転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話 (飴玉鉛)
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本編
転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話


 

 

 

 

 天啓。意味は神様が人に真理を示すこと。

 

 しかし僕に齎された啓示は、断じて神性に連なるモノから与えられたものではない。

 僕に示したのは僕自身だ。正確には僕の内から迸った、前世の記憶である。

 そう、前世だ。僕には前世の記憶がある。今から遥か未来の、名もない誰かの人生。そこに付随する経験や知識、思想などを思い出してしまった。

 だがそうなっても僕は僕のままだった。いや、正しく言うなら僕は最初から僕だった、というべきかもしれない。前世の僕の影響を受けて今の僕が変わったのではなく、前世の僕が記憶を失くしたまま今までの僕は存在していた。謂わば前世の記憶が欠けていたピースで、それがふとした拍子に僕のなにかに嵌まっただけなのだろう。

 

 だから唐突に前世を思い出しても、僕は混乱しなかった。

 

 むしろ今まで感じていた違和感の謎が氷解し、納得したものである。なるほど道理で、と。道理で僕は今まで何を食べても不味いと感じていたわけだ。

 食事は、今生では単なる栄養補給でしかない。素材の味を楽しむと言えば聞こえは良いが、素材の味しかしないものを食べ続けるには、前世の僕は美味いものを食べ過ぎていた。

 なぜ未来から過去に転生したのかなんて事、考えても仕方がないのでどうでもいい。だが僕の生きた前世は今よりもずっと先の未来で、飽食の時代の平和な国だった。そんな国で生まれ育ち、何不自由なく育った嘗ての僕が、記憶がないとはいえ雑で貧しい食事に満足できるわけがない。必然、今生の僕は食事に苦痛を感じ続けていたのである。

 

 とはいえ贅沢は言えない。僕の生まれ故郷であるティンタジェルは、他所の村よりマシでも貧しい部類だ。生きていく分には困らないのなら、食事に文句を垂れるわけにはいかなかった。

 何より食事に文句をつけている場合でもない。僕が前世を思い出すと、僕は自分の置かれている境遇に気づいてしまったのだ。――僕の名前はアーサー。ティンタジェルのアーサー。騎士エクターを養父とする、遠くない未来でアーサー王と呼ばれる者だ。

 なんの因果か、僕はアーサー王物語の主役として転生してしまっていた。なぜとか、どうしてとか、そんな疑問は全て脇にどけて。自らの置かれた状況に適応するために、僕は行動しないといけなくなっていたのである。さもないと僕は――課された使命に殺されてしまう。

 

 僕は死にたくなかった。王様になんてなりたくない、戦場に出て人を殺したりもしたくない。王様として誰かに死ねと命令するのも、誰かに命を狙われたりするのもゴメンだ。

 前世の記憶を取り戻した事で未来を知った僕の心にあるのは、自分の運命に対する悲嘆の念だ。前世で暇つぶしに読んでいたアーサー王伝説の顛末は、未だ記憶に新しい。逃げ出そうにも養父は僕を逃さないだろうし、マーリンという存在も僕を王の道へと駆り出すだろう。魔術というものが現実に存在するらしい事を知っていた今生の僕は、マーリンの脅威を明確に感じていた。

 

 アーサー王伝説は、架空の物語であるはずだ。過去の世界で実際にアーサー王がいたなんて想像したこともない。ましてや魔術なんてものが実在するだなんて、たちの悪い冗談と思いたかった。

 だが実際にあるのだ。前世を思い出す前の僕は、夢の中で度々()()マーリンから剣術の指南と、帝王学、軍略、風の魔術を教わっていた。そしてそれらを現実でも使用し修行している。

 自分で使っているのに存在を否定できるわけがない。そして教わった全ての点で、少なくとも今の僕ではマーリンに及ばない自覚がある。となると、マーリンは僕を王にしようとするはずだ。

 味方と思えるのは、義兄のケイだけ。彼だけは僕の味方をしてくれるという確信がある。だがケイと僕だけで何ができる? そもそも、僕は何がしたい?

 

 僕が前世を思い出したキッカケは特に無い。ある日、目を覚ました時、自分という人間の正体に思い至ったのだ。そして自身の行く末を知ってしまった。だからこそ僕はこう思ったのである。

 死にたくない、と。

 情けない話だが、僕は死にたくなかった。人を殺したくも、殺されたくもない。誰かに死ねと命令したり誰かを殺せと告げるのも嫌だ。だがこんな時代なのだ、殺生に手を染めずに生きていけるとも思えない。だから、僕は死にたくないという想いだけに注力する。

 

 王様としての運命だとか、そんなものは知ったことではない。ただ僕は身の回りの人に死んでほしくなくて、僕自身も死にたくないだけなんだ。

 自分の命にだけ拘れたら、どれだけ楽だっただろう。だけど僕はどうしても関わってきた人を不幸にしてまで、我儘で逃げ出したいとも思えなかった。半端な事に、僕は無責任になれないのだ。

 

 ではどうする? 僕はずっとずっと誰にも相談せずに悩み続けた。

 

 マーリンを排除したら良いのか? そうしたら僕が王様にならなくても、誰も僕を責めたりしない? だけど僕がアーサー王にならなかったら、ブリテンという国は纏まらないままだ。

 そう考えるのは僕の傲慢だろうか? だがこの懸念の通りなら、巡り巡って大事な人達が不幸になったりしないか? 考えれば考えるほど、僕は自分が王様にならないといけないと思うようになってしまう。どれだけ嫌でもその道から逃れたら誰もが不幸になるから。

 悩んで、悩んで、悩み続けて、失意に支配されそうになった。だがある日、僕は一つの妙案を思いついた。これしかない、こうするのがベストなんだと閃いた。この閃きに僕は賭ける事にした。

 幸い、僕には才能があったらしい。流石は未来のアーサー王だとでも言うべきか、僕は剣術の一点だけは師であるマーリンを超えられた。風の魔術も一流の域にあると太鼓判を押され、現時点では戦闘で僕に敵う人は周りにいない。王様として立っても、物語のように活躍できるだろう。そんな自信はないけど僕の直感がそう言っている。そんな僕の力を使ったら絶対に成し遂げられる。

 

 半ば祈るような気持ちで、夜の内に僕はティンタジェルから離れた。

 人目を避けて、夜闇に紛れて逃走する盗人のように。

 もちろんケイやエクターにも黙って村を出た。話せば止められるのは分かっていたからだ。

 

 目指すのは、ケルトの風情の残るオークニーである。

 

「――近頃名を上げてきた少年騎士、というのは貴方のことですか。貴方は我が夫、ロット王ではなくこの私に用があると聞きましたが、いったい何用で私を訪ねてきたのです?」

 

 僕に問いかけてきたのは、黒衣の女。色の抜けたかのような白髪と、扇情的な肢体の持ち主。傾城の美貌は氷のように冷ややかで、妖艶な佇まいからは息を呑む色香が漂っている。

 

 ――僕は旅の中で、様々なトラブルに見舞われていた。悪名轟く盗賊、腕の立つ騎士を幾人もその牙で貫いた魔猪、人を弄び破滅させる邪悪な妖精、圧政を敷く悪徳領主。これらを退治してきた僕の存在は、それなりに知名度を高めてきているらしい。だけど僕は一度も名乗ったことはないから、容姿と服装だけが噂になっているようだ。ただオークニーを目指していただけの僕の意識には、有名になって認知度を高めようという発想がなかったのである。

 

 失敗したな、と思った。こんな事なら名乗っておくべきだった。オークニーへと一日でも早く辿り着くために、人と余計に関わりたくないと思って急いでいたのが裏目に出たかもしれない。オークニーにやっとの思いで辿り着き、ぜひ王妃モルガンに会いたいと告げても門前払いされたのだ。

 決して卑しい思惑はないと言っても信じてもらえなかった。それはそうだろう、一国の王妃に無名の少年が会いに行って、簡単に通してもらえるわけがない。もし僕が有名だったら多少は聞く耳を持ってくれていたかもしれないが。

 

 そんな単純な結末に思い至れないほど、僕は焦っていた。視野狭窄に陥っていたのだ。だからどうすればモルガンに会えるのかと、ひとり知恵を絞る羽目になってしまった。

 だが自身の猪突猛進な行動を自省しながら策を練っていると、僕が宿泊している宿に、一人の女性が訪ねてきた。それが目の前にいる美しい人である。

 外見が美しい、というのもある。だがそれ以上に、その澄み切った氷のような佇まいと、類稀な知性を宿す瞳の美しさは言語を絶する。何かを求める凄まじい執念が滲み、その執念から滲む雰囲気にこそ魅入られた。想いの性質やベクトルなど僕にとってはどうでもいい。ただそこまで想える何かを持っていると、直感的に感じられるのが素晴らしいことなのだと僕は思った。

 

 彼女は自分がモルガンだと名乗った。こんな場末の宿に、一国の王妃が単身で訪れるわけがない。普通ならそうだ。だけど、矢鱈と鋭い僕の勘が告げている。彼女は本物だ、と。故に僕はなぜモルガンがこんなところに、なんて思うことはなく素直に迎え入れ跪いた。

 モルガンはすんなり自分を信じた僕に意外そうな顔をした。一応、そんな彼女に反駁する。

 

「その前に、お訊ねしてもよろしいでしょうか、王妃殿下」

「なんです?」

「なぜ王妃殿下はお一人で、私などの許へ足を運んで下さったのでしょう?」

 

 訊ねると、モルガンは冷笑した。

 

「無知な少年騎士が、身の程知らずにも王妃へ拝謁を願い出た……そんな話を耳に挟んだので、興味本位で顔を見に来たに過ぎません。言うなれば気まぐれです。……ああ、私に護衛がいないのが不思議ですか? 気にする事はありませんよ。仮に何があろうとここにいる私は単なる影、写し身に過ぎない。この私を害そうとも、城にいる本体の私は痛くも痒くもありません」

 

 まるで僕の心を読んだように告げてくるのに、僕は察する。本当に心を読んでいそうだと。魔術は学んでいるが、どうやらモルガンは僕の想像を遥かに超える魔術師であるらしい。なら心配して余計な諫言をしなくてもいいだろう。なんであっても、影だろうが写し身だろうが、わざわざ会いに来てくれた気まぐれに感謝しよう。おかげでスムーズに話を進められる。

 きっとモルガンは気まぐれなんかで会いに来てくれたわけじゃない。なんらかの思惑があるように感じる。無名である僕に、どんな思惑を持って近づいてきたのかは定かじゃないが、ともあれ僕は僕の要件を済ませよう。

 

「失礼しました。王妃殿下、まずは私が名乗ることをお許しください」

「許しましょう。ついでに、面を上げなさい。私の目を見て話す事も許可します」

「ありがとうございます。私の名はアーサー――アーサー・ペンドラゴンといいます」

「――――ッ?」

 

 顔を上げ、その美しい瞳を見つめながら名乗ると、彼女は目に見えて瞠目した。

 しかし流石と言うべきか、瞬時に動揺を抑え込んで僕を睨みつける。

 

「……嘘、ではなさそうですね。貴方からは確かに竜の因子を感じます。それに風貌も、微かに私に似ている。念のため訊ねますが、貴方の師は?」

「ウーサー王の宮廷魔術師だった女、マーリンです」

「………」

 

 眉根を寄せ、不愉快そうな顔をする。マーリンとモルガンには確執でもあるのだろうか? 名前を聞いただけで不快感を露わにするとは。

 まあそれはいい。そんな事より、僕には願いがあった。

 

「……よろしい。貴方を本物と認めます。まさかウーサーの忘れ形見が、こうして私のもとに流れてくるとは思いませんでしたが……ふふふ、さてどうしてくれましょうか?」

 

 不穏に微笑み、冷たい殺意を纏っていくモルガンに冷や汗を掻く。

 僕は内心慌てながら口を開いた。

 

「お待ちください、王妃殿下。まずは私の話を聞いてくれないでしょうか?」

「ふむ。……まあ、いいでしょう。どうあれ、最早貴方を逃がす気はありません。ふふ、不用心ながら一人で来た胆力に免じ、特別に話を聞いてあげます」

「感謝します」

 

 僕はなぜかモルガンに憎まれているらしい。僕はまだ王になっていないし、モルガンに何かをした覚えもない。接点などなかった。なのになぜ? 本当に意味が分からない。

 だが意味は分からずとも、肌を刺す殺気は本物だ。鳥肌が立つのを感じつつも、僕は自らの身の上を一から話し出した。僕がどこで生まれ、どう育ち、身の回りに誰がいたのか。そしてマーリンに鍛えられ、自らの出生を知らされたこと。全て真実を話した。

 この時、僕の頭にはモルガンを偽ろうという心意はなかった。嘘を吐いたらその時点で詰むと、鋭すぎて未来が見えている気になるほどの直感が叫んでいたから。

 

 マーリンは、僕がウーサーの息子だと話してくれていた。そしていずれ僕が王になる運命だとも。そうした話の中でモルガンの存在も伝えられている。僕が王になったら、絶対にモルガンは僕の邪魔をしてくるはずだと。なぜだと問うと、マーリンは言った。モルガンの母をウーサーが奪い、辱めた故に恨んでいるからだと。モルガンは恐ろしい魔女だから手強い敵になるとも言った。

 モルガンがウーサーを怨むのは分かる。だが親が仇敵だからと子である自分まで怨まれたのでは堪らない。そして敵対するにはモルガンという存在は惜しいし、何より恐ろしかった。マーリンという規格外の魔術師ですら警戒する魔女に狙われるなんてゾッとする。

 故に僕は考えたのだ。モルガンを味方にしたいと。彼女さえ味方に出来たらこれほど頼もしいこともないだろうと。

 

「だからウーサーの後継者たる自分に従えと?」

「いいえ。いいえ、違います王妃殿下」

 

 柳眉を逆立てる魔女に、僕は懸命に言い募る。全て本心でだ。

 

「私はマーリンに鍛えられ、それなりに力は付けてきたつもりです。ですが、ウーサー王の子がいるという話をブリテンの誰もが知りません。そんな中で私が旗揚げしたところで、ブリテンの諸王は素直に従うでしょうか? 私は有り得ないと思います。必ず反発し、敵対する者が出てくるでしょう。全ての諸王が私を認めず、叩き潰しに来る事になっても不思議ではありません」

「そうでしょうね。それで?」

「仮に私に付き従ってくれる方が現れても、現れなくても。私が諸王を切り従える事が出来ても、出来なくても。無用な争いでブリテンは荒廃してしまう。ただでさえ貧しいブリテンが、です。私はそれを避けたい。そして何より、そんな下らない争いで、私は死にたくないのです」

「……は?」

 

 僕が本心から告げると、モルガンは一瞬呆気にとられた。

 そして僕の言葉を理解すると、腹を抱えて笑い出した。殺気すら霧散させ、心底愉快とばかりに。

 モルガンは暫く笑い続ける。その笑いの火が下火になっていくのを待って、僕は更に告げた。

 

「故に、王妃殿下。貴方の力を借りたいのです」

「……私の力を? 笑わせてもらった礼に、特別にこう訊いてあげましょう。なぜです?」

「無名の上に若輩である私と違い、既に豊富な経験を王妃殿下はお持ちです。そしてマーリンすら警戒する知恵と、魔術の腕があります。そんな王妃殿下が味方となれば、最早万の軍と万の参謀を得たに等しい。仇敵の子の味方となるのは業腹でしょうが、ブリテンのためにも何卒私の手を取って頂きたい」

「なるほど。ですが返事をする前に、一つ誤解を解いておきましょうか」

「誤解ですか?」

「ええ。貴方は私に憎まれていると思っているようですが、私は貴方自身を憎んではいません。むしろ同情しているのです。マーリンとウーサーの謀で生み出され、運命に差し出された貴方に」

 

 どういうことだろう。言葉の意味をよく飲み込めずにいると、モルガンは薄く嗤った。

 

「どうやら自らの出生や、裏の背景については何も知らされていないようですね。いいでしょう、貴方の出生や、私の立場、ブリテンの状況を教えてあげます。そうすればなぜ私がウーサーとマーリンを怨み、憎み、その作品である貴方をも憎悪するのかも理解できるでしょう」

 

 僕を憎んでいないと言ったのに、なぜか憎んでいるとも言う。つまり、僕自身ではなく、アーサーという存在を憎んでいるようだ。それに僕のことをウーサーとマーリンの作品とも言った。

 何か秘密があるのだろうか。マーリンが僕に教えなかった秘密が。

 気になって拝聴する構えになると、モルガンは歌うように唱える。ブリテンに迫る滅びの運命、即ち神秘の終わり。モルガンはブリテンを救うために誕生した、神秘側の存在で。僕は同じくブリテンを救うために産まれたが、人理という存在の側だった。故に敵対は不可避のものである。そして僕はウーサーをも超える王となるため、竜の因子を組み込んで設計された存在らしい。

 魔術を学んだ身としては、なるほど、と思う。スケールがデカすぎてよく分からないが。

 ともかくモルガンにとって自分こそがブリテンの真の王であるようだ。だから簒奪者のウーサーと、それに連なる全てのものが排斥と憎悪の対象らしい。そこまで聞いて僕は疑問符を浮かべた。

 

「王妃殿下。失礼ながらお尋ねしたいのですが、よろしいですか?」

「ええ。ここが貴方の最期の地になるのです、末期の問いぐらい答えてあげましょう」

 

 どうやらモルガンは僕を殺す気らしい。こんな背景があるなんて知っていたら、最初からモルガンを味方にしようと遥々やって来たりはしなかったが、ここまできたら後の祭りだ。

 全力で逃げようと思いつつ、僕は疑問を叩きつけた。

 

「貴女は何をしたいのですか?」

「………? 何を、とは………?」

「いえ、貴女が自身こそ真の王だと自負し、故にウーサーらを憎むのは分かります。では貴女はウーサーや私に代わり、ブリテンの王となった暁には、何をどうしたいのでしょう」

「……知れたこと。ブリテンは私のものです、故に支配します」

「支配とは?」

「え?」

「支配してどうするのです。どのように統治し、どのように運営し、どのような国にするのですか? まさか神秘とやらを守るため、人を全て殺し尽くすおつもりで? そうであるなら、なるほど私と相容れぬというのも納得ですが、そうではないと思いたい。如何?」

 

 問うと、モルガンは形の良い頤に指を当て、思案しながら答えた。

 

「……いいえ。私は確かにブリテンを支配します。ブリテンは私の全てで、ブリテンは私のもの。何者にも滅ぼさせなどしない。支配する過程で人を殺し尽くすつもりもない。確かに人は醜悪な獣ですが、人もまたブリテンの――自然の一部なのですから」

「であれば」

 

 僕は安堵して、言った。すると、モルガンは目を見開く。

 

「私達は手を取り合える。なぜなら私には王位への野心などありません。ブリテンを所有したいという欲など皆無です。王になりたいというなら、むしろ私が王妃殿下をお助けしましょう」

「なっ……」

「無為に人民を虐げず、無為に傷つけないのなら、私は貴女を王と仰ぐ。運命やら、神秘やら、そうした小難しい話はよく分かりませんが……どうか私を貴女の騎士として頂きたい。共にブリテンを救いましょう。そしてブリテンを支配して、国を守りましょう」

 

 アーサー王伝説は五世紀頃が舞台だった。そんな時代で民主的な国家なんて夢のまた夢で、馬鹿げた妄想としても笑えないレベルである。故に国としての在り方なんて、僕には考えるのも荷が重い。

 ならやりたい人にやってもらった方が良い。そして支配者が誤りそうなら近くで諫め、止められる立場になればいい。――僕はそう思ったのだ。跪いて剣を捧げた僕を、モルガンは唖然として見ていたが、やがて再び声を上げて笑い出した。

 

「――よろしい。ならばアーサー、貴方を我が騎士とする。ゆくゆくは副王として、あるいは我が伴侶として私を助けなさい。そうすれば、ウーサーの血統からなる正統性も私のものになる」

「え? ろ、ロット王はどうなさるのですか?」

「離縁するに決まっているでしょう。邪魔になるなら消します」

「え、えぇ……?」

「何を呻いているのです。当然の選択でしょう? 何より……貴方の心は、見ていて好ましい。一切の嘘、虚飾のない魂などはじめて見たのです。今の夫などより貴方を私は選んだ、それだけの事」

 

 

 

 ――斯くして、アーサー・ペンドラゴンはモルガンの軍門に下った。

 後にブリテンの副王、騎士王、王騎士と謳われる伝説の騎士が誕生する。

 彼は女王モルガンを諌められる唯一の存在として、円卓の騎士を統括した。

 そして天寿を全うしその命が尽きるまで、モルガンと自分自身、身の回りの大切な人の為にだけ命を懸けて戦った。――その在り方を人は高潔という。自己の保身と、半端な責任感は気取られず、ただただ騎士の中の騎士として伝説に名を刻んだのである。

 

 初代女王モルガンの伴侶にして、唯一無二の騎士。歴史上ただ一人の副王。女王と王騎士の二人の尽力は、やがて運命をも乗り越え――遥か未来の今も、ブリテン王国は存続している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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王位を譲った後の話

ルーキー日刊で一位になってたので調子に乗り投稿します。

短編集という形で進めてるので、時系列は飛び飛びです。


 

 

 

 

 

 円卓は、殺気立っていた。

 

 居並ぶのは伝説の英雄ら。十名の英傑たる騎士。名高き円卓の騎士とは彼らの事である。

 しかしそんな彼らは重苦しい面持ちで閉口していた。まるで嵐が過ぎ去るのを待つ只人のように。

 英雄たる騎士らには余りに不釣り合いな、どこか耐えるような表情。何事があったのだと、この場を第三者が見たなら不思議がるだろう。それほどまでに彼らは不自然な沈黙に徹していた。

 しかし彼らが覇気に欠けるのも無理はない。なぜならば、清廉にして純白の円卓議席では、今現在彼らが主と仰ぐ者達が殺気も露わに激論を交わしていたのである。

 

「再三にも亘って申し上げるが、此度の徴発は人倫に悖る。村一つを潰し軍の糧食を得るなど、女王陛下――貴女には人の心というものが解せないのか?」

「くどい! 人心を重視する余り合理性を欠いては、ピクトをはじめとする外敵に対抗できない。それとも何か、貴公は兵站を整えてもいない軍で、ピクトの蛮人やサクソン人に打ち勝てると?」

「戦うならば必勝の念を以て打ち勝とう。そのための我ら円卓だ。そして精神論だけで勝つと言っているのではない。軍の三分の一を解体し、不足している糧食の消費を引き下げればいい。そして軍が十全の力を発揮できる内に、次の会戦でサクソンらを打ち破る」

「何を戯けたことを。軍とは力、力とは法だ。力なき法に誰が従う? 軍の力を落とすような真似は愚の骨頂だ。何より軍から離された者はどうするつもりだ? 見放された兵らは不満を覚え、必ずや匪賊に落ちる者も出てくる。そうなれば我が国の治安は乱れ、威信は低下するだろう。安易に軍の力を削ぐ行いは巡り巡って我が国の首を絞めることになる」

「法を重視する余り、人心を軽視するのが貴女の悪い癖だ。人に寄り添う施政を今一度思い出して頂きたい。さもなければ今後更に、ますます貴女から人心は離れていくばかりだ」

「人心を鑑みるのはいい、だが大局を見据えられないのが貴方の欠点だろう。過程でどれだけの血と涙が流れようと、最終的に我が国の安寧が得られるのなら断固として実行する!」

 

 睨み合う騎士王アーサー、妖精王モルガン。

 

 彼我の位階は名目上モルガンが上位だが、実質的には対等である。常に民心に寄り添い、高潔な騎士として君臨するアーサーへの、騎士や民草の支持が極めて厚いからだ。

 加えて単純な実力でもアーサーは図抜けている。人生で一度も魔術で傷ついたことのない強力な対魔力、赤き竜の心臓を有するが故の桁外れの魔力、修練と実戦の末に開花した剣術。そして彼が同時に有する聖剣エクスカリバーと聖槍ロンゴミニアド、聖剣の鞘アヴァロン。単体の実力で、完全武装のアーサーに敵う者は一人もいない。

 望めば国を二つに割ってなお勝利し得る。本人は明確にモルガンを上位者として扱っているためそんなことは起こり得ないものの、事実として可能ではあるのだ。故に、アーサーは冷酷な氷の女王たる妖精王モルガンを、唯一真っ正面から諌められる唯一の存在であり。苛烈なる統治を行うモルガンから妥協を引き出し、折衷案を捻り出せる者なのだ。

 

 ――円卓とは、名目の上では身分の別なく意見を交わせられる場である。

 

 独裁者たるモルガンは円卓を疎ましく思っていた。であるのにアーサーが円卓を創設したのを認めたのは、名のある騎士を集めての武威の発露に、一定のメリットを感じたからだ。

 しかしアーサーの名声に釣られ、彼のシンパばかりで席が埋まるのも面白くはない。故に円卓の議席に自身の息のかかった者を数名送り込んでいる。そうして、円卓には派閥が出来ていた。

 

 一国の王として充分なカリスマ性を有するアーサーを主と仰ぐアーサー派。

 モルガンの王としての姿勢、実績を評価するモルガン派。

 どちらも正しいとする中立派である。

 

 アーサー派は以下の四名。騎士王の勇名を慕い、フランクの地より馳せ参じた湖の騎士ランスロット。モルガンの子でありながら騎士王を主君と仰いだ太陽の騎士ガウェイン。妖弦の騎士の異名で知れ渡るも、慈悲の剣を執りし時に真価を発揮するトリスタン。純粋な戦闘術に於いてはランスロットに次ぐ実力者の騎士ラモラック。超武闘派の面々がアーサーを主としている。

 

 モルガン派はアーサー派とは打って変わって頭脳労働を担当する四名だ。

 心情としてはアーサーに傾いているが、円卓内のパワーバランスを考慮してモルガン派に付いている鉄の騎士アグラヴェイン。現実的な視野を持つ、兵站の名人にして外交官たる辣腕のケイ。目的の為なら手段を選ばぬガヘリス。文武両道の豪傑、猟犬騎士ウッドワスだ。

 

 そして中立派は二名。隻腕のベティヴィエールと、黒い肌のパロミデス。

 

 誰もが一国の頂点に君臨できる英傑揃い。神秘終焉の間際、神話の時代が最後に咲かせた大輪の花ばかり。本来なら円卓の議席は一定周期で面子を入れ替えるはずだったが、『とある事件』を経たせいで円卓の騎士の面々は固定されてしまっている。その事件こそ、騎士の中の騎士と謳われるアーサーが、選定の剣を折ってしまった出来事である。

 事件の原因はモルガンだ。彼女は女である、女である故に女王なのだ。だからこそ、所詮は女だと侮る者は初期の円卓の中にも数名いた。忌むべき魔女だと蔑む者すらいたのだ。そして、モルガンの美貌に魅入られた痴れ者が、彼女を軽視する者らと結託し、アーサーを唯一の王にしようと蠢動した。そうしてその痴れ者はモルガンの寝所に潜り込み、彼女を手篭めにしようとしたのだ。

 無論、神域の天才魔術師であるモルガンが、簡単に陵辱されるわけもなく。彼女はいとも容易く痴れ者を捕縛し、結託した者らも一網打尽にしてのけた。だが事件はそれ以後が本番だった。

 モルガンに手を出そうとした罪で、どのような罰を下すか円卓の議題に上げると、アーサーは凄まじい怒気を発して激昂したのである。彼らは夫婦だが仲は険悪だという噂もあったが、それを払拭するほどの憤怒で以て、アーサーは怒りに支配されて痴れ者をその場で斬り殺してしまった。それはある意味で騎士にあるまじき所業であり、だからこそ選定の剣は折れてしまったのだ。

 

 騎士道に悖る行いに、担い手が手を染めれば折れる。カリバーンとはそういう剣だった。

 

 だがこれによりアーサーの名声に傷がつくことはなく、むしろ人気は更に高まったと言えよう。

 妻に手を出そうとした間男を、聖剣を折ってしまうほどの怒りで罰した。この一事は完璧すぎて聖者のようですらあったアーサーに、理解できる人間性があるのだと周知する結果になったのだ。

 ――故に、現在の円卓の騎士は知っている。どれほど激論を戦わせても、騎士王と妖精王が仲違いをする事はない、と。アーサーも、モルガンも、互いを愛し合っているのだと誰もが認識した。

 だがそれでも怖いものは怖い。赤竜の覇気を全開にして気炎を吐くアーサーと、心胆を凍えさせる冷気を放射するモルガン。両者の間に口を挟む余地はなく、円卓の騎士は案山子に徹した。

 

 やがて睨み合っていた両者は、同時に嘆息して矛を収める。

 

「……此度の議題は以上だな? 過ぎた事をいつまでも論議しているほど私も暇ではない。だが我が夫の言も尤もだ、以後の徴発は出来る限り無理のない範囲に留められるようにしよう」

「私も熱くなり過ぎた。だが私とて陛下の重んじる合理性の重要さも理解しているつもりだ。私の方でも現実的な代案を出せるように知恵を絞っておこうと思う。――失礼」

 

 行くぞ、トリスタン。アーサーはそう言って赤毛の美丈夫を連れ円卓の場から退出した。

 夫が去るのを見送り、モルガンもウッドワスを連れ退出する。そうして他の面々も重苦しい空気のまま解散となった。

 モルガンは猟犬騎士を従え、自らの居室に戻る。そうしてウッドワスに一瞥も向けずに訊ねた。

 

「――どう思った、ウッドワス」

「茶番でしたな」

 

 猟犬を模した兜の裏で、露骨に鼻を鳴らした。

 その声は兜によりくぐもってはいるが、若く自信に満ち溢れたものである。彼の全身甲冑はモルガンの作成した宝具であり正体を隠蔽するものだが、作成者であるモルガンにまでは効力を発揮していない故に、その勇ましい声音を聞くことが出来ていた。

 兜を両手で外すと、中から豊かな白髪が溢れ出る。

 波打つ白髪は銀糸のようにきめ細かく、()()()()()()()()は異国的な美しさを孕んでいた。見る者が見れば分かるだろう――彼の面貌はモルガンやアーサーによく似ているのである。肌の色こそ異なるが、確かな血の繋がりを感じさせた。

 

 当然だろう。彼こそはアーサーとモルガンの遺伝子を掛け合わせて産まれたホムンクルスである。如何なる作用か、肌が黒くさえなければ素顔を秘さずにいられたはずの隠された王太子だ。

 彼に王位継承権はない。彼はただのウッドワスであり、新参の円卓の騎士である。だが両親譲りの図抜けた才能を有し、長ずればランスロットをも超える騎士になると目されていた。

 ――長じられたらの話ではあるが。

 ウッドワスはホムンクルスである。見た目こそ青年だが、実年齢は一桁だ。ホムンクルス故に心身は急激に成長しているものの、そうであるが故に彼は短命である。あと十年も生きられるかどうか、というのがモルガンの見立てだったが――当初は単なる駒として生み出していながら、モルガンはどうにもこのウッドワスが可愛くて仕方なくなっていた。

 

 何せ自分に忠実で、アーサーと同じく心が清く嘘がない。妖精眼を有するモルガンにとって、これだけで気に入るには充分だというのに、自分の血をも引いているとなれば可愛がりたくもなる。

 今の魔術師としてのモルガンは、如何にしてウッドワスの寿命を延ばすかばかり考えていた。

 そのウッドワスは自身がホムンクルスで、()()()()()が産まれた時の為の試作機だという事も知っている。しかし戸惑いながらも父親として接する事を決めてくれたアーサーと、彼の影響で丸くなりつつあるモルガンの不器用な愛情に触れたことで、両親の忠実な騎士として生きる事を自ら定めた。彼にとって両親だけが全てで、後に生まれる弟か妹が大事なのだ。

 

 故に、アーサーとモルガンの手を煩わせる者を、彼は心の底から嫌悪している。

 

「もともと父上も母上の案に賛成なさっておいでだった。だが下郎共は母上の行う徴発に反発し、あろうことか不満を抱いていたらしい。故に父上は下郎共の不満を代弁し、それの軽減を図る羽目になったのでしょう。……全く、代案もなしに不満を囀るなど犬畜生にも劣りますな、トリスタンの戯けは」

「そう言うな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その程度で暴発を防げるなど可愛いものだろう? それにトリスタンもなかなか役に立つ男だ、これからも精々便利に使ってやろう」

「母上はお優しいからいいのでしょうが、生憎とこの身は我慢が利き辛い。今度の馬上槍試合でワタシがヤツを叩き潰してご覧に入れる。そしてトリスタンの戯けた根性を叩き直してやりましょう」

「ふふ、楽しみにしておこう」

 

 卓に腰を下ろしたモルガンは、優美な所作で傍らに侍るウッドワスの髪に触れる。

 ウッドワスは直立不動でそれを受けた。

 氷の女王モルガンは、こうしてウッドワスの癖づいた髪に触れるのが好きだった。どうしてか子犬を愛でている気分になるからである。暇さえあればそうして過ごしている。

 しばらくそうしていると、ウッドワスが身動ぎした。女王の居室に、扉を開いて勝手に入ってきた者がいたのだ。無論、モルガンも気づいている。だが二人とも反応は薄かった。

 

「……またやってるんだ」

 

 入室するなり呆れたように言うのは、今年で二十二歳になるアーサー・ペンドラゴンである。成長を止める聖剣の効力が聖槍により軽減しているため、肉体年齢は十八歳ほどにまでなっていた。

 長身の見目麗しき青年。誰しもが思い描く白馬に跨る王子様。そうとしか言い表せない容姿へと成長したアーサーは、人工的に生み出された息子とその母の憩いの空気に苦笑する。

 彼の登場にウッドワスは困ってしまった。母が髪に触れているから不用意に動けないのだろう。そんなウッドワスの気配に、アーサーは苦笑しながらモルガンの隣に座る。

 

「僕の事は気にしなくていいよ、ウッドワス。でも辛くなったら振り払ってもいいからね?」

「いえ、辛くなどありませんが……」

「そうでしょう。この私に触れられるのです、嬉しいに決まっています」

「はいはい」

 

 聞けば、二人は十年来の付き合いらしい。その馴れ初めを、ウッドワスも聞いたことがある。

 まだウーサー王の後継者である事を知られずに過ごした少年時代、父が国の未来を憂いモルガンを頼ったのが始まりだ。以後真っ先にモルガンが手掛けたのが『花の魔術師』の封印だったという。

 父であるアーサーはそこまでしなくてもと躊躇っていたらしいが、モルガンは断固としてあの魔女だけは見過ごせんと跳ね除け、アーサーを利用してまんまと封印に成功したという。

 信頼していたアーサーが、モルガンを連れてくるとは夢にも思っていなかったらしい。マーリンなる魔女がどのようにして封印されたのか、二人はウッドワスに話してはくれない。だが封印の強度を維持する為、モルガンは度々アーサーから魔力供給を受けているらしい。

 

 父の魔力量はウッドワスも知悉している。最高位の竜種に匹敵する魔力を、一時的に空になるほど捻出してまでマーリンの封印に充てているというのだから、モルガンがどれほどマーリンを嫌い、そして警戒しているのかが伺い知れるというものだ。

 

 さておき、花の魔術師の封印を契機として、アーサーとモルガンは二人三脚で歩み出した。

 十年間の戦いは、戦争であり、陰謀であり、政治であったという。頭脳労働はもっぱらモルガンが担当して、戦争などの軍事はアーサーが引き受ける体制は、そうして出来上がっていったものだ。

 やがてモルガンとアーサーが真の意味で認め合い、人生のパートナーとするようになったのも必然というものだろう。苦楽を共にし、支え合った二人の信頼関係は不壊の宝具の域にある。

 人間不信であり、人間を軽蔑しているモルガンをも絆したアーサーの人柄には、ウッドワスも素直に敬愛の念を抱いていた。何せ――ウッドワスは元はといえば、アーサーが変心し裏切った時のためにモルガンが生み出した、対アーサー戦を見越した兵器だったのである。

 モルガンは冷静に、そして正確に戦力比を分析していたのだ。アーサーがその気になれば、モルガンは手も足も出ずに敗れ去ってしまうと。それほどまでにアーサーの対魔力と、戦闘力はずば抜けているのである。だからそんな彼に対抗できる駒を用意した。

 

 結果として、ウッドワスとアーサーが刃を交える事はなかった。

 

 妖精眼を以てすら、アーサーの心に嘘が一つもないまま共に過ごし、モルガンはアーサーだけは打算もなく信じられると思わされてしまったのである。そうなれば、モルガンがアーサーを気に入り『最後の我が夫』と定めるのも自然な流れだったと言える。

 モルガンは、アーサーの心を愛した。アーサーの魂を愛した。元々ブリテンに対する執着以外、持ち得ない出生と環境だったせいだろう。今のモルガンは――あるいはもう少し未来のモルガンなら、ブリテンという国よりもアーサーの方に比重を傾けるようになるだろう。

 そしてアーサーもまた、モルガンに惹かれた。こちらは俗な理由らしく、モルガンの容姿が美しくて、情の重さが心地よく、体を重ねていく内に情が移ってしまった、という事らしい。モルガンはそれを面白がってウッドワスに語って聞かせてくれた。

 

「ウッドワス、体の調子はどうだい?」

 

 アーサーは時々、思い出したような口ぶりで訊ねてくる。短命だというウッドワスの体が心配なのが伝わってくる眼差しだ。くすぐったい気持ちで、ウッドワスはいつも決まってこう答える。

 

「は、大事ありません」

 

 そしてアーサーはこう続けるのだ。

 

「それはよかった。長生きしてくれよ? 君には僕を超える男になってもらいたいからね」

 

 苦笑する。自分がこの偉大な父を超えられるとは、到底思えなかったから。

 だが期待されているのだ、それに応えたいとは思う。

 

「それで? アーサー、貴方は何か、私に用向きがあるようですが?」

 

 モルガンがウッドワスの髪から手を離す。それを少々寂しいと感じてしまうのは、彼がまだ実年齢では十歳に満たないからだろうか。ともあれ、表面上は澄ました表情を保った。

 だがそれは、父の切り出した話で、すぐに崩れ去ってしまうことになる。

 アーサーは言いにくそうに切り出した。

 

「ああ……うん。……ほら、モルガンも覚えているだろう?」

「……なんのことです?」

 

 歯切れが悪い。何が言いたいと怪訝な顔をするモルガンだったが、次第に顔色を険しく、次いで驚愕の色へと染めていった。

 

「ちょっと前の戦いで、僕が竜の中の冠位(境界の竜)を撃墜しただろう? それがさ、左腕の細胞塊が地上に残っていたらしくてね……」

「………まさか」

「そのまさかさ。……どうも、それをカーボネックのエレイン姫が回収したらしくてね。人型に新生して僕の所に訪ねてきたんだ」

 

 絶句。

 珍しく、モルガンも言葉を失っていた。

 そんな彼女の様子を面白がるように、アーサーは続けた。

 

「エレインの為というのが行動原理らしくて、どうもランスロットとエレインを番わせたいらしい。僕を見た途端泣き出したのには驚いたけど、良い子だったからさ……どうしたものかと思って相談に来たんだよ」

「……あなたは、本当に。本当に……私を困らせるのが得意ですね」

 

 驚愕し、絶句していた女王は、天を仰いで嘆息する。

 ウッドワスもまた呆れ果ててしまった。父はまだ知らないのだろうが、母の中にはウッドワスの弟か妹が……自分とは違って本当の意味での嫡子が宿っているというのに。途方もない難事をなんでもないように運んできてほしくはなかった。

 ははは、なんて笑っている父に、猟犬騎士もまた嘆息する。竜の中の冠位、境界の竜アルビオンの一部が来訪してきて、こうも能天気にしていられるのは彼ぐらいのものだろう。

 

 どこの世界に、最強の竜を単騎で撃墜できる人間がいるのだ。

 

 やはり父を超えるのは無理そうだな、とウッドワスは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この後、完全体の自分を単騎で撃墜したアーサーに怯えるメリュジーヌと、忠義の騎士として生き抜くウッドワスと、モードレッド(パパっ子)の双子の姉として生まれる赤毛の娘(ママっ子)と、モルガンとアーサーが円卓の騎士を振り回しながら、楽しく国を統治していくみたいっすね(投げ)


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部下の結婚を気にする話

日間ランキング2位!?

……豚もおだてりゃ木に登るというじゃありませんか。ぼくは豚です。なのでおだてられたから木に登りました。


 

 

 

 

 どのような経緯を経て、彼我の性能の差を競い合うことになったのか。

 境界の竜■■■■■の記憶領域は殆ど破損し、思い出すことは叶わない。

 だが、たとえ他の何を忘れ去ろうとも、相対した機体の全ては克明に思い出せる。

 

 手にするは神造の聖剣、聖槍。背に負うは無敵の盾。嘗て境界の竜と相争い敗れ去った好敵手、その後継機。――名はア・ドライグ・ゴッホ。己と対を成す赤き竜。

 人型の其れの性能は、己と比すれば明白に劣る。たとえ嘗ての好敵手でも、廉価品に等しいその身では到底己には及ばない。だが、それでも己は赤き竜との争いを厭うことはなかった。

 何故という疑問はない。

 己とドライグはそういうものであるからだ。存在する限りお互いの性能を競い合う宿命があったのかもしれない。今となっては思い出せもしないが、そうして己は赤き竜との争いに身を投じたのだろう。

 

 己は幾度も放たれる魔力放出による砲撃、聖剣の極光を掻い潜り、聖槍の巻き起こす嵐の光をも相殺した。闘争は幾日にも及んだようにも、数時間程度の交戦に過ぎなかったようにも思う。

 やがて無尽蔵の魔力に物を言わせての砲撃は止み、聖剣も、聖槍も、赤き竜は放つことなく防禦に徹した。己は果敢に攻め立て、赤き竜を幾度も屠った。

 しかし赤き竜は不死身だった。体の半分を消し炭にしても、五体を粉砕しようとも、再生し復活し何度でも立ち上がった。嘗てのドライグにはない機能に私も攻めあぐねてしまう。

 だが、攻略法の糸口は見つけた。ドライグは心臓と頭部だけは他の何を捨ててでも守っていたのだ。頭部から心臓にかけての部位が弱点なのだろう。己はそこを重点的に狙うことにした。

 

 ――だが己は見誤っていた。このドライグは、嘗てのドライグではない。勇敢で誇り高い、竜よりも人に近い性質だった赤き竜よりも、ドライグの後継機は遥かに卑小で弱い生き物だったのだ。

 ドライグは喚いていた。

 痛い、苦しいと。涙すら流し、逃げ出したいと願望を吐いていたのだ。

 それを情けないと侮蔑し、怒る機能は己にはない。

 しかし嘗てのドライグとは異なる存在だということに己はようやく気づいた。

 どれだけの痛苦を味わおうと、どれほどの恐怖に脅かされようと、ドライグは逃げなかった。防戦に徹している目の光は、勝機を見極めんとする闘志に溢れている。性根が俗で卑小なくせに、決して勇敢さなどないのに、逃げずに戦う意志だけは決して曲げなかった。

 次第に、己は得体の知れない畏怖に襲われた。そんなものを感じる機能はないはずなのに、脳裏に点滅する危険信号が鳴り止まない。こんなノイズを聞くのは生まれて初めての体験だった。

 

 そうして、己は最期を迎える。必殺の策を捻り出した、ドライグの後継機の前に敗れたのだ。ドライグを、己は都合二十七回屠ったはずなのに。聖剣の鞘による再生を経て、嘗ては同型機だった好敵手の後継に、死闘の末己は遂に屠られてしまった。

 

『――そこだッ! 全て遠き理想郷(アヴァロン)!』

 

 ここまで一度も真名解放していなかった聖剣の鞘を用い、■■■■■たる己を囲い()()()()()()()()()()のである。唯一の抜け道は己とドライグの直線上。己は咄嗟に全力で突撃した。

 だがこの必殺の状況を作り出したドライグに抜かりはなかった。思えば防戦に徹していたのは、己の全速力と旋回力、その他の基本性能を把握する為だったのだろう。ドライグは完璧なタイミングでカウンターとなる砲撃を用意していた。

 

最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)――約束された勝利の剣(エクスカリバー)――ッ!』

 

 完全解放された聖槍による一撃で己の突撃の威力を相殺し、同じく完全解放された聖剣で一瞬の隙を突いて、ドライグは己の体の殆どを破壊し尽くした。言い逃れしようのない敗北だ。

 そうして、無残な残骸を残して墜落する己に、ドライグは言った。

 

『……すまない。君は、ただ世界の裏側に行こうとしていただけなのにね。けど、ごめん。()()()()()()()()()()()()()()()んだ。君の遺体と、僕の聖槍を使えば、この国の滅びの運命に抗えると言っていた。だから……さようなら。恨んでくれ、この僕を』

 

 敗れた身には何かを遺す資格はない。墜ちた先のことなど知らなくていい。

 故に己の残骸をドライグが回収しても構わなかった。己は負けたのだから好きにすればいい。

 だがドライグも限界が来ていたのだろう。彼は己の左腕、その破片である細胞塊だけは回収し損ねていた。見過ごしてしまったのかもしれない。

 まあ、いい。星の内海に向かえなかったのは残念だったが、竜として性能を競い合い、唯一己の好敵手たりえたモノの後継に敗れ去ったのも、悪くはない結末だった。

 

 悪くない……本当に、悪くない――

 

 ――それが、()()記憶に遺る竜としての最期だ。

 

 如何なる因果か、竜の残骸だった私は一人の女性に掬い出された。

 女性の名前はエレイン。光の帯(オーロラ)の如き麗しの姫。アメーバ状で漂っていた私は、エレインの美しさに感じ入り、彼女の姿を真似て人として再誕する道を選んだ。

 エレインは美しい人だった。容姿もそうだけど心も美しかった。

 ……ちょっと思い込みが激しかったり、自分本位な部分もあるけど、私のようなモノを可愛いと褒めてくれて、()()()()自分の妹になってと願ってくれた。

 メリュジーヌ。水妖の名から取って、彼女は私にその名をくれた。その時の喜びは、とても言語では言い尽くせない。エレインは私に良くしてくれた。何かにつけては私を連れて回り、色んなことを教えてくれる。昔から妹が欲しかった、妹が出来たらしたいことが沢山あったのだと、嬉しそうに接しては振り回してくれている。それがとても楽しかった。

 

 ――私は竜の成れの果て。けれど竜であることに変わりはない。

 

 いつか私は人の姿を保てなくなる。いつか、エレインと別れなくてはいけなくなる。それが恐ろしくて、私は人の姿を保つ術を求めていた。

 そんなある時のことだ。私は稀代の魔術師モルガンの存在を知った。ブリテン国内を視察していた彼女を遠目に見ることができたのだ。そして未来を観測し得る竜種の本能で、直感的に彼女なら人としての私を保てるかもしれないと悟った。

 そうなると止まれない。私はエレインに隠していた事実を話し、モルガンに会いに行きたい旨を伝えた。するとエレインは驚きながらも応援してくれた。その際、彼女は物憂げに呟いたのだ。

 

『メリュジーヌはキャメロットに行くのね……』

 

 わたしには何も出来ないけど、せめて応援だけでもさせて。頑張って、メリュジーヌ――心からそう応援をしてくれる一方で、彼女の顔には羨望の色が浮かんでいた。

 私はエレインの内心を目敏く察知する。この私がエレインの心の動きに気づかないわけがない。だから『君は何を羨んでいるんだい?』と訊ねると、エレインは内心を吐露してくれた。

 

 彼女はカーボネックの姫だ。気軽に国元を離れてキャメロットへ行ける身分ではない。まして、エレインは当代の女の中で最も美しいと噂されるほどの美女。王である父は政略の駒として自分を手放そうとはしない。故にエレインは残念に思っているらしい。

 だってキャメロットに行けば、きっと『ランスロット卿』に会える。自分はランスロット卿に会いたい。エレインはそう溢した。彼女はランスロット卿に恋をしているのだ。

 エレインがランスロット卿に恋をしたのは、とある事件を経たからである。それは彼女の美しさに心を奪われた妖精が、エレインを攫って自身の領域に幽閉してしまったのだ。彼女の父王は手を尽くしたが娘を取り戻せず、やむなくキャメロットに救出を要請し、そこでランスロット卿が派遣されたらしい。斯くしてランスロット卿は妖精を斬り、見事エレインを救い出してのけた。

 彼女はランスロット卿に恋をして、結婚を迫ったらしい。だが騎士として生きることを心に誓い、自身の主――王である前に騎士であるとする故に、自身を『王騎士』と称している――騎士王アーサーの許を離れるつもりはないと告げ、ランスロット卿はエレインの求愛に応えずに去って行ったのだという。

 

 私は彼女の恋を成就させてあげたくなった。彼女の望みを叶えるのは、最早私の使命である。

 だから、言った。

 

『私に任せて。私がランスロット卿とエレインが結ばれるようにしてみせるから』

 

 根拠はないが、自分なら出来るという自信があった。エレインは大いに喜んで、私を送り出す。

 私もまた自身の目的の達成を目指して、遠路キャメロットへと旅立った。

 

 ――そうして、私は再会してしまった。私の『死』に。

 

 私はエレインの騎士を自称し、正面から堂々と王宮を訪ね、女王モルガンへの謁見を願い出た。当然普通なら会えるわけがないが、ならば普通じゃない方法を選べばいい。

 円卓の騎士だ。現在の円卓は議席を有する面々が固定されているとはいえ、正面から正々堂々と決闘を挑み、打ち負かす事が出来れば倒した相手の議席を手に入れる事ができる。各地を冒険する遍歴騎士が、円卓の騎士に挑むというのはありがちな話であるというのは聞き及んでいた。ならば、私が円卓の騎士になれさえすれば、モルガンに会うのは難しい話ではない。

 

 そう思っていると。たまたま『円卓議決』という会議を終えたばかりの、赤髪の騎士――トリスタンを連れていた王騎士が私の前に現れた。

 

『――――』

 

 輝かしい金色の髪。整った容貌。私は彼の姿を目にした瞬間、全身が震えるのを自覚した。

 がたがたと膝が震える。かたかたと歯が鳴る。だって、だって――それは、ドライグだった。

 

 この時、私はやっとドライグの人としての名を知ったのだ。

 

 ドライグは、アーサー王だったのである。

 

 この事実に私は心底から震え上がった。

 

 殆どの記憶を失ったとはいえ、自身を打ち破った存在を忘れるわけがない。竜として勝者を称える心はある、だが今の私は人として生きていたいのだ。死にたくないのである。私は最強だから、私を殺せる奴なんていないと思っているけれど――ドライグだけは例外だ。全盛期の私を真っ向から打倒してのけた彼こそが、人としての私の恐怖の象徴なのである。

 ともあれ惨めに震えて泣き出してしまったのは恥ではあるし、思い出したくもないけど、結果としては怪我の功名だ。少女の姿をしている私が突然目の前で泣き出したとあっては、騎士であるドライグも慌てふためいていた。だから彼は私の話を聞いてくれたのだ。

 

 

 

 

 

 

「……どうするつもりです? アーサー」

 

 僕からの話を聞いたモルガンが、半眼で訊ねてくる。

 そんな目で見ないでくれと言いたい。僕だってこんな事になるなんて思わなかったんだ。

 間違いなく僕の人生の中で最強の敵だった、境界の竜アルビオン。僕はモルガンの頼みで、最強の竜へと挑んだ。アルビオンは世界の裏側とかいう所に立ち去るところだったけど、こちら側の一方的な都合で襲い掛かったのである。あんな戦いは、もう二度としたくない。

 後味が悪いし、痛いし、怖かった。聖剣の鞘を手に入れて以来、本気で死を覚悟したのはアルビオンとの戦いだけだ。個人的にはキャスパリーグより強いと思う。まあ、キャスパリーグと僕は相性が良かったから、ぎりぎり死にかけるぐらいでなんとかなったけど。

 

 ――今のキャスパリーグはモルガンの使い魔になっている。可愛いモコモコのリスみたいな姿で。

 

「僕としては、彼女とエレインの望みを叶えてあげてもいいと思うな」

 

 頭脳労働は全てモルガンに丸投げし、僕はもっぱら戦闘訓練と軍略の学習に時間を割いている。だから本来の『アーサー王』に王様としては遥かに劣る自覚はあるけど、代わりに個人戦闘力と指揮官としての能力では負けない自負が生まれていた。

 ランスロットと木剣で、常人の身体能力を想定しての訓練で、まる一日打ち合って勝負がつかない。今の僕の戦闘技術はその域にまで達している。これは自慢できるのではないだろうか。

 とはいえ考えることを放棄しているわけじゃない。僕には僕の考えもある。

 

「モルガンはアルビオンの遺骸を加工して、ブリテンの土壌を改善する礼装を作るつもりなんだよね」

「ええ、それが何か? まさか今更細かな魔術理論を聞きたくなったと?」

「聞いても理解できないから解説しなくていいよ。ともかく、貧しい国土を豊かにするために、ブリテンを本当の意味で統一しないといけない。こんな狭い島国の各地に王様が何人もいたんじゃ、ブリテンは一枚岩になったって言えないから、諸王に宣戦布告し服従させて王冠を捨てさせる。これは既定路線だ。だけど無用な戦争を避けられるなら避けるべきだとは思わないかい?」

「……なるほど、そういう腹積もりですか」

 

 最後まで言っていないのに、モルガンは僕の言いたいことを完璧に理解してしまったようだ。

 けど一応は僕の口から全て話しておこう。彼女は妖精眼とかいうので、僕の心を読めるらしいけど、だからといって会話を怠るつもりは一切なかった。

 

「エレインとランスロットを結婚させる。そうすることでカーボネックは僕達の身内になる。彼女の父親は王位を失うけど、これまでの生活が崩れるわけじゃない。むしろ豊かになるだろうね。となると臣従させるのはそう難しい話じゃないよ。ケイを派遣したら話を纏めるのに苦労することもないはずだ」

「何より、ランスロットのことですね?」

「……まあ否定はしないさ。彼は僕の親友だからね、親友がいつまでも独り身でいるのは気にしてないけど、流石に女性関係の問題が多すぎる。これを機会に、いい加減身を固めさせて、落ち着いてもらわないと。それに彼はフランクの人間だ、いざとなったら簡単にブリテンから去れる身軽な立場でいてもらっても困る。エレインは彼にとって、公私両面でいい重石になるんじゃないかな?」

「そうですね。私は特に否定的な意見はありません。その通りにしてもいいでしょう」

「ありがとう」

 

 僕が私情混じりとはいえ、政治的に旨味のある話を持ってきたのがそんなに嬉しいのか、モルガンは慈しみの眼差しで頷いていた。成長しましたね、と思っているのが妖精眼がなくても分かる。

 恥ずかしいけど甘んじてその視線を受け止めた。何かと気苦労の絶えないモルガンに、今まで内外政の全てを丸投げしていたツケがきたのだ。今は戦争があるから僕が軍事にかまけるのは仕方ないにしても、いずれ平和な国になったら政治に無関心ではいられない。

 これでも少しは勉強している。本当に少しだけど、足手まといにだけはならないようにしないと。

 

「……後は、円卓で独り身なのはケイとトリスタンとガウェイン、アグラヴェインぐらいかな。彼らにもいい縁談があればいいんだけど」

 

 もちろん女嫌いのアグラヴェインに押し付けるつもりはない。ないが、トリスタンとガウェインあたりは押し付けてでも家庭を持ってもらいたい。女性関連のトラブルが、ランスロットと同等にあるからだ。何度「いい加減にしろ」と叱りつけても治らない悪癖である。

 そろそろ本気でブチギレそうだから、いっそこちらで縁談を組み所帯を持たせてやりたいと考えていたところだ。浮気したら「去勢してやる」と脅せば大人しくさせられるはずだと思う。僕にだけ迷惑が掛かるならともかく、モルガンにまで手間を掛けさせるのは許し難い。

 そんなふうに考えていると、ウッドワスが思い出したように口を開いた。

 

「――ああ、その件なのですが、父上と母上のお耳に入れておきましょう」

「なんだい?」

 

 僕の顔を見てホクホクしているモルガンは流し、知らぬ間に出来ていた我が子に訊ねる。

 彼はニヤリと犬歯を剥き出しにして言った。

 

「ワタシも常々、ガウェイン卿の放蕩ぶりには呆れ果てておりましてな。一度『卿はどんな女性なら生涯愛し続けられるのだ』と訊ねたことがあります。その答えを聞いて、暇があれば探していたのですが……丁度未婚の女性が見つかったので紹介しようと思っておりました」

「へえ、流石ウッドワスだ。その女性の身分と名前は?」

 

 副王の義務として、一応は身分を気にしないといけないのは煩わしい。

 だが仕方ないのだ。幾ら恋や愛に寛容なブリテンでも、身分差のある結婚は難しい。変な軋轢で関係が拗れたらガウェインが可哀想だ。紹介するなら身分を気にした方がいいに決まっている。

 そうしてウッドワスはやっと面倒な仕事が終わったとでも言いたげな、清々しい表情で――ガウェインの運命の相手の名を告げるのだった。

 

「悪魔の呪いを自力で打ち破り、女だてらに騎士として身を立てた女傑ラグネル――ああ、呪いで狂った兄を討った際にその名を捨て、今はバーゲストと名乗っておりますな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アルトリアって王様稼業の片手間であんなに強いんだから、戦闘を本職として訓練し続け、実戦を重ねてたらとんでもなく強くなってたんじゃ疑惑がぼくの中にありますね。



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ちょっとした一幕の話

日間一位! 一位だって!?
調子に乗っちゃうよぉ!(歓喜)
調子に乗っちゃったので、この作品でやりたいことを後書きで載せます。
やりたいだけで、やるとは言ってない()

あと『バーヴァンシー』は、正確には『バーヴァン・シー』なんですが、本作品だと『バーヴァンシー』で通します。


 

 

 

 

 

 

 

 僕の前世の記憶だと、僕の前世には魔術なんてものはなかった。アーサー王伝説も架空の物語に過ぎないはずのものである。だけど僕は如何なる奇跡か転生し、今生で魔術に触れ、神秘を知り、架空だったはずの物語の世界で生きている。故に、結論は出していた。

 

 この世界は、僕の前世とは異なる世界、異世界であると。

 

 あるいは前世でも神秘は秘匿され、実際には魔術があり、アーサー王伝説も実はノンフィクションの事実だった可能性はある。だけど真の過去の歴史と魔術の存在を前世で知り得なかった以上、僕の主観の上だと今生は異世界としか思えないものなのだ。

 だからどうしたという話ではある。転生という事実だけで充分ファンタジーだ。では僕が何を気にしているかというと、前世には存在しなかった法則の有無に関してである。

 魔術というもの。魔法というもの。神秘に纏わる生物というもの。それらを知らずに生きていくには、この世界はあまりにも危険が満ち溢れていた。だから、僕はモルガンに師事を仰いだのだ。

 

 魔術ではなく、学問の先生になってもらったのである。

 

 そうしてモルガンに与えられた知識の一部に、抑止力というものがある。

 

 抑止力とかいうものの説明を受けた時、僕はそれを歴史の修正力みたいなものだと解釈した。

 タイムスリップした主人公が、過去の時代で未来を変えようとしても、結局は元の歴史通りの結末になる、といった趣旨の創作本を読んだことがある。それと同じようなものだろう。

 だけど僕は、今のところそれらしい流れ、修正力を感じたことはなかった。本来のアーサー王伝説の面影なんて、僕が生きるこの世界だとほとんど残っていないのに。

 当たり前だと思う。アーサー王伝説に纏わる難題の半分は、モルガンが黒幕とされているのだ。その黒幕が本来の『アーサー王』の立ち位置にいるとなれば、実質殆どの問題は解決されたと言っていい。モルガンが暗躍していないのだから、自然と難題も少なくなるのだ。

 

 ――いや、単に分かりにくいだけで、修正力っぽいものもあると言えるかもしれない。

 

 『アーサー王』の立場にいるモルガンは多忙を極めている。本来の黒幕モルガンが悪事に手を染めていない以上、彼女に不幸にされるはずだった人々は穏やかに生きていけるはずだった。

 だがカーボネックのエレインは、妖精に襲われた。――アーサー王伝説のエレインは、最も美しいという噂が流れるほどの美女で、それを知ったモルガンが嫉妬し呪いを掛ける。呪いの詳細は忘れてしまったけど、その呪いに苦しめられているエレインをランスロットが救い出し、彼女はランスロットに恋をして、なんやかんやでギャラハッドを孕むのだ。

 エレインがランスロットに恋をするという流れ。それが僕の世界でも国益に適う形で起こっている。この流れだとギャラハッドも生まれるだろう。

 

 他にはガウェインの結婚もだ。彼の本来の奥さんは、ラグネルだ。ラグネルはその兄と共に、悪魔に呪われて姿や精神性を変貌させられている。その悪魔の正体や過程は覚えていないけど、結果的にはガウェインがラグネルと結婚して、彼女の呪いを解いていたはず。

 その導入の部分で、確かラグネルの兄がアーサー王を捕らえていた。僕自身もラグネルの兄らしき男に、なんだかよく分からない迷宮に閉じ込められたことがあるが、モルガンが駆けつけてきてあっと言う間に迷宮を崩壊させたからガウェインとラグネルは出会うことなく終わったはずである。――悪魔に呪われているラグネルの兄は、モルガンの襲来直前に逃げていたけど。

 しかしどういうわけか、ラグネルは自力で呪いを破り、悪魔化した自身の兄を討ち取って、女の身でブリテン王国の騎士になっていた。そしてどういう因果かウッドワスの目にとまり、彼の紹介でガウェインと出会って、バーゲストと名を改めていた女性とガウェインは結婚してしまった。彼は若干気乗りしていなかったようだけど、僕やモルガンに女性関係で何度か迷惑を掛けていたことを後ろめたく思っていたらしく、所帯を持って落ち着くべきだと判断してくれたらしい。潔く人生の墓場に直行してくれた。

 

 このように、過程は大きく変わっても、運命で結ばれているかのように重要人物達は巡り合っている。これもある意味で歴史の修正力、強制力と言えなくもないのではないだろうか。

 

「――ぱぁぱ! ぱーぱ!」

 

 そして。

 金髪碧眼の、愛らしい容姿の女の子。この子もまた必然として誕生したのかもしれない。

 『アーサー王伝説』にピリオドを打つ運命の子、モードレッドだ。

 まさか女の子として生まれてくるだなんて想像もしていなかったけど、モルガンがこの子にモードレッドと名付けた時は驚愕したものである。

 とはいえ僕は『アーサー王伝説』みたいに、赤ん坊のこの子を島流しにしてしまう気はない。災いを運んでくるなんて予言をするはずだったマーリンは封印されているし、そもそも赤ん坊時代に島流しにされた子供が、親に対していい感情を持つとは思い難い。

 僕はモードレッドをいい子に育てればいい。ちょっと警戒心を感じなくもなかったけど、僕によく懐いて笑顔を見せてくれるせいか、僕はすっぱりと未来の知識を切り捨てた。考え過ぎだ、と。

 

 はじめて喋った時の言葉が『パパ』だったモードレッドは、モルガンに見向きもしないほどのお父さんっ子だった。それはそれは可愛いもので、僕はこの子のことが目に入れても痛くないぐらい愛しくて堪らない。まあ、母親のモルガンは非常に悲しそうだったけど。

 だからか、モルガンはその反動でも受けたらしく、モードレッドの双子の姉であるバーヴァンシーを溺愛しているようだった。

 バーヴァンシーは、赤髪の子である。僕とモルガンの髪色的に赤い毛の要素なんてないから、どういうことかと首を傾げたけど。どうやら僕の父ウーサーが赤毛だったらしく、その血を引っ張ってきているのではないかとモルガンは言っていた。仇敵ウーサーの血を濃く引いているとなれば、モルガンは彼女を敬遠してしまうのではないかと思ったものだが、それは杞憂で済んだ。どうやらウーサーの存在は、とうの昔にモルガンの中だと風化していたらしい。バーヴァンシーの髪の色の話題でその名を出し、少し思い出した程度のようだ。

 

 モルガンは殊の外バーヴァンシーを溺愛した。傍から見ると誰だよ君、と言いたくなるぐらいデレデレである。何をするにしてもバーヴァンシーを連れて回り、ウッドワスに専任の護衛任務を与えて、最近は常にこの三人が一緒にいる。バーヴァンシーは僕に見向きはしても、悩んだ末にモルガンを選ぶものだから、なんだか僕も悔しくなってモードレッドを連れて回った。

 ウッドワスも僕の息子だと思っているけど、いつの間にか生まれていたという特殊な経緯があって、いい父親になろうという意識はあっても実感は湧かなかった。だけどモードレッドとバーヴァンシーは違う、本当の意味での実子であり可愛くて仕方ない。これが父親になるということかと心境の変化を感じ取り、ウッドワスにもより父親らしく接せるようになったと思う。

 

「――オラァ! 一発殴らせろこの野郎!」

 

 そのモードレッドだけど、物心つく前から軍事一辺倒の男親が連れて回ったせいだろうか? 彼女は立派なヤンチャ娘へと成長を遂げていた。

 騎士達の訓練場を遊び場とした十歳のモードレッドが、こんな粗野な口を叩くようになったのには、間違いなく僕にも責任の一端はある。……あるが、しかし。

 

「……モードレッド?」

「あ! 父う……え……」

 

 ビキ! ビキビキ! と。僕は生まれて初めて、自身のこめかみが異音を発するのを聞いた。

 血管を怒張させ、髪を逆立たせ、無意識に魔力を吹き出してしまう。僕の声を聞いて嬉しそうに振り向いたモードレッドが固まり、がたがたと震え出してしまっても怒りは収まらなかった。

 

「君、今……なんて口の利き方をしていたんだい?」

「ぁ……ぅ……」

「僕はとても悲しいよ。そんな乱暴な口を利く子に育てた覚えはないんだけどね。ああ、怖がらないでくれ、君を責める気はないから。モードレッドは悪くない、悪いのは……君達だね?」

 

 真っ青になって震えていたモードレッドから視線を切り、彼女と剣術の訓練をしていたらしい円卓の騎士達を見る。

 そこにいたのは、ガウェイン、ランスロット、トリスタン、ケイだ。前者三名もまたビクリと肩を震わせ、真っ青になっている。どうしたのだろうか。飄々としているのはケイだけである。

 

「わ、我が王よ……は、話を聞いてくれませんか……?」

「なんだい? 言ってみなよ、ガウェイン」

 

 顔を強張らせて進み出たガウェインが跪き、騎士の礼を示す。

 慌ててトリスタンとランスロットもそれに倣った。

 満面から汗を浮かばせながら、ガウェインは弁明を口にする。

 

「私は止めたのです。騎士王と妖精王の御子、姫ともあろう御方が乱暴な話し方をなさっては、父君が大変悲しんでしまわれると」

「へえ。ならどうしてモードレッドはあんな口を叩いていたのかな? いいかいガウェイン、モードレッドは僕なんかに憧れてくれて、騎士になりたいと言っていたんだ。女の子なんだから箱入りにして育てたかったけど、本人の意思を曲げたくなかったからね。でもその代わりに、僕が立派な騎士に鍛えると誓っているんだよ。間違っても『この野郎』なんて汚い言葉を使わないようにね。分かるかなガウェイン……僕は今、冷静さを欠こうとしている」

「もう冷静ではありませんね……」

「トリスタン卿! お願いですから余計なことを言わないでください……!」

 

 ぼそりと呟いたのは、目を閉じている赤髪の騎士だ。

 ガウェインが慌てて咎めるも、その空気を読めないセリフはしっかり僕の耳に届いている。じろりと睨め付けると、失言に気づいたトリスタンは押し黙った。

 

「冷静だよ。僕はとっても冷静だ。冷静じゃなかったら拳が出ていたよ。パワハラ上等で殴られろと命令してないんだから僕は冷静だ。そうだろう? トリスタン」

「は、はい……」

「それで? ランスロット、君がいてどうしてこんなことになったのかな?」

「――私のせいではありませぬ、全てはケイ卿の責任です」

 

 水を向けられるなりランスロットは見事な素早さで責任転嫁をした。僕はにこりと微笑む。

 指先を、ランスロットに向けた。すると彼の顔色がさらに悪くなる。

 僕の体は長年の聖槍の酷使により、神性を帯びてしまった。聖槍の神、とでも言うべきだろうか。恐らく人としての寿命を迎える頃には、人ではない何かになるかもしれない。

 とはいえ後二十年は正常な人間のままでいられるとモルガンは言っていた。もし僕が人として死んでしまったなら、聖槍の神と化した僕と共にモルガンはアヴァロンに行くつもりらしい。

 謂わばそれが僕達の、人としての寿命である。神様になってしまっても、僕の精神はあんまり変質しないらしいけど――要するに僕の全身は今、聖槍だということであり。その気になったら聖槍ビームをどこからでも発射できるということでもある。

 

 もちろんそんな危険なビームを味方に放つつもりはない。指先をランスロットに向けたのではなく、彼の背後に漂っていた花弁を撃ち抜いただけである。

 しかし結果として脅しめいた行動に見えてしまったのか。彼らは僕がキレていると思ったらしい。

 そんなことはないのに。僕は怒っていない。冷静だ。本当に。ただ――少し封印が弱まっているようなので、メンテナンスの必要性を認めただけで。

 

「ランスロット。僕は君を信頼している。本当だ。そんな君が言うなら信じよう。……本当にケイの責任なんだね?」

「い、いえ。少しは私達にも責任はある、かもしれませぬ。止められなかったという点では」

「うん。それに関しては僕も同罪だね。気にしなくていい。……で? ケイ。ケイ義兄さん。何か言い残すことは?」

 

 本当は分かっているのだ。ガウェインも、トリスタンも、ランスロットも、騎士の中の騎士と言える模範的な人物だ。そんな彼らの影響を受けたのなら、罷り間違っても粗野な口調は覚えない。

 故に口が汚く、皮肉屋なケイしか犯人はいない。僕は残念だった、信じていた身内に後ろから刺された気分である。ケイは僕がどれだけモードレッドを可愛がっているか知っているはずなのに。

 そのケイは、僕の視線を受けても肩を竦めただけだった。

 

「いや、別に? 血の繋がりは微塵もないとはいえ、このジャリっ子はオレにとっては姪みたいなもんだろ? 可愛がりたいって気持ちはオレにもあるんだしよ、面倒を見てやってただけだ。感謝してくれてもいいんだぜ?」

「……感謝? 感謝だって?」

「おー怖。怒んなって、アーサー」

 

 不敬ですよと小声で咎めるトリスタン達を無視し、ケイはそう言う。身内しかいないから気にしていないけど、僕の顔はもう可笑しいぐらい無表情になってしまった。

 ブチ、と血管が切れそうである。怒りに我を忘れそうになるのを、グッと堪えた。怒りを堪えられたのは、僕の怒気にあてられ泣き出しそうになっているモードレッドが視界の隅に見えたからだ。

 そうでなければ、キレていた。可愛い娘にキレてる姿は見せたくないので、根性で耐えた。

 

「考えてもみろよ、騎士ってのは何も名誉と栄光にだけ彩られた職業じゃないんだぜ?」

「……それが?」

「お前は立派だよ。まさに理想の、完璧な騎士様だ。だが世の中の騎士ってのはそういう奴ばかりじゃねぇし、その正反対みたいな奴のほうが多い。人間は状況次第で善にも悪にもなる畜生だ。少なくとも大抵はそうだろ。衣食が足りなきゃ礼儀も仁義も消えて失せる、所詮は少しばかり賢しいだけの獣ってのが人間の本性なんだよ」

「……否定は出来ないね。ほとんどの人間は確かにケイの言うような輩だよ」

「だろ? 恨みは忘れないくせに受けた恩は忘れる。自分の損害になるなら、全てを犠牲にしてでも免れようとする。面倒でなければ下らぬ善行を施すくせに、面倒であれば巨悪を見逃すことも厭わない。我欲に駆られて行動し、失敗すれば自分以外の何かが悪いとホザきやがる。それが人間って連中だ。本当に立派な騎士ってのは、人間ってのはそういうもんだと知っていながらなお、手を差し伸べられる奴のことで――そしてモードレッドを悪意から守るには、そういう悪意への対処法を学ばせなきゃなんねぇ。オレはそれを教えてるんだよ」

 

 聞けば聞くほど正論に聞こえる。ケイの弁舌には勝てる気がしない。

 聞いては駄目だと思うのに聞かされて、いつの間にかそれが正しいことのように感じてしまった。

 僕はすっかり冷静になってしまう。頭が冷えた。確かに一理あると思ってしまったからである。

 

 嘆息して、僕はケイを睨んだ。

 

「……分かった。少なくとも理があるのは認めるよ。けど、分かってるよね。モードレッドに乱暴な言葉を教えるのは構わないけど――」

「分かってる分かってる。ちゃんと丁寧で上品な騎士としても通じる、正しい礼儀作法も仕込んでるっての。な、モードレッド?」

「は、はい!」

 

 背筋を真っ直ぐにして返事をするモードレッドは、半分泣いていた。僕は嘆息する。

 

「怯えさせてごめんね、モードレッド」

「……お、おびえてない……です」

「気をつけろよー、モードレッド。コイツってメチャクチャ短気なとこあるからな。怒らせたら一番ヤバい奴なんだぜ。ま、オレはお前の反抗期が楽しみでなんないけどな」

 

 ――ケイが反省する素振りもなく、ニヤニヤしながら言うのを見て。モードレッドは自分に汚い言葉を教えてくるこの男が、ロクデナシだったのだと思った。

 ――モードレッドは心に誓う。父上だけは、絶対に怒らせちゃ駄目だ、と。

 

 

 

 

 

 




今後のネタ。

・ガウェイン、トリスタン、ランスロットとアーサーの話。
・アーサーとモルガンの話。
・ランスロットとメリュジーヌとちょい役アーサーの話。
・ガウェインとバーゲストの話。
・バーヴァンシーとモルガンの話。
・モルガンととある妖精の話。
・アーサーと、モルガンの、お話。

以上のことができたらおしまいかな。


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夫婦仲を取り持とうとする話

待たせたな。

カルデア編やらzero編、sn編やら見たいと言われ、そっちの内容を考えてたら投稿が遅れました(言い訳)
そうして気づいたんですが、僕は予定を立てて話を書くより、何も考えないで即興で書いたほうが筆が進むらしいです。なので今は書く気のある話だけ先に済ませ、後のことは後で考えようと思います。




 

 

 

 

 

 

 

 ――ブリタニア(ブリテン)列王史『ブリタニア統一戦』より。

 

 

【貴様はッ! 貴様だけはオレが殺す! アーサーッ!】

 

 竜種の冠位、境界の竜の血を取り込んだ卑王ヴォーティガーン。

 彼は全てのブリテンの人々の裏切り者だ。

 サクソン人やピクト人をブリテン島に招き入れ、戦乱の世を巻き起こした邪悪である。

 目的は一つ。神秘の時代を、守ること。

 そのためには全ての人間を殺し尽くす必要がある。故に彼は戦乱を齎した。

 如何なる動機、如何なる道を経て斯様な思想を抱いたのか、知る者はどこにもいない。

 アーサー王は言ったという。知る必要はないね、と。

 

「ガウェインッ! エクスカリバーを君に貸し与える、ガラティーンをバーゲストに!」

「はッ! 聞いていましたね、バーゲスト!」

「お任せを、ガウェイン様! そしてアーサー王!」

 

 

 『王国史唯一の副王、偉大なるアーサー王は聖槍を手に陣頭へ立ち、自らの剣を忠実な騎士ガウェインに貸与した。騎士ガウェインは己の妻たる騎士バーゲストに己の剣を与えた』

 

 

【貴様は生きていてはいけないんだ、ブリテンの神秘を――神代を終わらせてしまう貴様だけは! そしてモルガン、あの薄汚い裏切り者もオレが――】

 

「煩いな。生憎とセンチメンタルなお年頃じゃなくてね、昔話に興味はない。いつまでも黴の生えた時代に縋りついてる、懐古主義の老人に付き合ってる暇はないんだ。僕達には仕事が残ってる」

 

 激情を迸らせる巨竜を前に、アーサー王は冷酷に吐き捨てた。

 凄まじい怪物と化したる卑王。その力は吐息一つで軍勢を消し飛ばす。だが立ち向かうのは円卓の騎士だ。アーサー王一人では敵わずとも、彼には英傑たる騎士が幾人も付き従っていた。

 太陽の騎士ガウェイン。猟犬騎士ウッドワス。妖弦の騎士トリスタン。他にも綺羅星の如くその名を煌めかせる騎士達。いずれも過去の英霊の中でも上位に君臨する者。

 彼らはアーサー王の指揮の下、果敢に災害たる竜に挑んだ。たとえ日輪の下に在る太陽の騎士が一撃で倒されても、たとえ妖弦の騎士が満身創痍で膝を突き――猟犬騎士が薙ぎ倒されても、勝機の到来を最前線で待ち続けた。そうして己の騎士が敗れた後、聖槍を手に最初から最後まで挑むアーサー王は勝機を見い出した。持ち得る全ての力を投入し、一気呵成に攻め滅ぼす好機を掴む。

 

 

 『太陽の光の騎士ガウェイン、勇猛なる女騎士バーゲストは、それぞれ貸し与えられた剣を持ち、ヴォーティガーンの軍勢を突破した。その後に続いたアーサー王はヴォーティガーンの許に辿り着き、自らの槍で以て仇敵を葬り去ったのだ』

 

 

 ――戦線に復帰したガウェインがエクスカリバーで卑王の右手を貫き、バーゲストがガラティーンで左手を貫くと、それぞれの手は地面に縫い止められてしまった。

 そして聖剣に勝る殺傷力を誇った聖槍で、アーサー王は突撃する。

 ヴォーティガーンが顎を開き竜の吐息(ドラゴンブレス)が放たれたが、アーサー王は怯むことなく国土を焼く魔力の大海嘯を貫通し、卑王の命を奪い去ってのけた。

 

【アー、サー……ァァ!】

 

「さようなら、ヴォーティガーン。君だけは、殺してしまっても心は痛まないよ」

 

 如何なる因縁があったのか、アーサー王は卑王に慈悲の一片も見せない。

 容赦なく、末期の呪いの言葉すら踏み潰して、彼は卑王を討ち果たした。

 こうして長きに亘るブリテンの内乱は終結したのである。

 残るのは、国土に点在する不穏分子。

 恐ろしきピクト人の掃討。

 それこそが如何に難儀する戦いなのか、考えたくもない。

 

 『ヴォーティガーンの没後、宿敵ピクト人とサクソン人は大陸へと去り、王国に平和が戻った。ただしこれは束の間の平穏である。後年、ピクト人とサクソン人の大軍勢が攻め寄せる時、アーサー王は最大の戦いに臨むことになるのだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ジャガ芋がある。

 

 いつもなんのけなしに、作業のように口に運んでいたジャガ芋。潰したマッシュポテト。

 食えるだけ上等だろう。一介の村民の生活と、一転して豊かな食生活を知る僕は、今生での食事で贅沢を言わず、食べ物があるだけ有り難いのだと思っていた。僕だけに限らずこの時代、この国の人は食事を栄養補給の作業だと割り切っているはずである。

 しかしだ。ふとした瞬間に、今の今まで忘れていたことを、僕は思い出してしまっていた。

 この時代、この国に、ジャガ芋なんてものはなかった、と。知識の出どころも判然としない、極めて曖昧で論拠の提示も叶わないが、確かにそのはずだと僕の薄い記憶が言っている。

 ではこの潰れたポテトはどこから来たのだろう。普通なら卓の上に直接、ドン! と置かれるはずのポテトの山。それが僕の身分故に、木の平皿の上に置かれたモノを見ながら思案する。

 

「我が王よ、どうなさいました?」

 

 しかし、すぐに曖昧模糊とした知識の引き出しを閉める。思い出せても意味はなさそうだ。

 現にジャガ芋がある。目の前にうんざりするほど。ならそれでいいじゃないか、実際にあるのなら僕の記憶の方が間違っているのだろう。今まで思い出しもしなかったのだからそうに違いない。

 

「いや、なんでもない。いただこうか」

 

 言いながらポテトを口に運ぶ。

 手掴みでモノを食う人が多い中、僕はささやかな意地で、食事をナイフとフォークで行なってきた。そうしていると、いつしか周りの騎士は僕の真似をするようになったけど気にしてない。

 最初の頃は素人なりに、この味気ない食事を改善しようと試みはした。だが無理だった。胡椒一瓶でそれより重い金塊と同等の価値がある今代、調味料はおろか調理器具すら満足に揃えられないのである。加えて部下の命を預かる手前、軍事の勉強と自己鍛錬を怠るわけにはいかなかったし、尊い身分のせいで()()とされる料理を僕が行うことを周りの人が許してくれなかった。

 傍らの騎士ガウェインは、マッシュポテトを作るのが得意だと豪語し、料理には自信があると吹聴しているが、それは本当に今の時代だと褒められるレベルである。ヘソで茶が沸きそうな話だとは思うが、雑な食事に慣れきった貧しい国だと『料理をする』だけで物好きだと思われてしまうのだ。実際、ガウェインは下級騎士から料理が得意な上官として好かれている始末である。

 

 僕はもう心が折れていた。たぶん、人としての一生を終えるまでは、美味しい食べ物は口に出来ないんだろうなと。少なくとも美食で知られるローマに侵攻しない限りは。

 

(『アーサー王伝説』だとたしか、ローマ帝国からの侵攻を受けて、そこから逆侵攻して皇帝を倒した後、ローマの皇帝になったりする話があったような気がする)

 

 僕の生きる世界とは違う、フィクションの話だとしても笑えないが、本当にやってやろうかと思う。もちろん本気ではない、再現性のないただの妄想だ。

 

 『アーサー王』がローマ皇帝になるなんてのは、物語としても突飛すぎるし現実的ではない。仮に上手くことを運べても、国内に不穏分子は溢れているだろうし、ブリテン島のような島国の王が皇帝になっても、統治が上手くいく確率は限りなくゼロに等しいだろう。何せブリテン王国の識字率は驚異の1%である、世界の中心である帝国の統治は天地がひっくり返っても不可能だ。

 だけど皇帝になったら食事がマシになるならと、そう夢想してしまうぐらいには僕も荒んできている。

 豊かな食生活は心も豊かにするというのは本当だろう。逆説的に食が貧しければどこまでも荒んでしまう。僕が証人だ。たくさん人を殺したし、味方を殺されもした。僕自身アルビオンには何度も殺された。そのせいで敵を殺すのを躊躇わなくなった。モルガンは僕の心は綺麗なままだと言っていたけど、何かの間違いである。彼女の目玉はビー玉か何かかと心配になる節穴具合だ。

 

 ただ『ビーダマ……?』と首を傾げていたモルガンは可愛かった。

 僕より十■歳も年上のくせに。

 

「陛下? あまり食が進んでいないようですが……」

 

 いつものように淡々とポテトを口に運んでいるつもりだったが、とりとめもない空想に思いを馳せていたせいでペースが落ちていたらしい。ガウェインが気遣わしげに覗き込んでくる。

 僕は嘆息してかぶりを振った。どうにも、胃に物を詰め込む作業に没頭できない。だから気を紛らわせるために、以前から気にかけていたことを話して気分転換しようと思った。

 

「ああ……実は心配事があってね」

「む。それはいけません、私で良ければ相談に乗りましょう」

「ありがとう。けどガウェイン、心配の種は君に関することなんだ」

「は、私ですか?」

 

 はて、自分に何か王の存念を煩わせる失態を犯しただろうか。

 そう自省する精悍な美丈夫は見ているだけで絵になっている。ガウェインは顎に手を当てて思案していたが、心当たりがないのか困ったように眉を落とした。

 円卓の間。今この場には、僕とガウェインしかいない。彼はモルガンの長子だ。いわゆる連れ子という奴で僕の甥である。しかし甥と言っても歳は近い。だから僕にとってガウェインは弟みたいなものだし、彼にも僕を兄と思ってくれと言ってある。

 

 まあ、彼は根っからの騎士なので、弟ではなく騎士としての態度を頑として崩してくれないけど。おまけに彼は彼で母モルガンに複雑な想いを抱いている様子である。無理もないので、口出しはしていない。正直、過去の()()()()に関しては弁護する余地はないと思う。

 他にも少し前までガウェインの実弟ガヘリスと実妹ガレスがいたのだが、彼らはお仕事の時間が来たので退室している。故に今この場には僕とガウェインの二人しかいない。

 

 ――ちなみに円卓を食卓にするのは、円卓の騎士にとっては割とありふれた話だったりした。

 だってどれだけ凄い宝具でも卓は卓だし……。

 

「聞いたよ。君、バーゲストと喧嘩したんだってね」

「ッ……!? な、なぜそれを陛下が!?」

 

 ブリテンでも有名な夫婦騎士、ガウェインとバーゲスト。仲睦まじい二人は公私両面で支え合える最良のパートナーだと評されていた。そんな評判が立っているのは素直に喜ばしい。何より彼ら夫婦は僕にとって身内同然で、苦しい戦いでも轡を並べた戦友なのだから。

 そう思っていたのに、僕が探るように言うとガウェインは露骨に動揺した。僕がそれを知っているのは想定外だった? それとも主君の耳に入るような話ではないと高を括っていたのかな?

 どちらでもいい。この反応を見るに、湖氏からのタレコミは本当だったようだ。

 

「なんで僕が知ってるかなんてどうでもいいだろう? それより、いつ仲直りするんだい?」

「そ、それは……ええ、まあ、はい。私も可能な限り早く解決したいとは思っているのですが……」

「――おや。声がするから顔を出してみましたが、我が王でしたか。そしてガウェイン卿も」

「トリスタン卿! それにランスロット卿も!」

 

 平服姿のトリスタンとランスロットがやって来る。円卓の場は本来気軽に足を運ぶようなところではないのだが、堅苦しくやるのに疲れた僕の提案で、円卓の騎士の溜まり場にしたのだ。

 よそでフラフラしてるぐらいならここに集まっといてと、そう提案した時は皆に微妙な顔をされたものだけど。今は皆も慣れてしまったようで、まるで部活終わりに部室で駄弁る、男子高校生の集いのような雰囲気が出てきている。例えるなら僕が部長で、モルガンが顧問、ベティヴィエールがマネージャーといったところだろうか。仕事中ならともかく、そうでない時にまで肩肘を張りたくないと本音で説得した甲斐のある、砕けた雰囲気には僕も救われていた。

 

 トリスタンは僕とガウェインだけがいるのを見て、訝しげに眉を動かす。対してランスロットの顔は微かに引き攣っていた。僕らが何を話していたのか察したらしい。

 

「いいところに来てくれました。この際、貴方達にも相談したいと思っていたところです。さあ席に掛けてください、今ならマッシュポテトもありますよ」

「ポテトは結構。ですが相談したいと言うなら、話を聞くのも吝かではありません。ガウェイン卿から相談されるのは稀ですからね」

「……ああ、そうだなトリスタン卿」

 

 逃げ出したそうなランスロットだったが、トリスタンに仕草で同意を求められ、渋々自分の席に腰を下ろす。ガウェインとしては部長の僕と、一対一で話すのが気まずい話題だから、なんとか助け舟を期待しているらしい。だけど夫婦喧嘩を僕に告げ口してきたのが、そこのランスロットであることには気づいていないらしい。なんだか楽しくなってきたなと思い笑顔になる。

 ランスロットはそんな僕の笑顔に凄く嫌そうな顔になった。

 

「それで相談とは?」

 

 トリスタンが水を向ける。するとガウェインは僕をちらりと見て、言いづらそうに口を開いた。

 

「ええ……それが、私としたことがバーゲストを怒らせてしまいましてね。どうすれば仲直りできるのか、知恵を貸していただきたいのですよ」

「ああ、私も噂には聞いています。ですがガウェイン卿、私はあくまで噂でしか知らないので、詳細を聞いてみないことには貴方の求める答えは出せないでしょう。詳しく話を聞かせてください」

 

 正論で返され言葉に詰まるガウェイン。ちらりと僕を見るところから察するに、僕がいては話しづらいのかもしれない。だけどそんなことは関係ない、僕は肩を竦めて甥の代わりに言った。

 

「トリスタン。彼はね、結婚記念日で妻を家に待たせているのに、婦女子からの誘いを受けたんだ。なんでもその婦女子は以前、匪賊に襲われたところを父母共々ガウェインに助けられたらしい。その時の恩返しをどうしてもしたいと請われ、ついて行ったようなんだ。結果、その日の内に帰ることが出来ず、日付が変わって帰ったら――バーゲストは悲しんで彼を詰ったようなんだ」

「ほう、浮気ですか。やりますねガウェイン卿」

「浮気などしていません!!」

 

 感心したように笑顔へ艶を出すトリスタンに、ガウェインは顔を赤くして吠えた。

 この手の話が大好き、というより。トリスタンはガウェインを誘った婦女子が人妻だという噂を聞いているから、とうとうガウェインも同好の士になったのかと歓迎の意を示したのだ。

 未だに独身のトリスタンは気楽なものである。そろそろこの男にも家庭を持たせてやらないといけないなと僕は思った。どう考えても、コイツを野放しにしていてはいけない気がする。

 

「騎士たる者、婦女子には優しくしなければなりません。恩返しをしたいという婦女子の誘いを振り払うなど、男としても騎士としても不誠実でしょう!」

「ええ、その通り。貴方は間違っていない! 私でも誘いに乗りますからね!」

「――夫としては不誠実だった。問題はそこじゃないかな」

 

 てかてかとした笑顔で同意するトリスタンを尻目に、ぐさりと言葉で刺しておく。流石にガウェインもそれは分かっているのか、言葉に詰まってしまったようだ。

 ついでに言っておこう。

 

「君がどれだけ必死に浮気をしていないと訴えても、女の家に行って一夜を明かせば、それは実質浮気をしたようなものだ。たとえ実際に肉体関係を持っていないとしても、そんなことは外部の者には分からないからね。バーゲストが怒るのも無理はないし、非はガウェインにしかないと思うんだけど……君はどう思う、ランスロット?」

「……全面的に、我が王の言う通りかと」

「だろう? 流石はランスロットだ、エレインも立派な夫を持てて幸せだろうね。成長したら息子のギャラハッドくんも君を尊敬するだろう。素晴らしい父親だ、って」

「………」

 

 無言で顔を背けるランスロットである。僕の牽制が伝わっているらしい、冷や汗を浮かべていた。

 彼もまた人妻好きの変態的性癖の持ち主である。トリスタンとよくつるんでるのも話が合い、よき友人だと認識しているからだろう。それはいい、同僚と仲が悪いよりは余程。

 が、駄目。彼はよりにもよって、とある王の妻になったギネヴィアなる女性と、道ならぬ恋に落ちたという。幸い早期の内に気づけた――というより、僕が勝手に気をつけていたから情報を掴めたけど、そうでなかったら彼の今の家庭は崩壊していたかもしれない。

 ギネヴィアとランスロットには深く釘を刺し、二人には接触禁止令を出しておいた。もし僕の接触禁止令を破ったなら……ランスロットは去勢、ギネヴィアは不妊の呪いをモルガンに掛けてもらうと脅している。そんなわけでランスロットはこの手の話題を僕の前では出したがらなくなった。

 

 ――フランス版アーサー王伝説だと、踏み台、引き立て役、乱暴者でしかないガウェイン。同様にランスロットは完璧な騎士で、そうである故にブリテンを崩壊させてしまう存在だった。

 

 だが僕が接して見知った彼らの人柄は、正しい意味での騎士の中の騎士である。ガウェインもランスロットも、物語で取り上げられるほどの人格破綻者でも人格者でもない。勿論僕もだ。

 だから誰しもが普通に失敗するし、失敗しても自分は悪くないと思いたがって頑固になる。相手を信じる余り、何も言わなくても察してくれると決めつけて、すれ違いを起こしてしまいもする。

 ガウェインは自分の信じる騎士道に沿っただけで、同じ騎士ならバーゲストも理解してくれると信じていたのだ。むしろ浮気を疑われたら、自分のことを信じてくれないのかと立腹してしまう。彼は素晴らしい騎士だけど、人間なのだ。感情があるし、陥穽もある。失敗を失敗だと認識することが出来ていないのは、そうした心の動きがあるからだろう。

 

「しかし、陛下。私に非があるにしても、バーゲストに私は謝罪しました。以後はこのようなことがないように気をつけるとも。なのに彼女は意固地になってしまっている。私はどうしたらいいのですか? ただ平謝りするしかないのでしょうか?」

 

 ガウェインも自分が悪いのは分かっている。分かっていても納得はしていない。こういう時、両者を知っている僕がアドバイスするべきだろう。こんな僕でも一応は人生の先輩なんだから。

 

「ガウェイン。君も知っているはずだ、バーゲストは大きな女だって」

「ええ、彼女はとても、とても大きいですね」

「……トリスタン? ちょっと黙ろうか」

 

 余計な茶々を入れてくるトリスタンを睨む。友人の妻にまでそんな目を向けることは赦さない。

 僕は円卓で、ドロドロとした人間関係なんて見たくなかった。現に愛妻家のガウェインも凄い目でトリスタンを睨んでいる。やめてくれよ、本当に。さもないとトリスタンを去勢しないといけなくなるじゃないか。そんなの嫌だぞ。君も嫌なはずだ。

 トリスタンも流石に自分の失言に反省したようで口を噤んだ。ランスロットなんてあからさまにカカシに徹して、空気になろうと必死である。

 

「バーゲストは君の事を許しているよ。事情を理解してもいるはずだし、まさかガウェインが不義を働いたなんて思ってもいないはずだ」

「……では、なぜ彼女は私に口を利いてくれないんですか?」

「たぶん、バーゲストは悔しいんだと思うよ」

「悔しい?」

「ああ。せっかくの結婚記念日を、愛する夫と祝うことが出来なかったんだ。なのに君は謝るだけ、他には何もない。贈り物をしても何もしていないのと同じだ。それがなぜだか分かるかい? ランスロット」

「……な、なぜ私に聞くのです?」

「君は答えが分かっているんじゃないか。ガウェインに教えてやりなよ」

 

 話を振るとあからさまに動揺するランスロットに、ガウェインは縋るような目を向けた。彼は少しでも早く家庭内での変な空気を払拭したいのだ。

 仲間のそんな目に、ランスロットは折れた。嘆息して彼はガウェインに向き直る。

 

「……恐らくバーゲスト卿は、貴公に埋め合わせてほしいのだろう」

「埋め合わせ、ですか?」

「そうだ。記念日を共に祝えなかった、それが悔しいと彼女は感じている。ならその悔しさを晴らしてやるのが夫の勤めではないかと愚考する。とはいえ彼女もそんなことは言い出しつらい。何せ彼女は騎士としての貴公も尊敬している。故に貴公を困らせたくないが、同時に納得も出来ていない……彼女は今、苦しんでいるはずだ。ガウェイン卿がエスコートする他にないだろう」

「流石はランスロット卿。女心をよくご存知でいらっしゃる」

「……トリスタン卿。頼む、茶々を入れないでくれ……」

 

 ガウェインはランスロットの意見に深く考え込んでしまった。そしてやおら立ち上がり、僕に礼を示してくる。

 

「……陛下。私は今から妻に会いに行こうと思います。先に退室するご無礼をお許しください」

「無礼なんかじゃないさ。行ってあげるといい」

「は!」

 

 颯爽と立ち去るガウェインの背中を見送る。

 彼がいなくなるのを待って、僕は手元のポテトを見下ろした。

 だが未だに食欲が湧かない。仕方ないので僕はにっこりと微笑んで、トリスタンを見た。

 彼は嫌な予感がしたのだろう。すぐに立ち上がろうとするも、機先を制するように言った。

 

「――さ。次はランスロットも話しやすい話題にしようか」

「む……それは素晴らしい提案ですな。口も滑らかになりましょう」

「……へ、陛下? それにランスロット卿……な、なぜ私を見るのです?」

 

 僕が何を言いたいのかランスロットも察したのか、素晴らしい笑顔でトリスタンを見て、彼が逃げられないようにその肩へ手を置いた。

 トリスタンの端麗な顔が強張る。そんな彼に、僕は言ってやった。

 

「そろそろ年貢の納め時だ。君もふらふら遊んでないで……家庭を持ってみたくはないかい?」

 

 僕がそう言うと、トリスタンはがっくりと肩を落とした。

 経験上、僕がこう言い出すのが最後通牒だと理解してくれているらしい。

 女性関係のトラブルで手を煩わせられるのは、いい加減うんざりしている。嘗てはガウェイン、そしてランスロットを人生の墓場に叩き込んだ。今度はトリスタンの番である。

 

 

 

 

 

 

 



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悪辣な魔女が最後の夫を愛した話

 

 

 

 

 

 最初、アーサーにとってモルガンは、自身の人生で最大の障害だった。

 

 最初、モルガンにとってアーサーは、最も恨むべき存在の作品だった。

 

 物語という形で未来を知ったアーサーからすると、様々な形で立ち塞がり、最終的には自身が命を落とす原因となる魔女は恐ろしく。味方に出来ないなら必ず排除しなければならない敵で。怨敵の最高傑作として生まれ、自分が手に入れるはずだった全てを奪うアーサーを、モルガンは必ずや破滅させてやると心に誓っていた。故に、二人は不倶戴天の仇敵同士となるはずだったのだ。

 いわば運命に約束された因縁である。

 だがその運命の通りに歩むことをアーサーはよしとしなかった。なぜならばアーサーは自らの王器に疑問を抱いていたし、自分が物語通りの王として君臨できると思えなかったのだ。そして自身の手腕で物語以上の結末を手に入れられると自惚れることも出来なかった。

 何より滅私奉公して国と民のために生きる覚悟が持てなかったし、かと言って無辜の民が苦しむのを座して見過ごす覚悟も持てない。彼は自分と他人の命を捨てる決断が下せない半端者だと自覚して、でも何もしないでいるわけにもいかないと煩悶していた。ならばどうするのかと熟考した末に、他人に自分の出来ないことを投げつける道を選択した。

 ある意味でそれも無責任な判断と言えるかもしれない。しかしアーサーからすると、背負えもしない責任に押し潰され、周囲の人々に迷惑を撒き散らすよりは余程に賢明だと考えた。結果、彼は不倶戴天であるはずのモルガンを頼ったのである。それが最善と信じて。

 

 面食らったのはモルガンである。

 

 それまでどれだけ行方を探しても、マーリンにより隠されていたアーサーを見つけ出すことが出来ず、彼が王として立つまで見つけることは叶わないと諦めていた。

 アーサー王に対抗する為に手駒となる子供を生み、強力な軍事力を持つ国の王妃の座に収まった。全ては自分のブリテンを取り戻すためで、夫も子供も利用し尽くすつもりだったのである。

 だというのに、そのアーサーがのこのこ自分からやって来た。

 モルガンはアーサーの愚かさを嘲笑いながら、彼を殺めてしまおうとした。しかし彼女はアーサーという存在を憎んではいても、彼という人間そのものを憎んでいたわけではない。故に殺す前に少しは話を聞いてやろうと耳を傾けて――運命が変わったのである。

 

 アーサーは、モルガンが王位に就くのを後押しすると言ったのだ。

 

 信じられなかった。だが、信じる他になかった。なぜなら彼女の有する妖精眼は、目に映る者の心を視てしまう。モルガンの目は、アーサーが一切の嘘を口にしていないことを見抜いていた。

 アーサーの精神は、凡庸だった。自らに迫る運命を知り、怯え、震え、逃れたがり。かと言って全てに背を向けて逃げ出すような腰抜けにはなりきれず、他人を見殺しにできない善良さを宿し、己の運命と国の運命を覆すには、モルガンの力が必要だと確信していた。

 国を。民を。身内を。そして自分を救うためなら、王位なんていらない。ほしいというならモルガンに差し出すのを躊躇う理由がない。彼の言葉は見様によっては無責任で裏切りである。だがそれは何に対する責任で、何への裏切りなのか? 運命? いいや違う。運命は確かにこの少年を王にしようとしていた。だがそこに今を生きるアーサーが負うべき責任はない。そして彼が裏切るのだとしたら、彼を鍛え運命に沿わせようとしていた花の魔術師以外には有り得ないだろう。であるのならば、アーサーがマーリンを裏切るのは責められるべきことなのか?

 

 答えは否である。

 

 運命という炉に、生贄として焚べようとする魔女を裏切ったからと、どうして責められる。少なくとも自らの人生を捧げるか否かの選択は、アーサーの意思に委ねられているのだ。

 そのアーサーは選んだ。自身の前に舗装された道を歩まず、自らの選択でこのモルガンを。

 彼女は冷酷に、冷徹に勘案した。アーサーをこの場で殺して、ロット王の妻で在り続けるのか。それともここでアーサーの手を取り、彼と共にブリテンを手に入れるか。

 前者にメリットは感じない。

 ロット王は善人で優れた人物であるが、モルガンは彼を愛していないのだ。と言うより、モルガン自身が人間という生物を嫌っている。幾ら彼が自分を愛しているとしても、その逆はない。彼との間に作った子供も、対アーサー用に生み出した駒の一つでしかないのである。つまりロット王を自分は利用しているだけであり、必要とあらば切り捨てても心は痛まなかった。

 翻って考えるに、後者にはメリットしかなかった。

 最大の対抗馬であるアーサーが自分の下につき、自分を王にするという。ブリテンをモルガンのものにすると。そこに嘘はなかった。そしてそれが本当なら、アーサーを夫としたらブリテン王になる正統性を自分は手に入れられる。ウーサーに奪われた王位をだ。

 

 モルガンは、アーサーを取った。

 

 だが必ずしも信頼したわけではない。何せ人間とは心変わりする生き物である。いつか裏切られるかもしれないし、その可能性を無視できるほどモルガンは人間を信じていなかった。

 故にモルガンはアーサーの後見人であるマーリンを封印した。あの魔女だけは野放しにできない。彼の存在を利用し、アーサーの背後にモルガンがいることに気づかせないまま、油断していた花の魔術師を完壁に封じ込んだ。そこに容赦はない、手を抜けば出し抜かれるのが分かっているのだ。そしてマーリンさえ封じ込めたなら、アーサーが裏切っても裏を掻かれるリスクはなくなる。

 そうしてモルガンはマーリンに成り代わり、アーサーの後見人となった。彼が選定の剣を抜いてウーサーの後継者だと名乗り出るようにし、ロット王を利用して彼の後押しをさせた後、才覚を発揮しだしていたガウェインをアーサーの第一の騎士とするべく送り出した。

 ガウェインはモルガンの子供とは思えないほど、真っ直ぐな心根の持ち主に成長している。父親に似たのだろう、ガウェインは騎士として優れ、英雄の素質を具えていたのだ。であるからこそ、彼を誘導してアーサー王への憧憬を抱かせるのは簡単だった。

 

 ロット王と離縁したのは、それから一年後だ。

 

「――いや。助けられた側の僕が言うのはアレなんだけど、流石にそこだけは肯定的に見れないね。昔の君は紛れもない悪女で、最低最悪の魔女としか言えない。外道だよ、モルガンは」

「ふふふ……そんな悪評が流れるのは承知していました。ですがこの私がブリテンを手に入れるためです、躊躇う余地などありません。それに……私がそうするように仕向けたのは貴方ですよ?」

「心外だ。そんなことをしろと言った覚えはないんだけど」

「そうですね。残念ながら当時の貴方には知恵がなかった、こうなるだなんて欠片も想像していなかったのでしょう。だから貴方は悪くない、悪いのは私だけ。ですが誰が悪くとも、よりよき国を作るためには必要な犠牲でもあった。違いますか?」

「……違う、とは言えないのが辛いところだよ」

 

 ――回顧するモルガンに苦言を呈するアーサーだったが、モルガンはまるで反省していない。結果的に助けられた側のアーサーでは、強くは責められないのが辛いところだ。

 

 そう。ロット王を、モルガンは裏切ったのである。彼女としては利用価値のなくなった駒を捨てただけなのだが、世間的に見ると夫を捨て別の男に乗り換えた尻軽の悪女にも見えるだろう。

 しかもただ裏切ったのではない。モルガンはロット王と離縁した後、オークニーに災厄を齎したのである。神代を守るために蠢動していたヴォーティガーンに接近し、彼を唆してオークニーの防備を伝え、サクソン人の軍勢に襲わせたのだ。

 果たしてオークニーは大混乱に陥り、ロット王は戦死した。そうしてあわやオークニーが陥落する間際で、モルガンは救世主面で現れると自らの魔術を振るい、サクソンの軍勢を追い払いオークニーの実権を握った。オークニーの女王としての地位を手に入れたのだ。

 彼女は前夫を謀殺したのである。言い逃れの余地のない、最悪の手法だ。だがそうでもしないとブリテンを手に入れられないのなら、モルガンが迷うはずもなかった。

 

 サクソンの大攻勢で、オークニーの気骨ある騎士は全滅している。残っているのは運良く生き残っただけの者ばかり。そうなるように仕向けた。故に女の身で王権を握るのを阻止しようとする者はいても、到底モルガンの障害足り得はしなかった。

 邪魔者を粛清したモルガンは、オークニーの女王として辣腕を振るい、陣頭に立つと次々と周辺諸国を平定し、また卑王と接触した時に得た情報を利用してサクソン人の国も併呑していった。卑王がモルガンを裏切り者と罵り、呪うようになったのはこれが原因である。

 そうして一大勢力を築いたモルガンは、まだ弱小勢力だったアーサーに接触し、彼を傘下に収めることに成功した。そして彼を夫にすることで、ブリテン王となる正統性を手に入れたのだ。

 

「あの時の君は神懸かっていたね」

「無論です。しくじるわけにはいきませんでしたからね。あの時ほど死にものぐるいになったことはありませんよ」

 

 ――裏側を知るアーサーは、その一点だけは未だにモルガンを肯定しない。だがそれでいいのだとモルガンは割り切っている。たとえ卑劣なる悪女、外道働きをした最悪の魔女と罵られようと、彼女はただ己の生に授けられた生き甲斐、ブリテンの支配のためならなんでもするつもりでいたのだから。そして、その覚悟の通りに、なんでもした。それだけである。

 

 そうして首尾よくブリテン王となり、『妖精王』の号を得たモルガンだったが、彼女は全く気を緩めはしなかった。というのも、今度は副王にして夫となったアーサーが目障りだったのだ。

 彼は相変わらずモルガンを王として盛り立てようとしていたが、彼女は人間を微塵も信じていない。今はよくても未来では変心し、裏切るに決まっていると頭から決めつけていた。

 故に水面下で対アーサーの戦略を練り続け、陰謀も企んでいた。だが厄介なことに、軍事に一点特化したアーサーの能力は、モルガンの想像の遥か上まで達しており、モルガンをしてアーサーと対決しても勝ち目はないと結論づけるしかなくなっていたのだ。

 

 選定の剣に、どこから持ってきたのか聖槍まで所持している。加えてモルガンの魔術をも弾く規格外の対魔力と、未来予知の域にある勘の鋭さが合わさって、おまけにモルガンの知るあらゆる騎士を凌駕する技量を具えていた。戦闘という分野では、どう足掻いても太刀打ちできないと認めるしかなくなっていたのである。これは誤算だった。

 故にモルガンは、アーサーが裏切った時のために駒を()()用意することにした。それが猟犬騎士ウッドワスが誕生した経緯である。

 

「え? 待った、待ってくれモルガン。君、今二体って言った? 一人はウッドワスだよね。じゃあもう一人は誰なんだよ。僕はそんなの聞いてないんだけど?」

「えぇ……まあ……ウッドワスは私と貴方の遺伝子を掛け合わせたホムンクルスだというのは話しましたね? もう一人は……その、なんと言いますか」

 

 ――歯切れ悪くモルガンは言う。

 

「もう一人は……()()()()()()()()()()()()を目指したホムンクルスです」

「……はぁ?」

「貴方に対抗するためには、貴方自身を手駒として生み出せばよいと考えたのです、当時の私は」

「……それで? その子の事をなんで今の今まで黙っていたんだい? 事と次第によっては対応を考えないといけなくなるんだけど」

「やめてください! バーヴァンシーには何も言わないで!」

 

 ――心無い夫に脅される妻のような調子で言うモルガンに、アーサーは嘗てなく冷たい眼差しで自身の妻を見据えた。かつてはともかく、今やすっかり心を許し信頼を寄せている夫から、そんな極寒の目を向けられてモルガンは冷や汗を流してしまった。

 

「そ、その子の名前は、()()()()()です」

「アルトリア。……え、なに? なんで女の子の名前なの?」

「わ、分かりません……貴方のクローンとして設計したのに、なぜか女として生まれました」

「ふぅん……それで、そのアルトリアはどこにいるんだい?」

「………」

「モルガン。まさか……」

「ち、違います。処分なんてしていません。た、ただ……」

 

 ――しどろもどろにモルガンは弁解する。かつての己が今の自分を見たら、どんな顔をするだろうなと頭の片隅で思う。呆れるだろうか、それとも怒るだろうか。あるいは情けないと失望するかもしれない。だが不思議と今のモルガンは、昔の自分より今の自分の方が好きになれていた。過去の自分の行いが、どれほど悪辣でも、後悔は一寸足りとも抱かぬ女だが……それでいい。

 

「稼働限界時間が僅か一年と、想定を遥かに下回る寿命しかなかったので、今は眠らせておくしかなく……もしも機会が来たら起動させようと……」

「……あのね。人造生命だからって、稼働限界時間だの、起動させるだの言わないでくれるかな。聞いてて不快なんだ、言い方を考えてくれよ」

「す、すみません……」

 

 ――モルガンは自分でも悪いと思っていることに、アーサーから叱られると弱腰になってしまう。やはりかつての魔女からは想像もつかない姿だろう。あるいはこれが、欲するものを手に入れて心の余裕を取り戻した、本来のモルガンという女の姿なのかもしれない。

 

「……仕方ない。それじゃ、そのアルトリアって子を起こしに行こう」

「お、起こしてどうするのですか?」

「寿命が一年しかないんだろう? ウッドワスの寿命を解決済みの君が、今もアルトリアに手を出していないってことは……アルトリアに関しては本当にどうしようもないってわけだ。なら方策は一つしかない、僕の聖剣と鞘を上げればいい。それで問題は解決だよ」

 

 ――こともなげに、惜しげもなく最上位の聖剣とその鞘を手放してしまえるのは、世界広しと言えどもこの男だけだろうなとモルガンは思う。それでこそ自分の夫、心が広い。惚れ直してしまう。

 

 今でこそモルガンは、言葉にこそしていないがアーサーにベタ惚れだった。

 しかし昔は当然違った。そうでなければウッドワスもアルトリアも生まれていない。

 ではなぜ人間不信かつ人間嫌いのモルガンが、アーサーに心を開き、心底から惚れてしまったのか。彼を最後の夫として、彼以外の男を愛さないと心に誓ったのか。

 

 それはやはり、アーサーの人間性が、モルガンにとって底抜けに綺麗だったからだ。

 たとえ他の人間から見たら欠点があり、聖人君子とは呼べない凡庸さを内包していようとも、モルガンにとっては彼こそが最愛の人物足り得たのである。

 

 アーサーは、嘘を吐かなかった。言葉でも、心でも、行動でも。

 ただそれだけである。たったのそれだけなのだ。だが、人間が生きていく中で、嘘を吐かないことを貫き通すのがどれほど難しいのか解らないだろう。

 嘘を言わず、望みを叶え、寄り添う。言葉にすれば簡単でも、これほど難しいことはない。ましてや時代は戦乱であり、相手は魔女であり、付け加えて言うのなら男は善人で女は悪人だった。

 それでどうしてアーサーはモルガンと共に在れたのか。

 どうして周囲の声に流され、モルガンを排して唯一の王になろうとしないのか。

 人間の心理を知悉するからこそ、魔女は不思議でならず。彼の陽だまりのような心に触れ続ける内に、絆されていくのを感じていたモルガンは懸命に疑心を維持し続けた。だがそれも限界だ。稀代の魔女をして胸中の疑念を吐き出さざるを得ない事件が起こったのだ。

 

 モルガンを手篭めにし、辱めようとした痴れ者を断罪する場で、罰を決定する前にアーサーが激怒して――痴れ者をカリバーンで斬り捨てたのである。

 選定の剣が折れたその事件。その時に、モルガンは他の誰よりも動揺していた。

 選定の剣の性質を知るからこそ。アーサーを知るからこそ。心が揺れた。聖剣を折ってしまうほどに怒り狂った夫の激情に、魔女は遂に言葉にして問いを投げさせられたのだ。

 それはある意味、敗北宣言のようなもので。

 この時の夫の答えが、モルガンの凍った心を温かく溶かしてしまったのである。

 

『僕が凡庸な精神の持ち主だって言ったのは君じゃないか。なら分かってるはずだろう。僕みたいな凡庸な童貞はね、何度も体を重ねてしまった女には、どうしたって情を移してしまうものなんだ』

『……は?』

『有り体に言って君の体に惚れた。何もかもを捧げられる何かを持ち、執着できる情の重さを知って君の心にも惚れた。惚れた女に手を出されたら、男として怒らなくてどうするんだよ』

 

 それは、あまりに凡俗で。ありふれた話。

 だが言っている人間が問題だ。

 アーサーは本人が認めなくても稀代の英雄であり、人類史に名を刻む伝説の騎士である。

 そんな彼が、こんなにも凡庸な本心を持っている。

 伝説の騎士と謳われるだろう英雄が、どこにでもいるだろう凡俗な在り方を有し、それを少しもブレさせないまま堅持して。そして終いには、こんな魔女などに惚れたという。愛しているという。

 

 ――この時、モルガンは悟ったのだ。

 

 己が嫌い蔑んできた人間という生き物は、どこまでも救い難い生命だと。そしてそうであるからこそ人間の中には、救いようのない愚かで尊い宝石もあるのだと。

 そして自分にとって最も尊い宝石は、出自で定められたブリテンの支配ではなく――モルガンという個人としての人生で巡り合ったこの男なのだと、彼女は十年も接してやっと理解した。

 モルガンは、ブリテンを支配する。それが存在意義だからだ。しかしそれでも、今のモルガンには自らの存在意義を超える、大切な宝石がある。それは夫であり、彼との間に生まれた子供達だ。

 

 ブリテンという国は大切だ。アーサー達を除いた全てを捧げてでも守り抜く覚悟がある。

 だが、アーサー、モードレッド、バーヴァンシー、ウッドワス――そしてもしかしたらアルトリアも含められるかもしれない家族のためなら、モルガンは世界を滅ぼしてでも悪辣な魔女と化せるだろう。モルガンは、情が重すぎるほど重い女なのだから。

 

「あ。後でモルガンのしてきたこと、バーヴァンシーとモードレッドにも言うから」

「アーサー!? じ、慈悲を! 我が夫なら妻に慈悲を! それだけはやめてください!」

 

 ――そんな夫婦は、いつの間にか力関係が逆転していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




アルトリア・キャスターをぶっ込むにはこうするしかなかったと作者は供述しており……。


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娘達のファーストコンタクトを見守るお話

今回は短め。


 

 

 

 

 

 

 この世で一番強くてかっこいい人はだーれだ。

 

「父上だろ」

「お父様よ」

 

 じゃあ、この世で一番綺麗な人はだーれだ。

 

「んー……エレインじゃねぇの? 顔面だけはいいからなあのオバサン。母上はアレだし」

「はぁ? 一番綺麗なのはお母様に決まってんだろ愚妹。アンタ頭に蛆でも湧いてんのぉ?」

「……なんだテメェ。誰が愚妹で頭に蛆が湧いてるって? 泣き虫の妹のくせに突っかかってくんじゃねぇよ、めんどくせぇ。また泣かされてぇのか?」

「泣かされっ……!? って、何年前の話してんのよ! 調子に乗ってると()()私の魔術で、鼻水ダラダラ流させて無様な面にしてやるわよ!?」

 

 はいはい喧嘩しないの。感じ方は人それぞれだって騎士王様も言ってたじゃん。

 騎士王様が言ってたんだから、どっちも正しいってことにしておこうよ。

 オッケー? オッケーだね。それじゃ、次で最後の質問だ。

 騎士王様と妖精王様の子供達の中で、一番上の子はだーれだ。

 

クソ兄貴(ウッドワス)

「一番年上って意味じゃ、あのワンちゃんでしょ。けどアイツ、色々口煩いのよね。やれダンスの勉強をしろ、人付き合いは考えてやれ、淑女らしくお淑やかにしろ……ほんっとウザったいわ」

 

 はいブッブー、不正解でーす。

 

「は?」

「あ?」

 

 正解はこの私! アルトリア・ペンドラゴン!

 何を隠そう、私は騎士王様の子供なんだ。そしてウッドワスよりも先に生まれてる。

 つまりはこの私こそがお前たち兄妹の頂点に君臨しているのだ!

 

「はぁ?」

「あぁん?」

「……何言ってんだお前。アタマ大丈夫か? いきなり絡んできたと思ったら訳分からんこと言いやがってよ。挙げ句の果てにはオレの姉貴だぁ? ははは……ぶっ殺されてぇのか?」

「なーにがアルトリア・ペンドラゴンよ! アンタみたいな奴がいるなんてはじめて聞いたわ! 勝手に姉妹面、おまけに姉貴面してんじゃないわよ! このチンチクリン!」

 

 どぅどぅ、落ち着いて落ち着いて。人の話は最後まで聞きましょう!

 まずは自己紹介。

 はじめまして、口汚いのが地になっちゃったってお父さんに嘆かれてるモードレッド。はじめまして、モードレッドに感化されて口が悪くなって、お母さんに悲しまれてるバーヴァンシー。

 ウッドワスの出生は聞いてる? 聞いてるよね? ならよし!

 私はウッドワスの前に製造されたホムンクルス。ずばりお父さん、アーサーのクローンとしてお母さんに生み出された存在なんだ。諸事情あって今まで眠らされてたけど、お父さんのお蔭で最近起きることができたんだよ。そんなわけで、二人が兄だって認めてるウッドワスより年上の私は、間違いなく二人のお姉ちゃんなのだ。ふふん。

 

「は……? お、お前が……お父様のクローン……?」

「……クローンってなんだ?」

「アンタってほんとばかね! ちょっとは勉強しなさいよ! いい? クローンっていうのはオリジナルの分け身みたいなもの! つまりコイツはお父様と同じ遺伝子を持ったヤツってわけ!」

「……ウソだろ? え、じゃあ……なんで女なんだよ……?」

 

 さあ? お母さんが私を作る過程で、何かをミスったんじゃないかな。

 そんなわけで、性別が違う以外は、二人が大好きなお父さんとほぼ同一人物の私がお姉ちゃんだってことに異論はないよね? あっても聞かないけど。

 さあお姉ちゃんを敬え、妹たち! 私はお姉ちゃんだぞー!

 

 

 

 ――という遣り取りを遠目に眺める父親(ぼく)である。

 

 

 

 わんぱく盛りの愛娘たちと、新しく出来た娘のファーストコンタクトにハラハラとドキドキが止まらない。特にアルトリアは遺伝子上、ほとんど僕と同じ人間だ。そんな子が愛娘と接するとなれば僕の抱える複雑な感情も理解できると思う。理解できるよね、モルガン。

 おや。返事が聞こえないな。何黙ってるんだい? 早く理解できるって言ってくれないか。

 ――言え。

 

「り、理解はできています……おそらく……一応……」

 

 それにしても驚いたよ。

 アルトリアは起きたばかりなのに言葉を話せたし、たくさん知識も持っていたからね。

 魔術も拙いながら使えるし、そこそこ剣の腕もある。生まれたての子供には有り得ないけど、あれは一体全体どういうことなのかな? 予想はつくけど説明してもらえるかい?

 

「は、はい……アルトリアは、対アーサーを意識して製造――いえ、生み出しました。その過程で可能な限り早く実戦に投入できるようにするため、あらかじめ最低限の知識をインプットし、直感的に知識をアウトプットできるように調整しました。それにより知識として知っていることを、実際に体験しているように扱える、画期的な機能を搭載したわけです……」

 

 そんなことをしていたんじゃあ、確かにどんなに頑張っても寿命は伸びないか。赤ん坊の頃に外部から膨大な知識とかを埋め込まれてたんじゃ、体に歪みが出来ていても不思議はない。

 ただでさえ僕の体は特別製だ。

 赤ん坊の頃はきっと、かなりシビアなバランスで生きていたんだと思うよ。

 竜の因子が組み込まれている人造生命なんだ、余程に優れた母胎に宿っていなかったら死産していてもおかしくない。で、モルガン? 君はその優れた母胎でアルトリアを育てたのかい?

