TS転生令嬢は『カウンター悪役令嬢』を目指す (緑茶わいん)
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序章:屋敷内の悪意
我が儘お嬢様、前世の記憶を取り戻す


※不定期更新です


『女はズルい? あははっ! そうかもね。……だったらさ、あんたも生まれ変わって女になれば?』

 

 悪夢から目覚めると、そこは広いベッドの上だった。

 黒く塗られた石造りの天蓋を見上げてため息をつく。このところ体調が悪く、昨夜は一晩中熱でうなされていた。お陰で思い出したくないことまで思い出してしまった。

 熱はどうやら下がったらしい。疲労と空腹でふらふらではあるものの、暑さや寒さは感じなくなっている。汗をかいたせいか寝間着が蒸れて気持ち悪い。

 

 ──結局、お父さまはお見舞いに来てくれなかった。

 

 まあ、お仕事だから仕方ないし、代わりに花を贈ってくれたから許してあげてもいい。

 けれど、あの女は駄目だ。伝染るといけないからと言って顔も出さず、贈り物もしてくれない「お養母さま」。あいつは絶対にわたしのことを嫌っている。なのに、お父様ったら何度言ってもわかってくれない。

 

 高校の文芸部を乗っ取ったのもああいう女だった。

 部長をあっさり篭絡して活動方針を変更、他の部員たちも骨抜きにした挙句、六股だか七股だかがバレて退部していった。

 忌々しい。

 部長もお父様も、どうしてあんな女に騙されるのか。

 ()も最初は騙されかけた。そういう外面の良さがあいつらのいやらしいところなのだが──。

 

「……あれ?」

 

 俺? わたし?

 違和感を覚えて身を起こすと、頭に小さな痛みが走った。高校の文芸部でのこと。病床を見舞わない継母(ままはは)のこと。混在していた記憶が分けられ、区切られて明確になる。

 

 一つは日本で男子高校生をしていた『俺』の記憶。

 一つは公爵家に生まれ、幼くして母親を亡くした『わたし』の記憶。

 

 どちらかが偽物というわけではない。

 不思議なことに両方が『自分の記憶』だと感じられる。初めての感覚に首を振り、多少なりとも気持ちを落ち着けてから、俺はゆっくりと自分を見下ろした。

 ふかふかのベッドに小さな女の子が座っている。

 細い手足に色白の肌。ネグリジェのような寝間着を纏った身体はまだ起伏に乏しいものの、どこか女性的なラインを描いている。寝乱れた髪は肩くらいまでの長さがあり、その色はワインのような紅だった。

 どう見ても男子高校生のそれではない。

 

『当然じゃない。この身体はわたしのものだもの』

 

 脳内に『わたし』の思考が流れる。

 俺はああ、そうかと思った。同時に『俺』の思考が「じゃあ自分はどうなったのか」と訴えてくる。答えは記憶の中にあった。男子高校生の自分が命を落とす場面。

 

「生まれ変わった、ってことか」

 

 転生した俺はこの歳──八歳まで普通に生きて、不意に前世の自分を思い出した。

 今の俺は『俺』であり『わたし』でもある。どちらかというと男の記憶が表に出ているようだが、さっきのように男の思考と女の思考を分けることもできる。

 ややこしいが、どうやらそういうことらしい。

 

 首を巡らせると、俺の寝室が見渡せる。

 前世における自室と比べて数倍の広さ。食器棚に寝間着や下着の入ったクローゼット、2~3人掛けのテーブルに書き物用の机まである。ダブルサイズはある天蓋付きベッドが中央に陣取っている通り、基本的には寝るための部屋だ。

 日中を過ごすための私室は別途、隣に用意されていたりする。

 壁側の硝子窓からはきらきらとした陽光が射しこんでおり、今が朝であることを教えてくれる。

 

 まるきり金持ちのお嬢様だが、それもそのはず。

 俺の名前はリディアーヌ・シルヴェストル。国の宰相であるシルヴェストル()()の長女だ。実の母は五歳の時に病死し、現在は父の後妻である養母に育てられている。

 公爵は五段階ある貴族位のうち最上位にあたる。公爵家だけでも複数あるとか、家ごとの力関係とかを大雑把に省けば、我が家は「王族の次に偉い」ということになる。

 

「完全にお嬢様じゃない、わたし」

 

 独り言は自然とお嬢様の口調で紡がれた。

 意識して「男として動こう」と思わない限りはリディアーヌとしての仕草や癖が優先されるらしい。楽で助かる一方、男としての自意識は違和感を訴える。まあ、それを表に出さないで済むだけ幸運と言うべきか。

 それにしても──。

 

「お腹が空いたわ」

 

 記憶をたどると、昨日は水と薄いスープくらいしか口にしていなかった。体力も落ちるわけである。何か持ってきてもらおうと、サイドチェストの上に置かれた呼び鈴に手を伸ばす。

 そこで、寝室のドアが向こうから開いた。

 音を立てないようにそっと入ってきたのは、シックなお仕着せを纏った若いメイドだった。焦げ茶色の髪に深い紺色の瞳をした彼女は、俺が身を起こしているのを見て目を丸くした。

 

「お、おはようございます、お嬢様。ご気分はいかがですか?」

『はあ? おはようございます、じゃないでしょう。主人の部屋にノックもなく入ってくるってどういうことなの?』

 

 ここ数日、俺はほぼベッドの上だった。寝ていると思って起こさないようにしてくれたのだろう……ということで、脳内の罵声はスルーする。

 どこか怯えた様子のメイドは一メートル以上の距離を保ったままこちらの反応を待っている。俺は努めて微笑を浮かべると彼女に答えた。

 

「だいぶ楽になったけれど、お腹が空いてしまったわ。ええと、あなた……名前はなんて言ったかしら?」

 

 記憶にはメイドの名前がなかった。顔自体は覚えているので、屋敷のメイドには違いないのだが。『はあ? メイドの名前なんていちいち覚える必要ないじゃない!』。ああ、うん。理由がよく分かった。

 

「あ、アンナと申します」

「そう、アンナね。ありがとう。……今度はちゃんと覚えるわ」

 

 食べやすい食事をお願いすると、アンナはきょとんとした表情で「かしこまりました」と頷いた。きっと「お父さまに言ってあなたをクビにしてもらうわ!」とか言われると思ったのだろう。

 

『いきなりクビになんてしないわ。仕事の態度が悪かったって教えてあげるだけ』

 

 いや、そういう問題ではない。

 なんというか我ながらひどい我が儘ぶりである。これじゃあ怯えられて当然だ。一礼して退室していくアンナを見送ってから、俺は再びため息をついた。

 

「なんで、よりによって女の子に生まれ変わったんだよ」

 

 

 

 

 

 前世の『俺』は女運が悪かった。

 実の姉。幼馴染。中学の時の担任。付き合った彼女。高校の文芸部の後輩etc……。身近な女、親しくなった女はほぼ全員、我が儘だったり計算高かったり、ずる賢く人を利用するような奴だった。

 自分はもちろん周りの男も随分苦しんだ。

 結局、最後までろくに見返してやれなかったことが一番の心残りだ。

 生まれ変わってみろと嘲われて「なれるものならなりたい」と思ったこともある。しかし、本気でなりたかったわけじゃない。

 簡単な話だ。

 女になれば()()()()()()()()()()()()()()。他人を騙して見下して嘲笑って上に行く、そんな奴らの仲間入りなんてしたくない。

 

『わたしだって嫌よ。社交界にはお養母さまみたいなのがたくさんいるんでしょう?』

 

 八歳のリディアーヌも貴族社会については詳しくない。

 参考になるのはせいぜい、文芸部にいた頃に見聞きした『創作作品上の貴族像』くらいだ。

 上品かつ華やかな印象とは裏腹に様々な陰謀が蠢く魔窟。

 女の世界は特に嫉妬や格付け争いが激しいイメージ。もちろん創作の話だが、古典作品からして意地悪な継母にいじめられる話だったりするし、俺の生きていた時代には『悪役令嬢』なんて言葉まで広まっていた。

 

 というか、リディアーヌ・シルヴェストルも十分、悪役令嬢(それ)の範疇だ。

 権力を振るうのに躊躇がない我が儘娘。

 アンナに対して思ったようなことを実際に言うのは当たり前。ドレスが気に入らないだのティータイムのお菓子が足りないだの嫌いな野菜は皿に盛らないで欲しいだの、どうでもいいことで使用人に当たっている光景をいくらでも思い出せる。

 擁護できるとすれば狡猾さが全くないこと。素で我が儘なだけなのでまだマシと言ったところだが──まあ、この性格は大いに反省して改めようと思う。

 本物の悪役令嬢になって処刑だの婚約破棄だのされるのはご免である。

 

 

 

 

 

 戻ってきたアンナは屋敷のメイドを二人、新たに連れていた。

 

「お食事の前にお着替えをいたしましょう」

 

 ベッドの端に座ったまま三人がかりで服を脱がされ、ぬるま湯で湿らせたタオルで身体を拭われる。俺は腕を上げたり腰を浮かせたりするだけ。病み上がりだからではなく、着替えはメイドにやってもらうのがリディアーヌの普通だ。

 裸にされるのは意外と恥ずかしくなかった。女子と言っても所詮八歳なので動揺するほどのことでもない。どちらかといえばメイドが全員年頃の女子で、しかも距離が近いのが気になる。

 

『はあ? 着替えなんだから当然でしょう?』

 

 実際、相手からしたらただの作業なのだろう。メイドの一人などは露骨に面倒臭そうな顔をしていた。使用人に興味のなかった今までなら気づかなかったかもしれない。

 

 ──辛く当たってきた過去は変えられない。

 

 新しい下着と寝間着(当然女の子用だった)を着せられた後、俺は彼女たちにお礼を言い、名前を尋ねた。

 

「……ジゼルです」

「エマと申します、お嬢様」

「ありがとう。これからもよろしくね、エマ。ジゼル」

 

 淡々と返事をしてきた二人は狐につままれたような表情で去って行った。それからアンナが料理の載ったカートを運んできて給仕をしてくれる。パンとスープ、それからミルク。

 具が細切れにされたスープは複雑なうま味が感じられる丁寧な一品。胃に流し込むたびに熱がじわりと全身へ広がり、なんとも心地いい。夢中で三分の二ほどを飲んでから慌ててパンを手に取れば、パンはまだ温かかった。バゲット系だったので残りのスープに浸して柔らかくして食べる。小麦の味がしっかり感じられて正直たまらない。

 皿はあっという間に空になり、最後のミルクも美味しくいただいた。

 空腹はだいぶ和らいでいる。もう少し食べたいくらいだったが、急に満腹まで食べるのも良くないだろう。俺はアンナを見上げて微笑んだ。

 

「ごちそうさま。とても美味しかったわ」

「…………」

 

 返ってきたのは困惑したような表情。

 

「お嬢様。その、大丈夫ですか……? 本当はどこか悪いんじゃ?」

 

 どうやらアンナはかなり素直な性格らしい。裏で同僚と「キモい」と言いあってもいいはず。わざわざ言ってくれるあたり、きっといい子なのだろう。

 アンナは高校生くらい。ジゼルやエマとは何歳か離れているように見えた。だとすると、俺の世話も貧乏くじを引かされたのではと思ってしまう。

 申し訳ないと感じながら苦笑して、

 

「少し心を入れ替えようと思っただけよ」

「そう、なのですか?」

 

 俺は「ええ」と頷き、寝込んでいる間のことを思い返した。

 あれは本当に辛かった。

 

「寒くて暑くて、死ぬかと思った。わたしが何をしたのよ、って思った。そうしたら、あなたたちにたくさんひどいことをしていたことに気づいたの」

「お嬢様」

「今更よね、ごめんなさい」

 

 アンナは「いえ」と言ってくれた。

 表情はどこかぎこちなかったものの、笑顔になって、

 

「ありがとうございます」

 

 ああ、いい子だ。

 当然だが、世の女全てが嫌な奴ではない。善良な女もいるし、男の中にも悪人はいる。そのことをあらためて認識させられる。

 少しだけ心が軽くなった。

 ベッドへ戻り、アンナに布団をかぶせてもらう。お腹が満たされたので眠気が来ている。瞼を閉じると、メイドが退室していく気配を感じながら意識を落とした。

 

 

 

 

 アンナに言ったことは本当だ。

 リディアーヌは根っからの悪女じゃない。彼女が──いや、俺が我が儘になったのは母を亡くしたストレスと、新しい母親と上手くいかない怒りからだ。

 母が生きていた頃の俺は素直ないい子だった。今の自分が「悪い子」なのも心のどこかではわかっていた。だから、病気で一晩中苦しみながら後悔した。

 前世の記憶を取り戻したのはその結果だったのかもしれない。

 

『だったら、どうだっていうの?』

 

 夢の中で『わたし』の声が響く。

 

『今更素直になんてなれない。誰も許してなんかくれないわ』

 

 別にそれでいい。元のリディアーヌ・シルヴェストル()()()頑張る必要はない。今の俺は『俺』と『わたし』の両方の影響を受けているのだから。

 俺の人生を今からでも軌道修正する。

 気の強い性格は素だろうし、完全には無理かもしれないが。

 

『だったら、それでもいいじゃない。気に入らない奴に遠慮してやる必要なんかない。せいぜい怖がらせてやればいいのよ』

 

 何しろ自分自身だ。言いたいことはすぐにわかった。

 悪役令嬢と呼ばれるならそれでもいい。

 前世の俺だって別に聖人じゃない。だから全員に好かれようとは思わない。ただ、真面目に頑張っている人間を攻撃したりはしない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 カウンター悪役令嬢、とでも言ったところか。

 

『いいわね。面白そうだわ。やりましょう!』

 

 こうして俺は、自分自身の方向性を定めた。

 これが、生まれ変わったリディアーヌ・シルヴェストルの新しい第一歩だった。




◆リディアーヌ・シルヴェストル
 王国の宰相を務めるシルヴェストル公爵の長女。
 幼い頃に母を亡くしたショック等々から我が儘お嬢様となりメイドや義妹をいじめていたが、高熱で苦しみ死にかけた際に前世の記憶を思い出し素行について反省した。
 現在八歳。
 紅の髪と瞳を持つ美少女である。

【挿絵表示】
※画像は自動生成ツールを用いて無作為に作成した中からそれっぽいものを選んだものです。
作中の描写と異なる可能性がありますがあくまでイメージとお考え下さい。


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病み上がりの令嬢と公爵家の人々

 寝室のドアが叩かれる音で目が覚めた。

 窓から射しこむ光の色はそれほど大きく変わっていない。入室してきたアンナは、俺が目覚めているのを見て申し訳なさそうな顔をする。

 

「お嬢様。奥様がお見舞いにいらっしゃいました」

「……通してちょうだい」

 

 ため息交じりに答えて身を起こす。

 軽く寝間着の乱れを直したり髪を整えているうちに、一人の貴婦人が寝室へと入ってくる。その後ろには彼女の専属メイドとアンナが続いた。

 新緑のような碧色の瞳が真っすぐに俺へと向けられる。

 歳は二十代半ば。金髪の眩しい儚げな美女の名前はセレスティーヌ・シルヴェストル公爵夫人。清楚な白いドレスの裾をかすかに揺らしながらベッドから二、三歩の距離で立ち止まると、優しく声をかけてくる。

 

「だいぶ良くなったようですね、リディアーヌ」

「はい、お養母さま。熱はすっかり下がりました。ご心配をおかけして申し訳ありません」

「そう、それは良かった」

 

 おっとり微笑むセレスティーヌは一見、少女のように純粋に見える。父との結婚はお互い再婚だったので、これでも出産経験済み、立派な子持ちだ。

 

『心配ね。笑っちゃうわ。心配していたのなら、今頃になってお見舞いになんか来ないでしょうに』

 

 俺の病状はメイドから逐一報告を受けていたのだろう。

 回復した後なら伝染る心配は少ないから来たのだ。それでもなお警戒しているのも距離感から伺える。

 

「無理はしないように。きちんと治るまでは部屋でじっとしていてくださいね」

 

 他の家族には伝染すな、と念押すような言葉に「はい」と答える。

 これまでなら既に嫌味の一つや二つは言っているところ。しかし、養母の言葉自体はいたって常識的だ。無駄に反発すれば悪者になるのはこっちの方である。

 腹立ちを堪え、掛け布団の下に隠した手にぎゅっと力をこめる。

 僅かな間があった後、セレスティーヌは専属メイドの名前を呼んだ。丁寧に差し出された小袋をアンナが慌てて受け取る。使用人を介して俺に手渡されたそれは、乾燥した花やハーブ入りの匂い袋(サシェ)だった。

 

「お大事に」

 

 去っていく養母を黙って見送り、再びベッドへ横になる。若干癪ではあるものの、ほんのりとした優しい香りが眠りにつくのを助けてくれた。

 

 

 

 

 食事の他はひたすら眠る一日を経て、次の日の朝にはだいぶ体調が戻っていた。

 窓の外からは今日も明るい光が射しこんでいる。俺はベッドの上で伸びをしてから床へ下り、カーテンを払って外を覗いた。

 気持ちのいい青空。

 芝生や噴水、花壇を備えた公爵家の庭が陽光によってきらきらと輝く。こんな日に散歩をしたらさぞかし気持ちがいいだろう。

 

『ええ。お母さまがいた頃はよく一緒に散歩したわ』

 

 セレスティーヌからは一度も散歩に誘われていない。

 お茶会の誘いはたまにあるが、参加しても話しかけられるのは兄と義理の妹ばかりだった。何度かそんなことを繰り返してからは誘われても断るようになり、溜まったストレスは使用人への八つ当たりという形で晴らされることになった。

 前世における姪っ子を思い出す。

 彼女の母親──俺の姉の態度を真似するせいで呼び捨ては当然、遊んでとしきりに呼びかけてくるわ、やんわり断ると泣き出すわ。すると姉に俺が怒られ、姪っ子はさらに増長する。親が思う以上に子供はその影響を受けているものなのである。

 遠い目になったところでノックの音。振り返れば、入ってきたのはアンナだった。朝の挨拶と体調確認を済ませた後、今日の予定を告げられる。

 

「奥様より、本日も部屋で休むようにとのことです」

「そう。なら、本でも読んでいようかしら。それと、さすがにお風呂に入りたいわ」

「かしこまりました、手配いたします」

 

 着替えの応援に来たのは昨日とは別の若いメイドが二人。

 朝食は昨日よりも豪華になった。スープはしっかり具入りだし、二口分ほどのチーズが付いている。デザートにはアンナがりんごを剥いてくれる。

 ベッドから解放されるためにももちろん完食を──と、

 

『何よこれ。ニンジンが入ってるじゃない!』

 

 スープの中にオレンジ色をした根菜を発見。

 リディアーヌは好き嫌いが多い。料理に少しでも入っていただけでも取り替えさせるのが平常運転だ。勿体ないことこの上ない。

 俺は悲鳴を上げる自意識を押さえてニンジンをぱくり。思った通り甘くて美味しい。偏食の大部分は忌避感が原因だ。前世の俺は普通に食べていたので抵抗は薄い。食べて美味しいのがわかるとぎゃーぎゃーうるさい女の意識も黙った。

 

「お嬢様がニンジンを……!?」

 

 驚愕の表情を浮かべたアンナが「後で報告しないと」と呟くので思わず苦笑して、

 

「大袈裟よ。好き嫌いもなくしていこうと思っただけ」

「では、次はセロリに挑戦しませんか?」

 

 嬉々として薦められた俺は「う」と小さく呻った。それは前世でも苦手だった食材である。

 

「……ごめんなさい。セロリはもう少し時間をかけさせて」

 

 せっかく格好をつけたのに、なんとも締まらないオチだった。

 食事が終わるとほっとひと息。昨日たっぷり眠ったので眠気はあまりない。椅子に座って食休みをしているうちにアンナは食器を片付け、それからまた戻ってきた。

 どうやら今日も彼女が俺の担当らしい。

 父も養母も、それから兄も義妹も専属の使用人を持っているが、俺に専属はいない。どうして俺だけいないのかと言えば、まあ、我が儘娘に仕えたいと思うメイドがいなかったのだろう。着替えの時のメイドも事務的で情は感じられなかった。

 

「ねえ、アンナ? もしかして、わたしの世話を押し付けられたんじゃない?」

「えっ、いえ、あの、それは」

 

 こちらをちらちらと伺いながら動いていた少女メイドは明らかな動揺を見せた。

 誤魔化すように視線を逸らしたりもしているが、正直、ちっとも上手く行っていない。怒ることはなく、むしろ微笑ましいと思いながらじっと見つめていると、やがて観念したように教えてくれる。

 

「今日のお世話係を代わって欲しい、って、ジゼル先輩から頼まれました」

「そう、ジゼルに。……もしかしていじめかしら?」

「い、いえ、そんなことは!」

 

 今度は意外にしっかりとした否定。

 

「私は去年入ったばかりで、お屋敷のメイドの中で一番若いんです。実家も男爵家なので、仕事が多く回ってくると言いますか……仕事を早く覚えられる分だけ忙しいと言いますか」

「なるほど、ね」

 

 公爵家ともなるとメイドも貴族出身者であるのが当たり前だ。

 男爵は貴族階級の中で最下位なので、アンナは下に見られているのだろう。いじめではないにしてもパワハラである。

 

 ──同僚である以上、身分差は関係ないだろうに。

 

 とはいえ、俺が言えたことではない。契約社員の学歴カーストに社長令嬢が文句をつけるようなものだ。お前に何がわかる、と余計に反感を買ってしまう。

 

「余計なことを聞いてごめんなさい」

「とんでもありません」

 

 アンナはふるふると首を振って、

 

「そう言っていただけるだけで十分です。それに、今のお嬢様はとてもお優しいですから」

「本当?」

「はいっ。このままでいてくださると、私はとても嬉しいです」

「……アンナは正直ね」

 

 明るい笑顔に胸がきゅん、と、締め付けられるのを感じた。俺なんかには勿体ないくらいの良い子だ。真面目すぎて損をするタイプ。こういう子と前世で仲良くなれていたら、それだけで救いになっただろうに。

 

「ありがとう。できるだけ手がかからないようにするから、よろしくね」

「はい。こちらこそよろしくお願いします、お嬢様」

 

 とりあえず、暇つぶし用の本を一冊選んでくれるようにお願いすると、アンナは笑顔でそれに応じてくれた。

 

 

 

 

 アンナとの距離を縮めたのは今後の活動をやりやすくするためでもある。

 悪役令嬢を潰すと決めた俺だが、女性社会の戦いは殴り合いでは決着をつけられない。必要なのはもっと複雑で曖昧な「力」だ。

 知力に権力、財力、気品や話術、知識、礼儀作法、芸術的センスetc……。

 中でも最重要に近いものに「味方の多さ」がある。誰でも一度くらいあるのではないだろうか。正しいことを言っているのに周囲からの理解が得られず悔しい思いをした経験が。喧嘩になった時に勝者を決めるのは正しさではなく周囲のジャッジ。そのために味方が必要になるのだ。

 

 現状、リディアーヌ・シルヴェストルに好印象を抱いている者は少ない。

 

 特に女性の理解者はほぼ皆無。我が儘放題だったのだから当然だ。

 屋敷を支配する養母・セレスティーヌに勝つには少しずつでも味方を増やし、態勢を整えていかなければならない。

 基本的な戦い方はきっと他の悪い女たちと変わらないだろう。

 善人でも賢くもない俺にできるのはそれが限界だ。

 

 

 

 

「これは……絵本ね」

 

 アンナが持ってきてくれたのは、私室の本棚にあった中で一番簡単だという本だった。

 文字が二割に絵が八割。さすがにどうかと思ったものの、絵本に使われているのは日本語とも英語とも似ていない異世界の言語だ。喋る方はなんとかなっても、文字は意識して学ばないと身に付かない。八歳の俺はまだ自由に本を読めるレベルではないのだ。

 

『失礼ね。この本なら余裕だわ。お母さまに何度も読んでもらったもの!』

 

 脳内で声。ああそうか、と、記憶をたどって納得する。

 

「懐かしい。お母さまの本だわ」

「奥様のお話、ですか?」

「いいえ」

 

 不思議そうに首を傾げたアンナに微笑んで答える。

 

「セレスティーヌ様じゃなくて、わたしの本当のお母さまのこと。この本の主人公はね、お母さまによく似ているの」

 

 絵本の筋書きは、大まかに言うとシンデレラに近い。王子様に見初められた伯爵家の令嬢が苦難を乗り越えて王妃となる話だ。

 俺の母、アデライドもこの作品の主人公同様に伯爵家の令嬢だった。嫁いだのは王家ではなく公爵家だが、それでも家格的にはギリギリだったらしい。許されたのは類稀な美貌と聡明さ、それから善良な性格のお陰だったのだと母の専属だったメイドから聞いたことがある。

 そんなわけで、リディアーヌはこの絵本を「お母様の本」と呼んでいるのだ。

 アンナは「そうだったのですね」と微笑んで、

 

「お嬢様は、この本がお好きなのですね」

「そうね。この本を読むと、楽しかった頃のことを思い出せるもの」

 

 だからこそ、辛い、読みたくないという気持ちあった。

 荒れたままの俺ならきっとそっちの方が強かっただろう。しかしもう、悲しみに暮れてばかりもいられない。

 

「お母さまは優しい人だったわ。だから、お母さまがいなくなってとても悲しかった。……でも、嫌な子になったわたしを見たら、お母さまはきっと悲しむわ」

 

 立って歩かなければならない。

 あらためて決意しながら、浮かんできた涙を指で拭う。直後、俺の顔が何か柔らかなもので包み込まれた。

 

「……辛かったのですね」

 

 アンナの声と、女性特有の甘い匂い。

 抱きしめられている。これは大丈夫なのか。いや、女同士だし子供なのだからいいんだろうが。

 一瞬パニックになりかけながらも、結局、そのまま身を任せる。すると今度は幼い少女としての感情がこみ上げてきた。

 リディアーヌは愛情に飢えている。

 父は十分に愛を注いでくれているものの、男親と女親は違う。だから、こうしてアンナに抱きしめられるのは、ある意味最も求めていることだった。再び溢れ出す涙。アンナは俺が泣き止むまでずっと抱きしめていてくれた。

 

「申し訳ありませんでした、リディアーヌ様」

 

 優しく穏やかな声が、するり、と耳に入り込んでくる。

 

「正直に言えば、私もあなたのことが苦手でした。理不尽に罵られて悲しくなったこともあります。……でも、私も、お嬢様の悲しみから目を背けていたのですね」

「……そんなのっ。別に、アンナは悪くないわ」

「いいえ。駄目だったんです。使用人だからと、小さなお嬢様のお気持ちに寄り添えていなかったんですから」

 

 そっと、身体が離された時には少しだけ名残惜しい気持ちになった。

 しかし、公爵令嬢としてもさっきのような醜態は晒すべきではない。間違っても「もっと」などと言ってはいけないと、強いて表情を作り直す。

 それから、もう一度アンナを見て、

 

「……ありがとう、アンナ」

「いいえ」

 

 すっきりとした笑顔が返ってきた。

 

「こちらこそありがとうございます、リディアーヌ様。あなたのことを、教えてくださって」

 

 今後のためだと言ったばかりだが、アンナとこうなったのは偶然だ。

 アデライドの本を指定したわけではないし、差し出されることも予想していなかった。涙だって本当の気持ちから生まれたもの。

 しかし、お陰で彼女とより仲良くなれた。

 これでいいのかもしれない。

 悪女の真似はできても同じことはできない。アンナは信頼できると思ったから心を開いた。打算はなくせないが、悪意も好意もできるだけ隠さないでいたい。

 

「いっそのこと、このままアンナにずっとお世話してもらおうかしら」

 

 照れ隠しのように呟くと、意外なことに、嬉しそうな表情が返ってきた。

 

「それは、専属にしてくださるということですか? でしたら、是非お願いします」

 

 専属に指名されたメイドは主人の身の周りの世話やスケジュール管理等が主な仕事となる。信頼されれば嫁ぎ先にも付いていくことができるし、給金アップや専用の部屋がもらえるなど待遇も良くなる。

 善意ばかりの反応ではないだろうが、それでも、本当に検討したくなるくらいには、アンナの言葉は助けになった。




【今回の登場人物】
・リディアーヌ :主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり。
・セレスティーヌ:父の後妻でリディアーヌの養母。性格が悪い?
・アンナ   :公爵家のメイド。素直すぎる性格。
・エマ、ジゼル:公爵家のメイド。リディアーヌを快く思っていない?


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病み上がりの令嬢と公爵家の人々 2

 読書を始めて一時間も経らずで「入浴の準備ができた」と連絡が来た。

 伝えに来てくれたメイドはアンナに視線を送って、

 

「手伝いは必要ですか?」

 

 入浴の際も着替え同様、複数人で世話されるのが普通だ。肌も露わな女性に囲まれて肌に触れられる──確実に落ち着かないと思った俺はアンナに目で懇願。すると、仲良くなったばかりの少女はくすりと笑って応じてくれた。

 

「私だけで大丈夫です。後片づけも大変ではありませんし」

「わかりました。何かあったら言ってください」

 

 一礼して去っていくメイド。俺の担当になったことはない、仕事ができそうなタイプだった。

 

「急がせてしまったかしら」

「気にしないでください。早く手が空いただけでしょう」

「?」

 

 準備の手順を知らない俺は首を傾げた。日本と違ってガスや水道が完備されているわけじゃない。水を運んで火を起こして……と、結構な手間を想像していたのだが、違うのだろうか。

 

「では、リディアーヌ様。冷めないうちにまいりましょう」

「ええ、そうね」

 

 隣の私室までアンナと移動。屋敷には大浴場があるが、部屋に小さな浴室も用意されている。これなら部屋の外に出なくて済むので養母の言いつけにも背かない。

 浴室は小さめの(それでも前世で言う標準サイズはある)浴槽が置かれた狭い部屋だ。床はつるつるしたタイル張りで、かすかな傾斜により部屋の隅から排水される造り。浴槽にはなみなみと液体が満たされており、温かそうな湯気が上がっていた。

 

「失礼いたします」

 

 アンナが慣れた手つきでお仕着せを脱ぎ始める。肌の露出が増えていく様に慌てて目を逸らす。下着まで脱いだ後、薄手の浴衣を羽織ってくれたので少しほっとしたものの、それでも目に毒である。

 男爵家とはいえ貴族だからか栄養状態は良いらしく、想像していたよりスタイルが良い。

 次いで、俺の寝間着と下着が丁寧に脱がされていく。

 間を持たせるためにも口を開き、疑問を投げる。

 

「ねえ、アンナ? このお湯って沸かしたものを運んできたのかしら」

「いいえ。この浴槽は魔道具ですから、水を運んでくる必要はないんですよ」

「これって魔道具だったのね……!?」

 

 この世界には魔法がある。

 女性向けライトノベルやノベルゲームにありがちなライトファンタジーの世界に近いだろうか。俺たちの住むこの国は魔法の力を持つ王侯貴族によって統治されている。

 貴族は魔法が使えるのが普通で、俺の母アデライドも火の魔法を得意としていた。危ないから近づかないように、と言いながら炎でできた蝶や鳥を舞わせ、俺や兄を楽しませてくれたのを覚えている。

 魔道具とはそのまま、魔法の力を籠められた道具のこと。

 

「意外です。リディアーヌ様はご存じなかったのですね」

「だって、お風呂の準備をしているところなんて見たことがないもの」

「そう言われると、そうですね」

 

 準備ができたら呼ばれて、ほぼ座っているだけで全てが終わるのがお嬢様のお風呂というもの。どうして湯が沸いているのか、なんて別に気にしなくても問題はない。

 せっかくだからと詳しく聞いてみると、

 

「浴槽のこちら側に青い石が嵌まっているでしょう? この魔石に魔力を流すことで水が生まれます。十分に水を張ったら、加熱の魔道具を投入してお湯を沸かすんですよ」

「へえ、良くできているのね」

 

 浴槽に水を張るにはそれなりに魔力が要るので、水属性があって魔力が多めのメイドが担当するのだという。

 魔力量は血筋の影響が大きく、男爵家出身であるアンナの魔力はあまり多くないそうだ。

 

「リディアーヌ様の魔力ならきっと、このくらいの魔道具は軽く使えるでしょうね」

「そうなのかしら?」

「はい。お手洗いの際も特にお疲れにはならないでしょう?」

「ああ、そういえばあれも魔道具だったっけ」

 

 使用人用のものがどうなっているかは知らないが、俺が使う洗面所は水洗式だ。

 本体に埋め込まれた青い宝石に手を触れると水が流れる仕組みで、普段から何気なく使っている。

 

「子供でも使える自動式の魔道具はとっても高級なんですよ」

「今更だけど、わたしの家ってお金持ちなのね」

「ふふっ、そうですね。私の実家は貴族でも、もっとずっと質素でした」

 

 入浴はほとんどされるがままだった。

 たっぷりある湯と上等な石鹸、香油を用いて髪と身体を丁寧に洗われる。肌を撫でるのはスポンジではなくアンナの手だ。べとついていた全身が綺麗になっていくと生き返った心地がする。同時に、人を減らしてもらって良かったという思いも。

 

『そうよね? たくさん人がいたらどっちを見ても裸だもの』

 

 身体が綺麗になったら浴槽に浸かる。

 ふぅ、と息を吐いたアンナは楽しげに声を弾ませて、

 

「大人しくしてくださるので、とてもお仕事がやりやすいです」

「わたしはいつも騒々しかったものね」

「そうですね。今のリディアーヌ様はとっても可愛らしいですけど」

 

 たっぷりと温まったところでタオルを使って全身を拭かれ、清潔な下着と寝間着を着せられる。残った湯は掃除がてら「有効活用」されるという。

 

「わかったわ。私は部屋で本を読んでいるから、アンナはゆっくりお掃除をお願い」

「かしこまりました、リディアーヌ様」

 

 三十分ほどで戻ってきたアンナは身体をほかほかさせながら笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

「奥様のご指示で診察に参りました。回復されたようで何よりでございます、リディアーヌ様」

 

 昼食を部屋で摂った後、医師の訪問があった。

 眼鏡をかけた四十半ばの男。寝込んでいる間にも俺を診に来た男だ。確か、平民ではあるものの腕利きで知られている医者だったか。

 彼は恭しく挨拶をした後、探るように俺を見てきた。前回の診察時、俺は彼に罵声を浴びせている。

 

『淑女に裸を見せろっていうの? この変態!』

 

 許可が出るまで何もしたくないと思うのも無理はない。そもそも医者が裸を見るのは当然だし、男に見られたくないとなると女医を探すしかない。腕の立つ女医なんてこの世界ではレア中のレアだろう。

 自分のやったことながら医師に同情しつつ微笑んで、

 

「きちんと治っているか、診察をお願いしますね、先生」

「……これはこれは」

 

 医師が目を瞠った。寝間着を脱がせるのはアンナが担当。診察は丁寧に行われた。おでこを触っての体温確認。シンプルな聴診器で心音を測られ、問診も受ける。

 

「熱や寒気はありますか?」

「いいえ。少し身体が怠い程度です」

「ふむ。食事もきちんと?」

「はい。昨日の朝食からしっかりと食べられています」

「なるほど。……これは驚いた」

 

 意味ありげな呟き。「先生?」と尋ねると、彼は「ああ、いえ」と言葉を濁した。

 

「すっかり回復されているようです。日に日に弱っていらしたので心配していたのですが」

「そうでしたか」

 

 誤魔化された気がするが素直に頷いておく。

 

「では、私はこれで」

「ありがとうございました。またお目にかかるようなことがないと良いのですが」

「……ははは。そうですね。どうか健康に成長されますように」

 

 セレスティーヌに挨拶をしてから帰るという。

 保護者への報告は不思議でもなんでもないが、なんとなく引っかかる。見送りを終えてもそれは変わらなかった。しかし、考えてみても原因はわからない。

 

「良かったですね、リディアーヌ様。これなら明日にはお部屋から出られるんじゃないですか?」

「そうね。……まあ、お養母さまのことだから、もう一日くらい静養させられそうな気もするけれど」

 

 ひとまず、アンナと病気が治ったことを素直に喜びあった。

 以降、午後の時間はのんびりと過ぎた。俺が読書をしている間にアンナは部屋の掃除等を済ませていく。手が空いたのを見計らって読めない単語を尋ねると、彼女は快く教えてくれた。

 夕食は平常メニューとほぼ変わらないものを完食。

 

「明日の朝、体調に問題ないようであれば、食事は食堂で摂ってよいとのことです」

「わかったわ、ありがとう」

 

 養母からの伝言内容は意外と素直だった。

 寝る時間になるまでアンナの淹れてくれた紅茶片手に読書をして過ごした。公爵家は照明の魔道具が充実しているので夜でも活動しやすい。

 まだまだ読めない単語が多いのが今後の課題か。早く知識を蓄えたいのだが、そのためにはまず言葉を覚えなければならない。日本語訳の載った辞書が欲しいと切に思う。

 

「何度も聞いてごめんなさい、アンナ」

「私は楽しいですよ。もっと頼ってください、リディアーヌ様」

 

 そうして「そろそろ寝ようか」という時間になった時、寝室の隣──私室のドアが控えめにノックされた。確認に行ったアンナはすぐに戻ってきたものの、その表情はなんとも言えないものに変わっていた。

 彼女の後ろから寝室へ顔を出したのは果たして十歳程の少年で、

 

「お兄さま!」

「やあ、リディ。元気そうで良かった」

 

 暗褐色の髪は夜の闇に紛れやすい。深い青色をした理知的な瞳にはまっすぐに俺の姿が映っている。母親似の俺に対して父親似の彼──アラン・シルヴェストルは優しい笑顔を浮かべて俺の傍に寄ってきた。ぎゅっ、と手を握られると、胸の奥から家族の親愛が溢れてくる。

 自然と笑顔になりながら、俺は彼に尋ねた。

 

「お兄さま。もしかしてお忍びですか?」

「ああ。人払いをしてからこっそり出てきたんだ。会えるのが明日の朝になりそうだったからね」

「まあ、お兄さまったら」

 

 茶目っ気を出してウインクする彼。長男の彼は将来、父の後を継ぐことを期待されている。妹の見舞いになんてとても来させてもらえなかっただろう。

 それでも会いに来てくれたのが嬉しく、くすくす笑って応じると、ふっと息を吐く気配。

 

「本当に良かったよ。リディが持ち直してくれて」

「ご心配なく。わたし、そんなに簡単に死なないわ」

 

 一時は死を覚悟したなどと口にはせず、つん、と胸を張って見せる。

 

「そうだね。リディは強い子だから」

「ええ。わたしはもっと強くなるの。お養母さまにだって負けないんだから」

 

 はっきりと答えれば、それだけで変化は伝わったらしい。

 アランは「そうか」と目を細めると、俺の前髪を軽く撫でるように払った。

 

「頼もしいな。でも、無理だけはしなくでくれ。いいかい?」

「もちろん。お兄さまこそ、身体を壊さないようにね?」

「ああ。立派になって、リディを守れるようになりたいからね」

 

 日本ではあまりお目にかかれないような柔らかな笑顔。この国の男は随分と「紳士的」らしい。しかし幸い(?)家族の情と前世の記憶のお陰でときめくことはない。

 アランは大切な家族だ。

 二歳差しかない彼もまた、幼い頃に母を亡くしたことになる。悲しかっただろうに、俺のように暴走することもなく跡継ぎ教育を受けている。不用意に泣いたり怒ったりできない彼の方がむしろ辛かっただろうと簡単に想像することができた。

 

『そっか。……男も意外と大変なのね』

 

 俺がアランに報いられることは何か。

 死なないこと。彼が周囲に自慢できるような妹になること。そして、少しでも彼の負担を軽くしてやること。

 兄は俺の強い味方になってくれるだろう。なら、俺も兄の味方にならなければ。

 

「お兄さま。また明日、朝食で会いましょう」

「ああ。楽しみにしているから、必ず良くなるんだよ」

「ええ」

 

 短い逢瀬を終え、アランは部屋に戻って行った。

 一部始終を目撃することになったアンナに「このことは内密に」と頼むと、真剣な顔で「かしこまりました」と頷いてくれた。素直な子なので、上司に問い詰められでもしたら白状してしまいそうだが──まあ、おそらく大丈夫だろう。




【今回の登場人物】
・リディアーヌ :主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり。
・アンナ:公爵家のメイド。素直すぎる性格。
・アラン:リディアーヌの兄。十歳。妹を溺愛している。
・医者 :腕は良いらしいが若干怪しい。


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病み上がりの令嬢と公爵家の人々 3

 夜が明けると体調はすっかり良くなっていた。

 本気で専属を狙っているのか意気揚々とやってきたアンナに挨拶をし──今日は着替えのため、寝室から私室へと移動する。

 

「さあ、リディアーヌ様。どのドレスにいたしましょう」

「……わ」

 

 寝込んでいた関係で久しぶりに開かれることになった普段着用のクローゼット。

 手伝いを含む三人のメイドを傍らに思わず声を上げる。半分は感嘆、半分は戦慄。二十着以上はあろうかというドレスの大部分は子供用らしく明るい色合いをしている。

 センスは良く、繊細に織られた布地は見るからに滑らかだが、全部ドレスだ。パンツルックの服はない。ひらひらとしたスカートは見るからに防御力が低そうである。

 これを着るのか。

 わかっていたはずなのに男のプライドが拒否反応を示す。助けを求めようにも頼りのアンナはむしろ「どれを選ぶんだろう」とばかりにキラキラした目をしている。

 

「それじゃあ、これにしようかしら」

 

 逃げられないと悟った俺は、それでも僅かばかりの抵抗を試みた。

 端の方に追いやられるように存在した黒地の一着。それを指さすとメイドたちから「え?」と意外そうな声が上がる。

 

「お嬢様、こちらのドレスでよろしいですか?」

「ええ。これも普段着用のドレスなのでしょう? 問題あるかしら」

「い、いえ」

 

 取り出されたそれは色こそシックな黒であるものの、レースによりきちんと可愛らしさが演出されている。セレスティーヌは白系統を好むので差別化という意味でも悪くない。

 それでも「マジか」という反応なのは俺が今まで地味なドレスを好まなかったからだろう。

 

「では、リディアーヌ様。こちらのリボンを合わせませんか?」

「いいじゃない。アンナ、つけてくれる?」

「はいっ」

 

 空気を読んだアンナが助け舟を出してくれる。

 提案された深紅のリボンを胸にあしらうと雰囲気がぐっと可愛くなった。

 

『やっぱり、わたしってとっても可愛いわ……!』

 

 内心で自画自賛。

 実際、リディアーヌ・シルヴェストルは美少女だ。マンガのメインヒロインを張れる器だろう。将来、男たちから求婚されるのを想像すると複雑だが……。

 美しさは女にとって立派な武器だ。使えるものは使わないといけない。

 子供特有の愛らしさをより引き立てるためにも、俺はにこりと微笑んでみせる。すると、アンナ以外のメイドも「いいと思います」と頷いてくれた。

 

「それじゃあ、食堂へ行きましょうか」

 

 部屋を出るのは何日ぶりだろうか。

 公爵家の屋敷は広い。初見だと迷いそうな廊下を難なく歩いて目的の部屋に到着。

 我が家の食堂は縦長の造りになっている。中央には十人以上は座れる長いテーブル。一番奥の上座には俺の父──シルヴェストル公爵が既に腰かけている。

 

「おはようございます、お父様」

 

 食前のお茶を楽しんでいたらしい彼に歩み寄って一礼。

 スカートを持ち上げて膝を折る、いわゆるカーテシーだ。リディアーヌのそれはあまり上手ではなく、少々ぎこちないものだったが、父は端正な顔立ちを一目で分かるほどに崩してくれる。

 

「おはよう、リディ。心配していたんだ。辛かっただろう? 身体の調子はもういいのか?」

「ええ。もうすっかり」

 

 それから、わざわざ席を立って抱きしめられた。

 公爵は現在三十歳過ぎ。髪や目の色はアランとよく似ている。

 宰相なので基本的には文官であるものの、剣術も嗜んでいるので頼りない印象はない。もう少し歳を重ねたら「ダンディなおじさま」といった感じになるだろう。

 

「お父様がお花を贈ってくれたお陰よ。とっても元気が出たの。本当にありがとう」

 

 伝えた言葉は誇張してはいるものの、本心だ。

 母の死後、早々に後妻を迎えたことは今でも不満だし、その後妻が性悪(セレスティーヌ)だったのは本気で馬鹿だと思っているが、それはそれ。感謝はしているし愛情もある。

 素直な感情を表に出せるのは女子供の特権。リディアーヌは良くも悪くもその性質が強い。すぐ悪口が出るのは直した方がいいが、好意を伝えられる素直さは残していくべきだろう。

 まあ、やるのは俺なので物凄く恥ずかしいのだが。

 

「これからは元気ですくすくと育ってくれよ」

「わ、お父さま?」

 

 父の唇が俺の額へと触れる。唇同士でないとはいえ親子でキス。日本ではありえない話だが、これが異世界か。少々呆然としていると目の前のイケメンが「お返しはないのか?」と寂しそうな顔をするので、慌てて同じようにキスを返した。

 

「お父さま、これ、とっても恥ずかしいわ」

「いいじゃないか。大きくなって結婚するまでは私にしてくれ」

 

 いや、それ何年後の話だよ!?

 まあ、早ければ十五、六とかで結婚するのがこの国の貴族社会らしいが。七年は先の話とか考えたくもない。七年は男の額にキスすることになるのも気が遠くなる。『価値観の違いね。早く慣れなさい』。ああ、こういう時に偉そうにされるとイラっと来る。

 ここで父は眉を下げて「見舞いに行けなくて済まない」と言った。

 

「見舞いたかったのだが、セレスティーヌに『伝染ったらどうするのですか?』と止められたのだ」

「まあ。それはとてもお養母さまらしいですね」

「ああ。あれは少し心配症というか、厳しすぎるからな。少し顔を見るくらいなら問題ないだろうに──」

 

 こほん。

 さりげない咳払いの音が横手から聞こえた。二人して硬直した後、慌てて振り返れば上品な笑みを浮かべた金髪美女が一人。

 穏やかな笑みを浮かべた養母から強いプレッシャーを感じるのは気のせいか。

 

「二人とも? それではまるで私が悪者のようではありませんか?」

「せ、セレスティーヌ。いつからそこに?」

「つい先ほどです。リディアーヌとお話をされているようでしたので声をかけられなかったのですけれど」

「すまない。決して悪く言ったつもりはないのだ」

 

 わたわたと弁解を始める父。セレスティーヌはにこにこしながらそれを聞いている。

 現シルヴェストル公爵は子煩悩かつ女性に優しい紳士なのだが──少々、いやかなり妻の尻に敷かれている。こういう姿を見ると娘として情けなくなる。前世で獲得した語彙を用いて表現するなら、こうだ。

 

『もう!お父様のヘタレ!』

 

 養母の機嫌(そもそも半分以上は演技だろうが)が直る頃には残りの家族も到着した。

 

「おはようございます、父上、母上。おはよう、リディアーヌ」

「おはようございます、お父様、お母様。……お姉様も。快復されたようで何よりです」

 

 兄のアランは昨夜と変わらない笑顔。一緒にやってきた少女──義妹のシャルロットはどこか強張った表情で俺にしてくれる。

 義妹は俺より一つ年下の七歳だ。父とセレスティーヌは互いに配偶者を亡くした者同士だった。シャルロットは前の夫との子供ということになるが、蜂蜜色の髪もエメラルドのような碧眼も、妖精を思わせる顔立ちも母親によく似ている。

 さっきの表情からもわかる通り、俺との仲はあまり良くない。

 主な原因は俺が邪険に扱ったせいだが、さらにその原因を考えるとなかなか難しいところだ。

 

「おはよう、シャルロット。お医者様からも治ったってお墨付きをもらったから、安心して?」

 

 ひとまずは挨拶して笑いかける程度で済ませておく。義妹からは「は、はい」と戸惑ったような答えが返ってきた。

 

「では、食事にしようか」

 

 各自の定位置は決まっている。

 長辺の一番奥、父の左右にはアランとセレスティーヌ。アランの隣には俺が座り、シャルロットは母親の隣に腰かける。セレスティーヌが「子供たちの作法をチェックしやすいように」と始めたものだ。

 確かに向かいに座った方が一挙一動を観察しやすいとは思うのだが、それなら実の娘を隣に座らせているのはどういうわけか。

 

『そんなの、わたしとお兄さまへ厳しくする口実に決まってるじゃない!』

 

 真の理由はともかく、観察されるのはどうも落ち着かない。

 将来必要になるとはいえ、高級レストラン並みの作法を毎回要求されるわけで。貴族の生活も楽なことばかりではないのだ。

 

「本日の前菜はニンジンとセロリのソテーです。ソースにはすりおろしたピーマンを使用しております」

 

 メイドによってことん、と目の前に皿が置かれる。

 野菜を使った健康的な料理。ニンジンとピーマンはともかく、焼かれたセロリの姿に頬が引きつる。ちらりと見れば、シャルロットの皿だけは色の違うソースがかかっていた。

 

「リディ。食べられないようならば何か別の物を──」

「いいえ。このままこちらをいただくわ」

 

 父が眉を寄せて言ってくれるが、売られた喧嘩は買わなければならない。

 俺はナイフとフォークを手に取ると、セロリを切ってソースと共に口へ運んだ。前世でも苦手だったあの風味が口の中に広がる。思わず顔をしかめそうになる、が。

 

「……火を通すと、野菜は甘みが増して食べやすいのね」

 

 美味しいとは思わない。ただ、サラダよりはずっと食べやすい。ピーマンのソースも苦いだけでなく塩気もあっていいアクセントになっている。料理人の腕だろう。

 

「おお……! 偉いじゃないか、リディ」

「お姉様、お野菜が食べられるようになったのですか……!?」

「ありがとう。苦手を克服できるよう、少しずつ挑戦を始めたところなの」

 

 どうだ、と養母に視線を送れば、彼女は静かに呟いた。

 

「ニンジンを食べられるようになった、とは聞いていましたが、セロリも克服したのですね」

 

 少しは驚いてくれたか。

 この程度では鼻を明かしたことにならないが、それでも嬉しい。俺は上機嫌で二口目に挑もうとして、

 

「リディアーヌ。姿勢が少し乱れています。それからナイフの持ち方も気を付けてくださいね」

「……はい、お養母さま」

 

 ああ、うん。こいつ嫌いだ。

 睨みつけたくなるのを堪え、背筋を伸ばして野菜を咀嚼。するとシャルロットも「私も……!」と野菜を口にする。おお、と父が歓声を上げたのも束の間、義妹はニンジンとセロリを一口ずつ食べたところでナイフとフォークを置いてしまった。

 

「ゆっくり慣れていけばいいのよ、シャルロット」

「はい。すみません、お母さま」

 

 以降はさすがに俺の嫌いな物ばかり出てくることもなく、食事はスムーズに進んだ。

 セレスティーヌが本題に入ったのはメインディッシュにさしかかった頃。

 

「リディアーヌ。休止していた勉強ですが、遅れを取り戻すためにも明日から再開します」

「かしこまりました」

 

 貴族の子は基本、家庭教師を付けて家で勉強する。

 学園に通うのは十五歳──前世で言う高校生から。それまでは各自で勉強し、その成果を学園にて披露するのが通例だ。

 当然、求められる能力のレベルは家の位が高いほど上がる。公爵令嬢である俺はトップに近い成績を取らなければ嘲笑にさらされることになる。

 その大事な勉強を、リディアーヌはサボりまくっていた。

 寝込んでいた分も合わせると結構な遅れになっている。おそらく厳しい授業になるだろう。面倒だが、自分で蒔いた種だ。

 しかし、せっかくだ。

 代わりというわけではないものの、一つご褒美をねだろう。

 

「あの、お父さま、お養母さま? 実はひとつ、お願いがあるのですが」

「なんだい、リディ?」

「わたしも専属が欲しいのです。あの子──アンナをわたしに頂けませんか?」

 

 この発言への反応は大きく二分された。

 

「なんだ、そんなことか」

 

 養母を含む家族たちは「特に不思議なことではない」という態度。専属と言っても家からの雇用に変わりはなく、ただ「一人の世話を付きっ切りで担当する」というだけのことだ。俺だけ専属がいなかったのだから新たに付けても特に問題はない。

 驚いていたのは端に控えていた給仕のメイドたち。

 彼女らはアンナに視線を送り「どうして」などと小さく呟いている。アンナ自身も、まさかこんなに早いとは思わなかったのか目を丸くしていた。

 しかし、こういうのは早い方がいい。

 

「ここ数日、アンナはわたしの傍で尽くしてくれました。他のメイドの仕事を代わってまで仕事を覚えようと努力しています。彼女がいてくれると心強いのですが、どうでしょうか?」

「いいんじゃないか? なあ、セレスティーヌ」

「ええ、そうですね。アンナはまだ経験不足ですから、専属であればもう少し経験を積んだ者が望ましいとは思いますが……若い分、気心が知れやすいという利点もあります。リディアーヌがどうしても、と言うのであれば構いません」

 

 何か欲しい物があるのかと思ったと言う父はあっさりと頷いてくれ、セレスティーヌも消極的ながら同意を示す。『意外ね。邪魔をされないなんて』。若い男爵家のメイドなんてむしろ好都合だったのかもしれない。別にそれならそれで構わない。俺自身が「アンナが良い」と思ったのだ。

 

「受けてくれるかしら、アンナ?」

 

 にっこり笑いかけると、彼女もまた笑顔で頷いてくれた。

 

「はいっ。若輩者ではありますが、精一杯務めさせていただきます」




【今回の登場人物】
・リディアーヌ :主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり。
・アンナ:公爵家のメイド。素直すぎる性格。
・父  :公爵にして王国の宰相。名前はジャン。
・アラン:リディアーヌの兄。十歳。妹を溺愛している。
・セレスティーヌ:リディアーヌの養母。意地が悪い?
・シャルロット :セレスティーヌの娘。リディアーヌ・アランの義妹。


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病み上がりの令嬢と公爵家の人々 4

「お久しぶりでございます、リディアーヌ様。お加減はいかがですか?」

「ええ、お陰さまですっかり良くなりました。また本日からご指導、よろしくお願いいたします」

 

 体調が回復しきった翌日から予告通り勉強が再開した。

 スケジュールとしては朝食後に勉強。昼食を挟んで勉強。ティータイムを挟んで勉強。一時間から一時間半の授業が一日に三回行われる。日本の大学はたしか一コマが一時間半だったはずなので、驚くほどハードというわけでもない。

 ただ、授業以外の部分──食事はもちろん廊下を歩く時もマナーの練習をさせられているようなものである。

 この国でも一週間は七日。そのうち日曜日にあたる一日だけが休みで、後の六日間は毎日勉強に充てられる。リディアーヌが暴れる気持ちもわからなくはない。

 

「では、これまでのおさらいから始めていきましょう」

「はい」

「教本の十八ページから始めます。ページを開いて三行目を見てください」

 

 勉強は大きく分けて三種類。座学と実技、そして芸術だ。

 座学では教本を用いて読み書き計算を始めとした様々な知識を修得。実技は礼儀作法やダンスなどを実戦形式で。これらはそれぞれ一人の教師が担当し、残る芸術──歌や楽器、裁縫などは個別に教師がつく。

 一対一なので授業は俺に合わせて進んでいく。多少は待ってもらえるということであり、理解しないと話が進まないということでもある。なので気を抜く暇がない。

 ドレス姿で背筋を伸ばし、ペンとインク壺を使ってメモを取りながら、小学校から高校まで十年以上「座って授業を聞き続けて」きた経験を活かしてついていく。新しいことの連続に四苦八苦し、教師が終了を告げた時には思わずほっと息を漏らしてしまった。

 

「リディアーヌ様、本日は真面目に話を聞いてくださって助かりました。この調子で進めていくことができれば、勉強の遅れも早いうちに取り戻せるでしょう」

 

 休み明け最初、座学を担当した初老の平民女性は驚きつつそう言ってくれた。

 俺は彼女へ「これまではご迷惑をおかけしました」と謝る。

 

「亡き母に顔向けできる立派な令嬢になれるよう、精一杯努めていきたいと思っております」

「まあ、それはそれは。でしたら、シャルロット様と机を並べる必要はないかもしれませんね」

「え?」

 

 勉強がこれ以上遅れるようなら姉妹揃って勉強しては、という話が出ていたらしい。

 誰かと競い合った方が勉強は捗る。方法は間違っていないし教師としても一石二鳥だが、十中八九、セレスティーヌの嫌がらせだろう。

 姉の立場からしたら妹に追いつかれるのは屈辱。不快な気持ちになって捗るはずがない。余計に不貞腐れた結果、シャルロットに追い抜かされる未来が見える。

 

「あの子にも迷惑はかけられませんもの。心を入れ替えたつもりで頑張ります」

 

 午後の授業は実技。こちらは中年の貴族女性が担当だ。礼儀作法等は同じ貴族に教わるのが一番ということで、子育ての一段落した夫人が務めることが多いらしい。

 確か、この教師は伯爵夫人だったか。

 彼女は「ごきげんよう、リディアーヌ様」と挨拶をすると、さっそく本題へと入ってきた。

 

「奥様より『歩き方の乱れが気になる』と相談を受けております。まずはそちらから確認させてくださいませ」

「かしこまりました。よろしくお願いいたします」

 

 公爵と伯爵では身分が違うが、学びの場における教師の権力は強い。公爵夫人である養母の依頼ということもあって指導は厳しかった。

 部屋の端から端まで真っすぐ歩くという単純な課題でさえ何度もやり直しをさせられる。また、その度に「もっと顎を引いて」とか「歩幅は一定に」「歩調が速いせいでスカートが乱れています」と指摘が飛んでくる。

 男子高校生としての経験は役にも立たない。

 逆に男のプライドを削り取られ、令嬢らしい仕草を刷り込まれていく。下手に抵抗すれば逆に辛くなると悟るのに時間はかからなかった。

 そうして「往復し、最後に一礼する」ところまで課題が進んだところでタイムリミット。

 

「よく頑張りましたね」

 

 疲労とストレスでいっぱいいっぱいになった俺の耳に教師の言葉が飛び込んでくる。

 さっきまで駄目出しの嵐だったのに何を言っているのか。

 驚いて見上げれば、「心外だ」とでも言いたげな表情が返ってきた。

 

「この時間、必死に努力されていたのはわかりました。努力と成果はきちんと評価するのが当然のことです」

「……わたし、先生から褒められた記憶がないのですけれど」

「あら、リディアーヌ様。不真面目で出来の悪い生徒を褒めることはできませんわ」

 

 この教師は以前からとても厳しかった。

 なので、リディアーヌは彼女のことをかなり嫌っていたのだが──『何よそれ!? もうちょっと手加減しなさいよ!』。うん、方針には納得だが、スパルタにも程があるだろう。俺はため息を吐いて苦笑を浮かべた。

 

「家庭教師なんて、理不尽に生徒を叩く方がいてもおかしくないもの。先生はとても公正でお優しい方です」

 

 教師はにこりと微笑んで、

 

「ありがとうございます。ではリディアーヌ様。せっかくですのでお茶をご一緒させてくださいませ。多少なりとも打ち解けてくださったようですので、もう少し仲良くなれればと」

「ええ。そういうことでしたら是非」

 

 了承したら、休憩のはずのティータイムにテーブルマナー指導が始まった。

 

 

 

 

「……もう疲れた。明日からもこんなのが続くなんて信じられない」

 

 思い切り弱音を吐きながらベッドに倒れ込む。

 夜のルーティンも終わり、後は寝るだけという時間。はしたなくうつ伏せになっても、それを目にするのは専属になったアンナだけだ。

 その少女は魔法の明かりが灯るランプを手にくすくすと笑って、

 

「お疲れ様でした、リディアーヌ様。とても頑張っていましたね」

「ありがとう、アンナ。あなたも慣れない仕事で疲れたんじゃない?」

「いいえ。昨日もぐっすり眠れましたし、むしろ元気なくらいです」

 

 専属使用人には主人の部屋に隣接する個室が与えられる。

 一般使用人用の二人部屋から昨日のうちに移ってきたアンナは、新しい部屋は広くてベッドもふかふかだと教えてくれた。

 

「おまけに一人部屋ですからね。最高です」

「あら。もしかして、同室の子の寝言がうるさかったとか?」

「寝言ではないんですけど……その、ジゼル先輩は自慢話が多かったんですよね」

 

 ごろん、と、仰向けになりながら尋ねれば苦笑交じりに答えてくれる。

 自慢話が多い上に仕事を押し付けてくるとは、完全に嫌な先輩である。

 

「あっ。今の、誰にも言わないでくださいね?」

「言わないわ。わたし、アンナに嫌われたくないもの」

 

 笑って答えてから、部屋と言えば、と疑問を口にする。

 

「学園って寮制なのかしら? だとしたら、わたしもいじめに遭うかも」

「私もいじめられてはいないんですが……。確か、学園は通いも許されていたはずですよ。お屋敷から馬車で行ける範囲ですから、リディアーヌ様は心配ないかと」

「そうなのね、良かった」

 

 ほっと息を吐く。

 まあ、俺の場合はいじめっ子の方が似合うだろうが。嫌味な公爵令嬢とか確実に悪役である。

 

「寮生活でも私は羨ましいです。我が家には女子を通わせられるほど金銭的余裕がありませんでしたから……」

 

 アンナは十五歳で働き始めて現在二年目。

 低い家柄の場合、学園へ通う子を選別することも多いらしい。そしてその場合は男子優先になる。家を継ぐのも政治に携わるのも基本的には男子の務めだからだ。

 学園に通えた場合も、多くの女子は良縁を見つけることを目指す。女にとって一番の仕事は丈夫な子供を産むことで、知識や才能を活かすことは二の次なのだ。

 前世の常識とはずいぶん違うが、特別珍しい話ではない。日本の戦国時代だってこういう価値観だった。納得できるかは別として。

 

「……なら、わたしが連れて行ってあげる。専属なら一緒に学園へ行く機会もあるでしょう?」

 

 憂鬱な想いを吹き飛ばすように明るく言えば、アンナの表情もぱっと輝いた。

 

「はいっ。そうできたらとても嬉しいですっ」

 

 頑張って勉強しなければいけない理由が増えてしまった。

 専属メイドと約束を交わした俺は、英気を養うためにも休むことにした。アンナに「お休みなさい」を言って目を閉じる。姉のような存在になりつつあるアンナ。照明を消してドアを閉じた彼女が帰るのは、これまでと違い、呼べばすぐ駆け付けられる場所だ。

 近くに人がいるというのは、まだ子供に過ぎないこの身にはとても嬉しいことだった。

 

 

 

 

 勉強漬けの日々が慌ただしく過ぎて。

 二週間が過ぎる頃には俺の変化は確定的なものと認められた。

 

「まさか、リディアーヌ様がこれほど協力的になってくださるとは」

「これだけ出来るのなら、もっと早くやる気を出して欲しかった」

 

 教師たちは好機を逃してなるものかとばかりに力を入れて授業を進行。

 俺の方もこの世界の学問に少しずつ慣れて能率を上げられるようになっていく。

 

『もう少し、日本(あっち)の記憶が役に立てば良かったんだけどね』

 

 生憎、前世の経験がほぼそのまま役立つのは計算くらいだった。

 語学や歴史、地理などは完全に覚え直し。後は芸術科目──音楽や美術が辛うじて役に立つ程度。ダンスやテーブルマナーなんてまともに習ったことすらない。

 前世も女子だったならもう少し便利な知識を覚えていたかもしれないが、女子だったらあんな人生(ぜんせ)になっていない。

 まあ、それでも以前よりは断然マシ。

 勉強の遅れは徐々に減っていき、むしろ余裕を作れるのではないか、と言われるように。

 教師たちが遠慮なく知識を詰め込んでくるので毎日いっぱいいっぱいだが、授業のある日でも庭に散歩に出られるくらいにはなった。

 

 勉強が捗るにつれて養母からの小言も減少。

 苦手な食べ物も克服中なので、以前に比べて食事の時間もかなり快適である。

 これでもっと楽な──箸でどんぶり飯を食らうようなメニューになってくれれば万々歳なのだが、まあ、さすがにそれは無理な話。

 父も俺が真面目になったせいかかなりご機嫌で、

 

「リディは将来きっと素敵なレディになるな」

 

 などと臆面もなく言ってきたりする。

 なのでつい「もちろん。そしてお父さまより素敵な旦那様を見つけるわ」なんて返答したら急に涙目になってしまった。アランとシャルロットが「なんとかして」と目で合図を送って来るので、埋め合わせも兼ねてあざといくらいに甘えておいた。

 

「まだ先の話じゃない。それに、もしお嫁に行ってもお父さまの娘なのは変わらないのだから。ずっと愛しているわ、お父さま」

 

 少しずつ順調に向かい始めている。

 一気に大活躍とはいかないが、悪女との直接対決なんて頻繁に起こらない方がいいのである。今は力を蓄えるためにも勉強に精を出したいところ。

 ならば予習や復習も欠かせない。

 そんな風に考えていた二週目の休日にて、俺は思いもよらない、そしてなかなかに衝撃的なイベントに遭遇することになった。

 

「お前がリディアーヌ・シルヴェストルか? ジャンが家から出したがらないと言うからどんな不細工かと思えば、なんだ、まあまあ悪くない顔をしているじゃないか」

 

 ()()()()()入りの上等な服を着た小生意気なクソガキ──もとい、高貴なお子様が突然押しかけてきた挙句、こちらに喧嘩を吹っかけてきたのだ。




【今回の登場人物】
・リディアーヌ:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり。
・小生意気なクソガキ:推定王子様。
・アンナ:公爵家のメイド。素直すぎる性格。


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王子、襲来

「リディアーヌ。本日は屋敷に来客があります」

 

 朝食の席にて。俺がラム肉のワイン煮込み(昨夜も出た品だが一晩寝かせたことで味が染みてまた美味い)を楽しんでいると、セレスティーヌが告げてきた。

 

「大事なお客様ですので私が対応するつもりですが、念のため、日中は庭に出ないようにしてください」

「かしこまりました、お養母さま」

 

 意訳すると『邪魔だから顔を出すな』といったところか。

 名指しでの指示に、俺は笑顔で頷いた。屋敷に客が来るのは珍しくない。逆にセレスティーヌが誰かに会いに出ることも多くある。そういう時も俺は呼ばれないし連れて行かれたりもしていない。

 勉強の入っていない休日とかち合うのは珍しいと言えば珍しいが、別に構わない。

 

「では、部屋で本でも読んでいようと思います」

「ええ。とても良いと思います」

 

 穏やかに頷く養母をよそに、父はなんだかそわそわしていた。

 なんだろう。よくわからないので首を傾げて、

 

「お父さま? もしかして、わたしと遊んでくださるのですか?」

「む? ああ、いや。そうしたいのは山々なのだが、私も来客の相手をしなければならないのだ」

「そうなのですね。残念ですが仕方ありません」

 

 両親揃って対応する相手か。どうやらかなりの大物らしい。下手をしたら仕事の邪魔になりかねないし、不肖の我が儘娘は大人しくしていることにしよう。

 準備があるらしい両親が食堂を後にする中、俺は食後のお茶をのんびりといただく。紅茶もだいぶ飲みなれてきた。たまには緑茶が飲みたくなるが、

 

「たしか、同じ茶葉から作れるんじゃなかったっけ……?」

「何の話だい、リディアーヌ?」

 

 残っていたアランとシャルロットが俺を見て不思議そうにしていた。「ああ、いえ」と微笑んで答える。

 

「同じ茶葉でも、摘む時期や製法を変えたら違う味が出るんじゃないかと思ったの」

「そう、なのですか?」

 

 きょとんと首を傾げるシャルロット。そこへ「よくご存じですね、リディアーヌお嬢様」と意外なところから声がかかった。

 年かさのメイド。微笑む表情を見た途端、名前が頭に浮かんでくる。

 

「マリー?」

「覚えていてくださいましたか。このところお話する機会がございませんでしたので」

「忘れるわけないわ。昔良くしてもらったもの」

 

 母・アデライドが亡くなったのはたったの三年前。彼女が存命だった頃から仕えてくれているメイドも当然いる。セレスティーヌが嫁入りしてくる際に人員整理があり、その際に辞めてしまった者もいるが、マリーは当時からいるメイドの一人だ。

 俺が荒れていた時期は顔を合わせることがほぼなかったはずだが──まあ、遠ざけられていたのかもしれない。

 

「同じ植物を使った別のお茶でしたよね? 他国から入ってきた製法で、この国でも少量生産されていたはずです。おそらく取り寄せられるかと思いますが」

「是非お願い!」

 

 言ってみるものである。金と権力というのはこう使うものなのかもしれない。いや、まだ緑茶が手に入るとは限らないのだが。この際、烏龍茶でもいっそ麦茶でも構わない。懐かしい味を口にするだけで元気が湧いてくるはずだ。

 口元に笑みが浮かんでしまう。アランはそんな俺をぽかんと見つめた後、思い出したように口を開いて、

 

「……リディ。僕とシャルロットは今日、お客様への挨拶に呼ばれると思うから」

「そうなの。頑張ってね、お兄さま。シャルロットも」

 

 まあ、そんなことだろうと思った。

 軽く頷いて二人を激励すれば、兄妹は揃って変な顔をした。

 

「お姉様。その、よろしいのですか……?」

「いいも何も、保護者の決めたことなら仕方ないわ。お父さまやお養母さまにも戦略というものがあるだろうし。読みたい本もあるもの」

 

 兄のアランは次期領主として顔をつなぐ必要があるし、セレスティーヌとしては実子のシャルロットを良い家に嫁がせたいはず。そのためには年単位で反抗期だった我が儘娘が邪魔なのだ。部屋から出るなと言われなかっただけマシというもの。

 要求通りにするのは癪だが、養母の機嫌をただ損ねてもムダ。今は自分を高めることに専念した方がいいだろう。

 紅茶も飲み終わったので、席を立ってアランたちに会釈。アンナを伴って退室したら、家の書庫へ寄って本を借りてから部屋へと戻った。

 

 

 

 

 勉強を始めて数日が経ったある日、俺は一つのアイデアを閃いた。

 辞書がないなら作ればいい。

 忘れやすい単語を日本語訳と合わせて記録し、必要になったら見返す。これは別の言語を修得している者の特権だ。手間はかかるが、ある程度の量がまとまれば人に聞かなくても難しい本が読めるようになる。

 座学でも言葉を覚えているので、日に日に読める単語は増えていっている。前世の『俺』の感覚からするとここは異世界。単なる動植物の紹介などでも楽しく読める。基本的に地球と名前・形状共に同じものが多いが、たまに知らないものや名前の違うものがあったりして興味深い。

 

「でも、本当に残念ですね、リディアーヌ様」

「? なんの話?」

「お客様が来られる件です。もしかしたら良縁を得られるチャンスだったかもしれません」

「ああ、そのこと。別にいいのよ。婚約なんてまだまだ早いでしょう?」

「いえ、幼少期から婚約が行われることも意外と多いんですよ」

 

 学園での婚活が珍しいことではない一方、家同士の繋がりを重視する場合など早くから決められる婚約もまた珍しくない。極端な例だと赤ん坊の頃から決まっている場合さえあるらしい。そこまでくると何が何やら。もし、途中で死んだり大怪我でもしたら大惨事になりそうだ。

 

「リディアーヌ様でしたら容姿だけでも求婚が殺到しそうなのですが……」

「面倒だから、求婚されたら無理難題を言って逃げてやろうかしら」

「間違っても目上の方には止めてくださいね。特に王族には絶対駄目です」

「王族ね。向こうもわたしみたいな子は願い下げだと思うけど」

 

 不用意に接触しないように注意しよう。王宮に招かれる時とか、学園に入ってからとか、そういうところで気を付けていれば大丈夫なはずだ。

 と、俺はそう思っていた。まさかその王族が向こうからやってくるなどとは夢にも思っていなかったのだ。

 始まりは、私室のドアがノックされたこと。

 

「お休みのところ申し訳ありません、リディアーヌお嬢様。その、少々お時間をいただけないでしょうか?」

「マリー?」

 

 アンナと揃って首を傾げる。俺を世話するメイドには含まれていない彼女が、どうしてわざわざやってきたのだろう? 今は来客対応中で忙しいはずなのだが。

 

「実は、お客様がどうしてもお嬢様にお会いしたいと仰っておりまして」

「お客様が?」

「はい。いかがでしょう。ドアを開けても問題は──」

「ああもう、面倒だな。入るぞ」

 

 マリーの声に被せるようにして知らない()()の声が響いたかと思うと、がちゃりとドアが開かれた。

 

「お前がリディアーヌ・シルヴェストルか? ジャンが家から出したがらないと言うからどんな不細工かと思えば、なんだ、まあまあ悪くない顔をしているじゃないか」

 

 燃える太陽を思わせる赤みがかった金色の髪。

 広い草原のようなグリーンの瞳が立ち上がりかけていた俺を見据え、愉しげな色をその奥に浮かべる。

 歳はアランよりも若い。おそらくというか、俺の推測が正しければ俺と同じ八歳だ。いかにも高級そうな着衣と施された紋章が高貴な身の上であることを証明している。後ろにいるマリーが「止められなかった」と悔しそうな顔をしているので、第一印象は完全に「その辺の悪ガキ」だが。

 ぽかんと呆けてしまったのも束の間、はっと我に返った俺は慌てて跪き、臣下の礼を取った。一応、練習だけはさせられていたが、実践するのはこれが初めてである。

 

「宰相ジャン・シルヴェストル公爵の長女、リディアーヌ・シルヴェストルでございます。……お目にかかることができ光栄です。御身はリオネル王子殿下とお見受けいたします」

 

 一般教養として最優先で教えられていた王族知識。

 正直、付け焼刃だ。間違っていたら後で父が怒られるんだろうな、と思いながら返答を待っていると、頭上から驚いたような「ほう」という声。

 

「なんだ、ちゃんと挨拶ができるじゃないか。ジャンの愛娘は我が儘で手がつけられないと聞いていたんだが。どんな暴言が飛び出すかと期待して損した」

 

 なんだこいつ。

 せっかく噛まずに言えたのに、あろうことか「喧嘩を売られたかった」と落胆。顔を上げろ、と言ってくれそうにないので勝手に立ち上がる。

 仏頂面にならず微笑を浮かべられたのは、チクチクと指摘が多い家庭教師から礼儀作法と外面を教わってきた成果だ。

 

「恐れながら殿下、どうしてこちらへ? 両親が歓待の準備をしていたはずですが」

「ああ。ジャンとセレスティーヌの相手は母上に任せてきた。お前の顔が見たくてここまで来たのに、部屋に引きこもっているというからわざわざ会いに来てやったんだ」

「は?」

 

 歓待を無視して単独行動するな、アホか! って、しまった、声に若干怒気が籠もった。

 幸いにも王子は悪戯が成功して上機嫌らしく、気づいた様子もなく手近な椅子に腰かけて、

 

「さあ、俺の相手をしろ、リディアーヌ・シルヴェストル。俺を楽しませられたら褒美をくれてやってもいい」

「……かしこまりました」

 

 どうやら、お子様というのはどこの世界でも変わらないらしい。

 アランは二年前でももっと落ち着いていたが……子供の癖に人間が出来過ぎている兄と比べるのは酷か。

 部屋の隅でアンナとマリーが小声で話し始めたのを認識しながら、俺は「失礼いたします」とリオネルの向かいへ腰かける。

 今日、アランとシャルロットが駆り出されたのはおそらく彼目当てだ。「会うな」と言われていた俺が相手するのは良くないが、子供といえど上位者。下手に追い払ったりはできないし、使用人に相手させられる人物ではない。

 何か手を打ってくれると信じて今はリオネルを引き付けておく。

 

「殿下のお相手ができるのでしたら喜んで。……ですが、どういった暇つぶしがお好みでしょう? 何しろ不肖の娘です。殿下の好みは詳しくないもので。お得意な遊びなど提供できればいいのですが」

「遊びか。ならば、チェスはどうだ? 父上や母上に勝てるように特訓中なのだ。お前如きで練習相手になるかわからないが」

「精一杯お相手させていただきます」

 

 アンナに指示を出すと、物凄く緊張した様子で盤と駒を運んできてくれる。

 部屋にチェス盤があって良かった。今までほぼインテリアと化していたものの、他でもないアンナがきちんと手入れしてくれていたのでぴかぴかだ。

 白を持ったリオネルがポーンを動かし、挑発的な笑みを浮かべて言う。

 

「ふっ。まあ、俺は日頃から練習しているからな。お前如きでは相手にならないだろうが」

「さあ。それはやってみなければわかりませんよ」

 

 場を盛り上げるように言い返した俺も黒い駒を動かした。

 ルールは前世のそれと変わらない。ゲームの隙をついてマリーが部屋を出ていく。きっと報告に行ってくれたのだろう。

 さて。

 これで、後は王子さまを上手く歓待すればいい。接戦を演出しつつ負けられれば一番だが、あいにく俺のチェス経験は前世のスマホアプリで数回、こっちの人生で数回程度。むしろ、ボロ負けしないために頭をフル回転させないといけないレベルだ。

 となれば話術で盛り上げるとか──?

 

『待って。これってチャンスなんじゃないかしら』

 

 なるほど、そういう考え方もあるか。

 通り一遍のやり方なんてどうせ相手も飽きている。だったら、リディアーヌ・シルヴェストルなりの方法で楽しませてやろう。上手く行けば気に入ってもらえるかもしれない。

 王族とのコネなんて欲しくてもなかなか手に入らない貴重な武器になる。

 王子を招いての会から省かれるような駄目な娘だ。失敗したところで大した問題はないだろう。そうと決まれば、俺は盤面に意識を傾けて、

 

「チェックメイト」

「っ……!?」

 

 全力で勝ちをもぎ取った。

 がたっと立ち上がって盤を凝視するリオネル。程なくして、彼は俺の方を睨みつけ、

 

「お前、手加減はどうした!?」

「申し訳ありません、殿下。チェスは得意でないもので、気づかれずに手を抜くのは難しかったのです。これも殿下がお強いせいですよ」

 

 勝てたのは前世で培った集中力のお陰だ。むしろ、思ったよりもリオネルが上手かった。本気で勝ちに行ってなおギリギリだったのだから。

 まあ、そんなことを言ったところで当人は唇を噛みしめてふるふる震えているわけだが。

 

『あらあら。もしかして、同じ年頃の女に負けたのは初めてかしら』

 

 王子様で、しかも見た目は端正な美少年。普通は接待プレイに勤しむ。というか大半の令嬢は本気でやっても勝てないかもしれない。なのでリオネルを気持ち良くさせるために「さすが殿下」とおだてたり、興味を持ってもらおうとあれこれ話しかけたりしただろう。

 だが、ぶっちゃけこの年頃の男子にそんな小細工は必要ない。

 女に興味を持つまでの男はむしろ動物に近い。甘い言葉で囁くよりも真っ向からぶつかって勝った負けたする方が有効だ。少なくとも前世の俺はそうだった。

 

「さあ、どういたしますか?」

 

 乗ってこい、と念じながら笑みを浮かべ、駒を初期位置に戻していく。

 

「ここは三戦して先に二勝した方の勝ち、というのが公平かと思いますが」

「……いいだろう。負けて後悔するなよリディアーヌ・シルヴェストル」

 

 椅子へ座り直すと再び駒を手にするリオネル。彼がかつん、と一手目を動かす中、俺たちの前に湯気の立つティーカップが置かれた。

 対局の間に戻ってきたマリーが「そのまま王子を歓待するように、とのことです」と囁いてくる。頷いた俺は全力投球するため盤面に視線を集中。

 勝負は一勝一敗で三戦目にもつれ込み、接戦の末に俺が制した。




【今回の登場人物】
・リディアーヌ:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり
・アラン:実兄
・父  :公爵にして王国宰相
・アンナ:専属メイド
・マリー:ベテランメイド
・セレスティーヌ:養母
・シャルロット :義妹
・リオネル:王国の第三王子。お子様な性格


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王子、襲来 2

 リディアーヌ・シルヴェストルは不思議な少女だ。

 

 リディアーヌの専属メイド、アンナは以前からの認識をより強くした。

 昔は我が儘で使用人を顎で使うような少女だった。一部のメイドは明確に嫌っていたし「いなくなればいいのに」という声さえあった。お仕えする相手への態度ではないが、アンナ自身、正直に言えば苦手としていた。仕事中に別の用事を言いつけられ、プレッシャーから泣いてしまったこともある。

 しかし、病を患い何日も寝込んでから彼女は変わった。

 メイドたちに笑いかけ、一人一人の名前を覚え、無茶な命令もしない。お菓子の食べ過ぎで食事を減らすどころか「食べきれないから」と余った菓子を分けてくれる。最近は部屋で本を読んでいることが多く、じっとしていてくれるので部屋の掃除もしやすい。

 

『掃除の邪魔になる時は言ってちょうだい。いつでも移動するから』

 

 本当に同じ人物なのかと疑いたくなるが、本質的な大胆さはあまり変わっていないとも思う。

 快復後初めての朝食に生母・アデライドが好んだという黒の装いで臨んだのもその一つだ。現公爵夫人のセレスティーヌは白を好んでおり、黒を纏うことは彼女への隔意を表すと共に喪に服する=「あなたを母とは認めない」というメッセージとも取れる。

 突然部屋にやってきた王子(!)とのチェス勝負もそうだ。あろうことか勝ってしまった後、流れるように三番勝負を提案したかと思ったら、焦らした挙句に二勝目を挙げてしまう。思わず「殿下に華を持たせるつもりだったんじゃないんですか!?」と叫びそうになった。

 不興を買ったらどうしようと怯えていると、二人はチェス盤越しに見つめ合って、

 

「くっ、あと一歩だったのに! 覚えていろよ、リディアーヌ・シルヴェストル。次は負けないからな!」

「ええ。機会があれば喜んでお相手いたします。大丈夫ですよ、殿下。次回はきっとわたしの負けでしょう」

「出直して来いというわけか。……いいだろう。次も手加減はなしだからな」

「楽しみにしております」

 

 王族相手にまた会う約束を取り付けた!? しかも向こうから言わせる形で!?

 リオネル自身が再戦を希望している時点でリディアーヌは「上手くやった」ことがわかる。しかし、どうやったらこうなるのかがわからない。大先輩にあたるマリーに視線を向ければ、彼女はふっと笑って「大したお方ですね」と呟いた。

 リオネル・ド・リヴィエール殿下は気難しい人物として知られている。

 歯に衣着せずに言えば自由奔放すぎるお子様ということになるが、その彼を齢八歳にして手玉に取って見せるとは。男爵家出身の新人を専属に指名したことといい、リディアーヌには常人とは異なる視点があるように思えてならない。

 だとすれば、以前のリディアーヌも今のリディアーヌも、その才を向ける先が変わっただけなのだろう。

 

(考えてみれば、昔のリディアーヌ様も横暴ではあったけど、理不尽ではなかったのよね)

 

 少女の我が儘は「あれが欲しい」「これを持ってきて」「これは嫌い」と言った率直な願望が主体だった。使用人を叱責する時も「仕事が遅い」「欲しかったのはこれじゃない」といった理由であり、家柄や容姿といった個性を理由なく貶すようなことはしなかった。

 アンナは、同僚から「男爵家出身だから」「学園を出ていないから」と嘲笑されたことが何度もある。

 リディアーヌの暴言はああいう陰口に比べれば可愛いものだ。主人の期待に応えられない使用人は解雇されても仕方がない。その基準が緩いか厳しいかの違いはあれど、リディアーヌには「あなたをクビにしてやる!」と言う権利がある。

 

(良かった。リディアーヌ様が変わってくれて。私を専属にしてくれて)

 

 専属になれた理由は半分以上が運だ。先輩から仕事押し付けられ──もとい、代わりに引き受けていたらリディアーヌに頼られるようになり、気づいたら距離が縮まっていた。

 自分を売り込んだのには正直、打算もあった。専属になれば給金が上がる。解雇される可能性もぐっと下がるので、家への仕送りだってしやすくなる。仕事内容も正直、今のほうがずっと楽だ。けれど、今、この仕事を続けたいと思うのは決して打算だけが理由じゃない。

 もっと、彼女を支えたい。

 リディアーヌ・シルヴェストルに相応しいメイドになりたいと思う気持ちが確かにアンナの胸の内にはある。

 まあ、その度にはまだまだ努力をしなければいけないと、

 

「しかし、毎回訪ねてくるのも面倒だな。そうだ。お前、次はそっちが王宮に来い」

「お言葉ですが、殿下。わたしは両親から『極力外出するな』と言いつけられている身の上でして」

「ふん。なら、俺が招けばいい。正式な招待ならジャンも断れまい」

 

 訂正。リディアーヌに付いていくには可能な限りの努力が必要そうである。

 公爵令嬢の専属になったと思ったら王宮に招かれるかもしれない。とんでもないプレッシャーに悲鳴を上げそうになりながら、アンナはなんとか笑顔を保ってその場に立ち続けた。

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 リディアーヌ・シルヴェストルは変なやつだ。

 

 リヴィエール王国第三王子リオネル・ド・リヴィエールは同い年の公爵令嬢についてそう評価した。

 初めて会ったその少女の第一印象は「赤い」だった。母親譲りだという紅の髪と瞳は紅玉、あるいは炎を連想させ、なるほど()()()苛烈そうな女だと楽しくなった。その上で、少女の容姿がご機嫌伺いに来る少女達と比較しても最上級に整っていたことは予想外だったが。

 向こうにとって意外だったはずの対面で、ぎこちないながらも卒なく挨拶をこなしてきた時には「なんだ、こいつも他の女と同じか」と残念に思った。

 礼儀正しく、こちらにお世辞を使ってくるような女には飽き飽きしている。ただでさえ女は庭を駆け回らず、花や服など食べられもしない物に執着するよくわからない生き物だというのに。リオネルは彼女たちが自分との遊びで『手加減』をしていると知ってからより一層、()()()()というものが苦手になった。

 

 だから、普通にチェスで負かされるとは思わなかった。

 

 手加減しろ、などと口にしてしまったのは不覚だ。もっとも本人は特に気にした様子もなかったが。

 三番勝負で決着をつけようと提案され、一も二もなく乗った。負けるのはやっぱり悔しいからだ。そうして、あらためて観察してみたところ、リディアーヌが真剣に戦っていることがよくわかった。

 考えている時は盤面だけを見て顔を動かさない。これまで対戦してきた女はぺらぺらとお喋りが多く、そのくせ指し手は適当だったのだが。

 リディアーヌは瞳を小刻みに揺らして複数の手を検討し、その上で指してくる。かと思ったら時折、妙に思い切った手がふっと交ざる。

 

「お前、この手は挑発のつもりか?」

「いえ。考えても読み切れないので勘で動こうか、と」

 

 何を言ってるんだこいつは、と思ったのも束の間、リオネルは理解した。要するに彼女はほぼ全てを「考えて」決めているのだ。普段からチェスをやる人間はよく出る形を覚えて労力を減らしていく。それがないということは、本当にルールを知っているだけの素人なのだ。

 

(そんな奴に負けたのか、俺は!?)

