデンが焦燥感を滲ませながら答える。

 

『指揮は任されたが……無茶すんじゃねえぞ』

 

『どうやら、無茶で済むような相手ではなさそうだ』

 

 ライデンは小隊毎に命令を与えながら、シンの機体を見送った。

 

『ウルフスベーン!?』 

 

 そこにカイエが声を上げている。

 見れば、リアが先程与えた指示から動いていない。

 

『確かめ……なきゃ……』

 

 リアの震える微かな声は、動揺を必死で抑えようとしている。

 

『私も……行かなきゃ』

 

 あの新型に向けてだろう、機体の向きを変えようとした所にライデンは吠える。

 

『馬鹿野郎、あいつの邪魔だ。それにお前がいなくなったら誰が前線を支えるってんだ!』

 

 リアならシンの動きについていく事は可能だろう。

 だが、高速戦闘下では、お互いが邪魔になりかねない。

 

『……また仲間の命を危険に晒すのか』

 

『ッ……了解……』

 

 言いたくもない言葉をライデンが吐き出した所、リアはなんとか言葉を絞り出し、包囲してくる敵機に向かって行った。

 

 

 

『アンダーテイカー!』

 

 再び何度目かのレーナの悲痛な声。

 管制モニターではシンと新型のレギオンは、ほぼ重なりあう様に表示されている。

 

 速すぎる!

 

 意識が奪われる程の高速戦闘を繰り広げながらシンは、なんとか敵に喰らいついていた。

 すでにレーナの声も、周囲で戦う仲間の声すら遠く、届かない。

 余計なものをそぎ落とし、瞬き一つ惜しんで命を繋ぐ。

 

 すれ違いざまに高周波ブレードと敵の高周波チェインブレードが金切り音を立て、激突した。

 もう一対のチェインブレードが迫る前に、シンはワイヤーアンカーで廃墟に飛び込む。

 

 一瞬の攻防だ。 

 しかし、シンには恐ろしく長い時間に感じていた。

 何分経過したか、残弾数を数える余力すら全て捨て去り、敵のみに集中する。

 

 未だ命があるのは、こちらに地の利があり、敵に遠距離攻撃手段がないからだろう。

 敵の武装に機銃やミサイルといった類は存在しない。

 自分と同じく、近接戦闘を主として作られているのだ。

 

 今まで、これ程の起動を可能とするレギオンは存在しなかったはず。 

 それだけの性能を有す中枢処理装置をレギオンは保有していなかったからだ。

 

 しかし、夢幻でなく現にシンはその敵と交戦中だ。

 いかに黒羊とはいえ、これだけの機動を可能にするとは、余程元の素体が優秀だったのだろうか。

 

『っ……』

 

 再びの攻撃の回避で左後脚部のアクチェーターが限界を迎えた。

 もう一度の戦闘で、恐らく動けなくなるだろう。

 ついでに左の高周波ブレードも根本から叩き折れ、ワイヤーアンカーも作動しない。

 

 そして、長年の戦闘経験からシンはいとも容易く悟ってしまった。

 

 ―――この機体では勝てない。

 

 残された手段は一つしかない。

 自分を囮に、部隊に援護砲撃を要請し、廃墟を質量兵器として崩落させるしかない。

 うまく釣れるか、それとも巻き込まれるのは自分だけか。

 どちらにせよこいつをここで逃がせば、全員の命はない。

 

『こんな所で……』

 

 残した思いを捨て去る為に、唇を噛み締め、シンは決意する。

 自分を残して、全員に撤退を命じようとした時、急に新型が動きを止めた。

 その機会を逃すかと、最後の残弾で廃墟の上階から狙い撃ちするも、新型は見事に避け切りこちらを補足する。

 だが、追撃はなくブレードを尻尾の様に地面に一度叩きつけると、反転し去って行った。

 

『敵が撤退していきます』

 

 レーナの安堵の声にシンは、違和感を覚える。

 撤退行動に移行するほど、レギオンの声は減っていないはずだ。

 

 違う。

 これはなにか別の。

 

 突如、レーダーの警告と共に砲弾が降ってきた。

 回避行動に移れた者は僅か。

  

 阻電攪乱型を突き破り、回避不能な砲撃が地面を抉る。

 第一、第二と着弾する仲、唯一並外れた反射神経で反応出来たリアが、カイエの機体を押しのけ、砲撃から逃れた。

 

『バーントテイル!』

 

 しかし、その砲撃の余波でレッカの機体が瓦礫にぶつかり、激しい衝撃で同調が切断された。

 同じく吹き飛ばされたチセの機体も沈黙したままだ。

 そして再び、二つの砲撃が落下し、被害は拡大する。

 

『か、解析出ました!発射位置、東北東百二十キロ、推定初速は……秒速四千メートルっ!?』

  

 全機必死に回避行動を取る中、レーナの報告が入る。

 

『今まで確認された事のない、超長距離砲です!……そんな、少佐の読みは正しかった。……ッ作戦中止!撤退して下さいッ!!』

 

『……了解』

 

 シンが答えると同時に、リアからの声も上がる。

 

『まだ、バーントテイルとグリフィンが!!』

 

 砲撃に直撃され、崩落に巻き込まれた他の四名とは違い、この両名はまだ生きている可能性がある。

 しかし、このまま放置して撤退すれば、すぐにレギオンは戻ってくるだろう。 

 そんな事は出来ない。

 

『彼らは私が引き受けます!』

 

『少佐……?』

 

 どうやってというシン疑問には答えず、リアは管制コンソールに急いでコードを入力した。

 先日、ヨナに教えられた通りの方法で。

 

<system under the head start>

 無機質な数字の羅列を無視し、レーナは急いで設定を終える。

 

『バーントテイルとグリフィンの親機をヴェアヴォルフに設定。ヴェアヴォルフ、彼らを頼みます!』

 

 すると二体の機体は操縦者の動作なしに立ち上がり、ライデンの機体の動きをコピーするかのように後ろについた。

 恐らく今もレッカとチセの意識は失われたままだ。 

 

『っこんな隠し玉持ってんなら、早く出してくれよな』

 

『すみません、先日導入されたばかりシステムなんです。余り無茶な機動はしないで下さい。随伴機能くらいしかないので、不安定な場所では転ぶかもしれません』

 

『了解した』

 

 それから、以前花火をしたサッカースタジアムまで退避を完了した。

 追手は振り切り、あの高機動型も砲撃の後は鳴りを潜めたままだ。

 

『損害報告を……お願いします』

 

 震える声でレーナが尋ねる。

 無事に辿り着けたジャガーノートはわずか10機。

 先ほどの戦闘で4機失われ、ついにここまで隊員が減ってしまった。

 

 ライデンに随伴してきた二人の無事をすぐに確認する。

 レッカは頭を強く打ったらしく、血が出ていたので応急処置として包帯を巻いた。

 さっきまでは意識を取り戻し、話せていたのだが、今は気分が悪いと言い横になっている。

 

 頭部の負傷はまずい。

 頭をぶつけた者が、一緒に飯を食べ、次の朝にはベットで冷たくなっていたという事は珍しくもない。

 

 そして、チセ。

 機体の脆弱な装甲を突き破ってきた破片は、彼の腹部を貫通し、操縦席は血の海だった。

 つまり……すでに事切れていた。

 

「リア……?」

 

 取り乱した様子のレーナと、落ち着いて報告するシンの声を聞きながらリアは顔を歪ませていた。

 カイエの心配する声も耳に入らない。

 

 頭が痛い。

 昔の記憶を掘り返すのがつらい。

 

"彼を守ってあげるんだ。私が帰ってくるまでの約束だ”

 

 そう言って二度と帰らなかったあの人を。

 思い出すのが。

 

 今、シンがレーナに自分達、エイティシックスの行き着く先を話している。

 でも、リアにはそんな事はどうでもよかった。

 彼女は良い人で、仲間の為に動いてくれたけれども、結局は彼女はアルバだ。

 同情も、憤りも全てが無意味。

 

 そしてライデンが語る誇りも、リアには未だ理解する事が出来なかった。

 例え白豚と同じ場所に、それ以下に成り果てようとも復讐を果たしたい。

 皆には悪いと思っているが、自分にはあの子を、家族を奪われた事を、そんな理由だけで放棄する事など出来なかった。

  

 何よりあの声……。

 

 忘れるわけがない。

 そして、あの声が聞こえる意味を、リアすでにわかってはいるのだ。

 認めたくないだけで……。

 

「……っ」

 

 その言葉を声に出すのは久しぶりで。

 口の形を変えようとするも、錆び付いた機械の様に重かった。

 

「……お父、さん」

 

 そして、そう呟いた。

 




明日死ぬからって今日首括るまぬけがいるかよってセリフすご好きです。カットしましたけど。

ちなみに登場したレギオンの新型は、原作4巻でシンが地下で戦った相手です。
試作機という設定なので、性能も下で、光学迷彩なんてインチキも存在しません。
それでも普通、ジャガーノートじゃ勝てないでしょうね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話 特別偵察任務

「絶望と希望は同じものだよ。望むけれど叶わない。その表と裏に違う名前がついているだけだ」

 

 大講堂の扉に手を掛けたヨナの耳に、カールシュタール准将の言葉が届いた。

 そして扉が開けられ、二人の視線が一度すれ違う。

 彼の隠そうともしない疑念を滲ませた瞳に、ヨナは無表情で会釈して通り過ぎる。

 

 ある程度、彼は勘づいているのだろうな。

 こちらの水面下での動きを。

 

 だが、まだ共和国を害するほどではない、今は共和国に利があると考えているからこそ見逃されているのだろう。

 まさか、自分の正体まですでに露見しているとは思えないが。

 

「外にまで声が届いていましたよ、ミリーゼ少佐」

 

 聖女マグノリア像の足元。

 命令書を抱きかかえたまま、レーナはしゃがみ込んでいた。

 

「シュタット少佐……」

 

 レーナは立ち上がり、一瞬ヨナを縋る様に見た後、体を震わせて拳を握る。

 彼には問い詰めねばならない事があった。

 

「何故……教えてくれなかったのですか……。彼らの、スピアヘッド戦隊の存在意義を。いずれ来るとわかっていたこの特別偵察任務の事を!」

 

 レーナは特別偵察任務の命令書を、ヨナに叩きつける様に見せつけた。

 レギオン支配域最奥への無期限の長期偵察任務。

 そこには、決して帰る事を許されぬ決死行が記載されている。

 

「私が気が付かない事を嘲笑っていたのですか!? 知る事が出来たのに、知ろうともしなかった私には、その罪すらも背負う資格などないという事ですか! 」

 

 レーナは込み上げてくるものを抑えられない様に、首を数度振るう。

 

 気付けなかった……のだろうか。

 いや、無意識に信じ込もうとしていたのだろう。

 5年従軍すれば、自身と家族に市民権を与えるという共和国の嘘偽りを。

 

 第一区、それどころか前に訪れた八四区にすら、有色種の住民をレーナは誰一人として見かける事がなかったというのに。 

 

 レーナは白銀の瞳を揺らし、ヨナから視線を逸らす。

 これ以上、彼を見ている事は出来なかった。

 共に戦う仲間だと、信じていたのに……。

 

「違います、ミリーゼ少佐。俺は貴方を尊敬しています。その矜持を、そしてその優しさを」

 

 ヨナは一段だけ階段を降り、レーナに近づいた。

 

「だから、貴方に教えなかったのは最後まで戦って貰いたかったからです。もし、彼らの行きつく先の果てがその任務だと知っていたなら、貴方は彼らと戦えましたか?」

 

「そんな事、出来る……訳がありません……」

 

 知らなかったからこそ、嘗て彼らに尋ねたのだ。

 任期満了後の未来でやりたい事はないのかと。

 あまりにおめでたい質問に、今でも自己嫌悪で吐き気がする。

 

 知っていたのなら厚顔無恥にも……死なせないなどと、言わなかった。

 

「特別偵察任務を撤回させて下さい。シュタット少佐、貴方なら出来るはずでは!?」

 

 レーナは最後の頼みとばかりに、一歩踏み出し叫んだ。

 彼ならきっとなんとかしてくれるはずだと。

 そう信じられるだけの事を、彼は今迄なしてきたのだから。

 

「不可能です。先ほど准将にも却下されたでしょう」

 

 だが、無情にも否定される。

 

「それは共和国の馬鹿げた自己保身の為です!けれど、貴方は違うはず!」 

 

 レーナはほとんど懇願する様に、胸に手を当て掻き毟るように握った。

 だが、次に信じがたい言葉をヨナは口にする。

 

「……かねてから俺はスピアヘッド戦隊の特別偵察任務行きを上申してきました」

 

「どうして……そんな事を……っ!」

 

 裏切者と、自身を蔑むほど苦しんでいる彼が何故、同胞を死に追いやる事をするのか。

 到底、理解など出来ようはずもなかった。

 

「生き抜く為です」

 

 そう答えたヨナの言葉は短く、迷いがなかった。

 

「いずれ来たるレギオンの大攻勢で、共和国は壊滅するでしょう。以前、言ったはずです。第三区すら守れるか怪しいと。……そして例え、共和国が存続出来たとして、その後はどうなります?」

 

「なんの話を……」

 

 それが彼らと、どう関係があるというのだろうか。

 今話すべきなのは共和国の未来などより、死に瀕している彼らの事ではないのか。

 

「自動工場を、生産プラントの大部分を失った我々はただ生き残るより、凄惨な結末を迎えるでしょう。しかし、対するレギオンは違う。彼らはすぐに軍勢を再生産し、今度こそ我々の息の根を止めに来る。それは避けられようのない未来です」

 

 だから、とヨナは苦渋に満ちた表情を浮かべた。

 

「彼らにはレギオンの支配域を抜け、生き残っている人類の勢力圏に、共和国の救援を要請してもらいたいのです」

 

「生き残っている人類……そんなものは」

 

 いない、というレーナの思考を、ヨナの確信に満ちた言葉が否定する。

 

「存在します、必ず。そもそも、何故レギオンという強大な武力を有していたはずの、ギアーデ帝国が四年前滅んだと共和国は考えたのですか?」

 

 それは帝国の管制無線が四年前にぶっつりと途切れたからで…。

 理由など、観測も出来ない遠く離れた地の話で分かるはずもなかった。

 

「最悪なのは帝国は故あって隠れ、ただ身を潜めているだけという事でしょう。逆に、最良は帝国が他国の抵抗により討ち滅ぼされたという事。しかし、そうであるのなら、何故レギオンは今も停止していないのか……」

 

「それは、レギオンは暴走していて……」

 

 だから、シンにはレギオンの声が聞こえるのだ。

 レギオンはすでに帰る国のない亡国の軍勢だから。

 

「ええ、暴走せざるを得ない事情があったのでしょう。というのも、もし帝国が健在なら、すでに死に体の共和国よりも他の強敵がいるからこそ、レギオンは止まらないとも考えられます。逆にすでに帝国が滅んでいるのなら、それを成した者がいるはず。もしかすると、その過程でレギオンを停止させる方法が失われてしまったのかもしれません」

 

 ヨナの語る言葉は推測でしかない。

 だが、確固たる確証があって口に出している様に、彼の瞳は微動だにしなかった。

 

「どちらにせよ、人類は生き残っています。俺達は一人ではありません」

 

「……だから彼らに、そんな任務を行わせる為に、少佐は裏で手を回していたと?」

 

 それも実現不可能な任務をだ。

 レギオンの支配域を抜けるなど、今の共和国の全勢力をもってですら不可能かもしれない。

 それだけの事を成せと、非情にも彼は言うのだろうか……。

 

「ええ、軽蔑されたでしょう。まさに裏切者の誹りを受けるに相応しい行いだ。俺は彼らに死ねと命じておきながら今更、生き抜く為に協力してくれと頼むのです」

 

 ヨナは血が出そうな程拳を握りしめると、歪んだ笑みを浮かべる。

 

「旧国境を超え、レギオンの支配域のその先。少しでも阻電攪乱型の隙間があれば、ジャガーノートに搭載した救難信号で、救援要請を彼らに届けてくれと」

 

「救難信号……まさか、あれも少佐が」

 

 ただの囮機能しかならないと思われていた装備。

 それもヨナが仕込み、本来の使用目的はそれだけの為だったのだ。

 

「……この数年、俺は秘密裡に特別偵察任務についた部隊にその依頼をしてきました。……辿り着ける見込みがほぼないとわかっていながら。だが、アンダーテイカーであれば、彼の異能をもってすれば、それが可能なはず」

 

 シンのレギオンの声を聞く異能。

 それがあれば、戦闘を避け、レギオンの勢力圏の隙間を抜いて進めるはずだ。

 そうヨナが安易に考えすぎているとレーナは思い、反論が口から出た。

 

「それは……無理です! 彼は……自分のお兄さんを討つ為に戦っているのですよ! きっと逃げずに立ち向かう方を選ぶはずです。それに、なにより超長距離砲も、あの新型も……どうする事も出来ません」

 

 レーナの言葉は次第に小さく、弱くなっていく。

 先日の戦闘で得た情報は当然、詳細な報告書を上に提出した。

 だが、上層部は誰も確認もせずこの重要な情報を切り捨てるだろう。

 その対処など、誰も動こうともしないはず。

 

「わかっています」

 

 でも、彼はそうではないと信じていた。

 だから、

 

「それは俺がなんとか対処します。彼には、彼らには辿り着いてもらわないと困りますから。別に共和国はどうでもいいですが、今も必死に生き抜いている人達の為に」

 

 その言葉を信じて、レーナは吐き出したい感情を飲み込んだ。

 

 今は作戦の成否を考えまい。

 彼らが無事に辿り着けるかも考えまい。

 他に手はなく、彼らに縋りつくしか生き残る術がないという事も……。 

 

 ―――まずは対処すべきなのは、目の前の敵だなのだから。

 

 カールシュタール准将の言葉をレーナは思い出す。

 絶望と理想は表裏一体。

 彼が語った理想は、いずれ絶望にと変わってしまうかもしれない。

 でも。

 

「ああ、彼らが旅立つ前にスピアヘッド戦隊の負傷者は俺が手を回して引き取ります。近々、86区の人達を監獄に移送する準備の為に、強制収容所に簡易の病院を建てる予定ですから。感染症予防の為と銘打ってですけど。そこなら少しはまともな治療が受けられるでしょう」

 

 信じよう。

 今まで九年もの間、絶望に飲まれず、ただ一つの約束を信じて戦ってきた彼を。

 その彼が未だ理想を捨てていないというのなら、自分も共に罪を被り、戦おう。

 この残酷な運命に抗ってみせよう。

 

「少佐。……彼らが辿り着ける、いえ、他の人類が生き延びてる可能性はどれくらいなのでしょうか」

 

 ただそこで、何故こうもヨナがここまで確信をもって話せるのか、そこだけが気になった。

 同じ壇上に降りてきた彼は、聖女マグノリア像を眩しそうに見上げている。

 

「99.9%です。……といっても、別に見てきた訳でも、何かしらの筋から情報を得たという訳でもありませんが」

 

「では、どうして……」

 

 その疑問にヨナは視線をレーナに戻し、軽い笑みを浮かべる。

 

「考えてみて下さい。そもそもレギオンの機体制御のAIの元となったのは、連合王国が開発した人工知能”マリアーナ・モデル”です。嘗て帝国の仮想敵国でもあったイディナローク家の頭脳を有する連合王国が、ただの有象無象のレギオンに後れをとるとは思えない。それにレグキード征海船団国群。船団からなる国を持つ彼らに地を這うレギオンがどれだけ攻め込めたものか」

 

 レーナも地理で周辺国家のあらましは習ったが、すでにそれらの国も共和国は滅びたものとして扱っているのだ。

 確かに、共和国はそう振る舞わねばならないのだろう。

 有色種をエイティシックスとして迫害してきた共和国は例えレギオンに勝利したとしても、再びその国と国交など結べるはずもないのだから。

 

「まあ、こんなものはちょっとネットを漁れば誰かが書き込んでる様な情報です。今更言うのはなんですが、それらしく聞こえても、どちらにせよ確証はありません」

 

 そこでヨナは軽薄な笑みを消し、答える事のない聖女にただ真摯な表情を見せる。

 

「ただ、信じているだけですよ。人類は案外捨てたものではないと。……あの子が俺を決して見捨てなかった様に……」

 

 最後の言葉はレーナには、とても優しく愛おしむ様に聞こえた。

 

「それにもし、こんな下劣な国家しか残されていないというのなら……」

 

 それから、一呼吸置いたの後にヨナは口を開く。 

 

「―――人類など滅んだほうがいい」

 

 そして冷たく、凍えるような声でそう告げた。

 

 

 

 

"彼を守ってあげるんだ。私が帰ってくるまでの約束だ"

 

 父は強い人だった。

 そしてとても優しかった。

 

 同じ夜黒種の黒髪黒目をもって生まれた私を、父は先祖返りだといって誇らしげにしていた。

 そんな父を見て育ったからか、自分も同じ様に強くなれるのだと信じていたのだ。

 

 だから。

 あの子を守ってあげれるのだと思っていた。

 帰る場所を守るという約束を、守り切れると思っていた。

 

 ―――必ず、父は帰って来てくれるのだと信じていた。

 

 

「……ア、リア」

 

 こちらを呼ぶ呼び声と、体に掛かる振動でリアは目を開ける。

 カイエが眉を下げ、心配そうな表情でこちらを見ていた。

 

「だいぶうなされていたようだが、大丈夫か?」

 

「うん……大丈夫」

 

 夢の残滓はすでにない。

 過去の大切な記憶など、今ではほとんど色あせて思い出せないからだ。

 カイエから隠すように目元を手で拭い、リアは体を起こした。

 

「ほら、いい天気だ。見事に晴れたぞ。どうだ、すごいだろう。私のてるてる坊主の効果は」

 

 窓の外には昨日の雨とは違い、晴れ渡った空が広がっている。

 そう言えば昨日クレナに懇願され、おまじないとして全員分のてるてる坊主を外に干したのだったか。

 

「すごい、すごい」

 

 おざなりに答えて、リアはすばやく着替え終わり、次にまたもや髪を梳かそうとして空を切る。

 カイエと同室のリアは、いつも朝起きた後お互いに髪を梳かし合っていたのだ。

 

「習慣というのはなかなか恐ろしいものだな」

 

 そう苦笑してカイエが隣にやってきたので、リアは櫛で彼女の長い黒髪を梳かす。

 その後は、いつもの様にポニーテールに括って仕上げる。

 

「よし、完成!」

 

 いつもより念入りに整えて上げた。

 すると嬉しそうにカイエは尻尾を振って答える。

 そこに猫の鳴き声。

 

「おや、珍しいな。シロがリアがいる時に部屋に入ってくるなんて」

 

 すり寄ってくる小猫をしげしげと見るリア。

 こんな風に近寄って来たことなど殆どないというのに。

 

「もしかして、お別れのつもりなのだろうか」

 

 カイエの言葉で恐る恐るリアは手を伸ばし、初めてのその小猫の柔らかな頭を撫でた。

 

「じゃあね、馬鹿猫」

 

 そして軽く小猫の手と触れ合うと、小猫はすぐに出ていってしまった。

 カイエが一度柏手を打つと、腰に手を当てる。

 

「さあ、出発の準備をしよう。今日はアンジュが食事当番だし、きっと朝食は豪勢だろうな」

 

 そういえば良い匂いがここまで漂ってきている。

 

「私はクレナとレッカの所に行ってくるが、リアはどうする?」

 

「もう少しだけここにいる。最後だしね」

 

 カイエは微笑んで頷くと、ポニーテールを翻して出ていった。

 

 今日が特別偵察任務の出立の日だ。

 通達を受けて、本当はリアは一度脱走してみようかとも考えた。

 それとも、死を偽装してみようかとも。

 

「そんな事出来る訳ないのにね……」

 

 いくら復讐の為とはいえ、自分に仲間を見捨てて行く事など出来るはずもない。

 最後まで彼らと共に行こう。

 自分の生き方はその後だと、以前決めたのだから。

 

 それに……このまま放っておける訳がない。

 

 静かになれば、シンとの同調がなくても聞こえてくる父の声。

 お父さんをあのままにはしてはおけない。

 

 帰りたいと、最後の思念を伝えてきているのだ。

 

 だったら。

 帰りたくても、帰ってこれないというのなら。

 

「……迎えに行こう」

 




4月中に書き終えれるかなと思ったけれど無理そうですね。
まあ、GWは暇ですからいいですけどね。

感想、評価、批判等貰えると、頑張れそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話 ハンドラー・ツー

 ライデンは感心した表情を浮かべている。

 視線の先は念入りな整備をされ、汚れを落とされたジャガノートの列だ。

 セオが描き直したマークはどれも真新しく、それを順に見ていく。

 

「7人、か。ハルトの奴は惜しかったよな。もう少しで楽しいハイキングに行けたのにな」

 

「あのさ、人を死んだみたいに言わないでくれる?」

 

 ライデンの残念がる声に、当の本人から突っ込みが入った。

 

「ま、死んでるようなもんだけどさ」

 

 ハルトはそう言うと、松葉杖を掲げる。

 負傷したのは特別偵察任務が下される前の戦闘。

 

 長距離砲兵型に足止めを喰らっている間に、近接猟兵型の一撃を受けたのだ。

 何故か発生した急減速によって、命は助かったが半身に機体の破壊の余波を受けてしまう事となった。

 

 右大腿骨骨折に右前腕骨折。

 他にも背部に機体の破片が幾つか突き刺さる大怪我を負ったのだ。

 

 またもやアルバの医者の愚痴を受けながらの遠隔手術を受け、今は回復を待つばかり。

 その際、きちんとした設備の整った病院で細かな破片を取り除かなければ、いずれ歩けなくなると脅されたが、その予定など当然ない訳で。

 つまりは、特別偵察任務にも同行する事も叶わない。

 

「これからハルト達はどうなるの? シン、少佐から何か聞いてない?」

 

 セオが機体のマークに手を添えていたシンに聞く。

 

「いや、負傷者は強制収容所の病院に戻されると聞いただけだ」 

 

「病院? 何それ、それって大丈夫なの?」

 

 セオの怪訝な表情に、シンは首を振る事しか出来ない。 

 レーナは信頼出来る人に預けると保証してくれたが、果たしてどうなることやら。

 その不穏な雰囲気を察したのだろう、ハルトはわざと明るい声を上げる。

 

「なんとかなるっしょ、ダイヤとレッカもいるし、二人の為なら、あいつらに三回まわってワンって言うぐらいやってやるって。なんならプロセッサーが無理なら整備の方でやっていけないか、少佐にお願いしてみるし」

 

「ああ~、以外とハルトそういうの得意だしね」

 

 以前、罠で巨大な猪を見事に捕えてきたのをセオは思い出す。

 

「でも……ほんとはついて行きたかったな」

 

 ハルトが吐露した本音にああ、と全員が微かに答える。

 

 皆、同じ気持ちだ。

 部隊に配属された時は総勢24名で、その内10名が生き残った。

 それに関しては上出来だ。

 だが、まさか置いていく者が三人も出るとは思わなかった。

 

「その内、俺達も後を追うよ。一緒には行けなかったけどさ……必ず」

 

「……ああ」

 

 シンは首肯し、じっとハルトを見た。

 その奥にある兵舎で眠っているであろう二人にも思いを馳せる。

 

 一緒に連れて行くという約束は果たせれなくなってしまった。

 彼らは再び部品として使われるのかもしれない。

 それとも、使い道がないとされ破棄されるのかもしれない。

 

 ーーーどちらにせよ彼らを置いて、自分達は進まなければならないのだ。

 

「これ、一応渡しとく。レッカの了承は取れなかったけどさ、きっと同じ気持ちだから」

 

 そう言ってハルトが差し出したのは三つの金属片。

 三人の機体の装甲の一部を切り取ったものだ。

 

「いつかシン達が行き着いた先に追い付けたらって思ったんだけど。やっぱこの隊じゃなきゃ、絶っ対そこまで辿り着けそうにないしさ」

 

 緋鋼の瞳を揺らし、ハルトはにししと笑った。

 

「だから、シンが持っといてよ」

 

「わかった」

 

 名前を刻む事はないし、同じ場所に収めるわけにもいかない。

 それでも一緒に行こうと、シンは大切に受け取り、ポケットに入れた。

 

「んじゃ、俺達はお前らを待っといてやるから、ゆっくり後から追い付いて来いよ」

 

 ライデンが同じ様に笑みを浮かべた。

 湿っぽい別れは自分達には必要ないとばかりに。

 

「それにしても女性陣は遅いねー。何やってんだろ」

 

 そこでセオは頭の上で腕を組んで、兵舎に視線を向ける。

 姿が見えるのは、いつもの花壇の場所にいるカイエとリアだけだ。

 

 

 

「これで、この花たちに水やりをするのも最後か」

 

 たっぷりと水をやりながらカイエは声を漏らす。

 折角綺麗な花を咲かせているのだが、いずれ誰も世話をしなくなれば枯れていく事だろう。

 

 それもまあ仕方がない。

 次に配属された隊員が同じ様に世話をしてくれるとは限らない。

 これほど自由な時間があったのはシンがいるスピアヘッド戦隊だったからだ。

 

「そういえば先程、執務室で何をしていたのだ?」

 

 カイエは隣で、しゃがみ込んで青い花の匂いを嗅いでいたリアに尋ねる。

 こそこそと執務室から出ていくリアの姿をカイエは目撃したのだ。

 

「内緒」

 

 リアはいたずらを終えた猫の様な顔で笑い、立ち上がった。

 そこでじょうろの水が切れ、これでもう思い残した事はなくなってしまった。

 後は出発するだけだ。

 

「もうすぐクレナとアンジュも降りてくるだろうし、行こうか」

 

「うん、行こ!」

 

 二人が上階を見上げるとカーテンが風で揺れていた。

 

 

 

「じゃあ、私行くね。ダイヤ君」

 

「……待って、アンジュ!」

 

 立ち上がったアンジュにダイヤは手を伸ばそうとして、激痛に顔を歪める。

 別れが来るのなんてとうにわかっていた。

 

 でも、今になってもうその姿を、綺麗な髪も顔も見ることも出来ないなんてと思うと、耐えられなくなってしまった。

 ダイヤは痛みを抑えて、なんとか声を絞り出す。

 

「俺は君の事を……」

 

 しかし、アンジュは振り返りその言葉を遮る。

 

「その続きは……もし、ダイヤ君が私達に追い付いて、その時私が生きてたら……聞かせて、ね」

 

 アンジュは穏やかな月の様な笑顔をダイヤに向け、一度だけ大きく微笑んだ後、踵を返した。

 

「待って……ッ」

 

 ダイヤはベットから落ち、痛みに呻く声を上げるが、それにアンジュは振り返らなかった。

 振り返ったら、二度と離れたくないと思ってしまうから。

 

 最後に見せるのは笑顔のままで別れたかったから。

 

 

 

「行ってくるね、レッカ」

 

 クレナはベットで眠ったままの親友に別れを告げた。

 以前の頭部の負傷で目眩を訴えていたレッカはついに、起き上がる事すら出来なくなってしまったのだ。

 今も眠ったまま、クレナに返事をする事はない。

 

「……今まで、ありがとう」

 

 シンに対する恋愛相談に乗ってくれて。

 殆どからかわれてばかりだったけれど。

 

 髪の手入れや、おしゃれの仕方を教えてくれた事を忘れない。

 いつか自由になれたら思いっきり好きな服を買って、好きなだけ着ると語り合った日々を忘れない。

 

「本当に大丈夫かな……っ」

 

 シンはあの少佐がなんとかしてくれると言ってくれた。

 自分にはあの白豚共がちゃんと約束を守ってくれるとは思えないけれども。

 でも、シンが言うのなら……少佐を信じてみてもいいのかもしれない。

 

 クレナは涙を拭って、最後にレッカの手を握り、なんとか踵を返した。

 何度も振り返りつつ。

 振り返った時に彼女が目を覚ますんじゃないかと思いつつ、見えなくなる最後まで目を離さなかった。

 

 

 そして7人全員がようやく揃い、ジャガノートに乗り込み。

 別れの選別を受け取り、ハルトとサングラスをとったアルドレヒトのおっさん、そして整備クルーの全員と別れを告げた。

 

『……行こう』

 

 シンの号令で7機のジャガノートは動き始める。

 後ろには一ヶ月あまりの物資が載っている追加コンテナを繋げたファイド続く。

 死ぬまで死地を進むという、目的地も何もない決死行がついに始まった。

 

 

 ―――だが、それを遮る者が待機状態から目を覚ます。

 

 

『シィィィィィィィィィィィィィィィィィン!』

 

 進路に真っ向から立ち塞がったレギオンの群れ。

 羊飼いが統べる第一戦区のレギオンに相当する数だ。

 その中の重戦車型から、最低の同調率でありながら、内蔵を揺さぶるかのような絶叫が全員に届いた。

 

 それをリアは耐えながらさらに耳を済ませる。 

 重戦車型の少し前。

 以前、シンと交戦した新型がそこにいた。

 

 そして聞こえてくる父の声。

 生前とは似ても似つかぬ怨嗟の声を再び聞く事となった。

 

『帰ル、カエる帰ル帰ルカえる帰る帰る帰ル!』

 

 シンとリアの機体がそれぞれの相手に向き直る。

 

『お前ら……!?』

 

『先に行け、ライデン。その間の指揮はまかせる』

 

 シンは残る全員に森を抜けてやり過ごせと伝える。 

 それはつまり、自分とリアを置いて逃げろという命令に過ぎない。

 

 リアには何も言わないのはすでにわかっているのだろう。 

 彼女が倒すべきと定めた敵の正体を。

 そして、新型を足止めしなければ誰もここから生きて逃げれないという事を。

 

『ざけんな……誰が聞くか』

 

 ライデンは低く唸り、その命令を断った。

 

『そうだ。お前たちを置いて行くなど出来るはずもない』

   

 カイエがリアの隣に機体を並び進める。

 

『カイエ……』

 

『どの道、あの二人を倒さなければ自由にはなれないのだろう』

 

 言葉足らずの二人を察するカイエに、ライデンは嘆息した

 

『そういうことだ。他は支えてやるから、とっとと片付けろ!』

 

『……馬鹿だな』

 

『……馬鹿』

 

 シンとリアの小さく呟く声に、全員が苦笑を返す。

 

『お互い様だ。……死ぬなよ、二人とも』

 

 そして、長距離砲兵型の砲弾の発射と共に、戦闘は開始された。

 二機が突出して先行し、残りの5機はそれぞれの支援する相手の為に散開する。

 

 

 リアは、レギオンの群れを高速で突っ切り、突出して来る新型を迎え撃った。 

 57mm滑腔砲を新型に向けて砲撃するも、その足元のみに着弾。 

 衝突する余波など、意にも返さず新型は直進してくる。

 

 元々、砲撃で仕留めきれる相手とは思ってもいない。

 だから。

 

 高周波ブレードを展開し、新型の前にリアは立ち塞がった。

 新型は無視して先に進もうと、リアはそれを許さない。

 

『お父さん……また遊んでよ』 

 

 新型は苛立つようにチェインブレードを振りかざした。 

 

 

 

『おかしいわ。私達をシン君から引き離そうとしている』

 

 アンジュが画面を埋め尽くす敵性マークの動きを見ながら、焦燥感を滲ませて言った。

 対戦車型の砲弾が降り注ぎ、斥候型がこちらの動きを制限しているのだ。

 

『これ、レギオンの戦い方じゃないよね』

 

『あの羊飼いの指示だ……やっと兄弟水入らずだからな』

 

 ライデンは一瞬、すでに遠く離れた味方機、シンのいるマークに目をやった。

 そして、それから離れた森の中にリアとカイエの機体もいる。

 あの新型を足止めしてくれているのだろう。

 

『二人とも離れちまったな。クレナ、そっちから狙えるか!?』

 

『無理!速すぎて追えないし、巻き込んじゃう!』

 

 新型が木々を薙ぎ倒している為、リアが新型と綱渡りの戦闘を繰り広げているのが垣間見える。

 カイエの姿は見えないが、中距離から近づく敵の排除と援護砲撃を行っているのだろう。

 

『リロード、援護頼む!』

 

 そこで荒い息でセオが叫び、ファイドの補給を待つ。

 群がる敵はそれなりに倒したが、すでに一基のコンテナを使い切ってしまった。

 

 リアが破れ、新型になぶり殺されるのが先か。

 弾薬が尽き、抵抗する手段を失うのが先か。

 

『大丈夫。もう少し数を減らせれば!』

 

 アンジュがその数をだいぶ減らした敵性マークを見て、疲労を滲ませながらも淡い希望を浮かべた声を上げた。

 そうすれば、シンとリアの援護にもすぐに行けれるはずだと。

 

『あああッ!!』

 

 だが、そこにカイエの悲鳴が響いてきた。

 

『カイエ!』

 

 ライデンが声を飛ばすも、意識がないのかカイエとの同調は切断されてしまった。

 巨大な土埃が巻き起こっている所を見ると、新型の一撃に巻き込まれたか。

 

『ッ……!』

 

 そして息を吞む。

 次に見えるのは画面を埋め尽くさんばかりの、終結してくるレギオンの後続集団。

 誰もが、覚悟を決める他なかった。

 

『上等じゃねえか!やってやろうぜ!』

 

 そして、無謀とも言えるライデンの怒声に答えたのは、思いもよらない相手だった。

 

『シュガ中尉、左目を借りますよ!』

 

『え……なッ!!』

 

 ライデンの眼前の空が赤く炎に染まり、阻電攪乱型を焼き尽くす。

 燃料気化爆弾の一撃で、ぽっかりと開いた空の空白に続けて誘導飛翔体が飛来してきた。

 

『着弾します!備えて!』

 

 レギオンの集団に向けてそれが直撃し、レギオンの群れを破壊し尽くした。

 見る間に数を減らしたレギオンを見ながら、ライデンは苦虫を潰したような声を出す。

 

『あんたか……ミリーゼ少佐』

 