 

「……我が夫はこの私の母から生まれました。我が母は比類なき才を有した赤子を宿し得る、極めて優れた母胎でしたが……そんな母に並ぶような母胎を、用意することはできず……そ、その……」

 

 つまりアルトリアは、劣悪な環境で生育されたわけだね。

 うん……まさかとは思うけど、他にアルトリアやウッドワスみたいな子を隠してたりしないよね。

 もし居たら、いくら君でも怒らないわけにはいかなくなる。

 

「い、いません! 本当です! 信じてください!」

 

 あ、そう。ならいいんだけど。

 ……そんな泣きそうな顔をしないでくれ。別に嫌いになったりはしないよ。

 

「ほ、ほんとうですか……?」

 

 本当だ。僕が嘘を吐いたことがあるかい?

 

「……ありません」

 

 なら安心してくれ。大丈夫、君が嘘を言っていてもおしりペンペン百回で許してあげるさ。

 

「――――っ!?」

 

 ――頭の中でおしりペンペンしている光景を思い描くと、モルガンは顔を真っ赤にして俯いてしまった。それはモルガンみたいな気位の高い女性には、きっと受け入れ難い屈辱的な罰だろう。

 そうでなければ困る。忌避されない罰なんて罰にはならないからね。

 と、そんなことより娘達の方で進展があったようだ。

 彼女たちにはなんとかしてファーストコンタクトを無事に乗り切ってほしいものである。

 主にアルトリア。

 遺伝子的にはほぼ同一人物ってことだけど、彼女と僕とでは精神の方はまるで別物だ。まだ起きたてのまっさらな状態ということもあり、色々不安が尽きない。私に任せてください! なんて力強く言ってきたから任せてみたけど、やらかさないか心配だ。

 

「――お前が父上のクローンで、オレの姉貴だっつーんなら証拠を見せろよ、証拠を」

 

 すっかり粗野な物言いが板についたモードレッドだけど、アルトリアの発言を受けて腰が引けてしまっている。うーん……お父さん大好きっ子に育ってくれて嬉しいけど、僕とアルトリアを同一視するのはやめてほしいかな……。というか意外とすんなりアルトリアの言っていることを信じてるね。僕譲りの勘の良さで嘘の気配でも感じ取っているのだろうか。

 それはそれとして、やっぱりケイは許せない。言葉遣いが乱暴なモードレッドも可愛いけど、ケイは今度会ったら顔面パンチしてやろう。口を開かれたら煙に巻かれそうだから問答無用だ。

 

「証拠? うーん……証拠かぁ……」

「はっ、証拠はないの? それでよくお父様の娘だなんて名乗れたものね」

 

 対し、バーヴァンシー。僕が言えた口じゃないけど、モルガンにこれでもかと甘やかされて育った彼女は、滅茶苦茶に良い子なんだけど純粋すぎて、簡単に他者からの影響を受けてしまう。

 特に近しい間柄の、双子の妹のモードレッドから受けた影響は大きく、言葉遣いがかなり乱暴になってきていた。

 高飛車っぽく振る舞うのは、モルガンの真似でもしているのだろうか。だとしたら可愛い。可愛いけど心配だ。モードレッドはあれで、言葉遣い以外は結構しっかりしているし、公の場と僕の前だと礼儀正しい言葉遣いと態度が取れる。けどバーヴァンシーは色んな意味で抜けていて、色んな意味で隙だらけだし、人のことを信じ過ぎてしまう。モードレッドが姉に見えて仕方ない。

 

 何年か前のことだ。バーヴァンシーに嫌がらせをしていた子が居た。ガウェインの子である。

 その子はバーヴァンシーを無邪気な悪意で騙し虐めていた。モードレッドはそれに気づいてその子を叩きのめし追い払ったのだが、バーヴァンシーはその子を友達だと思っていたらしく、それはもう怒り散らした。だがモードレッドは甘んじてバーヴァンシーの癇癪を受け止めて、覚えたての杜撰な魔術で風邪を引かされたのに怒っていなかったのだ。

 まあバーヴァンシーはその態度を見て、モードレッドが自分を助けてくれたと気づいてくれたから良いけど。モードレッドの方が姉っぽく見えたのには内心苦笑いを禁じ得なかったものだ。

 なおガウェインの子に関しては、親であるガウェインとバーゲストに注意だけしておいた。気になる異性の注意を引きたがる、お年頃のアレな態度だったから見逃したけど、流石に次があれば僕も我慢できそうにはなかったし、何よりモルガンが暴走しかねなかったから。

 

 そんな具合に、モードレッドとバーヴァンシーは、しっかり者の妹とどこか抜けてる姉という関係性である。喧嘩ばかりしているように見えるけど、ちゃんと仲良しだ。バーヴァンシーも内心だとこのままじゃいけないと思って、妹が苦手にしている座学や魔術の勉強面でとても頑張っている。自慢の娘達だ。

 

「ふーんだ。証拠ならあるもんね。そんなに疑うなら見せてあげるよ」

 

 アルトリア。自慢の娘達の姉になる子供。

 この子がモードレッド達と上手く付き合っていけるか、非常に心配だけど見守っていこう。

 もしかしたらモードレッド達に足りないものを、アルトリアは持っているかもしれないから。

 

 そう思って遠くから見守っていると、アルトリアは自分の胸に手を当てて、「抜刀」と呟いた。

 ……おいおい。気軽に取り出すなって注意したばっかりだろうに……。

 アルトリアが証拠として取り出したのは、聖剣エクスカリバーだった。

 

 今のアルトリアの肉体は、ほとんど聖剣の鞘アヴァロンである。彼女の肉体は14歳ほど。けどこれ以上成長したら暴発してしまう。だから聖剣で肉体の老化を停止させ、万が一不慮の事態が起こった場合に死んでしまわないように鞘で不死性を付与してある状態だ。

 不老不死。アルトリアはそれだ。けど、いつかそれも要らなくなる。彼女は僕とモルガンが一足先に向かう妖精郷に、いずれ流れ着いてくる運命にあるのだ。聖剣と鞘はその時に返してもらう。

 聖剣とその鞘はヴィヴィアンからの借り物だったはずだけど、湖の貴婦人は返さないでいいと言っていたし……もしかしたら遠い未来、僕が聖剣を使う機会が訪れるのかもしれない。

 

 と、そんなことは今はどうでもいい。

 

「これが証拠。お父さんはこれを私に貸してくれたんだ! つまり、私はこの剣を貸してもらえるぐらい信用されてるってわけ! どうだ、まいったか!」

「す、すげぇ……それ父上の剣じゃねぇか。くっそ、いつかオレが貰おうと思ってたのに……!」

「ほ、ほんとにお父様の剣だ……な、ならアンタって、ほんとに私達の姉ってこと……?」

 

 ……末子の来年の誕生日プレゼントは、クラレントでもあげよう。それで満足してほしい。

 ともあれ、あの様子を見る限り、なんとか仲良くやっていけそうだ。

 あの中だとバーヴァンシーと並んで、アルトリアの情緒とかは幼いだろうから、慎重に教育していく必要はありそうだけど。なーに、アルトリアもきっと良い子に育ってくれる。

 そうだろう? モルガン。

 

「……バーヴァンシー。ああ、バーヴァンシー、なぜいつもお前はそうなのだ……!」

 

 ……何が?

 

「バーヴァンシーが長女なのに……! なぜすんなりアルトリアを姉と認めているのですか! 我が夫、貴方は悔しくないのですか!?」

 

 ……いや、君にそれを言う資格はないと思うよ。子供達が納得してるならそれでいいだろう。

 ともかく、彼女達の関係がよからぬ方向に転がらない限り、余計な手出しはしないこと。妙な真似をしたら、分かるね。おしりペンペンだ。

 

「………!」

 

 それよりウッドワスだよ。妹ばっかり増えて、そろそろ弟でも欲しくなる頃合いじゃないかな?

 君も、そう思わないかい?

 

「そ、そうですね……」

 

 ――モルガンは、微かに頬を染めて頷いた。

 

 

 

 

 

 

 



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『裏切りの騎士』が忠義の騎士として生きていくお話

 

 

 

 

 思えば、数奇な話だ。

 

 我が父はベンウィックのバン王だ。

 彼はクラウダスとの戦に敗れて、兄弟のボールス王共々戦死してしまったという。

 そして我が母の名はエレイン――彼女は赤子の私を抱え逃亡していたが、湖の畔で休んでいた折、湖の乙女ニミュエと出会い私を預けたという。

 なぜ我が母は乙女に私を預けたのかは不明だが、何かやむにやまれぬ理由があるのだろう。

 ともあれ私はニミュエに育てられた。彼女の下で私は騎士道のなんたるかを学び、武芸の腕を磨いて、婦女子との接し方を教えられたのだ。そうして成長した私は、成人するとニミュエに武者修行のため外界を見たいと申し出て、湖の乙女の領域から飛び出したのだった。

 私に運命の導きがあるのだとすれば、まさに彼の王こそ我が運命だ。

 武者修行のためブリテン島へ渡った私の耳に、アーサー王の名が入ったのである。騎士王という最新の英雄譚を聞いた私の胸は踊り、私も王の騎士として戦いたいと思ったのだ。

 当時の私は若く傲慢で、自らの腕を過信する余り、私が仕官を申し出れば断られるわけがないと盲信していた。アーサー王は一目で私を気に入ってくれ、円卓に加えてくださった時も、表面上は謙虚に取り繕いながらも内心では当然だと自惚れていたものである。

 

 だが私はアーサー王の傍で、その働きを目にする内に己の矮小さを思い知ってしまう。

 

 彼の王には功名心や我欲はなく、淡々と自らの考えに沿う『王』を演じているようだった。

 公の場で私情を出さず、戦に於いては誉れを捨て合理性のみを尊び、かと思えば治世に於いては人情を表に出して騎士道を謳う。世に蔑まれることの多い女性を上位者としていながら、冷酷な女王の非情極まる決定にも怯まず諌め、能う限りに人道を唱えた。

 私がブリテンにしがらみを持たない、外様の騎士であったからだろう。俯瞰した立場で物事を見ることができた故に、何よりアーサー王の公私両面の顔を知ったが故に気づくことができた。彼が副王として振る舞う時と、私人として私に見せる穏やかな顔をする時。この差異がなければアーサー王が副王としての職責を、無感動どころか忌避しながら果たしているのを悟れなかった。

 

『――不敬と弁えながらも問う無礼をお許しください。我が王よ、貴方はなにゆえに副王として立っておられる。私の目には、貴方はまるで……王としての矜持をお持ちでないように見えます』

 

 私の出身がブリテンではないことは、アーサー王にとって都合がよかったのだろう。外様である私は良い意味で余所者であり、余計なしがらみに囚われていない私だからこそ、アーサー王は私個人の力を頼りやすかったのだと思う。そしてそれを察して増長していたから、私は王を試すような不敬を犯してまで、このような愚問を投げかけてしまった。

 言い訳が赦されるなら、私は自制と共に告白しよう。

 私はこの時、王に失望していた。幾ら聖人君子そのもので、立派な主であっても、そこに自らの意思を持って在れないこの御方が己の主君に相応しいのか疑念を持っていたのだ。

 私は自らの主とするなら、清廉でありながらも己の欲望をしっかりと持ち、その向き先に共感できる御方が良いと考えていた。その欲望とは、他者の幸福にこそ満たされるような在り方である。

 だがアーサー王にはそれを感じられない。故に己の去就を懸けて問うた。

 

 ――そして知ったのだ。そして、恥じ入った。私は恥を知ったのである。

 

『王としての矜持? ははは、おかしなことを言うな、ランスロット卿。そんなものになんの価値があるんだい?』

 

 周りに他者の目や耳がない、一対一の場になるのを見計らったからだろう。アーサー王は私の問いに嘲笑を露わにした。嘲笑ったのは、私に対してではない。おそらく時代そのものを蔑んだ。

 

『私は王者たりえない。この国のトップはモルガン陛下だ。副王でしかない私に王の矜持を問うなんてナンセンスだろう? だけど、貴公が聞きたいのはそんな誤魔化しじゃない……たぶんブリテンを支配する騎士王と妖精王(二人の王様)の一人に聞きたいんじゃないか?』

 

 その通りだ。たとえ彼自身が否定しようとも、客観的な事実として、ブリテンを二分して女王モルガンを打倒し、ブリテン唯一の王たりえる御方である。その力と名声を有していながら、ナンセンスの一言で片付けるような愚か者なら私はこの国を去っている。

 だが彼は私の真意を知りながらもあけすけに言った。

 

『ならば答えよう。私の考える王とは、国という組織を運営し、よりよい未来へ舵を切る者だ。故に王は国を栄えさせ、民の暮らしを豊かにし、外敵の脅威を打ち払う力を具えていなければならない。以上のことを成せない者を私は王だと認めないだろう。――つまりそういうことだよ、ランスロット卿。私は、私の考える王たりえないのさ』

 

 ――それは、ランスロットに驚きを与えた。アーサー王ならその条件を満たせる、稀代の英傑であると感じていたからだ。しかし彼は続ける。

 

『故に私は女王モルガンを上位者として盛り立てている。彼女は私にない能力を有しているからだ。そしてその能力を、誤った方に向けさせないために私がいる』

 

 王とは誰よりも無欲に、誰よりも冷淡に、誰よりも冷静に、あらゆる汚濁を払いのけられる者でなければならない。アーサー王はそう言った。強欲な王など無能な王よりも害悪であると。

 故に、王とは孤高なのだ。孤独なのだ。そうでなければならないのである。

 彼の唱える王道に、私は共感してその通りだと思った。だがアーサー王は鼻を鳴らす。

 

『いいかい、ランスロット卿。王が如何なる欲望を抱えていようと、民草にはなんら関心がない。栄える時には褒め称えても、一度の失政があれば平気で掌を返し陰口を叩くのが民衆だ。私はそんな人々のために命を投げ出すほど無私の精神を持てないし、彼らを見殺しにして己の幸福だけを追求する卑劣漢にもなれない。私は半端者だ……だから私は王の職務を全て【義務】と定め、そこに下らない私欲を挟むことをしないんだ。王は私情を持つべきではないし、強い誇りを持つべきでもない。誇りは責任感と使命感を与え得るけど、同時に危険な欲望と傲慢さを育てる可能性があるからね。そういう人間らしさを王の在り方に組み込んじゃいけないと思っている。誇りやら欲望やら、そういう心の贅肉は女王陛下が持っていればいい』

 

 ――私は過ちを正すために副王の座にいるだけだ。

 そう言葉を結んだアーサー王に、私は重ねて、そして最後の問いを投げた。

 

『ではアーサー王。貴方はなんのために戦っているのですか?』

 

 ――決まっている。そんなもの――

 

『私は私の大切な人と、私自身の幸福のために戦っている。自らを救えもしない者に、他者を救えるわけもない。私や私の大切な人達が幸福になり、そのおこぼれでこの国の人々が幸福になるのが理想かな。――だって自分達が幸せでも、目に見える範囲、手の届くところで涙を流されていたんじゃ、いくらなんでも寝覚めが悪いだろう?』

 

 そう言って笑うアーサー王に、私はいつの間にか笑っていた。

 

 なんという傲慢さだ。なんという夢想家だ。自分達のおこぼれで、あくまでついでで、国と民を幸せで満たしたいなどと――これほど強欲なことがあろうか?

 なんたる大器なのだろう。私はこの御方の無自覚な傲慢さに、王の威風を感じた。そして身勝手な理想を押し付けようとしていた己自身の矮小さが、余りに馬鹿馬鹿しく感じてしまう。

 比べることすら鳥滸がましい。こんな愚かな夢想を掲げ、半端な思想で王の職務を遂行する御方を試すなど、自分自身が恥ずかしくて仕方がない。私などの尺度で測れる御方ではなかった。

 

 器の差を思い知る。理想の次元が違い過ぎて、いっそ心地よかった。

 

 故に、私はアーサー王に心の底から忠誠を誓ったのだ。友のように遇してくださるこの御方の夢を叶えて、()()()()()私自身や、国や民を幸福で満たすために。たとえそれが成せずとも、そんな妄想に等しい理想を追い求めたくなったのである。きっとそれは、この御方と女王陛下でなければ、成し遂げられない大望であろう。そのために生き、そのために死のうと思った。

 そうして幾年もの歳月を経ても、我が王はブレなかった。

 表面上は淡々と王の職務をこなしながらも、自らの幸せのお裾分けだと言わんばかりに、身近な者達から個人の幸せをお与えになった。私もその幸福に与った者の一人だ。

 

 エレイン姫。我が母と同じ名を持つ女性。

 

 失礼を承知で言うと、彼女ははっきり言って私の趣味ではなかったのだが、恋と愛には決定的な違いがあるように、恋人ではなく妻としては素晴らしい女性だったのだろう。縁談を組まれた時は困っていたものだが、いざ結婚してみるとそれを痛感した。

 彼女は温かな家庭を作り、夫である私を立て、目に見える形ではっきりと好意を伝え続けてくれる。私から愛される努力を怠らず、故に私も彼女を愛する努力が積めた。やがて努力が実を結び本当の愛となり、彼女以外を妻にするなど考えられないようになった。彼女は私のようなだらしない男には勿体ない、実に素晴らしい女性だったのである。

 

 ――愛が重すぎて、かつ自分本位で、思い込みも激しいのが玉に瑕ではあったが、そうした欠点も含めて魅力的に見えてきた時には静かに驚いたものである。人の愛に応えられた満足感は、どこまでも自分を肯定できる自信を与えてくれるものなのだと知って。

 

 

 

「――よく言うものだね。ギネヴィアに迫られて満更でもなさそうにしていたくせに」

 

 

 

 ………。

 

 …………。

 

 ……………いや。その。それに関しては、本当にすまない。

 

 誓って言うが、不貞は働いていないぞ。

 我が剣、我が王、我が妻に誓う。断じて、断じて不義はなしていない。

 たしかに彼女は私の好みだった。美しく可憐で色気がある。

 しかし彼女の名誉のためにも言うが、私へ無理に迫ってきたり、愛や恋を告げて来ていない。

 私もとりとめもない話をしただけだ。

 

「ふぅーん。ならなんでドライグ……もとい、アーサー王陛下に私が報告した時、彼は君やギネヴィアに過剰に反応したんだろうね? 浮気防止のためとはいえ、去勢や不妊の呪いをチラつかせるような人じゃないように見えるけど」

 

 そ、それは……お、おそらく当時、生まれたばかりの我が子ギャラハッドのことを想って……。

 いや、過ぎたことをいつまでも引きずるものじゃない。メリュジーヌ、君は私の従卒だろう? いずれ騎士になる者として、過去のことを無為に蒸し返すものではない。

 それよりメリュジーヌ。聞いたぞ、君は私の名を騙ったそうだな。なぜそんなことをした。

 

()はエレインのために、エレインが愛している君の名声を高めようとしただけさ。それに困っている人を助けるのは騎士の本懐だって、他ならぬ君自身から聞いているんだけど?」

 

 ……そういうことなら見逃すが、自らの実績のためにもメリュジーヌという名を出しておきなさい。ギャラハッドやパーシヴァルの姉らしく、騎士としてのお手本になりたいのならな。

 

「ふふ、分かったよ、()()()()()?」

 

 からかうな。全く……メリュジーヌは一度、ガレスの謙虚さを見習った方がいいな。

 ともかくだ。よく聞いておきなさい。メリュジーヌ、君も騎士として我が王に仕えるのなら、弁えておくことだ。――幸せになれ。今が幸せなら、この先も更に幸せになれるように努力せよ。

 己の心を満たし、その上で他者を救える者が真の騎士である。ギャラハッドやパーシヴァルの手本に成り得る者とは、そういう騎士であるべきだろう。なぜなら――

 

「あの子達にも幸せになってほしいから、だろう? 分かっているさ」

 

 ……行ったか。相変わらず読めない子だな。

 しかし私も年寄り臭くなったものだ。子を持つと老け込むものなのか?

 まあ、いい。どうせ歳を取るのなら、息子の言う『格好良い父さん』として恥ずかしくない老人になろう。願わくば、息子にも私のような歳の取り方をしたいと思ってもらえるように。

 

 アーサー王。

 

 我が生涯、唯一の王よ。

 

 貴方もきっと、私と同じ気持ちなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 



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聖杯王女なお話

お待たせ♡



 

 

 

 

 

 ――そういえば。お父様とお母様の結婚記念日、明後日じゃん――

 

 唐突に、天啓の如く脳裏を過ぎった事実に、今年14歳になる第一王女は愕然とした。

 雷鳴に打たれたかのような衝撃が全身に流れる。麗しの第一王女は「あわわ……」と動揺を露わにし、木剣を担いで練兵場に向かう第二王女を捕まえた。

 

「あ? なんだよ。今からクソガキ(ギャラハッド)をボコしに行くんだ、下らねぇ用だったら承知――」

「いいから聞けよ愚妹! あ、明後日がお母様達の結婚記念日なのよ――!」

「――なん、だと……?」

 

 どうやら颯爽たる第二王女も忘れていたらしい。

 というより、毎年第一王女が早期に声を掛けていたものだから、すっかり姉任せにしてしまう習慣が身に染み付いていたようだ。どうせ時期が来れば向こうから言ってくんだろと、気楽に構えていたものだから、第二王女は予想外の事態に驚愕してしまっていた。

 

「ど、どど、どどどどどうすんだよ姉貴! オレなんも準備してねぇよ!」

「私だってしてない! どうしたらいいかアンタも一緒に考えなさいよ!」

 

 敬愛する父母への恩返しとして、一年に一度催されるホームパーティーで、今年はサプライズプレゼントをしようと画策していた。……していたのだ。過去形である。

 サプライズプレゼントをしようと話したのは半年前、まだ時間に余裕はあるからと何も用意をせずにいた。思春期なのに反抗期に突入する気配すらない、良い子ちゃん極まる二人の王女は、互いの不手際からくる緊急事態に際して団結することを選択した。

 

「おおお落ち着けバー子、こ、こここういう時は落ち着いてだな……」

「落ち着くのはアンタよっ! いい、モー子。こういう時は抜かりのないウッドワスか、アル子に事情を話して協力――」

 

 動転する余り吃り続ける第二王女に一喝し、そこまで言いかけた第一王女であったが。

 彼女の脳裏に、二人の顔が思い浮かんで台詞を飲み込んでしまう。

 

『ハァ……普段から落ち着き、事前にスケジュールを立てて行動していれば、そんな無様に慌てることもなかっただろうに。……いいか、協力してやるのは吝かではないが、今後はワタシの言うことをしっかりと聞いて、淑女として恥ずかしくないように振る舞え。だいたい父上も母上もお前達に甘すぎるのだ、長兄たるワタシがお前たちを一廉の淑女へ鍛え上げてやろう』

『へぇー? 普段あんなによくしてもらっておいて、なーんにも準備してないんだ? 私? 私はしてるよ? 【アルトリア・キャスター】として、諸国を遍歴してる私ですら忘れてないのに、傍にいるお前達が忘れるだなんて……お姉ちゃん情けなくって涙が出そう。ぷくくく……昔からなんにも成長してないね。助けてほしいなら助けてあげるけど? どうするぅー?』

 

「――アイツらに頼むぐらいなら舌噛んで死んでやるわ。モー子、私達でなんとかするわよ!」

「お、おう……」

 

 グチグチとうるさい円卓の騎士である長兄と、嫌味ったらしく馬鹿にしてくる遍歴騎士として武者修行している長姉。二人の反応が目に見えるようで、自分達でなんとかしようと意を決した。

 こうなったらもう、意地である。意地でも今日と明日で全ての問題を解決するのだ。

 それはそれとして、

 

「モー子、アンタはあのクソガキとチャンバラの約束してたんじゃないの? 急用ができたから今日から明後日は相手にできないって断って来なさいよ」

「……そうだな。ちょっと待ってろ、すぐ行ってくる」

 

 根っから良い子な第一王女は、人との約束事にも敏感だった。他人同士のものであってもだ。

 第二王女が駆け去っていくのを尻目に赤髪の王女は思案する。

 

 ――ワンちゃんは頼りたくない。

 

 ワンちゃんとはウッドワスのことである。彼女的には猟犬(ワンコロ)騎士という異名、長兄(1)という部分を掛けた中々のネーミングセンスと自画自賛しているのだが、お母様以外は良い顔をしてくれないので、第二王女とお母様以外の前では口にしない渾名である。

 

 ――アル子はムカつくから嫌。

 

 アルトリア。長姉面するヤツ。

 敬愛するお父様のクローンなのもあって、どう接したものかよく分からなくて苦手な存在。

 不思議とウマは合う気がするのだが、なぜか一々煽ってくるので第一王女は彼女を敬遠していた。

 

 ――だったらどうしたら……あ、そうだ。あの子犬(ガレス)なら使えるわね。

 

 悩みながら思い至ったのは、最年少で円卓入りした才気溢れる少女騎士だ。

 ガレスは今年で18歳。異父姉妹ということで姉貴風を吹かせてくるのを、第二王女共々鬱陶しいと感じてはいるが、別に嫌っているわけではない。単にウザいだけである。

 狼騎士の異名で知られるガレスは、若輩の身とはいえ円卓の名に恥じない武力と、騎士としての清廉さを有している。他にも料理上手な太陽野郎を遥かに超える料理の腕前も持ち――料理?

 

『ここだけの話、ご飯が不味いのが不満かな。いつかバーヴァンシーにも美味しいご飯を食べさせてあげたいものだけど――』

 

「――これよ」

 

 いつだったか、自分や第二王女にだけ漏らしたお父様の不満。

 それを思い出した第一王女はサプライズプレゼントとして料理を選択する。

 自分達の手で美味しいご飯を作ればいい。そのために、ガレスは心強い味方になる。

 第一王女は出されたご飯を残したことはない。不味いと思ったこともない。なのでお父様に共感はできないが、きっと自分達が腕によりをかけたら美味しいと思わせられる。

 根拠はないが、第一王女は自信満々だった。

 お父様が喜べばお母様も喜ぶという打算も加わり、彼女のやる気は一瞬で最高潮に達する。

 

「あー……すまん、バー子。コイツら付いて来ちまった」

「はぁ?」

 

 第一王女は第二王女が連れて来た少年達を見て、鼻頭に皺を寄せて不機嫌そうな声を発する。

 第二王女が連れて来たのは、チャンバラの約束をしていたらしい白髪の少年ギャラハッド。おまけに同じ白髪の少年パーシヴァル。片方はランスロットの息子で、もう片方はとある森でランスロットに保護された養子だ。二人は小生意気な竜騎士を共通の義姉としている。

 竜騎士メリュジーヌ。彼女はランスロットの従卒を務め、騎士爵を得ると円卓の会合に加えられて円卓の騎士の一人となった。次世代の円卓の騎士として将来を嘱望されており、既に純粋な剣技でもランスロットに次ぐと評されるまでになっている。そんな彼女を、第一王女と第二王女は疎ましく思っていた。だってあの澄ました面がナチュラルにムカつくから……。

 

 とはいえそんな姉を持つからと、ギャラハッド達にまで隔意を持つ王女姉妹でもない。なんせこの白髪小僧共はまだまだ子供、9歳程度のガキにまで目くじらを立てるのは大人のレディーのすることではないだろう。一人前を自認する第一王女は、寛大に許してやることにした。小間使いには持ってこいじゃんと前向きに捉えて。麗しの第一王女は懐が深いのである。

 

「私は気にしてねぇけど、一応聞かせろよ。なんで付いてきたの、お前ら」

「第二王女殿下がお困りのようだったので……」

「僕は第一王女殿下の筆頭騎士候補ですから。殿下がお困りなら力になるのは当然です」

「へぇ……殊勝な心がけじゃん。感心感心、褒めてやるわ」

 

 流石は女誑しのランスロット、子供にも教育が行き届いている。パーシヴァルの子供らしい曖昧な理由の善意と異なり、優等生めいた返事をするギャラハッドに第一王女は笑顔になった。

 全然子供らしくない台詞だが、都合がいいので使ってやろう。第一王女は鏡のように透き通り、我を示さないギャラハッドを気に入っているのである。これまでも散々便利使いをしているのに、素直で従順なところが可愛いと感じているのだ。

 第一王女はにんまりと破顔し、まだ自分より背が低い少年に目線の高さを合わせるために屈むと、ワシャワシャとその癖のある頭髪を撫でた。

 白皙の整った容貌を、微かに赤くするギャラハッド。全く気にも留めない第一王女。そんな様子を第二王女は呆れたように眺めていた。あーあー……どうなっても知らねぇぞと内心呟いて。

 勘のいい第二王女は少年の内心を察しているのだ。ガキのくせして無欲で、無駄に才能豊かな騎士候補が、同じくアホみたいなお人好しで個人的な欲を持たない第一王女に懐いているのを。それこそ実の両親に対してよりも、この坊やは第一王女を慕っているのだ。そしてそうであるからこそ彼は王女付きの騎士になるべく鍛錬を重ね、第二王女にも稽古を付けてもらっている。

 

 ――ギャラハッドこそ当代一の【聖人】である。比喩ではない、彼は()()、魔術王ソロモンと同じく願いを叶える権利を与えられる存在であり、同時に何も望まないであろう聖者なのだ。

 

 まだ幼いとはいえそんな聖人に慕われる。

 それが意味することを露知らず、第一王女はさも当然のように言い放った。

 

「ま、ギャラハッドは私のだから当然だけど。それよりモー子、アンタがいない内に名案を思いついたわ」

「マジか? だったら勿体ぶらずにその名案とかいうのを教えろ」

「聞いて驚け。料理をすんのよ」

「……はぁ? りょうりぃ? オレ達で?」

 

 忘れてるなら思い出せと第一王女は言う。敬愛するお父様が愚痴っていたことを、と。

 ハッとした後に第二王女は賛意を示した。異論などあろうはずもない、全力で成し遂げよう。

 

「――そのためにはガレスを探さないといけないでしょ。悔しいけどアイツより料理上手いやつなんて知らないし……アイツには特別に、私に料理を教えさせてやんの。というわけでモー子、アンタ達で手分けしてガレスを探してきなさい」

「おう! お前はどうすんだ?」

「私は厨房に行って使えそうな食材を探す。どうせアンタらに料理なんて繊細な作業はできっこないし、私の方が上手いに決まってるじゃん? 適材適所ってヤツね、分かったらさっさと行け」

「うわ、うっざ……一々煽らねぇと気が済まない病気か何かなのか? これだから母上に甘やかされてるガキの相手は疲れるぜ……」

「は?」

「へっ、凄んでも迫力ねぇよ、テメェは。でも安心しろよ、オレの方が大人だからな、言う通りにガレスの野郎を探してきてやる。感謝しろよモヤシっ子。おら、さっさと行くぞチビ共」

「ちょ、待ちなさい! 私がガキならアンタはクソガキでしょうが――!」

 

 言いたい放題してさっさと去っていく第二王女の背に、第一王女はこめかみに青筋を浮かべながら追い縋ろうとするも、笑いながら駆ける妹の健脚にはまるで敵わず置き去りにされた。

 申し訳なさそうなパーシヴァルやギャラハッドのことは視界にも入らず、憎たらしげに舌打ちした第一王女は悪態を吐く。お父様に言いつけてやる、と。お父様の宝具『プリドゥエン』を密かに持ち出し、海で遊んでいたのを密告してやるのだ。プリドゥエンは船にして盾にもなる貴重な宝具、そんな代物を妹が遊具にした過去を彼女は覚えていた。叱られろバーカ、と口の中で呟く。

 

「フン……」

 

 鼻を鳴らして踵を返し、真紅のドレスの裾を翻す。料理のことは詳しくないが、とりあえず厨房に備蓄されている食材が何かを把握しないことには献立も決められない。ガレスが来るまでに食材を把握し、そして自分なりに何が作れるか検討しておくことにしよう。

 なんならお母様直伝の魔術(へっぽこ・マジック)で味付けを変えてしまえば、どんなに不出来でも不味くはならないはずである。根拠はなくても自信だけは山嶺の如く聳え立っていた。

 

 そうして城の厨房にやって来た第一王女は、厨房がたまたま無人だったのを見てにんまりと笑い、我が物顔で侵入していく。しかし、

 

「うわっ、汚なっ……!」

 

 黴が生え、埃が溜まり、空気もジメッとしている。衛生的ではない有様だった。堪らず顔をしかめてしまった第一王女は、衛生という概念を知らずとも、汚いのは嫌だと思って掃除を始めた。

 どうせなら綺麗なところで料理をするべきだろうと、この時代にあっては極めて開明的で先進的な感覚で清掃する。当代のブリテンは騎士の国とはいえ、大陸の世界帝国ローマからすれば蛮族の国であるが、第一王女は『食事処は清潔であるべき』という感覚を、ローマと同等のレベルで具えていたのだ。貧しいブリテンで料理は下級労働者の仕事であり、故に極めて質の低い料理人しかいないからこそ、綺麗好きな第一王女と同じ感覚を有していないのである。

 一旦厨房から撤退して掃除道具を持ち出すと、戻って来るなり窓を開けて換気して、埃を払い黴を取り除く。黴は道具では取り除けなかったので、洗浄魔術で綺麗にしていった。

 第一王女は戦闘や研究、道具作成などに適性がないへっぽこだったが、洗浄魔術のような生活に密接したものだけは得意だった。お母様曰く、性格が出ているらしい。――愛娘に魔術を教えている最中のお母様は、非常に微笑ましそうにしていたという。

 

 そうして気持ちのいい汗を流して、厨房は綺麗になった。

 さあ食材をチェックするぞと蔵を開放する。が、しかし。

 

「えぇ……」

 

 ――第一王女と第二王女は王族である。そうであるが故に、一応は他者と比べてまともな物を食べられる立場にいた。

 しかし、ここは円卓(上級)未満、つまり下級から中級の騎士が利用する食堂である。その厨房に王族基準でまともな食材などあるはずもない。ローマと比較すれば、ブリテンの王族の食事も平民の食べ物ですか? と言わんばかりの粗末さだが、それよりも酷い。

 第一王女は唖然として、ジャガ芋やジャガ芋やジャガ芋、黴が少し生えている黒パン、極僅かな日干しされた野菜、肉などを見つめる。こんなの、どう頑張ってもまともなスープも作れない。

 

「も、もしかして……騎士ってこんな酷いもん食ってんの……?」

 

 自分が食べているものも充分酷いが、これまで当たり前に食べていたものだから不満はない。それよりも更にランクが下の食材しか口に出来ておらず、庶民は更に酷いとは想像もしていなかった第一王女である。貧しい国の王女ではあっても、一応は箱入り娘なのだ。

 

「うわぁ……キッツいわ、これ。こんなのお母様達に食べてもらうわけにはいかないじゃん……」

 

 どうしたものかと悩む。円卓用の蔵に行けば、これよりはまともな食材も出てくるだろう。しかしそんなことをしたら自分達の行動が露見してしまう。それではサプライズの意味がない。

 それに、今まで想像もしていなかった、庶民や下級騎士達の食事事情を垣間見て、第一王女は自分の国が貧しいのではないかと思い至ってしまった。気が重い……勝手に食材を使ってはいけないのではないかと気づいてしまう。王族ゆえに許されるのに、自身の身分なら許されるとは考えない第一王女だった。いけないことは、いけないのである。ただそれだけしか頭にないのだ。

 お父様が言っていた。衣食足りて礼節を知る、と。衣は後回しでいいにしても、食はどうにかしないといけない。なんとかしないと、なんて第一王女は使命感を持った。お父様やお母様に美味しいものを食べてほしいのだ。自分が、食べさせてあげたいのである。

 

 そのためには国が豊かでないといけないのだが――

 

(私に国を豊かにすることなんかできるわけないじゃん)

 

 何年も前からお母様が土壌改造計画(プロジェクト・アヴァロン)を推進し、現在では国内の餓死者を半減させるほどの偉業を達成しているとはいえ、ブリテンはまだまだ貧しい。その成果のことも知らない第一王女は、ほんのりと自分が温室育ちのお姫様なのではないかと気づきはじめた。

 だからといって彼女にできることなどない。お父様の軍事的な才覚も、お母様の知性や魔術の才能も引き継いでおらず、実は第二王女が姉で第一王女は出がらしなのではと陰口を叩かれているような少女に、国を改革するほどの名案なんて思いつくはずがなかった。

 しかし、なんとかしたい。その気持ちに嘘はなかった。

 ――両親に、大事な人達に、美味しいご飯を食べてもらいたい。でもそのためには、まず身分が下の連中から豊かにしていかないと、両親は自分達に贅沢を許さないだろう。娘は別枠として。

 ちょっと思考が飛躍しているかもしれないが、第一王女の思考は単純だ。

 何より家族に美味しいものを食べさせてあげたくて、その家族が国を優先するだろうから国から豊かにしたいと思った。ただそれだけ。それだけなのである。

 

「……ん? なにこれ」

 

 故に、彼女は目を瞬かせた。

 

 ふと第一王女が気がつくと、台所の上に一つの杯が現れていたのだ。

 

 黄金に輝き、浮遊する杯。神聖なオーラと、桁外れの魔力を内包している。

 幾ら第一王女がへっぽこでも、こんな目立つものがあれば掃除中に気づいている。

 訝しみながら、第一王女はそれに――()()に触れた。

 

 

 

【      】

 

 

 

「え?」

 

 瞬間、脳裏に響く声……のような何か。

 第一王女バーヴァンシーは間の抜けた声を漏らす。

 だって、彼女は聞いたのだ。

 

 願いを叶える権利を与えよう、なんて声を。

 

 やがてそれを理解した第一王女は、ゆっくりと――

 

 

 

 

 

 

 

 




本作だと聖杯に選ばれたのはギャラハッドではなくバーヴァンシー。

このまま(抑止力によって勝手に)天に召され、激怒したお父様とお母様(+円卓やモードレッド)がバーヴァンシーを取り戻そうとする、BADEND一直線な話を書こうとしていたんですが、「そういや本作はハッピーエンドを書きたくてやってたんだ」と思い出したのでバーヴァンシーは天に召されません。やったね! ハッピーエンドだ!

バー子「お母様ー! なんかすっごいの手に入れちゃった!」

ぶっちゃけると聖杯探索は全カットです(無慈悲)

そろそろ終わりやね。


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世界一のメシウマ王女が爆誕したお話

 

 

 

 

 

「万能の願望器など人の手には余る。誘惑に負けて災禍を齎す前に破壊しておくべきだ」

 

 ブリテンの最高意思決定機関にて会議が始まり、最初に発言したのはアーサーである。

 強い理性と確かな知性を元に、彼は明確な危機感を示した。

 願いを叶える器、確かに魅力的だ。しかしそれを一度でも用いれば、人の理性は容易く破壊され、何度となく聖杯を求めるようになってしまうだろう。そうなれば、どんな悲劇が起こるか。

 語るまでもない。聖杯は血で血を洗う惨劇を齎すだろう。であるならば、そうなる前に破壊しておくべきだ。『王騎士』を自称するも『騎士王』としか呼ばれない男の言は全く正しい。

 

「発言してもよろしいか」

 

 しかし、人としての正しさだけで世の中は回るわけではない。

 彼の意見に挙手して反対意見を出したのは、円卓第四位の席次を有する騎士ラモラックだ。

 彼は極めて武勇に優れた男で、ガウェイン、アグラヴェイン、ガヘリス、トリスタンの四人掛かりでも三時間持ちこたえるほどの実力者である。アーサーに対する忠義心は円卓でもトップクラスであり、彼のためなら命を投げ出すことも厭わぬ豪傑だ。

 そんなラモラックがアーサーに反対意見を出したのを、円卓外の騎士になら意外に思う者もいるだろう。だがラモラックは騎士王に忠誠を誓っているとはいえ、思考停止したイエスマンではない。王のためなら諫言も辞さぬ直言の士でもあるのだ。

 

「許可する」

 

 円卓に席を持たぬとはいえブリテンのトップであり、議長を務める女王モルガンが発言権を与える。

 ラモラックはモルガンに目礼した。彼は女王に対しても敬意を払い、女だからと侮ることなく忠実な姿勢を見せている。そんな彼をモルガンも高く評価しており、『真に英雄たる騎士の一人』だと絶賛していた。

 

「我が王の言は性急に過ぎるかと。万能の願望器、聖杯なる物の真贋はさておくとして、真実如何なる願いをも叶えるというのなら、使用回数に制限を定め利用した後に破棄すべきでしょう。尤もその聖杯を誰が、どのように、そして何度使用できるのかは不明ですが」

 

 一理あると円卓の誰もが頷いた。

 たった一度の使用すら避けるべきだとしたアーサーとは異なり、最終的には破棄すべきという点には同意しても、一度も使わずに捨てるには余りに勿体ないという意見は理解できる。

 アーサーもその意見の正しさを認めた。彼特有の『上手い話には裏がある』という思想を、誰しもが共有して意思決定を行えるわけではないのだ。

 

 続いて挙手したのは円卓第十二位の席次を有するベティヴィエールだ。発言が議長に認められる。

 

「――意見を述べさせていただく前に確認しておきたいのですが、件の聖杯を入手したのは第一王女殿下でよろしいのでしょうか? また、聖杯なる物の力が真のものだという確証は?」

「ベティヴィエール卿、それには私が答えよう。聖杯を手に入れたのは間違いなく我が娘であり、我が娘から献上された聖杯を私が解析した。故に断言しよう、聖杯は真の願望器であると。単なる魔力リソースとしてしか機能しない贋作や、無色の魔力で満たさねば機能しない『人の力の及ぶ範囲での奇跡』しか起こせない紛い物とも違う。これは『願えば文字通りなんでも願いを叶える神の奇蹟』の具現、神の子の血を受けた本物の聖杯だ」

 

 ベティヴィエールの疑問にモルガンが答える。

 彼女の魔術師としての力を知る円卓の騎士達は納得した。モルガンが言うのなら本当だろうと。

 モルガンの王としての合理性、積み上げられた偉業の数々を知るならば、疑う余地はない。

 

 神域の天才魔術師たる彼女は、文字通り神の御業である聖杯をも解析してのけたのだ。

 

 そして解析できたが故に、魔力リソースとしての聖杯を、彼女は鋳造できてしまう。もちろん本物の聖杯には遠く及ばないが、女王がその気になれば人類史に特異点を生むなど造作もない。

 遥か未来の極東の地にて、設置されることになる大聖杯。それと同じ物も彼女は作り出せる。だがモルガンはそんな真似はしないだろう。何が悲しくて特異点などを作り、自分の国を危険に晒す必要がある? ()()()()()()()()()本物の聖杯の廉価版を鋳造し、人理に反旗を翻すつもりは今のモルガンにはなかった。そんなことをしなくても、国は支配できるのだから。

 

 魔力リソースと参考になる術式さえあれば、単身で時間跳躍(レイシフト)という魔法の域の力技をも可能とする女王は続ける。

 

「だが聖杯に触れられるのはバーヴァンシーだけだ。そして願いを叶えられるのも。本物の聖杯である故に、如何なる願いも叶えられるが、使用できる回数もまた一度限りだろう」

 

 それを聞いてベティヴィエールは頷き、意見を述べた。

 

「では聖杯は使用するべきかと愚考致します。騎士王は聖杯の乱用を懸念しておいでですが、一度しか用いられないと定められているのなら恐れる必要はありません。故に議題とすべきは『聖杯をどのように処すか』ではなく、『どのように用いるか』ではないでしょうか」

「――そうだね。ベティヴィエール卿の言葉が正しいのを認めよう」

 

 彼の発言を受けて、アーサーは素直に答えた。

 アーサー個人としては、胡散臭いことこの上ない聖杯など、正直有無を言わさず破壊してしまいたかった。愛する娘が願いを叶えるトリガー役を担うともなれば尚更である。

 だが確定しているわけではないリスクのために、明らかな国益を齎す物品を強行に破壊してしまうわけにもいかない。ジレンマだった。

 

 どう聖杯を使うか。そこに論点が移行すると、発言権を求めたのは一人の少女である。

 

「発言してもよいでしょうか?」

「……許可しよう」

 

 それは金髪碧眼の少女騎士だ。名は、アルトリア・ペンドラゴン。

 聖剣の騎士の異名を有する彼女は、普段はアルトリア・キャスターと名乗って各地を遍歴し、武者修行に明け暮れていた。だが此度の騒動にて緊急招集を受け、モルガンの魔術『水鏡の術』にて遠く離れた地からキャメロットに戻って来ていたのである。

 そんな彼女は円卓の騎士の一員だ。そして、モルガンの後を継ぐ()()()()でもある。

 アルトリアは騎士王や妖精王と血縁があるとはいえ王女ではない。にも拘らず女王の後継者として指名されているのは、単純な話としてバーヴァンシーとモードレッドが『自分達に王は無理』と投げ出しているからであり、根っからの騎士であるウッドワスも辞退したからである。何よりアーサーの子である四人の中で、最も王としての適性が高いのがアルトリアだったのだ。

 

 彼女が普段は遍歴騎士として修行しているのは、実際に自分の目で民の暮らしを見て、民衆の何を汲み取り、どんな王になるかを考えるためだ。日頃は自由奔放に振る舞っていても、性根の部分では生真面目なアルトリアは、この命題へ真剣に取り組んでいた。

 私人としては奔放でも、その気になると模範的な騎士としても振る舞える。公人としてのストレスに見舞われても、プライベートだと我を出せる環境があるから、今のアルトリアは公私両面で充実した日々を送れていた。とはいえ、そんなアルトリアの素の性格を知っているバーヴァンシーは、複雑な目で彼女を見ている。に、似合わねぇ……声には出さないが第一王女はそう思った。

 

 バーヴァンシーに円卓議決に参加する資格はないが、聖杯を手に入れた張本人である故に、特例として今回の会議を見る権利が与えられている。そんな彼女を横目に見て、バーヴァンシーにだけ見えるようにニヤリと笑った少女は、澄ました表情で堂々と告げる。

 

「たとえ一度限りとはいえ、どんな願いも叶うとなれば、(みな)にも『これだ』と目する願いがあることでしょう。たとえば我が国の騎士全員に特別な宝具をと願い、ブリテンの軍事力を高める。たとえば無尽蔵の宝物、無尽蔵の食糧、尽きることなき備品など。それらは総じて皆が歩んだ人生の教訓、心から欲するものであるはずです。であるなら否定されるべき願いではありません」

 

 そう言いながら円卓の騎士を見渡すアルトリアには、確かな意思の力があった。

 アーサー譲りのカリスマ性である。一国の王として充分な求心力を有する彼女の姿に、肯定するような頷きを返す騎士は幾人もいた。だがそこでアルトリアはバーヴァンシーを見遣る。

 

「ですが忘れてはならないことがあります。それは『あくまで聖杯を使うのはバーヴァンシーであること』です。彼女にしか聖杯に触れられず、願いを叶えられないなら、彼女の心を慮らずにいては願いが叶えられないかもしれない。その懸念も含めバーヴァンシーをよく知る私から提案させて頂きたい。――聖杯への願いはブリテンに豊かな大地を齎すこと。これで如何か?」

 

 バーヴァンシーは目を瞬かせる。

 アルトリアと目が合うと、彼女の目が笑んでいるのに気づいた。

 また姉貴面してやがると内心毒吐くも、バーヴァンシーは自身の心が温かくなるのを感じる。

 暫く会っていなかったのに、理解してもらえている。純粋に嬉しかった。

 聖杯を手に入れてしまったがゆえに大事になって、自分のせいで皆の時間を奪っていると責任を感じていたから、なおさらにアルトリアの気遣いが嬉しいのだ。モルガンもアルトリアの言葉を聞いて微かに相好を緩めている。それでこそ、とでも言いたげに。

 

 だがアルトリアの言葉を受けて、彼女に同意する空気が流れる中、予想外の人物が反論する。

 

「――待った。私は反対する」

 

 口を開いたのはアーサーだった。まさかアーサーが反対するとは思わなかったアルトリアは面食らう。それは他の円卓の騎士も同様であった。

 彼の身内への甘さは誰もが知っている。

 甘すぎるせいでバーヴァンシーは次期女王にならずに済んでいるし、政略結婚もしなくていいと決定されている。そしてモードレッドも望むままに騎士を目指せているのだ。

 驚いたのはモルガンもだ。愛する夫が反対する理由が分からない。

 故にその『妖精眼』を夫に向けるも、彼女の視界にノイズが走り心が視えなかった。それは聖槍の神王と化しつつあるが故の現象。妖精より高位の存在へ成り果てようとして、妖精よりも神秘の格が上になりつつあるからこそ心が読めなかったのだ。

 

 静かに動揺するモルガンだったが、アーサーの本質は変化していない。人としての寿命もまだ数年残っている。故にこれは人としてのアーサーの意見だ。

 

「確かに私は聖杯の乱用を懸念した。しかしそれが杞憂であったとしても、そもそも私は聖杯の使用そのものに反対したいと思っている」

「そ……それは、何故ですか?」

「理由は二つ。一つ目は、聖杯の力でブリテンが豊かになったとして、だ。その恩恵はいつまで続くのか不透明だろう? 仮に永続するのだとしても、聖杯の力がブリテンの大地に如何なる影響を及ぼすか未知数だ。知らない者もいるかもしれないが、人理の発展と共に神秘は衰退している。そんな中で明確な神秘をこの島が残し続けたなら、人理によってどんな修正が掛けられる?」

 

 反駁したアルトリアに、アーサーは明朗に答える。

 それは円卓には周知されている、ブリテン島に迫る運命の話だ。

 関係ないと一蹴できるものではない。

 彼は鋭利な眼差しをモルガンに向けた。

 

「女王陛下。聖杯を見た貴女が、私に教えてくれた問題もある」

「……私が?」

「そうだ。陛下は仰っただろう。嘗て聖杯とは別の手段で、神に願いを叶えてもらった存在がいると。古の魔術王ソロモンだ。彼は神に何を願った? 知恵だ。彼は神に叡智を授けられた。だがその末路はどんなものだった? 彼自身はともかく、その国は滅びただろう」

 

 叡智の王が聞いて呆れる。本当に叡智を誇るなら、あんな滅びを迎えはしなかったはずだ。

 前例があるのである。そしてその前例で、神に願いを叶えられた者のいた国は滅んでいる。今回はそうならないなどと、いったいどこの誰が保証してくれる? 願いの内容が異なるから大丈夫なんて安易な結論は考慮に値しない。慎重すぎるほど慎重で丁度いいはずだ。

 

「二つ目。降って湧いた奇跡で国を豊かにしてどうする? そんなことをしたらこれまでの我々の努力は無価値だったと喧伝するようなものだ。私はいい、しかし先に散った騎士や兵の犠牲、陛下の施策の全てを無為にする案など認められない。無論日々を生きるのに必死な民草にとっては、そんな事情なんてどうでもいいのは分かる。彼らの生活が豊かになるなら捨て置けるだろう。だが忘れないでほしいのは、他力で事を成した者は、自力で立つ力を放棄するだろうということだ。国が豊かになろうとも人間性が堕落した国なんて、他国からしてみればいいカモでしかない。今ここにいる我々が存命なら外敵を打ち払うことは容易いが、我々の没後、子孫の代に災いの種を遺すのは避けるべきだ」

 

 それは自らが世を去った後を見据えているからこその、王としての視点での反論だった。

 人が人として生きるのに、神様から恵んでもらった奇跡は邪魔でしかない。たとえこの意見を傲慢だと捉え、批難する者が現れようとも、アーサーは断固として自らの意見を譲らないだろう。

 怨まれてもいい、憎まれてもいい、しかし安易な救いに縋ってはならない。アーサーはそう言って締めくくる。アルトリアへの先達としての戒めである。彼女はまだそこまで考えていなかったのか、頤に指を添えると唇を引き結んで沈思黙考した。

 

「――発言の許可を、女王陛下」

「許す」

 

 挙手をして、モルガンが視線で発言を許可すると、鉄の騎士アグラヴェインが開口した。

 厳格にして鉄壁、揺るぎなき理性の怪物たる男が発言するのに、場の空気は引き締まった。

 

「私はアーサー様の意見に反対し、聖杯を用いるべきだと考えます。しかし、アーサー様の言にも一理ある。よって公明正大な結論を下すのは困難と判じ、第一王女殿下バーヴァンシー様の意向で聖杯の処遇を決するのがよいと愚考致します。各方(おのおのがた)、それで如何か?」

「――よろしい。ではアグラヴェインの案に賛成の者、挙手せよ」

 

 意外にも鉄の騎士の言は、バーヴァンシーに配慮したものだった。

 彼は女が嫌いである。率直に言えばモルガンがロット王を裏切り、アーサー王に乗り換えたのを見て女が嫌いになった。アグラヴェインの忠誠の向く先はアーサーであり、内心ではモルガンや他の女を嫌悪している。

 だが例外がいた。それが、バーヴァンシー。そしてアルトリアだ。醜い欲と無縁のこの二人をアグラヴェインは好ましいと感じている。モードレッドは好きでも嫌いでもないので、一応は彼女も例外に入るかもしれないが……ともあれ、アグラヴェインはアーサーとアルトリア、バーヴァンシーの三者の本音を汲み取り、議論の着地点を用意したのである。

 

 アグラヴェインの本音は、こんなくだらない議論で時間を使いたくない――だ。何せ彼は聖杯なんてものの力を欠片も信用していなかったし、怪しさ極まるためアーサー同様に処分したくて仕方ないのである。故に、バーヴァンシーに処分を任せるべきだと言った。そうすれば、裏でモルガンやアーサーが適切に対処するだろうと考えたからである。

 

 そんなアグラヴェインの見方を変えれば優しい案に、ランスロットやガウェインが驚愕した貌をしていたが、鉄の騎士は微塵たりとも気にもしない。そして全ての者が挙手した。

 モルガンはそれを見て満足げに頷く。アーサーも、仕方ないなと肩を竦めていた。

 

「――満場一致だ。バーヴァンシー、聖杯はお前の好きにするといい。ただしこの会議を見聞きし感じたものを忘れるな」

「は、はい……わ、分かりました、お母様」

 

 バーヴァンシーは緊張した面持ちで、円卓の中心に置かれていた聖杯に手を伸ばす。

 そして、呟くように、静かに言った。

 

「皆の心配してることは分かったわ……お父様やラモラック、ベティヴィエールとアルトリアの意見も分かる……だから、国全体に関わる願いは叶えない。……それで、いいですか? お父様」

「構わない。たとえ誰が君を謗ろうと、私と女王陛下、そして君の兄妹達だけは必ず味方になる。あらゆる声から、あらゆる悪意から、君を守ると誓おう。だから怯えないで。ただ君の望むままに願いを叶えなさい、バーヴァンシー」

「……はい!」

 

 慈愛の眼差しに勇気づけられ、バーヴァンシーは唄うように唱えた。

 

 

 

「聖杯よ! ()()()()宿()()()()()! そして、私に料理の仕方を教えて!」

 

 

 

 ――聖杯の所在が不明とならぬように自身に閉じ込め、ついでになんの益もないような願いで奇跡を浪費(無駄打ち)する。それがバーヴァンシーの決定だった。

 

 世界一のメシウマ聖杯王女が誕生した瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




壮大な茶番回()


本作の円卓の騎士たちは、

顧問、モルガン
第一位、『聖槍の騎士王』アーサー
第二位、『聖剣の騎士』アルトリア
第三位、『湖の騎士』ランスロット
第四位、『月光の騎士』ラモラック
第五位、『太陽の騎士』ガウェイン
第六位、『妖弦の騎士』トリスタン
第七位、『猟犬騎士』ウッドワス
第八位、『竜騎士』メリュジーヌ
第九位、『鉄の騎士』アグラヴェイン
第十位、『狼騎士』ガレス
第十一位、『舌鋒の騎士』ケイ
第十二位、『隻腕の騎士』ベティヴィエール

と、なっております。あと一年か二年したらモードレッドが、騎士を辞めて外交官に徹するケイと入れ替わり円卓入り。さらに数年してアーサーとモルガンがいなくなる頃に、十三席目を設置しギャラハッドとパーシヴァルが穴埋めに入る模様。うーん、隙がない……。

なおアルトリアは、公人としては「マイルド青王」で、私人としては「キャストリア」といった形に落ち着いた模様。ユーモアを解するアルトリア、たぶんカリスマのランクはB+……刺さる人にはAランク以上に刺さるカリスマ、みたいな? 陽キャ全般に刺さりそう。

小ネタというか、やろうと思ってたけど筆が進まなかった没ネタで、メリュジーヌがランスロットを名乗って逸話を残しまくった結果、ランスロットは実は女だった! みたいな無辜の怪物要素が伝承に組み込まれ、英霊の座でランスロットはこの逸話を消したいと願い聖杯戦争に参加する、みたいなのがありました。この場合召喚されるランスロットは『妖精騎士ランスロット(メリュジーヌ)』と『湖の騎士ランスロット(真)』と『湖の騎士メリュジーヌ(中身ランスロット)』という三形態が……。

なおアルトリアは聖杯戦争に参加できません。だって未練ないし……。それでも触媒を手に入れて召喚しようとしたら、娘可愛さを拗らせ某太陽王みたく召喚に割り込んだアーサーがアヴァロンから出てきます。太陽王みたく問答無用で殺そうとはしないものの、召喚主の人柄がヤバければ対応を考える感じ。なお「本物の聖杯そのもの」なバーヴァンシーにも同じことをする。
他の時代の英雄達と腕比べしたがるモードレッドとウッドワスの召喚には割り込まない。だって可愛い子供達だけどやる気満々な騎士なので、割り込んだら怒られてしまうのである。アルトリアは怒らないので割り込むのだ。授業参観にきた親並に出しゃばるアーサーくんさぁ……。

そんな妄想をしていたらzero編やりたくなってきたぞぅ……。

・聖杯問答
・切嗣とのコンビ
・VS英雄王

の三つがやりたい。むしろそこしか書かなくていいならやる可能性が無きにしも非ず。ほら作者は更新が滞ってる他の作品もあるから……。


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【最終話】物語の終わりは「めでたしめでたし」で

お待たせしました。


 

 

 

 

 

 正直、舐めていた。

 

「――美味しい。……モルガン、これ……美味しいよ……」

「え、ええ……し、信じられない……こ、これほどとは……」

 

 溢れ落ちる、味覚の感動。

 今生にて初の、舌を喜ばせる刺激の感覚。

 決して強い刺激ではない。だが、じんわりと染み込む味わいに、アーサーの眦へ涙が浮かんだ。

 ぽつりと呟いた言葉に世辞はない。故に愛娘のバーヴァンシーは大いに喜んでいる。

 彼女は、天才だった。紛れもなく料理の天才だった。いや、料理だけではない。家事に纏わるおよそ全ての事柄で、バーヴァンシーに匹敵する存在は在り得ないだろう。そう確信させられる。

 

 満面の笑顔でガッツポーズする、地上に舞い降りた天使の如き愛娘。この可憐なる娘が、天上の妙なる調べを口内で奏で、味覚を支配する絶対者に変貌するなど想像の埒外にある出来事だ。

 形容し難き未知の感動で心が透徹とする。はらはらと静かに落涙した。

 卓の上には惣菜がある。記憶が摩耗し、未来の味の悉くを忘却の淵へと追いやったアーサーには、出されたスープやサラダの名前は思い出せない。しかし確かに嘗て()んだ覚えがあった。

 薄くスライスされた上質な肉は、ジューシーな肉汁を滴らせるハムだ。雑味が強く、肉質も雑で、とても食べられたものではない魔猪の肉だとは到底信じられない。()()のあるスープには胡椒に似た香辛料の味もする。そんな高価なものはキャメロットにもないはずなのに、確かに胡椒という『食べる黄金』の味がするのだ。これは、不可解なことである。

 

 だが原因は分かる。

 

 彼女はアーサーとモルガンの実子である。アーサーとモルガンは、それぞれ人理側と神秘側の『ブリテン島の意思』の具現と言える存在だ。アーサーは純然たる人でありながら竜であり、モルガンもまた純然たる肉の身を有するが、神秘の化身である故に妖精の性質を持つ。だからモルガンは『妖精眼』を有しており、アーサーは人為的な『竜の炉心』を宿しているのである。

 そんな二人の実子であるモードレッドは、アーサーの血を色濃く引いた。父親ほどではないが強力な魔力炉心や直感を有し、類稀な武の才覚が遺伝している。ではもう一人の実子であるバーヴァンシーはどうなのか――彼女はモルガンの血を色濃く引き継いでいた。

 であるのにバーヴァンシーは凡庸である。無能ではない、しかし武や知の双方に秀でておらず、決して非凡とは言えなかった。それはなぜか? モルガンの血を濃く引いており、彼女自身の性格が極めて純粋で、無垢なものだったからだ。

 

 強い欲望がない、欠乏を知らない。だから妖精に近い性質を持つバーヴァンシーは、特に優れた能力を求めていなかった。やる気がないのではない、性格的な向き不向きがそのままダイレクトに素質へ現れるのがバーヴァンシーという存在だった。

 故に、だ。バーヴァンシーは性格的に向いているジャンルに関しては、両親譲りの才能的なポイントを全振りしていることになる。神域の天才魔術師、伝説の騎士王の才能の数値を、極限まで自らの適性に特化させているのが第一王女バーヴァンシーなのである。

 つまり。生活に役立つ魔術に関しては、有史上バーヴァンシーに並ぶ者がいないということ。しかし箱入り娘ゆえにその自覚がなく、政治や社交の勉強ばかりしていたから開花していなかったその才能が、聖杯を取り込んだことで大輪の花を咲かせた。

 

 バーヴァンシーは、『五感で知覚した食材を、既知と未知に関わりなく、どのように調理すればよいかを知識として天啓を得られる』ようになった。そして聖杯を取り込んだことで、彼女自身の起源が『聖杯』と化し、望んだことを叶える魔力の性質を宿したことで、もともとバーヴァンシーが具えていた才能にブーストが掛かってしまった。

 『魔術で食材を最も望ましい最適な状態にまで変化させられる』ようになってしまったのだ。早い話が『製造直後のワインを数百年物の極上品に一瞬で変化させられる』ようなものである。

 破格の力だろう。バーヴァンシーは両親から継いだ才能の全てを、自身の性格的適性に全振りしているが故に、『知識さえあれば、ちょっとした練習だけで、完璧に実演できる』のだ。鬼に金棒とはまさにこのことであろう。手がつけられない規格外ぶりである。

 

 だからバーヴァンシーは、胡椒という黄金に等しい香辛料を、複数の植物の実を魔術で掛け合わせて再現・製造できる。そういうものがあると知識として知っていれば、それが能うのだ。

 

 そしてそんなバーヴァンシーの作り出した手料理を食べたアーサーとモルガンは、衝撃の余り心に空白の楔を打ち込まれ、ただただ美味という感覚に酔いしれてしまう。

 これは、爆弾だ。メシマズ国ブリテンに、否、たとえ世界帝国ローマであっても持て余す、文化核爆弾と称しても過言ではあるまい。会戦で功績を成した騎士に、なんの財宝も渡さずとも、この料理を振る舞ってもらえばそれだけで報酬になるだろう。外交でもこの料理をチラつかせれば容易く交渉を有利に終わらせられる。なんならバーヴァンシーを巡って世界大戦が起こり得る。

 それほどまでに凄まじい。もはや聖杯がバーヴァンシーを依怙贔屓しているとしか思えない。

 であるからこそ、モルガンは言った。

 

「バーヴァンシー。ああ……バーヴァンシー。お前はもう、許しがない限り、私達家族以外のために料理を振る舞うな……!」

「え? な、なんでなの、お母様……?」

「疑問に思うな、バーヴァンシー! アーサー、我が夫! 貴方からも言ってやりなさい! これは余りにも、味覚を有する生物には劇物過ぎる――!」

「    」

 

 アーサーは無心で食事を続けていた。

 心が虚無に近い、しかし何もかも満ち足りた心と貌である。

 その眼は目の前の料理しか映していなかった。

 

「っ……アーサー!!」

「!?」

 

 珍しく声を荒げ、叫ぶモルガンの声に、やっと我に返ったアーサーは顔を上げた。

 

「しっかりしなさい! 幾ら美味なれど、心を失くして貪るのは豚と同じ! 貴方は豚ではないでしょう!?」

「あ、ああ……すまない、つい。こんなに美味しいご飯を食べられるのは、千年以上先のことだと諦めていたからね……我を見失っていた。それで、なんの話だい?」

「……見るがいい、バーヴァンシー。あのアーサーですらここまで心を乱す。お前の料理にはそれだけの破壊力があるということだ。分かったな? 分かったなら言うことを聞くように」

「はぁい……」

 

 目をぱちくりさせ、若干不服そうにするも素直に頷くバーヴァンシーである。

 

 それがバーヴァンシーという伝説の料理人、聖杯の王女という異名で人類史に刻まれた者の力。

 

 ――後世の魔術史に於いても、本物の聖杯を宿した彼女の価値は、最上位のものとして定められることになる。英霊バーヴァンシーを召喚するか、はたまた彼女の遺体を発見できたなら、それだけで根源に到達し得ると目されるほどに、世界中の魔術師が欲したのだ。

 また聖堂教会も聖杯の王女を特級聖遺物に認定し、本物の聖杯としてのバーヴァンシーを求め、彼女を手に入れるという目的のためなら、魔術協会とも手を取り合うことすらあった。

 

 そうなることを予見したモルガンは、バーヴァンシーの死後の安寧を守るために一計を案じる。

 

 境界の竜アルビオンの遺体を加工し、特別な礼装としてブリテンの土壌を改造し終えると、その礼装を改装し『ロンドン』と名付けた地の奥深くに埋め込んだ。そうしてアルビオンの遺体内部を神代の神秘を宿した迷宮と化させて、最奥に聖杯があると騙ったのだ。

 無論、バーヴァンシーの遺体をそんな所に埋葬するわけがない。彼女の遺体はアヴァロンへと極秘裏に運び込まれ、理想郷に墓を建てるとモルガンが墓守を務めることになった。故に後の『時計塔』には欺瞞が残されているのみである。そう、名を偽ったモルガンが時計塔の創設者となったのだ。娘の死後の安寧を守るためだけに、魔術師という人種をコントロールしてのけたのである。

 有史上、全魔術師の英霊の中で五指に入る天才であり、策謀に於いても傑出していたモルガンにしか出来ない芸当だろう。その気なら娘の遺体を用いて根源に接続し、魔法を会得することも能うモルガンだったが、そんな真似をせず純粋に愛娘への愛情を貫いたのだ。

 

 そして万が一、バーヴァンシーが召喚、ないしアヴァロンへの侵入を果たした者が現れた場合。その時は聖槍の神と化した騎士王が、全身全霊で阻みに現れる。事実上、最強のセコムであろう。

 

「お母様、私の料理、美味しかった?」

「……ええ」

「やたっ。ね、ね、お父様は?」

「とっっっても美味しかった。もうバーヴァンシー以外じゃ満足できないかもしれない。僕達のためにこんなにも美味しい手料理を振る舞ってくれる孝行娘を持てて、僕達は幸せだ」

「もう、褒め過ぎだぜ――なーんて言うわきゃないよなぁ! なんたってこの私が作ったんだからなんでも美味しくて当然だって! あーあ、お母様のご命令なら仕方ないけど、この私の料理が食べられないなんて他の奴らは可哀想ね。ね、お父様! お母様もそう思う?」

「思う」

「思うが……調子に乗るな。(心配になるでしょう)」

 

 見るからに上機嫌な愛娘に、父母は色んな意味で不安になった。

 いつかよからぬ輩に騙され、利用されてしまいそうな純真さを持つ娘である。こんなに目を離せない子に育ったのは嬉しい反面とても残念でもあった。

 分かっていた話だが、過保護になるぐらいで丁度良さそうである。

 

 ――斯くしてバーヴァンシーは、伝説に謳われる腕を家族の為にだけ振るった。

 

 以後アルトリアとモードレッド、ウッドワスは彼女に頭が上がらなくなったという。

 そして将来、そんなバーヴァンシーの傍らに侍る『聖杯の騎士』もまた、彼女の両親達の気持ちに心底から共感して、過保護なまでに尽くすこととなる。

 

 赤い踵のバーヴァンシー。

 

 幸福な王女。

 

 彼女は終生、大切な人達に囲まれ、幸せな時を過ごした。

 

 やがて臨終を迎えた時、バーヴァンシーの周りにはたくさんの家族がいたという。

 

『――バーヴァンシー。お前は、満足したか?』

『キャハハ! 久し振りに会ったのに辛気臭い顔しないでよお母様。もっちろん満足したに決まってるわよ! だって――皆、私が幸せにしてやったんだ。皆、皆、私がいねぇとなんにも出来ないんだぜ! だから――今度はお母様とお父様の番。これからはずっと一緒にいられるんでしょ? 昔よりもうんと腕を磨いて、レパートリーも増やしたから、たっくさん食べさせてあげるわ!』

 

 いつかどこかの約束の地。

 燃えるような紅い髪を穏やかな風で靡かせ、少女は笑顔の花を咲かせた。

 

 ――遥か未来のこの国で、産業革命が起こった時。

 バーヴァンシーの遺したレシピが、国の食文化の衰退を食い止めたという。

 故に、彼女は『台所の女神様』として崇められたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うん。これで、僕達の仕事は終わりだね」

 

 男は、未練を残さず重荷を下ろした。

 長く、辛く、苦しい人生だったと思う。

 楽しかった時間よりも、苦しみと怒りの積もった時間の方が長かった。

 しかし、それでも。

 白亜の城キャメロットを遠望し、足跡を振り返ると驚くほど未練がない。

 積年の労苦は全て報われている。思い残すことはないのだ。

 全て、総て、凡て、激動の時代を共に駆け抜けた、最良のパートナーがいてくれたお蔭だ。

 

「い、いえ、他にもまだやれることが……」

 

 しかし最良のパートナーである女は、未練たらたらで重荷を抱えたそうにしていた。

 くすりと微笑み、アーサーはモルガンの手を取る。

 

「ブリテンの土壌は改善した」

 

 過去を振り返り、懐古する。

 

「法律も整備したし、気色悪いルキウスも消し去ってローマの脅威も打ち払った」

 

 戦場で嗤う、忌々しい男ルキウス。皇帝は地上の神だと驕った剣帝。

 その強さはアーサーの生涯で、アルビオンに次ぐものだった。

 

 ――楽しいことばかりの人生なんてない。だがやりきった。

 走りきり、バトンを次代に渡せた。

 ならきっと、自分達の役目は終わったのだろう。

 老兵は死なず、ただ消え去るのみ。誰が言ったのか忘れ果てたが、そんな台詞がするりと零れる。

 

「ブリテン島に残された神秘をアルビオンの遺骸に隔離し、ブリテン島に人理を定着させて滅びの運命を乗り越えた。ピクト人は殲滅したし、次代を担う人材の育成も恙無く済ませた」

 

 どうやって滅びの運命とやらを回避したかというと、いつも通り、モルガンが神懸かった手腕で成し遂げただけの話である。詳しいことは分からないが、妻はこう言っていた。

 ブリテンの滅びの運命を、アーサー王と女王モルガンの退去を以て実現したと見做すよう、人理の抑止力アラヤと契約したのだと。契約の対価はアーサーとモルガンの双方が、一度だけアラヤの走狗として力を振るうこと。――なんでもアーサー王は遥か未来に蘇り、異星の存在を討ち果たして世界を救うらしい。モルガンも同様のようだ。

 

 これはかつてアーサーがアルトリアの存在を知る前、聖剣エクスカリバーを湖の精霊から貸し与えられた際に、精霊から『エクスカリバーを返す必要はありません。()()()持っていてください』と言われたことがあるのを、モルガンに伝えた故に成り立った契約だ。

 星の触覚たる精霊が、異星の存在に最大の力を発揮する聖剣を個人に与えた――その事実から逆算した女王は、いずれ聖剣の力を必要とする異星の存在が現れると予見し、アラヤの抑止力にその可能性を伝えて契約を持ち掛けたのである。ここでブリテンの滅びの運命を見逃さなければ、自分とアーサーは決して世界を救う戦いに助力しない、と。果たして抑止力は、契約を呑んだ。

 ――嘗て白い巨神をも葬り去った最強の聖剣と、担い手としてこれ以上は望めない伝説の騎士王。更にはそんな騎士王のバックアップとして破格の力を有する女王モルガン。彼らの存在を、抑止力にすらどうしようもない脅威に対抗する保険にできるなら、アラヤ・ガイアの抑止力にとっても妥協を余儀なくされるものだったのだ。

 

 だがそれはそれとして、形だけでも滅んでくれと啓示で依頼された故に、モルガンはアーサーの人としての寿命を、ブリテン王国の最後という形式を整えたのである。

 

「『グレートブリテン統一王国』も建国したし、やれることは全てやったよ。後世への宿題はアルトリアが上手く片付けてくれる。だったらもう、僕達は立ち去るべきだろう?」

「我が夫……しかし……」

「しかしもカカシもない。約束したじゃないか、僕が人としての生涯を終えたら、ブリテンの支配をやめてアヴァロンに付いて来てくれるって」

「……はい。そうでしたね。名残惜しいですが……約束なら仕方ありません」

 

 アーサーは、人ではなくなっていた。聖剣を手放し、聖槍を主兵装として二十年。彼の霊子構造は神霊と化し、精神構造もまた人の視座にはありえない域に達してしまっている。精神構造こそ原形を留めているが、やはり人としての彼は死んだと言っていいだろう。

 聖剣はいずれ彼のもとに戻ってくる。聖剣(アルトリア)はアヴァロンに還るのだ。長く同化している以上、バーヴァンシーが聖杯となったのと同じように、彼女もまた聖剣と化しているに違いない。

 ならば不安に思うことはない。聖剣になってもアルトリアはアルトリアだ。クローンでも、大切な娘の一人である。アヴァロンに還ってくる時を心待ちにしていよう。沢山の土産話を期待して。

 

 そんな彼も本心ではブリテンから立ち去りたいと思っていない。むしろ本音はその逆で、これからも永遠に現世へ留まり楽園を築きたいと思っている。だがその心情は人としての己のものではないと弁えているし、()()自分自身に課した誓いを守ろうと決めていた。

 だからモルガンはアーサーを理想郷へ送り届け、共に永遠を過ごすことを約している。それは愛する夫と共に生きるためであり、夫が人としての在り方を見失わないようにするためであり、夫が神としての傲慢さを発露して暴走しないようにするためである。何よりも、ブリテンの支配という渇望は、満たされている。ならばブリテンよりも大事な者と生きていたいと彼女も感じていた。

 

「思えば、人の僕は数奇な人生を送ったね」

 

 しんみりと呟くと、困ったように魔女も苦笑した。

 

「――貴方がはじめて私の許を訪れた時は、こうなるとは全く想像していませんでした」

 

 キャメロットの城壁の上には、存命中の円卓の騎士や、王女達、新たな女王がいる。

 旅立つ二人の古王を見送っているのだ。

 

 知勇を兼備し騎士道を全うした、国家の精神的支柱のランスロット、ガウェイン、トリスタン。

 口は悪いし悩みの種にもなったが、最後まで心強い味方だったケイ。

 円卓随一の指揮力を誇り『円卓の将帥』と讃えられたベティヴィエール。

 法整備、宮殿建築、新国家の樹立に心血を注ぎ込んだ鉄血宰相アグラヴェイン。

 国内の綱紀粛正に務め、国家の番犬として不穏分子を一掃したウッドワス。

 長兄ガウェインに並ぶ騎士へと成長し、対ローマ戦役にて剣帝配下の幻想種を屠ったガレス。

 対ピクト戦役にてピクトの王を討ち取り、『ガリアの神の鞭』と称されたメリュジーヌ。

 義姉と共に戦い、スコットランド人やサクソン人の王を打ち破ったパーシヴァル。

 王女を巡った多くの事件、陰謀、戦闘を主君共々無傷で切り抜けた無双の騎士ギャラハッド。

 

 そして――新たな王の第一の騎士として、終生過酷な戦いに身を投じる兜の騎士モードレッドと、新国家グレートブリテン統一王国の基礎を固め、次代に繋いだ『建国の母』聖剣王アルトリア。

 

 後に――聖杯の王女とその騎士の子が、アルトリアの後を継いで――千年王国と謳われる栄華を築き上げていくだろう。

 彼ら、そして彼女達は古王らの旅立ちを見送りながら、男泣きし、微笑み、号泣し、感謝し、忠誠を示し、労り、離別を受け入れて。次第に遠ざかる偉大な二人の姿を、己の網膜に焼き付けた。

 文字による記録が乏しいブリテンの文化があった故に、ローマの文字を輸入して用い始めたアルトリアが、史上に残る建国の祖となるだろう。騎士王と妖精王は、建国神話の神として祀られていくことになる。だが伝説上の存在だと歴史に記されようと、今ここに生きる全ての人々は二人が確かに存在し、血と汗を流して懸命に生きた人間だと知っている。

 

「……悪くありませんね」

 

 眩しそうに目を細め、淫靡にして淫蕩、悪辣外道なる魔女だったはずの女王は、慈悲と寛容さを有する才女の如き穏やかな微笑を湛える。

 まさか自分がこんな最期を迎えるだなんて。

 まさか、自分が自らブリテンを手放し、たった一人のために旅立とうとするだなんて。

 まさか――渇望していた支配を完遂し、他者に国の支配権を譲り渡してもいいと想えるなんて。

 愛する夫は数奇な人生だったと言った。それは自分の方にこそ言えることだと女は思う。

 

「不安はある。心配もある。未練も、悔いも、情熱も、まだまだ尽きてはいない。……しかし、なぜでしょうね。そうした欲を抱えたまま消えていくのも、存外心地よいと今は感じています」

「君がそれだけ国を愛していたからだろう。国という形態に固執するのをやめて、国という共同体に目を向けられた。だからやり残したと思う課題があっても、愛した共同体に残る者が乗り越えてくれると信じられる。そうだろう?」

「ええ。貴方と共に国の行く末を、我が子達の苦難を見守る。手を差し伸べたくなったとしても、残った者達が必ず上手くやってくれると信じ、託せる。それがこんなにも――」

 

 満ち足りた気持ち、心の落ち着く読了感を齎してくれるとは思わなかった。

 

 握られた手を、握り返し、乙女のように頬を染めたモルガンは、理想郷への道を開く。

 金色に煌めく位相を前に、彼女は神に成り果ててしまった青年を導いた。

 

「――行きましょう、我が夫。いつか来る星の終わりまで、永遠に」

 

 気の長い話だ。青年は苦笑して、愛する人が先導する道を歩んだ。

 二人の姿が、黄金に煌めく道の果てへと消えていく。

 見送る者らの頬に透明な雫が溢れ落ち、立ち去る者達の思い出に残った。

 

 グレートブリテン建国神話。『いつか未来に蘇る王』と、『未来の王を導く乙女』は、そうして表舞台から退場したのである。

 

 激動の生涯を駆け抜けた、悲劇で終わらない英雄譚を人々に残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ところでマーリンはどうしたんだい?」

 

「ああ、アレはキャスパリーグの力を借りて、平行世界に追放しました。いつまでも大人しく封印されている輩ではありませんからね、封じ込められている内に処理するのが最善でしょう」

 

「なるほど。でもそのうち帰ってきそうな気もするけど、大丈夫なのかな」

 

「帰っては来れませんよ。アレの眼は平行世界を含めた全ての『現在』を見渡せますが――この世界の座標を隠してしまえば、アレは永遠に世界の迷子のまま。きっと地団駄を踏んでいます。そうでしょう、キャスパリーグ」

 

ふぉうふぉーう(ザマァみろマーリン)!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




くぅー疲(以下略)
これにて完結です!

色々と足りない部分(多くのキャラとのコミュパート)がありますが、ブリテン時代だとやり辛いことこの上ないので、そうしたものの補完は番外編のカルデア編まで取っときましょう。気が向けばやります。その場合の最優先はアルトリア、モードレッド、その次に男性陣。モルガンとのイチャイチャや、「逆襲のマーリン」もあるかも。

でも次やるとしたらzeroなので、やらないで終わる可能性もなきにしもあらずです。

やりたいこと、書きたいところだけ書いた愚作ですが、お付き合いいただきありがとうございます。また、望外の高評価等を頂けて、さらにはたくさんの感想を頂けてとても嬉しかったです。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。

ここで完結に表記を変えておきます。もし番外編をやっても、書きたいところだけ書くスタイルは変わりません。本当に続くかどうかは貴方次第です(責任転嫁)

それでは! サラダバー!


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番外zero編
アーサーが聖杯戦争に参加する話


早くも開幕、番外zero編。以後不定期となります。




 

 

 

 

 ――衛宮切嗣。

 

 魔術世界に悪名轟く【魔術師殺し】その人であり、フリーランスの魔術使いである。

 実戦を経験している軍人じみた武闘派の魔術師から、学者肌の高位魔術師まで、およそあらゆる人種の魔術師を容赦なく殺害した戦歴を有する破綻者。故に彼は魔術師から嫌悪されていた。

 だが忌み嫌われるその男の戦術は極めて有効であり、優れているが故に彼の戦術を模倣する者は増え続け、()()では魔術師間でも切嗣の用いる戦術への対策は進んでいった。

 近代火器への対処法を嗜むのは、もはや現代の魔術師にとって基本である。対処が能わなければ、切嗣の考案した戦術と銃火器の威力に対抗できず、ただ無残な死骸を晒すだけだからだ。

 衛宮切嗣の名は、魔術使いの業界では伝説に等しい。後にサブカルを嗜む時計塔のカリスマ、グレートビッグベン☆ロンドンスターは切嗣をこう評した。「奴は魔術界のゴ○ゴ13だった」と。

 

 時計塔でも有数の力と歴史を有する高位魔術師が、最低でも37名は魔術回路ごと轢断され殺害されているのだ。加えて時計塔に属していない魔術師を含めれば、衛宮切嗣に殺戮された者は百を超えるだろう。ともすると聖堂教会が誇る代行者以上の対人戦、対魔術師戦のエキスパートであると言える。――だから。冬木の地にて開催される聖杯戦争で、必勝を期するアインツベルンが魔術師殺しの衛宮切嗣と接触し、自陣営のマスターとして招聘するのは当然の選択と言えよう。

 

 思想も、性格も、考慮しない。ただ確かな実力だけを求める。そういう観点で言えば、聖杯を完成させることだけを望むアインツベルンにとって、衛宮切嗣は理想的な傭兵だった。

 戦闘に特化したマスターと、望み得る中で最強のサーヴァントを組ませる。そうすることで確実に聖杯戦争を勝ち抜けるはずだと、人造生命の一族でしかないアインツベルンは計算したのだ。

 

「――結構なことじゃないか」

 

 英霊召喚を目前に衛宮切嗣はぽつりと独りごちる。合理性しか見ていない、実際の闘争を知らない素人集団。それが切嗣から見たアインツベルンの実態である。

 確かにアインツベルンのホムンクルスは強力だ。戦闘機械としては規格外の性能を有している。だが性能だけで戦いに勝てるなら、人間はそもそも知恵を磨き、戦術を考案し、道具を作って群れることをしなかっただろう。人間は自らより優れた性能の持ち主達を駆逐したからこそ、この星で霊長の座を勝ち取れたのだ。性能()()()()戦闘機械などカモでしかない。

 教本で戦争を学んだだけでプロフェッショナルになれる道理はなかった。かつての失敗からそれを学んだから、アインツベルンは外部から切嗣を迎え入れたのだろう。聖杯を完成させるために。

 アインツベルンの聖杯戦争での戦績は無残の一言だが、そうであるが故に自分を選んだことには感謝してやってもいい。必ずや聖杯戦争を勝ち抜き、全てのマスターとサーヴァントを殺し尽くし、アインツベルンの悲願を成就させてやろうではないか。

 

 対価は、己の理想の実現。恒久的な世界平和だ。

 

 愛した妻すら生贄に捧げる。九年間の雌伏を経て、暗殺者としての精神を錆付かせながらも、切嗣は己の理想を実現するために過酷な戦争へ打って出ようとしていた。

 

「――告げる」

 

 英霊召喚を開始する。

 触媒は、アインツベルンの用意した聖遺物。

 コーンウォールで発掘したという、()()()()()()()()()()()()だ。

 これ自体にはなんの力もないが、この触媒で召喚されるのはただ一人の英霊に限定される。

 

 グレートブリテン建国神話に於いて、建国の祖と謳われる女王、聖剣王だ。

 

 聖剣王は最高存在たる主神の名がない、非常に珍しい神話に紐付けられた王である。彼女はブリテンの伝説的君主、騎士王の写し身であり、聖剣王は騎士王に最強の聖剣を託されたらしい。

 彼女は戦場で不敗を誇った名将であり、魔術師としての逸話を複数有する上に、直接戦闘でも円卓有数の力を具える。家族を愛し、友を愛し、国を愛し、栄華の礎を築いた大英霊だ。

 恐らく全英霊の中でも最高位に近いであろう、聖剣王アルトリア・ペンドラゴン。彼女を召喚して衛宮切嗣に使役させる、アインツベルン必勝の策がそれだったのである。

 

「――汝の身は我がもとに、我が運命は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのならば応えよ――」

 

 個人的には、そんな英雄様なんかを喚びたくはない。自分にとって相性がいいのは、アサシンかキャスターだろうと切嗣は考えていたのだ。セイバーとしての側面が強く、キャスタークラスで召喚しても王であるアルトリアと自分の相性がいいとは思えない。

 正統派の英雄様が、そもそも切嗣は気に食わないのだ。綺羅びやかな武勇伝や伝説で、後世の人間を戦場という地獄に駆り立てる英雄を、彼は憎んでいる節すらある。故に不安は強かった。

 果たして負けられないこの戦いで、聖剣王などという英雄様と共に戦えるのか。マスターとして最低限の会話はするつもりだが、連携を取れるのかを彼は疑問視している。

 

 ――平行世界で()()()だったアルトリアを見た時、切嗣は彼女とのコミュニケーションの一切を拒絶してしまう。だがそれは本来騎士王が男性として語られていたのに、実態が単なる少女で、そんな少女に過酷な運命を背負わせた周囲へ義憤を懐いたからだ。そして切嗣自身に、少女王を受け入れられるだけの精神的余裕がなかったからである。

 

 故にアルトリアが最初から女性であり、その人生を歴史として知っている()()切嗣は、たとえアルトリアその人を喚び出したとしてもコミュニケーションぐらいは取ろうとする。

 性能を聞き出し、戦術を決め、指示し、阿吽の呼吸で戦えるだろう。戦闘のプロなのだ、それぐらいの連携は容易いのである。そしてそうなったなら、切嗣とアルトリアは並み居るサーヴァントとマスターを倒してのけていた。それだけのポテンシャルがあるのだ。

 

「汝、三大の言霊を纏う七天。抑止の環より来たれ、天秤の守り手よ――!」

 

 だから。

 衛宮切嗣やアインツベルンにとって誤算だったのは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()ことであろう。

 

 

「――私の娘を召喚(拉致)しようとしたのは君かな? いい度胸だ、首を出しなさい」

 

 

 元来、争いを好まなかった愛娘アルトリア。

 彼女自身が望んで現界するならともかく、そうでないならどこまでも過保護になる神霊。

 ――よもや聖剣王の大元、騎士王が召喚されてしまうなど、予想できる者はいなかった。

 

 早速雲行きが怪しくなった。

 切嗣は冷酷な眼差しで自身を睨む青年を前に、令呪を強烈に意識してしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切嗣にとって幸運だったのは、召喚されたのが騎士王のアーサーだったことである。

 

 聖槍の神アーサーよりも、遥かに会話を成立させやすいからだ。

 

 冬木の聖杯による英霊召喚は、七つの内の一クラスの枠に英霊を落とし込むもので、使役を比較的容易にしたものである。故にアーサーは本来の霊格を大幅にスケールダウンしなければ、英霊召喚に割り込むことができなかった。現代の世界に神霊のまま現れるのは不可能だからである。もし神霊アーサーが現界していたのなら、さっさと帰るべく無慈悲な刃が向けられていたところだ。

 しかし、神霊ではなく英霊にスケールダウンしている故に、このアーサーは人間だ。生前の人間性を保っているからこそ、娘を拉致しようとした輩に怒りこそあれ、事情を聞いて裁定を下そうとする倫理観がある。召喚主の人間性を見定めようとする心があるのだ。

 

「――悪意があって私の娘を召喚(拉致)しようとしたわけではなく、あくまで聖杯戦争を勝ち抜くためのパートナーになってほしかった、と。そして召喚を拉致と認識してもいなかったか」

「……そうだ」

 

 英霊召喚を拉致と言い張る奴は、世界広しと言えどもコイツだけなんじゃないか。

 切嗣は頭の片隅でそんな事を思う。

 

「現界直後に私から恫喝され、瞬時に令呪とやらを使わなかった点も加味し、一応は本当のことだと信じよう。情状酌量の余地ありと認める。……ああ、いまさら令呪を使おうとしても無駄だよ。私の対魔力なら、令呪を二画用いないと行動を強制させられないはずだ。自害させたいなら好きにしていいが、無駄に手札を減らしたくないなら自重を勧めておこう」

「………!」

 

 令呪を切ろうとしていたことを見抜かれている。切嗣は背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。

 現代の人間には信じられないほどの神秘と、莫大な魔力を内包した英霊。数多くの地獄を潜り抜けてきた切嗣をして、死を幻視させられた殺気。これは、令呪を発動される前に自分を殺せる。

 そんな予感とも言えぬ確信を懐き、切嗣はアインツベルンの当主を恨んだ。聖剣王などを喚び出そうとしたばっかりに、こんな親バカが出しゃばって来たのだ。予想できるわけがない事態とはいえ恨みたくもなる。だがいつまでも非生産的な恨み節に明け暮れるような男でもなく、切嗣は何事かを思案する目の前のサーヴァントを観察した。

 

 白銀の甲冑を纏う、貴公子然とした美青年。まさしく正統派の英霊サマ。

 名乗った真名はアーサー・ペンドラゴン。

 クラスはセイバー。

 マスターの特権として閲覧できるステータスは――

 

「――――!!」

 

 切嗣は驚嘆に息を呑んだ。

 セイバーのステータスが余りにも飛び抜けて優秀だったからである。

 筋力と耐久の数値がA+ランク、敏捷と魔力がAランク、幸運の値こそマスターである自身に引き摺られてかDランクだが、宝具はA++ランクだ。

 最優のサーヴァント――その謳い文句が脳裏を過ぎる。

 目の前のサーヴァントが真実、騎士王アーサーならば聖剣王を上回る霊格の持ち主だろう。しかも聖剣王が国の統治にかまけねばならなかったのに対し、騎士王は軍事に偏った英雄。こと聖杯戦争という舞台でなら、聖剣王よりも適任だと言えるはずだ。

 

 あらゆる神話、あらゆる伝承、あらゆる伝説に語られる全ての竜の頂点に君臨する、竜の中の冠位たるアルビオンを単騎で撃破した武勇。最強の聖剣と聖槍を携え、軍を率いれば無双を誇り、十二度の会戦を常に完勝に導いた戦神にして軍神、それがアーサーだ。

 勝てる――このサーヴァントがいて、敗れるようなことがあれば、それはマスターの責任だ。どんな無能でも彼がいるだけで勝利するのは容易い。そう思わされてしまうほどの能力だった。

 だが切嗣はそんな油断や慢心、甘い思惑とは無縁の男である。正面戦闘でこのサーヴァントを打倒できるモノなど想像もつかないが、それはそれとして確実に勝利するための策を練る。そのためにもまず、この英霊に自身のサーヴァントとして戦ってもらう必要があった。

 

 英雄なんてただの殺戮者だと嫌悪し憎んでいるが、所詮はサーヴァントだ。どれだけ綺羅びやかな伝説を引っ提げようと、過去の影法師であることに変わりはない。戦争で勝つための武器、道具の類いだと割り切れば、道具の整備と割り切りコミュニケーションを試みるのも苦痛ではない。切嗣はそう自分に言い聞かせ、ひとまずセイバーと対話を試み交渉することにした。

 

「……確認したい。質問してもいいか」

「なにかな?」

「セイバー、お前は自分の娘が召喚されそうなのを察知し、こちらの召喚に割り込んだ、という認識で構わないな」

「ああ」

 

 横で話を聞いていた切嗣の妻、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは困惑した。

 なにそれ、と。そんな出鱈目を仕出かせるなんて、聖杯である彼女にも理解不能である。

 戸惑う女を一瞥したセイバーは、冷酷な表情のまま切嗣を見据えて告げた。

 

「アルトリアは争いを好まない。子供の喧嘩レベルなら横槍を入れることもままあったけど、殺し合いとなると話は別だ。私も親だからね、子供が血腥い戦に喚び出され苦しむぐらいなら、私が矢面に立ち痛苦の一切を引き受けるさ」

「……どうやって召喚に割り込んだのかはともかく、動機は理解した。謝罪しよう、セイバー。お前の娘を不本意な殺し合いの場に引き出す真似をしてすまなかった」

 

 そう言って切嗣は頭を下げる。夫の態度に妻のアイリスフィールは驚いていたが、切嗣は頭を下げたままそんな彼女に合図を出した。なにもせず、なにも言わずにいてくれと頼んだのだ。

 流石に夫婦である。事前の取り決めもないのに、アイリスフィールは夫の合図で意図を汲んだ。

 どこか切羽詰まっている切嗣の様子に、アイリスフィールは黙って頷く。ここは切嗣に任せておこう。まずい事態になりそうなら、身を呈してでも切嗣を守る覚悟を決めて腹を据える。

 セイバーは自身に謝罪する男から視線を逸らさない。だが視界に入っている女の様子も捉えていた。男を守ろうとする姿勢を視認し、頭を下げ続ける男と女を前に認識を改める。

 

 セイバーは嘆息して腰に手を当てた。微かに漂う殺気が霧散する。重かった空気が緩んだ。

 

「困ったな……これじゃあまるで、私が悪者みたいじゃないか」

「………」

「降参だ。謝罪を受け入れるから頭を上げてくれ」

 

 ――セイバーからのマスターへの心証は決してよくない。

 今の彼は英霊だが、大元は神霊である。故に人の視座を超えた領域を有しており、セイバーの目はマスターが帯びる夥しい怨念を捉えているのだ。

 マスターは間違いなく多くの人間を殺し、怨まれ、憎まれている。そんな輩を信頼するには彼我の理解が足りていなかった。無論、怨念を帯びているからと、それだけでマスターの人間性を断定するような了見の狭さはない。彼の印象は人殺しに慣れた同類というものだ。

 そんな男が娘を召喚しようとした。普通なら釈明を聞く手間も惜しむところだったが――セイバーは白い女を視界の隅に置く。彼は経験上、人造生命の気配に敏感である。一目で白い女がホムンクルスだと見抜いていた。そんな女がマスターを守ろうと身構えているのにも気づいている。故に、マスターを見る目も若干変化したのだ。

 

 もしこの場にマスターしかいなかったら、セイバーはマスターの言い分に耳を傾けなかったかもしれない。見るからに穢れを知らない、無垢な女が傍らにいたから恫喝をやめ、なぜ彼らがセイバーの愛娘を召喚しようとするに至ったのか動機を聞いてみようと思った。

 

「君達がなぜ、アルトリアを召喚しようとしたのか。そしてなぜ、聖杯戦争に挑むのか。これらの動機を教えてほしい。事と次第によっては、娘に代わり協力するのも吝かじゃない」

「分かった。話していいね、アイリ」

「ええ。今はとにかく、セイバーの信頼を得るべきだわ」

 

 本人の前で信頼を得るべき云々と言うあたり、どうやら交渉事でもズブのド素人らしい。

 微かに呆れるセイバーだが、同時に微笑ましい気分にもなった。自分にもこういう考え足らずな時があったな、と。特殊な事情があるため、彼はホムンクルスに対し基本的に親身なのである。

 

 ともかく切嗣は余計なことは話さず、淡々と自分達の目的を話した。冬木の聖杯のこと、アインツベルンのこと、自分の略歴、そして理想。セイバーは真剣に耳を傾けてくれていた。

 その裏で切嗣はセイバーを観察し、分析する。

 性能ではない、その性質を、である。

 このサーヴァントは自害させられるのも構わないと言った。聖杯への望みなどないのだろう。単に娘が召喚されるのが気に食わないというだけの動機で現界している。嘘を言う理由はないはずだから事実と見ていい。なら、主導権はセイバーにあるということになる。

 セイバーには別に、切嗣のために戦う義理がないのだ。であるなら少しでも疑われないように嘘を言うべきではないだろう。そんな判断があったから、切嗣はセイバーの要求に従って聖杯にかける願いまで口にしたのだ。――事務的な説明を聞き終えた英霊は考え込む。

 

「――恒久的な世界平和、か」

「……なんだ? 僕がそんな絵空事を語るのが意外なのか」

「いいや、そんなことはない。素晴らしい理想だと思う。もちろん皮肉なんかじゃないさ」

 

 何かを言いたそうな顔をしたセイバーを睨む切嗣の表情を見てか、彼は曖昧に濁した。

 まあ――指摘する義理もないか、と。

 セイバーはあっさり切嗣の陥穽を見抜いたのに指摘しないでおいた。彼の歩んだ人生の経験で、そんな夢物語を真剣に追い求めるようになったのなら、初対面の者が訳知り顔で道理を説いても反発されるだけだろう。たとえ妄執に等しい理想に取り憑かれていようと、救いの手を差し伸べていい人間ではない。自分には彼の人生に深入りし、肩入れする動機が全くなかった。

 今のセイバーにとって大事なのは、マスターの人間性だ。

 少なくとも娘を外道な目的のために喚び出したのではない、それが知れただけで充分である。

 そしてマスターが外道ではないのなら、セイバーとなった自分の取るべき対応も明らかだろう。その枠から外れる気は今のセイバーにはない。

 

「よからぬ企みで召喚に臨んだわけではないと理解した。もし君の語った理想に偽りがないのなら、幾つかの条件付けで君のサーヴァントとなり、聖杯を手に入れるために戦うと誓おう」

「……いいだろう。だが条件(もの)によってはこちらからも条件を出してもいいな?」

「構わない。互いに妥協はするべきだろうからね」

 

 会話。会話こそ、最も容易にして困難、最善のコミュニケーションである。

 特に衛宮切嗣は対人のスペシャリストだ。相手の経歴だけで人物像をある程度推測し、脅威度を測定することも能う彼が、直接言葉を交わした相手の性質を見抜けないなんてことはない。

 相手の思考、思想、性格、行動パターンを正確に分析できなければ、確実な勝利を得ることはできない。そしてその手の分析を切嗣が外したことはなかった。

 

 そんな衛宮切嗣がここまでで導き出したセイバーの人物像は、『普通』だ。

 己の力に自信はあるのだろう。しかし自己の都合を押し付けようとはしない善性がある。子を持つ父親として当然の感性を持ち、こちらの事情を汲みとろうとする姿勢もあった。

 戦争そのものを忌避している節もあるが、完全に割り切ってもいる。闘争を賛美する性質ではなさそうだが、その反面必要なら手を汚すのを躊躇いそうにもない。『普通』のまま闘争に慣れ、『普通』のまま英雄として生きたのだ。故に彼は『普通』()()()()

 破綻者ではない。だが異常者だ。彼の伝説を知り、彼の人柄を分析するほど不自然さが浮き彫りになる。『普通』ではいられないはずの境遇で、人生で、こんな在り方を堅持できるのなら、それは間違いなく英雄という人種だけだろう。精神強度が桁外れなのだ。

 

 本質的に強い人間。それが切嗣から見たセイバーだった。

 

(――案外、僕との相性はよさそうだな)

 

 お高く纏まったお堅い騎士サマだろうと決めつけていたが、どうにもそんなイメージが湧かない。勝つのは当然、勝つのが分かっている、だから勝った後のことを考える、それが王の仕事だ。お国柄、清廉さを取り繕ってはいるものの、必要なら汚い戦術にも理解を示す。この男はそんな英霊なのだと切嗣は推測して――微かに胸中を過ぎる、不快な嫉妬を押し殺した。

 自分には真似できない。そんな立派な父親にはなれない。不必要な情報だと判断してセイバーに言っていないが、妻を生贄に理想を遂げようとする自分なんかには、彼の在り方は眩しすぎた。

 

「私から提示する条件は三つ。このいずれか一つでも破ったなら、君には令呪を使ってもらう。そして全ての令呪を喪失した後、更に条件を破ったなら私はサーヴァントの役割を放棄し退去する」

「……猶予を三回も与えてくれるなんて、随分と慈悲深いことだな」

「皮肉かい? 心に余裕がなさそうだね。それとも敢えて挑発して私の反応が見たいのかな。どちらにせよ忠告しておこう、あんまり()()()()()()()()()()()()()()()()。私は厳密には違うが……英霊も大部分は人間だ、嫌ってくる相手に好意的にはなれないよ」

「………」

 

 ――流石は伝説の騎士王サマだ。僕みたいな若造の内心なんかお見通しってわけか。

 

 見透かされたことに驚きはない。人間の尺度では測れない存在がこの世界にはいることぐらい、切嗣も先刻承知である。ポーカーフェイスだけで誤魔化せるなら苦労はないのだ。

 ともあれ、とうのセイバーは不快感を示していない。彼は淡々と条件を提示していった。

 

「条件を言おうか。まず一つ目。私が聖杯戦争で戦うにあたり、自己裁量権を認めること。戦場で私の判断に口を挟むな、ということだね。もちろん君からの意見を無視することはないが、最終的に決定するのは私だ。戦闘を行う前、戦術や方針を決める際にはマスターの指示に従おう」

「……いいだろう。司令部と前線の見解が一致するのは稀だ、その場合は前線に立つセイバーの判断を尊重する。こちらの状況でどうしてもお前を動かしたければ令呪を使おう」

「繰り返すけどそちらからの意見や指示に耳を傾けはする。令呪を早々に切って無駄打ちしないように注意しておくといい。では二つ目の条件だ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――なに?」

 

 予想外の条件に眉を顰める。黙って聞いていたアイリスフィールが堪らず口を挟んだ。

 

「待って、セイバー。それは駄目よ。聖杯戦争はマスターとサーヴァントの一組で戦うのがルールなのよ? そんなことをしたら他陣営から袋叩きにされかねないし、監督役の教会が黙ってないわ」

「ルールね。それはもちろん理解している。理解した上で言っているのさ」

「ならどうして?」

「戦争にルールは必要だ。けど私は自分が最強無敵の存在だなんて自惚れるつもりはない。英霊の中には私よりも強力な者がいるかもしれないし、相性の差で歯が立たない相手もいるかもしれない。そんな相手と対峙し敗れそうになった時までルールを守り潔く散るのかい? 私は御免だ、戦争は絶対に勝たないといけない。勝てば官軍なんだ、負けて浮かぶ瀬はないよ。負けたら全てを失うのなら、勝つための布石は打てるだけ打って然るべきだろう」

 

 声には出さなかったが、その通りだと切嗣も同意した。話が分かるじゃないか、と。

 セイバーは言う。アインツベルンが持ち、他の陣営が持ち得ない最大の強みは『兵力』であると。彼は人造生命に対して慈悲深いが、それはそれとして戦争に利用できるなら利用する。

 勝てなければ全て終わる、そういう価値観があるからだ。守るべきものを抱え、決して抱えたものを手放さなかったセイバーの論理である。

 

 アインツベルンが錬金術の大家で、多くのホムンクルスから成る一族だと聞いた瞬間に、彼はアインツベルンが有する戦力をほぼ正確に読んでいた。そして魔術師という人種の用意周到さも知悉している。サーヴァント相手には敵わずとも、マスターを狙ったなら充分以上に脅威となるだろう。無論戦闘用ホムンクルスが部隊単位で冬木入りしたのなら、セカンドオーナーとやらの遠坂、監督役の聖堂教会に察知されるはず。だが何も問題はない。

 もしもセイバーや切嗣が敗れそうになったら投入する予備戦力だが、そうした事態にならない限りは裏方に徹させる。サーヴァント同士の対決で起こる被害を隠蔽するために、最低限の働きをして監督役の負担を軽減させればいいのだ。後は知らぬ存ぜぬで押し通せばいい。手助けしてやっているんだぞと、恩着せがましくして居直る面の皮の厚さを見せてやるのだ。

 

 当然だが、監督役や遠坂はいい顔をしないだろう。場合によっては対策を打つ。だがそれがどうしたというのか。勝てば官軍である、今回の戦争に全力投球をして確実に勝てたなら、後のことなんてどうでもいいのではないのか? 勝てさえすれば、後のことはいいのだ。

 セイバーの論に切嗣は全面的に同意した。流石にアイリスフィールは容易に頷こうとしないが、もしも今回で聖杯戦争を終わらせられなかったなら、次の聖杯戦争では自分の娘が――あるいは娘の後継となる存在が聖杯戦争に投入されてしまう。それを思えば今回で必ず戦争を終わらせようとする姿勢に、彼女の心情も大いに傾いていってしまった。 

 

 戦力をプールし、こちらの発揮できる戦術パターンを豊富にさせる。その上で万全の装備を整えて、確実に勝機を高めるのだ。そして()()()()()()()()()相手陣営が不正を行なっていれば、人海戦術で情報を暴ける。外来のマスター、他の御三家のマスターには真似できない、アインツベルンだけが発揮できる強みを全開で活かしていくべきだろう。

 むしろなぜ今までそうしていなかったのか、セイバーとしては不思議でならない。

 切嗣は仕方ないのだ、彼の発言力は弱い。傭兵として雇われた彼が何を言っても、雇い主がノーと言えば終わりだ。しかし無理もないのかもしれないとセイバーは思う。

 

 話を聞いた上で考えるに、アインツベルンは『機械』でしかない。

 

 アインツベルンがホムンクルスである以上、造物主がいるはずだ。しかし造物主はいない。なら必ずどこかで破綻している。機械であるとすれば融通の利かなさは容易に想定できてしまった。

 整備不良。あるいは、単一の目的しか持たない不完全な生命。

 哀れではある。だが同情はしない。しっかりとした自我を持つのは、この白い女(アイリスフィール)ぐらいではないだろうかとセイバーは思った。

 アインツベルンが機械であるならルールを大胆に破ろうとはしないだろう。ルール違反をするにしても強い英霊を喚ぼうとするぐらいに留まっているはずだ。随分とお行儀のいいことである。

 

 だがそんなアインツベルンも、自陣営のサーヴァントは無視できない。

 

 条件を飲まなければ退去すると脅されたら、呑める範囲で条件に従わざるを得ないのだ。令呪があろうとなかろうと、聖杯戦争に意欲的ではないサーヴァントに提示できる旨味がないのだから。

 事実セイバーは聖杯戦争に対してやる気がない。退去するのを躊躇わず、自らの死を厭う理由が特にないのである。だって――ここにいるのはあくまでもサーヴァント。つまりは影法師。本体ではない、分霊の切れ端だ。殺されても痛くも痒くもないのである。

 

「三つ目、これが最後の条件だ。マスター、()()()()()()()()()()()()()()()()

「なんだと?」

 

 出された条件に切嗣は思わず反駁した。

 衛宮切嗣は暗殺者である。闇に紛れ、情報を収集し、ターゲットを葬るのが基本だ。断じて表に出て、正面切って戦う者ではない。これは流石に承服しかねるが、セイバーに譲る気はなさそうだ。

 

「……どういうつもりだ? 僕の経歴は話したはずだ。僕の戦術も察しがついているはずだろう。なのになぜ僕がお前と仲良く前に出ないといけない?」

「簡単な話さ。この聖杯戦争で、()()()()()()()()()()()()()からだよ」

 

 確信を持っての断定に、険しい表情のまま説明を求める。

 そしてセイバーが取り出した宝具を見て、説明を聞き――切嗣の目に理解の光が灯った。

 なるほど、それなら確かに、と。

 彼はセイバーの条件を呑み、次いで自身からセイバーに条件を提示した。

 

 

 

 ――セイバーのサーヴァント・アーサーのスタンスは、究極的には『無関心』である。

 故にセイバーは切嗣の理想の落とし穴を指摘せず。アイリスフィールの正体や事情、それら全てを聞こうともしないでいた。

 現世の人間には、可能な限り干渉する気がないのだ。そして真に高潔であるわけではない故に、英霊にとって後世の人間全てが大事な宝だと言うつもりもない。

 

 今のアーサーには、やる気が微塵もなく。

 召喚されたからという、消極的な義務感しかない。

 

 彼が本気になるのは――アイリスフィールが聖杯そのものであることを知って。

 切嗣と彼女に娘がいることを知り。

 そして、今回個人的な因縁が生じる――()()()()()()()()()を待たねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




歴史ヒストリア(?)
グレートブリテン建国神話。最高存在の主神はおらず、アーサーが聖槍によって神に至ったと言われる。また彼の聖槍がロンギヌスと同一視される故に、聖四文字が人として生まれた御方なのではと、後世で物議を醸しもした。そのためグレートブリテン建国神話は、聖書の亜種として位置づける向きもある。モルガンは女の大悪魔であり、彼女を教化させて改心させる物語だとも。




※以下にアーサーのステータスを載せていますが、筋力に+がついたこと以外は原作と同じです。何これチートとか言っちゃいけません。原作がチートなんです。
※スキルは全部強化されていますが、軍事一辺倒だった故の成長補正のようなものです。ぶっちゃけるとカリスマ以外はFGOで強化されたスキル名を採用しています。


真名「アーサー・ペンドラゴン」
クラス「セイバー」
属性「授業参観で出しゃばる親バカの極み」
クラス別スキル「対魔力A・騎乗B」
ステータス「筋力A+・耐久A+・敏捷A・魔力A・幸運D・宝具A++」

保有スキル「輝ける路EX・赤き竜の徴A・騎士道のカリスマA・神性C」

 詳細
・「輝ける路EX」(常時発動。「自分にとっての最適の行動」を瞬時に感じ取る能力。ほぼ未来予知の領域に達する直感。視覚・聴覚への妨害もある程度無視できる。また運命に纏わる因果を自らの行動・意思により変化させることが可能となった。これはとある魔術師の予言を覆した故のスキルである)
・「赤き竜の徴A」(魔力を自身の武器や肉体に帯びさせる事で強化する。弛まぬ鍛錬により鍛え上げられた肉体を、有り余る魔力で強化しているため、その筋力は無双を誇った。また彼の有する竜の炉心が稼働を止めることはない。魔力を帯びた存在との戦闘中は、彼の魔力は常に回復し続ける)
・「騎士道のカリスマA」(軍を率いる才能。ブリテンの副王であるため、率いる軍勢の士気は極めて高いものになる。通常ではランクBのカリスマとして効力を発揮し、一国を治めるのに十分な程度だが、騎士に分類される英霊や、騎士道精神を有する者にはAランク相当のカリスマとして機能する。これは、ブリテンの伝説的君主としての名声が形となったものである)
・「神性C」(彼の伝説が神話とされてしまった故に。また、聖槍によって神となった逸話があるため、彼は本来最高ランクの神性を有するが、神霊ではなく英霊として召喚されたため大幅にランクダウンしている)

宝具「約束された勝利の剣A++・風王結界C・全て遠き理想郷EX・(封印中「最果てにて輝ける槍」)」


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第四次聖杯戦争が始まったお話

 

 

 

 

 

「………」

「どうかしたの、セイバー?」

 

 男が、だらしのない表情で、雪積もる森林の中を駆けている。

 冷酷な戦闘機械じみていた、幽鬼の如き暗殺者の意外な一面を目の当たりにしたセイバーは、なんとも言えない複雑な表情で沈黙していた。

 そんな彼を見かねたのか、アイリスフィールが声を掛けてくる。セイバーは男から視線を外して彼女の方に向き直り、やりきれないとばかりに嘆息した。

 

「いや。マスターは間抜けだなと憐れんでいたんだよ」

「……どういうこと?」

 

 唐突な罵倒を聞いて、アイリスフィールはムッとする。

 愛する夫の悪口を聞いて笑顔でいられるほど、彼女は我慢強くなかった。

 しかしセイバーは可愛らしいアイリスフィールの苛立ちに取り合わず、再び窓から衛宮切嗣とその娘の憩いを見下ろした。

 

「見なよ。だらしなく弛緩したあの顔を。子供相手に真剣に遊んじゃって、大人気ないだろう」

「……いいじゃない。本気で遊んでくれて、イリヤだって嬉しいはずよ」

「そうだね。きっとマスターはあの子を愛しているんだろう。今日見たばかりの私でも、一目でそう感じたんだから間違いない。……だから間抜けなのさ」

「………?」

 

 小さな小さな幼子。イリヤスフィール。彼女のムキになった顔と、切嗣に勝てた時の笑顔。子供は無垢で愛らしい……だからこそ、子供を見ればその親の愛情も推し量れるものだ。

 切嗣は間違いなく、心の底から、掛け値なしにイリヤスフィールを愛している。その点に関して指摘する言葉に、アイリスフィールは首を傾げた。

 

「恒久的世界平和? バカバカしい。あんなに大事に思っている家族がいるのに、なぜマスターはそんな馬鹿げた理想を追いかけているんだ。アイリスフィール、君にはなぜか分かるかい?」

「………それは」

「分からないんだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――」

 

 喋り過ぎたねとセイバーは呟く。他人事の戦争である故に、やる気は全くないのだが、『父親と娘』が戯れる光景を見てついつい口が滑ってしまった。

 セイバーは人の心の機微に敏い。鈍感な男に()()円卓の人間関係を整理整頓し、人間関係でトラブルばかり起こす問題児達を制御できるわけがなかった。故にある意味円卓の面子に鍛えられた観察眼で、アイリスフィールの本質を捉えられていたのだ。

 

「……私と貴方は全然話していないのに、そんなことも分かるのね」

「大したことじゃない。相手の背景を察したら、誰でも想像がつく」

「そうなの? 参考までにどうして分かったのか教えてくれる?」

「……まあ、いいかな」

 

 迂闊なことを口走ったツケだ。それに大した話でもない。セイバーはもったいぶらずに告げた。

 

「マスターは過酷な人生を辿って来たんだろう。どれだけの地獄を経たら、あんな妄想じみた理想に囚われ、呪われてるみたいに生きるようになるのかは想像したくもない。だけど君は違うだろう?」

「……ああ、なるほど。それなら確かに察しがつくわね」

「だろう? 嫌な指摘に聞こえるかもしれないが、君はホムンクルスだ。ここで生まれ、育ち、子を産み聖杯戦争が開催されるのを待っていた。そんな君が外界を知っているわけがない。なのに外界で様々な経験を経たマスターの理想に共感していると言っても嘘臭いよ。マスターなら気づけるはずなのに、その素振りがないことを踏まえて見ると、答えは出てしまうんだ」

 

 アイリスフィールは精神的に弱くなった切嗣を支える為に、口では彼の理想に共感していると言っているのだ。そして理想そのものは理解できずとも、彼に勝ってほしい気持ちは本物なのだろう。

 少女のように困った笑みを浮かべ、小さく拍手しながらアイリスフィールはセイバーに言う。

 

「本で読んだ名探偵みたいで凄いわ。けど、セイバー。切嗣には……」

「言わない。彼から理解者を奪うのは、どうにも気が引けるからね」

「そう……でもセイバー、どうして切嗣を間抜けだなんて言ったの?」

「それこそ簡単な話だ。簡単過ぎて退屈で、陳腐で、くだらない失陥だよ。彼の理想はもう叶っているのに、叶っていないと思い込んでいるんだからね」

「え……? それってどういう……」

 

 セイバーは苦笑して、再びアイリスフィールに視線を戻した。

 見た目こそ成人しているが、彼女の精神が非常に幼いと気づいたのだ。

 実年齢はおそらく10歳にも満たないのだろう。なら分からないのも仕方ない。

 

「気にしなくていい。なにせ私がいるんだ。マスターは必ず()()あの子の許に生きて帰してみせるよ」

「――ありがとう。優しいのね、セイバーは」

 

 彼なりの励ましなのだろう。しかし、アイリスフィールは曖昧に微笑んだ。

 たとえ切嗣が帰れても、そこに自分だけはいないと知っているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫くの日数を経て。冬木の地を訪れた切嗣は、微かな居心地の悪さを覚えていた。

 

「……なんだ、セイバー」

 

 何もない空間に向けて囁く。そこには霊体化したサーヴァント、セイバーがいるのだ。

 マスターである故に彼の姿を視認できている切嗣は、セイバーが自分に微笑ましげな目を向けているのに気づいたのだ。なんとも生温い視線には、流石の切嗣も反応せざるを得ない。

 隣でニヤニヤとされていたら誰だって気になるだろう。これから拠点であるアインツベルンの城に向かうというのになんだというのか。うんざりした調子で睨みつけるとセイバーは肩を竦めた。

 

『別に? アイリスフィールから面白い話を聞けて、君に対する印象が変化しただけだよ』

「…………」

『歴戦の兵が家庭だと別人のようになるのはよく聞く話だ。でも私はそういう話を聞くのが大好きなんだよ。なぜだと思う? 普段は無愛想で素っ気無い相手が、その実かなりの愛妻家だと知れたら微笑ましい気持ちになるからだ。君のことだよ、マスター。初々しいな』

「…………」

 

 何を聞いた、と反駁したくなる。だがグッと堪えた。その話題を深掘りされたくないのだ。

 こうしてセイバーが揶揄してくるのは何度目だろう。イリヤと遊んでいる姿を見られたのは不覚という他にない。以来何度も揶揄してくるものだから、切嗣の苛立ちはピークに達しかけていた。

 まるで友達感覚で娘の話を振ってきて、娘談義しようとするのは本当にやめてほしい。あんまりにもセイバーが娘の自慢をしてくるものだから、うっかりイリヤの方が可愛いに決まっている! と叫びそうになったこともある。完全に黙殺して無視してやろうともしたが、無視するなら退去しよっかなぁ、なんて雑に脅してくるものだからタチが悪かった。

 間違いない。この男、私人としては性格が悪い――切嗣はそう確信した。

 

『――そうそう、娘もいいけど息子もいいよ。かなりいい。ウッドワスは生真面目な子でね、反抗期が来なかったのが唯一残念なところだけど、親の私にも遠慮せず意見を言ってくれた時には感動の余り泣きそうになった。ああ、一人前の男になったな、ってね』

「…………」

『嫁を連れてきてくれて、この女性と幸せになると言われた時もよかった。孫を見せてもらえた時の喜びは筆舌に尽くし難い。それから半年でアヴァロンに向かわないといけなくなったのは無念としか言えないが、息子が『父親』になった時の感動は涙無しには語れないな。あの時はでかした! って声を大にして叫んでしまったよ』

「…………」

『マスターはもし自分の娘が反抗期になったらどうする? 私の子供達は不思議とそういうのがなくてね、機会があれば反抗期の子について語りたいと思っていたんだ。ああ、マスターの子供はまだ幼いから想像がつかないかな? なら子供が恋人を連れて来たら――』

「――イリヤは誰にも渡さないッ!!」

 

 発作的に叫んでしまった切嗣である。

 イリヤが恋人を紹介してきた場面を想像し、一瞬で頭に血が上ってしまったのだ。

 場は空港である。雑多な騒音で満ちていたが、切嗣の怒号で一瞬空気が凍りついた。予想以上に大きく響いた声に、セイバーと切嗣は沈黙する。

 暗殺者である彼は注目されることに慣れておらず、やってしまったと激しく後悔しながら早足になったが、そんな彼をセイバーは霊体のまま追いつつ笑いかけた。

 

『……ふぅーん? なるほど、なるほど。所詮はお父さん歴の浅い男だったようだね』

「……どういう意味だ」

 

 冷静になろうとするも、なかなか激情が収まらない。マウントを取られていると勘づき、切嗣は怒気も露わにセイバーへ殺気を向けたが、まるで怯んだ様子もなく挑発された。

 

『娘は可愛い。息子もだ。男親にとって子供は天使だよ。いや天使なんて娘に比べたら羽虫に過ぎない。だけど、だけどだ。――孫はまた別の意味で可愛くて愛おしいものだぞ』

「…………」

『想像するといい。可愛くて大事な娘が、赤ん坊を抱いている姿を。新しい命を慈しむ母親になった姿を。私はこの気持ちを言語として出力できないが、至福の時だったとだけ伝えておこう』

「ッ……! 黙って聞いていれば、さっきからなんなんだ……! 何が言いたい……!?」

 

 言われてしまえば想像してしまうのが人間だ。

 確かに素晴らしいだろう、感動的だろう。だがイリヤは、とても長生きできる体ではない。

 それを知るからこそ悲憤を覚え、逆上してしまいそうな自分を律しながら、切嗣はセイバーに子供談義の真意を問い掛けた。ふざけた答えならぶん殴ってやるとまで血迷いつつ。

 

『――なんのつもりかと言われたら、まあ……マスターの存在を喧伝したかった、ってところかな』

「――――なに?」

 

 澄ました顔でセイバーは嘯く。ふざけた話を振るのではなく、急に真面目な話を始めた。

 

『一足先にホムンクルス達を冬木入りさせているんだろう? 情報収集のやり方は君が教えていたから、まあ基本は押さえているはずだ。当然彼らの存在は露見しているはずで、所在の割れているトオサカ、マトウ、監督役のコトミネの周りは固めている。そうだね?』

「僕の存在をアピールし、アインツベルンのマスターが衛宮切嗣だと事前に報せ、どの陣営が最初に動くか反応を見たかったのか。ふざけた真似を……無駄なリスクを負っているだけだ」

『そうでもない。反応した順番を見れば、自ずと見えてくるものがある。例えば――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とかね」

「なんだと」

 

 予想外の台詞を聞き、無言で切嗣はセイバーに続きを促す。本当なら戦術の方向が変わってくるほどの重要な情報だ。たとえばセイバーならキャスターを狙い撃ちし、奇襲を仕掛けて一気に仕留めるなど、盤面を動かすに足る情報なのである。

 

『反応が遅いなら私以外の三騎士、少しでも早く動きのあった方がアサシンかキャスターだ。御三家とかいうものは聖杯戦争で勝利するために、事前の準備はしているはずだろう? していないなら容易に踏み潰せるから考慮しなくていい。となるとマスターがアインツベルンに招かれたという情報を、最も手強いだろうトオサカは確実に入手しているはず。そうだろう?』

「そうだな。間桐が衰退している以上、御三家の中で最も手強いのは遠坂だろう。遠坂時臣は監督役の言峰璃正の息子、言峰綺礼を弟子にしている。その言峰綺礼が令呪を宿したという情報も僕は入手した。こちらがそうした情報を集めているように、アインツベルンに関する情報を向こうも漁っているだろう。それで、どうやってサーヴァントのクラスを特定するつもりだ?」

『私もマスターの纏めた資料を読ませてもらったが、遠坂時臣は典型的な魔術師だろう。だが同時に()()()()()があるようにも私には感じられた。そういう手合いはね、君の推測通りコトミネと手を組んでズルをしようとするものだが、私の予想だとコトミネにアサシンかキャスタークラスのサーヴァントを召喚させようとするはずだ。なぜなら――』

「――自分が勝つために、自分のサーヴァントを補助させようとする、か。弟子のサーヴァントを利用して」

 

 そうだ、とセイバーは頷く。

 

『だがほとんどの英霊は、聖杯戦争に参加する場合、相応の願望を秘めているはずだ。となると素直に他所の陣営と協力してくれるか怪しい。下手に強力なサーヴァントに現界されても困る。するとトオサカはコトミネに、キャスターではなくアサシンあたりを喚び出させようとするだろう。それなら情報収集をさせて盤面を固められるし、不要になったら簡単に始末できる。おまけに味方にアサシンがいたら暗殺される心配はなくなるだろう? 以上の点からコトミネがアサシンを喚んでいると予想しているけど、確実じゃない。だから反応の早さを確かめたいのさ。もしマトウが反応したら、マトウはキャスターを喚んでいることになる。今の私の予想ではトオサカは強力な三騎士狙いで触媒を手配しているだろう』

 

 そこまで聞いた切嗣は、怒りを収めて内心舌を巻いた。

 魔術師という人種は確かに貴族らしい部分がある。そこから逆算して予測を積み重ね、集めた情報から人物像を導き出し、様々な角度から照らし合わせていくと確かに――遠坂時臣は言峰綺礼に、アサシンを喚ぶように指示していてもおかしくないと感じられた。

 これが情報伝達の手段が未発達だった時代で、相手の陣容から正確に弱点を見抜いたという騎士王の洞察力なのか。所詮は洗練された軍事学のない過去の遺物と侮っては痛い目を見るだろう。

 

 だが。

 

「連中もバカじゃない。迂闊な反応を見せてくれるとは限らないだろう」

『そうだね。けどマスター、()()()()()()()()だ。どういうことか分かるかい?』

 

 無反応も反応の内。そうだな、と切嗣は頷いた。九割方、遠坂と間桐はアインツベルンのホムンクルスが多数、冬木に侵入しているのに気づいている。気づけないような無能なら、脅威度は遥かに低い故に想定する意味はない。よって気づいていると仮定するべきだ。

 そしてそうであるなら、ホムンクルス隊を切嗣の助手、久宇舞弥が率いる故に久宇隊と呼ぶとして――久宇隊の目を盗んでの行動となる。多少なりとも動きづらさを感じているなら、取るべき行動は大別して二つになるはずだ。監督役を介して切嗣らに接触して抗議し、速やかに久宇隊を撤収させるようにと警告するか、或いはアサシンを使い久宇隊の情報網を撹乱させようとするかだ。

 久宇隊の集める情報にノイズが走れば、アサシンかキャスターがいると自白するようなもの。このノイズの走り方で判別は容易だ。久宇隊に欠員が出ればアサシン、欠員がないのに誤情報が出れば暗示を使用したキャスターである。そしてこちらの動向を見極めようとして無反応だったら、こちらが警戒するには及ばない状況だと断定できる。どう転んでも、切嗣達の不利にはならない。

 

「戦争の基本だな。相手の嫌がることを徹底して行ない、盤面の主導権(ボードアドバンテージ)を常に握り続ける。……だが解せないな。もともと計画に入れていたとはいえ、僕の存在を誇示するのはもう少し後にする予定だっただろう。なぜこんな所で僕を怒らせた?」

 

 イリヤのことで揶揄されても、昔の切嗣なら完璧に無視できていたはず。やはり暗殺者として衰えているなと改めて自覚するも、セイバーの意図が読めずに問い掛けた。

 するとセイバーは微笑む。稚気の滲んだ目をしていた。

 

『大した理由はないよ。僕はモルガン仕込みの風の魔術で、周囲の索敵が出来る。人じゃない何かがいて――()()()()()()()()()と感じた。だから前倒しにしてもいい予定を消化しただけさ』

「――なるほど。周りに潜んでいる舞弥からの警告がなく、僕が何も感じられない中でお前が察知しているなら、既にアサシンが僕達を捕捉しているということか。だがそうだというなら一言入れればいいだろう。何も僕を怒らせることはないんじゃないか?」

『そうだね。そこは正直、無愛想なマスターを(からか)っただけさ。無表情で無愛想な男と一緒に居ても退屈だろう? 戦時とはいえ常に肩肘を張っていたんじゃ心が保たないからね、気分転換に付き合ってもらったわけだ。感謝するよマスター、気分よく話せて満足している』

 

 そうか、と思う。やはりこのサーヴァントはふざけた奴だ。――切嗣は無言でセイバーを殴りつけたくなるも、簡単に受け止められて終わるだけで不毛だと自分に言い聞かせる。

 ともあれ遠坂と間桐のサーヴァントのクラスを特定できればいい。言峰綺礼はアサシンで間違いないだろうと切嗣も思ったが、それは遠坂の動向を注視していれば自ずと明らかになるだろう。

 故にアドバンテージを活かして、切嗣達が取るべき初動は決まっている。後はタイミングだけだがそれは何時頃になるのか。そう思案しながら城に向かった。

 

 切嗣達の初動。それは――()()()()()()()()()()だ。

 

 アインツベルンの本拠で行なった作戦会議で、対魔力を有するセイバーの敵ではないだろうしキャスターは後回しにするべきだという意見は出ていたが、セイバーがキャスターは最初に脱落させておくべきだと主張していた。

 時間をかけるほどキャスターは手強くなる。それに魔術は千差万別だ。尋常の魔術ならセイバーに効果はないが、幻術などの使い手が召喚された場合、セイバーと切嗣が分断され危機に陥る可能性は高いというのだ。切嗣もまた別角度の視点からセイバーの意見に同意し、採用した故にキャスターの早期撃破は決定事項となっていた。

 

 故に()()は、ある意味で想定外であり、同時に都合のいい展開だった。

 

『――切嗣。α1(アルファ・ワン)から報告が』

 

 切嗣の右耳に嵌められているイヤホンに女の声が届く。

 無線機だ。久宇舞弥からの予定にない報告を聞いて、彼は眉を顰めつつ小声で応答する。

 

「どうした?」

『住宅街で英霊召喚によるものと思われる強大な魔力反応を察知。αチームが調査を行なったところ、住宅内で惨殺死体を発見。急ぎ周囲を探索し、サーヴァントとマスターと思われる男を発見したとのこと』

「――なんだと?」

 

 青天の霹靂だ。切嗣は詳細な報告を求め、顔を険しくさせていく。何事かとセイバーが様子をうかがってくるのに、彼は湧き起こる義憤と嫌悪を押し殺し淡々と告げた。

 

『何があったんだい、マスター?』

「αチームのお手柄だ。敵サーヴァントを発見したらしい。敵はキャスターと思われる。今はまだ捕捉して追跡しているが、いつ気づかれて撒かれるかは分からない。セイバー――」

 

 切嗣は言った。

 

「今すぐに急行し、キャスターとそのマスターを始末するぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やめて!アインツベルンの人海戦術で、冬木の至る所に情報網を敷かれたら、偶然聖杯戦争に巻き込まれた一般枠がサーチアンドデストロイされちゃう!お願い、死なないで龍之介!あんたが今ここで倒れたら、青髭の旦那やロ凛とのドラマはどうなっちゃうの?ライフはまだ残ってる、ここを耐えれば最高に超COOL!なんだから!

