千年樹に栄光を (アグナ)
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ある男の独白/九度の夜を超える

死を恐れたことはない。

別に死にたい、或いは死が怖くないというわけではなく、

いずれ必ず訪れるのだから直視しても仕方ないと思っただけ。

それは死が直前に迫った時でも同じこと。

其は運命。深く考えるのは無駄だと思っただけだ。


 単純な結論として、時計塔に喧嘩を売った時点で結末は決まっていたのだ。

 

 時計塔。我々、魔術師にとってそこは誉れであり、恐怖である。

 地球上に溢れる現代魔術の大半を飲み込む坩堝であり、現代魔術師にとって忌々しき統治機構。

 アレが魔術研究において必要な霊脈を、遺産を、呪物を──何より魔術を抑えている以上、如何なる神秘繰る魔術師であっても個人である以上対抗のしようがない。

 

 例えそれは今なおその鎖から逃れて在野を彷徨う魔術師であれ同じこと。

 『封印指定』魔術師とて、自治を貫く古の大家とて、ひとたび時計塔が本気でそのうちに抱える力を発揮すれば一瞬のうちに飲み込まれていくだろう。

 だからこそ、大前提として我々が本気で現状の打破を望む場合、事は不意打ちでなければならなかった。

 

 独立、革命、変革、改革、事変、流行。

 

 世界の景色を一変させる出来事は常に不意打ちによって起こる。

 或いは事故と言い換えてもいい。

 予期せぬ事態、予期せぬ出来事。

 世界中の誰もが予想にしなければしないほど衝撃は大きくなる。

 

 だからこそ、宣戦布告などという馬鹿げた真似をした時点でどう転んでも我々が終わっている。

 今の今まで血を繋いでくれた祖先。

 思惑はあれど賛同してくれた同志たち。

 そして愚かしくも思慮深い我らが、そして私の尊敬すべき当主殿。

 

 最後の最後、本気の勝負に際して唯一最悪の欠点である「時計塔への復讐心」を最悪のタイミングで露見させてしまった男、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 そうだ、貴方は間違えた。

 その復讐は凱旋と共に瓦礫と化した時計塔の上ですべきだった。

 勝利をした上での行為であった。

 大聖杯を起動する準備ができた時点で不意打ちに行動するべきだった。

 

 全てはその復讐心と、復讐心が生む傲慢が間違いだったのだ。

 

 しかし起こってしまった以上、起きた事象を覆すことは出来ない。

 過去が失くせないように、死が覆せないように。

 我々は不可逆の事象の中で生きているのだから。

 しかしだからこそ──賢者は歴史に学ぶのだ。

 

 一度起こったことが消せないと知った上で、ではどうすればいいのかを原因から結果までの記録に尋ねる。

 歴史を学ぶとはそういうこと。

 過ちは正せばよい。

 正しい道を違えたならば道を補強して正しい道を作ればよいのだ。

 

 何より私は──歴史(・・)を知っている。世界(・・)を知っている。

 ならば決してやれないことはないだろう。

 そもそもこれは何ら難しいゲームじゃない。

 

 手駒は七つ、相手も七つ。

 その上で私は相手の手札を知っていてかつ、手持ちの手札は幾つか弄れる。

 ならば何の問題もない。

 今はまだ、チェックを掛けられただけ。

 此処からこちらの勝利(チェックメイト)千日手(ステイルメイト)に持ち込むだけだ。

 

 『知恵の木(根源)』への道は未だ遠く、最果てへは半ば。

 輪廻の果てより当家に生まれ出でた以上、生まれの責任は果たさなくてはなるまい。

 私の何故を解き明かすためにも私は是が非でも根源に問わねばならぬのだ。

 

 千年樹(ユグドミレニア)に栄光を。未来を手にし、勝つのは私だ──。

 

 

 ──ある男の独白

 

 

☆  ☆  ☆

 

 

 

「思うにマスター、あんたは相当な馬鹿だと思うぜ」

 

「──心外だな。確かに私は自分を優れていると慢心できるほど良い出来をしていない凡庸さだが、だからこそ優れた人間にも劣らぬよう常に精進しているつもりだったのだがね。参考までに聞かせてもらえるかな? アサシン・ロビンフッド(・・・・・・)。権力者に逆らい続けてきた先駆者たる英雄よ。君の言葉はこれから為すべきことの参考になるかもしれん」

 

「ハッ、そういうところだよ。あんたの言う通り、俺らみたいな凡庸な奴は地道に鍛錬するか、陰湿に罠を張るかそういった事でしか上に迫れないがねェ、だからと言って、これはない、これはないだろ、あんた」

 

 

 二人の男が会話をしている。

 何処ともつかない樹海の奥底。

 おおよそ人界とは縁のなさそうな大自然の中。

 その中に不自然なまでにポッカリと出来たクレーターのど真ん中で呆れるぐらいボロボロな青年と、青年と同じぐらいにボロボロで今にも消えかかっている青年がまるでそこそこの付き合いを持つ悪友同士のような会話を行う。

 

 

「曰く、聖杯大戦とやらが控えていて? 時計塔やら何やらを相手にしないといけないことが決まっていて? だから万全を期して聖杯戦争を経験しておこうと亜種聖杯戦争を渡り歩く? 誰がどう聞いても気が狂ったか、阿呆としか思わんでしょ、これ」

 

「だが控えているモノの大きさを考えれば当然の行為だろう? 君はいわゆる貴族(わたし)の敵であった立場の人間なわけだが、それでも家を守る、家族を守るといった行為への切実さは分かってくれると思ったのだがね」

 

 残念だ、と仏頂面で漏らす青年にそうじゃねえ、と青年は呆れたツッコミを加える。

 

「あんたの願いについちゃあ納得している。つかじゃなきゃオタクに俺が此処まで付き合うわけないでしょ。報酬未払いのただ働きが決まってる上でそれでも付き合ったのはあんたへの義理立てなわけですし? おかげで生前では体験できなかった騎士やら英雄らしい真似もさせてもらえましたしね、満足はしてますよ」

 

 その上でと続けて青年は言う。

 

「馬鹿なのは願いじゃなくて手段の方だ。死にたくないから滅びたくないから、そのために生死のかかった戦場を万全で乗り切るために生死のかかった戦場に幾度も身を投じるってのは矛盾極まりない馬鹿な行為だと俺は言ってんのさ。それも狂ったことに縛りプレイまで設けて、だ。あんた俺を呼び出した後、俺を呼んだ理由になんていったか覚えてるか?」

 

「無論だ。一言一句覚えているとも。『私は恐らく聖杯大戦ではアサシンを呼ぶことになる。ゆえにアサシンを運用する経験を積むために君を呼んだ』だ」

 

「……はぁ、呼ぶにしても三騎士とかもっとこう高名な英霊を呼ぶとかするでしょフツー。それをまあ俺みたいなのを狙って呼んで死にかけて、果てにあるものが生存したという経験? 何度でも言ってやりますともあんたは馬鹿だ」

 

「……ふむ、確かに。客観的に言われてみると否定しようがないな。だが仕方ないだろう? 他に思いつかなかったのだ。英霊交わる戦争である以上、私自身の腕をどれほど向上させたところで、キャスターのサーヴァントが指先一つ振るうだけで百年も生きていない魔術師の魔術など簡単に破られるし、武術を学んだところで三騎士に瞬殺されるのがオチだ。ならばこそ唯一の参加経験による判断こそを鍛えるべきだと判断したのだがね。逆にこれ以外の方法があるならば是非ともご教授頂きたいが……」

 

「ねえですよ。つか前提として英霊をまともに相手にしようなんて発想が……って、ああクソ。もう時間がないか。ともかく本番とやらで俺を呼ばないでくださいよ。あんたみたいな馬鹿主に付き合ってたら命がいくつあっても足りないんでね。呼ぶならあんたに似合いの馬鹿な英霊にでもしてくれ──けどま健闘ぐらいは祈っときますよ。仮にも俺が慣れない騎士の真似事をしながら守ったマスターなんでね。せめて本懐とやらを遂げてくれなきゃ割に合わないってもんですわ」

 

「覚えておこう、ロビンフッド。弱者に寄り添い続けた誇り高き義賊の英霊。君の言う通り、君は暗殺者の枠になど似合わない誇り高き英霊だった。次は弓兵としてまみえることを祈っておこう」

 

 いやそういうことじゃねえっすわ、ほとほと呆れたといわんばかりに消えかけの青年は肩を竦め、そのしぐさを最後に現世から完全にその姿を退去させた。

 サーヴァント、或いは境界記録帯(ゴーストライナー)と呼ばれた英雄の影は最後の最後まで生前を生きた英霊らしく、未練なく後悔なく消えていった。

 

 その様を見送った青年……マスターと呼ばれた男はポツリと誰もいなくなった戦場跡地で呟く。

 

「──あぁ、本当に。記憶の通り(・・・・・)、君は英雄だったよロビンフッド。まさに噂に違わぬというやつだ」

 

 九度の戦場(・・・・・)を経て尚、呼び出してきたアサシンの英霊の中でも間違いなく最も誇り高かった騎士の英雄。そう称しても全く過言ではなかった。

 

「さて聖杯大戦まであと一年。できればもう一度ぐらい経験をしておきたかったが、聖遺物の収集及び戦争準備までの期間を考えれば経験値を積む時間はもうないか。やれやれ人生とは案外短いものだな、或いは一度経験しているせい(・・・・・・・・・・)か? まあ、いい」

 

 煤汚れた白い外套を翻し、力強い足取りでクレーターの中心から地上へと歩きあがる。

 暗がりの樹海にはタイミングよく朝日が差し込み、さながら栄光への道を上るようだ。

 

 しかし青年は知っている。栄転は同時に没落と紙一重であるということを。

 だからこそ足取りは常に力強く、踏み過たないと覚悟するように。

 

「では聖杯大戦を始めよう。勝者は我々、ユグドミレニアだ」

 

 ──千年樹に栄光を。

 今回で九十九度目の開催となる亜種聖杯戦争を勝利したマスター、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアはまるで運命を睨みつけるようにその誓いを口ずさんだ。

 

 

 




第一夜(中東) ハサン・サッバーハ(呪腕)

第二夜(アイルランド) ランスロット・デュ・ラック

第三夜(中東) マタ・ハリ

第四夜(中東) ハサン・サッバーハ(静謐)

第五夜(ドイツ) カーミラ

第六夜(中国) 李書文

第七夜(南米) 正義の味方

第八夜(エジプト) クレオパトラ

第九夜(アメリカ) ロビンフット


第一夜 〇
第二夜 〇
第三夜 〇
第四夜 〇
第五夜 〇
第六夜 〇
第七夜 ×(右目を負傷・失明)
第八夜 〇
第九夜 〇


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時計塔にて/サン=マロの乙女たち

死というモノを意識しだしたのは六歳の頃だった。

葬式上で見た棺に横たわる死体。

すすり泣く親族たちを傍目に私が抱いたのは悲しみではなかった。

世話になった人だった。身内として好意は持っていた。

知己であり、大切な身内だった。

なのに冷たくなったその手に触れた瞬間、

私が抱いた感情は悲しみでも感謝でもなく、

忌むべきモノに向けるはずの嫌悪という感情だった──。


 かつて極東のとある地で三度の戦争があった。

 戦争と言っても歴史に残るような戦いではなく魔術師たちの戦争である。

 七人の魔術師と七騎の英霊による戦い、聖杯を巡る戦。

 即ち聖杯戦争と呼ばれる戦いである。

 

 聖杯。魔術世界におけるそれは聖人の血を注ぐ杯に非ず。

 無限に等しい魔力でもって使用者のあらゆる願いを叶える願望器。

 それこそが魔術世界の聖杯である。

 

 英霊という過去の、そして未来史に現れるだろう英雄の影ともいうべき存在を従え、他の魔術師が従える英霊を倒し、最後の一人残った聖杯を手にするに相応しき者にこそ聖杯は姿を顕現させる。

 汝、己が最強を証明せよ──。

 

 極東で開催された三度の戦いはそんな謳い文句で様々な魔術師たちを誘蛾灯のように引き寄せ、滞りなく開催されたという。

 時計塔率いる魔術協会のそんなものはないという胡乱な意識と、極東という西洋圏が主体である魔術世界から遠い場所、そして神秘操る魔術師たちから見ても人の手で行うには余りにも“非常識”であるが故にその儀式は魔術秩序を維持する者たちの目を掻い潜った。

 

 だが、争いによって始まった聖杯戦争の行方は争いによって終わりを告げる。

 七人の魔術師。七騎の英霊。

 それが相争っていたはずの報酬たる聖杯が唐突に消失したのだ。

 

 当時、第三帝国を名乗った悪名高き大国の介入。

 大戦末期にオカルティズムに傾倒していたその国はその軍事力を当時同盟していたはずの極東に態々差し向け、自国のために聖杯を手に入れようと武力でもって奪取を試みてきたのだ。

 

 神秘世界に不介入のはずの表向きの存在の介入。

 まして相手はある意味で本当の戦争屋たち。

 如何に非常識を司る魔術師とて、如何に非常識たる英霊とて、現代の歴史を司る本物の戦争と非常識に敵うはずもなく帝国の目論見通り聖杯は帝国の手に堕ちた。

 

 しかし──聖杯は消えた。

 何が起こったのかは分からない。

 何らかの不具合が聖杯に起きたのか、何処の英霊が有する最大級の神秘『宝具』によって聖杯に何かが起きたのか。何れにしても詳細は不明。

 

 何はともあれ、事の起こりの開催地の魔術御三家の悲願たる聖杯は消失し、手に入れたはずの第三帝国からも消えた。

 これをもって三度の聖杯戦争の幕は閉じ、多くの謎を残しながらも万能の杯を巡る争いは五十年前、静かに終わりを告げたのだった──。

 

「そう、極東の(・・・)聖杯戦争は終わりを告げた。各地に表面上のみ似せた聖杯戦争の術式を四散させての。まさに各地で今なお散発する『亜種聖杯戦争』の原因とも言える出来事じゃな」

 

 嘯くようにひょっひょと笑いながら朽ち果てた枯れ枝を思わせる容姿の老人、ロンドンは時計塔の召喚科学部長ロッコ・ベルフェバンは笑う。

 お陰で魔術師の数も格段に減った、と嘆きながら。

 

「──で? わざわざ俺を呼びつけて俺にそんな話をしてどうしたいってんだ、爺さん? まさか失われた聖杯の居場所を探れ、なんていうつもりじゃないだろうな? そうなら悪いがトレジャーハントは専門外だ。別を当たってくれ」

 

 そう答えるのはロッコの対面の男。

 ロッコとは比べ物にならない筋骨隆々な大柄に、スカーフェイスとサングラス、そこに黒いジャケットを羽織った姿はどう考えても堅気な人間には映るまい。

 一目見たものはどこぞのマフィアかカルテルに属するアウトローとしか思えないだろう。

 

 男の名は獅子劫界離(ししごうかいり)

 フリーランスの魔術師──否、魔術使いである。

 死霊魔術の研究を進める傍ら、半ば本職となりつつある傭兵稼業に勤しむ魔術師で、主なクライアントは魔術協会は総本山、ロンドンに鎮座する時計塔。

 今回も時計塔からの依頼とのことで、此処に足を運んだというわけだが──。

 

「否じゃ。トレジャーハントならばお主の言う通り、お主ではなく別の者に依頼しておったからの。お主に求めるのであれば探すではなく、手に入れるが相応しいじゃろうて」

 

「……なに?」

 

「此度の依頼じゃよ。かの冬木の地から姿を消した聖杯……七人の魔術師と七騎の英霊が相争ったこの聖杯を入手するためにお前さんを此処に呼んだ。時計塔から代表する七人の魔術師の一人としてな」

 

 それが本題じゃ、と意地悪くロッコは告げる。

 その言葉を聞いてなるほど、と獅子劫は合点がいったと頷く。

 聖杯戦争。聖杯を巡る魔術師の闘争。

 

 なるほど確かにそれは戦争屋(傭兵)である己の職分だ。

 だがしかし。

 

「俺に聖杯戦争に参加しろっていうことか。だが冬木の聖杯は──」

 

「ユグドミレニア」

 

 先ほどまでの話。

 冬木の聖杯は消失したと告げようとした獅子劫の言葉を遮ったのはロッコの短い単語。ユグドミレニアという名前。

 その言葉を聞いた獅子劫はすぐさま反射的に思考を働かせる。

 ユグドミレニア、聞いた名である。かつて北欧から時計塔に流れてきた魔術一族だったはずだ。とりわけ寿命以上の時を過ごすという当主の名は時計塔でもよく流れていた。どちらかといえば悪い意味で、だ。

 当主は時計塔で講師として活動していたものの、魔術師としてよりも政治屋として辣腕を振るっていたという話だ。

 

 古より魔術による争いごとより政治闘争の激しい時計塔において新参ながらも派閥闘争、権力闘争、予算獲得闘争において手腕を振るい、時計塔において最高位の魔術師に贈られる称号──“冠位(グランド)”に政治力で漕ぎつけた男。

 その手腕、裏切りと詐術で信じる者、信じない者問わず操作し、騙し抜く、ついた渾名は八枚舌……そう、名前は確か。

 

「ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。聞いた名だな」

 

「そうじゃ、八枚舌のじゃよ。尤も問題は奴ではなく一族諸共じゃがの」

 

 そういってロッコは……この常時飄々とした風情の老人には似合わぬ不快感と苛立ちを込めた言葉で続ける。

 

「ダーニック、いやユグドミレニア一族が離反を起こした。よりにもよって時計塔に代わって新たな協会を結成すると宣戦布告をしてきおった上での」

 

「……ハァ?」

 

 思わず獅子劫も唖然と開口する。

 西暦以降、魔術世界を統べる魑魅魍魎の伏魔殿、時計塔。

 桁違いの歴史と魔道を誇る十三の大貴族。

 そして数多の魔術遺産と神秘と魔術師。

 言ってしまえば魔術世界の全てとも言うべき存在へ向けた宣戦布告。

 

 無謀という話を通り越して愚行以下の愚行。

 自殺志願としか思えない行為である。

 ましてや一族総意ともなれば家ごと取り潰されかねない事案だ。

 下手をしなくても族滅されて終わるのみ。

 

「気でも狂ったのか? ユグドミレニアは」

 

「然り、気狂いの所業じゃよ。じゃが連中の叛意には根拠がある。聖杯という最大級の根拠がな」

 

 そういってロッコは話す。

 

 かつて当主ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは冬木の聖杯戦争に参加したという事実。

 ナチスドイツを唆し、聖杯を冬木の地より持ち出したということから、それを現在のユグドミレニアの本拠地であるルーマニアに密かに持ち帰っていたこと。そしてこの五十年、その起動準備に時間を費やしていたことから全てを。

 

「無論、真実を知って時計塔が黙っているわけもあるまい。時計塔は、我々はすぐさま連中を誅するため『狩猟』に特化した魔術師五十名を派遣した、じゃが……」

 

「悉く返り討ちにあった、か……」

 

「そうじゃ。奴らはよりにもよって英霊でもってこれらを撃滅しよった」

 

 英霊。或いは境界記録帯(ゴーストライナー)

 それは神話や伝説を基盤とした信仰より生まれ出る存在。

 人間を超え、精霊の領域まで押し上げられた人類史の守護者。

 聖杯戦争においてサーヴァントと呼称される戦時における魔術師の剣であり、盾。

 

「なるほど、そりゃあ敵わん」

 

「じゃがこちらも只では転ばなかった。五十人のうち生き残ったたった一人、この一人がユグドミレニア離反の事実と……そして我々の反撃の機会を作った」

 

 現時点でユグドミレニアは通常の聖杯戦争における召喚限界──七騎全ての英霊を召喚し、使役しているという。

 本来であればこの時点で時計塔側に出来ることなどない。だが、しかし生き残ったという魔術師はユグドミレニアが奪取した冬木の聖杯に決死の覚悟で接近し、この聖杯が持つある予備システムに介入した。

 

 英霊七騎が特定勢力に統一され偏りが生じた場合、聖杯戦争を正しく運用できなくなった場合にのみ……新たに七騎の英霊を召喚するという機能に。

 

「即ち、我々時計塔とユグドミレニア一族の聖杯戦争。七人の魔術師と七騎の英霊同士(・・)の戦い──聖杯大戦(・・・・)じゃよ。今一度告げよう獅子劫界離。時計塔の魔術陣営“赤”の魔術師として英霊を従え、聖杯を入手してもらいたい」

 

「────」

 

 嘆息。吐き捨てる息には様々な感情が乗っていた。

 聖杯大戦。

 七対七、計十四騎による聖杯を巡る戦い。

 

 まず生存率は今まで請け負った依頼の中でも遥かに低いだろう。

 何せ、英霊──サーヴァントが絡む戦いだ。

 まして空前絶後の規模ともなれば世界中で行われている亜種聖杯戦争なる偽儀式とでは比較にならない。

 加えて相手は五十年前から闇の中で牙を研ぎ続けていた存在。

 時計塔に叛意を向けるまでに相当な準備と計画を立てているだろう。

 

 しかし……しかしだ。

 

 甘言が鎌首をもたげる。

 時計塔の思惑、ユグドミレニアの悲願。

 それら巻き込む様々な思惑の交差する屈指の戦場を上手く出し抜ければ、手に入るのは曰くこの世のありとあらゆる願いを叶えるという杯。

 

 獅子劫界離には願いがある。

 それこそ聖杯ほどの存在に託さねば叶わぬほどの願いが。

 ゾクリと背筋を這う冷たい感覚。

 恐怖か戦慄か……否、そのどれでもない高揚。

 

 万能の杯という魅力(チャーム)に魅了される感覚。

 そう、この戦にはもしも(・・・)がある。

 そして、それは命を懸けるに値するもしも(・・・)である。

 

 獅子劫の口元が微かに歪む。

 それに我が意を得たといわんばかりにロッコは頷き、

 

「依頼を受けるか?」

 

「……幾つか質問がある。こちらの魔術師についての詳細は」

 

 即答を避け、質問を投げる。

 それにロッコは淡々と言葉を返した。

 

「『銀蜥蜴』ロットウェル・ベルジンスキー、『疾風車輪』ジーン・ラム、『結合した双子』ペンテル兄弟、それから時計塔の一級講師フィーンド・ヴォル・センベルン。時計塔から派遣するのはこの五人じゃよ」

 

「そりゃあまた大盤振る舞いだな」

 

 獅子劫も納得する面子だった。

 界隈で名の通った一級の戦闘に特化した怪物たち。

 戦争を勝ち抜き、ユグドミレニアを殲滅するに不足はない。

 だが、ロッコは獅子劫のコメントに何故か苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 

「……確かに。本来ならばこれで事足りたろうがの。ワシは本音を言うならばマクレミッツ辺りを引き込みたかった所じゃよ」

 

「──ユグドミレニアはそれほどの準備を整えていると?」

 

 マクレミッツ。それはアイルランドに古くからある魔術一族の名であるが、こと時計塔におけるその名は個人を指す。

 『封印指定執行者』バゼット・フラガ・マクレミッツ。

 『狩猟』特化の魔術師など及びもつかない超級の戦闘屋。時計塔より直々の依頼で行動し、在野に隠れ潜む『封印指定』魔術師を仕留める一線級のハンター。

 

 繰り出されるルーン魔術により強化された拳撃の冴えは下手な英霊さえも凌駕するという──彼女の名前が出るということは相当な警戒だといえよう。

 

「戦闘となればダーニックは問題あるまい。他のユグドミレニア一族も然り。奴らは所詮は歴史が浅いか、半ば衰退した魔術一族の集まりだからの。時計塔以上の魔術師は揃えられまい。じゃが『先祖返り(ヴェラチュール)』──アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは別じゃ」

 

「戦場で聞いた名だな。確か隻眼の『先祖返り(ヴェラチュール)』。在野の魔術師の中でも特に戦闘に特化していると聞くが……」

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは近年、名前が上がるようになってきた魔術師の一人である。

 世界中で散発する亜種聖杯戦争に度々参戦する傍ら、しばしば時計塔の魔術品収集を妨げる忌むべき存在としてここ数年で名前が挙がるようになった。

 時計塔の執行者と開戦しながらも悉く勝利を収め、亜種聖杯戦争においても連戦連勝。噂では南米の方で亜種聖杯戦争に死徒が絡んだせいで聖堂教会も介入することとなった大乱戦においても生き延びたという。

 

「元々、アルドルは時計塔の降霊科(ユリフィス)考古学科(アステア)に属した男での。封印指定される以前の蒼崎橙子や在野に下った荒耶宗蓮と交友関係があったということ以外、取り立てて有名ではなかったのじゃが、牙を隠していたようじゃな」

 

 苦々し気にため息を漏らすロッコ。

 だが、獅子劫からすれば顔が思わず引きつる話である。

 特にロッコの口ずさんだ名前の前者……『人形師』蒼崎橙子といえば、ダーニックとは異なり、本当の意味での“冠位(グランド)”を頂いた魔術師。

 それと同期ともなればある意味魔道の冴えはお墨付きといえよう。

 ただの同期であれば名前は埋もれて来ただろうし、近年の評価を聞く限り『封印指定』を受けた蒼崎のそれに勝らずとも劣るものではないだろう。

 

 事実、ロッコもマクレミッツの名前を挙げるほどには警戒している。

 

「その『先祖返り(ヴェラチュール)』も聖杯大戦に参戦するっていうことか」

 

「寧ろしないと考える方が可笑しいじゃろう。今回の騒動はユグドミレニア一族全体に及ぶものだ。ユグドミレニア一族において数少ない本当の意味でのダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの血縁である以上、出てこない方が可笑しいじゃろうよ。それに今にして考えれば幾度も亜種聖杯戦争に参戦してきたのもこの時のため、と考えた方がいいだろうな」

 

「なるほどな」

 

 サーヴァントも脅威だが、これで相手の魔術師の脅威も考えなくてはなるまい。

 時計塔の執行者たちを悉く返り討ちにする戦闘能力に、本家に及ばぬとはいえ数多の亜種聖杯戦争を生き抜いてきた戦歴。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアを何をしてくるか分からない策謀家とするならばアルドル・プレストーン・ユグドミレニアは明確な脅威だ。

 これならばロッコが憂慮するのも仕方がない話だろう。

 

「よし、話は分かった。せいぜい警戒してやるさ」

 

「ひょっ、まだ契約の話はしてないはずじゃがの?」

 

「……フン。こちらは俺を合わせてもまだ六人だが他にいるのか」

 

 暗に参戦を表明と捉えられる獅子劫の言葉にロッコはニヤニヤと笑うが獅子劫は意に介することなく話の先を促す。

 それにロッコは気を良くしたのか続けて語る。

 

「魔術協会からはお主を含めた六人だけじゃな。あとの一人は聖堂教会から出ることになっておる。聖杯大戦の監督役兼、マスターとしてな」

 

「聖堂教会か。監督役兼マスターとはまた胡散臭い話だ」

 

「その意見に同意はするが下手にこちら側だけで事を進めると後が面倒だからの。それなら好きにやらせた方が諸々の処理がしやすいと介入を認めたのじゃよ」

 

 聖堂教会とは端的に言えば古くから魔術協会と犬猿の中たる組織だ。

 争う聖遺物が仮にも聖杯と呼称されたものである以上、かの者らが指をくわえて黙っていられるわけもなく、こうして聖杯戦争と呼ばれる争いのたびに『監督役』と銘打って屡々介入してくるのだ。

 

「なるほど納得はした、なら次だ。英霊……サーヴァントを呼ぶには何らかの触媒が必要だったはずだが、それは準備してあるのか?」

 

 聖杯戦争の肝となる英霊、サーヴァント。

 原点となった聖杯戦争においても亜種聖杯戦争においても彼らの召喚には英霊と生前に縁があった何らかの品……聖遺物が必要になると聞く。

 英霊に縁のある聖遺物ともなればそれだけで魔術品として一級の価値を有することが多いため、自前で入手するともなればかなりの手間となるだろう。

 

 まして昨今は亜種聖杯戦争のせいでその手の品の入手難易度は跳ね上がっている。

 仕事として受ける以上、わざわざその入手に手間を割くのは御免だと獅子劫は考える。だがその懸念はロッコの一声で無用と化した。

 

「無論。話に乗るというならすぐにでも開陳しよう。と、言ってもお主には実際に見せた方が早いか」

 

 そういってロッコは席を立ち、執務机の引き出しから黒檀のケースを取り出すとテーブルの上に乗せ、慎重なしぐさでケースの蓋を開ける。

 中にあったのは何らかの木片。

 一見してただの木片にしか見えないが魔術師である獅子劫の目はそこに込められた熱を確かに捉えた。

 ロッコが木片の正体を口にする。

 

円卓(・・)だ。かつて一騎当千の騎士たちが故国であるブリテンを守るために語り合った、な」

 

「ブリテンの……円卓……まさか、アーサー王のッ!?」

 

 ガタッと思わず立ち上がる獅子劫。

 ここにきて初めての取り乱し様だった。

 

 ブリテンに関わりのある円卓と聞けば、これの正体を突き止めるのはそれほどまでに容易い。

 世界屈指の知名度を誇る『アーサー王の伝説』。そこに登場するアーサー王率いる円卓の騎士たちが語り合ったという円卓の木片。

 ともすればこれを用いて現れる英霊はアーサー王、ランスロット、ガラハド、ガウェイン、トリスタン、パーシヴァル……いずれの騎士にしても召喚する英霊としては文句のない知名度と性能を誇る歴戦の英霊ばかりだ。

 

「向こうに『先祖返り(ヴェラチュール)』がいる以上、こちらも出し惜しむ訳にはいくまいよ。過去の亜種聖杯戦争において奴はランスロットを英霊として従えた戦いもあったという。向こうが円卓の騎士クラスの英霊を呼ぶ可能性を考えればこちらも手を尽くすのは当然だ」

 

「ほう……ネックなのはやはりアルドル・プレストーン・ユグドミレニアか」

 

 話を聞く限り此度の聖杯大戦最大の脅威は間違いなくそいつだろう。

 多数の聖杯戦争経験に加え、当人の戦闘能力に、時計塔と争いながら収集したであろう魔術品の数々。

 それらはユグドミレニア勢力を格段に増力させるに違いない。

 

「とはいえ、一人につき一体が形が変われど聖杯戦争の大原則じゃ。まして七対七であれば如何に個人で優れていようと付け入る隙は必ずある」

 

「同意見だ。それに突出した一人がいるってのはかえって分かりやすい。なんせそいつを挫けばこっちの勝率が大きく上がるって話だからな」

 

「その通りじゃ。──さて、こちら側から開示できる情報は全て晒したわけだが、どうするかね? 此度の依頼、受けてもらえるだろうか?」

 

 もはや答えは分かり切っているという顔でロッコは獅子劫を見る。

 果たして獅子劫は──口を開き、ロッコはニヤリと静かに頷いた。

 

 翌朝、ロンドンを発つ飛行機に獅子劫の姿があった。

 荷物の中には黒檀のケース。

 行先はルーマニアが地方都市──トゥリファス。

 

 まもなく開催される聖杯大戦、その舞台であった────。

 

 

 

 

 

 ──『時計塔にて』

 

 

☆  ☆  ☆

 

 

 フランスのサン=マロはイギリス海峡に隣した港湾街だ。

 中世には修道士たちが身を置く城塞都市として。

 そして現代ではフランス屈指の観光地として知られている。

 

 取り分け、ここサン=マロの海岸から望む教会堂を展望する景色は「モン・サン=ミシェル」と呼ばれ、世界的にも知る者は多いだろう。

 西洋の驚異とも評される絶景は敬虔なカトリック信者であれば一度は必ず巡礼に訪れたいと願う場所であろう。

 

 フランスの片田舎から出てきた少女、レティシアもその一人だ。

 

「……綺麗」

 

 感嘆のため息をほうっと漏らしながら思わず呟く。

 学校の長期休暇中、旅行がてらにと友人に連れ出されてきた場所だが、まさに噂に違わぬといった絶景である。

 時刻がちょうど夕時というのも相まって暗い空と真っ赤な夕日が灯る水平線を背景に佇む教会堂は歴史を思わせる荘厳さと何処か切なさを覚える絶景だった。

 

 昼と夜。海と空。現世へと無言に佇む古代の遺物。

 不思議な感慨を覚えさせる永遠のような風景。

 

 だから、だろうか。

 

「──確かに。私も初めて見ましたけどこんなに綺麗だったんですねー」

 

 黄昏時は、逢魔が時。

 暫しあり得ざるものと出会う時間帯であるということをレティシアは知らなかった。

 だからこそ、この一時に少女たちは無邪気で無垢な邂逅を果たす。

 

「え?」

 

 それが自分に掛けられた声だと気づきレティシアは振り返った。

 女性だった。

 まず目につくのは手品師の身に着けるようなシルクハット。

 それから現代の流行からは大きく離れたフランス革命以前に流行っていたクリノリンドレスのようにスカート部分が膨らんだ丈長のドレス。

 

 何処かの舞踏会を抜け出してきたお嬢様といった風情でありながら全体的に地味な色で統一されているため庶民臭さが残るというチグハグな姿だ。

 茶髪に翡翠の瞳と全体的に整った顔立ちは確かに美人というべき顔立ちでありながら何処となく幼さを残しているため、実年齢は分からない。

 少女と言えば、少女。

 女性と言えば、女性。

 どこぞのお嬢様とも見えるし、逆に世間知らずの田舎娘とも取れる。

 

 曖昧だ。まるで昼と夜の狭間の様──。

 

「初めまして。貴女も観光ですか?」

 

「……ぁ、はい!」

 

 困惑しているとそんな質問を投げかけられる。

 思わずはっとして反射的に大きな声で返事した。

 人気のない辺りに声が響く。

 次いでその事実に気づき、恥ずかしさに赤面して顔を伏せる。

 

 レティシアという少女は純朴な村娘であり、お世辞にも人見知りが良いとはいえない。今回も友達に連れ出されなければ日課のミサに出るための教会と学生寮を行き来するだけで長期休みは終わっていたことだろう。

 それぐらいには積極性に欠けていた。

 

 だがそんな少女の大人しい気質を意に介することなく、女性は勝手に話を続ける。

 

「そうなんですねー、私は半分仕事、半分観光みたいな感じです。私のマス……主人がちょっと用事がてらに寄るということでせっかくだから私も一緒にと、ついてきちゃいました。昼間は街中を巡って、今は帰りがてら最後に此処を見ようと思って来たら丁度いい時間帯に着いたみたいですね。運が良くて助かっちゃいました!」

 

「は、はぁ……」

 

 ニコニコと笑いながら告げる少女然とした女性は困惑するレティシアを傍目に勝手に会話を続ける。

 やれあのレストランが良かったとか、あの道は観光しながらのお散歩に最適だったとか、主人が常時仏頂面の癖に顔に似合わず甘いものが好きだとか、その他諸々、恐らくその身に起きたであろう楽しかった出来事をひたすらに列挙していた。

 

 まさに勝手気ままに喋っているという風だが、何処となく愛嬌のある性格も相まって会話は一方的ながらそれが不快感には繋がらず、寧ろ微笑ましく思えてくるのは彼女の人格だろうか。

 さながら上京したての田舎娘が初めて見る都会の景色に興奮しているような様はレティシアをして既視感を覚える光景であり、自然といつの間にか友人と会話をするような感覚に引きずり込まれた。

 

「──それで、特にそのキッシュが絶品でして! 内装は主人曰くフランスじゃなくて英国風だーってことらしいですけどそんなの気にならなくなるぐらいおいしくって! 思わずおかわりも頼んじゃいました!」

 

「ふふ、そうなんですか。話を聞いているだけでもとても美味しそうです。私も食べてみたいですけど、今はちょっとお値段に手が届きそうにないので社会人になってからもう一度訪れる機会があったら食べてみようと思います」

 

「あ、そうなんですかー。そっか、レティシアさんはまだ学生さんでしたね。あまり私はそういうのに縁が無かったので……あ、そうだ! せっかくなら主人に頼んでみましょうか? あんまりお金に頓着しない人だから意外と了解してくれるかも!」

 

「そ、それはちょっと……。そのご主人さんにも申し訳ありませんし」

 

「そうですか? 私がお願いすれば結構、簡単に了承してくれると思いますよ? ちょっと前にカフェで見かけたケーキを頼むときも色々とお願いしたら最後は了承してくれましたし。まあ「……君はもう少し自分の年齢相応の振る舞いというか、大人らしさというべきものを身につけた方がいいね」とお小言はもらっちゃいましたけど」

 

「……あの、それって呆れられてるんじゃ」

 

「そうですか? 私はそういうことあんまり気にしないんでよくわかりませんでしたけど」

 

 ……会話の合間合間に何となく「適当さ」が垣間見える性格が見えた気がしたがともかく二人の会話はいつの間にか初対面のそれではなく、どこか抜けてる少女と生真面目な少女という友人知人の会話らしいものになっていた。

 そうして時間にしてに十分ほど、いよいよ空が暗くなってきた時に──ふと少女が……女性が今までにない静かな穏やかさでもって口ずさむ。

 

「……平和ですねー」

 

「え?」

 

「ふふ、ごめんなさいね。ついフッと思っちゃったんです。私の居た場所はこんな風に友人と気軽に笑って過ごせる時代(ばしょ)じゃなかったので」

 

 天真爛漫を絵にかいたような女性が見せた聖母のような笑み。

 その横顔をレティシアは吸い寄せられるように見る。

 

怒声(いかり)怒号(いかり)、皆さんいつも何かに怒っていた。叫んで嘆いて、悲しんでいた。私は愚かだったから、皆さんが何にそんなに怒って嘆いているのかが分からなかった。だからこそ私は私がその時に信じた正しいことを行ったんです。……失敗しちゃいましたけどね」

 

 てへへ、と笑う顔には暗い影がある。

 言葉とは裏腹に激しく後悔している証拠だろう。

 レティシアは何も言えない。何も言えないまま話を聞いていた。

 

「だからこそ……あの時間の果てに、あの行為の後にこうした景色を見られたことは幸福だと思うのです。私は愚かで間違えたけど、その間違いの果てにこうして今の平和(フランス)がある。だったら、私は役立たずだったけど、間違えたけれど……良かったな、と安心できる。これで、心置きなく戦えそうです」

 

「戦う?」

 

 似合わない言葉に思わずレティシアは言葉を挟む。

 戦い、争い……この純朴な女性には似合わない不釣り合いな言葉。

 

「ええ、そうです。そのために私は呼ばれました。今はそう、ちょっと午睡のまどろみの中、夢を見ていただけです。かつて願い、そうなれば良いと思った平和の夢を。でもそろそろ行かなきゃですね。役立たずの私の手を取って信じてくれた今生の主人(マスター)のためにも」

 

 言って、女性は半歩引いてこちらに向かって、お辞儀をする。

 そうしてスカートの端を摘み、まるで天使のような風格で、

 

「では、ごきげんよう。レティシアさん。また(・・)、お会いしましょうね」

 

 不意に冷たい潮風が突風のようにレティシアの顔に掛かる。

 とっさに顔を背け、風が収まったころには……女性の姿は何処にもなかった。

 

 全ては溺れる夢のように、そんな再会の言葉を残し、気配も残さずシャルロットと名乗った女性はその姿を夜に消した。

 この出会いに意味はない。

 一人の少女が偶々、見知らぬ地で、見知らぬ女性と会話しただけ。

 旅の道すがらの不思議な出会い以上の意味はない。

 

 

 

 今は(・・)まだ(・・)




思うに、聖人を殺す最も簡単な手段はいつの世もたった一つだ


──とある魔術師の独白


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トゥリファスの夜/『先祖返り』

生と死。その二つに関して考えることが二つある。

それは自分という人種は生きることそれ自体に興味がないこと。

そして訪れる死への恐怖よりも、

死体を残すという行為に恐怖すること。

では何故、私は生を選び続けるのだろう。

では何故、私は死よりそれが齎す結果に怯えるのだろう。

私の原点、起源というべき根源は何処にある。


 トランシルヴァニア地方──トゥリファス。

 かのオスマン帝国の侵攻をはね退けたルーマニアの大英雄、ヴラド三世生誕のシギショアラから北方にある小さな地方都市である。

 中世におけるトルコ兵の侵攻を防ぐために作られた城塞とそのうちに囲われた中世欧州の古き良き街並み以外これといって突出するべき特徴がない街でもある。

 少なくとも表向きにおいては。

 

 だが、魔術世界──魔術師であればこの地の意味を知っている。

 此処には魔術研究には潤沢な霊脈と、その霊脈を管理する管理者(セカンドオーナー)が存在するということ。

 そして他ならぬその管理者こそ、半年前魔術世界における絶対の支配者たる魔術協会に宣戦布告を行い、時計塔が揃えた五十名の魔術師を悉く排し、今なお新秩序を築かんという野望に燃える此度の戦乱の首謀者であるということを。

 

 夜の闇深くなる深夜のトゥリファス。

 この街の最たる特徴である此処、ミレニア城塞にて。

 遂に動き出した野望を前に彼は武者震いと感慨に震えていた。

 

 男──ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 百年を生きる魔術師は大聖杯を見上げ、重々しく口を開く。

 

「そう──何もかもすべてはこの日のためだった」

 

 ユグドミレニアの血は穢れている。何れは廃れ、滅びるだろう──。

 そんな戯言を信じ、ユグドミレニアを軽んじた時計塔と袂を分かって久しい今日までの日々。

 必ずや時計塔に目にモノを見せてくれようという怒りを胸に第三次聖杯戦争を生き抜き、冬木の地よりかの大聖杯を持ち出し、この地の霊脈に大聖杯を適応させようと研究を続けること五十年……いや時計塔に復讐を誓ったその日より六十年以上。

 

 通常であれば一代が次代に移り変わるほどの時をダーニックは己が政治手腕とカリスマと魔道によって君臨し続けてきた。

 道は決して簡単なもので無かった。大聖杯を起動させるため、大聖杯の構造を解析し、必要な予算、資源をかき集め、一族の意思統一を図り、何れ来る聖杯大戦に備えるため密かに聖遺物を収集する──。

 誰にも気づかれず闇に潜みながらその牙を研ぎ続けるのは相応の苦労を要した。そして今、その苦労を対価に乗せた彼の一世一代の大博打が始まるのだ。

 

 負けるつもりはない。

 万全に万全を重ね、出来る限りの準備はし尽くした。

 されど負ければ、全てを失うこととなるだろう。

 だが────。

 

「勝つのは我々、ユグドミレニア。そうだな、叔父上」

 

「────」

 

 カツカツと靴を鳴らし、大聖杯を見上げるダーニックに近づく人物。

 足音はやがて、ダーニックの隣に歩み並ぶ。

 

「アルドル、戻ったか」

 

「ああ、当日になってすまない。こちらの仕込みに少々時間がかかった」

 

 そう告げる青年の名はアルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 ダーニックにとって数少ない血縁を持つ親族であり、ユグドミレニアに生まれた希望の千年樹。多くの血を取り込むことで薄く広く繫栄することを選んだ家系にあって未だ直系の魔術刻印を有する最後の一人だ。

 

「それについては問題ない。既にこちらでおおよその手筈は整えているし、お前は自由に動いてもらって良いという方針は告げているからな……とはいえ、もう少し自分の身を大切にしてほしいと叔父として思っていたがね」

 

 その言葉はダーニックを知るものではあれば耳を疑う言葉であった。

 何せ絶対の支配者たるこの男が自由行動を是とし、あまつさえ純粋に身を案じるなどということさえ行っているのだから。

 冷徹と冷酷さで魑魅魍魎の政治世界、魔術世界を生き抜いてきた男とは思えない。暖かな言葉もしかし、目前の青年が相手では仕方がないだろう。

 

 何せ、彼こそダーニックが全幅の信頼を置く唯一の魔術師。何れユグドミレニアが新秩序を築いた暁には新たな支配者として君臨することになるであろう千年樹の新芽なのだから。

 

「亜種聖杯戦争連戦に関する件は許してもらいたい。どのみち、モドキすら生き延びれないのであれば本番に保つはずがない。だがお陰でそれなりの知見と蓄積は得られたと思っている」

 

 心配に対する青年は感情の読めない鉄面皮で言葉を返す。

 親しいものより鋼のようだと例えられる威圧感を感じさせる感情色の無い言葉は喜怒哀楽を見せることを良しとしない政治屋として手腕を振るったダーニックの血か、はたまた生来の特徴であったのか。まあ、些事たる問題である。

 

 重要なのは青年がダーニックと志を同じくし、ダーニックに比する意志力で以ってその牙を研ぎ続けてきたという事実だけ。

 真の意味で青年はダーニックにとって身内であり、同志なのだ。

 

「そうか、ではその成長に期待させてもらおう──時計塔の動きは?」

 

「既に時計塔側から派遣される予定だった五人の魔術師のルーマニア入国を確認している。最後の一人もじきに到着するだろう。何れも手練れだが、前に出てくるなら私で対応できるだろう。聖堂教会の方も監督役を送り込んできている。やはり代行者を選んだようだな」

 

「ふん、向こうの準備も整い始めているということか」

 

 アルドルの報告にダーニックは鼻を鳴らす。

 宣戦布告をした時点でここまでは予定調和。

 今後は本格的にサーヴァント同士の聖杯大戦に発展するだろう。

 此処からは未知数の展開、経験豊富なダーニックとはいえ自分の予想する通りに全ての事が進むとは思っていない。

 

「とはいえ、準備の差で状況はこちらに一日の長がある。こちらは本拠地(ホーム)で戦える上、先んじて英霊を呼び出し、備えも築いた。出だしは我々ユグドミレニアが先行していると言えるだろう」

 

「ああ、少なくとも今のところはな。ロシェには悪いことをしたがキャスターは良く仕事をしてくれている。流石はアイルランド屈指の大英雄」

 

「お前がつけたオーダーか。お前が親族の誰かに直接命令を下すのは珍しいと思っていたが……そうだな、今更だが真意を聞かせてくれるか? 何故、キャスターのサーヴァントを指定した?」

 

 そういってダーニックは思い立った以上の意図がない質問を投げる。

 アルドルはユグドミレニア一族においてダーニックに次ぐ権限を有している。そのため一族に命令し、動かすことに何ら問題はないが、基本的に個人で行動するこの目の前の青年は誰かに何かを命令することはない。

 必要であれば自ら動き、成す。それがダーニックの知るアルドルという青年である。しかし二か月前──ダーニックがサーヴァントを呼び出したのに少し遅れて開戦時期より早くに呼び出すこととなるキャスターのサーヴァント。その召喚に際してアルドルはマスター候補に一つの命令を付けたのだ。

 本来マスター候補者が用意したキャスター用の聖遺物……ではなく、己が用意した聖遺物でのサーヴァント召喚という命令を。

 

「大したことではない。時計塔から選出されるマスターに思うところがあってな。念のため細工をさせて貰っただけだ。杞憂に終わったがな」

 

「ふむ?」

 

 そういって肩を竦めるアルドル。

 彼の言う思うところとやらに興味が無くはないが口にしないというならば特に問題がないのだろうとダーニックは追及しなかった。

 代わりにダーニックは別の話題を口にする。

 

「サーヴァント、といえばお前がアサシンのサーヴァントを選ぶのも意外だったな。真っ当に考えれば三騎士の何れか、或いは最優たるセイバーのサーヴァントを選ぶと思っていた」

 

「ああ、その件か」

 

 聖杯戦争の肝となる英霊──サーヴァント。

 そのサーヴァントには召喚するに至って、七つの枠組みを持ってこの世に招かれる。

 

 剣に武勲を託した英霊──『セイバー』

 槍に武勲を託した英霊──『ランサー』

 弓に武勲を託した英霊──『アーチャー』

 騎乗し、戦場を駆け抜けた英霊──『ライダー』

 魔術と、神秘現象を操った英霊──『キャスター』 

 暗部で、密やかに語られた英霊──『アサシン』

 狂乱し、狂気を恐れられた英霊──『バーサーカー』

 

 基本をこの七クラスとし、計七体が召喚されるのが聖杯戦争である。

 此度の聖杯戦争は倍の十四騎だが基本のルールは変わらない。

 

 そして聖杯戦争において特に七クラスの内のセイバー、ランサー、アーチャーは三騎士と呼称され、いずれも力持つ英雄が呼ばれやすい傾向にある。

 特に全サーヴァント中最優と呼ばれるセイバーのサーヴァントは聖杯戦争に挑むものであれば誰しも選択肢に入れたい存在だ。

 

 かくいうダーニックもまた三騎士のうちのランサーを選択している。であればアルドルも何れかを選ぶと考えていたのだが。

 

「よりにもよってアサシンとは。侮るつもりはないが良かったのか?」

 

「元々、セイバーのクラスは視野に入れてなかった。最優の肩書を欲しがりそうなマスターもいたからな、そして先の命令をロシェにすることを決めていたからキャスターも選択肢にはなかった。残るはアーチャー、ライダー、アサシン、バーサーカーだが……現状のユグドミレニアの魔術師を考えれば私がアサシンを選択するほかあるまい。それこそ侮るつもりはないが、私以上に上手く運用できる魔術師が思いつかなかった」

 

「なるほど、そういうことか」

 

 淡々と告げるアルドルの言葉にダーニックは納得する。

 サーヴァントの強さではなく、サーヴァントの運用を考えての選択ということであればダーニックから見ても合点がいく。

 アサシンクラスは曰く、最弱のクラス。基本として隠れ潜み、マスター殺しが主体となるため、その運用はかなり難しい。

 加えて冬木の聖杯で多く呼ばれるアサシンの英霊──ハサン・サッバーハはもはや世界中の亜種聖杯戦争の影響がため名前が知られすぎており、聖杯戦争に挑む魔術師たちであれば基本、その暗殺に対して対策を立ててくる。

 

 言ってしまえば七騎の枠の中で一番、対応しやすく故にこそ運用は魔術師の腕に依存してくる。此度にアルドルが召喚したのは山の翁(ハサン)に連なるものではないと聞いているが、それでもアサシンクラスがシビアなのは変わるまい。

 だからこそユグドミレニア一族において魔術師として最も秀で、かつ自らが戦闘に特化したアルドルが選ぶことに何ら違和感は無かった。

 

「それに私自身、狙われやすいことを自覚している。ユグドミレニアの宣戦布告を抜きにしても魔術協会は度々活動を妨害してきた私を敵視しているだろうし、死徒の件で南米で揉めた聖堂教会もそれは同じだ。状況的に落とされやすい以上、失った時の損失は少ない方がいいと考えたまでだ」

 

「お前に居なくなられるとそれはそれでプレストーンの損失なのだが……まあいい。お前はそういう奴だったな」

 

 自分の命すら冷静に俯瞰するアルドルにダーニックは苦笑する。

 一族のことを第一に考え、常にその力となることを考えている風情の青年だが、それ故に己の存在を軽く見すぎるのはダーニックが知る青年の数少ない欠点だった。何れはユグドミレニアを引き継ぐものとしてもう少し我が身を労わってほしいと願うのは数少ない血縁者だからこそ抱く情か。

 

「ともあれお互い健全のまま今日この日を迎えられたことを喜ぼう。此処からの展開は未知数だが、どの道勝たねばユグドミレニアに未来はない」

 

「分かっている。緩やかな衰退ではなく、繁栄こそが我らの望みであるならば敗亡と隣り合わせであろうともこの選択以外はあり得なかった」

 

 ダーニックの言葉にアルドルが頷く。

 そう、滅亡の危機、衰退の未来。

 そんな終わりを覆すために今日この日は存在するのだ。

 

「ユグドミレニアに勝利を。必ずや我々が勝利の美酒を呷るのだ」

 

「是非もなし。やるべき事をやり抜くまでだ」

 

 杯を交わす代わりに大聖杯を睥睨しながら二人は誓いを口ずさむ。

 ユグドミレニア最大の勝負に向けて勝利を胸に。

 

 と、胸の内を改めて誓い合った二人の間に割って入る一つの声。

 

「────おじ様、もうそろそろ時間ですよ」

 

 車輪の軋む音と共に放たれる透き通った柔らかな声。

 二人が振り返ると車椅子に座った少女が微笑んでいた。

 一瞬、アルドルの方に戸惑うような視線が向くが、アルドルは気づかない振りをした。

 少女とアルドルの間に交わされた微かな違和にしかし、気づくことなく或いは気づいた上でダーニックは少女に微笑みかける。

 

「フィオレか、調子はどうかな」

 

「悪くはありません。弟の方は少し浮ついていますけど」

 

 そう告げる彼女の名はフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 ダーニックに並び立つアルドルと同じユグドミレニアが誇る数少ない優秀な魔術師の一人であり、此度の聖杯戦争におけるアーチャーのマスター。

 

 アルドルがそうであるように彼女もまたかつては時計塔に席を置き、降霊科と人体工学において輝かしい研究成果を残した天才である。

 ユグドミレニアにおけるその名声は一時は直系のアルドルを置いて一族当主の候補として名が挙がるほどに期待と信頼を向けられている。

 

「フィオレ」

 

「……はい、何でしょうアルドル」

 

 そんな彼女にアルドルは声を掛ける。

 すると彼女は微かに遅れて声に応じる。

 緊張か忌避か、感情の内は理解できないものの親しい者が見れば一目で分かる“苦手”と分かる対応の仕方であった。

 

 しかしアルドルはそんな彼女の様子を知ったことかと言わんばかりに用件だけを短く伝える。

 

「君から見てカウレスはどうだった。浮ついているとのことだが、単なるプレッシャーによる緊張か、はたまた召喚を前に委縮しているか」

 

「どちらもあると思います。英霊召喚に支障はないと判断しますが……姉としての発言を許してもらえるなら少し心配、といったところでしょうか」

 

 ダーニックに向けるそれとはまた別の種類、畏まった堅い言葉で応じるフィオレにアルドルはそうかと一言口にし、

 

「叔父上、少しカウレスと話してきます。召喚に関わる事柄であれば私にも多少の責任がある」

 

「分かった、先に行っててくれ。私たちもすぐに向かう」

 

「感謝する」

 

 そういってアルドルは一礼をダーニックに、目礼をフィオレに向ける。

 視線を向けられたフィオレは気まずげに目を伏せるが、気にせずアルドルは立ち去る。

 ──彼女が自分に向ける複雑な感情は理解できるが。

 

“こればかりは自らが答えを出すべきことだろう”

 

 故にアルドルは語らない。

 彼は変わらず己が為すべきことを為すだけだ。

 

 

 

 ──『トゥリファスの夜』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 刻限が迫る。いよいよもって聖杯大戦が始まる。

 あと数分も経たずに極大の神秘がこの地に降臨する高揚とそんな晴れ舞台に己もまた列席しているというプレッシャーを前にカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは戦慄と畏怖で微かに震える両手を握りしめた。

 

 自分にこの大役が果たして務まるのか──とマスターとして名前を挙げられてからずっと胸に内に繰り返してきた問いを自分自身に投げる。

 

 自他ともにカウレスの魔術師としての評価は凡才の一言に帰結する。

 一流の魔術師たる実姉、フィオレとは異なり取り立てて特徴のない三流魔術師、仮にその手にマスターの証たる令呪が宿らなかったならば自分は姉のサポートに終始したことだろう。

 

 それが何の間違いか自分の手に令呪が宿ったものだからこうして彼は自ら分不相応と自覚しながらこの大舞台に立っていた。

 与えられた枠組みはバーサーカーのマスター。召喚を予定する英霊は自分でもいろいろ考えていたが、急遽、アルドルが口を出したことで変更された。

 

 そのことに関していえば僅かながらカウレスは安堵していた。自らに自信を持たぬカウレスにしてみれば三流の自分が考えた発想より、ユグドミレニアの期待を一身に背負う姉と並ぶ天才の象徴、アルドルの考案であれば聖杯大戦に挑む責任が少しばかり軽くなるという思いからだ。

 

 そんな後ろ向きの発想をしていると、

 

「フィオレのいう通り浮足立っているなカウレス」

 

「うっ、わっ……と!? アルドル……義兄(にぃ)さん」

 

「久しいな。が、その呼び名は辞めておけ。正式に決まっていた話ではないし、そもそも有耶無耶に流れた話題だ。無用に口にすればお前の姉の心が揺らぐ」

 

 カウレスが振り向くと件の人物がいつもの鉄面皮にやや眉を顰めるようにして立っていた。

 ダーニックに似た藍色の髪に、意志の強さを湛えた菫色の瞳。

 白い外套に片眼鏡(モノクル)と一見学者じみた見た目だが、腰に携えた白い鞘に納められた一振りの剣のお陰か、暫しサブカル系の創作品に見える主を守る執事然としたものにも見える。

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 『先祖返り(ヴェラチュール)』の名で一族を執るユグドミレニア最強の魔術師。

 

「あ……すいません、アルドルさん」

 

「……とはいえ、さんも要らん。呼び捨てで構わない。お前には無理も言ったからな。私に気を使う必要はない」

 

「そうはいっても貴方はおれ──自分たちの次期当主ですし、気を使うなっていう方が難しいですよ」

 

「ふむ、それもそうか。ならば呼び名はそちらに任せるとしよう。ただしフィオレに無用の負担を掛けないように、だが」

 

「はは……そこは気を付けます」

 

 ダーニックらに向けたそれと比べればやや砕けた口調のアルドルに対し、カウレスもまた苦笑するように言葉を返す。

 ユグドミレニア一族において、立場や実力もあって畏怖されがちなアルドルだがカウレスとは事情もあって例外的に親しい関係にある。

 少なくとも互いに無用に縮こまってしまう程の溝は二人の間には存在しなかった。それでもカウレスからすれば緊張を抱かざるを得ない相手だが、そこはご愛嬌という奴だろう。

 

「それで、何かありましたか?」

 

「いや何、先に言った通りフィオレが浮足立っていると言っていたからな。気にかかったので声を掛けた、それだけだ」

 

「それは……すいません」

 

「謝ることではないだろう。元より一世一代の戦いを前に緊張しない方が不可能に近い。叔父上、ダーニックも緊張をしている様子だからな」

 

 だから無理はするなとアルドルは告げる。

 ……であれば一族の当主すら緊張する状況に平常運転なアルドルは何だとなるが彼を知ればこの振る舞いも見慣れたものだと気にしない。

 ダーニックに比する意志と、一族の誰しもを上回る才と、それらの要素を束ねる強い責任感と重圧に耐えられる不動の心臓を備えるからこそ彼は今日までユグドミレニア一族最強の魔術師として君臨してきたのだから。

 

「とはいえ、召喚についてはくれぐれも頼む。バーサーカークラスに注文を付けたのは申し訳ないと思うが……」

 

「いや、そんな……! 寧ろ俺としては聖遺物まで提供してもらって助かったというか……!」

 

「そうか、そう言ってくれると助かるな」

 

 カウレスが思わず身振り手振りで断ると相変わらず感情の見えない鉄面皮のまま安堵の言葉を口ずさむ。

 アルドルのいうバーサーカークラスの注文、というのは他ならぬ呼び出す予定のサーヴァントのことに他ならない。

 

 当初、カウレスは己の技量も考え呼び出す狂戦士の存在を朧気ながら決めていた。しかしそれに待ったを掛けたのが目の前のアルドルだ。

 彼はかつて自らが従えた亜種聖杯戦争で使用した聖遺物をカウレスに提供し、そうしてカウレスに言った。

 

 お前にはこのサーヴァントを召喚してもらいたい、と。

 

「……でも本当に大丈夫でしょうか。正直、俺の魔力量は高くないですし、狙い通り呼び出したとしても上手く扱える自信がないですけど」

 

「問題あるまい。そのためのムジークが用意したホムンクルスの代用だ。魔力についてさほど気にするところはあるまい。私自身の懸念を伝えるとすれば、アレをバーサーカーで呼ぶ以上、意志を制すのは相当な手間だ。いざともなればすぐに令呪を切るぐらいの心づもりでいると良い。強さに関しては他ならぬ亜種聖杯戦争を共に勝ち抜いた私自身が保証しよう」

 

「話を聞いて、なおのこと不安を覚えますけどね」

 

「ふむ……なに、此度は一対一ではなくチーム戦だ。無用に責任を覚えることはないだろう。いざというときは私が対応しよう。万が一の事態においてお前への責任追及はダーニックにもさせん」

 

 晴れぬカウレスの顔を思ってか、アルドルはそんなことを口にする。

 自分の責任において当主にすら口を挟ませないとは実にこの男らしい言葉にカウレスは思わず苦笑し、胸のものが少し軽くなるのを自覚した。

 

「そういってくれると少しだけ安心しますね。ホントは俺もそれぐらい見栄を切れれば良かったんですけど」

 

「その辺は年の差だろう。お前も何れ、そのように振る舞う時がくる。その時に間に合っていれば問題なかろうよ。……さて、来たぞ。いよいよだ」

 

 アルドルが視線を向ける。

 それに釣られてカウレスもまた召喚儀式上から見上げる所にある玉座。

 ユグドミレニア当主とそのサーヴァントが君臨する場所に視線を向けた。

 

「準備は整っているようだな──それでは各自が集めた触媒を祭壇に配置せよ」

 

 ダーニックの宣告にアルドルはカウレスに向けて微かに頷き、儀式の中心から距離を取り、見守るように壁に背を預けた。

 残ったのは床に引かれた魔法陣に佇むダーニックと共に現れたフィオレを含む計四名。

 

 一人目──ゴルド・ムジーク・ユグドミレニア。

 やや肥満体形の体に尊大な性格が一目で分かるほど雰囲気と顔立ち。

 錬金術を司るセイバーのマスター。

 

 二人目──フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 車椅子に座る少女はいつも通りの様にやや緊張を宿している。

 触媒となる一本の古びた矢を祭壇に据え、静かに待つ。

 

 三人目──セレニケ・アイスコル・ユグドミレニア。

 怜悧な美貌に反して放つのは血なまぐさい濃密な香り。

 生贄を基本とする黒魔術を操るがゆえのものだ。

 

 最後に四人目──カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 

 以上四名こそがユグドミレニアの誇るべきマスターたち。

 ここにダーニック、アルドル、そして──。

 

「おい! ちょ……引っ張るなよ! 生意気なんだよサーヴァントの癖にッ……!」

 

「はははははは、生意気なのはどっちだっつーの。つか出席しろってランサーのマスターが言ってたのに魔術の研究とやらに調子に乗って時間を忘れてやがったボウズを態々時間通り連れてきてやったんだ。寧ろ感謝してほしい所なんだがね」

 

 ぎゃあぎゃあとこの場に似つかわしくないほど賑やかし現れたのはユグドミレニアのマスターが一人、ロシェ・フレイン・ユグドミレニアとそのサーヴァントであるキャスターのサーヴァント。

 魔術師のクラスにも関わらず快活なその様はキャスタークラスに抱くイメージの逆をいくものだった。

 杖と顔を覆う青いフードの存在が申し訳程度に彼の魔術師らしさを香らせている。

 

「それでは王よ、これより儀式を始めます」

 

 全員が揃ったことを確認し、ダーニックが口を開く。

 彼はその背……空位の玉座に視線を向け、恭しく礼をする。

 

 直後、

 

 

《──うむ》

 

 

 光の粒子が神秘の存在を具現させる。

 夜に溶け込みそうな黒い貴族服。

 ゾッとするほど青白い肌に、無造作に伸ばされた白い髪。

 

 その存在が君臨した瞬間、場の雰囲気が緊迫する。

 畏怖と畏敬……相変わらずのアルドルを除けば、誰しもが飲み込まれそうになる圧倒的な存在感と、その存在特有の冷徹な瞳に見据えられると己がどうしようもなく脆弱な存在だと自覚させるのだ。

 彼こそ、かつてルーマニアを侵さんと迫ったオスマン帝国を退け、恐怖と武勲でもってルーマニアに君臨したこの国最大の英雄にして君主。

 

「さあ、余の手足となってくれる英霊たちを喚んでくれ」

 

 小さき竜公(ドラキュラ)──。

 或いはとある小説家に曰く吸血鬼(ヴァンパイア)とも。

 

 其の真名を『ヴラド三世』。

 ダーニックの呼び出したランサーのサーヴァントである。

 主であるはずのダーニックはしかし王の勅令に、

 

「御意」

 

 と、恭しく一礼して王の勅令を配下に告げる。

 

「それでは、始めようか。我らが千年樹(ユグドミレニア)の誇る魔術師たちよ。この儀式の終結を持って我らは二度と戻れぬ戦いの道へと足を踏み入れることとなるだろう──覚悟はいいな?」

 

 無言。それが何より不退転の覚悟を示している。

 

「よろしい。では──」

 

 

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。手向ける色は“黒”」

 

 謳うは“(ノワール)”のシンボル。

 宣する詠唱はこの世にこの世ならざるものを喚ぶための呪文。

 

「──告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのならば応えよ」

 

 魔力が満ちる。神秘が渦巻く。

 一流の魔術師たちはその額に玉の汗を浮かべ、渦を巻く魔力と神秘を決死の覚悟で制御する。恐怖か歓喜か、魔術師として究極の神秘を操る悦びが魔術師たちの背を撫でる。永遠を思わせる戦慄の一瞬。

 

「──誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者。我は常世総ての悪を敷く者」

 

 かくて終幕を告げる詠唱はしかして、空白に止まる。

 その空隙に加えること二節。

 呼び出す英霊を特定する詠唱をカウレスが唱えた。

 

「──されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」

 

 これを以て、カウレスは自らが予定していた狂戦士の魂を招く。

 全ての準備はこれにて終。

 魔術回路が荒れ狂い、軋む痛みの中、魔術師たちは確かに神秘を握りしめ、最後の言葉を告げ、儀式の終了と舞台の開幕を告げる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天──。

 抑止の輪より来たれ! 天秤の守り手よ──ッ!」

 

 そして暴風が荒れ狂い、手つかずの神秘が収束する。

 ロシェが手で顔を庇い、キャスターが口笛を鳴らす。

 ダーニックとランサーが余裕の表情で涼し気に受け流す。

 アルドルは両手を組み、背を壁に預けたまま無言だ。

 

 風の向こう、四騎の英雄が片膝を付き、礼を取っている。

 

 

『召喚の招きに従い参上した。

 我ら“黒”のサーヴァント。

 我らの運命は千年樹(ユグドミレニア)と共にあり、

 我らの剣は貴方がたの剣である』

 

 疲労困憊といった様子で、それでもなお感嘆の声を漏らす四人の魔術師。

 その様、確とある英霊たちの姿にダーニックは満足げに笑い、ランサーは笑みを深め、ロシェは興味深そうに見つめ、キャスターはへえと見極めるように視線を四騎に向けた。そしてアルドルは、彼だけは──。

 

「では勝負だ。輪廻の果てより生を受けたものの責務として、その運命を打倒してみせよう」

 

 魔術協会でも、聖堂教会でも、ましてユグドミレニアにでもない。

 誰に言うでもなく、その全ての向こうにあるだろう存在に向けて静かに、しかし確かな宣戦布告を行う。

 

 かくて筋書きを逸脱した外典の幕が上がる。

 もはや誰にも止められない、止まらない。

 全てはそう、たった一つの結末へ。

 

「勝つのはユグドミレニア(わたし)だ」

 

 人神(ヴェラチュール)を名乗る男は瞳の先にその結末を視る。




「ん、くぅ……ふわぁあ、ああ……あれ? マスターさんは?
 って、ウソ! もうこんな時間……!?
 完全に寝坊しちゃいましたぁ! ごめんなさーい!!」

とあるサーヴァントの嘆き


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壮麗なるノワール/はたして傲慢は罪なりや

我思うゆえに我あり。

懐かしいその哲学者の言葉を今も覚えている。

ずっと自問自答をし続けてきた。

思う我こそ己とするならば、

今在る私は何なのだろう。

身体も違う、心も違う、環境も違う。

それでも我は続いている。

全てが違うまま、我だけが此処に在る。


 その景色、その空間は圧巻の一言に尽きた。

 人より出でて精霊の領域まで昇華された存在、英霊。

 一騎でも奇跡の具現とされる存在が四騎。

 

 いずれも古今に名高い一騎当千の強者たちだ。

 セイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカー。

 本来は相争う存在が轡を並べて君臨している。

 

 “黒”のシンボルのもと英雄たちが千年樹に勝利の杯を捧げんと今宵、この地に招聘された──。

 

「さてと、まずは自己紹介した方がいいかな? いいよね! よくなくても勝手にさせて貰うけど! ボクこそはシャルルマーニュ十二勇士が一人、真名アストルフォだよ! はいボクの自己紹介終了ーっと、それで君は?」

 

 明朗快活。聖杯が奇跡の具現を前に誰もが感慨に耽る中、真っ先に口を開いたのは召喚された中で最も小柄な人物だった。

 シャルルマーニュ十二勇士がアストルフォ、かのアーサー王の伝説と比べれば世界的知名度はやや劣るものの、その名はフランスの伝わる叙事詩に語り継がれる伝説の名前であった。

 

 しかし伝説の騎士(パラディン)というには些か容姿は華奢であった。

 派手なピンク色の髪に少女然とした見た目。

 鎧とマントを纏ってはいるものの威厳よりも頼りなさそうといった印象を受けるのは伝説に語り継がれるアストルフォの逸話もあっての事か。

 

 だが奇異なものを見る視線など知ったことかと言わんばかりにアストルフォはすぐ真横の存在……朴訥な見た目だがアストルフォより英霊としての雰囲気を身に纏った青年へと視線と言葉を向ける。

 好奇心と期待に満ちた視線を向けられた青年は困ったように、或いは苦笑するようにして己がクラスと真名を告げる。

 

「サーヴァント、クラス・アーチャー。真名をケイローンと言います。同じ御旗を背負うサーヴァントとして、これからよろしくお願いしますねライダー(・・・・)

 

「自己紹介をありがとう! しばらくの間よろしくねケイローン(・・・・・)!」

 

「……ライダー。呼び名は真名ではなくクラスで呼びたまえ」

 

 苦言はダーニックの言葉だ。

 サーヴァント、英霊にとって真名による名乗りはそれだけでリスクである。

 英霊として歴史に刻まれるほどの功績を持つ彼らはその功績ゆえ、聖杯戦争において真名を名乗ることはその英霊の弱点を知られるに等しいからだ。

 毒によって死した英雄、姦計によって沈んだ英雄、果てはチーズ等特殊な条件によって死に至った英雄。真名開示はそういった英霊の死因をも明らかにするものであり、英雄同士が殺し合う聖杯戦争にとってはあまりにも致命的だ。

 

 だからこそ聖杯戦争における英霊呼称の原則は英霊ごとに与えられた役割(クラス)騎乗兵(ライダー)弓兵(アーチャー)と呼ぶのが基本である。

 

「あ、そっか。うん、気を付ける気を付ける! それで君は!?」

 

 果たしてダーニックの苦言は何処まで通じているのか。

 ライダー、アストルフォは爛々とした興味を瞳に浮かべたまま、次なる相手に話しかけた。

 ──尤も。

 

「……aaa」

 

 ……次なる相手として話しかけられた側は返す言葉を持ち得なかった。

 頭から足先まで全てを覆う全身甲冑(フルアーマー)

 頭部を隠す(フルフェイス)から漏れ出る眼光らしき深紅。

 身に纏うは瘴気と見紛う黒き靄。

 呻くような言葉は言葉の体を成しておらず、故にこそ正体は言うまでもなかった。

 

 サーヴァント、クラス・バーサーカー。

 

 正体不明の黒き騎士はアストルフォの言葉に応じることなく、ただただ開戦の時を待つように鎮座している。

 

「おっと、ごめんごめん。喋れないなら仕方がない。えーっと君のマスターは……」

 

 ただ在るだけで周囲に圧迫感と異様さと不気味さを与える狂戦士を前に、しかしてライダーは英雄の胆力か持ち前の性格か、気にすることなく己が興味のままに行動を続ける。

 フィオレ、ゴルド、セレニケと視線は巡り、辿り着いたのはカウレス。

 

「ね、君! そこのマスター! 彼の真名はー?」

 

「あ、ええっと……」

 

 パタパタと寄ってくるアストルフォを前にカウレスは口ごもる。

 こういった相手に対して対応した経験など普通の魔術師として生きてきたカウレスには未知であったがゆえに。

 どのように対処するべきかに迷ったのである。

 助けを乞うような視線が一瞬、壁にもたれかかるアルドルに向くが、当の人物は「ふっ」と面白そうに鼻を鳴らすだけ。

 好きに対応しろ、ということだろう。

 

 カウレスは色々と思考を巡らせたのち、穴が開くほどの向けられる期待の視線を前に屈することを選んだ。

 

「……ランスロット、湖の騎士ランスロット・デュ・ラック。それがそいつの真名だ」

 

 小声で告げられたその真名にダーニックやアルドルを除くマスターたちは勿論、召喚されたサーヴァントたちもピクリと反応した。

 しかしそれも当然のことだろう。それほどまでに告げられた真名は余りにも名の通った英雄のものだったのだから。

 

 湖の騎士ランスロット。

 

 それは一騎当千たる円卓の騎士たちが集うアーサー王の伝説において尚、轟き響く最強の円卓の騎士の名であった。

 曰く、最高の騎士。その武勲、その戦歴、その強さ、伝説の主役たるアーサー王をも凌ぐ、勇名を誇る円卓の騎士。

 至上の聖剣エクスカリバーと起源を同じくする剣、アロンダイトを携えた英雄である。

 

「……そう、アルドルの聖遺物ね」

 

 チラリとセレニケの視線がアルドルの方へ向く。

 申し訳程度に顔色を窺うような視線には畏怖が込められていた。

 アルドルの方はというと肩を竦めるというアクションに留めた。

 

「それじゃあ、そこの君! 君の名前は?」

 

 大小驚きの反応を見せる中、アストルフォだけは依然マイペースだった。

 召喚された四騎のうちの最後の一人。

 ライダー、アーチャー、バーサーカーと名乗った英霊たちと共に召喚された最後の英霊……最優のサーヴァントと目されるセイバーに向く。

 

「俺は──」

 

「待て。セイバー、お前は喋るな」

 

 口を開こうとしたセイバーの言葉を遮ったのはゴルド。

 傲然とした口調でセイバーの発言を止める。

 そして口調のままに彼は周囲を見渡して、告げる。

 

「私は、このサーヴァントの真名開示をダーニック以外に開示することを拒否する。もちろん、アルドルにもだ」

 

「……ほう?」

 

 ゴルドの言葉にざわめきが波紋のように広がっていく。

 ただ一人、アルドルだけは眉を顰めながら問うような視線をゴルドに向ける。

 せいぜいが好奇心程度のものといった視線であるが、アルドルの視線を受けたゴルドの方は一瞬ビクリと身を縮ませ、しかし召喚の触媒ごと隠すようにして自らの体を抱きしめる。

 

 どうあっても真名は開示しない、というつもりらしい。

 

「──サーヴァントの真名開示は予め取り決められた話でしょう? 事ここに至って反故するなんて不愉快ね」

 

「む、無論承知している。だがあの時、私はまだ召喚の触媒を手に入れていなかったからな」

 

 セレニケが身も凍るような冷たい目をゴルドに向ける。

 だがゴルドの方はというと彼女の目よりもアルドルの方が気になるようで傲慢さの中に怯えるような色を乗せていた。

 自前の傲慢さもこうなっては虚勢のようにも見える。

 

「だが、私の召喚した英霊は真名開示が致命的なのだ。弱点を知られる口は少ない方が良い。そうだろう?」

 

「……だ、そうだが? ダーニックどうする?」

 

 ゴルドの言葉を受け、アルドルは態度と姿勢をそのままに目線だけを王座に侍るダーニックの方へと向けた。

 ダーニックは小さく頷き、玉座に座るサーヴァントへと判断を仰いだ。

 

「王よ。いかがいたしますか?」

 

「許可しよう」

 

 ヴラド三世といえば苛烈さが逸話としても残る存在だが、既にダーニックと共に彼はセイバーの真名を把握している。そしてセイバーの正体を知るがゆえに、ゴルドの言葉に一定の理ありと見たのだろう。

 涼やかな表情で頷き、王の言葉を受けてダーニックも告げる。

 

「──分かった。ではお前たちには特例を許す」

 

「王よ、感謝いたします。では、私はこれで失礼する」

 

 一族の長、並びに場を統べるサーヴァントの許可を貰い、ゴルドは満足げな笑みを浮かべながら玉座に一礼。

 そしてそのまま颯爽と儀式場を歩き去る。

 しかし一瞬、

 

「──ムジーク」

 

 その一声にゴルドは身を竦ませた。

 相変わらず何を考えているか分からない顔で。

 

「サーヴァントもまた人格と心を兼ね備えた存在だ。卿の方針は理解したが少なくとも良好な間柄は保っておくと良い。如何に英雄とはいえ戦場に憂慮があっては十二分に戦えまい。背中を十分に預けられる存在がいなければ──うっかり背中を刺されかねんぞ? 悲劇の英雄など現実で見たくあるまい」

 

「ッ! き──まさか……ッ!?」

 

「……さてな」

 

 思わずといった風に口を荒げそうになるゴルドは寸前で口を塞ぐ。

 ゴルドの疑念を前にしても、やはりアルドルは鉄面皮だ。

 拳を握りしめ、何か言いたそうにゴルドはアルドルを見て、やがて鼻を鳴らしながら足早に儀式場を去っていく。

 そこには先ほどまでの満足げな態度はなかった。

 

「不快なのは事実だけれど、少しお灸を据えすぎではないかしら?」

 

 ポツリと一言、セレニケが漏らす。

 その言葉に対し、アルドルは端的に返す。

 

「自信と傲慢は紙一重だが、偏りすぎて自滅されても困るのでな。甘く見積もるダーニックと私とで等価になるだろう」

 

「アレの功績を加味すれば多少の態度は許容せねばな」

 

 やや困ったようにアルドルに微笑みかけるダーニック。

 そこには長たる気苦労が薄く見える。

 

 ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアはあのように、確かに傲慢さを服のように羽織った男だが、魔術師としての腕はこの場にマスター候補として名を並べるほどには一族でも有能な部類であった。

 特に彼が完成させた反則級のシステム……魔力の経路を分割し、マスターのサーヴァント維持の軽減を成したのは紛れもなくゴルドの功績。

 であれば、人格にやや問題があっても多少なりとも優遇せねばなるまい。

 

「しかしお前から見て目に余るというならば……」

 

「構わない、私は一族の長の方針に沿うだけだ。多少こちらで修正は加えさせてもらうがな」

 

「了解している。次期当主はお前だ。分裂の不和を招かない程度であればそのまま好きにしてもらって問題ない」

 

 ゴルドへの思いはともかく、現当主と次期当主の信頼感に隙は無かった。

 正に阿吽の呼吸といった様で互いの意思の確認を済ませ、落ち着く。

 ──と、この一連で無言となっていたアストルフォが不意にアレ? っと首を傾げながらアルドルの方を頭から足先まで流し見て、

 

「──君もサーヴァントじゃなかったのかい?」

 

 そんな、よくわからないことを口にしていた。

 

「は? 何言ってるの貴方?」

 

 頓珍漢なアストルフォの言葉にポカンとマスターらが口を開いて呆然とする中、眉を顰めながら口を開いたのはセレニケ。

 ライダーのマスターだからこその反応だった。

 しかし周囲の困惑を置いて、アストルフォはアルドルの方に近づいていき、

 

「あれ? あれ? うーん?」

 

 しげしげとグルグルとアルドルを吟味するように眺める。

 アルドルの方はというと少しだけ困ったように鉄面皮の顔に僅かな笑みを乗せ、何やら困惑しているアストルフォに言葉を返した。

 

「興味関心に添えなくて申し訳ないが、私は見ての通り、ユグドミレニアの魔術師でマスターだ。サーヴァントではないよ」

 

「うーん、そっか。うん! そう言われれば確かに! 雰囲気がちょっとおっきいように感じるけど君は何処から見ても人間だね!」

 

 アルドルの言葉に納得したと言わんばかりに大きく頷き、少々変わった言い回しで納得の笑顔をアルドルの方へと向けた。

 周囲は何やら把握できないが、当人は満足が行ったようだ。

 

 一方でマイペースなアストルフォと違い、冷静沈着といった様で余裕で構える、ケイローン──アーチャーの視線もまたアストルフォ同様にアルドルの方へと興味深そうな視線を向けている。

 ……否、厳密にはその腰に帯びている白鞘に納められた剣へと。

 

“あの剣は……”

 

「──アーチャー?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 マスターとしてアーチャーを観察していたからだろう。

 すっと一瞬細くなったアーチャーの視線に気づいたフィオレが声を掛けると、アーチャーは微かに頭を振って、柔らかな笑みで以てフィオレに応えた。

 

「──さて、諸君」

 

 場が落ち着いたのを見計らって玉座にて、ダーニックが口を開いた。

 

「今宵はサーヴァント召喚もあって消耗していることだろう。まずは明日以降の戦いに備え、英気を養うと良い。サーヴァント諸君もだ。ミレニア城塞には君たちサーヴァントの私室も用意してある。遠慮なく寛いでもらって構わない」

 

「わーい! やったー!」

 

「ありがとうございます」

 

 ダーニックの言葉にアストルフォは無邪気に喜び、ケイローンは軽くお辞儀で礼を返す。

 

「では各々、部屋に戻ってくれ。明日からは本格的に聖杯大戦へと挑むことになる。親交を深めるも、すぐに休むも君たちに任せよう」

 

「ダーニック、私は暫しこの場に残らせてもらう。間に合わなかった私のサーヴァントが大慌てで遅れてくるだろうからな」

 

「そうか? 了解した。──それでは皆、解散」

 

 ダーニックがそう告げると玉座に座るヴラド三世は霊体化し、虚空へと消え。ダーニックもまた後を追うように玉座の間から去っていく。

 それに続くように各マスターとサーヴァントも過ぎる喧騒を纏いながら去っていく。

 

「それではアーチャー、まずは貴方のお部屋に案内させてもらいますね」

 

「ええ、ありがとうございます」

 

「ライダーは私の後についてきなさい。部屋と……それから城塞を案内してあげる。貴方、そういう方が好きでしょう?」

 

「あ、好き好き、大好きさ! じゃ、また明日ねー! アルドル! 明日は君のサーヴァントの紹介も頼むよー!」

 

「それじゃあ俺たちも行くぞバーサーカー。霊体化、できるか?」

 

「aaa……」

 

 ダーニックに続くように各マスターとサーヴァントも過ぎる喧騒を纏いながら去っていく。

 そしてマスターもサーヴァントも去った儀式場で、一人残されたアルドルは瞳を閉ざし、思考の海へと潜る。

 

「駒は出揃った、準備も整った。これでいよいよ開戦というわけだが……」

 

 自分が考えうる限り、勝利の条件は整えたつもりだ。

 とはいえ、油断は決して出来はしまい。

 敵は時計塔。魔術世界そのものに等しい相手だ。

 その深淵、その真髄を知る者としてアルドルに油断はなかった。

 

「加え、相手が相手だ。“赤”の陣営は何れも手練れ。紛れもなく数多き英霊の中でもトップサーヴァントと言えるだろう。取り分けランサー、ライダー。アレらに対抗できるサーヴァントは数が限られる」

 

 だが──口にする見解はおかしなものだった。

 未だ“黒”と相まみえることなき陣営。

 その陣営を彼はまるで知っているかのように口ずさむ。

 

 彼の右目、片眼鏡(モノクル)の奥が淡く輝いている。

 

「ここまで予定していた通りに事は運んでいるが、何らかのバタフライエフェクトが起きていることも考慮しなくてはならないな。都合のいい運命など抑止力が好みそうな展開だ。私の存在はともかく、舞台自体はアレの範疇である以上、条件は慎重に整えなくてはなるまい」

 

 盤上を俯瞰するように眺める目、眼、瞳。

 ダーニックすら知り得ない、彼の思考が躍る。

 

 懸念事項、想定外の発生、見落とし、例外──。

 そして──。

 

「よし──まずは先んじて、一手。不意を打たせてもらうとしよう」

 

 自問自答、自己解釈、自己完結。

 アルドルは一人、全てに納得をつけて頷く。

 直後、まるでタイミングを見計らったように。

 

「す、すいませーん。遅れちゃいましたー……」

 

 と、怒られるのを恐れる子犬のようにそっと開く扉から顔を出すアサシンのサーヴァント。そこには英霊らしさといったものはなかった。

 

 そんなライダー以上に頼りなさそうな英霊に子犬のような視線を送られたアルドルはというと思わず、鉄面皮を崩し、苦笑するように笑いかける。

 

「だいぶ遅かったなアサシン。……ところで君、霊体(サーヴァント)が寝坊というのは一体、どういう仕組み(アレ)なんだろうな?」

 

「ううう、面目ないです。本を開いて読んでいたらついウトウトと……」

 

「答えになっていないような気がするが……まあいい。罰則代わりに、さっそくサーヴァントとして一仕事してもらいたい」

 

「はい?」

 

 カクンと首を傾げるアサシン。

 困惑する彼女を傍目にアルドルは告げる。

 二人以外、誰もいなくなった儀式場で。

 

「令呪を以て命ずる──アサシン。暫しの時、己が記憶を忘れろ(・・・・・・・・)

 

 告げた瞬間、照り輝くは令呪の光。

 聖杯戦争におけるサーヴァントに対する絶対命令権。

 三回のみ執行可能な権限をアルドルは躊躇いなく切った。

 

 聖杯大戦幕開けとなる、今宵。

 誰もいなくなった二人だけの部屋にて。

 あまりにもでたらめな暗殺劇(プランニング)が言い渡された。

 

 

 

 ──『壮麗なるノワール』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 ムジーク家は由緒正しき錬金術師の家系である。

 

 栄えある錬金術師の大家として繁栄をしたムジーク家は紛れもなく名門と言って差し支えなく、一時はドイツの深い森の奥にて孤立を貫く錬金術師の大家、かの聖杯戦争が発端の原点、アインツベルン家と並び称されたこともある。

 だが、聖杯を失った今もなお、かつて見えた奇跡を追い続けるアインツベルンと異なり、ムジーク家の方はといえば、一時の繁栄を見せて以降、ただただ衰退への道を辿っていくだけだった。

 

 そんな中、生まれた優秀な魔術師ゴルド・ムジーク・ユグドミレニア。

 ともすれば彼の存在はムジーク家にとって希望であったのだろう。

 

 彼らは如何に自分たちが優れた名家だった(・・・)かをゴルドへと語り聞かせ、ゴルドもまた喜びと共に褒め称える彼らの言葉をスポンジのように取り込んでいった。

 結果として出来たのがこのゴルド・ムジーク・ユグドミレニア……過去の栄光を誇りとし、傲慢とそれが齎す自己顕示欲を兼ね備えた難儀な男である。

 

 ……しかし、万事が万事、一族に対しても傲慢なる彼をしても恐るべき者たちが二人いた。

 一人は言うまでもなく長たるダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 口先一つであらゆる政敵を幻惑し、地獄に叩き落す恐るべき男。

 百年を超える時を生きるユグドミレニアが誇る化け物だ。

 

 そしてもう一人は……。

 

「くっ……アルドル、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア……ッ!」

 

 臍を噛むようにゴルドはその名を噛み締める。

 ユグドミレニア次期当主。ユグドミレニア最強の魔術師。

 血を分け、数でもって繫栄することを選んだユグドミレニアにおいて数少ない純血の魔術刻印を引き継ぐ男。

 曰く──『先祖返り(ヴェラチュール)』。

 北欧が起源のユグドミレニア一族が誇る真なる黄金千年樹。

 

「何処から知った? 何処まで知っている? ダーニックが教えたのかッ!? それともまさか知っていたのかッ!?」

 

 苛立ち交じりに叫ぶ声は同時に恐怖の色に染まっている。

 立ち去る間際のあの言葉。

 それがゴルドにあの男は間違いなくセイバーの正体を知っていると告げていた。

 

 背を最大の弱点とし、悲劇に倒れた英雄──セイバー、ジークフリートという真名を。

 

 それがゴルドにとっては途方もなく恐ろしかった。

 真名を知られたことではない。

 英霊の弱点を知られていることでもない。

 全てを分かった上でゴルドを見るあの目が恐ろしい。

 

『お前は果たして、その英雄でユグドミレニアを勝利に導けるのか?』

 

 期待などでは断じてない疑念の目。

 アレは英霊など眼中にも入れず私だけを見ていた──!

 

「ま、負けられん、なんとしても。せめて一番に脱落することだけは決して……」

 

 実際の所、彼はそこまでの疑念をゴルドに向けたわけではない。

 だが小心者でかつユグドミレニア一族としてアルドルの恐ろしさを知っているからこそ恐怖はひとしおだ。

 

 かつて見た情景が脳裏に過る──あの男が実現した奇跡。

 ユグドミレニア全てが跪き、讃え咽び泣いた光景を。

 現代魔術師では決して、決して届かない境地。

 

 一族は狂喜したが、ゴルドからすればあんなものは奇跡よりも悪夢であり、恐怖でしかない。何故ならアレを実現させたということは現代魔術師では誰も勝てないことになるからだ。

 現代の魔術師が為す、あらゆる魔術、あらゆる神秘は意味を成さない。

 神秘はより古い神秘によって破られる──。

 だというならば確かにアレ以上のものはあるまい。

 

 英霊などという遠くの奇跡よりも、身近における奇跡だからこそゴルドは無言で侍るサーヴァントよりもアルドルに恐怖した。故に──。

 

「セイバー、貴様はくれぐれも勝手なことをするなよ。敵も、作戦も、全ては私が決める。いいか、これは命令だぞ」

 

 傲慢に、傲岸にセイバーへと命令を告げる。

 先ほどアルドルに言われた忠告など頭にない。

 恐怖と焦燥だけがゴルドの頭にはあった。

 

 ……奇しくも、セレニケの懸念が当たった形だった。

 やや出自と広い見識から己を過小評価する癖のあるアルドルは自身の存在と発言を少しばかり見誤っていたのだ。

 それは果たしてアルドル自身が懸念したバタフライエフェクトか、はたまた運命そのものか、少しずつ歯車が歪んでゆく。

 

 傲慢とは時に恐怖の裏返しであることを傲慢(それ)を欠片も持ち合わせないアルドルは知らなかったのだ。

 そして知らない以上は対応のしようがなかった。

 

 夜が深くなる。

 筋書きを外れた外典はより複雑に、混沌へと。




「(……ところで、私室を用意されているとのことだが、俺の私室は一体何処にあるのだろうか?)」

とあるサーヴァントの疑問


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彷徨えるルージュ/とある聖者の詩

幼き頃から物語が好きだった。

きっかけは既に忘却の彼方だが、

懐かしい始まりの物語(ほん)は覚えている。

寝物語として祖母が聞かせた昔話。

悪しき鬼たちを対峙するための物語。

挿絵も何もない文字だけで描かれた世界。

しかし私はそれを聞いて確かに視たのだ。

一つの世界を、一つの空想を。


 ──かくて“黒”の陣営。

 悲願を征く千年の大樹は動き出した。

 そして大樹に揃うは一騎当千、万夫不当の英雄たち。

 

 “黒のセイバー”

 “黒のアーチャー”

 “黒のランサー”

 “黒のライダー”

 “黒のバーサーカー”

 “黒のキャスター”

 “黒のアサシン”

 

 意志を持つ災害が如き偉大なる神秘が、いざ魔術世界の秩序を書き換えんと遂に動き出したのである。

 ではその脅威を前に成すすべは無いのか──。

 それこそ否である。

 

 其は西暦以後、魔術世界の全てを統べる絶対の支配者。

 幾つもの秘宝、秘奥を蔵に収める秩序の具現。

 英国はロンドンに君臨する魔術協会『時計塔』。

 

 彼らは決して不遜なる魔術師たちを許容しない。

 故に“黒”と対する“赤”の陣営。

 愚かなる反逆者に鉄槌を下さんがため彼らもまたその御旗へと集っていく。

 

『──なあ、マスター。服を買ってくれないか?』

 

「あん? 何だ、突然」

 

 上り始める太陽と日を受けて輝く青空。

 朝のシギショアラは戦争前夜とは思えぬ程に平和である。

 しかし平和な街を闊歩するのは物騒な見た目の大男。

 言わずもがな獅子劫界離である。

 

 一見して彼に同伴者の姿は見えない。

 ゆえに獅子劫が独り言を漏らした、というのが普通の人々が思う感想だろう。

 だが違う。

 余人ならばいざ知らず魔術師ならば彼に侍る強大な神秘の影に気づくであろう。

 英霊──即ち、サーヴァントに。

 

『何だではない。服だ、服。この時代の服が欲しい』

 

「なんで?」

 

『霊体化はむず痒い。自分の足を地につけていないと落ち着かない。それに、このままでは昼の街を出歩けないだろ』

 

「…………」

 

 サーヴァントというものは基本的に霊体だ。

 戦闘に際しては魔力によって仮初の肉体を構成し、戦うがそれ以外の通常であればマスターの魔力消費を抑えるためにも霊体化しているのが基本である。

 加えて時代錯誤にしか思えない全身鎧に剣を携えた獅子劫の英霊──“赤”のセイバーを人通りの少ない朝とはいえ、往来の場で呼び出した暁には銃刀法違反で捕まる上、珍妙なものを見る視線を集めることとなるだろう。

 

 だからこそ目的地に向かう道中、獅子劫は“赤”のセイバーに命じて、霊体化をさせ、ここまで歩いてきたわけだが……。

 

“そういや、サーヴァントの中には霊体化を嫌う者も居たんだったか”

 

 英霊とはいえ人間だった時代のある存在である。

 肉を持ち、両足で大地を立つのが平時であったがため、実体無くして在るという状態が落ち着かないものも十人十色な英霊の中には存在するということだ。

 獅子劫が無言でそんなことを考えていると“赤”のセイバーはそれが渋っていると勘違いしたのかさらに言葉を付け加える。

 

『頼むぜ、マスター。俺は自分のマスターがサーヴァントの衣服を買う程度の金を出し渋る吝嗇家じゃないと信じてるからな』

 

「……しょうがねえな」

 

 嘆息しながら“赤”のセイバーの要望に応える獅子劫。

 まだ朝方のため店が開いてないので、用事を済ませたらこの街に折り返し戻ってくることになる。残念ながら戦争前夜の今日の予定は戦略の確認でも装備の確認でもなく、相棒の衣服を求めてショッピングということになりそうだ。

 

『よし、流石は我がマスターだ』

 

「そんなことで褒められても全く嬉しくねえな」

 

 憂鬱な獅子劫とは対照的に無邪気に喜ぶサーヴァント。

 ……まあ、この程度で良好な関係を築けるなら必要経費と思うしかあるまい。

 こんなことで駄々を捏ねられ、戦争に支障が出る方が問題だ。

 

『……しかし出歩けるとはいえ、俺の時代と大して街の見栄えは変わらないな。ビルとかそういうのは無いのか?』

 

「ないな。ていうか此処はシギショアラの観光名所、歴史ある旧市街の街だぞ。そんな現代チックな建物なんて建てているわけないだろう? この景観こそ俺たちにとっては見モノなのさ」

 

『ふぅん、こんな普通の景色の何がイイんだか』

 

「お前さんにとってはそうだろうな」

 

 “赤”のセイバーと駄弁りながら旧市街──ルーマニアが誇る観光名所シギショアラ歴史地区を歩く。

 

 かつてハンガリー統治下であった頃にはドイツ系の職人を多く雇い入れ、またオスマン帝国の脅威として十五、六世紀に城塞化した経緯を持つ街並みは、現代の人々が物語に見る中世ヨーロッパのイメージそのものである。

 住人に時刻を知らせる時計塔。通りには古くからある衣服や靴などの職人たちの商工会(ギルド)が軒を並べている。

 そして現在も使われている学校と隣接する教会……通称、『山の上の教会』を含めて、正に古き良きヨーロッパの街が此処にはあった。

 

 が、“赤”のセイバーからしてみればこんな景観よりも東京などの摩天楼の方がよっぽど見ごたえがあるらしい。

 現代人からすれば理解しにくいがまさに時代が異なるが故のすれ違いだろう。

 

 そんなことを思いながら獅子劫は先にも挙げた名であり目的地の山上教会へと辿り着いた。

 いわゆる観光パンフレットに掲載されている『山の上の教会』とは異なるが、この教会もまたシギショアラの名所の一つ。

 普段は観光人の姿が見れても不思議はないこの場所だが、まだ朝方とあってか……或いは此処を仮初の拠点とする者たちの仕事(・・)か人影一つとして見えない。

 

『マスター』

 

 と、“赤”のセイバーの口を開く。

 先ほどまでの暢気さがそこには無く、静かに呼びかけるような声。

 獅子劫もそれに頷いた。

 

「──ああ、静かすぎるな。人の気配がなさすぎる。結界か?」

 

『いや、違うな。これは戦場跡の雰囲気だ(・・・・・・・・)。マスター、気をつけろ』

 

「ふうむ、そう言われれば確かに……。全く、随分と血気盛んな奴がいるもんだな。セイバー、そのまま警戒を続けていてくれ。いざとなったら……」

 

『言われるまでもない』

 

 ピリッとした緊張が二人の間に奔る。

 獅子劫は臨戦態勢で教会へと続く百七十二段の階段を慎重に、罠や魔術を警戒しながら登っていく。

 やがて目の前には教会の重厚な扉。眼前に辿り着いた教会からもやはり人の気配という奴は感じられない。

 肌につくような生温い雰囲気と事後の沈黙が満ちている。

 

 時刻は九時。約束の通りの時間だ。

 

「──開けるぞ」

 

 重い扉をゆっくりと開ける。

 そこにあったのは奥の祭壇まで続く身廊、均等に並べられた複数の長椅子。争った痕跡一つない一般に見る何ら変哲のない教会の形式。

 唯一例外があるとすれば──祭壇に広がる血痕の存在とそこを中心に不自然なまでに粉々に壊れた長椅子たち。

 

「ッ……セイバー!」

 

「おう!」

 

 獅子劫の呼びかけに全身を鋼で包んだ小柄な騎士が出現する。

 言わずもがな“赤のセイバー”である。

 その手には騎士剣を携え、戦闘に挑む姿勢だ。

 

 獅子劫もまたジャケットの内ポケットに隠していた己の獲物。ソードオフの水平二連式ショットガンを手に取り、構える。

 

「……確認する。何か出てきたら遠慮なくやってくれ。ただし同じ陣営かどうかだけは確認してくれよ?」

 

「ハッ、この状況で仕掛けてくりゃあ、そいつは敵でしかねえだろう」

 

 言いつつ、剣を深く構える相棒に獅子劫は初めて頼りがいという奴を覚えながら銃を片手に血痕へと近づいた。

 

「乾いているな、半日……いや一日前か。争った痕跡みたいなのはあるにはあるがこりゃあどっちかっていうと一方的なものだな。破壊の跡に対して傷の痕跡が無さすぎる」

 

 床に垂れた血痕はかなりの量。破壊も相当な力で為されたのが分かる。

 だが血痕は一か所で他には血や肉が飛び散った痕がない。

 サーヴァント戦であれば確かに破壊以外の痕跡がなくても違和感がないが、だとすればこの痕跡があり得ない。

 だとすれば状況を分析するに。

 

「恐らく、血痕は“赤”のマスターの誰かだろう。血痕が一か所に集中してる辺り、先制攻撃は仕掛けた側だ。そして祭壇から波状に攻撃が広がっているような状態を見るに不意打ちを喰らって反撃をした、そんな所か」

 

「なるほどな。で? 不意打ちとやらを受けただろう“赤”の方はどうなったと思う? 血が残ってるからマスターの方だろ、やられた側は」

 

「だろうな。流石に生死の判断まではこれだけじゃ分からんが……」

 

 そういって獅子劫は木製の床に水たまりのように広がる血痕を見て、

 

「致命傷にはなってるだろう、生き延びたとしてもすぐに動けるようになる傷じゃあないだろうな」

 

「何とも間抜けだなそいつ。まだ本格的に始まってすらいないのにもう半分脱落かよ。サーヴァントの方も何をしてやがったんだか」

 

「言ってやるな。反撃以外に目立った争いの痕が無い辺り、先攻した方は完璧な不意打ちでマスターを襲ったんだろう。そして目的を達成した」

 

 そう被害者であろう“赤”のマスターとて魔術協会から、或いは聖堂教会から派遣された一流のそれ。戦闘には慣れているだろうし、サーヴァントだって護衛していたはずだ。にも拘らず攻撃を受けてから反撃するしかできなかった。

 それはつまり、一流のマスターとサーヴァントの警戒を掻い潜ったということでもある。そんなことができるとすれば……。

 

「“黒”のアサシンか?」

 

 まだ見ぬ敵方の暗殺者の仕事であろう。

 

「……で? どうするんだマスター。罠も襲われる気配もなし、が、集まる予定だった他の魔術師とやらの姿もねえ」

 

「だな。全滅したわけじゃないんだろうが、騒ぎを知って散ったか。警戒して工房に引きこもったか……こりゃあ合流は出来そうにねえな」

 

 面倒くさそうに後頭部をガリガリと掻く獅子劫。

 聖杯大戦。

 “赤”の陣営の始まりはどうやら良い出だしとはならないらしい。

 

「とりあえず一旦街に戻ろう。ひとまず態勢を立て直す。ついでにお前さんの服と、後は昼食でも食べながらな」

 

「そいつは良い案だ。乗ったぜマスター」

 

 獅子劫が言うが早いか急かすように霊体化する“赤”のセイバー。

 鎧越しでもわかるゴキゲンな雰囲気に獅子劫は肩透かしを受ける思いだ。

 懐かないがご褒美にだけ反応する大型犬。

 そんな感想が脳裏に過った。

 

「やれやれだ」

 

 いろいろ考えたのが馬鹿みたいだ、と思いながら獅子劫は祭壇に背を向け、そのまま身廊を歩いて再び扉に手を掛け、外に出る。

 もはや教会に用は無い。

 これからどうするかなどと他人事のように考えながら獅子劫は来た道を引き返す。

 

「……ん?」

 

 降る階段の一段目に足を乗せた時、不意に視線を感じて獅子劫が目を向ける。

 教会の景観にかかるよう生える木の枝。

 そこに一羽の烏がちょこんといた。

 烏は数瞬小首を傾げながら愛嬌のある目で獅子劫を見て、カァと一声鳴いて飛んで行った。

 

『どうしたマスター、何かあったのか?』

 

「いや、何でもねえよ」

 

『そか。じゃあ早く行こうぜ。俺はハンバーガーという奴が食べたい』

 

「……マイペースだなぁ、お前さんも」

 

 なんだかなあ、と呟きながら獅子劫は教会を後にしたのだった。

 

 

 

 ──『彷徨えるルージュ』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 時を戻して獅子劫が訪れる一日前。

 教会の祭壇に青年はいた。

 片膝を付き、一身に祈る様は聖者のそれだ。

 

 教会の神父らしく司祭服に身を包み、首元には金の十字架。

 特徴的なのは真っ白な髪と褐色の肌。

 それからこの国では見慣れない東洋人の顔立ち。

 

 シロウ・コトミネ。

 

 それが神父の名前であった。

 極東に生まれ、教会に帰依した東洋人である。

 

「────」

 

 何かのために祈るのではなく、祈るために祈る。

 聖者と言って差し支えない姿勢の神父である。

 確かに彼は聖者である。しかし断じて善人ではない。

 

 教会の教義に背くもの、これ一切を敵とみなし主の名の下、主に代わって断罪を代行するもの……異端狩り(エクスキューター)、代行者。

 それこそが青年の職務であった。

 同時に彼の役割は、表向きには存在しない聖堂教会が特務機関・第八秘蹟会に所属する今回の聖杯大戦を見守る監視役兼マスターでもある。

 

 荘厳な祭壇の前で祈ること実に半刻。

 シロウ神父は静かに閉じた瞼を開け、立ち上がった。

 瞬間──見計らったように声がかかる。

 

「祈りは済ませたのか」

 

 無音のまま虚空より不意に現れる人影。

 何処か人を堕落させるような甘い香りと暗闇のようなドレスを身に纏った退廃的な女性──シロウのサーヴァント、“赤”のアサシン。

 

「おや? 態々祈りを待ってくれていたのですか?」

 

 意外そうにシロウは目を見開く。

 彼女の性格を知るからこその反応だろう。

 常ならかつては暴君たる女帝として君臨した彼女は例え聖者の祈りだろうが用があれば容赦なく己の都合を優先する。

 そういう気質なのだとシロウは記憶していた。

 

 一方の意外そうな視線を受けた女性はクツクツと笑い、

 

「無論だとも。これより始まる聖杯大戦、その最後の祈りになるかもしれないマスターを心遣い、こうして待っておったのだ」

 

「なるほど」

 

 皮肉気に笑うサーヴァントにシロウは苦笑を漏らす。

 確かに事が始まれば暢気に祈っている時間は無いだろう。

 生死を争う空前絶後の戦場。

 もしも信仰する主への祈りの機会があるとすればそれはきっと最期になる。

 

「ですが、真意はともかく感謝いたします、アサシン」

 

「良い。それよりも明日であろう、獅子劫とやらが此処に到着するのは。お前から見て実際、どうなのだ?」

 

「五分五分といったところでしょう。既に目標の七割は達成していますし、最優クラスのセイバーは惜しいですが、上手くいけば儲けもの程度のものです。こちらには既に“赤”のランサーと“赤”のライダーがいますしね」

 

「ふむ、あの喧しい男とつまらない男か。確かにあれらがいれば無理をしてさらに手を伸ばす必要はない、か」

 

「ええ。寧ろここで揉めてこちら側の事情がバレた方が面倒です。勘付かれるようなら放流しておく方がこちらとしてもやりやすい」

 

 そういってシロウは柔らかに笑う。

 双方にしか通じない会話だが良い話ではないのだろう。

 それを証明するように“赤”のアサシンが毒花のように笑う。

 

「お前も中々に悪辣よな。監視役とやらの役目は何処にやったのやら」

 

「多少の越権行為は見逃してもらいましょう。監視役である前に私もまた、マスターでもある。聖杯をこちら側に齎す為に動くのは当然のことでしょう?」

 

「くくく、そうよな。確かにその通りだ」

 

 シロウの問いに“赤”のアサシンはより一層笑みを深める。

 そう確かに聖杯を手にするために行動することに間違いはない。

 問題があったとすれば、シロウのいうこちら側とやらが何処であるか……。それを良く知っているからこそ“赤”のアサシンは愉快だと笑うのだ。

 

「ところでアサシン、ユグドミレニアの監視はどうでしょう? 特に変わったことはありませんか?」

 

 丁度思い立ったとばかりにシロウが“赤”のアサシンに問う。

 

 “赤”のアサシン──彼女は広域を監視する能力を持っている。

 その能力でシロウはルーマニア全域の監視を命じていたのだ。

 問いに、“赤”のアサシンは端的に答える。

 

「特にないな。お前の警戒する存在が現れる気配もなければ、ユグドミレニアの魔術師とやらが居を構えるミレニア城塞にもこれといった動きは無い──強いて言うならばお前の警戒する魔術師の一人とやらは頻繁に城塞と街とを出入りしているようだがな」

 

「アルドル・プレストーン・ユグドミレニアですか」

 

「うむ、そやつよ。お前が警戒するほどの男かは知らぬが我の監視を幾度か街中で振り切った。中々に察しは良いようだな」

 

「見失ったのですか?」

 

「まさか。ただ常時監視できているわけではないだけだ。城塞外での大まかな動きは把握しておる」

 

「そうですか」

 

 “赤”のアサシンの言葉にシロウは考え込む。

 シロウにとってユグドミレニア側で最も警戒しなくてはならない存在はサーヴァントを除けば二名。

 ユグドミレニア家当主ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 そしてアルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 前者は実力と立場以上に個人的な理由で、そして後者は教会に所属する代行者として伝え聞いた存在であるがゆえに警戒している。

 

「実際どうなのだ? アルドル何某はそれほどまでに警戒しなくてはならぬマスターなのか?」

 

「ええ、伝え聞いた話が事実であるならばユグドミレニア側最強の魔術師でしょう。実際に目にしたわけではありませんが事によっては下手なサーヴァントに匹敵する」

 

 そういってシロウは“赤”のアサシンにアルドル・プレストーン・ユグドミレニアとはどういった魔術師なのかを語る。

 

 『先祖返り(ヴェラチュール)』アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。当初その名はそれほど有名なものではなかった。

 学友が非常に優秀だったこともあるが、彼の研究テーマが時計塔では一笑に付す内容だったために全く名前が通らなかったのである。

 曰く、『神の名と世界樹にまつわる研究』。

 加えて扱う魔術も北欧の廃れ切った古い呪術と半ば落ち目のルーン魔術とあって殆どの評判は彼の学友、蒼崎橙子の側へと流れた。

 

 唯一、考古学科(アステア)の学部長カルマグリフ──時計塔が十二君主(ロード)の一人、カルマグリフ・メルアステア・ドリュークからは随分と評価されていると囁かれていたが、それも中立派の弱小の教室に出資する貴重なスポンサーだからと魔術師としての評価には繋がらなかった。

 

 彼の名が広く通ったのは数年前に南米で起きた亜種聖杯戦争──死徒までもがマスターとして参戦したと言われるここ数年で最も混沌とした聖杯戦争でのことだった。

 何でもその死徒とやらが『六連男装』という名の通った存在だったらしく、加えて彼の企てた計画が黙視しかねる危険極まりないものだった様で、一時は時計塔の封印指定執行者、聖堂教会最大の禁忌の埋葬機関までもが動きを見せたという。

 

 さらには南米現地に基盤を持つ麻薬カルテルに属した魔術師までもが参戦し、文字通り戦争の様相だった言う。

 そんなサーヴァントと組織ぐるみの乱戦中、頭角を現したのが。

 他でもない、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアである。

 

 歴代でも最も激しい戦いであったというそれでは他の亜種聖杯戦争とは異なり、例外的にアサシンではないクラスのサーヴァントのマスターとして参戦した彼はマスターは勿論のこと、混戦の最中時計塔の狩人や聖堂教会の代行者たちとも渡り合い、遂には件の死徒さえも単独で討伐してみせたのだ。

 下級とはいえ並の魔術師など及ばないはずの死徒の討伐。

 それを以て『先祖返り(ヴェラチュール)』の名は誰もが知るものとなった。

 

 黄昏に忘れられた時代を再現する最後にして最強の魔術師として。

 

「南米の戦争以後は魔術協会、聖堂教会の両組織が差し向ける封印指定執行者や代行者に追われていたようですが、追われながらも各地で聖遺物回収に務め、また度々亜種聖杯戦争に姿を現したそうです」

 

「なるほどな」

 

 幾つかは聖杯から与えられる知識にもない単語や言葉であったが、シロウの語る内容を聞いて“赤”のアサシンは納得する。

 冬木の地より大聖杯を奪取したダーニックに勝るとも劣らないほど聖杯戦争に通じた歴戦の魔術師。

 シロウが最大の障害と数えるのも当然と言えるだろう。

 

「何にせよ、事態はこちらの状況が整ってから動かします。不確定要素もまだ幾つかありますし、本当の勝負は盤面に全ての駒が揃ってからになります。それはユグドミレニアにしても同じことでしょう。束の間貴女を退屈させることにはなりますが、そこはご容赦いただければ」

 

「相分かった。些かつまらぬが葡萄酒を煽りながら前座を鑑賞するのも一興だろうさ」

 

 そう言って“赤”のアサシンは状況を愛でるように目を細める。

 傲岸不遜な女帝にとってこの戦い自体、喜劇なのだろう。

 その様子にシロウは一つ頷き、

 

「ありがとう、アサシン」

 

 僅かに口調を崩し、素直に礼を告げた。

 

「……フン、礼など要らぬわ」

 

「ふふ、そうですか」

 

 そっぽ向く“赤”のアサシンにシロウは苦笑する。

 青年の見た目に反する老人のような笑みだった。

 

「さて、ではこちらも準備を──」

 

 日常の祈りも終わり、教会として、マスターとしての役割に戻ろうとシロウが会話を切り上げようとした……まさにその時であった。

 

 ゆっくりと、開く予定の無かった教会の扉が開く。

 

「──アサシン」

 

 穏やかな声音で名を呼びかける。

 すると“赤”のアサシンは現れたときと同じく音もなく消えた。

 

“とりあえず警戒をお願いいたします”

 

“くく、お前の予定にない想定外(ハプニング)だな”

 

 念話を通じてシロウが言うと“赤”のアサシンは楽しげに承諾する。

 果たして──現れたのは一人の女性だった。

 

「……あ、こんにちは! この教会の神父さんですか?」

 

「はい、一時的にですがこちらの教会に所属することとなったシロウ・コトミネと申し上げます。当教会にようこそ──と言いたいところですが本日、当教会は都合により部外者の立ち入りを禁止しているのです」

 

 そう言って頭を下げるシロウ。

 本職の神父とは些か立ち位置は異なるものの、それでも教会側に立つ人間として司祭を務める経験は幾度となくある。

 そのため表向き(・・・)の対応も何の違和感もなく行うことができた。

 

「え? そうだったんですか? それはごめんなさい。てっきりいつでも観光できるものだと思ってました……」

 

 しょぼんと顔を下げる女性。

 その手にはルーマニア観光と書かれたパンフレットを持っている。

 ショルダーバッグを提げ、派手すぎないワンピースを着た姿は一見してまごうことなく一般の観光客のようにも思えるが……。

 

“ふむ、教会には人除けの結界が張られていたのではないのか?”

 

“ええ。とはいえ物理的にではなく認識的に人を弾く程度の結界です。多少なりとも魔力を持つ者、或いはここ自体に目的を持つ者には機能しづらいです”

 

“なるほどな、ならば差し詰め迷い込んだ子ウサギか”

 

“さて、どうでしょうね……”

 

 愉快気に笑う“赤”のアサシンとは違い、警戒を崩さないシロウ。

 当然だろう。

 トゥリファスが管理地とはいえ、ここルーマニアは既にユグドミレニアが根を張る地。ましてや眼前には聖杯大戦が控えているのだ。

 何らかの罠である可能性は否めない。

 

「うう、一か所目の観光地巡りからいきなり出鼻を挫かれてしまいました」

 

 しかし警戒するシロウとは裏腹に女性はただただガッカリだと言わんばかりに悲しむだけ。餌にありつけなかった小動物のようだ。

 何らかの攻撃を仕掛ける様子も、罠を仕掛ける様子も、ましてサーヴァントを嗾けてくる様子もない。

 そもそもパンフレットを片手に歩く様は無防備同然であり、警戒以前にこんな隙だらけの女性が一人旅している状況に寧ろ心配すら覚える。

 

 或いは何か偽装した姿かとも思うが、女性の声音、言葉、反応に異常は一切見られないし、少々変わった異能を持つシロウの目にも反応は無い。

 神秘とは何らかかわりのない一般人。

 代行者として様々な経験をし、神父として多くの人を見てきた経験、そしてそれ以前から続く「力を持たない弱者」を見てきたシロウの目で以てしても女性は今を生きる旅行中の普通の女性としか映らなかった。

 

 これならば暗示を使うまでもないだろうとシロウは口を開く。

 

「いえ、平時であればいつでも観光客を受け入れているのですが、今日だけは教会側の都合で使用できないことになっているのです。すいませんね」

 

「あ、いえいえ! 確かに残念ですけどそういうことなら仕方がありません! 観光地は此処だけじゃありませんし、他の場所に行ってみます。また今度ここには伺わせてもらいます。その時はよろしくお願いしますね」

 

「そう言っていただけると幸いです。……そうですね、当教会は本日観光できなくなっておりますが、山の上の教会は本日も観光することが出来ると思いますよ」

 

「そうなんですね。ご親切に教えてくださってありがとうございます、神父さん!」

 

 満面の笑みで頭を下げる女性。

 その笑顔に応えるようにシロウもまた神父として穏やかに笑いかける。

 

「大したことではありませんよ。これも何かの縁だ、貴女のご旅行に幸運と神の加護がありますように。それから──これはお節介ですが、最近は何かと物騒だ。女性一人での旅行はあまり宜しくない。次に此処へ来るときはご友人かご家族を連れ立っての来訪をお勧めいたしますよ」

 

「そうなんですか? 分かりました! 次に来る機会があった時は気を付けますね!」

 

 シロウがそう忠告すると女性は素直に頷き、そしてもう一度お礼を言うとシロウの方へ背を向け、教会から出ていく。

 

“どうやら警戒は杞憂だったようですね”

 

“そのようだな。しかし随分と無防備な娘だ。くくっ、一つ揶揄ってやるのも一興か?”

 

“そこは私から勘弁の言葉を。何の罪もない一般人を困らせるのはマスター以前に、仮にも神父を名乗る者として容認できません”

 

 困った“赤”のアサシンの性格にやんわりと制止の言葉を掛けつつ、

 

「ではまたの機会に。何か困った時にはお立ち寄りください。今回は申し訳ありませんでしたが、教会は迷える全ての人々に手を差し伸べる場所ですから」

 

 女性の背にそう言葉をかけてシロウは最後に深く頭を下げた。

 正午の教会での何気ないやり取り。

 聖杯大戦を目前に控えた中での平和的な一幕だった。

 

 

 

『そう──故にこのタイミングしかないと考えた。本格的な開戦間際。サーヴァントたちが出揃い、マスターたちも舞台に姿を現し始めたこの一瞬。この一瞬だけがお前の隙だ。コトミネ・シロウ……いや』

 

 ──天草士郎時貞

 

 

 

 そういって教会から遥か彼方ミレニア城塞が一室。

 この状況を俯瞰していたアルドル・プレストーン・ユグドミレニアは呟く。

 

 彼は知っている。

 シロウ神父の正体が嘗て冬木の地で巻き起こった第三次聖杯戦争の生き残りであることを。さらには彼が聖杯戦争始祖の一族アインツベルンに召喚されたサーヴァントであることを。

 

 ことの始祖たるアインツベルンが故の特権(はんそく)を用いて呼び出したサーヴァントのクラスはルーラー。

 本来存在せざる聖杯戦争の調停を司るサーヴァント。

 そのために彼は他のどのサーヴァントよりもサーヴァントの看破に優れ、クラスは愚かその真名までもを詳らかにすることをアルドルは知っている。

 

 さらには彼が胸の内に秘めた野望の正体が人類救済であり、この五十年、聖杯に焦がれ、求め続け、そして今より挑まんとしていることを。

 本来であればこの外典の聖杯大戦を陰から推移させ、あのダーニックをも出し抜くという未来を──アルドルは、知っている。

 

 それはあり得ない状況だった。

 それはあり得ない事態だった。

 

 今現在、これらは伏せられた事実。

 秘密を隠す当人たち以外が知る余地のない情報を知る術などあり得ないはずだった。この時点、事が動く前では未来視ですら暴けぬ真実だった。

 

 もしも知っているとすれば──あり得るとすれば一つだけ。

 最初から全てを識っていた(・・・・・・・・・・・・)

 そんな、あり得ない場合のみだ。

 

 故にこそかの謀略家たる神父も読めない。

 周到深く慎重に事を進める彼でも──否。

 いやそういう男だからこそ、思いもよらない。

 

 舞台の幕が上がった直後に、令呪を使ってまで記憶を消し、殺意の自覚すら失くしたサーヴァントが、サーヴァントの目をも阻む正体隠しの礼装を纏い、人畜無害の女性の振りをして近づき、白昼堂々お前自身を暗殺(ころ)そうとするなど──。

 

 己が正体も目的も読まれていないと確信しているお前には。

 この大胆不敵な殺人を読み切れまい──。

 

 

 

 とある暗殺者(アサシン)がいる。

 血の革命が吹き荒れる仏蘭西の前夜に、一人の男を殺したことでその名は歴史に刻まれた。

 彼女は何の力も持たないただの田舎娘。

 修道院にて真っ当に育ち、真っ当な価値観を有し、当世の乱に憂いていただけのただただ普通の、何の特別も持ち合わせていない女性。

 

 にも拘わらず彼女は一つの歴史に関わった。

 皮肉にもそれは彼女の憂いた乱の引き金になったが、それでも彼女の名は余りにも無垢なる暗殺者として英霊の座に刻まれている。

 

 その名はシャルロット・コルデー。

 

 フランス革命におけるジャコバン派の重鎮、ジャン=ポール・マラーをたった一人で暗殺してみせた可憐なる暗殺の天使。

 

「────ぇ」

 

 その手際に、シロウも、“赤”のアサシンたるサーヴァントすら反応できなかった。

 見送ったはずの女性はシロウが視線を外した一瞬に、忘れ物を取りにでも戻るような仕草であっさりとシロウのもとまで戻ってくる。

 トスッ、と何とも軽い音と共にシロウの胸元に刺さるナイフ。

 決して過たず、心臓に突き立てられた凶器。

 

 驚愕も、痛みも、感じる間もなくシロウは崩れるように倒れ伏す。

 そのさなかで聞いた声──。

 

「──故国に愛を、溺れるような夢を(ラ・レーヴ・アンソレイエ)。おやすみなさい、神父様」

 

 天使のような声で囁く、無垢なる死神の言葉だった。




「此度の戦争で万が一にルーラーが現れるようならば私に対応を任せてくれないかダーニック。理由か? まあ色々あるが、何だ。私は神に愛されない。そんなところかな? まああの手の連中には何かと相性が良いのだ、私はな」

とある魔術師の会話


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天草の乱

多くの物語を読んできた。

心揺さぶる歴史を読んできた。

そして書より奇なる現実を見た。

人々の喜怒哀楽、幸不幸。

若者の夢に、大人の理想。

少しでもより良い未来を夢見て、

進み続ける人々の歩み。

そして私は結論する。この世に救済などない。


『我が願い、我が理想、我が救済。

 その成就のために、どうか力をお借りしたい。

 セミラミス──アッシリアの女帝よ』

 

 よりにもよってこの毒婦(セミラミス)を呼び出した男は、疲れ切った老人のような声と背伸びをする子供のような野心の瞳でそんな言葉を言った。

 

 曰く、全人類の救済。

 

 それは古今東西、ありとあらゆる聖者が、聖人が、支配者が、科学者たちが夢見て目指し──その果てに絶望した理想(ゆめ)

 人類には余りにも遠すぎる夢の果てである。

 そして愚かにもその夢を、本気で目指す、老人(少年)がいた。

 

 英霊セミラミス。

 その気質は断じて善良などというモノではない。

 伝承を紐解けば、その事実は疑うまでもないだろう。

 

 アッシリアの女帝。世界最古の暗殺者。

 夫の無念を晴らすため、夫を殺した男に侍り、そして殺した女。

 愛する男を手にするために戦争を起こした女。

 

 愛に生き、愛に狂い、愛に死んだ女帝。

 その物語(人生)を悲劇と評する者もいれば、自己の感情のみで多くの争いを生んだ愚者と評する者もいるだろう、或いは男であれば毒婦とも。

 

 実際の所、どの評価も一つたりとして間違ってはいない。

 

 最初の夫を愛し、その復讐(感情)に殉じた思いは本物だったし、欲しい者(アラ)のために戦争を起こしたのも事実だった。

 彼女は善良さや寛容さとは程遠く、破滅や絶望を嗜好し、傲慢で強欲で野心家であった。そんな己に絶対の自信を持っており、誇ってさえいた。

 

 だからこそ、男に出会い、その内に秘めたる野望を聞き、付き合うのも一興だと思ったからこそマスターとして認めた。

 

 そう──あらゆる人間たちが絶望した全人類の救済という理想。

 権勢を誇る王の絶望、勇将が恐怖に沈む姿。

 多くの絶望を見てきた彼女だが、聖者の絶望だけは見たことが無かったから。

 

 だが、同時にそれだけではなかったのも事実。

 

 彼女は女帝。君臨する支配者。

 なればこそ、思わずにはいられなかった。

 

 正気とは思えない全ての人々を救うという夢。

 英雄、聖人たちが諦めてきた最果ての理想。

 全ての人々が救われた後の世界という奴を。

 

 きっと、つまらない世界だろう。

 平和(穏やか)な日々よりも騒乱(ドラマチック)を求めるのが人の業だ。

 好色家で派手好きな女帝とは相反する世界だ。

 

 いや、しかし、それでも──見ないことには始まるまい。

 一人の女帝として──いいや一人の人間として。

 男が語る未来を想わずにはいられなかった。

 

 だから乗った。

 現世に迷い出て数十年。

 一つの理想に突っ走ってきた男の夢に。

 

 その結論が破滅であれ、絶望であれ、はたまた──救いであれ。

 どう転んでも良い見世物になるだろう、と。

 

 ゆえに彼女はその景色(結論)に怒り狂う。

 自分でも良く分からないままに、怒る。

 

 呆然と、いっそ無様に倒れ伏す男と。

 それを冷徹に見送る小娘の姿。

 天真爛漫な無害さの何処に隠し持っていたのかというような決意に満ちた暗殺者の姿に女帝は自分でも良く分からないまま、怒り、叫ぶ。

 

「おのれッ!!貴様──!!」

 

 即座に展開されるは三つの魔術式。

 この聖杯大戦においては暗殺者(アサシン)として召喚されている彼女だが、二重召喚という召喚者によって付与された稀有なスキルの効果により、魔術師(キャスター)としての能力も有する彼女にとっては当然の攻撃手段であった。

 

 展開されるは現代の魔術師など遠く及ばない神代の術式。

 出力にしてAランクを誇る超火力の魔弾である。

 機を見て敵の背を刺すことしかできない手弱女(アサシン)など一瞬にして蒸発させるに余りある攻撃はしかし、

 

『令呪を以て命ずるッ! 即座に離脱せよ、“黒”のアサシン──!』

 

 聖者と女帝の謀略を読み切った男にまたしても先んじられた。

 神代の魔術より先に振るわれる最上級の現代魔術。

 サーヴァントにとって最大級の首枷であり、不可能を可能へと変えるブースターでもある令呪による勅令が発動する。

 

 女帝の一撃は届かなかった。

 “黒”のアサシンを屠るはずだった一撃は教会の備品を破壊するに留まり、仕留めるはずだった獲物は現代魔術では魔法にも等しい、個人での空間転移という現象で以てこの場から離脱した。

 

 しかし──もはやどうでもいい。

 

「おい、マスターッ! しっかりせよ、貴様なにを無様に倒れている!?」

 

 全人類の救済とやらを遂げるのではなかったのかと“赤”のアサシンは血だまりの中に倒れる己がマスターを抱き上げ、普段の傲慢と冷酷な女帝像に似合わないほど、憤りながら死に体の男に叫ぶ。

 女帝の言葉に、男は苦笑する。

 

「あ、ははは……すい、ません。油断した、わけではないのですが……」

 

 返す言葉は余命を悟った老人のように弱り切っていた。

 それも当然だろう。

 完全に、凶器は過たず心臓を穿った。

 致命傷である。たとえシロウが──その正体がサーヴァントであることを考慮してもこれは避けられない必死の傷であった。

 

 ゆえにもう、シロウは笑うしかなかった。

 いやいっそ痛快ですらある。

 

 魔術の、神秘の大原則は秘匿である。

 それはこの聖杯大戦とて変わらない。サーヴァントという現代魔術世界において最上級の神秘を運用するならば尚の事。だからこそ戦いは常に人目の少ない夜になると考えていたし、そもそもこの段階で仕掛けてくることさえも予想外。

 

 こちらの陣営がそうであるように敵は、まだこちらの全容を掴めてさえいないはずなのだ。その状況で大胆にアサシンのサーヴァントをこちらに赴かせ、マスターを狙ってくるなど、無謀極まりないだろう。

 

 まして今回、ターゲットとなったのはシロウ。敵方は知る余地もないがサーヴァント・ルーラーとしてサーヴァントの詳細なステータスを閲覧することが許された聖杯戦争における特権の保持者。

 

 接敵した瞬間、一目見た瞬間、暗殺者の小賢しい狙いなど簡単に看破していたことだろう。だから──そこも含めて予想外。よもやサーヴァントにサーヴァントであることを隠蔽する工作まで施してくるとは。

 

 徹底しただけなのか。否──きっと読んでいたのだろう。

 この大胆な暗殺は無計画で行われたものではないはずだ。

 でなくばここまで鮮やかに決まることはあるまい。

 だとすれば……答えは一つ。

 

「侮っていた、わけではないのですが……見事な政治手腕だ。よもや、我が存在が露見しているとは思わなかった。『八枚舌』は伊達ではないと、そういうことですね、ダーニック(・・・・・)プレストーン(・・・・・・)ユグドミレニア(・・・・・・・)

 

 ダーニック。計画を練られるのはこの男しか考えられない。

 自分と同じ第三次聖杯大戦にマスターとして参戦した男。

 彼はどこかで知っていたのだ。シロウの正体が同じ第三次聖杯戦争を戦ったサーヴァントであることを。

 そして聖杯大戦の監視役兼マスターとして参戦することを。

 

 であるならばこの攻撃も納得がいく。

 シロウの居場所を調べる手段も、シロウを狙う動機も存在する。

 白昼堂々とは些か魔術師らしからぬ発想だと思うが、それも彼がその本質が魔術師ではなく政治屋であることを知っていれば違和感はない。

 面倒な敵を真っ先に消す、それは戦争における当然の処置だ。

 

「ぐ、……かはっ……!」

 

 吐血。シロウは痛みを堪えながら己に死を与えた凶器に触れる。

 ……よくよく見れば表面には不思議な意匠が刻まれている。

 手を通して、微かに感じる呪いの気配。

 

“呪詛……か”

 

 それも事が為された後に発動するタイプのものだ。

 いわゆる連鎖する不幸。

 そういったものを呼び込み、加速させる術式。

 成程これならば凶器自体に魔力反応は宿らない。あくまで殺人という結果に対して更なる不幸を被らせる呪詛だ。殺人という結果が起こるまでこれはただのナイフに過ぎず、故にこそ魔力で以て見切ることは不可能。

 

 先の“黒”のアサシンと同じだ。アレもまたサーヴァントであることは勿論、魔力を発することすらなかった。直前まで害意も敵意も殺意も感じられなかったことから恐らくは宝具か、或いはマスターによる隠蔽魔術か。

 徹底して暗殺が為されるまで正体を隠し続ける戦術とこちらの動きを読み切った慧眼、同じく謀略家として見事としか評せない。

 

 これを仕組んだ存在は、恐ろしいまでに冷徹であり、恐ろしいほどまでに大胆であり、そして──シロウと同じかそれ以上に、本気で勝利を欲している。

 

「……ああ、確かに、これは失敗だ」

 

 侮ったわけではない。侮ったわけではないが、それでも心に少しの油断があったのだろう。

 所詮は既得権益に恨みを持っただけの魔術師。

 我が願い、我が理想、我が悲願に比べればその熱量などたかが知れていると。

 聖者の中にあった微かな慢心。

 それを、シロウの命ごと完全に抉り抜いた。

 

「ふ、ふふ、はは……」

 

 天晴、実に天晴。痛快である。

 いや本当に笑うしかないだろう。

 これは読み切れない、と。

 

「いや本当に、申し訳、ありません。一手、上回られたようで」

 

「ええい! 何を暢気に称賛などしている! 聖杯を勝ち取ると、全ての人類を救うなどと我に話した誓いとやらは偽りだったのかッ!?」

 

 怒声に、ぼんやりと視線を己のサーヴァントに向ける。

 動揺している。怒っている。

 それも当然だろう。

 ここまで無様に、あっさりと暗殺を許したのだ。

 傲岸不遜を服と着る彼女にとっては屈辱だろう。

 マスターである自分の醜態も含めて。

 

「申し訳、ありません」

 

「謝っている暇があるならば、何とかしてみせよ! まだ聖杯大戦は始まってすらおらぬのだぞ! それを貴様、なんだそれは……!」

 

 アサシンの言葉に苦笑を漏らす。

 彼女の言葉には応えてみせたい処だが、不可能だ。

 傷は完全に致命傷。

 しかもナイフには呪詛(どく)が仕込まれている。

 必ず殺すという意思が見え隠れする殺意はシロウを完全に捉えている。

 

 シロウが持つ宝具、魔術の何れで以てもここから立ち直ることはあり得ない。

 少なくともシロウ・コトミネ──天草士郎時貞にこの状況を打開する術は何一つとして存在していない。

 詰みだ──王手を越えた必至の詰み。

 

 そう、なのに、

 

「五十余年、第二の生の限りを尽くして用意を進めたのであろう!? 怒りも嘆きも憎しみも、全ての人々を救うために捧げたのだろう!? そこまでして、顔も知らない誰かの幸福を願ったのだろう!?」

 

 “赤”のアサシン──セミラミスは似合わないほどに怒り、叫ぶ。

 利害の一致、彼女とはそれだけの関係だったはずだ。

 だが、女帝は感情を露わにして、シロウに吠える。

 

 そう、これは怒りだ。

 無欲なこの男が、唯一野心を燃やすただ一つの理想(ユメ)

 手を貸してやろうと、女帝にそう思わせただけの夢。

 それをこんなあっさりと手放そうとする男への怒り。

 

 

「理想を掴み取り、奇跡を成す! それを、この程度で諦めるつもりか! 幸福な世界など空想(ユメ)だと、無理と、不可能だと諦めるつもりか!」

 

 ────────諦める(・・・)

 

立て(・・)! ここで倒れるなど我が許さぬ! かような結末など我が認めぬ! この我を人類救済などという貴様の野望に巻き込んだ以上、挑まずして敗れるなどという無様は許さぬ! 貴様が真に人類救済とやらを成すというならば、今すぐ立ち上がり、奇跡の一つでも成して証明してみせよ──!」

 

 無茶苦茶な命令を女帝は己がマスターに告げる。

 立てと、立ち上がり、戦ってみせよと。

 その言葉にシロウは、天草四郎時貞は瞑目し──。

 

 

 

 ……この両手は常に奇跡を成し、そして取りこぼしてきた。

 民の信じる主の嘆き、弱き人々の不幸。

 苦しむ人々を一人でも多く救おうとして全て、取りこぼした。 

 

 シロウ、四郎、天草、時貞殿──声が、炎に捲かれた声が聞こえる。

 

 足りない。奇跡が足りないのだ。

 この両手は余りにもか細く、余りにも小さい。

 だからこそ大聖杯という器が。

 万人を掬い、救う奇跡を求めた。

 

 未来に多くの幸あれ。人々に、救いあれ。

 全人類に、救済を。

 

 そのために嘆きを捨てた。怒りを捨てた。憎悪を捨てた。

 真に誰も彼もを救うため、大切なものを切り捨てた。

 聖人君子たち(だれもかれも)が諦めた、その夢を成すために。

 

 なのに、お前は諦めるのか?