『ええ、私です。遅くなってすみません。戦隊各員』

 

 その何事もなかった様なレーナの言葉にライデンは拳を握る。

 

『ッ本物の馬鹿か!あんた一体何やってんだ!視覚の共有なんてハンドラーが失明するからやらねぇって知らねぇのか!?それに迎撃砲の許可なんて下りてんのかよ!?』

 

 迎撃砲の使用に関してはなんとかしたのかもしれないが、これほどの数をどうやって許可をとったというのか。 

 

『だから何ですか!失明なんていつかの話。それよりもっと凄い事をしようとしてる人もいます!迎撃砲の使用も今更許可なんているものですか!!』

 

 レーナはライデンの気を削ぐほどの怒声を飛ばし、今までの清廉潔白な姿からは想像もつかない勢いで共和国の事を吐き捨てる。

 

『どうせ共和国だって道理を弁えていないんです。だったら私もそれに従う謂れはありません!』

 

 その勢いにライデンは笑ってしまい、セオとクレナ、アンジュも同じく笑みを浮かべる。

 何にせよ、レーナのお陰で後続のレギオンは減り、後顧の憂いはなくなった。

 残された敵は自分達の近くにいる奴らだけで、後はいつもの様に戦うだけだ。

 

『すみませんが、第一陣の方は貴方達に近すぎて支援は出来ません。あと少しだけ持ちこたえて下さい』

 

『ああ、こっちはまかせてくれ。それよりあっちの二人はなんとかなんねぇのか?』

 

 ライデンはこちらの同調に答える暇などなく戦っているリアに意識をやった。

 さすがに迎撃砲を撃ち込む訳にはいかないが、この少佐が以前報告した新型への対処をしてこないはずがない。

 

『大丈夫です。そちらには別のハンドラーが対処しています。それに……どうやら騎兵隊が到着したようですから』

 

『何っ……?』

 

 ライデンが浮かべた疑問は、突如増えた10機の味方機のマークに掻き消える。

 自分達の後方から、ジャガーノートの主砲と同じ57mm滑腔砲の砲撃音が響いてきた。

 

 

 

 森に中でリアと新型は向き直っている。

 遮蔽物のない平地では相手にならない為、木々の間に誘い込んでなんとか渡り合えていた。

 

『カイエ! 聞こえる!?』

 

 リアの声にカイエからの返答はない。

 先程、変幻自在に動く高周波チェインブレードの可動域を欺いていた新型が、本来の性能で隠れていたカイエを木々毎吹き飛ばしたのだ。

 その安否を確かめたいが、その暇などあろうはずもない。 

 

 シンの言ったとおりだ。

 まるで獣の様な予測不能な動き。

 

 黒羊故の、およそ人間の思考とはかけ離れた故の動きだ。

 父ならばそんな動きをするはずがなかった。

 いつも飛びついても軽くいなされていた昔の父であったならば、当の昔に殺されていただろう。

 

 だが、獣じみた動きなら自分にはある程度予測はつく。

 そういった戦闘スタイルは自分が好んで使っていたからだ。

 

 それでもこっちの機体性能には限りがあるのだ。

 リアの人間離れした反射能力でなんとか渡り合えているに過ぎない。

 反撃の一手を考える余力すらもない。

 

 ―――いずれは限界が訪れるのは明白だった。

 

 再びワイヤーアンカーを木に付き立てその勢いで、新型の飛び付いてきた攻撃を跳び退り躱す。

 こちらの反撃を警戒して、うろうろと彷徨く新型から一時の間だけ木々の間に隠れる。

 

 汗が吹き出し、目に入る汗を拭う暇すらなく今まで忘れていた呼吸を喘いでした。

 

「ここまで……かな」

 

 自分の限界が近づいているのを自覚した時、知らない相手からの同調が繋がり、リアは耳を疑った。

 

『こちらハンドラー・ツー』

 

『あんた……』

 

 そのアルバの声を忘れるわけがない。

 忘れられるはずがない。

 何故、こいつがこのタイミングで同調してくるのか。

 

『今、あんたに構ってる暇なんてない!』

 

 リアはその訳などどうでもよく、すぐに同調を切断しようとした。

 だが、そいつは気になる言葉を投げ掛けてくる。

 

『あの声の主を葬ってやりたいのだろう』

 

『っ、そうよ……なんで』

 

 その事を知っているのか。

 

『では、これからする事に協力して欲しい』

 

『何を……!』

 

 質問する時間すらなかった。

 後ろに死神の鎌が迫る背筋の凍る気配。

 

『ッ……!』

 

 操縦桿をなぎ倒し、機体を急旋回してその場から飛び退く。

 チェインブレードで倒された木の向こうに立つのは新型だ。

 

 見つかった。

 見渡せば近くの木は全て薙ぎ倒され、逃げ場もほぼない。

 

『今のままではこいつに勝てない。ここで貴方が負ければ全滅するぞ。泣き言も恨み言も後でいくらでも受けよう!……だから!』

 

『……っわかったわよ。何でもいいから、やれるというのならやってみせなささいよ!』

 

 焦燥感を滲ませていた相手の声に、リアは自棄っぱちで叫んだ。

 どうせこのままでは敗北は明白だ。

 父を弔ってやる事すら出来ない。

 

 ならば、こいつの言う事を聞いてみよう。

 どうせこちらが抑えている間に迎撃砲をここ一面に撃ち込む作戦だろう。

 それで倒せるのならカイエには悪いが、自分も共に犠牲になろうと覚悟を決める。

 

『わかった。感謝する』

 

 だから、次に続く言葉にリアは戸惑うしかなかった。

 

『同調対象、ウルフスベーンに限定!』

 

 そいつは噛みしめるように声を張り上げる。

 

『制限解除!同調率……60%!』

 

 そして、そいつはそう叫んだ。

 




ようやく主人公とヒロインが再会しました。

これから先、オリジナル設定で作者がやりたい事がわかる人はいるんじゃないかと思います。
ヒントは電池です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話 一致協力

評価、ありがとうございますッ!


 時は少し前。

 

 レーナの脅迫に近い説得、いや罪悪感からレーナに協力し、付き従うアネットは廊下で足を止めていた。

 管制室の前で待つ思わぬ人物に、抱えた端末を落としそうになる。

 

「ちょっと、協力者って!……あのお坊っ、シュタット少佐!?」

 

「そうよ、言ってなかったかしら」

 

 動揺するアネットに比べ、レーナはどこ吹く風だ。

 

 何故だ。

 そもそも彼はエイティシックスを迫害する第一人者のはずで。

 それこそレーナとは相反対する立場で、協力などしてくれるわけが……。 

 

「あんた、一体どんな手を使って……まさかっ!」

 

 アネットは以前、自分がレーナにアドバイスした言葉を思い出す。

 そして革命祭のパーティでも、何やら二人が親しげな雰囲気を醸し出していた事も。

 つまり、レーナがようやく気付いた自らの容姿すらも武器に、彼をついに篭絡したのかと思い至ってしまう。

 

「……悪魔」

 

「違うわよっ!」

 

 思わず口に出た言葉に、レーナは首を振り全力で否定してきた。

 その赤く染まったレーナの頬を見て、アネットは親友の貞操の危機に安堵する。

 だが、それならば何故という疑問が未だ残ってしまう。

 

「事情は後で。今は時間がありませんから」

 

 しかし、ヨナはアネットの疑問を打ち切り、レーナが代わりに別の質問をした。

 

「あちらの方はどうなりましたか?」

 

「なんとか間に合いそうです。だいぶ貸しを消化してしまいましたけど」

 

 レーナとヨナはアネットには理解出来ない会話をしながら、管制室に入っていく。

 アネットも続いたが、さすがに三人も入るとこの場所は狭すぎる。

 なんとか入口付近に端末を広げ、準備を進めているとヨナが近づいてきた。

 

「ベンローズ大尉。迎撃砲管制システムの侵入は俺が引き受けます。以前にもやった事がありますし。それより、これを見てもらってもいいでしょうか?」

 

「え、ええ。……なにこれ」

 

 ヨナに場所を奪われたアネットは、代わりに渡されたヘッドセットの様な物をじっと観察する。

 別の端末でその機器の情報を確認して、アネットは驚きの声を上げた。

 

「これって……同調下での、一方向の感覚の遮断!?」

 

 既知の技術ではない。

 今までの知覚同調では、お互いの感覚を強制的に繋げてしまうのだ。

 だが、この技術があれば相手の感覚だけを一方的に手に入れる事が出来る。

 

「ちょ、ちょっと!こんなのどうやって……いえ、そもそもなんで!?」

 

 アネットは驚愕し、すでに迎撃砲の発射コードの入手に取り掛かっているヨナに詰め寄った。

 だが、ヨナは答える暇も惜しいとばかり、ウインクをして呟く様に返答してくる。

 

「企業秘密です。それに……それがなきゃ、視覚同調時、こっちは目を閉じて管制しなきゃいけないじゃないですか」

 

「視覚……って」

 

 ざっと確認した所、この機器は確かにその目的を果たせるだけの機能は有しているようだ。

 だが、さっきこの男が言った視覚の同調というのは、ハンドラーの失明のリスクがあり、危険すぎる行為だ。

 それを、以前ハンドラーをしていたこの男が知らないはずはないのだが。

 

「よしっ、最終的な調整は任せます。俺は隣の管制室に行きますので」

 

 そこでヨナは手を止め、端末をアネットに返してきた。

 場所を代わるも、ほとんどの作業は完了してしまっている。

 相変わらずこの男は天才ぶりを発揮しており、自分よりも速いだろうその手腕に、思わず舌打ちしてしまいそうになる。

 

「あと、これも一応目を通してもらっていいですか」

 

 そう言ってヨナが差し出したのはチョーカー部がほつれ、使い古されたレイドデバイスだ。

 管制室に入ると言ったからには、用意しているとは思ったが。

 しかし、レイドデバイスは機密情報の漏洩防止でハンドラー以外には配備されておらず、ハンドラーを辞めたのなら没収されているはず。

 一体、どこで手に入れたのやら。

 

「はいはい、今度はなんでしょうか……って」

 

 投げやりに受取り調整状態を確認して、どう驚かせてくるのやらと考えていたアネットは色々な意味で期待を裏切られる。

 

「あんた、……正気?」

 

 アネットは驚愕のまま声に出した。

 

 

 

 新型は鉄条を周囲に振り回し、咆哮する。

 中枢処理装置に収められた脳構造の元の人物は、ただ一つの想いを叫んでいる。

 

 ―――帰りたい。

 

 自分が何者で、何故ここにいて、何の為に戦っているという存在理由すら、すでに彼にはない。

 

 ただ、目的は帰る事だ。

 それだけが残された最後の残滓。

 

 そうだ。

 敵を倒しさえすれば、帰る事が出来る。

 あの子が待つ、あの場所に帰る事が出来るのだ。

 

 その為には命令通り、敵を倒さなければならない。

 残る五人の敵を殺さねばならない。

 

 一人はさっき倒したはずだ。

 特に目障りなのは、この眼前の一人だけ。

 

 だが、そこで逃げ場のない場所に追い詰めたそいつに初めて振るった攻撃を躱された。

 

 おかしい。

 青い花を装甲に描いたこの機体。

 先程までの反応速度では、躱せるはずがない一撃だ。

 それをまるで、最適解を得たとばかりに、すれすれの機動で避け切ったのだ。

 

 新型はこの敵を全霊を持って、倒さねばならない相手だと定めた。

 

 

 

『どうなってるの……これ』

 

 リアは呆然と呟いた。

 先ほど、高速で迫るチェインブレードを掻い潜り、新型の背後に回り込んだ動き。

 

 到底、自分の能力では成し遂げれない機動だ。

 

 別に、機体の性能が急に上昇したという訳ではない。

 疲労が回復したり、敵が攻撃の手を緩めた訳でもない

 

 ―――ただ、わかったのだ。

 

 "右"

 

 まるで時が止まったかの様な速度で、新型が鉄条を再び振るってくる。

 刻一刻、ゆっくりと迫るその動作を完璧に把握する事が出来た。

 次にどんな攻撃がくるのか予測する事が可能なのだ。

 

 そして何より、この停滞した時間の中ですら、自身の反射神経ならば活路を切り拓ける。

 

 右のワイヤーアンカーの精密な一射で鉄条を払い落とし、直ちにトリガーを引く。

 砲撃。

 新型が大きく横に跳び退った場所を先読みし、高周波ブレードを右脚部に叩きこんだ。

 

『ちっ……!』

 

 だが、ジャガーノートでは決して成し得ない高機動性能で躱し切る新型に、リアは苛立つ。

 そこに、そんな余計な感情に構っている暇などないと思考が告げてくきた。

 

 この考え……自分のじゃない。

 何かがおかしい。

 

 普段の同調とは全く違う感覚にリアは恐怖を感じる。

 まだ父の声は聞こえているから、シンや他の皆との同調は維持されているのだろう。

 だが、その声も殆ど聞こえないほど、何かがリアを占め、変革をもたらしていた。

 きっと、あいつが何かをやったのだ。

 

『あんた、一体何やって……』

 

 何故、急にこんな事が、出来る様に……。

 

 いや……そうか。

 その問に自分の物ではない誰かの思考が応じてきた。

 

 異能を使ったからだ。

 未来の自分の思考を覗き、極限まで停滞化した現実を解する力を。

 

 ああ、あいつが何をやったのかわかった。

 すでに自分はその事を知っている。

 

 ―――視覚と思考の同調だ。

 

 知覚同調。

 つまり聴覚の同調や、視覚の同調するという事。

 それは人類種族の潜在意識、集合無意識にアクセスして、お互いの脳の未使用領域へと道を繋げる代物。

 

 要はそれが意味するのは、脳の神経構造の同調だ。

 聴覚ならば側頭葉、視覚ならば後頭葉。

 ならば、思考の同調を果たすには。

 ただ、思考を司る前頭葉まで同調範囲を広げればいい。

 

 レイドデバイスの制限を解除し、同調領域を限界まで拡張したのだ。

 でなければ、この新型を倒す事など不可能だからと。

 

『戦闘に……っ、集中しろ』

 

 あいつが苦しそうな声を発するのが聞こえた。

 余計な思考をしているが余力はないと、頭の中で声が響く。

 この同調状態は長くは続かないのだと判った。

 

『言われなくたって……っ!』

 

 リアはそこで初めて自分が、その思考の同調を受け入れている事に驚愕した。

 自分だけの思いを白豚に、それもあいつに知られ、全く知らない思考を自分のものと勘違いさせられている事に嫌悪感を感じていない事に。

 

 きっとそれは自分の感情よりも、あいつが主張が勝っているからだ。

 この新型はここで倒さなければならないと。

 

 ジャガノートに対する高機動性の優位をレギオンが学習する前に、こいつを倒さなければ共和国は終わると。

 だが、リアにはそんな事は知った事ではない。

 

 ただ、今も戦っている仲間の為に、父を解放する為に何としてでも倒さなければならないという思いだけはあいつと一致していた。

 

『いいわ……やってやる!』

 

 余計な思考を、感情を放棄し、リアは吠えた。

 父を葬ってやる為ならば、悪魔にだって魂を売ってやろう。

 

 

 

「っ……気絶していたのか」

 

 カイエは頭に手を当てて、首を振った。

 あの新型の攻撃で吹き飛ばされてから、どれくらい経ったのか。

 数秒か、数分か。

 

「お前たちは……」

 

 そこでカイエは、両隣に立つジャガノートに気付く。

 その両機はカイエの機体に乗っていた巨木を退かそうとしてくれている。

 脚部が強化され、装甲が幾らか分厚くなっている見た事がない機体だ。

 

「救援感謝する。貴方達は一体、どこの……」

 

 どこの所属かと、尋ねようとしてカイエは口を閉ざした。  

 理由はまず、同調が切断されている事。

 そして、味方を示すマークのどれにもアンダーヘッドと記されている事に気が付いた。

 

 確か、レーナが以前言っていた自動操縦プログラムの名称だったか。

 つまり、こいつらは無人機というわけか。

 

「リアは……」

 

 何故ここにそんなものがという疑問は捨て、まずはリアの安否に意識をやる。

 

 良かった。

 まだ戦闘音は続いている。

 

 だが、リアの機体の機動は以前とは別人の様だった。

 新型のチェインブレードを近距離で掻い潜り、超近距離での砲撃とブレードの一撃を繰り出している。

 機体性能の限界を引き出しているかの様な綱渡りの攻防だ。

 リアに一体何が……。

 

[こちらハンドラー・ツー。キルシュブリューテ、貴方の目を借りたい]

 

 そこにデータ通信での文章がスクリーンに表示された。

 

「ハンドラー・ツー……?」

 

 データ通信は敵に補足されやすく、何故同調で連絡してこないのかと疑問も湧く。

 そして、同調しようとしてもこのハンドラーには聴覚の同調は繋がらない。

 それはリアも同じだった。

 

 代わりに今も戦っているライデン達に繋がり、お互いの無事に安堵の声が上がる。

 そして救援としてレーナが来てくれた事をカイエは知った。

 

 そういう事か……。

 

 このハンドラーはきっと常々噂していたレーナの影の協力者なのだろう。

 出なければわざわざ、特別偵察任務に出た私達を救おうとする者はいないはずだ。

 

「いいだろう、ハンドラー・ツー」

 

 となると何かしらの理由があるのだろう。

 あのリアの動きも、聴覚の同調を繋いでこない事にも。

 

 カイエの了承が届いた訳ではないだろうが、誰かに自分の視界を覗き見されている感覚をカイエは覚えた。

 それから作戦がスクリーンに表示される。

 

 

 

 コンソールに垂れた鼻血をヨナは拭い去った。

 

 あまり時間はない様だ。

 やっている事はアネットが驚愕した通り無茶苦茶だからだ。

 

 ウルフスベーンとの視界と思考の同調。

 そして、キルシュブリューテとの視界の同調をしながら、さらに自分の視界で無人機の遠隔指示を行っている。

 

 複数の視界同調は脳が過負荷で焼き切れるという定説の中、ヨナはその負荷に耐えきっていた。

 それでも目と鼻から止めどなく出る血が止まらず、視界が徐々に赤く染まっていく。

 

 限界が近づいているのは明白だった。 

 しかし、ヨナはその激痛を耐え、キルシュブリューテに作戦内容を打ち込み送信する。

 位置が敵に発見される恐れがあるとはいえ、更にキルシュブリューテと聴覚同調する余力はどこにもなかったのだ。

 

 もっと時間があれば安全性を確保した上で、この無茶も出来るかもしれなかった。

 

 だが、新型の出現でその時間すらもなくなってしまった。

 あの新型の撃破を目指す限り、ただの試作機の応援では済まなくなったのだ。

 

 だからこそ自分の異能と、ウルフスベーンの類まれな反射神経があれば、今の機体でも対抗する事が可能だと判断し、それを迷う事なく実行した。

 例え共に同じ戦場で戦っていなくてもヨナは命を掛けて、彼らを先に進ませる覚悟でだ。

 

 だが、このまま拮抗状態が続けばいずれは自分か、彼女の限界が訪れる。

 彼女の場合は命が……。

 自分の場合は、自我が崩壊するか、脳が焼き切れるか……。

 

 "そんな事考えてる暇ある!?"

 

 今度は意趣返しとばかり、彼女からの思考が自分の弱音を中断する。 

 思わず苦笑し、ヨナは笑みを浮かべる。

 

 そうだな。

 ここで死ぬつもりはない。

 まだやらなければならない事が残っているのだ。

 

『ふ……ははは』

 

 そこで、どちらともなく声が漏れた。

 どこまででもいけるという、万能感が互いを満たす。

 

 きっとどちらかが、その感覚に懐かしさを感じていた。

 




GW暇とか嘘ついてすみません。全然、筆が進みませんでした。
あと、あんまり妄想してない場面だったので戦闘シーンとか設定とかお察しレベルです。

オリ主は夜黒種と青玉種の混血で、脳の神経系が特別強化されてて、自分の思考の未来が見える感じの能力です。
それで周りの世界がゆっくりになる様なふわっとした感じですね。

でも、身体能力は普通レベルなので、要は超人薬で倒されたザエルアポロ状態です。

まあ、何を目指していたのかというと思考と反射の融合だぁ!でした。
文才なくてすみません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話 妄執

 

 新型とリアは互いの機体をすれすれまで接近させ、踊る様な攻防を繰り広げていた。

 高周波チェインブレードと高周波ブレードが激しい金切音を上げ、衝突を幾度となく繰り返す。

 

 均衡はしばらく崩れない。

 だが、やはり性能の差が現れた。

 方や製造されたばかりの新型、方や整備されたとはいえ、幾つもの戦場を経たロートル。 

 

『っ……まず』

 

 疲労から右の高周波ブレードが根本から叩き折れた。

 次に、異音を立て左後脚物部の関節が動きを止め、機体は左に沈む。

 

 その隙を新型が逃す事はない。

 一気に必中の間合いにと飛び込んでくる。

 

 だが、その動きを左右、そして背後から発射されたワイヤーアンカーが縫い留める。

 鉄条を絡めとり、新型の機体に巻き付いたアンカーは容易には外せない。

 

 ヨナが援護に呼んだ機影は五機。

 第五改修型ジャガーノートの五機分の駆動力にて、ようやく新型の動きを止め切った。

 元々、高機動を主においた新型は軽量化されている。

 充分に、止めを刺すだけの時間はあるはずだった。

 

 だが、新型は後脚で立ち上がる。

 次に背部から銀の流体が堰を切ったように溢れ出てきた。

 その正体は流体マイクロマシンであり、中枢に収められていたそれはある意図をもって動き出す。

 

 空へと立ち昇り、次に鎌首を擡げるかの様にある形状を形どった。

 スピアだ。

 先端を円錐状に尖らせた柱が計五本。

 敵を刺し貫き、破壊し尽くす意図を持った武器が各々の目標に向いた。

 

『なに……あれ』

 

 リアの問いに、ハンドラーが思考で答えを返してくる事はない。

 となると、あれは両者にとって未知のレギオンの攻撃手段。

 

 硬直している暇などない。

 リアは機体を、ヨナの異能で知る最も最適な場所にと回避する。

 

 槍が定めた目標にと、高速で突き放られた。

 

 リアは余裕を持って回避を果たす。 

 だが、ただの自動操縦プログラムであるアンダーヘッドはそうもいかなかった。

 名ばかりの応用の効かない兵器は、指示を待つばかり。

 

 その為、ヨナが機体制御のコマンド送信を完成させる前に槍が二機の機体を破壊した。

 残る三機は辛うじて躱す時間はあるも、二機の破壊により自由になった鉄条が直ぐに差し迫る。

 

 高速振り払われた鉄条が、脚部からかち上げつ様に逃げ延びた左右の残り二機を吹き飛ばした。

 破壊された装甲が、ワイヤーアンカーの連結部が空を舞う。

 さらに新型は体を震わせ背部の機体アンカーを煩わしそうに振り払った。

 

『帰ル、カエる帰ル帰ルカえル帰ル、帰……倒ス!』

 

 新型は逃げた獲物に目を向ける。

 すぐに木々の隙間から逃げ延びた敵の姿を発見した。 

 

 もう逃がしはしない。

 あの目障りな敵を屠り、与えられた命令を完遂するのだ。

 敵を倒ス。

 そうすれば帰れるのだから。

 

 猛然と駆け出した新型は、邪魔な木々をスピアで薙ぎ払い、狙う敵前に飛び掛かった。

 そこに、先ほど逃がした二機が機体を投げ捨てる様に、新型の前に飛び出る。

 

 捨て身の突撃だった。

 

 新型は二対の鉄条でどちらも刺し貫く。

 厚く改修された装甲は削り折れる事なく鉄条を絡めとり、機体は地面に無惨にも落下した。

 

 だが、新型はその行動には目もくれない。

 すでに先程の攻撃で、こいつらには人間は搭乗していない事はわかっている。

 

 目指すは青い花を装甲に描いた、ただ一機。

 

 真正面。

 こちらを狙う砲塔から砲弾が射出される寸前だ。

 その前に新型は、その機体の操縦席を刺し貫いた。

 

 沈黙が訪れる。

 そこにいるはずの人間の死への絶叫はなく、装甲が砕けた破壊音の余韻も消えていく。

 ただ。

 闘いの結末として、倒すべき敵が沈黙した事に、初めて新型は動きを止めた。

 

 

「リア……っ!」

 

 それを見届けた者が一人。

 カイエは親友の機体が撃破された光景に、唯々唇を噛み締めた。

 耐える事しか出来ない時間だった。

 ハンドラーが目の代わりとして、無人機を操作する為のただの観測機として役割を果たすだけの時間。

 

 だが、ついにその時の終わりが来た。

 強者が隙を見せるのは獲物を仕留めたその一瞬だけ。

 その一瞬。

 それを得る為の時間まで、カイエは指示された場所で、身を潜めている事しか出来なかったのだ。

 

「これで……終わらせる!」

 

 照準を定め、トリガーを引き絞る。

 雷管が発火し、五十七mm砲弾の炸薬の爆発で砲弾が、狙いを定めた砲塔から射出された。

 カイエが狙う箇所は一つ。

 

 新型の液体マイクロマシン流出口を守る装甲の少し下。

 ハンドラーが指示してきた最も脆弱な箇所だ。

 そこを叩けば、中枢処理装置を完全に破壊し、データリンク機能を一瞬で失わせると。

 

 砲弾は命中した。

 だが、炸裂は狙った箇所ではなかった。

 残った流体マイクロマシンが砲弾の入射角を僅かに逸らしたのだ。

 

「そんなっ……」

 

 白銀の背部装甲を抉ったが、その破壊は内部まで届いていない。

 防がれた。

 

 新型が頭部をこちらに向け、カイエを次の標的と定める。

 それを見越した様に、一機が新型に襲い掛かった。

 

「リア!」

 

 その機体を駆る無事な親友の姿にカイエは歓喜の声を上げる。

 

 

 お父さんの声はいつの間にか聞こえなくなっていた。 

 きっとシンの方に何かが起きたのだろう。

 まさか彼が死んだとは思えないけれど、出来ればもう一度だけ、父の声を聞きたかった。

 

 もうこのレギオンを破壊したら、二度と聞く事が出来ない。

 あの懐かしい父の声を。

 

『あああああぁぁぁっ!!』

 

 リアは裂帛の叫びを上げ、機体を直進させた。

 あの攻撃の直後、機体を無理矢理乗り換える際にぶつけた頭部から血が流れ、短い髪を赤く染める。

 その髪は風圧で踊り、瞳はスクリーン越しでなく直接新型を見ている。

 

 リアが乗り移ったのは、先ほどの戦闘で操縦席の装甲をロック毎弾き飛ばしされた機体だ。

 その機体に乗り移るしか、敵を欺くのに有する時間はなかったのだ。

 有する兵装は一般的な主砲と副砲の重機関銃のみ。

 

 近接武装がないのは新型も、瞬時に把握している。

 だから優先的にスピアを砲塔に、そして剥き出しとなっている操縦席に狙いを定めた。

 今度こそ確実に標的を仕留める為に。

 

 そこに、唯一残っていた一機がリアの盾となった。

 流体マイクロマシンに激突し、機体の質量をもってその形を崩壊させる。

 だが、すぐさま再構築。

 新型は再びその機能を取り戻し、その場所四肢を地面に突き立てリアを迎えうつ。

 

 そして再び声が聞こえてきた。

 

『―――帰ル』

 

 父の声にリアは歯を噛みしめた。

 

 操縦桿を折れる勢いで、足掻くように倒し込む。

 だが、この位置からではどうしてもリアの機体は射角を得れない。

 その時間すらも最早ない。

 ましてや、後方のカイエからも、リアを巻き込んでしまう為に砲撃を行えない。

 

 だから、リアは盾となった無人機に飛び乗り、右脚部を振り上げた。

 先ほど鉄条が振るわれた際に折れ、鋭利な金属が剥き出しとなったそれを。

 

 新型はリアを振り落とそうと、全力の駆動力を引き出そうとする。

 しかし、ヨナがその行動をを見抜いた。

 

 新型にとって誤算だったのは、無人戦闘機故の最後の足掻き。

 機体が大破しようとも、自機の破損を厭わない無人機は砲撃を行える。

 

 鉄条を巻き付けていた二機が主砲を発射した。

 当然、狙いはこの新型には届かない。

 だが、意図された方向に射出された機体には、砲撃のノックバックが押し寄せる。

 

 その衝撃で新型は体勢を崩し、停滞した時間の中で衝撃方向を予測できた二人は新型の背部に辿り着く。

 

 これで終わる。

 

 だが最後の足掻きとばかり、中枢処理装置が自身の危機を察知し、流体マイクロマシンを暴走させた。

 それが引き金となり、足場にした無人機もろともリアを刺し貫こうと銀色の槍が迫る。

 

 そしてその中の一本のスピアが剥き出しとなった操縦席にゆらりと向き直った。

 リアが脚部を振り下ろすのが先か、スピアがリアを刺し殺すのが先か。

 そして僅かにスピアの挙動が勝ると、無情にもヨナの異能が告げてきた。

  

 そしてそれを止めるべく対抗する手段はもうリアにもヨナにすらなかった。

 ただ、残されたのは声だけ。

 

『お父さんっ!!!』

 

 リアはありったけの声で叫んだ。

 昔、何度もそう呼んでいた様に。

 

 黒羊となった者はすでに人間らしい思考というものはない。

 ただ、最後の残滓を繰り返すだけの部品。

 

 だが。

 ただ、一瞬。

 ほんの数舜の時間だけ、新型の全ての動きが止まった。

 

 ヨナの異能にはその一瞬で、十分だった、 

 リアが振り下ろした折れた脚部が中枢処理装置が埋め込めれている場所に突き刺さる。

 

 機体が、流体マイクロマシンがさざ波を立て、一度だけ激しく振動した。

 そして命令を失った流体マイクロマシンが崩壊していく。

 リアの眼前で未だ形を留めるスピアも、その形を崩していく。

 だが、それでもゆっくりとだが、それはリアの向かって近付いてきた。

 

 すでに父の声は聞こえなくなっている。

 この攻撃を避けなくてはリアは無駄に死ぬことになる。

 それが、わかっていながらなおリアは、そしてヨナですらもう指一本たりとも動かす事は出来なかった。

 

 そして雫を垂らしながら崩壊するそれはリアの額に到達する。

 目を閉じ、覚悟を決めた。

 

『えっ……』

 

 優しい感触だった。

 何時の間にかスピアは手の形に姿を変えて、リアの頭に優しく触れていたのだ。

 

『ただいま……アリス』

 

 それから、声が聞こえた。

 

『お、父さん……?』 

 

 リアは目を開けた。

 脳裏にその声の持ち主の姿が笑顔で、リアを愛おしげに見つめている姿が浮かんだ。

 

 大切そうにリアの頭を撫でる感触が続く。

 それは長い様で、ほんの一瞬で。

 次の瞬間には霧散してしまった。

 

『っ……おかえり……なさい』

 

 リアは顔を歪めて、その言葉を掛けた相手を探すがもうここにはいない。

 自分が殺してしまった。

 黒羊となった父を葬ってあげたのだ。

 

 それでも言い様のない感情がリアに沸き起こる。

 

 あの優し気な声、出掛ける時は大きな手で頭をいつも撫でてくれていた事。

 迎えに行った時には、リアを抱き抱えてくれていたあの大きな父の姿。

 

 忘れ掛けていた記憶が連鎖する様に蘇っていく。

 そして、自覚してしまった。

 本当に、もう二度とお父さんを抱き締める感触を味わう事も、優しい声を聞く事すらも出来なくなったのだと。

 

『っ……』

 

 更に、そこで深い悲嘆の思考が過ぎった。

 

 父が死んだのは自分のせいだと誰かが責めている。

 こんな自分が生まれなければ母は死ななかったし、父も家族と離れずこんな地で死ぬ事はなかったと責める自分がいる。

 

 こんな吐き気を催す嫌悪感が全身を満たす様な思考は知らない。

 そこでようやく未だあのハンドラーと同調したままだった事に思い至った。

 

『……あんた達がいなければ父は死ななかった。黒羊になる事もなかった!忘れない!例え、助けてくれたからってあんたがした事を!忘れてやる事なんかない!いつか!きっと復讐してやるッ!!』

 

 言葉とは裏腹に、何故かこの白豚を庇いたくなる奇妙な感情が過る。

 このまま別れがたい何かを感じてしまう。

 そんなはずはないのに、このまま同調を切断したくない思いに駆られる。

 

『……ああ』

 

 だが、あいつの悲し気に沈んだ声にリアは気が付いた。

 何故、あのアルバまでもが同じように悲しんでいるのだと。 

 あいつが悲しむ理由など、その資格すらないはずなのに。

 

『お父さんの事は残念だった……』

 

 そして、その言葉を共に、同調が切断された。

 最後にあいつはアリスと、どこか安堵した様に自分の名を呼ぶ思考が伝わってきた。

 

 ひどく久しぶりに一人に。

 自分一人だけのものとなった思考に一つの名前が木霊する。

 再び呼ばれたその名に、ようやくリアは瞳から涙を零した。

 抑える事が出来ない想いは涙を止める事はない。

 

「っ、あ……あれ……」

 

 父の姿が鮮明に脳裏によぎる。

 その最後に姿を見た時の事も。

 

 ―――きっと帰ってくると約束した時の事を。

 

 お父さんは帰ってくると約束したのだ。

 だから自分もあの子と、必ず帰ってくる場所を守ると約束した。

 その約束を支えに、あの地獄を生き延びてきたのだ。

 

 でも、それはもう二度と叶う事はない。

 

 母も戦争で死んだ。

 きっと連れていかれたあの子もとうに死んでいるだろう。

 

 何より帰る場所など、すでに白豚共に奪われてしまった。

 あの帰ると誓った場所もすでに存在しないだろう。

 

「……っあああ」

 

 嗚咽を堪える事が出来なくなった。

 深い慟哭がリアに押し寄せ、止まらない。

 

 自覚してしまった。

 気付かされた。

 

 父との永遠の別れに。

 約束が果たす事など永遠に出来なくなった事に。

 

 あの子がきっとどこかで生きているに違いないという希望は、ただの絶望の裏返しだった事に

 

 今まで自分がただの愚かな妄執に縋っていたに過ぎなかった事を自覚して、リアはただ声を上げて泣いた。

 

 

「リア……」

 

 カイエはその姿を見て、悲し気に呟いた。

 初めて見るあんなリアの姿に、自分は何もしてあげられない。

 

 寄り添って慰めの言葉を掛ける事は出来るだろう。

 同じ痛みを知る自分達ならば彼女と痛みを分かち合う事は出来るはずだ。

 

 だけど、救いにはならない。

 

 傷の舐め合いではリアが選び、進もうとしている地獄からは救い出してあげる事は出来ないのだ。

 

 リアが以前話してくれた約束。

 あの約束が彼女の支えだったはずなのだ。

 

 それを当の昔に全て失ってしまっていたのだとリアが気付いたのだとしたら、彼女は今までの様にいられるのだろうか。

 

 一人でどこかに進んでしまうのではないだろうか。

 

 カイエはその事を胸に、目を離さない様に泣き続けるリアを見詰め続けた。

 




主人公もヒロインもまだ、互いに気付く事はありません!
何故なら理想的なボーイ・ミーツ・ガールではないからです!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26話 名前

 戦闘は終了した。

 

 スピアヘッド戦隊七名が無事に集結した事にレーナは安堵し喜ぶ。

 同調で伝わってくる声が、彼らも再会出来た喜びを伝えてきた。

 

『戦闘終了、お疲れ様でした。アンダーテイカー、皆さんも』

 

『お疲れ様です、ハンドラー・ワン』

 

 何かが吹っ切れた様なシンの返答が返ってくる。

 

『それにしてもさぁ、あんたどうしちゃったわけ?』

 

『ここにきて一気にぐれちまったよなぁ』

 

 セオとライデンの揶揄う声が上がり、レーナは怪訝な返答を返した。

 

『ぐれてって……そういう訳ではありません。私はただ……』

 

『レギオンごと、私達を吹っ飛ばすつもりなのかと思った』

 

『前例もある事だし、どこぞのハンドラーさんみたいにね』

 

 クレナとリアがじとっとした疑う様な声で言ってくる。

 その途中、誰かが息詰った声を上げそうになるが堪え切った様だ。

 きっと、隣の管制室にいる彼だろう。

 

『そ、そんな訳ないじゃないですか!』

 

『冗談に決まってるじゃん、頭固いなぁ』

 

『あら、そこが少佐のいい所なんじゃない?』

 

 そこにカイエがまるで何度も頷いているような光景が浮かぶ声を出す。

 

『いや、少佐殿はきっと一皮剝けたのだ。なんといえばいいか、男の顔になったと言う所か。いや、女性にそういうのはへんか』

 

『誰かさんの影響じゃないのか? ま、とにかく感謝してる、助かったぜ』

 

 ライデンの言葉をシンが引き継いだ。

 

『ありがとうございます。ミリーゼ少佐、それにハンドラー・ツー、貴方も』

 

 シン以外にもこのもう一人のハンドラーが、色々と以前から援助をしてくれていた事にすでに気が付いていた。

 そして今は新型に破壊された四機とリアが乗る機体、それにシン達に付き従う今もなお健在な五機の無人機の計十機を援軍に寄越したのだ。

 きっと彼もレーナ以上の無茶をしたのだろう。

 

『俺は貴方達に感謝される様な事は何も……ただ、自分勝手にも貴方達に生き抜いてもらわないといけなかっただけだ』

 

 ヨナは掠れるような返答をシンに返した。

 これから伝えなくてはいけない事を躊躇している様な感覚に、その内容を知るレーナはぎゅっと手を握る。

 

『今からその理由を……スピアヘッド戦隊に極秘任務を伝える』

 

 そしてヨナは重い口を開いた。

 

『極秘……?』

 

 そんな指令など一切聞いていない全員は首を捻る

 特別偵察任務以外に、一体何があるというのか。

 