次回「龍之介死す」。デュエルスタンバイ!


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全メインキャスト登場前日のお話





 

 

 

 

 

 ――キャスターのサーヴァント。真名をジル・ド・レェ。

 

 かつて一国の元帥であり、貴族としての義務に真摯で、また軍人としても優秀な将帥だった。

 だが彼は外道に堕ちた。高潔な軍人だった彼が堕落した原因は、敬愛した聖女の死にある。

 苦悩があった。絶望があった。怨嗟があった。

 しかし闘争の場に於いて、常にドラマチックな演出と共に過去が明かされるわけではない。

 彼は確かに優れた軍人であり、指揮官だったが、ジル・ド・レェ自身は魔術師の素養がなく、またその意識もなく、堕ちた聖なる怪物でしかない。具える単一の戦闘力は高く見積もっても名も無き騎士より優れている程度で、神話級の英雄の武技には遥かに及ばなかった。

 彼の敗因はそこにある。魔術師としての高い素養と技量、騎士としての隔絶した実力、そのいずれかでも具えていたのなら――彼は、()()()()()()()()()()()、海魔を多数召喚しての戦闘指揮で騎士王すらも苦戦させていたかもしれない。果てに騎士王の真名を知れたのならば、聖四文字の化身ではないかと囁かれる彼に妄執を向け、凄まじい執念と共に食らいつけた可能性はある。

 

 だが現実は無情だ。彼の聖杯戦争は、始まった直後に終焉を迎えた。

 

 

 

 

 

 ――いつも思うのだが、聖剣って使い辛い。

 

 聖剣とは関係なしに、騎士の王国の副王という立場があったせいで、戦場でも基本的に相応の振る舞いを心がけないといけなかったわけだが、それにしても聖剣は残念な部分が目立つ。

 騎士道に悖る行ないをしたら折れるってなに? 聖なる剣だろうがなんだろうが、剣は剣、兵器だろう。余計な縛りを担い手に負わせるのは聖剣ではなく魔剣の領分ではないだろうか。

 どんな死に方をしても死は死であるし、殺人は殺人だ。そこに貴賤はないとまでは言わないが、正々堂々殺したとしても結果として殺したことに変わりはないだろう。聖剣で多くの敵を斬り殺してきたのだから、血で塗れている事実は不変である。

 

 なら不意打ちぐらいさせてほしい。奇襲で後ろから刺させてほしい。どんな難敵にも正面から挑まないといけない辛さを理解しろ。ローマの剣帝とか後ろから刺したい気持ちで一杯だったんだ。

 

 ――しかしサーヴァントとなった今では、聖剣はともかく立場による縛りはない。

 よって普通に不意打ちする。

 

「カッ――!?」

 

 切嗣の発砲に合わせ、背後から忍び寄ったセイバーは、()()()風王結界を纏って手刀を巨漢の背中に突き刺した。

 一撃でサーヴァントの心臓――霊核を破壊する。掴み取った心臓を有無を言わさず握り潰した。聖剣で刺せたらいいのだが、聖剣は正々堂々とした騎士として振るわないと折れてしまう可能性があるので、わざわざ己の肉体で殺めたのである。セイバーは敵サーヴァントが完全に消滅するのを見届けて、そのマスターを頭部一射(ヘッドショット)で即死させた切嗣に振り返る。

 

「楽な敵だったね、マスター」

「ああ。……だが、意外だな」

「何がだい?」

 

 白い女――魔術界で錬金術の大家と謳われる、アインツベルンのホムンクルスだ。人間を凌駕している性能を有する女は、敵マスターの遺体を軽々と運び出していく。それを一瞥した切嗣が珍しく声を掛けてくるのに、セイバーは一度霊体化して返り血を落とし聞き返した。

 

「お前は騎士王だろう。なのに躊躇なく敵を後ろから刺すだなんて、お前には騎士としての誇りって奴がないのか? それに、妙に気配を消すのが上手かったが……」

「騎士としての誇りなら勿論あるとも。最初はそんなもの持っていなかったけどね、長く騎士らしく振る舞っていたら自然と身についていた。だけど楽が出来るなら楽をするべきじゃないか? だって誇りに殉じて身を危険に晒すだなんてバカバカしいだろう。――ちなみにマスターは生前の私をどれぐらい知っている? ブリテンの十三の宝については?」

「概ね知っているが……」

 

 至極あっさりとした物言いに、切嗣は毒気を抜かれる思いだった。

 騎士だから不意打ち、奇襲に関していい顔をしないと決めつけていたのに、実際は有効な戦術だとすんなり認め、自身もそれに合わせる柔軟性を見せてきたのだ。

 当初は戦術面での連携に不安があったが、これなら不安に思う必要はなさそうである。案外、実戦に際しては切嗣との相性はかなりいいのではないだろうか。そのことを実感しつつ相槌を打つと、セイバーはなんでもないように種明かしをした。

 

「ブリテンの十三の宝には飛竜を召喚する角笛、モルガンの作った戦車、身体能力を上げる指輪とか他にも色々とあって大抵は宝具なんだけど、ほとんどはモルガンが制作したものとか、隠しておきたい娘の能力を誤魔化すのに用意した欺瞞だったりするんだ」

「………」

「その内の一つが『グウェン』。これは四隅に林檎の刺繍を入れている白いマントなんだけど、私が風の魔術で姿を消した時に、私自身にはそんな力がないと思わせるために作った欺瞞なんだ。騎士達を束ねる副王が、そんな卑劣な能力を有しているだなんて思われたら、風評的に少し瑕疵がつきそうだったからね……つまり『グウェン』がなくても私は姿を消せる」

 

 聖剣を風王結界で隠しているのと同じ原理だ。風の断層で光を屈折させ姿を消す、つまらない小細工だろうなどと嘯くセイバーに切嗣は呆れた。

 何が小細工だ。セイバーほどの怪物が、姿と気配を消して忍び寄ってくるなど悪夢である。今回は聖剣ではなく素手で攻撃していたが、生前は聖剣以外の強力な武器で奇襲していたのだろう。

 思えばアーサー王の逸話には、当時の騎士らしく単独での遍歴も含まれる。その際におよそ騎士らしからぬ行いに手を染めたものもあった。それは、シビアな価値観で以て行われたのだろう。

 

 ともあれ、これでキャスターとそのマスターは脱落した。

 

 犠牲にする必要のない無関係な一般人を惨殺する、不愉快極まる手合いのようだったが、具体的な被害を目の当たりにする前に始末できたのは幸運かもしれない。この手の破綻者は何を仕出かすか読めない不確定要素だったため、早期に排除に動いて正解だっただろう。

 切嗣はかつての自分なら無視していただろう、無関係な一般人の犠牲を避けた自身の判断の甘さを自覚する間もなく、セイバーの醸し出す安心感に呑まれてしまいそうなのを自戒していた。

 鮮やかな手並みだ。アサシンクラスのサーヴァントだと言われても通じる手腕である。これで指揮官としても騎士としても伝説級だというのだから、実に恐ろしいサーヴァントだ。

 加えて言うと風の魔術まで一流である。当たり前のように纏うそのカリスマ性には、彼に全てを任せていれば大丈夫だと安堵させる力があったが、切嗣には彼に丸投げしてしまうつもりはない。

 

 これは自分の戦いだから、なんてロマンチシズムに酔っているのではない。今回は相手がよかったから簡単に始末できたが、他も同様に片付けられると楽観するのは底抜けの阿呆だろう。

 おそらくキャスターであろうあの巨漢は、自身の魔力や痕跡を隠そうともしない、まるで魔術に関する知見がないド素人のようだった。加えて呑気にどこかへ移動中であり、最低限の警戒はしているようだったが、なんらかの備えをしてもいなかった。

 時間さえあれば何か対策を講じていたかもしれないが、召喚された直後の襲撃に対応できていないのなら意味はない。結果としてキャスターは真価を発揮することなく、いとも容易く脱落してしまったわけである。召喚直後に一般人の一家を惨殺せず、すぐに隠れ潜もうとしていたら結果はまだ分からなかったかもしれないが、無駄な残忍さを抑えなかったのが命取りだった。

 

 久宇隊のホムンクルスが、キャスターのマスターの遺体と血痕を処理し、隠蔽を済ませている。切嗣たちが襲撃を掛ける前に、人払いの結界を張ってあったため一般人の目撃者もいないだろう。

 今はまだ監督役から突つかれるのは避けたい。神秘の秘匿は守る必要があった。

 

「まあいい。予定とは違うが、結果として最優先目標は排除した。一旦拠点に向かい、次の標的を絞るとしよう。――セイバー? どうかしたのか?」

「………いや」

 

 ふと切嗣がセイバーに視線を向けると、彼は秀麗な相貌を顰めていた。

 何か気になるものでもあったのだろうか。微細な違和感だろうと共有しておくべきだと思い声を掛けるも、セイバーの反応は芳しくない。

 

「なにか、嫌な予感がすると思ってね……言語化が難しいから、違和感がもう少しはっきりしたら共有するよ」

「……? 分かった」

 

 彼はサーヴァントである。故に聖杯から現代の知識を、全てではないにせよ魔術界の常識を含めて授けられていた。故に魔術師やサーヴァント同士の戦いは秘匿されるべきだと弁えている。

 加えて幼少期はマーリン、少年期から晩年までモルガンを魔術の師として蓄えた知識もあった。本物の聖杯についても詳しく、冬木の聖杯がどういうものかもおおよそ察しがついている。

 廉価版の物や魔力リソースとしての聖杯を、妻であるモルガンは自作できると言っていたのも覚えていた。だからセイバーは強烈な負の予感を覚えていたのだ。

 今のキャスターのマスターは、切嗣の情報にはない。魔術師にも見えなかった。なら順当に考えて数合わせの一般人、巻き込まれた存在だろう。つまりは()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……あんな快楽殺人者が、無色の魔力リソースであるはずの聖杯に選ばれ、令呪を与えられるものなのか? しかも喚び出したのが、一般人の一家を惨殺するような反英霊だっただと?

 

 何か、おかしい。たった一つの違和感を拾うだけで、セイバーの鋭すぎる直感が警報を発した。今はまだ漠然とした不安が胸中に過ぎるのみだったが、この違和感は忘れないでおこうと思う。

 セイバーは切嗣と共に冬山にあるアインツベルン城に向かう。辺りを陰ながら警護する、久宇舞弥や名も無きホムンクルス達の気配を感じながら、剣の英霊は密かに疑念を強めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――夜。切嗣達がアインツベルン城に到着したのを見計らったかのように、聖堂教会から遣いの者が訪れてきた。

 

 事実見計らっていたのだろう。彼らも久宇隊の蠢動は察知している証拠だ。

 実際彼らの用向きは単純だった。聖杯戦争のルールとして、マスターとサーヴァント以外が盤面にいるのは認められない。故に即刻ホムンクルス達を撤収させろと警告しに来たのだ。もしもこの警告を聞かなかったら罰則を与えるのも辞さないと使者は言う。

 これに対し切嗣は鼻で笑った。冗談も大概にしろ、と。

 監督役の存在意義はなんだ? 参加者が神秘を漏洩しないかを見張り、聖杯戦争の痕跡を隠すためだろう。履き違えているのはお前たちだ。セイバーは強力な宝具を有している、宝具を使用する際に周辺へ被害を出さないように、できる限りの対処をするために用意した人員でしかない。それの何が悪い? お前たちの仕事を楽にしてやっているんだ、むしろ感謝してほしいぐらいだ。

 

 そう言って使者の言葉を一蹴する。その上で、中立的な立場から逸脱した措置を取られた場合、こちらもそれに対する報復を行う用意があると分かりやすく恫喝もした。

 切嗣の言い分は一貫している。使者は舌打ちし引き下がっていったが――

 

「セイバー、お前はどう見る?」

「たぶんマスターと同意見だ。こちらのスタンスを探りに来ただけなのか、あるいは……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とアピールしたかったか、だな」

 

 要するに茶番だ。言峰と遠坂の繋がりは、少し調べたら分かる程度の情報だが、表沙汰にはなっていないのである。見え見えでも証拠がないのだから、建前を用意されたら追求できない。

 警告をして、何某かの因縁をつけて、何かあれば難癖をつけ大義名分を振り翳し、監督役が遠坂に肩入れするための下準備をしている――といったところだろう。小賢しいが、堅実でいい手だ。

 

『切嗣。遠坂邸で動きがありました』

 

 ほぼ同時刻のことだ、舞弥からの報告が入った。

 遠坂邸にアサシンが侵入し、金色のサーヴァントに撃滅されたらしい。

 その際に見た金色のサーヴァントの攻撃方法も併せて詳細に知らされる。

 

「マスターはどう思う?」

「欺瞞だな。こんな序盤も序盤でアサシンを脱落させる馬鹿はいない。問題はどうやってアサシンの脱落を演出したかだが……舞弥、アサシンは確かに消滅したのか?」

『はい。βチームの魔術に長けた者から、アサシンが確実に消滅するのを見たと。令呪により退避させられた様子もありません。()()()()()()()()()()()()()()()()()と仰っています。そして直後にアサシンのマスターは教会に保護されました』

「……セイバー、監視している班からはアサシンは、確実に消滅したようにしか見えないらしい。そのマスターも教会に駆け込んだそうだ」

 

 無線機にはイヤホンが挿されており、セイバーに舞弥の声は聞こえない。

 故に彼は疑うことなく首肯する。

 

「マスターの言う通り、アサシンはまだ使い途がある。トオサカがコトミネと反目し敵対したとは考え辛い。なら普通に欺瞞だろう。問題は令呪で転移させられていないというところだけど、答えは一つしかないね。アサシンの宝具には死を偽装する力があると見ていい」

「宝具の詳細は流石にまだ分からないな……」

「強いて言うなら『幻術』タイプが有力だけど、決めつけはよくないね。まだアサシンは脱落していないとだけ覚えておけばいいか」

「そうだな。遠坂邸での一件で、他の陣営は動くと思うか?」

「動くだろう。中には私達のように、アサシンの消滅が不自然だと勘付く者もいるだろうけど、いつまでも穴熊を決め込んでいるとは考え辛い。胡散臭さは感じていても動く陣営は出てくる。でもアサシンの影がチラつくのも面白くないね。なんなら教会を襲撃してアサシンのマスターを始末するかい?」

 

 平然とした顔で物騒なことを言うセイバーに、切嗣は普通に一考の余地はあるなと思った。

 なにせアサシンのマスターは、切嗣が最も危険だと見做している男だ。あの男を野放しにしているぐらいなら、多少のデメリットは無視してでも排除しておきたくはある。

 だが。

 

「……流石にそれは早計だな。最終局面に入った後なら悪くないが、今はまだ手出ししたくはない。そんな真似をしたら教会は報酬をぶら下げて、僕達を始末するように他陣営を唆しかねない」

「最終局面に入ったらやる、と。オーケーだ、だけど舞台裏をうろちょろするのはヒサウ隊だけでいい、アサシンの姿を捕捉して証拠を握るように指示を出しておいてくれ。ヒサウ隊が目を光らせていたらアサシンも動き辛いだろう。もし運良く見つけられたら、大義はこちらのものだ。教会を襲撃し有無を言わさず敵マスターのコトミネを始末しよう」

「言われなくても指示は出している。だが期待はするな、アサシンを見つけられる可能性は低い。やる気があるのは結構だが、あんまり逸ってしくじってくれるなよ」

「安心してくれ、私にやる気はないさ。面倒な仕事は手早く済ませる主義なだけだよ」

 

 やる気がないと堂々と宣うサーヴァントにマスターは嘆息した。

 

 キレ者だし卑劣な奇襲も躊躇わない上に最優のサーヴァントだが、どうにも()()()()()()。まるで長年の相棒のように呼吸が合うのだ。それは、切嗣とセイバーの相性がいいというより、セイバーの方が切嗣に足並みを合わせてくれているのだろう。コミュニケーション能力が高すぎる……文句はないが、自分とは正反対の人間性に羨望の念が湧きそうだ。

 子供を矢鱈と自慢してくる性格の悪さを除き、能力だけを見たら、信頼してやってもいいかもしれない。――英雄という存在を憎んでいた切嗣は、自然とそう思いかけていた自分に気づき、なんとも言えない気分の悪さを覚えた。

 意地でもビジネスライクな態度を貫こうと、子供じみたことを思ってしまう。

 

「明日から動きがある。明日の内に最低一つは駒を落としておきたいね」

 

 セイバーはそう予想して希望を口に出しつつ、切嗣の様子を密かに観察していた。

 本体の年齢が1500歳近い故に、大の大人を見ても子供っぽいなと微笑ましい気持ちを懐きやすい。そんな感傷を心の隅に追いやりつつ、セイバーは内心で嘆息した。

 

(……どうも、僕に隠し事をしてるっぽいな……マスターは)

 

 全て事情を話せって言ったはずなんだけどな、と心の中で呟く。

 彼は些細な予兆も逃さず察知しているのだ。

 

 ここは切嗣の拠点だ。侵入者対策はセイバーの目から見ても万全である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それだけでセイバーは、切嗣が隠し事をしていると気づいていた。

 

 まあ気にしないでおこう、親しくはないけど、どんな仲でも礼儀ありだ。

 セイバーはそう思って詮索するのはやめていた。

 

 ――まさかその隠し事が、国外の本拠にいるはずのアイリスフィールが冬木入りしており。

 そしてアイリスフィールこそが聖杯であることだとは、さしもの騎士王も全く予想していなかった。

 

 愛する妻を生贄に捧げてまで理想を遂げようとしているとは、切嗣と接していて想像もつかなかったからだ。

 

 夜が更けていく。翌日、セイバーと切嗣は、堂々と新都を散策して回ることを決定した。

 次なる獲物を選定するために。

 

 

 

 

 

 

 

 




風王結界。刀身隠してるのはエフェクトで分かりやすいけど、実際は風のエフェクトもないので完全に視認不可。ならそれを全身にやれば?
プーサーもアルトリアも、できても絶対やらないことを普通にやるアーサーである。まあ一流の魔術師・戦士系サーヴァントには通用しない可能性が大なんだけども……その理由は今後作中で。

定時で帰りたい系サーヴァント。残業しないために合理性最優先でゴリゴリのパワープレイを展開し戦争を押し進めていく。


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メインキャスト、ランサーと対峙するお話

 

 

 

 

 

 適当に街中を散策する。

 当てはあると言えばあるし、ないと言えばない。

 だがそれでいいのだ。切嗣は軍の総司令官、一国の王に見立てられる。そんな立場の人間があくせく働くのは合理的ではないし、盤上の整理は無数の手駒にやらせ、盤面を整えて動くべきだろう。運用できる駒を用立てられるなら、積極的に投入するべきだ。

 よって切嗣とセイバーが不用意に姿を晒すのは得策ではない。敵陣営の動向を調査している久宇隊の報告を待ち、好機が到来していると判断を下せた時にはじめて動くのが上策。――であるのになぜ彼らは人目に触れるところを、日中から歩き回っているのか?

 

「……どうだ?」

「今はまだ何も感じないね。流石に日が高い内から動く馬鹿はいないらしい」

 

 答えは、ちょっとした調査をしているからだ。

 久宇隊だけでは暴けない、他陣営が取っているスタンスの傾向を見ているのである。

 真っ昼間から仕掛けてくる阿呆がいるならよし。好戦的だから簡単に誘引できるだろう。有利な状況を整えた場に誘い出し、撃破に持ち込みやすい相手だと判別できる。

 夕方から夜で人気がなくなりはじめた頃なら、好戦的ではあっても多少は常識がある。通常のスタンスで応じて作戦に嵌めるだけでいい。その場で無理して仕留めようとする必要はないので、結構な強敵だと判定すればその場は退き奇襲の段取りを組もう。

 

 ただそれだけ。簡潔で単純な行動に深い理由はなかった。

 

 街中を散策するにあたって、多少でも目立つためにセイバーは実体化している。目立ちたくはあるが悪目立ちはしたくないので、セイバーは現代風の衣装に袖を通していた。

 切嗣が着ているようなスーツや外套を纏っているが、絵に描いたような王子様然としているセイバーは、それはもう目立っている。ただ歩いているだけだというのに、女性達の黄色い声がそこかしこから浴びせられている状況だ。これだけ目立っているのに見つけられない無能は流石にいないと信じたい。

 

「夜中まで何もなかったら、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 こうした状況に慣れきっているセイバーは全くの自然体で、まるでセイバーのSPか何かにしか見えない風体の、サングラスを掛けた切嗣に訊ねた。

 ――住宅街にある『マッケンジー宅』に、マスターらしき少年が潜伏しているのを久宇隊は発見していた。場合によってはこちらから奇襲を仕掛けるのは容易だろう。

 件の少年は人気のないところでサーヴァントを召喚していたらしいが、久宇隊が高魔力反応を察知し駆けつけた時には既に姿はなく、手当たり次第に周囲を調べ拠点を突き止めたのである。

 

()()()()。そのマスターとサーヴァントは、キャスター陣営ほど無警戒じゃないだろう。最低でもサーヴァントの能力をある程度把握してから仕掛けるべきだ。奇襲を掛けるのはいいが、手痛いしっぺ返しを食らうのは御免だからな」

「それもそうか。トオサカが三騎士、コトミネがアサシン。そして昨夜始末したのがキャスターとなれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()点を鑑みて、あそこにいるのはバーサーカーではないと断定できる。となると残りの三騎士かライダーだね。逆撃を食らうのはほぼ確実か……マトウがどのクラスを召喚しているかで、残りのサーヴァントのクラスも割れる」

 

 今はまだ見逃しておくのがベターか、とセイバーは色のない声で呟く。

 マッケンジー宅に侵入しているマスターが、バーサーカーを召喚して完全に制御している可能性もあるにはあるが、その可能性は限りなく低いというのが切嗣達の見立てだった。

 なぜならバーサーカーの制御は困難である。たとえ完璧に抑える自信があったとしても、暴走の危険性は常に付き纏う。住宅街で万が一暴走を起こしたらすぐに居場所が露見するのだ。魔術師のくせして一般人の家宅に紛れ込むような()()()()()()()()が、そんなリスクを抱え込むとは考え辛い。よってあそこにいるのはバーサーカーのサーヴァントではないと断定できる。

 それにセイバー陣営が全ての敵を倒す必要はない。他陣営同士で潰し合ってくれるだろうし、変に気負って狂犬の如く牙を剥く必要はなかった。とはいえ今後一度でも交戦し、厄介だと判断したら奇襲で一気に討ち取るのも考慮している。その場合はセイバーが正面から訪問して、サーヴァントを引きつけている間に切嗣が敵マスターを狙撃して始末をつける算段を立てていた。

 

「――マスター。早速おでましだよ」

 

 日が暮れるまで散策したが、それまではなんの動きもなかった。

 切嗣がバーガーを注文し、随伴に与ったセイバーが余りの雑さに顔を顰めたり、レストランで注文した食事にケチをつけ出して『バーヴァンシーのご飯が食べたい』と涙ぐんだ場面もあったが、平和な時間など瞬く間に過ぎ去るものだ。セイバーの台詞を聞いた切嗣の意識が、銃のトリガーに指を這わせた時のような冷酷なものとなる。

 

「誘いか?」

「そのようだ。あからさまに気配を出して、人気のない方向に向かっている」

「方角は……あっちか。あそこはコンテナヤードのある区画だな」

 

 まさか現代の食事で満足できないだなんて、舌が肥えたものだね――なんて余所事に思いを馳せながらも、セイバーは切嗣に意思を問う。

 

「どうする? 誘いに乗るかい?」

「……あの誘いに乗ったところで、アサシンや他陣営に見られるだけだ。無駄にこちらの情報を曝け出す必要はない……だがセイバー、お前はどのサーヴァントが誘っていると思う?」

「消去法で御三家のマトウ、もしくは時計塔から来ているケイネス・エルメロイ・アーチボルトだ。後者なら手札を確認するという意味で、誘いに乗るのもありかなとは思うね」

 

 遠坂時臣は考慮に値しない。黄金のサーヴァントを使い、アサシンを偽装脱落させた今、ひとまずは静観の構えに移っていると見て間違いないからだ。

 残るのはマッケンジー宅に潜む少年マスター、マトウ、外来のマスターの三人。しかし少年マスターに動きがあれば久宇隊に捕捉される。故に自動的に除外された。

 

「間桐の妖怪は狡猾だ、堂々と表舞台に立つことはない。仮にあるとしても、少なくともこんな序盤では有り得ないだろう。敵を挑発するように誘い出そうとしている点から好戦性が見える、十中八九ケイネスだと見ていいはずだ。他の陣営に動きはないことだしな」

「なるほど。それじゃ、私の意見は誘いに乗るの一択だ。第三者に覗かれても私は困らない。何せ私の弱点は神殺しや竜殺しぐらいだし、そんなピンポイントな宝具の持ち主がいる可能性は低いだろう。仮にいても、素直に食らうほど間抜けではないつもりだ。最悪真名が露見しても痛くない――騎士王の威名に敵マスターが恐れをなしてくれるなら好都合だ」

 

 自身の知名度の高さを自覚して、それすらも利用しようという態度からは一旦目を背ける。

 切嗣は慎重に、しかし素早く計算した。

 幾らセイバーに目立った弱点がなくとも、無意味に真名を晒す愚かな真似はするべきではない。

 伏せておけるなら伏せる。最後までだ。

 だがセイバーの宝具はあまりにも有名である。一度でも開帳すればセイバーの真名を喧伝するようなもの。いずれどこかのタイミングで露見する可能性は高い。となると誘いに乗らず、人目に触れない別の機会で戦闘を行ないたいところだが……。

 

 ――しかし()()()手札を晒さないなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「いいだろう。セイバー、誘いに乗るぞ」

「ん……意外だね。私は乗り気だったけど、君が賛同するとは思わなかった」

「隠れ潜んでいるしか能がないわけじゃない。()()()()()()()()も経験している」

「オーケー。つまり今回は()()()、あわよくば仕留めるが無理はしない姿勢で行くべきだね」

「ああ。契約通り、戦場での判断は一任する。退き時は見誤るなよ」

「誰に言ってるんだか」

 

 苦笑して、セイバーは悠然とした足取りでサーヴァントの気配を追った。

 衛宮切嗣は暗殺者である。本来、サーヴァント同士が対決するような危険地帯に出向くような男ではない。だが既に契約が交わされている以上、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 こそこそと隠れ潜み、死角から銃撃するだけが『魔術師殺し』の真髄ではないのだ。むしろ積極的に姿を晒し、相手の狙いを絞らせる心理の駆け引きもまた、切嗣の得意とするものなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に日が沈み、聖杯戦争二日目の夜が訪れる。

 

 冷たい夜の風が地を這い、コンテナヤードに落ちる砂利を浚った。

 

「――よくぞ来た。一日中練り歩いたが、オレの誘いに乗った勇者はお前達だけだ」

 

 短槍と長槍、二本の槍を携えた目も眩む美男。肌に密着するスーツは濃緑の色、髪は黒。肌は白く目元に泣きぼくろがあった。そんな得物で自己紹介しているに等しい英霊が待ち構える場に、正面から正々堂々と踏み込んだ切嗣とセイバーに、ランサーは称賛を口にする。

 セイバーはジッと槍兵の顔を見る。次いで双槍と、出で立ちを確認した。

 その上で彼は小声で傍らのマスターに言う。

 

「彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。双剣を持っていないなら、対軍・対城宝具の類いはない。対人に特化しているタイプだね」

「――確証はあるのか?」

「忘れたのかい? 教科書に載ってると思うんだけど――()()()()()()()()()()()()()()()()()。当初は根強い反発もあって、娘達の代に面倒事を残してしまったけど……統治するにあたり、文化やら伝承やらはほとんど調べ尽くしている。乙女を惑わす泣きぼくろ、二本の魔槍、姿、美貌――あれだけの要素が並んでいたら、ちょっと観察すればすぐに分かるさ」

 

 すんなり真名を看破したセイバーに驚きつつ、切嗣は頷いて一歩下がった。今の小声での遣り取りが、セイバーがマスターに下がるように求めた、というふうに見せかけるためだ。

 切嗣はランサーの正体を、セイバーが看破した所以に納得する。

 確かにセイバーはアイルランドを征服した。その際に口伝でしか伝わっていなかったケルト神話の詳細を文字として記録するようにと、後継者のアルトリアに言い遺したという。

 そうしなくてはならない理由は、ケルトにおける法律家にして神官であるドルイドの権威を失墜させるためだ。ケルトは文字で記録を残さない。伝承や契約、掟などを口伝で後世に伝えることで、それらを知悉するドルイドの社会的身分を守り高めていたのだ。

 グレートブリテン統一王国にとって、そんな輩は邪魔でしかない。ドルイドの影響力を完全に排除するためには、彼らの持つ知識の全てを集め、時には無理矢理に吐き出させながら、文字として記録することで全ての権威を剥奪する必要がある。そうした計画をアーサー王が率先して行ない、アルトリア女王が引き継いで完遂したことでドルイドは滅びた。

 

 その過程でセイバーはケルト神話についての全貌を知り尽くしている。であれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ケルトの英雄は、神話体系として捉えるとセイバーよりも霊格が劣るように位置づけられる。正体の割れている相手は脅威ではない。切嗣はそう結論づけると、ランサーのマスターがどこにいるのかを探った。

 

「――勇者、か」

 

 ランサーのマスターは目視できない。それを確認してマスターを下がらせ、前に出たセイバーが苦笑しながら呟く。その様子をランサーが訝しむと、彼は溢れ出る威厳を醸しつつ皮肉を投げる。

 騎士王のカリスマ性は、騎士の属性を持つ存在には覿面の効果があるのだ。ついランサーはその威風にあてられ、耳を傾けてしまった。

 

「私のマスターを讃えてくれるのは有り難いが、あんまり素直なのも考えものだな、ランサー」

「なに……?」

「私のマスターは姿を現している。翻って見るに貴公のマスターはどうした?貴公の物言いだと、まるで自分のマスターは勇者ではないと言っているように聞こえてしまう」

「む……そんなことは、ない」

「ああ、気分を害したか? すまないな。だが卑下することはない。私のマスターは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()故に、仮に貴公が我がマスターを狙ったところで引き下がりはしないだろう」

 

 モルガンに鍛えられた舌鋒は、言葉で相手を突き刺すも、浅く突く(つつく)も自由自在だ。おまけに参考にしているのは天下無双の論客であるケイで、何度もディベート対決を行ない言い負かされ続けてきた。その経験がある今、そんじょそこらの相手に負けることはない。

 口撃はもはや、王にとっては挨拶代わりだ。現代のサラリーマンが対面時に名刺を渡すのと同じである。口論の弱い王ならお飾りに徹して黙っているしかなくなる。セイバーは副王だが、妻が不在の時は王として振る舞うために、そうした心得も身に着けていた。

 果たしてランサーは何も言い返してこない。根っからの騎士で武辺者だからだろう。ケイならどんなに不利でも、なんなら負けた後でもいつの間にか引き分けまで持ち込んでくるが、そんな真似が誰にでも出来るわけではない。こうして待ち構えていたのに、まんまと機先を制されて場の空気(主導権)を奪い取ったセイバーは、風王結界で覆い隠した聖剣を軽く振るった。

 

「言葉には気をつけることだ。主の名誉も、栄光も、部下の不用意な発言でケチがつくのは珍しいことではない。貴公も騎士であるならば、主の面子にも気を配ってやるといい」

「……そうだな。だが今のオレはサーヴァントだ。口舌によって齎される名誉に価値はない、この槍で勝利の栄光を主に捧げてみせよう」

「結構。では()()()()()()()()()、私は誰からの挑戦でも受けて立つぞ」

 

 誘い出し、待ち構えていたのはランサーなのに、あべこべにセイバーが挑戦を受けた側にする。

 ほとんど生前の習性だ。いつだって侵略戦争よりも、防衛戦や反撃の時の方が味方の士気が上がっていた故に、こうした形で『挑まれたのはこちら』という体裁を整えてしまうのだ。

 険しい顔でランサーが双槍を構える。セイバーも不可視の聖剣を構えた。

 そうしながら、さて――と彼は背後の切嗣を気に掛ける。

 ()()()()()ランサーをこの場で脱落させるつもりでいるが、それは切嗣も同じだろう。()()()()()ランサーのマスターを仕留めるつもりでいる。ならその糸口はどこにあるか。

 

 ――久宇隊が近くにいるランサーのマスターを探している。

 

 ホムンクルス達がランサーのマスターを、魔術や赤外線スコープなどで見つけ出すのが先か。

 あるいは切嗣が独力でランサーのマスター、ケイネスを引きずり出すか。

 邪魔が入る前に終わらせてしまおう。勝ち負けに拘らず、撤退も視野に入れつつ盤面を俯瞰した。

 

(マスターがケイネスとかいう奴を討ち取ってくれたら楽なんだけど……)

 

 対峙してみると、ランサーから伝承に語られる通りの手強さを感じる。

 セイバーは面倒臭さを覚え、内心溜息を溢していた。

 強敵との戦闘では心が踊る。鍛えた技を競い合い、打ち勝てた時は気持ちがいい。人間である以上はそうした本能も具えているが、これはスポーツ感覚で楽しめる模擬戦ではない。

 手を抜いて勝てる相手ではなさそうだが、積極的に勝ちにいくのも危険な相手だ。どうしたものかなと考えつつ、結論を出した。切嗣の言に倣い、()()()()()()()()()

 

 そのためにも、まずは騎士道精神に則り正々堂々と戦おう。

 

 セイバーは()()()()()()()()()()()()()()で、ランサーと対峙することにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一番悩ましいのは、よそ陣営視点。むつかしい……。
まあいいや。


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天敵の出現に苛つくお話

 

 

 

 

 

 英霊(サーヴァント)同士の戦闘は、間近にいる切嗣に視認すら許さなかった。

 

 腰を落としてどっしりと構えたセイバーの周囲、四方八方から火花が散る。繚乱する鉄火の眩さで暗闇が追いやられ、逆巻く颶風が地に落ちる砂利を礫と化させ周囲を打撃する。

 セイバーが動かす剣はおろか、それを握る腕の動きも目で追えない。恐るべき技量だ、竜巻の只中に在るにも拘らず傷一つすら負っていない。縦横無尽に振るわれる聖剣が、双槍の乱撃を悉く打ち落としていた。――姿すら見えない槍兵はまさに神速である。最速の座に招かれるに不足なし、超常の域の敏捷性は『フィン物語群』随一の名に恥じぬものだろう。

 最優たる剣の英霊は、時に身を反らし、不可視の剣を立て、踏み込んだかと思えば籠手で覆われた片腕を掲げて槍の片割れを叩き返し、堅牢な城壁の如き鉄壁を以て防御に徹していた。

 彼には槍兵の姿が目視できているのだろう――そして双槍という奇怪な槍術に目を慣らそうとしている。円卓にて最強の武技を誇る湖の騎士と、純粋な技量のみでも互角と謳われた騎士王の守りは堅い。その守りの城を容易に打ち破れはしないと悟ったのか、ランサーは距離を空けて足を止めた。

 

「流石はセイバー。賛辞を受け取れ、このオレの槍をこうも容易く打ち返せたのはお前だけだ」

「賛辞を受けよう。だが貴公も大したものだ、私の知る中で貴公に速さで並ぶ人間はいなかった」

 

 暗に人間以外ならいたと言っているようなものだが、槍兵は気にしていないらしい。確かに人外の怪物などの中には、ランサーを速さで上回るモノもいるだろうと思っただけである。

 だがここで彼が比較に出したのは、ランサーより十倍以上も速い境界の竜であり、比較の獣である。双方を単身で撃破しているセイバーを速度だけで圧倒するのは不可能だ。尤もランサーには獣と竜にはない隔絶した武があるのだが――セイバーの基準には、どれだけ修練を重ねてもついぞ互角のままだった湖の騎士がいる。技で圧したければ魔法の域に達していないと難しいだろう。

 

 ランサーは思案する。実際に武器を交えた手応えで、彼は実感していた。単純な正面戦闘で、武芸の技量は自身が劣っていると。口惜しくはあるが、喜悦もある。この強敵をどうやって上回ろうかと知恵を絞る感覚は、久しく彼が感じていなかった戦闘の愉悦だ。

 打ち返してくる剣の豪撃は、まともに受けたら腕が痺れていく。膂力が己より三倍近い。技量と力で劣ってしまっているのなら、唯一明白に上回っている機動力と速度を使う他になかった。だがそれでは足りない。セイバーは明らかに自分の姿を目で追えていたのだ。

 

「主よ! 宝具の開帳をお許しください!」

 

 ランサーが虚空に向けて求める。彼の魔槍は二本とも魔力殺しで封じ込められていた。

 宝具を容易に使うなというマスターの意向だ。だが宝具を抜きにして勝てる相手ではない。

 己の槍術に対応され始めては手に負えなくなる可能性がある。

 故に、なるべく早く状況を有利なものへと運ばなければならなかった。

 

 そのランサーの訴えに、どこからか返答があった。

 

『……いいだろう。宝具の開帳を許す。セイバーは強敵だ、確実に倒せ』

「感謝します、我が主よ。――そういうわけだ、ここからは殺りに行かせてもらうぞ」

「来い。できるものなら見事この私を討ち取ってみせるといい」

 

 ランサーが、短槍を捨てた。長槍を両手で握り、魔力殺しの封を解く。

 通常、サーヴァントは宝具を一つしか持たない、その通説を利用しての詐術だ。だがセイバーにはなんの意味もないことに、槍兵はまだ気がついてはいなかった。

 ランサーの真名を見抜いている上に、そもそもセイバー自身が宝具を三つ所持しているのだ。自分が三つも有しているのに、他のサーヴァントは一つしかないと判断する猪ではないのである。

 だが親切にそれを教えてやる義理はない。セイバーはそろそろだなと、徐々に機が満ちていくのを実感していた。ランサーは露わになった赤槍を両手で扱き、不敵に笑うと騎士王は肩を竦める。

 

 ――ランサーのマスターに、今の剣戟が見えたとは思いづらい。なら僕のステータスを見て判断したと考えるべきだろう。ランサーのマスターはやっぱり近くにいる。

 

 ちらりと切嗣を一瞥する。彼は首を左右に小さく振った。――この時点で切嗣は、久宇隊からの報告を受けてケイネスの位置を掴んでいる。後はどうやってケイネスを誘き出すかだ。

 久宇舞弥やホムンクルス達は使えない。アサシンは余程慎重なのかどこにも姿を現していない。他陣営の目もある。ここで予備戦力を使っては後々不利になるだろう。よって切嗣が自力でケイネスを誘い出して、戦闘を行う必要があるわけだが……。そちらを気にするほど余裕はない。切嗣なら上手くやるだろうと判断し、セイバーは目の前に集中した。

 

 ランサーは、強い。倒されることはないが、逆に倒そうと向かって行っても脚の差で逃げられるだろう。故にまずは機動力を削ぐ。そのためにまずはランサーの策に掛かったフリをしてやろう。

 長槍のみで仕掛けてくるランサーと、聖剣で打ち合う。変幻自在の双槍術から転じ、正統派の槍術となった槍兵の意図を正確に見抜きつつも、赤槍と斬り結んだ聖剣の封が解れるのに驚いたフリをした。やはり魔力を絶つ魔術殺しの赤槍ゲイ・ジャルグだ。

 風王結界がほつれ、刀身が目視される。槍兵は野生的に犬歯を剥き嗤っていた。何度か打ち合い完全に得物を見られたと判断し跳び退くと、追撃せず赤槍で肩を叩きながらランサーが口を開く。

 

「確かに刃渡りを見て取った。これで見えない剣に惑わされることはない。だが……よもや名高き彼の聖剣の担い手と、こうして相見えられるとはな」

「……聖杯戦争の醍醐味とでも言ったところかな? しかし奇怪な槍だな。我が風の鞘を暴くとは……だがそれだけなら到底私には届かないぞ、ランサー」

「それはどうかな。試してみるか、騎士王!」

 

 おいおい、あんまり大声で呼ばないでくれるか、恥ずかしいだろう。あと、騎士王じゃなくて王騎士だ。――そんなことを内心呟く騎士王の心は、冷徹な竜そのものである。

 掛かった、と彼は確信したのだ。

 ただ多少の負傷は甘んじねばならない。たとえ一時的なものでも痛いのは嫌だなぁとは思うが、死ななきゃ安いという騎士道精神も具えてしまっている。難儀な職業だ……定年退職後までこうして駆り出されてしまう英霊は、ともすると可哀想な存在なのかもしれない。

 やっぱりアヴァロンに引き込もって正解だったなとセイバーは思う。――そんな余所事を考えられるほど、セイバーは余裕を持っていた。余裕を売ってしまえるほど余らせているのだ。

 

 そう。心の余裕を、である。

 

 彼は精神的にゆとりがあった。故に視野を広く持てている。ランサーが何を狙い、戦局をどう運ぼうとしているのかが手に取るように分かっていた。

 慎重に、しかし大胆に。セイバーは着実に()()へ入っている。切嗣も動き出した。槍兵との直線上に、常にセイバーを置きながら移動し始めたのだ。おそらく切嗣の動きはランサーのマスターにも見えているだろう。何をするつもりだと警戒しているはず。

 タイミングを合わせてやりたくはあるが、あまり欲張りすぎてはいけない。謙虚に、丁寧に、そして慎ましく。時に強引にされるのを好むのが勝利の女神というものだが、セイバーは勝利の女神を口説き落とすのは得意中の得意だ。今の勝利の女神(カノジョ)はこう望んでいる――初夜の時のように優しく、紳士的に、けれど野獣のように奪って欲しい、と。

 お望みのままに。

 セイバーはゆったりとランサーに歩み寄り、かと思えば渾身の力で豪剣を振るう。当然のように迎撃したランサーが後退(あとずさ)った。セイバーの膂力に圧されたのだが、見透かしているセイバーの目にはわざとらしく映った。俳優は無理そうだねと彼は思う。

 

 確かに全力のセイバーの筋力は、日輪の加護を得ている状態のガウェインに次ぐ。しかしランサーほどの騎士が真っ向からの剣撃を捌けないわけがない。

 再びランサーに切り掛かり、その体を吹き飛ばした。――ここまでで、ランサーはセイバーを誤解しているだろう。正面切っての対決を行い、更には聖剣を()()()暴いて剣士の真名を知った。騎士王ならこの戦いぶりにも納得だと思っているのが明らかである。

 やがてランサーの狙い通りに、そしてセイバーの思惑通りに、先程ランサーが捨てた短槍の位置まで移動した。セイバーの圧力に圧倒されたふうに後退った彼が、微かに体勢を崩す――もう少し上手く演技してくれよと嘆息しながら隙ありとばかりにセイバーは突貫した。

 

 聖剣の切っ先を背後に向け、風王結界を解き放ってジェット噴射し、砲弾の如くランサーに突撃したのだ。ランサーは掛かった! と思ったのだろう。足元の短槍を蹴り上げ、掴み取ると魔力殺しの封を解き、その穂先をセイバーに向けていく。

 だがセイバーは風王結界の風圧で翔びながらも、後ろ手に構えて起点にしている聖剣は()()()握っていた。鍛え上げた肉体を、膨大な魔力で強化している彼の怪力がそれを可能にしている。

 交錯の瞬間。槍兵は目を見開き、剣士は冷淡に狙いを絞った。

 呪いの黄槍を躱し様、空中で身を捻ったセイバーが空けていた右腕を引き絞り、剛拳を振り抜いたのである。端正な美貌のド真ん中を打ち抜かれ、槍兵の体が吹き飛んだ。

 

 何度も地面をバウンドし、コンテナの山に埋もれ、轟音とともに彼の姿が見えなくなる。

 

「――後は仕上げだ」

 

 渾身の一撃をまともに叩き込んだ。これで脚を奪ったも同然。霊体化してコンテナの山から抜け出したランサーだったが、再び実体化した彼の脚は哀れにも震えていた。

 効いている。即死しかねない豪打だったのだ、まだ生きて意識を保てているだけ立派だろう。

 

「ぐ、ぅ……!」

「……いい策だった。だが、生憎だな。私は貴公を知っていたよ」

 

 そう言いながら詰め寄るセイバーは、ランサーにトドメを刺すつもりだ。

 生前。人間というカテゴリーでなら最強の敵だったローマの剣帝。ガウェインやケイ、ベディヴィエールを撃破した彼を仕留めるために、セイバーは自らの騎士王という看板を利用した。

 ()()()()()()()()()()()()という先入観につけ込んだのである。

 果たしてセイバーの目論見通り、剣帝は策に掛かって脚の自由を一時的に失い、()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()上で、聖剣の真名解放を喰らい消滅したのだ。

 

 今回も同じだ。剣帝や輝く貌ほどの戦士、騎士であれば、風王結界による姿隠しは通用しないだろう。あれは凄まじい風の力でセイバー自身の体も対魔力を超えて傷つける上に、微細な大気の動きも大きくして位置を見抜かれてしまう。戦士系の英雄に通じる手ではない。

 だが一瞬。一瞬だけなら、目眩ましにはなる。まさか騎士王がそんな戦法を取るわけがないという心理的な死角が、目眩ましの効果を更に高めるだろう。その一瞬さえあればセイバーには充分なのだ。動揺させた瞬間に、殺せる。仕留められる。

 

 ――問題はこの状況を見た敵マスターが、魔術なり令呪なりで支援してくることだが。

 

 轟音が響く。次いで、苦悶の声が上がった。ちらりと見れば、いつの間にかコンテナの上にいた切嗣が、倉庫の屋根上目掛けて大口径の拳銃コンテンダーを向け、通常弾を放っていた。

 射撃の名手である切嗣は、ある程度近づき射程に捉えた敵マスターを、密かに装着していた赤外線スコープで目視し銃撃したのである。ろくに備えていなかったらしい敵マスターは見事に左肩を打ち抜かれ、衝撃の余り転倒してしまったらしい。

 つまりこの瞬間なら、ランサーに令呪の支援は来ないということ。セイバーは最後の仕上げと言わんばかりに、聖剣に風を溜めて振り上げる。それを地面に叩きつけて視界を封じた瞬間、姿を隠して一気にトドメを刺すつもりだ。顔面を顰め、敗着を予感してなおも立ち向かおうとするランサーに敬意を称し、一撃で即死させてやろう。せめてもの情けだ。

 

 しかし。

 

 セイバーがランサーを討ち取るのはマズいと見たのか、はたまた別の思惑があったのか――雷鳴を轟かせ、凄まじい雄叫びと共に襲来した第三者が、セイバーとランサーの間に割り込んできた。

 

 

 

「――双方そこまで! 王の御前である、ひとまず矛を収めよ!」

 

 

 

 なんだコイツ。

 

 あと一歩のところで邪魔が入ったセイバーは苛ついた。

 一目見た瞬間、直感的に「コイツ嫌い」と思ったのもある。だがそれ以上に一応は具えている騎士道精神が、一騎討ちに割り込んだ不埒者への怒りを覚えさせたのだ。

 だが絶妙のタイミングで()()()()()()()()()()。幾ら効いていると言っても、少しの時間があればランサーほどの騎士だ……震える脚に活を入れ動き出せるようになるだろう。

 

 それにこの赤毛の巨漢は戦車に乗っている――ライダーだ。そして戦車にはマスターらしき少年が同乗している。マッケンジー宅に潜んでいた輩だろう。この絶妙のタイミングを見計らっていたのだとしたら、この少年マスターはかなりの遣り手……何やら馬鹿を丸出しにしているライダーはともかく、迂闊に攻め込むのは危険かもしれない。

 

 セイバーはそこまで考えて、一旦剣を下ろした。状況を見て、もしランサーが撤退するようなら、このままライダーを聖剣で消し飛ばしてしまった方がいいかもなと思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長くなりそうなので一旦切りました。

ウェイバーへの現在のセイバー評
「あの少年マスター……戦略を理解しているね。まだ子供なのに大したものだ。サーヴァントの入れ知恵なのかもしれないが、それでもライダーにわざわざ同行している点から見ても護身ができている。長ずれば一廉の人物になるだろう。ライダーは……嫌いだね(直感)」


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征服王の破天荒に見えて計算された行動のお話

 

 

 

 

 

 冬木大橋。冬木最大の交通量を誇る、日本初のダブルデッキアーチ型鋼橋。

 全長は伸縮継手(しんしゅくつぎて)間三百二十二メートル、赤く塗装された大橋は夜中であっても照らし出され、観光スポットとしても冬木市の顔と称される美景の地だ。

 恋人と夕方に訪れたなら、沈む夕日とのコントラストでロマンチックな雰囲気の演出に困らず、意中の相手と待ち合わせる者の姿が散見された事だろう。

 しかし幸か不幸か、あるいは当然と言うべきか。冬の季節での高所、夜間ということもあって歩行者の姿はなく、折よく幹線道路を走行する車両の姿も極端に少なくなっていた。

 

 故に、冬木大橋の描くアーチの頂上に、2つの人影があるのに誰も気づくことはない。

 

 対照的な二人だ。片や吹けば飛びそうな、華奢な黒髪の白人少年。片や筋骨隆々の赤毛の巨漢。巨漢に至っては時代錯誤な装束を身に纏い、落ちれば死を免れぬというのに平然と座り込んでいる。

 不思議な態度ではない。巨漢の正体は英霊、ライダーのサーヴァントだ。仮に無様に落下しても死亡するような、繊細な生命ではないのである。故に哀れなのは少年だけだ。

 黒髪の少年ウェイバー・ベルベットは、余りの寒さと高所の恐怖に身を竦めて、必死に鉄骨へしがみついている。無理矢理連れて来られた、落ちれば死ぬ危険地帯に心の底から恐怖していたのだ。

 無論、自らの命綱であるマスターを、ライダーがむざむざ落下死させるわけがないが、そんな当たり前のことにすら思い至れないほどウェイバーは怯えていたのである。

 

 しかし、怯えながらも帰りたいと喚くウェイバーを無視し、遠方にあるコンテナヤードでの戦闘を盗み見ていたライダーが口を開いたことで、彼らの状況もまた動き出すことになった。

 

「ぬぅ……マズいな」

「何がだよぉ……マズいのはこんな所でのんびりしてるオマエの頭の方だろぉ……」

「おう、言うではないか坊主。さては高所にも慣れてきたな? 景気づけにデコピンの一発でもかましてやりたいところだが、生憎それどころではなくなった。今は勘弁しておいてやろう」

 

 赤毛の巨漢は眉根を寄せ、呻き声を漏らした。

 傍らで情けなく声を震わせながらも、さりげに毒を吐いたウェイバー・ベルベットに、一瞬緊迫感が緩んで苦笑いしてしまいそうになったライダーだったが、気を取り直して腰を上げる。

 

「事は急を要するな、こりゃあ……。如何せん()()()()()()()()()

 

 自信が服を着て歩いているような男の様子に、少年は意外の念に駆られてしまう。

 相手がどれだけ強かろうと、ライダーこそ最強と確信している少年だ。そのライダーが強すぎるなどと評するのも意外であるし、同時に強い相手にこそ血潮を滾らせる男だと思っていたのだ。

 その通りである。彼こそ征服王、制覇してなお辱めぬ王者、幾人もの難敵を下した伝説の王。相手が強ければ強いほど高揚し、打ち破るために力と知恵を振り絞った人界の覇者なのだから。

 ――しかし。

 同時にライダーは、古代マケドニアという小国を率い、大敵に挑んだ()()()()()()()()()()()()。強い相手と正面からぶつかることもあったが、策を凝らして相手を弱らせたこともあった。強い敵に捨て身で体当たりするだけで、世界征服に近づけたわけではない。

 故に征服王たるライダーは、遠望した剣士と槍兵の戦いで、剣士の底知れぬ武略を本能的に察知するや、()()()()()()()()()()()と確信していたのである。

 

 それは征服王イスカンダルの、生涯を通して最強の宿敵だった大王をも超える――王の戦慄だ。

 

「――征くぞ、坊主」

「えっ!? ど、どこにだよ?」

「決まっておるだろう、セイバーとランサーの戦いに横槍を入れるのよ!」

「はぁっ!? オマエ今日は様子見しかしないんじゃなかったのかよ!?」

 

 足場に両手足でしがみついているウェイバーは、予想外の台詞を聞いて素っ頓狂な声を上げた。

 だがライダーは重苦しく告げる。

 

「事情が変わった。このままではランサーが脱落してしまう」

 

 戦況が一気に動いている。決着までの猶予はないと見ていいだろう。槍兵も見事だが、歴戦の征服王の勘が、セイバーが間もなく勝利すると叫んでいた。

 称賛に値する一騎当千の勇者達の決闘に、横槍を入れるのは無粋と心得てはいる。だがそれがどうしたというのか。汚かろうが自らに有利な戦局を作り出す手腕こそ国を統べる者の資質である。

 

 稚気はなく、王の顔となったライダーの予想を聞いて、ウェイバーは反駁した。

 

「いや、好都合じゃないかっ。敵が脱落するんなら、わざわざ手を出す理由はないんじゃ!?」 

「馬鹿者。余がここまで様子見に徹していたのは、他のサーヴァントが出揃うのを待つ為であって、断じて漁夫の利を狙う狡っからい考えがあったからではないわ! ()()()()()()()()()()()()()()! 獲物を横取りされたとあっては征服王の名が廃るというものだ!」

 

 それもまた掛け値なしの本音。どれだけ矛盾していようとも、否、矛盾をも内包し君臨するのが本物の王者である。理想を謳い、夢を語った裏で、人々を狂奔させ死に向かわせる。それもまた王の資質であり、自らの死をも見据え動き出せる勇気を持たねばならない。

 危険を承知で死地に飛び込める彼は王であり、戦略家でもあり、そして同時に多くの同胞の内でも特に優れた戦士でもあった。ライダーは王としての威風を纏い、ニヤリと笑った。

 

「そら早く立て坊主、それともここで待つか? 余はそれでも構わんが」

「こんなとこに置いてかれたら死んじゃうだろ!? 行く! 行くから連れて行けよこのバカっ!」

「その言葉が聞きたかった!」

 

 豪快に呵々大笑してチャリオットを召喚し、ライダーはウェイバーを連れて虚空を駆けていく。

 得難い強敵、或いは朋友に成り得るかもしれない者が待つ戦場を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

「双方そこまで! 王の御前である、ひとまず矛を収めよ!」

 

 高らかに宣言するライダーと、彼の制御は無理だと諦めたウェイバー。少年マスターはチャリオットの中に蹲り、他者からの視線が自分に届かないように切に祈った。

 だがその祈りは無意味である。ライダーの宝具『神威の車輪』に守られているとはいえ、この場の全員がウェイバーの存在を察知しているのだから。

 一騎討ちを――しかも決着の瞬間を邪魔されたセイバーとランサーは殺気と怒気を露わにし、悪鬼の如き視線をライダーに射込んでいた。蛙の面に水とでもいうように、平然としているライダーの胆力こそ見事だが、そんな彼の威光に気圧される者はいない。

 突然の闖入者の登場で、場に満ちる()()()()()いなかったら、ライダーは即座に総攻撃を受けていても仕方がないだろう。事実、次の瞬間にはセイバーは、この()()()()()()()を即刻排除するべく行動に移ろうとしている。このタイミングで横槍を入れた存在は、高度な戦略眼を有しているのが明らかだからだ。そんな輩をむざむざ生かして帰すわけにはいかない。

 

 しかしそうした動きも、ライダーの大胆な行動で再び()()()()()()封殺された。

 

「――我が名は征服王イスカンダル! 此度はライダーのクラスを以て現界した!」

「なっ……」

 

 秘匿するべきサーヴァントの真名、それを堂々と名乗り上げる大男に、さしものセイバーも驚愕させられる。それは辛うじて気力を復活させたランサーも同じだ。

 なんだこのバカは、と。剣士と槍兵は呆気にとられてしまう。だがそれこそがライダーの狙い。一見考えなしの破天荒な行動の裏には、相手の出鼻を挫くという合理的な魂胆があったのである。

 ライダーは自身の行いを理解していた。勇者と勇者の決闘に横槍を入れたなら、たとえ自分が命の恩人でも双方から同時に攻撃されると。故に、サーヴァントが秘匿する真名を自ら明かすことで、両者の意気を崩し場を支配する必要があるのだ。

 

 何を考えていやがりますかこのバカはぁぁああ!!

 

 そう叫び出しそうなウェイバーを、鋭い一睨みで黙らせる。今はウェイバーの姿を晒すわけにはいかない。セイバーはマスター狙いも辞さないだろうと、彼の眼力が見抜いていた。

 

「セイバー! ランサー! 其の方らの真っ向切っての一騎討ち、誠に見事であった! 余としたことがあまりに壮麗な戦の華に惹かれ、ついつい舞台まで引き上げられてしまったわ!」

 

 言いながら睥睨(へいげい)するも、彼は覇気を隠すことなく、そして常にセイバーを視界に入れたままだ。

 油断、慢心、そんなものは微塵もない。セイバーに動きがあれば、即座に戦車を始動させ、雷撃を放つ準備は整っている。その証拠に戦車の車輪と、戦車を牽く牡牛の蹄は帯電している。

 横槍を入れるだけの力を誇示し、力を示す。余は一筋縄ではいかんぞと、その姿で見せつけた。

 

 だがそれはそれとして、人材コレクターの征服王である。彼はセイバーに注意を払いつつも、それとなくランサーに眼をやった。

 

「戦士同士の正々堂々の一騎討ちに、横槍を入れた無粋をまずは詫びよう! すまんッ!」

「………」

「………」

 

 大上段に構えて、しかし戦車の御者台の上から軽く目を伏せる。目礼だ。

 軽々に頭を下げる気はないが、勇者の誇りを穢した後ろめたさはある。それ故の謝罪だった。

 微かに。そう、ほんの微かに、ランサーの目から険がとれる。

 依然として怒気と殺気は漲っているが、今すぐにどうこうという態度ではなくなった。

 

 それを見計らってか、勢いのままにライダーは勧誘した。

 

「それでだな、うぬの戦士としての力を見込んで相談があるんだが……()()()()()、ここは一つ余の軍門に降り、聖杯を余に譲る気はないか? さすれば余はうぬを同胞として迎え入れ、世界を手にする栄誉を共にする用意がある!」

 

 彼の勧誘を受け、ランサーは唖然とする。しかし、すぐに険しさを取り戻して一蹴した。

 

「――断る。オレが今生にて忠義を捧げた主はただ一人、二君に仕える不忠をこのオレが犯すと思うのか。そもそも……よくもオレとセイバーの戦いを邪魔してくれたな……ッ! 勝敗の如何に関わりなく、騎士として耐え難い屈辱だ……!」

「むぅ……待遇は応相談だが? それに、余は其の方の命の恩人だろう。感謝こそされど、罵られる謂れはないと思うが」

「本気で言っているのか? だとすれば征服王が聞いて呆れるな」

「無論、本気である。しかし本気ではない」

「……はぁ?」

「余とて恥は知っておる。だがな、生きてこそ恥を濯ぐことができるのだ。ランサーよ、うぬほどの忠義ある戦士ならば分かっていよう? 自らの前にある勲に目を眩ませ、華々しく散るのはいいが、それでは残された主の方が憐れというものよ。故に恥じても生き残るのが先決だろう? 少なくとも余が其の方の主であれば、むざむざ討ち死にされるより生きて帰ってくれた方が有り難いぞ」

「む……そ、れは……」

「それにな。今は余が睨みを利かせておる故に()()()()()()()()()()動けずにいるが……うぬの主は手傷を負っておる。捨て置けば主を失う可能性があるとは思わんか?」

「――――ッ!?」

 

 滅茶苦茶だ。

 自分の論を強引に展開し、勢いだけで論破するのを特技とするライダーの本領でもある。

 しかしそれはセイバーには通用しない。ランサーの愚直な在り様に苦笑いして、簡単に丸め込まれすぎて心配になりつつも、仕方なく口火を切った。

 

「ランサーを臣下に誘っていながら、この私には一言もないとは……降る気は毛頭ないが、私は貴公のお眼鏡には適わなかったのか?」

 

 本来なら有無を言わさず斬りかかるところだが、それをしないのには勿論理由があった。セイバーには今、ライダーにされては困ることがあるのだ。

 ここには自分のマスターがいる。それも、ランサーのマスターを攻撃するために、少し離れた位置にいるのである。もし仮にセイバーが動こうとしたなら、その瞬間にライダーが戦車を駆って切嗣を狙ってしまう。そうなったなら――無傷で救出するのは困難である。

 ライダーは巧妙だった。セイバーとランサーの戦いに横槍を入れ、停止したのが切嗣の近くなのである。もし位置関係があと少しでもセイバーに近ければどうにでもなったというのに。

 

 ライダーは愉快そうな顔でセイバーを見た。

 

「おかしなことを言うな、セイバー。()()()()()()()()()。王たる者に戦う前から降れと言うほど余は傲慢ではない。刃を交え、下した後でなら、その時に改めて問わせてもらおう。余の麾下に加わり、共に見果てぬ夢を見る気はないかとな――!」

「――なるほど。それが貴公の王道というわけか。確かに私は国を預かることもあったが。甚だしく不愉快な男だな、征服王」

 

 気を吐いたライダーとは対照的に、セイバーは双眸に侮蔑の光を灯した。

 どういう男なのか、真名を含めて知って理解したのである。

 この英霊とは、何があろうと相容れぬと。

 セイバーの反応を見てライダーも察した。ぬぅ――どうやら、不倶戴天になりそうだ、と。

 

 残念で、無念で、しかし小気味よい。それでこそよと獰猛に笑う。そして彼は――ここまでの会話で()()()()()()()()()()()()()()()と判断し、最後の締めに入ることにした。

 ここで自分が退いてもランサーは生還するだろう。戦いぶりを見る限り、足の速さではランサーの方が上回っているのだ。撃たれたマスターを抱えて逃げることなど造作もあるまい。

 

「――おう! これほどの戦士達の戦いだ、よもや余の他に惹かれて出向いて来た者がおらんということはあるまい! であるのにこそこそと隠れ潜み、なおも姿を現さぬというのなら……この征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬと知れ――!」

 

 大喝して、挑発する。

 無論だが本当にこの挑発に乗って現れる者がいるとは、実のところライダーも考えていない。

 なんせ本当に出てきたら大馬鹿だ。ライダーですらそう思う。もし自分がこんな挑発をされたら、まあ……出て来るだろうが、それは己が天下にその名を恥じぬ征服王の誇りがある故だ。

 であればもし現れるとしたら――征服王と同様、あるいはそれ以上に自尊心の高い者だけだろう。

 

 まさかそんな王が、たったの七騎しかいないサーヴァントの内に、他にもいるなどとはあまり考えてはいない。この挑発で誰も現れないなら、征服王は白けたとでも言って場を濁し、面子を保ったまま撤退するつもりでいた。

 

 だから、実を言うとちょっとだけ困ってしまったのだ。

 

 こんな安い挑発に乗って――安くても見過ごすわけにはいかぬ王の在り方を有する者が、この聖杯戦争に招かれていたのは。

 

「――よもや一夜の内に王を僭称する輩が二匹も湧くとはな」

 

 街灯の上に、実体化する黄金のサーヴァント。

 

 その威容を見て、ライダーは頬をポリポリと掻いてしまった。

 うぅむ、そう上手くはいかんか、と。内心呟きながら。

 

 

 

 

 

 




イスカンダルは、表だと破天荒で大胆不敵でしたが、裏にはしっかりとした勘やら経験、王や戦士としての戦略も透けて見えた気がしたので、こういう内心を描写してみました。本気で言ってるが本気じゃない、しかし全力で本気でもあるという矛盾の気配。こういうのがイスカンダルの人物像かなと。書き表すのはむつかしいね…。

そしていよいよ我様の到来。これにはイスカンダルもびっくり。


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宿敵との邂逅はすんなり終わらせるお話

 

 

 

 

 もとより、此度の儀式は()()()と決めていた。

 

 前回の聖杯戦争にてアインツベルンの犯した違反行為。そこから始まる聖杯の胎動。

 前回でアインツベルンの小聖杯の欠片を奪取し、マキリの聖杯を生み出そうと図っているのだ。マキリの妖怪は不確定要素である大聖杯の異変を特定し、遠坂の小娘を苗床にマキリの小聖杯を完成させるまでは、ただ雌伏の時を過ごしているつもりなのである。

 故に此度の第四次聖杯戦争にて、間桐からマスターを出したのは単なる余興だ。間桐を裏切り落伍した輩を苦しめ、藻掻き苦しむ様を見るためだけに、落伍者である間桐雁夜を急造の魔術師に仕立て上げてやったのである。雁夜には到底今回の聖杯戦争を勝ち抜けまい。どれだけ足掻いても、雁夜の肉体は内から自壊して死に至るのが確定しているのだから。

 

 とはいえ雁夜が早々に絶望してしまっては面白くない。よって強力な英霊を召喚させ、勝機を見い出させ奮闘させてやろう。さすればそれなりには楽しめるはずだ。――臓硯はそう考えた。

 しかし、臓硯はすぐにその考えを撤回する。聖杯戦争が開催される直前、雁夜に英霊召喚の触媒になる聖遺物をくれてやる前に、彼はまたしてもアインツベルンが仕出かした違反行為を察知した。それは多数のホムンクルス達による冬木市全土への浸透であった。

 驚愕した臓硯は、すぐさま姿を隠して様子を窺った。

 判明したのはアインツベルンのホムンクルス達が、魔術と科学の道具を駆使して情報網を構築して、自らに有利な狩場を作り出していることである。これには臓硯もホゾを噛んだ。あんな真似をされては全てのマスターの拠点や動向が丸裸にされる。しかも最悪の場合、臓硯が小聖杯の欠片を盗み、独自に小聖杯を作り出そうとしていることが露見しかねない。こうなっては雁夜にかまけている暇はないだろう、臓硯は遠坂桜――間桐桜を伴って隠密に徹することにした。

 

 雁夜とはもう音信不通である。

 あんな落伍者のために、自らの身と悲願を賭けてやる気はなかったのだ。

 今頃雁夜がどれだけ狂乱しているかは定かではないし、興味もない。

 

(やってくれるのぉ……アインツベルン)

 

 アインツベルンの所業は明白な違反行為……しかしそれを咎める力は間桐にはなく、遠坂や監督役も表立って咎められはしないだろう。何せ組織を用いての人海戦術など想定していなかったし、アインツベルンはおそらく神秘の秘匿を盾に強行するだろうから。

 老獪な臓硯にはそこまで予想ができた。だが、あまりにアインツベルンらしくない行動でもある。さては外部から招き入れた傭兵の仕業かと思うが、少なくとも此度の聖杯戦争では打てる手がない。彼らは今回で確実に勝つために、全ての力を投入しているのだ。

 今回で聖杯戦争が終わってしまう可能性が出てきたとあっては、流石の臓硯も焦りを覚えずにはいられない。さてどうしてくれようかと思案して、今は何もせず様子を見るしかないと結論した。

 

(ともあれ此度さえ凌げば、アインツベルンも暫くは弱体化しよう。儂がするべきは、様子見。だが何もせずにおるわけにはいかん……少しずつ、確実にホムンクルスを漸減させていくとするか)

 

 裏からアインツベルンのホムンクルス達を、静かに始末していく。彼にはそんな手しか今は打てず、故に歯痒い思いをしながら全マスターの動向に気を配るのだった。

 

 間桐のマスター、雁夜を除いて。

 

 ――どうせ彼奴は初戦で消えるのだ。

 

 英霊召喚の触媒がない、縁に頼った召喚で何が出るのか。タイミングを見計らうに、おそらく雁夜はマスター達の中で最後に英霊召喚を行うだろう。

 枠が埋まり切っているなら、雁夜に残されるのは狂戦士の座のみ。一応は何が喚び出されるのかを密かに見届けたが――召喚されたのは、雁夜に相応しい低位のサーヴァントだった。

 あれで勝てる道理はない。臓硯が桜を連れて雲隠れした今、冷静な判断力も失っている雁夜に勝機など万に一つも有り得ない。すぐにでもアインツベルンの築いた情報網に捕まり狩られて終わる。

 時計塔にも情報源を持つ臓硯は理解していた。アインツベルンのマスター、衛宮切嗣――相対すればこのマキリをも葬りかねない、危険極まる魔術師殺しの力量を。メイガス・マーダーの衛宮切嗣を相手にして、間桐雁夜が希望を掴める道理などないのだ。

 

 となれば、臓硯の腹は決まった。雁夜は早々に敗退させ、密かに処分してしまおう。奴にはなんの価値もないが、令呪だけは回収しておく価値がある故に。

 

(――放置しておこうと思ったが、やめておくとするかのぉ。手早く自滅させ、処理した方が都合がよいわ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――よもや一夜の内に、王を僭称する輩が二匹も湧くとはな」

 

 街灯の上に出現せしは金色の王。逆立つ金の髪と、目映い黄金の鎧。神性の滲む真紅の瞳には冷酷な光があり、端麗な容貌を悪魔めいた酷薄さに染め上げていた。

 呼吸同然に発する重苦しい覇気は王のそれ。傲岸に全てを見下す瞳は、価値なき雑草を踏みつけんとする力を宿す。彼は視線を巡らし、征服王イスカンダルを、騎士王アーサーを、そして最後に輝く貌のディルムッドを見渡した。そしてつまらなげに鼻を鳴らす。

 

「この(オレ)を差し置いて、王を名乗るとは不敬が過ぎるな、雑種」

 

 見下す者は、不遜にも王たる己を挑発した浅ましき欲望の騎兵。私は名乗っていないんだがと不満顔の青年には見向きもしない。名乗りはせずとも否定しなかった時点で同罪なのだ。

 ライダーは困ったように頬を掻いて、想像以上に居丈高な黄金の王に問いかけた。

 

「そう言われたところでなぁ……余は確かに世界に冠たる征服王なんだが。しかしそこまで悪し様に文句を垂れられたとあっては問わねばなるまい。貴様も王たるを自認するのなら名乗りを上げたらどうだ? 王たる者ならば己が名を憚ることはあるまい」

「問いを投げるか? 王たるこの我に向けて。――この我の面貌を見知らぬというのなら、そんな蒙昧は生かしておく価値すらないッ!」

 

 尤もらしいようでそうでもないライダーの言を受け、黄金の英霊――おそらくアーチャーである男は眦を吊り上げた。分かりやすく激怒している様に、さしものライダーも困惑を隠せなかった。

 一方でセイバーは、何食わぬ顔で切嗣に身振りで撤退しろと指示していた。現場での決定権は自分にあるのだ、サーヴァントだからと遠慮してやるつもりは彼にはない。契約を思い出した切嗣は舌打ちするも、銃撃された衝撃からケイネスが立ち直ったのを見て身を翻す。

 少なくともこの場でケイネスを射殺するのは不可能だと諦めたのだ。それに指示に従わなければ確実にセイバーは契約を履行し、切嗣から令呪の一画を奪い去るだろう。これ以上は無益だ。

 切嗣が撤退していくのを見届けつつセイバーはアーチャーを見遣る。彼の背後の空間に二つ、金色の波紋が広がり武具の先端が顔を出しているのだ。アサシンを偽装脱落させた際の茶番で見せたという、武具の投射戦法の前触れだと判断できた。あまり猶予はない。

 

「少し待ってくれないか、アーチャー?」

「――ほう、命乞いでもする気か、雑種」

「違う。人様を雑種呼ばわりするようじゃお里が知れると忠告したかったんだ。下品だぞ?」

「――――」

「何を煽っとるのだ、貴様は……」

 

 真顔で告げたセイバーに、アーチャーはこめかみへ青筋を浮かべる。呆れたライダーだったが、とうのセイバーに反省の色はなく、むしろ何を言ってるんだとライダーを睨んだ。

 

「煽ってるわけじゃない。貴公も王であるならば、相応の立ち居振る舞いを考えたことはないか? あんな様だと自らが治めた国の在り様を貶めてしまうだろう。亡国まっしぐらだ」

「まあ、それはそうかもなぁ……余も幼き頃は王たる者の振る舞いについて、耳にタコができるほど説かれておったわ。今思い出してもうんざりするほどにな」

「――雑種風情が、我に王の在り様を説くとはな。そんなに死に急ぐのなら、もはや慈悲の一欠片すらも惜しいというもの。道化ですらない雑種の放言、不愉快極まる! 疾く死ぬがい――」

 

 い、と。最後まで言い切ることはなかった。

 不意にアーチャーは動きを止め、ちらりとコンテナヤードへ視線をやったのだ。

 そこに。黒い波動を噴き出し実体化した者がいる。

 ランサーが皮肉るように言った。

 

「おい、ライダー。新手だが……奴は勧誘しないのか?」

「誘おうにもなぁ……ありゃ見るからに交渉の余地がなさそうだ」

 

 黒い輩は、ただただ怨念を纏っている。

 恐ろしい形相の仮面を被り、両手に装着された鉤爪が怨嗟を刻もうと蠢いて。

 ただただ、街灯の上に立つ王を睨んでいた。

 

「――誰の赦しを得てこの我を見ている? 狂犬、いや……犬以下の怨霊風情が」

 

 アーチャーは不愉快そうに眉根を寄せる。身を屈め、今にも己へ襲い掛かろうとする怨霊に、金色の波紋から覗く武具を向けた。吐き捨てるように、彼は裁定を下す。

 

「下郎は視線すらもが汚物に等しい。不敬である、せめて散り様で我を興じさせよ、雑種」

 

 凄まじい勢いで投射された武具を――しかし、怨霊は捌くことができなかった。

 すんなりと顔面に直撃した斧で即死し、胸部を貫いた戟で五体が粉砕されてしまう。

 惨殺され消滅していく怨霊を見て、セイバー達は顔を顰めた。

 黄金の王による粛清。そうとしか見えない光景だ。顔を顰めたのは、予想以上にアーチャーの攻撃が強力だったからだ。見るからに宝具である武具を、ああも無造作に撃ち放つのは、英霊であるからこそ理解の埒外にあった戦法なのである。

 しかしあれだけなら、どうとでも回避できる。防ぐのも容易だ。故にあっさり消滅した新手のサーヴァントには絶句してしまった。

 

「………」

「……低位のサーヴァントだったようだな。それを狂化してあれか」

「あれがバーサーカー。マスターは何を考えている? 言っては悪いが、アレを正面からけしかけるのは自殺と変わらないはずだが……」

 

 理解不能だ。いや理解しようという気持ちにすらならない。

 幾らなんでも考えなし過ぎる……後先を考える頭がないのか、それとも何某かの怨念に支配され短絡な行動に出たのか。全く以て度し難い。

 失望したのはアーチャーもだろう。不快そうに鼻を鳴らしたかと思うと、片腕を横に薙ぎ、黄金の波紋を更に展開した。数は十――全てが異なる宝具の群れ。向けられた切っ先はこちらだ。

 

「つまらん。あんなものが英霊の末席に名を連ねているとは、やはり時を下るにつれ人は劣化の一途を辿っていたか。もはや戦とすら言えぬこの下らぬ余興に、我の時を費やすのも阿呆らしいわ。貴様らも早々に去ぬがいい」

 

 おっと、これはマズい。セイバーがちらりとランサーを見遣ると、彼と視線が合う。

 ランサーは頷いた。再戦を約するのだと思ったのだろう。たしかにその通りだ。セイバーからしたらライダーよりもランサーの方が与しやすい故に。

 殺気が強まる。アーチャーの一斉射が近い。

 それを肌で感じつつ、セイバーはライダーへと声を掛けた。

 

「ライダー」

「む、なんだセイバー」

「アレを呼び寄せたのは貴公だ。責任は取ってくれ。さらばだ」

「なっ――セイバー、貴様ッ……!?」

 

 風王結界による風圧で、撃ち放たれた宝具の軌道を逸しつつ、いの一番に背を向けて撤退を開始する。ランサーまでも素早く地面を蹴り、己のマスターを回収して遁走し出した。

 取り残される形になったライダーは、出遅れた! と悔しさを覚えるも、なんとか戦車を走り出させ雷撃を放ち第一波を凌いだが、逃げ遅れたライダーをアーチャーは冷たい眼差しで睨んだ。

 まずは己を最初に愚弄した雑種から間引く。アーチャーはそのつもりなのだと悟り、仕方ないと割り切ると交戦するために剣を抜く。

 

 ――魔力放出によるジェット噴射で高速で戦線から離脱したセイバーは、霊体化して地中奥深くに潜り込み、どこかにいるだろうアサシンの目を撒きながら切嗣と合流しに向かう。

 

(聞くのと見るのとでは大違いだ。あのアーチャーは何者なのやら……)

 

 あれだけの宝具を無造作に扱えるような英霊など聞いたこともない。これは切嗣と合流した後、真名を真剣に推察していかないとマズそうだと思った。

 はっきりと断言はできないが、少なくともアーチャーと交戦したライダーは消耗するだろう。あの場でライダーが倒されてしまうのが理想だが、あまり高望みはしないでいた方が賢明だ。

 

 騎士にあるまじき逃げの一手と言われようと痛くも痒くもない。あの場は即座に撤退を選ぶのが正解である。四つ巴の混戦など御免被るし、そもそもこれは敗走ではなく、槍兵との戦いを仕切り直すための戦略的撤退だと言い訳可能だ。戦歴に傷がつくわけではない。

 負けたらモルガンに怒られる。情けないとか言われてしまう。子供達には最強無敵のお父さんだと思われていたいセイバーとしては、敗北の可能性は少しでも摘んでおきたいのだ。

 

 だから――

 

(死んでくれライダー。少しでも長くアーチャーと交戦して、情報を引き出してからね)

 

 手強そうな征服王の脱落を望む。どうせ英霊、どうせサーヴァントだ。所詮は死人なのだから、現世から退去しても構わないだろう。

 ――サーヴァントを過去の影法師だと割り切っているセイバーには、なんら罪悪感はなかった。

 

 あの場にもホムンクルス隊がいる。リアルタイムで久宇舞弥へと、ライダーとアーチャーの戦法が報せられているのだ。労せずして情報を奪う……今回はベストとはいかなかったが、ベターの展開には持っていけたと思う。過程と結果を見たら()()()()と言ったところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




雁夜のサーヴァントは、縁召喚。やってきたのはバーサーカー適性があり、なおかつ雁夜に似ている性質の『ファントム・オブ・ジ・オペラ』君でした。そして普通に速攻で殺られて退場です。

臓硯がホムンクルス達に気づかなかった場合、ランスロットの触媒が渡され召喚されていたでしょう。……メリ子の姿で。
しかしそれだとネタ枠感が否めないのでボツ案に。

なおこの後は時臣がギル様を令呪で引かせました。ライダーが予想以上に粘るのもあるし、原作よりも慎重に隠れていたアサシンがホムンクルスに気づいた為、これ以上手札を晒したくないと判断したためですね。

本作は基本、セイバー陣営視点なので、描写されないシーンなのでここで明かさせてもらいました。


現在キャスターとバーサーカーが脱落しております。


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軋む心を聞くお話

 

 

 

 

 

 汚水の流れる音に紛れ。視界を妨げる闇に紛れ。鼻を塞ぐ臭いに紛れ。

 悍しき蟲の群れが、何者かを貪る。

 衣服を破り、肉を喰み、骨を噛む。内から、外から。

 腕に残った膨大な魔力の結晶、令呪の所有権が一匹の蟲に移譲された。

 もはや用は無し。やがて蟲の群れは姿を消し、下水道には静寂のみが残される。

 

(役立たずの雁夜とバーサーカーは処分した。令呪を一画使わされたのは痛いが、幾らでもやりようはある……しかし、やりようはあっても、表立って動くべきではないのぉ)

 

 仮にもサーヴァントであるバーサーカーを使い潰したのには理由があった。純粋に勝ち目のない戦いで雁夜が藻掻き苦しみ、その道化ぶりを眺めて愉悦に浸る暇がなくなったのが一点。そしてもう一点が、ホムンクルス達への対処に利用する必要があることだ。

 アインツベルンのホムンクルス製造技術は、時計塔にて錬金術の第一人者とされるユグドミレニアを児戯とするほどのもの。現行世界最高であり、錬金術の大家たる名声は伊達ではないと畏怖されている。戦闘用に調整されたホムンクルスは、純粋な性能だけなら短時間のみに限定してサーヴァントにも対抗し得る域に達している。そんなものと直接対峙する気にはなれなかった。

 故に、アインツベルンのホムンクルスを排除するには、サーヴァントの力を借りるのが最も確実だ。そこで蟲翁は雁夜を操り、バーサーカーに令呪を用いて無謀な戦いを挑ませたのだ。全ては余剰令呪を手に入れるため――それさえあれば、他のサーヴァントを媒介にすれば新たな手駒を召喚してしまえる。そう、この蟲翁なら。問題はどのサーヴァントを、どうやって奪うかだが……。

 

(それは追々、運が良ければ、だ。……無理を押してはならん、拙速は身を滅ぼす)

 

 なにゆえか冬木に侵入しようとしていた、フランソワ・プレラーティなる魔術師は撃退した。よもやプレラーティが己の盟友、青髭の現界を察知して襲来したとは翁にも想像できなかったが、少なくとも翁が健在の内は、彼奴が冬木に再来することはあるまい。

 翁が思い返すのは、遠坂が召喚したあの黄金のサーヴァント。如何なる触媒により喚び出されたのかを知る翁は、アレがいる限りどう足掻いても無駄だと弁えていた。

 

(今回は捨てる他にない。次回以降の下準備に専念するとしよう)

 

 そのためにアインツベルンの勢力を削ぐ。此度の戦果で頭の固い連中も、この戦術の有効さを思い知るだろう。さすれば今後の聖杯戦争で、アインツベルンはさらなる戦力の投入を行おうとするはずだ。そうなったら地力で劣る遠坂や間桐に勝ち目はない。故にアインツベルンの手勢を、今回でなんとしても削りに削るのがベストな選択である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 大聖杯の異常を察知しているからこそ、蟲翁はそう確信している。

 冷静に判断し、雌伏の時を過ごそう。今や見る影もなく衰退した間桐の血を再興し、より強く蘇らせて、果てに不老不死を掴み取るために、蟲の翁は暗躍を続ける。最後に笑うのは自分なのだ。

 

(のぉ……桜。間桐の種で孕むがいい。そのための母胎に育ちきるまで……儂が付きっきりで面倒を見てやる故な……)

 

 キチキチと、蟲の羽音が不協和音を奏でる。

 光のない暗い瞳で、幼い少女が闇を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まんまと戦線から離脱したセイバーは、雑居ビルの一室で合流した切嗣から事の顛末を聞いた。

 

 黄金の英霊と交戦した征服王は右肩と脇腹に宝剣と宝槍を受け重傷。交戦時間は僅か五分ほどであるのに、魔力も相応に消耗した。全快するには幾許かの時を要するだろう。

 対して征服王ほどの大英雄を相手取ったというのに、黄金のアーチャーは全くの無傷である。あの金色の波紋から投射された武具の数は総計五十余りで、その全てが別物であったという。

 最後は更に十の宝剣・魔剣・聖剣を展開したが、なにゆえか撤退していったらしい。おそらく奴のマスターによる指示だと思われるが、あれだけ気位の高い英霊だ。言うことを聞かせるために令呪を使用したであろうことは想像がつく。些か理解に苦しむ去り様だった。

 あのまま続けていれば、順当にアーチャーが勝っていただろう。にも拘らずアーチャーを撤退させたのは、初戦でこれ以上手の内を晒したくないという考えがあってのことだとは思うが、それにしても判断が遅すぎた。あそこまでされては手の内の秘匿もクソもあるまい。

 

 ライダーは伏せ札を切っていない。戦車が宝具なのは疑いようはないし、その性能もあらかた把握できたらしいが、まさか征服王ともあろう者が宝具を一つしか持っていないとは思えない。

 他にも切り札があるはずだが、それを使っていないということは軽々に使う気になれない――それこそ正真正銘のとっておきということだろう。他にも宝具があれば、かなり追い詰められた状況なら使っていたはずだから無いと見ていい。となるとライダーの宝具は二つ。

 普段使いしている戦車と、出し惜しむに値する切り札。後者の方の特定はできていないが、切り札があるのはアーチャーも同じだろう。これで優劣ははっきりしたと見ていい。

 

「今回の聖杯戦争で最強の敵はトオサカか……マスター、アーチャーの真名に心当たりは?」

「さっぱりだ。あれだけの宝具を所有し、馬鹿みたいに擲つ英雄サマなんか見当もつかない」

 

 それはそうだろう。あんな出鱈目な戦法を実行する英雄は、どんな神話にも存在しない。

 だが実際にいた。ならあの宝具はいったいなんなのか。

 姿を変え、分裂する宝具? それとも使い捨ての乱造品を作り出す宝具か?

 なら鍛治師の英霊? そんなもの聞いたこともない。宝具に匹敵する武具を使い捨てにしてしまえる英雄が居たら、さぞかし高名であることだろう。生前なら是非部下にと願っていただろう。

 

「セイバーはどうだ?」

 

 切嗣が訊ね返すのに、セイバーは顎に手を添えて思案する。

 

「あの宝具だけでは分からない。なら人物像から要素を並べていき分析してみよう。金髪で、白人で、金ピカの甲冑。そして紅い目。私の感覚的なものだけど、奴からは神性を感じた」

「神性を?」

「ああ。私は厳密には英霊じゃない。死んでないんだから当然だろう? この私はアヴァロンにいる神としての私を本体とする分霊だ。それがサーヴァントという殻を被り人間性を獲得した存在でもある……というのは話しただろう」

「いや……聞いてないが?」

「そうだったかな? まぁいいじゃないか。ともかくそんなわけで私は神性を具えている。半神どころか純正の神の感覚を知ってる身として、アーチャーの神性が相当に高いのは察しが付いた」

 

 初耳の情報に眉を顰める切嗣だったが、セイバーは苦笑いして誤魔化す。

 言いながら彼はアーチャーの真名に勘付いたのだ。

 

「高い神性……あの性格で、王。半神半人の王であるのは確定で、これだけで該当する英霊はかなり絞り込めた。そこにあの宝具の情報を照らし合わせていけば自ずと真名も導き出せるはずだ」

「その口ぶり、お前には察しがついていそうだな」

「――おそらく、あのアーチャーの真名は英雄王ギルガメッシュだろう」

 

 多分だけどね、と苦笑いしたまま告げられた真名に、切嗣は瞠目した。ギルガメッシュ――人類最古の英雄王。古ければ古いほど強い神秘を有する世で、その名を超える者など存在し得ない。

 ポリポリと頭を掻いたセイバーが呟くように言った。

 

「英霊は全盛期の姿で現界する。あのアーチャーは一度国を滅ぼす前の暴君としての姿なんだろう。精神性が賢王である者には全く見えないからね」

「……アーチャーが英雄王だと確信しているようだな」

「他に思い当たる奴がいない。暫定とはいえ確定と見ていいと思っている」

「ならどうする気だ? 英霊であるなら、奴には勝てないだろう。それぐらいは僕にも分かる」

「私は英霊じゃないが……まあ、確実に勝てるとは断言できかねるね……」

 

 まさかまさかの超大物。ともすると全英霊の中でも頂点に君臨するかもしれない存在と、こんなちんけな儀式で鉢合わせるとは想像もしていなかった。

 これが聖杯戦争の醍醐味だ、なんて嘯くほど能天気にはなれないが、さて。

 

「……あそこまでの強敵なら、マスター殺しがベストなんだけどな」

「生憎、奴はアーチャーだ。単独行動スキルがある以上、マスターを失った後も数日は現界を維持できるはず。その間に他にマスターを見繕われたら面倒だぞ」

「……現界に拘る奴には見えなかったけど、確実性に欠ける。どうにかしてアイツのスタンスを知ることができたらいいんだが……一度、腰を据えて話す機会を設けられないものかな」

「なに? そんなのは不可能だろう。サーヴァントとサーヴァントが顔を合わせて、呑気に茶飲み話をして何もなくお開きにする奴があるか?」

 

 いや、とセイバーは首を左右に振る。常識的に考えたらその通りなのだが、その常識が通じる手合いではない。あそこまで自尊心の高い王なら、ほぼ間違いなく乗ってくる話の種がある。

 ソースは自分の妻だ。生来の女王様気質の妻なら、どんな挑発や形式を用意されたら乗ってくるかは知悉している。それがそのまま当てはまるとは限らないものの、『王』なら乗るはずだ。

 

「仕方ない……私も王を名乗っておこうか……」

「何を今更。お前は騎士王だろう」

「ああ、うん、そうだね……」

 

 王騎士を自称していたのに、後世には騎士王という名しか残っていない事実に一抹の不満を覚えるものの、いまさら悔しがっても詮無きことだ。嘆息して諦めたセイバーは切嗣に提案する。

 

「アーチャーとライダーにコンタクトを取ろう。宴を開き、王としての格を問うとでも言えば、あの二人は確実に乗ってくる」

「なんだと? そんな馬鹿な話があるか」

「あるんだよ、これが。王様の悲しき性って奴だ、王は自身の面子を飯の種にしてきた以上、この武器を用いない戦いには乗らざるを得ないのさ。さもないと自分の格が下がってしまうからね。自らの格を競うのは、王の習性であり本能――逃げることは赦されない」

「………」

 

 呆れ返った切嗣だったが、反対はしなかった。アーチャーのスタンスを知りたいのは彼も同じ。マスターを失った後、アーチャーがどう動くのかを推察する材料はほしいのだ。

 だがなぜライダーまで誘う? 訊ねると、簡潔な答えがあった。ライダーを呼ぶのは消耗具合を確かめるためだ、と。なるほど悪くない手だ。

 アーチャーはマスターが死んだ後にどうするか、その判断材料を探れるなら探り、今後の動向や作戦を決定する。そのために――騎士王の名に於いて開宴するのだ。必要なものは用意できる限りの美酒と美食。セイバーは切嗣に酒の手配を頼んだ。

 渋い顔をしつつ了承した切嗣だったが、気になって己のサーヴァントに問いを投げた。

 

「酒は用意しよう。研究用のものばかりだが、アインツベルンは酒蔵も持っている。極上の酒を用意してくれと頼めば明後日には届くだろう。だが美食とやらはどうするつもりだ?」

 

 アインツベルンの本拠には、本来なら科学のかの字もなかったのだが、切嗣が強行に訴え電線やら発電設備やらは設置していた。セイバーが召喚される以前の話だ。

 よって電話をすれば要求は伝えられる。アインツベルンのホムンクルスを冬木に投入するにあたり、一通り機械の使い方は教えてあるので心配は無用だった。

 

 切嗣が美食の手配を懸念すると、セイバーは断腸の思いで告げる。

 

「……大丈夫だ。こんなことになるとは思わなかったけど、史上最高の美食はいつでも食べられるようにしてある」

「……どういうことだ?」

「現代の食事に興味はあったし、満足できると期待していたから最小限しか持ってきていないけどね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――親バカも大概にしろ。セイバー、まさかピクニック気分だったのか?」

 

 流石の切嗣も呆れてツッコミを入れてしまった。照れたように頭を掻くセイバーのアレ具合は本当に駄目だ。お手上げである。もう何も言いたくない。

 セイバーの聖剣の鞘は、セイバーの切り札でもある。だがそれの真名は、セイバーの本体が今も暮らしている妖精郷と同じ名であり、そこに紐付けられているとも言える代物だ。

 最上級の神秘の結晶である宝具に、娘の弁当を詰めてくるなんて何を考えているのか。セイバーが召喚された経緯を思い出せば、場合によっては切嗣らを斬るつもりでいたくせに……。

 

「仕事に行くなら持って行ってと笑顔で渡された弁当を拒むなんて非道、私にはできない……! マスターだってそうだろう!?」

「……分かった。分かったからこっちに寄るな」

 

 逆上してきたセイバーに何も言えない。そうだなと共感しそうになったからだが、流石にコイツと同類扱いされるのは切嗣も嫌だった。

 それより召喚へ割り込むまでのタイムラグはそんなにあったのか? アヴァロンとやらの中の時間の流れはどうなっている。……色々気になるが、考えるのはやめた。頭が痛くなる。

 しかし、娘の料理とやらを、最高の美食と称するとは……気持ちは分かるから羨ましくなった。僕もイリヤの手料理を食べてみたいな――そう思いかけてしまって、慌てて首を左右に振る。

 いけない。まただ。また、セイバーの能天気さに引きずられてしまった。戦場でこんな間抜けなことを考えてはいけない。切嗣は改めて気を引き締めた。

 

「――ところでマスター」

 

 不意に、セイバーは何気なく呼びかける。なんだ、と邪険に反応すると。

 

「君、()()()()()()()()()()()()()()?」

「――――」

 

 不意打ちだった。完全に虚を突かれてしまった。

 咄嗟に否定することができず、切嗣は一拍の間を空けてしまう。

 にこりと、華やかな微笑みを湛えたセイバーが言った。

 

「いいんだ。気にしなくていい。人間、誰しも隠し事の一つや二つはあるものだ。それを全て明かすことなど、人生のパートナーにすら難しいだろう。だから隠し事があっても気にはしない」

「……つまり、何が言いたいんだ?」

「隠し事は許す。だが()()()()()()。エミヤ・キリツグ――ひとつ、問い掛けておこう。君は私に隠し事をしているな?」

 

 ツ、と。

 背筋に伝う一筋の汗は、嫌に冷たい。

 だが表面には何も出さずに、切嗣は平静そのものの様子で応じた。

 

()()()()。それがどうかしたのか」

「別にどうも。ただ確認したかっただけさ」

 

 追求すらせずあっさりと引いたセイバーに、切嗣は気分を沈めてしまう。

 

 ――そうだ。セイバーのせいで、意識せずにいたが……。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今頃……。

 

 既にサーヴァントは二騎、脱落している。あと一騎でも脱落すれば、彼女の人格は。

 

 消える、かもしれない。

 

 

「………」

 

 

 猛烈に、アイリスフィールの顔が見たくなった。

 そんな資格はないのに。そんな弱さは捨てるべきなのに。

 会いたい。会いたくて、会いたくて、堪らない。

 

 だが言えない。このサーヴァントは家族を大事にしている。自らのマスターが、家族を生贄にしようとしていると知れば、関係に罅が入るかもしれない。ビジネスライクな関係になるならそれでもいいが、機嫌を損ねたら退去されかねないのだ。言えるわけがなかった。

 

 ――ふと。切嗣は思う。

 もし、全てを明かしたら。

 この英雄は、自分達を助けてくれるのではないか――。

 

(馬鹿な。どうやって、助ける。今更だ。今更なんだ、衛宮切嗣――)

 

 しかしその天啓にも似た妄想は、どこまでも甘美に切嗣の心にまとわりついた。

 

 弱くなった精神が悲鳴を上げる。ああ、こんなことなら――セイバーと共に過ごすなんて条件を呑むのではなかった。この男はあまりにも、眩しすぎる。

 闇の中で藻掻く男は気づかなかった。否、気付ける余裕を喪失していた。

 セイバーのサーヴァントが、ジッと自分を見詰めていることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アーチャーが手強いと見たセイバー、即座にマスター殺しの方に舵を切るの巻。相手が単独行動スキル持ちのアーチャーなので、マスターが殺られた場合にどう動くかを知りたい。なのでその姿勢を探るために、セイバー主催の聖杯問答が開かれる模様。


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誘いに行ったら絡まれた話

ハンバーガー大好きです(半ギレ)


 

 

 

 

 

 

 雑味の強い肉を、粗いパンで挟んだ物。申し訳程度のキャベツや、しつこさばかり際立つソース。おまけに噛んだ瞬間に溢れ出る濃厚過ぎる脂。率直に言おう、現代ハンバーガーはクソ不味い。

 ジャンクフードは、もはや記憶の隅っこに存在が残っていた程度の切れ端に過ぎないが、確かに美味だと感じていたはずのものだ。雑だ、確かに雑、だがそれがいいと思っていたのである。

 しかし、こうして再び行き着いた時の果てで、良い機会だからと思い出すら風化しきった物を購入して食べてみると、美味いとは欠片たりとも思うことができずにいる。やはり思い出とは美化されるものらしい。こんなのは豚の餌だと、ジャンクフード愛好家に刺されそうな悪態を吐きたくなるが、グッと堪えて完食する。自分も昔は確かにジャンクフードを愛していたはずだと思って。

 それに食べ物を粗末にするのは赦されない。どんなに不味くてもアレルギーなどがないなら残さず食べるべきだ。現役時代の辛苦から、そのような信条を懐くセイバーは紙屑を握り潰す。

 

「不味い」

 

 切嗣はなぜか好んでいるが、食の好みでは分かり合えないなと思う。恐らく向こうも分かり合うつもりはないのだろうが、食の楽しみを知らないようでは人生の四分の一は損しているなと思う。

 セイバーは握り潰した塵を掌の中で微粒子レベルで粉微塵にした。風王結界という、宝具の域にまで昇華された風の魔術を応用すれば、この程度は児戯に等しいものだ。

 バーガーをこうして一人で食していたのは単なる気紛れである。セイバーの騎乗スキルを聞いた切嗣が用意していた、違法改造されているバイクを乗り回していると、偶々バーガーショップを見掛けたから寄ってみたのだ。一度口にして不味いとは思っていたが、他の商品も試してみないことには正確な評価は下せないと判断したのである。最終評価はやはり覆らなかったが。

 

 嘆息して大型バイクに跨る。現代で実際に触れた物の中で一番素晴らしい物はこれだろう。

 

 セイバーが戦闘時に装備している甲冑は、彼自身の魔力で形成されている。その力の応用で車体各部に掛かる力へ補正を施し、バイクに甲冑を写像することで剛性を補強――さらに動力機構に魔力の影響が及ぶように、セイバー独自の改造を施している。風の魔術により空気抵抗を減じ加速性と機動性を桁外れに向上させれば、神獣クラスの速力を発揮することも充分に能う。

 これをセイバーは殊の外気に入り、アヴァロンに持って帰りたいと真剣に考えていた。モルガンに強請ればなんとかならないだろうか? 最近は魔術の研究に行き詰まり、アヴァロンにロンゴミニアドを模した砲台を十二基も設置し、キャメロットもどきの要塞や魔術神殿の建設に勤しんで、科学技術にすら知的好奇心を向け始めている彼女ならあるいは……このバイクも作れるかも。

 

(悪くない。悪くないな)

 

 セイバーは現在、公僕に見つかればお縄につくこと間違い無しのモンスターマシンで公道を走行している。ヘルメットは当然付けていた。これまた自らの甲冑と同じ要領で形成したものだ。

 彼がなにゆえに単独で行動しているのかというと、切嗣が一人になりたそうな雰囲気を醸し出していたからである。セイバーは空気の読める男だ、征服王や英雄王を誘いに行くのは任せろと言い、何かあれば令呪で呼べとだけ言って別行動を取っていた。

 

 ――切嗣は今、とある武家屋敷に潜む妻に会いに行っている。

 

 セイバーはそれを知らないものの、マスターの隠し事がどうにも善からぬものだとは感じていた。なんなら尾行して秘密を暴いてやろうかとも思ったが、人様の事情に深入りして首を突っ込む義理もないと割り切り捨て置いている。プライベートは大事なものだろう。

 ともあれ、セイバーは今後の動向を決定づけるための王の宴――さしずめ聖杯問答とでも言うべき茶番を開くために、最初は征服王のもとを訪れることにした。所在が割れているからだ。

 

 今頃アインツベルンの城では、久宇隊が歓待の準備をしていることだろう。それに間に合わせねばならない。アインツベルンの本拠から酒が届くのは明日の夕方だというから、予定をあらかじめ立てておく必要がある。円卓の潤滑油として働いたセイバーには慣れっこな仕事だ。

 やがて目的地につく。民家の前でバイクを停車し、インターホンを押した。

 

『はい、どちらさまでしょう?』

 

 老婦人の声がインターホン越しにするのに、セイバーは華やかな微笑みを浮かべると、外交向けの美声を作りつつ爽やかに言った。

 

「――私は()()()()()()()()()()()リンクといいます。私の友人がご在宅と聞きお伺いしたのですが、こちらはマッケンジーさんのお宅で間違いないでしょうか?」

『あら! ()()()()()のお友達? いるわよ、呼んでくるから待っててちょうだい』

「はい、分かりました」

 

 ――ライダーのマスターの名前はウェイバー、と。あとで切嗣に調べてもらおう。

 

 さりげに個人情報を奪取しつつ、腹黒な気配を滲ませる。今やブリカスとの蔑称を頂戴している国の、初代副王に相応しかったかな? そんなユーモアを含ませた軽快なジャブを放ったのだ。

 アレキサンダーという名は、征服王イスカンダルの別名――というよりアレキサンダー大王の別名がイスカンダルというべきか。そこに加えてセイバーリンクと聞けば、訪ねてきたのがセイバーだと嫌でも分かるはずである。

 案の定、家の中でドタバタと騒音が起こった。凄まじく慌てている。慎重な敵マスターでも、この奇襲的な来訪には度肝を抜かれたに違いない。

 

 暫く待っていると、少年の声が聞こえた。何やらセイバーに挨拶したがっている老婦人に、大声で絶対に出て来ないでよと言い聞かせているらしい。ほう……と唸る。一般人を傀儡にしていると思っていたが、どうやら軽い暗示だけで縛り、外道働きはしていないらしい。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()し、その親類縁者に累が及ぼうとも目を瞑る。かといって無関係で善良な市民を巻き込みたくはないと思っているセイバーからすると、この時点でライダーのマスターに対する心象はだいぶ好ましいものになっていた。

 

 現役時代。というより、人間としての生前。セイバーは副王として、多くの敵を殺した。

 その敵は当然誰かの子供であり、父親であり、祖父であっただろう者だ。残された遺族に対する慚愧はある、罪悪感だってある、だが味方と敵に分かれたなら手は抜かずに殺す。

 冷酷さも自然と具えた今のセイバーは、場合によってはマッケンジー宅ごと聖剣で吹き飛ばすことも視野に入れていたが――マッケンジーという人たちが無関係ならやめておこうと思う。

 

 生前なら躊躇はしても実行していた。しかし今は違う。現世だと今の自分は稀人であり、今を生きる無辜の民を巻き込むのは流石に違うだろうと弁えていた。

 

「――――」

 

 やがて、少年と大男が玄関から姿を現した。

 パンツと『大戦略』と記されたシャツを着たライダー、そしてウェイバーである。

 ウェイバーは、現代のスーツを纏っているセイバーを見て、絶句していた。まさか本当に自分が来ているとは信じたくなかったのかもしれない。

 未熟で、素朴だ。これがあのライダーのマスターか? 実際に見た感じ、こちらが懐いていた印象と違うが……外見で侮りはしない。セイバーはにこやかに手を差し出した。

 

「やあ、()()()()()くん。会えて光栄だ、握手してくれるかい?」

「なっ、な、僕の、名前を……!?」

 

 わざと名前を呼んでやると青褪めてしまった。おや、と思う。肝は小さいらしい。何か違うな。

 慎重だが大胆にも動ける、頭脳派なマスターだと思っていたのだが……これは……。

 

「おう、セイバー。昨夜ぶりだな? あんまり坊主を脅かさんでくれ、見ての通り小心者でなぁ、貴様と正面から対峙したとあっては、坊主の心の臓が止まりかねんのだ」

「ああ、昨夜ぶりだなライダー。元気そうで残念だよ、あのまま死んでたら良かったのに」

「抜かしよる。どうせ余やあの金ピカの戦を盗み見ておったくせにな」

 

 ずい、と前に出て、マスターを背中に庇ったライダーと対面する。セイバーは差し出していた手を引っ込めた。

 ライダーは外見上は無傷だ。しかし外見の傷を修復することなど霊体であるサーヴァントには容易いこと。実際には相応に消耗したままであるのは、セイバーの目にはハッキリと判じられた。

 面白くなさそうに鼻を鳴らし、幾分険しい顔でセイバーを睨むライダー。しかしすぐに気持ちを切り替えたのか、あのふてぶてしさに溢れる笑みを浮かべて口火を切った。

 

「まあよい。あれも戦の常、責めるのは筋違いよ。それよりセイバー、突然訪ねてくるとは貴様も大した肝っ玉だな。まさか余と真っ昼間から剣を交えるつもりか?」

「いいや、流石にこんな所に武器を持ち込むような真似はしない。心配しなくても今日は挨拶に来ただけだ。挨拶ついでに招待もしてやろうと思っている」

「ふむ? 招待か。なんとなく、戦を誘いに来たようには聞こえんが?」

 

 訝しむ征服王へ、そのまさかだとセイバーは笑みを深める。

 

「明日の夜九時に、私の城に来るといい。酒とその肴を用意して待っている」

「は……はぁ? そんなの行くわけない……です」

 

 あからさまに不審がり拒絶しようとするウェイバーを見ると、彼は露骨に怯んで語気を弱めた。

 弱い。こちらはなんの意図もなく視線を向けただけなのに……普段は気弱なタイプなのか? 戦場に立つと人が変わる人物を知る身としては、余りおかしくは感じない。しかし違和感はあった。

 まあいい。ひとまず用件だけは伝えよう。ライダーなら絶対に乗るが、マスターが反対して互いの関係にしこりが残り、反目し合うようになってくれるならそれでいいのだ。

 

 ライダーの陰に隠れる判断は正しい。本人が貧弱なら矢面に立たず、この場はライダーへ任せてしまうのは合理的だ。セイバーが去った後に、自らのサーヴァントと論議するつもりなのだろう。

 

「ほう、面白いな。酒宴でも開くつもりか?」

 

 予想通りライダーはニヤリと笑った。こちらの意図を全てとはいかずとも察したのだろう。

 その上で退けないと悟り、挑戦的に覇気を発する。何やらウェイバーが縮こまっているが……。

 とりあえず、ライダーの方に意識を傾けた。

 

「如何にも。何も武器を交えるばかりが戦ではない。聖杯に相応しい者を選ぶのが聖杯戦争なら、互いの格に納得がいけば引きさがれるだろう。私が設ける舞台は王の器を問う宴。さしずめ聖杯問答とでもいうもの。まさかライダー、この王の宴から逃げはすまいな?」

 

 クッ、とライダーは失笑した。

 しかしその呆れを上回る喜悦を抑えきれないのか、彼は大口を開いて大笑する。

 

「――ガッハハハ! なるほど、なるほど! 王の宴、聖杯問答か! 余に王の格を問うと! 互いの器を比べ合うと! その上で敗北を認めたら聖杯を譲れと抜かすか! ――面白いッ!」

「ら、らいだぁ……ぜんぜん面白くない……!」

 

 ウェイバー少年は必死に袖を引くも、ライダーは完全に無視している。憐れな……。

 

「その挑戦、受けて立とうではないか! 余は王として逃げも隠れもせん!」

「そうか。それはよかった」

「――だが!」

 

 まあ来るとは言うだろう。マスターが止めても。征服王は絶対に来る。

 ただし令呪を使われたらどうなるやら。ライダー達が来なければ令呪で止められたと判断できる。それなら彼らの関係に罅を入れ、なおかつ令呪を一画使わせられたことになり戦果になるだろう。

 どちらでもいい。ライダーの消耗具合はまだハッキリしないが、確認できたら御の字程度にしか考えていないのだから。

 しかしライダーは語気を強めてこちらを睨む。

 

「貴様は己の名を伏せておるままだ。招待した側が匿名では格好がつくまい。余を招くだけの宴であるのなら、今ここで己が真名を明かすがよい! あの金ピカはともかく、貴様は己の名を憚る気はないのだろう?」

「――道理だ。だが主催者として名乗ってやるとは言えないな。私はサーヴァントの倣いを忘れたわけではない。しかし貴公が我が宴に加わったなら、明日私の真名を明かしてやろう。貴公が我が真名を知り臆病風に吹かれては堪らないんだ。情報の持ち逃げは勘弁願おう」

「クッ。つくづく口の達者な奴よ。よかろう! では明日、改めて貴様に名を問う。この征服王に二言はない、必ず出向いてやる故に心して待っておれ!」

 

 結構。そう言い残して踵を返す。

 そして停車していたバイクに跨ると、ライダーは目を見開いた。

 このマシンの素晴らしさに気づくとは、流石はライダーのクラス。

 セイバーは子供のように興奮した征服王の声を、マシンの雄叫びで掻き消し走り去る。

 

 他人にお気に入りの玩具を見せびらかすこの感覚……癖になりそうだ。

 

 ともあれこれでライダー陣営の動向は二つに制限できた。

 来るならそれでいい。来ないなら令呪一画と関係の不和。どちらでもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクで走り、風を全身で感じる。

 

 歩道の通行人や、車道を走る車などから視線を感じるが気にもしない。

 あからさまに違法改造されているバイクだが、搭乗者はスピード違反も何もしていないのだ。興味津々で見てくるばかりである。通報されても逃げ切るのは容易だ。

 これから向かうのは教会だ。アーチャーに直接会って招待したら、何を言われて何をされるか読めないので、彼のマスターと繋がりのある教会を介して招待するつもりなのである。

 

 セイバーが単身で教会を訪れると、老神父が険しい顔で出迎えてくる。

 こんな騒音を撒き散らす鋼鉄の騎馬と、魔力の気配に気づかないわけがなかったか。

 

 セイバーは老神父が何かを言いかけるのを制し、一方的に告げた。

 

 ――貴様がアサシンのマスターを匿い、裏でトオサカと繋がっているのは分かっている。どうせアサシンも生き残っているのだろう。その不正行為に目を瞑ってやる故、弓兵に伝えるがいい。

 

 と、そんな感じで恫喝に等しい論を展開し、一切の弁明を聞かずに去ったのだ。

 

 我ながら野蛮だが、無法者に対する礼は裁きのみだ。野蛮なぐらいで丁度良いし、場合によっては魔術協会と聖堂教会の双方に告発するとまで脅せば、流石にアーチャーに話は通るだろう。

 通らなかったら? 普通に宣言通りにするだけだ。魔術協会の時計塔は嘴を突っ込む大義名分を得られてハッピー、聖堂教会は聖堂騎士だか代行者だかを動かす大義名分を得られてハッピー、皆が損をしない。その皆の区分に遠坂と監督役が入らないだけのことである。

 

 さて。バーガーはもうウンザリだ。今度は試しに焼肉店でも入ってみよう。流石に焼き肉ならそこそこ満足できるはず――そう期待して、冬木で一番大きな焼肉店に入って行った。

 

 そこで色々な肉や酒を注文し、商品が届くのを待っていると。ふと店員が訪れ、コトミネ様がセイバーリンク様とご同席したいと仰ってますが……と伝えられた。

 目を瞬く。コトミネ? なぜ彼が……不審に思いつつ、まあいいかと深くは考えずに了承する。食事の時は武器を握らない、我が家のルールだ。ルール違反を犯した者は飯抜きになるのである。

 

「やあ、招かれざるお客様だね、アサシンのマスター」

「………」

 

 やって来たのは長身の、目が死んでいる男だった。

 写真で顔は知っている。コトミネ・キレイだ。

 

 彼はセイバーの前まで来ると、立ったまま固まる。迷いやら、なにやらの心の動きが目に見えた。

 

「座りなさい。目の前に立っていられると気になって気が散る。私の肉を無駄にする気かい?」

「………………」

 

 長い沈黙。運ばれてきた無数の大皿が置かれ、焼かれている幾つかの肉を見て、明らかに戸惑いながらも呆れている様子の男は、長い沈黙の末に対面へ座った。

 

「……お前が、騎士王か」

 

 問われるも、セイバーは驚かない。

 やはりコンテナヤードでの戦いは見られていたか。アサシンから聖剣を見たと伝えられ、真名に気づかれている。だからどうしたという話ではあるが。

 

「そうだ。む……肉はあげないぞ?」

「要らん」

 

 切嗣の財布から出ている金だ、流石に他人に奢るわけにはいかない。

 そういう思いを込めて言うも、一蹴された。

 

 ――惚けた顔をしながらも、セイバーは裏で悩んでいた。

 

 このままアサシンのマスターを捨て置いていいものか……普通に始末しても良い気もする。

 見たところかなり鍛えているが、五秒……いやその半分もあれば斬り捨てるのは容易。

 とはいえ身の危険を顧みずにやって来た理由も気になる。

 裏取引でもしに来たのか? それなら話を聞いてから決めてもいいかとも思った。

 

 思ったのだが。

 

 どうやらそんなつもりはないらしいと、セイバーは言峰綺礼の発した問い掛けを聞いて悟る。

 

「騎士王アーサー。お前は……いや、()()()……我々教会の奉ずる主が、受肉した存在だとする説がある……それは、本当でしょうか」

 

 ああ、と内心呟いた。

 グレートブリテン建国神話を、聖書の亜種と捉え、解釈している輩もいるとは知っていた。

 つまりこの男は――()()()()()()()()()()()()()

 彼の様子からそう察して、セイバーは。

 

 極上の慈愛を浮かべ、微笑む。

 

()()()。それを知って、君は私に何を聞きたい?」

 

 目を見開き、生唾を呑み込む言峰綺礼に、セイバーは敢えて神性を全開にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




迷える子羊に絡まれる聖四文字(誤解)(詐称)



Q.
――受肉した存在だとする説がある……それは、本当でしょうか

A.
(説があるのは)本当だ。

嘘は吐いてないな……ヨシッ!