 まだ始まってすらいない戦いを、夢を、奇跡を。

 やっぱり不可能だったと、諦めると。

 

 嗚呼──そんなこと、そんなことで……。

 

 

 

“そんなことで諦められたのなら……()はこの五十年を生きていないッ!!”

 

 

 

「そうだ──まだだ(・・・)まだ(・・)死ねないッ……!」

 

 僅かに動くだけでも激痛が奔る中、シロウは拳を握る。

 死に体で、意識が途絶していく中で、叫ぶ。

 死にたくないのではなく、死ねない。

 

 死などという幸福な夢に浸かる己をシロウは許さない。

 現実(地獄)の先に花束(救済)を、そんな未来を描き出すために。

 征くと、少年は誓ったのだから──!

 

「……フン、ようやく目が覚めたか、たわけ」

 

 アッシリアの女帝が笑う。

 呆れたような言葉のまま、そうでなくてはと笑う。

 そして囁くように甘く拐かすようにシロウに言う。

 

「ならば、すべきことがあろう。……業腹だが、それ以上に此処まで好き勝手されていては我の気が収まらぬ。ゆえに許す。手にした奇跡を叫ぶが良い、我がマスターよ」

 

 是非もなし──シロウは叫んだ。

 

「──令呪を以て“赤”のアサシンに命ずる! 我が手に奇跡を! このまま俺は終われない──ッ!!」

 

「相分かった。ならば救世主が如く、死する運命から目覚めよ、我がマスターよ。己が聖者であることを証明し、奇跡を見事起こしてみせるが良い」

 

 そう言って、“赤”のアサシンは、セミラミスはシロウの胸に手を当て、躊躇いなく神代の魔術を──この状況を唯一打開する手段を使用する。

 

 

 ──シロウの命運は尽きている。

 それは覆せない運命だ。少なくともシロウにはどうしようもないし、たとえ現代魔術師など及びもつかない神代の魔術師であるセミラミスも同じだ。

 アスクレピオスやナイチンゲールでもなし、かの女帝は人を殺すことに長けていても救うことなど出来はしない。

 

 だが令呪と、そしてシロウという人物の特殊性を考慮すれば、取れる手段は存在するのだ。

 第三次聖杯戦争により敗北したシロウだが、その肉体は受肉している。偶発的に大聖杯に触れることができたシロウはこの五十年余りを人間として過ごしてきた。そして凶器が、ナイフが突き刺したのはそんな人間としてのシロウだ。

 ならばこそ話は簡単。死の運命を、復活という奇跡を成すために古い体を捨てればいい。本来の、サーヴァントの姿に立ち戻ればいい。

 

 無論、変化は不可逆のもの。受肉した一人の人間として生きている以上、サーヴァントといえど体が死ねば、中身も死ぬ。サーヴァントという、仮初の肉体に戻ることで死を回避するなど、都合がいい立ち戻りは出来ない。

 

 しかし──例外は常に存在する。

 彼に侍るは神代の魔術師。それも二重召喚などというサーヴァントクラスの枠組みを超えた反則によりこの世に招かれた存在である。

 自己分析によるサーヴァントクラスシステムへの干渉、聖杯との接続の分析、未だ記録として残る第三次聖杯戦争のサーヴァント。

 

 魔術とは言ってしまえば世界に対する詐術である。

 なればこそ女帝もまた詐術を掛ける。

 令呪によるブーストによって強化された己の手腕で以てこの例外にのみ為せる自己の存在を代価とした最終手段。

 存在交換(チェンジリング)──聖杯がサーヴァントとして擁立する己に通る回路(パス)と断絶したシロウのサーヴァントとしての回路(パス)を入れ替えることで、女帝はシロウをサーヴァントとして復活させる。

 

 もちろん、そんなことをすれば“赤”のアサシン、セミラミスは消滅するわけだが──。

 

「吐いた唾は飲み込めぬ。この我を乗せたのだ、途中下車など決して許さん。全ての人類を救済するという大言壮語、噓偽りでないならば叶えてみせるがいい。我がマスターよ。それを以て此度の失策を許す」

 

「よろしい。ならば応えましょうアサシン、いえアッシリアの女帝よ。聖杯を我が手に。その暁に理想の世界を実現し、人類救済を以てして、此度の失策の償いとしてみせると」

 

 そうして一騎のサーヴァントが消失した。

 聖杯大戦、最初の脱落者は大戦に身を投じる間もなく消失した。

 しかし変わらない。

 大聖杯は依然“黒”の陣営と“赤”の陣営の七騎を認識している。

 そう即ちは──。

 

 “赤”のセイバー

 “赤”のランサー

 “赤”のアーチャー

 “赤”のライダー

 “赤”のキャスター

 “赤”のバーサーカー

 

 そして──“赤”のルーラー(・・・・)

 

 

「未来を手にし、勝つのは俺だ──!」

 

 英霊として蘇った天草四郎時貞はその眼に決意の炎を宿し、今再び動き出す。

 よって此処に全ての前提は崩れ去った。

 

 黒き女帝は忠実と怒りで以て男に託した。

 策謀に燻る男は自ら征く(立つ)ことを選んだ。

 

 故にこれより始めるは真なる聖杯大戦。

 敵と味方。

 恋と愛。

 我欲と理想が入り乱れる物語などではない。

 全ての戦力が正面から激突する本当の意味での戦争だ。

 

 運命の手は誰の下に。

 

 最も強きものが玉座へと至る聖杯大戦。

 その開戦の号砲が遂に鳴らされたのである。 




Sword,or Death

with What in your hand…?


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夜中の思惟/真昼の憂鬱

思い耽ることは私の趣味だ。

テーマは問わない。

歴史、政治、思想、哲学、etc.

大事なのは頭を回すこと。

機能は使わなければ衰える。

だからこそ意識ある間は考える。

無論、思考の大半は無意味なものだが、

無価値であるとは思わない。


「幾ら何でもこれは酷いと思います」

 

 頬を膨らませ、半眼でこちらを睨み、如何にも怒ってますと抗議の目線を向けるシャルロット・コルデー。

 視線の先にはもはや見慣れた鉄面皮のアルドル・プレストーン・ユグドミレニアがいた。聖杯大戦に臨むに当たって、彼に“黒”のアサシンとして呼び出されたシャルロットだが、実のところ付き合いは他のサーヴァントより遥かに長い。

 

 というのもシャルロットが呼び出された理由……曰く、聖人を殺して欲しいという依頼(オーダー)を達成するために、シャルロットが現代社会に溶け込む必要があったからである。

 そのため彼女はダーニックの召喚したランサー、ヴラド三世よりも先にサーヴァントとして現界しているのだ。

 

 ともすればその付き合いは半年以上。何となく互いがどういう人間かは知っているし、性格も願いも把握しているし、信頼もそれなりに育まれてきたと自負している。

 しかし、親しき仲にも礼儀あり。

 故に幾ら何でもこれは無いとシャルロットは抗議する。

 

「そりゃあ話を聞けば納得しましたとも。ええ、貴方(マスター)はいつも回り道が大嫌いな人ですからね。最短で決着を付けるためにも必要な手筈でしたと今なら分かります。でもいきなり令呪で私の記憶を消し飛ばした挙句、勝手に暗殺の手筈を整えるとかもうこれは信用問題に関わってくると思います」

 

 事の発端は言うまでもなく令呪による記憶忘却である。必要な処置とはいえ出会い頭にいきなり令呪による忘却を受けた彼女は暗殺に至るまでフランスからの旅行者として放浪していたのだ。

 

 気分は問答無用に一般人、そんな中予め暗示の中に仕込まれた神父との会話終了後、神父に宝具を使用するという命令を成して正気を取り戻したシャルロットが真っ先に見たのは怒り狂う“赤”のアサシンの砲撃。

 

 正直死ぬかと思ったし、俗的な言い回しをすれば超怖かった。

 

 何より一番腹が立ったのは令呪による撤退命令後だ。事情を呑み込めないシャルロットに向かって人の心を解さない男は言った「ありがとう、君のお陰でシロウ神父を倒すことができた、礼を言う」。

 

 シャルロットはキレた。

 必ずやこの厚顔無恥な男に鉄槌を下してやらねばならぬと。

 

「それについては昨日から再三謝罪しているのだがね、すまなかったと。詫びの印にブカレストで煙突菓子(キュルテーシュカラーチ)も奢ったし、これで仲直りという訳に──」

 

「いきません。ていうか何ですか、その物で釣っとけば大丈夫だろうみたいな浅はかな考え! 貴方(マスター)はもう少し誠意というものを見せるべきだと思います! 誠意を!」

 

「誠意……はちみつか?」

 

「だからその安直なモノで釣る考えから離れてください! 大体、そのいっつもいっつも物で釣られるような簡単な女だと思っているところもどうかと思うんです!」

 

「ふむ、別に簡単な女だ、とは思ったことは無いのだが……」

 

 しかし目的のためのフランス旅行で目的そっちのけであそこ行きたいここ行きたいアレ食べたいと自由気ままに振る舞う彼女は実に幸せそうだとアルドルは記憶していた。

 先日の煙突菓子(キュルテーシュカラーチ)──クルトシュの方が通りがいいか──にしても食べているときは万遍の笑みで「現代はおいしいものが多くていいですねー」なんて言ってたはずだ。

 食べ終わってしばらくしてからまた怒ってますモード(こうなって)いたが。

 

「俺なりに感謝はしているつもりだったが伝わっていなかったか」

 

「むぅ……感謝しているのは分かってますよ。ええ、その辺については貴方は誰よりも誠実な人だと知ってますし。私が言いたいのはですね、ええと、そういうことではなくて、もっとこう……」

 

「フワッとしてるな」

 

「そこ! そういうところです貴方(マスター)のダメなところ!」

 

「難しいな」

 

 困ったとアルドルは珍しく目を瞑り、どうするべきかと小首を傾げている。常時鉄面皮で感情が読みにくい彼にしては珍しい感情の発露だった。

 この場に他の身内(マスターたち)がいればさぞ驚いたことだろう。

 

「すまんな俺は女心という奴に疎いのだ。どうすれば納得できるか言ってくれると助かる。流石に何でも、とはいかないが……可能な限り善処しよう」

 

 結局、考え込んだ結論としてアルドルは己のサーヴァントに全権を投げることにした。色々と考えた挙句、分からなかったためである。

 元より人付き合いが()も今も苦手だった。文字でなければ感情が読めない彼にとってシャルロットのそれは難しすぎたのだ。

 

 ゆえに無条件で相手の要求を呑む。それは傍から見れば何一つ変わらない安直な対応であるようにも見えたが、アルドルなりの、精一杯の誠意という奴だった。

 それは付き合いのそこそこ長いシャルロットにも分かった。

 なので、彼女はそんな不器用な主にふっと表情を緩めて、

 

「では、そうですね。時間がある時でいいので色々お話に付き合ってください」

 

「そんなことで良いのか?」

 

「はい、そんなことが良いのです」

 

「ふむ……了解した。今すぐは無理だが、必ず時間を設けよう。面白い話は出来ないだろうが、構わないか」

 

「ええ、話題はさほど重要ではないので。貴方(マスター)には難しいかもしれませんけど語らうことで得られるものもあるのです。あ、知識とかの話じゃないですよ? 気持ちのお話です」

 

「なるほど」

 

 よく分からないがそういうものなのだろう。

 それで納得するならとアルドルは頷いた。

 

「そうか。では何れ機会は設けよう。また暫くは君とは別行動(・・・)になるので早々会えなくなるだろうが、そうだな、こちらの戦況が収まればそちらの仕事もすぐに済むだろう。話す機会はその後にでも」

 

「分かりました。約束ですよ? 破ったら承知しませんからね。針千本です」

 

「……極東に伝わる約定を破った際の罰則か。聖杯もまた随分とマニアックな知識を。それに君が言うと冗談には聞こえないな」

 

「はい、冗談じゃありませんから」

 

 そう言っていつもと変わらない笑顔を浮かべるシャルロット。

 

 ……言葉を受け取るアルドルは初めて背に冷たいものを覚えた。

 もし約束を破れば、本当にやってくるだろう、と。

 それも平時と変わらぬ笑顔のままで、当然のように。

 半ば確信じみたものを覚え、アルドルは思わず口ずさむ。

 

「了解した。何としても、必ず、約束を果たそう」

 

「はい。信じていますからね?」

 

 ではではーっとようやくゴキゲンになったシャルロットは軽い足取りでアルドルの私室を後にする。

 その背をぼうっと見送り、ぼそりと呟く。

 

「怖いな、流石はシャルロット・コルデー」

 

 そんな感慨のような恐怖のような何とも言えない感情を口に出すのであった。

 

 しかしそれも一瞬の事。

 彼女が辞したのを見送った彼はそのまま愛用の北欧チェアに体重を預ける。木製の硬質な感覚と独特の香りがアルドルの気を落ち着かせ、その思考をクリアにしていった。

 気づくと、片眼鏡(モノクル)の向こう、彼の右目はぼんやりと色を放ち始める。

 

「さて、何はともあれアサシンのお陰で私が求めていた前提条件は全てクリアされた。明日にでも始まる前哨戦にも後顧の憂いなく望めることだろう」

 

 第一に“黒”の陣営のサーヴァントの選定。

 第二に“赤”の陣営に属するシロウ神父またはそのサーヴァントの排斥。

 

 此度の聖杯大戦に臨む上で、アルドルが開戦前にやるべきこととして考えていた二つの条件、それが達せられたとアルドルは満足げに頷く。

 

「“赤”の陣営と戦う上でネックなのはやはりサーヴァントだ。セイバー、ランサー、アーチャー……これら三騎士は流石は三騎士だけあって極めて優秀。“赤”の陣営のセイバー、ランサー、アーチャーと比べて遜色はない者たちだろう」

 

 “黒”のセイバー、ジークフリート。

 “黒”のランサー、ヴラド三世。

 “黒”のアーチャー、ケイローン。

 

 これら三騎士は実に優秀な存在だとアルドルは思っている。上手く運用すればそれこそ“赤”の陣営のサーヴァントに何ら劣ることは無いと。

 召喚したマスターたち以上に、アルドルは彼らを評価していた。

 

 故に問題があるとすれば他だった。

 

「しかしライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーの四騎は別だ。敵が強力である以上に身内間での不和が起きかねん。特にキャスター……ロシェが呼び出そうとしていたアヴィケブロンは論外だ」

 

 口にしたその名前はキャスターのマスターであるロシェが、アルドルが口を出していなければ召喚していただろうサーヴァントの名前だ。

 真名アヴィケブロン。またの名をソロモン・イブン・ガビーロール。

 哲学者として中世ヨーロッパの思想界隈に多大な影響を与えたユダヤ教徒の詩人にして新プラトン主義哲学者。

 

 だが、英霊として呼ばれていれば彼の側面は哲学者よりも魔術師の側面が強調されて呼び出されていたことだろう。

 そう、数秘術(カバラ)を基盤とした魔術師、稀代のゴーレム使いとして。

 

「現代魔術師が及びもつかないゴーレムの生産速度、品質はなるほど確かにこういった戦争向きの性能ではある。しかし、気質がダメだ。宝具の完璧な完成のためならば手段を問わないその気質はこちらの勝利のためには邪魔になる」

 

 アルドルは知っていた。

 召喚される予定だったそのサーヴァントの能力も、そして願いも。

 

 『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)

 

 それこそがキャスター、アヴィケブロンの宝具であり、生前は完成させること叶わなかった彼の願いそのものである。

 ──一般にサーヴァントの持つ宝具、それは生前の武功、武勲、逸話、武装を由来としたモノとなる。

 

 例えばアルドルのサーヴァント、シャルロット・コルデーの宝具は逸話を基にした宝具である。

 故国に愛を、溺れるような夢を(ラ・レーヴ・アンソレイエ)。彼女の名を世に知らしめたたった一度の暗殺。暗殺の天使とまで謳われた殺される寸前まで一切の殺意を感じさせない殺人こそが彼女の宝具だ。

 

 しかし、こういった生前の行為ないしは武装を由来とした宝具の他に……例外的な形で英霊に宝具が付与されることがある。

 

 キャスター、アヴィケブロンの宝具もその類いである。

 彼の宝具は彼が生前完成させようとし、未完成のまま終わったカバリストたちが目指したゴーレムの完成形とも言える代物だ。

 未完であるが故に、通常の真名解放による宝具の使用とは異なり、道具や素材を集めて宝具を完成させねばならないという手間が掛かるものの、完成さえしてしまえば彼の宝具『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』は無類の強さを発揮しただろう。

 

 なんせ、アレは生ける固有結界。アヴィケブロンら信心深いカバリストたちが目指した『楽園(エデン)』の具現とも言える代物である。

 ランクにして驚異のA+という数値を叩き出すそれは、最優のサーヴァント、セイバークラスの聖剣魔剣であっても容易く攻略できないモノであるという事実をアルドルは知っていた。

 

 だがしかし、宝具の強さはともかくアルドルはアヴィケブロンという英雄を信用していなかった。

 生前は完成を視なかった彼の宝具。『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』。その完成こそがアヴィケブロンの悲願であり、そしてそれを完成するためならばあの英雄は一切手段を問わないということもアルドルは知っていた。

 それこそ、召喚したマスターを裏切るほどのものであるとも。

 

 人物像からして人間嫌いの厭世家。ともすれば何よりも陣営での連携が問われる聖杯大戦において、能力の優良さを考慮してもとてもではないが味方として頼っていい英霊であるとはアルドルは考えられなかった。

 だからこそ、彼は同じゴーレム使いとして何より召喚することを願っていたロシェに待ったを掛け、アルドルが所持していた聖遺物……ケルト民族の先住民たちが祭儀に使っていたという旧いオークの杖をロシェに手渡し、それによる英霊召喚を態々命じたのである。

 

「加えて言うならば“赤”の陣営が召喚するサーヴァントが相手ではあまり有効に働くとは思えない。数で圧倒出来るほど敵陣営のサーヴァントらは甘くないし、宝具にしても“赤”のランサー……あの英雄の火力で以て挑めば、ともすれば固有結界ごと破壊されかねん」

 

 そう言いながら脳裏に浮かべるのは恐らく召喚されているだろう“赤”の陣営のランサーの姿。かの英雄の放つ劫火であれば固有結界型ゴーレムの起点となる炉心ごと物理的にゴーレムそのものを破壊すること可能であろう。

 無論、果たしてあの高潔な英雄が地上でそれを振るうかは分からないが、そうでなくとも単純な火力だけでAランクという宝具級の威力を叩き出す存在だ。ゴーレムの炉心を突かれでもすれば、そもそも宝具の使用すら必要あるまい。

 

「そしてアヴィケブロンが人的に使えないのとは別にライダー、アサシン、バーサーカーは各マスターに任せたままでは単純に戦力足り得ない」

 

 己の枠として取った“黒”のアサシンはともかく、ライダー、バーサーカーの二騎に関してはキャスターの事情とは違う理由で戦力足り得ないとアルドルは断言する。故にこそ後者にはロシェと同じように口出ししたし、前者の方も動かそうとはした。尤も……。

 

「あの趣味人を動かすことは出来なかったが、まあ二騎の入れ替えが出来ただけでも合格だろう」

 

 次期当主(じぶん)が口を出しても決して自分を曲げなかったセレニケを思い出してアルドルは思わず頭を振る。

 アレの性根は知っているが、此度の戦争がユグドミレニア存亡に関わる戦であることを仮にも一族代表としてもう少し自覚して欲しいと思うが、もはや今更な話である。

 既にサーヴァントは出揃い、開戦の号砲は鳴らされた。

 ならば悔やむより先に次を見るべきだろう。

 

 とはいえ、それでも強さや性能を抜きにしてもあのライダー……アストルフォを呼ばれることはアルドルの都合上、止めて欲しかったと考えざるを得ない。何せ一番面倒くさい。性格ではなく、これからの展開(・・)が面倒くさくなるのである。

 

「まあ尤も、私が先んじれば(・・・・・・・)いいだけか。とはいえ接触するタイミングが読みづらいのが懸念点だが。バタフライエフェクトか何かでタイミングが早まることも考慮すると、さてどうしたものか」

 

 不明瞭なままライダーだけは都合が悪いと言いつつ、アルドルはぼんやりと虚空を眺めるように右目を細める。

 

 ──召喚されなかったキャスターの宝具から未だ会敵すらしていない敵方のランサーの存在まで、さながら知っているかのように語るアルドルの姿は敵味方問わず異様としか言えなかった。

 

 如何に彼が多くの亜種聖杯戦争や魔術世界の神秘との交戦を経てきたとしてもこの未来視じみた知識の精度は異常としか言えまい。

 ともすればその未来視じみた読みはアトラス院の魔術師たちが誇る分割思考・高速思考の生み出すそれに近しいものを感じさせるが、違う。

 彼はもっと根源的に全てを知っていた。

 

「……ああ、なるほど。タイミングが分からないのであれば、タイミングを作ればいいのか。その発想は無かったな。そういうことであれば、なるほどライダーの幸運も抑止力の妨害も、運命も気にする必要はないか」

 

 頷き、納得し、思考の泉に浸かりながらより一層考えを深めるアルドル。

 まるで彼は見えない誰かと議論するように考え、考え、そして。

 

「ふむ。ひとまずこれなら問題あるまい。大まかだが、前哨戦の展開としても丁度よかろう。何より筋書きだけなら予定通りだ。実戦力の確認とでも言えばダーニックたちも納得しやすかろうし、悪くない」

 

 思考の果て、満足げにアルドルは頷いた。

 

「シロウ神父が生死不明になった以上、此処からの展開は読みにくくなるが、それでもアサシンのお陰で勝利にかなり傾いたのは確かだ。であれば未だ読みやすい方を読みやすいうちに利用するのは適切か。上手くすれば序盤で落とすこともできるやもしれん」

 

 言いつつ、アルドルは別段思い立ったセカンドプランに関してはあまり期待してなかった。あちらはあちらで実戦の目が効く。

 加えて言うなら入念に計画したシロウ神父暗殺とは異なり、本命に次いででの話だからだ。あくまでタイミングを合わすことがメインであって、首を取るのは二の次。

 シロウ神父の件ほど重要視していなかった。

 

「……街の監視は消えた。シロウ神父の生死は不明だが、それでも無傷ということは決してないだろう。どちらにせよ、すぐに動けなくなったのは確かだ。このタイミングでこちらの状態を完璧に仕上げ、決戦に挑むとするか」

 

 どの道、全面的な開戦をすれば向こうの状況は見えてくる。

 『庭園』が来るならば、大幅な計画修正が必要となってくるが、アルドルの読み通りで事が進めば、話は簡単だ。

 

「『庭園』が出てこないようならば、次の全面衝突を以てして──ユグドミレニアの勝利はほぼ確定する」

 

 ここまで出来る手筈は全て整えた。

 故にこそアルドルは予定通りに進めば勝利は確定すると断言する。

 何故ならばアルドルは知っている、これは戦争だと。

 

 “赤”のランサー、“赤”のライダーは確かに強力極まりない。もし手を加えていなければその二騎だけで“黒”の陣営が全滅させられていたのではないかと思う程に。だが、もはや筋書きは書き換えた。展開は塗り替えた。

 そう、サーヴァントの強さだけが勝敗を定めるのであれば、アルドルは九度の亜種聖杯戦争の中で命を落としていたことだろう。

 彼らの強さ、彼らの神秘、彼らの魅力に取りつかれるあまり、そもそも皆が皆はき違えている。これは、戦争(・・)なのだ。

 

「私は勝利するため、やるべきことをやるだけだ」

 

 ──物語は好きだが、現実はつまらなくて良いとアルドルは思う。

 展開はつまらなくて良い。

 盛り上がりなど無くて構わない。

 物語ならばいざ知らず、アルドルはドラマチック(そんなもの)を求めていない。

 

「全ては予定通りに。そうなることをせいぜい祈るとしよう」

 

 そう言うアルドルの表情は厳しかった。

 予定通りに、と言いつつ、そうはならないであろうことを同時にアルドルは確信していたから。

 このまま波風立たずして終わるほど聖杯大戦も、この世界(・・・・)も甘くは無いということもまた、アルドルは知っている。

 

 だからこそ常にありとあらゆる状況を想定しながらアルドルは思考を回し続けるのだ。

 次の展開、次の状況、次の未来、次の、次の、次の……と。

 勝ち切るその瞬間まで『先祖返り(ヴェラチュール)』に隙はあり得ない。

 

 

 今宵もまた夜が更けていく。

 未だ一人で盤上を動かし続けるアルドルは開戦を待つ一族を傍目に、また一つ、また一つと勝利へと繋がる布石を打ち続ける──。

 

 

 

 ──『夜中の思惟』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 彼女にとってアルドル・プレストーン・ユグドミレニアという男は同じ学び舎で学んだ学友であり、ユグドミレニア一族という同胞であり、ユグドミレニア一族の次期当主の候補として名を並べた競合者(ライバル)であり、そして……。

 

「ふぅ……」

 

 サーヴァント召喚を経て一日ほど経過した昼下がり。

 正午のミレニア城塞中庭で少女はゆっくりと息を吐いた。

 

 昨夜の召喚でそれなりの魔力を消費したため今日の所は下手に魔術装備や対策などの行動をせずに魔力回復に務めていたが、それもあって現在調子は良好。これならば今日の夜にでも始まりかねない聖杯大戦にいつ挑むこととなっても問題ないだろう。

 正直なところ今回のユグドミレニアの宣戦布告はフィオレとしてはあまり乗り気にはなれなかったが。

 

「聖杯、アレがあれば私の足も……」

 

 すっと撫でるように自分の足に触れる。

 ──フィオレの願いは『己の足を治すこと』だ。

 それはあの一族の栄光を望むダーニックや本気で根源到達を望んでいるアルドルと比べればとても人間として普通な、悪く言えば陳腐なものだ。

 果たして聖杯に託さねばならぬほどの願いかと思う程に。

 

 だがフィオレの動かない両足、これは何も単純に生まれついて足が不自由だから歩けないという話ではないのだ。

 この両足が動かない原因。それは──魔術回路にある。

 

 魔術回路とは言ってしまえば魔術師が魔術師たるために必要な疑似神経である。魔力の根源たる生命力を魔力へと置換するために必要な器官であり、魔術師が魔術を使うための回路である。

 

 通常、魔術回路それ自体はただ在るだけでは魔術を使えるようになる以外に人体に何ら影響を及ぼすものではないが、フィオレの場合はそれが生まれついて変質していた。

 魔術師としての才とは引き換えに生まれついてから変質していた魔術回路は両足から歩行という役目を奪い、それだけに留まらず時折、耐えがたい苦痛まで襲い掛かってくるのである。

 それを克服せんがため一時は時計塔の学び舎で人体工学や降霊術を学び、自力での克服を目指し、また学友らの縁を頼って腕利きの調律師に依頼をしたこともある。

 だが結果はこの通り。結論から言って、魔術回路を捨て去らなければこの両足は自立することができない。

 

 両足を治したい、しかしそのためには魔術を捨て去らなければならない。

 そんな二律背反に苦悩する彼女だったが──聖杯。所有者の願いを叶える万能の杯。アレを見た時、彼女は叶わないと諦めていたささやかな希望が叶う可能性を見たのだ。

 アレを見たからこそフィオレは生死のかかったこの闘争に身を投じ、かつて学びを共にした学友たち……時計塔と相争う運命を受け入れたのだ。

 それにこの戦いを勝ち抜くことが出来れば。

 

「……アルドル」

 

 一族の同胞として、同じ学友として、自分の足を治すために手を尽くしてくれた彼と昔のように何の憂いもなく話すことが出来るのではないか──。

 そうフィオレは思うのだ。

 諦めなかった彼と、諦めてしまった私。

 あの日、完治する未来が見えない絶望と両足が生む痛みに耐えかね、「もういい」と言ってしまった以前のように。

 

「──こちらに居られましたか」

 

 と、フィオレが過去の憂いに思いを馳せていると穏やかな声がフィオレを捉える。視線を向けるとそこには一人の朴訥な青年が──サーヴァント、クラスアーチャーことギリシャ神話の英雄、ケイローンがいた。

 その両手にはお盆を持っており、茶菓子とポットが載せてある。

 

「疲れているご様子でしたのでハーブティーでも、と思いまして。一度、お部屋にお伺いしたのですが……無用な気遣いでしたか?」

 

 驚き黙するフィオレの姿にケイローンが苦笑を漏らす。

 その言葉にフィオレははっと意識を取り戻した。

 

「い、いえ、お気遣いありがとうございます。少々驚いてしまって」

 

「そうでしたか。確かに一声かけておくべきでしたね」

 

 そういってケイローンは丁寧な所作で抱えていた盆を中庭に設置されたテーブルの上に乗せ、茶器と茶菓子を並べていく。

 さながら熟練した使用人の如き、隙の無さである。

 手慣れた様子でハーブティーを注ぎ終わるとケイローンが問いかける。

 

「何か、お悩み事ですか? よろしければ相談に乗りますよ?」

 

「……そんなに分かりやすかったですか?」

 

「いいえ、ただ何やら憂いがあるご様子でしたので」

 

 そういって青年は穏やかに微笑んだ。

 如何にも余裕がある大人といった振る舞いである。

 何処か年月を経た大木のような穏やかさの雰囲気を纏う青年はフィオレが見てきた人々の中で誰よりも安心感を覚える存在であった。

 

 恋や愛とは違う、近しいもので言えば父母のそれに近いか。

 ともあれマスターとサーヴァントという関係以上に、フィオレは目の前の青年を信頼していた。

 だからこそ、つい憂いを見抜かれた憂いを告解する。

 

「アルドルのことを考えていました。聖杯が手に入り、願いが叶えば彼とも昔のように話せるようになるのではないか、と」

 

「アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。“黒”のアサシンのマスターですね。ユグドミレニアの中でも随一の実力者、と」

 

 ケイローンの復唱するような言葉にフィオレは頷く。

 そして問うた。

 

「はい。……ケイローン、貴方から見てアルドルはどう思いますか?」

 

「どう、とは難しいですね。まだ話したことはありませんので」

 

「あ、そ、そうですよね……すみません」

 

「いえいえ、ただまあ……そうですね。私の印象だけで語るのであれば、凄まじい、その一言に尽きるでしょう」

 

「凄まじい……それは神代に生きた貴方から見ても、ですか?」

 

「ええ」

 

 その評価は身内として知るフィオレからしても驚くべき評価だった。

 ケイローン。

 彼はギリシャ神話に名高い屈指の賢人である。

 クロノス神と母ピリュラーの間に生まれた半人半馬の彼はケンタウロス一族の一人としてアポロン神より音楽と医術を、アルテミス神より狩猟を学ぶなど多くの学びを神々から授かり、自身もまた得た智慧の数々を後世活躍する様々な英雄らに授けていった賢者である。

 そんな多くの英雄、英傑を見て来ただろう彼をして凄まじいというのは神代の賢人が現代魔術師に贈る評価としては規格外であろう。

 

「もちろん、私の生きた時代……神代の英雄たちと比べれば力それ自体は比べるまでもないでしょう。立ち振る舞いからして剣は相当に使うと見ますがそれでも、神々の加護を授かった英雄らとは時代が違いすぎる」

 

 故に凄まじいとは、あくまで聖杯から得た現代の知識に合わせてのものだとケイローンは言う。神代の英雄には及ばないが、現代においては破格であると。

 

「第一感から受ける魔力の量、質。そして鍛え上げられた肉体。何よりも、アレは意思が強い。過去に見てきた英雄たちの炎を思わせる苛烈な意思とはまた違った……そうですね、使命感。あの意思の形はアスクレピオスに似通っているかもしれません」

 

「アスクレピオス……医神とまで謳われた英雄ですね。そういえばケイローンの弟子の一人でしたね」

 

「ええ。少々、のめり込みすぎる気質があり、そのせいで周囲との不和が起こることもありましたが、私の誇るべき生徒の一人です」

 

 そういってケイローンは穏やかに、されど誇るように笑う。

 教師が自慢の生徒を誇るような笑みだった。

 確かに育った弟子を、生徒を温かく見つめるような、目。

 

 フィオレはそれを見て少しだけ、羨ましいと思った。

 このような教師に導かれた生徒たちはさぞ幸せだったろうと。

 チクリと胸に微かな痛みを覚える。

 或いは自分もまた……。

 

「マスター?」

 

「あ、い、いいえ。何でもありません」

 

「そうですか。……ともかく現代の基準において尚、驚嘆すべき実力を秘めているだろう存在、私の第一印象はそんなところでしょうか」

 

 そういってケイローンは自分の評価を言い切った。

 ……尤も彼は全てを言い切ったわけではない。

 賢人として、多くのものを眺めてきた彼だからこそ分かる。

 アレは凄まじい(・・・・)

 

 先ほどケイローンは魔術師として見えるアルドルの凄まじさを語ったが、それとは別に英霊として彼を見れば、また違ったものが見えてくる。

 実際、ライダー……アストルフォも反応していた。

 

“ただの人間にしては霊格が大きい(・・・・・・)。いや正確には魂単一ではなくそこに外装……魂の鎧とでも言うべきものを纏っているのか”

 

 言ってしまえばケイローンの言う凄まじいとは、霊的に凄まじいということだ。

 ただの人間にはあり得ない、魂の格。

 英霊が、人ではなく霊的には精霊に近いように、彼もまた人ではなく、それ以上の何かの霊格を纏っている。

 

“それに腰に帯剣していたのは間違いなく魔剣。それも神代に由来するものだ”

 

 詳細は流石に刀身を見ていないので把握できないが、儀式場で見かけたセイバーに親しいものをあの剣からは感じた。

 アレは紛れもなく英霊が振るう宝具に匹敵する武具だろう。

 ケイローンから見ても剣使いとしてかなりの腕前であることを考慮すれば決して見せかけや飾りの類でもない。

 

 故にケイローンは凄まじいと称したのだ。

 ケイローンとて現代の神秘その全てを把握しているわけではないが、少なくともあの儀式場にいた面々……自身のマスター含め、あの場にいたユグドミレニアの魔術師全てが結束したところで彼には敵うまい、と。

 

 加えてあの眼だ。あの眼は間違いなく……。

 

「ケイローン?」

 

「……何でもありません。しかしマスター、話の流れから察するにマスターの憂いとはアルドルに由来するものですね?」

 

 小首を傾げこちらの様子を窺うマスターの視線を受けてケイローンは自身の思考を断ち切った。

 そしていつもの穏やかな笑みで主人の憂いの正体を問うた。

 それにフィオレは小さく頷く。

 

「……はい。やはりバレてしまいますよね」

 

「言いたくないのであれば……」

 

「いえ、良いんです。私も少し、誰かに話したい気分だったから」

 

 そう言ってフィオレは静かに語りだした。

 元々一族の中でも年若いことから交友関係があったこと。

 自分よりも二つ年上の存在として兄のように慕ってたこと。

 時計塔では先輩として何かと面倒を見てくれたこと。

 そして……。

 

「一時期私とアルドルは共同研究をしていました。研究対象は他ならぬ私の両足に関して。時計塔時代、彼は本気で私の足を治そうと動いてくれた時があったんです」

 

 その頃のアルドルと言えばどういう縁か当時アルドルが学んでいた学科、考古学科の学部長にしてロードの一人であるカルマグリフと北欧の古い遺跡の研究をしていた時期である。

 詳しい内容はフィオレも把握していないが、何でもキリスト教が北欧の地で広まる以前の……何の手も加えられていなかった北欧の信仰が手つかずだった頃の古いルーンの碑文を研究していたはずだ。

 そんな忙しい時期に、態々彼は私のために手を尽くしてくれた。

 フィオレでは話の通せないロードお抱えの調律師や、魔術協会とは縁を断って久しい古い大家など、知識は勿論、人脈すらも使い切って、フィオレの足を治すために奔走してくれたのだ、だけれど。

 

「先に私の方が根をあげてしまったんです」

 

 治療は、どうしても痛みを伴うものだった。

 足は治せなくてもせめて痛みは、とそんな願いを踏みにじるようにありとあらゆる手段を試せど良くなる気配は見られず、結果アルドルより先にフィオレの方が折れた。もういいと、そう言った時の彼の顔を今でも覚えている。

 

「……アルドルは何と?」

 

「「そうか」と一言だけ言ってました」

 

 諦めるような、嘆くような瞑目、沈黙。

 それ以来、フィオレは彼に負い目を感じるようになったのだ。

 

「だからこそ……と思うんです。もしも聖杯が手に入って、この両足が治せるようならば、と」

 

 その時こそ、彼ともう一度話せる気がするのだ。

 何の憂いもなく、昔のように──憧れの人の背を追いかけていたあの時のように。

 

「……すいません、聖杯大戦を前に考えることではありませんでしたね」

 

 そういってフィオレは頭を下げた。

 それに対してケイローンはいいえと首を振り、

 

「勝利した後に目指す先を思い浮かべることは何ら恥じることではないでしょう。寧ろ前向きに勝利を目指せるという意味ではプラスとさえ言える。その意志と願いがあればきっと、マスターの思いも届くと思いますよ」

 

「ケイローン……」

 

 そういってケイローンは胸に手を当て、言う。

 

「我がマスター、フィオレに誓いましょう。貴方のそのささやかな願いのためにも必ずや聖杯をユグドミレニアに齎してみせると」

 

「はい……はい、ありがとうございます、ケイローン」

 

 ケイローンの宣言に初めてフィオレは屈託なく笑う。

 ……憂いは決して晴れたわけではない。

 ただそれでも頼れるこのサーヴァントがいる限り、きっと大丈夫だという確信がある。それは根拠のない過信、なのかもしれない。

 しかし。

 

“アルドル、私も貴方のように頑張ってみようと思います”

 

 今ならばあの振り返らず進み続ける背中のように。

 前に進めると思うのだ。




「やっほー! アルドル! 元気ー? 丁度良かった。今から街に出ようと思ってて!  なのでお金貸して! え? 何でって? さっきすれ違った女の子がアルドルに頼めばなんでも買ってくれよーって言ってたからさ。いやー、他にも街でのおすすめのお店とか教えてくれて親切な子だったよー。アレ? 何で上向いて頭抱えてんのさアルドル。頭痛? 病院連れてってあげようか?」

とあるサーヴァントの会話


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未熟者の懸念/されど盟主は駒を取る

死を越えた先に何があるのか。

ある者は天国だと言い、

ある者は地獄だという。

ある者は救いだと言い、

ある者は虚無だという。

だが、多種多様な意見の中に、

続きがあるという意見がある。

輪廻転生。其は終わりなき徒刑である。


 カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 今回の聖杯大戦に参戦した“黒”のアーチャーがマスター、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアの実の弟であり、彼女と同じく“黒”のサーヴァント、バーサーカーのマスターを務める魔術師である。

 

 通常、魔術は一子相伝。神秘は秘されることに意味があるという点から魔術師の家はたとえ父母姉弟の家族であっても原則的に祖から続く魔術を受け継ぐ者以外に魔術を伝えることは無い。

 だが、彼ら姉弟……フィオレとカウレスは例外だった。

 フィオレとカウレスが生まれた時点において既にフォルヴェッジ家は衰退しかかっていたため一人でも多くの魔術師を残したかったというのが一つ、次いで魔術回路の変異の影響で足に不安を持ったまま生まれたフィオレのもしも(・・・)を考えたというのが一つ。

 その理由の二つで以てして、彼は魔術師としての薫陶を受けた。

 つまりは優れた姉の予備。それがカウレスの魔術師としての立ち位置だった。

 

 とはいえ、一族の命運を背負うなどという責任ある立場でもなく、また魔術師として生を全うしなくてはならない程の根源到達(使命)を与えられたわけでもない。ただ優れた長子の予備という立ち位置。

 実のところ、カウレスはそれを気に入っていた。

 科学では起こり得ない現象をその手で起こす魔術は好きだが、魔術師として目的のために時に手段を選ばず、情を捨てて魔術を探求するといった魔術師としての生き方は率直に言って御免だったから。

 そこまで人を捨てられるほどカウレスは魔術に狂っていなかった。

 

 ゆえに正直な話、そもそもこの聖杯大戦に参加する事だってカウレスの望むところではなかった。

 たまさか令呪が自身の右手に宿らなければ、他のマスター候補者に睨まれながら三流魔術師の自分がフィオレらに加わり、ユグドミレニアを代表とするマスターとして名乗りを上げることにはならなかっただろう。

 

「……はぁ」

 

 そこまで考えて、ため息を一つ。

 ああ憂鬱だと呟きながらカウレスはPCことパーソナルコンピューター……近年、科学世界で生み出された最新鋭の演算装置に映された画面をスクロールする。

 

 魔術師はその生きざま故こういった科学の産物を忌避する傾向にある。

 自身が神秘を司り、超常をその手で起こすがために、科学という神秘を繰らない人間の技術に頼った手段を軽視し、見下してさえいるからである。

 事実、生粋の魔術師であるダーニックもそうだし、一族の大半もそうだ。

 実の姉すら眉を顰めるほどなのだから、寧ろカウレスのように──科学であろうと便利だから使うという考えの方が魔術師として異端と言えるだろう。

 

 なのでそういった意味でもカウレスは、自分は三流魔術師なのだろうと考えている。

 魔術師としての矜持など、己は持ち合わせていないのだから、と。

 

 しかし、だとすると自室にあるこのPCの初期設定を手伝ってくれたアルドルも──中々に異端なのだと言えるのかもしれない。

 彼を指して三流魔術師とは決して言えないが、それはそれとして、慣れないPCの設定に孤軍奮闘するカウレスを見かねてか、カウレスが驚くほどの速度でインターネット回線を引き、PCの初期設定を済ませ、さらには利便性の高いアプリケーションソフトウェアまでインストールして颯爽と立ち去った兄のような人を思い出し、カウレスはふと素朴な疑問を抱いた。

 

「そういえば、なんで義兄さんはPCに詳しかったんだろう?」

 

 まだ科学の世界においてもPC(これ)は最新鋭の代物だ。世間一般の人間は勿論、科学分野の人間ですら専門家を除けば、十全に使いこなすとまでは至っていない複雑かつ利便性の高いものである。

 あの時はあんまりにも見事な手際で疑問を挟ませる余地など無かったが、よくよく考えてみればダーニックに比するほどの生粋の魔術師とも言える人間がカウレス以上にPCを活用してみせたのは異端というか異質だ。

 思えば義兄(アルドル)のその自室は、難しい魔術本や神話の論文が揃えられたまさに書斎といった様で、PC含む科学的な品は一つも置いていないというのに。

 

「……まあ、でも義兄さんだからなぁ」

 

 何となく義兄が纏う雰囲気──何でも使いこなすし、やってみせる。

 そんな様を思い出し、カウレスは一人納得する。

 

 ……取り留めもない思考をするカウレスであったが、それで現実を忘れられるほど彼は楽観的な性格をしていない。

 どちらかと言えば後ろ向きの性格とも言える彼が能天気になれるはずもなく、現実逃避で逸らしていた現実……PC画面に投影される件の義兄から渡された資料──“黒”のバーサーカーのデータを閲覧する。

 

「アーサー王に仕えた最高の騎士、ランスロット……そりゃあ義兄さんが自分のサーヴァントにしたほどだし、強いんだろうとは思ってたけど」

 

 曰く、“黒”のバーサーカーはその性能から主であっても能力値を把握しかねるだろうと渡されたデータを眺めれば、なるほどその措置も頷けるとカウレスが納得するほどのものだった。

 

 宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)

 

 友がため、己が正体を隠して馬上試合に勝利したというランスロットが伝説に記された逸話を基にした宝具。

 黒甲冑に靄がかった姿はこれが原因であり、またこれによりランスロットは己がステータスを隠蔽することが可能となる。

 

 ……聖杯大戦においてマスターは簡単なサーヴァントのステータスを看破する能力を聖杯より付与される。

 見方は魔術師によってオーラとして見えたり、数値として見えたりと個々人によって異なるが、概ね魔術師はサーヴァントの基礎能力や特性(スキル)といった能力値(ステータス)を閲覧する技能がマスターの能力として聖杯より授けられる。

 

 そんな戦いにおいて“黒”のバーサーカーの能力値(ステータス)を隠蔽する能力というのは敵マスターたちに情報が伏せられるという意味で一定の利になると言えるだろう。

 

 とはいえメリットだけが存在するわけではない。隠蔽能力というメリットは代わりに常時宝具が発動しているようなものである分、魔力の消費は激しくなるというデメリットもある。

 まして彼はただでさえ、マスターへの魔力要求が大きいバーサーカーのクラスで召喚されたサーヴァントである。

 もしもこれが通常の聖杯戦争であれば三流魔術師に過ぎないカウレスの魔力量では一分と持たず、バーサーカーの現界維持を出来ずに自滅することになったであろう。

 

 しかし今回の聖杯大戦においてユグドミレニアにはゴルドの築き上げたシステム……ホムンクルスによる魔力の代替供給という反則的なシステムがある。

 これがあるお陰でカウレスは分不相応にも一級品のサーヴァントを“黒”のバーサーカーとして操ることが出来ているのだ。

 

「でもそれにしたって、強すぎるだろ……」

 

 サーヴァントとはいえ所詮は暴れることしか脳のない狂戦士(バーサーカー)

 恐らくはダーニックやそのサーヴァントであるヴラド三世ですら狂戦士というクラスに大した期待を寄せていなかっただろうその存在はカウレスから見て異常だった。

 

 まず先に挙げた隠蔽能力もそうだが、基礎的な能力値が高すぎる。恐らくは元々高かったステータスに狂戦士クラスの特権、ステータスの底上げが付与されたためだろう。全てのステータスが殆ど最高ランクのAを叩き出してる上、敏捷に至ってはA+と並のサーヴァントならば一瞬で振り切るだろう規格外の数値となっている。

 それに加えてスキルも反則的だった。

 特にこの『無窮の武練』と呼ばれるスキル。これは使い手の正気狂気を問わずして十全な戦闘能力を発揮できるというものであるらしい。だとすれば狂戦士として呼ばれた“黒”のバーサーカーは生前の、最高の騎士とまで呼ばれた騎士としての技量を狂気のままに再現できるということになる。

 

 これでは狂戦士クラスのデメリットの一つである狂気のまま暴れるしかないというデメリットが意味を成さない。

 ……安直な感想だが、最強。下手をしなくても並の三騎士クラスであれば簡単に倒してしまえるほどのスペックがそこにはあった。

 

「こりゃあ、義兄さんが薦めるわけだ」

 

 そして、それこそカウレスが先まで半ば現実逃避じみた思考をしていた原因でもある。これだけのサーヴァントを自分に託してきたというアルドルの期待こそ、カウレスの憂鬱の種であった。

 

 “黒”のバーサーカー、もといランスロットは紛れもなく一級品のサーヴァントだ。マスターとして半ば使い捨て扱いのバーサーカーを当てがわれた時は当主たるダーニックの期待値の低さにホッとしたが、義兄の方はどうも無責任なままでいさせてはくれないらしい。

 これだけのサーヴァントを持たされては何もできずに敗退、などという無様は決して晒すことは出来ない。

 

「と言っても、俺じゃあ何もできないんだけど……」

 

 言葉を交わして戦術を練ろうにも相手は狂戦士。コミュニケーションなどまず不可能であるし、戦闘において技量が狂気の影響に及ぼされないにしても狂気の性質自体はそのままである。

 さらに加えて三流魔術師であるカウレスがこの狂戦士に何か加護なり援護なりが出来るはずもなく……基本的には狂戦士として暴れさせ、行くか進むか撤退の判断を行う、ぐらいしかカウレスにできることは無かった。

 

「ま、らしいっちゃらしいのかな」

 

 はぁと再びため息。せめて自分のサーヴァントに働きかけ(アクション)が取れなくても、これから接敵するだろう“赤”の魔術師なり、サーヴァントなりに何かできればマスターとして活躍できるのだろうが、生憎と時計塔が選んだ一流魔術師やサーヴァント相手に何ができるわけもない。

 

 これだけのサーヴァントを宛てがわれながら自分自身は何もできない──そんな期待に対する後ろめたさのようなものがカウレスを憂鬱にしていた。

 或いはそんなカウレスだからこそ、敢えてただただ強いサーヴァントを宛てがい、何もしなくても勝てるようにしたとも考えられるが……。

 

「まあ、それならそれで安心……は出来るけど」

 

 とはいえカウレスに義兄の真意など読めるはずもなく、全ては推論に過ぎない。単純にスペックが高いから駒の一つとして適当に空いてる枠に当てただけかもしれないし、或いは本当にカウレスに期待して割り当てたとも考えられる。

 ダーニックと同じかそれ以上にユグドミレニアという一族のために立ち回る青年を思い描き、再三のため息。

 

「……一族のため、根源のため、勝利のため、か。……俺はそこまで真剣にはなれないよ義兄さん」

 

 やはりそういった意味でも己は三流なのだろうとカレウスは思う。

 一時期は姉のように、その背中に憧れたこともあったが、知れば知るほど義兄は凡人にとって毒なのだ。

 

 常に全力で物事に取り組み、何事にも真剣で、常に努力をし続け、様々な事柄を考え抜いて、最善を選び取る──。

 

 それはある意味で最善かつ最良の立ち振る舞い。

 優秀な人間になるための模範とも言える生き様だろう。

 

 だが、それは万人が万人に真似できるような生き方ではない。

 特に自分のような大多数……平凡な人々にとってはあまりにも理想的であまりにも難しい生き方だ。

 常に全力なんて出せないし、何事にも真剣になれるほど真面目には生きられない。努力は苦しく、思考は辛く、故に最善を見極められない。否、それが最善なのだと分かっていても、それに踏み出せるだけの意志も気力もない。

 

 強者の生き方。生まれつき出来る人(・・・・)の特権。

 その結論に至ったからこそ、カウレスは彼に憧れるのを止めた。

 ああいうのは姉のような天才にしか真似できない生き方だろうと。

 

「……いや」

 

 ……もしかしたら姉にも難しいのではないだろうか? 

 カウレスはふと、姉にまつわる過去を思い出した。

 姉には一つの脆さがある。

 自分しか知らない姉の脆さとしか言えない思い出がある。

 

 もしかしたらその脆さにとって義兄の強さは毒となりうるのではないか……そんな胸騒ぎにも似た感情を抱いた時だった。

 

「──カウレス、居るか」

 

「あ……」

 

 コンコンコンと三度のノック。

 同時に己の名を呼ぶ声。

 まるで幾たびの嵐にも倒れなかった老木のような堅く、それでいて強い声。

 

 噂は人の影を呼ぶというが、それは思考であっても同じことらしい。

 件の義兄の、聞き馴染みのある声だった。

 

「カウレス?」

 

「あ、っと……すぐに開けます!」

 

 ぼうっとしていると二度目の呼びかけ。

 それにハッとしてカウレスは立ち上がり、自室の扉を開ける。

 開け放った扉の先、廊下に佇むのは一族間で統一された白い礼服の上から白い外套を纏い、右目に片眼鏡(モノクル)を付けた青年……見慣れた義兄アルドルである。

 

「……取り込み中だったか?」

 

「い、いや、ただ義兄さんから貰った資料を眺めてただけですから」

 

「そうか」

 

 そういってアルドルはカウレスの背後……より正確にはPC画面に投影された“黒”のバーサーカーのデータへと目を向け、次いでカウレスの方に目線を戻した。

 

「“黒”のバーサーカーは上手く使えそうか? 私に用意できる出来る限りの者として相応の逸材を選んだと自負しているが……」

 

 アルドルの何気ない言葉にカウレスはう、と息を詰まらせた。

 何せ丁度、先ほどまで考えてた話題だ。

 本音を隠しても見抜かれかねないのでカウレスは気まずそうに本音を口にする。

 

「……使いこなせるかは俺にはちょっと。サーヴァントの方は義兄さんの言う通り逸材ですけど俺の方は義兄さんの知っての通りですし、分不相応かなって思っています」

 

「そうか。確かに狂戦士クラスは使いにくいからな。此度の聖杯大戦が集団戦であることを加味すれば、狂戦士の持つ役割も難しいとも言える」

 

 ふむ、と言いながら納得するアルドル。

 カウレスとしては、そういう意味での言葉ではなかったのだが、義兄の言葉に口を挟む度胸は無いので特に反論はしない。

 

「……ならばやはり丁度良い、か」

 

 が、続けて口にした言葉はカウレスに疑問を抱かせた。

 

「え? 何が丁度いいんです?」

 

 思わず問い返す。

 それにアルドルは一つ頷きをして。

 

「何、簡単な話だ。いきなり“黒”のバーサーカーに集団戦は難しいからな。まずは通常の聖杯戦争らしく戦ってみれば良いという話だ。カウレス、お前の初陣にも丁度良いだろう──“赤”のサーヴァントとの前哨戦、その先陣を“黒”のバーサーカーのマスターであるお前に任せたい」

 

 カウレスが胸の内に抱く不安、心配。

 そんなカウレスの内面を置いて、義兄(アルドル)はあっさりと、またしても分不相応とも言える期待を口にした。

 

 そう──既に開戦の号砲は鳴っている。

 もはや後戻りは出来ず、あるのはただ勝つか負けるか二つに一つの結末のみ。

 未熟者の覚悟も決意も待つことなく、聖杯大戦は次なる展開を迎える──。

 

 

 

 ──『未熟者の心配』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ユグドミレニアが遂に四騎のサーヴァントを召喚し、七騎全ての英霊を揃えてから既に一日。

 二度目の夜を迎えるミレニア城塞の私室でダーニックは一人、チェス盤に向き合いながら思考に没頭していた。考えることは無論、ただ一つ。此度の聖杯大戦についてである。

 

“既にこちらが全騎揃えたように“赤”の陣営……協会側も七騎全てのサーヴァントを呼び出し終えたころだろう。動きがあるならばやはり今晩か”

 

 未だ会敵しない“赤”の陣営……実のところダーニックはその政治手腕で培った膨大な情報網を以てして敵マスターについては既に把握していた。

 

 『銀蜥蜴』ロットウェル・ベルジンスキー。

 『疾風車輪』ジーン・ラム。

 『結合した双子』ペンテル兄弟。

 時計塔の一級講師フィーンド・ヴォル・センベルン。

 そして──獅子劫界離に聖堂教会の神父。

 

 いずれも魔術師として一級品の能力を備えている存在として名が通った者たちだ。

 特にベルジンスキーと言えばアルドルと同じく亜種聖杯戦争に参加した経験のある男だ。

 実際にサーヴァントを運用した経験を持つ魔術師が敵陣営にいるという事実はダーニックにより一層の警戒を与えていた。

 

“他に警戒すべきはやはり協会側のセンベルンか。奴は確かエルメロイの先代とも交友関係があったと聞く。落ち目のエルメロイとはいえ時計塔のロードの一角であり貴族派に属する家だ。実力を置いても恐らくかなりの聖遺物を揃えてくるはず……”

 

 ロード・エルメロイことケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 既に故人だが、彼と交友関係にあったということはその実家……アーチボルト家と繋がっていてもおかしくない。

 

 当主ケイネスの死によってエルメロイ一派は時計塔内での政治的立場を悪化させ、アーチボルト家自体、一時期は存続危うしとまで言われたと聞くが、近年はケイネスの生徒であったという男が『二世』を名乗り、時計塔内での立場を復活させたという。

 そして復活のみならず、その優秀な指導力で以てして多くの優秀な生徒たちを送り出したことで多くの『二世』シンパを呼び、現在では時計塔の勢力図自体を塗り替えかねないとさえ言われている人物。

 

 『エルメロイ教室』──時計塔が新世代を率いるその教室の名は時計塔政治から離れて久しいダーニックの耳にも届いている。

 

“現在の『二世』自体、亜種聖杯戦争経験者であるという噂もある。そちらからの増援も視野に入れなくてはならんな。後は……封印指定執行者か。聖杯戦争の術式が拡大したことにより連中の活動も多忙を極めている、今こちらに向ける戦力は無いはずだが……”

 

 しかし油断は出来ない。何故ならばこちらにはアルドルがいるのだ。

 時計塔の封印指定執行者といえば一級品の狩人。ターゲットを必ず追い詰めてきたという自負とその威信を考えればこれまで狩りの対象として追い続けてきたアルドルの存在は見逃せまい。

 幾度も派遣した時計塔の狩人や封印指定執行者を退けられたという事実は彼らにとっては屈辱でしかなく、故に彼らは決してアルドルという不遜な魔術師を逃しはしないだろう。

 

“そして同じことは聖堂教会にも言える、か”

 

 ふう、と熱くなってきた思考を一度冷静に戻すため息を吐く。

 懸念点は山ほどある。

 時計塔の増援、未知なる“赤”のサーヴァント、歴戦のマスター陣。

 不安材料を列挙し、考えていけばそれこそキリがないだろう。

 

 とはいえ、こちらもこちらで出来うる限り盤石の布陣だ。

 

 ゴルド・ムジークはその人格に問題はあるが、魔力供給の分割・代替システムの構築など魔術師として非常に優れた能力を持っている。ミレニア城塞に従属している使用人たち……ホムンクルスの兵も彼が作り、運用しているものたちだ。

 

 フィオレ・フォルヴェッジは二流三流の多いユグドミレニアに生まれた一流の才女。特に足が動かせないという身体上のデメリットを改善するため、彼女が時計塔で研究・開発した魔術礼装──接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)。アレは百余年という長き時を生きるダーニックから見ても優れた魔術礼装だと感嘆を覚える代物だった。魔術師として非常に優れていることから此度の聖杯大戦において対魔術戦でもきっと活躍してくれることだろう。

 

 セレニケ・アイスコルもまたフィオレと同じくユグドミレニアに数少ない一流の魔術師だ。此度の聖杯大戦に関心意欲が少ないことと、召喚するサーヴァントに関してアルドルと揉めたことなど幾らか不安点はあるものの、呪いによる呪殺や優れた追跡性能を有するなど何かと戦闘に優位な魔術が多く存在する黒魔術の使い手ということはユグドミレニアに多くの利となるはずだ。

 

 ロシェ・フレイン……彼はまだ年若い魔術師だが、ゴーレムを鋳造するその才覚は既に一族の代表として相応しいものだ。アルドルは自身が指導するエルトフロムの娘のこともあってか、ややロシェを低く見積もってる節があるが、ゴーレムの『機能』を手掛けるロシェの腕はダーニックから見ても見事なものだ。

 

 カウレス・フォルヴェッジ、正直なところ彼に関してはダーニックはあまり期待していなかった。令呪が宿ったためマスターとして指名したというだけで他の魔術師ほどに活躍するとは見ていない。しかし召喚したサーヴァント、“黒”のバーサーカーは流石アルドルが選択に関わったというだけあって非常に優秀だ。或いは此度の聖杯大戦でダークホースとして活躍するやもしれないとダーニックは思考の片隅で考えていた。

 

 そう時計塔が揃える魔術師たちは何れも難敵だろうが、だからと言ってこちらの方が劣っているなどという自虐をするほどダーニックは一族を過小評価していない。

 冬木の聖杯戦争より、いやその遥か昔からダーニックは一族の栄光を夢見てここまで歩んできたのだ。その集大成が、劣っているなどどうして彼が考えようか。

 

 何よりも彼には誇るべき至宝がある。もはや血を広げることでしか存続叶わないと一族の輪を広げることで繁栄を求めたユグドミレニアに生まれた唯一の純血の魔術師。

 魔術自体が廃れつつあるこの時代に、『神代』を再現するユグドミレニアが誇る最強の次世代。

 『先祖返り(ヴェラチュール)』アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 彼がいるという事実がユグドミレニアの栄光をダーニックに確信させていた。

 

「ふ、身内びいきだと笑われるかもしれないがね。ユグドミレニアの血は濁っている、そんな下らない風評で魔術世界から冷遇されてきた我らにとって奴がどれほどの希望であったことか」

 

 まるで風聞が誠であるかの如く、数を増やしながらも質の衰えていく一族を見て、ダーニックが苦心を抱かなかったかと言えば噓偽りになるだろう。

 フィオレやアイスコル、ロシェという一流の秀才が生み出される一方で本物の逸材……家名を背負うに相応しい魔術師が現れないという現実は野心家のダーニックの心に影を残していたという過去は確かに存在していたのだ。

 だが、今は違う。彼は確かに真なる後継者を得たのだ。もはや遥かな過去と忘れて久しい北欧の魔術一族として在ったユグドミレニア、その旧き姿を再び世に現したアルドルはダーニックにとって希望そのものだった。

 彼がためにも此度の聖杯大戦には何としても勝たねばならぬ。

 

 完璧な、魔術世界に新秩序として君臨するに相応しい存在としてユグドミレニアを残し、そして次代に引き継ぐ、それを以て己は魔術師として確かな役目を終える。

 それがダーニックに残された最大の使命であり、最後の役目であると確信している。

 

「勝つのは我らユグドミレニアだ。勝利を手にし、約束された未来(栄光)を必ず手に入れてみせるとも」

 

 千年樹に黄金の繁栄を。

 ダーニックは虚空に手を伸ばし、勝利(それ)を掴むように手を握りしめ宣する。

 その──静かなる宣戦布告に応じるが如く。

 

 ダーニックの私室を訪ねるノックの音。

 

「小父様、フィオレです。少々よろしいでしょうか?」

 

「構わない。入ってきてくれ」

 

 入室を許可すると顔を見せたのはフィオレ。

 アルドルと次期党首候補として肩を並べる逸材である。

 少女の顔は平素よりも強張っており、口調も堅い。

 穏やかな用件でないのは間違いないだろう。

 

「ふむ、何かあったかね?」

 

 時刻は既に深夜。人が訪ねてくる時間帯として相応しくはないだろう。

 あるとすればただ一つ。

 次にフィオレの口から告げられるだろう言葉を予見しながらダーニックはフィオレに尋ねる。

 果たしてフィオレはやや緊張した口調で、ダーニックの予想通りの言葉を口にした。

 

「アルドルから儀式場に集まるようにとのことです」

 

「ほう? アルドルが。要件は聞いているかね?」

 

「はい──『敵だ』と短く一言を」

 

「──なるほど」

 

 その言葉を聞き、ゆらりとダーニックは立ち上がった。

 いよいよ以て聖杯大戦の幕が上がる音を──この時ダーニックは確かに聞いた。




「おい! 僕のゴーレムを勝手に弄ってるなよ! は? 組み手? お前キャスターのサーヴァントだろ。何でそんなこと……って、おい待て! 杖でそんなバシバシ叩くな! ああああ!? 腕が!? 僕のゴーレムの腕がぁぁぁ!!?」

「っく、大体、わしは最初っから時計塔に挑むなぞ反対だったのだ! それをダーニックの奴め……っち酒が切れたか、おい! 何をそこで棒立ちしているセイバー! 何もせぬならせめて替えの酒でももってこい!」

「ああ、本当に美しいわぁ。アルドルはオデュッセウスがどうのなんて言っていたけれど、同じ冒険者でも貴方の可憐さとは比べるまでもないでしょうね。……あら? 交代してくれ? ふふ、そんな酷いことするわけないでしょう? ああ、アストルフォ、貴方は本当に美しいわぁ(ペロペロペロペロ)」


──同刻・ユグドミレニアのマスターたち


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反逆の赤雷

物語は終わりがあるからこそ美しい。

それは物語を好む私の感性だった。

素晴らしい物語ほど、

心揺さぶる物語ほど、

人は終わってほしくないと永遠を望む。

だが、起こり()け転じて()める。

この完成した流れがあってこそ、

物語は美しく映えると思うのだ。


 深夜のトゥリファス。

 魔術世界に新秩序を築き上げんとする野心家の魔術師たちが根を張るその城塞都市はまるで嵐の前を予見するように静まり返っていた。

 

 現在時刻は深夜の二時。

 極東における丑の刻と呼ばれる時間帯である。

 

 人々は死んだように眠りにつき、普段は街で見かけるはずの野良猫や野鳥たちですら何処かに消えてしまっている。

 そんな街を不気味な月明りだけが、いっそ無音を際立たせるように青白く映えさせる。

 風もなく、音もなく、広がる静寂と生温く肌に付く不気味な気配。

 

 さながら死の都市(ネクロポリス)

 夜の城塞都市は昼の光景とは打って変わってまるで別世界だった。

 

「……嫌な気配だ」

 

 そんな空気を敏感に感じ取り、獅子劫はポツリと言葉を漏らす。

 

 ──ブカレストで“赤”の陣営と合流することが叶わなかった獅子劫は結局彼ら自陣営との合流を諦め、此度の聖杯大戦勃発の地にして戦地となる城塞都市。

 千年樹(ユグドミレニア)が根を張るトゥリファスへ踏み入った。

 既に『工房』となる拠点も手に入れた。

 そのため獅子劫は早速、トゥリファスでの活動を開始した。

 

 幸い敵の居所は明確である。

 ミレニア城塞。

 彼ら“黒”の陣営がそこに巣くっているのは事前情報からも知られている確実な情報だ。

 故に通常の聖杯戦争のように敵の居場所を探るといった索敵行為は不要。

 いつ襲ってくるかの危険性は街全体が既に敵の領地であることを考えれば通常の聖杯戦争に比べれば格段に高いだろうが居場所が分からない状態で一方的に仕掛けてこられるよりかは遥かにマシである。

 

 油断を殺し、警戒しつつ、獅子劫は街を闊歩する。

 酒に飲まれた破落戸(ごろつき)も夜の職務を行う水商売人もいない。

 示し合わせたように静まり返った街の雰囲気。

 人払いか、または彼ら一般人も空気が違う不気味な夜を感覚で感じ取り、息を潜めることにしたのか。

 

 なんであれ、良いことが起こる前兆ではない。

 寧ろその逆、これから始まる騒乱を予期するような、そんな静寂。

 

「ハッ、良いじゃねえか。人目が無いのは都合がいい。仕掛けてくるってんなら迎え撃つだけだ」

 

 獅子劫の独り言に言葉を返したのは全身を鎧に包んだ騎士。

 言うまでもなく獅子劫のサーヴァントである“赤”のセイバーだ。

 夜間であること、そして何より既に敵地であることから普段の霊体化を解き、いつでも戦えるように武装していた。

 

「……セイバー、一応言っておくが今夜は偵察だからな? あくまで目的は城の仕掛け所を探ることだ。サーヴァントの襲撃があるかもしれんが、深追いだけはくれぐれもしないでくれよ?」

 

 状態は単騎駆け。そんな状態で一人敵城に突っ込むほど獅子劫は愚かではない。何せ城には七騎のサーヴァントに加え、ユグドミレニア一族の魔術師たちに彼らが『工房』として防衛力を高めた罠や結界が多数存在しているのだ。

 無策で突撃するのは余りにも無謀である。

 だからこそ獅子劫は手始めにまず仕掛け所……敵の守りが薄そうな場所を見極めるためこうして敵の拠点を観察するための偵察に乗り出したのだ。

 

「わぁってるよ。……でもまあ敵が()ろうとしてくんなら、別に()り返しても別に構わんだろう? マスター。正当防衛って奴だ」

 

「ハァ……過剰防衛は止してくれよ。頼むから」

 

 鎧越しでも分かる闘気(やる気)満々のセイバーの雰囲気に獅子劫は本当にわかっているのだろうかと思わず、ため息を吐く。

 ──とはいえ、これから始まることを考えれば弱気なのよりも良いだろう。

 目的は敵情視察とはいえ、既に敵地。

 場合によっては今日日いきなり仕掛けてきても可笑しくないのだ。

 魔術は一般には秘匿されるものだが、此処はユグドミレニアが領主(セカンドオーナー)を務める彼らの街だ。

 万が一目撃者が生まれたとしても、それを消す程度の根回しは簡単に済ますことができるだろう。

 

 まして連中は昼のブカレストで仕掛けてきた疑惑がある者たち。本拠である此処でならいきなり弓兵(アーチャー)による狙撃や暗殺者(アサシン)による不意打ちがあっても何ら可笑しくはあるまい。

 

「ん?」

 

 不意にバサリという音を聞き、獅子劫は上を見上げる。

 家屋の屋根。

 月の光を背景に一匹の烏がこちらを観察していた。

 こちらと目が合った烏はカァと一鳴きして飛び去る。

 

“使い魔……か?”

 

 しかし魔力は感じない。

 使い魔ではなく、野生と考えるべきだろう。

 街の機微に関して過剰に反応してしまうのは敵地ということで気を張りすぎているのかもしれない。

 ふぅ、と心落ち着かせるように息を吐く。

 

「しかしブカレストと違って時計塔や尖塔の類の高台が少ないな。こりゃあ、高い場所から城を観察するってのは無理そうだな」

 

 緊張を解すのも兼ねて、軽く肩を回しつつ獅子劫は街を見渡して言う。

 “黒”の拠点、ミレニア城塞は街の北東に位置するが、その周辺には三ヘクタールほどの森林地帯が城を覆うように囲んでおり、さらには街自体もミレニア城塞に対して上り坂となるような台地の地形。

 結果として街一番の高所となるミレニア城塞は都市全体を見渡すことが可能な一方こちらからは城塞の詳しい様子を観察することが難しくなっている。

 

 考えるもなく、狙った都市設計である。

 街の支配者であるがゆえに、魔術を置いても彼らは彼らにとって都合の良いように街の作りに手を入れているのだ。

 

「どうしたもんかね」

 

 城までの距離自体は視覚強化の魔術で何とでもなるが、城を観察するに適した場所はどうにも見つからなさそうである。

 街に手を入れられる以上、敵に優位となりうるものは極力弾くのは合理的な発想ではあるものの、実際やられるとこちらから打つ手は少ない。

 一層、使い魔でも飛ばしてみるかと獅子劫が考えていると、不意にセイバーが声をあげる。

 

「マスター、アレなんかどうだ? 城を監視するのに丁度いいと思うが」

 

 セイバーが指さす先。

 そこにあったのは築百年以上を数えるトゥリファス市庁舎だ。

 時の権力を象徴する歴史ある建築物とだけあってか周囲の家屋と比べれば歴然なほどに背が高い。

 ミレニア城塞を観察するのに不足は無いだろう。

 

「いいな。行って、上ってみるか」

 

 セイバーの提案に獅子劫は頷いた。

 そして約五百メートルほどの道の先にある市庁舎目指し、一歩踏み出したが不意に踏み出す獅子劫の襟首をセイバーが掴む。

 

「なんだよ?」

 

「わざわざ歩いていくのは面倒だろ? 一気に行くぞ」

 

「はっ?」

 

 何処か楽し気な様子で言うセイバー。

 嫌な予感を覚えた獅子劫は思わず身じろぎをして抵抗しようとするが、幸い獅子劫の嫌な予感が的中することは無かった。

 いや──より正確には実現することは無かったというべきだろう。

 ……街に似合わない獰猛な獣の唸り声が二人の耳に届く。

 

「──マスター」

 

「ああ、分かってる」

 

 セイバーが獅子劫の襟首を放して前に出る。

 逆に獅子劫は数歩引きながら胸元に手を伸ばした。

 

 闇の向こう。

 二人が睨む視線の先に影が落ちていた。

 

 チャッチャっと踏み出すごとに爪音を立て、低い唸り声を上げる存在。

 街中で見かけるはずもない、狼がいた。

 先ほどの見かけた烏とは明確に異なる濃密な魔力の気配。

 もはや言うまでもない。

 敵の使い魔である。

 

「一、二……六頭か」

 

「大したこたぁねぇな。マスターは下がってろ。オレが一気に片付ける」

 

 そう言ってセイバーが剣を構える。

 セイバーの戦気を感じ取ってか狼の方も前足を伸ばして、身を低くし、飛び掛かるような構えを取る。

 

「……援護する。気を付けろよ」

 

「ハッ、あんなんに手こずるかよ」

 

 セイバーの背後で獅子劫が自身の獲物──無銘の水平二連式の切り詰め型ショットガンを構えながら言う。

 正に一触即発の気配。

 “赤”のセイバーはまるで自陣の名の通りを示すように赤雷を鎧越しにバチバチと放ち始め、狼たちは身構えたまま三頭ずつ“赤”のセイバーを取り囲むよう左右へと動き出す。

 

 そして深く“赤”のセイバーが仕掛けんと踏み込んだ時だった。

 

「ッ……!? マスターッ!」

 

「うぉおおお!!?」

 

 一閃。仕掛けは予想だにしない方向からだった。

 先ほどまで見上げていた市庁舎の方面。

 そこから一本の弓矢がまるで“赤”のセイバーと狼たちとが激突する刹那を見極めて飛来する。

 狙いは“赤”のセイバーの背後に立つ獅子劫。

 頭蓋を撃ち抜かんと放たれたそれは、しかし“赤”のセイバーの檄を受けて咄嗟に身を翻した獅子劫に当たることは無かった。

 

 そして“赤”のセイバーと獅子劫の注意が逸れた一瞬の隙を突き、獣の狩人たちが動き出す。

 前後の足で以て地面を蹴り飛ばし、左右から時速八十キロの速度で二頭が先行し、一拍遅れて二頭が時間差を付けるように駆ける。

 残る二頭は正面から周囲の家屋の路地に紛れて姿を消す。気配から察するに恐らくは回り込んだのだろう。

 森の狩人、森林において生態系の頂点に君臨する獣たちはその頭脳を駆使し、獲物を仕留めるために最も適した狩りを敢行する。

 

「犬畜生が、小賢しいッ!」

 

 だが、迎撃するは歴戦の騎士。

 人類史に刻まれし、英雄である。

 ましてやアーサー王の伝説に由来する赤き騎士は生前から獣は愚か、魔獣と言われる存在とさえ剣を交わした存在。

 たかだか森林に生きる獣に手こずるほど、甘い存在ではなかった。

 

 赤雷を纏った剣を暴力的に振るい、先行してきた二頭を纏めて叩き切るや否や、跳躍し、空中でクルリと回転。そのまま地上にいる時間差で迫ってきていた二頭に向けて剣を振るうと、剣から飛び出した赤雷がまるで落雷のように二頭の狼に襲い掛かり、絶叫を上げる間もなく全身を丸焦げにした。

 

「セイバー、狙撃だ!」

 

 獣たちの戦力の七割を一瞬に絶滅させた“赤”のセイバーに獅子劫の注意が飛ぶ。空中で身動きの取れないと思われた“赤”のセイバー目掛けて、先ほど獅子劫を狙ったと思われる存在が再び弓矢による狙撃を行ったのだ。

 

「は、効くかよ!」

 

 だが矢は鎧を掠めることすらなく、バチンと生じた“赤”のセイバーの纏う赤雷によって戦果を上げることなく、粉砕された。

 

 ──『魔力放出』。

 それが先ほどから“赤”のセイバーが発する赤雷の正体であった。

 基本的には魔力を一気に放出することで踏み込みを加速させたり、剣に威力を乗せたりとセイバークラスが自己の身体能力強化のために多く用いる攻防ないしは移動に用いるスキルの一種であるが、“赤”のセイバーの放つ魔力放出はこのように赤雷を伴う特性を有しているのだ。

 

 それに伴う攻撃威力は見ての通り。

 中距離間での剣に代わる攻撃手段は元より、身に纏うことで迫る攻撃を撃墜することも可能。

 通常の魔力放出と比べてより攻撃的な“赤”のセイバーの魔力放出はスキル評価にしてAランク。威力だけなら下手なサーヴァントの宝具をも上回る。

 

「らぁあッ!!」

 

 裂帛の気合を上げて“赤”のセイバーは魔力を放出。

 空中を蹴るようにして弾丸のように加速すると赤雷を伴い、そのまま市庁舎の方に着弾。約五百メートルもの間合いを僅か一秒で踏みつぶし、先ほどからこちらを狙ってきた存在へと肉薄する。

 

「ッッ!?」

 

 驚愕の気配。敵の正体を“赤”のセイバーは視界に収めた。

 両手には古い長弓に矢。

 真っ白な髪に、真っ白な礼服。

 血と見紛う程に赤い瞳を持つ女性。

 

 白皮症(アルビノ)──などという言葉が過りかけるが違う。

 人型でありながら何処か作り物めいた気配。

 気配に反して表情の変化の薄さ。

 その身に覚えのある様は正しく……。

 

「ッ、ホムンクルス……か」

 

 魔術的に鋳造される人工生命体。

 それが敵の正体だった。

 

 僅かに“赤”のセイバーの手が止まる。

 その隙を見て、ホムンクルスの女性は副武装として持っていたであろうナイフを取り出し、“赤”のセイバーへと飛び掛かった。

 

「関係ねえ……敵なら殺すだけだ」

 

 だが不意を打ったと思われるホムンクルスの攻撃は“赤”のセイバーが手を払うだけで簡単に阻止された。

 赤雷を伴った動作で払った“赤”のセイバーの手はナイフを彼方へと飛ばし、さらに女性のホムンクルスの手をも焦がす。

 

「っ……あ!」

 

 小さく悲鳴を漏らし、たたらを踏む女性のホムンクルス。

 “赤”のセイバーを前に、それは余りにも致命的だった。

 

「じゃあな」

 

 何処かつまらなさげに、或いは苦虫を噛み潰したような不快感と共に“赤”のセイバーが無造作に剣を振るう。

 しかし、女性のホムンクルスを仕留めようとした一刀は、女性のホムンクルスに届く前に動きを止めた。

 

 ガキン、という金属と金属がぶつかり合う音。

 果たして“赤”のセイバーの剣を防いだのは……。

 

「なんだ──こいつ?」

 

 獅子のような顔をしながら犬の矮躯の異質な存在だった。

 先ほどの狼のような、或いは眼前のホムンクルスの女性とも異なる生命の気配を感じさせない無機物。

 人形──そうとしか思えないモノが“赤”のセイバーの一刀をその身で防いでいるのだ。

 

 そして次の瞬間、予想だにしない出来事が起こった。

 

「なッ……ハァ!?」

 

 異形の存在……その犬のような体がガガガッという生体にはあり得ない異音を発しながら高速で回転しだしたのである。

 さながらローラーじみた動きで回転駆動する身体は、触れる“赤”のセイバーが持つ剣を弾き、衝撃で“赤”のセイバーを後退させた。

 さらに異形な機構が連続する。ガキンと何かが外れるような音と共に四本足を直立させたまま犬型の異形はまるで独楽(こま)のように今度はその全身を水平方向に回転させ、やがて回転速度は造形が視認出来なくなるほどの超高速回転にまで達した。

 

 そのまま異形はトゥリファス市庁舎から“赤”のセイバーを弾き出すように回転しながら迫り、不意打ちに踏みとどまろうとした“赤”のセイバーを簡単に吹き飛ばした。

 

「ヅ、うぉおおおお!?」

 

 驚愕の叫びは二重の意味を伴っていた。

 一つは非常識を司る神秘の常識を鑑みても余りにも奇天烈なモノに対して。

 もう一つは如何に矮躯とはいえ、サーヴァントたる“赤”のセイバーを簡単に吹き飛ばしてみせたその威力。

 

 強制的に地上にまで突き落とされた“赤”のセイバーは見事な身のこなしで完璧な着地を決めたため、無傷ではあったものの、不意打ちだったにしろ力勝負で“赤”のセイバーに競り勝ったという現実が“赤”のセイバーに警戒を生じさせた。──異形の躯体が“赤”のセイバーを追って地上に降りてくる。

 

「テメェ……なんだ?」

 

「…………」

 

 返答はない。いいや、そもそも生命の気配さえ感じ取れない。

 先ほどから感じる無機物感といい、恐らくは魔術的な礼装か何かなのだろう。獅子顔の異形は“赤”のセイバーの言葉に何ら反応を示さず、今度はゼンマイでも回すかのようなカチリという駆動音を立てる。

 

 そして異形が何らかの行動を起こそうとした瞬間、乾いた破裂音のようなものが辺り一帯に響き渡る。

 漂う火薬特有の刺激臭と仰け反る異形の存在。

 誰が何をしたのかは明確だった。

 

「セイバー、無事か?」

 

「見ての通り、問題ない。それよかアンタの方も無事みたいで良かったぜマスター。あの犬畜生どもの始末は終わったみたいだな」

 

「あのなぁ……分かってたなら全部仕留めてから別行動を開始してくれ。お陰で対応するのに時間を取られただろうが」

 

「何、オレはマスターを信じていたからな。オレを呼び出した魔術師なんだ、あの程度の畜生にやられるほど弱くはないってな」

 

「調子が良い言い分だな、おい。……で? ありゃあ何だセイバー。見たところ狛犬、か?」

 

「あぁ? あー、極東の守り神ってやつか。言われてみりゃあ確かにそれっぽいな」

 

 合流した獅子劫の言葉に“赤”のセイバーは聖杯より与えられた知識を適当に精査し、呼び出す。

 狛犬、それは確か日本の神社などに門番として据えられる石像だったはずだ。基本的には神の社を守る門番ないしは神の使いとされるが、所によって守り神としてそれ自体が信仰されたりとすることもある存在である。

 

 西洋の英霊である“赤”のセイバーは即座に見分けることが出来なかったが、日本人である獅子劫はその馴染み深い造形を見て即座に正体を看破した。

 尤も狛犬と称すにしても些か異形なのには違いあるまい。

 

「生意気にもオレの剣を弾きやがった。あの狛犬とやらは何だか分かるかマスター? “黒”のキャスターか何かのモンか?」

 

「いや、多分そりゃあないだろ。冬木の聖杯は魔術基盤を西洋に由来している都合上、東洋に由来する英雄は呼べないはずだ。聖杯そのものに由来する英霊であれば例外もあるだろうが……少なくとも俺が知る限り狛犬が聖杯に関係あるなんて話は聞いたことがねえ、第一……」

 

 すっと獅子劫はサングラス越しに目を細める。

 魔術師として獅子劫があの狛犬の人形に受ける印象は、近代的、というものだった。

 “赤”のセイバーの剣を弾いたという話から頑丈ではあるのだろう。

 実際、不意打ちの援護射撃……獅子劫が会敵と同時に放った弾丸は狛犬に炸裂したにも拘わらず、何の成果も挙げていない。

 装甲に弾かれたのだろう。或いは神秘の年代に圧されたとも考えられるが、狛犬から発せられる雰囲気はどんなに見積もっても百年そこら。

 年代品(ヴィンテージ)であっても、骨董品(アンティーク)とは言えない。

 

「恐らくは“黒”のキャスターのモンじゃなくて、“黒”のマスターの誰かが作った作品だろうよ。……にしてはやたらと完成度が高いが」

 

 いわゆる人形を用いる魔術は半ば廃れて久しい魔術基盤。

 本来であれば現代魔術師が製作する人形兵器などサーヴァントである“赤”のセイバーに対して何の脅威ともなり得ないはずなのだが……。

 そう言い切るにはあの狛犬人形の質は高すぎる。かなりの腕利きの人形師が作った作品とみてまず間違いあるまい。

 

「油断するなセイバー。サーヴァントほどではないにせよ、そこそこ厄介な代物っぽいぞ、アレ」

 

「ハッ、上等。あの犬畜生やホムンクルスよりは噛み応えがありそうだ」

 

 そう言って“赤”のセイバーが剣を構えて身構える。

 同時に狛犬が動いた。

 先の狼たちと比べて幾らか緩慢な疾走を開始したと思うや否や、ドリルのように獅子面の頭蓋が回転しだし、狛犬の足首がグルンと内側に回転して内側から車輪が姿を現した。さらに狛犬の尻尾に当たる部分からは無色の魔力が噴出する。

 

「おいおいおいおい、なんじゃそりゃあ!?」

 

 思わず唖然として驚愕を言葉にする獅子劫。

 幾ら非常識な魔術とはいえ、人形というよりもはやロボットか何かのような余りにも複雑な変形機構は少々常軌を逸している。

 しかもやたらと回転に拘っているのが要所要所に見える辺り、製作者は相当な変態だろう。

 狛と独楽を掛けてでもいるのか、などと呆れた感想を漏らす獅子劫。

 

 だが獅子劫をして変態的な作りの狛犬は性能もまた現代魔術師の基準からすればあり得なかった。

 掘削するかの如く頭蓋を回転させながら“赤”のセイバー目掛けて突進する狛犬の速度は優に二百キロを超える。

 螺旋状の回転が空気抵抗を減らし、足元の車輪が両足で駆け抜けるよりも効率的な加速を生む。

 加えて“赤”のセイバーの魔力放出には遥かに劣るものの、加速を増長させる魔力放出が狼たちの健脚以上の速力を生んでいるのだ。

 

玩具(おもちゃ)が、二度目はねえ!」

 

 狼をも上回る狛犬の突進。

 仮に生身の魔術師であれば、まず狛犬の質量を前に轢かれて粉砕され、それに踏み耐えたとしても頭蓋の回転により削り殺される。

 しかし膨大な魔力と神秘に覆われた“赤”のセイバーの耐久力がその程度の物理的な破壊力に屈するわけもなく、剣を振り真正面から受け止める。

 ギャリギャリと金属の擦れる不快音が響き渡るが、剣も“赤”のセイバーも狛犬の突撃を前に健在だ。

 

 “赤”のセイバーは剣で狛犬を受け止めたままにバチバチと膨大な量の赤雷を放ち始める。そして一気呵成にその魔力を放出し、

 

廃物行き(スクラップ)だ……砕け散りやがれぇ!!」

 

 赤雷を伴い、狛犬の突進を押し返すように剣を振るう。

 受ければ並のサーヴァントですら粉砕するAランク相当の一撃。

 ましてや赤雷を伴った高熱の攻撃を現代魔術師が作ったであろう作品が耐えきれるはずもなく、狛犬は一瞬にして粉砕──。

 

「なんだと……?」

 

 否、だった。

 恐るべきことに狛犬の加速が跳ね上がる。

 それに、驚愕して“赤”のセイバーは目を見開く。

 

 そう狛犬は壊れるどころか巨大な魔力の放出を螺旋回転の突撃に巻き込み、さらには受け流しながら身に纏うことで自身の加速エネルギーへと転換したのである。

 通常、これだけの魔力放出を、しかも赤雷を纏った攻撃性の強いものを受ければ損壊して然るべきである。

 しかし、狛犬の全身に組み込まれた回転という機構が、正面から襲い来る魔力の波を後方へと受け流し、赤雷に伴う衝撃をも捌き切ったのだ。

 流石に剣の一撃で頭部に傷を抱えたものの、概ね無傷……どころか自らに“赤”のセイバーのエネルギーを転換したお陰でその突進は威力を増してゆき。

 

「ぐおおおおお!!」

 

 相乗効果で二倍の、およそ時速四百キロの速度で以てして“赤”のセイバーを石造りの家屋に叩きつけた。

 

「セイバー!」

 

 予想だにしない敵の戦果に獅子劫が思わず声を上げる。

 

 ──つい先ほど獅子劫は狛犬と独楽と掛けたなどと冗句を言ったが、実のところその冗談は間違っていない。

 この狛犬はコンセプトに独楽を盛り込んだ人形であった。

 しかし、それに加えて製作者は持ち前の作りこむ性格を用いて、もう一つ言葉を掛けていた。

 それは狛犬の由来が一つとされている、拒魔(こま)犬という特性である。

 伝承に曰く、魔除けを成すとされる狛犬の由来を取り込み、人形の体内に真言(マントラ)を刻むという処置の下、呪いや魔力を弾くという性能を有していた。

 

 元々、神社や寺院に飾られる狛犬の表情、口を閉じた様、口を開けた様はそれぞれ仏教の阿と吽……サンスクリット語における言葉を発し、終える様に由来する。

 そんな仏教的な価値観を反映したこの架空生物は梵字との親和性が非常に高く、そのため刻んだ真言(マントラ)はたとえ魔除けの一字であっても相応の効果を発揮する。

 

 加えて独楽というモノ自体、日本特有の言葉遊びにより「物事が円滑に回る」と言った縁起のある意味も込められた玩具だ。正月に独楽で遊ぶという文化は嘗ては宮廷儀式にも取り上げられるほどの由緒正しき遊び。

 

 即ちこの人形は『狛』と『独楽』と『拒魔』という三重に意味がかかった作品なのだ。

 この人形を制作した人物にアルドルが発した「俺は猫より犬派だな」というどうでもいい話題に端を発して片手間に仕上げられた人形は、しかし製作者の拘りもあって、魔力を弾くというただ一点においては驚異的な域にまで引き上げられているのである。

 それこそ、一級のサーヴァントの魔力すら受け流すほどに。

 

「クソ、玩具(おもちゃ)風情がよくもやってくれたな……!」

 

 予想以上の衝撃を受け、“赤”のセイバーをして痛みを覚える程度のダメージを負ったが、それ以上に自身が一撃を返されたことに“赤”のセイバーは怒りを覚えていた。

 “赤”のセイバーを吹き飛ばした件の狛犬はただ“赤”のセイバーを睥睨するように立ち尽くしている。流石にあれだけの魔力放出を受け流しきれなかったのか微かに赤雷で帯電しているが、それも胴部の回転機構が回転することによって徐々に散らされていく。

 負荷は掛かったが機能停止するほどのダメージは無いようだ。

 

「大丈夫か、セイバー」

 

「問題ねえよ。それよか下がってなマスター。仕組みはわかった、後はぶっ壊してやるだけだ」

 

 思わぬ反撃を受けたサーヴァントを心配し、声を掛ける獅子劫に返ってきたのは怒りに濡れた声。

 獅子劫は一瞬、短気に飲まれていないかと心配するが、立ち上がり剣を構え、深く息を吐いた自分のサーヴァントの姿を見て、止める。

 

 ……確かに人形の完成度は高い。それこそ現代魔術師としては凄腕の部類に属する作品であろう。これが並の魔術師であれば簡単に殺しうるほどに。

 だがしかし、此処にいるのは歴戦の英霊である。

 初見殺しは確かに“赤”のセイバーに一杯食わせたが、それだけだ。

 そしてそれだけで押し切れるほど、英霊は甘い存在ではない。

 

 再び狛犬が回転しだす。

 “赤”のセイバーが振るう魔力の一撃をさえ受け流す狛犬の機構。

 現代の魔術師が生んだ巧みな人形兵器は再び“赤”のセイバーに目掛けて突進を行い……。

 

「三度目は、ねえ」

 

 直撃寸前、その目標を見失った。

 目標を再度その視界に収めるより早く狛犬は不意に異常を自覚する。

 回転する頭蓋の機構、それがまるで何かに引っかかったようにガキンと異音を奏でたのである。

 

 そして狛犬は自己の状態を自覚した。

 突進が当たる寸前、狛犬の背後に回り込んだ“赤”のセイバーが狛犬の頭に腕を回して抑え込み、さながらチョークリーパーを掛けるようにして全ての動きを封じていた。

 魔力をむやみやたらに放出するのではなく、筋力に転換したその力は狛犬の魔力を受け流す機構を完全に封印した。

 

 狛犬は即座に“赤”のセイバーを振り払うため、自由の利く両足の機構を用いて水平に回転しようとするがそれよりも早く、首元の可動部に“赤”のセイバーの剣が突き立てられる。

 

「今度こそ廃棄処分(スクラップ)だ、くたばりやがれ」

 

 先の一撃に匹敵する赤雷が今度は外部からではなく剣を通して、狛犬の内部にて荒れ狂う。回転を用い、外からの魔力干渉に強い狛犬であったが、数々の機構が仕込まれた内部は違った。

 そもそも回転というものが強みのこの人形がそれを奪われて、抵抗できるはずもなく、内部に流された爆発する赤雷魔力を受け流すこと叶わず、内側から狛犬は爆散した。

 

「チッ、存外手こずらせてくれやがったが、これで終わりだな」

 

 石畳の上に剣を突き立てながら“赤”のセイバーは吐き捨てた。

 周囲にはネジやゼンマイ、バネなどが無数に散らばっている。

 もはや首だけになった狛犬の顔がキリキリと僅かに断末魔の音を鳴らし──。

 

 やがて沈黙した。




「ん? 早いわねプレストーンさん。
 荒耶さんもコルネリウスさんもまだ来てないわよ? 
 この猫?
 ああ、最近思いついた人形よ。……え?
 猫よりも犬派? 

 (眼鏡外し)

 ──聞き捨てならんな、それは。
 二人が来るまで時間がある。
 少し──語り合おうじゃないか」


──時計塔にて、とある学生の会話


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裏切りの黒剣

人生を一つの物語と例えるとしよう。

子供として過ごす黄金の記憶。

少年として過ごす銀色の記憶。

青年として過ごす銅色の記憶。

これら幼く夢見られる年月を経て、

人は目指すべき完結を目指し歩く。

果てなき生涯(たびじ)を死で以て飾る。

一度きりだからこそ、物語(じんせい)は美しいのだ。


 ミレニア城塞──王の間にて。

 

 “黒”のキャスターの魔術を通じ、まるで映画のスクリーンのように炎によって投影される“赤”のセイバーの戦闘を“黒”のマスターと“黒”のサーヴァントたちは眺めていた。

 

 画面の向こうでは偵察程度とはいえ遣わした使い魔たちが一蹴される様子やマスター殺しの一環として実験的に遣わした強化ホムンクルスの不意を狙った一矢が簡単に防がれる様子、さらにはアルドルが持ち込んだ人形兵器までもが粉砕される様子がことの細部に至るまで余すことなく投影されている。

 

「ルーンを用いた土地の記憶を呼び起こす魔術か。流石の仕事だな、キャスター」

 

 一通りの戦闘が終わったのを見計らって口を開いたのはアルドルだった。

 自身もまたルーン魔術を使うからだろう。

 “黒”のキャスターの振るうルーン魔術を見て率直な感想を漏らしている。

 

「大した魔術じゃねえよ。百年二百年と遡るならともかく、現在進行中の記憶を呼び出す程度、今の魔術師でも出来るだろうよ。それこそ似たようなこと兄ちゃんでも出来るんじゃねえのか?」

 

「準備と手間を掛ければな。貴方のように一工程(シングルアクション)で出来るほど熟達していない。それに現代のルーン魔術は貴方の振るう原初のそれとは異なる。間違っても貴方と似たことが出来るとは言えないさ」

 

「あん? でも兄ちゃんその眼は……」

 

「これは友人の作品だ。モノ自体はオークションで競り落としたものだがね。そこに強化を施したのは……あの人形の作者だよ」

 

 そう言って青いフードを被りこんだ“黒”のキャスターに“赤”のセイバーに破壊された人形を指し示すアルドル。

 それに納得したように“黒”のキャスターは頷いた。

 

 映像の内容を傍目に魔術談議に花を咲かせる“黒”のキャスターとアルドル。

 だが、彼らとは異なり他のマスターやサーヴァントが注目するのはやはり映像の内容……敵の“赤”のセイバーとそのマスターだった。

 

「流石は最優のサーヴァント、セイバーといったところかな? どう見るダーニックよ」

 

 王の間に設けられた玉座に君臨する“黒”のランサー、ヴラド三世は臣下のように傍に侍る己がマスター、ダーニックに問うた。

 

「筋力B+、耐久A、敏捷B、魔力B……幸運を除いた基礎能力は流石はセイバーとだけあって並のサーヴァントのものを優に凌駕しています。特に筋力値に関しては瞬間的に倍加させることが可能なB+……正面から相手取るのであれば、苦戦は必須と言えましょう」

 

「ふうむ、なるほど」

 

 マスターは聖杯より能力値(ステータス)を閲覧する能力を与えられる。それを頼って齎された敵サーヴァントの情報を聞き、ヴラド三世は頷きつつ考え込むように顎に手をやった。

 ダーニックはさらに言葉を続ける。

 

「それからもう一つ注目する点として……一部の能力値が隠蔽されている節がある点でしょう。“黒”のバーサーカーほどではないですが、恐らくは何らかのスキルか宝具によるものかと」

 

 一瞬、玉座下に集う“黒”のマスターたちの一人、カウレスの方に目線を向けてから告げるダーニック。

 “黒”のバーサーカー……ランスロットの持つ隠蔽宝具は細かなステータスにまでその隠蔽が届く一方、“赤”のセイバーのそれはあくまで固有スキルや宝具を対象としたもの、そう言った意味で弊害は自陣営のバーサーカーよりはマシと言えるだろう。

 

「他の者はどう思う?」

 

 ダーニックから敵サーヴァントの情報を聞き終えたヴラド三世は眼下の臣下たち、アサシンを除く五騎のサーヴァントたちに目線を向けた。

 

 セイバーは無言で頷く。マスターからの命令を忠実に守っているのだろう。ことここに至っても彼は一言も発さない。

 ゴルドもそんなセイバーの様子に何かを言うことはなく、目を瞑り沈黙している……が、一瞬だけ壁際で腕を組んでいるアルドルに目を向けた。

 アルドルは視線に気づきつつも、敢えて気づかない様に装う。

 

「大賢者よ。君はどう思う?」

 

「確かに非常に優れた能力値ですが、固有の宝具さえ判明すれば問題ないでしょう」

 

 ヴラド三世に問われた“黒”のアーチャー、ケイローンは穏やかに微笑み、淡々と述べる。

 そう、確かに“赤”のセイバーは優れているものの、彼の見立てでは此方に属するセイバーほどではないと感じていた。

 それは無論、自身やヴラド三世ほどとも。彼とて自陣の全てを知るわけではないが、少なくとも伝え聞いた能力値だけなら自身も含めた“黒”の三騎士は決して“赤”のセイバーに劣りはしない。

 

「あの、おじ様。“赤”のセイバーの……そのマスターの方はご存じなのですか?」

 

 そう言って口を開いたのはフィオレだ。

 同じマスターであり、魔術師として気になったのだろう。

 ダーニックの方を向いて問いを投げる。

 

 だがダーニックが口を開くより先に、アルドルの方が短く答えた。

 

「獅子劫界離。死霊魔術師(ネクロマンサー)であり、時計塔に限らず、どんな依頼をもこなすフリーランスの魔術使いだな。直接の面識はないが、以前戦場を歩いていた頃に聞いた覚えがある。腕利きだとな」

 

「……魔術で金を稼ぐ薄汚い商人か」

 

「探求を本分とする魔術師としては不愉快な存在なのは分かるがね。しかし油断はしてくれるなよ、ムジーク。修羅場を潜り抜けている魔術使いは、こと戦闘能力に限っては通常の魔術師のそれを凌駕する。くれぐれも胸に刻んでおいてくれ」

 

「む……ぐ、分かっておる!」

 

 吐き捨てるように自身の所感を述べたゴルドに忠告の言葉を口にするアルドル。亜種聖杯戦争の修羅場に限らず、聖遺物収集の旅路の中で幾度も魔術使いや執行者たちと矛を交わしてきた経験からであろう。

 彼の言葉に乗せられた重みにゴルドは渋々納得する。

 そして同じくアルドルの言葉を聞いていたダーニックもまたアルドルの一言に頷いた。

 

「確かにターゲットを狩ることに関しては、武闘派の魔術使いのそれは我ら魔術の探求を本分とする魔術師のそれとは一線を画す。他の諸君らも努々油断はしないように」

 

「……そうみたいねぇ」

 

 “赤”のセイバーがアルドルの持ち込んだ人形兵器と戦っている間に、二頭の狼の使い魔が銃によって一瞬のうちに獅子劫に狩られる様子を眺めながらセレニケが気怠そうに同調した。

 

「ところで義兄さん、あの人形兵器は何です。“赤”のセイバーの戦闘能力を見るのに丁度いいっていうのはよく分かりましたけど、アレは義兄さんの作ったものじゃないですよね? やたらと性能が高かったし」

 

 つい気になったのかカウレスがアルドルの方に目を向けながら問いかける。人形兵器に関しては実のところ他のマスターも気にしていた。

 何故ならサーヴァント相手にあれだけ善戦できる人形が現代の魔術師の作品だとするなら、相当の出来栄えだ。アルドルの魔術系統がルーン魔術と北欧の旧い呪術であることを知っている面々からすれば、アルドルが持ち寄った人形兵器が彼の作品では無いことは言われるまでもない。

 だとすれば尚のこと作者に関して気になるというものだろう。

 マスターたちの視線を受けながらも彼は短く告げる。

 

「まだ魔術協会に属してた頃の友人からもらった作品でね。少々、個人的な議論に白熱した結果揉めてしまったのだが、その折、後日詫びの品として頂いた。ただ飾っておくにしても性能が高かったので使ってみたが……流石といった処だな。あそこまで粉砕されたことには申し訳なさを覚えるが」

 

 そう言いつつ、アルドルは投影される映像の中で無残なガラクタと化してしまった狛犬の人形兵器を眺める。

 相変わらず表面上は鉄面皮のアルドルだったが。

 その視線は少し悲しそうだと、カウレスとフィオレは思った。

 

「……気に入ってたんですか?」

 

 思わずフィオレが問いかける。

 

「うん? ああ、知人からのもらい物ということもあったが、それなりに気に入ってはいたな。懐かしかったし、何より好きなんだ、犬」

 

「へえ、なんだ兄ちゃん。犬が好きなのか?」

 

「ああ、と言っても西洋で多く見かける大型の犬ではなく、日本の……そうだな、秋田犬のような中型の奴が……」

 

「秋田犬…………ほうほう、なるほど、そういう奴もいるのか。中々、良い趣味してんな兄ちゃん」

 

「なになに? アルドルは犬が好きなの? ……そうだ! せっかくだからボクのヒポグリフも見てく?」

 

 アルドルの言葉を受け“黒”のキャスターは聖杯から齎されている現代の基礎情報を精査したのだろう。満面の笑みでうんうんと頷いた。

 完全に話題の横道に逸れた会話にゴルドとセレニケはアルドルの方を凄い眼で見ていたが、魔術や一族絡みでなければ意外に人間的なことを知っているカウレスとフィオレは特に気にしてはいなかった。

 ただフィオレの方は彼らが知識を共有する秋田犬とやらに興味を持っていたようだが。二人の会話に食いついてきたライダーは指笛を鳴らそうとしたが、セレニケに全力で止められていた。

 

「アルドル」

 

「む、すまんなダーニック。私情に話が逸れた」

 

 咳ばらいをしつつ、ダーニックが短く言うとアルドルが目礼しながら謝罪の言葉を口にした。

 言うまでもなく、彼らマスターら、サーヴァントらはこうして敵サーヴァントを前に談義するために集ったわけではないのだ。

 彼らが集まったのは他ならぬアルドルによって齎された一つの提案がためなのだから。

 

「一通り、“赤”のセイバーの戦闘能力が分かったところで見せるとしよう。カウレス、準備は大丈夫か?」

 

「あ、ええ……自信は、無いですけど……」

 

「そう緊張しなくても問題ないだろう。あくまで強く当たるだけだ。此処で“赤”のセイバーを倒す必要はないしな。今回は“黒”のバーサーカーについてこちらの認識を共有するためだ。気負うことは無い」

 

「それは、分かってるんですけどね……」

 

 アルドルは気遣うようにカウレスの方に言葉を掛けるが、そう言われて安心できるほどカウレスは自分に自信を持っていなかった。

 自身を三流魔術師と自覚しているがゆえに一番槍(・・・)という重圧は彼の肩には重すぎる。

 そんなカウレスの様子に気づいてか、フィオレは心配そうにカウレスを、次いでアルドルの方を見る。

 しかしアルドルは小さく首を振って頷くだけだ。

 せいぜい見守っててやれと、視線はそう告げていた。

 

「では、始めるとしよう。構わないな? ダーニック、ヴラド公」

 

「ああ、お前の手腕に期待させてもらおう」

 

「うむ。話だけでは見えぬものもあるだろうからな。余も“黒”のバーサーカーの実力とやらには興味がある」

 

 アルドルの言葉にユグドミレニアの全権を有する二人の支配者が頷いた。ダーニックは涼やかに微笑み、ヴラド三世は興味深いとばかりに投影される映像の方へと視線を向けた。

 

「だ、そうだ。カウレス、任せたぞ」

 

「……すぅ……フゥゥゥ──はい」

 

 支配者の最後の許可を受けてアルドルがカウレスに視線を向ける。

 カウレスは額に脂汗を浮かべながらも小さく一呼吸。

 次いでその右手に宿る令呪、それを翳し、己がマスターであることを喧伝するように拳を握りながら告げる。

 

「やれ────バーサーカー」

 

 告げる勅令……彼方で、騎士の妄念が起動する音がした。

 

 

 

 

「なんだ……?」

 

「ん? どうしたんだセイバー」

 

 粉々に破壊された人形兵器を見分している最中、ピクリと突然反応した自身のサーヴァント、“赤”のセイバーの様子に獅子劫は問いを投げる。

 一方の“赤”セイバーはその疑念に答えることなく、警戒するように視線を周囲へと素早く向ける。

 その尋常ならざる雰囲気に流石の獅子劫も察した。

 

「敵か?」

 

「分からん。が、戦場の空気が変わった。何か来るぞ、マスター」

 

「お前さんの直感か、このタイミングなら敵のサーヴァントかもしれんな。人形兵器のお陰で想定外の時間を喰ったからな。敵さんも本格的に動き出したということかもしれん。此処は一旦引いて──」

 

 態勢を立て直そう──そう続けるはずだった獅子劫の言葉はしかし、

 

「マスター!」

 

「なにッ!」

 

 “赤”のセイバーの檄と、驚愕によって途切れることとなった。

 

 二人から五十メートルほど離れた街灯に照らされた石畳、そこから黒い靄のようなものが立ち上がり、やがて靄は一つの人型を形取る。

 

 現れたのは中世の騎士然とした全身を甲冑で包み込んだ一人の騎士。全身に鎧を着こんでいるというのは“赤”のセイバーも同じことだが、あちらは鎧が漆黒である上、黒い靄のようなものを纏っており、不気味な様相だった。

 頭部を覆う兜の向こうから赤い視線が“赤”のセイバーを射止めている。

 

 その様を見て獅子劫は舌打ち交じりに叫ぶ。

 

「“黒”のサーヴァント……!」

 

 然り。即ちは敵の“黒”の陣営が英霊である。

 遂に垣間見えた敵方の英霊の姿に獅子劫は思考を高速で回す。

 

“いきなり仕掛けてきやがったな。取り合えず今のところは一騎駆けのようだが”

 

 しかし油断は一切できないだろう。

 此処は敵地なのだ。

 これ以上の援軍が無いなどとどうして言えよう。

 

 確かに視認できるサーヴァントは一体だけだが、もしかしたらアサシンを潜ませている可能性やアーチャーが構えている可能性もある。

 敵が複数いる以上、浮いた駒を集中的に狙うのはセオリーもセオリー。そしてこの場合、浮いた駒とは自分たちに他ならない。

 

“普通に考えりゃあどう考えても引くのが得策だ。好きに戦力を派遣できる連中と違ってこっちは“赤”の援軍に期待は出来ない。そうなると自力で切り抜けることが必然になるわけだが……”

 

 今は敵方のサーヴァントは一体のみだが、これ以上の援軍や戦力派兵があった場合、地理的に数的に戦力的に劣るこちらが圧倒的に不利なのは言うまでもない。確かにこちらのセイバーは早々に落とされるほど弱くはないが、だからといって単騎駆けで敵方の戦力を捌き切るのは厳しいだろう。

 であるならば脇目も振らずに撤退するのが最善の選択なわけだが……。

 

“が──敵のサーヴァントの力量を図る絶好の機会でもある、と”

 

 そう、その選択が獅子劫を迷わせた理由だ。

 敵は、ユグドミレニアは基本的にミレニア城塞にサーヴァントごと篭っている。出てくることがあるとすれば“赤”の陣営との全面交戦に伴うものだろうが、現在自陣営たる“赤”の陣営とのコンタクトは取れず、状況は不明瞭。

 そのため獅子劫に全面交戦のタイミングは読めず、必然的に敵方のサーヴァントと会敵する機会は早々無いこととなる。場合によってはぶっつけ本番で敵のサーヴァントと戦わねばならなくなるだろう。

 

 だとすれば、この機会。

 敵の方からこちらに仕掛けてきたというのは、リスクはそれ相応に伴うが、情報を得るという意味でもただ退却するというには惜しい。

 

“さて、どうしたもんか……”

 

 既に会敵している以上、迷っている時間はない。

 刹那にも満たない時間で獅子劫がリスクとリターンを洗い出していると、ブンと“赤”のセイバーが剣を構える。

 

「おい」

 

「やらせろよ。せっかく引きこもってた連中が向こうから仕掛けて来たんだ。丁度体も温まってきた処だし、ここらで“黒”のサーヴァントの実力とやらを拝んでおいてやろうじゃねえか」

 

 好戦的な“赤”のセイバーの言葉だが、奇しくもその内容は獅子劫が迷った選択肢と何ら変わらないモノだった。

 ……円卓の破片という、何れの円卓の騎士が現れるか分からない聖遺物によって現界した“赤”のセイバー。聖遺物による英霊の絞り込みが出来ない場合、呼び出される英霊はマスターと最も近しい存在だというのは獅子劫も知識として知っていたが、なるほど円卓の騎士の中において、“赤”のセイバーが何故自分の下に召喚されたのかがよく分かる。

 

 結局のところ、自分と一番かみ合うのは王に仕える上品な円卓の騎士なんかより“赤”のセイバーのようなリターンだけを見据えて勝ちを狙う野蛮で狡猾な者なのだろう。

 そこまで考え、獅子劫は全てのリスクを忘れた。

 

「……ま、此処はちょっくらやってみるか。ただしセイバー、いざとなったら即令呪を切ってでも離脱するぞ。文句は聞かん」

 

「オーケーオーケー。さっすが、オレのマスター。話が分かるぜ」

 

 そういって“赤”のセイバーは嬉々として剣を構え、そして視線の先、無言で立ち尽くす漆黒の騎士へと声を掛ける。

 

「そういうことだ、来いよ黒スケ! 望み通り相手してやる!」

 

 威勢よく吠えるセイバー。

 それが引き金(トリガー)だった。

 カタカタと黒い騎士が震えだす──そして。

 

「a……aa…Aaaaaaaaaaaaa!!」

 

「ッ!」

 

「こいつは……!?」

 

 雄叫びと同時に弾ける魔力。

 壮絶な咆哮によって放たれる強烈な殺意と狂気が魔力の波となって“赤”の主従を襲う。……もはや如何なクラスかなど考察する迄もないだろう。

 狂気に飲まれ、狂気のままに暴力を振るうそのサーヴァントの銘は……。

 

「“黒”のバーサーカーかッ!!」

 

「■■■■■■■──ッ!!!!」

 

 もはや言語化不能の叫びと共に“黒”のバーサーカーが躍りかかる。

 深く身構え警戒を深める“赤”のセイバー。

 さあ、どう来ると臨戦態勢の“赤”のセイバーに。

 

「何ッ!?」

 

 襲い掛かったのは人形兵器に次ぐ本日二度目の驚愕。

 中世の騎士然としたサーヴァント“黒”のバーサーカーが構えたのは剣でもなければ槍でも弓でもなかった。

 警戒を深めていた“赤”のセイバーをして驚くべき得物。

 それは──。

 

()だとッ!?」

 

 中世の騎士が持つはずがない、現代に作られた最新兵器だった。

 

「Fuuuuuuuuuuuu───!!!」

 

 構えられる二丁拳銃──ドイツ帝国で生産された自動拳銃ルガーP08とモーゼルC96をその両手に構え、斉射。

 年代物のにも関わらず、打ち出される銃弾は恐るべきことに現代に存在する最新の自動拳銃の弾速を遥かに上回っている上、装弾数も見た目に装填できる数から明らかに逸していた。

 

「おおおおおおおおおッ!!?」

 

 “赤”のセイバーは咄嗟に魔力放出まで用いて、その射線から逃れようと身を翻す。

 通常、近代兵器がサーヴァントの肉体に損害を与えるなどあり得ない。サーヴァント自身が武装として振るえば如何な武器もある程度の効果を発揮することもあるが、神秘とは逆位置にあるとさえ言っていい銃器による攻撃などサーヴァントに対して何ら効果を発揮するはずなどないのだ。

 

 しかし“赤”のセイバーは全力で回避行動を取る。

 それはスキルとして有する『直感』によるものか、“赤”のセイバー自身に備わった戦士としての経験がためか。

 果たして、その直感は確信へと変わる。

 

「つ、ぐっ……おぉ!」

 

 直撃は逃れたものの数弾、掠める。

 そして齎されたのは痛み(・・)

 

 間違いない、どういう手品かは分からぬものの、あのサーヴァントが振るう火器武装。アレは──サーヴァントを殺傷せしめる武器だ。

 

「セイバー!」

 

「下がってろ! マスター!」

 

 異常に獅子劫も気づいたのだろう。

 こちらを心配するように声を上げるが、先の人形兵器と違い、叫び返す“赤”のセイバーに余裕などない。何故なら……。

 

「Aaaaaaaaaaaaa!!!」

 

 それを許すほど狂気なる騎士は甘い存在ではなかった。

 射線から逃れた“赤”のセイバーを追うように黒い騎士が駆け抜ける。

 姿勢を低く駆け抜ける様は四足獣に似通っていたが、その速度たるや先の狼などとは比べ物にならないほど速い、(はや)い!

 

「チィ!!」

 

 “赤”のセイバーは赤雷を伴った魔力放出で石畳の地面を切りつける。

 圧倒的な暴力により石畳は無残に砕け散り、赤雷が帯電しながら砂煙を上げて、突撃してくる漆黒の騎士と赤雷の騎士の姿を覆い隠す。

 

「Aa──」

 

 黒騎士の動きが僅かに止まる。

 目標を見失った“黒”のバーサーカーは次瞬の行動を迷い。

 

「オラァアア!!」

 

 その隙を“赤”のセイバーは見逃さなかった。

 砂煙を上げると同時に頭上へと跳んでいた“赤”のセイバーは砂煙に突っ込んだ“黒”のバーサーカーの位置を正確に把握していたのだ。

 重力と魔力放出を乗せた流星のような落下で目測を過たず砂煙に隠された黒騎士の身体を蹴り飛ばす。

 

「A──G──ッ!?」

 

 石畳を勢いよく転がっていく“黒”のバーサーカー。

 そのまま“赤”のセイバーは追撃せんと剣を構えて転がる“黒”のバーサーカーを追おうと赤雷を帯電する。だが、敵は狂気に飲まれながらも巧みだった。

 

「A──raaaaaaaaッ!」

 

 石畳に転がされながらも“黒”のバーサーカーは右手で地面を叩きつけ、体勢を水平に立て直し、左手で“赤”のセイバーに標準を定め、斉射。

 地面に転がりながらの曲芸ショットは追撃せんと身構えた“赤”のセイバーに強制的に守りを強いる。

 

「ぐぅ、狂戦士の分際で!!」

 

 剣で以て銃弾を捌きながら毒吐く。

 所詮は暴れるだけしか能のないバーサーカー……そう思っていたが、中々に小技が効く。如何な英霊かは知らないが、この王道から外れた余技。

 直感だが、相当に性格の悪い奴だと“赤”のセイバーは吐き捨てた。

 

「Fuuuuuu──Aaaaaaaa──ッ!!!」

 

 体勢を立て直した狂戦士が立ち上がり、再び吠えて両手に自動拳銃を構える。

 今度は左手に宿した拳銃で横にスライドしながら掃射しつつ、右手の自動拳銃で“赤”のセイバーを照準する。

 どうやら逃げ道を消した上で銃弾を浴びせるつもりらしいが。

 

「ハッ、小細工だな! 通じるかッ!!」

 

 “赤”セイバーの剣が赤雷を帯びる。

 柄を握りしめ“赤”のセイバーは大上段からまるで剣を振り下ろすようにして、

 

「シャァオラァ!!」

 

「────ッ!?」

 

 剣を──ぶん投げた(・・・・・)

 然しもの“黒”のバーサーカーもその攻撃は想定していなかったのか驚愕と共に身を低くしながら飛んでくる剣を咄嗟に真上へと蹴り飛ばす。

 ……刹那の判断で予想だにしない不意打ちを捌いてみせたのは凄まじい反応速度だった。狂気に飲まれ、名を語れずとも、生前はさぞ高名な騎士として名を馳せたのだろう。

 

関係ねえ(・・・・)。敵は死ね」

 

「Ga、Aaaaa──ッ!!!?」

 

 飛んでくる剣に対応した直後、時間差を置いて飛んできたもう一つの影が黒騎士に躍りかかり、地面へと叩きつけた。

 その影は魔力放出によって剣と同じように飛んできた“赤”のセイバーだ。

 “黒”のバーサーカーの胸倉を掴んで地面に叩き伏せた“赤”のセイバーは片手で黒騎士を抑えつつ、片手で真上から落ちてくる自身の得物を手にする。

 

「マウントポジション。死ね黒スケ」

 

 言って、“赤”のセイバーは回避が出来なくなった獲物の首目掛けて、剣を突き立てる。帯電し、片腕とはいえ魔力放出を伴った突きは音速で“黒”のバーサーカーの首元に落ちる。

 その速度、決して常人が反応できるものではなく──。

 

「何ッ!?」

 

 なればこそ、その常識を英雄は簡単に凌駕する。

 武器を手放し、捨てた黒騎士は身動き取れないまま唯一自由の利く両手で以て襲い来る音速の突きを紙一重で受け止めた。

 

 東洋の真剣白刃取り──難度は侍の振るう刀よりも遥かに高かったはずにも拘わらず、黒騎士は驚異的な見切りと反射で“赤”のセイバーの一撃を凌いだ。

 

「てめぇ……ガッ!!?」

 

 思わぬ敵の守勢に“赤”のセイバーが歯噛みした直後、“赤”のセイバーが吹き飛ばされるように仰け反る。

 動揺した“赤”のセイバーの隙を突いて、“黒”のバーサーカーは上半身を跳ね起こし、そのまま勢い良く“赤”のセイバーに頭突きを喰らわせたのだ。

 予想だにしない不意打ちを受けた“赤”のセイバーを追撃するように、“黒”のバーサーカーはそのまま“赤”のセイバーに掴みかかり、自身の拘束を解かせるように投げ捨てた。

 

 そうして立ち上がることに成功した“黒”のバーサーカーは小器用に踵でもって手放し地面に転がった自動拳銃を手元まで跳ね上げて掴み取り、倒れ掛かった“赤”のセイバー目掛けて、その引き金を引いた。

 

「ぐ、おおお、おおおおおおおおッ!!!」

 

 回避困難なその射撃に“赤”のセイバーはなりふり構わぬ魔力放出でもって対処する。剣を地面に突き立てて、それを杖代わりに立ち上がりつつ、足元で全力の魔力放出。弾丸のように銃の攻撃圏から逃れてみせる。

 

 されど……。

 

「いッつ……くっそ、掠めたか……!」

 

 欠けた具足。足を守っていた装甲の一部が破壊され、そこから赤い血が流れだしている。どうやら逃れる“赤”のセイバーを仕留めることは出来ないと悟った“黒”のバーサーカーが先に敵手の機動力から削いでいこうと判断したのだろう。足にのみ狙いを定めた一撃は過たず、“赤”のセイバーを射抜いていた。

 

「け、陰険な奴め……」

 

「大丈夫か、セイバー」

 

 不意に足の痛みが和らぐ、視線をやればいつの間にか駆け寄ってきた獅子劫が治癒魔術を使用していた。

 

「助かる。が、離れてな。あのバーサーカー、バーサーカーの癖して存外にねちっこいぞ。何処かの根暗を思い出す」

 

「みたいだな。バーサーカーという割には妙に戦術的というか……ステータスが閲覧できないことと言い、何か特別なスキルを持ってるのかもな」

 

「あぁ……? ステータスが見えないだと?」

 

 獅子劫の言葉に“赤”のセイバーが反応する。

 聖杯に選ばれたマスターがサーヴァントを閲覧する能力を持っているのは“赤”のセイバーとて知っている基礎知識だ。

 それが閲覧できないとなると何らかの情報の隠蔽宝具なり、スキルなりを持っているということである。

 それ即ち。

 

「あの黒スケ根暗野郎……! うぜぇ上にオレをパクりやがってんのか!」

 

「……いや、セイバー。別にお前をパクったわけじゃないと思うぞ」

 

 ……星の数ほどいるだろうサーヴァントである。

 別に能力値を隠蔽するサーヴァントなど“赤”のセイバーや“黒”のバーサーカーの他にもきっといるだろうに。

 しかし、そんなのは関係ないとばかりに“赤”のセイバーは立ち上がる。

 

「決めたぞ。アレはオレが叩っ切る! 文句はないなマスター!」

 

「大ありだ馬鹿! 目的を忘れてんなセイバー!!」

 

 吠える“赤”のセイバーに吠え返す獅子劫。

 敵サーヴァントの力量を見る、という当初の目標を考えれば既に戦果は十二分と言えるだろう。

 明らかに時代に見合わぬ近代武装、狂戦士には見合わぬ冷静な判断能力に技の数々。初見の辺りで得られる情報としては十分だ。

 

「引くぞセイバー──これ以上は深追いが過ぎる。ただでさえ長居してんだ。そろそろあちらさんも釣れた獲物を本気で狩るか迷いだしてくる頃だろう。此処が引き際だ……お前だろうと文句は聞かん」

 

「…………ちっ、わぁったよ!!」

 

 獅子劫の有無を言わせない言葉に“赤”のセイバーは歯噛みしつつも渋々と納得する。その上で“赤”のセイバーは“黒”のバーサーカーに剣を向けて、睨みつけて吠えた。

 

「テメェとの決着はまた今度だパクり黒スケ! 次はオレ手ずから殺してやるからせいぜい覚悟してやがれ!!」

 

「U……Aaaa……!!」

 

 その宣戦布告を受けて“黒”のバーサーカーはうめき声を漏らしながら再び銃を構え、戦闘を再開しようとするが──それよりも早く“赤”のセイバーが動く。

 

「一気に離脱するぞ、振り落とされんなよマスター!!」

 

「おい、ちょ、待て、セイ……う、うおおおおおおおおおッ!?」

 

 獅子劫の首根っこを掴んだ“赤”のセイバーは三角跳びの要領で適当な家屋の壁面を蹴り飛ばし、空中に身を躍らせる。

 そして彼方に見える街を囲う石の城壁を見据え、そのまま魔力放出を用いて全力で跳んだ。

 

 獅子劫の尾を引く悲鳴を傍らに“赤”の主従は全速力で敵の領地を離脱するのであった。

 

 

 

 

「──見事な引き際だな」

 

「うむ、冷静に戦況を見ておる」

 

 投影されている映像にて敵方のサーヴァント“赤”のセイバーが離脱していくのを見送り、ダーニックは短く所感を口にし、ヴラド三世が頷く。

 

 獅子劫が察した通り“赤”の主従がこれ以上、食いついてくるようであればダーニックとヴラド三世は共にアーチャーを増援として派遣しようと考えていたのだ。これを機に最優のサーヴァントを仕留めんと。

 しかし敵方はその様子を実際に目にするまでもなく、察し、見事なタイミングで手を引いてみせた。戦況を見るいい()を持っている証である。

 

「強いな。アレが余の敵、“赤”の陣営か」

 

「ええ、そして我々ユグドミレニアの敵でもある。あのセイバーを含めて、残るは六騎。何れも時計塔の手練れに率いられた難敵となることでしょう」

 

「しかし、負けるつもりはない。そうであろう? ダーニックよ。向こうが誇るべきサーヴァントを有しているように、今の余にも優れた将が存在しているのだから……そうだ、ダーニックの甥の……アルドルと言ったな。お前が“黒”のバーサーカーを遣わした差配、確かに納得したぞ」

 

 そう言って眼下のアルドルに視線を向けるヴラド三世。

 視線を受けたアルドルはさして緊張するわけでもなく、いつものように“黒”の陣営の支配者たるヴラド三世に対して口を開いた。

 

「……狂気に飲まれながらも確とした武芸を振るう者……知識として頭に入れるよりも、実際に目にさせた方がお歴々の納得に繋がると愚考したまで、満足していただけたようなら幸いだ、領王よ」

 

「うむ、良い献策であった。ダーニックよ、良い後継を得たな。余をして少し羨ましく思うぞ」

 

「ハッ、手腕に未だ未熟な所もありますが、私の誇るべき後継であります」

 

「うむ」

 

 ヴラド三世の言葉を受けて、ダーニックは謙遜の言葉を口にするものの、何処か誇らしげなのは否めない。

 身内びいきと言われようとも、自身の次期後継をあのヴラド三世に手放しで褒められて何も感じない程、冷徹ではなかった。

 

「そして──“黒”のバーサーカーのマスターよ。お主も良い仕事であった。狂戦士が単に暴れることしか脳のない存在であると、侮ったことを謝罪しよう」

 

「きょ、恐縮……です……!」

 

 次いでヴラド三世は“黒”のバーサーカーのマスターであるカウレスの方に目を向ける。

 視線を受けたカウレスは言葉を震わせながらも何とか応えてみせるが、息も絶え絶えといった様相の彼に余裕はなかった。

 

「大丈夫? カウレス?」

 

「あ、ああ、何とかね。……今更だけど、これが聖杯大戦でよかった。もし普通の聖杯戦争だったら流石に持ちそうにないな……」

 

 心配する姉の言葉に苦笑しつつ応えるカウレス。

 言うまでもなく消耗は“黒”のバーサーカーの戦闘による負荷だった。

 ゴルドの構築したシステムにより魔力供給は分割されているとはいえ、基準となるのはやはりマスターの魔力、よって自身のサーヴァントが戦闘を行えばそれなりのフィードバックが生じる。

 

 まして魔力量も回路も三流の魔術師が大飯喰らいのバーサーカーを操れば、この通りというわけだ。

 

 そんな消耗するカウレスをジッっと眺めて、アルドルは不意に口を開く。

 

「ムジーク。一つ聞きたい」

 

「う、む……な、何かね?」

 

 突然に矛先を向けられたゴルドは動揺してどもるが、アルドルは特に気にした様子もなく端的に要件を告げる。

 

「“黒”のバーサーカーの戦闘による消耗は相当だ。地下にある魔力分割供給を行うホムンクルス……そちらに影響はないだろうか?」

 

「……ふん、そのことか」

 

 それはゴルドが作り上げたユグドミレニアが反則級なシステムのことだ。

 先に述べたようにユグドミレニアのマスターたちは元来、サーヴァントに供給しなくてはならない魔力を代替手段で以て分散している。

 これはサーヴァント運用に際して消耗する魔力を抑えることができるという、聖杯大戦に挑む上では正に反則級のシステムであるが……。

 

 他ならぬその魔力を代替供給しているのは、地下にて培養されているムジーク家の技術で以て作り上げたホムンクルスたちであるのだ。

 カウレスの消耗のしようを見て、アルドルはそちらに対する影響を懸念したのだろう。しかしゴルドはそれに鼻を鳴らす。

 

 如何に次期当主、規格外の魔術師であろうともムジーク家の技術力を侮るなと。

 

「そんなことは想定済みだ。万が一ホムンクルスどもが衰弱死したところで、すぐに代用は効く。半日もあれば新たなホムンクルスを補充することは簡単にできる。気にする必要はない」

 

 その、ゴルドが告げた言葉にアルドルは──。

 

 

「──そうか(・・・)

 

 

 満足げな(・・・・)笑みを浮かべた(・・・・・・・)

 

「カウレス、予定通りバーサーカーを引かせてくれ。“赤”のセイバーらが離脱した以上、これ以上の戦闘は無いだろう。他の襲撃はホムンクルスやゴーレムたちに任せてお前は休むと良い」

 

「……了解。どっちみちこれ以上はちょっと辛いし」

 

 ふぅと額を拭いながらアルドルの言葉に軽く返すカウレス。

 流石の彼も見栄を張れるほど、もう無理は出来ないということだろう。

 

「うん。少し無理をさせたな、後で何か持っていこう。ダーニックにヴラド公。此度はこれにてお開きということで構わないかな?」

 

「ああ。引き続き“赤”の陣営を警戒しなくてはならないが、もうじき夜明けだ。今晩中に他の動きがある可能性は少ないだろうからな」

 

「余からも特に言うべきことは無い。重ねて言うが此度の献策は見事であった。その調子で今後も頼んだぞ。アルドルよ」

 

 アルドルの言葉にダーニックとヴラド三世は問題ないと両者頷く。

 “赤”のセイバーを陽動として、他に“赤”の陣営の襲撃も可能性としては存在するが──ダーニックの言葉を受けるまでもなくまあ無いだろうとアルドルは確信していた。

 

「セレニケ」

 

「何かしら?」

 

「ライダーを、アストルフォを(・・・・・・・)見守っておいてくれ(・・・・・・・・・)。万が一、“赤”の陣営が襲撃してきた際には足の速いライダーが迎撃を担当することになるやもしれん。負担を掛けるが明け方まで警戒を任せたい」

 

「……道理ね。面倒くさいけど分かったわ。ライダー、そういうわけだから私と待機しておいてちょうだい。くれぐれも城を勝手に歩き回らないこと」

 

「え……朝までマスターと一緒? アルドルー? ちょっとアーチャーと役割を交代してくれないかなー?」

 

「……だそうだ、が? アーチャー?」

 

「ふむ……そうですね。それなら一緒に警戒するということでどうでしょう。私は夜目も利きますし、知っての通り弓兵(アーチャー)ですから。ライダーと一緒に警戒に回れば不意の襲撃にも十分に対応できるかと。マスター、よろしいですか?」

 

「ええ、構いません。貴方の言う通りお任せしますアーチャー」

 

「やた。それじゃあアーチャーも一緒にボクと待機しよう。一緒にね!」 

 

「ふふふ……了解しましたライダー。貴女も構いませんか、ライダーのマスター、セレニケ殿」

 

「……はぁ、良いわ。今日の所はそうしましょう」

 

 そういって何処かホッとしたようにクルクルと回りながらケイローンの下に歩み寄るアストルフォ。

 彼の切実な事情を知るアーチャーは苦笑しつつ、何処か苦々し気なライダーのマスターを伴いながら敵の警戒へと回る。

 

「アルドル、私は……」

 

「カウレスに付いてやっててくれ。……そうだな、用事(・・)が終わったら何か甘いものでも持っていこう。気晴らしには丁度良いだろう。尤も一番は眠ることが最適だが……」

 

「……疲れてるけど流石に気が立ってて眠れそうにないです」

 

「──とのことだからな」

 

「……ふふ、では姉として任されました。カウレス、取り合えず部屋に戻って休みましょう。座って落ち着くだけでも体力の回復にはなるわ」

 

「了解……」

 

 ゆっくりと緩慢な動作で歩き出すカウレスと付き添うように車椅子を回しながら寄り添うフィオレ。

 彼は仕事を十分にやってくれた、後は今後に備えてゆっくりと英気を養ってもらうのみだ。

 

「ムジーク、俺は念のため地下を見てくる。もしかしたら後で仕事(・・)を頼むかもしれん。良いか?」

 

「こちらの領分だからな、文句はない。ただ今日はもう自室で休ませてもらう。問題ないなアルドル」

 

「ああ。今すぐに対処する必要は無いだろうからな、問題ない」

 

「そうか。……いくぞ。セイバー」

 

「…………」

 

 ゴルドは相変わらずといった様で会話を済ますや否や、ツカツカと歩き去っていく。それに追従しながらもセイバーは目礼を一つアルドルの方に向け、彼もまた立ち去った。

 

「さて、んじゃあ俺たちも戻らせてもらいますかね。……オラ、ボウズ。映像そっちのけでいつまでゴーレム弄ってやがんだ」

 

「あ、ちょ……今、画期的な機構がって、勝手にとるな! 返せよ! ああ! そんなブンブン振り回すんじゃない! また壊したら今度こそ令呪使うぞ!」

 

「はっはっは。その場合は『ゴーレムを壊すな』っていうとんでもなく馬鹿な命令に令呪を使ったってダーニック辺りにドヤされるだろうぜ。おら! 言ってないでさっさと行くぞボウズ」

 

 キャスターの主従はとことん相性が悪いのかぎゃあぎゃあ騒ぎつつ、自分たちの工房へと戻っていった。

 ……いや、ある意味ではアレはアレで噛み合ってるのかもしれない。マイナスの相乗効果になるようなら頭を悩ませるところだが、アレで上手くいくようなら思わぬ収穫となるだろうとアルドルは頷いた。

 

 そうして……ダーニックとヴラド三世が去り、セレニケとアストルフォとケイローンが去り、カウレスとフィオレが去り、ゴルドとセイバーが去り、ロシェとキャスターも去った。

 

 マスターとサーヴァントはそれぞれ役目に、或いは休息に付き、今日の所の聖杯大戦は一応の幕を閉じることとなるだろう。

 故に──。

 

 

「さて──『運命』を殺しに行くとしよう」

 

 

 このタイミングで不穏分子を潰そうと。

 『先祖返り(ヴェラチュール)』が動き出す。

 全ては千年樹に栄光を齎す為に。

 

 勝利とは常に遠く、得難いモノ。

 それを手にするためには常に犠牲が付きものなのだから──。




「ふんふんふふーん! やあ蒼崎にプレストーン!
 相変わらず──ぐふ……ぶほ……(バタリ)」

「……遅れたな、蒼崎、プレストーン。
 む、何故アルバが……これはガンドにルーンか。
 学院で暴れるもの程々にしておけ」


──ある日の時計塔にて、犠牲者一名。


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そして運命/物語は崩れゆく



「では、栄えある物語(ハール・サガ)を始めよう」


 伝承再演(スキャン)──群霊黄金宮(データベース)再生。

 群霊(情報体)を基準に仮想自立思考(アーティフィシャル・インテリジェンス)定義。

 我思う故に我あり(パーソナルデータ)入力。

 定義した思考回路計二百を『邪竜と聖女(フローチャート:オメガ)』まで演算開始。

 

 魔術式(ソフト)智慧の泉(アウルゲルミル)”──起動。

 九つ廻る千年神樹(ナインヘイムユグドミレニア)

 第一世界観(パターン・アースガルド)にて開始します。

 

 

 

 『工房』から右目を通して伝わる情報の波。

 その情報を()ながら私は一人、ミレニア城塞の地下に設けられた培養室へと踏み入った。

 水槽の向こう、ガラス越しには人間離れした白肌白髪をした人形のような人型、ムジーク家の錬金術にて生成されたホムンクルスたちが浮かんでいる。

 

 一見して眠るようにして沈黙する彼ら。

 だが、私は識っている(・・・・・)

 サーヴァントという規格外を神秘を維持するために彼らは現在進行形で命を削られる苦しみを味わっていることを。

 水槽に満たされた溶液によって、常人における血液とも言い換えられる魔力を吸い出され、サーヴァントらが呼吸するための養分に変えられていることを。

 

 それに『■■■■(わたし)』は罪悪感と憐憫の感情を思うが、即座にアルドル(わたし)が否定する。それはただの偽善(感傷)だと。

 この程度の非情で止まるなら初めから『■■■■(わたし)』はアルドル(わたし)となることを望まなかっただろうと。

 受け入れ、決意し、歩き出した。

 であればもはや傍観者ではいられない。

 『■■■■(わたし)』はアルドル(わたし)だ。ユグドミレニアの魔術師としてするべきことはあまりにも明白だった。

 

「勝利を」

 

 即ちは千年樹に栄光(みらい)を。

 定められた運命を書き換え、導くと誓った。

 

「演算、停止」

 

 主観記憶(パーソナルデータ)を通じて、異なる(記憶)がありとあらゆる展開(パターン)を予想する。

 回答は概ね肯定。やはり抑止力(妨害)を警戒して幾つかの物語(アンサー)は想定外の事態を訴えるが、状況は既に作り上げている。

 

 サーヴァント(“黒”のバーサーカー)による早期の大量魔力消費。

 弱者に手を差し伸べる英雄(アストルフォ)の行動抑制。

 培養室に仕掛けた忘却のルーンによる結界。

 

 ……今この時この瞬間、この場に居合わせられるのは私一人だ。

 

「そして、私は神に愛されない(・・・・・・・・・)

 

 この世界の普遍無意識(アラヤ)に属さない私に対して、彼らは直接的なアクションを取ることができない。

 何せ彼らの()に私は見えない。

 私が物語の人物と言葉を交わし、話し合えないのと同じように。

 物語もまた自身らを俯瞰する読者の存在を悟り得ない。

 一方的な認知──世界に対する干渉を起こさない限り、彼らが私を捉えられないことは嘗て『正義の味方』と殺し合った時に経験済みだ。

 

 尤も、彼らも危うく『第一』を成立させかけた状況では私の存在に気づくようだが。

 とはいえ、幾ら連中に目を付けられたからと言って、いきなり自らのサーヴァントに裏切りの憂いに遭うとは思わなかったが。

 『彼』が躊躇いなく私と交わした契約よりも本職を優先し、仕事人として職務を全うしにかかる辺り流石というしかあるまい。

 

 幸いにして、私自身の特性のお陰で話に聞くほどの理不尽さを振るうことはなかったものの、それでも流石に無茶が過ぎた。

 見せ札は勿論のこと、十分な準備もしないまま切り札まで切ったものだから危うく魂が蒸発しかけた時は、流石にこれまでかと思ったが……切り抜けたのは我ながら悪運が良かったとしか言えない。

 

 魂はおろか、身体をも激しく損傷したのは痛手であったが、そんな死線を潜り抜けた報酬として、代わりに予想外の戦利品が手に入ったのは幸運だった。

 あの戦利品のお陰で私は『枯れ枝』を用いた『工房』を完成させることができたのだ。生身(ほんたい)を動かすことなく、動き回ることができるようになったのは正に初めて天が味方してくれたと言えるだろう。

 

「今アルバに会ったら、あの台詞が言えそうだ」

 

 そういって自分の口ずさんだ冗談に笑ってしまう。

 ()から彼のことは知っているが、やること成すこと魔術師らしい典型的な外道さなのに、本人の性格と結末のせいでいつの間にか萌えキャラ扱いされていたのは是非もあるまい。

 初対面の時、咄嗟に愛称(・・)を口走りかけたのは今でも私の中だけで再生できる思い出だ。

 

「蒼崎、荒耶、アルバ、カルマグリフ……」

 

 彼らに学び、教わり、魔術師という生き方を()った。

 常識の枷を外し、初めて世界を肌で感じ取った。

 

「ジェスター、ベリル、プレラーティ、無銘の英雄……」

 

 恐らく最も死に近づけさせられた難敵たち。

 命を掛けた削り合いは私に死の恐怖と生の歓喜を教えた。

 

「──ユグドミレニア」

 

 ──私は己が名と、それに寄せられる期待と信頼を自覚した。

 そうだ、此処は空想じゃない、夢でもない、ましてや物語ですらない。

 

「私は今、生きている(・・・・・)

 

 両足で大地に立ち、呼吸し、人生を歩んでいる。

 ならばどうする? どう生きる?