『貴方達にはレギオンの支配域を抜け、未だ抗戦を続けている人類の生存権に共和国の救援を要請してもらいたい』

 

 なんだそりゃ、というライデンが呟きを漏らした。

 全員が同じ想いだっただろう。

 

 理由は簡単だ。

 他に人類が生き残っているはずがない。

 それにどうして共和国なんぞの為に、そんな事をしなくてはならないのか。

 

『いや……』

 

 そこで、ヨナは一声区切った。

 

『貴方達はすでに自由の身だ。極秘任務などと謳っておきながら、その任務を負う責務は貴方達にはない。だから、これはただのお願いだ』

 

 ヨナは酩酊しているかの様な揺れ動く視界の中、それでも足掻く様に言葉を絞り出す。

 

『貴方達を死地に追い遣っておきながら、厚顔無恥にも我々を救って欲しいという懇願だ』

 

 返答はなかった。

 しばらく沈黙が訪れる。

 

『あんた、一体今までその極秘任務とやらを何人に言ってきた? 成功率は……ああ、今の惨状を見りゃ聞かなくてもわかるわな』

 

 現状は何も変わっていない。

 スピアヘッド戦隊以前にも、多くの生き抜いた号持ちが特別偵察任務送りにされたのだ。

 その任務を受けたにせよ、受けなかったにせよ彼らはすでにこの世にはいない。

 レギオンの支配域に足を踏み入れ、生き残れるはずもないのだ。

 救援などどこにも届く見込みはない。

 

『そうか、……あんただな。ハンドラーの亡霊ってのは』

 

 そこで、ライデンがどこか納得した様に驚きの声を上げた。

 プロセッサーが命を救われただの、任務中に勝手に別のハンドラーから聞こえてくる指令だの。

 ずっとエイティシックスに肩入れしていた何者かの正体はこいつだ思い至ったのだ。

 

『いつか聞こえるかもしれねぇって思ってたが、まさか今とはな』

 

『それでその亡霊さんが囁いたのは何だって? 共和国を救って欲しい?』

 

 セオが呆れた声で、嘲け笑う。

 とんだジョークだよと言わんばかりに。

 

『まさか前に俺らのハンドラーをしてた時からそれ、やってたのか? シン、お前レギオンについてこのハンドラーに話したんだっけか』

 

『ああ、以前に聞かれた事は全て話した』

 

 だから共和国が滅亡する未来を知り、少しでも足掻こうと自分達を生かし、特別偵察任務送りにし、さらに極秘任務を伝えたと。

 

『ご苦労なこった。俺らには、そうまでして救う価値がこの国にあるとは思えねんだけどな』

 

『共和国にも必死に生きている人がいる。86区の強制収容所の人達も。彼らは俺なんかとは違い生きるべき人達だ』

 

『……ああ』

 

 ライデンは押し黙った。

 それを自分は身を持って知っている。

 わざわざ死なせる事もないって奴らがいる事を。

 

 だが、知っているからといって、一度自由になった身にはただもう一度戦う理由を与えられ、そのぶら下げられた餌に飛び付く馬の様にはなりたくなかった。

 

『ふざけないで!じゃあ、そんな事の為にあんたは……』

 

 そこでリアが声を張り上げ、未だ残る戦闘の余韻を再び思い起こした。

 そんな事の為に、自分はあいつと思考を同調してまで父を葬ったのか。

 そんな事の為に自分を生かそうと無茶をしたのか。

 

 とんだ愛国精神だ。

 そんなもの自分は知った事ではない。

 もう自分に残されたのは仲間の為に戦うと決めた意志だけだからだ。

 何にせよ、このお願いを受ける理由などない。

 

『いいでしょう、その任務お受けしましょう。ハンドラー・ツー』

 

 だから、シンがどこ吹く風で受諾したのに全員が驚愕する。

 

『ちょ、ちょっと待て、シン。そんな軽く近所にお使いに行く様に言われてもだな』

 

 カイエが慌てて、呆れた様に突っ込みを入れる。

 確かにシンの異能があれば、なんとかなりそうな予感はあるが。

 

『そうだ。お願いなら聞く必要はねぇ、第一物資も食料も全然足りねぇだろうが』

 

 語気を強め、自分達の装備を冷静に勘定するライデンに、ヨナが訂正を入れる。

 

『三ヶ月分の物資を追加でそちらに送っている。すまないが、食料についてはプラスチック爆薬だが』

 

 見ればファイドの隣に、融通の利かなそうなスカベンジャーが二機近づいて来ていた。

 ファイドが器用に脚を振るも、そいつらが同様に返事を返すことはない。

 ただ、そいつらには合計十機の追加コンテナが連結されていた。

 

『至れり尽くせりで感謝したいとこだが、断ったら自爆するとかじゃねえよな』

 

『うん、ありそう。自爆しなくても迎撃砲が降ってくるとか』

 

 ライデンが押し売りに直面したかの様に引き攣った声を出し、それにクレナが同意する。

 

『そんな事はしません!少佐はその為に元々準備を進めていて……断られても皆に物資を渡すつもりでした』

 

 レーナはそこでヨナを庇う様に声を上げた。

 

『なんだ、少佐はこの事知ってたんだ』

 

 セオの声に、ええとレーナは首肯する。

 早めにレーナから彼らに伝える事も出来たのだが、ヨナが自分から伝えると言い切ったのだ。

 彼らが返してくるもの全てを受け止めるのは自分だと。

 

『あのいいかしら、ハンドラー・ツー』

 

 そこで今迄黙っていたアンジュがヨナに話し掛けた。

 

『ブラックドック……ダイヤ君の事なのだけど。もしかして貴方が治療の手配をしてくれたのかしら。……それにもし、この任務を受けたら残してきた三人の治療をちゃんとしてくれる?』

 

『別に交換条件ではないのだが、約束する。あの三人を丁重に扱うと。病院で適切な治療を受けさせると。例え完治したとしてもプロセッサーである現状は変えられないが……』

 

『なら私。この任務受けるわ』

 

 アンジュは決意して、シンの肩を持った。

 残してきた者達に憂いがなくなれば、もう後はただ進むだけだ。 

 いつか追い付いてくるであろう彼を安心して待つ事が出来る。

 

『はい!はいはい!レッカの事もお願いね!絶対だからね!』

 

 クレナが手を上げながら必死に声を張り上げる。

 

『二人ともハルトの名前も出してやりなって、可哀そうでしょ。んじゃ、僕からはハルトの事、お願いしまーす』

 

『お前らなぁ……』

 

 セオがさらに仲間に入った事によりライデンは溜息をつき、苦笑する事となった。

 そんなライデンを止めとばかり諭すようなシンの声が上がった。

 

『どうせ、目的地も何もないあてのない旅だろ?』

 

『まあ、そりゃそうなんだが……二人はどうすんだ?』

 

 ライデンは残ったカイエとリアに話を振った。

 

『う~む。我らが隊長がそう言うのなら私は是非もない。後は、少佐殿の方からこの任務に太鼓判を押してもらえるかどうかくらいだな。どうだレーナ?』

 

 カイエから名前を呼ばれたレーナは背筋を伸ばし顔を上げる。

 答える言葉に迷いはなかった。

 

『私は彼を信じています。だから、人類が生き残っていると胸を張って私も言います。そして、きっとこの任務を達成出来ると皆さんの事も信じています』

 

 彼らが生き残れる保証はどこにもない。

 嘗て成し遂げた事のない任務。

 たったの七名、機体は棺桶と揶揄される程の性能。

 

『信じます』

 

 それでもぎゅっと手を握り、レーナは誰かに祈る様に言った。

 所詮彼らと共にはいない、安全な壁の中で自分はそれだけしか出来ないのだから

 

『しょうがない。信じられたのなら応えてみようとも』

 

 カイエはわざとらしく肩を竦めて納得し、次にリアがヨナに対し声を上げた。

 

『ねぇ、聞かせてよ。マンゴネル隊の皆に、迎撃砲を使った時、ほんとは……』

 

 質問の最後は途切れたが、何を聞きたかったのかはわかった。

 リアにとってあの出来事は、十分に白豚どもの卑劣さを体現したものだったのだ。

 ありとあらゆる罵りをあのハンドラーは受けるに値するものだったはずだ。

 

 だが、もしあいつが語った事が本当だとしたら。

 迎撃砲が使用される前に、皆、すでに死んでいたのだとしたら。

 私を生かす為に、あの迎撃砲が使用されたのだとしたら。

 あの出来事は……。

 

『言い訳はしない。俺は彼らを助けれなかった。それだけだ』

 

 返答は簡潔に淡々と述べられた。

 すでに思考の同調は切断されている。

 だから、この男の真意などわかるはずもない。

 

 でも、それで十分だった。

 何を自分は期待していのだろうか。

 白豚に二度も助けられたからといって、何かが変わった訳でもない。

 

 ただ、少し思考の同調などという非常識な手段に汚染されたに過ぎない。

 少し距離が縮まってしまったなどとは思いたくもない。

 復讐の、憎悪する相手には変わりはないはずだ。

 

『あっそ。じゃあ、もう思い残す何もない。私も皆と一緒に行く』

 

 全員の決は採れた。

 レーナとシンとの一度の会話が終わり、そして語り尽くす事がなくなると、自然と一つの意思疎通がなされる。

 七機の機体が示し合わせた様に一方向に機体の向きを変えた。

 

『ファイド、コンテナの繋ぎ直し終わったか?そっちのぽんこつ共も』

 

『整備と修理は寝るとこ決めてからだな……。初日にこんだけ弾薬を使っちまったのは痛かったか』

 

『まあ、いいんじゃない、追加の物資も届いた事だし』

 

 駆動音から彼らが動き始めたのがレーナとヨナにはわかった。

 

『だな。少佐含め、あのハンドラー様様だ』

 

 そこで、ライデンがふと思いついた様に声を上げる。

 

『ああ、そうだ。ハンドラー・ツー。最後にあんたの名前は聞かせてくれねぇのか』

 

 対した意味はない。 

 ただレーナを通して、あいつは自分たちの名前を一方的に知っているであろうと思えるし。

 亡霊と呼ばれる、自分達を無理無茶無謀の任務を果たせと言ってきた相手がどんな名前なのか気になっただけだ。

 

『……貴方達に名乗る程の名はない』

 

『なにそれ、感じ悪い』

 

 クレナの言葉に折角こっちが聞いたやったのにという非難がひしひしと伝わってくる。

 それを流石に感じ取り、ヨナは返答した。

 

『じゃあ、そうだな……イスカリオテとでも呼んでくれ』

 

『なんだそりゃ……』

 

 ライデンがその意味を図りかねていると、更に言葉が重ねられた。

 それは酷く躊躇いがちな。

 それでいて、迷子の子供の様にどこか不安げな泣きそうな声だった。

 

『でももし……いつか貴方達と同じ戦場に立ち、共に戦える日が来たのなら、その時、もし一度でも戦友だと思ってもらえる日が来たのなら、俺の名前を……聞いて、もらえますか……?』

 

 ハンドラー・ツー。

 いや、イスカリオテから初めて懇願するような、途切れ途切れな素の声であろう本音が語られた。

 

 その変化に誰もが言葉を失う。

 そもそも、恐らく自分達にそんな日は来ないだろうし、白豚が今更共に戦おうと、彼らがした仕打ちは帳消しには出来ない。

 

 中には共に戦ったアルバがいたり、レーナやこのハンドラーみたいな奴らもいるのだろうが、エイティシックスと呼ばれる今の世代の彼らとは何もかもが決定的に違い、決して戦友になどなれる日は来ない。

 

 だからそんな質問に何の意味もないと、誰かが言おうとした所、リアの辛辣な声に打ち消された。

  

『誰があんたの御大層な名前なんて聞くもんか。あんたの名前を聞く時は、私達が他の国の人達を引き連れてこの国に帰ってきて、それで全部悪事を暴いてからよ。死刑台で聞いてやるわよ』

 

 利発で意思の通った気持ちのいい程の暴言。

 その以前から何も変わらないリアの声にヨナは苦笑を漏らした。

 

『ああ、その日を……楽しみにしている』

 

 それからシンがヨナに声を掛けた。

 

『ではイスカリオテ。残した三人の事をお願します』

 

 次にシンの声の調子が少し変わったのは気のせいか。

 

『それから、少佐の事を頼みます』

 

『任された』

 

 シンとヨナの交わした言葉はそれきりだった。

 最後の会話とばかり、交わす言葉は短く、別れを予感させる。

 

 そこでようやく彼らが意図している事を飲み込んだレーナは手を無意味にもスクリーンに伸ばした。

 

『待って……待って下さい!置いて行かないで』

 

『ああ、いいなぁ、それ。俺達は追われるんじゃない、俺達は置いて先に行くんだ。どこまでも、行けるとこまで』

 

 ヨナは隣の管制室から、誰かが飛び出していく音を聞いた。

 きっとレーナだろう。

 少しでも、彼らと同調を維持する為。 

 共和国管制範囲外領域へと進む彼らを追いかけていったのだろう。

 その間にも彼らの他愛ない会話は続いている。

 

『てかさあ、試作機って言ってたけど、なにこいつら。なんかすでに泥だらけで汚いし』

 

 それは戦闘に間に合わせる為、最短距離を突っ走らせたからで。

 それでもヴァンデュラム社の皆が、彼らを少しでも生かそうと決死の想いで造り上げたものなのだ。

 

 それだけはどうしても伝えたくて。

 でも。

 ヨナの意思に反し、ついに口を開こうとも声が出て来なくなった。

 

『それになんか、子蜘蛛みたいで気持ち悪くない』

 

『そう、私は結構可愛いと思うけど』

 

『ええ~、そうかなぁ』

 

『あ、セオ。またこいつにマーク描いといてよ。私の機体壊れちゃったから』

 

『いいけど……あ、ごめん。道具処分しちゃった』

 

『えぇー』

 

 ヨナは喉を抑え、椅子から立ち上がろうとするも足は上がらない。

 僅かに動いた上半身せいで、バランスを崩し床に転倒する。

 

『うわ、何これ』

 

『綺麗、だね』

 

『一面真っ赤だ。なんの花だこいつは』

 

『『彼岸花』』

 

『自由になって最初に見れた景色がこれって、幸先いいじゃん』

 

『何か良い由来とかあるのかしら』

 

『残念ながら、元々は墓地に植えられるような花で、あまり縁起のいいものではないな』

 

『そうそう、根っこには毒があるしね。私の名前と一緒』

 

『うへぇ、聞かなきゃ良かったなぁ』

 

『だが、花言葉は再会を意味していてな。例え死によって分かたれたとしても、愛する者と再び出会う事を願って植えられるのだ』

 

『カイエ、今それ言っちゃう?』

 

『ねー、シン君』

 

『なんで俺に振る』

 

『もしかして自覚してないの?』

 

『ちょっと! シンは絶対そんなんじゃないから!』

 

『そういや、あのハンドラーに少佐を頼むって言ってたが、それって大丈夫か?』

 

『だから、何が?』

 

 ヨナは肘を使って、冷たい床を這う。

 目指す場所などない。

 この管制室を出たからとしても、外に彼らのような自由は待っていない。

 

 視界が歪む。

 頭が割れるように痛む。

 血が止まらない。

 

 それでも追い掛けてくる何かに抗いたかった。

 

 どうやらアリスと父親に呼ばれていた少女との同調は思いの外、無茶だったらしい

 ベンローズ大尉の忠告通りの結果という訳だ。

 

 だが。

 後悔は微塵もない。

 ただ、彼女を救えて良かったと。

 そして、彼女の父親を救ってやれて良かったと思うのは身勝手か。

 

 ……あの時、彼女をあの子ではないかと思ってしまった。

 もし、視界に黒髪が一筋でも見えたのなら、きっと疑い様がなかったに違いない。

 でも、呼ばれた名前は違ったのだ。

 あの子の発音とは全く違う呼ばれ方。

 

 それによくある事だ。

 父親が戦場に連れて行かれ、死に別れる事など。

 父親を待ち続けるエイティシックスの子供など。

 

 何も、自分とあの子が特別というわけではない。

 

 どこか残念な気持ちと安堵する想いが両立している。

 なんにせよあの子でなくて良かったのだ。

 あの子にあんなお願いをする事になっていたとしたら、あるいは既にしているのだとしたら……。

 

 ヨナは拳を地面に叩きつけた。

 後悔に押し潰されている場合ではない。

 まだまだしなくてはいけない事が残っているのだから。

 

 彼らは行ってくれたというのに、見送った自分がこんな所で、楽になっていはずがない。

 

 絶対に。

 絶対にそんな事は許されていいはずがない。

 裏切者らしく、最後まで足掻いて死ななければならないはずのだから。

 

 だが、視界は赤黒く閉ざされていく。

 脳裏に響く同調の声が、沈みゆく意識に消えゆく。

 

 ふと、耳に懐かしい名前がを呼ぶ声が聞こえた気がしたが、抗い様のない意識の消失が始まる。

 明ける気配のない闇にヨナは飲み込まれていった。

 




オデノモチベハドボドボデス!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27話 真実

このまま主人公死亡で、打ち切りにしちゃおうかと思っちゃいました……。


 タラップを降り、レーナは前線基地に降り立った。

 前線基地が目の前に広がっている。

 錆び付いた隊舎と整備工場を眺めながら、彼らがいたこの場所に想いを馳せる。

 

「……あんた、ミリーゼ少佐、だったか?」

 

 そこで、この工場の整備班長であろう男性に声を掛けられた。

 レフ・アルドレヒト中尉だ。

 

「ガキどもから話しは聞いてたが、まさかほんとに来ちまうたぁ、あんたよっぽどの物好きだな」

 

 言い様は呆れた風だが、彼は親切にも見て行きなと、隊舎を指差してくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 そこでレーナはふと、彼の髪に混じる白系種の白銀を見遣った。 

 その事を指摘すると、アルドレヒトは自身の過去の話をしてくれる。

 彼が家族の為に、戦争に志願し、そして全てを失ってしまった話を。

 

「特別偵察の前には、俺が必ずアルバだって話すようにしてるんだ。俺達を恨んでるなら憂さ晴らしに殺していいぜってな……だが、どうも実行してくれる奴がいなくてな」

 

 どこかそれを望んでいる口調でアルドレヒトは空を見上げる。

 先に行ってしまった者の姿を追い求める様に。

 

「今回もそうだった。……今度こそはやってくれそうな奴が一人いたんだが、まぁ見逃されちまった。……あんたは、ただの口煩い整備のおっさんだってな」

 

 アルドレヒトはサングラスを掛け直し、レーナに振り返った。

 

「引き止めちまったな。……早く行ってこい」

 

「はい……、ありがとうございます」

 

 レーナは敬意を表し、彼に頭を深く下げた。

 

 

 隊舎に入ろうとすると、すぐ傍にある花壇に目が行った。

 きっと誰かがずっと大切に世話をしていたのだろう。

 綺麗な紫の花や赤い花が咲き誇っている。

 

 風に揺れるこの花達だけが、およそ文明的な生活とはほど遠い隊舎とひどく対照的だった。

 中に入ると予想通り清潔とはいえない光景が広がり、生活の残滓が幾つも残っていた。

 彼らが共に食事をしたであろう食堂と厨房を通り抜け、ガス室の様なシャワー室の様子も覗き見る。

 

 それから二階に足を運んだ。

 どの部屋にも、すでに人がいる気配はない。

 綺麗に洗濯されて、畳まれたシーツがそれを物語っている。

 

 残された三人。

 ダイヤとレッカ、ハルトもここにはもういない。

 先にヨナが手配していた便で彼らは、強制収容所にと連れて行かれたのだ。

 とはいっても、彼はきちんと約束を果たすだろう。

 

 しかし、本来であれば使えなくなった部品は廃棄される定めなのだ。

 壊れてしまったのなら、新しい部品と取り換えるのみ。

 窓からレーナと便を同じくしてやってきた新しい部隊員が写真を撮られているのが見えた。 

 

 そこで、ふと猫の声が聞こえた。

 振り返ると、前足だけが白い猫がレーナを見上げている。

 その猫に案内されるように、レーナは一番広い戦隊長の部屋にと辿り着いた。

 

 そして、その猫が何かを求める様に引っ搔いている引出しに、レーナは手を伸ばした。

 中に入っているのは聞き覚えのある著者の本。

 それを手に取り、ページをめくるとはらりと挟まれた紙片が踊った。

 

「あ……っ」

 

 折りたたまれた紙を開く。

 正面に描かれたドレスを着た豚の姿に、戸惑ったのは一瞬。

 それから、寄せ書きの様に書かれた名前と、幾つも綴られた文字に息を詰まらせた。

 

 ライデン・シュガ

 セオト・リッカ

 クレナ・ククミラ 

 アンジュ・エマ

 シンエイ・ノーゼン

 

 彼らが残していった言葉がレーナの胸を満たしていく。

 最後にカイエ・タニヤの名前があった。

 

"良かったら花壇の花をもらっていってくれ。私とリアとで大事に育てたものだ"

  

 ついに込み上げてきたものが、零れそうになる。

 シンが残していった言葉を想起させるからだろうか。

 

 彼らは何も残さずに行ったわけではなかったのだ。

 レーナがこに来ると信じて、同じ様に進んでくれると残してくれたものがあったのだ。

 

「リア……?」

 

 そこで、一人の知らない名前が書かれていたのにレーナは首を捻った。

 ふと紙を裏返してみると、裏面に書いている者が一人だけいた。

 

"もしもお墓に変な名前、彫られたら癪だから最後に教えとく アリシア・ナハト”

 

 まるで、急いで書き殴った様な乱雑な文字が躍っている。

 だが、この物言いの人物にレーナは覚えがあった。

 

 そこで、ようやくレーナは彼女がヘカーテと名乗った時の、彼らの苦笑の意味に思い至る。

 そうか、彼女は嘘の名前を名乗っていたのか。

 それから……。

 

「……ナハト」

 

 シュタット少佐、いえヨナイス・ラングレイの幼馴染の名は何と言ったか。

 レーナは息を吞み、紙片に挟まれていた写真に目を通す。

 色褪せた写真からでもわかる程、一人の少女の綺麗な黒髪が写っていた。

 

 

 

 

「……生き、てる……か」

 

 掠れた声を上げ、ヨナの意識は覚醒する。

 呟いた声は幾つも感情を乗せたものだった。

 死ぬわけにはいかないのだと安堵する様に。

 未だこの命は尽きていないのかと怨嗟する様に。

 

「少佐!? ……良かった!」

 

 レーナはベットから体を起こそうとしているヨナに気が付き、歓喜の声を上げた。

 椅子から立ち上がり、慌ててヨナの肩を抑え、ゆっくりとベットに寝かせる。

 ヨナは頭が痛むのか、苦痛の声を上げた。

 

「まだ安静にしてて下さい、少佐は五日も眠ったままだったのですよ」

 

 そんなに、とヨナは驚くもそれだけの代償で済んだというのなら幸いだ。

 レギオンの新型に対抗する為に、急拵えで作り上げたプログラムでよくぞ耐えきったものだとヨナは誇りたくもなる。

 

「あれ、今は夜ですか……?」

 

 だが、ヨナは目を開けても薄暗い視界に、戸惑いの声を上げた。

 まさか、と最悪の予想もヨナの胸に浮かぶ。

 

「いえ、目に包帯を巻いているんです……その、少佐の目の色が変わってしまっていたので」

 

「……ああ、能力を使い過ぎると目の色が戻ってしまうんですよ」

 

 ヨナは手を伸ばし、目元を覆う包帯に触れて安堵の声を漏らした。

 それからすぐに、現状の把握に意識を移す。

 

「ここは……?」

 

「アネットの研究室です。この状態の少佐を病院に運ぶわけには行かなかったので」

 

「助かりましたよ」

 

「アネットが凄く怒ってましたよ。あんな突貫で欠陥だらけのプログラムで同調しようだなんてって……一応言っておきますが、私も怒っていますからね」

 

 レーナはヨナが眠っている間に、アネットからヨナが一歩間違えば死んでいたと説明を受けていた。

 それほど危険な行為だったのだ。

 

 だが、自分も無茶をしたのだし、その事を今更とやかく言うつもりはない。

 怒っているのは、その後助けを呼ばなかった事に対してだ。

 アネットが様子を見に行かなかったらどうなっていた事か。

 処置が間に合わなければ廃人になってしまっていたらしい。

 

 ―――共に最後まで戦うと誓ったのだから、先に行ってしまわれては困るのだ。

 

「ほんと重ね重ね、すみません……でも、彼らは無事行けましたよね」

 

「ええ」

 

 ぎゅっとレーナは膝の上に置いた物を握る手に力を込めた。

 すでに、共和国の国境を越えてしまっているだろう彼らを思い浮かべる。

 ヨナの頑張りがあったからこそ、彼らは旅立つ事が出来たのだ。

 

「こっちの方はどうなってます? やはり、迎撃砲の無断使用については見つかりましたか?」

 

 当然、迎撃砲の無断使用は軍部に露見してしまっていた。

 ヨナとアネットの協力もあったとはいえ、誤魔化すだけの時間的余裕もなかったし、元々レーナもその覚悟を持って行ったのだ。

 

「ええ、上官からは音沙汰あるまで待機との事です」

 

「そうですか……俺の方はどうなりました?」

 

「少佐の事はばれていないようですが、その、無断欠勤という事で何度か技術部の方から問い合わせが、それにシュタット家の方も軍部に顔を出されていました」

 

 ああ……、とヨナは後ろめたそうに首を摩っている。

 どうして無関係なレーナに問い合わせがくるのか、最初レーナは分かっていなかったが、アネット曰く色々な所でレーナとヨナが親し気に話す姿を見られているらしい。

 そういう仲だと思われているのだそうだ。

 

「あの、ルイーゼという女性の方がとても心配していましたよ」

 

「もしかして、もの凄く怒ってました?」

 

 恐れているようなヨナの声にレーナは少し不思議そうな表情をする。

 ヨナにも恐れるような相手がいるのかと。 

 その人物は彼の正体について知っているのだろうか。

 

「はぁ……。RMIには野外で試験中の試作機が野生に帰ったと、頭の痛い報告をしなくちゃいけないですし、問題が山積みですね」

 

 そのあまりな物言いにレーナはくすりと笑みを零す。

 だが、ヨナの言う通りだ。

 彼らを見送ったといえ、レギオンの脅威は去ったわけではないし、これからなさねばならない事が山の様にある。

 

「のんびりしてる時間はないですね……っ」

 

 ヨナは再び体を起こそうとして、レーナは止めようとする。

 

「まだ、休息が必要です!それにアネットの検査を受けてからでないと」

 

「……彼らが行ってくれたというのなら、俺もそれに応えなくては」

 

「ですが……」

 

 ベットから上半身を起こしたヨナは、視界を塞がれたまま手を伸ばしてきた。

 

「俺の軍服に万が一の時用に、コンタクトレンズを縫い付けてあるので、取ってもらえませんか?」

 

「え、ええ」

 

 それぐらいならばと、レーナは壁際に掛けてあるヨナの軍服を取ろうとした。

 その際、膝の上に抱えていたものをヨナのベットの脇に置く。

 

「あれ……この香り……」

 

 ヨナが鼻を少し鳴らし、懐かしそうな表情を浮かべた。

 レーナはヨナの軍服を取った状態で、そのままぴたりと動きを止める。

 

「母が好きだった花なんですよ。どうも85区内じゃ、あまり育てられていないらしくて……本当に懐かしい……」

 

 レーナを息を吞み、ゆっくりと椅子に戻り、ヨナから離すように手紙と摘み取ってきた花を手に取った。

 

「……少佐が眠っておられた間に、前線基地に行ってきたんです。そこでスピアヘッド戦隊の方が育てていた花をもらってきたんです」

 

 レーナはぽつりぽつりと、声が上ずっていないか心配しながら説明する。

 どうか普段通り話している様に聞こえますようにと。

 

「大事に育てられてたんですね」

 

「ええ……きっと」

 

 ヨナは優しげに口元を緩めていた。

 目が見えなくとも芳醇な花の香りで、大事に世話をされていたのだとわかるほどだ。

 

「ミリーゼ少佐……?」

 

 だが、レーナの声にかすかに震えが混じっているのにヨナは気が付いてしまったようだ。

 思わず手に力を入れてしまい握った手紙がかさりと音を立てる。

 レーナは慌てて手紙を軍服にしまい込んだ。

 

 決して彼には見られない様に。

 彼が探し求めていた幼馴染を見つけた事を悟られない様に。

 彼が見送ったあの隊に彼女がいた事を見つからない様に。

 

「なんでも、ありません」

 

 レーナは歯を噛み締めて、ヨナに短く答えた。

 

 アリシア・ナハト。

 もし、彼が追い求めていた彼女があの部隊にいたと知ったら……。

 裏切者と自らを蔑みながらも戦い、その果てにその人を死地に追いやってしまったのだと知れば、彼は何を想うだろうか。

 

 だが、彼らは既に遠く離れてしまった。

 今更、呼び戻す事も出来ない。

 

 彼らはヨナが願った共和国の救援要請を受諾し、進んでくれたのだから。

 だが、そもそもレギオンの支配息を無事に抜けれられる可能性はどれだけだろうか。

 レーナはその事を一度も訪ねなかった。

 例えシンがいたとしても、その行為は薄氷の上を渡る行為だからだ。

 

 レーナとて信じたい。

 だが、現実は非情だ。 

 

 ―――希望はいとも容易く絶望にと変わる。

 

 もし、真実を知ったら彼は今まで進んできた歩みを止めてしまわないだろうか。

 探し求めているとはいえ、もしかしたらヨナはすでにどこか幼馴染の死を受け入れているのかもしれない。

 

 そこにレーナが真実を告げたらどうなるだろうか。

 彼は、彼女の二度目の死を受け入れる事が出来るのだろうか。

 

 だから、

 

「これからも共に戦いましょう」

 

 レーナはヨナに真実を告げなかった。

 

 そして、これからも告げるつもりはない。

 卑怯者と罵られてもいい。

 それでも、今彼は必要だからだ。

 

 この絶望の中一人抗い続け、今ようやくその成果が実を結ぼうとしている時に彼を失うわけにはいかないからだ。

 強制収容所の解体も、グラン・ミュールの爆破も。

 レギオンの大攻勢の時、戦力となるジャガーノートの改良も、全てにおいて彼が必要だ。

 

 だから、その為ならば人として大事なものを捨てよう。

 彼に少しばかり抱いていた形のない淡い想いも捨て去ろう。

 

 ―――私も裏切り者となろう。

 

 例えどんな手を使ってでも戦おう。

 彼らに応えるために。

 全ては最後の命尽きるその時まで。

 




連邦側の話は飛ばそうと思います。
カイエとリアがいるくらいで、後は余り変わらないので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28話 一年

 堕落と怠惰を絵に描いたような軍人達が、今日も国軍本部で宴会を開いている。

 酒の入った濁声と嬌声が響く中、カツカツと規律正しい軍靴の音が一際響く。 

 その音と共に翻る髪に混じるは一房の鮮血の赤。

 

 レーナの表情はひどく険しい。

 先程は上官の毎度毎度の叱責を受け、それを軽く受け流してきた所だ。

 だが、何もあの無能の言葉を真に受け、今の表情を浮かべている訳ではない。

 

「大尉、各戦線の損耗率と、戦域拡大の件についてですが」

 

 レーナに付き従う部下が報告してくれているレギオンの攻勢に関する報告が芳しくないからだ。

 次々に報告される内容は、レーナの眉根をさらに寄せるものだったが、彼らにはただ礼を言い、その労をねぎらう。

 

 彼らはレーナに賛同してくれている者達だ。

 現状を好しとせず、来たるべき時の為に今の在りようを変えるために協力してくれている。

 彼らもずっと思う所があったのだろう。

 

 ―――今の軍の姿に、そしてエイティシックスに戦う事を押し付けている事に。

 

 そんな彼らとて育ってきた環境故、エイティシックスと呼ばれる彼らに対する差別意識はある。

 それでも同級生に彼らがいた事や、近所に住んでいた過去を持つ者が大勢いるのだ。

 

 未だ諦めの境地に至らず、熱意を持って行動をしている。

 きっと、それは若さというものなのだろうか。

 

 などと、自分の年齢を棚に上げ思考に没頭していた所、向こうから男の軍人が歩いてきた。

 

「シュタット少佐」

 

 書類に目を通しながら歩いていたヨナはレーナの呼び声に気が付き、顔を上げる。

 ヨナは軽く手を上げ、足を止めた。

 それから近くの柱に近づき、その壁に背を預ける。

 

「では、引き続きよろしくお願いします」

 

 レーナも部下に調査の継続の依頼をし、ヨナとは少し離れた壁際に立ち、軽く腕を組んだ。

 部下たちは、怪訝な表情でヨナの方を一瞥しながら通り過ぎていく。

 

「相変わらず慕われてますね、ミリーゼ大尉」

 

 ヨナは視線を交す事なく声を掛けてきた。

 

「ああ、それともこう呼んだ方がよろしかったでしょうか、鮮血の女王」

 

「やめて下さい。少佐に言われると背中がぞくりとします」

 

 ヨナの口の端に浮かんだ笑みに、レーナは嫌そうに表情を歪めて答える。

 どうやらその仇名は、レーナの否応なく定着してしまったようだ。

 まあ、黒く染めた軍服に髪を染めるという奇抜な格好をしていればさもありなんだが。

 

「さしずめ彼らも女王の家臣団の一員といった所ですか」

 

 ヨナは未だこちらを何度か振り返っているレーナの部下達に目線を遣っている。

 彼らは、ただ単にレーナの事を案じているのだ。

 ヨナの正体を知らない彼らにはレーナとヨナは相反する敵対者という立ち位置に見えるのだろう。

 

 だが、実際はヨナはレーナの協力者、いや共犯者といった所なのだが。

 

 それに実の所、彼らが協力してくれているのはヨナの行動があっての事もあるのだが。

 ヨナが士官学校の近くにばらまいたゲーム機。

 あれの真意に気が付き、レーナに接触してきた者も少なくない。

 

 その責を彼も少しは負ってほしいと思うが、残念ながら表立って活動するのはレーナの役割だ。

 そしてヨナはレーナの心情など意に介した様子もなく、喉の奥で笑っている。

 

「背、伸びましたね」

 

 そこでレーナは己より高くなったヨナの顔を横目で仰ぎ見た。

 確か、初めて会った時はほとんど同じ位の身長だったはずだ。

 

「まぁ、俺も二十歳になりましたからね」

 

 ヨナは平気で嘯く。

 リードルフ・シュタットが存命だったならば二十歳。

 しかし、真実は違う。

 彼、ヨナイス・ラングレイの実の年齢は三つも下で、嘗てはその差は如実に体格に現れていた。

 だが、ヨナも遅めの成長期を迎えたのだろう。

 すでに、その年齢の差をほとんど感じさせる事はない。

 

「そうですね」

 

 レーナも誰が聞いているかわからないこの場所で、わざわざその事を訂正する事もない。

 それにしても、相変わらずのヨナは平然とこの場に佇んでいるなと改めて感じる。 

 髪を染め、虹彩を変えているだけで、堂々たる仕草で、コロラータがアルバの軍の中枢を闊歩しているのだ。

 

 八年もの間、見事に周囲を欺き続けているとはいえ、レーナも舌を巻くほどの豪胆さだ。 

 今も知り合いだろうか、通り過ぎる同僚に気さくに声を掛けている。

 臆する事なく、自分のやると決めた事を成している。

 ただ一人、今も戦い続けている。

 

 ―――きっと、彼は強いのだろう。

 

 自分もそう在らねばとレーナは思い、組んでいた腕に力を込めた。

 

 それから、レーナはヨナの少佐の階級章に目を向けた。

 耳に入った噂によると、年齢さえ満たせば中佐に直ぐに昇進するだろうということらしい。

 戦時でもないので異例の出世だが、背後にはある功績が隠れている。

 

「降格の件は庇えなくてすみませんでした。権限が落とされれば多少やりにくいでしょう」

 

「いえ、気にしていませんから」

 

 そんなに恨めしそうな目をしていただろうか。

 だが、実の所あまり昇進に興味はない。

 

 地位と名誉ばかり追い求めるあの上官ではあるまいし、ハンドラーが続けて居られる現状で十分であった。

 それにどの道、階級に関わらず軍規違反をしていただろう。

 

「……あれから一年ですか」

 

 降格の話題が上がると、忘れられない記憶が蘇る。

 レーナは窓の外を、遠くに広がる空を見上げていた。

 

「……ええ」

 

 一年。

 彼らが共和国を去ってから立った時間。

 

「彼らは……辿り着けたでしょうか」

 

 ほとんど呟くようにレーナは小さく声に出していた。

 あれから、あっという間に時は過ぎ去った。

 

 すでに補給物資は底を付いているであろうし、通常の道程ならばすでにかつてギアーデ帝国があった地域までシン達は辿り着けているはずだ。

 

 ―――生きているのならばの話だが。 

 

「そうであってもらわねば、……困ります」

 

 ヨナもレーナに返答をするというよりは、自分に言い聞かせる様に呟いた。

 

「ですが……」 

 

 レーナの顔に影が差す。

 その続きを言う事は憚られた。

 二つの想いがレーナの口を閉ざさせた。

 

 彼らが信じてくれた様に、自分も信じなくてはならないという想い。

 それから、彼についている嘘を。

 

「時間は掛かるでしょうね」

 

 ヨナはレーナの事を気にした様子はなく、淡々と答える。

 

「救援が来るにしても、少数で敵陣を潜り抜けるのとは訳が違う。比べるべくもないでしょう」 

 

 例え、シン達が生き延びて救援を生き残った人類に求めていたとしてもだ。

 救援をこの共和国に送って貰える保証などどこにもないし、例え来たとしても共和国までレギオンの支配域を蹴散らし、大部隊を率いての行軍となれば、さらに多くの時間は掛かるだろう。

 