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それはそれ、これはこれなお話

 

 

 

 

 

 

 

 ジュゥゥ、ジュゥゥ。

 

 肉を焼くと良い匂いがする。匂いは大事だ、男の好む肉汁の匂いは食欲を唆る。そして音も良い。目の前で肉が焼かれて(育って)いく様を見ると、なんとも言えない興奮が口の中に満ちていくのだ。

 焼き肉とは元より大味だが、当たり外れが激しくない。普通にやっていれば普通に美味いものなのだ。嗜好品として楽しむなら、勝負となるのは肉の質、脂と赤身の比重、タレとの親和性。肉そのもののグレードや、最後の一手間で味は化けるとはいえ、これは食えないと思うような肉を出す焼肉店はそう多くはないはずである。多くないだけで存在しないとは言えないのは悲しいが。

 ともあれ肉という一点だけは期待を裏切らないはず。美食大国ニッポンで、食用に育てられた一流の家畜の味が悪いわけがない。少なくとも過去の基準では比較にもならないだろう。

 

 果たして一キレの肉を口に運び、舌が肥えすぎていたセイバーは納得したように首肯する。

 

「これだ。これでいいんだ。この舞台に限定すれば、肉の焼き加減で料理人も腕を魅せられる。だがそれ以外は何もできない、いや何もするべきじゃない。焼き肉とは皆で楽しく騒ぎながらヤるのもいいが、一人で黙々と楽しむのも風情がある。肉質に関しては完全に食用に育てられ、捌かれたもの。素材の味を楽しむと思えば文句をつける気にはならないな」

 

 現世に来て気づいたが、舌が肥えすぎるのも考えものだ。現役時代だと美味すぎて頬が落ちるはずの物に満足できず、心のどこかで常に妥協を強いられてしまうのだから。

 しかし一人で食事をするのはいつぶりだろう? 思えば遠くまで来てしまったものである。

 

「………」

 

 ――無言でセイバーを見詰める男は、何をどう言えば良いのか判じかねて困っていた。

 本当にこの男は、これまでの人生を捧げて信仰してきた主が、受肉して人間となった者なのか。疑わしく思う理性がある一方、肌で感じる神聖さと上位者の風格を本物と感じる本能がある。

 とうのセイバーはまるで目の前の自分など見えていないかのように、ただただ肉を焼いては白米と一緒に口に運ぶばかり。私は何をしている、と言峰綺礼は自問してしまっていた。

 しかし、ややあってセイバーは言峰の存在を思い出したのか、視線を向けてきた。

 

「ああ……すまない、現世の食事に集中し過ぎて君のことを忘れていた。それで、君は私になんの用があって来たんだい?」

 

 唐突に話を再開され、綺礼は言い淀む。自身の抱える苦悩や、何をしても満たされぬ絶望を、目の前の神性に問うために、身の危険も顧みずやって来たのだ。

 最初、アサシンからセイバーの正体を聞かされた時は耳を疑った。グレートブリテン建国神話という――モルガンという真性の悪魔を改心させ、教化するために受肉したという騎士王の伝説。騎士王となった主は、悪魔の満たされぬはずの欲望を満たし善性を与えた。そういう宗教的解釈が一部で、しかし根強く支持されているのは現代でも広く知られている。

 聖剣エクスカリバーを有する男性の騎士となれば、騎士王アーサーを措いて他にない。故に綺礼は衝撃を受けつつも、一縷の望みを掛けてアサシンへと命じ、セイバーの真名を時臣には伏せた。全てはこの時のため、自分自身がセイバーと対峙して己の本性を問うためだ。

 

 セイバーが教会に勧告しに現れた時は、天啓だとすら思ったものである。聖杯が己を選んだのは、ここでこうしてセイバーと出会わせてくれるためだとすら信じてみたくなっていた。

 だがいざ問いを投げる機会を与えられると、途端に言葉を紡げなくなってしまう。焼肉店という俗にすぎる場所のせいか? それとも長年の悲願の成就を前に、らしくなく興奮しているのか。

 主なのかと問い、目の前の存在は是と答えた。故に綺礼は疑う気持ちを捨てたのだ。主であるなら嘘を吐くわけがないし、騎士王であってもそれは同じはずだと思い込んでいたからである。

 

「……主よ。どうか、愚かな私の蒙を拓いて頂きたい。我が積年の求道へ、救いをお与えください」

 

 堅苦しく、重苦しく、切実に懇願する。跪き祈りを捧げたい――が、焼肉店の一席にいるためそれはできない。やりにくさ、もどかしさを覚えつつなんとか告げると、彼は言った。

 

「構わない。王ではなく、英雄でもない、ただの先人として後進(若者)の悩みに耳を傾けよう。私に答えられるのなら、私なりの答えを啓示してもいい。だが忘れないでほしい、今の私はサーヴァントだ。サーヴァントという『人の殻』を得て人間性を獲得している存在に過ぎない。故にコトミネ・キレイ、私は君の求める完全な神性としては答えられないだろう。それでいいのかい?」

「構いませんッ。私はただ、私が抱えるこの苦しみの正体を知りたいだけなのですッ」

「ならばいい。さあ……胸の内を明かしてみなさい。たとえ如何なる問いであろうと、真摯に答えることを約束する」

 

 語気も強く断じる。たとえ完全な神性でなくとも一向に構わなかった。綺礼の本気を感じたのかセイバーは慈悲深い微笑みをそのままに、綺礼の告白を聞く体勢になる。

 だが、どこから話したものか。何を話したらいいのか、いざとなると咄嗟には出てこない。

 どうしてだ。なぜ、言えない。こうした救いの糸を求め、答えを探し続けてきたはずなのに。

 いつまでも沈黙している綺礼に、セイバーは呆れたのか――いや、違う。単に残酷な現実を突きつけた。

 

「――ああ、コトミネ。私はここから出たら君を殺す」

「……は?」

 

 あまりに端的な決定に、綺礼は間抜けな声を発した。

 

「言っただろう、今の私はサーヴァントだと。そして君はアサシンのマスターだ。敵対しているマスターを仕留められるのに、むざむざ逃したとあっては、サーヴァントとしての使命を果たしていないことになる。使命を帯びて現界して、私のマスターに力を貸すと決めた以上はそうする他にない。つまりだ、コトミネ……語るなら全てを曝け出しなさい。外に出たら死ぬ――君に後はないんだ。思い残すことがあっては死ぬに死に切れないだろう? だから何も隠す必要はないんだ」

 

 綺礼は束の間、絶句していた。

 

 私が死ぬ……? 死は、別に恐ろしくはない。だが、何も得られぬまま死ぬのだけは、嫌だ。

 

 そう思うも、冷静になって考えてみたら納得した。

 おそらく、彼は綺礼を殺すつもりはない。主がいたずらに命を摘み取るとは思えないのだ。

 しかし敢えて厳しいことを言い、退路がないという形を取ることで、綺礼が躊躇いを捨てられるようにしてくれたのだろう。慈悲深いことだった。綺礼は感謝し、迷いを捨てた。

 今この時だけは、己の中にあった蓋を外し、自分自身の理性で抑え込んでいた何もかもを吐き出してしまおう。後がないのだと思えば――何も躊躇う必要はない。

 

 たとえ己の性が畜生に等しかったとしても、主は軽蔑なさらない。

 迷える信徒を救うために答えを齎してくれる。

 綺礼はそう信じることができた。

 セイバーには殺気は欠片もなく、ただただ慈悲深い表情だったから。

 

「――分かりました。では、長くなりますが私の半生と、我が醜悪な本性をお聞きください」

 

 そう前置きをして、綺礼は語り出した。己の懊悩に満ちた求道の日々を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言峰綺礼は、由緒正しき聖職者の息子として生まれた。

 

 しかし彼は万人が美しいと感じるものに共感できず、醜いものを好み、他者の苦痛と不幸に幸福を感じてしまう人間だった。家の生まれ故か道徳や倫理に関して理解しており、己も良識を具えてしまっていたから、他者とのズレを正すために苦しい修行に身を投じたのだ。

 

 綺礼は幼い頃から父の巡礼の旅に従って世界中を巡った。父のもとで代行者見習いとして修練を積みもした。己の歪な性を正そうと信仰の道を歩み、自傷に等しい鍛錬を欠かさずに行なった。

 二十二歳で聖イグナチオ神学校を二年飛び級、主席で卒業し、同年に一人前の代行者として二度目の洗礼を受けて聖堂教会に配属された。この頃に綺礼は人並みの幸福の実感を得るための、最後の試みとして妻を迎えた。死病を患い余命僅かな女をだ。

 なぜそんな女を選んだのか。その女しか選べなかったのか。今思い返しても妻とした理由は判らずにいる。ともあれその女と二年ほど暮らすが、女は綺礼の歪みを理解した上で愛し、綺礼も彼女の愛に応えようとしたが、結局は真っ当に愛してはやれなかった。

 

 だが駄目だ。綺礼にとって女の苦しみ、絶望だけが幸福で。愛そうとすればするほど愛する者の苦しみに快楽を見い出し、そんな己を女が癒やそうとするほどに嘆かせたいと願ってしまう。

 聖職者の父のもとで修行しても、信仰の道を歩もうと、さらには家庭を持っても歪みを正す試みは挫折した。そんな己に絶望し、自分は生まれるべきではなかった生命であり、間違いは正されなければならないと結論して、自らの命を絶つことを決意したのである。

 だが。最期の別れを告げようとした綺礼に、女は言ったのだ。

 

「私にはお前を愛せなかった」

「――いいえ。貴方は私を愛しています」

 

 妻は微笑み、まるで綺礼の代わりを果たすかのように自害した。

 彼女はおそらく、自らの死を以て、綺礼が人を愛せる、価値のある人だと証明しようとしたのかもしれない。だが綺礼がその時に懐いた想いは――どうせ死ぬのなら、この手で殺したかった、という破綻したもの。女の死を愉しめなかったという損得の感情である。

 この瞬間、綺礼は宗教の道に背を向けることを決心する。妻の死後は代行者としての任務と修練に専念していたが、令呪を発現したことで今に至る。

 

 

 

 

 ――セイバーは静かに、赤裸々な懺悔を聞き届けた。

 

 

 

 言峰綺礼は驚いていた。自分自身ですら自覚のなかったことまで、すらすらと口を衝いて出て来たのだ。相手が聞き上手で、合間合間で相槌を打ち、時には質問したから出た本質なのだろう。

 改めて自覚すると、綺礼は自嘲する。私はやはりこんな人間だったのか、と絶望すらした。

 包み隠さず全てを語った事で、己ですら把握していなかった悪性を知り、己の父は犬でも孕ませたのかと嗤いたくなる。だが、セイバーが無言で取皿を差し出してきたことで、彼は困惑した。

 

「――うん。とりあえず、食べなさい」

「……は?」

「私のマスターの金だが、まあいいだろう。奢りだから遠慮はしなくていい」

 

 差し出された取皿には、焼き上がったばかりの肉が数枚ある。

 戸惑いを隠せない彼だったが、有無を言わさぬ雰囲気に折れ、渋々箸を使い肉を口にした。

 ……美味い。抱えていて全てを吐き出したことで、胸が軽くなったからだろうか。

 

 ゆっくりと味わいながら咀嚼していると、セイバーはなんでもないように言う。

 

「とりあえず、病院に行きなさい」

「…………?」

 

 口の中に肉があるので何も言えなかったが、綺礼の頭の中に疑問符が浮かぶ。

 病院? なぜ? と。

 

「一つのことに打ち込むのは美徳だ。だが、君の世界は余りに狭い。私から言えるのはもっと広い世界を見ろということだね」

「……広い世界を?」

 

 急いで嚥下して反駁すると、セイバーは頷く。真摯で、真剣な面持ちだ。

 

「君のような人間は珍しくはあっても皆無ではない。では君以外の破綻した性癖の持ち主は、皆が皆犯罪者になってしまっているのか? 答えは否だ。大部分は己の性に折り合いをつけて、うまいこと自身の幸福を満たそうと足掻いている。もちろん健常な性癖の人間にも同じことが言えるだろう。君がそうして折り合いの付け方に失敗した理由は、生き方が不器用過ぎるからだ」

「…………」

「君は他人が堕落したり、足を踏み外して外道に落ちるところが見たいと思っているわけではない。そうした過程に触れることでしか己の生の実感ができないだけだ。私が保証しよう、君は正しい修行をして、まともな道徳観念や精神性を持ち合わせている聖人だよ」

「私が……聖人? そんな、そんな馬鹿な……」

「聖人だとも。そうでないなら、()()()()()()()()()。これまで生きて来られた時点で、コトミネ・キレイという男は常人を凌駕する精神性を獲得するに至った傑物だと評価するに値する。うん、私の現役時代でなら、是非とも部下にほしかったところだ」

「……………」

 

 まさかだ。まさかまさかの、べた褒めだった。

 

 己の悪性を曝け出したのに、こうまで肯定されるとは思わず、綺礼は呆然としてしまう。

 否定されるべきだ。断罪されるべきだ。なのに、騎士王として部下に欲しいだと……?

 こんな……こんな自分を?

 

「な……な、なぜ……そのような……」

「己の悪を知り、己の起源を知り、その上で正しく在れる君だからだ。普通の人間には真似できまい……いや、真似しようと思うことすらできず、ただただ己の悪に呑まれ苦しむだけだろう。部下に欲しいと思うのは当然だ。しかし、君は別に騎士になりたいわけじゃないだろう? 己の在り様、己の如き間違った生命が、どうして此の世に生まれ落ちたのかを知りたい。そうだね?」

「……はい。望外のお言葉を賜り光栄ですが、私はその答えをどうしても知りたいのです」

()()()()()()()

 

 セイバーは、綺礼の懊悩を一刀両断した。

 目を見開く彼が絶望するよりも先に、セイバーは続ける。

 

「命が生まれるのに理由なんてないのさ。生まれたから、生きる。そこに大義や目的は必要ない。君はそういう性質を帯びて生まれ、その性を正して万人と共感したいと願っている。その道を捨てる必要はないんだ。なぜならね、君の悩みは簡単に解決できるからだよ」

「簡単に……?」

「そうだ。さっきも言ったが、君の世界は狭い。人間の強みはなんだ? 数だよ。集合知こそが人間の強さだ。――もっと広い世界に触れてみるといい。君と似たような人間に出会えるはずだよ。出会えなくても病院、いいやそこらを歩く市民でもいい、話を聞いてもらえば容易く答えを出す人もいる。故に出し惜しむものじゃない、私からその答えを言ってあげよう」

 

 拝聴する。姿勢を正し、綺礼は神託を待つ敬虔な信徒の姿となった。

 そんな彼にセイバーは微笑み、言ったのだ。彼の人生の指標となる、揺るぎなき骨子を。

 

()()()()()()()()()

「……不躾ながら、ルールとは?」

「多くの男性が抱える一般的な性欲を、解消するための職業があるように。平凡で平坦な日常に飽きて刺激を求め、テレビゲームなどの娯楽に欲望の矛先を向けて発散する者がいるように。君は君自身の欲望を吐き出すことを厭う必要がない、最適な環境と相手を見つければいいのさ。それだけで君は救われる。私が救うまでもなく、勝手にね」

「…………」

「分かりにくいかい? ならもう少し噛み砕いて言おうか。つまり――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。君に足りないのは自己肯定感と、広い世界と、環境と、相手だ。自分自身を認め、己の歪んだ欲望を叩きつけても文句を言われない相手を探し、過ごしやすい環境を作れと言っている。そうすれば、君は自ずと充足を得られるだろう」

 

 目の前に光が差し込んだかのようだった。

 呆然と、光り輝いて見えるセイバーを、綺礼は見詰める。

 簡単だった。あまりにも簡単に、簡単な答えを提示された。

 どうして今の今まで気づかなかったのか……どうして見えなかったのか。

 不思議に思うほど、簡潔で、明瞭な、答え。

 

 綺礼は、生まれて初めて、感動に打ち震えた。今まさに産声を上げたかのような、清々しさすら感じている。目の前に立ち塞がっていた壁が、実は紙のように薄いものだと気づいたかのように。

 感謝を伝えたい。彼の言うことを試せば、きっと――道は拓ける。綺礼はそう確信した。

 

 確信したのだ。

 

 だが。

 

「――さて、人生相談は終わりだ。店を出なさい、殺してあげよう」

 

 あまりに簡単に言うものだから、素直に従おうとして。

 次いで、彼の言葉の意味を理解し、固まった。

 

「……いま、なんと?」

 

 堪らず反駁すると、セイバーは苦笑した。

 

「君の願いに応じて答えたけどね、最初に言ったはずだ。今の私はサーヴァントだと。そしてそうであるなら自分のマスターを勝たせる責務がある。ならば敵である君を見逃す道理はない」

 

 違うか? そう問われ、何も違わないと悟る。

 

 ――命を捨てる覚悟はあった。命懸けで問う覚悟でここまで来た。

 

 だが。いざ、殺すと言われ。

 人間では……たとえ代行者でも到底敵わない、サーヴァントに殺害予告をされて。

 言峰綺礼は、死にたくないと、思ってしまった。

 

「……取引を。取引を、させていただきたい……っ」

「うん?」

 

 無意識に言っていた。情けなく、声が震えている。

 セイバーは変わらず、慈悲深い貌のまま……それが却って恐ろしい。

 

「取引、取引ね。いいだろう、言ってみるといい」

「……アサシンを今すぐ、令呪を全て費やし自害させる。それで私を見逃してはくれませんか?」

「それなら見逃そう――と、言いたいが。それは勿体ない、どうせ死なせるなら利用したいんだが、構わないかな?」

「構いません」

 

 即答する。即答する他に道がなかった。

 生存への欲求に突き動かされ、焦りに焦ってしまっていた。

 故にセイバーはその心理的な隙を突いて言う。要求する。

 

「明日の夜、アインツベルン城で宴を開く。そこにはアーチャーとライダーを招いていてね。宴もたけなわになると余興が欲しくなるだろう? つまりだ、コトミネ・キレイ。その時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 綺礼は要求を呑んだ。果たしてセイバーは破顔し、会計を済ませると彼を連れて店を出る。

 マスターの切嗣と合流して、セルフ・ギアス・スクロールで今の密談内容で契約させるのだ。

 

 騎士王は主なのだろう……だが受肉し騎士王になったせいで、おそろしく人間的だ。

 綺礼はそう思い、微かに後悔の念を懐いたが。自分が裏切ったら師や父がどんな貌をするのかと、楽しみができた子供のような貌をしていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




私(個人)は許そう……だがコイツ(サーヴァント)が許すかなっ!?

多くの感想、評価ありがとうございます!! 励みになります!
また誤字脱字を毎回修正してくださる皆様に感謝を! いやほんと誤字脱字多くてすみません……。

皆さんがいるから作者は頑張れる……好き(はーと)


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前編の聖杯問答のお話

 

 

 

 

 

 未開拓の山々が聳える、冬木市郊外に広がる鬱蒼とした森。其処はアインツベルンの私有地となっており、踏み込んだ者を迷わせる魔境と化している。私有地全体に敷設された巨大な結界の探知能力は高く、名のある魔術師でもなければ探知の網を潜り抜けるのは困難を極めるだろう。そして森の中心には極東の国には不似合いな西洋城があり、その防備は堅牢という他にない。

 魔境の中央にあるアインツベルン城は、常冬であるかの如く寒く、明かりが落とされるのは稀となる不夜の領域だ。対霊加工が施された城壁は木っ端の霊の侵入を阻み、それこそ英霊のように高い霊格でもなければ立ち入るのは不可能である。まさしく古き貴族の魔術師が籠もるに相応しい魔道の城塞で、攻め入った者は誰であれ相応の犠牲、出血を覚悟するだろう。

 

 例外は、サーヴァント。斯くの如き不夜城に、雷鳴が轟く。

 

 誰に憚ることなき車輪の回転、雄々しい牡牛の蹄が虚空を踏み砕く。戦車の疾走はいとも容易く魔境の森を耕し、城壁を突破するだろう。しかし彼らは城の主達に招かれた賓客、結界は解かれ城門は開放されていた。招かれた客も不法侵入を果たすわけではない故に、わざわざ森を焼き払いながら進んではいない。正々堂々、威風纏いし征服王として正面から入場した。

 それを左右に分かれて整列し迎え入れる美女達。造形の整った白髪赤目の彼女達は、例外なく戦闘用に鋳造されたホムンクルスだ。人形めいて美しい彼女達は人間に有り得ない膂力を有し、超一級の魔術師であろうと対決を避ける強力な軍勢である。

 

 今聖杯戦争で対抗できるのは、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトのみ。そんな彼でも勝機は低いと判断するはずだ。故に戦車の中にいた少年、ウェイバー・ベルベットは怯えてしまう。

 

「ら、ライダー……コイツら、襲って来たりしないよな……?」

 

 本当は来たくなかった。だがライダーは強硬に招待に応じるつもりだ。この豪放磊落な英霊に言うことを聞かせられないと諦めていたウェイバーが、令呪の存在を意識しなかったわけがない。

 しかし簡単に命綱である令呪は使いたくなかった。それに、ここに出向けばセイバーの真名を知れるとあっては、出向くだけのメリットもある。煩悶としたが、少年は渋々ライダーに同行した。

 

「安心しろ、坊主。小奴らは襲っては来ん。何せセイバーは王として余を招いたのだ。客人を襲ったとあっては王の名に傷がつこう。セイバーは自らの名誉に傷がつくことは気にせんだろうが、王としての名であるなら話は別だ。王とは国そのもの、謂わば看板よ。国の名誉を貶める真似はせん。……まあ仮に彼奴が血迷って襲って来ようとも、余には通じんさ。だからそう怯えんでもいい」

 

 このホムンクルス達は、ライダー達に対する見せ札だ。自分達はこれだけの兵力を備えていると、いざとなれば投入可能だと示して武威を見せた。

 生前であればこの程度の部隊、数からして恐れるに値しないが、通常規格のサーヴァントは現代にまで自分の軍勢を連れては来れない。故に相応の頭数を用意されると脅威になる。

 セイバー陣営、恐るべし。そう思わせたいのかもしれない。

 だが――ライダーに()()で威圧するのは全くの無意味だった。ニヤリと笑うライダーには自信が漲っている。その様子を見てウェイバーは安堵した。コイツが言うならそうなんだろう、と。

 ウェイバーはいつの間にかライダーの言葉を信じるようになっていたが、何もおかしくはない。何せ今の彼はまだ十代も半ばの多感な少年なのだ。そんな彼が史上にその威名を刻む大王と身近に接し、なんの影響も受けないというのはありえない話である。

 

「余のマスターであるならば胸を張れ。坊主、ここが度胸の示しどころだぞ」

「っ……わ、分かってるよ!」

 

 戦車から降りるや、牡牛と戦車が消える。自らの脚で堂々と歩むライダーの後ろに付き、ホムンクルスが先導する後に続いて行く。

 城の中の備品、調度品の質や量、背景は全てのバランスが計算され尽くしたものだった。まさに完璧というべきだろう。良い城だなとライダーが呟くが、無理もない。彼の生きた時代には無い、洗練された文明の差が征服王の欲望を刺激する。征服したいなぁ、余の城にしたくて堪らん。そうした呟きを聞こえていないフリをしてやり過ごすウェイバー少年だった。

 こうなったライダーの相手は面倒なのだ。本当なら悪態の一つでも吐いてやりたいところだが、ここは敵地。己のサーヴァントと反目していると思われたくなくて、敢えて無視する。

 

 やがて回廊を抜けた先、豪華絢爛なる一室へと案内された。扉を開き恭しく一礼するホムンクルスに当然といった顔で入室するライダーと、思わず頭を下げ返してしまうウェイバーだったが。室内にいた面子を見て、彼らは主従揃って表情を動かしてしまった。

 ライダーは微かに眉を。ウェイバーは、露骨に驚愕して腰を抜かしてしまいそうになる。

 

「ほぉ……こりゃ魂消(たまげ)た。セイバーめ、()()()()()()()()()()()()()()

「せ、()()……!?」

 

 どういう意図で用意した物なのか、その部屋の中心には()()()()()があった。そしてそれを囲う八つの席の内、五つは既に埋まっている。

 一組はセイバー陣営。セイバーと無表情の衛宮切嗣。

 一組はランサー陣営。ランサーとケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 一人はアーチャー。無言で佇む彼の隣は空席だ。

 ホムンクルスの戦闘メイド達が、残りの席にライダー達を導こうとするものの、ウェイバーは自らの師である男の顔を見て固まってしまっていた。

 

 対して神経が細そうな金髪の男は、ウェイバーを見るなり不快げに顔をしかめる。

 

「――ライダーのマスターとは君だったのか、ウェイバー・ベルベットくん? よもやこの私の聖遺物を盗み、自ら聖杯戦争に乗り込む腹積もりだったとは……そんなにも私の特別講義を受けたかったのかな? 私も暇ではないのだが……こうなっては仕方あるまい」

「ひっ……」

 

 堪らず喉を鳴らして短い悲鳴を上げるウェイバーを、憎たらしそうに睨むケイネス。彼は自らの愚かな生徒に向け、殺気も露わに魔術師の恐ろしさを教え込んでやるべく恫喝しようとした。

 しかし、それを遮るようにセイバーが口を開く。さも意外そうに――いや、本当に意外だった。別に意図的に遮ったわけではない。

 

「ケイネス、彼と君は知り合いなのかい?」

 

 まるで既知の間柄のような気安さだ。ケイネスはセイバーに声を掛けられるや殺気を消し、柔和な笑みを浮かべて応答する。師のはじめて見る表情にウェイバーは瞠目する。この男は、こんな顔をする男だったのか……? 時計塔で見たことがあるケイネスの、神経質な顔しか知らないウェイバーにとっては意外なものだったのだ。

 だがケイネスは元々天才であるが、敬意を払うべき対象には相応の態度を取る。なぜなら彼は貴族でもあるのだ。誇り高き一門の当主として、恥ずかしい姿は晒せないのである。

 

「――ええ。この愚か者は、不本意ながら私の生徒です。()()()はこの者をご存知で?」

「いや、先日顔を見たばかりだ。しかし素晴らしい縁だ、彼には目を掛けてやるといい」

「なんですと? なぜ貴方様ともあろう御方が、このような者にそんなことを……」

 

 セイバーがにこりと微笑みウェイバーを見る。あまりに華やかな微笑には、悪意など欠片もない。

 

「数多の英雄を統べた私の勘だ。ライダーのマスター……彼は一廉の人物たる器の持ち主だよ。彼が教え子だというのなら、ケイネス、君は幸運だ。才能の卵を育てる機会を得られたのだからね」

「この者が才能の……? いや、しかし……」

「思い当たる節はあるんじゃないかな? 何せ君は優秀だ、他者の才を見抜くなど造作もあるまい。見たところ魔術師としては……少し残念だが。彼の家は歴史が浅い、そうだろう?」

「御慧眼です。ウェイバー・ベルベットは三代目、魔道ではまだまだ新参。貴方様の仰るように、提出された論文などの、要点を整頓する才は評価に値しますが……如何せんまだまだ若い。如何に優れた着眼点を有そうとも、歴史の浅さ故のコンプレックスを前面に押し出すなど未熟極まる。このような若造のどこが貴方様のお眼鏡に適ったのですかな?」

 

 ツ、と向けられた冷ややかな眼差しに背筋が凍るも、同時に意外の念にも駆られる。ケイネスの発言にはウェイバーを認めるような響きがあったからだ。時計塔では散々に酷評していたのに。

 

「色々とあるが今は重要じゃない、割愛しよう。君も師であるなら偉大な者を育てるといい。今は愚かで未熟であろうと、自ら聖杯戦争に飛び込むような行動力の持ち主だ。叩けば伸びるだろう」

「……他ならぬ貴方様の仰ることだ。一考しておきましょう」

「それでいい。ウェイバーくん、君も掛けなさい」

 

 促されると気づいた。いつの間にかライダーは自分の席についている。慌ててウェイバーがその隣の席に座ると、セイバーは席から立ち上がって全員を見渡した。

 

「これで役者は揃った。残念ながらアーチャーのマスターは欠席するようだが……彼の自由意思による選択だ、責めはすまい」

「ハッ、よく言う。端から招く気がなかっただろうに」

 

 混ぜっ返すようにアーチャーが嗤う。それに対してセイバーは肩を竦めた。

 

「まずは私の主催する宴に足を運んでもらったこと、厚く感謝する。そして主催した者として、改めて我が真名を告げておこう。――私の名はアーサー・ペンドラゴン。ブリテンに於いて騎士王の号で知られた者だ」

「き、騎士王だって!?」

「ほほぉ……なるほど道理で……貴様が騎士王であるなら、余に対する侮蔑にも納得がいったわ」

 

 あまりにすんなりと名乗られた真名に、ウェイバーは驚愕してしまう。

 ライダーも不敵な笑みを口元に刷いた。

 

 アーサー・ペンドラゴン。グレートブリテン建国神話において語られる伝説的君主。その名を知らぬ者は西欧諸国はおろか、極東たるこの地にもほとんどいないと言っても過言ではない。

 数々の偉業を成し遂げ、終には神へと至り人の世から去った、聖四文字の化身とも謳われる大英雄。あのケイネスが敬意を示すのも当然だとウェイバーは理解した。おそらくこの席に招かれる以前から真名を知っていたのだろう。騎士王とはグレートブリテン統一王国の、建国の祖と言っても過言ではないからだ。貴族でもあるケイネスならば、傅いても不思議ではない。

 

 ――それだけではない、とはウェイバーは思い至らなかった。

 

 貴族であるから騎士王の名に傅くのは必然というのはある。だが彼は魔術師でもあるのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 さもなくばこうも上位者に対するような態度など取りはしない。無論、裏で取引があったことを明かす気はケイネスにはなかった。

 

「はじめに手元の盃を干すといい。それは我々が用意した酒を不味いなどと大口を叩いたアーチャーが、わざわざ供出してくれたものだ。宴を始める前に、まず口を潤しておこう」

 

 円卓の上には黄金の盃がある。中身が酒であると知らぬまま、ウェイバーは恐る恐る口を運んだ。毒であると疑う気持ちは今のウェイバーにはなかった。

 それほどまでに騎士王という名への衝撃は大きかったのだ。

 果たして盃を口に運んだウェイバーは、その正体が酒だと認識する前に、余りの美味さに脳天を殴りつけられたかのような感覚を覚える。むほぉ! 美味い! そう叫ぶライダーの他にも、ケイネスやランサー、衛宮切嗣までも目を見開き呆然としてしまっていた。

 

「――うん、美味い。これほどの美酒、神代でも滅多に手に入らないだろう。流石はアーチャーだ」

「フン。我が蔵に収まる物はその全てが至高のものよ。粗末な酒しか出せぬ貧しい者などより、我の格が上である証拠だな」

「おいおい、そう結論を急くではないわ。酒の味の良し悪しで王の格が決まるわけがなかろう」

 

 得意げに断ずるアーチャーに、ライダーが呆れたように言った。確かにその通りだ。幾らなんでもそれはないと全員が思う。――セイバーを除いて。

 

「いや、あながち否定はできないぞ、ライダー」

「なんだと?」

「財の豊かさは、すなわち国の豊かさにも直結し得る。国を富ませた結果として、これだけの美酒を手に入れたとするなら、アーチャーは紛れもなく王たる責務を果たした名君と言える」

「――()()()のか、セイバー」

「ああ。素晴らしい財だ、羨ましくなる。だが生憎と、此度の席は()()()()()()()()が前提だ。有する財の多寡で優位に立ったと思わないでほしいな」

 

 感心したように目を細めるアーチャーに、セイバーは頷く。それに、と彼は言った。

 

()()()()()()()で言うなら、私も負ける気はないぞ」

「ほう。貴様がそう言うのなら期待してやろうではないか」

 

 アーチャーが秘蔵の酒を出し、飲ませ、格が決まったようなものと言ったことの()()を見抜いたからだろう。黄金の王は微かな期待を滲ませて、セイバーの出し物を待った。

 騎士王が手を叩く。するとメイド達が入室し、客人たちの前に配膳していった。量で言えば()()()であり、仄かに湯気が立っていることから出来たてのように見えた。

 最後にセイバーと切嗣の前に配膳すると、麗しきメイド達は一礼して退室していく。

 

「冷めても美味いが、まずは一口食べてみてくれ。後は思い思いにやってくれたらいい」

 

 促されるままナイフとフォークを持ち、それぞれに出された物を口にする。

 匂いからして絶品であり、涎が止まらなくなっていた。全員がだ。

 

「ッッッ!! 美味い! 美味すぎるッ!!」

 

 絶叫する。征服王が雄叫びのように吠えた。口にした美食で頬が落ち、あるいは脳が痺れ、溶けるかのような至福の味。ウェイバーやケイネス達、生身の人間は途方もない悦楽に、無意識の内に落涙してしまうほどである。これにはさしものアーチャーも瞠目していた。

 それぞれが思い浮かべたのは、それぞれの根幹にある想い、あるいは思い出――郷愁、敬慕、懐古。そして手放し難い理想。なんの魔術的な力もない料理で、心が満たされていく幸福。

 静かに口にし、静かに食器を置いたアーチャーが、爛々と目を輝かせてセイバーを見る。彼だけではなくライダーもまた見遣った。王達の瞳が自身を見詰めるのにセイバーは肩を竦める。

 

「どうかな? 出し物の素晴らしさで言えば、私の勝ちだろう。これでもまだ自らの格が最も上だと言い張れるのか、アーチャー」

「……いいや、()()()()()()()。我の言を撤回してやる。さあ宴を始めるがいい、騎士王。興が乗ったのだ、王のなんたるかを言の葉にて示す労を割いてやろう。光栄に思え」

 

 フ、と貴公子然とした笑みを湛え、彼はまずランサーを見た。

 

「今一度聞いておこう。ランサー、君は聖杯に何を望む?」

「――何も望まん。オレは生前の悔いを晴らすため、二度目の生である此度こそ、主に曇りなき忠義を捧げる。こうして召喚された時点で、既にオレの願いは叶っているんだ。故に、後は我が主に勝利を。そのためにオレは槍を振るうまで」

「結構。ではケイネス、君はどうだ」

「……一身上の都合です故、明かす気はありません。しかし私には聖杯に託す願いなどない。そのようなものに頼らずとも、我が望みはこの手で叶えられるので。畢竟、()()()()()()()()()()()()()()()()()、聖杯戦争から手を引くのも吝かではない」

 

 ケイネスはそこで一旦言葉を切り、衛宮切嗣を睨みつける。

 凄まじい怒りだ。もはや憎悪の域に達している。

 時計塔の魔術師なら胆を潰す殺気を向けられるも、とうの切嗣は完全な無視を決め込んでいた。

 

「ただしそれは、そこな溝鼠を始末したらの話。……この者は卑劣にも私の不意を突き、あまつさえあのような野蛮な武器でこの私を傷つけた! この屈辱を晴らさずして時計塔には帰れない。貴方様のような御方のマスターには到底相応しくないでしょう、もし私がこの者に誅伐を下し、貴方様がランサーに勝ったのなら、私が貴方様のマスターに成り代わっても構いませんぞ」

「生憎と、依代を失った後でまで生き恥を晒すつもりはない。よって我がマスターが脱落したなら私は大人しく退去するさ」

 

 そこまで言って、彼は再び全員を見渡す。今の遣り取りをするためだけに、ランサー陣営に声を掛けたのだ。いわゆる前座、デモンストレーション。宴の趣旨を見せたのである。

 ランサーはなんとも言えぬ、不満とも取れる表情で悔しさを滲ませていたが……彼ら主従の関係性にまで気にする者はどこにもいなかった。

 

「――このように私の属する陣営は、ランサーとケイネスの陣営と約定を交わしている。後日、私とランサーは一騎討ちを行ない、どちらかが退去するまで戦う。同じように我がマスターとケイネスも一対一で戦うとセルフ・ギアス・スクロールにて契約している」

 

 セルフ・ギアス・スクロールだって……!? そう愕然と呟いたウェイバーが、切嗣を正気かとでも言うように見た。この見るからに生気のない、うだつの上がらぬ男が、時計塔にてロードの座の一角を占める天才と戦う? 命知らずなのか。自殺行為としか思えない。

 少年の視線に、やはり切嗣は反応を示さなかった。まるで心ここに在らずといった風情で、あまりにも何も見ていない。手元にある料理を見下ろし、深い苦悩の徴である皺を眉間に刻んでいた。

 

「――此度の聖杯問答とはつまるところ、()()()()()()()()を行うことを命題としたものだ。なんせ我々アインツベルンから見ると、監督役は余りに頼りない。都市部でサーヴァント同士が無秩序に戦っては、無辜の民草が徒に傷つく恐れがある故に、反対意見は出してくれるな。まあ王たるを自認する者なら当然の心得だとは思うけどね」

「ハッ。雑種が幾ら死のうと知ったことではないが……元より眼中にはない。自ら手を下しに出向くような真似、貴様が言わずともやる気はないわ」

「うむ。当然ではあるな」

「――実に結構。貴公らには武で勝利を奪うより先に、弁にて己の優位を説いてもらう。弁にて敗れても納得がいかぬなら武に訴えてもいいが、誰が誰と、どこで、いつ戦うかは決めてもらおう。こんな乱痴気騒ぎは早々に終わらせてしまうに限る。そうだろう?」

 

 征服王が。

 アーチャー――英雄王が。

 題目を告げる騎士王を見据え、望むところだと、面白いと言うように嗤う。

 セイバーは全く怯まず、にこやかに告げた。

 

「最後に。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。必ず上下は定めよう。異論は?」

「無いッ!!」

「あるわけがなかろう。言うまでもなく、我が頂点だがな」

 

 男らしく頷く征服王と、傲然と構える英雄王。彼らを見比べ、騎士王もまた不敵に笑んだ。

 

 

 ――聖杯問答、ここに開幕である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ランサー陣営との約定の話は、彼らとの戦いの時に明かします。
切嗣と綺礼の邂逅と、元気がない切嗣くんの様子の理由も後ほど。

聖杯問答にかこつけて、聖杯戦争をトーナメント式に持っていこうとするセイバーさん。さりげなくランサーと自分を結んでのシード枠を掴んだ。問答の推移次第で最悪ライダー・アーチャーとの連戦になるかもだが、そういう形にはならない、させない自信がある模様。


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中編の聖杯問答のお話

 

 

 

 

 

 匂い立つ美酒と美食。鼻孔より吸い、胸いっぱいに呼吸をすれば人は悟るだろう。

 食事とは腹を満たすためだけのものではない。満ちるのは腹だけではない。

 匂いとともに肺も膨らみ、胃の他に脳までも歓喜に打ち震え、抗えぬ多幸感に包まれる。

 美味とは、舌のみで味わう感覚に非ず。その鼻で、目でも愉しむもの。天上の美食に勝るそれを知れば、今後如何なる価値観の者であれ、食を疎かにしようとする者は現れぬだろう。

 

 ――そして、視覚を以て愉しむのであれば。

 

 列席する面々を見れば、余りの豪勢さに、己の在る場が此の世のものとは思えぬようになる。

 騎士王アーサー。征服王イスカンダル。英雄王ギルガメッシュ。

 異なる時代、異なる国、異なる性質の偉人が、同じ卓を囲んでいる。

 これほどの面々が集うのなら――なるほど、此の世の物とは思えぬ美食が供されるのも必然か。

 斯くの如き歴史を動かし、作り、守りし者が一堂に会して何をしようというのだ。

 愚問である。彼らは志は違えど王なのだ。王と王が卓を囲んで行うものとなれば、一つしか無い。

 

 いや、他に有ってはならぬとさえ言える。

 

 同盟の締結? 和平交渉? 降伏勧告? 否だ。それらは対等の、あるいは上下の関係が決定的になってこそ成立するもの。彼らは覇者である、絶対者である、そして守護者であった。彼らの間に同盟も、和平も、降伏も有り得ない。この舞台の演目は決まっている。

 すなわち、武を用いぬ戦争。己の舌鋒を以て各々の王道を謳い、対峙する者を駆逐し制覇する舌戦の舞台。覇気を剥き出しにする人界の覇者たる征服王、王気纏いし()()()王たるを示さんとする原初の英雄王、母国を守り、人を守り、家族を守った騎士王。威名高らかなる偉大な王たちが、己が器を比べ合う、国の威信を懸けた戦の時間だ。

 主催たる美青年――あらゆる時代、あらゆる国の騎士たちの王と謳われる伝説的君主、建国神話の大英雄たる騎士王アーサー・ペンドラゴンが開幕を告げる。

 

「――さて。まずは各々の聖杯に託す願いを詳らかにしようじゃないか。英霊になった後でさえ懐く願望とは、すなわち己が人生、偉業の結末として齎された在り方に根差すもの。王の格とはその願望にも表れるだろう。我こそは先頭を走り、語らんとする者はいるか?」

「応ともッ! 一番槍は戦士の誉れなれど、過酷な戦でこそ先陣を切らずしては征服王の名折れ! 一番手はこのイスカンダルが頂くが、貴様らに異存はあるかッ!」

「私はない。アーチャーには……なさそうだな。存分に胸に懐く大望を語るがいい。私達は心して聞き届けよう」

 

 真っ先に名乗りを上げしはイスカンダル。彼の覇気を呼吸する大喝を涼しげに流し、ギルガメッシュを一瞥するも特に反応はない。故に征服王の一番手は決まったも同然だ。

 ドン、と強く胸を叩いたイスカンダルが気炎を吐く。

 

「余が聖杯に掛ける願いとは、受肉であるッ!」

 

 高らかに唱えられた願望。場に静寂が一瞬落ちるが、何もそれは呆れたからではない。

 世界征服が願いなんじゃないのかよ……イスカンダルのマスターである少年は、初耳の願望に内心呟くも決して声には出せなかった。場に満ちる王達の覇気に気圧され、黙りこくるしかないのだ。

 そしてそれは、ケイネスも同じ。サーヴァントが受肉することの危険性を正しく分析できるからこそ、ケイネスは教え子とは別の意味で驚愕していた。魔術世界のバランスが崩れる恐れすらあるのだ、彼の懐いた危機意識は当然のものだと言える。

 

「――受肉か。つまり貴公は現世にて、第二の人生を得ようというのか?」

「左様。こうして現界を果たしているとはいえ、今の我らは所詮サーヴァントだ。現世に於いては確固たる存在を有さぬ稀人でしかない。余はこの事実を不足と断ずる! 余は転生したこの世に、一個の生命として根を下ろしたい。何故ならそれが()()の基点だからだ。身体一つの我を張って、天と地に向かい合う。それが征服という行いの総て。そのように開始し、押し進め、成し遂げてこその我が覇道。そのためにはまず、誰に憚ることもない、このイスカンダルただ一人だけの肉体を手に入れる! それが余の聖杯に託す願いの全てよ!」

「なるほど。貴公は()()を始めたいわけだな。過去の幻影に過ぎぬ身を現世のものとし、生前に成し遂げられなかった夢を追おうとしていると」

「断じて違う。履き違えてくれるなよ、騎士王。余は生前からの続きを成したいわけではない、()()()()()()のだ。新たな生命として立脚し、新たな友を得、新たな覇道を征く。嘗てに未練など無い、そんなものを懐いては余の臣下と民に対する冒涜だ。過去は過去、今再び始めんとする余の前には未来しかない! 彼方にこそ栄えあり、征服王の疾走は前にだけ進むものよ!」

 

 騎士王の認識の誤りを喝破したイスカンダルが、誰に憚ることなく己が渇望を告げる。それは大軍勢の士気をも呑まんとする迫力に満ち、彼こそがあの征服王なのだと知らしめる絶大なカリスマ性を纏っていた。間近でそれを浴びたウェイバーなど圧倒されるのみである。

 アーサーはイスカンダルの語る在り方、願いを真剣に吟味する。知識として知ってはいても、はじめて対峙する手合いだ。かつてのブリテンでも、似たような欲望の王はいたが、これほどの王は一人としていなかったと断じられる。スケールが違うのだ、()()()()としての格が違う。イスカンダルは紛れもなく暴君だが、時代を一つ先に押し進める力強さだけは大王に相応しい。

 だが、気に食わぬ。全く以て気に入らない。秀麗な顔を顰めたアーサーを尻目に、彼が舌鋒でイスカンダルを狙い澄まそうとする。だがそれに先んじて口を開いた者がいた。ギルガメッシュだ。

 

「喚くな、雑種。貴様はそのような下らぬ願いのために、この我と覇を競おうというのか?」

「……下らぬだと? ではアーチャーよ。余の天をも食らう大望を下らぬと言い捨てたその舌で、如何なる望みを語る。聞かせてみせるがよいわ」

「戯け、貴様如きの尺度でこの我を計るでないわ。そもそも我には望みなどない。そんな余分を抱えるほど無様な生を遂げてはおらん」

「ならばなぜ貴様は召喚に応じた? この宴は聖杯を掴む正当性を問うべき聖杯問答。貴様がどれほどの大望を聖杯に託すのか、それを聞かせてもらわなければ始まらんというに……言うに事欠いて望みがないとはな。貴様には一廉の王として、ここにいる我らを諸共に魅せる大言が吐けぬ――そうとしか聞こえぬ戯言だぞ。負けを認めるようなものだ、なあ騎士王よ」

「……そうだな。だが、アーチャー。当然貴公はそんな男ではないだろう?」

「愚問だ、騎士王。我が時臣めの召喚に応じてやったのは、この聖杯戦争そのものの不遜、不正を正すためだ。我に言わせれば聖杯を()()()()という前提からして理を外している故な」

 

 言って盃を傾ける。次いで肴を口に運び、舌鼓を打ちながらゆったりと構えるギルガメッシュに、イスカンダルは疑問符を浮かべて問いかけた。

 

「そりゃ一体どう言う意味だ?」 

「そもそもにおいて、アレは我の所有物だ。世界の宝はひとつ残らず、その起源を我が蔵に遡る。些か時が経ちすぎて散逸したきらいはあるが、それら全ての所有権は今もなお我にあるのだ」

「ほう――」

 

 今の発言を受けて、アーサーの中での推論が、イスカンダルの中の予感が、確信として固まる。

 やはりこの男は英雄王である。真名を隠す気があるなら迂闊な発言だが、元よりギルガメッシュに己の名を隠す気はないのだろう。最初から知っていて当然といった認識なのである。

 

「では貴様は昔、聖杯を持っていたことがあるのか? 聖杯がどんな物なのか正体を知っていると?」

「昔ではない、今も我が宝物庫に収まっておるわ。聖杯と呼ばれる願望機、その起源たる『ウルクの大杯』。そしてそこから派生した物が数個。この地にあるという聖杯もまた『宝』であるのなら、その所有権は起源を持つ我にこそある。それを勝手に持ち去ろうなど、盗っ人猛々しいにも程があるだろう」

 

 暴論である。しかし、理はあった。

 盃に口をつけるイスカンダルが更に追及する傍ら、アーサーは静かに失笑する。

 目敏くそれに勘付くギルガメッシュだったが、今は何も言わずにおいた。

 

「ふむ、ではアーチャーよ。聖杯が欲しければ、貴様の承諾を得られれば良いと、そういうことか?」

「……然り。だが貴様如きに、我が報償を賜わす理由はどこにもない」

「貴様、もしかしてケチか?」 

「ほざくな、賊風情が。我の恩情に与れるのは、この我の臣下と民だけだ。故に征服王とやら。貴様が我に降るというのなら杯の一つや二つ、下賜してやってもいいぞ?」

「そりゃあ、出来ん相談だわなぁ」

 

 ガリガリと頭を掻いたイスカンダルは、思い出したようにナイフでハムを貫く。乱雑な所作でそれを口に運び、盃を傾けて口を潤す。

 ッカー! と快哉にも似た歓声を漏らしつつ、イスカンダルは改めてギルガメッシュを見据えた。

 

「でもなぁ、アーチャーよ。貴様は聖杯が惜しいってわけでもないんだろう。なんぞ叶えたい望みがあって聖杯戦争に出てきたわけじゃない、と」 

「最初からそう言っている。だが、我の財を狙う賊には然るべき裁きを下さなければならぬ。要は筋道の問題だ」

「そりゃ、つまり……つまり、何だアーチャー。そこにどんな義があり、道理があると?」 

「法だ。我が王として敷いた、我の法だ。王とは自ら定めた法で以て、己はおろか他者をも縛り付けねばならん。曲がりなりにもこの我の前で王を僭称したのだ、なぜだとは問うなよ?」

 

 目を閉じて耳を傾けていたアーサーは、口端に緩い弧を描く。単純明快な答えだ、素直に共感できるし理解と納得もできる。単純ゆえに滅茶苦茶な論破を得意とするイスカンダルも降参だった。

 

「――完璧だな。自らの法を貫いてこその王。だがなぁ、余は聖杯が欲しくて仕方がないんだよ。で、欲した以上は略奪するのが余の流儀だ。なんせこのイスカンダルは征服王であるが故に」

「是非もあるまい。お前が犯し、我が裁く。対立構造が浮き彫りになったな」

「応ともよ。しっかし面白いものだな、こうも明白に『打ち倒し滅ぼすしかない』敵を、一度に()()()向こうに回すことになるとはな。王の格付けとは別に、剣を交えて武を示す他にないか。これだから人生は面白い! 時の果てでも心躍る大敵と競えるとは!」

 

「クッ……クク、はは、ははははは……」

 

 ギルガメッシュとイスカンダルの対峙は、暴君のそれとはいえ法の執行者と破壊者という構造だ。たとえどちらの王としての格が上でも、相容れぬ以上はどうしようもない。理解はしても納得はしないまま、イスカンダルは挑戦し、ギルガメッシュは迎え撃つだけだ。

 しかし堪えきれぬとばかりに笑い出したアーサーの声に、両雄は揃って視線を転じる。なにがおかしいと訝しんだイスカンダルが、主催である青年王に水を向けた。

 

「おう、騎士王よ。何を笑っておる?」

「アハハハ……ああ、ああ、すまない。何も貴公らを嘲っているわけじゃないさ。ただ……()()()()()()()()()()、貴公の論を聞くことで明らかになった不和に、つい笑ってしまっただけだ」

「何……?」

 

 なんの気なしに出されたアーチャーの真名に、震撼するのはランサー陣営とウェイバーだけだ。

 しかしそんなことはお構いなしに、笑うアーサーを射殺さんばかりにギルガメッシュは睨む。

 なんのことを言っていると、視線で答えるように促す英雄王へ、騎士王はすんなり種を明かした。

 

「英雄王。貴公の語る法は暴君のそれだ。だが理解できる。何せ我々は生まれた国も、時代も違えば、文化や文明まで何もかもが違うんだ。暴君のそれでしか支配できない時代も過去にはあっただろう。だから、貴公は何もおかしくない。おかしいのは貴公のマスター、トオサカ・トキオミだけだ」

「……ここで奴の名を出すということは、()()あるのだな」

「ああ。幸い我々は敵対関係だ、そちらのマスターの事情を斟酌してやる義理はない。故に情報を開示しよう――英雄王、この地にある聖杯は、貴公の宝などではないと断言できる」

「なんだと?」

 

 なぜその勘違いを、誤解を正さずにいたのか。アーサーは心底から不思議でならない。秘密とは隠し通せればなんの瑕疵もつかないが、露見したら秘密の大きさに比例して傷は広く、大きくなる。

 そのことを誰よりも痛感しているからこそ、アーサーは真っ先に切嗣やアイリスフィールから聖杯戦争の仕組みそのものを聞き出していた。そして聞いた上で嘘偽りはないと判断したから、彼は退去していないし、切嗣達は裁かれて死んでいないのである。

 サーヴァントとマスターは、どれだけ取り繕っても即席の主従だ。完璧な信頼関係など築ける道理はなく、であるからこそ、少なくとも互いの認識のすり合わせ、虚偽を働かぬ姿勢は必須となる。

 それを怠るとは……英雄王は心得違いをしている狸をマスターにしてしまっているらしい。

 

「冬木の聖杯は、アインツベルンが鋳造したものだと私は聞いている。聖杯のカラクリは、脱落したサーヴァントの魂を回収し、魔力リソースにするものだとな。つまり貴公の有する宝のいずれにも該当しない、魔術師の血族が作り出した儀式の景品に過ぎないわけだ」

「――ほう? 時臣め、知っていて我に話さなかったか。つまらぬ奴だと思っていたが……最後の最後で面白い側面を見せてくれる……」

「貴公の論理は破綻した。冬木の聖杯が貴公の宝ではないなら、英雄王が敷いた法は適用されない。その上で問おう、英雄王ギルガメッシュ。貴公は何を動機として現世に留まる? 己の宝を奪おうとする賊は、ここにはいないぞ」

「……そうさな。となると我が本腰を入れる必要はなくなったが」

 

 そこで、ギルガメッシュは喜悦の滲んだ瞳でアーサーを、そしてイスカンダルを見渡す。

 

「セイバーとライダー。貴様らは王を名乗ったな? 王とは天上天下にこの我ただ一人、偽りの王どもの首を刎ねるのを、此度の戦に懸ける主題としよう」

「殺されてやるつもりはないが、その後は退去でもするのかい?」

「ああ――我を謀った輩を、始末したあとで、な」

 

 血の色の瞳には、隠しようのない苛立ちと、怒りがある。だが同時に興味と愉悦もあった。

 彼の目から見た騎士王や征服王は、英雄王の宝を奪い取ろうとする賊でしかなかった。だがその前提が崩れてしまったことで、漸くギルガメッシュは賊ではない相手として二人を見たのである。

 天が墜落してきたかのような重圧、破滅的な殺気を受け、イスカンダルが武者震いをする。アーサーは怖いなぁ、なんて呑気な口調で苦笑いを浮かべた。

 ここまで話してアーサーはギルガメッシュの()()()()()を把握できた。知りたいことを知れたのである。ならばこの宴にはもはや用はない、後は表向きの題目を消化するだけだ。

 

 アーサーの企みが、よもや英雄王の性質を知るためだけにあったとは、流石のギルガメッシュやイスカンダルも気づいてはいない。しかしもし仮に気づいたとしても捨て置くだろう。王の器を競う場なのだ、それ以外にはもはや関心はなくなっていた。

 故にイスカンダルが次に気にすることは明確。彼はアーサーに問いかけた、

 

「金ピカの論が破綻したのはいいが、となると次は騎士王の番だな。図らずもトリを譲る形になったが、聖杯のカラクリとやらをはじめから知っていた貴様は、聖杯にどんな望みを託すのだ?」

 

 そんなことを問われても、アーサーにはそんな願望など無い。とはいえここで「私にも願いなんてない」と言っても面白くないだろう。故に彼は、ちらりと己のマスターを一瞥した。

 茫然自失したまま視線を落とす切嗣を見て、彼は笑みとともにその願望を告げる。

 

「そうだね――()()()()()()()なんて、どうかな?」

 

 は? とギルガメッシュとイスカンダルが異口同音の声を漏らす。

 

 アーサーの台詞を聞いて、思わず顔を上げた切嗣に、彼は微笑みを向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




自分名義で仲間(マスター)の問題点を出す騎士王の鑑。
なお円卓にも犠牲者がいる模様。
割と真面目にディスカッションするつもり。面子は征服王と英雄王という、豪華過ぎる面々。
如何にして恒久的世界平和を成し遂げるのか知恵を出してくれよ…!みたいな。


次は時間を掛けて長くやるので、更新が少し遅れます。
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後編の聖杯問答のお話

アーサーさんがブリカスだなんて言われるのは納得がいきません! 彼はただ効率を重視しているだけなんですよ! やめてくださいよ、まったくもう……!




 

 

 

 

 

 場に沈黙が落ちる。痛々しい沈黙だ。聞いた者が己の耳を、言った者の正気を疑う。

 単なる世迷言だと切り捨てられないのは、言い出したのが騎士王だからだ。最強の聖剣使いにして、最強の聖槍使い。この場で最も世に知られし大英雄の言葉を、子供の妄想と言えなくさせた。

 しかし、しかしだ。これまで傍観者を決め込んでいたランサーですら――騎士として敬意を懐いている好敵手の言に、堪らず反応してしまった。

 

「なあ……騎士王。今のはオレの聞き間違いか? お前は今、恒久的世界平和と言ったのか?」

「貴公は聞き間違いなどしていないさ。私は確かに恒久的世界平和を望んでみた」

 

 アーサーを凝視する切嗣の目に気づいていないなんてことはない。なのにとうのアーサーは完全に彼の存在を黙殺し、彼の懐く理想を己のものとして語っている。

 ギルガメッシュはすぐ看破した。そんな夢想を語る愚か者ではないと見抜き、この世迷言の主はマスターであるあの男なのだろうと勘付くと、ニヤリと口元を歪めて衛宮切嗣を一瞥する。

 イスカンダルとてらしくないとは感じていた。英霊の座に招かれた者であれば、あの聖剣の輝きを見間違うことなど有り得ないように、アーサー王の偉業や逸話を知らぬ道理はない。アーサー王の伝説から透けて見える彼の本質は()()にある。悪魔とすら言われる女王モルガンの施策、円卓の騎士の確執、理のズレ、それらを正道に導き和を成した者なのだ。

 現実の見えていない戯けに成し遂げられることではない。なにより、実際にこうして対面して話していると、アーサー王の知性と理性は確固たるものだと感じられていた。今更妄言を垂れ流されても本気だと信じられないのである。

 

「……冗談は止せ。騎士王よ、主催たる貴様が道化を演じても余は笑えんぞ」

「冗談? 人様の夢を笑うなんて悪趣味だ、笑わなくて正解だぞ征服王」

「……本気か?」

「くどい。冗談にしろ本気にしろ、一度願望として口に出したのなら撤回する気はないぞ。撤回させたくば私の理想を叩き潰してからにするのだな。さすれば私も()()()()を口走るだろう」

 

 イスカンダルも悟った。この余りに痛々しい理想は騎士王のものではない。おそらく彼の縁者か現世で縁を結んだ者だろう。となるとそれは……一人しかいまい。

 憐れむ視線を向けられた切嗣は憤慨するも、何も言わなかった。微動だにせず沈黙を守る。彼の様子など知ったことではないとでも言うように、アーサーは唱えるように語った。

 

「恒久的世界平和――この願いは誰にも否定できない、尊い理想だ。だが人の身には到底叶えられまい。故に、聖杯が真に万能であるならば、その奇跡で以て叶えてもらう他にないだろう」

「莫迦め。如何に優れた器であろうと、貴様らが奪い合う聖杯は人が作り出した物なのだろう。ならば万能であったとしても限度はある、我を含めぬ英霊によって生み出したリソースなどで、成し遂げられる奇跡ではなかろう」

「そうかもしれない。だが英雄王、そんな道理で返されても私は納得できないんだ。たとえ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()としても、叶えたいんだよ」

「ハッ――! 世界中の神霊を、聖杯に叩き込むだと? それは愉快だ、是非とも成し遂げてほしいものだ! 特等席から眺めてやる! さぞかし笑える光景になる故な!」

「そんなことは不可能だ。もし出来たとしても、器の方が保たんで破裂する」

 

 呆れたように嘆息したイスカンダルに、アーサーは向き直った。

 

「なぜ貴公らは揃いも揃って不可能だの、限度があるだのと決めつける? 聖杯が叶えられる範疇で、可能に出来る選択肢はあるはずだ。まずはその方法論を語ってみせるべきだろう」

「方法論と言われてもなぁ……あー、坊主。貴様は何か思い浮かぶか?」

「……僕に振るなよ。そんなの分かるわけないだろ」

「発想が貧弱だな、雑種共。簡単ではないか、世界平和など容易く築けよう」

「流石は英邁なる英雄王、その簡単な方法を是非とも教示してほしい」

 

 ニヤニヤと嘲笑いながら切嗣を見る赤い瞳は、面白い玩具を見つけて弄ぶ、サディスティックな光を灯していた。

 ギルガメッシュは人類最高峰という枠をも超えた、人の限界を超越している頭脳の持ち主である。またその観察眼や洞察力も計り知れない域にあった。

 故にこの時点で切嗣の風体と、その理想から逆算される人間性、現代という枯れ果てた世を歩んできた経験を、概要のみとはいえ大まかに把握してしまっている。

 こんなに面白い男が自身のマスターだったら、暇を持て余すこともなかっただろうに。ギルガメッシュはそう思って愉悦の気配を滴り落とし、さも当然のことのように()()()()()を説いた。

 

「知れたこと。自らに仇なす悉くを鏖殺すればよい。さすればその者の世界は平和になろう?」

 

 論外だとアーサーは切り捨てた。そんな虐殺なんて認めない、そんなもののどこが奇跡なんだと。

 

「奇跡だろう。人の身には成し得ぬ規模で起こされる虐殺は、奇跡としか言いようがあるまい」

「馬鹿げている。私は今ある世界を救いたいんだ。それを破壊するやり方は断固として拒絶しよう。私は()()()()()()()()()()()()()()聖杯の齎す奇跡に縋ったんだからな」

「滑稽だな、騎士王。人の身に余る絵空事を語り、童でもなければ懐きもせぬ妄想を真にしようとするのに、()()()()()()()()()などに縋るのか? あまつさえ()()()()()()()()()()()()()()()()つもりだと? ハハハ! コイツは傑作だ! 聞いたか征服王、コイツはこともあろうに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだとさ!」

「……笑えん。余は全く笑えんぞ、英雄王。痛ましすぎて見るに堪えん。聖杯が真に騎士王の言う通りの代物であるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ではないか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などではない。現実が見えておればすぐに察しがつこう」

 

 気がつけば、騎士王と英雄王は切嗣を見詰めていた。前者は透明な顔で、後者は愚者を甚振る喜悦を滲ませた顔で、だ。征服王に至っては、顔を背けてしまっている。

 しかし切嗣は、そんなことなど気にもならないほどの衝撃を覚えていた。

 強すぎる衝撃で意識が朦朧とする。視界がグニャリと捻じ曲がった。そうした中でぼんやりと思う。そういえば、セイバーに理想は伝えたが、その方法については何も言っていなかったな、と。そして()()()()と奇跡に縋るばかりで、中身を何も考えていない自分に気がつき愕然としてしまう。聖杯なら叶えられるはずだと思い、思考を停止していたのだ。

 道理だった。正論だった。騎士王をはじめとする三王の言う通りである。

 自分は――()()()()()()()()()()()()()()()()()。分からないから奇跡に縋った。だがその奇跡ですらどうしようもないのだとしたら……自分はなんのために戦っている? なんのために愛する妻を生贄にしようとしているというのだろうか……。

 

 アーサーは切嗣の様子を事細かに観察し、彼の薄い反応からも受けた衝撃を察して内心嘆息する。

 

 そんなことだろうと思ったよ、と。

 具体的なプランがあると捉えるには、切嗣は精神的に弱すぎるし脆すぎる。確固とした確信があるならば、信念を持って一切ブレず、ただただ目的に向けて邁進するはずだからだ。戦いの最中であるのに、()()()()()になると途端に動揺するのは分かり易すぎる。

 

(――この様子を見るに、()()()()()()()()()()()

 

 深入りするつもりはない。ないが、性分なのだろう。アーサーは基本的に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして切嗣は彼の手の届く範囲にいた。

 敵対している立場の人間と、その親類縁者にまで手を差し伸べるような愚者ではないが、少なくとも()()()()()()()()ことにかけては、アーサーはプロフェッショナルである。

 今のこの状況は、断じて切嗣の理想の中身が薄っぺらいからと、吊し上げて笑いものにしているのではない。過ちに気がつけと諭しているのだ。足元が覚束ないまま歩んでも、道を踏み外し奈落へ墜落するだけなのだから。

 こういう相手は、まず己の根源を見詰め直させる必要があると経験上知っていた。故にアーサーは余計なお節介とは思っていても、ついつい世話を焼いてしまっているのだ。

 

 敵対者には悪鬼羅刹(ブリカス)になるアーサーも、そうでない者にはお人好しなのだ。だからこそ――切嗣の甘い見通しを、徹底的に叩き潰すのである。

 

「全知全能ではない『万能程度の奇跡』でも、やりようによってはどうにかなるんじゃないか?」

 

 幸い、ギルガメッシュは切嗣の矛盾や破綻に気づいている。その上で甚振り正論と道理を述べて踏み潰してくれる。イスカンダルも二人の会話の流れで全てを察してくれた。

 付き合わせて悪いなとは思う。だが愛娘の一人の弁当を分けてやったのだ、このぐらいは付き合わせても罰は当たるまい。

 

「ほう。やりようによっては、か。面白い、ならば具体的な案を出してみよ。我が聞いてやる」

「具体的な案か……そうだな、たとえば聖杯に願い、世界中の武器を奪い取るというのはどうだ? 恒久的な平和は無理でも、これで近代的な戦争手段は失われ、平和に近づくはずだ」

「馬鹿め。たとえ一時武器を失おうと、人という名の賢しき獣が闘争をやめることはあるまい。原始的な闘争にスケールダウンするだけの話だ。なんの解決にもならん上に、公権力が武力を失えば治安が乱れるのは必然だろうよ。大きな悲劇が消える代わりに、小さな悲劇が粗製乱造され、より凄惨で悲惨な有様が広がるばかりになる。それのどこが平和だ?」

「……おまけに仮に武器を失くそうとも、工業力の強い国が最も早く息を吹き返すだろう。そうなれば他国に武力をチラつかせ恫喝するのが目に見えるわ。平和なのはほんの一時のみだぞ」

 

「では武器の扱い方、作り方を忘れさせるのはどうだ? 大きな悲劇を潰せるなら、小さな悲劇は人の営みの一部だと妥協も出来る。戦争行為の一切を失くすことはできずとも、多少はマシだ」

「人の歴史は戦争の歴史だ。武器がなければ素手で、毒で、言葉で殺めようとするのが人間という生き物だろう。そして知識がなくとも新たに思索し、新たに作り出そうと創意工夫する生き物でもある。その方法には意味がない、無駄だ。奇跡の浪費でしかあるまい」

「余から言わせれば、()()()()()()()()()()()ほど恐ろしい者はいないがな。その方法なら現存する兵器はそのまま残るであろう? 知らぬまま無思慮に触れた結果、大惨事が起こる可能性は見過ごせんと思うが……」

 

「武器の有無に拘らず、結論は大きく変わりはしない、か。ではより根本的な解決策として、人の在り方を変質させるのはどうだ。たとえば人の本能に争いを忌避する心を植え付ける、とか。あるいは世界共通の法律として、戦争行為を禁じるものを作り遵守させるとか」

「おいおい……余には難しく感じるんだが、そいつは可能なのか? 騎士王」

「さあ?」

「――ハッハハハハ! 投げやりになるな! 我を笑い殺すつもりか? やるなら最後まで真面目にやり通せ! タイミングが絶妙過ぎて我、腹筋大激痛よ! ハハハハ――!」

「笑いどころはないと思うんだけど……まあいい。それで貴公らはこの案をどう思う?」

「法などその気になれば幾らでも抜け道を見つけられる。しかも有限の魔力リソースで、全人類に対する永続的な強制力など発揮できる訳があるまい。効き目はあっても無視できる程度が関の山だ」

「仮に、仮にだ。もし仮に上手くいったとして。満足のいく強制力を発揮したとして、だぞ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 外部から手を加えられ作り変えられた存在など、この城にいる人造生命の人形と何も変わらん。そんなものは雑種と呼ぶにも値しない、単なる塵でしかないわ。我はそのような末路を認める気はないぞ?」

 

 うーん、と。わざとらしく思い悩む仕草をして、アーサーは唸る。これ以外に方法論は思いつかない上に、あってもろくな結末にはならないだろう。

 ちらりと切嗣を見ると、彼は虚ろな眼で虚空を見詰めていた。やり過ぎたとは思わない。むしろ足りないのではないかと思ったが、もうこの話題を引っ張るのも無理がある。

 

「よし、分かった。恒久的世界平和なんて妄言、撤回しよう。流石に無理があるみたいだ」

「騎士王……貴様、見た目に反してエグい奴だな……」

「褒め言葉かい、ライダー? ならありがたく頂戴しよう」

「我も余興としては思いのほか愉しめたぞ? なかなかやるではないか」

 

 ギルガメッシュは未だに半笑いのままで、酒を呷り、肴を口にする。かなり気に入ったようで、機嫌がすこぶるよかった。アーサーもまた苦笑いを浮かべて神代の酒を己の盃に注ぎ足す。

 ぐい、と一息に飲み干して、アーサーは何食わぬ顔でぬけぬけと嘯いた。

 

「いい感じに口も滑らかになっただろう。私もそろそろ願いを口にしてもいいかな?」

「いや、これ以上は蛇足ゆえ、やめておくのが賢明だな。我を笑い殺す気なら続けても構わんが、どうせ貴様に聖杯へ託す願いはないのだろう」

「よく分かったな、流石は英雄王と言っておこうか」

「侮るなよ、騎士王。臣下(マスター)の傷を開き、蒙を啓いてやるとは大層な聖者ぶりだが、あれだけ聞かされて判らぬようでは王を名乗る資格はない。貴様が現界したのは気紛れか、あるいはもっと別の訳があるのだろう?」

「黙秘しよう。今回の本筋には微塵も関係ないからね」

 

 哀れ過ぎるとイスカンダルだけが同情した。こうまで容赦なく、徹底的に折られたセイバーのマスターはどう立ち直るのだろうか。いや……もしかするとこれでいいのかもしれない。

 恒久的世界平和などという、呪いじみた願いを懐いたということは、一度心を粉微塵にまで砕かれでもしない限りは止まれないだろう。あまりにも哀れだが、これから先は騎士王がなんとかする。

 というかなんとかしなければ、征服王の名にかけて、騎士王にはきつい灸を据えてやらねばならんだろう。そうは思うが心配はしていない。難儀な男もいたものであるが、アーサー王がその手の男を導けないとはイスカンダルも思っていなかった。

 

 嘆息し、気を持ち直す。

 聖杯問答による王の格付けは、これより決まるのだ。

 

「――征服王は受肉を。英雄王は王を称する者の駆逐と不埒者の処刑を。そして私は何もなしと。強いて言うなら義務かな? これで各々の願い、動機、義務は明らかとなった」

 

 世界平和云々の下りをまるでなかったかのように謳い、アーサーはにこやかに告げた。

 

「そしてそれぞれの生前の業績、国の行く末を勘案した場合、誰の格が最も高いかは明白だ。それはすなわちこの私、騎士王アーサーだろう。異存はあるかな?」

「おいおい、異存ならあるに決まっておろうが。性急に答えを出すでないわ」

「寝言を垂れるなよ、雑種。久方ぶりに機嫌がよいのだ、水を差すでない」

 

 分かりきっていた展開だ。誰もが簡単に相手を上とは認めない。呆気なく格下と認めるような我の弱さで、史にその名を刻む事などできる訳もなかった。

 しかしそうであるからこそ、アーサーは朗々と続ける。

 

「では私の所見を述べよう。異論があるなら言ってくれていい。まずは征服王だ。貴公はマケドニアの王として君臨し、東への大遠征に打って出た。並み居る大国を打ち破り、世界征服にまで肉薄した偉業は称賛に値する。だが貴公の最たる偉業は、様々な国の文化に触れ、それに自ら寄り添うことで自国にも他国の文化を取り込み、多くの文化を掻き混ぜ進歩させたことだと思う」

「む――他人の口から聞かされると、なんとも照れ臭いものがあるなぁ。だが余はそれを意識してやったわけではないし、やれと言われてやったことでもない。結果として偉業と讃えられるのは悪い気はせんが……論点がおかしくはないか?」

「そうか? 真っ当な評価だと思うが。だが褒めて終わる気はない。貴公の功績は大きいが、しかしそれを打ち消して余りある罪もある。たとえば只管に膨張政策を取ったことで、征服王の目が届かないところで国内の治安は最悪だったこと。略奪は横行し、民草を虐げ、弱者を踏みにじり、己の我欲を優先していた。あまつさえ肥大化した国の統治をまともに行わず、己の遺言によって死後に国を割り、大きすぎる混乱と混沌を齎した罪は重い。よって貴公は征服者としては他の追随を許さないものの、国を治めるべき王としては最低最悪の暗愚と結論づけるのが妥当だろう」

「ほう……言いよるわい。単なる事実の箇条書きにしか聞こえんがな。だがそこまで語って聞かせたのだ、最後まで耳を傾けてやろう」

「結構、次は英雄王だ。貴公に対する私の認識は、人類史の原点だ。一度は国を滅ぼすも、再興した国を次代に引き継ぎ、人類史を開闢させた功績は……正直私では正確に評価はできない。偉大過ぎるからな。しかし……言っては悪いが、貴公は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。どれだけ偉大でもブリテンを治め、滅びの運命を超え、アイルランドを征服し、大陸にまで影響を及ぼした私達には及ぶまい。しかも私の国は現代にも残っている。ハッキリ言って私以上の王など、我が妻モルガン以外にはいないと断じられる。どうかな?」

「――ハッ。思い上がりも甚だしい上に、論点をズラそうとする(こす)さが透けて見えるわ」

 

 正論、結果論、それらを巧みに用いアーサーが聴衆を納得させていく中で。ギルガメッシュは露骨に嘲笑い、彼の弁論の勢いをせき止める。

 英雄王は炯々と目を光らせ、王者たる舌鋒で論点の正道を説く。

 

「貴様の言い分は一々尤もだ。如何なる大義があれ、国と民に齎したものが大きく、息を長く永らえさせた者が偉大な王というのは。だが履き違えるなよ、この場は何者が最も偉大な功を遺したかを論じるものではない。()()()()()()()()()()()()――すなわち()()()()()()()()()()()ものである。大体にして功の偉大さで言うなら我が断トツで頂点に君臨するのが道理、後追いでしかない貴様らに原点を超えることなど出来んわ」

「部分的には余も同感だ。なるほど確かに騎士王に並ぶ業績を残した王は、世界広しといえども極僅かであろう。余の大功が貴様に及ばんというのは、少々癪だが認めざるを得ん。だがな、忘れてはおらんか? 余とそこな金ピカは、()()()()()()()()()。翻って見るに貴様は()()でしかない。王の格で言えば騎士王が最も低いであろうが!」

 

 一息に気を吐いて、征服王は大喝する。

 まさに王者に相応しい覇気で以て、彼は王のなんたるかを謳った。

 

「王とは! 誰よりも鮮烈に生き、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する――清濁併せ呑み人の臨界を極めたる者! 欲望を示し、夢を魅せ、先頭を駆けることで諸人に生き様を見せつけてこその王である! 王の背に魅せられた者が、やがては(われ)もまた王たらんとする憧憬の火を灯し、後に続かせてこそ時代は作られる! 騎士王よ、貴様は臣下や民へ王たらんとする夢を与えず、他の王を駆逐した暴君だ! 人を安寧の揺り籠に閉じ込めた貴様が最たる王などと増長するのは、ヘソで茶が沸くというものだぞ!」

「夢を与えれば王なのか? 夢を魅せられなければ王ではないと? 臣下からどれだけ多くの王を輩出したかで格が決まる? ちゃんちゃら可笑しいとはこのことだ。王であるなら治める国と民の安寧を築かずしてなんとするか! 貴様の言い分は後先を考えられぬ暗愚の寝言でしかない。己が満足するまで駆け抜けて、後のことは知らぬと放り出した無責任な男が王を名乗るとは……貴公と、貴公の臣に虐げられた民草が哀れでならない。民草に無用な血と涙を流させ、あまつさえ破滅させるばかりの夢に駆り立てるなど、貴公こそ最も悪魔と呼ぶに相応しい! 貴公は王は王でも地獄の大王だ、違うか!」

「大いに違う! 余の生きた時代、余の駆け抜けた大地は、未だに多くの怪異と理不尽が蔓延っておった。それらを駆逐したのもまた我が軍勢、我が同胞である! 強き者こそが弱者を鍛え、強き者にならんとする道に導かねば、人は人の世に有り得ぬ不条理に蹂躙され食い物にされるだけだった! 夢とは人が生きるための指標、情熱! それを与えこそすれ奪うなど言語道断である!」

 

 ハハハハ! ――と。英雄王ギルガメッシュは大口を開けて哄笑した。

 激論を交わす二人の王の遣り取りに、笑えてきて仕方ないと。

 何が可笑しいと睨みつけるアーサーとイスカンダルに、ギルガメッシュは笑いながら言った。

 

「そこまでにしておけ。雑種共をこの場に集わせた理由は、こうした展開になるのが分かっていたからだろう。()()()()()()()()()を裁定する、第三者として雑種を招き寄せた。違うか?」

「……お見通しか。だが、その通り。私達がどれだけ論を展開し、謳おうと、それを評価するのは後世を生きる者達が最も適任だ。征服王、英雄王、私のこの計らいは滑稽か?」

「――いいや、何もおかしくはない。後世の者が評価するのは歴史の常、道理である。余は心して後世の者達の評価を拝聴しよう。おう、英雄王。貴様はどうなんだ?」

「異存はない。我の偉大さを、後代の雑種などに理解できるとは思えんがな」

 

 そうして唐突に水を向けられた人間たちは、王たちが撒き散らす覇気に当てられているのか、やや顔を紅潮させていた。尋常の人生を生きていたなら、見ることも聞くことも叶わない問答である。

 彼らはそれぞれが形や程度は違えど高揚し、興奮している。故に躊躇わずに言えた。

 

「――私は、騎士王陛下には申し訳ないが、英雄王を推そうと思う。なにせ私は魔道を本懐とする者だ、英雄王が神の軛から人を解放せねば今の私は在り得ない点を、無視してはいられない」

「……。……僕は、セイバーだ」

 

 ケイネス・エルメロイはギルガメッシュに。衛宮切嗣は失意のまま、黙りが許されないならと彼の性質からアーサーに、それぞれ票を投じた。そして最後はウェイバーに目が向けられる。

 彼は気圧されながらも、王の威風によって己を見詰められたのか、()()()()口を開く。

 

「僕は……僕は、英雄王を推す。歴史を始めた、これだけは英雄王がいなければいけなかった。後世を生きる人間なら、そこを軽視しちゃいけないと思う」

「………」

「は、当然だな」

「――だけど……だけどっ。()()()()()()()()()!」

 

 叫ぶように、ウェイバーが言った。イスカンダルは目を見開く。そして嬉しそうに目を細めた。

 

「歴史を始めたのは英雄王だ、人を守ったのは騎士王だ、けど……歴史は勝った奴が造る。だったらライダーが勝てばいい! 勝ったなら夢を……持てる。僕は()()()()()()……!」

 

 それは未熟な少年の――血の浅い魔術師の、切実な願いだった。

 王たちはそれぞれの思いで、彼の青い渇望を聞く。

 粛々とアーサーは頷いた。

 そして、イスカンダルは莞爾として犬歯を剥く。

 

「……英雄王の格が最も高い、か。いいだろう、私はそれで納得する。だが」

「格の上下など、戦って覆せばよい。――そうとも。余は生前、幾度も大国の王を追い落としてきたのだ。此度もまた余は()()()()()()……なんとも()()()()()()ではないかッ……!」

 

 イスカンダルの、ウェイバーを見る目が変わる。どう変わったのかは、今はイスカンダルにしか分からないだろう。だがそれでいいのだ、いずれはウェイバーにも分かるはずである。

 結論は出た。たとえ一般的な価値観の者が少ない舞台とはいえ、決まりは決まりだ。魔術師的な観点からの裁定とはいえ、英雄王が王者として最高というのに異論はあっても不服はない。

 もともと全員が、相手を認めたからと敗北を受け入れるタマではないのだ。結論を覆すのに武力を行使するのは、いつの時代、どんな国の王でも変わらないのである。

 何せ、彼らの背には多くの民と臣がいるのだ。認められるはずがないし、認めるようではそれこそ無責任の謗りを免れないだろう。抗い、勝ち取る。そうしてきたからこそ彼らは英雄なのである。

 

 ともあれアーサーは全く悔しくはなかった。だって僕は副王だし? どんな結論が出てもモルガンの名誉に傷はつかないよ? ――などと、心の中で予防線を引いていたから。

 狡い、小さい、卑劣、どうとでも言え。アーサーはそう思っている。何せ、目的は果たした。

 全ての目的を恙無く完遂し、目標を達成できさえすればそれでいい。アーサーは給仕役のホムンクルスを横目に見ることもなく、さりげない所作で拍手を二回する。――()()()

 掌を叩くという行為は、話の節目に行うことで自然なものに見せられる。他者の注意を自分に集める意味としても機能するのだ。その隙に給仕役は密かに懐の無線機を開局し、二度指先で叩く。

 

 

 

 ――全ての令呪を以て、我が傀儡に命じる。

 

 

 

「……結論は出た。聖杯問答はこれにて閉幕としよう。各々、何か言い残したことはあるか? なければこの後、誰が誰と干戈を交えるかを決めようと思うが――」

 

 アーサー王――()()()()()()()()()()()がそこまで言った時だ。

 室内の至るところに、大勢の髑髏面のサーヴァント達が出現する。

 アサシンだ。彼らは空間転移によりこの場に飛ばされ、更にはとある指令を強制されている。

 そのサーヴァントの出現には、ギルガメッシュですら眉を顰めた。時臣め、企みを暴かれたからとヤケになったか……? と。彼の視点からはそう捉えるのが自然な流れだと言える。

 アサシン達は出現するや、問答無用とばかりに短剣を投じる。狙いは――()()()()()()()()

 

「ッ――主よっ!」

「坊主!」

 

 ランサーが双槍を出現させ、即座にケイネスを狙った短剣を叩き落とす。イスカンダルもまた少年を守ろうとしたが、剣を抜いていては間に合わないと見たのか、素手で短剣を掴んだ。

 掌に刃が食い込み、皮膚を破り血が滲み出る。アーサーは無造作に武装するや数本の短剣を弾いて切嗣を守ると、返す刃で放たれていた短剣を叩き落として()()()()()を守った。

 その短剣には毒が塗られておらず、さらに肩に当たる軌道だった故に命を奪うには至らないと瞬時に見切ったが故に、一瞬で恩を売ると共に自身はアサシンの襲撃には無関係だと示したのだ。

 実際アーサーや切嗣と、アサシンに繋がりがあると思う者は一人もいなかった。そもそも接点すらあるはずがないのだから、疑う余地などないのである。

 

「貴様ら……」

 

 イスカンダルが静かに激高する。暗殺者たちの狼藉は、彼の怒りに触れたのだ。

 だが、状況はアサシンに有利。場は広いとはいえ室内であり、マスターの天敵と言われるアサシンは複数。このままマスター狙いに徹されては、反撃するのも難しいだろう。

 となれば――イスカンダルの行動は決まってしまった。もともと聖杯問答で気が高ぶっていたのもある、ウェイバーの心意気に応えようと思っていたのもある、そして好敵手達に自身の王道を示したいという欲求もあった。状況と、信条が重なれば、迷うことはない。

 

 次の瞬間、征服王イスカンダルが、その切り札を開陳した。

 

 

 

 

 

 

 

 




聖四文字「ブリカス」という評に草が生えたからやりました(誇らしげ)
感想評価よろしくお願いします。


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英雄王に挑発されアーサーが本気になる話

 

 

 

 

 

 征服王イスカンダルの切り札、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)

 

 心象風景の具現化という固有結界の展開と、サーヴァントの連続召喚という破格の力。単純な数と質を兼ね備えた、同胞たちとの絆の結晶。それを目の当たりにした英雄王ギルガメッシュは、征服王イスカンダルを己の敵と認め、手ずから殺してやると裁定を下した。

 理想的な展開だ。ランサーとの先約を匂わせ、アーチャーとライダーが相争うように仕向けたとはいえ、素直にその誘導に乗るようなタマではないことぐらい読めていた。故に弓兵と騎兵がぶつかり合う可能性は半々と見ていたが、上手く事が運んでくれて喜ばしい。

 キャスター、バーサーカー、アサシン。脱落したサーヴァントはこれで三騎になり、セイバーは残すところ二回の戦闘で勝利すれば聖杯戦争を終えられるところまで駒を進めた。

 

 ライダーとアーチャーが戦えば、恐らくアーチャーが勝つとセイバーは踏んでいる。ライダーの宝具は極めて強力だが、アーチャーはあの英雄王……あれだけの宝具を大量に有しているなら、対軍宝具の一つや二つは持っていてもおかしくはないし、事前に『王の軍勢』を見ているのだから打開策を練るはず。ライダーの勝算は、限りなく低い。セイバーはそう結論していた。

 マスターを連れ、戦車に乗って立ち去るライダーを見送りつつ、セイバーは過去を想う。王の軍勢という時をも超える絆の結晶を見たセイバーは、在りし日への郷愁を懐いていたのだ。

 

(宝具。伝承や逸話の概念を元にしたモノの中には、ああいうものもあるのか……)

 

 自らが剣士のサーヴァントとして有するのは、生前にも所持していた聖剣とその鞘だ。逸話などを元にしたものなど一つもない。剣士という縛りのせいで単騎の戦闘力に特化しているからだろう。

 他クラスでの現界にも多少興味を覚えてしまう。もし自分がライダーだったら、征服王のように円卓の騎士達を召喚できていただろうか? 恐らく、出来る。心象風景に刻まれている白亜の理想城キャメロット――あの光景は、全員が共有しているはずだと信じられた。

 弓兵と狂戦士以外には適性があるのだし、また現界する機会があれば剣士以外がいい。正直な話として、聖剣は余り使いたくないのだ。そもそも聖剣は娘に貸したままのつもりでいるのだから。

 

(どうせ単騎で戦うなら、やっぱり聖槍を使いたいものだね)

 

 基本的にどのクラスでも――それこそセイバーである今も――聖槍は有している。()()()()()()()()()()聖槍なのだから当然だ。しかし槍兵以外のクラスで聖槍を使ってしまえば、彼本来の神性が完全解放されてしまい、現界に支障を来たしてしまう。

 そもセイバーは死者ではない。故に彼の本体は神霊などという、他者の信仰がなければ消滅したり変質してしまうような脆弱な存在ではなく、神そのものなのだ。権能も当然具えている。そんな存在が現世に現れたとあっては、世界の修正力が退去させようと全力を出してくるだろう。流石にそれは勘弁願いたい事態である。例えるなら会社(セカイ)に肩ポンされるような感覚だから。

 

 つらつらとそんなことを考えていると、マスターとサーヴァント達はアインツベルンの城から姿を消していた。よそごとを考えながらも主催(ホスト)の務めとして、客人達を見送りはしている。

 ランサーとの再戦は明日で、ライダーたちの戦いはその翌日で、両方の戦いで勝った者が明々後日に雌雄を決し聖杯戦争を終わらせることになっていた。これで仕事を片付けられる目処は立ったと言えよう。後は――マスターである切嗣のメンタルケアをするぐらいだ。

 余計なお世話かもしれないが、流石に自滅への道をひた走る男を、そのまま見殺しにするのは良心が咎める。アフターケアも万全でなければ、仕事を完璧に熟したとは言えない。家に帰った後の土産話にケチがついてしまうのは避けたいところだ。

 

 ――セイバーには、余裕があった。心にも、力にも、時間にもだ。

 

 こと軍事というジャンル。戦闘(決戦)戦術(指揮)戦略(軍略)の面に於いて、妖精女王モルガンですら及ばないと認める男が騎士王アーサーである。その彼がアインツベルンという、組織力を活かせる陣営を動かせるのだ――英雄王が本気を出したら一日で聖杯戦争を終わらせ得るのと同様に、彼もまた一日で他陣営を駆逐することを可能としている。

 それをしていない理由は、もちろん油断や慢心などではない。

 どうにも聖杯戦争では本気になれないから……と言えば語弊はあるが、本腰を入れては現世に迷惑が掛かると思っているからである。神秘の秘匿という縛りと、アイリスフィールや切嗣という、これからも人生が続いていく者達の今後に、要らぬ影響を及ぼす可能性を懸念しているのだ。そうでなければさっさと終わらせている。英雄王に関しても相討ち覚悟で特攻していただろう。

 最後の戦いでは、セイバーは自身の命を惜しむ気はないのだ。所詮は分霊、所詮はサーヴァント。実際に死ぬわけではないのだから恐れる理由がない。故にセイバーは、アインツベルンが望み得る中で最高の優勝請負人なのである。

 

 夜風に身を晒し、城壁の上で佇むセイバーには、今後の展望が見えている。()()()()()()()()()()()()()盤面を眺め、その盤面を覆し得る英雄王の存在にどう対抗するかを思案していた。

 彼の言動から推察できる動向、これは問題ない。彼がどれほど優れた存在だろうと、いや……優れているからこそ、王であるという自負による縛りがあれば予測は容易い。

 しかし実際の戦力はまだ未知数だ。無数に展開した宝具を投射する戦法、あれはどれほどの威力を発揮するのだろう。同時に展開できる数の限界は? 種別は? あの戦法しか使えないと決めつけるのは危険過ぎる。他にも英雄王が切り札と見込む物はあると判断すべきだが、その切り札はどんなものだ? あらゆる宝具の原典を有している可能性は濃厚――では彼固有の宝具は……。

 

(……アーチャーにはどうあれ、ぶっつけ本番で対処するしかないか。となると考えるだけ時間の無駄だね。だったら残りの日数は、切嗣と話すのに費やしておくのがいいだろう)

 

 セイバーはそう思い、答えの出ない思索を打ち切った。

 それを見計らっていたわけではないだろうが、一人の男が歩み寄ってくる。

 溢れ出る強大な神秘の塊、サーヴァント・アーチャーだ。彼はまだ去っていなかったのか。

 振り返ったセイバーは、傲然と肩を聳やかすアーチャーを見遣った。

 

 月下――向き合う騎士王と英雄王の間に、不思議と穏やかな空気が流れる。

 

「此処にいたか、セイバー」

「アーチャーか。なんの用だ? さっさと帰ってほしいんだが」

「この我がわざわざ足を運んでやったのだ、そう邪険にするな」

 

 敵意も、殺意も、戦意もない。まるで数年来の知己に対するような気安さがある。

 聖杯問答を終えたからだろうか。なぜか、アーチャーはセイバーに対して友好的だった。

 ――或いは。セイバーが英雄王の本質を見抜き、性質を悟ったように。アーチャーもまた騎士王の本質と、根源にある理念を看破したのかもしれない。

 アーチャーはセイバーに対する侮りや、侮蔑をなくし、王を称する不埒な振る舞いを許していた。故に今ここにいるのは、寛大ではなくとも王たるギルガメッシュであったのだ。

 

「今宵は愉しませてもらった。となれば褒美を賜わしてやらねば我の沽券に関わる」

 

 笑みを浮かべながら、アーチャーが蔵を開き、一つの黄金の瓶を取り出す。

 ぴくりと眉を動かしたセイバーは、胡乱な眼差しで応じた。

 

「私は貴公の臣ではない、褒美などと称された物を受け取る気はないぞ」

「フ。王の慈悲を拒むは不敬であるが、赦そう。我は機嫌が良い。とはいえ、我の慈悲は貴様が王を僭称したのを見逃すことに当たる。故にこれは取り引きのための材料と思え」

「……取り引きだと?」

 

 黄金の瓶を手に持ち、ゆらゆらと揺らすアーチャーの目を見据えながらも、セイバーは困惑する。

 取り引きを持ち掛けられた理由が全くわからないのだ。王を僭称した罪を、慈悲で見逃す? 見逃すも何も、彼の認可など求めてもいないセイバーだが、英雄王がそれを言った時点で天変地異の前触れかと思ってしまう。それほどの大事件だ。更に取り引きをするために自ら足を運んでくるなど、およそ英雄王らしからぬ振る舞いだろう。何が狙いだと警戒してしまうのは当然だった。

 だがセイバーの警戒など意にも介さず、黄金の英雄王はニタリと笑んだ。まるで、蛇のように。

 

「この酒は()()()()()()()()。今の貴様とあの雑種には、不可欠な代物だと思うがな?」

「……何が言いたい」

「いやなに。貴様のマスターは、なかなか芯の通った愚者よ。余計な雑念を強迫観念として昇華し自らを縛りつけている。そんな男が理想を否定されたからと、すんなり諦めると思うか?」

「……マスターは凡庸な家庭に収まるのが相応しい。本人も心の底ではそれを望んでいる。理想を追うのに疲れ、罪過を背負うのも限界が来ているんだ。諦めさせてやるのが私の仕事だろう」

()()()()()()()()()()。この英雄王ギルガメッシュが、しかと断言してやる。このまま幾ら言葉を重ねようとも、あの男は決して自らが折れることを認めようとはすまい」

「…………」

 

 確信のある声だった。そしてそれを、セイバーは否定しきれない。

 他ならぬアーチャーがここまで強く断定するのなら、彼は衛宮切嗣という男を理解できたということだろう。つまらない嘘で他者を玩弄する男ではないとセイバーは感じていた。

 玩弄するのなら、全て真実で。そうでなければ面白くない。英雄王はそんな悪趣味さがある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 口の中で舌打ちする。そしてその後、セイバーは深々と嘆息した。

 

「……私に何を求める? いや……なぜ私にそうも構う?」

「知れたこと。貴様が王であるなら殺すしかなかったが、そうではないと見做したからよ」

「なんだと?」

()()()()()()王たれと望まれ、王たるを運命に強いられていながら、己の生を人間として終えた――価値のある一人の人間だと我が認めた。故に、慈悲を賜わすのだ」

「……あの問答だけで私の全てを知ったかのような口振りだな」

「知ったさ。我を誰だと思っている? 英雄王たる我の眼力を舐めるなよ」

 

 慈悲。そこに不穏な響きがある。ほとんど初対面で理解者面をされては、温厚なセイバーも多少カチンときたが、どうにも妙な予感がして邪険に話を打ち切る気になれなかった。

 彼の見立ては、正しいだろう。あの酒も毒ではあるまい。そんな姑息で狡い真似をアーチャーがするのは有り得ないのだ。なら……話を聞くぐらいはしてもいいかもしれない。

 

「我が貴様に求めるのはただ一つ。我の問いに答えよ。さすればコイツをくれてやる」

「……いいだろう。答えるかはともかく、聞くだけは聞いてやる」

 

 頷く。彼の出した酒は、正直ほしい。嗜好品としてではなく、業務用の備品としてだ。

 しかしどうしてもという程でもない。故に答えられない質問なら返答を拒否するつもりだ。

 だというのにアーチャーは嗤う。残忍な貌ではない、真実慈悲深い面持ちで――殺気を滲ませた。

 

騎士王(セイバー)。貴様は望まぬまま神となった者だな? 人間として生き、人の親として聖剣を手放して、人として生きたが故に聖槍を用いた。その末に神へと堕落していながら、人として定めた自らの末路を遂行し、人の世から自ら退去した。そうだな?」

「……そんなことを聞きたいのか?」

「そうだ。これは重要な問いである。我の見立てが過ちか否か、心して答えるがいい」

「………」

 

 戸惑った。まさかこの聖杯戦争や、マスターなどに掠りもしない問いを投げられるとは。

 暫し困惑しつつも、セイバーは念のため思案する。

 答えてもいいのか。何か不都合はないか。

 熟慮するも、何も不都合はないという結論しか出ない。

 セイバーは浅く嘆息して答えることにした。

 ――まさかこの答えで、己が本気を引き出されるとは思いもよらぬままに。

 

「その通りだ。流石と讃えよう、英雄王。私は確かに貴公の見立て通りの末路を辿った」

「そうか」

 

 アーチャーが酒瓶を投げつけてくる。それを掴み取ったセイバーに背を向けて、足元から霊体化し消えていきながら、アーチャーは呟くように裁定を下す。それはまさに、英雄王の裁定だった。

 

「であれば――()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――なに?」

「人間は神になどなるものではない。人間である貴様の神核(残骸)が、いずこかに存在するだけ憐れというものよ。故に、慈悲なのだ。喜べよ? 人間。我が貴様に引導を渡してやるのだからな」

 

 介錯してやるのだと告げられた。それが慈悲なのだと。

 ぽかんとして間抜け面を晒してしまったセイバーだったが、彼の真意を悟り苦笑する。

 自分のどこを気に入ったのかは知らないが……あの英雄王が殺しに来るのなら悪くない。

 悪くないが――大人しく殺されてやる気は毛頭なかった。

 どうやら負けられない戦いになりそうだ。この聖杯戦争は。己の手であの黄金の王を討ち果さなければ、余計なお世話だと突っぱねる資格は手に入らないだろう。

 

 英霊でしかないギルガメッシュに、アヴァロンに到る術はない。だが――あの男ならなんらかの手段で、出鱈目なことに成し遂げてしまいそうな迫力がある。

 そうなったら、妻子にも累が及んでしまうのだ。負けるわけにはいかなかった。

 

(……ああ。そういうことなら、受けて立とう。騎士王としてではなく、ただのアーサーとして)

 

 セイバーの――アーサーの心に、やっと戦意が灯る。偶然の悪戯だが、こうなったからには本気の中の本気、全力全開で戦わねばならない。アーサーはそう決心して――

 

 

 

「ついでに、あの美味を生み出した小娘も頂くぞ? 生きた聖杯など、我の蔵にもない故な」

 

 

 

 ――顔だけ振り向かせ、ニヤリと嗤う英雄王に。

 

 あ、コイツだけは殺さないといけないと、アーサー・ペンドラゴンは強く確信したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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痛みに塗れた理想を捨てた話

 

 

 

 

 

 

 城壁の一角が砕ける音がした。瓦礫の崩れ落ちた音が付随し、夜の城に大きく響く。すわ敵襲かとホムンクルス達が武装して駆けつけるも、そこにいたのはセイバーのみだ。機械的に何があったのかと訊ねる女に、セイバーは鬼気迫る形相で一睨みを向けるも――深呼吸を挟んだ後に、なんでもないとだけ告げてその場を後にする。彼は、怒りと羞恥を綯い交ぜにした表情をしていた。

 

(僕としたことが……怒りを抑えきれないだなんて。恥を知れよ、アーサー)

 

 金色のアーチャーの発言を受け、堪えきれぬ怒りに突き動かされたのだ。発作的に拳を一閃して城壁を崩すなど、王騎士として恥ずかしい醜態である。厳に慎むべき振る舞いだろう。

 そう自戒するも、自身はとっくに王騎士を引退した一般人だと思い返し、実はそんなに恥ずかしい行動ではなかったのでは、などと自己弁護してしまう。ますます恥ずべき精神である。

 一般人だろうとなんだろうと、八つ当たりはするべきではない。自らに強く言い聞かせ、彼は胸の奥底に激情を押し込めた。この怒りの全ては、あの金ピカのクソ野郎に纏めて叩きつけてやろう。

 

「――マスター。宴での目的は果たした、予定通り今後の作戦を詰めよう」

 

 宴のあった場に戻ると、そこには未だに自らの席に座り込んだままの切嗣がいた。

 幽鬼のように虚ろな表情だ。光のない瞳を、セイバーの声に反応して向けてくる。

 自らの理想を散々にダメ出しされ、かなり堪えたのだろう。まるで死人のような佇まいである。

 

「アーチャーの性質・性格から見て、私達の計画に差し障ることはないと見ていい。アーチャーとライダーを潰し合わせるようにもしたし、目障りなアサシンもライダーに特攻させ消滅させた。おまけにライダーの切り札も暴けた。計画は上首尾で終わったと言える」

 

 構わず話し出す。あたかも先刻のことなど、意識するまでもないことだとでも言うように。

 

「明日はランサーと私が戦う。彼は強敵だが宝具による爆発力はない。真名が明らかな上に能力も知っている、普通に戦っても私が勝つよ。問題はマスターとケイネスの戦いだ、勝てるのか?」

「……お前は」

「ん?」

「……お前は、僕に、何を言いたい」

 

 切嗣の瞳には、どろりとした激情が波立っていた。

 時化る前兆のように、彼の声は酷く静かである。

 

「あの茶番で、僕の理想を口にし……お偉い英雄サマ達に否定させれば、僕が諦めると思ったのか」

「………」

「ご丁寧に聖杯の力の及ぶ範囲を説き、可能と思われる範囲の方法論を並べ立て、全てが無駄だと扱き下ろせば……僕は諦めるしかないと、膝を折るしかないと、そう決めつけているのか?」

「ああ、君は弱い男だ。きっぱり諦められただろう?」

「――ふざけるなッ!」

 

 感情が爆発する。拳で卓を叩き、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった切嗣が、つかつかとセイバーに歩み寄るやその胸ぐらを掴んだ。

 冷静な彼らしくない。だが、やっと人間らしい情動を浮かべた姿だ。

 

「諦める? 諦めるだと? そんなこと、許せるわけがない――! お前なんかに僕の何が分かる? したり顔で諭せば納得するとでも思ったか――!?」

 

 衛宮切嗣は激怒していた。憤怒していた。何より、呪っていた。

 何を? 誰を? 怒りは、セイバーに。呪いは、己に。

 更に言い募ろうとする切嗣の手を掴み、セイバーは鋭く言の葉を差し込む。

 

「君は許せないんじゃない。()()()()()と思い込んでいるだけだ」

「ッ………?!」

 

 中核を突き刺されたのだろう。自らで自らを呪う、呪いの本質を指摘されて言葉に詰まった。

 透徹としたセイバーの眼差しが自身を見ていると、やっと認識した切嗣は、乱暴に彼の手を振り払い倒れてしまった椅子を起こす。そのまま腰を下ろそうとして――止めた。

 逃げるように、出口に向かう。もうセイバーの顔も見たくない。声も聞きたくない。うんざりだ、たくさんだ、後はもう別行動で済ませてもいいだろう。切嗣は、セイバーから逃げる。

 

 だが、セイバーはむざむざと逃がす男ではなかった。

 

「何処に行く? 話はまだ終わっていないよ」

 

 行く手を阻むように聖剣を握り、切嗣の進行方向に向ける。立ち止まった切嗣が、殺気も露わにセイバーを睨むも、彼はやはり無表情のままだ。

 

「……僕には、話なんかない」

「君にはなくても私にはある」

「……あらかじめ取り決めた通りに進行する。これで話は終わりだ」

「終わらない」

「ッ――!」

 

 カッ、と再び頭に血が上った。視界の中で火花が散るほどの赫怒である。

 切嗣は語気を荒げ、腹の底から怒声を迸らせた。

 

「なんなんだ、お前はッ!? 偉そうにご高説を垂れ流してくれて、どうもありがとうございましたとでも言えば満足か!? ああ、それなら幾らでも礼を言ってやるさ! こんな戦争なんかすぐにでも終わらせて、僕はさっさとこの国から出て行ってやる!」

「出て行ってどうする? 妻や子の許に帰るのかい?」

「――帰らない。僕は、理想を、果たさなければいけないんだ。そうしないといけないんだッ!」

「マスター。こっちを向け」

 

 喚きながら聖剣を避け、出口に向かう切嗣の肩に手が置かれる。

 凄まじい力だ。人間には抗えない。堪らず振り向き、拳を握り締めた切嗣がセイバーに怒号を発そうとするも――彼の眼前に、暴力的な風圧を伴った拳撃が叩きつけられた。

 ――というのは錯覚だ。実際には寸止めされたセイバーの拳がある。だが、眼前で停止した拳の威力は、人間の頭部など容易く吹き飛ばすものだ。死を幻視した切嗣は堪らず停止してしまう。

 血の気が引いた。

 死を厭ったり、怯えるような男ではなかったはずだが、アインツベルンの本拠で過ごした九年で、切嗣はすっかり錆付き弱くなっていたのだ。死を、忌避してしまうようになったのである。

 なぜ? それは、なぜ……なのだろう。

 

「失礼。君が拳を握ったから反撃しようとしてしまった。誓って言うが意図していない。普通に職業病の癖みたいなものだよ。……本当だ」

「……どうだか」

「本当だとも。信じてほしいが……まあ冷静にはなれたようだ、結果オーライだね」

「………」

「座るといい。話は終わっていないよ、マスター」

 

 令呪で黙らせてやろうかと、切嗣は真剣に検討した。だがそんな無駄な真似はしてはならない。

 セイバーの対魔力だと、令呪二画を費やさねば言うことを聞かせられない。後にアーチャー戦が控えているのだ、令呪を無駄に浪費するのは許されない。

 今度こそ冷静になり、切嗣は無言で席につく。だが彼の満面は不快感と苛立ちで染まり、とても落ち着いて話し合いができる心理状態ではなかった。

 だからなのか、セイバーは溜め息を溢す。僕もまだまだか、と。流石にここまで切嗣が()()()()()()とは思わなかったのだ。単純に話し合うだけでは片付かなかったかもしれない。

 アーチャーの見立て通りなのは癪だが、乗ってやるとしよう。切嗣の道が終わっているのなら、また新たに始めさせればいい。まだ手遅れではないはずだと、()()()()セイバーは思っていた。

 

「これでも飲むといい」

 

 二つの盃と、酒瓶を置く。ついでに切嗣の前に置いた盃に酒を注いでやる。

 ぴくりと眉を動かした切嗣は、無言でセイバーを見遣る。だが結局問いただす真似はしなかった。先程の宴で余った、アーチャーの酒だとでも思ったのかもしれない。

 追究して来なかったので、これがどんな効能を秘めた酒なのかは説明せずにおいた。話せば素直に飲むとは思えなかったからである。普段の切嗣は酒を嗜むような男ではないが、セイバーと素面で対面しているのがかなり辛い気分らしく、半ばヤケのように酒を飲み干した。

 

「さて、まずは仕事の話だ。マスター、明日の決闘で君はケイネスを討ち、私はランサーを討つ。どちらが先に決着するかは分からないが、君にはケイネスへの勝算があるんだろう?」

「……ああ。僕の切り札なら、一発で仕留められるだろう。奴がどれほど優れていようと、いや、優れているからこそ僕にとってはカモでしかない。だが、万一手こずるようなら、起源弾を連発して牽制にし、通常兵器で仕留める作戦にシフトするつもりだ」

 

 微かに赤ら顔になった切嗣がそう言う。起源弾とは衛宮切嗣の魔術師としての礼装だ。

 手術によって取り出した切嗣の肋骨の一部を、粉状に磨り潰した後で霊的な工程を経て作成したもので、この弾丸を撃ち込まれた相手には、切嗣の起源である『切断』と『結合』が同時に現れる。

 修復ではなく紐を切って結び直すような効果を発揮し、出血することはないものの、撃ち込まれた部分は古傷のように変化し、元の機能を失ってしまう。魔術を使っていた場合は、魔術回路とそれにリンクする魔術刻印にも及んで、出鱈目に繋ぎ直された回路が暴走し、その余波で術者は命に係わるダメージを受けた上、魔術回路と刻印の機能も失われるのだ。たとえ奇跡的に生き残っても、肉体に後遺症が残ることは免れず、魔術師としても再起不能になるだろう。

 

 作成された全六十六発の弾薬の内、第四次聖杯戦争までに三十七発を消費しているが、使った三十七人全てを一撃で仕留めており、『魔術師殺し』の代名詞と呼ぶに相応しい戦果を叩き出していた。

 ――それを切嗣は、ケイネス相手には連発もやむなしと考えている。もともとこの聖杯戦争を人類最後の流血にするつもりだった彼は、出し惜しむものでもないと割り切っていたからだった。

 

 無論、ケイネスも馬鹿ではない。一度喰らえば起源弾の能力を悟るだろう。可能な限りスマートに仕留めたいところだが、最大限の効果を発揮させることが能わなかった場合も想定している。

 ケイネスは優秀だ。自らの魔術回路や魔術刻印が一部でも破壊されれば激高し、切嗣に起源弾を撃たせまいとするだろうが、そうなれば行使する魔術の規模は小さくなり、通常兵器――銃火器の火力を前に削られていき、冷静な判断力を喪失するだろう。

 

 起源弾の存在は初耳だったセイバーだが、だからこそアーチャーの酒の効能に関して確信を得る。コイツはどうやら、余程に口を滑らかにするらしいな、と。

 

「――ではランサー陣営に関しては思考のリソースを割く必要はないね。ランサーはあの性格だ、正面から戦っていれば奇策は練らない。ケイネスも私との契約がある、逃げも隠れもしないだろう」

「ああ……」

「となると残すはアーチャーとライダーだが……マスターはどちらが勝つと思う? 私はアーチャーだと踏んでいるが」

「……どちらでもいい。ライダーが勝ったほうが都合がいいが、どのみちやることは変わらない」

 

 その通り。何も変わらない。

 強いて言うなら、ライダー次第でやることが増えるかもしれないが、逆に減ることはないのだ。

 どちらにせよ遠坂時臣にはこの世から退場してもらう。早いか遅いかの違いしかない。

 手筈を改めて相談し、手順を取り決める。淡々と作業的に勝利の方程式を組み上げる。

 イレギュラー要素は、やはりアーチャーだ。いっそのこと対ライダー戦に割り込み、アーチャーを奇襲で倒してしまう案も出たが、そんな真似をしてはライダーとアーチャーに袋叩きにされるのが目に見えているため避けるべきだろう。一撃で金ピカを殺せるならいいが、仕留め損なった場合のリスクを考慮するならやめておいた方がいい。

 となると対アーチャー戦での立ち回りが主な会議内容となる。セイバーが先刻の宴で読み取った性質を加味し、真剣に作戦内容と行動を吟味する。

 

「こんなところか」

「……話は終わりだ。僕はもう行くが……構わないな?」

「ああ――いや、もう少し聞きたいことがある。ちょっと付き合ってくれ」

「チッ……なんだ?」

「そう急がないでほしいな。酒はまだ余っている。残すのもアレだし飲み干してしまうといい」

「………」

 

 ちらりと酒瓶を見遣った切嗣だったが、諦めたように酒瓶を掴み、一気に飲み干した。

 いい飲みっぷりである。かなり鬱憤が溜まっているらしくお労しい限りだ。

 全く。ライダーもアーチャーも、少しは手加減してくれたら良かったのに。

 ――などと、冗談めいて心の中で責任転嫁をしながら、セイバーはさらりと本題に入った。

 

「マスター。君にいくつか聞きたいんだ。正味、君は恒久的世界平和を望んでいるんだろうが、正直な話として君にとって家族と理想、どちらが大事なんだい?」

「そんなもの……()()()()()()()()()だろう……ッ!?」

 

 ぽろりとこぼれ出た台詞に、切嗣は驚愕した。セイバーは苦笑しながら切嗣の隣に移動する。

 

「理想を追うのを諦めたくないようだが、本心はどうなんだ?」

やめたい。もう嫌だ。誰も殺したくない。家族……アイリとイリヤのために生きたい。もう嫌なんだ、大切な人を犠牲にするだなんて、僕にはもう耐えられない……! ッ――! セイバー、僕に何を飲ませた!?」

「私は君の本心が聞きたいだけだ。そして、君も自分の本心を知るべきだろう――質問を続ける。理想を捨てたいのか、それとも捨てたくないのか。どちらなんだ?」

「ッ……! は、なせ……!」

 

 咄嗟に席を外そうとするも、肩に置かれた手が逃亡を許さない。

 口を抑えるべきなのに、堪え切れずに彼は言った。

 

捨てたいに決まってるだろう! なんで僕の理想のために()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!? 嫌だ……もう疲れたんだ。逃げたい……こんな戦いなんか、もうやめたい……僕の理想が子供じみた妄想だってことぐらい、とっくの昔に思い知ってるんだ。もうこれ以上……苦しみたくない。叶わない理想なら、やめたいんだ……!

 

 ――その本音に。誰よりも驚いたのは、他ならぬ衛宮切嗣自身だった。

 逃げたい? もう嫌だ? ……やめたいだって? しかも、理想を捨てたいだと?

 飲んでしまったあの酒のせいだ。心にもないことを言ったに決まっている。そう思いたいのに、吐き出された言葉は切嗣の心にすとんと落ちた。

 あれが、こんなものが、衛宮切嗣の剥き出しにした本心なのだと、自分自身が納得してしまっている。掛け値なしに、嘘偽りのない心なのだと理解してしまう。

 どうしてだ? なんで、こんなにも衛宮切嗣は弱くなった。なぜ……? なぜなんだ?

 こんなのは嘘だ。本心なんかじゃない。そう思うのに、その思いは言葉にならなかった。まるでそれこそが偽りで塗り固めた呪いなのだと言うように。

 

 ――切嗣っ、すぐに帰って来てくれるんだよねっ。

 

 脳裏をよぎる、幼い声。

 

「――ああ」

 

 ――切嗣はすごいがんばり屋さんだって、わたし、知ってるもん。だから、待ってるから。

 

「そう、か――」

 

 ――約束。帰って来たら、たくさんお話してね!

 ――ああ、約束する。すぐに帰るから、良い子で待っているんだよ。

 ――うんっ。

 

 切嗣は悟った。自分はもう、既に理想なんかよりも、大切なものを得ていたのだ。

 守るべき世界を、持っていたのである。

 そしてそのためなら、たとえ何があろうとも、決して諦めたくないと思っている。

 切嗣はやっとそれに気がついた。気がついてしまった。

 

 ――衛宮切嗣。貴様が何を求め、何を成さんとしているかを私は知らない。だが、もういいだろう。一度立ち止まり、過去の己を捨て、新しい自分を見詰めてはどうだ? さもなくば、貴様は何もかもを失くすことになる。

 

 アサシンのマスターと、制約を結んだ際。言峰綺礼は意味深に言って、嗤っていた。

 失くしてしまえと。無様に慟哭する様を見ていてやると。

 だが確かに聖職者らしい厳かさがあり、耳にこびりついていた。

 あの時は何を言っていると、一顧だにしなかったが……。

 

 ――泣かないで。大丈夫、大丈夫よ、切嗣。だって私は、貴方の味方なんだから。たとえ貴方が何を望んでも、私は貴方を支えるって約束する。だから、イリヤをお願いね。

 

「アイリ……」

 

 頬を伝う、一筋の透明な涙。過去に飛んだ意識が、声を探り当てる。

 

 ――ケリィはさ、どんな大人になりたいの?

 

「僕は……僕は……っ!」

 

 ――昔とは違う。今の僕は()()()()()正義の味方になりたいんだ。

 

 それを自覚した時。切嗣は恥も外聞もなく涙した。流した涙の分だけ、自分を縛る呪いが解れていくのを感じ、いっそのこと涙を枯れ果てさせたくて泣き続けた。

 そうだ。もういいんだ。もう、頑張らなくてもいいんだ。

 無責任かもしれない。今までこの手に掛けてきた者達に申し訳が立たないが……それでも。地獄に落ちると分かっていても、家族のために生きていたい。切嗣はそう思った。

 

 だから。そのために、今は勝たないといけない。セイバーと、協力しないといけない。

 そう思って、切嗣は顔を上げた。

 そして、彼は凄まじい形相で己を睨む、妻を持つ夫を目にしてしまった。

 

 

 

 

「――『アイリを死なせないといけない』……?」

 

 

 

 ハッとする。そうだ、それはセイバーに秘密にしていたのだ。

 

「どういうことだい? マスター……君は私に何を隠していた?」

 

 切嗣は、もう隠し通せないことを悟る。そしてそんなこととは関係なく、全てをセイバーに打ち明けることにした。妻を助けたい、どうにかして救いたい。そして二人で娘を迎えに行きたい。

 その一心だった。その一心で、切嗣は隠していた全てをセイバーに打ち明けた。

 アイリスフィール・フォン・アインツベルンこそが、二つある冬木の聖杯の片割れであること。小聖杯と大聖杯のこと。サーヴァントが脱落するごとに、その魂がアイリスフィールの中に格納され、彼女の自我が圧迫されただの器になってしまうこと。妻が冬木にいること。

 その全てを話した。

 

「だからか。だから彼女は……ああ、マスター。いや、キリツグ」

 

 聞き届けたセイバーは、顔を険しくさせていた。日本にやって来る前に、切嗣を彼女の許に連れて帰ると約束した時、アイリスフィールは儚げに微笑んでいたのである。あの微笑の裏には、自分の運命を知っていたが故の諦念があったのだろう。

 はじめてマスターを名前で呼んだ彼は、涙で顔を濡らしている男に告げた。

 

「もう手遅れだ。アイリスフィールは、私にも救えない」

「――――」

「せめてキャスターを討つ前から知っていれば……いいや、あの冬の城にいた頃に話してくれてさえいれば、まだどうとでも出来た。やりようはあったんだよ。今聞いた時点で打開策は浮かんだ。だけどもう遅い……アイリスフィールを、私は救えない」

 

 それが答えだった。

 

 もっと信頼関係を築いていれば。

 もっと歩み寄っていたら。

 もっと、腹を割って話していれば。

 結末は、きっと、いいや確実に変わっていた。

 

 だが既に遅い。切嗣(自分)が、己の本心を自覚していなかったから……救えなかった。

 切嗣はそのことを悟り、呆然とする。分かっていたことではある。だが、もしかしたらと甘い希望を持ってしまった。もしかしたら、セイバーなら、あの騎士王ならなんとかしてくれると。

 答えは、手遅れ。自分が隠したばっかりに、愛する妻を……救えない。

 これが報いなのか? これが……殺してばかりの、大罪人への報い……?