 私は、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアはどうしたい──。

 

「決まっている」

 

 ──設定は把握した。

 ──人格(キャラクター)は形成された。

 ──背景も決まった。

 ──成すべき目標もある。

 ──望まれる役も理解した。

 

「よって、私は私を定義する」

 

 魔術師(・・・)アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 そう名乗り、そう呼ばれ、そう期待されるならば。

 私はそのように生きよう。

 それが私の決めた人生、私だけの物語(サーガ)

 

 そのためならば、『運命』を打倒しよう。

 筋書きを書き換え、結末を変更しよう。

 もしも(IF)を手にしてこその外訪者。

 

 その期待に応えずとして何のための私だという──。

 

「そういうわけだ。名無しの役者(ホムンクルス)、既に外典の筋書きは我が手に。故に用済みの役者には退場願いたい」

 

 そうして──私は一つの水槽の前に辿り着く。

 百数にも及ぶ培養されたホムンクルスたちの中に()はいた。

 

 目を瞑り、歯を食いしばり、苦行を強いられる少年としか言えない年頃のホムンクルスの姿は誰が見ても虐げられる弱者の姿そのものだ。

 仮に一族の誰もがこの場に居合わせても、この少年に脅威を思い描くことは無いだろう。反逆されたとしても各々が誇る自慢の魔術で一瞬のうちに一方的な死を与えることができるはずだ。

 

 だが……私は()っている。

 この名も無きホムンクルスが背負う運命を。

 少年が抱く切なる想いと、それが齎す結末を識っている。

 

「敢えて話そう。ホムンクルス、いや──名無しの役者(ジーク)

 

 ガラス越しに手を触れ、苦しむ少年に声を掛ける。

 展開を作ったのは他ならぬ私だ。

 状況を速めたのは他ならぬ私だ。

 だからこそ私は少年が自意識に目覚めかけていることも、今に魔力を放出するだけの魔術回路が運命の産声と共に起動することを知っている。

 

 透明の断絶。

 世界を隔てて私は彼と会話をする。

 それが私なりの敬意であり、ケジメだ。

 

「告白しよう。君からすれば私は忌むべき存在なのだろうが、私は君のことを嫌ってはいない。いやむしろ好いているとさえ言っていいだろう。或いは立場さえ違っていれば君の味方として立つほどには」

 

 一つの『運命』を愛したものとして、それは偽りのない言葉だった。

 いや、彼だけではない。

 

 私は全てを愛している。

 

 私が舞台から追い立てた役者(サーヴァント)たち。

 私のアドリブによって消された敵役(マスター)

 彼らが紡いだだろう宿命(Fate)を、私は愛している。

 

 しかし──いや、だからこそ。

 

「だからこそ──同時にこうも思ってしまう。違う話を読んでみたい。違う結末が見てみたいと。この生と死の螺旋の果てに、私は未知の結末を見てみたい」

 

 それが『■■■■(わたし)』の願望だった。

 それが『アルドル(わたし)』の未来(のぞみ)だった。

 

「嘆いてくれても憎んでくれても恨んでくれても構わない。身勝手だと糾弾する権利が君にはある。それだけの理不尽をやろうとしている自覚もある」

 

 だが、その上でこう言おう。

 

「全て理解()った上で──お前を殺そう。『運命(仇敵)』よ。栄えあるユグドミレニアの物語にお前は不要だ」

 

 胸に抱く感傷の全てを切り捨てて、私は魔術回路を呼び起こす。

 ガラス越しに翳した手に、まるで木の根のように幾本もの魔術回路が迸る。

 その数、驚異の百八本。

 及ぶものなど記憶の限りにおいて《弓》の異名を背負った少女しかいないだろう三桁の魔術回路は虚弱なホムンクルスを殺すに足るだけの魔力を一瞬のうちに生成する。

 

 ──指先が動く。

 

「『I(イス)』」

 

 風と水、二重属性を操る私にとってそれは最も簡単な魔術だ。

 ガラス越し、水槽に満たされた溶液が凍り付き始める。

 

「では、せめて眠るように逝くが良い。これで、私が君に向ける最後の誠意とする」

 

 やがて氷はガラス越しに生きる少年の鼓動を止めるだろう。

 私の魔力量で行使されるルーン魔術は術の巧みさや精度こそ蒼崎に譲るものの、威力という一面においては圧倒している。

 言葉は(意味)を越え、衰退(概念)に届いている。

 仮に抵抗するならば最低でも低ランクの対魔力か私と同等の魔力量、或いは天才魔術師(ケイネス・アーチボルト)ほどの魔術師としての力量が必要となる

 即ち、名も無き彼に抵抗する術など無く──。

 

「あな、た……は……なに……?」

 

「──────」

 

 ならばそれは奇跡としか言えなかった。

 或いはこれこそ運命のいたずらという奴か。

 

 目が合う。

 死に瀕し、死に向かう少年の目が。

 か弱すぎる眼差しの光は消えかけだ。

 やがて泡沫と消えるだろう。

 

 文字通り最後の、遺言となる言葉。

 嘆きでも憎しみでも恨みでも……まして怒りでさえない。

 

 それは余りにも透き通った純粋な感情(問い)だった。

 だから応えようと思った。

 誰も、今まで関わってきた学友や難敵たち、一族のカウレスやフィオレ……ダーニックですら知らない私という存在の真実を。

 

「私は異邦人(きゃく)だよ。君と同じ、名も無き読者(だれか)さ」

 

「そ……う……」

 

 そうして、少年は息を引き取った。

 そうして、運命は此処に潰えた。

 

 『■■■■(わたし)』が愛し、誰かが愛した物語を、その手で摘み取った。

 よって──。

 

「これにて、全ての準備は整った」

 

 事ここに至ればもはや聖女も止められない。

 筋書きは崩した、役者は消えた、運命は潰えた。

 ならば始まるは真実の聖杯大戦。

 異なる陣営の英霊同士が本当(・・)に殺し合う戦争、“黒”と“赤”の戦いだ。

 

「実力勝負で潰されるならばそれもまた、一つの結末。バッドエンドとて受け入れようとも。だがその上で何度でも私はこう言おう。勝つのは我々、ユグドミレニアであると。千年樹に栄光を。それが私の──主演(わたし)の意志と知れ」

 

 白い外套を翻し、培養室を後にする。

 残ったのはサーヴァントの魔力供給に耐え切れず、衰弱死した一体の名も無きホムンクルスのみ。

 他には何もない。

 

 ……一度だけアルドルは、静寂に振り返った。

 そして──二度と後ろを振り向くことなく、前を見据えて強い足取りで立ち去った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 運命の車輪が廻る──外典を外れた筋書き。

 それは主演すら知らぬ場所で動き出す。

 

「此処ならば城塞を狙うのに丁度良いか」

 

 そう呟くのは一人の女……いや少女だった。

 一見してセーラー服にも似た白いシャツにスカート、帽子(キャスケット)と上着に緑のパーカーを羽織っているその姿は現代を生きる学生の様だった。

 稲穂のような金色の髪と緑化している前髪、野性味がありつつも年頃の少女らしい端正な顔立ちは美少女と言って差し支えない程には容姿に優れている。

 

 違和感があるとすれば、彼女の帽子が何故か時折ピクリと帽子の内に何かあるように動くことと、彼女がいる場所が夜明け前のトゥリファス市庁舎の屋上であったこと──そして常人の身体能力を凌駕するだろう警備ホムンクルスとゴーレムが地面に倒れ伏していることだった。

 

 ユグドミレニアの領域でユグドミレニアが配置した兵士を昏倒させし者──該当する存在などそうはいないだろう。“赤”の陣営のサーヴァント、それが少女の正体であった。

 

「ほーん、アレが噂の敵の城か。なんだ、思ってたより脆そうだが」

 

 そして居合わせたのは少女一人だけではない。

 その傍にもう一人、青年が立っている。

 白いシャツに藍色のデニムパンツ、黒いパーカーと少女と似通った服装だが、こちらは高身長なことと本人の性格か隠し切れないラフさがにじみ出てるせいで何処か軽薄な二枚目といった雰囲気だ。

 しかし白いシャツの上からでも見え隠れする鍛え上げられた肉体とがっしりとした手足はそこらのアスリートよりも完成されていた。

 或いは休日のアスリート選手と言われても納得してしまうほどに。

 少女と同じくこちらも容姿に優れており、仮にこの場に異性が居合わせたならばさぞ注目されたことであろう──その手に槍を手にしている、という異端性を含めて、だが。

 

「しかしアレだな。肩慣らしがてら来たはいいものの、さっきのアレを見た後だと警備の雑魚を蹴散らす程度じゃどうも拍子抜けだ。いっそ、“黒”のバーサーカーがこっちに気づいてきたらもう少し面白くなっていたんだろうが……」

 

「……はぁ、ならば何故着いてきたのだ。再三私は言ったはずだ、今回はただの偵察であるとな」

 

 青年の軽口に少女は呆れたようにため息交じりで口にする。

 少女のいう通り、此度はあくまで偵察の……それも後方役になる少女自身が立ち回りやすい場所を探すためのものだった。間違っても少女とは違い、前線に赴くだろう青年には関係なく、また敵に悟られないよう隠密行動を心がけるという観点から態々、二人で行動する理由は無い。

 いや寧ろ複数行動になる分、リスクは上がってしまうことだろう。

 

「何そういうなよ。第一、女を一人戦場に向かわせるのは主義に反するのでね。ましてそれが見目麗しい少女であるなら尚の事、戦士としてエスコートするのが当然だろう?」

 

 やや格好つけて気障に言い切る青年。

 なるほど青年の整った容姿で告げられる言葉はそこらの俳優より様になっていたがしかし。

 

「ふん、であれば知らず戦いに巻き込まれたであろう町娘たちにでも構っていると良い。汝の言うエスコートとやらは私には不要だ」

 

 その魅力に堪えることなく、青年の台詞は素気無く切り捨てられた。

 本当に興味ないのだろう。

 少女の視線は一瞬でミレニア城塞の方に向き直る。

 

「つれないねえ。せっかく当代の衣装とやらも身に着けてるんだ。もう少し肩の力を抜いて現世を楽しまないのかい姐さん。そう仕事ばかりだと肩が張るだろうさ」

 

 姐さん、とは少女の事だろう。

 些か見た目から見受けられる年齢差を考えると違和感のある呼称であるが、呼んだ青年の方も呼ばれた少女の方も特に気にした様子はない。

 そのまま取り留めもない会話を続ける。

 

「そういう汝は肩の力が抜けすぎているな。仮にも敵地、気張るのは当然であろう。“赤”のキャスターの護符があるとはいえ、あの男は生粋の魔術師というわけではない。“黒”の陣営のキャスターの力量差によっては感知されてもおかしくはないのだぞ?」

 

 言ってチャラッと首元から護符とやらを取り出す少女。

 護符というよりもどちらかと言えば小さなメモ帳かそれを模したキーホルダーのような品だった。

 確かに魔力を放っているようで、護符の効果があるには違いない。

 

「なに、その時は戦士として戦うだけだ。相手が手練れっていうなら、それこそ望むところだろうよ。或いは我が肉体を傷つけうる戦士であるならば、俺から望むところだ」

 

「そうか、ではその時は汝に任せて私は引くとしよう」

 

「おいおい、そりゃないぜ姐さん。そこは私も援護するって言ってくれる所じゃないのか?」

 

「無策で敵に突撃するほど私は考えなしには付き合えん」

 

 プイッと懐かない猫のように青年の威勢の良い言い分をはね退ける少女。

 それに青年はガックリと項垂れた。

 

「やれやれ、話の分かる奴が少なくて悲しいねえ」

 

「そんなに退屈ならあの神父とでも話しているが良いし、戦いを望むのであれば“赤”のランサーとでも仕合っているが良いだろう。汝の肉体を傷つけられる、というならばあの男もそうだろう」

 

「……ありゃあダメだろ。敵として本気でやるならともかく、味方として在るなら仕合えん。槍を交わしちまうとじゃれ合う程度で済むような奴じゃあない。俺とあいつがやり合えば、必然的に本気になっちまうだろうさ。俺も、そしてあいつも。戦士だからな」

 

「ふん、そういうものか」

 

「そして神父の方だが……事の話には納得したがあいつは好かん。単純にな」

 

 神父とは、“赤”の陣営に属するシロウ・コトミネその人の事だろう。

 何やら思うところがあるのか快活な青年に口調に歯切れの悪いものが混ざる。

 

「なあ、姐さん。アンタはあの神父に何も感じないのかい?」

 

「何も感じないというわけではないが、聖杯大戦に支障を来すほどの話でもない。それにその話については汝も含め、散々神父を問い詰めたし、気に食わなかったならばあの時に射殺していた。それに、そう悪い話でもない。全人類に救済を与える──私としては全ての人類に興味はないが、救済に関しては私も賛成する所だからな」

 

「ああ、姐さんの願いは……」

 

「この世の子供たちが愛される世界……全ての人類を救うというのであればその願いは私の願いにも則している。否は無い」

 

 青年とは違い、シロウ神父への懸念を割り切ってるのだろう。

 少女は迷いのない口調で言い切る。

 しかし青年の方はそこまですっぱりと割り切れないのか、言葉を続ける。

 

「そうはいうがね。なあ、姐さんはあいつの裏切り(・・・)については気にしていないのかい?」

 

「……ああ、その話か」

 

 青年の言う裏切り、というのはシロウ神父が彼らサーヴァントに強いていた行為の事だった。

 

 ──この青年に限らず当初、少女や未だ姿見せぬ“赤”のランサー、それに“赤”のバーサーカーはサーヴァントの召喚に際して尚、姿を見せないマスターたちのことを隠れているものだとシロウ神父から聞かされていた。

 青年らが召喚された儀式場で“赤”の陣営の監督役兼司令官を任されたという男の言い分に特に違和感というものは感じられなかったし、知識として得た現代の魔術師像の記録とも一致している。

 だから戦いの指揮をシロウ神父に任せて、自らのマスターたちは工房やらなにやらに引きこもっているのだろうと、そう疑わなかった。

 

 だが先日、シロウ神父──否、天草四郎時貞と名乗った“赤”のルーラーは言った。

 既に“赤”のセイバーのマスターのみを除き、全てのマスターが今は無き“赤”のルーラーのサーヴァントであった“赤”のアサシンの毒によって正気を奪われていたということ。

 本来であれば“黒”の陣営から聖杯を奪取したタイミングでマスター権を自らに委譲し、事情を“赤”のサーヴァントらに話す予定だったこと。

 そして──自らが第三次聖杯戦争にて呼ばれたサーヴァントであり、全人類を救うために聖杯を行使しようとしているといった野望まで、シロウ神父は事の概要を洗いざらいを話した。

 

 青年に槍を首元に付きつけられ、少女に矢で狙われながらも、しかし青年は聖人のような微笑みと、修行僧のような巌の如き決意に満ちた瞳で怯むことなく野望を口にした。

 ……それに青年と少女は槍と矢を下ろした、青年も少女も思うところはあったものの、自らの願いと照らし合わせて自身を納得させ、あの男に“赤”の指揮権を渡した。

 

「汝と違って私は元より戦いを始める前から裏をかかれるマスターを主として認めるつもりはない」

 

「そういう話かねえ。……ま、過ぎた話をいつまでも引きずっててもしゃあないか」

 

 パンと一つ両手で頬を叩き、気合の一声を上げる青年。

 それで切り替えは済んだのだろう、辛気臭い表情は一変し、いつもの快活さに満ちた口調に戻る。

 

「しかしアレだな。あの神父の言葉通りに進んでいれば俺らも裏の事情を知ることは無かったんだ。そういう意味じゃ“黒”の陣営ってのも中々に痛快だな! 主犯は“黒”のランサーのマスターの……ダーニックって言ったか。良いねえ、気合の入った奴は嫌いじゃあない」

 

「その話は神父の予想に過ぎんだろう。私としては誰が犯人にせよ神父を刺し、結果的に“赤”のアサシンを屠ることとなった“黒”のアサシンの方が気になる。敵陣に堂々と踏み入って目的を達する胆力は驚異的だ。神父を謀った魔術師よりもそちらを警戒すべきだと思う」

 

「そうか? 言って所詮は隠れて背中を刺すだけの暗殺者だろう? 気を張ってれば背後は取られんだろうし、戦ったとしてもオレの相手じゃないだろうさ」

 

「ふん、些か汝は油断が過ぎるな。たとえ弱くとも、踏み込む所で踏み込むだけの気概を持ち合わせてるものは時として己の実力以上のものを発揮する、決して侮ってよいものではない」

 

「あー……すまん、それ、俺にも覚えあったわ。それ、姐さんの経験談かい?」

 

「そうだ。性根は下らない男であったが人を見る能力だけは一流だったな」

 

 そう言って青年は脳裏に神々の力を貸された状態だったとはいえ、無敵無双を誇った己の足を射抜いてみせた弱き少年の姿を。少女は生前、自身も属したある船団を率いた船長の姿を思い浮かべる。

 どちらも方向性は異なるものの紛れもない、『英雄』だった。

 

「まあでも、そういうことならいっそ気合が入るってもんだな。難敵なのは上等、敵は強ければ強いだけ楽しめるってな。せっかく聖杯大戦に招かれたんだ。強い奴とは幾らだって戦いたい」

 

「汝の戦士としての本能とやらは理解できんが、目的は忘れてくれるなよ。神父の話の通りであるならばこれで我々は当初の“赤”のアサシンの宝具とやらで大聖杯を“黒”の陣営から奪取することは出来なくなった。つまり……」

 

「真正面から連中を食い破って大聖杯を奪わなきゃならないってわけだ。何、問題ないさ。攻城戦には覚えがあるし、いざとなれば俺の足で全部抜き去って器だけ持って帰ってくるさ」

 

「……我々に直接、聖杯は触れられないはずだが?」

 

 青年の威勢の良い言葉に冷静なツッコミを入れる少女。

 魔力で実体化しているとはいえ、霊体であるサーヴァントに聖杯は触れられない。

 そんな聖杯大戦の常識とも言えることを口にする。

 

「比喩って奴だ比喩、姐さんは分かってねえなぁ」

 

「汝の言葉は冗談か本気か分からん」

 

「ヒデェ言い分だな……」

 

 再びガクリと項垂れる青年。

 何だかんだ人好きする青年と些か人と距離を置いた雰囲気を纏う少女とではとことん嚙み合わなかった。そんなやり取りをしている内に、不意に光が二人の目に刺さる。

 

「おっ」

 

「むっ」

 

 気づけば真っ黒な空に青い色が灯り始めている。

 彼方には目を焼く逆光。

 沈黙の夜を破るように小鳥の鳴き声や風のざわめきが耳に入る。

 

「夜明けだな」

 

「ああ。んじゃ、戻りますかね」

 

 言うや否や、青年はコンと手に持った槍で以て地面を鳴らす。

 すると何処からともなく三頭の馬が引く戦車が現れた。

 

「さて、姐さんも乗ってくかい……って」

 

 馬たちの手綱を握りながら青年が隣にいる少女に話しかけようとした時、既に少女はトゥリファス市庁舎から身を空中に踊らせていた。

 驚異的な脚力で跳躍した少女はそのまま家屋の屋根を跳ねていき、まるで疾風のように街から離脱していく。その背を一瞬、青年は呆然と見送ると。

 

「やれやれ、ホントつれないねえ」

 

 ボヤきながら手綱を鳴らして戦車に飛び乗る。

 ──如何な原理か、馬たちは空を蹴り、地上を駆るはずのそれは魔法のように空を駆け、少女の健脚以上の速度域で以て、同じくトゥリファスの街並みから離れていった。

 

 ……もしもの話であるが、彼と彼女がこの場にいることを知ったのならば、筋書きを操る男が居合わせたのであれば目を疑ったことだろう。

 男は全てを()っているがゆえに。

 しかし同時に予見をしていた事態だと納得もしたことだろう。やはり全てを()るが故に。

 

 確かに『運命』を知り、それを壊せる者は男しかいなかったが、世界を知り、己を知り、筋書きを書き換えることは男でなくとも出来ること。

 まして男がいるという事実が、既に全ての前提を狂わせているのだから。

 

 もはや誰の手にも制御できるものではない。

 

 異なる展開、異なる事態、異なる人物、異なる行動……。

 誰も知らぬ未知なる結末を目指して、異なる『運命』が駆動する。




「ぬははは! 愛! 愛! 正に愛!
 おお反逆者よ! お前は世界にも反逆するか!
 ならば良し!
 世を覆う圧政を共に打ち砕こうではないかッ!(熱い握手)」

「え、ええ。賛同して下さってありがとうございます……(引き)」


──とある聖人と反逆者の会話


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聖女出立/聖者暗躍

真の恋の道は(The course of true love)茨の道である(never did run smooth.)
   ──ウィリアム・シェイクスピア


 ……目を開く。

 静かに祈りに務めていた彼女は旅客機の機内放送によって自らが目的地に達したことを確信し、窓の外に広がる眼下の景色に目を落とす。

 

 彼女にとってなじみ深い中世の景色を現代に残したまま今にあるルーマニアの大地。ヨーロッパ最大規模の空港であるシャルル・ド・ゴール空港から二時間半と少しという彼女の生きた時代では考えられない速度で彼女が生きた時代では考えられない距離を走破したのだ。

 知識はあるとはいえ、鉄の翼が空を飛んでいる事実も、これだけの距離をこれだけの時間で潰してみせる現代の移動手段も彼女にとっては魔法よりも魔法だった。

 

 しかし浮かれている暇などない。

 此度の英霊としての現界──それはあまりにもイレギュラーが過ぎる。

 ただでさえ史上稀に見る聖杯戦争の規模であることに加えて、聖杯戦争の調律を司る自分が、今を生きる人間の体に宿って召喚されるという事態。

 

 加えて召喚の折に彼女の『啓示』が告げた明確な『聖杯大戦を止めよ』という『声』。その、調律者(ルーラー)の権限すら逸した役割を告げられたことも含めて彼女はより一層の違和感と警戒感を強く持った。

 

 何かあるのだ。此度の大戦には何かが。

 

「──主よ、どうか私を導き給え」

 

 少女レティシア──否、その体に宿りし者、英霊ジャンヌ・ダルクはその道行に幸いあれと信じる主への祈りを口ずさんだ。

 

 

………

………………。

 

 

「……ふう」

 

 荷物を受け取り、入国の手続きを済ませてルーラーは息を吐く。

 生前は戦場を駆けまわり、死線を潜り抜けてきた英霊たる彼女だが、此度の旅程はそれと同じぐらいに彼女に緊張を強いていた。

 なんせ聖杯より与えられた予備知識があるとはいえ、いきなりフランスからルーマニアへの旅行を、それも現代式で行うことを強要されたのだ。

 

 幸いなことにレティシアが旅費分の金銭や国外へ跨ぐためのパスポートを持っていたため何とか目的地には届いたものの、此処まで来るための諸々の手間や慣れない手続きの数々は到着後に思わず安堵のため息を吐く程度には、ルーラーを緊張させていた。

 

「とはいえ──結局旅費はレティシアのお金で賄う羽目になりましたし、これは後で聖堂教会か魔術協会に請求すべきでしょうか……」

 

 後ろめたさに陰鬱な呟きを漏らすルーラー。

 確かに旅費は一般的な大人がポンと出せる程度の安い移動費であったが、学生であり、また寮住まいである少女の財布には結構な痛手だ。

 如何に役目のためとはいえ、仮にも英霊として名を刻まれた彼女の誇りに懸けて守るべき弱者に負担を負わせたまま退去したのでは面目が無いにも程がある。

 

 ただでさえ憑依により神秘とは無関係の少女を聖杯大戦という戦いの場に巻き込んでいるのだ。それぐらいしなければ申し訳が立たないだろう。

 

「しかし、ここからどうやって移動しましょうか……」

 

 聖杯大戦の舞台はブカレストからさらに北東へ向かわなくてはならない。そのためには再びバスないしはそれに類する車両での移動が不可欠だ。

 だが調べる限りトゥリファスへの直通バスは存在しなかった。

 バスはせいぜいが隣接する街であるシギショアラまでであり、そこからは別の移動手段が必須になる。

 ならば、ここはヒッチハイクでもするか──。

 

 と、空港内に備え付けられていた案内板をルーラーが眺めている時だった。

 

「あら? 貴女レティシアさん? 珍しい所で会いますね!」

 

「え?」

 

 名前を──正確にはこの肉体の主の名を呼ばれ、振り返る。

 そこには一人の女性が旅行カバンを片手に立っている。

 茶髪に童顔、特徴的なシルクハットに丈長のドレス──その人物の姿を記憶しているのはルーラーではなく、レティシアだった。

 ルーラーは驚きつつ、その記憶が示す名を口にする。

 

「シャルロットさん?」

 

「はい、お久しぶりですレティシアさん」

 

 いつかサン=マロでも見えた女性。

 シャルロットと名乗った人物が出会った時、その時と変わらぬ笑顔で微笑んでいた。

 

「それにしても奇遇ですねー。まさかレティシアさんとこんなところで出会うなんて。貴女も旅行ですか? 場所は? やっぱりブラン城ですか? それともシナイヤ渓谷のペレシュ城ですか? やっぱり中世のお城は綺麗ですよねー」

 

 少女(レティシア)の知人に想定外の場所で出会ったことにより呆然としているとシャルロットは前と変わらずマイペースで話始める。

 

「え……あ、いや、私は観光というわけではなく……」

 

 それにハッとして、慌ててルーラーが言葉を挟んだ。

 

「そうなんですか? それならどのような用事で……?」

 

「……親戚を訪ねて来たんです。歴史の勉強も兼ねてトゥリファスの方に」

 

「トゥリファスですか? あそこはブカレストから向かうバスは出ませんけど……大丈夫ですか? 迎えはあります?」

 

 咄嗟に思いついた理由を口ずさむとシャルロットは小首を傾げながらこちらの身を案じるように問いかけてきた。

 ……無論、迎えなどあるはずもなく、このまま嘘を重ねるのもどうかと思うのでルーラーはやろうとしていたことをそのまま口にする。

 

「その……ヒッチハイクでもして向かおうかと」

 

「……ふぇ?」

 

 シャルロットが気の抜けた声を漏らす。

 こちらを見ていた瞳に心配と正気を疑う色が浮かぶ。

 

「れ、レティシアさんは今一人ですよね?」

 

「……はい」

 

「その、女の子一人でヒッチハイクで見ず知らずの人を捕まえてトゥリファスへと向かうつもりですか?」

 

「…………はい」

 

「……大丈夫です?」

 

「………………大丈夫、じゃ……ないですね……客観的に」

 

 英霊であるルーラーからすれば仮に暴漢に襲われたところで簡単に退けることが可能であるが、目の前の女性……シャルロットからすれば普通の少女であるレティシアが一人で旅行しているということに加え、ヒッチハイクで以て移動しようとしているようにしか見えないのだ。

 それが客観的にみれば、どう見られるか。目の前の女性の反応は全く正しかった。

 両者の間に落ちる沈黙。

 数秒を経て先に沈黙を破ったのはシャルロットの方だった。

 

「送ります」

 

「え?」

 

「トゥリファスまで送ります!」

 

「えええ? いや、でも……シャルロットさんに迷惑をかけるわけには」

 

「迷惑も何もあるもんですか! 女の子一人でヒッチハイク旅行なんて危ないわ心配だわで見逃せるわけありません! 第一、迷惑うんぬんでいうならば此処で貴女一人を送り出した後の私の心労の方がよっぽどです!」

 

「う……」

 

 正論だった。完膚なきまでに正論だった。

 返す言葉を見失っているルーラーの手をガシっとシャルロットが掴む。

 

「幸い私も親戚を訪ねて此処に来てるので、親戚の車があります。そちらでトゥリファスまで送るのでついてきてください。いいですか? いいですね?」

 

 正に有無も言わせぬといった様だった。

 その迫力に思わずルーラーもコクコクと頷くしかなかった。

 

「は、はい……お世話に、なります」

 

「よろしい! では行きましょう!」

 

 そうしてルーラーの手を引いて歩き出すシャルロット。

 思わぬ出会いに、思わぬ出来事だが、おかげで移動手段の確保は意図せず完了した。未だに女の子一人旅が如何に危ないかを説教するシャルロットの言葉に耳を傷めながら、ともあれルーラーは聖杯大戦開催の地へと向かうこととなった。

 

 

 

「その、すいません。ご迷惑をおかけすることになって」

 

「ん? 気にすることは無いよ。シャルロット君も言っていたが、女の子一人で危ない目に遭う方が事だからね。元々シギショアラに向かう予定だったんだ。それがもう一個先の街へ向かうことになっただけだから気にする話ではないよ」

 

 結局、シャルロットの好意に半ば強制的に乗せられることとなったルーラーは彼女の親戚であるという男性の運転する車に乗車し、トゥリファスへ向かう。

 後部座席にルーラーとシャルロット、運転席に親戚の男性という構図だ。

 

「とはいえ、ここからトゥリファスへは半日以上かかる。途中に休憩もいれつつ向かうから結構な負担になると思うけど大丈夫かい?」

 

「はい、大丈夫です」

 

「本当に? 無理しちゃダメだからねレティシアさん。気分が悪くなったりしたらすぐに言うんですよ? 宿泊代とか病院代とかはどうせパッシオ叔父さんが責任もって全額払ってくれるから気にしなくていいですよ」

 

「ハッハッハ、流石はシャルロット君。容赦がないな」

 

「おじさんには貸しがありますからね。用事にかまけている人に対するささやかな意趣返しです」

 

「んー、これは分が悪い。そういうわけだ、レティシア君。何かあればすぐにでも声を掛けてくれたまえ」

 

「はい、お気遣いありがとうございます。何から何まですいません。ホリゾンガーさん」

 

 そういってルーラーはシャルロットの親戚を名乗る人物──。

 右目に付けた片眼鏡(・・・・・・・・・)が特徴的な初老の男性パッシオ・ホリゾンガーにぺこりと頭を下げた。

 

「しかしシャルロット君の話ではレティシア君はルーマニアへは歴史の勉強をしに来たと言うそうだが、やはりアレかね? ヴラド三世のことを調べに?」

 

「ええ、そうですね」

 

 ルーマニアといえば、その歴史からその名は外せないだろう。

 護国英雄、キリスト教世界の盾、大国オスマン帝国を退けた恐怖の領主にして偉大なる英雄──ヴラド三世。

 串刺し公の異名を取り、とある小説のモデルにもされた王である。

 

 聖杯大戦がルーマニアの地で行われていることを考えれば、恐らくは“黒”と“赤”のどちらかがまず間違いなく召喚しているだろう英雄であろう。

 

「ふむ、そうなるとトゥリファスによる前にシギショアラに寄らなくて大丈夫かね? ヴラド公について調べているというならば、やはり生誕の地に寄っていった方が歴史の勉強には良いだろう?」

 

「お気遣いは嬉しいのですが、親戚を待たせてますし。先にトゥリファスの方へ向かおうかと。それにトゥリファスでも少々調べ事がありますから」

 

「そうかね? ならば良いが……正直、ここ最近のトゥリファスは物騒だからね。親戚がいるというなら大丈夫だろうが街を散策する時は気を付けたまえよ」

 

「物騒……それはどういう?」

 

 パッシオの言葉につい目を鋭くして問いかける。

 魔術の原則は秘するもの。なれども街で戦いがあれば多少なりとも違和感は生じてしまう。日常を過ごす一般人からすれば日々に生じた些細な変化は肌で感じ取れてもおかしくは無いだろう。

 ともすれば何かの取っ掛かりになるかもしれないとルーラーは思った。

 

「最近、トゥリファスの街で奇妙な騒ぎが散発してるんですよ。何でも人が襲われたーとか、謎の爆発が起こったーとか、男の悲鳴が聞こえたーとか」

 

「赤い雷を見かけた、銃声を聞いたなどという話もあったね」

 

 ルーラーの問いにシャルロットが口を挟み、パッシオもそれに付け加える。

 なるほど、どちらも事情を知るルーラーからすれば街で何が起きているかは明白だった。“黒”の陣営に“赤”の陣営。

 既にその小競り合いは始まっているということだろう。

 

「シギショアラの方でも突然人が自宅で倒れ、貧血になるという事件が起きているとも聞く。今のルーマニアは何かと物騒なのだよ」

 

 言って静かに首を振るパッシオ。

 その表情は先行きを心配する憂いに満ちていた。

 その憂いに関わる者の一人であるルーラーは思わず口を開く。

 

「……大丈夫です。貴方方のような善良な人を主がお見捨てになるはずありますせん。きっと今回の事件も一時のもののはずですから。だからどうかお気を落とさないでください」

 

「──……どうかな。私は神に愛されないから、ね」

 

「え?」

 

「いや何でもないよ。すまないねぇ。君のような少女に心配をかけてしまうとは私もまだまだ未熟だな(若いなあ)。ハッハッハ!」

 

「……よくもまあいけしゃあしゃあと。気が咎めるとかないんですねー、この人。レティシアちゃん、いいですか? こういう人は心配するだけ損ですからね。こういう人に限って実は図太い上に狡賢いですから。決して騙されないように」

 

「は、はぁ……?」

 

 軽快に笑うパッシオを傍目に、何故か半眼でパッシオを睨みつつ人差し指を立てて忠告の言葉を口にするシャルロット。

 イマイチ二人の関係が読めないが、何やらシャルロットはパッシオに対して中々に当たりが強いようだ。

 

「ふふふ、シャルロット君は相変わらずだなぁ……ともあれ、一日ばかりの旅だがせっかくの異国の地だ。運転は私に任せて今はルーマニアの景色を楽しむと良い。何か聞きたいことがあったら遠慮なく聞いてくれたまえよ。歴史の勉強のタメになるかは分からないがこれでもルーマニアの歴史には多少詳しいのでね」

 

「自業自得です……疲れたり、お腹がすいたりしたら遠慮なく言ってちょうだいねレティシアさん」

 

「はい、少しの間お世話になりますねパッシオさん、シャルロットさん」

 

 そうして一同はトゥリファスへの道のりを走る。

 

 果たして、何故このような形で己が呼ばれたのか。

 聖杯は何を彼女に調律させようとしているのか。

 

 聖女が胸に抱く疑問疑念。その全ての謎はこれより始まる聖杯大戦に関わっていくことで見えてくるだろう。

 

 

 だが、しかし──。

 

 

「外観というものは、一番ひどい偽りであるかもしれない。世間というものはいつも虚飾にあざむかれる──そうだろ? “赤”のキャスター。舞台は既に整っている。これ以上の役者は不要だよ。それについては同意してもらえると思うのだがね」

 

 今しがた『運命』を仕留め終わったアルドルはミレニア城塞に設けられた私室でふとそう呟く。その右目は淡く、そして怪しく輝いていた。

 

 

 

──『聖女出立』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 ルーマニアに根を下ろすユグドミレニアは本拠地であるトゥリファスは勿論の事、ルーマニア全域に一族を配置している。

 浅く広く血縁を広げることによって血を繋げることを選んだユグドミレニアに名を連ねた魔術師は数知れず、此度の聖杯大戦に際してはマスターやサーヴァントを援護するために多くの魔術師が街の至る所で目を光らしていた。

 

 ここ──シギショアラに配置された魔術師。

 彼女、ペメトレキスもその一人である。

 ユグドミレニア一族の一人にして、ユグドミレニアのマスターを務めるフィオレと時計塔で学び舎を同じくした彼女は諜報に特化した魔術師だ。

 

 故に彼女は街での異変やシギショアラを拠点としていると思われる“赤”の陣営の動向を探るため、日々隠密活動を行っていた。

 今日もまた、彼女は聖杯大戦が始まってより日常となりつつある、夜の調査に乗り出そうと礼装を取り出し、入念な準備をし、下調べで作り上げた調査リストを手にして、いざ敵サーヴァントやマスターと遭遇しても逃げられるような万全な態勢を整えてから自室を後にする。

 そして、いつもの通り、扉を開けて自宅を後に外を出ようとして──。

 

 後頭部に強い衝撃を受けたと自覚した瞬間、その意識は闇へと沈んでいった。

 

「……仕方がないとはいえ、気が咎めますね。全く」

 

 バタリと倒れ伏したペメトレキスを見下ろして、彼女の意識を奪い去った少年、シロウは困ったように手首を鳴らす。

 自身の身元引受人となった言峰璃正、彼の操る体術から学んだ術理をこのような闇討ちに使うのもそうだが、敵とはいえ、これから行うこともシロウにとって気を咎めるに値することだった。

 

「これも我が野望のため……というには些か、卑しいような気がしますが……失礼、お嬢さん」

 

 そういってシロウは倒れた女性の手に触れる。

 

「回路、接続」

 

 瞬間、倒れた女性の顔が苦痛に歪む。

 当然だろう。魔術回路を通して自身の魔力を吸い出されているのだから。シロウは女性が死なない程度の……女性が保有していた魔力の七割ほどを略奪したのち、倒れた女性を抱えて運び態々自室のベッドに寝かせてから戻る。

 

「……やはり、あまり気分が良いものではないですね。足軽の略奪でもないでしょうに」

 

 サーヴァント、“赤”のルーラーとして立ち戻ったシロウだが、生身を失った代償として彼は自らの身体を維持するために魔力を必要としていた。

 幸いクラス・ルーラーのお陰でマスターというこの世の楔をある程度、必要としないままでも問題ないが、如何せん魔力の方だけは何とか都合を付けなくてはならない。

 そこで彼はシギショアラに蔓延るユグドミレニア一族の魔術師たち、それを襲うことで自らの魔力を補っていた。

 

 しかしそれは傍から見れば夜盗や盗賊のそれだ。

 仕方が無いこととはいえ、自らの行いはシロウにとって個人的に嫌な記憶を脳裏に思い描かせる。

 

「それは生前の経験ですかな? マスター」

 

 シロウの独り言に反応するように、彼の隣に光の粒が収束し、一人の人間の姿を形どる。中世ヨーロッパ風の洒脱な衣装に身を纏った伊達男である。

 彼はまるで舞台役者のようにバサリと衣服を翻し、

 

「『物事によいも悪いもない。(There is nothing either good or bad,)考え方によって良くも悪くもなる。(but thinking makes it so.)』──ここは敵の魔術師の数が一人減ったと前向きに捉えてはどうでしょう! マスター!」

 

「キャスター、ついて来たのですか」

 

「ええ! それは勿論! “赤”のアサシンを亡くし、計画を潰され、追い詰められたマスターが如何にしてこの逆境を乗り越えるか……そんな面白いことをこの吾輩が見逃すわけには参りませんからなァ!!」

 

 それはいっそシロウに対して侮辱していると取られかねない言い分であったが当のシロウといえば困ったように息を漏らすのみだ。

 なんせシロウは知っている。この英霊が悲劇にしろ喜劇にしろ常に劇的な展開を求める性分であり、この聖杯大戦と呼ばれる物語のためであれば自分のマスターを裏切ることも、早すぎる同盟サーヴァントの脱落をも平気で受け入れるどころか手を叩いて喜ぶ酔狂人であることを。

 

 しかしそれもある意味当然だろう。作家という酔狂人の中でも世界屈指の知名度を誇る酔狂人──ウィリアム・シェイクスピアともなれば、その酔狂さは狂人のそれと紙一重。天才にとって倫理観やら良識などと言ったものは邪魔な虚飾にしかなり得ないのだ。

 

 シロウは苦笑しながら口を開いた。

 

「そう焦らずとも開戦はもう間もなくです。こちらの準備は済ませましたし、城攻めの手筈も整いました。後は動きが不明な“赤”のセイバーに伝言を届けたのち、大聖杯奪取に取り掛かります」

 

「おお! 遂に始まるのですね! 我がマスターが挑む前人未到、苦難にも満ちた道程が! まさに『生きるべきか、死ぬべきか。(To be, or not to be:)それが問題だ(that is the question.)』!」

 

 有名なシェイクスピアの名言を本人から聞きながらシロウは頷いた。

 

「まあ、そうですね。事ここに至ってはもはや小細工を抜きにして正面から挑むしかないでしょう。幸いにもこちらのサーヴァントは何とか引き入れることが出来ました。“赤”のランサーの方も……取りあえずは協力して下さることでしょう」

 

 “赤”のライダーや“赤”のアーチャーが裏切りの事実とマスター交代を受け入れる中、今なおも令呪があることと、魔力の繋がりがあることを理由にマスターへの忠義を立てつづける“赤”のランサーとは事によってはいずれ激突しなくてはならなくなるやもしれないが、ひと先ずは“黒”の陣営を討伐するまでは協力関係を築くことができた。

 “黒”のアサシンによって遭遇すること叶わなかった“赤”のセイバーとそのマスターも先日の“黒”のバーサーカーとの小競り合いのお陰でようやく居場所を突き留め、伝言を飛ばすことができた。

 

 既にサーヴァントを一騎失っている上、シロウの計画を台無しにされたものの、ひと先ず出来る限りの立て直しは済んだといえよう。

 

「それにルーラーに返り咲いたことで得るものもあった。……前回からの残りですので数は五画ですが、残る二つと合わせれば七つ……十分でしょう」

 

 そういって視線を落としながら両手を眺め、握りしめる。

 元より全てが万事自身の計画の通り、上手くいくとは思っていない。些か想定外が重なりすぎたが、だからといってそれらはシロウの足を止める理由にはならない。障害があるなら打ち砕き、邪魔が入るなら排除しよう。

 

 ──全ては人類救済のために、あの日見た地獄を胸にそう誓ったのだ。

 

「それでキャスター。勝手に私の跡を付いてきたことはともかく、頼んでいた仕事は終わりましたか? こちらは貴方の用意が準備が完了次第、仕掛けようと考えていたのですが……」

 

「おっと、そうでしたか! 失礼。吾輩、マスターの行動を気にするばかりに出来高およそ八割といった処で出てきてしまいました。やはりアレですな! 作家として締め切りがあれば破りたくなってしまうのはもはや本能としか言いようがない! 即ち『時というものは、それぞれの人間によって(Something as time runs by respective)それぞれの速さで走るものなのだよ。(speed by the respective man.)』」

 

「……キャスター」

 

「大丈夫ですぞ! そう疑いの眼差しを向けないで下さいマスター! 明日には! 明日には必ず仕上がっているはずですからな!」

 

はず(・・)では困るのですが……まあ貴方を信じましょうか。聖杯大戦という物語を切望している貴方が開戦の時が遅れることを容認するとは思えませんしね」

 

「おっとこれは随分と歪んだ信頼感を向けられた感じですな! しかし否定が出来ないのが苦しい!」

 

 シロウから向けられるジトッとした視線に、“赤”のキャスターは相変わらず劇がかった大仰な様で自身の胸を押さえて苦しむ様を表現する。

 如何にも胡散臭いが、“赤”のキャスターの性格を考えれば、本人の言う通り作業が完了するまでそう時間は掛からないであろう。

 

 困った男ではあるが人生を物語に注ぐほどの情熱だけあって、信頼できないが故に信頼できる。良くも悪くも、だが。

 

「と、すると残る懸念材料は“黒”の陣営の動きですね。今のところ“黒”のバーサーカーを派兵した以外、目立った動きは見られませんが……」

 

「ふむ、例の魔術師殿ですかな? マスターの脚本を破ったという」

 

「ええ。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。てっきり私を殺害したと考えているあの男が何か動きを見せると思っていたのですが……」

 

 白昼堂々、“黒”のアサシンを敵陣に一人送り込むという大胆不敵さであわやシロウを殺しかけた“黒”の陣営。

 その首魁にして首謀者と思われるダーニック。

 実のところ、シロウは本当にダーニックが暗殺を計画したのか疑いつつあった。何故ならば……。

 

「仮に第三次から私が生き残ることを把握していて“黒”のアサシンを派遣したというならば狙いは恐らく私が持つ聖杯戦争の情報やルーラーとしてあった頃の能力を警戒してのものでしょう。単に一人のマスターを殺す為ならば敵陣に単独で踏み込ませるなどと言った危険な真似をするなどリスクとリターンが嚙み合わない」

 

 そう──あの時、あろうことか“黒”のアサシンは文字通り全てのマスターが揃っていた本拠地たる教会を狙ってきた。

 暗殺に失敗していれば即座に複数のサーヴァントに袋叩きにされかねないほどの敵地にあの男は“黒”のアサシンを失う可能性を受けてまで、暗殺に乗り出してきたのだ。その戦果が一人のマスターを殺すことだけ──では収支があまりに見合わない。

 ゆえにこそシロウはもはや敵に自身の正体がバレていることを疑ってはいなかった。だが──。

 

「それはつまり、あの時点であちらはこちらの行動を把握していたことになります。マスターの位置も、我々の存在も。だとすれば──」

 

「そもそも“黒”のアサシン単騎を派兵するまでもなく、“黒”のセイバーやら“黒”のランサーなりの宝具で拠点ごと吹き飛ばしてしまえば良かった。ええ吾輩としては実につまらない可能性ですが……」

 

 神秘の秘匿は大原則だが、此処は彼らの本拠地ルーマニア。

 仮に街で教会が吹き飛ばされるような騒ぎがあっても言い訳は幾らでも効くだろうし、そもそもその時点で聖杯大戦に完勝している。

 聖杯を手にした彼らが果たして時計塔の権力を恐れるとは思えない。

 

「こちらのサーヴァントによる抵抗を警戒した可能性もありますが、完全なる不意打ちを出来る立場にあって、果たしてそれが警戒する要素に成り得るかどうか」

 

 なるほどこちらには大規模な破壊をも防ぐ手段が確かにある。

 例えば“赤”のライダーはそういった宝具を有しているし、『庭園』が完成していなかったとはいえ己が陣地である“赤”のアサシンもまた防御手段というのであれば持ち合わせはあった。

 しかしそれは攻撃が来ると分かってることが前提。あの完全なる不意打ちが決まったタイミングで大規模な宝具を一騎、ないし二騎で放っていれば、こちらは防御する間もなく全滅していた可能性があるのだ。

 

「まとめて一網打尽にするチャンスがありながらただ一人マスターのみを狙った。確かに違和感のある話ですな。ではマスターは敵が何故、態々マスターのみを狙ったのか、その答えをお持ちで?」

 

「……一つの可能性の話です。あるとすれば一つ、敵は“()のアサシンしか(・・・・・・・)動かせなかったのではないか(・・・・・・・・・・・・・)と。もしくは他の“黒”のサーヴァントを動かすのに都合が悪い状況ないしは事情があったのでは、と」

 

「ほほう、それはそれは」

 

 だとすると、またも可笑しな点がある。

 敵はダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。“黒”の陣営の首魁を務めるはずの男だ。そんな男が果たして“黒”のアサシンしか使えない状況や他のサーヴァントの援護が期待できない状況に陥るだろうか。

 

「ではマスターはこう考えているのですな。犯人は別にいる! と!」

 

「ええ。仮に私を知っていたならば、一族に周知し協力を促す程度、出来ていてもおかしくはないはず。それが敢えて単独で行動を起こしたというのであったならば、単独で行動を起こすしかない立場にあったということです」

 

 この予想通りならば少なくとも容疑者からダーニックは外れる。

 一族の王である彼に逆らうことなどユグドミレニア一族の誰にもできない。

 そしてだとするならば、此度の犯行は「シロウという存在の危険性を知り」「“黒”のアサシンを動かせる立場にあった存在」。

 即ちは──。

 

「“黒”のアサシン、そのマスター。恐らくは彼ないし彼女が単独で立てた計画だったはずです」

 

 であればシロウ殺害後に何らアクションが無くても可笑しくはない。

 何せシロウを暗殺した時点で敵のマスターの目標は達せられている。

 同時に単独で動いているとするならばユグドミレニア一族が反応しないのも当然の事。恐らくユグドミレニア一族は単独犯の行動を把握していないのだ。

 事を起こした本人以外、一人のマスターが脱落した事実を知らぬまま七騎対七騎の戦いが始まることを予見しているはず。

 

「これはこれは……また面白くなってまいりましたな! 一枚岩と思われた“黒”の陣営、ユグドミレニア一族とは思惑の異なる単独犯の可能性! 大胆不敵に敵陣に踏み込み、我らがマスターを襲う! なんともや実に盛り上がる展開ではありませんかッ!! 『楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ(The labor we delight in cures pain)』!」

 

「できれば苦悩は少ない方が良いのですが。まあでも……」

 

 これより挑む数多の聖者らや偉人が挑んだ人類救済への道のり。そこに障害が生じないと考える方があり得ないだろう。

 救世主が行く道のりは常に試練が付き物だ。

 主は人を試される。

 

「であれば、これも主が我々に与えてきた一つの試練、一つの運命なのでしょう。ならば私は見事この試練を乗り越え、聖杯を手にするのみです」

 

 全ては──全人類の救済がため。

 例えどれほどの戦慄が待ち受けていようとも、その両足が止まることなどあり得なかった。

 

「では戻りましょうかキャスター。今晩にでも貴方には準備を完了していただき──明日の夜、“黒”の陣営の城攻めを開始します」

 

「おお! いよいよですな! 果たして如何なる喜劇か悲劇を見ることが叶うのかッ! 吾輩高ぶってまいりましたぞッ!」

 

 暗躍する“赤”の主従は夜の闇に消えていく。

 既に運命の車輪は回り始め、物語(サーガ)は幕を上げた。

 機は既に熟しつつある。

 

 ──激突の日は近い。

 




「さあさあ! レティシアさん! 遠慮なくジャンジャン食べてくださいね! まだ学生さんなんですから、きちんと食べなきゃ大きくなりませんよ! お金に関しては気にすることはありません! パッシオ叔父さんが払ってくれますから!」

「はい、ありがとうございます! 全部おいしいので残さず頂きたいと思います。主よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事を頂きます」

「ふむ、果たしてどこまで持つかね。私の財布は……」


──とあるレストランでの会話


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王の間に集う/墓場での遭遇

「兵は謀を伐つ」

   ──孫子


 ミレニア城塞──王の間。

 ユグドミレニア一族が遂に全てのサーヴァントを揃え、“赤”の陣営も動き出し始めてから既に三日の時が過ぎた。

 当に開戦したにも拘わらず未だ状況は小競り合いに留まり、会敵した相手も“赤”のセイバー一騎のみという状況である。

 

 これを単に嵐の前の静寂と取るか、或いは“赤”の陣営が“黒”の陣営に臆していると取るか……何にせよ基本的に『構え』の陣を取るしかないユグドミレニアにとって全ての勝負は“赤”の陣営が攻め込んできてからだろう。

 

 しかし、だからといって何もしないのは単なる怠慢である。状況が動かないのであればありとあらゆる事態を想定しながら常に変状に備える。

 正午の食事を済ませた王の間にはその気概を持つ油断や慢心に遠い魔術師たちとサーヴァントが集っていた。

 

「“赤”のセイバーとの交戦から一日──敵の動きはどうなっている? ダーニックよ」

 

 眼下に集った魔術師(マスター)とそのサーヴァント──アルドルとフィオレ、ケイローンと暇を持て余した“黒”のキャスターを傍目に居城の主、“黒”のランサーことヴラド三世が口を開いた。

 

「ハッ、使い魔や敵陣営の工作員と思われる者たちに多少の動きは見られますが、他に目立った動きは見られません」

 

「そうか」

 

 ダーニックの報告を聞きながら玉座に悠々と腰かけ、顎に手をやってヴラド三世は思索に耽る。

 此度の聖杯大戦、七騎対七騎という空前絶後の聖杯大戦が幕明けてから未だに敵陣営の全容は見えず、判明したのは“赤”のセイバーただ一騎のみ。

 陣を構える“黒”の陣営に対し、“赤”の陣営はその目的の都合、基本的には攻城戦となるだろう。

 

 古今、敵にとって自陣かつ優位な状況が築かれた城というものを攻め落とすのは極めて困難であり、その攻略には綿密な計算と時間が必要となる。そういった意味では状況に変化なしという現状は敵が攻めあぐねていることを意味するとも捉えることが出来るだろう……だが、果たして本当にそれだけと言えるだろうか。

 

 君主として人民をまとめ上げ、自らも前線に立った経験を持つヴラド三世の直感は“赤”の陣営の沈黙を「不気味」と捉えていた。

 故にこそ彼はこの「不気味」さに対して悠然と身構えるだけを良しとはしない。何せここには生前得られなかった頼るべき臣がいる、将がいる。

 

 だからこそヴラド三世は躊躇いなく生前得難かった頼るべき人材を活用する。

 

「さて賢者に御子殿よ、今の状況をどう見る?」

 

「そうですね……」

 

「あー……」

 

 ヴラド三世に問われたケイローンは数瞬の思考を経て、“黒”のキャスターはボリボリと後頭部を雑に掻き、それぞれ発言する。

 

「実際に攻めあぐねているというのがやはり大きいのではないでしょうか? こちらは城は元よりトゥリファスの街自体も“黒”の陣営にとって優位な状況が築き上げられています。確かに敵にも強力なサーヴァントが付いているでしょうが、それでも敵陣に攻め込むのはそう簡単ではないでしょう」

 

「……ま、サーヴァントが守りを固めた城に対して攻城戦ってのは難しい話だわな。現代魔術師には神秘の秘匿って義務もあるみてぇだし、街で奇襲上等の遊撃戦をやってやろうってのも難しいだろ。狙撃や魔術みたいな遠距離攻撃もそれこそ結界でゴリゴリに固められたこの城相手じゃ意味をなさねえ。仕掛けるにしてもまずは仕掛けを施す()を見付けてからなんじゃねえのか?」

 

 ケイローンは事実に基づく考察を立て、“黒”のキャスターは経験に基づく考察を口にする。それにヴラド三世は頷き、次いで今度はマスターらの方へ水を向ける。

 

「では魔術師から見てどう考える? ユグドミレニアの後継者たちよ」

 

「概ね彼らの言う通りだと考える。現代においても攻城戦……守りを固めた相手への攻勢には相手陣営に対して三倍ほどの戦力差が必要となるのが常識だ。まして“黒”のキャスターによる結界とユグドミレニアが粋を結集した魔術防護、そこに加えて情報不明のサーヴァントらが待ち受けているともなれば、如何な魔術協会とはいえ無策で手を出すことは出来ないと判断できる」

 

「……私もアルドルに同意見です。我々“黒”の陣営にとって“赤”の陣営のサーヴァントたちは未知数ですが、それと同じように彼らにとっても我々のサーヴァントは未知数の存在ですから。アサシンを使ってマスターである魔術師を狙おうにもまさか敵陣営の懐にたった一騎でアサシンを潜入させるだなんて無謀もできないでしょうし」

 

「ふむ……確かに」

 

 ヴラド三世に対してアルドルは現代の常識で以て答えを返し、フィオレもそれに追従する。──尚、フィオレの発言にアルドルは少しだけ微妙な顔をしたのには誰も気づかなかった。

 

「皆の意見はよく分かった。余としても攻めあぐねているという点に関しては同意見だ。ではそれを踏まえて状況をどう見る? いや、“赤”の陣営はどう動くと考える? 我らが構える難攻の城に“赤”の陣営は如何様な攻勢を仕掛けられるか」

 

 次いで問われたヴラド三世の言葉に真っ先に答えたのはやはりギリシャ神話の賢者として名高いケイローンだ。

 

「考えられるとすればミレニア城塞の森林部からの攻めでしょう。何をするにしてもまずは敵戦力の把握が急務です。まさかいきなり全面攻勢とはいかないでしょうから斥候に特化したサーヴァント……もしくは足の速いサーヴァントで攻めかかりこちらの反応を窺うということが考えられます」

 

 攻城戦における攻撃側の着眼点として重要になってくるのはやはり敵の戦力を正確に把握することである。未だに相手陣営に“黒”のバーサーカーと、ルーマニアという土地柄から恐らく真名を把握されているだろう“黒”のランサーことヴラド三世を除けば、敵は“黒”の陣営のサーヴァントの大半を知らない。

 

 特に全騎最優と名高い“黒”のセイバーや三騎士の一角である“黒”のアーチャーの存在も不明である以上、まずは敵に対して様子見の攻勢を仕掛け、そこから得た状況を元手に本格的な城攻めに取り掛かる──。

 

 賢者としての知見からまず以て彼は常識とされる部分から考察する。

 

「そして仮にそのように攻めてくるとしたならば敵の狙いは敵戦力の把握、攻め方に対する我々の備えと反応の観察、それから守りに際して防御ないしはそれに則する魔術や宝具といったものを有しているかも見極めに掛かってくるやもしれません。或いは敵方に攻城に類する宝具があるならば特に」

 

「確かに城丸ごと粉砕できるような宝具があるとすればこっちがどれだけの守りを持っているかは確認したい所だろうよ。あとはそこのアーチャーが言う森からの攻めだけじゃなくて色んな方向から攻めかかることで迎撃範囲を確かめるって手もあるわな。あわよくば戦力を分散進撃、良い感じに相手の手が広くなったところで一気に城を宝具でズドン、ってのもよくある手だろ」

 

 ケイローンの発言に、さらに“黒”のキャスターが付け加える。元よりケイローンが様々な知見から多くの知識を持っているのに対し、“黒”のキャスターはそのクラスに対して戦場を渡り歩いてきたという異例な経験を持つ術者だ。

 数多の戦闘経験から彼は自身ならどう動くかを想定して敵の戦術を組み立てる。

 

「まあ、その場合様子見と見せかけていきなり仕掛けてくるってのもありだな。敵の宝具次第じゃあ初撃でこっちの守りを全部引っぺがすことが出来ても可笑しくはない。例えばあの“赤”のセイバーとかうってつけじゃねえか? あんな馬鹿すか雑に魔力放出してんのを見るに、宝具も大方その類いだろうよ」

 

「確かに、“赤”のセイバーの様子を見るからに対軍ないしは対城宝具を有している、というのは考えられる話ですね。“赤”のセイバーで一気に我々の守りを破り、他六騎で一斉に攻めかかる……考えられる話です」

 

「だろう?」

 

 サーヴァントにとって切り札とされる宝具だが、その宝具にもランク付けのようなものが存在する。その多くは対人、対軍といった自己強化や敵個人に対して害を与えるもの、もしくは複数の味方、複数の敵に働きかけるといった一騎当千の英雄らしいものに占められるが、その伝説によってはそれ以上の大規模破壊宝具……対城宝具といったものも存在している。

 過去には対界などといった世界そのものに干渉する規格外の規模を誇る宝具が存在した例もあるが、そこまで来ると戦術はどう防ぐかよりもどう使わせないかにシフトさせることになるので、また別の話になってくる。

 

 ともあれ今は城の守りごと粉砕可能な大規模破壊宝具を念頭にケイローンと“黒”のキャスターは考察を深めていた。

 

「キャスター。逆にそういった前線での動きを利用して、我々ユグドミレニアの魔術師を狙ってくることは考えられないか? 仮に対城ないしそれに比する大規模破壊宝具でこちらの守りを削ぎ、全面攻勢を仕掛けてきた場合、こちらもやはり全軍を派兵する勢いでなければ太刀打ちできまい。そうした場合、敵アサシンによるこちら側のマスター暗殺などは考えられないだろうか?」

 

 そう発言するのはやはり“黒”のアサシンのマスターであるアルドルだった。自身がアサシンのマスターであり、亜種聖杯戦争においても多くのアサシンを運用してきた観点から彼は前線をオトリとした後方攪乱を想定した。

 

「攻城宝具の仕様次第でもあるが、それに関しちゃ問題ねえだろ」

 

「根拠は?」

 

「外の守りが剝がせても中の守りはって奴だ。確かに対城宝具でも放てば外の結界なんかは破壊できるだろうが城内に仕込んだ仕掛けまでは砕けないだろう。今の俺はキャスターなんでね、そこら辺の仕事は抜かりない。そんで、仮にそっちを攻略され切ったとしてもそん時までには確実に俺が気づく。侮るつもりはないが、たかだか暗殺者程度に後れを取るこたねぇよ」

 

 それは魔術の腕だけではなく、実力にも自信があるからこその発言であろう。此度の聖杯戦争において“黒”のキャスターとして呼ばれた彼だが、本来彼が最もその実力を発揮するのはランサーのクラス。

 つまり元々“黒”のキャスターは前線で戦うことを得手とするサーヴァントなのだ。寧ろ“黒”のキャスターとして呼ばれていることの方が異例といっていいほどに。

 

 そういう意味では元来、正面戦闘を得手とする彼が暗殺者風情に遅れは取らないという趣旨の発言をすることに彼を知る“黒”の陣営は誰も違和感を覚えなかった。

 

 ただ多くのアサシンを運用してきたアルドルだけは重ねて問う。

 

「無論、キャスターの実力は私も把握している。が、アサシンの中には対人に特化した逸材も存在する。過去、私が運用したアサシンの中にも武芸の達人であった暗殺者がいた。その者は攻勢に移っても破られない強力な気配隠蔽スキルを有した上、三騎士のセイバーやランサーといった者たちにも見劣りしない武芸者であったが……それでも問題ないだろうか?」

 

「どんな暗殺者だそりゃあ……あー、そこまで行くと槍なしじゃあちとキツいが持たせるだけならどうとでもなるだろ。少なくとも増援が来るまでは粘ってやる」

 

「なるほど……その場合は状況次第で“黒”のセイバーや“黒”のランサー……ヴラド公に動いてもらえば問題ない、か」

 

 それで納得したのか、アルドルは頷いて口を閉じた。

 

「サーヴァントの動きも気になりますが……おじ様、マスターの動きはどうでしょう? “赤”のセイバーのマスターである獅子劫界離を除けば、未だに動きは見られませんが、“赤”の陣営のサーヴァントの動きに連動して何か仕掛けてくる可能性は考えられないでしょうか?」

 

「確かに王やアーチャーらにサーヴァントの警戒は任せられるとして我々はそちらも考えねばならんな」

 

 フィオレの発言は敵のサーヴァントではなく敵のマスターに焦点を当てたものだ。彼女の言葉を聞いて沈黙を守っていたダーニックが口を開く。

 

「キャスターがいる以上、敵アサシン同様“赤”のマスター自身がこちらに乗り込んでくる可能性は低いだろう。こちらはホムンクルスによる魔力の代替が可能だが、向こうはサーヴァントに対する魔力供給と使用する魔術両面を考えながら戦う必要がある。魔術師自身が前線に出てくることは先の“赤”のセイバーのマスターのように斥候行為や街での活動中でのみとなる。こちらから打って出ない間は魔術師を脅威と捉える必要は無いと私は考える」

 

 それは経験豊富なダーニックらしい冷静な言葉だった。彼の言う通り、戦線が基本的に攻城戦を主体として動くのであればサーヴァントの主たるマスターが出来ることは早々にない。

 まさかマスター自身がサーヴァントを相手取るなどということは不可能なので基本的に魔術師が動くとすればそれは対魔術師を想定した戦いに限られるだろう。

 

 しかしこうしてユグドミレニアのマスターが城に引きこもっている以上、向こうのマスターがこちらのマスターを直接叩くには城に直接乗り込むのが必須。そんな無謀は当然できるわけがないので当然、マスター自身が攻めに加わってくる可能性はまず以て無いといえよう。

 

「こちらに攻め込んで直接打ち果たすより、逆にこちらに向こうの居場所を知られて攻め込まれる方が事だからな。まとまって行動しているのか、或いは“赤”のセイバーのように個々で動いているのかは不明だが、向こうとしては攻めるより寧ろ魔術師としての活動の痕跡を消すことに終始するだろうな」

 

「なるほど……」

 

 ダーニックの説明を聞いて納得したようにフィオレが頷く。

 

 そしてその質問を最後に、あらかたこの場に集う全ての人物が発言を終えたのを見計らい、ダーニックはヴラド三世に目配せをし、ヴラド三世もまた一つ頷いて締めの言葉でこの場を閉じる。

 

「うむ。諸君らの意見、大変参考になった。余から礼を言わせてもらおう。諸君らのような生前は得られなかった頼るべき臣がいることは余にとってこの聖杯大戦における最大の幸運と言えよう──既に戦いの幕は上がっている。今夜か、明日の夜にでも敵は本格的な攻めを見せてくるだろう。努々油断せぬよう諸君らも務めて欲しい。勝利を掴むのは余と我がマスターたるユグドミレニアが率いる“黒”の陣営である。今後も諸君らの活躍に期待する」

 

 そう言ってヴラド三世は薄い笑みを浮かべて言い切り、玉座の間より消えた。

 それを契機に各マスター、サーヴァントらも各々がそのまま雑談にまたは私室へと戻っていく。

 

 その最中──。

 

「ダーニック」

 

 アルドルは解散したその場でダーニックに声を掛けていた。

 相変わらず感情の読めない鉄面皮の親類にダーニックが応じる。

 

「アルドルか、どうした? 私に何か用か?」

 

「ああ、次の戦いの話だ。戦況にもよるが──私の一時戦線離脱の許可を頂きたい」

 

「……ほう?」

 

 その言葉にダーニックは目を細める。

 

 ──確かに聖杯大戦における戦場の花とはやはりサーヴァント同士の激突である。だが、はき違えることはなかれ。これは戦争(・・)なのだ。

 

 来たる戦の足音を聞きながら『先祖返り(ヴェラチュール)』は最後の王手をかけるべく、千年樹の主に一つの献策を持ち掛けた──。

 

 

 

 ──『王の間に集う』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「暇だ」

 

 ボソリと寝袋に身を包みながら仏頂面で呟く小柄な人影が呟く。

 そして間をおいて応えがないと見るや立て続けに呟く。

 

「あー暇。ちょー暇。暇だなー」

 

「………」

 

 その声、その口調……聞く者が聞けばそれは小柄な矮躯の鎧騎士“赤”のセイバーその人を思い浮かべるだろう。

 実際、件の人物は“赤”のセイバーその人である。しかし、その中身たる人物の正体……それは紛れもなく少年、いや少女のそれであった。

 

 やや色素の薄い金髪を雑に後ろで束ねて、纏う衣服は現地で手に入れたであろうチューブトップという出で立ち。秋だというのに大胆に腹部を晒す様は傍から見て寒そうだと感じるほどの薄着だ。普段は赤いレーザージャケットを羽織ってるものの、此処が彼らが拠点とする『工房』とあって、寛ぐ為に脱いでいる。

 

 少女は、“赤”のセイバーは自身の発言にも無視を決め込むマスター……獅子劫界離に対し、遂に業を煮やしたように叫ぶ。

 

「だッー! 何かないのかマスター! こうもねぐらに引きこもってるだけじゃあ暇で暇でしょうがない! このままじゃモグラに成っちまう……!」

 

「……仕方ねえだろ。動くにしてもあの城の攻略は必須だ。とはいえ七騎のサーヴァントが構える居城に俺たちが単独で乗り込んでどうするよ? 例の“黒”のバーサーカーでアレ(・・)なんだぞ? お前さんの実力なら或いは二対一でも戦えるんだろうが七対一は無理なのはお前さんだって分かるだろ」

 

「けどよう、陰気な場所に引きこもっているだけだと暇で暇でしょうがない。大体なんでねぐらが地下墓地(カタコンペ)なんだよ。あり得ねえだろ、マジで」

 

「……それを死霊魔術師(オレ)に言うかね、お前さん」

 

 魔術師はその活動をするにあたって自らの魔術の研究や拠点を構えた何らかの活動を行うために自らの『工房』を作り上げる。

 主にその条件としては魔術の使用が露見しないよう人目に付かないことと、魔術行使に都合が良い場であること……つまりは良質な霊脈があることなどを条件に自らの『工房』を構える。

 

 獅子劫たちもその例にもれずトゥリファスに『工房』を構えている。但し場所は街中ではなくその外れ……かつ地下に設けられた地下墓地である。

 無論、獅子劫が死体と接することを旨とした死霊魔術師(ネクロマンサー)であることを考えれば、当然かつ最良とも言える選択であるが、理屈が通るからと言って感情は別だろう。

 

 果たして寝袋一つで薄暗い地下墓地に死体を横に寝食ともにしろと言って納得するかと言われれば、少なくとも“赤”のセイバーはこの通りだ。

 

「なぁ、もういっそこのままならオレ一人で街に遊びに行っててもいいか? これじゃあ鬱になって戦う前に退去しそうだ」

 

「あーもう、分かった、分かったよ。どうせ一人じゃ堂々巡りだしな、そんじゃあ俺を手伝ってくれ。もちろん、聖杯大戦に関して、だ」

 

「お、なんだ?」

 

 まるで構って欲しいと強請る娘に応じる父親のような態度で獅子劫が頭を抱えて“赤”のセイバーに向き合うと、途端に目を好奇心に輝かせて応じる“赤”のセイバー。

 我がサーヴァントながら現金な奴である──そう思いながら獅子劫は口を開いた。

 

「話の前に一つ、セイバー。お前さんは仮に戦うとしたら何処がいい? 遮蔽物の多い街か? それとも広い平地か?」

 

「んー、そりゃあまあ平地だな。ちょっと前にマスターには説明したが、オレの真の宝具は対軍宝具だ。遮蔽物がないならないだけ思いっきり放てて威力も出る」

 

「なるほど……因みに、だ。お前さんの宝具でミレニア城塞を攻撃するとしたら城を破壊することは可能か?」

 

「あの城か? あの程度の城なら破壊するだけならどうとでもなる。少なくとも城を破壊するだけならな」

 

「じゃあキャスターないし、他のサーヴァントが守りの宝具を敷いている場合はどうだ、こっから見てもあの結界は中々のモンだぜ」

 

 そういって獅子劫は調査によって作り上げたミレニア城塞の外観図を指でなぞる。

 調査の結果、獅子劫は城外に張り巡らされた結界は二重構造、探知と防御の組み合わせであることと、それがルーンや北欧の魔除けの魔術を基盤とした大規模な結界であることを見抜いていた。

 特にルーンの方は恐らくキャスターの仕事だろう。対宝具をも想定したであろう大結界は恐るべきことにAランクの宝具すら防ぎきって見せるほどの強靭な魔力防護を誇っている。

 

「それでも、だ。マスター、オレの宝具を侮るな。それは侮辱と取るぞ」

 

「そういうつもりじゃねえよ。俺は魔術師だからな、時にお前さんの誇りを置いても冷静に判断しなきゃいけねえ。そこんところは分かってほしいがね」

 

「……チッ、わぁってるよ」

 

「んじゃあ次だ。仮にお前さんの宝具で城の守りを粉砕したとしてだ。その後、お前さんはどの程度戦える?」

 

「宝具を使った後? ……普通に戦うだけなら問題ねえよ。だけど宝具ってのはマスターも知っての通り使った後は魔力も含めて相当に消耗する。宝具撃った後に連戦ってのは流石のオレもちとキツい」

 

「だよなぁ……」

 

 サーヴァントにとって宝具は文字通りの切り札である。真名解放し、一度発動すれば強大な戦果を得られるが、反面消耗の方も絶大だ。

 まして“赤”のセイバーの宝具は出力換算してA+を数えるほどの強力な対軍宝具。使用すれば並のサーヴァントは粉砕することができるが、使用後は魔力は当然のこと体力も相当に消耗する。

 

 追撃戦を行うならばともなく、連戦ともなれば如何に最優のサーヴァントセイバーといえども持たない。

 

「となると、単騎で攻めるなら城から連中を引き摺り出すのが必須か……だが連中から城の外に出てくるわけもなし……はぁ手詰まりだなこりゃあ」

 

 そういって獅子劫は地下墓地の天井を仰ぐように顔を上げる。

 その言動に“赤”のセイバーはようやく丸一日マスターである獅子劫が何を考えていたのかを把握した。

 

「つまりなんだ。マスターは“黒”の連中の城攻略を考えてたわけだ」

 

「そうだよ。……未だに“赤”の連中と連絡が付かない以上、最悪を想定して一人で戦うことを前提に戦術を組み立てなきゃいかんからな。とはいえ、どうにもならないね、これは」

 

 獅子劫と合流予定だった“赤”の陣営の集合地。

 そこに彼と同盟するはずのマスターもサーヴァントの影もなく、あったのは血だまりと破壊跡のみ。“赤”の陣営と未だに接触できていないというのが獅子劫たちの現状である。

 獅子劫らなりに“黒”の陣営の調査や小競り合いをしつつも、自陣営の様子を気にしていたが、此処までやはり連絡は無い。

 

 痕跡からしてまさか全滅とまでは考えていないが、“黒”のアサシンに分断された傷は思った以上に深いのではないかと獅子劫は考えていた。

 故にこそ単独での“黒”の陣営打倒ないし攻略を考えてはいるも、結果はこの通り。守っていればいい相手と攻めなくてはならないこちらではどうしても出来る手段が限られる。

 

「……セイバー、仮にもお前も円卓の騎士だろ。城攻めの経験ぐらいあるよな?」

 

「仮にもってのは余計だが、ああ、あるぜ」

 

「仮に生前のお前さん……というか、円卓の騎士ならどうやってあの城を攻略してた? 陽動でも破壊工作でも規模は問わんから手段を教えてくれ」

 

「城攻めの方法だぁ? 方法……方法ねえ、そういう小難しい話はアグラヴェインの奴の仕事だったからなー」

 

 獅子劫の藁にも縋るような問いに“赤”のセイバーは暫し、腕を組み考え込んだ後……一つ頷いて口を開く。

 

「そうだな。前あった奴なら教えられる」

 

「おう、そいつはどういう手段だ」

 

「ああ、あん時は確か、言うこと聞かねえ諸侯共の部下だっていう将軍が構えている城攻めだったかな。何でもヴォーディガーンの野郎が呼び寄せた大陸の魔術師だか何だかが妖精の力を借りて馬鹿みたいに強力な結界を築き上げてたんだよ」

 

「へぇ。そいつは確かに今の状況と重なる部分があるな。それで、どうやってその城を攻略したんだよ?」

 

「おう。あまりに強大であんまり時間もかけられないってことで父上の号令の下、全軍での攻撃が決まってだな」

 

「ほう……それで?」

 

「まずガヴェインの野郎が聖剣をぶっ放して」

 

「……おう?」

 

「次にランスロットの奴が聖剣をぶっ放して」

 

「…………おう」

 

「最後に父上が聖剣をぶっ放して終わりだ。そん時考案したのはマーリンの野郎だったが、流石父上とだけあって鮮やかな城攻めだったぜ!」

 

 懐かしいなーと喜ぶ“赤”のセイバーの傍らで獅子劫は静かに頭を抱えて項垂れた。

 ……忘れていた。“赤”のセイバーは円卓の騎士に名を連ねる存在。未だ神秘が地上に色濃く残った時代を生きた英雄である。

 近代の常識的な城攻めに関する戦術など期待するだけ間抜けだろう。

 

「オーケー。確かに参考にはなった」

 

「おう! そいつは良かったな!」

 

 なるほど流石のミレニア城塞と言えどもセイバーの宝具を三連ぶっぱできれば攻略は容易いだろう。

 問題があるとすればそれほどの魔力量を現代魔術師である獅子劫が持ち合わせていないということだけだ。

 

「……はあ、もういっそ令呪でセイバーの宝具を三回叩きつけるのが最適解に思えて来たぜ」

 

 きっとミレニア城塞も粉砕できるだろうと肩を竦めながら脳筋的思考に奔りかける自分の投げやりな思考を自覚し、眉間を指で押さえる。

 取り敢えず最終手段は聖剣ぶっ放し(それ)にするとしても、獅子劫は現実的な攻略手段を考えなければならない。

 

「しかし、どうしたもんか……」

 

 せめて一騎、可能なら他のマスターと連携できれば、とそこまで獅子劫が考えた時だった。

 先ほどまで退屈を持て余した猫の様だった“赤”のセイバーの気配が一変する。

 

「……マスター! 何か来るぞ! サーヴァントだ!!」

 

「何ッ!?」

 

 “赤”のセイバーの突然の檄に、飛び上がるように獅子劫は身なりを整える暇もなく、片手に銃を、“赤”のセイバーの方は剣を構える。

 ──仮にも魔術師が居を構える工房。アサシンが有する気配遮断スキルでもない限り、こちらに知られず忍び込むことなぞ不可能なはず、ならば“黒”のアサシンによる侵攻か、果たして警戒を露わにする“赤”の主従の前に現れたのは──。

 

「──ふむ、お守りとやらを外すのを忘れていた。すまんな驚かせてしまったようだ。汝らは“赤”のセイバーとそのマスターで間違いないな」

 

「お前は……」

 

 現れたのは端正な顔立ちをしながらも何処か野性味を感じさせる一人の女性だった。“赤”のセイバーよりも一回り高い背丈に、当代の衣服を身に纏った姿は一見して何処かしらの女学生とも取れることだろう。

 だが彼女の古風な言い回しと、放たれるサーヴァントとしての桁違いの霊格がそれを否定する。

 謝罪に次いで少女が名乗る。

 

「私は“赤”のアーチャーだ。故あって“赤”の陣営の代表として汝らへの伝言を任された。構えは解かなくても良いので話を聞いてくれるとありがたいが」

 

「“赤”のアーチャー……それに“赤”の陣営の伝言だと……?」

 

 思わぬ来客に、思わぬ発言。

 少女の言葉を繰り返しながら獅子劫は当惑する。

 “赤”のセイバーと言えばまだ警戒しているのか剣を構えて少女の方を睨んでいるが向けられる敵意をそよ風と受け流しながら“赤”のアーチャーは続ける。

 

「──今夜、“黒”の陣営。ミレニア城塞に対する城攻めを開始する。可能ならばこちら側に協力して欲しい……これが我らの陣営を率いるものからの伝言だ」

 

 それは奇しくも獅子劫が思い描いていた理想的状況。

 “赤”の御旗の下に協力して城攻めをするという提案だった。

 

 ──沈黙を守っていた“赤”の陣営がついに動き出す。

 その事実に、獅子劫は背筋に冷たい戦慄と武者震いを自覚しながら。

 

「詳しく聞こう」

 

 短く、“赤”のアーチャーにそう返していた。




「呵々々々! そうかお主がランサーか! 
 しかし踏み込みが浅い! 
 呼吸を隠せ! 
 術の練りが甘いわ!
 お主の本気はその程度かッ!
 なっとらん!!(ズドンッ!)」

「………実際目にすると一周回って笑えてくるな。これがアサシンのサーヴァントか」


──とある亜種聖杯戦争にて


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聖杯大戦 Ⅰ

「では、聖杯大戦を始めましょう」


 日付も変わった直前のトゥリファス。

 すっかり街の光も落ちた頃合いにレティシアの身体を借りる此度の聖杯大戦を裁定する者──サーヴァント、ルーラー・ジャンヌダルクは戦いの地に辿り着いた。

 

 時刻は午前零時。

 人々は当の昔に寝静まり、辺りには不気味な静寂が広がっている。

 そんな中、トゥリファス市庁舎を眼前に見据えた大広場に到着した車からまずジャンヌが降り、次いで車のドア越しに此処までジャンヌを送り届けてくれたパッシオとシャルロットが顔を出す。

 

「ふむ、思いの他時間が掛かってしまったねえ」

 

「まあ途中に休憩挟んだりレストランに寄ったりしましたからねー。でも意外でした。レティシアさんって健啖家なんですね! 良いことです」

 

「す、すいませんでした。色々と御馳走になって……」

 

 ジャンヌとしては此処まで送ってもらえるだけでも感謝するべきことだったが、シャルロットに押し切られる形で昼食(ランチ)夕食(ディナー)までお世話になってしまったのだ。

 フランスの、それも古い時代の出身の彼女にとって当代の食事は極めて美味であり、途中まで遠慮をしていた彼女をして、抗いがたくなるようなものばかりだった。

 そのため途中から少々自重の枷を外して多めに食べてしまったが、馳走した側に当たるシャルロットは逆に満面の笑みを浮かべている。

 運転席に座るパッシオの微妙な顔とは対極的に。

 

「いえいえ。気にすることはないですよ。寧ろありがとうございます!」

 

「分かったぞ、シャルロット君。君は意外と恨みを引きずるタイプだな?」

 

「ふふっ、パッシオおじさん?」

 

「……すまなかった。埋め合わせは必ずしよう」

 

「はい。期待してますねー」

 

 コクコクと頷くパッシオ。ジャンヌも短い旅行で知ったが、どうやらパッシオはシャルロットに何らかの貸しがあるせいで頭が上がらないとのこと。

 そうでなくともお淑やかに見せかけて意外とグイグイと来る性格をしたシャルロットである。彼女を前には叔父の立場も形無しということだろう。

 

「しかし良いのかねレティシア君。もうこんな時間だし、何だったら私たちの家に泊って行っても構わないが」

 

「そうですね。もう深夜ですし、今から街を歩くというのは危ないです。レティシアさん、少し無防備が過ぎるように思えますし……」

 

「いえ。流石にそこまでお世話になるのは……それに言った通り此処には親戚もいます。先方には遅くなることを予め伝えているので大丈夫ですし」

 

「そう? ホントは親戚さんのお家の前で降ろして上げられれば良かったんだけど……」

 

「そ、その……言ったように親戚のお家は車だと入りにくい路地裏にありますので」

 

 無論、それは嘘である。そもそも純フランス人の少女レティシアにはルーマニアを出身地に持つ知り合いはいない。それは此度の聖杯大戦に招かれたルーラーであるジャンヌも同じである。

 此処まで親切を掛けてくれた二人を前に嘘を重ねるのは心苦しいが、これ以上余計な心配も懸念も彼らに負わせるわけにはいかない。

 

「なので此処からは歩いていきます。大丈夫、十分もかからない距離ですので」

 

「そう、言ったように最近のトゥリファスの夜は物騒ですから気を付けてくださいね」

 

「うむ。くれぐれも用心するように。何かあったら遠慮なく我々を頼ってくれたまえ。我々の住まいは先に言ったようにトゥリファスの市庁舎近くにあるアパートだ。いつでも来てくれて構わない。その時は歓迎するよ」

 

「はい。重ね重ねありがとうございます」

 

「じゃあ、レティシアさん。また会いましょうね」

 

「はい、機会がありましたらその時はまた」

 

 別れの言葉を告げて、パッシオとシャルロットを乗せた車がトゥリファス市庁舎前の広場から離れていく。

 その車両の後ろ姿が闇に消えていくのを見送ったのち、レティシアは……否、英霊ジャンヌ・ダルクは意識を切り替えるように換装する。

 

 レティシアが纏っていた私服から聖女として戦場を駆け抜けていた頃の戦闘着に。

 

「さて──サーヴァントの気配が六つ。これは、城の方からですね」

 

 サーヴァントクラス・ルーラー。聖杯戦争を裁定するルーラーのクラスには様々な特権とも言うべき能力が付与されている。

 その中の一つとして挙げられるのが規格外の索敵能力だろう。彼女の有するサーヴァントの気配を捉える感覚の範囲は半径十キロ圏内。加えてアサシンの気配遮断能力すら無効化するという代物である。

 

 そんな彼女の感覚によればこの街からも目視できる離れの城塞……ミレニア城塞に六騎のサーヴァントの気配を捉える。

 聖杯大戦を裁定するにあたって聖杯より齎された知識を参照するに、恐らくはこの聖杯大戦の発端となった一族、ユグドミレニア家が召喚したサーヴァントで間違い無いだろう。

 

「七騎対七騎の聖杯戦争……聖杯大戦ですか」

 

 改めて思うにやはり規模として比類ないほどに規格外だ。一騎ですら手に負えないサーヴァントが一陣営に七騎集まり、もう同じく七騎のサーヴァントが揃う一陣営と激突するのだ。その規模、齎す周辺への被害など考えたくない程のものになるだろう。

 だからこそ、自分が。聖杯戦争という概念を守るためにのみ例外的に召喚されるルーラーがこの戦争に招かれたのだろうか。

 

「いえ。何にせよまずは見極めなくては……」

 

 ルーラーはそういって首を振る。自分の使命、成すべき役割に関する考察は此度の聖杯大戦を見極めていく中で見えてくることだろう。

 

 先んじてはやはり居場所のハッキリしている“黒”の陣営の方から伺っていくのが良いだろう。完全なる敵陣に一人、孤立する可能性がかなり高いが元よりルーラークラスはその役割上、複数のサーヴァントを相手取る状況が想定され、ステータスが通常のサーヴァントより高く設定されている。

 

 とはいえ、ユグドミレニアの居城に集うは六騎のサーヴァント。囲まれて戦闘になれば圧倒的に自分が不利な状況に陥るだろう。

 それでも、与えられた己の役割。放棄するわけにはいかないだろう。

 

「主よ、どうかご加護を」

 

 そう呟き、ルーラーは足を踏み出す。

 しかし──彼女の決意も覚悟も、この場においてはただの懸念となった。

 何故ならば彼女がこの場に到着し、“黒”の陣営の居城へと赴くよりも先に。

 彼女と同じく“黒”の陣営の居城を目的とし、目指していたものが居たからである。そしてこの場合、後者の方が先に条件を達していた。

 

「──え、この気配…………まさか!」

 

 不意にルーラーは弾かれたように眼前のミレニア城塞……そのさらに先に広がっているであろう平原。

 そこに……ルーラーたる彼女ですら戦慄を覚える魔力の気配を捉える。

 距離をして恐らくミレニア城塞から十三キロほど離れた場所。ルーラーの索敵範囲を超過した地点であるが、そんなことをお構いなしとばかりにこの距離で以て肌を撫でるように感じる魔力、まるでそれは太陽の様に。

 

 だから、彼女は迷いなく何が起きているのかを驚愕と共に口にする。

 

「──宝具!」

 

 そして夜のトゥリファスを照らすように──。

 太陽が落ちて来た(・・・・・・・・)

 

 

………

………………。

 

 

『開幕を告げる一番槍を、貴方にお任せしたい。“赤”のランサー』

 

 穏やかな微笑みを以てそう告げた神父の姿を脳裏に思い出す。

 彼にとって神父は間違いなく裏切者であり、主の敵である。

 仮に謀略の闇に沈んだ主が正気を有していたならば、自分に神父を殺せとそう言ってきたであろう。

 とはいえ、事ここに至ってはもはや、たらればの話である。主は正気を奪われ、マスターとしての権利こそ有しているものの“赤”の陣営の実権はあの神父にある。たとえ不平不満があろうとも“赤”の陣営勝利のためには致し方なし……と恐らくは“赤”のライダーや“赤”のアーチャーは思っているだろう。

 

 しかし、此処にいる彼は別だ。彼は現状裏切りこそ認めているものの、その忠誠は未だに正気無きマスターにこそ向けられている。

 神父に協力するのはあくまで“赤”の陣営の勝利という幻想の毒に囚われているマスターの幻想を現実に変えてみせるため、そして最終的にはマスターの望む勝利のため“赤”の陣営と敵対して、時計塔に大聖杯を持ち帰るつもりですらいた。

 

 ……余人が聞けば馬鹿なと笑う話である。ただでさえ七騎のサーヴァントが待ち構える“黒”の陣営を相手取らなければならないのである。そこに加えて全権を掌握しつつある自陣営まで最終的に敵に回すとなれば合計で十三騎。

 

 多くの不可能を可能にしてきた如何な英霊とはいえ、その難行を前にすれば遂げるのは不可能だと断じるだろう。ましてやその先の、大聖杯を時計塔に持ち帰るなど、そもそもサーヴァントに触れられない聖杯をどうやって持ち帰るというのか。

 手段も、条件も、明らかな無理難題。これを実現してみせようなどという発想は狂気の沙汰である。

 

 だが関係ない。彼にとってはそれら課題も問題も一切関係ないのだ。

 全てはただ主が望むままに。施しの英雄と呼ばれた高潔なる心に一切の淀みは無く、英霊として望まれるままに主の願いに応えるだけ。

 

 そう考え、そう思うからこそ是非もなし。

 

 “赤”のランサー、英霊カルナは迷いなく己の役割を実行に移す。

 まずは一つ目──“赤”の陣営の敵対者である“黒”の陣営を排するため。

 

「では──征くぞ」

 

 短く呟く一言は“黒”の陣営に向けたものか。

 静かなる宣戦布告を果たした後、挨拶代わりとばかりに彼は──。

 ──己の宝具を開放する。

 

梵天よ(ブラフマーストラ)──」

 

 宣するや否や極大の魔力を伴い、燃え盛る炎、炎、炎。

 ただ宝具を展開するだけで辺り一面が炎上し、呼吸すら困難にするほどの熱波が大地を大気を世界すらをも支配する。

 

「──我を呪え(クンダーラ)!」

 

 炎が“赤”のランサーの槍先に収束し、槍ごと投擲される。

 『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』。

 それは“赤”のランサーが有する宝具であり、師事したバラモンより授かった技。言ってしまえば炎を纏った槍を投擲し、相手に一撃を喰らわせるといった極々単純なものであるが……問題はその規模である。

 

 “赤”のランサー、英霊カルナといえばそのあまりの高潔さから立場上、敵対する立場にあるはずの神々の王インドラすらも手放しで認めた規格外の英霊。その死後に太陽神スーリヤと一体化したとも伝承されるまごうことなき太陽神の子。

 その一撃は──即ち太陽の一撃に匹敵する。

 

 数値に起こしてA+。カテゴライズは対国(・・)

 

 ……“黒”の陣営は予想していた。敵はまず大規模な宝具で以て結界を破壊して侵攻を開始してくるのではないだろうかと。

 故に初撃の脅威に備え彼らは“黒”のキャスターの助けの下、万全の備えを期した。城を囲うように張り巡らされた原初のルーン、ユグドミレニアが粋を賭して用意した聖遺物をも利用した強力な結界。

 

 しかしそれらは所詮、対城、対軍宝具に対して備えたものである。

 開幕を告げる一撃。

 よもやそれがそれら全ての用意を凌ぐほどの大規模な……一撃で“黒”の陣営を全滅させかねないものであろうとは誰が予想できようか。

 

 彼方で神父が笑う。

 

 先のお礼です。さあ、凌ぎきって見せるが良い。

 それぐらいは出来るでしょう? 我が()よ。

 

 

 

無論(・・)出来るとも(・・・・・)

 

 果たして、その意志は筋書きを手にする男の下に届いていた。

 否、全てを識っている彼はこの展開も考慮していた。

 そもそも“赤”のランサーは此度の聖杯大戦の勝利を目指すに当たって最も警戒し、最も対策を考え続けた英霊である。

 

 それはセレニケの我が儘で予定を振り回された後でも変わらない。聖杯大戦勝利を目指すアルドルにとって神父が運命的な脅威とするなら、この宝具を展開する英霊こそ物理的な脅威。

 

 展開次第では自分や神父の思惑すら超えて、聖杯大戦を勝利しかねない最強の英霊である。此度の聖杯戦争において彼と同格に当たる“赤”のライダーも警戒対象であるが、それ以上に英霊カルナという存在そのものを彼は脅威と捉えている。

 

 何故なら識っている。あの英霊が規格外であり、大英雄であり、そして何よりも高潔であることを。たとえマスターが正気を奪われていようとも、月の権能に囚われていようとも、願われたのならば必ず(・・)応える英雄(化け物)

 

 それこそが英霊カルナ。

 此度の聖杯大戦において最強のサーヴァントである。

 

「神々をも侵す一撃でないだけまだマシ(・・・・)だ。どだい、この程度でくたばる様ならば、ユグドミレニアの勝利など遠すぎる」

 

 成すと決めたならば必ず成す。

 それが英霊カルナというならばこちらもそれは同じこと。

 一度成すと決めたのだ、であれば成さねばなるまい。

 

「キャスター、状況は捉えているな」

 

 アルドルは衣服のポケットから取り出したルーン石にそう話しかける。

 これは城の守りを任されている“黒”のキャスターに通じるためのモノだ。他サーヴァントと違い、主に城の防御を任されている“黒”のキャスターにはロシェ以外にもダーニックやアルドルがいつでも会話できるように、連絡手段としてルーン石が渡されている。

 それを通じてアルドルは“黒”のキャスターに声を伝える。

 反応はすぐに返ってきた。

 

『お、なんだやっぱり兄ちゃんも気づいてたか。魔術師にするには勿体ないぐらい敏いねェ』

 

「別にただの偶然だ。仕込みがあってな。城外に出ていた。見張り台からはよく見えるのでな──もう知っての通り、逼迫した状況だ。私も手伝うのでどうにかして欲しい」

 

『ハッ、了解だ。んじゃあ、まあ……いきますかねェ!!』

 

「ああ」

 

 短いやり取りの後、“黒”のキャスターとの通信を切り、アルドルは眼前に迫りくる一撃を見据える。

 一刺しはアルドルが想定していた規模よりも小さい。それでも十分な威力、規格外の規模を誇っているものの、恐らくは地下に秘蔵されている大聖杯の事を考慮してのことだろう。

 仮に防御しそこなったとしてもせいぜいがミレニア城を粉砕し、地表を焼き払い、トゥリファスの街を半壊させる程度。

 

「であれば問題なし」

 

 英霊カルナの脅威を知っていればこの程度は木漏れ日に過ぎない。

 と、アルドルは言い切り愛用する片眼鏡(モノクル)──魔眼殺しを外して、脅威を見据える。

 

 露わになった右目に浮かぶのは夕暮れにも似た橙色の瞳孔と格子のような文様を中心に広がる初期二十四のルーン文字(エルダー・ルーン)

 とある魔眼オークションで入手し、友人の手で改良を施した『望郷の魔眼』を通してアルドルは霊脈に溶けている『工房』へと接続する。

 

接続(アクセス)──主人格(メインアカウント)から工房(サーバー)へ、術式(システム)の執行権利を要求」

 

主人格(メインアカウント)からの接続(アクセス)を確認。九つ廻る千年神樹(ナインヘイムユグドミレニア)──起動。工房を表面世界に浮上します』

 

 アルドルの要求(オーダー)に応じて、トゥリファスの霊脈に溶けていたアルドルの『工房』がその実在を定義して浮上する。

 とある神樹と小魔力炉心(亜種聖杯)を使用して組み上げたアルドルが持つ三つの最大の切り札が一つがその力の一部を現出させる。

 

魔術式(ソフト)神話再現(オペラ)黄金離宮(ヴァルハラ)”起動」

 

要求承認(イエス)──霊脈から必要魔力(リソース)回収完了。呪文(プログラム)を開始してください』

 

「『全ての尊い氏族、身分の高下を問わず、ヘイムダルの仔らによく聞いてもらいたい。戦士の父(ヴァルファズル)よ、あなたはわたしに思い出せる限りの旧い昔の話を見事、語って見せよと望んでおられる──わたしはおぼえている。九つの世界、九つの根を地の下に張り巡らした名高いかの世界樹を』」

 

 それは魔術として瞬間的に発動することが出来る中でも最も長い瞬間契約(テンカウント)の詠唱。右目を通して世界樹の幻影を捉えながら工房に蓄積された膨大な魔力と桁違いの情報量(まじゅつしき)を辿り、アルドルは自らの魔術を行使する。

 

「『スクルドの盾を導に集え。古今に名高い英雄たち──顕現せよ、黄金離宮(ヴァルハラ)!』」

 

 神話再現(オペラ)黄金離宮(ヴァルハラ)

 それは元来、人ならざる英霊ならざる、いと尊き存在によってなされる奇跡の魔術式。記録帯として古今東西に存在する英霊の記録に基づき、賛同する英霊を呼び込み、再現し、自らの先兵とする智慧の大神が術理。

 

 神代に行使されていたはずの極大の魔術式を規模を縮小しながらもアルドルは人の身でありながら平然と再現する。

 

 ミレニア城塞に存在する六騎の英霊を戦士(エインヘリヤル)と定義付け、それを守護するように黄金の離宮が展開される。

 黄金離宮(ヴァルハラ)に集いし英霊は朝に戦い、夕暮れに蘇り、夜に宴を行う。故に時間外では絶対に死なぬという術理(ルール)がミレニア城塞という場所に対して行使された。

 

 固有結界に足を踏み込みかけた規格外の魔術式は並の英霊が有する対城宝具すら侵せぬ大結界。だが迫りくる対応は並を凌ぐ至上の一撃である。

 故にもう一枚。アルドルは既に術の行使に移っているだろう者へと叫ぶ。

 

「キャスター!」

 

 その呼びかけに──。

 

 

 

「ハッ──任せなァ!!」

 

 心底愉快だとばかりに青いフードの魔術師(キャスター)は笑った。

 

 強者との競い合いを嗜好する“黒”のキャスターにとって聖杯大戦という舞台自体がある種の願いを結実する場だ。

 ともすれば既に彼にとって聖杯の器など必要のないモノと化している。マスターが世間知らずな子供(ガキ)であることを除けば、概ね彼は現状に満足していた。

 何より、現世(ここ)には面白い男がいた。

 影の国に住まう師を知るからこそ魔術師(キャスター)は一目見て悟った、アレは半分人の領域からはみ出しかけている。

 元々適性があったのか、或いは本人が言うところの努力のせいか、何にせよいずれアレは外れてしまうだろう。

 

 そして自らもそれを悟りながら、それでも願いのためにひた走っている。とんだ愚か者だ。後先考えず願う栄光(みらい)に走るなどまるで何処かの英雄(バカ)みたいだ。

 

 仮に敵対していれば自分は人間であるとかどうとかを置いて、嬉々として戦に臨んでいたであろう、或いは飛びっきり面白い主としてその終末まで付き合ったか。ああ、そう考えるとあくまで同一の陣営だという事実だけが歯がゆい。

 

 おいそれと主を裏切れない身としてはあの男に肩入れすることは許されないが。

 

「こういう状況だ。前に出られない分、やりたいようにやらせてもらうぜ」

 

 展開されるは原初のルーン。

 城を守護する大結界がついにその全貌を露わにする。

 アルドルが英霊が集う場というものを下地にしたならば、“黒”のキャスターはこの居城こそを下地にする。

 仮初にも自らが住まうという現実。それを条件として“黒”のキャスターは本来、出生の地でのみ取得可能な自身の宝具を再現する。

 

 其の銘は──。

 

名誉を守護する黒き城壁(ドゥヴァーン・アルスター)ッ!!」

 

 かくて再現される英雄の居城。

 “黒”のキャスター、否──ケルト神話は太陽神ルーの子、真名をクー・フーリン。稀代の英傑、光の御子は落ちる太陽より“黒”の陣営を守護する。

 

 よって完成するは稀代の現代魔術師と稀代の英傑による防御網。

 アーサー王の有する『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』すら完璧に防ぎきって見せる大結界が太陽の光を阻んだ。

 

 しかし──。

 

「ッ──! やはり、これほど……!?」

 

「ぐっ……やるじゃねえかッ!!」

 

 魔術回路が焼き付かんとばかりに全力で魔力を行使する両者。

 されども大英雄の振るう一撃はそれでも規格外だった。

 侵攻する太陽は三十秒ほど黄金離宮と拮抗し、粉砕。

 次いで黒き城塞と激突し、阻まれるものの──。

 

「チッ──(アッシュ)ッ!」

 

 素早い一工程(シングルアクション)で虚空に刻む七つのルーン。

 守護を意味する魔力防壁が城塞の見張り台に立つアルドルを守る防護壁として機能した直後、“黒”のキャスターの守りすら、太陽は突破する。

 そして──爆発。

 

「ぐっ、ぅぅぅぉおおおおおおおッ!!」

 

 三桁を超える魔力回路全てを全力で行使し、アルドルは自らの安全を確保する。やがて爆発が止んだ頃合い──辺り一帯には表面の殆どが焼け焦げ、一部は崩れたミレニア城塞の無残な姿。

 

「Aランクの宝具を防ぐ二重の守りと城塞そのものの耐久性を高めておいて、なおこれか……!」

 

 身も凍る戦慄を押さえつけてアルドルは思わず毒突く。

 見るのと体験するのは違うと人は言うが、それを押して尚、大英雄の一撃は規格外が過ぎた。

 一枚であれば少なくとも城が、キャスターの魔術を組み合わせても半壊、城そのものを強化してようやく一部損壊という程度の被害規模。

 なるほど、普通に受ければ正に対国。一地方の小都市など簡単に滅ぼしてみせるだろう。

 

「これだからインド神話の英雄は──などと仮にも考古学を歩む私が言えた台詞じゃないか」

 

 あらゆる神話系統に多大なる影響を及ぼしているインド・ヨーロッパ起源の神話は考古学や神話学に触れるものにとって必ずと言っていいほど関わる伝承だ。

 自らが研究し、得手とする北欧神話にすらインド神話は影響力を有しているのだ。それもこれも嘗てあった民族の大移動が原因なのだが……。

 閑話休題──つまるところインド神話とはあらゆる神話にとって原点にして原典とも評せる神話なのである。

 そこに語られる英霊ともなれば成程、神秘の質も規模も違って当然。

 比類するとしたら同じく原典の看板を背負う、エジプトのファラオたちかメソポタミアの英雄王ぐらいだろう。

 

「だが、凌いだぞ。大英雄の一撃を」

 

 そう、多少の損害(ダメージ)はあったものの、凌ぎきった。凌いで見せた。大英雄の一撃を。であれば委細問題は無い。

 自分の筋書きは外れていない。

 

「さあ、どうする?」

 

 平原の向こうに陣取る敵の気配を幻視しながらアルドルは静かに問う。

 

 

 

「開幕の号砲は鳴りました。では聖杯大戦を始めましょう」

 

 十字架が縫い込まれた赤い外套を翻してシロウ神父は不遜に笑う。

 眼前に集うは自身を除いた四騎の英霊。

 “赤”のアーチャー

 “赤”のライダー

 “赤”のバーサーカー

 “赤”のキャスター。

 各々思う所は異なれど、人類救済という野望の結実を望む一人の男の御旗の下に集っている。

 よってこれより本番、これからが始まり。

 

 “黒”と“赤”とが交差する筋書きを違えた真なる聖杯大戦。

 その火蓋が切られたのである。

 

 廻りだした車輪はもはや運命にも裁定者にも触れられない。

 (勝利)(敗北)か。

 

 異邦の地にて沈黙する大聖杯(ヘブンズフィール)は見守り続けるのみ──。

 かくて聖杯大戦が始まった。




「……それはそれとしてやり過ぎでは? ランサー。一応、大聖杯の安否も考慮して欲しいのですが……『宣戦布告として初撃で全滅させるほどの一撃を放てと命じたのはお前だ』ですか……それを言われると何も言い返せませんね確かに。もう少し冷静に命令するんだったな……」


──“赤”の陣営での念話



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聖杯大戦 Ⅱ

「オリュンポスの神々も照覧あれ!
 この英雄が駆ける戦陣を!
 はははは! 征くぞッ!」


 ──その激震にカウレスは即座に自室を飛び出していた。

 

「ッ! 姉ちゃん無事か!?」

 

 突如としてミレニア城塞を揺るがした異変。

 それは現状ユグドミレニアが置かれた状況を鑑みれば、考えるまでもなく明確だった。即ちは“赤”の陣営による侵攻。

 事の事情を察したカウレスはすぐさま実の姉の下に駆けていた。

 身内として心配だったこともあるが、それと同時にユグドミレニアにとって主力に等しい姉であれば事の仔細を把握していると考えたからでもある。

 

 ノックも忘れて姉の部屋に飛び込むと、そこには険しい顔をしながら自らの礼装を手にしている姉の姿と傍に仕えるケイローン──“黒”のアーチャーの姿。

 普段の柔和な顔立ちから打って変わって“黒”のアーチャーは厳しい眼で立っている。

 

「カウレス! ……始まったみたいね」

 

 飛び込んできたカウレスの姿に一瞬姉の顔にホッとするような安心した表情が浮かぶがすぐさまそれは真剣なものへと切り替わる。

 

「アーチャーから聞いたわ。さっきの揺れはどうやら敵の宝具による先制攻撃みたいね」

 

「宝具!? そういうことか……。で、被害はどれぐらいなんだ? 城が壊れてないみたいだから大丈夫なのは分かるけど……」

 

「城は一部損壊したようですが概ね問題ないかと。“黒”のキャスター、そしてアルドル殿が咄嗟に結界を張って防御を固めたお陰ですね」

 

「“黒”のキャスター、そうか……って義兄さんが!?」

 

 カウレスの疑問に口を挟んだ“黒”のアーチャーの言葉に驚愕する。

 実のところ姉であるフィオレや当主のダーニック、セレニケ、ゴルドとは違い、義兄と呼んでいる人物の実力を伝聞でしかカウレスは知らない。

 ユグドミレニア最強の魔術師であることと優秀な腕を持っていることは知っていたがよもやサーヴァントの宝具を防ぐほどとは。

 

 控えめに言って空前絶後。正しく最強の魔術師を名乗るに相応しい偉業である。

 

「ええ。正直私も驚きました。実力は立ち居振る舞いから察していましたが、よもや“黒”のキャスターと同レベルの結界構築を可能とするとは……なるほどダーニック殿やマスターが全幅の信頼を置くはずだ」

 

 感心するように頷く“黒”のアーチャー。

 大規模な魔力の気配を感じ取った直後、外に偵察へ飛び出した彼が見た光景は“黒”のキャスターによる大結界とそれをさらに覆う大結界。二重の守りは凄まじいことにどちらもAランク宝具を凌ぐほどのものであり、即ちどちらも同レベル、同規模の結界であったということだ。

 

 神代の魔術師にして原初のルーンを司る“黒”のキャスターに匹敵する結界魔術。それはアルドルが少なくともこと結界に関しては“黒”のキャスターと同じレベルで張り合えるだけの腕前を有していることを意味している。

 

 その凄まじさ、桁違いさは数多の知見を有する賢者“黒”のアーチャーから見ても驚愕に値するものだった。

 と、同時に。

 

「そしてそれ以上に敵方も凄まじい。アレだけの結界を粉砕し、城にダメージを通すとは。私見ですが先の一撃はAランクを凌駕するだけの威力と規模を有していると見ました」

 

「そ、そんなに!? じゃあヤバいんじゃ……!?」

 

「落ち着きなさいカウレス。如何にサーヴァントの宝具が優れていたってそれを使用するのに必要なのは魔術師の魔力よ。それだけの威力と規模を有しているならそう連射は出来ないはず……そうですよね? アーチャー」

 

「ええ。アレだけの宝具、間違いなく消費する魔力は大きいでしょう。こちらの結界が全壊したにも関わらず追撃がないのがその証拠です。とはいえ、城を守る結界が壊されたのも事実。攻撃自体は恐らく単独のサーヴァントによるものでしょうがこれが単独による作戦行動だとは思えない。恐らくは……」

 

「“赤”の陣営が攻勢に出た……そう捉えてよいと。そういうことですね」

 

「はい」

 

 つまりは聖杯大戦。その本格的な開戦がついに為されたということだろう。

 フィオレは微かな恐れが自己の内に芽生えたことを自覚する。

 だが、すぐに彼女は自らが覚えた動揺を魔術師としての責任で掻き消す。

 

「……アーチャー。貴方はこのまま城の外に出て敵の追撃に備えてください。初撃でこれだけの宝具を切ってきたのです。“赤”の陣営全体を巻き込んだ大規模な攻勢だと思って間違いないはずです」

 

「分かりました。敵の第二陣に備えて一先ずは城塞の外で構えるつもりです。城内で何かあればすぐにご連絡を」

 

「ええ、どうかご武運を。頼りにしてます」

 

「お任せください」

 

 丁寧に礼をフィオレに取った後、“黒”のアーチャーが消える。

 霊体化して城外に駆け出したのだ。

 “黒”のアーチャーの気配が離れたのを感じながら次いでフィオレはカウレスの方へ眼を向ける。視線を受けたカウレスの方は姉弟がゆえの感覚か、姉の伝えたいことを姉が言葉を発する前に察する。

 

「バーサーカー。お前もすぐに出てくれ。敵が来るはずだ」

 

 そういうとカウレスは自分の背後から姿なき気配が離れていくのを感じる。

 命令に応じ“黒”のバーサーカーもまた“黒”のアーチャー同様、出陣していった。

 

「それで、この後は?」

 

「そうね……取りあえず王の間に向かいましょう。さっきの揺れでおじ様も襲撃には気づいているはずよ。まずは合流して“黒”の陣営としての作戦を固めましょう」

 

「分かった」

 

 フィオレの言葉に頷く。状況は切迫しているが、だからこそ此処は“黒”の陣営として冷静な判断が必要となる。

 まずは当主と合流し、陣営としての方針を統一するという判断に異論は無かった。

 

「──それならダーニックに伝言を頼めるかしら。私はアルドルの所に向かうから作戦はそっちで勝手に決めて頂戴ってね」

 

「え、アンタは……」

 

 と、さっそくフィオレとカウレスが王の間に向かおうとした瞬間、意外な人物によって二人は呼び止められた。

 呼び止めた主はセレニケ・アイスコル。“黒”のライダーをサーヴァントとして置くユグドミレニアの黒魔術師。

 

 恐らく彼女もまた事情を察して先に“黒”のライダーを先行させたのだろう。本来近くにあるはずのサーヴァントの気配はない。

 

 ゴルドやロシェほどに全く関わらないというほどではないが、それでも普段あまり会話の発生しない相手に話しかけられたことでカウレスは若干固まるが、フィオレの方は冷静に彼女の言葉に問いを投げ返していた。

 

「それは構いませんが……何故アルドルの所へ? それに彼は……」

 

「アルドルの奴は別行動みたいね、ダーニックも了承済みよ。私はただの手伝い。面倒くさいけれど、人手が必要みたいだから仕方ないわ」

 

 そう言って気怠そうに肩を竦めるセレニケ。普段から聖杯大戦にあまり興味のない彼女だが、流石にアルドル直々の御用達とあっては逆らえないということだろう。手伝いとやらは分からないが、フィオレはそれ以上詳しく問わずに頷く。

 

「分かりました。おじ様の方には私から伝えます。……それと、知っていたらで構いませんのでゴルドおじ様とロシェはどうしているか分かりますか?」

 

「さあ、ロシェの方は知らないわ。どうせ“黒”のキャスターに任せきりで工房にでも引きこもってるんじゃない? ゴルドの方は知ってるわ。なんせ城が揺れた直後、真っ先に“黒”のセイバーを遣わせたようだし。本人はまだ部屋に閉じこもっているはずだけれど……大方、一番槍の栄光がどうのという話でしょう」

 

「そうですか……。分かりました。おじ様には私の口から伝えておきます」

 

「任せたわ。それじゃあダーニックによろしく」

 

 そう言ってセレニケは踵を返して去っていく。

 彼女の背中を見送りながら二人も次いで行動を開始する。

 

「キャスターはともかく、これで姉ちゃんのアーチャーに、俺のバーサーカー。ライダーとセイバーが打って出たみたいだな」

 

「ええ。一先ずはこれで“赤”の陣営からの攻撃は大丈夫だと思う。後は詳しい状況の把握と、それからおじ様の指示を仰ぎましょう」

 

「了解」

 

 そういって足早に王の間へと駆ける両者。

 本格的に幕明けた聖杯大戦を前に二人の姉弟もまた自らが立つべき戦地へと向かった。

 

 

 

「それでは、結界の方は暫く機能しないと考えて良いんだな?」

 

『ああ。“黒”のキャスターのモノにしろ、私のモノにしろ力業で完全に粉砕されたからな。再度結界を張るには時間が掛かる。既に“黒”のキャスターが復旧に取り掛かっているが最速でも半刻。それも先のような宝具をはね退けるほどの結界を張るのは厳しいという話だ』

 

 フィオレとカウレスが王の間に向かうのと同刻。その王の間ではダーニックとアルドルがルーン石を通じて状況整理に務めていた。

 ミレニア城に起こった揺れで即座に状況を掴んだダーニックは私室を飛び出し、王の間に一番に駆け付けた後、詳しい状況を知るためにアルドルへと連絡を取っていた。

 

 彼が別行動を行うことは前もって把握していたし、そのために彼が城外に出ていることもダーニックは把握していた。

 連絡を取ると案の定、ダーニックの信頼の通り、アルドルは的確に状況を把握していた。

 それによってダーニックは“赤”の陣営の攻勢が始まったこと、先の揺れがAランクを凌駕する大規模な宝具によるものであること、そして敵方のサーヴァントが既にこちらに向かって動き始めていることなどを聞かされた。

 

 またそれに伴い、“黒”のキャスターが結界復旧に動き始めていること、アルドルが当初の予定通り行動を始めたこと、そして“黒”のセイバーが先行していったことなどの自陣営の情報も。

 

『それでどうするつもりだ? 手が足りんのならば私も予定を取りやめてそちらの手伝いに回るが……』

 

「いや、そのままお前はお前の思う通りに動いてくれて構わない。お前の話を聞く限りリスクもあるが上手くすればこの聖杯大戦に決着を付けられる。このまま為されるがままになるよりは余程いいだろう。非常時に備えて来たのは私も同じだ。何もかもをお前に頼るわけにもいくまいよ」

 

『了解した。ならば此方は此方でユグドミレニアを勝利に近づけるとしよう。守りの方は任せたぞ、当主殿?』

 

「フッ、せいぜい任せておけ。お前はくれぐれも深追いはするな。ユグドミレニアの勝利は大前提だが、その過程でお前を失っては元も子もない。お前自身が次期当主であることを忘れてくれるなよ」

 

『その場合はフィオレもいるので大丈夫だと思うが……了解した。では精々、互いに武運があることを祈るとするか。ユグドミレニアに勝利を』

 

「ああ、勝利を」

 

 決意の言葉を互いに交わし、通信は途切れる。

 向こうも準備に移ったのだろう。

 ダーニックもまた思考を回す。

 

“宝具による結界破壊に同陣営で連携しての攻勢。結界の完全破壊は想定外だったが敵の作戦自体は想定の範疇か“

 

 以前想定した通り、敵の攻勢はこちらの防御を剝がした後、サーヴァント同士連携しての大規模な攻勢というもの。よもや一撃でアレだけの結界を粉砕するほどの宝具を有するサーヴァントが付いていることは予想外だが、敵が時計塔ひいては魔術協会であることを考えれば、別に可笑しい話ではない。

 

 守りを完全に剝がされたことで敵の侵入が容易となったことは警戒せざるを得ないことだが、初動でやや押されている程度。

 挽回することがまだ可能な範疇である。

 だからこそ重要なのは此処からどのように動いていくかだろう。敵の攻勢が始まっている以上、必然的にこちらがやるべきことは如何に敵の攻勢から自らを守り、そして反撃に出るか。

 

 こちらの反撃は既に動いているアルドルに任せて構わないだろう。

 事前に聞いた彼の作戦は相応のリスクをアルドルに求めるものだったが、成功すれば一気にユグドミレニアの勝利に状況が傾くほどのもの。

 であれば反撃の一撃は彼に任せるとして自らがやるべきことは……。

 

「城の防衛。この夜を如何に凌ぐか」

 

 即ちこの城を巡る攻防こそが今回の戦の肝だろう。

 

「つまるところ──生前の余が為したことと何も変わらぬ。そうだな? ダーニックよ」

 

「公……はっ、その通りです」

 

 気づけば王の間の玉座には、この地の領王を名乗る自らのサーヴァント、“黒”のランサーことヴラド三世が君臨している。

 襲撃は既に彼も知ることだろうが、悠々と玉座に構える彼は余裕に溢れている。そして同時に余裕を見せながらも決して油断をしていないのが伝わってくる。彼の余裕は自信であり、自負であり、信頼だった。

 

「ふふ、実のところ今の余は非常に機嫌がよい。こうして再び度し難い侵略者共に自らの領地を侵略されているにも拘わらず、だ。何故だか分かるか?」

 

「……信頼すべき将が揃っているから、でしょうか」

 

「うむ」

 

 ダーニックの言葉に肯定と“黒”のランサーが頷く。

 

「そうだ。不意の襲撃に対し、こうして城を守って見せた“黒”のキャスターやお前の後継。余が自ら差配することもなく、最適かつ的確に行動する将たち。改めて口にすべきでもないが、敢えて言うならば……頼れる味方というのは素晴らしい」

 

 英雄ヴラド三世。

 彼は一人強大なるオスマン帝国の脅威に抗い続けた救国の英雄であるが、その道はあまりにも孤高だった。

 苛烈な差配が時として不信を呼び、身内にも恐れられた彼にとって生前信頼できたのは唯一己の実力のみ。その王道について来られる部下などただの一人も居らず、全てが全て己自身で賄わなければならなかった。

 

 しかし今はどうだ。自らが差配することもなく自己の判断で動く頼るべき部下に、自らが手腕を振るうまでもなく侵略者より防衛に務めてみせる将。

 どちらも生前手に入らなかったものが今はこの手に在り、そして自身の信頼に対して完璧な形で応えてみせている。

 それは何という歓びであることかと、彼は上機嫌に笑う。

 

「ゆえにこそ余もまた彼らの奮戦に応えてみせねばとな、そう思っている。お前はどうだ? ダーニック、いや我がマスターよ」

 

「──私も同じですヴラド公。我が信頼すべき後進がこうして奮っている以上、先達の私が情けない姿を見せられないと強く思っております」

 

 “黒”のランサーの言葉にダーニックもまた強く頷いた。

 領王に当主。共に名乗るは頂きの座である以上、自分たちもまたそんな頼れる将や信じられる配下に負けてはいられないと。

 

「ならば命じるがよい、マスターよ。余は王であるが同時に自らがサーヴァントであることも自覚している。故にマスター、お前もお前が為すべきことを為すが良い」

 

「分かりました。ではヴラド公……いや、“黒”のランサーよ。お前にマスターとして命ずる。愚かなる侵略者たちに誅伐を与えよ」

 

「良いだろう。では串刺し公の我が異名。愚かなる侵攻者たちに思い出させてやるとしよう。指揮は任せる。精々お前も奮うが良い我がマスターよ!」

 

 言うや否や“黒”のランサーは玉座から立ち上がり、その身を翻して虚空へと溶けていった。他のサーヴァントがそうであるように“黒”のランサーもまた自らが立つべき戦場へと発ったのだ。

 

 王の背を見送って、ダーニックも己が杖を強く握りしめながら自らの身体に熱が入るのを感じる。

 此処が正念場だ。此処を踏みとどまらねばユグドミレニアに勝利は無い。繁栄も栄光も未来も全ては勝利が大前提。

 だからこそ──。

 

「勝たねばならぬ。いや勝つのだ。そのために私は今日まで準備を重ねてきたのだから」

 

 そういって彼は眼前を、いや城の外に広がる戦場を睨むようにして見据える。もはや賽は投げられているのだ。ならば己のやるべきことは明白である。

 

「おじ様」

 

「……来たか」

 

 戦意を滲ませる当主が座す広間にフィオレとカウレスの姿が現れる。

 それにいよいよ以て始まったことを再認しつつダーニックもまた己がやるべき事へと着手し始めた──。

 

 

……

…………。

 

 

 ミレニア城塞を目掛けて平原を戦車が駆け抜ける。

 三頭の馬が引く戦車は現代の鋼の装甲と砲塔を有する戦車とは異なり、武装した戦士が戦場を最高速度で駆け抜けるための馬車に近い。

 されど使い手が手繰る武の強さはまさしく現代の戦車にも見劣りしない程の武力を誇っている。

 

 襲撃に際してミレニア城塞を守るために立ち上がった使い魔が、ホムンクルスたちがまるで爆撃に晒され木っ端と吹き飛ばされるように、戦車が誇る武力は嵐が如くあらゆる守り手を駆逐していく。

 

「この程度の守りでこの俺の疾走を止められると思ったか! “黒”の陣営ッ!!」

 

 次々と戦車の前に立ちふさがるユグドミレニアが用意した尖兵たちを笑い飛ばして戦車の操り手──“赤”のライダーが槍を振るう。

 常人の身体能力を凌駕するホムンクルスらをして槍の刃が掻き消えたとしか思えないほどの速度で槍が煌めくと次の瞬間にはホムンクルスも使い魔も残らず、全てが死に絶える。

 正に死の颶風。桁違いの武力はもはや一兵隊がどうにか出来るものではなかった。

 

 いつぞや街で身に着けていた私服ではなく、戦装束に着替えた快活な青年はその性格のままに戦場に君臨していた。

 英雄に相応しい様であれ──そう願われ、自身もまたそのように振る舞うことを願う“赤”のライダーは正しく英雄としか呼べない程に戦場に君臨する。

 

「さあ! “黒”のサーヴァントよ! このライダーの疾走、止められるものなら止めてみせるが良い! ──出来るものならなァ!!」

 

 叫び、進撃。

 疾風怒濤と戦場を駆ける英雄を止められるものなどたかが雑兵の中には居らず、故にこそ英雄の進撃を止めるため──英雄が立つ。

 

「おお……ッ!!」

 

「……ハッ! 来たかッ!」

 

 裂帛の気合が戦場に響き渡り、次の瞬間青白い魔力の輝きが戦場を飲み込む。

 地を絶つ一撃はまるで聖者の海割が如く。この凄まじい剣撃を“赤”のライダーは手綱を引いて躱すと、そのまま鞭を打って加速してそれを起こした人物の下へと駆け抜ける。

 

 光の先に立っていたのは一人の青年。

 灰の髪を持ち鎧を纏い、その手には大剣を携えている。

 無表情の奥に感じ取れる戦意、叩きつけられる魔力と神秘の気配。

 もはや言うまでもないだろう。

 “黒”のサーヴァント、クラスは間違いなく……。

 

「俺の相手はお前か、“黒”のセイバーッ!!」

 

「ッ!」

 

 その言葉を合図として問答無用に戦闘が始まった。

 “赤”のライダーの進撃が疾風であるならば、“黒”のセイバーの踏み込みは正しく突風だろう。轟ッと大気が揺らいだ瞬間、まるで映像における場面を飛ばしたように一瞬にして“赤”のライダー眼前に踏み入ると“黒”のセイバーは迷いも躊躇いもなく、手に持つ大剣を“赤”のライダーの首元目掛けて振り落とす。

 

 タイミングに踏み込み。何れも完璧と言えるものだった。

 “赤”のライダーの反応を許すことなく、確実に急所を捉えた一撃は見事、吸い込まれるように“赤”のライダーの首を刎ね飛ばす──。

 そう確信した一撃はしかし。

 

「ッ!?」

 

「残念。どうやらお前さんにはその資格がなかったようだな」

 

 刃が斬ったはずの“赤”のライダーの首に通らない。まるで堅い岩盤でも切りつけたかのように、“赤”のライダーに直撃したはずの“黒”のセイバーの刃は無防備だったはずの“赤”のライダーの首に弾かれていた。

 

 驚愕する“黒”のセイバーにニヤリと笑う“赤”のライダー。直後、お返しとばかりに“赤”のライダーもまた槍を振るう。

 恐るべきことに返礼の一撃は先の“黒”のセイバーの剣速を凌駕していた。

 意趣返しと言わんばかりに“赤”のライダーもまた“黒”のセイバーと同じように“黒”のセイバーと全く同じ軌道を描いて“黒”のセイバーの首元を狙う。

 

 そして──“赤”のライダーの一撃もまた状況を再演するかのように驚愕で無防備を晒していた“黒”のセイバーの首に弾かれていた。

 

「何ッ!? テメェもか……ッ!!」

 

「…………!」

 

 驚きつつもそう言葉を放つ“赤”のライダーの言葉に“黒”のセイバーもどういうことかを察してみせる。

 つまるところ、同じなのだ両者は。

 “黒”のセイバー……ジークフリートが竜の血潮をその身で浴びたことで得た『宝具』──悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)という無敵の肉体を有しているように“赤”のライダーもまた何らかの宝具かスキルで以てして無敵の肉体を有している……!