「どちらにせよやるべき事は変わりません。……生き残らなければ」

 

 大攻勢始まる前に救援が来るのであれば、それまでの間。

 例え来なくとも、自分達の力だけで最後の時まで。

 

 ヨナの言葉にレーナが深く頷いた所で、レイドデバイスが起動した。

 

『キュクロプスよりハンドラー・ワン』

 

 レーナが受け持つ戦隊の戦隊長からの報告だ。

 どうやらまた、哨戒中に敵部隊を発見したらしい。

 

『わかりました』

 

 どうやら最近、前線基地の間近にレギオンが勢力を伸ばそうとする傾向が見られる。

 こちらの戦力を伺っている様な動きだ。

 戦線を拡大される前に、早急に叩かなければならない。

 レーナはヨナに別れを告げ、管制室にと向かっていった。

 

 

 

「ペンローズ大尉、お邪魔します」

 

 数回のノックの後、返事があり、ヨナはアネットの研究室に足を踏み入れた。

 レーナとの別れの後、ヨナは当初の目的の場所にとやってきたのだ。

 

「頼んでいた同調設定の調整の件ですが」

 

「ああ~、あの事~」

 

 嫌そうに椅子にもたれたままアネットは、声を漏らした。

 気怠げな視線の目元は疲労の跡が濃く残る。

 その事に気が付いていない風にヨナは、懐から記録媒体を取り出すと、アネットに渡す。

 

「一応、俺の方でも素案は作ってきたのですが」

 

「あんたね、個人の特性に合わせた同調設定がどれだけ大変か知ってる。それなのに次から次へと無理難題を……」

 

 フォルダを開いたアネットはしばらく愚痴を垂れ流していたが、その言葉が立ち消える。

 

「はぁ!? 同時同調対象者の拡充と構築……確かに、それなら負担は減るけど」

 

 羅列されたプログラムをいじりながらアネットは悩み声を上げる。

 それから顔をあげ、眼鏡の奥の視線がヨナとかち合った。

 

「あなたの脳を弄らせてくれたら、今すぐにでも完成出来るかもよ」

 

「冗談はよしてください」

 

「冗談に見える?」

 

 マッドサイエンティストな凄惨な笑みを浮かべたアネットに、ヨナは手を前に突き出して拒否する。

 彼女ならやりかねないし、なによりこれから検査を受けるというのに安心していられない。

 

「嘘よ。さっさと検査するから。行って行って」

 

 ヨナはアネットに追い立てられ、定期的に受けている検査の為、検査室に向かう。

 軍服を脱ぎ、検査用の服に着替える間、ふと視線を感じた。

 

「あの、大尉。……何か?」

 

「……な、なんでもないわよ」

 

 アネットが慌てて視線を逸らすのに、ヨナは首を傾げ自分の身体を見下ろす。

 時間が空いている時に鍛えてはいるので、それなりに引き締まってはいるが、そう珍しくもないだろう。

 

「……シュタット家の……もしかして玉の輿?……ああ、でもあいつ、本当は……だし」

 

 何やら小声でぶつぶつと呟きながら、頭を抱えているアネットを無視し、ヨナはさっさと検査装置に横になった。

 

「ねぇ、まだハンドラーをこっそりと続けてるの?」

 

「いえ……最近はその時間もなくて」

 

「そ。その方がいいと思うわよ……長生きしたいなら」

 

 検査が終わるまでの間、アネットと短く言葉を交す。

 ヨナは以前から、管制室をこっそりと仕込んだプログラムで管制状況を確認し、ハンドラーとして介入する事を繰り返していた。 

 焼石に水かもしれないが、それでも救えた命もあっただろう。

 

 だが、時間は有限で過度な同調はヨナの脳を確実に蝕んでいたのだ。

 特に、一年前の出来事の後、ヨナの脳の状況はアネット曰く、廃人一歩手前だったのだ。

 それから回復したものの、ここしばらくは別の事で忙しく、レイドデバイスに触れる時間すらなかった。

 

 検査が終わった後、アネットが声を掛けてきた。

 

「そうだ。アップルパイ焼いたんだけど、食べていかない? あなたから貰ったリンゴで作ったんだけど」

 

「へ、へえぇ~」

 

 ヨナの口の奥に、甘みと苦みが同時に襲い来る味覚が呼び起された。

 あれは一体、いつの記憶だっただろうか。

 

「後でレーナとお茶会をする約束してたから、その前に味見させてあげるわよ」

 

 冷蔵庫に向かおうとしたアネットの動きを止めたのは、鶏を絞め殺した様なヨナの声だ。

 

「なによ、その声」

 

「何でもありません。ただ……」

 

 ヨナはいつもの様に頬を歪めて無理やり笑みを作っている。

 

「婚約者を逃したくないのなら、料理以外の所で勝負をされては?」

 

「………」

 

 空気が凍るとはこの事か。

 

「ねえ、それどういう意味?」

 

 アネットの詰問にヨナは、ふっと観念した様に一度息を漏らす。

 それから、大きく息を吸う。

 

「すみません!俺、用事を思い出しました。女子会に居座る勇気はないので、どうぞ、お二人で俺がいない間に、俺の事を扱き下ろしといてください」

 

 上着を引っ掴むと、ヨナはアネットが口を挟む隙を与えず飛び出していった。

 

「もう、逃がした」

 

 軽い舌打ちと共にアネットは、閉じた扉を睨みつけた。

 今度、ほんとに解剖してやろうか、と真面目に検討したくなる。

 

 全く、こっちは一年前から婚約者なんて探してもいないというのに。

 

 そんな気持ちではなくなってしまったのだ。

 それこそレーナから聞かされた話で、そんな事にかまけている暇もないほど、忙しくなってしまったという事もあるが。

 それに誰かさんが息つく暇なく、無理難題を持ちかけるせいでもある。

 

 アネットはヨナの検査記録に目線を向けた。

 凡そ、普通の人間とは思えないほどの数値を示している。

 演算能力、神経伝達速度は異常なほど高い。

 

 だが、それだけではあの異能の能力の説明はつかないのだが。 

 まあ、それは今に始まった事ではない。

 このレイドデバイス、シンや彼の一族が持っていた他者の声を聞く異能も理解が及ばないものばかりだ。

 

 それでもなんとか活用して自分は研究者として、これから起こるレギオンの大攻勢に備えなければならない。

 自分が生き残るために。

 それにもしお互いに生き残っていればいつか、彼に、シンにあの事を恨んでいるか聞く為に。

 

 だから、その為なら……。

 アネットはヨナが持ってきたデータに、目線を向けた。

 

「この事、レーナは知っているのかしらね。……それにしてもよくこうも恐ろしい事を考えるわね、あのお坊っちゃんは……」

 

 いや、恐ろしいというのなら自分もその対象か。

 自分も彼の計画に賛同し、その協力をしているのだから。

 共犯者として。

 




オリジナルとなると、会話文書くの苦手すぎて、地の文ばかりで話が進まなくなりますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29話 それでも

 八五区外の迫りくる脅威とは無関係に、第三区は何も変わらない。

 道行く人も、その街並みも。

 

 たった一人、帽子を目深に被ったヨナは、ラングレイ家の前に立ち尽くしていた。

 その表情は変わる事も、言葉が漏れる事もない。

 

 ―――例え、何か想いを吐き出したとしても、誰も答えてくれる者などいないのだから。

 

 その瞳は何も現実を映していない。

 ただ、過ぎ去り二度と帰ってこない光景だけが脳裏に過ぎっている。

 

 ここには来るべきではない。

 そんな事はわかっている。

 誰かがヨナの跡を付け、その正体に繋がる糸口になってしまうかもしれないのだ。

 

 それでも……。

 何かに縋るように、気を張っていなければ崩れ落ちそうな体はこの場所に向かってしまう。

 

 あの時の想いに身を浸さねば、二度と立ち上がれなくなってしまいそうで。 

 貼り付けた仮面の下で息が詰まり、心臓の鼓動が止まってしまいそうになる。

 

「……っ」

 

 何を甘ったれた事を考えているのか。

 苦痛も悲哀も生きていればこそ感じられるものだ。

 死んでしまった者は、その想いすら抱けなくなってしまったというのに。

 

 裏切者などが何を腑抜けた事を。

 お前はもっと苦しみ、もがかなければならないのに。

 今でさえ、自分勝手な願いで多くの者を死に追い遣っているというのだから。

 

 ……いつから、どうしてこうなったんだろうな。

 

 戦争とこの共和国が悪いというのはわかっている。

 だが、幼かった自分には無関係だった事で、今更どうでもいい事だ。

 

 それよりも。

 あの日、強制収容所で泥の中に倒れ、こちらに手を伸ばす彼女に別れを告げてしまったからだろうか。

 それとも、祖父母にリードルフとその母の死を告げ、ありがとうと感謝され、彼らを死に追いやってしまったからだろうか。

 同胞に裏切者と言い放たれ、その彼が死んだ事に安堵してしまったからだろうか。

 

 過去を変える事など出来ないというのに、それらは茨の棘の様に体に纏わり付き、決してヨナから離れる事はない。

 そしてヨナ自身もそれらを忘れる事などない。

 それだけが自身の存在証明で、今迄の人生で積み重ねてきた唯一のものだからだ。

 

 それらは何度も囁いてくる。

 決して立ち止まる事は許さない。

 成すべき事を成せと。

 

「わかってる……」

 

 レギオンの大攻勢は近い。

 その為の出来る限り防衛策はしてきたつもりだ。

 それでも限りがある。

 ミリーゼ大尉もわかってはいる事だろうが、地上戦力はともかく超長距離砲に対する目途はほとんど立っていない。

 

 そもそもこちらの観測外から壊滅的な砲撃を行ってくる相手だ。

 秒速四千メートルの砲弾を撃ち落とす防衛システムもなければ、耐えられるだけの防爆シェルターもない。

 

 生命線たるプラント毎、首都リベルテ・エト・エガリテは消滅するだろう。

 

 勿論、主要なプラントを移設し、初撃の攻撃に耐える手もある。

 あれだけの大口径故、連続砲撃はレギオンとて不可能だろう。

 だが、その後。

 我々に二度目の攻撃を防ぐ手段など残ってはいない。

 

 阻電攪乱型が犇めくレギオン支配域では、反撃の為の観測すら不可能な為、巡航ミサイルの誘導も出来ない。 

 となれば、残された手段は地上部隊を率いての急襲だ。

 

 だが、誰がそんな事を成し遂げられる。

 例えばレギオンの声を聞き、出来るだけ会敵を避け、敵支配地域に浸透出来る様な手段があれば別だが。

 そして、それが可能だった者はもうこの国にはいない。

 

「……結局は人頼り、か」

 

 未だ抗戦を続ける人類の生き残りに、彼らが辿り着けたのなら。

 辿り着いた先の共同体が、この共和国を救おうと立ち上がってくれるのなら生き残れるかもしれない。

 

 ―――有色種を迫害し、戦いを押し付け、夥しい数の人の命を奪ったこの国を救う価値があるのならばだが。

 

 多くの犠牲を払い、何の益もなく同胞を救おうとする理想家など稀だろう。

 ならば救うに値する価値があると思わせなければならない。

 

 別れる際に無人機、そしてスピアヘッド戦隊のジャガーノートにはある詳細なデータを入れておいた。

 接敵したレギオンの性能、共和国の現状、有するエイティシックスの全戦力、それから彼らの戦闘記録だ。

 まともな人間ならば子供である彼らを再び戦わせようなどしないだろうが、まともな軍人であるならば彼らの優位性を認めるしかない。

 

 ―――そして彼ら自身も戦う以外の道を選べないはずだ。

 

 超長距離砲の破壊は、彼らに任せるしか手はない。

 レギオンとて虎の子の兵器を、たかが共和国如きを滅ぼす為に敵に晒す様な真似をしないだろう。

 一斉に反撃の糸口を与えぬまま滅ぼそうとするはずだ。

 

 だから大攻勢の後、耐える以外の手はない。

 人類がレギオンに大攻勢に対抗できると、その底力を信じて。

 

 間に合わなければ最後の足掻きを見せるのみだ。

 最後の一瞬まで彼らの救援を信じて戦う他ない。

 

 きっと来てくれるはずだと。

 

 それから……。

 その時、ヨナの背後を厚い装甲で覆われた大型の軍用車両が幾つも通り過ぎていく。

 頭上には哨戒する様にローターの風切り音を響かせる軍用ヘリが飛んでいる。

 

 車体の中に収容されているのは何者なのかは、わかりきっている。

 そして移送先は第8研究所だ。

 表向きには軍の研究施設として建造された建物だが、本当の正体は違う。

 その正体は名前もなく、決して記録に残される事のない監獄だ

 

 

 

 

「どういう事かね、シュタット少佐!!」

 

 低い怒気を孕んだ声のディミトリ・クロード中将にヨナは詰問されていた。

 

「は、何でしょうか」

 

 技術士官として不定期に駐留しているヨナは監獄の真新しい執務室で姿勢を正した。

 

「先日あの牢には三千二百番台がいたはずだ。あれらはすでに処分が終わったと聞いていたはず。何故、また満員になっている」

 

「ああ、あれは新しく送られてきた部品ですよ。既に以前の不良品は処分しましたので」

 

 机の上に投げつけられた書類を、ヨナはにこやかに拾う。

 

「本当かね。所長に聞いた話では君が、シュタット財閥の会社が不正に利潤を得ているという話だったが。見たまえ、君らが提出してきた財務報告だ。目を瞑るには余りにも額が桁違いすぎる」

 

 よく言う。

 ヨナは中将の後ろに控える小太りな男、所長に目を遣った。

 この活動で散々私腹を肥やしたのはあいつ自身だろうに。

 だからこそ、扱いやすいとヨナ自身が推薦したのだったが。

 

「中将閣下。あの部品共は我々、シュタット財閥が管理を任されているものですよ。当然、政府も軍との取り決めに置いて部品の取り扱いは我々に一任するとの話が通っております」

 

「それは、そうだが……」

 

 不服か。

 この男は自分よりも階級の下の者が、自分よりも政府との深い繋がりがあるのを耐えられないのだろう。

 青二才がと、白銀の瞳で中将は言い表している。

 

「新薬の治験、様々な人体実験、どれをとっても人もどきのエイティシックス共でしか出来ない事ばかりです」

 

 猿などでは到底不可能な進歩的な実験データを国家の法に反する事なく執り行えるのだ。

 彼らは生きた生体部品として適役な存在だ。

 

「ですが……部品共も生物ではありまして、餌が必要なのですよ」

 

 ヨナは心底嫌そうに顔を歪め、手を広げて振った。

 

「当然この施設の維持、全てに相当な費用が掛かっている事は存じておりますよ」

 

「そう、それでその事が正しく行われているかが心配なのだよ。この施設の管理者は私なのだから」

 

 確かに部品の輸送、監獄の警備は軍の管轄だ。

 だが、それ以外はシュタット財閥の様々な企業が取り仕切っているのだ。

 それが殊更気に入らないのだろう。

 シュタット財閥の企業の成果は、結局はリードルフの利益と成り得るのだから。

 

「当然承知しております。その事で以前のパーティーでは議長がこの監獄の竣工と運用の際、その手腕を褒められておりましたよ。中将閣下と今度ゆっくりと食事でも、と」

 

「そう……なのかね、では彼には宜しく伝えておいてくれまいか」

 

 ヨナはええ、と溜飲が下がったらしい中将に軽く頭を下げた。

 その後ろでは所長が指を三本立てており、ヨナは返事に五本指を立て、黙らせてやった。

 

「やめてッ!!」

 

 その時、つんざく悲鳴と叫び声が聞こえてきた。

 監獄に連行している間に、一悶着あったのだろう。

 

 顔を覗かせれば、一人の少女が幼い子供の手を離すまいと握っている。

 少女は看守の伸ばす手から、妹だろうかよく似通った子を身を呈して守ろうとしている。

 

 逃亡防止に首枷と手枷をされたままに関わらずだ。

 看守は苛立ちを隠し切れずに警棒に手を伸ばした。

 振り上げ、狙いを定めたのは離さまいと握られた二人の痩せこけた細い手。

 

「っ……」

 

 思わず声を上げそうになったヨナに中将が意識を向き掛ける。

 しかし、二人の少女が倒れ伏す音で、中将は騒動に目を戻した。

 警棒を振り上げたままの姿で看守が訝しげにしている。

 

「そこまでだ」

 

 ヨナは端末を操作していた手を止め、声を上げた。

 静寂が戻った中、一列に連行されるエイティシックスのにらみ付ける視線を受けながら少女達に近付いていく。

 倒れた二人の首元に手をやり、脈拍がある事を確認した。

 

「二等兵、厳命したはずだ。部品には傷をつけるなと。使えなくなったらどう責任を取るつもりだ」

 

「し、しかし、少佐殿。あの豚が手を離さないもので」

 

「言い訳はいい。次からは枷の機能を使え、いいな」

 

 少女の首枷を叩き、ヨナは二等兵に命令を下す。

 所長も移送に加わり、性別、年代毎の牢に全員が連れて行かれるのを見送った。

 

 少女が目を覚ませば、隣にいない妹の事を想い泣き叫ぶだろうか。

 そんな声などこの場所では幾度と聞こえてくる。

 そして静かにならなければ、薬を投与され、黙らされるだけだ。

 

「流石、シュタット少佐謹製の品だな。聞いたぞ、先日の鎮圧でも実に役立ったと」

 中将が軽く拍手をしながら、ヨナに賛美を送ってきた。

 

「お褒めに預かり光栄です、閣下」

 

 ヨナが技術部に入り、まず作り上げたのが完全な氾濫防止用の首枷だった。

 エイティシックスが命令に反せば、致死性の電撃が流れ、対象を死に至らしめる。

 その使用権と威力の程度は、使用許可を与えた者に委ねられている。

 

「でなければ、こやつらエイティシックスを共和国内に入れるなど許可が降りるはずもなかったであろう」

 

「ええ、これからもお任せください。エイティシックス共は、私が完璧に管理してみせしょう」

 

 ヨナは薄く笑い、歪んだ笑みを顔に貼り付けた。

 

 

 

「うっ……!」

 

 吐き気が胃の腑から立ち上り、ヨナは顔を抑えた。

 だが、この場所だけは汚したくなくてよろける様に離れ、数軒離れた横道に入り込む。

 そこで膝を折り、吐瀉物を側溝に吐き出した。

 

「何が生体部品……管理だ」

 

 誰が彼らをそんな目に合わせる様に仕組んだ。

 答えろ、ヨナイス・ラングレイ!

 

 当然、何もしなければ強制収容所にいる彼らはレギオンの大攻勢の際に、最も被害を受けるだろう。

 レギオンが羊飼いを獲得すべく彼らの脳を刈り取るだろう。

  

 だが、その前に救援が来る可能性だってある。

 その万一の可能性よりも、ヨナはこの選択をしたのだ。

 

 例え少数を犠牲にしてもより多くの者を救う為に。

 何よりも。

 彼女を探す我欲の為に。

 

 その為の犠牲を彼らに背負わせて。

 監獄の運営にはヨナの賛同者が大勢関わっている。

 だが、彼らが何もレギオンの停止は嘘だという与太話を完全に信じて、協力してくれている訳ではない。

 

 実利を求めているのだ。

 

 それが自分達にどのような利益をもたらすのか。

 それ以外に彼らの判断基準はない。

 

 だから、エイティシックス達を実験体として生かすしか、資金協力を取り付けるしかなかったのだ。

 既に計画は巨大化し、自分一人で取り纏められる様なものではない。

 だから、計画は独り歩きし、すぐさまシュタット財閥内の医療分野が顔を出してきたのだ。

 

 恐らくリードルフを排除しようとする一族の誰かだろう。

 そいつはもっと魅力的な提案をしたのだ

 今すぐ取り掛かれるものとして臓器移植を。

 

 健康体のエイティシックスから病気の白系種に適合する臓器を移植するのだ。

 人口も少なく、そもそもドナー登録の少ないこの共和国ではエイティシックスの母数は捨てきれない。

 

 自分の中に忌み嫌うエイティシックスの異物が入るなど共和国の感性なら憤死ものだろう。

 

 だが、そもそも提供者の正体を知られなければいい訳で、大金を積む客はいくらでもいるという訳だ。 

 その為に未だ補修中とされるガス室送りにはされず、彼らは部品として扱われ、様々な実験の為に生かされている。

 

 当然、死んだ者も大勢いる。

 強制収容所で反乱を起こし、銃火器で鎮圧された者も。

 非道な人体実験を行なわれ、死を迎えた者も。

 

 ヨナが何もしなければ、死ななくてすんだ者もいるだろう。

 それでも、……決行した。

 

「なぁ、……救ってやった方が多いだろう」

 

 思わず溢した言葉に気付き、また吐瀉物を吐き出した。

 既に吐き出すものはなく、胃液が口から垂れるのみだ。

 

 いつから人の死を数字で見るようになってしまった。

 会った事も会話した事もない人の死など、何も感じるはずがないと考えるようになった。

 

「……これはもう駄目かも、な」

 

 口元を拭い、長い息を吐く。

 そして、あれだけの事をしておきながら、結局彼女は見つかっていない。

 お祖父様の途中で書くのをやめた手記に残された強制収容所から優先的に解体しているのに関わらずだ。

 

 それでも見つからない。

 すでにあの時、亡くなったか。

 それとも反乱に加わり、鎮圧する際に銃殺されたか。

 戦場のどこかにいるのか、それともいたのかすら判らない。

 

 いずれ無意味な結末に打ちのめされるのだと、心の何処か告げている。

 

「それでも……」

 

 それでも、一度始めたものをなかった事には出来ない。

 その責務から逃げ出していいはずがない。

 

 数発。

 自分の拳で頬を殴り飛ばす。

 

 痛みと衝撃で体は立ち上がり、頭に掛かっていた靄が少し晴れる。

 ゆっくりとだが、再びヨナは歩き出した。

 

「それでも……」

 

 最後の時まで立ち止まる事は許されていいはずがない。

 

 

 

 

 

 レーナは深夜、自分が受け持つブリジンガメン隊の戦隊長シデン・イータ大尉だ。

 

『報告ご苦労様でした』

 

『ああ、今回も助かったぜ。砲撃支援がなきゃいよいよやばかった』

 

 ようやく休息を取れたのだろうか。

 随分と彼女は疲れた声を上げている。

 

『いよいよもってあたしらも終わりかな。スピアヘッド行きの方が先かと思ってたが、レギオンの方が先客らしい』

 

『どうやらその様ですね。戦術予報でもレギオンの攻勢が近いと示しています』

 

 東か、北か。

 この二方向が最も大攻勢で攻められる可能性が高いと

算出されている。

 そしてその期限は数ヶ月、恐らく一年以内だ。

 

『なぁ、女王陛下。最後になったら名前位呼んでくれよな。別れの会話がパーソナルネームなんて味気ない』

 

『でしたら、その女王陛下という呼び方もやめて下さい。キュクロプス』

 

 彼女はレーナがハンドラーに着任し、認めてもらってからその呼び名を変えようとはしない。 

 別に私は女王様でも、彼らは歩兵でもないのだが。

 

『ははっ、その時になったら考えとくよ。けど、相変わらずお堅いなぁ』

 

 結局の所、自分は彼らと共に戦っている訳ではないのだ。

 でもその名を聞く事は。

 その死を背負い、目を逸らさず背負う事はハンドラーとしての負うべき責務だ。

 

『相変わらずっすね、少佐殿は』

 

『そうそう、ちょっと雰囲気変えてみたら? ほんとの女王様って感じの奴』

 

『そんな出来る訳ないでしょ、あのお嬢様が』

 

 そこで聞き覚えのある三人の声が同調に割り込んできた。

 

『あんたら、あたしが話してんだから引っ込んでろよ』

 

 シデンが嫌そうな声を上げ、それにダイヤとハルト、それからレッカが不満そうにしている。

 

『特に金髪、最近調子に乗りすぎだ。また、きついの一発貰たいのか?』

 

『いや、勘弁っす』

 

 ダイヤの心底恐れ入った声が聞こえてきた。

 

『いや、あそこだけは駄目でしょ。出会い頭に一発ってそんなのありって感じだったな、うん』

 

『やめろ、思い出させるなっ!』

 

 ハルトとダイヤがばたばたと離れる音を響かせ、今度はシデンが嫌そうな声を上げた。

 

『あ、こら。あたしの髪はどうでもいんだよ。ほら、しっしっ』

 

『はーい』

 

 レッカがシデンの髪を梳かそうとでもしていたのだろうか。

 ようやく静かになったシデンは、軽い溜息を吐いた。

 

『ま、あんなんでもいい置き土産を残してくれたよ。あの首のない死神は』

 

『…ええ』

 

『流石は元号持ちだ。なあ、面倒だからあいつらのパーソナルネーム以前ので登録していいよな』

 

『それは……』

 

 実は三人が治療により回復した後、ヨナが書類を誤魔化したのだ。

 三人を死亡扱いし、新しく収容所から配置されたエイティシックスとして。

 それもレーナが着任する戦隊のプロセッサーとして送り込みんだのだ。

 きっと行ってくれた彼らに対し、せめてもの恩返しだったのだろう。

 

 その為、以前のパーソナルネームは消え去り、今では記号が与えられているのみだ。

 

 だが彼らは、すぐに以前の腕を取り戻し頭角を現したのだろう。

 再び号持ちと呼ばれる様になったのだ。

 

『そうですね。どうせ誰も気が付かないでしょうし、問題ないでしょう』

 

『そうこなくっちゃ』

 

 嬉しそうに書類を書くのが苦手な彼女は笑った。

 それからしばし沈黙が流れ、シデンが先に口を開いた。

 

『実際問題どうなんだ? あの死神は辿り着けたと思うのか』

 

 あの三人には極秘任務の内容と、それを受諾してくれた事を言ってある。

 可能性は低いにせよ、彼らには再び死ぬ為に戦うのではなく、生き延びて再会する為に戦って欲しかったからだ。

 当然、戦隊長である彼女にもその話は伝わっている。

 

『……わかりません、ですがそれでもきっと彼らは、救援を呼んでくれると信じています』

 

『信じてる、ね』

 

 シデンの声色が少し低くなる。

 

『だが、あたしらがその時まで生き残れる保証はどこにもないぞ。それでも戦うのか』

 

『それでも………』

 

 レーナは残してくれた手紙に触れ、その想いを再確認する。

 

『シンならきっと辿り着けてるっすよ』

 

『そうそう、じゃなきゃダイヤ死んじゃうし……アンジュとか、ねぇ』

 

『ぐっ……俺、この戦いに生き残ったら彼女に告白するんだ』

 

『あ、それ死亡フラグ』

 

『あーあ、クレナ。シンとの関係どうなってるんだろう。すぐ近く見たかったなぁ』

 

『『何も変わってないでしょ』』

 

『それもそうね』 

 

 未だ同調をこっそりと繋いだままだった三人が会話に割り込んできた。

 

『よーし、お前らいい覚悟だ。そこで正座してろ。今行く』

 

 シデンが指の骨を鳴らす音が響き、彼らの扱いに苦労しているのだなと、レーナはくすりと笑みを零した。

 

 スピアヘッド戦隊にいた頃と変わらないやり取り。

 それが最後に交わした言葉を思い起こす。

 

『それでも……』

 

 彼らは行ってくれたのだ。 

 先に行くと、救援を呼んでくると、置いていった者を信じて先に進んでくれた。

 それまで生き残る事を信じてくれた彼らに応えなくては。

 最後の時まで戦い抜かなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その日はやってきた。




なんとか整合性を取る為に語りが長く……。
それにしてもPCよりスマホの方がすいすい書けるような。
なんていう現象なんでしょうね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30話 贖い

 警報が鳴り響いたのは、深夜。

 決して鳴らしてはならぬと設定された警報。

 今その音が、その意図する脅威が迫っていた。

 

「っ……来た」

 

 ヨナはシュタット家の自室で端末を操作していた手を止め、微かな声で呟いた。

 端末が通知してきたその音に、口元を僅かに震わせる。

 

 どこか待ち望んでいたかの様に。

 その時が来れば、全てが無に帰すと知っておきながら、ようやく苦しみから開放されたとばかりに。

 

 沸き起こる高揚感と身震いが入り混じりながら全身を支配する。

 だが肉体とは逆に思考は冴え渡り、自身の手にすぐさま指令を送った。

 端末を操作し、予め設定されていたプログラムを走らせる。

 

"オペレーション・パイシュニャ"

 

 表示された文字を一瞥。

 全ての協力者に対し、個別に一斉配信された通信内容は彼らを駆り立てるだろう。

 彼らとはこの時が来るとヨナの言葉を信じ、又は騙され、果ては協力してくれた者達の事だ。

 多くの者はすぐさま自らの財産を守ろうと、生き残らんとすべく行動するに違いない。

 そして何より、愛する者を守らんとする為に。

 

 

 

「すぐに避難の準備を!」

 

 ヨナは軍服と装備を整え終わると、屋敷の使用人に声を掛けて回った。

 彼らは祖父の代から雇われ、居住を屋敷の離れに構える者も多い。

 ヨナが幼い頃から共に過ごしてきた人達だ。

 

「リードルフ様、一体何が起きたのですか……?」

 

 主要な者が正面玄関ホールに集まり、突然の主人の言葉に戸惑いを覚えている。

 ヨナは十数名の銀色の瞳を見返しながら、言葉短く現状を説明した。

 

「最終的なレギオンの狙いは我々の生命線たるこの第一区だ。暫くは持ち堪えるつもりだが、いずれ戦線は突破されるだろう」

 

「……事態は理解しました。リードルフ様が昔なら兎も角、冗談でもこの様な事を申される御方でもない事も存じております。しかし、……どこに避難せよと申されるのか」

 

 老齢の執事長が代表して答え、ヨナは腕をすっと腕をある方向にと伸ばした。

 

「まずは三区の第8研究所まで。俺の名前を出せばそこに入れてもらえる手筈になっているから」

 

 囚人の脱獄防止の為、堅牢に建造したあの監獄ならば、例え戦車型の砲撃とはいえ数度なら防げれる。

 その為にこそ設計したのだから。

 囚人の暴動が発生すれば巻き込まれる恐れもあるが、この地区で戦火から逃れられる場所といえばあの場所しかない。

 

「でも、もし首都が陥落してしまうのなら、そこから出来るだけ東に。レギオンに包囲される前に逃げて欲しい」

 

「東……」

 

 すでにレーナ達との同調で、レギオンが北から進行して来ているのは聞いている。

 そして、戦線が崩壊すれば西と東にまで攻勢範囲を広げ、ここまで押し寄せてくるだろう。

 

 だが……別に東に行けと言った言葉には何の根拠もない。

 そこに辿り着いたからといって、救援も何もないのだ。

 

 全ては手遅れとなった。

 彼は辿り着けなかったのか、それとも間に合わなかったのか……。

 

 それでも、一歩でも諦めずに生き残る為に。

 唯の時間稼ぎにしかならないとわかっている。

 だが南に逃げ、共和国を捨てた所でどうなる。

 

 ―――もっと悲惨な最後が待ち受けているだけだ。

 

「俺は貴方達を守る為に、全力を尽くすから」

 

 ざわめきと共に多くの者は顔を見合わせるが、誰も足を動かそうとはしない。

 

「この御屋敷を捨て、逃げる訳にはいきません」

 

 喧騒の中、執事長が出した言葉に全員の声が止まった。

 

「屋敷の主人である俺がそうしろって言ってるんだ。こんな空箱より命の方が大事だろ」

 

「それでも……旦那様に最後の時まで任された大事な場所でありますから」

 

 旦那様とはお祖父様の事だ。

 ヨナは唇を噛み締め、家族同然に過ごしてきた彼らから目を逸らした。

 

 ここが、貴方達が長年過ごしてきた場所である事は分かっている。

 どんなに大事に屋敷を、庭木の手入れをしてきたかも。

 だが貴族制度など既になく、この屋敷と貴方達の間には唯の雇用契約しかないだろう。

 ……それに、死人の言葉にどれ程の価値がある。

 

「どうして言う事を聞いてくれない……っ。俺が……彼じゃないからか……」

 

 目を伏せた者は、ほんの数名。

 その中にはルイーゼの姿も当然含まれていた。

 

「ずっと黙っていてくれたんだろう?……だったら最後まで騙されていてくれ……頼むから!」

 

 懇願するヨナの声は、ホールに反響した。

 彼らがヨナの正体に気付かないはずがないのだ。

 祖父母が生きていた時ならまだしも、子供であるヨナが薬品や髪染め液を常に消費するのは奇妙だ。

 見つからない様に処分していたつもりだが、それでも彼らが見逃す筈がない。

 

「いいえ、旦那様がお認めになった日から。貴方様は私共が仕えるべき御方です」

 

 執事長の言葉は淡々と、すでに全てを知っている者の口調だった。

 あの日から。

 ハウツマン・シュタットが自身の孫としてヨナを連れ帰った時から、ある程度わかっていたのだろう。

 

「俺は……」

 

 きっと彼らに知らない間に自身は守られていたのだろうな。

 またもや祖父の行いに救われていたのか。

 なら一層、彼らを死なせたくはない。

 

「例え、この屋敷を守っても俺は二度とこの場所に戻る事はない。今日、リードルフ・シュタットは……死ぬ」

 

 なんとか押し出した声は震え、ヨナは喘ぐように言い切った。

 惜しまない訳がない。

 半生を過ごしたこの場所を、彼らを愛おしく思わない訳が無い

 

 だが、それももう終わりだ。

 これから先、正体を偽り続ける事は不可能になる。

 戦闘が続けば目の色を変える暇もなければ、髪を染める時間すらもなくなるだろう。

 

「だから、もういない死人達相手に義理立てする必要なんか……何もない」

 

 だから、自分の命を大事にして欲しいと。

 裏切り者として生きる絶望の中でも、人並みの愛情を与えてくれた彼らを失いたくはない。

 

「それでも行きません」

 

 ルイーゼが首を振り、ヨナに近付いてきた。

 

「どうして……」

 

「戦争になれば、大勢の怪我人が出ます。旦那様は常々仰っていました。シュタット家たるもの全ての命に対し、報いる義務があると」

 

 顔を上げたヨナの唇をルイーゼ優しく指で触れ、閉じさせた。

 もう説明も、命令も何も必要ないとばかり。

 

「私達も使用人とはいえシュタット家に連なるものですから。それに私も看護師の資格を持っていますので、貴方が逃げないというのなら私も戦います」

 

「ルイーゼ……」

 

 昔から姉の様に接してくれた彼女に諭されると、ヨナは逆らう事が出来なかった。

 そしてもうあの名前で呼んでくれない事にも、幾ばくかの寂寥も感じていた。

 

「この屋敷も宜しければ避難するまでの間、最後まで怪我人の救護施設として利用したく思います」

 

「……構わない。でも……砲撃が少しでも聞こえたら必ず逃げる様に」

 

 それだけしかヨナは言う事が出来なかった。

 彼らが選んだ道を、どうして偽りの主人である自分などが妨げられようか。

 

「今まで、……ありがとうございました」

 

 ヨナは頭を深く下げ、彼らの顔を見る事なく踵を返した。

 そこに声が掛けられる。

 ヨナは足を止めないまま、その言葉を背に受けた。

 

「いってらっしゃいませ」

 

 ルイーゼの普段と何も変わらない声。

 彼女がいつもの様に頭を下げて、見送ってくれているのだと見なくてもわかる。

 それに、いつもであれば自分は返事をしていた事を思い出す。

 

「ご武運を」

 

 だけど、今回は。

 この最後の時は。

 ヨナは何も言い返さず、決して振り返らなかった。

 

 

 首都の道路を高級車の性能を活かし、ヨナはブランネージュ宮殿を目指していた。

 すでにレーナから、全プロセッサーに対する要請が同調越しに聞こえている。

 

『ヨナ君、聞こえるかね』

 

 そこに別の同調者からの声が入った。

 

『ランドル博士!? 博士も早く非難をして下さい!』

 ヴァンデュラム社がある84区は東寄りとはいえ、あそこは外周部だ。

 シェルターに避難しなければ砲撃に巻き込まれる恐れがある。

 

『君の要望通り、予備機、製造途中全てのジャガノートに改良型アンダーヘッドの導入設定は完了したぞ』

 

『ありがとうございます!』

 

 ヨナは運転しながら、手元の端末を操作するという危険行為をしながら答えた。

 

『これで十分戦えます。博士の苦労は絶対に無駄にはしません。だから、早く避難を』

 

『儂は……儂は逃げぬ』

 

 ランドルの厳かな声に、ヨナは力いっぱいアクセルを踏み込み答えた。

 

『どうしてですか!貴方はこれからも必要な人です!』

 

『儂は……あの時、死ぬべき人間じゃった。自らの保身の為に、人として、いや研究者としてもあるまじき行いをした。今まではその償いの延長に過ぎん』

 

『何を言ってるんです!?』

 

 ヨナの必死な声にランドルは真面に返答を返してくる事はない。 

 唯、ぶつぶつと呪文の様に難解な懺悔の言葉を告げてくるのみだ。

 

『なに安心せい。みすみすこの天才的頭脳をレギオン共にくれてやる気はない。この老体とて自分の始末ぐらいつけれるわ』

 

 その言葉を聞いて、ヨナは血相を変える。  

 だからといって遠く離れた彼に届くものは声だけで。

 

『ヨナ君。君にあの時、声を掛けられて儂は嬉しかった……ありがとう』

 

『やめ……ッ!』

 

 思わず叫ぶ。

 だが、しばらく経つも予想した音は聞こえてこなかった。

 代わりに聞こえるのは数人の大声と、取り押さえるような物音。

 

『こら、何をする!放さぬか!貴様ら、社長に向かってよくも!』

 

 ヴァンデュラム社にいる仲間が博士を取り押さえてくれたのだろう。

 

『博士を頼みます』

 

 彼らに博士の事を任せ、ヨナは後顧の憂いなく車を急加速した。

 

 

 