 

 気合いを入れて二戦目は勝った。あいにく三戦目は僅差で負け、リオネルは負け越してしまったが、

 

(面白い。リディアーヌ・シルヴェストルはこういう女か)

 

 また勝負しようと誘えばさりげなく正式な招待を引き出してくる。そのくせ、自慢話を始めたり容姿を褒めてきたり、無駄に手を触れようとしてきたりしない。

 まるで最初から取り入る気がないかのようだ。

 体よくあしらわれた感があるのがまたいい。もっと強くなって負かしてやったらさぞかし楽しいだろう。そうしたら、彼女は「もう一戦」と強請ってくるだろうか。それとも他の遊びを提案してくるのか。チェス以外に色々やってみるのも楽しいだろう。

 

「お前、チェスの他は何が好きなんだ?」

「チェスは趣味というわけではないのですが……そうですね、読書を好んでおります」

「読書? 本なんか読んで何が楽しんだ。あんなもの勉強の時だけで十分だろう」

「あら。知らないことを知る、というのは楽しいでしょう?」

 

 紅の瞳が煌めく。

 リディアーヌは本当に楽しげで、思わずその表情に引き込まれる。

 

「例えば地図。点や線が描かれただけの平面に見えますが、これは世界を描いたものなのです。実際の場所には山が川が確かに存在していますし、道中には草花が咲いていることもあるでしょう。珍しい木の実を見つけて味わえることだってあるかもしれません」

「そんなこと、考えたこともないぞ」

 

 王都の外に出たことはある。見たことのない光景に胸を躍らせ、馬車の窓に張り付くように外を眺めたものだが、あれが地図上のどこだったのかはわからない。あれはなんという名前なのか、と木や植物を指させば母は都度答えてくれたが、思えばその名をさらに本で調べたことはない。

 リディアーヌは笑うでもなく頷いて、

 

「知らなければそうでしょう。ですが、道は繋がっています。知らなくても世界は確かに広がっている。それを想像するためにも知識が要ります」

「知識、か」

「はい。見たことのない場所の光景を想像する。それは、わくわくすることではありませんか?」

「ほう。面白い事を言うな、お前は」

 

 目を瞬きながら、リオネルは少女の背後に幻想の風景を見た。遠くの山を背に、川のほとりに腰かける紅の少女。足元には緑が茂り、色とりどりの花が咲いている。向こうの木は美味しそうな果実をつけているし、木立ちの合間から顔を出した小動物は仕留めて焼けば美味いかもしれない。

 見えたのは一瞬だったが、その風景はリオネルの目に焼き付いた。

 別に、リディアーヌの言ったことが特別だったわけではない。母や家庭教師、他の大人から似たようなことを言われたことはあった気もする。ただ、真面目に聞いてはいなかった。今回は興味を惹かれた相手が口にしたことだから「面白そうだ」と思えた。

 

「よし。お前のことをもっと聞かせろ」

 

 にっと笑みを浮かべて命じると、リディアーヌは僅かに面倒くさそうな表情を浮かべてから「かしこまりました」と答え──。

 

「殿下」

「うっ」

 

 背後から、よく見知った声が聞こえた。振り返れば、そこには二十歳ほどの青年が立ってこちらを睨んでいる。口うるさい専属の家来だ。撒いて来たっきり存在を忘れていたが、追いついて来ていたのか。

 

「そこまでにしてください。放置する形になったアラン様やシャルロット様へせめて一言お詫びを申し上げなければ。リディアーヌ様も突然押しかけられて困ったはずです」

「いや、こいつは困っていたように見えないが……」

「殿下!」

 

 ぴしゃりと言われ、びくっと身を竦める。本来、女子の部屋へ軽々しく入るものではない、などと始まった小言を神妙に聞くフリをしつつ、ため息をついてリディアーヌを振り返った。

 

「仕方ない。では、お前も一緒に来い、リディアーヌ」

「……は?」

 

 ぽかん、とした表情も、なかなか見ていて面白い。

 

「申し訳ありません、リディアーヌ様。もうしばらく殿下の我が儘に付き合っていただけますか」

「かしこまりました。わたしも同行させていただきます。ですので、どうか頭をお上げください」

「心より感謝を申し上げます」

 

 なんだか自分に対する時よりも口調が丁寧な気がする。従者と会話するリディアーヌを見て思わずむっとしつつ、リオネルは公爵家の庭へと戻った。宰相のジャンは「また貴方は……」と渋面。夫人のセレスティーヌはにこやかな笑顔で、公爵家次女のシャルロットはリオネルの帰還にあらかさまな安堵の表情を浮かべた。

 シャルロットの方は姉と違うごく普通の少女だった。自己主張の強い性質ではなく、緊張と興奮でうまく話せないといった態度だったのでまだマシだが。

 一緒にいて面白いのは? あるいは、また話をしたいのは? と尋ねられれば答えは明白だ。

 

 ──そもそも、今日の訪問にはある一つの目的があった。

 

 リディアーヌに会うというリオネル個人の目的とは別に、である。親同士が進めているその話のために、シャルロットとの交流が必要だった。ジャンが気乗りしない様子なのはその絡みだろうが、

 

「母上。俺、いえ私は決めました」

 

 予定が、いや気分が変わった。

 勝手にいなくなったせいでご立腹らしい母を前にリディアーヌを振り返る。挨拶をするタイミングを計っていたらしい彼女を見て笑みを浮かべ、

 

「私の婚約者にはリディアーヌを希望します。相手は、姉妹のどちらでも構わないのでしょう?」

「え?」

 

 硬直する少女を見て、どうやら悪戯は成功したらしいと、胸がすくような想いがした。




【今回の登場人物】
・リディアーヌ:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり
・アンナ:専属メイド
・リオネル:王国の第三王子。お子様な性格


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王子、襲来 3

「リディアーヌ。本日はリオネル殿下のお相手、ご苦労でした」

「……はい。ありがとうございます、お養母様」

 

 悪ガキ王子ことリオネルが意気揚々と帰って行ってほっとしたのも束の間、その日の夕食にてセレスティーヌから『お褒めの言葉』をいただいた。

 本日のメインは鮭のムニエル。バターのうま味たっぷりのそれを味わってからパンを口に放り込むとたまらない。肉に比べたらヘルシーだろうし、なかなか好きなメニューなのだが、プレッシャーのせいで料理の味に集中しきれない。

 こほん。

 わざとらしく咳ばらいをした父も、助け舟を出してくれるのかと思えば妙に神妙な面持ちを浮かべて、

 

「殿下と王妃は満足して帰られた。今回の成果はアラン、シャルロットも含め、皆が励んでくれたお陰だ。だが」

 

 暗褐色の瞳が俺を射貫く。

 

「今回の件で殿下はリディアーヌを気に入られた。陛下が承認なさればリオネル殿下とリディアーヌの婚約が決定するだろう」

「当家の忠誠を示すと共に、王家との縁を深めるまたとない機会です。これ以上ない縁談と言っていいでしょう」

 

 両親に揃って褒められているはずなのに、何故か全くそんな気がしない。その証拠に、使用人たちも「おめでとうございます」と言っていいのかわからず黙ったままだ。

 これは、やっぱりあの王子のせいだろうか。

 あの野郎、もといリオネルは姉妹のどちらでも良かった、という趣旨の発言をした。つまり、向こうは最初から王子の婚約相手を品定めするつもりだった。そして我が家としてはあいつにシャルロットを宛がうつもりだったらしい。

 王子が婚約に乗り気になり縁談がまとまりそうだというのは大成果だが、所望された相手が俺だというのは想定外、というわけである。

 

「わたしとしても驚きました。まさか突然、婚約の話が持ち上がるなんて」

 

 狙ったわけじゃないとさりげなく主張しておく。嘘ではない。別に友人になるだけでも何ら問題はなかった。王子の婚約者なんて望んでも手に入らない最上級のステータスだが、相応のリスクもつきまとう。

 

「婚約とはどの程度、結婚に結び付くものなのでしょう? 解消される可能性はあるのですか?」

「やむを得ない事情で解消されることはある。しかし、王族の婚約は広く周知が行われる。軽々しく解消されることはないと思っていいだろう」

 

 気が乗らなくなったからやっぱやーめた、などとはそうそう言えないわけだ。婚約者に不適格だった、などと噂が流れれば俺の将来に関わるし、あまり適当な理由で解消すれば「女の気持ちを考えない馬鹿王子」などとリオネルの風評が流れることもありうる。

 そしてもちろん、王家が乗り気である以上、こちらからは迂闊に断れない。

 

「まさか、こんなに早くリディアーヌの婚約が決まってしまうとは……!」

「あの、お父さま。まだ確定したわけでは」

「決まったようなものだ! くそ、リディはまだ八歳だというのに!」

 

 ああ、父は単純に娘を手放したくないのか。婚約しても嫁入りは年頃になってからだろうに。

 

「リディアーヌはそれでいいのかい?」

 

 ここでアランが口を開き、隣にいる俺を窺ってくる。

 俺は微笑を浮かべた後、こてんと首を傾げて答えた。

 

「わたし、特別好きな男性はいないの。殿下にも懸想しているわけではないけれど、気持ちは後からついてくると言うでしょう?」

 

 (前世で)男性(だった)経験のある俺にまともな恋愛ができるかは怪しい。

 今の自分が(少なくとも肉体的には)女だということも理解している。公爵令嬢としての務めを考えれば結婚は避けられないので、政略結婚は自然な流れだ。

 

「それに、第三王子さまならば公務の負担も重くはないでしょうし」

「え?」

「……え?」

 

 アランの上げた疑問の声に思わず硬直。

 第三王子ということは上に二人、兄がいるということ。王位継承権は男子優先の年齢順なのでリオネルは第三位。王位は兄のどちらかが継ぐだろうし、俺に回ってくるのはお手伝いをするリオネルをさらにお手伝いする程度の仕事と思っていたのだが、

 

「リディアーヌ。我が国における継承権の扱いは『緊急時の優先順位』です。存命中の譲位は現王による指名制。……そして、第一王子殿下と第二王子殿下はいずれも側室の子です」

 

 セレスティーヌの説明に「あっ!?」と思った。

 正室とは王家にとって最も大事な妃。王からの篤い寵愛を受けることも多い。国王とて人の子である以上、最も愛する女の子を後継者に、と考えても不思議はない。

 あのお気楽王子が次期国王有力候補……?

 軽く眩暈に襲われる。いや、もちろん、まだ八歳なのだからこれからいくらでも立派になれるだろう。特に()()()()()()なんかは効果絶大だろう。

 俺は遠い目になった後、義妹へと視線を向ける。

 

「シャルロットはどう思う? あなたが殿下のことを思っているのなら、身を引く理由になると思うの」

「……私は」

 

 シャルロットはテーブル越しに俺を見つめ、ふるふると首を振った。

 

「リオネル様はとても素敵な方でした。……ですが、お茶会から突然いなくなり、お姉様を連れて戻ってきたあの方を見ていると、私ではとてもお相手ができないと思います」

「それは、男性側がもう少し気を遣うべきだと思うけれど」

「いいえ。リオネル様にはお姉様がお似合いだと思います。どうか私の事はお気になさらず」

 

 はしごが外されてしまった。シャルロットの本当の想いはわからない。しかし、おそらくこれ以上問いただしても良い返事はもらえないだろう。

 父が深いため息をついて、

 

「女性に気を配れないような男はたとえ王子でも信用できん。リディ、私から断りを入れてもいいのだぞ?」

「いいえ、お父さま」

 

 さすがにこれは娘をやりたくないから言っているのではなく、好きでもない相手に嫁ぐことになる(かもしれない)俺への配慮だろう。それはとても嬉しく思いつつも、首を振って答える。

 

「王家との仲を拗らせるべきではありません。もし、リオネル殿下がわたしをご所望だというのなら喜んでお受けしましょう」

「わかりました」

 

 父と視線を交わした上で深く頷くセレスティーヌ。

 

「では、当家からの意向としてはそのように伝えます。そして、婚約が成った場合、王家へ嫁ぐに相応しい淑女となれるよう、これまで以上に励んで貰います」

「かしこまりました。シルヴェストル公爵家の名に泥を塗ることのないよう、精一杯努力いたします」

 

 単にチェスをしただけにしては破格だが、これ以上ない成果が上がった。

 先行き不安だが、王子の婚約者ともなれば養母も俺を軽く扱えなくなるだろう。リオネルという名の荒波を上手く乗りこなして、戦いのための武器に変えるしかない。

 これからの意気込みも込めて、俺は令嬢としての笑みをしっかりと浮かべてみせた。

 

 

 

 

「あの、お姉様。少しだけお話をよろしいでしょうか?」

 

 シャルロットに呼び止められたのは夕食を終え、部屋へ戻ろうとした時だった。

 義妹が話しかけてくるのは珍しい。しかも、どうやら改まった話のようだ。俺は「ええ」と頷いた上で彼女を自分の部屋へと誘った。

 アンナにお茶を淹れてもらい、ティーカップに軽く口をつける。リラックス効果のある紅茶の香りに安心したのか、シャルロットはゆっくりと口を開いた。

 

「……お姉様は凄いです」

「凄い?」

「はい。リオネル様にチェスで勝ったって。私にはそんなことできません」

 

 どんな話なのかと身構えていた俺は、少し肩の力を抜きながら苦笑を浮かべた。

 

「そんなことないわ。すごいのはシャルロットの方。わたしなんて、あなたと座学を一緒に受けたらどうか? なんて言われるような有様だったのよ?」

「でも、今は違いますよね? 先生もお姉様は見違えたと仰っていました」

「元が悪かったから良く見えるんでしょうね。今は、これまでの分を取り戻すために頑張っているようなものよ」

「昔のお姉様、ですか」

 

 思い返そうとするように視線を宙へ向けるシャルロット。

 俺としてはあまり思い出して欲しくない我が儘だった自分の姿が、彼女の脳裏にははっきりと焼き付いているのだろう。

 

「本当にごめんなさい。シャルロットにもたくさん迷惑をかけたでしょう?」

 

 考えてみると、シャルロットにはきちんと謝っていなかった。

 俺の素行による直接の被害者は第一にアンナたちメイド、第二がシャルロットだ。接触の機会が多くないので直接的ないじめはほぼなかったが、会話の度に邪険にされるのは堪えたに違いない。もっと早く謝っておくべきだった。

 姿勢を正して頭を下げれば、義妹は「やめてください」と慌てた。

 

「昔のお姉様はその、少し怖かったですけど、今のお姉様は怖くありませんから」

「本当?」

「はい。でも、私にはお姉様がどうして変わられたのか……」

 

 聞きたかったことはこれだろうか。王子に俺が選ばれて、シャルロットは選ばれなかった。その事実を『差』と感じてしまい、思い詰めてしまったのかもしれない。

 果たして、彼女に「病気で倒れたせいだ」と言って納得してもらえるかどうか。

 

「あのね、シャルロット。わたしはお養母さま──セレスティーヌさまが嫌いなの」

「……っ」

 

 義妹は目を見開いたものの、驚きの声は上げなかった。後ろに控えるシャルロットの専属メイドも大きくは表情を動かさない。昔の俺は敵意バリバリだったので、よほど鈍い人間でなければみんな知っていることだろう。

 俺はその理由としてまず嫉妬を挙げる。

 亡き母の代わりに父と結婚したセレスティーヌはある意味敵のような存在だった。それでも最初は仲良くしようとした。けれど、そんな俺に向けられたのはさりげなくも容赦のない冷遇。

 

「わたしはあの人のことを敵だと思ってる。でも、ただ睨みつけたり、暴れるのは止めたの」

「どうして、ですか?」

「意味がないから。やるなら、あの人を悔しがらせてあげなくちゃ。暴力でも、いやらしい方法でもなくて、ただ強くなったわたしを見せて『参った』と言わせたい。だからやり方を変えたの。それだけ」

「……やっぱり、お姉様は凄いです」

 

 噛みしめるように間を取ったシャルロットは、しみじみと呟くように言った。

 

「凄くないってば。わたしは理由がないと努力できない駄目な子。真面目に頑張ってるシャルロットが羨ましがることなんて何もないわ」

「そう、でしょうか」

「そうよ」

 

 浮かない顔。本人にはなかなか実感しづらいのかもしれない。しかし、そもそも歳が違う。俺ができることを今のシャルロットができる必要はない。そして、素直で純粋な義妹の性格は俺がどれだけ頑張っても手に入れることのできないものだ。

 ようやく、シャルロットは少しだけ笑顔になった。

 俯きがちだった顔を上げ、俺の顔を見て言う。

 

「私もお姉様みたいに強くなりたいです」

「止めはしないわ。けど、真似るのは勉強だけにしなさい。わたしの性格なんて真似しても何一つ良いことはないから」

「そんなことはないと思いますけど……わかりました」

 

 専属メイドに椅子を引いてもらいながらシャルロットはゆっくりと立ち上がった。

 

「今日のお話は、お母様には内緒にしておきますね」

「言ってもいいわ。どうせあの人もわかっているでしょうし」

「それでも、内緒にしておきます」

 

 くすりと笑い、シャルロットは最後に一礼した。

 

「おやすみなさい、お姉様」

「ええ。おやすみなさい、シャルロット」

 

 義妹とも少しはいい関係を築けただろうか。成り行きを見守っていたアンナが「良かったですね」と言ってくれたので、まあ悪い方向には向かっていないのだろう。俺は少しいい気分でベッドに入り、一日の疲れを癒やすためにもぐっすりと眠った。

 俺とリオネルを婚約する意向は、一週間も経たないうちに公爵家へと伝えられた。

 正式な発表、およびその後の対応についてはまだ時間がかかるということだが、この時点でほぼ内定。この件は父と養母両名によって緘口令が敷かれたものの、数日後には屋敷の使用人全員に広まっていた。

 俺は、心なしか厳しくなった授業を必死にこなしながら、空いた時間でチェスの練習をする日々。練習相手は主に近くにいるアンナだが、父もちょくちょくやりたそうな素振りを見せてくるので暇を見て対戦をお願いしている。

 ああ、セレスティーヌも一度だけ気まぐれに交ざってきた。普通に上手くて、俺は当たり前のようにボコボコにされた。父は適当に手加減してくれているのに。

 

 そして、そんなある日の朝。

 

「これは……!?」

「リディアーヌ様のドレスが!?」

 

 いつものように着替えをしようとした俺は、アンナや他のメイドと共にクローゼットを開け──その中に、ずたずたに切り裂かれたドレスを発見した。




【今回の登場人物】
◇リディアーヌ・シルヴェストル:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり
◇セレスティーヌ:シルヴェストル公爵の後妻
◇シャルロット :セレスティーヌの娘。リディアーヌの義妹
◇アラン:公爵家長男
◇アンナ:リディアーヌの専属メイド


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屋敷内の悪意

「今回の件、貴女に何か心当たりはありますか?」

「いいえ、お養母さま。このところ夜は熟睡しておりますので、多少の物音では目覚めなかったかと」

 

 ため息を吐きたいのを堪えながら、養母の問いへ正直に答えた。

 セレスティーヌの私室はかつて俺の生母アデライドが使っていた部屋だ。赤と黒を基調とする落ち着いた雰囲気だったそこは今、白と金に彩られた上品な部屋へ様変わりしている。

 見せつけるために呼んだのかと憤りそうになるが、今回に関してそういう意図はないだろう。

 その証拠に、テーブルの向かいに座った養母は珍しく眉を寄せて困惑を表している。

 

「被害が少なかったのは幸いですが……明らかに悪意ある犯行ですね」

 

 切り裂かれたドレスは全部で三着だった。

 回復後に初めて着た黒いドレスを含め、最近好んで着ていたものばかり。直すのは無理と一目でわかるくらいに損なわれていた。

 発見後、俺はすぐメイドの一人を報告に行かせた。

 指示を待つ間無事なドレスへ着替え、クローゼットの中や私室を可能な限り調べたものの、特に不審な点は見つからず。

 そうしているうちに養母から呼び出しがかかって今に至る。家族揃っての朝食は中止となり、俺たちの分の食事は現在テーブルの上に置かれている。

 

「最後にドレスを確認したのはいつですか?」

「昨日の朝です。その時はもちろん三着とも無事でした」

 

 寝間着と普段着は別のクローゼットに収められている。脱いだドレスは洗濯に回されるので、夜に普段着用のクローゼットを開くことはない。

 汗をかいた時は日中に着替えることもあるが、昨日はダンスの授業もなかったので服は替えていない。

 

「では、あなたの部屋へ特別に出入りした者は?」

「わたしの知る範囲ではいません」

 

 掃除や整理整頓はアンナの仕事なのでメイドの出入りも多くはない。

 食事等で部屋を空ける際や夜の間はドアに鍵をかける。

 鍵はアンナが携帯している他、屋敷の保管庫にも予備が収められている。

 

「お養母さま、保管庫はどうなっていましたか?」

「他の部屋の鍵も含め、全て盗まれてはいませんでした」

 

 鍵の有無は毎日、朝晩の二回チェックが行われている。

 昨日のチェックにおいて異常はなかったらしい。とはいえ、誰がいつどれを借りたかまでは把握していない。朝から晩の間、あるいは晩から朝の間に使ってすぐに返すことはできる。

 つまり、使用人なら──というか鍵の管理システムと管理場所さえ知っていれば誰にでも犯行は可能。

 まあ、父やセレスティーヌ、アラン、シャルロットが犯人という可能性は低いだろうが。

 ここで養母は息を吐いて、

 

「状況的に、最も犯行が容易なのはアンナです」

「……そうなりますね」

 

 こくりと頷く。

 アンナが使っている専属部屋は鍵のかかったドアの内側。接続としては「屋敷の廊下⇔俺の私室⇔俺の寝室、個人用の浴室、専属部屋」となっている。

 俺の寝ている間ならこっそり私室に入ってクローゼットを開くことも簡単だ。もちろん、彼女がやったなどとは思えないが。

 ちらりと背後を振り返る。そこには誰も立っていない。アンナには別に事情を聞くということで、俺は彼女と引き離されている。

 

「お養母さま。あの子はこれからどうなりますか?」

「この後、別途事情を聞きます。その後はしばらくの間、別室で謹慎してもらいましょう」

「それは、アンナを疑っているからですか?」

「可能性がある以上、そのままにはしておけないというだけです。同じことの繰り返しは防がなくてはいけませんから。代わりに他のメイドを付けますから、ひとまず我慢してください」

「……かしこまりました」

 

 アンナが身動き取れない中で二度目が起こればシロの目が大きくなる。

 最低限の対処を行った上で追って調査を行い、詳細を確定する。いつも通りセレスティーヌは論理的かつ冷静だ。よほどのことがない限り、やってもいない罪をアンナに押し付けることはしないはず。

 夜間の犯行だとすれば寝ていた俺の不注意もあり得る。ここは従っておいた方が得策だろう。

 

「では、代わりのメイドは誰になりますか?」

「……そうですね」

 

 しばし、セレスティーヌは思案するように目を伏せる。

 目を開けた彼女はじっと俺を見据えたまま、一人の名前を口にした。

 

 

 

 

「お嬢様。どうかお気を落とさずに」

「ありがとう、ジゼル」

 

 代理の任命は速やかに行われた。

 紺色の髪と瞳を持った若いメイド──ジゼルはセレスティーヌの部屋で俺と対面すると「よろしくお願いいたします」と優雅に一礼した。子爵家の出身で、屋敷に来て三年目だという。学園の卒業生なのでアンナとは四歳差の二十歳だ。

 アンナの謹慎についてセレスティーヌは「しばらくの間」と言葉を濁した。その間、ジゼルは一般の使用人部屋から通いで俺を世話することになる。専属部屋にあるアンナの荷物は当面そのままだ。

 

 部屋に戻ると二人きりになる。

 

 ジゼルの気づかわしげな呼びかけに俺は「お嬢様」として答えた。

 いつもと違う気配がするせいか落ち着かない。ひとまず椅子に腰かけて息を吐くと、

 

「アンナに拘る必要はありません。メイドは他にもたくさんいるのですから。早いうちに見極めができて良かったのではありませんか」

 

 犯人が決まったと言わんばかりの台詞。

 代理にジゼルが選ばれたのは「本人たっての希望」らしい。俺の世話をしていた一人でもあるし、話の流れとしてはおかしくない。

 問題は、彼女が俺を嫌っていたはずだということと、アンナとの仲もあまり良くなったということ。

 俺は肩を竦めて、

 

「アンナは魔力も低いし、経験も浅かったものね」

「ええ。魔力も経験も屋敷で最低だったはずです。学園を出ておらず学もありませんから、勉強をお助けするのにも不自由したのではないかと」

 

 いや、アンナは十分俺を助けてくれていた。

 言いたいのを堪えて笑顔で流す。アンナから聞いたが、メイドの給金は仕事内容の他、能力によっても違いが出るらしい。魔力が多ければ魔道具をたくさん使えるし、学園を出ているメイドは勉強の他、インテリアやファッションにも詳しい傾向がある。

 にもかかわらず、新人のアンナが一足飛びに「昇進」したのだからジゼルたちには思うところがあったのだろう。

 

「ジゼルはどうして、今回()()()()()()()を希望してくれたの?」

「お嬢様に頼って頂くいい機会だと思ったからです」

 

 一瞬、頬をひくっと動かしてからジゼルは笑顔で答えた。

 

「専属の仕事は地味だし、覚えることも多くて大変だと思うけれど」

「承知しております。ですが、先生方からの評価も高く、リオネル殿下と婚約なさるお嬢様には、もっと優秀なメイドが必要かと」

「なるほどね。……それじゃあ、アンナが戻ってくるまでの間、頼りにしようかしら」

 

 授業の教材を取ってくれるように指示を出す。

 今日の午前中は数学だ。事件はあったものの物損だけだし、内部犯が濃厚なため内々で処理される予定になっている。当然、勉強も中止にはならない。

 しかし、ジゼルは動かずさらに言葉を投げかけてくる。

 

「どうして、アンナを信用するんです?」

「証拠がないもの」

 

 確証も無しに疑いを向けるのは間違いの元だ。

 俺は幸いにも遭遇しなかったが、痴漢冤罪なんか特に悲惨だった。一方的に不利な状況に追い込まれた人たちがその後どうなったか。

 人は正直者ばかりではない。誰かがアンナに罪を着せようとしている可能性だって十分にある。

 勉強道具を取ってくれるように再度頼むと、ジゼルはどこか思いつめるような、考え込むような表情を浮かべながら指示に従ってくれた。

 

 

 

 

 ジゼルを見ていると高一の時のクラスメートを思い出す。

 

 可愛くてお洒落だが性格が悪く、とある地味男子をいつも嘲笑っていた女子。そのくせ、相手がテストで満点を取ると「すごーい! ね、勉強教えて?」と手のひら返し。

 何度か二人きりで勉強した後、男子から告白されると「え、無理」と即答。あっさり距離を離して運動部のルーキーと付き合い始めた。

 

 状況に応じて態度を変える女は信用できない。

 一見好意的に見えても内心、相手を利用することしか考えていない。俺に利用価値があるうちはきちんと仕事をこなすだろうが、価値がなくなればあっさり離れていくに違いない。

 できればアンナに早く帰ってきて欲しい。

 俺はそう願ったが、あいにくその願いは叶わなかった。

 

 

 

 

「公爵様より、お嬢様の部屋の警備を強化するようにとのご命令です」

 

 事件が発覚した日の昼には部屋の前に兵が立つようになった。

 父の雇っている平民の私兵だ。身元が明確で忠誠心の高い者が集められており、普段は屋敷の外を中心に警備している。

 男ばかりなので女子の部屋を守るには不向きだが、部屋の中には入らないらしいし特に気にならない。むしろ仕事を増やして申し訳ないくらいだ。

 

「もう、お父様も心配性なんだから。……しばらくの間、お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたしますね」

「はっ。良からぬ輩が侵入しないよう目を光らせます」

 

 警備は交代で二十四時間体制。

 彼らのお陰か数日間、何事もないままに時が過ぎた。その間、使用人全員を対象に聞き取りが行われたが決め手になる証言はなく、アンナは帰ってこないまま。

 風呂でアンナ以外に洗われるのはどうにも落ち着かない。

 能力で言えばジゼルは優秀だ。専属の仕事内容もすぐに覚えたし手際も良い。普段は主従の線引きもしっかり弁えている。

 やりにくいのは俺が何かする度に「さすがです」「素晴らしいです」と褒めてくること。また、自分自身も褒められたいらしく、はっきりと態度に出してくる。褒めたら褒めたでそれが当然という顔をする。

 

『ああもう、やりにくいったらないわ!』

 

 犯人が見つからないためアンナも返してもらえないまま。

 謹慎が長引いているため、他のメイドが監視できて俺とは会わない部署──料理や洗濯を手伝うことになったらしい。その方が彼女としては気が楽だろう。

 このまま待っていればそのうち「いったん様子見」として返してもらえそうだ。

 ただ、それは根本的な解決にならない。

 犯人を見つけられればいいのだが、それもなかなか難しい。盗難ではないので物証がないし、現行犯を抑えようにも二度目がいつ起こるかわからない。

 

「犯罪捜査に使える魔法はないのでしょうか?」

 

 家庭教師に尋ねてみたりもしたが、返答は芳しくなかった。

 

「魔法を使って他人の記憶を読むことはできますが、主だった証拠として扱われることはあまりありません」

 

 心を覗く行為自体が快く思われないこと。全ての記憶を覗けるわけではない=勘違いが生じる可能性があること。()()()()()()()()()()()()()()()など複数にわたる理由のせいだ。

 これを克服するため、例えば嘘発見だけに絞った魔道具の開発なども試みられ、実際完成した例もあるそうだが──これはこれで『高い』という身も蓋もないデメリットがあった。

 となると、俺にできそうな方法としては犯人に二度目の犯行を諦めてもらう、心変わりしてもらうことくらいだろうか。

 

「戻りました。お仕事、ご苦労様です」

「お帰りなさいませ、お嬢様。異常なしです。お食事の間、この部屋へ出入りしようとした者はおりません」

「良かった。毎日、本当にありがとうございます」

 

 何度も会っているうちに警備兵の顔も覚えてきた。

 目が合ったら話しかけるようにした結果、彼らとはだいぶ仲良くなっている。俺が美少女なのも功を奏しただろう。可愛い女の子が笑顔を浮かべれば大抵の人間は態度を緩める。

 これが男子相手なら表向き畏まった態度を取りつつも「なんだこの生意気なガキ」となったかもしれない。リオネルなんか城の兵相手にそうなっていそうだ。

 しかし、ただ話しかけるだけだと実質仕事の邪魔なわけで。

 仕事への意欲を上げてもらうためにももう少し、何か「ご褒美」が要るだろうか。

 俺もコンビニバイトをした経験があるからわかる。客が来ないのに気を張って待ち続けるのはかなり辛かった。俺は少し考えてから「そうだわ」とジゼルを見上げて、

 

「皆さんに何か差し入れをしましょう。お菓子とか、軽食とか。……それとも、大人の男性ならやっぱりお酒かしら?」

「っ! 本当ですか!?」

 

 わかりやすい反応である。うん、やっぱり酒とつまみがいいか。二十歳前に死んだので俺は飲めなかったが、手っ取り早い気晴らしと言えば酒だろう。

 と思ったらジゼルが眉をひそめて、

 

「給金は公爵家から出ているのですから、お嬢様がそこまでなさらなくとも良いのでは?」

「でも、ジゼルたちは料理やお菓子の余りをもらえたり役得があるでしょう? 彼らにも少しくらい報いてあげてもいいと思うの」

 

 費用は俺の小遣いから出すので別に問題ない。

 衣装や装飾品などは別で買ってもらえるので、思いつきでちょっとした買い物をしたい時にすぐ支払えるように、という金だ。今までは有名な店の菓子が食べたいとか、珍しい花を買ってきてとかそんなことにしか使っていなかったし、使い方としてはむしろ健全なくらいだ。

 それに、小遣いと言ってもそこそこの額なので、平民向けの安い酒や食べ物程度ではちっとも痛くない。

 

「ジゼル、手配をお願いね」

「……かしこまりました」

 

 ノーという返事はいらない、と言外に匂わせると嫌そうな顔のままイエスの返事。

 こうして夜には警備の兵全員に酒一本とつまみ少々が配られ、大変好評を博した。これによって俺と兵たちの関係はさらに良くなり──その代わりとして、差し入れは以後も何度か繰り返されることになった。




【今回の登場人物】
◇リディアーヌ・シルヴェストル:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり
◇セレスティーヌ:シルヴェストル公爵の後妻
◇アンナ:リディアーヌの専属メイド。しばらくの謹慎を言い渡される。
◇ジゼル:公爵家のメイド。専属メイド代行に立候補する。


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屋敷内の悪意 2

「おはようございます。今日も早くからご苦労さまです」

「ありがとうございます。ですが、これも仕事ですから。むしろ、屋内は異常が起こりにくいので楽なくらいです」

 

 さらに数日が経った。

 兵たちとは挨拶だけではなく軽い世間話まで交わすようになっている。

 その日の朝番だった若い兵士はにやっと笑って、

 

「お嬢様から差し入れまで頂けるので、むしろずっと続けたいですよ」

「まあ。では、お父様に相談してみようかしら」

 

 調子のいい言葉にくすりと笑ってしまう。今のは半分以上が本音だろう。男は思考がシンプルでいい。

 勉強漬けのうえ、アンナが不在でストレスの溜まっている俺はもう少し彼との会話を続けようとして──こほん、というジゼルの咳払いに止められた。

 

「お嬢様。警備の者とはいえ、殿方とあまり親しくなるのはいけません」

「あら。わたしはまだ子供よ。勘繰る方がおかしいし、彼だって不本意だと思うけれど」

 

 見上げて「ねえ?」と水を向ければ、兵士もふっと笑みを浮かべた。

 

「そうですね。お嬢様は美人ですが、さすがに幼すぎます。それに、俺は結婚しているので」

「そうだったのね。お相手はどんな方なのかしら?」

「お嬢様」

 

 彼は手袋を外して結婚指輪を見せてくれた。石も本体も高い物ではない。俺の身に着けているアクセサリーの方がよっぽど高級だが、誇らしげな様子から幸せなのがわかる。

 せっかくなのでもう少し話を聞きたかったが、二度目の催促があったので仕方なく廊下を歩き出した。

 

「まったく……もう警備は必要ないと思うのですけれど」

 

 部屋の前から離れると、ジゼルは愚痴をこぼし始めた。

 

「だって、ただドレスを悪戯されただけでしょう? それに、もう終わった話ではありませんか。旦那様も奥様も大袈裟過ぎます」

 

 あの兵士の態度がよほど気に食わなかったのだろう。彼女にもガス抜きは必要だろうし、別に「そうね」と流しても問題はない。

 ただ、ジゼルに()()()()()()()があるとしたらどうだろう。

 俺は思い切って少し意地悪な返答をしてみる。

 

「事件は何も終わっていないわ」

「え?」

 

 疑問の声を上げ、その場に立ち止る代理の専属メイド。

 数歩分、彼女を追い越してから振り返る。ジゼルはなんとも不思議そうな顔をしていた。

 

「だって犯人はまだ見つかっていないのでしょう? ……それに、あれは単なる悪戯でもない」

「で、でも。ドレスが何着か駄目になっただけでしょう?」

「そうね。()()()()()()()()()()が複数、だめになったわ」

「っ」

 

 唇を噛み、顔を僅かに俯かせる。言いたいことはわかってくれたらしい。

 

「ドレスはまた買えばいい。幸い、我が家には十分な金銭的余裕があるしね。でも、それは被害が無かったという意味じゃない。あの事件で、我が家は不要な出費を強いられることになった」

 

 貴族の服には相応の格が求められる。公爵令嬢のドレスともなれば、普段使いの品であろうと下級貴族のドレスが何着も買える。

 前世にて、バイトしていたコンビニで万引きが発生するたびに店長がため息をついていたのを覚えている。

 万引きは窃盗だし、ドレスを故意に傷つければ器物損壊。れっきとした犯罪だ。

 

「動機はわたしへの嫌がらせかしら? 時期的に殿下との婚約を止めさせたかったようにも思えるわ。他の家の陰謀? 個人の意思だとしたら、犯人は公爵令嬢の気分を害し、婚約に影響を及ぼすだけの覚悟があったのかしらね?」

「───」

 

 言うだけ言って歩き出すと、メイドはしばらく後をついてこなかった。慌てて追いついてきた彼女の表情は硬く強張っている。

 なんだ、やっぱりこいつがやったのか。

 証拠も何もないただの勘だが、俺はあれがジゼルの仕業だとほぼ確信した。

 

 そもそも、セレスティーヌの態度からして意味深だったのだ。

 二度目の犯行を誘うためか、それとも俺を試すためか。何らかの意図から最も怪しい人間を敢えてアンナの代わりに指名したのだろう。俺もうすうす怪しいとは思っていた。

 ジゼルに言った強い言葉には『警告』の意味も含めている。あれで自分のしたことを反省し、心を入れ替えてくれるならそれが一番いいのだが──。

 残念なことに、話はそう上手くはいかなかった。

 

 

 

 

 翌朝、ジゼルはいつもより大幅に遅れてやってきた。

 何かあったのかと尋ねれば妙にそわそわした後、言いにくそうに口を開いて、

 

「アンナが犯人だという証拠が出ました」

「え……!?」

 

 詳しくはわからないという彼女と朝の身支度を済ませていると、朝食が遅れる旨の連絡が来た。お陰で家族が食堂に集まるのは普段より三十分は後になった。

 

「お養母さま。いったい、何があったのですか?」

「先に食事を始めましょう。全員にしっかりと説明をしなければいけませんから」

 

 家族たちは全員──父もアランもシャルロットも事件が気になっているようだった。どこか浮足立った雰囲気で朝食が始まり、ようやくセレスティーヌが口を開く。

 

「既にある程度話が伝わっているようですが、事件の前夜、不審な行動をとるアンナを見た──という証言がありました」

 

 証言したのは調理の下働きを担当している少年。

 今朝になってメイド長に申告があり、養母へと伝わったらしい。

 いわく、彼はその夜、調理道具をきちんと片付けたか気になって厨房に行こうとした。その途中、ナイフを手にしたアンナの姿を目撃したのだとか。

 

「少年は声をかけなかったのか?」

「ええ。アンナの顔がとても険しく見えたため、恐ろしくなって隠れてしまったのだそうです」

 

 今まで黙っていたのも恐かったから、らしい。

 

「では、どうして今になって証言を?」

「数日前からアンナを仕事に復帰させたからです。それを見て、黙っている方が大事になると思ったと」

 

 復帰したアンナは調理の手伝いも任されていたはずなので、確かに少年とも顔を合わせる。もしあの夜、アンナの少年の顔を見ていたら……? と怖くなってもおかしくない

 控えているジゼルを見れば、彼女は「私の言った通りでしょう?」という顔で俺を見返してきた。『ねえ、あの子って馬鹿なんじゃないかしら』。そこまでは言わないが、確かに杜撰だ。

 

「お養母さま。その証言はおかしいと思います。専属部屋を使えるアンナがどうして廊下を歩いていたのでしょう? それも、抜き身のナイフを持って。まるで『疑ってください』と言っているようなものではありませんか」

 

 普通、刃物は鞘かケースに収めて持ち運ぶ。

 廊下を歩いていた理由も謎だ。これが殺人事件なら「血の付いたナイフをすぐ洗いたかった」とか想像できるが、ドレスを切って付着するのは繊維くらいだ。そんなものは振ればだいたい落ちるし、この世界に優れた鑑識があるわけでもない。

 セレスティーヌもこれに頷いて、

 

「リディアーヌの言う通り、あまりにも不自然です。……そこでさらなる説明を求めところ、彼が『嘘を言った』と自白しました」

 

 ざわり、と、若手のメイドを中心に動揺が広がる。

 

「母上。その少年は何故嘘を?」

「何者かに『言う通りにしろ』と脅されたそうです。ただ、それがどんな人物だったのかは覚えていないと」

「ふむ。……魔法か」

「ええ。おそらくは心に干渉する魔法でしょう」

 

 同系統の魔法で思い出させることも不可能ではないが、下手をすれば少年の心を傷つけてしまう。また、頑張って思い出させても犯人が覆面でもしていたら手がかりに繋がらない。

 父は目を伏せてため息をついた。

 

「穏便に済ませたかったが、仕方がない。騎士団に引き渡すとしよう」

 

 ざわめきはさらに大きくなった。

 騎士団は戦争時の重要戦力であると共に平時は王都の治安維持──警察のような役割を果たしている。

 これまでは内々に話を進めていたが、使用人が何者かに脅され雇用主に虚偽の申告をしたとなれば話は別だ。黒幕は家の外にいるかもしれない。他家の嫌がらせならまだいいが、最悪の場合、他国が絡んでいる可能性もゼロではない。

 まあ、あくまでも可能性であって、こんなしょぼい「他国の陰謀」があるわけないが。

 少年は騎士団によって取り調べを受け、必要と判断されれば魔法による精神探査を受けることになる。なお、平民の人権は貴族に比べて非常に軽いため、取り調べの過程で手や足が出る可能性は普通にある。十中八九、利用されただけなのに可哀そうな話である。

 ジゼルは──俺の様子を窺っていたのか、視線を向けた途端に目が合った。慌てて目を逸らしても正直、もう遅い。

 

「お養母さま。これでアンナの容疑は晴れたのではないでしょうか?」

 

 こくん、と、頷くセレスティーヌ。

 

「そうですね。これ以上、アンナを拘束しておく必要はないでしょう」

 

 アンナが犯人だとすると行動の意図がわからない。最初のアリバイ工作から失敗しているし、少年の件も嘘が看破されなければ容疑が強まるだけだ。ハイリスクすぎる。

 

「明日の朝からアンナを専属に戻します。ジゼルは明日から通常業務に戻るように」

「ありがとうございます、お養母さま」

「……っ。かしこまりました、セレスティーヌ様」

 

 取り調べの結果次第では犯人もわかるとあって、アランやシャルロットは明らかにほっとした顔になる。メイドたちも平穏が戻ることを安堵したり、アンナが犯人でなかったことに困惑したりする中、一人の人物だけあからさまに青い顔をしていた。

 

 

 

 

「短い間だったけれど、ありがとう」

 

 何事もなく夜がやってきた。

 俺の胸にあったのは安堵と落胆。ジゼルは(少なくとも表向きは)普通に仕事をこなしていた。後は俺が眠りにつけば、翌朝からはアンナが来てくれる。

 本当ならセレスティーヌのところへ行って罪を告白して欲しかった。仕事を終えてから行くつもりなのだろうか。それともこのまま隠し通そうとするのか。メイドを退職して逃げるのかもしれない。

 いっそ問い詰めて白状させたいが、シラを切られたらおしまいだ。少なくともこれでもう悪さはできないだろうから、それで良しとしようか。

 

「短い間でしたが、お仕えすることができて光栄でした」

 

 内心を隠して微笑む俺に、ジゼルは深く頭を下げて答えた。

 顔を上げた彼女は俺を見て、

 

「やっぱり、お嬢様は私よりアンナを選ぶのでしょう?」

「ええ。アンナは明るくて優しい子だから。経験も魔力も足りなくても、わたしはあの子がいいの」

 

 経験はこれから積めばいい。魔力の不足は俺が成長して魔道具を扱えるようになれば、あり余っているらしい俺の魔力で補ってやれる。アンナにはそんなものとは比べ物にならない、彼女だけの良さがある。

 俺の返答に、ジゼルはふっと憑き物が落ちたように笑った。

 

「お嬢様。最後にお茶を淹れさせていただけませんか?」

「……そうね。いただこうかしら」

 

 寝る前の紅茶を飲むことは今までにも何度かあった。

 コーヒー同様、飲み過ぎるとカフェインで眠れなくなるが、一杯程度ならむしろ香りのリラックス効果でよく眠れる。

 儀式のようなものなのかもしれないと快く了承し、茶葉が蒸れるまでの時間をゆっくりと待った。お互いに言葉は何もない。やがて湯気の立つティーカップが目の前に置かれたら、十分に香りを楽しんでから口に含む。

 芳醇な味わいの中に僅かな苦み。

 

「いつもの紅茶と銘柄が違うのかしら?」

「はい。就寝前に適した茶葉を選びました」

「そう」

 

 古今東西、幾多の王侯貴族を襲った「とある手段」が頭をよぎる。

 まさか。

 ドレスに悪戯したかと思えば半端に三着だけ、偽の情報を流したかと思えばすぐにバレる、そんな人間がそこまでするだろうか? ドレス事件でアンナが疑われた経緯を思えば誰が容疑者筆頭になるかは想像がつく。

 ないと思いつつも紅茶を飲むペースを落とす。

 ちびちびと、飲んでいるのかいないのかわからない態度をしばし続けていると、身体を眠気が襲ってくる。

 これは。

 

「お嬢様? お口に合いませんでしたか?」

 

 さりげなく尋ねてくるジゼルに微笑んで、

 

「そうね。十分に眠くなったからもういいわ。ありがとう」

 

 カップを置いて立ち上がる。酩酊感にも似た平衡感覚の狂いを感じる。俺はそれに逆らわず、ただ倒れ方を調整してテーブル上のカップやソーサーを巻き込んだ。

 陶器の割れる()()()()

 ジゼルは目を見開いて俺に駆け寄ってくる。

 

「本当、馬鹿なお嬢様……!」

 

 口に小瓶か何かが押し当てられた。押しのけたいが、子供かつ同性の俺ではメイドの腕力にさえ抗えない。自慢の髪をぐいっと掴まれ上を向かされ、強引にどろりとした何かを嚥下させられる。

 無理やり流し込まれたので総量の一割程度がこぼれた。

 ここで誰かの足音。ぱっと手を離したジゼルは小瓶を懐にしまうと俺を優しく抱き上げる。物音を聞きつけた兵士が「何事ですか!?」と飛び込んできて、

 

「なんでもありません。どうやらギリギリまで眠気を我慢されていたようで。これからベッドへお運びするところです」

「たすけ……っ」

 

 気持ちが悪い。視界がぐらぐら揺れる。

 必死に助けを求めたものの伝わったかどうか。俺にだけ聞こえる音量で舌打ちしたジゼルは若い兵士と視線を合わせる。また魔法か。大きな効力はないはずだが、平民の彼相手なら違和感を打ち消す程度は可能かもしれない。

 

『ちょっと、しっかりしなさい! なにいいようにやられてるのよ!?』。

 

 まったくもって不覚だ。なんだかんだ言いながら覚悟が決まっていなかった。平気で他人を陥れるような奴に常識を期待したのが間違いだった。

 ここで死んだらジゼルの思うつぼになってしまう。

 

『そうよ! せっかく生き残ったのに、ここで死んでたまるもんですか!』

 

 縋るような視線で兵士を見上げながら眠りの中へ落ちていく。

 最後に聞こえたのはこんな会話だった。

 

「体調を崩されているのでは? もうアンナを呼び戻しても問題ないでしょう。連絡してまいります」

「ええ。私の仕事はこれで終わりましたので、後はアンナに任せます」

 

 次に気づいた時には、悲痛な顔をしたアンナに顔を覗き込まれていた。




【今回の登場人物】
◇リディアーヌ・シルヴェストル:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり
◇セレスティーヌ:シルヴェストル公爵の後妻
◇シャルロット :セレスティーヌの娘。リディアーヌの義妹
◇アラン:公爵家長男
◇アンナ:リディアーヌの専属メイド。やっぱり無実だった
◇ジゼル:公爵家のメイド。何やってんだお前


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屋敷内の悪意 3

 最初に感じたのは猛烈な寒さだ。

 病気になった時に寒気がするのは身体の抵抗力が熱を発するから。しかし今、俺が感じているのはそれとは違う。身体から熱、つまりはエネルギ―自体が奪われているような虚脱感。

 強いてそれを無視し、ベッドに手を突いて上体を起こす。アンナがそれを慌てて支えてくれる。

 

「無理をしないでください、リディアーヌ様」

「そういうわけにはいかないわ。……お帰りなさい、アンナ」

 

 上手く微笑みを作れただろうか。

 久しぶりに会った専属メイドは、瞳に涙を浮かべて「はい」と答えた。

 

「ご心配をおかけして申し訳ありません。ただいま戻りました、リディアーヌ様」

「こちらこそ、何もできなくてごめんなさい。公爵の娘なんて言ったって、結局ただの子供なのね」

「そんなことはありません。……奥様に何度もお願いしてくださったと先輩方から聞きました。待っていてくださったから、私はこうして戻って来られたんです」

「そう。……少しでも助けになったのなら、良かった」

 

 心のつかえが取れたのを感じながら片手を伸ばす。ぎゅっ、と、それが両手で包まれると、アンナの体温を熱いほどに感じる。伝わってきた熱によってほんの少し身体が楽になる。

 

「わたしはどのくらい眠っていたの?」

「もうお昼過ぎです。私が様子を見に来た時にはもう、リディアーヌ様の身体は冷たくなり始めていました」

 

 警備の兵が「お嬢様が倒れた」とアンナに伝えてくれたらしい。

 謹慎用の部屋で監視役のメイドと眠っていたアンナは一足早いのを承知でここへ来て、色々と対処をしてくれたらしい。気づけば掛け布団が一枚増えているし、布団の中には湯たんぽ的な道具が収められている。身体を温めるための工夫だ。

 ひょっとすると寝ていないのだろうか。アンナの目は少し赤くなり始めている。それともこれは涙のせいだろうか。

 

「リディアーヌ様。この症状はやっぱり……?」

「ええ。あの時と同じものでしょうね」

 

 前回、誇張ではなく死にかけたあの病気。

 熱によって体力が奪われるのではなく、体力そのものが奪われていくようなこの症状は、なるほど、致命的としか言いようがない。

 エネルギーが足りていないのならひとまず補給しなければ。

 俺はアンナに食事を用意してくれるように頼んだ。正直、食欲があるとは言えないが、食べやすい物を多めに持ってきてくれるように指示を出す。そうして用意されたリゾットやスープ、果物などを半ば無理矢理胃へ落とし込む。

 椅子に座って食事をしているだけで疲れるような状態だったが、満腹になると少しは元気が湧いてきた。

 アンナがほっと息を吐いて、

 

「栄養を摂れるのであれば大丈夫そうですね」

「そうね。あと一週間は生きながらえてみせるわ」

「冗談でもそんなことを言わないでください!」

 

 悲鳴のような声に「残念だけど、本音なの」と静かに答える。

 食べて治すのは基本だが、これはどう考えても普通の病気じゃない。本当に体力そのものが病気に食われていて、かつ、これからも食われ続けるのだとすれば、気力で持ちこたえられる時間はそう長くない。

 

「お医者様の手配は済ませてあります。ですから、負けないでください」

「もちろん。このまま黙って死んでたまるもんですか」

 

 そうだ、こんな簡単に死ねるわけがない。

 記憶が戻る前の俺だって一週間くらいは耐えたのだ。今の俺がもっと持ちこたえられなくてどうする。それに前回は治ったのだから今回だって望みはあるはず。

 アンナが俺の傍にしゃがみこみ、またぎゅっと手を握ってくれる。俺は「ありがとう」と微笑んでから彼女に尋ねた。

 

「ねえ、ジゼルはまだ屋敷にいるのかしら?」

「いいえ。……ジゼル先輩は今朝から行方がわからなくなっています」

「でしょうね」

 

 異変に気付いたのは早朝になって俺の容態を報告した後。警備兵の報告もあり、メイド長が昨夜の俺の様子を聞こうとジゼルを呼び出して──そこでようやく彼女がいないことに気づいた。

 二人部屋なので本来は同室の者が気付くはずだが、ジゼルの同室であるアンナは軟禁中で別の部屋を使っていた。

 念のため屋敷内、および庭の捜索が行われたものの、ジゼルの姿は発見されず。

 

「代わりに、ゴミ捨て場からティーカップの破片が見つかりました。リディアーヌ様のお気に入りだったものです」

 

 あの時俺が割ったものだろう。

 また、俺の装飾品の中から小ぶりかつ高価なものがいくつか無くなっているらしい。状況から見てジゼルが持ち逃げした可能性が高く、騎士団にも通報済みだという。

 俺は深いため息を吐いた。

 

「なにをやっているのかしら。……これ以上、罪を重ねても仕方ないのに」

「リディアーヌ様、それでは」

「ええ。昨夜は紅茶を勧められて、飲んだら急に強い眠気を感じたの。まずいと思って音を立てたんだけど、上手く誤魔化された上に何かの薬を飲まされたみたい」

 

 ジゼルは間違いなく、もうここには戻ってこないだろう。

 彼女が殺しにくるとは思わなかった。

 これまでの犯行から彼女を小物と判断し、人を殺す度胸はないと見誤った。女に苦しめられた前世でもなんだかんだ殺人に及んだ奴はいなかった。平和ボケした日本人の感覚と甘ったれたお嬢様の感覚から「更生してくれたら」なんて変な同情をしてしまった。

 それにしたって「公爵令嬢の殺害」なんて罪を負うのは自ら破滅に向かうようなものだろうに。

 

 

 

 

「前回、そして今回と、リディアーヌ様が倒れられた原因は病ではなく、ある種の薬物と思われます」

 

 お茶の時間になった頃、例の医師が診察にやってきた。

 アンナを含むメイド数人、養母セレスティーヌ、さらに父である公爵までもが集まって見守る中、彼は苦々しい表情で見解を述べた。

 これにまず声を上げたのは父だ。

 

「使用人が毒を盛ったというのか!? リディアーヌは我が家の大事な娘なのだぞ!?」

 

 普段の穏やかな彼からは想像もできない激高ぶり。

 掴みかからんばかりの剣幕に医師は怯える様子を見せながらも、しっかりとした答えを返す。

 

「リディアーヌ様の症状から見て、用いられたのはおそらく解熱剤です」

「解熱剤?」

「薬草や野菜など、自然物から取れる成分を用いて『身体を冷やす』薬です。魔法を用いて効果を高めたものもあります。通常は治療用ですが、過剰投与すれば熱を奪う毒になります」

 

 熱が上がっているわけでもないのに冷やされた身体は急速にバランスを崩していく。

 身体も平熱を保とうと熱量を上げるが、このために身体は大きく生命力──カロリーを消費してしまう。耐えられなければ待っているのは死だ。

 身体の大きい大人なら過剰投与になりづらく、通常は心配ないらしいが、子供に投与する場合は慎重な扱いが必要だという。

 

「液体を飲まされたというお話から、粉末を溶かして煮詰めていた可能性もあります。あるいは、先に紅茶を飲ませたこと自体、血行を良くするためだったのかもしれません」

「リディは治るのか!?」

「対処としては、薬の効果が無くなるまで身体を温め続けるしかありません。もちろん、食事を摂ることも有効です。身体を冷やさない程度に水分を取るのもいいでしょう。ただ、治るかどうかは薬の強さとリディアーヌ様の頑張り、そして運次第です」

 

 異常をきたした身体は抵抗力が落ちている。この状態で風邪など他の病気を併発するのは致命的としか言いようがない。

 

「……こういった言い方は良くないのでしょうが、リディアーヌ様を殺めるつもりで投与したのであれば、回復のしようがない量を用いたはずです。現在、こうして気力を保っていらっしゃるだけでも幸運かと」

「先生。それなら、どうしてわたしは前回、助かったのでしょうか?」

 

 医師の言う通り、今回の症状は前回よりおそらく重い。

 前は徐々に弱っていき、やがて起き上がることもできなくなった。対して今回は一日目から起きているのがやっとだ。

 医師はこれに投与のされ方が違った可能性──前回は少しずつ何度も投与されたのではないかという見解を示した上で、俺が助かった方法についても推測を述べた。

 

「件の薬──毒の対処としては風邪と同じものが有効です。つまり、熱。風邪と違い、病を吹き飛ばすのではなく薬効が薄れるまで『身体を温め続ける』ことが目的ですが。リディアーヌ様も前回、回復される前夜に高熱を経験していたはずです」

「確かに、その通りです」

 

 俺は一晩中熱にうなされ、目覚めた時には良くなっていた。あの時は普通の病気だと思っていたのであまり気に留めなかったが……。

 

「リディアーヌ様は当時、衰弱しきって食事もできない状態だったはず。その状況から一気に回復するというのは自然な働きではありません。であれば、通常とは異なる力が働いたのでしょう」

「そうか、魔法か……!」

 

 理解の声を上げる父。

 いや、そうか! と言われても。

 

「あの、わたし、まだ魔法なんて習ってもいないのですが……?」

 

 何か勘違いをされているのではと危惧したところで、

 

「初めての魔法を無意識に用いるのは、貴族の子供によくあることです。素質が表に出た証として、訓練を始める目安にされることも珍しくありません」

「なるほど。……では、わたしの場合もそうだったと?」

「おそらくは。火の魔法で体温を強引に引き上げ、併発した病ごと毒を吹き飛ばしたのではないかと。八歳というのはいささか早い年齢ですが……」

「きっとそうだろう。アデライドも火の魔法が得意だったからな」

 

 目を細めた父が前妻──俺の母の名を口にする。

 俺やアランを悲しませないように、そしてセレスティーヌへの配慮からか父からアデライドの名が出ることはほとんどない。しかし、彼の声には亡き妻への想いがしっかりと滲んでいた。

 親が持つ属性が子供に受け継がれる可能性は高い。母親似である俺が火の属性を持っていても不思議はない。

 俺はぎゅっと手を握りしめて医師を見上げた。

 

「では、同じことをすればわたしは助かるのですね?」

 

 返ってきたのは深いため息。

 

「理論上はそうなります。……ですが、無理の利かない身体で魔法を使うのは非常に危険です。医者としては正直、お勧めできません」

「私も反対です。まだ訓練も受けていないのですよ? 調整を誤って全身に火傷を負う事だってあるのです」

 

 ひっ、と、アンナが小さく悲鳴を上げる。

 優しい専属メイドに俺は「大丈夫」と微笑んでから、養母を見た。

 

「お養母さまは、このことを前回の時点で先生から聞いていたのではありませんか?」

「セレスティーヌ?」

「……ええ、確かに私は知っていました」

 

 僅かに表情を硬くしながら、それでも毅然と答える金髪の美女。

 

「ですが、確証はありませんでした。無意識の魔法行使は通常一度で収まるものですから、落ち着いてから教師を探しても間に合います」

 

 毒の可能性を潰す方が先決。

 メイドたちの荷物検査も実施し、怪しい薬物がないことを確認。使用人の外出先についても密かにチェックして薬屋や不審人物との接触がないかも確認していたという。

 

「確かに、理には適っていますね」

「リディ」

「お父さまだって、わたしに『お前は無意識に魔法を使ったのだ』とか『あれは病気ではなく毒だ』なんて言いづらいでしょう? 聞いたわたしが勝手に試して怪我をするかもしれませんし、メイドを全員クビにしろと騒ぐかもしれません」

「そ、それはそうだが」

 

 父の視線がおろおろと宙を彷徨う。俺が心配で仕方ないらしい。仕事を放りだしてここに来ている時点で親馬鹿である。

 むしろ、セレスティーヌの方がよほど落ち着いている。

 腹の底の見えない養母が本当は何を企んでいたのか、それはわからない。自分が手を汚さずに俺が死んでくれるならそれはそれで構わない、と思っていた可能性もある。

 俺が死ねば愛娘(シャルロット)が長女になるわけだし、悲しみに浸る父を慰めた結果新しい子が産まれるかもしれない。……自分で言ってて「ふざけるなよこのクソ女」という気分になってきたが、まあ、もちろん証拠は全くない。

 とりあえず、今言えることは「猶更死ねるか」だ。

 

「お養母さま。わたしの主観では食事や衣服、道具での対処ではおそらく足りません。ならばいっそ、危険な方法でも試してみたいと思います」

 

 ちなみに、他人が温めるのは自分でやるよりもっと危険らしい。体温変化に合わせた微調整は本人でないと正確性を欠くし、他者へ内的変化を与える魔法自体がかなり困難な部類に位置するから、

 

「だが、リディ。火の魔法は本当に危ないのだ。女の子の身体に傷が残れば結婚にも響くのだぞ」

「ご心配なく、お父さま。()()()()は火の魔法がお得意だったのでしょう? なら、その娘であるわたしが、自分の身体くらい温められなくてどうしますか」

 

 この言葉に全員が黙った。

 父としては俺に死んで欲しくない。養母にしても別に悪くない話だろう。俺に死んで欲しいのだとすれば、死因は病気でも毒でも魔法の失敗でも構わない。

 やがて、セレスティーヌはゆっくりと首肯して。

 

「わかりました。では、初歩的な魔法の扱い方をアンナに習いなさい。魔力の低い者から習う方が結果は小さくまとまるでしょう」

「ありがとうございます」

「……仕方あるまい。だが、セレスティーヌ。其方は情報を秘匿しすぎだ。後で詳しく話を聞かせてもらう」

「かしこまりました。申し訳ありません、旦那様」

 

 これで、ひとまず方針は決まった。

 二度目の不調に陥った時点で医師に治療法を問うつもりだった。こういう形になったのは予想外だが、ついでに魔法を覚えられれば幸運ともいえる。

 

「お願いね、アンナ」

 

 見上げた専属メイドは緊張と不安からか蒼白な表情をしていたが、それでもきゅっと唇を結んで、決然と頷いた。

 

「リディアーヌ様に治っていただくため、精一杯務めます」

『わたしだって頑張るわ。生き残って、あのメイドにあっと言わせてやるんだから!』




【今回の登場人物】
◇リディアーヌ・シルヴェストル:主人公。八歳の公爵令嬢。前世の記憶あり
◇セレスティーヌ:シルヴェストル公爵の後妻
◇父  :王国宰相。娘に甘い
◇医師 :少なくとも知識は確か
◇アラン:公爵家長男
◇アンナ:リディアーヌの専属メイド
◇ジゼル:元公爵家メイド。逃げきれなければ死刑がほぼ確定


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屋敷内の悪意 4

※いただいたご意見を元に「屋敷内の悪意 2」を若干修正しました


「魔法の使い方はとても単純です。必要なのはたった二つだけ」

 

 医師を交えた話し合いの後、俺はいったん仮眠を取った。

 起きた後はまた詰め込めるだけ食事を詰め込む。寒さと怠さが延々と抜けず、蓄積するストレスが気力を奪っていく。こんなもの、長く耐え続けるのは不可能だ。

 目覚めていられる短い時間を使い、ベッドに寝た状態のままアンナから魔法について教えてもらう。

 学園に通っていない彼女だが、魔法の使い方は親や家庭教師から習ったらしい。「基礎くらいしかできないので恥ずかしいんですが……」と言うが、養母も言っていた通り、教える側が初歩しか知らなければ大きな事故も起きづらい。

 

「必要なことって?」

「はい。一つは自分の中の魔力を感じること。もう一つは想像力です」

 

 アンナはコップを一つ用意すると、その縁に指を当てて「水よ」と唱えた。彼女の指先からビー玉ほどの大きさの水球が生まれ、ぽちゃん、とコップの中に落ちる。

 

「アンナは水の魔法が得意なのね?」

「属性があるだけで、魔力量は全然なんですけどね。もっと魔力があればお風呂の用意だって一人でできるのに」

 

 手を伸ばし、アンナとは反対側からコップに触れる。

 「水よ」と唱えると──当然、何も起こらない。

 

「言葉はあくまで想像の補助。属性も『どういった魔法が得意か』を表すものなので、他属性の魔法も使うことはできます。大事なのは魔法の結果を思い描くことと、必要な魔力を用意することです」

「わたしが水を出せなかったのは、どちらかが欠けていたから?」

「そうです」

 

 こくん、と頷くアンナ。

 内容は教本の受け売りらしいが、端的でわかりやすい。

 

「魔力を感じるのはとても苦労します。今までできなかったことをするわけですから。私が初めての時は何か月かかかりました」

 

 その代わり、一度コツを掴めば驚くほど簡単になるという。自転車に乗れるようになるようなもの、と考えればいいだろうか。

 要するに魔力とはゲームで言うMPだ。

 魔法を使うには自分の現在MPを把握し、必要量を取り出さないといけない。調節が下手だと不要な高威力が出たり、逆に望んだ効果に届かなかったりする。

 想像力──イメージの力も結果を大きく左右する。うっかり大爆発とか想像した日には大惨事だ。もちろん、相応の魔力が無ければ大事には至らないわけだが、だからこそ俺の場合は要注意。ぶっちゃけ八歳の身で一夜漬けするものではない。

 

『いいじゃない! わたしは火の魔法が得意なんでしょう? だったら、お母さまみたいに火の鳥や蝶を出してみたい! あれはとても綺麗だったもの!』

 

 ()()なって大火傷するのが目に見えている。

 それはまあ、俺だってわくわくしている。前世には魔法なんてなかったので、いかにもファンタジーしている力を自分が使えるなんて信じられない。

 しかし、今必要なのは火の蝶を出すことでもファイアーボールをぶっ放すことでもなく、自分の体温を上げることだ。

 そのためには魔力のコントロールが不可欠なわけで……。

 

「魔力を感じるにはどうしたらいいのかしら」

「人によって合っているやり方は違うみたいです。私は毎日瞑想していました」

「瞑想……!?」

「我が家には道具を用意したり、複数の教本を買うお金もなかったので……。でも、リディアーヌ様の場合は魔道具を使う方法もあると思います」

 

 魔力を自動吸収してくれる高額な魔道具を用いれば体内の魔力移動を体感できる。我が家で言えばトイレとかだ。ただ、今の体調だとそこまで行くのも一苦労。

 

『でも、あの魔道具なら数えきれないくらい使ってきたじゃない』

 

 何気なく受け止めていた感覚を強く思い出してみる。

 身体から何かが吸い出される感じ。あれの大本はどこだったか。それを辿れば魔力の在り処を掴めるはず。俺はしばし目を閉じて意識を集中させて──。

 

「どうですか、リディアーヌ様……?」

「だめね」

 

 息を吐いてアンナに答える。

 詳細に思い出すのはやはり難しい。気怠さもあって曖昧な再現がせいいっぱい。健康体で何度も繰り返し魔道具を使えればもう楽できるのだろうが。

 体温を高めるには魔力を全身に行き渡らせなければならない。俺が覚えているのは指に流れていく感覚だけだ。それをコントロールできるようにならなければ、

 

「……あれ?」

「どうしましたか、リディアーヌ様?」

 

 不安そうなアンナの目を見つめて疑問を尋ねる。

 

「ねえアンナ。魔法って、要は『想像力によって望みを叶える技術』なのよね?」

「え? ええ、それで間違いない……と思いますけど……」

「なら、()()()()()()()()()だってありえるんじゃない?」

 

 つまり、二段階のイメージをしてやればいい。

 魔力を全身に行き渡らせるイメージ。身体を温める魔法のイメージ。これなら、魔力をはっきり知覚していない今でも無理矢理どうにかできるかもしれない。

 俺の発言にアンナはぽかん、とした表情を浮かべた後、数秒してからはっと我に返って、

 

「無理です! だって、魔力がわからないから苦労しているのに、魔力を操る魔法を使うだなんて……!」

「できるわ。きっと、わたしならできる」

 

 確かに、普通の貴族なら絶対に思いつかない方法だろう。

 一つに、高価な魔道具に触れていたこと。

 一つに、目に見えない力──()()()を操る光景を()()()()()()()でたっぷりと目にしていること。流れを映像に置き換えられること。

 両方があってこそ。魔力の操作ができないのに魔力が流れる感覚はなんとなくわかる、という逆転がなければ不必要な発想。

 

「アンナ。手、握ってくれる?」

「……はい」

 

 コップが片付けられ、アンナの両手が俺の右手を包み込んでくれる。

 温かい。冷えていく身体にはこの温もりがとても心地よかった。

 

「ありがとう」

 

 微笑んでからゆっくりと目を閉じる。視覚がシャットアウトされたことで集中力が強引に引き上げられ、不調の時特有の浮遊感が余計な身体感覚まで忘れさせてくれる。

 繋いだ右手だけに集中。記憶にある魔力の流れを光としてイメージ。指先に流れていくそれを分岐させ、左手にも流し込む。作ったイメージを壊さないように注意しながら分岐を増やし、光を全身へと行き渡らせて。

 

「っ、は……っ!?」

 

 どくん、と、全身が脈打った。

 

「リディアーヌ様っ!?」

「だい……っ、大丈夫よ、アンナ。今のはただ『繋がった』だけ」

 

 額に汗が浮いている。こんな寒い中でありがたいことだと思いながら、目を開いて笑みを浮かべる。

 

「二段階の魔法にする必要はなかったわね。魔力を動かしたことで感覚がわかったから」

「じゃ、じゃあ……!?」

「ええ。魔力がわかるようになったから、これで大丈夫」

 

 付け焼刃なので時間が経てば感覚が戻ってしまうかもしれないが、今、この場で魔法を使う分には問題ない。

 わかる。

 自分の中にほんのりと温かい万能の力がたっぷりと蓄えられているのが。ずっとそこにあったはずなのに、今まで感じられなかったのが不思議なくらい自然に。はっきりと。ああ、今ここにいる自分は前世の自分とは別の生き物なのだとあらためて実感する。

 そして──。

 

 

   ◆    ◆    ◆

 

 

 思えば全てリディアーヌ・シルヴェストルのせいだ。

 後ろ手に枷を嵌められ、足に重りを付けられ、捕らえられた時に着ていた町娘の変装のまま、元シルヴェストル公爵家付きメイド──ジゼルは自らの境遇をあらためて振り返った。

 

 子爵家の次女に生まれたジゼルはなかなか優秀な子だった。

 家庭教師からは褒められることが多かったし、もっと褒められたくて努力もした。

 

『可哀そうに。長女に生まれていれば学園に行けたでしょうに』

 

 だから、何気なく耳にした「自分に関する話」が初めは信じられなかった。

 父に問いただせば返ってきたのは肯定。この家から通えるのは長男と長女、良くて次男までだと。次女である自分の席はないので()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 せっかく優秀な子ならどこかの家に養子に出してもいい、もしくは普通に適当な家の行儀見習いにするか、伯爵当たりの愛妾にしてもらうのもいい、と。

 告げられた言葉に絶望し、その絶望をバネに奮起した。

 

 長男の席を奪い取るのはさすがに不可能。

 なら、長女か次男から席を奪ってやると必死に勉強し、父から()()()()()()学園に通う事を許された。

 泣いて喜んだその翌日、ジゼルは姉から囁かれた。

 

『もっとできの悪い妹だったら良かったのに』

 

 昔は優しかった姉。彼女はジゼルにささやかないじめを繰り返すようになった。自分より優秀な妹と比べられるのが嫌だったのだと後になって理解したが、当時は意味がわからなかった。

 父に告げ口をすれば我慢しろと言われ、諦めきれないでいると「もう少し利口な子だと思っていたが」と呆れられた。

 それから、ジゼルは親を信用しなくなった。

 姉のいじめに耐えながら「優秀で従順な子供」を演じ、学園に入学。しかし、学園での生活も家の中と大差なかった。

 侮蔑。嫉妬。略奪。報復。打算。裏切り。

 子爵家のジゼルが生きていくには上位貴族の派閥に入り、その上で目立たない有象無象を演じるしかなかった。家の中では優秀で姉に妬まれていたジゼルも学園では、貴族社会では取るに足らない小娘でしかなかった。

 出しゃばれば嫌味を言われ、すれ違いざまに足を引っかけられたりドレスに水やインクをかけられたり。次第に努力する意味がわからなくなり、そして気づいた。

 

 ──自分が上がるんじゃなくて、他人を落とせばいいんだ。

 

 嫌がらせをされる側ではなくする側になればいい。

 自分より弱い者を攻撃し、嘲笑し、派閥の威を借って成果を得る。試してみるとそれはとても楽しかった。これが貴族だと理解した。

 積極的に媚びるようになってからは上役から守ってもらえるようになり、そこそこの成績で学園を卒業。しかも、王国の宰相を務めるシルヴェストル公爵の屋敷で働けるという栄誉を手に入れることができた。

 

『もしかしたら公爵の第二夫人に……? それとも、ご子息のお相手になれるかも……!』

 

 しかし、ジゼルを待っていたのは理想とはほど遠い現実だった。

 

『ねえ、あなた。お腹が空いたから何か食べる物を持ってきてちょうだい』

 

 リディアーヌ・シルヴェストル。

 公爵令嬢だというだけで偉そうにする愚かな子供。彼女は他の仕事中であろうと関係なく用を言いつけてきて、その上、仕事ぶりが少しでも気に入らなければ文句を言う。ベテランのメイドに言いつけても「可哀そうな方なの」と流される。

 期待した公爵や長男・アランの世話役は回ってこない。それならせめて次女のシャルロットを世話したかったが、それも公爵夫人からの許しが出なかった。

 仕事を覚えるのに四苦八苦しながらリディアーヌの我が儘に振り回される日々。うんざりしたジゼルは強硬手段に出る。露見しにくい「毒にもなる薬」を苦労して調達し、令嬢の食事やお茶に少しずつ混ぜた。

 少し苦しめばいい、くらいのつもりだったが思いのほか効いたので、いっそこのまま死んでくれればと思った。なのにリディアーヌは死なず、回復したと思ったら人が変わったようになった。

 

『あなたたちの名前、聞いてもいいかしら?』

 

 名前を覚えられていなかったことよりも、今更名前を聞かれた事に腹が立った。

 苛立ったジゼルは後輩──家柄も年齢も経験も魔力も自分より下のアンナに仕事を押し付けた。これ以上関わりたくなかったからだ。

 しかし、それからのリディアーヌは嘘のように優秀さを見せるようになった。

 使えると思った。

 幸い投薬の件もバレていないようだったし、彼女に取り入って重用して貰えばいい。そうすれば公爵令嬢の庇護が受けられる。

 そう思った矢先、あろうことかアンナが、リディアーヌの専属に指名された。

 

 ありえない。

 あいつには常識が通じない。あいつのせいで全てが狂った。あいつさえいなければこうはならなかった。上手く行っていたのに。せっかく苦労して()()()を学んだのに。

 ()()()でさえ自分とリディアーヌを比較してリディアーヌを選んだ。

 学園では上手く行っていたのに。

 

「そうだ」

 

 面会室の扉が開き、若い騎士に導かれるように一人の令嬢が入ってくる。深紅の髪と瞳を持った美しい少女。その傍には忌々しい後輩が控えていた。

 

「リディアーヌ・シルヴェストル。全部お前のせいだ。お前が全部悪いんだ」

 

 ジゼルは、もしかしたら主になるかもしれなかった相手──今となっては憎悪しか感じないその少女を、きっ、と強く睨みつけた。



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屋敷内の悪意 5

 前世の記憶を取り戻してから初めての「お出かけ」先は騎士団の詰め所になった。

 

『もう! このところ全然羽根を伸ばせていないわ!』

 

 死にかけて、勉強して、また死にかけて……考えてみるとろくな目に遭ってない。

 アンナの手を借りて馬車を降りた俺は、陽光を一度見上げてから騎士団の詰め所へ入った。同行してくれた両親には面会室の前で待っていてもらう。ジゼルと直接話したい、と無理を言って了承してもらった。

 纏うのは漆黒ベースの外出用ドレス。

 敢えてだめになったドレスに近いものを選んだ。喪服を連想させることで「殺せなくて残念だったな」と伝える意図もある。

 

「拘束は行っておりますが、念のため捕虜に近づきすぎないようご注意を」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 護衛兼ジゼルの監視として騎士が二人、それから会話の記録係が立ち会う。

 外にいる両親にも話の内容自体は聞こえるだろう。

 

「久しぶりね。元気にしていた? ……わたしは見ての通りだけれど」

 

 捕まってから今日で三日目だったか。

 小さなテーブル越しに対面したジゼルは少し疲れた様子だった。風呂にも入っていないからか髪は艶が消えてしまっている。それでいて目だけはギラギラしており、会うなり俺を睨みつけてくる。

 

「なんで死んでないのよ!? 十分な量を盛ってやったのに」

「さあ、どうしてかしら。運が良かったからじゃない?」

「ふざけるな! ……くそっ、こんな事なら直接殺せば良かった!」

 

 殺さなかったのではなく殺せなかっただけだろうに。

 毒殺を選んだのは騒がれたら厄介だから。部屋の前に警備兵が立っていたから暴力沙汰は躊躇する。本格的な毒を選ばなかったのはバレるのを恐れたから。

 あまりにも酷い物言いに冷ややかな感情を抱いていると、アンナが進み出て声を上げた。

 

「ふざけているのは先輩の方です! 人の命をなんだと思っているんですか!?」

「……はっ」

 

 ジゼルは一瞬目を丸くしたものの、すぐに冷笑を浮かべた。

 

「私達をさんざんこき使ったと思ったら急に人が変わったみたいになって、じゃあ取り入ってやろうかと思ったらその前にあんたみたいなのを専属にして! そのあんたを遠ざけたのに全然私を気に入ってくれない! それどころか私を疑ってくるような奴、死んで当然でしょ!?」

「なるほど。それが理由だったのね」

 

 俺が聞きたかったのはまさに犯行動機(それ)だ。

 推測はできた。しかし、本当の理由は聞かなければわからない。一縷の望みなんて言うほどではないが、どうしても確かめておきたかった。

 確かに可哀想な部分もある。巡り合わせも良くなかった。後輩が重用された焦りもあっただろう。

 だけど。

 俺はジゼルを真っすぐに見つめる。八歳の小娘なんて普通なら怖くないはずだが、殺し損ねた相手だからか、ジゼルはびくっと身を震えさせた。

 

「ジゼル。あなたがこうなったのは、全部あなた自身のせいよ」

「……っ!?」

 

 紺色の瞳に強い光が宿る。

 手枷を嵌められた両腕が暴れ、蹴り上げようと持ち上げた足が重りによって引き戻される。メイド程度の筋力では何もできない。

 次いでジゼルが選択したのは身体を介さない攻撃だった。交わされた視線を通じ、どろどろとした魔力が流れ込んできて俺の心に触れる。これが心に影響する魔法なのだろう。しかし、それは僅かな悪寒だけを俺に残して何の影響も出すことなく消失する。

 魔力を有する人間は魔法への抵抗力を持つらしい。また、心の魔法は本人の意に沿わない内容ほどかかりにくい。ジゼルが平民相手に半端な命令を実行させたのはそれが理由だ。

 ここで騎士が動き、ジゼルの身体を床に伏せさせる。顔だけを上げてなおも睨みつけてくる彼女を俺は見返して、

 

「わたしが死にかけたのもわたし自身のせい。確かにわたしは嫌な子供だった。だから変わろうと思った。二度目の毒殺だって不注意が原因だしね。いい勉強をさせてもらったわ」

 

 でもね、と、僅かな間を置いて、

 

「そんなわたしにアンナは優しくしてくれた。人に仕事を押し付けたりしないで、むしろ熱意を持って仕事に取り組んでいた。アンナを選んであなたを選ばなかったのはそれが理由よ」

「違う! お前さえいなければ、お前があそこで死んでいれば!」

 

 確かに。一回目で死んでいれば、俺はきっと病死として処理された。

 毒殺の可能性があったとしても確証は得られない。セレスティーヌなら真相を突き止めた上で捨て置いたかもしれない。

 俺は頷いて、笑った。

 

「残念。運が悪かったわね?」

「殺してやる! 殺してやるっ!! リディアーヌ・シルヴェストル!!」

 

 ジゼルの眼前に水でできた針が複数本生成され、それが見る間に氷へ変わる。射出された鋭利な針は騎士の腕に阻まれ、金属の籠手を貫けずに砕け散った。再度、今度は倍の数の針が生み出されるも、それが放たれる前に、だん! と、室内に強い衝撃音が響いた。

 俺を守ったのとは別の騎士がジゼルの顔を石の床へ叩きつけたのだ。

 

「……余計なことをすればその分だけ罪が重くなるぞ」

「っ、あははっ! どうせ死刑なんだから同じことでしょうに!」

「シルヴェストル公爵令嬢、あまり罪人を刺激されませんよう」

 

 静かな忠告に俺は「申し訳ありません」と頭を下げてから、俺は騎士へ尋ねた。

 

「ジゼルは死刑になるのですか?」

「刑はまだ確定しておりません。先の攻撃も含め、罪状を列挙した上で判断されることでしょう。……もっとも、公爵令嬢の毒殺を企てた時点で死刑が妥当でしょうが」

「そう、ですか」

 

 唇から漏れたのは平坦な相槌。死刑と聞かされて俺が思ったのは「ああ、そうなんだ」だった。殺されかけた怒りはある。知り合いが死ぬという喪失感、可哀そうだという想いもある。その一方でただ冷静に「ジゼルはそれだけのことをしたのだ」と認識している自分がいる。

 立場と状況が違うとこうも変わるものか。

 前世でもジゼルみたいな人間はたくさん見た。彼女たちも人を騙し、利用し、時には理不尽な恨みをぶつけていたが、はっきりと悪と断じられた者はほとんどいなかった。

 悪い女が悪いと認められ、報いを受けることもあるのだと、当たり前の実感をようやく抱くことができた。

 

『本当に当たり前ね。まあ、わたしだって人のことは言えないわけだけど……』

 

 めぐり合わせが違えば、ジゼルの立場に俺がいたかもしれない。

 悪いことはしてはいないのだとあらためて思う。その上で、ジゼルはこれでいいのだろうか? と疑問に思った。

 別に俺は善人ではない。俺を殺そうとした奴なんて死んでも別に構わない。ただ、なんとなく座りが悪い。自分のせいで人が死ぬのが嫌だというだけかもしれないが。

 

「公爵家には相応の賠償金が支払われるでしょう。その請求は彼女の実家へ送られます。支払いきれなければ借金を課すか、家自体が取り潰しになります」

「いい気味だわ。お父様やお兄様達が私のために苦労するなんて。ああ、お姉様の嫁ぎ先にまで影響が出たら最高。賠償金はできるだけ多めでお願いできないかしら」

 

 元メイド、現犯罪者の女はけらけらと壊れたように笑っていた。

 見るに堪えない。魔法なんかよりもよっぽど精神が汚染されそうだ。立ち合い人に過ぎない騎士たちでさえもあらかさまに顔をしかめる。

 

「……ご令嬢。刑罰の多寡は公爵家の意向にも考慮されます。どうか公爵様へお伝えくださいますよう」

「あら? お優しいお嬢様がご両親にお願いして、私の命を助けてくれたりするのかしら? ……ああ、どうかお助けくださいリディアーヌお嬢様。ほんの出来心だったんです。これからは心を入れ替えて働きますので許してください、なーんて」

「リディアーヌ様、もう行きましょう」

 

 アンナはいつの間にか完全に涙ぐんでいた。

 怒りや悲しみが押し寄せてきてどうしようもなくなったのだろう。必死に涙を拭いながら服の袖を引く彼女をそっと支えながら、最後に少しだけメイドに──いや、元メイドに意地悪をする。

 すっと向けた指の先から火の粉が舞い、一羽の蝶となる。

 火の粉の鱗粉を散らしながら羽ばたき始める蝶を見て、ジゼルが目を見開く。

 

「な、何よそれ!? どうしてあんたがもう魔法を!?」

「言ったでしょう? 運が悪かったわね、って」

 

 一直線に飛んでいく蝶。

 悲鳴を上げて暴れる罪人を、騎士は困惑げな表情を浮かべながらそれでも押さえつけていた。上位者から下位者へ、被害者から加害者への私刑はある程度見逃されるらしい。もっとも、小さな蝶が一羽留まった程度ではその部分が軽く火傷する程度だろうが。

 ()()が目の前まで飛んで来るのはかなりの恐怖だったかもしれない。

 蝶は、ジゼルに触れることなく空気に溶け、消えた。

 