 

「ふん、少しは楽しめそうじゃねえか……なあ、お前もそう思うだろう、“黒”のセイバーよ」

 

「…………」

 

「不愛想な奴め。戦場で笑えぬ者は楽園(エリュシオン)で笑いを忘れてしまうぞ?」

 

「…………」

 

 “赤”のライダーの軽口を前にしても“黒”のセイバーは無言だった。

 それはゴルドからの喋るなという命令を守るという意図もあったが、それと同時に“黒”のセイバーの信条は戦場において尚、笑いを忘れないという“赤”のライダーの心持に否を唱えていたからでもある。

 

 戦場での笑いは時に敵を侮辱することになる。

 否、そうと捉えられる危険性がある。

 そう考え、そう思うからこそ“黒”のセイバーは笑わない。

 

 強者と覇を競う武人の喜びはあれど、死を前に戦士が行うべきなのは粛々とやるべきことをこなす冷静さと非情さだけで良い。

 無言のまま“黒”のセイバーは剣を構え直す。

 

 ……確かに“赤”のライダーは自身と似たような特性を持った肉体を有しているようだが、自身がそうであるように無敵の肉体はあれど、不死身の肉体はあり得ない。一時の無敵性を有する肉体も、そこには必ず何らかの弱点があるはずだ。

 自身がそうであるように。

 ならばやるべきことは単純明快。“赤”のライダーが有する無敵性……それを破る条件をこの果し合いの最中に見抜いてみせるのみ。

 

「やる気か。面白い! ならば俺とお前、どちらが先に攻撃を通してみせるか。競争するとしようかッ!」

 

 そう言うと“赤”のライダーは戦車から飛び降り、そのまま戦車を霊体化させるや自らは槍を構える。どうやら正々堂々果たし合うつもりのようだ。

 騎乗兵(ライダー)が敢えて槍を携えて戦場に立つとは、よほど肉体の無敵に自信があるのか、単純に騎乗せずとも十分に戦えるという自負からか、どちらにせよ油断できるものではない。

 

「さあ始めようか“黒”のセイバー。お前は我が疾走について来られるか!」

 

「ッ……!」

 

 来ると、身構えた瞬間、嵐が如く吹き荒れる槍技。

 突く凪ぐ払うと動作に間合いと隙が生まれる槍使いにも拘わらず、“赤”のライダーの槍はそれら生まれるはずの隙がまるでない。

 間断なく押し寄せる刃の煌めきは術の冴え以上に異常なまでの“赤”のライダーの速力が生むものだろう。

 

 その実力に、その脅威、もはや本物の槍兵(ランサー)の槍技と比較しても全く問題ないほどの使い手である。

 怒涛に押し寄せる槍技を前に“黒”のセイバーもまた敵が難敵であるという覚悟を固めて槍の嵐に挑みかかる。

 

 かつて竜を下した戦士の心に恐怖は無く、矢継ぎ早に繰り出される槍を前に勇者が如く立ち向かっていく。

 “赤”のライダーと“黒”のセイバー。

 両者は聖杯大戦を飾る花のように堂々たる様で互いの誇る武を競い始めた。




「ひぃい! 何事だ! ま、まさか“赤”の陣営の攻撃!? セイバー! セイバーッ! 貴様早く何とかせんかッ!?」

「……(無言で戦場に向かう)」


──とある主従、一番槍の真相


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聖杯大戦 Ⅲ

「おお! 圧政者よッ!!
 今こそ反逆の刻であるッ!!」


 その男は──筋肉(マッスル)だった。

 彼方にミレニア城塞を見据えながら一歩一歩と進む様は戦場を駆け抜けるように征く“赤”のライダーなどと比べれば鈍重としか言いようが無いだろう。

 二メートルを優に超える巨体は四肢も胴もはち切れんばかりの筋肉に満ち満ちており、その有様は一歩と踏み出すたびに地面が陥没し、さながら巨大な象が歩いた跡のような足跡が残ることからも容易に見て取れるだろう。

 

 青白い肌には修練か戦いで付いたであろう生々しい数多の傷痕、鋼のように引き締まった大胸筋に、丸太のような四肢。

 鍛え上げられた筋肉の身体はそれそのものが鎧の様。

 自らの肉体こそが最強の証であると言わんばかりに男は全身を覆う皮のベルトを除けば何一つ纏っていない半裸の状態だ。

 

 そして何より特徴的なのは不気味なほどの笑顔である。

 

 戦場を駆ける悦びに笑みを浮かべるのは“赤”のライダーも同じだが、男の笑みは明らかに気色が違う。例えるならばホラー映画に登場する道化(ピエロ)のような。見るものすべてを恐怖に落とすような一種、怪物的な笑み。

 

 筋肉(マッスル)としか評せない男が満面の笑みを浮かべながらただひたすら目標に向かって進む様は何とも戯画的でありながら同時に恐怖劇のようでもある。

 

 言うまでもなく彼はサーヴァントであり、“黒”の陣営に敵対する存在だ。狂気にして狂喜じみた様は正しく狂戦士(バーサーカー)

 それも桁違いの狂気(ランク:EX)を有する“赤”の陣営を統べる神父をして制御不能と言わしめるほどに狂った英霊であった。

 

「ぬははははははははは!!」

 

 男が笑う。笑いながら進み続ける。

 その道を“黒”の陣営に属するホムンクルスや使い魔たちが止めようと武器を振るうが一切関係ない。まるで見えていない様に、いやお構いなしとばかりに狂戦士は進み続ける。

 

 “赤”のバーサーカー、彼は絶えず雑兵に傷を付けられながらも止まらない止まらない。一切その足を止めない。

 何故か? それは言うまでもない。

 彼方のミレニア城塞(そこ)に倒すべき圧政者(てき)がいるからである。

 

「反逆である! 反逆である! おお世界に反逆せんとする朋友(とも)よ! 今こそ共に圧政者を打ち砕き、世界を覆う全ての圧政から人々を解き放つ時ィ!!」

 

 そう彼が進む道理はそこにあった。

 朋友は言った、世界を救うと。

 そのために大聖杯を手に入れると。

 

 “赤”の陣営の指揮者たる神父はそう言って“赤”のバーサーカーを送り出した。

 

 正気なき狂気の戦士にその言葉の意味は正しく理解できない。だが、神父の言葉が真の真実であり、本気で彼が運命という枷から人々を解き放とうとしていることだけは理解できた。

 

 ならば後はこの通り。そこに圧政者(もくひょう)があるならば過程も結果も一切考慮せず彼は壊れた機械のように進むのみ。

 圧政者を打ち砕き、反逆を為すために。

 たとえ雑兵(ホムンクルス)斧槍(ハルバート)が首元に叩きつけられようが、使い魔(ゴーレム)の拳が鳩尾に突き刺さろうが彼は笑みを浮かべ、攻撃をただただ受けて受けて受け続けながら進む。

 

 “赤”のライダーが有する特性による無敵性とは異なる物理的、精神的な無敵性を感じさせる“赤”のバーサーカーの笑み(それ)を前にして遂に感情の薄いホムンクルスたちも恐怖心を自覚し始めた。

 その直後、ギョロリと狂戦士の眼が唐突にホムンクルスたちを捉える。

 

 瞬間、蹂躙が始まる。

 

「愛ッ!!」

 

 男のサイズ感故にもはや玩具に見える(グラディウス)でホムンクルスを叩き切る。

 

「愛ッ!!!」

 

 丸太のような腕を伸ばし、ゴーレムの顔面を掴むと五指の力だけで正に握りつぶすという様で頭部を破壊する。

 

「愛ッ!!!!」

 

 そして残った敵は諸共すべて体当たり(タックル)一つで轢き壊す。そこに技など欠片もなくただただ力任せの暴力。

 筋肉に物を言わせた力業で悉くを粉砕する。

 最後には他のホムンクルスたちより少しだけ間合いを開けて戦っていた少女のホムンクルスが運よく一体残されるのみ。

 ……いや、この場合は運悪くとも言い換えられるか。

 

「さあ哀れな圧政者の人形よ! 我が愛に抱かれて眠るが良いッ!」

 

「……ひっ!」

 

 笑みであった。今しがた仲間たちの全てを手に掛けた男が浮かべているのは敵意でも憎しみでも恨みでもなく満面の笑みであった。

 その感情、その有様はホムンクルスたる少女には甚だ理解しがたく、未知であり、恐怖である。

 

 ある魔術師に曰く、人を恐怖させる条件は三つ。

 怪物は言葉を喋ってはならない。

 怪物は正体不明でなければならない。

 怪物は不死身でなければ意味は無い。

 

 その条件に当て嵌めるならば彼は言葉を喋り、サーヴァントであり(明確な正体があり)、傷つくが故に不死身であるとは言えないのかもしれない。

 されど彼の言葉は常に一方通行であり、理解不能の論理で以て、痛みに顔を歪めることもなく寧ろ笑みを深めている。

 ひたすらに意味不明であり理解不能であり、そして何より不死身と見紛うものだった。

 

 英霊(怪物)が、慈愛の意味を根本的に履き違えているとしか思えない満面の笑みで少女に手を伸ばし、慈悲という名の死を与えようとしている。

 もはや何もかもが限界であった。

 鋳造されたホムンクルスとはいえ、彼ら彼女らにも起伏は乏しくも感情がある。ユグドミレニアから与えられた命令によって押しつぶされ、覆い隠されていた感情が命令を置いて尚、生命の危機を前に顔を出す。

 

「や、やだ……助けて──!」

 

「さあ我が愛を受け取るが良い。ふははははははッ!!」

 

 だが末期の祈りを聞き届けるほど狂戦士──“赤”のバーサーカーに正しき慈悲も正気も残っているはずはなく、仲間の悉くを殺した筋肉(凶器)で最後の敵を殺さんと、その華奢な体に手を伸ばす──。

 

 果たして少女の命運は──狂気に満ちたもう一つの咆哮を前に、九死の一生を得る。

 

「Arrrrrrrr!!! Fuuuuuuuuuuuuッ!!!!!」

 

「ぬっ、おぉおおおおおおおおおッ!?!?」

 

 咆哮、轟音、そして爆発。

 “赤”のバーサーカーの肉体は彼方より飛来した「何か」に吹き飛ばされ、その爆発で以て少女に向けて伸ばした右腕ごと半身を吹き飛ばされた。

 今の今までホムンクルスたちの全力でもかすり傷程度に収めていた筋肉の鎧による守りはこの一撃で簡単に破壊され、もはや立つことさえ覚束ない。

 

 狂気に濁った瞳で致命傷に倒れ伏す“赤”のバーサーカーが、そしてホムンクルスの少女が何事かと「何か」が飛来した方角に目を向ける。

 そこにあったのは……神秘を巡るサーヴァント同士の戦いにはあまりにも相応しくない、されどこの上なく戦争の象徴とも言えるモノがあった。

 

 鈍い輝きを放つ鋼の装甲に、如何なる荒地でも行けるように備え付けられた履帯(キャタピラ)、堂々と伸びる巨大な砲塔。

 “赤”のライダーが騎乗した重武装を乗せた戦士が駆ける前時代的な戦車などではない。正しくそれは現代の科学の粋が生み出したれっきとした現代兵器。

 黒塗りの戦車が“赤”のバーサーカーの方に砲身を向け、鎮座していた。

 

「おおお! 正しくそれは圧政の証! ならば反逆せねばなるまい!」

 

 果たして“赤”のバーサーカーの言う言葉はまぐれだったのか、はたまた狂気の中でも聖杯より与えられた知識でそれを正しく認識したのか、定かではないものの“赤”のバーサーカーの言葉は一種的を得ていた。

 

 そう──この戦車こそ悪名高き第三帝国で生産された当時最強と謳われた現代科学文明が生み出した無双の兵器。

 VI号戦車ティーガーE型(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung E)──通称、虎号戦車(ティーガー)

 

 “赤”のバーサーカーが敵視する圧政者(ナチスドイツ)が生み出した兵器が、場違いにも“赤”のバーサーカーを阻むように在った。

 

 ……通常、魔力や神秘を纏っていない現代科学の兵器による攻撃でサーヴァントが傷つくことは無い。しかし戦車に騎乗する存在──“黒”のバーサーカーが扱う場合は話が別だ。

 先の“赤”のセイバー戦で銃火器で以て、“赤”のセイバーを害したように、こと“黒”のバーサーカーが操る武器はたとえ木の枝だろうとサーヴァントをも傷つける武具と成り得るのだ。

 それこそが“黒”のバーサーカーが有する宝具の一つ『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』。

 

 騎士ランスロットが敵を前に武器を選ばずして戦ったという逸話を基に宝具の域にまで昇華された“黒”のバーサーカーが切り札の一つ。

 たとえ魔力も神秘も持たぬ武器であろうとも“黒”のバーサーカーが手にした瞬間、低ランクの宝具として武具を強化するという反則的な能力であった。

 

 これによってティーガーは神秘世界においても当時最強とまで言われた驚異の火力を“赤”のバーサーカーにも発揮したのである。

 しかもこのティーガーはただの戦車ではない。この近現代史において英雄として名を轟かせ、『破壊王』の異名を取った男が操った戦車の壊れた破片をかき集めて再び原型を得た、「かつて英雄を乗せた戦車」である。

 

 この無銘ならざる逸話を持った兵器であるが故に通常はDランク程度で収まる“黒”のバーサーカーの宝具付与はC+ランクの領域に踏み込んでいる。

 正に並のサーヴァントであれば容易にその鎧ごと破壊可能な火力を有しているのだ。

 

「Aaaaa……! Arrrrrrrrrrr!!!」

 

 展望塔(キューボラ)に座す“黒”のバーサーカーが吼える。

 戦車は本来は複数人で動かすものだが、“黒”のバーサーカーによる宝具の効果か、戦車の表面装甲を覆う血脈じみた赤い線がドクンと鼓動を奏でると履帯が甲高い鳴き声を上げ、“赤”のバーサーカー目掛けて、凄まじい速度で発進する。

 

 その直線状の道のりには少女のホムンクルスも居たが“黒”のバーサーカーは構わず突進を敢行する。

 再び直面する死の気配にいよいよもって己の命運をホムンクルスの少女は覚悟するが。

 

「Aッ」

 

「きゃあッ!?」

 

 如何なる気まぐれか、激突寸前、“黒”のバーサーカーが僅かに進路をずらし、さらにはすれ違いざまに少女のホムンクルスの腕を引っ張り上げるとそのまま戦車の内部に投げ入れる。

 “赤”のバーサーカーと異なり、狂気に飲まれていようとも騎士としての有り様を忘れてはいないということだろう。

 

「おお! 来るか! 圧政者よ! ならば私はお前を受け止め」

 

「Fuuuuuuuuuuuッ!!」

 

 そして憂いを絶ったが故か、戦車はさらに速力を上げてエンジンを噴かせる。

 もはや通常のティーガーでは出せない二百キロというあり得ない速力を叩き出しながら重戦車に相応しい分厚い鋼の装甲で“赤”のバーサーカーを轢殺する。

 

 “赤”のバーサーカーと言えば相変わらず狂気に満ちた狂喜で真っ向から戦車の突撃を受け止め、当然のように引き潰される。

 ただでさえ砲撃で半身が吹き飛ばされた状態での追い打ちで“赤”のバーサーカーの肉体はミンチとしか言いようがない程無残なありさまだ。

 だが、これで終わらない。“黒”のバーサーカーが吼える。

 

「Fooooooiaaaaaaaaッッ!!!」

 

 砲撃、砲撃、砲撃、砲撃。

 さながら機関銃じみた勢いで吐き出される砲弾はもはや爆撃と言って過言ではないだろう。宝具による元機能を無視した連射を可能とするティーガーの砲撃は原型を失くした“赤”のバーサーカーに更なる追撃を加えていく。

 

 そのあまりにも苛烈な過剰な殺害行為(オーバーキル)は如何に“黒”のバーサーカーが狂気に飲まれて倫理観も騎士道も無くしているとはいえ異常であった。

 しかし、その異常ももう一つの異常を鑑みれば当然の措置と言えよう。

 

 サーヴァントは頭部や心臓など霊体の核となる部分を損壊すれば、その存在を保てなくなり消滅するのが道理だ。

 だが、“赤”のバーサーカーは半身を失いながらも動いていた生きていた。それは今まさにティーガーの砲撃で原型を失くすに等しい無残な有様になっているこの時も……。

 

「O……Ooooo……A、ア、アアアアッセイ……!」

 

 消えない朽ちない生きている。

 肉塊にしか見えない貌で、“赤”のバーサーカーは笑っている。

 その異常に、“黒”のバーサーカーは狂気の中でも騎士としての直感から悟っていたのだ。──このサーヴァントは文字通り、肉片一つ残さない程徹底的に破壊しなければ止まらないと。

 

 予感は、果たして現実となる。

 

「Ooooo、お、おお、O、オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 グズリと不穏な音を立てて肉が脈動する。次の瞬間、それらはまるで風船のように膨れ上がり、やがて“赤”のバーサーカーの元身長を上回るほどに膨張し、見る見るうちに膨張していく。

 

「A、aaaaa──!?」

 

 “黒”のバーサーカーをして驚愕の息を漏らすほどの脅威の光景。“赤”のバーサーカーだったはずのものは気づけば十メートルを超える巨大な肉塊として膨張して聳え立っていた。

 もはやその姿は人型ですらない。恐竜じみた牙やら角やらを生やし、人体としてはあり得ない複数の手を触手のように生やす様は怪物としか言いようがない。

 

 ──疵獣の咆吼(クライング・ウォーモンガー)

 

 “赤”のバーサーカーこと英霊スパルタクスが有する宝具は極めて単純な効果の宝具である。即ち受けたダメージを魔力として変換し、自らの体内に魔力として蓄積するというものである。

 ダメージを受けるほど、傷を増やすほどに“赤”のバーサーカーが強化されていくというあまりにも単純な宝具だ。

 

 その特性ゆえ通常の聖杯戦争であれば、この宝具が十全に効果を発揮する前に“赤”のバーサーカーの肉体は損壊に耐え切れず崩壊していただろう。しかし聖杯大戦という複数のサーヴァントが同じ陣営に七騎と肩を並べて行われている此度の聖杯大戦においては通常の聖杯戦争の時とは異なり、聖杯戦争の著しい狂いによって生じた因果律の影響で魔力の変換率が暴走している。

 

 結果がこの肉塊(ありさま)。度を越えたダメージを飲み干して、異形の姿を得て“赤”のバーサーカーは蘇る。

 次瞬、巨大な「目」が“黒”のバーサーカーが駆る戦車に向けられた。

 

「ああぁいぃッ!!!」

 

「Aa──ッ!!」

 

 巨大な大木と見紛う「腕」が伸び、ティーガーを文字通り叩き潰さんと振り落とされる。“黒”のバーサーカーはその攻撃から逃れるため、ティーガーを急発進させ、回避。続けて伸びてくる他の「腕」も見事な操縦技術で、落ちてくる「腕」と「腕」の間をすり抜ける形で難を逃れた。

 

 切り抜けた先で、“黒”のバーサーカーはドリフトを決めながら反撃と言わんばかりに砲撃。砲弾が着弾し、“赤”のバーサーカーの肉体表面を焼いて破壊するが、それだけだ。傷は即座に塞がり、傷口からぐずぐずとさらに肉が膨張していく。

 

「Fuuuuu……!」

 

 ……無惨としか言いようのない様だ。元となる肉体を失い、ただの肉塊と化してなお動き続ける怪物。

 これを指してとても英雄とは呼べないだろう。

 だが──それでも。

 

「ああぁぁっせいしゃよ……たたきつぶす!」

 

 その意志、その決意は尚も衰えることなく。

 姿形を失えど剣闘士は誇り高く、不屈だった。

 

「Arrrrrrrrrrrrr!!!」

 

 ならばと狂気に飲まれた騎士もまた吼える。

 敵は動く、まだ動く。ならば壊さなければならない。

 

 元より此処にあるのは共に狂気にある狂戦士。

 動くもの、生きる者、目に付くものは悉く敵である。

 

「オオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」

 

 雄叫びを上げてより苛烈に、より過激に戦いの勢いは増す。

 敵は殺す。

 ただそれだけの狂気を携えて狂戦士たちの戦いは更なる激化の様相を得ていった。

 

 

……

…………。

 

 

「……改めてみると酷いな、アレは」

 

 見張り台の上でアルドルはボソリと言葉を漏らす。

 強化魔術によって強化された視力で以て彼は戦場を観察していた。

 

 たとえば“赤”のライダーと“黒”のセイバーとの戦い。

 たとえば“赤”のバーサーカーと“黒”のバーサーカーの戦い。

 

 特に狂戦士同士の戦いを観察しながらアルドルは嘆息する。

 

「あの調子だとやはり筋書き通り何れ臨界は超えるな。まあルーラーが街に到着している以上、特に問題は無いだろう。守るべき弱者(サブアカウントとシャルロット)が街に居るからな。聖女の性格を考えるに必ずあれは介入するだろう」

 

 本来、ルーラークラスは聖杯大戦の戦いそのものには不介入が原則。それゆえに彼女は聖杯大戦の監察業務以外には手を出してくることは無いが例外というものは常に存在する。

 アルドルが今日日ルーラーの存在に勘付きながらも泳がせていた理由はそこにあった。

 “赤”のバーサーカーの宝具。

 アレはユグドミレニアの城は愚か問答無用で街をも吹き飛ばす代物だ。故にこそ聖杯大戦の正しき運用を役目とし、性格上弱者に手を差し伸べる聖女が街を見捨てる道理はない。

 必然的に彼女は街を守るために行動し、結果的に城塞は守られる。

 

「とはいえ絶対ではないから保険はかけているが……あまり使いたくはないのでそちらに関しては私に幸運の女神が味方することを祈るとしよう」

 

 そう言って彼は狂戦士たちの戦いから視線を切った。

 次に見据えるのは“赤”のライダーと“黒”のセイバーとの戦い……ではなく、その数キロ後方、アルドルと同じく後方から戦場を見据えるサーヴァントの影。

 

「英霊カルナ……流石にマスターが人間のままでは動けないか、いや或いは他に何らかの役目があるのか?」

 

 “赤”のランサー、その秘めたる真名を識るアルドルは警戒するように呟く。

 初撃でユグドミレニアの守りを剥がした施しの英雄は沈黙を守っている。

 かの英霊がマスターにとってかなりの魔力食いであることを考えれば、その行動自体に理由は付けられる。初撃で宝具を放ったのだから魔力の消耗を気にして動けないと。

 

 しかし、そんな状況に陥ることを果たして“赤”の陣営を指揮する男が見落とすだろうか。否、それはあり得ないとアルドルの知見が断言する。

 多くを識るアルドルは既に“赤”の陣営の指揮者が生きていることを確信している。何故なら“赤”の陣営の状況を団体的に動かせる者など極々限られているからだ。

 にも拘わらず、こうして“赤”の陣営がまとまって行動しているのを見るに、やはりその限られた人物は生存していると考えて良いだろう。

 

 そしてその場合、潰した懸念の一つが再び浮かび上がってくることになるのだが。

 

「だが、『庭園』は現れなかった。となるとやはり“赤”のアサシンは落ちているか。令呪で以て命ずれば神代の魔術師ならば手立てもあるだろう」

 

 方法や結果こそはハッキリと見えないが、手段があることだけは識っていたアルドルはそのように結論付ける。自分の作戦(プランニング)はどうやら完璧な結果では終わらなかったが、次善の結果だけは齎してくれたようだ。

 この戦地での最大の懸念事項が消えている以上、たとえ暗殺をあの男が生き延びていたとしても、取れる手段は限られる。

 

 であるならば、潰すのは容易だ。

 そもそもアルドルは今からそれ(・・)をやろうとしているのだから。

 

「“赤”のアーチャーと“赤”のセイバーがいないのは不安だが、両者の特性と性格を考えれば奴の下に居るとは考え難い。であればこちらでの作戦のために潜んでいると考えて良いだろう」

 

 即ち状況はこの通り。この戦場には今まさに現存するほぼ全てのサーヴァントが集っていることになる。

 

「残るは“赤”のキャスターだが、アレは私の脅威とはならん。幾つか想定外はあったものの、作戦通りに状況は整ったという訳だ」

 

 “赤”のサーヴァントは大半が戦地に居り、面倒な横槍を入れてきそうなルーラーもトゥリファスだ。ならばもはやアルドルの予定を邪魔する者などただの一つも有りはしないとアルドルは断言する。

 無論、未だに抑止力などの天上からの邪魔者が入る可能性があるが、ルーラーと直接面識を持たない以上、その確率も限りなく低く抑えられている。

 

 そして最後の条件も今まさに……。

 

「……来たか」

 

 バサリという羽音を聞いてアルドルは空を見上げる。

 満月の夜。月光に照らされながら二対の烏が夜の闇を引き裂いて飛んでくる。

 彼らはカァと一鳴きしてアルドルの下へと着地した。

 

「フギン、ムギン。すまんな雑用をやらせてしまって」

 

 アルドルが有する『工房』の素材となったとある木の枝と共に、アルドルの下へ居付くことになった二対の烏にアルドルは詫びの言葉を掛ける。

 すると彼らは気にするなとばかりに一鳴き。

 彼らからは魔力の気配は感じないため、魔術師の使い魔の類ではないようだが、それにしてもただの烏というには人語を解する辺り妙に賢すぎる烏である。

 

 しかし彼らの来歴を知るアルドルはそれらの違和感を気にせず、フッと彼らに右目の焦点を合わせる。

 目を合わせること数秒、唐突にアルドルは頷き。

 

「ありがとう。これで“赤”の陣営の本拠地は分かった」

 

 最後の鍵を入手したことを確認した。

 

 ……聖杯大戦における勝利条件は敵サーヴァントの全滅だが、その手段としてサーヴァント同士による決着を望むほどアルドルは聖杯大戦に最初から劇的要素(ドラマ)など求めていない。

 そもそも彼は“黒”のアサシンのマスターであり、終始一貫してそのマスターとして相応しい行動を取ってきた。

 だからこそ本格的な開戦が為された後でもその方針は一切変わっていない。

 つまりは敵サーヴァントのマスターの暗殺。

 誰もが戦場に目を奪われている中、アルドルはそれを為そうとしていた。

 

 無論、普通は成立しない。そもそも二対の烏から齎された情報からして、“赤”のマスターたちが控える陣営の本拠地はシギショアラ。トゥリファスからは距離があるし、そこまでたどり着く前に戦いが終わる可能性が高いだろう。加えて“赤”のマスターにも令呪がある。

 暗殺という生命の危機にさらされれば如何にプライドの高い魔術師とて“赤”のサーヴァントを令呪で呼び戻すことだろう。

 だが……。彼はそれが不可能であることも識っている。

 

 そう、神父に対して“黒”のアサシンの暗剣を差し向けた時のように、今まさにこのタイミングこそ“赤”の陣営の本体が最も無防備な状況なのだ。

 懸念は一つ神父の動向だが、正面戦闘に持ち込めばたかだか代行者程度の力しか振るえない男などアルドルの脅威とはならない。それはサーヴァントである“赤”のキャスターも同じこと。

 “赤”のキャスターも一種の厄介さを秘めてはいるものの、その厄介さはアルドルの脅威にはならないのだ。残念ながら彼が言う所の役者(・・)にアルドルは該当しないが故に。

 

 そうなると最後の課題は此処から一気にシギショアラまで向かう手段の方だが。

 そちらに関してはとっくの昔に解決している。

 

「──思ったより余裕そうね、貴方」

 

「セレニケか、手間を取らせたな。何分一人では使えない魔術でな」

 

 掛かる声に振り返りアルドルはそう応えた。

 振り返るとそこには予想通り、気の強さを感じさせる三白眼を気怠そうに細めた女魔術師、セレニケ・アイスコルがいた。

 彼女は一つ息を吐いて、片手に持った魔術品……いわゆる魔女の杖をアルドルの方に投げ渡しながら問う。

 

「それで? 手伝いというのは一体何かしら?」

 

「いや何、少し隣街まで飛ぼうと思ってな、その手伝いをして貰おうと思った」

 

「飛ぶ? ……飛行魔術ね」

 

 アルドルのその言葉に目的が不明瞭なまま呼び出されたセレニケは自分の役割をようやく察する。

 いわゆる魔女の杖を利用した飛行魔術。

 それを行うためにアルドルは彼女を呼び出したのである。

 

 元よりセレニケが得意とするのは黒魔術。

 やや魔女の杖を用いた飛行魔術とは系統が異なるものの、女魔術師の一人としてセレニケは専門的ではないにせよ、当然に修めている。

 

 とはいえ人単体を乗せて飛ばす飛行魔術は相当に困難なものである。まず以てかなりの魔力(スタミナ)を必要とするし、杖の補助ありきでも成功率はセレニケの腕でも一割を超えない。

 加えて浮くのと飛んで進むとで別々の魔術が必要となるので術式を二つ同時に操らねばならぬというマルチタスクを要求するため極めて高難易度となるのだ。

 

 そしてそもそも……。

 

「当人が主に扱う飛行魔術に対して外野が手を貸せることは少ないと思うけれど……」

 

 そう、何より飛行魔術は飛ぶ本人が自分に掛ける魔術だ。

 確かにセレニケは優れた黒魔術師だが、だからといって赤の他人(アルドル)を魔女の杖に乗せて飛ばすなどそんな破格の腕を持ち合わせてはいない。

 故にアルドルが言った言葉は尚の事彼女を困惑させる。

 

 セレニケの疑念にアルドルは一つ頷いて回答する。

 

「確かに真っ当な飛行魔術に他人の手が入る余地は無いな。だが、今から行うのは一種の裏技でな。これには乗り手以外の力が必要となる。……そうだな、セレニケ。君は『トーコトラベル』という飛行方法を知っているか?」

 

 そう言ってアルドルは少しだけ悪戯っぽい笑みを口元に浮かべる。

 

 ──持つべき者は柔軟な発想を有する同級生。

 思わずそう考えるほどの妙案を生み出した学友の姿を脳裏に思い出しつつ、アルドルはセレニケに問いに言葉を返すのだった。




「に、義兄さん。この兵器の山は……」

「ああ、ダーニックが大聖杯ごと接収した品らしい。持て余してたから好きに持って行けとのことだ」

「FUUUUUッ!!(歓喜)」


──ミレニア城塞にて、武器庫での会話


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聖杯大戦 Ⅳ

「よっしゃ、いっちょ大聖杯とやらを拝んでやろうじゃねえかマスター!」


 開戦した聖杯大戦の模様は苛烈を極めている。

 “赤”のランサーによる大規模な宝具による“赤”の陣営の先攻によりミレニア城塞を守護する結界は破られ、無防備なミレニア城塞への城攻めが始まった。

 

 即応した“黒”のセイバー、“黒”のバーサーカーにより城攻めの主力となって平原を駆け抜けた“赤”のライダー、“赤”のバーサーカーの攻勢は食い止めることに成功したものの、依然として“黒”の陣営が直面する喫緊の課題は城塞の守りを復旧させることにある。

 

 “黒”のキャスターは対応に急いでいるものの、そもそも聖杯大戦数か月前から“赤”の陣営に備えて築き上げた結界は一朝一夕で構築できるものではなく、前提として一撃で破られることを想定していなかったため、早々に破壊される以前の結界を立て直すことは困難だった。

 

 だからこそケイローン……“黒”のアーチャーは自らの役目を悟る。元より、クラス・アーチャーとして遠距離戦を得手とする英雄。さらには自他ともに知恵に関しては幾分以上に自陣営に属する他の英雄よりも勝る。

 となれば自発的に無防備となった城塞の守護に回るのはある種、当然の流れだったといえよう。

 

「平原側の射撃部隊編成、配置、完了いたしました。結界復旧のための魔術派遣部隊、修復部隊の編成はおよそ十分ほどで完了いたします。それから“赤”のライダーを足止めするために派兵した衛兵隊は九割が損耗、現在“赤”のライダーは“黒”のセイバーと交戦中ですが、増援を送りますか?」

 

「いえ、結構。サーヴァント同士の戦いが始まった以上、下手な援護は足を引っ張る場面を生み出しかねない。元より対サーヴァント戦は我々サーヴァントの役目ですからそちらはセイバーに一任しなさい。それよりも先にやるべきは一刻も早い城の守りの復旧です。手が空いている衛兵は城の物理的損壊を修復に回しますのでそちらに動員するように」

 

「了解しました」

 

 短く敬礼すると“黒”のアーチャーに報告を行ったベレー帽のホムンクルスは新たに下された命令を実行するため立ち去っていく。

 その後ろ姿を見送りながら“黒”のアーチャーは小さく息を吐く。

 

「ホムンクルスの教導……この短い期間でどれほどの効果があるか不明でしたが、不測の事態に備えるという意味では実用的でしたね。手段が多いというのはそれだけでメリットになる。アルドル殿のおっしゃる通りでしたか」

 

 先ほどから“黒”のアーチャーは弓使いとして、また参謀として戦場の状況を逐一把握し、対応しているが、その手足となっているホムンクルスたちはムジーク家の技術によって鋳造されただけのホムンクルスではなかった。

 いわゆる『強化ホムンクルス』。アルドルが提案し、ダーニックが採用し、“黒”のアーチャーと“黒”のキャスターが訓練を施した、より実働的なホムンクルスたちである。

 

 元々はアルドルが着眼した“黒”のアーチャーが有する独自のスキル『神授の智慧』という風変わりなスキルが事の発端である。

 “黒”のアーチャーことケイローンが独自に有するこのスキルはギリシャ神話の神々から様々な智慧や技術を授かったケイローンが生前、英雄の卵たちに教え授けていった逸話を再現するように、英霊特有のスキルを除いた様々なスキルを高ランクで習得できるという変則的ながらも破格の性能を有するスキルだ。

 

 また教授の逸話を基にしているため、マスターの許可さえあれば他の英霊にもそれらスキルを教授することが可能であり、此度のような陣営間で複数の英霊を介した集団戦においては極めて利便性の高いスキルだと言えよう。

 

 アルドルはこのケイローンのスキルをホムンクルスに対して使えないかと提案し、また“黒”のキャスターのルーン魔術と組み合わせることでただの戦闘用ホムンクルスよりもより実戦的な強化ホムンクルスを生み出せないかと発案したのだ。

 

 無論、事前に召喚されていた“黒”のランサーや“黒”のキャスター、またはアルドルの“黒”のアサシンとは違い聖杯大戦開始前後に呼ばれたケイローンにじっくりと全てのホムンクルスを強化するほどの時間は存在していなかったが、それでも指揮を執るケイローンのサポートをする専門の部隊程度ならば揃えられるだろうという意見から始まった即席の専門部隊は、はたしてアルドルの言った通りこの局面においては“黒”のアーチャーの手足として活躍していた。

 

“ただ教授と実戦とではやはり違うと、そういうことですね”

 

 ケイローンとしては自らの技能や能力からホムンクルスの簡単な教導自体はそう難しいものではなかった。提案自体もアルドルに言われるまでもなくケイローンの頭脳の片隅に当然存在していた。

 しかし、指導者として実際の戦場も戦争も知らないケイローンにとって教導とは腰を据えて相手の将来を慮りながら相手に適した教授の形を、相手に教えながら見出すものであり、その日即日に完結するものではない。

 

 そういった思考が前提にあったからこそホムンクルスに二、三日教授する程度ではあまり意味も意義もないし、対サーヴァント戦が前提にある以上、それらをホムンクルスに施したところで効果は少ないだろうと思っていた。

 だが、アルドルはいった。

 

『こと戦争においては偶然や少し惜しんだ手間というものが時に大局を分けることがある。現状よりも少しでも良くする手段や方法があるならば選ぶのは当然のこと……極東の格言にこういう言葉がある。曰く──』

 

「人事を尽くして天命を待つ……ですか。ふふ、よく考えればまともな戦場に立つことなどこれが初めての経験でしたね。やはり私も学ぶべきことはまだまだ多い」

 

 未だ学べることへの歓びを口にしながら“黒”のアーチャーは同時に冷静な思考で状況を整理していく。

 

 専門のホムンクルス部隊の効果もあり、城塞の修復はこの短い期間でおおよそ完了済み。壊れた結界の方も、簡易な術式であればホムンクルスたちも扱えるため人海戦術で結界の要所となる部分も修復作業も着々と進んでいる。

 城の守りを全面的に任されている“黒”のキャスターとの通信では復旧には半刻程かかるとのことだったが、このペースであれば時間は半分ほどに縮小できる。

 

 敵陣営の城攻め主力と思われる“赤”のライダー、“赤”のバーサーカーはそれぞれこちらのサーヴァントが対応済み。“赤”の陣営に先攻された分の巻き返しは何とか済んだと言える。

 とはいえ、これで全ての懸念が消えたというわけではない。

 問題はまだ幾つか存在している。

 

 第一に敵サーヴァントの所在。“黒”と“赤”の戦争は七騎対七騎の戦だ。後方支援が主な仕事となるであろうキャスターを除いても現在戦場を駆けているのは“赤”のライダーと“赤”のバーサーカーの二騎のみ。

 初撃で大きく魔力を消耗したにしても未だに“赤”のランサーは平原の向こうで様子を窺うように待機している上、他に“赤”の陣営の主力を務められそうな“赤”のアーチャーと“赤”のセイバーは所在不明。

 

 そして何より崩した敵地でいっそう活躍しそうな“赤”のアサシンの存在も捨て置けない。こういった前線が戦場に釘付けになっている上、城の守りが解かれている状況は“赤”の陣営にとって格好の攻め時なはずだが……。

 

「……想定しているよりも攻勢が甘い。宝具を使ってまでこちらの守りを破ってきた以上、“赤”の陣営が大攻勢を仕掛けてくる可能性が考えられましたが」

 

 予想に反して戦場に立つのは実質二騎。“赤”のランサーこそ後方に待機しているものの、現状は三騎士が一騎も戦場に立つことなく戦いが推移している。

 如何に城の守りを剥がしたとて流石にサーヴァント二騎では結界を破ったとしても対抗する七騎のサーヴァントを突破することが困難であることは現状が示す通りでそれが事前に分からない“赤”の陣営ではないはずだ。

 

 或いは本当にそれで事足りるとユグドミレニアを見下す時計塔はそう思ったのだろうか、……それもあり得ない予測ではないだろう。

 先の一撃でミレニア城塞を破ったサーヴァントもそうだが、時計塔はこの戦いに相当にリソースを割き、相当の英霊を揃えている。

 少なくとも“黒”のアーチャーはこの戦場に立った時点で、それにいち早く気づいていた。

 

 何せ“黒”のアーチャーに縁深いどころか彼の教え子たる世界的な大英雄が戦場を駆け抜けている姿を目の当たりにしたのだから。

 時計塔が尋常ならざる英霊を揃えてきたのは疑う余地もない。

 

「確かに、彼がいるならばこちらのサーヴァント次第ではそれだけで聖杯大戦は終わっていたでしょうからね」

 

 “黒”のアーチャーはそう言って“黒”のセイバーと交戦する青年を見つめる。セイバーには悪いが、セイバーがあのまま彼を打ち負かす可能性は限りなく低い。現状互角を演じているが、それ以上に天秤を揺るがすことは出来ないだろう。

 何故ならばセイバーは有していないのだ。

 あの青年、あの英霊を害するために必要な資格を。

 或いはあの青年に存在する弱点を見つけ出すことが出来れば状況も変わるだろうが、残念ながらそこまで交戦しつづければセイバーもまた弱点を気取られかねない。

 

 自陣営の“黒”のセイバーが並の英雄を凌ぐ大英雄であることを無論、“黒”のアーチャーも把握しているが、やはり実感としてあの青年を知る“黒”のアーチャーにしてみれば“黒”のセイバーがあのまま青年を討ち果たす未来を想像することは出来ない。

 

「彼の性格を考えれば、私が相手取るのが最善ですが……」

 

 とはいえ持ち場を離れることはできない。

 ……こうなると口惜しいのは“黒”のセイバーと連絡をすることができないことだ。彼のマスターの方針があるにせよ、何らかの手段で“黒”のセイバーに連絡を取れれば、彼に関して伝えられるのだが。

 

『あ、もしもーし! こちらアス──じゃなかった。“黒”のライダー! 聞こえるかいケイ……“黒”のアーチャーッ!』

 

「……“黒”のライダーですか。魔術的な通信とはいえ、敵のキャスターに会話を盗み聞きされている可能性を忘れないように」

 

『あははは、分かってる分かってる』

 

 不意にイマイチ緊張感のない声が“黒”のアーチャーの思考を断ち切る。

 守りに際して防衛を務めるサーヴァントに手渡されたルーン石を通じての連絡である。相手は“黒”のアーチャーの命で偵察に出ている“黒”のライダーだ。

 

「それで“黒”のライダー。通信をしてきたということは“赤”の陣営の動向について何か判明しましたか?」

 

『んー、それが全然。平原の方を一回りしたけど、他にサーヴァントはいなかったよ。後ろの方まで見て回ったけど“赤”のランサーに睨まれただけだし』

 

「そうですか」

 

 となるとやはり、主戦場に立つ“赤”のサーヴァントは現在交戦中の二騎を除けば他に居ないことになる。

 だとすれば次の可能性としてありそうなのは……。

 

「では“黒”のライダー。今度は城の反対側……そのままトゥリファスの街の方の様子を偵察してきてもらえますか。敵の動きを考えるに、恐らくはそちらで挟撃の態勢を整えている可能性があります」

 

『敵は挟み撃ちを狙っているってかい?』

 

「ええ、今の状況を考えるにそれが一番高い可能性なので」

 

 敵の守りを剥がしたうえでこれ見よがしな攻勢。しかし全ての戦力を使うまでもなく一部を温存させ、敵の動きを見極めている──。

 “黒”のアーチャーが戦場を俯瞰した上での感想は、敵は全力を出すタイミングを見計らっているというものだった。

 

 初撃を放った当人である“赤”のランサーをこれ見よがしに後方で待機させながら二騎のサーヴァントでの突撃というのは相対する方から見ればいざこちらの方から大攻勢を仕掛けていくぞと見えることだろう。

 初めに主要な城の守りが剥がされていれば、その分守る側は焦る上、他ならぬ破壊した当人が戦場後方に控えている以上、全力で守りたくなるのが心理的な当然の動きだと言える。

 

 実際、結界の破壊はそれだけのインパクトを“黒”の陣営に与えたし、先に“黒”のセイバーをマスターのゴルドが先行させていったように、とにかく大きなプレッシャーを強いる。

 そうした心理の状態で平原から……一方向から必死の守りを強いれば視野も狭くなっていく。つまりは隙ができやすい。

 

 ましてや敵の守りが既に解かれている以上、そういった隙を突くのは容易だ。安直な作戦だが、前面に集中させて背後を取る──“黒”のアーチャーは“赤”の陣営の狙いがそれであると予想を立てていた。

 

「如何に同じ陣営のサーヴァントとはいえ我の強い英霊同士、複雑な戦術を取るには期間は短く、また連携も困難です。加えて時計塔は我々の属するユグドミレニア一族とは違い、各々がユグドミレニアの打倒を目指して同盟するだけの利害関係にあると考えられます。綿密な連携や奇を衒う作戦を行うのは不可能に近い」

 

 仮に綿密な戦術行動を取るとするならば、例えば高名な軍師の英霊などが付いていればとも考えられるが、その場合でもやはりマスターが異なるという点が足かせになるだろう。

 英霊側の能力が如何に事足りようとも、そこにマスターの存在が絡む以上、完璧に足並みを揃えて行動することは不可能だと言っていい。

 

 そんな例外があるとすれば、全ての英霊を同一の人物が指揮下に置いているという状況のみだが……それほど卓越したカリスマや協調性が敵魔術師らにあるとは思えない。

 期間はあったとはいえ聖杯大戦はユグドミレニア一族主導で、時計塔の隙を打つ形で開戦の日を見たのだ。優れた魔術師を用意することまでは出来たとしても、それを纏め上げるだけの人材を用意できたとは思い難いからだ。

 

 あくまで同一の目的を持った利害集団である──“赤”の陣営の魔術師たちは味方同士であっても仲間意識は低いと、そう考えられる。

 だからこそ作戦は単純に、そして明快に。

 かつ分かりやすく効果があるものでよい。

 

 元より城攻めとはいえ、攻め手はサーヴァント。

 中途半端に凝った作戦を立てるよりも性能を活かした方が戦争で輝くことだろう。

 

『おっけー、んじゃ街の方は任せてよ。ちょっと行ってくるから引き続き城の守りは任せたよアーチャー!』

 

「はい、こちらはお任せください。それから敵のサーヴァントと会敵しても戦闘行為は避けてくださいね。あくまで敵の位置を把握することが先です。発見しだい報告するのをお忘れなく。頼みましたよ?」

 

『大丈夫、大丈夫! うん、しっかり覚えてるさ! それじゃまた連絡するよ!』

 

 そう言って戦場にあっても軽快な声は途絶える。

 ……一抹の不安が残る辺り、流石あのライダーと嘆くべきか。

 或いはそれでも彼ならやってくれると信頼すべきか。

 

「……いえ、考えても詮無きことです。こちらも状況に備えてやるべきことをやりましょうか。そこの貴方、トゥリファス側を警戒している射手の部隊を増員するように伝達してください。それから城周囲の警戒に当たっている者たちへ、索敵範囲を狭めても構いませんので、とかく索敵範囲を密にするようお願いしてください」

 

 今は信じるだけだと割り切って“黒”のアーチャーもまた己が手足に命令を加えつつ、己のやるべき事へと舵を切る。

 挟撃への対策として“黒”のライダーに任せるにしても、敵が他の戦術を行わないとは限らない、例えば“赤”のアサシンの暗殺など、警戒しなくてはならないことは他にも多い。

 

「今の私の役目はこの城を“赤”の陣営の攻撃から守ること。であればその役目を果たすのみです」

 

 言いながら一度だけ、“黒”のアーチャーは戦場を見た。

 いやより厳密に言うならば“黒”のセイバーと戦う青年の姿か。

 

「…………」

 

 懸念は、ある。

 だがしかし今ややるべき事をやるのだと。

 “黒”のアーチャーは首を振って意識を切り替えた。

 

 

……

…………。

 

 

 ──実のところ、“黒”のアーチャーの予想は概ね当たっていた。

 少なくともこの戦場における(・・・・・・・・)“赤”の陣営の方針は挟撃によるミレニア城塞の攻略であり、“赤”のライダー、“赤”のバーサーカー、そして“赤”のセイバーの主従と、彼女はその様に行動している。

 

 故にこそ、彼女はこうして真剣にミレニア城塞の様子を窺っていた。

 

 森を介して街からミレニア城塞を偵察するというのは常人からすれば望遠鏡を用いても困難であり、それこそこれから数年先により実用的に活用されるだろうGPSなどの手段を使わなければ難しいが、自然の中に生き、そして弓兵として活躍したが故の高い視力を有する彼女にとって、この距離から城の様子を観察することは空の星々を見て取るよりも簡単なことだ。

 

「──ふむ、神父の狙い通り、敵は平原側を特に警戒しているようだな。さて後は私に気づくか気づかないか」

 

 気づいたならば察しの良い敵との開戦。

 気づかないのならば察しの悪い敵の後方を射抜くのみ。

 

 はたしてどうかと呟いた直後、城を跨いで平原の向こうから上空を一騎の飛影が街の方へと飛んでくるのを彼女の目が捉えた。

 

「ほう」

 

 感心の声は二つの意味を含んでいる。

 一つは此方に気づいてみせたこと。

 もう一つはこちらに気づいた者に対して。

 

 前者はこちらの狙いに気づいてみせた知恵者ぶりに感心し、後者は迫る敵の飛影に対しての感嘆だった。

 一見して鳥と見紛う飛影だが、しかしてその足は四本であり、人一人を乗せられる大きさであり、何よりも早い。

 

 正体は考えるまでもなく“黒”の陣営に属するライダーであろうが、人を背に乗せ空を駆る獣など現代には存在しない以上、十中八九は幻獣の類。

 “赤”の陣営に属するライダーと同じように、空を駆け抜けることができる敵のライダーの姿に感心したのである。

 

「見つかったのならば目立つようにと神父に言われていたことだし、せっかくだ。獣狩りといこうか」

 

 彼女──“赤”のアーチャーは犬歯を剝き出しにして獣のように笑い、様子見とばかりにまずは一矢。

 まるで汝はどれほどできるものかと問うように射る。

 

 トゥリファス市庁舎屋上から敵影までは未だ相手が上空を駆っていることもあって距離にしておよそ四キロほどと狙い撃つには凄腕の狙撃手でも不可能なほどの間合いであったが、彼女は息を吸う程度の簡易さでやってのける。

 些事だと言わんばかりに。

 

 実際、神代に荒ぶる獣たちが犇めく暗がりの森の中、無類の精度で獣たちを射殺し続けた彼女にとって、白貌を背に夜空を駆る飛影を打ち落とす程度、造作もない所業であった、

 そしてそれは受ける側にとっては悪夢ともなりうる。何せ闇夜の中、突如として地上から一矢が狙いを違わず急所を穿ってくるのである。

 それも四キロという距離が問題ない程の速度と威力で、だ。

 

 この闇の中、目でとらえることの難しい矢を風切り音で察してみせ、回避するのは極めて難易度の高い所業であり、それが出来たとするならば……。

 

「ふ……」

 

 それは、相手もまた並の英雄ではないということだ。

 飛影が舞う。矢が直撃する寸前に両翼を羽ばたかせて停止することで飛翔する一矢を難なく躱してみせた。

 

「いいだろう。ならば汝の相手はこの私だ。せいぜい上手く逃げ切って見せるのだな、“黒”のライダー!」

 

 それを以て敵手に相応の実力ありと見込んだ“赤”のアーチャーは様子見を止めて“黒”のライダーを射止めに掛かる。

 矢を引く──“赤”のアーチャーが有する弓の銘は「タウロポロス」という。月の女神より授かったこの天穹の弓は宝具として真名解放しなくても矢を引き絞れば引き絞るほど彼女の有する筋力のステータスに関係なく、矢の威力を増大していくことが可能なのである。

 

 先の一撃は特段、引き絞ることなく放った様子見の一撃に過ぎず、ならばこそ射止めに掛かると弓を引いた“赤”のアーチャーの次弾に加減は無い。

 

「ふっ……!」

 

 呼吸と共に夜天を穿つ三矢。

 僅かな時差で以て放たれた連続の矢は先の一撃とは速度が違う。

 音速の矢は一の矢が飛影の征く道を塞ぎ、二の矢が羽を削ぎ、三の矢が飛影を乗り手ごと射抜く必殺。

 先のように急停止で止まれば二の矢、三の矢が刺さる。迎撃するならば最低でも矢の速度を上回る武器捌きが必要。振り切らんとするならば急加速が必要であり、そんな直線的な動きをしようものならば狙いを合わせることは容易。

 四つ目で終わりだ。

 

 “黒”のライダーの対応は如何に──。

 

 見定める“赤”のアーチャーの視界に映る“黒”のライダーは、しかし“赤”のアーチャーの立てたどの想定とも異なる行動を取っていた。

 即ち……矢を躱さなかった。

 その結果が齎すのは言うまでもなく三矢直撃。なのに……。

 

「……なんだと?」

 

 三矢の矢が“黒”のライダーを通り過ぎる。

 狙い違わず“黒”のライダーを撃ち抜くはずの矢はその全てが狙いを外したのだ。

 

 対して“赤”のアーチャーから洩れたのは困惑の声。敵が躱したのならば当然のように次弾を放っただろうし、敵が迎撃したならば感心と共にそれに合わせて対策した上で矢を放っただろう。

 だが敵はあろうことか矢を躱さなかった。にも拘らず矢は逸れた。

 

 狙いを違えたか──あり得ない。

 ならば敵が何らかの細工をしたと見るべきだろう。

 

「……ッ!」

 

 無言で放つ四矢目。威力よりも速力を、より狙いを定めた上で放った一矢の行方を“赤”のアーチャーは凝視する。

 森を駆ける狼よりも卓越した、梟が如き視野を有する彼女は夜であっても矢の行方も敵の姿も確と追える。

 

 かくして敵の絡繰りを見逃すまいと見開いた眼は、穿つ矢の行方と敵の絡繰りを正確に捉えきった。

 矢は外れてない。矢が当たる寸前、“黒”のライダーは確かに回避行動を取っていたのだ。ただしその方法が、羽ばたくことも身を翻すこともなく、飛影が僅かに横にブレるという不自然な方法で、だが。

 

「幻影を用いて実像を誤魔化しているのか……或いは別の絡繰りがあるのか」

 

 どちらにせよ、これで“黒”のライダー相手に点での攻撃は不思議な手段で回避されることは分かった、ならば面で試すまでだろう。

 街を、正確にはトゥリファス市庁舎を旋回するように飛影が上空からこちらの様子を窺っている。

 最初の一矢、先の三矢を凌いだことでこちらを安全に観察できると楽観視したか、それともそれだけ自身の絡繰りに自信があるということか。

 

「ならば、これを見事躱してみるがいい!」

 

 言って放った矢は連射どころか五月雨のような矢群である。

 矢と矢の間など存在しないとばかりに放たれた矢の数は恐るべきことに総数二百以上。これならば幻影だろうが、他の手段であろうが、多少狙いをズラされることなど関係が無い。

 一矢、三矢でダメならばそれ以上を。

 言うは単純だが、それはそれが出来るだけの力量が弓兵にあることが前提である。そして弓兵として彼女にはそれが出来るだけの力量があった。

 それだけのことだが、対する“黒”のライダーは流石に予想外だったのか、慌てて上昇して矢の五月雨から逃れようとしている。

 

 が、もう遅い。見るに幻獣は神秘世界の存在だけに相当な機動力を有しているが、流石に“赤”のアーチャーとの距離を詰めすぎている。

 この距離であれば如何に早く飛ぼうと矢の雨の中に捉えられる方が早い。

 

 このまま針鼠が如く、数の暴力に押されて射殺されるが“黒”のライダーの運命……だが、その予測はまたしても外される。

 そして同時に“黒”のライダーが行う絡繰りを“赤”のアーチャーは目の当たりにすることになる。

 

 そも“黒”のライダーは上に()ぼうとしたのではない。

 上に()ぶのだ。

 

「な……に……?」

 

 眼前で起こったことに初めて“赤”のアーチャーは心底からの驚嘆を口にする。

 飛影が、“黒”のライダーが大きく上昇しようと羽を羽ばたかせたのと同時に、飛影がまるで最初からそこになかったかのように消えた。

 と思った瞬間、その上空。矢群から逃れる位置に突如として出現(・・)したのだ。この目の前で起こった現象、説明付けるならば。

 

「空間跳躍……だと」

 

 或いは瞬間転移と言ってもいい。実情は不明ながらも、“黒”のライダーは一瞬にして別の場所へと移動する能力を有している……!

 

 ──空を駆けるのみであれば“赤”のライダーもそうであるように、多少神代に近い騎乗兵であればそう珍しい手段ではない。だが、空間転移ともなれば話は別だ。何故ならそれは現代において魔法に迫る奇跡の技。

 何の準備もなしにやってのけるなど、神代の魔術師でも難しいとされる神秘である。如何ほどまで転移可能なのかは不明だが、それでも転移能力を有するとなれば話は変わってくる。

 

 “黒”のライダー……彼ないし彼女の操る騎馬は“赤”のライダーのそれに劣らない相当な宝具であるということだからだ。

 故に──。

 

「遊んでいる暇はないな。早々に、こちらの仕事(・・)を済ませてもらう」

 

 こちらの狙いに勘付く前に、作戦を遂行するのみ──。

 即断した彼女は即座に自らの有する宝具──その真名を開放する。

 

「──我が弓と矢を以て太陽神(アポロン)月女神(アルテミス)の加護を願い奉る」

 

 祈り捧げるのはギリシャ神話に名を刻む太陽と月の神々の姉弟。

 

「この災厄を捧がん──」

 

 願い乞うのは敵への災厄。

 

 天へと傾ける弓に番える二矢は他ならぬ神々への貢ぎ物だ。自身への加護を訴え、同時に贄を捧げる嘆願の二矢。

 加護とは、他ならぬ彼女にとっての幸いであり、贄とは他ならぬ敵のことである。

 即ち──彼女が呼び込むのは敵にとっての災厄である。

 

「──『訴状の矢文(ボイポス・カタストロフェ)』!」

 

 かくて二矢が天高く放たれる。

 直後、夜天に星々と見紛う淡い光が瞬く。

 

 太陽と月の神であると同時に弓の神と狩猟の神という側面を有する神々はギリシャ神話に語り継がれる俊足と名高い狩人、“赤”のアーチャーこと英霊アタランテに願い乞われた通り、敵方に災厄を齎す。

 ただし狙いは“黒”のライダーにあらず、降り注ぐ先はミレニア城塞。

 

「ふっ、やはり対応するか」

 

 先の“赤”のアーチャーが自力で以て起こした五月雨の矢など比較にならない程の災厄(カタストロフェ)とも言うべき矢の豪雨を前に、城を囲うように結界が展開される。

 規模は“赤”のランサーの一撃を防いだほどのモノではないにせよ、城の真上を傘のように囲う守りは災厄を殆ど抑えきっている。

 規模や見た目からして即席の魔術だろうに、敵方にはこちらのキャスターとは違って相当な力量の魔術師が付いているのだろう。

 だが、数の暴力は流石の即席技では抑えきれない、僅かに守り損ねた一割が城塞を削り壊さんと迫る。

 

 しかし降る矢を散らす、一矢が正確に、そして間断なく降る雨を逸らしていく。こちらは“黒”のアーチャーであろう。

 後方に待機していた二騎の英霊はこの窮状にあっても完璧に、かつ的確に“赤”のアーチャーの宝具を防いで見せた。

 

 ならばこの場合、“赤”のアーチャーの狙いは“黒”の陣営の守りの前に屈したのだろうか、無論、否である。

 作戦通り──彼女の役目は済んでいる。

 

 “黒”のセイバー、“黒”のバーサーカー、“黒”のランサー。

 

 彼らは平原の主戦場へと向かった。

 

 “黒”のアーチャー、“黒”のライダー、“黒”のキャスター。

 

 彼らは後方からの攻撃に掛かりきりとなっている。

 

 “黒”のアサシンは所在不明ながらもこの守戦において活躍できるほどの性能を有していないのは既に神父が生死を彷徨うことを代価に確認済み──。

 

「では、あとの役目は汝らに委ねよう。曰く最優とやらの実力を見せてもらおうではないか、なあ──“赤”のセイバーよ」

 

 そうして“赤”のアーチャーは“赤”のキャスターの御守りが提げられていた(・・)首元に触れる。

 

 直度、ミレニア城塞を揺るがす赤雷の一撃。

 それは城塞の守りに風穴を開け、侵入口を作る。

 以て作戦は予定通りに。

 

 

 

 

 街から遠く離れたミレニア城塞。

 城壁破壊によって巻き起こった砂煙を剣で振り払いながら首元から手帳のような御守りを引っ提げた鎧騎士が笑う。

 

「よっしゃ、いっちょ大聖杯とやらを拝んでやろうじゃねえかマスター!」

 

「おう、ただし深追いはし過ぎるなよ。あと勢い余って暴れすぎるな。大聖杯をぶった切っちまったら目も当てられん」

 

 かくしてミレニア城塞に現れたのは最優の英霊、“赤”のセイバーとそのマスター。

 遂に“黒”の陣営に対して、“赤”の陣営は真なる接敵を行うのであった──。




「真の英雄を目で──む……いかんな、つい癖で。この場での魔力消費は好ましくない、か」

「うっわ、あのランサーなんかめっちゃ睨んでる。へ? 何だい君? 何かボクのこと褒めてる? あははは止めろよ照れるだろー」

『きゅー(相変わらず運がいいなぁ……無知って幸せですね主)』


──偵察中、貧者と勇士と聡い使い魔


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聖杯大戦 Ⅴ

「槍はねえが──来な、“赤”のセイバー。俺がお前の相手をしてやらァ」


 “赤”のアーチャーによって獅子劫らに齎された連絡と要求は簡潔に言えば、敵陣営への先攻侵入であった。

 “赤”の陣営がサーヴァントらによって“黒”のサーヴァントを押さえつけている内にミレニア城塞内部へ侵入し敵を攪乱する──まず以て極めてリスクが高い上、作戦行動を行う全ての“赤”のマスターらの中でも最も危険な任務であることは違いない。

 

 無論、これは別段強制ではない。“赤”の陣営も獅子劫が背負うリスクを承知してのことか、案件はあくまで可能ならという枕詞の上に成り立っていたし、仮に要求を受け入れないまま自由行動をされたところで、別段文句を付けるつもりはないとも。

 

 あくまで“赤”の陣営はこのような方針と作戦で活動すると、獅子劫への伝令役を任されたという“赤”のアーチャーは言い切った。

 これを聞いてどのように行動するか汝に任せると──。

 

「……ま、命を優先するなら反るのがベターなんだろうが」

 

 城壁破壊直後のミレニア城塞。

 侵入者を駆逐せんと集うホムンクルスの兵隊を前に悠々と獅子劫は煙草を吹かしつつ、ボヤくように呟く。

 

「命が惜しくてこの戦いに参じたわけでもないからな。それに好都合でもある。やりようによっちゃあ“赤”も“黒”も出し抜ける配役だ、だったらまあ──」

 

 前衛と後衛。迅速な対応で陣形を組み立てて迎撃態勢を整えたホムンクルスたちは都合十四体。前衛の戦斧(ハルバート)を携えたホムンクルスたちが十体。後方には魔術詠唱を開始したホムンクルスが四体。

 獅子劫は卓越した魔術師であるがこの数の戦闘用のホムンクルスを破るのは難しい。ましてや後方には既に詠唱に入り、魔術を装填した遠距離の攻撃手段を備えたホムンクルスたちが四体もいる。

 

 紛れもなく劣勢。仮に単独でこの城塞に侵入していればこの時点で既に獅子劫の命運は尽きていただろう。だがしかし、獅子劫の隣には頼れる相棒がいる。戦闘用のホムンクルスなど話にもならない程に頼れる相方が。

 

「此処は多少のリスクを置いてでも乗ってみるべきだろ。なあセイバー?」

 

「ハッ! 当然だな! ねぐらに引きこもってるのにも飽き飽きしてたからな! ここらで鬱憤を晴らさせてもらおう、ぜッ!」

 

 そう言って獅子劫の言葉に応えつつ、矮躯な騎士が飛び掛かって来るホムンクルスたちを一蹴する。赤雷を纏った剣を振るい、戦斧を携えたホムンクルスたちを両断する、のみならず赤雷は通路の向こうまで奔り抜け、後方で魔術を展開していたホムンクルスごと一帯を薙ぎ払った。

 

「……しかしまあ、意外だったぜ」

 

 敵を鎧袖一触にした直後、ボソリと“赤”のセイバーが呟く。

 

「何がだセイバー?」

 

「マスターが付いてきたことにだ。マスターがそこそこやれるってのはあのヘンテコ玩具とやりあった時から知っていたが、普通魔術師って連中はどいつもこいつも引きこもっているもんだろ。実際、“赤”の連中がそうだ」

 

 “赤”のセイバーが言うように、この戦場に“赤”の陣営の魔術師たちは一人も出てきていない。

 先の“赤”の陣営からの伝達にしても“赤”のアーチャーというサーヴァントに任せきりで、とにかく姿を見せないように振る舞っている。

 それは“黒”の陣営も同じだ。

 

 なのに自分のマスターとくれば積極的に戦場に赴き、あろうことか一番危険とも言えるサーヴァントの隣という最前線に立つ始末。

 “赤”のセイバーは全ての魔術師について熟知しているわけではないが、こうして城攻めにまで付いてくる辺り、改めて思ったのだ。

 一体どうして、自らの主は死に急ぐが如く平気で戦場に出てこられるのだろうか、と。

 

「なあマスター? ここまで来て聞くことじゃねえのは分かってるが、なんでアンタはオレについて来た?」

 

 その“赤”のセイバーの何気ない素朴な疑問に。

 

「あん? そんなもんお前の隣が一番安全だからに決まってんだろ?」

 

「────は?」

 

 返ってきた答えは“赤”のセイバーをして唖然とするモノだった。

 戦いの最前線とも言えるサーヴァントの隣。

 それが安全地帯であるなどと己がマスターは答えたのだ。

 

 獅子劫は続ける。

 

「聖杯大戦なんてもんに参加している時点で本質的に安全地帯なんてもんはそもそも何処にもありはしねえ。工房に引き籠っていたところで常にアサシンなんかに狙われるリスクは付きまとうし、敵サーヴァントの宝具によっちゃあ工房ごと吹き飛ばされかねないだろ? 今まさに“黒”の連中がやられているようにな」

 

 聖杯大戦においては複数体のサーヴァントが存在するため、対サーヴァント戦が念頭に置かれた集団戦術が主になるが、やはり強力なサーヴァントを打倒するのに最も効率的なのはマスター殺しであろう。

 

 だからこそ前に出ようが後ろに居ようが結局のところ英霊という強力な存在に狙われ続けるというリスクの本質は変わらない。勝ち続ける限り、勝ちを望む限りマスターは何処にいても命の危険に晒されているのだ。

 だったら……。

 

「どっちみち一蓮托生なんだ。最も頼れる味方のすぐ近くで行動するのは当然の話だろ。ま、俺が死霊魔術師(ネクロマンサー)だからってのもあるにはあるがな」

 

「…………」

 

「ん、どうしたセイバー黙りこくって」

 

「いや、えっと……なんだ……」

 

 戸惑うように、困惑するように口ごもる“赤”のセイバー。

 ……もしかして今、自分はとんでもない言葉を聞かされたのではないだろうか。

 出生からして同じ円卓の騎士すらも信ずる仲間に値しなかった自分にとって向けられたその言葉は初めてと言っていい、全幅の信頼を置いた言葉であり──。

 

「だあああッ! 何でもねえ! 聞かなきゃよかったッ!」

 

「んだそりゃあ、聞いといてそりゃあねえだろ……」

 

「うるせえ! ああでも気合は入った! このまま大聖杯まで突き進むぞマスター!」

 

「おいおい待て待て、まずは大聖杯の位置を探ってからだろ。なんの手がかりもなしに敵陣営で闇雲に捜索してちゃあ魔力が持たん。ここは手っ取り早く“黒”のマスターの一人でもとっ捕まえてだな……」

 

 そのまま猪宜しく突撃しかねない勢いの“赤”のセイバーの様子に思わず獅子劫は制止の言葉を掛ける。

 敵サーヴァントは他の“赤”のサーヴァントが引き付けてるとはいえ、城内へ敵を侵入させたという事実は敵にとって最優先で対処しなくてはならない事態だろう。時間を掛ければ即座に増援がやってきかねない。

 

 此処はより効率的に敵マスターの誰かを捕らえるのが無難だろう。何せこちらには“赤”のセイバーがいるのだ。如何に強力な魔術師とてただの人間がサーヴァントに対応できるものではない。

 

 しかし、獅子劫の掲げたその方針を見逃せるはずもなく。

 それをさせないためにこそ、彼は城塞内に配置されたのだ。

 

「──おっとそいつはやらせられねえな」

 

「ッ──!? セイバーッ!」

 

「ラァ──!!」

 

 獅子劫と“赤”のセイバーの会話に割って入る男の声。

 瞬間、獅子劫は飛びのき、“赤”のセイバーは赤雷を放つ。

 しかし。

 

「ハッ、良い反応だ」

 

 赤雷が直撃する寸前、男が手を翳す。

 それだけで赤雷は飛散し、力を失った。

 赤雷を散らした後に残ったのは翳す手に浮かぶ盾のルーン魔術だ。

 

 それは城外で“赤”のランサーの攻撃による余波から自らを守るために使用したアルドルの魔術と似通ったモノでありながら威力、効果ともに桁が違った。

 アルドルの技があくまで余波を防ぐ程度のものであるならば、男の魔術はサーヴァントの一撃を完全に防いで見せるほどのモノ。

 これほどのルーン使い、ルーン魔術の基盤が衰退している現代において実現できる者などそうはいない。出来るとすればそれは……。

 

「よぉ、“赤”のセイバー。自己紹介は必要かい?」

 

「……いらねえよ、魔術師風情がよくもまあオレの前に出てこれたもんだぜ」

 

 ……サーヴァント以外にあり得ないだろう。

 辛辣に言葉を返す“赤”のセイバーに“黒”のキャスターは笑う。

 

「そりゃあ工房(しろ)に侵入されちまったら出るしかないだろ? ま、仮にも信頼されて城の守りを任されてるんでね、そこんところはお前さんのマスターに対するそれと一緒だ」

 

「てめ、聞いてたのかッ!?」

 

「おう、まあな。随分マスターに信頼されてるようじゃねえか。俺のマスターは残念ながら勇猛果敢には程遠い典型的な魔術師でね。なんでそこんところは羨ましい限りだ」

 

 肩を竦めながら“黒”のキャスターは茶化すように笑う。

 その態度が癇に障るが、安易に激昂することはなく、舌打ち一つで怒りを妥協しながら“赤”のセイバーは剣を深く構えることで応える。

 

 挑発に乗るというわけではない。無論、ムカつく“黒”のキャスターに一発入れてやろうという思いが無きにしも非ずだが、それ以上に敵サーヴァントに捕捉された以上、マスターの安全を確保するためにもサーヴァントである己が相手取らなければならないだろうという判断からだった。

 

「おいマスター。アンタは適当に敵マスターをとっ捕まえて大聖杯を見つけ出しといてくれ、オレはこいつを此処でぶっ殺す」

 

「……はぁ、止めろって言ったところで聞きはしないか。どのみちサーヴァントが出てきた以上、お前さんに戦ってもらうしか選択肢は無いわけだしな──セイバー、ここは任せて良いんだな?」

 

「ああ、安心しろ。すぐに追いつく」

 

「よし、くれぐれも深追いはするんじゃねえぞ」

 

 そう言うと獅子劫は“黒”のキャスターに警戒の目を向けつつ、駆け出した。幸い、城塞をぶち抜いて侵入した場所は通路のT字路。真正面に構えたキャスターがいる都合上、城塞の中心部に直接走ることは出来ないが、遠回りで別ルートを探すことは可能だ。

 獅子劫は大回りになることを知った上で左右の伸びる通路の内、右の方向へと駆けだした。

 

 それを“黒”のキャスターは悠然と見送り、“赤”のセイバーは“黒”のキャスターに警戒の視線を向けたまま、気配のみで感じ取った。

 

「追わねえのかよ」

 

 “赤”のセイバーが“黒”のキャスターに問う。

 それに“黒”のキャスターはニヤリと笑って返す。

 

「此処は敵陣だぜ? お前のマスターは優れた魔術師なのかもしれないが、早々に攻略できるもんじゃねえ。それにホムンクルスの衛兵たちに“(うち)”の魔術師たちもいるからな。サーヴァントならばいざ知らず魔術師一人で今すぐどうにかなる話でもないんでね」

 

 そう言って“黒”のキャスターはくるりと自らが携える杖を弄びつつ、それをそのまま槍のように構えて、低く腰を落とした。

 

「なんで、城の守りを任されてる都合上、俺の役目はアンタの相手ってわけだ。サーヴァントはサーヴァント同士、魔術師は魔術師同士ってな。それに実質、アンタの魔術師とうちの魔術師で一対六だ。お前をここで押さえ続けた方がこっちにとっちゃお得でね」

 

「そうかよ……だったら……!」

 

 飄々と漏らす“黒”のキャスターを睨みつけて剣を握りしめる。

 “赤”のセイバーの感情に共鳴するように手にする剣には赤雷がバチバチと弾け飛び、潤沢な魔力が装填されていることを告げる。

 一瞬の静寂──そして。

 

「槍はねえが──来な、“赤”のセイバー。俺がお前の相手をしてやらァ」

 

「役者不足だ! 速攻でぶっ潰すッ──!」

 

 かくて開戦。通路の床を踏み込みで陥没させながら“赤”のセイバーが駆ける。

 

 ──“黒”のキャスター。

 ルーン魔術を手繰るこのサーヴァントの性能は未知数であるものの、魔術師のクラスであることからその能力の殆どが魔術に依存していることは明確だ。

 故にこそ、この戦い。“赤”のセイバーは自らが宣した通り、速攻で決着を見るものだと考えていた。

 

 そも三騎士と呼ばれる聖杯戦争の花形とも言えるセイバークラスである“赤”のセイバーと異なり、“黒”のキャスターはキャスター……聖杯戦争においてはアサシンに次いで弱いと区分けされるサーヴァントである。

 

 その理由としては魔術はともかく、魔術師のクラスであるが故に基本的に肉弾戦を不得手としていることが挙げられるが、それ以上にこの聖杯戦争と呼ばれる儀式においてキャスタークラスが不利とされるにはもう一つ大きな理由がある。

 

 それが他ならぬセイバークラスの存在だ。

 

 最優のサーヴァントとしてセイバーのクラスで召喚される英霊は高いステータスを有するが、その他にクラススキルとして『対魔力』というスキルを獲得することが多い。

 

 この『対魔力』というクラススキルは読んで字のごとく魔力に対する耐性であり、ひいては魔術そのものへの耐性とも言い換えられる。

 円卓の騎士として高い知名度を有する強力なセイバーである“赤”のセイバーが有する対魔力のランクはB。およそ、大魔術で以てしても傷つけることが叶わないほどの強力な魔力への耐性である。

 

 つまりこれは相性の問題なのだ。

 如何に“黒”のキャスターが魔術師として召喚されるほどに高名な魔術師であり、強力な魔術を司ろうとも……“赤”のセイバーにはそもそもその魔術が有効に働きにくい。

 

 加えてこの位置、この間合い取り。ここまで近接戦を得手とする“赤”のセイバーに接近を許した時点で魔術師に過ぎない“黒”のキャスターの運命は決まっている。

 

「此処でオレに会った不運を呪って逝くが良いッ!」

 

 踏み込み、一閃。それで終わりだ。

 音速にも迫る“赤”のセイバーの踏み込みに、近接戦を不得手とする“黒”のキャスターが対応できるはずもなく、赤雷を纏った剣が一瞬にしてフード姿の魔術師を真っ二つに両断する──。

 

「──ハッ、侮ったな。セイバー!」

 

「ッなに──!?」

 

 一瞬の攻防は正しく達人芸だった。

 両断せんと“赤”のセイバーが剣の間合いに“黒”のキャスターを捉えた直後、“黒”のキャスターは逃げるでも魔術を使うでもなく、その手に構えた杖を槍のようにして構えたまま、まるで槍で突くようにして“赤”のセイバーが剣を振り抜く直前の手元を狙いすまして、穿ち、かち上げる。

 同時に獣のような姿勢で体勢を低く、“赤”のセイバーの懐に踏み込む。

 

 振り抜く寸前の僅かな隙を突かれたことにより“赤”のセイバーの剣は“黒”のキャスターの頭上を掠めて通り過ぎ、逆に“黒”のキャスターは攻撃直後で無防備となった“赤”のセイバーの懐に潜り込むことに成功した。

 

 予想外の結果に驚愕で顔を歪める“赤”のセイバー。それを嘲笑うかのように“黒”のキャスターはそのまま杖を槍に見立てて構え、先端部を“赤”のセイバーの胸部に鋭く突き立てた。

 

「吹き飛びな」

 

 先ほどまでの調子と一転して背筋が凍り付くような冷たい言葉と同時に、“赤”のセイバーは言葉の通りに吹き飛ばされていた。

 恐らくは魔術によって筋力を強化していたのだろう、とてもキャスタークラスのものとは思えない強烈な一撃は“赤”のセイバーを吹き飛ばし、あわや城外に叩き出されかける。

 が、流石は最優のクラスというべきか衝撃の直前、敢えて自ら後ろに跳ぶことで僅かに威力を緩和したのだろう。

 

 “赤”のセイバーが崩した城壁から、外部に吹き飛ばされる寸前で“赤”のセイバーは何とか踏みとどまる。

 

「て、めぇ……!」

 

「ほう、やるじゃねえか。とはいえ獲物が(これ)ってのもあったな。槍だったらその鎧ごと今ので終わらせられたんだろうが……」

 

 睨む“赤”のセイバーに飄々とした調子を取り戻して“黒”のキャスターが笑う。だが、その笑みには先ほどまで無かった一種の不敵さが浮かんでいた。

 

「こういうわけだ。分かったろ? 槍は無くても杖がありゃあそこそこ出来るのさ。さて“赤”のセイバー。お前は俺を速攻倒すことが出来るかい?」

 

「たかがキャスター風情が槍兵の真似事か。良いぜ、オレも付き合ってやる。テメエの真似事が何処までオレに通じるか、やってみせろ似非ランサーッ!」

 

「抜かしたな、セイバー。ならば我が槍技。たとえ杖であろうともなんら衰えぬものだとその身で味わっていきなァ──!」

 

 ミレニア城塞を舞台として二騎のサーヴァントが激突する。

 奇しくもその構図はとある夜の再現のよう。

 仮にアルドルが居合わせたならば壮麗なる剣士と獣が如き俊敏性を持つ槍兵との戦いを幻視することとなったであろう。

 或いはこれも王の後継を狙う反逆の騎士たる彼女の運命か。

 

 かつて何処かの世界、何処かの夜であったように。

 剣士は、術師に転じた槍使いと相まみえる──。

 

 

……

…………。

 

 

 “赤”のセイバーと“黒”のキャスターが本格的な戦闘に乗り出したのと同刻、別行動を取る獅子劫も遂に敵と見えることになっていた。

 

「さて、と。自己紹介は互いに省いて構わないよな」

 

 獅子劫が嗤いながら言うと相対する敵──少女フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは穏やかに微笑む。

 

「そうでしょうね。お互いに名を知らぬはずはありませんし、何より事ここに至ってそれは無駄な手間でしょう。この城に踏み込んで来た以上は」

 

「は、違いない」

 

 言いながら獅子劫は愛用の銃を構え、フィオレは自らの利き腕に取り付けた、白銀の篭手のようなものに触れる。

 

「一応、聞きますが今すぐ我らがユグドミレニアの居城から立ち去るつもりはありますか?」

 

「そうだな、この様子を見てアンタはどう思う?」

 

 フィオレの言葉に獅子劫は手にした自らの銃器(えもの)を見せて返す。それにフィオレは年相応の満面の笑みを浮かべて、

 

「では、その様に──」

 

 直後、フィオレの礼装と思われる腕に魔力の渦が発生する。

 それを感じ取った瞬間、獅子劫は躊躇いなく銃を撃った。

 

 愛用のソードオフの無銘の水平二連式ショットガンから打ち出されたのは鉛の銃弾などではなく、人の指だった。

 

 ──これこそが死霊魔術師たる獅子劫の放つ魔弾である。

 北欧の魔術にガンドと呼ばれるものがある。

 これは相手を指さすことで指さした相手を呪う魔術なのだが、魔力を強くして編み上げるとこれは銃弾のような物理的な破壊力を発揮することがある。

 

 獅子劫が放つこの魔弾は相手を指さすことで呪うガンドを参考に、死霊魔術を組み合わせた指弾であった。銃弾として放った直後から進行方向に存在する生命の体温を足掛かりに敵性存在を察知し、追尾。

 そして直撃したならば敵体内にそのまま潜り込み、心臓を目指して到達すると同時に呪いを破裂させるといった効果を有する文字通り呪いの魔弾である。

 

 必殺必中。当たった瞬間、少女の命は戦場の花と無惨に散ることになったであろう。だが迫る銃弾に対して少女は恐怖も怯えも抱かない。

 告げるのはただ一言。

 

「──守護の錫杖(ユーピター)、迎撃命令」

 

 直後、少女の背後からまるで蜘蛛の足のように四本の『腕』が伸びる。

 そのうちの一本が亜音速で迫る魔弾を掴み、防いだ。

 

「……! そうか、そいつが……」

 

 魔弾を掴んで防いだこともそうだが、命令から行動を起こすまでの速さ。その機能性は自らの腕を動かすが如く。

 ならばこそ伝え聞いた知識から獅子劫はフィオレが操る『腕』を看破する。

 あの礼装こそがユグドミレニアの才媛、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアが時計塔で降霊術(ユリフィス)と人体工学を学んだ上に編み出した魔術礼装。

 ──接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)

 

「──よくご存じのようですね。では、どのように対応しますか?」

 

「くっ」

 

 ニコリとフィオレが笑う──曰く、その性能はかのケイネス・エルメロイ・アーチボルトが開発した月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)にも匹敵するという魔術礼装が獅子劫に牙を剥いた。

 

「──戦火の鉄腕(マルス)、射撃命令」

 

「うおおおおおおッ!?」

 

 そしてお返しとばかり『腕』から放たれる『光弾』。銃弾に負けず劣らずの威力で吐き出される魔力の弾は突撃銃(アサルトライフル)のような乾いた音を立てながら獅子劫を蜂の巣にせんと放たれる。

 たまらず獅子劫は自らのジャケットに強化の魔力を付与しつつ、手に持つ魔弾で自身に向かってくる弾丸を弾きつつ、身を低くとる。

 

「クソッ、通路じゃ不利だ……!」

 

 逃げ場のない通路で相手取るには敵の方が性能も手数も上だと獅子劫は即断し、胸元から缶のような物体を取り出すと、地面を滑らせるようにしてフィオレに向けて投擲する。

 

「ッ! 轟然の鉛腕(ザトウルン)ッ!」

 

 僅かに遅れて反応したものの、フィオレの魔術礼装が『腕』の性能は流石のもので投げ込まれた物体を即座に危険物と断じて、『腕』は通路の床に押さえつけるようにして缶を叩き潰す。

 が、その反応の良さが仇となった。

 缶は攻撃のためのものではない。相手に隙を作るためのものだ。

 獅子劫がニヤリと笑ったのと同時、光が通路を焼く。

 

「きゃあッ!?」

 

“閃光弾──ッ!?”

 

 反射的にフィオレは両腕で目を庇う。

 なまじ動物霊で自動制御している接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)はその性能上、迎撃において優れた性能を有しているが、複雑なまでの行動パターンを入力することは出来ない。

 主に迫る危機に対して自発的に迎撃できるまでは良いものの、攻撃の種類まで事細かに判断するほどの知能を有してはいないからだ。

 

 そしてフィオレは優れた魔術師であっても相対する獅子劫や、或いはユグドミレニアのダーニックやアルドルらのように戦場慣れしていない。

 そのため飛んでくる攻撃を全て横並びに防がなければならない脅威と認識していた。それが仇となる。

 フィオレが閃光に目を眩まされるのと同時、何かの金属音が微かに耳を掠める。直後、通路に広がる爆音。

 

“敵の攻撃っ──!?”

 

戦火の鉄腕(マルス)ッ!」

 

 狙いは付けず、とにかく近づけさせないように『腕』の光弾で掃射。通路の何処にいても逃げ場がない射撃で攻撃も敵も諸共吹き飛ばす魂胆でフィオレは『腕』に攻撃を命ずる。

 命令を受けた『腕』は主の望み通りに、掃射射撃を行い、敵も脅威も一掃せんと光弾を放つが──光が消える、弾痕だらけの通路にはたして敵の死体は無く。

 

「……穴。そう、さっきの閃光弾に紛れて……」

 

 通路にぽっかりと空いた穴。

 サイズはおよそ三メートルほどで底は城塞の地下にまで繋がっている。

 ……先ほどの閃光弾を投げ入れた直後の爆発。アレは恐らく手榴弾で起こしたものだろう。アレでこの地下への(みち)を作り、獅子劫はまんまと逃げおおせたのだ。

 

「くっ……!」

 

 悔しさに歯を噛み締める。

 偶発的な戦闘だったとはいえ、出会った以上はフィオレは当然、獅子劫を仕留める心持でいた。

 しかし相手はそも大聖杯を優先してミレニア城塞に潜り込んでいるのである。であれば正々堂々と魔術戦を行うのではなく、目的のために早々に逃走と言う手段を取るのは考慮するべきだった。

 

「やはり、アルドルの様にはいきませんか……」

 

 仮にかの青年であればきっと相手の狙いを見抜いた上で取り逃がさないように立ち回りながら獅子劫を確実に仕留めてみせたであろう。

 みすみす敵を逃がしてしまった自己嫌悪と、アルドルに抱く劣等感からフィオレは胸を強く抑えた。

 

「……いえ、いえ。こんな事をしている場合ではないですね──おじ様、聞こえますか? ダーニックおじ様」

 

 ポケットから通信用のルーン石を取り出す。

 それにフィオレが呼びかけると直後に聞き馴染んだ当主の声が返ってくる。

 

『──ああ。聞こえている。どうやら戦闘があったようだが、無事かフィオレ?』

 

「はい、私は何とも、ですが敵を取り逃してしまいました……」

 

 声音に宿る無念の声。その悔しさと役目を遂げられなかった罪悪感を噛み締めるフィオレを心づかってか、ダーニックは優しく言葉を返す。

 

『いや、君が無事ならば問題は無い。君は我々ユグドミレニアにとって優れた俊英であるが年若い君にはまだまだ魔術師同士の戦闘は重責だろう。そう気に病むことは無い』

 

「ですが……これがアルドルであれば……」

 

『フッ、アレは例外だ。流石に誰しもアレのようになるのは厳しいだろう。それに誰しもがあの調子ならば私も心休めないさ。君はまだ年若く、これから花咲いていくという可能性がある。それぞれには得手不得手というものがあるのだからそう焦るものではないだろう。近親にアレがいる以上、気持ちは分からなくはないがね』

 

「はい……おじ様」

 

『侵入者の相手は私とセレニケで務める。フィオレはそのまま身の安全を確保しつつ、“黒”のアーチャーと共に平原の戦場の様子に対応してくれ』

 

「はい、了解いたしました」

 

 そう言って、通信が切れる。

 先ほどの戦闘が嘘のように静寂が通路に満ちる。

 その中でポツリとフィオレが漏らす。

 

「遠い、ですね」

 

 彼であれば獅子劫を仕留めていただろう。

 彼であればダーニックに気遣いなどさせなかっただろう。

 

 今もただ一人、当主の旗下に加わらず、一人ユグドミレニアの勝利を目指して進み続ける青年。

 あのダーニックが自由に動くことを許諾した唯一無二の信頼すべき後継。

 

 隣にあったはずの幼馴染の背中は何時しか遠く、ただ見送るだけしかできないものになっていた。

 全てはやはり、あの挫折。

 止まった私と歩いた彼。

 その一歩の差から始まった距離は僅かながらも埋めがたい断絶だ。

 

「もしもあの時、私も進めていれば──」

 

 そうすれば今も昔のように、隣で一緒に歩けていたのだろうか──。

 

 少女の苦悩と嘆きが静寂に消える。

 応える言葉は無く、青年の背は遥か遠くに。

 冷たい闇のような沈黙だけが少女の言葉を聞き届けていた。




「やはり飛行はこの手に限るな……。流石は我が友、相も変わらずぶっ飛んだ発想力だ……──今の私は、通常の飛行魔術の三倍速だ……!(ちょっと楽しい)」


──トゥリファスとシギショアラ間上空にて。



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邂逅

あー 参ろうやな 参ろうやなぁ
パライソの寺にぞ 参ろうやなぁ

──とある信仰者たちの祈り


 深夜二時──ブカレストの街は静まり返っていた。

 ルーマニアのブカレストと言えばルーマニアの首都にして最大の都市。ともすれば深夜に飲んだくれる男たちや水商売の女の影があっても然るべきである。

 しかし今日この日に限って言えば街は不思議なほどに静かだ。

 

 通り抜ける風は冷たく、満月の夜なのに闇が深い。

 獣たちすら息を潜め、静寂を保っている。

 

 不意に──沈黙を破る、一つの足音が聞こえる。

 

 コツコツと規則正しく響き渡る音は平時であれば気にも止めないような生活の音。にも拘わらず街の沈黙もあってか、足音は町中に響き渡るような錯覚を感じさせるものだった。

 さながらそれは支配者の凱旋。

 玉座へと至る王を見守るように静寂が緊張の色を纏う。

 ただ在るだけで空気が引き締められるようだ。

 

 そうして足音と共に人影が闇の中から姿を現した。

 

「──……」

 

 千年樹に属する魔術師であることを示す、白い制服。

 その上から白い外套を纏い、腰には剣を携えている。

 夜風に翻るのは藍色の髪、若く端正ながらも一種の鋭さを感じる顔立ち。

 

 してみれば何処かの物語に登場する騎士のような、そんな印象を周囲に与えるだろう青年である。

 ただでさえ現代からしてみれば異端のように感じる青年だが、容姿や装飾品以上に明確なまでの異端性を有している部位があった。

 右目である。

 

 本来であれば青年の左目と同じく欧州人らしい青色(ブルー)の瞳であるはずなのに右目の虹彩は左目のそれと異なり、橙色。

 いわゆる虹彩異色症(オッドアイ)というものであった。但し青年のそれは虹彩の違いに加えて、不可思議なことに瞳孔の中に文字が輝いて見えた。

 

 瞳孔の中央部に据えられた九つの枝を重ね合わせた紋様を中心として広がる二十文字を越える鍵文字の数々。

 見るものが見ればそれはエルダールーンというものであると看破するだろう。

 曰く、死と再生を象徴するという文様だ。

 

“──オーディンは九つの栄光なる枝を取りて、一撃にせん。

 毒蛇九つに裂けて、分かたれり”

 

 不思議な話だが、エルダールーンのように対照的に並べた九つの枝の紋様は、それをなぞることで既存の全てのルーン文字を顕すことが出来るという。

 それはまるで図ったような美しさ。

 九つの枝、九つの図──九つという世界でルーン文字(ことば)は表現できるのだ。

 

 そう──ルーン文字を操る者たちは、九つの世界で生きている。

 

「…………」

 

 それこそが己の宇宙観(コスモロジー)であるのだと公言するように、青年の瞳は星が瞬くように、淡く輝いている。

 平時であれば魔眼殺し(モノクル)で閉じていた世界を見開いているのは偏に今が平時でないからだろう。

 静寂を征くこの青年は今より既に戦場だと心得ている。

 そして今より全ての趨勢が動くだろうとも。

 

 夜の静寂は即ち嵐の前の静けさなのだ。

 これより先、今宵の主役が遂に舞台に上がるのだと。

 世界が、運命が、予感したからこその静寂。

 

「…………」

 

 一歩、踏みしめるたびに青年は自分自身を自覚する。

 

 ──肉体に不備はないか、精神に不足はないか、魂に傷はないか。

 ──魔術回路は良好か、工房接続に途絶えはないか。

 ──記録に翳りはないか、経験に不明はないか。

 

 熟練の医師が丁寧に触診するように。

 青年は己自身を確かめていく。

 それは遥か昔、幼子の頃から行っている手癖だった。

 

 何か、大事な時はこうして自分を確かめる。

 

「…………」

 

 我思う、故に我あり。

 その『我』こそが『私』であることを信じられるたった一つの鍵だった。

 

 ──ある日気づけば、己は全く知らない世界に放り出されていた。

 容姿が違う、家族が違う、常識が違う、日常が違う、世界が違う。

 そんな状況に突然放り込まれた時、人は一体何を思うか。

 

 いきなり足場を崩されたような喪失感、自分自身が積み上げてきたものすべてが崩壊する感覚。

 その中で、正気を保つ術は昨日(むかし)から連続する『我』という名の自分自身を信じることだけだった。

 

 だからこその我あり。

 青年にとってこの世に存在する普遍かつ不変とは、他ならぬ己自身だった。

 

「…………」

 

 故に決断と選択が生死を分かつ大事にあって最大の武器を確かめる。

 大事なのは常に己自身。

 何を思い、何を感じ、何を掴み取らんとするのか。

 道を見失わないために、青年は己自身を確かめる。

 

 お前は誰だ。

 

 ──私はアルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 何処から来た。

 

 ──遠く、遠く、遥か遠く。ずっと向こうから。

 

 行先は。

 

 ──最果てへ。栄光と智慧の彼方へと。

 

「…………は」

 

 ならば何も、何も問題は無い。

 出来る限りの最善を整え、最良の結果を求め続けた。

 運命を覆すために、黄昏を越えるために。

 

 後は愚者のように踏み出すだけ。

 己が最強と証明するのみだ。

 全て、全て、悉く、凌駕し、超越しよう。

 

「──ハーヴィの館で、ハーヴィの箴言は語り終えられた。人の子には有用この上なく、巨人の子には無用のもの。語られた者には栄えあり。知る者には栄えあり。聞いた者は生かせ。傾聴した者に栄あれ」

 

 では──栄光を取りに行こう。

 

 足音が止まる。アルドルの視線の先。

 そこに目的の建物が存在していた。

 

 ブカレスト中心部に建築されたアテネ音楽堂。1800年代の終わりに建てられたブカレストを代表するコンサートホールで、クラシックの世界的な音楽祭の舞台ともなる著名な場所である。

 そして此処こそが、“赤”の陣営が新たに拠点として定めた、敵の本拠地でもある。

 

 それを示唆するように周囲には微かに魔力の気配。結界の残滓。

 だが、不思議なことに侵入者を拒むはずの守りは今は完全に解かれている。

 

 扉に手を掛ける。鍵は掛かっていない。

 結界と言い、まるで来客を待っているかのようだ。

 

「ク──」

 

 アルドルの口から苦笑の様な、嘲笑のような笑いが漏れる。

 それは敵手の大物さに対してか、或いは傲慢さに対してか。

 好んで試練を望む神の信仰者(マゾヒスト)らしいと笑う。

 

 アルドルは臆することなく、扉に手をかけ、躊躇なく開け放ち、歩を進める。

 そうして──。

 

「──ようこそ、お待ちしておりました」

 

 舞台へと続く観客席の向こうに。

 遂に不倶戴天の相手を目にするのだった。

 

 

 

 ──邂逅する。

 

 この聖杯大戦始まって以来、舞台の裏から己と同じようにこの戦いそのものを己の都合が良いように操ろうと見え隠れしていた影。

 “赤”の陣営という時計塔の手駒たちを乗っ取り、陣営そのものを手中に収めんとした己に最も早く剣を突き立てた敵。

 それが今まさにシロウ・コトミネ神父──否、第三次聖杯大戦より生存し続けた“赤”のルーラー、天草四郎時貞の眼前に現れたのだ。

 

「そうですね。始める前に少し質問をさせて頂いても?」

 

「好きにすると良い。時間稼ぎだろうが本心だろうが、やるべきことは変わらないからな」

 

「ありがとうございます」

 

 意外なことにシロウの提案に返ってきたのは了承の言葉。

 穏やかながらも両者の間に交わされる意識は不倶戴天を掲げているが、それでも無言のままに開戦するほどの憎しみを両者持ち合わせてはいない。

 

 敵が憎いから排除するのではない。

 互いの願い、互いの祈りのために排除するものである。

 なればこそ、互いに憎悪も怒りも持ち合わせてはいない。

 ただただ相容れない。両者はそれだけだった。

 

「では初めに。貴方が“黒”の陣営のマスター、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアで間違いないでしょうか」

 

「ああ、私がアルドルだ。“黒”のアサシンのマスターでもある。何故分かったのかは……まあ、この状況ならば明確か」

 

「ええ。手酷くやられましたからね。お陰でこちらの計画も大きく修正する必要が出来てしまいました。私のことはいつから気づいていたのですか? てっきりダーニックが気づいたのかと思っていましたが……貴方の様子を見るにどうやら違うみたいだ」

 

「いつから気づいていたか……最初から、と言えば信じるか?」

 

「最初から、ですか。なるほど、それは大変だ」

 

 アルドルの言葉にシロウは苦笑するように頷く。

 常人であればその大言に馬鹿なと一笑してしまうだろうが、シロウは疑うことなくその言葉を信じた。

 

 何故かと言えば難しいが、その言葉に偽りが無いと思ったからだ。こちらを見据える油断のない瞳には迷いも嘘も何もない。ひしひしと見る者を焼き尽くすような決意が満ちているだけ。

 ……何処かの聖者と同じ目をしている以上、可能不可能は問題ではない。

 

 やると言ったらやる。

 そう言わしめるだけの決意(チカラ)がある。

 ならば男がそうだと言ったらそうなのだろうとシロウは疑うことなく信じる。

 

「では私がこの戦いに望むこともご存じなのでしょうか?」

 

「全人類の救済の事か。大聖杯を用いた第三魔法を利用し、全人類を死の呪縛から解き放ち、この世から全ての争いを失くす。それを以て救済とするのだろう」

 

「はは、ええまあ。その通りなのですが……こうして面と面で向かってあっさり言われると中々に滑稽ですね」

 

「確かに。言わんとするところは同感だ。全人類の救済、あらゆる聖人君子が望んだ理想もあっけらかんと口にしてしまえば喜劇のようだな」

 

 シロウの困ったような笑みにアルドルもまた頷く。

 全人類の救済──第三次聖杯戦争において大聖杯を目にした瞬間から、この数十年、シロウがずっと胸に抱いていた祈りも口にしてしまうと軽く感じてしまう。

 それも敵が当然のように口にするというこの状況は正しく滑稽としか言えないだろう。何せ両者ともにそれが不可能だとは思っていないのだから。

 

「ふふ、しかしそうなると甚だ大変だ。この聖杯大戦に勝利する上で貴方という存在には確実に死んでもらわなければならなくなりました」

 

「それについては私も同感だ。……殺し損ねたことまでは()れたが貴様のその(ナリ)。よもや受肉したサーヴァントが再び英霊として返り咲くとはな。ルーラーの駒は既に埋まっているはずだが……ふん、展開が早すぎたな」

 

 そう言ってアルドルは厳しくシロウを睨みつけた。

 ……不気味な薄ら笑いを浮かべる目の前の男はあろうことかマスターであるアルドルの目にはサーヴァントとして映っている。

 それもマスターとして目に映る霊基は紛れもなくルーラーだと訴えている。

 

 ──聖杯大戦に紐づけられた様々な要因要素を限りなく細部まで見通すことの出来るアルドルは、自身の暗殺が失敗し、目の前の神父が生き残ることまでは当然のように見えていたし、その可能性を計算した上での第二、第三のプランも当然のように用意していた。

 

 だが少なくとも現時点、現在までの進行において既に神父がサーヴァントとしての格を取り戻していることについては完全に想定外だったと言っていい。

 何せ、その展開(みらい)はユグドミレニアの大聖杯が奪取された場合に発生するだろうと予見していたのだ。だからこそアルドルは言ったのだ、展開が早いと。

 

「……やはり貴様は危険だな、天草四郎時貞。この聖杯大戦においてユグドミレニアの勝利を阻む要因は様々に存在するが、明確なまでの()は本気で聖杯を狙う貴様に他ならない」

 

「それはこちらも同じことです。アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。こうして会敵し、貴方という存在を目の当たりにして確信しました。我が野望、我が悲願を阻む我らが主が齎す試練、私はそれを私とは異なるかのルーラーが担うものだと考えていましたが、どうやらそれは私の勘違いだったようです」

 

 空気が変わり雰囲気が変質する。

 誰にでも隔意も、敵意も抱かないはずの男。

 全人類を救済するという願望のために自らの感情をも焼き払った男が此処に初めて明確なまでの敵意を放つ。目に射止めるは誰でもない、眼前に佇む青年の姿。

 

 そう──。

 

お前が私の敵か(・・・・・・・)、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア」

 

然り(・・)、私こそがお前の敵だよ。天草四郎時貞」

 

 場の空気が一瞬にして凍り付く。

 激突するのは正に顕現する英霊たちにすら勝る極限の意志と意志。

 それを以て両者は悟った。

 

 目の前の天草四郎時貞/アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは同じなのだと。

 共に聖杯という万能の杯でしか成し得ない祈りがあり、願いがあり、望みがある。

 そしてそれを手にするためには、どんな手段を用いても必ず勝つという必勝を掲げている。

 

 故に不退転、故に不倶戴天。

 必ず成すのだという絶対の誓いは此度の聖杯大戦において抜きんでている。

 ならばこそ両者こそが語る通りに最大の敵。

 この聖杯大戦に勝利するために何が何でも排除しなければならない相手に他ならない。

 

「とはいえ、些か無謀な様にも思えますがね。慢心でも傲慢でもなく、単純な事実としてお聞きしますが、魔術師(アナタ)が勝てますか? この英霊(わたし)に」

 

「無論。……そもそも貴様何を勘違いしている。お前がサーヴァントに戻っているのは想定外だったが、私はサーヴァントが相手でも勝ち得る算段を立てているからこの場に立っているのだよ。例えばこの場を舞台を眺めるように見ているだろう稀代の作劇家(“赤”のキャスター)などにもな」

 

「──んん、吾輩。珍しく空気を読んで口を閉ざしていたのですが、当の昔にバレていたようです! これこそ正に『安心、(Peace of mind, )それが人間の最も近くにいる敵である(it is the enemy who is closest to the human beings.)』ということですな!」

 

 シロウの挑発にアルドルが舐めるなと言葉を返すようにして沈黙していた影を見抜くと、その影こと“赤”のキャスターは舞台袖から実体化しながらいけしゃあしゃあと笑う。

 そしてそれまでの沈黙を憂さ晴らすように語りだす。

 

「しかし『運命とは、(Your soul is carried )最もふさわしい場所へと、(to the most suitable place)貴方の魂を運ぶのだ(with destiny)』とは言いますが、よもや我がマスターが如き、身に過ぎた大望を抱いた存在が二人といようとは! 何という運命! 何という展開! 言葉飾ることなく率直に言わせて頂くに……これは実に面白い(・・・)!」

 

 大仰な仕草でバッと両手を広げると、“赤”のキャスターは祝福するように舞台上のシロウと舞台を見下ろすように観客席に立つアルドルを讃える。

 さながら物語の役者(キャラクター)を讃える観客のように。

 

 構図はさながら喜劇的だ。聖杯大戦における主役とも言える英霊(サーヴァント)が本来は舞台の端役に過ぎないマスターを立てるという矛盾。

 それが罷りなるこの状況、言うなればただ一言。

 

「『この世は舞台、(All the world's a stage,)人はみな役者だ(And all the men and women merely players.)』ッ!!」

 

 そう言って、“赤”のキャスター(ウィリアム・シェイクスピア)は大笑する。

 

「……そちらのキャスターについては識っていたが、実際に目の当たりにすると流石の狂人(天才)だな。様子を見るにそちらも手を余していると見える」

 

「……その点については否定しようがありませんね。とはいえ、彼の存在は有効です。曰く、最初から知る貴方であるならばその特性もご存じでしょう。最も貴方に対しては有効とはいかなそうですが」

 

「だろうな。ペンは剣より強しというがそれは風評という世間を挟んでの話だ。批評の場であるならば詩人の言葉は聖人君子すらも殺すだろうが、生憎と此処は戦場だからな。ペンより剣が強いのが道理だ」

 

 言うとアルドルは言葉の通り、ゆっくりと剣を抜いてみせた。

 腰に差した白い鞘から姿を現す一振りの西洋剣。

 形状は一般のそれと比べればやや細剣に寄っているが、相当の業物なのだろう。一見刀身がくすんだ年代物の見た目にも拘わらず、刃が放つ鋭さが積み重ねてきた歴史を示すように見る者を圧する。

 

 富める者を満足させるために作り上げられる装飾剣とは異なる人々を引き付ける魔性。戦国時代を生き、そしてサーヴァントとして生まれ出でたシロウの目には当然、その正体が理解(わか)る。

 アレは魔剣(宝具)旧く(かつて)は恐ろしき神秘を得ていただろう最上級の魔剣(宝具)だ。

 

「キャスター」

 

「──ふむ、この先は言葉は不要ということですな。ではマスター、これを受け取りなさると良い、吾輩、キッチリと依頼通りに仕上げましたが故」

 

 そう言って“赤”のキャスターは相変わらず舞台役者のように芝居がかった仕草で、粛々と鞘に納められた一振りの刀をシロウに手渡した。

 シロウはそれを両手で受け取り、そしてそのまま抜き放つ。

 

 アルドルの持ち出した魔剣が正に古き時代からそのまま持ち出した年代物だとするならば、こちらは現代において再び活躍させるために研ぎ直(リチューン)した刀であった。

 光を受けて返す白刃は歴史を経た業物でありながら、鋭さを最も新しき頃にまで取り戻した刃。歴史という名の時間によって内包する神秘をさらに一新したような魔剣。

 

やはり(・・・)三池典太──キャスターの『付与(エンチャント)』か」

 

「……ふふ、ますます捨て置けないですね。貴方は」

 

 目を細めながら言うアルドルの呟きにシロウは苦笑するように笑う。

 そうして互いに剣を構え、刀を構え、向き合う。

 もはや交わす言葉は不要だった。

 

 両者は既に互いを認め、知り、会敵(・・)した。

 ならば待っているのはただ一つ。

 不倶戴天という両者に和解などという温い選択肢などない。

 

 ──生か死か。

 全ての趨勢を握る戦いのみ。

 

 まさに舞台(物語)最高潮(勝負所)

 “赤”のキャスター(観客)は身震いしながら言葉で飾る。

 

「ははははははは!! どうぞ──どうぞ御両人とも存分に戦いなされい! 烈火を伴う嵐のように! 稲妻を伴う豪雨のように!! 永劫醒めぬ物語が、これより始まるッ!!!」

 

 瞬間──両者は同時に動いていた。

 

 

……

…………。

 

 

「シュ──!」

 

 先攻したのはシロウ神父。

 刀を構え、いざ尋常にという体勢から彼は僅かな手首の動作のみで、手品師のように何処からか取り出した三本の剣の柄のようなものを手にすると、途端に柄から長身の刃が伸びる。

 そしてそれを相手の意表を突く形でそのままアルドルに目掛けて投擲する。

 

 ──天草四郎時貞はルーラーのクラスを得た英霊であるが、同時にその皮たるシロウ・コトミネ神父は聖堂教会に属する代行者である。

 なればこそ、シロウには英霊としての能力以外に、受肉してからの数十年間を生きた代行者としての技能が備わっている。

 その証明こそがこの投擲武具『黒鍵』である。

 

 対魔性、対吸血鬼に備えてその刃を狂気の如く研ぎ澄ましてきた聖堂教会。彼らが用いる概念武装が一つ『黒鍵』は「浄化」の特性を備えた代行者たちの正式武装だ。

 刃の形を持つ投擲武具であり、投擲する際に様々な魔術(アレンジ)を加えることで千変万化の性能を発揮する時としてサーヴァントにすら有効な代行者の主力武器。

 

 アルドルの不意を打つ形で放たれた三本は眉間、心臓、脚部の三点に狙いすまされた同時攻撃。

 それがサーヴァントの膂力で放たれたのだ。

 速度にして音速。常人には刀身が放つ残光しか見送れないだろう。

 

 一瞬の空白を狙った完全なる不意打ち。

 上級魔術師でも対処困難な熟練の戦闘屋の技を前にアルドルは──。

 

「子供騙しだな」

 

 一言、切って捨てた。

 無造作に振るわれた一閃が三本の死線を切り落とす。

 居合抜きのように下段から上段に流れた切り上げはシロウの攻撃を完全に破砕する。

 

「ですが……!」

 

 同時にダンと力強い踏み込みの音がアルドルの耳に届き。

 

「……踏み込める隙は作れました」

 

「ッ!」

 

 日本刀が振り下ろされ、西洋剣が迎撃する。

 用途として、技で以て斬り捨てる日本刀と力で以て叩き切る西洋剣とでは鍔迫り合いでは後者の方に分があるだろう。しかしそもそもをして宝具の域にまである両剣にその手の常識が通用するはずもなく、また単なる力比べでの舞台においては振るい手の特性が浮き彫りになる。

 

「く……おっ……!」

 

 一瞬の膠着は僅か二秒にして前者に軍配が上がる。

 こと純粋な肉体性能において人間がサーヴァントを上回れるはずもなく、魔術的な強化を自らに付与していたにも拘わらずアルドルは簡単に押し切られ、たたらを踏む。

 その隙にシロウは流れるような動作で突きを入れた。

 

「ハッ!」

 

「つ、ォオ!!」

 

 咄嗟に半身を引いて、首元に迫った突きを回避するアルドル。

 だがしかし攻撃は終わらない。

 突いた刀が下に流れる。

 刀を切り落とすよりも引くといった動作に近い様で繰り出される素早い袈裟斬り……!

 

「ぐっ……!」

 

 その連続攻撃にアルドルは飛びのくことで回避する。

 反応速度は人間にしては早いものの、それで完全にサーヴァントの性能を凌げるはずもなく、白い衣装の胸元に刻まれた微かな切れ込みから深紅の色が広がる。

 

 シロウは逃がすものかと飛びのくアルドルにさらに踏み込もうとするが防戦一方をアルドルは許さなかった。

 飛びのきながらも彼は素早い動作で虚空にルーン魔術を刻む。

 

aettir(アティル)ッ!」

 

 その言葉(詠唱)と共に虚空に刻まれる多枝のルーン。

 古来より本当のルーン文字の意味を隠すため、銘文の最後に刻まれてきたものだ。

 浮かぶ四つのルーン。

 シロウの四方を囲うように設置されたルーンにアルドルが唱える。

 

「『美しき寡婦、インゲボルグよ。多くの女がここにて(こうべ)を垂れる。その偉大さを示したまえ』」

 

 多枝のルーンが形状を変え、魔術陣を為す。

 シロウを阻むように現れるクロムレック(ストーン・サークル)

 碑文にはオークニー諸島に伝承されるルーン配列が刻まれており──。

 

「ッ……! 告げ(セッ)──!」

 

跪け(メイズ・ホウ)

 

 シロウが対応しようと魔術を唱えるよりも先に、アルドルが唱える。

 謳うように呟く。とある先史時代の墳墓の名を冠した魔術は内に囲い込んだシロウを言葉の通り、地面へと叩きつけた(跪かせた)

 

「くっ、加重効果……重力操作か……!!」

 

 歯噛みしながらシロウは忌々し気に呟き、体内の魔力循環を高めて強引に振り切り、立ち上がる。

 サーヴァントを一瞬でも拘束する辺り極めて優れた魔術式であるのは言うまでもないが、流石に相手が悪すぎる。

 

 如何に優れた魔術とて、所詮は神秘の時代からは遠い現代魔術師の魔術。

 神秘の質という面において圧倒しているサーヴァントであれば『対魔力』のスキルなぞ持たずとも、存在を高めるだけで纏わりつく現代魔術師の魔術程度、簡単に振り払うことができる。

 

 だが、その一瞬にしてアルドルは反撃の手立てを手にしていた。

 

(ハガル)欠乏(ニイド)成長(ベオーク)──aettir(アティル)ッ!!」

 

 アルドルの背後にルーン文字が浮かび上がる。

 ルーンは巨大な氷晶を生み出し、シロウを圧するように佇む。

 次瞬、アルドルが唱える(命ずる)

 

「破ぜろ」

 

「ッ!」

 

 爆散する氷結晶。刃が如き鋭さを有する一メートル前後の氷柱が幾重にも飛び出し、さながら散弾の様に劇場内の悉くをシロウごと破壊しにかかる。

 先に見た通り、瞬間的な魔力出力においてアルドルは圧倒的であり、サーヴァントにすら有効打たりうる。それだけの魔術を有する魔術師による攻撃は、まともに受ければシロウですら危うい。

 

 例えばこれが『対魔力』を有する“赤”のセイバーや、純粋にサーヴァントとしての圧倒的な格を有する“赤”のライダーや“赤”のランサーのような大英雄であれば問題あるまいが、生憎とシロウはサーヴァントとしての純粋な性能だけ上げれば二流のそれ。

 加えて今の彼は要石とも言うべきマスターを持たぬ『ハグレ』にすぎない。その霊基は脆弱でルーラーとしての性能は大幅に低下している。

 ならばこそ、この絨毯爆撃にも等しい無作為な範囲攻撃を受けるわけにはいかない。

 

告げる(セット)──!!」

 

 取り出した三本の黒鍵を眼前の地面に投げつける。

 突き刺さった黒鍵は、途端に自ら意志を持つようにギャリギャリと劇場の地面を這いながら複雑な文様を描いていき……。

 

「結界か」

 

 アルドルが呟くと同時、シロウを害さんとした襲い掛かる氷柱が、シロウに当たる前に壁に阻まれるようにして砕け散る。

 黒鍵に魔術を込めたのだろう。似たような術理であれば既にアルドルの膨大な戦歴の一つに経験として刻まれている。

 

「……やれやれ、困ったものです。上手く凌ぎ切られましたか」

 

 ふう、と軽く息を整えながらシロウが笑う。

 ジャブに近い交戦(やり取り)だが、それでも仮にもサーヴァント相手に魔術師(にんげん)が此処迄の抵抗を見せるのはやはりシロウをして目を見張るものがある。

 

 人間はサーヴァントに遠く及ばない。──これは何も単純に神秘の質や霊格の差と言った常識だの話ではない。当たり前の事実としてサーヴァントは人間より上の存在だ。

 

 何せ彼らは生前、歴史に名を刻まれるような難業を遂げた英雄であり、人間として一生を生きて死んだ今を生きる人々にとっての完成者である。

 であれは道半ばの生者に勝てる道理など無く、練度、経験、知識においてサーヴァントは人間よりも上の存在なのだ。

 

 だからこそ異常なのは目の前の青年。青年は生者であり、未だ道半ばであり、人生の先達者たるサーヴァントからしてみれば英雄と成り得るだけの資質(つよさ)を備えた魔術師(にんげん)に過ぎない。

 にも拘わらず、サーヴァントの攻勢に耐えてみせたその技量。ただ戦闘に長ける優れた上級魔術師というには目の前の男のそれは常軌を逸している。

 

「ただの研鑽ではそうはならないでしょう。現代では剣で切り合う戦争など時代遅れでしょうに、一体どんな戦場で鍛え上げたのですか?」

 

「無論、亜種聖杯戦争において。尤もそれだけではないがね、格上の存在という意味ではお前たちに似たような存在は現世にも存在している。代行者であるお前にとっては甚だ同一視されたくないだろう存在だが、仮想戦闘(デモンストレーション)には手ごろな相手だった」

 

「……死徒、ですか」

 

「そうだ」

 

 アルドルの言葉に予測を口にすると返ってきたのは肯定の言葉。

 それは流石のシロウも呆れた真相だった。

 

 ──『死徒』とは現代で言う所の吸血鬼のことだが、血を吸う鬼もその階梯によって細かな性能が異なる。

 

 例えば吸血鬼に殺された人間が成る『死者』や意志はあっても思考ができない『屍鬼』。

 こういったものは死徒の置き土産や『封印指定魔術師』の実験の産物として魔術世界でもたびたび見られる存在である。

 だが、本物の『死徒』に限っては話が違う。

 完全に吸血種として自立している彼らは存在として『城塞』とも例えられるほど強大な力を有しており、独自の異能まで確立した霊長から外れた存在だ。

 

 『死徒』にも完成度によって下位と上位に区分されるが、もはやここまでになってしまえば魔術師や代行者と言えど、簡単に相手取れるものではない。

 それこそ性能だけで言うならばサーヴァントとやり合うようなものであり、間違っても鍛錬のために相手取っていいような存在ではないのだ。

 だが、アルドルはそれをなんて事の無いように語る。

 

「とはいえ連中は現代ではそう見えるものではないからな。本気で刃を交わしたのはせいぜいが四体程度だよ。それも明確に殺し合うほどの戦闘を行ったのは南米でやり合った一体のみだ。だが、人間よりも上位の存在と戦うシミュレーションとしては十分だったよ」

 

 口元に微かな笑みを浮かべながらアルドルは言い切った。

 虚勢というにはあまりにも太々しい笑み。

 それにシロウは事実であることを悟り、尚の事呆れる。

 

「それはそれは……その戦果が事実なら聖堂教会に属する身として転職をお勧めしたいですね」

 

「生憎と今の環境で間に合っている。それに神の存在は認知しているが、信仰するほど切迫していないのでね。安直に救いを縋るほど私は脆くない。第一、私は神に愛されないのでな」

 

「ふふ、それは神父である私への挑戦でしょうか。主の愛は遍く全てを等しく抱きしめるものですよ?」

 

「その全てに私は属さないだけだ。お前たちの主がこの世全て(・・・・・)であるならば尚の事」

 

「……?」

 

 軽口と交わしたアルドルの言葉にシロウは怪訝そうに眉を顰める。

 だが別段、アルドルはその疑問に言葉を返さない。

 これに関しては誰かに漏らしても詮無きことだ。

 魔法以上にめちゃくちゃなアルドルの真実などこの場において意味は無い。

 

「さて、と──」

 

 それよりもアルドルは自らの状況を振り返る。

 どだい、ここは未だ死線。

 時間稼ぎ(会話)も程々にアルドルは思考を回す。

 

“戦いにおける技量はほぼ互角。性能差はあれどアレと私に大差はない”

 

 ここまでの戦闘でアルドルはシロウの技量を完全に把握していた。

 予見した通り、“赤”の陣営に属するサーヴァントの中でも“赤”のルーラーこと、天草士郎時貞はさほど強いサーヴァントではない。

 少なくとも“赤”のセイバーを筆頭とした三騎士や“赤”のライダーと言った大英雄と比べれば、まだ届く相手であることは間違いないだろう。

 それは楽し気にこの戦いを傍観している“赤”のキャスターも同じこと。

 

“とはいえ長引けばその限りではないか。凌ぎあいは紙一重。長くなればなるほど性能差の方が明確に出てくる”

 

 そう──技量という一面を比べればアルドルはシロウ神父を倒しうる。

 ……が、それも条件は短期決戦に限られる話だ。

 魔術の腕、剣術の腕、技量においては及んでいても性能差がかけ離れすぎている。鍔迫り合いであっさり負けたことからも元より、膂力、体力、俊敏性……単純な肉体のスペックにおいて生身のアルドルは圧倒的にシロウの後塵を拝する。

 その差は戦いが長引けば長引くほど浮き彫りになって行くだろう。

 

 加えて技量において拮抗しているならそうやすやすとシロウがアルドルに首を晒すはずもなく、このまま戦闘が推移していけば事態はきっと互いに隙を伺う中長期戦になるはずだ。

 それは……実に困る。

 

“であれば一般的な判断として撤退が好ましいが……”

 

 状況を一覧していけば明確に不利なのはアルドルだろう。

 アルドルはそれを自覚している。

 そして同時に相対する相手、シロウも同じことだった。

 

 だからこそ──シロウはこうして様子見に徹さざるを得ない。

 

“私がサーヴァントに成っていることは本当に想定外のようでしたが、それでも事ここに至ってサーヴァントの妨害が無いなどと考える貴方ではないはずだ”

 

 確かに目の前の魔術師は卓越した手腕で、“赤”の陣営が主力のサーヴァントたちが出払っているこのタイミングを見事についてみせた。

 だが入念な計画を立てただろう目の前の相手がその道半ばでサーヴァントによる妨害が一切入らないなどと楽観していたはずがない。

 にも拘わらず、目の前の相手は自らのサーヴァントも連れず、単騎駆けでこの場にいる。

 

“それに死徒を相手取ったのが真実だというならば……”

 

 魔術の腕は流石にユグドミレニアの俊英というだけはある。

 剣術の腕は聖杯大戦に備えていたというだけあって素晴らしい。

 

 だが、努力だけでは性能(種族)の差は越えられない。

 世界には生命としての残酷な優劣が存在しているのだ。

 その格差を渡るには努力や才能以外の例外が必要となってくる。

 

 なればこそ必ずあるはずだ。

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 彼がサーヴァントごと“赤”の陣営を全滅させてみせるとだけ確信し、敵陣に飛び込む選択を取っただけの例外(切り札)が。

 

「……切り札があるのであれば早めに切ることをお勧めしますよ。貴方は現状が分からない程、愚かではないでしょう。それとも出し惜しんで死にますか?」

 

 シロウの言葉は分かりやすい程の挑発だった。

 隠している手を此処に晒せ、とシロウは最も警戒する一手を真正面から促す。

 何にしてもその如何、正体不明の一端を掴まなければシロウは動けないから。

 

 ──予感があるのだ。

 目の前のこの男は、聖杯大戦を勝ちうるだけの『モノ』を持っているという予感が。

 

 その挑発にアルドルは──。

 

「そうだな、出し惜しんでも仕方がないか。少なくともお前用(・・・)に取っておいた方は出し惜しむべきものでもなし。お前の望み通り見せてやろう。尤も──」

 

 構えを解き、脱力し、肩の力を抜きながら言葉を紡ぐアルドル。

 語りながら彼は何気ない動作で左手で自身の右目を抑えながら──。

 

「──お前は死ぬだろうがな」

 

 言って、その眼が秘めたる真の性能を開眼する。

 

 ──黄昏時は過ぎされど、神の後継(すえ)は此処に在り。

 かくて古の遺産(ヘヴンレガリア)が姿を現す。

 

 今は無き黄昏の時代の残滓、その末の魔術師が遂に神話の一端に手を掛ける──。

 

「此処に神の仔──降臨せり。時代よ廻れ、我らは神代の流れ星」

 

 さあ──神話の時代を再演しよう。




注意を払わざるべからず
内のいずこの席に
敵が坐れるか
わからざれば

──とある神霊の箴言


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先祖返り(ヴェラチュール)

財産は滅び、身内の者は死に絶え、
自分もやがては死ぬ

だが決して滅びぬのが自らの得た名声だ。


──高き者の箴言


 かつて──衛宮矩賢という魔術師がいた。

 

 極東は日本出身の魔術一族衛宮家。

 その四代目当主こそが衛宮矩賢であり、時計塔の魔術師たちに言わせればまだまだ若く、そして西洋を中心とした魔術世界において田舎者と揶揄されるだろう日本出身の魔術師である。

 

 通常であれば記録はおろか、人々の記憶にすら残されない一木っ端魔術師として長き魔術世界の歴史において忘却されるだろう彼の名は、しかし一部の魔術師にとっては知る人ぞ知る名として通っていた。

 特に──封印指定執行者、などと呼ばれる者にとっては。

 

 ──衛宮家四代目当主、衛宮矩賢は天才だった。

 

 たった四代。千年を超える魔術大家(ブルーブラッド)も珍しくは無い魔術世界において彼はたった四代で衛宮が研究してきた根源への研究(みち)を極め、そして根源へと届きうる理論を構築してみせたのである。

 後にその理論に触れたある貴族(ロード)は言った、ここまで真っ当な手段であれば根源へ届きうるだろう、と。

 

 根源、魔術師の誰もが目指す悲願。全ての原因、アカシックレコード、或いは『』。魔術師が指先を掠ることすらできずに絶望し、終わらない徒刑が如き人生を後代に引き継がねばならぬほどの困難な道のりを辿らざるを得ない数多の凡夫を嘲笑うかのように根源への理論を確立してみせたその手腕。

 

 紛れもなく衛宮矩賢は天才であり──故に必然、彼は時計塔における最高位の評価を受けた。即ちは封印指定──衛宮家の魔術ごと衛宮矩賢は時計塔に追われる立場となった。

 

 その後、彼を待ち受ける運命は魔術師の立場からしてみれば非業のものである。

 とある島で完成させた理論を証明するための第一段階として「安全な死徒化」の研究を進めていた彼は、不運にも弟子のささやかな好奇心から始まった事故により、魔術とは無関係であった島民を丸ごと死徒化させてしまい、それを発端として時計塔と聖堂教会両勢力に居場所を割られ、最後は次代の衛宮──魔術師らしからぬ一般人の感性を持っていた後継たる息子に射殺された。

 

 衛宮家の悲願はそれを以て潰え、彼の残した封印指定の領域にあった研究はその魔術刻印ごと時計塔に接収された。

 衛宮矩賢という魔術師を巡る話はそれでおしまい。魔術史の片隅にかつて封印指定をされていた魔術師の一人として密かに名を連ねたという程度のものであった。

 

 だが、しかし──その研究。その理論。その魔術。

 体内に小規模の固有結界を展開し、時間の流れを加速停滞するという小因果に働きかけるという衛宮家の魔術に目を付けたものが居た。

 

 ()はその当時、専攻する考古学科(アステア)の研究の一環として北欧をフィールドワークしていた。その最中とある『神枝』を入手することに成功し、その研究に明け暮れていた。

 数年後ののち、大魔術儀式に参加する事がその時点において確定していた彼にとってその神枝の研究は自身の研究のテーマであると同時に、大魔術儀式へ向けての用意の一環でもあった。

 

 対魔術師、対代行者、そして──対英霊(サーヴァント)

 

 待ち受ける規格外の難敵と鎬を削ることになる運命が控えている彼にとって戦力の増強は急務だった。知人に言わせるところ、魔術師など自身が最強である必要はなく、最強たる手段を用意すればいいという話なのだろうが、何よりも地力が要求される大魔術儀式を控える彼としては自身こそを最強にまで押し上げる必要があったのだ。

 その大魔術儀式が迎える運命を既に知っているが故に。運任せ、他人任せでは勝利は掴めないと悟っていたが故、彼は貪欲だった。

 

 研究を進めていく中、彼は固有結界という魔術に目を付ける。

 運命を知る彼にとって最も身近な最強の魔術と言えば内なる世界で現実世界を侵食する固有結界(リアリティ・マーブル)であり、何より『神枝』を上手く有効利用する手段として有用ではないかと思いついたのだ。

 当時、交友のあったロード・メルアステアの存在も大きかったと言えるだろう。かくして彼は時計塔のロードの伝手を通じて、時計塔の深淵に秘蔵されていた固有結界に関する研究……その一つとして衛宮矩賢の研究に触れることになる。

 

 それは異才を持つ彼が自ら引き寄せた運命。

 天才を知っていた彼はそこで遂に自らの手段を確立させる。

 

 即ちは一つの世界観を再現する魔術。

 『神話再演(ピリオド・アルター)』という究極域の魔術式を。

 

 そう彼の通り名は比喩などでは決してない。

 『先祖返り(ヴェラチュール)』とは文字通り、祖に還る魔術師なのだ。

 千年樹の流れ出でた血の原点──北欧神話という宇宙観(コスモロジー)

 

 神代の終わりにあって彼は時代を再演する。

 その普遍かつ不変の魂は幾度の時を流離おうとも、幾度の世界を黄昏ようとも決して減退しない極めて稀な『起原(たましい)』を持つがために、文字通りどのような異なる環境にも適応可能な唯一無二。

 

 彼の異才とは正にそれ。ともすれば運命(ものがたり)を識ることなぞ、せいぜいがオマケ程度に過ぎない。

 

 時代が幾度と流れようとも、黄昏時が過ぎ去ろうとも。

 記録は時代に引き継がれる、記憶は次代に語られる。

 かくしてハーヴィの箴言は語り継がれる。

 

「此処に神の仔──降臨せり。時代よ廻れ、我らは神代の流れ星」

 

 さあ──神話の時代を再演しよう。

 

 

 

 

 神祖(北欧)の血を持つ後継者(すえ)の唱える言葉を聞いて、アルドルが作り上げた究極の魔術が遂に世界に顕現する。

 通常時はミレニア城塞の地下に流れ込む霊脈の中に形なく溶け混んでいるアルドルの『工房』が像を得る。

 

 誰にも知られず、誰にも見られなかった『工房』の全貌は、巨大な樹であった。

 全長にして十四メートルほどの広葉樹。

 霊脈に根を張り、青々と茂るその樹を彩るのは果たして緑の葉に非ず。緑玉(エメラルド)も霞ませるほどの緑色の結晶である。

 

 仮にこの場に第三者がいれば驚愕しただろう、何故ならば広葉樹を彩る緑色の結晶体はその全てが超高純度の魔力結晶体。仮に現代魔術師が作ろうとすれば一欠けらであっても十年は掛かるだろうと思わせるほどの高純度のものである。

 それが十四メートルの広葉樹に満遍なく生え誇っているのだ。もはや余人の理解が届く所業ではない。

 

 そして異様はそれだけではない。広葉樹の中心にある結晶の中にはまるで聖書における聖者の磔刑の如く、一人の人影が磔にされている。

 右目を失い、全身には刀剣の傷跡、さらには脇腹深くに突き刺さった黄金の剣と今にも死に体の人影が眠る様に安置されており、その手には一本の枝が握られている。

 

 『工房』は正にそれを中心として脈動していた。

 ──普遍かつ不変の魂と、神話の遺産……世界樹の枝を基盤として築き上げられた世界樹(ユグドラシル)の機能を再現した大樹。

 

 それこそがアルドルの『工房』の正体。

 彼の誇る三つの切り札が内の一つ、九つ廻る千年神樹(ナインヘイムユグドミレニア)であった。

 その機能・性能は今更語るまでもなく──。

 

 ──疑似宇宙観(アナザーコスモロジー)九つ廻る千年神樹(ナインヘイムユグドミレニア)、浮上。

 

 ──主人格(メインアカウント)から命令を受諾。

 

 ──起源(サーバー)接続開始(アクセススタート)

 

 ──時代逆行(ピリオドアルター)を開始します。

 

 主の命により確たる魂と神枝に宿る時代を遡る。

 これより再現するは神なる時代の有り様。

 なればこそ、振るう者も時代に適応した姿である必要があるがために。

 

 魂は廻る、固有結界(セカイ)は九つの旅をする。

 

 ある時はユグドミレニアに生まれた魔術師として。

 

 ある時は運命を俯瞰する傍観者として。

 

 ある時は悲惨な世界大戦を嘆く知恵者。

 

 ある時は世界の謎に挑む考古学者。

 

 ある時は戦士を夢見る無邪気な少年

 

 ある時は空想の物語に思いを馳せる少女。

 

 ある時は人々を占って言葉を託す老婆。

 

 ある時は貴種たる血に生まれた老紳士。

 

 そして──ある時は普遍かつ不変なる《光》。

 

 九つの天を巡りて、青年は回帰する。

 人の時代から神の時代へと。

 神秘が未だ珍しくなく、世界に不思議が満ち溢れていた頃に。

 

「九天廻りて回帰せよ(もどれ)──黄昏の時代へと」

 

 かくして魔術師は祖に還る。

 故に彼こそ『先祖返り(ヴェラチュール)』。

 

 数多の(ケニング)を持つ、神の後継である。

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 サーヴァント・ルーラー、天草四郎時貞はアルドルが切った切り札を前に絶句した。

 その驚愕は魔力を糧に霊体で現実に顕現する彼だからこそものだ。

 

 黄金に照り輝くアルドルの右目も、嵐のように吹き荒れる魔力の渦も、金色に変色した髪も、それに比べれば驚くに値しない。

 アルドルに生じた最大級の変化、それは──。

 

第五真説要素(真エーテル)……現代魔術師が、何故それを扱える……!?」

 

「──……」

 

 アルドルが纏う魔力の質。それはもはや現代世界を覆う魔術師たちが操る魔力・第五架空要素(エーテル)ではなかった。

 もはやこの惑星から消え去って久しい神代の世界において満ちていたとされる魔力性質……現代魔術師にとって卓上の理論としてしか語れない第五真説要素そのものであった。

 

 シロウが身につけた数十年にも及ぶ現代の知見、聖杯より与えられた知識群の全てを動員しても尚、あり得ないとしか言えない現象を前に此処まで油断も慢心もしてこなかったシロウに驚愕という空隙が生じる。

 

 その隙を、生を受けてから二十年以上。

 ただの一度も油断も過信も慢心もしてこなかった青年が逃すはずなど無く。

 

「魔剣・疑似装填──!」

 

 アルドルは神父を此処で殺すため、躊躇いなく二つ目の切り札を切った。

 

「真名擬装展開、万物を絶て──斬神魔剣(ティルフィング)!」

 

 神の加護の代わりに真エーテルを魔剣に装填し、アルドルはその性能を限定的ながら開放する。

 元来、アルドルの有するこの魔剣は三回まで告げた存在()を因果まるごと引き裂く必勝の魔剣だが、神霊でないアルドルにとってそこまでの再現は行き届かない。

 

 しかし擬装展開(型落ち)であるとはいえ、真エーテルを熱源としたこの魔剣は刃の走る延長線上にある全てを引き裂くことが可能である。

 即ち相手の神秘の質、守りの性能──そういったものを全て無視して切り裂く魔剣、それこそがアルドルの有する剣の正体。

 万物を絶つ北欧神話の魔剣、ティルフィングであった。

 

「ッ……くっ、しまった……!」

 

 だからこそ直感的に動いたシロウ神父に出来たのは何とか刃から逃れるための反射的な回避行動だけであり──。

 

「フッ──!」

 

 煌めく刃は問答無用で、シロウ神父の右腕を切り飛ばしていた。

 

「ぐぅううううッ!!」

 

 虚空に鮮血の大輪が咲く。

 驚愕から立ち直り、何とか初撃は回避してみせたが、混乱は覚めていない。アルドルに生じた変化も、牙を見せたアルドルの剣の正体もシロウにとっては想定外も想定外の要素であった。

 だが、アルドルが態々シロウが冷静になる時間を与えるはずもなく、アルドルは飛び退き躱したシロウへ追撃せんと、踏み込む。

 

「オオッ!!」

 

「ッ、早い……!」

 

 突進するアルドルの速力は先ほどまでの比ではない。“赤”のセイバーも斯くやとばかりに魔力を噴出し、シロウの下へと飛び込んでくる。

 音速に迫る踏み込みはサーヴァントであるシロウであっても容易く対処できる次元にはもはや無い。

 

 あの剣にだけは被弾してはならないと決死の覚悟で剣線を見て取り、逃れ、回避し、躱す。

 煌めく三度の剣線を凌ぎ、剣の間合いから相手を突き離そうとシロウは三本の黒鍵をアルドル目掛けて遊び抜き、加減抜きで投擲する。

 

 概念武装として所有者の性能で刃の質が変化する黒鍵に文字通りの聖人が全力を込めて刃を編み上げた黒鍵の威力は、下級悪魔であれば一撃で粉砕するほどのものであった。

 たとえサーヴァントであっても被弾すれば唯では済まない聖絶された武装を前にアルドルが行ったのは回避でも防御でもない。

 

「──(アンサズ)

 

 秒と掛からず編み上げられたルーン魔術(シングルアクション)による武装破壊。たったそれだけでシロウの渾身の三撃は虚空に灰と散った。

 先ほどまでのアルドルの魔術であれば防御魔術であっても貫通されていただろうほどの威力を前に、アルドルは何の気なしの簡素な魔術で防ぎきる。

 

「ッ!」

 

 ──質が違う、威力が違う、神秘が違う。

 目の前にいる敵はただの現代魔術師なんかでは決してない。

 向上した霊基は神代に適応し、司るは真エーテル。

 

 ……此処にいるのは文字通り、神の時代の魔術師。

 あり得ざる神代の魔術師が、そこに居た。

 

「それが貴方の切り札、というわけですか……!」

 

「然り。聖杯大戦に参戦するのは疾うの昔に決定づけられた定めならば、お前たちサーヴァントに備えるのは魔術師として当然の措置だろう。サーヴァントという神秘が現代魔術師では届かぬ頂ならば、旧きに手段を模索するのは真っ当な結論だろうと思うのだがね」

 

 神秘はより古い神秘によって粉砕される。

 それは魔術世界における大原則。

 だからこそアルドルはその正攻法を真っ当に守っているに過ぎないと嘯く。人間ではサーヴァントに敵わないというならば敵うものを用意しよう。

 相手が英霊という規格外の存在ならばそれよりも規格外のものを用意しよう。

 

 何処かアルドルの知人に通じる合理性で、アルドルは最も難易度の高い正攻法に見事手を届かせてみせたのだ。

 そしてこれこそがユグドミレニアの魔術師たちが恐れ慄き、ダーニックが打ち震えた千年黄金樹の辿り着いた魔術の果て。

 ユグドミレニアが純血が生んだ奇跡の到達点であった。

 

「“黒”のキャスターや、そちらのランサー、ライダーならばいざ知らず、お前に我が黄昏は越えられるか? 島原の乱(三百年前)の聖人よ」

 

「くっ……“赤”のキャスターッ!!」

 

 深く剣を構えたアルドルを前にシロウはもう手段を選んでいられないことを悟る。元より目の前の青年は、此処で“赤”の陣営を全滅させるつもりで乗り込んできているのだ。

 ならば出し惜しんでいる暇はない。シロウにとってこの場を打破する切り札を使用するためにもシロウは一瞬を用意する必要があった。

 

 シロウの呼びかけに傍観者が言葉を返す。

 

「おおっと! ここで吾輩の出番ですかな、マスター! いいでしょう吾輩としてもこの面白い状況が一瞬で終わってしまっては勿体ないですし、然らば一つ神話にも劣らぬ我が悲劇をご覧にいれましょうッ!!」

 

 ここまで興味深げに、二人の戦いを傍観していた“赤”のキャスターは腰を下ろしていた客席から立ち上がり、一冊の本を手にする。

 そして声高らかに悲劇の名前を口ずさむ。

 

「リア王の受難!」

 

「む……」

 

 叫びと共に劇場の一角が爆ぜる。

 現れたのは石で構成された冠を身に着けた一体の巨人。

 “赤”のキャスターに曰く、『リア王』。

 

 稀代の大劇作家ウィリアム・シェイクスピアの作り上げた物語に登場する王である。

 

「創作幻想……物語を現実に起こすにはこの環境ではできないと踏んでいたのだが……」

 

「おや、全く驚いていないどころか既に知られている様子ですな! ええ、ええ、その通り。我が魔術、もとい創作を現実に再現するにはちょっとばかし徹夜を有する必要がありましたが、この通り! なんとか締め切りには間に合──」

 

「だが──新しい(浅い)。この程度では足止めにもならん」

 

 相変わらず自らの創作を誇る様に大仰な仕草で召喚した劇団を紹介しようとする“赤”のキャスターの言葉を待たずしてアルドルが剣を振るう。

 煌めく魔剣の刃は一振りで見上げること数メートルにも及ぶ石の巨人の首を撥ね飛ばし、続けざまに二閃、三閃と煌めく刃が巨人を袈裟斬りにして、足を落とす。

 

 それで終わり。リア王は悲劇のように一瞬で破壊された。

 

「ああああ! 吾輩の徹夜の成果がッ!?」

 

「クッ、無茶苦茶な……!」

 

 膝から崩れ落ちて悲劇の主役のように嘆く“赤”のキャスターを傍目に、隙など与えないと有無も言わずに踏み込んでくるアルドルの剣を躱しつつ、シロウは思わず毒づく。

 

 あっさりと粉砕された『リア王』だが、“赤”のキャスターによって作り上げられた創作幻想は並のサーヴァントであればそこそこに対処可能な優れた使い魔である。それを一瞬で破壊したのはやはり剣の性能が並外れているが故だろう。

 

 神代を由来とした魔剣──ティルフィング。

 真エーテルという得難き熱源を手にして、刃の鋭さの一端を現代に再現したそれは切れ味という一点に関しては規格外の性能だ。

 

 恐らくは当てさえすれば“赤”のランサーや“赤“のライダーとてただではすむまい。かの剣の本質は斬るに非ず。相手を切り殺した先……勝利という恩恵を与えることにこそ魔剣の本質がある。

 シロウの私見だが、アレは本来、過程を無視して結果を齎すという因果直結の祝福(のろい)を帯びた神の魔剣。正当なる担い手が振るわば、問答無用で持ち主に勝利の結果を与える必勝の魔剣である。

 

 それが仮初の担い手の手にあるが故に万物を絶つという結果にスケールダウンした性能を発揮しているのだろう。

 当てなければ脅威を発揮しないという点において、まだ有情とも言えるのだろうが……。

 

「とはいえ、これは……! ッづ!」

 

「ハァアア……!!」

 

 出力を増した雹弾(ハガル)がシロウへと殺到し、それに身を潜ませてアルドルが再度シロウとの距離を詰める。

 魔術を残る左手に構えた黒鍵で何とか捌き切るが、続く煌めく剣閃だけは如何ともしがたく、硬度を増した黒鍵で受け止めてみせるもあっさりと切り裂かれ、破壊される。

 やはり防御不可能であると確信し、シロウは何とかアルドルを引き離そうとして見せるも既にサーヴァントの領域にまでその肉体性能を跳ね上げたアルドルを振り切ることは戦の達人とは言い難い聖人たるシロウには難しく、死と隣り合わせの鬼ごっこは続く。

 

「ははっ、少しは加減、して欲しいものですがッ!」

 

「この切り札は生憎と加減が利かん、それに貴様の企みを考えれば一息で殺しきらねば窮地にされかねないのでな。──ルーラーの特権は使わせないぞ」

 

「……そちらについても読まれていましたか」

 

 頬を掠る剣閃の鋭さに身震いしつつ、シロウは悪戯がバレた少年のように苦笑する。

 そう──アルドルが躊躇いなく切り札を晒した理由はそこにあった。

 

 アルドルにとって神父が生きていたということまでは“赤”の陣営の動きから予見出来ていたことだが、サーヴァント・ルーラーとして霊基を確立していたことは完全に予想外だった展開である。

 だからこそアルドルにはこの一見して一方的に見える状況に、余裕を抱く隙間は無い。

 

 何故なら英霊ルーラーにはこの状況を打破することが可能な特権が備わっている。正規のルーラーとは異なり、『特権』全てが与えられているとは思えないが、シロウが第三次から継続して生ける存在であることを加味すれば、『特権』を幾らか残していても可笑しくは無い。

 ならばこそ、シロウ神父に隙を与えてはなるまいとアルドルはシロウに常に接敵し、隙間なく攻撃を加える。

 

 一度でも隙を与えれば『特権』を使われ、趨勢は一瞬で神父側に傾く、誰を持ってくるつもりだったとしても、この(・・)切り札では流石に彼らまでは相手にできない。故に──。

 

「此処で確実に仕留める……!」

 

「やはりそう来ますか……!」

 

 逃がさない離さないとアルドルは踏み込んでくる。

 そしてそれが堪らないのはシロウであった。

 

 彼は謀略家であり、全人類を救済せんと野心を燃やす聖者であるが、武を以て名を刻んだ英雄ではない。

 加えて自身のルーラーとしての奇跡を起す宝具……両腕の片方を初撃によって欠いている状態だ。こうなればシロウは全力を発揮することが出来ず反撃を用意する手立てはない。

 だからこそ現状は受けに回るしかなく、その上、振られる刃は急所に一撃でも当たれば問答無用で切り殺される万物両断の魔剣。

 

「やれやれまったく、とんだ試練もあったものです!」

 

 そう言ってシロウは不敵に(・・・)微笑んだ(・・・・)

 躱し損ねて脇腹を抉る一閃、皮一枚で首元を掠った剣閃を前にして尚、誰よりも何よりもこの一瞬に死を感じて尚、彼は不敵に笑い続ける。

 

「──……」

 

 それに疑念を覚えるのはアルドルだ。

 彼が作り上げた状況は間違いなく最上の有利。

 かの神父を確殺するために築き上げた死線だ。

 

 唯一逆転する術があるのはルーラーの『特権』だが、間断なく振るう剣技を前にそれを使う隙など無く、刻一刻と剣を振るうたびにシロウの動きを見定め、捉え始めている以上、このままシロウは一方的に削り切られて終わるはず……。

 

 だのに神父は不敵に笑う、笑い続ける。

 絶望でも慢心でも狂気でもない。

 

 まだ(・・)終わりではないと確信じみた笑み。

 

「ッ……迷うなッ!」

 

 自分自身を鼓舞するようにアルドルは吼えた。

 同時に虚空に刻む五つのルーン。

 それは炎であり、水であり、風であり、土であり、魔力であった。

 

 神代を帯びたアルドルにとってもはや魔術とは命ずるものであり、大層な詠唱など必要なく世界に変化を齎すことが可能である。

 秒と掛からず編み上げた魔術をばら撒き、神父の逃げる隙間を埋めながらアルドルは魔剣を振るう。

 

「づぅ……オオオオオッ!!」

 

 だがシロウ神父は倒れない。不屈の意志を目に浮かべ、急所を除いて被弾覚悟でアルドルの魔術を躱しながら受けてはならない魔剣だけは紙一重で躱し切る。

 幾度かすり傷を浴びようとも、血を流そうとも致命的な一撃だけは恐るべき執念を以てして乗り切る。

 

「しつこい男だ……! いい加減に倒れるが良い……!」

 

「ハァ、ハァ……生憎と、まだ死ねないので。私にはまだ、必ずや叶えねばならぬ願いがある……!」

 

 その直向きとすら言える執念を前にアルドルも焦れ始める。ただ躱し、ただ凌ぎ続けるだけではアルドルに押し切られて死するは自明の理。

 なればこそ事ここに至っても不敵を崩さないシロウにはまだ(・・)何かがあるのだ。

 

 アルドルは知っている、この男、天草四郎時貞という人物を。彼は古今無双たる武威を持たず、他を圧倒するほどの圧倒的な知性を持ってるわけではない。

 英霊・天草四郎時貞は格で言えば三流、二流のサーヴァントに過ぎず、大英雄と比べれば圧倒的なまでの実力的格差がある。

 だがその狡知、執念は他の如何なる英雄にも勝るとも劣らず。現にアルドルが知る運命において彼の謀略は全ての勢力を凌駕した。

 

 油断していい相手ではない。慢心していい相手ではない。

 何よりも……追い詰められた英雄ほど危険なものなど存在しない……!