 

「一発ぶん殴ってやりたいが……フェアじゃないな。私も君達のことを他人事だと思って、歩み寄る努力を怠っていたからね。だからこれは私の責任でもある……呪ってくれてもいい」

「………」

「……キリツグ。アイリスフィールは救えない。だが……今回で聖杯を手に入れないと、イリヤスフィールは救えないんじゃないか? 今は娘のことだけを考えろ。今、君が折れたら……誰が君の娘を救うんだい?」

「――イリヤを……」

 

 折れかかっていた心が、既のところで持ちこたえる。そうだ――妻を救えないからと、膝を屈してしまったら、それこそ誰がイリヤを迎えに行ける。

 自分しかいない。娘には、自分しかいなくなるのだ。なら……折れている場合ではないだろう。

 

「それこそ聖杯への願いを、妻を返してくれ、というのにするという手もあるだろう。だから、まだ諦めるには早い。そうだろう?」

「――そうだ。聖杯なら、アイリも……!」

「ああ。だからシャンとするんだ、キリツグ。君の双肩に家族の運命が懸かっているんだ」

 

 そう言いながらも、セイバーは今更のように嫌な予感を思い出す。

 

 本質が歪んでいた言峰綺礼がマスターに選ばれたこと。快楽殺人鬼である青年がマスターになり、悍しい怨霊がサーヴァントとして現界したこと。これらの事象が、どうにも不吉な予感を齎す。

 いっそのこと……妖精女王(モルガン)に手助けを求めたくなる。

 だがそれは不可能だ。なぜなら()()()()()()()()()()()()

 アヴァロンに今いるモルガンは、生前の彼女ではない。当然だろう、彼女もまた肉の器を持って生まれた存在である。寿命があったのだ。故にモルガンは一度死に、裏技めいた秘術で以て英霊の座から自分の本体ごと切り抜いて、アヴァロンに現界させている状態に移行した。

 

 早い話、モルガンは聖槍の神を依り代にしたサーヴァントなのだ。

 

 故に、現世に出て来ることはできない。聖槍の神の許を離れられないのである。

 もし召喚されたのがセイバーではなくモルガンなら、どんな問題も手早く、容易く、鼻歌交じりに解決していただろう。だがセイバーはモルガンではない……無理なものは無理なのだ。

 

 希望を懐いて前を向いた切嗣を見ながら、セイバーは拭い切れぬ嫌な予感を覚えて。

 背筋を不快な汗が伝うのに、朧気に事の結末を予感した。

 

 

 

 

 

 



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ランサー陣営VSセイバー陣営のお話 前編!

 

 

 

 

 

 サーヴァント同士の戦闘は、たとえ下位の戦闘力しか持たない者であったとしても、戦闘機同士の熾烈な闘争に匹敵するものとなる。これは過去の事例からも明らかだ。

 上位の霊格を有するサーヴァント同士なら何をかいわんや。神話の頂点に君臨する者同士なら、一度の全力戦闘で一つの街が灰燼に帰す可能性は高く、その一度の戦闘ですら国土に深刻な爪痕を残すことも充分有り得る。故に此度の聖杯戦争は異例だと断じよう。

 召喚された英霊の半数以上が、歴史に、神話に名高き英雄たちなのだ。英雄王、騎士王、征服王、輝く貌。これら錚々たる面々が、周囲に憚ることなく矛を交えればどうなるか――想像がつかない関係者は死ぬしかない。戦場を確保するのは当然で、無用な被害を撒き散らさないためにサーヴァント同士が無秩序に戦わないよう規制するべきだ。これらは全て本来は監督役の仕事だろう。

 だが監督役が職務を全うしている様子はない。聖堂教会としては本物ではない聖杯に構う手間と時間が惜しいのは分かる。しかし神秘の漏洩を防ぐためなら労を惜しむべきではないはずだ。

 マスターやサーヴァントの良心、自制心に期待するのか? バカバカしい、追い詰められ命の危機に瀕したなら、たとえどれほどの災禍を撒き散らそうと生き残りを図る者が出て来ても不思議ではないだろう。であれば参加者の良識に期待するのはナンセンスである。

 以上の理由を以て、アインツベルンは聖堂教会の怠慢を糾弾すると共に、各サーヴァント、マスターの戦闘方式をトーナメント形式に移行し、隠蔽工作や戦場の選定を行うものとする。なお事後処理はこれまで通り監督役、ひいては聖堂教会が行い、職務を果たすことを期待する。もしもアインツベルンの動きを掣肘したいのであれば、相応の対案、または隠蔽工作等を全て代行せよ。

 今すぐにだ。

 四度目となる冬木の聖杯戦争という儀式は、近日以内に終結する見込みである。

 迅速な対応を望む。

 

 

 

 ――という趣旨の文書を、聖杯問答を開くと決めた段階で、聖堂教会の本部へアインツベルン家の当主の名前で送りつけていた。無論アインツベルン家当主はこのことを知らない、現場の判断というやつだ。一族の頭目ならこの程度のお茶目は笑って流せる度量を見せてほしいものである。きっと許してくれるはずだ。許せ。許さないとは言わせない。

 

 

 

 手筈通り久宇隊のホムンクルス達は行動した。セイバー対ランサーの戦場となるコンテナヤード近辺の人払いを済ませ、近隣住民には暗示を掛けて監督役のいる教会に避難させたのだ。

 当然ながら収容可能な人数ではないため、監督役は今頃ホテルなどの宿泊施設の確保に忙殺されているだろう。だが、本来は言われる前に熟していて然るべき仕事なのだ。甘んじて忙殺されてしまうといい。その翌日はアーチャー対ライダーで、その次は最後の二騎の戦闘がある。マニュアルがないと大変な仕事になるだろうが、今まで雑で手抜きの仕事しかしていなかった自分たちを恨め。

 

「……つくづく思う。お前は、王様だな」

「生憎、私は副王だ。この手の仕事は女王陛下の領分だよ。それにこの程度、モルガンからすれば児戯に等しいはずだ。彼女ならもっと早く、もっと上手く筋道を立てていた」

 

 視座が一兵士、一暗殺者とは一線を画している。切嗣はあくまで状況を利用し、ルールの抜け道を探すことに長けた暗殺者である故に、こうしたアクションに関しては専門外だった。

 盤面の上で戦うのが戦術なら、盤面そのものを叩き壊して自分好みに仕立て上げるのが戦略というものなのだろう。それを理解した切嗣が呆れたふうに揶揄するも、とうのセイバーはどこか不服そうである。なぜなら聖杯戦争とは、戦術の前に戦略があり、戦略の前に政治があるものだからだ。政治方面できっちり盤面を整えてもらわねば、戦略とその後の戦術の確度が落ちてしまう。

 不都合で不合理なルールを、ほとんど力技で押し流し、無理矢理にでも主導権を握る。こんなものは理想的なスマートさとは程遠い。有り体に言うなら、これは二流の戦略なのだ。

 

 そう溢したセイバーに切嗣は苦笑する。

 

 ――聖杯戦争を始めた御三家は、人身御供になる魔術師を外部から招くために、ある程度緩い規則を立てるのに留めたという事情がある。あらかじめ入念な準備を整えられる御三家に、圧倒的なアドバンテージがあるのだ。間違っても外様の魔術師に、聖杯戦争で勝利させない布石は幾つか打たれている。だがセイバーもそんなことは承知しているだろう。その上で不細工と称した。

 

「彼らは英霊の良心に期待し過ぎだ。ついでに舐め過ぎてもいる。たかが令呪三画で、英霊を意のままに操れるとでも思っていたのか? 英霊――英雄って人種は、善きにしろ悪しきにしろ我を押し通した者ばかりだ。所詮は過去の影法師と自らを律し、現世の人間の意思を尊重するような行儀のいい連中ばかりじゃない。むしろ倫理観念で言えば『気に食わないから殺す』選択を容易く取れる野蛮人ばかりと言える。そんな連中とまともにコミュニケーションが取れるような、素晴らしい人格者が魔術師の中にいるとでも? 仮にいたとしても手綱を握れる保証はない……その辺りを見誤ったのがトオサカだ。擁護する余地がないほどに愚かだよ」

 

 気が立っているのだろうか。長々と愚痴っぽく吐き捨て、セイバーは組んでいた腕を指で叩く。

 どこか落ち着きに欠けている。切嗣は怪訝に思った。

 

「……どうした。らしくないじゃないか」

「ん……ああ、そうだね。()()がピリついてる。こういう時、大抵善くないことになるんだ」

 

 ()()と言って自らのうなじを指差したセイバーを切嗣は笑わなかった。

 騎士王の勘である。くだらないと言って無視してしまえるものではない。

 だが善くないこととはなんだ? まさか……ランサー陣営との戦いに不安を覚えている?

 

「それじゃない。ケイネスに君が負けるとは思っていないさ。だが……」

 

 と、そこで車の走行音が聞こえる。

 ちらりと視線を向けると、久宇舞弥が運転する車がやって来ているところだった。

 取り決めた時間が来たのだろう。もう間もなく、ランサーとそのマスターとの決闘が始まる。

 セイバーは舌打ちし、自らの体内から金色に煌めく宝具を取り出した。

 

「キリツグ。君にこれを貸しておこう」

「……これは?」

「私の家と同じ名を冠した宝具、聖剣の鞘『全て遠き理想郷』だ」

 

 その力の真価と、付随する効果を聞いた切嗣は目を見開く。

 破格の宝具だった。評価規格外である。これをセイバーが持っていれば、霊核さえ砕かれなければ事実上の不死身になるのだ。生前なら心臓が吹き飛んでも一瞬で蘇生する代物である。

 

「……なぜ僕にこれを? お前が持っていた方がいいんじゃないか?」

「万一の時の保険さ。それに、どうせその鞘はサーヴァント化に伴う複製品だよ。オリジナルは今も変わらず本体の私が持っている」

「そうなのか?」

「そうだとも。だから気にすることはない、君が持っているんだ。絶対に死なないためにね」

「……気持ちはありがたいが、これ抜きでアーチャーに勝てるのか? 相手は英雄王だぞ」

 

 懸念を口にすると、セイバーは失笑した。

 

「それを言うなら私はアーサー・ペンドラゴンだ。大丈夫だよ、いざ負けそうになっても相討ちまでなら無理矢理に持っていける秘策がある。なんなら秘策抜きでも勝つ自信はあるさ」

「……分かった。ならコイツは僕が預かっておく。一応確認しておきたいんだが、これは自傷にも効果を発揮するのか?」

「する。なんなら試しに首を掻き切ってみるかい? たとえ生首だけになろうとも、私が傍にいるなら首を繋いだ後に甦れるよ」

「……遠慮する。好きこのんで傷つく趣味はない」

 

 己の体内に、沈み込むようにして消えていく聖剣の鞘に、なんとも言えない気分になるが。自分達の傍に停車した車の助手席を開き、乗り込みながら切嗣はセイバーへ言った。

 

「セイバー」

「なんだい?」

「……健闘を祈る」

 

 堪らず噴き出した。

 他にも何かを言いそうになったものの、寸前で堪えたように見えたからだ。

 昨夜のあの話を経て、一気に憑き物が落ちたようだったが、こんなに変わるともはや別人だ。

 いや……あるいはこれが、衛宮切嗣という男の素なのかもしれない。

 彼はなんと言いかけたのか。『ありがとう』? それとも……。

 走り去る車を見届けはせず、セイバーもまた停車していたバイクに跨る。アクセルを吹かして走行をはじめ、切嗣と舞弥の乗る車を追いコンテナヤードに向かって行った。

 今は目の前の戦闘に集中しよう。勝利を手に入れる自信はあるが、人間時代からの戦歴と、先日の交戦経験を理由に油断していい相手でもない。

 英雄という奴は、いつだって不可能を可能にしてきたのだ。故に――全力で臨む。勝機を完全な零にまですり潰して、無欠の戦果を手に入れるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、腹の奥底で渦巻く歓喜を自覚していた。

 主君の婚約者を誑かす、伝承通りの不義の騎士ディルムッドがもう間もなく死ぬのだ。口では忠義を嘯く忌々しいその男が死ぬ時を、()()()から熱望していたのである。

 だがケイネスは計算高い魔術師である。時計塔でも抜群の政治力を発揮する男は、使い魔の死(そんなもの)に拘泥し大局を見誤りはしない。ランサーを見る婚約者の目や態度に、狂おしい嫉妬の念に駆られていても、物事の優先順位を誤るほど落ちぶれてもいなかった。

 

 この戦いは、ケイネスにとってはどう転んでも損のないものだ。

 

 己を銃器で不意打ちし傷を負わせた溝鼠、衛宮切嗣の粛清。己が召喚したとはいえ不忠の極みを犯した下劣な騎士、ディルムッドの無様な敗死。そして騎士王から齎される()()

 これらは自分が得られる大きな利益だ。

 それさえ手に入れたなら、このまま時計塔に帰ってもいいと思えるほどの。

 ケイネスはランサーではセイバーに絶対に勝てないと確信している。ステータスでも敏捷の値しか上回っておらず、宝具を開帳したのに風の魔術しか使っていないセイバーに敗れているのだ。しかも奇策を用いてなお、正面から堂々と打ち破られている。それでどうして次こそは勝つという妄言を信じられる? 二度目も似たような結末を辿るのが目に見えていた。

 自分は情報を得て、更に魔術師の面汚しに誅伐を下し粛清して、ランサーはセイバーに敗れる。これはケイネスの中では既に既定路線だ。なんとなればランサー亡き後、セイバーが望むなら再契約を交わしてもいいと考えてもいる。名高き騎士王を自分のサーヴァントにしたならば、ますます自分に箔がつくだろう。それは全く以て素晴らしい未来予想図だと言えた。

 

「――待ちくたびれたぞ、衛宮切嗣」

「………」

 

 車に乗ってやって来た男と、バイクでやって来たセイバー。走り去る車には見向きもせず、彼らをランサーとともに迎え入れ、ケイネスは残忍な笑みを衛宮切嗣に向けた。

 先日のあの宴は素晴らしいものだった。魔術師とは過去に向かう学者でもある。学者としてのケイネスは偉人たる王たちの問答の価値を正確に理解しており、時計塔に帰ったら本にしてみるのも面白いかもしれないと思ったものだ。だがそれとは別に明らかになった妄想。魔術師の面汚しである衛宮切嗣の、誇大妄想極まる願望まで知ることになってしまった。

 まるで興味はなかったが、憐憫を覚えはした。大の男がどんな人生を辿ればあんな醜態を晒すのか一瞬だけでも想像はしてみた。理解は出来なかったが、憐れだとは思ったもので――しかしそれとこれとは話が別である。どうあれ衛宮切嗣が魔術師にあるまじき恥知らずなのに変わりはなく、ケイネスは彼に対する憎しみを少しも弱めることはなかった。

 魔術師とは冷酷な生き物なのである、敵対者に掛ける情けなどない。

 

「逃げずによくぞやって来た。今日が貴様の命日になるというのにな」

「……ここでお前と戦う、そういう契約だったはずだ。逃げたくても逃げられない」

「ハッ。己の分際は弁えているようだな。だが命乞いをしても無駄だ、私は貴様を殺す。これは覆ることのない決定事項だ。なぜならこれは決闘ではなく誅伐なのだから!」

 

 王の宴、聖杯問答の開催以前、ケイネスらの宿泊していたホテルにセイバーが単騎で訪れた。

 その時にセイバーから告げられた真実に、彼は腹を抱えて笑い転げたくなったものだ。

 

 ――時計塔の創設者が、モルガン・ル・フェであるなどと。

 

 そんなこと、今日に至るまで誰一人として知らない秘匿情報だった。

 無論最初から鵜呑みにしたわけではない。しかしセイバーから語られる真実と、ケイネスが時計塔のロードの一角であるが故に有していた情報、これらが合致した故に信じざるを得なくなった。

 

 時計塔がモルガンにより創設された理由は、自身達が現世から去った後、残される聖杯を宿した娘を守るためだったのだ。彼女には聖杯の騎士と名高い、次代の円卓最強たるギャラハッドが常についていたため心配はなかったが、それでもギャラハッドや聖杯の王女の死後の安寧が守られる保証はない。故に欲深い魔術師や、過激な聖堂教会勢力を遠ざけるために、時計塔の地下にある迷宮――現代まで残る神代の痕跡、境界の竜の亡骸を用いて作成されたもの――を創り上げ、最深部に聖杯があると騙ったのだ。そしてその目的は現代でも誰も知ることが出来ずにいる。

 証拠としてセイバーは語った。時計塔のロードや、一部の者しか知らない大迷宮『霊墓アルビオン』の階層や順路を、部分的にでも正確に謳い上げたのだ。それは現世にいないサーヴァントのセイバーには、ましてや衛宮切嗣やアインツベルンには知る術のない情報だった。

 

 驚愕しながらもケイネスはセイバーの話を信じた。故に彼から提示された条件を呑んだのである。この後開催される聖杯問答が終わった翌日に、ランサー陣営とセイバー陣営で雌雄を決しようと。

 条件はどちらかが脱落するまでの戦闘で、他者の手を介在させない一騎討ち――マスターはマスターと、サーヴァントはサーヴァントと戦うのだ。もしケイネスが勝てば、霊基アルビオンの最深部までの進み方を教えた上でアヴァロンに招待する。そしてケイネスをモルガンの弟子にするよう取り次ごう。セイバーはそう約束した。

 

 妖精女王の弟子の座。探求の徒であるケイネスにとって、それは途方もなく魅力的な響きだ。なぜならばモルガンこそは、魔術世界にて五指に入る――いいや、魔術王ソロモンと一、二を競い得る天才魔術師だと謳われる存在。その叡智に触れられるのなら、ロードの座すら惜しくはなくなる。魔法使いに至ることも夢ではなくなるかもしれないのだ、乗らない理由がない。

 

「では始めようか、私の栄光に至るための儀式を! ランサー、早々に敗れてはくれるなよ? 私が奴を始末するまで保てばいい、防戦に徹し逃げまわれ。いいな?」

「……しかし」

「口答えをするな! どうせ貴様ではセイバーには勝てんのだからな! どうせ役立たずなら、せめて私の足を引っ張らないようにするのが貴様の責務であろう!」

「っ……!」

 

 悔しげに俯くランサーには見向きもせずに、ケイネスは己が誇る至上の魔術礼装を開陳する。

 手加減はしない。全力で、衛宮切嗣を殺す。

 

 魔術師が喜悦の滲んだ笑みを浮かべ――ここに、再戦の火蓋が切られた。

 

 

 

 

 

 




やめて!(中略) 
お願い死(全略)

後編に続く。さくさくいきましょう。


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ランサー陣営VSセイバー陣営のお話 後編!

 

 

 

 

 

 

「……騎士王。いや、セイバー。この間の戦いで、オレはお前に負けていた」

 

 美貌の騎士の凪いだ声音には、様々な悔恨が滲んでいた。

 敗北を認める潔さはある。しかしそれが為に主君の信を失ったのだ。そして己にある呪いに等しい加護により主君の婚約者が惑い、生前に続いてまたも怨嗟を買ってしまっている。

 今度こそはという想いがある。仮初のものとはいえ二度目の生を得られたのだ、この僥倖を活かして生前の後悔を晴らし、今度こそ騎士としての在り方を全うする為に槍を執った。

 もはや己への主君からの信は地に落ちている。この失態を挽回するには、生前を含めても最強の強敵であるセイバーに打ち勝つ他にない。だが主は己に期待せず、防戦に徹しろと命じられた。

 どうすればいい。己はセイバーに勝ちたいのだ。だが主の指令を守らずして何が騎士なのかという思いもある。ランサーは煩悶としたまま、苦悩を満面に刻みながら宣言した。

 

「あの時はライダーの横槍で命を拾った。だが、此度の戦いに横槍はない。騎士として雪辱を果たし、なんとしても我が主に勝利を捧げたいが……主は、オレがお前に勝てると思っていない。オレの不甲斐なさのせいだ。口惜しいがオレはオレの騎士道を貫こう。オレは主の勝利を信じ――お前に勝たない。代わりに負けない戦いを演じよう。……悪く思ってくれるな、セイバー」

 

 ハッ、それでいい――魔術礼装『月霊髄液』を解放したケイネスは鼻を鳴らして嘲笑い、顎で切嗣に場所を移すよう促した。サーヴァント同士の戦いに巻き込まれては敵わないという計算はある。しかしそれよりも、一騎討ちを行うという契約を律儀に守ろうとしたのだ。

 サーヴァントの戦いの余波に巻き込まれても、どうとでも切り抜けられる自信がケイネスにはある。その自負は的外れではない――ケイネスの実力は極めて高く、未来において成熟したアインツベルンの最高傑作『イリヤスフィール』をも魔術戦で撃破出来るのだ。

 場合によっては『百貌』のアサシンの分身をも撃破可能であり、他クラスのサーヴァントに狙われても生き延びられる可能性を秘めた、まさにロードの名に恥じぬ実力者なのである。戦闘向きではない学者タイプの魔術師であるなどとは、到底信じられぬ天才なのだ。

 

 セイバーは慚愧の滲むランサーの言に肩を竦めた。

 銃器の収まるアタッシュケースを片手に、自身らから離れていく切嗣を尻目に飄々と応じる。

 

「己の主の武勇を信じ、私を足止めしようという心意気は買おう。だが防戦に集中し、自らの足を恃み一撃離脱を繰り返す手合いには慣れていてね……我が息子ウッドワスでも、私の手から逃れることは出来なかった。貴公は見事この私から逃れられるかな?」

「――猟犬騎士ウッドワスが。……肝に銘じよう、そして証明してみせる。円卓随一の機動力を誇る遊撃騎士を、このオレが凌駕していることを」

「よく言った。ならば一人の騎士として、アーサー・ペンドラゴンが受けて立つ。来いッ!」

「応ッ!」

 

 どっしりと腰を落とし、全身に甲冑を纏ったセイバーが、風の鞘で隠すことなく聖剣から黄金の煌めきを発する。真名が割れているなら隠す意味がないからだ。それを見てランサーも双槍を構えた。翼のように広げた赤の長槍、黄の短槍の穂先がセイバーを見据える。

 両者の間に緊迫感が満ちていく。空気が張り詰め、臨場感が増し、充満する殺気で大気が歪む。睨み合う両雄――夜気を引き裂く銃声が轟き、それが開戦の合図となった。

 

「――行くぞ、セイバーッ!」

 

 地を蹴るフィオナ騎士団の一番槍。初動で音速を超え、常人なら残像すら追えない域に達した。

 さながら地を駆ける戦闘機。そして戦闘機には有り得ぬ縦横無尽なる高速機動。ジグザグに左右へ駆け巡り、セイバーの視線を振り切ろうと疾走する。

 不動の構えでセイバーが迎え撃った。斜め前方から伸びる赤槍を弾く――軽い手応え、足元を狙う黄槍を穂先の根本を蹴りつけ斬撃を封じるも――次の瞬間には槍兵は剣士の背後に回っている。

 双槍によるそれぞれの一撃は、セイバーの背後に回るための牽制。まんまと後ろを取った槍兵が、弾かれた赤槍の反動を巧みに乗せ、曲芸めいた足捌きで回転しつつ剣士の後背を切り裂かんと迫る。だがセイバーはまるで見えているかのように半身になるや、籠手に覆われた左腕を掲げ赤槍の穂先の根本を受け止めた。長槍を片腕で振るえるランサーの膂力を、片手で軽く止められる怪力。驚嘆する槍兵だったが脚は止めない。止まったら終わるという確信があった。

 疾走する槍兵。鮭跳びの秘術なる跳躍走法を駆使し、小刻みに機動するランサーにセイバーは反撃に出る機会を得られない。しかし、四方八方から己を穿たんとする赤と黄の軌跡を、セイバーは死角からの強襲を含め悉く打ち払っていく。やがてセイバーは片手で握っていた聖剣の柄を両の手でしかと握り締めると、小振りの豪打を連続した。

 双槍を握るランサーの両手に、僅かずつ蓄積される衝撃。骨の髄にまで浸透する剣撃の威力に、輝く貌の美麗なる騎士は戦慄しながらも舌打ちする。気を抜けば槍を取り落とすばかりか、体幹を崩され致命的な隙を晒してしまうだろう。そうなれば、死が己を捉える。

 

 己の末路の一つを悟った槍兵は、その結末を切り抜ける道を探る。そうしながらも音速の世界で疾走しながら、ランサーは只管に己の槍術の粋を集めてセイバーを急襲し続けた。

 

 街灯と星光が照らすだけの暗い戦場に咲く、無数の火花。繚乱する火の花は鉄火であり、真昼の喧騒をも上回る剣戟を奏でる。ここに至るまで、双方全くの無傷だ。――しかし満面に汗する槍兵と、涼し気な相貌を崩さぬ剣士。どちらが優勢なのか一目瞭然だった。

 剣士はひたすら体勢を変え、足の位置を変え、最小限の所作で豪打を叩き込むのに終止するばかり。脚の速い獲物を仕留める術を知る、無双の戦巧者の真骨頂。

 弾く。弾く。弾き、弾き、弾き弾き弾き弾き弾き弾く――咲き誇る火花のリズムが僅かに乱れた。槍兵は腕の痺れが限界に達しつつあるのを自覚し距離を取ろうと一旦後退する。瞬間、セイバーの目が炯と光った。彼の敏捷性と最高速度もまた、ランサーには及ばないものの最高値。一直線に跳ぶだけなら引けをとらない。真っ直ぐ下がっちゃ駄目だろう? 槍兵は、そんな幻聴を聞く。

 ランサーは己の腕の痺れに気を取られ、セイバーを中心に地表へ広がる薄い風の膜があるのに気がついていなかった。突如として突撃してきたセイバーの剣を、双槍を交差させて受け止めつつ自ら後方に跳び、威力を散らすのに成功するも――背後のコンテナに()()()()()()()。同時、セイバーが溜めた力を解放する。片手を虚空へと突き上げたのだ。

 

「――風王鉄槌(ストライク・エア)ッ!」

 

 宝具『風王結界』の開帳。其は風の魔術を極めしセイバーが編み出した、改良発展型の応用魔術。彼を中心に密かに解放の準備が整えられていた暴風は、広範囲を覆い尽くしており――近隣一帯の地面に絨毯の如く敷かれていた。それがセイバーの咆哮と共に、()()()()()()()打ち放たれたのだ。ランサーは突如として己を襲う衝撃に驚愕する。

 自身が足場としたコンテナごと、天高く上空へ舞い上がったのだ。咄嗟にコンテナを蹴るも、同時に打ち上げられたコンテナの総数は目視しただけで二十はある。凄まじい風の魔術――セイバーもまた地面を蹴り、ランサーと同じ高さにまで飛来した。ランサーは別のコンテナに着地し、不安定な足場で双槍を振るってセイバーの聖剣を迎え撃つ。

 虚空にて打ち合う剣戟は鮮烈なる戦の華、しかし。(分が悪い――!)強制的に不安定な足場、それも空中での技撃の応酬をさせられたとなれば、力で圧倒的に劣る槍兵が不利なのは自明。

 これは堪らない。ランサーは本能的に一か八かの賭けに出た。無理矢理にセイバーの剣撃の合間を縫い飛び込んで、首の皮一枚を切り裂かれながらも強引に死線を突破する。そうしてなんとか地面に着地した様は、なるほど見事。彼が卓越した英雄である証左と言える。

 だが、セイバーは英雄を知る。この程度の死線は当然切り抜けてくると信頼していた。故に彼を詰ませる手を流れるように打っている。

 

「なッ――!?」

 

 空中で踊るように身を翻す騎士王。肩から、足から、背中から、小刻みに魔力を放出し体勢や位置を変えながら機動したセイバーが、空中を舞うコンテナを蹴り飛ばし、あるいは掴んで投げ、剣身の腹で殴打し、地上のランサー目掛けて打ち出した。

 その破壊力は差し詰め、城壁をも削る質量兵器。

 一つ目を咄嗟に赤槍で切り裂き、続く二つ目、三つ目――二十を超えるコンテナの投石を走り抜け躱していく。轟音が轟きランサーが脚を止めた頃には、彼は剣士の思惑を悟り愕然としていた。

 己の四方を囲むように、山と積み上がったコンテナの群れ。隙間はある、しかし狭い。これでは自慢の脚を活かしての高速機動を封じられたも同然。

 砲弾の如くランサーの目の前に着地したセイバーが、涼し気に微笑みながら告げる。

 

「――言っただろう。素早い相手には慣れていると」

 

 慄然とする伝説の騎士団の一番槍。そして、ランサーは知識ではなく、実感として理解する。

 

 ――円卓最強の騎士とは誰か。

 

 この論議をした時、真っ先に名が上がるのは二人の騎士だ。即ち太陽の騎士と湖の騎士である。

 片や日中なら三倍の力を発揮する最強として。片や巧みな武技を誇る最強として。しかし時代を下れば聖杯の騎士こそ最強と称する者もいる。だが聖杯の騎士、太陽の騎士、湖の騎士は揃って最強の称号を固辞した。なぜなら彼らは知っていたからだ。

 我が王こそが円卓最強の名に相応しいのだと。

 アーサー王――アーサー・ペンドラゴンはランスロットと同等の技量を具えており、円卓に於いてすら比類なき戦勘を具えていた。更には莫大な魔力に裏付けられる、激烈な身体強化により日中のガウェインにも匹敵する身体能力を具えている。人間時代ですら、だ。

 無双の怪力と、無双の武技と、無双の戦勘。

 これらを兼ね備えた神代における最後の大英雄が、底なしの魔力と体力を振るって半永久的な持久戦すら熟すのである。アーサー王が最強、これに異論を唱えられる者はいなかった。

 

 故に。ランサーより遥かに速く、疾く、捷い、境界の竜ですら彼の動体視力と戦勘を振り切れなかった以上――如何にランサーが死に物狂いで走ろうと、セイバーの剣技を乱すことは叶わない。戦働きを曇らせることは能わない。感動すら覚えながら、ランサーは言う。

 

「――流石は騎士王。こうまで見事に詰まされては、素直に称賛する他にないな」

「貴公の槍術と体捌きも見事だ。人間時代の私なら、今少し詰ませるのに時を要しただろう」

「……どういうことだ?」

「ここにいる私は、聖槍の神となった私の分霊だ。つまり……なんだ。私の経験値は、約千五百年ものということだよ。悪いが場数と研鑽の密度が違う。狡いだろう?」

 

 その告白に、ランサーは苦笑した。納得しているからか、曇りはない。

 

「狡くはないさ。尋常な立ち会いで言い訳をしては騎士の名が廃るというものだろう。しかし……そうか、お前と真に互角に戦うには、オレも影の国の女王か、光の御子殿と同等の域に達していなければならなかった……口惜しいな、今ほど自らの短命を呪ったことはない」

「スカサハとクー・フーリン……確かに私も手こずる相手だろうな。負ける気はないが。だが嘆くことはないぞ、貴公の槍からは確かに英雄の意地を感じられた。誇れ、貴公は真の騎士だ」

「――そう、か。そう言ってくれるのか、騎士王」

 

 晴れ晴れとして、笑顔でランサーは双槍を構える。セイバーもまた応じて聖剣を構えた。

 ディルムッド・オディナは、心からの賛辞とともに決着の覚悟を口にする。

 

「騎士王の剣に誉れあれ。オレは――お前と出会えてよかった!」

「――久方ぶりに心躍る一戦だった。私も、貴公の名を永劫に忘れない」

 

 同時に踏み込む。逃げ場はない、槍兵は正面から切り結ぶしかなかった。

 この囲いから逃れるのに徹することも考えたが、そんな無駄なことをしても結果は変わらない。ならばせめて、己の渾身の一撃に賭ける。ランサーの繰り出した双撃は――果たして空を切った。

 奇抜な双槍術にも、セイバーは慣れてしまっている。セイバーは双槍を躱し様、ランサーの体を袈裟に切り裂き交錯した流れのまま立ち位置を交換した。

 霊核を砕いた。致命傷どころか即死である。

 だがサーヴァントの常か、消滅する間際までランサーの意識はあった。

 

「……セイバー。恥を忍んで、頼みがある」

「なんだい? 騎士たる者の末期の頼みだ、聞くだけ聞こう」

「感謝する。……頼む、我が主を、見逃して欲しい。今からお前が駆けつければ、主は……」

「……貴公は、自らをあそこまで悪し様に嘲った主を救いたいと?」

 

 呆れたような口調に、しかしランサーは言った。

 

「決闘の結果、敗れて斃れるは戦場の倣い……どんな末路を迎えようと、オレはお前を恨まない。だが騎士として忠義を捧げた身として、主が生き残ることを願う。それが……オレの騎士道だ」

「……貴公の願い、確かに聞き届けた。安心して逝くといい、助けられる保証はないが、出来る限りの手を打ちはしよう」

「……すまない。そして、ありがとう。遍く騎士達の王よ」

 

 そう言って、ランサーは消滅する。

 セイバーは嘆息し、称賛する。ディルムッド・オディナ、彼はまさしく騎士の中の騎士だった。

 まあ……対人関係に関して、矢鱈と不器用で自分勝手なところもあるように見えたが。女性にだらしない部分を除いたランスロットによく似ている。

 だからこそ好感を覚えた。セイバーは急ぎ切嗣の許へ向かう。約束した手前、最善を目指すのは王騎士として当然である。セイバーもまた騎士なのだ、騎士としての在り方は裏切れない。

 

 ――銃声が止んだ。どうやら決着がついたらしい。

 

 セイバーが駆けつけると、ケイネスは血塗れで倒れていた。全身至るところを銃撃され、今にも息絶えようとしている。水銀が辺り一面に飛散しているのも目についた。

 全身至る箇所が壊死しているのだろう。魔術回路もグチャグチャだ。人としても、魔術師としても再起不能なのは明らかである。

 そんな彼の許に歩み寄り、頭部に銃口を突きつける切嗣もまた、浅くない傷を負ってはいる。しかし致命傷には程遠く、完勝と言える有様だ。聖剣の鞘の力で全快してもいた。

 

「セイバーか。どうやらそちらも終わったらしいな」

「ああ。彼はなかなかの猛者だったよ」

「そうか。こちらももう終わる」

 

 手持ちの短機関銃は弾切れらしく、ケイネスに突きつけているのは拳銃だ。それはトンプソン・コンテンダーではないが、瀕死の男を殺すのには充分な殺傷力を秘めた道具である。

 ケイネスは息も絶え絶えに、必死に這いずっていた。死にたくないという渇望、敗北を認めたくないという意地、自身の状態を理解しているが故の絶望。綯交ぜになった激情を抱え、しかしケイネスの口を衝いたのは、掠れた声で呼ばれる女の名だった。

 

「そ、ら……う……」

「…………」

「し……しにたく、ない……ぃ! わ、わた、しは……しぬ、わけに、は……!」

「…………」

 

 一瞬、切嗣の動きが止まった。だが撃鉄を起こした彼は、これ以上の苦痛を与えることをよしとせず、せめてもの慈悲として一瞬で即死させようと引き金に指を掛けた。

 それに、セイバーはランサーへの義理で待ったをかける。

 

「キリツグ」

「……なんだ?」

「もう、無用な殺生は避けてもいいだろう。あと一人以外は、殺さなくていいんだ」

「……なんだと?」

 

 言いながら、セイバーはケイネスのコートを大きめに切り取り、彼の血で術式と文言を描いた。

 条件は以下の通り。

 衛宮切嗣、及びそのサーヴァントから得た情報の全てを秘匿し、今後永久的に他者への伝達をあらゆる手段であっても禁じる。また同上の項目を、如何なる用途でも利用を禁じるものとする。

 また永久的に衛宮切嗣や、その縁者へ危害を加えるあらゆる行動の企図、計画の立案を禁じるものとし、衛宮切嗣がケイネス・エルメロイ・アーチボルトへ協力を要請した場合、これを最優先事項に設定し全力を尽くして協力すること。例外は認めない。

 治療を受けた際、用いられた宝具を一切の猶予なく速やかに返還すること。そして契約の締結後、以上の項目が直ちに効力を発揮するのを認めること。

 

 術式はセルフ・ギアス・スクロールだ。聖杯戦争中、何度も目にしたものである故に、妖精女王の薫陶を受けているため魔術への造詣も深いセイバーは、それの模写を可能にしていた。

 切嗣はその文言を見て顔をしかめる。

 

「……生かすのか、この男を」

「この契約条件なら、君や私になんの不利益も生じない。それどころか君は、強力な味方を時計塔内部に得ることになる。今後を見据えるなら、ケイネスを生かすのは益になると思わないかい?」

「……プライドの高いケイネスが、この条件を呑むと思うのか?」

「さあ、試してみないことにはなんとも言えないが……構わないね」

「……好きにしろ。僕も好きこのんで人を撃ちたいわけじゃない」

 

 切嗣は呆れ、諦め、タバコを取り出して口に咥える。そのまま背を向けた。

 セイバーは地面を這うケイネスの傍に膝をつき、契約書を見せる。目を見開いたケイネスが、食い入るように文言を見詰めた。

 死の淵にいようと、彼は優れた魔術師である。穴のない術式だと理解し、契約内容も理解した。

 

「温情だ。助かりたいならサインするといい。断っておくと、契約を結ばないなら介錯はしてやろう」

「ヒュー……ヒュゥ……」

「早くしないと死んでしまうぞ。迷っている暇はないはずだ」

「っ………!」

 

 血走った目で、指先を震えさせながら、ケイネスは己の名前を書いた。

 一方的に己に不利な条件にも拘らずだ。それほどまでに死にたくなかったらしい。

 なら、戦場に出てくるなと言われても仕方ないが、彼は驕っていた。自分が負けるわけがないと、死ぬわけがないのだと甘く見ていた。その結果がこれである。ケイネスは、必死だった。

 溺れる者は藁でも掴む、死を避けるためなら悪魔とでも手を結ぶ。

 果たして切嗣は嘆息し、自らの体内から聖剣の鞘を取り出すと、それをケイネスに押し込んだ。そこにセイバーが魔力を封入するや――瞬く間にケイネスの傷が治っていく。

 そして轢断されていた彼の魔術回路までも復元された。

 神秘による現象は、より大きな神秘に塗り替えられる。聖剣の鞘による治癒能力は、起源弾による破壊もまた塗り潰して治癒してのけたのだ。

 

「ぁ……こ、これは……」

 

 自らが全快したことを悟ったケイネスが、唖然としながら立ち上がる。

 呆然としながらセイバーと切嗣を見て、現状を理解すると顔面を歪めた。

 

「………」

 

 無言で自らの体内から聖剣の鞘を取り出し、契約通りに返還する。それを切嗣が受け取った。

 

「……感謝しよう、騎士王陛下。だが……私は、これからどうすればいい?」

 

 情けを掛けられた屈辱も、決闘の最中に受けた仕打ちへの怨嗟も、晴らす手段などない。そのことを理解しているケイネスは、ただただ己の無力感へ打ちひしがれていた。

 魔術師の面汚しなどに助けられた事実が認められない。そんな輩へ敗れ、言いなりになることが確定した現実が堪らなく屈辱的だ。ケイネスは死の淵にいて――自身がどれほど詰んだ状態でいたのかを自覚していた故、全快して元通りになれた自身の体に驚愕を隠せない。

 動揺していた。理解の及ばない神秘に。そして、己の敗北と、この現実に。

 セイバーが切嗣を見ると、切嗣は首を左右に振った。その意図を察したセイバーが代わりに言う。

 

「国に帰れ。大事な女がいるんだろう? なら、無闇に危険な戦場に身を晒すんじゃない」

「……分かった。いや、畏まりました、陛下」

「ああ、それと……」

「………?」

 

 一礼して自らの礼装を回収し、立ち去ろうとするケイネスはピタリと立ち止まる。セイバーの声に反応して振り返ろうとしたが、それを制するように彼は言った。

 

「私が貴公の命を救うために、便宜を図ったのはランサーの頼みだからだ」

「――――は?」

「いい騎士を持ったな、ケイネス。彼は私に恥も外聞も投げ捨てて、貴公の助命を願ったんだ。もしもランサーが貴公のことを気に掛けなかったら、私はケイネス・エルメロイを見捨てていた」

「……………………」

 

 ぽきり、と。

 

 心の中で何かが折れた音を、ケイネスは確かに聞いた。

 何が折れたのかは分からない。だが、確実に何かが折れた。

 プライドか? それは切嗣に敗れ、助けられた時に折れている。

 では何が折れた? 何が……砕けた?

 ……ランサーが、自分の、助命を願った。

 それを聞いた瞬間――生まれて初めての挫折を、ケイネスは確かに実感したのである。

 己の人を見る目のなさ。曇っていた心を痛感させられた。

 有り体に言うのなら、天才が故に伸びていた鼻っ柱が折れたのである。

 

 ケイネスは無言で、途端に小さくなった背中を晒したまま、静かに戦場を後にする。とぼとぼと歩く彼の姿は、ようやく一人の人間として成熟を迎える兆しを得たように見えて。

 

「残酷なことをする」

 

 皮肉めいて切嗣が呟くと、セイバーは苦笑して応じた。

 

「戦争とは残酷なものだ。私は勤勉さを心がけていてね、『マスター』の今後も見据えてアフターケアもしてやろうと思ったまでだよ。これで、ケイネスは君の仲間だ」

「あんな仕打ちをしておいて何が仲間なんだか……」

()たなくても決着に持ち込めるなら上等だろう? 降伏させた相手は可能な範囲で搾取しないとね。勝者と敗者に別れたなら、徹底的に不平等条約で縛り付けるのが鉄則だよ」

 

 吸い殻を捨て、靴底で火種を踏み潰した切嗣が、呆れたように半眼で騎士王を一瞥した。

 

「……今の台詞で確信した。やはりお前は、()()()()王様だ」

 

 それ、どういう意味? 聞き返したセイバーに応えず切嗣は戦場を後にした。

 なんとなく納得がいかないセイバーだったが、まあいいかと意識を切り替えて停車していたバイクを回収しに向かう。彼は当たり前のことを言っただけのつもりのため気にしていないのだ。

 ――そうして、ランサー陣営は脱落した。

 サーヴァントとマスター、双方がセイバー陣営に完敗する形で。

 

 明日はライダーとアーチャーの戦いである。それの偵察が出来ればいいなとセイバーは考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ケ イ ネ ス 生 存
次回予告詐欺(元ネタ通りの生存)である。

なお「とある理由」でケイネスはロードの座を降りることになります。ウェイバーくんの台頭は動かず、ケイネスはウェイバーの後方先生面をしての相談役、最後に出てくる師匠枠になる模様。
なぜロードを降りることになるかは、後日談で軽く触れておこうと思います。とはいえお察しかもしれませんが……お楽しみに。


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最後の戦いの前夜の話

 

 

 

 

 

 

 冬木大橋にて行われた、人界の覇者たる征服王(ライダー)と、人の世を開闢せしめた英雄王(アーチャー)の決戦。

 勝者は、黄金の英雄王。決着は酷く呆気なく、あっさりとしたものだった。

 戦車は破壊され、ライダーの切り札も破られたのだ。アーチャーの圧勝である。

 過程こそ固有結界『王の軍勢』が展開された為、確認できずに終わったが収穫はあった。

 アーチャーの手に握られている、三つの円柱を束ねた剣のような何かと、征服王の意地を魅せた最後の疾走を食い止めた鎖。この二つの宝具を視認できたのは大きい。

 ライダーのマスターである少年は、てっきりアーチャーの手に掛かるものと思ったが、どうやら見逃されたらしい。アーチャーのお眼鏡に適ったということだろう。大した少年である。

 

 新都のセンタービルの屋上から事の顛末を見届けた――偵察していたとも言う――セイバーは、ライダーのマスターのことを意識の外に叩き出すと、頤に指を添えて考察を始めた。

 

(ライダーが決着を待たずに『王の軍勢』を解除するとは思えない。となるとライダーの切り札を破る為にアーチャーも宝具を使ったはず。強制的に固有結界を解除する宝具? ……もしかして、対界宝具か? アーチャーが持っていた剣みたいな物、あれがそうなのか?)

 

 モルガンから習った知識によると固有結界を破る方法は二つ。術者の力量を上回る練度でより優れた固有結界を展開する、エクスカリバー級の聖剣で固有結界そのものを破壊する、この二点だ。前者が可能なのがモルガンとアルトリアで、後者がセイバーとアルトリア。他の手で魔術奥義である固有結界の破壊は不可能に近く、対界宝具でもなければ話にならないそうだ。

 アーチャーは、魔術師ではない。魔術行使を代行する宝具らしきものも手にしていなかった。代わりに剣のような物は持っていたが――となると、候補は一つだろう。

 対界宝具。存在自体は知識として識っているが、実物を見たことはない。だが原初の英雄王であるならば、所有していてもおかしくはないと考えられた。

 だとすれば極めて強力な代物だろうが――固有結界内部でもない限りは真価を発揮することはないと断定できた。下手に現世で用いれば、人理で固定されている世界そのものが排斥しようとするため、威力は大幅に落ちるはず。とはいえそれは聖剣なども同じなのだが、他にも警戒すべきものはあった。

 

(あの鎖……()()()()がしたな。なぜだ? ……最後にアーチャーが出したんだ、きっと特別な力を宿した宝具のはず。単なる鎖なら、ライダーの――サーヴァントの膂力で砕いてしまえるだろう。となるとライダーに特攻が入る力を有していると見るべきだ。僕が感じたあの嫌な感覚と……ライダーと僕の共通点はなんだ? ……もしかして、神性かな?)

 

 セイバーの精神性は普通の人間の範疇にある。だがその精神強度と経験値、具えている感覚と洞察力は決して普通の括りには収まらない。

 彼は卓越した将であり、騎士なのだ。アーサー・ペンドラゴンの研鑽が結実させた力の真髄は、武技による個人戦闘能力などではなく――たとえ魔法の域に達した技の持ち主が相手でも、()()()で完封してのけるであろう戦術技能・戦術眼にあるのである。

 故に少ない情報で相手戦力を見極め、勝機を固める手腕は断じて名前負けしていない。彼は騎士王であり、建国神話最高の伝説的君主の一人なのである。

 

(――ライダーはアキレウスの子孫を自称していた。となると少なからず神性はある。最低ランクに近いだろうけどね。あの鎖は神性を具えた相手に、より強い拘束力を発揮するのか?)

 

 厄介だな、と分かりきっていたことを再認識する。

 無数の宝具に、神性に刺さる拘束具としての鎖、そして聖剣以上の威力も想定せねばならない対界宝具。まるでセイバーに対するメタ要員として現界したかのような性能だ。

 

(幸いアーチャー自身は弱くはないが強くもない。僕なら一撃で斬り捨てられるけど……そもそも近づけなかったら意味はないね。アーチャーは如何にして僕を近づかせないか、僕は如何にしてアイツに近づくかの勝負になる。聖剣の鞘があれば、初見の時だけなら意外と簡単に倒せそうな気もするけど……()()()()()()()()()()()()()()()()()気がする。悩ましいね)

 

 勘だ。だが、この直感にセイバーは何度も助けられてきた為、疑うつもりは毛頭ない。

 自らの勘の鋭さを信じている故に、切嗣に聖剣の鞘を貸した判断を撤回するつもりはなかった。

 問題は、鞘抜きでどう英雄王を攻略するかだが。

 

(アーチャーが見せた金色の波紋――宝具の射出口の最大展開数は、今のところ五十前後。だけどアイツはライダーを相手にかなり余力を残していた。アーチャーは一歩も動かずにライダーを討ったんだ。更に倍は同時展開できると見ていた方がいいね)

 

 あるいは十倍か? 宝具の射出口がそれだけ展開された光景を思い浮かべ、セイバーは苦笑する。

 戦慄で鳥肌が立ちそうになるのは随分と久しい感覚だった。

 策を練る。策が破られたケースも想定する。十、二十と瞬間的に策を練り、悉くを棄却して更に五、三と策の数を絞り、洗練させ、研ぎ澄まし、これはと思う戦術を考案する。

 慣れたものだった。現場での即断即決など、騎士王として出来て当然。瞬く間に対アーチャー戦の基本骨子を打ち立てたセイバーは、現代のスーツ姿のまま携帯電話なる物を取り出す。

 

「私だ、キリツグ。たった今ライダーが脱落し、消滅した」

『――そうか。こちらでも消滅は確認している』

 

 通話に応じたマスターの声は、どんよりと沈んでいる。その声音で、彼が今どこにいるのかを察したセイバーだったが、何も言わずにおいた。

 無言の間が数秒流れる。沈黙に耐えかねたのか、切嗣はポツリと呟くように溢した。

 

『……アイリが、死んだよ』

「………」

『小聖杯に流れ込んだ、ライダーの魂で五騎分だ。彼女の自我は圧迫され、押し潰された。なのにアイリは……苦しいはずなのに、辛いはずなのに……最後まで、僕を……案じて……っ!』

「……いい女だね」

『ああ……ああっ。僕なんかには勿体ない……! けど、だからこそ、絶対に勝つぞ……!』

 

 勝って、聖杯を手に入れて、妻を取り戻す。痛みに塗れた理想を捨て、遅きに失したが家族のために戦うと決めた男は、涙ぐみながらも決然と宣言する。

 セイバーはそれに頷いた。

 義務であり、サーヴァントとしての責務を最低限果たすだけのつもりだったのが、随分と肩入れするようになったものだとは思う。しかし家族のために戦おうとする男には共感してしまうのだ。

 切嗣を勝たせてやりたいという想いを懐いた。それと同じぐらいアーチャーに『必要ない』と言い捨ててやらねばならないという想いもある。だが――やはり――嫌な予感は消えなかった。

 

『――アイリは聖杯を降臨させる儀式のために、舞弥とホムンクルス達に柳洞寺へ連れて行かせる。後は計画通りに進めよう。構わないか?』

「そうだね……キリツグ、計画の大筋に変更はないとして、令呪の使い途を決めておこう」

 

 セイバーは自分の勘を信じている。だが嫌な予感の正体がはっきりしない。

 故に彼は、アーチャー戦も加味して切嗣にこう提案した。

 

「三画ある令呪を使わずに終わるのは勿体ない。折角だし、勝算を上げる為にも一画目は私の強化にあててほしい。令呪一画分の魔力があれば、一時的に現役時代に近い状態で戦えるはずだ」

『いいだろう。明日の夜、アーチャー戦に入る前に令呪を使う。他には?』

「二画目は――――のタイミングだ。私からの念話があれば、間を置かず即座にやってくれ。()()()()()()()、不慮の事態には備えておくべきだろう? どうにも嫌な予感が拭えないしね」

『……分かった。最後に確認しておくが、僕が目的を果たす前にアーチャー戦には入るなよ』

「無論だとも。こちらは任せておくといい、そちらは任せる。次は事が終わった後に会おう」

『――ああ。頼んだ、セイバー』

 

 通話を終える。携帯電話、便利だ。これからはもっと現世に目を向けてもいいかもしれない。面白くて便利なものが、これから次々と世に出て来ていたような覚えもある。全てが終わったら切嗣が死ぬまでの間、彼の人生を見届けるぐらいはしてもいいだろうとも思った。

 サーヴァントとマスターは契約と魔力経路で繋がっている為、携帯電話など使わずとも念話を行えば事足りる。しかし敢えて携帯電話をセイバーが所持していたり、用いたりする理由は、彼の方から久宇舞弥に連絡して久宇隊のホムンクルスを動かすためだった。

 セイバーは次いで、舞弥に連絡を取る。セイバー対アーチャーの決戦の舞台は、アインツベルンの城である。戦闘の騒音やらを隠蔽する準備を指示し、更に別件で一つの任務を授けた。手筈通り事が進んでいるなら、この連絡ですぐにでも実行に移せるはずである。

 

 舞弥との会話は淡々としたものだったが、舞弥は最後に『切嗣を頼みます』と言った。直感的に愛されているなと思う。愛人かな? なら切嗣とお話しないといけないかもしれない。

 

 セイバーは、アインツベルンの森に向かう。マスターの傍を離れているのは危険だが、彼も歴戦を生き延びてきた男である。過保護になる必要はないし、()()()()()()大丈夫なように話し合いは済ませていた。

 今の段階で最も危惧するべき事態は、第三者からの奇襲である。それ以外に懸念はない。

 上手くやるだろう。切嗣は生涯で最も弱い状態だろうが、同時に最も強い最盛期を迎えている。今の衛宮切嗣を、現世の人間で討てる者などいない。セイバーはそう確信していた。

 

 城に向かう途中、着いた後、セイバーは決戦の時を迎えるまで、ひたすらにアーチャーに対する戦法を考案し続けた。それ以外は忘れる。セイバーのサーヴァントは精神を研ぎ澄ませていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 階段を上る。長い、長い階段だった。

 

 柳洞寺の階段だ。久宇隊に指示を出し、寺の人間には暗示を掛け避難させている。

 ここは聖杯を降臨させる霊地として一級品だ。聖杯を完成させる舞台としてこれ以上は望めまい。

 衛宮切嗣は、山門を潜った。

 奥へと進むと、アイリスフィール・フォン・アインツベルンが、十字架に架けられたかのような体勢で空中に浮いている。聖杯が完成する時が近づいているからだろう。

 愛する妻のその姿を見て、切嗣は沸々と込み上がるものを感じていた。

 

「アイリ……」

 

 余りにも愚かな男だった。本当に大事なものを見失い、失い続ける理想に捧げてしまった。

 今まで犠牲にしてきた罪のない人々に対する罪悪感はある。

 だが――それでも……切嗣は、自身が地獄に落ちるのは容認できても、愛する妻や娘だけは、たとえ悪魔と罵られようとも救い出したかった。

 エゴだ。

 今更家族だけでも救いたいと思うのは、底抜けに醜悪なエゴである。

 そんなこと、誰に言われるまでもなく理解していた。

 それでも……それでも、だ。贖罪も、裁きも、全てが終わるまでは忘れることにしている。

 

「アイリ。僕には、世界は救えない。けれど……君と、イリヤだけは――家族だけは守れる男になりたいんだ」

 

 ――セイバーを召喚して以来、切嗣は精神を解体しての睡眠もどきを行わずに、きちんと眠るようにと厳命されていた。切嗣が魔術による精神の解体清掃を行なっているのを見たセイバーが、それだけはやめろと、煙草よりも強く否定したのである。

 納得はいかなかったが、やむをえず通常の睡眠を取るようになり、その代わりにセイバーの過去を夢という形で見ることになってしまった。

 

「……昨日見た夢の中で、セイバーが言っていたよ。『自分を救い、家族を救い、身内を救い、自分達が幸せになる。そうして幸せになった分の余りで、国民を幸福にする』ってね。笑えるよ、アイツはそれを有言実行してみせたんだから。けど、それで気付かされたよ。自分すら救えない奴に、他人を救えるわけがないんだって……こんなこと、もっと早くに気づければよかった」

 

 アイリスフィールは応えない。当然だ、アレはアイリスフィールの抜け殻なのだから。

 それでも、切嗣は言った。

 

「アイリ……僕は、僕を救いたい。愚かだと、傲慢だと、嘲られるかもしれない。どの面さげてそんな勝手なことをって、僕に殺された人や遺族は言うだろう。だけど……僕は僕を救う。だってそうしないと……僕は君とイリヤを救えないんだ。だから、待っていてくれ」

 

 切嗣は、必要な武装や道具は全て所持している。アタッシュケースも持ってきていた。

 もうすぐ、ホムンクルス達が来る。セイバーが連絡しているだろうから、仕事を終えて。

 そこからだ。そこからが、最後の戦いだ。

 故に――()()()()()()()()()()()

 

 

 

「――カカッ。随分と青いことを言うのぉ、衛宮切嗣」

 

 

 

 ――完璧な不意打ちだった。衛宮切嗣にすら気づかせない、待ち伏せていての()()である。

 己の胸の中心を、何かが通り抜けた。鮮血を噴き出し、無様に倒れた切嗣は即死していた。

 刃状の角を有した蟲。それが彼の心臓を貫いたのである。

 

 無数の蟲の群れが集まり、一人の老人を形成する。それこそは間桐臓硯。漁夫の利を求め、アインツベルンのホムンクルス部隊を壊滅させる為に、虎視眈々と機会を伺っていた妖怪だ。

 

「そのような戯言をほざく者に、聖杯はやれんなぁ。アレは儂が貰う。そのためにも……聞こえてはおらんだろうが、貴様のサーヴァントを使わせてもらうぞ? なぁに、如何に騎士王といえど、令呪を編み出した儂にかかれば一画でも従えられるわ。ハハ、ハハハ――!」

 

 哄笑する妖怪。彼は切嗣が死んだのを理解していた。

 如何に悪名高き魔術師殺しであり、自身をも屠り得る可能性を秘めた凄腕であろうと、不意を突けばこんなものである。

 聖杯を完成させるために、柳洞寺を選ぶと確信していた臓硯は、数日前からずっとこの地に潜伏し待ち構えていたのだ。全てはこの時、衛宮切嗣を奇襲するために。

 嘲笑しながら臓硯は切嗣の遺体に近づいていく。彼の肉体を食らいつくし、肉体のガワだけを残して、セイバーを操るための道具に加工するためだ。

 

 だが、しかし。

 

 切嗣は――セイバーは――間桐臓硯の存在を忘れていなかった。警戒も怠ってはいなかった。

 故に、対策は万全なのである。

 

 全て遠き理想郷(アヴァロン)、起動。蘇生開始。

 

(――やはり来たな、間桐臓硯。本命の前座)

 

 死んだふりをしながら、切嗣は密かに魔術刻印を起動。固有時制御にて限界を超えた()()()を行使。

 激痛というのも鳥滸がましい灼熱の地獄が彼の体内に具現化する。だが、人生最高のコンディションに至っている『人間』衛宮切嗣は、全く表情を変えずに反撃の瞬間へ備えた。

 切嗣は内心独語する。

 

(無防備な背中を見せれば確実に来ると思っていた)

 

 『魔術師殺し』は獲物を選ばない。たとえ限りなく不老不死に近い妖怪が相手であっても。

 魔術師である限り、衛宮切嗣は天敵なのだ。

 

(来ると分かっていれば――いると分かっていれば――僕が、対策を練らないわけがないだろう)

 

 冬木の聖杯戦争を調べ、御三家を調べた段階で。切嗣は遠坂時臣、間桐臓硯に対する攻略法は導き出していた。交戦する可能性がある、それだけで彼には対策する理由は充分である。

 だからこそ、間桐臓硯は身を以て思い知るだろう。

 

 ――なぜ衛宮切嗣が、魔術師殺しと恐れられているのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔術師殺しの手際が鮮やかな話

 

 

 

 

 

 

 間桐臓硯。本名、マキリ・ゾォルケン。

 

 五百年近くもの歳月を生き長らえてきた、極東屈指の大魔術師である。

 

 彼の盟友アインツベルンが有していた情報によると、マキリは三百歳の頃にユスティーツァと出会い聖杯戦争のシステムを考案。英霊召喚システムや令呪などを開発したという。

 マキリの魔術属性は水。使い魔の使役に特化した者で、吸収の属性を得意としているが、マキリは蟲の使役に全ての魔力を導入しているようだ。使役する蟲の種類は多岐に渡るが、アインツベルンが把握しているものでは主に術者と視覚をリンクできる視蟲、魔術回路を補強する刻印蟲、攻撃用の肉食虫である翅刃蟲などがいるようだ。

 マキリは狡猾だ。自らの属性などの基礎的な情報こそアインツベルンに残されているが、それ以外となると殆どが知られていない。だが魔術師とはえてして自らの情報を秘匿するもので、そうした手合いを幾人も葬り、魔術師の手の内を分析するのを得意とする男がいる。

 

 『魔術師殺し(メイガス・マーダー)』衛宮切嗣だ。

 

 彼がマキリに対策を練る際に、真っ先に着目したのはマキリの実年齢。

 五百年も生き延びる過程で、必ず邪法による延命を行なっているのは自明であり、アインツベルンが有していた情報と照らし合わせると、一つの仮説を立てるに至った。

 その仮説を裏付ける為に、切嗣が次に調べたのは冬木市や近隣の市町村での()()()()()()()()だ。すると驚くべきことに、半月に一人以上のペースで若い女性が行方をくらませていることが判明する。

 切嗣はこの事件の犯人がマキリであると断定している。行方不明者の行動範囲、行方が追えなくなった時間帯や人口密度を地図にマッピングしていくと、間桐邸が中心地近くに浮かび上がったからだ。こうしたプロファイリングは、外道の魔術師の居場所を調査する際にも活かせる技能であり、切嗣は現職の刑事としても一流以上に熟せる腕を有していた。

 マキリは延命に用いる手段として、他者の肉体を定期的に摂取する必要があるのだろう。――マキリの得意とする魔術、属性、蟲の使役に魔力の全てを投入している情報、扱う蟲の種類――それらを総括して、罪なき人間を食い物にしている精神性や、明らかに邪法である延命法を加味することで、衛宮切嗣はマキリの正体を見事に看破した。

 

 ――延命の為、マキリは蟲を操る魔術を応用し、自らの肉体を蟲に置き換えている。

 

 行方不明者が一定期間ごとに現れるところから類推するに、新しい蟲で肉体を構築・交換する必要があるのだろう。こうした魔術師の常として、マキリの本体の魂を収めた核を破壊しない限り、マキリを死に至らしめることは困難を極めるはずだ。

 霊体そのものに直接ダメージを与えるか、『蟲』という小さな標的を全滅させねばならない。となるとサーヴァントでもマキリを完全に殺すのは非常に難しいだろう。

 ――これは切嗣の与り知らぬことだが、マキリは全盛期ではサーヴァント相手にも善戦でき、状況が良ければ倒せてしまうほどの実力者だった。謂わばマキリ・ゾォルケンは、ケイネス・エルメロイを凌駕する魔術師なのである。というのもマキリの家系は魔神柱に変質する運命を宿した者達であり、魔術王の遺伝子を継ぐ存在なのだ。それが生き残ることに執念を燃やしている以上、マキリ・ゾォルケンを完全に殺すというのは、現実的な目標には設定し辛い。

 

 起源弾という切り札を有する切嗣であっても例外にはならない。

 

 切嗣はマキリの正体を看破している。故に彼は『一度の交戦で殺し切るのは不可能』だと断じた。

 だがマキリは一度交戦し敗れた相手には、決して近づこうとはしなくなるだろう。そうした生き汚さと狡猾さが、マキリの真骨頂とも言える。故に、初戦だ。初戦で可及的速やかに致命傷を与え、今後一切の活動が不可能になる状態まで追い込まなければならない。

 マキリの肉体が蟲の群体なら、魔術で延命している以上、理論上は起源弾の一発で屠れはする。だが切嗣はマキリのような妖怪の経験値、対応力を甘く見ていなかった。もし起源弾を食らってもマキリは即座に対処し、被害が全体に行き渡る前に群体の一部を切り離すかもしれない。その後逃げの一手を取られては追い切れないのは想像できる。そうなればお手上げだった。

 

 起源弾の一発で、一匹の蟲を撃ち殺すだけでは到底足りない。

 

 そこで切嗣は秘策を練った。元より彼は冬木の聖杯戦争を、人類最後の流血にするつもりで臨んでいたのだ。謂わば聖杯戦争が切嗣にとっての引退試合、最後の戦いのつもりだったのである。

 最後の戦いに出し惜しみはしない。起源弾を使い惜しむなど愚の骨頂。これまで数多の魔術師を一発で仕留めてきた起源弾を、ケイネス戦で十発近く消費したがまだ二十数発残っていた。

 ケイネスを撃破した後、切嗣は亡き育ての母にして師の手で霊的処置を施された起源弾の内、十発を解体して独自の兵器に組み替えたのである。それが対マキリや遠坂時臣に特化した兵装だ。

 

 

 

 うつ伏せに倒れていた切嗣の懐で、キンッ、という音が二回連続で発生する。

 

 

 

 流石はマキリというべきだろう。心臓を翅刃蟲で喰い破った相手から、異音が発生した瞬間に、切嗣が死んだはずだという認識を改め警戒心を強めた。そして即座に切嗣から離れたのだ。そうした警戒心の強さこそが、マキリをこれまで生き延びさせてきた。

 しかし、遅い。余りにも、速度として遅すぎる。

 限界を遥かに超えての魔術行使。六倍速で駆動する衛宮切嗣は、平均的な英霊に匹敵する速度を叩き出している。彼は懐に潜めていた手榴弾を二つ、うつ伏せに倒れたまま腕の振りだけで投擲していた。

 

「なんッ――」

 

 驚愕するマキリの左右に落下した手榴弾。それを目視したマキリは、咄嗟に老人の姿を捨て蟲の群体へと展開する。だが敢えて殺傷力が低くなる地点に落下させていた手榴弾では、マキリに対して有効打には成り得ない。だが爆風により四散しようとしていたマキリの群体が、元いた箇所からの拡大を堰き止めてしまう。――同時に、目にも留まらぬ速さで切嗣は立ち上がっていた。

 衛宮切嗣の手には短機関銃。間髪入れず射撃されマキリの蟲達が次々と撃ち落とされていくが、マキリは瞬時に対応して自らの被害を抑えるべく、翅刃蟲の硬度を上げて弾丸を凌いだ。

 その瞬間、射撃を続ける腕とは反対の腕が、別の生き物に操られているかのような器用さで、蹴り開かれていたアタッシュケースから別の武装を取り出している。切嗣は六倍速の世界の中で、灼熱の激痛に耐えながら詰みに入っていたのだ。――マキリを相手に長期戦は無い。徹底して短期決戦、攻撃開始から十秒以内に決着させるつもりだ。

 

「――じゃ、とォ……!?」

 

 驚愕の叫びを上げるマキリは、自身に向けられた武器の正体を悟り必死に逃れようとしている。

 起源弾の存在を知っているからではない。そんなものは知らない。だが魔術師殺しなどと渾名される男を侮らず、その攻勢に晒されている状況の危険さを理解しているだけだ。

 だが如何に行動が正しくとも、その正しさを切嗣は封殺している。離散しようとしたマキリの群体を手榴弾の爆風で押し留め、更に逃げ続けようとする群体の端をキャリコM950で撃ち落とし続けて時間を稼ぎ、反対の腕で取り出した()()()()()を解き放つ。

 

 火のついた液体を投射する、火炎放射器こそが対マキリの決戦兵装だった。

 

「ギャァァアアア――――!?」

 

 炎に呑まれたマキリは、断末魔の絶叫を上げる。

 なぜならそれはただの炎ではない。投射される火のついた液体には、十発分もの起源弾の粉末が溶け込んでいるのだ。すなわち、この炎全てが魔術師を焼き殺す代物なのである。

 

 切嗣が携行していたアタッシュケースは、火炎放射器のバックパックへと改造されたもの。二本のシリンダーを内蔵し、その内の一本には可燃性液体が、もう一本には可燃性圧搾ガスが充填されており、シリンダーからパイプで繋がれた銃部に燃料を押し出す働きをする。

 銃部は小さな貯蔵器、バネ式の弁、点火システムから構成されていた。トリガーを引くと弁が開き、ガスによって加圧された液体が点火システムを通って噴出する仕組みなのである。

 起源弾を粉末状にしたものは、可燃性液体が詰まったシリンダーの中にあった。無論、切嗣の師ナタリア・カミンスキーという、サキュバスを先祖に持つ女が霊的処置をした起源弾を、粉末になるまで砕き可燃性液体に溶け込ませたとあっては、起源弾としての効果は一日と保たずして喪失してしまう。だが投射に耐える時間は僅かでいいのだ。

 

 見るがいい、五百年を生きた妖怪の最期を。

 

 一発の起源弾で、一匹の蟲を撃ち殺すだけでは不足。確実性に乏しい。ならば十発の起源弾を用いた火炎放射器で、数十から百近い蟲の群体を焼き払えばどうだ?

 結果はここに出ている。マキリは声の限りで叫び、残らず焼き尽くされた。

 この場にいたマキリは本体ではなかろう。だが被害を留めようとする判断を――数十匹の蟲を纏めて焼き払われた激痛の中で正常に行えるか。一発ですら痛みに慣れ親しんだ魔術師を悶絶させ、無惨な最期を遂げさせる起源弾が齎す激痛に、衰えた妖怪の精神が保つと?

 聖杯を求める怨念の妖怪、マキリ・ゾォルケンはここに斃れた。

 後に残されたのは、一人の幼い少女の心臓に巣食う、たった一匹のちっぽけな蟲だけだ。それすらも瀕死の状態であり、彼が元の力を取り戻すには数十年もの歳月と暗躍を要するだろう。

 幼い少女を唆し、利用して、蟲を集め、作り、血肉を束ねないと復活は叶わない。魔術回路そのものが轢断されていても、刻印蟲さえ作ればまだなんとかなりはする。マキリならそれはできる。

 だが。マキリを殺し切れたとは確信していない切嗣の目から、数十年も逃げ切れるわけもない。ここにマキリの末路は決定された。彼は、魔術師殺しにトドメを刺されるのだ。

 

「フゥ――」

 

 蟲の群れが燃え尽きたのを見届け、切嗣は火炎放射器の投射を終える。

 長い吐息を溢し魔術行使を止めた切嗣は、背後を振り返ってアイリスフィールを見上げた。

 そうして、くしゃりと表情を崩す。

 

「……ごめん、アイリ。君に近づく害虫を駆除するのに、ちょっと情けない姿を見せちゃったね」

 

 切嗣は、何事もなかったかのように、そう呟いた。

 全て想定通り、手筈通りの結末である。

 仮にマキリが切嗣を襲わなかった場合、用意していた武器は無駄になっていただろうが、それならそれで構わなかった。別の手段を考案して、切嗣はマキリを始末していただろう。

 理想は捨てても、外道の魔術師の存在を知って野放しにするような精神性はしていないのだ。

 

「それと、もう一つ謝っておくよ。ごめん、今から僕は……君に()()()()()を見せてしまう」

 

 見ていないのは分かっている。既に切嗣は、アイリスフィールが死んでいるのを知っている。

 だがそれでも言わずにはいられなかった。

 マキリ・ゾォルケンは外道である。だが――衛宮切嗣もまた外道なのだ。

 柳洞寺の山門に気配が近づいてくる。足音が複数あった。

 

 決戦は明日。それまでに確保したかった相手を、舞弥とホムンクルス達に確保させていた。

 振り返ると、舞弥がやって来ている。ホムンクルス達を三人従えて。そしてその三人は、それぞれ眠らされている成人女性と、幼い少女を一人ずつ抱えていた。

 遠坂葵。遠坂凛。間桐桜だ。

 切嗣は魔術師の精神性を知悉している。家族が人質として機能する手合いばかりではない。だが遠坂時臣に通用するのか、しないのか、判断に困っていた。故に勝率を上げる為に人質を用意したまでだ。通用するならよし、しないならそれはそれでよしである。

 遠坂の宝石魔術は、起源弾と相性が悪い。必要な武装は揃えているし、策も練ってはいるが、ある意味聖杯戦争中で最も手強い相手になるだろう。打てる手は全て打つつもりだ。

 

 ――キリツグ。アーチャーは、トオサカを殺すだろう。私との決着がついた後でね。

 

 脳裏に蘇る、セイバーの声。

 

 ――だけどわざわざそれを待ってやる必要はない。むしろマスターからの令呪や、魔力供給の援護が確実にない状態にする為に、トオサカは君の方で始末してほしい。勝率を上げるためにね。

 

「……アーチャーはマスターを守らない。それが分かっただけで充分だ」

 

 切嗣は意識のない幼い少女たちと敵の妻を見て、誰かを連想しそうになるのを必死に止めた。

 後、一人。

 殺すのは後一人でいい。

 衛宮切嗣が聖杯戦争で殺す最後の一人が、遠坂時臣なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はセイバー側に視点を戻し、切嗣の方にもカメラを向けながら、いよいよ最後の戦いに突入していきます。

その後は後日談。

カルデア編は、やるとしたらアーサー不在の、作品タグにある方々と、円卓の騎士がカルデア鯖のメインになります。

評価が上がるとモチベが上がります、なにとぞ評価等よろしくお願いします!


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最終戦に突入するお話

 

 

 

 

 

 雪の降る夜。

 満天を覆う暗雲の隙間から月光が差し込み、冬の城に仁王立ちする青年を照らしていた。

 聖剣を地に突き立て、瞑目し佇む貴公子然とした青年は、最優のサーヴァントたるセイバーだ。

 白銀の甲冑を纏い、蒼いサーコートを翻す彼は一両日もの間、ただそうして時を待っている。

 

 心を研ぎ、整え、情報を精査し、イメージを固める。嘗て境界の竜と対峙する前にも行なっていた精神の統一。勝利への道筋を立て、強敵との対決を覚悟するのだ。勇気を振り絞る儀式である。

 アーサー・ペンドラゴンは臆病者だ。

 臆病だからこそ誰よりも研鑽を積み、情報を集め、対策を練り、勝算を立てる。

 皮肉にも隔絶した戦闘の才を有していたアーサーは、己の臆病さ故に星の終わりまで続く生涯でも未だ常勝不敗を誇り、だからこそ油断とは無縁だった。慢心など懐きようもなく絶無である。

 

「有象無象は言うに及ばず、征服王は我の手により裁かれた。光栄に思えよ、セイバー。我が認めてやるのだ、貴様は我が拝謁の栄誉を賜るに足る英雄だとな。さあ、我が面貌を網膜に焼き付けよ。英雄である貴様が死ぬに相応しい、月夜の刻限を選んでやったのだ」

 

 城壁の上。月光を背に襲来したるは黄金の王。

 アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュだ。

 魔の呪いじみた破格のカリスマ性を、砂漠の日光の如く照りつける暴力的な王気の出現に、剣士の座で招かれた青年は静かに目を開いて宿敵を見上げた。

 交錯する、騎士王と英雄王の視線。

 慢心は少なく、油断は一片たりとも内包しない、天が落ちるが如き殺気の重圧を秘めた英雄王。逆立つ金色の髪は月明かりで神秘的に照り輝き、纏う黄金の甲冑を厳かに見せていた。

 腕を組んで己を見下ろす暴君たる王者に、セイバーは凪いだ声音で応じる。

 

「ああ、確かにいい夜だ。柄にもなく気が昂ぶってきている。遺言を聞こう、英雄王。私は寛大だからね、今ならまだ過日の暴言を許してやってもいい」

「ハッ。大きく出たな、騎士王。王たるこの我に二言はないぞ?」

「そうか」

 

 ふざけているようで、その実かなり真剣な話だ。失笑するアーチャーに、セイバーは指摘する。

 

「貴公は知らないらしいな。我が娘バーヴァンシーは()()()()だ。私と妻があの娘を預ける相手は、後にも先にも騎士ギャラハッドのみ。既婚の女に手を出すなど正気の沙汰とは思えない、考え直した方が上品だぞ、英雄王。貴公のような男に娘を預ける気はない」

 

 セイバーが大真面目にそう言い切ると、アーチャーは束の間沈黙した。しかし顔を俯かせ、ふるふると肩を揺らし、やがて堪えきれぬとばかりに天を仰いで大口を開くや呵々大笑する。

 

「は……ハハハハ――! ハーハハハ! き、貴様……な、何を勘違いしている……? よもや聖杯を宿しただけの小娘に、この我が執心しているとでも……? ハッ! こいつは傑作だ! おいセイバー、まさか貴様、己の去就よりも娘の進退を案じているのか?」

「当然だ。私が今なお死を選ばず生き長らえているのは、娘たちや息子の軌跡を守り、見届けるためでしかない。死は恐ろしく痛みを忌む心はあるが、今更自らの命を惜しむ気はない」

「ハハハハハハハ! なるほど、なるほど! それなら確かに、貴様がそうも怒り狂っているのも納得だ。安い挑発のつもりだったのだがな、本気で奪ってやりたくなってきたぞ!」

 

 セイバーの腹の底で煮え立つ溶岩の如き憤怒は、娘を攫おうとする暴徒を前にした父のそれだ。守るべき者のために、力の限りを尽くそうとする義憤の類型である。

 余りにも平凡な心の在り様は、セイバーの人間性を見抜いていたアーチャーをして見落としていた。己の死を最も恐れるのが普通であるのに、我が子の安寧を脅かす存在にこそ憤怒する平凡さを、こともあろうに人界屈指の大英雄が具えているのである。だからこそ英雄王たるギルガメッシュは、愉快さ余って爆笑してしまったのだ。貴様の愚かさの度合いを見誤るとは! と。

 組んでいた腕を解き、アーチャーは虚空に腕を掲げる。無造作に引き抜きたるは乖離剣。後背に展開するは百を数える黄金の波紋、宝具の砲口。残忍な眼差しにより殺気を満たした王が告げる。

 

「――ここらで戯言を垂れるのは仕舞いとしよう。王の裁定である、抗いたくば武を示せ」

 

 聖剣を右腕に提げ、セイバーもまた殺気を放つ。竜王の眼光は破滅的な威圧感を醸し、常人なら視線だけで心臓を停止せしめる戦気を発した。

 

「慈悲は品切れだぞ、英雄王。もはや私の忍耐も限界だ、故に宣言してやる。貴様は私が殺意のまま殺める二人目の愚者だとな。さあ……放言のツケを払うがいい、下郎――ッ!」

「よく言った。ならば我も、生涯に一度あるかないかの気紛れを起こす(全力を出す)としよう。さあ、死に物狂いで謳え、人間――!」

 

 開幕せしは神話の戦いか。

 否である、これこそは神域の頂上決戦。今宵、最強の座が決まろうとしているのだ。

 英雄王と騎士王による、第四次聖杯戦争最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――同時刻のことだ。

 

 魔力経路を通して思念を受けた衛宮切嗣は、自らの令呪を切った。

 

「令呪を以てセイバーのサーヴァントに補填する。『セイバー、一時間限定で全力を出し、英雄王ギルガメッシュを打倒しろ』」

 

 三画の刻印が、二画に減じる。両者が合意の上なら、魔法に等しい奇跡をも可能とする莫大な魔力がセイバーに与えられ――この瞬間、数多の戦場を征した伝説の騎士王が復活したのである。

 これでいい。これでセイバーは勝てる。後はただ、自身の仕事を熟すのみ。

 切嗣は指定した刻限を前に、外道に手を染める為、今一度冷酷な暗殺者へ回帰する。彼は自らの具える性能を知っているのだ、殺人マシンとしての己こそが、最も勝率の高い状態なのだと。

 五騎のサーヴァントの魂を回収した小聖杯は、次第に聖杯としての機能を発揮しようとしている。途方もない魔力の発露を感じるのだ、恐らくセイバーとアーチャーの決着を待たずに聖杯はその機能を実現するだろう。――故に、遠坂時臣は必ず招待に応じる。

 

 アーチャーに殺害を断言され、後がなく。聖杯降臨の儀式が佳境に入っており、サーヴァント同士の対決が終われば即座に悲願を叶えられる可能性があって。なおかつ、自らの家族が人質にされているとなれば、遠坂時臣でなくとも罠があるだろう柳洞寺にやって来る。

 果たして切嗣の右耳のイヤホンに、舞弥の声がした。柳洞寺の山門前に遠坂時臣が到着し、もう間もなく切嗣の前に姿を現しますと。

 

「――来たか」

 

 なんの変哲もない自動拳銃を手に、煙草を吹かしていた暗殺者は呟く。

 吸い殻を捨て、踏みにじる彼の近くまで来たのは、紅いスーツを着込んだ優雅な男。

 この期に及んで余裕の態度を崩していないが、表情から険しさは抜けておらず、手に持つ樫材のステッキが魔力を充填されているところから察するに、精神的余裕も外見ほどはなさそうだ。

 遠坂時臣だ。彼の魔術礼装は時臣が生涯を掛けて錬成してきた特大のルビーで、ステッキの握りの部分に象嵌されている。魔力を封入されたそれは、宝石を使い捨てる魔術を行使する物ではない。

 

 パッと見でそこまで判断できたのは、宝石魔術が基本的に使い捨ての物であることを知っているのと、時臣の性格上無駄な装飾の為にステッキを飾らないと思われるからだ。

 

「そこで止まれ」

 

 四方の視界を遮るものはなく、衛宮切嗣と遠坂時臣は正面から対峙した。

 だが尋常なる果たし合いをするつもりは切嗣にはなく、時臣もまた相手にそのつもりがないことなど理解している。――当然だろう。どこの世界に、人質に銃口を向ける輩が、正々堂々の決闘を望んでいるなどと思う者がいるのか。時臣はここに呼び出された時、人質がいるとは聞いていなかったが、愛する妻と娘達を見て眉を顰めていた。なるほど、そういう手合いか、と。

 

「……下衆が。私を呼び出しておいて、我が妻子を盾にするとは。アインツベルンは魔術師としての誇りを捨てたらしいな。このような外道を傭兵として迎え入れるなど……恥を知るべきだ」

「御託はいい。無駄口を叩けと言った覚えはないぞ」

 

 拳銃の撃鉄を起こす。銃口は依然、遠坂葵に向けられている。切嗣は冷淡に要求した。

 

「こちらからの要求は一つ。妻と娘達の命が惜しければ、お前のサーヴァントを自害させろ」

「………」

 

 一瞬、時臣の瞳が揺れる。意外にも、迷いが見えた。

 妻子に対する愛がある故か。

 はたまた、自らのサーヴァントに向けられる殺意を知っているからか。

 あるいはその両方か。

 だが、彼は骨の髄まで魔術師だった。

 

「……何を言うかと思えば、話にならんな。我が遠坂の悲願、魔術師としての到達点を前に、私がそのような要求に応じるとでも?」

「要求は聞けないのか」

「無論だ。貴様の如き外道には、私の懐く崇高な願いは理解できないだろう。私も人として妻や娘を愛しているが、しかし私は夫であり親である前に魔術師なのだ。根源への到達の為なら、何を犠牲にする事になろうとも、決してこの足を止める理由にはならない」

「そうか」

 

 轟音。切嗣は躊躇なく発砲した。

 遠坂葵の脚に銃弾が叩き込まれる。激痛によって眠りから覚めた女が苦痛の呻き声を漏らす。

 だが遠坂葵、凛、間桐桜は手足を縛られ目隠しされている。状況をすぐには理解できないだろう。

 時臣は顔をこれでもかと顰め、憎悪と嫌悪を切嗣に向けるが、小揺るぎもしていなかった。

 

「これでも気が変わりはしないか?」

「――囀るな、外道。私の意思は揺るがない。葵は私の妻だ、魔術師の妻として、こうした事態は覚悟していたはず。貴様の脅しはなんの意味もない」

「こ、この声……あなた? あなたなの……?」

「ああ。葵、私だ。すまない……私が不甲斐ないばかりに、君を人質にされてしまった」

 

 痛みに意識を焼かれながらも、葵は夫の声を聞くやすぐに反応する。そんな彼女に時臣は優しげに、そして悔やむように謝罪した。そして、彼は言う。

 

「私は君を見殺しにする。私の勝利のために、死んでくれ……葵」

「――――」

 

 葵は口をつぐんだ。状況を理解したらしい。

 恐怖と痛みに震えて、しかし命乞いもせず、覚悟したように身を固めた。

 それを見て切嗣は小さく嘆息する。これでは時臣は、どれだけ葵を痛めつけられても動揺しないだろう。娘を銃撃されても同じだ。葵は我が子の存在に気づき、傷つけられたなら覚悟が揺らぐ可能性はあるが――仮に妻が揺らいでも時臣の動揺は狙えまい。

 分かっていた。分かっていたのだ。魔術師とはそういうもので、遠坂時臣は典型的な魔術師なのだから。こうなることは最初から分かりきっていた。なのになぜ人質を用意したのか、それはひとえに簡単に目的が果たせるならそうするべきだと合理的に考えただけである。

 

「聖杯は目の前だ。令呪を全て費やし英雄王を自害させれば、聖杯は私のものになる。だがその為には貴様が邪魔だ。私の妻子を毒牙に掛けた愚かさを、心底から後悔しながら死んでもらう」

「――クソッ、このイカれた魔術師が! せめてお前の妻子だけでも道連れにしてやる!」

 

 断固たる覚悟を示して杖を構えた時臣に、切嗣は狼狽したフリをしながら、遠坂葵に銃撃していく。脚の端から、腕やら肩やら、致命傷にならない程度に鉛玉を打ち込んだ。

 銃声と共に血飛沫と悲鳴が上がる。時臣も流石に怒りを堪えきれなくなったのか、すぐさま動き出した。魔術回路と刻印を励起させ、呪文を詠唱しながら魔術を紡ごうとする。

 僅か一秒足らずで、切嗣を灰燼すら残さず焼き払おうとした。

 だが――終わりだ。無駄に葵を即死させず痛めつけたわけではない。時臣の意識を切嗣へ釘付けにする為に、わざと下手な芝居を打っただけなのだ。

 

「――やれ」

 

 切嗣は短く命じる。瞬間、寺の周囲の玉垣や、寺院の屋上に潜んでいた者達が、一斉に殺し間(キルゾーン)の中心にいた時臣へと一斉射撃を加えた。

 全員が配備された突撃銃を装備したホムンクルス達である。聖杯戦争にあるまじき、人海戦術による伏兵。意識の外からの銃撃の嵐に晒された時臣は、数発被弾した瞬間に、即座に反応して自身を炎の壁で守りに入った。顔を真っ赤にして激怒する時臣が何事かを叫ぶのに、切嗣は全く耳を貸さずに淡々と詰めに入る。足元に置いていたアタッシュケースから火炎放射器を取り出した。

 間もなく溶かし込んでいた起源弾も効果を喪失する。折角対マキリ、対時臣を想定して用意していたのだ。どうせなら使い切ってしまおうという判断を下し、彼は時臣に歩み寄りながら火炎放射器にて投射を開始した。

 

「トドメは任せた」

 

 起源弾を内包した火炎放射器で、炎の壁が途切れる。しかし宝石魔術の特性で、時臣自身にはなんのダメージも入ってはいない。だが、魔術の無効化には使えた。

 そこに、間髪入れずに襲い掛かる五人の戦闘用ホムンクルス。

 純オスミウム製のハルバードを装備した白い女達が、寺院の屋根上から飛び降り時臣に切りかかる。時臣は赫怒の念を燃やしながらも、咄嗟に得意の体術を披露してなんとか危機を切り抜けようとするが――そこに。狙い澄ました狙撃銃の一撃が背後から加えられた。

 

「ガッ……!?」

 

 喀血し、倒れ伏した時臣の許に歩み寄った切嗣は、無言でその頭部に鉛玉を撃ち込む。

 これで終わり。切嗣が撃つ前に死んではいたが、一応は念の為に銃撃したまでのこと。

 時臣にトドメを刺したのは舞弥だ。

 痛みの余り失神した葵や、魔術で眠らされているため反応のない子供達、そして時臣の遺体をホムンクルス達に運び出させながら、切嗣は呟く。

 

「一対一の尋常な果たし合いだとでも思ったのか? 僕らがアインツベルンから、大勢のホムンクルスを連れて来ているのは知っていただろうに」

 

 外道と呼んだだろう、こちらも否定しなかった。

 聖杯戦争だからマスターとサーヴァント以外は手を出さないとでも思っていたのだろうか。

 バカバカしい。戦争には予備戦力は必須であり、予備戦力にはこうした使い方もあるものだろう。

 

 まあ、何はともあれ、仕事は終わった。後は――

 

「――任せたぞ、セイバー。後はお前が勝つだけだ」

 

 らしくもなく。

 衛宮切嗣は、自らのサーヴァントの勝利を信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




アンブッシュは一度だけ許してもらえると聞きました。


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アーチャー対セイバーの話

 

 

 

 

 

 

「――死に物狂いで謳え、人間ッ!」

 

 展開された百の砲口。『王の財宝』から数多の宝剣、宝槍が射出された。

 大気の壁を貫き飛来する魔弾の群れは、さながら地上に墜落する箒星。破滅的な光を伴い殺到する原初の財宝には、並の英霊では太刀打ちできず、ただただ蹂躙されるしかないだろう。

 だが星の聖剣の担い手は、死の弾幕を真っ向から迎撃する道を選択した。

 炯と光る竜王の眼光。数と質を両立した宝具の弾幕は脅威だが、肝心の狙いがお粗末である。ブリテンに於いて無双と謳われたセイバーは、自らに直撃する軌道の対象のみを瞬時に見極め、右手で握る聖剣を縦横に振るい魔弾の群れを弾き飛ばした。

 

(意外と……重い!)

 

 手に痺れが蓄積するほどではない。しかし軽視もできない強さの衝撃だ。

 無造作に放たれるだけの魔弾が、セイバーほどの膂力の持ち主に脅威を感じさせている。

 だが問題はない。射撃は継続されているが、このまま弾切れまで耐え凌ぐのも手の一つとして視野に入れられる程度には余裕がある。飛来する魔弾も、その気になればこの手で掴み、投げ返すような真似もできるだろう。湖の騎士に並ぶ腕と、太陽の騎士に比肩する膂力を内包した身だ。境界の竜に比べたら、このぐらいはまだまだどうとでもなる。

 セイバーは二百の宝剣、宝槍、戟、弾丸の悉くを打ち払い財宝が底を突くのを待った。――だがその選択は失策である。嘲るように嗤うアーチャーは、己の後背に展開した波紋から、無尽蔵に宝具の原典たる財宝を撃ち放ち続けていた。

 

(………!)

 

 セイバーは見覚えのある宝剣を弾きながら目を剝いた。

 今の宝剣は、少し前に弾き返したばかりの物。同じ物が二つあるのか?

 戦慄して素早く周囲を見渡すと、地面には百を超える宝剣と槍などが突き立ち城の景観を破壊し尽くしていた。多くのクレーターや崩れた瓦礫で、一つの城が瞬く間に廃墟へ近づいている。

 その中に、セイバーに見覚えのある財宝は幾つかある。だが地面に突き立つ端から宝剣などが次々と消えていくのを見て取り舌打ちさせられてしまった。

 

(放った宝具を回収する力まであるのか……! なら弾切れは望めない!)

 

 セイバーがその事実に気づくのに、千近くの財宝が擲たれていた。並の英霊と言わず、高位の英霊でも十度は死んで余りあるだろう。円卓の騎士にすら、ここまでの絨毯爆撃を己が腕だけで無傷のまま凌げる者はいない。それが成せるのは、騎士王をはじめとする神話体系の頂点に位置する――ヘラクレスやカルナ、クー・フーリンなどの大英雄だけであろう。

 アーチャーの弾切れが期待できないと悟ったセイバーは、打って変わって攻勢に出る。今しがた切嗣からの令呪が効力を発揮し、彼の全身に力を漲らせたのだ。セイバーは右腕のみで振るっていた聖剣を下げて魔力を充填、左手で宝具『風王鉄槌』を放つと『王の財宝』の弾幕を一瞬だけやり過ごすや――戦の喜悦に浸る黄金の弓兵目掛け、聖剣の真名を解放した。

 これぞ反撃の嚆矢。挨拶代わりの名刺投げ。

 

完全拘束・聖剣鉄槌(エクスカリバー・ストライク)――!」

 

 少女アルトリアのような華奢な体なら、両手での振り下ろしでなくば満足に力を発揮できない。だが鍛え上げられた肉体を持ち隔絶した武を有する男性の騎士王は、己の筋力に物を言わせて片腕だけで聖剣を振るうことができた。魔力の充填を一瞬に留め、聖剣に課されている十三の拘束の全てを解かず、ほぼノータイムで放たれた極光が城壁の上にいるアーチャーに襲い掛かる。

 

「ほう……ならばこうだ。エアよ、薙ぎ払え!」

 

 財宝の魔弾全てを呑み込み、或いは弾き飛ばしながら迫る金色の光――聖剣の究極斬撃を、英雄王はニヤリと嗤いながら迎撃する。同じように乖離剣を一回転だけさせ風圧を発生させると、それを無造作に振るって解き放ったのだ。紅い死の颶風が聖剣の光を相殺する。

 ――極光と魔光の激突に、瞬きの間、音と色が死ぬ。その間隙を見過ごす手はない。本命はこちらだと言わんばかりに、セイバーは渾身の魔力放出による砲撃を行なった。聖剣に叩き込んだ魔力が黄金の光となって放たれたのだ。同時に地面を蹴って接近を試みるセイバーに対して――英雄王は余裕を崩さず、正確な次手を打っている。

 アーチャーもまた地面を蹴り、真上に跳躍しながら足元に蔵を開いたのだ。現れるは黄金の舟。その名も黄金帆船(ヴィマーナ)、思考と同じ速度で天を翔ける、天翔る王の視座。その玉座に着地したアーチャーは自然な流れで腰を下ろし地上から離れ空に飛び立った。

 瞬間アーチャーが直前までいた空間を、黄金の光が城壁ごと灼き飛ばす。恐るべき魔力砲撃だ、無防備に受ければ英雄王であってもただでは済むまい。だが畏怖で行動の遅れる男ではなかった。英雄王たる弓兵は即座に『王の財宝』を展開するや、中空に飛び上がっている騎士王たる剣士を四方を波紋で囲み、四方八方から無数の魔弾を浴びせてみせる。

 

「ヅッ――!?」

 

 セイバーの脳裏に警報が鳴り響く。ほぼ無意識に、しかし残りの半分は確かな経験と技で以て瞬時に反応する。思考すら置き去りにしたセイバーは、肩や肘、膝などの全身の関節部から小刻みに魔力を放出して体勢を変えつつ、空中であるのに器用に回転しながら四方から迫る宝具の弾丸を弾き飛ばした。人の域を超越した戦勘、そして対アルビオンにて確立した規格外の武技の結晶だ。

 

「ハッ! やるではないか、セイバー!」

 

 今の一手で確実に手傷を負わせるつもりだったアーチャーは、想定を超えられたことに感心しつつも、彼らしくなく素直に称賛していた。

 これはアーチャーにとって戦であって戦ではない。

 現世に受肉しておらず、聖杯を贋作と知り、そして自らが全力で戦うに値する人間と対峙しているのだ。故に今のアーチャーは、後のことなど少しも考えてはいない。勝つも負けるも派手に使い切ってもいい、生涯稀に見るお祭り気分なのである。

 黄金帆船を追い、体勢を立て直したセイバーが()()()()()。質量操作と気流制御の二重呪法に加え、風の絨毯を薄く張り、その上を足の裏から微細な魔力放出を行いつつ走っているのだ。言うまでもなく現代の魔術師には再現が困難な魔術絶技である。これをセイバーは、やはり境界の竜との対決時に編み出していた。さもなければ嬲り殺しにされるばかりであった故にだ。

 空中戦も熟せずして、単騎で竜の冠位に太刀打ち出来るはずもない。凄まじい速さで迫る竜王にさしもの英雄王も目を見開いて驚嘆した。次いで、可笑しさ極まり破顔してしまう。

 

「ハハハハハ! ……王の翔ける天に己が身一つで迫るか! ――控えよ、不敬であるッ!」

 

 幾度も解き放たれる黄金の魔力砲撃を、巧みに黄金帆船を操り躱しながら財宝が舞う。

 空を覆う暗雲を蹴散らし、大地の森を焼き払い、打ち砕き、城そのものが更地となる。

 

 人は見た。天に昇る黄金の舟を。地から天へ打ち上げられる極光の乱舞を。我が目を疑う超常現象はしかし――秘匿せんと奔走する教会勢力や、ホムンクルス達の働きで、辛うじて記録を免れる。

 下々がどれほど神経を使い、骨を折ったかなど知ろうともせぬ絶対者達の狂宴。力と財、武と知の激突の最中――不意にアーチャーは眉をひそめる。

 

(む……時臣め、我の赦しもなく討たれたか。下手人は――考えるまでもないな)

 

 これでマスターからの魔力供給、令呪の支援は消えた。だがそんなものがなくとも単独行動スキルで現界は維持できる。なんなら自らの財宝に魔力を回復する霊薬はある上に、その気になれば自力で受肉して霊基を安定させる手段もあるにはあった。

 だが、それは面白くない。人間が、人間の、小賢しい知恵を振り絞って挑んできているのだ。折角の祭りをくだらぬ行為で白けさせたくはない。ならば、アーチャーの意思は決まった。

 

 短期決戦だ。ダラダラと決着を引き伸ばしては熱が冷める。どうせならとことんまで白黒をつけてやろうと裁定を下した。そうと決めた途端、英雄王の頭脳が最大限に回転し始める。

 

(これまでに我が放った財は三千百五十――妙だな。セイバーは我から見てさえ桁外れの魔力放出を際限なく行なっている。にも拘らずまるで消耗しておらん。令呪で支援されているのか? いやそれだけではないな。奴め、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()な?)

 

 竜の心臓、魔力炉心が機能している。反則めいた能力だろう。これでは事実上、セイバーほどのサーヴァントが、魔力切れを起こさず無限に戦い続けられることになる。

 となると如何なる事情があれ、持久戦は愚策だ。持久力では明らかに騎士王が英雄王を上回っているのだから。そうやって英雄王が思考を走らせ続けるのに対し、騎士王もまた情報を並べていた。

 

 

 

(幾度でも魔力放出を行える能力、あの剣捌き、初見で背後から我の財を受けながら捌き切る勘。これではまるで森の精霊(フワワ)の如しよな。面白い――人の身でそこまでに至った武、我が手ずから踏み潰すに足る器よ――!)

 

(僕の四方に開いた波紋。恐らくアーチャーの視界、いや認識する空間全てが射程圏内か。付け加えてあの黄金の舟に、舟の周囲に展開されている自動防御の盾……手札の数が尋常じゃないな。どう攻略するか、まるで糸口が掴めないぞ。このまま続けられたら困る、更に新たな鬼札を切られる前に、力技で強引にでも突破するか――?)

 

 

 

 黄金帆船に肉薄しようとするセイバーを、突き放すかのように急加速した舟が上を取った。そして物理法則上、有り得ぬ動きで船首をセイバーに向ける。

 剣士と弓兵の視線が交錯する。碧眼と赤眼が睨み合い、英雄王が玉座から立ち上がった。

 声を出さずとも意が伝わる不可思議な一瞬。刹那の交感の刻。

 

『――このまま続けては千日手だ。故に見せてみよ、貴様の全身全霊の一撃をな――!』

『――いいだろう。ならば受けるがいい、我が渾身の一刀を――』

 

 英雄王が乖離剣を天に掲げる。船首をセイバーに向けながら背後に下がる舟を追いつつ、騎士王もまた星の聖剣を腰溜めに構えた。

 

「いざ仰げッ! 『天地乖離す(エヌマ)――』」

「聖剣、抜刀。『約束された(エクス)――』」

 

 今宵最大規模の魔力が迸る。天地を砕く黄金と真紅、担うは共に最上位に君臨する英雄共。

 黄金の王者が王気を纏いて乖離剣を振り下ろし、蒼銀の王者が剣気を吹いて聖剣を振り上げた。

 

「『――開闢の星(エリシュ)』をォッ!」

「『――勝利の剣(カリバー)』ァッ!」

 

 正面から激突した極光と地獄の具現。

 拮抗は僅か、全身全霊を賭した一撃の交換、軍配が上がったのは――英雄王ギルガメッシュだ。

 乖離剣による一撃を、『王の財宝』によるバックアップで威力を底上げしたのである。聖剣の威力を信頼していたセイバーは、究極斬撃が破られるという生涯初の事態に瞠目した。

 宝具とはサーヴァントにとっての全てだ。

 それは己の人生の結実であり、或いは半身である。故に自らの宝具が敗れるのは屈辱を齎す。セイバーはその手の感傷とは無縁だが、それでも受けた衝撃は大きかった。

 咄嗟に並行して使用していた全ての魔術を中断し、全身に全力で魔力を回して甲冑の強度を増強させつつ防御態勢に入る。だが殆どの威力を相殺し、減衰しているはずの乖離剣の余波だけで、彼の肉体に甚大な被害が及ぼされた。甲冑の全てが剥ぎ取られ、全身を切り刻まれたが如き裂傷を負ってしまう。セイバーは苦悶の声を上げながら墜落し、地面に叩きつけられてしまった。

 

「ぐぅ……!」

 

 聖剣と乖離剣の激突、その余波の余波とも言えぬ残滓で、地上は火の海と化していた。山火事の一言では片付けられぬ被災地の中、取り込んだ魔力で肉体の表面を修復し、なんとか立ち上がったセイバーではあったが見た目ほど平気ではない。サーヴァントという器だから外見は無傷を装えるが、霊体には相応の損傷が刻み込まれてしまっていた。

 無論、この絶好の好機を逃すアーチャーではない。高速で降下しながら、慢心なき故に舟から降りるような愚も犯さず、アーチャーは畳み掛けて一気に決着をつけようと追撃の一手を繰り出す。

 

「――天の鎖よ!」

(アレはマズい……!)

 

 四方に開かれた黄金の波紋から、五条もの鎖が放たれる。セイバーは魔力をドーム状に放出した直後に爆発させ、天の鎖による拘束を免れると即座に自身を中心に嵐を起こした。

 霊核が軋む痛みに顔を顰めつつ、宝具『風王結界』により竜巻を起こしたのだ。それにより更に次なる行動へ繋げるインターバルを稼ぎ、竜巻を突破はしたが勢いの落ちた鎖を聖剣で弾きつつ跳躍しようと身をかがめる。

 無論、それらを黙って見ているアーチャーではなかった。真上に展開されるのは、これまでになく巨大な『王の財宝』の射出口。そこから放たれたのは、まさかの――

 

()()()――ッ!?)

 

 宝具の原典を悉く収めた『王の財宝』には、当然の如く城の宝具もある。大質量によるシンプルな圧殺戦法で、まんまと身動きを封じ込められたセイバーは、奥歯を噛み砕くように顎を閉じ、渾身の雄叫びを上げながら()()()()()()()()()()()

 

「『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』ァ!」

 

 神話的怪力。だがそれも長くは続かない。なんとか保つ内に聖剣を再び解き放ち、城塞を真っ二つに斬り飛ばしたはいいものの、直後に迫る危機を彼は看破している故に余裕はなかった。

 二つに分かれて左右に飛び、大地を鳴動させる城塞の先。天に聳えるが如き黄金帆船の玉座前に立つ英雄王が、再び乖離剣を掲げているのを目撃する。

 

「さあ……お前に相応しい舞台が整った!

 原初の地獄、星の終着を知るがいい!

 死して拝せよ、『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』を――!」

 

 地殻変動に等しい高魔力を螺旋回転させる三つの臼。剣の概念すらない古代にて、星の誕生を識るモノの全力の一撃。天の理は現世にて開帳不能なれど、それに等しい全力の一手。

 地獄を見上げるセイバーに打つ手なし。即座に放てる程度の一撃では抗し得ず、逃れようにも英雄王の眼から退避は不可能な盤面。故に、詰みだ。英雄王ギルガメッシュと、騎士王アーサーの対決は前者に軍配が上がったと断言できる。故に、故にだ――

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の戦いは、前者の勝利である。

 

 セイバーは、叫んだ。

 

 

 

「――()()! ()()()()ッ!」

 

 

 

 『令呪を以てセイバーに告げる。セイバー――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 瞬間。奇跡に等しい絶対命令が下り、二画目の令呪によりセイバーの姿が消えた。

 

「な――にィ――!?」

 

 アーチャーはセイバーしか見ていなかった。他は眼中になかった。

 油断も慢心も捨てていた。しかし、それは、セイバーに対してだけ。

 そのマスターのことなど、全く見てもいなかったのが――彼の失策だった。

 咄嗟に振り向き様で乖離剣を振るおうとするアーチャーの背を、セイバーは全霊の剣撃で撃つ。

 

「ぐァッ……! お、おのれぇ!」

 

 しかし英雄王の纏う黄金の甲冑もまた規格外。この硬度は異常であり、如何なる達人が聖剣による一撃を加えようと、容易く破断することは能わない。

 予想以上の硬度に目を剥きながらも、セイバーは千載一遇の好機を逃すまいと一撃、更に一撃と叩き込んでいく。反撃や防御を行おうとするギルガメッシュの手を躱しながらだ。

 近接戦となれば英雄王に勝ち目はない。

 

 今まさに、両雄に決着の瞬間が迫りつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 




※ランスロットは一時的に王の財宝を防げるが、射出数を増やされたら詰む。
※アヴェンジャーのアルケイデスは、数千発の王の財宝を、矢を使わず大弓のみで打ち払える。

数千発を凌げるのが神話体系トップ層だった……?

二画目の令呪は、匂わせてましたが『アーチャーの背後に回れ(近接戦の間合いに空間転移)』でした。油断と慢心がないギルには、サーヴァントである以上はこうでもしないと……。


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zeroに至ったお話

お待たせしました。

ギルガメッシュは人間数十万人分の魂の比重を持っています。
そしてそんなギルガメッシュはサーヴァント三騎分の魂だそうです。
よって本作ではギルガメッシュの魂は三十万人分とし、通常サーヴァントは十万人分だと設定してます。まあ本作のバーサーカーとかは明らかに弱いので、不足分はイスカンダルや他サーヴァント分で計上しておきましょう…。




 

 

 

 

 

 地核を震わせる命の胎動。

 

 捧げられた“(からだ)”を通して、収められた“(いのち)”を干し、今に生誕の時を迎えんと脈打つ胎児。

 鼓動だ。命あるモノ、心あるモノであるなら、戦慄と共に悍ましさを覚える厭悪の鼓動である。

 はじめは弱く。次第に強く。確かに刻まれる“命”の蠢動は、何者にも望まれずに手を伸ばす。

 ――悪であれと祈られた。悪であれと糾された。

 ならば望まれたままに、この世全ての悪を煮詰めたモノとして祈りを遂げよう。誰も呼んではくれないけれど。誰も望んでくれないけれど。でも遠い昔、確かに祈られたのだから。

 

 “――――”

 

 言葉を成さぬ、声にも成らぬ、望郷にも似た恋煩い。遠く遠く、されども近く、手を伸ばせば届く所にあるはずの、大切な何かを求める“器”の記録。生まれ()でる為に、胎児も求めた。

 だが、足りない。

 “器”の中には()()()()()の“水”がある。

 だが確たる生命として受肉するにはあと()()()()()の“水”が要る。

 ――欲しい。生まれたい。在る通りの祈りを聞くために。

 だから動き出した。

 忍び難い生誕の祈りを叶える為、忍耐という概念を知らぬが故、ただただ自らの“器”にこびりつく記録の縁を手繰り。『生まれたい』という、あらゆる生命が有する原初の本能(いのり)に突き動かされるままに、この世全ての悪(アンリ・マユ)は始動したのだ。

 

 

 

 ――衛宮切嗣が異変に気づいたのは、二画目の令呪を使用した直後だった。

 

 

 

 アーチャーは強敵だ。最後の戦いで出し惜しみをするなど下策、令呪の使用を躊躇する理由がない切嗣は、当初の取り決め通り空間転移による接近戦の強要を狙った。その為には最も効果的なタイミングを見計らう必要があり、上手くいけば勝利は確実なものとなるだろう。

 そしてその効果的なタイミングを、セイバーが見逃すはずがないという確信がある故に、セイバーの合図に従った切嗣は勝利を信じて疑わなかった。セイバーの力量に疑う余地がないからだ。

 だから、彼の仕事はこれで終わり。遠坂時臣を始末し、聖杯戦争のマスターが自分だけになったのだから、騎士王と英雄王の決戦さえ終われば全てが終わると安心していた。

 無論、万が一の事態は有り得る。不測の事態というのはいつだって起こり得ると承知していた。第三の令呪は保険として残し、何があろうと対応する為に意識は最低限張り詰めている。

 

 だから。

 

 切嗣は、自らの背後で、何かが地面に落ちる音を聞いた時。

 素早く身を翻して背後に振り向けたのだ。――振り向いて、しまったのである。

 

「な……」

 

 彼は信じがたい光景を目の当たりにし、動揺して目を見開いてしまう。十字架に架けられた神の子の如く、虚空に吊られていた妻の遺体が落下し、地面に仰向けで横たわっていたのだ。

 

「アイリ……!?」

 

 何が起こったのか理解できず、我を忘れて駆け寄ろうとした切嗣だったが、次の瞬間彼の全身を貫く悪寒に、切嗣は本能的な危機を覚えて足を止めた。

 なんだ、と思う。不吉な予感に目を細め、アイリスフィールの遺体を凝視する。何かが震えたような気がしたのだ。途方もなく巨大な鼓動で、大気が揺れたかのような……。

 後は、彼女を復活させるだけ。アイリスフィールの死因は、体内に収めた英霊の魂に自我を圧迫されての精神死。彼女を聖杯で蘇らせるには、押し潰された彼女の自我を修復するだけでいい。つまり聖杯に託す理論は切嗣の魔術『固有時制御』に類似した時間の巻き戻し。衛宮切嗣には到底不可能な御業だが、聖杯なら机上の空論による力技も不可能ではない。

 人の身には実現不能だが理論は立てられる、だから問題ない。そう思っていたというのに――事態は予測不能な、それでいて取り返しのつかない方へと転がりだしてしまった。

 

「なんだ……?」

 

 突如として、アイリスフィールの遺体の、目や口、耳から粘性のある黒い液体が溢れ出した。

 鳥肌が立ち、総毛立った。

 数え切れない戦場を渡り歩き、多くの死を見た彼は直感的に悟ったのだ。

 アレは、善くないものだと。アレは、死そのものなのだと。だが余りに咄嗟のことに、切嗣らしくもなく正常な判断を下せなかった。こんなことは想定外なのだ、想像すらしていなかった。

 故に。

 遺体から溢れた黒い泥が、一気に氾濫し洪水の如く広がりを見せた時、ようやく退避行動を取ろうとした切嗣だったが――まるで間に合わず、為す術もなく黒い泥へと呑み込まれてしまった。

 

 黒い泥の正体は大聖杯の内部に沈殿していた『この世全ての悪』の呪いだ。――人が正視できず目を逸らす闇、人が認められない醜悪さ、人が背を向ける罪、この世に在る遍く人の罪状と呼べるモノの全てである。だから死ぬのだ、この呪いに捕らわれた者は苦痛と嫌悪により自滅する。肉体を溶かし、心を狂わせ、悪徳の重圧で死の底に落とされるのだ。人である限り死は避け得ない。

 

 死。

 

 切嗣は、得体の知れぬ甘い優しさに包まれるかの如く、聖杯の泥へと沈んでいき――そして。

 

 

 

「ッ――!?」

 

 

 

 マスターの危機を、サーヴァントであるが故にセイバーは察知した。

 予想外の事態に動揺したセイバーが、アーチャーへの追撃を取り止め、咄嗟に切嗣がいるはずの柳洞寺の方角へ振り向く。その隙にアーチャーは大きく後退して距離を空けた。

 せっかく掴んだ勝機。後は勝つだけとなった局面を無に帰してしまったが、セイバーはそんな些事になど気を配ることもなく、目を凝らして思考を走らせる。

 強く自らに訴えてくるマスターの危機。その正体を見極めようとしたのだ。

 危機に陥っているが死んではいない、死んでないのに保険として残していた令呪は使われない。切嗣の意識がないのか、令呪を使うという余裕すらないのか、それとも他に原因があるのか。

 

「……ハ。マスターに危機が迫ったからと、むざむざ我の命を手放すとはな。存外、詰めが甘い」

 

 黄金の甲冑の上半身部が全損し、至るところから出血していながらも、髪を下ろした姿の英雄王が皮肉を溢す。セイバーが何故に追撃の手を止めたのか、彼の頭脳は瞬時に答えを出したのだ。

 セイバーは舌打ちする。私怨を優先するようでは三流以下の騎士だ、王騎士として私怨などより責務を優先するのは当然である。だがアーチャーを相手にトドメを刺し損ねたのは失態だろう。

 

「貴様の勝ちだ、セイバー。誇りながら死ね」

 

 英雄王は自らに重傷を負わせたセイバーの勝利を認めている。彼がマスターの危機を察知し、隙を見せる事態にならなければ、アーチャーはあのまま敗れていたとよくよく理解していた。

 だからこそだ。アーチャーは愉悦を浮かべて称賛しながらも、勝負の勝利を譲っても死合の勝利を手放すつもりはなかった。このままセイバーを打倒してやろうと死合を続行する。

 

「待て」

 

 だが乖離剣を掲げた英雄王に、セイバーは待ったをかけた。

 

「貴公にはアレが見えないのか?」

 

 振り返ったセイバーが、自らの背後に見える光景を示す。

 アーチャーはそれを見た。

 柳洞寺から溢れ出る黒い泥が、洪水の如く街へと流れ込んでいくのを。

 それを見てさえ、アーチャーは失笑した。

 アレがなんなのかを、一目で看破していながら、だ。

 

「フン。あんな汚らわしいもの、視界に入れるのも悍しいわ。それに我と貴様の戦いには関わりなどあるまい。そも、雑種が幾ら死に絶えようと我からすれば些事に過ぎん」

「貴公は……いや、言っても詮無き事か。いいだろう、無駄に言い争う暇はない。可及的速やかに貴公を討ち、私はマスターの救助に向かう。無辜の民草から犠牲が出るのを見過ごしては恥だ。騎士としてではない、人として見過ごせぬ恥だと断ずる」

「よく言った。ならばどうする?」

 

 知れたこと。セイバーは瞬時に背を向けるや、アーチャーを捨て置いて黄金帆船から飛び降りた。

 地面に着地すると同時に地を蹴って、切嗣がいたはずの地点を目指し疾走し始める。

 アーチャーはまたも失笑した。なるほど、そういう腹かとセイバーの思惑を知って。

 

 セイバーは、この場に留まったまま戦うだけの時も惜しいのだ。故に決着をつけたくば追ってこいと言外に示している。この英雄王ギルガメッシュを相手に、豪胆が過ぎる行動であった。

 無論、アーチャーはセイバーを逃がす気はなかった。

 裁定は覆らない――セイバーは、この英雄王の手に掛かり死ぬべきなのである。

 アーチャーはセイバーの思惑の裏も看破していた。彼には逃げながらでも戦い、アーチャーを打倒する秘策があるのだろう。ならば英雄王の腹は決まっている。その秘策ごと踏み潰すまで、と。

 

 黄金帆船を翔けさせ、追い込み猟の如く『王の財宝』を掃射する。セイバーはそれを避けながら走行するも、英雄王はこれ以上は蛇足だと言わんばかりに乖離剣に魔力をチャージしていた。

 乖離剣エアの風圧により時空断層を作り出し、一撃でセイバーを消滅させるつもりだ。

 アーサー・ペンドラゴンは強かった。最強の一角だと認める。たかだかサーヴァント風情の身で、本体である神の切れ端とは思えぬ強敵であった。聖杯を用い、彼の本体がいる次元に進撃すれば、ともすると敗北も有り得ると想定させられるほどだ。

 しかし、ここまでだ。聖杯の泥を眼下に収めつつ、ギルガメッシュは厳かに告げる。

 

「醜悪なる本性(かみ)と相見えたとしても、貴様は我が記憶するに値する英雄(にんげん)だったと誉めおこう。さらばだ――せめてこの一撃で散るがいい! 『天地乖離す(エヌマ)――』」

 

 セイバーが令呪により空間転移する間際に、溜めていた魔力を維持していたのだろう。英雄王はあれほど追い詰められていても、起死回生の好機を狙い続けていたのだ。

 そうした諦めの悪さこそが、ギルガメッシュもまた真に大英雄である証左。その足掻きがあればこそこの戦いに幕を下ろす結末の一撃となるのである。

 だがアーサー・ペンドラゴンもまた英雄なのだ。死ぬ気はない、負ける気もない、であれば彼もまた幕引きの一撃を用意していて当然であった。『王の財宝』による背後からの掃射を、右手に握る聖剣で弾きながら走るという神業を披露しつつ、聖剣に限界を超えた魔力を充填し続けている。両雄が共にこの一撃での決着を望んでいる。故に、セイバーに躊躇いはなかった。

 

「『――開闢の星(エリシュ)』!」

 

 背後から迫る紅き死の颶風。擬似的な時空断層すら起こした世界を断つ究極の終わり。

 それが放たれたのを背に感じ、跳躍して身を翻し背後に向き直るや、着地と同時に両手で聖剣を構えたセイバーは、必殺と必勝の覚悟を固め、そのための代償を支払う。

 真名解放。乖離剣の全力の出力に抗うには、星の聖剣の真名を解放しなければ話にならない。だがそれでも足りないのは重々承知の事であり、故に。彼は真名解放を執り行いながらも、決して光に変換された魔力を解き放ちはせず、刀身に光を留め続けた。

 アーサー・ペンドラゴンという、規格外の魔力の持ち主が、己の全魔力を注ぎ込んで、なお留めたのである。これには聖剣自体が軋みを上げ、用途に合わぬ行為に破損していく。不壊である湖の聖剣でもなければ耐えられない扱いなのだ。故に『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』に等しい自壊による爆発を伴いながら、セイバーは渾身の一刀を紅き死の颶風へと叩きつけた。

 

「『縛鎖全断・加重極光(エクスカリバー・オーバーロード)』――!」

 

 それこそは湖の騎士が編み出した絶技の模倣。技とは即ち模倣より始まるもの。己の右腕にして親友と恃む男の技は、全てセイバーの血肉となっている。無論、湖の騎士にも同じことが言えた。

 ただ不壊である湖の聖剣だからこそ行える絶技でもあるのだ。如何に最強の聖剣といえど、刀身に叩き込んだ魔力を光に変換し、加速、集束させる働きを限界を超えて行われては保たない。

 その一撃は、相殺すら出来なかった乖離剣の真名解放を、相殺するまでに至り。

 

「何ィ――!?」

 

 全身全霊の一撃を相殺された英雄王は驚愕させられた。

 

 これで終わりではない、と英雄王は悟っていたのだ。セイバーは消滅の危機に陥るほど魔力を注ぎ込んでいながら、たった一呼吸で現界に支障がない範囲に回復し、二呼吸目で全快している。

 これは聖剣に注ぎ込んだ魔力と、乖離剣という規格外の宝具に乗せられた魔力を取り込めたからである。さもなくばさしものセイバーも身動きできず、消滅してしまっていたに違いなかった。

 そして、乖離剣の一撃を相殺して終わるセイバーではなかった。乖離剣の真名解放直後の隙――その一瞬の間に限界を遥かに超えた酷使で、罅割れて今に崩れ去りそうな星の聖剣を擲つや、彼の頭上で聖剣を自壊させた。『壊れた幻想』による爆撃である。

 

グッバイ(Goodbye)、英雄王。そのまま泥に堕ちてしまえ」

 

 咄嗟に両腕を交差し、防御体勢を取ったアーチャーだが、構うことはない。

 最強の聖剣による自壊の爆撃の威力は凄まじく、地上にて発生した第二の太陽の如き光球を具現化させた。それは財宝を解き放って身を守ろうとしたアーチャーを呑み込み、黄金帆船を破壊し無惨な傷を負った英雄王ギルガメッシュは聖杯の泥へと落下していった。

 セイバーはそれを見届ける間も惜しいと駆け去る。聖剣を失おうが、彼には悔恨などなかった。元より彼にとって聖剣は、あくまで武器。武器とは道具である。覚悟の上なら宝具の喪失にいちいち動揺する男ではないのだ。たとえ聖剣であろうと例外ではない。

 誇りある英霊であればまず有り得ない心理であった。だがセイバーにも言い分はある――現世に現界し活動する、サーヴァント化した英霊の宝具なんて、所詮は召喚システムに用意された複製品に過ぎないのだ。少なくともセイバーにとっては。故にオリジナルが壊れるわけでもないのだから、必要に応じて使い捨てにするのに躊躇することはないのである。

 

 彼の意識は既に切嗣の救出に向いていた。何が起こったのかは、既に朧気ながらも気づいている。しかし切嗣を見殺しにするつもりはなかった。

 とはいえ街の方へ流れ込み始め、火災を起こし始めた泥を捨て置くわけにもいかず、切嗣を助け出すのに時間を割くわけにはいかない。柳洞寺に到着すると、マスターとサーヴァントの繋がりから切嗣の位置を導き出した彼は、自らに迫る泥を風王結界で遮りつつ唱える。

 

「『全て遠き理想郷(アヴァロン)』よ、光を示せ――!」

 

 途端、泥の一部から目映い光が溢れた。

 聖杯の泥が砕けるようにして割れ、中から切嗣が現れる。彼は何が起こったのか分からないといった顔をしていたが、セイバーの顔を見るや全てを思い出して意識を覚醒させた。

 

「セイバー……! 何があった……!?」

「私に聞くな。それより街を見るんだ」

「……な、んだ、これは。なんなんだ……いったい!?」

 

 聖剣の鞘の力の波動により、聖杯の泥は近づいてこれない。セイバーはすぐさま切嗣に近寄ると、彼の肩に手を置いて体調を調べた。

 切嗣は火に呑まれていく街を見て唖然としている。その間に精査を終えたセイバーは安堵した。聖剣の鞘の真名解放を行なったからか、致死寸前だった切嗣の肉体は全快し、呪いの類いも一掃されているのが分かったのである。

 

「た、助けに行かないと……!」

「無論だ。手を貸せキリツグ、迅速にあの泥を駆逐するぞ」

「どうやって駆逐するんだ!?」

「落ち着くんだ。まず、なんでこんなことになったのか、君の口から聞かせて欲しい」

 

 動揺を隠せず、しかし真っ先に人命救助に出ようとする切嗣を止め、事情を聞く。

 躊躇いつつ、切嗣は意識を失う寸前に見た光景を、セイバーに説明した。

 ――嫌な予感はこれだったのか、とセイバーは悟る。だから自分は切嗣に鞘を預けたのかと。

 聖杯は汚染されていたのだろう。正体は分からないが、あの悍しい泥が聖杯の中にあった。それが何故か溢れ出し、こうして現世を犯している。彼は瞬時に決断を下し、切嗣へ冷酷に告げる。

 

「――キリツグ。悪いが、アイリスフィールの事は諦めろ。彼女の遺体ごと聖杯を破壊する」

「――――」

「君もこの事態の原因は分かっているだろう。もうどうしようもない。泣いていい、私を呪ってもいい、怒りも嘆きも好きなだけするといい。だが全て後にしろ、まずは君が生き残れ」

「――――――わ――か……――っ、た――――」

 

 衛宮切嗣は、為すべきことを、感情から切り離して行える人種だった。

 少年は暗殺者になった。暗殺者は夫になった。夫は父親になり、父親は暗殺者に回帰し、そして最後に人に戻れた。だが、人に戻してくれた、恩人とも言える英雄の、残酷な一言に――彼は夫にして父親である人間として、静かに涙を流しながら決断を下す。

 到底語り尽くせぬ悲嘆と、絶望があった。だがそれに浸り膝を屈しては、無関係の人々が死に絶えてしまう。それだけは、決して見過ごしてはならない。

 切嗣は絶望に支配されながらも、機械のように動き出した。

 

「キリツグ。私は聖剣を失った。だから、最後の令呪を使ってくれ。私に聖槍を使えと」

「……ああ、分かった」

 

 それが何を意味するのか、知らぬまま切嗣は頷く。その前に聖剣の鞘を返そうとする切嗣だったが、それをセイバーは止めた。

 

「……それは返さなくていい。慰謝料代わりに受け取ってくれ」

「……いいのか?」

「いいさ。サーヴァントとしての宝具なんて、失くしても困らない。……さらばだ、キリツグ。もう会うことはないだろう、聖杯は私に任せて行くといい。部下と合流して行動するんだ。分かったね?」

「……ああ。さようならだ、セイバー。それと……ありがとう」

 

 礼は、言わないでほしかった。走り去る切嗣の背を見送って、セイバーは重い息を吐く。

 彼が令呪を切るのを感じる。聖槍を解放しろという声が聞こえた。

 

「全く……何が最優のサーヴァントなんだか。契約者一人、満足に救えもしないくせに……」

 

 天に空いた黒い穴を見上げ、セイバーは自らの殻が砕けていくのを感じていた。

 ――それは、サーヴァント化に伴い封印されていた聖槍によるもの。

 アーサーは聖槍の神だ。即ち、聖槍そのものである。それを解放するということは、つまり神としての彼が現世に現れるということでもある。

 神が現世に現れることは出来ない。人理が阻むからだ。それでも無理に現界しようものなら、途方もなく巨大な負荷が掛かり消滅してしまう。アーサーは『セイバー』を捨て、苦笑する。

 全身が砕け散る痛み。神ゆえに全く気にもならない不合理。消滅が近づき、人としての己もまた消え去っていく感覚に襲われている。彼は右手を掲げた。

 

「……呪いは大元を砕くべし。だろう? モルガン」

 

 失敗は取り返すことは出来ない。だが落とし前をつけることは出来る。

 アーサーは聖剣に次いで、己そのものを使い潰すが如く全魔力を光に変換していく。

 そして目映い柱と化しながら、彼は呟いた。

 

「『最果ての光・終末の熾火(ロンゴミニアド・ライヴロデズ)』」

 

 五指から解き放たれる、五柱もの聖槍の極光。

 天高く放たれた、計測不能の熱量が、偽りの黒い太陽を一撃で打ち砕く。

 それを見届けて、アーサーは苦く微笑みながら現世から退去した。

 絶望の海から、切嗣が救われることを願いながら。

 

 ――果たして、アーサーは知る事はなかった。

 

 英雄王が泥に呑まれてなお、逆に呪いを呑み干し受肉することも。

 十年後の未来、再び聖杯戦争が起こることも。

 再戦を期す英雄王の暗躍、切嗣達の未来、未来に生まれる英雄。

 それらを、今のアーサーに知る術はなかった。

 

 彼の物語はここで終わり。後は彼の残したモノ、彼の生んだ縁が新たな物語を紡ぐのである。

 

 繰り返そう。アーサー・ペンドラゴンの物語は、ここで終わりだ。

 

 故に、ここから先は彼の後を継いだ者の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 




後日談が書きたい。なので簡潔ながらも書きます。


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後日談。綺礼とケイネスの場合

ケイネスの魔術刻印と回路は、アヴァロンで修復されております。
回路はともかくなんで刻印まで? と思われるかもですが、刻印も保有者の内臓というか肉体の一部だからですね。原作でも同じ効果が発揮されるかは分かりませんが、本作だと修復できた、ということにしています。異論はありますでしょうが、何卒ご理解くださいませ。




 

 

 

 

 

 戦争は終わった。だが、人生は終わらない。

 

 清潔な病室で、柔らかなベッドの上に横たわる老人の顔には死相が浮かんでいる。

 あの戦争の時分、ただでさえ高齢だったのに、過労死寸前で業務に打ち込んだ代償だろう。真の意味での聖職者でもあった老人は、もはや生きているのが奇跡と思える有様に落ちぶれていた。

 弛まぬ鍛錬で得た頑強な肉体は骨と皮だけとなり、肉体とともに痩せ細った精神も脆くなった。視力は悪くなり、耳も遠くなって、天寿を全うするのも後少し。余命一月あるかないかだろう。

 だが、生きている。言峰璃正は生きている。なぜ? この様で生にしがみついているのか?