「本当にやると思った? 残念。お母さまの魔法を穢したくないし、それに、一羽だけ舞わせてもつまらないものね」

 

 言うだけ言って面会室を後にする。

 外に出るとすぐ、俺は冷気と熱気を同時に感じた。表情を保ったままプレッシャーを放つセレスティーヌと、今にも壁を殴りつけそうな父。特に父の方は怒りが収まらないようで、帰りの馬車が走り出した途端に吐き捨てるように文句を言い始めた。

 

「愚か者が! いっそ私が斬り捨ててやりたかった!」

「お、お父さま。お気持ちはわかりますが、それはさすがに問題になります」

「リディアーヌの言う通りです、旦那様。被った心労の分、賠償金に色をつけていただけば済む話ではありませんか」

 

 いや、セレスティーヌの言っていることも相当ひどい。

 損害賠償を迷惑料込みでたっぷり払ってもらうからな、とかどこの悪者だって感じである。

 もちろん、切り裂かれたドレスの代金、新しいメイドを雇って教育するための手間賃、俺の治療にかかった諸経費、割れたカップの代金、盗まれた品を買い戻す(あるいは新しい物を買う)費用等を請求するのは当たり前。

 賠償額はそのまま罪の重さをも表すが、本人が死刑では支払うのは実家だ。

 

 なんとなく、すっきりしない。

 

 一族に連帯責任を科す意味はわかる。子供の罪が家族の罪になるならば教育・躾けはより徹底される。苦境に立つ家を目の当たりにした他家もまた自分たちの身の振り方を改めるだろう。

 でも、どうせなら、

 

「お父さま、お養母さま。賠償金を本人に負わせることはできないでしょうか?」

「本人に? あの者は死刑が当然だ。個人の資産もたかが知れているだろうし、とても払いきることはできないぞ」

 

 内定段階とはいえ俺は王子の婚約者だ。王家への叛意ありとみなされ家族が連座となってもおかしくないくらいだという。

 

「でしたらなおさら死刑ではなく、一生かけて償わせてはいかがでしょうか」

「あの女の平民降格は確実だ。性根の腐ったあやつを生かしておけば当家が逆恨みを受けかねん。それに、女が身一つで稼げる額ではなかろう」

「だからこそです。賠償金は一度実家に払っていただき、ジゼルにはそれを借金として背負わせます。こうすれば、実家は銅貨一枚でも払わせようと躍起になるでしょう?」

 

 当然、ジゼルが何かしでかせば今度こそお家取り潰しの危機だ。必要のある時以外は監禁レベルの扱いでも何らおかしくはない。

 ここでセレスティーヌが「なるほど」と頷いた。

 

「家族さえも敵に回しながら一生をかけて償うことは死よりも重い罰、ということですね。助命する以上、賠償金の増額など何らかの調整は必要になるでしょうけれど」

「無論、自害すれば支払いからは逃れられるが、その場合は『死をもって罪を償った貴族』ではなく『罰から逃れた死を選んだ罪人』となるわけか。……考えようによってはなかなかに酷だな」

「それでも命は助かります。死にたくないと思えば縋りつくでしょう。死んだ方がマシだと自ら命を絶つのであれば、その時はもう、わたしの知ったことではありません」

 

 しばし、全員が黙り込んだ。

 馬の足音、車輪の立てるがたごとという音だけが響き、

 

「慈悲深い公爵家の長女は己の命を狙った使用人に対しても寛大な処置を望んだ。元使用人は命を救われる代わりに重い借金を背負い、子爵は彼女の監督を徹底しなければならない。……単純な減刑ではなく賠償金の追加と合わせて嘆願することで、減刑という印象を回避しながらリディアーヌの存在を主張できるかもしれませんね」

「……そうだな。悪くない。八歳にして元使用人の死を望んだ無慈悲な令嬢、などという風評をリディに背負わせたくはない」

 

 両親は俺の意見を考慮すると言ってくれた。

 もちろん、要望はあくまで要望であって必ず通るとは限らない。それでも父は宰相という立場であり国王にすら顔が利く。無茶な願いでない以上は十中八九通ることが予想された。

 これにはアンナもほっとしたようで、

 

「リディアーヌ様は、ジゼル先輩を助けようとしてくれたんですよね?」

「……そうね。擁護の余地があるのなら、その方がいいと思っていたわ」

 

 俺は言葉を濁しつつそう答えるのが精いっぱいだった。

 慈悲深いなんて嘘だ。俺はただ甘かっただけ。同じことが次に起これば、きっと俺は容赦なく相手に罪を突きつける。改心の余地など考えずにそれを償わせようとするだろう。

 

 

 

 

「リディアーヌ」

「お姉様」

 

 屋敷に戻ると、アランとシャルロットが玄関まで迎えに来てくれた。二人とも心配してくれていたようなので、無事に話が終わったことを伝える。安心したような表情。これで、俺が倒れたことに端を発する一連の事件はひとまず解決と言っていいだろう。

 と、そこでセレスティーヌが俺を呼び留めた。

 

「リディアーヌ」

「? なんでしょう、お養母さま」

 

 振り返った俺は、その場にしゃがみ込んだセレスティーヌにふわり、と抱きしめられた。

 

「……え?」

 

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 百合の花か何かの香り。ぎゅっと抱き寄せられ、俺の小さな身体が養母の身体へ服越しに触れる。なんだこれ。貴族は親子であってもあまり身体的接触を行わない。まして、俺がこの養母に抱きしめられるなんて、下手をしたら初めてのことだ。

 混乱したまま俺が硬直していると、耳元で優しげな声がする。

 

「よく頑張りましたね。あなたが生きていてくれてよかった」

『な、なによそれ! 騙されないで! 絶対何か裏があるんだから!』

 

 内心では反抗的な想いもあったが、一方で無意識の部分からは切ない想いがこみ上げてくる。

 実母アデライドとは匂いも感触も違う。それでも、母親に相当する存在から抱きしめられたのは数年ぶりのこと。八歳に過ぎないリディアーヌにとっては永遠とも呼べる長さであり──瞳からは涙がこぼれ落ちた。

 アンナから抱きしめられた時も嬉しかったが、彼女との関係はせいぜい姉妹だ。大人の女性に、母に抱きしめられるのはまた別の感慨がある。

 とはいえ恥ずかしいし、素直に嬉しいと認めたくもない。

 

「お養母さま。わたしは、あなたが嫌いです」

 

 俺はセレスティーヌの胸に顔を埋めると、涙と上ずった声を隠した。

 

「ええ、そうでしょうね」

 

 二人目の母は「知っています」とばかりに答え、その手のひらで俺の紅の髪を優しく撫でて、

 

「それでも構いません。それでも、貴女と私は母娘なのですから」

 

 血の繋がらない母娘の抱擁はしばらくの間続けられた。

 当然、その姿は兄妹にも見られていた。顔を上げた時にはさっと目を逸らされてしまったので俺は気づくことができなかったが──俺の養母の抱擁を、義妹は目を丸く見開いたまま複雑な表情で見つめていた。



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閑話
公爵令嬢の休日


『やり方を変えただけよ! あの女は変わらず性悪だわ』

 

 あの後。

 抱きしめて褒められたくらいで「お養母さま大好き!」となるかといえば、もちろんそうはならなかった。

 今まで遠ざけられていたことに違いはない。

 優しくなったのは俺が有用だと判断したからだろう。セレスティーヌがどこまで知っていて何を狙っていたのかはわからない。ただ、兄妹の前で娘だと宣言したのは、これからはアランたちと同等に扱うという意思表示と見ていいはずだ。

 そして実際、その日から俺たちの距離は近づいた。

 

 

 

 

 うららかな日差しが降り注ぐ午後、公爵家の庭にある東屋に紅茶の香りが漂っていた。

 円形のテーブルにはお菓子や軽食の載ったスタンドと、人数分のティーカップ。四方に配置された椅子にはそれぞれ家族が腰かけている。

 当主である父は多忙を理由に不参加。当人は妻や子供と交流を持ちたがっているものの、甘い物があまり得意でないためお茶会にはあまり寄り付かない。

 そういう俺も諸事情からしばらく参加していなかったのだが──。

 

「リディアーヌが参加してくれるのはいつ以来でしょうか」

「そうですね。こうしてお茶を楽しむのも随分久しぶりな気がします」

「お姉様が参加してくださって嬉しいです。最近はお母さまと二人のこともありましたから」

 

 今回はセレスティーヌのたっての希望ということで参加を表明した。

 席順は時計回りに養母、シャルロット、俺、アラン。一番顔を合わせやすい位置に指定され、のっけから声をかけられるという時点でこれまでのお茶会とは違っている。

 穏便に話を合わせれば、シャルロットも明るく声を弾ませた。ここだけ見ると華やかな女子会である。実際は義妹以外、腹に思惑を抱えているわけだが。

 

「母上。僕は不参加でも良かったのでは」

 

 姉妹に養母。給仕として控える複数人のメイドに囲まれた黒一点のアランはどうにも居心地が悪そうだ。

 十歳ともなれば性差にも意識が向き始める頃。

 後継者教育も既に始まっているため、女子に交じって遊ぶのは恥ずかしいのだろう。男には男の流儀があるのだ。

 しかし、そんなアランをセレスティーヌはやんわりと窘める。

 

「あら。お茶会に慣れることも勉強のうちですよ。年頃になれば女性からお茶に誘われることもあるでしょう?」

「確かに、それは慣れないと大変そうですね」

 

 苦笑しつつも頷く兄。父に似た深い色の瞳が「大丈夫かい?」とばかりにこちらへ向けられてくる。

 俺はくすりと笑って「お兄さまこそ」と仕草だけで答えた。

 

「公爵家に相応しい結婚相手が見つかるといいですね、お兄さま」

「自分は決まっているからって肩の力を抜くつもりかい、リディ?」

「リディアーヌはその分、相応しいと思われる努力をしなければなりませんよ」

「責任重大ですね」

「お姉様でしたらきっと、そつなくこなしてしまうと思います」

 

 今日はジゼルとの面会を終えてから最初の休日。

 病床から復帰したと思ったらまた寝込むことになった俺には貴重な休息である。勉強が滞っているのに全く羽根を伸ばせていない。やけ酒というわけにはいかないので、せめてお菓子くらいは楽しませてもらわないとやってられない。

 前世でも甘い物は好きな方だったが、今は女子の習性かはたまた単に好みの問題か、余計に甘味を美味しく感じている。

 かといって我が儘放題だった頃は食事に支障をきたすほどだったので明らかにやりすぎて──『なによ! そのくらいいいじゃない!』。

 

 大きな白いテーブルの上にはアフタヌーンティー用のスタンドが用意され、そこにスコーンやチョコレート、サンドイッチなどがたっぷりと載せられている。基本的に下から取るといったルールはあるものの、好きなだけ食べ放題である。

 ちなみに食べたい物は自分で取るのではなく使用人に取ってもらうのはマナー。アンナが「どれにしましょう?」と楽しそうに皿へ取ってくれた。いっそのこと一緒に食べたいくらいだが、さすがにそういうわけにはいかない。

 

「リディアーヌ。チェスの練習は続けているのですか?」

「ええ。殿下からもお見舞いの品とお手紙をいただいてしまいましたし、怠けるわけにはまいりません」

 

 リオネルから贈られてきたのは「これでも食べて元気を出せ」といった感じの、まるまる太った鶏だった。幸い、生きたまま運ばれてきたので、回復して食欲が戻った後に美味しくいただいた。

 この国(この世界?)の食文化は十分に発達していて、サンドイッチもフライドチキンもシチューもグラタンも、ハンバーグだって存在している。実に都合のいい話で、お陰でそこまで食に不自由はしていない。欲を言えば日本食や中華やカレーがないことだが、さすがにそれは望み過ぎだ。どうしても食べたくなったらシェフに相談して自力開発を試みようと思う。

 話が逸れたが、リオネルのところへも近日中に訪問する予定だ。公爵令嬢と王子なので、会いに行くにも互いに予定を合わせたりで結構大変だったりする。

 

「お兄さまもチェスの勉強をされているのでしょう?」

「ああ。男子はお茶会の代わりにチェスや狩りをするものだからね」

 

 付き合いのためにもある程度の腕前が必要、というわけである。チェスは令嬢にとっても教養の一つだが、女子の場合は「最低限ゲームが成立していればOK」程度なのに対し、男子だと「チェスが下手な奴は頭の出来も大したことない」くらいの厳しさになる。

 

「リディも練習しているなら、今度対局しようか」

「いいですね、是非」

「そ、それなら私もお二人と一緒にチェスがしたいです!」

 

 シャルロットが可愛らしく参加を表明したため、三人で練習をすることになった。普段は食事の時くらいしか顔を合わせないが、どうせならこういう交流も必要だろう。時間を捻出するためにもより一層、勉強を頑張らないといけない。

 

「ところで、お姉様達は普段どのような勉強をされているのですか?」

「わたしはシャルロットとあまり変わらないんじゃないかしら」

 

 教師の大部分が同じ人だし、歳が違うだけでカリキュラムに大差はない。

 強いて言えば王族との婚約が決定した関係で宮廷関係の知識を先取りして詰め込まれていることくらいか。

 一方、男であるアランの授業内容はかなり違った。ダンスや礼儀作法は当然男性用だし、アランは既に魔法の練習も始めている。それから宰相の仕事に関する予習に加え、男子の嗜みとして剣の稽古なども盛り込まれているらしい。

 宰相である父も身体を鍛えているように、剣術は貴族男性にとって必修科目。

 騎士になったりしない限り戦う機会はそうそうないが、いざという時に自衛できるようにするためにも公の場において成人男性は帯剣するのが基本だ。

 

「剣術ですか。……格好良さそうで憧れますね」

「リディ。それはひょっとして、自分でも習いたいという意味かい?」

「そうなのですか、お姉様?」

「リディアーヌ。貴女の場合は他に学ぶべきことがたくさんあるでしょう?」

 

 はっきりと何か言う前に総出で「何言ってるんだお前」と言われてしまった。

 

「で、ですが、自衛のためなら女性も覚えた方がいいではありませんか」

「ドレス姿のまま帯剣するのは難しいですし、剣を握って指が太くなっては男性に嫌われるかもしれません。学ぶにしても身体が出来上がった後、嗜み程度にするべきでしょう」

 

 騎士団には少数ながら女性がいて要人護衛に役立っているが、それはあくまでも例外。

 公の場において婦人は男性に守られるのが当たり前だという。まあ、身体能力からして劣っているのだから妥当ではある。

 剣術にはそこはかとないロマンを感じたのだが、少なくとも成長するまではお預けされてしまった。これは成長したらしたで「はしたない」とか止められそうな気がする。

 

「ところで、お養母さま。魔法の勉強はまだ始められそうにはありませんか?」

 

 魔法で体温調節する、という荒業を用いてジゼルの毒を乗り切った俺。

 晴れて魔法を使えるようになったのだが、練習については「危険だから」と禁じられているのが現状だ。アンナを教師としたのはあくまで非常手段。本格的に学ぶのであればきちんとした教師に依頼しなければならない、というのがセレスティーヌの言い分である。

 既にアランが師事しているのでは、と思ったが、属性──得意な魔法に応じて教え方も変わってくるので、俺とアランでは別の教師が必要らしい。

 しかし、どうせなら早く練習したい。

 昼間、照明の魔道具を意味もなく点灯させてみたりして感覚の維持には努めているが、魔道具の扱いは自由に魔法を使うのとは少し気分が違う。

 

「ええ。伝手をあたっている最中です。すみませんが、もう少し待ってください」

「そうですか……わかりました」

 

 あっさりとした返答に俺は仕方なく引き下がる。

 セレスティーヌがどんな教師を見つけてくるかで彼女の狙いも少しは読めるかもしれない。

 

 

 

 

 お茶のお代わりを何度か挟み、用意されたお菓子がだいぶ少なくなったところでお茶会はお開きとなった。家族たちはそれぞれに使用人を伴って立ち上がり、俺もまたアンナと共に東屋を離れる。せっかくなので少し散歩していこうと思い、遠回りする道を選んだ。

 ついでに世間話としてさっきの話を続けてみる。

 

「魔法の勉強ってそんなに属性が大事なのかしら?」

「えっと……そうですね。魔法の使い方というよりは性格の問題かもしれません」

「どういうこと?」

「なんでも、得意な属性が同じだと性格が似通ることが多いらしいです」

 

 尋ねられたアンナは少し考えるようにしながら俺に教えてくれた。

 

「例えば、アラン様は公爵様と同じで土の属性ですよね? 土属性を持つ方は穏やかで堅実な性格であることが多いそうです」

「なるほどね。お父さまとお兄さまにぴったりだわ。……じゃあ、アンナの水属性は?」

「え? ええと、その、清らかで柔軟な性質を持つことが多いとか……」

「ぴったりじゃない」

 

 笑顔で見上げると、アンナは「恥ずかしいです」と目を背けてしまった。

 くすくす笑いながら、俺は火属性について尋ねるのを止めた。聞かなくてもだいたいわかる。まあ、そうすると優しかった俺の母が火属性なのが「?」なのだが、要は血液型とか星座みたいなもので、必ず当てはまるわけではないのだろう。

 

「ですから、同じ属性の方が魔法を教えやすいんだそうです」

「そう言われると納得するしかないかもね」

 

 ちなみにセレスティーヌは光の属性らしい。似合わない気もするが、この「光」は神聖という意味ではなく文字通りの光だ。光のない状態、すなわち闇も司っているので──うん、案外似合っている。

 うんうんと勝手に頷いていると、注意散漫になっていたせいで、とん、と、向こうから来た誰かにぶつかってしまった。

 

「ごめんなさい、前を見ていなかったから……」

「いや、こっちこそ申し訳──ああ、なんだお嬢様か。散歩かい?」

「ヤンさん、ごきげんよう。ええ、お茶を飲んだ帰りに少しね」

 

 相手が俺だと分かった途端、丁寧な口調を崩した人物は、屋敷で庭師をしているヤンだ。初老と言っていい年齢だが足腰はしっかりしており、職人らしく頑固なところと、気に入ったものに入れ込む性質がある。

 普段は厳めしい顔に笑顔を浮かべ、彼はしゃがんで頭をわしわしと撫でてきた。

 

「そうかそうか。いや、しかし、日に日にアデライド様に似て来るなあ。このまま美人に育つんだぞ」

「もう、ヤンさん。いつもそればかり言っているわ」

「はっはっは! 悪い悪い。お嬢様はアデライド様によく似ているが、性格の方はじゃじゃ馬だからなあ」

「あ、あの、ヤンさん。リディアーヌ様に手荒な真似はあまり……」

 

 俺たちの傍でアンナがおろおろとしている。ヤンは平民。普通なら公爵家の長女にこんな真似はしないのだが、

 

「いいのよ、アンナ。この方がわたしも話しやすいもの」

「いい性格になったなあ、お嬢様。生意気なのは相変わらずみたいだが」

「ありがとう。ヤンさんこそ、レディの扱いを勉強した方がいいんじゃないかしら?」

 

 当の俺が許していること、俺の母が存命だった頃からの古株であることなどからこうした振る舞いを許されている。

 俺としては母を知っている人間との会話は貴重だし、男と気兼ねなく会話するのも楽しい。自分はお嬢様らしくしないといけないのは不満だが、セレスティーヌとの会話のように言葉の裏を読まなくていいだけでかなり気楽なのだ。

 ヤンとは母が亡くなってから疎遠になっていたものの、前世の記憶を取り戻し、庭を散歩するようになってからまた仲良くなった。母、アデライドのことを大変気に入っていたらしく、その娘であり母親似の俺のことも可愛がってくれている。

 

「ヤンさんは植え込みの剪定をしていたのかしら」

「ああ。見ていくかい? なかなかの自信作だ」

「ええ、是非見せてちょうだい」

 

 せっかくの休日。俺たちはしばし、ヤンの話に付き合いながら彼の作品をのんびり眺めた。



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第一章:カウンター悪役令嬢への道
公爵家のお仕事と公爵令嬢


「おはようございます、リディアーヌ様!」

「おはよう、アンナ。今日は一段と気合いが入っているのね」

「もちろんです。だって、採寸ですから!」

 

 お茶会から三日が経った週の中日。

 通常なら行われるはずの授業は全て休みとなり、代わりに大きな予定が入っている。アンナなどは前の日から楽しみにしており、当日の朝に起こしにきた時にはもう満面の笑顔だった。

 反対に俺は少々憂鬱な気分。

 可能なら逃げ出したいと思いながら身支度を済ませ、ドレスに着替える。今日に限っては好みや気分動きよりも脱ぎ着のしやすさが重要であり、前もって纏う衣装を決めてあった。

 着替えが終わったら普段よりもやや早い時間に食堂へと向かう。

 

「おはようございます、お父さま」

「おはよう、リディ。なんだかんだ言いながらやる気じゃないか。やっぱり女の子は装うのが好きなんだな」

 

 父に挨拶をしたら不本意なことを言われた。そんな風に見えるだろうか、と、アランに視線を送ると苦笑を返されてしまう。

 

「お父さまもお兄さまもひどいです。わたしの都合で迷惑をかけられない、と、気を張った結果だというのに」

「いやいや、やる気があるのは悪いことじゃないぞ? 我が家の娘としてお洒落は大事だ」 

 

 今日は季節に一度行われる採寸。業者──贔屓にしている商会と、商会が抱える職人たちが屋敷にやってきて新しい服や装飾品のための相談を行う日だ。

 季節一つ分をいっぺんに注文するので人も時間もたくさん必要になる。それでも業者を何度も呼びつけるよりはマシ。足りない分は後から買い足すこともできるが、基本的にはここが大きな勝負となる。

 採寸に参加するセレスティーヌとシャルロットも普段より地味めの衣装を纏い、早めに食堂へと到着している。傍に控えるメイドたちもどこか熱気を放っているような気がした。

 

「お兄さまたちは気楽でいいですね。わたしもそっちに交ざりたいです」

「男の服は選びやすいからね。リディアーヌは気兼ねなく楽しんでくるといいよ」

 

 父と兄はこの採寸には参加しない。別日に少人数でささっとサイズを計測し、御用達の職人にさらっと要望を伝えて終わりらしい。男の服なんてそんなものである。無難な色と無難なデザインでも特に問題ない。ある程度歳が行くと好みもあまり変化しなくなるし。

 早めに食事を済ませようとする女性陣に対し、出勤時間まで余裕のある父は穏やかに笑って、

 

「公爵家にとって服飾は重要だ。遠慮せず欲しい服を注文するように」

「かしこまりました、お父さま」

 

 父が言ったことは公爵家の領地とその産業に関係がある。

 我が家の本家筋は王都に屋敷を構えて生活しているが、その一方で、王都から馬車で三日はかかる距離に広い領地を持っている。

 主産業は綿花の栽培、および羊の飼育。

 国内で作られる服の多くが公爵領で生産した綿と羊毛、皮を材料としている。そのため、服飾系の商家や工房とは繋がりが深く、服の売れ行きが家の名声・財政にも関わってくる。公爵家の女がどんな衣装を纏うかによって流行が動くことさえ珍しくないらしい。

 ちなみに公爵領の運営は分家筋が行っており、セレスティーヌはもともと父の従兄弟──つまり俺の親戚に嫁いだ女性だったらしい。

 

「でも、お父さま? 実は心の中で『女の買い物は長いからな』って、うんざりしていたりはしない?」

「な。……いや、ははは。そんなことはないぞ?」

「旦那様?」

「な、ないと言っているだろう、セレスティーヌ」

 

 俺も公爵家の女としてお洒落には手を抜けないらしい。

 楽で羨ましいので少しばかり父に意地悪をしてしまった。まあ、ファッションセンスに関しては俺の女性部分に任せた方がいいだろう。金に糸目を付けず、女の子らしい奔放さで服を買いこんでいたという意味では、以前のリディアーヌ・シルヴェストルは優秀だった。

 まあ、別に二重人格というわけではないので、女の本能を解放した分だけ男の理性が揺さぶられるのも事実なのだが。

 

 

 

 

「この度はご用命、誠にありがとうございます。再びお目にかかれましたことを大変嬉しく存じます」

「貴女方の腕は信頼しています。前回のドレスも見事でした。今回も私達の目を楽しませてくれることと期待しておりますね」

 

 朝食を終えて一休みしたところで、俺たちは大広間にて御用達の商人・職人様ご一行様を出迎えた。

 我が家からはセレスティーヌ、俺、シャルロットにそれぞれの専属、応援に駆り出された一般のメイドたち。相手方は値段交渉やアクセサリーの抱き合わせ販売──もとい提案をしてくれる商人に服のデザイン画を描くための絵師、採寸および技術的な相談をするための職人たち。

 商人には男が多いものの、それ以外はほぼ全員が女性。広間にはなんとも華やかで、ある種不思議なムードが広がっている。

 

「今回は秋用のご注文ということでよろしいでしょうか?」

「ええ。新しい技術やデザインなどがあればそれも教えていただきたいです」

 

 現在は春が後半へと差し掛かった頃。屋敷には夏用のドレスが着々と届いてクローゼットに収められていたりする。冬用だろうと夏用だろうとドレスには違いないのだが、生地の厚みや季節らしいデザインもあるし、流行は変わりゆくものなので同じ品をずっとは使えない。

 特に俺やシャルロットは育ちざかりなので成長に合わせたドレスが必要だ。去年の品で使える物は手直しするにせよ、結構な量が必要になる。

 

「では、さっそく採寸から始めさせていただきます」

 

 合図と共に広間から男たちが出ていく。

 商人にとっての本番は注文の大筋がまとまってからだ。待つ間、彼らの応対はメイド数名と執事が行うことになる。

 男子禁制になったところで廊下に繋がる扉が閉じられ、残ったメイドたちは採寸の手伝いをしたり休憩用の軽食を用意したりといった役割に回る。

 セレスティーヌ、シャルロットから少し離れて十名近い人に取り囲まれた俺はまず、アンナを中心としたメイドにドレスを脱がされた。人前で下着姿になるのは今に始まったことではない、が──。

 

「……綺麗」

「セレスティーヌ様の美貌はお代わりないようで。いえ、より一層美しくなられましたでしょうか」

「リディアーヌ様の紅の髪も惚れ惚れいたします」

「シャルロット様の髪は細い糸のようで、どこか儚げな美しさがありますね」

 

 これだけ大勢の人間に見られた上、感想まで述べられるとさすがに恥ずかしくなる。

 

『しゃんとしなさい。平民ごときに見られたからなんだっていうの。それに、当然のことを言われているだけじゃない』

 

 さすがの図太さである。

 脳内の声に苦笑したいのを堪えつつ、姿勢を伸ばしたままで微笑む。職人たちに舐められることは貴族としての沽券にもかかわる。

 

「ありがとう。わたしも、お母さま譲りのこの髪がとても気に入っているの」

 

 ここで、その場にいた多くの者が「おや?」という顔をした。何か珍しいものでも見るような視線が向けられてくる。そのうちの何割かは恐る恐るといった雰囲気がある。

 彼女たちは前の俺しか知らないからだ。

 お世辞を言っても「当然じゃない」とか言って胸を張らないし、「ぐずぐずしてないでさっさと採寸を始めなさい」とも言わないし、シャルロットを褒めても「わたしを蔑ろにした」と不機嫌にならない。

 何か雰囲気が違うようだと不思議がる彼女たちを、もうだいぶ慣れてきた屋敷のメイドたちが微笑ましげに見守る。

 

「では、お身体に触れさせていただきます」

「お手伝いいたします」

 

 アンナに支えられながら腕を上げたり下ろしたり、身体に回されるメジャーのくすぐったさに耐えたりする。合間に告げられる数字は記憶にあるものより大きくなっている。

 

「成長してるのね、わたし」

「順調に大きくなられていますよ」

「だいぶお痩せになられましたね。もう少しお肉をつけてもよろしいかと」

 

 前はお菓子の食べ過ぎで十分カロリーが足りていたが、食生活の改善に二度のダウンが重なって今はむしろ細すぎるくらいだ。風呂の時、アンナにもたまに指摘される。

 

「太るよりは痩せてる方がいいんじゃないかしら?」

 

 中三のクラスメートに栄養状態の良すぎる女子がいた。菓子やジュースが大好きな上、給食でも良く食べるので男女両方から低評価。

 高校時代、同窓会で会った彼女は別人になっていた。すらりとした美少女。どうしたのかと尋ねられると一言「頑張って痩せた」。

 つまり、いくら美少女でも太っていては可愛く見えない。

 

「リディアーヌ様は、美に対する関心が高いのですね」

「そうなのかしら? せっかくだから可愛くありたいとは思うけれど」

「でしたら、ドレスも見合ったものを身に付けましょう」

 

 美少女に美少女であって欲しいだけで着飾るのが好きなわけではないのだが、周囲の人間たちは俄然やる気を見せ始めた。まあ、売る側にとってはカモ、もとい上客である。ガンガン売り込みに来るのは当然だ。

 シャルロットはと見れば、彼女は楽しそうに服の好みについて語っていた。この家に来た時が五歳だった彼女にとってお洒落は当然なのだろう。控えめな性格なので買い過ぎたりはしないが、かといって変な遠慮をすることもなくこの場を楽しんでいる。

 セレスティーヌは採寸が少し長引いているようだった。素の状態だけでなくコルセット使用時の体型も測っているせいだ。紐で締め上げることでギリギリまでウエストを細く見せる下着の一種。メリハリのある体型の方が綺麗に見えるのは確かだし、養母は笑顔を崩していないが、あれは絶対に苦しい。

 

『あれは正直、わたしも着けたくないわね……』

 

 成長に支障が出るということで子供である俺やシャルロットはコルセットの着用を禁じられている。

 逆に言うと成長したら着けないといけないわけだ。

 

「大きくなるまでにコルセットが廃れてくれないかしら」

「確かに苦しいですけど、何度も使っていれば慣れますよ、リディアーヌ様」

「……アンナには悪いけど、慣れたくないわ」

「コルセットですか。そうですね……新しいデザインの流行が起こって、不使用のドレスも増えるかもしれません」

 

 職人が苦笑いを浮かべながら答えてくれる。現状だと子供服や妊娠している女性用というイメージで、普通にお洒落として用いるのは流行ではないらしい。運よく天才デザイナーが画期的な発明でもしてくれない限り、待っていてもほぼ無理ということだ。

 そもそも、女の衣装なんてだいたいウエストを締め付けている気がする。

 例えば着物だって帯を締める。俺の乏しい知識ではそもそも知っている種類自体が多くはない。お洒落は我慢、なんて文句も聞いたことがある。楽でありながらお洒落なんて服はそうそう──待てよ、チャイナドレスはウエストを絞らないんじゃなかったか。

 

「ねえ。こんな風に生地を縦に下ろすドレスは作れないかしら?」

 

 締め付けが少ない代わりに肌に沿うデザイン。これなら女性的なボディラインを見せることで綺麗に見えるのではないか。絵師から筆記用具(木炭を挟んで固定した簡易的な鉛筆のようなものだった)を借り、女性的な自分のセンスを借りて簡単なイメージを描いて見せると、

 

「これは、寝間着でしょうか?」

「その、少々煽情的すぎるのでは? 夫婦や恋人同士の夜であれば良いかもしれませんが……」

 

 だめか。

 前世における全く別の国の衣装だし、文化が様式が違うのだから「なんだこれ?」となって当然。特に足の露出が多いことに違和感を持つ者が多かった。

 そんなに上手くはいかないか、と頷いたところで職人の中から声が上がった。

 

「でしたら、下半身をふわりと広げてみてはいかがでしょう?」

「あなたは?」

「ナタリー・ロジェと申します。リディアーヌ・シルヴェストル公爵令嬢様」

 

 歳は二十歳くらいだろうか。淡い緑色の髪をアップに纏め、髪色より青みの強い瞳をまっすぐこちらへ向けている。目が合うと整った仕草でカーテシーの真似事。作業用のシンプルな服なのでスカートを持ち上げることはなかったが、ロジェという姓と合わせて彼女の出自がはっきりとわかった。

 平民の中に身を投じて職人を志した貴族の女性。

 

「腰回りを締め付けたくないのですよね? でしたら、スカートを大きく広げることで華やかな印象を強調すれば、コルセットのない違和感を軽減できるかと。スカートを重ね、スリットは一枚目だけに入れるといった方法もあります」

「なるほどね。……じゃあ、上半身も目立たせた方がいいかしら? いっそのこと飾りを盛ってみる?」

「良いと思います。上半身を肌に沿わせたデザインですので、シンプルにすれば女性的な起伏を引き立たせることも可能ですが、リディアーヌ様のお歳でしたらいっそのこと、これでもかと飾り立ててみても可愛らしいかと。とっておきの会で着ていただければ人目を惹くでしょう」

「ああ。わたしの身体はまだ起伏に乏しいものね」

 

 服飾が本当に好きなのだろう。

 貴族としての経験と固定観念に囚われない柔軟な発想から打てば響くような答えが返ってくる。ナタリーの意見を元に絵師が書き直したドレスは一見しただけでもとても豪華になった。

 ノースリーブのままなら涼しげだし、ドレス風の袖を加えれば秋用や冬用のデザインにもなる。これには、わあ、と、周囲から歓声が上がった。チャイナドレスっぽさはほぼ消えたが確かに可愛い。

 

「出したばかりの要望をこんなに鮮やかに修正できるものなのね」

 

 感心して呟くと、ナタリーは「恐縮です」と微笑んだ上で首を振った。

 

「ですが、実を言うと今のはこの場で考えたデザインではないのです。自分の中で温めていたものを流用しただけで」

 

 荷物から取り出して見せてくれたデザイン画には良く似た絵が描かれていた。あの早さに納得がいった一方で、それはそれで凄いとも思う。

 近くにいた職人が笑って、

 

「ナタリーは変わったデザインばかり書いては没を食らっているものね」

「今、役に立ったもの。無駄じゃないわ」

「職人仲間と仲が良いのね」

「ええ。生まれ育った環境の違う私を快く受け入れて対等に扱ってくれる、いい仲間です」

 

 晴れやかな笑顔。

 

「私はワンピースを元にデザインを考えていました。そのせいか少女らしさを消しきれなかったのですが、ノースリーブかつ肌に沿うデザインなら大人向けにも流用できるでしょう」

 

 なんとなくこちらまで笑顔を返したくなっていると、ナタリーはここでこちらを窺うような表情になって、

 

「生地をふんだんに使い、立体的な縫製を加えることになるのでおそらくお値段が張ってしまうのですが……ご検討いただけますか?」

「ああ。ちゃっかりそういうデザインにもなっているのね。……わかったわ。購入を前提に検討するから、まずはデザイン案を描いてもらえるかしら。お洒落のための出費ならお養母さまも文句は言わないでしょう」

「ありがとうございます、リディアーヌ様」

 

 せっかくなので「他にもデザインがあれば見せて欲しい」と頼み、色々と話し合った。

 お陰で終わった後、メイドから「彼女のパトロンになるのですか?」と聞かれた。そこまで考えていたわけではないのだが、このまま仕事を頼んでいくことになった場合、似たようなものになってしまうかもしれない。



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公爵家のお仕事と公爵令嬢 2

「新しいドレスのデザイン、か」

 

 王国宰相ジャン・シルヴェストルは手にしていた紙を机に置くと、少しぬるくなった茶を一気に飲み干した。

 向かいに座ったセレスティーヌがお代わりを注いでくれる。保存の魔法がかかったティーポットへ移しておいたものだ。二人で話をするため、使用人はお茶の用意の後で退室させてある。

 今日は仕事が長引き夕食に間に合わなかった。

 子供達は部屋へ引っ込んだ後。一目会いに行こうかと思えば、セレスティーヌに「私と二人ではご不満ですか?」と言われてしまう。

 夜の誘い──ではない。

 妻は髪を結ったままで、ジャンの隣にも座らなかった。夜着も肌を隠した清楚な品。差し出しされた紙の内容もいたって真面目なものだった。

 

「これは凄いものなのか、セレスティーヌ?」

 

 ジャンが見ていたのは職人の一人が描いたという簡素なデザイン画だ。リディアーヌが希望し、その場でたたき台とするために描かれたものだ。後日清書したものを見せに来る、デザインは頭に入っているからこれは必要ない、と置いていったらしい。

 家長として関心は持っているつもりだが、男の身。女のお洒落にはどうしても疎い部分がある。このデザインは可愛らしいとは思うが、既存のドレスとは大きく違わないように見える。

 すると妻は頷いて、

 

「一見して目新しく見えるデザインではありません。ですが、評価に値する案件かと。わかりやすいのはむしろ、二枚目の方です」

「……こっちか?」

 

 ちらりと見たきり無視していた下の紙を引きぬいて眺める。一枚目の絵よりも稚拙なタッチで下着、あるいは夜着のような衣装が描かれている。

 

「それは、リディアーヌが描いた原案です」

「これをリディが!? いや、それよりも()()だと?」

「ええ。一枚目の絵はそれを元に描かれたものです」

「原型を留めていないではないか」

 

 言われてみると幾つか似通った意匠はある。ひょっとして原案もドレスのつもりだったのだろうか。だとするとあまりにも常識から外れすぎているが、

 

「重要なのはその()()が非常にシンプルかつ自由な発想で描かれているということです」

「む。翻案──アレンジが容易だということか?」

「ええ。実際、ナタリー・ロジェの手によって見違えるように生まれ変わりました」

 

 普通、技術やデザインとは段階を経て研ぎ澄まされていくものだ。

 しかし、リディアーヌは最も単純な形を初めから出してきた。子供故の突飛な思考から飛び出したものと考えれば不思議なことではないが、貴族でありながら職人を志した変わり者(ナタリー)がそこから新しいものを作り上げたように、ここには発展の余地がある。

 

「一枚目の上半身部分は身体に沿うデザインになるそうです。原案ですと妖艶な雰囲気が過ぎますが、スカートがふわりと広がれば適度な色気になりますでしょう?」

「うむ。……もっとシンプルなデザインのものをセレスティーヌが纏えば、社交の場で注目を集める可能性は高い、か」

 

 ここまで来ればジャンにも理解できた。

 リディアーヌは自分用のドレスを作るためだけにデザインを提案したのではない。流行の可能性を()()したのだ。

 セレスティーヌが微笑を浮かべる。彼女が笑むのは珍しいことではないが、今回のそれは穏やかな、ともすれば生娘のようにも見えてしまう常の清楚なそれではなく、どこか無邪気で楽しげで、なおかつ大人の色気を含んだ複雑な笑みであった。

 

「流行や新しいデザインとはこれまでと全く異なるものが突然生まれるものではありません。異物をそのまま提案したところで却下され、なかったことにされるだけ。()()()()()()()()()()()()()()()を相応しい人間が広めることで定着し、流行となるのです」

「公爵令嬢が発案したドレスはその条件を満たしている、か」

 

 ナタリーは渾身のデザイン画を描いてくるだろう。リディアーヌは「採用を前提に」それを描かせたらしい。まず間違いなく一着以上は実際に製作される。盛装と言っていいこのドレスは間違いなく晴れの場で着るためのもの。秋となれば『お披露目』には間に合わないだろうが、()()()()()()()()となった娘が纏えばさぞかし注目を集めるだろう。

 そして、親世代が自分の子に「あれと似たドレスを」と求めれば──。

 公爵令嬢の務めとしては十分すぎる。

 

「あの子は、急に大人になってしまったな」

 

 成長するにつれて母・アデライドの面影を濃くしていく愛娘。大人しかった母とは対照的な活発さ、過激さも彼女の魅力だったのだが、彼女はジゼルの一件以来、真面目で理性的な性格に変わった。

 ジゼルへの腹いせから「助命」を嘆願するなど根っこの部分は変わっていないように思えるものの、ジャンは娘が我慢をしているのではないかと不安になってしまう。

 セレスティーヌはこれに「そうですね」と頷き。

 

「身近な人間の死を経験し、自らも死に直面したのですから無理もないでしょう。……ですが、リディアーヌは帰ってきました。生を諦めなかった証拠です」

「意外だな。あの子が苦手だったのではないのか?」

 

 倒れる前のリディアーヌは何度も「あんな女、大嫌いよ!」と言っていた。ジゼルの件が終わった後も「嫌いだ」と面と向かって口にしていたし、二人の仲は良くないはずだ。相性の良し悪しはあるので仕方のないことだと思っていたのだが、

 

「リディアーヌは頭の良い子になりました。以前よりはずっと公爵家に相応しいかと」

「そうか。……そうだな」

 

 アデライドの死に関してはジャンも相当なショックを受けた。ジャンでさえそうだったのだからリディアーヌは猶更だ。そう思って彼女の好きにさせていた。そのことがかえって少女を荒れさせる原因にもなっていた。

 負担をかけすぎているのは心苦しい。親として申し訳なくなるが、同時に「立派になってくれた」とも思う。

 今回の提案は採寸中にふと口にした独り言がきっかけだったという。

 当人としては「ただ思いついただけ」らしいが、床に臥せる中で魔法の行使に成功した件と言い、発想力において突出したものを持っているのかもしれない。

 彼女の発想が服飾関係にも生かせるものだとすれば、これ以上ない幸運だ。

 

「魔法の教師も早く見つけてやらねばな」

 

 軽く水を向けると、セレスティーヌはすぐには返事をしなかった。

 どうしたのかと視線を向ければ、妻は「旦那様」とあらたまった前置きをした上で、ある一人の女の名を口にした。

 

「リディアーヌの魔法について、オーレリア・グラニエ様にお任せするのはいかがでしょうか」

「なっ……!?」

 

 それは、魔法に関する事柄と結びつけるにはあまりにも恐ろしく忌まわしい名前。

 

「本気で言っているのか、セレスティーヌ!?」

 

 冗談ならまだいい。いや、冗談でも聞きたくない。そんなジャンの想いが伝わらなかったのか、セレスティーヌは表情を真摯なものに変えた。

 

「本気です。おそらく、リディアーヌにとって彼女以上の教師はいないでしょう」

「セレスティーヌ!」

 

 ジャンは妻を怒鳴りつけた。

 それは、二人が結婚してから初めてのことで、ジャンの怒りは声を聞きつけた使用人たちが止めに入ってもなお収まらなかった。

 二人は、翌朝には屋敷中で話題になるほどの「夫婦喧嘩」をした。

 

 

    ◆   ◆   ◆

 

 

「昨晩、旦那様と奥様が喧嘩をされたそうです」

「……え?」

 

 採寸と服の発注は本当に疲れた。

 ナタリーがここぞとばかりに売り込みに来たのも原因の何割かを占めている。デザインが良くても流行から外れているとなかなか採用してもらえず、たまに変人──もとい気に入ってくれた顧客がいても次に繋がらなかったが、いいところに酔狂なカモ──もとい思考の柔軟な高位貴族が現れたので、自分のアイデアを次々実現させるチャンスだと思ったらしい。

 お陰であれやこれやと見せられて、疲れた上に頭が混乱してしまった。この世界の常識、流行にも詳しくないところに新しいアイデアを流し込まれても処理しきれない。仕方なく、最終的には「また会って話そう」ということで逃げた。

 もちろん、ナタリーのデザインで注文する予定の一着以外にもドレスは多数必要なわけで、そっちの注文にも頭を使わなければならなかった。個人的にはシックなドレスを増やしたいが、子供らしい可愛らしさも世渡りのためには必要。色のバランスやデザインのバリエーションまで考えるともう選択肢が広すぎて、しまいには泣きそうになりながら最終決定を下した。

 お陰で全てが終えるには本当にほぼ一日まるまる必要で、夕食と入浴を終えた後はいつもより早くベッドに入ってぐっすり眠ってしまった。

 これで一仕事終えた。次は三か月くらい後だからしばらく安心だろう……と、思っていたのだが、

 

「どうして?」

「そこまではわかりませんが……ただ、リディアーヌ様のお名前が飛び出していたと」

「わたしなのね……」

 

 困った顔でアンナが教えてくれる。

 俺が絡んでいるとすると、昨日描いたアレがお気に召さなかったのだろうか。セレスティーヌが「旦那様に見せる」とか言って持って行った時点で嫌な予感はしていたのだ。いや、でも、そうだとしたら俺が怒られれば済むような気もする。

 あの女が密かに立てていた長女暗殺計画が露呈、とかだったら喧嘩じゃ済まないだろうし。

 

「とりあえず、様子を見るしかなさそうね」

「そうですね……。では、リディアーヌ様。お着替えをいたしましょう」

「ええ」

 

 今日はなんとなく白いドレスを選んだ。喧嘩が長引いていた場合、あまり可愛い系の服だと刺激してしまうかもしれない。

 

「おはよう(ございます)、リディアーヌ」

 

 食堂へ入ると、家族全員からの視線が一度に飛んできた。ほっとしたような表情を浮かべたのはアランとシャルロット。

 そして、案の定ピリピリした雰囲気の二人はといえば、俺へと同時に声をかけてきた。

 

「お、おはようございます。お父さま、お養母さま」

「……ふっ。いい子だ、リディ。さあ、座りなさい」

 

 すると、急に笑みを浮かべて機嫌が良くなる父。なんだ、どっちが先に呼ばれるかが大事だったのか? 子供か? まあ、落ち着いたのなら良かったと思いつつ自分の席へ腰かける。

 

「リディアーヌ。魔法の件なのですが」

「セレスティーヌ」

 

 と、思ったらまた雰囲気が悪くなった。

 魔法? 昨日のアレは関係ないのか? というか、見た感じセレスティーヌの様子はいつもと変わらない。父が一方的に火花を飛ばしている様子だ。

 養母が父を怒らせて、なおかつ謝る気がないとか? 普通は男女逆じゃないだろうか。まあ、ポーカーフェイスの上手さの問題かもしれないのでよくわからない。

 父に睨まれた母が口を閉ざしたので、魔法云々については良くわからなくなってしまった。

 

「あの、お母さま? あの紙はどうなりましたか?」

「ああ、あれなら見せてもらった。良くできていたよ。ナタリー・ロジェのデザインで発注する事に異議はない」

「本当? ありがとう、お父さま!」

 

 養母に聞いたら父に返答されたが、役に立ったのなら良かった。にっこりと笑いかけると、父は照れたような、嬉しそうな笑みを浮かべる。相変わらず娘に甘い。これで機嫌を直してくれるなら安いものだ。

 

「本日の一品目はとうもろこしのポタージュでございます」

「わあ、美味しそうです」

 

 シャルロットがいいタイミングで明るい声を上げてくれる。アランも「本当だ」と合わせ、なんとか和やかな朝食が始まった。

 シェフ特製のポタージュスープはいい味をしている。少なくとも前世のファミレスやインスタントのカップスープなんかとは段違いに美味しい。せっかくなのでゆっくりと味わっていると、

 

「ところで、リディ。魔法を覚えたらしたいことはあるのかな?」

「したいこと、ですか?」

 

 思考が逸れたところに父からの質問。これにセレスティーヌがかすかに反応。ただ、意図はよくわからない。俺としては「訓練するのが義務なのでしょう?」といったところなのだが、

 

「いえ。今の段階ではまだ何も言えません」

「おや。そうなのか?」

「ええ。だって、魔法でどの程度のことができて、わたしにどのくらいの才能があるのか見当もつかないもの。絶対に不可能なことを口にするのも、望みが小さくなりすぎるのもつまらないでしょう?」

 

 魔道具を作ってみたいとか、領地でやっているという綿花の栽培を助けられないかとか漠然と考えることはできるが、勉強して具体的にビジョンが見えないとなんとも言えない。

 これに父は驚いたような顔をして息を吐いた。

 

「……リディアーヌはよく考えているのだな」

「考えていないからこその答えなのですけれど……」

「いや、いいんだ。それでいい」

 

 父は迷いが晴れたように笑顔になった。あまり進んでいなかった食事の手が早くなり、養母の方へと得意げな視線が向けられる。

 

「そういうことだ。それでいいだろう、セレスティーヌ?」

 

 ああ、昨夜の喧嘩は俺の教育方針についてだったのか。

 ここまで来ればさすがに理解できた。父は大らかに育てたい派だろうから、そうするとセレスティーヌがまた何か変なことを企み始めたことになるが……。

 問われた彼女は、綺麗な碧眼で俺をじっと見据えて、

 

「重要な質問をします。リディアーヌ。魔法の使い手として大成するために最も大切なことはなんだと思いますか?」

 

 意図の掴めない問いが、その美しい色の唇から放たれた。



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カウンター悪役令嬢への道

「初めまして、リディアーヌ・シルヴェストル」

 

 その少女は午前中の授業が始まる前、まだ朝と言っていい時間帯に突然やってきた。

 肩までより長く伸ばした漆黒の髪に同色の瞳。

 前世における日本人を一瞬連想するも、その肌は白人種のすっきりとした白。裸身を晒せばモノトーンの美貌がさぞかし映えるだろうと思わせる妙齢の美少女は、その身にシックな紺色のワンピースとボレロ──学園の制服を纏っていた。

 年頃の貴族令嬢。学園の在学生。およそ縁のなかったその存在が急に部屋を訪ねてきた不思議に俺は一瞬どころか数秒硬直してから「あなたは?」と尋ねた。

 すると、少女はふっと笑って、手に持っていた一通の手紙を俺に示してくる。

 

「セレスティーヌ・シルヴェストル様からの手紙を受け取って来たの。魔法の使い手として大成するために最も大切なこと。答えた記憶はないかしら」

「あ……!」

 

 珍しく夫婦喧嘩をしたらしい両親から魔法について質問をされ、自分なりに答えたのは二日前のことだ。養母は俺の返答を聞いて「わかりました」とだけ答え、父もまた何かを覚悟したような表情で黙りこんでしまった。

 あの時、セレスティーヌの専属が俺の返答をメモしていたのには気づいていたが、まさか学生に手紙を送っていたとは。

 俺の反応に機嫌よく頷いた少女は、どれほどの深さがあるか測れない漆黒の双眸で俺を見据えて、

 

「じゃあ、口頭でもう一度答えてみなさい。魔法の使い手として大成するために最も大切なことは何かしら?」

 

 俺は深呼吸をひとつしてから彼女に答えた。

 

「経験です」

「へえ。それはどうして?」

「この世界の魔法は想像力によって形作られるもの。つまり、魔法によって大きな成果を出すには魔力量以上に『結果を正確に思い描けるかどうか』が大切になります。そして、想像の助けとして最も手っ取り早いのは──」

()()()()()()()()()()()()()()

 

 こくん、と、頷いて肯定する。

 例えば、亡き母アデライドが見せてくれた火の鳥や蝶。俺はそれが舞い飛ぶ光景を鮮明に思い出せる。見たことがあるから可能だと信じられるし、きっと再現するのも格段に楽だ。

 何事も偉大なのは先駆者。未知を実現させるのと知っていることを再現するのでは難易度が全く違う。

 この答えに少女は「そうだ」とも「違う」とも言わず、さらに質問を続けてきた。

 

「そうなると、魔法を他人に教えることは才ある人間にとって多大な損失ね?」

「……そうですね」

 

 偉大な魔法があったとする。それは限られた者にしか使えないからこそ価値がある。他者に伝わり広まって、使える者が増えていけばそれは「ただの技術」と化す。偉大な魔法の発明者は最初にそれを使った()()の人間に貶められてしまう。

 技術の進歩とはそういうものだ。

 まあ、だから前世では高い金を払って研究者を雇ったり、特許とかの法律があったんだろうが。この世界でその辺の整備がどの程度進んでいるのかはわからない。

 少女が目の前に立つ。

 細くしなやかな指が俺の紅の髪を一筋すくい上げてくるくると弄ぶ。朝の身支度でそれに櫛を入れ整えたアンナが小さく悲鳴を上げるも、相手は推定・セレスティーヌの呼んだ人間なので下手に口を挟めない。

 

「じゃあ、最後の質問よ。それでもなお、教え子や弟子を取るメリットがあるとすれば、それは何かしら?」

 

 これについてはぱっと答えが思い浮かばない。一般的には授業料だろうが、いかにも物好きっぽいこの少女がそんなつまらない答えを望んでいるとも思えない。

 

「そうですね……自分の研究を手伝わせるとか、教え子の発想を盗んで自分が成長するためとかでしょうか」

「そう。つまり、貴女には私の研究を手伝う覚悟も、魔法を盗まれる覚悟もあると」

「え?」

 

 ぽかん、として彼女を見上げてしまう。

 悠然とした表情。自分こそが最強だと確信していそうだ。セレスティーヌとは違う意味で勝てる気がしない。女番長、あるいは女王様といったところだろうか。

 どうして俺が彼女の助手になるのかと言えば、ひょっとして、そういう話なのだろうか?

 

「ええ。このオーレリア・グラニエが貴女に魔法を教えてあげる」

「オーレリア・グラニエ様……!?」

 

 魔法に関する質問。その答えをセレスティーヌが手紙で送り、受け取った彼女が来た。そう考えれば自然な流れではある。

 名前を聞いたアンナが驚いているところを見ると、おそらく何らかの有名人なのだろうが、

 

「オーレリア様は学園に在学中なのですよね? お忙しいのではありませんか?」

「リディアーヌ様! このお方は──」

「おかしなことを言うのね? 私の時間が足りなければ、貴女が捻出してくれるのでしょう?」

「ひうっ」

 

 しなやかな指が俺の唇をゆっくりと撫でる。艶めいた唇がかすかに動いて、舌なめずりでも始めそうな勢いだ。この色気はなんなのか。あと十年足らずで()()に追いつける気がまるでしない。

 ええと、何をどう答えればいいのか。

 

「あの、お養母さまが出した依頼を見て来てくださった、ということですよね?」

「そうよ。もしかして、私のことを聞いていないの?」

「はい。残念ながら、なに一つ」

「ふ、ふふふっ。そう、何一つ。……予習なしであの答えを、八歳の子供がね」

 

 今度は両手で頬を包み込まれた。床にしゃがんだオーレリアが至近距離から瞳を合わせてくる。落ち着く色合いなのに、何故かひどく落ち着かない気分になる。

 

「前言撤回。貴女、面白いから私の教え子になりなさい。ついでに弟子として使ってあげる」

「え。確定なのですか!?」

「ええ、確定よ。異論は認めない。将来王妃になるかもしれない女を私が教えるなんて楽しそうだしね」

 

 知っているのか。

 まあ、我が家の使用人がみんな知っている時点で他家にも噂は広がっているだろうが。それにしても意味ありげな言い方だったような。

 

「あの、オーレリア様はなにか王家と関係が?」

「リディアーヌ様。この方──オーレリア・グラニエ様は王位継承権こそ保持しておられないものの、国王陛下の側室がお産みになった子。すなわち、王女殿下です」

「……な」

 

 驚きすぎて開いた口が塞がらない。ついでに礼を取るタイミングも完全に逸してしまった。オーレリアの側にそんなことを気にする気がなさそうなのが救いと言えば救いだが。

 

「……わたしが習った王族のリストには載っていなかったわ」

「オーレリア様はその、少々特別な方なのです」

 

 疑問の声にはアンナが言葉を濁しつつ答えてくれた。

 

「特別って?」

「簡単に言えば、王族扱いされていないの。城には住んでいないし、滅多に顔も出さない。後見人は宮廷魔法士長だしね」

「事情がおありになることは十分に理解いたしました」

「話が早くて助かるわ」

 

 おそらく会うことはないと判断してリストからは外されたのだろう。王位継承権が無いという時点で、子供には説明しづらいくらいの込み入った事情が窺える。

 後見人が宮廷魔法士長ということは魔法の才能があるのだろう。

 

「滅多にお目にかかれない方とお会いでき、なおかつご指導までいただけるとなれば願ってもありません」

「決まりね。それじゃあ、来週あたりから学園へ通ってもらおうかしら」

「通いですか……」

「私は学業で忙しいもの。貴女が心配してくれたように、ね?」

「……承知いたしました」

 

 オーレリアは現在、学園の寮で生活しているらしい。いちいち通うのは手間だが、まあ王都の中なので通えないことはない。アンナと顔を見合わせ、さらにスケジュールがきつくなることを覚悟する。

 

「ところで、オーレリア様の属性はなんなのでしょう? わたしに教えてくださるということは火属性なのですか?」

 

 話がだいたい纏まったところで尋ねると、オーレリアはふっと笑って「いいえ」と答えた。

 

「私に得意な属性はないわ」

「え?」

 

 脳裏に疑問符を浮かべた俺はその直後、最大級のドヤ顔を見た。

 

「あるいは、全ての属性が得意だと言ってもいい。つまり、私の属性は」

()()()……!」

 

 とんでもないにも程がある。

 主人公か何かか、と言いたくなるような設定の盛り具合に、俺は驚嘆の声を上げながらこれからの生活が少し不安になった。

 

 

 

 

「だから言ったのだ。オーレリア・グラニエに常識は通用しない。リディがどんな目に遭わされるかわかったものじゃない」

 

 夕食の席にて、父はかなりご機嫌斜めだった。

 夫婦喧嘩はいったん沈静化してセレスティーヌとも仲直りをしたようだったのだが、オーレリア襲来の一件を聞いてまたぶり返してしまったらしい。カトラリーが皿へぶつかる音がいつもより大きい。

 

「確かに『いかにも天才』といった感じの方だったけど」

「そんな生易しいものじゃない。天変地異にでも例えた方が適切なくらいだ」

「お姉様はそんなに危険な方に魔法を教わるのですか?」

 

 シャルロットが不安そうに声を上げた。

 天変地異。地震・雷・火事・オーレリアといったところか。急に発生した上に派手な結果を残していった辺りは確かにそんな感じではある。

 アランも少々浮かない表情を浮かべて、

 

「魔法に関しては不世出の天才だと聞いています。また、学生の身でありながら多くの家から指導依頼を受け、悉くを断っていると」

「彼女は相手を見極める手段として質問をするのだ。そして、満足のいく答えを返せなかった者には協調も指導もしない」

「あの時、お養母さまがわたしにした質問ですね?」

「ええ」

 

 短く答えたセレスティーヌは食事の手を止め、父の説明を補足する。

 

「質問は誰に対しても同じです。正解が何かは広まっていません。誰しも特権を手放すことには慎重になりますから」

「リディが合格しなければ問題はなかった。だから、私は手紙を送る許可を出したのだ」

 

 なのに俺は合格してしまった。変な女が変な女に気に入られてしまったということだ。『って、それはどういう意味よ!?』。

 セレスティーヌは表情を変えず穏やかに答える。

 

「リディアーヌには才能があります。その才能を活かすのに最も適した教師はオーレリア様でしょう」

「だが、リディはリオネル殿下との婚約を控えた身だ。下手をすれば王族からの心証も悪くなりかねん」

「陛下からの許可は出たのでしょう?」

「だとしてもだ。リディに一生残るような傷でもついたらどうなる」

 

 魔法の練習には怪我がつきものだ。だからこそちゃんとした教師をつけて安全に配慮するのだろうが、その教師が破天荒では本末転倒。

 

「でも、お父さま? だからこそ教える相手を選んでいるのでは? オーレリアさまも貴族の子を故意に使い捨てようとはなさらないでしょう?」

「どうだかな」

 

 吐き捨てるような言葉に、さすがに怖くなってくる。

 オーレリアにまつわる「いわく」はそこまで凄いものなのか。

 

「教えて、お父さま。少なくともわたしにはその権利があるはずよ」

「……後悔するかもしれないぞ」

 

 これ以上は大人数に広める話ではないと、話は食事の後、セレスティーヌの部屋へと移って行われた。アランとシャルロットは不在だ。義妹にはまだ早い話だということで、アランが敢えて残って彼女の話し相手を買って出てくれた。

 しっかり用意されるお茶と茶菓子にじれったい気持ちになりつつ「それで、お父さま?」と促す。こういう時は貴族のやり方が面倒くさい。移動するだけしたら立ち話でもいいと思うのだが。

 父は自身の気持ちを落ち着けるように紅茶へ口を付けてから答えた。

 

「オーレリア・グラニエの異名は《漆黒の魔女》だ」

「魔女、ね。仮にも王族に対して失礼だと思うけれど」

「言われるだけの理由があるからだ。……これは、みだりに口にすることではない。王城では公然の秘密として扱われている話なのだが」

 

 俺はごくりと息を呑む。そして告げられたのは、予想以上に重い過去だった。

 

「《漆黒の魔女》は生まれて初めて使った魔法で実の母親を殺した。王女とはいえ、継承権を剥奪されるのは当然の罪だ」

 

 つまり、オーレリアは初めて使った魔法によってその才能を証明すると共に、自分の運命を決定づけてしまったのだ。




【新しい登場人物】
◇オーレリア・グラニエ:通称《漆黒の魔女》。皇位継承権を持たないいわくつきの王女だが、魔法の腕は別格。


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カウンター悪役令嬢への道 2

 公爵家の保有するドレスは普段着でも相当な高級品だが、余所行き用となるとグレードはさらに上昇する。

 初の王城行きを迎えた俺は、手持ちの中でも上位にあたる一着のドレスを複数人のメイドの手によって丹念に着付けられた。

 ベースは白。王子の相手に相応しい清らかな身であることを示しつつ、要所には俺のパーソナルカラーである赤をあしらっている。パーティに出るわけではないのでスカートの広がりは控えめに。上品に、それでいてたっぷりと施されたフリルが少女らしさを演出する。

 紅の髪にもドレス合わせで白いレースの髪飾りをあしらい、日よけのために白いつば広の帽子も用いる。軽くだが化粧も施され、花の香りの香水がほんのりと散らされた。

 例によって俺自身はほぼ座っているだけなのだが、いつにも増して丁寧に作業されるせいで待っているだけでも結構大変である。

 

「……陛下への謁見だものね。さすがに緊張するわ」

 

 今日の予定はリオネルとのチェス、および国王から正式に婚約の承認を受けること。謁見自体はさくっと終わるはずだが、気分的にはむしろ前者がオマケだ。

 

「リディアーヌ様はまだいいです。私なんて粗相をしたら物理的に首が飛びかねないんですよ?」

 

 アンナなんて朝、起こしにきた段階からがくがく震えている。国王は人格者だと聞いているし、さすがに即処刑とかはないはずだが。

 前世の俺──高校生の感覚で例えると、コンビニバイトしていたら店長がなんかすごい賞をもらってしまい、一緒に総理大臣に会うことになった、とかだろうか。うん、滅茶苦茶緊張するだろう。

 

「頑張りましょう、アンナ。上手くいけばお給金が上がるんじゃないかしら」

「お給金はもう十分ですから平穏無事に過ごしたいです……」

「謙虚すぎるのも嫌味になりますよ、アンナ」

 

 しっかりと手を動かしながらアンナをやんわり窘めたのは、経験を買われて着付けに参加したベテラン、マリーだった。

 

「貴女はリディアーヌ様の専属です。であれば、どのような状況でも最善を尽くし、リディアーヌ様をお助けするのが役目。不服なら代わって欲しい、と思う者はたくさんいることを忘れてはいけませんよ」

「っ。……申し訳ありません。仰る通りです」

 

 目を瞠ったアンナはぎゅっと拳を握りしめると表情を引き締めた。あまり気負って欲しくはないが、マリーの言うことも正しい。公爵令嬢の専属というだけでも羨望の的なのに、主人が王族入りする可能性まで出てきたのだ。アンナは若くしてこの屋敷の出世頭になってしまっている。

 ジゼルのやったことは間違っているが、アンナを羨む気持ちは当然のもの。他のメイドも同意見だというように小さく頷いている。

 

「マリーも、私の専属になれるならなりたい?」

 

 少し空気を変えようと尋ねれば、マリーは微笑んで首を振った。

 

「リディアーヌお嬢様をお世話したい気持ちはあります。ですが、私では年齢的に不相応でしょう。専属としてはもっと若い者を指名し、育てた方が良いかと」

「お嬢様。専属は一人でなくても良いのですから」

「二人目を指名してくださっても構わないのですよ」

 

 ここぞとばかりに売り込みをしてくるメイドたちはなかなか逞しい。しかし、そんな風に軽口を叩いてくれるようになっただけ進歩かもしれない。少なくともその程度の度量はあると認められているということだ。

 

 

 

 

 玄関へ移動すると、セレスティーヌもまた自らの専属を従え、普段以上に気合いの入った装いで俺たちを待っていた。

 採点するような、あら探しをするような視線に表情を動かさないよう気をつけつつ耐えていると、

 

「馬車は既に待たせてあります。参りましょうか」

「はい、お養母さま」

 

 どうやら合格点は出たらしい。内心ほっとしつつ馬車の待つ外へと移動した。

 

「今日はまずリオネル殿下にご挨拶をした後、一緒に陛下へ謁見する流れなのですよね?」

「ええ。婚約の承認ですから、殿下と共にお目通りを願わなくてはなりません」

 

 動き出した馬車内は揺れる。公爵家が用いている上質な馬車でもカーブの多い在来線レベルだ。蹄や車輪の音もあるのでとても落ち着くというほどではないものの、歩くよりはずっと楽だし話をするのにも支障はない。

 屋敷の窓から何度も目にはしていた白く大きな王城が次第に近づくのを感じながら王都の街並みを眺める。馬車四台分以上の広さのある大通りの左右には高級住宅街が広がっている。馬車を使える人間用のエリアなので道行く人の姿は多くないものの、買い出しに出たメイドやどこかへ訪問する途中らしき執事の姿がちらほらと見えた。

 城は王都の中央に位置し、その周囲には高級住宅街や貴族向けの高級商店などが広がっている。外周に近づけば近づくほど住居や店のグレードは下がっていく仕組みだったはずだ。

 

「学園は左手の方向です。黒い屋根がここからでも見えるでしょう?」

「ああ、あれが学園なのですね」

 

 さすがに王城ほどではないが、学園もなかなかに広く大きい。特定の年頃だけとはいえ貴族の子が一斉に集まるのだからそれも当然だろう。

 

「あまり遠くないようなので安心しました」

 

 馬車を使えば十分もかからない。オーレリアの授業は週二回、土曜日と日曜日(にあたる日)の午後に行われることになった。なんで連日かといえば学園は週休二日だからだ。不思議なことに俺よりも休日が多い。詐欺じゃないだろうか。

 

「勉強の進度には余裕がありますが、気を抜かないように」

「油断せずに進めてまいります」

 

 深く広い堀にかかった橋の上の前で馬車が停まり、騎士による確認の上でまた走り出す。高い塀の向こうに広がっていたのは我が家の数倍の規模からなる広い庭園。そして重厚さと華やかさを両立した白壁の城が陽光を受けながらそびえ立っている。

 正面玄関前に停まった馬車からセレスティーヌに続いて降りれば、複数名の騎士とメイドが出迎えてくれる。

 

「ようこそお越しくださいました、セレスティーヌ・シルヴェストル夫人。並びにリディアーヌ様」

 

 周囲をぞろぞろと固められながら広いロビーへと入り、ゆっくりと、しかしスムーズに奥へ。

 自宅でメイドに囲まれるのはいい加減慣れてきたが、こういう待遇を受けるとあらためて自分の立場を思い知らされる。

 『それにしても、うちのお屋敷以上に迷いそうな造りね』。戦時には最終防衛拠点になるわけだから、敢えてそう造っている部分もあるだろう。何度も利用していればそのうち慣れるのだろうが。

 

「リオネル殿下。リディアーヌ様とセレスティーヌ様がお見えになられました」

「通せ」

 

 リオネルの部屋は俺の私室よりもさらに広かった。モノトーンの落ち着いた配色の中、要所に金色が散りばめられている。

 約二週間ぶりに会った少年の様子は前に会った時と変わりない。俺が母と共に挨拶を済ませると、開口一番、

 

「元気そうで安心したぞ、リディアーヌ。まあ、お前のような図太い女が死ぬわけがないが」

 

 こいつ、こっちの気も知らないで、と思いながら「恐縮です」と答え、見舞い品の礼についてもあらためて述べる。

 

「お手紙でも申し上げましたが、素敵な鶏をありがとうございました。家族で美味しくいただきました」

「それは良かった。公爵家なら羊肉の方がいいかとも思ったのだが、普段から食べ慣れているかもしれないからな」

「ええ。羊はよく食卓に上ります」

 

 俺たちが会話を交わしているうちにお茶の準備が整えられ、暗黙のうちに歓談を勧められる。謁見の準備が整うまで待てということだろう。

 リオネルが紅茶を口にしたのを見てティーカップを手に取ると、その様子をじっと注視される。

 

「? どうなさいました?」

「いや。お前は砂糖もミルクも使わないのだな」

「ええ。菓子や食事と一緒にいただくことが多いので、お茶には味を付けない方が好みです」

「ああ、わかる。特に菓子は甘いからな」

 

 なお、セレスティーヌのカップには給仕のメイドにより一匙の砂糖を入れられた。屋敷で飲む時と同じ分量である。

 城のメイドは来客の好みまで把握し、わざわざ尋ねるまでもなく仕事を完遂させるらしい。アンナが俺の傍に控えながら感心したようにその一挙一動を観察している。

 

「ところでお前、前に会った時よりも服が派手だな」

「お恥ずかしながら、前回はお客様をお迎えする予定がなかったものですから。普段着でお迎えした無礼をお許しください」

「ああ、そう言えばそうだったな。まあ、俺には服の良し悪しなんてわからないからどうでもいいが」

 

 なんとも色気のない返答である。

 

「殿下。最低限、お洒落を褒められるようにならなければ女性に嫌われますよ」

「ん? お前と婚約するのだから他の女なんてどうでもいいだろう?」

 

 まあ、浮気の心配がないのは良いことだが。お前、この時の発言を将来後悔しても知らないからな。

 

「お言葉ですが、それでもお世辞程度に褒めるのが殿方の礼儀作法というものかと」

 

 ここで養母に視線を向ければ、優雅な首肯が返ってくる。

 

「夫のジャンは女性に対してとても紳士的です」

「ああ、ジャンは細かいからな……。あいつにはよく小言を言われるのだ」

「宰相という役職はそうでなければ務まらないのかもしれませんね」

「ふん。娘のお前が口うるさいのもジャンの影響か?」

「申し訳ありません。差し出がましいことを申し上げました」

 

 八歳の男子にはまだ難しいよな、と思って謝ると、前にも会ったリオネルのお付きの青年が口を開いて、

 

「いえ、リディアーヌ様。どうか遠慮なさらず殿下を諭してください」

「お前はどっちの味方だ! もういい、リディアーヌ。チェスをするぞ」

「今からですか? おそらく最後まで終わらないと思いますが」

「父上に呼ばれたら中断して向かえばいいだろう」

 

 雑談しているだけでは退屈だと思ったのか、リオネルの希望でチェスを始めることになった。俺を倒すために特訓したという王子に微笑み返しつつ、俺も適度に気合いを入れる。手を抜かれたなどと言われてしまったら目も当てられない。

 そして、勝負が終盤にさしかった頃、

 

「リオネル様、リディアーヌ様。謁見の準備が整いました」

「なんだと。今、物凄くいいところなのだが」

「殿下。陛下をお待たせしてはなりません」

 

 謁見そっちのけでチェスをしていました、なんてことになったら()()困る。渋るリオネルをよそにさっさと立ち上がって対局を中断させた。

 

「アンナはここで待機していてちょうだい」

「リディアーヌ様、頑張ってください」

 

 案内役の騎士と共にリオネル、俺、セレスティーヌで移動。

 謁見の間に到着すると、そこは既に厳かな雰囲気で包まれていた。左右に控える衛兵、騎士。要職にあると思われる文官、ドレス姿の貴婦人まで数名いる。奥の高い位置には立派な玉座があり、そこに髭を蓄えた凛々しい男が座っている。

 左隣には屋敷の庭で顔を合わせた王妃。赤みの強い金髪に深い青色の瞳。歳はセレスティーヌとそう変わらないだろう。

 王の右隣には仕事用の畏まった服装をした俺の父──宰相ジャン・シルヴェストルが立っている。仕事中なので生真面目な表情を崩さないものの、頑張りなさいとでも言うように一瞬だけ視線を向けてくれた。

 国王は父よりも十歳近く年上だったか。王妃とは案外歳が離れている。

 目線を合わせないよう前を向いたまま半ば七割ほどの道のりを歩き、揃って跪く。息子であるリオネルは浅く、俺とセレスティーヌは深く。

 

「面を上げよ」

 

 公爵令嬢という立場にある俺にとって目上の存在というのは少ない。リオネル、およびオーレリアとの対面は色々例外だったのでこれが実質初めての「上位者と会う場」になる。

 

「よくぞ参った。リディアーヌ・シルヴェストル。およびその母セレスティーヌよ」

「お初にお目にかかります。宰相ジャン・シルヴェストルが長女、リディアーヌでございます」

 

 リオネルと会った日以降、礼儀作法については猛特訓が行われた。お陰で(男としてのプライドをすり減らしながら)俺のカーテシーは以前よりもぐっとマシになっている。それでもまだまだ心許ないが、

 

「あれが宰相殿のご令嬢か」

「毒殺未遂の後遺症はないようですね」

 

 八歳の子供として及第点には達しているのか、ひそひそと聞こえてくる声には明確にネガティブといえるものはなかった。

 そんな中、俺を真っすぐに見つめた国王は小さく呟く。

 

「なるほど。……アデライドに良く似ている」

 

 母の名。

 似ているとはよく言われるし、俺自身もそれは誇りにしている。それだけに母がこの場にいないことは悲しいが、母は亡くなってもなお、その人柄と人脈によって俺を守ってくれているのかもしれない。

 リオネルと俺の婚約はいともあっさりと認められ、その場にいる全員へ知らしめるように宣言された。

 

「其方──リディアーヌ・シルヴェストルと我が息子、第三王子リオネルとの婚約をここに認める。今、この時を持って二人は将来を誓い合う間柄となった」

 

 一斉に巻き起こる拍手の中、おそらくは当事者であり子供でもある俺とリオネルがこの場で最も、婚約の重みをはっきりと理解していなかった。



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カウンター悪役令嬢への道 3

「これで晴れて婚約者同士か。よろしく頼むぞ、リディアーヌ」

 

 謁見の間を後にし、リオネルの部屋に戻ってきて。

 中断した時のままのチェス盤を挟みながら、俺は王子の浮かべている笑顔に虚を突かれた気持ちになった。

 

「? どうした。俺の顔に何かついているか?」

「いえ、殿下はあまり婚約に興味がないと思っていたものですから」

 

 嬉しそうにされると「意外に脈ありなのか?」と思ってしまう。

 すると身を乗り出すようにして端正な顔を近づけられて、

 

「婚約してしまえば他の令嬢との面会を減らせるだろう?」

 

 うん、そんなことだろうと思った。

 

「では、どうしてもと強請られた時は『リディアーヌが嫉妬するから』とでもお伝えください」

「それはいいな。よし、そうしよう」

「リディアーヌ様、よろしいのですか?」

「ええ、大丈夫です。恋多き婚約者を持つよりはずっと良いかと」

 

 貴族の中には第二夫人や愛人を持つ者も多い。王子であるリオネルも、その気になれば妻の一人や二人増やせる身分だ。寵愛を求めての足の引っ張り合いとか可能な限り遠慮したい。

 お子様王子はここでふっと息を吐いて、

 

「しかし、セレスティーヌがいないと気楽でいいな。お前と二人だと気を遣わなくていい」

 

 養母は王妃からお茶に誘われ、俺たちとは別行動中だ。

 気を抜けるという意味では同意だが、使用人やお付きが何人も控えている場で二人だけと言えるあたりはさすが王族である。

 

「わたし相手にも気を遣ってくださってもいいのですよ?」

「面倒だから嫌だ。どうせお前は気にしないだろう?」

「殿下が恋愛の機微に疎いことは重々承知しております」

 

 嫌味を籠めたのがわかったのか、リオネルは顔をしかめて「続きをするぞ」と言った。

 

「父上と話をしている間もこの後の指し手を考えていたからな」

「殿下、それは卑怯ではないでしょうか」

 

 こっちはそんな余裕なかったというのに。

 釈然としないものを感じつつも応じた結果、王宮というアウェーな状況が影響したのか、今回は三戦して一勝二敗と負け越しで終わった。

 

「ふふん。まあ、こんなものだな。お前もきちんと練習してきたようだが、俺を倒すにはまだまだ足りん」

「いえ、殿下。これで戦績は五分。勝ち誇るにはまだ早いかと」

 

 駒を初期位置に並べ直しながら微笑んで答える。前回も今回もチェスばかりだが、別の遊びも提案した方がいいだろうか……と。

 

「リオネル」

「?」

「名前で呼んでいいぞ。母上や姉上達からもそう呼ばれているしな」

「では、お言葉に甘えてリオネル様とお呼びしますね」

「ああ。いちいち殿下などと呼ばれては堅苦しくて仕方ない」

 

 対外的に俺たちの仲を示すことにもなる。

 まあ、この国は前世ほどその辺堅苦しくないというか、初対面で名前呼びしてもそんなにおかしくなかったりはするのだが、それでも異性を下の名前で呼ぶというのは少し特別な感じがする。

 

「殿下とリディアーヌ様はお似合いのお二人なのかもしれませんね」

 

 お付きの青年がそんな感想を漏らしたところで、メイドが一人、部屋のドアを叩いて中へと入ってきた。

 

「リディアーヌ様。陛下がお呼びでございます」

「え……?」

 

 何かと思えば名指しでの呼び出しだった。『なによ? わたし、今回は何もしてないと思うんだけど!?』。

 

 

 

 

「ああ、良く来てくれた。こちらへ座りなさい」

 

 まだ遊び足りない様子のリオネルを残し、案内された先は国王の執務室だった。

 アンナを入り口前で待たせて一人で入室すれば、最初に感じたのは紙とインクの匂い。大きく丈夫そうな執務机といくつも並んだ本棚はさすがに上等な品だが、一方で大量の書類や本の存在からここが権威的な場所ではなくあくまで仕事部屋であることを窺わせる。

 席に着いた国王の傍らにはしかめっ面をした父の姿。俺が示されたのは父の反対側、王の座る椅子の隣に置かれた子供用の椅子だ。物凄い特別扱いである。とはいえ相手は国の最高権力者。逆らうわけにもいかず、恐る恐るちょこんと腰かける。

 王のペンを握っていない方の手がぽんと頭に置かれ、髪をわしわしと撫でてくる。屋内なので帽子は被っていない。

 

「陛下。もう少し娘を丁重に扱っていただきたい」

「よいではないか。この娘は健康体なのだろう? それより、もう下がってよいぞ」

「……は」

 

 不満そうにしつつも一礼する父。

 国王と親しげに話せるあたりやっぱり偉いんだなと思いつつ俺は彼を見上げて、

 

「またね、お父さま」

「ああ」

 

 答える時だけ険しい顔に笑顔が宿った。父が退室していくと、部屋には本当に俺たち二人だけになる。もちろん、部屋のすぐ外には人が待機しているわけだが。

 

「わたしが暗殺者なら、陛下を狙う絶好のチャンスなのでは」

「私をここで殺しても、リオネルは王になれないぞ?」

 

 楽しげに応じられて思わず絶句する。

 

「こんな小さなご令嬢が反逆を企てているとは思わなかったが」

「いえ、そんな。ただ危険ではないかと申し上げたかっただけで」

「わかっている。ジャンからも聡明な子だと聞いているからな」

「……聡明であれば、両親の手を悪戯に煩わせたりはしておりません」

 

 この状況は子供相手ゆえの特別扱いだ。機密情報がいっぱいのこの部屋に普通はそうそう入れない。もちろん、俺の座高では机の上の様子は覗けないし、背伸びをしようとも思わないが。

 王が無警戒かといえばそんなこともない。俺の身辺調査は済んでいるのだろうし、彼の身には魔石の嵌った複数の装飾品がある。あれらが全て魔力充填済みの防御用魔道具なら生半可な攻撃は通用しない。

 

「オーレリア作の超一級品だ。其方もあれからよく学ぶといい」

「……わたしごときの考えは全てお見通しなのですね」

「いや、其方は十分に利口だよ。リオネルにも見習わせたいくらいだ」

「殿下の物おじしない性格は稀有な才能かと」

「そうだな。それは上に立つ者の素質だ。後は、もう少し思慮深さを身に着けてくれれば……」

「慎重さは周りの者が補うこともできます」

「ほう。其方が補ってくれるのか? それとも、其方の兄が?」

「わたしも精一杯務めますが、実務上の手助けは女には難しいですので……」

 

 王はふっと笑って「抜け目のない娘だ」と言った。

 

「まだ用件を言っていなかったな。少し其方と話がしてみたかったのだ。ジャンの愛娘と。息子の婚約者と。……そして、アデライドの忘れ形見と」

「母をご存じなのですね?」

「知っているとも。何度も話をしたし、あれを娶ったジャンに嫉妬したこともある。あれは美しい女だったからな。画家がこぞって題材にしたがったほどだ」

 

 屋敷には母の絵は一枚も飾られていない。絵姿が何枚も描かれたのなら家に残っていないはずがない。父が俺やアランの心を刺激しないよう見えないところに保管しているのだろう。

 今なら素直に受け入れられそうな気もするが……セレスティーヌの手前、前の妻の絵を飾ったりはできないか。

 

「わたしも母のように綺麗になれるでしょうか?」

「案ずるな。其方は十分に美しい。私がもっと若ければリオネルを羨んだかもしれぬ」

「勿体ないお言葉でございます」

 

 なんだか、こうして話をする分にはただの気の良いおっちゃんだ。ただ、このおっちゃんには妻が複数人いて、それぞれとの子供もいるわけで。

 

『《漆黒の魔女》は生まれて初めて使った魔法で実の母親を殺した』

 

 実の子に、側室とはいえ妻を殺されるのはどういう気分なのだろうか。

 背筋に走った悪寒に思考を慌てて引き戻す。まさか当人に聞けるわけがない。代わりの話題を探して、

 

「あの、陛下はどうしてわたしを殿下のお相手に選んだのですか?」

「選んだのは私ではなくリオネルだ。シルヴェストル公爵家の娘を、と指定したのはそう不思議でもなかろう?」

「父とは仲がよろしいのですね」

「ジャンをからかって遊ぶのは楽しいのだよ。向こうも私に難題を押し付けてくるがね」

 

 歳が少々離れているが、友人、あるいは兄弟のような間柄なのかもしれない。

 国王と宰相、あまり仲が悪くては国政にも差し支えてしまうだろう。アランが父の後を継ぐとして、リオネルとの間に同じような友好を築けるか。

 だからこそ、間を取り持つための俺、か?