 ブランネージュ宮殿に無茶な運転で板金をへこませた高級車が乗り付けた。

 煙を吐く車体のドアを蹴破り、ヨナは外に出る。

 

 軍の中枢であるこの場所は、普段の様子では考えられない喧騒に包まれていた。

 伝令役に走り回る者や、頭を抱えて未だ鳴り響く警報から伏せている者。

 

 その中。

 未だ軍人らしさを保つ一団の姿が見えた。

 

 ブランネージュ宮殿の階段を、この場所の役割に釣り合う軍靴の音を響かせながら、その一団は降りてきている。

 凡そ一個中隊程のわずかばかりの人数。

 

 肩に背負うは携行性自動小銃。

 レギオンとの戦闘では自走地雷程度を退ける能力しか持たぬ代物だ。

 その性能を知ってだろう、彼らの表情は一様に悲壮に満たされている。

  

「カールシュタール准将……」

 

 その中。

 ただ一人、全てを諦めたかのような表情ながらも覚悟を決めた者がいる。

 死ぬ覚悟をだ。

 

「何処に行かれるのですか 」

 

「お前か……」

 

 ヨナは彼らの前に立ち塞がる形となり、カールシュタールと真正面から見合う事となった。

 

「あの警報を知らないはずはないだろう。その為にレーナとお前は準備をしていたのだから。見事、その読みが当たったという訳だ」

 

「……見事、などと言えたものではありません。唯の事実に基づく予測です。その基となったデータを貴方がたが目を背け続けてきただけですよ」

 

 入手したレギオンの報告は再三行ってきたのだ。

 それを真面に取り合わず、見て見ぬ振りをし続けてきた結果がこれだ。

 

「ではエイティシックスを85区内に呼び込み、戦わせるという考えはお前が発案者か、シュタット少佐」

 

「いいえ。発案などというには烏滸がましいレベルの話です。何せ、それしか共和国は戦う術を持たぬのですから」

 

 ヨナは歪んだ笑顔を貼り付け、何も持たぬ両手を広げた。

 それにカールシュタールは鼻を鳴らし、ヨナを白銀の眼光で見据える。

 

「戦う……この状況下で未だそのような事を言える者を二人も目にするとはな……。だがレーナと違い、お前は唯の理想主義者とは思えん」

 

 カールシュールはヨナのすぐ横に近づき、諦観を滲ませた言葉を吐き続ける。 

 二人の視線はすぐ近くで交差し、互いに目を逸らさぬままだ。

 

「どうあがこうとも、いずれ絶望が現実に追い付くとわかっているはずだ」

 

 そうあるはずだと決めて掛かってくる言葉に、すぐさまヨナの返答はない。

 そんな事はわかっているとばかり。

 互いの瞳は鏡を写したかのように淀み、そこに何ら希望を見出す灯は見えない。

 

「すでにここは絶望の只中ですよ、勘違いされない方がよろしいかと」

 

 ヨナの不遜な物言いにカールシュタールは、確かになと声を漏らした。

 それから一度、顔をヨナに近づけ鋭く睨み付ける

 これだけは忘れぬなとばかり。

 

「ならば、あの子に愚かな夢を抱かせた罪。最後の時まで贖って貰おう」

 

 カールシュタールは吊具の音をさせ、小銃を背負い直した。

 それからヨナの肩を押し退ける様に進み始める。

 彼に従う僅かばかりの手勢も

 ヨナの周りを足取りは重く、亡国と化す未来を暗示させるような軍勢は続く。

 

「准将、まだ質問に答えて貰っていませんが」

 

 そこにカールシュタールの背に向け、ヨナは声を掛けた。

 

「なに……」

 

「何処に行かれるというのですか」

 

 ぴたりを足を止めたカールシュタールは、肩越しにヨナを見遣る。

 ふっと笑うように振り返らぬまま、彼は答えた。

 

「決まっている。エイティシックスを呼び込むにせよ、グランミュールの解放、地雷原の撤去。どれも時間は掛かるだろう。ならば、その時間稼ぎ位はしてやろうというのだ」

 

「……違うでしょう」

 

 ヨナは唇を歪めた。

 隠そうともせず浮かんだ侮蔑の表情が浮かぶ。

 それから周りにいる彼らに視線をゆっくりと移していった。

 

「貴方がたは戦うつもりなど毛頭ない。唯、軍服を纏うお題目に託け、無駄死にして楽になろうとしているだけですよ」

 

 ヨナは周りを取り囲むアルバの軍に視線を向けた。

 軍人であるという矜持が少しは残っている彼らを。

 

 だが、彼らの表情は、瞳はすでに一様に死んでいる。

 11年前の戦争初期にレギオンの脅威を知る者もいるのかもしれない。

 ならば分かっているはずだ。

 彼らは……何より先頭に立つあの男は。

 

 ―――レギオンの軍勢相手に、小銃しか持たぬ歩兵など何の意味もない事を。

 

「巫山戯ないで欲しい。時間稼ぎだと。その程度、俺達が何の考えもなしに動いてきたと!?」

 

 ヨナは激高して、声を張り上た。

 アルバに対する恨みなど、裏切者である自身が持っていいはずがない。

 それでも思わずには……いられないだろう。

 

 もし、あの時。

 この国の大人達が人種など関係なく手を取り合えていたならば。

 間違っていると声を挙げられる者が手を取り合っていたのなら。

 どれだけの犠牲が出ずに済んだかを。

 

「貴方がたのそれは逃げだ!」

 

 ヨナは一歩ずつカールシュタールに近付いていく。

 

「今、貴方がたがやるべき事はご立派な犬死などでは無い。この戦いを生き残り、この国の現状と向き合うべきだ。そしてその責任を取ってもらう!」

 

「責任だと……?」

 

 戦争初期、この国の正規軍は死に絶えた。

 後に残るは間違った体制を引き継いだ老害と、その思想を受けた若者だ。

 

 だが、それでも今こうして銃を取り立ち上がる者も残っていたのだ。

 その僅かな真面な軍人すらもいなくなれば、今度こそ先はない。

 何も残らず、変わる事もない。

 

「エイティシックス共に頭を垂れ、悪かったと謝罪しろとでもいうのかね?」

 

 ヨナは眉を潜めたカールシュタールの正面に立った。

 

「いいえ」

 

 それは国家がやるべき行動だろう。

 軍人であった彼らに国の決定に逆らう事など出来ようはずもない。

 家族を、国を守る為に、彼らも必死だったのだろうとわかる。

 それでも今度こそは間違った選択をしない事を望む。

 

「謝罪すべきなのは、残された共和国の次の世代にだ。自分達は間違った事をしてきて、蔑み、嫌悪してきた相手に命を救われたのだと!過ちを見て見ぬ振りをし、正す機会を悉く無にしてきたと伝えるべきだ!」

 

 ヨナは一息で言い切り、肩で息をした。

 

「そうしなければ、この国は今度こそ終わる」

 

 沈黙が流れる。

 だが、それはヨナに対する怒声の為の準備期間でしかなかった。

 

 巫山戯るな、という声が聞こえてくる。

 あいつらエイティシックスこそが悪いのだと。

 武器をくれてやったのにレギオン共を倒せぬあいつらが悪いのだと。

 

「エイティシックスのせいだ!!」

 

 彼らの大部分は拳を握り、その向かう対象はヨナに向けてだ。

 そして数名は銃床を握る手に力を込めた。

 

 戦場の狂気は伝染し、民衆はいとも容易く暴徒と化す。

 それでも何ら態度を変える事のないヨナにカールシュタールは怒気を孕む声で言い放った。

 

「まるで、この戦争の後があるとでも言いたげな言葉だな」

 

「ええ、そうだ」

 

 そこでヨナは大きく息を吸った。

 

「だから、こう言ってるんだ。あんた方の尻拭いは俺らがしてやる。だから黙って事が終わるまで見物してろッ!!」

 

 流石に今度は、今迄とは違う空気が流れた

 言い過ぎたか。

 唯一残された矜持すらも汚された彼らが、どんな行動に出るか考えなかった訳でもない。

 

 だが、言いたくなったからつい、言ってしまったのだ。

 抱えていた想いを抑え切れなくなった。

 既に、己も戦場の狂気に飲み込まれているという事だろうか。

 それでも、流石に今殺される気は毛頭ないが。

 

「……貴方がたがすべき事は国民の避難の誘導です。極秘に建造していたシェルターの地図を後で渡します。変な場所に逃げ込み、レギオンの餌食にならない様に誘導をお願いします」

 

 一転、ヨナは穏やかな口調で告げた。

 そこでレーナの部下達が地図を持ち、彼らに追い付いてきた。

 どうやらヨナの足止めは成功したらしい。

 

 それでもヨナを見る目が変わらないのは同じだ。

 一触触発の空気の中、ヨナは片頬を引き攣らせて笑って見せる。

 

「上官に対する無礼はご容赦願いたい。なにせ国家滅亡の危機ですので」

 

 彼らを掻き分け、ヨナはもう用はないとばかり進み始めた。

 自分が行くべき戦場に。

 それでも彼らに無事に通して貰えない覚悟をしたものの。

 

「行かせろ」

 

 カールシュタールの一声がそれを留めた。

 ヨナは振り返り掛けるも、そのまま全力で走り出した。

 その背をカールシュタールは目線に捉え続け、その先にいるであろうレーナにも想いを馳せる。

 だが、もうすでに別れの言葉は告げ終わったのだ。

 未練など何も残っているはずもない。

 カールシュタールは踵を返すと、部下達に声を掛けた。 

 

「あの若造の言う事に従う意義はない」

 

 それでも投げ入れられた石は湖面を変える。

 連れてきた兵達は戸惑いを抱え初め、自身の死を自覚し足を止めてしまった者もいる。

 

 それならば別にそれでいい。

 カールシュタールは、何も号令を発する事なく進み始めた。

 彼はふっと言葉を漏らした。

 

「精々足掻けばいい」

 

 どこの馬の骨とも知れぬ異端者よ。

 




会話をすれば話が進まず、話が進まねばモチベが続かず。 
書いてる間は楽しいですけど、やっぱ難しいですね。

さーて、叔父様は生き残れるのでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31話 大攻勢

暑くてへばって、えたってました。
本当に……本当に……、


 

『遅れて申し訳ありません、ミリーゼ大尉。状況は』

 

 管制室の一室に飛び込んだヨナは、管制システムを立ち上げる。

この状況にも関わらず、レーナからは冷静な声が返ってきた。

『現在、グラン・ミュールのゲートを解放、地雷原を啓開中です。北部に侵入した敵部隊の第一陣は迎撃砲が順次起動し、今の所は敵の攻勢を防げています』

 

 起動した管制システムには、夥しい数の敵性マーカーが次々と消滅していくのが表示されている。

 だが、敵はこちらが観測出来る以上に膨大だ。

、破壊するよりもなお、さらに膨大な敵が押し寄せてきている。

 

 敵の総数は不明。

 それに対し、こちらの火力は無限ではない。

 

『迎撃砲の再装填を急がせます』

 

 数年前から迎撃砲の再装填作業はRMIが、金に目の色を変えて受け持っていた。

 だから、金の成る木には水をやるのだろう。

 彼らが少し前に完成させた自動装填システムによって、残弾がある限り迎撃砲は稼働し続ける。

 

 ―――それでも飲み込まれる間の、時間稼ぎにしかならない。

 

 長距離砲兵型の射程圏内に入れば、唯の案山子と成り果ててしまう。

 それでも人の命を天秤に載せずに済む、唯一の生命線だ。

 

『北部の援護に東西の迎撃砲を向けます』

 

 北部の敵に向け、西部と東部の迎撃砲の狙いを割り当てる。

 優先順位を振り分け、出来るだけ高脅威を効率よく破壊する様、砲撃システムに自動プログラムを流す。

 すでにレーナとヨナの二人だけでは、管制する許容範囲を超えているからだ。

 

『……あれから超長距離砲は、沈黙したままですか』

 

 ヨナは訝しむ声で、損害状況を確認した。

 既に北部のグラン・ミュールの一部は跡形もない。

 

 だが、それだけだ。

 せめて、こちらの地対地兵器を沈黙させてもいい筈なのだが。

 連続砲撃は未だ不可能なのか、それとも何かしらの別の理由があっての事なのか……。

 

『ええ。理由は判りません。既に共和国内部にも阻電攪乱型が浸透していますから、観測も不可能ですし』

 

『何にせよ、好機ととるしかないですね』

 

 こちらの戦力たる85区外の戦力が一箇所に集まるのを、ただ待っているのだとしたら、それこそ一環の終わりだが。

 

『避難の方はうまくいっているでしょうか……』

 

 そこでレーナの不安を滲ませた声が上がる。

 味方を示すマーカーが続々と85区内に集結しつつあるが、そこは居住区だ。

 そして少しばかり色を変えたマーカーも、85区内の市街地を横切り、北部を目指している。

 

 その一軍は自動操縦プログラム、アンダーヘッドが駆る機体達だ。

 

 ヴァンデュラム社が完成さえた第六改改修機、そして製造中の機体、国内外に存在する全無人機。

 合わせて凡そ四千機余りのジャガーノートが戦場に赴いている。

 そして、アンダーヘッドに避難する人や住居を躱して移動する様な高等な頭脳はない。

 

 ―――それでも、その命令を下したのはヨナだ。

 

 すでに街頭には、国民に避難を呼び掛ける放送を流している。

 逃げ込める様なシェルターの場所もだ。

 それでも犠牲となる人の数は、数字でしか数えられぬものとなるだろう。

 

 そして、当然シェルターに逃げられたとはいえ安全とは言えない。

 レギオンの狙いは、この国の滅亡と同時にもう一つあるのだから。

 

 人間の脳だ。

 自身の課せられた命令を果たす為のアップデート。

 この共和国は絶好の狩場となるだろう。

 

『全自動操縦機、予定通りに所定の位置に付きます』

 

 ヨナはレーナの呟きには返答せず、ただ事務的に、冷淡にも聞こえる声色で告げた。

 戦える力が残っている間は、レギオンも無力な国民を鹵獲する余裕はないだろう。

 だからこそ、今目の前に集中しなければならない。

 

 ……ただ。

 レーナの問い掛けは、この国にいる家族や友人を想っての事であるというのはわかっている。 

 では自分は……?

 確かにこの国には、守りたい人がいる。

 そう。確かに守りたいと思える人が出来たのだ。

 だが、一番自分が守りたかった人は……。

 

 彼女は未だ見つからない。

 もう、彼女はどこにもいないかもしれないというのに。

 帰ってくる者などとうにいなくなっているかもしれないというのに……戦う意味は……どこに。

 

『なぁ、女王陛下!』

 

 そのヨナの当てのない思考は、同調の力強い声で搔き消された。

 85区内に突入した女王の家臣団の一員。

 シデン・イーダ大尉からだ。

 

『こっからどうすりゃいいんだ、あたしらは。指示をくれ!』

 

 南部や、他の一部を除き、多くの者がレーナに協力してくれている。

 その一段がついに、共和国内に集結し終わったのだ

 レーナは大きく息を吸い込み、声を吐き出した。

 

『傾注!協力してくれた皆さんに、まずは協力に感謝を。―――それでは作戦を説明します!』

 

 レーナとヨナは、前もってずっと準備してきた作戦を展開し始める。

 予め決めておいた迎撃地点に、彼らを誘導しながら防衛作戦を伝えていく。

 

『第三次防衛線を54区以北、第二次防衛線を32区以北、18区以下を絶対防衛ラインをとします』

 

 中央を落とされれば、共和国の、ここにいる人間に未来はない。

 人種も、理念も、置かれた状況も存在証明すらも、全て異なる者達が集結する。

 それでも、今だけは抱く想いは、ただ一つの筈だ。

 

『なんとしてでも生き延びましょう』

 

 そして、すべての戦況が始まった。

 

 

 

 戦場の音はまだ遠いが、観測出来た映像には市街地を突き進むレギオンが見える。

 そこに川岸を挟んだ向かいから砲弾から発射され、前衛部隊を殲滅した。

 

 本来であれば、阻電攪乱型が空を覆い尽くす今は電波そのものが遮断され、遠隔地の情報は届く事もなければ、それに対応する指示を出すことも出来ない。

 対抗する手段があるとすれば、阻電攪乱型を焼夷弾で焼き尽くす手があるが、今の現状ではそちらに回す余力はない。

 

 それでも未だ共和国内であれば、観測が出来、なおかつ無人機を遠隔操作可能なのには理由がある。

 これは二年前、彼らを特別偵察任務に見送った時に実験済みだ。

 

 空は無理だが、地上ならば中継器を、繋いでいけば信号を送る事が出来るのだ。

 では、さらに地下であるならば。

 ヨナは85区内の工事の際、協力者を得て、地下に通信アンテナを張り巡らせたのだ。

 

 ―――つまり、共和国内であれば電波妨害は無意味となっていた。

 

 

『ペンローズ大尉、準備の方は?』

 

 ヨナは無人操縦機を各部隊に配置しながら、アネットに声を飛ばす。

 技術部の研究所からの同調だ。

 

『最終調整はすでに終わってるわよ……いいのね』

 

 再度確認するアネットの声に、ヨナは答える。

 

『ええ』

 

 とうの昔に覚悟は決めている。

 生き残るために、守るためにどんな罪も背負うつもりだと。

 

『アネット? 少佐、何の話ですか!?』

 

 レーナが疑問の声を上げるが、最終的な承認シークエンスはすでにヨナの手元にある。

 

『同調開始!……同調対象—――全レイドデバイサー!』

 

 一斉にスクリーンに同調対象者が表示されていく。

 その総数は凡そ三万人。

 その同調が全て、ヨナのデバイスを起点に集約された。

 

『なんだこれ……』

 

『頭が……』

 

『止まって見える……?』

 

『誰か説明してくれよ、なんだよこれ!』

 

 レーナの耳に、戦闘中のプロセッサー達からの困惑の声が届いてきた。

 それは決して、何か不調から来るものではない。

 

 逆だ。

 加速度的に敵の殲滅速度が上昇している。

 戦況の変化は何もないにも関わらず、自軍の損耗率が下がってきている。

 

『何を……したの、ですか?』

 

 レーナの問いに、アネットが答えた。

 

『思考の同調の応用よ。仮想代理演算ネットワークの構築といった所かしら』

 

 大元は、二年前にヨナがあるプロセッサーと同調したデータだ。

 その同調システムをアネットと、ヨナはこの二年で改良したのだ。

 

 同調が繋がる集合無意識に、仮想の演算ネットワークを構築し、余ったリソースを同調対象者に振り分ける。 

 その振り分けられた対象者は、感じているはずだ。

 自身の出し切れる能力が限界値レベルまで調子が良くなっている事に。

 

 

 そして、そのリソース—――脳の演算部位の思考同調対象者は監獄にいる彼らだ。

 全レイドデバイサーとは、首枷に仕込まれたレイドデバイスを付けられた者たちの事。

 ヨナが発案し、脱獄防止に作り上げたものだ。

 全てはこの為の、仕込みだった。

 

『そんなの……何か、問題はないのですか!?』

 

 レーナの不安気な疑問にアネットは冷淡な暗い声色で答えを返す。

 

『……わからないわ。唯でさえ未知数の技術……一応、健康な人に絞って同調しているけど』

 

『でも……!』

 

 思考の同調といった無茶をして、ヨナがどうなったか。

 あれから改良もし、負担も減ってはいるのだろう。

 だが、何も影響がないという事はないはずだ。

 

『俺が決めた事です。ミリーゼ大尉、あなたは知らなかった。裁かれるのは俺一人だけでいいんです』

 

 この戦争が終わり、生き残れたのならその罪を問われる事となるだろう。

 いくら負荷は分散しているとはいえ、脳の過負荷で何人、廃人になるかもわからない。 

 

 だが、すでにハード面での改良は到底間に合わなかったのだ。

 全ての機体を実用レベルに改良し、それを量産するだけの時間は足りない。

 だから、アプローチを変え、ソフト面の改良に注力した。

 一人一人の能力を底上げするしか、残された手はなかったのだ。

 

『……私もその罪を背負います。決して、誰も一人にはさせません』

 

『ミリーゼ大尉……』

 

 レーナは決意の表情でそう言い切った。

 

 

 戦闘継続から数時間が経過した。

 今の所、戦線は後進を繰り返しながらなんとか、維持は出来ている。

 

 だが、その中でも突出して防衛線を抉じ開けてくる敵がいた。

 高機動型だ。

 

 二年前に試作段階であったあの機体の量産に成功したのだろうか。

 数はすくないが、速度の優位性を誇るジャガーノートに接近し、近距離での攻勢を強いてくる。

 

『全機、その場で合図があるまで待機』

 

 ヨナは数百といった同時視覚の対象者を切り替えながら、部隊に指示を出した。

 視覚同調で、現場の戦況を把握し、指揮をする。

 

 いくら地上の観測システムはまだ生きているとはいえ、リアルタイムで戦況を正確に把握、戦線を維持するのにはヨナの能力が不可欠だった。

 そして今、そのヨナの視界にはこちらに向けて接近する三機の高機動型が見える。

 

 名前も知らないプロセッサーが駆るジャガーノートが捉える情報を見ながら、ヨナはシステムに指示を出した。

 

 突如発生した幹線道路の地盤沈下に高機動型は巻き込まれる。

 後続のレギオンの部隊も足を止めた。

 

 これもヨナが仕組んでいたレギオンの大攻勢への対策だ。 

 だが、高機動流石に瓦礫を避け、呼び名の通りの性能を発揮し、生き残った。

 

 だが、そこに頭上から誘導指示をされた飛翔ミサイルが落ちる。

 

 避ける隙などなく、高機動型とさらに後ろに続いていたレギオンも破壊される。

 ヨナは合図を出し、待機してた部隊が一斉に砲撃を開始した。

 この地区での勝利は目前だ。

 

 だが、喝采を上げる暇などない

 すでに視界を切り替えた先では、すでに戦線は崩壊していた。

 虫の息のプロセッサーが、無情にも振り下ろされる斥候型の足を見詰めるだけだ。

 

 地盤沈下という切り札も一度使ってしまえば終わりだ。

 それでもなんとか、連携し、数えきれないだけの敵を屠った。

 だが、それはこちらも同じ。

  

 何度、こちらの味方機のマークが消失しただろう。

 先ほどまで、視界を同調していたプロセッサーが一瞬の後に、敵の攻撃で消え去る。

 援護が間に合わず、全滅する部隊。

 

 それでも、なんとか拮抗出来たのは備えてきていたからだろう。

 ヨナも、レーナも多くの協力も。

 そして86区で闘う彼らも。

 

 轟音が響いた。

 中央にすら届く、腹の底を揺らす振動音が地面を揺らす。 

 一斉に東部を占めていた敵性マーカーが消え去る。

 

 東部のグラン・ミュールを爆破したのだ。

 レギオンの後方部隊の大部分を巻き込み、グラン・ミュールは崩壊した。

 

『レギオン、撤退していきます!』

 

 レーナの歓喜を滲ませる声が上がった。

 レギオンの前衛部隊が引き上げているのだ。

 後方部隊の掩護と補給を失ったレギオンは、これ以上の攻撃は無意味と判断したのだろう。

 

 同調下で大勢が勝利を祝う歓声を上げる声がする。

 レーナも労をねぎらう声を掛けて回っている。

 

 それに水を差すとわかっていながら、ヨナは口を開くしかなった。

 

『大尉、あれは第一陣にすぎません、その前に準備を済ませないと』

 

『そんな……あれだけ大勢の犠牲を払ったのにですか……』

 

 何百人のプロセッサーが死んだだろうか。

 何万人の民間人が巻き込まれて死んだだろうか

 

『……敵はすぐに来ます。大尉はその間に休息を取って下さい』

 

『それなら少佐も。私よりも負担は大きいはずですから』

 

『いえ、俺は10日位なら寝なくても、活動出来る体をしてるので』

 

 レーナをなんとか説得するのに数分。

 まずはプロセッサー達の安否と再編の確認をしてからの後の休息を確約をし、ヨナは管制室から立ち上がった。

 体と脳は興奮を覚え、戦闘の余韻は休息を取らせてはくれない。

 

 ヨナの丈夫な脳は未だ大丈夫と把握しているが、レーナの方はそうもいかないだろう。

 支柱となっている彼女を失えば、きっとこの共和国の防衛線は崩壊する。

 一服、睡眠薬でも盛るかと考えながらヨナは、レイドデバイスに触れた。

 




クオリティが殴り書きレベルに下がっていきます。(予告)
それでも二人が再会するシーンは書きたいですしね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32話 二枚舌

 ヨナはレイドデバイスに触れ、同調対象者を調整する。

 その対象者とは鮮血女王の、レーナの呼び掛けに答えなかった者だ。

 南部の、レギオンの進行地点から最も離れている為、今なお余力が残る部隊。

 南部戦線第一戦区第一防衛戦隊、レザーエッジの線隊長にだ。

 

『……また鮮血女王からのお誘いと思ったけど、違うようね。どちらさん?』

 

『南部戦線第一戦区第一防衛戦隊"レザーエッジ"線隊長――バルトアンデルス。こちらは……』

 

 ヨナは一瞬、言葉に詰まる。

 どう名乗ったものか、数舜思案し、

 

『ブラッディレジーナ旗下、共和国防衛隊副指揮官リードルフ・シュタット少佐』

 

 そう勝手に名乗り上げた。

 すでに共和国軍は内部統制を欠き、軍隊としての体裁すらもない。

 レーナを指揮官に祭り上げた所で、誰も文句を言う余裕すらないだろう。

 

『少佐……?鮮血女王よりも上の階級が……まあ、どうでもいいか。それで何の用かしら、少佐殿』

 

 バルトアンデルスの一片の興味の無さそうな声がする。

 声色からして男の筈だが、奇妙な言葉遣いをする人だ。

 

『貴方がたに要望が。レザーエッジには南部戦線の他の部隊を率い、南部迎撃砲発射拠点の防衛をお願いしたい』

 

 すでに北部の迎撃砲はレギオンに破壊された。 

 東部も西部は未だ砲撃能力を有してはいるが、次の構成には真っ先に狙われるだろう。

 

 レギオンは学習する。

 当然、先の戦いでこちらの戦術をレギオンはすでに見抜いただろう。

 足止めの後の物量攻撃など真っ先につぶそうとしてくる筈だ。

 だからこその要請。

 

 南部戦線は未だ健在であり、唯一残弾数にも猶予がある南部迎撃砲のみが、次の第二次攻勢において要となる。 

 

『一体、どうして私達がそんなお願いを聞かなきゃいけないのよ。というよりも、そもそも協力する事を拒んだ私達が、そんな危険を冒すわけないでしょう』

 

 呆れと嘲笑を含んだ声が返ってきた。

 当然の反応だが、同調を一方的に切断されないだけ、まだ交渉の余地はある。

 

『……まぁ、だよな』

 

 ヨナは頭を掻き、小さく息を漏らした。

 砕けた口調に相手が訝しげな気配を漏らすのをヨナは感じる。

 

『危険を冒す価値はあるといったら、どうだ。どちらにせよ首都が落ちれば、貴方らも道連れだ。だが、お互いに協力すれば生き残れる道はある』

 

『生き残れる?……ふっ、この状況を招いておきながら、そんな戯言を言う白豚がいるなんて驚きね。いい、少佐殿、死なば諸共よ。でも、死ぬのはあんたらが先。私達はせめてそれだけでも見届けさせてもらうわ』

 

 バルトアンデルスの言葉に恨みは感じ取れない。

 ただ、そうなるであろう結末を淡々と述べているだけだ。

 

『……確かにアルバは滅んで当然の行いをしてきた。だが、本当に断罪すべき人間は他にもいるかもしれないぞ』

 

 十一年前から続く行いが、今の結果を招いた。

 あの時の出来事が、裏切者を誕生させた。

 取り戻せない過ちが、いくつも起きてきた。

 

『強制収容所が解体されているのは聞いているだろう。収容所にいた貴方らの同胞は連行された。どこにだと思う?』

 

『……さあ?』

  

『中央区に建てられた監獄だ。今なお多くの同胞はそこに囚われている。この共和国の首都を見捨てるという事は、貴方らは同胞を見殺しにするという事だ』

 

 我ながら陳腐な脅しだ。

 だが、懇願も恭順も人を動かすには足りえない。

 この国がすでにそれを証明してしまっている。

 大事なものを守るためなら、人はどんな行動にでも出る。

 

『あいにく私は独り身でね。天蓋孤独の身なのよ』

 

『貴方はそうかもしれない。だが、新しくプロセッサーと配属された者達はどうだろう。その子達には妹や、弟は?生き別れた家族や、親族がいるかもしれない』

 

『そう、……人質っていう事ね』

 

『いや?まさか』

 

 白々しい言葉を吐きながらも、ヨナは言葉を途切れさせない。

 交渉の脅迫の余地があるのなら、テーブルに乗せるチップを増やすのみだ。

 

『死守しろとまでは言わない。ただ、総力戦となるからには羽の生えた札束を使い切りたいだけだ。それまででいい』

 

 しばしの沈黙があった。

 それを承諾ととる前に、ヨナはどうせならと言葉を吐き出した。

 

『なぁ、実は俺、アルバじゃないんだ』

 

『はい?』

 

『貴方と俺が生き残れたのなら権利をやるよ。アルバの中で、こそこそと生き抜いてきた裏切者を殺す権利を』

 

『それってどういう……』

 

『貴方がたを救うには、この道しかないと嘘をつき、我欲を貫き通したのがこの俺だ。それが今貴方に選択を強いている……』

 

 裏切者と呼ばれてもなお、その生き方を選んだのは自分。

 そうまでして、あの約束を守りたかったから。

 

『この戦闘を互いに生き抜いて、まみえたのなら俺を殺してくれ。貴方には何の益も価値もないかもしれない。だが、今貴方がたを脅迫しているのは紛れもなくこのリードルフ・シュタットだ』

 

 再び偽りの名を名乗る。

 このまま……偽りの名のまま自分はこの戦いで死ぬつもりだ。

 例え、後ろ髪を引かれようとも、未練があろうとも、後戻りなど許されぬのだから。

 

『散々言っておいて何だが、好きに選べばいい。すでに貴方がたは自由だ』

 

 返答を待つ前に、ヨナは同調を切断した。

   

 

 

 長い廊下を歩き切り、ヨナは足元を見ていた視線を上げる。 

 さて、と呟き目指していた場所に目をやった。

 

 大講堂だ。

 今なお軍本部に残る共和国軍人が最後に集合した場所。

 ある者達は戦いに赴き、ある者達は旧貴族や政府の要人と共に避難を開始し、ある者達はただ、頭を抱えうずくまっている。

 

 到底、軍人とは呼べない者達だ。

 この状況になってまで、自分達で立ち上がって国を守ろうとするものなどごく僅か。

 それでも一応は正規の軍事教育を受けた者達だ。

 外で逃げ惑う一般市民よりは、役に立つだろう。

 

 ―――彼らが立ち上がってくれるならばだが。

 

「正念場か……」

 

 一つ誤算があったのだ。

 いや、あらかじめ予想はしていたが初の実戦で、その影響が如実に数字に表れていた。

 

 ―――無人操縦機の運用効率が悪い。

 

 OSに改良を加え、今までとは大幅な自由行動が可能となった無人機だ。

 だが、それでも結局、行ってしまえば親機に随伴する砲塔でしかない。

 

 そして、その運用を行うのプロセッサー達だ。

 だが彼らにはそもそも、無人機を運用する知識と技術が存在しないのだ。

 

 彼らの主戦場は中距離。

 固定砲台として無人機を運用する訓練もなしに、ぶっつけ本番で戦闘を行おうとするならば当然の結果だった。

 そして、それ以上に彼らは嫌いなのだろう、無人機が。

 敵であるレギオンと同じ機械的意思を嫌悪しているのだろう。 

 

 それがわかっていてなおヨナは、選択肢など他にない為、彼らに押し付けたのだが。

 

 ―――だが、手が足りない。

 

 全無人戦闘機、数千余りの戦力を効率よく運用するには、自身が何人いても足りない。

 ならば手を借りて来ればいい。

 その為に必要な者達は、今なおここに留まっている。

 

 大講堂は騒乱の只中だった。

 扉を開けば、何をするでもなく散らばって集団で集まり、意味もない会話を大声で喚き散らすものが多数。

 中央には将校が集まり、避難の指示を飛ばしているが、果たして指令は行き届いているのかも分からず、混乱極まっている。

 

 それもそうだろう。  

 ヨナが中央から避難を始める前に、全区域に避難警報を発令したからだ。

 放送されているシェルターの実在性や、避難すべき場所を今なお揉めているのだろう。

 

 避難計画を滅茶苦茶にしたのはヨナの仕業だ。

 だが、そもそもヨナの協力者と出資者はすでに避難を始めている。

 そこからも、情報はきっとすでに漏れ出していたはずだ。 

 

 ヨナが入ってきたにも関わらず目を向ける者は僅か。

 だから。

 こちらに注意を向かせる為、ヨナは懐に手を入れた。

 

 銃声が一発。

 

 荘厳な大講堂の天井に穴を穿ち、銃声に喧噪が中断される。

 こちらを振り返る全員の視線を受けながら、ヨナは一歩づつ歩みだした。

 

「こんな所で何をしているのですか?」

 

 全員がヨナの問いに返答を持てずにいる中、将校の一団から声が掛かる。

 

「シュタット少佐……貴様。何のつもりだ、だと」

 

 怒声を上げたのは一人の大佐だ。

 

「先のミリーゼ大尉の呼び掛け、気付かぬと思うか!それに貴様ら勝手に何をしている!?迎撃砲の無断使用、それにエイティシックス共まで85区内に呼び込むとは!」

 

「それにあの無人のジャガーノートの行動!あれは貴様の仕業だろう!」

 

 叫び立てる声をヨナは聞き流す。

 説明してやる時間も、こいつらが理解するだけの時間もない。

 

「俺は貴方達に聞いたのですよ、ここで一体何をしている、と」

 

 ヨナは視線を将校から離し、周囲を見渡した。

 何をするでもなく、ただ上に言われた通りにここに留まっている者達。

 まだ若い。

 

 恐らく十一年前の戦争の経験がある者のほとんどは、すでにここにはいないのだろう。

 自分の家族を守るために、軍務から逃げ出したのだ。

 通ってきた廊下に脱ぎ散らかした軍服がそれを物語っている。

 

「何って……」

 

 ヨナの一番近くにいた者が口ごもる。

 ヨナに対して、額に青筋を立てている将校を気にしての事だろう。

 

「シュタット少佐!貴様!!」

 

「黙っていてもらえませんか?」

 

 こちらに掴み掛ろうとした、将校にヨナは拳銃を向ける。

 全員の動きが止まる。

 上官に対する反逆罪だが、この場に銃器を所持している者は他にはいない。

 

「数時間前、超長距離砲の砲撃により北部グラン・ミュールは崩壊、レギオンの軍勢が地雷原を突破し、共和国北域に進行してきた」

 

 そんな事は知っているとばかり、詰め寄ろうとする者も現れる。

 それをヨナが銃口を振って止め、なおも隙を窺って掴み掛ろうとする者と、これから何をいうつもりなのかと静観する者にと分かれた。

 

「現在、ヴラディレーナ・ミリーゼ大尉の指揮の下、86区のエイティシックス達を共和国に呼び込み、レギオンの第一波攻撃を撃退する事に成功している」

 

 どよめきが上がる。

 現状、共和国全域の正確な情報を知る者はヨナ達だけなのだ。

 だが、些末な勝利に声を上げる者は僅かで、それ以外の事に反応した。

 

「何故、あの下賤な豚どもを我が国に入れた!あれらに与えてやった仕事を果たさぬからこのような事になっているのだ!」

 

「っ、そうだ!あの豚どもがレギオンを招き入れたに違いない!」

 

「今ままで生かしてやっていたというのに!」

 

 この時になっても今もなお、彼らは愚にも付かぬ戯言を吐き出してくる。

 恐らく、この場では無意味な責任の擦り付け合いが行われていたのだろう。

 

「そうかもしれない。だが、今その豚どもに我々は守られ命運を握られている。……滑稽だな」

 

 侮蔑の笑みを浮かべたヨナに、腕を振るわせ反応する者が多数。

 

「違う!俺達はちゃんと劣等種たる奴らに武器を与え、生きる意味を与えてやった。俺達は何も悪くない!」

 

「悪くはない……か。確かにそうだ。だが、エイティシックス共の再三の報告に耳を貸さず、奴らをきちんと管理しきれなかったのは私達共和国民だ!」

 

 植え付けられた選民思想になど意味はない。 

 そうこの場で言い切ってしまえば、彼らからはただ反発が返ってくるだけだ。

 彼らが自分で気づき、間違いを正さない限り未来はない。

 

「そうだろう。私達があの豚どもの管理を怠ったからこそ、この現状なのだ。だが、今ならば取り返しはつく、終わりではない!」

 

 だから、矛先を僅かにずらす。 

 自分達の行いは完全には間違いではなかったと。

 ただ、エイティシックスに対する管理が悪かったのだと。

 だから、レギオンの進行を許してしまったのだと。

 

「諸君の力が必要だ」

 

 ヨナは拳銃を握った反対の手を前に伸ばす。

 

「此度の大攻勢で多大な戦果を挙げた無人戦闘機はこの私が開発してきたものだ。だが、完成には時間が僅かばかり足りなかった」

 

 嘘を吐き、希望を抱かせる。

 

「しかし、それでも諸君らの優れた管制能力の協力があれば国家をレギオンから取り戻せる。純血種たる旧貴族の地を引くこの私が、貴方がたを導いてやろう。さすれば我らサンマグノリア共和国がギアーデ帝国のレギオンなどに後れを取ろうはずもない!」

 

「貴様!ただの少佐風情が舐めた口を効くなッ!」

 

 将校の一人が声を荒げる。

 それに、ヨナは冷めた目を向けるのみ。

 