 ――そうだ。しがみついている。

 だって未練があるから。かつては信仰の戦士であり、敬虔な信徒として活動していたが、彼もまた人間なのである。老いぼれたからと生にしがみついてはいけない法はなく、また倫理もない。

 死にたくないのだ。生きていたい。だって、だってだ。

 

「――はじめまして、お祖父様」

 

 とたとたとた、と。実際には大きな足音など立てていないが、そんな可憐な幻聴が聞こえてきそうな様子で、幼い少女がベッドに駆け寄ってくるなりそう挨拶してきた。

 白い髪と、金色の瞳。二桁にも届かぬ年齢のアルビノの少女。

 彼女の傍には筋骨逞しい偉丈夫、自慢の息子だ。

 ベッドの上の老人は、くしゃりと表情を崩して微笑む。――生きていたい。だって、年老いてからできた一粒種、自慢の一人息子が娘を連れてくると言っていたのだから。

 娘がいたなど初耳だ。しかし、聞けば息子は妻の死で記憶障害を患い、今の今まで自分に娘がいたことを忘れていたというのだ。それなら仕方ないと、璃正は納得するしかなかった。

 

 孫。孫である。

 

 自らが高齢なのと、堅物の息子には望むべくもないと諦めていた、孫だ。

 璃正は是非会いたいと熱望した。死ぬ前に一目だけでもと。息子はその願いを聞いてくれた。

 

「おぉ、おぉ……! 君が、カレンか……!」

「はい。カレン・オルテンシア……いえ、言峰カレンです、お祖父様」

「もっと近くに寄ってくれ。もっと、その顔を見せてほしい」

 

 素直に近づいたカレンの顔に、しわくちゃな手を伸ばして触れた璃正は、歳甲斐もなくハラハラと涙を流した。そして彼女の瞳の中にある、空虚な寂しさと歪みを見て取った。

 璃正は、聖職者である。生まれながら歪んでいた息子の性根に気づかぬ節穴だったが、戦後に息子の苦悩を告白された璃正は、愛する息子の苦しみを知らずにいた自身を恥じ、身内であっても曇りなき眼で見詰め相対することを誓ったのだ。

 故に娘の瞳に苦悩から脱した息子と同種の光を見て、璃正は心から言えた。

 

「ありがとう。ありがとう、カレン。生まれてきてくれて……私に会いに来てくれて、ありがとう」

「………っ」

「老い先短い老いぼれだが、言わせて欲しい。私は、君を祝福する。生まれてくれたことを喜ぶ。たとえ()()()()()()()()()()()、君は私の息子の子で、私の孫なのだから」

「………」

 

 腕を数秒上げていただけで、疲れてしまったのだろう。璃正は力なくベッドに腕を下ろし、心の芯から生じる真の慈しみを込めて断言した。

 幼いカレンは虚を突かれはしても、すぐに無表情になる。如何に才気煥発であっても子供だ、今や死の淵にいるとはいえ老練な神父の目は誤魔化せない。

 

「フフ……『初対面のくせに何を言っている』、か?」

「………!」

「言葉にせぬだけ優しい子だ。だが、覚えておくといい。私も伊達に歳を食ってはおらん。こうして長生きしておれば、数ある中で一つの真理を説けるようにはなる。……いいかね、カレン。無償の愛を無条件で、誰かに捧げられるのが人という生き物なのだ。少なくともそういう人種はいる。私がそうだ。私は息子と君に、それを捧げることができる」

「そういう、ものなんですね」

「そうだとも」

 

 カレンは小さな教会の、厳格な神父に預けられていたという。

 

 彼女はヨーロッパ南部の共和国で生を受けたものの、一歳の時に母が自殺して、父も原因不明の記憶障害を患い、娘の存在を忘れてしまって姿を消した。

 母はカレンという名前だけを残し、母の死後に父が名乗り出ず、母が死病持ちであったことで、母が行きずりの男と関係を持って作られた子だと周囲から見做されるようになった。

 その為カレンを預けられた厳格な神父は、行きずりの男と姦淫した母親を軽蔑し、出生そのものに罪があるとして愛を与えず、教育も洗礼も与えず教会の下働きをさせて過ごさせていたという。

 

 父、言峰綺礼は、第四次聖杯戦争を契機として、娘の存在を思い出したのだという。そしてカレンの行方を探り当て、厳格な神父に事情を語るとほとんど有無を言わさずカレンを引き取った。

 綺礼は聖堂教会でも名の知れた男だ。そんな彼には、所詮は小さな教会の神父に過ぎなかった男も抵抗できず――カレンの体に聖痕(スティグマ)が現れていたこともあって、大人しく引き下がったらしい。

 ともあれそんな環境で育ったせいか、カレンは愛というものを知らない。父に似て類稀な克己心を有してはいるようだが、これではいけないと璃正は強く思った。

 だから綺礼に頼み、こうしてカレンに会わせてもらったのだ。

 案の定カレンは透明な娘だった。妖精のようですらある。まだ十歳にもなっていない子がだ。

 

 璃正はもう一度、カレンに語った。

 

「カレン。私や君の父、そして君の母は、間違いなく君を愛しているよ」

「……この(おとこ)が、わたしを?」

「ああ。綺礼は歪んでいるが、綺礼なりに君を愛している。でなければ見ず知らずの赤の他人に、大事な娘が虐げられているのを見過ごしはせんだろう。どうせなら、()()()()()()()はずだ」

「…………」

 

 カレンは押し黙って、下がっていく。嫌な話を聞いたと言わんばかりに。

 それまで口を噤んでいた綺礼は、微かに苦笑しながら璃正へ声を掛けた。

 

「――随分な仰りようだ。息子の苦悩を聞き届けてくださった、敬愛すべき我が父らしくもない」

「だが、事実なのだろう」

「ええ」

 

 綺礼は穏やかに頷いた。己が最も尊敬する人に、こうして己の本性を話したのだ。拒絶されるか、失望されると決めつけてすらいたというのに――しかし璃正は綺礼に失望しなかった。

 それどころか謝罪されたのだ。自分の息子が、深い苦悩に苛まれ続けていたのに、全く気づいてやれなかった自らの節穴さを呪っていた。そして、璃正はそんな綺礼に言ったのである。

 それでも私はお前を愛している。お前は私の自慢の息子で、お前は決して自ら悪に手を染めぬ克己心を持っているのだから、何も恥ずかしいことなどないのだ、と。そして遅きに逸したが、父としてお前の歪んだ愛も受け止めてやりたい――と。

 

 綺礼は、胸が軽くなる思いだった。――あの御方の言った通りである。自分は、余りにも狭い世界で生きていた。実の父の愛の深さすら見通せない、愚かな人間だったのだと清々しく思えた。

 だから、綺礼は手加減無しで、最も敬愛する父親に愛を伝える。最期まで、だ。死にかけだろうが老いぼれだろうが関係ない――いや大いに関係はある。死にかけているなら、寧ろこの手で殺してやるとまで告げたものだ。璃正はそれに、大笑いして受け止めると言った。

 残り少ない命の使い途として、愛する息子の為になるなら、何を惜しむことがある。それに、殺してやるとまで言いながら――綺礼は、決して璃正を殺そうとはせず、寧ろ長生きさせようと方々に手を尽くしている始末。おまけで苦しめようとはしているが、それぐらいのお茶目は笑って流してこその父親だろう。今まで綺礼にとっての父親らしいことなど、してやれていなかったのだから。

 

「では父上、私の近況と、私の新たな夢をお聞きください」

「ほう、それはいい。まさか綺礼の口から夢という言葉が出るとは。是非聞かせてほしいものだ」

 

 璃正は、残り少ない命を、可能な限り引き伸ばす覚悟を固めていた。

 死にたくない、まだ生きていたい、だって綺礼は今、心から笑っている。

 愛想がなく、堅物で、ろくに笑ったことのない息子が。

 可愛い孫もいる。まだまだ可愛がってやれていない、もっと甘やかしてやりたい。

 だから――死にたくないのだ。

 

「実は新都の『泰山』という店で、人生で初めて好物と言えるものと出会いまして。父上に是非ともそれを食してもらいたく、こうして店主に無理を言って持参して参りました」

「ほう……! 綺礼に、好物! 気になるが……今の私が食べてもいいものなのか?」

「問題ありません。さあ、まだ温かさは残っています。温かい内にどうぞ」

「うむ」

 

 ――死にたくない。

 

 直後に、璃正は死に瀕しているとは思えない活力を発揮し、絶叫しながら息子に掴みかかった。

 悶絶しながら息子を責める璃正は、全身から汗を噴き出し、食わされた麻婆豆腐の余りの辛さに綺礼の味覚を本気で疑ってしまう。

 

「私の夢は、その麻婆豆腐をこの手で作れるようになり、多くの人に振る舞う事です。フフ……いつか同好の士に巡り会えるかもしれない、そう思うと歳甲斐もなく胸が踊りますな。ああ、嫌がる者の口に流し込むのもいいかもしれません。この辛さは異端者の尋問にも使えると思いませんか、父上」

 

(だ、だめだ……私が死んでは、カレンは、綺礼と二人になってしまう……! そうなってはまだ小さいこの子が、この食べる地獄そのものの餌食に……! し、死ぬわけにはいかん……! せめてカレンが嫁に行くまで護らねばならんぞ……!)

 

 全身から活力が燃え、使命感が強く滾った。――それから五年間も、璃正がしぶとく長生きする事になるとは、この時は病院関係者の誰も予想だにしていなかったという。

 その最期は、お祖父ちゃんっ子になった孫娘に看取られながらの、大往生であったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教壇に立って教鞭を振るう、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトへの評価は一変した。

 

 以前まであった神経質さがなくなり、癇癪を起こすこともなく、教え子達に丁寧な指導を心がけるようになった。歴史の浅い魔術師の一門にも見下すような真似はせず、真摯に応対するのだ。

 極東の片田舎の魔術儀式に参加して以来、人が変わったようだと時計塔の者達は噂した。だがその噂の中身は概ね好意的であり、人柄が良くなったからと甘く見る者はいなかった。

 なぜならケイネスは依然、優れた頭脳と魔術の見識を発揮しており、時計塔内の政治でも遅れを取らないのだ。能力の高さをそのままに、人格面で大きな成長を遂げているのである。そうなればケイネスの人望も次第に右肩上がりの一途を辿っていっていた。

 

 特にケイネスに対する見方を変えたのは、落ちこぼれの魔術師、ウェイバーを直弟子にしたことだろう。彼はウェイバーの人を見る目の確かさを買い、教え子達の才能や適性に関してよく相談するようになったのだ。挙げ句、自身の研究成果をウェイバーに纏めさせ、盗みたい知識は存分に盗めとまで言って厚遇している。……いったい極東で何があったというのだろう。

 恐らく、彼の()であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリなら知っているはずだ。時折り見掛けることのできる彼女に、ケイネスが豹変した理由を訊ねれば理由が分かるはずである。

 しかし、ソラウは氷の如き美貌を冷たく澄ませ、一言で言い捨てるのみであるという。

 

『ケイネスは挫折したのよ。――私も、きっとね』

 

 どこか遠くの出来事を思い出すような顔で、自らの思い出したくない醜態に触れられたかのような反応を示すソラウは、これ以上のことは決して語ろうとはしなかった。

 無論もう一人の関係者であるウェイバーも同様である。最近成長期に入り、身長が伸び出した少年は、師の名誉のためか決して口を開かないのだ。

 ケイネスの受け持つ教え子達は、なんとかしてこの謎を解き明かそうと躍起になっている。しかし関係者が誰も口を割らないものだから、噂は憶測の範疇から出ることは決してなかった。

 そうしてケイネスの変貌に纏わる謎は迷宮入りをする。なぜなら――ケイネスが講義の始まりで、爆弾発言をしたからである。

 

「――ああ。諸君には一足早く報せておこう」

 

 ケイネスはウェイバーに目線をやり、隣に来るように促した。とうのウェイバーは何も聞いていないのか困惑しながら席を立ち、師の傍に立つ。そんな彼の肩に手を置いたケイネスは、何気ないように言い放った。

 

「来月の一日から、私はロード・エルメロイの名を返上し、ここにいるウェイバー・ベルベットくんを私の後継者に指名する」

「……え?」

「だがアーチボルト家の家督や、魔術の知識や礼装は一切やらん。アーチゾルテを後見にし、名前だけのロード・エルメロイ――さしずめエルメロイⅡ世とでもいうべき肩書だけを与える」

「……は? ……え?」

「そういうわけで、私がこうして教鞭を振るうのは今月限りだ。さて、何か質問はあるかね?」

「……ある! あります! 私は何も聞いていませんが、ケイネス先生!?」

 

 唖然とし、騒然とする生徒達の中で、特に混乱して抗議の声を上げたのは、突如として名ばかりの後継者にされてしまったウェイバーである。

 

「どうして突然、そんなことに!?」

 

 動揺を隠せない少年に、ケイネスは頭痛を堪えるような顔をした。

 

「……この馬鹿弟子のみならず、諸君も知っていよう。最近の私は忙しくてね……不本意ながら時計塔を留守にすることが多くなってしまった。ロードの身でそんな様であっては、我がアーチボルト家も要らぬ隙を晒してしまうことになる。つまり政治的な話というわけだ。残念ながら私の後を任せるに足る人材がいないし、我がアーチボルトはおろか分家のアーチゾルテにも目ぼしい輩はいない。嘆かわしいことにな。……姪のライネス辺りなら、長ずれば私の爪の先ほどには成ろうが、それでも不足は不足。時も足りん。よって妥協案としてウェイバーくんを選び、アーチボルトの小煩い爺婆を絡ませたくない故、私が抑えやすいアーチゾルテを後見とするのだ。分かったかね、ウェイバー・ベルベットくん――いいや、ロード・エルメロイⅡ世殿?」

 

 ニヤリと意地悪く嗤い、無理難題を押し付けるケイネスにウェイバーは頭を抱えた。

 この顔を見た瞬間、ウェイバーに拒否権はないのだと悟ったのだ。

 どうして自分などがケイネスに高く買われているか分からないのも不安だったが、その不安が最悪の形で昇華させられそうな予感に、今から胃がキリキリと痛んできそうである。

 故に、ウェイバーはささやかながらもやり返した。どうにもロードの座を明け渡す理由を、誰にも話したくはなさそうだと察したのである。

 

「……分かりました。分かりましたよっ。やればいいんでしょうが、やれば! ですが先生、せめて訳を教えてくれませんか? 訳も分からないままいきなり分不相応な役割を押し付けられたって納得できません! なんで先生がロードを辞めてしまうんですか!?」

「今言っただろう。私は忙しい、理由はそれだけだとも」

「その忙しさの理由を聞いてるんですよ! 先生の身分なら、家の人達に命令してやらせればいいだけの話でしょ!? なんでわざわざ先生が直接出向く必要があるんですか!?」

「……それは」

 

「――ケイネス」

 

 教室の入り口の戸が開き、女がケイネスの名を呼んだ。

 時計塔に在って、ケイネスを呼び捨てに出来る女など片手の指で数えられる程度。その内の一人であるソラウの登場に、ケイネスはぎくりと身を強張らせた。

 

「そ、ソラウ……ま、まさか……」

 

 明らかに動揺しているケイネスに、ソラウは微笑を浮かべた。

 氷の女王の如きソラウが、笑みを見せる唯一の相手がケイネスである。そのことにケイネスは強い喜びを懐いているが、それはそれ、これはこれである。

 ――どうやらランサーのサーヴァントの魔貌の魔力から解放された後、虚無感に浸っていたソラウは、ケイネスが()()()()に駆り出されるようになってから見せる弱った表情に、心の何かを刺激され関心を懐いたらしい。ケイネスを困らせるのが生き甲斐という、ソフトめな悪女へ変貌を遂げてしまっていた。とうのケイネスは嬉しそうだから、ウェイバーは気にしていない。

 しかし、そんな愛しのソラウがやって来たのに、ケイネスは全く嬉しそうではなかった。

 

「そのまさかよ、ケイネス。ほら……貴方に()()()が舞い込んできたわ」

「さ、差出人は……?」

「あら、ここで言ってもいいの? 貴方が極東でお世話になった、エミ――」

「分かった! 分かったから言わないでいい! 行けばいいのだろう、行けば……!」

「そ。頑張ってらっしゃい、帰って来たら貴方の好きなフィッシュアンドチップスでも作ってあげるわ」

「……ああ、頼むよ。なるべく早く帰るとも」

 

 ケイネスはソラウの手から手紙を引ったくるように受け取ると、まだ講義が始まってすらいないのに退室してしまった。

 呆気にとられている生徒達。ウェイバーもその一人だったが、察してしまっていた。ああ、そういうことか――ファック! 衛宮切嗣(アイツ)のせいで僕がこんな目に遭ってるのか! と。

 そんなウェイバーに、ソラウは冷ややかに告げた。

 

「……どうしたの? ケイネスの後継者なのよね、貴方」

「お、奥方……!」

「ロード・エルメロイの後継者なら、ケイネスの代わりに講義の一つぐらい熟してみせなさい。私はここから見ていてあげるわ」

「……ああ、もう! 分かった分かりましたやればいいんでしょうがコンチクショーッ!」

 

 ウェイバーは頭を掻き毟って、憤懣遣る方ない様子で教壇に立ち、苛立ちも露わに生徒達を睨む。

 文句があるなら(ソラウに)かかってこいとばかりに気炎を燃やし、ここ数年でケイネスに鍛えられた弁舌を振るい講義を始める。

 

 こうしてウェイバーの初の講義が始まり――それは思いの外、好評を博して幕を下ろした。

 

 ――()()()()()()()()()に関わったと噂されるケイネスは、この後もとある魔術師殺しに度々呼び出され、便利に頼られた挙げ句、アインツベルンの遺産にして最高傑作と名高い少女を守り、あるいは救うために奔走させられる羽目になる。

 彼が聖杯戦争に参加する以前に望んでいた武名、箔が山ほどつく武闘派のロードと讃えられることになるのだが、生憎とケイネスは微塵も喜ぶことはなく。こんなことになるなら聖杯戦争になど関わるのではなかったと、終生後悔し続けたという。

 

 だがそう語るケイネスの顔に、負の感情はなかったとウェイバーは語った。

 

 

 

 

 

 

 

 




倒したり捕縛したりした敵の口に「泰山式」麻婆豆腐を流し込むコトミー。ブリカス式切開術で心の傷を開き、なんやかんや苦しませつつ道を示すことに生き甲斐を持つコトミー。何気に娘のことは溺愛しているが、全力で嫌がらせしかしていない。

ケイネスはロードの人脈や知識や力や頭脳を、フルに使い倒される日々を過ごすも、時計塔に籠もりきりの頭でっかち学者先生ではなく、広い世界で戦ったり交渉したり計略を練ったりしている内に、バイタリティーあふれる男になっていく羽目に。おのれ衛宮切嗣……!

呪いに犯されていない切嗣とかいう悪夢が野放しになっている。コトミーに苦手意識はあるが、向こうからは「同好の士(麻婆豆腐)」として好感を持たれている模様。なんやかんや仕事を手伝ってもらったり、表に出たくない切嗣の功績の受け皿にもなってもらっていたりする。

コトミー、ケイネス、切嗣のトリオとかいう悪夢に襲われた、戦力が低下していたアインツベルンとかいう人達かわいそう……。


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後日談。綺礼とケイネスと切嗣の場合

お待たせしました。難産ではないんですが、寝落ちした際に無意識に指が動いて、文章のほとんどが消える事故を起こしてしまい、書き直す気力が湧かずに我らが故郷、狭間の地に逃避しておりました。

ちなみに第五次聖杯戦争は描きません。理由はもちろんあります。ですが、その理由はまだ伏せておきます。



 

 

 

 

 

 

「次のターゲットはコイツだ。二人とも、この顔を頭に叩き込んでおけ」

 

 とある中華料理店に、三人の男達が集結していた。

 あの戦争以来、難敵と当たる事になると、決まって集まる面子である。

 

「……フン。いつもいつも御苦労な事だ。どうして貴様はそうも薄汚い鼠共に狙われる? 類は友を呼ぶというやつか?」

 

 呆れたように嘆息するのは、もう二度と日本の地を踏みたくないと思いつつも、契約に縛られ逆らえない金髪の白人男性である。エルメロイの名を後進に譲ったケイネス・アーチボルトだ。

 先代のロード・エルメロイたる、万能の天才魔術師は神経質そうな細面に、諦念と疲労を色濃く滲ませている。なぜこの私がこんな事をと、その顔が雄弁に不満を物語っていた。

 写真を卓の上に置いた男、衛宮切嗣は冷酷な暗殺者としての顔でケイネスを一瞥する。

 

「生憎と今回はいつもと毛色が違う。本来なら僕には全く関係がない奴だし、コイツは殺さない。生きたまま捕まえる必要がある」

「結構。数こそ少ないが、標的の生け捕りも経験がないわけではない」

 

 かっ、かっ、かっ、と。蓮華で麻婆豆腐を掻き込んだキャソック姿の偉丈夫――言峰綺礼は、憔悴しているケイネスの顔をオカズに食う飯の美味さに満足している。フーッと熱くなった吐息を溢す彼の顔には、大粒の汗が幾つも浮き上がっていた。

 ケイネスは極めて不愉快そうに、日本人はこれだから……と、その変態性に呆れている。ケイネスの中の日本人観は『だいたいヤバい奴ら』で落ち着いたのだ。言峰綺礼しかり、衛宮切嗣しかり、とある人形師しかり。ろくな奴がいない。その他の面子にもサディストの変態共めと声に出して悪態を吐いたのは一度や二度ではなかった。もう日本人の相手は本当に勘弁願いたいのである。

 

 切嗣は手元の麻婆豆腐――綺礼と同じ物――を蓮華で掬い口に運んだ。そのまま咀嚼し、辛さと内包された旨味を味わって涙腺を破壊される。溶岩の如き麻婆を、涙ぐみながら飲み込んだ。

 あの王の宴を経て以来、尋常の料理では美味いと思えなくなった弊害だ。何かが突き抜けていないと料理ではないと思わされるほどに、彼の味覚は天上の美食に侵食されてしまっている。

 キンキンに冷えている水を含み、舌の上の麻婆を胃に流し込んで、切嗣は汗と涙を拭うと仕事の話に戻った。彼も綺礼と同じ物を好物としているのは不本意らしく、綺礼には見向きもしない。

 それでも疑問は残っていた。切嗣はいい加減はっきりさせておこうと綺礼へと問いを投げる。

 

「……毎度思うんだが、なぜお前は僕に関わる? お前には関係のないことばかりだろう」

「そう邪険にしてほしくないものだな、衛宮切嗣。我々は戦場で肩を並べた仲だろう?」

「ああ、癪だがそれは認めざるを得ない。特にアインツベルンとの一件では助けられた。だが、だからこそ訊いているんだ。お前はなんのつもりで首を突っ込んでくる? なんの意味があるんだ」

 

 意図が読めないからこそ不気味なのだ。ケイネスは切嗣の協力者だからいいとしても、綺礼には切嗣に協力するメリットなどないはずである。なのになぜ命の危険がある戦場に出向いてくる?

 切嗣は綺礼を信用できない。なんだかんだ断れないタイミングで首を突っ込んでくるものだから、何度もなし崩しに戦場を共にしてきた。だが、今回は違う。顔馴染みの戦友面して、ミーティングにまで割り込んでこられたとあっては詰問せずにはいられない。

 綺礼は何を考えているのか分からない、皮肉げな様子で応じる。

 

「……ふむ。衛宮、お前は私の経歴を知っているな?」

「ああ」

「私はこれでも聖堂教会ではエリートに分類される。だが出世コースからは外れていてな。それは自ら選んだ道ゆえに後悔はないが、結果として閑職と言えるポストに落ち着いてしまった。私も代行者として復帰するのも吝かではないが、老いた父と幼い娘を置いて、長期にわたり家を留守にするわけにもいかない身となった。故に、有り体に言えば暇なのだ」

「……なに? お前は今、暇だと言ったのか?」

「そうだ。お蔭で腕は錆び付き、無聊を慰める方法を探らねばならなくなった。そこで何かと忙しく飛び回っているお前に助力すれば、異端を討滅しつつ腕を磨き、更には個人的な嗜好も満たせると踏んだのだ。徹頭徹尾、自分のためにお前に協力しているに過ぎない。()()()()も言っていたのだろう? まずは自身を幸福にし、余剰分で周囲を幸せにしてやれとな」

「………」

 

 あの御方、というのはこの場の三人が共通して恩義のある相手だというのは分かる。

 しかし三人とも、該当の人物に対して懐く感情は別だ。

 切嗣は苦虫を噛み潰したような顔で、ひとまずは納得する。今の綺礼はなんやかんやで充実しているらしく、以前の人物像から甚だしく乖離しているのだ。少なくとも以前ほどの不気味さはない。

 綺礼は意味深に笑みを浮かべ、切嗣に対して告げた。

 

「それに今回ばかりは私にもメリットはある。今回のお前の目的――いや、仕事の依頼主は私の方でも掴んでいるからな」

「……チッ。そういうことか」

「なんだ。どういうことだ、説明しろ衛宮切嗣」

 

 何も注文していないからか、手持ち無沙汰のままでいたケイネスが口を挟んだ。

 

「以前、お前に頼んで仲介してもらった人形師、蒼崎橙子が今回の依頼主だ」

「……なんだと?」

「標的は結構な腕の持ち主らしくてな、蒼崎橙子を()()()()()あの異名で呼んだらしい。経緯は聞いていないが、奴は()()()蒼崎橙子から腕を一本切り離し逃げ切ったようだ」

「馬鹿な奴だ。蒼崎を侮るとは……」

「展開は読めたな。差し詰め蒼崎はその男を追ったが逃してしまい、潜伏されたのだろう。当然蒼崎は草の根分けてでも見つけ出し、始末をつけるだろうが……その前にお前の存在を思い出し、猟犬代わりに捕縛させようと考えたのだろう。違うか?」

 

 魔術師殺しを猟犬として扱える機会など、生涯に一度あるかないかだろう。お手並み拝見だと、高みの見物でも決め込んでいるに違いない。

 蒼崎橙子の業績を知るケイネスは、事を構えても負ける気はしないが、侮ってもいなかった。

 何せ蒼崎橙子は彼からしても、ロード級の実力者である。そんな指折りの魔女の逆鱗をわざわざ踏んで激怒させるなど、愚かとしか言いようがない。

 呆れるケイネスの横で、綺礼は標的の脅威度を把握しつつ展開を読む。なるほど、一時とはいえ蒼崎から逃げ切るほどの相手なら、舐めて掛かれる手合いではあるまい、と。

 切嗣は頷いた。

 

「そうだ。奴には今、僕の娘……()()()()()()()()を用立てて貰っている。前金は支払っているが、残りは器が出来てからという話だった。その残りの金の代わりに、ソイツの身柄をご所望になられたというわけだ」

「……この私が他者の走狗に甘んじねばならんとは。率直に言って、気に入らんな」

「今更だろう。それで言峰綺礼、お前は蒼崎に用があるんだな? いったい何が望みだ」

「お前と同じだ、衛宮」

 

 訝しげに目を眇める切嗣に、ニヒルに嗤いながら生気に満ちた綺礼が言う。

 

「詳しくは省くが、私の娘にも事情があってな。あれでは長く生きてはいられまい。保って二十歳かそこらだ、それで死なれては困る、故にアレの器を作成してもらおうというのだ」

「対価はどうするつもりだ。蒼崎は高額な金銭を要求はするが、気に入らない仕事ならどれだけの金を積んでも平然と蹴ってくるぞ」

「承知している。対価はそのまま、アレの抜け殻でいいだろう。何せ聖痕のある体だ、魔術師ならば手に入れたいと願ってやまないだろうとも。――尤も、()()()()()()()に備え、不測の事態が起こらぬように、娘の抜け殻をそのまま確保しておくつもりのお前にはない発想かもしれんがな」

 

 綺礼が嗤いながら告げると、切嗣はこれでもかと嫌そうに顔をしかめた。

 娘の元の体を廃棄しない理由を悟られている。機会を見て始末しておくかと綺礼の殺害計画を企画しようと思うも、こちらの手の内を知り尽くしている相手と事を構えるのは危険だ。

 綺礼を始末するかは保留とし、可能ならこちら側に抱き込もう。切嗣はそう結論する。

 

 ――切嗣は現時点で、十年後までに第五次聖杯戦争が勃発するのが避けられないと知っていた。

 

 というのも切嗣は冬木の霊脈に仕掛けを施し、数十年後に大聖杯の機能が停止するように仕向けていたのだが、聖杯戦争の解体を切嗣が目論んでいるのを知ったケイネスが断言したのだ。

 『貴様の話を聞くに、聖杯は何者かの願いを叶える事なく破壊されたのだろう。ならば聖杯に蓄えられた魔力の大部分はまだ残っている可能性が高い。通常、聖杯戦争は五十年から六十年の間隔を空けて開催されるらしいが、それよりもずっと早く始まるだろう』――と。

 それを聞いた切嗣はケイネスに頼み、大聖杯を調べてもらったのだ。そして彼は無双の名医の如く診察してのけた。聖杯戦争は恐らく、十年後に再び開催されるだろうな、と。

 小聖杯がなければ、どんな不具合が起こって災禍が撒き散らされるか分かったものではない。となれば小聖杯を廃棄するわけにもいかないのだ。無論、切嗣がイリヤスフィールを害することなどあるはずもない。イリヤスフィールは切嗣にとって、唯一無二の宝なのだから。

 故に時計塔に掛け合い、魔術協会に協力を仰いで大聖杯の解体を依頼しようとしたが、それはケイネスに止められた。もしも時計塔の魔術師が大聖杯の術式を知れば、聖杯戦争の魔術儀式を模倣しようとする者が必ず出て来る。高い確率で大聖杯を奪おうとする輩も出て来るのは自明だと。そうした動きを抑えるには、高い発言力を有した魔術師達が結託しなければならないが、今の時計塔では不可能に近い。政治の話だ、一朝一夕で片付けられる話ではないのだ。

 

 故にとるのは次善策だ。ケイネスと――場合によっては綺礼も――共に、第五次聖杯戦争を速攻で終わらせる。そうすることで犠牲を最小限に留める。今はその下準備の段階だ。

 

 切嗣は舌打ちし、話を戻す為に資料を取り出し卓に置いた。

 

「――今は余計なことを話すつもりはない。ケイネス、これを読め。ついでに言峰もだ。標的に関する情報を纏めている」

「ほう」

 

 ケイネスは紙の束をパラパラと捲り速読すると、僅か十秒足らずで綺礼に資料を流す。

 

「随分と詳しく書かれているな。名前から血統、歴史、秘伝の魔術と属性、使用した礼装まで調べ上げているとは。これでは丸裸にされたも同然だな」

「――おまけに標的と蒼崎が交戦した地点と、以前まで標的が拠点にしていた地点を特定し、現在潜伏しているだろう国まで推理してあるのか。流石は衛宮切嗣、隠れ潜む魔術師の動向を追うのに慣れているな。私の知る限り、お前ほど魔術師を追い詰める手腕に長けた者はいないと断言できる。だが、些か仕事が早すぎるぞ。単独で調べたとは思えん……さてはホムンクルスを使ったか」

「理解が早いな。その通りだ」

 

 切嗣は否定せず、隠しもせずに肯定した。そして事情を説明する。

 

 アインツベルンは壊滅している。しかし、生き残りがいないように殲滅したわけではない。

 たとえば第四次聖杯戦争で、冬木で活動した戦闘用ホムンクルス達だ。彼女達の多くは戦後、監督役に事態の収拾に協力させられて帰還できず、その間にアインツベルンは滅ぼされ、身柄が宙ぶらりんになってしまった。そこで切嗣は彼女達に提案したのだ。

 裏切り者の自分と戦うか、それともこれからは一個人として生きていくか。そんな選択肢を突きつけられて、彼女達は選択した。一部は切嗣を討つ為に戦いを挑み、ケイネスと切嗣、綺礼の三人を追い詰めるまでいったものの討ち死し、その他の多くは個人として残り短い生を謳歌しようと日本から発った。日本に残っているホムンクルスは二人だけだ。

 魔術師として高い実力を持つセラと、小聖杯の礼装のリーゼリットである。その他は戸籍や名前を偽造して、口座をそれぞれが持ち、切嗣が最低限の資金を振り込んでいる。そして切嗣からの依頼を熟せば報酬としてその口座に金を振り込む形にした。

 

 そう。今やアインツベルンの生き残りは、切嗣の諜報員として世界中に散っているのだ。

 

 それを聞いたケイネスは、ぴくりと眉を動かす。

 

「……待て、衛宮切嗣。もしや貴様……遠坂時臣の遺産である商業用地の利権を私に奪わせ、手に入れた莫大なテナント料は……いや、地主の間桐からも利権を奪わせたのは、このためか?」

「そうだが? 僕も金に余裕はあるが、数十人単位の生活資金や戸籍を偽造して、おまけに仕事の報酬を支払うだけの金はないからな。彼女達の他にも家族を養うには金がいるんだよ」

 

 臆面なく認める外道の切嗣に、ケイネスは卓を叩いて怒鳴りつけた。

 

「この、甲斐性なしめがッ! 自ら稼いだ訳ではない金で、傘下の者を養うなどと、貴様は恥というものを知らんのか!? 全く情けない、蒼崎への依頼にもその金を使っているのだろう!? そんな様で一族の棟梁とは笑わせる! 無様だと思わんのか!」

 

 正論で喝破された切嗣を、綺礼は愉快そうに見詰めている。

 切嗣は露骨に鼻を鳴らした。

 彼は外道である、通常の倫理観など持ち合わせていない。

 

「遠坂には魔術刻印を返してやった代わりに、利権を()()()もらっただけだ。間桐に関しては僕の心臓を破壊した慰謝料を貰ったまで。間にケイネスが挟まっているが、お前は僕の協力者だろう。気にしてやる必要はないな」

「貴様……!」

「そんなことよりケイネス、僕はもう腹がいっぱいでね……残すのも店主に悪い、余りを食べてくれないか? ()()

「なんだと……!? や、やめろ! 貴様に人の心はないのか!? や、やめ、動くな私の手!」

 

 正論で殴られた仕返しだろう。

 切嗣は大人気なく契約を悪用し、ケイネスに泰山式麻婆豆腐の余りを押し付けた。

 必死に抗うケイネスだったが、抵抗虚しく麻婆豆腐を口にしてしまう。

 

「が、ガァァ!?」

 

 絶叫し、起源弾を受けた時のように藻掻き苦しんで、喉を掻き毟って悶絶した末に気絶する。

 そんな様を見て、綺礼は思うのだ。やはりこの二人は見ていて飽きないな、と。

 切嗣は店の代金を卓に置き、綺礼に会計を任せるとケイネスを担いだ。

 

「僕は先に帰る。明日の正午に日本を発つ、それまでに準備は整えておけ」

「いいだろう。ところでその男はどうするつもりだ?」

 

 肩に担がれているケイネスを示して綺礼が問うと、切嗣は冷淡に告げる。

 

「お前には関係ない」

 

 ――例の冬木大火災で身寄りを失った少年、士郎。衛宮家の養子として引き取ったその少年が、特異な魔術を使ったのだ。切嗣は自分の手に余ると悟り、機会があればケイネスに見せるつもりだったのである。

 無論、そんなことを綺礼へバカ正直に話す切嗣ではない。

 取り付く島もない返答に、綺礼は肩を竦める。立ち去る男達を尻目に、自身の麻婆豆腐を一気に掻き込んでいくと、彼は本能的な嗅覚で予感した。愉悦の気配を感じたのだ。

 

(……衛宮家とは、長い付き合いになりそうだ)

 

 深く、笑む。

 切嗣が養子を取ったのは調べがついていた。また、溺愛している娘の歳も。

 幸いにも自身の娘も歳が近い……となれば。

 

(カレンと……そうだな、いわゆる幼馴染というものにしてしまえば、さぞかし面白いものが見られるかもしれんな)

 

 言峰綺礼は嗤う。彼は今、とても、とても、とても充実した毎日を送れている自覚があった。

 

 主よ、感謝いたします。胸元にある十字架を握り、祈りを捧げる聖人。

 彼が祈りを捧げる対象は――きっと、今までの主とは違う姿をしているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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後日談。切嗣と桜の場合

 

 

 

 

 

 

 三年。三年だ。

 

 寝る間も惜しんで、というほどではない。何を置いても優先したわけでもない。何せこの三年間は精力的に活動していたのだ。相応に多忙を極め、()()だけに注力した訳ではなかった。

 しかし長年のノウハウや、掻き集めた情報を照合し、実際に交戦した際の手応えも加味した上で、調査は継続的に行なっていた。魔術師としての弟子、魔術師殺しとしての部品、そして現在は家族の一人となった女――『久宇舞弥』にも手助けしてもらって捜索していたというのに、未だ手掛かりらしい手掛かりを得るには至っていなかった。

 

「――既に死んでいると判断するべきでは?」

 

 舞弥はそう言った。妥当で、順当な結論だ。だが衛宮切嗣は否定する。

 勘、ではない。確かな経験に裏付けされる、確実な論拠があった。

 

「いいや。奴はまだ、絶対に生きている。生きている上で、再起を図っているはずだ」

 

 間桐臓硯。否、マキリ・ゾォルケン。三年前に交戦した妖怪の名だ。尋常の手合いなら確実に仕留めたと見做し、葬った敵の一人として記録し記憶の隅に追いやっていただろう。

 だが違う。マキリは断じて尋常の理には生きていない。

 肉体を蟲に置換し五百年も生きてきた、自らの生存に執着する妖怪ならば、あの状況からでも逃げ延びることは不可能ではないだろう。切嗣はマキリが生き残っている可能性は高いと感じた。

 切嗣がマキリの生存を確信している理由は、間桐桜の存在にある。

 彼はマキリの生存を確認するために、桜に接触していたのだ。彼女は間桐の正統後継者として調整されていたらしく、彼女は幼い身にも拘らず感情を亡くしていた。自己防衛のためだろう、桜は心を閉ざすことで自らの心の崩壊を押し留めているのだ。

 はっきり言って、切嗣はそうした存在は見飽きるほど見てきた。そして今の切嗣は桜のような少女を見捨てるほど冷酷でもない。よって桜の身柄を確保するや、彼は桜を養女として引き取った。なんせ間桐の名目上の当主、桜の義父はアレであったし……今後、桜が生きていく上で決してプラスにならないだろうと判断したからである。

 

 今の桜は、衛宮桜だ。

 

 切嗣は桜よりある意味で凄惨な人生を辿っている舞弥を、曲がりなりにも育て心を蘇らせた男だ。精神が崩壊する寸前の桜のカウンセリングは、本職の言峰綺礼よりも巧みである。

 まず、桜を機械にした。命じるまま単純作業をさせ、ランニングなどで体力をつけさせ、食事に気を遣い健康にさせると、格闘技を厳しく指導し、拳銃などの武器に触れさせた。そうして少年兵めいて厳しく躾け、桜がなんの疑いもなしに切嗣の命令を聞き、機械的に行動できるようにまですると――切嗣は、これまで接触させていなかった養子の士郎と対面させた。

 士郎には桜を妹だと紹介し、兄として面倒を見ろと伝えた。士郎は切嗣の目から見ても、自身を蔑ろにするきらいがあり――はっきり言うとサバイバーズギルトという、一種のトラウマを抱えた少年である。故に士郎に桜という『自身が庇護すべき対象』を身近に置かせ、なおかつ年相応の少年らしさもある士郎と接させることで桜の情緒を安定させようとしたのだ。

 精神崩壊寸前の子供を機械にし、その後に人間に戻す。荒療治が過ぎるし、常識人が見れば洗脳としか見えないだろうが、切嗣に出来る最善の手法だったことに違いはない。舞弥という前例がいるためか、寧ろ舞弥の時以上に効率的に育てられたほどだ。

 そしてこれはガッチリと嵌った。一年もすれば桜は士郎にベッタリになり、何処に行くにも兄さん、兄さんと呼んで後をついてまわるようになったかと思えば、次第に少女らしく微笑むようにもなったのである。この頃の切嗣は対アインツベルンを終えた直後であり、イリヤを連れて帰国してきたところであった。

 

『――桜、話がある。こっちに来なさい』

『はいっ。お……お父さんっ……』

 

 緊張しながら自分をそう呼ぶ桜に切嗣は苦笑し――イリヤが腹を立ててひと悶着を起こしたりもしたが――それはさておくとして。切嗣はなんでもない風を装ってさらりと訊ねた。

 

『桜、正直に答えるんだ。間桐臓硯はどこにいる?』

『っ……え?』

『桜を保護した後もずっと探しているんだ。僕は数年前、奴と交戦した。その時は僕が勝ち仕留めたつもりだけど、始末できたという確証がない。だから一応探しているんだけど、桜は何か知らないかい? 知っていたら教えてくれ、僕なら間桐臓硯を殺せる』

『――――し、知りません……ごめんなさい』

 

 そう謝った桜の顔は――救いを求めていた。怯えていた。泣いていた。

 証拠はそれだ。マキリは往生際悪く、しぶとくまだ生きていると切嗣は確信したのである。

 恐らくマキリは桜に接触し、彼女を利用しようとしている。そして桜はそれを話せない。

 そう確信したから、切嗣は自身の右腕である舞弥を、様々な仕事に同行させず桜につけていたのだ。マキリが桜に接触できないように保護させていた。

 

 だというのに、舞弥が言うには桜に蟲の一匹も近づいていないらしい。

 

「………」

 

 沈思黙考する。第四次聖杯戦争から三年――諸々のゴタゴタに一段落がついたから、ゆっくりと熟考する時間が彼にはできていた。

 熟考するにあたり、切嗣は間桐邸を訪ね、男を脅し、間桐の魔術に関する資料は全て押収して熟読している。その上で改めてマキリを分析し、行い得る手法を推理していた。

 

 あくまでマキリが生きていることを前提に。

 

 まず桜の行動を舞弥に監視させていた。その間、怪しい動きは一度しかしていない。一度だけ桜は切嗣がいない時、深夜に一人で家を出ようとしていたところを、舞弥に止められたことがあるようだ。

 マキリは弱った自身の力を回復させようとするはず。しかし、あれから冬木で不審な行方不明者は出ておらず、行方不明者自体はいても魔術との関わりはないだろうという調査結果があった。

 加えてマキリの魔術の系統、傾向、属性。マキリが桜に施していた拷問に等しい調整。それらを加味してゆっくりと、パズルのピースを嵌め込むように思案する。そして――切嗣は気づいた。

 

「……()()()か。刻印蟲の一種だとすれば、不可能じゃない」

 

 一刻も早く力を取り戻したいはずのマキリが不気味な沈黙を守っている事。マキリは聖杯がある冬木から離れないだろうという確信がある事。マキリの魔術の事。他にもあるが、それらが導き出す答えは自ずと限られてくると悟る。即ち、寄生。人の体内に潜んでいるのであれば、見つけられないのも無理はない。では誰の体内に潜んでいる? そしてどの部位にいる?

 

 答えは一つしかいないと切嗣は断定していた。

 

 恐らくマキリは、桜の心臓か脳、あるいは脊髄のいずれかに寄生している。

 

「………」

 

 ではどうやってマキリを引きずり出すか。それを考えると、非常にデリケートな問題になる。

 普通に考えて心臓や脳、脊髄と一体と化している寄生虫を、ピンポイントで引き剥がすのは不可能だ。最も簡単なのは蒼崎橙子の人形に桜の魂を移し、元の肉体を焼却することだが……生憎と、それはもうできない。というのも件の人形師は、イリヤと言峰カレンの新しい肉体を作り、対価を受け取ると行方をくらませていたからだ。

 蒼崎は封印指定をされている魔術師である。封印指定執行者という、危険な相手に追われているのにいつまでも同じ地に潜伏しているわけにはいかない。よって蒼崎とは音信不通になっていた。

 

 ではどうするか。

 

 切嗣は、恩人から譲られた宝具を用いることにした。

 聖剣の鞘である。元の持ち主から所有権を譲られたから、恩人が退去した後も現世に残り続けている代物。それは元の持ち主がいた時と比べれば、遥かに劣る力しか発揮しないのだが、逆に言えば魔力さえあれば最低限の力は発揮するということでもある。

 切嗣は聖剣の鞘を、冬木大火災で生き残った士郎の体内に埋め込んでいた。それを士郎が眠っている間に取り出すと、一年間を掛けて自身の魔力をふんだんに充填し続け、一度限りの蘇生を可能にする域にまで力を溜める。そうしてそれを桜が寝ている夜の内に仕込んだ。

 

 そして、切嗣は脳、脊髄、心臓の内、心臓にマキリが寄生している可能性が高いと踏んで、寝ている桜の心臓に起源弾を打ち込み即死させた。桜を、そしてマキリを。

 

「桜」

「? なんですか、お父さん」

「君の心臓に潜んでいた間桐臓硯なんだが、桜が寝ている間に殺しておいたから」

「……………え?」

 

 果たして読みは当たった。起源弾を食らい、穴が空いた桜の胸に手を突っ込んだ切嗣は、そこから一匹の蟲の亡骸を引きずり出したのだ。

 その後、聖剣の鞘により桜は蘇生し、一度死んだショックで気絶したままの桜を、舞弥に頼み浴室で綺麗に洗ってもらった。

 桜からしてみれば、知らない内に何もかも終わっていたことだろう。訳が分からないといった顔で呆然としていた桜は、切嗣の言葉の意味を理解すると、恐る恐る胸に手を当て何かを探り。誰かに小声で呼びかけ。そして、なんの反応も――異物感もない事を悟り。

 彼女は、はらりと、透明な涙を流した。

 

「桜。君は自由だ。これからは好きなように生きなさい」

「…………」

 

 喜びもせず、愕然と、呆然と、自失して佇む桜にそう言葉を掛けて、切嗣はまた別の仕事に出掛けた。

 桜は切嗣のその背中をただただ見詰め、見送る。

 彼の背中は――桜にとってとても大きくて。とても、広くて。正義の味方そのものに見えた。

 

「っ……! っっっ……!」

 

 やがて桜は崩折れて、跪き、滂沱の涙を流して嗚咽を溢した。両手で口を噤んで必死に声を抑え、そして桜の泣き声を聞き駆けつけてきた士郎とイリヤが宥め始めるまで、彼女は泣き続けた。

 

「お父さん……っ! お父さん……!」

 

 この時。桜は真の意味で、切嗣を父親だと認識したのだ。

 

 遠坂桜が。間桐桜が。『衛宮桜』を、本当の自分だと定めた瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




慎二くんは、普通の天才少年として、魔術を知らずに生きていく。

次回は士郎、イリヤ、桜、カレンが主軸かな。
以後切嗣はメインにならなくなります。切嗣は皮肉にも、桜にとっての正義の味方になっている自分に、まったく気づいていなかったり……。


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後日談。衛宮士郎と導きの星

イリヤ・桜・カレンのメイン回はまた今度……!




 

 

 

 

 

 容赦なく顔面を抉る大拳の衝撃で、衛宮士郎は床の上に倒れ伏した。

 

「がっ……」

「筋は悪くない。だが、良くもないな」

 

 無論、手加減はされている。当然だろう、士郎はまだ十歳なのだ。大の男が手加減もなしに、未成熟な少年を本気で殴りつければ、最悪死亡してしまうリスクがあるのだから。

 しかも相手は歴戦の代行者。精神的な充足が足りている為に、聖堂教会勢力の埋葬機関にて弓の称号を持つ、最高格の代行者にも互角以上に渡り合える精鋭である。全盛期の言峰綺礼ならば、たとえ相手が不条理に生きる化外であろうと、一撃で仕留め得るのだ。

 綺礼は士郎を容赦なく打ち据えつつ、無表情に士郎の才能を評する。平凡だな、と。子供だから肉体的には仕方ないにしても、反射神経や学習速度などは凡骨の域を出ないと残酷な現実を告げる。

 士郎は歯を噛み締める。疲弊している体に気力を注ぎ、無理に立ち上がって綺礼と相対した。

 

「それでも、俺は……!」

「半年ほどお前に稽古を付けてやっているが……はっきり言おう。衛宮士郎、お前に才能はない。腐らず鍛錬を積めば、一定の力量を身につけられはするだろうが、精々一流止まりだろう」

「関係ない。俺は、皆を守れるようになりたいんだ! ……切嗣みたいに!」

「心意気だけは立派だな。いいだろう、お前が折れない限り付き合ってやる」

 

 執念に似た狂気、狂気に等しい強迫観念。平凡に生きてきた少年の身には有り得ない、尋常ではない気迫を滲ませる士郎に、綺礼は淡々と応じた。

 

 ――半年前から、綺礼は士郎に戦闘の心得を叩き込んでいた。師事を仰がれたからだ。

 

 過去は切り捨てられない。切嗣の養子である士郎には、切嗣に纏わる因縁が襲い掛かる。

 事実半年前に、切嗣への復讐を目論んだ魔術師――嘗て切嗣に尊敬する父を奪われ、魔術使いに身を窶した男が襲撃してきたのだ。切嗣はその時、時計塔にてケイネスが巻き込まれた事件にて、救援に出掛けている最中であった。普段から便利に扱ってきたケイネスに、借りを少しは返しておこうと思ったのだろう。だから衛宮切嗣は不在であった。

 男は、はじめから切嗣の不在を知っていたらしい。復讐のために、まずは彼の身内から狙ったに相違なかった。だが衛宮邸には久宇舞弥がいた。彼女は日常の中でも勘を鈍らせず、不意の襲撃にも即座に対応してイリヤや桜、士郎を守り通した。

 しかし舞弥は重傷を負ってしまい、カレンを連れて近くに来ていた綺礼が助けに入らなければ死亡してしまっていただろう。士郎はこの時、護られるだけの自身の弱さを恥じた。そして復讐者を一撃で仕留めた綺礼を見て、彼に家族を守る為の力を授かろうと考えたのだ。

 

「お前には才能がない。だが――喜べ少年。お前には戦士としての才がある」

「……? 戦士としてのって、どういうことだよ。才能はないんじゃなかったのか?」

「ああ。憐れなほど専門技能を習熟する才能がないな。だが戦士とは、一つの技能のみに長けているものではない。お前が最も優れているのは、手持ちの手札の運用だ。機転は利く、視野も広い、度胸もある。故にそれを活かす為に一技能に拘泥するべきではない。私の教える八極拳だけではなく、衛宮切嗣から分析技能と戦闘論理を、魔術の師であるアーチボルトからは魔術をよく学べ」

 

 綺礼は真摯に伝えた。士郎がどこか、不思議なシンパシーを感じる相手だからだろう。

 彼はこの少年を気に入っていた。幼い故のひたむきさで、破綻者としての気質を隠す様子もなく露わにしているから。あるいは、先天的にか後天的にか、綺礼と同様に壊れているからか。

 士郎という破綻者を導けば、自らに道を指し示してくれた御方に、少しは恩を返せる気がする。そうした欺瞞、偽善、自己満足がある故に、綺礼は士郎への指導には聖人めいて誠実だった。

 

 士郎は、綺礼からの助言を真剣に聞いた。

 

「――ふむ。やはりシロウくん、君は凡骨だな」

 

 ケイネスはそう言って、士郎に才能がないと断言した。

 

「しかし、一分野に於いてはこの私をも凌駕する素質がある。いいかね、シロウくん。君は魔術師にはなれない。魔術使いにもな。君が目指すべきは、固有結界使いとでも言うべき異能者だ」

 

 彼は士郎の魔術の正体を見抜いた。切嗣から頼まれ、士郎に魔術の指導を施しているが、彼ほどの魔術師なら指導から一週間と経たずに真価を暴くなど容易いことである。

 衛宮士郎は確実に封印指定にされる器だ。固有結界に特化した魔術回路は、あらゆる魔術師が是が非でも手に入れたいものだろう。なんせ固有結界とは魔術における奥義である。()()()()()()()()()な固有結界は、ケイネスですら魅了されかねないものなのだ。もしも士郎が切嗣の養子ではなかったなら、ケイネスも彼を拉致し、自身の為に非道な扱いをしていたかもしれない。

 しかしケイネスは殊の外、士郎を気に入っていた。なぜなら士郎は素直であるし、勤勉であるし、固有結界という一点に於いて明白に己を超える存在だ。この原石を磨き上げれば、どれほどの域に到達するのか目にしたいと思う。日本人への偏見があっても、士郎だけは例外だと思うぐらいには特別扱いをしていいとも考えている。

 

 ケイネスが調べた限り、士郎の体質はやはり異質だった。

 魔術回路が通常の神経と一体化しており、切嗣が魔術師としての指導を誤っていた為か、二十七本の魔術回路は殆どが眠っている。今はケイネスにより魔術回路は全て目覚めているが……。

 

「君は剣製に特化した存在だ。固有結界を具える故に、世界の異常にも敏い。物体の構造を把握する術に長け、『剣』が起源であり属性でもある為か刃物に纏わる『投影魔術に似た何か』の精度も異様だな――ふむ。君はこの国に伝わる古刀とやらを、日本刀展示会でも回り全て見てくるといい。私が君にしてやれるのは投影魔術と強化魔術、解析魔術の指導だ」

 

 ケイネスは士郎をどのように指導するべきか、完璧に理解していた。

 彼は魔術師としては無能である。ならば持ち得るリソースの全てを固有結界に特化させるまで。

 そのために必要なのは、固有結界の展開に耐える魔力量と、魔術回路そのものの強度だろう。前者は幾らでも融通する術はある。足りないものは他所から持ってくればいいだけなのだ。故に問題は後者の方であり、こちらは切嗣が施していた誤った鍛錬方法――本来なら無駄でしかない、魔術回路を一から造る作業を熟していけば、自ずと必要な強度は身につくだろう。

 無論、そんな修行は命の危険がある。だがケイネスが傍にいれば、そのリスクを限りなく些少なものへと抑えることは可能だ。大事なのは『誤った修行法を、確固とした理論で固め、最適化して効率を高める』ことである。その一環として、ケイネスは言った。

 

「シロウくん、君は魔術の鍛錬に際して、必要な集中力を養うといい。それがあれば大成する。いやこの私が大成させてやろう。私の指導について来るのなら、五年後までに固有結界を展開可能な域に導いてみせようじゃないか。無論使えるだけで、使いこなせるとは限らんわけだが」

「……はい! よろしくお願いします、先生!」

「うむ。気持ちのいい返事だ。……この家が嫌になったら私の許に来なさい。ソラウと娘共々、君を我が一門に迎え入れるのも吝かではないのでね」

 

 ケイネスは満足げに頷いた。隙あらば士郎の血を一族に加え、固有結界の継承に向けた布石を打つのも忘れない。彼は貴族なのだ、優れた血を外部から取り入れるのに抵抗はなかった。

 ――ついでに修行を見てやっている、衛宮桜。おまけに衛宮イリヤスフィール。彼女達と魔力のパスを繋いでやれば、士郎の魔力量に関する問題も解決するだろう。第四次聖杯戦争で、騎士への魔力供給をソラウに任せていた時と同じ要領でやればいいだけの話である。ケイネスにとっては朝飯前だし、イリヤや桜は、自身の魔力量をまるで活かせないだろうから問題にもならない。

 

「……士郎。本当に、いいんだね?」

「ああ。切嗣はこれからも、何かと忙しいんだろ? だったら切嗣がいない時も、いる時も、俺が皆を守れるようになりたいんだ。だから、頼む。俺を鍛えてくれ」

「……分かった。言峰やケイネスに師事してるぐらいだ、どうせ止めても無駄なら、むしろ徹底的に鍛えた方が良さそうだからね。でも士郎、僕は手加減してやらないからな?」

「分かってる」

 

 切嗣は、士郎の真っ直ぐな目を、眩しそうに見た。

 彼はどうやら、自身を地獄から救い出した切嗣に、憧れてしまっているらしい。面映い反面、気まずくもある。士郎が身寄りを失くしてしまったのは、自分のせいだと切嗣は感じていたからだ。

 しかも彼の起源や属性が、切嗣が聖剣の鞘を数年間も埋め込んでいたせいで変化し、剣という鋼めいたものに変質してもいる。聖剣の鞘は今更ながら外部に保管しているとはいえ、彼の在り方をも変容させてしまった疑いがあるとなれば後ろめたさも感じた。

 だから士郎の訴えに耳を貸す。必要なら力も、知恵も貸す。鍛えてくれと言われたら鍛えよう。養父として情けないし、誠実さにも欠けるが、切嗣なりに士郎の親になる努力の一環だった。

 

 とはいえ無理な話なら無理とは言う。士郎のためになるなら出鱈目を吹き込みもするだろう。彼としては士郎には普通の少年になってもらいたかったが、それが望めないとなれば諦めるしかない。

 それに自分の留守を預かれるのが、舞弥の他にもう一人いたなら、心強いのも確かだった。おまけに士郎は刀剣以外には倍の魔力を要するとはいえ、起源弾をも投影してのけている。士郎がいるから切嗣は起源弾の在庫がなくなる不安とは無縁になれたし、助けられてばかりでは親として情けないだろう。ここは親として、士郎の望む在り方――家族の味方――の為に骨を折ろう。

 

 斯くして、衛宮士郎は修行マニアと称されるような、勤勉過ぎる少年へと成長した。

 

 体術は言峰綺礼に。

 魔術はケイネスに。

 戦術は衛宮切嗣に。

 

 それらを日々必死に学びながら、異能者である衛宮士郎は長じていく。

 来たる運命の日、英雄への階が待ち受けることを知らぬまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シロウ。お姉ちゃんは悲しいよ」

 

 今年で十五歳になる中学三年生、衛宮イリヤスフィールは可愛らしく頬を膨らませていた。

 彼女は近所で評判の、銀髪赤眼の美少女である。今のイリヤには幼少期の、欠食児童に等しい矮躯の名残はない。健康的に育った彼女は、麗しの姫君に相応しい恵体へと成長を遂げていた。

 生前の母アイリスフィールによく似た風貌で、闊達によく笑い、よく遊び、よく怒る、豊かな感情をそのまま表情にする天真爛漫な少女だ。父からの溺愛ぶりをウザったがり、箱入り娘にしようとした父への反抗期に入ると、とある女性の影響もあり剣道を始めたイリヤは、普段から雪のように白い髪をポニーテールに纏めるようになった。

 そんな彼女は、衛宮家の複雑な姉弟関係で長女(トップ)に君臨する、天性の暴君(アネキ)肌だった。腰に手を当て不満を訴え出したら最後、自らの言い分を押し通さなければ気が済まない。彼女に正座させられている士郎は、どうやって機嫌を直してもらうか頭を悩ませた。

 

「悲しい? どうしたんだよ、いきなり」

 

 彼としては全く意味が分からない。晩飯の仕込みをしていたら突然呼びつけられ、こうして説教されそうになっているのだ。前後の因果関係にまるで理解が及ばず、士郎の顔に疑問符が出ていた。

 ――聖剣の鞘が体内にない為か、彼の肉体的成長は阻害されておらず、無事に成長期に突入し身長が伸び出している。最終的には187cmにまで達する士郎の身長は、現時点で175cmだった。

 中学二年生の14歳という身では、かなりの高身長に分類されるだろう。顔立ちも悪くはなく、鍛えている為か精悍な体躯を誇り、おまけに頭の出来も良い方に分類される士郎は、学校でも女子人気がとても高かった。更に人柄を知ればますます入れ込まれる士郎に危機感を持たないイリヤではない。だって士郎は切嗣からの教育で、女の子には殊更に優しく接するのだから。

 

 居間で正座させている士郎へ、イリヤは不機嫌そうな表情で諳んじる。

 

「『可愛い子なら誰でも好きだよ、俺は』」

「ん……?」

「『いや、なに。気づいてはいないだろうが、今のはいい顔だった』」

「あー……」

「……ねえ、シロウ? わたしが言いたいこと、分かる?」

 

 じろりと()めつけられ、士郎は内心憤った。

 

(俺を売りやがったな、慎二……!)

 

 前者の台詞には身に覚えがある。同性で唯一の友人である間桐慎二と、好みの異性に関して話した時のことだ。慎二が『頭が軽くて都合のいい女』を好みだと言ったのに対し士郎はそう返した。周りには誰もいなかった為、慎二からしか漏れない話だろう。

 だが後者は特に覚えがなかった。俺そんなこと言ったっけ? などと首を傾げ、士郎は言い訳は火に油を注ぐだけと判断し、素直に姉貴分へ応答した。

 

「イリヤの言いたいことは分かった。でもそれはさ、慎二と男同士のバカ話をしていた時の台詞だろ? 実際可愛い子が嫌いな男なんかいないって」

「ふーん? さっすが息をするみたいに女の子を口説くだけのことはあるわ。将来はプレイボーイにでもなっちゃうのかな」

「なんでさ。そんな遊び感覚で女の子に声掛けたことなんかないぞ、俺」

 

 言いがかりだ、と士郎は思った。そもそも誰かを口説いた覚えもない。

 だって士郎にはそんな暇なんかないのだ。

 変声期に入っているからか、若干掠れている声で否定すると、イリヤは露骨に嘆息した。

 

「はぁ。駄目だコイツ……早くなんとかしないと……タイガはあてにならないし、桜は甘いし、カレンはアレだし、マイヤは頼りになんない。やっぱりわたしが目を光らせてないと駄目かぁ」

「そこまで言うか?」

「言うに決まってるじゃん。だってシロウ、あんた自分がアヤコを落としたの気づいてないし」

「アヤコ? ……美綴か? なんだよ急に。俺とアイツ、そんなに接点ないだろ」

「今日の体育で、剣道で負かしてたじゃん。悔しがって再戦を挑んだアヤコに、いい顔してるなんて甘い声で言っちゃってさぁ。あの子ってば女傑みたいな気質なだけに、鍛えてる自分に打ち勝つような男の子は気に入るに決まってるでしょ。わたしには分かる、あの子はシロウに惚れた!」

「そんなインスタントに惚れただの腫れただのに発展する訳ないだろ? イリヤは美綴をなんだと思ってるんだ。アイツは一本芯の通った気持ちの良い奴なんだぞ? 軽薄に色恋へ走る奴じゃないって。まったく、イリヤも早とちりして美綴に迷惑かけんなよ」

 

 呆れて肩を竦めると、イリヤは可哀想な奴を見る目で士郎を見下ろした。

 

「……はぁ。ほんと、あんなに素直で可愛かったシロウが……どうしてこう、へっぽこな朴念仁になっちゃったんだか……お姉ちゃんは悲しいです」

「む。朴念仁ってなんだ、朴念仁って」

「――無駄ですよ。先輩は少々お(つむ)が残念なんですから」

 

 当たり前みたいな顔で、居間にやって来た少女が自然な流れで毒を吐いた。

 

 紙袋を引っ提げてやって来たのは、幼馴染の言峰カレンだ。

 ウェーブの掛かった白い髪を伸ばし、セーラー服に身を包んだ少女もまた、イリヤに負けず劣らずの美少女である。イリヤは白い目でカレンを見遣った。

 

「ちょっとカレン? サクラはどうしたの? まさか荷物を全部サクラに押し付けたんじゃ……」

「押し付けただなんて人聞きの悪い。サクラ先輩と違ってか弱い私は、疲れを訴えただけです」

「はぁ……あの子も相変わらず人のいいこと。いいけど、埋め合わせはきっちりしなさい。ウチの妹を都合よくパシリにして、のほほんとしてたら本気で怒るわ」

「まぁ怖い。でも言われるまでもありません。――それよりセンパイ(シロウさん)、今どこまでやってるんです?」

「ん。ああ……メインの仕込みは終わったぞ。後は副菜だけだ」

「それでしたら後は私がやります」

 

 言いながらカレンは台所に入って行った。

 

 言峰家と衛宮家は、家族ぐるみの付き合いがあると言っていい。必然、カレンと衛宮姉弟は幼馴染といった関係に落ち着き、カレンは今や家族の一人に加わっていると言っていいだろう。

 イリヤ、桜、カレン。そして藤姉と士郎に慕われる、今年に高校教師の職を得た藤村大河、衛宮家の母親代わりである久宇舞弥。切嗣達のような大人の男が留守にしがちな為、衛宮家は女所帯と言える状態になっていた。そんな中で男一人で育った士郎は、女性に対する遠慮や隔意を有しておらず、同級生達のやっかみを受けつつも充実した日常を送っていた。

 

 エプロンを纏ったカレンが、未だに正座をしたままの士郎を一瞥し、蔑むように言う。

 

「――イリヤスフィール先輩。センパイは盛りのついた犬みたいなものなんです。どうしても躾けたいなら、いっそのこと去勢するしかありませんよ?」

「あ、カレンも今日のこと聞いてるの?」

「嫌でも耳に届きますよ。センパイ、中学(うち)でも有名人ですから。許嫁の私に、気を遣ったいいお友達がすぐご注進に走ってきてくれました」

「誰が許嫁だ、誰が。そんなの言峰のオッサンが勝手に言ってるだけだろ?」

 

「――言わせていたらいいんですよ、兄さん。カレンさんも勘違いされて困ってるんですから」

 

 カレンに遅れて帰宅してきた桜が、食材を一杯に敷き詰めたビニール袋を両手に二つずつ提げ、居間を横切り台所に向かう。

 おかえりー、とイリヤと士郎が口を揃えて言うと、ただいまと桜は幸せそうに微笑んだ。

 桜はまだ13歳でありながら、既に成熟の兆しを発する肢体の持ち主だ。穏やかで落ち着いた物腰はともすると大人の色気を感じさせる。だが見た目で騙されてはならない。桜は舞弥の弟子として軍隊式格闘術を修め、架空元素・虚数の属性魔術を極めようとしているのだ。単純なフィジカルの強さでも士郎に次ぎ、桜を舐めて掛かれば大の男でもノックアウトされてしまうだろう。

 

 その桜は、優しい眼差しのままカレンを横目に見る。

 優しいのに、ゾッとする闇の深さを感じさせる声と眼だった。

 

「比喩でも兄さんを盛りのついた犬なんて言ったんです、カレンさんが下らない勘違いをしているはずなんてありませんよね。もし勘違いしていたなら、調教が必要なのはどちらになるやら」

「あら、私が勘違いなんてするワケないでしょう? 桜さんは何を言っているんですか?」

「やっぱり。勘違いなんかしてないんですよね? ああ……安心しました。大切な幼馴染に、躾をしないといけなくなったら、わたし……悲しくて胸を引き裂いてしまいそうでした」

 

 うふふ、うふふふふ……。

 微笑み合い、肩を並べて料理に移る二人を横目に、士郎は「仲が良いな、相変わらず」と呟く。

 マジかコイツ、といった思いで、白目を剥きつつイリヤは天を仰いだ。

 どこが仲良しだ。寧ろあの二人は不倶戴天の仇敵同士なのに。士郎がいるから何も起こっていないだけで、もし士郎を巡って何かが起これば、行き着くとこまでノータイムで行きゴールをキメる。

 

「……もういいわ。士郎のことはもう諦める。お姉ちゃんは降参するから、絶対巻き込まないで」

 

 ――とか言うイリヤが、最も危うい意味で士郎に執着していることを、まだ誰も気づいていない。

 イリヤ自身も自覚がなかった。一番大人で一番お姉ちゃんな自分が、まさか義弟に対して格別に重い想いを懐いているなどとは、夢にも思わずにいる。

 

「シロウ。今日はキリツグとマイヤが帰ってくるんだから、きちんとご飯を用意するわよ」

「ああ。今度こそ皆で、切嗣の舌を唸らせてやろう」

 

 正座はもういいと、手をひらひらと振って示したイリヤが、士郎を伴い台所に入る。

 四人もいると狭く感じるが、それぞれが勝手知ったる間柄だ。邪魔に感じることはなく、それぞれの役割を熟していった。

 

 

 

 士郎は皆で過ごすこの時間が好きだった。狂おしく、大事だと思っている。

 

 

 

 だから――幸福の中にいると、不意に叫び出しそうになった。

 

 幸福を感じる度に、憤りから自分の首を絞めたくなる。お前はそんな幸福なところで何をしているんだ、と――自分自身に、かたちのない罪を告発されているようで。

 

「シロウ?」「センパイ?」「兄さん?」

「――いや。なんでもない」

 

 士郎は同時に自分を心配してくる少女たちに、薄く微笑む。

 

 衛宮士郎は、どうしても、『幸せ』な世界が苦しかった。

 

 故に。

 

 ――士郎を救えるのは、過酷な旅を齎せる、運命の乙女だけなのだろう。

 

 遠くに聞こえる鐘の音。遠くに見える青い星。

 聖剣の鞘を体内に埋め込まれたあの日から、衛宮士郎は漠然と導きの光を予感している。

 今はまだ、全て遠い。理想郷の果てから光を照らす星に、士郎はずっと手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 



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後日談。真人間な慎二と、破綻者な士郎。

 

 

 

 

 

「なあ衛宮。ちょっと頼みがあるんだけどさぁ」

 

 一年前のことだ。ニヤニヤと嫌らしく笑いながら、級友の男子三人が士郎に絡んでいた。

 見るからに頭の中身が軽そうな、相手を舐め腐った態度である。成長期に入る前の士郎は同年代の中でも小柄であり、それ故に侮られていたのかもしれない。事実、人からの頼み事を断った試しがない士郎は、その人の好さを良いように利用されがちだった。

 今回もそうだ。男子達は文化祭で必要になる看板制作を担当していたが、面倒臭がってまともにやろうとはしていなかった。そこで小柄な士郎に、自分達の仕事を押し付けようとしているのだ。

 

「いいぞ」

 

 同級生達の思惑など関心も持たず、士郎は訳も聞かずに快諾した。聞き分けの良さに同級生達は顔を見合わせ、話が分かるなぁとせせら笑いながらさっさと下校していく。罪悪感など微塵もない様子ではあるが、やはり士郎は毛筋の先ほども気にしていなかった。

 やがて日が沈んだ頃、一人で作業を終えた士郎は後片付けに移った。その時だ、誰かが教室に入ってくるなり、士郎の作った看板を見て声を掛けてきた。

 

「――へぇ。いい仕事してんじゃん」

 

 癖の強い髪の少年だ。容姿の整ったその少年は、士郎の仕事を皮肉げに誉める。

 

「馬鹿に仕事を押し付けられた馬鹿にしてはね」

「そりゃどうも。お前は……確か間桐だっけ。こんな時間に来て、なにか用でもあるのか?」 

 

 あるわけないじゃん、と少年は失笑する。

 あからさまに馬鹿にした台詞に、まるで反応しない士郎を少年は嘲った。

 

「あんな馬鹿共にいいように使われちゃってさぁ。とんだお人好しもいるもんだなって、からかいに来ただけだよ。なんなのオマエ。悔しくないのかよ?」

「別に。アイツらにもアイツらなりの用事があったんだろ」

「はあ? あるわけないじゃん。アイツらは自分の役割も果たせない、群れてイキってるだけのド低能に決まってる。んで、その低能に使われてるお前も低能だよ。そこそこ良い仕事できてんのに、都合よく使われてるの見たら嫌味の一つでも言いたくなるだろ?」

「――なんだ。俺がやってたこと、全部見てたんだな」

 

 遅れて士郎は気づいた。少年は恐らく、偶然クラスメイト達に仕事を押し付けられるところを目撃してしまったのだろう。そしてこんな遅くまで、ずっと見ていてくれたのかもしれない。

 クラスメイト達を咎めるでもなく。士郎を手助けするでもなく。ただ士郎が仕事を終えるのを、口出しすることなくずっと見ていたのだろう。そのことに気づいた士郎はフッと笑みを溢した。

 

「お前、良い奴だな」

「……はあ? なに、オマエ……頭大丈夫?」

 

 お世辞にも良い奴認定されるような事はしていない。

 なのにそう言った士郎に、少年は胡乱な顔をした。

 

 ――それが衛宮士郎と、間桐慎二のファーストコンタクトだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんとなく気に入った。

 慎二が士郎とつるむようになった理由はそれだけだ。

 

 慎二には同性の友人はいない。なんせ慎二の性格が悪いからである。

 

 大抵のことは努力するまでもなく良好な結果が手に入ったし、その気になれば一番の座を得るのは容易かった。だから必死に努力する奴が馬鹿に見えて、努力すらしない奴は露骨に蔑んだ。そしてそういう嫌味な部分を、特に隠そうともしていなかった。

 おまけに慎二は容姿にも優れており、家が地主なだけあり羽振りがいい為か異性からもモテた。嫌味な奴がモテているのを見て、気持ち悪い笑顔を浮かべ仲良くしようとする奴など、おこぼれを狙う馬鹿しかいなかったのだ。そしてそうした手合いに容赦してやる慎二ではない故に、躊躇なく切り捨て馬鹿にしていた。それで仲の良い同性の友人なんて出来る訳もなかった。

 だが、慎二が珍しく興味を覚えて嫌味を言った奴、衛宮士郎は違った。慎二の嫌味をまるで気にしていないし、慎二に付属する様々な付加価値を意にも介していなかった。ただただ間桐慎二という個人だけを直視して、対等に向き合おうとしてくるのだ。慎二はそれが気に入った。素直には認めないが、慎二は士郎を友人だと認めているのである。だから――

 

「――ねぇ、シンジ。あんたシロウの友達なんでしょ? ならシロウの性格を利用するサイテーな奴らからさ、庇ってやってくれない?」

 

 同校の高嶺の花。本物のお姫様みたいに可憐な先輩にそう言われても、慎二は相手にしなかった。

 

「は? なに言ってんですか、先輩。なんで僕がそんな面倒なことしなくちゃなんないです?」

 

 先輩だから敬語で話す分別はある。しかし友人の姉だからと敬意を払う慎二でもなかった。

 ムッとした様子の先輩に、慎二は鼻を鳴らす。

 

「つるんでやってるからって、なんでアイツが勝手に引き受ける面倒事に、僕が骨を折ってやんなきゃなんないんですかね。嫌ですよ、僕は。――お友達だから手伝ってやる、なんて。そんなの押し付けの善意みたいで気色悪いじゃないですか」

「……ふーん?」

「なんですか? 言いたいことあるならはっきり言ってくださいよ」

 

 弟を不心得者から庇ってくれと依頼され、断られた時は不機嫌そうな表情をした先輩だったが、慎二の返答を聞いて意地悪そうな表情にシフトしていた。

 それに嫌な感覚を覚えた慎二が促すと、先輩は意地の悪い笑顔で言った。

 

「べっつにぃ? 単にあの子にもやっと、()()()()()()()してくれる友達が出来たんだなって、ほんのちょっと嬉しくなっただけよ」

「……もしかしてあんた、妄想癖でもあったりするんですか? どこをどう聞いたらそう解釈できるんですかね」

「あはは。やっぱりシロウと友達になるような奴って、どこかしら捻くれてるものみたいね。なんだか安心したわ。これからもよろしくね、シンジ?」

「話聞けよ」

 

 イライラして言うも、先輩は後ろ手にひらひらと手を振って立ち去った。

 

 いつもの慎二なら、女なんかにあしらわれたら嫌味の一つでも言っているところだ。

 しかし余計なことは言わない。言ってはならない。何せ慎二は、アイツはなんかヤバそうだと、友人の義姉に対して不穏な気配を感じたのだ。条理の内の事項には天才的な才覚を有しており、説得力こそないものの名探偵じみて洞察力の鋭い少年である。彼は短い時間で言葉を交わしただけで、友人の姉に関する人物像をある程度掴んでしまったのだ。

 ヤバい姉貴がいるんだね、と士郎に同情する。だってあの先輩は無自覚に過保護なのだ。おまけに先輩の士郎を見る目は、完全に女が男を見る目である。女にモテる慎二には分かる、アレは完全にロックオンしている目だと。血の繋がりはないらしいから全然セーフではあるのだが、滅茶苦茶ヤバいのは先輩は姉としてしか気にしていない、といったスタンスなことだ。

 無自覚な恋をしてる微笑ましい女――浅く見ればそんなもの。恋に恋するお年頃と思えなくもないのだが、生憎と他人に説明をするのが苦手な、説得力がないバージョンのホームズめいた慎二は直感的に悟っていた。アレは、そんな可愛げのある女ではない、と。

 

 普通の大人、凡人な大衆とは異なる、本物の天才である慎二には分かった。

 

 アレは自覚したら最後、()()()()()()()タイプだ。おまけに障害になるモノの排除を躊躇わないと見た。与太話としてなら楽しめるが、リアルではヤンデレな女とはお近づきになりたくない。

 洞察力こそ超一級ではあっても、慎二は真っ当で平凡な結論を下した。

 慎二には年相応に刺激を求める側面はあるものの、地雷めいた女の面倒臭さを知る身としては、なるべく関わらないのが一番だと理解しているのだ。

 というかそんな身内を持つ相手とは、早々に縁を切るのが大吉だろう。そんなこと、誰かに指摘されるまでもない。幸いというか――いや業腹なのが、慎二から接触を絶つと士郎とは自然と疎遠になると容易く予想がつく。アイツはどうにも不幸になりたがりで、自分は孤立しているのが当然だと考えている節があるからだ。放っておいたら人助けついでに死んでしまいそうである。

 

 だから、慎二は士郎とつるんでいる。

 

 だって気に食わないのだ。間桐慎二(この僕)が士郎のことを認めて、対等なライバルみたいに思ってやっているのに、士郎が自分のことを歯牙にもかけていないのはムカつくのである。

 慎二は我慢した。うんっと我慢した。多分、人生で一番忍耐を振り絞った。

 一年、二年と士郎とつるんでいく中で、士郎が破綻した人間――人間のふりをしているロボットめいた奴だと気づいていき。士郎の中で慎二と赤の他人の価値が等価であることを悟っても。根気強く士郎の中の特別に――友人だと認められようと付き合った。

 だが、無駄だった。士郎はあくまで顔も名前も知らないような奴とか、性根が腐っている奴とかと、慎二が同価値の存在として扱っていた。――あるいは慎二に、魔術などの知識があって。自分は選ばれた存在で特別な人間なんだという自尊心があれば、ここまで士郎に認められようと拘らなかったかもしれないが。そんなたらればを論じる意味はなく、事実として――

 

 ――衛宮士郎は、間桐慎二の価値を、認めなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、衛宮」

 

 ムカついた。

 

「ん。なんだ、慎二」

 

 ムカついた。ブッチンとキレた。堪忍袋の緒が切れて。

 これが最後通牒だと、縁切り絶交の瀬戸際だと暗に告げることにした。

 

「オマエ、その『世界一自分が不幸なんです』って面やめろよ。辛気臭い上に鬱陶しいから」

「……は?」

 

 ムカついたから、喧嘩を売るのだ。

 らしくないにも程がある。この修行マニアの自虐趣味野郎に、頭脳派の慎二では歯が立たないとは目に見えているのに。痛いのは嫌だなぁ、とは思うも、慎二は本当にらしくなく本気だった。

 中学三年生の頃、またぞろ同級生に役割を押し付けられ、一人黙々と仕事を熟す士郎を慎二は心底から侮蔑した。困惑する士郎だったが、慎二は構わずに続ける。

 僕がオマエを認めてやってるんだ、いい加減オマエも僕を認めろよ――なんてことは言葉にしないけれど。頭の悪い馬鹿に、自分は馬鹿なんだと分からせてやらないといけない気がした。

 

「なんだよ急に。俺は別に不幸だなんて思ってないぞ。これだって好きでやってることだ」

「嘘吐くなって。僕はまるっとお見通しなんだぜ? 不幸な自分に酔ってんのは結構だけどさ、それで他人を蔑ろにしてるようじゃ面倒臭い構ってちゃんにしか見えないって分かってる? ウザいんだよ――()()()()()()()()()()()()()みたいな態度は」

「――――」

 

 核心に触れられるとは思わなかったのか。それとも自覚がなかったのか。

 息を呑み、言葉を失った士郎を、慎二は心底から軽蔑する。

 

 ――二人の少年以外、誰もいない夕暮れの教室。慎二は、本気だ。

 

「無駄に自分を傷つけて、他人の苦労を肩代わりして罪滅ぼししてますみたいな態度でさ。自分なんかにダチがいるのはおかしい、自分は孤独じゃないといけない、なんて。全部その仏頂面に出てるのに気づいてる? そういうのさ、普通に考えてオマエの親とか、姉貴とか妹とか、幼馴染とか……ああ、いや、この僕に対して失礼だって分かってんの?」

「……それは」

「分かってないだろ。オマエ、今まで僕が、何回オマエを遊びに誘ってやったか覚えてる? 五回だ。たった五回。でもその度に、オマエさ、何かと理由を付けて断ったよね。やれ修行がある、勉強しないといけない、クラスメイトに仕事を頼まれた……馬鹿にしてんの? 二年だよ二年。二年も交友のあるこの僕の誘いに、一度も応じないとかオマエどうなってんだよ」

「……悪い」

「悪いって思ってないだろ。つまるところさ、衛宮、オマエ……そこらを歩いてる他人と、この僕を比べてさ……どっちも同じ価値しか感じてないんだろ。……馬鹿にするのも大概にしろよ」

 

 剣呑に吐き捨てられ、士郎は今更ながら慎二の正しさを悟った。

 そして、慎二が想像以上に、自分をよく見ていたのだ、と。

 自分ですら気づいていない――否、見詰めていなかった核心に、慎二が辿り着いているのだと。

 

「なあ衛宮。一度しか言わないからよく聞いとけよ。僕のことはおろか、身内まで他人と同価値に据えてるような糞馬鹿野郎のオマエに、当たり前のことを教えてやる」

「……なんだよ」

「オマエが、オマエを、自分で蔑ろにしてんのはさ、周りの奴らまでゴミみたいな価値しかないって思ってる証拠になるんだぜ。衛宮、オマエの自慰みたいな不幸自慢に、僕を巻き込むなよ」

 

 ――カチンと、きた。

 

 図星をつかれたからか。それとも、別の意味があるのか。分からないが、頭にくる台詞だった。

 士郎は立ち上がって慎二を睨む。慎二は最初から士郎を睨んでいた。

 

「……慎二。訂正しろ」

「は? 何をだよ」

「俺の周りの人に、価値がないなんてことは絶対にない!」

「あっそう。で、その周りの奴ってのに、僕は入ってんの?」

「入ってるに決まってるだろ!」

「――嘘吐いてんじゃねぇよッ!!」

 

 士郎から見たら突如。

 しかし、慎二にとっては当然の流れで、慎二は激高し士郎の顔面に拳を叩きつけていた。士郎には慎二の拳は止まって見えていた。それでも敢えて受けたのは、避けたらいけない気がしたからだ。

 堪らず仰け反った士郎を他所に、恐らくはじめて人を殴っただろう慎二は、殴った拳を痛そうにしていた。それでも、怒りを露わに睨む目から力は失われない。

 

「アッタマきた。頭にきた。ああもうダメだわ。許せない。僕の時間返せよ、僕の二年間を返せクソ野郎。時間を無駄にした、もうウンザリだ。こんな馬鹿に関わった僕も馬鹿だったよ」

「お、おい慎二……」

「うるさい気安く名前で呼ぶな話し掛けるなこっち見るな、オマエがその気ならもういいよ、金輪際僕からオマエに話しかけたりなんかするもんか。ふざけんな、人を馬鹿にすんのも大概にしろ」

 

 慎二はキレていた。上っ面だけの言葉に、本気で激怒していた。

 鼻息荒く教室を後にし、呼び止めようとする声を無視し、肩を掴もうとする手を躱した。

 士郎は慎二が怒った理由が分からなくて呆然とする。ただただ教室に一人きりで残されて。

 呆然としたまま、友人が怒っている理由を考えた。

 

「――あーあ。あーあ、ですね。センパイ」

 

 ひょっこりと顔を出した幼馴染に、士郎は愕然としたまま目を向けた。

 

 言峰カレンは、にっこりと機嫌良さげに――いいものを見たとでも言うように、微笑んでいた。

 数年来の友人と破局した場面は、彼女にとって愉しいものなのだ。

 だが、だからこそ、聖人を父に持つ彼女もまた聖女なのである。

 カレンは、にっこりと微笑みながら士郎に手を伸ばす。

 長年着手していた、衛宮士郎真人間化計画が、ポッと出のワカメ頭に加速させられた失態を悔やみつつも、どうせなら協力してもらおうと打算を張り巡らせつつ、聖女は子羊に歩み寄る。

 

「こんなことになっても、まだ自分の何が悪いか分からないバカなセンパイ。相談があるなら、この私が聞いてあげますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 




慎二を綺麗にし過ぎたかなと思うも、魔術とか桜とかがいない慎二は、割と唯一の友人には執着するかなと思いこんな感じになりました。


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後日談。言峰カレンと、宝石少女。

 

 

 

 

 

 言峰カレンにとって最も幸運だったのは、祖父の言峰璃正と出会えたことだろう。

 

 嘗てはともかく、カレンの知る祖父は立派な聖職者だった。信仰の道を強要することはなく、生き方を強制しようとすることもなく、無条件に孫娘を肯定し、されど過ちは正しく指摘する。

 そんな、本当の意味で優しい人だった。

 甘いだけではなく厳しさもあり、彼は心の底からカレンの成長を願っていた。純粋にカレンの幸せを祈り、カレンから求められない限り助言もしようとはしない。決して過保護にはならず、カレンの自主性と自己肯定感を高めることに腐心して、子供に必要な言葉と愛情を惜しまず注いでくれた。彼ほど立派な大人はいないと、カレンは今でも強く確信している。

 カレンの性は親に由来するが、育まれた精神性と在り方の根幹には間違いなく祖父がいる。百の言葉を費やすまでもなく、カレンが祖父に対して懐く想いは一言に集約できた。お祖父様を、心から尊敬しています、と。人としても、聖職者としても。

 だから必然である。カレンはお祖父ちゃんっ子になった。たとえどんな時だろうと、祖父の言葉にだけは真剣に耳を傾け、自分なりに咀嚼し、自分なりに取り入れるようになったのだ。そんな祖父の遺した一つの金言を、自らの人生の指針にするほどに。

 

『欲しいものがなんでも手に入るのが幸せとは限らない。カレン、私はお前が手に入らないものの為に祈れるようになることを願う。真心とはそういうものだからだ』

 

『いつかお前も誰かに恋をし、或いは愛するようになるかもしれない。だがその人の幸福を心から祈れるようになれていれば、言峰カレンという人間は人生で何も失うことはないだろう。得られるだけの、満たされた人生になる』

 

 祖父は去年、亡くなった。ベッドの上で大往生を遂げた祖父が、最後に遺した言葉がそれである。

 不思議とその言葉が頭から離れなかった。なぜなら祖父の没後、暫くは心が沈み、毎日を祖父の冥福を祈ることに費やしていると、祖父の言葉に嘘があると思ったからだ。

 だってカレンは失ったのである。人生で最も尊敬している人を、死別という形で。得られるだけの人生なんてないと、強く思った。そして――きっと、嘘だからこそ真理なのだとも思った。

 

『お前は何を嘆く。なぜ嘆く。父上――お前の祖父の遺した言葉と、そしてその記憶はお前の中に残り続けているのだろう』

 

 非常に癪だったが、父の言葉で蒙が啓かれたのだ。祖父は亡くなった、けれど祖父と過ごした時間は決してなくならない。今もカレンの中で、祖父の言葉と、思い出は生き続けている。

 なら――嘆かなくてもいいのだ。悲しみこそすれ、死別して嘘を吐かれたと思い、祖父を否定なんかしては、それこそ大事な思い出を否定することに他ならない。

 

「ふふ……」

 

 だから、カレンは別に、衛宮士郎の心を手に入れることに、決して執着などしていなかった。

 士郎は父に引き合わされた少年だ。お前の夫になるかもしれない少年だ、許嫁に近いだろうと父に言われ、気に食わない父の思惑を潰すために、当初は士郎を否定してやろうとしたものだ。

 だがカレンは士郎を気に入った。

 はじめはなんでも我儘を聞いてくれる、弄り甲斐のあるオモチャとして。

 父に鍛えられる中で、歪んだひたむきさを発露しているのを見てからは、面白い少年として。

 士郎が自己犠牲に腐心する様を見てからは、なんだか気に入らない存在として。

 気に入らないのに気に入ったのだ。たぶん、自分よりも早く、祖父の最後の言葉を体現しているその少年が――その実、何よりも裏切っている在り方に感じるものがあったのだと思う。

 

 カレンは微笑んだ。彼のために祈れるかと問われたら、カレンは祈れると断言できるだろう。自分が士郎に恋しているのかは知らない。愛してはいないと思うが、慈しんではいると思う。どこかが壊れているこの少年の心を修復してやれたなら、自分は何かを得られるはずだという確信があるのだ。その何かをカレンは求めている。それはきっと、とても尊いものであるはずだから。

 

 ――まあ。仮にカレンと士郎が恋仲になれば、とある二人の幼馴染の、面白い顔が見られるだろうとは思うけれども。今はそんなことはどうでもいいとも思っている。今優先すべきは、そんなことなんかではないと分かっていた。

 

「間桐先輩、随分とイイ性格をしたヒトなんですね」

 

 間桐慎二。士郎と同い年の、現状だと士郎の唯一の友人。彼はなぜかカレンや桜、イリヤを見ると嫌な顔をして離れていくため、まともに会話したことはない。だが士郎みたいな破綻したヒトと交友を持ち、友人になっているのだから変わり者だろうと思っていた。

 だが意外や意外、慎二は予想よりも遥かにまともで、遥かに善良だった。普通なら気づくはずもない士郎の破綻に気づき、わざわざそれを指摘してくれた挙げ句、自身に損しかないはずの立ち回りをしてくれている。本当に、士郎にとって得難い友人だろう。

 間桐慎二は多くの人が得ることなく終わる、『本当の友』に成れるヒトだ。性格的な相性さえ合えばだが。そんな稀有な人と士郎が関われたのは、とても幸運なことであるとカレンは思う。

 

「果たしてシロウさん――センパイは、あの人と仲直りできるのでしょうか。ふふ……私には分からないけれど、主に……いいえ、お祖父様に祈るぐらいはしてあげますよ、センパイ」

 

 教室から飛び出していく士郎の背中を見送りながら、カレンは独語する。

 士郎に相談を受け……というより、半ば無理に本心を聞き出したカレンは、士郎へ自分なりの意見を伝え助言を与えた。果たして上手くいくかは分からないが、いい方向に転がればいいと思う。

 今日は焼き肉だ。父に影響されて好物が一緒になったのは気に食わないが、食べ物に罪はない。慎二と士郎が仲違いする場面を思い返しながら食べれば、きっとかなり美味に感じられるだろう。

 人の不幸は蜜の味。幸せがあればブチ壊してやりたくなるが、壊れたなら直してやるのが信条だ。なんせ直したらまた壊せるし、壊したらまた直せる。実に有意義だった。

 

 性悪な自覚はある。だけどやめられないし、そもそもやめる気もない。

 

 カレンは今、十三歳だ。同級生の友人達の恋愛模様に助言して、仲を成立させる名人として頼られるようになっている。両者の間にある陥穽を意図して見過ごし、最終的には破局させることに愉悦する性悪娘であるが、慰めて次の恋に目を向かせる名人でもあった。

 同級生女子の中心的存在になっているカレンにとって、そうしたお遊びが一番の趣味で。浅い経験値だが、積み上げたノウハウを駆使すれば、同年代の少年少女に限り、その人間関係の一つや二つは壊すも直すも自由自在である。

 最後に幸せになっていたらオールオッケー。そんな信念の下、彼女は士郎の最初にして最後になるかもしれない友人と、仲直りができるように真摯に祈ることにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなカレンが今現在、餌食にしている相手がいる。

 

「んぅぅっ! 美味っしいわねこれ!」

 

 今回焼き肉に誘った、一つ年上の友人だ。カレンの奢りということもあり、タダ飯にありついているその少女は極貧生活に身をやつしている。

 頬を押さえて感激しているその少女は魔術師だ。カレンとの関係は、同じ師から八極拳を指導されている姉妹弟子というもの。

 彼女は金食い虫の宝石魔術を修めており、一般人からすれば豊富な収入源を有しているものの、宝石魔術の研究のために莫大な資金を必要としている為、日々の生活費を切り詰めなければならないほどに困窮している。というのも、彼女の収入源は父の遺した魔術特許料と、幾らかの事業のテナント料しかないのだ。テナント料の大部分をどこぞの魔術師殺しに奪われているのである。

 彼女――冬木のセカンド・オーナー、遠坂凛は自身の貧しさの元凶が、魔術師殺しにあることを知らずにいる。親の仇であることも知らない。おまけに後見人である言峰綺礼の弟子に、仇の養子である衛宮士郎がいることも知らないのだ。そんな彼女が極貧生活をしているというだけで、凛が過ごす日々を見守るだけで愉悦している綺礼の本性にも気づいていなかった。

 

「そうでしょう。この店はあの男のいきつけであることを除けば、文句のつけようがない名店ですからね。出される肉の質も素晴らしいと思いますよ」

 

 カレンにとって凛は生きているだけで、関わっているだけで面白い人である。背景を知っていればこれほど愉快なことはあるまい。故にカレンは、凛に愉しませてもらっているお礼に、たまにこうしてご馳走してあげることにしているのだ。対面で食事すれば飯が美味いという悪趣味さの発露でもあるが、なんだかんだ凛が幸せならそれでいいだろうと理論武装もしている。

 

「……毎回毎回、悪いわねカレン。はぁ……後輩にご飯を奢らせるなんて、こんなの全然優雅じゃないわ」

「ですね。そんなトオサカ先輩が学校だとマドンナ扱いされて、淑女みたいに振る舞っているのを見ると、笑いが込み上げてしまい堪えるのが大変ですよ」

「あんた相変わらず性格悪いわね……でも何も言い返せないわ……あー肉が美味しい」

 

 包み隠さず本音で話すと、凛はジト目でカレンを睨む。だが現状だとぐうの音も出ないのだ。凛は家訓である『(前略)優雅たれ』を律儀に守る、根が真面目でひたむきな少女だが、こうして地を出して話せるのは、本性を知っている長い付き合いのカレンぐらいのもの。なんだかんだで親身であり、何かと助けてくれる年下のカレンを、凛は幼馴染としても友人としても信頼していた。

 いわゆる気の置けない友人というやつだろう。にこにこしながら焼き肉に興じるカレンとの時間が、凛は決して嫌いではない。八極拳での腕はほぼ互角で、学年の差を考慮しなければ勉学でも対等なのだ。凛にとってカレンは得難い存在であり、父の死後から儚くなった母のこともあって、カレンといる時間が数少ない気が休まる瞬間になっていた。

 

 カレンもまた、凛を良き友人だと思っている。あくまで彼女なりに。知らない方が幸せな真実というものはあるのだと、凛を通して学んだりもした。何より全く魔術師らしくない凛の気質が、なぜだかカレンの琴線に触れている。たとえば、()()()()ところとか。

 

「――ねえ、カレン。桜は元気にしてる?」

 

 ふと、凛がそう訊ねてくる。彼女は血を分けた実の妹、桜の近況を時折聞いてくるのだ。

 そうした部分も、カレンは気に入っている。

 

「ええ、とても。元気過ぎて、年々フィジカル面でも手強くなってますよ」

「そ。ならいいわ」

 

 なんだか寂しそうに聞いてくる凛の顔を見ていると、肉が美味くて仕方がない。なんだか味のグレードが上がっている気がしてくるのだ。

 

 ――クッ! この肉汁が私を狂わせるんです……!

 

 それはそれとして、桜が本気で手強いのは事実だ。物理的に。

 ファザコンでありブラコンでもある桜は、幼少期の荒療治の結果、日常的に鍛錬を積むようになった修行マニア二号機である。久宇舞弥を母親代わり兼、師匠として格闘術を学び、効率的に人体を破壊する技能を修めていた。対人戦に限定するのなら、マジカル八極拳とロンドンのエルメロイⅡ世に称された拳法の使い手である、カレンや凛よりもやや上手かもしれない。

 他にも銃器に纏わる技能や知識にも造詣が深い。どこを目指しているのか分からない――いや普通に切嗣を目指しているのだろうが――乙女としてどうなんだと思わなくもない、迷走気味な少女が衛宮桜である。本気でやり合うとなれば、カレンも父親仕込みの代行者スタイルを披露するしかなくなるだろう。士郎が関わると、ちょっと面白すぎて永遠にからかいたくなるほどだ。

 

 凛が綺礼から聞かされている桜の背景は以下の通り。聖杯戦争で間桐が壊滅し、身柄が宙ぶらりんになった桜を、衛宮家が保護した。衛宮家が桜をどうするかは、自分や娘のカレンで見張ることにしている――というもの。全て事実であり、凛は割と素直にそれを信じた。

 一応、彼女も遠目に桜を見守ってはいたそうだが、桜が幸せそうにしているのを見て関わらないようにしているのだ。だから身近で桜の友人をしているカレンに、時々近況を聞きたがる。遠慮なく話しかければいいというのに、それをせずにいてしまうのは、『遠坂家から養子に出されてしまった妹』を、彼女が可哀想に思ってしまっているせいかもしれない。

 むしろ可哀想なのは遠坂先輩ですよとは言わないカレンである。間桐家で桜がどう過ごしていたかなんて知らないが、少なくとも今現在の状況だけを切り取って見ていると、桜の方が何不自由なく充実した日々を送れているはずだ。――やはり凛と食べるご飯は美味い。

 

 とはいえ自分ばかり楽しんでいても悪い。焼き肉を奢ってはいるが、これではまるで釣り合いが取れていないと思うのだ。なんだかんだ天秤の傾きを対等に保つ努力はする主義である。

 よってカレンは凛に伝えておくことにした。

 

「――ああ、そういえばトオサカ先輩に伝えておこうと思っていたことがあるんです」

「なによ?」

 

 楚々として微笑むカレンの口の端にはソースがついている。

 それに気づいた凛は半笑いになりつつ応じた。

 

「あの男から聞いたのですが、あと数年以内に聖杯戦争が始まるそうです」

「……なんですって? 普通なら後五十年は無いはずじゃ……いやそうじゃないわ。なぜ後数年で聖杯戦争が開催されるのか、それをどうやって判定したのか、気になる点は色々あるけど……それが分かってるならなんでアイツは私に何も言わないのよ」

「さあ。あの男のことです、どうせいざその時が来たら、慌てふためくトオサカ先輩の顔を見物したかったんじゃないでしょうか」

「……有り得るわね。性根が腐ってるわ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をする凛の口の端にソースがついている。

 それに気づいたカレンは、半笑いになりつつ凛の反応を楽しんだ。

 

 綺礼という性格が終わってる男を貶し、ついでに自身への信頼を深めさせる策だ。カレンは何気ないところから、こうして凛から気に入られようと努力をしていた。

 カレンがなぜ聖杯戦争のことを知っているかというと、綺礼が言っていたからだ。その時が来る前にカレンを海外に留学させると。帰ってくる頃には全てが終わっているようにする為だと。

 色々と嫌がらせばかりしてくるクソみたいな父親だが、命の危険が少しでもあると、父親面をして安全圏に送り届けようとするのがあの男だ。間桐は魔術回路が枯れ果てている為、間桐からマスターが出ることはないだろうから、代わりのマスターとしてカレンが選出された場合は、綺礼が令呪を摘出し、自身がマスターになるつもりらしい。本当に――嫌な男だ。

 

「感謝するわ、カレン。今の内から準備に時間を割けるなら、重畳という他にないしね」

「ですか。でも気をつけてくださいね、トオサカ先輩。普通に戦おうとしたら多分、トオサカ先輩は意外とあっさり殺されてしまいますし」

「……どういうことよ、それ。私が簡単に遅れを取るとでも?」

「さあ? 理由は自分で調べたり、考えたりしてください。これ以上は情報をあげ過ぎです」

「……その口振り、あんたが監督役になるの?」

「まさか。今回はあの男が監督役ですよ。おまけに前回の反省を活かして、神秘の秘匿のために、聖堂教会からは騎士団が派遣されてくることになっていますしね」

「げっ」

 

 露骨に嫌そうな顔をする凛に、カレンは思う。彼女にはもっと愉しませてほしいのだ、こんなところで死んでほしくはない。だから助言はするが、陣営的に言うとカレンも『衛宮陣営』である。

 敵対陣営である遠坂を、取り込めるかはここ数年の働きに掛かっているだろう。カレンから見た凛ならば、聖杯の事情を知ればすんなり味方にできそうなものだが――何を考えているのやら。

 綺礼あたりがまたぞろ悪巧みでもしているのだろうか。それとも――何か別の思惑があるのか?

 ともあれあの衛宮切嗣が、『遠坂家の娘には余計なことは言うな』と言っていたのだ。きっと何か特別な事情があるのは確かだろう。その事情を教えられていないのは不満だし、調べる術もないのは歯痒いが……少なくとも衛宮切嗣は、無駄なことをする男ではない。

 

 なら――

 

(――衛宮切嗣と、あの男。そしてアーチボルトさんの三人がいてなお、油断ならない事態を察知しているということなんでしょう。……死なないで下さいね、トオサカ先輩。貴女のこと、私は私なりに気に入ってるんですから)

 

 カレンは内心、そうひとりごちた。

 

 

 

 

 

 



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番外stay night zero編
前日談。桜と、桜の――


 

 

 

 

 

「心して聞き給え。サクラくん、君の魔術属性は『架空元素・虚数』という、極めて稀なものだ」

 

 養父ほどではないが、素直に尊敬する魔術の先生はそう言った。

 険しい表情である。同時に憐れむような、それでいて妬むような、羨むような眼差しをしていた。

 

「君は魔術師の家門の庇護がなければ、善からぬモノに付け狙われ破滅するだろう。そういう点で言えば君は幸運だ、この私に教えを請える立場にいるのだからね」

 

 幸運。幸運、なのだろうか。

 桜の中の卑屈な部分が鎌首を擡げるも、直後に脳裏へ蘇る二つの顔が、桜の負の感情を否定する。

 確かに幸運だと桜は認めた。とても凄い先生――かつて自分の父親()()()奴や、なんだか複雑な想いを懐く実の姉よりも、遥かに優れているらしい人――に鍛えてもらえるのだから。

 養父の知り得る中で、最も優れた魔術師の一人とまで言われる先生を、桜は尊敬している。その先生は桜に魔術の指導を施してくれるのだ、心から感謝を捧げるのに迷いはなかった。

 

「サクラくんの魔術回路はメインが四十、サブがそれぞれ三十。経過を見るに魔力容量の半分程度なら一日と少しで回復するだろう。君の霊体が最高潮となるのは――魔術師として最高の魔力を発揮できる時間帯は午後二時だろう」

 

 ――先生も桜も知り得ないことだったが、桜の実姉もまた同等の魔術回路、魔力量を誇る。そして絶好調になる時間帯もまた()()二時と、魔術属性を含めて対になる才能を持っていた。

 そんなことは露知らず、先生は至極丁寧に幼い桜に進むべき道を指し示す。

 

「架空元素には二種類ある。虚と無だ。サクラくんは前者で、これは『魔術が定義するものとしては有り得るが、物質界に無いもの』を指す。分かりやすい例が影だ。これで何ができるかといえば、そうだね――指定した領域に拡張・展開した影を媒介に、呑み込んだ物質・魔術を別の指定した影空間から吐き出し、事実上無効化、あるいはカウンターとして使用できる」

 

 人間の限界を超えた膨大な魔力があれば、現時点の桜でも行使は可能だという。しかしそんな力技は外部から供給される、埒外の魔力がない限りは不可能らしい。故に、桜が独力でその魔術を行使するには、血の滲むような鍛錬を十年単位で積まなければならないようだ。

 それが出来れば魔術師として一流である。そこまで至った技量があるなら、他の形で応用しても相応の効果を伴った魔術を望める。そこが一先ずのゴールとして指定できる地点だ。

 他にも触れた相手の魔力を奪うことも可能だと告げられるのを、桜は生真面目にノートに記しながら聞いていた。先生はなおも続ける。あくまで机上の空論だがね、と前置きをして。

 

「虚数属性の魔術の窮極は、物質を時空間を超えて移動させること、存在はするが存在しないものに干渉すること、だろうね。前者は時計塔の天体科を支配するロード、アニムスフィアの論文、レイシフトとやらで自らを過去の時代に移動させるなど――魔法に等しい奇跡を可能とするらしい。幾ら机上の空論とはいえ夢のある話だ、人の身に成し得る業ではないが……たとえばサクラくんが再現できるだろう範囲としては、自らの死をトリガーとした縛りを加え、大魔術を起動し半日前の自身に情報を送信する、などだろう」

 

 それは……凄すぎる。そんなことが可能なのか? 桜のそんな疑問に、先生は苦笑した。

 

「もちろん現実的ではない。だが君があと六十年生き、相応の技量と魔力を有して、自らの全てを使い潰せば可能と言えなくもないだろう。だが結局、費やすリソースと時間的な限界を見たら、ほとんど無意味に等しいがね。何せ老境に達した一流の魔術師としての君が、死を賭して情報を過去に送ろうと、自身が死亡するという結末自体は確定している。この因果を超えるのは不可能だ」

 

 無論『不可能』な事象に挑戦するのも、魔術師としての姿勢に相応しいとは言える。だが、無駄は無駄だ。これを覆し、無駄を有益に反転させたければ、それこそ聖杯などによる莫大な魔力の後押しが不可欠となるだろう。試みとしては面白いものの、やはり徒労に終わる可能性は限りなく高いと言える。よってこの話で重要となってくるのは、そうした方向性での魔術を修めることだ。

 つまり着目すべきは、虚数空間に於いて時空間は明確な輪郭を持たないという点。これを突き詰めていけば、非常に面白い魔術を開発し得る。時計塔の歴史時でも、上位百人に名を連ねるほどの偉大な魔術師になれる可能性が充分にあると言えた。

 

「そして後者。存在はするが存在しないモノへの干渉。サクラくん、君は存在するがしないモノと聞いて何を思い浮かべる?」

 

 問われ、桜は思案した。これまで講義を受け、基本を学んできていた桜だ。自らが有する知識を総動員して、先生からの設問に立ち向かう。

 ――先生が仰っていたような、時間。それから……影、でしょうか。

 桜が答えると、先生は首を左右に振って否定した。

 

「違う。正解は『意味』だ」

 

 ――意味?

 

「今の君には難しい学問だろうがね、世には『量子力学』と呼ばれるものがある。物質をミクロ視点で見れば、波としての性質を持つのが分かるのだ。波の性質を持つモノの挙動を記述するには波動方程式が使われ、この波動方程式を解けば実数の解の他に『虚数解』とやらが導き出される。この虚数解は意味のないもの――すなわち『無意味』として現実では捉えられるのだが、物理的には矛盾がなく、『虚数世界』があると考えることもできるだろう。そして虚数世界だと物質の速度は全て光速以上で、質量は虚数で表される。これはいわば『タキオンの世界』と呼ばれるものだ」

 

 何を言っているのか全く分からない。分からないが、桜は先生の言わんとしていることを察した。

 つまり、先生が言うところの量子力学とやらを学べということだ。

 先生の講義は続く。

 

「タキオンとは常に光よりも速く移動する仮想的な粒子のことで、光より速い粒子は既知の物理法則と一致しない為、存在しないとされている。仮にそのような粒子が存在し、光よりも速い信号を送ることができたとすると、相対性理論が説く因果律に反することになり、論理的パラドックスが生じることになるのだ。故に、タキオンを含めた虚数は存在しないと言えるし、存在するとも言える性質を有する。これを『意味』として定義できると私は考えている」

 

 ――な、なるほど……?

 

「簡単に言うなら、実数世界――物質界で生じる現象の摩擦、排斥された不可思議、偶然要素、無駄で非生産的な事象を支配するということだ。干渉力を高めていけば、君は現実に存在する『意味の定義』が曖昧なものを、自らの望む輪郭に押し込められるという訳だね」

 

 簡単に解説されても理解が追いつかない。しかし桜は必死にノートにペンを走らせた。

 桜は理解していた。父親もどきの遠坂や、あの間桐しか魔術師を知らずにいた彼女でも分かることがあるのである。それは師を得ることの大変さだ。

 養父は凄い人だけど、魔術師としては二流、三流らしい。養父の弟子である舞弥はそれ以下。他には目ぼしい人がいない。そんな中で、先生のような人に教えを請えるのは、まさに奇跡としか言いようがないほどの幸運なのだと、今の桜には断言できた。

 先生は、勤勉で優秀な生徒が好きなのだろう。桜の様子を見て、二つの課題を出してくれた。

 

「サクラくん、君はこれから量子力学を学び給え。すぐに履修し終えろなどとは言わん、君なりのペースで学習していけばいい。虚数という属性への理解を深めるのだ」

 

 ――はい。

 

「そしてもう一つ。私の方で寿()()()()()モノを用意してやるから、赤子の子犬を飼いなさい」

 

 ――……はい?

 

「今の君に必要なのは、学習に活かす為の研究用礼装だ。そして護身用の使い魔も必要だろう。その二つを同時に得る為に、忠義心に厚く、親のように慕ってくれる動物を用意するのだ」

 

 先生は言う。寿命を短く設定して生み出した犬を飼い、丁寧に世話をして、死ぬまで愛する。そしてその犬の死の間際に犬の影を切り離してしまうのだ。

 切り離した影は本来の主の残留思念を宿す。影の犬は生前のように桜を慕って、忠実に仕える使い魔になるだろう。そして桜が死ぬその時まで、永遠に付き添ってくれるのだ。

 影であり、桜の使い魔であるのなら、なんらかの触媒を介する限り不死となる。その性能も桜の魔術師としての力量が上がるのに比例して高まる。不死身の使い魔を、護身用・研究用の礼装として活用できるのだ。実に有意義な代物だろう。無論今の桜では作り出せない、故にその時に向けて学習を怠ってはならないし、その時は先生も協力してくれるそうだ。

 

 虚数属性の研究に携われるのなら、多少の協力も吝かではないらしい。先生が魔術師らしいことを説くと、桜は感銘を受けた。それは、なんて――

 

 ――なんて素敵な魔術なんだろう。

 

 死でもわかたれない絆だ。桜が死ぬまでずっと、片時も離れず一緒にいてくれるなんて、素敵過ぎて心が踊り狂いそうである。もしそれを独力で能うようになれたなら、桜はきっと。

 きっと。きっと……? きっと、なんだというのか。

 桜は咄嗟に考えるのをやめた。それは、いけないことだ。あってはならない結論で、在り方だ。

 そんなものを桜は望まない。望んではならない。強く、強く、その思いを己に刻みつける。

 

 刻みつけながら、桜は文字通り、魔術の修行に没頭していった。

 

 

 

 ――第五次聖杯戦争が、近づいている。

 

 

 

 桜が高校一年生になった頃の話だ。彼女の手に、令呪の前兆である痣が現れたのだ。

 他には義姉のイリヤスフィール、義兄の衛宮士郎にまで令呪の兆しが刻まれた。

 それを知った時、桜は自身の腹が、ひどく疼いた気がして。

 

 吐き気を、催した。

 

 ――養父は険しい顔をしていた。

 

 自分達は聖杯に選ばれなかった。養父は令呪を自分や先生、神父さんに渡すようにと養子や実子に告げたが、誰も首を縦に振らなかった。何故? それはきっと、自分達が護られるだけの立場でいるのが嫌だったからだろう。それに今後の戦略を見据えるなら、養父達は手が空いているフリーの立場の方が都合がいい。そう言ったのは義姉だった。

 戦略? どういう意味だろう。桜は何も聞かされていない。恐らく義兄も。義姉は父達の戦略を知っていたらしい、そして養父達は察知されているのを知らなかったようでとても驚いていた。

 義姉の起源は『聖杯』だ。望んだ事象を、理論をすっ飛ばして、自らの魔力量で可能なら実現できてしまえるものらしい。それで父達の企みを盗み聞きしていたようだ。父や神父さんはともかく、あの先生の目をも欺けてしまえる義姉の力に桜も驚いた。

 

 義姉の説得を受けて、渋々父達は納得した。

 

 元より聖杯戦争中は表向きには全員敵対しているように立ち回るらしい。召喚される英霊達が、素直に協力してくれる保証がなく、外部から参加してくるマスターのサーヴァントを最優先で撃破さえしてしまえば、後は身内の誰が勝とうと問題ないからだとか。

 最終目標は聖杯の破壊。その為に自分達の中で本命として召喚するのが、聖剣の鞘を触媒にして召喚する英霊、アーサー王らしい。アーサー王が来てくれたなら、これほど頼もしいことはないと養父達は口を揃えて言っていた。まるで知己であるかのように。

 

 養父いわく、本来アーサー王は召喚が不可能な存在らしい。だが絶対に召喚されてくると断言した。矛盾しているがどういう訳があるのだろう……。

 養父が言うには最初は召喚の現場に自分もいないといけないらしい。自分がそこにいて事情を話せば殺されることは防げるはずだと。いまいち腑に落ちない説明だったが、理解はした。

 

 そしてアーサー王を召喚するのは義兄にするらしい。性格的相性として最適なのは義姉だが、義姉には別の大英雄を召喚してもらうつもりのようだ。それは魔力量的に義姉が最善らしい。

 桜は縁召喚だ。触媒を用意するよりも、性格が一致した方が聖杯戦争では有利に働くからだとか。聖杯戦争の経験者がそう言うならその通りなのだろう。これにも納得した。

 

 三人にはそれぞれフィクサーがつく。義姉には先生が、義兄には父が、桜には舞弥が。密に連絡を取り合い、アーサー王以外のサーヴァントには目的と互いの関係を伏せるらしい。

 そうして敵を全て排除した後に、桜達のサーヴァント同士で戦ってもらう。それで聖杯戦争を終わりにするというのが大まかな目標だ。

 全ての説明を聞いた上で、義兄が言った。

 遠坂はどうするんだ? と。遠坂なら、事情を聞いたら味方してくれると思うぞ、と。それを聞いた桜は複雑な想いを懐くも、効率的には確かにそうした方がいいと思い同調した。

 

 すると、養父は言った。

 

「――黄金のサーヴァント。前回の聖杯戦争で生き残っていたらしい、英雄王ギルガメッシュの存在を数年前から確認している。遠坂家に僕たちが接触できないように奴は妨害しているんだ」

 

 何を目的にしているのかは不明だ。だがその不確定要素があるからこそ、養父達は手を空けておきたいのだという。いざという時に備え、様々な準備を整える必要があるから。

 なら遠坂には学校で伝えたらいいんじゃないかと義兄が言うと、義姉が否定する。

 

「アイツ、宝具でリンを監視しているわ。ちょっと前に私が密かに接触して、話をしようとしたら殺気を向けられたの。たぶん……いいえ、絶対ね。たとえ人目があっても、アイツは私達がリンと同盟しようとしたら、周囲の人間ごと皆殺しにするつもりだわ」

 

 なんのつもりかは知らないけどね、と義姉は言った。

 

 どうやら実の姉は、味方にできないらしい。少なくとも今は。

 それを聞いた桜は密かに落ち込んだ。実姉には別に隔意はないのだ、今まで向こうが勝手に負い目を感じて避けてきたから、桜も積極的に話しかけようとしていなかったものの、仲直りというわけではないが普通に話をしたいと思っていたのに。

 今回の件で仲良くできるなら、それに越したことはないと感じたのだ。だから残念である。

 

 ともあれ今は目の前のことに集中しよう。きっと、悪いことにはならないはずだ。

 

 聖杯戦争なんて、自分達の人生の中では些末な出来事に過ぎないはずなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




まだ聖杯戦争(ダイジェスト風味)は始まりません。

ちなみに本作のBADENDルートだと、士郎は一度も桜に殺されません。殺されませんが、BADENDルートの実に半数は、士郎やイリヤや切嗣や舞弥の最期で、どこからともなく現れた桜が家族の影と魂を確保したりします。やったね皆!死んでも一緒だよ!