 

「リディアーヌよ。其方はなかなか面白いな」

「陛下まで、殿下と同じようにわたしをからかうおつもりですか?」

「む。さすがに息子よりは分別があるつもりだぞ。ただ、執務だけをしていても退屈でな。暇つぶしに其方のことをもっと聞かせて欲しいだけだ」

「そんなことでよろしければ、なんなりと」

「そうかそうか。ジャンに『娘に会わせろ』と言ってもなかなか頷かなかったからな。この機会にたっぷりと聞かせてもらおう」

 

 本当に退屈だっただけなのか。それとも、ある種の面接だったのか。

 俺はそれからしばらく国王陛下に頭を撫でられながら自分のことを話すという、よくわからない役割を一生懸命に果たした。

 

 

 

 

 貴族の子女が通う学園もまた王城同様、敷地の周囲を塀で囲まれている。

 さすがに堀はないものの、侵入者への警戒は十分に厳しい。外周に複数配置された門では身元と用件の確認が行われ、それをパスしなければ中には入れない。

 とはいえ、門の前まで公爵家の馬車で乗り付けた俺とアンナは身分証の提示も求められず、用件を聞かれただけだった。馬車に装飾された紋章と俺の纏った上等なドレス、そして紅の髪が何よりの証明だからだ。

 

「オーレリア・グラニエさまに魔法を教わりに参りました」

「お、オーレリア・グラニエ様!?」

「《漆黒の魔女》に……!?」

 

 用件の方は大層驚かれたものの、家族・友人等々の面会は特に禁止されていない。俺たちは特に文句をつけられることもなく通された。

 

「お通りください」

「どうかお気をつけて!」

 

 むしろ身の安全を心配された。門をくぐるとその先は並木道になっている。学校というか庭園のような造りで緑が多い。高校というか、郊外に敷地を持つ総合大学に近い印象だ。

 

「さすがに広いわね」

「あらかじめ地図をいただいていなければ確実に迷っていましたね」

 

 あれからオーレリアは俺宛ての手紙を一通送ってきた。そこには寮の位置を記した簡単な地図と「来る時は食事を持ってくるように」という指示。

 学園内には美味しい学食──といってもレストラン的なところらしい──もあったはずだが、何故わざわざ食事を持って来させるのか。一緒にのんびり食事しながら歓談、というタイプにも思えないので、おそらく自分で用意するのが面倒なだけなのだろうが。

 アンナは軽食の入ったバスケットを抱えているので、日傘は俺が自分で持つ。白いパラソルを支えるのと逆の手に地図を持ち、寮へ向かって歩いていく。途中、年頃の男女と何人もすれ違う。

 

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 

 挨拶されれば返すのが礼儀だし、目が合った場合はこちらからも挨拶する。

 俺たちは心なしか周囲から注目を浴びていた。まあ、こんなところに来る子供はあまりいないのだろう。それを言ったら学生に教えを乞うのも異例なのだが。

 

「ここね」

 

 学園の女子寮。初老の管理人(貴族だ)に挨拶をし、オーレリアの部屋の位置を教えてもらう。最も奥まった一角にある広い部屋を使っているらしい。礼を言って中へ。

 

「これが学園の寮なんですね……!」

 

 アンナが小さく歓声を上げた。テンションが上がるのもわかる。寮と言われて想像する、古かったり狭かったりごちゃごちゃしていたりといった雰囲気は微塵もない。廊下は広く、部屋ごとの間隔も大きい。中を歩く人物も一定以上の礼儀作法を収めた令嬢やメイドばかりなので華やかかつ穏やかな雰囲気が漂っている。

 寮には中庭や談話室なども用意されているらしく、移動する途中、そうした場所でお茶を片手に歓談を楽しむ生徒の姿を見ることができた。

 

「社交的な生徒が多いのかしら」

「そうですね。学園は同世代の貴族が集まる貴重な場ですから、休日は人脈作りのためにもお茶会や食事会、勉強会などが積極的に催されるそうです」

「ただのお休みというわけじゃないのね。……でも、それならオーレリアさまが『暇だから』とばかりに休日を指定したのはなんなのかしら」

「あの方は規格外ですので、常識が通用しないのかもしれません」

 

 アンナの言うことはだいたい当たっていた。

 奥に行き過ぎて空室が目立つ突き当たりの部屋。ドアをノックすれば「どうぞ」との返答。

 顔を見合わせた後、アンナがゆっくりとドアを開けば──。

 

「これはまた、典型的ね……」

 

 あちこちに山積みされた本やがらくた。クローゼットは雑に閉じたせいか服がはみ出している。さすがに食べ物や食器が散乱している様子はないしベッドの上だけは物がない状態に保たれているものの、全体の印象はひどく退廃的。

 例えるなら片付けられないオタク女子か、あるいはマッドサイエンティストの部屋。

 そんな部屋の奥から、オーレリア・グラニエは下着のように肌も露わなナイトドレスだけを纏い、椅子へ横向きに座って俺たちを出迎えた。

 

「ようこそ、我が生徒。ここが魔女の棲み処よ」



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カウンター悪役令嬢への道 4

「私の噂くらいはさすがに聞いて来たでしょう?」

 

 オーレリアはアンナの持ってきたバスケットを受け取ると、その中身をさっさと食べ始めた。

 軽食は二人前近い量があるものの、一口も分けてくれそうにない。俺たちは昼食を済ませているからいいのだが……。

 年頃の令嬢とは思えない所作に苦笑いをしつつ俺は「ええ」と答えた。

 

「《漆黒の魔女》。なんでも、初めての魔法で実の母親を殺めたとか」

「あら、随分率直に口にするのね」

「回りくどいやり方は性に合わないもので。噂は本当なのでしょうか?」

「ええ、本当よ。倒れた母の姿まではっきりと憶えてる」

 

 淡々とした口調。そこには何の感情も籠もっていない。食事の手が止まったのは一瞬だけで、それは喋っているせいで口が使えないから、という単純な理由からに見えた。

 

「私は自分の母親を殺した。それが原因で王位継承権を剥奪され、表向きは王族としても扱われていない」

「メイドを使わず生活しているのもそれが理由ですか」

「いえ、それは単純に煩わしいからよ」

 

 違うのかよ。

 一口齧ったサンドイッチを手にしたまま、オーレリアは「それで、どう?」と嫣然と笑った。

 

「本人の口から聞いた感想は? 軽蔑した?」

「いえ、特にそういったことはありません」

「あら」

 

 少女の顔に意外そうな表情が浮かぶ。アンナも「本気ですか!?」と言いたげな視線をこちらに向けてくる。

 俺は軽く肩を竦めて、

 

「わたしは別に善人ではありません。極力正直でありたいとは思っていますが、万人に等しく愛を振りまくなんてとても。ですから、オーレリア様が魔法を行使した結果、お母さまが亡くなった。その結果だけを見て悪と断じることはできません」

「どういう意味かしら?」

「深い意味はありません。ただ、初めての魔法は半ば無意識に行使されることも多いのでしょう?」

 

 他でもない俺自身もそうだった。だからわかる。ちょっとしたうっかりがあっただけ意図せず魔法が人を向いた可能性は十分にある。

 

「もちろん、今の話ではオーレリア様がお母さまを殺めたことを否定することはできませんが。わたしとしてはきちんと魔法を教えてくださればそれでいいということです」

「私が貴女を殺すかもしれない、とは思わないの?」

「今でも気軽に人殺しをしているのなら、学園の寮ではなくお城の牢獄に収監されているはずです」

「そう」

 

 信じたわけではない。個人的な都合のために評価を保留にしただけ。今後、自分や周りの人間が脅かされた時にはならいつでも手のひらを返す。

 俺の返答を聞いた少女は堪えきれないというようにくすくすと笑いだした。また、それでいて食事も止めない。日頃、テーブルマナーを徹底されている身として若干イラっとする。

 

「オーレリア様。この部屋、アンナに掃除させてもよろしいですか?」

「駄目よ。私が使いやすいように配置しているのだから、整理整頓されたら逆に利便性が下がるの」

 

 片付け下手な人間の常套句である。

 駄目だこいつ、と説得を諦める。

 

「初日ですが、何から始めますか?」

「ああ。とりあえず、机の上にある杖を握ってみなさい。そうそれ。そこからだと遠いから今取ってあげる」

「自分で取りますから、食べ物を持った手で触らないでください……!」

 

 ポテチ食べながらゲームしても平気なタイプか、と、オーレリアへの心証を下方修正しつつ、少女が『杖』と呼んだものを手に取る。椅子に座ったオーレリアに近づいた時にふわり、と、爽やかないい匂いがした。

 杖は水晶か何か、透明な石で造られた細長い棒だった。片側の先端に20~30面体くらいの多面体状の石がはめ込まれており、手に取ると意外にずっしり重い。

 

「それに魔力を流し込みなさい。魔法で病を克服した貴女ならできるでしょう?」

「ええ。魔力を流すだけなら」

 

 ジゼルの一件はさすがに知っているか。頭の片隅でそんなことを思いながら杖に魔力を流す。念のため量は控えめにしたが、少量が吸い取られた途端、先端がぼんやりと発光して総量の数パーセントが一気に持っていかれる。そして、握っている下端を基点に杖の全長の半分ほどが輝きに包まれた。

 先端の宝石は赤と白の二色にその色を変化させている。

 オーレリアはそれを見て「へえ」と感嘆の声を上げた。

 

「成人王族の平均に相当する魔力量。八歳でこれは将来有望ね。天才と言っても過言ではないわ」

「養母がわたしには才能がある、と言っていたのですが、それは魔力量のことだったのでしょうか」

「おそらく、そうでしょうね。一般的に魔法の才能と言えば魔力の量だもの」

 

 大事なのは経験と答えた俺へのあてつけか、少女はわざわざそんなことを言ってくる。

 話しているうちに食事の残りは着実に減っており、完食が近い。

 

「属性は火と光。二重属性とは、貴女、少し天に愛され過ぎなんじゃない?」

 

 これは魔力を測定する魔道具だったらしい。属性までわかるとは便利だ。

 

「わたし、光の属性もあるのですか? ……正直、要らないんですが」

「熱の精密操作ができた時点で予想はついたと思うけど? セレスティーヌ様と被るのが気に食わなくても、使えるものは使いなさい」

「こほん。……全属性のオーレリア様はどのくらいの魔力をお持ちなのですか?」

「私? 私は貴女の魔力の六割増しくらいね」

 

 天才云々が完全に嫌味だった。オーレリアと比べたら俺なんて凡人……とまでは言わないものの、せいぜいが並の天才である。目の前でサンドイッチに夢中になっている真の天才とは大きな差がある。

 すごいと言われたはずなのに何故か負けた気分になりつつ、小さくため息を吐く。

 

「魔力量は成長するものなのですか?」

「ええ。身体が出来上がる頃までは自然に成長し続ける、と言われているわ。それから繰り返し魔力を操作し身体を慣らすことでもある程度は成長させられるそうよ」

 

 だから俺は「八歳でこれはすごい」と言われたわけだ。学園に入学する年齢には王族の平均値を上回っている可能性が高い。

 ひょっとすると、俺がリオネルの婚約者に指名されたのはこれも理由の一つだったのか。

 

「両親はわたしの魔力量を知っていたんでしょうか」

「大まかには把握していたでしょうね。貴族家に生まれた子は普通、赤子のうちに魔道具で魔力量を調べられるものだから」

「なるほど」

 

 知ってはいたが、それを俺には知らせていなかったというわけだ。若干癪だが、つい最近まで我が儘娘だったことを思うと知らせるタイミングはなかった気がする。下手に教えて生母アデライドの魔法を再現でもされたら目も当てられない。

 めぐり合わせが悪ければセレスティーヌを焼き殺していたかもしれない。それはそれで若干すっとするかもしれない……なんて冗談を言えるのは実際にそうなっていないからだろう。

 バスケットの中身を平らげたオーレリアは、最後にガラス容器に入った紅茶を味わいつつ笑って、

 

「それだけ魔力があれば私の研究に十分貢献できそうね」

「いえ、あの、先に魔法を教えていただきたいのですが」

 

 授業の対価として協力するのはやぶさかではないが、助手になりにここへ来たわけではない。

 すると小さく舌が鳴らされて、

 

「もう基本はわかっているんでしょう? なら、教えることなんて殆どないの」

「まさか。それなら教師なんて必要ないではありませんか」

「そのまさかだと言ったら?」

 

 空になったガラス容器がすっと突き出される。受け取った俺に、オーレリアは「これを水で満たしなさい」と言った。

 

「できる?」

「まあ、それくらいなら……」

 

 指先を瓶の口に当てて「水よ」と唱える。アンナと練習した時は上手くいかなかったが、今回はいとも簡単に水が生まれた。瓶の口が狭いのでイメージと消費魔力を調整して少しずつ注ぎ込むようにする。『さすがわたしね。完璧だわ』と思っていたら「遅い」と指導が入った。

 

「もっと一気に満たせない?」

「そんな無茶な……」

 

 いっぺんに満たそうと思ったら口から注ぐのでは足りない。なら、どうしたら? 瓶の中にぽん、と水を生み出せればできそうだ。そんなことは普通できないが、これは魔法なのだから不可能も可能にできるかもしれない。

 イメージを変更。瓶を包み込むように両手で持ち、魔力を瓶の内側に浸透させながら水を生み出すイメージ。

 すると──ちゃぷん、と水音。

 ずっしりと重くなった瓶を持ち上げて、

 

「できたじゃない」

「……できましたね」

「いえ、普通はできません。騙されないでください、リディアーヌ様」

「そ、そうね。この魔法はたまたま前に見たことがあったし」

 

 これにオーレリアは「ふうん」と首を傾げて、さらにいくつかの命令を出してくる。

 

「この部屋の中に風を吹かせられる?」

「そのくらいでしたら」

「そこの壁に小さな穴を空けてみなさい」

「それは……できました」

「じゃあその穴を埋めて」

「全く同じ石でなくても良いのなら」

 

 ここまで終わった時点でアンナが泣きそうになっていた。

 

「オーレリア様が推薦された理由がよくわかりました。私だったらできるようになるのに一年以上はかかってます」

「アンナだったかしら。この子の頭がおかしいだけだから安心しなさい。まあ、私もこのくらいは普通にできたけど」

 

 なら、あんたが頭のおかしい筆頭じゃないか。

 漆黒の瞳がすっと細くなって俺を捕捉し、

 

「貴女が言ったことでしょう? 重要なのは経験。思い浮かべられる事柄なら貴女は既に大抵のことを実行できる。だから、私にできるのは経験の蓄積を増やしてやることくらい」

「なるほど。……よくわかりました」

 

 俺への指導能力に限って言えば、オーレリアはずば抜けている。他の指導者についていたら「常識的な対応」で、同じことをするのに数か月を費やしていたかもしれない。

 深く頷く俺を見て黒髪の少女──魔女は満足そうに笑って、

 

「だから、魔法の訓練において最も重要な事柄について初めに教えておきましょう」

 

 自分の左腕を心臓より高く持ち上げると、右手の人差し指を左手首に当て、()()()()()によって浅い切り傷を作り出した。

 

「なっ……!?」

「何をなさっているのですか!?」

「落ち着きなさい」

 

 当のオーレリアはいたって平静。痛みに顔をしかめながらも淡々と「よく見ていなさい」と言って──今度は自分の身体をゆっくりと癒し始める。

 傷つけられた血管が修復され、肌が元通りになっていく。傷つけた時の逆回しをするような光景に、俺はごくりと息を呑んだ。

 と、思ったら同じ個所がすぱっと切り裂かれて、

 

「はい。治しなさい」

「は!?」

 

 こいつ、天才を通り越して馬鹿なんじゃないだろうか。

 どこの世界に自分の身体を治療魔法の実験台にする教師がいるのか。しかも一度実演しただけで生徒にやらせようとするとか。

 

「早く。失った血液までは戻せないんだから」

「ああ、もう! どうなっても知りませんからね……!?」

 

 憤りに任せて少女に近づくと、俺はその細い手首に両手で触れる。そして、マンガやゲームで見た回復魔法を思い出しながら、淡い光が傷の修復箇所を埋めていくイメージをする。

 

「あ……!」

 

 アンナの歓声。イメージ通りに生まれた光の中、オーレリアの切り傷が塞がっていく。

 魔女は確かめるようにそこに触れて「ふむ」と言い、

 

「小賢しいイメージ作りのために光を出す暇があったら、医学書を読んで人体の造りについて勉強しておきなさい。足りなければ自分の身体を刻んで観察すればいいわ」

「そんなことを言っているから《漆黒の魔女》なんて呼ばれるのでは?」

「必要なのだから仕方ないでしょう。失敗した時の保証がなければ魔法の訓練なんてまともにできないもの」

「最も重要と言ったのはそういう意味ですか」

 

 魔法の訓練で一番怖いのが失敗や暴走による怪我だ。それを防止するには術者当人が治癒の魔法を覚えればいい。もちろん、本人は難しい場合も多いだろうから、それもあって教師がつくのだろうが、

 

「魔法は使えば使うほど頭だけでなく()()()慣れる。魔力量を増やすためにも毎日反復して練習しなさい。そこでの怪我は自分で治すこと。わかったかしら?」

「かしこまりました。ですが、オーレリアさま。わたし、ここへ来る時点で無理して時間を捻出しておりまして……」

 

 毎日練習時間を設けろとか正気かと暗に問えば、彼女はきょとんと首を傾げて、

 

「時間くらい、魔法でなんとかしなさい。できないの?」

 

 そろそろ一発くらいぶん殴っても許されるのではないか、と、本気で思った。



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カウンター悪役令嬢への道 5

「オーレリアさま? わたしは今まで魔法の勉強を禁じられていて、今日初めて本格的に教わり始めたのですが……」

「あら。駄目だと言われて素直に受け入れていたの? それに、教わっていないからできない、と?」

「む」

 

 勉強効率の向上を魔法でなんとかしろ。

 明らかに無茶を言われているのだが、こうもあからさまに挑発されるとイラっとくる。

 何か良い方法があるだろうか。

 考えるだけ考えさせておいて「残念。そんな事は不可能よ」なんて時間のもったいないことをする人にも思えないので、何か彼女なりの回答はあるはず。

 

「時間の流れを遅くして勉強時間を増やす……のは、さすがに無理ですよね?」

「魔法に不可能はない、と言いたいところだけれど、まず無理ね。事象として規定するのが難しすぎる上に必要な魔力量が膨大になりすぎる」

「なら、短い睡眠で疲れが取れるようにする──いえ、休息は魔力回復のためにも必要でしょうから、魔力を使って実現しては本末転倒ですね」

「無理だとか言いながら案外思いつくじゃない。でも、もっと単純な方法があるでしょう?」

「単純……記憶力を上げて一度で憶えられるようにするとか」

 

 勉強時間の大半は覚えるための反復練習。だから一度で頭に叩き込めればそれだけ効率は上がる。進度が良くなれば自由時間の捻出も夢ではないだろう。

 しかし、この方法にも難がある。大量に頭へ詰め込んでも必要な時に思い出せなければ意味がない。それに、知識を頭に叩き込むイメージというのも作りにくい。

 それなら、

 

「憶える助けではなく、思い出す助けとして魔法を使う?」

「正解」

「私、そのようなお話は聞いたことがないのですが……」

 

 アンナが困惑した様子で呟く。

 

「それはそうでしょうね。とっておきの魔法は誰しも秘匿するもの。使っても人目に触れない魔法なら猶更。私も自分以外に使い手がいるかどうかは知らない」

「では、どうしてわたしに教えてくださったのですか?」

「貴女なら自力で到達するだろうから。そうなる前に、私にも貴女のやり方を教えて欲しいから」

「なるほど」

 

 こくんと頷いて了承を示した。もともとそれが交換条件の一つだ。

 俺は「思い出すための魔法」について少し考えて、

 

「属性としては心の魔法、ということになるでしょうか」

「そうね。自分の心に働きかける魔法。自分への魔法には防御が働かないから特に有効であると同時に、危険な魔法でもある」

「そ、そんな危険な魔法をリディアーヌ様に使わせるのですか!?」

「この子は既に一度、いえ、二度も『自分への魔法』に成功しているでしょう? だから、貴女が真似するのは止めておきなさい。廃人になりたいなら別だけどね」

 

 アンナがぶるっと震えて口を噤む。おっかない話だが、自分の心を弄るのだから当然だ。とはいえ、

 

「記憶を引き出すだけの魔法ならそう大きな危険はないかと」

「そう? なら、貴女にはもう具体的な想像が出来上がっているのかしら」

「そうですね。わたしなら、一つ一つの記憶を箱に例えます」

「箱?」

「部屋でも構いません。そして、関連のある部屋同士は通路で繋がっている。例えば『りんご』の部屋からは『赤』の部屋に行くことができます。赤の部屋は『薔薇』『ワイン』などの部屋にも繋がっているでしょう」

「ふむ」

 

 俺の説明にオーレリアはしばし、目を細めて内容を吟味。

 その後で「なるほどね」と頷いて、

 

「思い出すという行為は通路の繋がりを辿って目的の部屋へと到達すること、というわけね」

「はい。たくさんの通路と繋がっている部屋──記憶ほど思い出しやすいことになります。思い出したい記憶に関する事柄、地名や人名、日時などと合わせて想像を膨らませれば、普通に記憶を引き出すよりもずっと簡単になるかと」

「いいわね。これからはその方法も試してみましょう」

「そう言うオーレリアさまはどういった想像を?」

「私は本棚ね。記憶ごとに別々の本として棚に詰まっているの。それを背表紙頼りで手に取って、ページをめくる感じ」

 

 そのイメージもなかなか良い感じだ。特にラベリングをするという発想がすごい。

 俺たちのイメージの良いとこ取りをするなら、PCにおけるファイルとフォルダの関係、ディレクトリ構造だろうか。これならファイル名でラベリングもできるし、なんなら検索機能を利用して欲しいファイルをさっと探し出すこともできる。

 行けそうだ。面白い思いつきに一人頷いていると、黒髪の美少女は探るような視線を俺に向けてきて、

 

「さらに何か思いついたのかしら?」

「いえ、さすがにそこまでは。ただ、これなら勉強が少しは楽になるな、と」

 

 俺が思いついた新しい方法についてはオーレリアにも内緒にすることにした。電子的な概念を説明する自信がないし、イメージの曖昧な魔法に危険が伴うのなら師を危険に晒すことになりかねない。

 この天才少女ならそれくらいすんなり乗り越えてしまいそうな気もするが。

 当のオーレリアは椅子から身を乗り出して俺の頭に手を置いて、

 

「優秀な弟子というのはなかなか可愛いものね」

「ありがとうございます」

「じゃあ、教師としての務めは果たしたし、私の助手をしてもらおうかしら。まずは──」

「絶対、そのために無茶な時間短縮をしましたよね?」

 

 弟子扱い&子供扱いで褒めてくれたかと思えばさっさと身を翻し、うきうきと山積みのがらくたを漁り始めるオーレリア。

 彼女が《漆黒の魔女》の名に相応しい悪女なのかどうかはまだわからないが、生活力のない駄目人間であることは間違いなさそうだ。

 俺はジト目で彼女を眺めて、

 

「その前にまともな服を着ていただけないでしょうか。その格好で居られると気が散ります」

「何よ。ドレスなんて着ていても動きにくいだけだし、いっそ裸になりたいくらいなのだけれど」

「いいから身嗜みを整えなさい、この痴女!」

 

 こんな美女の裸を見慣れてしまったら、男だった頃のプライドがいよいよピンチである。

 

 

 

 

「……なんだか、どっと疲れたわ」

「半日足らずの時間が永遠のように感じられましたね……」

 

 家に帰り付いた俺とアンナは学園寮で体験した出来事を思い返して深い息を吐いた。

 あれから日が暮れかけるまで研究の手伝いをさせられた。終わってみれば授業をしてくれた時間はほんの僅か。果たして俺は勉強しに行ったのか手伝いに行ったのか。そのくせ成果はこれでもかと山積みされているので怒るに怒れない。

 

「リディアーヌ様。くれぐれも危ないことはなさらないでくださいね。身体に異常を感じたら魔法はすぐ中止してください。それから、部屋を壊したり汚したりしないように」

「わかっているわ。わたしはオーレリアさまと違って常識はあるつもりだもの」

「もちろん、私も信じています。でも、あそこにいるとリディアーヌ様がどんどん影響されてしまいそうで……」

 

 確かに影響がないとは言えない。

 なにしろ、オーレリアは格好いい。いや、だらしない格好とか散らかった部屋はともかく。他者に阿ることなく自分を貫く姿勢には強く憧れる。『そうね。オーレリアさまだったら、お養母さまにもはっきり宣戦布告しそうだもの』。

 もちろん、今の俺に同じことができるとは思えない。それでも参考にすることはできる。あの人のような強さを手に入れるにはもっと強くならなければ。

 

「無理のない範囲で頑張ることにしましょう。身体を壊したらまた何日も寝込むことになるものね」

「はい、是非そうしてください。私もできる限りお手伝いしますので!」

「ありがとう。でも、アンナも無理はしないでね」

 

 それから部屋で身支度を整えたらすぐに夕食だ。

 

「リディ。オーレリア・グラニエに変なことをされなかったか!? あの女が妙な動きをするようなら後見人に監督不行き届きを申し入れるから、必ず言うのだぞ」

「ありがとう、お父さま。でも、心配し過ぎよ。身体には傷一つないわ」

 

 顔を見せるとすぐに父から確認を受ける。笑って答えれば彼はほっと安堵の表情を浮かべて、

 

「そうか。指一本触れられなかったのだな?」

「え? 触られるくらいは普通にあったけど?」

「……おのれ。やはり野放しにしておくのが間違いだったのだ。次回からは護衛をつけるべきか。いや、しかし、下手な者を付ければ逆に利用される恐れが……」

「旦那様。そもそも殿方、しかも平民となれば女子寮への出入りにも制限がかかるかと」

 

 怪我よりも篭絡の心配をしているように見える父。暴走しかける彼にセレスティーヌがさらりと待ったをかけた。

 警備の兵とはドレス切り裂きの一件から変わらず仲がいい。部屋前の警備は終了したが、庭へ散歩に出た時などに顔を合わせて少し話をしたりする。だから頼めばついてきてくれるだろうが、兵たちの中に女はいない。執事とかならともかく戦闘要員の出入りは難しい。

 

「心配ないわ、お父さま。オーレリアさまはわたしに研究を手伝わせたいみたいだから。むしろ丁重に扱ってくれるはずよ。腕が良いのは間違いないし」

「む、そうか。リディアーヌがそう言うのならいいのだが」

「まあ、服装がだらしないのはいただけないけれど。今日なんて男性には見せられない格好をしていたわ」

「え、あの、お姉様? オーレリア様は王族なのですよね?」

「ええ。王族には個性的な方が多いのかもね」

 

 しかし、あの服装はなんとかしたい。今日はとりあえず着てもらったが、次回からも素直に応じてくれるかどうか。

 

「いっそのことオーレリアさまにドレスをプレゼントしましょうか」

「リディアーヌ。僕には何もくれないのかい?」

「え? お兄さまもドレスが欲しいのですか? ……髪を整えればきっとお似合いになるとは思いますが」

「そうじゃなくて。プレゼントされるオーレリア様が羨ましいと思っただけだよ」

 

 女装がよっぽど嫌だったのか、アランは慌てて弁解してきた。うん、まあ嫌だろうな。前世の俺だったら「死んだ方がマシだ」と思うところだ。

 アランの場合は似合うからまだマシだと思うが、変な扉を開かれても困る。

 

「では、お兄さまにも何かプレゼントいたします。せっかくだからシャルロットにも何か贈りましょうか」

「いいのですか? ありがとうございます、お姉様」

「リディ? 私には何もくれないのか?」

「もちろんお父さまにもあげるわ。お養母さまには……サシェでもお贈りしますね」

 

 見舞いを匂い袋一つで済まされた件をちらりと匂わせると、セレスティーヌは「それは楽しみです」とにこりと微笑んだ。ちっとも動揺しない辺りが憎い。

 さて。

 養母には本当に匂い袋でいいとして、他の三人に贈る品は悩みどころだ。採寸で出会った貴族出の職人・ナタリーに面白いものがないか相談してみようか。ドレスのデザイン画もそろそろ上がってくるだろうからちょうどいい。

 そうしたら、ナタリーと会う時間を捻出するためにも勉強を進めなければ。

 

「少し試してみましょうか」

 

 夕食の帰りに書庫へ寄って、読んだことのない本を一冊借りてくる。

 本を最初から開き、ひとまず読み返したり深く考えたりすることなくさくさく読み終えたら、アンナに本を渡して問題を出してもらった。

 答える際は魔力を頭へ流しながら、ついさっきの記憶を検索するイメージ。

 

「古い歴史を持つ王家の紋章にはある共通した特徴がありますが、それはなんでしょう?」

「それぞれ異なる架空の動物が使われていること。我が国は天馬(ペガサス)。隣国は(ドラゴン)。他にも一角馬(ユニコーン)や巨大な鯨を象徴とする国があるみたい」

「正解です。では……現在も多くの国において魔力を持つ貴族が国を支配する体制が築かれていますが、この理由として最も強いのは?」

「魔力持ちは魔法への耐性を持っているから。要職にある者が魔法で洗脳されて国が滅んだ、なんて笑えないものね」

「これも正解です。では、もう一問。魔道具に用いられる魔石は石から作られますが、魔石に加工可能な石の種類は?」

「なんでもいい。石によって向き不向きはあるようだけど、その辺の石ころでも魔石に加工することはできる。だから、無理に宝石を使う必要はないわけね」

「正解です。リディアーヌ様、本当に流し読みしただけで覚えてしまったんですね……!?」

「覚えたというか、ずるをして思い出してるって感じかしら」

 

 通常、勉強の際は反復によって頭に刻み込む──部屋の通路を整備するが、一度見聞きした時点で部屋と通路自体は形作られている。だから、狭くてがたがたの道であっても道順さえ調べることができれば部屋まで到達できる。

 

「これ、思ったよりも使えるかも」

 

 翌日もオーレリアの部屋へ通い、明けた平日。俺はさっそく記憶探査魔法(仮)を試した。

 すると座学では効果覿面。一応メモは取るものの、その気になれば思い出せるので「書き終わるまで待っていてください」と言う必要がない。さっとメモした程度でも教師の質問に答えられるので授業がさくさく進む。

 実技に関しては身体に覚え込ませないと意味がないのでそこまで効果はなかったものの、教師による実演を正確に思い出せるので十分に役に立つ。あるいは、会心の出来だった時の感覚を反復することもできるので、やり直しをさせられる回数がぐっと減った。

 結果。

 俺は家庭教師から褒められ、授業の速度が向上。こうなったら行けるところまで行こう、みたいなノリになった教師たちが授業予定とか関係なくがんがん先の内容まで教えてくるようになった。

 こんなはずじゃなかったと思いつつも、進度的に余裕があるのは事実なのでお願いすれば授業を早めに終わらせたり、あるいは午前中だけお休み、とか対応してもらえるようになった。

 空いた時間は魔法の練習やナタリーとの話し合い、リオネルとの遊び(一応デートか?)などに充てる。

 

 こうして、日々はあっという間に過ぎていった。

 

 

 

 

 

 自宅以外の場所で着替えるのは初めてだ。

 控え室として王宮内の一室を与えられた俺は、若干落ち着かない気分を味わいながら総勢五名ものメイドによる着付けと化粧、ヘアメイクを受けた。

 身に纏うのは自身の髪色にも似た紅のドレス。丁寧に櫛を入れたストレートの髪には贅沢にあしらったバレッタを留める。まつ毛を整えられ、唇に桜色の紅を載せられ、頬にさっと色を入れられたことで白人系のはっきりとした顔立ちがさらに強調される。

 既に婚約自体は承認を受け事実となっているため、今回は殊更清楚さを強調しなくてもいい。むしろ白い肌とのコントラストを魅せることや前に着たドレスとの差別化も考え、むしろパーソナルカラーの赤と黒をしっかりと主張していく。

 

 この国の人間は白を尊ぶ傾向があるらしい。また、王家に迎えられる女性は伝統的に金髪を持っていることが多いという

 それを考えるとセレスティーヌやシャルロットのような人間が歓迎されるはずで、俺はそこから外れているのだが──俺に赤と黒を纏わせたい、というセレスティーヌの提案を歓迎してくれたのは他でもない、この国の現国王だった。

 

『伝統に縛られる必要はない。其方には赤や黒が良く似合う』

 

 国家元首の承認はこれ以上ない後押しだ。

 ナタリーに注文した新型ドレスは予想通り間に合わなかったものの、代わりとして選ばれたこのドレスも負けず劣らず豪華で煌びやかなデザインである。ふわりと広がったスカート、子供だからいいだろうとばかりにこれでもかと取りつけられたフリルとレースは俺の容姿と相まって強烈に人目を惹きつけるだろう。

 その威力はアンナやマリーに交じって着替えを手伝ってくれた王城のメイドたちのうっとりするような表情を見ればよくわかった。

 

「本当にお美しいです、リディアーヌ様」

「これならリオネル殿下もきっと惚れ直してくださいますよ」

「ありがとう。……でも、リオネル様はきっと『また派手なドレスだな』と仰るだけではないかしら」

 

 ちょっと着飾ったくらいではあのお子様はノーダメージだろう。くすりと笑って「仕方のない殿下」といった雰囲気を出すと、メイドたちもくすくす笑ってくれる。室内に和やかな空気が流れたところで、部屋のドアがノックされる音。

 

「今日のドレスもまた派手だな、リディアーヌ」

 

 ほら見ろ。

 入ってきたリオネルは「女の着替えは本当に面倒だな」とでも言いたげに褒めてるのか貶しているのかわからない感想を述べてきた。本人も白いスーツに身を包み装飾品で飾り立てられ、美少年ぶりをさらに高めているのだが……まあ、所詮お子様なので馬子にも衣裳といったところか。

 俺は苦笑しながら「とてもよくお似合いです」と賛辞を返して、

 

「お前も似合っているぞ。この前の白っぽいのよりもずっとこっちの方がいい。せっかく顔がいいのだから似合うドレスを着ろ」

『な……っ!? ちょっと不意打ちはやめなさいよ、馬鹿王子!』

 

 これにはメイドたちが小さな歓声を上げた。なんだかんだこの二人はラブラブなのだ、みたいな誤解は勘弁して欲しい。俺はあくまでリオネルから「おもしれー女」枠で重宝されているだけであって、別に惚れられてはいないのだ。

 まあ、それはそれとして笑顔で「ありがとうございます」とお礼は言ったが。

 

「さて。心の準備は良いか、リディアーヌ」

「はい。一生に一度の晴れ舞台です。楽しんで参りましょう」

 

 さすがにエスコート云々はしっかり練習させられているということか、さっと差し出されたリオネルの手を取り、俺は歩き出す。

 今日はリオネルの九歳の誕生パーティー。

 多くの貴族が集められたこの場では同時に王子の婚約者が広くお披露目されることになっている。ここから親世代と合流した俺は国王らと並んで壇上に立ち、衆目に晒されながら挨拶をする。

 華々しい社交界デビュー。

 これまで狭い世界で生きてきた分だけプレッシャーはかかるが、同時に胸が躍るような気持ちもある。一生懸命高めてきた俺の実力がどの程度通用するのか、今日この日である程度確認できる。

 

『やってやろうじゃない。わたしはわたしらしく、国中に存在を知らしめてやるわ!』

 

 ああ、その通りだ。

 心の中の自分の声に小さく頷いた俺は、魔法を使って自分の体温を僅かに高めてやる。意図的に生み出された高揚が緊張に勝って一種の集中状態を作り出す。

 

 そうして俺──リディアーヌ・シルヴェストルの、カウンター悪役令嬢としての真の第一歩が始まった。




これでいったん一区切りでしょうか。
次回からは何話か他者視点の閑話をお送りします。リディアーヌのお披露目(悪役令嬢デビュー?)の様子も誰かの視点で描く予定です。


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紅髪の公爵令嬢:リオネル誕生パーティ(前編)

「今度、城でパーティーが開かれる。私と一緒に出席しなさい」

 

 九歳になったある日、少女は父から突然そう告げられた。

 伯爵家の長女として生まれ、使用人に世話される生活を送ってきた。自分が恵まれているのだと漠然と感じる一方で、屋敷の庭から見える大きなお城に強い憧れを抱いていた。

 お城には王様や王子様が住んでいて、自分たちよりもずっと華やかな暮らしをしている。

 大きくなったら夜会や舞踏会に招待され、綺麗なドレスを着てお城に行く機会もある。そうしたら王子様にも会えるかもしれない、そんな風に聞いて育ってきた。

 だから、お城に行けるのはもっと先のことだと思っていたのだが。

 

「リオネル殿下がリディアーヌ・シルヴェストル公爵令嬢とご婚約なさったらしい」

「まあ。ではお披露目があるのですか?」

「ああ。一か月後にある殿下の誕生パーティーに二人揃って出席なさるそうだ。広く周知を行うつもりなのだろう。同世代の子供がいる家全てに招待状が送られているそうだ」

 

 リオネル殿下は三番目の王子様だ。少女は一足先に九歳になったが、学園に入学したら同学年になる。

 子供が主役だからか、パーティーは「保護者一人、子供一人」と参加者が指定されているらしい。少女には上の兄姉がいない。跡継ぎになる予定の弟はまだ幼いため、参加するには少女を連れていかなければならない。

 

「公爵家が要望したようだな。まあ、面白い趣向ではある」

「リディアーヌ様が公式の場に出るのは初めてですもの。広く周知したいのでしょう」

 

 少女にとって遠い存在だった王子様。その婚約者になったリディアーヌという子のお陰で少女はパーティーに出られるらしい。

 どんな子なのだろうか。

 紅の髪と瞳を持った美しい容姿だという彼女と早く会ってみたくなった。

 

「もし、リディアーヌ様とお近づきになる機会があれば逃さないように」

 

 リディアーヌと友達になれ、ということらしい。

 友達。それはとても素敵なことだと思った。空想するしかなかった世界がぱっと目の前に広がったようで、わくわくが止まらなくなった。

 パーティーまでの一か月はあっという間。大急ぎでドレスを調達し、王族の前に出ても大丈夫なようにと礼儀作法の授業が厳しくなった。辛いと思う気持ちもあったが、期待と興奮の方がずっと大きかった。

 

 そして当日。

 

 少女は手持ちのドレスの中で一番高いという綺麗で可愛いドレスを着て、父と一緒に馬車へ乗り込んだ。今までは眺めるだけだったお城がどんどん近づいてきて、馬車を降りると想像以上の光景があった。

 広く豪華なホール。

 凛々しく紳士的な男性たちと、美しい女性たち。

 父と共に挨拶をして回ると、何人もの女の子から「仲良くしてください」と言われた。笑顔で頷いて友達になった。

 そして、

 

「皆、今日はよく集まってくれた」

 

 一目見ただけで偉い人だとわかる男性がホール全体を見渡せる高い場所に立って挨拶を始めた。父に寄れば彼が王様──国王陛下だと言う。

 

「今日のパーティーは我が第三王子リオネルの九歳の誕生日を祝うためものだ。そしてもう一つ、リオネルの婚約者を紹介するための場でもある」

 

 陛下に促されて進み出たのは金色の髪をした美しい少年と、そして一人の少女。

 リディアーヌ・シルヴェストル公爵令嬢。

 一瞬で心を奪われた。胸元に薔薇の刺繍が施された真っ赤なドレスを纏う、神秘的かつ儚げな少女。深い紅色の髪に宝石のような瞳を持ち、ノースリーブのドレスから白く滑らかな肌を覗かせている。ぴんと姿勢を正した状態も、そこからカーテシーに移る動作も今年九歳になる少女とは思えない。

 

「こんなにも大勢に誕生日を祝ってもらえて嬉しく思う。どうか、私の婚約者も同じように歓迎して欲しい」

「リディアーヌ・シルヴェストルと申します。光栄にもリオネル殿下と婚約させていただくこととなり、心より嬉しく思っております。わたしを選んでくださった恩に報いるためにも精一杯、励んでいく所存です」

 

 凄い。

 リオネルとリディアーヌはまさにお似合いの二人だった。昔は分不相応にも「王子様と結婚する!」などと思っていたこともあったが、自分にはとてもあの場に立つ度胸はない。

 リディアーヌこそが婚約者に相応しいのだと心から思った。

 陛下やリオネルたちの挨拶が終わったところで子供だけが小ホールに移された後、少女は無邪気に『お友達』へ自分の感想を話した。

 

 ──世界はこんなにも素晴らしかったのだと。

 

 そして、すぐにそれが思い違いだと思い知らされる。

 主賓であるリディアーヌはリオネルと共に大人たちにも個別に挨拶をしなくてはならない。そのため、あの少女が不在の中での出来事だった。

 

 

   ◆    ◆    ◆

 

 

「あら。貴女、どなただったかしら?」

「え……っ?」

 

 さっき挨拶したばかりの令嬢から、思いがけない言葉。

 彼女は確かリディアーヌと同じく公爵令嬢だったはず。上位の人間には特に失礼のないように、と父から念を押されていた少女は慌ててもう一度名乗った。

 すると、公爵令嬢の取り巻きが一斉にくすくすと笑いだす。

 

「わからないの? 貴女、身の程を弁えろと言われているのよ」

「ど、どういうことですか?」

 

 ため息。明らかな失望を浮かべた取り巻きは「あのね」と前置きしてから少女を睨みつけて、

 

「殿下との婚約を狙っていたのはリディアーヌ様だけじゃない。失恋された方の前で恋敵を称賛していたのよ、貴女は」

「あ……っ!? も、申し訳ありません、そんなつもりでは……!」

「どんなつもりだったかは関係ないの。気分を害した方がいて、その原因が貴女。それだけで十分でしょう?」

 

 浮かれていた気分が一気に吹き飛んだ。

 冷水をかけられたような気分で必死に謝る。他の取り巻きも冷たい表情で「ひどい子」「信じられない」と口々に言ってくる。自分はとんでもない失敗をしてしまったのだと、涙がひとりでに湧き上がってきた。

 渦中にある公爵令嬢を窺うと──驚く。

 中心人物の令嬢だけは笑顔だったのだ。彼女がさっと手を持ち上げると取り巻きが一斉に黙る。そして、

 

「間違いは誰にでもあるわ。だから、水に流してあげる。わたくしともう一度、お友達になってくれるかしら?」

「は、はいっ! お願いしますっ! 私と友達になってください……!」

 

 縋るような想いで口にすると、にっこりと笑顔が返ってくる。

 救われた気分。公爵令嬢の顔がそっと近づけられて、他の人間には聞こえないように囁かれる。

 

「なら、今からお前はわたくしの派閥の一員よ。いいわね?」

「は、派閥?」

「わたくしの事を一番に考えてくれる『お友達』の事よ。そう、この子達のように」

「っ」

 

 震える。取り巻きの少女達は同じ表情でじっとこちらを見つめている。一見、物腰は穏やかだが、腹の中には魔物が住んでいる。

 

「わ、私は、何をすればいいんですか?」

 

 公爵令嬢はさっと髪をかき上げると「そうね」と目を伏せて、

 

「リディアーヌ・シルヴェストルがこのパーティー中に()()()()()へ見舞われたら可哀そうだと思わない? ……そう、例えば飲み物を被ってせっかくのドレスが台無しになってしまうとか」

「そ、そんなことできるわけがありません……!」

「あら? 何を言っているのかしら? わたくしは『そうなったら可哀そうだ』と言っただけよ? ……まあ、失恋のショックもあるし、もし本当にそうなったらむしろすっきりするかもしれないけれど。もちろん、本当にやっては駄目よ。可哀そうだものね?」

 

 ああ。

 これが本当の貴族社会なのだと、少女は初めて思い知った。地位の低い人間は自分より格上の人間の『派閥』に入って庇護を願い、その代わりに服従を誓う。

 服従とは、主のためならなんでもする、ということだ。

 

「貴女とは、いいお友達になりたいわ」

 

 令嬢たちが去っていく。

 しかし、楽になった気はまるでしなかった。鎖を巻き付けられたかのように四肢が重い。緩慢な動作で辺りを見渡せば、誰も少女のことなど気にしていない。否。目が合っても「何事もなかったように」目を逸らされ、見過ごされる。

 この場から逃げ出したい衝動にかられ、目的も定めないまま歩き出す。数歩進んだところで、すれ違った令嬢に足を踏まれた。床に倒れた少女は「あら、はしたない」というくすくす笑いを聞きながら、近くにいたメイドに助け起こされた。

 

 

   ◆    ◆    ◆

 

 

「リオネル様だ」

「リディアーヌ様よ」

 

 主賓が小ホールへやってきた時には、あんなにきらきらしていた世界は嘘のように汚れてしまっていた。どろりとした感情に心の奥底までを浸されながら、リディアーヌたちが多くの子息・令嬢に囲まれるのを見る。

 美しいあの少女もきっと派閥の拡大を狙っているのだろう。

 王子という後ろ盾を持ったリディアーヌは他の公爵令嬢よりも強い立場にある。彼女の力を削ぐのに最も手っとり早いのは衆目の前で貶めることだ。他の貴族から笑われ、取るに足らないと思われれば思われるほど重い足枷が彼女を縛る。

 だから、彼女たちは『お友達』を募って派閥を作る。どうなっても構わない下っ端に()()()()()()()()指示を出して攻撃させる。

 

 世界は、決して綺麗なんかじゃない。

 

 こんなことならお城になんか来るんじゃなかった。自分はただ憧れの人に近づきたかっただけなのに。どうして、そのリディアーヌを攻撃しなければいけないのか。

 けれど、攻撃しなければ()()()()

 視線を感じる。同時に無言の圧力も。やれ、という無言の命令だ。足ががくがくと震え、笑顔が作れているかどうかさえわからない。

 

「お飲み物はいかがですか?」

 

 使用人の運ぶトレイから果汁の入ったグラスを受け取る。

 気持ち悪い。夢見ていた世界が一歩ごとにどす黒い色に塗り潰されていく。逃げ場はない。後戻りもできない。派閥に入らなければこの先やっていけない。だったら簡単だ。このまま歩き、偶然を装って飲み物をかければいい。そうすれば少なくともあの派閥からは潰されない。

 ちゃんと『お友達』になれたら守ってもらえるはずだ。

 

「あはは」

 

 少女は壊れたように笑って──手に持っていたグラスを落とした。

 ガラスの割れる高い音。しん、と辺りが一瞬静まり返る。片付けのためにメイドが駆け寄ってくる中、少女は「あれ……?」と首を傾げた。

 飲み物をリディアーヌにかけるはずだったのに、どうしたんだろう。

 どうしてできないんだろう。

 せっかくの生き残るチャンスまで不意にした自分。何もかも嫌になって泣きながら蹲る。その時、舌打ちが聞こえた。はっと顔を上げると、こちらに視線を向けているリディアーヌと、そのリディアーヌに指の先を向ける一人の令嬢が見えた。

 令嬢の指先から水の塊が生まれて勢いよく飛んでいく。

 魔法だ。

 魔法を使った令嬢は十二~三歳。十二歳くらいからは親の判断で大ホールに残っても良い決まりなので、小ホールにいる中では年上の部類だ。だからそんな悪戯を思いついて実行できた。しかし、八歳のリディアーヌには対抗できない。

 

「あぶな……っ!」

 

 間に合わない。思わず目を瞑り、恐る恐る結果を確認すれば──リディアーヌ・シルヴェストルは一滴の水も被っていなかった。

 足元には小さな水たまり。少女の靴にはギリギリのところで触れていない。

 こつん。

 歩き出したリディアーヌは水たまりには目もくれず、しゃがみこんだままの少女に歩み寄ってきた。

 

「大丈夫?」

 

 目元をそっと拭われる。優しく、温かい声。はっとして「お手が汚れます」と言えば、微笑と共に首を振られた。

 

「あなたの顔も涙も汚れてなんていないわ。それに、パーティーを楽しめていない子を放っておいたらわたしまで楽しくなくなるもの。ね?」

「……はい」

 

 呆然としながらもこくん、と頷く。なんだろう。なにか違う。どうしてリディアーヌは自分なんかを助けてくれるのだろう。

 

「おい、リディアーヌ。婚約者を置いて勝手に行くんじゃない」

「申し訳ありません、リオネル様。ですが、むしろ率先して婦女子を助けるのが紳士的な殿方の在り方ではないでしょうか?」

「ふん。俺が手を差しのべたらお前が嫉妬するだろう?」

「想定外の使い方をしないでくださいませ。さ、立てるかしら?」

 

 差しのべられた手を取って立ち上がると、リディアーヌは「大丈夫そうね」と満足そうに頷いた。

 そして、少女の瞳をそっと覗き込んでくると、こう言ったのだ。

 

「ねえ、名前を教えてくれる? わたし、最近まで友達がいなかったから、同世代の子と仲良くなりたいの」

「え、あの……あっ!」

 

 また水の魔法。今度はさっきよりも大きい。人だかりの合間を縫って放たれたので誰も対応できていない。

 今度こそ当たる。そう思った次の瞬間。リディアーヌがちらりと視線を向けると、水は見る間に勢いを失って()()()()()()()。さっと手が振られると、今度はぱっと拡散して霧のようになる。これなら床も濡れないし触れても大した問題はない。

 ぽかん、とした。

 

「あの、今のは、どうして?」

「ああ、あれ?」

 

 リディアーヌは少し恥ずかしそうに笑って、答えた。

 

「魔法の訓練を怠るなというのが私の師──オーレリアさまの教えなの。だから、つい、ね」

「オーレリア・グラニエ!?」

「リディアーヌ様が《漆黒の魔女》に師事しているという噂は本当だったのね……!」

「ええ」

 

 さっ、と、紅の髪がかき上げられる。

 

「魔法の腕比べなら喜んで受けて立つから声をかけてちょうだい。ただし、挑戦したいからって周りの人や()()()()()()に迷惑をかけないでね。そんな奴は泣かしてやるから」

「……ああ」

 

 止まったはずの涙がまたこみ上げてきた。

 今度のはうれし涙だ。きっと、自分はこの時のことを一生忘れない。

 リディアーヌはあの公爵令嬢とは全然違った。強くて格好良くて、誇り高かった。

 たとえこの後、一生彼女から気にかけられなくても、リディアーヌ・シルヴェストルのことは嫌いになれないだろう。あの時の彼女のようになりたいと、きっとそう思い続けるだろう。

 けれど。

 

「もう。あなた、泣き虫なのかしら?」

 

 ほんの少しだけ自分より年下の()()()()()()はもう一度少女の瞳を拭うと、あらためて尋ねてきたのだった。

 

「それで、あなたの名前は? お友達になってくれるのかしら?」

 

 当然、答えなんて一つしかなかった。



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紅髪の公爵令嬢:リオネル誕生パーティ(後編)

 公爵令嬢ベアトリス・デュナンにとって、リディアーヌ・シルヴェストルは「突然現れた理不尽な障害」だった。

 

「宰相の長女リディアーヌ様がリオネル殿下と婚約なさるそうだ」

「そんな……!?」

 

 ある日突然、ベアトリスは父から第三王子リオネルの婚約を告げられた。

 本当に急な話だったのだ。何しろ、王子の婚約相手は今まで争いに参加してさえいなかった人物なのだから。

 それまで婚約者候補として最有力なのはベアトリスだった。

 

 ベアトリスは王子より二歳年上の十歳。

 公爵家の長女で、九歳の時に魔法の力に目覚めた才女。王子とは八歳の時から何度も顔を合わせていた仲である。我が儘なあの少年は年上の女に躾けられるべきだし、二歳も差があればリオネルが思春期にさしかかる頃にちょうど『身体の準備』が終わっているはず。

 長く伸ばしたダークブロンドの髪も金髪の女を尊ぶ王家の伝統に合致している。シルヴェストル公爵夫人のセレスティーヌほど見事な色合いでないのは残念ではあるものの、実際に王子をさらっていったリディアーヌはそもそも紅の髪である。

 これが、セレスティーヌの容姿を色濃く引き継ぐ次女のシャルロット相手ならまだ納得できたのだが。

 

「どうしてですの、お父様!? わたくしに何か不備がありまして?」

「いや……。どうやらリオネル殿下の強いご希望らしい。シルヴェストル公爵邸で初めて会ったリディアーヌ様をその日のうちに気に入り、婚約を望まれたとか」

「あの殿下が自分から婚約を望まれるなど信じられません」

 

 リオネルは少々素直すぎる性格だ。

 母である王妃が十分に愛情を注いでいることもあって母性に飢えておらず、女に興味を示さない。外を走り回ったり剣を振り回したり、チェスの勝ち負けを気にしたり、男性らしい娯楽を好んでいる。

 令嬢が気に入られること自体が難しく、多くの好敵手(ライバル)達が挫折を覚える中、ベアトリスは「またお前か」とうんざりした顔をされるのにも負けず逢瀬を積み重ねてきた。王子が恋愛を意識するようになった時、彼との繋がりにおいて他を突き放すために。

 だというのに、あのお子様が令嬢に興味を持ったとは。

 

「リディアーヌ様と言えばあの引きこもりの出来損ないでしょう? それがどうして急に……」

 

 リディアーヌ・シルヴェストルに関する情報は少ない。両親が揃って「他人様にお見せできる状態ではない」と詳細を伏せていたからだ。

 幼くして母親を亡くして以来、人が変わったように荒れるようになったという話であり、つい最近まで屋敷に軟禁状態だったはずだ。

 挙句、使用人から毒殺されかけるなどという事件まで起こしたのだから、少なくとも性格に難があるのは確かだと思っていたのだが。

 

「お披露目は殿下の誕生パーティーにて行うらしい。お歳がお歳だ。子供の参加も認められるだろう。どうする、ベアトリス?」

「もちろん参加するわ。リディアーヌ様が殿下に相応しい方なのかどうか見極めなくてはならないもの」

 

 母もベアトリスの決意に賛成してくれた。

 

「ええ、そうね。殿下のお相手に相応しくないようなら、リディアーヌ様には早いうちに舞台から降りていただかなくては」

 

 王家の行く末を案じるような言葉だが、実際は「潰せるものなら潰してしまえ」という意味だ。ベアトリスもそれを分かった上で「はい」と笑う。

 多少揺さぶりをかけられたくらいで潰れるようなら潰れる方に問題がある。困難の多い貴族社会においてはそれが真理であるとベアトリスは心得ている。果たして、今まで引きこもってきたリディアーヌはきちんと理解しているだろうか。

 

 誕生パーティーは約一か月後。

 当然その間、単に出席の準備だけを整えていたわけではない。ベアトリスは手紙を書いたり、あるいはお互いの家に出向いたりして友人・知人と連絡を取り合い、意思統一を図った。

 ベアトリスは子供世代における最大派閥のリーダーでもある。こういう時、公爵令嬢の立場は強力に作用する。対抗馬になりうるのはそれこそリディアーヌくらいだが、彼女には同世代との繋がりがない。

 

「わたくし、長年懇意にしてきたリオネル殿下を奪われた気分なのです」

「まあ。それはそれは。心中お察し致します」

「ベアトリス様にはリディアーヌ様へ文句をぶつける権利があると思いますわ」

 

 何人もの令嬢があっさりとベアトリスの味方につき、形勢はもはや戦いを始める前から明らかだった。その間、リディアーヌが何をしていたかと言えば、味方を増やそうとするわけでもなく、学園に出入りしては誰かを訪ねていた様子。

 気になって調べてみれば、会っているのは()()オーレリア・グラニエだとわかった。

 

(なるほど。常識から外れているのではなく、常識がないのね)

 

 よりにもよってこのタイミングで魔女と交流を持つなど、自分から悪評を広めに行っているようなもの。手ごたえがなさ過ぎて拍子抜けだが、手を抜いてやるつもりはない。

 

(リオネル様と結婚して王族入りを果たすのはこの私よ)

 

 王子は他にもいるが、ベアトリスとは少々年齢が離れている。また、第一王子と第二王子は側室の子であるため格が落ちる。

 地位とはそれを維持し、さらに上を狙ってこそ意味がある。

 次期王になるかもしれない男の妻には自分こそが相応しい。

 

 

   ◆    ◆    ◆

 

 

 そして、パーティ当日。

 父と共に会場入りしたベアトリスは挨拶回りの傍ら最後の根回しを行った。ついでにリディアーヌに関する情報も集めたが、やはり大した成果は得られなかった。

 

「とてもお美しい方だという話もありますが……」

「それならば引き籠もっている必要もないと思うのだけれど」

 

 それとも、母親が早死にしているくらいだし身体が弱いのだろうか。だとしたら引きずり下ろす手間がさらに省けるのだが。

 途中、鈍臭そうな伯爵令嬢に声をかけ、いざという時に「使う」準備をしたりしつつその時を迎えて、

 

「……な」

 

 高台に上がったその少女を見て、思わず絶句した。

 炎を思わせる苛烈さと紅玉のような華やかさ、さらに少女としての愛らしさが同居する美貌の少女。やや気の強そうな雰囲気がかえって人目を惹きつける。プライドにかけて「自分より美しい」とは言わないが、

 

「おお、あれが宰相殿の愛娘」

「屋敷に閉じ込めて人前に出さない癖に娘を貶されると不機嫌になるのが不思議だったが、もしや、単なる過保護だったのか」

 

 容姿だけでなく挨拶も堂に入っていて十分に見事な出来栄えだった。

 大人達が口々に褒めるのを見て、ベアトリスはひそかに唇を引き結んだ。それから「準備をしておいてよかった」と笑みを浮かべる。

 子供達が別会場へと移された後は派閥の令嬢達と感想を言いあいつつ、さりげなくリディアーヌへの敵意を伝える。直接的に「やれ」と命令するのは品の無い行いだ。誰かに聞き咎められた時のためにも明言は避け、誰かが自主的にやってくれるよう仕向ける。

 そんな時、さっき声をかけた伯爵令嬢が輪に入ってきて、呑気にリディアーヌを褒め始めた。

 たちまち責められて絶望の表情を浮かべる彼女。使えるかもしれない。ベアトリスは令嬢を炊きつけてリディアーヌへの嫌がらせを命じた。さっきと同じく、あくまでも匂わせる形で、だ。

 

(馬鹿な子)

 

 特定の上位貴族と仲良くするということはその者の派閥に入るということだ。覚悟も駆け引きを行う知恵も足りていない彼女は食いつぶされるしかない。大した繋がりのない伯爵令嬢一人で大きな結果が出るならこちらとしては大歓迎だ。

 

 ベアトリスが罪に問われることはまず考えられない。

 バレなければ何をやっても罪にはならない。そして、バレたところでベアトリス自身は()()()()()()()。明言しなければ命令にはならない。曲解して悪戯をしかけた者が愚かだっただけのこと。もしあの伯爵令嬢が糾弾してきても派閥のメンバーがベアトリスを擁護してくれる。

 他の参加者など所詮は群衆。致命傷にならない小競り合いごときでベアトリスとリディアーヌ、いずれかに肩入れするほど暇ではないはず。選択されるのが傍観であれば、有利は数の利を持つこちら側だ。

 

 勝てると思った。

 しかし、企みは上手く行かなかった。

 

「魔法の腕比べなら喜んで受けて立つから声をかけてちょうだい。ただし、挑戦したいからって周りの人や()()()()()()に迷惑をかけないでね。そんな奴は泣かしてやるから」

 

 愚かだと断じた伯爵令嬢は愚かすぎて思うように動かず、代わりに手を下した派閥メンバーの魔法もリディアーヌの魔法防御に阻まれてしまう。一度目は何かの間違いかとも思ったが、二度目の攻撃が失敗に終わったことで偶然でないことがわかった。

 リディアーヌは八歳にして魔法の扱いに慣れている。

 オーレリア・グラニエの元に通い詰めているという事実が途端に別の意味を帯び始めた。気に入った者にしか靡かないという魔女から教えを受けているのだとすれば。

 

「待て。泣かせるとか物騒にも程があるぞ。お前、姉上から変な影響を受けているんじゃないのか」

 

 ベアトリスが寒気を覚える中、リオネルは呑気だった。

 淑女に対するものとは思えないほどざっくばらんに声をかけ、リディアーヌもまたそれに自然体と思える様子で答える。

 

「事後の宣言では物言いがつきそうですので、今のうちに宣言しただけです。わたしはオーレリアさまと違って最低限の分別はつきますのでご安心を」

「どうだかな。……とにかく、せっかくのパーティーを台無しにするな。決闘なら庭にでも出てからやれ。俺、いや私に声をかけるのも忘れるなよ」

「あら。リオネル様は決闘をご覧になりたいのですか?」

「お前の言う『泣かす』がどういうものか興味があるからな」

 

 何を言っているのかわからない。

 泣かすだの決闘だの、とても令嬢の発想とは思えない。むしろ精神的には男子に近いのではないだろうか。信じられない思いに捕らわれつつ、無関係を装って挨拶をすれば、一転してごく普通の挨拶が返ってくる。

 

「リディアーヌ・シルヴェストルと申します。どうぞお見知りおきくださいませ、ベアトリスさま」

 

 周囲から感嘆の吐息。奇妙な言動で注目を集めた上で己の能力を見せつける。嫌味なやり口に苛立ちは更に高まり──。

 

「ベアトリスか。どうだ、私の婚約者は? こいつはなかなか面白いのだぞ。チェスもお前より上手いのだ」

 

 他でもないリオネルからの自慢話が最後の決め手だった。

 ベアトリスは派閥の人間にさりげなく攻撃の指示を出した。傍から見ればちょっとした仕草。しかし、それを皮切りに容赦のない悪意が注がれ始める。

 そして、それも軽くいなされた。

 

 足を躓かせようとすれば、リディアーヌはよろけた先でリオネルにそっとしがみつく。「何をやっているんだ、お前は」と婚約者を支える王子の姿がむしろ二人の仲を強調してしまう。

 塩を混ぜた飲み物を掴ませれば、最初の一口目こそ顔をしかめたものの以降は何の反応も示さずグラスを空にしてみせる。残されたグラスを確かめれば塩気は全く感じられなかった。おそらく、魔法で不純物を取り除いたのだろう。

 毒殺を企てたメイドが処刑を免れた件を話題に上げれば、

 

「ああ、あれはわたしが嘆願したのです。死刑ではあまりに可哀そうですもの」

「リディアーヌ様は罪人に対してお優しいのですね」

「いえ。ただ、死刑とは罪を贖わせるためのものではなく、次なる罪を減らすための刑だと思うのです。それは理解できますが、次のための生け贄にされるだけで終わっては賠償金を負担させられるジゼルの実家が可哀想でしょう?」

 

 まるで「生きて償わせることが最も重い罰」と言わんばかりの態度。堂々と紡がれたあまりの意見に気圧される者まで現れてしまう。

 常識が違いすぎる。

 しまいには派閥の末端にある少女の一人が逆に「飲み物に塩を混ぜられた」と騒ぎ始める始末。しかし、リディアーヌはそのグラスに触れるどころか彼女に近づいてすらいなかった。物質生成の魔法を遠隔操作したのだとすれば、それはもはや高等技術の域である。

 

(これ以上の深入りは危険すぎる)

 

 ベアトリスはリディアーヌから距離を取り──結果、誕生パーティー中にまともな被害を出すことは叶わなかった。

 

「なんなのよ、あの女は!?」

 

 自室に戻ったベアトリスは「一人になりたい」と使用人を下がらせると大声で吐き捨てた。

 リディアーヌ・シルヴェストルはまともじゃない。

 美しい容姿を持っているかと思えばしっかりとした立ち居振る舞いを披露し、年齢に不釣り合いな魔法の力まで持っている。他人の悪意を認識した上でそれらを全て受け流し、更にはただの善良さではなくある種の思慮深さまで覗かせる。

 ただの引きこもりにできることじゃない。

 考えられるとすれば、シルヴェストル公爵家が敢えて隠していた可能性。冴えない噂によって油断させたところで鮮烈にお披露目し、その存在を認めさせる策だとしたら。

 

「認めない。認めてたまるものですか」

 

 その日から、ベアトリス・デュナンの一番の目標はリディアーヌ・シルヴェストルを痛い目に遭わせることになった。リオネルの妻になるのはその次。

 結果的にこの決断がベアトリスに長きにわたる苦闘を強いることになるのだが、この時の彼女は当然、まだそのことに気づいていなかった。



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閑話
貴族女性とお洒落な商談


 ナタリー・ロジェは緊張していた。

 黒を基調とした重厚感のある家具の数々。重すぎて男性的な印象になりがちなところを女性的な品の良さで上手く纏め上げており、色遣いやデザインを日々研究している身としては全て描き写したいくらいだが、とてもそんなことを申し出られる状況ではない。

 向かいに座っている三人はナタリーが「職人として」ではなく「貴族女性として」訪問していたとしてもなお、失礼のないよう心を配って接するべき相手。

 

 中央には絵に描いたような美しい金髪と少女のような容姿を持つ公爵夫人、セレスティーヌ・シルヴェストル。

 その左隣には母譲りの金髪と愛らしい顔立ちを持った公爵家次女、シャルロット・シルヴェストル。

 そして、黒い内装にその紅の髪をひときわ映えさせる公爵家長女、リディアーヌ・シルヴェストル。

 周囲には複数人のメイドも控えており、女性ばかりの華やかな場でありながら圧迫感もある。

 

 睡眠時間を削って何枚もの仮案を仕上げ、同僚にうんざりされながら意見を求め、さらに改良を加えること数回──ようやく完成させたデザイン画をリディアーヌに見せに来たところ、どういうわけかセレスティーヌとシャルロットまでもが同席することになっていた。

 

「デザイン画は持ち帰ってしまうのでしょう? ならば、貴重なそれを目にする機会はこの時しかありませんもの」

 

 と、いうのがセレスティーヌの主張。

 良いデザインがあればリディアーヌ以外からも注文が取れるかもしれない、ある意味チャンスではあるものの、工房側の責任者としてついてきた副工房長はナタリーの隣で小さく震えている。

 公爵家を訪れるのも初めてではないわけだが、採寸の場はある種お祭りのような高揚感がある。出来上がったドレスを持って挨拶する際も(出来栄えが良ければ)相手は勝手に上機嫌になってくれる。それに対し、デザイン画を見てもらうために訪問した今日は向こうも落ち着いているわけで、冷静に品定めをされている感覚が緊張感を増してくる。

 副工房長は平民なので猶更だろう。まして、今日の結果次第では工房の売り上げが大きく上がるかもしれないのだから。

 ともあれ。

 品定めをされている最中、ナタリー達にできることはほぼない。聞かれてもいないのにぺらぺらと喋り倒す職人もいるらしいが、ナタリーはデザイン画に全てを籠める主義だ。聞かれれば快く解説するが、そうでなければ客が十分に吟味するまでただ待つ。

 

「お母様、お姉様。これはどういう……」

「ああ、それは……」

 

 複数枚用意したデザイン画を回し合って眺めながら、何やら囁き合う母娘。平静を装って紅茶を飲むことしばし。

 

「では、リディアーヌ」

「はい、お養母さま」

 

 話が纏まったのか、三人の持つ空気が変わった。ナタリー達はあらためて居住まいを正し、公爵家の女達へと向かい合う。

 代表して口を開いたのは元々の注文者であるリディアーヌだった。

 

「忙しいところデザインを上げていただきありがとうございました。予想以上の仕上がりに驚いています」

「恐縮でございます」

 

 目を伏せて頭を下げる。すると、ナタリーの前に一枚のデザイン画が示された。

 

「私にはこちらのドレスを一着、お願いします。可能であれば秋にある私の誕生日までに」

「かしこまりました。ご注文、誠にありがとうございます」

 

 用意した中で最も華やかかつ値の張るドレス。その分、製作期間としては厳しいものになるが──隣の副工房長と目配せをしあい「行ける」と判断。

 

(さすがはシルヴェストル公爵家だわ。新しいデザインとなれば無難なところで様子を見たくなるだろうに、思い切った決断をしてくるとは)

 

 感心したのも束の間、さらに二枚のデザイン画が示されて、

 

「それから、こちらのデザインを元に養母(はは)セレスティーヌに、こちらを義妹(いもうと)のシャルロット用に仕立てていただけますか? オーレリアさま用にこちらの寸法で、こちらも新デザインのものを。シャルロットの分とオーレリアさまの分はプレゼントなのでわたしの私費から支払います」

「合計三着ですか……!?」

「全て誕生日に間に合わなくとも構いません。優先度はわたし、養母、義妹の順でお願いします。……もちろん、わたしの誕生日に三人で着られるのが理想ですが」

「も、もちろん、全力で取り組ませていただきます」

 

 慌てて再び頭を下げる。貴族らしい無茶振りとも言えるが、見方を変えると大チャンスだ。

 リオネルとの婚約を決めたリディアーヌだけでなく、その母と妹までもがナタリーのデザインしたドレスで着飾る。もし実現すれば社交界への影響は絶大なものになる。誕生日パーティ以降、工房への注文が殺到したとしてもおかしくない。

 そんなナタリーの想像を肯定するかのようにセレスティーヌが微笑んで、

 

「同系統のドレスを冬用にも注文したいと思っております。そちらのデザイン案を次回の採寸までにお願いできますか?」

「喜んで承ります」

「それから……リディアーヌとのお話が終わった後、私の部屋にも寄ってくださらないかしら? 少々、子供には聞かせづらい話がありますので」

「承知いたしました」

 

 ここまで来るともう大収入どころの話ではない。新しい流れができる()()()()()()ではなく、公爵家の女達は結託して流れを()()()()()()()()()()。冬のドレスのことを今から考えているのは、ナタリーの新デザインが()()()()()()()()()のでは遅いからだ。

 

「お姉様、こんな素敵なドレス、お小遣いから買っていただいて大丈夫なのですか?」

「大丈夫よ、シャルロット。この間、臨時で纏まった額のお小遣いをいただいたもの。これくらいなんてことないわ」

 

 それは、ひょっとしてリディアーヌ毒殺未遂事件の賠償金が関わっているのか。

 ナタリーの実家もあの件は注目していた。漏れ聞こえて来る社交界の声の中には公爵家の管理不行き届きを指摘するものもあるが、それ以上に罪を犯したメイドの悪辣さと実家への批判が大きい。

 毒を盛られたリディアーヌは回復して後遺症も残っていないし、この件は使用人の雇用基準・管理方法を見直すいい機会にもなった。何より()()()()()()()()()()()()()()と内外への釘刺しとしても機能している。賠償金を十分に得ていることも考えれば、損をしていないどころか公爵家は得をしているのかもしれない。

 可愛らしい外見と裏腹に抜け目がないと噂のセレスティーヌなら、リディアーヌにも相応のご褒美を渡していてもおかしくない。

 

「では、お養母さま。シャルロット。わたしはもう少しナタリー様と相談がありますので」

「ええ。私達はいったん失礼しますね」

「失礼します、お姉様。お二人もごゆっくり」

 

 デザインの微調整について相談した後、セレスティーヌとシャルロット、彼女らの専属が退室していくと残されたのはナタリー達とリディアーヌ、それからその専属メイドだけになった。

 思わずほっと息を吐くナタリーにリディアーヌが「お騒がせして申し訳ありません」と苦笑を浮かべる。

 

「我が家の中でもお養母さまは特に新しい物好きなもので」

「とんでもございません。大きなご注文をいただいて当方としても嬉しい悲鳴でございます」

 

 だいぶ砕けた返答に副工房長が「ひっ」と小さく悲鳴を上げるが、リディアーヌはこの程度で気分を害したりはしなかった。

 

「ところで、ナタリー様はご実家から工房に通われているのですか?」

「いいえ。普段は平民街に借りた家から通っております。週に一度は実家に帰るようにしておりますが、まさか馬車で工房に乗りつけるわけにも参りませんから」

 

 職人になることを認めてもらうのには相当苦労した。

 趣味や基礎教養として手芸を行う女性は多いし、刺繍が得意なことで有名な女性貴族なども存在しているものの、さすがにドレスを一から作ろうとする者、それも平民の工房に入って行おうと考える者は皆無と言っていい。

 それでもなんとか認めてもらうことができたのは「それだけの実力がある」と作品で証明したからなのだが、

 

「私のデザインを買って頂けたこと、個人としても感謝いたします。このご注文は胸を張って家族に伝えられますから」

 

 実際に職人となってからナタリーの得た成果は芳しいものではなかった。しかし、今回の注文はおそらく一つの転換点となるだろう。

 

「リディアーヌ様。ドレス以外のご相談というのは?」

「ええ。実は養母と義妹だけでなく、父と兄にもプレゼントを贈りたいと思っているのです。とはいえ、殿方に服を送っても『着替えが増えた』という程度でしょう? なので、なにかいい案はないかと思いまして」

「そういうことでしたか。しかし、服飾関係で盛装と見合う価値の品となるとなかなか難しいのですが……」

「値段としては見合わなくても構いません。例えばハンカチや剣帯などでも」

「よろしいのですか?」

 

 家族間のプレゼントで相手によって露骨な差があるのは不平不満を招きそうな気がするのだが……と疑問に思うナタリーに対し、リディアーヌはくすりと悪戯っぽい笑顔を浮かべて、

 

「特別感は愛情で補うこともできるでしょう?」

「愛情、ですか?」

「ええ。お養母さまとシャルロットの分はわたしの発案と言っても、ナタリー様のデザインした品物。わたしはお金を払っただけで、デザインは二人が選んだに過ぎません。その点、お父さまたちへのプレゼントはわたしが一から相手のためを思って選んだとしたら……?」

「愛情を向けられているのはむしろ自分の方、と考えてもおかしくありませんね」

 

 ナタリー自身、父親との間に似たような思い出はある。性別上、母にあれこれ相談する機会が多かったのだが、そうすると父が拗ねて面倒──もとい、家族関係に軋轢が生じる懸念があった。そんな時は手作りの小物を渡して機嫌を直してもらった。

 

「でしたら、既製品にリディアーヌ様が手を加えられてはいかがでしょう? 例えばハンカチにお相手の名前を刺繍するですとか」

「なるほどね。それなら確実に愛情を感じてもらえそう」

「リディアーヌ様は男心をくすぐるのがお上手なのですね。リオネル殿下ともそうやって仲良くなられたのですか?」

「まさか。殿下はその手の小細工がお嫌いですもの」

 

 リディアーヌは思案した末、ハンカチとベルトをセットで父と兄へ贈ることに決めた。

 

「ベルトには何か特別な加工をいたしますか? バックルにお名前を刻印することもできますが」

「いいえ、そのままで。刻印はこちらで行います」

 

 自分で……? ナタリーは工具をかんかん打ち付けるリディアーヌの姿を想像し、そのあまりの似合わなさに眉をひそめてから、慌てて思考を打ち切った。別の工房へ頼むのかもしれないし、依頼人が不要と言っている以上は深堀しても仕方ない。

 

「では、こちらは出来上がり次第お送りいたします」

「お願いします」

 

 相談は和やかなうちに終了した。下の者にも丁寧に接してくれる上に金払いが良く、見慣れない物でも先入観なく判断してくれる。あらためて、リディアーヌ・シルヴェストルはとても良い依頼人だと感じた。

 これからも良い関係が続くといいと思う。

 ナタリーは笑顔で席を立ち、リディアーヌと別れの挨拶を交わして──。

 

「お養母さまのお話には気をつけてくださいね。何が飛び出すかわかりませんから」

 

 歳の割にはかなり大人びた少女から小さな脅かしを受けた。

 確かに、大人びてはいても素直なリディアーヌと違い、セレスティーヌは大人だ。さらりと駄目出しや無茶振りが飛んでくるかもしれない。

 副工房長だけでなく自分まで恐ろしくなりつつセレスティーヌの私室を訪問して話を聞くと、

 

「例のドレスについて、リディアーヌが描いた原案があったでしょう? あれを元に夜着を仕立てて欲しいのですけれど」

 

 確かに、子供には聞かせられない話だった。

 一方で「いっそのことリディアーヌ様と相談された方がいいのでは」とも思いつつ、ナタリーは表情に出さないよう笑顔でデザインの相談を続けたのだった。




投稿時間が17時になっていたので慌てて投稿しました(_ _)


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屋敷の変化と長女の我が儘

 エマ・カレールはシルヴェストル公爵家付きのメイドである。

 子爵家の三女。家のための結婚は姉二人で十分と判断されたため、別の形での貢献を求められた。すなわち、メイドとしての他家への奉公だ。

 姉達に比べ見た目の華やかさで劣っていたエマだが、物覚えはよく、何でも卒なくこなす器用さはあった。その甲斐あってか、格としてこれ以上ないと言っていい職場に採用されることができた。

 

「ねえ、エマって昔、王城にお仕えしていたって本当?」

 

 午後。屋敷内の掃除をしていたエマは、同僚からの問いかけに手を止めずに答えた。

 

「ええ」

 

 公爵家は十分な数のメイドを雇用している。

 掃除、洗濯、調理など仕事をいくつかの項目に分けた上、各メイドに得意分野を持たせる半専業制。体調不良者を出さないための余裕ある勤務体制によってゆとりある職場環境が保たれている。よって、小休止を兼ねてお喋りをする程度で仕事は滞らない。

 仮にこの現場がメイド長に見つかってもせいぜい「程々に」と注意されるだけだろう。だからエマは余計な事を言わないし、お喋りを拒否したりもしない。

 エマ自身が手を止めないのは単なる性分だ。急ぐのも手を止めるのも性に合わない。淡々と同じペースで進めるのが自分には合っている。

 

「三年ほど下級メイドをさせていただいていましたが、二年前からこちらに」

「そうだったのね。でも、どうして?」

「特別な事は何も。セレスティーヌ様から誘いを頂いたので」

 

 隠している話ではない。

 同僚の多くが知っているはずだが、彼女達とは最近まで仕事場が被らなかった。そのせいか瞳を輝かせ興味深そうに頷いてくれる。

 

「王城で働けるなんて夢のような話なのに、お給金が良かったのかしら」

「条件は大差ありません。ただ、王城のメイドは入れ替わりが激しいでしょう?」

 

 王家は当然、奉公先としては最上級。それだけに応募者も沢山いる。粗相を頻発する者や邪な行いの見られた者、習熟の遅い者等は容赦なく入れ替えられる。

 エマは特別問題を起こしたわけではなかったが、三年目に入っても中級への昇格話が来ていなかった。

 

「私は愛想がありませんから。華やかな王城のメイドには向いていなかったと」

「じゃあ、セレスティーヌ様の慧眼ね」

「ええ。エマがあちこちで頼られているのをよく見かけるもの」

「大した事をしているわけではないのですが」

 

 表情を変えずに答える。磨いていた彫像に映った自分の顔はいつも通りの静かな表情だ。貴族の中にあって浮く程でもないが人目を惹く事もない。笑うのが苦手なせいで令嬢時代は「つまらない女だ」と言われることが多かった。

 エマには得意な仕事もない。

 代わりにどの仕事も平均以上にこなせるので、急に仕事が増えたり欠員が出たりするとよく応援に呼ばれる。特に最近はそれが多い。

 

「人員整理の最中ですからね」

 

 静かな呟きに「ああ」と感慨の籠もったため息が返ってくる。

 

「本当に酷い事件だったものね」

 

 ジゼルの名前は皆、暗黙のうちに避けている。仕える家の令嬢に悪意を持ち、あまつさえ毒殺しようとするなど絶対にあってはならない事である。心情的にも打算的にもジゼルに共感できない者が圧倒的多数だろう。当然、エマにも理解できない。

 ともあれ。

 例の一件から公爵家は全使用人に対して身元・思想の洗い直しと個別の面談を進めている。

 長女のリディアーヌが第三王子リオネルと婚約を結んだ事もあって公爵家はその立場をより明確にした。思想的、派閥的に合わない者は(可能な限り他の勤め先を斡旋した上で)暇を出され、同時に補充人員の確保についても進行中だ。

 元々余裕のある体制だったために大きな問題は出ていないものの、万全の状態に比べると仕事量は多くなっている。屋敷の全鍵の順次入れ替え等、ジゼルの一件に端を発する仕事もあるため今は一つの正念場と言える。

(ベテランのメイド曰く『セレスティーヌ様の嫁入り以来の改革』とのことだ)

 

 と、ここで同僚の一人が声を潜めて、

 

「ところで、どうなの? その、リディアーヌ様って」

「どう、とは?」

 

 首を傾げたエマだったが「ほら、性格とか」と補足されて「ああ」と頷く。

 

「一度目の不調から回復されて以来、用を申し付けられる回数が目に見えて減りました。アンナが専属の仕事に慣れるにつれて通常業務の多くは彼女一人で済むようになっています」

 

 菓子の消費量は減り、作り直しを要求されることもほぼゼロに。その上「美味しかった」「特にこれが気に入った」等、具体的な褒め言葉が頻繁に出るため、調理・製菓の担当者は仕事に余裕とやりがいを持てるようになった。

 無駄にドレスを着替えたりしないので洗濯も楽になった。所作に慎重さが加わったことでお菓子や料理をこぼす事も少なくなり掃除の機会も減っている。

 

「強いて言えば毎日、お部屋のお風呂に入られるようになったので余分に魔力が必要ですが……それも解決してしまいました」

 

 リディアーヌ自身が魔力を操れるようになったからだ。

 本来なら使用人の仕事ではあるのだが、リディアーヌは「魔法の練習も兼ねているし、わたしの我が儘で用意するんだもの」と言って平然と魔道具を操っている。

 着替えなど単純に人手が足りない業務を除けばアンナ一人で本当に回ってしまっているような状況だ。

 エマを含むリディアーヌ付きとして指名されていたメイド達は仕事が減ったため、他の部署に組み込まれたり応援要員して使われている。

 

「じゃあ、アンナも随分と頑張っているのね」

 

 ここで同僚が口にしたのは専属という地位に着いた若手メイドへの好意的な言葉だった。リディアーヌの変化を機に屋敷内の空気にも変化があった。ジゼルという淀みの元凶が消えた事、反抗的なメイドが人員整理で屋敷を離れた事もあって、リディアーヌとアンナの主従を悪く言う者はかなり減っている。

 その上でエマは冷静にアンナの様子を振り返って答える。

 

「高貴な方の専属としてはまだまだ不足ですね」

 

 王城の上級メイドや王族の専属メイド達の仕事ぶりは本当に別格だった。持ち場の関係上、目にする機会は決して多くなかったものの、その一挙手一投足を一目見ただけでも相当な研鑽が必要になることが窺えた。

 今のアンナでは王族どころか公爵令嬢の第一専属としても能力不足だ。

 冷静すぎる評価に呆れたのか同僚が苦笑いを浮かべて、

 

「エマもリディアーヌ様の専属を狙っているの?」

「まさか」

 

 意識せず、エマは即答していた。

 やや冷たい声音になってしまったのはリディアーヌへの隔意からではない。エマ個人にあの令嬢への負の感情はない。仕事は仕事。我が儘な主だろうと優しい主だろうと必要な作業をこなすだけだ。

 

「私は今の待遇に満足していますから」

 

 十五でメイドを始めて五年。結婚には特別興味もないし、行き遅れたらそれはそれでいいと思っている。給金は十分に貰っているし物欲も低い方だ。このまま一メイドとして働き続け、身体が言う事を聞かなくなったら引退。それで十分だ。

 そこまで思ってから少し考えて、

 

「そうですね。マリー様のようなメイドが理想でしょうか」

 

 先輩メイドの名前を口にしたところで、

 

「ああ、エマ。ちょうどいいところに」

「マリー様?」

「貴女に頼みたい仕事があるから、私と一緒に待機していて欲しいの。今やっている仕事は急がないでしょうから後回しでいいわ。キリのいいところまで終わらせるか誰かに引き継いだら中庭まで来てくれる?」

「かしこまりました」

 

 当のマリーが現れてエマを呼び留めた。マリーは公爵の前妻アデライドが健在だった頃からの古株だ。屋敷の仕事にも精通している上、アデライドとは性格の異なるセレスティーヌの方針にも臨機応変に対応している。誰からも専属指名されていないのが不思議なくらいで、メイド長を任されていてもおかしくない人物である。

 彼女から仕事を言いつけられるのは珍しいが、特に躊躇いもなく頷く。

 それから手にした掃除道具に視線を下ろして、

 

「いいよ、後はやっておくから」

「マリー様の仕事を優先して」

「ありがとうございます」

 

 残りの掃除は同僚達が代わってくれた。一見、お喋りをしてサボっていたように見える彼女達もいったん仕事に戻れば丁寧な仕事ぶりを発揮する。公爵家のメイドに新人はいてもお荷物はいない。公爵夫人のセレスティーヌは使えない人材を放っておくほど甘い人間ではない。

 

「マリー様。仕事というのは?」

 

 手が空いたのでそのままマリーについて歩き出す。

 メイドとはいえ、公爵家の人間に慌ただしい動きは許されない。急いでいる時でも優雅に見えるよう心を配るが、実際今は急いでいないようで話をする余裕は十二分にあった。

 マリーは苦笑めいた表情で「ええ」と答えて、

 

「リディアーヌお嬢様が屋外で魔法の練習をされるそうなので、人手が欲しかったのです」

「屋外で、魔法を?」

 

 エマもアンナ同様、学園には行かずにメイドになった口だ。基礎こそ修得しているものの、大規模な魔法はあまり使った事がない。その上で想像する「屋外の魔法練習」は間違っても床が濡れたり焦げたりしないように、程度のささやかなものなのだが、

 

「アンナ一人では何かあった際、確実に手が足りなくなります。ですから私と貴女を加えた三人でお嬢様を見守り、万一に備えます」

「万一とは?」

「わかりません。大穴が空くか、庭木が炎上しかけるか。局所的に雨が降るか。何が起こってもいいように心づもりをしてください」

 

 これは、さすがに即「かしこまりました」とは言えなかった。

 リディアーヌが魔法を使えるようになったのは知っている。オーレリア・グラニエに師事したらしい事も。しかし、であれば監督役はオーレリアの仕事ではないのか。そんな疑問が浮かんだが、これにはなんとも恐ろしい答えが返ってきた。

 

「オーレリア様はお嬢様に自習を言い渡したそうです」

「……自習を」

 

 正気ではない。これは魔法を修得している貴族なら誰もが思う事だろう。魔法を覚えたばかりの八歳を放任するなど、やはり彼女は《魔女》だったのかと益体も無い事を考えてしまう。

 しかし、らしくない思考もそこまで。

 

「仕事であれば、ただ出来る事をするだけです」

「その意気です」

 

 二人は中庭へと到着した。前庭と比べると華やかな印象の少ないそこは菜園として実用的なハーブやちょっとした果物の栽培に使われている他、公爵や長男のアランが剣の稽古に使っている訓練場──草もまばらにむき出しの地面が広がる無骨なスペースがある。

 メイドがあまり訪れることのないそこでしばし待っていると、リディアーヌがアンナを連れてやってきた。

 

「準備してくれてありがとう、マリー。エマもよろしくね?」

「はい。……リディアーヌ様、十分にご注意くださいますよう」

「わかっているわ。無茶をするつもりはないもの」

 

 リディアーヌは朝から着ている普段着のままだった。

 着替えた方が良かったのではとアンナに尋ねれば「損ねた時に安く済む方が良いとリディアーヌ様が仰るので……」と困ったような顔をされた。考えてみると女性貴族は基本、外での運動着のようなものを持たない。乗馬用の衣装であれば一応用意があるものの、一度も着ていない上に替えがないので普段着の方がむしろ無難なのは確かだった。

 あまりにも常識が通用しなさ過ぎるので、堅実派のエマとしては怖くなってくるのだが。

 

「それじゃあ、小手調べから始めようかしら」

 

 魔法を使えるようになって間もない八歳の令嬢は紅の髪を悠然とかき上げ、子供とは思えない風格を漂わせながら宣言して見せた。

 すっ、と、持ち上がる右腕。

 真っすぐに正面へと突き出された手のひらを見て、エマを含む三人のメイドは散開した。何が起こっても対処できるようにと身構えつつ待つと、

 

「炎よ」

 

 声に応じ、リディアーヌの手のひらに()()()()()()()が生まれ、一瞬の間を置いた後に放たれた。

 歩いて十歩程度の距離を飛んで地面に着弾した火球は()()。火の粉を撒き散らしながら周囲に風を送り込んでくるが──使用者である少女はまるで見えない壁に守られているかのように一切の影響を受けていなかった。

 散開していたエマ達も風に煽られた程度で無傷。

 専属としてリディアーヌの真後ろにいたアンナは障壁の恩恵に預かりながら目を見開いて、

 