「政府も軍もすでに当てにはならない。この上官殿はすでに戦おうという意思も能力もない。だが、私に従うのなら、その力を与えよう!真の優性種たる白系種を名乗る者はここにはいるか!」

 

「……し、しかし、共和国内にはすでにエイティシックスが入り込んでいます。この戦闘に勝ったとしても……それならいっそ」

 

 一人の軍曹が手を上げ、小さく声を上げた。

 国内に入り込み、武器を振り上げられればアルバに勝ち目はない。

 この戦場において、自身を守っていた脆弱なシステムが崩壊した事をようやくそれを悟ったのだろう。

 

「案ずる必要はない。強制収容所を解体した折、そこにいたエイティシックスは共和国の監獄に多数捕えている」

 

 その実情を知らなかった者達は目を丸くする。

 そして、その意味にすぐに思い至る。

 

「奴らの同胞の命をこちらが握っている以上、奴らは我々に逆らえない。状況も立場も何一つとして変化はない。我々にこそ主導権がある!」

 

 ヨナの言葉にすぐに動きだした者は数名。

 それからヨナが進みだし、その流れに集合しつつあるのは十数名。

 

 その後、大講堂に集まっていた半数のアルバが、ヨナに付き従った。

 止めようと声を張り上げる者もいるが、希望にすがりつき始めた人の心は止めらるはずもない。

 

「さあ、今こそ五色旗を掲げ、我らの戦場に赴こう」

 

 実際は、本当の戦場ではない。

 管制室や、果ては端末を使用しての画面越しでの戦闘だ。

 レーナの部下の協力を得て、彼らに無人戦闘機の各部隊を振り分ける。

 それら全体を統制するのはレーナとヨナだ。

 

 別に高望みしているわけではない。

 ただ、射撃統制と部隊の移動の指揮を任せるだけだ。

 それだけでも、無人機に全戦闘を任せるよりましだろう。

 

 当然、錯乱してエイティシックスに向け、砲撃する馬鹿がいる事も警戒するが、そいつはすぐにシステムから切り捨てればいい。

 

『只今、戻りました』

 

 ヨナは自身の管制室に戻り、レーナに状況を報告する。

 

『上手く行ったようですね、こんなに大勢が協力してくれるなんて』

 

『今だからですよ』

 

 生き死にが掛かったこの土壇場でなければ協力などなかっただろう。

 平時ならば一蹴され、ヨナは既に営巣入りだ。

 

 全部隊の編成は終了し、所定の位置に各部隊は移動を終了している。

 あとは待ち構えるのみだ。

 

『ミリーゼ大尉、休息は済まされました?』

 

 僅かだが休憩時間はあったはずだ。

 ヨナに取ってはそのことが何よりも気掛かりだったのだが。

 

『いえ、……はい』

 

『どっちですか……』

 

 ヨナの呆れた声に、レーナが長い息を吐いた。

 

『……母に会いました。まだ避難していなくて、ずっと私を探していたと』

 

『東部のシェルターに辿り着ければ数週間は持つはずです』

 

 そのための備えと備蓄は整えてきた。

 それ以上の長期戦となると、その未来は余り考えたくはないが。

 

『ええ、今は……戦いに集中しましょう』

 

 レーナの言葉通りだ。

 既に数え切れないほどの死者は出ている。

 それに心が押し潰され、足を止めてしまえば、もっと多くの死者が出るだけだ。

 

『―――来ます』

 

 再びスクリーンを埋めるのは、レギオンの表示しきれない程の膨大な敵性マーカー。

 先程よりも数倍に膨らんだ軍勢は、共和国を飲み込まんと進撃してくる。

 

 再びの防衛戦が―――共和国の滅亡が始まった。

 




誤字脱字報告ありがとうございます。
もうやる気がある時に書き殴るスタイルになっているので、ノリで書いちゃってます。
なんか格好いい事書こうとしてんだなと思ってくれたら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33話 邂逅

 共和暦三六八年八月二五日。

 

 サンマグノリア共和国は、突如として大攻勢を仕掛けてきたレギオンの軍勢に蹂躙されました。

 瞬く間に大勢の人々が失われ、国家としての体裁は呆気なく崩壊しました。

 それでも、かねてより大攻勢に対する準備を進めてきた私達は、共和国防衛部隊を率いて、立ち向かいました。

 

 主戦力として協力してくれたのは、私達アルバが迫害し、死地にと追い遣ってきた有色種のプロセッサー達です。

 彼らは私達の呼び掛けに応じてくれ、又応じてくれなかった者達も、利害の一致により共同作戦を取り、レギオンに立ち向かいました。

 そして、中には今まで戦う事を放棄してきた白系種の人の中にも戦う事を選択をする者も現れました。

 

 シュタット少佐の二枚舌外交により、内部対立の愚を犯すことなく互いの陣営の有利を信じ込まされた彼らは綱渡りながら、共通の敵に対して団結する事となったのです。

 

 それにより、第一次、第二次攻勢を、辛くも撃破する事に成功しました。

 しかし、―――それまででした。

 

 レギオンは戦術を、こちらの中枢たる司令室を潰す作戦に打って変わったのです。

 大規模蹂躙から、首都リベルテ・エト・エガリテを攻略する電撃作戦にと。

 

 一点攻勢により防衛陣地を喰い破られた私達は、最終防衛ラインを突破されました。

 首都は長距離砲兵型の射程圏内に入り、その余波で送電網を切断された為、私達はブランネージュ宮殿の国軍本部を放棄。

 止む無く野戦通信指揮車にて、以降の管制を行う事になりました。

 

 そして、順次侵略された地域のシェルターの解放を行い、避難民と共に防衛拠点を構える東部に避難を開始しました。

 その際、私達は第三区の監獄を解放し、収監していた有色種の方々も共に避難する事となりました。

 

 当然、避難民の間で衝突は幾度となく起きました。

 迫害されてきた者達と、その者達に頼る他ない迫害してきた者達。

 

 ですが、迫りくる脅威に対し双方は壊滅的な対立は起こしませんでした。

 それには直接的な武力を持つプロセッサーと、そして未だ多数の無人機を従える共和国軍人という均衡がとれていた事も関係があったのでしょう。

 

 ここまで僅か四週間の出来事でした。

 そして首都を落とされた共和国は、東西の二つにと分断される事となりました。

 

 西部に逃げ延びたのは旧貴族を筆頭とする政府や軍高官の人々。

 東部に逃げ延びたのは私達が率いる防衛部隊と避難民の人々。

 

 すでに両者の間に通信手段はなく、お互いの連携どころか生死すらも確認出来ない状況に至りました。

 その頃には地下に張り巡らせていた通信網の大部分は破壊されていたからです。

 それでも少佐は、無人機の防衛部隊を西部に避難する人々にも割り当て、出来るだけ大勢の人々が生き残る為に尽力しました。

 

 ですが、徐々に防衛線は押し上げられ、東部の端にと私達は追い遣られて行きました。

 それでも、向かう先には一筋の希望があると。

 大勢の零れ落ちる命を救い上げる間すらもなく、ひたすら逃げ延び、生き残る。

 その逃避行に多くの人達が私達に付き従ってくれました。

 

 ―――きっと救援が来るはずだという、最後まで僅かな望みを信じた私達によって。

 

 

 

 

 

『ミリーゼ大尉!ここより東に約八千、先程報告した超長距離砲型です!誰かが戦闘を行っている!』

 

 爆破されず一部残された東部のグラン・ミュールの外壁に展開する防衛部隊の指揮所。

 ほぼ無人で、その役割を終えた迎撃砲の管制室だ。

 そこで、レーナはヨナからたった今、強い口調での報告を受けていた。

 

 未だ僅かに生き残っていた86区の観測機からの情報だ。

 それを受けたヨナが、レーナに再び脅威が迫っていると告げたのだ。

 

 ヨナの報告は防衛部隊のどこかで発せらている。

 とうに昔に、彼はこの指揮所にはいないからだ。

 

 ヨナは今はあるプロセッサーから譲り受けたジャガーノートを駆り、防衛戦に赴いている。

 これまでの戦闘で残存していた無人機も爆薬を積んだ自爆機として使用し、可能な限り人名を優先する戦法により、ほぼ使い切ったからだ。

  

 残るのは東部防衛拠点に残存する僅かな固定砲台のみで、ここで出来る事はなくなってしまった。

 

 だから、レーナも行ってしまう彼を止める事は出来なかった。

 最後くらいは、共に同じ場所で戦いたいという彼の願いを受けて。

 

 それでも聞いた話によれば、ヨナはそこそこの腕らしく今も生き残っている。

 という事はレーナが乗ったあの戦闘シュミレーターで、特訓でもしていたのだろう。 

 

『今、観測機からのデータをそちらに送ります』

 

 その彼から、入手したデータを受け取り、端末で拡大する。

 解像度は荒いながらも、なんとか映像を確認する事が出来た。

 

『これは……』

 

 思わず言葉を失う。

 全長四十メートルはあろうかという巨体に、これまた長大な砲塔。

 凡そ人が作ったとは考えられない巨大な建造物―――いや巨大な兵器が映っていた。

 

 そして、その足元には―――巨象と蟻との戦闘と言わんばかりの、その兵器に近付かんと近接戦闘を繰り広げるフェルドレスの姿も見えた。

 

『援護を!』

 

 あの巨大兵器は超長距離砲型に違いないという確信はある。

 だが、それと敵対するフェルドレス。

 あの所属不明機は何なのか、何故この様な場所で戦っているのかなど、全て不明だ。

 

 ―――それでも、こちらがするべき事、出来る事などわかっている。

 

 

 

 レーナの指揮で、ヨナも隣に並ぶ僚機と同じく砲撃を超長距離砲型に浴びせた。

 豆鉄砲にしかならないが、こちらに注意を引き付ける事は成功した様だ。

 

 その後、レーナの口から誘導飛翔体の発射命令が下される。

 弾頭は避難民を巻き込まない様に、ほぼ使用する機会のなかった為、唯一残されていた焼夷弾だ。

 

 それを惜しむことなく使用し、超長距離砲型の展開するワイヤーの能力を抑えつけた。

 それでもなお、動きを止める事はない超長距離砲型にフェルドレスが迫る。

 

 あの機体……。

 

 凡そ命知らずな操縦技術で、見事超長距離砲型の攻撃を掻い潜り、その背部に飛び乗る事に成功している。

 その機動を遠い観測機越しにながらも食い入る様に眺め、次第にヨナは口が震え、笑みが零れた。

 

『少佐……?』

 

 どうやら、同調越しに零した声がレーナにも伝わってしまったらしい。

 

『私はあの所属不明機の所に行きます!』

 

『え、ちょ!』

 

 超長距離砲型が最後に自爆したのを彼女も見たのだろう。

 だが、巻き込まれてはいたものの、あの機影の無事は確認出来ている。

 それよりも地雷原に駆けていく彼女の方が危険極まりなく。

 

『俺も、……行きます』

 

 どうやら、レーナはキュクロプスが拾い上げてくれるようだ。

 ならば、自分も行かなければという思いが先だった。

 

 司令官と副司令官が共々、敵地に向かうわけだ。

 その愚を自覚しながらも、ヨナは動きを止める事など出来なかった。

 

 自分は知らなければならないはずだ。

 あの機体に搭乗しているであろう者の、いや者達の確信を得なければ。

 その責任が、責務があるはずだ。

 

 

 

 レーナを乗せたキュクロプスは真っ直ぐ、超長距離砲型を撃破した機影の方に向かっていく。

 恐らくその方が双方にとっていい事だろう。

 ならば、自分は……。

 

 地雷原を抜け、ヨナは丘陵地帯に機体を向けた。

 先程、超長距離砲型との戦闘があった個所とは少し離れた場所。

 草原は人為的な熱で焼き落ち木々が未だ煙を燻ぶらせている中。

 

 そこに、もう一機。

 観測機が微かに捉えた情報に、ヨナは向かっていた。

 

 ―――探していた機体はすぐに見つかった。

 

 激戦だったのだろう。

 機体の左半分はほぼ破壊され、地面に沈み込んでいる。

 

 そして少し離れた場所に、黒煙を上げ完膚なきまでに破壊された物体があった。

 見た事もない形状をしたレギオンだ。

 恐らく高機動型を源流とする新型機なのだろう。

 

 もしかするとあの超長距離砲型の護衛機だったのかもしれない。

 周囲には敵の姿どころか、味方機の姿はなく。

 たったの一機でそれを撃破した所属不明の機体は沈黙していた。

 

『……こちらはサンマグノリア共和国防衛部隊副司令官リードルフ・シュタット少佐です。所属不明機の搭乗者、無事であれば応答を願います』

 

 スピーカー越しに、所属不明機に問いかける。

 すぐに動きはなかった。

 

 だが、そこで沈黙していたその機体が僅かに動き始める。

 まるでまだ、何かに抗うかのように。

 半壊し、動けるはずのない機体が、中にいるであろう搭乗者の絶対に屈しない意思を表すかの様に、軋みを上げながら動き出した。

 

 ―――人の意思を感じさせる挙動だった。

 

 ヨナは操縦桿から手を離し、一度瞼に手を遣った。

 それから頭に手を遣り、ずっと被ったままだった軍帽をきちんと被り直す。

 偽りの身分とはいえ、おそらく別の人類の共同体との久方ぶりの会合だ。

 

 ヨナはキャノピーを開き、立ち上がった。

 機体から降り、ゆっくりと所属不明機に近づいていく。

 最悪、操縦者が重症を負っている可能性もあるわけだ。

 

 あの機体の損壊具合からいうと、操縦者は機体から脱出する事すらままならないのかもしれない。

 相手が何者であれ、サンマグノリア共和国は健在であり、援助なり、救助を行うという姿を見せなければ。

 

 ―――それが、偽りの身分に残された最後の役割だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ようこそ、共和制ギアーデ連邦へ。君達を歓迎するよ"

 

 これは特別偵察任務、いや極秘任務にと趣き、死に掛けた私達が救われた時に聞いた言葉だ。

 あれから、二年が経った。

 

 その間、私達は平和な世界がある事を知り、それでも自分達はいるべき場所は戦場だと定めたのだ。

 何より置いてきた仲間がいずれ追い掛けて来るのだから。

 

 それに、―――すでにいない仲間達にも、自分達は応えなければならないはずだから。

 

 だから。

 人類を救済するという名目を掲げるギアーデ連邦の軍人となる事を選択し、今も戦い続けている。

 超長距離砲、モルフォを敵地に侵入して破壊するという頭のおかしい任務にも赴いた。

 モルフォ撃破の為、例え皆を殿として置いて行こうとも、未だ私達は戦い続ける事を選択したのだ。

 

 

「………っ」

 

 意識が浮上した。

 どうやら自分は気を失ってしまっていたらしい。

 確か、最後は……あの新型と相打ちになる形で……。

 

 朦朧とする頭に手をやると、どろりとした暖かい液体に手が触れた。

 両目を薄く開けると、左は完全に血に染まり赤黒い視界が開ける。

 

 そうだった、あの最後の激突でこちらの機体の左半分が破壊されたのだ。

 その影響でモニターはほとんどひび割れ、左足は歪んだ操縦席に挟み込まれ動かない。

 感覚はないが、恐らく出血しており、このまま放置すると命の危険がある事は経験でわかった。

 

「皆は……」

 

 それでも譫言の様に呟いた言葉は、仲間を心配するものだった。

 左耳に触ろうとして、顔面の左半分が血に汚れ、レイドデバイスが衝撃で壊れていた事を知った。

 

 ―――呼び声に応える者などいない。

 

"皆、先に行っちゃったのよ"

 

 だが、誰かが答えた。

 息を吞み込み、その主よりもその言葉の意味に意識が行く。

 

 この戦闘で皆、離れ離れとなってしまったのだ。

 アンジュもセオもクレナもライデンもカイエも、そしてシンも。

 ライデンと一緒にいたあのおちびも。

 誰も近くに反応はない。

 

 ぼんやりする視界の端に、シンとモルフォが戦っていた場所に未だ燻る煙と火花を見て取れた。

 という事はモルフォの撃退に成功したのだろうか。

 それとも……恐らくあの爆発では。

 あのシンですらも、あの戦いで生き残れなかったのだろうか。

 

「あぁ………ああああっ!」

 

 肺から息を絞り出し、声を上げる。

 唯一力の入る右手で握る操縦桿がみしりと嫌な音を立てた。

 

 それから何かに縋る様に揺れる視界を上げ、言葉を失った。

 並みの視力でない自身には、遠く離れた場所に存在する灰色の残骸を視認する事が出来たのだ。

 この場所からでも、それが何であったのかはわかる。

 

 ―――グラン・ミュールだ。

 

 あの有色種の犠牲の下で建設され、85区とそれ以外を絶対的に仕切っていた壁が完膚なきまでに破壊されている。

 自分達がこんな所まで来ていた事に驚くと共に、抑えきれない嘲笑が口から零れ始めた。

 

 ―――あの白豚共の国はレギオンに滅ぼされたのだ。

 

 あの大攻勢で呆気なく。

 という事は、私にとってかつて帰る場所だった前線基地も、あの花たちも、仲間との思い出が残る場所も、置いてきた仲間達も全て。

 何より守ると、帰ると。

 共にあの子と誓い合ったあの場所も。

 そして、あの子自身も。

 

 ―――全てが無に帰したのだ。

 

 戦闘の怪我の余波とは違う吐き気と眩暈が体を襲い、息をするのすら苦しくなる。

 

 意識が……暗転する。

 

"あの、白豚どものせいだ!あいつらのせいで皆死ぬことになったんだ!"

 

 何度も何度も、心の中で、声に出して叫んだ言葉が溢れ出る。

 

"復讐してやるッ!!"

 

 もうすでに仲間はいない。

 彼らは先にいってしまったのだ。

 だから、もう自分の生き方を貫いてもいいはずだ。

 

"誰に復讐したいの?"

 

 頭の中で声がする。

 幻影の様な、昔の幼かった自分の姿が目の前に現れ、無邪気に首を傾げている。

 

"そんなの決まってる!あの白豚ども!お父さんを、お母さんをあの子を殺した奴らに!!"

 

 周囲に靄がかかった景色が現れる。

 場所は自分達がかつて住んでいたいた家。

 その玄関で、父の背中が遠ざかっていく。

  

"彼を守ってあげるんだ。私が帰ってくるまでの約束だ"

 

 約束した言葉が蘇る。

 でも、……そのどちらも果たされる事はなかった。

 

 ―――守る事は出来なかった。

 

 場面が強制収容所のあの場所に移動する。

 地面に倒れ伏した私は連れて行かれるあの子に手を伸ばそうとしていた。

 その手が力なく地面に落ちる。

 

"お父さんと、お母さんは確かに白豚のせいね。でもあの子は違うでしょう?"

 

"何が……?"

 

 泥の中に沈むかつての私を、白いワンピースを着たさらに幼い私が覗き込んでいる。

 

"何って、……あの子を見捨てたのはあんたでしょ"

 

 息を吞み込んだ。 

 

"そんな筈ない!私は守ろうとした!!"

 

 そこに無邪気に笑う幼い私が本当に不思議そうに首を傾げる。 

 

"だって―――あの子がいなくなってあんたは心底ほっとしたじゃない"

 

"っ……違う、違う、違うッ!"

 

 首を振り、沸き起こった想いを振り払おうと目を瞑り、声を張り上げる。

 

"違わない。あの子がいなくなってから、あんたはあの子の前では決して見せなかった暴力で生き抜いてきたじゃない。あの地獄の様な強制収容所で""

 

 生きるのに必死だった。

 食べ物を奪い合い、邪魔する者がいれば暴力で片付ける。

 

"あんな耳が聞こえなくて、まともに喋れもしない奴なんか、足手まといでしかなかった。だからあの時、見捨てたんでしょ。抵抗する事だって出来たのに"

 

 そうだ。

 あの時、あの場所には老人しか姿がなくて……。

 それに武器を持ったアルバがいたとしても、あの子を守ろうとする事くらい出来たのだ。

 

"それを、許せないなんてよくも言えたよね、あんた"

 

 ―――ほんとに殺したい相手は自分だったくせに。

 

 

 リアは再び目を開けた。

 止まっていた呼吸を取り戻し、喘ぐ様に息をする。

 何故、まだ私は生き残ってしまったのだろう。

 もうどこにも居場所なんて残されていないというのに……。

 

『こ……は……………す。しょ……、ぶ……か?』

 

 熱で揺らぐ視線を上げると、こちらに近づいてくるフェルドレスの姿があった。

 見間違えるはずもない―――ジャガーノートだ。

 

 二年前、何度も乗り込み、エイティシックスの墓場とまで言われた欠陥機。

 

 幻影ではないだろう。

 確かな質量をもってひび割れたスクリーン越しに、それは存在する。

 まだ、誰かが生き残っていたのだろう。

 

 それに僅かに感情が動き、リアはその声に応えようと残っていた力で操縦桿を動かす。

 それが合図となり、こちらの生存を向こうは確認したのだろう。

 キャノピーが開き、誰かが降りてきた。

 

「……っ」

 

 そして。

 あの軍服を見間違えるはずもない。

 朦朧としていた意識に再び感情が激しく沸き起こり、それを上塗りする。

 その感情とは、憎悪だ。

 

 何故、アルバが生き残っている。

 あの軍服、軍帽、その下に覗く白銀の髪を忘れる訳がない。

 

 何より、何故ジャガーノートにあの白豚が乗っているのだ。 

 あれは、私達のものだ。

  

 ―――私達に唯一残された存在証明であり、私達だけの矜持であったものだ。

   

 そうか。

 あの白豚は醜くも生き延びたのだろう。

 

 国家を失いながらも、たった一人、私達の残された武器すらも奪い去り、逃げ延びたのだ。

 そしてさらに生き汚くも、助けを求めに来たのだ。

 

 何も遮るものはない。

 遠慮する仲間もすでにいない。

 自分に残されたのはただ、これだけだ。

 復讐する相手など間違えようもない。

 

 残弾はあり、まだ辛うじて砲塔は機能を残していた。

 だから。

 

 "死ね"

 

 トリガーを引き絞った。

 

 




感想、評価等頂けたら幸甚です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34話 共に

 砲弾は発射された。

 近距離の為、ヨナには砲音とほぼ同時に衝撃が襲い掛かった。

 次の言葉を掛けようと、吸い込んでいた息は衝撃で吐き出され、反射的に瞳を閉じる間もなくその時は終わりを告げた。

 

 痛みも感じる刹那すらもないだろう。

 そう死を覚悟出来てしまった所で、ヨナは自身が無事である事を確信した。

 

 砲弾は外れていたのだ。

 数メートル左を逸れ、ただヨナの軍帽を衝撃で弾け飛ばし、左耳に耳鳴りを残しただけだった。

 

「はは……っ」

 

 漏らした声は震え、膝は今にも崩れ落ちそうに力が入らない。

 とうに覚悟を決めたはずなのに、いざその現実に直面すると未だ生にしがみつきたくなる。

 

 ―――でも、その時が来たのだ。

 

 搭乗者はまず間違いなく、有色種の人々に共和国がしでかした罪を知る者だ。

 もしくはその当の本人かもしれない。

 

 機体が戦闘の余波で歪んでいなければ、間違いなくヨナの体を砲弾は貫いていた。

 

 今もなお、目前の機体の搭乗者は言葉を発する事なく、ただ怨嗟の様に聞こえる軋みを機体が上げるのみだ。

 

 だから。

 ヨナは逸れた砲弾の射線にその身を移動させた。

 草花を衝撃波で散らした道でヨナは足を止め、両手を広げる。

 

 真っ直ぐ機体の中にいる搭乗者に顔を上げ、短く荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと言葉を漏らした。

 

「俺は……」

 

 

 

 リアは砲弾が外れた事にまず放心していた。

 この局面に来て……こんな時でさえなお、自分の射撃能力は自身を裏切るのかと。

 だが、すぐに動揺が取って代わった。

 

 モニター越しに見つめるその男。

 共和国の軍服を纏い、まず間違いなく自分が復讐を誓った相手の筈だった。

 

 だが、砲撃で弾けとんだ軍帽から現れたその髪。

 肩まで届きそうな男にしては長い髪の色は、黒かったのだ。

 ただ先程まで軍帽の下から除いていた毛先だけが、まるで染めていたかの様な白銀。

 

 ―――何故。

 

 動揺が頭から体に、手に次第に伝わり、その震えが操縦桿を揺り動かす。

 すると相手は、ゆっくりとリアが放った射線にまるで撃ってくれとばかりに移動し、その身を晒す。

 

 そこでようやく相手の顔が見えた。

 見掛けた事はない顔だ。

 

 その筈だ。

 その筈なのに、どこか引っ掛かる。

 

 そして相手が遂に顔を上げ、こちらを見詰める瞳は予想していた銀ではなかった。

 

 まるで阻電攪乱型が散った裂け目から覗く、空の色。

 陽光が眩しく照らす、よく晴れた日に覗かせる色だ。

 その空を写し撮ったかのような蒼穹の瞳。

 

 ―――そのどこか懐かしい瞳が真っ直ぐ自分を見ていた。

 

『俺は、貴方に撃たれて当然の人間だ。だから、……撃ってくれて、構わない』

 

 それに……この声。 

 二年前に聞いた覚えがある声だ。

 

 忘れるはずがない。

 共和国に別れを告げた際、最後に会話をした風変わりなハンドラー。

 

 リアは相手と外部通話をしようと、パネルを操作するも機能しない。

 ただ、外部音声を拾って来るのみで、こちらの言葉を届ける術はない。

 苛立つように手を動かしたせいで、負傷した左脚に痛みが走り、呻き声を漏らす。

 

『でも、その前に、聞いて欲しい。貴方がどこの誰だろうと構わない。命乞いをする訳でも、時間稼ぎをしている訳でもない。ただ、……最後に少しだけ聞いて欲しいんだ』

 

 言葉を返す事は出来ない。

 それだというのに、了承など必要ないとばかり、あのハンドラーは言葉を続ける。

 浮かべている表情は悲痛に歪み、言葉には堪えきれない熱が籠もっている。

 

『俺はアルバの身分を偽り、今まで生きてきた。同じ迫害される身でありながら、生き延びてきた裏切り者だ』

 

 あのハンドラー、以前イスカリオテと名乗った男。

 いや、よくよく見ればリアと同い年位の少年だ。

 今更になって、その事にリアは気が付いた。

 

 何故か、目の前に少年が道に迷い、今にも泣き出しそうな子供の様に見えた。

 ふと、目を離せば消えてしまいそうで。

 

 その姿に。

 何故かその姿に既視感を覚えた。

 

『あの子との約束を守る為に、俺は一体……どれ程の罪を重ねたか。そんな俺が一瞬の痛みで死ねるだなんていうのなら上等すぎる位だ』

 

 何を言っているのか、こいつは。

 何故、自分を殺してくれと言いながら、何故そんなにも安堵した表情を浮かべているのか。 

 どうしてそんなにも泣き出しそうなのか。

 

 別に涙が浮かんでいるわけではない。

 ひび割れたモニター越しでは、そこまで鮮明に相手の顔を見れるわけではない。

 でも、何故だろう……わかってしまう。

 険しい表情の後ろに隠された真意を。

 

『だから、撃ってくれ。貴方にはそれをするだけの想いと資格ある。そうだろ……。だから、ここまで来てくれたんだろう?』

  

 少年の願いに反し、リアは操縦桿から手を離してしまった。

 ズキンと傷が原因だけではない鈍痛が頭内で断続的に沸き起こる。 

 

 いつだったか。

 泣いてもいいのに、泣き出さず、ただじっと耐えているそんな男の子の手を引いてやっていた事があったのだ。

 転んで膝を擦りむき、じっとやせ我慢をしていたあの子の事を何故か思い出した。

 

『俺の名は……』

 

 リアは血に濡れた手をモニターに伸ばす。

 思考は否定していても、感情が一つの消えない考えを持ち出してくる。

 そんな筈はないと。

 

 ―――でも。

 

『俺の名前はヨナイス・ラングレイ』

 

「っ……」

 

 その名を忘れる筈がない。

 

『貴方がどれだけ俺を恨んでくれても構わない。でも、どうか。たった一つのお願いだ。俺の名を、忘れないでくれ。覚えていて、欲しい』

 

 ヨナ。

 あの子の名前を名乗った少年の目元に陽光が反射し、モニターを煌めかせる。

 顔を悲痛に歪め、年相応に初めて幼く見えたその表情は泣いている。

 肩を震わせ、ヨナは涙を零している。

 

「ヨナ……?」

 

 どうしてあの子がここに……。

 負傷で鈍い頭はまともな思考など返してはこない。

 

 あの子がこんな所にいるはずがない。

 だって、あの子はあの時、連れて行かれて……。

 

 それがどうして白豚の軍服を着て、自分の前に立っているのか理解出来ない。

 それどころか、二年前のあの日もずっと、あの子の声を聞いていて……。

 

 分かるはずがないのだ。

 声変わりはしているし、今その姿を実際に見ていても、面影を思い出す事すら難しい。

 錆び付いた記憶は色褪せたモノクロ映画の様で……。

 

 自身と同い年だった筈なのだから、成長期を迎えた今のあの子の姿は何一つとして昔の記憶と結び付かないかもしれない。

 第一あの頃、あの子は耳が聞こえなくて、そのせいで満足に自分の名前すら発音する事が難しかった筈なのに。

 

 ―――でも、あの瞳だけは、黒髪だけは。

 

「ヨナ……なの」

 

 確信を持って言葉を吐き出した。

 何にせよ、生きていてくれたのだ。

 

 だけど、どうしてただ、名前を名乗っただけでそんな絶望から救われた様な、安堵した表情を浮かべているのか。

 命を奪おうとしている相手に、何故抵抗もしようとしないのか。

 

「ヨナ!私、リアだよ!ヨナ!!」

 

 声を張り上げようと、共和国製のジャガーノートならともかく連邦制のフェルドレスは声を外には届かせられない。

 それでもリアは叫んだ。

 叫ばずにはいられなかった。

 

「ヨナ!どうして、そんな所にいるのよ!危ないから退いてよ!ヨナっ!!」

 

 聞きたい事は山程ある。

 言いたい事も山程あるのだ。

 

 ―――それが出来ない。

 

 あれ程、あの時から月日が経ち、もう檻の中にはいないというのに自分はまたもや何も出来ない。

 

 ヨナはただ微動だにせず、砲撃を待っている。

 手を広げ、まるで誰かを迎えようとする様に、笑みすらも浮かべて、ただ静かに涙を零す。

 

 リアは機体を拳で叩き、力に任せ、機体に挟まれた左脚を引き抜いた。

 機体の破片が肉を抉り、出血が更に増す。

 それでも今だけは痛みも何も感じなかった。

 

 無事な右足でキャノピーの天井を蹴り上げる。

 リアの力を持ってでさえ、歪んだ機体の操縦席は開く事はない

 

 それでも何もしない訳にはいかなかった。

 

 ―――その時。

 

 少し離れた上空で砲撃音が響いた。

 リアとヨナは同じく意識を空に向け、すぐにヘリコプターのローター音が響いてくる。

 

 木々を抜け、頭上に姿を現したのは、ギアーデ連邦の

国章を印した友軍機だった。

 

『そこまでだ中尉。そこのサンマグノリア共和国の士官殿もだ。こちらに敵対の意思はない』

 

 リアのデバイスの故障を知っているのだろう、拡声器で停戦告げられ、リアは動きを止める。

 ようやく本隊が追いついてきたのだ。

 皆が死んでしまった後では、本当に今更だか……。

 

 少し離れた平原に降り立ったギアーデ連邦の機甲部隊がヨナと接触を果たしている。

 自分の機体にも切断工具を持った部隊が救助に来てくれている。

 何も、もう心配はいらない。

 

 それでもリアは手を伸ばした。

 視界が黒く沈んでいく。

 血を流しすぎたかもしれない。

  

 でも、あの子が。

 自分の側からまたもや離れようとしている。

 また、あの時と同じではないか。

 

「置いて、行かないでよ……っ」

 

 リアの視界は薄れ、抗いようのない意識の消失が訪れる。

 

「ヨナ……」

 

 

 

 ヨナはふと名前を呼ばれた気がして足を止めた。

 機甲部隊の隊長と名乗ったギアーデ連邦の少佐に声を掛ける。

 

「あの機体の搭乗者は大丈夫でしょうか?」

 

「問題ない。彼女はこちらで救護する準備は整っている」

 

「彼女……」

 

 ヨナの呟きは聞こえていなかったのか、無線で連絡を取っていた隊長はヨナに内容を報告してきた。

 

「現在、我が軍の部隊でそちらの指揮官と操縦者1名を保護している。このままその二名はグラン・ミュールにそのまま護送する手筈となった。貴官はどうされる」

 

「そうですか、感謝します。ですか、俺は自機をこのまま放置出来ないので」

 

 ヨナは後ろに鎮座している相棒を指さした。

 何せ譲り受けた機体であり、共和国のものだ。

 

「しかし、共和国外周部には地雷原が存在するという情報だが」

 

 ヨナはその情報に目を張ると共に、軽く笑みを浮かべた。

 

「ちょっと寄りたい所もありますので」

 

 ヨナは敬礼し、彼らと別れ機体に乗り込んだ。

 交戦の意思はない事を示す為、キャノピーは開けたままだ。

 機体を転回する前に、先程別れた機体に視線を向ける。

 

「死にぞこなったな……」

 

 連邦のフェルドレスは機体外壁部を切断され、中の搭乗者の救助はもうすぐ完了するだろう。

 搭乗者は助かるだろうか。

 

 あの時、本当に自分としては死んでも良かったのだ。 

 相手もそのつもりだったのだろう。

 

「まあ、……これから幾らでも機会はあるか」

 

 ギアーデ連邦の軍隊がここまで辿り着いたのだ。

 その全ての意味を理解しないはずもない。

 

 

 ヨナは機体を操縦し、真っ直ぐ超長距離砲が破壊された場所に向かっていく。

 途中、ヘリコプターの一郡がヨナの機体を超えていった。

 きっとレーナはあれに乗っているのだろう。

 

 まるで赤い絨毯の様に咲き誇る彼岸花が見えた。

 その花を踏みつける事に抵抗感を覚えながら、ヨナはそれでも機体を進めていく。

 

 寄り道をした目的はすぐに見つかった。

 大破したフェルドレスが一機。

 首を亡くした騎士のように座り込んでいる。

 

 その操縦席には一人の少年がいた。

 黒髪の赤い瞳。

 そして首元にスカーフを巻いている。

 

 ヨナは自分の操縦席を向かい合うように停止させた。

 互いの顔をしばし見合わせ、向こうの少年は少し困惑しているように見て取れた。

 ヨナは敬礼しようとしていた手を途中で止め、口を開いた。

 

「極秘任務の完遂、感謝します。アンダーテイカー」

 

「どうして俺を……」

 

 アンダーテイカーは驚いた様にヨナを見て、ヨナはそれに苦笑を返した。

 

「貴方の操縦記録に何度泣かされた事か。見間違える筈がないでしょう」

 

「……そうか。イスカリオテ、貴方でしたか。俺も貴方の声を聞き違えるはずがない」

 

 シンと顔を向き合わせ、互いに苦笑する。

 それから、ヨナはグラン・ミュールの視線を向けた。

 

「こちらも約束は守りました。あの三人は今も生き残っています。この先の戦いまでは保証出来かねますが」

 

 シンはそこで初めて大きく表情を動かし、胸ポケットに手を伸ばした。

 

「そうですか。あの三人が」

 

 ヨナは共に防衛戦を戦い抜いた三人を思い出す。

 流石号持ちなだけあり、今も戦っていてくれているだろう。

 

「えっと、時にそこの小動物は何者なのですか?」

 

 ヨナはどうしても尋ねる事を止められず聞いてしまった。 

 先程から機体の影に隠れるようにして長い髪をぴょこぴょこと動かしている少女についてだ。

 

「気にしないで下さい。こいつは唯の密行者なので」

 

「密行者とは何じゃ!わらわは人質としての大事な役割があるといったであろう!」

 

 少女が憤慨した様に飛び出してくる。

 よく見ればアンダーテイカーとこの少女の風貌はよく似ている。

 もしかして生き残りの親族でもギアーデ連邦で見つかったのだろうか。

 

「フレデリカ、黙ってろ。余計ややこしくなる」

 

「成程……ギアーデ連邦も完全にまともとは言い辛い様ですね」

 

 こんな少女が軍服を着ているのは、おかしいとしか言いようがない。

 更に言えばこんな戦場のど真ん中にいるのは異常と言う他ないだろう。

 

「っと、失礼。共和国と比べるまでもないですね」

 

 少なくとも装備はまともで、こうして本隊が合流しているのだ。

 子供に戦わせ、傍観を決め込んでいた共和国とは比べるまでもない。

 

「でも、イスカリオテ。貴方は共に戦われたのでしょう」

 

 シンはヨナの機体に視線をやり、その破損具合から戦闘の歴史を読み取っている様だ。

 

「いつだったか。言いましたよね」

 

 シンは真っ直ぐヨナに目を向けてくる。

 

「共に戦ったのなら名前を聞いてほしいと」

 

 二年前のあの日事をまだ彼は覚えてくれていたのだ。

 その事にヨナは驚き、意味もなく佇まいを直した。

 

「ヨナ、ヨナイス・ラングレイです」

 

「シンエイ・ノウゼン大尉です」

 

 シンの敬礼に対し、ヨナが敬礼を返す事はない。

 それでもシンは察した様に何も言ってこなかった。

 暫しの沈黙の後にヨナは、シンに尋ねる。

 

「ミリーゼ大尉はさぞ驚いたでしょうね。出来ればその現場に居合わせたかったのですが」

 

「……いえ、言っていません」

 

「え、それはまたどうして」

 

 少なくともミリーゼ大尉の努力に対して、シンの存在だけでも充分救いになるはずだ。

 だが、シンは口籠った様に、それはと言葉を選んでいる。

 