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幕間の物語。理想郷での召喚の一幕。

お待たせしました。


 

 

 

 

 

 傾城の美貌に憂いを浮かべ、形のいい頤に指を添えた美女が、憂鬱そうに溜息を溢した。

 彼女は全てを見ていた。冠位の資格たる千里眼こそ有さないものの、ホームグラウンドであれば冠位に匹敵する力を発揮できる魔女である。現世の様相を水鏡に映し、俯瞰するなど朝飯前だ。

 

 ――此処は、全てから遠い、理想の国。

 

 国民は僅かだ、両手の指で数えるより少ない。

 頻繁に招かれる英霊も、常駐する英霊も皆、古くからの臣下ばかりである。

 気候は穏やかで、空気は優しく、大地は豊かだ。太陽はなく、なのに明るい空間は闇のように甘く優しい。光のように明朗で、焚き火のように鎮静し、水のせせらぎのように深い世界だ。

 

 しかし世界の中心に建つ城塞は、過剰なほどの防備で固められている。

 

 主の心の清さと強さが強度となる理想城の城壁には、十二基からなる円卓聖槍(ラウンズ・ランス)が搭載され、傀儡兵を高度な魔術兵器として発展させたサーヴァント級の傀儡騎士を多数配備している。理想郷全土から集めた魔力の殆どを女王が統括し、自身に匹敵する自我なき分身を多数生み出して魔術結界を構築し常駐させていた。更に円卓の騎士達も英霊の座から、本体の魂を召喚が可能だ。

 たとえ世界が敵に回り、冠位英霊が七騎同時に襲い掛かってきても凌げるように――というコンセプトのもと作成されている防衛線である。実現は不可能だと分かってはいるが、仮に獣が複数単位で襲来しても跳ね除けられる防備を目指していた。

 全ては星の終わりまで揺り籠を守る為だ。愛する者の穏やかな終焉の為である。星の終わる時が自分達の終わりだと定めているのである。この決定を何者にも覆らせるつもりはなかった。

 

 そんな愛が惑星級に重い美女の名は、モルガン・ル・フェ。

 

 グレートブリテン建国神話における国母であり、英霊の座――境界記録帯――から自らの記録そのものを丸ごと切り取って、生前の全盛期と全く同じ姿と力を得て顕現した存在だ。

 現在は理想郷たるアヴァロンにて、夫である聖槍の神アーサーを依り代にしたサーヴァントという立場に収まっている。今や純粋な魔術の腕前は、千年を超える研鑽の末に魔法の域まで達し、平行世界からの干渉すら弾くまでになった時――花の魔女がこの世界に辿りつく可能性を、完全な零にしたのも今やいい思い出であった。

 

「……気に食わない」

 

 モルガンは全てを見ていた。とはいえ見ていたのは現世であり、無論現世の全てを見ていたわけではない。彼女の捉えた『全て』というのは、夫が参加した聖杯戦争とその後の顛末である。

 まさか人間如きが、人類悪たる獣への対抗策として世界そのものに用意されていた決戦術式『英霊召喚』を模倣し、聖杯戦争なる儀式を行なっていたとは予想外だ。大聖杯となったユスティーツァとやらは大した才能であり、冠位英霊を召喚する為の儀式を、人の規格に合わせグレードダウンさせたとはいえ、見事に再現したマキリも中々の才人だろう。

 そこに参加した夫の活躍も、息子や娘達と見守って野次を飛ばしたり、応援したり、批難したりと楽しませてもらった。現世に夫が関わるのは極めて稀であり、本体の夫も分霊が記録を持ち帰るのを楽しみにしていたものだ。――だからそこはいい。

 

 気に食わないのはそれ以後の顛末である。

 

 英雄王。人類最古の半神半人。彼がここに攻め寄せてくる可能性が発生してしまったのだ。

 無論防備に抜かりはない。完成を見ることなどなく、永久に発展させ続けるつもりの理想郷で、ギフトを与えた円卓の騎士達を一斉に召喚し、聖槍の神たる夫と自分が力を合わせれば、たとえ相手が何者でも相手になどならないと確信している。

 しかし万が一の可能性はおろか、そも攻め込まれる事態すら防ぐべきだと考える女王にとって、英雄王がアヴァロンに侵入できるだけの可能性を秘めているという事実すら看過できなかった。

 あまつさえ次の聖杯戦争で、モルガンの夫を頼ろうとしている人間がいるのも気に食わない。夫なら確かに味方してやるだろう、縁がある上に仕留めたと思っていた英雄王が健在と分かれば、今度こそ確実に息の根を止めてやると息巻くのが目に見えている。

 

 だが、駄目だ。モルガンは夫の現界を許可しない。理由は二つある。

 

 一つは、単純に危険だからだ。夫は聖杯戦争に参加する時サーヴァントの殻を被り、本体と繋がりのある分霊となる。その繋がりを英雄王に辿られないという保証はない。

 もう一つは、嫉妬だ。醜い独占欲と笑わば笑え。夫と親しくしていいのは自分と、家族と、臣下のみである。それ以外に関わるのは容認できない。――というのは建前で。いや本音ではあるが、本当の理由は『聖槍の神』を刺激するべきではないからだ。

 『聖槍の神』の性格は、大部分が人間時代と大差ない。だがしかし、人間ではないのだ。しかも人の信仰に左右されるような、脆弱な『神霊』如きとは比較にもならぬ生きた神そのものである。故にこそ神らしい傲慢さ、自分本位な側面が大幅に肥大化しているのだ。

 家族や臣下相手だと、そうした面は出てこない。しかしそれ以外には、人間時代の人間らしい理性や自重を期待するのは愚かである。下手に外界への関心を持てば、夫を止められる自信がモルガンにもないのだ。今の夫が大人しいのは聖杯戦争に纏わる因果が終わったと思っているからであり、終わっていないと分かれば喜々として外界に打って出る可能性すらあった。

 

 もう、神代ではない。流石にそんな阿呆な真似をするはずがない。――そんな希望的観測をするほどに、モルガンは夫の力を理解できていないわけではなかった。何せ夫は『聖槍の』神なのだ。

 最強の聖槍ロンゴミニアドは嵐の錨である。位相を固定するなど機能の一つに過ぎない。夫がその気になれば、現代であろうと問題なく現界できるのだ。――現世の一部に聖槍を展開して、聖槍の殻の内部を特異点と化すことで。そうして一時のみに限定し、現世に顕現し英雄王を討ちに出ることは充分に可能だとモルガンは見ていた。

 

 だが、可能だからと無駄なリスクを負うのを、馬鹿みたいに見過ごす女王でもない。実際に戦闘を見ていたモルガンの試算で、夫が敗れる可能性は限りなく零に近いが完全な零ではなく。特異点なんて物を作ってしまえば間違いなく抑止力が本気を出してくるだろう。抑止力を相手にしても遅れを取るつもりはないが、物事に絶対はない。やはり無駄なリスクを背負うのは避けるべきだ。

 

 ――こんな道理を弁えぬ夫ではない。だが夫は潔癖が過ぎる神格だ。零から百にまで一気に傾く極端さもあり、仕損じた相手を見逃すことや、やり残した仕事を見過ごすことに、我慢が利かない可能性は充分に高い。()()()()()()は承知の上で無茶をしかねないのだ。

 そう、多少、なのである。モルガンの懸念や危惧が、夫にとっては『多少』でしかない。この危機対策に関する意識のズレこそが、聖槍の神の最大の弱点なのだ。モルガンには断言できる。少なくとも人間時代の夫の方が、危機管理能力は数段上であろう、と。

 

(――我が夫の神核と、聖槍の解析も済ませた。人間時代の人格へ完全に回帰させる研究も佳境に入ろうとしているのに、我が夫の心を無駄に掻き回す事態に関わらせてなるものですか)

 

 モルガンは忌々しげに内心吐き捨て、ちらりと理想城の広間を見る。

 そこには夫と子供達がいた。

 最近現世でモルガンが盗み見て、再現してみたテレビゲームとやらに熱中する家族だ。格闘ゲームとやらでハメ技なる外道戦法を用い、全員に連勝している夫に子供達の批難が殺到している。

 

「………」

 

 相好を緩め、すぐに引き締めた。

 

 夫にはあのままで――人間らしい姿でいてもらう。仕事などさせるものか。

 とはいえ夫の分霊が与えた『聖剣の鞘』の複製品があれば、あの人間達は確実に召喚しようとするだろう。モルガンが同じ立場でもそうする。我が夫ほど頼りになる人なんていないからだ。

 夫が召喚を感知しないわけがない。ならば、どうする? 決まっている。夫が感知する前に、事を済ませてしまえばいい。そのためにやるべきことなど自明であった。

 

「――アルトリア」

「んー?」

 

 髪を下ろした平服姿のアルトリアが、モルガンの呼びかけに反応して振り返る。

 彼女は一旦ゲームから離れ、休憩の為に水を飲みに来たのだ。ちらりと見ると、バーヴァンシーが奇声を発しながらコントローラーにコマンドを入力している。夫は――こちらを見ていない。子供達の相手をするのに、よそ事に意識を割く夫ではなかった。

 今だと思う。モルガンは密かにアルトリアに言った。

 

「以前我が夫が参戦した、聖杯戦争なる儀式の顛末は聞いているな。お前もアレに参加しなさい」

「え。嫌なんですけど」

 

 即答で拒否するアルトリアに、まあそうだろうなと思う。ノリノリで参戦するのはモードレッドぐらいなもので、気分次第でウッドワスが参加する可能性があるぐらいだ。バーヴァンシーやアルトリアにわざわざ荒事に首を突っ込む趣味はない。そんなことは承知している。

 だが拒否される訳にはいかないのだ。嘆息して説得に移る。

 

「現世にお前を召喚できる触媒がある。我が夫がまた参加する事になるのはマズい。私の言いたいことが分かるな?」

「いや分かんないよ。別に戦争なんかに興味ないし。ていうか私も暇じゃないよ? あのバカ親父をぎったんぎったんにしてやらないとだし、聖杯戦争とかいう物騒なのに関わりたくない」

「アルトリア、父を捕まえてバカとはなんだ、バカとは」

「バカ親父だよあのヒト。格ゲーで権能全開にして勝ちに来るとか大人気ないにも程があるし」

 

 聖杯戦争より格ゲーだと鼻息を荒くし、負け越している戦績を気にしている様子の娘にモルガンは溜息を吐いた。

 アルトリアは口が悪くなった。態度も悪くなった。どうしてこんな粗暴な娘になったのだろう、昔はまだ素直だったはずなのに。内心嘆きながらも、モルガンは説得を続ける。

 幸い、アルトリアのツボは心得ていた。

 

「以前の聖杯戦争で我が夫と互角に戦い、我が夫が討ち漏らした敵がいると言ってもか?」

「――へぇ。ちょっと興味出てきたかも。ね、モルガン。もう少し詳しく聞いていい?」

 

 母を呼び捨てにするバカ娘はこの子だけだ。自身の出生を知り、女王として経験を積み、荒みに荒んだアルトリアは完全にグレていた。過保護なアーサーに辟易しており、自分達が何を言っても意思を曲げないのでモルガンも諦めている。

 というかアルトリアは、夫のことを父親だと認めてはいるが、母親らしいことをしたことがないモルガンを、生みの親としか思っていない節がある。それに関してはぐうの音も出ないので、モルガンから窘めたり叱りつけたりすることは出来ずにいた。

 

「……という訳だ。理解できたか?」

「あぁ、うん。人間だった時はともかく、今のバカ親父ならやりかねないね。分かった、私が行けばいいんでしょ。それに人間バージョンのバカ親父が仕留め損ねた奴を私が討てば、私の方がバカ親父より強いって証明になるし」

 

 生前、何かにつけて両親と比較されていたアルトリアは、親を超えることに意欲的だった。千年以上も緩い反抗期が継続しているアルトリアなら、英雄王の打倒にやる気を出すと分かっていた。

 やる気になってくれたアルトリアに、モルガンは言い聞かせる。

 

「やるべきことは分かっているな? 英雄王の打倒、今後の召喚を避ける為の聖杯の解体、触媒の回収だ。抜かることは許さん、やれるなアルトリア」

「誰に言ってるんだか。――えぇっと、私のクラスはセイバーかキャスター。なら持っていける武器は剣を中心にした方がいいよね。アヴァロンと、エクスカリバーをはじめとした聖剣各種六丁。それから……たぶん固有結界も宝具として登録されるかな?」

 

 やる気になった途端に過剰戦力を惜しげもなく投入するあたりは、モルガンによく似ている。聖剣一本で参加した我が夫を見習い、少しは自重しなさいと諌めようかと思ったが、やめた。

 なんせ現世には全く自重していない英雄王がいるのだ。やり過ぎなぐらいでもまだ足りない。

 せっかくやる気を出してもらったのだ。モルガンも後押しをしようと思い提案した。

 

「どうせだ。召喚のタイミングで私も干渉し、お前のクラスをセイバーとキャスターのダブルクラスにしてやろう」

「お、いいね! それでいこう!」

「……一応言っておこうか、後世の者達のイメージを損なうのはやめておきなさい」

「やだ。もう王様みたいに気取るの、面倒臭くてやりたくないし」

「……ハァ」

 

 本当に、このバカ娘(アルトリア)は。こんな様では聖剣王の()が泣いてしまう。

 アルトリア・ペンドラゴンの生涯は、苦難の連続だったと言えよう。モルガンらが去って以来、大陸にまで広げた版図を安定させるために奔走し、多くの怪異と蛮族の残党と戦い、外敵と争った。特に東西に分裂したローマ帝国との戦争でも常勝したが、疲弊する味方の不満やら懐古やらに悩まされた。やれアーサー王なら、やれモルガン女王なら――などと比較され続けたのだ。

 誓って言うが、初代王と副王を除けば、アルトリア以外の誰にもグレートブリテン王国を安定させ、発展させることは出来なかっただろう。それは誇ってよいはずで、正しく評価する者も多かった。だからアーサー王以上に()()()()()()()と謳われ、聖剣王と号されたのである。

 が、そんな人生で疲れ切ったアルトリアは、もう二度と王様稼業は御免だと擦れてしまい、大量の仕事を残して去った両親に激しく憤っていた。流石に千年以上も経っているし、本人も特殊な形とはいえ英霊と化している為、隔意は解消しているものの蟠りはあるらしい。両親を超えることに、子供達の中でアルトリアが一番意欲的だった。

 

 と、その時だった。

 召喚の儀式が始まったらしく、アルトリアの足元が光る。

 彼女は慌てふためきモルガンに抗議した。

 

「ちょっ……!? こんないきなり!?」

「なかなか我が夫の目が外れなかったからな。許せ」

「許せるかバカーっ!」

 

 言いながら消えていく受肉済みの英霊アルトリア。座にある記録としてのアルトリア・コピーを送っても良かったのだが、敢えて本体を送り届けたのには訳がある。

 仮に敗れてもここに送還される仕組みがあるし、引き篭もり気質のアルトリアには旅をさせるのがいいのもある。他にもあるが……それは言わぬが華というものだろう。

 

「さて……」

 

 モルガンはアルトリアの不在を誤魔化すために、自らの霊基を変化させ若返ると、自らの姿を微かに変質させた。アルトリアそのものの姿となり、彼女は颯爽とした足取りで夫の許へ向かう。

 

「おや?」

 

 夫は目を見張り、一目で正体を看破してくる。だが――

 

「やあアルトリア。休憩は終わりでいいのかい?」

 

 わざと気づいていないふりをして、モルガンの極めて高度な擬態に合わせて騙されてくれた。

 モルガンの扮するアルトリアは、赤面しつつアーサーに言う。

 

「――ええ。さあ、勝負ですよバカ親父。今度こそ吠え面掻かせてやりますよっ!」

 

 いいね、と愉しむように目を細める夫に、気恥ずかしさは隠せないモルガンであった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

「――問おう。貴方が私のマスターか」

 

 不意の召喚に憤慨しながらも、アルトリアはキメ顔でそう言った。

 

 

 

 

 

 

 




次回は召喚に至るまで。


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運命の夜が始まる話

お待たせしました。


 

 

 

 

 

 水を打ったような、という比喩がある。

 居合わせた大人数が、一斉に静まり返る様を例えた表現だ。

 まさにこの場に当て嵌まる例えだろう。全国高等学校弓道選抜大会にて、圧倒的な成績を残して優勝した青年の射は、異様なまでの迫力と異質さを見る者に感じさせるのだ。

 弓道部副部長、衛宮士郎は虚無の眼差しと佇まいで、機械的に――そして、人形的に射を行う。

 放たれた矢の行方は、的の中心。中たるのは必然で、放つ前から中たるのが観えていたように、衛宮士郎は矢の行方を伽藍の眼差しで見切り、射法八節を粛々と完了させる。

 

 士郎が射を終えると、やっと異様な空気が霧散し、弓道場の部員達はホッと息を吐いた。

 

「――いや、見事だな。そうとしか言えん」

 

 固辞したものの、結局部長を任されてしまった女子生徒――美綴綾子が感嘆の念も露わに言った。

 部活終わりの時間である。各々が着替え、下校していく中、綾子は素直に士郎を讃えた。

 

「やっぱり士郎が部長やるべきだったろ。私には荷が重いんだよなぁ」

「無茶言うな。俺の弓は邪道だぞ、荷が重いって言うなら俺の方が副部長に相応しくない。後輩にもなんだかんだ、綾子の方が慕われてるしな。副部長も実質慎二の奴みたいなところもある」

「それはお前に愛想がなさ過ぎるからだ」

 

 自然体のまま名前で呼び合う様は、男女の仲を邪推させるように親密だ。

 しかし士郎と綾子はそんな仲ではない。

 中学生時代、綾子の方から士郎に好意を伝えはしたが、士郎はキッパリと拒絶している。

 だからこの話はそれで終わり。だが人間関係が絶たれるほどでもなく、以後の綾子は武人然とした潔さで身を引いて、武道で切磋琢磨する好敵手と目して士郎に挑むようになっていた。

 断じて男女の仲ではなく、別種の親密さはある意味で性別の垣根を超えた特別なものだ。

 

 士郎に関しては言うまでもないが、綾子の方にも蟠りはない。綺麗さっぱり好意を振り切り、今では単なる親友だとしか思っていなかった。過去にいつまでも引きずられる女々しさとは、全く無縁と言える豪傑が美綴綾子という女なのである。

 

「そういえば柳洞が嘆いてたぞ、『最近衛宮が付き合い悪い』って」

 

 ふと思い出したように綾子が言うと、後片付けを終えた士郎は立ち上がり肩を竦めた。

 

「ああ、近々身内でやらなきゃならない事があるんだ。ソイツに向けて俺も、色々片付けないといけないものが溜まってる」

「へえ? 詮索するつもりはないけど、同じ部活の仲間として聞いとくが、それってイリヤスフィール先輩と桜も関わってんの?」

「そうだな。綾子には先に言っておくけど、実は俺も近い内に休学する予定なんだ」

「……ふぅん。言峰(カレン)の奴も海外に短期留学に行っちまうし、なんか最近慌ただしいな」

 

 嘘は言っていないが、核心には触れない口振りに綾子は曖昧に濁した。士郎が明確に隠し事をしているのは珍しいため、本当なら細かく聞きたいところだが、親しき仲にも礼儀ありだ。話したくなさそうな空気を察して、綾子はそれ以上は何も言わないことにした。

 まさか聖杯戦争云々の話をする訳にもいかないだろう。カレンは海外に避難させられ、桜とイリヤは短期間休学して仮初の拠点に移り、身を潜めていることに身近な学友はおかしさを感じているだろうが――士郎からはこれ以上、何も言えることはなかった。

 

 士郎は綾子が引いてくれたことにホッと安堵しつつ帰宅の準備に移る。

 

 成長期が終わったのだろう。士郎の身長は187cmで止まった。顔立ちはまだあどけないものの、鍛えられた肉体は頑健で、手足は日本人離れして長い。筋肉質なモデル体型だ。

 運動能力の高さとそのルックスも相俟って、彼は矢鱈と人目を引く。そんな士郎と並んでしまうと如何な女傑・美綴綾子も単なる少女にしか見えない。制服に着替えてきた士郎を見て、綾子はぼんやりと思った。もうすぐ高校三年生になる――大学に行ったら、士郎と疎遠になるのだろうか、と。別におかしな話ではないが、なんとなく寂しくなる気はした。

 

「……? どうしたんだ、綾子」

「いや……なんでもない。なーんにもないぞ。ほら、さっさと出ろ、戸締まりが出来ないだろ」

「分かってる。途中まで帰り道同じだし、送ってやるからさっさと鍵戻してこいよ」

「いらない。待たなくていいからさっさと帰れ」

「そういう訳にいくか。もう暗くなってるし、綾子も女の子なんだ。一人で帰るのは危ないぞ」

「……あ、そ。……ほんと、これで口説いてるつもりがないのが、ねぇ……」

 

 ナチュラルに優しい士郎に、綾子は勘違いしそうな自分を戒めた。女の子相手には誰にでもこうなのだ、この朴念仁は。イリヤや桜、カレンがどれだけ言っても直らない悪癖らしい。

 全く、ツイてない。慎二のバカが、痴情の縺れで女に刺されて入院してさえなければ、少なくとも士郎と綾子が二人きりになることはなかっただろうに。

 あの軽薄で嫌味な慎二だが、いないならいないで悩ましいバカである。今度見舞いに行ったら文句の一つでも言ってやろう、と綾子は強く思うのだった。

 

「ん……?」

「どうした、綾子」

「……なんでもないよ。さっさと帰ろう」

 

 弓道場の鍵を職員室に返し、校門に向かって士郎と合流すると、不意に綾子は見知った顔を見つけて胡乱な声を発した。――紅いコートを羽織った、制服姿の少女が校舎屋上にいたのだ。

 何やってるんだ、あのバカは……そう思うも、今は詰問しに行く気分でもない。綾子は嘆息し、明日の朝に問い詰めてやると決めて、士郎を促し帰路についた。

 

 帰路につくと、なんとなしに雑談する。もうすぐ三年だし、進路はどうするんだとか、次の部長は誰が相応しいかとか。綾子は県外の大学に推薦入学するが、そうなったら疎遠になる。こういう別れを中学時代は意識してなかったから、なんだか感傷的になるなとか。

 そういう話。

 次の部長はカレンでいいだろ、と士郎は言う。綾子も同意見だった。桜も他の一年と比べて頭一つ抜けているが、弓の腕ではなく人から信用され頼られるのはカレンの方だからだ。

 そして士郎は言う。俺は大学には行かないな、と。

 

「今は誰にも言ってないんだけどな、実は俺……海外に興味があるんだ」

「は? 外国にか? そりゃまたどうして」

「俺のやりたいことってのが、ちょっとまだ見つからないんだ。だから、ソイツを探してみる為に、世界を見て回りたいって思ってる」

「へぇ……」

 

 まだ誰にも言っていない。士郎がそう言うなら、本当に誰にも言っていないのだろう。

 自分が一番最初に聞いた話だと分かると、綾子はなんだか背中が痒くなる。

 凄いな、と思った。日本人は海外に行くことに対して、無意識に敷居の高さを感じるものだ。言語の壁があるからというのも理由の一つだが、日本で暮らしていると大部分の人が海外に出向く必要性を感じにくいからだろう。旅行や仕事以外で日本から出るとなると、綾子も日本人らしく途方もない難事である気がしてきた。だが、士郎なら大丈夫なんだろうなとも思う。

 

「そっか……うん、応援するよ。頑張れ、士郎」

「ああ。ありがとう」

 

 素直に応援する綾子に、士郎は照れたように苦笑する。

 普段から大人びた――というより、どこか周りから浮き出た印象のある士郎が、子供みたいな感情を表に出しているのを見ると、なんだか女として惹かれるものを感じてしまう。

 いかんいかん、コイツはただの男友達だろ、と意識せずとも自戒する。綾子は士郎との今の関係を気に入っているのだ、そこに余計な感情を挟みたくないと思っている。本当に、心から。

 だから綾子は隣を歩く士郎の顔を見上げ、笑みを作るとその肩を思いっきり叩いた。

 

「いてっ」

「お前なら出来る! なんだってな! だからな、()()()()()()()、絶対」

「ん……? 行くなら挨拶ぐらいして行けってことか? そんなの当たり前だろ」

 

 ふと口を衝いた言葉に、他ならぬ綾子自身が一番驚いた。激励のつもりで背中を押してやろうとしたのに、どうしてか士郎がいなくなるのではないか、と綾子は不安を感じていたらしい。

 女々しいにもほどがある。喝! と自分を叱咤してやりたくなった。だが士郎が目を見開き、神妙に頷いたものだから、綾子の中の不安は大きさを変えないまま確かな形を持った気がした。

 その正体が分からず煩悶として、分かれ道で立ち止まってしまうと、士郎が何気なく言った。

 

「ここまでだ」

「……ああ」

「綾子の家も近いし、俺はこっちだ。またな、綾子」

「あ……お、おい……」

 

 気負う様子もなく、気取った印象もなく、自然体で後ろ手にひらひらと手を振って、士郎が去っていくのを綾子は見送ってしまう。言い知れぬ予感はまだ遠く――いずれ思い出の中に埋もれていくのだろうその背中が、なぜだかとても小さく薄いものに見えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青年――少年とは言えない頑健な体躯の――は、赤毛に交じる一本の白髪に気づく。

 なんとなく気になって抜いてみると、まるで色素が抜けきったように根本まで真っ白だった。

 

「……先生が言ってた奴か、これ」

 

 洗面台でポツリと呟く。先生曰く、士郎の魔術回路は人体の神経と一体化したものらしい。そうであるが故に、魔術の反動が人体に現れやすいそうだ。

 最も早く表面化するとしたら、髪の色。次に肌の色。その次に五感のいずれか。負荷の大きい投影をできる限り避けていけば、髪の変色までで収まる異常であるらしい。

 そうか、俺の髪は白くなるのか、と。士郎は鏡に映る自分の頭を、しげしげと観察した。

 今の一本以外、まだ白いものはない。そのことに安堵する。白髪なんて、まるで年寄りみたいで嫌なのだ。四十路手前の切嗣ですら、まだ白髪は目立たないのだから。

 

「――士郎、そろそろ時間だ。準備はできているから早く来るように」

「ああ、分かった」

 

 その切嗣の呼ぶ声が聞こえて返事をする。

 士郎は今からサーヴァントを召喚するのだ。――街の皆を守る為の戦いに挑むのである。

 自然、士郎の顔は引き締まったものとなる。

 

 靴を履いて玄関から外に出ると、衛宮邸の工房とも言える土蔵に向かう。

 そこには既に黒いコート姿の切嗣がいて、養父である彼に微かな緊張が見て取れた。らしくない表情である。何度か聞いた話だが、やはりアーサー王は切嗣にとって重い存在らしい。

 士郎はこれから自分が召喚する相手が、どんな人なのかを思い返した。

 

「なぁ、切嗣(オヤジ)。アーサー王は本当に来るのか」

「来るさ。間違いなくね」

 

 子供の頃は切嗣を呼び捨てにしていた士郎だが、最近はきちんとオヤジと呼ぶようになった。そう呼ぶと嬉しそうに喜んでくれるというのもあるが、他人行儀だと藤姉に指摘されたからでもある。

 士郎が問うと、切嗣は断言した。確信があるらしい。

 

「セイバー――アーサー王はまだ死んでいない、生きた神だ。その権能がどんなものか、またどれほどのものかは僕にも想像がつかない。だがアイツはとんでもない親バカでね、自分の娘が戦争に駆り出されそうになると、自分が代わりに出張ってくるんだよ」

「そういえば昔も聞いた気がするな。たしか、英霊召喚を拉致って言い張ったんだっけ?」

「ああ。逆の立場で考えたら納得できる。例えばイリヤが戦争に駆り出されそうになったら、僕は絶対にソイツを殺すだろうし、アーサー王の気持ちを今の僕なら痛いほどよく理解できるよ」

 

 懐かしそうに言う切嗣に、士郎は苦笑する。――ちょっとシロウ、キリツグの服と一緒に洗濯しないでって言ったでしょ!? なんて言われて涙目になっていた男が言うと説得力が違う。

 

「彼さえ来てくれたら勝ったも同然だ。不確定要素も手堅く排除していける。――聖杯戦争を、今度こそ完全に終わりにさせられるはずなんだ」

「それはいいんだけどな、オヤジは俺とアーサー王の相性が本当にいいと思うのか? そんな凄い英雄と会えるなんて光栄だけど、ちょっと不安なんだよ」

「大丈夫さ。セイバーは基本、相当におめでたい奴以外となら上手くやれると思う。当時の僕とすらやれていたんだからね。………本当なら僕がマスターをやりたいんだが、やることを考えたら裏方に回らざるを得ないのが辛いところだ」

 

 やや未練がましく士郎の令呪を見る切嗣である。

 

 ――切嗣の真意は、他にもあった。

 

 当時の切嗣以上に歪んでいる士郎の性質。十年も掛けてなお、正せる兆しすら見えないそれを、あの王様なら正しい方向に導いてくれるのではないかと期待しているのだ。

 養父として情けない限りだが、自身のプライドや面子に拘って助力を求めないようでは、それこそ保護者として失格以外の何者でもあるまい。切嗣はそう考えている。

 密かにカウンセラーに依頼し、それとなく士郎の心を治療しようと試みたが無駄だった以上、もうあの王様以外に頼れる人物はいないとまで密かに思い詰めてもいたのだ。

 

 言峰綺礼とかいう輩が立候補してきてもいたが、アレは論外である。

 

 切嗣は腕時計を見る。そろそろか、と彼が呟いた時、切嗣が取り出した携帯電話が鳴り始めた。

 

「僕だ」

 

 ワンコールで出ると、報告が来たらしい。士郎と同日にサーヴァントを喚ぶことになっているイリヤと桜に付いている、ケイネスと舞弥から連絡が来る手筈になっているのだ。

 

「――なるほど。桜はランサーを引いたか。真名は? ……なに、ブリュンヒルデ? 中々厄介なのが来たな……縁召喚でブリュンヒルデなんて、頭が痛くなる……」

「……うわ」

 

 ブリュンヒルデと聞いて、なぜか納得がいった士郎は堪らず呻く。切嗣も同じ気持ちらしい。

 

「それでイリヤは? ……準備に抜かりがないならいい。ケイネスにも伝えてくれ、ヘマをやらかしたらタダじゃ済まさないとね」

 

 言って、通話を切った切嗣が士郎に向き直った。

 

「時間だ。それじゃあ、はじめようか」

 

 地面には魔法陣が描かれている。そしてこの日のために設けられた台の上には、数年前まで士郎の体の中にあったという聖剣の鞘が安置されていた。

 切嗣に促されて頷き、暗記した呪文を唱えていく。

 大量の魔力が持っていかれる感覚に、額に汗しながら集中を途切れさせず、士郎はなんとか最後まで呪文を諳んじることに成功した。手応えは、まさしく完璧である。

 

「――抑止の環より来たれ、天秤の守り手よ――」

 

 ひときわ強いエーテル光が発され――そして。

 

「問おう」

 

 光の中から歩み出てきた存在を目にした時、士郎は瞠目させられた。

 

 凛と響く可憐な声。どこか無機的であるのに、高潔さの滲む清廉な表情。清純な乙女の風貌。

 黄金の冠を被り、青いリボンで金色の髪を括った姿。白い衣装と鎧を纏い、一際大きな聖大剣を携えた少女が、白目を剥いた後に顔を青褪めさせた切嗣を無視して、まっすぐに士郎を見据えた。

 

「貴方が私のマスターか」

 

 目を奪われ、心を奪われる。その――地獄の底を知りながら、なおも失われない青い光を灯す瞳に吸い寄せられ――衛宮士郎は、生まれて初めて、一目惚れというものを知った。

 

 こ、殺される……! などと小さな悲鳴を漏らす男なんて、士郎と少女の眼中にはなかった。

 

 ――運命は此処に。青年と乙女は、まるで導かれるように邂逅する。

 

 それは小さな運命だった。この後に待ち受ける、大きな運命の潮騒に呑み込まれるばかりの、小さな、されど決定的な出会いの瞬間である。

 

 (zero)に至った物語が、その先へと進む足音が確かにした。

 

 衛宮士郎を、守護者ではなく――本物の英雄へ誘う運命の足音が。

 

 

 

 

 

 

 

 




士郎⇢タッパはエミヤと並んだ。

カレン⇢海外に短期留学させられた。

桜⇢双子館に移動、休学して潜伏。舞弥が一緒。

イリヤ⇢アインツベルンの城の跡地に。休学。ケイネスが一緒。

慎二⇢女に刺される。


明日か明後日に次話更新予定。


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士郎とセイバーの出会い

 

 

 

 

 

 

 王様なんて、もう懲り懲りだ。

 

 山ほど頑張って、山ほど誉められた。けれど一滴の陰口、一粒の悪意は、疲れた体によく響く。

 比べられ、侮られ、下卑た目を向けられた。

 全体を見渡せばほんの少し。だけどその少しが目について仕方ない。

 頑張った。頑張ったのだ。好きだったから。国が、人の暮らしが、人の幸せを見つけるのが。

 

 誰もが幸福に暮らせている光景を、ただ見ているのが好きだったから頑張った。

 

 後悔はない。微塵もない。やれることを、やれるだけ、最後まで成し遂げたのだ。だから悔いなんて欠片もない。本当だ。だから――もう、疲れたのだ。

 頑張りすぎたのかもしれない。古くから仕えてくれた騎士が皆亡くなり、姉妹達に先立たれ、妹の子供である後継者が立派に育ったのを見て思ってしまった。もういっかな、と。

 そう思ってしまったら、頑張れなくなってしまったのである。国は好きだったけど、疲れたのなら休んでもいいだろうと思ってしまった。だから辞めたのだ。王様を。

 ――五十年近く頑張ったんだから休ませてください、と。

 なまじ不老不死だったのがいけなかった。ほぼ飲まず食わずで、一度も眠らず駆け抜けた人生に疲れ果ててしまった。平気なつもりでも、積もりに積もった疲労に心が折れてしまったのだ。

 

「問おう。貴方が私のマスターか」

 

 ――その結果がこれだ。

 

 王様なんてもう嫌なのに、人前に出た途端に貼り付けられる仮面。他人を前にすると、ほとんど条件反射に近い行動として『聖剣王』になってしまう。

 自分でも気づいていなかった。何せ千年以上も家に引き篭もって、日がな一日眠りこけたり、自堕落に暮らしたり、一人で修行してみたりと、気儘に暮らしていたのだ。

 毅然とした王様の仮面の裏で、素のアルトリアはガチガチに固まり緊張していた。――し、知らない人、コワイ……! なんて情けない恐怖を覚えてしまうほどに。そう……アルトリアは千年以上も引き篭もっていたせいで、完全にコミュ障になってしまっていたのだ。

 とはいえそれは私人として。公人としてのアルトリアは伝説の聖剣王だ。グレートブリテンの支配を安定させ、確固たる礎を築き、盤石の土台を完成させた手腕は錆びついていてもなお偉大。公人の仮面を被りさえすれば、コミュ障の気配は外部に微塵も漏れなかった。

 

「な――」

 

 驚愕した様子の、無精髭の黒髪の男。この男ではない。魔力の繋がりと令呪の気配を辿り、見つけた相手は赤毛の青年。この青年が自分のマスターなのだろう。

 青年は呆然としたままアルトリアを見詰めていた。見たことのない表情である。はて、敵意でも悪意でも、善意や好意でもない、だが熱の籠もったこの眼差し……向けられる感情はなんだ?

 アルトリアは困惑する。しかしその戸惑いを押し隠して頷いた。青年から流れ込む魔力の量を確認し、あんまりにもゴミな魔力量に苦笑いしてしまいそうになりながら、なんとかキメ顔を保つ。

 

「パスの繋がりと、令呪を確認しました。私の真名はアルトリア・ペンドラゴン、これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の命運も私と共にある。これからよろしくお願いします、マスター」

 

 マスターの魔力量はミジンコ級だが、サーヴァントとして現界を保つ分には不自由しない。

 アルトリアが社交辞令気味に微笑みかけると、青年は赤面して応じた。

 

「あっ、ああ……! こちらこそよろしく頼む!」

 

 目上の人にタメ口ですか? 大した度胸ですね、殴りますよ?

 ――とは言えない悲しき陰キャの性。

 

(おかしい、昔はもっと本音を言えたはず……! まさかこの私が……人前に出ることに緊張しているとでも……!?)

 

 自己分析は完璧だった。だが認めたくない一心で、アルトリアは理論武装する。

 

(そ、そうですよ。私は今、一介の騎士なんです。ならサーヴァントとして仕える主に、丁寧に接するのは当然のこと。主がナメた態度でいてもボコさないのは必然! ですよね、私!?)

 

 そうだそうだそうですとも! 流石は私だ今日も賢い上にカッコいい! イマジナリー全自動自己肯定ウーマン・アルトリアが視界の隅で万歳三唱した。無限の勇気が湧いて出る。――まさか自分のマスターが、『たとえ地獄に落ちてもこの出会いの光景を忘れない』レベルで、自分に一目惚れしてきているとは夢にも思わないアルトリアであった。

 そんなことを察知しろだなんて無理である。何せアルトリアに恋愛経験など無いし、異性と個人的に親しくしたこともない。国家の象徴にして神聖なる聖剣王、不老不死の伝説的君主を相手に、我こそはと伴侶に名乗り出る豪の者などいなかったのだ。

 

「さて。私を召喚した触媒は――」

 

 台座の上に安置されていた聖剣の鞘を見つけ、アルトリアは自然な流れで手を伸ばす。だがそれに制止をかけるかのように、中年の男が彼女の視界に入った。

 

「待った。待ってくれ」

「……貴方は誰ですか?」

「僕は衛宮切嗣。お前の……いや、君のマスターの保護者で、前回の聖杯戦争でアーサー王のマスターだった男だ」

「ほう……貴方が父上の。なるほど、それで?」

「それはセイバー……アーサー王から僕に託された物だ。勝手に取り上げるのはやめてくれ」

 

 何やら顔色が悪いままで言われ、アルトリアは思案する。むーん……確かに所有権は衛宮切嗣にあるらしく、勝手に分捕っては窃盗と言えなくもない。

 しかし聖剣と鞘は元々アーサー王の物だったとはいえ、どちらも無期限でアルトリアに貸し与えられたものでもある。今のところ返せと言われた覚えもない以上、正統な所有者は自分なのだ。

 有無を言わさず強引に取り戻すのは容易い。だが、こんな序盤で味方と確執を生むのもばからしいだろう。アルトリアは嘆息して返答する。

 

「……分かりました。しかしこちらにも事情があります、聖杯戦争が終わるまでには必ず返してもらいますので、そこは了承していてください」

「事情?」

「はい。キリツグ、貴方は我が父からある程度の事情は聞いているはずです」

「……それは、聖剣王の召喚は本来不可能である、という話か?」

「ええ。過保護な父上のせいで……いえ、お蔭で、私は無益な戦いに召喚される恐れがありません。しかし此度は違います、父上をこの冬木に召喚させる訳にはいかないと判断し、こうして父上に先んじ私が召喚に応じたわけです」

「……詳しく事情を聞いてもいいのか?」

「構いませんよ」

 

 特に隠す必要もない。アルトリアは素直に事情を明かした。

 最初は死にそうな顔をしていた切嗣も、アルトリアの話を聞いて次第に落ち着きを取り戻す。

 そんな事情があるとなれば、なるほど確かに、アルトリアが召喚に応じた理由も納得できる。

 問題があるとすれば、聖剣王ではなく騎士王の召喚を前提とした戦略を練っていたから、それらが瓦解しかねない現状にあるだろう。悩ましげに切嗣が嘆息し、アルトリアに質問を投げる。

 

「――事情は分かった。だがアーサー王は……その、子供想いだからね。君が召喚されたと分かれば何をしてでも召喚者を討ちに来るんじゃないか……?」

「貴方は父上をなんだと思ってるんですか? 此度は私自ら召喚に応じたのです、なのに私ではなく貴方やマスターに怒りを向けるような、そんな心得違いをする愚か者ではありませんよ」

 

 切嗣の懸念にアルトリアは呆れ、腰に手を当てて嘆息する。父は確かに親バカだが、バカ親ではないのである。道理は弁えているし、寧ろ筋が通らないなら我が子にこそ厳しく叱責する人だ。

 バーヴァンシーの時もそうだった。ギャラハッドの力量と精神性を認め、彼らがどのように付き合おうと横から口出ししたことは一度もない。バーヴァンシーが公の場で失言すれば、彼女が泣き出しそうになるぐらいキツく叱ったこともある。

 モードレッドの時だってそうだ。お父さんっ子だった彼女こそが、もしかすると一番父から叱られていたかもしれない。なんでもかんでも我を通して甘やかすようなバカ親なら、そもそも人の身から逸脱し神になったとしても、現世から退去する道を選ばないだろう。

 

 故に、とアルトリアは見抜く。切嗣の懸念は、()()()()()()()()懐いた被害妄想である、と。

 

 切嗣なら相手にどんな事情があっても、我が子に何かがあれば道理を蹴っ飛ばして殺しに行くタイプである。つまりバカ親の気質があるのだろう。これは相当その子には嫌われているはずだ。

 まあその子が優しい性格なら、嫌ってはいても父の愛情だと理解し、受け入れてはいそうだが。

 

 アルトリアが断言したことで、切嗣は安堵したらしい。顔色を回復させて、彼は質問を続ける。

 

「なら良かった。……質問しても?」

「ええ、構いません。答えられる範囲で、なんでも答えましょう」

「君のクラスとステータス、スキル構成と宝具を教えてくれ。こっちはアーサー王が来ることを前提にして戦略を練っていたんだ、軌道修正のためにも君の能力を知っておきたい」

 

 アルトリアは頷く。まあ当然の質問だと判断したのだ。しかしアルトリアは士郎を一瞥した。

 これではまるで切嗣がマスターのようだ。もしかすると士郎は頼りない青年なのか? そうした侮りに近い視線を感じ取ったのか、士郎は微かにムッとして前に出ようとするも、直前で思い留まり切嗣に場を任せる。少し感心した。見たところまだ若い、二十歳にもなっていないだろう。なのに自身の見栄や反骨心で行動せず、自制できるのは大したものだと誉められる。

 とはいえまだ出会ったばかり。第一印象はまだ決まっていなかった。

 

「私のクラスはセイバーです。ステータスに関してはマスターに聞いてください。スキルは――」

 

 ステータスはマスター特権の透視能力で見えるから説明を省く。そして自らのスキルを説明すると切嗣は驚愕して口を挟んできた。

 

「待ってくれ。ダブルクラス? 君はセイバーとしてだけじゃなくて、キャスターとしても力を発揮できると? なら……セイバーとキャスターの二枠分を埋めていると考えてもいいのか?」

「いいえ。単なるスキルとして、キャスターの特性を併せ持っているだけですよ。なので参加枠が一つなくなっているわけではありません。私はメインがセイバーなので、キャスターは他にもいると考えておくべきでしょう」

「……なるほど。しかし、そうだとしても破格の力だな……」

「ふ、伊達に騎士王と妖精女王を足して二で割って、少し薄味にした女王とは言われていません」

 

 自虐気味にアルトリア――セイバーがそう言うと士郎は呟くように言った。

 

「いや、充分過ぎるぐらい凄くないか、それ……」

「………」

 

 ぴくりとセイバーの耳が反応する。彼女は自分に対する悪口を聞き逃さない地獄耳だが、同時に誉め言葉にも敏感だった。承認欲求の塊とまではいかないが、誉められたいお年頃なのである。

『良さが分かる素晴らしい好青年ですね』と勝手に評価を上げつつ、生前の第三世代の家臣達の地獄みたいな環境を思い出し涙腺が緩まった。過去を思い返すと泣きたくなるお年頃なのだ。

 実際私って凄いんですよとセイバーは声を大にして言いたかった。どうして皆死んじゃうの? 父の代を第一世代として、自分達の次の第三世代はどうしてあんなに酷い面子だったんですか? お蔭で不老不死を返上して引退するまでに、後継者のために周りを綺麗にしないといけなくて、余計なお仕事ばかりが山積みになったんですよ? 彼女は見境なく愚痴を吐きたいお年頃だった。

 だがグッと堪えて、セイバーは前を向く。どうせ殆どの奴らは知ることがないままだが、この冬木の聖杯戦争を華麗に征すれば、あの偉大過ぎて憎さ百倍の父や生母を超えたと言える。その為にはなんとしても、父と互角以上に渡り合ったという金ピカをブチのめすのだ。

 

 セイバーは決然としてマスターに向き直る。赤毛の青年は切嗣に訊かれ、セイバーのステータスを話していた。切嗣はそれを聞いて「戦略を練り直さないといけない、ケイネスと舞弥に連絡を入れておくから、後は任せたよ、士郎」とだけ言って離れて行った。

 あの男は有能なのだろう。優秀な味方がバックに控えているのは心強い。ならば、後は直接矢面に立つ自分と、そのマスターの関係を良好にしておくべきである。最善を尽くすのだ。

 セイバーは青年に歩み寄り、手を差し伸べる。

 

「改めて、よろしくお願いします。マスター、貴方の名前を聞いても?」

「っ……あ、ああ。すまない、名乗り返すのが遅れてたな」

 

 青年は慌てたように掌をズボンで拭き、綺麗にしてからセイバーの手を握り返して握手をする。

 どこかぎこちない、童顔の青年はセイバーの目を真っ直ぐに見詰めた。

 無骨な手である。手は、その人間の歴史を物語るものだ。故にセイバーは青年の手の感触に好感を覚えた。研鑽をよく積んでいる、面構えも悪くなく、卑しさも感じない。自然と微笑んでいた。

 

「俺は衛宮士郎だ。お前のことはセイバー……って呼べばいいのか?」

「はい。私は貴方をシロウと呼ばせてもらいます。ええ、そちらの響きの方が私には好ましい」

「っ……そ、そうか。俺ん家を案内するからついてきてくれ。家の中で俺の事とか、色々話しておかないといけないからな」

「了解しました。確かにマスターの力量は把握しておきたい。その提案は願ったりです」

 

 とは言うものの、なかなか手を離さず、そのまま歩き出したマスターにセイバーは戸惑った。

 

「……シロウ?」

「あっ! ご、ごめん!」

「いえ、構いませんが……」

 

 咄嗟に手を離して謝ってくる士郎に、セイバーの困惑は深まる。

 おかしな反応だが、何か気に障るようなことをしただろうか。人間ってどこに地雷があるか分からないから面倒だよねと、心の奥底で思う。

 ただまあ――赤面するほど必死に謝ってくる士郎に対し、悪印象は今のところ懐いていない。むしろ鍛えられた肉体と、ひたむきそうな人柄に好印象があるだけである。だから悪い気はしない。

 そんなに謝らないでくださいと、苦笑しながら言うと、士郎は赤面したまま黙ってしまった。

 

「シロウ」

「な、なんだ、セイバー?」

「私は貴方のサーヴァントです。今は一人の騎士として貴方に力を貸しています。なのでそう変に緊張することはありません。私を単なる剣として扱っても文句は言いませんよ」

「ばっ、バカ言うな。セイバーみたいな女の子を、そんな物扱いできる訳ないだろっ」

「む……」

 

(この私を指して女の子? ふ……意外と悪い気はしないけど、さてはシロウ……君はランスロとかと同系統の男だな?)

 

 女に対してはとりあえず優しくしておく、勘違い女を大量生産する類いの男と見た。

 やれやれこんな貧相な体の小娘を口説こうだなんて、シロウは物好きだなと思う。思うが、やはり悪い気はしない。こちとら聖剣王である、女の子扱いされたのは青春時代以来で懐かしいのだ。

 少しだけ士郎を気に入った。口説いてこようとする下卑た下心を感じない上に、率直に女の子扱いしてくれると気分がいい。こうなったら現世にいる時は士郎をからかってやろう。

 

 気分はまさに青春時代、村人の子供達と一緒に遊んでいた頃のもの。下心の無さに、彼女は無意識に恵体の士郎を幼児扱いしようとしていた。

 

 ――後に、士郎の異常性を悟った時。セイバーは自らがマスターに感じている、妙な既視感の正体を察することになる。

 

 衛宮士郎は戦災孤児の子供達と、とてもよく似ているのだ、と。

 

 その時、セイバーは思うだろう。放ってはおけない――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アーサーの子供達に対するスタンスは、アルトリアの見立て通り。
過保護ではあるし、親バカではあるが、バカ親ではなく過干渉でもない。なので士郎や切嗣に無体な真似はしない。切嗣の懸念は完全に杞憂で思い過ごし。イリヤに対して悪い虫(士郎含む)が近づこうものなら平気で銃口を突きつける切嗣だから、過度に警戒し怯んでいただけなのですね…。


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動き出す運命の歯車

お待たせしました。


 

 

 

 

 

 

 グレートブリテン建国神話・アーサー王伝説。

 アーサー王を召喚する予定だった以上、彼の紡いだ伝説を履修するのは当然だった。

 

 聖剣王アルトリア・ペンドラゴンは最初、妖精王モルガンが騎士王アーサーの精を奪い、密かに生み出された最初の子供として記されている。後に両王の後継者となる存在と思えない出生だ。

 案の定、聖剣王はアーサー王伝説の終盤までほとんど姿を現すことはない。故に歴史ではなく伝説という括りでは、聖剣王は他の登場人物と比較して影が薄いと言えるだろう。

 しかしアーサー王が聖なる剣を手放し聖剣王に与えたことで、彼女は一躍脚光を浴びることになる。アーサー王が聖なる槍の影響で人の身を保てなくなると、聖剣王は両王直々に後継者へと指名され、彼女は王の許を離れて王になる為の修行に出たのだ。

 

『私や妖精王陛下の許で、国の運営に必要な知識と経験は積めただろう。後は自らの目と耳で、庇護すべき民草の実態を知るだけでいい。お前は美しいだけではない、無辜なだけではない、俗で醜悪な人間の本性を学ぶがいい。そして自らが歩む王道を見つけ出すのだ』

 

 アーサー王の言葉を胸に旅に出た少女時代の聖剣王は、花の旅路と称される幾つもの冒険譚を各地に残している。人々を苦しめ惑わす悪しき妖精を討ち、堕ちた神霊を鎮魂する為に鐘を鳴らし、荒ぶる竜の暴威から集落を守って宝剣を手に入れ、時に匪賊や悪しき領主と相対して打倒すると改心を迫った。人々はその華やかな活躍を讃え、王の後継者たる少女の声望は高まっていった。

 だが、花の旅路とは皮肉である。花は綺麗なだけではない――中には毒を含むものもある。

 少女は多くの善良な人々と触れ合った。しかし同時に、度し難い醜悪な人の性も目にしていた。他者を貶める為に平気で嘘を吐き、改心を誓った直後に背中を襲う者に出会い、少女の持つ宝を奪おうと奸計を巡らせる者に狙われた。時には少女自身の身柄を狙う魔術師に、善良な人々を人質に取られて虜囚とされたこともある。知恵を絞り、心を燃やし、力を振るって戦わされた。

 人々は美しいだけではない。幾度も裏切られ、嘲られ、無償の人助けは甘えを生むと知った。やがて旅を終えて帰還した少女は、嘗てのように性善説を奉じる無垢な少女ではなくなっていて。それでも彼女は、アーサー王の問いに確たる信念を以て答えたという。

 

 ――善良なばかりではなく、醜悪さばかりでもなく、愚か過ぎず賢しさも足りない。それが人という種の総体だ。我が写し身よ、旅の最中に人を見て、国を治めるに足る王道を見い出せたか?

 

『はい。私は醜いものを見ました。愚かで、義を知らず、礼を捨て、偽りを働き、恩を忘れ、栄えるを妬む浅ましさに触れました。ですが多くの人はそうした醜さを抑え、自制して生きています。だから私はそうした人の営みを愛し、守り抜きたい』

 

 ――醜いもの、愚かなもの、忘恩の徒を悪とするのか? 治め守るべき民として認めないと?

 

『いいえ。法を守る内は、そうした悪も庇護しましょう。ですが私の掲げる王道は正義にある。今日此処で誓いましょう。私は、正義の味方になると』

 

 ――正義と悪の境界に立ち、自らが正義を定義した上で、図々しく肩入れするのか?

 

『はい。悪と正義を天秤にかけ、正義の側へ常に秤を傾ける、第三者としての座。それが私の考える正しい王の姿です。そして私の言う正義とは、我が国の敷く我が法の支配であると定めます』

 

 だから私は正義に味方する者として、王になる。そう告げた少女に騎士王と妖精王は頷いた。そして正式に少女を後継者として王の座に据えると、二人の伝説的君主は退去したのである。

 この問答を以て、建国神話は終わりを告げた。以後は歴史の領分として、聖剣王の思想と業績は語られるのだ。そして史上に残る建国期の偉大な女王は、伝説にある通りの治世を敷く。

 正義を守り、善を愛し、悪から善に転じる機会と禊ぎの裁きを設け、法より外れる悪の悉くを全て除いた。旧来の忠臣の子息、血族であろうと例外ではない。いっそ酷薄と取れるほど公平に、誰しもに平等なる法の裁きを与え、絶対的な王権の確立に尽力した。

 先代から受け継いだ中央集権による絶対王政――その反面、法政家としての王を体現し、法に従う王の姿を率先して示し法治国家に近い体制を確立した。無慈悲なまでに強権を振り翳していながら、その実彼女こそが国家における随一の奉仕者であったのだ。

 故にその様を称して後世の歴史家はこう評している。

『アルトリア女王は稀に見る正義の暴君であり、決して誤らなかった理想的な独裁者である』と。故に綺羅びやかな武勲を指して、伝説的な聖剣王の号があるように。その非人間的なまでの政治的功績と豪腕を指して、鉄血女王と揶揄されるまでになったのだ。

 

 謂わば歴史上のアルトリア・ペンドラゴンとは、伝説上の騎士や将軍である以上に、実在した政治家として類稀な偉人だと論じられる英霊なのである。

 

 

 

「む。この『緑茶』なるグリーンティー、未だ体験したことのない未知の味わいです」

 

 

 

 ――だが目の前で和菓子と緑茶を嗜む少女からは、そんな凄まじい業績を残した偉人の威風はほとんど感じられなかった。上品に来客用の茶菓子に手を伸ばす姿は、むしろ等身大の少女然としていて、とてもヨーロッパ史を代表する政治家の一人には見えなかった。

 その印象を素直に口にするほど迂闊ではなかったが、仮に口にしていてもセイバーは怒りを見せないだろう。逆に自嘲しながら認めていた。私一人の功績ではありません、アグラヴェインやその子息の補佐がなければ、きっと私は何も成し得なかったでしょうから――と。

 ともあれセイバーの自虐的な自己評価を聞いていない士郎にとっては、セイバーは世界史の教科書に載るレベルの偉人であり、それでいて実物は非常に可愛らしい乙女にしか見えていなかった。

 王としての仮面を被り、毅然としているセイバーを見て、なお女の子として認識しているのだ。存外この赤毛の青年の胆は太いのかもしれない。あるいはなんとかは盲目とでも言うべきか。

 

「シロウ、緑茶とやらにはこの煎餅というものが合いますね。この味わいは非常に興味深い。愚妹への土産にレシピが欲しいところですが、作り方の詳細を記した本などはないのですか?」

 

 あれば是非頂戴したい。無理なら目を通しておきたいですね――セイバーはそう言った。

 

 衛宮邸の案内を終え、最後に居間へやって来たセイバーは、座布団の上にお行儀よく綺麗に正座していた。グルメさながらに一口ずつ味わいながら吟味して、こういう味も楽しいと喜んでいる。

 異国の小柄な少女が、和の菓子と茶を味わっている様は非常に絵になった。士郎はなんだか緊張していたのが馬鹿らしくなりつつも、セイバーの要求を聞いて軽く謝罪する。

 

「すまん。それ、店売りの奴なんだ。流石に俺もそこまでの和菓子は作ったことがない」

「そうですか……残念です。この珍味を気に入ったのですが、レシピがないなら諦めましょう」

 

 茶碗を卓の上に置き、ほぅ、と吐息を溢す様まで品がある。なんだか異国のお姫様を接待しているみたいだと思うも、お姫様どころか女王様だったと思い至り意識を切り替える。

 自らがマスターであり、今が聖杯戦争という非常事態にある事を強く意識して気合を入れた。

 

「あー……せ、セイバー?」

「なんでしょう」

 

 凛とした表情で視線を向けられ、言葉に詰まってしまいそうになるも、士郎はセイバーとの会話を試みる。いきなりプライベートなところに踏み込むのは失礼だから、共通の話題から切り込んで確りとコミュニケーションを取ろう。サーヴァント召喚の前に、切嗣もサーヴァントとは積極的に会話をした方が良いと助言してくれていた。

 

「さっきの話を聞いて、俺もそれなりにそちらの事情は察したつもりだ。セイバーは境界記録帯(英霊の座)からじゃなくて、アヴァロンって所から来たんだよな」

「ええ。それが何か?」

「そこには神様になったアーサー王がいて、女王モルガンがいる。そして女王モルガンからこちらの事情を聞いたから、ある程度俺達の事情も把握している……んだよな?」

「はい。大まかな概要と、前回の聖杯戦争の顛末は把握しています」

「じゃあセイバーは冬木の聖杯が汚染されてることを知ってると思って良いのか?」

「知っています。元より承知して召喚に応じましたからね。この際です、私が此度の召喚に応じた理由と目的についても話しておきましょう」

 

 目的? とオウム返しにする士郎に、セイバーは生真面目な表情のまま語った。自らを召喚する為の触媒――聖剣の鞘と前回用いられた触媒――を回収することで、現世への縁を断つこと。そして父が討ち漏らした敵を葬り、父の関心が現世に傾きすぎないようにすること。この二つを達成した上で、後の禍根を断つ意味も込めて大聖杯そのものを解体すること。

 以上がセイバーの、サーヴァントとして現界した目的の全てだ。

 

「大聖杯の解体は最優先にするほどではありません。しかしシロウやキリツグが次の聖杯戦争まで存命だった場合、私や父上と実際に会ったことで縁が結ばれている以上、縁召喚で召喚される可能性も全くの零とは言えないでしょう。故に目的の一つに含んでいます」

「……そうか。分かった」

 

 現世との縁を完全に断つ。セイバーがそう言うと、士郎は鈍く反応した。

 ――つまり。士郎がセイバーと関われるのは、今回限りというわけだ。

 それは非常に……寂しい気がする。だが言語化できない想いにもどかしさを覚えながらも、士郎は私情に呑まれて大局を見失うことをよしとしなかった。

 今はとにかく聖杯戦争を終わらせるだけだ。勝つ為の戦略は整っている、後のことは後で考えよう。士郎は自身にそう言い聞かせ、しかし自らの決定に反発する感情を持て余した。

 

「シロウ?」

「ああ、いや、なんでもないぞ、セイバー。……そうだ、俺達は晩飯がまだなんだ、折角だしセイバーも一緒にどうだ?」

「む……現代の食事ですか。……誘われた以上断るのも悪いですね、ご相伴に与ります」

 

 士郎の魔力量が頼りないため、少しでも節約しておくべきかと判断したセイバーは誘いに乗る。現代の食事事情に興味がないと言えば嘘になるだろう。誘いを断る理由もない、セイバーは合理的な思考に自らの嗜好も併せ、飽食の時代とやらの産物を楽しむことにした。

 ――果たしてセイバー陣営は、目的の英雄を喚べなかったことを除き、順調な滑り出しに漕ぎ着けることへ成功したと言えるだろう。

 一般的に美味とされるレベルの士郎渾身の料理に、まあ普通ですねと淡白に感想を告げた少女と。そんな少女の反応の悪さに腹が立ち、なんとかして唸らせてやると意地を張る少年。傍から見て彼らの関係は良好なものに落ち着くだろうと判断できる光景がある。

 

 ここにイレギュラーは無い。故に、それ(イレギュラー)は外来のマスターへ全て収束している。

 

 此度の戦いは運命の序章。未だに、衛宮切嗣の構築した陣営の者達は知らずにいた。

 冬木の地最後の聖杯戦争は、最大の戦いとなることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()、調子はどうです?」

 

 スーツで身を固めた、短髪の女魔術師が冬木の地を踏む。

 霊体化したままのサーヴァントは飄々と応じた。

 

『さてね。オレはいつでも行けるが……あんたはどうする?』

「知れたこと。()()()()が確かなら我々は()()()の狩場に踏み込むのと同義。囲まれて叩かれる前に、拙速でも構わずこちらから奇襲を仕掛けるべきです」

『慎重なこった。オレは全然囲まれても構わないんだがね……まあ戦の定石を無視するのは馬鹿のすることだ。指示を寄越しな、バゼット。クランの猛犬の牙を、いったいどこに差し向ける?』

 

 蒼い装束を纏いし、朱槍を持つ偉丈夫。()()()()神性と、強靭な霊基を核とする、グレートブリテン建国神話に組み込まれたサイクルの頂点が彼だ。その真名は――クー・フーリン。

 封印指定執行者、宝具の現物を有するバゼットは、冷静に戦術を決める。

 

「速攻です。双子館――まずはそちらに潜んでいるらしいサーヴァントを仕留めます」

『了解だ。だが忘れんなよ、バゼット。テメェに情報を寄越した奴は、漁夫の利を狙ってやがる。後ろから刺されるようなヘマはするんじゃねぇぞ』

「心配は無用。行きますよ、ライダー」

 

 応――頷く英霊は、戦意に溢れていた。

 ただただ死力を尽くした戦いを望む彼は、今ここに理想とする遊び場を手に入れたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コツ、コツ、コツ。

 

 格調高いスーツと白衣を纏った白髪の美青年は、貴族的な高貴さを当たり前のように呼吸する。

 人目を引く容姿である。道行く中で擦れ違えば多くの人が振り返るだろう。

 だが彼の周りには誰もいない。少なくとも肉眼で捉えられる範囲では。

 彼は冬木の街並みを一望し、高所故の風に髪を靡かせながら、虚空に向けて語り掛ける。

 

「――キャスター。()()()からの連絡は?」

 

 応じるのは、穏やかな好青年の声。

 しかしその実、感情が欠落しているかの如き、無感情な言葉だった。

 

『今はない。だがこのまま此処にいていいのかい? ()()()()()()。戦略的観点からすれば、事態を把握される前に最大勢力を叩くべきだと思うんだけどね』

「いいさ。英雄王との関係は、あくまで不可侵条約でしかない。我々は無駄なリスクを冒さず、最後まで隠れ潜んでいてもいい。最後に残ったサーヴァントを倒せばいいだけなんだから、活発に動く必要はどこにもないさ。――幸い、時計塔から私以外にもマスターが選出されたからね。ちょっとした伝手を使って英雄王からの情報を流し、嗾けるのは実に容易だったよ」

 

 だから、と。マリスビリーと呼ばれた時計塔のロードの一人は涼しげに微笑む。

 

()()()()()()()が私にはついている。勝つのは我々さ」

 

 

 

 

 

 

 




セイバー陣営、アルトリア・衛宮士郎・切嗣
ランサー陣営、ブリュンヒルデ・衛宮桜・久宇舞弥
未召喚陣営、未召喚・衛宮イリヤスフィール・ケイネス
監督役(アサシン「カレンの令呪」、言峰綺礼)

勝ったな(確信)
なお……。


遠坂陣営、遠坂凛・未召喚

ライダー陣営、バゼット・クランの猛犬

キャスター陣営、ソロモン・マリスビリー

アーサー対策(歓迎)の為に盤面を弄っていた第三勢力、英雄王(白けモード)


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初夜の狂熱に疼く話

 

 

 

 

 

 召喚に応じてくれたのは、北欧神話の最高存在に生み出された戦乙女。アイスランドの『ヴォルスンガ・サガ』、リヒャルト・ワーグナーの戯曲『ニーベルングの指環』に登場する、輝ける戦いを意味する名を持つ者。幸の薄い悲しげな女槍兵だった。

 

「――召喚に応じ、罷り越しました。ブリュンヒルデ……クラスはランサーです。……あ。……いえ、なんでもありません。……私、優しくしますね、マスター」

 

 まず感じたのは、時を置き去りにした強烈な同族察知(シンパシー)

 時代を越えた写し身のように、鏡を見せられたかのような錯覚を得たのは何故なのだろう。衛宮桜もまた優しげに微笑んだ女槍兵を前に、なんとも言えない苦笑いを浮かべてしまった。

 なんだか他人のような気がしない。

 なのに、決定的に他人だと感じる、パーソナルスペースを侵さない適切な距離感が、初対面の二人の間に横たわる。桜は一目でこの人となら仲良くやれると確信した。きっとランサーも。

 召喚してからまだ間もない。桜はマスターとして名乗り、自らの保護者にして協力者である久宇舞弥を紹介した後、自分の基本戦略をランサーに話した。今後はここを拠点として活動するが、敵と積極的に交戦するつもりであり、標的に定めた相手を討つためなら他の敵と一時共同戦線を張る場合もあるかもしれないと。ランサーを捨て駒にするのは気が引けるが、桜は切嗣達の戦略にあたる『本当の目的』を伏せたまま一先ず話を進めた。

 

「分かりました。では……敵襲に備え、この館の周辺に結界を張りますね?」

 

 するとランサーはあっさりと承諾し、マスターの指示を守る従順な姿勢で防備を固めた。

 ランサーの基本ステータスは高い。桜は宝具の詳細やスキル、ルーン魔術に関して聞き出すと驚嘆した。流石はヴァルキュリアの代名詞、神代の英雄。現代の規格に収まらない能力だ。

 そして一応の儀礼として――というより訊かないほうが不自然だから――聖杯に託す願いも訊ねてみた。すると彼女は、憐れなほど悲しげに答える。

 

「シグルドに、会いたいのです」

 

 ただ、それだけ。しかし――

 

「ですが、英霊としての私は、結末を固定されています。だから私は――きっと、シグルドに会えたとしても、最後には殺してしまうのでしょうね」

 

 ランサーは薄く微笑む。それは悲哀に満ちた、あんまりな結末の確信だ。

 桜は理解した。ランサーと自分は確かに似ている、縁召喚されるだけのことはあるのだと。

 だが決定的に違うのは、自分は大事な人達を決して殺さないということだ。

 桜は義姉(イリヤ)を、義兄(士郎)を、師匠(舞弥)を、養父(切嗣)を、絶対に害さない。だって家族なのだから。此の世で家族以上に大事なものなど有り得ない。だから絶対に自分より先には()()()()()

 ずっと一緒に生きていたい。永遠に、とは言わない。人として生きられる限り。それが叶わないなら自分の魔術で、自分の影に取り込むまでの話で、そこがランサーとの差異だろう。

 ランサーは愛する人を殺してしまう。桜は、大事な家族を死なせないことに腐心する。――あるいは桜がランサーのように成ってしまう可能性があるのかもしれない。縁召喚とはそうしたもしもの可能性を暗示するものだ。だがそうはならない、絶対に。そうした決心を桜は懐くも、ランサーの願いを叶えて上げたいという思いもまた桜の中に芽生えてしまった。

 だが汚染されているという冬木の聖杯では、仮に願いを告げる権利を得たとしても、まともな再会など叶うことはないだろう。

 だから、それは同情だったのかもしれない。憐憫を孕んだ後ろめたさだったかもしれない。桜はランサーに真実を打ち明け、叶わない望みのために戦わなくても良いのだと伝えたくなった。

 

「――桜。分かっていますね?」

「当然ですよ。同情なんか……してません」

 

 内心を見透かしたように釘を刺してくる舞弥に、桜は至って冷静に頷いた。

 

 それはただの自己満足なのだ。桜の目的はあくまで自分達の計画に沿ったものである。無駄なリスクを生みかねない行為を実行して、ランサーのモチベーションを低下させるのは愚の骨頂だろう。

 まして『聖杯を手に入れる』という指針を失くし、制御を困難にしてしまいかねない行為は慎まねばならない。可哀想だがこのまま何も知らないまま戦ってもらい、斃れてもらう必要がある。

 冷酷で冷徹な判断だが、桜は魔術師であり、衛宮切嗣の娘であり、家族の味方なのだ。自分達のためなら他人を犠牲にする覚悟は出来ている。衛宮桜はエゴイストに徹する意思を固めていた。

 

 ランサーが双子館の周辺に結界を張って戻って来ると、桜達は素知らぬ顔で今後の行動と、戦略について煮詰めていく。どうしても馬が合うと感じているのはランサーも同じらしく、初対面同士とは思えないほどスムーズに話が進んだ。

 

「初動は堅実に。相手の出方を見て、私と相性の良い相手を生かし、悪い相手は横槍なり不意打ちなりで迅速に叩く。――異論はありません。私の奇襲に対応できないようでは、真の英雄とは呼べませんから。ですから、私はマスターの作戦に従います」

「ありがとう、ランサー。それと想定通りに事が進まなくて、手強い相手と戦うことになったら、最悪私と舞弥さんで敵マスターを討ちます。ランサーにはそれまで耐え忍んでもらうことになると思うけど、そうなってしまった時はお願いね」

「はい」

 

 ランサー・ブリュンヒルデは、優れたマスターに召喚されたことへ安堵していた。

 魔力経路を通じて流れ込んでくる魔力の量は充分以上。これだけで現代の魔術師としては優れた力量を有しているのは把握できる。加えてランサーの目から見ても、衛宮桜は年若い少女にしてはよく鍛えられていると判定できた。格闘戦でもそれなりに戦える上に、明らかに戦場慣れしているらしい女――久宇舞弥がいる以上、桜が早々敗れることはないと信頼できる。

 何よりこのマスターは、ランサーにとって非常に稀有な存在だ。どこかシンパシーを感じるこの少女は、馬が合うからこそ、()()()()()()()()()()()()と安心できるのである。

 

 優しくされて、好きになってしまったら――殺してしまうかもしれない。

 

 そんな不安と無縁でいられるのに、気の置けない友人のような距離感を築けそうな感覚は、生前の経験からは想像もつかない良縁であるとランサーは感じていたのだ。

 優しくないのに仲良くなれそう。この感覚が、ランサーは好きだった。

 

「――――」

 

 その時、ランサーは知覚する。

 彼女の纏う空気がフッと変化し、鋭くなったのを敏感に感じ取った桜が問い掛けた。

 

「……ランサー? どうか……した?」

 

 横目に見た舞弥は既に動き出している。一瞬だけ目が合うと、桜と舞弥はアイコンタクトのみで意思疎通を終わらせた。舞弥が音もなく部屋からいなくなるのを尻目に、ランサーは悲しげに言う。

 

「敵です。たった今、私の張った結界が破られました」

「……早い。幾らなんでも、ここに敵が来るのは早すぎる。……ランサー、貴女はどう思う?」

 

 やはりと思うも、桜は苦い表情を隠せなかった。

 想定していたよりも遥かに早い段階で、この拠点を襲ってくる敵が現れたのだ。

 実戦経験豊富なランサーに意見を聞くと、彼女は質問を返してきた。

 

「マスター。ここで私を召喚することを、他の誰かが知っている可能性はありますか?」

「ないはずよ。私のお父さんなら知ってるけど、外部に情報を漏らすような人じゃないわ」

「貴女が令呪を持ち、マスターの資格を持っていることを知っているのも、お父様だけですか?」

「ええ」

 

 桜は素知らぬ顔で虚偽を働く。彼女の性格なのか、性質なのか、あるいは才能なのか。当たり前のように嘘を吐いていながら、ランサーほどの英霊にもそれを悟らせない。

 元より疑うつもりがないランサーはすんなりと信じ、推測を口にする。

 

「では……可能性は二つあります。一つ、マスターのお父様が情報を漏らしたか、裏切ったか。それにより敵マスターに所在が割れ――」

「それは有り得ない。だからもう一つの可能性というのを聞かせて?」

「……はい」

 

 無意識に浮き出たのであろう笑顔で催促する桜に、ランサーもまた性質の異なる笑顔で返した。

 余程にお父様を信じているのですね、と微笑ましくなったのだ。

 

「もう一つは、率直に――()()()()()()()()()がいる。そして拙速でも構わず我々を落としに来ているだけ、という可能性です。心当たりはありますか、マスター」

「――ない、とは言えない……かな。けど参考になった、ありがとう」

 

 ランサーの話を聞いた桜の脳裏に、父達を上回り得る存在が過ぎった。

 それは受肉した英霊だ。彼の英雄王が動いていたなら、有り得ない話ではない。後でこの件を相談するために切嗣へ連絡し、どうするべきかの判断を仰ごうと判断した。

 だが今はそんな場合ではない。桜は不測の事態にも慌てずに、ランサーに命じた。

 

「ランサーは迎撃に出て。私も武装が完了したらすぐに応援に出るから」

「畏まりました」

 

 桜の指示に、ランサーは丁寧に応じて霊体化する。

 向かうは襲撃してくる敵対者の許。願わくば――快い英雄であらんことを。

 戦乙女としての本能で、ランサーは英雄の到来を願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ン――?」

 

 夜の帳が落ちたが故の、閑静な住宅街を通った後。目的地が近づくや否や、戦車(チャリオット)に乗り込んでいたサーヴァントが胡乱な声を漏らした。

 相乗りしていた女は、自らのサーヴァントの反応を見て言葉短く問う。

 

「どうかしましたか、ライダー」

 

 チャリオットから生じる音は、本来騒々しいものだ。太陽の性質を宿した車輪は眩く、車輪から横に飛び出た螺旋状の杭は殺意に塗れ、頑丈な戦車を曳く二頭の馬が刻む馬蹄は雷鳴に等しい。特に『鏖殺戦馬セングレン』と、馬の王と讃えられる『殺戮神馬マハ』の威容は災害のようだ。故にバゼットの問う声も大きくなり、叫ぶほどの声量でなければ耳に届かないのが道理だろう。

 ――だが、ライダーの魔術によって消音されている為か、チャリオットが生むはずの騒音は完全に遮断されている。ライダーはバゼットの声を聞くと獰猛に笑った。

 

「いや何、どうも奴さんに気づかれたらしいぜ。ルーンで結界が張られていやがった」

「――ルーンの結界?」

 

 ライダーは戦士である。しかし、師からは術者としての才覚も高く評価された多才な英雄だ。

 彼は師から授かったルーン魔術に長け、キャスタークラスの適性も有するほどであり、だからこそ自らの存在が感知されたことを察知できたのである。

 彼が笑ったのは、今しがた戦車で踏み潰したルーンが、師のそれを超えるものだったからだ。無論今なお死ねずに、飽きもせず鍛錬を積んでいるであろう師なら、あるいは同程度のルーンを構築できるかもしれないが――少なくともライダーが知る師より上なのは確かだ。

 

 伝説に残る影の国の女王。窮まった槍の腕と、深遠なる叡智を誇る神殺し。

 

 数多の英雄を育て上げた魔女と比較しなお上回る。たとえ一分野のみであっても偉業だろう。これがどれほど困難なのか、想像の及ばぬ者は戦士の資格がないとすら断言できた。

 ――この先にいるのはキャスターか?

 ライダーにとってキャスターは好みではないが、これなら意外と楽しめそうだと期待する。果たしてその期待を裏切らぬかのように、双子館に踏み込む前に女槍兵が行く手を阻んだ。

 

「おいでなすったな」

 

 戦車を止めたライダーは、軽やかに跳躍して女槍兵の前に着地する。

 

 実体化して立ち塞がったのは、白髪の美女であった。

 大盾も斯くやといった、巨大な刀身を有する大槍を携えた女に、ライダーは犬歯を剥いて好戦的な笑みを浮かべる。明らかにキャスターではない。三騎士の一角、ランサーだ。

 ランサーのくせに師を彷彿とさせる出来栄えのルーン使い。加えて女。それが彼の記憶を刺激してやまなかった。容姿に類似点はほとんどないのに、影の国の女王を思い出してしまう。

 

(ルーン使い……それも師匠レベル。加えて女で、槍使い。北欧の出なのは間違いなさそうだな。ならコイツはあの戦乙女ってやつか)

 

 この時点でライダーはある程度、女槍兵の真名にあたりをつけていた。

 彼は野性的な戦いを好む蛮勇の徒である。だが同時に国内きっての文化人であり、知識人であり、同胞の中でも特に教養深い一面を持ち合わせていた。

 見た目と言動によらず、ライダーは頭も切れる男だ。故に僅かな手掛かりからでも真名を推察するのは難しいことではない。今回は特に馴染みのあるルーンを使われていたから尚の事だ。

 後は絞り込むのも簡単だ。実際に戦ってみて、どの程度の腕か見られたら、戦乙女の中で誰が該当するかも判別は容易いだろう。頭の片隅でそんなことを思いつつ、ライダーはこれから殺し合いを始めようという空気にそぐわぬ、陽気な調子で声を掛けた。

 

「よう、嫌な夜だな、女」

「――ええ。月は隠れ、雲は厚い。そして現界したばかりに不躾な敵襲を受けたとあっては、私も良い夜だなんて言えませんね」

 

 戦場に立っているとは思えない、玲瓏な声音で応じる清楚な女槍兵。蒼き騎兵は朱槍の石突きで地面をつき、沸々と滾る戦意を臨界まで高めていく。

 夜の闇が落ちきった空間だ。常人には手を伸ばした先すら見通せるか怪しいだろう。しかし彼らは互いに超常の存在、この程度の闇で視界を潰されることなど有り得ない。

 ライダーは周囲に視線を走らせ、女槍兵以外に誰もいないのを見て取ると、一つ鼻を鳴らした。

 

「マスターはどうした?」

「なにぶん急な来客です、おもてなしの準備を整えてからお越しになると仰っていました」

「ほう。そいつはいい、腰抜けがアンタのマスターだったら哀れんじまうとこだったぜ」

 

 どうやらランサーを迎撃に出し、自身は穴熊を決め込む腑抜けではないと分かり、ライダーは微かに安堵の吐息を零した。

 せっかくの上玉が相手なのだ、不心得なマスターに邪魔されるのは面白くないと思ったのである。

 そこまで言葉を交わすと、ライダーは背後にいる自らのマスターを、首を巡らし横目に見た。すると周到に準備を整えていたバゼットは頷きを返す。

 

 もういいだろう。

 

 ライダーはそう言うように朱槍を虚空に一閃した。

 

「名残惜しいが、悠長にお喋りしてやる訳にもいかねぇんでね。おたくらの背後に控えてる奴らに邪魔されるのは詰まらねぇし――悪いが、早々に終わらせてやるよ」

「――優しい人。わざわざそんなことを言う必要なんて無いのに、()()()()()()だなんて。そんなにも優しいと、私……困ります」

 

 ランサーが、亀裂が走ったように微笑む。不吉な予感を齎す笑みだ。

 魔力が高まる。空気が軋む。二騎のサーヴァントの殺気が激突し、空間が歪曲していった。

 スッ、と構えられた巨槍と朱槍。最後の問いとばかりに、ランサーは素朴な疑問を発した。

 

「あの」

「ん?」

「貴方は……ライダー、ですね。なのにあのチャリオットや、神馬に乗らないのですか……?」

「ああ……好みの問題でね、一騎打ちの時に限っては、なるべく体一つで戦いたいんだ。アンタを舐めてる訳じゃねぇ、気にするな」

「そうですか。なら……心置きなく、殺しますね」

「はっ、いいね。話の早い奴は嫌いじゃない。んじゃ――早速()りに行かせてもらおうか」

 

 ――瞬間、ライダーの姿が消えた。カッと両目を見開いたランサーの視界からも。

 半ば無意識に持ち上げた巨槍を旋回させつつ、半身になりながら背後に振るうや、一撃で自らの心臓を射抜こうとしていた朱槍を弾く。火花が散り、軽々と巨槍を振り回せる己ですら圧倒されかねない膂力を感じたランサーは、瞬時にこの英雄の力量を読み取った。

 

(初戦でいきなり――なんて鋭い槍――全力で――私が遅い――速く――)

 

 断続的な思考を置き去りに駆動する神話の乙女。ランサーが振り向き様に見舞った一撃を、容易く往なしたライダーがまたしても槍兵の背後に回り込んでいる。恐るべき速度、恐るべき敏捷性、最速の座にある槍兵をも圧倒しかねない桁外れの疾さだ。

 ランサーは即座にルーンを起動し自らの性能を強化する。下手に出し惜しめば瞬く間に敗れかねないと判断したのだ。まるで――愛する英雄(シグルド)と相対しているかのような緊迫感――

 

「ぁはっ」

 

 ランサーは嬌声に近い声を漏らしながらライダーの姿をはっきりと視認し、体の正面に捉えた。その姿にライダーは嗤う。自らの脚に絶対の自信を有している彼は、己を捉えられる強敵を迎えられて歓喜しているのだ。それでこそだと言葉にはせず槍の一撃を見舞う。

 秒にして五。繰り広げられた剣戟の音色は五十。離れて見ていたバゼットは援護すらできない。封印指定執行者が目で追うことすらできないのだ、ルーンを用いて動体視力を強化し、やっと残像を捉えるのが限界である。――これがサーヴァント、これが英霊! 神話の世界の戦いを前に、戦士としての血が戦慄を植え付けてくる。

 主導権はライダーが握っていた。真紅の呪槍が振るわれる度に、白絹の如き美女の肌に赤い血線が刻まれていく。このまま尋常の白兵戦を続けるのはマズい、高揚していく精神に蝕まれながらも女槍兵は強引に仕切り直しの一撃を解き放つ。

 

「ッ――!?」

 

 真っ向切っての打ち合いで、後一押しまで追い込んでいたライダーが危機を察知し跳び退いた。

 だが彼の胴に浅く切りつけられた裂傷が、完全な回避が叶わなかったことを物語る。

 

 巨槍による一振りへ見えざる手が重なったかの如き四連撃が連なったのだ。都合五連、一撃に不可視の四撃が重なる現象に、ライダーほどの英雄ですら初見では手傷を負ってしまった。

 だが軽い。浅い。二度目以降は簡単に受けるほど容易い戦士ではなかった。しかし――詰みかけた盤面をひっくり返し、仕切り直すには充分な間が空いたのも事実である。

 ランサーが緩やかに構えた。そして、彼女の総身と得物に青白い炎が発生する。魔力放出――みずみずしい唇を開き、ランサーは静かに宣言した。

 

「いきます」

 

 マスターから齎される潤沢な魔力を惜しみなく費やし、襲い掛かる戦乙女に騎兵が吼えた。

 

「いいぜ、来な――ッ!」

 

 片手に握る朱槍。空けた左手に淡い光を発する魔剣が出現した。

 無骨な短剣だ。しかし、それこそは歴戦を経たクー・フーリンの愛剣。

 

 ――幼少の頃、剣の師だった男から剣の才能はないと言われた。しかしその男の扱う剣は螺旋の刀身を持った魔剣である。その男の剣術を正しく学べないのも無理はなく、むしろ影の国の女王が一番弟子と定めた男に苦手分野など残すはずもなかった。

 

 故に無骨な短剣を握るライダーの剣術もまた、槍術ほどではなくとも頂点に近い。多彩な戦術の引き出しを持つライダーは、槍と剣による複合スタイルが今の状況に適していると見做したのだ。

 飛びかかるランサーの不可視の四撃、風車の如き巨槍の斬撃。視界を埋め尽くす青炎の絨毯。騎兵は地面を蹴って駆け回って狙いを絞らせず、槍撃の悉くを逸らしていった。

 戦場を駆ける二つの流星。繰り広げられる激突は三十に及び、瞬く間に戦場を更地へ変えていく。時が経つにつれ高揚し頬を染める戦乙女、うっとりとした眼差しで英雄を見詰める。そして槍を交わすごとに、次第に熱気を纏い戦の興奮に魔力を高める光の御子。

 ライダーはランサーの全力の攻勢を捌きながら、コイツには全力を出し、更に死力を尽くしても構わないだろうと――徐々に、徐々に、自らに掛けたリミッターを解除していく。それは本気を出し惜しんでのものではない、彼の内に眠る神の血の沸騰を意味した。

 

 本気を出そう。全力を絞り尽くし、死力の限りに戦おう。ライダーは、戦場王とまで称される本来の力を発露していき――ランサーは恍惚とそれを見ながらも危険を悟り――だが。

 

「ライダー!」

 

 彼のマスターが何かを察知したらしく、ライダーに対して鋭く指示を出す。

 

()()()()()()! 今すぐに決着をつけなさい!」

「――チィッ」

 

 目の前に集中し過ぎた。バゼットの言う増援とは、ランサーのマスターのことではあるまい。

 ならば、ランサーのマスターが救援を頼み、何者かが駆けつけてくる。尋常なる一騎打ちに邪魔が入るのだ。苛立って舌打ちしながらも、ライダーはマスターの指示を忠実に聞いた。

 

 振るわれた巨槍を朱槍で抑えつけ、跳ね上げられた巨槍の威力を利用して跳び退き、仕切り直したライダーは即座に魔槍と魔剣を構える。

 

「悪ぃな、ランサー。味気ねぇが、宝具でケリをつけてやるよ」

「っ……なら私も全力で応じましょう」

「往くぜ。この一撃、手向けとして受け取るがいい――! 魔剣抜刀――刺し穿つ――!」

 

 魔剣が激しく光る。魔槍が膨大な魔力を放つ。二つの宝具の同時発動! ランサーは咄嗟に全てのルーンと槍の宝具を解放して迎撃しようとして――彼女の視界に、伝承保菌者バゼット・フラガ・マクレミッツが宝具を起動しているのを見た。

 まさかマスターが宝具を?

 困惑するもライダーを迎撃しないわけにもいかない。肉体の機能を限定解除していきながらランサーも魔力を全開に迸らせ、そして――光の御子は曲者の気配を見逃さなかった。

 

「――バゼットォ!」

 

 宝具使用を中断(キャンセル)し、突如身を翻したライダーがマスターへとルーンを飛ばした。

 虚を衝かれたバゼットだったが、それが『硬化』のルーンだと気づくや瞬時に宝具の発動を止め、両腕を交差して胴体と頭部を守る。それはまさに戦士の直感、赤枝の騎士の防御本能。

 ランサーは突然の事態にも慌てず、迎撃態勢を解除してライダーの隙を突くも、騎兵の許に駆けつけた戦馬が主人を突き飛ばし、虚空に叩き上げると自らの背中に乗せ離脱する。痛ぇじゃねぇかと悪態を吐きながらも馬上の人となったライダーをよそに、それは来た。

 

 双子館から脇道に逸れ、死角となっている位置から銃声が轟いたのだ。『硬化』した直後のバゼットの全身を叩きつける銃弾の雨、交差する二つの射線。全身を金属バットで殴打されるが如き衝撃の連続に、防御体勢を取ったままバゼットは歯を食いしばり耐え凌ぐ。

 

「グッ……ツゥ……ッ!」

 

 周辺の光源はランサーが振り撒いた青白い炎の軌跡のみ。バゼットは制圧射撃に空いた一瞬の間隙を見逃さず、瞬時に拳を固めると、拳銃弾を正確に叩き落としていく。

 左右に分かれている構造物には、それぞれ暗視スコープをつけた桜と舞弥がいた。短機関銃での制圧射撃を両者が加え、片方がリロードしている間に相方が拳銃を放ち間を繋いでいるのだ。

 騎兵には依然として槍兵が攻撃を加えようとしている。そしてバゼットを挟んで銃士が二人。バゼットならこの状況からでも巻き返せるかもしれないが、間もなく増援が駆けつけてくるのなら意味のない奮闘になってしまう。状況の不利を悟ったライダーは見切りをつけ、愛馬を駆けさせるやバゼットを拾い上げた。バゼットもまた冷静に判断し、自らの宝具を回収して戦馬に跨る。

 

「ここはまだ踏ん張りどころじゃねぇ、立て直すぞバゼット!」

「くっ、やむを得ませんね……!」

 

 鮮やかに撤退していく流れを、ランサーは阻まなかった。いや、阻めなかったのだ。なぜならもう一頭の神馬が、隙を見せたら轢き殺さんばかりの威圧感を醸し出して桜を狙い、ランサーを牽制していたのだ。知能が高い――まるで人間のように。

 潔く去っていくライダー達を見送った槍兵は、こちらに歩んで来る自らの主人を振り返った。

 

「遅くなってごめんなさい。夜戦装備を整えるのにちょっと時間掛かっちゃって……」

 

 申し訳なさそうに言ったのは桜だった。寡黙な女兵士は何も言わず携帯電話を取り出し、誰かに連絡を取り始めている。

 桜と舞弥は夜闇に紛れる黒い夜戦服を着込み、暗視スコープとフードを身に着け、短機関銃と拳銃の他に手榴弾を三つ、軍用ナイフを二本装備していた。魔術師なんてものではなく、完全に兵士そのものの姿だった。流石のランサーでも驚いてしまう格好だ。

 

「……いえ。助かりました、マスター。あのままいけば、私も危うかったかもしれません」

 

 舞弥が連絡しているのは、敵マスターの言っていた『増援』とやらだろう。どうやらバックに頼れる味方がいるらしい。それが誰なのか、話してもらえるだろうかと思いつつも。ランサーの意識には槍を合わせたばかりの英雄が強烈に焼き付いていた。

 好ましい戦士だった。戦乙女として惹かれざるを得ない。まるで――まるで……シグルドのようで。疼くものを堪えつつ、ランサーは狂熱を鎮める。

 

 深呼吸をして、ランサーは槍を下ろした。初戦から全力を出させられた、あの騎兵はまだ余力を残しているようだったのに。聖杯戦争――どうやら一筋縄ではいきそうにないですねと呟く。

 

 夜が更ける。

 嗚呼、ほんとうに、嫌な(疼く)夜だ。

 これからもっと疼いてしまうと、ランサーには自分を保てる自信がない。

 ランサーはそう思うも、浮かび上がる歪な笑みを抑えきることは出来なかった。

 

(楽しいですね……騎兵(シグルド)。次こそは……私の宝具(アイ)を……)

 

 狂熱に頭を焼かれる感覚に、槍兵は密かに酔い痴れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




イリヤ「あーあ。せっかく来たのに、マイヤが出番はなしだって」


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イレギュラーと規格外の交錯する話

 

 

 

 

 

 遠坂凛は、渾身の手応えを感じていた。

 

「よしッ! 間違いなく最強のサーヴァントを引き当てたわ!」

 

 午前二時。自らの魔力が最高潮となる時間に英霊召喚へと踏み切り、万全の態勢で成したのだ。

 触媒は用意していない。そんなものがなくとも、自分が喚ぶのだから強い英霊が来るのは確実だと自負していたし、どんなサーヴァントが来ても従えられる自信が彼女にはあった。

 そしてその自信に恥じぬだけの力量が凛にはあり、果たして最高の()()を掴んだのである。

 だが――先代遠坂家当主、時臣の遺した仕掛けにより、遠坂邸の時計に一時間の狂いがあることに気が付かなかった凛は、午前二時ではなく午前三時に英霊召喚を行なってしまっていた。

 時臣は『こんな身近な異変に気づかないようではまだまだ未熟だ』という、ある種の親心による警告とも言えるのかもしれない。しかしこれが結果として凛の運命を決定づけた。

 

「は?」

 

 召喚サークルの中に召喚したはずのサーヴァントの姿はなく、唖然とする凛をよそに、上の階から()()が落下して館を破壊する音が響いたのだ。

 

「あぁもうっ! なんなのよーっ!」

 

 動転しながらも怒りを露わにし、急いで階段を駆け上がっていた凛は、目的の部屋の扉が壊れ開かなくなっていることに逆上して蹴り破った。

 果たして中は、見るも無惨な有様になっている。

 天井には穴が空き、部屋の中は瓦礫の山と化していたのだ。

 だがこの惨状を生んだ下手人が、瓦礫の上に座り込んでいる。脚を組んで瓦礫に背を凭れ、こちらを見遣るその男に気づいた凛は、なんとか呼吸を整えると苛立ち紛れに問いかけた。

 

「で――アンタ、誰?」

「……開口一番それか。全く、とんでもないマスターに呼び出されてしまったものだな」

 

 男は赤い外套を纏った長身の偉丈夫だった。内包する神秘は人の身には有り得ず、凛は緊張で密かに身を強張らせている。それを押し隠して強気に問い掛けたのが滑稽だったのか男は失笑した。

 黒いアーマーを装備し、高位の騎士が羽織る物に近い、高貴な赤い外套を羽織る白髪の男。褐色の肌と鋭い双眸が相俟って、王室に仕える峻厳な近衛騎士をイメージさせられる。だが既視感を覚えながら男の顔を見詰める凛の顔が、次第に驚愕の色を帯びていった。

 

「ウソ……よ、よく見たらアンタ、まさか……え、()()()()?」

 

 男の容貌は凛も知る青年と瓜二つだったのだ。いや声まで同じに聞こえる。

 肌と髪の色は違う。しかしその背丈と顔は紛れもなく――実の妹の義兄、衛宮士郎のもの。驚愕の余り言葉を失う凛に、衛宮と呼ばれた男は眉を顰めた。

 凛は無意識の内にマスターの特権、サーヴァントの能力を透視する権限を行使してその男を視る。

 

『筋力:B 耐久:C 敏捷:C 魔力:B 幸運:C』

 

 それがその男のカタログスペックだ。悪くない、寧ろ良い。突出して優れている訳ではないが隙のない性能だ。頭の片隅でそう思うも、マスターである少女は男の顔から目を背けられない。

 凛が固まっているのに、男は深々と嘆息して立ち上がる。

 思ったより穏健な態度のお蔭で、凛はその男に対し余計なことは言わなかった。

 問うまでもなく彼がサーヴァントだと分かっているのだ。更に知り合いと瓜二つの顔を見て驚き、毒気を抜かれてしまったのもある。凛は部屋を破壊された事への蟠りを忘れてしまった。

 男は思案するようにこめかみを揉む。

 

「エミヤ。エミヤ……か。その問いには是とも否とも言えんな。乱暴な召喚のせいで、少々記憶が混乱しているらしい。出来るだけ早く思い出すように努力はするが、今は真名を答えられない」

「え……ほ、ホントに?」

「嘘を吐いてどうする。君の失態だ、私に文句は言わないでくれよ」

「……最悪。真名が分かんないんじゃ、宝具がどんなものかも分かんないじゃない。じゃあ、アンタのクラスは? もしかしてセイバーだったりする?」

「生憎、セイバーではないな。というより、基本クラスのどれにも該当していない」

「……はあ? つまり……どういうこと?」

 

 男の申告に、凛は困惑する。基本クラスではないとはどういう意味だと。

 彼女はまだ自覚していなかったのだ。

 自分が、この聖杯戦争で――

 

「私は番人(ウォッチャー)のサーヴァントだ。

 何故(なにゆえ)こんなクラスにされたのかは分かりかねるがね」

 

 ――最たるイレギュラーを召喚したのだということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 センタービルの屋上から、ウォッチャーは新都の街並みを見渡す。

 傍らにはマスターである凛もいるが、彼は懐かしさを覚えたような顔で目を細めていた。

 

(――全く、奇縁という他にないな)

 

 よもや死後に英霊となった後、こうして故郷に戻って来ることがあるとは。

 赤い外套の番人、真名はエミヤシロウ。彼は生前の記憶をほとんど失っていない。名前も一夜を明かせば自然と思い出せた。だが、ウォッチャーは凛にそのことをまだ告げていなかった。

 詮索されてもエミヤの名は伏せ、彼の祖先だと偽るつもりだ。必要だからである。理由は誰にも明かせないが、決してこの身がエミヤシロウであると暴かれてはならないだろう。

 

(英霊召喚に作用し、オレを引き当てるに至った触媒は――多分、これだろうな)

 

 表面からは見えない。しかし彼の懐には、()()()()()()があった。

 それは彼の義妹、衛宮桜が、遠坂から間桐へ養子に出される際、凛と交換したというリボンだ。彼はある時にそれを桜から渡され、生涯手放さなかったのである。

 ――()()()、桜が戦闘でリボンが汚れ、破れるのを嫌って外していなければ、ウォッチャーは桜の許に召喚されていただろう。それだけの縁がある。逆に桜が喚び出せなかったからこそ、彼はこの赤い少女に召喚されたとも言えた。

 触媒としての縁は薄い。だがそれでもこの身が召喚されたのには幾つか理由があるのだろう。凛自身とも少なからず縁があるし、何より、この聖杯戦争に自分が喚ばれたことには意味がある。

 

 生前の記憶はある。しかし全てを完璧に覚えているわけでもなかった。自分が経験した第五次聖杯戦争で、遠坂凛に召喚されたサーヴァントは――さて、誰だったか。ウォッチャーは瞑目し、記憶を洗い出しながら凛を見る。

 

「どう? 地形は把握できた?」

 

 今日一日、冬木の至るところを連れ回された挙げ句に、最後に連れて来られたのがこの場所だ。

 最初からここに連れて来てくれたら問題なかったが、それは言わぬが華というものだろう。

 

「ああ。お蔭様で戦場にしても問題ない場所と、してはならない所の選定も済んだ。街の状況もな」

「街の? それってどういう……」

「気づかないか? 街に()()()()の人間が多い反面、一般人の数が少ないことに」

「……それは気づいてるわ。けど、それが?」

 

 まだ夜になったばかりだというのに、新都の人通りは少ない。不自然なほどに。ウォッチャーがそれを指摘すると、凛も違和感と警戒心は懐いていたのかウォッチャーの意見を聞いてくる。

 確か……この時期、第五次聖杯戦争の開催に合わせて、養父の切嗣や体術の師である綺礼、魔術の師ケイネスが暗躍して魔術協会と聖堂教会に密約を取り付け、数年前から計画的に人を減らしていっていたはずだ。一般人を転勤させたり、旅行に行かせたり、田舎に帰省させたり……他にも休校、店の改装と銘打っての休業などをさせて。神秘の漏洩を防ぐための措置だ。

 それから新都の街のど真ん中に、戦時の地雷やらミサイルやらの不発弾が埋まっていたとか、ガス会社の不備で爆発の恐れがあるだのといった噂を流したり、冬木大橋の大規模工事の為に通行を規制したりとかしている。そうして人を可能な限り少なくして、サーヴァント同士が戦闘しても隠蔽しやすい区画を整備していた覚えがあった。

 その為に捻出された費用は目玉が飛び出るほど高く、聖堂教会や魔術協会も聖杯戦争に嫌気が差している者が多くなって来たと聞いた。当時はそうした視点を持っていなかったから然程気にならなかったが、今のウォッチャーは街の異様な雰囲気をつぶさに感じ取れた。

 

 だからこそ――彼の鷹の目は、()()()()()()()()、目が合ったことに気づいたのである。

 

 自然体のまま戦闘態勢に移る。無形の構えのまま、投影の準備をしながら番人は主人に答えた。

 

「……気の短い輩なら、この時間からでも仕掛けてくる可能性があるということだ」

「ああ……確かにそうかもね」

「凛、油断するなよ。後ろから刺すことを躊躇う者ばかりでもあるまい」

「油断はしてないわ。それより地形を把握できたんならさっさと帰るわよ。これからどう動くか決めなくちゃなんないしね」

「そうしよう。こんな見晴らしの良すぎる場所にいては、弓兵からのいい的にされかねん」

 

 納得した様子の凛をそれとなく急かし、さっさとセンタービルから離れる。特に異論はないらしく、凛はウォッチャーを伴ってさっさと帰還していった。

 

 ――ウォッチャーと目が合った者は、それを見届けて視線を切る。

 

「どうかした、()()()()()

 

 鈴を転がしたような、可憐な声で自らのサーヴァントに声を掛けたのは、麗しき美貌の少女だ。

 タイトなパンツと革靴、ドレスシャツを纏った姿は、さながら乗馬服に身を包んだお姫様のようであり、銀髪に赤い瞳の姫に傅く弓兵との体格差も相俟って、触れたら折れそうな華奢な体躯に見えるだろう。

 だが彼女の肢体は引き締まり、見る者が見ればよく鍛えられているのが分かる。その手脚はバレエダンサーの如くしなやかで、力強い躍動感を秘めているのだ。

 

「いや、何。遠目に敵サーヴァントを見つけた故、少しばかり牽制していたまでだ、マスター」

 

 少女――衛宮イリヤスフィールに仕えるサーヴァントは、人間離れした巨躯の持ち主だった。

 健康的に日焼けした肌は凄まじい筋肉量で隆起し、二メートルと半ばもある巨体と、身に纏う獅子の毛皮が特徴的な巨漢だ。一目で懐く印象は『大英雄』の他になく、圧倒的な覇気に溢れ、天災を凌駕する暴力を無比の理性で制御する破格の武威を放っていた。

 霊基は弓兵の英霊、規格は神話、其の真名は――ギリシャ最大にして最強の英雄、ヘラクレス。

 『衛宮』陣営における『聖杯の破壊』の為の本命がアーサー王であるなら、他の陣営を一掃する為の暴力装置としての本命が彼である。単純な戦闘力ならアーサー王以上かもしれないとすら、実際に彼の騎士王を目にしたケイネスに言わしめる武人であった。

 

 実際に戦えばどうなるかなど――もはや人間の尺度で測れる存在ではない。

 

「ふぅん……?」

 

 イリヤ以外にはまともに現界を維持することも困難で、全力戦闘の支援を単独で熟せる者はいない。ヘラクレスという大英雄を一目で気に入り、僅かな時間で全幅の信頼を置いているイリヤは、見た目に反して紳士的なアーチャーに意地悪な笑みを向けた。

 

「どうしたの? 昂ぶってるじゃない。そんなにいい獲物だったのかしら」

「――そうだな」

 

 彼女達は今、聖杯戦争最大のイレギュラーと目している、英雄王ギルガメッシュを探していた。

 彼ならギルガメッシュにも勝てる。イリヤはそう確信しているし、実際に戦闘に移れば士郎や桜がサーヴァントを連れ、援軍に駆けつける手筈なのだ。負けるわけがないと彼女は思っていた。

 故に今はギルガメッシュ以外に用は無い。イリヤはそう考えていたし、彼の存在を聞かされている弓兵も、マスターの意向を汲んで同意していた。侮るつもりはないが、イリヤほどのマスターに恵まれた自分なら、早々に遅れを取るはずはないと自負していたからだ。

 

 故に、アーチャーは笑った。武人らしい爽やかさの滲む、猛々しい笑みを浮かべたのである。

 

「あの赤いサーヴァントは()()。間の取り方がオールラウンダーのそれだった。私が射掛ければ、先方も負けじと矢を返してきただろう」

「……へぇ。でも、アーチャーに弓矢で勝てるわけないでしょ?」

「無論だ。しかし――」

 

 イリヤの確認に、絶対の自負を乗せて返す。

 だがアーチャーに油断はない。彼の武人としての勘が言うのだ。腕を競い合うに不足はないと。

 あれほど練り上げられた武の持ち主は、あのアルゴノーツにもそうはいなかった。

 

「――楽しみだ。名も知らぬサーヴァントよ、お前と戦う時が」

 

 アーチャーは、ただただ不敵に、英雄的な闘志を燃やした。

 

 

 

 

 

 

 




ある意味本作最大のイレギュラーのエントリー。
感想欄にて騎ニキの知名度への誤解がある方もいらっしゃったので解説しておくと、本作のケルト勢はアーサーのお蔭で(せいで)グレートブリテン建国神話に組み込まれ、知名度が跳ね上がっております。アイルランド以外でもクー・フーリンを知っている人は多いのです。

感想評価宜しくお願い致す。冬木崩壊RTAも皆様に楽しんで頂けるように頑張るので……!!(起源:傍迷惑)


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虎穴に突撃が最適解なのではという話

 

 

 

 

 

 厳かな静寂の十字架。後ろ手に組んだ手を解かず、偶像を見上げていた長身の男は報告を聞く。

 街中に依然として手掛かりなし。だが最重要ターゲットを除く各マスターの所在は割れている。

 男――言峰綺礼は髑髏面のサーヴァントが齎した報告を吟味した。

 騎兵と槍兵の戦闘に至る経緯、結果。騎兵が撤退した先。

 外来のマスターである時計塔の天体科のロード、魔術師の英霊の拠点。

 実に素晴らしい仕事の成果だ。望んだ情報が殆ど手に入っている。

 

「――ご苦労だった。引き続き身を隠し、情報収集に徹しろ。くれぐれも私がマスターであると悟られることがないようにな」

「御意」

 

 影が去る。齢を重ねてなお精強、代行者の中でも指折りの強者として名を馳せる男は思案した。

 出揃ったマスターとサーヴァント達。いずれも油断ならぬ強敵揃いだ。

 

 騎兵。マスターは言峰綺礼が若かりし頃に共闘したこともある、未だ年若い封印指定執行者。その女の能力と出自は知っている。おそらく騎兵はケルト出身の英霊だろう。聞き及んだ武装と出で立ちを併せて鑑みるに、光の御子だと踏んで良い。

 光の神ルーの御子であるクー・フーリンなら、槍兵ブリュンヒルデを圧倒する戦闘力にも納得だ。弓兵の座で招かれたヘラクレスとも伍するだけの力があり、油断できる相手ではないが……。

 

(もしもライダーがクー・フーリンであるなら、奴のゲッシュを利用して謀殺する事も不可能ではあるまい。奴の死因そのものだ、明確な弱点とも言える)

 

 この情報と推測は、すぐにでも盟友(共犯者)達と共有する必要がある。

 

 魔術師。マスターは盟友の一人と同格の、天体科のロード。大国の国家予算に等しい莫大な資金を求めて奔走し、夢物語のような計画のために行動しているらしい白髪の優男。

 サーヴァントは褐色の肌に長い白髪の、格調高きローブを纏った青年。アサシンが遠目に見た限りでは左右の手に指輪をしていたらしいが――まさか、とは思う。

 だがマリスビリーを伴い、神殿化した柳洞寺に立て籠もって以降、アサシンですら近づけもしなくなった点を加味すれば、有り得ないとは言えない想像だろう。綺礼はマリスビリーが冬木の聖杯に興味を示していながら、汚染されていると知り手を引こうとしていたという動きを、ケイネス・アーチボルトとその一派の者が集めた情報で知り得ていた。

 故にマリスビリーが突如として変心し、参戦してきた理由はその英霊にあると見るべきだ。もしも綺礼の想像と懸念が正しいなら――()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()

 

(……キャスターのサーヴァントは要注意だ。ともすると危険度は英雄王よりも高いかもしれん。奴が魔術王ソロモンであった場合、最悪()()()()()()()()()()()()

 

 騎兵が槍兵を早期から奇襲できた要因は、マリスビリーがなんらかの伝手を使い、バゼットに情報を流したから――かもしれない。その場合、なぜマリスビリーがこちら側の情報を手に入れていたのかと逆算して推理すると、英雄王の影が脳裏にちらつく。

 最悪のケースは常に想定しているが、凡そ考え得る限り最悪の展開は、受肉したサーヴァントである英雄王と、魔術王かもしれないサーヴァントが裏で繋がり、騎兵を尖兵にしているパターンだろう。もしその通りの展開になっていた場合、こちらの勝利は危うい。

 

『――厄介だな。余り考えたくはない可能性だが……念には念を入れるべきだろう』

 

 携帯電話で連絡を取り、情報を渡した相手は魔術師殺しだ。戦術はともかく戦略を練れる器ではないと弁える綺礼は、戦略に関しては衛宮切嗣に丸投げしていた。

 故に彼の作戦が妥当だと判断すれば、素直に協力する。

 

『英雄王の所在が掴めず、魔術王かもしれない奴が陣地を固めているなら、悠長に構えている時間はない。とにかく速攻でライダーを落とす必要があるな。言峰、いきなりだがコードCだ』

 

 コードCとは、早い話『皆で囲んで袋叩きにする』人類最強の戦略である。

 問題はその規模。確実に斃す為の作戦に、周辺の被害を顧みる倫理観は組み込まれていない。

 早すぎる展開に、しかし綺礼は反対しようとは思わなかった。代わりに気になる点を訊ねる。

 

「ふむ……まあ、この時のために準備を重ねてきたのだ、それが妥当だろう。だが衛宮切嗣、凛の方はどうするつもりだ?」

『遠坂の娘か。そちらは言峰の方で足止めを頼みたいが……』

「出来るかは分からんな。アレは天性の跳ねっ返りだ、手綱を握るのも簡単ではない。それに最後のマスターであるアレが喚び出したのはバーサーカーではないぞ、エクストラ・クラスと見てまず間違いない。能力は未知数だ、捨て置くのは危険だと思うが?」

『頭の痛い話だな。お前の話を聞く限り、乱戦の中に突っ込んでくる猪だとも思えないが……横槍を入れて来るなら仕方ないと諦めよう。纏めて斃すまでの話だ。肝要なのはキャスターや英雄王が動きを見せる前に、速攻で相手の駒を減らす事にある。拙速でもいいからとにかくやるしかない』

「そうか。了解した、話が纏まり次第すぐに連絡しよう」

『頼む』

 

 通話を切る。便利な時代になったものだと思いながら、綺礼は携帯電話で別の相手に連絡を入れた。

 暫くその場で待っていると、カソック姿の男と騎士服を纏う者達が来訪してくるのを迎え入れる。

 綺礼は厳かな面持ちで彼らに要請した。至急、指定した区画の人払いを為すように、と。

 案の定いい顔はされなかったが、彼らも()()()()ことは覚悟していたのだろう。苦虫を纏めて千匹も噛み潰したような顔をしながらも、了承の意図を込めて頷きを返してきた。

 

 言峰綺礼は、誠実で厳格な聖職者だ。同胞からの信頼も厚い。故に彼がサーヴァントを従えているとは、彼らも全く想像だにしていなかった。

 綺礼はこれから訪れる聖職者の同胞達――仕事量の多さに絶望する者――の苦難を想い、密かに邪悪な笑みを浮かべた。他人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、こうした時でも愉悦の味を楽しむ心的余裕を保っているのだ。故に彼は真摯に祈る。どうか大過なく事が済みますように、と。――祈りを捧げる神父の貌は、やはり邪に歪んでいて。

 

 しかし、()()()()()()

 

 来訪した聖堂騎士団の人間達はおろか。卓越した技量を保つ代行者、言峰綺礼ですら。そして人を超越しているサーヴァント、暗殺者の英霊ハサン・サッバーハを以てしても。

 ずっと、全てを。一部始終の遣り取りを盗み見ている存在に、気づくことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライダーはクー・フーリンかもしれない、ですか」

 

 衛宮邸の道場にて正座している少女、セイバーは切嗣からの報告を聞いて呟いた。

 ――シロウの力量を把握しておきたい。

 セイバーのそんな要求を聞いて、手合わせをしていた士郎は疲弊して仰向けに倒れている。全身から汗を噴き出し、肩で息をしている青年には一瞥も向けない。

 よく鍛えている。肉体面では文句の付け所はなく、思い切りの良さと魔術の出来も素晴らしい。あくまで現代の人間としては、だが。セイバーは息を乱すどころか汗一つ流さず、完膚なきまでに士郎を打ち負かしたが、サーヴァント以外にはそう簡単に負けないだろうと高く評価していた。何より彼の投影魔術が素晴らしい、古刀という刀剣を投影された時には度肝を抜かれた。

 衛宮邸は今、セイバーが張った結界で覆われている。もしもその結界が現代の魔術師によるものであったなら、古刀を投影された時点で結界がぶった斬られていただろう。それほどの出来だ。

 投影した古刀――新選組の斎藤一が使ったとされる、鬼神丸国重なる刀を見せてもらった。刀剣マニアのセイバーから見ても実物に等しい出来栄えで、切嗣達が探し回り手に入れた刀の中で、最も優れた使い手の刀だというそれを用いた士郎は、まるで超一流の剣豪であるかのようだった。だが士郎がまだ未熟なせいか、僅か五秒しか技量の一部を再現できなかったが。

 

 士郎は間違いなく大成する。セイバーは口にしていないが、自らのマスターの素養を認めていた。

 だがそれはそれとして、サーヴァントと人間の戦力差は思い知れたはずだ。まるで本気ではない上に本来の戦闘スタイルも見せなかったセイバーに、手も足も出なかったのだから、サーヴァントの脅威を知らなかった士郎にとってはいい経験になったはずだろう。

 

(モルガンが知ったら無理矢理でも連れ帰りそうだなぁ……)

 

 投影魔術もどきの異能使い、衛宮士郎の能力を知れば間違いなくモルガンはそうする。召喚に応じたのが私で良かったねなんて思いつつも、セイバーは表面上真剣に切嗣の報告を吟味する。

 

「ああ。協力者の寄越した情報からそう推測したが、あんたはどう思う?」

「そうですね……」

 

 ケルトの系譜はグレートブリテンに取り込まれている。アイルランドをアーサー王が征服し、完全に掌握する為の一環としてドルイドを駆逐したのだ。その事業の最前線を見聞したセイバーはある意味生き証人と言えなくもない。彼女はなるべくそれっぽく返した。

 

「魔剣に魔槍、身軽な衣装と立ち回り、ルーンの刻まれた車輪を持つ戦車と二頭の馬。話を聞くだけでも共通項は多いですし、可能性は極めて高いと言えるでしょう。ですが――」

 

 もし本当にライダーがクー・フーリンだったら、手強そうで面倒臭い。セイバーなら罠に嵌めてから戦うだろう。具体的にはクー・フーリンを部下へ食事に誘わせ、犬の肉を食わせる。

 目下の者からの食事の誘いを断らない、犬の肉を食わないというゲッシュを利用するのだ。生前というか現役時代というか、女王をしていた頃には出来ない戦法だが、今なら迷いなくそうする。

 が、これは聖杯戦争だ。ライダーのマスターが余程の馬鹿じゃない限り、そんなあからさまに致命的な弱点は対策しているだろう。してなきゃ馬鹿だ。もしセイバーがクー・フーリンの主として聖杯戦争に参加するなら、事前に令呪を使って特定ワードが聞こえなくなるようにする。令呪を使わずとも、他にも対応策は二、三ほどパッと思いついた。

 

 故にやる意味あるのそれ? とセイバーは思う。セイバー陣営は聖杯戦争を潰す計画の本丸だ、故に切嗣らの戦略の概要を聞いているセイバーは、弓兵のヘラクレス、槍兵のブリュンヒルデ、暗殺者のハサン・サッバーハの主達が味方と聞いている。こんなの勝ち確じゃんとセイバーは思うのだ。ぶっちゃけ負ける方が難しい。袋叩きにして終了だよとも思う。

 まあモルガンから聞いた話によると、サーヴァントが一つの陣営に纏まり過ぎたら、大聖杯とやらの機能でサーヴァントが追加で召喚される事態になるらしいから、大手を振って味方面をするわけにもいかないが――それを知らないままサーヴァント側を信じず、一つの陣営に纏まらなかった切嗣達は運がいいのかもしれない。

 

 ともあれそれはサーヴァント同士に限った話だ。小細工はいらない、ヘラクレスを突っ込ませたらいいだろう。ヘラクレスとクー・フーリンを戦わせ、決着がつくまで支援するのも手だが、二人が交戦中に敵マスターを綺礼とケイネス、切嗣や舞弥、士郎、イリヤや桜などで袋叩きにしてしまえば確実に倒せるのではないか? 本当に小細工はいらないのだ。

 セイバーやランサーは、その間に横槍を警戒していればいい。英雄王をブッ飛ばしてアーサー王超えを証明さえすれば、後は事務的に目的を達成してフィニッシュである。

 

 ――という旨を、聖剣王フィルターを通して話した。すると切嗣は険しい顔で否定的に言った。

 

「……僕もそうするのが一番なのは分かる。アーチャーはイリヤに忠実らしいし、ランサーも穏健らしいからな。サーヴァント側に一定の信頼が置ける以上は、そうした方がいいと思う」

「その口振りから察するに、イレギュラーでも起きましたか?」

「ああ、それもとびっきりのイレギュラーだ。セイバー、あんたにも意見を出して欲しいからよく聞いていてくれ。――キャスターのサーヴァントは、あのソロモン王かもしれない」

「――え? なにそれ反則じゃない……?」

 

 思わず素を出してしまって、セイバーは固まる。それほどまでにとんでもないビッグネームが飛び出したからだ。

 全ての魔術の始祖にして頂点。魔術そのものを支配する古き王、ソロモン。

 それは魔術という分野に於いては、自身よりも明確に上だと認めざるを得ないあのモルガンですら後塵を拝する――というか、魔術を使う以上は相性が悪すぎて話にならない相手である。

 それでもモルガンなら、ソロモンに対して打開策を打ち出すぐらいは出来るかもしれない。しかし魔術史に於いてトップの座はソロモンが不動で、モルガンは二番手で据え置きなのだ。

 この力関係は如何ともし難い。しかも生身なら兎も角、サーヴァントである今は絶対に敵にしてはいけない相手だ。なにせ聖杯戦争とは魔術儀式である。()()、儀式なのだ。

 つまり――聖杯戦争のシステムを支配するなり乗っ取るなりされたら詰む。具体的には令呪を横取りされ自害しろと命じられたら終わるのである。これはとんでもないクソゲーだった。

 

 生身ならどうとでもなる。勝つ自信はある。だがサーヴァント化している今は無理だ。――あのクソ親父なら、聖槍抜錨というチートによる力技で打破できるかもしれない。しかし少なくとも自分には無理だとセイバーは自覚していた。

 

「うわぁ……」

「………」

「……私の意見を聞きたいのでしたね。ならば答えましょう」

 

 素で呻いているのを微妙な目で見てくる切嗣に気づき、微かに赤面しつつセイバーは言った。

 

「ライダーを速攻で叩く。アーチャーをぶつけ、逃げられたらランサーをぶつけ、そこからも逃げられたら私が仕留める波状攻撃の人海戦術。これは愚策だと断じましょう。確かにライダーにはすぐ退場してもらった方がいいですが、キャスターに捕捉されてはいけない」

「どういうことだ?」

「今キャスターが動きを見せていないのは十中八九、アーチャーやランサー、そして私を探す為に盤面を確認している最中だからでしょう。ランサーは既に捕捉されていると見ていい、アーチャーは分かりませんが、少なくとも私はまだ捕捉されていない。キャスターは全員を同時に捕捉して、同時に令呪による自害を命じる腹なのかもしれません」

 

 本当にキャスターがソロモンならの話だが。慎重論に舵を切るのはいいが、そうして実は勘違いでしたと言われたら笑えない。大戦略を崩す失態なのだ、誤報を齎した者は死罪に値する。

 

「つまり直接対峙しなければ令呪の乗っ取りはないと見ていいと。そして全員が同じ戦場に現れたら詰むかもしれないということか。ならセイバーが捕捉されていないという根拠はなんだ?」

「この屋敷には私の結界を張っています。感知に特化したものをです。故に此処には今、我々しかいないと断言できる。結界の主は私のままですし、相手が魔術王でも干渉されたら多少のノイズは認識できます。それがない今は一先ず信じてもらっても問題ありません」

「分かった。なら僕とケイネス、舞弥の三人で行く。ライダーはアーチャーに足止めさせ、ライダーのマスターを僕達で討とう。ライダー陣営を討つのは明日だ、セイバーはその間……」

「こちらは私に任せてください」

 

 自信満々に言い切ると、切嗣は頷いて去って行った。

 

(いざとなったら「お父さん助けてー」って叫んでみよっかな)

 

 なんてふざけた事を考えながら、上体を起こし胡座を掻いていた士郎と目を合わせる。

 

「シロウ、提案があります」

 

 極めて真剣な面持ちで言われ、士郎は乱れていた呼吸を整え終えてから応じた。

 

「……なんだ、セイバー?」

 

 正直な話、ライダーやキャスターの真名はまだ確定した訳ではない。不確定な情報に踊らされるのは面白くないだろう。聖剣王としては、そうした曖昧な状況で動くのは望ましくないと思う。

 だから彼女は提案するのだ。不確定なら、確定させてしまえばいいのだと。魔術王ソロモンは知恵の王だ。叡智を誇る賢者である。そうした手合いに対する最適解を彼女は知っていた。

 ずばり――

 

「柳洞寺に行ってキャスターの顔を見に行きましょう」

 

 最悪、令呪を全画失くすかもしれませんが、まあそんなのなくてもいいですしね。

 セイバーは軽くそう言った。

 

 ――賢者は時を置かずに物理(キンニク)で殴れ。

 

 鉄則である。騎士王仕込みの速攻マジカル殺法が火を吹けば、頭の良い奴ほど困るものなのだ。

 愚策、下策、大いに結構。虎穴に入らずんば虎子を得ず。聖剣王とはつまり騎士王と妖精王の後継であるからして、大いなる失策も巡り巡って大戦果に繋げるプロフェッショナルなのだった。

 

 呆気に取られる士郎を前に、セイバーは微笑んでみせる。

 

 それはそれは、とても綺麗な笑顔だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 



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されど番人は竜と踊る話

ちなみにウォッチャーはFGOのエミヤ(第三再臨)の姿です。


 

 

 

 

 

 

「お、おいセイバー、本当に皆に黙って行っていいのかよ……!」

 

 衛宮士郎は決して短絡的な馬鹿ではない。

 若さ故の向こう見ずさや未熟な部分はあるが、生粋のエリートである魔術師に師事し、厳しい師匠達に苛烈に鍛えられているのだ。実戦経験こそ無いが、余計な甘さを見せることはない。

 魔術に纏わるあらゆる分野で、卓越した研究成果を残す天才魔術師ケイネスの教え子であり。死徒と徒手空拳で殴り合い、正面から討ち果たせる代行者、言峰綺礼の弟子であり。魔術界の現代火器軽視の風潮を荒々しく拭い取り、専用の対策案を練られて尚、魔術使いの界隈で伝説的な傭兵として知られる衛宮切嗣の薫陶を受けているのに、彼の師匠は故人さえも含まれているのである。

 古刀のみならず、江戸時代末期からの剣豪達が振るった刀を、博物館や闇市場で視認し、固有結界に貯蔵している士郎は、卓越した剣技を有する剣豪達の技を生の感覚で追憶している。ケイネスの提案によりそうした異形の修行を経ている今、ケイネス以外の師はもう教えることはないと放任を決め込むまでになっているのだ。恐らく同年代で、士郎に敵う者などいないと言っていい。

 

 そんな士郎だからこそ、一見短絡的な行動に打って出たセイバーに慌てているのである。

 

 夜、キャスターが神殿化している柳洞寺への案内役に駆り出された士郎は、自身を急かすセイバーの真意を聞き出し、場合によってはなんとかして思い留まらせようとしていた。

 だがセイバーの足取りに一切の迷いはない。純白の衣を翻し颯爽と歩むセイバーは、既に確定した路線を進む豪腕ぶりを発揮している。一先ず士郎に先導を半強制していながら、マスターである彼には納得していてもらわないと困ると判断して説明する。

 

「寧ろ他の者は邪魔です。足手纏いという意味ではありません、いてもらっては困るという意味で邪魔になる為、こうしてシロウと私だけで急行しているのです」

「どういう意味だ?」

 

 もし切嗣に話せば、彼は大胆に方針転換してでもセイバーに協力しようとするかもしれない。

 だがそれをされては困る。なら目の前に集中してもらった方が良かった。

 なぜならば。

 

「……警告しておきましょう。あなた方はソロモンを舐めている。自らの常識の範疇に押し込み、矮小化させた危機意識しか持ち合わせていない。これは非常に危険な状態だと断言できます」

「俺達が舐めてる? そんなことは」

 

 ない、と断言しそうな士郎を、セイバーは横目に見た視線で制した。

 

 令呪を奪われ自害を命じられる、マスター権を奪われる――それは正しい。しかしそれはサーヴァント側に関する危険であり、切嗣達は大きな陥穽を見落としているのだ。

 すなわち、マスター側に関する危険だ。ソロモン王は召喚魔術の祖として有名だが、それ以外の魔術に関しても最高峰に位置している。たかが人間程度、容易く料理してしまえるのだ。

 

「マスター権、令呪、極論になりますがこれらは無視してもいい。しかしソロモンの魔術でマスターが殺害される危険性は認知していますか?」

「……それは」

「していない。しているつもりでしょうが、私からして見ればしているようには全く見えません。たとえばソロモンの陣地に侵入した途端、マスターだけ別地点に強制転移させ直接殺害することは容易いでしょう。陣地外でも視線が合うか、特定の動作を視認させるかするだけで、呪い殺すのも朝飯前です。空気を猛毒に変えるだけで人間(マスター)は簡単に殺せる」

 

 モルガンなら可能なのだ。ならば同様のことがソロモンに出来ないはずがない。故に対ソロモンに於いて勝機が最も高いのは、高い対魔力を有し、単独行動が可能で、瞬時に白兵戦に持ち込み打倒できる者――アーチャーをおいて他にいないだろう。そのアーチャー・ヘラクレスですら、逃げの一手を打ったソロモン王を仕留められるかは疑問だ。

 故に今なのだ。まだ聖杯戦争が始まって間がなく、陣地が完成していない可能性が高く、自らの居場所がまだ割れていないと判断し、襲撃を受ける状況を想定していないであろう今しかない。どれほどの賢者でもアサシンのマスターとこちらが繋がっており、アサシンにより自らの居場所が暴かれているとは思うまい。だから速攻を仕掛ける。兵は神速をこそ尊ぶのだ。

 

「だからキャスターが本当にソロモンだった場合、最善の策は何もさせずに討つことです。いいですかシロウ、覚えていてください。この聖杯戦争というルールに於いて、魔術王ソロモンは紛れもなく無敵です。絶対に直接対決をしてはいけません。マスターがソロモンの手が届く位置に入った瞬間、敗北が確定してしまうからです」

「そんなにヤバいのか……?」

「ええ。むしろまだ想定が甘い恐れすらあります。妖精王陛下に出来ることを言っているだけで、即席でそれ以上のことが可能なら……はっきり言って私にも打てる手がありません。しかし今だけはまだなんとか倒せる可能性が高い。何せ、()()()()()()()()()()()()()

 

 どういうことだ? と士郎は素直に訊ねる。セイバーは完全に想像だけで話しているような口振りだが、感じさせる説得力には疑問を挟む余地がない。王としては勘だけでなく、理詰めで事に臨むセイバーのスタンスや物言いが、他者を不快にさせることはあるが――有事に於いてセイバーの判断や意見に、異論を唱えた者などいないのである。

 いっそ反感を抱かれることもある、確固たる自信と鋼鉄の論理。セイバーは機械の如く正確に、相手のキャスターが本当にソロモン王だった場合の状況を読み解いていた。

 

「ソロモンは()()()()()()()()()()()()()()()()のです。なにせ相手マスターさえ捕捉すれば勝利は確実なのですから。そのソロモンがわざわざ陣地を作り身を隠している――即ちソロモンはこの聖杯戦争で、なにがしかの目的……もしくは条件のいずれかを達成していないのでしょう。このことから逆説的に言えるのは――」

「――そうか、()()()()()()()()()()()()()()なら、マスターやサーヴァントを積極的に脱落させようとはしない!」

「ええ、その通りです。その端的な理解は美点ですよ、シロウ」

 

 セイバーは納得したように言った士郎に微笑む。

 それに照れてしまいそうになりながら、士郎はセイバーの意図を理解した。

 

「……だから俺達だけなんだな」

「そうです」

「他の皆で襲い掛かれば、流石に相手もなりふり構わなくなる可能性がある。だからセイバーだけで仕掛けて斃す必要がある訳だ。なら俺がすべきことは、即座に令呪を使うこと……だな?」

「理解していただけましたか。柳洞寺は確か、冬木の霊脈の中心地で霊体へ強力に作用する結界があるのでしたね。正面の山門から入らないとステータスが大幅に下がるという……なら最初から全力で山門まで駆け上がり、突破した瞬間に聖剣の最大火力を叩き込みましょう」

「分かった」

 

 柳洞寺は友人の家でもあるが、()()()()()()()()()()()。柳洞寺の人達は今、よその寺の人達との交流という形で修行しているのだ。聖堂教会と魔術協会がなんとかして人払いをしたから。

 というのも柳洞寺はセイバーの言った通り、冬木市の霊的な心臓とも言える要衝である。サーヴァントならここを本拠地にしようとする可能性は充分に想定できるのだ。

 だから士郎に躊躇はない。友人の家を破壊するのは気が引けるが、そんなことに躊躇っていてはより多くの人に犠牲が出るかもしれないのだ。人的損耗がないのなら果断になれる。

 

 覚悟を決めた様子の士郎に、セイバーはひそかに安堵する。

 

(よかったぁ……なぜか私が意見を言う度に反感を募らせる人達がいたけど、シロウはそうじゃないみたい。……ほんと意味不明だよね、私の言ってることそんなにおかしいの? ねぇ、オマエに言ってるんだけどコンスタンティン。聖人面した俺様野郎、密かに反乱しようとしてたの私は許してないからな? もしまた会ったら絶対去勢だけじゃ済まさないから覚悟しろー?)