 

「魔剣・疑似装填……!」

 

「ッ……!」

 

 ……猶予は与えない。逆転の時は無い。

 幾度重ねたかも忘れた剣閃の中、アルドルは確実にシロウの息の根を絶つために、魔剣にあらん限りの真エーテルを叩き込む。

 

 刃の走る軌道上にあるもの全てを引き裂く魔剣、ティルフィング。その性能は一振り一殺などではなく、刃を当てる全てのものへと及ぶ。

 よって此処にアルドルは剣の性能を逸脱し、魔剣が魔剣たる由縁を解き放つ。

 

「万物を絶て──斬神魔剣(ティルフィング)!」

 

 瞬間、世界が断ち切られた。

 虚空に一閃、垂直に叩き落された魔剣から吐き出されたのは文字通り、万物を絶つ散弾の如き剣風の嵐だ。

 無作為に、無軌道に、目につく全てを断ち切らんと四散した剣風が客席を切り飛ばし、天井を切り裂き、舞台を引き裂いた。

 

 逃げ回るのならば、回避されるのならば──そも逃げ場のない一撃を喰らわせればいいという正論の名の下に発動される全範囲攻撃。

 我関せずと相当な距離を置いていたはずの“赤”のキャスターすら衣装に傷を受け、僅かながらも血を流す羽目になる惨状。

 

 ターゲットとして狙われたシロウなどにもはや回避することを許す逃げ場など無く──。

 

「チェックメイトだ、シロウ・コトミネ……!」

 

 必勝の確信と共にアルドルは言い切った。

 それに答えるシロウは防御することも回避を選ぶこともなく、静かに、されども恐れを抱くこともない。

 迫る死の嵐を前にシロウは言う。

 

「いいえ、まだ(・・)です」

 

 逆転の目はあると言い切る神父。

 その直後であった、切り裂かれて崩落する劇場の天井から()が吹きあがり、大火が魔剣の刃を飲み干した。

 

「──……何故、お前が此処にいる」

 

 その想定外の現象を前にアルドルは静かに、そして忌々し気に呟く。

 此処はブカレスト、この聖杯大戦の戦地の中心たるトゥリファスからは相当に離れた隣街だ。

 少なくともシロウが窮地にあることを判断してからでは、たとえ神速の足を持つ大英雄でも間に合わない程度には離れた距離に位置している。

 

 だとすれば……。

 目の前の英霊は……。

 

「──無論、初めから。お前を追って此処に来たのだ“黒”のマスターよ。それがそこにいる神父より告げられた俺の役目だったからな」

 

 悠々と告げ降り立つ“赤”のサーヴァント──英霊カルナ。

 アルドルの分かり切った問いに対し、彼は律儀に言葉を返す。




今回のあらすじ

主人公くん
「うおお、パワーイズゴッド!」

シロウ神父
「っべー、マジヤッベー!
 早く来て助けてカルえもん!」

施しの口下手
「ふむ、俺の任は追撃だったはずだが。
 お前が何故追い詰められている?」


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施しの英雄

──何より己の息子にも与えなかった最強の槍を、この男なら使いこなせるのではと惚れてしまったのだ。


──とある神々の王の独白


 数多の英雄が激突する豪華絢爛たる戦場。

 自らが開幕の銅鑼を鳴らし、大戦と呼ぶに相応しい状況を作ったにも拘わらず、その英雄は落葉の空を眺めていた。

 

 それは何も一番槍の役割で大量に魔力を消費したからでも、ましてや敵を前に怖気づいたからなどという理由でもない。

 一番槍ともう一つ、かの英雄には役目があったのだ。

 

 神父は告げた。

 この大戦、自分以外にもう一人、裏で絵図を描いているものがいる、と。

 

 そのもはや確信の領域にある予測は直感や神の啓示などではなく、謀略家としての経験が彼をそう確信させていた。

 何せ聖杯大戦が本格化する以前から“黒”のアサシンによる暗殺を企てたものが居るのだ。

 それもまるでこちらの反応全てを読み切った、完璧な状況を作った上で、だ。

 

 何かがおかしいと謀略家たる彼に予想させるのは簡単で、さらに以後の敵陣営の動きからして一連の暗殺劇が陣営の総意であったとするには幾つか解せない動きがある。

 だからこそ神父はこの動きを自分と同じ陣営の総意に基づかない個人による単独行動ではないかと予想した。

 

 そこで彼は一つの保険を掛けた。

 貧者の見識を有するとある英雄による監視である。

 

 元より魔力消費が激しい宝具開放を決めた時点で、継続戦闘は厳しい。ならばいっそ一番槍の役割以後、敵に圧を与える役として後方に控えながら、同時に戦場を俯瞰させ、神父が覚える違和感を俯瞰させた方が後の展開に優位となるだろうと判断したのだ。

 

 神父の方針に英雄が否を唱えなかったこともあり、かくして“赤”の陣営が誇る大英雄は壮麗なる剣士と俊足の大英雄の激突にも、黒騎士と反逆者の激突にも、反逆の騎士による襲撃にも反応せず、黙して己の役割に順じた。

 

 果たしてその実直さは狙い通りに。

 落陽の空。一人、単独で戦地を抜け出した敵手の姿。

 それを見付けた時点で英雄は己の役割を全うする。

 

 敵の索敵能力と自身の魔力を考えれば、即時追走は不可能であったが、それでも敵を見上げながら地上を駆け抜ける程度造作もなし。

 何よりも──神父がそうであったように、彼にも一つの思惑があるのだ。

 彼は施しの英雄。胸の内に秘めた“願い”のためにも、何としてもかの敵と相対する必要があるのだから──。

 

 

 

 

 端的に言って、状況は最悪だと言っていいだろう。

 必勝を誓い、計画を立て、完璧を期して状況を作り上げた。

 望み通り勝利へと王手をかけた。

 かけたはずだった。

 

 にも拘わらず、自分は最後の一手を誤った。

 敵の粘りを許してしまった。

 その結果がこの様だ。

 

 侮ったわけではない。

 しかし余分な慢心があったことは否めない。

 一度、暗殺に成功していたからだろう。

 自分が綿密に組み上げたこの状況を前に、何処かで敵はこれを読み切れないと考えていたのだろう。

 だから見落とした。そう──一度、暗殺されかかった者が、二度目を予知して保険を掛けないことなどあるはずがないのだ。

 ましてや敵はこの聖杯大戦における屈指の謀略家。

 自らも策謀で戦場に立つからこそ、同じく策謀を企てるものの存在に気づいても可笑しくは無い。加えて自身こそがその当時者ならば網を張るのは当然の事。

 

 そして自分は見事、紙一重で網にかかってしまった。

 成功体験とは、つくづく人を傲慢にさせる。

 ……全く、慢心とは実に恐ろしい。

 たった一手、たった一手でこうも趨勢が逆転してしまうのだから。

 

「形勢逆転、ですね」

 

「………」

 

 そう言って目前の神父は悠然と告げる。

 全身に手傷を負い、今にも消えてしまいそうなほど弱っているものの、その表情に焦りも恐れも何もない。

 あるのは先ほどまでアルドルの手にあったはずの勝利への確信。

 

 この戦いの場に現れた新たな参戦者の姿はそれほどまでのインパクトを持っているのだ。

 

 “赤”のランサー、英霊カルナ。

 

 インドの叙事詩マハーバーラタにその名を刻む世界屈指の大英雄。神秘の古さが物を言う魔術世界において、神代の息吹を一身に受け、英雄と呼ぶに相応しい破格の功績を有する正にこの聖杯大戦における“赤”の陣営が最高戦力の一角。

 

 トゥリファスの戦地に立っていたはずの大英雄が今まさに敵として、アルドルの目の前に立っているのだ。

 状況は極めて最悪だと言っていいだろう。

 

 ただでさえ現代を生きる人間がサーヴァントを打倒するなど至難の業、ましてやそれが破格の力を有するトップサーヴァントならば尚の事。

 これが普通の魔術師であれば最悪を通り越して絶望としか形容できまい。

 

「……は」

 

 そこまで考えてアルドルは思わず自嘲する。

 反撃は無いと正々堂々と乗り込んだ時点でやはり自分は慢心していたのだ。遮二無二言わず、最初から力を解放し、盤外から殴りつけていればそもそも戦いが長引くことなど無かったろうに、必勝を誓っていながらこの様。

 

 それとも或いは慢心ではなく酔っていたのか。

 一世一代の大博打、自らの手腕で憧れの舞台を操る展開に。

 どだい自身は二十そこらの若造なれば、経験不足は否めない。

 

 対して見た目に反して敵はアルドルの生を二つ足しても上回る経験豊富な老獪なる聖人。ダーニックならばいざ知らず、多少の優位があったところで純粋な読みあいでは一手先を行かれてしまうのは当然のことだったか。

 

 何にせよ、反省するには遅すぎる。

 シロウ神父、“赤”のキャスター、そして“赤”のランサー。

 状況は一対三。不利を通り越した絶望的な状況である。

 

 さてどうしたものかと黙り込むアルドルに神父が言葉を投げかける。

 

「先の言葉をお返ししましょうか、チェックメイトですね。アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。その魔術、その智謀には私としても驚嘆しましたが、こうなってしまえば流石の貴方にもどうしようもないでしょう?」

 

「……確かにな。神代の魔術を振るったところで真正の英雄を相手取るのは流石に無理がある。ましてやそれが神々の王すらも認めた破格の英雄ならばな」

 

「やはり──それも知っていますか。単に情報通というわけではなさそうですね。どうやら貴方は私とは違った特殊な()を持っているようだ」

 

「さてな、何のことやら」

 

 いよいよ以って逃がすつもりはないと目を細める神父を傍目に、アルドルは自らの慢心を反省しつつ、取り戻した冷静さで状況を見定める。

 

 ……単純な武力においてシロウ神父は既に脅威ではない。自分との戦いで無数の傷と多くの魔力を消費した彼は風前の灯火だ。

 ただでさえマスターという楔を持たぬ『はぐれ』なのだ。

 このまま戦い続ければ先に息が尽きるのは向こうに成るだろう。

 

 “赤”のキャスターについても問題は無い。元々、戦闘を得手とするサーヴァントでも無いし、直接戦闘となれば一合と交わす間もなくアルドルは勝利することができるだろう。この間合いであれば宝具の発動など許しはしない。

 

 だからこそ目下、最大の脅威は言うまでもなく。

 

「…………」

 

 黄金の槍を構え、無言でこちらを眺める大英雄のみ。

 何を考えているか分からぬ視線で“赤”のランサーはこちらを観察している。

 

「……全く、たまらんな」

 

 苦笑する。

 チリチリと肌を焼く魔力に、圧倒的なまでの存在感。

 魔力という枷があるだろうに、相対する敵に全くと言っていいほど隙や不利を悟らせない完成度。

 

 真っ向から打ち合えば為すすべもなく敗走するだろうとアルドルは確信する。自らが掴み取った神代の再演と言った奇跡も、神々が創り上げた魔剣も、この男を前にすれば全て無意味だ。

 例外というものは常に付きまとうもので完全無欠などあり得ない話だが、それでもピラミッドの頂点は例外を許さない。

 予定調和の展開を齎すからこその最強(・・)

 

 かの英雄を打倒するのは困難だと確信したからこそ、己はマスター殺しに終始することを選んだのだから。

 こうなれば自分に選べる手段は限られてくる。

 

 一縷の望みに懸けて全力で逃走するか。

 或いは──ここで『(いのち)』を使い切るか。

 

「すぅ……ふぅ────」

 

 アルドルの切り札は三つ。

 

 対魔術師・対サーヴァントとして用意した、神代再演の工房と神々が創り上げた勝因の魔剣。

 これらは何れも敵のマスターを直接倒すためであったり、サーヴァントからの遁走を容易にさせるための手段であり、同時に自らが手で確実にシロウ神父を抹殺するために考案した手段である。

 

 前提として戦に熟練したトップサーヴァントを相手取ることを視野に入れて用意していたわけではないし、そもそも既に把握している“赤”の陣営の面々を考えれば、この力でまともに相手取れるのは“赤”のキャスターぐらいだろう。

 三騎士は無論の事、目の前の大英雄と同格の“赤”のライダーや規格外の耐久性を誇る“赤”のバーサーカーを相手取るのは不可能だし、先に脱落した“赤”のアサシンとて、その真なる性能を考えれば相手取るのはやはり不可能。

 

 アルドルの披露するこの魔術はあくまで自身の研究と、やはり神父を確殺するためだけに用意した成果であるのだ。

 そもそもこの聖杯戦争において最も秀でた賢者とも言える彼に真っ向から大英雄と相対する胆力も傲慢さも有りはしない。

 誰よりも英雄という存在を知る彼だからこそ、そんな無謀は選ばない。

 

 だが……アルドルの三つ目の切り札、これだけは違う。

 最後の切り札だけは違うのだ。

 

 それはあり得ただろう最悪(IF)に備えた手段。

 

 自身の計略が悉く頓挫し、自陣営の大英雄が筋書き通り開始早々潰え、聖女の介入を許し、大聖杯を奪取され、ユグドミレニアの頭領をも失う──。

 そんなあり得たはずの最悪(IF)を覆すための文字通り最後の手段。

 

 たった単独(一人)で、“赤”の陣営を壊滅させるための手段である。

 

 反逆の騎士も、施しの英雄も、俊足の狩人も、最速の英雄も、勇猛なる反逆者も、最古の暗殺者も、稀代の劇作家も、そして救世を望む聖人も。

 

 その全て、綺羅星の如く君臨する一騎当千、万夫不当の英雄たち全てを粉砕するための業。

 かつて抑止の使者たる正義の味方を真正面から殺し切った切り札こそが、アルドルの誇る三つ目の切り札である。

 

「っ──…………」

 

 無論、代償は限りなく重い。

 神代再演を成立させるために払ったリスクなど笑い話になるほどには。

 少なくとも辛うじて残った『■■■■(わたし)』の記憶は跡形もなく失うこととなるだろう。

 

 ただでさえもう思い出せる記憶は、忘れるわけにはいかなかったこの世界の記録と自らが『■■■■(わたし)』であったという記憶だけなのだ。

 次に使えば間違いなくそれらの記憶は蒸発するだろうし、加えて言うならば正義の味方との戦いで損耗した魂は間違いなく保たない。

 

 もう向こう五十年の寿命(時間)は使い切っているのだ。使えて後は一度か二度だけ。それも一度以上は確実にデッドラインだ。

 だが、どの道このままいけば、自らのタイムアップを待つまでもなく、此処で朽ち果てることとなるだろう。

 

 ならば──使うか、最後の切り札を。少なくともこちらにダーニックやフィオレがいる限り、目の前の大英雄と神父さえ道連れにすればユグドミレニアの勝利は揺るがぬものとなるはずだ。だったらいっそ──。

 

「──自らの生死よりも味方の勝利を望む決意は買うが今は止めておくが良い、“黒”のマスターよ。その覚悟を使い切るのはまだ早い」

 

「……何?」

 

「……ランサー?」

 

 いよいよアルドルが覚悟を決めようとしたその瞬間。

 不意に無言だった“赤”のランサーが口を開いた。

 

 構えを解き、黄金の槍を立てて、静かにアルドルへ眼を合わせるその姿に戦意など欠片もなく、寧ろ誠意のようなものすら感じさせる。

 その不可解なまでの立ち振る舞いにアルドルは勿論のこと、味方のはずのシロウすらも困惑している。

 

 そんな二人を傍目に次の瞬間、“赤”のランサーは驚くべきことを口にしていた。

 

「勘違いしているようだが、今この場でお前と矛を交わすつもりは俺にはない。無論、そちらが望むというならば是非もないが、少なくともこの場において俺からお前に槍を向けるつもりはない」

 

「なんだと……?」

 

 その言葉は決死を誓わんとしていたアルドルを本格的に困惑させた。

 しかしそれも当然の話だろう。

 “赤”のランサーはシロウの言葉を受けてこの場に現れたはずだ。ならばその目的は敵であるアルドルの抹殺であるはずだし、そもそも敵であるアルドルに対してそれ以上の接触理由は持たないはずだ。

 

 真意不明の“赤”のランサーの言葉にアルドルは思考を精一杯回すが彼の見識を以てしても“赤”のランサーの真意は読み取れなかった。

 そしてそれは……かの謀略家にとっても同じことだった。

 

「どういうつもりですランサー。貴方には確かにこの戦いの裏で動き回る者の排除を求めたはず。貴方もその命令に了承したはずですが……?」

 

「確かに。俺はお前に協力することに否は無いといった。だが、その命令全てに従うつもりはない。俺がお前に協力するのはあくまで“赤”の陣営として勝利するためであって、それ以上でも以下でもない。俺に命令を出来るのはマスターだけだ。そしてマスターでないお前に従う理由を俺は持たない」

 

「……それは」

 

 シロウの言葉に“赤”のランサーは強く言い返すでもなく、淡々と、事実のみを述べるようにして静かに言い返した。

 そう、“赤”の陣営のマスターらがシロウの謀略の毒牙に掛かったことを知り、他のサーヴァントは渋々ながらもシロウをこの聖杯大戦における“赤”の陣営の指揮者だと認めているが、“赤”のランサー──カルナだけは違う。

 

 彼だけは未だに正気を失った自らのマスターを“赤”の陣営本来のマスターだと定めているのだ。

 魔力のパスで繋がり、契約が履行されている限りたとえ実権が神父の手に移ろうとも自らのマスターは変わらないと彼は考え、振る舞っている。

 だからこそシロウの存在はあくまで協力者に過ぎないとも。

 

 その上で。

 

「だからこそ“黒”のマスター。俺はお前に一つ提案をしたい。そのために俺はこの場に馳せ参じた。どうか俺の言葉に耳を貸して欲しい、“黒”のマスターよ」

 

「──……」

 

 真正面からアルドルを見るその瞳にはやはり誠意があった。

 どうか話を聞いて欲しいと。

 目の前の大英雄は本当にただそれだけを訴えている。

 

 その眼を前にアルドルをしても取れる手段は一つしかなかった。

 

「……話は聞く。だが提案とやらに乗るかは聞いた上で判断させてもらおう」

 

「──ありがとう。敵であることには変わりないが、この一時に矛を収めてくれたことに感謝する」

 

 そう言って“赤”のランサーは微かに微笑んだ。

 

“……なるほど、これが『施しの英雄』。神々の王も認めるわけか”

 

 その高潔さ、あんまりにも清らかで太陽の如き眩しさだ。

 己の一生をかけてユグドミレニアに勝利をと誓っているアルドルをして危うく戦意を失いかねない誠実さを目の当たりにし、アルドルは内心、素直に両手を上げる。

 単純な武力の差以上に、これでアルドルはこの場において完全にかの大英雄に対抗する手段を失った。

 

 少なくともこの状況で戦意で応えられるほどアルドルは魔術師(人でなし)に徹することは出来ない故に。

 

「それで話というのはなんだろうか。貴公の提案であっても流石にユグドミレニアに勝利を譲れという話には乗れないが?」

 

「俺から降伏を促すつもりはない。こちらに叶えたい願いがあるように、そちらにも叶えたい願いがあることは承知している。互いに激突するしかない運命にある以上、いずれ我が槍でそれを果たすつもりだ」

 

 “赤”のランサーはコンと一度槍を鳴らし、暗に矛を収めるつもりはないと示す。この場では対話を選んだものの、決着は必ずつけるという意思表示だろう。

 

「だが勝負の天秤が決する前にやるべきことがある──お前は既に知っているようだが、俺のマスター……本来、俺の主たる存在はそこの神父ではない」

 

 ちらりと横目にシロウを捉えながら“赤”のランサーは言う。

 視線を向けられたシロウの方は苦笑しながら肩を竦める。

 認めるが、反省するつもりはないという姿勢だった。

 

「今は亡き“赤”のアサシンの毒。俺のマスターを含む時計塔の魔術師たちは皆、それによって正気を失い。今や神父によって傀儡にされている。彼ら自身、もはや自らが戦場に立っていることの自覚すらないだろう」

 

「だろうな。でなくばこうも神父の思い通りに“赤”の陣営を動かせるはずもなし。それで? その話を私に聞かせた上で貴公はどうするつもりだ? 正気を取り戻させてほしいというならば残念ながら提案には乗れないな。毒の深度が分からないというのもあるが、それ以前に敵に塩を送るつもりはない。この場での助命を引き換えにするほど私は諦めてはいないのでね」

 

 “赤”のランサーを前にアルドルはハッキリと言い切る。

 ……確かにこの場での助命を代価に“赤”のマスターの正気を取り戻すというのは悪くない交換条件かもしれない。

 実際の所、本気で事に取り掛かればアルドルの腕ならば“赤”のアサシンの残り香程度払うのは手間でもできなくはないだろう。

 そしてシロウ神父が裏切者である以上、“赤”のマスターらの正気を取り戻すことで逆に状況の優位を確立できる可能性があることも考えれば、二重の意味で悪くない。

 

 だが──その場合、神父を脅威から外せても五人のマスターの復活と展開の複雑化が予想される。

 そのリスクを考えればアルドルはその多少の優位を容認しなかった。

 

 アルドルの読みは全知全能の未来視などではない。この世界と近似した世界線を知り、あくまでそれを基準として敵がどのように動くかを予想立てて動いているに過ぎない。

 だからこそ、その世界線において既に落第していたものを参戦させれば、読みに不明な部分が多くなってくる。

 そうなれば結果として今以上の不利な状況が発生するかもしれない。

 今の状況下においてもまたユグドミレニアの勝利を望むほどのアルドルがその可能性を許容するはずなどない。

 

 そしてその内実を知ることはなくともアルドルが勝ちを捨ててないことを承知している“赤”のランサーもまたアルドルの言葉に頷いた。

 

「だろうな、俺もそのように承知している。だからこそ俺が願うのはその()の話だ。俺の提案はただ一つ──この聖杯大戦が終わった後の我がマスターの処遇だ」

 

「──……何?」

 

 今度こそアルドルは本気で困惑する。

 この聖杯大戦ではなく、聖杯大戦が終わった後の話。

 勝者と敗者が決定づけられた後の未来を“赤”のランサーは語る。

 

「始まりはどうあれ、今の俺のマスターに戦う意図はなく、“赤”の陣営が勝つにしても負けるにしても、その結果は我がマスターには関わりのない話だ。現状マスターを取り巻く環境は戦場より遠い所にある」

 

 静かに、淡々と、あらん限りの誠意を込めて。

 

「謀略も戦場の道理と捉えられてしまえばそれまでだが、少なくとも今のマスターに戦う意志がないことは明白だろう。

 だから──助けてほしい(・・・・・・)。この聖杯大戦がどのような結果に着地するにしても、我がマスターの命は取らないで欲しい。……この提案の履行を以てして俺はこの場での槍を収めよう。

 “黒”のマスターよ、どうか我が望みに応えて欲しい」

 

「────」

 

 アルドルは言葉を失くして絶句する。

 その願い、その提案はアルドルをして一切予想だにしない内容だったからだ。

 

 確かに“赤”のランサーの言う通り、“赤”のマスターは英霊を召喚し、参戦することまでを良しとしたが、実際は戦場に立つ以前に毒牙に掛かって正気を失ってしまった。

 であれば、正気なき彼らがどのような世界観で現実を幻視しているかはともかく、現状を端的に言うならば完全なる部外者だと言っていいだろう。

 

 ならば自らの意志で確たる意志を示していない彼らまでをも敵とする道理はなく、無関係の人間として後の利損を外に置けば彼らを殺す理由はない。

 

 この場で矛を交わさない条件として『聖杯大戦終了後、“赤”の陣営のマスターたちの命を見逃す』という提案は悪くないどころか、寧ろアルドルにとって願ってもない提案だと言えるだろう。

 

 しかしアルドルが絶句したのはそのような優位な提案だったからではない。

 聖杯大戦終了後という英霊が消えた後の、何の保証もない状況。

 履行されるかもわからない約定。

 

 言ってしまえば、たったそれだけ。たったそれだけの提案をするためだけに目の前の英雄は態々敵の前に姿を現し、神父の不興を買うことも厭わず、信頼できるかどうかも分からない敵マスターに誠意を見せているのだ。

 

 疑っていないわけではないだろう。

 向こう見ずに信頼しているわけでもないだろう。

 

 ただ目の前の英雄は誠実に願っているだけなのだ。

 どうかその様にして欲しいと、矛を向ければ無理に従わせることも可能な格下の敵を前にしてなお、彼はあくまで頼んでいるだけ。

 敵の事情も、味方の事情も、全てを知って、承知して、それでもどうか頼むと……敵の良心(・・・・)などというあまりにも不確かなものを信じて。

 

 アルドルに裏切られる可能性を受け入れた上で尚、“赤”のランサーは履行されることを信じて誠実に訴えかける。

 その穢れの無き黄金の精神力にこそ、アルドルは絶句したのだ。

 

 識ってはいた。識ってはいたのだ。

 目の前の英雄がどういった存在なのかを。

 

 だがしかしそれを置いて、なおもこの大英雄はアルドルの予想の上を行ったというだけの話。

 これが『施しの英雄』──神々の王すら認めた高潔なる者。

 

 そしてやはり彼を無視できるほどアルドルは魔術師にはなれない。

 

「──……了解した。ユグドミレニア次期当主、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアの名の下に誓おう。たとえこの戦いに“黒”の陣営が勝利したとしても“赤”の陣営のマスターたち、時計塔の魔術師たちの命を取ることは決してしない。無論、以後においても向かってこない限りでの話だが」

 

「構わない、俺とマスターの契約はあくまで聖杯大戦終了までの話。そこから先については我がマスターの責任だからな……俺の提案に乗ってくれたことに感謝する“黒”のマスターよ」

 

 そう言って“赤”のランサーは礼を口にし、頭を下げる。

 その様を見てアルドルは確信した。

 どだい、この聖杯大戦がどのように推移していくにせよ、アルドルにとって最大の鬼門となるのはこの英雄となるだろうと。

 

 最大の敵が神父なのは言うまでもないが、もしも彼以外でアルドルの、ひいてはユグドミレニアの勝利を阻むものがいるとするならば、それは他でもない、かの大英雄であろうとアルドルは確信した。

 

 よりいっそう覚悟を強めるアルドルを傍目に件の大英雄はクルリと向かう方向を変えて、仮初のマスターたるシロウ神父に、無造作に告げる。

 

「そういうわけだ。この場においてはお前にも“黒”のマスターを見逃してもらいたい。その上で追撃をするというならば全力で妨害させてもらうが?」

 

「……言いたいことは色々とありますが、良いでしょう。この場は貴方に免じてこれ以上の戦闘を行わないことを約束しましょう」

 

 やれやれと首を振りながらシロウは敵の抹殺を諦めた。

 実のところ、シロウには一つだけ目の前の大英雄を無理に従わせる手段があるのだが、それを使うには些かリスクが大きすぎると考えたのだ。

 かの大英雄であれば一つ、二つの『特権』ではまかり間違って気合で対抗されかねないし、そうなれば大英雄の抵抗力を前に、命令の履行より敵の離脱が早いだろう。

 

 そうなれば無駄な『特権』の消費に加えて、大英雄と完全に決別するという結果しか残らなくなる。

 先の展開を考え、“赤”のランサーにはまだ協力者であって欲しいことを考えれば此処は“赤”のランサーの願いを通すほかなかった。

 

「そういうわけです。どうぞ、お好きに退却してもらって構いませんよ。貴方との決着はいずれ相応しい時に、相応しい舞台で行うといたしましょう。此処で見逃したところでこの大戦における私にとって最大の敵が貴方であることには変わりないでしょうし、敢えて言っておきましょう、いずれ必ず、お前は私が殺す」

 

「それはこちらの台詞だ。此度は私自身の脇の甘さが招いた窮地であったが、次は無い。確実に、完璧に、今度こそ状況を仕上げてお前を確殺するとしよう。個人に救える世界などない。いずれ必ずお前の悲願に現実を叩きつけてやる」

 

「──よく言った、ならばやはりお前はオレの敵だ、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。我が悲願の証明を以て、お前を必ず敗北させよう」

 

「否だ。千年樹は崩れない。勝つのは我々、ユグドミレニアだ」

 

 その言葉を最後にアルドルは虚空にルーン文字を刻む。

 恐らくは何らかの移動にまつわる魔術なのだろう、突風が吹き荒れたと同時に、アルドルの姿は完全にこの劇場から消え去った。

 

 空間転移か、瞬間移動か。

 どちらにせよあっという間に遠ざかっていく気配を感じ取りながらシロウは息を吐いた。

 

 

 

「やれやれ、やってくれましたね、ランサー」

 

 そう言ってみすみす敵を見送るはめになったシロウは、その要因に目を向けながら口を開いた。事が事なだけに些か口調には険が混じる。

 

「お前の命令を順守するつもりはない。俺のマスターはお前ではないからな」

 

「ですが、協力者ではあるはずです。貴方の行為は“赤”の陣営の勝利を遠ざける不誠実なものなのでは?」

 

 シロウの言う言葉には一理がある。確かに“赤”のランサーの言う通り、シロウは正式な“赤”のランサーのマスターではない。

 寧ろ、裏切者ですらあると言っていいだろう。

 

 だがしかしその上で一先ずは“赤”の陣営勝利のために協力する関係にあると“赤”のランサーとは契約を交わしているはず。

 だとすれば“赤”のランサーの行った一連の行為は不誠実だと言える面があるのは否めない。

 

 シロウの追及に果たして“赤”のランサーは悪びれも、反省もなく、やはり淡々と言葉を返す。

 

「勘違いするな神父。俺は確かにこの場で“黒”のマスターを助命するよう誘導したが、それを以て“赤”の陣営の勝利を遠ざけたつもりはない。……あの男との戦いに熱を燃やしていたお前やあの男は把握していないようだが、こちらはこちらで動きがあった。事の次第では……“赤”の陣営が勝利に近づくことになるだろう」

 

「なんですって?」

 

 予想だにしない解答にシロウは思わず驚きに声を上げる。

 “赤”のランサーは続けて言う。

 

「何も“赤”の陣営の勝利を望んでいるのは俺やお前だけではないということだ。尤も、アレに“赤”の陣営(・・)たる自覚があるかは知らぬがな。ともあれ、今は俺もお前も戦場からは遠く戦の趨勢からは離れた身だ。せいぜい友軍の善戦を信じるとしよう。どだい開戦した以上、どちらにしてもただでは終わらんだろうよ」

 

 “赤”のランサーは含みのある意味深な言葉を言って、消える。

 恐らく霊体化して、正気を失った本来のマスターの下に向かったのだろう。

 “赤”のランサーは基本的に何もない時は自らのマスターの下に寄り添っているが故に。

 勝手気ままな振る舞いだが、少なくとも現状“赤”の陣営を裏切るつもりはないらしい。

 

「……はあ、そうですね。こうなった以上、私に出来るのもまた見守ることだけですか。せめて向こうでは何らかの戦果が挙がることを主に祈るとしましょう」

 

 どだい後はなるようになるだけ。

 何処か諦めにも期待にも聞こえる言葉を言い残して、シロウもまたその場を辞する。

 そうして誰もかれもが舞台から降壇した後に。

 残った影はただ一つ。

 

 

 一人、蚊帳の外であった劇作家のみ。

 

「うーむ……これはアレですな。吾輩! 完ッッ全に忘れられてますな!」

 

 敵のお陰で良いめを見(The better for my foes)友だちのお陰で悪いめを見てるところだ(and the worse for my friends)

 誰も居なくなった舞台で“赤”のキャスターはそう言って、笑った。




今回のあらすじ


主人公くん
「カルナさん、マジカルナさんっス」

施しの口下手
「一つ肩の荷が下りた。安心安心」

シロウ神父
「言うこと聞いてくれる味方が居ない(´・ω・)」

影の薄い劇作家
「吾輩! 最近オチ担当では!?」


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聖杯大戦 Ⅵ

「これにて詰みだ、“黒”のライダー」


 シャルルマーニュ十二勇士。

 

 それはフランスにおいて語られる武勲詩、『シャルルマーニュ伝説』に登場するシャルルマーニュこと、カール大帝と彼に仕える聖騎士(パラディン)たちの物語、かのアーサー王伝説にも並ぶ欧州を代表する騎士道物語(ロマンス)だ。

 

 しかし実のところ十二勇士と称えられる彼らだが、実際必ずしも固定したメンバーで十二人語られるわけではなく、叙事詩によっては欠番があったり、メンバーが変わっていたりと語り部によって内実は異なる。

 

 とはいえ、それでも高名な聖騎士というものは常に騎士道物語を彩るもので、例えばシャルルマーニュことカール大帝や、伝説の聖剣デュランダルを携えたローラン、ローランの親友で知将としても名高いオリヴィエなどは、いずれの詩にも登場する十二勇士を代表する聖騎士である。

 

 そして──そんな彼ら伝説の勇士たちに比べれば聖騎士アストルフォは知名度において一段落ちる存在と言えるだろう、その武勲も含めて。

 

 彼が登場するのは『狂えるオルランド』と呼ばれる詩群。その詩においてアストルフォは時にタタール王アグリカーネを撃退したり、邪悪な巨人を捕虜として捕えたり、果ては失恋から発狂してしまったオルランドことローランの理性を取り戻すために月へと旅立ったりと破天荒ぶりな性格故の様々な冒険を繰り広げた。

 

 詩においてすら決して優れた騎士ではないと歌われてしまうほど、弱い騎士ではあったものの、魔法の槍や魔法の本など多くの神秘を纏った道具を携え、友のために多くの冒険を繰り広げた勇ましき騎士として、彼の功績は伝説の一角に花を添えている。

 

 たとえ弱いと語られようとも彼は聖騎士なのだ。

 故に此度の戦──聖杯大戦と呼ばれる一騎当千の英霊集う戦場に在っても、彼は彼を全うする。

 対する難敵“赤”のアーチャーの放つ弾幕を掻い潜り、死と隣り合わせの中懸命に戦い続けていた──。

 

 

 

 

「うわっとッ!?」

 

 ヒュンと頬を掠めて彼方に飛んでいく矢を前に声を上げつつ、もう何度目かも分からない敵の攻撃を潜り抜けた“黒”のライダーはほっと息を吐く。

 ……今のはかなり危なかった。愛馬ヒポグリフが司る異能──『空間跳躍』直後を狙いすました一矢。回数を重ねるごとに精度を増していく敵の狙撃を前に背筋が凍る思いを抱きながらも彼はめげずに進み続ける。

 

「うーん、でも中々距離を詰められない……どんな足をしてんのさ、あいつ」

 

 しかしその勇猛さをして尚、相対する“赤”のアーチャーは難敵だった。

 獅子と鷲の混血である伝説上の魔獣グリフォンの上半身と馬の下半身を持つあり得ざる獣、幻獣ヒポグリフ。

 アストルフォの騎乗するそれは空を駆る獣の中でも上位に食い込むほどの速力を誇る存在である。

 

 にも関わらず開戦から既に半刻を数えても一向に距離が詰められないのは敵の巧みな狙撃もあるが、それ以上に敵自身の脚力にあった。

 速いのだ──少なくとも容易に追いつけない程には。

 

 戦場はトゥリファス市街地。中世の街並みを今なお保つ石造りの街並みだが、敵はその街を利用し、入り組んだ脇道や建物間に吊り下げられた布天井などを使って“黒”のライダーの視線を外してから矢を放つということを繰り返していた。

 

 自前の速力に加え、如何なる障害物も苦にせず踏破し、注意していてもあっという間に“黒”のライダーの注意から逃れて意識の外から矢を放ってくる。

 そのため後手後手で攻撃を回避しつつ、敵に追いつこうとする“黒”のライダーは振り切られるまではいかないモノの、自らの得物の射程に敵を収めるまでには至らないという非常に歯がゆい状況に陥っていた。

 

「さて困ったぞぅ、どうしようか」

 

 むむむ、と目を細めて状況を打開する術を考えるが、困ったことに彼は頭がよろしくない。スキルとして『理性蒸発』を身に着ける程度には理性的行動を苦手としており、何事に対しても直感的に動くのが彼の流儀だ。

 

 だからこそ未だ姿見ぬ射手──“赤”のアーチャーのまるで冷徹な狩人のような立ち振る舞いを前に打つ手を失っていた。

 

 ……無論、本気で距離を詰めようとすれば出来なくはない。愛馬ヒポグリフは空間跳躍という類まれなる異能を司る。これを全力で使用すれば瞬く間に敵との間合いを縮めることができるだろう。しかし──。

 

「それはそれで嫌な感じがするんだよなァ……」

 

 “黒”のライダーはボヤきながらその手段に着手しない理由を口にする。

 根拠のない直感ではあるものの、この敵を前にして「多少の無理をして距離を詰める」というのは危険なのだと第六感が告げている。

 

 そしてそれ故にやはり千日手。

 “黒”のライダーは敵を捉えるに至らない。

 

「うーむ……うわっ!」

 

 腕を組み暢気に考え込んでいると再び矢が“黒”のライダーを襲う。

 今度の狙撃は軌道上完全に“黒”のライダーの心臓を捉えていたものの、間抜けな主に代わり、それなりの理性を有するヒポグリフ自身が呆れの色が乗った鳴き声を上げながら見事回避してみせた。

 

「いやー、ナイス君! ありがとありがと」

 

『ピューイ……』

 

 お礼に“黒”のライダーはヒポグリフの首を撫でるが、ヒポグリフの方は塩対応だった。尤もそんな部下の反応に気づくことなく“黒”のライダーは再び暢気に如何にして“赤”のアーチャーに追いつくかを考える。

 

「えーと、こういうときは、まず情報の整理! うん!」

 

 そうして悩んだ挙句に“黒”ライダーはそんな結論に至り、頷く。

 ……今まさに生死のかかった死線でやるべきことではないが、無策で敵に突っ込むほど流石の“黒”のライダーとて無謀ではなし、しかして思考しながら戦闘をこなせるほど彼は“黒”のセイバーや“黒”のアーチャーほどに戦闘に極まっているわけではない。

 

 だからこそ相棒であるヒポグリフにいったん回避行動の全てを丸投げ、もとい任せて暫し不向きな思考の海に浸かることにする。

 

 ──さてまず前提として“黒”のライダーことアストルフォの役割とは分かりやすく、今まさに侵攻してくる“赤”の陣営よりミレニア城塞を守ることである。

 その役割の一環として、彼は“赤”のアーチャーが陣取ったとされるトゥリファス市街地に偵察へと赴き、結果、現在交戦中にまで至る。

 

 “赤”のアーチャー……その実力はこの通り、流石は弓術にて伝説を確立させたであろうだけあって、こちらのアーチャーに負けず劣らずな腕を持っており、容易に会敵すらさせて貰えない。

 “黒”のライダーが敵に有効打を与えるためには自身の宝具の一つである槍にせよ、愛馬であるヒポグリフにせよ近距離まで接近して攻撃を当てる必要があるが、現状、その距離までは詰めさせてくれない。

 

 こちらの動きを先読みするかのごとき優れた弓術も脅威だが、それ以上にトゥリファス市街地の曲がりくねった街道や細い路地裏などの複雑な街の地形を駆使しながらも、空を駆る“黒”のライダーに負けず劣らずで駆け抜ける“赤”のアーチャーの足こそが、彼ないしは彼女に接敵するために越えなければいけない最大の障害であった。

 

「ホント、何なのさあいつ。ボクとヒポグリフに走りでどっこいどっこいって」

 

 口を尖らせながら“黒”のライダーは何度目かになる愚痴を漏らす。

 そう、現状“黒”のライダーを攻勢を詰まらせるあの“赤”のアーチャーの脚力をどうにかしない限り“黒”のライダーに勝ち目はない。

 何かしらの手段を講じて接近しないことには“黒”のライダーは攻撃手段を持たないし、この状態が続けば刻一刻と命中精度を増していく“赤”のアーチャーの狙撃に追いつかれて“黒”のライダーはこの戦いで命を散らすこととなるだろう。

 

 ならばと、一旦退却するという手もあるにはあるが、その場合平原側に加えて市街地側を完全に“赤”のアーチャーに取られることとなり、ミレニア城塞は平原と市街地両方からの挟撃を許すことになる。数的には拠点で構えるこちらが優位であるため、簡単に陥落はしないだろうが、後が無いという意味で“赤”の陣営に対して大きく趨勢は傾くこととなる。

 

 つまり“黒”のライダーは此処でどうにかして“赤”のアーチャーを倒すか、または退却まで追い込む必要があり、そのためにはどうにかして接近して攻撃を加える必要があるのだが……。

 

「……速さじゃ負けないけどアイツほどボクのヒポグリフは小回り利かないしなァ。かと言って真っすぐ突っ込んでいくのも何か危なそうだし、ねえ君。実は凄い力で一気に“赤”のアーチャーの所まで空間跳躍とか飛ぶことは出来ない? こう……ギュイーンって!」

 

『…………ピュー』

 

 出来るかバカ主、とでも言いたげな冷たい返事をするヒポグリフ。

 今も全力で“赤”のアーチャーの攻撃を避けて回っているというのに、回避をヒポグリフに全振りして戦場で暢気に考え込んだ挙句、出した結論がヒポグリフの底力に任せるというモノでは流石のヒポグリフもついうっかり空中に“黒”のライダーを放り投げたい欲求に襲われるというものだ。

 

 とはいえ“黒”のライダーの頭では考え込んでも解決策というものが浮かぶわけがないという結論は得られた。なので、“黒”のライダーは事ここに至ってようやく……。

 

「うーむ、此処にケイ──“黒”のアーチャーが居れば、色々とボクに思いつかない良い方法を教えてくれたんだろうけど……あ」

 

 自身が行うべき最善の方法に思い至るのであった。

 即断即決は聖騎士であった頃からの数少ない“黒”のライダーの強みである。

 半ば忘れられかけていた通信用のルーン石を取り出すと“黒”のライダーは速やかに“黒”のアーチャーへと通信を繋げた。

 

「やっほー! 聞こえてるかいアーチャー! ちょっと助けて欲しいことがあるんだけど!」

 

『……“黒”のライダーですか、ようやく連絡してくれましたね。今はどちらに? こちらは少々立て込んでいたため、そちらの状況を詳しく把握できていないのです』

 

「ん? 忙しいって何かあったの?」

 

『ええまあ、“赤”のセイバーとそのマスターに上手くやられまして、こちらが戦場の景色に翻弄されている間に彼らのミレニア城塞への侵入を許しました。今は“黒”のキャスターが“赤”のセイバーを。そして“赤”のセイバーのマスターを我々のマスターが対応しています。私もそちらの援護に向かおうとしていた最中です』

 

「……え、それってかなりヤバいじゃん!」

 

『その通りです。なのでご用件は出来るだけ手短にお願いしたいのですが……』

 

 “黒”のライダーが“赤”のアーチャーを前に攻めあぐねている間に自陣営が晒されている状況に思わず焦りを覚え、対する“黒”のアーチャーは冷静に言葉を返す。

 返ってくる言葉に焦りの色はないため、まだ陥落するほどの窮地ではないにせよ、暢気に“赤”のアーチャーを相手取っている暇はなくなった。

 

「んじゃあ、手短に。今“赤”のアーチャーと戦ってるんだけど、攻めあぐねてるんで上手く“赤”のアーチャーを倒す方法を教えて!」

 

『……言いたいことは色々ありますが、まず貴方には“赤”のアーチャーを発見次第報告して欲しいとお願いしたはずなのですが……』

 

「え? あ、そうだっけ? ……にゃはははは」

 

『はぁ……それに手短にと言いましたが状況も分からずに事態の打破を考案するのは不可能ですよ』

 

「あ、そうか。じゃあ今の状況だけど……」

 

『いえ、問題ありません。こちらで確認します。トゥリファス市街地ですね』

 

 “黒”のライダーに言わせたら長くなると考えたか、或いは自らの目で確認した方が早いと思ったのか、暫し“黒”のアーチャーからの連絡が途絶える。

 その間も絶えず“赤”のアーチャーによる狙撃が“黒”のライダー及び、ヒポグリフに加えられるが、精度を増したとはいえ、制空権を我がものとしながら空間跳躍による中距離程とはいえ瞬間移動という反則じみた機動力は“黒”のライダーがそうであるように、“赤”のアーチャーに対しても同じ千日手の状況を強いるもの。

 

 徐々に狙撃の精度が追いつきつつあるとはいえ、未だに敵にしても“黒”のライダーを捉えきるまでには至っていない。無言の攻防は時間にして僅かに一分。

 “黒”のライダーからしてみればやや長く感じられる空白を挟んで、“黒”のアーチャーから言葉が返ってくる。

 

『見えました……なるほど“赤”のアーチャー。中々の使い手の様ですね』

 

「でしょ? そのせいで全然近づけなくってさ」

 

 流石は弓兵のクラスというべきだろう。ミレニア城塞に居たままであろうに“黒”のアーチャーから現状を捉えたであろう言葉が返ってくる。

 市街地からミレニア城塞までは数十キロはあるにも関わらず、“黒”のアーチャーのその眼は確かに戦場の光景を正しく映していた。

 

『そうですね。私が此処から援護して幾つかの手段も講じられるでしょうが……現状、あまりかけられる時間はありません。状況が状況なら貴方と共に“赤”のアーチャーを討つこともできたのでしょうが』

 

「あー、いいよいいよ。何とかする方法だけ教えてくれれば。そっちも大変なんだろ? 方法さえ考えてくれれば後はこっちはこっちで何とかするさ」

 

『いえ、そうではなく。“赤”のアーチャーの腕を見る限り如何なる方法でも“赤”のアーチャーに対して方法一つで接近することは困難でしょう。こちらから見て取れる射線を考えるに、どうやら“赤”のアーチャーはかなり速く、そして巧みに位置を取っている。……真名の特定はできませんが、足の速さと獲物の隙を穿つ巧みさから見るにもしかすれば狩人の類かもしれませんね』

 

「狩人?」

 

『ええ。ゲリラ戦を展開する腕もそうですが、貴方の駆るヒポグリフの動きを正確に見て読んでいる辺り、人よりは獣に通じた使い手の様に見受けられます』

 

 “黒”のアーチャーは“黒”のライダーと交戦する“赤”のアーチャーの狙撃に対してそのような感想を漏らす。確かに“黒”のライダーの駆るヒポグリフは騎乗者である主の命に従って動くというよりは主を乗っけて自分で動くというスタイルで、“黒”のライダーその人物が動かしているとはあまり言えない。にも拘わらず、動きを読み切って精度を増していく狙撃は、どちらかと言えば人読みというより、獣の動きを熟知しているのだと言えるだろう。

 

 なればこそ、賢者はその腕から敵の正体を朧気ながら特定する。

 ギリシャ神話随一の賢者の目は戦場においてもその効果を抜群に発揮する。

 

『そしてだからこそ簡単な釣りには乗ってこないでしょう。狙撃の腕にプライドを持っているならばやり様もあるでしょうが、自らの役目に徹し、冷静さと冷徹さを以て確実を期す相手に多少の揺さぶりは通じません。貴方が足止めされているのが現状な様に、貴方という相手を前に足止めされているのは相手も同じです、にも拘らず相手の動きに焦りはありません……つまり』

 

「最初から“赤”のアーチャーの役目はボクの足止めってこと?」

 

『もしくは時間が焦りに繋がらない役割といった処でしょうか。或いは初めから貴方を倒すことが相手の狙いということも考えられます。じっくり構えればこのアーチャーの腕であれば貴方を仕留められるでしょうし』

 

「うわー、それはヤダな」

 

『そうですね。なので私としては此処で貴方に引いてもらうのも一つの手だと考えます。敵が無理せずこちらを追い詰めてきている以上、無理をして突っ込んでいけばそれこそ敵の思うつぼですから』

 

「でも、それだと“赤”のアーチャーに城を挟まれちゃわない?」

 

『そうなりますね』

 

 そしてそれも致し方ないと“黒”のアーチャーは考える。

 確かにその選択肢は状況をより悪い方へと傾かせかねないだろう。

 だが、無理をして此処で“赤”のアーチャーを倒すために攻勢へと舵を切れば、“黒”のライダーを失う危険性がある。

 未だ脱落者を見ない聖杯大戦。英霊対英霊の戦いである以上、七対七と七対六では大きく状況も変わってくるだろう。安全策を取るのであれば、此処は“黒”のライダーを一旦引かせて多少の不利を飲み込むのも一つの手であると。

 “黒”のアーチャーはそのように考えた。

 

 しかし……。

 

「──いや、ボクはやるよ。ここで何とかする」

 

『ライダー?』

 

 返ってきた言葉は“黒”のアーチャーの考えとは全く逆なものであった。

 

「そっちはそっちで大変なんだろう? そんな時にボクのせいでもっと大変なことにはしたくないからね。ボクはこれでもシャルルマーニュ十二勇士の一人だ。……そりゃあ槍の腕はそこそこでそんなに強くないし、寧ろ弱っちいのは自覚してるけど……聖騎士(パラディン)として仲間の足を引っ張るような真似はしたくないんだ」

 

『ライダー、貴方は……いえ、貴方らしいですね』

 

「だろ?」

 

 できない(・・・・)ではなく、したくない(・・・・・)という言葉が正に“黒”のライダー、否、シャルルマーニュ十二勇士アストルフォを表す言葉だった。

 確かに彼は生前から馬鹿だの阿呆だのと言われてきた、さして武名も響かなかった英霊である。だが、それでも彼は英霊なのだ。

 武勲詩として名高いシャルルマーニュ十二勇士の一人としてその名を刻み、如何なる状況においてもその誇りを損なわない聖騎士。

 

 或いは別の運命では名も無き一人の少年を救い、生き方の指標とまでなる英雄は、その誇りから仲間の足を引っ張ること厚顔無恥を良しとは決してしないのだ。

 

 不可能可能かは後回し、何とかするしかないなら何とかするのだ(・・・・・・・)

 

「アーチャー、ボクに道をつけてくれ。そしたら後は……ボクがあいつを何とかする」

 

『……ふう、止めても聞きそうにありませんね。かなり博打になりますが、ライダー。私を信じてくださいますか?』

 

「それについては大丈夫! ボクより君の方が頭がいいのは知ってるからね! オリヴィエと同じぐらいには信頼してるさ!」

 

『ふふ、それはまた……分かりました。ライダー、私の知恵でもって貴方の行く道をつけます。“赤”のアーチャーは任せました』

 

「まっかせてよ、よし行くぞ! ヒポグリフッ!」

 

『ピューイッ!』

 

 大きく羽を羽ばたかせて幻馬が()ぶ。

 聖騎士の誇りを掲げ、“黒”のライダーは長らく続いたその均衡を打ち崩さんと槍を構えて、遂に“赤”のアーチャーとの決着へと乗り出した。

 

 

……

…………。

 

 

 

 舞い上がる飛影を見上げて“赤”のアーチャー、ギリシャ神話随一の俊足を誇る英雄、アタランテもまた戦場の空気が変わったことを察する。

 

「来るか、“黒”のライダー」

 

 星々の光を背に夜の暗黒に身を躍らせる飛影の姿に、“赤”のアーチャーもこの交戦にて今までの均衡が崩れることを確信する。

 これまで距離を詰めることに苦心していた“黒”のライダーが突如として距離を取る。

 或いは退却するつもりかとも思ったが、かの飛影は距離を取りながらも戦場を離れる気配はない。であればこそ、次なる一手を乾坤一擲とすると、そう見て取るのは容易だった。

 

 ……事ここに至るまでもう幾度も矢の回避されてきた“赤”のアーチャーだが、所詮その全ては“赤”のアーチャーが敷いた布石に過ぎない。

 獲物との速度、獲物の呼吸、そして獲物の間合い。

 

 狩りの成功率を上げるため、狩人が行う謀りごとに過ぎない。

 必殺の状況を期し、確実に獲物の息の根を止める。

 

 もう何度となく生前からこなしてきた狩りの流儀。

 既に獣狩りの用意は、英霊を射殺す必殺は完成されている。

 

 ……“黒”のライダーが駆るあの飛影。恐らくは伝説に聞く、ヒポグリフという奴だろう。

 聖杯より齎される知識を参照するに間違いあるまい。

 空間跳躍なる規格外の異能を備えていることは想定外だったが、それもここまでの交戦で読み整えて来た。

 

 なるほど前動作なしの瞬間移動とは凄まじい厄介さだが、それだけだ。

 矢を躱すという行動を取る以上、その異能を除けば当たれば死ぬという当然の理を持つ獣の一種に過ぎない。加えて、その瞬間移動にしても何ら手立てがないわけではない。

 

「一つは跳躍したところでどうにもならない程の弾幕を展開すること」

 

 例えば彼女の宝具『訴状の矢文(ボイポス・カタストロフェ)』。

 先にミレニア城塞目掛けて放った矢の弾幕を張り巡らせば、如何にヒポグリフとてどうにもならないだろう。瞬間移動の距離は“赤”のアーチャーの目測で精々が中距離……現時点から平均して五十メートルほど。もしかすればそれ以上の跳躍も可能なのかもしれないが、空間跳躍という規格外の異能が要する魔力消費を考えればキロ単位で移動して回れるとは思わない。

 そうであれば一度は己の眼前に出現するような事態を引き起こしているだろう。故に最大でも空間跳躍を可能とする距離は百数メートルだろうと“赤”のアーチャーは考える。

 

 なればこそ躱した先をも飲み込む矢の弾幕、それを放てばあの獣は対応のしようがないはずだ。

 そしてもう一つ、あの獣を仕留めるために出来る手段がある。

 

「空間跳躍の直後、次の跳躍までにある一呼吸。そこに隙があると見た」

 

 アレだけ空間跳躍の乱発を見せられれば一流の狩人である“赤”のアーチャーにとって幻馬に生じる僅かな隙というモノを見極めるのは児戯に等しい。

 そもそも矢を避けるだけならば空間を跨ぐ際に通るだろう異次元や異空間に潜っていればいいのだ。空間跳躍という短時間で次の地点にまで移動する時点で、一度発動すれば次の地点に必ず現れるという現象自体が、この世界から消えることができるのが短時間であることを示している。

 

 加えて空間跳躍の異能は発動自体は乱発できても、一度潜れば必ずや一度現実に浮上しなくてはならないことも把握している。

 

 “赤”のアーチャーにとって驚異的に映ったその異能も原理さえ分かってしまえば攻略方法は簡単だ。即ち空間跳躍直後、次の出現地点を狙えばいい。

 予めそこに矢を撃ち込んでいれば必ず現実に浮上しなければならない能力である以上、先読みから逃れる手段を敵は持たないのだから。

 

 その()はほんの一瞬。イルカが息継ぎのため海面に浮上し、海中へ戻るよりも早い。

 しかしその一瞬に矢を番え、敵を仕留める程度。

 出来てこそ──彼女はギリシャ神話随一の狩人と称えられるのだ。

 

 ……“黒”のライダーを仕留める手段として確実なのはもう一度、己が宝具を切ること。

 だがホムンクルスによる魔力供給システムを使う“黒”の陣営とは異なり、自らのマスターに消費魔力を依存する“赤”のアーチャーはそう簡単に宝具を乱発できない。

 確かに“赤”のアーチャーの宝具はかの“赤”のランサーや、“赤”のライダーほど燃費の悪いものではないが、それでも今後の戦闘の継続を考えれば活動魔力に余裕を持たせたいと考えるのは当然だ。

 

 獅子は兎を狩るのに全力を出すとは言うが、狩人である“赤”のアーチャーにとってそういったものは最も愚かな手段にしか見えない。

 獲物に対し、必要最小限な力を、知恵を見極め、どのような想定外にも対応できるよう常に余力を持って対応する。それが出来てこその一流の狩人である。

 

 なればこそ、宝具は切らない。扱うは生前より研ぎ澄ませてきた己の技量。

 何よりも信頼し、何よりも自信を持つ己の腕にこそ他ならない。

 

「さて……」

 

 飛影をその眼に捉えつつ、“赤”のアーチャーは駆け出す。

 臭いで覚えた街の複雑な路地裏を自身の庭とばかり駆け巡り、最短最速で彼女は目的の場所にまで辿り着き、タンと軽やかに跳躍──辿り着いた決着の地はトゥリファス市庁舎。

 

 公において聖杯大戦開戦の地となった場所である。

 

 これまで姿を隠して移動しながら射撃していた彼女が完全に姿を晒してみせたのは獲物への敬意でも武人としてのプライドでもない合理的な理由だ。

 即ち──。

 

「私は此処だ。来るというなら来るが良い。幻馬を駆る“黒”のライダー。此処がお前にとっての死線だ」

 

 獲物の動きを限定し、その未来を摘むために。

 罠など、小細工などいらない。

 敵が攻勢に出て、自らに突撃してきた瞬間こそ彼女の手にする必殺の間合いである。

 

 夜空を背にした敵との距離はおよそ10㎞。

 この距離こそ、敵の余命だ。

 

 かくて──最後の交戦の幕が上がる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 深夜の市街地に響き渡る聖騎士の雄叫び。

 騎乗槍(ランス)を手にして勇猛に突撃するはシャルルマーニュ十二勇士。

 

「ッ!!!」

 

 対するは無言のままに敵の死を幻視し、必殺を創るギリシャ神話随一の狩人。

 決戦を覚悟した両者が刹那の交戦へと身を躍らす。

 その最中に、聖騎士が吼える。

 

「『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』ッ!!」

 

 宝具真名、解放。

 幻馬の持つ真の性能を詳らかにし、聖騎士が空を奔る。

 

「ッ……! 速い……!」

 

 此処までの速力は全力ではなかったのだろう。

 次を捨てた決戦の覚悟が見せるはこれまでとは桁の違う突撃。

 “赤”のアーチャーは知らぬモノの、出力をしてAランクの威力を誇るヒポグリフの粉砕突撃だ。

 様子見にこちらの攻撃を回避してきた時とは文字通り桁違いの速度。

 

 なれども。

 

「来る場所が読めるならばそれに従って間合いを測るまでのこと……!」

 

 修正、改善……よって未だに我が手の上。

 弓の弾き具合により威力が変化する神より賜りしタウロポロスに加える必要がある力を、刹那にも満たない時間で幻馬の突撃に対応するに必要なものへと変更する。

 それは必要な力のみを使い、余力を持って対応していたからこそ出来る絶技。狩人としての経験と判断力が“黒”のライダーが生んだ想定外をも上回る。

 

 放たれる百を上回る矢の弾幕。それを前に幻馬は想定通り真正面から飛び込み、そしてすり抜ける。

 空間跳躍──発動。

 なればこそ、

 

「いちっ、!」

 

 一の矢……これを以て余裕を飛ばせる。

 僅かに届かず、敵の連続空間跳躍を許す速度。

 それでいて敵の空間跳躍直後を狙った最速の一撃、それが当たるよりも早く。

 

(躱す……!)

 

「に、ッ!!」

 

 放たれる、二の矢。

 そこに敵はいない、在るのは幻視する次の瞬間の(みらい)

 果たして未確定の未来は現実に。

 

 距離は五十メートル。出現した敵の前に迫る回避不能の二の矢。

 驚愕する敵はなれども、突撃の覚悟を決めていたが故に騎乗槍で奇跡的に対応し、

 ──故に弾いた先にある。

 

「さんッ!!!」

 

 最後の()に届かない。

 “赤”のアーチャーへの道は半ば。

 敵の突撃が届くより先にこちらの攻撃が先に届く。

 

 対策はない、対応は不能。

 故に必殺(・・)。敵に生存(みらい)は訪れない。

 

「これにて詰みだ。“黒”のライダー」

 

 冷酷に告げる死の宣告。

 これより逃れる術は“黒”のライダーには(・・)なく。

 

 

いいえ(・・・)、貴方の詰みだ“赤”のアーチャー」

 

 

 果たして、その声が全ての前提をひっくり返す。

 必殺の矢が“黒”のライダーに直撃する寸前。

 

 “赤”のアーチャーが放った矢を──異なる方向より放たれた矢が打ち落とす!

 

「なッッ!!」

 

 想定外の事態、全く予期せぬ現実を前に。

 冷静を誇った“赤”のアーチャーが初めて驚愕と動揺の声を漏らす。

 しかしそれも当然のことだろう。

 

 確実を期して創り上げた必殺が破られただけではない。

 周囲に“黒”のライダー以外の敵手が見当たらないことを前提としていたのだ。それがこのような援護(かたち)でひっくり返されればさしもの彼女も冷静さを失うというもの。

 

 彼女は知らない──刹那の攻防で披露された絶技は二つ。

 

 一つは威力換算にてヒポグリフに及ぶAランクに匹敵する速度と威力で放たれた彼女の矢という小さな的を、同じ弓矢で打ち落としてみせるという奇跡的なまでの精密射撃。

 

 そしてもう一つは、ミレニア城塞からトゥリファス市庁舎までのおよそ数十キロにまで及ぶ、到達までのタイムラグも完璧に計算にいれた超長距離射撃。

 

「──なるほど、貴方は確かに一流の狩人かもしれない。しかしこれは聖杯大戦。舞台は戦場で、状況は狩りではなく戦場なのですよ」

 

 故にそこまで考慮するべきだったとミレニア城塞からトゥリファス市庁舎にて立ちすくむ弓兵を前に呟く“黒”のアーチャー……ギリシャ神話が誇る賢者ケイローン。

 厳かに告げる彼の言葉は道理であるが、されども考慮していたとしても対応できたかは怪しいだろう。

 

 敵に“黒”のアーチャーがいたと想定してはいても、この距離、この精度の精密射撃が出来る弓兵はそう多くはない。恐らくはアーチャークラスとして最大級の格を誇る、とある救国の大英雄に真似できるかと言った所業である。

 

 だが、元より彼にとってこの程度の距離など問題ではない。

 何故ならば彼の全力(ほうぐ)は星の海より地上を番えるもの。

 

 星間を横断する所業に比べれば距離は問題になどならない。

 

 ──前提は崩れた。必殺は砕け散った。

 よって未来は変わる。

 

 愚直な勇者に勝利の女神は微笑むのだ。

 

「“赤”のアーチャー、覚悟ッッ!!!」

 

「ぐっ、おのれぇ!!」

 

 次弾を番えるが間に合わない。

 対して突撃する“黒”のライダーはもはや眼前。

 

 獲った──! / 獲られた……!

 

 戦場に居合わせる誰も彼もがそのように確信した。

 

 

 

 そう──ここに勝負は決した。

 この一戦、この戦い。

 シャルルマーニュ十二勇士、アストルフォは間違いなくかの英雄、俊足の足を誇る英霊アタランテの実力を仲間の手を借りながらも上回ったのである。

 その勝利は自らの愚直さが引き寄せたものであり、誰にもケチのつけられない結果だ。

 

 だからこそ、それは運命としか言えない不幸であった。

 或いは陰から聖杯大戦を仕切る男が齎してしまった必然か。

 

 英霊が導くはずの運命は既に倒れ、世界は異なる未来へと分岐している。

 なればこそ英雄の役目は疾うの昔に終わっており、それでいて必然は訪れる。

 

 この戦いに望む英雄に瑕疵はなく、なれども彼の運命(・・)には瑕疵があった。

 それは聖杯大戦の奏者たる彼すら望まぬ結論。

 

 即ち──自業自得(・・・・)に他ならない。

 

 

「え────」

 

 

 ──困惑の声が己から洩れたと果たしてアストルフォは自覚できたか。

 突如として足場が消えるような断絶。

 まるでコンセントを無造作に引き抜いて消えるようにして、

 

 マスターとの(・・・・・・)繋がりが(・・・・)途絶える(・・・・)

 

 それが生み出す弊害が一瞬で毒となってアストルフォを巡る。

 槍が消える、ヒポグリフが消滅する。

 

 崩し切ったはずの自らの死という未来。

 もはや理不尽と言えるまでの領域で、その未来が現実に起こる。

 

 誰れもが想定せざる未来。

 これを前にかの賢者ケイローンですら打つ手はなく。

 

 

「──勝負はお前の勝ちだ、“黒”のライダー」

 

 

 冷たく囁く自身にとっての死神に、対処する術はない。

 

 

「だが、死ぬのはお前だ。“黒”のライダー」

 

 

 心臓を撃ち抜く、矢の一撃。

 急所に当たった攻撃はアストルフォの核を打ち砕き、この世に在ることを許さない。

 

 動揺しながらも反撃を整えようとした者と、

 動揺に空白を持ってしまった者。

 

 紙一重の差で勝負の裏表が反転する。

 かくして無情にも勝敗は決する。

 

 勇者の無謀は運命の女神に袖にされ、

 此処に“黒”の陣営初となる脱落者が確定した──。




今回のあらすじ


運命の女神
「主人公補正? あるわけねえだろ! そんなもの!!」

元運命の主役
「すまない、殆ど登場もなく死んで本当にすまない」

運命の主役
「やっぱり、ダメだったか(諦めの境地)」

被害者のライダー
「ちょ、マスターあああああああああ」


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聖杯大戦 Ⅶ

「いけ好かないキャスターめ、光栄に思うが良い──魔術師風情で我が剣の前に立つことを」


 セレニケ・アイスコル・ユグドミレニア。

 

 ユグドミレニアを代表する“黒”の陣営一角。

 騎兵(ライダー)のクラスを頂くマスターである。

 

 彼女の家──アイスコル家は代々黒魔術を基盤とする魔術を継承する家柄で、その歴史はユグドミレニア一族内でも比較的も古い血統だ。

 

 彼女の扱う黒魔術とは、基本的に生贄を捧げることで特定の対象に対して、呪いや災厄を呼び込んだり、時には悪魔召喚などを行うことを生業とした魔術基盤だ。

 その特性上、中東や南米、果ては東洋にまで広く存在する『呪術』と重なる部分があるために時計塔の魔術師の一部からは蔑視されることもある魔術でもある。

 

 そんな黒魔術を代々継承してきたアイスコル家には黒魔術儀式において生贄が精神異常(トランス)状態に陥ることはあっても生贄を捧げる術者の側が精神異常(トランス)状態に陥ってはならないという教えが存在している。

 

 これは魔術師としての合理性……黒魔術という一歩間違えれば術者に呪いが返ってくる、いわゆる呪詛返しの危険性から常に厳粛に振る舞うべしという意味もあったが、それ以上に──人間が生命活動のために他の生命を糧とするのと同じように、氷の如き眼で以て厳粛に生贄を処理する。それが生贄を捧げるものが生贄と相対する上での正しい在り方であると。

 そんなアイスコル家の理念からの教えでもあった。

 

 だが黒魔術を継承する家柄として正しくあろうとしたアイスコル家も中世の魔女狩りを契機に衰退の一途を辿っていくこととなる。

 魔女狩りから逃れるため代々身を置いて来た西欧の地からシベリアに拠点を移すと、従来の魔術基盤を失ったことから徐々に廃れていった。

 

 多くの魔術師がそうであったように、歴史あるアイスコル家も没落する──そんな未来を見た彼らは苦渋の決断でダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの甘言に乗り、自らの魔術をユグドミレニアに溶け込ませて延命させることとなる。

 

 どれ程の苦難の果てにも何とかしてアイスコル家を存続させる。

 そうした彼らの執念に果てに生まれたのが、アイスコル家最新の継承者セレニケである。

 

 衰退しかけの一族に生まれた久方ぶりに生まれた赤子。

 一族の老婆たちは彼女の誕生に歓喜し、そして彼女に徹底的に黒魔術を教え込んだ。

 

 獣を、人間を、赤子を、善人を、妊婦を、老人を。

 生きとし生ける生命をくべて神秘を具現する黒魔術。

 

 術者に絶対的な理性の制御を要求する黒魔術は何よりも精神面での強さを要求する。

 如何なる残虐な儀式も執行できる鋼のような理性をだ。

 だからこそアイスコル家の教えにある通りに、老婆たちはセレニケが如何なる儀式においても、心乱さず冷徹な目で以て贄を送れるようにと、彼女を一流の黒魔術師として振る舞えるよう鍛え上げた。

 

 ──ある意味では、セレニケは極めて優秀だった。

 

 彼女は徹底的に己を律した鋼のような精神で、鉄の理性で、彼女は老婆たちの教えの通り本当に、本当に徹底的に我慢したのだ。

 

 自らの内から生じる衝動──生命を弄ぶことへの悦び、生贄への加虐趣味を。

 

 そうセレニケ・アイスコル・ユグドミレニア。彼女は表面的には、魔術師としては優秀であるが、その性根は黒魔術以上にどす黒く膿んでいた。

 魔術師として魔術に関わることに関しては彼女は徹底的に我慢できたが、ひとたび私事の時間──魔術師でない時間を与えられた彼女は押さえつけていた有り余る情欲を贄に叩きつけた。

 彼女と一夜を過ごして無事だった人間が一人もいないことこそその証明。

 

 純粋な目で世界を見る少年を徹底的に穢し、犯し、苦痛を与えてその涙で喉を潤す。

 魔術師ならざる時の彼女は性癖がために無意味に生命を散らすという意味では魔術師以上に最悪だった。

 ……老婆たちはそんなセレニケの性根を知ってはいたが、目を瞑った。資質だけをみれば黒魔術師として優れた才能を持っていたセレニケである。

 久方ぶりの継承者である彼女の存在と才能を前には少し困った彼女の性質など些事だと感じたのか、或いは若く最新の血族として甘やかしたのか。

 

 ともあれ、鉄の理性の下に隠した欲望は肥大化するばかりだった。

 黒魔術師として表面上は正しく振る舞い、魔術師としてユグドミレニアに貢献する。一方でその身には常に肥大化し続ける加虐趣味を持つ怪物(おんな)

 それがセレニケ・アイスコル・ユグドミレニアという女魔術師の正体であった。

 

 だからこそ彼女は最初から聖杯など求めていなかった。

 元よりそれはダーニックが手にするだろうし、己に与えられた配役はライダー。

 主力となる三騎士からは程遠く、そもそもをして彼女の性根は聖杯に託すような祈りを持たぬ身である。

 故に聖杯大戦の参加者として、彼女は表面上は正しくマスターとして振る舞いながらも初めから趣味(・・)に走るつもりだったのだ。

 

 英霊──伝説・神話に名を刻みし偉大なる存在、そんな彼らを徹底的に穢して犯して凌辱の限りを尽くすという最低最悪の欲望を満たすために。

 その願いは果たして半分(・・)は叶った。

 

 そう、半分である。

 彼女は願いを完全に結実させることは、出来なかった。

 何故ならば怪物以上の怪物が、彼女の身近に居たからである。

 

 偽りの千年樹など霞む唯一無二の存在。

 真なる黄金千年樹(ユグドミレニア)──アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 あの(・・)ダーニックが狂喜乱舞し、次代のユグドミレニア首領として何もかもをさし出すことを良しとした本物の化け物である。

 彼の存在を知った当初、彼女はアルドルに対して何の感情も抱いていなかった。ダーニックの後継。プレストーンの縁者。『先祖返り(ヴェラチュール)』の肩書をダーニックが称賛する一流の魔術師。

 その程度の認識であった。

 

 だが、その認識はすぐに大きく覆る。

 ──南米の地にて亜種聖杯戦争。

 アルドルをして片目を失うほどの激戦であったという聖杯戦争より帰還したその日。

 彼は持ち帰った戦利品により──奇跡を顕現させた。

 

 

 

『ありえん──ありえんッ! ありえんッ!! 何だこれは!!!』

 

 同席したゴルドの悲鳴が思い出される。

 ああ、今なお決して忘れられぬ。

 悍ましい、余りにも恐ろしい光景が。

 

 

 ──それは一つの『世界』だった。

 

 

 果てなく広がる蒼穹と永遠を思わせる緑の海。

 空を駆けるのは白鳥のように舞い踊る戦乙女たち。

 そして雄々しく羽ばたく太古の竜。

 

 天上を見上げればそこには(ソラ)が広がり、そこには九つの泡沫が異なる景色をレンズの様に映している。

 炎と、氷と、霧と、日と、夜と、森と、川と、そして館。

 そこには多種多様の住民が、荘厳に佇む巨人と神性を纏う獣と神秘を遊ぶ住人たちが暮らしている。

 

 あまりにも出鱈目な御伽噺(フェアリーテイル)

 魔法以上に魔法としか思えない奇跡。

 

 世界の主に曰く霊脈固定型(ルーツレイライン)固有結界(オブワールドツリー)

 『神話再演(ピリオドアルター)北欧神話(ノルドマイソロジー)』。

 文字通り神話の時代を再演する究極の魔術だった。

 

『──を手に入れた時点で構想だけはしていた。発動動力となる魔力が流石に私だけで賄うには最低でも三十年は掛かると思っていたが、仮にも正しく機能する亜種聖杯を手に入れられたのは正直、僥倖だったよ。一度発動させればこのように土地に定着して機能するが、如何せんその発動に大きく魔力を消費する。故に術式や工房までは用意できても機能させることが今まで叶わなかった。まさに怪我の功名といった処かな? 片目を捧げた甲斐はあったな』

 

 そう言って肩を竦める青年が、もはや魔術師には。

 否、同じ人間にすら見えなかった。

 

『北欧神話に語られるユグドラシル……いわゆる世界樹という奴は西欧圏においては元々珍しい神話形態ではない。要は樹木崇拝という概念だからな。ヨーロッパにおいてはポピュラーな信仰と言える。ゲルマン民族の聖なる森、古代ローマの偉人ロムルス王にまつわるイチジクの木、マイナーだがペルクナスを信仰するスタルムジェーの楢も樹木崇拝の一種だな。こういった信仰は東洋圏にも多くあるから人類にとっては普遍的な信仰だと言ってもいい。もっとわかりやすい手短な例を挙げるなら、クリスマスツリーなどはその最たるものだろう』

 

 隻眼のまま語る青年はさながら知恵者のように。

 人間には届かない遥か高みから自らの魔術を詳言する。

 

『元より樹木という奴は人の寿命を超え、その土地を幾年、幾百年と見守るモノ。自然信仰の一種として人がそこに神秘を見出すのはある意味では当然と言えるだろう。樹に神は宿る──転じて実り豊かな豊穣の象徴でもある樹こそが世界である、とな。人を超える寿命を過ごす樹が生命力の象徴であるのは、もはや魔術師である我々にとっては当然の常識だ。術式だけ言ってしまえば私のこれは樹木信仰(それ)を利用しただけのものだよ。規模と掛かる手間を除けば、魔術自体はそう珍しいものではない』

 

 ──ああ確かに、術式だけなら魔術師(わたし)にも分かる。

 これはよくある信仰、迷信を利用した類いの魔術。

 人々の普遍的な意識を利用し、局地的に働く詐術の類。

 

『樹に神が宿り、世界がある。ならばこそ樹木の内界にこそ世界があるのだと。これはそういう固有結界(魔術)だ。以前、時計塔の書斎で個人を一つの世界と見立てて、その内部時間を加速させる術式、固有時制御(タイムアルター)の術式を見る機会があってな。方向性としてはアレを上手く利用したものだよ。後は空想樹……と、この知識は無用か。まあなんだ、見た目こそ凄いが()を通じて持ち出す都合、外に出せるのは精々この神代(時代)の魔力ぐらいだし、元より黄昏で滅んだと刻まれた神話を再現しただけのものだから神々も居付かない。出来て神話の術式を表に起こすか、起源(わたし)苗木()に縁のある存在を極短時間召喚することができる程度、大したものではない』

 

 しかし真に恐ろしいのはその精神。

 

 この聞いただけでは空想じみた構想を、術式が通るならば実現できるだろう──と。

 普通ならそれだけで止まるはずの思考をそのままに、実現のために行動し、空想としか思えない結果を現実に叶えてみせ、そして手にした成果を単に上手くいった程度にしか考えていない精神性。

 

 この規模に、達成にまで掛かるだろう労力、魔術師における冠位指定(グランドオーダー)にも等しい遠大な術式を完成させるために要するだろう時間。どれも尋常ならざるものなのに。

 一人の魔術師が……否、一つの魔術一族が生涯をかけてやるが如き難業を、アレ(・・)は当然のように実行に移して、そして当たり前のように成功させた。

 理論上そうなるなら出来るだろうと──ただそれだけで。

 アレは御伽噺を成立させた。

 

 ユグドミレニア一族に生まれた天才?

 ダーニックが認めた優れた魔術師?

 プレストーンの正当たる純血の『先祖返り(ヴェラチュール)』?

 

 否、否、否。これは違う。

 根本的に違う、文字通り生きている世界が違う。

 

 アレは子供の空想が現実にあると本気で信じるが如き愚行を平然と行い。

 愚行を真実、偉業へと変えてしまえる桁違いの天才(怪物)。 

 

 畏怖? 畏敬? 

 そんなものでは評せない絶対的な恐怖。

 

『──……ああ、なんと、素晴らしい……ッ!』

 

 あのダーニックが恥ずかしげもなく惜しみもなく滂沱の涙を流している。

 

 そう──これが(・・・)ユグドミレニア。

 あの日、黄金千年樹の異名は真実たった一人だけのものになった。

 

 

 

 だからこそ他のマスターたちには分かるまい。

 あの日、召喚するサーヴァントに関してあの化け物が口を挟んできた時、セレニケがどれほどの恐怖と絶望を覚えたか。

 そして己の願いを通すために如何ほどの勇気、気力、意志を振り絞ったのか。

 

 あの化け物を前に己が希望を認めさせた時に己がどれほど歓喜に、悦びに絶頂したのかを。

 

 そうだ、化け物は化け物同士。聖杯でも何でも勝手に取り合っていればいい。私は初めからそんなものに興味はないし関わらない、関わりたくない。

 

「そうよ、こんな面倒事、私には関係ない。あんな化け物がいるんだもの。初めから人間()には関係ないのに」

 

 ギリッと歯ぎしりをしながら呼び出した黒犬の使い魔を城内に放つ。

 聖杯大戦の戦端が切られ、あの化け物に付き合わされてから暫くたった後、忌々しいことに彼女はダーニックより一つ、新たな役目を負わされていた。

 

 それは侵入した敵の排除……“赤”のセイバーとそのマスターをミレニア城塞から叩き出すことである。

 無論、叩き出すとは比喩であり、言ってしまえばマスターを殺せという話。それも命令は彼女に限らず、ミレニア城塞に坐する全てのユグドミレニアの魔術師に向けてのものである。

 

 一報を聞いた時、セレニケは内心面倒くさがりながらも自らが与えられた役目の通り行動を開始する。

 元より敵の追尾、拘束、呪殺は黒魔術が得意とする領域。

 あの化け物ほどではないにせよ、彼女もまた天才と呼ばれる魔術師だ。

 行動に迷いはなかった。

 

 自室を飛び出し、使い魔を解き放ち、敵を追う。

 

「……にしても何て間の悪い。たかがマスター一人とサーヴァント一騎程度、あの化け物が居れば秒もかからず何とでもなったでしょうに」

 

 忌々し気に呟きながらも、そこには恐れと確かな信頼があった。

 そうアレは化け物だが、同時に味方ではあるのだ。

 だからこそアレの強さも実力もよく知っている。

 正々堂々、正面から戦闘を行う愚行を行わなければアレは下手なサーヴァントなど容易く粉砕する。何せアレ自体が規模だけなら神代の魔術師──下手なキャスタークラスを凌駕する使い手だ。

 

 まして此処はミレニア城塞。アレにとっては文字通りホーム。

 であれば、たとえ性能的に魔力への抵抗力が高いというセイバークラスとてアレは五分以上に戦えるだろうとセレニケは確信している。

 よって侵入者が現れた時に限ってアレが不在である現状を呪う。

 

「勝手に潰し合って、勝手に好きなだけやり合えばいいというのに。全く。ああ──そうよ、そうすれば初めから私は居なくていい。存分に、彼と二人だけで楽しめたのに……!」

 

 本当に忌々しい。

 この手に宿る令呪。

 聖杯獲得を待たずともこれさえあれば自分の願いは今にでも叶う。

 

 シャルルマーニュ十二勇士アストルフォ。

 いとも名高き勇士の中でも最も可憐なる英雄。

 それを穢し、犯し、徹底的に凌辱する快楽に酔いしれることができる。

 

 そのためならば近づきたくもない化け物にだって協力する。

 アレが言う早急に“赤”の陣営を全滅させ得るという作戦が上手くいけば、すぐにでもマスターなどという面倒な役割から抜けることができるから。

 

 そうすれば後は思う存分、魔術師としての責務など投げ捨てて自分の欲望のままに出来る。

 

「そう、それがいいわ。ああ、アストルフォ、アストルフォ! 貴方は一体どんな苦悶(カオ)をするのかしら! どんな声で啼くのかしら!」

 

 あの美しく、可憐な美少年の顔が歪み、涙を流し、小動物のように震えて己に頭を垂れる様を想像するだけでセレニケは身悶える。

 

 ……彼女の願いとは初めからそれだった。

 己の有り余る嗜虐心の全てをあの英霊に叩きつけること。

 ユグドミレニアの誰が聞いても頭を抱えるだろう愚挙こそが彼女の願い、彼女の祈り、黒魔術を司る魔女に相応しい最低最悪な悪意(望み)だった。

 

 勝利の果てに得られる悦楽のためならば、この苦痛としか言えない前戯だって我慢できる。

 聖杯大戦勝利後であれば、聖杯か、もしくはあの化け物にでも言えばサーヴァント一騎程度受肉することぐらいやって見せることができるだろう。

 そうすれば後は己の思うがままだ。

 手元には令呪があるのだ。どんな英霊だって逆らうことは出来やしない。

 

「ふふ、あははは! 口惜しい、待ち遠しい! でも楽しみだわ! ええ本当に!!」

 

 嗚呼──全く! と、その瞬間を思い、喜悦に口元が歪む。

 

 故に願い叶えるためにも、さっさと邪魔者とやらを殺さなくては。

 荒ぶる狂喜とは裏腹に、思考は冷静に彼女は黒魔術を操る。

 

 ユグドミレニアの魔術師、“黒”のライダーのマスター──セレニケ・アイスコル・ユグドミレニア。確かに彼女は黒魔術師としては間違いなく優秀であり、その本性が趣味として人を嬲り殺すという最低最悪の加虐趣味の人間であったとしても、仕事は的確だった。

 彼女の黒魔術は確かに獲物の動きを的確に捉え、フィオレが逃した侵入者の所在へと近づいていた。

 

 ならばこそそれ(・・)は言ってしまえば不幸の類。

 一種の事故、或いはアイスコルに対する生贄たちの呪い。

 運命の嚙み合わせが悪かったともいえよう。

 

 一つ──彼女は優秀な魔術師であり、侵入者たる獲物(マスター)の近くまで真実肉薄していたこと。

 

 一つ──ミレニア城塞に侵入して来た“赤”の陣営のサーヴァントが、他ならぬ“()のセイバー(・・・・・)であったこと。

 

 そう──運命の主演を欠き、本来とは別の流れを辿る世界であっても、因果というものは甘くない。

 ましてやその終焉(けっか)を一度観測した者が、彼女は知らぬとはいえ身近に存在しているのだ。

 であれば同じ結果を呼び込まないと誰がいえよう。

 

 此処に箴言を告げられる魔術師が居れば語っただろう。

 この世界には運命も、因果も確固として存在すると。

 かの魔術師が此度の戦争においてアストルフォ召喚を渋ったのは、何も性能やサーヴァントの気質にだけではない。彼を抱え込むことによって辿る結末。呼び込んでしまう結果こそを警戒していたのだ。

 

 だが智慧を持つ魔術師ならざる彼女はそれを知らない。

 そして知らぬままに箴言に逆らった。

 非常の事態に無知なる者はただそれだけで罪となる。

 因果応報──これはただ、それだけの話だった。

 

 爆発、轟音。

 突如としてセレニケのすぐそば。

 ミレニア城塞の内壁の一角が弾け飛ぶ。

 その中から二つの影が飛び出してくる。

 

 一つは紅の鎧に身を包む騎士。

 一つは青のローブに身を包む魔術師。

 

「な、ッ──!」

 

 驚愕に声を上げるセレニケ。

 目前に現れたのはサーヴァントだ。

 片方は侵入者たる“赤”のセイバー、もう片方は“黒”のキャスターである。

 

 両者は剣と杖を絶え間なく交わし、こちらに気づかない様子で飛び込んできた。

 そしてそのまま。

 

「……あん? チィ──邪魔だ!!」

 

「待ッ──!」

 

 まるで鬱陶しい羽虫を払うように“赤”のセイバーが大剣を振るう。

 

 ──事の全てはそれで終わり。

 

 “黒”の陣営のマスター、セレニケ・アイスコル・ユグドミレニアは“赤”のセイバーの手によって胴体から真っ二つに斬り裂かれ一瞬にして絶命した。

 これにて“黒”の陣営はライダーの主従は脱落。奇しくも彼女が死んだのはライダーが“赤”のアーチャーを討伐する寸前の出来事であった──。

 

 

 

 

「──おいおい、やってくれるねえ。うちのマスターの一人を取りに来るなんてよ」

 

 目前で起こった悲劇──自陣営のマスターの一人が目の前で打ち取られるという光景を見せられても、“黒”のキャスターは何処か楽し気に嘯くばかりだった。

 戦いが始まって以降、いいや否、この戦争が始まって以降、まるで傍観者にでもなったかのように“黒”のキャスターは戦争の推移を何処か他人事のように楽しんでいる。

 

 だが平時からのその調子を知らないだろう“赤”のセイバーは自らが手にした戦果に喜ぶどころか苛立たし気に吐き捨てた。

 

「はっ、仲間の敵をってか。いけしゃあしゃあとよく言うぜクソ野郎」

 

「こりゃまた随分と嫌われたようで」

 

 会話をしながらも両者は絶え間なく互いの武力を押し付け合う。

 剣と杖。

 得物は違うが両者の武器が激突するたびに発生する魔力の渦が壁を、床を、大気を揺らしてミレニア城塞の内部を木っ端みじんに破壊していく。

 

 ユグドミレニアに被害を強いるという意味でなるほど、“赤”のセイバーの行動は確かに戦果を叩き出しており、対する“黒”のキャスターは城を破壊されるのみならず、不運にも味方のマスターの一人を失うという結果を出してしまい、劣勢ということになるのだろうが……。

 現実はそうではなかった。

 

「……ああ畜生! またこれ(・・)かッ!!」

 

 “赤”のセイバーが忌々しいとばかりに赤雷の大剣でもう何度目かになる障害を払う。

 床を壊すたびに、壁を粉砕するたびに、それを契機として襲い掛かる“黒”のキャスターの魔術。

 それが“黒”のキャスターと相対する“赤”のセイバーが先ほど幾度となく受け続ける猛威である。

 

 “赤”のセイバーたる彼女はセイバーのサーヴァントとしての基本性能として当然ながら高い魔力抵抗力、いわゆる『対魔力』を保有している。

 それこそ、現代の魔術師は疎かキャスタークラスが操れる大儀式の魔術を受けても無傷で済ましてしまえるような高ランクの『対魔力』スキルを。

 

 しかし相対する“黒”のキャスターはそれを容易に食い破ってくる。

 襲い来る炎、氷、木々の障害に、魔力糸による拘束。

 本来は実害が出る前に効果を失くすだろうそれらが例外なく“赤”のセイバーに突き刺さる。

 それを気にして対応しようと行動を起せば……。

 

「よっと、お前さんは意外と素直な奴だな」

 

「ガッ──!!」

 

 一気に懐まで距離を詰めて来た“黒”のキャスターの杖術を受ける羽目になる。

 杖の尖端部をさながら槍に見立てて構えた“黒”のキャスターはまるで獣のような俊敏性で瞬く間に距離を詰め、“赤”のセイバーの顎をかち上げる。

 意識の外からの一撃に、受けたダメージこそ軽微なれどその場でたたらを踏む。

 そこに叩きつけられるは“黒”のキャスターの魔術。

 

「アンサズ!」

 

「ッッ!!」

 

 原初のルーン魔術。

 神代の炎が“赤”のセイバーが持つ防護を食い破って襲い来る。

 流石に有する高ランクの『対魔力』のお陰で効果は減衰しているものの、ダメージが入らないわけではない。鎧内部の肉体に強烈な火傷を刻み込む“黒”のキャスターの魔術は確実に“赤”のセイバーを削り追い詰めていっている。

 

 開戦よりかなり経過を過ぎているにも拘わらず、最優を誇るはずの“赤”のセイバーがあろうことか“黒”のキャスターに追い詰められていく様は、仮に常識を持つ魔術師が見ていれば驚愕に値する光景であろう。

 

 ──冬木の術式が外部に流出して幾星霜──亜種聖杯戦争の発達により英霊召喚という奇跡が俗世に見慣れたものとなって以降、魔術師たちもサーヴァントというモノへの見識を深めていき、その性能を正確に評価していった。

 その彼らの見地においていわゆる三騎士……セイバー、ランサー、アーチャーが高い評価を得る一方で、アサシン、キャスター、バーサーカーなどは一般に弱いクラスだと見なされている。

 

 例えばアサシン──冬木の聖杯戦争を基盤とする亜種聖杯戦争において、かのクラスに座るのは稀の例外を除けば、その言葉の語源となった存在……ハサン・サッバーハが呼ばれる。

 そのため一時はマスター殺しにおいて絶対的な優位とみられていたアサシンクラスも召喚されるたびに歴代のハサンの性能が割れていくのに伴い、既知の脅威として低く見積もられていった。

 

 皮肉にも暗殺者は暗殺という暗い術理を世間一般の光に照らされることによって脅威ではなくなってしまったのである。

 それ故に多くの亜種聖杯戦争において暗殺者のクラスはいわゆるハズレのクラスとして扱われるのである。そしてそんなアサシンに続いて評価が低いのがキャスターとバーサーカーのクラスだ。

 

 バーサーカーについては評価が低い理由を語るまでもないだろう。彼らが例外なく持つその特性、理性を失く暴れるサーヴァントという点である。

 確かに理性を失うことを代償に大幅な能力の増幅(ブースト)を得られるバーサーカーは表面のスペックだけを見るならば三騎士に勝るとも劣らないが、如何せん理性がない上、魔力食いでもある。

 運用するのが強力な魔術師であるならばデメリットを措いても選ぶものもいるだろうが、基本的にバーサーカーの持つ特性と能力は多くの魔術師に好かれなかった。

 

 ではそれに次いで嫌われるキャスタークラスの弱点とは何か、それは言うまでもなく魔術師の英霊であるということだ。

 

 魔術師は基本的に研究者だ。その能力は戦闘において結果的に有効になるものはあっても前提として戦闘のための能力ではない。神代に生きた魔術師ならば例外だが、基本的に魔術師というものは戦闘に向いている存在ではないのである。

 そこに加えて三騎士の存在もある。聖杯戦争における花形とされる三騎士は多くが高い魔力抵抗スキルを有しているのはもはや周知の常識だ。

 

 故に魔術を武器とするキャスタークラスでは多くが、三騎士に傷を付けることすらできないため、基本的には工房ないし拠点に引き籠り知略を弄して敵を倒していくという形になる。

 まともにサーヴァント同士で激突しようものならば、アサシンに次いでいの一番に脱落しかねない存在──それが世間一般におけるキャスターであった。

 

 だが此処に──例外が存在している。

 

 英霊(サーヴァント)魔術師(キャスター)、その真名はクー・フーリン。

 アイルランドに生きる者であれば知らぬ者など誰もいない大英雄。

 太陽神の血を引く半神半人の英雄、アルスターが誇る光の御子。

 

 彼が司るは原初のルーン。大神オーディンが垣間見たという智慧の神秘。セイバーの対魔力を以てしても完全に弾くことの出来ない正真正銘、神代の奇跡である。

 加えて語るならば、元よりかの英雄は後方で魔術を操ることよりも、鍛え抜いた肉体で以て戦場を駆け抜け武勲を勝ち取ることを誉とした英雄である。

 影の国に君臨するという女主人スカサハより受け継いだ魔槍ゲイボルグを操り、数多の強敵を撃滅して来た大英雄……その実力は此度の聖杯戦争における“黒”のセイバーや“赤”のランサー、“赤”のライダーと比べても引けを取るものでは断じてない。

 

 諸事情にて元来手元にあるはずの魔槍こそないものの、得物の違いで“赤”のセイバーに劣るほどのものでは断じてなかった。

 クラス特性により半減した自分のステータスでさえ、彼は自身の魔術で容易に補正してみせた。

 

 ならばこそ形勢は“赤”のセイバーの劣勢……どころか、刻一刻と詰将棋のように追い詰められている状態であった。

 

「クソ、チクチクチクチク鬱陶しいッ!!」

 

 降りかかる“黒”のキャスターの魔術を赤雷で以て強引に振りほどきながら“赤”のセイバーは憤激交じりに大剣を叩きつけに掛かる。

 しかし受ける“黒”のキャスターは巧みなもので、“赤”のセイバーの剣閃を杖に滑らせるようにして受け流し、逆に“赤”のセイバーのその膂力を利用して合気の理で打ち返してくる。

 結果、成立したカウンターは“赤”のセイバーを吹き飛ばし、“黒”のキャスターに魔術を使わせる隙を与える。この光景がリプレイのように繰り返される。

 

「ふざけやがって、クソ……!」

 

 杖の強打を受けて、ふら付きながらも剣を構え直す“赤”のセイバー。

 当初持っていた魔術師(格下)英霊(サーヴァント)などと言った偏見などとっくに消え、紅の騎士は全力で目の前の敵を殺しに掛かっているというのに……。

 

「おっ、どうした? 威勢に勢いがなくなってきたが、これで終いか?」

 

「ほざけよ────ッッ!!!」

 

 当の敵は楽しむ余裕さえ見せて振る舞うのみ。

 それが尚の事、“赤”のセイバーを突撃させる燃料となり、同じ結果を繰り返す。

 

 ──断っておくと“赤”のセイバーは弱い英霊ではない。

 寧ろ最優のサーヴァントに相応しい性能を持っていると言えるだろう。

 

 『魔力放出』スキルによる肉体強化、赤雷を伴う攻撃。

 『対魔力』による強力な魔力保護。

 身に纏う宝具によるステータスの隠蔽。

 

 そこに加えて彼女自身が高い才覚を持っているが故に、騎士としては正当ならざる剣術なれど、戦争をこなすものとしては一級品の腕を持っている。

 並のサーヴァントでは歯が立たない程に“赤”のセイバーは高水準の能力を持っている。

 

 だからこそこの場合、かの騎士の劣勢は性能差ではなく相性の差であった。

 

 騎士にあるまじき暴力的なまでの戦闘スタイルは言うまでもなく、戦場の激戦の中、騎士自身が自らのみで培ってきた術理である。正当な合理に基づいて鍛えられた剣術とは異なり、一瞬の判断が命取りとなる戦場での戦いで培われただろう直感と経験、さらには騎士自身が生来有していただろう才覚も相まって、暴虐を術理として成立させる剣使いとなっている。

 

 言うなれば獅子の剣。戦って、戦って、戦い抜いた果てに辿り着く自らの生存と敵の殺戮に特化した剣技。これを前にすれば二流、三流の使い手は一瞬で葬り去られるであろう。

 

 なればこそ戦地での経験を土台とした凶剣は、同じく戦地にて鍛え上げられた経験によって粉砕される。何せ、かの騎士と戦うのはあまりの強さがため、自らが掲げた誓いを徹底的に悪用され、不利を強いられながらも最後の最後まで戦い抜いた誇り高き大英雄。

 “黒”のキャスターにとって“赤”のセイバーの振るう術理はもはや見慣れた術理であり、自身もまたそれの奏者である。

 

 故にこれは単なる必然……よりその道に通じたものが勝つという当たり前の差であった。

 

「にしても俺が言うことじゃねえが若いねえ。才覚だけで見るならそのうち俺とも張り合えたんだろうが……惜しいねえ、俺とまともにやり合うつもりなら後十年は必要だろうよ」

 

「うる……せえ……!!」

 

 もはや殆ど無傷の“黒”のキャスターに対して満身創痍といった風情の“赤”のセイバーである。このまま互いに術理をぶつけ合ったとしても先に壊れるのは“赤”のセイバーであろう。

 だが生来、激情家である“赤”のセイバーに冷静に敵を分析し、思考し、攻略法を編み出すといった振る舞いは不可能だし、そもそも付け焼刃では目前の大英雄は倒せない。

 

 ならば、取れる手段はもはや一つ。

 己の誇りを掲げて、敵を撃滅するまでである。

 

 元より彼女(・・)は、その激情(憎悪)武勲(悪名)を刻んだ英霊なれば──!

 

「いけ好かないキャスターめ、光栄に思うが良い──魔術師風情で我が剣の前に立つことを」

 

 マグマのように煮えたぎる感情を言葉に乗せながら“赤”のセイバーは戦いが始まってより、初めてまともに剣を構える。

 凶剣を扱う剣使いにはあまりにも似合わない素振りだ。

 それを前にして“黒”のキャスターは獰猛な笑みを浮かべる。

 

「ハッ、思いきりがいいじゃねえか若いの。宝具とはな」

 

「怖気づいたか魔術師。ならそのまま惨めに死ね!」

 

「まさか、そういうのは嫌いじゃねえってだけだ。流石にうちの居城でその暴挙は許さないがな。まあ、戦場に踏み込んだ以上、生死は自己責任とはいえ一応味方(マスター)の一人を守り切れなかったこともある。どれ、ちったあ仕事をしますかねぇ──!!」

 

 そういうと“黒”のキャスターも杖を構え直して──。

 一つの術理を行使する。

 

 しかしそれはアルスターの大英雄が誇る技に属するものではなく──。

 

 

 外部より九つ廻る千年神樹(ナインヘイムユグドミレニア)への接続(アクセス)を確認。

 霊器(アカウント)確認──認証、臨時接続を許諾。

 魔術式(ソフト)智慧の泉(アウルゲルミル)”──起動。

 第九世界観(パターン・グラズヘイム)にて開始します。

 

 

 霊脈を介して伝わる言葉に“黒”のキャスターは笑う。

 よくぞ此処まで練り上げたと呆れ交じりに感嘆する。

 敵を前にして“黒”のキャスターは暫し敵ならざるある魔術師を思う。

 

「自らの運命を知る北欧の神々にとって“運命を変える”って言葉がどれほど重いか。それを知らぬアンタじゃないだろうに。流石は大神の後継(ヴェラチュール)見守り役(オレ)の役割を除いても、個人的に魔術師らしくないアンタの気質は嫌いじゃない」

 

 故に任された役ぐらいは全うしようと“黒”のキャスターは誰かに告げ──。

 

我が麗しき(クラレント)──」

 

大神坐するは(アルフォルズ)──」

 

 紅の騎士は遂に伏せられた貌とともに真名を晒し、

 青い術師は遂に隠された秘密を垣間見せる。

 

 その名は──。

 

父への反逆(ブラッドアーサーァァ)ッ──!」

 

十三の玉座(グラズヘイム)ッ──!」

 

 桁違いの魔力を伴って発動する宝具と魔術。

 極大まで増幅した赤雷が“黒”のキャスターを飲み込まんと奔り、それを拒むとばかりに顕現するは十三層に及ぶ大結界。かの騎士王アーサー・ペンドラゴンに向けられる憎悪を北欧の神々が坐する玉座を再現した神代の魔術が受け止める。

 

「オオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 咆哮と共に吹きすさぶ赤雷は正に竜の息吹にも等しい威力だ。

 カテゴライズは対軍、威力はA+という尋常ならざる魔力の波動。

 かの騎士王を呪い殺さんとする呪詛の具現はこれ以上なく、紅の騎士の──否、彼女の真名を詳らかに明かしていた。

 

 何故ならばかの騎士王を憎みながらも円卓の一人として名を刻んだ英霊はたった一つしかない。

 かの王に反逆し、かの王の王国を滅ぼした原因となった者。

 即ち──反逆の騎士、モードレット。

 アーサー王の伝説において最も悪名高い(有名)な騎士の一人。

 

 だが、反逆者が侵攻を防ぐのは規格外の神聖結界。

 本来、“黒”のキャスター……英霊クー・フーリンを以てしても使用する事叶わぬ北欧が神々の秘術である。真名解放をしたモードレッドの宝具ですら貫通させることの敵わないこの結界の正体は十三の神々の神性を一層ごとに重ねたもの。

 神聖不可侵──神の血を持たざる妖精王国の騎士たちでは突破する事能わず。

 

「──にしても、これは大人げないと思うんだがね。親バカの謗りは免れないんじゃねえか? なあ──」

 

 ボヤくように誰かに対する言葉を“黒”のキャスターが口にした瞬間、爆裂する魔力光が“赤”のセイバーと“黒”のキャスターを飲み込み──。

 次瞬、強烈な爆発を伴って、ミレニア城塞の一角を文字通り吹き飛ばした。

 

 

 かくして──。

 

 

「よっ、と……ま、運がなかったな」

 

 崩落する瓦礫と共に地下にまで落ちて来た“黒”のキャスターは眼前で片膝のまま、荒い息を吐いている円卓の騎士に語り掛けた。

 

「────」

 

「ちょいとオレにも事情があってね。森の賢者はちと休みで、今は出稼ぎの最中だ」

 

 “黒”のキャスター……この聖杯大戦における“黒”の陣営の魔術師。

 ──という肩書にもう一つ、背負う役割があるのだと魔術師は言う。

 

「にしてもオタクのその顔、随分と見覚えのある様だが……。はっ、変わった運命もあったもんだぜ。まさかこんなところであの騎士王様(・・・・・・)とそっくりな顔に会うことになるとはね。アイツに息子がいるなんて話は聞いているがさて──」

 

 恐らくは自らのステータスを秘する宝具と併用できないのだろう。剣の真名解放と共に明らかとなった“赤”のセイバーの素顔を眺めながら、何処か懐かし気に“黒”のキャスターは呟く。

 

「────」

 

「さて、まあこれも戦争の習わしだ。今からお前を殺すわけだが、最期になんか言い残す言葉はあるかい?」

 

 憎悪を象徴と掲げる“赤”のセイバーとは異なり、先ほどとまるで変わらない、ともすれば“赤”のライダーに通じるような快活さのまま殺意を向ける“黒”のキャスター。

 だが、そんなことよりも──“赤”のセイバーが見ているのは……。

 

「──おい」

 

「あん?」

 

「なんだ、これは」

 

 意図せず露わとなったミレニア城塞の地下区画。

 その光景を前に“赤”のセイバーは感情のこもらない声で問う。

 それにああ、と“黒”のキャスターは肩を竦めながら、

 

「なんだ、オタク。魔術師の工房には縁がなかったのか。見ての通り、うちの工房だな」

 

「はっ──これが、なるほど、そうか──」

 

 告げる“黒”のキャスターの言葉に、何処か伺い知れない様子でクツクツと笑う“赤”のセイバー。

 今、眼下に広がる光景は彼女にとってはとある特別な意味で度し難かった。

 

 見渡す限りに広がる水槽。

 その中に浮かぶのは人型の──ホムンクルス。

 培養槽の彼らは例外なく、今まさに魔力を吸われており──。

 

 “黒”の陣営が持つ反則クラスの所業。

 今なお、英霊たちに魔力を捧げ続ける生贄たちがそこにいた。

 

 それを目の当たりにした“赤”のセイバーは。

 

「死ねよ、屑共がッ────!!!」

 

「なにッ──!?」

 

 魔力、再装填。

 真名解放。

 

 それは“黒”のキャスターでさえ予想外の行為。

 宝具の連続発動(・・・・)

 百戦錬磨の“黒”のキャスターですら予想外の事態に咄嗟に身を守ることしかできず。

 

我が麗しき父への反逆(クラレント・ブラッドアーサー)ッ──!!!!」

 

 激情のまま振るわれた憎悪が全ての趨勢を揺るがした。




今回のあらすじ

ペロニケ「アストルフォきゅんペロペロ(原作通り)」

キャスニキ「戦場では自己責任だろ。あと授業参観はどうかと思う」

反抗期「あのクソ女みたいなことしてんじゃねえ(キレ)」



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聖杯大戦 Ⅷ

「そうか──ならば死ね。ユグドミレニアの栄光の轍となるが良い」



 ──ふと古い記憶を思い出す。

 栄光と、転落と、野心と──そして安息の記録を。

 

 

 もう八十年も前の話だが、かつて魔術一門プレストーン家の若き当主ダーニック・プレストーンは新進気鋭の若手として現代魔術世界の総本山時計塔で栄華の日々を送っていた。

 当時、時計塔における教師として生徒たちに教鞭を振るっていたダーニックだが、実のところ己に教師としての才は無かった。

 生徒たちから自身が評価されていなかったことは自覚していたし、自分自身、一族に全く関係のない他人に態々教えを授ける意義が見いだせなかった。

 

 加えて言うならば若きダーニックは野心家だった。

 魔術協会で一定の地位を得たとはいえ、まだまだ時計塔の貴族(ロード)たちからすれば若さと少々の才気だけが取り柄の魔術一門に過ぎない。

 ならばこそこれからの一族の繁栄のためにこそ、より高みへと至らねば──と。

 

 そうした現代魔術師としての当然の思考から必然的にダーニックは時計塔の魔術師らしく、権力闘争に明け暮れた。

 時には同僚の信用を利用し、時には政敵の思惑すら利用して、政治の場においてダーニックは巧みな舌鋒で騙し、嵌めて、蹴落とす。

 自らへの信用や憎悪すら簡単に利用してのし上がる様は優秀な政治家のようで、何時しか時計塔でついた渾名は『八枚舌』。

 

 このような振る舞いは元来、『根源』という到達点を目指す魔術師としては酷く道を外れた振る舞いだったが、ダーニックは別段それに思う所はない。

 現代の、それも時計塔に属する魔術師にとって時計塔での地位や名誉はそのまま魔術一門としての未来に繋がってくる。

 一代での『根源』到達という可能性よりもより長き一族の繁栄を望んでいたダーニックにとっては正しく『繁栄』こそが何よりプレストーンがより良い未来に辿り着くための手段だと思っていたから。

 

 だからこそ華々しいデビューを飾ったダーニックに縁談の話が持ち込まれた時も、彼は自らの野心から快諾するつもりであった。

 良縁だった。相手は時計塔の貴族(ロード)に連なる家系の息女。まだまだ時計塔での基盤が浅いプレストーンにとって、貴族(ロード)の家と繋がりが持てることは今後のプレストーンの繁栄に役立つことだろう。

 

“これで、我がプレストーンの未来はまた一つ広がることになるだろう”

 

 しかしそんな若き野心家の野望を無情にも打ち砕いたのは下らない風聞だった。

 

『ユグドミレニアの血は濁っている、五代先まで続くことは無いだろう──』

 

 よくある悪評、嫉妬か、はたまた彼を蹴落とそうとする下らない流言の一つだと当時のダーニックは一時鼻で笑ったが、そのような余裕のある振る舞いが出来たのはどうやら自分だけだったらしい。

 その言葉を忠告と受け取った良縁を持ち掛けてきた貴族(ロード)の家系は縁談を破棄することをダーニックに伝えて来た。

 

 笑顔でダーニックの肩を叩いてくれた義兄も、恥じらいながらもダーニックに愛を囁いて来た婚約者もみな揃ってそっぽを向いた。

 

 “それは良い。そういうこともあるだろう──”

 

 しかしこの瞬間、若きプレストーンが夢見た一族の繁栄という未来は絶たれた。何せ一度付けられた一門への傷は簡単には拭えない。

 婚約予定だった相手が貴族(ロード)の家柄であったことから流言は縁談破棄のエピソードを伴って瞬く間に時計塔内で広がっていき、もはや真実かどうかを無視してプレストーンは何れ零落する魔術一門として知られてしまった。

 

 もはやあるかも分からない五代先の零落とやらを乗り切ったとしても意味はない。衰退する家としてプレストーンが認知されてしまった以上、ダーニックがどう足掻いてもどうしようもなかった。

 

 ……自分だけならば良かったのだ。政治闘争に敗れ、時計塔を追われるなどよくある話だし、無念はあろうが一門さえ後に続けば、無念を噛み締めても未練なく立ち去ることができたであろう。

 けれど流言は自分は疎か、これから続く魔術師たちの未来すら奪っていった。

 

 そう──魔術師として、まず協会で一つでも上の地位に上り詰めて、貴族になってという現代魔術師が『根源』を目指す上で思い至る通常アプローチ。

 これをこの時点でダーニックは破棄せざるを得なかった。

 

 故にダーニックは別の手段を、まず以て何よりも零落する未来とやらを防がねばならない。

 魔術協会を離脱して、世間から隠れつつ研究を続けるという手もその時点でなくはないが、ダーニックはそれを拒んだ。

 

 『封印指定』ほどの才か、或いは旧来の土地を有する魔術一門ならば在野でも『根源』へのアプローチが叶う可能性があったのだろうが、プレストーンにはそれだけの地力が存在しないと、時計塔の政治闘争の中で鍛え上げられてきたダーニック自身の慧眼が冷静に自分たちの状況を見極めていたからである。

 

 無論、落ち目と称される中、時計塔に在籍するのは屈辱の極みであったものの、ダーニックはその屈辱を一分一秒と己の中に刻みつけ糧とした。

 そんな折、彼はとある噂話を耳にする。

 

 何でも極東の地の冬木という街で聖杯戦争なる魔術儀式が行われているという。七人の魔術師と、それらが呼び出す七騎の英霊。それらが万能の願望器『聖杯』を懸けて争うなどといった噂話。

 

 時計塔の魔術師たちは妄言だと皆こぞって笑っていたが、尋常ならざる政治手腕を持つダーニックはその耳に届く微かな情報からかの儀式から偽りざるものを感じ取り、当時の世界情勢下において隠秘術(オカルト)に関心を抱いていたナチスドイツの一部将校を自らの舌鋒で抱き込み、聖杯戦争に参戦。

 

 いくつかの幸運にも恵まれ、彼は直接的に戦いを制することは叶わずとも聖杯戦争における最重要の儀式基盤……アインツベルンが創りし、大聖杯を奪取することに成功したのだ。

 一族に繁栄を──その執念が結実した故の結果だった。

 

 砕け散った栄光と、転落していく未来。

 それを覆すため手に入れた大聖杯。

 野心家の胸に再び、炎が宿った瞬間でもあった。

 

 そこからダーニックは大聖杯の研究と、それを動かすための霊脈を確保するために再び政治闘争の場で活動を再開する。

 その過程で魔術一門としての純血を捨て、プレストーンと同じように様々な理由で衰退しかけている他家の魔術一門をも取り込み、ユグドミレニアと名乗りを変えて、やがて来る、時計塔への復讐と一族の繁栄する未来を夢見て突き進む。

 

 事ここに至ってはもはや自らを見捨てた貴族(ロード)の家にすら恨みはない。まあ尤も、ダーニックが再起に至った時点において相手の家はもはや時計塔の魔術師としては抹消されていたわけだが。

 ……直接手を下したわけではない。ただ少し、政治的に揺さぶっただけだ。ただそれだけで相手は勝手に転んでいった。

 

 ──全ては一族の繁栄と未来のために。

 

 そのためならば他人を蹴落とすことなど厭わない。

 ダーニックはそのようにして歩んできた。

 

 そしてその歩みの果て、いよいよ一世一代の大勝負『聖杯大戦』を目前と迎えた中で、プレストーンに一人の男児が生まれた。

 当主たる自分の子ではない、曰く衰退していくのみというプレストーン一族の一人として末端に名を残していた者の息子である。

 

 話を聞いた時のダーニックは素直に嬉しいとだけ感じた。

 きっとこれから始まる『聖杯大戦』という大勝負に対する祝砲。

 繁栄するユグドミレニアを暗示するものだと、普段自らの感情さえ政治の道具として扱うダーニックには珍しく、素直に喜び、噂の子と顔を合わせ──。

 

『──馬鹿な』

 

 驚愕に、思わずそんな言葉を漏らしていた。

 出会った新生児にダーニックは打ち砕かれた。

 

 子供に魔術の才が無かった? ──否。

 子供に魔術回路が無かった? ──否。

 

 或いは子供がどうしようもない欠陥を抱えていた? 

 ────断じて否。

 

 ダーニックの驚愕はそんな後ろ向きな話ではなかった。

 ──天賦の才。

 子供から感じ取られる桁違いの魔力を感じ取ったが故に。

 一門が迎える想定外の未来を見て、彼は衝撃を受けたのだ。

 

 あの時、ダーニックは確かに何かを打ち砕かれたのだ。

 あの衝撃、胸に飛来した筆舌に尽くしがたい感情は何だったのか。

 今でもそれは分からない。

 

 だが、『八枚舌』のダーニック・プレストーン・ユグドミレニアという男には全く似合わない感情だったことだけは覚えている。

 

 衝撃の子の名は──アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 後に先祖返り(ヴェラチュール)の渾名を名乗るユグドミレニアが誇る最強の魔術師にして、ダーニックの執念をも超える情熱(アルドル)の名を持つ次代のユグドミレニア。

 ダーニックにとって《光》とも言うべき未来そのものだった──。

 

 

 

「実のところ、お前をこの戦いに参加させることは本意では無かったのだがね」

 

 ミレニア城塞の地下深く。

 大聖杯が安置された一室でダーニックは苦笑しながら呟いた。

 政治闘争の日々を、そして聖杯戦争を実際に乗り越えて来た老魔術師だからこそ自らの起こした『聖杯大戦』という儀式がどれほどのリスクの上に成り立っているモノかは骨身にしみて理解している。

 

 だからこそ本当ならダーニックはあの甥をこの戦いに巻き込むことを良しとしていなかった。

 それは彼さえ生き残れば自らが失敗してもどうにかなるだろうという魔術師らしい合理性と、もう一つ──酷く魔術師らしくない理由から。

 

「だが、言って聞く奴でも無し。お前の我が身を顧みぬ振る舞いに何度肝を冷やした事か」

 

 やれやれとダーニックは首を振る。

 そう、思えばアレは自分以上に質が悪い。

 

 未だ十代も半ばに達する前に時計塔に行くと言い出した時もそうだ。

 あの時はユグドミレニアの未来も考え、見識を広げるにもいい機会だと適当に簡単な時計塔での振る舞いと自らのコネを与えて、飛びだたせる程度の余裕は持っていたが、その後の亜種聖杯戦争連続参戦や、時計塔は疎か聖堂教会とまで対立を深める振る舞いなどには流石に顔を引き攣らせたのを覚えている。

 

 挙句の果てには南米で散々暴れまわり、右目を失う始末。

 かの戦いは極めて混沌としており、本人もあまり語りたがらないためダーニックですら詳細は掴めていないモノの──噂では相当に荒れに荒れたらしく、表社会において世界規模で展開するマフィア一族に大きな亀裂が入ったり、合衆国の抱える国家付きの魔術師に被害が出たり、時計塔からは『封印指定執行者』の派遣が囁かれ、参加者の一人に死徒が紛れ込んでいたがために聖堂教会の『埋葬機関』まで動き出し始めていたという。

 まことしやかに囁かれる話題として『大蜘蛛』が目覚めかけたという悪夢、かの魔法使い、キシュア・ゼルレッチが表舞台に姿を見せたなどという話もある。

 

 まあ、そんな激戦の中にあっても尚、亜種聖杯を持って帰還してくれた以上はダーニックはもはや何も言えなかったが。

 

「奴にもフィオレ程の落ち着きの何割かがあれば理想なのだが……まあ、此処まで突き抜ければいっそ頼もしい話ではあるか」

 

 例の工房を見た時に、もはやそれ(・・)はダーニックの中では確信へと変わっていた。

 もう大丈夫(・・・・・)だと。

 歓喜を滂沱の涙と流しながら、彼は一つの未練を地に降ろした。

 

 ならばこそダーニックは振り返ることなく『聖杯大戦』に臨むことに否はない。

 栄枯盛衰を乗り越えて。

 千年樹には黄金の《光》が灯った。

 

 であればもう何も、何一つ問題などない。

 

「では聖杯戦争を始めよう──千年樹(ユグドミレニア)繁栄(栄光)を」

 

 涼やかに口ずさみ、百年の妄執を越え、魔術師は杖を取る。

 来たる未来を確かに幻視しながら。

 大樹が如き貫禄を以て、赤き獅子の前に立ちふさがる──。

 

 

 

 

 バクバクと鼓動を刻む心音は駆けるという運動をしているがためか、或いは一歩を重ねるたびに肌身に感じ取れる奇跡の気配からか。

 フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアの襲撃を振り切った獅子劫界離はミレニア城塞の地下を走っていた。

 彼の目的は言うまでもなく、ユグドミレニアが所有しているという冬木の大聖杯。かの魔術一族アインツベルンが有していた超抜級の魔術炉心。

 

「………………」

 

 心中に飛来する感情は如何なるものか。

 サングラスに隠した目には緊張と興奮が見え隠れする。

 それは魔術師としてか、それとも。

 

「いや、まず以て大聖杯の確保、これが最優先だ」

 

 出来なければ生き残るために脇目もふらずに遁走する。

 生き残りさえすればまた機会は訪れるのだ。

 今は確かめるだけで良いと、魔術師としての合理性から結論する。

 

 いざともなれば令呪の使用も躊躇わない。

 

「……にしてもセイバーの奴め。馬鹿すか持っていきやがるな。さてはアイツ何にも考えてないな」

 

 ミレニア城塞を小刻みに揺るがす振動は恐らく相棒が活躍している影響だろう。現在進行形で自らの内から失われていく魔力を感じ取りながら嘆息。敵に出血を強いるという意味では成程、活躍の証として見合ってるのかもしれないが、少しは自らの立場も顧みて欲しいものだが……。

 

「まあ無理か、あの王様だしなぁ……」

 

 困ったように呟きながら獅子劫は懐から一つ、アンプルのようなものを取り出した。──ミレニア城塞に侵入するということを決めた時点で、獅子劫は当然ながら様々な状況を想定してこの場に潜り込んだ。

 その予測の中には当然、こういった魔力の大量消費もまた当然のように想定されている。そのための対策も、また当然。

 

「魔術師の血を利用した魔力の増力剤、まさか早々に飲むことになるとはな」

 

 嫌そうに呟き、一飲み。

 味は当然、クソ不味い。

 気分は最悪だった。

 

「うげ、ったくチンタラしてたら何本飲まされるか分かったもんじゃねえしな、こりゃあ早々に決めないと不味いぞ」

 

 何よりアンプル(これ)は数が有限な上、強引に魔力の回復速度を跳ね上げるブースト剤的な効果という都合、肉体に掛かる負荷も激しい。

 あまり多用したいものではない。

 

「とはいえ、この場面じゃ使わざるを得んしな」

 

 言いながら此処まで進めて来た足を止める。

 気づけば眼前には門を思わせる巨大な扉。

 この長き侵入劇の果てに、遂に獅子劫は辿り着いたのだ。

 

「例のお嬢ちゃん以降、ホムンクルスやゴーレムによる迎撃はあったが、“黒”の連中が出張ってくることは無かったからな」

 

 そう、フィオレ以降……獅子劫は碌に攻撃を受けることなく、まんまと此処迄辿り着いた。それが示す結果は二つ。

 一つはユグドミレニアが想定以上に侵入されることに対して何ら対策を打てなかったこと、杜撰な警備故にまんまと此処まで敵の侵入を許したという可能性。

 

 そしてもう一つは……途中の襲撃など必要ない程に、最後に待ち受ける番兵は尋常ならざる存在であるという可能性──。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか──」

 

 一つ勝負というこう。

 かくして“赤”の陣営が魔術師。

 獅子劫界離は扉を開け放った。

 

 彼は“赤”の陣営では初となる、大聖杯を目の当たりにする魔術師となる。

 

「これ……は────」

 

 ──そこに鎮座していたのは正に超抜級と称するに相応しい空前絶後の魔力炉心だった。

 一般人ですら感じ取れそうな膨大な魔力の気配に、ミレニア城塞地下一帯に広がるほどの巨大な炉心。球体状の形状は杯というには些か形を逸していたモノの、それを問題外と認識させるだけの桁違いの神秘。

 

 稀代と称されるものは見ただけで他に納得感を叩きつけるものだが、これはまさにそういう類。

 もはや疑うべくもない。かつて冬木が誇ったアインツベルンが最高傑作の魔術成果が無言のままに最後の勝者を待っている。

 

「これが──」

 

「そう、これが大聖杯だ。我がユグドミレニアが手にする栄光の杯だよ」

 

 呆然と口にする独り言に、返ってくるのは悠然とした声。

 大聖杯の眼下に、声の主は千年の大樹が如くに君臨していた。

 

「! なるほど……直接目にかかるのは初めてだな。そうか、お前が『八枚舌』の」

 

「ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。歓迎はしないが、ミレニア城塞にこうして侵入してみせた度胸と腕には敬意を表そう。“赤”のセイバーのマスター、獅子劫界離」

 

 そう告げる魔術師を前に、獅子劫は思わず頬に冷汗を浮かべる。

 ──人間生来の寿命を超え、生き続けるユグドミレニアの化身。

 噂のアルドル・プレストーン・ユグドミレニアに並ぶ、ユグドミレニア最大の実力者にして、首魁。

 

 『八枚舌』の渾名の通り、政治に長けた魔術師とは聞いていたが。

 実際、目にすれば印象は全く異なったものだ。

 歴戦の獅子劫だからこそ一目見ただけで分かってしまった。

 

 魔術師としても、戦闘屋としても、目前の相手は自身を遥かに凌ぐ使い手であるのだと。 

 

「あの妖怪爺め……」

 

 思わずひょっひょと笑うロッコの顔を思い出して毒づく。

 獅子劫とてダーニックの実力を過小評価していたわけではない。

 とはいえ、正直ここまでだとは思わなかった。

 

 仮にも時計塔の魔術師だったものが敵。

 なればこそ実際に戦場を渡り歩いてきた魔術使いの自分ならば、魔術の腕で劣っていようがどうにかできると、そう考えていたがしかし。

 

「噂も存外当てにならんな。いや寧ろこの場合は『八枚舌』らしいというべきなのかね。冠位(グランド)は飾りじゃないってことか」

 

「時計塔が与えた称号などもはや興味が無いな。肩書など所詮は立ち回りをしやすくためのモノに過ぎない。魔術師たるもの、一つの見方に囚われず、物事は常に多元的に見ることだ。特に、時計塔などという伏魔殿で生き残るというならば尚の事な」

 

「なるほど、ご高説をどうも。んで? 俺はこの通り聖杯を獲りに来たわけだが、そっちは準備万端に侵入者の排除ってか。さて、どうするかねえ」

 

 懐に手をやって愛用の銃を取り出しながら、一挙手一投足も見逃すまいと警戒しつつ獅子劫は考え込むように、自らの内の魔力を駆動させ始める。

 格上と当たってしまったのはこの上なく運が悪いが、逆に考えれば……この場でダーニックを仕留められれば戦況は大きく変わる。

 

「何、別段必ずしも排除しようと考えているわけではないさ」

 

 対してダーニックは悠然としている。

 それは魔術師として、戦闘者としての余裕からか。

 遥か高みから見下ろすようにして大樹の化身は言葉を紡ぐ。

 

「ほう、それはなんだ。俺を見逃してくれるってのかい?」

 

「その通り──聖杯を諦め、“赤”のセイバーを差し出すというならば今すぐにでもミレニア城砦の来客としてささやかな歓待を行った後、無事に地上に送り返すことを約束しよう」

 

「ハッ──そいつは嬉しい、なッ!!」

 

 言葉とは裏腹に、獅子劫はダーニックに向けて発砲。

 魔術師の指を素材とした、ガンドに類する魔術。

 銃による呪いの一撃を、まるでかつてアメリカ西部に存在していたようなガンマンのような巧みな早撃ち(クイックドロウ)

 予備動作が殆どない完全なる不意打ち。

 

 無論、これで討ち取れるなぞ欠片も思ってないが、動揺の一つでも見せれば──。

 

「ふむ、死霊魔術を基盤としたガンド類型か。よりにもよって北欧の系譜(わたし)にそれを向けるとは本当に剛毅な、いやこの場合は愚かなと言った方が良いのかな、死霊魔術師(ネクロマンサー)

 

 だがダーニックは何ら動揺することなく、たった一度、コンと手に持っていた杖を鳴らす。そしてそれだけで獅子劫のガンドはダーニックの射線からズレて、明後日の方向へと飛んで行った。

 

「おいおい……」

 

「指向性を帯びた呪いならば変わり身を用意するだけでこのように。何も直接的に守る必要などないよ」

 

 詠唱もなくあっさりと己の魔術を苦も無く退けられたのを目の当たりにして獅子劫の顔は引き攣り、ダーニックは肩を竦める。

 

「さて、一応確認だが、これが答えということで良いのかね?」

 

「まあな。これでも依頼料に見合う仕事はするんでね。評判が魔術師としての立ち振る舞いにどんだけ影響を齎すのか知らぬアンタじゃないだろう? それに一応、俺にも叶えたい願いって奴があるんでね」

 

「そうか──ならば死ね。ユグドミレニアの栄光の轍となるが良い」

 

 獅子劫の宣戦布告に対して、冷酷に、それが決定であるかのようにダーニックは言い放った。

 よって獅子劫は遂に目の当たりにすることになる。

 第三次聖杯戦争を生き延び、天命を越えて尚、生き続けるユグドミレニア家当主ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 かの魔術師が『八枚舌』の異名の下に隠した実力を──。

 

「『Du kannst nicht mehr in den Himmel kommen, du kannst nicht mehr in die Hölle kommen』」

 

「ッ……何だ!」

 

 魔術詠唱。恐らくはドイツ語のものだろうが、それが紡がれた瞬間、ダーニックの周辺に目に見えた変化が訪れる。

 まるでダーニックを守る様にして、青い色をした炎が立ち上ったのである。

 

 炎は際限なく燃え広がり、やがて後方の大聖杯をも覆い隠すようにして地下一帯に広がるほどに火気を増していき……。

 

「──逝け」

 

「うおおおおおおおおおおおおお?!」

 

 冷たく告げたダーニックの命令を実行すべく、獅子劫の下へと一気に解き放たれた。その火勢、その攻撃範囲に思わず、悲鳴を上げながら獅子劫は全力で退避しようと身を翻すがなまじ攻撃範囲が広すぎる。

 

 ならば防ぐか? 無理だ。

 

 攻撃範囲が広すぎるし、何より未知なる魔術。

 とはいえ如何なる性質を炎が秘めているか分からない以上、直撃するのは危険すぎるがしかしこのままでは逃れられないのは事実。

 

「こなくそ……!」

 

 ヤケクソ気味に獅子劫は懐から手榴弾を取り出し、炎に目掛けて投げつける。ピンを抜かれた手榴弾は内に秘められた魔術師の死骸から摘出した爪やら歯やらを爆風と共に呪いをまき散らすが、むろんこれだけでは防げない。

 だから……。

 

「……風!」

 

 死霊魔術ではない、時計塔の新米でも使えるだろう簡易的な五大元素に働きかける魔術。これを使用し、爆風の流れを恣意的に、上に流れていくように操作し、さらに加えてもう一枚。

 

「チィ、術式強化……!」

 

「ほう……」

 

 身に纏う革のジャケット。魔獣の皮を利用して創り上げた自らの礼装の防御性能を向上させながら炎の海の下を潜り抜けるように転がり込んでやり過ごす。

 

(熱……くない! 見た目は派手だが本物の炎に比べりゃ全然火力がねえ。思った通りただの炎じゃ……)

 

「爆風で風の流れを誘導し、炎を逸らしたか。確かに空間を燃焼させている私の炎には有効な手か」

 

「へえ! 気になる話だな! 聞かせてくれよ元時計塔講師?!」

 

 軽口を叩くように獅子劫は言うが、その声は裏返っている。

 当然だろう。

 爆風で逸らしたはずの炎が……まるでそれそのものに意識があるかのように獅子劫を追跡しだしたのだ。

 そんな全く笑えない状況を前にすれば獅子劫に余裕などなく、されども現象の正体に当たりをつけなければ攻略のしようがない。

 ついでに軽口でも叩いていないとやってらんないと獅子劫は叫ぶ。

 

「答える義理はない、と返すところだが。別段難しい種ではないよ。私は魂に通じる魔術師であり、降霊魔術を学んだ身であり、これが愚者の炎(イグニス・ファトゥウス)と言えば魔術使いの君でも分かるのではないかな?」

 

鬼火伝承(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)……! そういうことか!!」

 

 出来の悪い生徒にヒントを与えるような風に告げるダーニックの言葉に、獅子劫は一瞬で理解する。

 愚者の炎(イグニス・ファトゥウス)。世界中に存在するいわゆる鬼火という現象において最も高名なものの一つ。

 それは死霊魔術師たる獅子劫にも覚えがある勝手知ったるものだった。

 

 ……いわゆる何もない所に火が立ち上る鬼火と呼ばれる現象は現代科学においては湖沼や地中から噴き出すリン化合物やメタンガスなどに引火したものであるとされるが、その現象を初めて見たまだ科学を寄る辺としない当時の人々にとってその怪奇現象は長らく幽霊や人世界に属さぬ未知の神秘の存在によって引き起こされる現象とされてきた。

 

 原因となる物質の特性上、鬼火が水辺や墓場で発生しやすいこともあって、それら怪奇現象は人々に様々な想像力を与えたのである。

 曰く、死者の魂。曰く、旅人を迷わせる道。曰く、妖精の変化した姿。

 

 地域や国にとって様々な逸話を持つこの鬼火にまつわる伝承はひとまとめにして鬼火伝承(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)と呼称され、魔術世界においても長らく神秘の一つとして取り扱われてきた。

 

 その中でも特にダーニックが言い放った愚者の炎(イグニス・ファトゥウス)とはもっとも有名な鬼火の逸話の一つ。

 かの聖人ペテロにまつわる話だろう。即ち──。

 

提灯ジャック(ジャック・オー・ランタン)、ハロウィーンの祭りは日本人にも通用すると耳にしているが、知っているかね?」

 

「こちとら死霊魔術だからな! 知ってるよ! まさか本家本元じゃないだろうなこれ!!」

 

「流石の私でも地獄の境界は操れんよ。尤も一度僅かでも受ければ着火元となった魔力を燃やし尽くすまで消えないがね。魔術師に着火すれば極寒の炎という稀有な体験をすることになるだろう。どうせなら試してみるかね?」

 

「生憎と断る!」

 

 つまり、被弾すれば最後、魔術師は疎か、多くの生命にとって生きる必然として発露する魔力(生命力)を燃やし尽くすまで燃え続けることになる炎ということだ。聞いてしまえば、何としても被弾するわけにはいかなくなった。

 

 しかし、とはいえ……。

 

「クソ、自動追尾は反則だろう!!」

 

 加えて場所が悪い。

 なんせ此処は大聖杯が鎮座する場所。

 大気に満ちる魔力は豊富なうえ、大聖杯を運用する都合、霊脈もある。

 あの炎がアレだけの火勢を誇っているのも、なるほどその特性を聞けば合点がいく、同時に納得もした。

 これだけの規模の魔術を発露してなお、大聖杯含む周囲に何ら被害が拡大しないのも魔力を燃やすだけという特性であるが故だろう。

 

「加えて対象はある程度絞れるのか! まあだよな! じゃなきゃ大聖杯に着火して霊脈枯らすまで無限炎上だ!」

 

 この状況にこれほど相性の良い魔術は他にあるまい。

 問題があるとすれば、相性が良すぎて獅子劫ではどうしようもないぐらい太刀打ちが出来ないということなのだが。

 

「存外逃げ回るな、流石は戦地を駆け抜けて来た死霊魔術師というだけはある。ならば、そうだな。足を砕くか」

 

「!」

 

 そう言うとダーニックはおもむろに獅子劫へ向けて手を翳す。

 刹那、何もないダーニックの空手に光が灯る。

 バチバチと耳障りかつ不穏な音を立てながら熱を伴い帯電するそれは俗にいう球電と称される代物であった。

 未だ科学の知見でさえ、発生原因を突き止め切れていないという自然現象、それがダーニックの手に収まっている。

 

 ならば次の瞬間、起きることは想像に難くなく。

 

「これは躱せるかな? 死霊魔術師?」

 

「ぬ、おおおおおお!!?」

 

 皮肉な笑みを浮かべながらダーニックは無造作に球電を解き放つ。反射的に獅子劫は全力で跳び退り、球電の効果範囲にあると思わしき地点から全力で退避するが、球電が獅子劫のいた地点にまで到達するや否や手榴弾のようにして炸裂。

 周辺に無造作な電撃がまき散らされる。

 

「ガッ……!!」

 

 流石に躱し切れず、電撃を受けて痺れから獅子劫の足が止まった。

 その隙を見逃すことなく追撃する愚者の炎(イグニス・ファトゥウス)

 

「……死霊どもッ!!」

 

 もはや手段を選んでいる暇はないと獅子劫は瞬時に判断する。

 魔力を大きく消費しながらも聖杯戦争用にとっておいたとっておき、死した魔術師の心臓を取り出し、掲げ、握りつぶす。

 瞬間、黒い凶つ星のように死霊と思わしき人影が砕かれた心臓を中心に我先にと秩序なく外へと飛び出し、例外なく青い炎に焼かれていく。

 だが、死霊たちの軍団は結果的に獅子劫を覆う避難所(シェルター)のようにして青い炎の侵攻から獅子劫を守った。

 

「……大方、黒魔術師にでも殺された被害者たちかな? 死霊魔術からは些か外れた術式だが、なるほど手段を選ばない魔術使いらしいといった処か」

 

「そいつは……誉め言葉として受け取っておくぜ」

 

 冷めきったダーニックの言葉に紙一重で凌ぎ切った獅子劫は強気に太く笑うが、既に荒くなっている呼吸が彼に余裕が無いことをこれ以上ほど如実に表していた。

 

“こりゃあ、ヤバいな”

 

 獅子劫は内心舌を巻きつつ、目の前の魔術師がどれほど卓越した使い手であるか、まざまざと実感する。大聖杯があるとはいえ真正面から時計塔に喧嘩を吹っ掛けた度胸だけあって流石の魔術の腕。しかもこれだけの規模を術式を展開しながらダーニックは呼吸一つさえ乱さず、ジッとこちらの動きを冷静に観察しながら手を打ってくる。明らかに戦い慣れた魔術師の振る舞いだ。

 

(こっち)の魔術師じゃ多分歯が立たんだろうな……”

 

 ユグドミレニア当主は伊達ではないということだろう。本来、仲良しこよしの成立しない魔術世界において没落しかけの魔術師たちとは言え、他家をユグドミレニア一族として纏め上げた手腕は、政治の力は勿論、個人でこれだけの魔術の腕を持っているからこそ。

 冷酷なる千年樹の支配者は“赤”の陣営の魔術師たちの総力を結しても尚、跳ねのけてしまう程の隔絶した使い手として君臨している。

 

“……こりゃ死んだか?”