「単なる男の児の維持じゃ。そなたならわかるであろう」

 

 フレデリカの言葉になんとなくヨナは分かった様に頷く。

 それにしても偉そうに腕組みをしたこの少女は本当に一体何者なのか。

 

 そこでシンのデバイスに通信が入ったのだろう。

 面倒そうに返答を返している。

 

 ヨナは機体からシンと同じく飛び降りた。

 キュクロプスもここで機体を放棄しているし、自分もそうする他はない。

 

 全く、散々人には機体を大事にしろとか言っておいて、あの女は。

 

「そなた、これからどうするのじゃ」

 

 そこで、いきなりフレデリカが曖昧な質問をぶつけてきた。

 

「これから……?」

 

 別に次の部隊に、共和国まで連れて行って貰うつもりだ。

 だが、そんな分かりきった事をこの少女は聞きたかったのだろうか。

 

 問いに対して答えは出てこない。

 元々、大攻勢で生き残れる可能性は低かったのだ。

 それでも最後まで抵抗するつもりで準備を進めてきた。

 

 その中に自分の生死の勘定は含まれていなかった。

 途中で脳の過負荷で死ぬか、レギオンに殺され、野垂れ死ぬかと考えていたのだ。

 

 だが、こうして生き残ってしまった。

 

「責任を取るべきだ……か」

 

 罪を償うべきだ。

 自分が誰かに放った言葉が跳ね返ってくる。

 安易に逃げる訳には行かない。

 

「共和国に戻ってすべき事をするさ」

 

 ヨナは首をすくめ、フレデリカに答えた。

 

「そなた、シンエイ以上に難儀な性格をしておるな。よいか。いつでもギアーデ連邦の門はそなたに開いておるぞ」

 

 呆れた様にフレデリカは肩を竦めている。

 

「それってどういう……」

 

「逃げたくなったら逃げていいという事じゃ。そなたが背負うべきものの範疇を間違えるなという事じゃ」

 

 そう言うとフレデリカは、走ってシンに追いついていった。

 

 

 

 ―――こうしてサンマグノリア共和国は、国家としての体裁を僅かばかり保ちながら、ギアーデ連邦の救援に救われたのだった。

 




久しぶりですが、息抜きに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35話 希望

「おかえりなさぁーい!!」

 

 陽気な男の声と共に、紙吹雪が玄関に舞う。

 現在シン達、ノルトリヒト戦隊は休息の為、連邦まで帰還しているのだ。

 それを祝うべく、エルンストとテレザは玄関に勢揃いした七名に向け、満面の笑みを浮かべる。

 

「いやあ、嬉しいねえ。連邦に来て二回目の生誕祭。今度こそ、君達にプレゼントを渡せるよ」

 

 全員は苦笑して、各々返事を返す。

 ただいま、と。

 帰る家を持たなかった彼らが、初めてその言葉を口に出す。

 それから、遅れてやってきたリアに向けてエルンストは声を掛けた。

 

「アリシア君、怪我の具合はどうだい。もうすぐ原隊に復帰出来そうとは聞いているけど」

 

 リアは煩わしそうに右腕の松葉杖を突き、かつんと音を立てる。

 

「一応、運動に支障がない位には。もう一生スカートは履けないかもだけど」

 

「そうは言うが、私が何度勧めてもリアは履いたことないくせに」

 

 そこでカイエが進み出て、エルンストから二人分のプレゼントも受け取る。

 それから振り返り、じとっとリアを見返す。

 

「それと、嘘は駄目だぞ。軍医からまだ暫くは運動を控えるように言われただろう」

 

「はいはい」

 

 リアがぶーぶーと文句を垂れ、そこにエルンストが手紙の束を差し出す。

 

「はい。あとはこれは君のファンの人達からだね」

 

「……何それ」

 

 リアは嫌そうな顔を浮かべるが、カイエがさっと受け取り、ほうほうと面白そうに差出人を眺める。

 

「あれ、そっか。前線には情報が行ってないんだね。ほら、アリシア君が前にテレビ番組で歌った事があっただろう。それが今、結構有名になっていてね」

 

「え……っ」

 

「ほら!私の言った通りだったろう」

 

 カイエがドヤ顔で、誇らしげに薄い胸を張る。

 そういえばそんなこともあった、とリアは額を抑えて呻いた。

 

 何時の事だったかテレビの取材で、カメラの前で歌った事があった。

 公園で口ずさんでいると、声を掛けられたのだ。

 確か、歌が上手い素人さん発見みたいな番組だったか。

 カイエに無理やり説得されての事だったが、あの時は軽い気持ちだったのだ。

 

「どうしよ……。ジャガーノートで突撃すれば元データ返してもらえるかな」

 

「リア、落ち着け。もう手遅れというやつだ」

 

 半ば真剣な顔で呟くリアの背中をカイエは押す。

 首を捻りながら抵抗を続けるリアを部屋の中に押し込んで行った。

 

「さあ、何はともあれ君達の帰還をお祝いしよう!」

 

 こうして久しぶりに穏やかな休暇を迎えたのであった。

 

 

 

 朝、軽やかな足取りで雪が降り積もる街並みを一人の少女が走っている。

 肩まで伸びた艷やかな黒髪を軽く後ろで括り、白い息を吐く。

 途中、左脚の調子を確かめる様に軽く飛び跳ね、よし、と小さく頷いた。

 

 医者からの許可が出たリアは運動を開始し、元の体力に徐々に戻しているのだ。

 最初はカイエも様子を見る為に、運動に付き合っていたのだが、体力お化けにはついて行けないという事で今では不定期だ。

 

 本当はすぐに部隊に戻りたかった。

 あの共和国では未だ戦闘は継続していたし、何よりリアは行かなければならなかったのだ。

 

 ―――会いに行かなければならない人がいたのだ。

 

 それでも負傷のせいで医務室に拘束され、その想いは叶わなかった。

 それに仲間からその体では行っても、何の役にも立てないと説得されたからでもある。

 きちんと怪我を癒し、部隊編成を整えてからだと。

 

 一気にラストスパートを掛け、家まで辿り着く。

 息を整えていると、玄関前の花壇で球根を植えているカイエがこちらに気付き、手を振ってくる。

 

 でも……。

 ただ、待つだけの生活もようやくこれで終わりだ。

 

 

 

 その日の夜。

 エルンストからシン達に部隊編成の通達が知らされた。

 

「独立機動部隊……?」

 

 エルンストからエイティシックスのみで構成される部隊編成を提案される。

 

「それって要するに今まで通り、レギオンをぶっ潰せって事だろう」

 

 ライデンの雑な言い方に、エルンストは首肯する。

 

「そう。前線で戦いたいという君達の希望に沿った、あくまでも僕個人の提案だ。問題は、直属の上官となる客員士官についてなんだけど……」

 

 全員でセオが持つタブレットに顔を覗かせる。

 

「まあ……別に」

 

「いんじゃない」

 

「そうね」

 

「ああ」

 

 リアの背中にカイエが飛び乗り、肩越しにタブレットを見る。

 

「うむ」

 

「……う~ん」

 

 苦虫を嚙み潰した様な曖昧な返事をリアはして、最後にシンが残った。

 シンの表情に全員が注視していた所、エルンストが言葉を続ける。

 

「それと、その客員士官の補佐として一名の副官が選出されているんだ。あとは部隊員全員の情報が載ってると思うんだけど」

 

 セオがタブレットの情ページを捲る。

 すると夜黒種と青玉種の混血だろうか、黒髪と透き通った青い瞳をした青年がひどく淀んだ表情で写真に写っている。

 

 奇妙な事は一つだけ。

 その少年は有色種でありながら、共和国正規軍人の少佐階級の軍服を着ていた。

 

「……っ」 

 

 リアが小さく息を吞み、その動きがカイエにも伝わった。

 シン以外の他の全員は知らない顔と名前に、小首を傾げるのみだ。

 

「それで、これはあくまで提案なんだけど。まずは部隊の顔合わせという事で、共和国にこちらの部隊員を数名送ろう、という話が上がっているんだ」

 

 セオが次に捲った情報には全部隊の情報が記されている。

 とはいっても未だにその数は少ない。

 載っている情報も家名がなかったりであったり、ただのパーソナルネームであったり……。

 

「あ……」

 

 ただそこに見知った者の名を見つけ、誰ともなく声が漏れた。

 

「勿論、君達が望まないならこの話はなかった事にするけれど……」

 

 そしてエルンストが反応を伺いながら、言葉を濁した。

 

「行く」

 

 間髪入れず言葉を返したのはリアだ。

 どこか戦場に赴くかのように決意を固めた表情でだ。

 

「やはり……先ほどの少年がリアが探してた人物なのか」 

 

 カイエが手を伸ばし、再び副官の情報を表示させた。

 

「えぇ!?この人がリアが探していた幼馴染……、生きてたの!?」

 

 クレナがセオからタブレットを引っ手繰る勢いで、顔を寄せる。

 

「ついでに言うと、二年前に俺達を送り出したハンドラーの一人だ」

 

「へぇ。こいつがあのハンドラーの亡霊かよ」

 

 シンの捕捉にライデンが興味深そうに笑った。

 それにセオが顔を上げて、ああと声を上げる。

 

「そっか。シンとリアが最後に会ったっていう共和国軍人の事?」

 

「わらわもその時に会っておるぞ!」

 

 フレデリカが立ち上がると、リアに向けしたり顔で隠しきれない笑みを浮かべる。

 

「そうか。そうじゃろうて。行かねばならんじゃろうて。何せそなた、生き別れておった幼馴染に向けて、88ミリ砲を発射しおったのじゃからな。一体どんな顔をして、くしし。ぎゃああああっ!」

 

「フ・レ・デ・リ・カー!」

 

 リアに襟首を掴みあげられたフレデリカが鶏を絞めたような声を上げる。

 悲鳴を上げるフレデリカに向けて、エルンストが真顔で忠告をした。

 

「こら、フレデリカ。あの件は公式には誤射となっているんだ。口を滑らせないようにね」

 

「わ、わかっておるわ!」

 

 エルンストに諭され、フレデリカはリアに吊るされたまま大人しくなる。

 それからエルンストは次に残る6人に顔を向けた。

 

「それで、他に希望する人はいないかい?」

 

「じゃあ、私も」

 

 そこでアンジュが小さく手を上げた。

 

「アンジュも行くの?」

 

 クレナが戸惑う様に声を上げ、瞳を揺らした。

 

「うん。……待ってるって言ったけど、いつまで待っても彼、追い付いてこないから。ね」

 

 小さく笑みを浮かべてアンジュが口を零す。

 それにクレナが顔を伏せ、小さく肩を暫し震わせ、それから決意の表情を浮かべた。 

 

「あたしも!あの時、……レッカを置いてきちゃったから。きっと怒ってるだろうけど、会いに行かなくちゃいけないから!」

 

 クレナはそのまま不安そうにシンの方に視線を向けた。

 

「いいよね、シン……?」

 

「ああ」

 

 シンのそっけない首肯にクレナはうん、と大きく頷く。

 

「じゃあ、この三名で決定かな。まだ時間はあるから希望はいつもで受け付けるよ。あ、でも。わかってはいると思うけど客員士官を迎え入れなきゃいけないから、全員は駄目だからね」

 

 エルンストが満足そうに頷き、話は終わった。

 そしてセオがタブレットを置き、頭の後ろに手をやる。

 

「あ~あ、残留組は野郎ばっかりかー」

 

「セオ、その話は聞き捨てならんぞ。私もいるのだからな」 

 

 カイエが眉を潜めながら、セオを上から覗き込む。

 

「あ、そうだった。ごめん、なんかカイエってあんまり女子っぽい感じしないからさあ」

 

「ほう、それは初耳だな。そうか、そうか。セオはそんな事を考えていたのか」

 

 カイエはぽんぽんと、セオの腕に手を置く。

 

「え、あれ。痛い、いたた!ちょっと、カイエさん!?」

 

 頭の後ろに組んだ腕が痛む事にセオは気付き、慌てて振りほどこうとするが、痛みは増すばかり。

 それを全員で笑っていると、フレデリカがリアの抗議の声を上げた。

 

「アリシア!いつまでわらわを吊るしておくつもりじゃ!」

 

「あ、ごめん。忘れてた」

 

 リアがすとんと、フレデリカを離すと、フレデリカは振り回されて乱れた髪を押さえて直し始める。

 

「リア、私がいないからといって、暴走しては駄目だからな。あと、絶対に拳銃には触れない事」

 

「わ、わかってるわよ」

 

 椅子に撃沈しているセオを放り出し、カイエはリアの傍に寄った。

 思い返せば二人が離れ離れになる事は、ほとんどなかったはずだ。

 その事に一抹の不安をリアは感じるも、それ以上に行かなければならない想いが勝っていた。

 

「あの女にはよろしく伝えといて……あの手紙読んでなかったら殴っちゃうかもしれないけど」

 

「あはは、伝えておく」

 

 カイエは笑い、それから表情を緩めた。

 

「それと、良かったな、リア」

 

「……うん」

 

 珍しく大人しく返事を返すリアをカイエは暫し見つめる。 

 

 この二年。

 自分自身を消し去ろうと追い立てるかのような戦生活を続けていた親友をカイエは想う。

 結局、自分ではリアの支えとなってあげる事は結局出来なかったのだ。

 共にいる事は出来ても、救いとなってあげる事は出来なかった。

 

 だから。

 あの生き別れた幼馴染との再会を、心からカイエは望むのだ。

 いつか彼女が心から安心して、それこそ涙でも零し、自分を赦して上げられる日が来る事を切に願って。

 

「アリシア……じゃが」

 

 フレデリカが少し恨めがましい表情を浮かべながら、リアに声を掛ける。

 見下ろすフレデリカの紅い双眸が微かに揺らめいている。

 

「あの者。早く行ってやらねば危ういかもしれぬぞ」

 

 その瞳の奥は仄暗く淀んでいた。

 

 

 

 サンマグノリア共和国を一人の少女が歩いている。

 崩壊した首都の街並みを雪が降り積もる中、レーナは足取り重く進む。

 

 レギオンの支配域から首都を取り戻し、初めて足を踏み入れたレーナはその惨状に言葉を失う。

 だが。

 それでも、生き残ったのだ。

 

 東になんとか逃げ延びていた共和国民は、ギアーデ連邦の救援軍に救われた。

 そして防衛部隊でなく、なんとかシェルターに逃げ延びていた多くの市民、それに86区の人々も。

 何より囚人として捕らわれていた有色種の大勢の人々は救われたのだ。

 凡そ5万人という、当初予想されていた数字を大きく上回る形でだ。

 

 それでも―――多くの犠牲を払いながら。

 呼び掛けに応じてくれた86区の方々、それに銃を取り立ち上がった数少ないながら賛同してくれた共和国の方々達。

 それに……。

 

『神聖サンマグノリア共和国より、お知らせです。レギオンの支配は終焉を迎えました』

 

 レーナの思考をノイズが掛かった放送音声が打ち切った。

 広場に半ば無許可で設置されたスピーカーから白系種の人々にのみ呼びかける放送が毎日の様に流れているのだ。

 

『我ら神聖サンマグノリア共和国は、ギアーデ連邦なるレギオンを作り出した帝国の血を引く国家の救援を受ける旧サンマグノリア共和国とは違い、我ら自身の力のみで敵を迎撃いたしました』

 

 レーナの顔が歪む。

 毎度毎度この放送は、聞いたことのない国家の名を語り、全くの嘘偽りを垂れ流すのだ。

 

 正体はわかっている。

 東に逃げ延びたレーナ達とは違う集団。

 西に逃げ延びた共和国の人々が主張する新たな新生政権だ。

 

 今現在、共和国は東西に分断されている。

 東側は連邦の救援を受けながら、自ら銃を持ち、戦闘訓練を受け、共和国の力になろうとする白系種の人々が大勢いるなか、西側は違うのだ。

 彼らは救援物資だけを受け取っておきながら、勝手に置いて行くのだから拾っただけだと嘘を吐き、未だエイティシックスを自分達の物だと、戦力として使おうと主張するのだ。

  

 ―――あまりに愚劣すぎる。

 

 何が彼らをこうも分けたのだろうか。

 一度でも自ら戦おうと選択した者達との違いなのだろうか。

 そして、それを焚きつけたのは彼だ。

 彼の行動が全てを変えていったのだろう。

 

『いずれ神聖サンマグノリア共和国が誇る自律無人戦闘機械がエイティシックスの愚鈍な力がなくとも共和国全域を取り戻すでしょう』

 

 その正体はヨナと、彼に賛同した人たちが作り上げた自動操縦システムだ。

 自律とは程遠い代物であるはずのものだ。

 それも、共和国内のインフラが壊滅した今となっては、レギオンの支配域ではハリボテにしかならないはずなのに。

 それを分からないはずがないのだ。

 だからこそ、未だ86区の人々にまだあんな仕打ちをさせようとしているのがその証拠だ。

 

『残念ながら先の戦闘で自律無人戦闘機械の設計に携わり、共和国を救った英雄リードルフ・シュタット大佐は殉職されました。彼の献身と共和国の散っていった白系種の人々に哀悼の誠を捧げます』

 

 その言葉にレーナは足を止めた。

 

『神聖サンマグノリア共和国万歳!五色旗に栄光あれ!』

 

 




またまた主人公が死んでおられるぞ!
評価ありがとうございます。
もう少しお付き合い下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36話 罪悪感

ちょっと変えました。


 そこは暗く閉ざされている。

 光の当たらない一室の壁に、人工の照明に照らされた人影が写る。

 その人物は血の混じった唾液を垂らし項垂れるも、倒れ込む事は出来ない。

 ただ、その暗闇を切り取った様な瞳で、虚空を見つめている。

 

「そろそろ吐く気になったか?―――エイティシックス」

 

 部屋に据え付けられた机の反対側。

 椅子にどっかりと座り、爪を鑢でいじっていた男が声を掛けてきた。

 相手は両腕を上げる形で、捕らわれている虜囚に向けてだ。

 

「何とか言え、この劣等種!」

 

 両脇に立つ男の一人から、背中に棍棒が振るわれる。

 先程から死人の様に身動ぎ一つ取らなかった虜囚が、久方ぶりに自ら顔を上げた。

 

「…………」

 

 虜囚の肩を大きく動かす動作は、言葉を吐くためかと思われる呼吸の動作。

 しかし、男が期待した言葉は一向に出てこない。

 ただ、ヨナは大きな溜息を、長々と吐き捨てた。

 

 ―――なぜ、こんな所にいるのだったか。

 

 

 思い出すのは2日と13時間前。

 ギアーデ連邦の援軍で共和国の首都を取り戻し、避難民が仮設のプレハブで少しは落ち着きを取り戻し始めていた頃。

 ヨナはシュタット家の者と共に、怪我人の救護をしていたのだ。

 そこを、数人の武装した集団に取り囲まれた。

 

 それも連邦の目が届かない時間帯、さらに集団は正体を隠す為に避難民の格好に紛れた者達だった。

 疲れ果てた悲壮感漂う様相は本物、にこやかな表情は演技。

 そして気迫だけは狂気を逸していた。

 

 周囲の安全を優先したヨナは、大人しく連れ去られる他なかった。

 身包みを剥がされ、目隠しと猿轡をされた後、あちこち連れ回された挙げ句、現在の一室に連れ込まれたのだ。

 

 恐らく首都の政府銀行の跡地だろう。

 堅牢な地下が幸いして、倒壊した地上部ともかく未だ人が踏み入れられる場所を有しているらしい。

 

 難なく足取りだけで居場所を把握したヨナだったが、特に出来る事もなく椅子に乱暴に座らさせれる。

 後ろ手に手錠をされ、身動きを取れない様に両肩を押さえ付けられた。

 

「さて……」

 

 言葉を掛けられる。

 目の前でにこやかに手を組んでいるのは、共和国の軍服を着た中佐階級の若い男だ。

 それから、いきなりの鉄拳制裁。

 

「尋問といこうか」

 

 顎を砕かんばかりに拳を振るうのは、立場を分からせる為。

 人と家畜を区別せんとばかり振るわれる暴力の嵐だ。

 

 まさか、紅茶でもご馳走してくれるとは思ってはいなかったが、少々不愉快ではある。

 難なく能力を使用し、額で相手の拳を砕く。

 

 それを二度程繰り返しただろうか、流石にこいつらも馬鹿ではないようだった。

 あっという間に、素手から棍棒にと装備を変えてしまった。

 

「貴様の様な豚が、何故栄えある共和国軍人の服を着ている? 何故リードルフ・シュタットの名を語り、首都でこそこそと鼠の様に動き回っている?」

 

 尋問は軽い質問からだった。

 名前を聞かれ、生まれ育った場所、収容所の場所。

 

 ―――そしてリードルフ・シュタットについて。

  

 答えられる質問には答えてやる。

 どうせこいつが聞きたい事はわかっている。

 何せ、俺の事を知らない筈がないのだから。

 

 既に思い出していた。

 いつだったか白系種の優劣性を問う討論会で、やけに白熱した理論を繰り広げていた奴だ。

 その後も何度か、舞踏会や賭場で言葉を交わした事がある。

 

 だから、例え髪と目の色が変わっていても、俺のこの顔を忘れる筈がないだろう。

 たが、こいつは決して、それを認めようとせず核心に迫ってきた。

 

「あの自立無人戦闘機のシステムについて教えろ!」

 

 やはりそういう事か。

 レギオンを撃退するに至らずも、今となっては共和国が唯一保有すると思われている戦力。

 あのハリボテを、有難くもこの集団は血走った目で欲していたのだ。

 

 だから、

 

「優越種様より劣った卑しいエイティシックスなどが、そんな事を知る筈がないでしょう」

 

 と笑ってやった。

 

 ―――意識が飛んだ。

 

 どうやら頭を後ろから、思いっきり棍棒で殴られたらしい。

 目覚めると腕に点滴をされ、薬物を投与されていた。

 浴びせられた水を滴り落としながら、ヨナは至って普通に頭を振るう。

 

 男達の立ち位置は変わらず。

 袖元から覗く時計を見るも、殆ど時間は経っていない。

  

 期待の眼差しを向けられる所悪いが、笑うしかない。

 溢れた笑いを聞き、男共は相好を崩す。

 どうやら薬物が効いたと思った様だ。

 

 残念。

 生憎無駄に働くこの脳味噌は、この程度の薬では平生と変わらない。

 ペンローズ大尉の人体実験、もとい検診の方がよっぽど堪えたぐらいだ。

 

「あの……、あれ何です?」

 

 そこでヨナが口を開いた。

 まさか尋問を開始する前に、平然と出た質問に男達は目を丸くする。

 

 もう少し時間稼ぎをしても良かったのだが、つい魔が差した。

 ヨナの目線の先にはなんてことはない、ただ部屋の隅に掲げられた旗。

 どうしても気になってしまったのだ。

 

 ―――薄暗い部屋で見るには、唯の白い旗。

 

 まあ、こっから先の言葉がいけなかった。

 あの旗に何の意味が、レギオンに降伏の意味など通じませんよ。

 と、皮肉ったのが殊更悪かったのだろう。

 

「これは白ではない!純銀だ!我らが神聖サンマグノリア共和国の新たな国旗なのだッ!」

 

 顔を真っ赤にして怒られてしまった。 

 

「他の色などもう必要ないと判断したのだッ!!」

 

 なんだ、そのパチモン国家はなどと、笑っていられたのは数瞬。

 直ぐ様こうして吊るし上げられ、今のおもてなしを受ける有様となってしまった。

 そして、そこからは現在に繋がる激しい折檻の始まりだ。

 

「ああ、そういえばシュタット家の者にも話を聞く必要がありそうだなあ。何せこんな溝鼠と行動を共にしていたのだから」

 

「…………」

 

 ルイーゼ達は何をしているだろうか。

 上手く連邦が保護してくれていればいいのだが。

 きっと彼女にはまた心配を掛けてしまっているだろうな。

 だが、……他の人達はどうだろうか。

 

 救護所で向けられた視線を思い出す。

 恐怖と嫌悪が混じった顔。

 自身を色付きだと認識し、見てくる瞳。

 この国で久方ぶりに味わう見えない境界線。

 

「答えろッ!!」 

 

 再び振るわれる暴力に、ヨナは何も抵抗しない。

 停滞した時間、ゆっくりと体に染みわたる暴力を感じ取りながら、ただ耐える。

 

 ―――何を彼らに応えられるといのだろうか。

 

 彼らが望む自立無人戦闘機は、この防衛線だからこそなり得たものなのだ。

 共和国が崩壊した今となっては、量産もシステムの再構築も不可能だ。

 当然、それを言ったところで、彼らは信じないだろう。

 

 嘘を言いこの部屋から連れ出させ、逃げ出すという事も考えた。

 幾通りもの脱出方法を捻りだす時間はあった。

 だが……あっただけで、結局行動には移さなかった。

 

 ―――ただ、疲れた。

 

 抵抗する気力も起きず、ただ項垂れる。 

 こいつらから逃げ出して、その先は……。

 何が残っているというのだろうか。

  

 ―――死ぬ損なってしまったこの身に。

 

 流石に二日も過ぎると、男達も対応を変え始めた。

 薬が効かないとなれば、拷問に移行するには当然の流れだ。

 殺されるまではいかないだろうが、爪を剝がされるだけでは済まないだろう。

 

 指を斬り落とされれば、目を潰されれば、流石に後悔をするだろうか。

 見っとも無く悲鳴を上げて、泣き叫び許しを請うだろうか。 

 

 だが、そうはならなかった。

 部屋の外で断続的な破壊音。

 それから扉が開け放たれ、部屋の中に明かりが差し込まれる。

 

 かつかつと、響く軍靴の音がその明かりの中から現れた。

 光に慣れない瞳がようやく焦点を結ぶ。

 

 

 ―――ヴラディレーナ・ミリーゼがそこにいた。

 

「貴様ら、旧共和国の裏切者が何の用だ!ここは我ら純血純白憂国派が統括する場所だ!」

 

「純潔……?いえ。あなた方こそ、何をしてるのですか」

 

 レーナは中佐の激昂にも眉一つ動かさず、冷たい視線を向ける。

 それからよく通る声で告げた。

 

「レギオンの侵攻が再び始まりました」

 

「なっ!?」

 

 純血純白憂国派の連中はレーナの報告に腰を上げて、驚愕する。

 

「劣勢によりギアーデ連邦は共和国での戦線から後退。現在、共和国の全市民の避難命令が発令されました」

 

 彼らの表情に浮かぶのは恐怖。

 頼るものなどない。

 いくら自分達は隔絶された種などと宣おうと、絶対なる脅威の前には無意味だ。

 だから、彼らは視線を向けてしまった。

 今迄自分達がいたぶっていた相手に縋るように。

 

「……などというとんでもない誤報が流れていたので、その訂正にきました」

 

 レーナがそこで澄ました表情で告げる。

 

「どうやら地下に閉じこもっていた貴方がたには情報が伝わっていなかったようですから」

 

「は……?」

 

 中佐たちその場で腰を落とし、間抜けな顔を披露する。

 それから表情をすぐに変えた。

 だが、怒声を上げようと口を開く前に、部屋に笑い声が響いた。

 

 ヨナが心底可笑しそうに、乾いた声を漏らす。

 しかし、体を痛めたらしく口から掠れたうめき声が出た。

 

 レーナが初めて大きく表情を動かし、唇を噛み締める。

 すぐさま、後ろから連邦の軍人と士官が数名、ヨナの傍に駆け寄ってきた。

 鎖から開放され、手当を受ける。

 

「それで、この非常時に何をしているのですか」

 

「っ、そこの犯罪人を尋問していたのだ。このエイティシックスは事もあろうに、共和国の軍人であると偽り、我らの国家を脅かしたのだ!」

 

 中佐の言葉に、再びレーナの表情が凍る。

 

「何か勘違いされているようですが、彼はエイティシックスなどと呼ばれる筋合いはない!」

 

「何を……!」

 

 レーナが机の上に、大きな音を立て書類の山を叩きつける。

 

「彼の名はヨナイス・ラングレイ。彼はれっきとしたギアーデ連邦に市民権を持つ人間です」

 

 中佐は書類に手を出そうと、わなわなと震えている。

 

「貴方がたは救援に来てくれた連邦の市民を捉え、あまつさえ罪に着せようとしている。それは例え、どんな国家であろうと許される事ではありません」

 

「調子に乗るなよ、少佐風情が!」

 

「生憎軍服の支給が間に合いませんでしたが、先日付けで大佐に昇進いたしました」

 

 レーナは手でどうぞ、と指し示す。

 

「気になられるのでしたら、その書類ともども確認を。中佐殿」

 

 中佐はそれでもレーナに歯向かおうとしている様だった。

 戦力も立場の優位性もすでに失われているというのに。

 何が彼らを支えているのか、是非ともご教授願いたいところではあったが。

 

「……立てますか?」

 

 レーナは中佐の相手をする事を辞め、ヨナの前にしゃがみこんだ。

 

「ええ、なんとか」

 

 連邦の軍人に両脇を支えられながら、怪我の様子を見る。

 打撲はひどいが、死に直結するものではない。

 

「あと少しで人として矜持を失う所でした」

 

「……どうして抵抗されなかったのですが」

 

 ヨナの冗談を無視し、レーナは視線を落とす。

 責めているような言葉に、ヨナは気まずそうに沈黙を続ける他なかった。

 

「どこに連れて行く気だ!答えてもらうぞ。貴様は知っていた筈だ!!」

 

 部屋から出ようとすると中佐がなおも食い掛ってきた。

 

「知らない筈がない!そいつは……リードルフ・シュタット……その名を」

 

「彼は殉職しました」

 

 レーナは振り返って中佐の言葉を遮った。

 

「英雄に祭り上げた貴方がたが知らない筈がないでしょう?」

 

 中佐の顔が歪み、部屋の扉は再び閉ざされた。

 こうしてヨナは救い出された。

 

 

 

 どうやらヨナが助かったのは、ヴァンデュラム社の皆とルイーゼ達が行動してくれたからだったようだ。

 レーナにすぐに連絡を入れてくれたのだ。

 彼が連れ去られてしまったと。

 

 それから途中までレイドデバイスの反応を追いかけ、そこからはペンローズ大尉の力でまだ残っていた監視カメラの映像から怪しい箇所をピックアップ。

 行動パターンからようやく犯人達を突き止め事に数十時間。

 ようやく辿りついたそうだ。

 

 ヨナは今度は自分が患者として救護所に帰ってきた。

 

「俺の市民権の証明書類なんてよく用意出来ましたね」

 

 治療を受けながら、レーナに目を向ける。

 レーナはそこで指を困ったように軽く組み合わせ、薄く笑みを浮かべた。

 

「残念ですが書類は偽造なんです。ギアーデ連邦は戦火のいざこざで大多数の記録を紛失してしまっている様でして」

 

「では、なかなかいう様になりましたね、ミリーゼ少佐」

 

 互いにくすりと笑った所で、ヨナは訂正をした。

 

「すみません、今は大佐でしたね。昇進おめでとうございます」

 

「いえ、こんなのは唯の戦時特例で、それより少佐が……」

 

 レーナはそこで言葉を止めた。

 

「どうしました?」

 

「いえ、その。これから貴方をどうお呼びすればいいのか……」

 

「ああ……」

 

 そこで慌ただしい足音と共に、だれかが飛びついてきた。

 怪我を労る様な優しい抱擁だ。

 

「リード!あんたはまた心配させて……!良かった」

 

「ルイーゼ……」

 

 懐かしい呼び掛けだ。

 幼い頃は迷惑ばかり掛けて彼女に、弟の様に怒られていたものだ。

 

「心配かけて、ごめん」

 

 ルイーゼの背中を軽く叩き、ようやく抱擁から解放される。

 

「それとルイーゼ。……彼はもう死んだんだ。その名を呼び掛ける相手はもうどこにも存在しない」

 

「そう……でしたね」

 

 悲し気に眉を下げる彼女の後ろから、ようやく他の人々が追い付いてきた。

 シュタット家の者と、それからヴァンデュラム社の人達。

 彼らの表情は、一様にヨナを気遣う想いで一杯だった。

 

「皆もありがとう」

 

 彼らが有難くも、重かった。

 未だ自分を想ってくれる人がいる事実に。

 だからこそ、罪悪感を感じずにはいられないのだろう。

 

「そういえば、名乗ってなかったかな。俺の名前」

 

 一度全員の顔を見渡す。 

 それからレーナにも、感謝を伝えるべく軽く頭を下げる。

 

「ヨナイス・ラングレイと言います。初めまして」

 

 名乗ろうと開けた口は覚悟していた程、重く感じなかった。

 あれほど自身を裏切り者だと自覚し、本当の名前を名乗る事を恐れていたというのに。

 

「多分、親しい人はヨナって呼んでいたと思う」

 

 ああ、そうか。

 きっと俺はもう救われているのだろう。

 

 あの時、初めて名乗る事が出来た相手によって。

 名も知らぬ誰かに、もう断罪されていたのだ。

 砲撃音と共に。

 

 ―――お前は死ぬべきだと。

 

 

 




最後の最後まで、面倒くさい主人公です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37話 絶望

 

 数日後。

 レーナとヨナは連れ立って、共和国軍司令部に呼び出されていた。

 足元にはちょろちょろと動く足先が白い黒猫。

 道中、レーナが飼っていた黒猫と再会出来たのだ。 

 

「こほん。そこで、連邦軍は我々に将校を派遣する事を求められている」

 

 見知った上官の将校が咳払いで、注意を話に戻した。

 

「君達は共和国北域の奪還部隊に志願したとの事だが、間違いないかね」

 

「はい。間違いありません」

 

 レーナの返答に将校は相好を崩す。

 諸手を挙げての喝采だ。

 

 同席している連邦軍の士官達の視線は冷たい。

 清々しいと言っていいほど様変わりした部屋の様相とその態度には、ある種感動さえ覚える。

 

「いやあ、君ならそうすると上官の私にはわかっていたよ!ヴラディレーナ・ミリーゼ大佐。では、ヨナイス・ラングレイ名誉共和国軍少佐も納得済みという事かね」

 

「……ええ」

  

 投げ遣りなヨナの返答だ。

 それに引き攣った笑みを上官は浮かべる。

 

「せ、先日は少々、情報の行き違いでちょっとした諍いがあったようだが」

 

 視線を泳がせながら言葉を濁らせる。

 

「大事はないようで安心したとも。シュ……あ、いやラングレイ名誉少佐」

 

「どーも」

 

 笑みを一つも零さないヨナに、嘗ての共和国の貴族として振る舞っていた所作は何一つとして見られない。

 その名と共に総てを捨て去った様に。

 

「暫定政権の中でも一部の急進派が起こしたものであって、決して我々総意ではない。分かってくれるかね」

 

 言い訳がましい弁明はヨナにというより、同席している連邦軍の人達に向けてだ。

 それを証するかの様に、直ぐ様ヨナから逃げる様に視線を逸らした。

  

 レーナは隣に立つ戦友の姿を見遣る。

 どこに行っても腫物扱いである彼を。

 

 ―――共和国の正式な軍服を着た有色種。

 

 目を疑うような光景がそこある。

 とはいえ上着は、ぞんざいに右肩に掛けている。

 それも薄汚れた、埃まみれの古びた軍服だ。

 司令部の入口で案内の兵士に投げ遣られたもの。

 

 更に異質を際立たせているのは、その様相だ。

 先日負った傷が癒える訳もなく、赤黒く腫れた頬を晒し、包帯を巻いた左腕を吊っている。

 決して大事がないとは言えない大怪我だ。

 よくも言えたものだ。

 何よりその姿に対して、誰も気遣う素振りすらも見せない。

 

 極めつけには、名誉共和国人という蔑称。 

 名目はレギオンの大攻勢に際し、類稀な戦績を見せた有色種に送られる称号。

 

 ―――この局面に至ってなお、神聖共和国とやらは兎も角、レーナが属する共和国もエイティシックに対する扱いは何も変わっていない。

 

「……っ」

 

 レーナは拳を固く握る。

 

 だが、これが……。

 この国を救った英雄に対する仕打ちか。

 彼の行いでどれだけの命が救われたか。

 それを共和国は認めない。

 

 まさかエイティシックスに、間抜けにも共和国の中枢に入り込まれ、自分達がその彼に率いられて戦ったなどと認められようはずがない。

 

 そして、すでに彼は英雄に祭り上げられた。

 聖女マグノリアと同じく、共和国に名と威光を示すだけの過去の偉人と成り果てた。

 共和国の英雄リードルフ・シュタットと、ヨナイス・ラングレイは別人である。

 そう、決定付けられてしまった。

 

 だが、いざという時の為、死なれては困るし生きていても厄介な存在だ。

 だから、保険として首輪を付けておこう。

 そんな浅はかな考えが、先程の蔑称を生んだのだ。

 

 こんな筈ではなかった。

 他でもないレーナ自身がヨナに呼び掛けたのだ。

 再び共に戦って欲しい、と。

 

 それでも、レーナの抵抗など虚しく今の有様だ。

 合わせる顔がないと思いつつ、ヨナを見る。

 だが、彼は表面上は何も変わらなかった。

 

 威嚇の声を上げるテルモピュライを撫で、穏やかな笑みすらも浮かべている。

 その手の中で、自分の飼い猫は嬉しそうに甘え始めた。

 

「せいぜい頑張ってくれたまえ」

 

 そして、最後に有り難くも激励の言葉が送られた。

 

 

 

 

 

 一室にて、連邦と共和国の将校が向き合っている。

 後日、レーナ達は正式な通達と共に、連邦の将校と顔合わせとなっていた。

 

「こ、これは……」

 

 言葉を失っているレーナの隣で、ヨナは正面で柔和な笑みを浮かべている男を見た。

 鋭い鎌を連想させる様な男だ。

 腰の剣は飾りではないと身のこなしから察せられた。

 

「すまない。まだ諸々計画中でね」

 

「しかし……」

 