 

 士郎が素直だから対比して思い出してしまう。現役時代、矢鱈と反抗的だった同世代の嫌な奴を。

 仄かに負のオーラを纏ってしまうも、目敏く感づいた士郎に気づき嫌な奴を頭の中から追い払う。

 嫌な気分になりかけたのを、セイバーは改めて士郎を見ることで払拭した。

 

(――その点、シロウは好青年だよね。背は高いし声はいいし顔も悪くない。見た目で私を侮らないし素直に話を聞いてくれるし納得したら迷わない。おまけに努力家の気を感じるし、才能ないくせに強くなろうとしてる。うーん、シロウ! 私の現役時代なら執事にしてあげてましたよ! なんで私が王様だった時に生まれてないんですかコンチクショー!)

 

 理不尽に怒り出すセイバーは、間違いなく情緒不安定だった。聖剣王としての彼女は鉄壁の法の鉄人であるが、個人としては感覚で生きている直感型の人間なのだ。うじうじと昔の怨恨を引き摺り続けるし、ナチュラルに辛辣で辛口評価もする上に、勝負事になると極度の負けず嫌いを発揮もする。故に彼女の内心を知った者は安定感に欠けていると思うだろう。

 だがセイバーの安定感、バランス感覚は絶妙だ。緊張感がまるで無いように見えるのは、自身の能力に大きな自信があるからで。言動に迷いがないのは、貫いた信念に自負があるからだ。

 余所事を考えているように見えても――実際に考えてはいるが――彼女の思考をよくよく覗き込んでみたら、味方の美点(取り柄)と能力を分析し、査定を下して立ち回りを考察しているのが分かる。

 セイバーは今の士郎に対し、ほとんど期待していないのだ。足を引っ張ることはないなと評価しているだけで、人柄への好意は仄かに懐いても戦力としては半人前だと辛辣に見ていた。

 

 そしてセイバーは良い意味でも悪い意味でも公平だ。いや、寧ろ自分自身にこそ辛口である。

 

(……あのクソ親父なら、モルガンなら、他に策を思いついていたかな)

 

 セイバーは騎士王直伝の脳筋殺法を使うが、アーサー王ほど軍事能力に特化していたわけではない。そして女王として政治力学を理解し、人間関係を操作して、防ぎ得ぬ策謀の刃を潜ませられるモルガンほど知略に秀でているわけでもなかった。政戦両略のどちらかに特化しているあの二人は、自分と同じ立場にいて同じ状況に置かれたら、どうやって対応していたかを考えてしまう。

 感覚的に分かるのだ。直感で、あの二人ならセイバーよりも上手く対応していたと。――騎士王なら言うだろう、()()している時点で負け腰だ、相手の意表を突きたいならもっと割り切り果断になれと。妖精王なら言うだろう、そもそも前提がおかしい、対ソロモンを企図するのなら脇目も振らずにやることがあるだろうと。セイバーには、それが分からないのだ。

 経験が足りない。実力が足りない。劣等感が彼女の心の中でチクチクと背中を刺している。自分には他に何が足りないのか見通せないのが歯痒い。情緒不安定気味に雑念を湧かせ、ごちゃごちゃ余所事を考えてみているのも、そうした劣等感から目を逸らす為だった。

 

「着いたぞ、セイバー。ここが柳洞寺だ」

「――ここが、ですか」

 

 長い長い階段を見上げ、遠くにある山門を目視する。

 士郎の道案内を受けてやって来たセイバーは、ここで士郎を待たせるべきか連れて行くべきかを思案した。令呪を切るタイミングはどうするかも。だが、セイバーはふと気づいて目を凝らした。

 そして――()()()と汗を吹き出させる。

 想像もしていなかった光景を見て、度肝を抜かれてしまったのである。

 

「……シロウ」

「なんだ?」

「柳洞寺には……結界があると聞いていたのですが?」

「? ああ、あるぞ。それがどうかし――ッ!?」

 

 士郎は遅れて悟り、目を見開いた。キャスターでもあるセイバーだからこそ一早く気づけたが、士郎も固有結界を宿す身である故に世界の異常へ敏い。だから士郎も気づいたのである。

 柳洞寺には、強力な結界がある。遥か昔に日本の高位の術師が張った、サーヴァントにすら効力を発揮するものだ。当然士郎たちはその存在を知っていたし、サーヴァントとの情報共有で伏せる意味がない為、セイバーにもきちんと話してあった。

 だが――()()()()()()()。完全に失くなっている。それだけではなかった。士郎は気づかなかったが、高位の魔術師でもあるセイバーは見て取っている。山門の向こう側にあるはずの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを。

 

「――先行します。続いてください」

「あ、ああ!」

 

 飛び出したセイバーの後を追って士郎も駆け出した。

 嫌な予感がする。何かを致命的に間違ったような、取り返しのつかない失態を犯したかのような。

 挽回する為にも状況を掴まねばならない。急ぎ階段を駆け抜けていき、山門の先へ突撃した。

 

 想定通りなら本来ここは敵地だ。迷いなく全てを破壊し尽くし、敵マスターごと聖剣で吹き飛ばすはずだった。だが、柳洞寺の敷地内には静寂が満ちているばかりで、とても魔術王はおろか魔術師の英霊が拠点を築いている痕跡はなかった。

 

 そして、セイバーは発見する。直線上の先に()()()()()()()

 

「っ――ウォッチャー!」

 

 赤いコートを羽織った少女だった。マスターの、魔女だ。

 そして彼女はセイバーに気づくなり警戒し、跳び退きながら自らのサーヴァントを呼び出す。

 実体化する赤い外套の英霊。その顔を目にしたセイバーは瞠目する。

 

「ほう。まさかキャスター狙いの者と出くわ(バッティング)してしまうとはな」

 

 ふてぶてしく、ぬけぬけと言い放つその男は、両手に()()()()()()を握る。

 それはフィオナ騎士団の一番槍が用いた得物、赤の魔剣モラ・ルタ、黄の魔剣ベガ・ルタだ。

 セイバーは無言でヘラクレスの宝剣を模して作り出した聖大剣、マルミアドワーズを取り出す。

 

「貴公達は……いや、キャスターはどうした?」

 

 情報だ。今は目の前のサーヴァントよりも、そちらを優先する。果たしてセイバーの問いに、ウォッチャーと呼ばれていた赤い英霊は肩を竦めた。

 

「残念ながら()()()()()()()()()。どうやら空の陣地をそれっぽく見せ掛け、自分達は別の拠点に移動していたようだ。――そちらの問いに答えてやったのだ。こちらからも聞きたいことがあるのだが、構わないかね?」

 

 いない、のではなく。最初からいなかっただと? アサシンの目を欺き、移動していた? 

 冷や汗が浮かぶ。それは、何か……致命的だ。なぜなら――いや、今はそれはいい。目の前の者に集中しよう。セイバーは様子を窺ってくるウォッチャーを睨み、厚かましく告げた。

 

「答える気はない。ウォッチャーといったか、キャスターがいないならまずは貴公から斃れろ」

「やれやれ……凛、やるぞ。構わないな?」

「あぁもうっ! 仕方ないわね、やるわよ! 貴方の力、此処で見せて!」

 

 不測の事態なのは向こうも同じだったらしいが、特に動揺していないウォッチャーに笑われ、凛と呼ばれた少女もやる気になったらしい。一気に場の空気が張り詰め、そして。

 剣士の少女と、番人の男が激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――危ないところだったね、キャスター」

 

 男は全く危機感を感じさせない、冷静な声音で言った。

 キャスターはそれに対し淡々と応じる。

 

「私は特に危ないとは思わなかった。それよりマリスビリー、私のマスター。あんまり消極的なようだと、()に不審に思われてしまう。私達もそれとなく舞台に立つべきだと思うよ」

 

 キャスターの声音は穏やかだ。だが――どこかが欠落している。

 機械のようだと、心がないようだと感じてしまう佇まいである。

 マリスビリーはキャスターの意見に苦笑した。

 

「君がそう言うならその通りなんだろう。だが、今はまだ早い。もう少し、見極めないとね」

 

 キャスターは無敵だ。聖杯戦争で敵う者などいない。

 だから本音で言えばマリスビリーも、引き篭もっているつもりなど毛頭ないのだが――

 一つ、例外がある。キャスターですら敗れかねない者がいるのだ。

 

 それは、前回の聖杯戦争の生き残り。キャスターの持つアドバンテージがまるで通用しない、受肉した英霊、すなわち英雄王ギルガメッシュだ。

 盟友ではある。条件付きだが、不可侵条約を結んではいた。だが最終盤、聖杯を手に入れる段階になるとギルガメッシュとの対決は避けられない。故に、だ。マリスビリーは結論している。

 

()()()()()()()()まで、出来るなら隠れていたいものだ」

 

 ギルガメッシュの脱落。あるいは退去。キャスターと同格の敵が――キャスターの天敵が敗れる状況を、なんとしても作り出さねばならない。

 彼が今、目をつけているのは、アーチャーと、そしてセイバーだった。

 どちらかがギルガメッシュを討つまで、マリスビリーは大手を振って出陣する気がない。討てはせずとも消耗させるその時まで、彼らは待ち続けるのみ。

 

 彼らは策を練っていた。

 慢心を懐いたまま、聖杯戦争の終わりまで傍観に徹するつもりの英雄王を引き摺りだす策を。

 

 ――果たして、その策を成就させる要因を、キャスターは既に見い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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聖剣と贋作と

俺は匿名をやめるぞ、ジョジョ――!


 

 

 

 

 

 

 狙っていた。待っていた。望んでいた。

 

 心中の炉に燃える追憶の()。摩耗することなく今も滾る静かな灯。

 この身は誰かの為に在らねばならぬと、強迫観念に突き動かされた青春時代――出会ったその時から微かな予感を得ていた。己の運命の始発点、全ての始まりとなる冬木の死闘。鮮やかな記憶。

 己の真名、己の正体、暴かれてはならぬと弁えている。だがこの身に纏わるしがらみが赦さぬ対峙の時を、今この時だけは赦されるという確信が彼の体を戦場へ向かわせたのだ。

 私情はある。我儘だと理解している。だが同時に己の使命を探る為、この対峙は決して避けられないと分かっていた。サーヴァントとしてマスターを勝たせるべく努力する気持ちもある、使命を果たす必要性も把握している、しかし今だけは目の前の戦いに専心しよう。

 

 眼前には、たとえ一寸先すら見通せぬ嵐の中でも輝く導きの星。始まりに過ぎない戦いの先を指し示し、常に先導してくれた大恩ある最敬の女性(ヒト)。英霊エミヤは口角を持ち上げ、囁いた。

 

「――投影開始(トレース・オン)

 

 幼き頃からの研鑽の末、導き出した己だけの極意。基本にして奥義、己の全てを形成する業。

 

 創造理念(どのような意図で)――基本骨子(何を目指し)――構成物質(何を使い)――解明。

 制作技術(何を磨き)――成長経験(何を想い)――蓄積年月(何を重ねたか)――同調。

 

 高度な幻想を編み出す追想、投影六拍。英霊たるエミヤは真作に迫る贋作をその手に降ろす。

 赤の魔剣、黄の魔剣。フィオナ騎士団の一番槍、ディルムッド・オディナが誇る最強の武装だ。真作への憧憬はある、担い手への敬意もある。だが――どれだけ真に迫ろうと、贋作であるのは揺るがぬ事実であり、エミヤの中にある戦闘論理は合理性を尊んでいた。

 故に真作とその担い手への敬意はあれど、投影する宝具へ自らの手を加えることに躊躇はない。赤と黄の魔剣へと、エミヤは独自の改造を施している。

 二本の真作の魔剣は直剣だ。だがエミヤの投影した魔剣は僅かに刀身が弧を描き、柄頭には連結部が構成されていた。――エミヤが個人的に好むのは陰陽の夫婦剣ではあるものの、小細工抜きの戦闘ではこの二本の魔剣を用いる所以である。

 

「――貴方の力、ここで見せて!」

 

 マスターである遠坂凛からの檄が飛ぶ。クッ、と知らずの内に笑ってしまった。

 いいだろう、存分にこの身の力を測ると良い。セイバーとぶつかることが分かっていながら、こうして柳洞寺に誘導した責任は取る。君を、()()()()()()()()()()()()()

 サーヴァントとしてのエミヤは、己のマスターの生存を最優先の目標に据えている。故に凛を護る者の力を誇示するつもりだ。故に安心して任せてもらおう、この身は最強ではなくとも、紛れもなく最高の戦果を掴む者だ。()()()()()幾度の戦場を越え不敗を貫き、勝ち続けた矜持に懸けて、決して何者にも敗れはしない。負けない戦いは、己が最も得手とするものである。

 

 王冠を戴く純白の騎士が、磨き抜かれた刀身の如き殺気を放つ。

 手に持つは幾本の宝剣を組み合わせ鍛え直した、女神の栄光が振るった大剣を模した聖大剣。

 ああ、知っているとも。それは彼女の振るう杖、強力無比な魔術礼装だと。

 

「――行くぞ」

「来い」

 

 彼女の戦いに待ちはない。常に先攻、畳み掛けて蹂躙する瀑布の暴力。手繰る担い手に先行する魔術と剣技は、敵対する者を容赦なく討ち果たす。

 だが突撃しか知らぬ猪ではない。戦術を解さぬ愚者でもない。彼女はこちらのクラスの名を聞いている。凛の迂闊さのせいでもあるが、この場合は都合の良い方に作用していた。大胆なようで慎重な気質のセイバーは、こちらの手管を知らぬが故に様子見、小手調べと言わんばかりの軽い一撃を見舞ってくるだろう。その読みは、見事に的中した。

 静かな宣言に応えた直後、セイバーは厳かに宣言したのだ。

 

「第二、第三宝具展開。――掃射開始」

 

 水晶の円柱にも似た宝剣が四本、セイバーの左肩の付近に出現する。浮遊するそれに凛が警戒の眼差しを向けるが、あれはただ展開しただけだ。何も警戒する必要はない。

 知っている。あれらもまた宝具にして魔術礼装なのだと。カルンウェナン、スピュメイダー、セクエンス、イーグル。それぞれが一流の英霊が切り札と恃むに足る宝具であり、セイバーはそれらの担い手に相応しい力を持ちながら、サブ兵装に留めおいている。その真価は使い捨てにしてなお彼女の意思で復元を容易とすることにあり、惜しげなく一級宝具を使い潰せるのだ。

 まずは足を狙います――セイバーの声なき声を聞いたように、浮遊した剣群が殺到してくる。大気を穿つ弾丸に等しいそれを、エミヤは足捌きのみで軽く避け、最後の一刀を敢えて彼女の狙い通り跳躍して回避した。ギラリと光る双眸と視線が合う。エミヤは無言で黄の魔剣を逆手に持ち、掻き消えたかと錯覚するほどの速さで自らも跳び、迫るセイバーの大剣に合わせた。

 

「ッ――!?」

 

 空中で交錯する。横薙ぎにされた聖大剣の刀身に、防御用の魔剣を合わせた刹那、太刀筋を歪め力を逸らすように僅かに弾き(パリィ)――瞬間、身を仰け反らせ聖大剣を躱すや、すれ違い様にセイバーの背中に廻し蹴りを叩き込んだ。地面に激突する寸前、身を捻り受け身を取って体勢を整えたセイバーと、無傷で着地したエミヤは対峙する。

 僅かに挟まる硬直の隙に、エミヤは黄の魔剣の真名を解放する。『激情の細波(ベガ・ルタ)』と口の中で囁いた彼の肉体が、全身甲冑を纏ったよりも頑健な強度を得た。これで多少の無茶が利くだろう、エミヤは自らの体に通常時の限界に等しい密度で強化魔術を掛ける。軋む筋骨の苦痛を無視し、再び先攻を取ったセイバーの突撃を迎撃した。

 

「ハァッ!」

「フ――」

 

 裂帛の気迫を込めた西洋剣術の斬りおろし。城砦が突貫して来るかの如き猛威を、薄い呼気を吐き出して受け流す。振り下ろされてきた聖大剣の颶風を黄魔剣でいなし、地面へ聖大剣の切っ先を逃して踏み込んだ。転瞬――赤魔剣を振るうと見せ掛け、積み上げた修練の結晶である足捌きで急制動を掛ける。間合いを幻惑する剣豪の技――返す刃で斬り上げたセイバーの剣が空を切る。

 惑わされた。剣士としても卓越した腕を持つセイバーが。まさか当たりもしないとは思わず、セイバーの目が驚嘆の色に染まる。日の本の数多の剣豪の技を追想し、過去(歴史)を見詰めて独自の研鑽を積んだエミヤは、全てとはいかずとも部分的に彼らの技を取り入れているのだ。今見せたのは新選組にて無敵の剣と謳われた男の奥義、その間合いを幻惑する歩法である。

 

 ――魔術師であろうと、武人であろうと、あるいはそれ以外であろうと、学ぶという行為がベクトルを向ける先は常に過去から始まるものだ。いいかね、シロウくん。君の『刀剣が内包する歴史を読み解き共感する力』は貴重なものだ。鍛えるなら過去(先達)に学び、魔術を介さずともよい域に至りなさい。それでこそ学びに励む、この私の弟子に相応しい姿勢であると言えよう。

 

 恩師の教えはエミヤの裡に根付いている。だが『無敵の剣』を完全に己の技として昇華することは能わず、故にこそ足捌きだけに専心し手に入れた。彼の剣豪なら間合いを惑わせた刹那に相手を斬り伏せていただろうが、エミヤはそこまで成せはしない。代わりにエミヤは剣撃を空振ったセイバーの懐に潜り込むや、渾身の一刀を馳走せんとガラ空きの胴体へ赤魔剣を叩き込んだ。

 しかしセイバーの白兵戦能力は人智を超えている。未来を視たかの如き勘の冴えが成したのか、自らの隙を潰すかのように神速の宝剣カルンウェナンを手元に召喚している。そして浮遊するそれがエミヤの剣撃を受け止めた。万力で固定しているかのように、ビクともしない宝剣を握るは強大な魔力。魔剣と宝剣の激突の衝撃がセイバーの髪を揺らすも、彼女は焦りもせず半歩引いて。羚羊のように優美な曲線を描く脚を、斧の如く走らせてエミヤの脇を穿とうとした。

 

 黄魔剣を握る左腕を僅かに上げ、肘でその蹴りを受け止める。凄まじい蹴撃の威力はまさしく破城鎚。エミヤの総身を貫く出鱈目な威力の足技に、彼は余裕(強がり)の笑みを浮かべた。

 黄魔剣の恩恵で肉体強度を上げていなければ、これだけで無視できないほど体幹が揺らいでいただろう。まさに竜の尾の如き一撃、彼の脳裏に得意げなセイバーの笑みが浮かんでは消えていく。

 だがこれで完全に剣の間合いの戦闘になった。エミヤは思い出に挑む挑戦者の心境で臨む。またしても完璧なタイミングで蹴撃を防がれたセイバーは、違和感を覚えつつ後退した。逃さぬとばかりに迫るエミヤの背後に、セイバーが操る四本の宝剣が迫る。

 セイバーが退く。

 エミヤが追う。

 しかしエミヤの背を襲う宝剣の群れに合わせ、セイバーは退きながら強烈な剣撃を放ち赤い外套の騎士を討とうとする。だが――躱し、叩き、避け、逸らす。当たらず、中らず、無傷(あた)らぬ。エミヤはセイバーを中心とした剣戟の嵐を、当たり前のように捌き切った。

 

(………!?)

 

 追い込まれるのを感じたセイバーは驚愕した。己より遅い。己より弱い。己より非力で、己より鈍い。なのに追い詰められていく自らに、セイバーは得体の知れない感覚を覚えていた。

 時間にして十秒。砲弾が連続して地面に着弾したかのようなクレーターを生みながら、エミヤは異様なまでに厚いセイバーの城壁(守り)を破り、赤魔剣の刀身で胸当てに一撃を加えた。

 

「グゥッ!」

 

 神経をすり減らしながら、目隠しをした上に暴風雨の中で綱渡りをしているに等しい状況で、漸く掴んだ糸口。容赦のない衝撃に、胸当てを破損させながら呻いたセイバーは、両手で聖大剣へ魔力を最大まで充填し解き放った。だが功を焦らず追撃を中断したエミヤは跳び退いており、放たれた光波は虚空を引き裂くのに留まってしまう。

 

(コイツ……ッ! ()()()()()()()!?)

 

 遂にセイバーは確信した。ウォッチャーなる英霊が自分の戦法を知悉していることを。

 そうでなければおかしい。背後から襲い掛かる宝剣の群れを、一瞥もせずにこうも完璧に防げるわけがない。己の後退する先が分かっているように、微塵も迷わず追えるわけがないのだ。

 セイバーは最高峰の剣士でもある。父より授けられた剣技を、長い時間を掛けて修練し、自己流に昇華した自負があった。相手がどれほどの英雄であろうと圧倒されないと、あの騎士王も太鼓判を押した。なのになぜこうも手の内が割れている? なぜ()()()()()()()()()()? この男の技量が騎士王に迫るとでも? 思い至った瞬時にセイバーの頭脳が情報を検索する。

 この男は自分と同じ時代、同じ国で生きた者なのか。いやこれほどの腕の持ち主なら女王であるセイバーが知らないわけがない。円卓の座に必ず引き上げていただろう。であれば自分の後の代の者か? だとすれば誰の子息だ? 双剣使い――ペイリン卿か? いや彼の血筋はペイリン卿の息子がローマ戦役で途絶えたはず。なら誰だ? たとえ知っていたとしても完璧過ぎる戦運びだ。

 女王時代を経て、理想郷でも鍛錬していたのだ。ブリテンで奮闘していた自分よりも今の自分の方が格段に上手である。であれば身近だった騎士達でも今の己の手の内を全て知っているわけがないのだから、この男が単純に騎士王に迫る実力者であるとも考えられる。しかし実際に刃を合わせた感覚で物を言うなら、やはり自分の方が強いと感じてしまう。だがそれだと道理が合わない。

 

 なんなのだ。なぜ格下を相手にこうまで手玉に取られる?

 

(――――)

 

 思い出すのはこの男と同じ顔の、自身のマスター。いや、まさか、そんな訳は――

 

 思考は一瞬。動作は同時。再び己に迫ろうとするエミヤの接近を阻むべく、セイバーは聖大剣に息吹を吹き込んだ。熱を帯びなさい、マルミアドワーズ! 声なき声で念じ、魔力の光波で地面を穿ち爆風の壁を生じさせた。そして更に主導権を奪うべく、牽制の為に赤い騎士のマスターを狙って宝剣群を殺到させた。ぎくりとする少女、抵抗も赦さず串刺しにする刹那――

 

「弓だと!?」

 

 エミヤは光波に紛れて高く飛び上がっていた。

 セイバーの意表を突く行動――赤魔剣と黄魔剣の柄頭を連結させ、強弓に合体させるや、矢を精製して素早く放ち、速射砲の如き連射で宝剣群を弾き飛ばしてしまう。

 見事に自らのマスターを守り切り着地した男を、セイバーは信じられない思いで見詰めた。

 アーチャーだと言われても納得の弓の冴え。トリスタン卿を彷彿とさせられた。同時にセイバークラスとも言える剣の冴えもある。……何者だ、と愚かにも問いを投げてしまいたくなった。

 

「――貴公は、何者だ」

 

 生じた欲求に逆らえずに問うと、赤い騎士は肩を竦める。

 

「さてな。それより、後ろを気にしたらどうだ、セイバー?」

「何を。そんな児戯に私が引っ掛かるとでも――」

「――セイバー!」

 

 と、漸く追いついてきた自身のマスターの気配に、セイバーは振り向かないまま応じようとして。

 ぞくり、と背筋に走る戦慄を覚え、セイバーは咄嗟に背後を振り向いた。

 こちらに駆け寄ってくる青年。その頭上を直感の導くままセイバーは見て。

 

「――来ては駄目だ、シロウ!」

「は……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自身の宝剣群を撃ち落とす前に、前もって士郎を捕捉して矢を放っていたのだろう。

 まるでマスター狙いに対する意趣返しのように。

 

 セイバーは無意識に無防備な背中を晒すのも構わず駆け出して、士郎を突き飛ばした。セイバーのこめかみを落下してきた矢が掠める。そして、背後から放たれる強力な魔力反応を察知した。

 咄嗟に振り向いたセイバーの視線の先。

 エミヤが片膝を地について、強弓となした双剣に、一本の魔剣を番えているのを目撃した。

 

    我が骨子は捻れ、狂う

「――I am the bone of my sword.」

 

 マズい。セイバーは本能的に、それが宝具による射撃だと悟った。

 どうする、どうする、どうする。セイバーはやむを得ず星の聖剣を抜剣した。

 

約束された(エクス)――」

偽・螺旋剣(カラド・ボルクⅡ)

 

 だが間に合わない。自らの魔術奥義も。セイバーはこの瞬間、窮地を脱する道を走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空間ごと抉り取る螺旋の剣弾が迫る。

 

 士郎はそれに立ち向かう少女を見た。

 

 極光を迸らせて聖剣を抜き、真名解放も能わぬまま振り上げた聖剣で螺旋剣を迎撃する。

 すぐ傍にいる士郎を巻き込まぬように、決死の形相で強大な力に抗い、咆哮した。

 果たしてセイバーは螺旋剣の一撃を逸らし切る。

 だが彼方へと消えていく螺旋剣を見送ることもせず、聖剣を地面に突き刺して凭れかかった。

 

 華奢な少女の脇腹から、鮮血が吹き出ている。傷が深い、人間なら死に至るだろう。

 だが重傷を負ってなお、セイバーの闘志に翳りはなく。それでも、そんなことには関係なく、衛宮士郎は脳漿が沸騰したかのような激怒に駆られた。

 

「――セイバー」

「無事、ですか……シロウ」

「ああ。足を引っ張って悪かった。だが今度はそうはいかない、二人で戦うぞ」

 

 しかし怒りに任せて突出せず、さりとてセイバーを心配する余り無謀に挑もうともせず。そして撤退も選ばずに戦闘の続行を選択した。

 額から脂汗を浮かばせながらも、セイバーは微笑んだ。いい覚悟です、と。

 彼女にとっても望むところだからだ。怯懦に支配されるようならむしろ失望している。

 依然として彼女は士郎を戦力として期待していない。だが相手が人間(マスター)なら、士郎も充分信頼に値する力を持っている。ならば肩を並べるのに不足はなかった。

 

 士郎は躊躇なく令呪に意識を割く。一画を割き、セイバーの傷を無理矢理に治そうとしたのだ。

 そうして仕切り直す。今度は遅れを取らない。セイバーと士郎は同じことを考え――そして。

 

「――ああ。そう逸るのは結構だが、ここまでで()()にする気はないか?」

 

 ウォッチャーが双剣を消し、両手を上げたのを見て。

 士郎とセイバーはやはり同時に「はぁ?」と声を上げた。

 

 ウォッチャー、エミヤはもうお手上げだった。こうまで完封できるのは初戦のみと弁えているし、しかも仕切り直されてしまっては手の内を全て引き出されてしまう。

 これ以上は無為だ。なんの益もない。目的通り、力は示せたのだ。それでいいだろう。

 

 だがエミヤにとってはそうでも、納得できる訳がない者がいた。

 

「何やってんのよこのバカ――!」

 

 赤い少女が、自身のサーヴァントの降参に怒り狂った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




エミヤ、投影の乱発を避けた以外は全身全霊の本気の本気。
対し、宝剣を使ったのと最後のカリバーぶっぱ(未遂)以外はまるで本気(を出せなかったとはいえ)じゃなかったアルトリア。



感想、評価、お待ちしております。


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同盟を結んだエゴを秘める男の話

 

 

 

 

 

 

 英霊。過去の偉人、あるいは創作された伝説の擬人化。魔術師である以上、神秘の塊である最高位の使い魔として、サーヴァントという存在については既知ではあった。

 まして冬木の聖杯戦争に深く関わる一族である。サーヴァントに対して外部の誰よりも理解しているつもりでいたし、遠坂の家門に生まれたからには義務として聖杯を掴むつもりでいた。

 だが認識が甘かった。サーヴァントという戦力を正しく把握できていなかった。サーヴァントはまさしく人型の兵器であり、内包する神秘の桁も天と地ほど開いていると痛感している。

 

 それほどまでに、サーヴァント同士の戦闘は想像を絶していたのだ。

 

 実際に交戦していた時間は短い。しかしその濃密さは八極拳を修めている凛から見ても――離れていたのに目で追えないシーンは何箇所もあったが――人智を超えていると実感させられた。

 特に高い性能を誇るセイバーを相手に、主導権を握って殆ど何もさせずに追い込んだウォッチャーの手腕は、凛からしても期待以上の強さだった。最後に宝具による射撃でセイバーへ浅くない手傷を与えた時は、思わず勝ったと内心ガッツポーズを取ったほどである。

 認めよう。援護もせず見ていただけだが、ウォッチャーは強い。アイツとならこの聖杯戦争で勝ち抜けると、素直に心強いと思えたのだ。だというのに、コイツは何を考えている?

 

「何やってんのよこのバカ――!」

 

 こともあろうに武装を解除し、両手を上げて降参の意を示す番人に、凛は口から火を吹くかの如く怒声を発してしまった。優雅じゃないがこれは違う、正当な怒りなのだから別に良い。

 凛はウォッチャーの強さを認めた。だがセイバーはそんなウォッチャーよりも強いのだと肌で感じている。ステータスも全ての面でウォッチャーを凌駕しているのだ、倒せる時に倒さなくてどうするというのか。そんな真っ当で正当な怒りをぶつける前に、赤い外套の騎士は皆まで言うなとばかりに冷めた目を向けた。猛る猪を宥めるかのような、冷静な狩人の視線である。

 ウォッチャーはふざけていない、至って冷静なままだ。真剣に降参の意を表して、休戦のムードを作り上げている。だがそれを感じても、凛は納得できずにいた。

 

「待て、凛。君の言いたいことは分かる、セイバーは強敵だ、ここまで追い詰めたのなら倒し切れと言いたいのだろう」

「そうよ! ソイツは手負いなの、手痛い反撃を食らう前に、徹底的に、完全に倒し切らなくてどうすんのよ!? 痛い目を見てからじゃ遅いんだから!」

「道理だ。だが冷静になれ、それは愚策だぞ」

「愚策ですって? どういうことよっ」

 

 憤懣遣る方無い少女を横目に、しかしウォッチャーはセイバー達から視線を切らずにいた。隙を見せた瞬間に、猛攻を掛けてくる思い切りの良さがあると知っているからだ。

 今はウォッチャーが圧倒的優位を捨てたように見える、意図の読めない行動に毒気を抜かれ、困惑しているが故に手出しされていないだけで、もしも精神的に持ち直されたら流れが悪くなる。

 マスター相手とはいえ丁寧に説明している暇はない。特に今の凛は冷静ではなかった。セイバー側のマスターが駆けつけてきたというのに、そのマスターの姿に気づいていないあたり、本格的に抜けているとしか言えない。目的に達する為にセイバー陣営に話をして、ついでにマスターへの説明を終わらせてしまおう。ウォッチャーは密かに緊張しつつ言った。

 

「凛、我々は何をしに此処へ来た? セイバーを倒す為か?」

「む……」

「セイバーとそのマスターもよく聞け。お前達の当初の目的は私達と戦う事ではあるまい。お前達もまた我々と同じくキャスターを討ちに来たのだろう?」

「………」

 

 セイバーとマスターの衛宮士郎は臨戦態勢を崩していない。しかし番人が何を言わんとするか一応聞く耳は立てているようだ。番人が戦闘を中断したのが余程に慮外のことだったからである。

 視線を交わし、小さく頷いたセイバーが一歩前に出て応じた。

 

「そうだ。キャスターは時を経るごとに力を蓄え、落とし難い堅牢な陣地を築く。故に時を与えず速攻を仕掛け、迅速に斃すべきだと判断した。ここはこの地の要衝だ、だからこそキャスターがいると踏んで来ただけに過ぎない」

「奇しくも同じ目的があったわけだな。私もマスターに、ここにキャスターが陣取れば厄介になると判断し、危険の芽は早々に摘むべきだと進言してやって来たところだ」

 

 両者、挨拶代わりの欺瞞を言う。ウォッチャーはしたり顔で言う。だが頭脳はフルに回転していた。

 些細な違和感すら与えてはならない、相手は剣を執れば聖剣王、政治を回せば豪腕の鉄血女王だ。論理的な瑕疵が少しでもあれば、こちらの虚偽に気取られてしまう。

 己の生涯に後悔はない。やり直したいと願うこともなく、未練や悔恨、怒りも哀しみもない。だがこうして在りし日に現界した以上、平行世界に過ぎないと分かっていても望んでしまうのだ。

 ()()()()を覆したい、今の自分ならそれができるはずだ、と。

 

「だがお前達に先んじて到着した私も、キャスターと出会うことはなかった。しかし収穫が何もなかったわけではない。ここにいたキャスターの真名が私には分かったのだ」

「え? なにそれ、私は何も聞いてないんだけど……まさか私に話す前にセイバーが来たの?」

「ああ。間が悪かったな、凛」

 

 冷静になったらしい凛は、今更士郎に気づいて目を見開いていたが、今は士郎へ呑気に話し掛ける場面ではない。ウォッチャーの話に意識を向け直した彼女を見たまま、彼は言い切った。

 実際、その通りではある。しかしそんな手掛かりなど彼は得ていない。凛と危機感を共有する為に話したいところだったが、思っていたよりもセイバーの到着が早すぎただけのことである。

 セイバーは協力者からキャスターの正体に関して、憶測に等しい情報を得ている。しかし確証はないから確かめる意味もあって柳洞寺に来たはずだ。そのことを思い出しながら、ウォッチャーはセイバーの反応を待つ。彼女の性格なら、情報を得ようとするはずだ。

 案の定、セイバーは探るように問いを投げてくる。

 

「キャスターの真名が分かっただと? 本気で言っているのか、貴公が来た時には既にキャスターはいなかったのだろう。それでどうしてキャスターの真名が分かる?」

「そう難しい話ではない。生前、少しばかり縁があってな、魔術王の使い魔を見たことがある」

「………!」

 

 さて、全くの嘘と決めつけられるか、信憑性を少しでも感じてもらえるか。正直、分の悪い賭けではない。なんせこちらはセイバー側の情報を知り得ているのに対し、セイバー側はこちらの情報を全く知らないのである。対等な論戦ではないのだ、説き伏せる自信はある。

 あくまで自然に、事実だけを述べるような語調でウォッチャーは言った。反論はさせない、少しばかりの欺瞞を混ぜるだけでいい。後は何が事実で、何が偽りかを悟らせず、舌を回すだけだ。あの性悪神父の真似事だが、人様の猿真似(投影)ばかり上手い人間なのだ。訳はない。

 

「私の真名に関わる故、詳しくは省かせてもらうが、アレは確かに魔術王の使役する魔神だった。アレは自らの拠点を移転させた痕跡を消していたのだろう、私に見つかったと見るやすぐさま姿を消してしまったが……ここまで言えば分かるだろう? キャスターは、あの魔術王ソロモンだと。私が何を求めているか、君には分かるはずだ」

「………」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよウォッチャー! 魔術王? あのソロモンが現界してるの!?」

「そうだ。故に私はセイバーと相争っている場合ではないと判断した。率直に言おう、私達は途方もなく凶悪な戦術を取り得る、魔術王ソロモンを早期に打倒する為にセイバーと手を組むべきだと考えている。君はどう思う、凛?」

「そ、それは……でも……!」

 

 凛も魔術師だ。性根はあんまりにも善良で、彼女の言い方を真似るなら心の贅肉塗れである。しかしその才能は本物で、魔術の腕と知見は歳の割に深い。ソロモンなんてビッグネームが飛び出したら動転してしまっても無理はない。なにせソロモンが出てきてしまえば、それだけで聖杯戦争を終わらせられたも同然だからだ。――セイバーは沈思し、口を開く。

 

「こちらで得ている情報でも、魔術王がいるかもしれないとは想定していた。しかしウォッチャー、貴方が言う情報を鵜呑みにするわけにはいかない。私を納得させたければ今少し判断材料を出してもらおう」

「それは無理な相談だ。先にも言ったが私の真名にも関わるからな。だがそちらが魔術王がいるかもしれないと、想定するに足る情報を入手していたなら、それを知り得る立場でない私の情報と符合している時点で、ある程度の信憑性は担保されていると思わないか?」

「……胸の裡を明かそう。敵対していた者の言葉を、素直に信じるのは馬鹿らしいと私は思う。はっきり言おうか、ウォッチャー、貴方は強い。仮に魔術王が現界していたとしても、敵対していた貴方に背中を預けるのは恐ろしい。信じられる根拠を提示してもらわねば、とても同盟を結ぶことはできない。いつ後ろから斬られるか分からないからだ」

「魔術王と縁があると言った私が、その魔術王の支配下にある可能性を恐れているわけだ」

「そうだ」

 

 貴方は強い。そう言われ、頬が緩みそうになるのを咄嗟に抑えた。衒いのない賛辞は、特に彼女のものとなれば高揚してしまいそうになる。ウォッチャーはなんとか鉄面皮を維持し、誤魔化すようにして凛を見た。

 

「凛。勝手に話を進めてすまないと思うが、ここで確認しておこう。私の独断だが、この同盟の提案自体に君は反対か?」

 

 問われ、凛は渋面を作った。

 彼女は聡明だ、そして素直である。合理的で、魔術師的な判断も下せる。故に、至極読み易い。

 凛は苦々しく言った。

 

「……一応確認なんだけど、あんた……ホントに魔神を見たの?」

「ああ、私の知る魔神で間違いなかった」

「……なら認めるしかないじゃない。あんたは正しいわ、ウォッチャー。魔術王がいると分かってるんなら、他の何を置いてでも真っ先に脱落させないといけない。さもないと私達は全滅する。癪だけど追認してあげる、あんたの思うようにセイバーを説得して、同盟を組んでちょうだい」

「承知した。話の分かるマスターで助かったよ」

 

 向こうもウォッチャーに誘導されているのは察したのだろう、苛立ちが見て取れるが、やり場のない怒りというほどでもない。むしろウォッチャーの言い分を信じ、微かに恐怖している。

 気丈だが、やはり少女なのだ。魔術王の手に掛かって、有象無象のようになんの意味もなく死んでしまうのは恐ろしいのだろう。そして面映ゆいことに、凛はウォッチャーを信じてくれている。

 この信頼は、裏切りたくない。いや――裏切ってでも、生きていてもらいたいと思う。

 凛だけではない。確定した自分の過去はどうにもならずとも、()()()()()()()()()()のだと納得し、どうしようもない罪を少しでも贖いたいのだ。

 

 ウォッチャーは改めてセイバーに向き直った。すると必然的にその隣にいる愚者も、視界に入ってしまい不愉快な念に駆られるが、努めて無視してセイバーへと語り掛ける。

 

「マスターの許しも得た。君の求める確たる根拠を提示しよう」

 

 言いながら背中に手を回すと、セイバーと士郎が身構える。堪らず士郎だけ半殺し程度に殴る蹴るの暴行を加えたくなるが、理性を総動員して想定していた通りの工程を終えた。

 誰の視界にも入らない死角で、宝具を投影する。出処は明かせないが、この身は確かにその担い手と出会ったことがあった。だからこそそれは英霊エミヤの固有結界に貯蔵されている。

 

「そう構えずに、これを受け取れ」

 

 そう言ってセイバーに放って渡したのは、歪曲した刃を持つ短剣だ。

 咄嗟に掴み取ったセイバーが検分するのに、傍らで士郎が目を見開く。まあ今のあの未熟者でも、アレがどういうものかは分かるだろう。生憎、本来の持ち主のような技量は再現できない故、十全に繊細な扱いなどできないが、乱暴な使い方ならできなくもない。

 

「……これは?」

「それの真名は破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)あらゆる魔術を初期化する力がある、と言えばどんな用途で用いられるかも分かるだろう? それを貸してやろう」

「………!」

 

 セイバーはちらりと士郎を見た。彼の能力を知っているセイバーは、士郎に確認を取ったのだ。

 すると彼も驚愕しながらも、事実だというように小さく頷いている。

 

「……あらかじめマスターに令呪を使ってもらい、現界に差し触らないように魔力を担保(プール)してしまえば。その後にこの短剣で契約を絶つと魔術王と真っ向切って戦える」

「そうだ。契約さえ絶ってしまえば、マスター権を奪われる恐れも、令呪で自害を命じられる可能性もなくなり、相手側にマスターを殺すメリットがなくなるだろう。速攻で実力勝負を押し付け、迅速に倒してしまえばマスターと再契約を結べばいい。――そら、魔術王を斃すための手札を見せたのだ、これでも私は信頼に値しないか?」

 

 尤も、その策にはマスターとの間に、契約がなくとも大丈夫だと信じられる信頼関係がなければならない。そちらに信頼関係はあるのかと、暗に皮肉げに問うと、セイバーは意を決したように歩み寄りウォッチャーへと手を差し伸べた。

 

 握手だ。ウォッチャーは目を瞬き、眩しそうに目を細めて、その小さな手を握り返す。

 

「……同盟は締結された、そう受け取っても?」

「ええ。一時の盟ですが、これより我らは盟友だ。貴方ほどの強者と共に戦えるなら、これほど心強いことはないでしょう。……先にキャスターをこちらで捕捉しなければならない、という面倒な前提条件はありますが……それも踏まえてよろしく頼みます、ウォッチャー」

「――ああ。――こちらこそ、よろしく頼む。セイバー」

 

 ウォッチャーは、万感の想いを秘めたまま、その手を確かに取った。

 

 

 

 ――こうして番人と剣士は手を結んだ。

 

 されど、そのような光景もまた――()()()()()()

 

 だがなおも、番人は視られていることなど百も承知していた。

 むしろ視られていなければ困るとすら思っている。

 なぜなら。

 

(すまない。だが……私の目的の為。死んでからやっと見つけたエゴを貫く為……私は――)

 

 エミヤは、心の中で詫びた。

 

 

 

 

 

 

 




お待たせしました。
矛盾がないように考えながら書いてるとどうにも時間が掛かる。
面白い、続きが気になると思っていただけたなら、感想評価等よろしく頼んます。


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最強対最強! 冬木が一番ヤベェ話

お待たせ♡


 

 

 

 

 

 

 ウォッチャーとセイバーが同盟を結んだ頃、事態は水面下で急速に動き出そうとしていた。

 

 冷めた眼差しで街を見下ろす彼の目には、暗躍する蟻の蠢動がつぶさに見て取れた。一般人を何かと理由を付けて避難させ、暗示などをはじめとした魔術を用い穏便に、しかし迅速に舞台から遠ざけていく様は、庭師としては及第点な働きぶりだと言えるだろう。目的通りに事が進んでいれば、彼も有象無象が掃けていくのは歓迎していたかもしれない。

 雑種如きがどれだけ死に絶えようと気に掛ける義理はないが、彼が待ち構えていた相手は、脆弱で低俗な雑種であろうと被害を出さぬように心を砕くであろうから。

 しかしそうした働きも彼には不要となっている。この地で行われる聖杯戦争にも関心自体がない。戦いの末に完成する聖杯にのみ用があるだけで、それとて本当は必須となるわけでもないのだ。

 見るに堪えない雑種の繁栄も、なかなか楽しくはあるが。やはり生きる価値のある人間が少なすぎる故、適当に間引いてやるかと考えもしたが――正直、あまりやる気も湧かない。

 

(騎士王め。十年もこの我を待たせていながら、舞台に上がりもせんとはな。ふん……貴様がその気なら我にも考えがあるぞ?)

 

 そもそも騎士王の本体がいる理想郷へ、攻め込むだけなら何時でも出来るのだ。彼の蔵には聖杯の原典もあり、その他の財宝も駆使すれば世界に穴を開け侵攻するのは容易い。

 そうせずに十年も待っていたのは、騎士王が一度とはいえ彼を破っていたからである。聖槍の神へと成り果ててしまった人間を殺してやる前に、過去の敗戦を拭い去っておこうと決めていたから、微睡みのような日々の中で舞台を整えてやっていたのだ。

 しかし彼が召喚されてくるだろうと踏んでいた、騎士王は現界しなかった。

 肩透かしを食らった気分であり、拍子抜けしたのはもちろんだが、祭りを前に高揚していた気分が著しく萎えてしまった。端的に言って白けたのである。

 

 故にやる気はなくなっていたのだが――考え方を変えた。

 

「貴様が来ないなら我から行ってやろう。なに、武勇でこの我を破った英雄を敵に迎えるのだ、多少の労は厭わんでやるさ。――娘を手土産にすれば、貴様も引っ込んではいられんだろう?」

 

 喜悦を滲ませた顔が、手に持つグラスに映る。

 受肉した英霊、英雄王ギルガメッシュは真紅の瞳を細めて笑っていた。

 全ての英霊の頂点に君臨する、原初の英雄王は傲慢で尊大で冷酷だ。神々をも見下す彼は、三分の二が神であるにも拘らず神を裏切り、人の時代を開闢させた偉大な王である。

 たとえ知名度がなくとも、伝承としての記録が乏しくとも、現代に至るまでの全ての人間の遺伝子が英雄王の存在を覚えている――と言えば彼の規格外さが分かろうというもの。呪いの域に達している英雄王のカリスマ性が、時の果てに至ろうと色褪せぬ故に、サーヴァントとして現界しても在り方が歪まず、十全な自我を具えられるのである。

 しかしどれほどの英雄を前にしても、ほとんどの場合雑種と蔑む傲慢さを失わない英雄王だが、本質はやはり王なのだ。彼の基準を満たし認めるに足る人間が相手なら、英雄王ギルガメッシュは驚くほど寛大になるし、たとえばその人間が取るに足らぬ力しか持たずとも、その行く末を文字通り最後まで見届けようともする。自らになんの益がなくともだ。

 

 つまり。ギルガメッシュは、騎士王を認めていた。

 

 王としてはある程度。だがその平凡なくせに頑強極まる魂と、凡俗なくせに高貴な在り方から、ただの人間としてなら最上であると評価したのだ。だからこそ騎士王の力も認め、以前の戦いでの敗北を認めている。そして、だからこそ自ら行動することを良しとした。

 だが用意した舞台を捨てては品がない。品とはつまり格だ。故にギルガメッシュは用済みとなった舞台は早々に消し去りたいと思うようになっていたが、軽率に動く気もなかった。

 なにせ聖杯戦争という余興に集った英霊が、期待していたものを上回る面子なのである。ケルトの光の御子をはじめ、ギリシャの女神の栄光、古代イスラエルの魔術王など、ギルガメッシュから見ても揃いも揃って手強い顔触れだ。暗殺者や北欧の戦乙女は眼中にないが、グレートブリテンの聖剣王もなかなか面白そうではある。

 

(――読めんのは遠坂の小娘が喚び出した雑種よ。アレは何を企んでいる?)

 

 衛宮陣営に遠坂が組み込まれては余興としてもつまらない。そう考えて、遠坂が衛宮陣営に接触されるのを何年か前から妨害していたが、それ以外に特に深い考えがあったわけでもなかった。

 極論、遠坂に関してはほぼ眼中になかったわけだが、結果としてセイバーとして現界した小娘と戦闘を行い、同盟を組むに至っている。だがその流れに英雄王だけが違和感を見い出していた。

 

(加えてマリスビリー。魔術王を()()()()()()()というのに、こうして穴熊を決め込んだ時点で狙いは透けて見えるが……不敬よな。この我が雑種共に消耗させられるとでも? 舐められたものだ……が、ソロモンめを相手取るなら我も万全を期したい。雑種共を粛清に行くのはいいが、そこに横槍を入れられては流石にマズいだろう。さて……どうしたものか)

 

 キャスター陣営とは不可侵条約を結んでいる。だがそれはあくまで表面的なもので、隙を見せたら平気で反故にできる程度の口約束だ。

 マリスビリーの魂胆は分かっているが、それはいいのだ。元より律儀に不可侵を保たれるとは考えていない。最後には殺す気でいるのに変わりはないし、マリスビリーもギルガメッシュの魂胆など理解しているだろう。

 だから問題になるのはソロモンの存在ではない。千里眼を有する者同士、アドバンテージはないに等しいがそれは互いに同じこと。魔術王は自らと同格の力を持つが、それだけだ。サーヴァントではあってもマスターがおらず令呪の縛りが効かないギルガメッシュが恐れる相手ではない。故に気になるのは()()()な行動をする遠坂のサーヴァントだ。

 

 セイバーはいずれ捕らえに行くからいいにしても、番人は目障りである。騎士王が来ていれば多少のイレギュラーも許容していたのだが、来ていないのなら寛大さを見せる気はない。

 早々に舞台を畳んでしまおうと決めたギルガメッシュは、()()()に潜むかのように浮遊する黄金帆船から地上を見下ろし、神代の美酒で口を潤した。

 

「今少し間を置くとしよう。下賤な狗と、神の奴隷が消えるまではな」

 

 王は傲岸な眼差しで、無聊を慰める為の見世物を見届けることにした。

 彼の視線の先では、もうすぐ二人の半神(デミゴッド)が激突しようとしている。

 どちらが勝って、どちらが消えようと構わない。

 ギルガメッシュの関心は、舞台の幕引きにしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日の戦いで、撤退まで追い込まれたのは己の油断のせいだ。

 死角からの十字射撃、宝具発動直前の隙を狙われたタイミング。過失はないとは言えないが、相手が見事だっただけだとは言えるわけもない。この世界では些細なミスで命を落とすのだから。

 自分が死なずに済んだのは、ひとえに相棒が多才多芸の大英雄だったから。もし彼が少しでも気づくのに遅れていれば、今頃バゼットは死んでいたに違いない。

 

「――今度は、間違えない」

 

 バゼットは唇を噛み締めて、決意を固める。

 

 魔術師が銃火器を用いるという思考の死角を突かれたのもある。マスター以外の人間が戦闘に加わっていたという驚愕もある。だがそんなものは敗者の言い訳だ。何より、憧れの英雄と肩を並べているのに、これ以上無様を晒して足手まといになりたくはない。

 銃火器を用いる魔術使いと聞けば、この界隈に詳しい者なら真っ先に悪名高き『魔術師殺し』を思い出す。現代兵器へ対抗策を持つのを、現代の魔術師間で常識とまでさせた伝説的な殺し屋だ。当然ながらバゼットも対抗策の一つや二つは持ち合わせている。さもなければ先日の戦いで死んでいた。そしてこの冬木には衛宮の名を持つ者がいる。

 彼らと戦うのなら、相手は魔術師ではなく魔術使いだと認識し、正攻法で斃すのは不可能だと考えるしかないだろう。そう考え、バゼットは如何にして相手陣営と戦うかを思案した。

 

 だが。

 

「バゼット、気づいてるか?」

 

 不意に実体化して問い掛けてくる蒼い騎兵に、バゼットは小さく顎を引く。

 無論気づいていた。気づいた上で、手遅れだと判断していたから落ち着いている。

 

 彼女達は今、新都の喫茶店にいた。昼夜の別なく人気のある所にいれば、不意を突いて襲撃される危険性は低いと考えていたからだ。

 だがそのあては外れた。夕暮れを越え、辺りが暗くなり始めるや否や、周囲から加速度的に人気がなくなっていったのだ。幾らなんでも街から人が完全にいなくなるのはおかしいだろう。

 話には聞いていた。前回の聖杯戦争の反省を活かし、戦闘前に人払いを徹底するとは。

 しかしここまでとは思っていなかった。神秘の漏洩を防ぐのに、どれほどの労力を割いている? 巨額の富が動いているのは想像に難くなく、より多くの人が動いているのが肌で理解できた。

 

「この分だと冬木の聖杯戦争が終わりに近づいているという噂も、あながち嘘とは言えませんね」

「そうなのか? なら、オレはラッキーだったってワケだ」

 

 最後に近い機会で、違う時代の英雄と戦える。それは確かにライダーにとって幸運なのだろう。

 好戦的な彼らしい。そう思って苦笑しかけて――

 

 

 

「――あら。ならこの出会いも、貴方にとっては幸運だったのかしら?」

 

 

 

 殺意を隠す気もなく。悠然と歩んでくる白い妖精に、バゼットは嘆息した。

 接近には店内に入ってこられるまで気づけなかったが、恐らく魔術によるものだろう。

 しかしここまで接近されては、どれほど気を抜いていても流石に気づく。無論ライダーもだ。だからこそ彼は実体化した。白い妖精を完全に無視して、筋骨隆々の巨漢と相対したのだ。

 

 獅子の毛皮に似た革鎧を纏った、二メートルと半ばを超える身の丈。全身に筋肉を搭載し、であるのに戦士としての柔軟さを失わず、濃厚な武の気配を隠し立てせず放っている。

 出鱈目なステータスの高さだ。間違いなく、ライダーに匹敵――あるいは超えていた。

 バゼットはビスクドールのように整った容貌の少女を見遣る。伸ばせば腰まで届くだろう白銀の髪を頭の後ろで結わえ、紺色の竹刀袋を肩に担ぎ、紫色のパンツドレスを着込んだ少女は、ルビーのように赤い瞳に真っ直ぐ歪んだ光を灯していた。美しく、可憐で、それでいて優雅。であるのに闊達さと幻想性が同居し、儚く見えるのに生命力に溢れている。例えるなら、武闘派の貴族だろうか。そうとしか例えられるものを知らない。バゼットは静かな殺意を込めてその少女を見据えた。

 

「私は別に。しかし意外ですね、貴女は一人で来たのですか?」

「ええ。それがどうかした?」

 

 暗にそちら側のことを、こちらは知っていると含ませて言うと。少女は面白そうに、そしてさもどうでもいいことのように応じた。

 

 虚ろな目をしているカウンターの店員。店員は、まるで自らの職責を忘れたかのように店外へと退出していく。それを一瞥して、バゼットは席を立った。

 鈴を鳴らしたような神秘的な声。魔笛を吹いたかのような、魔的な音色。容姿からして西洋者、加えて自らが有する衛宮の情報。それらを照らし合わせ、正体にあたりをつけて問い掛けた。

 

「衛宮イリヤスフィールですね。まさかそちらから、しかも単身で我々に挑んで来るとは」

「貴女はバゼット・フラガ・マクレミッツ、っていうんでしょ? 勘違いしないでほしいんだけど、私は優しいから一度だけ訂正してあげる。私は挑みに来たんじゃない。貴女を殺しに来たの」

「……ほう」

 

 さらりと。名乗ってもいないバゼットの名を告げた少女、イリヤスフィールの宣告に封印指定執行者は眉を跳ね上げた。血の臭いがしない素人の戯言と流すには、余りに酷薄な声音だ。

 強い言葉を使う輩ほど、油断や慢心を懐いているものだ。しかしこの少女に油断や慢心はあるようなのに、それはひどく薄っぺらかった。表に見せてある驕りは見せ掛けで、腹の中は微塵も気を抜いていないのだろう。なるほど、優れた師によく鍛えられているらしい。 

 だがバゼットは負ける気がしなかった。イリヤスフィールは命あるモノを殺めることに、なんら躊躇する気質ではなさそうだが、実戦経験があるわけではない。赤枝の騎士としての嗅覚が、()()()()()()()()()()になら勝てると確信させた。

 

「こんな戦いに価値はないわ。だから早々に終わらせる。私のアーチャーは最強だから、貴女のサーヴァントなんかすぐに始末してあげるわよ」

「――強気ですね。彼女はこう言っていますが、貴方はどう思いますか、ライダー」

 

 自らよりも数段体格に優れる漢を見上げながら、犬歯を剥き出しにして闘志を燃やす騎兵。

 発される威圧感、ぶつかり合う気迫、まさしく瀑布の如し。見上げる殺気は露骨に笑み、見下ろす戦意は静謐な重みを宿す。――間違いない。これは、この相手は、どれほどの時を費やしても、一度しか望めない邂逅である。見ただけで分かる、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、まさに()()()()()。――笑うのは、もはや戦士の本能である。

 原野に棲む獣の如き笑み。重厚な大地の如き笑み。

 重なる視線を逸らすことはなく、二人の大英雄の戦意に呼応して、比喩ではなく物理的に地面が鳴動していた。かたかたと地震が起こっているのである。まるで冬木という土地そのものが、これから先の戦いに恐怖して泣き叫んでいるかのように。

 

「面白ぇじゃねぇか」

「………」

 

 ライダーはマスターの問いに応え、そして告げる。

 

「バゼット、頼みがある」

「……なんでしょう」

「邪魔するなよ。何もしないで、見ててくれや」

 

 切実な、願いだった。死力を尽くしての戦いを望む、戦士の渇望だ。

 バゼットは僅かに逡巡するも、頷いた。ここで異論を口にしようものなら、信頼関係に罅が入りかねないほど、ライダーはこの偉丈夫と相見えられたことに歓喜しているのである。

 だが、彼女はマスターだ。

 

「好きにしなさい。ただし分かっていますね? 私が静観するのは、あくまで状況が許す範囲だ」

「……そいつを弁えてりゃいいんだな?」

「私達は一蓮托生。勝手に死ぬことは認めない。負けることは赦さない。貴方は私が最強だと信じる英雄です……私の信じる『最強』を、汚さないと約束できるなら、好きに戦えばいい」

「ハッ――後進の期待には応えてやらねぇとな。ってなわけだ、オッサン。表に出ろよ。それともここでやるかい?」

 

 ライダーは気持ちのいいマスターを得られた幸運に、改めて感謝しながら巌の如き大敵に水を向ける。すると弓兵は自らのマスターに視線も向けず、ようやっと口を開いた。

 

「マスター。私がこの者と戦えば、暫らく掛かりきりになってしまうだろう。悪いがその間マスターを護れる自信はない。構わないか?」

「ええ。自分の身は自分で護るわ。バゼットが余計な真似をしない限り、私も手出ししない。貴方の力、この私に見せて」

 

 自らのサーヴァントが最強だと知るが故の絶対の自信。それを背中に受け、英雄は笑った。

 思えば、久しいものだ。庇護すべき者に、揺るぎない安心と信頼を向けられるのは。悪くない、いいや心地良い。得難い敵を迎えた高揚、なんのしがらみもないままに高貴な姫を護る環境、どれもが全く以て気持ちが善く――なんとも血が湧き、肉が踊るではないか。

 

 気がつけば外に出ていた。

 

 真っ向から対峙すれば、一流の戦士は相手の力量を察知する。故に両者は改めて、敵手の強さを正確に肌で感じ取っていた。その上で、勝つのは己だと自負している。

 

「なあ、オッサン」

「なんだ、小僧」

 

 真紅の魔槍を握る騎兵に、無骨な大弓を握る弓兵が応える。

 アイルランドの光の御子は魔槍を地面に突き立てると、空の手をゆっくりと伸ばした。

 互いの背後には、マスターの女。この身こそが最強だと信じる者だ。無様は見せられぬ。

 

「オレも膂力には自信があるクチでね、いっちょ力試しでもしてみようぜ?」

「この私に力で挑むだと? 面白いな」

 

 悪戯を仕掛けるような笑みを向けられた弓兵は、微かに驚きながらも苦笑する。世界最大の力を誇る己に、力で挑む勇者など皆無だった。だからこそ、それも一興だろうと笑みを湛える。

 アーチャーも弓を置き、丸太のような腕を伸ばし、ライダーの手を掴んだ。師もを超える力量は、技のみならず経験も豊富。だが掴めば壊す自らの技を今は封じ、ライダーを見据えた。

 

「ッ……」

 

 手を掴んだ瞬間、彼我の力の差は如実に現れる。力瘤を浮かべ、腰を据え、満身に血管を浮かび上がらせながら、握力で相手の手を握り潰し、力のみでねじ伏せようと体重を掛ける。

 体重に重心を合わせ、足で大地を掴み、大地の重みすら乗せていく。押しているのは無論弓兵だ。余裕のある表情のまま、城すら投げ飛ばす騎兵が地面に近づいていくのを見下ろしている。

 

「どうした、ライダー。お前の力はこの程度か?」

「ッ! ハ――! ま、さか……ここまで、力に差が、あるたぁな……! オレの師匠ですら、オレとの力勝負は、絶対に避けてたもんだってのによッ」

「お前も私の知る中では最強だ。だが、私ほどではない」

「そうかよ……だが、勝った気になるにはちと早いんじゃねぇか――!」

 

 足元が陥没する。地面が割れる。力と力の鬩ぎ合いに、大地の方こそ先に音を上げ砕けていた。

 だが後少しでライダーが膝を折り、屈服するかのように地面につけられてしまう。

 しかし、カァッ! と気合を込めて叫んだ騎兵に異変が起こった。

 あらかじめ仕込んでいたルーンがライダーの体を限界まで強化する。すると微かにアーチャーが押し込む勢いが弱まったが――それだけだ。依然、力の差は覆らない。そろそろ本気で潰してしまおうと力む弓兵に、全身から汗を噴き出しながら犬歯を剥いた騎兵が吼える。

 

()ォォォオオオ――!!」

 

 瞬間、異変が起こった。

 光の御子の髪が逆立ち、活性化した神性が総身を駆け巡る。

 音を立てて捩れる筋肉の躍動、化身する肉体の変貌。

 肥大化していく肉体は、本来のものより一回り大きくなり、見開いた双眸が強烈な光を宿した。

 狂化に等しい理性の蒸発。しかしクラスの縛り故か、理性を完全には失いはしない。

 頭上に現れる光の環は、英雄光と称されるもの。一回り大きくなった肉体とその光の環だけが、ライダーの姿を変じさせる限界のライン。アーチャーは驚嘆した。なるほど、これがライダーの本気の戦闘形態か、と。力も、明確に、己に迫るものがある。

 

「見事だ。ならば私も本気をみせよう――!」

 

 大喝して全力を振り絞れば、押し返して来つつあった姿勢を押し留め、再び押し返しはじめる。

 ライダーは驚愕した。ここまで本気を出して尚、力で劣るのかと。だが、だからこそ面白い。

 光の御子は咄嗟に手首をひねる、体勢を変える、そして流れるようにして瞬時に女神の栄光を投げ飛ばした。だがアーチャーはあっさり空中で体勢を入れ替え、綺麗に着地する。

 

「……チッ。オレの負けだ。アンタの方がオレより強ぇ。力は、な」

「人相手にここまで本気になったことはない。ライダーよ、称賛を受け取れ。お前は私以外の何者にも力で劣ることはあるまい」

「嫌味かよ。だが、これでお互いはっきりしたな?」

 

 両者が本気で組み合った瞬間、辺り一帯の窓ガラス全てが砕け散っている。それだけの力の圧力が拮抗していたのだ。ビルや店舗のガラスが地面に散乱しているのを踏みしめ、ライダーは嗤いながら突き立てていた魔槍を握る。呼応してアーチャーも大弓を蹴り上げ、自然体のまま構えた。そしてライダーの言に、隠し切れぬ戦士の歓喜を滲ませて頷く。

 

「名を名乗れぬ戦いの中で、しかし確かに伝わるものがある」

「ああ。力はテメェが」

「速さはお前が」

「そして、技は」

()()か」

 

 組み合っただけで、頂点に立つ者達は理解し合っていた。

 親友のように、双子のように、師弟のように、己のように。

 互いが積み上げた研鑽の全てを、ただただ武の一文字で以て理解したのだ。

 

「――素晴らしい師に恵まれたようだな」

「テメェもな、オッサン」

「であれば、もはや言葉は不要だろう」

「応。掛かって来な――と、普段なら言うとこだが。今回ばかりはこう言わせてもらうぜ」

 

 魔槍を携え腰を落とす、戦闘形態へ移行した光の御子クー・フーリンに。

 槍の如き大矢を形成した、女神の栄光ヘラクレスは厳かに迎え撃つ。

 

「その心臓、貰い受ける――!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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渇望した死闘の果てを見る話

 

 

 

 

 グレートブリテン建国神話『エリン(ケルト)物語群』に於いて、第一部に登場する最強の戦士。当時の最高存在、万能の光神ルーの御子として生を受けた者。それがクー・フーリンだ。

 エリンの歴史がブリテン王国に編纂された際、妖精女王に『エリンのヘラクレス』と称されたというその武勇と、国に尽くして死んだ在り方を指して、騎士王に騎士の手本と絶賛されている。

 現存するペンドラゴン王室を擁する国が持つ、建国神話の最高存在に等しい両王から惜しみない賛辞を受けたことで、彼の知名度は西洋文化圏全体に行き渡り、西洋文化に傾倒しているとも言える極東の島国でも一度はクー・フーリンの名を耳にする機会があるほどだ。

 往年の統治者から言わせてみれば、被支配国の伝承の英雄を持ち上げることで、自国側へ完全に取り込む方策の一つに過ぎなかったわけだが。種々様々な政策の結果として、アイルランドはブリテン王国の一部になり、ブリテン島勢力は一枚岩に成ったと言える。

 

 故に、マスターである女、バゼットの出生が割れて。更に実際にランサーと交戦した際に明らかになった情報――魔槍、魔剣、戦車、ルーン、戦闘スタイルなど――から、彼の真名を推測するのは然程難しい話ではなく。確信を得る為に、一度交戦してみようと結論が出るのは自然な流れだったと言えよう。そしてその威力偵察を買って出たのが、最強の英霊を従えるイリヤだった。

 ライダーの真名がクー・フーリンかどうかを確かめ、事実なら余りに有名な弱点を突く為に一旦退いて、後日改めて罠にかけて始末してしまおうという話になっている。

 だがイリヤスフィールから言わせてみれば、そんな小細工は必要ないのだ。

 何も父や師達の姿勢を臆病だのなんだのとバカにしているわけではない、単に下手に慎重になり過ぎるよりも、大胆に攻めた方が結果として上手く回ると考えているだけだった。

 だってアーチャーは強い、シンプルに強い。()()のだ。

 策を練るのはいい、しかしそれに拘泥すれば破綻してしまう。なら純粋な戦力で押し潰す王道の戦術を推し進め、手堅く、そして迅速に、万が一がないように倒してしまえ。

 

 聖杯戦争なんてものに興味はない。あるのは自分の弟妹(きょうだい)が、こんな下らない戦争で危険に身を晒しているという事実だけ。――父はいいのだ、どうせ死なない。どんな鉄火場に放り込まれようと、どうせ帰ってくるし放っておけばいい。だから心配はしていないが、血の繋がらない弟達は違う。どうにも危なっかしいあの二人は、出来る限り危険から遠ざけてやりたいと思う。

 それが全てだ。前に出るのにそれ以外の理由なんていらない。だって私はお姉ちゃんなんだから。お姉ちゃんは弟妹を守るものでしょ、とイリヤスフィールは思う。

 

 だから。

 

「アーチャー。いいわよ、加減なんてしなくて。()()()殺しなさい」

 

 酷薄に命令する。それに、サーヴァントとして従順に大英雄は従った。

 サーヴァントである以上、マスターが悪しき者でない限り、尽くす気は元々あった。マスターである少女の戦う動機も理解できる、家族の為に災害でしかない聖杯を駆逐する思想も納得できる。父からのアドバイスとして、積極的に話をしてくれる姿勢も好ましい。

 性根は善良、動機は善性、能力も申し分ない。ならば何を厭うことがある。幸い戦士として戦うに足る敵手にすら恵まれ、挙げ句の果てには己が全力を出しても支え切れる魔力量もあった。

 イリヤスフィールは世界で唯一、全英霊中最高位の霊格の持ち主であるヘラクレスを、個人で使役できる規格外のマスターだ。現界だけに注力するなら聖杯戦争後でも能うだろう。いや――弓兵というクラスが持つ、単独行動スキルを考慮すれば、短時間限りで全力戦闘もこなせるかもしれない。それほどのマスターに恵まれたアーチャーは、惜しみなくオーダーに力を注ぎ込む。

 

「その心臓、貰い受ける――!」

 

 様子見などしない、最初からクライマックスだと言わんばかりの全力。

 今聖杯戦争最速の英霊が、否、歴代聖杯戦争中最速の騎兵が地面を蹴る。

 慮外の力で蹴りつけられた地面が陥没する。アスファルトが豆腐のように砕け散る。初動から音速を超える桁外れの機動に、しかしアーチャーの目は当たり前のように追随した。

 たとえどれほどの速さで動かれようと、アーチャーが目標を見失うことなどない。一直線に間合いを詰めてくるライダーへ、瞬時に大弓を構え大矢を放った。空間を貫き余波だけで環境を破壊する大矢、瞬きの間に放たれるは宝具に匹敵する威力の矢の弾幕。都合五発、悉くがライダーの『矢避けの加護』を貫通する大矢を、全て回避後の軌道も読んで直撃コースに据える絶技である。

 だが加護が効かずともライダーは超絶の戦士だ。被弾タイミングすら絶妙に調整され、防ぐのが困難な大矢を魔槍を振るって容易く弾き、疾走する脚を一瞬たりとも緩めはしなかった。

 

 ――ライダーに弾かれた五発の砲弾が、新都のビルに無作為に直撃する。轟音と共に砕け、瓦礫を四散させる光景を見もせずに、生じる物的被害をこの時ばかりは忘却する。

 

 ライダーは駿足だ。太陽を運ぶ馬車より速い、自らの戦車を悠々と追い越せるほどである。それこそ彼より明白に速い英霊など、全英霊中トップの脚を誇るアキレウスぐらいのものだが、それとてほとんど差はないと云えた。だが歴戦の経験値、好敵手との交戦経験、そして純粋な走行技術を総合すれば、初速と最高速度こそ劣っても、機動力の一点ではライダーが上を行く。

 影の国への入り口を越えるのに必要とされるのに、女王から伝授されなくては身に着けられないとも言われる『鮭跳びの跳躍法』を、ライダーは誰に教えられるでもなく自然と発揮していた。その粗削りな技法を師に練磨され、磨き上げた技は身に染み付いている。

 そんなライダーが、極めた槍の一撃を見舞わんと迫っているのだ。並の弓兵なら――否、戦う術を知らぬ戦士や騎士以外のサーヴァントでは、たとえ最高位の英霊でも確殺不可避の間合いに恐怖するだろう。だが無論アーチャーは並ではなく、弓兵であるのに逆に自ら間合いを詰めた。大弓を空中に放り投げるや、精製した大矢を短い槍代わりに握り締めたのだ。

 蒼い騎兵が目を細め、嘲笑うかのように挑発した。

 

「ハッ、弓兵風情が槍兵の真似事とはな――!」

「真似事か否かはその身で確かめるがいい」

 

 気を吐く騎兵に、絶対の自負を懐いて弓兵が告げる。突いて引く槍の動作を互いがコンマ数秒未満に打ち合う。それは、さながら至近距離で速射砲を撃ち合うに等しい暴挙。交わされた朱光と銀光の交錯は、たったの一秒で十合を超えた。全てが相手の肉体に致命的な傷を負わせる槍の軌跡、必殺の殺意が狙い穿たんとする戦士の名刺。様子見などではない、しかしこれは腕試しだ。

 この程度も防げぬようならさっさと死ね、そう告げる槍の饗宴に両者は没頭する。都合五秒、百合に迫る応酬に新都全域の建造物が軋みを上げ、発される衝撃波だけで人は死ぬだろう。現に二人のマスターは魔術で自らの身を守っている。そうしなければ負傷していた。

 

 やがて騎兵が歓喜の歓声を上げた。

 

「――やる。やるねェッ! ()()()()()()()()()()とでも言っておこうかァ――!」

 

 獅子の皮鎧、巨大な弓とその威力、振るう技の練度、そして桁外れの怪力と勇猛な戦いぶり。ここまで来ればアーチャーの真名など明らかだ。

 対し、次第に戦の狂熱にあてられてきたのか、ヘラクレスもまた微かに笑いながら応じる。

 

「お前こそ、だ。アルゴナウタイの並み居る英雄を一撃で沈めたこの私が、此処に至るまで傷一つ付けられぬとは。流石はエリン随一の勇者、クー・フーリンだと讃えよう」

 

 槍を振るいながらの遣り取りは、殺意と戦闘の気配がなく、まるで長年の親友のように気安い。

 

 アーチャーはライダーの真名を看破している。宝具など見るまでもない。事前情報と照らし合わせればそんなものは不要だ。故に、作戦目標は達成したと言える。だが――アーチャーのマスターから出されたオーダーは打倒。退く気は全くない。なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()など、怪物以外に出会った試しがなく、人中にて好敵手だと感じた相手はいなかった。

 この邂逅は戦士ヘラクレスの血潮を滾らせる。生まれながらの最強が最高の師を得て、なおも力を研ぎ澄ませた最強の体と最高の技の融合体が、だ。心眼――戦闘時に於いて擬似的な未来予知に近い感覚を持つ先天的なものと、弛まぬ鍛錬の末に身に着ける後天的な戦闘論理の双方を、高次元で融合させているヘラクレスに、一度見せた技は通用しない。たとえ魔法の域にあろうとも。

 だというのにライダーの槍撃は、同一の技であっても豊富なバリエーションを組み合わせ、巧みに操る技法を確立しヘラクレスの心眼を慣れさせない。しかもライダーはまだ真骨頂を見せていないのである。なにせこの腕試しで、ライダーは()()()()()()()のだから。

 このまま足を止めて戦えば、確実にヘラクレスに軍配が上がるだろう。力は上で、技もほとんど互角なのだ、ならば足を止めての近接戦闘に於いてヘラクレスが敗れる道理はない。だが腕試しは間もなく終わる。挨拶が終わる。渡した技の名刺など打ち捨てる。

 さあ来るぞ。殺気が膨張している――本番はここからだ。

 

「ヌンッ――!」

 

 豪撃一閃。柱の如き腕を引き絞り、解き放った大拳をクー・フーリンはひらりと躱した。

 後方にジグザクに跳び退き、足と接地した地面に火花を散らしながら地表を滑って、自慢の脚に魔力を帯びた。それを見届けることなく落下してきた大弓を掴み取り、今度はヘラクレスが自ら距離を取りながら大矢を連射する。必中の狙いだ、標的を外したことなどない弓兵の照準を――蒼い影は当然の如く回避する。標的を外したヘラクレスは悔しがることなく歓喜して大矢を射った。

 神速で駆ける騎兵を狙った大矢の雨百発は、無作為に放たれているようで、その実全てがクー・フーリンを射殺す軌跡を辿っている。英雄王の自動防御宝具の盾を、初見で掻い潜り直撃させられるだけの技量だ。だというのに一発も当たらない。この時、ヘラクレスは生涯を通して最強だった故に、本人も無自覚なまま持っていた()()()の文字を完全に脳裏から忘却した。

 速い、だけではない。疾く、捷く、何より巧い。

 狩りの女神が欲した牝鹿を射殺すよりも、当てるだけに専念してなお遥かに難儀する好敵手の出現に奮い立つ。ヘラクレスは猛々しく笑い――瞬時に警戒の念を呼び覚ました。

 

 クー・フーリンが宝具に魔力を充填している。本気も本気、全力も全力、全身全霊。ならば宝具を使うことになんの躊躇いがあろうか。クー・フーリンは最初から本気だった。ヘラクレスとは違い無意識の手加減など微塵もしていない。無論、手加減と言っても力や技ではなく意識に関してのものに過ぎなかったわけだが、それでもクー・フーリンにとっては格好の隙だった。

 

「――貰ったぜ」

「………!」

 

 光の御子クー・フーリンの宝具。著名な槍は二本。その内の一本こそが切り札。ヘラクレスほどの大英雄に出し惜しむ馬鹿ではない、クー・フーリンは他の何者でも詰めるのに命を懸けるヘラクレスの間合いに、迷わず踏み込んで朱槍の真名を開帳した。

 

刺し穿つ(ゲイ)――死棘の槍(ボルク)ッ!」

 

 穿つは心臓、狙いは必中。心臓に当たったという結果を先に作り、過程を後から追う因果逆転。アイルランドの象徴的英雄クー・フーリンが誇る、まさに必殺の名に値する半権能の一撃だ。

 対等の敵だった親友、成長していれば間違いなく己より強くなっていたはずの息子、運命を共にした親友と、愛馬、最後には自身を貫いた呪いの槍。その穂先が今、ヘラクレスに向けられた。

 果たしてヘラクレスに避ける手立てはなかった。咄嗟に振るった大弓を魔槍は掻い潜り、自慢の鎧の隙間を縫うようにして奔った魔槍が皮膚を破り、肉を掻き分け、心臓に食らいつく。

 通常の状態なら如何な魔槍といえど、ヘラクレスを貫くには至らなかっただろう。しかし発動している()()()――クラスの縛りがある故に『捻れ痙攣』という変身宝具には成り得ない――の恩恵を受けたクー・フーリンの筋力は最高値に達していた。加えてルーンによる強化も加えた身体能力と、魔槍そのものに付与された属性を加味した場合、彼の肉体を穿くには充分なものだ。

 

 着弾した瞬間、ヘラクレスの体内で魔槍が炸裂する。無数の棘を吐き出し、大英雄の体内を情け容赦なく殲滅した。凄まじい威力――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「終いだな」

 

 仕留めた。確実に霊核を破壊し、霊基を潰し、殺した。騎兵はそう確信して脚を止め。彼が残心を解いて完全な不意を突くのをよしとしなかったヘラクレスが、()()の意を秘めて駆動した。

 

「なにッ!?」

 

 理性なき狂戦士だったならば、傷の修復を待たなければ動き出さなかっただろう。だがこのヘラクレスは人間の忍耐の窮極といえる精神力の持ち主だ、超越的な戦闘続行の闘志を燃やせる。致命傷を負った程度で鈍る男ではなく、瞬時に間合いを零にすると拳を振るった。

 残心を解く直前だった事が功を奏する。クー・フーリンは回避は能わなかったものの、なんとか腕を交差させて防御に成功した。だがヘラクレスの大拳による理外の衝撃をまともに食らい、藁のように吹き飛ばされてしまう。ガードの上からですら意識が薄れる激痛――なんとか体勢を整えて、驚愕の念を込めて睨みつけてくるクー・フーリンにヘラクレスは言った。

 

無意識(知らず)に、手を緩めてしまったか。私としたことが驕っていたらしい。途方もない非礼だと認め、心から謝罪しよう。故にこれより先、一切の弛みは失くすと我が名に誓う。仕切り直しだ、槍を構えるといい、アイルランドの光の御子クー・フーリン」

「テメェ……」

「よもや一突きで()()()殺されるとは想像もしていなかった。さあ、()()()()でいい。見事この私を殺し切ってみせろ。これより先は、私も掛け値なしの全力を振り絞る」

 

 非礼を詫びるついでに、宝具の一つを開帳する。切り札とも言える『十二の試練(ゴッドハンド)』を。とはいえこうして自らが健在なのだ、すでに看破されていただろうから問題ない。

 命をストックする擬似的な不死。死因に対して耐性を有する伝承型宝具。その真髄を目の当たりにした光の御子は、余りに理不尽な宝具に怒り、呆れ、次いで苦笑した。一瞬の油断、それを見せた己の無礼を詫びた大英雄に、なんともまあ律儀な奴だと感心したのだ。

 自分が殺したと油断し切った瞬間を狙われていたら、最悪そのまま殺し返されていた。ヘラクレスほどの大敵を前に、それは致命的な隙だろう。笑うしかなくて笑い、そして憤怒を燃やす。

 

「ハッ……舐めてくれたな、オッサン。だがいいぜ、お望み通り……殺し尽くしてやるよ」

「やってみせろ。ただし次はないぞ」

 

 蒼い騎兵が憤怒を双眸に秘め、魔槍を構えるなり大地を蹴る。同時に栄光の巨雄はたかだかと跳躍した。瞬間的に大弓から放たれる無数の矢。正に雨の如く降り注ぐ矢玉を、赫怒を燃やす光の御子は悉く弾き飛ばし、ヘラクレスに再び接近せんと地面を駆ける。

 だがヘラクレスが狙ったのは好敵手クー・フーリンではなかった。彼に弾き飛ばされることも計算に含め、大矢は特定の位置に撃ち込まれる楔となったのだ。果たしてクー・フーリンに弾かれた大矢の九割が、ヘラクレスの計算通りの地点に着弾する。

 

「ライダー!」

「ッ……!?」

 

 マスターの女が何事かに気づき警告の声を上げる。するとすぐさま異変を察知したクー・フーリンは半ば無意識に跳躍していた。ヘラクレスの大矢が穿ったのは、これまでに刻まれたクレーターや地面の罅。威力の殆どが殺されたとはいえ、それでも放ったのはヘラクレス。僅かに残った破壊力ですら戦車の榴弾に等しく、それを受けた地面は砕かれ、そして――()()()

 崩壊する地響きの振動。地盤沈下だ。環境をも変えるヘラクレスの破滅的な力と知恵。激変する戦場に呑まれそうになったクー・フーリンだったが、跳躍したことでなんとか離脱しようとする。

 だが()()()()()以上、この僅かな間のみクー・フーリンに逃げ場はない。彼よりも先に高く跳んでいたヘラクレスは不敵に笑い、自慢の弓に渾身の力を装填する。獣を狩るが如き戦術だ。

 

「さあ、どう凌ぐ?」

 

 莫大な魔力と共に放たれるは、純粋な技を宝具の域にまで押し上げたヘラクレスの奥義。

 上空を見上げたクー・フーリンが危険を察知し、迷う素振りもなく手持ちのルーンの殆どを放る。

 

射殺す百頭(ナインライブズ)――!」

「しゃらくせぇッ!」

 

 ドラゴンを象ったホーミング弾。九つの魔弾は全てが対軍宝具に匹敵する破壊力を秘めていた。どれだけ逃げようと、どこまで去ろうと、決して直撃を諦めぬ必殺の九連射。

 それに対するは上級宝具の一撃すら防ぎ切るルーンの結界。クー・フーリンのルーン魔術の粋。空気の壁を貫き飛翔する魔弾を悉く阻み、しかし貫通を諦めない魔弾を、騎兵は魔槍に魔力を充填して赤熱させるや、結界を破り襲い来る三発の魔弾を高速で旋回させた槍で引き裂いた。だがしてやったりと得意になる暇など無い。歴戦の英雄たるクー・フーリンは感じていたのだ。

 ここまでに至る全ての射撃が布石に過ぎないのだと。奥義すらも詰みに入る為の前戯なのだ。

 新都の中心に空いた奈落のような大穴の底に、難なく着地したクー・フーリンは瞬時に駆け出した。ヘラクレスの殺し間から離脱する為である。だが手遅れだ、ヘラクレスが僅かに遅れて着地するや獲物の走行経路を先読みし放っていた大矢が四方に雨の如く着弾して、騎兵の疾走を事前に潰してしまった。そして自ら弓兵の名をかなぐり捨てるかのように弓を消し、ヘラクレスが迫る。

 

「舐めてんのか、テメェは!」

「いいや。舐めてなどいない」

 

 堪らず血管を浮き上がらせ、激怒のまま吼えたクー・フーリンに、ヘラクレスは冷静に返す。

 接近戦に特化した装備のクー・フーリンに、無手のまま挑むなど正気の沙汰ではない。それを舐めていると受け取ったクー・フーリンがさらなる怒りを燃やし、ならばそのまま殺してやると槍を振るうのを――()()()()()()()()()()()()()()

 

「なッ――にぃッ!?」

 

 掛け値なしの本気で振るった朱槍が、棒切れのように弾かれる。ただ鎧の護りに身を任せた特攻。それだけで強引に間を詰めたヘラクレスの肉体を、魔槍が穿くことはなかった。

 そう。ヘラクレスの鎧は、人理に属する物に対して無敵となる防具である。すなわち、人の手で作製された武具では傷一つ負わぬということ。ヘラクレスの鎧を破りたくば、神造兵装を持ち出すしか術がない。――凶悪な性能の防具と、不死の肉体と、隔絶した技量を併せ持つ大怪物。それこそがヘラクレスの真骨頂、彼は自らの武具防具の力を惜しみなく投入したまでだ。

 だが初見でそれをされたクー・フーリンの驚愕は余りに大きい。必殺のつもりで見舞った槍撃が、無力な子供が棒切れで城壁を叩いたかのような感触しか得なかったのだ。しかし唖然とするその隙を、見逃すヘラクレスではない。無手のまま迫った栄光の巨雄が宣言する。

 

射殺す百頭(ナインライブズ)!」

 

 たとえ得物が剣でも、槍でも、棍棒でも、弓でも。それこそ素手であろうとヘラクレスの武の密度に偏りはない。満遍なく、穴なく、完全に十全。拳に収束した魔力が光り輝き、超高速の九連撃が心眼の捉えた相手の隙を撃ち抜く。クー・フーリンは槍を弾かれた動揺と、物理的な隙を突かれてなお反応し、なんとか捌こうと足掻くが手が足りない。

 一手防げば二手食らう。次々と直撃を許すが、生存に特化した本能が致命傷だけは辛うじて避けようと体が勝手に最適の反応を示した。だがそれでも撲殺寸前の打撃を受け、血反吐を溢しながら地面を蹴り奈落の底から脱出しようとする。だが刹那の間に交わされる駆け引きでも、ヘラクレスは連撃の合間に生じた好機を見逃しはしなかった。

 最後の一撃は渾身のアッパーカット、なんとか顎と拳の間に腕を挟むも衝撃を逃し切れはしない。舞い上げられたクー・フーリンを追い跳躍したヘラクレスは見た。猛き蒼騎兵が一瞬、気絶した瞬間を。ほぼ同時に繰り出した膝蹴りが、クー・フーリンの背中を撃ち抜く。まともに捉えた全力の打撃を受けて、クー・フーリンは意識を戻しながら喀血した。

 

「ガ、ァ、あッ……」

 

 再び地上に戻ったクー・フーリンが、ビルの壁に激突する。被害は甚大、神性の活性化した変身形態となり耐久値が評価規格外になっていなければ、この時点で五度は即死していただろう。

 次々とビルを貫通していくクー・フーリンは、途中で霊体化し物質への激突によるダメージを回避する。霊体化したまま瀕死になった己を自覚しつつ、なおも戦闘を続行しようと舞い戻る。

 たとえどれほどの傷を負おうと、霊核が無事で即死さえしていなければ戦い続けられる規格外の戦闘本能だ。クー・フーリンは死に瀕している己の不覚を悟りながらも、心の底から笑った。

 

「――まだまだァッ!」

「来るか! 我が宿敵!」

 

 実体化して左後方の死角から魔槍を突き出すクー・フーリンに反応し、ヘラクレスは大弓を取り出して穂先を捌く。完全に沈んだ日輪の姿はなく、夜の闇の中で繚乱する火の花。幻想的な激烈の戦火を目に焼き付けながら、クランの猛犬は狂喜するまま吼える。

 

 これだ!

 これなんだ!

 こんな戦いを求めて、こんな戦争に参加した!

 聖杯への願い? サーヴァントとしての使命? 現世の事情? そんなものは知らん。

 死力を尽くす。何もかもを出し切る。得難い強敵と戦い、闘い、戰い、死ぬまで死闘(たたか)う!

 全力を尽くして、死力を振り絞って、なおも立ち塞がる大敵のなんと喜ばしいことか!

 

 親友との気の進まぬ闘い。敵味方に分かれた叔父との八百長の勝ち負けの繰り返し。息子と知らぬままとはいえ、幾ら強かったとはいえガキ相手には望んでいなかった殺し合い。それらからは決して得ることが出来なかった、生前のどんな戦場からも得られなかった、なんのしがらみも遠慮もない、純粋な意味での戦い! 死闘! これだ、これが欲しかった! これだけを望んだ!

 今まさに死にかけている。必殺の槍も繰り出してなお殺せていない、技も力も己を超える敵! 技では互角だと? そんなまさか! 技でも己より上手の大敵ではないか! 唯一勝っている速さを武器にして、後は己の存在全てを叩きつけることでしか勝てない!

 

刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)!」

「それはもう見た!」

「――だからどうしたァ!」

 

 必殺の一撃はクー・フーリンを以てしても唯一の構えから繰り出さざるを得ない。その構えを見る前から動き出しを潰しに掛かるヘラクレスに、クー・フーリンは一切構わず強引に放った。

 果たして魔槍は再びヘラクレスの心臓を穿つ。魔槍への耐性があろうとお構いなしに、ルーンにより先程とは異なる概念を乗せた一撃で喰い破った。ヘラクレスの逸話から、一度乗り越えた試練に耐性が出来ることなど考察するまでもなく悟っている。だからこその小細工だが有効であるのに変わりはない。だが再び二つの命を削った代償に、ヘラクレスの大拳がクー・フーリンの鳩尾を深く抉った。生き返りながら追撃の足刀を脇腹に食らい、弾き飛ばされた騎兵は地面を転がり建造物に直撃するまで止まらなかった。

 瓦礫の山が降り積もる。それを蹴散らして進み出るも、クー・フーリンの脚は情けないほど震えている。これでは自慢の機動力を発揮できない。実質死んだも同然。だが、まだまだこれからだ。

 

「――感謝するぜ、アーチャー」

 

 視界が霞む。足腰が立たず、骨も何本も逝った。それでもクー・フーリンは言う。

 莫大な感謝を。ヘラクレスに、そしてここまで邪魔せず好き勝手戦わせてくれたマスターに。

 相対するヘラクレスを向こうに回して、倒壊していく新都という廃墟の街の只中で彼は言った。

 

「正直、期待以上だ……ハハ、愉しかったぜ」

「遺言か?」

「バカ言うなよ、そんなもんじゃねぇさ。ただ、()()として、オレはアンタみてぇな戦士に心の底から敬意を払いたくなっちまっただけだ」

「……そうか。つまり、()()()()()という訳だな?」

 

 ヘラクレスの確認するかのような問い掛け。それに、クー・フーリンは可笑しそうに相好を緩める。

 

「応よ。一介の戦士として、満足しちまった。こんなボコボコにされたのなんざ、ガキの頃、師匠にしごかれた時以来だ。だがよ……オレはこんなでもサーヴァントなもんでね。おまけと言っちゃアレだが、最強の看板背負(しょ)っちまってる。んなもんで、負けるワケにはいかねぇんだ」

「フ……それは、私も同じだ。私を最強と呼ぶ者がいた。私を最強の英雄だと讃えた友がいた。そして私の力を恃む者達に願われた。無意味なこの戦争を終わらせる――私も負けるわけにはいかん」

「だろうな。だが、だからこそ、こっから先は()()()()()として、()りにいかせてもらう。テメェもまだまだ底があるんだろ? 折角だ、全部出してみろよ。オレはその上をいくぜ」

「……いいだろう。ならば、私も後のことは何も考えん。今この瞬間にお前を凌駕する為に、生涯最大の試練である猛犬殺しを成し遂げよう!」

「よく言った。なら魅せてやるぜ、このオレの全てをッ!」

 

 打てば響く。生まれた時から死ぬその時まで、片時も離れず添い遂げた半身の友に等しい共感。

 クー・フーリンは笑った。ヘラクレスも、笑った。

 互いに何を考えているのか手に取るように分かる。

 決着を。ただただ決着を。

 己が勝つ。勝つのは己だ。勝利するのだ。絶対に勝つのである。

 燃え滾り沸騰する戦意。高揚。感動。感謝。

 殺気は透明に、殺意は友情に、戦場は極楽に。変遷する心の色彩を懐いたまま、殺す。

 

 クー・フーリンは魔剣を抜刀した。その上で、朱槍の柄頭で地面を叩く。

 

 最大展開される、クー・フーリンが有する()()の宝具。新都全域を包み込んでいく膨大極まる魔力の波濤。広がる光の渦の中、クー・フーリンは高らかに唱えた。

 

「蒸発するまでアゲていこうぜ。祭りの時間だァ!」

 

 現存するアイルランドの都市の元となった、クー・フーリンの居城。

 彼の、本拠地。

 光の御子のホームグラウンドが展開された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クー・フーリンの城の名前忘れちゃった☆


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決着に向けてひた走る話

お待たせしました。有給取って5日間旅行しており、その間一文字も書けず、更に翌日は旅行疲れか体調を崩してダウンし、更新が遅れました。
旅行中の隙間時間でパワプロ2022をやり栄冠ナインの面白さに目覚め、動画でも見ようと思ったらにじさんじ甲子園とかいうのに出会い、意外な熱さに驚き楽しみ。とても充実した日々を送れました。パワプロ三昧の毎日! その熱さを少しでも皆様にお裾分けしたい。そんな感じで書きました。どうぞ!


 

 

 

 

 

 

 バゼットは英霊召喚に踏み込むまでに、方々に手を尽くして用意したものがあった。

 

 魔力を回復、ないし促進させる礼装、あるいは溜め込む為の礼装である。

 

 一流の執行者である彼女は、サーヴァントの力を軽く見ていなかったのだ。また冬木という地で行われる聖杯戦争のからくりから、サーヴァントが知名度による補正を受けることも知っている。

 故に自らが喚び出すサーヴァントが、本気で戦い伝説通りの力を発揮した場合、自身の魔力が瞬く間に枯渇するのを懸念するのは当然だ。そんな無様な理由で死にたくないし、死なない為に対策をするのが道理である。最悪の場合は令呪を魔力源にする想定もしていた。

 だが神代の規格外というものは、現代の魔術師風情では計り知れぬもの。果たしてバゼットの用意した礼装は全て無駄となり、令呪の使用を想定していた覚悟も無駄に終わっている。

 なぜなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 否、正確には違う。

 ライダーとアーチャーの繰り広げる死闘は、もはや人智を超えたもので、バゼットの想像より激しさを増し、危うく昏倒する寸前まで行ってしまった。もしもライダーが自前の魔力で魔槍の真名解放を行わず、マスターに負担させていれば限界を迎えていたかもしれない。神代から続く名門と言える家系の魔術師であり、自身も極めて優れた魔術師であるバゼットが、だ。

 あまつさえ固有結界にも似た城砦都市を具現化された時、バゼットの残った魔力はほとんどが枯渇しミイラになりかけた。何も手を打たずにいたなら、間違いなく死んでしまっていただろう。

 

 だがそうはなっていない。それはなぜか?

 

 

 

「蒸発するまでアゲていこうぜ。祭りの時間だァ!

 

 『安息を背に咆え猛ろ、光の地(ダンドーク・オブ・ク・ホリン)』!」

 

 

 

 ――答えは一つ。事此処に至ってなお、常人の理解の遥か先に、神話の大英雄がいただけだ。

 

 目映い光と共に顕現せしは、戦場の王が領した伝説の居城。クー・フーリンが安らいだ地。

 対自己宝具に分類されるそれは、護りよりも寧ろクー・フーリンの心身を癒やし、慰め、士気の向上を大いに促す城だ。謂わば城主の辿った歴史、史に刻まれた伝説を再現する本拠地である。

 自らの名を冠したその宝具は、()()()()都市の原型。特筆すべき特性は宝具のモデルが現存する故に、ライダーの宝具『安息を背に咆え猛ろ、光の地』と都市ダンドークがリンクしていること。つまり()()()()()()()()()()()()()()()()信仰、土地に流れる霊脈の魔力をそのまま引っ張って来られるのだ。それが意味するのは――ライダーがこの宝具を完全展開したなら、膨大な魔力をマスターに頼らず得ることが出来る他、城主であるライダーと同じ陣営に属する者にも同様の恩恵を与えるということ。

 

 魔力の枯渇で死にかけたバゼットが生きながらえ、あまつさえ全快しているのはそうした理由だ。ライダーが魔槍や魔剣を差し置いて自身の()()宝具と位置づけ、切り札の両輪の片割れと定めただけのことはあり、そのランクは驚異の評価規格外に収まっている。

 幸運を除いた全能力を一ランク向上させるだけではなく、精神異常耐性を強め、回復力を極限まで高めた上に、戦闘続行スキルも数段跳ね上がり、更には限定的ながら膨大な魔力を得る。今のライダーは生前には及ばぬまでも、サーヴァントとしては望み得る限り最高の状態に達していた。瀕死だったはずのライダーが、急速に傷を癒やしていくのだ。理不尽極まりない宝具と言える。

 

「凄まじいな……」

 

 我知らずアーチャーが感嘆する。自身の知るトロイア、神々の加護を得て繁栄した都市国家、そのいずれにも絢爛さでは劣っている。しかし無骨で味気ないその城塞都市は、只管に剛健だ。

 人の営み、人の活力、それらが詰まった幻想の城。アイルランド最強の大英雄が守り抜いた、まさしく愛すべき人々の勇気の結晶だ。素朴で実直、ひたむきな祈り。それを背にした時の英雄の手強さを、アーチャーは我が事のように理解できる。アーチャーはライダーを、一人の男として素直に尊敬した。どれほどの勇者と自身が戦っているかを、改めて実感したのだ。

 

 ――光の御子は生前、数多の武勲を打ち立てた。しかしそのほとんどで自ら戦いを望むことはなかったという。闘争を好む戦士が、だ。クー・フーリンは人々を窮地から救う為、友や自らの名誉を守る為にこそ、義侠心から望まぬ戦いに挑んだのである。

 騎士としての名誉と節度を重んじ、女を手に掛けることは一度もなく、裏切りを嫌った。後のブリテンの騎士に大きな影響を与えたのはクー・フーリンの真に高潔な在り方だったのだ。

 故に彼はしがらみの中で生き、死んだと言える。アルスターの王族にして騎士だった彼は、いつも自分以外の誰かの為に戦い続け、それに後悔こそしていないし誇りを懐いていたが、死後に望みを託せるのなら――なんのしがらみもなく、掛け値なしの死闘を、ただ自分の為に演じたい。彼はそう願った。そして、それは叶ったと言える。

 

 全ては相対する好敵手と、自らのマスターのお蔭だ。どちらが欠けても、ライダーの望む死闘は成立していなかった。だからこそ猛る、だからこそ奮う、全てを出し尽くすまで終われはしない。

 

「『クー・フーリン』の全部はまだ晒しちゃいねぇ。だがこっから先は『サーヴァント・ライダー』としてのオレも含め、全部を曝け出していく。早々に音を上げてくれんなよォ!」

「――いいだろう。我が生涯にてついぞ得られなかった好敵手、敬意を払うべき偉大な勇者! 我が全霊を以てお前の繰り出す悉くを撃ち落とす!」

 

 ここにきて、アーチャーの戦意も最高潮に達した。

 この城を出されず、あのまま続けていたらアーチャーが勝っていた公算が高い? 宝具たる肉体と鎧を持つ己を打ち破るのは不可能? そんなものは知らない。そんな道理、計算など役に立たない。

 勇猛たるアーチャーは歓喜していたのだ。まさに死闘、まさに己の全てを絞り出す決戦、未だ嘗てない()()()()()()()()()決闘! 戦士としてこの上ない高揚に彼は奮い立つ。

 

「さあ、征くぜ相棒!」

「――急な話はいつものことか。いいだろう、共に征くぞ兄弟」

 

 主の呼び声に応え現れたのは戦馬セングレン、神馬たる灰色のマハ。そして威容高らかなる両馬が牽く戦車の御台に現界せし、ライダーの幼馴染にして運命共同体――全英霊中最高位の馬術を誇る御者の王、自らも騎兵の資格を有する英霊ロイグ・マク・リアンガヴラ。

 彼らはライダーの宝具『安息を背に咆え猛ろ、光の地』展開時のみ、現界を可能にする。なぜなら彼らはダンドークにて、英雄クー・フーリンと同じ戦場で死した輩であるからだ。その結びつきは極めて強い。死ですら分かたれない不滅の絆が彼らの間にあった。

 いずれもクー・フーリンの誇る相棒達である。太陽神の加護を授かる車輪を有して、その車輪に螺旋の刃を具えた鉄杭を施した対軍宝具を操る、エリンの戦士として欠かせない半身でもある。

 だが騎兵の座にあるはずのクー・フーリンは、戦車の台に立たない。そちらは完全なフリーハンドを預けた幼馴染に託し、自らは光の魔剣を抜刀し朱槍と共に身軽な戦士として完成する。

 

「シャァッ!」

 

 地面を蹴って突貫せしは、戦闘に支障がない範囲まで回復したライダーだ。遅れて始動した戦車はライダーの初動で意図を察し、彼とは反対の位置に駆け出している。アーチャーも一目で意図を見抜くも妨害できない、そんな隙など見せては容易く心臓を抉られよう。

 アーチャーは即座に大弓に矢を番え、必殺の殺意を込めて速射する。一度の射撃に五矢を乗せたが如き連射速度に並ぶのは、彼のアーラシュ・カマンガーのみだと言えよう。だが破壊力で彼の大英雄をも上回る神の栄光の矢を――飛び道具に無比の対応力を有するライダーは容易に弾いた、が、その交錯のみでライダーもまたアーチャーの意図を看破した。

 お前の悉くを撃ち落とす。その宣言に偽りなし。アーチャーの放った矢は、ライダーの弾く軌道すら読み切って威力の減衰を極限まで抑え、展開された城砦に着弾し蹂躙する。アーチャーはライダーの切り札である宝具の特性を一目で洞察してのけていたのだ。

 これほどの宝具を展開していながらマスターに負担が掛かったように見えない、であるのならその弱点は性能ではなく成立した形にこそある。すなわち、()()()()()()()。本来この地には存在しないはずのダンドークが在るのを、世界そのものが許容しないのだ。故に城を可能な限り破壊し尽くせば、比例して展開可能時間をも削り取れる。果たしてその読みは的中していた。

 

「ハッ――頭の回る筋肉達磨だな!?」

「知らんのか? アスクレピオスに言わせれば脳もまた筋肉らしいぞ。つまり私は世界一の知恵者でもあるというわけだ!」

 

 接敵し光の魔剣を振り抜いたライダーに、諧謔を返しながらアーチャーは大矢で捌く。剣士の座で招かれても不足のない技量に感嘆しながらも、彼は跳び退いて後退しながら更に矢を番えた。

 迫るライダー目掛け再び宝具『射殺す百頭』を射掛ける。ドラゴンを模した絶殺の自動追尾弾、それを虹霓剣カラドボルグに匹敵する魔剣の一振りで相殺してのけるも、代わりに脚を止められた。その間にアーチャーは更に後退している。自らの奥義すら出し惜しまず、彼はちらりと自らのマスターを見た。少女は自らのサーヴァントの意思を感じ、仕方なさそうに頷きを返す。

 それを確認したアーチャーは即座に大矢を射掛け、城砦を破壊する。そこへ――ライダーに迫る速度で突撃する、対軍宝具『太陽を運べ、護国の光輪(ロイグ・マハ・セングレン)』。数多の英雄豪傑を轢き殺し、蹴り殺し、噛み殺した猛き者共の突撃を、アーチャーは迷わず己の命を惜しまず迎撃する。命の一つでライダーの相棒を潰せるなら安いものだと割り切って。

 だが、御者の王は慮外の馬術を、そして戦車操術を魅せた。捨て身で掴みかかったアーチャーの腕がセングレンの首に巻き付く刹那、セングレンの手綱を引いて急制動を掛け、()()()()()()()()()()()()()()戦車をセングレンの脚力に任せて強引に旋回させつつ――空振ったアーチャーの腕の反対から灰色のマハが頭突きを叩き込む。堪らず吐瀉を溢すほどの衝撃――

 

「がッ――!?」

 

 舐めていたわけではない、しかし神代の名馬、神馬の中でもトップクラスの戦馬達の性能を、鍛え上げられた魔剣の如く振るうロイグの戦技が未知の領域にあったのだ。これにはさしもの大英雄も初見では対処が能わず、まともに食らってしまい吹き飛ばされた。

 そこに。こうなると分かっていた、信じていたとばかりに待ち構えていた者がいる。そう、御者の王と軍馬の王に並ぶ戦場の王、クー・フーリンだ。高々と跳躍していたライダーは、朱槍に一瞬にして全開の魔力を充填してのけ、撓めて溜めた力を全力で解き放った。

 

「貰ったぜ、『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』――!」

 

 放たれるは光の御子の代名詞。必殺必中の呪いの槍。魔力が続く限り、喩え地球の反対側まで逃れようと永遠に追い続ける魔槍の極撃。これで三つは持っていくと言わんばかりの気迫だ。

 しかし。しかし、だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()と言わんばかりに、アーチャーは微笑む。マスターである少女は予想以上の苦戦に驚きながらも、歯を食いしばり檄を飛ばす。

 

「アーチャー! ……令呪を使うわ! ()()()()()()、速攻で終わらせなさい!」

 

 人類史上最高の性能を誇るマスター、衛宮イリヤスフィールですら令呪を使ってなお五分。

 この意味を、この一瞬で悟れるのはアーチャーのみ。

 そして、それで充分だとばかりに――アーチャーは、獰猛なものへその笑みを変えた。

 

 迫る魔槍。それを正面から防御する――だけでは済ませない。獅子の毛皮により心臓へと滑り込まんとする穂先を抑え、弓を捨て己の両腕で魔槍を掴む。そして、凄まじい衝撃に喀血しながら、蘇生宝具『十二の試練』を封じることで使用を可能にする()()()()を開陳した。

 

 

 

「『其の栄光は、此の力で為したもの(ヘラクレス・アトラース)』」

 

 

 

 英雄ヘラクレス。様々な冒険、試練、怪物退治を経た末に、神の席に列された半神半人。

 その伝説の中で、彼が手に入れた武具防具、財宝、名馬は数知れず。

 山と積まれる名声の果てに、人は一つの疑義を懐いた。

 果たして最強の英雄の、最強の武器はなんなのか?

 ヘラクレスの振るった大剣マルミアドワーズか。奥義ナインライブズを開眼する切っ掛けとなった石弓か? それとも彼の死因にもなった神王蛇ヒュドラの神殺しの毒か? はたまた彼の代名詞とも言える棍棒? あるいは、それとも、もしくは――論議は尽きぬ。

 だが真にヘラクレスを知る者は。当のヘラクレス本人は。

 最強の武具はなんだと問われたら、簡潔な一言を返すのみだった。

 

 ――ヘラクレスの最強の武器は、()()()()()だ。

 

 異変を察知し目を見開いたのはライダーである。

 己の英霊としての誇り、魂、修練。その具現とも言える投擲魔槍を、両手で掴み取って魅せた巨雄が、最強宝具たる己の肉体を解放し、ここに――神話の時代、あらゆる舞台を征した伝説の英雄が復活した。

 

 

 

()()々々々々々々(オオオオオオ)――!」

 

 

 

 黒髪がうねる。肉体が異常な筋肉で膨張する。握り込む握力のみで世界が軋み、大地が鳴動する。込められた力で空間が撓み――満面に苦痛を滲ませながら咆哮したヘラクレスによって――完全な力で万全の機を捉え命を狙った魔槍を――半ばから、強引に、圧し折った。

 着地したライダーが絶句する。有り得ない光景に彼の相棒たちすら足を止めた。同じく大地に足を付けた巨雄が、全身から大量の汗を噴き出し、肩で息をして、しかし命を一つも散らさないまま五体満足で健在を誇示した。充謐する気魄は天を覆い、その力は山を抜き海を割き大地を砕く。英霊という枠組みのみならず、神霊ですらもねじ伏せる最強の腕力の持ち主が、莞爾として笑む。

 

「……まるで、雷霆の如しだった」

「テ、メェ……」

「だが――忘れていなかったか? 私は、この体と、この力で――生前は一つ切りの命で、全ての偉業を成し遂げたのだ。私の残りの命を視野に入れた()()()な槍などで、私を()れると思うな、我がライバルよ!」

「………………!!」

 

 燃え上がる赫怒。煮えたぎる憤怒。そして――憤死しかねない羞恥。

 怒号を上げず、怒りで悶えず、みっともなく情けない醜態を晒さずに。自慢の槍を――師より授けられた誇りそのものである槍を――圧し折られた現実を受け止め、裂帛の気合を秘めて吼えた。

 

「…………応ッ!!」

 

 魔剣を仕舞い、新たに取り出したるは名槍ドゥヴシェフ。クー・フーリンが魔槍ゲイ・ボルクを使わない戦いで用いていた主兵装だ。むしろゲイ・ボルクよりも手に馴染む愛槍でもある。

 まだ武器を隠し持っていたのかと苦笑いしてしまいそうになりながら、宝具『ヘラクレス』と言える存在へ変貌した大英雄は顔を引き締める。まだまだ引き出しがあっても驚かない。多彩さには自信があるが、多才多芸さぶりでは到底ライダーに及ばぬ自覚があった。

 だが、それがどうした。

 己には、この体がある。並ぶ者なき無双の力が。

 そして、この身に積んだ技がある。賢者より学んで超えた、最優の術が。

 ならばこれ以上何を望む。何を求める。――何も要らぬ。この戦いは、裸一貫、腕と脚の五体のみがあればよい。そうとも、これもまた乗り越えるべき最難の試練である。

 

 ――力自慢が、技自慢が、自分だけだと思うな!

 

 そう叫ぶように、再び跳躍したライダーへ、バゼットが令呪を二つ切った。

 

「ライダー! 『私の参戦を認めなさい!』『そして、絶対に勝てェッ!』」

「――祭りに参加か? いいぜ、来なバゼット!」

「っ……アーチャー!! 令呪で命じるわ、『宝具【十二の試練】と【其の栄光は、此の力で為したもの】を可能な限り併用しなさい!』」

「承知! 二つもあれば充分だ、往くぞマスター!」

 

 マスターすら交えての血戦、その決着は近い。

 

 自らの技を宝具の域に押し上げているのはヘラクレスだけではない。それを証明するかの如く、空中にいたライダーは愛槍を虚空に放り、その石突きに足を添えた。

 そして、幕切れに向けて全力で疾走していく。

 

「魅せてやらァッ! オレのとっておき――『蹴り穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』をォッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金の王が呟いた。思いの外、熱中して観ていた己に鼻を鳴らし。

 

「フン……雑種共が、随分と興じさせてくれる。だが……()()()()よな」

 

 魔術の王が呟いた。機械的に、感情などなく。

 

「ここだ。さて……貴方はどう動く? 英雄王。いずれにしても、打てる手はない。貴方も、私も」

 

 聖剣の女王が振り返った。

 

「――決着ですか。願わくば、()()()()()欲しい局面ですが……」

 

 

 

 そして、イレギュラーは内心にのみ溢す。

 

(ここからだ。ここから、一瞬たりとも、一つたりとも、ミスは犯せない)

 

 

 

 

 

 



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