 

 一対一でダーニックに挑むなど愚策だったのだ。

 粘ることなら未だしも此処でダーニックを殺すには獅子劫の腕だけでは不可能だ。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアはサーヴァントをぶつけでもしない限り容易に倒し得ないだろう。

 ならばと、撤退を選ぼうにも此処は彼らの居城。侵入者を簡単には逃がさないであろうし、そもそも空間内に広がる青い炎は獅子劫を大聖杯の間に閉じ込めるように取り囲んでいる。

 

 そう、獅子劫は初手で詰まされていたのである。

 初見だったとはいえダーニックを相手に単騎駆けで挑むのは無謀が過ぎたのだ。

 

「とはいえ、簡単には死んでやらんがね……!」

 

 だが敵わぬと分かって簡単に退くなら初めからこの場に居合わせていないと獅子劫は笑う。銃を構えてこの死地を如何にして潜り抜けるか頭を回す。

 まともにやり合えば一方的にやられる相手だが、こうして相手がこちらを窺いながら確実を期して仕留めようというならばチャンスはある。

 一つでも隙を作ってしまえば魔術師としては及ばなくても、マスターとしての獅子劫にはまだ最後の手段が残っているのだから。

 

 依然戦闘続行を掲げる獅子劫の姿にダーニックはふむと一つ頷く。

 

「この実力差で心折られず、か。空元気か或いは……そうだな、大方私との戦いの最中に隙を見て令呪を行使する、そんな所だろうが……果たしてお前のサーヴァントは我らのキャスターを前にお前を助けられるだけの余裕を持てるかな?」

 

「何だと? ……ぬ、くっ……お……これは!?」

 

 ダーニックが冷淡に呟いた直後、ドンッとミレニア城塞が大きく揺れる。

 だが、その突然の事態に動揺したのは城主ダーニックではなく……。

 

「魔力が……宝具を切りやがったのか!?」

 

 自らの肉体に宿っている魔力がごっそり減ったのを自覚しながら獅子劫は唸る。

 ……確かに“赤”のセイバーは少々向う見ずな側面こそあるものの、マスターを何ら考慮せず、宝具を振るう程に考えなしなどではない。

 そしてそんな彼女がこうして獅子劫に一声もなく宝具を切ったということは……それだけ彼女が追い詰められているということを意味している。

 

「流石はキャスター、城の優位があるとはいえ三騎士の一角を追い詰めるか。さてどうする死霊魔術師、君が先に死ぬか、“赤”のセイバーが脱落するか、どちらが先か試して見るか?」

 

「……クソ」

 

 不味い──目の前のダーニックに掛かりきりだったため“赤”のセイバーもまた戦闘中であることを忘れていた。“赤”のセイバーの実力はよく知っている。故に敵の居城だろうとも早々に討ち取られまいと高を括っていたが、どうやらマスターは勿論、“黒”の陣営はサーヴァントもまた想定以上の能力を有していたようだ。

 

“どうする、どうする……!”

 

 もはやこうなれば敵を倒すよりも即座に撤退を選ばねばならないが、相手はこちらをつぶさに観察して、あらゆる行動を封殺する勢いで来ている。

 この場面で令呪を使えば発動より先にダーニックの魔術によって獅子劫は殺されてしまうことだろう。

 

 せめて一瞬、ダーニックの監視が逸れるような事態が起こらねば……。

 そんな獅子劫の悲観的展望はまたも直後に崩される。

 二度目の城の激震──何が起こったかなど考えるまでもない。

 

「ぬ、ぐっ……また宝具かよ……ッ!!」

 

 どれだけピンチなんだと毒づきながらも流石に立っていられずに獅子劫は片膝をつく。

 これではダーニックに隙を作るどころか戦闘を継続させることすら危うい。

 いよいよ以って詰みに等しい。

 

 ──と、そこまで考えて、獅子劫は様子が可笑しいことに気づく。

 

“攻撃が止んでいる?”

 

 宝具の連打による大量魔力消費により獅子劫はこの有様だ。

 これだけ無様に隙を晒していればダーニックであれば一息で殺せただろうに、今の片膝をついた瞬間に何故攻撃が止んだのかと、獅子劫が疑念に顔を上げてダーニックを見上げると。

 ダーニックは、硬直したように手を止めていた。

 

「──馬鹿な、魔力負荷が増大した……? まさか工房が破壊されたのか!?」

 

 何か想定外の事態が起きたのだろう。

 今まで余裕を浮かべていた表情に動揺の色が見え隠れしている。

 

 

 なんだか分からないが分かることは一つだけ。

 起死回生は此処しかない──!

 

 

「ッ! 令呪を以て我が剣士に命ずる、来い! セイバーッ!!」

 

「ッしま──おのれ、させるか!」

 

 生存に繋がるであろう最後の道に獅子劫は躊躇いなく、命を懸ける。

 動揺に手が止まったダーニックはそれに対応するのに一瞬遅れ、それでも尚、流石の卓越した使い手だけあって、即座に獅子劫を先に抹殺せんと魔術を振るう。

 殺到する青い炎は既に全ての逃げ場を潰しており、獅子劫は次の瞬間に生存するための手段を持たず……だからこそ、妄執の炎を完膚なきまでに赤雷が打ち払う。

 

「──サーヴァント、セイバー。令呪の呼びかけにより此処に参上した……で、いきなり何事だマスター」

 

 令呪による空間転移。一瞬にして獅子劫の下に現れたのは彼が信頼する己の相棒、“赤”のセイバーである。宝具を使った直後とあってか兜は外して、金髪の少女の素顔が露わになっている。

 ──やはり対サーヴァント戦で何かあったのだろう。体中傷だらけで、加えて言うならば過去最高に不機嫌だった。

 

「……その様子を見るに、互いに一杯食わされたようだな。事情は後で説明するから今すぐ城を離脱するぞ。粗っぽくてもいいから頼む!」

 

「んなまどろっこしい! オレは今最高にむしゃくしゃしてんだよ! つーか原因はアレだろ」

 

 アレというのは目線の先、大聖杯を背景に立つダーニックの事だろう。

 “赤”のセイバーは獅子劫の敵であるとはいえ、何故かその顔に怒りと憎悪に似た感情を浮かべている。

 

「魔術師風情から逃げるまでもねえ。此処でアレを殺せば終いだ!」

 

「おい! 待ッ──!」

 

 制止よりも早く“赤”のセイバーはダーニックに飛び掛かる。

 無策な特攻だが、如何に優れた魔術師であるダーニックとはいえ、サーヴァントには対応しようがない。

 ダーニックは令呪にて呼び出された“赤”のセイバーに一歩も動けることなく、彼女の一刀を前にその命を晒すこととなり……。

 

「どうやら──宴もたけなわ、という状況のようだな」

 

 しかし一刀はダーニックを仕留められなかった。

 ガキンと剣を弾く鋼鉄の音。

 まるで先に“赤”のセイバーを獅子劫が呼び出した時の様に、何の前触れもなく一人の人間がダーニックと“赤”のセイバーの間に割って入り、“赤”のセイバーの剣を弾いたのだ。

 

「なっ、テメエは──!?」

 

「アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。こちらのペアと顔を合わせるのは初めてか。悪いが色々と事態が立て込んでいてな、今は引いてもらうぞ、叛逆の騎士」

 

 そう言いながら、アルドルは“赤”のセイバーの胸元、鎧越しにルーン文字を刻む。

 元来、高い魔力耐性を持つ“赤”のセイバーに魔術……それも現代を生きる魔術師のものが通用するはずがない、そんな判断は発動する魔術に吹き飛ばされたことにより一瞬で崩れ去る。

 

「がっ……何だと!?」

 

「おいおいおいおい……!?」

 

 その状況に動揺する“赤”の主従。

 実際に受けた“赤”のセイバーは予想外だったがため。

 獅子劫の方はあり得ざる事象を前にしてもはや動揺を隠すことすらできない。

 

「間一髪か、無事か叔父上」

 

「……ああ、何とかな。助かったぞアルドル」

 

「構わない。事態が事態の様だからな。それから叔父上、悪いが作戦は失敗した。“赤”の陣営、損失に至らずだ……どうやら互いに聖杯大戦の洗礼を受けたようだな」

 

「……そうか。そのようだな」

 

 一方で動揺する主従の傍ら、明らかに空間移動の類で現れたとしか思えないアルドルに、ダーニックは特に不思議がる様子もなく短く会話をしている。

 獅子劫にとって初めてとなる噂の先祖返り(ヴェラチュール)との遭遇なわけだが……。

 

「くっ……考えるのは後だ。四の五の言わずに離脱だセイバー!!」

 

「チッ、ええいクソ! わぁったよ! この恨みは必ず晴らす! 覚えとけよ“黒”の魔術師共!!」

 

 何処か悪役の捨て台詞にも似た言葉を言い残すと、“赤”のセイバーは獅子劫を抱えて全力で撤退していく。

 

 

 

 尋常ならざる被害を受けたものの──こうしてミレニア城塞を巡る攻防劇は一先ず終わりを迎えたのだった。




今回のあらすじ

ダーニキ「私の甥は最強なんだッ!!(注目線)」

獅子GOさん「え? ユグドミレニアの魔術師強すぎ?」

モーさん「“黒”の陣営の魔術師全員ムッコロス」

主人公君「お帰りはあちらでございます」


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聖杯大戦 Ⅸ

「カウレス、ダーニックには既に話を通したが、この戦いは勝ちきれん。一度幕を引こうと考えている」


 カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアが後に義兄と慕うことになるその人と出会ったのは十四の時だった。

 自分の実姉であるフィオレが時計塔に入学するという前年にユグドミレニアの当主たるダーニックの配慮で既に時計塔入りしていたアルドルをフィオレの下に遣わしたのがきっかけだった。

 

『お初にお目掛かる、私はアルドル。アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。君たちと同じく次世代のユグドミレニアを担うことになるだろう魔術師だ。よろしく頼む。私自身まだまだ未熟者だが、これからのユグドミレニアの未来のためにお互いに切磋琢磨していこう』

 

 そう言って魔術師同士にも拘わらず、少年は何のためらいもなく右手を差し出す。

 

 姉の方は一族的に彼が上の立場であることに加え、これから時計塔に入学する立場としては相手が『先輩』に該当する立場であり、さらにはあまり外の人間と関わらない彼女にとって機会の少ない異性との初見だったということもあり、緊張からか魔術師としての常識を忘れてすごすごと普通に握手を交わしていたが、カウレスは違った。

 

 いや、幼少期から姉の代替として育てられ、ある意味では姉以上にある種のドライな視点を有する魔術師らしいカウレスだからこそ、彼は姉と二歳差の少年を見て思った。

 

“……なんだ、思ってたよりもずっと人間らしい人なんだな”

 

 普通、魔術師同士はどれほど親しい関係を持っていたとしても無防備に握手などしないのが常識だ。何故ならば魔術師同士の直接接触は魔術師自身が有する魔術回路を相手に晒してしまうことになる。

 そうでなくとも研究する魔術のジャンルによってはそうした接触行為だけで呪詛やら不幸やらを押し付けられる可能性があるのだ。

 魔術師のような究極の自己中心的な生き物にとってただの握手であってもそれがどれほど危険な行為であるかは言うまでもない。

 

 だからこそ共同研究者や長年の付き合いを持つ魔術師同士であっても握手などという行為は行わないのが常識である。ましてや初見同士ならば尚の事。

 そういうのは余程隔絶した能力を持っているか、或いは余程相手を信頼しているかの二択に限られるのだが……。

 

 見るに相手はそういった思惑抜きに単純な礼儀として握手を交わしている。だからこそカウレスは人間的なんだなという感想を持ったのだ。

 

 次代のユグドミレニア当主──アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 彼の話はユグドミレニアに所属しているものならば誰だって知っている。

 あの(・・)ダーニックが手放しで称賛する天才。

 未だ十代にして、既に次代のユグドミレニアとして一族の者たちが諸手を挙げて推薦する俊英。

 それがカウレスの知るアルドルという魔術師だった。

 

 しかし件の彼にこうしてあってみれば相手は意外にも人間らしく、寧ろ魔術師らしくは見えない好青年といった印象である。

 ……だからこそ、カウレスと、何よりフィオレが彼に懐くのにそう時間は掛からなかった。

 

 時計塔に入学する上での注意点や振る舞い、日常の過ごし方や授業などをフィオレに教授するため約一か月ほどフォルヴェッジに滞在することとなったアルドルにフィオレとカウレスは数日で初めの緊張は何処へやら親しい仲になっていた。

 

 特に元々やや箱入りとして育てられたフィオレの方は彼から聞く「外の世界の話」を聞いて目を輝かせては積極的に話しかけていたし、アルドルの方もフィオレの好奇心を好ましいものと思っていたのか、包み隠さず様々な知識を開示していった。

 カウレスの方も似たようなもので、特にアルドルが魔術師にも拘わらず現代科学にもそれなりに精通していたということもあって、魔術師の一門ではなかなか話しにくい話題を振ることもできたというのが大きかったのだろう。

 アルドルの事を義兄と呼ぶようになったのも丁度その時からだった。

 

 詰まるところカウレスにとってはアルドルとはユグドミレニアの次期当主であり、自分たちと年の近い親類であり、何より兄のような存在であったのだ。

 

 そんな立場だからこそ思う、姉と義兄は似ていると。

 率直に言えば、彼らは魔術師(・・・)らしくない(・・・・・)

 

 姉弟という魔術一門にとっては潜在的な敵同士にも拘わらず自分とごく普通の姉弟として接するフィオレも、立場的には一門の分家に過ぎない姉弟と分け隔てなく接するアルドルも魔術師という生き物らしい暗部が存在していないのだ。

 

 姉の方は、まだ分かる。彼女は生来優しすぎる(・・・・・)

 それこそ魔術師として致命的なほどには。

 

 何せ実姉だ。弟として長く接してきたからこそよく分かる。言葉にはしないものの魔術の才能とは別に、魔術師としての才能は彼女には無いのではないかとカウレスは心の淵で感じ取っている。

 だから、分からないのはアルドルの方だった。

 

 彼もまた生来姉と同じく優しすぎるのかと聞かれれば、彼の逸話がそれを否定してくるし、魔術の腕の方も時折噂話を耳にする程度には卓越している。

 なのに見えない。魔術師が有する知的な興味が故の暗部。魔術研究のためであれば平気で他人の不幸を呼び込む人でなし性。

 そう言ったものが義兄からは一切感じられないのだ。

 

 子供というには成熟していて、だけども大人というには未熟だったカウレスは以前その疑問を問うたことがある。

 今にして思えば魔術師に尋ねる話題としてはあまりにも常識はずれで、無礼千万なその疑問──曰く、義兄は『根源』を目指していないのか、と。

 

 だってそうとしか考えられなかったから。

 『根源』。全ての魔術師が魔術を研鑽する理由。

 魔術師が代々受け継がれるが由縁。

 

 かの到達点を目指すからこそ魔術師は人でなしでありロクデナシであり、どうしようもなく救われない存在なのだから。

 魔術師が背負う暗部を持たない義兄は逆説的にその目的を持たないからこそ影を持たないのではないかと、カウレスは問うた。

 

 そして問うた後、蒼褪めたのを覚えている。

 親類であることを考えてもあまりにも無礼、あまりにも不敬。

 まさに思わずといった風に口に出した疑問に。

 

 対してアルドルは、こちらが驚くほどの静かな苦笑をしたのを覚えている。

 

『──そうだな。『根源の渦』、アカシックレコード或いは『』。魔術師としての責務から目指そうとは思っているし、個人(オレ)としてもそれがどういったものなのかこの目で確かめたいとも感じているよ。だが……()自身が本気で目指しているかと言われれば、本音を打ち明けるに、興味が薄いと言わざるを得ないだろうな』

 

 その言葉に驚愕と同時に納得したのを覚えている。

 ユグドミレニアに生まれた真なる黄金、ダーニックが太鼓判を押す天才、次代を担う荘厳なる大樹。

 一族からも、そして後には魔術世界においても先祖返り(ヴェラチュール)と評価される男の地金をカウレスは垣間見た。

 

『私がこうして立っているのは皆の期待を背負っているからだ。ユグドミレニアという一族は次代を担う私に大きな期待をしている。私の才に、私の立てた功績、他にも色々な意味で私の背には期待と責任が載せられている。私自身、それを重いと思ったことはなく、寧ろ誇らしいとさえ思っている』

 

 だから、魔術師たる立場からを逃げないし、そのために『根源』をも目指すと前置きし、アルドルは続ける。

 

『だが──それ以上の動機として、単に個人(オレ)は好きなんだよ。ユグドミレニアが。ダーニックも、そしてフォルヴェッジ姉弟(お前たち)が。親類縁者である以上にな』

 

 そう語るアルドルの横顔は遥か遠くの、届かぬ星を見上げるような眩しさと少しの寂しさのような、どこか黄昏れるような横顔だった。

 

『その輝きを失くしたくないと思っているし、無くさせたくないと思っている。しかし世界と運命は中々に残酷だ。ユグドミレニアというこの形はやがて苦難を辿ることになるだろう。個人(オレ)に未来は見えないが、それでも分かってしまうのさ。イマは永遠には続かない、大きな変化は必ず訪れるとな』

 

 まるで長い年月を流離ってきた旅人のようだと思った。

 どうしようもない未来を見据え、それでも尚諦められないと歩み続けるような。

 

 長い人生を歩いた末の箴言のようにアルドルは告げる。

 

『だからこそ私はそれ(・・)を変えたいと願っている。この世界は思ったよりも広く、そして思ったよりも不自由だが、こうして生を受け、何かを成す権利を貰った以上、私にはそれを行使する自由があるだろう。私が魔術師たる動機なんてものはそんなものだ。カウレス、お前が私を魔術師らしくないと感じているならばまさにその通りだよ──私はひどく、魔術師らしくない理由で魔術師を名乗っているのだから』

 

 それは賢者の祈りのようであり、子どもの夢の様であり、そして人間が人生の中でやがて忘れていくような淡い《光》のようだった。

 故にその時、カウレスはようやく理解した。

 

 己の姉フィオレがそうであるように、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアに魔術師としての才能はない。

 しかしアルドルは一族の誰よりも強い(・・)

 彼こそが並ぶ者無き千年黄金樹なのだと、確信している。

 

 だから……。

 

『俺も、手伝う』

 

『うん?』

 

『俺に何ができるかは分からないけど、俺も義兄さんを手伝うよ。そりゃあ姉ちゃんほど才能はないし、義兄さんほど何でも上手くは出来ないけどさ。それでも、俺だってユグドミレニアなんだから』

 

 今にして思えばあまりに気恥ずかしい、その言葉を前に。

 

『──ああ、ありがとう。お前が手伝ってくれるなら百人力だ。ふふ、こういう時、安心した(・・・・)。と言えばいいのかな?』

 

 子供のつまらない誓いに、確かな信用と親しみを込めて、アルドルは楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

「──ハッ!」

 

 刹那、走馬灯じみた記憶から目を覚ましてカウレスは覚醒する。

 同時に耐えがたい痛みがカウレスに襲い掛かった。

 

 軋む魔術回路、溶けていく生命力。

 自身の魔力が恐るべき勢いで喪失していく感覚にカウレスに出来ることと言えば歯を食いしばって何とか意識を継続させることだけ。

 

「クソ!」

 

 無論、原因は言うまでもない。今もなお“赤”のバーサーカーと戦闘を継続しているだろう自身の従えるサーヴァント“黒”のバーサーカーにある。

 ただでさえ魔力食いであるサーヴァント、バーサーカー。加えて言うならば、カウレスの従える英雄の真名はかのサー・ランスロット。

 アーサー王の伝説において王たるアーサー王すら差し置いて円卓最強を名乗り、讃えられる英傑である。

 

 高名な英雄は狂戦士となり、強力なサーヴァントとして“黒”の陣営の一角を担っているが、その代償として要求する魔力は甚大だ。

 ともすればとてもカウレス一人で担えるものなどではない。

 

 それを彼が従えられるのはユグドミレニアが聖杯大戦に持ち込んだ反則級の手段……ホムンクルスによる魔力供給の工房あってこそだった。

 だがしかし、その工房は今しがた破壊された。

 今は自室に篭るカウレスに正確な状況は掴めないが、恐らくはミレニア城塞に侵入したらしい“赤”のセイバーの主従が仕業だろう。

 被害のほどは分からないが、ともかくユグドミレニアのマスターとサーヴァントたちに今まで多大な魔力を送り込んでいた工房は機能不全に陥ったらしい。

 

 その結果が齎した弊害が今まさにカウレスに襲い掛かっていた。

 

 これが例えば卓越した魔術師であるダーニックやアルドル、そして姉であるフィオレであればさしたる問題はなかっただろう。

 だがカウレス、魔術師としての才覚を持たない彼であれば工房の機能不全というのはあまりにも致命的だった。

 

 カウレスの魔術の才は凡才を出ず、所詮は二流、三流の魔術師に過ぎず、加えてサーヴァントは多大な魔力を要求する“黒”のバーサーカー。

 工房からの魔力供給が途絶えて尚知らぬ存ぜぬと暴れる自己のサーヴァントには当然手加減などという概念は通用せず、カウレスは元々少ない魔力を急速に失っていく。

 こうして意識を保てているのも、もはやカウレスの気力と気合によるものだ。

 

「止まれ! 一旦撤退するんだ! バーサーカー!!」

 

 自己のサーヴァントに向けて念話越しにカウレスは叫ぶ。

 このままでは戦場の優位不利以前に、先にカウレスの魔力が底を突く。そうなればどうあれ“黒”のバーサーカーは強制退場だ。

 それだけはどうにか避けなばならない。

 

 しかし、念話から戻ってくるのは狂気に満ちた凶気の念。

 敵を殺す、殺すという狂戦士らしい感情。

 とてもではないが理性的な判断など出来そうにない。

 

「畜生! やっぱりダメか……!」

 

 英霊ランスロットに付与された『狂化』のランクは数値にしてC。

 言語能力が失われるレベルの狂気であるが平時であればまだこちらの言うことを聞くだけの理性を持っていられるというもの。

 しかしそれも戦闘時ともなれば話は別だ。

 さらに言うならば今なお戦闘を繰り広げる相手──“赤”のバーサーカーは異常な相手だった。ランスロットの狂気以上の狂気じみた風貌へと変貌した相手を前に“黒”のバーサーカーは僅かな理性を残したまま戦えるほど冷静ではいられなかった。

 戦闘がより過激なものへと推移していくのに伴って、“黒”のバーサーカーもまた理性を彼方に消し飛ばしている。

 

「こうなったら令呪しか……!」

 

 このままではカウレスの魔力が底を突き、しかし“黒”のバーサーカーにそれを止められるだけの理性はない。

 残された手段は一つだけ──手元にある三回限りの命令権、令呪の行使以外に道は残されていない、けれど。

 

“良いのか、本当に。ここで使って……!?”

 

 魔術師として合理的な思考を有するカウレスの直感が囁く。

 なるほど確かにもはや令呪しかこの場を切り抜ける手段はないが、そもそも工房を破壊されるという不測の事態が起きている現状だ。

 この先のことを考えればただサーヴァントを引かせるために令呪を行使していいのかという疑問、さらには撤退した後自由となった“赤”のバーサーカーをたった一人戦場に孤立させていいのかという戦術的不安。

 その二つが、カウレスの判断を鈍らせる。

 

 だがもはや猶予はない。

 “黒”のバーサーカーが一合ごとに暴れるたび、喪失していく魔力と意識。

 どだいこのまま悩んだところで良案など出るはずもなく、カウレスは諦めて苦虫を噛み締める勢いで令呪に意識を集中して……。

 

 

“太陽より美しく 

 黄金より見事な館が

 ギムレーに立てるのを

 我は知る。

 そこに誠実なる人々が住み

 とこしえに幸福を味わう”

 

 

 頭に直接響き渡るような歌声(詠唱)

 それを聞いた瞬間、カウレスは何かに接続したのを感じ取る。

 

「なっ……こ、これは……!」

 

 意識が覚醒し、尽きかけた魔力が急速に回復する。

 先ほどまで工房と繋がっていた時と同じほどに、否、それ以上の勢いでまるでカウレスに加護を与えるが如く、接続はカウレスを正常に回復させた。

 

 その正体、不明ながらも一つだけ分かることがある。

 

“……魔術刻印?”

 

 自身の異常な回復の原因となるものをカウレスは朧気ながらも掴んでいた。

 ユグドミレニアの魔術刻印。

 これが何かに同調しているがための回復であると。

 

 ……いうまでもなく魔術刻印とは魔術師にとっては魔術一門が代々受け継いできた遺産にして研究成果。

 一門の魔術師である証明にして、一子相伝の神秘である。

 通常の魔術家系であれば次代の魔術師たる息子ないし娘に受け継がせる替えの利かないただ一つの神秘であるがユグドミレニアは事情が異なる。

 

 他家とは違い、枝葉を広げるように繁栄することを選んだユグドミレニアの魔術刻印は通常一族の縁者にしか引き継げない魔術刻印を誰にでも移植可能という特異さを有している。

 さながらシールの様に赤の他人にも簡単に移植可能なユグドミレニアの魔術刻印はまさにユグドミレニアを名乗る証明。

 有する機能はほんのわずかな同調観念と「ユグドミレニアの魔術師であるかどうか」を判断するのみという魔術刻印としては最小の機能しか有さないはずのそれが、今まさに何かに同調してあり得ないブースターとして機能している。

 

 吹きあがる疑問に混乱していると、何の前触れもなくカウレスしかいないはずの部屋に義兄と慕うアルドルが現れていた。

 

「無事か? カウレス」

 

「に、義兄さん!?」

 

 一体いつからそこにいたのか、腰に手を当てふうと軽く息を吐く義兄は少しだけ疲れたように、だが安堵するように胸をなでおろす。

 

「少し前から城に戻ってきていたのだがな。“赤”のセイバーに対する対応とダーニックと話をしていたために来るのが遅れた。悪かったな」

 

「い、いや、それは良いんですけど……工房の機能が回復したわけじゃない、ですよね? 一体これは……」

 

「……ああ、魔力の件か。何、ゴルドの工房が“赤”のセイバーに破壊されていたのでな。代わりとして私の工房に繋いだ。今はまだ、カウレスだけだがな」

 

「義兄さんの、工房……?」

 

 アルドルのその言葉を聞いてカウレスは首を傾げた。

 魔術師が自身の研究成果を保管する場所として工房を持つことは常識だが、義兄がそういったものを持っているとはあまり聞いたことが無かったからだ。

 ……いや正確には風の噂で義兄が魔術工房を隠し持っているとは一族間で聞いたことがあるものの、基本的に現場主義者(フィールドワーカー)たる義兄が特定の場所に拠点を設けているイメージがイマイチわかなかったため、思わず疑問を覚えたのだ。

 

「ふむ、まあより正確に言うのであれば私なりの聖杯の使用用途だな。大聖杯を獲得した暁にユグドミレニアを導くためのな。大聖杯を獲得した後、全員を繋ぐ(・・)予定だったが、ホムンクルス工房を破壊された以上、出し渋っている暇はなかった」

 

「聖杯の使用用途……ですか」

 

 意外な言葉にまたもカウレスは疑問を持つ。

 この聖杯大戦を勝ち抜いた果てに手に入るだろう大聖杯。

 曰く万能の願いを叶えるという杯。

 

 自分たちは当然、それに託す願いがあるから戦うわけだが、改めて思えばユグドミレニアの繁栄を望むダーニックや自身の足の回復を願うフィオレなど、“黒”の魔術師たちは聖杯に託す願いが明確だったが、唯一アルドルだけは聖杯に何を望むのかを対外的に口に出してこなかった。

 その願いの片鱗をこの時アルドルは僅かに垣間見せていた。

 

 が、それも一瞬。

 すぐにアルドルはどうでもいいことのように話題を変える。

 

「それよりも、だ。カウレス、“黒”のバーサーカーと“赤”のバーサーカーの状況がどうなっているか分かるか?」

 

「え、あ……ああ、そうだ……!」

 

 言われて気づく。こうしている間も現在“黒”のバーサーカーと“赤”のバーサーカーは戦闘を継続しているのだ。

 暢気に話し込んでいる暇などない。

 カウレスが再び戦場に意識を戻して“黒”のバーサーカーの方へと意識を集中すれば、幸いなことに両者は健在、拮抗する戦場に不測の事態は起きていない。

 

「……大丈夫です。問題なく戦闘を継続しています」

 

「そうか、ならば問題はないな。戦況はどうだ? “黒”のバーサーカーに不足はないか? “赤”のバーサーカーの様子は?」

 

「自分のバーサーカーが奮戦しているので戦況は五分……いや、ちょっとこっちが不利、ですかね。“赤”のバーサーカーはちょっと特殊な能力か、宝具を持っているようで。こっちの攻撃を受けるたびに、まるで攻撃を吸収するように膨張していて……」

 

 “黒”のバーサーカー越しに見る敵サーヴァント。

 それはもう人型ですらない異形であった。

 複数の腕に足とも言えない何か。牙のようなものまで肉体からは生えており、もはや名状しがたい姿へと変貌している。

 言うなれば膨張し続ける肉風船という所だろう。

 正直に気味が悪いし、気持ち悪い。

 

「……タイミング的には丁度いい、か」

 

「え?」

 

 独り言を呟きながら何か一瞬考え事をするように遠くを見据えるアルドル。しかしそれも一瞬のことですぐにカウレスのように向き直り、意外な言葉を口にした。

 

「カウレス、ダーニックには既に話を通したが、この戦いは勝ちきれん。一度幕を引こうと考えている」

 

「それは……! ……義兄さんの判断ですか?」

 

「ああ、そうだ。元々此度の戦においては敵がミレニア城塞を攻略している間に私自身が独自に動いて敵に致命的な一撃を見舞う予定だったのだがね。どうにも向こうに勘付かれてしまった。勝手に動いてこの様では面目もないが……」

 

「ああ、それで……セレニケからちょっとだけ聞いたよ。義兄さんは義兄でなんかやってるって」

 

「そうなのか? 意外だな……まあセレニケの奴にも悪いことをした。忠告以上に出来たこともあったが……過ぎ去った話か。ともあれ、こちらの本命が潰された以上、ダラダラと防衛戦を続けていても無意味にこちらが消耗するだけだ。ここは思い切って捨てる。向こうの主力に欠員を出せないのは残念だが、まあ痛み分けで済ますとしよう」

 

 言いながらアルドルは肩を竦める。

 残念そうだが、言葉の合間に余裕が見受けられる。

 この状況も想定内といった処だろうか。

 

「それで撤退は分かったけどどうやってやるんです? 攻め込んでるのが“赤”の陣営である以上、向こうを引かせないとどうしようもないですし」

 

「無論、向こうを引かせる。さっきは作戦は失敗したといったが、少なくとも向こうの気勢は削ぎ落したからな。現在戦場に立つ“赤”のアーチャー、“赤”のライダー、“赤”のバーサーカーを引かせればこれ以上の攻勢は無いだろう。“赤”のアーチャーに関しては既に役目を終えて撤退する様子だと“黒”のアーチャーから聞いているから実質“赤”のライダーとバーサーカーを引かせれば目的は達成できるよ」

 

「なるほど……なら俺のバーサーカーで……」

 

「いや、直接どうにかしようとする必要はない。言ったように痛み分けで済ませるからな。むしろ丁度いいタイミングだ。“赤”は利用させてもらう」

 

「“赤”のバーサーカーを利用して敵を引かせる……? そんなこと出来るんですか?」

 

 アルドルの言葉にカウレスがそう問い返すと。

 アルドルは珍しくニヤリと何処か意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「まあな。一つ、丁度いい当てがある。これを機会に利用させてもらおうと思ってな。カウレス、“黒”のバーサーカーに私が言う地点まで“赤”のバーサーカーを誘導するよう念じておいてくれ」

 

「分かりました……あ、でもバーサーカーは……」

 

「大丈夫だ。今のお前の言うことであれば聞くだろう。任せたぞ」

 

「! ……はい! 任せてください!」

 

 こちらを信頼するように笑みを浮かべるアルドルにカウレスは強く頷く。

 ……手段は分からないが二重三重と何やらこちらに手を回して窮地を救ってくれたらしいことは分かったのだ。

 此処で向こうの任せた役目ぐらい全うせねば、それこそ面目が立たないというものだろう。

 

 “黒”のバーサーカーに意識を集中するカウレスを見ながら、アルドルは頷いた。

 

「さてと、失態はあったとはいえ最低限、取り繕うことは出来たか」

 

 カウレスであれば仕事は確かにこなしてくれるだろう。自身の作戦失敗からセレニケ及び“黒”のライダーの脱落、加えてミレニア城塞のホムンクルス工房破壊と災難は続いたものの、未だに事態は想定外の局面を見ていない。

 

“とはいえ、やはり天草四郎を討てなかったのは痛手だな。加えてこちらの手札も幾つか露見した。まだ盤を引っ繰り返せる最後の切り札は残しているものの、これで本格的に先読み(・・・)は機能しなくなるか……”

 

 静かに思索に耽るアルドルは状況を冷静に見つめる。

 サーヴァントの天秤は“黒”が六で“赤”が七。

 今から起こす『痛み分け』で六対六には持ち込めるが、向こうが失うのは捨て駒たる“赤”のバーサーカーただ一騎。

 魔力的な制約があるにせよ、向こうにとっての主力は健在だ。

 

 対してこちらは“黒”のライダー。使用用途に迷うにせよ使おうと思えば使える局面も用意できただろうこちらの戦力である。

 結果だけ見るなら引き分け寄りの敗戦。しかもアルドルの用意とは別にアルドル個人が有する特性(・・)もいよいよ以って活用できなくなる。

 

“とはいえ“赤”のアサシンを落とした時点で特性(これ)の役目は十分。謀略で頭を回す必要が減っただけでも僥倖か”

 

 だが、既に戦場は純粋な戦力を競う戦いに置き換わりつつある。搦手が通用しづらい局面にまで持ち込んだ以上、後は実力勝負。

 いいや、此処からが聖杯大戦の本番というべき事態だろう。

 

 ならば十分。自分は粛々と勝利への布石を撃ち込むだけ。

 どうあれ勝つのはユグドミレニア。

 そのためにこそ己はこの場に立っているのだから。

 

“一先ず、この場は収めさせてもらう。何をするにしてもこの宴の幕を下ろす”

 

 そう思考を断ち切ってアルドルは息を吐いた。

 そして皮肉気に呟く。

 

「停戦は第三者による調停が相場と決まっているからな。ここは救国の聖女に我々を助けてもらうとしよう」

 

 言って肩を竦める。

 小柄な友人たちが今なお視界に捉えている聖女の背中を幻視しながら。




今回のあらすじ

弟くん「流石だわ義兄」

義兄「ああ──安心した(言ってみたかった台詞)」

セレニケ(故)「極めてなにか生命に対する侮辱を感じます」

月帰ったライダー「残当」


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聖杯大戦 Ⅹ

「そもそもアンタ……俺を前に数分も耐えきれると思っているのかい?」



 聖杯大戦──。

 七騎と七騎の英霊同士が激突する前代未聞とも言うべき大規模な聖杯戦争。

 

 その前評判とは異なり、現在この聖杯大戦で展開されている実情は極めて遠大な規模の謀略戦であった。

 

 片や全人類の救済を望み、全ての思惑を出し抜いて己が願いを成就せんと執念を燃やす一人の聖人。

 片や己が生の全てを費やして、自身が魔術一族に栄光の未来を齎さんと情熱に猛る一人の魔術師。

 

 彼らは互いにその手腕を全力で振るい、舞台に上がった演者たちの意志をも利用して自らの陣営の勝利に向けて手を打ち続けた。

 その結果、起こったのは思惑だらけの決めつけられた必然だった。

 

 分かりやすく突撃の先駆けとして打ち込まれた“赤”のライダーには最大戦力であり、最高峰の守りを有する“黒”のセイバーを。

 

 敵の虚を穿つために、そして何より敵の動きを攪乱するために現れた“赤”のアーチャーには“黒”の陣営でも屈指の速さを誇る“黒”のライダーと、知略に富んだ“黒”のアーチャーを。

 

 理性を失い、純然たる“赤”のバーサーカー(暴力)として猛威を振るう敵には同じく“黒”のバーサーカー(暴力)で以って合わせ、動きの読めない“赤”のセイバー(浮き駒)には盤外の“黒”のキャスター(傍観者)で対応することを選んだ。

 

 そして両者(本命)は遂に切り札を晒し合って激突し、勝負の結果は両者の切り札が結果的に不発に終わったことにより引き分け(ドロー)

 未だ死線にて鎬を削る演者たちを傍目に遥か大局にて手番を操る両謀略者は戦後の処理へと指し手を下ろしている。

 

 ──ある意味ではその戦いは謀略者たちにとっては既に意味の無い戦場である。

 “黒”と“赤”の主力戦力の直接対決。

 確かにその戦場における敗走はどちらの陣営において痛手と成り得るが、既に互いこそを最大の脅威と認識した陣営を裏から操る者にとっては今後の読みあいに多少影響を及ぼす程度のものでしかない。

 

 大局的観点からは意義を失った戦い。しかしだからこそ、その激突は何人の思惑も謀略も関わらぬまま暴と暴が激突し合う、聖杯大戦と呼ぶに相応しい嵐が如き最も純粋なる激突であった。

 

 戦争のトリを務める最後の戦場は奇しくも開幕を告げた最初の戦場。

 “黒”のセイバーと“赤”のライダーの戦いは正に英雄同士が覇を競い合う熾烈を極める空前絶後の戦いとなっていた。

 

「ははは!! はははははは!!! はははははははははははッ!!!」

 

 割れんばかりの哄笑を高らかに、疾風怒濤と槍を放つのは“赤”のライダーだ。もはや加減も躊躇いも捨て、純粋にこの戦いに勝利するためだけのその武を眼前の敵へと容赦なく叩きつける。

 

「…………!!!」

 

 対するは無言のまま気合で以て嵐に抗う無頼の勇者。誰の手を借りることもなく積み上げて来た経験こそが唯一無二の武器だと言わんばかりに嵐の戦場を進撃し続ける。

 

 両者は共に大英雄。

 勝つべき場面で勝利を掴み取り、人々の期待に応え続けた無敵の存在である。なればこそ自らの辞書に撤退の二文字は無く、諦めなどという選択肢は欠片も存在していない。

 両者は両者がある種の無敵性を有する類似の英雄であると看破して尚、その上で攻略してみせようと己が武具を全力で振るう。

 

 結果として両者はその無敵性の種までは見抜けぬものの互いにどのような性質を秘めているのかを見極め始めていた。

 

“……とにかく速い。これほどの英雄は生前は勿論のこと、“黒”の陣営にも存在していなかった。恐らくこれほどの速さを誇る者は英霊というカテゴリーで括ってもそうはいないだろう”

 

 無言のまま俊足の“赤”のライダーと斬り合う“黒”のセイバーはその速さに舌を巻きつつ冷静に戦力を分析していく。

 竜殺し(ドラゴンスレイヤー)という偉業によって伝説となった“黒”のセイバーが誇る最大の武器とは何かと問われれば、普通は竜を殺した魔剣とその功績によって得た不死身の特性を人は挙げるだろうが、それはこの英雄の本質に非ず。

 

 “黒”のセイバーが誇る最大の武器とはどのような難敵を前にしても揺るがなかった勇ましき心と諦観を忘れた不屈の闘志。

 邪竜ファヴニールを前にしてなお、恐怖をかなぐり捨てて攻略してのけるその精神力こそが、“黒”のセイバー、大英雄ジークフリートが持つ最強の武器だ。

 

 嵐の暴威に立ち向かう様は、さながら数百年を経てもなお朽ちず崩れない城塞が如き堅牢さだ。波濤のような猛攻を不沈を掲げて受け続ける。

 常識外れの速力が生む槍捌きが音速を越え、速度のギアが上がるにつれて跳ね上がる槍の攻撃力が遂に自らの(宝具)をも凌駕し始めて尚、竜殺しの英雄は射殺さんばかりの眼力で“赤”のライダーを見極める。

 

 ──まず瞠目すべきはやはり速度。

 この一点からして桁が違う。

 

 仮に“黒”のセイバーが一撃を振るう間に、“赤”のライダーは四度から五度の攻撃を見舞えるまでにその速力を上げている。

 そしてその上で、まだ上がる(・・・)

 

 まるで戦場を駆け抜ける地上の星だ。彗星の様に何処までも上限の見えない疾走は並ぶ者などいないという証明か。

 さらに技量の方も尋常ではない。何某かの師に学んだであろう真っ当な武芸の型を下地にしつつも、そこに相応の戦場で鍛えたであろう練度が付加されることによって誰も手の付けられない領域にまで達しているのだ。

 オマケとばかりに“黒”のセイバーの太刀を百と受けながら、かすり傷一つ負わぬ無敵の肉体も加わるのだからまさに手の付けられようもない。

 

 無敵の英雄──幼子が夢見枕に共にする御伽噺の英雄(ヒーロー)の完成だ。

 

 しかし、この常人ならば絶望的とさえ言える現実を前にしながら、勇者の胸にあったのは一つの確信だった。

 心挫けるような敵を前にしながら、その事実からさえ勇者は攻略のヒントを掴み取る。

 

“速く、強く、加えて無敵。なるほど──であればこの攻勢に振り切れた戦いの様も納得がいく。かの無敵性は生来よりのものか、だとすれば……”

 

 “黒”のセイバーが確信すると同時に、肩、胸、足を抉る神速の三連撃。爆撃じみた攻撃を浴びたことにより褐色肌の肉体には裂傷が刻まれるが、件のセイバーは揺るがない。

 地に付けた両足は大樹の如く、真正面から衝撃を受け止め、跳ねのける。

 

 常に冷静沈着を心がける“黒”のセイバーとは対照的に感情豊かなる“赤”のライダーは笑い転げんばかりに哄笑を深める。

 

「はははははは!! 素晴らしい! 素晴らしいぞッ!! “黒”のセイバー! 既に我が槍技は百を超え、万へと届かんとしているのに貴様は未だ我が眼前に敵として立っている! その不屈! その不退転! 俺の生きていた生前においても目の当たりにしたことはない! 認めよう! 貴様もまた俺に並ぶ英雄であるのだと!!!」

 

 難敵を前にして勇者が不屈を掲げるように、英雄もまた難敵を前にして歓喜の声を叫ぶ。死線に在って命のやり取りを歓喜と捉え、憎しみではなく敬意を以って敵を穿つ。

 その余りにも快活な様は正に英雄。

 命を燃やして光の如くに生を駆け抜ける綺羅星に他ならない。

 

「不愛想なのは傷だが、それもまた良し! 無骨に挑まんとするのがお前であるならば、もはや俺から言うべきことは何もない! さあ見せろ、お前が英雄である証明を! 俺の槍は貴様に傷を与えつつあるぞ! 俺はお前の無敵に追いつきつつあるぞ!! さあ! さあ! どうする“黒”のセイバーよッ!!」

 

「ッ……!!」

 

 “赤”のライダーが声高らかに叫ぶと同時、槍の切っ先が遂に“黒”のセイバーの眼力からも逃れ始めた。

 視界からブレた槍の刃はさながら“黒”のセイバーを捉える格子の如く縦横無尽に宙を舞って削岩機のように手数で以て“黒”のセイバーを殺しにかかる。

 

 体表面に刻まれるは無数の裂傷。傷の深さこそ浅いものの受ける損害の規模は徐々に、徐々にその数と深さを増していく。

 

 技巧や知恵や小細工などでは断じてない。“赤”のライダーは“黒”のセイバーの頑強さをこれでもと知って尚、真正面から打ち砕きに掛かる。

 言ってしまえばただの力業だが、その力業だけで“赤”のライダーは“黒”のセイバーの無敵性に肉薄しつつあった。

 

 ──『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)

 

 それは竜殺しによって得た“黒”のセイバー、ジークフリートが有する宝具。数ある英霊の中でも最高峰を誇る守りだ。

 悪竜の血を浴びたことによって変化したジークフリートの肉体はBランク相当の物理攻撃ないし魔術的干渉すらも無効化し、許容する守り以上の攻撃を受けたとしても、その破壊力を守りの分だけ減衰させる。

 

 つまりはたとえ“黒”のセイバーの宝具を凌駕するほどの一撃を叩き出したとしても“黒”のセイバーを討つには不足。

 防御力を越える攻撃力をひねり出したうえで尚、さらに“黒”のセイバーを殺しうるまでに強力な貫通効果を持たなければ彼を倒すことは出来ないのだ。

 

 だからこそジークフリートは竜を殺したその日から無敵の勇者として君臨し続けたというのに、目の前の“赤”のライダーはそれを真正面から乗り越えようとしているのだ。

 無謀極まる愚者の愚行。されど結果はご覧の様に。

 宝具も何も使わずに、ただ槍の威力を、速度を、鋭さを、“黒”のセイバーに一撃一撃を与えるごとに、与える損害の規模から必要な力を割り出して、さらにさらにと上げていく。

 

 ……素直に感嘆する。

 眼前の英雄は紛れもなく、英雄。

 生前は見えることなかった同格以上の存在に“黒”のセイバーは感慨を覚えていた。

 

 ならば“黒”のセイバーはこのまま感慨に耽るのみで何もできずに一方的に削り殺されてしまうというのか? 

 ──無論、答えは否だ。

 

 無敵の英雄と相対するは無敵の勇者。

 疾風怒濤何するものぞ、格上の猛威などその程度。

 竜を殺す難業に比べれば、恐れるに能わず──ッ!

 

「ッ!!!」

 

「う、おおおおッ!! ……はは、やるなッ!! それでこそッッ!!」

 

 神速と見紛う槍の連撃に生じる僅かな隙。

 長物の得物を振るうが故に生じる槍を引き戻す動作を行う刹那の瞬間に“黒”のセイバーは己が大剣、魔剣バルムンクをねじ込む。

 速力こそ“赤”のライダーには及ばぬものの経験値によって回避不可能なタイミングに打ち込んだその一撃は、やはり“赤”のライダーの身体に傷一つつけられなかったが驚異的な威力で叩きつけられた一撃は猛犬のように“黒”のセイバーに食らいついていた“赤”のライダーを強制的に引き剥がす。

 

 さらに追撃。魔力放出スキルは持たぬ“黒”のセイバーだが、魔剣の特性と己が技巧で以て大剣に魔力を注ぎこみ、渾身の威力で以てして“赤”のライダーに叩きつける。

 その脅威を前に“赤”のライダーはやはり引かず。

 

「おおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

「──ッ!!」

 

 激突。衝撃。

 真っ向から“黒”のセイバーの一撃を受け止めた。

 

 あまりの威力に大地は地盤沈下を起し、大気は震え、発生した衝撃波(ソニックブーム)が四方は三十メートルにも及ぶ範囲で炸裂し、存在する全てを粉砕した。

 だがしかし、いいや、やはり。

 

「──残念だったな!!」

 

「ッ……」

 

 無傷。“赤”のライダーの肉体には傷一つとして存在していない。

 

 “黒”のセイバーの無敵性とは異なる“赤”のライダーの無敵性。その秘密が宝具にあるのは既に自明だが、肝心な仕組みの全容を“黒”のセイバーは未だ看過できずにいる。

 例えば“黒”のセイバー。彼は既に述べたようにその宝具によって無敵性を有する英雄だが、この宝具には純粋に超高威力の一撃を叩きつけるほかにもう一つ明確なまでの弱点が存在する。

 

 それはネーデルランドの大英雄ジークフリートの逸話を耳にしたものならば誰でも知っている弱点。竜殺しの大英雄はその身に竜の血を浴びたことで無敵と化したが、ただ一点、背中にまではその鮮血を浴びていない。

 だからこそかの英雄の肉体を守る血鎧には背中という致命的な弱点が存在しているのだ。そしてだからこそ不死身の勇者はどれ程までに突出していようとも人間の枠組みに座っていられるとも言える。

 

 そう──人間に完璧などはあり得ない。真に無敵、真に不死身である存在などそんなものは人に非ず。

 古今東西、如何なる無敵の英雄にも過去の残影であるが故の『死因』が存在している。否、そうでなければ彼らは人間の椅子に座ってはいられないのだから。

 

“……であれば、やはり……!”

 

 ジークフリートは確信する。純粋たる暴力(威力)で決して破ることが出来ぬその無敵性。“赤のライダーが有するそれは恐らくは条件(概念)による宝具の守りであろう。

 特定の武具でしか傷がつかない、特定の条件でしか損傷を受けない、或いは特定の人物でないと倒すことができない。

 

 そしてそうであるならば、この“赤”のライダーを倒すためにはまず前提としてその条件を絞り込まなければならないわけだが──。

 

“……無敵の英雄、神速の走り、生を駆けるその有様。恐らく該当する英雄はただ一騎。だとすれば弱点もまた”

 

 最大の脅威こそ、敵が有する最大の弱点だとは既に見極めている。

 竜殺しという難業を遂げた“黒”のセイバーだからこそ、目前の英雄が何者でどのような弱点を有しているのか──当たりは既に付けていた。

 

 だが──それを行うには目の前の英雄は速すぎる。

 加えて一度でも弱点が看破されたと目前の英雄に察せられてしまえば、この限界の見えない速力で以て彼は全力で轢きつぶしに掛かるだろう。

 

 現状、その無敵さ故“赤”のライダーが守りを捨てて攻勢に出てるからこそ、隙を伺って反撃こそ加えられるものの、本気を出した“赤”のライダーが回避行動を取りながら攻勢に出た時──恐らく“黒”のセイバーは対応できない。

 

 さらに言うならばその時こそ、目前の“赤”のライダーは宝具を開示することすら厭わなくなるだろう。

 だから一撃。狙う乾坤一擲はたった一度のチャンスにおいて確実に致命たらしめるもので無くてはならない。

 

 だから耐える。だから堪える。

 その時のために、その刹那の決着のために。

 

 故にこの戦いにおける最大の懸念点とは、何処までこの我慢比べに付き合えるかということに他ならない。

 順調に“黒”のセイバーを攻略しつつある“赤”のライダーと。

 時折、反撃に出るものの一見、攻略の糸口を掴めない“黒”のセイバー。

 

 その両者を傍目から見た場合、果たしてどちらが焦りを覚えるべきかと言われれば、それは……。

 

『何をしておる! セイバー!! 宝具だ!!! 奴を倒すにはもう宝具しかあるまい!!』

 

「……ッ」

 

 脳内に響く声に“黒”のセイバーは唇を噛む。

 そう、この我慢比べは“黒”のセイバー一人のものではない。

 聖杯戦争とはマスターとサーヴァントの戦い。

 

 なればこそ、この戦いを傍観するマスターもまた勝敗を決する重要な要因の一つ。しかしこの場合、この瀬戸際の拮抗を崩しかねない最大の懸念点としてしか作用していないのは、やはり彼らの主従関係にあるだろう。

 

 ユグドミレニアの“黒”のセイバーのマスター。

 ゴルド・ムジーク・ユグドミレニア。

 セイバーの主にして、彼が無言を貫く理由である。

 

 ゴルドという人物を一言で称するならば傲慢の一言で終わる。竜殺しという偉業を得て、多くの人間の願いを叶え続ける英雄(願望器)が如き人生を歩んだジークフリートにとってその人格はかつて見てきた権力者のそれに近しい。

 

 自己を尊大に評価し、他者を見下し、己を基準に世界を睥睨する。

 ともすれば初めから相互理解など望まず、召喚した英霊ジークフリートを前にして尚、ただただジークフリートという英雄の仕様だけ眺めて、情報流失の観点からジークフリートに喋るなと命じる。

 

 これを指して傲慢と言わずにはいられまい。ユグドミレニア首魁のダーニックや他の一族の者ですらゴルドの事をそう思っている。

 そしてそのような人物が、果たして最強と信じて召喚した英霊が、傍目には一方的にやられているようにしか見えない現状を見た場合、この通り。

 

 信頼も信用も、初めから存在していないこの主従関係は、この局面においてあまりにも致命的だった。

 

『あのライダーめと同じく戦いを楽しんでいるのか!? 何をいつまでも意味の無いことを繰り返しておるのだ!? 相手は無敵だ! 普通の攻撃が意味を成さないのなら宝具を使うしかないのは自明だろう!!!』

 

「…………ッ!」

 

 仮に会話を許可されていたならば違うと返していただろう。

 この敵を前には宝具ですら意味を成さない。

 恐らくはかの大英雄の真名が“黒”のセイバーの想定通りであるのならば、致命の一撃を叩き込むのであれば一点、ただ一点に限られる。

 

 そのためにはかの英霊が見せるであろう唯一無二の隙。即ち“黒”のセイバーという英霊を見切り、殺しに掛かるだろう必殺の瞬間にしかない。

 防御を捨て、警戒もかなぐり捨て、仕留めるという一点に視野が狭まったその一瞬にこそ、無敵の英雄を穿つ間隙は現れる。

 

“…………マスター……!”

 

 元より誰かの願いを叶えることこそ人の幸福だと信じて、願望器が如き有り様で生前を生きた不器用な男というのがジークフリートの本質だ。

 だからこそマスターからの命令……喋るなという命令にも粛々と従い、今もこうして律儀に守っている。

 故に天地がひっくり返ってもジークフリートは、その一言……俺を信じてくれなどという言葉を口にすることは出来ない。

 

 そして生来の傲慢さに加え、己の命令に唯々諾々と従うだけの英霊であるジークフリートはゴルドにとっても「何を考えているか分からない不気味な英雄」としか見ることができない。

 加えて言うならば状況は二重の意味でひっ迫している。

 

『ひぃぃ……! クソ! クソクソクソ!! 早くしろセイバー!! 城が襲われているのだ! “黒”のキャスターめ!! 守りは万全ではなかったのか!? 急げ、宝具を使えセイバー!! お前はマスターの窮地にいつまで戦い呆けているのだ!?』

 

 

「………………ッ!」

 

 この時、この瞬間。

 ミレニア城塞は丁度、“赤”のセイバー……その主従による侵入および襲撃の真っ最中であった。

 彼らは出来る限りの守りを敷いて自室に篭り震えるゴルドや全く別の戦場で戦う“黒”のセイバーは知る余地もないが、侵入した“赤”のセイバーはセレニケを討ち取り、“黒”のキャスターと城の一角を粉砕しながら正に激突している最中である。

 

 結果としてあわや“黒”の陣営を全滅させかねない強襲は“黒”のキャスターの巧みさとダーニックの出陣、そしてアルドルの帰還によってはね退けられたものの、そんな未来を知らない両者がこの状況において冷静でいられるはずもなく。

 

 遂に、いや、この場合はやはり……。

 

『セイバァァァァ!! 令呪を以って命ずる(・・・・・・・・・)! 宝具を使えぇぇぇ!!!』

 

「ッ……!? く、おおおッ……!!?」

 

 刹那、“黒”のセイバーの肉体がその意志に反して、反応する。

 魔剣バルムンク。

 マスターの命令に応じて、その真価が詳らかになる。

 

「ッ!? 宝具……!? この状況で自棄を起こしたか……!? いや、いや、そうではないな。お前ほどの英雄がそんな無策に手を染めるはずもなし。であれば……はははは!! 俺が言えた義理ではないがお前もマスターには恵まれなかったらしい!!!」

 

「ッ……ぐ、やはり……!」

 

 無言の禁を破りながら呻くように“黒”のセイバーは言葉を漏らす。

 敵は驚愕しながらもしかし憐れむように、そして勝ち誇る様に笑みを深める。

 ……予想はしてたが宝具も効かぬ体質なのだろう。

 

 であれば真名はもはや確定的だ。同時に一体この一撃がどれほど致命的なものになるのかも。

 何もかもが致命的だ。

 半ば確信に近い未来を幻視しながら、それでも剣に満ちた黄昏はマスターからの無謀を絶対の命令として実行する──。

 

 ──其れは邪竜を討ち滅ぼした落陽の輝き。

 竜殺しの大英雄が握る魔剣の真髄。

 

 その真名()は──。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)──!」

 

 宝具開放。真エーテルを太源とする青白い極光が平原ごと“赤”のライダーを覆いつくさんと遂に放たれた。

 同時に“赤”のライダーも動く。

 

 ……敵が先に動いたとあれば我慢比べは己の勝ちだ。

 外因によって結するは不本意なれどこれは戦場。

 であれば勝利に殉ずるが英雄の生き様だ。

 

「い、く、ぞォォォォォォォォォ!!!!」

 

 大地を踏みしめ、疾駆する。

 あろうことか“赤”のライダーは“黒”のセイバーの宝具を前に回避も防御も選ばずして全速力の突撃を敢行する。

 踏みしめた一歩はそれだけで大地に巨大なクレーターを形成し、その一蹴を以って今まで世界に影を落としていたはずの“赤”のライダーはその姿を掻き消した。

 

 疾風を越え、音速を越え……第三宇宙速度に匹敵する桁違いの速度を叩き出す。

 

 振り切れた速力はそれだけで強力な武具と化す。

 世界を覆う黄昏に、疾走するは彗星の煌めき。

 

 これぞ“赤”のライダーが有する俊足の正体。

 常時発動型の宝具『彗星走法(ドロメウス・コメーテース)』の全力全開である。

 星の軌跡が黄昏を越えんと挑みに掛かる。

 

 その結果が齎すのは──不可避なる未来。

 

「うおおおおおおお、セイバァァァァァァァ!!!」

 

「ぐ、ぬぅ、おおお! おおおおおおおおお!!!」

 

 光を引き裂き、彗星が征く。

 神より賜りし無敵の肉体は黄昏の脅威をものともせずに突き進み、両手に構えるその槍は一寸の揺るぎもなく“黒”のセイバーの心臓を捉えている。

 

 揺るぎない未来。訪れる、死。 

 

 最悪を確信しつつ、それでも尚“黒”のセイバーは吼えた。

 ……敵に攻撃が効かずとも良い。

 ……ならばせめて反撃を許さぬ。

 

 攻撃は効かずとも発生する衝撃は“赤”のライダーにも発生することは既に先の例から知れている。ならば宝具の出力をかき集め、その威力で以てかの英雄を押し流す。

 ライン川に沈む黄金が如くに、あの輝きを光の底へと沈めんと黄昏が世界を覆う。

 

 ──かくて勝敗は決した。

 

「ぐぅ、あ……がああああッ……!?」

 

 衝撃波を伴って“黒”のセイバーの胸を穿つ“赤”のライダーの槍。

 悪竜による守りを突破し、遂に致命的な一撃が“黒”のセイバーに叩き込まれた。

 唯一、その結果に瑕疵があったとすれば……。

 

「チィ……些か、逸れたか! 辛うじて命を拾ったな、“黒”のセイバー……!」

 

 望まぬとはいえ令呪の強化(ブースト)を受けての宝具の開陳は結果として“赤”のライダーの想定以上の威力を発揮した。

 宝具によってその俊足を“黒”のセイバーの守りを破るほどにまで上昇させたものの、それでも黄昏を真っ向から攻略し、尚且つ血鎧を貫通するほどの威力にまで到達したが、完全に心臓を突き刺すまでには至らなかった。

 

 “赤”のライダーとはいえ流石にそこまで無茶苦茶ではなかったというべきか、“黒”のセイバーが巧かったというべきか。

 ……否、否、そうではない。

 

「……最悪の中でも最善の結果を選ぶとはな。不愛想な男だが、お前もまた英雄だということか。惜しいぜ、お前のマスターが居なければ、もう少し違う結果になっただろうよ」

 

 この場合、素直に賞賛すべきなのは“黒”のセイバーだろう。

 望まざる状況、不利の強要。

 振る舞いこそ“赤”のライダーの好みではないが、それでも“赤”のライダーと戦うに相応しい英雄だった。

 だからこそ彼はぼやく様に呟く。喜怒哀楽が激しく、感情豊かだからこそ勝負の果てに出た思わぬ本音。

 

 その一言は今も致命打に呻く“黒”のセイバーには届かなかったものの……。

 

『…………ぁ』

 

 その、たった一言が傍観者の胸に突き刺さったことを“赤”のライダーは自覚しなかった。

 

「さて、その様ではもうどうしようもあるまい? では楽園(エリュシオン)へ逝くが良い、“黒”のセイバー──いいや、竜殺しの英雄よ。何か言い残すことはあるかい?」

 

「づ……ぉぉ……ッ!」

 

 地に伏したまま呻く“黒”のセイバー。

 ぶちまけられた鮮血がどうしようもないほどの状況をまざまざと証明しているが、それでも伏せたままに英雄が寄越す眼力に微塵の減衰も有りはしない。最後の最後まで心だけは負けるまいと勇壮な瞳が“赤”のライダーを射抜く。

 

「ハッ……! いいぞ、ならば全霊を以って止めを刺そう! 最後の最後まで油断はするまい! 手立てがあるというならば望む所! はははは!」

 

 いっそ爽快感すら感じさせる朗らかな殺意を浮かべて、“赤”のライダーは既に立ち上がることすらできない満身創痍の相手に槍を構える。

 “黒”のセイバーは羽を捥がれた虫のように呻きながらも、それでも足掻き、倒れたままにて剣を取る。

 

 そして両者が真実、最期の交錯をする刹那に──。

 

極刑王(カズィクル・ベイ)

 

「「ッ!!」」

 

 厳かに告げられたその言葉。

 不意を突く声に陣営を問わず両者は共に驚愕する。

 それを耳にした瞬間、“黒”のセイバーとの戦いにおいて、ただの一度も回避も防御もしてこなかった“赤”のライダーが飛び退いた。

 

 同時に、寸前まで“赤”のライダーが立っていた場所に無数の杭が地中より突き出て虚空を穿っていた。

 

「──うむ。完全なる余の不意打ちを回避するか。流石はギリシャ神話随一の足を誇る英雄。見事なものだ」

 

「……テメエは」

 

 悠然と、さながら己が領地を見分する貴族の様に歩み現れたのは漆黒のマントに身を覆う一人の男。

 その手には槍、幽鬼と見紛う青白い貌に、鬼神が如き苛烈な意思を覗かせている。賞賛と、敬意と、そして敵意。

 

 その正体を問う“赤”のライダーの言葉に男は答える。

 

「──余はこのワラキアと、そして“黒”の陣営を統べる者。“黒”のランサー、ヴラド三世。武人の端くれとして横やりを入れるのは些か心苦しいが、これは戦争なのでな。不満はあるかね、アキレウス(・・・・・)

 

「……ハッ! 面白れぇ。次はアンタが相手をしてくれるってわけかい。王様」

 

 “黒”の陣営、ランサー。

 ヴラド三世、或いはヴラド・ツェペシュ。

 “黒”の陣営が誇る最後の駒が遂に戦場へ降り立った。

 

 

………

………………。

 

 

 ヴラド三世、こと“黒”のランサー。

 その目的は勿論、敵の槍兵(ランサー)、己が居城たるミレニア城塞に目掛けて無作法にも一撃を見舞った“赤”のランサーの迎撃にあった。

 

 されども戦地後方にて戦場を俯瞰していた仇敵は開戦から幾ばくかして何故か、戦地を撤退。

 結果として戦場に深く踏み入った“黒”のランサーは無駄足を踏むこととなる。

 

 その後はダーニックの命もなく己が判断で「見」を選び、何れの戦場もを一人俯瞰していたが……。

 

「……まずは二つ、賞賛と謝罪を。見事な戦いぶりであった、セイバーよ。敗走したとはいえお前の雄姿はしかとこの目に刻んでいる。その敗因が貴様の本意でなかったこともな。そして謝罪しよう、臣の管理についての失策は王の、即ち余の不手際によるものだ。謝罪は何れ形のあるものとして必ずお前に返そう」

 

「……マスターとの関係性についての謝罪であれば俺にも欠落はある。過剰な制裁は不要だ、王よ。敗走した事実も含めてこれは俺の失敗だ」

 

「……ふむ、そうか。では処置についてはおいおい話すとしよう。──侵犯者を串刺しの刑に処した後にな」

 

 瀕死の“黒”のセイバーを庇うようにして、王は短い会話を打ち切って眼前の侵略者を鋭く見返した。

 常人であればただそれだけで竦むような視線を前に、英雄は変わらぬ笑みで以て言葉を投げる。

 

「そいつは恐ろしい話だな。だが果たしてそのご自慢の杭、俺の速さに追いつけるのかね?」

 

「愚問。そして虚勢は止すが良い“赤”のライダー、神速の英雄たるアキレウスよ。生前であれば確かに貴様は無敵の英雄なのであろうが、今の貴様は英霊(・・)だ。如何に貴様自身が無敵であろうともお前の主はそうではあるまい?」

 

「……へえ」

 

 “黒”のランサーの鋭い指摘に“赤”のライダーは楽しげに笑っている。

 ……当たり前の話であるが、サーヴァントとはマスターを依り代に現世に現界する過去(れきし)における影法師。英霊と呼ばれる存在である。

 その存在を現世に確立するためにはマスターという楔と、マスターによって供給される魔力が必要不可欠だ。

 

 だからこそ“赤”のライダーのサーヴァント。大英雄たるアキレウスには自身が無敵であったとしても致命的な欠点が一つだけ存在してしまっている。

 

「その無敵、その俊足。考えるまでもなく相当の魔力消費だろう。貴様のマスターは我が敵に相応しい優れた魔術師なのであろうが、果たしてそれは“黒”のセイバーに全力を振るった後であっても続けられるのかな?」

 

「ハッ、確かに。後先考えず全力で走っちまったからな。正直言うなら持って数分。それ以上続ければ勝手に自壊しちまうだろうな」

 

 “黒”のランサーの指摘に対して、あろうことかアッサリと“赤”のライダーは自身が現状を暴露する。持って数分、即ちそれ以上の戦闘行動を続ければ現界に支障が出ると彼は言い切る。

 それは新手を前にして本来であれば隠さねばならぬだろう真実であったが、相変わらず英雄は楽し気に笑うのみ。

 “黒”のランサーは平時から苛烈な眼光をより鋭く、細めていく。

 

「ほう。では余の前に降伏するか」

 

「それこそ、まさか。この俺がらしく(・・・)ねェ真似なんざするかよ。俺が言いたいのはアンタの勘違いだ」

 

「……ほう、余が何を勘違いしていると」

 

 空気が、緊迫する。

 無傷の外面とは異なり、敵に既に余裕はない。

 その武力は健在なれど戦争に必要な兵糧は尽きかけているのだ。

 

 なのに敵には焦りも不安も存在していない。

 寧ろ、この追い詰められているという状況を楽しんでさえいる。

 

 無敵の英雄が故の傲慢?

 現実の見えていない無謀?

 

 否、否──そうではない。

 

「そもそもアンタ……俺を前に数分も耐えきれると思っているのかい?」

 

「ッ!! 杭よ!!」

 

「遅ぇ!」

 

 瞬間、音の壁をぶち破って“赤”のライダーが疾走する。

 “黒”のランサーが僅かに遅れて反応するが、しかしその僅かなタイムラグで既に“赤”のライダーは“黒”のランサーの攻撃を振り切っている。

 

 “黒”のセイバーですら悪竜の鎧ありきで受けるがやっとの無双槍技が“黒”のランサー目掛けて容赦なく叩きつけられる。

 

「三分だ! 出来るというなら凌ぎ切って見せるが良いッ!! “黒”のランサァァァ!!」

 

「ぬぅう、余を……舐めるなァ!」

 

 宣戦布告と言わんばかりに告げるタイムリミット。

 それを以って第二ラウンドは開幕した。

 

 “黒”のランサーの膂力を遥かに凌ぐ、力で以て叩きつけられた“赤”のライダーの一撃を前に、攻撃を受け止めた“黒”のランサーは地面を擦って後退するが、流石は三騎士の一角とだけあって喝破ともに飛び込んできた“赤”のライダーを押しのける。

 

「速さと手数が持ち味なのだろうが、此処は我が領地、我が領土である! 恐怖せよ、侵略者! 果ての無い我が杭の裁きに慄くが良い!!」

 

 告げるや否や“黒”のランサーを中心に恐ろしい程の苛烈な意思が氾濫する。

 同時に何もないはずの地中から無数の杭が飛び出した。

 

「へえ、こいつが……」

 

 そう、これこそが“黒”のランサーの武器であり、防御であり、宝具であり、伝説である。

 その名は──。

 

極刑王(カズィクル・ベイ)!」

 

 百を超える杭の数々が地中より現れ、“赤”のライダーを狙う。

 “黒”のセイバーですら傷つけられなかった無敵は当然、“黒”のランサーの宝具であろうとも同じことだ。通常攻撃で“赤”のライダーを傷つけるためには『神性』の特性を有するものか、はたまた神に来歴を持つ武具でなければ不可能なこと。

 であれば宝具とはいえ何の変哲もない杭であり、かつ操り手がヴラド三世という史実世界の英霊である以上、攻撃は届かない。

 

 しかし……。

 

「やはり躱すか!」

 

 “赤”のライダーは回避を選択する。

 理由は無論、踵を狙われたから(・・・・・・・・・)

 ──ギリシャ神話の大英雄として世界的な規模での知名度を誇る英霊アキレウス。彼は生前、地母神である母より聖なる火を賜り、その火にて肉体を炙られたことで無敵と化した。

 しかしたった一か所。母とは異なり人間たる父の親心によって彼には人間たる部分が残されている。

 

 それはアキレス腱。即ち、踵である。

 そしてこの一か所だけが神ならざる身で大英雄アキレウスを致命たらしめられる唯一無二の突破口。

 

「ならばその足を奪わせてもらうのみ! 極刑の時だ侵略者よ! その自慢の足ごと我が領地に縫い付けよう!!」

 

 たった一つの弱点を突かんと飛び出してくる杭、杭、杭。

 恐るべき串刺し公(ツェペシュ)の宝具、極刑王(カズィクル・ベイ)が“赤”のライダー目掛けて容赦なく殺到するが……。

 

「ハッ、言ったはずだぜ。遅ぇってなァ!!」

 

 弱点を庇うことも隠すこともなく“赤”のライダーは疾走する。

 そしてたったそれだけで弱点は意味を成さなくなった。

 

「シャァアア、オラァァッ!!!」

 

「ぐ、がァ! おのれッ……!!」

 

 速い──とにもかくにも速すぎるのだ。

 

 杭が地上に飛び出し、敵を穿つ。

 発生するはたった数秒の射出時間。

 手数と攻撃範囲を見れば“黒”のランサーの宝具『極刑王(カズィクル・ベイ)』は恐るべき宝具である。

 

 生前、ヴラド三世が故国を侵略せんと襲い掛かってきたオスマントルコを恐怖のどん底に陥れた約二万のオスマントルコ兵を杭に串刺しにしたという逸話。

 それを原典として得たこの宝具は最大同時展開は二万なれど、杭自体は魔力が許す限り無限に放出することができるのだ。攻撃範囲は彼の領地全域。加えて何もない地面から唐突に飛び出すため、その全てを予測して回避することは困難。

 並の英霊であれば既に百度は殺されていることだろう。

 

 しかし、相対するは大英雄。

 苛烈なる救国の守護者を前にして恐怖など欠片も抱かない無敵の英雄。

 

 杭は無限で、予知できない。

 ならば──杭より先に動けばいい。

 

 大英雄は“黒”のセイバーにもそうしたように、真正面から“黒”のランサーの宝具を破りに掛かる。

 

「反応が鈍いぞ! どうした!? まだ三十秒と経ってないぞ!!」

 

「ぐっ、ほざけッ!!」

 

 杭は当たらず、槍技は圧倒的に敵が勝る。

 なるほど確かに“黒”のランサー、ヴラド三世は強力な英霊であり、自国で戦う彼は地域に住む人間の知名度補正も相まって生前の全盛期に迫る、或いは超えるほどの実力者なのかもしれない。

 だが相手は世界的知名度を誇る大英雄。神代を生きた俊足の英雄。

 

 ましてや将として領主として君臨したヴラド三世に対して、神話の怪物が闊歩する戦場を己が身一つで駆け抜けたのがアキレウスという大英雄だ。

 “黒”のセイバーであるならばいざ知らず、如何に全盛に等しい力を振るえる状態であろうとも、地力において“黒”のランサーでは“赤”のライダーには届き得ない。

 

「否! この程度の窮状! 打開したからこそ余は此処に在るのだ!!」

 

 だが地力の劣りを悟りつつも、“黒”のランサーに諦観など存在していない。

 そも遥かな劣勢を覆して故国を守った救国の英雄こそがヴラド三世。

 卑劣な侵略者より国を守り、宗教世界においては世界の盾と言われた男。

 

 こと守戦において“黒”のランサーは間違いなく最強だ。

 

「我が杭に速度で勝るというならば、別のやり方でお前を串刺すまでだ!」

 

 宣した瞬間、地中より飛び出した杭が空を舞う。

 それは一本のみならず、数十、数百と加速度的に増え、やがて数千にも及ぶ杭が、まるで空中を大蛇のようにして蛇行しながら舞い踊る。

 

「景気は良いが……それがどうしたッ!!」

 

 その驚異的な光景を前に、“赤”のライダーはお構いなしと言わんばかりに駆ける。

 たとえ何本の杭を用意しようとも“赤”のライダーにとって致命と成り得るのはただ一点。

 速度で勝る以上、どのような攻撃が来るにしても狙われる場所が確定しているならばどんな状態であろうとも回避も防御も容易いこと。

 

「これで一分! どうする!? “黒”のランサーッ!」

 

 大気の壁を蹴破って突撃する“赤”のライダー。

 抜き放たれるは捨て身じみた神速の一突き。

 “黒”のランサーの反応を振り切って“赤”のライダーは心臓目掛けてその槍を突き立てる──。

 

 ──刹那。

 

「狙いが分かればどのような攻撃であれ対応可能……大方そのようなことを考えているのだろう? 奇遇だな。余も同じだ」

 

「ッ何!?」

 

 “黒”のランサーがそう嘯いた瞬間、“赤”のライダーに杭が襲い掛かる。

 それは地中からでも、空中からでもなく。

 “赤”のライダーが狙った“黒”のランサーそのものから杭が飛び出してきたのだ。

 

 槍の切っ先が逸らされ、無数の杭が“赤”のライダーを串出すのではなく捕えるように囲い込む。

 その最中に“赤”のライダーは敵を凝視して吼える。

 

「テメェ! 自分ごと杭でッ!!」

 

「余は使えるのであれば領土すらをも武具と変える。舐めるなよ、余の覚悟を……!」

 

 “赤”のライダーが“黒”のランサーを殺すことを狙っているならば遠距離から狙う手段を持たない“赤”のライダーは必ず己に肉薄してくる。

 であればと、“黒”のランサーは自分の足元に予め杭を用意しておき、さらに身体で杭の軌道を覆い隠し、肉薄してきた一瞬に最速で杭を穿てるように構えていたのだ。

 

 派手に空中に杭を飛ばしたその時より。

 そして。

 

「捕えた以上はもう逃がさん。逃げ場は囲った。終わりだ、侵略者よッ!」

 

 自らごと杭で“赤”のライダーを突き刺したために手足には血が滲み、激痛が“黒”のランサーを襲うが、しかしその口元には笑みが浮かんでいる。

 元より無傷でかの大英雄を倒せるなどとは思っていない。

 だからこそかつて領土を焼いてまで自らの国を守ったように、王は自ら血を流して“赤”のライダーを仕留めに掛かる。

 

 空から、そして地上から。

 あらゆる覚悟から万を超える杭が“赤”のライダーの弱点へと殺到し──。

 

「いい覚悟だが……まだ、足りねえ。俺を止めるつもりだったなら五臓六腑も犠牲にするんだったな“黒”のランサー」

 

「ぬ、何だとッ……!」

 

 不敵に笑い、“赤”のライダーは全身に力を込めて身じろぎをする。

 たったそれだけ、たったそれだけであろうことか“赤”のライダーの自由を封じてたはずの杭の格子が簡単に粉砕された。

 その常識外れの力、碌に力の入らない体勢だったろうに、いともたやすく大英雄は力業で拘束から脱してみせる。

 

「二分だ」

 

「ッ! ッおおお!!」

 

 躱す、“黒”のランサーは全力で飛び退く。

 同時に“赤”のライダーが動く。

 

 地中と空中。逃げ場なく打ち込まれた杭を前にして“赤”のライダーは逃げも隠れも、ましてや守ることさえ選ばずに。

 

「オラァァァァァァァ!!!」

 

 雄叫びと共に最大速度で振るわれる“赤”のライダーの槍。

 もはや槍技というよりかは真実の嵐に等しい暴風を発生させ、信じられない速度で槍が虚空を踊る。

 

「馬鹿な……」

 

 総数二万にも及ぶ杭の囲い。

 “赤”のライダーはそれを真っ向から全て粉砕したのだ。

 

「数こそ多かったが、ま、ざっとこんなもんだな。さて残り一分。捨て身はもう効かんぞ? どうする王様?」

 

「くっ……」

 

 ……舐めて掛かったわけではなく、寧ろ“黒”のランサーは己が身を犠牲にしてまでも“赤”のライダーを討ち取ろうとしたのだ。

 だが、それでも眼前の大英雄はよもや、これほど、これほどまでに……。

 

“強い……強すぎる──……!”

 

 これこそが大英雄──ギリシャ神話最大級の英雄アキレウス。

 苛烈なるヴラド三世ですらその猛威を前に歯噛みする。

 

「さて次はどうする、“黒”のランサー。策が無いというならば此処がお前の死地だ」

 

 絶望を突き付けるその宣告を前に“黒”のランサーはいよいよ以って自らの死をも質に入れ、この大英雄を討ち取らんと覚悟を決めて──。

 

 

『──いえ、そこまで。貴方には此処で引いてもらいます。アキレウス』

 

 

 言葉と同時、彼方より飛来した矢が“赤”のライダーの肩に突き刺さった。

 

「なっ……に!?」

 

 “黒”のセイバー、並びに“黒”のランサーの猛攻からも無傷だったはずの“赤”のライダーの無敵の肉体。それが、こうもあっさり破られた。

 驚愕、動揺、そして理解。

 

 つまるところこれは……。

 

「は、はは……ははははははははははは!! そうか、そうか居たのか! お前たちの側にも!! 俺を傷つけ、殺しうる英霊がッ!!! ははは、はははははは!!」

 

 笑う、笑う。敵への喝采と歓喜。

 “黒”のセイバーも“黒”のランサーも、なるほど強敵には違いなかった。

 だがしかし彼らは己が無敵を貫通しうる同格ではなかったのだ。

 

 故に“赤”のライダーは笑う。

 同格の存在が敵方に居た、その事実に。

 

『去るというならば追いません。ですが、来るというならば──』

 

「はははは! 皆まで言うな! 良いだろう! 此処は引こう! 元よりこの戦場は十分に堪能させてもらったからな! 故に──次は貴様だ、“黒”のアーチャー! いずれ必ずその顔を拝むとしよう!」

 

 姿なき声の主。敵方の“黒”のアーチャーの言葉を前に、“赤”のライダーは即断で撤退を選ぶ。

 ようやく見えた同格の敵だ。

 既に魔力も底を突きかけている状態で戦いにはあまりにも惜しい。

 

 故に。

 

「命拾いをしたな“黒”の陣営! 次こそは我が槍と名誉に懸けてその首、全て叩き落す! おお、その時こそオリュンポスの神々よ! 我が栄光と勝利を礼賛したまえッ!!」

 

 嵐が如き大英雄はかくして嵐の様に引いていく。

 魔力が既に無いと嘯きながらも余裕は持たせていたのだろう。

 口笛を鳴らして己が騎馬を呼び出し、空を駆け抜けて戦場を後にした──。




今回のあらすじ

すまないさん「アキレウスやべえ」

ヴラド叔父様「アキレウスやべえ」

萌えキャラさん「バッドタイミング令呪! ノット令呪キャンセル! 」

快速英雄「たしかな満足」

先生「ではお帰りはあちらです(ニッコリ)」


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見据えるは栄光の旗

滅びなさい、未来を夢見た吸血鬼。
そもそも救罪などおこがましい。
たった一人の人間に救えてしまう世界なら、いさぎよく滅びるべきなのです


とある物語の台詞──誰かの記憶より。


 戦場を英雄たちが去っていく。

 目的を遂げ、未練に終わり、次戦を誓って去っていく。

 

「戻りました──“黒”のセイバーを連れて“黒”のランサーも撤退するようです」

 

「そうか、助かった“黒”のアーチャー」

 

 そう言葉を交わすのは“黒”のアーチャーことギリシャ神話随一の賢者たるケイローンと“黒”のアサシンのマスター、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 ミレニア城塞の城壁の上で二人は徐々に静寂が支配し始めている戦場を俯瞰しながら事後処理の会話を続ける。

 

「なら後は予定通り、ルーラーを利用して“赤”のバーサーカーを落とす。向こうの捨て駒と“黒”のライダーではやや釣り合いは取れていないが、これを以て引き分けとするとしよう。──やれやれ、儘ならないものだ」

 

 これでも必勝を掲げていたつもりなのだが──と、ぼやく様に彼方を見据えながら呟くアルドルにケイローンは苦笑する。

 

「それは城攻めを敢行した“赤”の陣営も同じことでしょう。参加する何れの陣営にしても共に此処に応じた願いがあり、祈りがある。であれば結果もまた複雑に絡み合って齎されるもの。予期せぬ結果に落ち着くこともあるでしょう」

 

「その通りだ、返す言葉もない。流石は賢者の言葉だな」

 

 ケイローンの言葉にアルドルが肩を竦める。

 相変わらずの鉄面皮。

 傍からは何を考えているのかが伺い知れない表情。

 

 それを見ながらケイローンはふと思う。

 

“アルドル・プレストーン・ユグドミレニア、“黒”の陣営の首魁ダーニック殿の甥。次期ユグドミレニアの当主……か”

 

 “黒”のライダーが予期せぬ敗走をした直後、その負けを目の当たりにした直後にアルドルはケイローンの前に現れた。

 前兆なしで現れたその様は正しく空間転移か、“黒”のライダーが宝具、ヒポグリフの操る次元の跳躍……即ち魔法級の技であったが彼は特に物珍しい魔術を扱うわけではないようにさっさと要件を口にした。

 

 曰く、既に趨勢は決したこと。この戦場での完全勝利を諦め、次に備えて再び対策を練ること。当主からは了解を得ており、一先ずこの戦場を収める為に協力して欲しいということ。

 

 ケイローンはフィオレによって召喚されたサーヴァントであるが、元より“黒”の陣営として戦う者。マスターからの直接命令ではなく、それが陣営としての総意であるならば反目する理由はなく、こうして“赤”のライダーを撤退させるため、彼に協力した。

 

 だが、それとは異なり英霊として召喚されたケイローンも人である以上、個人的に思う所もある。

 特にアルドル……彼に関しては多くの人間を見て来たケイローンをして測りかねる点が幾つも存在しているからである。

 

 初対面、マスター・フィオレに彼を紹介された時にケイローンが思ったのは嘗ての教え子アスクレピオスに似通っているという印象だった。

 

 死という万人に訪れる終わりに抗うがため医療という技にひたすら邁進していった英傑の様に、一つの目的のために進軍し続ける者。

 そんな印象を抱いたのを覚えている。

 

 次いで思ったのはマスターがある種の劣等感と憧れを抱いている人物ということ。優れた魔術の腕を有し、それでいて自らの才に驕ることなく研鑽を続け、それを誇るでもなくただ当たり前のことだという風に振る舞う。何よりも一族を大切だと考え、そのために命を燃やす者。

 若くして能力・人格ともに完成された一流の魔術師。

 

 なるほど確かに、同じ陣営で肩を並べる戦友としてこれほどまでに頼りになる存在はそうも居ない。ダーニックが期待しているのも、フィオレが劣等感と憧憬を抱いているということにも納得がいく。

 

 けれども、そう、けれども。彼と話し、彼を知るたびに思うことはユグドミレニアにとってのアルドルという人物はよく理解できるのに、アルドルという魔術師については何も見えないという空を切るような感覚だ。

 

 ケイローンの見識からしても彼が一族を愛しているのは間違いない。言葉に嘘はなく、想いは本音で間違いないだろう。

 だが例えばその目的を深掘しようとすると……例えば何故彼がこれほど献身的に一族を愛しているのか、そういったことを考察していくと途端に彼が見えなくなる。

 

 期待されてきたのだろう。

 次代を担う者として愛されてきたのだろう。

 

 ケイローンもまた多くの師であることから可能性に満ちた存在というものがどれほど愛おしく、素晴らしいものであるかを知っている。

 だからこそアルドルという人物を前にして周囲がどのような感情を抱き、彼を見守り、育てて来たか……考察するのは簡単だ。

 

 だが……。

 

「アルドル殿、一つよろしいでしょうか?」

 

「うん? 何だ……って、ああ、先ほど目の前に現れた魔術のことか? アレは霊脈を使った波乗りだよ。東洋の禹歩、縮地法や道教における遁甲術を参考にしたものでね。距離や空間ではなく移動速度を操っているものだよ。ユグドミレニアの支配圏であるトゥリファス限定の魔術だがね。霊脈という道を利用して現時点と到達点を結び、自らを飛ばす。発想としてはスリングショットと同じ──」

 

「いえ、そうではなく……まあそちらの魔術についても興味はありますが、今は聖杯大戦の事で。……アルドル殿はルーラー、本来の聖杯戦争には存在しない第八のクラスの存在にいつから気づいていたのですか」

 

「ああ、なるほど。そちらのことか」

 

 疑問について正しく理解したと頷いて、アルドルはケイローンの口にした疑問。これから暴発するという“赤”のバーサーカーに対する“黒”の陣営ならざる鬼札について口にする。

 

「元々ルーラーの存在に関しては可能性として開幕直後から調査していた。ダーニックか、フィオレから耳にしているかもしれないが、私はこの聖杯大戦に勝ち抜くため、その発端たる聖杯戦争にはそれなりに付き合ってきていてな。英霊という存在を枠組みで括るサーヴァントというものについて学んできた」

 

「ルーラーについてはその過程で知った、と?」

 

「その通りだ。エクストラクラス……俗にいうセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーの七騎に含まれないクラスというものが存在していることについては把握していた。私自身、南米の亜種聖杯戦争でそれを目にしているしな」

 

「ルーラーをですか?」

 

「いいや、その時はアヴェンジャーという『復讐者』のクラスだ。丁度、ケイローン。貴方にも縁がある──いやこの話は良いか」

 

 不意に何かを口にしようとしてアルドルは首を振って言葉を切った。恐らくは話が横道にズレていることを自覚したのだろう。

 南米の亜種聖杯戦争にまつわる事柄にケイローンとの縁を見出した事には多少興味を惹かれるが、ケイローンは無言で先の言葉を待った。

 

「ともかく、そういった経緯で『裁定者』──ルーラーという存在を個人的に認知していたのには間違いない。そしてその役目が聖杯戦争を恙なく進行させるためにある、ということも踏まえてな」

 

「つまり貴方は元よりルーラーという存在を知っており、そのために此度の聖杯大戦において可能性の一つとして考慮し、警戒していたということでしょうか?」

 

「そうだ。何せ七騎対七騎による聖杯大戦、だからな。イレギュラーに備えるのは当然のことだ。とはいえ私自身、可能性としてしか考えていなかったからな。彼女の存在について認知したのも私の放っていた使い魔の監視の目に引っかかったからだ。敵はあくまで“赤”の陣営。警戒は個人的なものでしかなかった」

 

 暗に、黙っていたのではなく警戒すべき脅威として個人的な領域を出ないために口にしていなかったとアルドルは言う。

 その言葉に嘘偽りはないのだろう。口調も態度も淡々としており、特に何かを隠している風にも見えない。

 

「だからこそこの状況は運がよかったな。“(こちら)”のバーサーカーとの戦闘から推測するに、“赤”のバーサーカーの宝具は受けたダメージを魔力置換し、カウンターを放つというものだろう。蓄積したダメージを考えれば城塞は疎か、街そのものにも影響を出しかねん、であれば──」

 

「聖杯大戦の恙ない進行を目指すルーラーのサーヴァントであるならば街を守るために“赤”のバーサーカーを防ぐ……と」

 

「そういうことだ」

 

 それが此度の戦場の幕を引くためのプラン。

 カウレスに語り、ダーニックの了承を経て、そしてケイローンの手伝いを借りて、状況を仕立て上げたアルドルの狙いであった。

 

 中立の立場にて聖杯大戦の進行を裁定するルーラーを巻き込んで、“赤”のバーサーカーによる自滅の巻き添えを防ぎ、“赤”より駒を一つ落とす。

 “黒”のライダーを失って、駒の一つを失点した“黒”の陣営にとっては敵と総数をタイに戻す『引き分け』の状況を作る好手と言えるだろう。

 

「まさにこの状況における最良の選択と言えるでしょう。意図して“黒”の陣営に加担させるのではなく、あくまで“赤”の陣営の自滅が齎す街への被害を防ぐという形ならば中立の立場であるというルーラーも間違いなく干渉するでしょう」

 

「一地方都市とはいえ街一つが消し飛べば世界への影響力は考えるまでもないからな。或いは離島の類であれば魔術協会の口封じも効いたのだろうが、地続きの街では風聞もある。ルーラーという立場を考えれば必ず“赤”のバーサーカーの自滅を防ぐために行動するだろう」

 

「ええ──本当に」

 

 本当に何処まで見据えているのだろう、と賢者たるケイローンをして思う。

 聖杯大戦という一世一代の勝負。

 賭けを挑んだのはダーニックで、彼自身はあくまで一族の期待を背負う次期当主という立場のはずだが、彼の目、彼の読み、彼の考察はまるで未来を知っているかのようにしてこうも簡単に状況を作り上げる。

 

 事ここに至るまで予想外は多々あったのだろう。儘ならないと自ら口にしていることからもこの事態は予期せぬ事態であったということにも間違いはない。

 

 なのに彼はその状況からであってもこうして事態を収めてみせる。さながら状況自体は未知であっても似たような経験はしたことがあるとでもいうように、或いは戦場に立つ駒の動きを知っているが如くに、未知の盤面を自らの都合がよい状況へと持ち込んでしまう。

 

 それは優れた軍師や戦略家にも似た手腕だが、手腕以上に恐ろしいと思うのはこの聖杯大戦に対して彼が鉄面皮の下に隠している情熱だろう。

 

“ユグドミレニアの魔術師は少なからずこの聖杯大戦に関して自らの存亡を賭けて戦っている。ダーニック殿は勿論のこと、マスターも、カウレス殿も”

 

 あまり言葉を交わさなかったセレニケは伺い知れないが、少なくともゴルドにも当人なりの形で聖杯大戦に対する意気込みを示していただろうし、興味が無いと言いつつも一族の事だからと協力しているロジェもそうだろう。

 

 だがアルドルだけは明らかに突出してやる気(・・・)が違う。まるでこの一戦に生涯を賭けていると言わんばかりにこの聖杯大戦に至るまでに尋常ならざる積み重ねと燃やした情熱が垣間見える。

 どのような状況に対しても最善手が打てるのは正にこのためだろう。土台の桁が違うのだから多少の想定外(揺らぎ)では崩れないのだ。

 

 故にアルドルという人物をケイローンは測りかねているのだ。

 熱源が見えない。

 一族の期待を背負っているのは間違いなく、当人もまたそれに応えを返せる程度には強い責任感と一族への愛着を有している。

 しかしそれを措いて尚、一生を賭けたと言わんばかりに準備を積み重ねるほどの熱量のほどは明らかに責任感や愛族心の一線を越えている。

 

 一族や立場とは別に、この聖杯大戦に対して望むことがあるからこその情熱である。とはいえ彼の願いはユグドミレニアの勝利と栄光という一族の悲願に終始一貫している。そこに私心は見受けられない。

 

 理解(わか)らない。知れば知るほどに、近づけば近づくほどにアルドルという人物からは遠ざかっていくような感覚はケイローンをしても未知だった。

 恐らくユグドミレニア一族のものはこの違和感を感じていないのではないだろうか。なまじ当人が愛族心を持っていることを知っているから、それを当たり前のように感じているからこそ、源泉の不明に気づかない。

 

 彼はなぜこれほどまでにユグドミレニアという一族に、いや、聖杯大戦という一戦に自らを賭しているのだろうか、と。

 

「──なにか疑念か、アーチャー。私のプランに不備でもあっただろうか? だとすれば教えてくれるとありがたい。ギリシャ神話随一と言われた貴公の知見はより盤面の解像度を上げる手助けとなってくれるだろうからな」

 

 ケイローンの人物を測る視線を疑念と捉えたのか、アルドルが視線のみをこちらにやってこちらに問うてくる。

 顔は常に戦場に向けたまま、どのような事態が起きても決して見逃すまいとただひたすらに眼前を見据えており──だからケイローンは素直に問うてみることにした。

 

「いえ、プランについては私から言うことは何も。強いて言うならばルーラーの防御能力ですが……」

 

「ああ、そちらに関しては心配はいらないだろう。元より中立として召喚されるルーラーのクラスには幾分かの特権がある。立場上、複数の英霊を相手取ることも考えられるからな。ステータスは通常のサーヴァントより大幅に強化(ブースト)されていることだろう──他に懸念点が?」

 

「個人的な疑問を。マスターより貴方の願いはユグドミレニアの勝利と栄光、ひいてはこの聖杯大戦の勝利こそが願いだと聞いています。貴方自身、それを実際に公言していることもまた」

 

「その通りだ。私は聖杯大戦においてユグドミレニアの勝利を、栄光を望んでいる。それこそが私の願いであり、聖杯に賭ける祈りだ」

 

 そう、それは既にもう何度も周囲も、そして当人自身も口にした彼の願いと誓いの言葉である。であれば──。

 

「では具体的には? ユグドミレニアの勝利を経て貴方は大聖杯をどのように利用するつもりなのですか? ダーニック殿は大聖杯を魔術協会に代わる新たな象徴とすると言いましたが、貴方はどのようにユグドミレニアに栄光を齎すと?」

 

 ケイローンは直球の疑問を投げかけた。

 彼の真実。彼の真意。それらは今も不明なれど彼が全てを賭けるに値すると決意し、必勝を誓ったであろう聖杯大戦を越えた先にある結果(こたえ)

 それを見極めるためにもケイローンは従者(サーヴァント)の領域を踏み越え、未知なる魔術師の願いの全貌を問う。

 それに対してアルドルの方は少しだけ驚いたように眉を顰め、次いで納得したように頷いた。

 

「ああ、確かにそちらのプランについては話していなかったな。というより一族の者にも語ったことは無かったか──まあ厳密には語れなかったの方が正しいが、しかし、成程。そうであれば貴方が私に疑問を持つのは当然のことだったな」

 

「……秘すべき内容、ということでしたらこの疑問は無かったことに」

 

「いや、良い。聖杯大戦に関わる戦略ではないのなら無駄な不明を抱えることは疑心暗鬼にも通じるだろう。できればマスターであるフィオレにも黙ってほしい内容ではあるのだが……」

 

「我らが神に誓って。その秘密が我がマスターを害するモノでない限りは必ずや秘密を周囲に漏らさぬと約束します」

 

「そこまで厳密に守る必要もないのだがな、全く」

 

 律儀な人だとアルドルは不思議な情動でケイローンに見る。

 目を細めながら何処か眩しがるように。

 

「分かった。では私の考えるプランを話すとしよう。どこから話そうか……そうだな、まず前提として一つ、話しておくべきことがあったか」

 

 語るべき内容を整理するためだろう。トントンと軽く彼は指で自らの額を数度叩き、そして思い出したようにして……ケイローンですら予想外の、およそユグドミレニア一族の誰かが聞けば驚愕するだろう真実を口にする。

 

「実のところ、私はもう長くない(・・・・・・・・)。恐らくはダーニック以上に、この身に残されている寿命(じかん)はもう無いんだ」

 

「──はっ?」

 

 その言葉を理解するのにケイローンですら数秒かかった。

 この聖杯大戦を勝利した暁に齎されるであろうユグドミレニアの栄光ある未来。その成果に浸れるだけの時間がもう残されていないのだと、未来あるはずの次期当主はまるで何でもないことを告げるようにあっさりと口にする。

 

「元々、色々な無茶を重ねていたのだがな。以前参加した南米の亜種聖杯戦争で致命的なやらかしをしてしまった。ダーニックらには右目を失ったと説明したのだが、実際の所それは魔眼に挿げ替えるための口実でね。実際は肉体(・・)を失った。より厳密に言うならば瀕死のままというべきかな?」

 

「それは……では今の貴方は──」

 

「胡蝶の夢……私の魔術成果を利用したクローン体。ホムンクルスとは違った肉体の挿げ替えだな。または本体から投影した影と例えてもいい。今は主人格(メインアカウント)を乗せているから、これが死ねば実際私も死ぬわけだが……本体という訳ではないんだ。そうだな……サーバーに繋げた親機、この例えで通じると良いのだが……」

 

「……つまり今此処に在る貴方は本体ではなくとも、本体の持つ能力全てを委譲された器であり、本体ではないモノの今の身体を破壊されれば実際に死に至るということでしょうか?」

 

 優れた魔術師の中には例えば自らのホムンクルスを作って滅びゆく肉体から自らの魂や記憶を投影して生き永らえる者も居るという。

 アルドルはそれと原理は異なれど、似た状態ということだろう。瀕死の肉体が抱えていた人格を他の器に移して万全であるかのように振る舞っている。

 

 違いがあるとすれば新たな肉体を作って延命を促すホムンクルスの方式とは異なり、器はコピー体であっても今も本体に通じているアルドルは本体が死ねば、主人格を有する今の彼も死んでしまうということか。

 

「ああ、その理解で間違いない。流石はギリシャ随一の賢人。聖杯からの知識があるにせよ、素晴らしい理解力だ。素直に敬服する」

 

「いえ、それほどのことでは……いえ、すいません。話の続きを」

 

「──そういうわけで私はもう長くない。今も瀕死である私の肉体に辛うじて残された寿命が尽きれば私も死ぬ。今の現状は聖杯大戦で万全の状態で戦えるよう整えただけものだ。この器自体長く維持できるものでもない」

 

 ……付け加えると今のアルドルはその魂から『アルドル・プレストーン・ユグドミレニア』を抽出し、構成し、そこに主人格を乗せたものである。

 

 魔術世界におけるアトラス院の魔術師たちが操るという『分割思考』。それを知っていたアルドルは出生に由来する特異性を利用して、自らの魂を九つに分割している。

 これはアルドルが元より特異な存在であることと旧友の協力を得ながらも意図して行った起源覚醒によって成立させた荒業だが……。

 

 《 》にして普遍かつ不変たる魂を持つ彼は自らの魂が辿った九つの生涯を分割して、駆動させている。

 これこそがアルドルの『工房』、九つの巡る千年樹(ナインヘイム・ユグドミレニア)に『楔』として収められた今の有り様。

 群霊黄金宮──九つの生涯(たびじ)を辿った魂の源泉。

 

 個にして一群。それがアルドル・プレストーン・ユグドミレニアが狂気じみた情熱の果てに辿り着いた形。

 そして今の彼の肉体は当代の命に他の旅路の記録を転写したアルドル・プレストーン・ユグドミレニアという性格を基準とした総群ということだ。

 

 とはいえこれがどれほどの偉業にせよ、やったことはただの小分けだ。元々は一つであるはずの魂を『起源』に刻まれた記録を元に九つに分割しているのだ。

 文字通り魂を切り分ける所業はダーニックをしても恐怖を通り越して狂気の領域であり、それだけでもアルドルは寿命は疎か、霊格をも削っている。

 

「まあ、そんなわけで私は長くない。加えて、ただでさえ無茶をやった身体(うつわ)に分不相応なものを乗せた挙句、不治の傷まで受けてしまった。私は南米の結果を受けて私はもう聖杯大戦以降の生存については元々諦めている」

 

「……ならば大聖杯を用いて延命をするというのは」

 

「それでは本末転倒というものだろう。大聖杯はユグドミレニアに栄光を齎すためのモノ。それをたかが(・・・)自らの生存のためにだけ使うなど、そんな愚かなことを私は望んでいない。栄光(そこ)に自らが在る必要はないのでな」

 

「────」

 

 ……ケイローンは忘れていた。

 なまじマスターであるフィオレが魔術師にしてはまともな…否、魔術師としての才能に恵まれざる人物だった故だろう。

 さらに言うならば彼の表面がユグドミレニア次期当主という肩書も相まって一族の期待を背負う若き魔術師というものだったこともある。

 

 しかし──彼は魔術師(・・・)なのだ。

 一族の未来という一見して至極まともな願い──その下には千年樹の総括とも言える成果に相応しい狂気(すがた)が在った。

 

 長く付き合ったフィオレやカウレス、ダーニックですら気づかなかったであろう魔術師としての本性が、遂に姿を見せる。

 

「だから、その時点で自らの命の成果にユグドミレニアに栄光を齎すと誓った。奇しくも研究していた理論を現実にするための亜種聖杯も手に入った。だからこそ、その時に大聖杯に託す願いも決めている」

 

 ──北欧神話における世界樹(ユグドラシル)

 神話世界における宇宙(セカイ)そのものだが、その名称の原義は今を以って不明だという。

 その最大の理由は北欧神話自体が口伝や伝承によって伝えられた神話であり、かつて聖堂教会が自らの教義を北欧に齎した際、原典との乖離を起したからでもある。

 

 現在における研究ではユグドラシルとは即ち大神オーディンが持つ異名(ケニング)に由来するオーディンの馬だという解釈をされているが、これは字面のままの意味ではない。

 ユグドラシルの恐ろしき者(ユグ)とは他ならぬオーディンの事を指し、(ドラシル)とは原始ゲルマン語における木の枝──つまりは絞首台の暗喩である。

 

 元より智慧を得るために首を括って全知を得たとされるのがオーディンという神である。であるならば彼が君臨する世界……彼が自らを犠牲としても尚、守ろうとした世界という意味だとすれば……。

 ユグドラシルとはオーディンが絞首台(ぎせい)となった世界と解釈することもできるだろう。

 

 そして此処に──かの神と同じ名を背負う魔術師がいる。

 彼の名は先祖返り(ヴェラチュール)

 彼の願いは一族の栄光と勝利。

 ならばこそ──やるべきことは生まれる前から決まっている。

 

 

「神話再演──今再び、私はこの世界に世界樹(ユグドラシル)を再現する。元より魔術協会(セカイ)に喧嘩を売った以上、抗するにはこちらも世界である他あるまい。無謬たる私の固有結界(セカイ)を大聖杯の力を以って強固なものへと具現化し、我が一族に千年の繁栄を」

 

 

 告げる魔術師に、あろうことか英霊(ケイローン)は圧倒される。

 その情熱、その意志、その願いに。

 ユグドミレニアの誰よりもアルドルは勝利(えいこう)(ねが)っていたのだと、この時ようやく、不明の正体に辿り着く。

 

 これは違う(・・)。違い過ぎる。

 胸に宿した熱量の桁が違い過ぎて勘違いを起こすのだ。

 彼は真意を口にしているのに。

 受け手が真意を勘違いするのだ。

 

 彼は真実──ただ千年樹の栄光を求めているというのに。

 

 そう──人類救済など荷が勝ちすぎる。

 人間が大切だと思えるのは常に身内であり、愛すべき隣人たちだ。

 世界(モノガタリ)が彼らを犠牲にしなければならないというならば、世界(モノガタリ)こそが彼らの犠牲になればいいと思う心を誰が否定できようか。身内びいきと笑うが良い、聖人君子ども。

 誰かのために犠牲になる……正義の味方の真似事など、運命に迷い出た凡夫には遠すぎる理想であれば、凡夫は分不相応の理想を目指すのみ。

 

「それが私なりのユグドミレニアの栄光だよ。納得したかな? ギリシャ神話随一の大賢者よ。では聖杯大戦(ラグナロク)を続けよう。かの聖女の奮戦をせいぜいこの目に焼き付けるとしよう」

 

 それが物語に焦がれ、そして物語を犠牲にする者の最低限の責務だとアルドルは胸に感傷を抱き、戦場を見下ろした。




今回のあらすじ

「ぼくがかんがえたさいきょーのユグドミレニア!」

「──(ドン引き)」


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掲げるは救国の旗

「ならばどうする? 救国の聖女よ」



 祭典が終わり、静寂が満ちる。

 平原には瓦礫と化したゴーレムやホムンクルスの死骸が散見し、隕石が落下したとしか思えない程のクレーターまで見受けられる。

 しかし戦場跡地に残されるだろう死者の無念や呪いの類は一切見受けられず純然たる暴力が全てを破壊した後のような完全なる静寂がそこにはあった。

 まるで死者の念すらも木っ端みじんに砕いたかのような沈黙は正しくこの戦がどれほど過酷で壮絶なものであったかの証明であろう。

 

 その有様を見渡しながら、この聖杯大戦の調停を担う者──裁定者(ルーラー)ジャンヌ・ダルクは浅い吐息を漏らした。

 

「これが、聖杯大戦」

 

 計十四騎もの英霊が二つの陣営に分かれて殺し合う戦場。

 改めて口にし、思う。

 なんて凄惨な戦いであることだろうと。

 

 現代戦においてはこれだけの破壊、これだけの死者を積み重ねるのは簡単である。人類の科学技術は既に空を越え、宇宙(ソラ)へと至っている。子供であっても火器を取れば容易く百人を殺せるだけの兵器が開発され、二つの大戦を経て人類は自らの絶滅すら容易な超級の爆弾まで完成させているのだ。

 目前の戦場を作ることなどそれこそ魔法の、英雄の手を借りる必要さえないのが今の時代である。

 

 だから恐るべきは破壊の後ではなく、その内実。これほどの破壊、これほどの惨状が事実上たった十四騎の英霊によって作られたということだ。

 鉄の翼が無くとも音すら置いて駆け抜ける騎馬が在った、剣にて大地を分かつほどの剣士が在った、一矢にて千を殺す弓兵に、次元の狭間を縫う幻馬、城塞を爆砕する槍兵に、万の杭を操る恐るべき領王。

 

 英雄という規格外の存在がその力を思うままに振るうだけで世界はこうも簡単に壊れていってしまう。これが聖杯大戦。

 七騎と七騎の英霊が相争うということ。

 

 その事実をまざまざと見せつけられて、ルーラーは小さく首を振った。

 ……ふと、戦場を歩む中、傍らの死骸と目が合う。

 ホムンクルスである。見た目から見受けられる推定年齢は十代。この時代においてはまだ少年と言われるだろう時分の見た目だ。

 

 瞳に生の輝きは無く、既に亡くなって半刻以上経っているようだ。

 無表情に近いその顔には無念はなく、後悔もなく、ただ疑問を浮かべるような何故という表情があった。

 

「……主よ、願わくば御名の下、彼らに静かな安息を──」

 

 口にして思わず、感傷だと自らを戒める。

 そう己もまたこの戦いの当事者である。

 ならば彼らに対して憐憫を抱くことは偽善としか言えないだろう。

 

 しかし偽善であっても思わずにはいられない。英霊という極大の大災害を前に何を抱くこともなく消費された生命。

 その苦難を前に彼ら一人一人が感じたであろうそれは人であれば、心があるならば、無感ではいられまい。

 

 戦場に人生を終えた彼らにせめてもの安息を、と願う祈りの言葉は何処までも清廉で純なるもの。自らを偽善者と戒めながらも彼女の祈りに嘘がないのは第三者がいれば誰しも理解できることだろう。

 されど祈りも一瞬、頭を振って意識を切り替えたルーラーは、その呼び名に基づく自らの役目を遂げるため、再び戦場を俯瞰して思考する。

 

「戦場の規模こそ通常の聖杯戦争以上のものでしたが、何れの参加者にも不明は見られませんでした。“黒”も“赤”も聖杯を求めて互いに激突し、自らの全身全霊を懸けて戦っていた」

 

 “赤”のランサーによる開戦の号砲(宝具)から始まり、平原とトゥリファス市街とミレニア城塞で起こった三つの戦線。

 ルーラーとして通常のサーヴァントの枠に収まらない規格外の性能を秘めた彼女は三つの戦線を確かに知覚している。

 

 そしてその上で思うのは戦場に一切の不正や不明が存在していないという事実である。破壊の規模は見ての通りだが、両陣営は真っ当なまでに互いの力と智慧を駆使して激突し、自らの陣営に勝利を齎さんと奔走した。

 そこに神秘を知らぬ市民を巻き込む意志も、度を越えた破壊を行う悪意も、秩序を侵さんとする脅威も存在してはいない。

 

 何処までも真っ当な聖杯大戦(ルール)上の戦い。

 なればこそ思うのは何故自分はこの戦いに招かれたのだろうという疑問だ。

 

 元よりルーラーと呼ばれるクラスが聖杯戦争を正しく運用するための存在であるのは既に周知の事実だが、この通りルーラーが出るまでもなく聖杯大戦は恙なく行われている。

 神秘が外部に流出する様子もなければ、大戦という例外(イレギュラー)を超える例外(イレギュラー)も今のところ見受けられない。

 

「……だとすれば戦そのものではなく参加者の思惑が原因? 考えられるとすれば参加する魔術師たちの願い。聖杯に捧げる祈りの方に危険があるという可能性になりますか」

 

 その場合、確かにルーラーは呼ばれるだろう。例えば全人類の抹殺を聖杯に祈る、ないしはそれに匹敵する世界規模で影響を及ぼしかねない願いを抱くマスターが存在するとすれば、その場合確かにルーラーは招かれる。

 

 聖杯大戦を正しく運用することもルーラーの役目であるが、同時に聖杯が正しく運用されることを見送るのもルーラーの役目だ。

 たとえ勝者であっても世界の敵に祈りの杯を明け渡すわけにはいかないが故に。

 

「戦場を俯瞰するだけでは答えは見えませんか、やはり此処は“黒”の陣営と“赤”の陣営、彼らの思惑を知るためにも直接接触する必要がありますね」

 

 ルーラーは一人頷き、自らがすべき行動を確信する。

 こうして外から見るだけでは聖杯が彼女を呼んだ真実は見えてこない。危険は多分にあるものの、陣営ごとに分かたれた七騎の英雄たちの主に対面しなければ自らが担うべき役割を悟ることは出来ないのだろう。

 

 そこまで、考え、ルーラーは自らの胸に手を当てる。

 

「……でも、何故(・・)?」

 

 口にする疑問は胸に飛来する空ぶるような感覚から。

 自らが口にした行動に間違いはないはずなのに、それが正解だとも確信できない霞を引っ搔いたかのような不確かな感触だ。

 

 そう──この聖杯大戦に関わるようになってからルーラーはずっとこの感覚を味わっていた。まるで舞台から外されているかのような疎外感、大事は既に起きているのにその当時者から決定的に外れているかの如き感覚。

 

 ズレている、何かが可笑しい。

 そう感じているのに、そこに辿り着けないような……。

 正に五里霧中としか言いようのない違和感。

 

 何よりもそれを掻き立てるのは、本来ルーラーとして彼女に備わっているはずの能力が正しく機能していないこともあるだろう。

 いわゆる『啓示』と呼ばれるルーラーが持つ特性。剣士クラスのサーヴァントが持つ『直感』とは異なる第六感。目標達成のために取るべき最適の道を示す天からの声が本来の、裁定者である彼女には備わっているのだ。

 

 だが今は何故かそれが聞こえない。

 彼女を突き動かして然るべき“主”の声が今は欠片も聞こえないのだ。

 いや厳密には、聞こえにくいというべきか。

 

 まるで“主”ならざる異なる原理が働いているかのように、彼女と“主”の間に空白が横たわっているのだ。

 それが行われてしかるべき交信を遮断している。最たる道を霧が霞ませているが如くに。

 

「こんな感覚、初めてですね」

 

 ルーラーの心を微かな不安が波を立てる。

 迷いなく自らの道を進んできた彼女にとってこの感覚は未知のものだ。

 進むべき前が見えぬなど果たして生前にもあっただろうか。

 

 しかしルーラーとして招かれた以上は迷い子だろうが止まることは許されない。前は見えずとも、先が視えずとも、自らが現世(ここ)に招かれたという事実そのものが何らかの危機がこの戦いにあることを示している。

 

 なればこそ自分は、正しく役割を遂げるのだ──。

 

「主よ、どうか力を……」

 

 ギュッと拳を握りしめ祈りを口にし顔を上げる。

 ……此処から一番近いのはミレニア城塞に居を構える“黒”の陣営。中立である自分にとっては敵地に等しい場所であるが、怖気づいてなどいられない。

 己が真実を掴み取らんと、いざルーラーは一歩を踏み出し。

 

雄々々々々々々々々々々々々(おおおおおおおおおおお)───ッ!!!!」

 

「ッ!?」

 

 天を割るが如き雷鳴のような咆哮に身を竦める。

 なんて猛々しい咆哮であろうか。

 まるで太古の竜を思わせる声を上げ現れるは巨大なナニカ。

 

 顔がある、牙がある、腕があり、足がある。

 されどどれ一つとってもルーラーが記憶している生命の形には無かった。

 もはや肉塊としか形容できない巨躯の身体、触手じみた形で生える複数の手と足に、グズグズとパーツが不揃いの面貌。

 

 悍ましいとしか形容できないその異形を、ルーラー特権──『真名看破』の特性を有するルーラーは一目でその正体を看破し、驚愕を口にする。

 

「“赤”のバーサーカー……!? 真名、スパルタクス……!!」

 

 其はトラキアの反逆者。

 絶望に抗い、自由を手にせんと剣を取った偉大なる英雄。

 紀元前はローマの地を席巻した剣闘士!

 

「おお!! 正しくそれは民を惑わす圧政の光ィ!! ならば反逆である! 殴殺である! 我が愛を受け入れるが良い!! 圧政者ァァァ!!」

 

 ギョロリと魚眼じみた異形の目がルーラーを射抜くや否や、問答無用とばかりに巨木を思わせる腕がルーラーの頭上に落ちてくる。

 咄嗟に彼女は獲物である聖旗を自らの手に召喚し、拳を受け止め、叩き潰される結末を寸前のところで回避する。

 

“くっ……重い、ですが……!”