「リディアーヌ様! なんの被害もなかったのでいいですけど、もっと落ち着いた魔法から始めてください!」

 

 ()()を見た直後で主人に意見できるのだから、アンナは思ったよりもリディアーヌの専属に向いているのかもしれない。

 公爵家長女とその専属の評価を脳内で引き上げながら、エマは「自分に専属の話が来ても断ろう」と心に決めるのだった。



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優秀な姉と平凡な妹

 公爵令嬢シャルロット・シルヴェストルには優秀な姉がいる。

 

「おはようございます、お姉様」

「おはようシャルロット。今日もいい天気ね」

 

 リディアーヌ・シルヴェストル。

 葡萄の果汁のような深い紅色の髪は生まれた時から丁寧に整え、伸ばし続けているという。紅玉(ルビー)のような瞳の奥には強い意志の光が覗き、声には理性的な穏やかさと活動的な明るさが同居している。

 二度も倒れかけたせいか、それとも体質的な問題か、肌はシャルロットのそれよりもさらに白い。赤と白の絶妙なコントラストは陽光下だけでなく、月明かりの下でも目に映える。

 

 ここしばらく、姉が朝食に遅れて来たことは(不可抗力の体調不良を除いて)一度もない。

 勉強で忙しいのもあってシャルロットは睡眠が足りず眠い目を擦りながら朝食に出ることもあるのだが、リディアーヌはいつもしゃんと背筋を伸ばし、ぱっちりと目を開いている。

 自宅用のドレスの選び方も落ち着きと気品を感じさせるもので、可愛いドレスを選んでしまいがちな自分と比べてついつい落ち込んでしまったりする。

 

「本日の前菜はセロリを使ったサラダでございます」

「へえ、今日も美味しそうね」

 

 軽く茹でたセロリを食べやすい大きさに切り揃え、ドレッシング、細かく刻んだベーコンを散らした一品が供されると、リディアーヌは口元に笑みを浮かべた。

 

(お姉様もセロリがお嫌いだったはずですのに)

 

 急に苦手克服に挑戦しだしたかと思ったら、いつの間にか普通に食べられるようになっている。シャルロットはどうしても苦手で、彼女の皿だけはセロリの量が家族の半分以下、代わりに茹でたじゃがいもが加えられて格段に食べやすくなっているというのに。

 それだけではない。所作だってずっと洗練されている。シャルロットの位置からは正面なので姉の動きが良く見える。どうやったらあんなに綺麗にできるのか、たった一歳差とはとても思えない。自分よりもむしろ母・セレスティーヌと比べた方がいいのではないかとさえ思ってしまう。

 

「あの、お姉様。食事の作法が良くなるコツなどはあるのでしょうか?」

 

 思い切って尋ねてみると、姉は美しい赤色の瞳を何度か瞬きさせた後、小さく首を傾げた。

 困らせてしまっただろうか、と思ったのも束の間。

 

「そうね……。目が身体の外にある、と思ってみるのはどうかしら?」

「え? え? どういうことでしょう……?」

「目が顔についている以上、自分の所作を全て見るのは無理でしょう? だから、外に目があるつもりで全体を意識するの。鏡を見ているつもりと考えてもいいし、お養母さまから自分がどう見えているかを考えてもいいと思うわ」

「……そんなこと、考えたこともありませんでした」

 

 なかなか難しいことを言われたが、言わんとすることはなんとなくわかった。上手くいかないのは部分部分に集中してしまうせい。だから、考え方をがらっと変えて全部をいっぺんに意識すればいい。

 頭で理解するのと実践するのでは大違いなので、わかったから実行できるかと言えば難しいのだが。

 

「シャルロット。リディアーヌと同じ事をする必要はないのですよ。貴女はリディアーヌではないのですから」

「はい、お母様」

 

 母は優しい。シャルロットが悩んでいるとすぐに察して声をかけてくれる。勉強の成果を急かされたこともないし、寂しいと感じているとそれとなくお茶に誘ってくれたりして一緒の時間を作ってくれる。

 シャルロットは母に似ているとよく言われる。

 父であるジャン・シルヴェストル(本当の父ではないが、実父が亡くなった時はまだ幼かったのでジャンを父と呼ぶことにはあまり抵抗がない)も「シャルロットはセレスティーヌにそっくりだな」とよく口にする。シャルロットにとっても母譲りの金髪は自慢の宝物だし、ゆくゆくは母のような立派な女性になりたいと思っている。

 

(お姉様は……)

 

 リディアーヌの容姿はセレスティーヌとは全く似ていない。血が繋がっていないのだから当然ではあるのだが、柔らかいセレスティーヌの美貌に対してリディアーヌは少し気の強そうな印象があるし、紅という象徴的な髪の色はシャルロット達と正反対と言ってもいい。

 なのに、シャルロットは最近「リディアーヌお嬢様はセレスティーヌ様に似てきた」という声を時々耳にする。

 

 

 

 

 リディアーヌが今のようになったのはあまり昔の話ではない。

 

(昔のお姉様は……)

 

 半年も経っていないというのに遠い昔の事のように思えるあの頃は、姉のことがあまり好きではなかった。出会った当初は仲良くしようとしていたのだが、姉の方がシャルロットを好かなかったようで無視されたり「あなたなんか妹じゃないわ!」などとひどいことを言われた。

 顔を合わせる度に邪険にされるので食事の時間は憂鬱だった。リディアーヌが病気になって部屋から出られなくなった、と聞いた時は良くないとわかっていながらほっとしてしまったくらいだ。

 けれど、リディアーヌは変わった。

 病床から復帰して以来、嘘のように優しく真面目で努力家になり、そして元の姉に戻ってしまう気配はない。

 

『本当にごめんなさい。シャルロットにもたくさん迷惑をかけたでしょう?』

 

 真摯な表情で謝罪を受けた時は本当に驚いたし、以前「このまま寝込んでいてくれればいいのに」とさえ思ってしまったことを恥じた。

 もちろん以前にされたことを忘れられるわけではなかったが──気づけばリディアーヌは、シャルロットにとって「意地悪な姉」から「目標にするべき身近な家族」になっていた。

 

 

 

 

「シャルロット様は本当に良い生徒でいらっしゃいますね」

 

 追いかけるべきリディアーヌの優秀さは生活態度や食事のマナーだけではない。

 食事の後、いつものように家庭教師による授業を受けたシャルロットは座学の授業が終了したところで教師にこう尋ねた。

 

「あの、先生? お姉様と比べて私の勉強は進んでいますか?」

「ええ。シャルロット様の方がずっと進んでいらっしゃいますよ」

 

 リディアーヌの教師も担当している彼女は少し戸惑いながらも正直に答えてくれる。

 

「一年前のこの時期、リディアーヌ様はまだまだ怠け癖のまっただ中でしたから。少し勉強するとすぐに集中力が切れてしまって大変でした」

「では、今のお姉様はどのくらい頑張っていらっしゃいますか?」

「……それは」

 

 続いての問いには、教師は目を細めて答えるのを躊躇う様子を見せた。

 じっと見つめて答えを待つと、仕方ないというように口を開いて、

 

「リディアーヌ様は現在、本来は九歳でお教えする内容を学んでいらっしゃいます」

 

 やっぱり、と、シャルロットは頷いた。

 姉はまだ八歳。近日中に誕生日を迎える予定だが、たった数か月で遅れていた勉強を取り返してむしろ余裕を作るなど並大抵の努力ではない。

 というか、真面目に取り組んでいなかった時でさえ致命的な遅れが出ていなかったのなら、それは姉に十分な能力が備わっている証ではないのか。

 考えるうちについつい黙り込んでしまうと、教師は慌てた様子で言ってきた。

 

「あの方と同じ事をする必要はないのですよ。シャルロット様にはシャルロット様の長所があるのですから」

 

 

 

 

 

「シャルロットの長所、かい?」

「はい、お兄様。お兄様は私の長所とは何だと思いますか?」

 

 自分で考えてもわからないので、家族に尋ねることにした。兄のアランは父の後を継ぐために勉強で忙しいが、シャルロットがお願いすれば快く時間を作ってくれる。向かい合わせに座ってお茶を飲みながら、彼は「そうだな」と思考を巡らせた。

 アランは三つ年上の十歳。シャルロットから見ると随分大人に見える。両親や姉を交えた話合いの際、時折見せる理性的な意見には感心するばかりだ。だから、アランの返答も素直に聞くことができる。

 

「一番は優しいところかな。それに、シャルロットは素直で真面目だ」

 

 短い時間で幾つも褒め言葉を導き出してくれたことに、シャルロットはなんとも言えない喜びを感じた。手をぎゅっと握って飛び上がりたい衝動をなんとか抑えて、胸の片隅で感じた疑問を口にする。

 

「でも、お姉様もお優しいですし、真面目な方ですよね?」

「どうかな」

 

 リディアーヌは優しい。シャルロットがリオネルを好いているのではないか、と婚約者の座を譲ってくれようとしたり、自分を殺そうとしたメイドのジゼルに罪を償う機会をあげたり。変わってからは邪険にされたこともない。

 真面目の方は言わずもがな。一生懸命やらなければ勉強であんな成果が出たりはしない……と、そう思ったのだが、アランはふっと笑って別の意見を口にする。

 

「リディが優しくないとも真面目でないとも言わない。ただ、あの子の優しさや一生懸命さは少し違うんだよ」

「違う?」

「ああ。リディが優しくするのは一部の『仲良くしたい相手』だけだ。真面目に勉強をするのも、その先にある結果を知っているからに過ぎない。だから、素直に優しく一生懸命になれるシャルロットは十分に凄いんだよ」

「……あ」

 

 そういえば、リディアーヌからも似たようなことを言われた気がする。あの時は意味がわからなかったが、もしかしたら姉も同じようなことを言おうとしていたのかもしれない。

 

「でも、お兄様。私、このままではお姉様に追いつける気がしません」

「追いつかなくていいんだよ」

「え?」

 

 お互いの専属を少し気にしながら、アランは苦笑を浮かべた。

 

「リディの優秀さは特別だ。簡単に敵うようなものじゃない」

「あの、お兄様でさえそう思うのですか?」

「ああ。……もしもリディが男だったら、宰相を継ぐのはあの子だっただろう。別に宰相の地位は我が家の世襲制じゃない。長男が継ぐ必要なんてないんだから」

 

 実際にはリディアーヌは女子で、既に王子リオネルとの婚約が決まっている。女子では要職に就けないなどという決まりはないが、妊娠や出産等で自由に動けない期間が多いことから忌避されるのが普通だ。王子の相手役としての役割も求められる以上、現実的ではない。

 

「リディは僕が継ぐと信じているみたいだけど、もちろん、他の人間が指名される可能性だってある。今だって気は抜けないんだよ」

「お兄様はとても優秀ですから、私も信じていますけれど……」

 

 そのアランが「同性だったら勝てない」と断言するのだ。シャルロットは姉の凄さにあらためて身震いする。

 誰もが注目する美貌に堂々とした性格。王子の婚約者という地位に、国内最高クラスの魔法使いに師事する魔法の天才。

 いったい何をどうすればこれだけの肩書きをほんの短い間で獲得できるというのか。

 

「だから、シャルロットはシャルロットのやり方で頑張ればいい。やり方は一つじゃないし、シャルロットはリオネル王子の婚約者じゃないんだから」

 

 リディアーヌとシャルロットでは求められる役割が違う。

 同じことができる必要はないのだと言われて少しほっとした。その上で、姉のようになれないのだと思うと悔しい気持ちになってしまうが。

 

「お兄様。私では王族の婚約者にはなれませんか?」

「そんな事はないさ。婚約者としての務めの果たし方だって別に一つじゃないんだから」

 

 別の方法。

 漠然としていてわからない部分も多いが、アランの言葉はシャルロットにとって光明となるものだった。笑顔でお礼を言って、あまり長居しないうちに兄と別れる。

 

(私は、私の長所を伸ばせばいい。頑張ればきっと、私でも王族の婚約者になれる)

 

 リディアーヌとは違う方法で頑張って、リディアーヌに負けない自分になる。

 シャルロットは新たな目標を抱いた。輝くような姉への憧れを胸に、これから頑張っていこうと決意する。

 それはシャルロット・シルヴェストルという少女のこれからを作る根幹となり、そして同時に、彼女を縛る鎖となった。



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第二章:魔女と魔女の弟子
《紅蓮の魔女》と呼ばれる少女


「リディアーヌ・シルヴェストル様ですね。お越しになられたらお渡しするようにとお手紙をお預かりしております」

「そう。ありがとう」

 

 学園の門番から手渡されたのは一通の白い封筒。

 進み出たアンナが手袋を嵌めた手で受け取り、表裏をしっかりと確かめる。差出人の記載はなし。封蝋も特徴のないありふれたもの。

 確認後、両手で差し出されたそれに対し、俺はぱちんと指を鳴らす。

 

 すると、封筒だけが真ん中から裂けて無事な中身を晒した。

 

 アンナが中の便箋を抜き取り、封筒の中を覗き込んでから門番に手渡す。

 

「不要ですので処分をお願いします。刃物が入っているのでお気をつけください」

「は? ……え?」

「剃刀の刃?」

「はい。これで十通目ですね」

「大台ね」

 

 便箋にはご丁寧に罵詈雑言が書かれていた。見るに堪えないそれの筆跡を念のために記憶してから、アンナに保管してもらう。

 

「ところで、これを持ってきたのはどんな人だったのかしら?」

「はっ。お仕着せを身に着けたメイドでした。ただ、特徴的な容姿でもありませんでしたので顔までは──」

 

 彼はそこまで言って口ごもった。どうして憶えていないのか、という顔。

 

「そう。わかったわ。ありがとう」

 

 また心の魔法だろう。疑問に思わず俺に渡せ、という程度なら心を大きく捻じ曲げることもない。

 追及を諦めて学園内へ歩き出したところで「き、騎士団に通報しなくてよろしいのですか!?」と背中から声がかかった。

 

「この手の嫌がらせは今に始まったことじゃないの。報告はするけれど、せいぜい週に一度、纏めて伝える程度ね。むしろ、不審者の可能性を考えたら学園側(あなたがた)こそ対応が必要じゃない?」

「騎士団から確認が来た際は証言をお願いします」

 

 学園の中は相変わらず美しく穏やかだ。

 第三王子リオネルとの婚約から約一年半。俺──リディアーヌ・シルヴェストルは秋にある誕生日を二度経て十歳になった。

 身長は順調に伸び、身体つきも以前よりは女らしくなった。九歳の誕生日あたりから社交の場にも積極的に出るようにしているのでスケジュールの詰まり具合も以前より割り増しだ。

 お陰で知名度はかなり上がっていて、最近は学生からよく呼び止められる。

 

「ごきげんよう、リディアーヌ様」

「リディアーヌ嬢。今日もオーレリア様の部屋かい?」

 

 できるだけ応えるようにはしているが、あまりにも話しかけられるのでなかなか前に進めないくらいだ。

 しかも、ただ話をするだけでは終わらない用件もある。

 

「今度、寮の中庭でお茶をご一緒しませんか?」

「オーレリア様の魔道具製作について詳しく教えて欲しいのだが」

「リディアーヌ様! 防御の魔法を試したいので是非私に攻撃を!」

 

 お茶の誘いは「日程を合わせられるか確認するので書面でください」とお願いし、オーレリア関連については「守秘義務がありますので」とかわし、最後の奇特な男は風の魔法でぶっ飛ばしてやった。

 勢いよく飛んでいった後、地面にべちゃっと落ちたものの、すぐに笑顔で立ち上がったので防御魔法は役に立ったのだろう。俺としても攻撃魔法の試し撃ちができて助かる。

 風の魔法は適度に痛めつけるのに向いているが、強い指向性を付けるのにコツがいる。周りを巻き込まず使うにはまだまだ練習が要りそうだ。

 

「師匠。入りますよ」

 

 オーレリアの部屋に通うのもすっかり当たり前になった。適当にドアをノックしてからさっさと開き、入室。

 

「また散らかしたのですか。一週間でここまで元に戻すのはもはや才能ですよ」

 

 部屋の床に本やがらくたが散らばっているのを見てため息をつく。

 ある日、部屋の散らかり具合に我慢できなくなって強制的に片づけを実行、家具を追加で取り寄せてまで床が見えるように整えたのだが、我が師匠は「綺麗な部屋は落ち着かない」とばかりにほいほい部屋を荒していく。

 

「アンナ」

「心得ております」

 

 食事用に用意したテーブルの上をさっと片付けたアンナは、持ってきたバスケットをそこへ置くと遠慮なく床の物を片付け始める。

 この一年、俺の専属としてあれこれ異常事態に直面してきた結果、彼女はちょっとやそっとでは動じなくなってきている。危険物対応についても慣れたものだし、仮にも王族であるオーレリアの私物でもゴミだと思えば平気で「捨てましょうか」とか言う。

 で、当のオーレリアはというと、

 

「ああ、来たのね。じゃあ今日はこれに魔力を籠めてくれる?」

「だから、投げないでください」

 

 奥の席に腰かけたまま振り返って、テニスボール大の石を放り投げてくる。なんとかキャッチした俺は文句を言いつつも言われた通りに石へ魔力を流していく。

 

「さて、今日の差し入れは何かしら」

 

 オーレリア・グラニエは良い意味で変わっていない。

 烏の濡れ羽のような髪も、黒曜石のような瞳も。対照的に白い肌も。インドア生活が多いせいかむしろたおやかな印象は強くなったようにも思える。女としての色気も増して、美少女と言うよりも美女と言った方が似合うようになってきている。

 ただし、服装に関してはやや改善された。今日もノースリーブの黒いドレスに身を包んでおり、来客の応対をしてもギリギリ問題ないくらいの見た目ではある。

 

「そのドレス、ナタリーの工房製ですか?」

「ええ。普通のドレスよりは動きやすいから自分でも頼んだの」

 

 コルセットでウエストを締め付けないデザインのものだ。前に一着このタイプのドレスをプレゼントしたところ、着心地がいいと気に入ってくれたらしい。

 俺自身も去年の誕生日で身に着けて参加者から好評をもらった。そのパーティーではセレスティーヌとシャルロットも同じタイプのドレスを用意していたため「大人のデザインにも流用できるのか」「バリエーションはどれくらいあるのか」と問い合わせが殺到。やっぱりみんな苦しいのは嫌だったらしく、若い世代を中心にかなり広まっている。

 デザイン担当のナタリー、および彼女の工房はお陰で嬉しい悲鳴を上げているらしく、注文を必死にこなしながらさらに洗練されたデザインを作り上げるべく試行錯誤を繰り返しているという。

 

「でも、一人だと着替えがしづらいのは変わらないのよね」

「普通の貴族女性は一人で着替える必要がありませんからね」

 

 食事をしながらぼやくオーレリアに肩を竦めて答える。

 一人で着替えができる、なんて自慢しようものなら「使用人を増やす余裕もないのかしら」と馬鹿にされることうけあいである。

 人件費の削減は前世でしきりに叫ばれていたことだが、貴族にとっては優雅であること=権力や財力の象徴である。効率を重視した家々が使用人を解雇したりすれば「貴族が余る」なんて社会現象さえ起こりかねない。

 その上で、俺は少し考えて、

 

「比較的脱ぎ着のしやすい服、ということであれば作れなくもないと思いますけれど」

「できるなら早く作りなさい。何をもたもたしているの」

「もの凄く自分本位な要求を真顔でしますね、師匠」

 

 じゃあ、まずは両親にでも相談してみるか。その上でナタリーに依頼するべきか、別の工房に相談するべきか、お蔵入りにすべきかを判断してもらおう。

 そこで俺は手の中の石に視線を落として、

 

「相変わらず魔道具製作ですか?」

「ええ。研究費はあるに越したことはないもの」

 

 俺がやらされているのは「石に魔力を籠めて魔石にする作業」だ。

 石に魔力を繰り返し流して浸透させていくと、徐々に魔力や魔法に適応した材質へと変わる。こうして加工された石がいわゆる魔石だ。

 魔石は魔道具の中核を担うもの。どちらも魔力が高く魔法の扱いに長けた者でないと作るのが難しいため、魔石や魔道具は高く売れる。

 魔石および魔道具製作を担っているのは主に宮廷魔法士と呼ばれる者達。オーレリアは後見人である宮廷魔法士長のコネでこの製作を手伝い、金銭を受け取っている。

 要するに彼女、学生の身でありながら宮廷魔法士の仕事をしているわけだが、それがなんのためかというと、

 

「趣味で魔道具を作るために仕事で魔道具を作るって……」

「実益を兼ねたいい方法でしょう?」

「まあ、練習にもなりますしね」

 

 そこでふと疑問に思う。

 オーレリアが普段作っているのは照明や加熱、水作成などのありふれた魔道具ばかりだ。

 

「師匠が作りたい魔道具とはどういうものなのでしょう? 並の品なら研究するまでもなく作れますよね?」

「並どころか、私の作った魔道具は一級品と評判よ。私が作っているのはもっと上、いいえ、もっと先にある品」

「またろくでもないものを作っていることだけはわかりました」

「よく分かっているじゃない?」

 

 艶めいた流し目が送られてくる。いい加減この人の美貌にも慣れてきた俺でさえぞくっとする。この人、やっぱりそっちの気があるんだろうか。この一年、それっぽくからかわれることはあっても本気で来られることはなかったのだが。

 

「よく分かっている貴女になら教えてあげてもいいかしら。……そうね。近いうちに見せてあげる」

「それは楽しみなような、恐ろしいような……」

「せいぜい楽しみにしておきなさい、《紅蓮の魔女》さん」

「その異名は止めてください」

 

 《漆黒の魔女》の弟子だということと特徴的な髪色から付けられたあだ名である。

 この一年余り、俺は公の場に出ては嫌がらせを受け、そのことごとくを潰してきた。首謀者が特定できる嫌がらせは当人にお返しもした。反撃しかしていないのでせいぜい「やりすぎです」と注意される程度でお咎めも受けていないのだが……そんなことばっかりしてるせいで一部方面からそれはもう容赦なく嫌われている。

 おそらく、《魔女》とかいう淑女相手に失礼すぎる名前の発案者も俺を嫌っている奴らだろう。

 つまり元をただせば、

 

「師匠から施された英才教育のせいですね」

「明らかに貴女自身の性格でしょう」

『ふん。こそこそ嫌がらせするくらいなら恐れられる方がマシよ』

 

 俺が狙われる一番の理由は「リオネルの婚約者だから」だ。

 本気でリオネルのことが好きだった者。王子の婚約者という()()を狙っている者。リオネルのことが嫌いだけど本人を狙うのはリスキーと考えた者。付随する理由は様々だが、彼らの目的は俺を婚約者の座から引きずり下ろすことだ。

 俺が死ぬ必要はない。嫌がらせに耐えかねて自分から降りてもよし。後に残るような傷を負って降ろされてもよし。大袈裟に騒いで悪評を高めるだけでも「不適格」と判断される要因になりうる。

 だから、公の場でドレスを汚そうとしたり、転ばせて恥をかかせようとしたり、飲み物に毒や香辛料を仕込んでみたり、危険物を送りつけたり匿名の脅迫を行ってきたり、あの手この手で攻撃を仕掛けてくる。

 

「まったく。もしわたしの立場に成り代わったとして、今度は自分が狙われるとわかっているんでしょうか」

「そうね。貴女が報復するとしたら何をする?」

「屋敷ごと燃やすとか良さそうですね」

「あら楽しそう。貴女の異名にぴったりじゃない」

 

 半分くらい本気の冗談を言い合っていると、掃除中のアンナが呆れたように呟いた。

 

「お二人とも本当に似た者同士ですよね」

 

 オーレリアと似た者同士とは、なかなかにひどい話だと思う。

 

 

 

 

 

 屋敷に戻り、外警備の兵士に挨拶をしてから自室へ。

 

「あら。サラから手紙だわ」

 

 部屋の机の上には何通かの手紙が置かれている。これらは全て使用人によって検閲済みである。そして、その中の一つは友人であるサラ・モレからの招待状だった。

 サラは去年、リオネルの誕生パーティーで出会った伯爵令嬢だ。俺のせいでとばっちりを食らったらしい彼女を助け、それが縁で仲良くなった。貴族令嬢にしては悪意に染まっていない純粋な子なので話していて心が落ち着く。また家に遊びに来て欲しい、という手紙に、そういえば最近は遊びに行っていなかったと思い出した。

 

「サラのところにも顔を出しましょうか」

「リディアーヌ様。サラ様ばかり優遇されると他の皆様が不満を持ちますよ」

「わかっているわ。なるべく不公平にならないように、でしょ?」

 

 俺のところにはお茶会やパーティーの誘いが毎日のように届く。男子からチェスの誘いや、成人貴族から魔法談義の誘いや「珍しい本があるから読みに来ないか」という話、普段利用していない商人や職人からの売り込みが来ることもある。

 全てに参加していては身が持たないどころか時間がいくらあっても足りないので、取捨選択して上手いことやるのも貴族としての処世術だ。

 同世代のパワーバランス、誰がどこの派閥に所属しているかに加えて親──父やセレスティーヌがどういう交友関係を築いているかもここで考慮しないといけない。横文字の名前と階級を覚えるだけでも大変だっていうのに、こんなの脳内だけで整理しようとしたら絶対パンクする。

 

「本当、記憶を探る魔法さまさまね」

 

 今日は夕食までに少し時間があるので、幾つか手紙をチェックしてしまおう。

 とりあえず上にあったものから内容を確認していくと──その中に少し毛色の違う、気になる手紙があった。

 

『オーレリア・グラニエは自分の母親を殺した罪人だ』

 

 なんとも物騒な文面。

 まあ、これだけなら「とっくに知っているのだけれど?」で終わる話なのだが、残念なことに手紙はこれで終わりではなかった。



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《紅蓮の魔女》と呼ばれる少女 2

「秘密の手紙、なのかしら」

「どういうことですか、リディアーヌ様?」

 

 夕食を終えた後、俺とアンナはあらためて例の手紙を覗き込んだ。

 ありふれた便箋にオーレリアを糾弾する一文が書かれている。便箋は二つ折りで洋封筒にちょうどいいサイズだ。

 

「一言書くためにこの紙は勿体ないと思わない? それに、この文は真ん中じゃなくて一番上に書かれてる。まるでその下に文章が続くみたいに」

「でも、何も書かれてませんよ?」

「普通のインクで書いたら他の人に読まれるかもしれないじゃない。そういう時は暗号を使うか、何かの方法で文字を隠すのが定番でしょ」

 

 例えばあぶり出し。果物の汁なんかを使って書き、乾かすと文字が消える。復活させるには火であぶって熱を加えればいいのだが……魔法で作った火にかざしてみても特に変化はみられなかった。

 

「上の紙に書いて筆圧だけを残した、っていうわけでもなさそうね」

「ペンの跡らしきものは見えませんね」

 

 じゃあ水で濡らしてみるか、と、水差しから一滴ずつ垂らしてみたものの、これも失敗。

 

「やっぱり何も書いてないんじゃないですか?」

「うーん……でも、なんとなく引っかかるのよね」

 

 業を煮やした俺は乱暴な手段に出ることにした。机の上に置いた便箋へ指を這わせながら、紙全体に魔力を流していく。イメージするのは、何らかの手段で隠された見えない文字が浮かび上がる光景。これなら隠した方法がなんであれ文を復元できる。『そんなことできるなら最初からやればいいのに』。いや、成功する保証はないし、あまりスマートな手段とも言えないから……と。

 

「あっ……!?」

 

 アンナが驚きの声を上げる。魔法を受けた紙が隠されたメッセージを黒く浮かび上がらせ始めたからだ。

 俺はほう、と息を吐いて、

 

「……本当にあったのね」

「リディアーヌ様も半信半疑だったんじゃないですか」

 

 それはともかく。表れた文字をあらためて読み上げると、そこには俺の知らない話が詳細に記されていた。

 

『オーレリアが魔女と呼ばれ、王位継承権を剥奪された理由は母親を殺してしまった事ではない。問題なのは彼女が「魔法を用いて人を殺す」事に強い関心を抱いていた事だ。

 つまり、オーレリア・グラニエの母殺しは偶発的な事故などではなく、歪んだ天才の引き起こした必然だ』

 

 俺も、アンナも息を呑む。

 

「リディアーヌ様、これは」

「ええ。ずいぶんと踏み込んだ内容ね」

 

 オーレリアの母殺しに関しては誰もが──当の本人ですら詳細を語ろうとしない。学園で噂話を集めてみたりもしたが、学生達が語るのは尾ひれのついた嘘か本当かわからないような話ばかりだった。

 そもそも、本当の真相なんて関係者以外にはわからない。監視カメラがあったわけでもなし、王家がむやみな口外を禁じてしまえば全ては闇の中だ。大部分の人間は自分の知っている事実からそれらしい推測を立てているに過ぎない。

 だから、この手紙の内容も正しいとは限らないわけだが。

 

『母を殺した事はオーレリア自身にとっても失策だっただろう。何故ならあの一件によって彼女の歪んだ欲望が他者に知られてしまったからだ。

 一度目は皇位継承権の剥奪と王族からの事実上の追放で済んだ。なら、二度目は?

 あの一件が無ければ《漆黒の魔女》はもっと自由に振る舞えた。侍女の一人や二人、事故に見せかけて殺す事もできたかもしれない。だが、彼女の動向は常に注目されている。故にオーレリアは『魔法を使って人を殺す実験』ができない。

 魔女は血に飢えている。

 いつか二度目の惨劇が起こる。それはもうすぐ傍まで迫っているかもしれない。後が無い魔女はおそらく多くの人間を殺そうとするだろう。そうなる前に手を打たなければならない。

 気をつけろ。

 最も近くにいる人間が最も危ない。同時に《漆黒の魔女》を止められるのは極めて近い位置にいる《紅蓮の魔女》だけかもしれない』

 

 あからさまで、かつ、真に迫った警告だった。

 手紙の差出人は俺に注意を促すと共に、オーレリアの凶行を止めて欲しいとも思っている。その理由はここに書かれている通り、俺が彼女に一番近い位置にいるからだ。

 これは父に報告するべきか。

 父のことだ。手紙の内容が正しくても正しくなくても「でたらめだ」と言うだろう。あるいは俺が父に見せることが敵の目的という可能性もなくはない。

 

「リディアーヌ様」

 

 しばし思案していると、魔法の効果が消えて文字が見えなくなる。

 そこでなんとなく嫌な予感を覚え、もう一度同じ魔法を使うと──案の定、もう文字が浮かび上がってくることはなかった。

 

「……まったく、手の込んだ悪戯ね」

 

 残った一文だけなら本当にただの悪戯なのだが、手紙を一応レターボックスの中に保管しておく。記憶探査を使うまでもなく覚えられる程度の内容だし、もう読み返すことはないだろうが。

 俺は肩を竦めて微笑を浮かべる。

 

「一応、注意はしておくわ。でも、気にしすぎないようにしましょう? どうせ根拠は何もないんだもの」

 

 アンナは「わかりました」と頷いてくれたものの、それからしばらく浮かない顔だった。無理もない。近いうちに俺の師が大量殺人を犯すかもしれない、などと言われたのだ。信じるか信じないかは別として落ち着かない気持ちにはなる。

 何気なく窓の方に目を向けながら、呟く。

 

「さて、どうしたものかしらね」

 

 

 

 

 

「良く来たなリディアーヌ。ほら、さっさとこっちへ座れ」

「ごきげんよう、リオネル様。では、失礼いたします」

 

 王宮へと通うのもこれで何度目か。

 リオネルとは最低でも月に一回以上は会って一緒に遊んでいる。お陰で王宮に仕えるメイドや騎士にも顔見知りが増えてきた。婚約してからの期間が長くなり、共に過ごした既成事実が積み重なるに従って嫌がらせの頻度も増しているが。

 さすがに王族へ嫌がらせする馬鹿はいないのか、婚約者様の方は余計な事に思い悩む様子はない。顔を合わせれば二言目には「今日は何をする?」だ。

 

「そうですね……。では、最近対戦していない盤上演習にいたしますか?」

「うむ、いいぞ。また新しい戦術を思いついたからな。お前が負けて悔しがる姿が楽しみだ」

「もう。わたしはなかなか練習できないのですから、少し手加減して欲しいのですが」

「ふん。女に生まれたお前が悪い」

 

 まさか、転生して女になった先の世界で「男に生まれれば良かったのに」と言われるとは。

 賽子(ダイス)や多数の駒を使って行う盤上演習はその名の通り軍略の学習用という意味合いが強く、チェスよりもなお明確に男性向けの娯楽である。女子の場合、部屋に道具が用意されていることさえ稀だろう。俺は自習のために買ったが。

 使用人たちが道具を用意してくれるのを待ちながらリオネルはにやりと笑って、

 

「お前と遊ぶためと言うとセルジュ達も割と甘くなるからな。正直、とても助かっている」

「それを本人の前で言うあたりがリオネルさまですよね」

「む。お前、それは私を馬鹿にしているだろう?」

「いいえ。どうかリオネルさまはそのまま真っすぐでいてくださいませ」

 

 セルジュというのは以前から顔を合わせているリオネルの従者である。主には忠誠を誓っているが、その一方で主の我が儘には割と厳しい。

 そのセルジュは苦笑を浮かべながら俺を見て、

 

「リディアーヌ様のお陰で殿下の勉強も進んでおりますからね。少しくらいは目こぼしさせていただきます」

「お役に立てているのであれば光栄です」

 

 何か俺から感銘を受けたらしく、リオネルは婚約したあたりから成績が伸び始めたらしい。俺が「今はこの辺りを勉強しています」と言う度に悔しがってくれたりもしている。

 

「いっそお前が剣術の稽古も付き合ってくれればな」

「残念ですが、剣は両親から『手が無骨になるから』と止められておりまして」

「魔法でどうにかできないのか。治癒の魔法と似たようなものだろう」

「そんな無茶なこと……あれ? できるかもしれませんね」

「リディアーヌ様!」

「殿下!」

 

 アンナとセルジュからダブルで「駄目です!」と怒られてしまった。

 

「リディアーヌ様が結託なさると心労が倍化するので、あまり殿下に感化されませんよう」

「分を弁えておらず申し訳ありません」

「おい、お前達。揃いも揃って失礼だぞ」

 

 この辺りが「お似合い」と言われる所以に違いない。俺としてもリオネルは気楽に付き合える相手なので助かっている。このまま行けばいい夫婦になれるかもしれない。

 まあ、あくまでもこのまま行けばの話なのだが。

 

 

 

 

「さて、相談というのを聞かせてもらおうか、リディ」

 

 滅多に入ることのない父の私室にて、俺は酒の入ったグラスを揺らす父と、その隣に腰かけたセレスティーヌに向かい合っていた。

 夜。もう後は寝るだけという時間だ。この場に他の兄妹がいないのはひとまず俺個人としての相談? 商談? だというのが大きい。

 

「ええ。わたしが相談したいのは、服飾用の新しい留め具についてよ」

 

 企画書とまではいかないが絵付きの説明書きも用意した。

 複数枚にわたる両親が手に取り、注視し始める。

 

「ふむ。『スナップボタン』に『ホック』、それから『ファスナー』か」

「これはまた、細かいですね」

 

 オーレリアから「脱ぎ着しやすい服」を強請られて思いついた話だ。この世界の服はボタンで留めるか紐で縛るかするタイプばかりで、前世にはあった他の留め具がない。なのでそれらを作って広めればデザインの幅が広がるはず。

 スナップボタンは柔軟な金属を使い、押し付けるとぷちっと留まるタイプのボタン。

 ホックは鉤状の金具とそれを受けるための金具をセットで留める方式。

 ファスナーは左右の細かな金具を中央の金具でまとめてがっちり固定する……って、知っている人間からすれば当然すぎる話なのだが。

 見たことのない両親は説明書きをじっと見つめたまましばらく考え込んでいた。

 

「どうかしら? わたしには作れる職人がいるかどうかもわからないから、意見を聞きたいの」

「……そうだな」

 

 数分してようやく顔を上げた父は真剣な表情で俺を見て、

 

「まず、これを私達に相談したのはどうしてだ?」

「さっきも言った通り、技術的に可能かどうかがわからなかったのが一つ。それから、これを作るのは被服の職人じゃないでしょう? 試しに作るなら我が家から直接依頼した方がいいかと思って」

「ああ、その通りだ」

 

 父はふっと息を吐いて笑みを浮かべた。

 

「ナタリー・ロジェを通して金属加工職人に回していたら我が家にとって大きな損失になっていたかもしれん」

「! それじゃあ、お父さま?」

「ああ。製作自体は可能だろう。その上で費用が見合うかどうか、どのような用途があるか試作して確かめなければならないが」

「懇意の職人に依頼し、我が家の発案と主張しておくべきでしょう。手柄を横取りされては困ります」

 

 セレスティーヌもまた顔を上げて笑顔を浮かべる。

 

「この留め具を実用化できれば、新しい流行を作り出すことができます。リディアーヌの発案と広まるのは当家にとっても王家にとっても利となることでしょう」

「うむ。ボタンで留めたり紐で縛る場合とは異なる利便性が期待できる。この『スナップボタン』は男が着る外套などに有用なのではないか」

 

 普通のボタン留めだと緊急事態にさっと脱ぐのが難しい。力任せに脱ごうとすればボタンが千切れて後で直す必要がある。その点、スナップボタンなら外側に力をかければ勝手に外れてくれる。

 

「ファスナーも男の人には嬉しいんじゃないかしら。スカートと違って用を済ませるのが難しいこともあると聞いたのだけれど」

「む。そう言われると……前部分にこれを採用すれば開くだけで良いのか? それは画期的だな」

「殿方向けのデザインが広がるのはとても素晴らしいです。……ですが、リディアーヌ? そのような知識をどこで得たのでしょう?」

「い、いえ、詳しく聞いたわけではなく、あくまで耳にした程度です。実際に目にした事もありません」

 

 さすがにリオネルも人前で脱いだりはしないし、平気で下の話をするほどアレな躾はされていない。

 前世で男だったのでちらっと聞いたどころか詳細まで知っているが、自分自身の体験なので誰かに見せつけられたわけでもない。

 

「例のドレスが広まってきたところです。ちょうど良い次の手となるでしょう」

「ああ。リディには服飾の才能があるかもしれないな。……まあ、もちろん、ナタリー・ロジェのように職人になりたい、などと言い出さないで欲しいが」

「もちろん。心配しないで、お父さま。わたしも自分の役割はわかっているわ」

 

 両親は細工物を作る職人への試作依頼を快諾してくれた。とりあえず、この件に関しては試作品の完成を待つばかりである。



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モレ伯爵家での問答

 サラの実家──モレ伯爵家の屋敷は高級住宅街の端近くにある。

 広さとしては我が家の1/4程度。前世の感覚で考えると十分豪華な庭に到着すると、俺はアンナの手を借りて馬車を降りた。同行しているもう一人のメイド、エマがすかさず日傘をさして陽の光から守ってくれる。

 

「ありがとう、エマ」

「いえ」

 

 微笑みかけるとクールな返答。

 彼女は我が儘娘時代から俺の担当だった。アンナ(最年少)にジゼル(問題児)と偏っていた人選の中でエマが選ばれた理由は、ジゼルと同い年であり若手であることが一つ。もう一つはおそらく、いまいち愛想が足りないせいだ。

 仕事自体は早くて丁寧なので笑えばもっと重宝されると思うのだが、

 

『今の待遇に不満はありませんので』

 

 と本人は全く意に介していない。ならばせめて、と、他家への訪問など人手が足りない時の応援をお願いしている。

 応援についてはエマも拒否していない。イベントに駆り出されるのは一般メイドの職務に含まれている、という考えらしい。

 

「ようこそいらっしゃいました。リディアーヌ・シルヴェストル様」

 

 到着した俺は中年に差し掛かったメイド長をはじめ複数の使用人によって出迎えられた。

 身分の差とは恐ろしいもので、家の中で冷遇されていた俺に対して「可能な限りの人を集めました」といった感じの歓待ぶりである。

 

「ごきげんよう。お招きいただいたお礼を持って参りましたので、受け取っていただけますか?」

「有難く頂戴いたします」

 

 貴族社会においては子供が友達の家に遊びに行くだけでも手土産が必要になる。もちろん品物の量や品質は家柄に合ったものが必要だ。

 複数の手土産は使用人を介して渡される。アンナの主導で受け渡しが行われる中、俺は先んじてエマと共に屋敷内へと招かれた。案内された先は通い慣れたサラの部屋、ではなく伯爵家の応接間だった。

 どうしてここなのかと思えば、

 

『──!』

『────。────』

 

 入り口まで近づいたところで複数人が言い争う声。

 サラの声も聞こえるが内容まではわからない。メイド長へ視線を送れば、彼女は困ったような顔で部屋のドアをノックした。

 

「リディアーヌ様がいらっしゃいました」

「お通ししなさい」

 

 返ってきた声を聞いて、そういうことかと納得する。

 魔道具の照明が取り付けられ、装飾付きの宝剣が飾られた応接間には(使用人を除いて)三人がいた。一人は薄紫色の髪と瞳を持った大人しそうな令嬢──友人のサラ・モレ。後の二人は略式の正装を纏った男性と、来客用のドレスを纏い化粧をした女性。

 

「ごきげんよう、モレ伯爵。伯爵夫人。こんにちは、サラ」

「リディアーヌ様……!」

 

 スカートを摘まんで会釈をすれば、浮かない顔をしていたサラがぱっと笑顔になる。同時に彼女は他の二人を気にするように視線を送って、

 

「これはこれは、リディアーヌ様。ようこそお越しくださいました」

「歓迎いたしますわ、さあ、こちらへ」

 

 娘の様子に気づいているのかいないのか、サラの両親は立ち上がって俺をテーブルへと招いた。

 

「それでは、失礼いたします」

 

 笑顔で応じ、エマの引いてくれた椅子へと腰かけながら思う。

 友達の家に遊びに来たと思ったら、当たり前のように両親が同席してきた。しかも入室直前のあの声。

 

『どう考えても楽しい話じゃないわね。いったいどういうつもりなのかしら?』

 

 

 

 

 伯爵夫妻は挨拶だけして席を外す……などという様子もなく、笑顔で天気の話題などを振ってきた。それに営業スマイルで応じている間にお茶の準備が整えられ、茶菓子と併せて供される。

 

「頂いた品で恐縮ですけれど、せっかくの上等なお菓子ですのでお出ししてもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん構いません」

 

 手土産の中にはバターや砂糖をたっぷり使ったケーキもあった。八分の一サイズに切り分けられたそれが皿に載せられてそれぞれの前に置かれる。前世の俺なら「客に食べさせたら自分の取り分が減る」と心の狭いことを思うところだが、あまり日持ちしない物なので早く食べた方がいいというのもわかる。

 

「そうだ。せっかくですのでお渡ししたお茶の方も試していただけませんか?」

「お茶、ですか……? こちらは普通のお茶では?」

「いいえ。茶葉は同じですが製法が異なりまして、青茶と呼ばれているそうです」

 

 後から到着したアンナが淹れ方を実演してみせる。俺が飲みたがるので専属であるアンナはもう慣れっこである。

 名前の通り青っぽい色味の茶葉から抽出されたお茶は見た目上は紅茶とあまり変わらない。ティーカップに注がれたそれに俺は率先して口をつけた。

 出先での飲食は同行した使用人が毒見をするのが普通だが、今回はお持たせなので省略。ティーカップも湯で温めるついでに軽く洗われているので危険は少ない。

 念のために解毒の魔法も使った。魔法による毒対策は俺に限らず貴族では一般的らしく、大人になるまでに身に着けるべき魔法として知られている。

 

「中でもこの銘柄はわたしのお気に入りなのです」

「ほう。では……」

 

 伯爵家の面々も遅れて、恐る恐るという様子で茶を口へ。すると、サラがまず「とてもすっきりしていますね」と素直な感想を述べた。彼女の言う通りとても飲みやすいお茶に仕上がっている。烏龍茶に近い口当たりだ。

 

「青茶。そういえば、以前にも飲んだ覚えがあります。あの時飲んだものは独特の香りがもっと強かったと記憶していますが」

「そうですね。確か、他国の一部地方で薬として用いられていたお茶ではなかったかしら?」

 

 伯爵夫妻はあまり好みではなかったのか、早々に一杯を空けると普通の紅茶を注がせ始めた。残念だ。いくつも取り寄せた中から俺の好みに合ったものをリピートしているのだが。

 我が家の父も「これはいつもの茶とは別物だな」と言っていたので、紅茶が当たり前の人々からするとあまり飲みつけないのだろう。

 

「私は美味しいと思いますけど……」

「良かった。それじゃあ、迷惑でなければサラは飲んでね。冷やしても美味しいし、脂の多い料理と合わせると後味がすっきりするのよ」

「そうなのですね。是非試してみたいです」

 

 サラが目をきらきらさせながら頷く。彼女は素直かつ好奇心旺盛で読書好き、特に物語を読むのが好きという文学少女タイプだ。食が細い方で、脂っこい料理が続くと辛い、と以前に言っていたので多少なりとも助けになってくれるといい。

 そんなやりとりがあった後、ケーキを味わいながら俺とサラの近況を他愛なく語り合う。

 最近はこんな勉強をした、という俺の話に伯爵夫妻は笑顔で聞き入り、時には相槌を入れたり賞賛の声を上げたりした。彼らが本題に入ったのは話が一段落した頃だ。

 

「リディアーヌ様。娘を派閥に入れてくださったこと、本当にありがとうございます」

「?」

 

 突然何を言い出すのか、という意味を込めてにっこりと微笑めば、伯爵はどう解釈したのか上機嫌で話を続けてきた。

 

「宰相様の長女にして第三王子リオネル殿下の婚約者。類稀な魔法の才をお持ちとの評判も高いリディアーヌ様から庇護を頂ければ我が家は安泰でしょう」

「あの、伯爵さま」

「謙遜なさる必要はありませんわ。派閥入りを希望する方は日に日に増えていると聞き及んでおります。デュナン家のベアトリス様の派閥を追い落とす日も遠くはないことでしょう。どうか当家とも末永い関係を──」

「お待ちください。何のお話でしょう? そもそもわたしは派閥など作った覚えがないのですが」

 

 伯爵夫人まで一緒になって褒めちぎってくるので、俺ははしたないと思いつつも話をきっぱりぶった切った。

 途端、二人は目を丸くして、

 

「何を仰るのです。派閥が無いなどとご冗談を」

「冗談ではありません。少なくともわたしは『自分の派閥に入って欲しい』などと勧誘したことは一度もありません。サラとはお友達ですし、そうした交友関係を派閥と呼ぶのであれば納得はできますが、わたしたちの関係に庇護などという言葉を持ち出すのはあまり好ましくありません」

「な……!?」

 

 口をあんぐり開ける伯爵夫妻。サラは小さくため息をつくと首を振って、

 

「だから申し上げたのです。お父様、お母様。リディアーヌ様はベアトリス様とは違います」

「な、何を言うのサラ。い、いえ、お待ちくださいリディアーヌ様。派閥を肯定なさった上で庇護を頂けないというのはあまりにも酷い仕打ちではありませんか?」

 

 娘の落ち着いた様子とは対照的に母親は動揺を隠そうともしていなかった。

 十歳の小娘相手に下手に出すぎな気もするが、伯爵夫妻のこうした態度にも理由はある。

 

『モレ家は土地持ちの貴族ではないので、お金に余裕がないのです』

 

 サラから前に聞いた話だ。サラ自身は「もっとたくさん本が読みたい」とかそのレベルの愚痴を言ったつもりでしかないようだったが……。

 優雅で贅沢なのが貴族だが、先立つものが無ければ人も雇えないし物も買えない。

 貴族が収入を得る手段は幾つかあるが、その中でも大きいものとして「領地からの税収」がある。このため自前の領地のある土地持ち貴族とそうでない非土地持ち貴族との間には資産的な格差が発生しやすい。

 サラの伯爵家で言えば、土地持ちの男爵家や子爵家の方がむしろお金に余裕があるかもしれない。

 

 つまり、サラの家はお金に困っている。

 手土産を茶菓子に使ったのも賞味期限だけが理由ではなく、公爵令嬢に出すような高級な菓子をそうそう用意できないからだ。もてなす側に気を遣わせるのも悪いので、俺も意図して手土産を選んだ。

 お金が無いなら使用人を減らすとか、そこの宝剣を売るとか方法があるのでは? という話だが、貴族とは優雅なもの。優雅でなければ貴族ではない、というのがモレ伯爵家の考え方らしい。

 そこで彼らはこう考えたのだろう。「お金を持っている人間にたかればいい」。となれば、娘と懇意にしている十歳の公爵令嬢なんてうってつけの相手である。適当に褒めちぎって良い気分にさせ、現金なり高価なプレゼントなりを引き出そうと思っていたに違いない。

 金を寄越せと言いたいならそう言えばいいのに、と思いながら俺は微笑んで、

 

「つまり、公爵から無償の資金提供を受けたいということでしょうか?」

「な」

 

 伯爵夫妻が揃ってぽかんと口を開けた。

 しかし、彼らもさすがに場数を踏んでいるらしい。気を取り直したように笑顔を取り繕って、

 

「分かって頂けるのでしたら話が早い。どうかサラを助けると思って助けて頂けないでしょうか」

「このご恩は必ずお返しいたします。ですのでどうか……!」

「お父様もお母様も止めてください! そのようなことはリディアーヌ様に申し訳なさすぎます!」

 

 夫人に至っては涙まで浮かべ始めた。さすがに泣かれると「可哀そうだ」と思ってしまうのが人情。傍らで必死に表情を取り繕っている伯爵家のメイドたちや極めて理性的な対応をしてくれているサラへの同情も込みでなんとかしてやりたくなる。

 俺は小さく首を捻ると、背後に控えるアンナとエマを振り返った。

 

「ねえアンナ、エマ。お金の足りない貴族家はこういう時、一般的にどういう手段を取るのかしら?」

 

 すると二人は一瞬顔を見合わせてから答えてくる。

 

「そうですね……一時しのぎで良いのであれば家財を売ったり、縁のある家から借り入れたりではないでしょうか。私のように子供が働きに出れば仕送りもできるようになりますから、財政的には安定するはずです」

「支出と収入を改善したいのであれば、子供を行儀見習いや騎士見習いとして出すことも可能です」

 

 女の子であれば行儀見習い、男の子であれば騎士見習いになるのが一般的だ。

 前者はどこかの貴族家、後者は騎士団という違いはあるものの、ある程度若い年齢層から受け入れてもらえる上、最低限の教育と給金が与えられる。基本的に住み込みになるので口減らし+収入アップが見込める貧乏貴族の常套手段。

 そう考えると、娘に十五歳まで教育を受けさせた上で公爵家の正規メイドとして口を繋いだアンナの実家は貧乏ながらもしっかりとした愛情と根性の持ち主なのだろう。

 

「行儀見習いね。……サラさえ良ければ、お養母さまに頼んでみましょうか? 友達としては話ができなくなるからあまり気は進まないけれど」

「わ、私が公爵家で、ですか!? そんな良いお話があって良いのでしょうか!?」

「ええ。もちろん教育は厳しいでしょうし、いいことばかりではないけれど。ああ、でも、同じ屋敷に住んでいればわたしの本を貸してあげやすくなるわね」

「! お母様……!」

 

 サラが熱意を持って振り返れば、伯爵夫人は「信じられない」という表情で首を振る。

 

「そんなみっともない真似をさせられるものですか。……リディアーヌ様、意地悪を仰らないでください。何も高額をせびろうというわけでもないのです」

 

 お前にとっては大した額じゃないんだから黙って寄越せ、と言っているに等しいのを彼女は理解しているのだろうか。




【新しい登場人物】
◇モレ伯爵  :サラの父。貧乏だが見栄っ張り。
◇モレ伯爵夫人:サラの母。貧乏だが見栄っ張り。
◇サラ・モレ :夢見がちで本好きな伯爵令嬢。リオネルの誕生パーティーでいじめられていた子


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モレ伯爵家での問答 2

 弱さを盾にして他人を動かそうとする奴、というのも性質が悪い。

 高校時代、中学の時の友人から彼女を紹介されたことがある。その子は小柄で家が貧乏らしく、お小遣いのためにアルバイトをしているのだという。

 頑張っているんだなと感心しつつ、有名ファーストフード店のポテトを齧っていると「わたしも食べたーい」と数本まとめて強奪された。さらに彼女は自分の分の支払いを友人(彼女にとっては彼氏)にせびり、さらにはあれが欲しいこれが欲しいと服やコスメの話をし始める。

 話によるとバイト先でもこの調子らしく「男の先輩に重い物を持ってもらった」「荷物運びを女の子にやらせるなんて信じられない」と語る。仕事への態度について苦言を呈し、友人にも付き合い方を改めたらどうかと話したものの、二人とも聞き入れてはくれなかった。

 

「ひどーい。わたし、貧乏だから頑張ってるのに。バイト辞めろっていうの?」

「お前がそんな奴だとは思わなかったよ。この子を泣かしたら許さないからな」

 

 数か月後、友人から「バイト代全部と貯金まではたいて貢いだのにあっさり捨てられた」と連絡が入った。彼は別れ際、ひどい振られ方をされて手が出そうになったものの、()()()()()から逆にしこたま殴られたそうだ。予想通りすぎて俺は「だから言ったのに」と言うこともできなかった。

 

 

 

 

 家庭環境の違いや得意不得意等、どうしようもなく人と違う部分はどうしたってある。だが、だからといって「自分は弱いから」と強者を脅したり利用したりすればそれはもう、力を振りかざす不心得者と変わりがない。

 

「わかりました。では、わたしに可能な範囲で融通いたしましょう」

「おお!」

「さすがはリディアーヌ様!」

 

 途端に歓声を上げる夫妻にこくり、と頷いて、

 

「後日まとまった額をお持ちいたしますので、その際に借用書の記入をお願いします。合わせて立会人となる方をお呼びしたいと思いますが、父──公爵の知人を頼る形でよろしいでしょうか?」

「な……!? 待っていただきたい、借用書とは……?」

「あら。お金をお貸しするのですから当然でしょう? ご安心ください。十日で一割、などと暴利をふっかけるつもりはありません。一年につき一割の半分、といったところでいかがですか?」

 

 沈黙。

 一分近い間を置いて口を開いた伯爵は震える声で、

 

「困窮する我々から利子を取ろうと仰るのか……?」

「申し訳ありません、伯爵さま。わたしはこの通りまだ子供なものですから、こうした場合、どのようにするのが良いか詳しく存じ上げないのです」

 

 子供から金をせびろうとしている時点でおかしいと思わないのか。

 暗に彼らの魂胆を責めつつ、表面上は穏やかに笑みを浮かべて、

 

「……これ以上、わたしだけでお話を進めると失礼を重ねるだけのようですね。この件は一度、両親に相談させてください」

「や、止めてくれ! いや、止めてください!」

 

 父、あるいはセレスティーヌに知られるのはまずいと思ったらしい。セレスティーヌなんかは「利用価値なし」と判断したら即座に切り捨てにかかりそうだし無理もない。

 

「申し訳ありません、リディアーヌ様。どうかこのお話はなかったことにしていただけますよう」

 

 結局、伯爵家からの金の無心は相手側からの希望で取り下げられた。

 

「本当に申し訳ありませんでした、リディアーヌ様。お父様とお母様が失礼なことを……」

「サラが気にすることないわ。わたしは何も損をしていないわけだし」

 

 金の話が終わった後、大人たちは取り繕うような世間話に終始した。うんざりした俺は適当なところで話を切り上げると「貸している本がある」と言い訳をしてサラと部屋を抜け出した。

 使用人はついて来ているので、忠誠の在り方によっては夫妻にも報告が行くだろうが……別に内緒話と言うほどのことでもないので気にしない。

 

「でも、サラとしてはどうなのかしら? やっぱり貧乏は辛い?」

「……そう、ですね。辛くないわけではありません。私は跡継ぎではありませんから、どうしても目をかけられるのは二の次にされてしまいますし」

 

 サラには二歳年下の弟がいる。また、夫人は去年もう一人女の子を出産したらしい。となると親の優先順位は跡継ぎとなる男子が一番、手のかかる赤ん坊が二番目となる。

 大人しくて優しい子であるサラはろくに我が儘も言わず、この状況に耐えてきたのだろう。悲しそうな顔をしつつも、逆に「それが当たり前だから」とでも言うように吹っ切れた雰囲気がある。

 貧乏という意味では共感するところのあるアンナが呼吸や足音からかすかに心の動きを見せる。

 そんな時、

 

「姉上!」

「コーム」

 

 どこかサラに似た顔立ちの男の子が廊下の向こうから駆けてくる。それを追いかけるのはメイドというか「婆や」と呼ぶ方がしっくり来るような使用人の女性だ。男の子の世話係は「間違い」が起こらないように歳のいった女性か、あるいは男性が務めることが多い。

 弟に呼びかけられたサラは自然な笑顔を浮かべて少年を迎え入れた。軽く抱擁して至近距離から見つめ合う二人はまさに微笑ましい姉弟である。本当に、シャルロットもそうだが親がアレなのによく素直ないい子で育ってくれるものだと思う。

 あるいは、ここから親の影響を強く受け始めるのか。

 

「可愛い子ね。話に聞いていたサラの弟かしら?」

 

 くすりと笑って尋ねれば、少年──コームのつぶらな瞳が俺に向けられる。

 

「姉上。この人、もしかして『リディアーヌ様』?」

「ええ、そうよ。コーム、ご挨拶して」

 

 どこか恥ずかしそうにしながら言うサラ。コームは素直に頷き、「コーム・モレと申します。お目に書かれて光栄です、リディアーヌ様」とたどたどしい口調で挨拶してくれる。

 二歳差ということは出会った頃のリオネルと大して変わらないことになるはずだが、とても良い子である。

 

「初めまして、リディアーヌ・シルヴェストルよ。あなたのお姉様とはお友達なの」

「知ってます。姉上がよく話をしてくれるので」

「あら。サラはどんな話をしているのかしら?」

「コーム! リディアーヌ様!」

 

 サラが抵抗するので詳しい話は聞けなかった。婆やに連れられてコームが去っていく(散歩の帰りか何かだったらしい)のを見送ってひと息。

 

「あの子にも不自由して欲しくはないわね」

「……はい。コームのためにも、行儀見習いとして雇っていただくのはいいお話だと思うんですが……」

「サラ様。差し出口ではありますが、使用人として働く場合、学園入学が大きく遠のく事もご承知おき下さい。働きながら入学金・諸経費を用意するのは並大抵の苦労ではないでしょう」

 

 エマが淡々と、珍しく饒舌に忠告を口にする。実際、金がないから働くのに学園に通わせてもらえるかというとかなり怪しい。まして現状だと両親から反対されている状況。バイトして学費の一部を稼ぐ、みたいなノリでいたら足をすくわれそうだ。

 これにサラは「そうですね……」としゅんとしてしまう。

 難しい問題。しかし、俺には安易に「お金をあげる」などと言うことはできなかった。

 

 

 

 

「他家の資産問題へ口を出すのは得策とは言えません。正規の手続きを踏み、書類を用意して一定額を『貸し出す』という判断は間違っていないでしょう」

 

 伯爵夫妻から「なかったことに」と言われたものの、本当に黙っているかと言えばそんなわけもなく。俺は夕食の席にて両親への『相談』という体を取ってモレ家での出来事について報告した。

 話を聞いたセレスティーヌが口にしたのは案の定、ごくごく実務的な見解。

 父もこれには同意。

 

「リディが自分の裁量で金を出すのであれば強く止めるのもおかしいが……最初から『たかる』つもりの輩に施しを与えるくらいなら、装飾品の一つも買ってくれた方が嬉しいな」

「私は、お友達を助けたいというお姉様のお気持ちも良くわかりますけれど……」

 

 義妹のシャルロットも九歳になった。真面目で一生懸命な性格も手伝ってか日々成長し、話しぶりもだいぶしっかりして来ている。

 もともとセレスティーヌに連れられて他家に紹介されたりしていたシャルロットは着実に友人を増やし、派閥とはいかないまでも仲良しグループのようなものを形成している。俺もたまにお茶会へ交ぜてもらうが、華やかで女子らしい令嬢が多いことを除けばいい子たちだ。

 

「貴族家の中にはそんな不心得者もいるのですね。……表面的な知識だけでは内情までは把握しきれないということですか」

 

 兄のアランは十二歳になってぐっと男らしさが増してきた。と言っても無骨な感じではなく、頼りなさが抜けて存在感が強くなったという感じだ。声も低くなってきており、これまでの声も十分に美声だったので少し残念な気持ちもある。

 着々と次期宰相への道を歩んでいる彼は教訓を噛みしめるように呟き、それに父が頷く。

 

「同じような家族構成でも仲が良い家、悪い家がある。資産状況にしても赤字続きで打つ手もなく危機にあるのと、新事業の準備で我慢してきたのとは全く違うだろう。情報は多いに越した事はないし、書面だけでなく生きた人間の話も重要になる」

「噂話や社交界での評判、出入りする商人の様子なども参考になります。物事を多角的に判断する癖をつけるべきですね。……もっとも、情報を集めるには女の協力も必要になりますが」

 

 養母がちらりと俺を見てから僅かに間を置き、シャルロットへと視線を移して、

 

「シャルロットもさりげない会話から必要な情報を聞き出す術を磨きましょう」

「はい、お母様」

「待ってくださいませ、お養母さま。なんなのですか、その、わたしには期待していないと言わんばかりの態度は」

「リディアーヌは回りくどい会話を面倒くさがって投げてしまいますし、好みではない相手とは簡単に距離を離してしまうでしょう?」

 

 情報収集には向いていないと暗に言われ、ぐうの音も出なかった。

 

「ですが、全員に向き合っていては時間も労力も足りません」

「取捨選択が極端すぎると言っているのです。そもそも、敵を作りやすい貴女の性格が静かな情報収集に向いていないのでしょうけれど」

「リディアーヌのやり方はむしろ男の社交に近いからね。男性貴族からもチェスや討論の誘いが来るだろう?」

「ええ、度々いただいておりますが……お兄さままでそんなことを仰るのですね」

 

 ついつい遠い目になってしまう。

 男の社交の方がわかりやすくて好都合だし、カウンター悪役令嬢を目指す身として派手な行動はどうしても付きまとってくる。仕方のないことではあるのだが。

 

「元気を出してください、お姉様。お姉様の苦手な事は私が頑張りますから」

「ありがとう、シャルロット。でも、無理はしないでね?」

 

 微笑みかけると、義妹は笑顔で頷いて、

 

「ですが、むしろ私は嬉しいのです。お姉様とは違う方法で私も家の役に立てるのですから」

「そう。やっぱりシャルロットはすごいと思うわ」

 

 負けてはいられない、と、あらためて思う俺だった。

 

 

 

 

 それから俺は自分なりに少しでもサラを助ける方法を考え、実行に移した。

 

「ねえ、アンナ? わたしの昔のドレスってどうしているのかしら?」

「少なくとも一年前の物までは全て保管しております。手直しすれば着られる物もありますし、場合によってはシャルロット様へお譲りすることも可能ですから」

「なら、要らなくなって処分するドレスもあるのでしょう? それをサラに譲ることはできないかしら」

 

 返ってきた答えは「できなくはない」だった。我が家における着られる・着られないの基準はサイズだけでなく流行だったり、古いドレスばかり着ているとケチだと思われるといった外聞の問題もある。

 体型的には着られるけど処分するドレスもあるため場合によっては喜ばれるかも……ということで、実際にサラを使用人付きで呼んで見て貰ったところ、思った以上に喜ばれた。

 

「こんな素敵なドレス、いただいていいんですか!?」

「ええ。捨ててしまうよりはその方がドレスも喜ぶでしょう?」

 

 サラは何度も「ありがとうございます」と口にしながら何着かのドレスを選び、家に持ち帰っていった。それらのドレスは後に目にする機会もあったが、中には大胆なリメイクが施されたものもあった。「あれはたぶん公爵家では不可能ですね……」とはアンナの談である。

 貧乏で知られているモレ家の場合、多少流行遅れのデザインでも問題はない。お下がりに関しては下手すると親世代・祖母世代のドレスを受け継ぐ場合もなくはないのでそちらもOK。むしろ俺とサラの仲の良さをアピールする効果もあったようで、羨ましがった他の令嬢から「私にも」と強請られることにもなった。



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魔女の秘密部屋

「派閥っていったいなんなのでしょうね」

「同じ思想または目的のもとに集まった集団、あるいは特定個人を中心に利害を共にする集団、といったところかしら」

「いえ、師匠。愚痴のつもりだったので、言葉の定義を教えていただかなくても構いません」

「そう。なら、面倒だからよそでやってくれる?」

 

 雑談代わりに話を振ってみたところ、オーレリア・グラニエはオーレリア・グラニエだった。

 アンナが運んできた軽食をいつものように口にしながら、全く思いやりのない言葉を吐く彼女。俺はわかりやすく大きなため息をついて、

 

「師匠も派閥云々については煩わしいと思っている口では?」

「まあ、そうね。煩わしいというか、もはやどうでもいいと言った方が正しいけれど」

「貴族としてどうなのですか、それは」

「『リディアーヌ派』を作り上げ、『第三王子派』の勢力拡大を狙うご令嬢はさすが思想が御立派ね」

「完全に嫌味で言っていますね?」

 

 俺が派閥と相性が悪いことくらい当然把握しているはず。

 と、思ったら、オーレリアはこともなげに笑って、

 

「あら。ちゃんと貴女にも味方はいるのでしょう? それとも、子分とでも呼んだ方がいいかしら」

「外聞が悪いので『子分』は止めていただけないでしょうか」

 

 モレ家の夫妻に答えたように、俺自身に派閥を作っているという意識はない。

 パーティー等で出会った中から悪意がなさそうな人間を選んで仲良くしているだけ。必要に迫られない限り友人全員を一度に招いたりもしないので、俺の友人同士だけど話をしたことはない、なんていうメンバーもいるかもしれない。

 友人を顎で使ったりする気はないし、前に宣言したように友人をいじめる奴は泣かせてやりたいと思う。しかし、助けを乞われたからといって無条件で応じるわけではない。嫌だと言うなら仲良くしてくれなくて構わない。

 俺が欲しいのは善意で協力し合える関係であって、庇護と忠誠によって生じる打算的な疑似主従の関係ではないのだ。

 家族から「女の社交が苦手」と言われるのはこういうところなのだろう。

 

「オーレリア様には子分、いないんですか?」

「情報交換や私物の取引ができる程度の知人ならいるけれど、私を支持する派閥なんて明らかに危険視されるでしょう? 派閥と言えるほどのものはないわ」

「表向きにはない、と」

 

 俺のカマかけにオーレリアは肯定も否定もしなかった。

 ただ、その漆黒の双眸を猫のように細めて、最後のサンドイッチを口へ放り込む。続いて飲み物の容器を空にしたら、すぐさま立ち上がった。

 

「さて、それじゃあ行きましょうか」

「え、あの、どちらへ?」

「秘密の研究室」

 

 嘘か真か、そんなことをのたまうと、アンナに向けて他言無用を告げるオーレリア。

 だから人のメイドに勝手なことを言うなという話だが、安全面から言っても今回の件は正しい。俺からもお願いすると、アンナはこくこくと頷いた。

 この部屋にアンナ一人しか連れてこないのはこの辺りが理由だ。事情を知っている人間は少ない方がいい。うちの師匠は基本的に人嫌いなのであまり多くの人間が来ることを好まない。

 部屋の扉に鍵がかけられ、閂で厳重に戒められる。「手伝いなさい」と命令されたので、部屋の窓に木の板を嵌め、金具で壁と接続。木板を外から外せないよう固定した。

 そうして作り出された密室。オーレリアは部屋のやや奥、彼女の机に近いあたりの床にしゃがみ込むと、石畳のひとつに触れる。魔力の流れが感じられた直後、石畳がズレてその下に階段が現れる。

 

「……一年以上通っていて初めて知ったのですが」

「教えなかったもの。さて、それじゃあ、ここからはリディアーヌ一人でついてきなさい」

「そんな!? リディアーヌ様お一人では危険です!」

 

 悲鳴を上げるアンナ。今更俺を傷つける意味がないとか、アンナ一人じゃ護衛として不足だとか色々あるが、それでも敢えて言ったのは例の手紙のせいだろう。全てを信じなかったとしても、オーレリアに対して「一応警戒しておこう」程度の猜疑心を抱くのは当然。

 俺は少し考えてからアンナに命じた。

 

「あなたの判断で『さすがに遅すぎる』と思ったらここを出てお養母さまに報告しなさい。くれぐれも一人で助けに来ようなんて思わないこと。オーレリア・グラニエがリディアーヌ・シルヴェストルを連れだして戻って来ない、と確実に伝えるの」

 

 外からの侵入には備えたが、内側から出る分には簡単なこと。アンナが神妙に頷けば、オーレリアも「当然の警戒ね」と笑った。

 

「それで? 一番危険な位置にある貴女はどうするのかしら?」

「わたしだって、師匠にあっさり殺されるほど弱くはないつもりです。常識的に考えれば、こんなあからさまなやり方は取らないはずですが、もちろん警戒だけは怠りません」

 

 常識が通じない相手の存在を俺はよく知っている。そして、今の俺にはあの頃よりも手札が多い。不意打ちでなければ防御魔法が使えるし、即死さえしなければ毒でも刃物でも炎でもだいたい治せる。

 俺たちの反応を理解していないわけでもないだろうに、師は「そう」とだけ言ってさっさと階段に足を置いた。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 俺が後に続くと床(というか天井というか)はひとりでに元通りになった。これでアンナは追ってこられない。閉ざされたことで辺りが暗闇に包まれるも、俺とオーレリアはそれぞれ魔法の明かりを用意して事なきを得た。

 階段は螺旋を描きながら下へと続いていく。

 

「この階段、自分で作ったんですか?」

「ええ。魔法を使えばそう大変なことでもないでしょう?」

 

 まあ、穴掘って石を敷き詰めるだけだしな……と納得する俺だったが、こういうのは大抵、一般的な貴族からすると十分大変だったりする。

 

「わざわざこんな風に隠しているのはどうしてですか?」

「決まっているでしょう。不特定多数に見られたくない物が置いてあるからよ」

 

 ここに来たばかりの頃、部屋が異様に散らかっていたのは床の仕掛けを隠す意味もあったのかもしれない。今は俺やアンナがうるさいせいでだいぶ片付いてしまっているが。

 やがて、俺たちは階段を抜けて部屋へと到着する。

 広さは上の部屋と同じくらいだろう。部屋の様相はだいぶ異なり、本棚が小さい代わりに魔石や魔道具が多く存在している。魔道具の多くは不格好であまり見たことのないタイプのものだ。

 中央辺りで立ち止まった魔女はこちらを振り返って妖艶な笑みを浮かべた。

 

「ようこそ、我が弟子。私の秘密研究室へ」

 

 なんとなく近くに寄るのを躊躇った俺は、代わりに室内を観察して、

 

「……思ったよりは普通の部屋ですね」

「どんな部屋を想像していたのかしら。やっている事は魔道具の開発だもの。見た目自体は上と大差ないわ」

「では、中身が違うと」

「ええ」

 

 棚にあった魔石が一つこちらへと投げられる。

 キャッチした俺は外観に特徴がないことを確認した後、ある重要な事実に気づいた。

 魔石とは魔力を通すことに適した石だ。ここに任意の魔法を組み込んで魔道具の核とするわけだが、魔道具──魔石に注いだ魔力は長もちしない。少しずつ拡散していってしまうため、照明の魔道具なんかは魔力量によって持続時間の調節が可能なのだが──。

 この魔石には十分な魔力が()()()()()()()()()()()()()

 

「魔力を保存可能な魔石……!?」

「話が早くて本当に助かるわ。そういうこと。どうかしら、画期的でしょう?」

 

 得意げになったオーレリアは奥の方から背もたれのない椅子を二脚出してきて片方に自ら腰かける。向かい合って座り聞かされたのはこの魔石の製法。魔石として使えるようになった石へ「魔力を保存する魔法」を繰り返しかけてさらに性質を変えていくという話。

 もはやこれはただの魔石ではなく新型魔石とでも呼ぶべきものだ。

 現状では魔道具を機能させるための魔石を別に用意しなければならず製作費用が異様にかさむという話もされが……ぶっちゃけ、その辺に関しては後回しでもいい。

 俺は睨みつける勢いで師を見つめると問いを投げつける。

 

「師匠。この魔石を何に使うつもりですか」

「あら。何か問題でも?」

「とぼけないでください。この魔石は魔道具の概念を……いいえ、これからの歴史さえも一変させかねない劇物です」

「例えば?」

 

 探るような視線に真っ向から答える。

 

「要するに、これを使えば()()()()()()()()()()()のでしょう? 火の球を発射する魔道具でも量産して配ればあっという間に即席の魔法部隊の出来上がりです」

「真っ先に物騒な使い道を思いつくのね。例えば平民の料理人でも凝った調理が可能になる。生活をより便利にしてくれる発明でもあると思うのだけれど」

「そうですね。それは確かにその通りです」

 

 魔力とは使えば消耗していくものだ。新型魔石は言わば電池のようなものであって交換は必須。そうである以上、魔力を持つ貴族の価値もそう簡単には下がらない。余った魔力を保存できると考えれば貴族にとってもメリットはある。

 それでも、

 

「新型魔石を組み込んだ『兵器』が十分に用意されれば、戦争の概念は一気に覆るでしょう。魔道具と兵の数が勝敗に直結する時代が来ます。きっと、今まで以上に多くの人が死にます」

「今までなら考えられなかったような大規模な魔法だって使えるようになるんじゃない?」

「そうですね。都市一つを吹き飛ばすような魔法だって使えるかもしれません」

 

 禍々しいきのこ雲をイメージしながら俺は応えた。

 あんなものは実現してはいけない。いつか誰かが似たようなことをするのだとしても、そのいつかを早める必要はない。

 椅子から立ち上がって問いかける。

 

「答えてください。あなたはこれをどうするつもりですか?」

「どうすると思う?」

 

 オーレリア・グラニエはこの期に及んでもなおいつも通りだった。

 いつも通り飄々と、超然と、どこまでも見透かしたような態度を取ってくる。彼女ならどんなことでもやりかねない、と、対峙する者に思わせる何かを持っている。

 例の手紙を思い出す。

 新型魔石を使った魔法兵器は差出人が予言した大量殺戮にぴったりだろう。

 

「言い方を変えます。こんなものは世に広めてはいけません。必ず争いの火種になります」

「多方面に喧嘩を売っている貴女に言われても説得力がないんじゃないかしら」

「わたしは他に向く悪意を集めたいだけです。それで被害を免れる人が一人でも増えるなら喧嘩もします。ですが、喧嘩と戦争は違うでしょう」

「国に献上すれば国土を広げる足掛かりになるかもしれないけれど?」

「一度は勝てても、技術は必ず流出します。後は新兵器の開発合戦。戦いと被害の規模だけが拡大して悲劇を撒き散らします」

 

 本気でこんなものを広めるつもりなら、絶対に阻止しなければならない。

 最悪の場合には戦う覚悟で睨みつければ、オーレリアは苦笑と共に肩を竦めた。

 

「この調子だと他の発明品を見せたら発狂しそうね、貴女」

「まだ、他にもあるというのですか?」

「私も卒業が近いもの。成果は多い方がいいのよ」

 

 次にオーレリアが示したのは首輪型の魔道具。

 

「一度装着したら解錠の魔法を用いるか物理的な手段を取らない限り外れない首輪よ。そして、これは着用者の魔力を吸い取って『魔法の行使を禁じる魔法』を発動する」

「そんな魔法……」

 

 ありえないと断言はできなかった。イメージによって定義される、なんていうなんでもありの力に常識的は通用しない。もちろん、効果の限界はあるだろうが。

 さらに、腕輪型の魔道具が示されて、

 

「これは魔法防御の魔道具。装着者が魔法の対象になった際に自動で発動して、その威力を軽減する」

 

 ここまで来れば傾向が見える。

 俺は重い衝撃を感じながらその答えを口にした。

 

「魔法の使えない人間と使える人間の差を埋めるための魔道具」

「正解」

 

 くすりと笑ってオーレリアが近づいてくる。反射的に身構えれば、彼女はさっと両手を広げて敵意がないことをアピールした。

 

「褒めてあげたかっただけ。私の意図をこんなに早く理解できるのは貴女だけでしょうから」

「そうでしょうか」

 

 国王でもセレスティーヌでも、似たような推測には行きつくと思うのだが。

 

「師匠。もう一度聞きます。あなたはこれをどうするつもりですか?」

「そうね。貴女なら、誰が一番高く買ってくれると思う?」

 

 謎めいた問いかけ。つまり、彼女にはそれ以上の答えを返す気がないということで、実際に問い詰めてみても回答は得られなかった。

 

「次回から『授業』に来るかどうかは任せるわ。貴女の好きにしなさい」

「師匠。どうしてわたしにこのことを教えたんですか?」

「さあ、どうしてかしら」

 

 結局、俺は彼女のことをまだ何もわかっていないのだと、この時、あらためて理解した。



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魔女の秘密部屋 2

「リディアーヌ様。大丈夫だったんですよね? 何もされていませんよね?」

「大丈夫よ、アンナ。この通りぴんぴんしてるし、わたしに心の魔法はほぼ効かないもの」

 

 地下室を出てアンナと合流した俺はすぐに学園を後にした。

 二人っきりの部屋で何があったのかを話せるようになったのは屋敷の自室にたどり着いてから。それでも話せるのはごく限られた内容だけだった。

 

「オーレリアさまとは話をしただけ。まあ、その内容が重すぎたんだけど……重すぎて、アンナにも迂闊に話せないの」

「そ、そんなに重要な話だったんですか……!?」

「ええ。下手に知ってしまったら命を狙われかねないくらいに」

「リディアーヌ様。旦那様に相談しましょう……!」

「……それしかないかしらね」

 

 オーレリア・グラニエは秘密を教えるだけ教えて口封じもしてこなかった。何を企んでいるのか全くわからない。場合によっては俺が誰かに相談することそのものが目的とも考えられるが、だとしても、誰にも言わずにのほほんと暮らしていられるほど軽い情報ではない。

 誰に言うのが一番得策か。

 本音を言えば誰が相手でも怖い。あれを知っている人間が増えれば増えるほど、あれを悪用しようとする人間が生まれかねないからだ。

 

『わたしにとっては国家転覆に使われるのも、他国との戦争に使われるのも同じだわ。だったら国王陛下だって信用できないじゃない』

 

 だとしても、リオネルの婚約者という立場上、知っていて何もしないわけにはいかない。王族入りを予約しているような身の上なわけで、下手な情報秘匿は反逆と見做されかねない。

 なら、一番適切な相談相手は父だろう。

 国王に直談判なんてそうそうできないし、セレスティーヌは何を考えているのかわからないので話を振りたくない。リオネルに伝えてどうなるとも思えないし、他の王族に接触するのもリスクが高すぎる。

 

「アンナ。お父さまに面会依頼を取ってちょうだい」

「かしこまりました」

 

 幸い、親馬鹿な父はその日のうちに二人きりの時間を作ってくれた。

 

 

 

 

「お父さま。とても大事な話なの。人払いをしてもらえないかしら」

「……本気のようだな。仕方あるまい。お前達、部屋の外へ出ていろ」

「なりません! 万が一があったらどうします!」

 

 毎度のことだが、貴族の言う二人きりとは通常「使用人や護衛を除けば」という意味である。家長である父には執事やメイドが付いているのが普通だし、宰相という身分上、騎士の護衛が付いていることも多い。今日もそういう日だった。

 彼らにしても俺が父親殺しを企むとは思っていないだろうが、親子喧嘩からついかっとなってとか、タイミング悪く賊が侵入して、という可能性はある。

 俺は頷き、代案として一つの魔法を行使する。

 

「じゃあ、これならどうかしら」

 

 テーブル越しに向かい合った俺と父の周りに不可視の空気の壁が形成。その壁は空気の循環を繰り返しており、内外を音的な意味でシャットアウトする。なお、イメージしたのはエアコンや扇風機の使用イメージ図である。

 これなら使用人が部屋の中にいても内緒話ができる。思ったより魔力を食うのであまり多用はしたくないが……。

 

「ほう、リディはこんな事までできるようになったのか。オーレリア・グラニエには感謝した方がいいのかもしれぬ」

「残念だけど、お父さま。そのオーレリアさまに関するお話なの」

「……聞こう」

 

 俺は地下室で見た物について語った。

 話が進むにつれて父の表情は険しくなり、ついには顎に手を当て渋面を作るまでになった。使用人たちは主人の様子が気になる様子を見せながらも大人しく様子を見守っている。

 語り終えたところで俺は息を吐いて、

 

「……以上。もちろん、あの方が()()を王家に供するというのであれば、わたしには何も言えないのだけれど」

「その割には浮かない顔だな、リディ」

「それは、まあ。わたしの命が狙われる分にはわたしが強くなればいいでしょう? でも、戦争はわたしにはどうしようもない」

 

 女である俺にとって戦争とは「過去の歴史」に過ぎない。

 自分が参加するどころか、指揮や作戦立案という形で関わることさえないというのが前提だ。しかし、それでもある程度の話は聞いている。

 今まで行われてきた戦争は参戦する貴族の数と質が戦況を大きく左右してきた。魔法の力を持つ貴族は一騎当千とまではいかないにせよ、一般兵の十や二十は軽く蹴散らせるからだ。これでも十分凄い話だが、これはまだ個人がその能力によって活躍する戦いである。

 しかし、兵器が普及すればこの前提が崩れる。

 俺がそれを示唆すると父は優しい顔になって俺の頭を撫でた。

 

「やはり、リディは優しい子だな」

「そんなこと。わたしはきっと、それしかないと思ったら躊躇なく人を殺すわ」

 

 結局のところ人の死が怖いだけ。自分の手で、意思を持って殺すならまだしも、自分の判断で大勢が死ぬなんていうのは想像するだけで恐ろしい。

 俺の返答に父は曖昧な笑みを浮かべてから、表情を引き締めた。

 

「まず確認しよう。オーレリア・グラニエがそのような発明をしているという証拠はあるのか?」

「いいえ。発明品を持ち出すとなれば、さすがに咎められただろうから……」

 

 並の相手ならともかくオーレリアと戦うのは分が悪すぎる。魔力量でも経験でも地の利でも上回られている状況で喧嘩を売るのは自殺行為だ。

 ただ、そのせいで証拠と言えるのは俺の証言だけになってしまった。

 

「忍び込むなりして証拠を持ってきた方がいいかしら?」

「いや。部屋の主に招かれるのと無断で侵入するのとでは意味が全く異なる。今回のようにすんなり侵入できるとは思わない方がいい」

「……そうね。何しろ魔法と魔道具に精通した天才が相手だもの」

 

 魔法や魔道具によるセキュリティは持続時間という弱点があるが、オーレリアの開発した新型魔石はまさにその弱点を補うものだ。許可のない侵入者を問答無用で焼き殺す仕掛けなどがあっても不思議はない。

 

「じゃあ、このまま放置しておくの?」

「それも駄目だ。……新型魔石や魔法封じの魔道具について、少なくとも私は初めて耳にした。最低でも陛下には確認を取らねばならない」

「お父さまが知らないのなら王家の依頼ではない、ということかしら」

「さあな。国の中枢部とて完全な一枚岩ではない。国として依頼していないとしても、何らかの思惑が絡んでいる可能性はある」

 

 オーレリアの後見人は宮廷魔法士長。まずは試作品を作らせ、それをこれから売り込む算段ということも考えられる。もちろん依頼人は別かもしれないし、目的は国王に取り入ることではなく現政権を壊すことかもしれない。

 

「オーレリアさまは卒業を気にしていたわ。進路と関係があるのかしら」

「あれは宮廷魔法士に加わることが決定している。となれば……いや。決めつけるのは早計だな」

 

 それから父は俺に、しばらくの間オーレリアのところへ行かないように命じてきた。

 

「わかったわ。オーレリアさまからも『来なくていい』と言われているし、どうせ行っても魔石や魔道具作りを手伝わされていただけだもの」

「明らかに子供の勉強ですることではないが……ならば魔法はどうやって習ったのだ」

「お手本を幾つか見せられたら後は自主練だったけれど?」

「意味が分からん」

 

 和んだというかなんというか、とりあえず空気が多少弛緩した。後は任せろと父は請け負ってくれる。歯がゆいが、さすがに彼が悪人だとは思えないし、国王の耳へ入れずに解決するのも無理だろう。

 オーレリアがこれからどうなるかは未知数だという。

 地下室を見せろと言って素直に応じるかわからないし、かといって騎士団を動員することになれば要らない騒動を引き起こすかもしれない。依頼人が誰かもわからない以上、下手な人物に対応を任せれば逆効果にもなりかねない。慎重な対応が必要になる。

 

「あまり気に病むなよ、リディアーヌ。向こうから手の内を明かしてきたのだ。今から手をこまねいても手遅れなのかもしれぬ」

「……そうね。どうしても考えてしまいそうではあるけれど」

 

 最後に、俺はひとつの質問を父へ投げかけた。

 

「ねえ、お父さま。国家転覆が目的だと仮定して、一番やりそうな勢力はどこかしら?」

「リディがそこまで知る必要はない。お前にはもっとのびのびと育って欲しいのだ」

 