 ヨナの視界にも黒塗りされた名簿が見えた。

 レーナの動揺もさもありなんだろうが、ヨナはその真意を測りかねいていた。

 するとヴィレム准将が器用にもレーナに弁明しながら、ヨナに一瞬だけ視線を飛ばす。

 口元には軽い笑み。

 

「そういう……」

 

 ヨナは喉元で呟き、軽く頷いた。

 ……連邦にも面白い人物がいるものだ。

 書類に気を取られていたレーナは気が付かない。

 

「それと報告にあった急進派の動向だが、今の所監視の目を付けてはいる」

 

 ヨナを誘拐した一団の件だ。

 共和国を現在管轄しているのは連邦軍だ。

 そのお膝元でテロでも起こされたらたまったものではない。

 

「同時に彼に関わりのある人物の保護も完了した。望むのならば連邦への帰化も認められるだろう」

 

「ありがとうございます」

 

 ヨナが頭を下げ、感謝を述べた。

 何も首輪は名目的なものだけで有るはずがない。

 人質というのは最も、相手を縛る方法だ。

 

 だから、ヨナはヴァンデュラム社やシュタット家の人々を含め、関わりの深い人物の保護を連邦に依頼していたのだ。

 

 だが、いつもでも連邦も共和国に留まり続ける訳ではないだろう。

 その前に彼らを説得するという頭の痛い仕事が残っている。

 

 ヴィレム准将が口を開いた。

 

「さて、感謝ついでといっては何だが、一つ質問に答えて貰っていいだろうか。ラングレイ少佐」

 

「ええ、何でしょうか」

 

 ヴィレムはヨナの姿を一瞥する。

 

「何故、貴君は未だ共和国の軍人であり続ける。その理由は如何に」

 

「それは……」

 

 口を開くも言葉は続かなかった。

 答えが直ぐに出てこない。

 まるで真意を口に出すのを無意識に拒絶している様に。

 

 まさか、着慣れているからなどと答えようものなら失笑ものだろう。

 

「―――贖罪ではあるまいな」

 

 レーナが腰を浮かし掛けた。

 彼女も知らぬヨナの心の内。

 そこに彼は踏み込んだのだ。

 

「現在、凡そ五万人の迫害されていた同胞が連邦に保護されている」

 

「そんなに……!」

 

 レーナの驚愕とは反対に、ヨナは膝の上の拳を握り締めた。

 正確とは言えないまでものの、大体の人数を把握していたヨナにはその数は多いとは言えない。

 言えようはずがない。

 

「リードルフ・シュタット大佐、彼の秘密裏の行いが大勢の命を救った。これは紛れもない事実だ」

 

 ヴィレムは淡々と告げる。

 

「確かにその行いにより、裏では失われた命もあるだろう。だが、数で見るならばその天秤は容易くも傾く」

 

「それは……」

 

 レーナは言葉を挟んだ。

 ヨナの行動の真意を知るレーナには分かってしまう。

 例えどれだけ天秤が傾こうとも、その事で取り零した命に彼は苛まれるのだろう。

 

「そう言えば、例の監獄にも先日調査の手がようやく入ったのだよ」

 

 監獄とはエイティシックスの大多数を収容した施設の事だ。

 

「さぞや凄惨な光景が広がっているかと、数多の地獄を見てきた調査官らも覚悟を決めたらしい」

 

 ヴィレムはそこで一転して、笑みを浮かべた。

 

「所がだ。いざ、処刑室に入るもそこには大量の備蓄があるだけだった」

 

 結局、時間を稼ぎに稼ぎ完成させなかった場所だ。

 

「その時の彼らの顔を、報告書からは窺えないのが残念でならない。是非現場に同席したかったものだ」

 

 孤を描いている笑みを見て、レーナとヨナは視線を交わす。

 趣味が悪いという、目の前の人物の印象は両者で一致した。

 

「何故、……俺を裁かれないのですか」

 

 ヨナは嗄声でヴィレムに問い掛けた。

 今の所、共和国が犯した迫害は罪とはなっていない。

 レギオンの脅威が去っていない今、そこに時間を割く余裕はない。

 あったとしても全てが片付いた後だろう。

 

「胡乱な英雄など、所詮非道な人体実験で手に入れた技術を使用した大罪人としてしまえばいい。事実、その通りなのですから」

 

 だが、収まらない怒りはあるはずだ。

 髪と目の色を元に戻せば英雄は復活する。

 実は生き延びていた英雄が、裁かれたとなれば双方の溜飲は下がるのではないか。

 共和国も仮初めの希望に縋らず、真実を今度こそ直視出来る。

 

「さて、なんの話だか私には判らない。今、私と話しているのは、一介の少佐のはずなのだが」

 

 だが、そこでヴィレムはしれっと白を切った。

 

「兎にも角にも、あの戦場は終わった。それに付随する全てもだ。一時ではあるがな」

 

 ヴィレムは手を組み、二人を真正面から見る。

 

「眼前の脅威は依然として変わらない。参謀長としては次の戦場に注視してくれる事を望むが」

 

 ヴィレムの視線ははレーナをすぐに流れたが、ヨナで暫し止まった。

 

「成る程。鋭く研がれた刃は、場合によっては実に脆く壊れやすい……、いや」

 

 言葉を打ち切ったヴィレムは刀を握り、立ち上がった。

 レーナも合わせて立ち上がったが、ヨナはそのままだ。 

 膝の上で固く握った手が緩むことはない。

 

「この防衛戦の作戦は見事だった。代替のない人材だ。

私達は君達の様な指揮官を歓迎する」

 

 ヴィレムはそこでヨナをを一瞥する。

 

「出来る事ならば、私は彼と轡を並べと共に戦場に立ってみたかったものだが。……では、本国でまた」

 

 そう言い残し、退出していった。

 

 

 

 

 一仕事終え、最後に寄ったのは共和国指令部の一室。 

 政府中枢を失った今、暫定政権樹立までの間、連邦と協力して共和国を管轄している。

 

 その部屋の中央。

 戦闘によって軒並み優秀な人材を失った共和国は、生き残った人達に負担を強いている。

 

 その中の一人。

 山の様な書類に、埋れる様にして座る人物が顔を上げた。

 

「叔父様」

 

 カールシュタールがそこいた。

 指先をペンで汚しながら青白い顔をこちらに向けた。

 

「レーナ……それと貴様か、無事だった様だな」

 

 鼻を鳴らし、ヨナをじろりと睨む。

 震え上がりたくなるような眼光だが、ヨナは挑む様に声を上げる。

 

「お互い死に損ないましたね」

 

「あの時死んでおけばと、既に後悔しそうだがな」

 

 カールシュタールは次の書類の山を崩し、話している間にも仕事を続けている。

 到底、この二月前まで内臓が腹からまろびでていた人間とは思えない回復力だ。

 彼を救ったのは、ヨナが率いたアンダーヘッドと恨みがましく聞かされたが、知った事ではない。

 

「カールシュタール大将。北域奪還作戦に着任した件のご報告に参りました」

 

「ああ、話は聞いている。連邦の指揮に組み込まれる形となるが……レーナ、お前ならば成し遂げられるだろう」

 

「はい、全力を尽くします」

 

 そしてカールシュタールはレーナに向けていた親愛の表情から一変する。

 ヨナに向けられるのは腹立たしさを滲ませる表情だ。

 

「貴様のその腑抜けた顔を何だ。私は確か誰かに言われたはずだが―――責任を取れと」

 

 カールシュタールは自虐げに笑みを零す。

 

「だから生き残った者として、最後までその責務を果たすつもりだ。今の貴様にその想いが到底あるとは思えぬな」

 

 ヨナは口を閉ざしたままだ。

 

「……結局、貴様も何かに囚われていただけと言う事か、滑稽だな。貴様も、騙された我々も」

 

 カールシュタールは吐き捨てる様に言い放つ。

 

「英雄という要らぬ希望を残し、あまつさえレーナまで焚き付けておいてそれか」

 

「……言った事を変えるつもりはありません」

 

 ヨナはレーナに向く。

 いつもと様子が違うヨナの様子に、レーナは一抹の不安を感じずにはいられなかった。 

 

「最後まで贖うつもりです」

 

 それでもヨナの口から、その言葉は出てきたのだ。

 ヨナとカールシュタールは睨みあったまま、数秒が流れた。

 

「ならばいい。下がれ」

 

 カールシュタールは一度瞼を閉じ、直ぐに書類に目を戻した。

 

「お前達に構っている暇はない」

 

 再び書類と格闘し始めたカールシュタールから二人は離れるが、カールシュタールから声が掛けられた。

 

「レーナ、少し話がある」

 

 ヨナが部屋の外に出て、扉が閉まる。

 それを見届けてから、レーナは先に口を開いた。

 

「叔父様。彼は決して責任から逃げ出したりなどしません。ずっとそうやって戦ってきたのですから」

 

 レーナが知るヨナはそうなのだ。

 だからこそ、その彼に導かれてレーナも共に戦う事となったのだ。

 

 きっと少し疲れているだけなのだろう。

 何年も準備してきた全てが終わって。

 

 でも再び立ち上がってくれるはずだ。

 例え、約束が果たされずとも、自分の様に前に。

 その先に、想いと共に進んでいける筈だと。

 

「……何人もあの様な者を見てきた。絶望というものはな希望があって初めて生まれ落ちる。では希望がない絶望はなんと呼ぶ」

 

 カールシュタールの問い掛けにレーナは答えられなかった。

 

「地獄だよ、レーナ」

 

「ッ……」

 

「そして、そこから這い上がれる人間などいない」

 

 彼の希望をレーナは知っている。

 その希望が既に叶わない事も。

 それでも……。

 

「それでも人は前に進める筈です……っ!」

 

 レーナの必死に訴えかける瞳に、カールシュタールは優しい声で言った。

 

「お前がそうであるならばいい」

 

 それから口を開き、何かを言い掛けるようにして中する。

 言い掛けたものを飲み込むよう、一度息を吸う。

 

「例えこれから先、どの様な絶望が待っていようとも……あの時、言った事を今でも曲げるつもりはないか」

 

「はい」

 

 迷いはない返答だった。

 カールシュタールは薄く笑みを浮かべ、告げた。

 

「では、行きなさい」

 

 頭を下げて一礼し、レーナは退出した。

 その背をカールシュタールはずっと見続けていた。

 そこに確かに見える面影を。

 




叔父様、生き残っちゃいました。
もっと苦しんだほうがいいですよね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38話 真逆の願い

 

 レーナが司令部の建物を出ると、ヨナが待っていた。

 彼はゆっくりと降る雪を眺める様に、灰色の空を見上げている。

 

 レーナは掛ける言葉を、暫し失った。

 溶けて消え去っていく雪に、彼の姿が重なる。

 そのまま見失ってしまいそうで。

 

「お待たせしました。行きましょう」

 

 僅かな動揺を滲ませながら、レーナは声を掛けた。

 ヨナは一拍遅れて首肯を返し、二人並んで瓦礫の町並みを歩み始める。

 

 崩壊した建物が立ち並ぶ通り。

 この場所は、ついこの間まで戦場だったのだ。

 美しかった首都の姿は見る影もない。

 何もかもが蹂躙された。

 

 それでも。

 仮設テントや、通りに共和国の人々の姿が見える。

 他にも救い出された有色種の人もいる。

 広場で集まって遊んでいる子供達の姿が。

 あの戦場で守り抜けた人達がいるのだ。

 

 ―――ああ、無駄ではなかった。

 

 その事がレーナの心を暖かくも、ひどく揺さぶる。

 だから、きっとこの気持ちを。

 彼も同じ想いを抱いているのだろうと思ったのだ。

 

 横目で彼の表情を盗み見る。

 でも、彼の表情は何も語らない。

 喜びも、悲しみすらも一切の感情を読み取れない。

 何か大事なものが抜け落ちてしまったようで。

 共に戦っていた嘗ての彼とは別人の様だ。

 

 ふと、気が付いた。

 レーナに気が付き、親しく手を振ってくる人がいる。

 だが、並び歩くヨナに気が付くと、その手を止める。

 その表情に、一様に浮かぶのは困惑よりも嫌悪。

 

 そうか。

 傍から見るならば、共和国に今更与するコロラータ。

 虐げられてきた同族が、主人に尻尾を振っているのを見せられているのと同じだ。 

 その想いを図ることはレーナには出来ずとも、その行いが意味する事を知っている。

 

 特にプロセッサーである者達の表情は険しい。

 彼らの多くは気付いていないのだろう。

 彼が最前線で指揮を行い、最後にはジャガーノートを駆り、共に戦っていた事を。

 その正体を表す訳にいかなかった故に。

 

 ―――誰も数多の同胞を救った英雄の姿を、名さえも知る事はない。

 

「……ミリーゼ大佐?」

 

 ヨナが怪訝そうにレーナを見ている。

 どうやら何度も呼び掛けられていたようだ。

 慌てて没頭していた思考を打ち切り、顔を上げた。

 

「あ、すみません。何でしょうか?」

 

「いえ、ミリーゼ大佐はこれからどうされるのでしょうかと」

 

 ヨナは曲がり角で立ち止まる。

 どうやらヨナがレーナにお供するのはここまでの様だ。

 

「はい。これから母に挨拶だけして、準備が整い次第、直ぐにでも連邦に発つつもりです。」

 

「連邦ですか……」

 

 ヨナは空を見上げ、少し目を細める

 嘗て帝国と呼ばれていたかの地は、彼の生まれ故郷だ。

 その事に彼が何も思わない筈がない。

 

「……ヴィレム准将が言った事を気にされているのですか?」

 

 顔に出ていたのだろうか。

 気にしていないといえば嘘になる。

 レーナでさえ彼の内面は判らないからだ。

 何故、彼が未だ共和国の軍人であり続けるのか……。

 

 ―――だって、彼が探していた人は……もう。 

 

「今更、……あの国に帰りたいとは思いません。どうやら祖父母は帝国崩壊の際も生き延びたと聞きましたが、再会したいとも思いませんよ」

 

「ですが、……この国にいても今の様な仕打ちを受けるばかりです」

 

 レーナは語気を強めた。

 でなければ本当に彼は贖罪……いや、ただ自分を罰する為だけにここにいるようなものではないか。

 何故、そんな道を選ぶ必要があるというのだろうか。

 

「……まだ、放り捨てては行けない人達がいますから」

 

 ヨナは少し笑みを浮かべて、小さく答えた。

 

「ミリーゼ大佐もその一人の内ですよ」

 

「っ……私が共に戦って欲しいと言ったからですか」

 

 レーナの後悔を滲ませた言葉に、彼は柔らかく微笑んだ。

 

「ええ……。もう余り役には立てないかもしれませんが」

 

 違う筈だ。

 違った筈だ。

 だって、彼が今迄も戦ってきた意味は……!

 

 ―――生きる目的。

 

 それを失った人がどうなるのか。

 絶望しかない人の行き付く先は考えたくもない。

 

 だから。

 もし、その進む先に再び希望を得られるのなら……。

 自分が彼らから受け取った様に。

 

 レーナは一度目を瞑り、歯を噛み締める。

 それから顔を上げて、まっすぐ彼に向いた。

 

「あなたはこれからも必要な人です。―――ヨナ!」

 

 レーナにヨナは初めて名前を呼ばれた。

 本当の名だ。

 呼び捨てにされた名を聞くのはひどく久しぶりで。

 ―――それこそ幼き頃、両親と共に過ごしていた日々以来。

 

「いつだったか、二人だけの時はそう呼んでも構わないとおっしゃいましたよね」

 

 呆気に取られ呆然と口を開くヨナ。

 それにレーナが口元に指を当て、くすりと笑う。

 一本取ったとばかりに。

 

「まだまだ、これからしなければならない事があります。部隊の隊員の編制と訓練、装備並びに備品の整備などなど。休む暇がない程、山のようにあります」

 

 レーナは手を伸ばす。

 

「ヨナ。貴方がいたからこそ、この局面を乗り切る事が出来ました。貴方の行動があったから今こうして私達は向き合えています。たくさんの人達がまた明日を迎えられます」

 

 ―――今度は迷わなかった。

 

「誇っていい筈です。例え、誰がなんと言おうと貴方の行いを私が否定させません」

 

「それは……」

 

 ヨナの顔は徐々に歪んでいった。

 何かをこらえる様に。

 否定するように首を何度も振り、レーナの手を取る事はない。

 

「連邦の方に聞きました。何故共和国まで救援に来る事が出来たのかを」

 

 レーナは否定したい。

 ヨナが抱えてしまっているものを少しでも癒せるようにと。

 

「連邦の勢力圏まで、きちんと救難信号は届いていたんです。特別偵察任務に送り出した彼らはちゃんと約束を果たしてくれたのですよ」

 

 それでも……。

 その救難信号を出した人は、誰も辿り着けなかったと伝えられたのだ。

 救助の手は届かなかったと。

 だから、そこが。

 その場所が彼らの行き着いた先だ。 

 

「貴方の行いは無駄ではなかったんです」

 

 レーナの声が震える。

 それを言葉に出す事は、つまり見送った彼らの終わりを認める事だったから。

 それでも、その先に。

 再び、進むためにも告げた。

 

「だから。彼らが行き着いた場所まで共に行きましょう。そして彼らが辿り着けなかったその先に、最後まで」

 

「大佐、俺は……」

 

 ヨナの声も同じく震え、その蒼穹の様な瞳は滲んでいる。

 

「レーナで構いません。長い付き合いじゃないですか」

 

 そこでレーナはむすっと頬を膨らませる。 

 思えば随分と他人行儀な付き合いを続けてきたものだ。

 もうニ年以上の付き合いになるというのに。

 

「……レーナ。ありがとうございます」

 

 ヨナはゆっくりとだが、手を伸ばす。

 それからレーナ差し出した手を握った。

 レーナに笑みが差し、安堵の表情を浮かべる。

 確かに交わされた約束の筈だから。

 

「でも、余り親しげにしていると、どやされそうで……はは」

 

「はい?」

 

 レーナは首を捻るが、ヨナには苦笑いをされて誤魔化された。

 ヨナは後ろめたそうに、罪悪感を滲ませながら視線を逸している。

 どこか少しだけ楽しげにも感じるが。

 

「………」

 

 レーナの胸がずきりと傷んだ。

 罪悪感。

 あの日、彼らから手紙を受け取った日から、私も裏切り者となったのだ。

 きっと真実を告白すれば、自分は楽になるだろう。

 だが、言うつもりはないし、言う事は出来ない。

 

 ―――彼と同じく罪を抱えながらも、前に進もう。

 

「ははっ、はははは」

 

 突然、ヨナが笑い出した。

 見れば笑いを堪えきれなかった様に、肩を震わせお腹を抱え始めた。

 

「な、何が可笑しいんですか!?」

 

 人が深刻に悩んでいるのに笑い出すとは。

 だが、その人を食ったような笑い方は、確かに以前の彼のものだった。

 

「い、いや。レーナはもっと人を疑う事を覚えた方がいいっ」

 

「何の話ですか、全くもう」

 

 ヨナは目尻に浮かんだ涙を拭い、ようやく笑いを収めた。

 

「防衛戦の最後。あの戦場に綺麗な花が咲いていましたよね」

 

「ええ、余り覚えていませんが、そういえば一面赤い花だったような……」

 

 同時にあの場所で出会った機体の搭乗者との会話も思い出す。

 彼は無事に原隊に復帰できているのだろうか。

 

「道中、暇な時間もあるでしょう。たまには戦術教法ばかりではなく、植物図鑑でも開かれてはどうです」

 

 

 

 

 

 ヨナは一人で歩いている。

 未だ寒さは厳しいが、時折空は晴天の兆しを見せている。

 大きな雲が地面に影を作り、その下をヨナは渡りきった。

 その表情はひどく穏やかだ。

 

 部隊の編成、装備の準備も全て整った。

 全て連邦に行く前にレーナに託されていた事だ。

 

 困難はあるのは承知していた。

 元々癖ありのプロセッサーです達の意見を纏めるのだ。

 口八丁で誤魔化し、何とか体制を整えた。

 後はこれから来る彼が上手くやってくれる事だろう。

 何の心配もいらない。

 

「……またまた死に損なったな」

 

 自然と独り言が漏れた。

 そう言えば命を預けていたバルトアンデルスに対面を果たしたのだった。

 確かに拳銃を渡し、その報酬をくれてやったつもりだったのに。

 

 "貴方には、私よりもずっと前に先約の奴がいるのよ"

 

 などと訳の判らない事を言われ、断られたのだ。

 結局の所、また死に損なったということだけだった。

 

 

 ついでに言えばヴァンデュラム社の皆は連邦に保護された後、兵器の整備と開発の仕事を任され始めている。

 ランドル博士もあんなガラクタに囲まれている生活から、最新設備が整った場所に移れて幸せだろう。

 

 シュタット家の方は一筋縄ではいかないではいきそうもない。

 共和国にいれば、危険が迫ると伝えても聞く耳を持たない者が大半だ。

 勿論、覚悟を持ち自身の意志で留まると云うのならば、何も言うことはない。

 

 だが、それがもし自分の為だと言うのなら耐えられる自信はない。

 だから、理由さえなくなれば……。

 自分がいなくなれば、ルイーゼ達が狙われる心配もなくなる。

 そう……自分さえいなくなれば。

 

 立ち止まった。

 目的地に着いたからだ。

 

 久しく訪れる事が出来なかった場所。

 でも、ようやく来る事が出来た。

 

「最後までか……」

 

 自嘲が口から漏れる。

 やはり彼女は詰めが甘い。

 だから、ああも騙されるのだ。

 

 ―――最後とは何時の事かは聞かれなかった。

 

 彼女は彼らが行き着いたその先に進むと告げた。

 それは誓いだ。

 

 彼女は強くなった。

 彼らとの出会いが全てを変えていった。

 

 もう彼女は大丈夫だろう。

 きっと彼らとの再会を果たせば、折れる事なく進み続ける事だろう。

 

 じゃあ、俺は。

 俺を支えていていたものとは何だったのか。

 

 ―――あの時の約束に他ならない。

 

 きっと彼女も、あの場所に帰る事を願っていた。

 進む先には何もなかったのだ。

 ただ、帰りたいだけだった。

 それだけを望んでいたのだ。

 

 そして、帰りたい場所とはここに他ならない。

 

 だが、この場所も等しくレギオン蹂躙された。

 彼女が住んでいた家は砲撃も受けたのだろう、二階部分は完全に崩れ去っている。

 

 自分の生まれ育った家もレギオンの戦車型が倒れ掛かり、斜めになりながら彼女の家に支えられている始末だ。

 綺麗に整えられていた庭は見る影もない。

 奇しくも生け垣だけは、直されていた箇所が崩壊し、あの頃の様に一部が崩れ落ちている。

 

 足を踏み入れた。

 膝を折り、崩れ落ちる様に地面に手を尽く。

 ふと左を見れば崩れた生け垣はから、彼女の家が見える。

 

 幼い頃の自分と同じ目線。

 だが、何もかもが違う。

 過去と同じ様に振る舞っても、過去には戻れる訳もない。

 

 どれだけ足掻こうとも失われたものが、元に戻る事はない。

 あの時の約束は果たされる事は……ない。

 

 約束を果たすべき相手は既にいない。

 連邦が保護したエイティシックスの名簿にも彼女の名前はなかった。

 つまり、既に彼女はどこかで人知れず散っていたのだ。

 

 なんの為に……。

 戦う意味など、こうしてとうに消え失せていたのに。

 ただ、それにみっともなくも縋りついていただけだった。

 彼女はいない、守るべき場所も失った。

 

 ―――どこにも行く場所もなければ、帰る場所もない。

 

「……ああ」

 

 問い掛けのない静寂に、応えを返す。

 腰の拳銃の重みが、ひどく重く感じ取れた。

 

 




みんな、騙しすぎィ!
一番の被害者は誰でしょうね。
何か、一人勝手に死にそうな奴がいますが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39話 再会

作者が死んでました。


 二年前。

 

 命尽き果てると覚悟決め、皆で足を踏み出した出発点。

 そこに再び彼女達はいた。

 

「帰ってきたね」

 

 クレナが自然と声を漏らす。

 眼下にある地上を見つめながら。

 アンジュとリアはそれに、一様に小さく頷いた。

 

 どこか見覚えがある廃墟が続く。

 連邦の様な小綺麗な街並みではなく、人生の大部分で慣れ親しんだ場所だ。

 部隊の仲間と過ごしたあの場所、かけがいのないあの時間。

 

 ふと、声が聞こえた気がした。 

 楽し気な声と、響く笑い声。

 あの日々に想いを馳せる。

 

 ―――二度と戻る事の出来ないあの日に。

 

 三人を乗せたヘリはあっという間に地雷原を抜け、グラン・ミュールの崩れ落ちた外壁を飛び越えた。

 そして何の感慨もなく、85区内に降り立った。

 

 そこからは、交代の連邦の兵士と共に車での移動だ。

 サンマグノリア共和国85区内。

 強制収容所に入れられるまで、確かに住んでいた場所だ。

 何一つとして記憶にはないが。

 例えあろうとも、徹底的にレギオンに破壊された街並みに見覚えなどあろうはずもない。

 

 その中。

 まだ無事で残っている建物の前で車は止まった。

 臨時で連邦の駐屯所として使われている場所だ。

 

 車から降りた三人は案内されるまま建物の中に入ろうとする。

 そこに一人の女性が現れ、道を塞いだ。

 入口の前で女性は豊満な胸を張る様に腰に手を当てた。

 

「よう。出戻り共」

 

 浮かべるのは挑発的である獰猛な笑み。

 自然とリアが先頭に立ち、二人は視線を正面からぶつ合う。

 

「ブラッディレジーナ旗下ブリジンガメン隊、隊長シデン・イータだ。いや、今は第八六機動打撃群だったか?」

 

 女性にしては背が高いリアよりも、シデンの方が体躯が上だ。

 少し目線を上げるリアも一部だけは負けてはいないが。

 

「どいてくれない。あんたに用はないんだけど」

 

「なんだ、つれねぇな。……ああ、やっぱ色男は一緒じゃねえか」

 

 シデンの視線の移動はアンジュとクレナを一瞥して終わった。 

 

「てめえから来るならともかく、あたしらの女王陛下に迎えに来させるなんて、なめた真似しやがってあの死神さんはよ」

 

「それってどういう意味!」

 

 クレナが眉を顰め、大声を上げた。

 シンの事となると、口を挟まない訳がない。

 例え、リアの背中に隠れながらでも。

 

「言われなきゃ、わかんねえなら言ってやるよ」

 

 入口に人集りが出来始めていた。

 全員エイティシックスだろうが、どうやら大半はシデンの部隊の仲間なのだろう。

 この騒動に面白そうな表情を一様に浮かべている。

 

「二年前に死んでたはずの奴らが、今更のこのこ出てきて、でかい顔されちゃたまったもんじゃないってことさ」

 

「へぇ……。出ていく事も出来なかった人にしては言うじゃない」

 

 シデンの挑発に、リアが口の端を曲げて薄く笑った。 

 ぴくりとシデンの色違いの双眸が細まる。

 

「シンや私達が辿った道を後からのこのこやってくるのはそちらさんの癖に、よくでかい口が叩けるわね」

 

「ふっ。じゃあ、黙ってやるか。……そらっ!」

  

 シデンの蹴りが一瞬で放たれ、それをリアはスウェーで躱す。

 反撃とばかりに振るわれたリアの突きをシデンは払う。

 

 繰り広げられる拳と蹴りの応酬。

 赤髪と黒髪が軌跡を描き、踊る様に舞う。

 

「あちゃー、始まっちゃった。リアってばカイエがいなからって羽目外しちゃって」

 

「リアちゃん。怪我で動けなかったせいで、だいぶストレス溜ってたからねぇ」

 

 クレナは割と大真面目にリアを応援し、アンジュは半笑いを浮かべている。

 

「でも早く終わって欲しいかも。もう、探したいのに……」

 

「誰を探してるって?」

 

 クレナの不満げな声に、誰かが声を掛けてきた。

 シデンとリアを取り囲む群衆の一人。

 茶褐色の髪の人懐っこい顔を浮かべた少年だ。

 

「「ハルト!」」 

 

「よ、お二人さん。元気だった?」

 

 クレナとアンジュはハルトに近付き、ハルトはそれに動揺、いや喜色を浮かべる。

 

「なになに!?再会のハグ!?それなら大歓迎!」

 

「じゃなくて、その!ハルトがいるってことは!なら!」

 

 クレナはハルトの胸倉を掴み上げ、大粒の涙を堪えて居る。 

 その瞳には期待と懇願が満ち溢れていた。

 

「…………」

 

 クレナと対照的にアンジュは目を逸らす。

 片手で自分の腕を抱き、誰かの宣誓を待つかのようにじっと。

 

「だ~れだ!」

 

 だから。

 誰かが近づいて、目隠しをしてくる相手に気が付かなかった。

 

 目を塞がれたままアンジュは、顔をはっと上げる。

 開かれた口から出る言葉は上擦っていた。

 

「ダイヤ君!」

 

 手を重ね、振り返った先には予想通りの人物の驚いた顔。

 アンジュの顔が余りにも近づいたせいで、ダイヤの顔が真っ赤になった。

 

「お。驚いた?って、アンジュ。な、なんで顔を伏せちゃうの?おーい」

 

 アンジュの伏せた顔から雫が一つ落ちる。

 それからそっと伸ばした手が、ダイヤの顔に優しく触れる。

 首から左頬にまで伸びる引き攣った火傷の跡。

 それをアンジュが愛おしげに眺めた。

 

「そ、そんなに目立つかな。男前になったでしょ!それともアンジュは気になる、かな」

 

「私がそんな事気にするはずないじゃない。ダイヤ君は知ってるでしょ?」

 

「アンジュ……」

 

 二人の視線は互いを写すのみ。

 つまりは二人だけの世界。

 一世一代の機会であるこの時に、ダイヤは乗るしかない。

 

「そ、それでさ。アンジュ。もし俺がアンジュにまた会えたらあの続きを聞いてくれるって言ったよね」

 

「あ……ええ」

 

 アンジュは畏まる様に両手を絡ませる。

 

「え、えっと。俺は君の事を」

 

 ダイヤはごくりと唾を飲み込み、口を開こうとした。

 だが、それにアンジュはくすりと笑い、人差し指をダイヤの唇に当てた。

 

「あら。でも、あれはダイヤ君が私に追い付いたらっていう話だったでしょ?」

 

「え……!?嘘!?っことは」

 

「だから約束はなし、ね」

 

「そ、そんな!」

 

 アンジュは嬉しそうに笑い、涙を拭った。

 いやいやいや!、と慌てふためくダイヤを見て、アンジュはさらに声に出して笑う。

 

「だっさー、ダイヤ」

 

 クレナの上から声がした。

 二人のやりとりを顔を覆った両手の隙間から見ていたクレナに飛び乗る人物がいるからだ

 クレナは目を見開き、飛び乗った相手に叫ぶ。

 

「レッカ!!」

 

「わわっ!」

 

 クレナは上体を捻って、レッカに飛びつき返そうとしてバランスを崩した。

 地面にレッカを押し倒すようにして転がってしまう。

 

「クレナ、見ない間に随分と大きくなったわね」

 

「あ、あた。あたし!レッカに謝らなくちゃって!だって、だって!あの時、置いて行って!」

 

「はいはい。わかったから」

 

 クレナが涙をぽろぽろと零すのを頭を撫で、レッカは宥めている。

 

「もう、鼻水ついちゃってるじゃない!」

 

 大きく鼻を啜るクレナにレッカは困った顔を浮かべた。

 

「二年も経ったっていうのに何も変わっていないんだから。これじゃきっとあっちの方も」

 

 レッカは首をやれやれと振りながら、クレナに抱き着かれるままだ。

 

「何はともあれ、こうしてスピアヘッド戦隊生き残り組の再会だ」

 

 ハルトは手を打ち鳴らし、にししと笑った。

 それから首を伸ばし、未だシデンとやり合っているリアを見つけた。

 

「あれ、野郎連中は来てないの?」

 

 ハルトの質問にクレナは、ずびびと鼻を鳴らした。

 

「うん。野郎を迎えに行く趣味はねぇ。てめぇらで追い付いてこい、だって」

 

 クレナは鼻声でライデンのものまねを披露する。

 なかなかに似ているのが余計に腹が立つ。

 

「あいつら薄情かよおぉ!」

 

「まったくだ!」

 

 ハルトとダイヤが男の友情に嘆いている所で、衝突音が響いた。

 

 どうやらリアとシデンの勝負がついたようだった。

 激しい応酬があったと思わせる汚れと、擦過傷の跡。

 

 近距離で掴み合っていた二人の手が離れ、二人は一歩後ろに下がった。

 そのままシデンがよろめいて、ゆっくりと崩れ落ちた。 

 

 そのシデンの鼻から血が流れ、逆にリアは額から血が流れ落ちる。

 リアはその流れ落ちてきた血を舌で舐め取った。

 どうやらリアの頭突きが決め手となったようだ。

 

「勝った」

 

 そしてリアの勝利宣言が響き渡った。

 取り囲んでいた群衆から歓声が沸き起こる。 

 リアに全員が集まり、健闘を称え合う。

 

「うちの隊長を倒すなんてやるじゃない」

 

「ああ、やっぱり山ゴリ、いやなんでもない」

 

「リアならやってくれると信じてたぜ!」

 

 現ブリジンガメン隊の三人感想は各々だ。

 

「シンの言った通り頭を使ったら勝てたわ」

 

 リアはふふん、と優越感に浸った表情を浮かべている。

 腕組みで立つ姿はいつもよりのけ反っている。

 

「きっとシン君。そいうつもりでいったんじゃないと思うのだけれど」

 

 アンジュはあはは、と笑いながらリアの額に布を当てた。

  

 数瞬後。

 シデンが鼻を抑えながら飛び起きた。

 

「っ、やられた。噂以上にやるなウルフスべーン」

 

「言っとくけどシンはもっと強いよ」

 

 リアの忠告シデンは舌を覗かせる。

 

「そりゃ楽しみだ」

 

「それより聞きたい事があるんだけど……」

 

 リアは珍しく言い澱む。

 

「あ、そうそう。この部隊の副官に会いたいんだけど、えっとリアの……」

 

 クレナの言葉にシデンは男らしく片鼻を抑え、鼻血を吹き飛ばす。

 

「ああ。イスカリオテの事か? 今朝方はいつも以上に陰気な顔してやがったが。そういやあいつ、どこいったんだ」

 

 シデンはそう投げ遣りに答えた。

 

 

 

 首都近づくにつれ、無事な姿を留めている建物が増えてきていた。

 防衛戦の意味があっての事だろうか、ようやく共和国がどんな街並みだったのかを理解する事が出来た。

 

 窓側の座席に座るリアは、伸びた髪を片手でいじりながら物憂げに景色を眺めている。

 

 いつか帰ると誓った場所はここの筈だ。

 それに呆気なく辿り着いてしまった。

 

 ……あの子は約束を覚えているのだろうか。

 

 何故、あの子が生きているのか。

 何故、ハンドラーになっているのか。

 何故、あの場所で死のうとしたのか。

 

 ―――分からない

 

 もう、あの子の事がもう分かってあげられない。

 いや、分かってあげる資格なんてもないのかもしれない。

 

 思い出せるのは僅かな記憶の断片。

 それもたったそれだけを失わない様に、大事に抱えてきたものだ。

 

 それが。

 

「待って!」

 

 ふと、記憶の中の小さな自分が呼び止めてきた気がした。

 

「車を止めて!」

 

「な、何!?」

 

 運転手がリアの声に反応して、車を止めた。

 隣のクレナが驚くのを無視してリアは車外に飛び出る。

 

 眼前あるのは古びた家だ。

 何の変哲もない住宅街の一角。

 

 レギオンとの戦闘の余波で破壊された家だ。

 何も見覚えがあるはずがない。

 

 それでも足は止まらなかった。

 吸い寄せられるように家の前まで辿り着く。

 

 視線は家の玄関に釘付けされたまま。

 誰かが扉を開け、自分を迎え入れてくれようとでもいうのか。

 

 そんなはずがない。

 

「…………っ」

 

 足が止まった。

 止まった理由は分からないが、視線が自然と横を向いた。

 

 壊れた生け垣が目に入る。

 そして当然その向こう側も。

 

 誰かがいた。

 

 腰に手を伸ばしている男、いや少年が。

 頭上にある空の様な瞳を持つ人物。

 自分と同じ黒髪を持つ、よく知った子が。

 

 ―――あの子そこにいた。 

 

 

 

 ―――彼女がそこにいた。

 

 それを理解するの数瞬。

 幻だと否定するのに数秒。

 

 まるで始めて出会ったあの時と同じ様に。

 

 同じ場所。

 同じ情景。

 同じ想い。

 

 ―――なあ、いいだろう。

 

 例え、どれだけ罪を重ねようとも。

 裏切り者と蔑まれ、同胞を利己の為に死に追いやろうとも。

 誰かに恨まれ、明日死を迎えるのだとしても。

 

 それでも。

 この言葉を言う事ぐらい許されていいはずだ。

 許して欲しい。

 

 ―――その為だけに、生きてきたのだから。

 

「……おかえり」

 

 リアの瞳から涙が溢れ出す。

 あれ、と呟いた言葉は小さく、抑える事の出来ないそれは頬を濡らし、止まらない。

 それでも、決して目は閉じず。

 

 ―――目の前のヨナを決して見失わないように。

 

 零れ落ちる涙を拭うことはせず、肩を震えさせるまま、唇を噛み締めた。

 

 もう分からない事などないのかもしれない。

 その言葉だけでリアにはわかってしまった。

 

 どんな想いで彼がここまで辿り着いたか、自分には嫌というほど分かるのだ。

 だから、返すべき言葉は一つしかなかった。

 

「……ただいま」

 

 あの時とは違う。

 時間も姿も。

 二人が抱える想いも。

 

 でも確かに、同じものもあって。

 

 ―――二人は見つめあった。

 




よし。完結、……かな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。