 

 通常のサーヴァントを超える性能を有するルーラーの肉体をも軋ませる剛拳はなるほど素晴らしいが、それでも彼女はルーラー。

 

「く、ああああッ!!」

 

「おおおおお!?」

 

 この聖杯大戦を裁定する者なれば、その膂力もまた並のサーヴァントを遥かに凌駕するものである。

 振り下ろされた剛拳を全力で跳ねのける。

 獲物と定めた叩き潰さんとした者からの思わぬ反逆に、異形たる“赤”のバーサーカーは仰け反り、驚き、その顔に喜悦を浮かばせる。

 

「おおおお! 何たる力!! 何たる暴力!! これこそが民を惑わせる圧政者の証明!! ならば反逆しなければなるまい! 反逆こそが我が全てェ!!」

 

「ッ! 止めなさい! “赤”のバーサーカー! 私はルーラー! 真名をジャンヌ・ダルク! この聖杯大戦の裁定を担う者です! 貴方の敵は──」

 

「おおおお! 圧政者よ! 汝を抱擁せん!!」

 

 ルーラーの言葉など届かないと言わんばかりに繰り出されるは手、手、手。

 五指それ自体が岩石すらも粉砕しかねない巨大な手が今度はルーラーを握りつぶさんと伸びてくる。それをルーラーは得物の聖旗で弾き、逸らし、巨大な手の隙間を縫うようにして脅威から身を躱す。

 

 そうして厳しい眼光で“赤”のバーサーカー、異形と化した英霊スパルタクスを見据え、歯噛みするように声を漏らす。

 

「こちらの言葉は届きませんか……評価(ランク)規格外(EX)の狂化。これが狂戦士として招かれた英霊スパルタクスですか。勝つためとはいえ、“赤”の陣営はなんてことを──!」

 

「おおおおお圧政ィィィィィ!!!」

 

 再び振り下ろされる拳を飛び退く形で回避し、立て続けに伸びてくる手を聖旗で叩き落し、突き刺し、軌道を逸らして切り抜ける。

 それでも、何度でも何度でもと手を伸ばしてくる“赤”のバーサーカーの様はまるで光に群がる虫のよう。

 数秒後の破滅を悟りながらもそうせねばならぬと半ば衝動のような意志で以て暴力の触手をルーラーへと伸ばす。

 

 常軌を逸した狂気が生む行動。ルーラーの目に映るスパルタクスの身に宿す狂気はもはや上限を遥かに超えている。これではきっと制御なんて出来はしまい。たとえ令呪の如き絶対命令権を行使したとしても命令を聞かせられるかどうか。

 或いは最初から制御などかなぐり捨てて使い捨ての兵器としての運用を目指しているのかもしれない。でなければこの聖杯大戦における中立のルーラーに襲い掛かるなどという暴挙に出ることはないだろう。

 

「ですがどのような理由があれ、私に手を出してきた以上、容赦は出来ません。たとえ意図したものではないにせよ、我が目的を阻むのであれば──」

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 眼前に現れた慮外の脅威を前に、“赤”のバーサーカーは肉袋じみた異形の形から手の数を増やし、計十四にも及ぶ巨大な手で以て目前の見なれぬ圧政者を叩き潰しに掛かり──。

 

「──裁定者(ルーラー)として、貴方を排除します」

 

 聖旗を括っていた紐が解けて旗が虚空に舞う。

 それをルーラーが掲げると同時、何者にも侵されまいと輝く無謬の光が全ての暴力から聖女の身を守護せんと瞬く。

 

 十四にも及ぶ規格外の暴力は、その全てが光輝の前に容易く弾かれた。

 絶望を越えて立ち上がった狂戦士を前にかくて聖女は旗を取る。

 

 故に──やはり盤面は未だ彼のもの。

 高き先祖返り(ヴェラチュール)の定めた運命の上。

 

 ミレニア城塞にて佇む魔術師は聖女の背中を静かに見つめる。

 

 

………

…………………。

 

 

 “赤”のバーサーカー──スパルタクス。

 狂戦士としてこの世に招かれた彼の胸に在るのは不屈と燃える一つの衝動、即ち圧政者を討ち取り、その先にある勝利(栄光)を手にせんという意志だ。

 

 無論、その意志は狂気でしかなく、どのような形であれこの世に存在する全ての圧政を打破せねばならないという衝動に終わりはない。

 圧政(それ)がこの世にある限り、永劫の時が流れようとも決して止まらないし、止まれない。自身ですら制御できない行軍を狂気と呼ばずに何といえよう。

 

 世界の誰よりも己自身が、己がどれほど狂っているかを自覚している。

 

 だが止まれぬ、止められぬのだ。

 この意志が、この両足が、この両手が、圧政者を打倒せよと叫ぶのだ。

 元より生まれついてより誰に従うこともできぬ性質だった。

 

 ……いや、いや、そうではない。そうではないのだ。

 

 蔑まれ、傷つけられるたびに自覚する快感。

 自分の中に沈澱し、積もっていく何かに愉悦を覚える。

 だから笑った。

 笑って、笑って、笑い続けて……それが臨界に達したときに、スパルタクスは反逆した。

 世に圧政者がある限り、自身の愉悦も憤怒も決して止まることは無いだろう。

 

 何故ならば。

 

『この胸に宿りし不屈の闘志が、尽きせぬ叛逆の灯こそが我が命、我が全て。逆境を乗り越えた果てに掴み取る勝利の果てにあるものこそ──』

 

 遠く夢見た理想郷。

 流した血に見合うと思った夢は何だったか。

 狂気に染まる思考には既にその輝きは思い出せない。

 

 けれども確かに、剣を取った理由があった。

 叛逆の果てにある輝きのために彼は剣を取ったのだから。

 

 抱いた大志に偽りはなく、貫くと決めた意志に揺らぎはない。

 だったら振り返る必要など何処にあろうか。

 そして──。

 

“全人類に救済を──”

 

 そう告げた一人の人間(・・)の姿を思い出す。

 かの者こそただ一人、誰もが夢見た理想を遂げんと足掻く反逆者。誰もが一度は夢にして挑み、膝を折ったその理想を現実にするために足掻く者。

 

 その願いに偽りはなく、その思いに嘘はなく、たとえ本音の部分ではどうしようもない人間への絶望があったとしても人類という総意が持つ未来をこそ信じた少年の姿は正しく世界に抗わんとする反逆者の背であった。

 

 たとえ理想郷へと至る果てにあるのもまた彼が認め得ぬ圧政の姿なのやもしれぬがそこに至るまでの道程にこそ苦難の道があると認めたからこそ彼は少年に手を貸すことを決めたのだ。

 

『──なればこそ、かの少年が征く道を切り開かん。朋友(とも)よ、戦友(とも)よ、いずれ我が圧政者()となるであろう大敵(とも)よ。今こそ我が窮極の一撃を以って全ての(圧政者)を討ち果たそう』

 

 あらゆる圧政を破壊し、全ての権力を打ち砕く。

 それこそがトラキアの反逆者(スパルタクス)である。

 

 そのために捧げよう命を、そのために掴み取ろう勝利を。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 叫ぶ。心の底からの咆哮を上げて圧政者を潰しに掛かる。

 旗を掲げる者、この戦場における絶対無二の圧政者。

 血で血を洗う戦地にて、尚も陰りを知らぬ無謬の光輝は正に清廉、正に鮮烈、諸人に勇気と希望を見せるその輝きは実に素晴らしい。

 

 故に叩き潰そう。全力で。

 

 拳を振り上げて叩き潰す。

 脚を振り上げて叩き潰す。

 

 されど光は健在である。夜の星々にすら劣る小さな小さな光は幾度の反逆を行おうとも朽ちず倒れず折れはしない。

 かつて絶望に抗った剣闘士のように逆境を越えた果てにこそあるものを信じて暴力の嵐を突き進む。

 素晴らしい。いいぞ、もっとだ。

 輝きが我が目を焼くたびに、我が意志もまた燃える。

 輝きが我が手足を切り裂くたびに、我が身体は猛る。

 

 何度でも何度でも。繰り返し繰り返し繰り返そう。

 世に圧政がある限り、スパルタクスも健在なり。

 

「雄々々々々々々々々々々々々々々々々々々々!!!!!」

 

 闘志を掲げていざ往かん。

 刮目してみるが良い、圧政者よ。

 疵獣の咆吼を。

 我が窮極の一撃を。

 

 これこそが星をも落とす反逆者の叫び(クライング・ウォーモンガー)

 その背に背負う圧政者(“黒”)の居城ごと潰えるが良い。

 紛れもなく生涯最高とも言える一撃を確信して、スパルタクスは笑った。

 

 

 

「流石はトラキアの反逆者。凄まじいな」

 

 地に輝く反逆の星を眺めて魔術師は呟く。

 戦場を見下げるその視界にはミレニア城は疎か、トゥリファスの街すらも一撃の下に粉砕しかねない凄まじい光だ。

 ともすれば記憶にあるかの大英雄の武の窮極(ナインライヴズ)を思わせる狂気を前に透徹した瞳は素直な感動の色を浮かべる。

 

 その強靭さ(つよさ)、外典においても何ら変わることはない。

 真実、世を覆った異聞に語られる王の支配すら跳ねのけた反逆の星はこの世界においても依然健在であった。

 仮に自力で抗うのであれば自らもまた全力を披露せねばならないだろうその光を前にされど魔術師は無防備のまま、問いかけるようにもう一つの光を見る。

 

「ならばどうする? 救国の聖女よ」

 

 直撃すれば諸共すべてが粉砕される窮極の一撃。

 偉大なる反逆者は全てを巻き添えにして圧政者たちを打ち砕くことだろう。

 そこには無論、今も街で暮らすだろう無辜の人々も含まれる。

 

 かつて反逆者が胸に抱いた夢の果て。逆境を乗り越えた先にこそ手にするはずだった未来を生きる人々の命を、彼は意図せず屠ることとなるだろう。

 それは英霊スパルタクスにとっては紛れもなく、傷となるであろう無念であり、不名誉であり、だから──。

 

 

我が神は(リュミノジテ)──」

 

 

 やはり(・・・)聖女は旗を取った。

 その両眼に確かな敬意と、同時に鋼のような意志を浮かべて。

 常に先陣を駆け抜けたという聖女が手にした唯一無二の武器がその姿を顕現させる。人を傷つけるのではなく、人を立ち上がらせる光の名は。

 

 

ここにありて(エテルネッル)!」

 

 

 真名解放──星をも砕く一撃を無謬の光輝がその一切を阻んだ。

 ルーラー、聖女ジャンヌ・ダルクが有する評価(ランク)規格外(EX)の対魔力を物理的霊的問わずに守りに置換するこの宝具を前に全ての害意は無意味と化す。

 苦悶を押し殺して力の本流に抗う聖女の背中は何とか弱く、そしてなんと気高い様であることか。

 誇り、意地、愛、勇気──善と呼ばれる輝きを胸に絶対的な暴力に抗う背中は正しく聖女の名に相応しい姿である。

 

「………………」

 

 この一時、この一瞬に魔術師はその背に見入る。

 かつてそれに魅せられたものの一人として。

 或いは、それは自分に課せられた義務だとするように。

 

 抗う聖女の背中をその眼に焼き付ける。

 

 ……一つの未来があった。

 絶望の中に生まれた少年と、絶望すること無き聖女が出会い、短くも美しい時間を共に笑い、共に悲しみ、共に分かち合う。

 やがて訪れる別離の果て、永遠の時間の彼方に再び出会う──そんな恋と希望の夢物語。

 

 されど魔術師は手折った。

 全てを識った上でかつて焦がれた未来(ユメ)を絶った。

 憧れたのは本当で、叶うことならそんな世界も悪くないと。

 彼ら彼女らの幸せを願ったのに偽りはない。

 

 だが、その未来に栄光は無かった。

 その一点のためだけに魔術師は全ての可能性を殺したのだ。

 後悔はなく、無念はない。

 生きると決めたその時から過去は全て捨て去った。

 ならばこの感情は感傷でしかなく、今更抱く意味もない。

 

「心の贅肉という奴かな、これが。──やれやれ、どれほど固く誓ったところで所詮、()は凡夫だな。どう足掻いても好きなものは嫌いになれん。つい寄り道したくなってしまうのだから」

 

 はぁと人間らしく嘆息してみる。

 少々不思議な体験をしたところで性質は変わらない。サイコパスが生まれた時からそうであるように、どれほど超然と振る舞い、自分を律して、心を強くあろうとしてもそれに徹せるほど残念ながら魔術師は道を外れられない。

 

 なんせこっちは物語の主人公じゃないのだ。世界に紛れ込んだ少々稀有な砂粒でしかない。運命を持たずに運命に抗おうとする凡夫なれば。

 

「とはいえ、贅沢も此処までだ。賽を投げた以上、止まれないし、止まるつもりもない。……見たいものは大体見たし、此処までだな」

 

 美しい光輝から視線を外して身を翻す、先ほどまで浮かんでいた感傷はもう存在せず、そこには超然とした一人の魔術師があるのみ。

 

さらばだ(・・・・)()が一時夢見たものよ」

 

 そう告げて魔術師は闇の中へと消え去った




今回のあらすじ

聖女様「貴方のような英霊に無辜の民を殺させはしない」

反逆者「アッセイ」

魔術師「流石だわスパP。聖女もすげー」


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断章・とある少年/少女の夢

 ──ふと、夢を見る。

 ありふれた凡人だった者の夢を。

 

 

 

 時代は世紀末。

 遂に西暦が2000年、俗にいう千年紀(ミレニアムイヤー)を数えるということもあって全世界の人々は皆新たな時代の到来に期待と不安で浮ついていた時代だ。

 《彼》の何度目かの生まれ故郷である日本においても提唱されていた2000年問題やらノストラダムスの大予言がうんたらと新時代前夜特有の混沌と虚構と期待が混ざり合った雑多な雰囲気が満ちていたという。

 

 時代の狭間。歴史の変わり目。

 そんな一種の境界の時代に《彼》は生誕したのだ。

 

 とはいえ《彼》の出生における特殊性などその程度。生まれた家庭は旧華族の血が入っているとか戦国武将の子孫だとか、そういった事情は絶無で先祖は極々ありふれた市井の何某か、両親は特徴のない一日本国民である。

 強いて言うならば高校入学時および大学入学時に奨学金を頼らず一括で《彼》の希望する進路を叶えられた中流階層の人間、というぐらいだろうか。

 

 何にせよ、余人が目を見張るような特殊性は何一つ持ち合わせなかったと言っていい。そしてそれは生まれ出でた《彼》も同じことだ。

 

 《彼》は凡人だった。

 

 知的好奇心が平均よりも高く、当人は人好きする性格ではないのに不思議と周囲の人に好かれる。普通よりやや物静かな普通の人間。

 学校の勉強は嫌いだけど、知的好奇心を満たす意味での学びは好み。人付き合いは苦手だけれど、他人からの好意には相応の返礼をする。

 正に中庸と言った属性を持った本当の、本当に、ただの凡人。

 

 だから、だろう。

 《彼》は特別であることを好いていた。

 いや、愛していた、とさえ言っていいだろう。

 

 自分が取りたてて特別な背景を持たないからこそ、時代に名を刻むような偉業を打ち立てる有名人や生まれに歴史を背負う人々、ジャンルを問わずに物語の主役のような人生を歩む人間に、無条件で憧れていた。

 

 別段、彼らのような存在に成りたいと思っていたわけではない。ただ特別であるということ。人々を魅せられるような物語(ドラマ)を背負っていること。

 特別であることに憧れていた《彼》にとって、その軌跡は極めて魅力的であり、言ってしまえば彼らの軌跡を見ることこそが好きだったのだ。

 

 小説の一ページをめくる時の様に、世情を伝えるニュースに流れる『特別』を眺めては一喜一憂し、更新される物語(げんじつ)を《彼》は我がことのように誇らしく眺めていた。

 

 自分にはない特別だからこそ、特別であるということへ《彼》は無条件に尊敬して憧れていたのだ。それは歴史(かこ)であれ、同じこと。

 

 英雄、英傑、偉人、傑物、聖人……個人名を歴史という大河に刻んだもの全てに《彼》は畏敬し、純粋な憧れを向けて──何時しか、その軌跡全てを収集し続けることこそが《彼》の生きがいと化していた。

 

 一種の愛読者(ビブロフィリア)。『特別であるもの』を収集するのが《彼》がいつの時代からか引きずり続ける先天性の志向だった。

 だからこそ学生時代、誰しもが夢や進路に迷う時期にあって《彼》は迷わず考古学の道を選択したという。

 

 ──そこで歴史家の道を選ばなかったのは、より『特別であるもの』を求めた結果だった。

 誰かの軌跡(れきし)を収集することを好む《彼》にとってまだ誰にも知られていない軌跡(れきし)を収集して紐解き、それが如何ほどに素晴らしいものであったかを市井に説くことこそ己が使命だと信じたが故の選択。

 

 凡人ではあったもののやりたいことが明白であった《彼》にとって、道は常に一本道だった。ただそう生まれ、そう好み、そうであるからこそ脇目もふらずにただ志した道を往く。

 それはもしかしたら凡人ならざる偉人へと繋がる道だったのかもしれないが、結局のところ《彼》は凡人だったのだ。

 

 何故ならば《彼》はその歩みが結実するのを見るまでもなく、道半ばで死んでしまったからである。

 大学生。目指した夢まであと一歩という所で《彼》は若く、そして凡人であるままに何を成すこともなく死んだ。

 

 死因は覚えていないし、然して重要でもない。

 《彼》の死を悲しむものは身内だけだったし、その死は一日に平均して死ぬであろう死者の一人として数えられただけであって世界に何の影響も及ぼしていないのだから。

 

 ただ生まれ、ただ死んだ。

 これはたったそれだけの話なのだから。

 故にこそ《彼》は、■■■■は、本当にただの凡人だった。

 

 それこそ何処ぞの少女と同じように。

 

 

 ──ページをめくる。

 

 

 だからこそ、()に目覚めた時。

 《彼》が一番初めに抱いたのは困惑だった。

 

 自分は死んだ。そこに無念はあれど後悔や未練はなく、自分は何処まで行っても凡人だったという確信だけがあった。

 次の生を切望した記憶も、祈りも願いもなく、前世(ぜんかい)がそうであったように今世(こんかい)も唐突に始まった。

 

 違ったのは前世(ぜんかい)よりも今世(こんかい)は自身が『特別なもの』となっていたことだろう。

 余人より遥かに優れた才、生まれの特殊性、周囲の人間関係。全てが全て、凡人とは言い難い『特別なもの』に満ちていた。

 

 故に──《彼》は前世と同じように当たり前に道を定めた。

 

 

 自身もまた『特別なもの』に成ったならば、先人たち(かれら)がそうであったように素晴らしい軌跡(れきし)を創らなければならない──。

 

 

 誰に言われるまでもなく、《彼》は内から生じる衝動と短くも確かな人生(経験)から自らが歩むべき道を定めた。

 ……それが己が《起源》から生じるものだと知るのは後の話。

 地獄のような僧侶と、常軌を逸した天才、そして凡庸な精神を持つ秀才に囲まれた《彼》にとって二度目の学生時代において語られる思い出だ。

 

 ともあれ《彼》は変わらない。凡人と呼ばれた前世と同じように自ら道を定めて脇目も振らずにひた走る。外圧によって揺らがないその精神は鋼のようで、初志貫徹した生き様は原初の衝動を契機とした蒼穹が如く澄み渡っている。

 相も変わらず《彼》は彼一人で完結している。

 

 ただ一つ、前世とは異なる点があった。

 それは……。

 

『お前は一族の誇りだ』

 

 ──かつて■■■■(誰か)が向けていた憧憬を、他ならぬ《彼》に向けていた存在がいたということ。

 眩し気に目を細め、愛しく、そして憧れるようなその視線を《彼》に向ける男がいた。

 

 自らの背景を細部まで知る《彼》にとって、男が《彼》に向ける感情は客観的に見て当然のモノだったと言っていいだろう。

 衰退しかけの一族に降誕した規格外の天才。『特別なもの』に焦がれた《彼》だからこそ男が自分に抱く感情はよく理解(わか)る。

 

 だから憧憬(それ)を向けられること自体は最初から分かっていたことで……だけれど想定された結果が、現実に同じ結論となるとは限らない。

 実際に男からそう声を掛けられた時、自己で完結されていた世界に波紋が起きた。

 

 衝撃だった。驚愕だった。

 男が《彼》に憧憬(それ)を向けてきたことが、ではない。

 男から向けられた感情こそが衝撃だった。

 

『──そうか、貴方は……生きているのか(・・・・・・・)

 

 軌跡(れきし)を収集する愛読者(ビブロフィリア)。そのような性質を持って生まれた《彼》だからこそ《彼》は無自覚な悪癖を抱えていた。

 それは当事者意識の欠如。

 《彼》は常に世界を無関係の他人のような目で眺めてしまっていたのだ。それこそ自分の人生さえも。

 

 故に鋼、故に蒼穹。

 外圧によって歪まぬのではなく境界の向こうで世界を眺めていた。

 それこそが自分という存在の本性。

 《光》という普遍にして不変の起源(概念)を背負い、生まれた《彼》という存在。

 

 だが、この時。

 《彼》の世界に確かな亀裂が入った。

 そして傷はさらに深くなる。

 

『今まで言われるままに学んできましたけど……学ぶことはこんなにも新鮮で楽しいものなのですね! ア■ド■!』

 

 年が近いという理由で、短期間だけで教導することとなった少女は、《彼》に対して照れながら、でも楽し気に笑いかける。

 

『その、ありがとうございます。姉ちゃんがあんなに楽しそうに笑ってるの久しぶりに見たから。……兄さんが居たら、こうなんだろうかなって』

 

 そう言って《彼》に頭を下げる少年がいた。何処か緊張しながら、しかし確かな好意を《彼》に向けて、礼を告げた。

 

『そうか、お前にとって『死』は終わりではなく、証なのか』

 

 地獄のような僧侶が告げる。《彼》と交わした論議の末に、《彼》が告げた言葉に頷き、人の本質(起原)を見抜く男は少しだけ満足げに頷いた。

 

『呆れた。お前自身が一度でも道を踏み外せば、それで終わりだろうに。夢見がちというか楽観が過ぎるというか。……その性質、あまり私の前で晒さないでくれよ? どこぞの愚妹に重なって、つい殺したくなってしまうだろう?』

 

 何時かに問われた疑問に答えた時、《彼》にそんな言葉を向けた女がいた。言葉通りに呆れたような視線と、微かに肌を刺す割と本気の殺意。

 

『……不愉快だな、その気配。貴様、どこぞの神性の縁者か? 何にせよ、此処で死ね。マスターである前に、私はお前が気に食わん』

 

 憎悪が在った。ただそれだけで恐怖と戦慄を覚える感情が存在した。

 

『変わった偏向線(せかい)があると見に来てみれば……よもや同類の卵に出会うとはな。随分と変わった趣向だが、なるほど、その出生(はじまり)なら確かに第一を成立させうるだろうよ』

 

 賢者は愉快気に笑った。世界を俯瞰するような視線は、何処か《彼》に通じるものがあって、かの魔法使いに親近感を抱いた。

 

『このような結末は私とて不本意なのだがね……だが、『世界の敵』とあれば話が別だ。すまんなマスター、私は正義の味方(こういうもの)なのでね。恨みはないが貴方には此処で死んでもらうとしよう』

 

 責務を背負い、疲れたように無銘の英雄は告げる。無機質なままに殺意を向けてくるその様は機械の様で、もの悲しく、されども背負った責任を手放さぬ強さに満ちていた。

 

 多くのモノを見て来た。多くの場所を歩いて来た。

 今まで体験したことのない激動の人生。

 その中で完全無欠の世界に波紋が起こったのだ。

 

 生きている。

 

 皆が皆、確かな世界で生きている。

 それはとても当たり前のことで、衝撃的なことだった。

 

 ──他人事のように見て来た。

 自分は凡人なんだからと『特別』とは違うのだからと。

 記録だけが、自分の機能だと思っていた。

 

 けれど違う、違うのだ。

 自分もまた当時者だったのだ。

 歴史に生きている、今を確かに生きている。

 それを、ようやく、死の果てでようやく思い出した。

 

 だから──。

 

『お前は一族の誇りだ』

 

 その言葉に、《彼》は、私は──。

 

 

「ならば、私はそのように生きようか」

 

 

 そういって答える私はやっぱり凡人なのだろう。

 ──誰かの期待に応える。

 凡人(にんげん)らしい、そんな生き様を選んだのだから。

 

 

 

 

 ──ふと、夢を見る。

 ありふれた凡人だった者の夢を。

 

 

 

 時代は世界を一変させる革命の前夜。

 旧時代より続く常識と新時代への願望が交錯する混迷期。

 そんな時代に《彼女》は生まれた。

 

 『十八世紀に生きたもので無ければ、生きる歓びを知ったことにはならない』──とある国の外相だった男の言葉だが、この時代は正に新旧が交錯する混迷期にして激動の時代。

 

 今に至るまで積み上げて来たあらゆる常識が瓦解する革命の時代であった。

 身分に基づく封建的な存在を一掃し、民を中心とした、民による自由な社会。

 王室や貴族と言った血統を絶対視する身分が罷り通る当時のその国にとって、その思想がいったいどれほど極大の爆弾であったかを誰が悟れたか。

 

 熱狂する民衆も、それに反発する旧弊の権化たちも、もはや冷静さを保つことは出来ず、弁舌達者な先導者たちが注ぐ油に火炎をまき散らし、誰も彼もが声高だかに叫んでいた。革命を、新たな時代の到来を、と。

 

 それを《彼女》は深窓の窓際で眺めていた。

 

 《彼女》はありきたりな凡人だった。

 生まれた血統こそとある大劇作家に通じる歴史ある貴族階級のものであったが、《彼女》の生まれた時分において既にその肩書は飾り以上の意味を持たず、らしい資産と言えばこじんまりとした農園が一つ。

 没落した貴族の生まれ──ならばそれは凡夫と大して変わりはない。

 

 ほどなくして十代の前半で母を亡くしたのを契機に、《彼女》は街にある修道院にその身元を預けられた。

 この時代、子どもを真っ当に育てるというだけでも大変なことだ。手に負えない我が子を教会に預けるというのは当然で、それ自体に恨みや嘆きを覚えたことは一切なかった。

 

 修道院の暮らしが肌に合っていたということもあるのだろう。明るくも、生来物静かな性質である《彼女》にとって修道院での労働と、静かな祈りの時間は代わり映えのしない安穏とした日々だが、激動する外の世界とは真逆に、ひたすらに穏やかな日々だった。

 

 嗚呼──きっと自分は静かに一生を終えるのだろう。

 

 何となくそんな確信が胸にあった。結婚も、何かを成すこともなく、ただ生まれてただ死ぬ。ありふれた凡人の生。

 空いた時間に本を開くささやかな幸せを片手にその生を終えるのだろうと。この時は真実、そう思っていたのだ。

 

 だが、時代の激動はそんな凡人のささやかな夢を許さなかった。

 

 革命である。旧権力者を悉く掃討し、新たな時代を築くのだと。

 そう気炎を吐く者たちは教会にも目を付けた。

 功徳を説く信心深き神父も居たのだろうが、混迷の時代に在った人々は古きを善しとするものは皆もの全て敵だと考えていたのだ。

 

 信仰の皮を被って権力を欲しいままにする権力者(ブルジョア)め!

 積み重ねてきた悪徳に誅罰を!

 

 1791年。押し寄せる時代の波は彼女の暮らす修道院にも直撃し、当時の革命政府によって教会や修道院は、その全てが国有資産と定められて、《彼女》のいた修道院は閉鎖されてしまったのだ。

 

 かくして《彼女》もまた激動の時代に放り出される。

 凡庸である彼女にも、かくも残酷に運命は牙を剥いたのだ。

 

 揺れ動く時代に放り出された《彼女》が頼ったのは親類である叔母だった。屋敷での新たな生活のために、叔母は彼女に良くしてくれていたが、修道院を追われ、社会で生きることを強要された時点で、もはや彼女は世情から離れて静かに暮らすという選択肢はなかった。

 

 全てを飲み込む激動は誰も彼もが当事者であることを望んでいる。ならば無関係でなど居られるはずもなく、凡人なりに、舞台に上がらざるを得ないことを確信してしまったから。

 だから《彼女》はまず革命を見定めた。落ちたとはいえ貴族の血が為せるものか、或いは元より才に恵まれていたのか、彼女は平均よりも頭脳明晰であり、何よりも冷静だった。

 

 そしてジッと世情を見極める彼女の視線の先で、激動の時代にあって最悪とも言える爆発が起こる。

 すなわち──後のフランス革命へと繋がる重要事件『ヴァレンヌ逃亡事件』の発生である。

 

 ただでさえ、生来の血と身分によって社会的な立ち位置が決定される封建的な社会に嫌気がさしていた時分である。そんな中、権力の権化とも言える当時の王政を指揮するルイ十六世とマリー・アントワネットの関わったこの国王逃亡事件があまりにも致命的な爆弾だった。

 

 怒り、怒り、狂えるほどの、怒り。

 

 万の民衆はこれまで積み上げられてきた不平不満を爆発させ、自由を御旗に全ての旧弊を焼き尽くすため、遂にその牙を剥いたのだ。

 こうなってはもはや扇動者の言葉などただの後押しにしかならない。掲げた理想も目指す目標も大した意味を持たない。

 

 手段のために目的を選ぶ。

 要は、ただ壊したかっただけなのだ。今の時代を。

 冷静な《彼女》はそれを察してしまった。

 

 間の悪いことに時期も全てを後押ししていた。元よりこのフランスを中心にヨーロッパでは戦乱の波が起こっており、それに伴う深刻なインフレと食糧難が市井には訪れていた。そこに止めの、権力者による逃亡事件。

 

 もはや何もかもが致命的だった。

 資本家階級と労働者階級での溝は修復不可能な所まで深まり、これより多くの血が流れることになることは多少の賢さを有するものならば誰もが悟った。

 

 ……彼女はありふれた凡人だ。

 

 静かに生き、静かに死ぬことに満足するような。

 そんな、深窓の令嬢。

 だが、彼女は善意の人であり、良き凡人だ。

 

 だからこそ思ってしまった。

 これより来たる惨劇を止めたい。

 全ての怒りに終止符を──と。

 

 かくて彼女は剣を取る。

 か弱くも強い、天使の一撃を。

 

 倒さなければならない敵は見定めたつもりだった。

 九月虐殺、国王の処刑に関して過激な演説を行い、血に飢えた独裁を目指さんと言葉を振るうあの男。

 怒りと破壊の権現のような彼を討つことが惨劇を止める唯一無二の手段だと確信したが故に迷いはない。

 

 叔母には別れを告げた。

 これまでお世話になった以上、迷惑をかける訳にはいかないから。

 

 父には手紙を送った。

 思う所はあるがそれでも大切な親である。身内に迷惑をかける訳にはいかないと他国に亡命すると嘘をついて、良く知る街を後にした。

 

 目指す場所はパリ。きっともう、戻ってはこれないでしょう。

 

 たった一人、少女は細腕でナイフを握りしめ、全てを終わらせるために乗合馬車に揺られて街を発つ。

 ……後の顛末は、歴史に語られる通りに。

 

 計画立案から実行に至るまで、あらゆる手順をたった一人で完成させ、奇跡に恵まれながらも敵を討った凡人の名は歴史に刻まれることになる。

 

 無垢なる暗殺の天使。

 コルデー・ダルモン家に生まれ、激動の時代を過ごした少女。

 マリー・アンヌ・シャルロット・コルデー・ダルモン。

 

 自らの首を断つ断頭台に在って尚、優しく微笑み、沈着のまま歩を踏み出す彼女を見て、後に彼女の処刑を執り行った死刑執行人のサンソンは語る。

 

「彼女を見つめれば見つめるほどいっそう強く惹きつけられた。確かに彼女は美しかったが、それは容貌の美しさのせいではなく、最後の最後までなぜあのように愛らしく毅然としていられるのか信じられなかったからであった」──と。

 

 その答えは──きっと、

 

 惨劇に幕を。

 愛おしき故国に晴れやかなる未来(ユメ)を。

 

 そんな未来を信じて無垢なる少女は人生(ページ)を閉じた。

 

 

………

………………。

 

 

 ──目が覚める。

 どうやら、軌跡(れきし)を見ていたようだ。

 

 少年は思う。諸人は《彼女》の生涯を悲劇と呼ぶのかもしれないが、それ以上に何と強い女性であることか、と。

 静かな自身の幕切れよりも民衆の怒りをどうにかしようと一人で悩み、歩み、決したその生き様。独善だったと歴史を以てして言う者もいるだろうが、それでも尚、彼女は自ら信じた道を貫き通したのだ。

 見知らぬ誰かのために、愛しい故国の未来のために。

 

 その善性と決断に厳かに敬意を、そしてその強さに憧憬を。

 故にこそ。

 

「かの聖人らを討つアサシン。誰よりもその器たると確信している」

 

 だから魔術師は彼女を選んだのだ。

 誰よりも優しく、鋼のような強さを持つ彼女を。

 

 

 ──目が覚める。

 どうやら、旧い記録を見ていたようだ。

 

 少女は思う。なんて純粋な人なのだろうかと。

 自らが輝くことよりも綺羅星のような他者の輝きをこそ愛する彼。『特別なもの』を愛するからこそ、それらに相応の報いが訪れることを望み、決してそこに自身へと還元される対価を求めない。

 物語を識り、彼らを識り、その軌跡こそが宝なのだと一人で満足して、一人で進んでいってしまう。

 何処まで行っても誰かのため。

 輝く誰かのためだけに、少年は生を消費する。

 

「きっと──ええ。だからこそ私なのでしょうね」

 

 だから暗殺者は静かに彼を静観する。

 誰よりも純粋で、蒼穹のような彼を。

 

 

 

 ──似た者同士の少年少女は一人、道を往く。

 望む輝かしき運命を手にするため、

 愚かしくも純粋なる同類の果てを見送るため、

 万能の杯へと手を伸ばすのだ──。



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黎明の箴言/深謀の聖者

──光あれ


 ──翡翠の大樹が鎮座している。

 

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアが大聖杯を起動するに足ると見定めたルーマニア国内屈指の霊地、トゥリファス。

 

 その霊地の中心に据えられたミレニア城塞の地下深くより土地の霊脈に根差し、そこからトゥリファス全土の霊脈に根を伸ばしている。

 この翡翠の大樹の名を『九つ廻る千年樹(ナインヘイムユグドミレニア)』。

 

 ユグドミレニア一族の集大成とも言える千年黄金樹たる天才、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアによって作られた……否、創られた魔術師にとって工房と言われる代物であり、同時にアルドルが振るう『神話再現』の根幹を成す魔術世界においても屈指の神秘と完成度を誇る決戦術式(ファイナリティ)

 

 アルドルがその人生の大半を使った果てに北欧の深き森の中から見出したとある神話の遺産と樹木崇拝の概念を用いた再現術式を以てして成立させた世界樹(ユグドミレニア)の模倣体。

 一時的な展開ではなく、霊脈を土に例えてそこから魔力を継続的に吸い上げることで瞬間的ではなく継続して展開され続ける固有結界として在り続ける。

 

「とはいえそれも『私』がこの世に存在し続ける間の話、だがね」

 

 コツと足音を立ててアルドルは自らの創り上げた大樹を見上げる。

 “赤”の陣営の英雄たちが撤収し、簡単な事後処理を済ませた後、自らの工房へと足を踏み入れたアルドルは誰に聞かせるでもなく呟きながら視線を大樹に向けた。

 ……いやより正しく言うのであれば、翡翠の大樹の中央。

 まるで聖堂教会の奉ずる救世主が如く磔にされている『楔』をこそ、彼は見た。

 

 『楔』は正に満身創痍であった。

 肉体の至る所には剣でつけられたと思わしき裂傷の数々、肩や足には痛々しいまでに矢が突き刺さっており、夥しいほどの流血痕が存在している。

 さらには霊視してみれば肉体のみならず、その魂までも考えられない程に損耗しており、さながら器に見合わないデータを挿入した結果、情報量に耐え切れなくなった演算装置の様に今にも壊れてしまいそうだ。

 

 肉体的、精神的にも拷問が如き責め苦を受けたような有様の『楔』は、されどその傷を治すのではなく、その瞬間を切り取った状態で停止している。

 言うなれば死の瀬戸際の刹那、次の瞬間の死を変えるのでも遠ざけるのでもなく、引き伸ばしている(・・・・・・・・)

 

 なるほど──確かにその方法ならば魔法や奇跡に頼らずとも『楔』は生存し続けるだろう。だが果たして、拷問が如き苦痛と崩壊しかけた魂の死の瞬間を引き伸ばし続けることで得られる生存を『生存』と定義できるかは人に依るだろう。

 

 だが……余人はともかく本人にとってその答えは『楔』の表情を見れば一目瞭然だった。

 

 苦痛を噛み締めた厳しい表情。

 されどそこには決意の色が見る者を戦慄させるほどに満ちている。

 まるで巌の様に、或いは荘厳なる『■』の如くに。

 

 磔にされた生贄が如き大樹の『楔』。

 固有結界(セカイ)の核たるアルドル・プレストーン・ユグドミレニア本来の肉体は自らに課した冠位指定の実現まで沈黙を保ち続ける。

 

「まるで鏡を見ているようだ、と。まあ概念的な意味において実際鏡には違いないのだがね。その場合、鏡の向こうが私に成るわけだが」

 

 そう、そしてこれこそが南米亜種聖杯戦争において絶体絶命の致命傷を受けたはずのアルドルが表面上無傷のままに振る舞えたことの真実だった。

 

 抑止の使者たる自らのサーヴァントと南米亜種聖杯戦争にて激突した果て、勝利したアルドルだが、その身に受けた傷だけは如何ともしがたかった。

 不死殺しや不治の宝具を受けたことに加え、かのサーヴァントを撃退するためにアルドルが払った代償によりもはや魂は辛うじて存在しているという状態にまで追い詰められたのだ。

 もはや次の生存など夢の話で聖杯大戦までの数年など以ての外、よってアルドルはその時点において傷の治癒……己の生存を諦めた。

 

 発想の転換である。要は願いが叶えば良いのだ。

 自らが生きる必要性は特にない。

 

 その旧友の合理性に通じる魔術師の枠においても狂った発想によって彼は生存ではなく停滞することで今日までの存在を保つことを選んだ。

 その手法はかの衛宮家が辿り着いた固有時制御の秘儀を利用した、自らの内世界でのみ完結する限定的な空想具現化。

 固有結界(あちら)に自らを置くことで現実世界(こちら)に夢に見る万全の己を顕現させるという世界に対する詐術である。

 

 胡蝶の夢……中華の故事に語られるその逸話を逆の立場で再現したこの術式こそ今にアルドルを活かし続ける魔術の正体だった。

 

「──だが無論、『完全停止』や『永遠』といった概念は魔法の領域の代物だ。故に死の瀬戸際を衛宮が可能とした倍々ではなく、万や億単位で遅延させているというだけの話。一分一秒この時にも私はゆっくりと確定した死へと向かっている」

 

『でも君は真実、引き伸ばされた絶死の苦痛に見事今日まで耐えきった。流石は輪廻を越えた魂の持ち主、いやはや強度が違う。いいや、覚悟と言い換えるべきかな?』

 

 自らの成果物を前に一人独白していたアルドルに予期せぬ言葉が返ってくる。

 それは実際に喉を鳴らした返答ではなく、頭に直接語り掛けるような……。

 内側から生じるような超常現象(テレパシー)

 

 アルドルは驚くでもなく、平然と『声』を返していた。

 

貴方(・・)か。以前話した通り、貴方の出番はもう少し後のはずだが? 少なくともこの局面において私は『私』を使い切るつもりはないが……」

 

『の、割には“赤”のランサーと接敵した際には君の鼓動を感じたのだけれど? いや正直に言うとビックリしたよ。少なくとも終局局面に移るまではボクの出番はないと聞いていたからね。まだ中盤ぐらいのあの局面でいきなり人生(モノガタリ)にピリオドを撃ち込もうとするとは、ボクが言うのもアレだが、君。命の勘定軽すぎない? 北欧の戦士(ベルセルク)でもちょっとは自分の命を考えるぜ?』

 

「心外だが。少なくとも悲願を達成する迄はこの命を無駄遣いするつもりはない」

 

『どうだか。君は割とその場に流されやすいというか。あの抑止力(アラヤ)の使者との決闘だってちょっと楽しんでただろう君』

 

「む……」

 

 『声』が告げる言葉に反論の余地を失くしたのか、アルドルは口を噤む。

 常に冷静沈着で鉄面皮の彼にしては珍しい感情的な行動だった。

 

『契約時には出番は聖杯大戦だと聞いていたのに、前座でボクが呼び出されるとは思わなかったよ。お陰で君もこの様だし、自信満々に語る胡蝶の夢の術式だって緊急措置のために即興で考えた苦し紛れの起死回生だったろうに』

 

「……アレに関しては私自身趣味に走っていたわけではないと再三言っているだろう。よもや『私』が聖杯を手に入れるだけで世界に睨まれるとは計算していなかっただけだ」

 

『それに関しては君の警戒不足だね。二番煎じの物語に侵され過ぎだ。ただでさえその魂は転じて生き続ける上に君の知識()は文字通り有害だ。自己世界で完結しているうちは良いけど、一欠けらでも漏れ出したら『無の否定』所の話じゃない。特異点や剪定どころか、この宇宙が終わりかねない厄ネタだぜ? 問答無用で人理が潰しに掛かるのは当然だろう?』

 

「仕方ないだろ、こういうのはテンプレだと思っていたんだ。それにしても人理はともかく貴方たちはどうなんだ? 私が世界の敵だというならば貴方にとっても私は有害たり得ると思うのだが……」

 

 両者の事情を考慮してアルドルがそう言うと『声』は不思議と、悪戯に成功した悪童のような不敵さでニヤリとする気配を見せながら。

 

『人理の事情はボクらにはさほど関係ないからね。特に自立を見送った後のボクたちには。隠居したロートルは精々君たちの魅せる色彩を楽しむだけさ。そしてその結果として今回は()を贔屓したのさ。アルドル・プレストーン・ユグドミレニア』

 

「…………」

 

運命を変える(・・・・・・)。いやはや、そんなこと言われたら断れないだろボクら的にはね。実際、父上(・・)もそれで世話焼いている側面もあるだろうし、まあ本当の理由は九割九分ボクに有るんだろうけど』

 

「では、やはり彼がああなのはそういうことで良いんだな?」

 

『うん、多分ね。とはいえボクは父上ほどにモノは視えないから賢者の真似事なんぞとてもとても。出来ることと言えば、このように助けを求める人間を贔屓することぐらいさ。特にボクと同じ起原(由来)を持つ人間をね』

 

「……それに関しては改めて、貴方に感謝を。少なくとも貴方が居なければこの身は聖杯大戦にすら辿り着かなかっただろう」

 

『んー、どうかな。君なら何だかんだ何とかしそうだけれどね。無自覚なんだろうが君、多分資格(・・)持ちだぜ? 機会があったら彼女たちに聞いてみなよ。性格の相性によるだろうけど何人かはきっと連れて行ってくれるぜ?』

 

「資格? 何かの適性か? それに連れて行ってくれるとは、何かの比喩か?」

 

『……ホント自分のことになると鈍いな君。誰よりも神話に通じる魔術師が何でそこで気づけないのさ。これに関しては黙秘する。自分で気づけよ朴念仁』

 

 『声』の方から心なしか呆れたようなため息の気配がする。

 何やらアルドルに思う所があるのだろうが、当のアルドルは小首を傾げた後、考える意味は無いと小さく首を振って『声』に向き直る。

 

「私の事はどうでもいい。だいぶ話が横道にズレたが態々、貴方がこの局面で出てきた理由、その真意を問いたい。……どういうつもりだ?」

 

『何、暇つぶしを兼ねたちょっとした近況確認さ。贔屓している人間が悲願を達せられるかの局面なんだ。様子を見に来るのは当然だろう? 実際、君の筋書きに予想外があったみたいだし、どんなもんか一つ箴言を聞かせてくれよ』

 

「……そういうことか」

 

 此処に至ってようやく今まで静観していたはずの『声』が干渉して来た真意を捉えたアルドルは納得するように頷く。

 要は聖杯大戦の所感を語れと、『声』は言っているのだ。

 

 アルドルは口元に指を添え、僅かに考え込んだのち、ゆっくりと『声』の望むアルドル自身の所感を語る。

 

「感想だけ言うならば、概ね満足。そういうところか」

 

『へえ、意外。君はこの局面で“赤”の陣営を全滅させ得る奇手を放ったはずだろう? 敵の全滅と自身の勝利を確信していたんじゃないのかい?』

 

「これは聖杯戦争(・・・・)だからな。そう上手くいくものではないと常々思っていることだ。ましてこちらの手札を晒さぬまま完全勝利など出来るものだとは思っていない」

 

 『声』の言う通り、今回遂に幕開けた“黒”の陣営と“赤”の陣営の全面的な激突。この局面においてアルドルが打った自分自身による敵マスター陣営への奇襲攻撃は特殊な生来故に聖杯大戦の筋書きを知るアルドルだからこそ出来る殆ど予想不可能な奇手であった。

 同時に予想できたところでアルドルのことをただの強力な魔術師だと考えていれば問答無用に叩き潰されてしまうという二段構え。

 

 サーヴァントが攻勢に出ている最中に急な本拠地の奇襲、さらには奇襲者がただの魔術師ではなく、文字通り神代の神秘を操る使い手。

 ともすれば下手な術者の英霊(キャスター)にも匹敵する実力者の奇襲を前に、たとえ如何なる現代魔術師であろうと太刀打ちは出来ないし、英霊の格を持っているモノであってもそれなりの功績(逸話)と万全の戦闘行動を可能とする潤沢な魔力がなければ滅せられてしまう。

 

 事実、途中まではその通りに推移した。

 結果こそ残念ながら奇手の不発に終わったものの、今の敵マスターにとってアルドルとの直接対決を選ぶということはそのまま死につながるという予想通りの証明には成った。

 

「私の策は成らなかったが、これで敵は私の事を警戒して安易な策には走れなくなった。私という障害を強く認識してくれたというだけでも成果としては十分だろう。強いて言うならば“黒”のライダーを損なったのはこちらの痛手だが、まあ彼がいると“黒”の陣営はともかくユグドミレニアがどうなるか怪しくなる。下手に抑止力が動けば第二の無銘のホムンクルス(ジーク)が生まれかねん。それは最も私が嫌う展開だよ」

 

『ああ、それでサーヴァントらの魔力工房があっけなく粉砕される事態を黙認したわけね。君にしてはえらく不用心だと思ってたけど』

 

「警戒はするに越したことはないだろう。或いは、例の工房に細工を施すという手もあったがな。この世界を考えれば、外道な手はそのまま破滅に繋がりかねない。魔術師らしさに寄り過ぎてもダメだと考えている」

 

『ほう、君らしい着眼点だ』

 

 アルドルの語る内容に『声』は感心するように言葉を発する。

 ……アルドルの認知は正しく世界を知るモノならではの発想だというべきだろう。

 ユグドミレニア一族のゴルドが用意したホムンクルスを利用したサーヴァントへの魔力供給システム。それは確かにユグドミレニアのマスターたちの負担を軽くする上、“黒”の陣営の英霊たちに絶大な継戦能力を与えることになるが、独自の視点を有するアルドルにとってそういった手段は危険なものだ。

 

 彼は知っている。生命が軽んじられるこの世界において、本当に生命を軽んじて外道に落ちた者たちの末路を。

 

 ある者は聖杯大戦が開幕する以前に自らのサーヴァントによって殺され、ある者は生前抱いた悲願を忘れて人命を貪るだけの蟲と化し、ある者は積み上げた外道を裁く正義の鉄槌によって屠られ、ある者は手にした力を道化の様に振るった果てに取るに足らない小物として散々な末路を辿った。

 

 無論、外道な手を使って尚、寧ろ自らの生きたいように生きた者も居るが、そういった者の末路は救いあるものであっても、宿願の達成には程遠い。

 少なくともアルドルの所感において、手段を問わな過ぎてもダメなのだ。善に寄り過ぎても悪に寄り過ぎても過酷なこの世界では道は歩けない。

 

 重要なのは中庸であること。極端に振れるのではなく、傷や瑕疵が少ない万全であることこそが願いの達成確率を上げる道だと認識している。

 

 だからこそ魔術師にとってモノに等しいホムンクルスの命をアルドルは軽視しない。否、寧ろ警戒心すら抱いていると言っていいだろう。

 故にこう告げるのだ。

 

「だからホムンクルスの工房が壊されたのはこちらの願望を不自然なく叶える理想的な結末だった。救いある終わりは本来の筋書きの方だったのだろうが、私にとってはこれでいい」

 

『それは曰く、善悪の判断的にという意味でかい? その考え方も大概外道なものだとボクは思うけれどねー』

 

「否定もしない。だが断言されるいわれもなし。手段があっても見過ごすこと、知っていても静観すること。それを否定するということは善を知りながら小さな悪を見逃す我ら凡人には強すぎる言霊だ。行為を弾劾されることは許しても、否定されるいわれはないと言葉を返そう。ありふれた凡人の一人としてな」

 

 『声』の一見非難にも聞こえる言葉にアルドルは非情にも、されどそれ故に人間らしい合理性で以て言葉を返す。

 

 ──責任ある者には力が生じる。尊き者には義務がある。

 

 優れた者たち、善性に満ちた者たちはそのように言う。

 確かに彼らの言う言葉は正しい。人間とは、集団で生きる生命体。出来ないことを相互に補助し合って生存圏(社会)を成立させる生き物である。

 

 だからこそ出来る者は出来ることを行い、事情があって成せなかった者や自力では立ち上がれない弱者たちに手を差し伸べ、支えることこそ人間社会においては必要とされる善性である。

 才に、富に、力に恵まれた者は恵まれない者を助ける。

 相互補助と呼ばれる社会を効率的に回すための機能。

 人間が善しとする行動原理である。

 

 だがそれはあくまで理想形(綺麗ごと)に過ぎない。

 

 実際問題、自らが生来、或いは生きる過程で手に入れた力である。

 どう扱うかが個人に委ねられている以上、それをどう使うかは個人の自由である。

 お前は力を持っているのだから持てぬ者を助ける義務があると言われたところで必ずしもその原理を守る道理は持てる者には存在していない。

 息をするように綺麗ごとを真似られるのは、そういう形で富める者たちか、当たり前に善性を備え付けた聖人か正義の信奉者(強者)ぐらいだろう。

 

 少なくともそれらを自然に行えるほど、凡人は強くない。

 

 例えば禁煙を定める道端で煙草を吸う悪漢を注意する。

 例えば定められた法則を破って道を渡る悪童を咎める。

 例えば横柄な客に絡まれる若い店員を庇い助ける。

 

 街で起こる小さな小さな悪の連鎖。

 其れを前に曰く正しい行動を出来る者たちがどれほどいるだろうか。

 

 解決の結果として得られる弱者の感謝、賞賛……そんな形のない報酬で動けるものは恐らくは恵まれた果てに承認欲求ぐらいしか欲しいものが無くなった富める者たちの極致にある者か、生来そういった形で生きる聖人君子や正義の味方ぐらいだろう。

 

 大半が占めるであろう善性を倫理として身に着けた凡人はこういった小さな悪を前にしたとき概ねこう考えるはずだ。

 自分には関係ないのだから関わる必要はないと。

 寧ろ関わった結果として損する可能性が存在する以上、関わるべきではないと。

 

 才があっても、富があっても、力があっても、小さくとも悪に立ち向かうという行為はそれだけで危険なのだから。

 故に見過ごす、見なかったことにする。

 それもまた集団で生きる人間らしい生態。

 

 即ち──やりたい者、やれる者がやればいい。

 

 常識的には悪性の、されど否定はできない選択肢。

 それこそが一面では狂人ほどの精神力を持ちながら凡人の価値観を残しているアルドルが無情に選んだ答えだった。

 

「私は魔術師で正義の味方ではない。筋書きに求めるものも魅せる存在ではなく確たる勝利と栄光だ。ならば実にらしい(・・・)ものとして容認されやすいだろう」

 

 まるで此処にはないもっと大きな意志を睨みつけるようにしてアルドルは吐き捨てるように口にした。

 それに対して一方の『声』は笑う。

 

『く、くくく……成程、成程、確かに君の言う通り実に君らしいやり方だ。うん、君のやり方に対して少なくとも批難できる人間は少ないだろうね。でもボクが思うに君の自己認識に関しては色々言いたい人は多いんじゃないかな?』

 

「含みのある言い回しだな、何が言いたい?」

 

『いや何、自分の価値認識を誤っている人間に対して人間(キミ)たちがツッコミとやらを入れたくなる気持ちに共感できたという話さ。いやはや雄弁と詩人たちに謳われたボクだけど、やはり会話は奥が深い。久しぶりに人間に関わったけど少しだけ黄昏以前が恋しくなった』

 

「良くは分からないが貴方のモチベーションに繋がったならば私からして良かったとだけ言っておこう。私の悲願が叶えば後は貴方に任せることになるからな。これなら契約は違えられずに済みそうだ」

 

『それに関しては心配しなくてもいいよ。君が真実、運命を変えることが出来るというのならばボクの名に懸けて千年黄金樹(・・・・・)は必ず実現しよう。世界に剪定も特異点化もさせやしない。そもそもこれは神話再演なのだから』

 

 黄昏時は過ぎされど、世界は斯くも存在し続ける。

 今や忘れ去られた伝承の一片を『声』は詩人の様に語った。

 

『だから、存分に振るえよ。人間。君が魅せるであろう色彩を魅力的に思ったからこそボクら(・・・)は君を贔屓すると決めたのさ』

 

「──再度感謝を、ならば私は私の望む演目(人生)を私らしく征くのみだ」

 

 初志貫徹、終始一貫。

 その望み、その願いは原初より変わらず。

 故に何度でも、約束された末路を告げる。

 

 

「千年樹に、栄光を」

 

 

 

 

「さて。困ったことになりましたね」

 

 夜明け前のとある教会。

 予期せぬ襲撃者のお陰で拠点を移す羽目になった“赤”の陣営にとって新たな拠点とも言えるその場所の主、天草四郎時貞は言葉とは裏腹に全く困っている様子の見受けられない朗らかな笑みで告げる。

 

 本格的な聖杯大戦の一幕から一夜明けた早朝。

 一戦を経た“赤”のライダーや“赤”のアーチャーが次戦に向けて思い思いの休息に入る中、一連の事の中心に関わる天草四郎ことシロウ・コトミネと“赤”のキャスター、そして自らは独自の道を歩むことを宣した“赤”のランサーは一室にて此度の顛末を語り合っていた。

 

「アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。警戒はしていましたが、よもやこれほど埒外の存在であったとは。私が言えた義理ではないですが、ユグドミレニアも随分と反則まがいな競争相手だ」

 

「はははは! 我らがマスターの苦する心情! サーヴァントとして吾輩も共感いたします。ですが吾輩的には実に美味しすぎる展開と言わざるを得ませんな! 主を前に二心を抱くことを許されよ! 

 おお、これこそ『逆境が人に与える(Sweet are)教訓ほどうるわしいものはない(the uses of adversity)』!」

 

「俺としては強敵と呼ばれる相手は多いに越したことはない。少なくともお前の望むとおりに事の全てが運ばぬ事態は、我がマスターにとっても歓迎すべきことだろう」

 

 シロウの言葉に一方は主の苦難を歓び、一方は敵の苦労を歓迎する。

 不測の事態を前に反応は三者三様だが、少なくとも同じ陣営の味方というには誰も彼もが全く別々の方向を向いている。

 一見して、連携や共闘など考えられない程、三者の考えは異なっており、とてもではないが結果的に陣営の盟主となったシロウに味方と言える人材は己一人を除いて存在などしていなかった。

 

 だが、シロウはそれについて欠片も気にしてなどいない。全人類の救済とは己が為す己の宿願、己の願望。

 そのために障害となる者はどんなものであれ打ち砕くと覚悟している。故に最終的に敵へと回りかねない自らの陣営の英霊たちを前にして、この通り平時の姿勢を保ったままいつも通りに言葉を掛ける。

 

「ふむ、まあ濁した所で意味もないので率直に問いますが……キャスター、ランサー、貴方たちは彼をどう見ますか?」

 

 微笑を浮かべたままシロウは二騎の英雄に問う。

 新たに判明した“赤”の陣営にとって巨大な障害。

 即ちアルドル・プレストーン・ユグドミレニアをどう見るかと。

 

 それに真っ先に口を開いたのは“赤”のキャスターだった。

 

「一言で言うならば、とんでもない! ですな。マスターには今更言うまでもないでしょうが、魔術を使う英霊としての吾輩と彼を比較すれば魔術の実力()はかの者が吾輩を数段以上に上回っていますぞ! よーいドンで真っ当に戦ったならば、吾輩、次の瞬間には消滅させられてしまうでしょう!」

 

 英霊としてのプライドもへったくれもなく“赤”のキャスターは大仰な振る舞いで明け透けに敵との実力差を告げる。

 いや、寧ろ誇る様にさえ自分と敵との歴然とした差を語っていた。

 

 それに呆れるでも失望するでもなく、変わらず笑みを浮かべたままシロウは問いをさらに続けた。

 

「ならば──真っ当な戦いではなく、貴方の舞台で戦ったのならば?」

 

「──ふむ」

 

 その言葉を聞いて“赤”のキャスター──英霊シェイクスピアは普段の喧しさからは想像がつかない程、考え込むように沈黙する。

 

 ──そもそもの話だが……彼、シェイクスピアはその戦闘能力が絶無であるということは召喚される以前より周知の事実であろう。

 世界的演劇家、偉大なる作家である。誰もが彼の名を知り、彼の作品は国によっては一般教養とさえ呼べるほどに定着しており、その知名度と功績は神話の英雄にだって引けを取らぬことは誰しもが認めることだろう。

 

 だが彼は作家であって戦闘者ではない。

 その逸話に戦に秀でた武勲は皆無であり、事実召喚された英霊としての彼も戦闘能力は凡百の英霊にすら劣ることだろう。

 この聖杯大戦においては特に顕著で、恐らく彼と同等の戦闘能力しか保持しない英霊は彼らが障害と見定めたアルドルの英霊、シャルロット・コルデーと同等かそれ以下程度である。

 

 しかし……彼、シェイクスピアが此度の聖杯大戦に招かれたのは戦力として望まれたからではない。奇しくも宿敵たるアルドルがシロウに痛打を与えるためシャルロットを招いたように、彼もまたとある聖人を討つために呼び出されたのだ。

 

 故に彼の本領はそちらに在り、だからこそ、自らが舞台に対して冷静なまでに偽らざる本音を告げる。

 

「恐らくですが、無理でしょうな。短い接触でしたが我がマスターの宿敵と成り得るかの者、彼にはあの小娘と違って自らが省みる瑕疵がない。頭の天辺から足の先まで一つの事に執着しているように見受けられます。故に──言葉では揺らがない」

 

 貴方と同じですな、マスター。

 その一言を言い残していつもの調子に戻るキャスター。

 その言葉は作家として匙を投げるような脱帽の一言のようであり、故に面白いと歓迎するような言葉でもあった。

 

「──なるほど、では貴方はどうです? “赤”のランサー。戦の中で生きた者。武人としての貴方は彼をどう見ますか?」

 

「──強い」

 

 一言だった。されど、そこには確かな重みがあった。

 それ以降、腕を組んだまま柱に背を預けた槍の英雄は沈黙する。

 物語を奉ずる“赤”のキャスターとは違い、彼は己がマスターに勝利を奉ずる者である。故にどれ程の強敵、どれ程の苦難が発生しようと変わらない。

 

 全てを打ち払い、勝利する。

 

 それこそが此度の聖杯大戦に挑む“赤”のランサー、施しの英雄と謳われるインド神話最大級の英霊の答えだった。

 

「──そうですか、ありがとうございます。貴方たちの所感を聞けたことは大いに参考にさせて頂きましょう。何れ道を違う仲ですが、その言葉には感謝をいいましょう」

 

「ならばせっかくなので吾輩としましてはマスターの所感についてもお聞かせ願いたい! 色々調べ直したのでしょう?」

 

 寡黙を貫く“赤”のランサーとは異なり、語りを終えた“赤”のキャスターは待ってましたとばかりに次いで口を開いて自らのマスターに問いを投げる。

 そしてその疑問こそが知りたかったのだと、まるで餌を待っていた犬の様にシロウへと食いついた。

 

 それにシロウは苦笑しながら手元に急いで揃え直した資料を手に取りながら言葉を返す。

 

「ええまあ、とはいえ聖杯大戦からまだ半日も経過していませんから持てる資料をもう一度引っ繰り返した程度ですが……そうですね、彼という存在を共に認知した者同士、共有するとしましょうか」

 

 そう言って改めて敵の魔術師──アルドル・プレストーン・ユグドミレニアに関する現在までの情報を語り始める。

 

「以前、“赤”のキャスターには何処かで語りましたが、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアはユグドミレニアの次代当主候補の一人です。他家同士の同盟に近いユグドミレニア一族という組織において、当主たるダーニック・プレストーン・ユグドミレニアと唯一血縁関係を持つ存在であり、戦闘においてユグドミレニア一族最強と目される魔術師です」

 

 客観的に告げられるアルドルという魔術師の詳細、過去の逸話に曰く、聖堂教会とさえ矛を構えたという命知らずの魔術師の詳細をシロウは物語る。

 

「彼が一般に認知されたのは時計塔入学時。その当時十三歳という若さで時計塔の門を叩いたということと、噂のユグドミレニア一族の者とあって、何かと奇異の目で見られていたようですね……無論、その時は負の方面で」

 

 衰退しかけの魔術一門、落ち目のユグドミレニア。

 そんな一族に在って有才と言われる次代のユグドミレニア。

 

 彼を前にして時計塔の魔術師たちはある意味では当然とも言える感情を彼に向けたという。それは侮蔑と嘲笑と憐憫。

 末代のモノに無駄な期待を乗せたユグドミレニアへの侮蔑と、そんな滑稽な一族の期待を背負う若い魔術師への嘲笑、そして僅かに心ある者たちが抱く、重すぎる期待を背負う者への憐みの念。

 

 今に恐れられる『先祖返り(ヴェラチュール)』からは考えられない程、アルドルは時計塔の魔術師から侮られていた。

 

「彼の酷評は同期と比較されたものでもあったらしいですね。年齢は全く違いますが、彼と同時期に時計塔に入門した中には後に王冠(グランド)を戴冠する魔術師もいたと言いますし、そうでなくとも彼の研究テーマは現代魔術師からすれば失笑もののモノだったとか」

 

 曰く、『神の名と世界樹にまつわる研究』。

 

 とっくに失われた北欧の神秘を追い続ける姿勢は正に現代の常識に染まった魔術師たちにとっては滑稽なものだったことだろう。

 何せ、神はとっくに地上を去り、世界樹のテクスチャは滅び切った。

 

 この時代にはもはや名残はあれど痕跡など絶無なのだから、それは終わった夢を追いかけるに等しい行為である。

 だからこそ時計塔の魔術師たちは侮蔑し嘲弄する。

 

「時代遅れの『先祖返り(ヴェラチュール)』。荒唐無稽を追いかける夢想家のユグドミレニアらしい末路だとね」

 

「ほう! かの者の異名、『先祖返り(ヴェラチュール)』とは蔑称だったのですか! いやはや道理で大仰な名だと吾輩思っていたのですが、まさかその真意が皮肉にあったとは!」

 

「ええ。今からは考えられないことです。そして蔑称の理由はそれだけでもなかった。彼の使う魔術自体も時計塔の住人からすれば失笑モノだったそうです」

 

「それは?」

 

「北欧出身の魔術師らしいルーン魔術ともう一つ古い呪術を……セイズと呼ばれる現代魔術においては既に消滅されたと目される魔術基盤です」

 

 セイズ──それは北欧世界において存在した(・・)とされる極めて旧い呪術、或いは魔術基盤の名である。

 今なお、表の文明に生きる考古学者や神話学者、そして裏では一部の北欧由来の魔女のみが継承すると噂される太古の魔術。

 

 それがセイズと呼ばれる魔術だった。

 

「厳密にはセイズマズルと呼ぶべきでしょうかね。基本的には女性魔術師の技だったようですが、男性であっても使えるとのことです」

 

「ほう、それで一体、それはどういった魔術なのですかな?」

 

「分かりません」

 

 “赤”のキャスターの抱いた疑問に答えは間髪入れずに返って来る。

 思わず“赤”のキャスターは再度、問いかけた。

 

「……今、何と」

 

「分からないんですよ、誰にも。セイズマズルがどういった魔術基盤でどういった性質を持ちどういった効果を及ぼすのか。その詳細、その概要は誰一人、何一つ知らないのです。ただ彼はセイズマズルという魔術を扱える──そう言われているだけなのです」

 

 あんぐりと“赤”のキャスターは口を開く。

 口やかましい彼らしからぬ無言は呆然としたが故だ。

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニアはセイズマズルという魔術を使えるらしい。だがその魔術の詳細を誰も知らず見たことはない。

 それではまるで……。

 

「まるで霞だな。いやこの場合は周囲の有らぬ風評というべきか。だが神父、お前が態々あの男の魔術として語ったというからには、あるのだな? それは」

 

 沈黙を保っていた“赤”のランサーが初めて口を開いた。

 それは興味か、或いは敵を正しく測るためか。

 

 “赤”のランサーの言葉にシロウは頷いた。

 

「ええ。これは魔術協会等を通してではなく、聖堂教会の代行者を通じての報告ですので確かな情報かと。そして事実ならば確かに、時計塔の魔術師たちが彼を荒唐無稽だと馬鹿にした理由がよく分かる」

 

「それは一体!?」

 

 “赤”のキャスターが身を乗り出すようにしてシロウの方へ眼を輝かせる。

 瞳が雄弁なほど勿体ぶらずに言ってくれと語っていた。

 “赤”のランサーの方も好奇心を僅かに覗かせながらシロウへと目を向ける。

 

 両者の視線を受けながらシロウは語る。

 我らが宿敵、我らが敵が持つという荒唐無稽を。

 

「南米亜種聖杯戦争の監督役ハンザ・セルバンテスの報告に曰く、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは『神の名を名乗(かた)る』。そしてそれこそがセイズマズルと呼ばれる秘儀の正体であり、彼が真の意味で『先祖返り(ヴェラチュール)』と呼ばれる所以になったそうです」

 

 かくしてかの者の真髄に至る欠片(ピース)の一つを神父は告げる。

 『先祖返り(ヴェラチュール)』アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 彼は文字通り、黄金期世界樹(ユグドミレニア)に生きる魔術師なのだ。




【アルドル・プレストーン・ユグドミレニア】

性別:男(肉体)

誕生日:一月一日

血液型:A

身長体重:179cm/66kg(個体差あり)

特技:技術再現、技術復古

好きなもの:当人の感性で『特別なもの』

苦手なもの:自身に収束する好意全般

天敵:型月主人公全般(例外は遠野志貴)

魔術属性:水と風(■)

魔術特性:蓄積と再現(■/■■)

イメージカラー:メタルブルー


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煩悶する想い/陣営一揆

 夢見枕に優しい記憶を思い出す。

 

 それはまだお互いに幼く、そして純粋だった頃。

 フィオレとアルドルが共に歩んでいた時代。

 短くも輝かしかった黄金の記憶だ。

 

 フォルヴェッジ家嫡女フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 彼女がアルドル・プレストーン・ユグドミレニアと交流を持ったのは時計塔に入門する前後。入門前の三か月と入門後の半年間。

 実のところ、一年にも満たない短い時間であった。

 

 出生時から才媛として名を馳せ、次期ユグドミレニア一族当主の候補として名前が挙がっていたフィオレと桁違いの才覚から当主ダーニック直々に魔術教練を受け、自身もまた独自に魔術研究の道を邁進していったというユグドミレニア家の次世代両翼ではあるが、そもそもをして全世界に一族門下を有するユグドミレニア家はその大きさ故に直接交流を得るという機会はそう多くはない。

 

 一族門下の魔術家家主であれば諸々のやり取りのため、ダーニック含む他家当主と交流を持つ機会もあるし、魔術の共同研究のため家同士で接する機会もあるのだろうが、才覚を示しているとはいえ幼き日の時点において二人は所詮、次世代を期待される金の卵でしかない。

 

 フィオレの方は典型的な魔術家に生まれた長子として家の魔術を黙々と学ばされる日々を送り、アルドルの方もダーニックや一族の教導に長けた魔術師から魔術を教導される学びの日々を送っていた。

 そのため両者は基本的に一族内の人間であっても外部と親密を深めるという意味での交流の機会は早々になかった。

 

 加えて両足が不自由なフィオレは専ら家で過ごすことが基本で、アルドルの方は一族内においてダーニックから最も期待と信頼を向けられていたこともあり、学びの合間には一族の魔術師たちへの顔見せ(・・・)に費やされ、世界中を飛び回ることとなる。

 

 自由な時間があっても外に出る機会のないフィオレと、そもそも自由に使える時間が幼少期から少なかったアルドル。

 若手の少ない一族間においては幼馴染と言えるほどに年の近い彼らだが、幼き頃の時分にその道は全くと言っていいほど交わらなかった。

 

 だからこそ、彼らがお互いに面識を持ったのはフィオレが時計塔に入門することが決まった十代の頃合い。互いに物心を覚え、ある程度自らの立場と役目を自覚し、未熟ながらも自立しようと動き出したころである。

 

 名目上はフィオレに先だって時計塔に在籍するアルドルに時計塔での暮らしや立ち回りを後輩となるフィオレに伝授する……というダーニックの計らいであるとのことだが、無論それは名目上の話だ。

 

 数多の魔術一族を率いる政治の名手であるダーニックが自身にとっての宝とも言える純血の縁者を一族とはいえ他家の魔術家の嫡女の下に送る。

 

 ……それがどういう意図か察せられない無能ならば以後ダーニックがどのようにその家を扱うか敢えて口にするまでもあるまい。

 時計塔入門前の教導官としてフォルヴェッジに訪れたアルドルをフィオレの父であるフォルヴェッジ当主は当然の様に彼を熱烈に歓迎した。

 

 実際、フィオレの父にとって政治的な意図を抜いてもアルドルが自身が家に訪れたということはパフォーマンス以上に私事的な歓喜を伴った。

 何せ、あの(・・)アルドルである。人一倍用心深く、執念深く、疑り深い、ダーニックが諸手を挙げて、期待と信頼を送る男。

 自身の娘も名を連ねる次期当主候補などという出来レース下において、間違いなく一族内での実権を確約された男が自らの家に訪れたのだ。

 

 これだけで少なくともフォルヴェッジの次代への存続は確約され、また自らの子である才媛と一族内でも桁違いと謳われる男のサラブレッドの誕生も約束された。事情を知る者としては狂喜乱舞するに等しい出来事と言えよう。

 

 とはいえ、そんなものは大人の事情であり、世間知らずな令嬢は無邪気に同世代の者と交流を深められることを喜んだし、事情を察しながらもそれを無視して歩み続ける愚直な求道者は実際(・・)に彼女に会える(・・・)ことを素直に歓迎した。

 かくして、此処に両者の道は遂に交わる。

 

「──こうして顔を合わせるのは初になるが、兼ねてよりその才覚は私の耳にも届いていたよ。まあ年の近いもの同士、堅苦しい挨拶は抜きにして……初めましてだ。フィオレ・フォルヴェッジ。私はアルドル、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。何れ時計塔の学び舎で時を同じく過ごすものだ。以後、よろしく頼む。共にユグドミレニアの次代として一族に貢献できるよう切磋琢磨して行こう」

 

 堅苦しい挨拶は抜きに、と言いながらも、一言目の言葉とは裏腹に二言目には一族への貢献などというお堅い言葉が飛び出す少年。

 ほんのわずかなやり取りで隠し切れない真面目な性格が浮き上がる少年の差し出す手を緊張で少しだけ強張りながらもフィオレは握り返した。

 

 

 

 魔術以外には世間知らずな箱入り令嬢と、目的のために純粋すぎて少しだけ世間ずれした嫡男。面識を得た当初において、両者の交流はどちらかと言えば親しさよりも事務的なやり取りが基本であった。

 フィオレは初めての外部との交流ともあって緊張していたうえ、相手が親類を除いて初となる異性との関係ということで距離感がつかめず、アルドルの方はダーニックより受け取った時計塔での立ち回りという教導官の役目を真面目に受け取っているせいで、その役回りを真面目にこなしていた。

 

 無論、フィオレとは異なり自らの立場と政治的な要因を理解するアルドルは自らがどのような立ち回りを要求されているか察していたモノの、この時点において既に千年樹へ栄光を齎すことを考えていた彼は、予てより一族の未来を見てはいても、自分自身の未来に関しては全くの無頓着だった。

 故に彼は言葉を言葉通りに受け取ってこなし、フィオレとのやり取りもあくまでフィオレに合わせた受動的な立ち回りに留まった。

 

 距離感としては今まさに執り行われる聖杯大戦の頃と同じ。アルドルに対して臆するフィオレとそれを察して相手がアクションを起こさない限り関わらないといった風情のアルドルと言った様相だった。

 

 そんな彼らの関係が年相応の親密なものへと変わった要因と言えば。

 

「わふ」

 

「ふっ、良い子だ。犬種はレトリーバーの雑種か何かか? 何であれ良く育てられているのだろう、お前」

 

「わふっ」

 

 ある日の昼下がり、フォルヴェッジの庭で父が拾ってきた雑種犬と戯れるアルドルの姿を見たことが一因であった。

 普段から真面目が服を着て振る舞っている何処か超然とした少年というのがフィオレの中のアルドルだったのだが、その日犬と戯れるアルドルの姿は年相応の無邪気さと生来的な優しさを伺わせるやり取りだった。

 

 犬の方も犬の方で、普段は弟のカウレスを横目にくわっと欠伸する暢気さは何処へやら楽し気にアルドルに撫でまわされていた。

 そんな余りにも予想だにしない光景を目の当たりにしたものだからつい。

 

「犬、好きなんですか?」

 

 おずおずと、そんな疑問を彼に問いかけていた。

 

「ああ。昔……いや、()に飼ってた。血統書付きのそれなりの育ちの奴でね。小さな(ミニチュア)と名付けられているはずなのに、餌のせいか、はたまた血統書が嘘だったのか小型犬にしては大きな奴だった。雑種犬(こいつ)とは真逆によく吠える喧しい奴だったが、()の愛犬だった」

 

 そういって懐かし気に目を細めるアルドルの姿に共有できる話題を持った故か、はたまた同好の士を見付けた喜びからか、内向的な少女は珍しく、さらに質問を投げかけていた。

 

「そう、だったんですね……じゃあ犬についてはそれなりに?」

 

専門職(ブリーダー)ほどではないが扱いには慣れているよ。こいつは君が飼っているのか?」

 

「あ、いいえ……父が少し前に拾って来たんです。でもほら、お父様は少し前に急用で出て行ってしまっているので、代わりに今は私たちがお世話を」

 

「ふむ、そういえばそんな話を────いや、そうか、そういうことか。そうだった」

 

 フィオレの言葉にアルドルは一瞬、何かを思い出したように少しだけもの悲し気に撫でまわす雑種犬の姿を見た後、頭を振って、小さく微笑む。

 

「──良い子だ。フィオレもカウレスもこいつにとっては良き家族なんだろう。きっと君たちの優しさをきちんと理解していると思うよ」

 

「あ──はい……はい! そうだと、良いですね」

 

 今にして思えば──魔術の才覚ではなく、純粋にフィオレ・フォルヴェッジという少女が他者からの意思ではなく、自らの意思で以て育てた成果を褒められたのはきっとアレが初めての事だった。

 だから、とても、いや凄くうれしかったのだと思う。

 そして嬉しさのあまりそこから異性に対する緊張だとか、一族間での距離感とかそういった難しい事情を完全に忘れて、初めて相まみえることとなった同好の士に無邪気に夢中で喋ったと記憶している。

 

 やれ、寝るのが好きな子で日向を探すのが得意だとか。

 餌を食べる時だけ動きが俊敏になるだとか、カウレスのベッドを気づくと占拠していただとか、それを退けようとしたカウレスの手を嚙んだとか。

 

 魔術も神秘も何ら関係のない取り留めのない話題。それを熱中して語るフィオレをアルドルは困ったようにしながら、それでも時折自身も思い出したかのように自らの飼っていたという愛犬の話題を話中に差し込む当たり、話題を楽しんではいたのだろう。

 ……幼年期から多忙を極めたアルドル・プレストーン・ユグドミレニアが犬を飼っていたという話は聞いたことは無かったが、そんなことを忘れてしまう程にフィオレは夢中でアルドルと犬の話をした。

 

 やがてその犬の話題は父の帰還を機に、禁句の話題と化すものの、そうしてフィオレとアルドルは共に仲を深めていった。

 そして時には親しく言葉を交わし、時には競う相手として魔術の腕を切磋琢磨して行く日々の中、ふと彼女は日常の中でアルドルに問いを投げていた。

 

「アルドルはどうしてそんなに頑張るのですか?」

 

 誰に言われるわけもなく、魔術の腕を磨き、知識を身に着け、護身のためと口ずさみながら武芸にすら手を出して、次世代のユグドミレニアの責務を背負って、大人顔負けに多くの人々とのやり取りをこなす。

 良き友人として、競争相手として、アルドルに関わってきたフィオレは一所懸命と言わんばかりに全力で自らの生をひた走るアルドルを見て、自らの内に沸き上がった疑問。

 

「頑張っているのは君も同じだろう? 生まれついてハンデを背負いながらも結果を出し続ける君の姿勢には私も尊敬を覚える」

 

「あ、ありがとうございます。……ではなく! 私が聞いているのはアルドルの動機の方で……!」

 

「無論。一族がため、我らがユグドミレニアのために。それは君も同じことだろう」

 

「それはそうなんですが……いえ、そうじゃなくて……もう! 私が言いたいのは……!」

 

「何故、一族のために私が頑張るのか、だろう? 分かっている。少し揶揄った許せ」

 

「アルドル!」

 

「ふふ、君はそうしていた方が似合うな」

 

「怒りますよ」

 

「それは困るな、真面目に答えよう」

 

 いつものように年相応の友人同士のやり取りののち、フィオレの疑問に対してアルドルは少し遠くを見るような目で空を見上げながら答える。

 

「君も知っての通り、我が叔父ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの大胆な方針転換によってユグドミレニア一門は枝葉を広げ、他家の血を拾うことで時計塔の者たちの予言を覆し、今日まで存続することとなった」

 

 それはユグドミレニアに列するものなら誰もが知っているユグドミレニア一族の話。かつて栄光への道をひた走りながら、些細な戯言で手折れてしまったユグドミレニア。それが今日までどのように生き残ってきたか、アルドルは語る。

 

「その決断、生半な覚悟ではなかっただろう。魔術師としての常識を知れば知るほどにダーニックの判断にはどれ程の重みがあったのか、その胸中を察することは出来ない程に。そうしてユグドミレニアは一族となった、そうしてユグドミレニアは存続した」

 

 そう、純血ではなく混血を。門を開いて、他家を招き、数を増やして、生き残る。血の連鎖による存続ではなく、家の生き残りに主眼をおいたその判断はダーニックがかつて常識的な魔術師であり、正道を歩みながら栄光をその手にしようと考えていたことを知れば、どれほどの転換だったか想像に難くない。

 

 だからこそアルドルはその判断の重さと決断に畏敬の念を持って語る。先達の偉大なる判断あってこそユグドミレニアは今にあると。

 

「だが一方でユグドミレニアは生き残ることに特化する代償として夢を失った。かつて祖が、ダーニックが願っただろう栄光の未来。魔術を手繰る魔術一家であれば必ず課せられているという冠位指定(グランドオーダー)。その道を辿ることをユグドミレニアは、我が叔父は諦めることとなった」

 

 ──魔術師の総体としての最終目的が『根源』に至ることであるとするならば、冠位指定とは即ち、魔術一門における指針である。

 魔術師たちの家はそれぞれが別系統の魔術基盤を持つように、その魔術ごとの、継承者ごとの、先祖代々の魔術を学ぶ上での目的がある。

 

 何を以って『根源』に手を伸ばすのか、何を以って自らが学び終えたと証明するのか、神代より続く長らく生ける魔術一門に課せられた遠き日からの宿題。

 それこそが冠位指定(グランドオーダー)である。

 

 ユグドミレニアは生き残るためにそれを放棄せざるを得なかったとアルドルは言う。

 

「私はユグドミレニアの原初の願い、定められた役目、指定された到達点を知らないし、別段知りたいとも思わない。……だが今の様にただ存続することだけが願いだったとは決して思えない。少なくとも遠き日のダーニック、彼は一族が大成し、栄光と栄誉ある未来を目指していたはずだ」

 

 今でこそダーニックと言えば様々な他家の魔術一家を手練手管で纏め上げ、かつて一族を衰退へと導かんとした時計塔の貴族たちへの復讐と一族の存続へと熱を注ぐ存在であるが、彼にもまた魔術師として夢見た理想があった。

 アルドルはそれを識っている。そして識っているからこそ、アルドルは。

 

「先祖の期待に子孫は応えるものだろう? 誰かの期待に応えるような生き方をすると昔、()は自らにそのような指定(オーダー)を課したのでね。だから何のために私が頑張るのかと言われると自分のためとしか言いようがないな」

 

 そうして自嘲するように肩を竦めてアルドルは言う。

 その、誰かの期待に応えることこそ、自分のためなのだと。

 あんまりにも矛盾した願いを。

 

「貴方は──誰かの期待に応えることを自分のためだと、言うのですか」

 

「そうだよ。そもそも他者の願いを、期待を負わされたとしてもそれに応えるかどうか決めるのは課せられた本人だ。そして私はそれを善しとした。一族の栄光ある未来をと、祖より願われた期待に応えることを選んだ。ならばその時点で誰かの期待は私の願いなのだよ。即ちは千年樹に栄光を。私にそれを願ったのは誰かだが、選んだ時点でそれは私の願いだ」

 

 だから一族の悲願(これ)は自分のための願いなのだと彼は笑う。

 ──それはなんて純粋な在り方のだろう。

 

 自己犠牲ではなく、自己を担保とした献身でもない。

 その願いを、その祈りを、その期待を善しと思った。

 故に成し遂げようと決めた。

 

 真水が色を受けたように。

 白いキャンパスに色彩を描く様に。

 千年樹の継承者は、疑うことなく先祖の願いを聞き入れ、達成することを当然の定めと決めて歩みゆくことを選んだのだ。

 

 責務でも義務でもなく、やりたいからやると。

 何処までも自分本位な理由で誰かの期待に応えることを選んだ。

 たとえそれが傍から見て献身にしか思えなくとも、それこそが自分のためなのだと。

 

「まあ成せるかどうか知らぬがね。何せこの肉体には能力的な才覚はあれど、それを操る魂の私とくれば所詮はただの凡人だ。魔術師としての常識を知れど、それに徹することが出来ず、されど諦められるほど軟でもない凡夫。それがアルドルというつまらない男の正体だ。何処まで往けるかは知らないが、出来る限り期待には応えてみせるさ」

 

 最後に冗談のようにそんな言葉を付け加えて。

 彼は遠い星を見上げるように笑った。

 

 その様が、その願いが──彼の在り方があんまりにも綺麗だったから。

 

「私は……」

 

「ん?」

 

「私は今まで言われるがままに学んできました。重ねた努力も、積み上げて来た魔術の研鑽も、結局のところ両親に言われるがままにこなしていただけで私自身が、自分で頑張ってきたわけではありません」

 

「いや、そんなことはないだろう。動機がどんなものであれ、自らが積み上げた努力も成果も他ならぬ君自身の頑張りによる結果だ。誰であれ、それを否定する権利はない」

 

「ええ。ですから、私自身がそれを否定するのです。私の努力は、私自身が頑張ったことの成果なのではないと」

 

「…………」

 

「だからこそ、私も自分のために頑張りたいと思いました。貴方の様に、貴方と同じように、これからは誰に言われてではなく、己自身の意志で」

 

 千年樹に栄光を。

 

 何を以って栄光とするのか。どうすれば栄光を掴めるのか。今も昔も分からない。分からないが、少なくともこの時フィオレは決めたのだ。誰の意思でもない、己自身で。

 

「私も貴方と同じように頑張りたいと思います。一族が為、ユグドミレニアのために」

 

 そして何より──憧れた貴方の様に。

 

「これからも貴方と共に歩んでいきたいと、そう思います」

 

「……それは宣誓かな?」

 

「そう受け取っていただいて構いません。今、貴方の願いを聞いて決めたことなので重みはないと自覚してはいますけれど」

 

「いや、そもそも大望の始点など些細なものだろう。重さは時間を伴えば勝手に付きまとうものだ。その始点が今だという話なだけだろう? 決して軽く扱ったりはせんよ。時計塔入門前の宣言としては文句ない。だから返す言葉はこのように」

 

 少女のささやかな宣誓を決して馬鹿にすることなく、遥か高みに見上げる憧れの少年は少しだけ冗談を混ぜるようにして。

 

「──期待している(・・・・・・)。頑張り給えよ、後輩」

 

「はい!」

 

 時計塔に入門する迄の数か月の短い期間。

 彼らは互いに小さな誓いを立てて、笑顔で共に未来を誓った。

 そんな、他愛もない、優しい記憶。

 

 ──そして優しい記憶は辛い現実によって砕かれた。

 少女は現実と戦えるほど強くはなれずに。

 少年は現実を打ち破るほどに強すぎた。

 

 強い光が他の輝きをかき消すように比翼連理の誓いは焼け落ちた。

 よって現実はこの通り。

 

 少女は立ち止まって、少年は何処までも一人、先を往く。

 だからこそ少女は。

 

 フィオレは一人、煩悶するのだ。

 

「あの時、もしも諦めずに、一緒に往くことを決められたのなら」

 

 痛みに砕けず、諦めずに頑張れたのなら。

 

「私は今も、貴方と共に歩めていたのでしょうか──ねえ、アルドル」

 

 

 

 ──ふと、目が覚める。

 目覚めは最悪のものだった。

 

「……ッ、は……あ」

 

 ミレニア城塞に設けられた自室。

 カーテンの合間から差し込む陽光に目を顰め、懐かしの記憶を夢に見たフィオレは胸にトゲが刺さったような痛みを覚えながら状態を起こす。

 

 昨日は──厳密には今日の早朝までは遂に幕明けた聖杯大戦という死線を過ごした。夜明けまで続いた戦いが閉幕した後、こうして自室にて短い休眠の時を得たものの、夢に見た記憶は休息によって緩和するはずの疲れを心なしか寧ろ増幅させているような気がする。

 

 否、そもそもそれだけ疲れていたからこそ疲れるような記憶を思い出してしまったのか。何にせよ。

 

「……そうだ、聖杯大戦。私はこれに勝って……聖杯を」

 

 一族の願いのため? ユグドミレニアのために?

 いや、いや、きっとそうではない。

 私は、今後こそ。

 

「そうすれば、今度は逃げずに、立ち止まらずに、一緒に戦ったって」

 

 ああ、きっとまだ寝ぼけているのだろう。

 寝起きにそんな譫言を呟いて。

 フィオレは今日もまた胸中に煩悶を覚えながらもユグドミレニアの精鋭らしく、マスターらしく振る舞うのだ。

 

 

 

 ──『煩悶する想い』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「──で、だ。こっからどうすんだよ、マスター」

 

 ところ変わって、場所はトゥリファスにある地下墓地(カタコンベ)

 

 “赤”のセイバーのマスター、獅子劫界離が此度の聖杯大戦において『工房』と定めた彼の拠点。

 獅子劫の寝袋よりやや豪華な寝袋の上で胡坐で腕を組みながら華奢な金髪の少女……“赤”のセイバーは眼前で頭を抱えたまま、向こう数時間唸ったり、頭を掻き毟ったりと忙しない獅子劫に向かって口を尖らせながら言う。

 

 戦闘時の無骨な鎧を身に纏っている時とは異なり、腹部を露出したチューブトップ姿の彼女の姿は端正な容姿と相まって目に毒であるが、主従ともどもその手の色気に無頓着なため、この場において指摘する者はいない。

 加えて、それを指摘しうる肝心要の主がこれである。

 

 本格的に幕明けた聖杯大戦から既に半日。

 世も明け、外に出れば陽光も注いでいる頃だろうに、“赤”と“黒”の激突を終えてからというもの、獅子劫はずっと休むでもなく、備えるでもなく、これである。

 

 数刻前までは何やら電話を活用して各方面に問い合わせ……主に文句……を付けていたが、それを終えてからというものずっと黙して苦悩するのみ。

 その短い付き合いではあるが主らしからぬと分かる態度に短気な性格の“赤”のセイバーをして、珍しく小一時間は黙って付き合っていたが、流石に我慢の限界であった。

 

 自らのサーヴァントのウンザリしたような言葉を聞いて、獅子劫はようやく、ゆっくりと“赤”のセイバーの方に向けて視線を遣って一言。

 

「……どうする?」

 

「オレに聞くなよ!」

 

 反射的に“赤”のセイバーは叫んだ。

 そしてその怒声に反応して獅子劫も声を上げる。

 

「いや、どうしろもこうしろもねえだろ! 何だありゃあ! ダーニックの奴はまだ分かる! なんせ八十年以上も若作りの怪物だ、魔術の腕も真っ向からじゃどうにもならんって話にも納得できる! だが、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア! アレはないだろ!」

 

 そう、獅子劫が頭を悩ませている原因はそれだった。

 “黒”の陣営が誇る最強戦力、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 彼が卓越した魔術師であることは時計塔の情報筋からも聞いていたし、ダーニックに次いで強力な敵戦力であると警戒もしていた。だが、しかし。

 

「幾ら最強って言ったって限度があるだろ普通!? 何でサーヴァントであるお前さんと互角(タメ)張れるんだよ!?」

 

「だからオレが知るか! それから互角じゃねえ! あんなもんちょっと驚かされただけだ! やり合えばオレが勝つ!」

 

「その『ちょっと』が出来るのが大分おかしいんじゃねえか! 最優のサーヴァントであるセイバークラスの対魔力を突破するちょっとなんぞ聞いたことがねえ!」

 

 くわっと真っ向から言い合う両者。

 そのまま二人して、獅子劫は理不尽な現実に愚痴り、“赤”のセイバーの方はうじうじと向こう数時間苦悩する獅子劫に付き合わされた不平不満から文句を飛ばす。

 

 なんやかんや似た性質の主従は都合十分ほど無為な言い合いを行った後、気が済んだのか荒くなった呼吸を整えながらようやく本題を口にする。

 

「……取りあえずあのインチキについては一旦おいて現状を整理する所から始めるか」

 

「おう」

 

「さて遂に本格的に戦いが始まって、“黒”の連中に仕掛けたわけだが……まあ互いの戦力を測るって意味じゃあ今回の結果は上々だろ。俺もお前さんも何はともあれ、こうして五体無事に戻ってこれたわけだからな」

 

「ハッ、当然だな。向こうのセイバーやランサーとやり合うならまだしも魔術師風情にこのオレが後れを取るわけないだろ」

 

「……の、割には随分と良いようにやられてた気がするけどな。で、その魔術師風情と戦った所感は」

 

「次はぜってぇぶっ殺す」

 

「さいで」

 

 よほど“黒”のキャスターが気に入らない相手だったのか拳を自らの手に打ち合わせながら犬歯を剥き出しに唸る“赤”のセイバーの姿は正しく怒れる狂犬のそれだ。

 

「それから“黒”の魔術師連中も、だ。あの似非ランサーもムカつくが、“黒”の連中もだいぶムカつく外道だって分かったしな。……クソが、つまんないもん見せやがって」

 

「ふーん。例のホムンクルスを利用した魔力供給システムって奴か。ま、俺としちゃあよく考えたもんだって思ったが」

 

「……おい」

 

「睨むな睨むな、別に真似するつもりはねえよ。つか、真似しようとしても出来んだろ今からだと」

 

 ミレニア城塞での戦いの最中、“赤”のセイバーが一度ならず二度までも宝具を使ったその要因。あの戦い以後、語るのも嫌だと言わんばかりに不機嫌な態度の“赤”のセイバーから獅子劫は聞きだしていた。

 

 彼女曰く──“黒”の陣営は鋳造したホムンクルスから魔力を抽出し、陣営がサーヴァントにその魔力を供給するという聖杯大戦においては反則的とも言えるシステムを運用していたという。

 

 その話を聞いた時、獅子劫は一般的な感性で言えば生命倫理を軽視した外道な手段だと言わざるを得ないものの、魔術師として考えるなら敵ながら上手い手だと思った。

 何せホムンクルスによる魔力供給システムがあればマスターたる魔術師にかかる魔力負荷はなくなる上、魔力の源は掛かる費用を無視すれば幾らでも代替が利く存在である。

 

 確かにこのシステムがあれば“黒”の陣営は主従ともども惜しみなく実力を発揮できたことだろう。もっともそのシステムとやらは目の前の“赤”のセイバーがミレニア城塞の一区画ごと吹き飛ばしてしまったわけだが。

 

「しかし、そう考えると今回の戦いはお前さんのファインプレーだったのかもな。敵のサーヴァントを直接打倒することは出来なかったが、連中の戦略的部分に一発入れてやったんだから。成果としちゃあ寧ろ上々の部類になる、か」

 

「ふふん、ざまあみやがれってんだ」

 

 ふと、獅子劫が何気なしに呟くと“赤”のセイバーは鼻を鳴らしながら得意げに胸を張る。

 こういうとこは意外と単純な奴だなと思いながらも、獅子劫は少しだけこの単純さが羨ましいと思った。

 

「ともあれ、総評としちゃあ俺たちは五体無事、向こうのサーヴァントとは会敵する機会は少なかったものの“黒”のマスターの主力と言える二人の魔術師に威力偵察が出来て、その上で一発入れてやった。多少トラブったが、結果的に良い感じの所に収まったわけだ」

 

 そう言って先の戦いを振り返り、まとめる獅子劫の言葉に“赤”のセイバーはうんうんと満足げに頷いて見せた。

 

 ……これは余談だが、実のところ“赤”のセイバーは直接敵サーヴァントを打倒することは出来なかったものの、“黒”のライダーのマスターたるセレニケ・アイスコル・ユグドミレニアを混戦の最中仕留めたことで間接的に“黒”のライダーを打倒している。

 しかし肝心の本人、“赤”のセイバー自らがその出来事を半ば忘れてしまっていたため、獅子劫も“赤”のセイバーもその事実に気づくことは無かった。

 

 閑話休題。

 

「それで次はどうやって連中に仕掛けようって話になるわけだが……正直ぶっちゃけるとどうにも手がない」

 

「おい、マスター」

 

「待て。文句は一先ず置いて、良いからまずは話を聞いていけ」

 

「む……」

 

「……こっちから手が出せない主な理由は三つだ。一つ、連中が一つの拠点を構えた陣営なのに対して、俺たちは現状、単独であるって点だ」

 

 そう言って獅子劫は指を一本立てながら理由を語り始める。

 “赤”のセイバーは真剣みを帯びる獅子劫の語り口に黙って耳を傾けた。

 

「先の戦いじゃあ“赤”のアーチャー……例の女弓兵からの伝言で“赤”の陣営の動きに合わせてこっちも立ち回ったわけだが、これは形だけ見れば陣営として連携を取った風になるが内実は違う。今回は偶々向こうの動きとこっちの思惑が一致しただけであって陣営として同じ方針で動いているわけじゃあ無い」

 

「まあ、そうだな」

 

 そう、今回の動きはあくまで向こうの方針がこっちの方針に沿う形であったため同意しただけのモノ。獅子劫も“赤”のセイバーも共に“赤”の陣営に属する存在だが、個人的な思惑を優先して動き回る“赤”のセイバーの主従は“赤”の陣営であっても陣営として動いてはいない。

 

 そしてそれは“赤”の陣営にしても同じことだろう。獅子劫らのスタンドプレイを戒めるわけでもなく、向こうは向こうで勝手に行動している。

 

 詰まるところ、“黒”の陣営はユグドミレニアの旗の下、ダーニックの旗下で統一した動きをしているのに対し、“赤”の陣営は陣営として纏っていないのだ。

 この一点だけでもまず以てチームワークという点で不利を強いられている上、そのチームワークを乱している当人が獅子劫とそのサーヴァントたる“赤”のセイバーである。

 

 少なくとも獅子劫と“赤”のセイバーは現状、“赤”の陣営を頼るつもりも、特段協力するつもりもない。そうすると二人は“黒”の陣営に単独で挑む羽目になる。

 単純な数的劣勢。

 これが一点。

 

「二つ目は連中が大聖杯を手にしていることだ。優勝賞品が向こうの手にある以上、サーヴァントを打倒するだけでは足りず、向こうから賞品を奪取する必要があるってことだ。で、こういう構図な以上、仕掛ける側は常にこっち。敵は待ちに徹するだけで優位を作れる」

 

「ふん。ま、絶対に仕掛けてくるってわかってんなら待ってるだけでいいからな」

 

 古今において城攻めが戦場において難問とされる理由は守る側に優位があるからだ。

 これが真実、国と国の戦争であるならば、兵糧攻めや破城兵器などを持ち込むことで手も広げられるのだろうが、これはあくまで七騎と七騎の英霊同士の戦である。

 少なくとも兵糧攻めなどという迂遠な手段は通用せず、また優勝賞品を握っている以上、城ごと吹き飛ばすなどという手段を取ることもできない。

 

 敵サーヴァントを全て撃破し、大聖杯も奪う。

 ここまでして初めて“赤”の陣営は聖杯大戦を制せるのだ。

 

 一方、“黒”の陣営はそうしてあの手この手と趣向を凝らして飛び込んでくるだろう“赤”の陣営に備えて万全の姿勢を整えておくだけでよい。

 優勝賞品が手元にあり、後は“赤”のサーヴァントを喰らいつくすのみ。しかもその喰らう対象は条件の都合上、自ら“黒”の陣営という虎の穴に飛び込まざるを得ないのだ。

 攻め手の不利と、守り手の有利。

 これが二点目。

 

「そして最後の一つは言うまでもなく最大の不確定要素……敵のマスターだ」

 

 眉間にしわを寄せつつ、獅子劫は忌々し気に言いまとめる。

 最大の難問にして第三の要素。

 即ちは──未知数の敵手の存在。

 

「んで、マスター。結局あいつは何なんだ? 魔術師ってんだからオレの対魔力を突破したことについちゃあまだ分かる。そういうこともあるだろうよ。でもあいつはオレの攻撃を剣で弾きやがった。それも殆ど素面の状態でだぜ? 当代の魔術師ってのは早々サーヴァントと斬り合える剣士だったりすんのかよ」

 

「んなわけあるか! ありゃあ例外中の例外だ!」

 

 だからこそ未知数が過ぎるのだと頭を抱える。

 ──アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 あの邂逅の後、獅子劫はすぐさまアルドルについて改めて資料を見直すのと同時に、今回の仕事の依頼主……ロッコ・ベルフェバンに文句……もといアルドルについての情報提供を呼び掛けた。

 

 かの魔術師は長年、魔術協会や聖堂教会相手に大立ち回りをしてきた人物である。現代魔術の総本山であればそんな要注意人物の詳細なデータぐらい収めていることだろうと見こんでの話だったのだが……。

 

「まさか、風聞以上の情報は全部白紙とはな。クソ、ここにきて時計塔の権力が絡んでくるとはな。もっとキチンとマークしておくんだったぜ」

 

「ふん、権力ね。貴族派と中立派だったか? いつの時代もその手の下らねえ話は尽きねえのな」

 

「その下らねえ話とやらを煮詰めたような場所が時計塔だからな。そういう意味で言えば向こうは圧倒的な準備を重ねてたわけだ」

 

 そう言って敵手の入念さに獅子劫は改めてため息を吐く。

 

 ……元々アルドル・プレストーン・ユグドミレニアが時計塔に在籍していたことも、考古学科(アステア)に属していたことも、その考古学科のロードにして時計塔内に存在する三大派閥の中立派筆頭、カルマグリフ・メルアステア・ドリュークと懇意であることも把握していた。

 

 しかし、だからと言って時計塔内に君臨する十二の君主(ロード)、それも中立派筆頭格という大人物が手ずから動くほどの影響力を持っているとは思わなかった。

 ロッコ曰く、件のロードの手によって時計塔内に収蔵されて然るべきはずのアルドルの詳細な情報は掻き消されていたり、都合よくボヤかされたりしていたとのことだ。

 

 これではアルドルを警戒しようにも世に流れている風聞以上に警戒する手がない。

 

「現状、コイツに関しちゃ情報を揃える手がねえ。下手すりゃあのダーニック以上に質が悪いぞコイツ」

 

「……そんな警戒するほどかね。魔術師にしちゃあそこそこやるみたいだが、初見で面食らっただけで真っ当にやり合えばオレが勝つぞ。これは絶対だ」

 

「お前さんが確信をもって言うならそうなんだろうな。尤もコイツが真っ当なら、だが」

 

 “赤”のセイバーの言葉に、獅子劫はやれやれと首を振りながら資料をバサリと投げ捨てる。

 それを何となしに見た“赤”のセイバーは何となしに資料を拾い上げた。

 

「──南米亜種聖杯戦争に関するレポート?」

 

「ふん、辛うじて掠ったアルドル・プレストーン・ユグドミレニアにまつわる情報が記載された資料だよ。何でも時計塔でも箝口令が敷かれているってヤバい戦いだったらしいな。ま、資料を見て納得したが」

 

 告げて、獅子劫は資料に目を落とした“赤”のセイバーに雑に内容の概略を述べる。

 

 ──南米亜種聖杯戦争。

 それはメキシコはチワワ州のとある街で行われたという亜種聖杯戦争の名である。

 時計塔に属する魔術師ではなく、アメリカ合衆国……一つの国家に忠誠を誓っている魔術師一派によって企画、実行されたそれは始まりからイレギュラーだらけだったという。

 

 まずこの亜種聖杯戦争はそもそもの目的が他の亜種聖杯戦争のように冬木の聖杯戦争を再現することを念頭に置いたものではなく、別の目的を理由とした実験的なものであったという点。

 そしてこれが仮にも一つの国家、ただの在野の魔術師ではなく、国家権力に後押しを受けたプランであったという点。何より亜種聖杯として核に選ばれた聖杯が……それこそ聖杯というに相応しい魔力リソースを持ったそこらの亜種聖杯戦争とはかけ離れた完成度を誇っていた点などおよそ、亜種と呼ぶには余りにも過ぎたものであったという。

 

 当初、戦いは内々の……それこそ合衆国政府の実験に協力する者たちでのみ密かに行われる予定であったという。しかし、実験の舞台として選んだ地──メキシコのチワワ州であることが元の住人達……遥か古くから土地と共に神秘を引き継いできたメソアメリカの先住魔術師たちの怒りに触れる。

 

 さらには先住民族のみならず、アメリカ合衆国一派の魔術師側……彼らに亜種聖杯を提供したというオブザーバーを名乗る人物が思惑とは裏腹に、戦いを喧伝したことで混迷は深まる。

 

 結果、亜種聖杯戦争は過去に類を見ない規格外の規模となったという。

 そして、招かれた英霊も規模に見合う規格外の者たち。

 

 エジプトの神王(ファラオ)に、ヨーロッパの父たる大帝。

 ギリシャ神話最強の大英雄に、中世錬金術の大家。

 さらに最悪の猛威を振るったという先住魔術師たちが呼び出した『死の聖母』。

 

 いずれも召喚された時点で優勝が確約されるような規格外の英霊ばかり。

 加えてマスターの方も、一国家のバックアップを受ける組織に、世界的な規模で活躍するマフィアの一団、遥か古よりメソアメリカの魔術を語り継ぐ先住魔術師たちと、組織規模で動き回れる者たち。

 

 その結果、起こったという文字通りの戦争は、規模と被害のあまり時計塔においても箝口令が敷かれるほどの凄まじい規模のものになったという。

 

「……なんだ、このF-15撃墜って」

 

「ああ、何でも規模が規模なんで戦い中盤には一部の米軍まで動いたんだとよ。で、残らず土地柄無視して突如出現したピラミッドから飛んできた熱線にまとめて全部焼き払われたと。戦闘機以外にも戦車の方も何台か吹き飛ばされたってな、被害としちゃあ中隊規模の損失だったか? そりゃあ箝口令も敷かれるだろうよ」

 

「へぇー……ってパーシヴァルの野郎も呼ばれてたのかよ」

 

 獅子劫の解説を聞きながら、しげしげと興味深げに“赤”のセイバーは資料を流し見る。

 何やら読み物を楽しむような態度の“赤”のセイバーに呆れながら獅子劫は……。

 

「そして戦いを勝ち抜き、亜種聖杯を手にしたのが……他ならぬ件の魔術師アルドル・プレストーン・ユグドミレニアだ。しかもコイツは他の参加者と違ってユグドミレニアの援護を受けずに、文字通りサーヴァントと単騎掛けでこの戦いを制してやがる」

 

 とてもではないが人間の所業ではない、と付け加え、ため息を吐いた。

 

「ハッ、オレは寧ろ興味は湧いた。あん時はアグラヴェインみたいに裏でコソコソ立ち回る奴なのかと思ったが、存外派手に動き回る野郎みたいだしな。よし、アイツもオレが倒すぞマスター」

 

「…………お前さん、大物だわ」

 

「当然だ。オレは王になるのだからな!」

 

 その思考、楽観と取るか慢心取るかはさておき、これだけの話を聞いて尚、“赤”のセイバーは怯むどころか寧ろやる気になっている。

 ここまで来ると一周回って頼もしい上、何故だが何とかなるような気までしてくる。

 

「やれやれ……ま、そうだな。未知数だからって今更怯んでも仕方ないか。既に賽は投げてしまったし、後は野となれ山となれと考えた方が前向きか。……まさかお前さんに励まされるとは」

 

「うん? おいマスター、そりゃあどういう意味だ?」

 

「褒めてる褒めてる。とはいえ、流石に昨日の今日で攻めかかるのは何にしてもよろしくない。まずは一日、休息の時間を取ることにするか、異論はあるか、セイバー」

 

「……ま、それが妥当か。それでいいぜ、マスター。んじゃあ、さっそく飯にしようぜ飯。休憩するならまず飯だろ。オレはステーキでいいぞ」

 

「はいはい、りょーかいしましたよ。王様」

 

 方針に納得して、先ほどまでの血気は何処へやら鼻歌を歌いながら赤いレーザージャケットを羽織る“赤”のセイバー。

 その切り替えが早さに思わず獅子劫は苦笑する。

 

「そんじゃ、遅めの昼でも──」

 

 取りに行くか、と言いながら獅子劫もまたジャケットを羽織ろうとして……。

 

「ッ、マスター!」

 

「なにっ?」

 

 突如として“赤”のセイバーが獅子劫の肩に手をやり、そのまま引っ張って後ろに倒す。

 あまりに唐突な不意打ちに獅子劫は驚きながら目をやると眼前にはいつの間にやら臨戦態勢を整えた“赤”のセイバーの姿と──もう二つ。

 

「──おっ、なんだ飯食いに行くのか。なら俺たちも同伴させてもらおうか? なあ、“赤”のセイバーのマスター」

 

「…………」

 

 見知らぬ長身の青年といつか見た女弓兵がそこに居た。

 “赤”の陣営がサーヴァント──“赤”のライダーと“赤”のアーチャーである。

 身構える“赤”のセイバーを眼前に、されど長身の青年、“赤”のライダーは涼し気に口を開き。

 

「そう警戒するなよ。飯食って親睦を深めようって話さ。ちょっとばかしこっちも事情が混んでてね。お前さんたちと一度腹を割って話し合いたいのさ」

 

「事情だと?」

 

「ああ」

 

 警戒しながらも訝し気に疑問を浮かべる“赤”のセイバー。

 それに“赤”のライダーは悪戯を仕掛けるような笑みを浮かべて、

 

 

「なに、ちょっとした事情さ──“赤”の陣営の裏切者に関する、な」

 

 

 ──かくして運命の筋書きから外れた邂逅が此処に成る。

 以て聖杯大戦は更なる混迷へ。

 万全盤石の読みを崩すべく、謀略家の一手が投じられた。




《ドキドキ! 南米亜種聖杯戦争!》

セイバー:
フランシスコザビッ!? 留学中!?
よっし、良く分かんないが行くぜマスター!!

ランサー:
これがアメリカンサイズという奴ですか!
素晴らしい! 何事も大きいことは良いことです!
ところで貴女は食べないのですかエルザ殿?

アーチャー:
なんでさ

ライダー:
お前、余の、嫁の、墓を暴いたな? 死ね。

キャスター:
フランチェスカ? オブザーバー?
良く分かりませんが彼女は邪悪だ。殺しましょう。

バーサーカー(アヴェンジャー):
不愉快な神性の気配がするな。
神もそれに類するものも皆殺しだ。

アサシン:
死死死死死死死死死死死死死


オブザーバー:
ごめんね☆

ファルデウス(祖父):
胃が、胃がぁぁぁ!?


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栄光への寄り道/踏み込む勇気

 深夜に繰り広げられた英雄対英雄の死闘。

 劇的に、されども人々の日常に踏み込むことなく密かに行われた激戦は平和な日常を過ごす人々には関わりのない話である。

 夜は既に明け、日は中天へと昇っている。

 

 なればこそ神秘の気配は夜と共に去り、今日もまた気怠くも穏やかな日常が廻りだす。市街地戦が繰り広げられたトゥリファスの街には今日もまた勤労を行う人々、休暇に勤しむ家族、或いは外来からの観光客と人で溢れかえり、いつも通りの日々がいつものように始まっている。

 だから街を過ごす彼らが違和感を覚える非日常的風景と言えば、街を見下ろすかのように、離れに存在するミレニア城塞の姿。

 前日まで、古より変わらぬ姿であった城塞は一転、それこそ古の城塞に相応しいかの如く所々が崩壊したり、崩れたりしている。

 

 今朝のニュースによれば昨日から今日の深夜にかけて老朽化に伴う崩落があったとのことだが、それにしても老朽化であんな崩れ方をするだろうかと幾人かは違和感に首を傾げる。

 だか、疑問はそこで終わり。

 そもそも街のシンボルと言えるほどの観光名所でも無し。

 ミレニア城塞は昔から今も私有地として指定された誰かの所有物である。いつも通りの日常における風景の変化にはなってもそれが人々の生活に与える影響と言えば何一つありはしない。

 

 故に日常の裏で進む大戦のことなぞ知る余地もなく、日常は今日も表面上は平和をなぞり、穏やかな時間を刻む。

 

 人々のそんな暮らしの裏側で、次なる夜を見据えた非日常を生きる住人たちは息遣いを潜めながらも着々と準備を進めていた。

 

「──まずは此処に居る皆、無事にこうして再び顔を合わせることが叶ったことを共に祝うとしよう。尤も全員誰一人欠けることなく、とはいかなかったが」

 

 王の間に集まった“黒”の陣営のマスターたちとそのサーヴァント。彼らをぐるりと見渡してから口上を述べるはダーニック。

 残念がる言葉は夜を越えられずに散っていった“黒”のライダーとそのマスターたるセレニケを指したものである。

 

 如何に人格に問題があった人物とはいえ、今回揃ったメンバーはユグドミレニアの中でも精鋭たる魔術師ばかり。

 そもすれば一族の大切な人材が減ったことに、長たるダーニックが僅かばかりの無念を伺わせるのは当然の反応だといえよう。

 

「……ま、それに関しちゃ悪かったな。城の守りを任されていながら犠牲者を出しちまったのは俺の落ち度だ」

 

 その言葉に片目を瞑りながら、簡単に謝罪の言葉を述べる“黒”のキャスター。彼は長く戦地を走ってきた英雄だからこそ戦争をする以上、犠牲が出るのは当然のことと心得ている。とはいえ、自らの領分において起こった失点に関しては小さな心残しとしてあった。

 

「いやキャスターは確かに仕事を果たしてくれた。“赤”のセイバーにあれ程までに深く入り込まれてマスター一人の犠牲で済まされたことは他ならぬ君が居たからこそだろう」

 

「そう言ってくれると助かる。領王サマの方もすまなかったな」

 

「戦をしているのだ。寧ろ犠牲が出ないことの方が不可能であろう。ダーニックが言うようにお前はお前の出来る最善を行った。そしてその上で犠牲が出たとするならば、それはもはやそれが“黒”のマスターと“黒”のライダーの天命だったということだろう」

 

 主たるダーニックと同じように謝罪の言葉に軽く頷く“黒”のランサー。

 彼は生前より今も変わらぬ苛烈なる支配者であるものの、理不尽に激するほど愚かな人物ではない。大国相手に戦を続けた武人にして王である英雄だからこそ彼もまた戦争の道理を弁えていた。

 

「それに落ち度というならばそれは少なからずこの場に集う我々皆に当てはまる言葉だ。戦で勝ちきれなかった以上、皆が皆、最善を尽くした上で及ばなかった点があったということなのだから。そうであろう?」

 

「確かに。そういう意味では此度の戦いは全員が課題を突き付けられたな。その上で戦力が大きく目減りしなかったことは僥倖だと言える。まだ挽回する機会が残されていることに他ならないのだからな」

 

「然り。さらに言うのであれば改善の余地が残されているという現実を前に挽回する機会が残されているということは我が陣営において大きな意味となる」

 

 即ち、次なる勝利へと繋がる布石へと。

 

 課題が判明した上で、それでも課題を抱え落ちせぬままこうして戦力の大半を残したまま“黒”の陣営が生存してみせたことは次に控える“赤”の決戦を前に大きな意味を成すことだろう。

 

 “黒”のランサーの意図を読み切って、言葉を告げるアルドルに、“黒”のランサーは満足げに頷いた。

 

「何事も計画、行動、評価、そして改善、だ。であればこそ、此処で我々は正しく自らの行動を評価せねばなるまい。故にそう、まずは──」

 

 玉座に坐する“黒”のランサーの視線が“黒”のセイバーとそのマスター、ゴルド・ムジークを射抜く。

 苛烈なる王の視線にゴルドはびくりと竦みあがり、“黒”のセイバーはその視線を受けてもなお、瞑目したまま不動。

 

 両対極の反応を見せる両者に“黒”のランサーが言葉を続ける。

 

「“黒”のセイバーよ」

 

「…………」

 

 名指しに剣士は目を開く。言葉は無いのままだが、静謐な色を讃えた瞳には如何なる批難をも受け入れる覚悟があった。

 決して言い訳をせずにあるがままを受け入れる様、無骨ではある反応だが、武人の矜持を知る“黒”のランサーはその反応に好感を覚える。

 

「ふむ、そう構えることはない。先に余は言ったぞ? 皆が皆、最善を尽くした結果だと。お前と“赤”のライダーの戦い。アレを見てお前に明確なる落ち度があったと言えるものなどいるまい。余でさえ読み違えたのだ。こちらに落ち度があったのではなく、向こうが上回ったのだと評価するべきだろう」

 

「…………」

 

 先の戦いにおいて最も激しく、最も過酷だったと言える“黒”のセイバーと“赤”のライダーによる一対一の激突。

 途中から“黒”のランサーもまた割って入った戦場であるからこそ、敵サーヴァントの桁違いの実力は言われるまでもなく理解している。

 

 判明した事実──“赤”のライダーの真名アキレウスという情報も相まって、敵が難敵であることをこれ以上なく強く認識を深めていた。

 

「神話の如く踵を、とはいかぬのは先の戦いの通りだ。正面からの攻略が厳しい以上、アレを打倒するには何らかの策を練らねばなるまい。そうだな、“黒”のアーチャー」

 

「ええ、彼──いえ、“赤”のライダーを倒すともなれば単独では厳しいと言わざるを得ないでしょう。向こうからの指名もありますし、“赤”のライダーへの対策は私が考えます」

 

「ケイローン、ですが貴方は……」

 

「……お気になさらずマスター。これは聖杯戦争。そういう縁もありましょう。彼にも私にも叶えたい願いがあった。だからこそ戦う。これはそれだけの話ですよ」

 

 “黒”のアーチャーことケイローンの言葉にフィオレが何か言いたそうに口を挟むものの、当の本人は柔らかく微笑むのみ。

 それでフィオレは言葉を重ねることを止められた。

 

「期待しているぞ、賢者よ」

 

「はい。お任せを」

 

 故に“黒”のランサーも無為に多くを告げない。英雄アキレウスと賢者ケイローン。神話に語られる両者の師弟関係を知りながらも、今は味方であり、紛れもない“黒”の陣営たるサーヴァントに信頼を告げるのみ。

 

「ゴルド」

 

「ひ……な、なんだ……ダーニック」

 

 そんな英霊同士の信頼の一方、“黒”の陣営の領王とは異なるユグドミレニア一族の長ダーニックはゴルド・ムジークに冷徹な視線を向ける。

 応対するゴルドは平時と変わらず、傲岸不遜を貫こうとしているものの、反応にはあからさまに怯えの色があった。

 恐らくは自らに分かりやすい落ち度があることを自覚しているからだろう。

 

「令呪の使用による“黒”のセイバーの宝具発動。並びに宝具発動に伴う敵陣営への“黒”のセイバーの真名露見。この二つに対して何か言い訳はあるか?」

 

「あ、アレは落ち度だとは思わん! あの時点において“赤”のライダーの無敵性は不明だった! 勝ち筋が見えない以上、宝具で戦況を打破しようとする判断は当然だろう!?」

 

「だとしても些か軽挙妄動だったな。勝ち筋が見えないからこそ此方の手札を無為に晒すことの方がリスクとしては大きいだろう。少なくとも純然たる技量においては“赤”のライダーの実力に“黒”のセイバーは負けず劣らずだったと聞く、であれば彼の技量を信頼してもう少し戦況が動いてから行動しても遅くはなかっただろう」

 

「くっ、アルドル……貴様!」

 

「思ったことを口にしただけだよ。それに軽挙妄動というのならば批難されるべきは他ならぬ私だろうしな。独断専行した挙句、作戦に失敗して向こうの危機感だけを煽って逃げて来た身の上だからな、先の戦いにおいて“黒”のマスターで最も失点が大きいのは私だよ」

 

 そう言って、苦笑しながら睨むゴルドを煙といなしながら視線をダーニックと“黒”のランサーへと向けるアルドル。

 さり気なく批難の方向を自分へと挿げ替えながら沙汰を待つアルドルに対して、ダーニックはため息を吐いた。

 

「お前はまた別の落ち度だ。ゴルドを庇おうとするお前の心意気は買うが、それはそれとしてもう少し立場というものを分かってくれ」

 

「無論、心得ているとも。これでもユグドミレニアの魔術師としての戦闘能力は最強らしいからな。無駄死にするつもりはない。如何なる運命が待ち受けようともこの身はユグドミレニアのためにこそ使い切ろう」

 

「そういう意味ではなく……いや良い。お前に免じてこれ以上、ゴルドにもお前にも私からは何も言うまい、王よ」

 

 ダーニックの意図とは若干ズレた返答をするアルドルに、ダーニックは困ったように眉間を指で叩くが、懸念する叔父とは裏腹に甥の方と言えば変わらずといった風体だ。

 昔から変わらない完璧な甥の数少ない弱点に頭を悩ませながらも、ダーニックは自らの判断を領王へと仰ぐ。

 

「そちらの方針に余から口を出すことはない。結果論とは言え、“黒”のセイバーの奮戦あってこそ敵の正体も判明し、対策も練ることが叶うのだからな。その過程でこちらの真名と宝具の情報が敵に渡ってしまったのは必要経費と判断するべきであろう。とはいえ、令呪使用により戦場の天秤が揺れ動いたのもまた事実。それについてはどう判断するダーニックよ」

 

「謹慎期間を設けます。次なる戦いの開戦までゴルド・ムジークから“黒”のセイバーへの命令権を取り上げ、自室にて数日の謹慎を」

 

「ふむ、良かろう」

 

「なっ……ぐ、むぅ……」

 

 告げられた自らの沙汰にゴルドは不満を口にしようとするものの、冷たい視線を向けて来たダーニックを前に押し黙る。

 ……元より言葉で言い繕う他ならぬ彼自身にも落ち度の自覚はあるのだ。これ以上言い訳を重ねることが寧ろ相手の心情を損ねることに繋がることを察せない程、ゴルドは愚かではなかった。

 

「……分かった」

 

「フン」

 

 少しだけ項垂れるようにゴルドは了承する。

 それにダーニックは鼻を鳴らして一歩下がった。

 自分の出る幕は終わったということだろう。

 

 引き継ぐように再び“黒”のランサーが言葉を発する。

 

「さて、味方の落ち度ばかり突いても不毛な議論にしかなるまい。責任の追及も済ませたことであるし、()を見据えて話を始めるとしよう。賢者よ、率直な意見を聞きたい。お前は“赤”の陣営をどう評価する?」

 

「……ふむ」

 

 “黒”のランサーに水を向けられた“黒”のアーチャーは思索に耽る様に、暫し考え込むように黙り込んだ後、ゆっくりと自らの所感を語り始める。

 

「まとまりに欠ける。そんな印象を受けましたね」

 

「ほう、続きを聞かせてもらおう」

 

 “黒”のランサーは興味深げな視線を向けながら玉座に深く、座り直す。どうやら構えて聞くに値すると判断したらしい。

 意を察して、“黒”のアーチャーもまた自らの所感を披露する。

 

「“赤”のサーヴァントたちは何れも強力な英雄でした。“赤”のライダーの方は言うまでもなく、“赤”のセイバーも“赤”のランサーも“赤”のアーチャーも。討ち果たしたとはいえ“赤”のバーサーカーも」

 

 ギリシャ神話で最速の英雄にして世界的な大英雄アキレウスに、名こそ知らぬが初手でミレニア城塞の防壁を容易く粉砕した炎の宝具を振るう槍使い、夜間であれ程の弓の腕を誇り、また“黒”のライダーに匹敵する足を見せた女狩人。最優のサーヴァントに相応しい赤雷の魔力と無頼の凶剣を操る騎士。如何なる被虐を以てしても朽ち果てず進み続ける闘剣士。

 

 何れの英雄も桁外れの力量と凄まじい能力を秘めていたことに違いは無い。

 しかし同時に、それだけの力を持った強力な英雄だからこそ浮き彫りになる違和感というものがある。

 

「しかし、彼らの戦いは何れも個々で展開されたものです。大まかな計画、ないしは作戦行動が事前に決められていたことは“赤”のセイバーがミレニア城塞に見事侵入したことからも分かる。ですが……彼らの戦いに連携はなかった」

 

「確かに。“赤”のサーヴァントらは各々に役割らしいものこそ見受けられたが、それを越えた連携をする様子はなかったな」

 

「はい。ミレニア城塞の守りに亀裂を入れた“赤”のランサーはそれ以上動かずに撤退しましたし、“赤”のライダーは一人で戦場を大立ち回りしていました。“赤”のバーサーカーはともかく、“赤”のアーチャーも単独行動を行い、そして侵入した“赤”のセイバーも同じく」

 

 大まかな戦略はあったのだろう。“赤”のランサーで敵の守りを剥がして、“赤”のライダー並びに“赤”のアーチャーで異なる戦場にそれぞれが敵を引きずり出している間に敵拠点に密かに迫った“赤”のセイバーが懐深くで暴れる。敵の作戦としてはそのようなものだったのだろう。

 

 彼ら彼女らはその作戦に沿って行動していた。そういう意味では共闘しているには違いない。

 

「ですが彼らは預かった戦場の領分を越える動きを見せなかった。何れも割り当てられた戦場内において自らの個人技を振るって戦うのみで、連携して敵を討つような動きは何一つ見られませんでした。なので……」

 

「こちらと比較してまとまりに欠けているように見えた、か。……ふむ」

 

 “黒”のアーチャーの進言を聞いて“黒”のランサーは暫し沈黙する。

 マスターであるダーニックに曰く、元々“赤”の陣営……いわゆる時計塔の戦力は此度の聖杯大戦に際して、メンバーの殆どを戦闘特化の魔術師を傭兵として雇うことで成り立っていると聞く。

 金銭にて雇われた傭兵だからこそ或いは味方ではあっても仲間ではないということなのかもしれない。あくまで勝ちに至る戦略は示し合わせても根本的な戦術は共にしないということか。

 それとも単に今回は戦略上の理由で個別に動いたというだけなのか。

 

 “黒”のランサーは幾つかの考察を重ね、吟味し、そして。

 

「……そうだな。お前はどう見る? “黒”のアサシンのマスターよ」

 

 此度の戦いに際して、何らかの思惑の下、単独で戦場を駆けていた人物へと意見を問うた。

 “黒”のランサーの言葉に反応し、この場に集う全員の視線が一人に向く。

 

「私の意見、か?」

 

「うむ。お前の意見だ、ダーニックに期待される後継よ。此度の戦場、失敗したとはいえ何やら“赤”の陣営を一網打尽とするために動いていたのであろう? ……本来、指揮系統を混乱させる個による独断専行は集団を纏める長からして認められるものではない。しかしダーニックはお前の行動を認めていた。であれば余も正直興味があるのだよ。お前が胸の内に秘めた見識というものに」

 

 “黒”のランサー……ヴラド三世は苛烈な王として英霊でありながら“黒”の陣営を指揮する正しく王といった振る舞いをしているが、一方で自らがサーヴァントであり、マスターであるダーニック・プレストーン・ユグドミレニアを認めていた。

 彼の抱く願い、彼の持つ実力は正しく認めているが故、“黒”の陣営の戦略を自らが指揮する一方で“黒”の陣営の方針は極力ダーニックに沿うようにしている。

 

 恐らくはヴラド三世と同じように自らが裁量で一つの組織を纏めていただろう己の主が唯一、独断専行などと独裁者が決して許さないであろうそれを許容した魔術師。

 この場に集う英霊、魔術師いずれとも違う独特の見識を持つ者。

 

 率直に言うならば興味を持ったのだ、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアに。

 同じ独裁者たるダーニックとヴラド三世を分かつ唯一の相違点。

 即ちは後継者という人材に。

 

 皆の注目を集めながらアルドルはややあって口を開いた。

 

「──“黒”のアーチャーの予測は恐らく正しいだろう。“赤”の陣営は戦略上の動きは共にしていても意思統一はされていない。いや、より正確に言うならば指揮者に従うことを良しとしていないのだろう」

 

「ほう。言い切るか」

 

「……“赤”の陣営に接触して何か見たのか?」

 

 個人的な予想としながら妙に確信めいた言葉を口にするアルドルに“黒”のランサーとその主たるダーニックが共に関心を示す。

 それを受けてアルドルはあっさりと、しかしてとんでもない事実を口にする。

 

「ああ、これは叔父上にも伝え忘れていた話だが……そもそも私が計画した英霊が出払っている合間に敵マスターを駆逐する作戦が失敗した要因はその指揮者が問題でね。現在“赤”の陣営を指揮している教会からの神父……その正体がサーヴァントだったことに起因する」

 

「なっ……!」

 

「マジ……じゃなかったそれは本当ですか義兄さん!?」

 

「馬鹿な! そんな話があり得るか!!」

 

 フィオレが、カウレスが、そしてゴルドが三者三葉に驚愕の反応を示す。

 それを傍目に“黒”のランサーはいよいよ以って興味深そうに、ダーニックは視線に冷たいものを宿しながらアルドルの次の言葉を待った。

 

「事実だ。教会からの監督役兼マスター、シロウ・コトミネ。当人曰く、彼は第三次聖杯戦争からの生き残りだそうだ。そして“赤”の陣営のマスターは既に彼が召喚したサーヴァントによって、彼の支配下に落とされている。“赤”の陣営の動きに歪な部分が生じているのも指揮者たるシロウ神父に対する反発心があるからだろう」

 

「──成程。その情報が確かであるならば“赤”の陣営の動きにも納得がいく。そして我々もまた自らの戦略を見直さねばならないな。敵は初めから七騎、ではなく八騎だったということか」

 

「ふん──言峰璃正め。やってくれたな……」

 

 報告された“赤”の陣営の内情を聞いて、“黒”のランサーは改めて敵の陣営の戦力を見直し、ダーニックの方は数十年前の因縁を思い出して舌打ちする。

 

「ではシロウ神父……敵のマスターの正体がサーヴァントだとして如何なる英霊なのですか? アルドル。その様子から察するに遭遇したのみならず交戦をしたのでしょう。クラス、ないしは真名は?」

 

 アルドルの報告に場が騒然する中、冷静に確認するのは“黒”のアーチャーだ。

 賢者たる彼は瞬時に確認するべき情報を確認しに掛かる。

 問いかけにアルドルはこくりと小さく頷き。

 

「シロウ神父。いや、彼こそ冬木の第三次聖杯戦争の生き残り。かの御三家はアインツベルンに招かれたサーヴァント。クラスはルーラー。真名を天草四郎時貞と名乗っていたよ」

 

 此処にきて遂に報告される“赤”の陣営が秘中とする最大の事実。

 第三次聖杯戦争より執念に取りつかれた対の勢力。

 魔術師の箴言によって明かされた情報を前に“黒”の陣営は言葉を失う。

 

 その中で一人──驚愕の事実を知りながらも平時と同じ調子を崩さないアルドル。

 彼は真正面から“黒”の陣営の王たる両名、ヴラド三世とダーニックの二人を見据えて、もう一つの箴言……自らが内に秘めていた次なる一手のために行動をする。

 ──勝利のために。

 

「ついては私から一つ提案だ。次なる“赤”の陣営との対決。聖杯大戦の雌雄を決するその前にこれ以上の不明な要因を排斥しておきたい。此度の聖杯大戦に招かれたかの神父と同じエクストラサーヴァント、如何なる勢力にも属さずに聖杯大戦に乗り込んできた者……十六騎目のサーヴァントの撃滅を」

 

 では栄光へ至るための最後の運命を打倒しよう。

 以て勝利を千年樹の下へ。

 万全盤石を名乗る魔術師は此処に寄り道を開始する。

 

 

 

 ──『栄光への寄り道』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 濃密な陣営の会議を終え、各々のマスターとサーヴァントは自らに割り当てられた部屋へと戻っていく。その帰路の中、“黒”のアーチャーに車椅子を押されながらフィオレは囁くように呟く。

 

「遠い、ですね」

 

 冷静沈着、深謀遠慮、初志貫徹。

 いつ如何なる時も彼は勝利を目指していた。

 己の業を、己の心を、己の身体を鍛え、研ぎ澄ませ、遠く遠く何処までも。

 

 目指す理想のために進撃するその姿は決して消えぬ炎のよう。

 静かに、されどただ一時も減衰しない不滅の篝火。

 故に孤高、故に王道、故に情熱。

 

 まざまざと見せつけられた変わらない幼馴染を前にフィオレは唇を噛み締める。

 

「──アルドル殿の事ですか?」

 

 思わず囁くように口にしてしまった劣等感を車椅子を押す“黒”のアーチャーが拾い上げる。それにフィオレは慌てて反応し、取り繕った。

 

「あ……すいません、アーチャー。今のは……!」

 

「余計なお世話かもしれませんが、そう思い悩むことはないでしょう。マスター。貴女はよくやっている。貴女に召喚されたサーヴァントとして、貴女が優れたマスターであることは私が保証しますよ。まあ、とはいえ同年代であれば意識するなという方が尚の事難しいかもしれませんね。彼は余りにも例外すぎる。ダーニック殿がアレほど認めている理由も納得できてしまう程に」

 

「アーチャー……その、貴方から見てもアルドルは、その」

 

「ええ。アレは凄まじい(・・・・)。少し前に個人的に言葉を少々交わしましたが、正直、あの年齢であそこ迄の者は生前にも目の当たりにしたことはありませんでしたよ。全く、情熱(アルドル)とはよく言ったものです」

 

 苦笑しながら言う“黒”のアーチャーの言葉にフィオレは顔を下げる。

 自らの英霊すらも認めた幼馴染。

 遥か遠くを歩む背にフィオレは対する自らの不甲斐なさで自己嫌悪し、

 

「……故にこそ、彼は誰よりも危うい。そう思っていますよ」

 

「え?」

 

 続けて“黒”のアーチャーが発した言葉に思わず顔を上げた。

 主から向けられた視線を受けながら、“黒”のアーチャーは遠くを見つめるように、まるで辿り着くであろう結末(みらい)を虚空に見ながら言葉を続ける。

 

「彼が燃やす情熱という名の炎は自らをもくべる輝きです。果たすべき責任、成すべき悲願。それを叶えるために自らを使い切るという覚悟。それはある意味では我々、英霊に通じるものでもありますが、それ故にその末路は例外なく短く儚い。特に彼のような在り方は」

 

 何故ならばそれは自己を顧みぬやり方だからだ。

 自分ではない何かのために生を駆け抜ける。

 その走りは輝かしければ輝かしいほど速く、激しく、そして儚い。

 

「なにより彼はそこまで知っているが故に一人で駆け抜けようとしている。だからこそ尚の事、危うい。先の会議は正にその一例だと思いました。マスターも先ほどの彼の発言は聞きましたね?」

 

「……はい。『次なる戦い、決着を見る前にルーラーを討つ』と」

 

「ええ。先の会議で彼の提案をダーニック殿も“黒”のランサーも受け入れました。此度の大攻勢で消耗したであろう“赤”の陣営が動くまでに数日の猶予が生じるでしょうからね。その間に不測の事態を呼び込む要因を減らしておきたいというのは合理的な判断です」

 

 如何に時計塔の魔術師が優秀だとしても魔力は有限のモノ。一夜を通して英霊という規格外の神秘を運用し、果ては宝具まで開帳したというのであれば。失った魔力もまた相応のものだろう。だからこそ次なる攻勢には数日の猶予がある。

 その判断の下、被害こそ多かれど、消耗は少なかった“黒”の陣営が盤面を優位なものへと組み上げるため、今のうちに不確定要素を排するという考えは何処までも合理的だ。

 

 だからこそダーニックも“黒”のランサーもかの者の提案を認めた。

 しかし……。

 

「ですが、彼は誰にも協力を求めなかった。終始一貫して自分一人で進めることを前提に話を進めていました。これはとても危ういことだと思いませんか」

 

「あ……それは……」

 

 指摘されて思い出す。

 確かに彼は誰にも協力を頼んでいなかった。

 あくまで陣営同士が拮抗している間隙に、自らが手で不明要因を排斥しようとしていた。

 

 ……別段、“黒”の陣営を頼りにしていないわけではない。

 彼はユグドミレニアの魔術師たちの実力を認めているし、自陣営の英霊たちが一騎当千の猛者であることも当然承知している。その上で、彼の頭には初めから彼一人しか計算に入っていないのだ。

 最初から、一人きりで聖杯大戦を駆け抜けることを前提として動いている。

 

「必要ならば手を借りることも辞さないのでしょう。実際、英霊を呼び出すに際してはマスターの方々に口を出したと聞きますし、先の戦いでも状況に合わせて協力を仰ぐ真似をしていましたしね。先の会議でも後になって何やらダーニック殿と打ち合わせていた様子だ。ですが、より根本的な戦略の部分。その大局観においては彼は常に自分の身、一つを置いている」

 

 これが危ういのだと“黒”のアーチャーは言う。

 確かに優れた個は、個で動いた方が効率的なように見える。

 しかし、個は個であるが故に限界というものがあるのだ。

 

 さらに加えて自らも顧みず、自分の命すら炎にくべるというのであれば。

 その末路は往々にして儚いものとなる。

 他ならぬギリシャ神話における英雄たちの教導者であり、かの者の真実を知っている“黒”のアーチャーだからこそ分かる。

 

「マスター。余計な口出しかもしれませんが、もしも貴女がその胸に抱くものが憧憬だけではないのだとしたら、あの背は見送るモノではなく引き留めるべきものだ」

 

 でなければ取り返しがつかなくなると暗に告げる。

 或いは疾うの昔に彼は。

 

「……出過ぎた意見でしたね。不愉快に思われたのならばどうか、忘れてください」

 

「いいえ、そんなことは」

 

 静かに頭を下げて謝罪する“黒”のアーチャーにフィオレは首を振る。

 同時に自らの胸に手を当て、考える。

 

 ──彼女にとって、彼は常に先を行く憧れの《光》だ。

 

 魔術の腕も、強靭な精神力も、何より輝くような願いも。

 全てが全て、同年代と思えぬ程に突き抜けている。

 ユグドミレニア一族最強の魔術師。

 その称号が相応しいと誰もが認めるほどに彼は強い。

 

 だが同時に誰よりも孤高だ。

 ダーニックという同じ執念を抱くものが居ても。

 フィオレという同じ目標を抱くものが居ても。

 

 強すぎる輝きは全てを置き去りにして往ってしまう。

 

 ダーニックは託してしまった。

 フィオレは折れてしまった。

 

 だから全てを背負って、彼は一人で栄光の道を往く。

 

 たとえその末路が破滅だったとしても。

 あの日、フィオレが憧れた彼の夢、彼の願い。

 そこに懸けた情熱のために。

 

 きっと、喜んで自らの命をくべるだろう。

 

「ああ──」

 

 その末路を想って、幻視して。

 ズキリと痛みを覚える。

 

 ……魔術師として悲願の達成は己が命を懸けるに値するものである。

 そも魔術師とはそういう生き物だ。

 『根源』という絶対の到達点へと届かぬことを知りながら疾走する愚か者。

 

 その目標が『根源』から『一族』にすり替わろうとも関係ない。

 本質的に報われぬことを前提とした救われない生命。

 

 ならばその常識に沿えば、アルドルの自らをも犠牲とした在り方は極めて魔術師として正しい在り方なのだと言えるのかもしれない。

 けれど思った、思ってしまった。

 

 嫌だ(・・)──その結末は見たくない。

 

 だってそう、彼女は知っている。

 彼がどれぐらい一族を大切に思っているかも。

 彼がどれぐらい先人の願いを真摯に汲んでいるのかも。

 

 誰よりも強く、そして誰よりも優しい人。

 超然とした魔術師でありながら、他者を慈しむ心を持つ人。

 

 初めて自らの意志で、追いつきたいと踏み出した──。

 

「──ねえ、アーチャー。もしも、もしもの話ですけれど、私が此処で我が儘を言ったとしたら、貴方は付き合ってくれますか?」

 

 その問いに少しだけ“黒”のアーチャーが驚いたような表情を浮かべる。

 しかし次いで、その顔にいつもの柔らかな笑みを浮かべて。

 

「無論です。私はマスター、フィオレ様のサーヴァントですから。貴女の願いを叶えることために私は此処に召喚されたのです。ですから、どうか、後悔なきように」

 

「……そうですね。後悔は、苦しいですから。今度はちゃんと、進まなきゃ」

 

 波紋が広がる。

 未だ盤上にて手を振るうは過ぎた願いを秘めた二人の狂人。

 されども差配の裏でささやかな祈りを抱く者たちもまた動き出す。

 

 どだいこれは聖杯大戦。

 悲願を胸に抱く大火は二つなれども小さな灯が価値に劣るわけではないのだから。




《質問! アルドル君についてどう思いますか》

ダーニキ
「うちの甥っ子は最強なんだ!(注目線)」

薄幸令嬢
「追いつきたい憧れの人です」

苦労弟
「兄さんみたいな凄い人。でも真似は出来ないだろアレ」

不滅のゴルド
「息子よ、情熱的な奴には気を付けろ(十年後)」

ペロニケ
「うおおお! 私は譲らない! 美少年を!」

ゴーレムキチ
「あ、ボクはゴーレム作ってるから」



極光のポンコツ
「流石です、お兄様!!」

不死鳥の息子
「何召喚してくれてんのォ!?」

氷の国の女王様
「おまえ、は……うん。お母さんと呼んでくれて良いのだぞ?」


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盤外より/祈りの少女

 “黒”の陣営が本拠地にして、主力魔術師の集うミレニア城塞。

 かの時計塔に反旗を翻す一族の一大拠点には当然ながら様々な機能や施設が存在している。

 

 各魔術師たち及び、各サーヴァントそれぞれに私室が割り当てられる程度には存在する個室に、降霊術、錬金術、黒魔術、カバラと、各々違う系統の魔術の研究を可能とするだけの魔術工房設備、各種貴重な資料や対魔術戦を考慮した兵装を収める藏、さらには地下にはホムンクルスを製造、その魔力を徴収するだけのシステムを運用するための工場まで存在した。

 ……最後に関しては既に破壊されたわけだが。

 ともあれ、如何なる事態が起こっても不足が無いように、ミレニア城塞には様々な機能を有した施設が内部に多数存在している。

 

 故に現在、ロシェ・フレイン・ユグドミレニアが篭るこの一角もミレニア城塞が有する機能の一つだ。

 人一人で使用するには大きすぎる広間は既に破壊されてしまったホムンクルスの魔力精製炉と同じような作りで、周囲一面にはホムンクルスと同じ人型の、されども物言わぬ人形たちがずらりと並んで存在している。

 

 ユグドミレニアがホムンクルスと同じく、雑兵として扱っている存在──ゴーレム。正にここはそのゴーレムを大量製造、運用するための工房施設であり、弱冠十三歳でありながらユグドミレニアの未来を結する戦いに選ばれた精鋭の一人、ロシェ一人の辣腕にて運用される一大工場であった。

 

「……ここをこうして、いや、これだと相性が悪くなるか? 全く、アルドルの奴も無茶を言うよね、ゴーレムの基盤のない北欧圏の魔術性質に適応させるとかもうそれ殆ど魔術の翻訳みたいなもんじゃないか。しかも参考資料はこれ(・・)と来た。これもう三か国語を一つの言葉に統合するような無茶ぶりだよ」

 

 簡単な命令なら自己判断でこなせる自立稼働型ゴーレムたちがせっせと戦闘用ゴーレムを量産する一方で、この聖杯大戦が始まって以降、殆どを工房で過ごすロシェは今この時も次期当主より数か月前から依頼されていた仕事を行う最中であった。

 

 仕事の難易度は口に出した通り極めて高い。元より聖杯大戦に勝つために神代より遺産を持ち帰ってくるような怪物じみた性能を有する魔術師がアルドルである。大抵のことは自前で済ませられるだろう彼をして、態々ロシェに持ち掛けた共同研究の内容は、なるほどロシェに持ち掛けるだけの話ではあった。

 

 だからこそ彼はとあるキャスターの召喚を断念することを許容したし、その上で正直な所欠片も興味のない聖杯大戦に自分なりに貢献することを約束したのだ。

 

「ま、正直結果の方にもさほど興味は無いんだけどね。これ別にゴーレムじゃないしね。というか、そもそもただの入れ物だし。こんなもの、ゴーレムだなんて呼びたくないね」

 

 そう言ってロシェは自身が現在進行形で作る成果物をこき下ろす。

 彼の言う通り、現在彼の目の前にあるものはおよそ平時に彼が作るゴーレムのデザイン性からかけ離れている。

 見た目は完全なる人型、材質は普段使う土ではなく象牙、さらには実験の都合上世間一般的な容姿美を希求しているため、美しく今にも動き出しそうな躍動感が存在している。

 

 仮にこれが一つの芸術品として人々の目に留まれば、誰もが絶賛するような作品ではあるものの、これは断じてゴーレムなどではない。

 若き天才ゴーレム使いであり、自身もまた並々ならぬゴーレムへのこだわりを持つロシェからすれば、こんなものは自分からでは作り出したいとも考えないだろう。

 

 それでも律儀に彼が依頼をこなすのは当然、実利があるからだ。

 分かりやすい所で言えば聖杯大戦への貢献である。

 

 元々他者に関心がなく、ゴーレムにのみ情と熱を有するロシェは聖杯大戦になぞ興味はないが、ダーニックの声掛けがあった以上、一族の一翼を担うものとしてある程度貢献する必要はある。

 ユグドミレニア次期当主にして最強の魔術師たるアルドルに協力するという話は一族への貢献という意味でも大きく、非協力的な態度を取る自分が他の魔術師たちの面倒な口出しを躱す口実としても優秀だ。

 

 加えて流石のアルドルのたっての依頼とだけあって中々に難易度が高く、これもまた自身が正当に引き籠る口実として丁度いい。

 これが聖杯大戦下における利である。

 

 そして魔術師ロシェ・フレイン・ユグドミレニアにとっての利益とは仕事そのものが自身に与えてくれる経験と、魔術師として拝するアルドルの背中を追うことにそれなりの意義を見出したからだ。

 

 ──これは一族の者ですら知り得ない事実であるが、実のところロシェはアルドルの事を魔術師として尊敬していた。

 

 彼がユグドミレニア一族の次期当主であるからだとか、一族最強の魔術師であるからだとか、神代の神秘をその手にしたからだとかという話ではない。

 

 情熱──ただその一点で以てして願う神秘にその手を届かせた姿勢。

 

 即ち、魔術師としての在り方に対して、ロシェは尊敬の念を抱いていた。

 ダーニックが親族としての情や素晴らしき後継として見ているように、或いはフィオレが年の近い同胞として親愛の情を抱いているように、ロシェもまた彼なりにアルドルへの感情を有していた。

 

「アイツが何を思ってアレだけ魔術を極めているのか、殺し合いなんて無駄なことをしているかはこの際どうでもいいけど、ああやってキッチリ目標を決めて、こだわりをもって進めることがどれだけの成果に繋がるかはアイツ自身が証明しているからね、そこは僕も見習いたい」

 

 アルドルの内実。

 その是非は他の魔術師と同じくどうでもいい。

 大切なのは彼の姿勢とそれが繋げた成果の方だ。

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。彼はダーニックと同じく一族の栄光ある未来とやらを求め、そのために力を積み上げ、その果てに神代にまで手を伸ばしてみせた。

 当人の生来的な才覚もあったとはいえ、彼はその類い稀なる情熱を以ってして現代魔術師には届きもしないだろうと思われた極北へと達したのだ。

 そしてその事実はロシェにとって非常に大きい。

 

 何せ彼もまた一つの事に情熱を燃やす執念の徒であるから。

 

「僕もゴーレムに懸ける情熱なら絶対負けてない。アルドルはともかく、みんなゴーレムの事を侮り過ぎなんだ。ホムンクルスと同じ使い捨ての道具としてしか見ていない。けれどアルドルは証明した。周りの評価なんか気にせず、古くさいルーンを極めて、田舎者の呪術を使って、そして目指す場所へと到達してみせた。なら僕だってやってやるさ」

 

 フレイン家。

 ゴーレムをはじめとする人形工学を代々研究する魔術一族が彼の生家である。家柄として特出する点は幼少期から施される英才教育だろう。

 かの家は生まれた一族の子を赤子の頃からゴーレムに育てさせる。生誕より一族の魔術刻印を受け継ぐほどに育ちきるまで、肉親すら顔を合わせることはなく、ゴーレムがその養育の全てを担うのだ。

 

 そして育てられた子供がどうなるか。

 その結果がロシェ自身である。

 

 他者に興味を持たず、肉親の顔すらも思い出せず、代わりに自身を育てたゴーレムの形状や動きだけは完璧に記憶した人間に興味を持たない生粋の魔術師。

 聖杯大戦にも、一族の未来にも興味が無いと口にする彼だが、より正確に言うならば彼はゴーレムにしか興味が無い。

 

 そんな彼が唯一、アルドルにだけは無関心ではいなかったのはアルドルの情熱がこぎつけた魔術成果、もっと言えば希求の果てに神代の神秘へと至ったという経緯だ。

 他者を圧倒する情熱が叩き出したその行為(パフォーマンス)は後塵として拝することを認めさせる結果だったのだ。

 

 つまるところ。

 

「情熱さえあれば何処までもやれる。そうだ、アイツに出来たんなら僕にできないはずがない! もっと学んで、もっと勉強して、もっともっともっと! そうすればきっと僕も僕の夢にきっと届く! 最高のゴーレム、最強のゴーレム! 誰が見たって侮れない究極のゴーレムをいつか必ず作ってやる!」

 

 自信満々の言葉は、情熱ならば一族最強の魔術師アルドルにだって負けていないという自負から来るものであった。

 特殊な事情ありきで至った当人が聞けば苦笑するような言葉だったが、確かに熱量というただ一点において方向性は違えど、ユグドミレニアにおいてロシェのそれはアルドルに匹敵する部分があるだろう。

 

 だからこそロシェは情熱を燃やして成果を叩き出したアルドルを認めたし、アルドルはそのこだわりの強さという一点においてロシェを評価した。

 

 ともに相互理解とは程遠い関係性であるものの、少なくともこのロシェをしてアルドルとは関心を抱くに値する存在なのである。

 故にロシェは彼の言葉に耳を傾けて来たのだ。“黒”のキャスターとして召喚する予定だったアヴィケブロンから、ケルト神話に名高いクー・フーリンに変更するという話にも、こうしてゴーレムの本質からはかけ離れた依頼をこなすことにも。

 

 彼のやり方を学ぶことはきっと己のゴーレム使いとして更なる大成へと繋がるであろうと信じるが故に。

 

「後はこれをこうすれば……よし、調整完了。ようやく完成だ。面倒な依頼ではあったけど、いい経験にはなったかな。カバラに限らず他にも道が在ることを示してくれたのは今後に生かせそうだ、うん」

 

 やるだけの甲斐はあったと、いい仕事をした職人の様に成果物への関心はともかく完成したという事実を前に満足げに頷くロシェ。

 それと同時に彼の耳に足音が耳に入ってくる。

 どうやら丁度いいタイミングのようだ。

 

「出来たよアルドル。これで僕の仕事は終わりだ。後は君の手腕を見せて──」

 

 貰おう、と言おうとしてロシェは振り返り……。

 

「お? 何だなんだ。ようやっと完成したのかよ坊主」

 

 訪れた人物が目的の人物でないことにロシェは気づかされた。

 

「何だよお前かよ。っていうか、僕の工房にいちいち勝手に出入りするなっていったじゃないか。お前はお前の私室があるんだからそっちにいけよ」

 

「へ、相変わらず生意気な坊主だな。そんなだと友達出来ねえぞ?」

 

「そんなもの要らないよ。わ、くそ、止めろ! 頭掴むな鬱陶しいんだよ! サーヴァントの癖に……」

 

「ははははは、あいっ変わらずクソ生意気な坊主だな。俺が森の賢者で良かったな! モチっと若いころに召喚されてたらきっとキツイデコピンの一つや二つ喰らわせてただろうぜ!」

 

 そう言いながらロシェの頭を雑に掴んで撫でまわす訪れ人、“黒”のキャスターは笑いながらロシェの苦言を柳と受け流す。

 一応は主従の関係だが、傍から見れば子供と大人の関係性そのものだった。

 

「で、だ。完成したってのは坊主がずっと手ぇ入れてたコイツか? 坊主がゴーレムのオタク? って奴なのは知ってたがまた随分と趣味に走った形だな。人に興味が無いとか言う癖に若い姉ちゃんには興味あったってか?」

 

 しげしげと眺める“黒”のキャスターの視線の先には先ほどまでロシェがずっと手掛けてきたという作品が存在している。

 その見た目は“黒”のキャスターが趣味に走ったというだけのもの……いわゆる女性を模した彫刻作品であった。

 横並びの三体の像はどれも容姿端麗な美少女といった姿形であり、その造形の細かさはギリシャの彫刻を連想させるほどのモノだった。

 

 人に興味が無いと口にする少年が作ったものにしては余りにも精緻な創作品を眺めたキャスターが冷やかすだけの美少女像に、しかしロシェは口を尖らせながら否定する。

 

「オタクってのが何かは知らないけど僕はゴーレム職人だ。あと、これは僕の趣味じゃなくてアルドルの依頼だよ。じゃなきゃこんなもの誰が作るかって」

 

「ん? じゃあ坊主じゃなくて兄ちゃんの趣味か? はー、兄ちゃん割と面食いだったんだな。こりゃ意外だわ」

 

 当人の知らない所であらぬ誤解を受けているが、“黒”のキャスターの発言の大抵を戯言として聞き流すロシェはその流言を否定しないまま面倒くさそうに“黒”のキャスターに応じる。

 

「これは魔術の共同実験のためのものだよ。僕が外身で、アルドルの奴が中身。あいつの使う魔術の術式に合わせるための調整は面倒だったけど、これで僕の仕事は終わり。此処から先はあいつの仕事だ」

 

「ふーん、実験ね。どんな内容なんだ……ってこれが設計図か? あん? 随分と古そうなもんだな。スクロールとは」

 

「あ、ちょ……」

 

 ロシェの言葉を話半分に聞きつつ、制作用の彫刻刀等が置いてあった台の上から無造作に設計書らしき書物を掴み上げる“黒”のキャスター。

 軽く目を通すとどうやら何かの手記のようだが、綴られている文字は現代において公用語とされる英語でも、古い時代の学術公用語とされたラテン語や、欧州圏で扱われるドイツ語、フランス語という一般的なものではない。

 

 聖杯より与えられた知識の下、“黒”のキャスターはその文字を見て、小首を傾げる。

 

「これギリシャ語か。しかもこれ、ピグマリオンっていやあ確か……」

 

「……はぁ、間違っても破くなよ。それアルドルから渡されたものだし、一応聖遺物の類だからな。正直、必要な彫刻の過程以外は全部うんざりするほど、どうでもいい内容のものばかりだから、実用性は殆どないけど」

 

「ってことは本当にギリシャのピグマリオン所縁の品ってことか。あの兄ちゃんつくづく色んなもんに手を出してんのな」

 

 そう言って“黒”のキャスターは感心しながらスクロールに目を通す。

 

 ……彼らの話題に上がる存在ピグマリオンとはギリシャ神話におけるキプロス島のピグマリオン王のことである。

 現実の女性に失望していたという彼は、ある日、自身が抱く理想の女性象を形にすべく自らの女性の理想形として彫刻の美女ガラテアを製作した。

 そしてピグマリオンは自らが完成させた美女像ガラテアを前にし、眺めている内に、あろうことか恋をしてしまう。

 ただの彫刻たる『彼女』に服を着せ、話しかけ、食事を共にし、それが人間に成ることを強く強く願った。

 

 その彫刻から離れず、自らが衰弱していくことすら厭わず、ひたすらに像に侍ったピグマリオンに、やがて見るに見かねたギリシャ神話の女神アフロディーテがガラテアに命を与え、ただの彫刻からガラテアは人間となり、そしてそんな彼女を妻として迎えたという──現代における教師期待効果(ピグマリオン効果)の語源となった人物である。

 

 現代から見れば少々、いやかなり問題のある人物であるように映るが、件の人物の是非はともかく、古のギリシャより語り継がれてきた彼の手書きによるスクロールは確かに聖遺物と呼ぶに相応しいものだろう。

 ……内容の九割がガラテアが如何に素晴らしいかだとか、今日はガラテアと何をしただとか、魔術的神秘に全く掠らない内容であることを置いておけば。

 

「あー、まあ、なんだ。奇特な奴ってのはいつの時代もいるもんだな」

 

 “黒”のキャスターはそう言うと手に取ったスクロールをそっと台の上に戻してみなかったことにした。

 

「んでピグマリオンはともかく、態々こんなもんまで持ち出したってことはただの魔術研究の一環ってわけじゃないんだろ? ざっと見たところこの彫刻、形代のように見えるし。中身の方が本命ってわけか?」

 

「……ふーん、一目見て分かるんだ。性格はともかく魔術師(キャスター)って名乗るだけはあるんだな」

 

「はっ、一言余計だ」

 

「痛ッ!」

 

 相変わらずのロシェに“黒”のキャスターは軽くチョップを喰らわせる。

 

「正直な所お互いに相性の悪い性質(たち)だと見ていたが……意外と仲がいいな。お前たち」

 

 そのやり取りを指して、言葉通り意外そうに声がかかる。

 ロシェと“黒”のキャスターが声の方に目を向けると、今回の依頼人たるアルドルがいつの間にか工房へと足を踏み入れていた。

 口元を微かに吊り上げ、微笑まし気に両者を見る。

 

「やっと来た。アルドルが早く来ないから変なのに絡まれただろ」

 

「その変なのってのは俺の事か? んな生意気な口を叩くのはこの口か? あーん?」

 

「ふぁにふぉする! ふぁふぇろ!」

 

「ははははははは」

 

「本当に意外だ」

 

 ロシェの軽口に態々反応して“黒”のキャスターはロシェの両頬をむんずと掴み、左右に引っ張る。当然、ロシェの方はと言えば抗議の声を上げるものの、完全に馬耳東風だ。

 そんな様を見て今度こそ、アルドルは意外そうに呟く。

 

「まあ、交友を深めるのもそれぐらいに解放してやってくれキャスター」

 

「あいよ」

 

「……ぷはぁ! クソ、お前覚えておけよ! 聖杯大戦が終わったら令呪で自害を命じてやる……!」

 

「へいへい、やれるもんならやってみなってな……んで兄ちゃん。このタイミングでここに来たってことは実験の話か? せっかくなら俺も見て行っていいか?」

 

「構わない。それにちょうど貴方にも依頼したいことがあったからな。見学の駄賃というわけではないが、一つ頼まれてくれないか?」

 

「あん?」

 

 そのアルドルの発言を受けて今度は“黒”のキャスターの方が意外そうに眉を顰める。聖杯大戦に関わるものだろうとは考えていただろうが、魔術師としての共同研究に関わる内容だと見ていたがため、まさか自分にまで依頼の声がかかるとは思っても見なかったのだろう。

 次いで興味深そうに“黒”のキャスターは言葉を返す。

 

「へえ? 別にいいけど内容は?」

 

「少なくとも簡単な仕事だ。この一角に結界を張ってくれ。そうだな、強度よりも隠蔽性に特化したものでいい。例えば感知性能に優れた英霊にすら内部での出来事を気取られない程度のものを」

 

「はっ! 簡単にそれなり以上の仕事を要求してくれるな! ま、出来るがよっと!」

 

 軽い流れで頼まれる内容としては中々に高い要求であったが、流石は“黒”のキャスターとだけあって、要求に彼は即応する。

 懐から赤いルーン石を取り出すとそれを四方に散布、次いで手元に呼び出した杖を振るうと各方に散ったルーン石が反応し、起点となって四方を覆う。

 

「こんなもんかね」

 

「詠唱抜きでこの精度……ルーン魔術にはそれなりに通じているがこれほど鮮やかにはいかないだろうな」

 

「真似できないって言わないあたり兄ちゃんも大概だけどな。さて、駄賃は払ったぜ? 態々隠すってことはそれなりのもんを期待していいのかい?」

 

「ああ、興味深いものは見れるだろう……早速だが、ロシェ」

 

「こっちの準備はもう終わってる、後はアンタの手腕だよアルドル」

 

「そうか」

 

 アルドルが一歩、彫刻の前に立つのに合わせて、ロシェと“黒”のキャスターが軽く距離を置く。

 ロシェの方は結果を確認するという風に、“黒”のキャスターは期待するようにしてアルドルの方を眺めている。

 

 その視線を受けながらアルドルは自らの衣服の袖口をまくり上げ、腕の素肌を露出させる。露わになったそこには……緑色の輝きがあった。

 

「魔術刻印か?」

 

「ああ、ユグドミレニア一族共通の、一族であることを証明するものだ。私のは少しばかり仕様が違うがね」

 

 “黒”のキャスターの問いに軽く言葉を返すアルドル。

 彼の言う通り、アルドルの腕にある魔術刻印はさながら大樹が枝を伸ばすように肩口の辺りまで煌々と輝きながら存在している。

 

 心なしか生命の脈動すら感じさせる緑色の輝きは、ただ一族であることを判別する程度の性能しか有しないはずのユグドミレニア一族の魔術刻印とはかけ離れた印象を与える。

 

「さて──では実験開始といこうか」

 

 その魔術刻印が移植された腕を彫刻の方へと伸ばし、そして手を翳す。

 実験開始の呪文を口ずさみ、続けて放ったその呪文は果たして。

 

「──素に銀と鉄(・・・・・)

 

 口ずさむは聖杯にまつわる戦いに参ずる者ならば一度は耳にする魔術詠唱。

 明かした札が露見した以上、自重(・・)はもはや不要。

 賢者は容赦なく、栄光へと手を伸ばすのだ。

 

 

 

『──盤外より』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 「……今、何か」

 

 ふと少女は目を覚ます。

 意識を掠めた何かの気配は休眠状態であった少女レティシア……否、聖杯大戦の調停を司る英霊ジャンヌダルクを速やかに休眠状態から叩き起こした。

 敵襲ではない。

 彼女のルーラーとしての能力、通常のサーヴァントを遥かに上回る感知能力が何らかの異常を察知したのだ。

 

 よって彼女は眠っていたベッドから飛び起き、すぐさま常備している聖水を虚空に散布、意識を集中してルーラーとしての能力たるサーヴァントの感知能力を最大限に発動する。

 

「ミレニア城塞方面に六騎のサーヴァントの気配……これは“黒”の陣営ですね」

 

 昨夜の戦いにて“赤”のサーヴァントによって“黒”のサーヴァントが討ち取られたことは当然ながら把握している。目まぐるしくサーヴァントたちが衝突し、魔力が氾濫する場であっても正しく状況を見極められるからこその『ルーラー』である。

 だからこそ六騎。サーヴァントを一騎失った“黒”の陣営が六騎なのに違和感はない。

 

「それから街の方に……三騎? “赤”の陣営が動いているのですか」

 

 微かに驚き、暫し思考を回す。

 時刻は現在、正午。街には平穏が流れている頃合いである。

 にもかかわらず街の方で行動しているサーヴァントの気配。

 

 “黒”の陣営が本拠地に揃っていることを考えれば“赤”の陣営であることに疑いはないが、戦いの起こる夜間ではなく正午のこの時間帯に街で活動していることは些か違和感を覚える話だ。

 

 というのも、どうやらトゥリファスは敵陣とだけあって、“赤”の陣営が郊外に拠点を構えているらしく、平時にはそちらに揃っているらしい。

 であればこそ、三騎もの“赤”の陣営のサーヴァントが揃いも揃って街に居る事態は普通ならば考えられない。だとすれば何かの策か、或いは戦いに向けた敵情視察?