 俺の髪を撫でる父の手にも、声にも、底知れない慈愛が確かに籠もっていた。

 

 

 

 

「じゃあ、オーレリアさまについてはひとまず安心なんですね」

「だといいのだけれど、ね」

 

 部屋に戻ってきた俺は、不安そうなアンナに父へ相談したこと、父がその後の対応を請け負ってくれたことだけを伝えた。

 ぱっと表情を輝かせるアンナだったが、人任せにするだけという状況が俺としてはどうにも落ち着かない。

 俺では行動範囲も、いざと言う時に振るえる権力も限られるのだから仕方ないのだが、せめてもう少し何かできることはないものか。

 

「そもそも、状況が不透明すぎるのよ」

 

 発端はあの手紙。

 同時期に急に手の内を明かしてきたオーレリア。それぞれが何をどう動かそうとしているのか、考えれば考えるほど可能性が増えてきて頭が混乱する。いっそのことあの手紙もオーレリアの仕業で、全部俺をからかうためのドッキリでした、とかだったら楽なのだが。

 『何言っているの? そんなこと言われたらいくら師匠でも丸焼きの刑よ!』

 いや、何事もなく済むんならその方がいいだろう。丸焼きにはしたいけど。

 

「あー、もう。だからわたし、こういうのは苦手なのよ!」

「苦手な方はそんなにあれこれ考えたりしないと思いますけど」

「仕方ないじゃない。貴族社会って複雑すぎるんだもの」

 

 付き合っているのが主に子供世代だけ、しかもできる限り付き合う相手を限定してもなおこの有様である。セレスティーヌなんかは一体どうやって立ち回っているのか理解不能だ。あの女と俺はそもそも根本から別の生き物なのではないかとさえ思ってしまう。

 

「……あの手紙、か」

 

 椅子の背もたれにぐっと体重を預け、天井を見上げながらふと呟く。

 

「リディアーヌ様。そういえば、手紙の件は?」

「お父さまには言ってないわ。文字が消えてしまったから、それこそ証拠がないしね」

 

 実を言うと、手紙の方にはまだ手がかりがある。

 手紙に使われていた封蝋に特徴があったからだ。とある家の紋章。差出人の記載こそなかったが、普通に考えればその家の誰かが送ってきたということになる。

 

「ねえ、アンナ。たしかバルト家から招待状が届いていたわよね?」

「バルト家ですか? はい、次期当主フレデリク様の奥様であるミレーヌ様より、珍しいお茶を持ち寄る会のお誘いが──まさか、リディアーヌ様、参加されるおつもりですか!?」

 

 アンナが慌てたのには理由がある。

 ミレーヌ・バルト。彼女と俺には少々因縁がある。ジゼルが取り調べ中に自白した例の薬の調達元が他でもないミレーヌだったのだ。

 バルト家の領地は植物の栽培に力を入れているらしく、薬関係の伝手が多い。そのため「薬を分けて欲しい」と頼まれることも多いようで、ジゼルへの対応もその一環だったという話。

 

『確かに解熱剤を手配いたしましたし、濃縮の方法についても請われて教えました。ですが、彼女から頼まれたのは毒ではなく薬ですし、何に使うつもりなのか詳しく尋ねませんでした。風邪で仕事を休まないために使う、といった平和的な利用法も十分に考えられますでしょう?』

 

 騎士団の取り調べに対してミレーヌはそんな風に答えたそうだ。実際、解熱剤自体は「医者に頼めば処方してもらえる」程度の代物なので言い訳としては不自然ではない。あの夜、やってきたジゼルを追い返したという話もあるが、これも「馬鹿な真似をするなと諫めたつもり」だと言われてしまえば罪になるほどのものでもない。

 しかし、ジゼルを間接的に唆していた可能性は十分にある。

 なにしろ、ミレーヌは学園時代にジゼルの所属していた派閥の長をしていた人物なのだから。

 

「ええ、そのまさかよ。もちろん、お父さまへ相談してからにするけれど、このタイミングで送られてきた招待状よ。なにか意味がありそうでしょう?」

 

 俺が青茶を定期購入しているのは別に秘密でもないので簡単にわかる。招待する口実としては妥当だろう。

 

「大丈夫。もしお茶に毒が盛られていてもわたしが治してあげるから」

「いえ、あの、できれば盛られる前になんとかして欲しいんですが……」

 

 毒耐性を得る魔法を練習しているが魔力量もあってまだまだ十分とは言えないアンナ。彼女用の特訓メニューを増やすことを俺は真剣に検討し始めた。



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公爵令嬢の専属騎士

「リディアーヌに騎士が付く事になった」

 

 朝食の席にて父がそう宣言したのは、地下室の件があってから三日後のことだった。

 俺が相談した件もあってか父はこのところ毎日帰りが遅い。いろいろやることがあるのだろうと思っていたものの、思った以上に色々対応してくれていたらしい。

 この宣言にシャルロットがコンソメスープを飲む手を止め、エメラルドのような瞳を煌めかせた。

 

「お姉様の専属騎士ということですか?」

「ああ、そうだ。と、言っても見習い騎士だが、いるのといないのとでは大違いだろう」

「凄いです。見習いの方でも、騎士様に守って頂けるなんて」

 

 羨ましい、という視線を送ってくる義妹に、俺は苦笑交じりの笑みを返した。

 この国における騎士とは国に忠誠を誓い、騎士団に所属する戦闘技能者のことだ。軍人と警察を足して二で割ったような役割を持っていて、戦時は軍の中核を担い、平時には街の治安維持や要人護衛などを担っている。

 騎士は君主──つまり国王の剣であるため、彼らが特定個人に仕えるには王の許可が必要になる。専属の騎士を持つことが許されるのはほぼ例外なく国の要人。高位貴族だからと言って簡単につけてもらえるものではない。

 

「リオネル殿下との婚約から一年以上が経った。国王陛下、妃殿下、ならびにリオネル殿下からの覚えもめでたい。将来の王族入りを見越して今から護衛を付けておこうという判断だ」

「父上。それにしてもこの早さは異例に思えますが……」

 

 次いで疑問を投げかけたのはアラン。隣に座った俺へと投げかけられる視線には不安の色がある。心配ない、という意味をこめてにこりと微笑めば「本当かい?」とでも言うようにむしろ圧が強くなる。

 父はアランに向けて深く頷き、

 

「リディの行動範囲を考慮して決定した。入学年齢の遥か以前から学園へ出入りしているため、貴族の目に触れる機会が多い。悪意の手を排するためにも必要な措置だろう。私としてはむしろ前々から打診していたくらいだ」

「見習い一人程度では戦力として不安ですけれど」

 

 どこを見るでもなく、ゆっくりと食事を続けながらセレスティーヌ。

 

「うむ。欲を言えば正規騎士を付けたかったが……女性騎士は絶対数が少ないからな。リディの年齢を考えれば長く仕えられる若手の採用が適当ということになった」

「あ……。お姉様には女性の騎士が付くのですね?」

「着替えや花摘みの際、傍に控えられないようでは護衛として不足ですからね」

 

 アンナの魔力がもっと多ければ護衛としても頼りにできたかもしれない。その場合は男性騎士という選択肢もありえただろうが、まあ、護衛対象と同性の騎士を使う方がいろいろと無難である。

 俺はくすりと笑って、

 

「逞しい騎士さまに守っていただく。物語の登場人物になったようで楽しそうではあるけれど、特定の殿方と近しい関係になってはリオネルさまに嫉妬されてしまいそうだわ」

「うう……お姉様は意地悪です」

「あの殿下は嫉妬するほどリディに興味はないだろう」

 

 イケメン騎士を想像していたらしいシャルロットをからかっていたら兄が不機嫌になってしまった。

 アランは将来の宰相就任を見越して定期的に王族と交流を持っている。その中には当然リオネルも含まれているのだが、単純お気楽王子様と思慮深いアランではあまり馬が合わないらしい。俺がリオネルを褒めたりするとだいたいこんな感じである。

 俺は強いて明るい声を出し話題を逸らす。

 

「それで、お父さま? どのような方が付いてくださるのかしら」

「ああ。ノエル・クラヴィル。十四歳の伯爵令嬢だ。赤紫の髪とラベンダーのような瞳を持った美しい娘らしい。属性は火だからリディとも仲良くやれるだろう」

「火属性、ですか」

「む? 何か問題があるのか?」

「いえ。火属性の持ち主は苛烈な性格の方が多いのでしょう? 他者と仲良くするのは苦手なのではないか、と」

 

 特に間違ったことは言っていないはずなのに、セレスティーヌとアンナから「お前が言うな」という目で見られた。

 

 

 

 

「お初にお目にかかります。ノエル・クラヴィルと申します。今後、お傍に控えさせていただくことをどうかお許しいただけますよう」

 

 朝食の席で父に了解の意を示したところ、翌日の朝食後にはもう騎士が派遣されてきた。

 聞いていた通り、ノエルは騎士というより令嬢と言う方がしっくりくる可憐な少女だった。高めの身長と短く切り揃えた髪のお陰で凛々しい印象もある。ドレスや騎士装はもちろん、スリムな体型なので男装をしても似合いそうだ。

 クラヴィル家は確か、代々騎士を輩出していることで有名な家だ。騎士団の現副団長はノエルの父親、クラヴィル家の当主が務めている。

 彼女が騎士の道を選んだのもお家柄なのだろうか。手袋に包まれた指をそっと眺めると、女性にしてはしっかりと太いのがわかった。指の腹も硬くなっているだろう。身体だって無骨ではないものの引き締まっていて、男性からの評価は分かれそうだ。

 なるほど、剣を振るっているとこうなるのか。

 

「初めまして、リディアーヌ・シルヴェストルよ。騎士さまに守ってもらえるなんて身に余る光栄だわ。急な話で申し訳ないけれど、よろしくお願いね」

「はっ。誠心誠意、お守りさせていただきます」

 

 父によると、ノエルに敬語は不要らしい。

 騎士もまた貴族なので一概に「守られる側が偉い」というわけではない。家柄の差も適用されるし騎士の階級も考慮する必要があるが、子供が大人へ、女が男へ対する時などはなるべく敬意を払った方が良いとされる。

 ただ、俺とノエルに関しては王族入りの内定した公爵令嬢と伯爵家出身の見習い騎士なので、俺の方が立場的に上となる。

 挨拶の後は誓約の儀式。

 剣を受け取って肩をとん、とん、と叩くアレ──叙勲の儀と同じ形式だが、これはノエルの忠誠が国王から俺に移す儀式ではない。国への貢献という第一の目的に反しない限りにおいて俺に忠誠を誓うという意味合いのものだ。

 まだ成長期は終わっていないものの、ノエルの身長は成人女性並。彼女の剣を受け取るとずっしり重く、一瞬ふらつきそうになった。しっかりと足に力を入れ、無事に達成。

 

「今後の予定について、あなたはなにか指示を受けているのかしら?」

「リディアーヌ様からの要請があった際は護衛につき、それ以外の日については騎士団にて通常の活動に参加するように、とのことです」

 

 午前中の授業開始を待つ間に確認事項を済ませてしまおう。そう思ってさらに話しかける。

 椅子に腰かけた俺に対し、ノエルは立ったまま答える。

 

「私は護衛です。緊急時にすぐ対応するためにも座るわけにはいきません」

 

 アンナたちメイドもそうだが、立っている人がいるのに自分だけ座っているとなんだか申し訳ないような気持ちになる。『だから、そういうものだって言ってるでしょ。いい加減慣れなさい!』。

 それはともかく。

 相談の結果、ノエルには外出する時や大事な来客のある時を中心に週二、三回程度務めてもらうことになった。見習いの彼女には実務経験だけでなく訓練の時間も大事になるので「週五フルタイムでお願いね」などとはさすがに言えない。

 

「では、リディアーヌ様の普段のご予定について説明します」

「ええ、お願い」

 

 俺のスケジュールは八歳時点に比べるとかなり流動的になっている。

 リオネルとの交流や他貴族との社交がたびたび入るからだ。相手方の予定もあるので全部休日に入れられるわけもなく、家庭教師の日程の方を臨機応変にズラして対応している。

 特に予定のない平日については午前一コマ、午後二コマの授業を受ける形で変わらない。空いた時間は本を読んだり、魔法やチェスの練習をしたりして過ごす。十分な睡眠をとるため夜は早めに寝るよう心掛けているものの、夜中の自由時間も欠かせない自習タイムだ。

 普通の日に外へ出るのは庭を散歩する程度。屋内で使いづらい魔法についてはついでにこの時練習することが多い。

 

「屋敷内は後ほど案内いたします。ここまでで何か質問はございますか?」

「質問。……そうですね。訓練の時間はないのですか?」

「身体を鍛える時間、ということよね? 残念ながら、筋肉が付くと見栄えが悪くなるからって養母から禁じられているの」

「なるほど」

 

 だからか、と言いたげな視線が俺の身体に突き刺さった。

 病み上がりの頃よりはマシになったものの、十歳の平均よりは細い身体つきをしている。母アデライドからの遺伝もあるかもしれないが、

 

「リディアーヌ様は果汁よりもお茶を好まれますし、砂糖の取りすぎにも気を付けていらっしゃるのでなかなか太らないんですよね」

「だって、体型を維持するのは大変なのよ? 日頃から気を付けていないと太る時は一瞬なんだから」

 

 前世ではカロリーなんて碌に気にしていなかったのでほとんど聞きかじりだが、せっかくの美貌を壊さないために可能な限りの努力はしている。

 特に「お飲み物です」と言って普通に出てくる果実の搾り汁(ジュース)は危険だ。新鮮な上に果汁たっぷりでついつい飲みたくなってしまう。太らない飲み物という意味でストレートの紅茶や青茶は俺の強い味方だ。

 と、身内の話になりかけたのを苦笑で中断して、

 

「騎士を目指しているノエルとは全然違う生活でしょう?」

「そうですね。リディアーヌ様は私とは全く違う生活をしていらっしゃいます」

 

 おっと。

 思ったよりも素直な返答がきた。ノエルにとっても急な話だっただろうし、あまりいい感情を持ってくれていないのか。単に歯に衣着せない性格なのか。それとも。

 しばらくは要観察だと胸に刻みつつ、俺は午前中の授業時間を迎えた。

 

 

 

 

「少し時間が余ったわね」

 

 授業は予定時間よりも早く終わることが多くなった。

 教える側にも準備がある。俺が教わったところをさっさと覚えてしまうので教材が足りなくなったり、あるいは教師が喋り疲れてしまったりするせいだ。

 しかし、お陰で「さくっと進めてさくっと終わる」という授業体制が構築されつつあり、受ける側としては快適である。何しろ空いた時間で他のことができる。

 

「お疲れ様でした、リディアーヌ様」

「ありがとう。アンナもノエルの案内、お疲れさま」

「とんでもありません」

 

 アンナには授業時間を利用してノエルの案内をしてもらった(その間の傍仕えはエマに頼んだ)。広い上に部屋数も多いので一度で覚えきるのは難しいだろうが、基本的には俺やアンナが一緒だし、これから長い付き合いになるのであればそのうち覚える。

 ……いくら騎士とはいえ、屋敷の全体像を見せるのだからノエルの身元確認はしっかりされているはずだが。

 

「ねえ、ノエル。あなたのことをもう少し聞かせてくれないかしら?」

 

 アンナにお茶を淹れてもらい、俺は少女騎士にそう問いかけた。

 

「はい。お答えできることでしたら」

 

 畏まった口調で応じたノエルは、言葉通りたいていの質問には素直に答えてくれた。

 四人兄妹の末っ子で上は全員男子。兄たちもみんな騎士を目指していたので彼女も自然と騎士の道を志したらしい。

 女子で見習いから騎士になる者は極めて珍しい。男子でさえ見習いの大半は例の口減らしによる入団なので、ノエルは相当気合いが入っている。

 

「騎士団は男性中心でしょう? そこに見習いとして入るのは抵抗がなかった?」

「我が家はもともと男系でしたから、あまり気になりませんでした。むしろドレスを着て結婚のために自分を磨く方が苦痛だったかもしれません」

「あら。結婚は嫌?」

「いずれはすることになると思いますが、私は剣を振っている方が好きなので。結婚するためだけに生きたいとは思いません」

「わかるわ」

「リディアーヌ様?」

 

 思わず口に出してしまったら、アンナからジト目で睨まれた。うん、王子の婚約者が「結婚に魅力を感じていません」とか失言だった。

 

「でも、アンナ? 女の価値が結婚相手で決まるとしても、人としての価値はそれだけで決まらないでしょう?」

「はい。確かにそれはそうですけど……」

「わたしだってリオネルさまと結婚して子供を産む()()()済ませる気はないわ。妻として夫を支えるのでもいいし、公爵家の発展に貢献するのでもいいけれど、わたしでなければできなかったことをなにかしないとつまらない」

 

 国内の悪役令嬢を一人でも多く倒すのもやりたいことの一つだ。

 だから、ノエルが他人に昏い感情を向けてくるようなタイプなら最悪、叩き潰すことになる。

 

「……リディアーヌ様は『素敵な結婚』を目指していらっしゃるのではないのですか?」

 

 どうなるかと思いながら返答を待っていると、ノエルはぽかんとした表情で呟いた。

 

「細くて、儚げで、可愛らしいお嬢様なのに。お家のために働く覚悟を?」

「わたしって儚げに見えるのかしら? ……いえ、それはいいのだけれど。そうよ。なにも家のためにできることは結婚だけじゃないでしょう? もっとも、男に囲まれて騎士を頑張っているあなたには敵わないけれど」

 

 答えはなかなか返ってこなかった。

 なにかを考えるに立ち尽くすノエルに、俺は笑って言った。

 

「そうだ。ねえ、ノエル? わたしに剣術を教えてくれないかしら?」




【新しい登場人物】
◇ノエル・クラヴィル:十四歳の見習い少女騎士。リディアーヌの護衛に選ばれた。


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公爵令嬢の専属騎士 2

「突然何を言い出すんですか、リディアーヌ様! 剣術は駄目だとあれほど言われているのに……!」

 

 提案するとすぐにアンナが悲鳴を上げた。

 付き合いが長くなるにつれてどんどん遠慮のなくなっている彼女は、俺の左手をぎゅっと両手で包み込むと至近距離から懇願してくる。

 

「怪我を治せるのはわかっていますが、指が太くなるのはどうしようもないでしょう?」

「大丈夫よ。それも魔法を使えば防げると思うから。要は身体への負荷を軽くすればいいわけだし」

 

 指や腕が太くなるのは基本的に筋肉が原因のはず。であれば筋肉がつくのを防いでやれば見た目の変化は起こらない。これは力を使う作業の際、身体に魔法をかけることで実現できる。

 そう説明しても納得がいかないのか、なおもこっちを見つめて来るアンナからいったん目を逸らし、俺はノエルの方を見る。

 少女騎士は言われた意味を吟味するように何度も目を瞬いてから口を開いた。

 

「それでは、訓練する意味もないのでは?」

「まあ、そうね。感覚は養われるだろうから無意味とは言わないけれど、身体を鍛える効果はほとんとないでしょうね。でも、楽しそうじゃない」

「楽しい、ですか」

「ええ。ノエルは剣を振るうの、楽しいと思わないのかしら?」

 

 わざわざ騎士を志すくらいだから好きなはずだ。そう思って問いかけたのだが、ノエルは瞳にかすかな怒りを浮かべて返答してきた。

 

「訓練はそんな浮付いた気持ちでやるものではありません」

 

 俺は剣に関して門外漢だ。だから、正しいのは彼女の方だろう。

 それでも俺は敢えて煽るように笑ってみせる。

 

「訓練を楽しむことは『浮付いた気持ち』になるのかしら?」

「……剣技とは、人を殺すための力です。覚悟もなく剣を握れば、身体か心を滅ぼすことになります」

「覚悟ならある、と言ったら?」

 

 ぴくり。

 静かな状態に保たれていた少女の顔に明らかな苛立ちが浮かぶ。睨み合いになった。アンナが「止めましょう」と言うように袖を引いてくるが、俺は引かない。

 

「ご令嬢が多少訓練したところで上手くはなりませんよ」

「じゃあ、わたしに素質がないか確認してみる?」

 

 ここまで来れば挑発していることが完全に伝わったのだろう。ノエルはもう表情を隠そうともせずに答えてきた。

 

「後悔しても知りませんよ」

 

 

 

 

 

「もう! どうしてわざわざ喧嘩になるような事を言うんですか!」

「ごめんなさい、アンナ。でも、こうでもしないとノエルと仲良くなれない気がしたの」

 

 剣の稽古をする、と決まれば早速、俺は着替えに取り掛かった。

 手伝いは口の硬そうなエマと、魔法の訓練にも付き合ってもらっているマリー。着ないのに定期的に新しい物を仕立ててきた乗馬服がようやく日の目を見る時である。これは女性服にしては珍しくパンツ(ズボン)状になっているので、スカートよりはずっと剣術に向いている。

 真剣を使うつもりはないので駄目になりはしないだろうが、近いうちに予備を発注しておこうと思う。

 

「リディアーヌ様? ノエル様に隔意を感じられたということですか」

「ええ、そうよマリー。仕事だからと一線を引かれたままだとなんだかつまらないでしょう?」

「……仕事なのですから、それで構わないのでは?」

 

 静かに正論を述べてくれたのはエマ。彼女は気性的にも能力的にも仕事に感情を持ち込まないのが似合っているタイプだ。

 しかし、ノエルはどうだろうか。

 荒事に身を置く人間は気性も荒くなりがちだ。だとすれば感情なく護衛に徹する事はできないかもしれない。現に少し挑発しただけで簡単に乗ってきた。

 単に素直なだけ少女ならそれはそれでいい。

 問題はノエルが腹に一物を抱えていた時だ。もしそうであれば早めに見極めなければならない。相手の得意分野に持ち込めば何かしら見えてくるはず。

 

「ノエルは『何を』仕事と捉えているか、っていう話よ。たぶんね」

 

 自由時間は決して長くない。

 午後二つ目の授業を多少遅らせてもらうにせよ、着替え直す事も考えれば大した時間は取れない。手早く着替えて中庭に向かえば、ノエルは訓練用の木剣を二本用意して待っていた。

 少女の服装は変わっていない。

 見習い騎士の制服は運動の負荷にも耐えられるように作られている。俺ごときに土を付けられることはない、という考えもあるかもしれない。

 

「お待たせ、ノエル」

「本当にやるつもりなのですね、リディアーヌ様」

「ええ、もちろん。わたしとしては待ちに待った瞬間だわ」

 

 手を擦りむかないようにと薄い布手袋を嵌めた手で木剣を握る。屋敷に出入りする兵達が訓練で使っているものだろう。成人男性用のそれは長く、ノエルの持っている真剣程ではないにせよ重い。

 下手すると「食器より重い物を持ったことがない」俺はその重量感に内心で「おお」と驚きながらもにこりと笑みを浮かべた。

 余裕の表情が癪に障ったのか、ノエルは外した剣をマリーに預けると、少し荒い足取りで訓練場に立った。

 一足一刀の間合い、といったところか。

 

「どうぞ。お好きなように打ちかかって来てください」

「どこから行っても防いでくれるってことね?」

「見習いとはいえ騎士ですから」

 

 木剣を右手に下げただけの姿勢。構えてすらいないのに、なんとなくプレッシャーを感じる。当然だ。前世でさえ喧嘩なんてほぼ未経験。それに対し、相手は人同士で命のやり取りをする前提で訓練を繰り返してきている。当然、格は全然違う。

 しかし。

 

『だからなんだっていうのよ! 気持ちで負けていて勝負になるわけないじゃない!』

 

 まさに火属性。苛烈な性格を持つ俺の女性部分が冷静で臆病な状況分析を吹き飛ばす。

 その通りだ。俺は両手で木剣を支えると身体保護のための魔法を構築、全身に張り巡らせたうえでノエルに正面から挑みかかった。

 

「や……っ!」

「───」

 

 軽い衝撃。迅速に持ち上げられた剣が、振り下ろしかけた俺の剣をさっと払い、持ち主である俺自身にも尻もちを付かせる。

 痛みはない。服が多少汚れた程度だ。俺に苛立っていても十分な手加減をしてくれている。つまりそれは、俺を子供扱いしているということだ。

 

「もう終わりにしますか?」

「あら。そんなわけないでしょう?」

 

 すぐに立ち上がって剣を構え直す。集中が解けたことで解除されてしまった魔法を再構築、若干のアレンジを加えて張り直して、

 

「はっ……!」

「ふっ」

 

 また転ばされる。それでも立ち上がり、魔法を操作して再挑戦。

 そんなことを十回は続けただろうか。一度挑みかかるごとに木剣を払われる衝撃は少しずつ強くなり、最後には身体が軽く跳ね飛ばされるまでに至った。

 攻撃は全く成功していない。それでも少しは驚かせられたようで、ノエルは戸惑うような表情で俺を見つめてくる。

 

「身体強化を使っているのですか?」

「ええ。どうせ魔法を使うのだから同じことでしょう?」

 

 耐久性と柔軟性を強化するついでに運動能力も上げているだけなので、同時に二つの魔法を使っているわけでもない。幸い、身の丈に合わない武器を軽々振り回す少女は何人も知っている。イメージするのは容易かった。

 

「どう? 少しは驚かせられたかしらっ!?」

「ええ、驚きました。ですから──」

 

 言いながら突っ込んだ俺は、少しずつ調整が上手くなってきた身体強化をふんだんに発揮し、今日一番の攻撃を繰り出そうとした。

 刹那。

 一歩踏み出したノエルと彼女の振るった木剣によって、俺の持つ木剣は高く天へと跳ね上げられた。

 

「終わりにしましょう」

 

 首に突きつけられた木製の切っ先を見て、俺は降参を宣言した。

 

 

 

 

「それで? ノエル・クラヴィルの人となりは掴めたのですか?」

「はい、お養母さま。結論から言えば、ノエルは悪い子ではないと思います」

 

 その日の夕食後、俺はセレスティーヌから自室へと呼び出された。

 言いつけを破り剣を握った件についてお叱りを受けるためだ。一通りの小言と注意を聞かされ、両手の指をじっくりと確認された俺は「今後も十分注意するように」でお許しを受けた。

 同席していたマリーやアンナは「もっと叱ってください」と顔で訴えたものの、養母は無駄を嫌う性格。話を理解している相手にくどくど言ったりはしない。その代わりにさっさと実務的な話題を振ってきた。

 

「おそらく『一般的な貴族令嬢』が好きではないのでしょう。剣を交えた後はわたしの印象が変わったのか、少しばかり態度が軟化しました」

 

 稽古(試合?)を終えた後、ノエルは俺に「思ったよりは楽しめました」と言った。

 また剣の練習に付き合ってくれるかと尋ねるとふっと笑って、

 

『まだ懲りていないのでしたら、仕方ないので相手をして差し上げます』

 

 礼儀はなっていないが、軽口を叩けるようになったのは打ち解けた証とも言える。これからも定期的に交流機会を設ければもっと仲良くなれるだろう。

 俺の見解を聞いたセレスティーヌは少し考えてから頷いて、

 

「リディアーヌへ取り入る算段にしては行動が雑ですね。断定はできませんが、凝った策を弄してくる可能性は低そうです」

「稽古に応じたのもわたしの力量を測るため……という可能性はあると思いますが、それでわたしを鍛えてしまっては本末転倒でしょう」

 

 稽古はごく短い時間だったが、俺はようやく剣を握る感覚と、武器を持った人間に対する感覚を知る事ができた。

 経験が物を言うのは魔法だけではない。今後、毒ではなく暴力によって命を狙われた際、今回の経験がきっと生きてくる。

 ノエル、あるいはノエルを遣わした誰かが俺を警戒しながら「少し剣を握ったくらいで何が変わる」と思っているのならそれは油断というものだ。

 

「ある程度打ち解けたところで本命の行動に出てくる事もありえます。念のため、注意は続けておくようにしてください」

「かしこまりました。……ああ。魔法で嘘発見ができればもう少し楽ができるのですけれど」

 

 魔法関連において非常識扱いされがちな俺だが、上手く使えない魔法はたくさんある。

 嘘発見もその一つだ。

 相手の心理を読むには相手に魔法をかけなくてはいけない。貴族相手だと魔法防御に引っかかってしまうし、心の魔法をかけるのはマナーとしては最悪の部類。状況によっては罪に問われることさえ考えられる。

 さらに「嘘を見分ける」というのが漠然としすぎている。真偽を受けるのは事実かどうかなのか、それとも相手の主観なのか。具体的なイメージが難しく消費魔力もかさんでしまう。

 と、セレスティーヌはティーカップをゆったりと傾けながらしばし俺へと視線を向けて、何気ない世間話をするように言った。

 

「読唇術や読心術。魔法を用いる事なく、相手の心理や反応を探る技術も存在しますよ」

「……そうか。そうですね」

 

 前世にもそういう人間はいた。俺の認識としては「占い師とかと同レベルに胡散臭い」だったが、心理学を学んで観察眼を磨けば超常能力もなしに相手の心を把握できるという。

 であれば、相手に魔法をかけるのではなく視覚や聴覚を強化することで観察能力を高め、ただの会話から通常以上の情報を引き出すことも可能かもしれない。『……って、そんなの簡単にできるわけないじゃない! それこそ修行が必要よ!』。

 俺は苦笑を浮かべて養母を見つめ、かまをかけるように彼女へ尋ねた。

 

「お養母さまはそういった技術を収めていらっしゃるのですか?」

 

 にこり。

 セレスティーヌの浮かべた微笑はまるで天使や女神といった上位者が人間を愛玩するそれのように、優しさの裏にある種のプレッシャーを備えていた。

 

「さあ、どうでしょう? ……少なくとも、己の手札をみだりに明かすのは愚か者のする事ですよ、リディアーヌ」

「肝に銘じておきます」

 

 いや、本当にこの女、滅茶苦茶怖いんだが。

 紅茶を飲んで温まったはずなのに寒気を感じながら部屋に戻ると、アンナが俺に囁いてきた。

 

「奥様は本当に優しくて穏やかで素敵な方ですよね」

「もう、どこが素敵なのよ。わたしはあの人、やっぱり嫌いだわ」

「リディアーヌ様。奥様の事をまだ嫌っていらっしゃるのですか?」

 

 まだも何も、好きになる理由がない。セレスティーヌの強い部分は見習わないといけないと思うが、どうやらあの底知れなさは簡単に真似できるものではなさそうだ。



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バルト家への訪問

 バルト家の敷地内へ足を踏み入れると、つんとする独特の香りが鼻をくすぐった。

 

「リディアーヌ様、何か?」

「いいえ。なんでもないわ、ノエル。ただ薬草の匂いがしただけ」

 

 今日のエスコート役は護衛として同行してくれているノエルだ。見習い用の騎士装姿の彼女は俺の答えを聞いて若干嫌そうな表情を浮かべる。

 

「あまりいい香りではありませんね。勘が鈍りそうです」

「ノエルは花でも似たようなことを言いそうね」

「似たようなものでしょう」

 

 若干ムッとしたような返答が可愛い。女に囲まれて過ごすのはストレスだが、女の子の飾らない姿を間近で見られるのは役得である。

 同行するメイドはアンナとエマ。なんだかんだ言いつつ俺の周りにも人が増えてきた。公爵令嬢の癖に今まで少数精鋭すぎた、と言う方が正しい気がしないでもないが。

 俺は傍らに控えたエマをそっと見上げる。彼女はポーカーフェイスを維持したまま「わかっている」と言うようにかすかに首肯してくれた。今回、こまごまとした仕事は専属であるアンナの仕事であり、エマには周囲に気を配るという役割が与えられている。

 

『バルト家は我が家と深い交流を持っていない。軽挙妄動に走るほど考えなしではないと思うが、十分に注意するように』

 

 父からも前もって口酸っぱく注意を受けた。友好関係にない派閥の家というのは極端な話、敵地も同然であって、一挙一動に細心の注意を払うのが当然であるらしい。

 何かあった場合の対応は周囲の人間──アンナたちやノエルの役割ではあるものの、俺自身、注意しておくに越したことはない。自宅のメイドに殺されかけた身としてはむしろ、最悪の想定をしておくべきである。

 

「ようこそいらっしゃいました、リディアーヌ・シルヴェストル様」

 

 バルト伯爵家のメイドは十分な教育の感じられるしっかりとした対応を取ってくれる。出迎えの人数で言えばモレ家の方が多かったが、今回は俺一人が招かれているわけではない。

 屋敷の規模や家の財産で言えばバルト家の方がずっと上であることはメイドの身なりや庭に植えられた植物を見ても明らかだった。

 

「バルト家のお庭は薬草園になっているのね。お屋敷に薬師も常駐しているのかしら」

「はい。他家の方から病の相談を受ける事もございますので、迅速に処方が行えるよう薬師を雇用しております」

 

 じっくりと眺める時間はなかったものの、俺は目に入った薬草の特徴を可能な限り頭に叩き込んでおく。名前まで判別できたのは半分弱といったところか。図鑑に写真が載っていないのはこの世界の面倒な点だ。絵や解説文だけを頼りに種類を言い当てるのはなかなか難しい。

 ただ、そんな中でもわかったのは、

 

()()解熱剤は作れそうね?』

 

 別に不思議なことではない。もともと特殊な薬ではないのだ。ただ、警戒する材料の一つとして心に留めておくことにする。

 迎えのメイドたちは屋敷の正門前から中央の道を歩いた後、正面の屋敷が目前に見えたところで歩みを脇へと逸らした。

 

「あら。あちらに行くのではないのね?」

「フレデリク様とミレーヌ様は現在別館をお住まいとしておりますので」

 

 俺を招待したミレーヌ・バルトは()()伯爵夫人。フレデリクの父である現伯爵が退かない限りは()伯爵夫人ではない。引退時期に関しては家の事情や個人の意思もあるだろうし一概には言えない部分だ。

 なお、俺の父が若くして当主の地位を継いでいる件──というか、俺の祖父母がどうしているのかと言えば、彼らは公爵領に引っ込んでおり、ぬくぬくとした生活を送っているらしい。

 本来であれば孫の顔を見たいところだろう。ただ、子育てで気を抜けない時期を脱したと思ったら妹の方(俺)が手のつけられない癇癪を起こした、では会いに行くのも来るのもなかなか難しい。俺の気性がマシになったらなったで婚約とか何かと忙しいし。

 

『……意外と落ち着いた雰囲気ね? あの女の親玉だし、もっとギラギラした屋敷を想像していたわ』

 

 伯爵家の別館は、一言で評するなら「教科書通りの貴族家」といった印象だった。品の良さこそ感じられるものの、なんというか「無難」。本館ではなく別館だからなのか、それとも、思ったほど悪い人物ではないのか。

 売り物が植物、薬であるのなら美を誇る必要はなく、むしろ堅実を強調した方がいいのかもしれないし、なんとも言えないところだ。

 

「失礼いたします。リディアーヌ・シルヴェストル様をお連れいたしました」

「どうぞ。お通しして頂戴」

 

 通されたのは広い応接間だった。奥はバルコニーに繋がっており、その先にはどうやら屋敷の中庭があるらしい。そちらにも多数の植物が生い茂っているのが遠目にも感じられる。中央あたりに置かれた広いテーブルには既に三名ほどの貴族女性が腰かけていた。

 

「申し訳ございません。遅くなってしまいましたでしょうか?」

「いいえ。ようこそいらしくてくださいました、リディアーヌ様」

 

 カーテシーの後でそう尋ねれば、上座に座った貴婦人が微笑と共にそう答えた。

 深緑色の髪と瞳。エマより多少年上──ジゼルの先輩だったと考えれば間違っていないだろう──とみられる彼女がミレーヌ・バルトだろう。

 

「お初にお目にかかります、ミレーヌさま。お会いできて光栄です」

「こちらこそ。リディアーヌ様のような若い方がお茶の種類に興味をくださるのはとても喜ばしいことですわ」

 

 わざわざ立ち上がって視線を交わしてくれる彼女。第一印象としては悪いものは感じない。ただ、笑んでいながらも瞳の奥が笑っていないように思える。値踏みされている感じがどうにも落ち着かない。

 

『ふん。こいつもあの女と同じタイプかしら?』

 

 少なくとも、抜け目なく観察してくるという意味でセレスティーヌと近しいものはある。養母のお陰で気付けた、と言っていいのだろうか。

 なんとも釈然としないのを感じつつも、俺は指定された席へと腰かける。上座(ミレーヌ)に近い席は埋まっているので下座側。公爵令嬢という身分を考えると冷遇とも思えるが、年齢とゲストという立場を考えればおかしいという程ではない。

 むしろ下手に挟まれるよりは気が楽だ。何しろ他のメンバーは学園を卒業済みの大人らしい。外見の特徴からおおよその名前と家柄は推測が立つ。その推測は互いに自己紹介を交わすことで正しかったと証明された。

 

「あの、今日の参加者はこれで全員でしょうか?」

「いいえ。後もう一人──ルフォール侯爵家のご令嬢が参加なさる予定になっております」

「あら、珍しい」

「ご令嬢ということはヴァイオレット様ですの?」

「ええ。個人の招待にはなかなか応じてくださらないですけれど。……今回は楽しい催しになりそうですわね?」

 

 最後の一人は程なく──他の面々が名乗り、俺がノエルを紹介している間に応接間へと到着した。

 

「ごきげんよう、皆様。ヴァイオレット・ルフォールでございます。本日はお招きいただきありがとうございます。このせっかくの機会、とっておきのお茶をご用意いたしましたのでご期待くださいませ」

 

 それは、俺の義妹、シャルロットを「金色の妖精」とするならば「銀色の妖精」と評するべき美しさと愛らしさを備えた美少女だった。

 知識によれば、歳は冬生まれの現在九歳。学年で言うと俺と同い年だ。サファイアのような青い瞳が細く神秘的な美貌を強調しており、その姿を見た俺は思わず息を呑んで見惚れてしまった。

 こんな子、今までのパーティで見たか?

 記憶を検索した結果、見たことはあるが挨拶をしたことはない、というのが答えだった。見たというのも視界の端に映ったというレベルであって、その場でしっかりと認識していたわけではない。思い出さない限りわからなかったのも当然だ。

 と、そのヴァイオレットがこっちを見て、微笑む。

 

「リディアーヌ・シルヴェストル様ですね。お噂はかねがね。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。ヴァイオレットさま」

 

 貴族令嬢らしく応じながら、俺は次々に油断ならない傑物がやってくる貴族社会というものにあらためて戦慄を覚えた。

 

「では、会を始めましょうか」

 

 今回の催しは各々が好む「珍しい茶」を持ち寄り飲み比べる、というものだ。持ってきた茶は伯爵家のメイドに預けられ、一つずつ供される。それぞれ茶菓子も持参しており……要は最初から最後までお茶会である。冷静に考えるとあまり俺には向いていない。

 なお、俺が持ってきたのは当然青茶である。

 

「まずはわたくしのお勧めからお出しいたしますね」

 

 他の参加者もまた定番の紅茶とは違うお茶を用意してきた。紅茶と言っても銘柄は色々あるわけだが、珍しい茶と言うからにはそんなレベルの話ではない。俺の青茶でさえ「原材料は同じなわけだし、まあ普通」と言われてしまうくらいだった。

 例えば、ミレーヌが出してきたのは薬草茶。飲むとその、なんというか独特の風味が強く、いかにも健康に良さそうな味である(精一杯譲歩した表現)。前世で言うと朝鮮人参とかそう言う系のアレだろうか。飲み食いする前に胃に入れておくのには良いのかもしれない。

 なお、毒見はエマに担当してもらった。魔力量の関係もあってアンナよりは毒耐性を得やすいと思ったからだ。その上で俺自身も備えていたが、さすがにこんな場で毒殺を試みて来るような者はなし。

 俺の向かいに座ったヴァイオレットも清楚な印象を受ける控えめな所作でゆっくりとお茶を楽しんでいた。

 

 ミレーヌの知り合いたちが持ち寄ったのは豆茶やらハーブティーやら。なかなか雰囲気は変わるし、一概に不味いとも言えないが、やはり「飲みなれているお茶の方が美味しい」という当たり前の感想になってしまう。

 物の豊かな前世の日本でさえ一般的なのはシンプルなお茶で、他は健康食品的な扱いだったのだから推して知るべしだ。

 そんな中、俺の持ち込んだ青茶は口直しにちょうど良かった。癖はあまりないので他のメンバーも比較的普通に飲んでいる。

 

「こちらのお茶はどちらの特産なのかしら?」

「ええ。こちらはなんでも──」

 

 話題の中心は産地や製法、合う食べ物について。意外なほど真面目な会である。俺としても本からでは得られない知識を収集できるので普通に助かる。

 いや、家のために情報収集でやっているのだとすれそれはそうなのだが。

 

「最後は私の持ってきたお茶ですね」

 

 ヴァイオレット提供のお茶は薄めのめんつゆのような色をしていた。目立った香りはない。俺はそれを確認して「もしかして」と思った。湯気の()()()()()()、どころかひんやりとした茶を恐る恐る口に含むと、期待した味にかなり近い。

 夏に冷やして飲みたい味だ。

 

「あの、ヴァイオレット様。こちらは……?」

「はい。こちらは煎じた大麦から水出ししたお茶です」

 

 麦茶。これは貴重である。俺は胸が躍るのを感じながら少し勢い込んでヴァイオレットを見つめる。

 

「こちらが大変気に入ったのですが、購入元を紹介していただけないでしょうか? あるいは製法をご存じでしたらお教えいただけると……」

「お気に召していただけて嬉しく存じます。作るのが難しいものではございませんし、喜んでお教えいたしましょう」

「ありがとうございます」

 

 幸いにも快く了承してもらうことができ、後日、屋敷に使用人を連れてレクチャーに来てもらえることになった。

 麦茶は抽出に時間がかかるものの、一度にたくさん作ることができるはず。我が家には魔道具の冷蔵庫があり保存には困らないため、冷たい麦茶を常備しておくことが可能だ。

 ついつい笑顔になりながらお礼を言うと、ヴァイオレットからもにこやかな笑顔が返ってくる。優しく細められた青い瞳。その奥を覗いた俺は、揺らめく炎のようなものを幻視してぞくりとする。なんだ。別に悪い相手には見えないのだが、一瞬だけ捕食される小動物にでもなったような感覚があった。

 美少女だからいい子とは限らない。ただ、この子が悪人だとは思いたくない……と考えているうちに、ヴァイオレットは他の女性たちからの「私にも教えて欲しい」という依頼を「個別に対応いたしますね」と上手くかわしていた。

 一人の女が「上手く行かなかったか」という顔をする。

 複数人からの要請。手間を省きたいなら公爵家に集まってもらうという手もあった。むしろそれが狙いだった可能性もある。だとしたら顔に出してしまったのは失敗だが、

 

「皆様。少しお茶を飲み過ぎてしまいましたし、中庭を散歩いたしませんこと?」

 

 ミレーヌが良いタイミングで話の流れを転換してくる。

 ある意味、渡りに船とも言える提案。麦茶に気を取られていた俺はここに来た目的──あの手紙についてなんとか探りを入れることをあらためて脳裏に思い浮かべた。



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バルト家への訪問 2

 伯爵家の中庭にも数多くの薬草、あるいはその花が生い茂っていた。

 見せてしまっていいものなのか。微笑むミレーヌの姿からその真意を読み取ることはできない。ただ、少なくとも俺にわかる範囲でご禁制の植物は見当たらない。

 さすがにそこまでわかりやすい真似はしないか。

 あるいは、一つ一つは問題なくともその組み合わせによって危険な薬となり得るのか。庭を見せることはバルト家にとってカタログを見せるようなもの、しかも、カタログの内容が見る人間の知識レベルによって変化するのだとしたらなかなか厄介である。

 

「当家の中庭は迷路のように複雑ですが、案内のメイドが付き添いますのでご自由にご覧くださって構いませんわ」

 

 ミレーヌの言葉によってお茶会の参加者たちは好きなように散らばっていく。

 ある者は花の咲いている箇所にだけ興味を示しながら、ある者は品定めをするように一つ一つ注視しながら。互いに談笑しあったかと思えば自然に離れ、近くで顔を合わせればまた世間話をする。

 ヴァイオレットも俺の方へちらりと視線を向けた後はゆっくりと庭園を散策している。

 これはまた、誂えたように良いシチュエーションだ。いつ仕掛けてくるのか。あるいはこちらから仕掛けるべきか。中庭の植物を脳裏に刻み込みながら機を窺っていると、メイドに日傘を持たせたミレーヌがゆっくり近寄ってきた。

 俺の方もアンナのさす日傘に守られているため、俺たちの周囲にはちょっとした壁ができた感じになる。

 

「リディアーヌ様はどんな植物がお好きですか?」

「薔薇ですね。母の好きだった花なのです」

「良いですね。香油や香水としても用いられるとても素晴らしい花です」

 

 この女にとっての基準は「利用価値があるかどうか」なのか……?

 薔薇は好きだが、香油や香水は少し匂いが強すぎて苦手だったりする俺は曖昧な笑みを浮かべて話題を変える。

 

「この度は素敵なお手紙をいただきありがとうございました」

「リディアーヌ様とは一度お話してみたいと思っておりましたので、応じていただけたことを嬉しく思っております」

 

 この程度ではカマかけにもならないか。お互い笑顔のまま一呼吸ほどの間、互いの出方を窺って、

 

「香油のお話もそうですが、植物には色々な利用方法があるのでしょう? 手紙の文字を隠して暗号を隠したり、ですとか」

「ええ、ございます。一口に植物と言っても性質は様々ですから、それを利用すれば様々な事が可能です。……もちろん、人の死に繋がる事もございますので取り扱いには注意が必要ですが」

「薬であっても過ぎれば毒になるもの。慎重に扱うのは当然のことですね」

 

 わかりやすく話を切り出した途端、ミレーヌの瞳へほのかに真剣な色が浮かんだ。どうやら()()()()()らしい。ついでにジゼルの件について文句を言ってやれば笑顔でスルーされた。

 さりげなく、ミレーヌが人気のない方向へと足を向ける。俺は黙ってそれに合わせた。他の人間に聞かれたくはない話だし、襲われたら危険なのはどこでも大して変わらない。

 

「オーレリア・グラニエ様はお元気ですか?」

「ええ。元気に魔法研究へ没頭されております。……もっとも、わたしが初めてお会いしたのは一年と少し前なので、『相変わらず』と言ってよいかはわからないのですが」

「相変わらず、で問題ないかと。あの方は昔からそうだったと聞き及んでおります」

「昔から、やりたいことがあると周りが見えなくなる方だったと」

「ええ」

 

 問題は、その「やりたいこと」が何なのか、だが。

 

「ミレーヌさまはオーレリアさまと交流がおありなのですか?」

「交流、と言うほどのものでは。ただ、夫があの方とお会いする際に連れられて行った事がございます」

「人嫌いのあの方も人をお話をされることがあるのですね」

「しがらみというものはどうしてもありますもの。……それに、同じ目的を持つ者や自分の助けになる者にはむしろ近づいていく方でもあります」

 

 新しい魔法のヒントを持っている(かもしれない)俺を弟子にし、研究を手伝わせているみたいにか。

 

「はた迷惑な方ですから、周りの方も制御に苦労しているのでしょうね」

「あの方の性質を把握していなければ竜の尾を踏むことになるでしょうね」

 

 遠回しな会話を続けるのがだんだん面倒になってきた。大筋、ミレーヌの態度は手紙と同じく警告の類に思えるが、最後の台詞は「自分はオーレリアの御し方を知っている」という自負とも取れる。

 いっそのことストレートに尋ねてしまおうか。しかし、向こうが狙っているのがそれだったら? オーレリアはあれでも王女。下手な発言は不敬罪になりかねない。

 息を吐き、少し方向性を変えてみる。

 

「王族の家族仲はいかがなのでしょうね。オーレリアさまが孤立なさっているのではないかと少し心配なのです」

「尊き方々の胸の内までは下々の者にはとても。……むしろ、リディアーヌ様であれば直接お窺いする機会もあるのでは?」

 

 これ以上は直接王族に聞け、ということか?

 ここまでの話だけでも収穫はあった。あまり踏み込み過ぎても逆効果かもしれない。ミレーヌたちも両親も、オーレリアだって十歳の小娘を矢面に立たせるつもりはないだろう。関わりたいのなら、真実に近づきたいのなら慎重にやるしかない。

 そうして俺が深追いを諦めかけた時、ミレーヌが意味ありげに微笑んで呟くように言った。

 

「ただ、王族の方々とて人の子。深いところではそれぞれのお考えがあることでしょう。そして、それは臣下や臣民とて同じ事」

「もどかしいお話ですね。平民の家などは親子が顔を突き合わせて率直に意見を交換するものだと聞きますけれど」

 

 適当に応じながら、最後の最後でやってきた大きなヒントに俺は感謝した。

 

「リディアーヌ様。リオネル殿下との仲が睦まじく末永く続きます事を心よりお祈り申し上げます」

「ありがとうございます。リオネルさまと共に国を、陛下を支えていくことができればなによりの喜びだと考えております。どうか温かく見守ってくだされば幸いです」

 

 俺は「旦那様にもよろしくお伝えください」とミレーヌに伝え、他の参加者とも和やかなムードを崩さないままにバルト伯爵家を後にした。

 

 

 

 

 

 帰りの馬車が伯爵家の敷地を出たところで安堵の息を吐く。

 すると、斜め向かいに座っているノエルが似たような仕草をしているのに気づいた。思わず見つめると、見習い騎士の少女はラベンダー色の瞳を瞬かせ、かすかに頬を染めた。

 

「申し訳ありません。……少し気が抜けていました」

「緊張していた、ということかしら?」

「はい。あの家の中はなんというか、寒気がしました」

 

 できればもう行きたくないとでも言うように屋敷の方を見るノエル。護衛をしている最中はわかりやすい素振りを見せなかったので安心していたのだが、

 

「それは、薬草の匂いのせい? それとも別のこと?」

「別です。リディアーヌ様に分からなかったのも無理はありません。奴らはこちらに敵意を持たず、ただそこにいただけですから」

「居た、って」

「使用人です。その中に毛色の違う者が交じっていました。騎士ではありません。おそらくは暗殺者かそれに似た類かと」

「な……っ!?」

 

 使用人の中に戦闘技能者が紛れていた? それも、暗殺者だと?

 この世界でも使用人が護衛を兼ねることは珍しくない。アンナやエマだっていざとなったら主の盾となり、魔法を行使して敵を排除する役割がある。しかし、マンガやラノベによく出てくるような戦闘メイドみたいなものではない。

 考えてもみろ。メイドとしての日常業務と戦闘技能者としての訓練が全くかみ合わない。技能とは使わなければ鈍るもの。現実的に考えたら「いったいどうやって能力を維持しているのか」という話になる。

 

「ノエル。それは確かなの?」

「確証はありません。確かめて襲われるわけにもいきませんから。ただ、注意して観察すると動きが明らかに違います」

 

 プロのメイドとプロの暗殺者。洗練された動きという意味では似通ったところがあるが、戦いの機微を知っているノエルが見れば違いが見えてくるという。無駄がなさすぎるのも考えものといったところか。

 

「平民を雇って訓練しているのではないかと。平民の中には魔法の力の代わりとしてひたすら武技を磨く者がいる、と話に聞いたことがあります」

「なるほどね。……それって、騎士団に報告するものなのかしら」

「報告書は書きますが、上官へ個別に伝えるのは難しいです。貴族が私費で護衛を用意するのは珍しい事ではありませんから」

 

 確かにそうだ。兵ならうちだって雇っている。うちの兵は暗殺者ではないし男ばかりだが、仕事内容に訓練が含まれているので腕は確かだ。正面から戦えば伯爵家の暗殺者たちにだって引けはとらないはず。

 その上で、俺はノエルに尋ねてみる。

 

「ねえ、ノエル? うちの警備兵とその暗殺者? たちだったら、どっちが怖い?」

 

 すると少女騎士の表情が浮かないものになった。

 

「護衛という立場からすれば暗殺者です。いつ襲ってくるかわからなければ警戒のしようがありませんから」

「確かに、その通りね」

 

 秘密の訓練場なら地下にあるかもしれない。暗殺者だって誰かを殺さない限り罪に問われる謂れはない。本当に暗殺者だという確信はないし、伯爵家が育てているのではなくどこかから斡旋されているのかもしれない。可能性を言ったらキリがない。

 俺は息を──今度はため息を吐いて言った。

 

「とりあえず、日の昇っているうちに帰れたことだし──屋敷の書庫でも調べてみましょうか」

 

 

 

 

 最初に取り掛かった調べものは、バルト家とオーレリアの繋がりについてだ。

 次期当主であるフレデリクとの関係が示唆されていたことから当たってみたのだが、調べてみると意外にあっさり発見に成功。

 幼少期に継承権を失くしたせいか、オーレリア自身に関する記述はほぼ残っていなかったものの、()()()()()()()()()()()()がバルト家の出身であることがわかったのだ。オーレリアの母はフレデリクの姉。つまり、ミレーヌから見たオーレリアは「血の繋がらない姪」ということになる。

 

『なるほど。それは鬱陶しいでしょうね? よくわからないことばかりしでかす年下の小娘。しかも家柄だけは自分よりも良いなんて』

 

 どこかで聞いたような話である。

 セレスティーヌと俺は母娘だし、オーレリアは王族扱いなのだから細かい事情は違うが。

 記録と()()()どちらも本当だとすれば、オーレリアが魔法を発現したのは六歳か七歳。幼くして母親を亡くしたこと、稀有な魔法の才があったことなど俺と重なる部分が多い。

 たぶん、俺は無意識のうちに彼女に同情しているのだろう。そして擁護できる部分を探している。悪い傾向だとは思うが、それが調査の原動力になっているのも事実。

 ジゼルの時と違って、ふてぶてしくも美しい俺の師匠はまだ、悪いことをしたと決まっていない。

 

「だとすると、あの手紙はミレーヌの独断なのかしら? 夫のフレデリクやバルト家には別の思惑があるとか?」

 

 フレデリクから見てもオーレリアは姪だ。あの手紙が糾弾というより「あの子を止めてくれ」という意味合いのものだとすれば夫婦の目的は同じとも考えられる。どちらとも言えるし、というのは変わらない。

 ここまで結論付けたところで結構時間が経っていたので調査は中断。入浴や夕食を経た後、両親に呼び出されて今日の報告を求められた。

 あまり広めるような情報でもないし仕方ないのだが、アランやシャルロット(特に義妹)抜きで両親と会う機会が最近多すぎる。ずるいと思われませんように、とついつい祈ってしまう。

 それはともかく。

 ミレーヌの「どこもかしこも一枚岩ではない」とでもいうような台詞やノエルが教えてくれた違和感を伝えれば、父は顎に手を当てて呻った。

 

「……むう。嫌な展開としか言いようがないな」

「お父さま? それはどういう意味かしら?」

「む」

 

 尋ねれば、曖昧な表情のまま硬直する父。

 

「旦那様はリディアーヌを巻き込みたくないのです。情報を制限すれば渦中には置かれないと考えておいでなのですよ」

「セレスティーヌ。其方は反対だというのか?」

「ええ。この子は未来の王族候補。巻き込まれないという方が無理なのです。ならばいっそ、伝えてしまった方がいいのではありませんか?」

 

 そんな問答を経て、両親は俺に教えてくれた。

 

「陛下は十分な善政を敷かれている。国内も安定しており、しばらく戦らしい戦も起こっていない。……それでも、不満というのは存在するものなのだ」

「『純血派』。魔力持ちを敵視し、平民こそが国を治めるべきだとする一派がこの国にも存在しているのです」

 

 それは確かに、子供が関わるにはあまりにも大きすぎる問題だった。



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魔女の秘密部屋再び

 誰かSNSとネット掲示板を寄越せ。

 どこでも誰でも気軽に情報を発信できる、というのがいかに凄いことなのかをあらためて実感する。もちろん本だって情報源としては貴重だ。ただ、現在進行形の問題について的確な情報を得るには足りない。

 (動向を把握しやすいという意味で)信用できるのが両親くらいしかいないのが心許ないものの、件の『純血派』について確認すると、

 

「魔力を持っていない状態こそが本来あるべき人の姿と考え、貴族政治を打破すべしとする一派の事だ」

 

 魔力持ちも非魔力持ちも人であることに変わりはない。つまり、魔力がなくとも人は人として成立する。よって、魔力を持たない者たちこそが純粋な血の持ち主である、という理屈。

 魔法のない世界の記憶を持つ俺としては割と納得できてしまう話だ。

 

「思想集団なのよね? 理想を実現させようとする過激派がいる、という理解でいい?」

「ああ。全員が過激派ではないだろう。しかし、一部に現体制の破壊を目論む危険な輩がいる。……いると目されている、と言った方が正しいか」

 

 純血派の中心は当然ながら平民だ。そして、平民の生活拠点は基本的に貴族社会と切り離されている。平民が普段何をしているか貴族が全て把握するのは難しく、なかなか尻尾を掴むことができていないらしい。

 これはある意味仕方のないことだ。

 騎士の人数には限りがあるし、騎士≒貴族なので平民相手の調査には向いていない。騎士団には衛兵隊という下位組織が存在するが、平民である衛兵たちに「平民の過激派集団」なんて調査させたら向こうに取り込まれてしまいかねない。

 定期的に拠点を変えられたり農村を主要拠点とされたりしてしまえば簡単には内偵を進められず、存在を認識しているのにまともに取り締まることができていないらしい。

 

『……ま、そうよね。一部の過激な奴らのために平民ぜんぶを疑ったりしたらそれこそ暴動が起きるわ。一人一人を心の魔法で調べるするとかとてもできないでしょ』

 

 心の声は「面倒くさい」が本音っぽかったが、まあそういうことである。

 

「純血派を支援する貴族もいるのかしら」

「バルト家がそうだとは確定できないが、おそらくいるだろう。愚かしい事だ」

 

 魔力を持つ貴族がどうして協力するのか。それは本人たちに聞いてみないとわからない。ただ、利害が一致していれば理由にはなる。例えば現王家に不満を持つ貴族(仮に反王族派とでも呼んでおく)が戦力を増やすために純血派を利用している、とか。

 王家を打倒した後は反王族派と純血派は敵同士になるだろうが、お互いがお互いを「正面対決ならこっちが勝つ」と侮っていれば十分に成立する。

 

「……平民の過激派集団。そんな奴らに、限定的とはいえ魔法の効果を持った道具が供給されたら?」

「彼らが勢いづくのは間違いないでしょう。一度目の武力蜂起はおそらく成功します。そして、成功した、という事実が広がれば勢力拡大に繋がりかねません」

 

 いつ、どうやって起こるかわからないのがテロの怖いところだ。加えて貴族側には「魔法を使える平民」との戦闘経験がない。正確な対処は難しいだろう。

 

「道具の存在が明かされているのがせめてもの救いかしら」

「どうだかな。……オーレリア・グラニエが純血派と組んでいるのだとしたら、どうしてリディにそれを明かした? 何か別の意図があるのかもしれん」

 

 純血派の動きに気を取られている間に反王族派が武力蜂起、国王以下王族を皆殺しとか? ……いや、待ってほしい。ないとは言い切れない上に、それだとリオネルの婚約者である俺も殺されかねない。

 現王族の一人であるオーレリアがそんなことに協力するか? という話もあるが、王位継承権をはく奪された彼女が王族を恨んでいたとしても不思議はない。純血派、あるいは反王族派として動いているのがバルト家だとすれば、新体制の旗印に《漆黒の魔女》を選ぶ理由もわかる。

 父は深く息を吐くと重々しい声で言う。

 

「慎重を期している場合では無くなったか。早急にオーレリア・グラニエの地下室を調べなければならぬ」

「……まあ、なんだか無駄足に終わるような気がしてきたけれど」

 

 躍らされている感覚に半眼になって頷く。

 そして悪いことに、俺の嫌な予想は当たってしまった。

 

 

 

 

 護衛役のノエルと共に足を踏み入れたオーレリアの地下室。

 そこには新型魔石も、それを用いた魔道具も一つとして存在しなかった。先んじて調査を行い室内を固めている騎士団の面々も困惑したような表情を俺へと向けてきている。

 

「リディアーヌ様。貴女様が入られた際と室内に違いはありますか?」

「……一見すると大きな違いはありません。ですが、わたしが見た品々が別の物にすり替えられています。見た目は似ていますから『気のせいだったのではないか』と言われてしまえばそれまでですが」

「自信はない、と?」

「いいえ。証明する手段がない、という話です」

 

 俺は息を吐いて苦笑した。騎士団の調査結果を受けて緊急召喚されたわけだが、まんまと利用されてしまった感じである。

 振り返れば、部屋の主──俺にとって魔法の師であるオーレリアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「冗談で弟子を脅かしただけだったのだけれど、まさか国王陛下にまで陳情するとはね」

「わたしにそうするよう仕向けた上で問題ある品を全て運び出したのでは?」

「あら。証明する手段がないんじゃなかったかしら」

 

 その通りだ。騎士団も監視は行っていただろうが、魔法に長けたオーレリアなら抜け道くらい用意できる。迷彩でも使ったのか地下から通路を伸ばしたのか……方法までは特定できないが。

 

「それで? 私は有罪になるのかしら?」

「いいえ。宮廷魔法士長殿の監督の下、魔道具研究を行われているオーレリア殿です。単なる研究物であれば咎める事はできません。……念のため、調査用に室内の品を一時預からせていただいても?」

「煩わしいけれど仕方ないわ。どうぞご自由に」

 

 騎士団の副団長だという男性騎士は釈然としない表情を浮かべながらも「感謝します」と礼を取った。傍らに立つノエルが「……父上」と呟く。王国騎士団の現副団長はクラヴィル家の当主、つまりノエルの実父である。

 俺としても釈然としないが、今回の調査は「公爵令嬢リディアーヌ・シルヴェストルの陳情を受けての事実確認」という体である。形式としても任意。まあ、任意という名の半強制ではあるが、問題は騎士団側も何かがあると確信して踏み込んだわけではないということ。

 仮にも王女を相手に「疑わしいから調べさせろ」なんてやった挙句に「空振りでした」は結構きつい。

 幸いなのはオーレリア自身が冗談を言ったと認めたこと。

 

「リディアーヌを責めないであげてくれるかしら。私の冗談が効きすぎてしまっただけでしょうし、国を想う気持ちは同じのはずよ」

「承知しております。オーレリア様も誤解を招くような言動はどうか慎まれますよう」

「ええ、善処するわ。ごめんなさい」

 

 物品の運び出しを終えて騎士団が撤収して行くと、後には俺とノエル、それからオーレリアだけが残された。アンナとエマは念のために上の部屋で待機している。

 師の立ち姿に動揺は見られない。

 魔女は常の状態のまま悠然とそこに存在している。謎めいた笑みに見惚れそうになるのを堪えつつ、俺は彼女に語りかけた。

 

「師匠。……あなたはいったいなにを考えているのですか?」

「さあ? 貴女は、何だと思う?」

 

 こつ、こつ、と、ゆっくりとした靴音。

 近寄ってくるオーレリアを見てノエルが剣を抜き、俺たちの間に割って入る。魔女は両手を広げて降参とばかりに足を止めた。

 

「意外と心を寄せられているのね、リディアーヌ?」

「……別に、仕事だからやっているだけです」

「ありがとう、ノエル。でも、さすがの彼女もここで事を起こすほど馬鹿じゃないわ」

 

 礼を言って下がるよう命じるとノエルは渋々剣を収めた。

 

「師匠も、わたしたちを殺してから隠し通路で逃げる、なんていうのは止めてくださいね?」

「ふふっ。そんな事を思いつくあたり、やっぱり私の弟子ね」

 

 嬉しそうに言われてもこっちは全く嬉しくないのだが。

 俺はやれやれと首を振って、

 

「魔石と魔道具を渡した先は純血派ですか? それとも反体制派の貴族?」

「随分と調べたようね。……でも、そこは子供が踏み込んでいいほど甘い世界かしら?」

「誰のせいだと思っていますか。決行はいつです? 誰を狙って何をするつもりなのですか?」

「内緒話ならその子を排してからにしたいのだけれど」

「ノエルは私の護衛騎士です。責任感のある子ですから秘密を口外したりはしないでしょう」

 

 この状況で護衛を外すとかさすがにありえない。譲る気はないという思いを込めて見返せば、仕方ないとばかりに苦笑された。

 

「どうして貴女は、私が何かをすると思うのかしら?」

「わたしは()()()()()()()()なにかをするとまでは思っていません」

「あら?」

 

 俺は情報源を伏せた上で、これまでに聞いていた噂や情報を師に語った。

 オーレリアが殺戮を望んでいる可能性。純血派の存在。貴族内も一枚岩ではないこと。擬態した平民の暗殺者。かの王妃が事故死として扱われていること、等々。

 関わっている人物と抜けている情報が多すぎて正確な推測は困難だが、一つ言えることは、オーレリアが敵と積極的に繋がっているかどうかは不明だということだ。

 

「あなたはただ魔石や魔道具を売っただけかもしれない。差出人も書かず暗号を使って書かれた手紙を鵜呑みにする気はありません。嘘だと決めつける気もありませんが、あなたが敵と完全な協調関係にあるのなら、どうしてわたしに情報を渡したのかがわかりません」

「王家や騎士団に隙を作るためだったとしたら?」

「注目を受けてまで作る必要があるでしょうか? ……それとも、受け渡しは成功してしまったわけですし、オーレリアさまがここで姿を消せば目的達成なのでしょうか」

「もし、そうだと言ったら?」

 

 心臓の音がうるさい。師を無実だと信じたい自分と怪しいと叫ぶ自分、()()()()()()()()()同情の余地はあると訴える自分が心の中に同居している。

 深呼吸を一つしてから、俺は答えた。

 

「思い直してください。今ならまだ引き返せます。迷っているのならやるべきではありません。世界を変えていったいなにになりますか?」

「知ったような口を利くのね?」

 

 冷たい声。プレッシャーを含んだ刺すような視線が俺へと向けられる。

 

()()()()()()()()()()()()()、その是非を貴女に決められる筋合いはないわ。貴女は何も知らないのだから」

「そうですね。わたしが知っていることなんてほとんどありません」

 

 オーレリアの母親が死んだのは十二年前。俺の父であるジャン・シルヴェストルでさえ22、23の若輩者で、父親から宰相職を継いでいなかった頃だ。当時生まれてすらいなかった俺に事件の真相が事細かにわかるわけがない。

 部外者が偉そうに語るな、というのもその通りだろう。

 それでも、

 

「あのね、師匠? わたしは品行方正な優等生ではないの。だから、正しいとか正しくないとかそんなことはどうでもいいのよ」

 

 そう。

 俺が大事にしているのは正しいかどうかじゃない。

 

「悪いことは止めなさい、オーレリア・グラニエ。多くの人の死の上に成り立つ理想なんてなんの意味もないわ」

「ふうん。嫌だと言ったら?」

「決まっているでしょう。力づくでも止めて、あなたの身体を踏みにじって、高笑いでもしながら勝ち誇ってあげる。わたしは()()()()()()()()()()()()()()()()のだから、この状況はむしろ願ってもないわ」

「り、リディアーヌ様?」

 

 ノエルがドン引きしたように声を上げる。俺がヤバい女だということに気づいたらしい。しかし、もう遅い。これだけ色々知ってしまったからには彼女はもう逃げられないし、何より剣の稽古に付き合ってもらわなければ()()困る。

 

「ノエルが守ってくれることですし、また魔法を教えてください、師匠。といいますか、今までろくに教えてくれていないのですから、わたしの魔道具製作に付き合ってくれても罰は当たりませんよね?」

「───」

 

 すると、オーレリアはしばし沈黙した後で口元に笑みを浮かべ、愉しげに目を細めた。

 

「いいわ。どうせ魔道具もあらかた持っていかれてしまったことだし、少しくらい弟子の遊びに付き合ってあげる」

 

 俺の説得ともいえない説得が功を奏したのか、それとも単に想定の範囲内なのか、次回の授業日以降もオーレリアは姿が見えなくなることなく、いつものように俺を出迎えてくれた。



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悪役令嬢とカウンター悪役令嬢

「騎士団に無駄足を踏ませたらしいな」

 

 屋敷へ遊びに来た婚約者様は部屋に到着するなり俺をからかってきた。

 何度も来ているせいか慣れた様子で椅子に腰かけ寛ぎ始めながら、である。側近のセルジュ青年が目だけで謝意を示してくるのに苦笑で答える。

 

「騎士の皆さまには申し訳ないことをいたしました。少し焦りすぎてしまったのかもしれませんね」

「姉上は一筋縄ではいかないところがある。あの人の冗談には十分気を付けた方がいいぞ」

 

 おおよその話は承知しているらしい。アンナの淹れた紅茶へ無造作に口を付けながらリオネルは笑う。その表情からは家族的な情が窺えた。

 

「リオネルさまはオーレリアさまと今でも交流をお持ちなのですか?」

「年一回も会わないがな。姉上の事は嫌いじゃないぞ。ああ見えて、誕生日には毎年プレゼントをくれるのだ」

 

 得意げなセリフに合わせてセルジュが動き、小ぶりの箱を開いて見せてくれる。そこには淡い金色をした半透明のチェス駒が全部で十個収められている。光を受けてきらきらと輝いており、目にも美しい。

 一年以上もオーレリアの研究を手伝わされてきた俺には、それらが全て魔石製であることが一目でわかった。

 贅沢な品にも程がある。こんなものを普通に買おうと思ったらいくらするかわからない。どうしてこれを? と尋ねると「話題が出るだろうと持ってきた」とのこと。

 

『どうだか。自慢したかっただけじゃないの?』

「毎年、ということは一年に一つずつ増えていくのですか?」

「ああ、そうだ。そして、学園に入学したら(キング)の駒をプレゼントしてくれる約束になっている」

 

 チェス駒は十六個でワンセット。学園には十五歳で入学なので、それと同時に駒が揃うことになる。なかなかに粋なプレゼントだ。

 あのオーレリアにそんな甲斐性があったとは、と感心していると、リオネルはどうだとばかりに俺を見て、

 

「お前のプレゼントよりもよほど気が利いているだろう?」

「去年お贈りした子羊はとても喜んでくださったではありませんか」

「ああ、さすが公爵領の羊だけあって格別の美味だった。だが、今年のプレゼントはなんだ。刺繡入りのハンカチ? 手を抜いたのではないか?」

「リオネルさま? わたし、まだ十歳のか弱い乙女なのですよ? 一生懸命に婚約者の名前を手縫いするなんて可愛らしいと思いませんか?」

「八歳の時点で『泣かせてやる』などと周囲を脅しておきながら何を言っているんだ、お前は」

 

 しばし睨み合ってからほぼ同時に視線を逸らす俺たち。どうやら王子様としてはハンカチなんて欲しくなかったらしい。あの子羊は鶏の礼も兼ねて選んだだけであって、婚約者としては消えものより装飾品等を贈る方が一般的なのだが。

 ハンカチなんていくらでも持っている物をただ贈っても駄目か。次に名前を入れる時は刺繍ではなく魔力で染めるとかしてみよう。

 

「ところでリオネルさま? その駒、魔石でできているからには効果があるのでしょう? 何ができるのです?」

「ん? ああ、姉上いわく『手で触れなくとも動かせる』らしい。最初にもらった時、早くこれを動かせるようになれと言われた」

「面白そうですね。試してみてもよろしいでしょうか」

「駄目に決まっているだろう。初めにこれを動かすのは俺だ」

 

 残念。しかしまあ、当然か。操作を誤って床にでも落としたら傷がつくかもしれないし。

 

『それにしてもこれ、よくできているわね。魔石の形を加工するって結構大変じゃない』

 

 しかもわざわざ金色にしている。魔石の色は籠めた魔法の属性に依存するが、駒を移動させる魔法は風か土あたりのはず。そのままだと金色にはならないので何か細工をしているはずだ。外装と中身で魔石が二重になっているとか?

 考えれば考えるほどこの駒、高そうである。

 

「わかりました。仕方ないので自分で作ることにします」

「お前も作れるのか? それは楽しみだな。どうせなら金ではなく銀とか別の色で作って欲しいな」

「? リオネルさま? わたしは自分用に作るのであって、プレゼントはいたしませんよ」

「なんだと」

「チェスの駒が二組あっても仕方ないでしょう。それとも、わたしの作った駒をわたし以外の方に使わせるおつもりですか?」

 

 別に嫉妬はしないが、オーレリアに負けたような気分になる。だったら俺が自分用に持っておく方が対戦する時に特別感があっていいと思う。

 これにはさすがのリオネルも「ぐっ」と詰まった。こんなすごいアイテムを予備扱いしたり人にほいほい使わせるのは勿体ないと思ったのだろう。

 

「仕方あるまい。だが、其方も他の人間には使わせるなよ?」

「もちろんです。手を使わずに動かせるなんて便利な駒、そうそう他の方には渡せません」

「いや、そんなつまらない事に魔力を使うのはお前と姉上くらいだぞ」

 

 しかし、オーレリアが駒を贈ったのも「これで魔法を訓練しろ」という意図のはずだ。であればリオネルも魔法で対戦するべきである。

 それはそれとしてチェス駒を魔法で動かすなんて発想をするあの女はあらためて頭がおかしい。

 

 

 

 

「あら、ごきげんよう。《紅蓮の魔女》様もいらしていたのですね」

『出たわねお邪魔虫』

 

 俺は、横手からかけられた朗らかな少女の声に失礼な感想を抱いた。

 学園の中庭(寮の、ではなく学園の庭なのでかなり広い)に設けられたパーティー会場。そこへ到着して間もなく俺に声をかけてきたのは、暗い金髪を携え、傍らに何人かの令嬢を従えた一人の少女だった。

 ベアトリス・デュナン。

 歳は俺やリオネルより二つ年上。数少ない俺と同格の存在──公爵令嬢の一人であり、同世代では最大の派閥を率いている。ついでに言うとリオネルの婚約者候補だった一人らしく、初めて会ったリオネルの誕生パーティー以来、何かにつけて俺へ因縁をつけてくる相手だ。

 

「ごきげんよう。……こちらこそ、ベアトリスさまが参加なさっているとは思いませんでした」

 

 いちいち話しかけて来なくていいのに、と思いつつ笑顔で答えると、向こうもまた社交的な表情を崩さないままに答えてくる。

 

「わたくしは婚約者探しに忙しい身ですもの。お相手のいらっしゃる方のように、殿方の多い場所に顔を出すだけで醜聞が流れるような身の上ではありませんの」

(訳:貴女に婚約者を奪われてから大変なの。こんなところで会えたことだし、あらぬ噂を流してあげるから覚悟しておきなさいね)

「ご冗談を。ベアトリスさまであれば引く手あまたでしょう? 今日も多くの方から声をかけられて大変なのでは?」

(訳:まだリオネルさまを諦めていないのですか? むしろベアトリスさまこそ「男をとっかえひっかえ」なんて噂が立ったら大変でしょうに)

 

 嫌味に嫌味で返したらベアトリスの取り巻きたちが一斉に睨んできた。先に喧嘩を売ってきたのはそっちの方なのだが、俺が悪いことにされるのは少々不服である。

 

「皆さまもごきげんよう。ベアトリスさまと本当に仲がよろしいのですね。ですが、常にご一緒では殿方も声をかけにくいのではありませんか?」

「何よ、失礼ね!?」

「貴女に心配してもらう必要なんて全くないわ!」

「これは失礼いたしました。……本日はせっかくのパーティーです。不幸な事故など起こらないことを願っております」

「お互い、平和にパーティーを楽しみたいものですね、リディアーヌ様。……貴女達、ここは構わないから少し外しなさい」

 

 俺の挑発にあっさり乗ってくる子分たちにベアトリスが苦々しい顔で指示を出す。

 不満そうにしながらも取り巻きが散開していくと、派閥の長にして俺のライバル(?)である令嬢は「少しお話をいたしませんか?」と誘ってきた。

 また何か嫌味を言われるんだろうな、と思いつつ社交辞令として了承すると、彼女は会場をゆっくりと歩きながら話し始めた。

 今回のパーティーは学生主催の立食パーティー。参加費は無料とあって多くの生徒が顔を出している。俺やベアトリスのように生徒でない者でも知人からの紹介があれば参加が可能だ。

 若い上に身分の高い俺とベアトリスには学生たちからの視線が集まってくるが、ただならない気配を察したのか声をかけてくる者はいない。俺としてはそういう気づかいはいいので乱入して欲しかったが。

 

「先日は不確実な情報で騎士団にご迷惑をかけたそうではありませんか」

 

 わざとらしい大きな声。

 

「王族の婚約者になられたとはいえ、リディアーヌ様はまだ子供なのですから、大胆な行動は控えた方がよろしいのではありませんか? そうでないと今回のように恥をかくこともあるではないかと」

「ええ。他人事ではなかったために動転してしまいましたが、今後はより一層、身の振り方に気をつけなくてはなりませんね」

 

 ここぞとばかりに声をかけてきたのは俺がわかりやすい失態を犯したからだったらしい。

 しかし、ここは俺もしおらしい態度を取っておく。下手に「あれはオーレリアさまが」とか言ったら師の立場が悪くなりかねない。

 すると、

 

「オーレリア・グラニエ様にも困ったものですね。誤解を招くような発言をして()()を脅かすなんて。リディアーヌ様もいい迷惑だったでしょう?」

「確かに。()()の冗談があまりに真に迫っていたのも原因でしたから、あの方にも改めて欲しいものです」

 

 さっさとオーレリアへ矛先を向けるベアトリス。こうなると俺は逆に「冗談だった」という体で文句を言うことで話を流しにかかるしかない。

 これにベアトリスは首を傾げて、

 

「あら? 結局冗談だったのですか? リディアーヌ様が『自分は確かに見た』と主張された、という話も伺っておりますが」

「証拠がない以上、何を言っても無意味でしょう? これ以上、確証もなくご迷惑をおかけしないよう、騎士団にお任せしようと思っております」

「そうですか。……リディアーヌ様は大人ですわね」

 

 少女は不意に目を伏せると、何を思ったのか俺を称賛してきた。続いたのはやはりオーレリアへの罵倒で。

 

「それに引き換え貴女のお師匠様はひどい方ですわ。母君が魔力を暴走させて亡くなった原因を担っているというのに、未だに継承の件で王家を恨んでいるだなんて」

 

 イラっとしていた俺は「力づくで黙らせてやろうか」なとど益体もないことを考えてから、言われた内容の重要さに気づいた。

 魔力の暴走? オーレリアが、ではなく母親の方が?

 

「……どういう意味でしょう?」

 

 立ち止まって視線を送れば、得意げな笑み。

 

「ご存じなかったのですか? オーレリア・グラニエ様の母君の死因は魔力の暴走。それも、()()()()()()()()()()に過剰な魔力を注がれたことが原因なのです」

「身体に、魔石?」

「どうやら本当にご存じなかったようですね。でしたら、魔力を注いだのが他でもないオーレリア様だった、ということもご存じないのでしょうね?」

 

 ああ、知らない。全て初めて聞く話だ。

 どうしてそんなことをこいつが知っているのか。おそらくは独自の伝手があるのだろう。まがりなりにも公爵令嬢なのだから、うちの両親と同等の情報網があると考えた方がいい。

 そして、うちの両親は俺に開示する情報を明らかに制限している。

 俺はベアトリスの目を真っすぐに覗き込んで、彼女に言った。

 

「ベアトリスさま。今のお話は本当なのでしょうか? いくら公爵家の令嬢といえど、王族に関する誹謗中傷は罪になりかねません」

「あら、ご心配なく。直接両親から聞いた確かな情報ですわ。でも、だからといってあまり悲観する必要はありませんわ。リディアーヌ様は知らなかったのですから、あの方とはこれから距離を取れば良いのです。わたくしの心配な気持ちをわかって──」

「貴重な情報をありがとうございます、ベアトリスさま」

「……え?」

 

 ぽかん、と口を開けた公爵令嬢に、俺は心からの笑顔を向ける。

 

「わざわざ教えてくださるだなんて、とてもお優しいのですね。わたし、感動いたしました」

 

 嫌味な奴だが、彼女の素直な点だけは評価できる。上機嫌で会場内を歩き出しながら、俺はベアトリス・デュナンに対する心証を若干上方修正した。



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悪役令嬢とカウンター悪役令嬢 2

 ベアトリスは高慢で嫌味な女だが引き際というものを弁えている。自分が矢面に立つような嫌がらせはしないし、必要以上に深追いはしてこない。

 有益な情報を教えてもらって別れた後はアンナ、ノエルと共に普通にパーティーを楽しむ。

 各所に置かれたテーブル、その上に並ぶ料理の数々は見た目にも楽しく、味もなかなかのもの。学生の一人から聞いたところによると食堂のスタッフが作ったものらしい。これだけ腕のいいシェフがいれば学園でのランチタイムも楽しそうだ。

 騎士であるノエルは令嬢としてはかなり食いしん坊のようで、周囲に目を光らせつつもサンドイッチやフライドチキンなどをせっせと口に運んでいる。あどけなさの残る顔立ちもあって餌付けしたくなるような可愛らしさがある。

 

「失礼、リディアーヌ嬢。是非貴女とチェスの話がしたいのですが、お時間をいただけますか?」

「ええ、もちろんです」

「シルヴェストル公爵令嬢! 男性服について常々感じている不満があるのですが、相談に乗っていただけませんか?」

「お話を聞かせてくださいませ。解決に結びつくかはわかりませんが、新しいデザインのヒントになるかもしれません」

 

 一人(+メイドと騎士)で歩いていると、ここぞとばかりに男性から声をかけられる。

 俺が普段参加するのは女性主催のお茶会が中心。パーティーに出る時はリオネルが一緒にいることも多いため、男子が話しかけられるチャンスはあまりない。その点、屋外かつ昼間の立食パーティーなら人目もあるし健全なムードがあるので、普通に俺と話したい面々にとってはチャンスとなる。

 まあ、中には「あわよくば俺に惚れさせてやる」みたいな奴がいるかもだが、俺にその気が全くないので特に問題ない。

 ゲームの話やら商売の話など色気のない話題が続くのもあって周りから色眼鏡で見られることもない。

 

「あら、《紅蓮の魔女》様ったら年上の男をあんなに侍らせて」

「リオネル様の目がないとすぐ男漁り。恥ずかしくないのかしら」

 

 最初から色眼鏡をかけている輩は除いて、だが。

 

「あの方々にはこれが男漁りに見えるのでしょうか……?」

「ははは。王子殿下の婚約者様でなければ家にお呼びしてじっくり指したいところではありますが」

「わたしとしても正直、相手に困っております。同性との対局では対リオネルさま用の練習には不向きですので」

「男女混合、複数人でチェスに興じる会などがあれば良いかもしれませんね」

「ああ、それはとても良いと思います」

 

 要は女子が俺だけ、という状況がまずいわけで。女性貴族が複数人いる場であれば変に勘繰られにくい。

 

「問題はチェスの得意な女性があまりいらっしゃらないことですね」

「いえ、そうでもありませんよ」

「え?」

 

 盤上遊戯が好きでたまらないらしいその青年は爽やかな笑顔を浮かべたままで、

 

「ベアトリス・デュナン様を始め、派閥の女性方が『打倒リディアーヌ様』を掲げてひそかに特訓をしていると耳にしました」

「ベアトリスさま、わざわざわたしと戦うために練習してくださっているのですか」

 

 性格が悪いのは確かだが、努力を怠らないのは好印象である。むしろ、努力できるのにどうしてわざわざ人を貶める方向に行こうとするのか。

 

「それならば、女性貴族の間でもチェスが流行るかもしれませんね」

 

 男性陣との話を終えた後は仲の良い女性貴族のところへ行って雑談に興じた。

 

「リディアーヌ様。先日は災難でしたね」

「ありがとうございます。もちろん反省しておりますが、正直言って道化に化かされた気分でした」

「心中お察しいたします」

 

 俺と仲のいい女子は性格的に小細工を好まず、思ったことを素直に口に出し、嫌いな相手より好きな相手に構う傾向にある。俺自身がそういうタイプなので似た者同士が集まったのだろう。貴族女性としては少数派だが、おかげで話をしていて心地が良い。

 お互いが同類だというのもなんとなく察しているので、彼女たちが慰めてくれた時は本当に心配してくれているし、行動を諫められた時はもう一度考え直した方がいいとわかる。

 

「オーレリア様は立場も性格も特殊なお方ですからね。良からぬ噂を口にする者も多いようです。私達も噂を耳にした程度ですが……」

「わたしとしても不用意に私見を語るわけにはいきません。その上で、そうですね。本当に安心してよいのか、という気持ちはあります」

「同感ですわ」

 

 俺たちは穏やかに会話を交わしながらお互いの持っている情報をそれとなく提供しあった。

 友人たちのもう一つの特徴としては「小細工は嫌いだが、できないわけではない」ということだ。サラのように素直すぎる子もいるものの、多くの者は周囲から浮かない程度に外面を取り繕うことができる。当然、情報収集や、出していい情報と悪い情報の選り分けもできる。

 おかげでいくつか新しい情報を得ることができた。

 例えば、平民街における武器の商取引が微増傾向にあるとか。学園に出入りする下働きの平民や衛兵隊の人員が不祥事を起こして退職したり、事故で亡くなった件数が去年に比べて多いとか。耳慣れない言葉で話す何者かを見た、という証言があるとか。

 俺は友人たちに礼を言いつつため息を吐いて、

 

「わたしたち貴族は恵まれた立場にあります。……けれど、決して無敵の存在でありません。育てていただいた恩を返すためにも、善政を敷く陛下をお助けするためにも、気を引き締めていかなければなりませんね」

「お互いに頑張りましょう」

 

 貴族、あるいは王族が狙われる可能性がある。そして、主犯は平民かもしれない。そうした意図は伝わっただろう。俺たちはそれ以上細かいことは口にしないまま、本当の雑談へと移行した。

 そして。

 

「あの、リディアーヌ様? 少々お話をさせていただけないでしょうか……?」

「あら、なにかしら?」

 

 俺が一人になったのを見計らって一人の少女が声をかけてきた。

 見覚えはある。というかベアトリスの取り巻きをしていた一人だ。名前も簡単なプロフィールも頭に入っているが、ここでは令嬢Aとしておく。

 Aの周囲に仲間の姿はない。珍しく一人らしい。こういった場合、実行犯を監視役が見守っているのがセオリーなのだが。

 

『あら? あれってヴァイオレットじゃない?』

 

 疑問を抱いたところで別の知り合いを見つけた。銀色の妖精ヴァイオレット・ルフォール。向こうも俺の方を見ていたのかばっちり目が合う。すると少女はほんのり頬を染めながら慌てて視線を逸らした。

 いや、なんだか勘違いしそうになるリアクションなんだが。

 目立つ容姿のはずなのにヴァイオレットが少し移動しただけで俺はあっさり見失ってしまいそうになる。気配でも消しているのだろうか。そういえばこの間会った時も向こうは俺のことを良く知っている風だった。少人数の会にはあまり顔を出さない、みたいなことを言っていたし、案外人込みに紛れるタイプなのかもしれない。

 

「リディアーヌ様?」

「え? ……ああ、ごめんなさい。話よね。構わないけれど、なにかしら?」

 

 俺は笑顔で少女を見つめる。歳は俺よりも三つ上。三歳違うと背丈もだいぶ違う。派閥を考えるとあまりいい話とも思えないが、攻撃を受ける前から邪険にする気はない。俺が目指しているのは「カウンター悪役令嬢」であって、無意味に人を虐げるガチの悪役令嬢ではない。

 すると彼女は言いにくそうに口ごもると、周りをちらちら見る。

 

「その、人の多いところですと少々……。静かな場所で、二人だけで話せませんか?」

『……いや、あのね? あなたそれ、信じてもらえると思ってるなら大馬鹿よ?』

 

 一気に脱力した。いやまあ、別に構わないが。俺は首を動かし、「さっさと断ってください」という顔をしているノエルと目を合わせる。

 

「ノエル。アンナと一緒にここにいてくれる? 誰かにわたしの居場所を尋ねられたら彼女と一緒だって伝えてくれればいいわ」

「リディアーヌ様」

「お願いね」

 

 視線を戻すと、Aはわかりやすく喜色を浮かべて「ありがとうございます」と言ってくる。

 俺はアンナを「大丈夫だから」と宥めた後、少女と一緒に会場の中心から遠ざかった。喧噪が遠のき、木立ちを備えた芝生が近づいてくる。

 

「どのくらい離れればいいかしら」

「もう少し……私達の姿が見えなくなるくらいまで。ベアトリス様には見られたくないんです。お願いですからついて来て下さい」

 

 ある程度離れたところで少女が先導するように前に出た。ようやく彼女が立ち止まったのは、会場からでは視界の通らなくなった芝生の上。

 中途半端な位置で立ち止まられたため、俺は少女を追い越して数歩の距離を移動し──右のつま先に妙な不安定さを感じた。ため息を堪えて振り返り、少女に告げる。

 

「止めておきなさい」

「え……!?」

 

 意外そうに目を見開かれた。

 しかし、俺の真後ろに()()()()があることくらいさすがに気づく。貴族令嬢が土仕事をしたわけもないだろうから、魔法で掘ってカムフラージュしたのだろうか。貴族の学校である以上、芝生に足を踏み入れる人間は希少なので、関係ない者がかかる可能性は低い。

 問題は、

 

「穴の深さによっては怪我をするかもしれないわ。もちろん、わたしは自分から落ちてあげたりしない。もし、無理やり落とそうとしたのなら、あなたはれっきとした加害者になってしまう」

「だ、だって」

 

 少女はがたがたと震え出した。震えながら首からペンダント──薄緑色の魔石が嵌まったアクセサリーを取り出す。

 

「貴女が、ベアトリス様をいじめるから!」

「心外だわ。……どちらかというと、いじめられているのはこっちでしょう?」

「う、うるさい!」

 

 魔力が注がれ、風属性の魔石が効果を発揮する。巻き起こったのは突風。少女の前方、俺へ向かって吹きつけたそれは、十歳の子供の身体をあっさりと動かした。

 身体が浮く。

 落とし穴の真上で解放された俺は少女へ視線を向けた。怯えたような表情。本当にどうしようもない。

 苛立ちを覚えながら弱い風の魔法を起動。姿勢を制御した後、風を下向きに巻き起こしてカムフラージュを吹き飛ばす。見えた穴の深さは二メートル半といったところか。

 心の準備さえできていればこれくらいどうということはない。こっちは前世で男子をやっていた身だ。小学校時代は休み時間に校庭を走り回ったりしていた。スペック的にはこの身体もかなりのものだし、魔法の助けだって借りられる。

 軽い身体強化によって無事着地した俺は、Aが恐る恐る穴を覗きこんでくるのを見ながら声を張り上げた。

 

「誰か! 助けてください!」

 

 メガホンをイメージした拡声の魔法。ピーガガー、という独特の効果音と共に辺り一帯へ響き渡る声に、Aは急に慌てだした。

 

「リディアーヌ様!?」

 

 ノエルに抱き上げられたアンナ(!)が現場へ到着するまでには三十秒もかからなかった。その三十秒で逃げなかったのが運の尽き。令嬢Aはノエルに拘束されたまま、他のパーティー参加者が集まってくるのを待つことになった。

 

「リディアーヌ様、ご無事ですか?」

「ええ、問題ありません」

 

 魔法を使って跳躍し、無事に穴の外へと着地。多少ドレスの裾が汚れたが、傷も怪我もない。

 

「ご令嬢、これは一体?」

「彼女が魔法を使ってわたしを穴に落としました。首のペンダントが魔石になっています」

「……なんと」

 

 俺がAと一緒に離れていったことはアンナとノエルが知っている。他の参加者──ヴァイオレットを含む──からも証言が得られたこと、俺が実際に穴へ落ちていること、少女が風の魔石を所持していたことなどから状況は決定的に。

 学園の警備兵を経て騎士団へと拘束された少女は、こう証言したらしい。

 

『ベアトリス様にリオネル様の婚約者になって欲しかった』

 

 この落とし穴事件に関しては殺意までは認められないこと、被害者である俺が傷一つなく助かっていること、俺が「重い罪は与えないで欲しい」と要望したことから厳重注意と罰金、三か月の自宅謹慎という措置に落ち着いた。

 派閥における上司であるベアトリスは「指示は一切出していない」と主張。少女自身もそれを肯定したことによって罪に問われることはなかった。令嬢Aはこの件によってベアトリス派閥を追われることになり──謹慎が明けて以降、パーティー会場の隅で所在なさげに佇む姿をよく見かけるようになった。

 その後、俺はあまりにも心細そうにしている彼女を見かねて声をかけ、何故か懐かれてしまうことになるのだが、それはまた別の話。

 

『だから、悪いことなんて止めなさいって言うのに』

 

 どうしてみんな、他人を陥れて利益を得ようなんてくだらないことを考えるのか。



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魔女の過去

「昨日は災難だったようね、リディアーヌ?」

「本当に災難でした。それもこれも師匠のせいです」

 

 学園寮内。

 《漆黒の魔女》オーレリア・グラニエの部屋はいつになく片付いている。魔道具等がごっそり持っていかれて物が減ったこと、地下室の存在がバレたので床を隠さなくてよくなったことなどがその原因だ。なお、直接の原因は俺がアンナに命じて整理整頓したことである。

 黒髪黒目の美貌の魔女様は、ラフな食事態度さえも演技だったとでもいうのか、あるいは研究を急ぐ必要がなくなったからか、きちんとドレスを着て席につき、ゆっくりと食事を進めるという、貴族であればできて当たり前の偉業を披露しつつ笑みを浮かべる。

 

「昨日の騒動は貴女を恨んだ令嬢の仕業でしょう? 私とは関係ないと思うのだけれど」

「当日、わたしは彼女のご主人様から因縁をつけられていまして。その原因はオーレリアさまの迷惑な冗談のせいだったのです」

「だからそれは謝ったし、こうして貴女の研究に付き合っているじゃない」

 

 付き合っていると言いつつ本人は食事をしているだけである。部屋の片隅に護衛として立つノエルが「何ですかこの会話」とでも言いたげな表情をしている。彼女にも申し訳ないことをした。

 昨日は午前中にパーティーへ参加、午後はオーレリアのところへ行く予定だったのだが、あんなことがあったせいで騎士団に時間を取られてしまった。おまけに、本人の指示とはいえ護衛対象を危険に晒したのだ。叱責はしないで欲しいと騎士団には伝えたものの、少々気にしている様子である。

 

『リディアーヌ様に何かあれば私の責任になるということを本当にわかっていますか?』

 

 今日会うなりジト目で睨まれてしまったので、ノエル自身にもあらためて丁重に謝った。

 

「それで? 私がリオネルにあげたチェスの駒を自分でも作りたい、と」

「話が早くて助かります」

 

 師と向かい合うようにして席へ着いた俺は話をしながら石へ魔力を籠めている。魔石を作るために欠かせない工程である。

 見た目としては大きめの石を握りこんで真剣な顔をしているだけなので非常に地味だが、魔女は面白そうに漆黒の双眸を向けてくる。

 

「必要な工程はわかっているのかしら?」

「魔石の作成。整形。魔法の刻み込み。それから色の調整ですね。順番は前後するかもしれませんし、色の調整にどういう方法が用いられたのかは特定できていませんが」

「方法を突き止める前にとりあえず試してみる、と?」

 

 確かに、あまり良くない行為ではある。

 失敗すれば費やした時間や魔力は無駄になってしまう。なら先に時間をかけてプランを整えた方が結果的に得をするというものだが、

 

「構いません。色に関しては師匠と同じ方法は使いませんから」

「へえ?」

 

 さっさと先を話せとばかりに視線が突き刺さってくる。本当に現金な人だと思いながら俺は自らの構想を説明した。

 

「魔石に刻み込むのは、わたしの注いだ魔力を増幅する魔法とします」

「魔力の増幅? そんなことが簡単にできるのならそれこそ歴史が変わってしまうけれど」

「それほど大層な話ではありません。要は師匠の作った新型魔石の応用です。危険度としてはずっと低いかと」

 

 オーレリアは魔力を蓄積する魔法を刻むことによって新型魔石を作った。俺はこれを参考に「リディアーヌ・シルヴェストル以外の魔力には反応しない」魔石を作ることにした。

 魔石の純粋化・専用化。

 通常の魔石は魔力であれば誰の魔力にでも反応するようになっている。これは便利な反面、魔力効率としてはロスが大きい。そこで俺専用と定義した魔道具を作ることによってこのロスを抑えようと思った。

 つまり、正確に言えばブーストではなくコストカットである。

 

「当然、この魔石は自身に注がれる魔力にしか反応しません。ですので機能としてはかなり限定されます。チェス駒の形状ではせいぜい自由自在に動かす程度が関の山でしょう」

「なるほど。限りなく少ない魔力でチェスができるだけの魔道具。しかも貴女以外には使えないと」

「そういうことです」

 

 魔石の作り方は単純。俺の魔力によってきっちり染め上げてやればいい。俺の属性は火と光なので、魔石の色は赤系統になる。

 

「たぶん、色は橙に近い赤ですね」

「あら。紅じゃないのね?」

「わたしの感覚ではそれが一番強い火と光の力なので」

 

 太陽のイメージ。

 この世界の人間がアレを何色で描くのかはわからない。この辺りは感覚的な問題だ。

 オーレリアはくすりと笑うと椅子に背を預けて言った。

 

「魔石の専用化、ね。戦闘用の魔道具に用いれば戦力強化に使えるかしら?」

「無意味に近いでしょう。専用化には使用者当人が魔石を作る必要があります。戦いに長けた貴族は魔道具の扱いに疎く、魔道具開発を得意とする貴族は荒事に弱いでしょう? それを補って余りある利点など、ごく限られた者にしかありません」

「そうね。貴女や私くらいかしら」

 

 例えば、金属製の筒に専用化した魔石を埋め込んでおく。そうすれば筒の中に何かを生み出して発射できる。通常の魔道具と違って何を発射するか──風か炎か、あるいは石礫かはその時々で変更可能だ。使う魔力は限りなく節約される。

 ただ、言ってしまえばその程度だ。

 とっさに使うには当人が携帯していないといけないし、魔石を通して魔法を使うという操作になるため「魔力さえ流せばイメージが不要」という魔道具の利点が存在しない。そこまでして齎される結果が魔力の節約程度ではあまりにも割に合わない。

 俺はいくつか使い道を思いついているし、オーレリアだってやろうと思えば何かに利用できるだろうが──天才というカテゴリに含まれる俺たちだからこそ、日頃から魔法の訓練して、魔道具なしでなんでもできるようになった方が早い。

 

「わたしは誕生日まで待つ必要がありませんから、リオネルさまより早く揃えて自慢してやろうと思います」

「あの子なら悔しがるでしょうね。魔法を覚えたら真っ先に駒を作ろうとしてセルジュ達が困りそうだわ」

「セルジュ様を困らせるのは本意ではありませんね。仕方ないので、ご機嫌取り用のプレゼントも何か用意しておきましょう」

 

 駒と同じ要領でダイス(さいころ)でも作るか。これなら単に綺麗な雑貨として使える。

 俺のプランを聞いた師は魔法大好きな変人の顔からただの姉の顔へと変わって、

 

「仲が良いようで何よりね」

「わたしとしても都合のいいお相手ですので、どうかこのまま関係を続けたいところですね」

「貴女達の間に子供が産まれたらお祝いを贈ってあげる」

 

 その前に俺にも誕生日プレゼントを寄越せ、と言いたいのは山々だがここは堪えて、

 

「わたしが出産する年齢まで()()へ居てくださるのですか?」

 

 探るように視線を向ける。

 オーレリアは真っ向から見返すのを避けて曖昧に答えた。

 

「私は三年生よ。卒業したらここを出て、宮廷魔法士の寮へ入ることになるわ」

「素直に入る気があったのですね」

「もちろん。後見人の家に居候するよりはよっぽど気楽──」

「お母上の死因について耳にしました」

 

 明るく、どこか呑気な声が途切れ、強烈な冷気の如きプレッシャーが押し寄せてくる。

 オーレリア・グラニエは《漆黒の魔女》の異名に相応しい排他的な表情を浮かべる。「それで?」。回答を少しでも間違えたら殺されるのではないか、という恐怖。

 ノエルが剣の柄に手を置いて身構える。しかし、オーレリアほどの術者相手では「動きがあってから、大事になる前に止める」ことなど不可能だ。起こる前に斬り捨てるか、起こってから斬り捨てるかの差でしかない。そして、ここで動けていない時点で結果は決まっている。

 

 オーレリアが指を振り、棚から四枚セットの板を引っ張ってくる。板は四方の壁に飛ばされぴたっと張り付くと緑色の魔石を輝かせる。俺が父との相談に使った空気の壁と似たようなものが作り出された。

 内緒話の用意。

 俺は何が起こっておいいように心構えをしながら、敢えてそれを見せないように微笑んだ。

 

「お母上──亡くなられた王妃さまはお身体が弱かったそうですね。昔から何種類もの薬を飲まれていたとか」

 

 俺の実母・アデライドとますます被る。俺たちの母親が揃って早死にしているのは偶然だろうか。

 

「魔力量の多い貴族は健康を害しやすいのでしょうか。だとすれば純血派とやらの主張も理解できなくはありませんが」

「傾向としてはあるわ。多くの場合、高い魔力量と引き換えに病弱で生まれてくるのは女。だから余計に目立つ」

 

 女に多いのにも理由がある。仮に同じ両親からたくさんの子供が産まれた場合、男子の方が子供ごとの魔力量にばらつきが出にくいのだ。

 逆に女子は良くも悪くも魔力量がばらつきやすい。このせいで()()()()()()()()()()()が現れてしまうのか、一部の高魔力女子は生まれつき身体が弱く早死にする。

 

「貴女や私が天才ともてはやされるのにはそんな理由もあるでしょうね」

 

 珍しく自嘲気味な表情で笑うオーレリア。

 いくら才能があっても生かせないのでは意味がない。その点、健康体で生まれてきた俺やオーレリアは病死のリスクが低い。子を産んで血を受け継がせることもできるだろうし、魔法に関する研究成果を残すことだってできるだろう。

 魔法の才能は子にも遺伝しやすい。上振れを選んですくい上げていけば、確かな血の強さとなっていく。

 

「母は病弱な身で無理をしたから早死にした、と」

「貴女が五歳までは生きたのでしょう? 出産の疲労は無関係よ」

 

 本当にそうだろうか? 直接の死因になっていなくても寿命を縮めた可能性は十分にある。家の後継者としてはアランがいたのだから、別に俺は必要なかったはずだ。

 俺がいなければ母はもっと生きられたかもしれない。ありえない仮定をしてしまう原動力は『お母さまともっと一緒にいたかった』ことなのだから、本末転倒もいいところだ。オーレリアが珍しく優しくフォローしてくれたのもあって感傷的な気分になってしまう。

 瞳から涙がこぼれそうになる。なんとか堪えて言葉を続けた。

 

「オーレリアさまのお母上はどうして身体に魔石なんかを埋め込んだのでしょうか」

「……古臭い、迷信めいた妊娠方法よ。祖母の世代ですらほぼ完全に廃れていたような代物」

 

 新型魔石ほど効率は良くないものの、従来の魔石にも「魔力を蓄える」性質はある。身体に埋め込んだ魔石へ魔力を注ぎ、自身の魔力を回復させれば、体内にある魔力量を一時的にブーストできる。

 子供の魔力は親の影響を強く受ける。特に母親の影響は強い。であれば、妊娠している母体の魔力を強引に引き上げれば?

 デザイナーズ・ベイビー。そんな言葉が頭をよぎった。『なによそれ!? そんなの……!』。

 

「自殺行為です。身体に異物を入れる時点で負担が大きいのに、魔力量をそんな方法で増やすなんて」

「そうね。()()()()()()()()()()()()身体に魔石を埋め込んで、それでも三十近くまで生きたのだから母はもしかすると身体が強かったのかもしれない」

「改造を行ったのは王家ですか? それとも──」

「お父様は常識的な人間よ。年下の娘にそんな非道ができる人じゃない」

 

 確かに。初対面の俺にも優しくしてくれたくらいだ。たかが魔力の強い子を産ませるためにそんなことはしないだろう。

 ならば、やはりバルト家か。

 俺が納得したところでオーレリアは視線を宙へ送って、

 

「魔石の方は母の独断。彼女はどうしても優秀な子供が欲しかった。だから古臭い方法まで持ち出した」

「どうして?」

「あの人にはそれ以外、目的がなかったから」

 

 生まれてから死ぬまで母体としての価値しか評価されなかった女性。家族から非道な改造を受け、身体も心もボロボロにされた人。

 国王に見初められながらも「優秀な子を産まなければ」というプレッシャーに苛まれ、彼女はついに禁断の方法にまで手を出した。

 結果、生まれてきた子供は全属性。類稀な魔力量を備えながら健康体という奇跡のような存在だった。

 

「……お母上にとって、オーレリアさまは救いであり宝だったでしょうね」

 

 これ以上ない優秀な子を産むことができた。それは、他に価値基準を持たない彼女にとってどれほどの幸福だっただろうか。きっとオーレリアは母からの愛情を一身に受けて育ったはずだ。間違っても後に残るような怪我をしたり、重い病気にかからないよう心を配られながら。

 

「そう。あの人は、その宝である娘に()()()使()()()殺されたの」

「───」

 

 俺は息を呑み、そして覚悟を決める。

 これから口にするのは推測だ。正しいかどうかはわからない。それでも俺は、この推測をぶつけずにはいられない。

 

「オーレリアさま。あなたが初めて使った魔法は()()()()だったのではありませんか?」



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魔女の過去 2

 オーレリアの母は肉体改造と出産の後遺症から体調を崩しがちになっていた。

 娘にはなるべく暗い顔を見せないようにしていたが、子供にだってそれを察するくらいの能力はある。幼少期のオーレリアは母を心配したはずだ。

 母に良くなってもらうにはどうしたらいいか。

 彼女は考え、一つの答えにたどり着いた。

 

 魔法で母を治してあげればいい。

 

 日頃から「あなたには魔法の才能がある」なんて言われていたかもしれない。なら、その力で愛する母親を助けようとするのはなにも不思議なことではない。

 オーレリアは母の身体に手をかざし、魔法の真似事をした。年齢を考えても成功する可能性はゼロに近い。しかしそれは成功し、彼女の才能をここでも示した。

 そして。

 強すぎる魔力に体内の魔石が過剰反応。ギリギリのところで保たれていたバランスが崩れ、悲劇の王妃は短い生涯を終えることになった。

 

「…………」

 

 俺の推測を聞いても、オーレリアはしばらく何も言わなかった。

 ようやく口を開いたのはその場にいる全員が何も言わないまま一分以上が経ってからのこと。

 

「……お母様は最後に何て言ったと思う?」

 

 確かな答えなど浮かぶはずがない。俺は見たことのないオーレリアの母親の顔を自身の母・アデライドのそれに置き換えた上でゆっくりと答えた。

 

「『よくできました。これからもたくさん勉強して、立派な魔法使いになってね』」

「さすがね。殆ど正解よ」

 

 なら、オーレリアの母も俺の母と同じくらい娘のことを愛していたということだ。そして、娘の愛情もまた母親に届いていたということ。

 だから、彼女は死に際に恨み言一つ言わなかった。

 斜め後ろでアンナの小さな嗚咽とすすり泣くような声が聞こえた。優しい彼女のことだから感情移入してしまったのだろう。見れば、ノエルでさえかすかに涙ぐんでいる。母と娘の愛情。それは魔女の過去としてはあまりにも優しくて切ないもので、

 

「だから、私は()()()()()()()()()()()()

「……っ!?」

 

 俺は、オーレリアとの認識の違いに絶句した。

 

「私は母によって作られた天才。《漆黒の魔女》は魔法の才を世界に知らしめなければならない。そうでなければ、私は生まれてきた意味がない」

「そんなことをして、お母上が喜ぶと思いますか?」

 

 陳腐な台詞だ。実際に口にしてみてあらためて実感する。それでもそれは嘘偽りのない俺の本心だった。

 しかし、オーレリア・グラニエは冷笑する。

 

「喜んでくれるでしょうね。母は私に()()()()()()()()()()()()のだから」

「違います。娘に手を汚して欲しい親なんていません。きっとお母上は──」

「冗談を言うのは止めなさい。自分の利益のために娘を利用する親なんて、この世界には腐るほどいるわ」

「それは」

 

 彼女の言う通りだった。

 俺自身、サラの屋敷で実例を見ているし、セレスティーヌもその手の女だ。あの悪女は堅実というか現実的というか、俺を活かして利用する方を選んではいるが、ジゼルの悪意に苦しめられた時に俺が立ち直らなかったらどうなっていたかわからない。

 細くしなやかな指がこっちに向かって伸ばされる。距離の問題で触れることは叶わないが、その手は真っすぐに俺の瞳を目指していた。

 

「アデライド様は優しい方だったのでしょうね。そして天然の天才でもあった。なら、それが漆黒(わたし)紅蓮(あなた)の違い」

 

 作られた天才と、在るべくして在る天才。

 

「だから、あなたは危険な魔道具を作るのですか? そうすれば確実に歴史に名を残せるから」

 

 オーレリアは薄く微笑んで答えなかった。ここまで来てなお核心には触れてくれない。魔道具の性能とそれを渡した相手の情報。それがなければ今までの話なんてただの身の上話に過ぎない。

 まだ、彼女は()()()()()()()()()()()()()を諦めていない。

 おそらく、ことを起こすのは純血派だ。

 魔力持ちの最高峰と呼ぶべき魔女の作り出した道具。それを用いた平民が貴族の絶対性を崩す。血と魔力を巡るしがらみの行きつく先としてはとても皮肉が利いている。

 

「一度の事件で終わりにしますか? まだ人生は長いのですからのんびり生きて、たくさんの成果を残す方がいいのでは?」

「もし、貴女の言うような事件が起こるとして、それは本当に一度で収まるかしらね?」

 

 収まらないかもしれない。

 事件がもし成功してしまえば二度目三度目を狙う輩は必ず出てくる。そして、ここで言う「成功」のハードルは低い。

 平民の振るった暴力によって貴族が二、三名殺される。その程度の被害しか出なかったとしても、平民が勝った事例としては十分だ。

 オーレリアから提供された魔道具の量もわからない。そもそも運び出しが一回きりだったという保証はない。彼女が寮に入ってから二年以上、定期的に行われていた可能性だってある。全ての魔道具が一度に投入されるかどうか、それさえわからない。

 オーレリアが素直に捕まる保証だってない。

 魔道具なしでも国内最高峰の魔法使いだ。逃げる方法なんていくらでもあるし、匿ってくれる場所もあるだろう。ジゼルが捕まったのとはわけが違う。事件の後、国を揺るがす大犯罪者として永く君臨するつもりかもしれない。

 

「せっかくだから思考実験でもしましょうか」

 

 さすがにもうオーレリアは食事を終えているし、俺も魔石づくりは中断している。

 空になったバスケットがテーブルの中央に置かれる。

 

「リディアーヌ。貴女なら失敗できない一度目の計画。どこでどのように起こす?」

「……ひとつ、前々から考えてしっくりきた答えはあります」

 

 魔法を使い、紙でできた花をいくつも作ってバスケットへ放り込む。蓋を閉じるとどうだろう。花籠にも見えるし、花を人に見立てれば他の見方もできる。

 

「多くの若い貴族が集まる華やかな催し。一つの節目という意味でも幕開けに相応しい舞台。数か月後に行われる学園の卒業記念パーティー」

 

 学園の卒業シーズンは三月。

 卒業生の中には騎士団や王城で働き始める者もいる。彼らが新しい環境に慣れるにあたり、冬の終わりかつ春の初めという時期が良いとされているからだ。実家に帰る者にしても帰った途端に夏バテor冬ごもりとか気が滅入るだろう。

 

 首謀者がオーレリアであればその近くで事件が起こるのは自然。

 時期が遠いので警戒の中だるみも狙える。パーティー中なら参加者も気が緩みがちになるし、給仕などの使用人が多いので紛れ込みやすい。若い貴族は実力こそあれ経験不足なので咄嗟の判断は遅れる。

 俺の答えを聞いたオーレリアはくすりと笑った。それからバスケットを自分の方へ引き寄せ、中に入っていた花を取り出しては一つ一つ燃やしていく。

 そうして花が全てなくなったところで、

 

「何も起こらないといいわね、リディアーヌ?」

 

 それだけ言うと、師は真面目な話に一切取り合ってくれなくなった。

 

 

 

 

「……卒業記念パーティー、か」

「ええ。確証はないし、わたしに予想されたことで変えてくるかもしれないけど。一応、お父さまの耳に入れておこうと思って」

 

 屋敷に帰り、夜になってから報告すれば父は溜め息と共に天井を仰いだ。

 

「よりにもよって、か。オーレリア・グラニエめ。仰々しい事件と共に王族として、いや貴族としても『卒業』するつもりか」

「そうなって欲しくはないけれど……。お父さま、念のために警備の強化を進言してくれる? もちろん説明の仕方は任せるわ」

 

 前回のようなヘマは避けたい。強硬な主張はできないし、パーティーに決め打ちしておいて「もっと早く事件が起こりました!」となっても最悪だ。なので、できれば俺の名前を出さず不自然でない程度に騎士団への働きかけを行って欲しい。

 父もこれに賛成し、警備強化の打診を約束してくれた。

 

「とはいえ、他の警備を緩めるわけにもいかん。騎士団はしばらく忙しくなるだろうな」

「精神的に疲れさせるのが目的、とわかっていても手は抜けないものね。せめて差し入れでも手配しておこうかしら。果実とか」

 

 果物は毒を仕込むこと自体が難しいし、仕込んだ毒を見破られないようにするのはもっと難しい。傷や変色があれば誰だって気にするからだ。疲れた時は糖分が欲しくなるものだしちょうどいいだろう。

 これに父は頬を綻ばせた。

 

「気遣いができるのは良いことだ。リディは良い妻になれるだろうな」

「ありがとう、お父さま。問題はリオネルさまがあまり気づいてくれそうにないことね」

「殿下にはもっと広い視野を持っていただかなくては困る。愚か者に嫁がせられるほどリディは軽い女ではないのだからな」

 

 おっと、せっかく場が和んでくれたのにリオネルの名前を出したら表情が硬くなってしまった。やはりリオネルのことはあまり好んでいないらしい。まあ、俺の婚約相手だから嫌っているだけかもしれないが。

 

「ねえ、お父さま。オーレリアさまのところへ通うのは止めた方がいいかしら?」

「む。それは……非常に心苦しいが、警戒を考えればむしろ通い続けて欲しい。オーレリア・グラニエの行動を週二日、半日ずつとはいえ拘束できるのは大きい」

「あの様子だともうわたしにはなにも教えてくれそうにないけれど」

「それでも、同じ部屋で会話していれば見えるものがあるだろう。ただし護衛騎士は必ず連れて行くように」

「ええ、もちろん」

「防御の備えもしておきなさい。我が家の所蔵品から持って行って構わない。それからメイドも増やしておくか? エマを付ければ四対一だ。いかに魔女といえど下手に手を出せまい。なんならエマを専属に指名しても──」

「お、お父さま! お気持ちは嬉しいけどほどほどで十分だから!」

 

 防御の魔道具は今までも外出時には身に着けていた。装飾品の形をしているとはいえゴテゴテしすぎるのもあれだからし、エマは「専属にはならない」ときっぱり宣言している。ついて来てくれと頼めばOKしてくれるのでそれで十分である。

 

「ちなみに『卒業記念パーティーに行きたい』と言っても許可しないからな」

「あら、なんでわかったのかしら?」

「それくらいはわかる。頼むからわざわざ危険に乗り込むのは止めてくれ、リディ」

 

 

 

 

 

 父が心配するのは当然だ。それに、もともと部外者が気軽に行ける催しではない。

 騎士団だって頑張っているのだし、情報提供等での協力も大事だ。なんなら思いつく限りで最高に悪辣なテロ計画案とかを(警備の参考として)送りつけてもいい。

 直接乗り込んで叩き潰したいところ、渋々裏方に回ろうと決心してからしばらくが経った頃、俺の元に一通の手紙が届いた。

 

 差出人は学園の長。内容は俺に卒業式への参加を要請するもの。

 

 学園の卒業式では毎年、成績上位者に花束を贈呈している。この時に花を渡す役目は家族や親戚など近しい人間に頼むのが通例。そこで、首席への花束贈呈を俺に頼みたいとのこと。

 

「話はわかった。しかし、何故リディアーヌに依頼が来るのだ」

「旦那様。それは今年の首席がオーレリア様だからです」

 

 オーレリアの成績は授業期間の残るこの時点で首席が決まるほど圧倒的。

 しかし、彼女は近親者が非常に少ない。生母は亡くなっているし、父親は国王なので呼べるわけがない。同母の兄妹さえ一人もいない。

 後見人の宮廷魔法士長は割と適任だが、彼も忙しい身の上なので調整が難しい。また、卒業後に上司と部下になるのを考えればあまり贔屓させるのも良くない。

 

「ならば異母兄妹に頼めばよかろう」

「お父さま。あの方の異母兄弟は王族です」

 

 オーレリアと関係良好かつ比較的暇な王族となるとリオネルあたりになる。

 花を渡すためだけにあいつを呼ぶくらいなら婚約者(俺)を呼ぶ方がまだ常識的である。唯一の弟子なのでばっちり関係者だし、自分で言うのもなんだが幼い美少女はこういう役割にぴったりのはず。

 

「わたしとしては是非お受けしたいわ。式の後はぜひ卒業パーティーにも出て欲しいとあるもの」

「学園に在学している生徒は社交が制限されますから、リディを卒業生と交流させられるのは当家としても益になるのでは?」

「お姉様、学園のパーティーに出られるなんて羨ましいです」

 

 ここで詳しい事情を知らないアランとシャルロットが援護射撃。父は危機への警戒と単なる親馬鹿でなんとも言えない表情になったが、最終的には折れた。

 

「……仕方あるまい。リディが参加するなら警備強化の口実にもなるだろう」

 

 こうして、俺は卒業記念パーティーへの参加権を手に入れた。



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卒業記念パーティーに向けて

 気づくと季節は秋が終わり、冬にさしかかっていた。

 王都に大雪が降ることはあまりない。ただ、石畳が凍って馬車が滑りやすくなるし寒くて動きが鈍るので貴族たちは外出を減らす。

 お茶会やパーティーの誘いも減るので、俺はこれを幸いと今後の準備を進めていく。

 具体的には魔法の訓練や魔道具の開発、剣の稽古などだ。警備兵たちが雪かきをしてくれるので中庭は使えるし、ノエルもできるだけ移動を減らしたいとたまに泊まっていくのでいろいろと捗る。

 

「リディアーヌ様! 怪我には十分に気を付けて、防寒にも気を配ってください。体調を崩されたら元も子もないのですから」

「体型に変化が出るようなら剣の稽古は禁止しますので、そのつもりで」

「リディ。女の子なんだから無理に剣を覚えなくてもいいんじゃないか?」

「僕もそう思うよ。リディと訓練できるのは嬉しいけどね」

「お姉様。頑張りすぎて倒れないようにしてくださいね。あの時のような事はもう嫌なのです」

 

 みんなからは口酸っぱく注意、苦言、お願い等々を投げかけられる中、意外というかなんというか、訓練に付き合わされる当人だけは俺に味方してくれた。

 

「寒いからこそ、動いて身体を温めるのは良い事です」

 

 騎士らしい脳筋思考だが間違ってはいない。自分が剣を振りたいだけなのではないか、というのもこの際置いておく。

 

「身体を温めるのは得意よ。それに命を救われたこともあるんだから」

 

 乗馬服にコート、手袋などで防寒しても動きやすさとのトレード上、どうしても限界がある。そこを例の身体を温める魔法で補う。体温を上げることで動きも活発化するので身体強化と組み合わせるのもそれほど難しくなかった。

 何度剣を交わしてもノエルに勝てる気はしないが、動きは少しずつ良くなっていく。学園で穴に落とされた時に落ち着いていられたのもこういう訓練の成果だろうし、やっておいて損はない。

 

 もちろん並行して本を読んだり、家庭教師について勉強をしたり、オーレリアのところへ通ったりすることも忘れない。

 師のところではもっぱら自分用のチェス駒やリオネルへのプレゼントなどを作成し、自宅では荒事になった時用の魔道具を開発する。これはちょっとしたカムフラージュだ。どうせオーレリアは勘づいているだろうが、何を作ったか隠せるだけもだいぶ違うはず。

 

「それにしても、魔道具は意外と簡単に作れるんですね」

 

 私室でいそいそと魔石を作っていると、護衛が手持ち無沙汰になったらしいノエルに声をかけられた。

 

「私でも作れるでしょうか。戦闘用の魔道具があれば戦いも楽になると思うのですが」

「簡単に見えるけどこれ、意外に大変なのよ? 魔力を大量に持っていかれるし、慣れないと効率が上がらないし」

 

 何しろ魔力を注ぎ込み続けて無理矢理馴染ませるのだ、大変さは推して知るべし。俺やオーレリアのように魔力があり余っているのでもない限り練習するのもなかなか難しい。魔力伝導性の高い素材を使えば効率は上がるものの、そうすると費用が嵩む。

 少しでも節約したいとかオーダーメイドの魔道具が欲しいとかでない限りは金を払って外注した方がマシである。

 

「騎士団の訓練では身体強化や攻撃魔法も使うんでしょう? 魔道具を作るよりもそっちに魔力を回せばいいんじゃないかしら」

「さすがにそう上手くはいきませんか」

 

 自作は無理だと悟った少女騎士は心なしかしょんぼりしてしまった。魔道具を使って華麗に戦うとか絶対格好いいし気持ちはわかる。

 ノエルには卒業式に同行してもらうわけだし、護身用の魔道具を作って渡してやることにした。

 

 訓練といえば、リオネルにも剣術に付き合わされた。

 屋敷でたまに剣を振っているという噂が耳に入ったらしい。誰が広めたのかと思ったら「ジャンがぼやいていたのを聞いた者がいた」とのこと。まさかの父が情報源である。

 戦ってみると王子様は案外手ごわい。十四歳のノエルの方が技術的にも体格的にも勝っているのだが、何しろお子様なので加減というものを知らなかった。

 

「お前はほぼ素人だろうからちゃんと手を抜いてやる。安心しろ」

 

 とか言いながら同性の友人と遊ぶかのように無造作に打ちかかってくる。

 ノエルがいかに気を遣ってくれているか理解すると共にどうやって負けたらいいか悩んだ。同い年の素人相手だし身体強化次第で勝つこともできたが、チェスならともかく剣で勝つわけにはいかない。

 結局、木剣を保持できる程度の身体強化をかけつつ怪我しないのを最優先し、しばらく打ち合ったところで降参を宣言した。

 

「なんだ、だらしがないな。筋は良さそうだからもっと積極的に攻めてみたらどうだ」

「無茶を言わないでくださいませ。男子と女子では基礎体力に差があるのです」

「そうですよ、殿下。リディアーヌ様がお受けくださったからいいようなものの、そもそも女性を剣術に誘うのはマナー違反です」

 

 終わった後でリオネルはセルジュに怒られていた。苦労人であるこの青年にはいつも世話になっている。彼が抑えてくれていれば安心、

 

「そうは言うが、こいつもこいつだぞ。普通の令嬢なら着替えも木剣も用意しない」

「……確かに、リディアーヌ様は特殊な方ですが」

 

 と思ったらこっちに被害が飛び火してきた。完全に自業自得なので文句のつけようもない。結局、お互いに怪我には十分に注意するということで両成敗(?)に終わった。

 

「またそのうちに相手をしてもらうからな」

「かしこまりました」

「というかお前、乗馬用の服なんて持っていたのか。なかなか似合っているぞ。……そうだ、せっかくだし乗馬も覚えたらどうだ? 俺もセルジュや父上と一緒に乗せてもらっただけだが、馬はいいぞ。馬車とは違った感動がある」

「殿下。乗馬も婦女子に勧めるものではありません」

 

 またセルジュが口を挟んだものの、乗馬は俺自身興味があったので「機会があればぜひ」と

 

 

 

 

 幸か不幸か、卒業パーティーまで大きな事件は起こらなかった。

 平民街での小さな事件──誰と誰が喧嘩して衛兵隊のお世話になったとか、あくどい賭場に出入りがあったとかは日常的に起こるものの、純血派と断定できる逮捕者・摘発者はなし。秘密結社や明確な組織ではなく思想集団となると判別も難しくなかなか尻尾が掴めない。

 友人たちへの警告や騎士団が警戒する様子などから貴族たちの間にも「何かが起こるかもしれない」という噂が広がっている。そのお陰で学園側も気兼ねすることなく騎士団に対し警備強化を要請することができた。

 そして。

 

「リディ。本当に何かあるかはわからないが、警戒は怠るのではないぞ」

「わかっているわ。十分な準備はしてきたし、大丈夫よお父さま」

「アランとシャルロットも、冬は人や物の動きが滞りやすくなる。有事の際はセレスティーヌと共に冷静に対処せよ」

「はい、父上」

「お父様もどうかお気をつけて」

「行ってらっしゃいませ、旦那様」

 

 当時の朝、父は王城にて執務を行うために屋敷を出発した。

 いつも以上に心配性なのは何か起きることを予感しているからかもしれない。宰相である彼が城に詰めるのは有事の情報伝達をスムーズにしたり、要人警護を容易にする意味もある。

 純血派を貴族が支援しているとすれば王城が同時攻撃されてもおかしくない。騎士団はこちらにもある程度の人員を割くことになる。

 父はセレスティーヌやアラン、シャルロットを城に招こうとも考えたらしい。

 しかし、留守中に屋敷を賊に狙われないとも限らない。公爵家には高価な魔道具や美術品、資料として価値のある本なども多く存在しているのだ。いざという時、使用人や兵たちを指揮して家を守る人間も必要だ。

 

「リディアーヌも十分に気を付けて。いざとなればアンナやエマを囮にしてでも逃げ延びるのですよ」

「縁起でもないことを言わないでください、お養母さま。もちろん、アンナやエマと一緒に帰ってまいります」

「パーティーを楽しんでおいで、リディ。君が学生として参加するのはまだ先の話だからね」

「お姉様、パーティーのお話、後で聞かせてくださいね」

「ええ。しっかりと楽しんでくるわ」

 

 俺も父を見送った後で準備を整え、午前中のうちに屋敷を出発した。

 今日のドレスは黒。全ての色を内包する黒は魔法的に尊い色とされている。学園の制服も黒が基調なので周囲との調和も取りやすい。めでたい式ではあるが、あまり俺が着飾っても卒業生を食ってしまいかねないので華やかさは抑えめ。

 主張を抑えた分は装飾品でバランスを取る。目立つアクセサリーはパーティーまで温存するが、卒業式のうちから外から見えない位置に腕輪やアンクレット型の魔道具を装着して防備を整えておく。一緒に参加するノエルとアンナ、エマにも小さな魔石を複数あしらったチョーカーを渡した。

 

「念のために着けておいて。アンナたちに何かあったら大変だもの」

 

 買ったら高いだろうが、魔石から俺が自作したので材料費くらいしかかかっていない。さすがに盗まれたりすると悔しいのでその辺りさえ気をつけてくれればいい。

 

「リディアーヌ様。私も頂いていいんですか?」

「ああ、ノエルには貸すだけよ。壊したら弁償してね」

「……わかりました。ありがたくお借りします」

 

 別にノエルを信用していないわけではないが、この辺りはけじめだ。使用人と護衛騎士では心理的・立場的な距離に違いがある。そのことがかえって安心材料になったのか、ノエルもしっかりと頷いてチョーカーを身に着けてくれた。

 

「ありがとう。それから、ノエルにはもう一つ持っておいて欲しいものがあるのだけれど……」

 

 学園に到着した後はまず、危険物を持ち込んでいないか軽くチェックされた。

 

「ノエル様。何故剣を二本差していらっしゃるので?」

「予備です」

「そ、そうですか」

 

 若干の確認はあったものの問題なくパスし、学園長ら関係者に挨拶をする。数か月前には内定していた通り、オーレリアは無事に主席となったので俺は予定通り彼女への花束贈呈を任されることになる。

 

「グラニエ様は我が校の歴史に名を残す才女です。その卒業を祝福する役は弟子であるリディアーヌ様こそが相応しいでしょう」

「身に余る大役ではございますが、精一杯務めさせていただきます」

 

 挨拶が終わった後は式まで待機……の予定だったのだが、警備責任者として詰めていた騎士団の副団長、つまりノエルの父親が声をかけてきた。

 

「リディアーヌ様。本日の警備について相談させていただきたいのですが」

「もちろんです。ですが、子供の意見など参考にしてよろしいのですか?」

「本物かと見紛うような犯行計画書を送りつけておいてそれを仰られても説得力がありませんよ」

 

 下手すると悪人が参考にしそうなレベルだったので騎士団上層部はドン引きだったらしい。念のためセレスティーヌにも読んでもらって監修してもらった自信作だったのだが。

 

「問題ないのであれば是非お話を聞かせてください」

「ありがとうございます。では、こちらへ」

 

 それから式の時間ぎりぎりまで話し合い、料理に毒が混入される可能性や毒ガスの可能性、爆発物が用いられる可能性等々について確認した。

 副騎士団長は俺の意見を聞きながら適宜指示を出す。そのせいで部下たちが出たり入ったり忙しく、部屋の中に十歳の小娘(俺)がメイド付きで存在するのが物凄い違和感だった。それでも一応許されたのはえげつない計画書の提出者だからとか宰相の娘だからとかそんな理由である。

 

「あの、副団長さま。本日、なにかが起こると思いますか?」

 

 すると、彼は真剣な表情で答えた。

 

「おそらく、起こります。最終的にはただの勘としか言いようがありませんが。だからこそ油断はできません」

「はい。もし本当に起こった時、少しでも被害を減らせるようにしましょう」



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卒業記念パーティー襲撃

 こんなに早く卒業式を体験できるとは思わなかった。

 黒い制服姿の生徒たちが整然と並ぶ様は前世における中学の卒業式を思い出こさせる。高校を卒業する前に死んでしまったので、俺にとってはそれが最後の式だ。

 日本と違うのは髪や瞳の色が多種多様なこと、座り心地の良さそうなしっかりとした椅子が用意されていること、人と人の間隔が十分に取られていること、傍にメイドや執事が控えている生徒が多いこと、校歌斉唱がない代わりに卒業生全員による誓約が行われること等がある。

 

「国王陛下への忠誠と、国の礎を担う貴族の一員として誠心誠意尽くしていく事をここに誓います」

 

 卒業証書の代わりとして与えられるのは魔石をあしらったペンダントだ。石の表面には国の象徴である天馬の刻印。受け取り後にブローチや指輪、髪飾りにすることも認められており、そういった加工がしやすい細工にもなっている。

 ペンダントに封じられている魔法は攻撃から着用者を守るものだ。便利な自動防御である代わりに効果としては低め。定期的に魔力を補充する必要もあるため気休め、お守り程度の代物ではあるが、タダでもらえる物としては間違いなく破格である。

 なお、今年のペンダント製作はオーレリアが担当しており、例年に比べて効果が高いという触れ込みである。なお、ペンダントに嵌めこむ魔石の製作には俺も関わっている……というか、おそらく三分の一くらいは俺の担当分である。

 

『あの女が作った魔道具が卒業生全員に配られるっていうのもちょっとぞっとする話よね』

 

 そこは当然チェック済み。実際に卒業生に配られる品からいくつか無作為に調査したが、防御魔法以外は付与されていなかった。オーレリアの命令一つで全てのペンダントが爆発、とかそういう心配はない。

 

「続いて、成績優秀者の発表と表彰を行う」

 

 壇上に数名の男女が上がってくる。その先頭に立つのは黒髪黒目の美女──オーレリア・グラニエ。

 俺は、祝福のための大きな花束を抱きかかえて彼女に近づいた。

 

「最優秀、そしてご卒業おめでとうございます、オーレリアさま」

「ありがとう。貴女に祝ってもらえるなんて、これ以上ない喜びだわ」

 

 微笑んだオーレリアは一歩前に進み出て花束を受け取ると、そこから更に身を寄せてきた。受け渡しのために背伸びしていた俺の前に跪くようにして身を屈め、顔を近づけてくる。

 傍目からはキスしているような構図に講堂内がざわめく。

 しかし、実際には唇は触れていない。ただ俺にだけ聞こえるように囁かれただけだ。

 

「わざわざここまで来るなんて、本気で警戒しているのね」

「ええ。……言って止まらないのなら力づくで叩き潰す。それがわたしの流儀ですから」

 

 囁き返したせいで「実は二人はできているのでは」なんて噂が流れたらどうしようか。いやまあ、その程度の騒ぎだけで今日を終えられたのなら万々歳か。

 自分の席へと戻った俺は何事もなく式が進み、そして終わるのを静かに眺めた。

 

 

 

 

 さて、式が終わった後は三時間程度の準備を経て卒業記念パーティーに移行する。

 建前上は自由参加の行事だが、今後のためのコネクションづくりや友人たちとの最後の語らいの場、本格的な大人への仲間入りに祝杯を挙げる席である。よほどどうしようもない用事があったり相当な変わり者でもない限りは全員が参加する。

 パーティーが始まるまでの時間は自由時間なので、卒業生は在校生と交流したり、パーティー用の礼服やドレスに着替えたりと思い思いに過ごす。

 なお、相当な変わり者である我が師オーレリアは主席卒業生という重要な立場なので否応なく参加が義務付けられている。

 

「では、副団長さま。最終確認の続きをいたしましょう」

「よろしいのですか、リディアーヌ様?」

「ええ。パーティーにはアクセサリーで対応するつもりですし、学生たちの時間を部外者が邪魔するのも無粋でしょう?」

「ははは、そうですな。では、お言葉に甘えましょう」

 

 パーティー用に使用される食器やカトラリーは全て銀製に統一されている。一部の毒に反応して変色する性質があるからだ。他の毒が用いられるにしても参加者に毒物への警戒を意識づける効果はある。

 調理段階での毒物混入は複数人での毒見を義務付けて対応する。それも、専用の毒見役を設けずなるべく持ち回りで。犯人一味は解毒剤を服用しているかもしれないが、一般の使用人はそうではない。何か異常があればその時点でパーティーは中止である。

 給仕等で使用人が多くなるのはどうしようもない。そこは警備兵や騎士の数を増やすことで警戒する。

 会場は屋内の大ホール。気温が下がり始める時間帯、冬の名残が残る時期とあって窓は基本締め切りになるため、気体状の毒にも要警戒。異常が発生した場合は躊躇なく窓を割るように警備人員に通達済み。

 会場内に不審な魔道具がないかも複数回にわたってチェックさせている。この世界にはまだ火薬が存在しないため、爆発物は魔道具および魔法に注意しておけばいい。

 生徒たちも「貴族を狙った事件が起こるかもしれない」くらいの噂は知っている。いつどのように起こるとは明言できないものの、学園からも注意を呼びかけているため、最低限の対策は取っているはずだ。

 

「ホールの天井、および地下は大丈夫ですか?」

「現在、異常がないことを確認しております。見周りも定期的に行い、異常があれば直ちに対処するよう指示を出しました」

 

 何かあった時のために医者や、希少な治癒魔法の達人にも来てもらった。

 

「使用人を対象とした身体検査は?」

「実施しましたが、どこまで効果があるか……。裏方はどうしても慌ただしくなります。パーティーのための臨時人員もいますし、検査に代役を立てられれば確認は困難です」

「顔写真付きの身分証なんてありませんからね」

「? 写真とは?」

「あ、いえ、こちらの話です」

 

 身体検査を徹底できるかも怪しい。全員を裸にして調べるなんて時間がいくらあっても足りないし、使用人の何割かはメイドである。貴族を相手にしているせいかセクハラ意識が高いので下手なことはできない。そして悪いことにメイド服や執事服は結構物を隠しやすい造りになっている。

 学園は敷地も建物も広い。身体検査の間だけ荷物を隠しておくのは難しくないし、全てを捜索するのは非現実的。

肉を切り分ける用のナイフなど最低限の武器なら現地調達も可能だ。

 

「警戒を察して計画を取りやめてくれれば良いのですが」

「同意しますが、可能な限り対策を整えた場で本番を迎えるのと果たしてどちらが良いものか」

 

 本当、こういう時に受けて立つ側というのはままならない。

 どれだけ対策しても対策しきれた気がしない中、パーティーの開始時間が迫ってきて。

 

「リディアーヌ様、そろそろ会場に参りましょう」

「ええ、そうね。……では、副団長さま。ご武運をお祈りいたします」

「はっ。どうか有事の際には御身を優先されますよう。……ノエル。リディアーヌ様に始終付き添えるのはお前だけだ。何があってもお守りしなさい」

「了解しました、父上。……いえ、副団長閣下」

 

 そして、パーティーが始まった。

 

 

 

 

 真っ白なテーブルクロスに魔道具の燭台。天井には自ら煌めくシャンデリアの数々。見た目にも趣向を凝らされた料理の数々。コツコツと響く靴音も人々の話し声も高い天井に吸い込まれ、賑やかではあっても騒々しくは感じない。

 

「みなさま、ご卒業おめでとうございます」

「ありがとうございます、リディアーヌ様」

「殿下の婚約者でもある公爵令嬢様からお祝いの言葉をいただけるとは誠に光栄です」

 

 正装に身を包んだ男たちは何割り増しかで凛々しく見え、華やかなドレスで着飾った女たちは目にも美しい。俺も両手に指輪、首にはネックレス、さらには髪飾りにイヤリングと自分を飾っているものの、黒いドレスのお陰でいい感じに脇役になれていると思う。

 自分から声をかけにいくのは控えめにしようと思っていても相手から話しかけられた場合はどうしようもなく、結局、俺はほとんど絶え間なく卒業生からの挨拶を受けることになった。

 

「スパークリングワインはいかがですか、お嬢様」

「いえ、止めておくわ。お酒はもう少し成長してからの楽しみにしておきたいの」

 

 この国に「お酒は二十歳になってから」という決まりはない。下町の平民なんかだと子供も平気で飲んだりするらしいし、貴族の子も「幼いうちから慣れさせるため」と親から酒を勧められたりする。

 しかし、我がシルヴェストル公爵家に関しては両親ともに若いうちの飲酒に否定的である。理由は父が「健康を害する恐れがあるから」、養母が「思考が鈍るから」と別々だが、親の方針もあって俺もアランもシャルロットも酒の味をまだ知らない。

 前世でも飲んだことがない(正月にお屠蘇を舐めた程度)のでとても興味は惹かれるものの、今飲んだらそれこそ後の行動に差し支える。給仕のメイドからの問いかけは丁重に断った。

 そんな風にして一時間以上が経過。

 空がだんだんと暗くなりはじめ、卒業生たちも酒が回ってきている。会話が活発になっていいことだし、耳から入ってくる情報だけでも後で精査したらなかなかの価値がありそうだが、今はそれよりも、

 

「そろそろ、頃合いかしら」

「あら? 何か余興でもしてくれるのかしら?」

「師匠」

 

 オーレリア・グラニエは漆黒のドレスに身を包んでいた。下半身こそふわりと広がって華やかではあるものの、上半身は身体のラインがしっかりと出たシンプルなデザイン。しかも完全ノースリーブと完全に夜会向けの一品である。

 これもナタリーの所属する工房製だろう。関係者としてはお買い上げありがとうございます、と言わざるを得ない。

 彼女の動向はパーティー開始時点からチェックしていた。そろそろ声をかけたかったので向こうから来てくれたのはありがたい。

 

「できるだけ動きやすそうなドレスを選んだ、というようないでたちですね?」

「そうね。肌寒さは魔法でなんとかなるもの」

 

 その手があったか、と思う俺だったが、子供がやったら「色っぽい」の前に「寒そう」が来るので周囲が「何か羽織るなりしろ」と言ってくるだろう。

 師のグラスの中身、薄い色をした果汁を見つめながら使用人から水のグラスをもらう。コーラが飲みたい。仕方ないのでせめて炭酸を、と水を無糖のサイダーに変えたら師が食いついてきた。

 

「何をしたの? 少し飲ませなさい」

「構いませんけど……って、全部飲まないでください!」

 

 仕返しに果汁にも炭酸を加えてやったら「ありがとう」と言ってぐいっとあおられた。

 

「なるほど、炭酸水ね」

「ご存じなのですね?」

「そういうものがある、ということくらいはね。人工的に作るという発想はなかったけれど」

 

 天然の炭酸水が湧く地域があるので知っていたらしい。何やら指を動かしながら「すぐには再現できないかしら」とか呟くオーレリア。今はそんなことどうでもいいだろうに。

 

「遊んでいてよろしいのですか? 決行が近いのでは?」

「そう言われても、私は最終的な決行日時を知らないもの」

「は?」

 

 マジか? じゃああの意味深な発言はなんだったのか。あるいは今の台詞こそが欺瞞なのかと疑惑の目を向ければ、

 

「しつこく監視されている状況で連絡を取り合うなんて簡単ではないでしょう? 知っているのは仮決定の作戦内容だけ」

「あなたならどうとでもなりそうですが」

 

 遠話の魔法もある。最も容易とされる方法でさえ制約が多く扱いづらいものの、オーレリアなら指令を伝えることくらいできそうなものだが。

 彼女が作戦を主導しているわけではない? あるいは、計画立案に関わっていたが騎士団に睨まれたせいで身動きが取れなくなったか。

 だとしたら俺としては嬉しい話だ。できれば師には何もして欲しくない。俺は微笑んでオーレリアを見上げた。

 

「師匠。卒業祝いにもう一つプレゼントがあるのですが、受け取ってくださいますか?」

「何かしら?」

「アンナ」

「はい」

 

 銀製のブレスレットをアンナから受け取る。表面には複数の魔石。それを見た《漆黒の魔女》は「仕方ないわね」と苦笑し、ゆっくりと腕を差し出してきた。

 

「着けてくれるかしら?」

「仕方ありませんね」

 

 細く白い腕へとブレスレットを通す。

 すると、金属製の輪はひとりでに縮んで腕にぴったりと嵌まった。これなら簡単には外せない。この形状変化はオーレリア自身から吸い取った魔力によって発動している。つまり、地下室で見た魔法封じの魔道具を俺なりに再現したものだ。

 

『自動型魔道具の()()()()()()()性質を逆に利用するとか、やっぱりこの人は天才よね』

 

 貴族には魔法防御がある。これは自身への悪影響を軽減する効果を持つため『魔法を封じる魔法』も普通ならその影響を受ける。師はその問題を「触れれば魔力が流れるようになっている」自動型魔道具の特性を利用してすり抜けたのだ。

 まあ、この方法でも封じられる魔力量には限度があるのだが……。

 俺は師が目を瞬いているうちにアンナから「二つ目」を受け取るともう片方の腕にも装着してしまう。魔石の複数搭載で性能不足を補った上で同じものをもう一つ。これだけやればおそらく、オーレリアの魔力を半分以下に抑えられるはず。

 問題は、何故素直に受け入れてくれたのかだが。

 

「師匠。やっぱり、あなたは」

 

 俺が続きを口にしようとした時、会場のあちこちから天井に向けて炎の球が放たれ、周囲をひときわ明るく照らし出した。



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卒業記念パーティー襲撃 2

「正しい血統を理解しない愚かな貴族に報いを!」

「本当に来てしまったみたい、ね……っ!」

 

 顔を上げた俺は右手を高く突き上げると、消防車からの放水をイメージ。勢いよく上昇した水の束が最も近い火球を消滅させる。『着弾時以外は爆発しない設定かしら。おかげで被害が減ったわ』。

 直後、複数の爆発音。

 前もって止められたのは一つだけ。残った火球は天井やシャンデリアに着弾、大きな音と共に爆風を生み出した。砕けた硝子の破片が飛び散り、いくつかのシャンデリアが落下を始める。

 折り重なる悲鳴。咄嗟に状況を理解できているのはほんの一握り。

 

「非常事態よ! 身の安全を最優先にしなさい!」

 

 声を上げながらたて続けに手を振って指向性のある突風を生み出す。風は落下するシャンデリアに斜め下から衝突、壁や天井へと叩きつけて細かい破片へと変える。飛び散る破片まではどうしようもない。火球をおかわりするよりマシ、とこれを選んだが、他の魔法が良かったかもしれない。

 後悔している暇はない。

 あらためて会場を見渡す。守ったシャンデリアと各テーブルの燭台、窓から射しこむ月明かりのお陰で視界には不自由しない。

 呆然としたまま立ち直れていない者。降ってくる破片を魔法で防ごうとしている者。悲鳴を上げて逃げ出す者。事態の収拾に務めようとする使用人と、素早く服の中から()()()()()()()()周囲の者へ襲い掛かる使用人。

 

『ちょっと! 思ったより数が多いんじゃない!?』

 

 ざっと見ただけだと数えきれそうにない。

 敵の動きはなかなかに軽快で、訓練を受けているのが一目でわかる。騎士団や警備兵が対応に動いているものの、全員を押さえるのは難しそうだ。

 混乱の収拾に避難誘導。防衛側はやるべきことが多い。会場の複数箇所で香か何かが焚かれているのを見た俺は氷の礫を飛ばして複数の窓を叩き割った。空気の入れ替えによって香が流れていく。気づいた騎士がさらに換気を行ってくれる。

 と。

 

「危ない!」

 

 ノエルの声と金属同士の衝突音。

 俺の傍で、剣を抜いた少女騎士がメイドの振るった大振りのナイフを防いでいた。

 舌打ちしたメイドは軽く後ろへ飛びのくと空いている腕を持ち上げ、そこに嵌められた腕輪を擦る。魔石の輝き。放たれた火球はノエルでも俺でもなく、傍にいる専属メイドに襲い掛かった。

 

「アンナ!」

「駄目です、リディアーヌ様!」

 

 反射的に飛び出そうとしたところをノエルに制止される。代わりに動こうとした少女騎士は再び飛びかかってきたメイドと交戦。アンナがぎゅっと目を瞑り──彼女の身を覆うように生み出された障壁が火球を防いだ。

 チョーカーに組み込まれた自動防御だ。

 物理攻撃一回、魔法攻撃一回、毒物一回。対象と回数の制限つきだが、そのぶん防御力は高い。火球が大した威力じゃなかったのもあって十分防げた。

 難を逃れたことで我が家のメイドたちも理解が追いついてきたらしい。エマが俺の背後を庇うように移動。アンナも身構えながらチョーカーへの魔力供給を開始する。魔力を補充すれば消費した防御回数が復活するからだ。

 

 オーレリアは。

 特に身動きも取らずその場に立っている。あまりにも悠然とした態度は全て予測済みであるようにも、出来事に全くの無関心であるようにも見えた。

 彼女の腕に嵌まった腕輪は。嵌めこまれた魔石が通常動作以上の輝きを見せている。魔力の過剰供給。許容量以上を流し込まれた魔石がひび割れ、効果を失った腕輪がするっと外れる。

 

「リディアーヌ」

 

 黒く美しい瞳と視線が絡まる。

 俺とオーレリアの距離はほとんど離れていない。美女の口元が歪むのを見ながら俺はすぐさま動いていた。『勝負は一瞬、どっちが早いかよ!』。

 俺──リディアーヌ・シルヴェストルの魔力量は師であるオーレリアには遠く及ばない。一年前の時点で王族並の魔力は十分破格だが、それだけでは師には勝てない。魔法に対する造詣の深さでも経験値の量でも劣っている俺が勝っている点は何か。

 それは、前世知識に由来する発想の飛躍と『むかつく奴を直でぶん殴る覚悟よ!』。

 

「舌を噛まないでよね……っ!」

 

 瞬時に利用できる最大魔力を発揮。全身に流れた魔力はごくごく短期的な超身体強化──超加速(クロックアップ)とでも呼ぶべき爆発的な運動力を発揮。それを用いて飛び出した俺は師へと急接近しながら、ただ右の拳を突き出した。

 ごっ! と、体感としては物凄い衝撃。

 張りかけの障壁を突き破ったことで多少の減速を行いながら師の腹部へ突き刺さった拳は、運動なんてしたこともない令嬢の身体をあっさり吹っ飛ば──『やばっ!』吹っ飛ばしかけたところで慌てて片方の腕を掴んで勢いを殺す。

 

「───」

 

 師は、演技なんてする余裕もなく白目を剥いて気絶していた。いや、あの、大丈夫だろうか。さすがに内臓が破裂したりはしていないはず。吐血している様子もないし無事だとは思うのだが、医者に診てもらわないと若干不安な気がする。

 まあ、これなら事が終わるまで気絶していてくれるだろう。

 振り返ると、暗殺メイド(仮)の投げた小瓶のようなものをノエルが剣で斬り捨てたところだった。

 

「っ!?」

 

 半ばで断ち切られた小瓶から液体が飛び出し、少女騎士に降りかかる。チョーカーが輝いて液体を浄化。どうやら毒の一種だったらしい。

 

「また、魔道具」

「当然でしょう……っ!?」

 

 毒に怯まずノエルが突進。渾身の一太刀がナイフの防りを弾き飛ばし、メイド服をざっくりと切り裂く。しかし、浅い。相手がすかさず後退を始めていたのと、服の下に着こまれていた薄手の鎖帷子(チェインメイル)のせいだ。

 暗殺メイドは距離を取りつつ裂けた服の下に手を突っ込み、背中に隠されていた鞘から新たなナイフを取り出してみせる。

 こいつ、かなり強い。

 どうやら敵の練度にはかなりばらつきがあるらしい。周りの騎士は大人の男だとはいうのを差し引いてもこんなに苦戦していない。中には無駄に声を上げながら突っかかった挙句、卒業生の魔法でノックアウトされている奴さえいる。

 運悪くエース級の相手と鉢合わせたか。

 見ればメイドの顔には覚えがある。バルト家の使用人。特徴のない顔の上に化粧もしているのでぱっと見別人だが、あいにく俺は記憶力に自信がある。

 どういうことかと声を上げようとして、

 

「リディアーヌ様、新手です」

「っ!」

 

 ボーイ姿の男がこちらへ駆け寄ってくる。

 男の投げたナイフをエマの防御障壁が阻み、新たなナイフと共に斬りかかってきた男には俺が応じる。心の準備ができていたお陰で頭が冴えている。ノエルよりずっと平凡な剣筋をじっと見ながら()()()()()()()をイメージ。

 きん、と。

 不可視の刃に弾かれたナイフが宙へと逸れた。

 

「な、に!?」

「リディアーヌ様、これを!」

 

 暗殺メイドと交戦を続けながら、ノエルが俺に()()を投げてくれる。

 予備と言い張って持ち込んでもらった二本目。大人用としてはかなり短く、俺にとってはちょうどいいそれをすぐさま抜き放つ。

 金属の鈍い輝き。

 刃の入っていない平坦な刀身は儀礼用あるいは装飾用の一品であることを示している。しかし、鍔の中央には大きな赤い魔石。ある程度の知識を持つ者ならこの剣を「強力な火の魔道具」と認識するだろう。

 暗殺ボーイはこれに大きく舌打ち。

 

「話が違うぞ! 十歳のメスガキがなんでこんなもん持ってるんだよ!」

「あら? 無差別に狙ってきたんじゃなくて、わたし目当てだったってこと? 狙いは一体なんなのかしら」

 

 残念ながら答えは返ってこなかった。

 口数が少なくプロフェッショナル感のあるメイドの方と比べるとこっちはそこらのチンピラ感がある。腕もおそらく数段下だろうが、さすがにそこまでお喋りではないか。

 彼は構えを解かないまま倒れたオーレリアに目をやって、

 

「頼みの《魔女》もやられちまってるし、計画はことごとく読まれてるしおかしいだろ。誰だよ、お前らに指示したのは」

「さあね? 案外、わたしの独断だったりするかもしれないわよ?」

 

 いや、結構喋るなこいつ。

 薬でもやっているのか目つきもおかしい。捕まったら死刑確定だろう状況で暴れていられるのは貴族への恨みと薬による二重ドーピングのせいか。

 男は袖からさらにナイフを抜き放つと身を屈めて、

 

「こうなりゃとにかく『竜の系譜』だけでも片付けて──っ!?」

 

 横合いから飛来したナイフが男の首に突き刺さった。

 鮮血。ボーイ姿の男は目を見開いたまま膝をつき、倒れる。ナイフを投げたのはこちら側の人間ではない。あの暗殺メイドがノエルと交戦しながらやったのだ。

 口封じ。

 計画を喋りすぎる仲間を邪魔に思ったのだろう。確かにあの意味ありげなワードは引っかかるが、今はそれどころじゃない。

 男に駆け寄って抱き起こす。

 首からは血が溢れ、白目まで剥き始めている。ナイフに毒でも塗ってあったか。俺はため息をつき、近くにあったテーブルに彼をもたれさせた。それから刺さったままのナイフの刃に(触れないように)指を近づけ、刀身に沿うようにして魔力を流し込む。

 他人の身体を治療するのは非常に難しい。毒の分解は諦め、体内に入った魔力を生理食塩水に変えるイメージ。とりあえず水で薄めておけば毒の効果は弱まるだろう。傷口を心臓より高くすることで出血も抑えられるはず。

 

「リディアーヌ様」

「助けるわけじゃないわ。ただ、生きていてくれたら好都合だというだけ」

 

 傷の治療までする気はない。事が終わった時点で息があったら治療してやってもいいが、尋問に使える奴が一人増えたらいいな、程度の狙いだ。命を狙ってきた相手に情けをかけるほど俺は善人じゃない。

 

 俺の隙をつこうとする暗殺メイドはノエルが阻んでくれた。

 二人の身体能力は(身体強化込みで)ほぼ互角。技術および引き出しの数では相手が上だが、チョーカーの防御が相手の決定打を許さない。魔力も有限ではあるものの、それは向こうの武器や毒薬も同じこと。

 毒薬の瓶を再度投げつけられてもノエルは慌てず籠手で叩いて払いのけ、ナイフの投擲も叩き落とす。型に捕らわれない格闘技も繰り出されたものの、徒手格闘自体は少女も素人ではない。それに素手での打撃では多少食らったところで決定打にはならない。

 

「リディアーヌ様、今のうちに離れてください」

「わかったわ。……アンナ、エマ、もうしばらく付き合ってくれる?」

「逃がすか」

 

 暴れ続ける暗殺メイドに笑って答える。

 

「逃げないわ。まだ暴れ足りないし、あなたたちの計画も潰しきれてないもの」

「リディアーヌ様、危険です」

「だから二人が守ってちょうだい。わたしも二人を守るから。そうでないと、ここに来た意味がないの」

 

 まだ混乱が収まらない。騎士団は善戦しているし、新型魔道具の威力が思ったより低いのもあって大きな被害になっていないが、怪我をした参加者もさすがにゼロとはいかないようだ。それでも見た限り死亡者、重傷者は出ていない。

 天井を見上げ、火が燃え移りかけているのを確認した俺は剣の切っ先をそちらに向けて水を放つ。何か所かに水をかけてやれば火はほぼ収まり、延焼の恐れはなくなった。

 

「……ご無理はなさらないでくださいね。絶対ですよ?」

「ええ、もちろん。自分もあなたたちも死なせたりしないから安心して」

 

 俺とアンナ、エマはひと塊になってパーティー会場を移動していく。

 程なく、手の空いていた敵の男が一人、こちらへと斬りかかってきた。エマの障壁が初撃を防ぎ、アンナの生み出した氷の針が敵を襲う。狙い違わず飛んだアンナの魔法だったが、敵の身体に到達する寸前に障壁へ阻まれて消滅してしまう。

 貴族? いや、腕輪が光っている。自動発動型の防御魔道具だ。

 

「アンナ、防御に集中して。攻撃はわたしがやるわ」

「リディアーヌ・シルヴェストル、覚悟!」

 

 向かってくる相手に対して、俺は真正面から突っ込んでいく。足のアンクレットへ魔力を流して脚力を強化。十歳の小娘には普通出せない速度で接近すると、腕輪によって筋力を強化しながら装飾剣を突き出す。

 相手は慌てず足を止めてやりすごそうとするも──その時点でもう、俺の思惑に嵌まっている。足が止まったのとほぼ同時に剣の魔石へ魔力が流れ込み、専用化の施された魔石は俺のイメージに従って魔法効果を発揮する。

 イメージしたのは刀身の伸長。

 魔法によって形成された追加の刃は敵の腹へとモロにめり込んだ。目と口を開いて悶絶するそいつにボクサーの顔面パンチをイメージした不可視の衝撃波を叩き込む。倒れたところで股間を思いっきり蹴り上げてやったが、完全に気絶しているらしく反応はなかった。

 

「これで二人。ノルマとしてはもう何人か倒しておきたいところだけど」

「……リディアーヌ様はお一人の方が強いのではないでしょうか」

「アンナ。護衛である私達がそんな事を言ってはいけません」

「そうよ。それに、わたしには目が二つしかないもの。周囲の警戒、しっかりお願いね」

 

 どうやら俺が狙われているのは間違いないようで、それからも立て続けに刺客が襲ってくる。身体能力と経験の不足している俺一人では経験豊富な刺客相手に足をすくわれかねないが、相手の攻撃はメイド二人の魔法、そして俺の身に着けている防御の魔道具が防いでくれる。

 アンナたちへの攻撃は俺の渡したチョーカーで防げるし、相手がこっちの攻撃を防ぐ手段は受け止めるか避けるかしかない。

 

 ナイフの一撃を魔法による不可視の剣閃で防御し、装飾剣で思いっきりぶん殴る。

 不可視の衝撃波で怯ませつつ切りかかり、相手が防御したところで電撃を流す。

 ロングソード並に伸ばした剣の一撃をかわされたところで、長さを槍レベルに二段強化してごすっと刺す。

 

 一応、流血は避けたものの、それ以外は容赦なくばったばったとなぎ倒した。

 完全に魔法のお陰である。魔法と魔道具の有無はやはり戦力の差に直結する。当初の混乱が収まった今、騎士ではない学園の卒業生たちですら襲撃者に対して優位に立ちまわりつつある。

 もちろん、俺たちの命を脅かしかねない武芸の技は称賛に値するし、無警戒の中で計画が行われていたらどうなっていたか恐ろしいが。

 

「残念だけど、あなたたちの計画は失敗よ」

 

 最後の悪あがきとばかりに建物自体へ火が放たれるも、俺を含めた貴族たちの魔法によって火事は未然に食い止められた。

 捕縛者数十名。

 あらかじめ医者を手配し解毒剤を用意していたこと、早急な鎮圧に成功したお陰で迅速な処置が可能だったことなどから学園の卒業生に死者はなし。

 後に歴史の分岐点と称されることになるこの事件は、俺たちの勝利で終わった。

 

 ちなみに、俺は翌日から超加速の後遺症により筋肉痛で寝込んだ。



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パーティー襲撃 裏

他者視点による「一方その頃」の話です。


「いよいよですね、旦那様」

「ああ、いよいよだ」

 

 窓の外が少しずつ暗くなり始めた頃。

 バルト伯爵は執務机の前に腰かけたまま、夫人の声に応じた。室内は人払いを行い夫妻だけになっている。防音の魔道具も起動しているので盗み聞きされる心配はない。

 齢五十を過ぎた長身の男である。若い頃に比べれば無理が利かなくなったものの、今なお鍛錬を続けているお陰か身体はまだまだ動く。頭の方はなおの事。胸には「まだ自分は現役を続ける」という強い意志がある。

 

 ようやくここまで来た。

 

 長かった。万感の思いを込めて息を吐く。煙草を吸うか祝杯を挙げたいところだが、それは「成功」の報が入ってからにしたい。

 今、学園では卒業記念パーティーが行われているはずだ。

 多くの若い貴族達が酒や料理を味わい、盛大に浮かれている。そこで予想外の出来事が起これば大きな混乱が生まれるだろう。

 

「多くの犠牲者が出る。それは騎士団の失態となり、王族への信頼低下に繋がる」

「あの子に無理をさせた王族に煮え湯を飲ませられるのですね」

「ああ」

 

 若くして亡くなった娘の顔を思い出すだけで苦い気持ちが広がる。しかし今日に限ってはどこか晴れやかな気分もあった。

 

「騎士団も勘づいて動いているようだが、問題なかろう。王城への同時襲撃を諦めてまで戦力を集中させたのだからな」

「平和ボケした無能どもにこの計画を止めることなどできないでしょうね」

 

 純血派を扇動して貴族社会に打撃を与え、現王家の地位を失墜させる。バルト伯爵が描いた計画は、簡単に言ってしまえばそういったものだ。

 主導はあくまで純血派。資金や物資、人員提供は行っているものの、こちらの名前は一切出していない。相手も使えるものは使う方針らしく必要以上に詮索してくる事はなかった。

 作戦には伯爵の私兵が数名、紛れ込んでいる。いずれも特殊訓練を受けた暗殺者であり、純血派の精鋭をも上回る戦闘力を持っている。平民なので魔法は使えないが、それ故に「あの愚か者共」の中にあっても違和感なく馴染むだろう。

 

 私兵達は普段メイドや執事として扱っていた。これは屋敷へ出入りしていても怪しまれないためだ。作戦が無事に終われば何食わぬ顔で屋敷に戻らせればいい。

 万が一、作戦が失敗したとしても自分達に追及が及ばないよう指示は全て口頭で出し、命令書の類は存在せず、私兵達を使用人としての雇用した記録も作成していない。一般の使用人が何を証言したところで証拠は出ないし、責が及ぶのは使用人頭になるだろう。

 まあ、失敗することはないだろうが。

 

 作戦にあたって様々な準備をした。

 最たる物が薬物だ。

 純血派のメンバーにも行き渡るようにある種の麻薬を提供。これは服用者に高揚感を与えて恐怖を和らげると共に潜在能力を引き出す効果がある。薬物の常習者であれば証言の正当性が低下するため、捕縛者が出た場合にも有利に働く。

 武器に塗ったり、戦闘中に敵へ振りかけるための毒も用意した。いずれも即効性のある違法な品だが、植物関係に強いバルト家であれば密造は容易い。毒は平民と貴族の力の差を埋める大きな助けになるだろう。

 食事に混ぜる毒も忘れてはいけない。少量の摂取で死ぬような毒は扱いが難しいため、いわゆる下剤の類を選んだ。武力を用いず一網打尽にできないのは残念だが、腹痛によって精神集中が乱れれば魔法の行使が難しくなる。続いて行われる襲撃を助けてくれるはずだ。

 他にも香として拡散させる毒なども用意。純血派側にはあらかじめ解毒剤を飲ませておけば被害は相手側にだけ出るという寸法だ。

 

「オーレリアの新型魔道具もある」

 

 長期間魔力を留めておける魔石とそれを用いた火球の魔道具。あれがあれば平民でも魔法を使うことができる。貴族には固有の魔法防御が備わっているため、直接魔法をぶつけたところで大きな被害は期待できないが、敵が魔法を使ったという精神的な衝撃は大きいはず。

 防御ではなくかわされるなどして魔法が会場自体にぶつかれば火事も誘発できる。いざとなれば放火も視野に入れるように入れ知恵もした。

 

(魔法封じの魔道具がもっと大量にあれば良かったのだが)

 

 首輪型のそれはオーレリアの才能をもってしても製造が難しいらしく、十に満たない数しか用意できなかった。

 荒事の場で敵に装着させるのも現実的ではないし、もしできたとしても効果に欠点がある。魔石に魔力を吸わせるという機能上、吸収速度と吸収上限が魔石の性能に依存するのだ。

 複数個を埋め込むことである程度の対応は行われているが、現状では伯爵級以上の貴族をすぐに無力化する事は不可能。戦闘中に装着してもしばらくはある程度の魔法を使えてしまう。であれば普通は真っ先に「魔道具を壊す」という行動に出るだろう。

 まあ、あれに関しては無くとも構わない。何しろかのオーレリア・グラニエ自身があの会場にいるのだから。

 

「本当に、オーレリアは親孝行な子ですね」

「ああ」

 

 しみじみと告げる夫人に、伯爵は笑顔で答えた。

 伯爵夫妻の目的は利権ではなく「現王家に打撃を与える事」そのものにある。

 彼らの娘──手塩にかけて育て、王の側室に選ばれた自慢の娘を若くして殺された恨み。それを王家への反逆によって少しでも晴らせればそれでいいのである。

 夫妻にとっては孫にあたるオーレリアは計画に快く賛同してくれた。当然だ。彼女にとっては産みの母に関する話であるし、その母が死んだ原因はオーレリアにもあるのだから。

 

「あれは身体の弱い子だったのだ」

「王家、あるいは高位貴族に召し上げられるよう、少々無理をさせましたからね」

 

 娘には幼少期から様々な投薬を行っていた。見目を整えるためや重い病気にかからないようにするため、そして何と言っても魔力を高めるために、だ。

 娘も一時期は嫌がっていたが「立派な母親になるため」と言い聞かせたら従順になった。そうして親子揃って励んだ成果が側室入りだった。親子揃って心から喜んだ。これで努力が報われたのだ、と。

 にもかかわらず、王家はあの子に無理をさせた。

 王族が目をつけるだけの容姿と魔力は確保できていたはず。それなのに母体としての更なる価値を求めて古臭い方法にまで手を出した。身体の弱いあの子にそんな事をさせれば寿命が縮まる事などわかり切っていたはずなのに、だ。

 

(許せるわけがない)

 

 結果的に娘はオーレリアという天才を産み、身をもってその才能を開花させた。

 だからと言って王族の横暴が許されるわけがない。堪えきれず直談判に出向いた事もあったが、そこで告げられたのはあの子の死について他言無用とする、という命令だった。

 加えて、オーレリアの王位継承権はく奪。

 娘が唯一残した成果。子供世代の中でも頭一つ分以上飛びぬけて優秀なはずの子を後継者から外すという選択。それは夫妻にとって愚行としか言いようがなかった。

 だから、

 

「王家は滅びなければならない」

「ええ。現陛下には無念と後悔のうちに死んでもらわなくてはなりません」

 

 代わって玉座につくのはオーレリアがいいだろう。

 過ちによって滅んだ王族を、その過ちの犠牲者が継ぐ。その夢のような光景が見られたのならもう思い残す事はない。女王の血縁となって思う存分権力を振るうなどとくだらない事はしない。息子世代がそうしたいと言うのなら勝手にそうすればいい。

 

(息子は少々、頭が固いからな)

 

 次期伯爵であるフレデリクは幼少期から姉に対して人一倍の想いを抱いていた。恋愛感情ではなかっただろうが、夫妻による愛ゆえの投薬に「可哀そうだ」とたびたび意見していた。

 娘が死んでからも夫妻を責めるような言動を繰り返していたので、今回の作戦についてはほぼ何も伝えていない。幸い、家の中を含めたある程度の差配は妻のミレーヌが握っており、彼女は現当主である伯爵に従順であったため、資金協力や私兵の黙認などの手伝いをさせた。

 宰相の娘にして第三王子の婚約者、リディアーヌ・シルヴェストルの勧誘もオーレリアとミレーヌが主導していたが、そちらは残念ながら失敗に終わってしまった。感情的で派手好きな小娘かと思えば意外と正義感が強かったらしく、パーティーに紛れ込んでまで何かを企んでいるらしい。

 だが、好都合だ。

 何の苦労もなく類稀な美貌と高い魔力を持ち、現国王でさえその美しさに見惚れた女──伯爵家にとっては目の上のたんこぶとしか言いようのなかったアデライドの娘。王家に味方する宰相の子でもあり、更には()()()()()()()()()まで抱えるあの娘も一緒に死んでしまえばいい。

 どうせ使用人に殺されかけた死にぞこないだ。ここで死んだところで何の問題もなかろう。

 と。

 

「旦那様。失礼いたします」

 

 執事が入室してきて緊急の用件を告げる。

 

「学園に対し何者かによる襲撃があったようです。詳細の確認が取れるまであまり動かれませんよう」

「ああ、わかった。引き続き情報収集と警戒にあたれ」

 

 伯爵はついでに今日の執務を終了する事を告げ、執事を退室させた。夫人が微笑み、酒とグラスを用意してくれる。

 

「少し気が早いですが、よろしいでしょう?」

「そうだな」

 

 今日のために用意しておいた上等な葡萄酒を開け、二人で乾杯する。

 そうして、ゆっくりと味わうように飲んだ一杯目が空になる頃、その報が届いた。

 

「学園への襲撃者は騎士団の尽力により無事鎮圧。生徒およびパーティーの参加者に負傷者は多数。しかし、死者は今のところ確認できていないとの事です」

「何だと!?」

 

 思わず立ち上がって真偽を確認すると、執事は目を白黒させながら首を縦に振った。彼からしたら何が気に食わなかったのかわからないだろうが、伯爵にとっては到底看過できない話だった。

 数十名の戦闘技能者を送り込み、毒をはじめとした仕込みを行い、《漆黒の魔女》が暴れてなお一人の死者も出せない? そんな事があるというのか?

 

「……馬鹿な」

 

 よろよろと椅子に座り込めば、夫人が心配するように寄り添ってくれる。

 まさか、失敗するとは。失敗した時のための備えはしてあったとはいえ、心の中ではそうならないと信じていた。こんな事なら私兵には国王の暗殺を命じれば良かったか、いや。

 首を振り、ため息を吐く。そこで伯爵は執務室に向かってくる複数の足音を聞いた。それに交じってがちゃがちゃという音。武装している者の接近に反射的に立ち上がり、傍に置いていた剣を取る。

 

「父上、このような日に酒ですか?」

「フレデリク」

 

 屋敷の警備を任せている「表の」私兵達。彼らに守られるようにして現れたのは不肖の息子だった。まるで罪人を糾弾するかのような視線を向けてくる彼を見て悟った。

 

「裏切るつもりか、フレデリク」

「そもそも協力した覚えがありません。せめて大人しく観念してください、父上、母上」

「何を観念しろと言うのか。伯爵を糾弾する以上、証拠はあるのだろうな」

「当然です。メイド達の証言を元に作成した使用人の勤務記録二か月分。使途不明金の存在を証明する書類。屋敷内および領地内の薬草管理状況とその不備の抜粋。不審な行動を取る使用人の追跡記録。ミレーヌが集めてくれました」

「馬鹿な、ミレーヌだと!?」

 

 協力的だったはずのミレーヌまで裏切っていたとは。いや、そもそも味方のフリをしていただけなのか? 決定的な証拠ではないものの積み重ねれば十分な効力を持つ。それでも、これから集め始めるのであればいくらでも誤魔化しようがあったが二か月も前からではどうしようもない。

 

「おのれ、夫婦揃って裏切りおって!」

「フレデリク、この親不孝者!」

 

 半狂乱になった夫人が嵐の魔法を発動させれば、フレデリクは慌てる事なく防御魔法を用いて自分と兵士達を守った。こうなると伯爵も自分達を守らざるを得ない。嵐が去った後には荒れた部屋と無事な人間達が残る。

 伯爵は剣を抜き、割れた窓へと身を躍らせる。

 

「あなた!」

「時間を稼げ! こうなれば私自ら国王を!」

 

 執務室は二階だったが、風の魔法を用いて無事に着地。このまま身体強化と風による補助で王城まで向かおうと考えた時、まるで伯爵の行動を読んでいたかのように兵士の別動隊が一人の貴婦人を伴って伯爵を囲んだ。

 

「ミレーヌ。フレデリクの嫁として選んでやった恩を忘れたか」

「あら、お義父様。恩を感じているからこそ、素直に身を差し出す機会を与えて差し上げているのですけれど」

 

 頭上に槍を翳され、逃げ道を断たれる。伯爵は歯噛みしながら最後の足掻きを試みるが、背後に魔法使い(ミレーヌ)が控えている以上、複数人の平民の兵は十分な力を発揮して伯爵を取り押さえた。

 両手両足を拘束、目隠しと猿轡をされて地面に押し倒される。土の味と匂いを感じながら、伯爵は号泣した。

 

 夫妻は監視付きの状態で身動きさえ取れないまま、窓の無い部屋で夜を明かした、翌日にはフレデリク・ミレーヌの要請でやってきた騎士団により正式に拘束。

 取り調べは連日にわたって続いた。

 当然、黙秘を続けたものの、騎士団の捜査は思った以上に優秀で、最終的には純血派への協力までも白日の下に晒されることとなった。

 

 ──求刑は夫婦揃っての死刑。

 

 刑が告げられた直後、伯爵の上げた怨嗟の声は牢内に響き渡った。

 

「これで終わると思うなよ! 貴様らの横暴には必ずや天罰が下る! 必ずだ!」

 

 彼らの娘が()()()()()忌まわしい肉体改造を行ったのだという事を、孫がその事を重荷にして生きてきた事を、夫妻は結局、最期まで知らなかった。



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パーティーの後始末

「牢屋に入れられた感想はいかがですか、師匠?」

 

 王城には複数の地下牢が存在している。

 囚人同士の情報共有・大脱走を防止する他、あまり公にしたくない罪人を隠したり、身分によって待遇に差をつける目的からだ。

 オーレリア・グラニエが収監されたのは最上級、貴人を幽閉するための牢だった。

 牢と言いつつも部屋は広く、中にはふかふかのベッドに高級な椅子、暇つぶし用の本棚、魔道具の清潔な水洗トイレに水の湧くポット、熱を生み出して部屋を暖める暖房器具などが用意されている。壁の一面が二重の鉄格子になっていることを除けば割と安らかに暮らせそうな空間である。

 話によると食事も三度、シェフの手による美味しい料理が出されているらしい。

 移動経路がわからないよう目隠しの上でここまで連れてこられた俺は、父や副団長と共に、捕らわれの身となった師と対面した。

 

「思ったより悪くないわ。これで魔道具の製作ができれば何も文句はないのだけれど」

 

 漆黒の髪にも艶が残っているし、瞳にも昏い感情は見られない。むしろ、どこか憑き物が落ちたような晴れやかな表情で彼女は椅子に腰かけていた。

 腕には俺の渡した魔法封じの腕輪が嵌まったまま。

 簡素ながら仕立てのいいドレスもあまり汚れている様子はない。ジゼルの時とは色んな意味で大違いである。

 とはいえ、それも当然。

 オーレリアがここに捕らえられたのは色々な思惑が重なった結果であり、ジゼルのように「はいアウトー」というわかりやすい判定によるものではないのだ。

 

「仮にも罪人なのだからもう少ししおらしくしたらどうだ、オーレリア・グラニエ」

 

 父は苦虫を嚙み潰したような顔。宰相としても俺の親としても一人の人間としても言いたいことはたくさんある、だろう。

 これに《漆黒の魔女》は肩を竦めて、

 

「今更、自分を良く見せようとは思わないわ。……それで? 宰相様に副団長様、それに我が弟子まで連れだって何の用かしら」

「まだ弟子と呼んでくださるんですね」

「貴女が先に師匠と呼んだのでしょう?」

 

 真っすぐに見つめ返されて俺は思わず苦笑する。

 

「そうですね。……まあ、これからも教えを請えるかはわかりませんが」

「私としては金輪際縁を切って欲しいところだな。貴様はあまりにも危険すぎる」

「まあ、そうでしょうね。今の私は罪人なわけだし」

 

 そう。

 オーレリアが捕らえられたのは学園襲撃の件で罪に問われたからだ。

 あれから三日。

 俺が筋肉痛で寝込んでいる間も大人たちは色々大変だったらしい。

 捕縛者への取り調べは未だ継続中。敵の多くは一種の麻薬──幻覚剤のようなものを服用しており、支離滅裂な証言を繰り返している。正気とみられる一部の者たちに至っては隙あらば自害しようとする有様で、尋問は難航中だ。

 全員が平民であったことから国は暫定的に彼らを純血派と判断。

 敵の持っていた魔道具が新型魔石を内蔵しており、かつて俺が証言した内容と一致したことからオーレリアは「危険思想集団への魔道具の提供」の容疑をかけられた。

 テロリストに武器を横流しした、と言えばわかりやすいだろう。

 ある程度敵の計画や目的を知っていた可能性もあるのだから捕縛は当然である。

 

「一方で、オーレリア様の行動が敵の一派とは一線を画していたのも事実です」

 

 と、これは副団長。

 事件の際、オーレリアが何もしていなかったことは俺も証言した。強いて言えば俺の魔道具が二つほど壊れたが、魔法封じの魔道具なんて付けられたら壊したくなるのは当然。

 何かする前に気絶したのだから何もできるはずがないわけだが、たとえそうでも襲撃時に何もしていないのは事実だ。

 また、敵に提供された魔道具の性能も引っかかる。

 敵の放った火球は会場のシャンデリアを落とし混乱を助長したものの、威力としては正直大したことがなかった。あのくらいなら一年前の俺でもほいほい撃てただろうし、落ち着いてさえいればアンナ自身の防御魔法でも防ぎきれる。

 防御用の魔道具も男爵家出身かつ荒事が苦手なアンナが相手でなければ完全防御とはいかない出来。貴族が常時発揮している魔法防御程度の効果でしかない。

 

『要するに、わざと質の低い魔道具を渡して事件を()()()()()ようにも見えるのよね』

 

 もちろん、新型故にあれが限界だった可能性もある。魔道具がなければ被害はもっと少なかっただろうし、事件が起きるよう誘導したのであればテロを手引きしたも同然だ。

 襲撃を受けた学園卒業生やその関係者の中にはオーレリアの死刑を求める声もある。

 同時に、準備を整えて待ち構えていたからこそ数十名もの捕縛者を出せたのだ、というのも疑いようのない事実。結局あの日、王城やうちの屋敷も含め、パーティー会場以外に襲われた場所はなかった。俺たちが戦ったのが主力と考えれば純血派の実行部隊は数を大きく減らしたはずだ。

 

 最初の襲撃が失敗に終わったというのも大きい。

 

 平民の集団が卒業パーティーを襲った話は既に公表済み。

 国は王都の平民街、および周辺の街を含めた大規模な捜索も検討している。今後、摘発者はさらに増えるだろう。

 

「師匠、知っていることを話してください。彼らを裏切ってまで被害を抑えてくださったのでしょう?」

 

 懇願するように問いかけると、オーレリアは目を細めてふっと笑った。

 

「そんなに大層な話じゃないわ。……ただ、面倒な弟子に振り回されただけ」

 

 俺は事件の対処における大きな功労者として扱われている。

 逃げずに敵をぶっ飛ばしまくったことや筋肉痛で倒れたことは怒られたが、それはそれとして複数人を無力化したこと、アンナたちを含む大勢を守ったことはしっかり評価されたのだ。

 残念ながら全員を捕らえられたわけではない──例えば、ノエルが戦っていたあのメイドは激戦の末に逃走してしまったらしいが、バルト家の使用人があの場にいたことも伝えた。また、戦いの後も負傷者を癒したり怯える貴族を宥めたりと協力した。

 後日、国からの褒賞も貰えるらしい。

 そんな中、俺がここへ来たのはオーレリアを説得するため。

 素直に捕まってくれたはいいものの、師は何を聞かれてもろくに答えず「リディアーヌを連れてきなさい」の一点張りだったらしい。それならまあ、俺の言葉なら素直に聞くかも、ということで呼ばれたのだ。

 まあ、どう説得するかのプランなんて全くなかったのだが……どうやら役に立てたようだ。

 

「私が平民に流した魔道具には全て場所を追跡するための仕掛けが施されているわ」

「え。なんですかそれ、どうやって……?」

「頭を使いなさい。極小の魔石を内部に埋め込んだだけよ。私の魔力に反応して応答する魔法を組み込んだ上でね」

 

 魔道具側が反応するように細工しておけば、魔力を広範囲に巡らせてやるだけで範囲内の魔道具を感知できる。『簡単に言うけど超高等技術よね、それ。並外れた魔力量と操作技術がないと成立しないでしょうし』。まさにオーレリア・グラニエにしかできない細工だ。

 しかし、この話は朗報。

 

「じゃあ、師匠?」

「ええ。望むなら捜査に協力してもいいわ。……ただし、私をここから解放する必要があるけれど、ね」

 

 これによってオーレリア・グラニエの処遇は大きく変わることになった。

 

 

   ◆    ◆    ◆

 

 

「オーレリア。立派な魔法使いになって、みんなをあっと驚かせるような魔法をたくさん発明してね」

 

 オーレリアは幼い頃から母の期待と愛情を受けて育った。

 立派な魔法使いになる。

 その未来を嫌だと思ったことはなかった。母からことあるごとに「貴女には魔法の才能がある」と言われていたし、母のことは大好きだったからだ。

 何より、時折母が使って見せてくれる魔法がとても綺麗で、自分もこんな風に魔法を使ってみたいと心から憧れていた。

 

「私の魔法なんて大したことないのだけれど」

「じゃあ、私が立派な魔法使いになって、お母様にもっと凄い魔法を見せてあげる!」

「あら、それは楽しみね」

 

 そんな時間がずっと続くと思っていた。

 幸せな時間が唐突に崩れたのは、母の命がもう長くないのだと偶然耳にしてしまった時だ。

 もともと母は身体が丈夫な方ではなかった。頻繁に体調を崩しては寝込んでおり、一緒に遊べる時間は多くなかった。それでもベッドの傍で話をしたり頭を撫でてもらったりしていたので寂しくはなかった。

 なのに。

 

「お母様は重いご病気なのですか?」

「……ええ。ごめんなさい、貴女が学園を卒業するまではとてももちそうにないの」

 

 本人に直接問いただし、肯定された時は目の前が真っ暗になりそうだった。母に魔法を見せる。それを夢見て生きてきたのに、その夢は一生叶わないと言われてしまったのだ。これから何を目指せばいいのかわからなくなりそうだった。

 だから、オーレリアは夢を前倒しすることにした。

 

「なら、私が魔法でお母様を治します」

 

 宣言した時、母は目を丸くした。それからどこか切なそうな笑顔を浮かべて「ありがとう」と言った。

 母の悲しい顔は見たくない。だから、オーレリアはその日から母に合う度に魔法の真似事をするようになった。

 魔法の基礎理論は勉強済みだった。母の元気になった姿をイメージすることにかけては誰にも負けない。だから、魔力の感知なんて全くできていなかったが、そんなことは気にせず何度も念じた。

 悠長に成長を待っていたら間に合わなかったから、万に一つの奇跡に賭けた。

 

 ──そしてある日、奇跡は起こった。

 

 手のひらから光が溢れ、母へと吸い込まれていく。それはとても幻想的な光景で、自分の中から何かの力が送り込まれていく感覚に「これならきっと治せる」と胸が躍った。

 だからオーレリアは初めての感覚に全く逆らうことなく、むしろ力を大きく注ぎ込んだ。並の王族を遥かに上回る大量の魔力を、余すことなく。

 

「……あ」

 

 気づいた時には手遅れだった。

 魔法の開花に驚いていた母は丸く見開いていた瞳をさらに大きく見開くと激しく咳き込んだ。口からはべっとりと大量の血が噴き出し、様子を見守っていたメイドが悲鳴と共に人を呼ぶ。驚愕と共に集中が途切れ、魔法が止む。

 治すためにやっていたのに。

 必死に縋りつき母を呼ぶ。すると、母の手がオーレリアの黒い髪を優しく撫でた。

 

「ありがとう、オーレリア。よくできたわね」

 

 掠れた声。息も荒い。直感的に「もう駄目なのだ」と悟った。涙が溢れ、後悔が胸を揺さぶる。

 しかし、母は最期まで笑顔を作って、

 

「あなたの素敵な魔法が見られて良かった。これからもきっと、勉強を続けてね」

 

 それから半日と経たないうちにオーレリアの母はこの世を去った。

 奇しくも公務により外出中だった国王は側室の死に目に立ち会うことはなかった。しかし、妻の亡骸の前に跪き、冷たくなった手を取り涙を流す父の、君主の姿は目に焼き付いた。

 ああ、母は愛されていたのだ。

 最後の救いのような感情が胸に生まれる。しかしそれはその後、オーレリアが置かれた境遇のせいで暗い感情へと変わってしまった。

 母殺しの王女という汚名。故意に殺したのではないかという陰口、母に関する多種多様な悪口、この国において特異な黒髪黒目に対する「気味が悪い」という心ない声。

 国王はこの件についてオーレリアの王位継承権はく奪という処分を決定。それまで名乗っていた姓を奪われ、代わりに与えられたのは宮廷魔法長の持つグラニエ姓。どうせ姓が変わるのなら母の旧姓であるバルトを名乗りたいと申し出たが承認されることはなかった。

 

 《漆黒の魔女》。

 

 魔法によって母を殺した形ばかりの王女は華やかな将来も、輝かしい栄光も奪われた。彼女に残っているのは魔法の才能と、母からの遺言だけだった。

 だから、オーレリアは魔法以外のあらゆるものを捨てた。

 食事も、勉強も、睡眠でさえも魔法を極めるためのものと位置づけ、一時も上達を諦めなかった。他の人間の何倍もの──否、桁違いの努力をし、あっという間に国内最高峰の魔法の使い手へと上り詰めた。宮廷魔法士への内定を受け、その才能を称賛する者も増えてきたが、それでもなお足りない。

 過去に類を見ない実績を打ち立てなければ母の願いには、母を殺してしまった罪には届かない。

 ありとあらゆる方法で上を目指した。人との関わりは最小限に抑え、自分にとって有益なものだけに。成長するごとに顕著となった美貌を求めて声をかけてくる男もいたが、魔法の役に立たないので相手にはしなかった。

 

 弟子を取るなど論外。

 

 何人もの志願者に問いを投げかけ適性を見たが、面白いと思える者は一人もいなかった。ならば弟子を取る意味などない。教育によって無駄になる時間以上の利が得られなければただの無駄だ。

 きっと、この世には自分の理解者などいないだろう。

 純粋な願いはいつしか呪いとなり、真っすぐな意志は先鋭化した。そうして学園に入学し、周りのレベルの低さにうんざりしながら一年半ほどの時を過ごした時、その少女の名が唐突に浮かび上がってきた。

 リディアーヌ・シルヴェストル。

 黒く暗いオーレリアの容姿とは対照的な、そこにいるだけで周囲を照らすような紅の美貌。たった八歳にしてオーレリアを「面白い」と思わせたその少女は、気づけば弟子としてオーレリアの世話を焼き、軽口を叩き合うようになっていた。

 

 リディアーヌは自重しない。何も捨てない。(リオネル)の婚約者としての地位を守りながら不遜なまでの態度を貫き、多方面に喧嘩を売りながら好みの人物を拾い上げる。オーレリアとは何もかもが違う、なのに魔法に関しては妙に意見が合う。こんな相手は初めだった。

 だからなのだろう。

 人付き合いに関して大雑把で、喧嘩となれば暴力を辞さないくせに()()()()()この少女が、自分のやっている()()()()を知ったらどうなるのか興味を持ってしまった。

 

 それさえなければきっと、あのまま自分の道を進めていたはずなのに。

 オーレリアは「このままこの子と一緒に遊んでいたい」と分不相応な願いを抱いてしまったのだ。



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魔女への罰と新しい関係

「オーレリアに対する此度の罰を言い渡す」

 

 王城、謁見の間。

 王妃、宰相、リオネルを含む王族たち、その他貴族が見守る中、オーレリアは黒のドレスを纏い、恭しく跪き頭を垂れたままで自らの父──国王の決定を受け入れた。

 俺は余所行きのドレスを纏い、師のやや後方に跪きながらそれを見ていた。

 

「まず、グラニエ宮廷魔法士長による後見の終了。宮廷魔法士への内定の取り消し。大金貨千枚の罰金。加えて向こう三年間、騎士団の捜査への無償協力および王家からの魔道具製作依頼に可能な限り尽力する事。以上である」

「寛大なるご処置、心より感謝致します。全ての項目について異論はございません。ご迷惑をおかけした皆様に対して心よりお詫び申し上げると共に、誠心誠意、治安維持のために尽くさせていただく所存です」

 

 読み上げられた罪状については一部からざわめきが上がったものの、王の決定に異を唱える者はいなかった。

 この決定によってオーレリアはより一層の苦境に立たされる。

 宮廷魔法士長という強い後ろ盾の喪失。大金貨千枚という高額の罰金(大金貨一枚はざっくり言って十万円の価値。つまり日本円換算で一億)。さらに三年もこき使われる上、今後の収入元になるはずだった宮廷魔法士の職には就くことができない。

 並の貴族なら──というか、公爵令嬢である俺でも両親の助けが借りられなかったらほぼ詰む。そして当然、王家はこの罰金を肩代わりしない。

 

 加えて、オーレリアにとって母方の実家であるバルト家は純血派に協力したとして処分が決定している。

 俺たちが戦ったあのメイド以外にもバルト家の使用人が交ざっていたこと、敵の使用していた薬物の多くを伯爵家が提供したことが判明したせいだ。

 現伯爵と伯爵夫人(オーレリアの祖父母)はこれに関して事実無根だと主張したものの、息子フレデリクと妻ミレーヌの提出した証拠により死刑が確定。新たに当主となる息子夫妻にも罰金が科せられている。とても経済的に頼れる状態ではない。

 

 もはや死刑宣告にも等しいが、それでも「反逆者を裏で助けていた人間」の罪としては軽い。

 俺一人を殺しかけただけのジゼルでさえ死刑確定だったのだ。本来なら殺されていて当然。

 

 減刑が行われた理由は罪状発表の前に行われたやりとりにある。

 国王は先の卒業記念パーティー襲撃の経緯と概要を説明する中でこう宣言したのだ。

 

「オーレリアにはかねてより極秘の命令を下していた。それは囮としてかの犯罪集団へと接触し、その作戦を失敗へと誘導する事である」

 

 オーレリアはスパイとして動いていた()()()()()()()()のである。

 魔道具の提供は敵に取り入るため。

 敵の作戦予定をほぼ確定できたのも内部からの情報操作のお陰。

 国の味方だったからこそ敵に渡った魔道具は威力が抑えられていたのだ、ということになれば話は色々と変わってくる。

 貴族の死者が出なかったからこそできる後付けだ。

 

「事件の犯人は純血派を名乗る過激な思想集団である。なかなか尻尾を掴むことができなかった奴らに一矢報いた上、一網打尽にするための楔まで打ち込めたのはひとえにオーレリアの尽力あってこそのもの。……とはいえ、魔道具の提供および敵の扇動において失策があったのも事実。此度の騒動は王家にも責任の一端がある故、可能な限り寛大な処置とする」

 

 新型魔道具によって被害は増えたし、演技が過剰すぎて騎士団まで混乱させてしまった。もう少し上手く立ち回れたはずだという点。元はと言えば王家が命じた仕事だという点も踏まえ、罪と功績を差し引きした結果が先の罰なのである。

 命は助かったとはいえ十分にきつい罰。

 オーレリア許すまじ、と燃えていた貴族たちもこうなるとあまり強く出られない。

 

「オーレリアはこれまでグラニエ姓を名乗っていたものの、籍は王族のままであった。しかし、今回の失態を鑑み、王家から正式に追放とする。新しい身元引受人としては幸いにもルフォール侯爵家が名乗り出てくれた」

 

 俺の隣で跪いていた銀髪の女性が頭を下げる。ルフォール侯爵夫人──ヴァイオレットの母親は娘に似てどこか儚げな印象のある美女だった。

 

「ルフォール侯爵家」

「中立のルフォール──ここぞとばかりに王家に貢献するつもりか」

「果たして本当に中立を維持するつもりなのでしょうか。次女のヴァイオレット様はシルヴェストル公爵家との結びつきを強めている噂ですし……」

「シルヴェストル公爵家。第三王子派か」

 

 貴族たちのひそひそ声。普通なら聞こえない声量なのだろうが、魔法で聴覚強化中の俺にははっきりと聞き取れた。

 話されている内容は割と初耳である。ヴァイオレットとは例のお茶会で会ったし、その後麦茶の作り方を教えに来てもらい仲良くなったが、家というより俺個人との交流に過ぎない。

 婚約者である俺が第三王子派に属するのは仕方ないとして、うちの両親やアラン、シャルロットは別にリオネル推しというわけではない。セレスティーヌあたりに聞いたら「王家にお仕えしているのであって王族の勢力争いに強く関わるつもりはない」とか答えるだろう。

 

「正式な書面については追って締結する事になるが、今この時より公的な扱いはオーレリア・グラニエではなくオーレリア・ルフォールとする」

「陛下の御心のままに」

 

 今まではまがりなりにも王族であったオーレリアは貴族に格下げ、ルフォール侯爵家の養女として生きることになる。

 継承権はなかったんだし大差ないのでは? という話もあるが、何かの拍子に継承権が返還されることはなくなるし、オーレリアの子も王族としては扱われなくなる。継承争いに関する発言権も低下するのでパワーバランスへの影響は意外と大きいかもしれない。

 

「さて。それでは他の功労者にも褒賞を与えるとしよう」

 

 副団長を複数人が一人ずつ名前を呼ばれ、望みの褒美を答えていく。その中には俺も含まれていた。

 

『オーレリアさまへの減刑、っていうのも考えなくはなかったんだけど』

 

 もしかすると読まれていたのか、嘆願するまでもなく命は助かったのでボツに。

 ここで「《紅蓮の魔女》のあだ名を禁止してください」とか頼んだら受理してもらえるんだろうか、とアホなことを考えつつ、俺は無難な望みを口にした。

 

「儀礼用の装飾剣を一振り用立てていただけないでしょうか。わたしが成長した時のために成人用の寸法で、刃は入っていなくて構いませんが、刀身には十分な耐久性を与え頂きたく存じます」

「ほう。宝石でも現金でもなく剣を強請るか。さすが、殺し屋を相手に切り結ぼうとするお転婆娘よ。よかろう。とっておきの剣を贈る事を約束する」

「有難き幸せ」

 

 高額過ぎたりはしないし儀礼用なら殺傷能力もないし、現金を要求するより茶目っ気があると思ったのだが、令嬢の希望する物ではないせいか思った以上の反響だった。

 後でリオネルからも「父上から剣を貰うなんてずるいぞ」と言われる始末で、仕方なく来年の誕生日プレゼントは剣にすると約束する羽目に。

 

 

 

 

「というわけで、リディアーヌ様。オーレリア様──いえ、我が娘オーレリアを公爵家で雇用していただけないでしょうか」

 

 謁見の終了から一、二時間後。

 謁見の間を後にしてからリオネルの部屋に寄ったり、父から「剣術はできるだけ控えるように」と小言をもらったりして時間を潰した後、両親と共に移動した応接間にはルフォール侯爵夫人とオーレリア──オーレリア・ルフォールの姿があった。

 俺たちが時間を潰している間に養子縁組の契約は無事交わされたそうで、これでオーレリアは名実ともに侯爵令嬢となった。

 

「これからはわたしの方が立場が上ですね、師匠?」

 

 場を和ませようと悪戯っぽく微笑みかけると、師は特に動揺した様子もなく笑顔で応じて、

 

「ええ。目下の者として失礼の無いよう努めさせていただきます。どうか今後ともよろしくお願い致しますね、リディアーヌ様?」

「……申し訳ありません。オーレリアさまに敬語を使われても違和感が大きいので、今まで通りに話していただけないでしょうか」

「あら、残念」

 

 やっぱり挑発の類でこの人に勝つのは無理な気がする。ともあれ、師がこれまでと変わらないノリであることにほっと安堵したところで、オーレリアの保護者となったルフォール侯爵夫人が切り出してきたのがさっきの台詞である。

 意外な申し出に俺は一瞬硬直して、

 

「師匠。我が家に借金返済を手伝わせるおつもりですか?」

 

 ジト目で睨めば、黒髪黒目の変人美女はふんと笑った。

 

「失礼な事を言わないでくれるかしら? 大金貨一千枚ならもう払ったわ」

「どうして個人でそんなお金をぽんと動かせるんですか」

「今まで魔道具製作の依頼を飽きるほど受けていたからに決まっているでしょう」

 

 あらためて魔道具の高さを実感させられる話だった。まあ、さすがに彼女の財布も空に近いはずだが、タダ働きなのは「騎士団への捜査協力」だけである。王家からの魔道具発注についてはちゃんと代金が支払われるはずなので、案外生活には困らないかもしれない。

 と、ここで父が咳払い。

 話を引き戻した宰相閣下は侯爵夫人を見据えて尋ねた。

 

「雇用、とは具体的にどのような形式をご希望ですか?」

「雇用形態はそちらの都合に沿っていただいて構いません。給金についても常識の範囲内であれば贅沢は申しません。……強いて一つ希望を申し上げるとすれば、住み込みで雇用していただきたい、という程度です」

「ルフォール侯爵家はオーレリア様の監督責任を放棄なさると?」

 

 と、これはセレスティーヌ。侯爵夫人はおっとりと微笑んでこれを否定する。

 

「いいえ。オーレリアが今後問題を起こした場合、当家が責任を負うのは当然です。我々がお願いしたいのは彼女の監督ではなく、精神的な支えとなっていただくこと」

「支え」

「ええ」

 

 困ったものだ、というように頬へ手を置く侯爵夫人。

 

「実は、事前に話し合った際、オーレリアから心境を告白されまして」

「なにを言ったのですか、師匠?」

「別に大したことじゃないわ。私はリディアーヌ・シルヴェストル以外の人間を信用しない、と言っただけよ」

 

 ああ、なるほど。そういうことか。

 人嫌いのオーレリアらしい話だ。唯一信用された俺は物凄く大変だが……って!?

 

「わたしですか……!?」

「他に誰がいるのかしら」

 

 どうやらこれは冗談ではないらしい。くすりと笑って見せたオーレリアだが、その瞳の奥にこちらをからかう様子は見られない。

 綺麗な漆黒の瞳に目を奪われる。

 

「はっきり言うわ。私が()()()()()のはリディアーヌ、貴女がいたからよ。そうでなければ私はパーティー会場を火の海に変えていたでしょう」

「実際、あなたなら可能でしょうが……はっきり言い過ぎではないでしょうか。わたしはそこまで大層なことをしていませんよ」

「客観的に見てどうかなんて関係ないでしょう? 事実、貴女の言葉が私の心を動かした。それだけの話」

「それは……嬉しいお話ですね」

 

 頬が熱い。愛の告白でもされたみたいに鼓動が早くなっている。正直、俺は自分の言葉でオーレリアを動かせたとは思っていなかった。けれど、俺の言ったことはきちんと伝わっていたらしい。

 伝わったからこそ、こうしてまた話ができる。

 《紅蓮の魔女》は師の役に立てた。俺は胸が熱くなるのを感じながら深く息を吐いて、

 

「新型魔道具の件も極力、被害を減らしてくださったのでしょう?」

「まあ、ね。機能こそ画期的であれ、性能が伴っていないのでは積極的に利用しようとする者は少なくなる。ましてお披露目に失敗したとなれば悪い印象は拭えないでしょう」

 

 新型魔道具は欠陥品、という評価がしばらくは残る。

 当然、中には有用性を見出して研究する者もいるだろうが、現物の何割かは既に王家が回収しているし、もしサンプルを手に入れられたとしてもリバースエンジニアリングできるのは効果の低い未完成品だけ。

 結局、実用に足る形で魔道具を完成させられるのは一部の秀才・天才ということになる。

 新型は製作期間・製作費共に従来のものを上回るため、量産はさらに難しい。王家が対策を打つだけの時間は十分に取ることができるだろう。

 

 そして、王家は新型魔道具の開発者へ恩を着せると共に、三年間の優先的依頼権を獲得している。

 新型魔道具の開発競争において我が国は圧倒的な有利にあるということだ。この状況を作り出すためにも国はオーレリアを死刑にするわけにはいかなかった。

 表向きは死刑にした上で一生飼い殺し、とかにしなかったのは反乱防止とせめてもの親心だろう。

 

「貴女としては不服でしょうけど」

「……まあ、仕方ありません。いずれ誰かが開発したでしょうし、最悪の結果でないだけ良しとします」

 

 新型魔道具が広まるというのなら仕方ない。

 今後、魔道具による戦争が起こるであろう世界。戦火の拡大が約束される中で、俺は敢えて「個の力」を磨き続けよう。

 道具がなければ魔法も使えないような雑兵も、魔力を大量に用意してようやく起動できる魔道兵器も怖くなどない。真に恐ろしいのは突出した才能を持つ人間そのものだと身をもって広めてやる。無駄な争いに興じれば《紅蓮の魔女》に目をつけられる。そんな噂が流れるようになれば争いが起こるのは抑えられるだろう。

 ここで、オーレリアはふっと笑って、歳相応の柔らかな表情になる。

 

「私と話が合うのは貴女くらいなのよ、リディアーヌ。だから、貴女の傍にいる事を許してくれないかしら? 貴女が望むなら子守歌でも夜伽でも何でもするわ」

「師匠」

 

 例とした挙げた内容がふざけている感ありありだが、俺の傍にいたいという気持ち自体に嘘はなさそうだ。

 俺に近づくだけなら他にいくらでも方法があったはずだし、見た目穏やかそうな貴族女性は狡猾、というセレスティーヌから学んだ法則に基づくとルフォール侯爵夫人はなかなかの食わせ物と思われる。

 

「夜伽も子守歌もいりませんが、わかりました」

 

 俺が苦笑しながら言うと、両親がそれぞれに反応する。

 

「……リディアーヌが望むのなら仕方あるまい。だが、雇用契約を結ぶ以上は楽をさせるつもりはないぞ」

「そうですね。向こう三年は騎士団への協力もあるようですし、忙しく働いていただく事になるでしょう。職務としてはリディアーヌへの魔法教師、および専属メイド見習い、といったところでしょうか」

 

 元王族がメイドとは豪快な話もあったものである。自分の着替えですら面倒臭がる人間が本当にそれでいいのかと思ってしまうが、当の本人は嬉しそうに頷いてみせる。

 

「いいわ。メイドの役目、しっかりと務めてあげる」

 

 こうして、俺にとって二人目の専属メイドとしてオーレリア・ルフォールが我が家へとやってくることになった。

 どうしてこうなったのかはわからないが、悪くない結果だ。

 

「これからはもう少し、教師の方も熱心にお願いしますね」

「主人の命令とあらば仕方ないわね。善処してあげる」

 

 師との馬鹿な会話を繰り広げながら、俺は願う。彼女が今後、悪いことに手を染めないことを。この世界から悪役令嬢なんていう存在が一人でも減ることを。

 そのためには、まだまだカウンター悪役令嬢を続ける必要がありそうだ。




第二部完。
例によって閑話がいくつか続きます。
その後は、書き溜めがさすがに減ってきたので数日置いてから第三部に移りたいと思います。
第三部は兄と妹の出番を増やしつつ、もう少しのんびりした話になる予定。

そろそろ登場人物一覧も用意した方が良い気がしてきました。


【余談】

オーレリア・グラニエは「もしこの世界が乙女ゲー原作だった場合、原作ゲーム時空において黒幕として暗躍しているキャラ」という想定で設定しました。
原作ゲーム時空ではリディアーヌが記憶を思い出していないのでテロは成功し、オーレリアは密かに暗躍するラスボス扱い。
リディアーヌはゲーム主人公をいじめる悪役令嬢として登場。アランですら妹の愚行を半ば諦めており、リオネルとはシャルロットが婚約しているというイメージです。


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閑話
銀の妖精は麦茶と共にやってきた


「お招きありがとうございます、リディアーヌ様」

 

 冬の初めへと差し掛かったある日、ヴァイオレット・ルフォールはメイドの他に家の料理人を一人連れて我が家へとやってきた。

 白を基調とした長袖長スカートのドレスが清楚かつ神秘的な銀髪と見事に調和している。カーテシーも様になっており、侯爵令嬢というのは伊達ではないと教えてくれる。これで数か月とはいえ年下なのだから、俺もまだまだ頑張らなくてはならない。

 

「お忙しい中、わざわざお越しいただいて申し訳ありません。……ですが、正直なところ今日この日を待ちわびておりました」

 

 何と言っても麦茶である。ウーロン茶相当の青茶も美味しいが、お茶の種類はいくらあっても困らない。しかも麦茶なら自宅で作れるのだ。是非我が家の使用人にも作り方を覚えてもらい、麦茶を常備できるようにしたいところである。

 歓喜の色を隠しきれない、というか隠しきる気がないままに言えば、ヴァイオレットはその瞳をかすかに揺らめかせながら控えめに微笑んだ。

 

「私もリディアーヌ様にまたお会いしたいと思っておりました」

 

 ひょっとすると欲望丸出しすぎて呆れられたのだろうか。頭の回る貴族令嬢なら「よっぽど麦茶が飲みたかったのですね」とか言わない。本当に言いたいことを堪えて当たり障りのない言葉に切り替えられるとか、ヴァイオレットは俺より一枚も二枚も上手なのかもしれない。

 

『っていうか浮かれすぎじゃないの、わたし?』

 

 そう言われても楽しいのだから仕方ない。ヴァイオレットはどうやらオーレリアおよび新型魔道具、純血派関係の話に関わっていない。気を張って情報収集しなくても問題ないし、何より麦茶である。

 

『いや、この子の見た目にもやられてるでしょ、絶対』

 

 それに関してはないとは言えない。何しろヴァイオレットは絶世の美少女だ。

 俺だって客観的な美貌では負けていないつもりだが、自慢である髪と瞳はいかにも気が強そうに見えるので見る人を選ぶ。その上、実際に気が強いと来ているのだから「可愛いけど女の子としてはちょっと……」となる。

 義妹のシャルロットもいかにも貴族令嬢といった可憐な容姿に大人しそうな物腰とポイントが高いが、ヴァイオレットはそこに儚げで神秘的な雰囲気まで加わる。

 前世で女にさんざんな目に遭わされてきた俺だが、だからといって同性愛に走るところまではいかなかった。可愛い女の子は大好きだし、対立することなくその姿を眺めている分には可愛い女の子というのは最強の生き物だ。

 可愛いからこそ裏切られた時に辛いのだが。

 

「……それから、先日は『お願い』を聞いていただきありがとうございました」

 

 距離を詰めて囁くように言えば、少女もまた声をひそめて応じてくれる。

 

「大した事ではありません。祖父へ一通手紙を書いただけですから」

 

 実は、ヴァイオレットの祖父は()()()()()()()()()()。その祖父が可愛い孫娘から「卒業式に友人を呼んで欲しい」と頼まれたらどうなるか。さほど無理のない人選であれば応じてくれるだろう。つまりそういうことである。

 俺たちは不思議そうにする使用人たちをよそに距離を戻して、

 

「では、リディアーヌ様。麦茶の作り方は使用人を通じてお伝えいたします」

「ありがとうございます。エマ、お客様を案内してくれるかしら?」

「かしこまりました。……では、こちらへどうぞ」

 

 メイドが二人と料理人が一人、エマに案内されて厨房の方へと移動していく。

 残ったのはヴァイオレットと、その専属であろう一人のメイドだ。

 

「終わるまで、わたしたちはのんびり待つといたしましょうか。ヴァイオレットさま? わたしの部屋へご案内してもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんです。よろしくお願いいたします」

 

 ヴァイオレットを屋敷内へ招き入れると、玄関でセレスティーヌが待っていた。

 

「お久しぶりですね、ヴァイオレット様。この度はリディアーヌの我が儘に付き合わせてしまい、申し訳ありません」

「ご無沙汰しております、セレスティーヌ様。とんでもございません。私の方からお願いしたようなものですので、どうかお気遣いなく」

 

 短い挨拶の後、養母はすぐに俺たちを見送ってくれた。

 さすが、モレ伯爵夫妻のようにみっともないことはしない。本人が同席せずとも要件を満たせるようになっているのか。

 今日も俺の傍にはアンナとエマがいる。専属であり一年以上の付き合いになるアンナならある程度は庇ってくれるだろうが、あくまで家に仕えているだけのエマは尋ねられれば一部始終を答えるだろう。

 それはそれで構わない。

 やましいことをする気はないし、エマならば報告に嘘や誇張を混ぜはしない。

 

「私の母とセレスティーヌ様は旧知の間柄で、時々一緒にお茶をしていらっしゃるのですよ」

「そうだったのですね。では、ヴァイオレットさまも養母(はは)と面識が?」

「はい。何度かお話をさせていただいた事がございます」

 

 相変わらず広く入り組んでいる公爵家の廊下を歩きながら雑談に興じる。

 ヴァイオレットは内装や調度に時折目をやりつつも姿勢を崩していない。これも、気にしていないわけではなく「さりげなく観察」されているはずだ。俺は人の家に行った時、割ときょろきょろ見てしまう。もちろん、仕草としては上品になるよう心掛けているが。

 

「お話ですか。わたしの悪口を言っていたのではありませんか?」

「? いいえ。セレスティーヌ様は『公爵家の名に恥じない立派な娘に育った』とリディアーヌ様を褒めていらっしゃいました」

『は? なにそれ? 別の人の話じゃなくて?』

 

 予想外すぎるフレーズに声まで出そうになった。

 しかし、考えてみるとおかしくはない。身内なのだから対外的には褒める。敢えて貶めるのは褒め過ぎにならないようバランスを取ったり、実態とはズレた印象を与えたい時など限られた状況だけでいいのだ。

 俺だって改心してからは結構頑張ってきた。それなのに「あの子はだめだ」とか外へ言いふらされたら『あっそう。じゃあ今度は能動的に反抗期へ突入しようかしら?』となる。

 

「厳しい養母が褒めてくださっているとは少々意外ですが、そうとわかればより一層精進しなくてはいけませんね」

 

 俺の私室へ到着すると向かい合って席につく。

 すぐにお茶の用意が行われ、湯気の立つ紅茶が供される。本日のお茶請けはチーズケーキ、皿へこんもり盛られた干しぶどう、一口サイズのポテトコロッケの三種類である。コロッケはまだ温かく、手を使わず食べられるようにピックが付属している。

 いくら公爵家が裕福と言っても今回のおやつはかなり豪華だ。ケーキなんてホールで用意されていて「好きなだけ切り分けます」という態勢だった。こんなの絶対太るだろうと思いつつ八分の一くらいだけ皿へ載せてもらうと、ヴァイオレットも同じようにした。

 

「わたしはあまり太りたくないだけですので、お好きなだけ召し上がっていいのですよ?」

「ありがとうございます。私はあまり食が太くないもので、ケーキを食べすぎては他のお茶請けが食べられなくなってしまうのです」

「色々な物を少しずついただくのも楽しいですものね」

 

 前世でもバイキングとかかなりテンションが上がった。幸いというか、あの手の食事形式はパーティーでよく採用されるため今世では出会う機会が多い。あまり食べ過ぎるとドレスがきつくなったりするので注意が必要だが、今はまだコルセットでないだけマシ。

 つくづくあの悪魔のアイテムだけは流行から排除したい。

 メイドによる毒見を挟みつつ飲み物と食べ物へ口をつけて、ひと息。

 

「リディアーヌ様のお部屋は落ち着いた雰囲気なのですね」

 

 室内を見渡したヴァイオレットが思わず、といった様子で言葉をこぼした。

 

「わたしの生母──アデライドが設えてくだったものなのです。セレスティーヌさまの好みからは外れていますので不思議に思えるかもしれません」

「アデライド様は赤と黒を好んでいらしたと伺ったことがあります」

「ええ」

 

 微笑んで頷きながら、不思議な人だったとあらためて思う。

 存命だった頃は俺も小さかったのであまり気にしていなかったが、小さい子供、しかも女の子の部屋を整えるのに敢えて黒を選んだのはなかなか気合いが入っている。王家が尊ぶ色という意味でも白ベースに金装飾とした方が無難だろうに。

 学園の制服が黒であるように、俺の魔法の才を考慮した願掛け的な意味だったのか。それとも単に好きな色を貫き通した頑固者だったのか。火属性らしい性格はそういうところに現れていたのかもしれない。

 

「わたしもこの部屋は好んでおります。女らしくない、などと言われてしまうのはそのせいかもしれませんが」

「いいえ、私は、リディアーヌ様はとても女性らしい方だと思います」

 

 ヴァイオレットの美しい瞳にまた吸い込まれそうになる。光の加減なのか、彼女の瞳は時折色合いが変わって見える。それがまた不思議で、ついいつまでも見えていたくなる。

 無言でじっと見つめてしまってから、俺は少女がほんのり頬を染めていることに気づいた。

 

「あの、申し訳ありません。わたしのことばかりお話してしまいまして」

 

 すると、ヴァイオレットはくすりと控えめに笑みをこぼして、

 

「構いません。むしろ、もっと聞かせてください。リディアーヌ様のお話が聞きたいです」

「そうですか? それでは……」

 

 俺は自分のことを話すのが得意ではない。何を話していいかわからない、というか、調子に乗るとどうでもいいことをぺらぺらと喋り続けてしまうからだ。

 せめて自慢話にはならないように気を付けながら話し始めると、思ったよりもスムーズに話が運んだ。もちろん、俺の話術が急に上がったわけではなく、ヴァイオレットが聞き上手だったからだ。

 少女は適度に相槌を打ち、問いを投げかけながら俺の話に瞳を輝かせ、感嘆の息を漏らした。くすくすと笑ったり不思議そうに首を傾げたり、控えめな仕草は一環しているのにころころと表情が変わって面白い。

 

「……どうして、ヴァイオレットさまのことを一年も知らなかったのでしょう」

 

 データとして知らなかったわけではない。ただ、これだけ印象的な少女のことをまともに認識していなかったのはかなり不思議だ。

 すると、少女はじっと俺を見つめて、

 

「それは、私がリディアーヌ様の注意を惹かないようにしていたからです」

「注意を?」

 

 目立たない様にしていた、ということだろうか。

 俺の思考を読み取ったかのようにこくん、と首肯が返ってきて、

 

「私はずっと、リディアーヌ様の事を見ていました。その上で、リディアーヌ様に見つからないように振る舞っていました」

「どうして?」

「見ているだけで十分だと思ったからです。直接お話をしてしまうと、私の行動でリディアーヌ様の表情が変わってしまいますから」

 

 わかるようなわからないような話。

 野鳥や野良猫を見守るような感じ、あるいは精巧な細工物を鑑賞するな感じだろうか。触れたら均衡が崩れたり、あるいは傷つけてしまうかもしれないから、ただ自分が影響を与えない範囲から見守り続ける。

 しかし、そんなヴァイオレットは今、俺に接触している。

 

「あのお茶会でお会いしたからですか?」

「はい」

 

 小さく頷く仕草も可愛らしい。

 

「一度、直接お会いしてしまったら、またお会いしたくなってしまいました。自分の気持ちさえままならない弱い自分が悔しいです」

「……その、少し照れてしまいますね」

 

 妖精のような容姿と声で言われるとすんなり心に響いてどうしようもなくなる。

 思えば口説き文句(のような台詞)を俺に言ってくれるのは女子ばかりのような気がする。なお、リオネルのあれは口説き文句とは認めないものとする。

 今度は自分の頬が赤くなるのを感じながら俺は話題を方向転換した。

 

「ヴァイオレット様。麦茶の製法を教えていただいたお礼をしたいのですが、なにかご希望はございますか? なにしろ製法ですから、ドレスでも装飾品でも、大抵の品はご用意させていただくつもりなのですが」

 

 すると、ヴァイオレットは一瞬目を瞬かせて、

 

「……リディアーヌ様のドレス」

「え?」

「いえ。その、モレ家のサラ様がリディアーヌ様のお下がりをいただいた、という話を耳にしまして。私も彼女のように親しいお付き合いをさせていただきたいと」

 

 どうやら俺と友達になりたい、ということらしい。

 それはもちろん大歓迎だが、

 

「わたし、派閥の運営には疎いもので、お友だち同士のお付き合い……ということになってしまうかと思いますが、それでもよろしいでしょうか?」

 

 これには意外なことに嬉しそうな微笑が返ってきた。

 

「ええ、もちろんです。リディアーヌ様がそういう方だということはよく存じておりますので」

「ありがとうございます」

 

 友達が一人増えてしまった。彼女とは仲良くしたいところだったので、俺としてもとても嬉しい。しかし、これではなんのお礼にもならないのでなにか別に贈り物をしたいところだ。どうせなら親しい友人みんなになにかお揃いの小物でも贈ろうか。

 

「リディアーヌ」

 

 考えていたところに、するりとごく普通の、しかし特別な言葉が滑り込んできて。

 

「駄目?」

 

 恥ずかしそうな上目遣いで見つめられた俺は、すぐさま首を横に振っていた。

 

「駄目なわけないわ。これからよろしくね、ヴァイオレット」



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襲撃事件の後で

 ノエル・クラヴィルは騎士の家系であるクラヴィル家における「出来の悪い末妹」である。

 父は騎士団の副団長。四人の兄はみな立派な騎士であり、息子の誰かがいずれ団長を継ぐのでは、という声もある。

 母は騎士ではないものの、覚悟を持って嫁いできた気丈な女性だ。五人もの子供を産み、育てながら、夫や息子が疎かにしがちな家の仕事を一手に引き受けている。

 

「女の子が生まれた時はおしとやかな子に育つかも、とも思いましたが、ノエルもやっぱりクラヴィル家の子でしたね」

 

 頭を撫でられ語り掛けられる度、ノエルはどこか申し訳ない気持ちになる。

 男所帯で育ったせいか、剣の稽古や走り込みをする兄達にくっついていくのが当たり前だった。末っ子の上に女の子とあって父も兄も喜んで相手をしてくれるので余計にのめりこみ、気づいた時には剣の道にどっぷりとはまり込んでいた。

 身体を鍛え、剣を振る生活をしているとドレスを着たり礼儀作法を練習するのは面倒で仕方ない。

 騎士にも作法は必要だ、と諭されなかったら本気で放り投げていたかもしれない。一応、やる気を出してみた後も兄達と別の作法を練習させられるのがずっと不満だったくらいだ。

 

「私も兄上達と同じように騎士になります。そして国のために尽くすのです」

 

 一度決めてから他の道に目移りした事は一度もない。

 しかし、ノエルは騎士としての才能には恵まれなかった。

 背は騎士としては大きいと言えず、筋肉の量もなかなか増えない。頼みの魔力も平凡。火の魔法は「戦闘向き」というよりも「戦争向き」であり、平和なこの時代にはそぐわない。

 家族は優しい。自分よりもずっと劣る娘・妹相手でも良いところを探しては褒め、激励してくれる。自慢の家族だし、彼らから受けた恩に報いたいと思う。

 一方で、外部からの評価は冷徹だった。

 

「クラヴィル家の末妹は平凡な子だな」

「仕方ない。女子であればこんなものだろう」

「女性騎士は絶対数が少ないですし、見目も悪くありませんから引く手あまたでしょうな」

 

 唯一、褒められたのが女としての容姿。

 ノエルがなりたいのは立派な騎士であって、女としてはそこそこ優秀な騎士などではない。まして服や装飾品に金を使い、茶を飲みながらぺらぺらお喋りしているような「普通の貴族女性」を護衛するために騎士を目指したりはしていない。

 騎士団に入り、真摯に鍛錬を続けながらもノエルは徐々に腐っていった。性別に捕らわれない意味での立派な騎士を諦め、女としてのそこそこで妥協しようと思うようになっていた。

 

 リディアーヌ・シルヴェストルに仕える事を命じられたのはそんな時だった。

 

 八歳にして第三王子リオネルに見初められ、婚約者となった公爵令嬢。父は王国の宰相であり、生母は死後数年経ってなおその美貌が語り継がれる女性。

 何不自由のない生活を送り、自尊心を好き放題に育て上げた我が儘な娘。それが出会う前に抱いていたリディアーヌへの印象だった。

 出会った後は出会う前よりも心証が悪化した。

 

(なんなの、この女は!?)

 

 典型的な貴族令嬢。両手で剣を支えることも覚束ない箱入りのお嬢様。

 心の中で侮っていたところ家庭教師との勉強の様子に驚愕させられた。高速で進んでいく授業。形だけ授業をして理解は放り投げているのかと思えば、教師からの質問へ的確な回答がすらすらと出てくる。

 内容自体、四歳年上であるノエルから見てもなかなか難しいと思えるもの。というか、勉強なんて必要最低限しかしなかったので全て答えられる自信は全くない。

 聞けば、リディアーヌは現在十二歳程度の内容を学んでいるという。優秀であることを求められる公爵家の基準で言う十二歳の内容を、だ。

 よくよく見れば立ち居振る舞いもおかしい。十歳の小娘のくせに姿勢が妙に綺麗だし、所作の一つ一つが洗練されている。にもかかわらず気づきにくいのは時と場合に応じて適度に崩しているからだ。顔を合わせたばかりのノエルはどこか親しげなリディアーヌの態度に「礼儀もなっていないのか」と憤慨してしまったが、あれは彼女なりに場を和ませようとしたからだったのか。

 

(理解はできない。でも、少なくとも私には絶対真似できない)

 

 公爵令嬢の奇行はこれだけでは終わらない。なんと護衛初日に「剣を教えて欲しい」と言ってきた。

 腕に覚えがあるのかと思えば剣を振った事さえないと言う。馬鹿にしているのかと憤慨しつつ、挑発された仕返しも兼ねて丁寧に負かしてやろうと思えば、八歳の身で身体強化を駆使し力量差を詰めようとしてくる。

 身体能力や経験の差がありすぎて散々な結果には終わったが、ノエルの胸には「思ったよりもずっと楽しかった」という感想が残った。

 

 リディアーヌは決して「ごく普通の公爵令嬢」などではない。

 

 子供のくせに驚くほど広い行動範囲、突飛な言動とその裏に垣間見える思慮深さ、専属メイドのアンナに甘える時の妙な子供っぽさ。いい意味でも悪い意味でも目が離せない。護衛に関する報告書もついつい長文になってしまい、上官に笑われてしまった。

 

「なんだ。随分仲良くやれているようだな」

「別に、仲良くなどしていません」

 

 仕事は仕事としてきちんとこなしている。その上でリディアーヌを観察しては驚いているだけだ。まあ、思ったよりも悪くない仕事だと思っているのは事実だったが。

 

(私も、もっと強くなれるのかもしれない)

 

 小さな身体と乏しい経験で果敢に向かってくるリディアーヌを相手にしていると、忘れかけていた気持ちが湧き上がってきた。

 独特の感性と魔法の才を用いて工夫し、どんどん成長するこの令嬢を参考にすれば今までとは違うやり方も見えてきそうだ。

 気づけば、ノエルは自分の主がリディアーヌで良かったと思うようになっていた。

 護衛を下ろされたくない。もちろん、この面白い少女を失いたくもない。そんな想いから、学園の卒業記念パーティー、そしてその中で起こった事件に望んだ。

 

 

 

 

「……不覚です」

 

 戦いの音が止んだホールの一角で、ノエルは左腕を押さえながら息を吐いた。

 見習いの騎士装はボロボロ。左腕には刃物による裂傷ができている。全て、あのメイド姿の暗殺者にやられたものだ。

 リディアーヌから貸与されたチョーカーが無ければ死んでいたかもしれない。

 敵の腕前は明らかに少女を上回っていた。一つの得物にこだわらない変幻自在の戦法は騎士団の制式剣術とはかけ離れたものであり、終始翻弄されっぱなしだった。その一方で、相手の技が基本的に「攪乱して致命打を与える」短期決戦に向いた仕様であったこと(必殺のはずの攻撃を魔道具が防いでくれたこと)によってなんとか殺されずに済んだ。

 あのメイドにはギリギリのところで逃げられた。

 ようやく相手の手札を吐かせきったところだった。もう少し事件の終息が遅ければ──戦いの糸が切れなければ倒せていたかもしれない。しかし、現実には奴は戦いの終わりを察した途端、一目散に逃げを打ってどこかへと消えていった。

 できれば捕らえたかった。

 

「勢い込んで参加しておきながら一人も倒せなかったなんて」

 

 自責の念から呟けば、思いがけないところから反応があった。

 

「《魔女》を倒したのはお前じゃないのか?」

 

 三番目の兄がこちらへ歩いてきていた。彼も警備に参加していたらしい。装備には多少の傷や汚れがあるものの、大きな怪我はない。向こうもノエルが無事なのを見て騎士らしい荒っぽさのある笑顔を浮かべる。

 安心感のある兄の長身を見て思わず安堵した後で怒ったような声で答えた。

 

「やったのはリディアーヌ様です」

「ああ、あの方か。戦闘中もわざわざ敵を探して大立ち回りを繰り広げていたな。面白い。いい主に巡り合ったじゃないか」

「……私ではリディアーヌの騎士としては不足です」

 

 何しろ一人も捕まえられなかったのだ。あらためてそう口に出してみて、自分が手柄に飢えていた事を実感する。リディアーヌの護衛騎士でいるためにはもっと手柄がいる。少なくとも捕縛人数で主に負けているようでは護衛失格だろう。

 肩を落としていると、兄は気絶しているオーレリアを縄で拘束しながら周辺の様子に目をやった。そうして彼が言ったのは、

 

「必死に戦っていたんだろ。頑張ったじゃないか」

「ですが、逃げられてしまいました」

「お前が全力で戦っても倒せなかったんだろ。それは相手が悪かっただけだ。少なくとも、お前がいなけりゃそいつがリディアーヌ様に向かっていた」

 

 あのメイドに襲われるリディアーヌを想像する。いくら天才とは言ってもあのレベルの相手には苦しめられるだろう。しかもメイド二人を守りながらでは……。

 

「お兄様なら倒せていたかもしれません」

「俺じゃあの方の専属になれないし、俺が女だったらこの筋肉は維持できてないっての」

 

 立ち上がった兄にぽんぽん、と頭を叩かれる。子供扱いしないで欲しいと思ったが、かけられた言葉とあいまって少し涙ぐんでしまった。

 はあ、と息を吐いてオーレリアを見下ろす。

 この女の事は良くわからない。リディアーヌと似た者師弟とする声もあるが、とてもそうは思えない。本音をぽんぽん口にするリディアーヌと徹底的に本音を隠すオーレリアはむしろ真逆の性格だ。

 しかも、気持ちを隠す癖に「構って欲しい」という思いが隠しきれていない。リディアーヌも放っておけずに積極的に構っていくせいで余計な苦労を背負い込んでいる。こんな女のせいで、と、かなり主人に寄った感想を抱いたところで、目の端に紅の色。

 ドレスには汚れや傷があるものの、身体には傷一つないリディアーヌがこちらへと駆け寄ってくる。二人のメイドはかなり疲れた様子だが、こちらも無事だ。

 

「ノエル、お疲れさま。怪我をしているのね? 治してあげるから見せなさい」

「いえ、この程度でしたら問題ありません。他の負傷者を優先──」

「駄目よ。女の子なんだから、痕が残ったら大変じゃない」

 

 騎士にとって怪我は勲章のようなもの。どっちみち戦う女を娶ってくれるのは相当な変わり者か同じ騎士だろうが……半ば強引に引き寄せられて温かな光を押し当てられるのは、意外と悪い気分ではなかった。

 

「あの、リディアーヌ様。何人倒されたのですか?」

「え? えっと……四人かしら。この三倍くらいは倒したかったのだけれど、うまくいかないものね」

 

 どこの世界に襲撃者を十人以上片付ける令嬢がいるのか。しかも刃がついていないとはいえ剣まで振るって。

 再び自信喪失しながら「敵を取り逃した」事実を告げると、リディアーヌは全く怒ることなく「そう」と頷いた。

 

「頑張ってくれてありがとう。ノエルが彼女を引き付けてくれたから、わたしが自由に動けたの」

「私が?」

「そうよ。成果を挙げたのだから胸を張りなさい」

 

 兄と同じ事を当人から言われてしまった。

 誤魔化しなどではなく本心からそう思っているらしい少女に「ありがとうございます」と頭を下げる。柄にもなく涙が出そうになったので、軽く首を振って誤魔化した。

 応急処置はあっという間に完了。軽い消毒と出血がなくなる程度まで傷を塞いだだけらしいが、後は布でも巻いておけばとりあえず問題ない。

 

「包帯の代わりは……幸い、ここに白い布がたくさんあるわね」

 

 放置されたテーブルからテーブルクロスを抜き取ってさっさと引き裂いていくリディアーヌ。なんとも豪快だが、本人曰く「いざとなったら弁償すればいいじゃない」とのこと。アンナは頭を抱えているが、合理的な判断であるのも確か。ノエルは主の代わりに包帯づくりを担当してもらえるようアンナに頼んだ。

 

「騎士に状況を確認してきます」

 

 情報共有によって王城やその他の場所は襲われていないことがわかった。安堵しながら戻って報告した後、ノエルは応急処置や荷物運びの手伝いを買って出た。

 幸いにも──本当に幸いと言うしかないが、死者は無し。

 女性を中心にパニックになっている人間はいたものの、危機が去ったとわかると徐々に沈静化した。そうして最低限の状況確認と治療が済んだところで、

 

「とんだパーティーになってしまったわね。せめて少しでも余興の代わりになるといいのだけれど」

 

 進み出たリディアーヌは、パーティーの参加者や騎士、学園関係者が見守る中で魔法を行使した。

 外がすっかり暗くなり、やや薄暗くなったホールに光が生まれる。少女を取り巻くようにして現れたのは炎でできた蝶の群れだ。

 火の粉の鱗粉を散らしながら蝶達は舞う。

 ひらひらと、ゆらゆらと。触れれば火傷しかねないとわかっていても手を伸ばしたくなるような幻想的な光景。人々の間を踊りながら舞い上がった蝶達はやがて空気へと溶けるようにしてその儚い生涯を終える。

 

「驚いた。まさかあれをまた目にすることができるとはな」

「父上?」

 

 いつの間にか隣に立っていた父がふっと笑って教えてくれる。

 

「リディアーヌ様の母君──アデライド様が得意とされていた魔法だ。私も見たのは一度きりだが、これほど美しい魔法があるのかと感動したものだ」

「ええ、とても美しいです」

 

 心から頷いた上で、ノエルは一つだけ反論した。

 

「でも、これはアデライド様の魔法ではありません。リディアーヌ様の魔法です」

「そうか。ああ、その通りだな」

 

 間違いなく国の歴史に残るであろう大事件。

 歴史書の記述にリディアーヌの名が残るかどうかはわからない。しかし、当事者の一人としてノエルはしっかりと心に刻んだ。

 事件の解決した裏にはリディアーヌ・シルヴェストルの尽力があったことを。そして、ノエル・クラヴィルは護衛として精一杯戦ったという事を。



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妹令嬢と不安な日

「お母様、本当に何かが起こるのでしょうか?」

 

 シャルロット・シルヴェストルは食堂の定位置へ腰かけたまま、隣に座る母──セレスティーヌへ尋ねた。

 時刻はおやつの時間を過ぎたところ。今日はできるだけ家族一緒に過ごそう、ということでシャルロットとセレスティーヌ、それから兄のアランが集まっている。

 書き物をしていた母が手を止めて振り返る。いつも通りの優しげな微笑み。

 

「心配ありません。万が一、何かが起こったとしても貴女達の事は必ず守ります」

「っ」

 

 一瞬、息が詰まりそうになった。母の返答はつまり、普段よりも「何かが起こる可能性」を高く見積もっているということだ。

 

(でも、起こるとしたら一体どこで……?)

 

 ちらりと窓の外、冬の静かな空へと目をやり、ここにいない父と姉の事を想う。

 ジャンは城で執務中、リディアーヌは学園の卒業式および卒業記念パーティーに出席している。それだけ聞くと危険とは無縁に思えるものの、実際は片や有事に備えて待機、片や危険かもしれない場所に飛び込んでいった状態だ。

 はあ、と、息を吐く。

 屋敷内の主要な場所は暖炉や暖房の魔道具によって快適に保たれている。そのため、吐いた息も白くなったりはしない。しかし、リディアーヌ達はどこかで寒い思いをしているかもしれない。

 魔法を覚えて以来、風邪で臥せった事もないリディアーヌなら寒さも軽く吹き飛ばしてしまうかもしれないが。

 

「お姉様は本当に凄いです」

 

 この一年、何度も繰り返してきた言葉。

 リディアーヌは天才だ。類稀な魔法の才を持ち、公爵令嬢としての勉強も疎かにせず、さらに服飾業にも貢献し、剣術まで習い始めている。

 《紅蓮の魔女》。

 対立派閥の令嬢から広まったとされる異名。師である《漆黒の魔女》を連想させた上で良くない印象を与えてくる。本人もあまり好きではないと言っていたが、彼女は知っているだろうか。畏怖と尊敬を籠めて魔女の名を用いる者が増えているのを。

 

 

 

 

 あれはしばらく前の事。

 親しい友人達とのお茶会の際、リディアーヌに対する嫌がらせが話題になった。姉が一部から嫌われているのはシャルロットも知っている。何かされる度にやり返している事も。ただ、具体的に何をされて何をしたのかはあまりよく知らない。

 

『面白い話ではないし、食事の席で言うこともないでしょう?』

 

 と、父や母に個別で報告をしているからだ。

 まあ、姉がドレスを駄目にしたとか泣いて帰ってきたとかそういう事はなかったので、大した事はないのだろうと思っていたのだが。

 

『屋外でのお茶会の際、リディアーヌ様のお傍に蛇が出たとか』

『会食形式のパーティーで食事に虫が入れられていた事もあったそうです』

 

 次々と出てきた話題に「ひっ」と声が出そうになった。想像しただけで恐ろしい。現実にそんな事が起こったら泣いてしまうかもしれない。そこまで行かなくともパニックになって冷静な対処なんてできないだろう。

 しかし、リディアーヌは動じなかった。

 何かの魔法で蛇を眠らせると使用人につまみ出すよう指示を出し、虫入りの料理へ手を付けることなく「好みではないから」とやんわり下げさせたらしい。

 その際、「運が悪い」「好き嫌いは直すべきでは」と殊更嘲笑った令嬢は植物の蔓に足を取られて「蛇だ」と大騒ぎをし、粒の大きなコショウを虫と見間違えて使用人をひどく叱責したとか。

 

『まさか、お姉様が魔法で……?』

『証拠はありません。元を正せばリディアーヌ様の被害も作為的なものでしょうから、深堀りされる事はまずないでしょう』

『受けた被害と対処の差を見ても、どちらの器が大きいかは一目瞭然です』

 

 本物を前に動じなかった令嬢と、見間違いで大騒ぎした令嬢。局所的な正しさなど簡単に覆ってしまうのが貴族社会ではあるが、だからこそ、どちらに付いた方が得策かという打算も加わる。

 リディアーヌが殊更に正しさを振りかざす人間ならもっと反感があったかもしれない。

 受けた仕打ちに対して「目には目を」で()()()()()()()嫌がらせを返す彼女のやり方は常に正しく在れるとは限らない貴族達にとってむしろ受け入れやすかった。

 シャルロットは自分の知らない姉の活躍(?)に感嘆すると共に、絵に描いたような嫌がらせに僅かな寒気を覚えてしまう。

 

『私も気を付けなくてはいけませんね』

 

 姉のようにはいかなくともせめて動じないように……と。

 

『ご心配なさらなくとも、シャルロット様に悪意を向ける方はまずいませんわ』

『え? ……あの、それは何故でしょう?』

『もちろん、セレスティーヌ様とリディアーヌ様がいらっしゃるからですわ』

 

 シャルロットの交友関係は母セレスティーヌの知人・友人から娘や従兄妹へと繋がったものだ。つまり親の派閥がそのまま適用されていると考えていい。下手に手を出せば公爵夫人の派閥が黙っていない、という暗黙のプレッシャーがある。

 そして「友人をいじめたら泣かせる」と公言して止まないリディアーヌの存在。養母の派閥を()()()()()()()独自の派閥を広げ続ける彼女は自身よりも身内への攻撃に反応する。よりによって妹であるシャルロットを狙う馬鹿はいないと言う。

 

『私がいじめられたら、お姉様が助けてくださるのですか?』

『ええ。もちろん私達もお助けいたしますが……』

『リディアーヌ様が動かれるのであれば過剰になってしまうかもしれませんね』

 

 その後、シャルロットは姉に尋ねてみた。

 

『お姉様は、私がいじめられているのを見たらどうなさいますか?』

 

 自分でも馬鹿な事を聞いたと思う。試すような真似自体が恥ずかしいし、もし思ったような答えが返って来なかったらと思うと恐ろしくなる。

 だというのに、リディアーヌはなんでもなさそうにこう答えた。

 

『もちろん、倍返しよ』

 

 

 

 

「リディアーヌは悪い見本ですから、参考にしてはなりませんよ」

 

 母の声でシャルロットは我に返った。

 気づくとアランも気づかわしげな表情でこちらを見ていた。大丈夫だ、わかっている。微笑みながらこくん、と頷く。

 姉と同じ事をしようとするのはもう止めた。この一年、自分なりに自分の出来る事を探してきたつもりだ。その結果、今のところは「母のようになる」というごく普通の目標しか見えていないが、リディアーヌのように積極的な開拓に向いていないシャルロットはせめて与えられた事をしっかり吸収しようと務めている。

 その上で敢えて言うのなら、

 

「お母様。女性は危機に陥った際、どうやって身を守れば良いのでしょう?」

「一番は自ら対処しなければならない状況に陥らない事です」

 

 自分の身に危険が迫るかもしれない。そんな実感からあらためて浮かんだ疑問に、セレスティーヌは端的な回答を返してきた。

 

「あらかじめ護衛を用意しておく。危険と思われる場所には近づかない。危険が迫った際には迅速に退避する。まずは基本を徹底する事です」

「女性を守るのも男の仕事だからね。護衛やメイドだけじゃなくて周りにいる男だってシャルロットを守ってくれるはずだよ」

 

 日に日に男らしく格好良くなっていくアランが斜め向かいの席から微笑んでくれる。彼は「念のために」と腰へ剣を下げている。訓練でも滅多に使う事のない真剣だ。自らが言った通り、何かがあれば父の代わりにシャルロットやセレスティーヌを守ってくれるつもりなのだろう。

 残念ながら、一番守られるべき王子の婚約者(リディアーヌ)がいないが、姉の場合、自分の身を自分で守った上に王子の護衛まで務めてしまいそうなのは気のせいだろうか。

 

「お姉様が女性でも剣術を、と仰ったのが今は少しわかる気がします」

 

 呟くとセレスティーヌが眉をひそめ、アランが苦笑を浮かべた。

 

「シャル。本当に止めた方がいいよ。リディは言っても聞かないから仕方ないけど」

「どうしても護身が必要なのであれば魔法を訓練しなさい」

「魔法、ですか」

 

 それもリディアーヌの領分だが、母の言い分が正しいのもわかる。魔力は女性貴族の方が男性貴族よりも高くなりやすい。それに、魔法は剣と違ってドレスを着ていても道具の用意がなくとも使用できる。女性が身を守るのにはもってこいだ。

 ただ、シャルロットにはまだ魔法が使えない。

 

「……早く魔法が使えるようになりたいです」

「魔法の目覚めには個人差があります。焦ってはいけませんよ」

「そうだよ、シャル。僕だって十歳になってからだったし、遅い子の方が優秀になりやすいっていう話もあるんだ」

「はい。わかってはいるのですけど」

 

 姉のリディアーヌが魔法に目覚めたのは今のシャルロットより年下である八歳の時だ。わかっていてもついつい焦れてしまう。

 魔法が使えるようになれば。

 今の無力感からも少しは解放されるのだろうか。何しろ、今のままのシャルロットでは何かあった際に守ってもらうことしかできない。

 屋敷には警備の兵や魔法の使えるメイドがたくさんいるので心配ないとは思うものの──もし、この食堂に何者かが飛び込んできたら? アランが剣で立ち向かい、セレスティーヌは魔法で応戦するだろう。

 

(……私も)

 

 膝の上でぎゅっと手を握る。すると、母の手がその上に重ねられる。驚いて顔を上げれば、セレスティーヌはにっこりと微笑んでくれる。

 

「大丈夫ですよ、シャルロット。貴女にも必ず目覚めの時は来ます」

「シャルは母上の娘なんだ。きっと立派な魔法が使えるようになるよ」

「はい。ありがとうございます、お母様、お兄様」

 

 波立っていた気持ちが落ち着いていく。シャルロットは笑顔を浮かべると深呼吸をした。それからあらためて母の手の温もりを意識して、

 

(あれ?)

 

 どことなく違和感を覚える。母の体温、息遣い、肌の感触。どこがどうとは言えないものの、なんとなくいつもと違う気がしたのだ。

 見れば、顔色も少し良くないような。

 

「あの、お母様。もしかして体調が悪いのではありませんか?」

「え?」

 

 驚いたようなセレスティーヌの顔。誤魔化されたくはない。そのままじっと見つめていると、やがて観念したようなため息。

 

「母上。指揮の仕方は私も父上から聞いています。辛いようでしたらお部屋に戻っていただいても──」

「いいえ、アラン。大丈夫です。休む程の事ではありません」

「本当ですか、お母様?」

「ええ」

 

 頷いたセレスティーヌはゆっくりと、そして内緒話のような声音で口にする。

 

「食欲が少し落ちているのと、不定期に不快感がある程度です。風邪ならば薬を飲めば治りますが、これは病ではないでしょうから」

「それって……」

 

 もしかして。

 シャルロットの脳裏にある一つの事柄が浮かんだ。()()は確かに病気ではないし、休んだところで根本的に良くなる事はないだろう。

 おめでとうございます、と声を上げたくなるのを堪えて母の顔を見上げる。気持ちが溢れて笑顔が強まってしまっているのはまあ、仕方ないだろう。

 

「お母様、お医者様には?」

「近いうちに診察をお願いする予定です。あまり早いと判断もつきかねるそうですからね」

「判断……そうか。母上……!」

「まだ何とも言えませんから、他言無用でお願いしますね」

 

 遅れて理解するアラン。すかさず口止めをするセレスティーヌ。その指示は控えていたメイド達にもしっかりと伝わり、一人残らず「はい」と返事があった。

 兄もまた神妙な顔をして「お大事に」と言った。めでたいことなのだからもっと喜べばいいのに。それとも、笑顔を堪えようとしてあんな顔になったのだろうか。

 

(お姉様は、どんな顔をなさるでしょう?)

 

 想像しようとしたら、何故か露骨に顔をしかめるリディアーヌの姿が浮かんだ。母と姉は未だに仲直りをしていないらしい。時々、シャルロットやアランがぽかんとしてしまうほどぴったりと呼吸を合わせたりするのだから、もう変なわだかまりは解いてしまえばいいのに。

 

(お姉様、か)

 

 これからはもっと頑張らなくてはならない。

 一家の末っ子として甘えるだけではなく、自分の家族の力になれるように。

 胸に力が湧いてくる。ぽかぽかとどこか温かい光。それは空が暗くなって父や姉が帰ってくるまでの間、シャルロットを勇気づけてくれた。

 

 その夜。

 就寝中のシャルロットが身体から光を放っているのを専属メイドが発見し、ちょっとした騒ぎになった。



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新人メイドと先輩メイド

 公爵令嬢リディアーヌの専属メイド、アンナはあまりにの事態に頭を抱えたくて仕方がなかった。

 

「近日、新人メイドの追加があります。皆も名前は知っているでしょう。ルフォール侯爵家の依頼で行儀見習いとして引き受ける事になったご令嬢、オーレリア・ルフォール様です」

 

 夜の終業時間。仕事を終えたばかりの者も含め全ての使用人を集めての連絡に、案の定、シルヴェストル公爵家の使用人達は騒然となる。

 声を上げる者、有名すぎる新人の名を復唱する者、反射的に()()()()()()()()()()者など、反応には個人差があったものの、おおむね全員に共通しているのは「どうしてそうなったのか」という驚きだった。

 無理もない。

 事前に知らされていなければアンナだって例外ではなかった。というか、立場が立場である以上、悲鳴くらいは上げていたに違いない。

 

「知っての通り、オーレリア様は学園襲撃に加担した罪で王族から追放となりました。一方、不心得者の大量捕縛を助けた功績も認められたため処刑ではなく罰金や労働等によって罪を贖う事となっています。養子縁組を行い新たな保護者となったのはルフォール侯爵家。先方はオーレリア様の行動について自分達が全責任を負うとしたうえで、当家にその身柄を預けたいとの意向を示しています」

 

 ともあれ、使用人達の前に立ったメイド長は淡々と事実だけを口にする。

 

「旦那様と奥様はこの申し出を了承なさいました。オーレリア様はリディアーヌ様付きの専属メイドおよび魔法の教師として()()()働く事が決定しています」

 

 ここでざわめきは更に強くなった。おそらくメイド長が続けて言った「侯爵令嬢様とはいえ同僚として特別扱いは必要ありません」といった注意事項はあまり聞こえていなかっただろう。

 結局、ざわめきは解散になるまで収まることはなく、そして解散となった途端に騒がしさを倍化させた。

 

「ねえ、アンナはこの話、知っていたのでしょう?」

「は、はい。リディアーヌ様のお傍に付いて話し合いに同席しましたから」

 

 この場における一番の当事者であるアンナが先輩方に捕まったのは当然の成り行き。新人の段階で専属雇用されてしまったアンナは屋敷の同僚とあまり親しくない。普段はリディアーヌ様の傍から離れられない上に部屋も別なので接点がほぼないのだ。

 加えて、一般メイド時代の同室が性格の良い人物とは言えなかったので、屋敷内での人間関係には正直トラウマがある。

 できるだけ軽く流して部屋に帰ろうと思ったのだが、残念な事に声をかけてきた先輩方はそんなに甘い相手ではなく、また、ジゼルのように後輩いびりを行ってくるような人でもなかった。

 

「大丈夫なのかしら。……もちろん、ご夫妻が許可なさったのだから問題ないのでしょうけれど、リディアーヌ様は王族入りの内定している大事なお身体でしょう?」

 

 彼女達の表情に「罪人となった王女」および「魔女の弟子であるこの屋敷の令嬢」を嘲るような色はなく、それにほっとしたアンナはついつい話に応じてしまう。

 

「問題ないと思います。オーレリア様はリディアーヌ様を特別気に入っていらっしゃいますから、守ってくださる事はあっても傷をつけたりはなさらないかと」

「特別気に入って……?」

「もしかしてそれって、禁断の愛だったりするのかしら?」

「そ、それはない、と思いたいのですが」

 

 オーレリアの言動について良く知っているアンナは「ない」と言い切れなかった。研究者気質の人嫌いで、学園を卒業するまで浮いた話が一切なかった。そのくせリディアーヌの事は妙に気に入っていて、冗談なのか本気なのか、髪を梳いたり頬を撫でたり容姿を褒めるような言葉さえ口にしていた。

 おまけに無給で働かせて欲しいという申し出である。まあ、オーレリアなら魔道具の製作でいくらでも稼げるわけで、それを考えればメイドの給金などあってもなくても変わらないのだが。だったら無理にメイドなんてしなくても、という話である。

 

「アンナも気を付けなさいよ。見境のない方だったら貴女まで毒牙にかかってしまうかも……」

「それはないと思います」

 

 これにはアンナもきっぱりと答えた。

 

 

 

 

「オーレリア・ルフォールと申します。メイドの仕事に関しては非才の身ではありますが、快く雇用してくださった公爵ご夫妻、およびリディアーヌ様のご厚意に報いられるよう精一杯務めさせていただく所存です。至らない点がございましたらどうか遠慮なくご指摘くださいますようお願い申し上げます」

 

 そして、オーレリアはやってきた。

 使用人達の前での挨拶は堂に入ったもの。さすが元王族、カーテシーは見惚れる程の完成度で、既に屋敷のお仕着せを纏っているにも関わらず育ちの違いを感じさせられてしまう。

 こんな作法の持ち主が身近にいるというのは案外、リディアーヌにとってもアンナ達にとっても勉強の機会として大きいかもしれない。

 

「では、オーレリアの案内と指導については先輩であるアンナに一任します」

「よろしくお願いいたします」

「か、かしこまりました」

 

 先輩。先輩である。

 男爵家出身、学園に通った経験すらない年下のアンナが元王族、現侯爵令嬢のオーレリアの上役。本当にどうしてこうなったのかと言いたい。

 しかし、この話が持ち上がってから何十回、何百回と繰り返した自問自答だ。さすがに覚悟を決める事にして初めての「専属としての後輩」に向き直る。

(どうせならオーレリアを迎える前にエマも専属になってくれないかと具申したりもしたのだが、他でもないエマに「今まで通りの業務内容で」とあっさり断られてしまった)

 

「では、オーレリア様。お部屋に案内いたします」

「かしこまりました、アンナ先輩」

 

 丁寧な返事が来た途端、背筋が寒くなるのを感じた。

 なるほど、リディアーヌが「今まで通りで」と言った気持ちがよくわかる。アンナは慌てて「せめて同僚として接してください」と頼み込んだ。

 オーレリアはこれに少し残念そうな顔をしたものの、特に文句を言う事もなく言葉遣いを直してくれる。

 

「なら、上でも下でもない同僚として話させてもらうわ。だから、アンナもただの同僚相手として話して頂戴」

「わ、わかりました。オーレリア様」

「オーレリア」

「……オ、オーレリア。こちらに付いてきてください」

 

 彼女の荷物は既に運び込んである。専属なのでアンナと同様、リディアーヌの私室に直結した個室が与えられる。専属部屋は一応三部屋用意されているので二人が同室になる事はない。

 丁寧に磨かれた廊下に二人分の足音だけが響く。

 

「屋敷の間取りもおいおい覚えなくてはね」

「そうですね。ですが、ひとまずはよく道順だけ覚えれば大丈夫です。一度に覚えるのは大変でしょう」

「そうね。一度見れば覚えられるけれど、思い出すのにも魔力が要るもの」

 

 そういえば、彼女もリディアーヌと同様、驚異的な記憶力があるのだった。

 右腕を持ち上げて微笑を浮かべる黒髪の美女をちらりと振り返り、あらためて「モノが違う」と実感する。ただ、天才の中の天才であるオーレリアも何でもかんでも魔法で自由自在とはいかない。魔力量とかそういう話ではなく、彼女の腕にはまたしても魔法封じの腕輪が嵌まっているからだ。

 オーレリアを迎えるためにリディアーヌが追加で作った品である。

 王族級の魔力を持つリディアーヌが丹精込めて作った品はなかなかの効力があり、装着中のオーレリアはだいたい全力の七割程度の魔力しか行使できなくなり、精神集中にも多少の乱れが生じるらしい。

 リディアーヌは「腕輪を嵌めているあの方となら魔法合戦でそこそこいい勝負ができるんじゃないかしら」と言っていた。

 

「その腕輪、外せるんですよね?」

「まあ、外そうと思えばね。でも、せっかくのプレゼントだし勿体ないでしょう?」

 

 腕輪は言わば保険だ。リディアーヌであればオーレリアを制御できる、という分かりやすい証明。

 実際はオーレリアの厚意で成り立っている上に腕輪があっても「そこそこいい勝負」にしかならないわけだが、むしろそんなオーレリアが自発的に腕輪をつけたままにしているという事実こそがこれ以上ない適材適所の証だと言える。

 このままの状態でしっかり務めを果たしていけば信用も勝ち取れる。腕輪を外しても彼女を危険視する者がいなくなるまでには長い道のりかもしれないが。

 

「ねえ、アンナ。貴女は私の事、恨んでいないの?」

 

 思いがけない問いかけにアンナは思わず立ち止った。

 

「そんな事を気にしていたんですか?」

「それは気にするでしょう。私を何だと思っているのかしら?」

「興味のある事以外はどうでもいい天才、ですね」

「正解」

 

 すると彼女はくすりと笑って、

 

「でもね。どうでもいい、というのは無視しているだけなの。何も感じていないわけじゃない」

「……だったら、もっと利口な生き方があるのでは?」

「それができたら私は私になっていないわ」

 

 きっと、その通りなのだろう。

 アンナはリディアーヌと共にオーレリアの過去について聞いている。あそこで語られた彼女の気持ちはきっと本心だったはずだ。

 不器用で我が儘な女。しかし、一度「こちら側」を選んだからには彼女は簡単に向こう側へは行かないだろう。

 アンナはため息をついて、

 

「今の話はリディアーヌ様にして差し上げるべきでは?」

「嫌よ。恥ずかしいもの」

 

 アンナ相手なら恥ずかしくないという事か。若干釈然としないものを感じていると、追い越したオーレリアが笑って、

 

「お互い、あの子が男だったら相手に悩まなくて良かったのにね?」

「なっ!?」

 

 頬がかっと熱くなる。確かに、アンナは専属として忙しく働いており、男性と出会う機会なんてほぼない。できればこのまま長くリディアーヌに仕えたいとも思っているので結婚なんて当分できないだろう。

 しかし、だからと言って、

 

「リディアーヌ様が男性なら、そもそもお傍に仕える事ができません」

「じゃあいっそ、リオネル──リオネル様の愛人を狙ってみたら?」

「それこそ無理です。私なんて殿下は相手になさいません」

 

 それはまあ、メイドが主人と同じ相手から寵愛を受ける事は意外とある。主人との仲が良好であれば愛人として幸せに暮らせる事だってあるが、リオネルの浮気を前提とするのも良くないし、それを姉であるオーレリアが言うのはもっと良くない。

 というか、リディアーヌのメイドという意味ではオーレリアも該当するのだが。

 姉弟での婚姻は出来る限り避けられるもののタブーとまでは行かない。異母姉弟となれば猶更許容されやすいが、それはさすがに。

 

「リディアーヌ様にも殿下にも手は出さないでくださいね」

「わかっているわ。こちらからリオネル様を誘惑するなんてぞっとするし、リディアーヌとじゃ子供ができないものね」

「子供の問題ではないんですが」

 

 というか、屋敷の廊下でする話でもない。別に機密でもなんでもないとはいえ醜聞ではあるし、何より恥ずかしい。それとも、オーレリアが平気な顔をしているあたり何か対策はされているのだろうか。

 なんだか緊張していたのがだんだん馬鹿らしくなってきた。

 

「とにかく、リディアーヌ様にお仕えする以上、仕事はきちんとしてください」

「わかっているわ。手は抜かないからしっかり指導して頂戴」

 

 きっと、この屋敷に来たばかりのアンナであればこんな状況、プレッシャーから泣き出すか逃げ出していただろう。

 しかし、リディアーヌと過ごしてきた経験のお陰か、あるいは少しは研鑽が役立っているのか、今のアンナはこの新しい環境をなんとか乗り越えようと胸に力を湧き上がらせた。




ひとまず閑話は以上となります。
書き溜めがいい感じになるまで数日お休みさせていただきます。
次章は兄妹三人初めての里帰り編になる予定です。


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【登場人物・家名等一覧】

超簡単なやつですが、とりあえず。


【階級・家名】

□公爵家:シルヴェストル、デュナン

□侯爵家:ルフォール

□伯爵家:モレ、バルト、クラヴィル

□子爵家:(ジゼルの実家)

□男爵家:(アンナの実家)

※上に行くほど階級が高い。権力の指標になるが階級=財力ではない。

 また、コネクションや王家からの信用等によっても実際の権力は変わってくる。

□不明 :グラニエ

 

 

【魔法属性の種類】

火、水、土、風、心、光、聖

※一週間の曜日は各属性にちなんでつけられている。聖の日が安息日

※全属性は火から光までの六属性持ちを指す

※一般的には六大属性とされ聖属性は別枠扱い

※聖属性は超レアで所有者は必ず全属性を兼ねる(聖属性関連は今後使うかもしれない設定)

※光は光操作の属性なので暗闇を作り出す能力も兼ねる

 レーザー的な用法によって火属性に近い現象も起こせる

※治癒魔法は本来聖属性の領分であり、属性数が少ない者ほど苦手とする傾向がある

 

 

 

【シルヴェストル公爵家】※登場人物の年齢は全てリディアーヌ8歳時点のもの

(名前     :年齢 性別 髪色/目の色  属性  立場)

□リディアーヌ :8歳   女 紅/紅     火と光 公爵令嬢(長女)

□アデライド  :(30歳) 女 紅/紅     火   伯爵令嬢→公爵夫人 ※故人

□ジャン    :33歳  男 暗褐色/深い青 土   公爵/王国宰相

□セレスティーヌ:2