 いや、いや、そうではなく或いはまさか。

 

「夜になる前に開戦するとでも……?」

 

 無い……とは言い切れないのがサーヴァントの主たちが魔術師たる由縁だろう。

 魔術とは神秘とは、原則において隠すもの。

 この常識はそもそも神秘が神秘であるが由縁の理である。

 

 認知された神秘は力を失う。嘗てはごまんと溢れていた魔法使いが現代において僅かに数名とまで数を減らしたように。原理の明かされた神秘はもはや神秘ではないのだ。

 およそ現代までに多く魔法が消え、魔術すらも衰退の一途を辿っている要因は嘗ては神秘の領域とされてきた技の数々が人間の卓越した科学技術によって簡単に行えるようになったからだ。

 

 古の時代には神の奇跡とされてきた火を起こすという現象さえ、そこら辺の人間を捕まえてマッチ一つでも貸し出せば容易く行えてしまうのが現代である。

 鋼の翼で空を行きかい、惑星すら飛び出して月にすら到達した人類圏の知見が、魔術や微かに残る神秘の気配を感知すれば一瞬のうちに神秘は力を失ってしまうだろう。

 

 だからこそ伏せる。知るものを限定する。

 それは終末医療の延命行為と然して変わらぬ悪あがきだが、それでも先の無い未来を引き伸ばすために魔術師たちは神秘の隠匿を行うのだ。

 

 だが、隠匿にも様々な種類があろう。

 例えば単に人目につかなくするという平穏なものから……目撃者は全て皆殺しにするという物騒なものまで色々と。

 魔術師とは常識外に生きる異常である。一般社会の倫理観など当然通用しない。

 だからこそ、やる。

 目撃者を消すためならば島一つ滅ぼして全てを無かったことにする、なんて言う非情さえ真顔で当然だと言えてしまうのが魔術師という生き物なのだから。

 

「……いえ、思考が些か飛躍しすぎている、今はそう、“赤”の不審な動きではなく」

 

 頭を振って気を改める。

 “赤”の不審な動きも気になるが今は先に覚えた違和感の方が重要だろう。

 何が起こった? 何が引っかかる?

 ルーラーは瞑目し、自らの内界に問いかける。

 

 ──サーヴァントの探知能力に異常はない。

 ──ならば『啓示』による新たな警告か。

 ──それもない。未だ『啓示』は不自然に霞がかっている。

 ──では魔術の気配? 異能の気配?

 ──分からない、理解らない。

 ──しかし。

 

「直感……私が、私自身が培ってきた経験が、そう訴えているのですか」

 

 何か致命的に良からぬことが起きている。

 そう彼女の第六感が囁きかけているのだ。

 

 聖杯大戦。史上類を見ない総勢十四騎のサーヴァントによる戦い。

 無論これ自体が異常事態であり、これを収めるためにルーラーが呼び出されたという可能性も無きにしも非ずだが、当初からルーラーはこれを違うと考えている。

 何故かと言えば直感だとしか言えないが、そう断言できてしまう程に違和感が多いのだ。

 此度の戦いは。

 

 特に一番大きいのはルーラーの特性、『啓示』の機能が正しく機能していないことにある。

 そもそも『啓示』とは戦場における『直感』とは異なる限定的な未来視……人生や運命という岐路に立たされた時、持ち主にそれが岐路であることを察しさせ、正しい道を示すといういわゆる予言にも似た力である。

 これがあるからこそルーラーは正しく己の職務を把握し、招かれた意図を察して調停者としての正しい活動が約束されるのだ。

 

 にも拘わらず、その機能が活用できない。

 ルーラーが招かれるだけの異常事態が存在しているはずなのに、それに関わるための道が見えない。まるで役者が舞台から遠ざけられているかのように事態が目の前で動いている。

 蚊帳の外にいるようだと、ルーラーは思う。

 

 何者かが意図しているかの如く、ルーラーは当事者になれない。

 

「……もしも意図して私の『啓示』をすり抜けているのだとすれば、それこそが私をこの戦いに招いた原因であり、私が対処するべき相手でしょう。ですが……」

 

 ……そもそも可能なのか?

 未来視を……『啓示』や予感という神秘の領域でさえ、あやふやとされる起こるかも(・・)知れないとされる先の出来事を、それらよりも先立って予見して、感知されぬうちに悉く対処するなどという真似。

 

 ──運命だなどと呼ばれるものに直接手を加える行為は、それこそ神の──。

 

「……ハァ、自覚はありませんが、こうも手ごたえが無いと無意識下に疲れが溜まっているのかもしれませんね。それこそ今は受肉している身ですし」

 

 あり得ない可能性に意識が飛んで行っていたことを自覚し、ルーラーは息を吐きながら自らの身体を見下げる。

 ルーラー……今のジャンヌダルクは生前の自分に適合する今を生きる少女レティシアの身体を借りる身の上である。そのため通常であれば生じない肉体の疲れや精神の摩耗といったものもきっちり自らにフィードバックされてしまう。

 

 深夜の戦いにて状況を見極めるため今日の夜明けまで活動していたのだ。まだ十代も後半にようやく差し掛かったばかりだという少女の肉体には負荷が大きいのは考えるまでもない。

 と、そこまで思考を回して気づく。

 そうだ。違和感云々で忘れていたが、この肉体の持ち主はそれこそ夜明けの時刻まで非日常とも言える戦いに付き合わされたのだ。真っ先に気にすべきことは何よりも。

 

「察しが悪くて申し訳ありません。戦いが終わったというならば一番に気にするべきは貴女のことでしたレティシア」

 

 そう言ってルーラーは謝罪の言葉を口にする。

 果たして、次瞬、己が内界より言葉(思念)が届く。

 

“気にしないでください、聖女様。全部分かった上で私は貴女に力を貸しているのですから。私の事は気にせず、聖女様は聖女様の役目を務めてください”

 

「ですが……」

 

 その朗らかな言葉に尚もルーラーは気にするが。

 レティシアは先にルーラーを制する。

 

“それに心配するのは聖女様の方です”

 

「私? 私は特に何も……」

 

“……嘘です。このところずっと聖女様が頭を悩ましているのは私だって知っています。だから聖女様の方こそ休んだ方が良いと思います”

 

「そういうわけにはいきません。事態が未だに読めない以上、いつ、何が起こるかは分かりません。ともかく事態を把握するまでは気は抜けません」

 

“ですが……ずっと一人で抱えて悩んでいても答えは出ないと思います。少しで良いのです。少しだけ、ほんの少しだけでも気を抜くことは出来ませんか? 聖女様”

 

「レティシア……」

 

 心配、なのだろう。

 懇願するように気遣う彼女の言葉は何処までも思いやりに満ちている。

 ……優しく、そして強い少女だとルーラーは思う。

 

 昨日までおよそ魔術とは何らかかわりのない平穏な今に生きる少女だったはずなのに。それが聖杯や英霊、魔術師といったものに関わらされ、自らもまた殺し合いの中に身を置いているはずなのに。

 不平不満、恨みつらみの一つや二つ、ルーラーにぶつけても許されるような立ち位置であるはずの彼女は何処までも純粋に、ルーラーをただただ気遣い、力を貸してくれている。

 

 それが申し訳なく、嬉しく、そしてだからこそ思う。

 もしもこの戦いで自分が役目を果たせなくても彼女は。

 今を生きる彼女だけはキチンと今に還さなければ。

 

「……そうですね。貴女のいう通り、一人思い悩んでいても仕方がありませんね、此処は一度、意識を切り替える意味でも一息入れた方が良さそうです」

 

“あ……はぁ、良かったぁ……”

 

 心の底から安堵するような声。

 それほどまでに心配を掛けたかと再度申し訳なさを覚えながら言葉を続ける。

 

「今日は休憩がてら街の様子を見守ろうと思います。日が出ている内ならば仮に接敵したとしてもすぐには戦いにはならないでしょうし、あわよくば実際に英霊と言葉を交わすことで見えてくるものもあるでしょう。それに……」

 

“それに……?”

 

「貴女も。心配しているのは私のことだけではないでしょう? 昨夜は市街地でも戦いが繰り広げられました。直接的な被害はありませんでしたが、街にはシャルロットさんや、パッシオさんもいますから。彼らの様子も気になるのでしょう?」

 

“あ、う……はい……”

 

 その言葉に返ってくるのは控えめな肯定。

 短い間とはいえ、接した既知の相手の事は気にかかるのだろう。

 善良な彼女らしい悩みのためにルーラーは微笑みかける。

 

「彼らの居住地は把握していないので会えるかは分かりませんが……可能であれば彼らの様子も伺うとしましょう」

 

“……すいません”

 

「いいえ、ご迷惑をおかけしているのは寧ろこちらですから。これぐらいは当然です」

 

 そう言って、ルーラーは気を取り直して身なりを整え始める。

 悩みは今も消えないが、今日ばかりは少しだけの休息を。

 こんな自分を慕ってくれる少女のためにもルーラーは今日の方針を決定した。

 

 よって──此処に運命は決した(・・・・・・)

 

 前哨戦は幕を閉じ、決戦を前に幕間が始まる。

 様々な策謀、野望、想い、そして祈りが街にて交錯する。

 全ては栄光へと至るための結末のために。

 或いは人類全てを救済する未来のために。

 

 盤上の役者たちは邂逅を果たすのだ。




《なぜなにー アルドルー》

光の次期当主
「何事だ? これは」

暗殺の天使さん
「あれー? 何かマスターの顔が適当に……じゃなかった可愛らしく見えるような?」

光の次期当主
「これはまさか、そういうことなのか? ああ、そういえばそんなコーナーもあったな。しかし随分と懐かしい……いや、それともまさか続編が出たのか? だとしたら惜しいな。俺ももう少し寿命があれば……」

暗殺の天使さん
「何の話です?」

光の次期当主
「こっちの事情だ、気にするな。ともかく私の察する通りならば……アサシン、何処かにハガキか手紙なんかが落ちていないか?」

暗殺の天使さん
「これですか? というより事態の説明をお願いしたいのですが……?」

光の次期当主
「後でな。えっと……これは南米亜種聖杯戦争の内容についてか。なるほど、私自身、一族にもあまり語っていないからな気になる者も多い、か」

暗殺の天使さん
「いえ、だからこれは一体どういう……」

光の次期当主
「後でな、後で。……さて、私は私自身の視点でしか語れないが端的に述べるならばこうだろうな」

・次期当主、アサシン呼べず。代案で適当にサーヴァント召喚。

・どういう縁か、正義の味方降臨。一緒に戦うことにする。

・と思ったら偶発的に大英雄と遭遇。正義の味方、秒殺。

・瀕死の正義の味方を連れて逃走中開始。

・途中、ヒーロー着地して来たセイバーと遭遇。なんやかんやで同盟を組む。

・共闘。目下脅威たる大英雄に挑むことにする。

光の次期当主
「序盤の動きはこんなものかね。あとは街でバイオハザードが起きたり、高笑いと共にピラミッドが落ちてきたり、神父と死徒がハリウッドしたり、米国が雇っていたベリルに私がアゾられかけたり、正義の味方と喧嘩したりと色々あったが、結果的に私は生き残った。それだけの話なんだがな」

暗殺の天使さん
「マスターのそれだけってぶっちゃけ全く当てにならない気がしますケドねー。自分にまつわることは過小評価と天然かましますクソボケですし」

光の次期当主
「時空の影響かな? 心なしか私のサーヴァントの弁舌が鋭い気がするぞ」

暗殺の天使さん
「日頃の行いではないですかねー」

光の次期当主
「……ところでこれは第二回とかあるのかな?」

暗殺の天使さん
「知りませんよ。ていうかいい加減、事態の説明をですね」




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カモミールの光 Ⅰ

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、
美しいか否かである。


 ──まるで夢から覚めるように。

 断絶した意識はゆっくりと瞼を開く。

 

 フランス革命、ギロチン、処刑、暗殺の天使。

 英霊、聖杯、令呪、魔術師、サーヴァント、マスター。

 

 知っている記憶と知らない知識。

 記憶と記録が混じり合って私が像を成す。

 そして覚醒と共に私は自らの名と役目を口にする。

 

「召喚に応じ参上しました!アサシン、シャルロット・コルデーです!一生懸命頑張りますけど、失敗したらごめんなさいね!」

 

 初対面だからこそ爛漫と。

 されども謙遜の本音を口にする。

 さて己に縁を持った新たな主人は如何なるものか。

 夢枕から覚めるように起き上がる。

 

 そして──。

 

「君に限って失敗などあり得まいよ。その(ナイフ)を他の何者よりも信頼したからこそ君を召喚したのだよ。──初めまして英霊シャルロット・コルデー。私が君のマスター、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアだ。よろしく頼む」

 

 私の言葉に過大評価にも過ぎたる回答。

 これが現代における私の最も古い記憶。

 サーヴァントとマスターの、そのファーストコンタクトに関する思い出だった。

 

 

 

 第二の生。

 そんな体験をした時に思うことは人それぞれだろう。

 それは喜びであったり、驚きであったりと。

 本当に人それぞれだと思うのだ。

 

 自らの人生の歩みを礎とした新たなる旅。

 楽観的な性質なら単純に楽しみを見出すかもしれないし、生前やり残したことの続きを願って出航に気概を燃やすかもしれない。

 或いは生前に後悔を覚えており、それを払しょくするためのやり直しと思うものもきっといると思う。

 

 では私は? 

 第二の生を得た私は一体先ず何を思ったのか。

 一番しっくりくる言葉は『失意』。

 

 まず私は、私自身の愚かさを、与えられた記録によってまざまざと見せつけられた。

 

 シャルロット・コルデー。

 暗殺の天使。計画から実行まで全ての暗殺手順をたった一人で完成させ、そして見事に目的を果たしてみせたフランスの歴史に名を残す暗殺者。

 正義の柱に散った一輪の花。

 美しくも恐るべき、フランスの女性。

 

 人は私を讃えた。

 

 何の力も後ろ盾も持たずして、権力に刃を突き立てたこの私を。

 本当に、本当に自らの力だけで暗殺という目的を達成させた私に驚嘆し、恐怖し、感動した。私が為した暗殺という過程(・・)を。

 

 まあ、なんてことのない話だ。

 私は別段、自分を凄い人間だとは欠片も思っていない。

 寧ろ普通。英霊という呼称にさえ、ちょっと恥ずかしさを覚えるぐらい。それこそ本物の英雄とかと比べたら冴えない木っ端だと思っている。

 

 ……ちょっと嘘。少しぐらいは役に立つナイフぐらいにはなるかなーと思わなくもなかったり。ともかく、そんな感じの自分である。

 

 だから感嘆であれ恐怖であれ。

 私という一人の人間を人々が今に記憶していることに気恥ずかしさを覚える一方、ちょっとだけ嬉しかった。

 

 でも人が称賛するのはあくまで過程だけだった。

 

 生前の私が抱いた祈り、私の思い描いた夢は。

 私のナイフは思惑に反して、どうやら刺し違えていたらしい。

 血を以って止めたはずの結末は残酷に。

 

 流血は、私のナイフで一助を受けて。

 悲劇の様に幕明けた。

 

 第二の生に私が思った事。

 それは失意と後悔だ。

 結果的に私は革命を止められなかった。

 それどころか一因の一つにもなってしまった。

 

 あの時、断頭台を前に尚、自らの行為に胸を張れた誇りがガラガラと崩れ去り、押し寄せるは奈落みたいな何処までも深い自責の念。

 

 ああ──私は何てことをしてしまったのだろう。

 

 そんな極々ありふれた殺人犯がするであろう後悔の言葉。

 やはり私は凡人なのだろう。

 結局のところ、凡人(わたし)は何処までも凡人(わたし)でしかなかったのだから。

 

 抱いた後悔は──されども今は胸の内に。

 

 本音(想い)を隠して私は明るく爛漫に。

 何故ならば今の私はサーヴァントなのだから。

 マスターを頂く英霊の一人として、今度こそ正しくナイフを振るうのだ。

 

 そんな密かな気合で己を鼓舞して、振る舞う。

 全ては勝利を手にし、杯を手に取るため。

 私は彼、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアと共に聖杯戦争へと身を投じるのだ。

 

 マスター、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 彼がどんな人間かと聞かれれば、一言、真面目な人だ。

 

 なんせ肝心の聖杯を巡る戦いとやらが幕明けるという日の半年も前に私を現世に招き寄せたのだから。当時の当人に曰く、

 

『私はこの戦いに誰よりも本気で勝とうと考えているからな。対魔術師戦闘を知る者ならば常識だが、魔術師の戦いとは始まる前に終わっているという。至言だろうし、同時に思うよ。これは何も魔術師に限った話ではないとね』

 

 戦いにおける勝利敗北の差は、結果が出るまでにどれほどに入念な準備と戦術と火力を用意できるか。そこに帰結すると賢者は言った。

 だからこそ彼は半年も前にこの世界に私を呼び出したのだと。

 

 成程と納得と同時に少しだけ呆れる。

 どんな願いも必ず叶える万能の願望器、聖杯。

 自らの主がどんな願いを抱いているかは知らないが、確かに持ちうる全てを引き出してでも手に入れたいモノであるのは確かだ。

 とはいえ、この熱の有り様は凡人として眩しすぎる。

 

 勝利を、勝利を。ひたすらに勝利を。

 ただそれだけを見据えて振る舞う彼はまるで《光》の様で、日向ぼっこが好きな私だが、それだけに強すぎる日差しに引いた。

 

 私を召喚した彼は、その後も忙しなく走り回っていた。

 本拠地であるミレニア城塞で着々と準備を進める彼の叔父にあたる人物の手伝いをする一方で世界各地に足を運んでは様々な魔術礼装や聖遺物、伝承を採掘する日々。

 時には魔術師と事を構え、代行者に命を狙われ、立ち向かう。

 全ては勝利のために。たった一度の戦いのために。

 

 自らの命を臆さず危険に晒しながらひたすら前を向いて走り続ける様は何処までも真っすぐで、勇壮で、眩しい。

 きっと生きるということはああいうのを言うのだろう。

 輝く彼は私には眩しすぎる。

 

 真面目な人。輝く人。迷わない人。

 自らの勝利(えいこう)を欠片も疑っていない人。

 

 ……本当になんで私を呼んだのだろうと思う。

 何処までも特別な彼は、凡人(わたし)とは真逆だ。

 相容れないし、正直に言うと苦手。

 

 きっとマスターとサーヴァントという関係がなければ生涯相容れることのない相手であったことだろう。

 マスターに対する私の第一印象なんてそんなもの。

 何処までもビジネスライクに主従は戦いに身を投じるのだろう。

 

『そうかな? 存外君たちは似てると思うけど』

 

 戦いに向けた裏取引の際、出向いた先で相まみえた時計塔の貴族(ロード)を名乗る青年には、そんな感想を投げられたけど、変わらない。

 そう──思っていたのに。

 

 

「ああ──叶うことなら、もっとずっと素晴らしい物語(ゆめ)を見ていたかったなぁ」

 

 

 ……マスターとサーヴァントは時折、両者を繋ぐ魔力を縁に、互いの記憶を夢見るという。

 私と彼も例に洩れず、お互いに記憶と想いを夢に見た。

 彼はありふれた殺人者(凡人)の記録を。

 そして私は……あまりにも寂しい普通の人の記憶を識った。

 

 思えばなんて事の無い話なのだ。討つべき敵を見間違えた私の目など最初から頼りないのは当然で、だから第一印象なんて当てにならなかった。

 ううん。きっと私だけじゃないだろう。

 周りの誰も彼もがきっと彼の事を勘違いしていたんだ。

 

 それを私は知った、知ってしまった。

 

 真面目な人? 真っすぐな人? 輝く人?

 どれもそうだが、そうじゃない。

 彼の本質はそこには無い。

 

 だって彼は今も昔も純粋に、純朴にたった一つの夢を見ている。

 

 

「俺が死んでも世界は続く、時代は進む、未来は広がる。それは素晴らしいことだけど、その続きが読めないことだけが酷く無念だ。死に恐れは無いけれど、その現実だけがひたすらに悲しい。ああ、そうか、詰まるところ俺は昔から──」

 

 真面目に見えるのは敬意を払っているから。

 真っすぐに見えるのは誰より純粋であるから。

 

 そして何より、彼が輝いて見えるのは──。

 

 

「本当に物語()が好きなだけの子供(ガキ)だったか。まったく、大学生にもなるというのに、我ながら成長がないな」

 

 

 そうして前世(かつて)、名も無き青年は命を落とした。

 名も知らない少女(誰か)を、連続誘拐殺人犯から(どうでもいい理由で)庇い、当然の様に朽ち果てた。

 

 数十にも及ぶ刺傷が発する苦痛の中にあっても、終わりへと向かう喪失感の中にあっても変わらない。

 呆れるような無邪気さで、彼は未来を手放した。

 

 本当に、彼は()から変わらない。

 

 光あれ(かくあれかし)──そうして世界が生み出されたように。

 光あれ(かくあるべし)──そういう(カタチ)で彼は在る。

 

 呆れるほどに純粋で、悲しいほどにたった一人。

 汝の隣人を愛せよと。

 誰にも理解されないまま、彼は世界(物語)を愛していた。

 

 きっと彼は後悔の無いまま進んでいくのだろう。

 勝っても負けても変わらない。

 素晴らしいと思ったモノに尽くすのが彼だから。

 

 今世(こんかい)に抱いた感動を胸に、読みたい本を手に取って、満足して、また一人で往ってしまうのだろう。

 それがあまりにも悲しい、あんまりな話だと思ったのだ。

 

 だって彼はただでさえ、この世界(・・・・)孤独(ひとり)なのだ。そんな彼が本当に誰にも理解されないまま一人で往ってしまえば、本当に彼は世界にたった一人に成ってしまう。

 それさえ彼は後悔に思わないだろう。

 自分より他者を愛するが故の《光》なのだから。

 これが余計なお世話であることは重々承知しているけれど。

 

 それでも、それでも──私は思うのだ。

 

「……誰にも傷つけられず、傷つかない、貴方。そんな貴方に私が出来ることは無いと思っていましたけど。……それでも、一人は寂しいですから」

 

 しいて言うなら余計なお世話をしたくなった(・・・・・・・・・・・・・)

 私が彼に力を貸すのはそんな普通の理由なのだ。

 聞けば彼は苦笑するだろうし、自分自身の願いとはちょっと違うけれど、それでもそれが今の私の願いであり、祈り。

 

「どうか良き旅をマスター。今回も素敵な物語(ほん)に出会えるように、私もお力添えを致しましょう──」

 

 泡沫の夢に身を投じるのは互いに同じ。

 なれば私も貴方の様に。

 数奇なこの運命を、溺れるように夢見よう──。

 

 

……

…………。

 

 

「思いのほか人目を引いてるな。ドレスコードには反していないはずだが……」

 

「ですね。知識にある現代のファッションからはかけ離れていないはずですけど。何かおかしかったですかね?」

 

 トゥリファス市内のとあるカフェテリアの一席で頬杖を突きながらポツリとアルドルは呟いた。

 

 今のアルドルは常時身に纏っているユグドミレニアの魔術師たることを示す制服も、魔眼を覆い隠す片眼鏡(レンズ)もなく、白いシャツの上からジャケットを羽織っただけの普通の若者といった装いだ。

 呟きを聞き、小首を傾げるシャルロットもそれは同じ。いつもの衣装では現代では浮くために亜麻色の無地のワンピースを着ている。

 

 互いに人目を気にして目立たない格好を選んだ結果である。

 しかしこれまた互いに無自覚な話だが、両者は容姿がそれなりに整っているため傍から見れば美男美女のデートだと、意図に反して問答無用に目立っていた。

 

「さて、ファッションはからっきしでね。最低限のドレスコードを守る程度には気を使えるが、オシャレは分かりかねる。いや、原因は目の方か。オッドアイは珍しいからな」

 

「ああ、なるほど」

 

 そう言ってアルドルは魔眼の埋め込んである右目を擦る。

 そうして両者は納得。

 事実とは異なる理解だが、それに気づかぬまま二人はそのまま会話を続けた。

 

「それにしても適当に選んだ先が此処とはね。こういうのも聖地巡礼というのかな?」

 

「はい? って、ああ。()の記憶ですか? 普通の喫茶店ですけど何か思い出がある場所だったりするんです?」

 

外観(背景)に覚えがある。見間違いでなければ恐らく、あの迷言が繰り出された場所だろう。私が運命を叩き潰さなければ微笑ましい青春が繰り広げられていただろうさ」

 

「話に聞く運命さんのお話でしたか。どんな会話だったんでしょう?」

 

「そうだな………………妊娠?」

 

「ぶっ!?」

 

 シャルロットは紅茶を噴いた。

 

「大丈夫か? 布巾、布巾」

 

「……ありがとうございます、ではなく! いきなりなんてことを言うんですか!!」

 

「聞いたのは君だろう。それに実際そう言っていたのだから仕方がない」

 

「その言葉が飛び出す会話とかどんな会話ですか……」

 

()言だからな」

 

 呆れるシャルロットを傍目に、そう嘯いてアルドルはしたり顔で紅茶を啜る。珈琲が美味しい喫茶ではあるものの、互いに評判を無視して注文したのはお互いに紅茶(ダージリン)

 苦いのが苦手なシャルロットと単純に紅茶の方が好みのアルドル。組み合わせに選んだ軽食のサンドウィッチを供に、一時の平穏を享受するように二人は気の抜けた会話を続ける。

 

「それにしても何だか顔を付き合わせるのは久しぶりに思えます。向こう半年は殆ど一緒に行動してた分、最近の別行動が新鮮に思えます」

 

「私としてはそんな感じではないがな。いつもとさして変わらん。昨日もトゥリファスで評判のケーキを奢ったばかりだよ。シャルロット()

 

「……似てないのに似てますね」

 

「当然だろう。()は私とは別人だが、それでも同じ起原(モノ)だ。容姿性格は異なっても大枠では似通うだろうさ」

 

「分かっていても、という奴です。事情を知ってる私でもビックリするんですからセイバーさんも驚くんじゃないんですか? しかも今一緒にいるのは彼女(・・)なんでしょう? 性格、全く違うじゃないですか」

 

「目的を違えなければ問題はあるまい。アレも《(わたし)》である以上、役目はきっちり果たしてくれるさ。やり方は、アレ流になるだろうが……」

 

 少しだけ困ったように嘆息しながら軽食を手に取る。

 時刻は現在正午過ぎ、昼には少々遅いが昨夜より向こう殆ど休息も食事も抜きに動き続けているため、空腹を満たすのは心地良く感じる。

 実際には食事は疎か休眠すら肉体的には必要のない身だが、四六時中稼働するのは精神的に疲れるため、食事や休息は精神を休めるという意味でそれなりの効果を発揮するのだ。

 

「まあ別行動中の協力者たちは置いておいて今は約束の方だ。幕は上がり前哨戦も既に終わった。後は駆け抜けるだけである以上、今のうちに果たしておかないと時間が取れなさそうだからな」

 

 事態は既に聖杯大戦の最中。万事気を張っているようなアルドルがこうしてトゥリファスの街にラフな格好で赴いたのは作戦もあるが、本命はそちらではない。

 元より昨日の今日で行動するのは作戦対象となるターゲットとの遭遇率を上げる問題であって、遭遇しなければやることはない。

 

 よって無為に時間を潰す可能性を考えれば、同時並行して意義のある時間となる様に仕向けるだけである。

 つまりは約束。このまま何も起こらなくても良いように、アルドルはシャルロットと交わしたささやかな約束を果たしに来たのだ。

 

「とはいえ、楽しいかね。これ。君が私をどういう風に見ているかは知らないが、私はつまらない男だよ。神秘や魔術、伝承の話ならばそれなりに語れるが常識の範疇にある世間話と言えば……特にないぞ」

 

「傍から見れば十分、面白い変人さんだと私は思いますけどねー。そうやって自覚がないから天然さん呼ばわりされるんじゃないんですか?」

 

「ふむ、君にだけは言われたくない気がするが。ともあれ、こうして気の抜けた会話をするのも存外に悪くはない、か。懐かしい記憶を思い出す」

 

「懐かしい記憶ですか。それは今の? それとも()の?」

 

「後者だ。学生だったからな。思えば遠くに来たものだ」

 

「マスターは時計塔に通っていたんでしょう? そっちも聖杯からの知識を参考とするに学生生活の話をするなら二度目は既に経験済みだと思うんですけど」

 

「ああ、時計塔の学生生活は本来的な……いわゆる常識における普通の学生生活とは大きく異なっていたからな。同級生にガチめの殺意を向けられる学生生活など普通では起こり得まい? ……あの馬鹿、犬猫論争で例の猫を引っ張り出してきたからな。下らない話で教室一つ吹き飛ばしてしまった」

 

「はぁ……」

 

 ぼやく様に思い出話を愚痴るアルドルに、主語がないため話を捉えられないシャルロットは適当な相槌を挟みながら紅茶を口に含む。

 ……もしもアルドルの語る内容が、犬が好きか猫が好きかによる下らない論戦から始まり最終的に魔術戦に移行して教室を吹き飛ばしてしまったという正しい理解を得ていれば再び紅茶を噴き出していたかもしれない。

 

「まあ殺伐とした時計塔での生活は普通の学生生活とは大きくかけ離れていたからな。こういう年の近い者と適当な喫茶店で話をする方がよっぽど過去に近い」

 

「そういうものですか。そういえばマスターも喫茶店で同級生と話したりしたんですね。正直意外です。てっきり今も昔もやりたいことに一直線だと思っていました」

 

「君は私を何だと思ってるんだ。今代は才に恵まれた身体であるため無茶を通しているのであって中身の方は()のまま普通なんだが。数は少なかったが当然私にも知人の一人や二人当然存在しているよ」

 

「そういう割には()の貴方も常識の範疇で大概だったと見た記憶がありますけどね。現代の基準は良く分からないですけど、マスターさん、何にも頼らず自力で故国で一番凄い大学入ったんでしょう? 親族の方々諸手を挙げてたじゃないですか」

 

「地方だったからな。アレは周りが過剰なだけだよ。喜ばしい話ではあるものの大したことはしていない。私よりも『特別』な経緯を持つ者がごまんといることを考えれば普通の枠組みは出ないよ」

 

「そんなもんですか」

 

「そんなもんだよ」

 

 言って、沈黙。

 暫し二人は黙り込む。

 

 テラスに吹き抜ける穏やかな風。

 葉のさざめきに、暖かな日の光。

 日々を謳歌する人々の生活の喧騒。

 

「平和だな」

 

「平和ですねー」

 

 次の瞬間に口にした言葉は同じものだった。

 

「おかしな話だ。今我々は神秘を手繰り、奇跡を欲さんと命がけの戦争に身を投じているというのに、こうして日常は回っている。非日常に生きる我々を傍目にいつも通りの日常を」

 

「……恋しいんですか? この日々が」

 

「まさか。今も昔もこの身は一度たりとして後悔を抱いたことはない。未練は数えきれないほどあるが、悔いを残す歩みはしてこなかったからな。歴史を学び、人生百年が存外に短いことは知っていた。故にいつも全力で走ったよ」

 

 それはアルドルも■■■■も変わらない。

 彼が彼として生まれたその時から、常に全力。

 一秒さえも惜しいと焦がれた先へと向かっていった。

 

「だから思うことは別の話だ。素直に感嘆しているのだよ。私たちの過ごす世界という奴に。今こうしている間にも物語は紡がれているんだ。日常の裏で我々が野望に邁進するように。此処とは違う何処かでも、想像していない物語(ドラマ)が起こっている。それを考えれば、心が躍るというものだ」

 

「本当に、物語が好きなんですね」

 

「読み物は唯一の生きがいだからな。我が一族に栄光を齎す……そのような願いを背負わなければきっと私は旅人にでもなっていただろう。神秘の失せた現代にも驚天動地の奇跡があると知っているからね。かのロードの冒険譚と同じく、私も倣って世界を巡る旅に乗り出していただろうな」

 

「今からでもそれをしようとは思わないんですか?」

 

「先約がある。自らが決めた生き方を変える訳にはいくまいよ。昔からこれと決めたことは後から変えられない性質でね。愚直と言わざるを得ない悪癖だし、誰に強要されたわけでもないんだが、一度誓ったなら貫き通すと決めている」

 

「難儀な性質ですねー」

 

「全くだ。お陰で色んな人に迷惑をかけた覚えがあるよ。今も昔も。それだけが申し訳ないな」

 

 自嘲しながらアルドルは瞑目する。

 関わった記憶を脳裏に思い描いているのだろう。

 ……自身が栄光のために、奇跡の代償としてもはや大部分の記憶は失われているものの胸に抱いた感動と憧憬が確かに記憶(それ)が在ったという証拠だ。

 記憶が失われようとも、この感動と憧憬あるならば悲しくはない。

 これこそが素晴らしいものを見たという何よりの証明なのだから。

 

「ま、私の事は置いて。せっかくだ。これを機会に君に聞いておくとしようか」

 

「はえ? 今度は私の話ですか? そんな面白い話はないですよ?」

 

「それは私も同じだ。それでも乗ったのだから今度は君の番だろう。何、そう難しい話ではない。聖杯を巡る戦いに身を投じるものとして至極当然の質問だ」

 

「そう言われると逆に身構えてしまいますけど、何です?」

 

「君の願いだ、シャルロット・コルデー」

 

 両者の視線が交錯する。

 気づけばアルドルは頬杖を突いた気だるげな姿勢から背を伸ばし、シャルロットに真っ向から向き合っている。

 瞳には敬意と真剣さ。

 人が超然と感じるアルドルの姿がそこにあった。

 

「既に互いに知ったる身だろうから、一々語らないが私は君を識っている。こうして契約する以前から君という英霊を。だからこそ君を召喚し、だからこそ私は君に問わねばならない。知っての通り、私の願いは杯の力で栄光を齎すことだが、これは願望器としての性能に頼るものではない」

 

 そう、彼の願い。

 一族に栄光を齎すという目的は別段、万能の願望器たる聖杯の能力を必要とするものではない。元より結果を得るまでに至るだろうものは現段階で築き上げているのだ。だからこそアルドルに必要なのはそれを拡張するためのリソース。

 即ち万能の領域まで聖杯の効果を高めているという超抜級の魔力炉としての性能の方だ。

 

 中身が必要なのであって器の力に興味はない。

 であればこそ。

 

「目的を達した後、各人物たちの願いを叶える余力は生まれるだろう。ましてや私が消えた後に後釜に就くのは『彼』だ。文字通り神頼みとなるから万能とまではいかずともそれなりのことは出来るだろう」

 

 故に、とアルドルは言葉を繋ぎ。

 

「その後の私であれば、かの冠位指定に挑む彼ら(・・)に──」

 

「マスター」

 

 制止するような穏やかな呼びかけ。

 それにアルドルは静かに続ける。

 

「……サーヴァントの特性は考慮に入れている。彼女と貴女が似た別人であることも当然。だが貴女は見たはずだ、私の記憶を、私の物語(感動)を。あるべき所にあるべきものを返そうというのは無粋かな」

 

「そうですね。心遣いはありがたいですけれど、それでも私は彼女じゃありませんから。何処までいってもあの恋は、あの子のものなんですよ」

 

「そうだな。そうなんだろう。しかしならばこそ尚の事、私は問わねばなるまい。君の願いは何だ? シャルロット・コルデー、我がサーヴァントよ。私の記憶を知り、そして現世に何を見る。聖杯に何を託す。この戦いに臨む私のたった一人の共犯者なのだ。返すものを返さないと私が申し訳ない」

 

 マスターがそうであるように、サーヴァントにも願いがある。

 アルドルはシャルロット・コルデーという自らのサーヴァントを良く知っている。知っているからこそ招き寄せ、知っているからこそ問いかけるのだ。

 

 自らのサーヴァントが心の底から願う祈り。それを識っているからこそ真摯に、大聖杯に託す祈りがあると確信して問いかける。

 

 それは間違いではないが同時に正しくはない。

 これも一種の彼の悪癖だろう。

 相変わらず物語を見るように彼は世界を見てしまう。

 

 だから一言、苦笑し、シャルロットは言う。

 

私は貴方のサーヴァントですよ(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「それは知って…………そういうことか」

 

 言われてアルドルは思い違いに気づく。

 ため息を吐いて、頭を振る。

 同時に向けられた言葉に含まれた想いに何処か困ったような笑みを浮かべる。

 

「私を知った上でかね」

 

「寧ろ貴方を知ったから、ですかね。私という女を貴方は知っているんでしょう? なら、これは当然の話かと」

 

「なるほど君の願望を考慮すれば想定しうる可能性ではある、しかし私では色々と不相応な気がするが……」

 

「そうですねー。正直、あの子が抱いたものと比べれば。貴方は傷つきそうにありませんしね」

 

 その言葉は互いに同じ記憶を共有するが故の言葉だった。

 彼は彼女を知っている。

 彼女は彼を知っている。

 だからこそこれはお互いにだけ通じる会話。

 彼らだけが立ち入ることの出来るやり取り。

 

「でも貴方は傷つけるまでもなく、きっと忘れないんでしょう? よりにもよってこんな私にまで本気で感動して、本気で憧れているモノ好きさんですから。唯一無二にはなれそうにないけれど、貴方ならいいかなって。それに危なっかしい人ですから。私ぐらいは一緒に居ないと。共犯者、ですからね」

 

「……参ったな。これはまた痛そうなナイフだ。昔喰らったのよりずっと」

 

「はい! なのでどうせなら死ぬほど私を呼んだことを後悔してくださいねー。後悔、したことないならいい機会でしょう」

 

「いいや、それはないな。残念ながら今も昔も未来にも、きっと私は後悔しないだろう。だが、君の願いは承諾した。ならば後は駆け抜けるとしよう。聖者たちを駆逐して栄光を我らの手に。

 ──頼めるかな、アサシン(・・・・)

 

「はいな! 任せてください!」

 

 二人して笑い合う。

 会話は結局、物騒なものになったけれど。

 マスターとサーヴァント。

 両者の関係を思えばお似合いと言えるだろう。

 

「……ん」

 

 ふと、アルドルが何かに気づいたように顔を上げる。

 釣られてシャルロットも視線を追う。

 青く広い、空。

 

 天空を舞うのは黒い二対の鴉たち。

 

「即断即決は正解だったな。獲物が網にかかったようだ」

 

「みたいですね。ではお休みも終わりですか。どうせなら一日ぐらいはこうして居たかったですが……」

 

「なに、一時でも穏やかな時間を過ごせただけでも今の私たちには十分すぎる贅沢だろう。では予定通り偉大なる乙女(ラ・ピュセル)を倒すとしよう。構わないか」

 

「存分に。たとえ我が故国に名を刻んだ偉大なる英雄であろうとも。今の私は貴方のサーヴァントですから」

 

「ありがとう。ではプラン通りに始めようか。聖人を殺すだけの最も簡単な仕事をな」

 

 青年から魔術師へ。

 似合わない獰猛な笑みは挑戦する事への悦びだ。

 運命をその手で変える。

 そうでなければ掴み取れない結末がある。

 

 故に、さあ──最後の思い入れを絶ちに行こう。

 

「以って外典をこの手に。勝つのは()だ」



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カモミールの光 Ⅱ

 中世ヨーロッパの時代から今なお街並みを変えないトゥリファスの街の通りにはカフェや飲食店、呉服店の他に露天商もまた多く存在している。

 石畳の地面に宝飾品や雑貨を並べて客を待つその姿は都会に生きる者ならば創作物の類でしか見聞きしない古い時代の商人組合(ギルド)を思わせる。

 

 そんな露天に連ねる、靴磨きを生業とする壮年の男は今日もまた、いつも通りに暇を持て余して年代モノの煙草(パイプ)を吹かしていた。

 時刻は正午過ぎ。

 飲食サービス以外を生業とする者たちにとって、昼食を終えた人々が街の散策に繰り出すであろうこの頃合いは、正にかき入れ時であるものの、男の店に訪れるものなど元より常連ぐらいであり、新規の客などひと月に一度あるかないかである。

 

 つまるところ一日に数人訪れれば上々というのが壮年の男にとっての平常であり、日常なのだ。

 故に勤労に多くを求めない良くも悪くも大らかな時代から続く露天商の商人らしく、今日もまた壮年の男は退屈な正午をいつも通りに消化していた。

 

 肺を濁らす煙をささやかな快感と共に口から漏らしながら、壮年の男はボンヤリと街道をゆく人々を眺める。

 

 うわの空で考えることもいつも通りだ。

 今日の晩飯は何かだとか、妻の愚痴をどう躱すかだとか、都市に越していった息子の調子はどうだとか──時代を生き、そしてやがて時代に忘れられていくだろう平凡な人間らしい思考。

 遥か先の未来や、残り少ないだろう己の余命の事など考慮せずに、日常は当たり前に続いていくのだという有り触れた楽観。

 

 壮年の男は何処までいっても普通の、ありきたりで当たり前の価値観を有した今を生きる凡夫である。

 だからこそ、であろう。この街に生まれ、この街で過ごし、この街で死ぬであろう凡人であるからこそ、彼はいつも通りに混ざりこんだ異物に気づいた。

 

「ん?」

 

 人々の行きかうトゥリファスの街道。

 雑談する男女、はしゃぐ子を窘める両親、友人同士でワイワイと騒ぐ若者たちといったいつも通りの中に一人だけ気色の違う者が居た。

 

「Hänschen klein ging allein In die weite Welt hinein~」

 

 軽やかに、踊り舞う妖精の様に一人の少女が歌を紡いでいる。

 

「Stock und Hut steht ihm gut, Ist gar wohlgemut~」

 

 公用語たるルーマニア語ではない。それでいて街の何処かで聞き覚えのあるその響きは恐らくはドイツ語。ハンガリー語と同じくトランシルヴァニア地域において時折、耳にすることのある言語である。

 

「Aber Mama weint sehr, Hat ja nun kein Hänschen mehr~」

 

 ドイツからの観光客なのか、或いはドイツ語を話す身内がいるだけなのか、少女は手に提げた黒い傘をリズムに合わせて動かしながら道を往く。

 他の通行人にとっては邪魔と取られる行為だが、不思議と誰も少女に視線も注意も向けはしない。

 

 よって少女は機嫌よさげに歌を紡ぎ、ステップを刻み、道を歩く。

 

「Wünsch’ dir Glück, sagt ihr Blick, Kehr nur bald zurück」

 

 いわゆるゴシック・アンド・ロリータと呼ばれるファッションに該当するであろう黒いドレスに身を包み、保護者らしい保護者を連れずに、歌を歌いながら街を歩く妖精のような少女。

 

 それは正しく壮年の男が過ごす日常風景からかけ離れた登場人物であり、加えて年を重ねた常識を持つ大人にとっては、少女の現状は余りにも無防備極まる状態だ。

 

「嬢ちゃん、一人か? 親はどうした?」

 

 だからこそこれもまた当然の反応。ぶっきらぼうながらも相手の身を案じる壮年の男の声掛けに、少女が歌を止め、ふわりと振り向く。

 

「あら?」

 

 視線が合う。同時に壮年の男は思わず息を飲んだ。

 顔立ちは想像以上に幼い。恐らくは十代も前半、いや、或いはまだ十代に差し掛かった頃合いだろうか。まるでピスクドールを思わせるような整った顔立ちは今からでも既に将来に開くであろう花の輝きを容易に想像させる。

 正に美少女。そんな言葉が担うほどに容姿の優れた少女である。

 

 しかし……壮年の男が息を飲んだ理由は整った容姿ではない。

 

 パッチリと開かれた少女の瞳。

 本来あるべき左右対称の色彩(いろ)であるはずの両目にこそ、壮年の男は息を飲むほどに魅入られたのだ。

 

 虹彩異色症(オッドアイ)。左目の蒼天を思わせる(ブルー)に対して、右目の色彩は夕暮れを思わせる橙色(オレンジ)である。

 

 脳裏にふと魔性、という単語が浮かび上がった。

 

 それほどまでに少女の瞳は見る者を魅了し、同時に底知れない不安感を相手に与える。さながら水底へと船乗りたちを誘った人魚(セイレーン)のように、見る者を引きずり込むような美しさ。

 

 動揺に、黙り込んでしまった壮年の男を傍目に、眼下の少女はパチパチと瞳を何度か瞬かせた後、クスリと、いたずらっぽく笑う。

 

「──見つかっちゃった。かくれんぼの腕はそれなりだと自負していたのだけど、そうね……『周囲に異常を知らせる魔法は二流、真に万全たるは自然体のままに振るう魔法である』。ふふっ、街に溶け込むには流石に目立ち過ぎたわ」

 

 ざんねん、ざんねんと欠片も無念そうには思わせない楽し気な呟きをする少女。そうして彼女はクルリとその場で一回転して、スカートの両端を摘み上げ、お辞儀をする。

 舞踏会に踏み込んだ令嬢の様に、或いは舞台上で振る舞う役者の様に。

 

「ご慧眼、お見事です、おじ様」

 

「あ、ああ」

 

 少女の一礼に、ハっとして壮年の男は口から音を漏らす。

 魔法が解けるように、硬直から抜け出した男は次いで先に話しかけた理由をもう一度口ずさむ。

 

「その……お嬢ちゃんは一人か? ご両親、お母さんかお父さんは一緒じゃないのかね? 最近の街は物騒なんだ、お使いか何かは知らねえがもしも大人と一緒じゃないなら早めに家に戻った方がいい。それとも、迷子か?」

 

 口にするのは当たり前の心配。良識を持つ大人なら当然の言葉だ。

 何せ近頃のトゥリファスはやたらときな臭いのだ。

 裏路地には妙に殺気立った男たち、突如として事故の起こったというトゥリファスの象徴たるミレニア城、さらには隣のシギショアラでは謎の昏倒事件なども起こっていると聞く。

 

 そんな状況で容姿端麗な少女が無防備で街を歩くなど危険以外の何事でもない。

 だが、案じる壮年の男に対し、少女はやはり笑みのまま。

 年相応の爛漫さと、それでいて年に見合わぬ知性を感じさせる振る舞いで身を案じる心遣いに感謝を述べつつ返答する。

 

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫、私に両親は居ないけれど、頼りになる大人は居ますもの。ねえ剣士(セイバー)さん」

 

「…………」

 

「うお……!」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、ちらりと視線を横にやる少女。

 釣られて視線の先を追うと、そこには無言で一人の青年が立ち尽くしていた。

 思わず壮年の男は声を出し、それに少女はまたクスクスと笑う。

 

「驚いちゃったかしら? 彼が私を守ってくれる騎士様(ナイト)よ。期間限定だけれどお兄ちゃんのお友達の心遣いで今は私を守ってくれているの。素敵でしょう? ね、剣士(セイバー)さん?」

 

「…………」

 

「そ、そうなのか……」

 

 少女の言葉に反応してぺこりと頭を下げる青年。長身に加え、鋼の様に鍛え上げられた褐色の肉体、身に纏う銀の鎧に、背負うようにしてある背中の大剣。

 少女とはベクトルの違った迫力に、壮年の男は圧倒される。

 

「ええ。だから大丈夫なの。でもお心遣いは本当にありがとう。お礼と言っちゃあ何だけれど今日は早めに店じまいすることをお勧めしますわ。これから少しこの街で派手な演劇(オペラ)があるの。街が騒がしくなる前に家に戻って休んだ方がきっと良いわ」

 

 そう言って今度は少女の方が壮年の男を慮る様に言葉を告げる。こちらを覗き込むように前かがみで、吸い込まれるような瞳に、壮年の男の姿を映す。

 茶目っ気と、何処となく不思議な真摯さを思わせる視線の色が、妙な納得感を壮年の男に与える。

 

 果たして、トゥリファスの街で演劇(オペラ)があるなどと欠片も耳にしたことがないにも拘わらず、何となく少女の言葉を正しく思った壮年の男は。

 

「……そうだな。そうしよう。ありがとうなお嬢さん」

 

「いえいえ。ちょっとしたお礼ですわ。いつも通り、明日からも頑張ってくださいな」

 

 そう言って少女はまたも歌を紡ぎながら歩き去っていく。

 相も変わらず無防備な有様だが、壮年の男はそれを今度は気に掛けるでもなく、少女に言われた通り、手早く店を片付け始める。

 店じまいには早すぎる時刻だが、今日の所は少女に勧められた通り、早めに帰路に就こうと考えたからだ。

 

 そうしてものの数分と掛からず、壮年の男は店を片付けて帰路に就いた。

 去り際、いつの間にか少女の傍にいたはずの青年の姿が無かったことにも、少女の言葉を聞いてから煙草を吸っている時みたいに意識がボンヤリとしていることにも気づかぬまま、壮年の男は言われた通り、早々に自宅へと戻るのであった──。

 

 

 

……

…………。

 

 

 

「ふふ、普通の人も侮れないわね。何年も同じ風景、同じ日常、同じ時間……魔術や異能に頼らずとも経験は時として、こうも簡単に異常を感知しちゃうんだもの。人間の可能性っていうのは魔法以上に魔法みたい。貴方もそう思わない?」

 

『…………』

 

 街を歩く少女は姿なき護衛の青年……剣士(セイバー)さんと呼ぶ人物へと笑いかける。

 対する青年は無言。平時がそうであるように、不愛想のまま自らの感情を伺わせないような──否、何処となく困ったような雰囲気を漂わせていた。

 

 それに気づきつつも、少女は勝手知ったるとばかりに言葉を続ける。

 

「誰も彼も劇的で派手な物語(ドラマ)にばかり魅入られるけれど、此処は現実世界。みんなが登場人物(キャスト)で、みんなが主役(プロタゴニスト)。たとえ凡庸でありきたりなストーリーでも軽んじて良い人生(モノ)なんて何一つないわ。まして脇役が主役を喰らうなんて言うのはそう珍しくもなんだから」

 

 だから、どのような事情であれ。少女は看過しない。

 皆が皆、登場人物で主人公。

 たとえ神秘を知らぬ群衆であろうとも、油断してはならぬのだと楽し気に嘯く。

 

 それが彼女の心得。

 年相応の爛漫さと年不相応の冷静さを兼ね備えた少女、ルクスが常に実践する振る舞いであった。

 

 相手が魔術師でも何でもないただの一般人であろうとも、自身にとっての想定外を引き起こしうると考えたならば当然の様に対処する。舞台から遠ざけるといった穏やかな手段から……もっと過激な手段まで。

 

 人々の持つ可能性、人々の生み出す物語(ドラマ)

 感動するが故に容赦も油断も全くしない。

 

 人は誰であっても主役たり得ると思うが故に。

 

「ましてやこれから向かうのは主演も主演。私たちの脚本における敵役(アンタゴニスト)ですもの。用心深くして損はないでしょう?」

 

 同意を求めるようにルクスが笑いかける。

 しかし青年は相も変わらず無言である。

 すると少女は不貞腐れたように立ち止まり、頬を膨らました。

 

「もう、無視なんて酷いわ。貴方も紳士なら乙女に気の利く言葉の一つや二つ、披露してみてくださいな。こうも素気無くあしらわれていたらクリームヒルトだって愛想を尽かしてしまうわよ、きっと」

 

 その言葉に反応したのか、或いは単に黙っていても解決しないと考えたのか、青年は──“黒”のセイバーは無言のままに考えていた疑念を口にする。

 

『貴女は……』

 

「うん? なぁに?」

 

『貴女は本当に、その……“黒”のアサシンのマスター、アルドル(・・・・)殿、なのか?』

 

 “黒”のセイバーが疑問を口にしたその瞬間、少女は半目で“黒”のセイバーを睨みつけた。

 

「むー……酷いわ。貴方には私が殿方に見えるの? 乙女に対する言葉としては無粋な上に最低よ。貴方にはこの私があの自称常識人と同じに見えるのかしら?」

 

『い、いや……そういう意味で聞いたのではなく、その……すまない』

 

 その立ち振る舞い、間違ってもかの“黒”のアサシンのマスターならば絶対にしないであろう様に思わず“黒”のセイバーはたじろぎ、謝罪する。

 ルクスは腰に両手を当て、怒ってますと言わんばかりに態度を露わにするが、ふと息を吐いて手に提げていた黒い傘を広げる。

 クルリと、手元でそれを回転させながらと歩き出す。

 

 無言で歩みだすルクスに、無言で霊体化したまま後に続く“黒”のセイバー、やがて十数歩と歩みを重ねた後、誰に言うわけでもなく、独り言を呟くようにしてルクスは口を開いた。

 

「──生物が群れを成し、社会を作る利点は単純に食料の確保、繁殖、そして何より外敵から身を守るために最も効率が良いからよ。それは人間も同じこと。人が村を作り、街を作り、国を作った最大の理由の全てはそこに帰結する」

 

 即ちは目的に対する最大効率を求めた結果だ。

 食料の確保、生命としての繁殖、敵対存在との闘争。

 それら世界に生きる限り発生する必然的な事態に対して、最も効率よく対応するために自然とできた形。高い知性を有する生命体が、その知性で以て叩き出した最善とされる結論である。

 

 唐突に語られる人間が行う行動原理に対する追及。しかし“黒”のセイバーはそれに疑問を挟むことなく無言で次の言葉を待つ。

 それがこの場ですべき最善だと考えたからである。それを知ってか知らずか、微かにルクスの口元が綻ぶ。

 

 彼女は言葉を続けた。

 

「みんなで同じ目的のために頑張ること、共通意識を持ってそれぞれに協力し合うこと。簡単に言えば力を合わせて頑張ること。それが凄い力を発揮するのは今の世界が証明しているでしょう? 人は一人じゃ明日の食料を確保するのにだって命がけなのに、今じゃ明日の食料を確保するに留まらず、星の外にだって出かけられるんですもの。正に皆の力ね。素敵なことよ」

 

 そう人間は非力だ。

 鋭い牙も爪も持たず、空を駆ける羽だって持ち合わせていない。

 個人という単位においてはそこらの野犬にすら命がけ。

 それが人間という種族の生物だ。

 

 されども人は築き上げた。

 野生すら寄り付かぬ光の絶えぬ都を。

 遥か天空を舞う鋼の両翼を。

 惑星を飛び出して、星間を航行する手段を。

 

 一人では成せない偉業の数々。

 みんなで力を合わせて手に入れた文明という成果。

 正に絆の力というべきそれをルクスは称賛する。

 だからこそ。

 

「そしてそれは()も同じこと。一人で出来ることなんてたかが知れているんですもの。まして行う目的の大きさを考えれば一人で何てとてもとても。だけれど、その目的を達成するためには不純であってはならなかった。悪意であれ、善意であれ、歪みがあってはならない。目的を必ず達成するという強い意志が必要だった」

 

 運命を変える(・・・・・・)

 その大望、その悲願、その目的。

 相対する障害の難易度を考えれば、手段も手法も選べない。

 故にこそ強く。

 味方の犠牲に苦慮するなど考えてはならない程に強くそれを貫き通す意志が必要だった。

 

「でも、みんなは、()が心の底から信じられるほど強い意志を持っていなかった。その上、優しく愛おしく、そして甘すぎた。……みんなは()ほど()()くあれなかった」

 

 ならば達成するには個人で行うしかない。

 しかし個人は個人であるが故にたかが知れている。

 どれほど素晴らしい才能あろうとも、どれほど充実した経験値があろうとも、どれほど万全たる対策があろうとも。

 

 たとえ未来が見えるとしても個人は個人であるが故に必ず限界点に行きつくのだ。人一人の手では全てを全て掬えない。

 

 ではどうする? 一つの目的のため、純然たる意志の下、大いなる目的を達成するためには一体どうすれば良い?

 

 答えは──魔術師らしく、合理的だった。

 

「みんなには頼れない。

 しかし一人でも成し得ない。

 じゃあどうすればいいでしょう? ──答えはとても簡単よ。

 要は──自分がもう一人いればいい(・・・・・・・・・・・・)

 

『それは……では君はつまり──』

 

 ルクスが立ち止まり、“黒”のセイバーの方へと見る。

 先ほどまでの不機嫌さはなく、悪戯っぽい年相応の笑み。

 彼女は告げる。

 

「それが彼と同じ起原(カタチ)を持った者たち。《(かれ)》であって、彼ではない《(わたしたち)》」

 

 ──《光》は常に普遍にして不変。

 いつ如何なる時代にも存在し、いつ如何なる世界にも遍在する。

 

「──改めて自己紹介よ。私はルクス。彼──アルドル・プレストーン・ユグドミレニアが持つ《(カタチ)》の一つ。《(かれ)》が辿った別の可能性。彼とは違う、それでいて《(かれ)》と同じモノ」

 

 《光》が辿った数多の異聞(可能性)

 輪廻転生(同一)の魂ではなく、原型より派生した別の(結末)

 

「それが私たち(・・・)

 彼の黄金宮に名を連ねる群霊──『異名存在(ケニング・アバター)』。

 彼と同じ目的を共有する、《(わたし)》たちよ」

 

 “黒”のセイバーが抱いた疑念。

 お前は“黒”のアサシンのマスターなのかという問い。

 その答えをルクスは隠すことなく明かしてみせた。

 

『……魔術とは、そんなことも可能なのか』

 

 発想もそうだが、余りにも常識外れの所業である。

 

 己という個我の発生原因。

 その発生原因を起点として己とは異なる個我を呼び出し、使役する。

 

 魔術に対する知見は聖杯の齎す知識以上に持ち合わせない“黒”のセイバーではあるがそれでも常軌を逸した技であることは理解できる。

 『分割思考』やクローンとは訳が違う。下手をすれば全く同一の己を作り上げるという非常識ですら上回るものである。

 

 唖然としたまま呟く“黒”のセイバーに、しかし少女は首を振った。

 

「……起原を介した別自我の利用、言ってしまえば原型が同じというだけの全く別の魂を呼び出すという魔術自体は確かに魔法の領域に踏み込む奇跡だけれど、私たちの場合は事情がちょっと特殊なのよ。私たちの起原特性、そして()の特殊性あってこそのものよ」

 

 彼らが《光》であること。

 そして彼がこの世界に訪れた来訪者(・・・)であること。

 この二つが揃っての術式である。

 

 再現は自己の範囲に留まり。

 内部の複雑性を除けば、表面上は同じ存在が別の名を名乗っているというだけの話。

 故にこそ、これはれっきとした魔術なのだと少女は告げる。

 

「だから貴方の思う程、大したことはしていないわ。そうね……私のことは彼の兄妹だとでも思いなさいな。私はそう振る舞うし、彼はそう扱うわ」

 

 だから、と。

 霊体化している“黒”のセイバーを見透かすように。

 妙な威圧感を伴った笑みを浮かべて。

 

「私はルクス(・・・)よ。アルドルじゃないわ。よろしくって? ミスタ?」

 

『……了解した、ルクス殿』

 

「うん、よろしい。これからは気をつけてね」

 

 どうやら名前間違い(・・・・・)は少女にとっては余程に不愉快だったらしい。その魂の年齢をして十二歳の少女は、愛らしい見た目に反して既に人として確固たる強い我をキチンと持ち合わせていたらしい。

 ──“黒”のセイバーにとって生前の伴侶たる不機嫌な時のクリームヒルトもかくやといった『圧』があった。

 

“……気を付けよう”

 

 竜をも下した勇者は心の底から己を戒めた。

 

「さて、貴方の疑問も解決したようだし、私の話はここまでにしましょ。一番大事なのは私の身分なんかじゃなくて私たちの役目の方なんだから。貴方は一時私の騎士だけど、その役目は私を守ることだけじゃない。分かっているわよね?」

 

『ああ、承知している』

 

 こくんと頷き、言葉を返す“黒”のセイバー。

 

 ──そう、ルクスが何者であるかだとか、彼女たちを取り巻く事情だとか、そんなものは重要な話ではない。

 “黒”のセイバーの本来のマスター、ゴルド・ムジークではなく、この一時にルクスのサーヴァントとして振る舞う訳は一つ。

 同じ“黒”の陣営として、同じ目的を遂げるため。

 

 ひいては“赤”の陣営と戦うためにこそ、此処に在る。

 

「今回の主役は私たちじゃない。作戦の最大の目的は城で話した通り、ルーラー……この聖杯大戦に混ざりこんだ想定外の敵を討つこと。そのために邪魔となる全ての障害を舞台から叩き落すことにある」

 

 業腹だが、ルクスも“黒”のセイバーも今回は脇役。舞台に上がる主演はアルドルであり、ルーラーである。

 かの調停者を討ち果たすために、二人舞台を邪魔する全ての登場人物を舞台から遠ざけるのが今の二人の役目だ。

 

「“赤”の陣営が介入しないならば良いけれど、現実はそう簡単にはきっと行かない。誰がどう来るかは知らないけれど、サーヴァント戦が発生する以上、絡んでくる人たちは居るでしょう。それを打ち払うのが私たちの役目よ」

 

 確認のために目的を再共有するルクス。

 “黒”のセイバーもそれに対して否は無い。

 

 許可なく誰とも話すなというマスターの命令も解除され、令呪こそゴルドのままだが魔力パスはルクスと繋いでいる。

 まさにこの一時、ルクスと“黒”のセイバーはマスターとそのサーヴァントという関係だった。

 

「──けれど、せっかくなら想定内で想定通りの答えに辿り着くよりも想定以上の成果を出せた方が、もっと素敵だとは思わない?」

 

『……確かに、相対するのがいずれ雌雄を決さねばならない敵だというならば、それがいずれである必要はない。……機会があるというならば、手を伸ばすのも一つの答えだ』

 

「ええ。それに脇役って性に合わないのよね。せっかくなら私も目立ちたいわ。だからセイバー。状況にもよるけど私も派手に(・・・)行くわ。お兄ちゃんは自重を止めたみたいだし、私も自重抜きでやらせて貰おうと思うの」

 

『それはつまり……貴女も戦うということか』

 

「まさか。私は見ての通り非力な少女よ? 戦うのは貴方。そこは変わらない。だけど、直接矛を交えずとも出来ることは色々あるわ。だからね、セイバー。貴方に一つだけ頼み事。命令と取ってくれても構わないわ。これだけは守ってね」

 

 あくまで代行、あくまで代理。

 そう言ってきたルクスにしては珍しく強い言葉。

 “黒”のセイバーはその内容が重要なのだと確信する。

 

 ……己のマスターが今もゴルド・ムジークであることは変わらない。しかし今この一時はルクスこそが背を預ける戦友であり、指揮者(マスター)である。

 

『聞こう』

 

「ふふ、ありがと。でも、そうかしこまる必要はないわよ。きっと難しいことではないと思うから。──お願いは一つ。戦いが始まったら、絶対に私を見ないで」

 

『それは……』

 

 どういうことなのか、と疑問を続ける前に。

 

巻き込んじゃうから(・・・・・・・・・)

 

 端的にそれだけ告げて少女はクスクスと笑う。

 理由は告げない。或いは単に少女の悪戯心なのか。

 相変わらず掴みどころのない様である。

 

 しかしそれでも浮かべる微笑みに自信と自負が確かにあった。

 ならば多くを問う必要はない。

 願われたならば、応えることこそ英霊たる己の役目だ。

 そう考えるが故に是非は無く。

 

『了解した』

 

 “黒”のセイバーは強く頷いた。

 それに満足したらしく、ルクスはクルリと機嫌よさげに再び傘を回す。

 

「ん、それじゃあ気を取り直してかくれんぼの時間よ。さっきは私が見つけられちゃったけれど今度は私たちが見つける番。見つけられなかったら残念だけれど、でもまあ、向こうも勝つつもりがあるのなら──」

 

 と、そこまで口にして唐突にルクスは立ち止まる。

 ほえ、と呆けたように口を開き固まった。

 

『……何か見つけたのか』

 

 “黒”のセイバーはその異常にすぐさま身構えて言葉を掛ける。

 しかし言葉は返ってこない。

 ルクスは一点に視線を向けたまま黙り込み、そして。

 

「……貴方の悪癖よ、アルドル。中途半端に手札を晒すからこうなるのよ。まあ現状の理解で行きつく推測を考えれば予想のつく展開ね。流石は神父様、お陰で私たちの方はとっても面倒だわ」

 

 此処には居ない自分(アルドル)に批難の言葉を送るルクス。

 彼女の視線の先には想定通りに“赤”の陣営の姿がある。

 しかし……。

 

 

「もう満腹かい? セイバー! 最優のクラスも大した事はないな!」

 

「ハッ、まさか! てめえこそ最初の勢いは何処に行ったよ! 手を動かす速度が落ちてるんじゃねえのか!?」

 

「すまない店主、このアップルパイを二つほど追加注文したいのだが」

 

「時計塔、経費で落としてくんねえかなぁ……」

 

 

 視線の先で繰り広げられる予想外の光景。

 それを見て、ルクスは再び嘆息する。

 

 想定内の予想外(・・・・・・・)

 可能性の一つとして考慮はしていたが、そうなっているとは思わなかった展開。

 

「三対一か。さて、どうしましょうか?」




『異名存在』

超訳すると「自分が増えれば人手は足りるヨシ!」
……という考えの下《光》を起源と持つ別の魂を引っ張ってきた存在。
存在としては分御霊に近い。

破格の魔術式だが、某正義の味方が有する固有結界と同じように起原が色濃く出たことと主人格たる存在の特殊性の二つがあって初めて成立する彼ら独自の魔術式。
細部を除けばやってることは異なる名を名乗ることによる異なる性能の発露なので魔術自体に特殊性はない。


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カモミールの光 Ⅲ

『ちょっとばかし長話になる。此処で話しても構わんが、どうせだったら場所を移さないか? ちょうどアンタら、飯に行こうって感じだったみたいだし、同伴させてもらうぜ』

 

 突如として訪れた“赤”の陣営に属する“赤”のライダーと“赤”のアーチャー。

 同じ陣営とはいえ、前触れもなく突然現れた来訪者に警戒感を強める“赤”のセイバー主従を傍目にまるで勝手知ったる知人と話すといった調子で会話を進める“赤”のライダーの提案に悩んだ末に獅子劫は警戒しつつも乗った。

 

 ……元より時計塔陣営として参戦した獅子劫は言うまでもなく“赤”の陣営である。

 獅子劫もまた自らが大聖杯に託す願いがあるために潜在的には競争相手と成り得る同胞らであるものの、“黒”の陣営を打倒するという目的だけは共通だ。

 加えて未だ“黒”のライダーを除けば脱落の無いまま六騎ものサーヴァントを保有している“黒”の陣営を一人で相手取るのは現実的ではない上、予想外の敵まで出現したのだ。

 

 今の状況を顧みれば単騎で“黒”の陣営を出し抜くことは非常に困難であり、此処は初めに立ち返って情報共有も兼ねて“赤”の陣営の内情を、同じ陣営に属するサーヴァントから聞くことにデメリットは特にないだろう──。

 

 そんな考えの下、獅子劫は“赤”のライダーの提案に頷き──数刻後、話し合いを移した先であるトゥリファス市内のレストランで頭を抱える羽目になった。

 

「……つまりなんだ。聖堂教会から派遣された監督役、シロウ・コトミネは実は六十年前の第三次聖杯戦争からの生き残りであり、サーヴァントであると。んで、そいつが人類救済とやらの野望を叶えるために既に倒された“赤”のアサシンの力を使って他の“赤”のマスターたちからマスター権を奪って実質的に一人で“赤”の陣営のマスターとして振る舞っていると、そういうことか?」

 

「おう。理解が早くて助かるぜ。っと美味いなこれ。肉なんて地べたで焼こうが鉄板で焼こうが変わらないって思ってたが、当代では簡単な調理でもこうまで化けるもんなのか。やっぱ知識と体験じゃ全然違うな。なあ? 姐さん」

 

「店主。次はこのリンゴのマフィンを頼む」

 

「んだよ、この店コーラはねえのか。現代じゃあ当たり前に飲まれてるんじゃねえのかよ。聖杯の知識も当てにならねえな」

 

 “赤”のライダーの口から明かされる“赤”の陣営の現状。それは今の状況を打開するどころか、寧ろ状況の混沌具合をさらに拡大させるものでしかなかった。

 

 同陣営内で欲に駆られて足並みを乱す者が現れるという事態は別段珍しいものではない。何せ此度の戦いの賞品は万能の願望器。ありとあらゆる願いを叶える杯だ。獅子劫とて、叶えたい願いがあるからこそ“赤”の陣営でありながら独立して行動することを選んだし、そういう意味では同じことを考える輩が他にもいたというだけの話である。

 

 ただ問題があるとすれば、そいつの正体が数十年前から現在に至るまで受肉した状態で生き続けたサーヴァントであり、“赤”の陣営のセイバーを除く、他全てのサーヴァントのマスターとして振る舞い、あまつさえ全人類の救済などという荒唐無稽な理想(ユメ)を抱いているということだ。

 

 前門の虎後門の狼、そんな言葉が脳裏に過る。

 “黒”の陣営という共通の敵を討ち果たすため、此処は一旦、元鞘に戻ろうと思ったら“赤”の陣営もまた時計塔陣営という前提が崩れていたという現状は真実、獅子劫にある種の諦観を抱かせる。

 

 チーム戦だと思って参戦した聖杯大戦だが、どうやら己はいつの間にか本来的な聖杯戦争の参加者になっていたらしい。信じられるのは己が手で召喚したサーヴァントのみ。敵は他の参加者全てというわけだ。

 

「いや無理だろ」

 

 そこまで考えて口に出た言葉は本心からの飾りのない本音。

 

 状況次第でまとめて全てを相手取る必要はないとはいえ、数字だけ見れば一対十三。裏切者の神父を数に入れれば十四。さらに“黒”の陣営のマスターをも戦力の頭数に入れれば総数は二十。

 もはや策や戦術でどうこうなるような状況ではない。

 どうしてこうなったと叫びたい気分だった。

 

「ま、同情するぜ。セイバーのマスター。味方だと思ってた連中が蓋を開ければ敵だったんだ。オデュッセウスの野郎だって困るだ──いや、アイツはそれはそれでどうにかする案を考えるのか?」

 

「リンゴジュース、リンゴのマフィン、リンゴのオートミール……ふむ、多彩なものだな。すまない店主、このアップルパイを追加注文したいのだが」

 

「っぷはぁ、食った食った。現代ってのは良いなこりゃ! ガウェインの野郎が適当に作った奴とは比較にならないぜ」

 

「お? 何だセイバー。もう食わねえのか? 案外肉の一切れで満足だなんて小食なんだな」

 

「んだと?」

 

「俺は追加注文だ、ステーキ三つ」

 

「……大食い勝負のつもりか、いいぜ乗ってやる! オレも追加注文だ!」

 

 あんまりな事態に獅子劫は天を仰ぎ、そんな獅子劫を朗らかに笑いながら同情する“赤”のライダー。それを脇目に暴飲暴食に努めるサーヴァントたち。

 状況は、色んな意味で混沌だった。

 

「……ところでお前さんたち。そんなに食って金はあんのかよ?」

 

「あん? 金銭か? ねえな。頼んだぜ“赤”のセイバーのマスター。最優のクラスの主様の懐の深さって奴を披露して欲しいね」

 

「そうか……」

 

 後で違約金がてら時計塔に手形を叩きつけてやる、と誓いながら獅子劫は気を取り直して会話を続ける。

 自らの陣営がもはや陣営の体を成していないことは理解した。

 しかし理解した上でどうやらまだ最悪の状況ではないのだろうと確信しているが故に気を持ち直す。

 

 悪い状況なのは事実だろう。

 だが、その上でまだ聖杯を諦めるほどに絶望してはいないのだ。

 その理由は言うまでもなく。

 

「それで? その伝えなければ俺たちが知る余地のない情報を態々、俺たちに伝えて来た理由はなんだ、“赤”のライダー。助けを求めてってのが柄じゃないのは短いやり取りの中でも分かってる。提案があるんだろう?」

 

「……へえ、察しが良いな。本当に話が早くて助かるぜ」

 

 寧ろそっちが話の本題だろうと当たりを付けて言う獅子劫に、“赤”のライダーがニヤリと笑う。

 そう此処まではあくまで情報共有。話を付ける上で前提とする必要があった、言わば共通認識である。予想通り本題は此処からだった。

 

「腹芸は得意じゃねえから単刀直入に言うが、そこまでを期限に俺たちと組まないかって話さ。期限は“黒”の陣営の打倒までだ。俺の槍と姐さんの弓、一時的にだが、アンタに託す。どうよ、悪くはない提案だろう?」

 

「ま、話を聞いてそんなところだろうとは思ったぜ」

 

 “赤”のライダーがテーブルから身を乗り出して出してきた提案。その内容は話の流れから半ば予想がついたものであり、同時に即時即答とはいかないものであった。脳裏で損得の計算をしつつ、獅子劫は慎重に仔細を確認する。

 

「幾つか質問がある。構わんか」

 

「おう。長話のために場所を移したんだ。合意にせよ決裂にせよ、俺たちの真名と宝具以外だったら知ってる限りは付き合うさ」

 

「そいつはありがたいね。……一つ目、俺たちに振った理由は?」

 

「アンタの所が唯一手を組める相手だと思ったからだ。語った通り“赤”の陣営は既にシロウ・コトミネの手に落ちてるし、“黒”の連中は敵だ。なら組めるのは消去法で唯一、時計塔のマスターで自発的に行動しているアンタの所に限られるだろう?」

 

「……今からでも“黒”に加わるって手もあると思うが」

 

「ねえな、どんな事情でも裏切りは矜持に反する」

 

「──そうかい。二つ目、その提案をシロウ・コトミネは知ってるのか?」

 

「知ってる。そんで知った上で俺たちを自由にさせてやがる。“黒”の陣営の打倒っていう目的だけは同じだからな。人類救済はともかく、少なくとも敵対者が居るうちは身内同士で争うつもりは無いんだろうさ。それに今の奴は業腹だが、マスターでもある、なら」

 

「いざともなれば令呪がある、か。成程、それなら放し飼いも納得だな」

 

 シロウ・コトミネ、実質的に“赤”の陣営の唯一のマスターとなった人物というのならば当然ながらサーヴァントへの強制命令権……令呪も確実に押さえていることだろう。如何なる英雄であろうとも従わせる三つ限りの手札がある限り、反感を抱く存在を態々、無理矢理に常時従わせる必要はないという判断か。

 

「最後だ。お前さんたち以外……“赤”のランサーと“赤”のキャスターはどうなんだ。先に“黒”の連中に落とされた“赤”のアサシンと“赤”のバーサーカーはともかく、そいつらもお前さんたちと同じく裏切られた側だろう」

 

「あー……ランサーの奴は忠義者でね。あくまで本来のマスターに従うだとよ。キャスターの奴は、面白ければ何でもいいってタイプだ」

 

「成程ね」

 

 前者は他に共闘を求めるよりも現在のところ“赤”の陣営の支配者たるシロウ・コトミネに付いた方が当初の目的に近いと判断し、後者は聞くところ愉快犯的な人物なのだろう。マスターが替わったところで気にはしないと。

 

「質問は終わりかい? なら答えを聞かせてもらいたいね」

 

「ふむ──そうだな」

 

 注文してあった珈琲を口にし、その苦みを口内で転がしながら獅子劫は“赤”のライダーからの提案を考える。

 

 ──まずメリットから挙げるなら単純に頭数が増えるということにある。そもそも獅子劫が手詰まりだと考えていたのは敵の数に対してこちらの頭数が圧倒的に足りなかったことにある。

 どれだけ自らのサーヴァントが強力であっても、個人単位である限りどうしてもとれる戦術は限られてくる。敵は数に加えて質の面も強力であることを考えれば、こちらの戦術を相手の対応力が上回ることは予想するに難くない。

 ゆえに“赤”のライダーの提案……自らの指揮下に実質、二騎のサーヴァントを加えられるというのは色んな意味で魅力的だ。

 

 対してデメリットはどうだろうか。

 一番はやはり令呪を握るシロウ・コトミネの存在だろう。

 

 “赤”のライダーと“赤”のアーチャーがこっちに協力的だとは言え、令呪がシロウ・コトミネの手の中にある以上、状況次第で簡単に裏切ってくるだろう。それにもっと疑心を擦れば、そもそも此処までの話を聞くに腹芸が不得意な“赤”のライダーが真実を語っていたとしても、シロウ・コトミネの方が全ての“赤”のマスターを出し抜いた謀略家であることを考えれば、この状況自体が何らかの策の中にあることも否めない。

 

 こちらを利用するだけ利用して都合が良いタイミングでポイなど、正に陣営そのものを掌握した裏切者ならばやりそうな手だろう。

 メリットとデメリット。何を選ぶにしても一長一短がある。

 ならば。

 

「セイバー、お前さんは話を聞いてどう思う?」

 

「あん?」

 

 獅子劫は自らのサーヴァントに話を振る。我関せずと食事していた“赤”のセイバーだが、こちらの話を全く聞いていなかったというわけではないだろう。

 思索に耽るという性質ではないが故、“赤”のセイバーもまた腹芸を得意としていないが、それでも“赤”のセイバーには『直感』がある。

 

 加えて彼らが協力者になるとして実際に戦場で手を組むのは主に獅子劫ではなく、“赤”のセイバーとなることだろう。

 

 どの道話は一長一短、ならばと問うた獅子劫の言葉に、“赤”のセイバーは口の中を満たしていた肉を飲み込み、答える。

 

「んぐんぐ……ま、いいんじゃね? オレは何でもいいぜ。マスターに任せる」

 

「適当だな、オイ」

 

「考えるのは性分じゃねえ。オレの役目は最初っから聖杯を獲ることだ。神父が裏切者だとか、そいつらが協力者になろうが関係ねえ──だから任せる。勝つための方法を考えるのはマスターの役目。オレたちはその考えに従って戦う。違うかよ?」

 

「……へえ?」

 

「ほう……」

 

 “赤”のセイバーの言葉を意外に思ったのか、或いは単に感じるものがあったのか、“赤”のライダーと“赤”のアーチャーが揃って感嘆の息を漏らした。

 

「んだよテメエら、揃いも揃ってオレを見やがって」

 

「いんや別に。ただ大した信頼だと思ってな。そこんところは少しばかし羨ましいね」

 

 本心からの言葉なのだろう。楽し気に笑みを浮かべて言う“赤”のライダーだが、対する“赤”のセイバーは嫌そうに反応するのみ。

 そんなサーヴァントたちの会話を傍目に、判断を仰がれた獅子劫の方はといえば、今のセイバーの言葉に心を決めた。

 

「よし。そっちの提案に乗るぞ“赤”のライダー。“黒”の連中を打倒する迄はアンタらと組む。契約書は必要か?」

 

「……いや、そこまでは必要ないが……なんだ、えらく突然決めたな。考えるのはもう良いのかい?」

 

「考えても頭を抱えるだけだからな、埒が明かないだろ。それにうちのサーヴァントが言っただろう? 裏切りも協力者も関係ない。要は……」

 

「最後に勝てばいいってか。ハッ! なるほどそりゃあそうだ! 良いぜアンタ。剛毅な奴は嫌いじゃねえ。マスターに恵まれたなセイバー!」

 

 “赤”のライダーが呵々大笑と声を上げる。獅子劫の強気な発言が琴線に触れたのだろう。手放しに賞賛の言葉を口にする。

 

「当然だろ! なんたってオレのマスターなんだからな!」

 

 それに胸を張る“赤”のセイバー。

 己のマスターを称賛されるのは悪くないのだろう。

 何処となく気分が良さげだった。

 

「……良いね。悪くない。あの神父の思惑に乗っかってるみたいで癪だったが、これなら手の上で踊ってやるのも一興かね」

 

 呟く一言は、恐らく此処までの状況全てを見越しているだろうかの神父に向けた言葉だ。アレが何を考えて自分たちを送り出したのかは知らないが、少なくとも神父の謀略の一端に知らず乗せられてるとしても眼前のペアであれば、手を組む相手として不満はない。

 

 英雄として振る舞う──目の前の協力者たちならば、その願いに背くことなく聖杯大戦を戦い抜くことが出来るだろうと確信する。

 

「話は決まったようだな」

 

 と、此処まで一度も話に加わってこなかった“赤”のアーチャーが口を開く。元より彼女は交渉が成立するにしても決裂するにしても、どちらでもいいとしていたのを知っていた“赤”のライダーはただ頷く。

 

「ああ。アンタは不満はないかい、姐さん」

 

「無い。私は初めからどちらでも良かったからな。伸るにせよ反るにせよ、私は私の願いを叶えるために聖杯を獲る。それだけだ」

 

「だろうねぇ。ま、何にせよ“赤”の同盟結成祝いだ。改めて乾杯といくか!」

 

「……食費は全部、俺持ちなんだが」

 

「堅いことを気にすんなよ、一時的にとはいえ俺たちのマスターだろ?」

 

「はぁ……何だかなぁ」

 

 改めて獅子劫は自らの状況を顧みて天を仰ぐ。

 あわや孤独な戦いを強いられるという状況から今度は実質、一人で三騎ものサーヴァントを指揮するマスターとなったのだ。

 この短い時間で波乱万丈にも程があると呆れる。

 

 同時にこれでゼロに等しいと見られた自らの勝運にも目が見えて来た。状況は未だに厳しい。何せこれで“黒”の陣営を攻略した後に、“赤”の陣営とことを構えなくてはならないことも決定したのだ。

 頭の痛い話だが、かの神父の存在を考えれば是非もないだろう。

 

“こりゃ、文句はともかく一旦時計塔に報告した方がいいかもな”

 

 増援は期待できないが、何らかの支援は受けられるだろう。何せ時計塔自慢の戦力がよりにもよって聖堂教会が引っ張ってきた人物の手によって無力化されているのである。面子の意味でも政治の意味でも無視できる案件ではない。

 

 獅子劫は勝ちに行くためにこそ最善と思われる策を堅実に打っていく。 

 そう──たとえ不利であろうとも完全に願いを諦められるほど、獅子劫とて胸に抱いた願いは軽くないのだ。

 忘れられない願いがある。忘れてはいけない矜持がある。何もかもを諦めていたと己は思っていたが、熱は今もこの胸にあると知ってしまったから。

 

「なら、諦められるわけはねぇわな」

 

 故に手を伸ばし続ける。

 まだ負けたわけではない。まだ敗北したわけではない。

 ならば勝ちに行くのみだろうと死霊魔術師は獰猛に笑った。

 

「……んじゃ、乾杯がてら。これからの話をするとしようか。頭数も揃ったことだし、“黒”の陣営の攻略、その作戦会議を提案したい」

 

「っし! 良いぜ」

 

「最優のマスターの手腕を見させて貰うとしよう」

 

「ようやくか。腹ごなしには丁度いい」

 

 かくして此処に同盟が成る。

 “赤”の陣営は“赤”のセイバー、“赤”のライダー、“赤”のアーチャーからなる同盟。神父の思惑の外より神父の謀略を唱えるもの。

 

 ……敵が万全盤石だというならば、更なる混沌の戦場を。

 全てを凌駕し、勝ちを狙うはかの魔術師のみに非ず。

 

 何もかもを利用しつくして、聖者は己が野望に手を伸ばすのだ。

 ──全人類に救済を。

 その一念だけを胸に燃やして。

 

 

……

…………。

 

 

 それぞれの思いが交錯する。

 己が栄光がため、己が救済がため、己が願いがため。

 誰しも譲れぬ大望が胸の中にあるからこそ譲らない。

 

 故に激突するほかなく、戦うほかに有りはしない。

 だが、それはあくまで参加者側の事情だ。

 

 争いは彼らの内で為されるもの。

 戦争とは無法の戦いではなく、合意の下に行われる秩序の下の暴力的な最終交渉である。それは何者であっても変わらない。

 なればこそ渦中に関係のない者を巻き込んではならない。

 ならないと思ってはいるものの──。

 

「レティシアの協力の下、此処に立っている私は既にそれを言う権利を失っているのでしょうね」

 

 嘆息しながらルーラーは独り言を漏らす。

 此処はトゥリファス市内は市役所近くのアパートメント。

 以前知り合ったレティシアの知り合い──シャルロットとパッシオが居住地である。

 

 足を運んだ理由は言うまでもなく、知らず聖杯大戦という魔術師と英霊による神秘世界の争いごとの火中と化したトゥリファスにある彼らの身の安全を確かめるためだ。

 既に街には殆ど被害が出ていないことは確認済みだが、それでも直接身の安全を確かめた方がレティシアも安心するだろうというルーラーの心遣いだった。

 

 果たして、呼び鈴を鳴らすと間もなくゆったりとした足音が扉の前までやってくる気配がする。

 いつも通りに客に応対するといった様に異変の類は無く、どうやら此処の住人に変事の類は起こっていないようだとホッと一息。

 

 扉が開く。

 

「おや、君はレティシア君。いらっしゃい、早速来てくれたようだね」

 

 そう言って、己をトゥリファスまで送り届けてくれた恩人。

 初老の男、パッシオは穏やかに笑いかけた。

 

 

 

「すまないね。シャルロット君は少々出払っていてね」

 

 コトリとテーブルに着いたルーラーに対して、来客用と思われるティーカップを置き、慣れた手つきでお茶を汲む。

 湯気と共に芳醇な香りが立ち、気分を穏やかなものへと誘う。

 

「ありがとうございます。その、突然お伺いして申し訳ありません」

 

「はは、気にしないでくれたまえ。君も知っての通り、シャルロット君はああだからね。我が家には来賓は少なくないのだよ。昨日今日近所で知り合った人を連れてくる、なんてこともあるからね」

 

 困ったものだ、とのほほんと言う様は何処か楽し気だった。

 それを横目にしながらお茶を口に含む。

 香りもそうだが、不思議と気分を落ち着かせるような味わいだ。

 

「美味しいです」

 

「カモミールティー。口にあって何よりだ。紅茶の類は独特の苦みもあって嫌う人もいるがこちらは口に障る刺激が少ないからね。来客用に出しているのだよ」

 

「なるほど」

 

 確かにルーラー……ジャンヌダルクも生前、紅茶の類を口にすることはあったが、彼の言う通り美味しいものは美味しいが中には苦みの強いものも存在した。

 彼の言う通り、カモミールティーは独特の味わいを苦手とするものもいるだろうが、あからさまに人嫌いする特徴がない分、大半の者は受け入れやすいものだろう。

 

「それにカモミールは古来より薬用効果のある植物として重宝されてきた歴史があってね。特にエジプトなどでは太陽神ラーに捧げる神聖なハーブとして扱われていたようだ。実際、安眠や鎮痛作用といった薬効もあって、かのクレオパトラも愛用したそうだよ」

 

 言いながらパッシオは興味深そうにティーカップに注がれた黄緑色のお茶を見る。

 ……エジプト神話に語り継がれる太陽神ラーといえば、古代エジプトにおいて『光の主人』とあだ名された最も偉大な神であり、クレオパトラはエジプトの王たるファラオにして絶世の美貌を誇ったという偉人である。

 

 そんな彼らに捧げられた、或いは常用したというものを今にお茶として味わう。

 そう考えると中々、感慨深い歴史の妙を感じさせる。

 しかし、それにしても……。

 

「パッシオさんはお茶に詳しいのですね。やはりお好きなんでしょうか?」

 

「嫌ってはいないね。が、詳しいのは職業病だよ。考古学というのは遺跡やかつて街があった土地を掘り起こして、土器やら遺骨やらを掘り出すというイメージが付きまといがちだがね。その真髄は遥か過去の人間の営み、文化、生活風景を推考することにある。なので、まあ自分の分野と関係のない知識も無駄に身につけていってしまうのだよ」

 

「パッシオさんは考古学者でいらっしゃったのですね。確かに、似合いそうです」

 

「おっと言ってなかったかな。これでも昔は随分とやんちゃをしてね。今でこそ、フィールドワークよりも報告を通しての情報精査を主としているが、昔はエジプトを始めとする中東地域に出向いては現地の協力者と共に遺跡の採掘作業にも直接関わったりもしてね」

 

「遺跡の採掘作業、ですか……」

 

 ルーラーも、レティシアの方も当然ながらパッシオの言う遺跡の採掘作業など想像もつかないが、イメージ通りならば何となく鉱山夫のように機械や手作業などで地中を掘り出すような絵が思い浮かぶ。

 中々に体力が必要そうな作業だが、パッシオのように知的好奇心が強そうなものにとっては確かに楽しそうな作業である。

 

「大変そうですけど、楽しそうです」

 

「楽しかったとも。修羅場も多かったけどね。ふふ、懐かしいものだ。作業員がこっそりと貴重な金品を掠めとると言った可愛いものから、盗掘団が銃器を持って突撃してきたり、異教文化許すまじと信仰者たちが遺跡や遺物を破壊すべく現れたりと刺激に困らなかったよ」

 

「は、はぁ……えっと、それはかなり、何というか……」

 

 一応、大聖杯からの知識とレティシアから現代の認識があるため、そういうこともあるとは知識で知っているが、直接その道の従事者から聞く内容は今まで抱いていた考古学者というイメージをがらりと突き崩すものであった。

 彼が特殊だったのか、はたまた本当にそんな事ばかりなのかは分からないが、思いの他目の前の男性は穏やかに見えてアクティブなのかもしれないと思い直す。

 

「おっと、話が脱線しすぎたね。今日はどうしたのかな? 何か困ったことにでも遭遇したのかね?」

 

「あ、いえ。単純に挨拶とお礼を兼ねて訪ねさせていただいたのです。その、パッシオさんたちから聞いていた通り今のトゥリファスは少し物騒ですし、顔を見たくなったというか」

 

「……ああ、なるほど。今朝もミレニア城塞が崩落した、などとニュースでやっていたからね」

 

 テーブル脇に置いてあった新聞紙を一瞥し、納得するように頷くパッシオ。

 内容は表向きは老朽化に伴う事故だと報道しているが、それが真実でないことを当然ルーラーは把握している。

 今も裏で進む聖杯大戦。その影響が、今こうして彼らの日常を侵しているのだ。

 

「私たちの方は見ての通り無事だよ。シャルロット君なんかも今朝は友人とお茶をするなんて言って出て行ったからね。昼過ぎには戻ってくると言っていたが……そうだ、レティシアくん。君は昼食はすませたかね? まだならばせっかくだ。少々遅めの昼食を取らせるが……」

 

「いえ、まだですがお構いなく。先日もお世話になったばかりですし、またお世話になるわけには……」

 

 と、そういった直後まるで図ったようにルーラーが空腹の音を鳴らす。

 ……朝食は世話になっている教会できっちり取ったはずだが、生来健啖家であるルーラーの性質が一時的な受肉先であるレティシアの体質にも影響を齎しているのか。

 それにしても思わぬタイミングにルーラーは顔を赤くしながら黙り込む。

 

「ふふふ、昼はパスタでも食べに行こうか。ちょうど近くに美味しいお店があってね」

 

「……はい」

 

 もはや断りを口にするのが逆に申し訳なくなり、何も言えずに頷くルーラー。

 パッシオはこちらの内心を察してか苦笑して話題を変える。

 

「そういえばレティシア君は歴史の勉強でトゥリファスを訪ねたのだったかな。昨日の今日だが何かわかったかね。これでもしがない学徒の一人だ。簡単なものであれば、私も知識の一つや二つ披露できるが……」

 

「……そうですね、まだ来たばかりなので」

 

 パッシオの親切心に対し、少しだけ困ったように言葉を返す。

 元よりルーラーことジャンヌダルク、彼女の本当の役割は聖杯大戦の調停者として、此度の戦いを正しく見定めることにある。

 そのため言うまでもなく、歴史の勉強とはこの街を訪ねる上での言い訳に過ぎず、返せる言葉もないのだが……ふと、そこまで考えて思いつく。

 

 考古学者らしき目の前の初老の男性パッシオ。彼がこの街で何年過ごしているかは知らないが、もしかすれば何かこの街で起こっていることを違和感として覚えてることがあるかもしれない。

 

 神秘の存在を知るものは魔術師や人の領域を外れた存在に限られるが、人間社会に地続きであるため中には神秘と関わり合いが無くともその存在を察している者も居ると聞く。

 聡い者ならば魔術を知らずともそういったものがあると知っている、という風にだ。

 

 とはいえ流石に一般人が魔術師の所在を知り、あまつさえ身分を隠す上で隠蔽工作を大なり小なりしている彼らの所在を突き止める、などという真似ができるとは思わないが、風聞や噂話というものは何処かで必ず生じるもの。

 

 もしかすればこの街を統べる影の支配者、ユグドミレニア一族に関しても、何か噂話が出回っているかもしれない。

 そこまで考えてルーラーは慎重に口を開いた。

 

「では──最近、街で変わったことはありませんか。先のミレニア城塞のように普段とは違うことや以前とは違うことなど……噂話で良いのです。些細な違和感を覚えることでも」

 

「うむ? 随分と変わった質問だが……平時とは異なる違和感か。無いこともないがね、少し物騒だよ? 歴史とあまり関係もないが」

 

「その……ええ、私がこの街に来た理由の一つなんです。詳しい事情はお伝えすることは出来ませんが、大事なことなのです」

 

 言い淀みながらも真剣な眼でパッシオを直視するルーラー。

 視線を受けて、パッシオは少しだけ考え込んだ後、ティーカップに注がれたカモミールティーをゆっくりと飲んだ後、ややあって口を開いた。

 

「──同じ考古学に従する者から聞いた話だがね。つい数か月前からかな、遺跡から発掘された石器や歴史的な意味合いを持つ品々の幾つかがトゥリファスに持ち込まれているなどという話を聞いたことがあるね。それもミレニア城塞……私有されているはずのそこに送られていると」

 

「それは……」

 

「他にも最近トゥリファスで見慣れぬ外国人らしきものが増えていると聞いているよ。中には物騒な面貌の東洋人もいたとか。……おかしな話だ。ルーマニアは確かに歴史的な史跡の少なくない地域だが、それでも欧州では物珍しい土地柄ではない。加え、ブカレストならばいざ知らず、このトゥリファスに人が集まってくるというのはおかしな話じゃないかね」

 

 恐らくは学者の横繋がりによる独自の情報網からの伝手なのだろう。

 そして彼の告げる内容はルーラーをして、どれも心当たりのあるものである。

 

“やはりユグドミレニア一族は大戦を見越して色々と準備を重ねて来たようですね。そして街中に出てきているのは恐らく“赤”の陣営の魔術師とサーヴァント。やはりこの気配は間違っていない”

 

 先日の大規模な攻勢が失敗に終わったらしい“赤”の陣営である。

 ミレニア城塞攻略のために街に下見に出てきているのだろう。

 

「それから、うむ……これも違和感と言えば良いのかね。どうにも我々の界隈で名の通っている若者がこの地に姿を見せているらしい」

 

「界隈……というと考古学者の間で有名な人物、ということでしょうか」

 

「そうだよ。数年前ほどから主に北欧に関する分野で活躍していてね。加えて功績を挙げているのが若者ということもあって界隈で名が通っているのだよ。それに北欧地域は宗教的な変質も多い。あの辺りは布教によって本来の形が損なわれた典型例だからね。……おっとレティシア君は聖教徒かな? 不愉快にさせたなら謝ろう」

 

「……いえ、どのようなものであれ、功罪は生じるものです」

 

 ルーラーは神を信仰する敬虔なる身の一人であるが、自らが信じるその教えにもまた悪しき部分があることを認めている。

 それに対して不快感を覚えることも、何か言い訳を探すこともしない。

 ただ事実を、事実として受け入れるそれだけだった。

 

 加えて今は他に聞くべきことがある。

 

「パッシオさん、その若者についてもう少し詳しく教えていただけないでしょうか? 話の流れから察するにトゥリファスでは珍しい人物とのことですが」

 

「ああ。知り合いの学者曰くデンマークの人間だと聞いていたからね。それに専攻する分野も語った通り北欧文明に関するものだからルーマニアに訪れる理由はないと個人的に思うのだが……」

 

「…………」

 

 首を傾げるパッシオを傍目にルーラーは静かに考え込む。

 魔術師の中には表の顔として人間社会で一定の地位に就く者も居ると聞く。例えば魔術の本場、英国などでは、テレビの有名人という表の顔を持つ魔術師などと変わり種も居るらしい。

 

 そのことを思えば神秘の追及に、考古学という相性は高く、表向き考古学者という顔を被った魔術師というのも珍しくないだろう。

 或いは件の人物がユグドミレニア一族に関わりある人間である可能性も、と考えてルーラーはふと気づく。

 

「そういえば名前を聞いていませんでした。何という名前の方なのですか、その若者は」

 

「おっと、言ってなかったね。これはすまない」

 

 そしてパッシオは──何故か(・・・)楽し気に、まるで悪戯を口にするかの如く、微笑みながらルーラーにかの若者の名を告げる。

 

 

「彼の名はアルドル・ブレイザブリク。近年、北欧神話にまつわる研究で名前を通すようになってきた人物だよ」

 

 

 その名を耳にした刹那、胸が不穏な鼓動を奏でる。

 未だ霞がかった『啓示』の予見。

 霧がかった景色の向こうに含み笑う誰かの横顔を幻視した。




パッシオ

主に中東圏で活躍していた考古学者。
若かれし頃はバリバリのフィールドワーカーで研究の過程で火事場に遭遇することもしばしば。実は銃器の取り扱いに一言あり、相手の意識を縫った不意打ちを得意とする。朗らかに世間話をしながらズドンという秘技がある。
魔術の存在は知っていても直接の関わり合いは無かった。

生来、知的好奇心が人よりも高く、世間が第一次世界大戦の最中にあっても考古学の研究に従事し続けた剛の者。
友人にトーマス・エドワード・ロレンスという人物がいるらしい。


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カモミールの光 Ⅳ

 “赤”の陣営との激突から半日。流石に消耗の隠しきれない“黒”のマスターたちを配慮して、ダーニックの号令により各マスターとそのサーヴァントは暫しの休息を与えられている。

 その実質的な自由行動の号令に、各々は言葉通りに羽を休める者から次なる激突に備える者と、個人のスタンスに則って過ごしている。

 

 そして現存する“黒”の六騎において最も消耗の多いバーサーカーのマスターたるカウレスの場合は次なる戦いの開戦まで己にやるべきことは無いだろうと割り切って、緊張で強張った身体と過度な魔力供給に消耗した魔術回路を休めるため、気の抜けた日を送ろうとしていた。

 

 そんなタイミング。気分転換がてら意味もなくミレニア城塞内を徘徊していたその時に彼は実の姉たるフィオレと遭遇したのである。

 

「あれ? 姉ちゃん? 何処か行くのか?」

 

 声を掛けると同時に気づく。

 聖杯大戦以後、見慣れた“黒”のアーチャーを引き連れている姿に加えて、その手に持つは姉の魔術礼装たる接続強化型魔術礼装(ブロンズリング・マニュピレーター)。姉の魔術師としての研究成果にして、戦闘用の武装である。

 

 平時には不必要であるそれを見て、即座にカウレスは姉の目的がただの外出ではなく、初めから戦闘を想定していることを察する。

 

 だが続く弟の疑問を待つことなく、先にフィオレが口を開く。

 

「……ああ、カウレス。ちょうど良かった。少し聞きたいのだけれどアルドルを見なかったかしら?」

 

(にぃ)……今朝の会議以降は見てないけど、ああでもロシェの魔術工房に向かった姿は見たような……」

 

 姉の質問にぼやけた記憶の糸を辿って状況を思い出す。他のユグドミレニアの魔術師と違って自他ともに認める三流魔術師のカウレスである。実のところ昨日の戦いによる消耗で今朝の記憶は曖昧なのだ。

 件の義兄……アルドルが本来の聖杯戦争には存在せざる第八のクラス、ルーラーなる存在を仄めかし、それを討つと発言していたことまでは記憶しているが、以降の記憶は覚束ない。

 

 確かダーニックと何やら会話をしていたことや、それから何だかの依頼の件でロシェの篭る工房へ向かったと記憶しているが……。

 

「つーか義兄さん。昨日の今日で活動的すぎるだろ……」

 

 とそこまで記憶を辿り、姉に気取られぬようボヤく。

 あのダーニックですら若干疲れたような顔をしていたのに、義兄と言えばもう既に次なる戦いに備えて独自行動を開始している。

 

 魔術師としての性能もさることながら驚愕すべきはそのバイタリティーだろう。思えば聖杯大戦直前からいつ寝てるのだろうと思う程に行動的だった義兄だが、始まってからというもの休んでいる姿が思い出せない。

 

「そう、ならロシェに聞けば分かるかしら?」

 

 義兄と慕うアルドルにやや呆れた感想を覚えるカウレスを傍目に、フィオレの方はと言えば首を傾げて考え込んでいる。

 その様子にカウレスは状況から姉の目的を察した。

 

「……もしかして加勢に行くのか? 例のルーラーのサーヴァントと戦うっていう話の」

 

「ええ。早速、アルドルの方は行動しているみたいだし、私もそれを手伝おうと思って」

 

 やはり察した通り、例のルーラー討伐の話が姉の目的だった。

 

「まず例のサーヴァントの居所を探す所から始めるでしょうし、人手はあった方が良いでしょう? それにルーラーは強力なサーヴァントだとも聞くわ。アルドルのサーヴァントはアサシンですし、暗殺に失敗したときサーヴァント戦になれば不利でしょう?」

 

「まあ確かに、流石のアルドルさんでも一人でサーヴァントと戦うなんて無茶は出来ないだろし……」

 

 フィオレの言葉にカウレスは頷く。義兄の事だから抜かりなく“黒”のアサシンを使って例のサーヴァントを討伐しようというのだろうが、仮に暗殺に失敗すれば、そのまま対サーヴァント戦に移行するはずだ。

 

 “黒”のアサシンはとても真正面からの戦闘が出来る類のサーヴァントではないし、義兄は強力な魔術師とはいえあくまでも生身の人間。

 

 もしも本格的な戦闘に移行すれば確かに義兄だけよりも遠距離が主体とはいえ三騎士の一角である“黒”のアーチャーの方が頼りになるだろう。

 姉の言う通り、索敵に必要な頭数や対サーヴァント戦を想定するに、手は多くあった方が良いだろう。

 

 姉の言葉を聞くまでそんな配慮にも気づかなかったのは……やはり、その正論を向ける相手があの義兄だったからだ。

 どうにもカウレスには件の義兄が失敗するという姿が想像できなかったのだ。あの義兄がやると言ったからにはやるのだろうと。

 そう自然に考えていたが故に。

 

「でもダーニックがそれを配慮して“黒”のセイバーをつけてるから大丈夫なんじゃないか? アルドルさんはうちの誰よりも戦い慣れしてるだろうし、キッチリセイバーも使いこなすだろうぜ、多分」

 

 ある種、盲目的な信頼と揶揄されそうな言葉だったが、別段これは楽観的な思考に基づくものではなくユグドミレニア一族においての当然の認識だった。

 何せ義兄はダーニック以上に時計塔から果ては聖堂教会にまで目の敵にされ、追われ続け、それら全てを返り討ちにしてきたユグドミレニア最強の魔術師である。

 

 加えて亜種聖杯戦争の連闘経験も含めば、現状の聖杯大戦において主催者たるダーニックをも超える聖杯大戦の優勝候補。

 そんな義兄が負けるという事態が、そもそもユグドミレニア一族の誰もがどうしようもないという事態の想定に繋がるのだ。

 

 故に姉のような懸念は考えるだけ無駄というか、寧ろ懸念が当たった場合はどうしようもないというか。

 ともかく義兄に関しては心配するのが恐れ多い、というのがカウレスの考えだったのだが、どうにも姉の方はそうではないようだ。

 

「そう……かもしれないわね。でもルーラーだけならアルドルだけでも対応するかもしれませんが、今は聖杯大戦の最中です。第八のクラスのサーヴァントの存在に気付いているのはアルドルだけではないでしょう。ましてや“赤”の陣営を統べる首魁が第三次聖杯戦争から生き残ったルーラーなのだから」

 

「あー……そうだった。確か天草四郎時貞だったか」

 

 これまた姉に言われて気づかされる。

 義兄がルーラーの存在を突き止めた理由。

 時計塔の魔術師勢力だと思われた“赤”の陣営を乗っ取ったという黒幕の存在。

 

 サーヴァント、ルーラー。

 天草四郎時貞。

 

 曰く極東の戦乱末期に誕生したという英霊の存在を考えれば、ただの第十五番目のサーヴァントの討伐も意味合いが変わってくる。

 義兄はイレギュラーを排除対象と見極めたが、この大戦における数の意味を配慮すれば、かのルーラーを取り込むという選択肢も生まれる。

 

 もしも“赤”の陣営が、中立の立場である十五番目のサーヴァントであるルーラーと敵対するのではなく協力することを想定して行動した場合……必然的に何処かで義兄と激突する可能性が発生するだろう。

 

「ええ。ルーラーだけならいざ知らず“赤”の陣営との衝突も考慮すれば手数はやっぱりあった方が良いでしょ」

 

「まあ、姉ちゃんの言う通りだな」

 

 これまた正論。姉の言葉にカウレスは頷く。

 

 ……だが、同時に姉の正論を件の義兄が思いつかないかとも思う。

 そして手が必要ならば義兄は初めから話を振るだろう。先日の“赤”の陣営との激突時にセレニケの手を借りていたように、今回ダーニックの許可で“黒”のセイバーの手を借りているように。

 必要とあれば義兄は頼ることにためらいを持たない。

 

 しかし、そんな義兄が今回のルーラー討伐という当初は想定していなかっただろうこの事態に対して“黒”のセイバーの手を借りつつも、個人的な行動の範囲内で作戦行動を行うということは……。

 恐らく、心配するだに無用の話なのだろう。

 

「カウレス殿」

 

 カウレスのそんな思考を知ってか知らずか、不意に姉に寄り添うサーヴァント、“黒”のアーチャー、ケイローンが口を開いた。

 

「マスターは純粋にアルドル殿を心配なさっているのですよ。私から見ても彼はどうにも無茶を通す気質の人間に見えます。年幼き頃合いからの知人であるというマスターの憂慮をどうかお察しください」

 

「な、あ、アーチャー……!?」

 

「ああ、そういう……」

 

 まるで娘を見る親の目のような微笑まし気な表情のままフィオレの心中を言い当てる“黒”のアーチャー。

 カウレスもそこまで言われれば流石に気づいた。

 

 ……どうにも疲れで思考が魔術師としての認識に偏っていたようだ。能力やら合理を除けば姉が本当は如何なる心理で助力を申し出ているのか理由など考えるまでもなかっただろうに。

 狼狽える姉を横目に、カウレスはバシッと自らの両頬を叩き、気を取り直す。

 

 ダーニックは今日を休息に当てているが、件の義兄も目の前の実姉も、何だかんだ聖杯大戦の勝利に向けて己の出来る最善を行動している。

 ならば実力は三流に過ぎずとも仮にもユグドミレニアを代表するマスターであるカウレスがするべき事は決まっている。

 

「そういうことなら俺も一緒に行くよ。どうにも何にもないと意識が腑抜けてダメになりそうだ。次の戦いまでに気が抜けすぎても困るしな。手数が必要だって言うなら俺も居た方が良いだろう?」

 

「カウレス……でも、貴方は疲れているんでしょう? なら今は休んだ方が……」

 

「どうせ聖杯大戦が終わるまでは本当の意味では休めないからな。こうやって気が抜けすぎて本番でやらかす方が事だろ。疲れすぎて本番も動けないならともかく、気疲れ程度だからな。今は動いてた方が逆に色々気にしなくて済むだろうし」

 

 それに心配というならば寧ろ目の前の姉にこそ当てはまるだろう。義兄は何だかんだ無茶を押し通す強さがあるし、純粋に戦いに関しては絶対的な信頼を覚えている。

 しかし姉はと言えば、無理を無理と自覚しないまま、本当の無理に直面して倒れてしまうような危うさがあるのだ。

 

 幼い頃から姉の背中を見て育ったカウレスだからこそ姉の魔術の才能を認める一方、一人の人間としての脆さを知っている。

 

「ま、無茶はしないさ。アルドルさんをフォローするっていう姉ちゃんを少し手伝うだけだからな。それに案外、あっさりとアルドルさんがルーラーをやっつけて俺たちの出る幕はないってこともあり得るからな。気は楽さ」

 

「そうかもしれないけれど……」

 

「マスター。此処はカウレス殿の手もお借りしましょう。実際、助力の手はあればあるだけ良い。それに此度のような戦いであれば偶発的な小競り合いはあっても本格的な戦闘には移行しないはずですよ。何せ時刻が時刻だ。相手が真っ当な魔術師の率いる陣営ではないとはいえ、現世を理解する英霊の一人であれば、本格的な開戦が齎すリスクについても理解しているはずです」

 

 肩を竦めて言うカウレスに、尚も実姉としての心配を言い募ろうとするフィオレを“黒”のアーチャーが窘める。

 “黒”のアーチャーの言う通り、此度の場合、懸念される事態とはルーラーとの戦いと偶発的な“赤”の陣営との戦闘だ。

 仮にアルドルが失敗し、そういったフォローが必要な場面になったとしても、現在の時刻は日も明るい真昼。

 

 神秘の秘匿を原則とする魔術師が行動を起こすには人目があり過ぎる時間帯である。アルドルの事だから状況は抜かりなく整えるだろうが、もしも戦闘となれば規模にもよるが人目を払う結界もその効力は薄まってしまうだろう。

 

 そしてそういう事態を聖杯大戦の調停を担うルーラーが認めるとも、“赤”の陣営を乗っ取っている現状を除けば、基本的にルールに沿って戦っている天草四郎時貞が認めるとも思えない。

 

 恐らくは双方小競り合いののち、引き分けの形で撤退ということになるだろう。常識的に考えれば本格的な戦闘には成り得ない。

 

 無論、騒ぎをそのままに神秘の秘匿もへったくれもなく戦いに発展するという事態も考えられるには考えられるが……。

 

 しかし懸念もそこまでいけば過度と言える。

 ともあれ、“黒”のアーチャーの説得にようやくフィオレは頷いた。

 

「そうね……そういうことならカウレスにも手伝ってもらおうかしら」

 

「よし。なら早速、ロシェの所に行くとするか。アイツならアルドルさんについて何か知ってるだろうし」

 

「──ん? 廊下で姉弟揃ってあの坊主に何の用だ?」

 

 心配性の姉の同意を貰い、いざ行動というタイミングで、折しも用件の人物に関わる男が通りかかる。

 青いフードを被り、杖を携えた青年──“黒”のキャスターは耳ざとくカウレスの言葉を聞き留め、問いを投げた。

 

「キャスター、ちょうど良かった。今、アルドルさんを探してて……何か知らないか?」

 

「ん……何だ、用事は兄ちゃんの方にだったか。アルドルの兄ちゃんなら街の方に出てったぞ。遂二時間前ぐらいだったかな。察するに兄ちゃんへの助力か?」

 

「ええ。ルーラーを探すなら手が多い方がいいでしょうし」

 

「ふーん……」

 

 二人の言葉を聞いて、“黒”のキャスターは何かを考え込むように黙り込む。

 饒舌とまでは言わないが、平時から口の回る様に見える“黒”のキャスターに対してフィオレとカウレスは少しだけ首を傾げながら“黒”のキャスターの言葉を待つ。

 ややあって“黒”のキャスターがようやく口を開いた。

 

「……ま、言う通り手は多い方がいいわな。手伝いたいって言うならトゥリファスの街に出ればいいと思うぜ。兄ちゃんの居場所も出りゃわかるだろ」

 

 少しだけ困っているような態度で、やや歯切れ悪く答える“黒”のキャスター。不思議な言い回しに相変わらずフィオレとカウレスは疑問の表情を浮かべているが、同じサーヴァント同士、或いはともにアルドルに関して知るところの多い者同士“黒”のアーチャーが言葉を返した。

 

「ふむ、それはアルドル殿が何か仕込んでいると、そう考えてよろしいですか、キャスター」

 

「まあな。今回は相手が相手だ、兄ちゃんも大仕掛けで行くだろうから舞台に立てば自ずと分かるだろ」

 

「……ルーラーはそれほどに強力なサーヴァントだと?」

 

「いや? ルーラーは確かに強いサーヴァントだが、兄ちゃんが警戒してるのはそっちじゃねえよ。聖杯大戦にはあんまり関係のない話だから俺たちの出しゃばる場面じゃねえし、寧ろ()だろ」

 

「それはどういう……アルドルが警戒しているのはルーラーではない?」

 

「あー……まあ何だ。あっちはあっちで兄ちゃんの方で片付けるから大丈夫だろ。流石に二回目(・・・)ともなりゃ今度は手際も整えるだろうし、嬢ちゃんが心配するこたねえよ、多分。どっちを見るか(・・・・・・・)は知らねえけど、百聞は一見に如かずってな。気になるなら直接見に行くと良い。どっちにしてもその後は兄ちゃんとアンタらの問題だろうしな」

 

「何を……」

 

「俺たちの問題……?」

 

「…………」

 

 やたらと意味深な発言を繰り返す“黒”のキャスターにいよいよ以って口から疑問を吐き出すフィオレとカウレス。しかし“黒”のアーチャーだけは“黒”のキャスターの意図を察したのか、黙り込むように何かを考えている。

 

 “黒”のキャスターはそのまま手をひらひらさせながら彼らに背を向け、

 

「まずは知ること。その後どうするかはアンタ次第だ。俺が言えることがあるとすれば後悔を残さない選択をしな。……残した側の俺が言えたことじゃねえけどな」

 

 そう言って場を辞していった。

 

 ……姉弟の疑問は晴れなかったものの、行くべき場所、会うべき人物の居場所は分かった。ならば後は当初の目的の通り向かうだけだ。

 何故ならば信頼するべき一族の仲間なのだから──その先にたとえどのような運命が待ち受けているのだとしても。

 自らの成せる最善の未来を目指して、進むのみである。

 

 

……

…………。

 

 

 ──これは当然の話であるが、ユグドミレニアが数を是とする一族である以上、トゥリファスに集っているのはマスターたる魔術師だけではない。

 

 元よりダーニックが大聖杯を起動させるに足ると見定めた霊地がトゥリファスであり、ミレニア城塞を本拠地と定め、そこを管理するのがユグドミレニアである。

 今は聖杯大戦中につき、城塞に居るのはマスターたる魔術師に限られるものの、街にはユグドミレニアの構成員たる魔術師も多数控えている。

 

 彼らは日夜街やその周辺を監視し、時には神秘の痕跡をかき消すために奔走し、時には敵の居場所を本拠地の魔術師に伝えるなど様々な活動を行い、主力たるマスターたちの行動を手助けしている。

 

 此処、旧市街地を拠点として活動する彼──アヴィ・ディケイルもその一人だ。召喚魔術を得意とし、魔術師としての性能ならば“黒”のバーサーカーのマスターに選ばれたカウレスを上回る使い手である彼の今の仕事は使い魔を通して街の異変を察知することにある。

 

 元々は低級の悪霊を使役し、様々な雑務をこなせる彼にはダーニックより城塞警備の任務が与えられるはずだったが、アルドルが“黒”のキャスターとなる英霊の候補を変更したことにより、既に城塞警備は“黒”のキャスター一人に一任されている。

 

 そのため警備に当てられるはずだった彼は今はもっぱらこうして監視業務にのみ日々を費やしていた。

 無論、魔術に関してそれなりに自信を有する彼は、自らが露払いほどの役割すら与えられない現状に少なからず不満を持っている。

 

 しかし、進言したのがあのアルドルであり、代替したのが“黒”のキャスターという魔術師の英霊である以上、彼の割って入る隙間は無く、こうして無念を胸に抱きつつ、監視業務を行っている。

 

 ……実際のところ、彼は優秀だ。ある種反則じみた性能を持つアルドルはともかく、彼はいち早く市内に未確認の魔力反応を確認し、街に潜入……というより隠すこともなく活動している“赤”の英霊三騎を捕捉した。

 

 そして見つけ出した“赤”の陣営を注意深く観察し、その言動の一つ一つをつぶさに記録している。その発言、その振る舞い、その容姿……英霊としての正体に通じるだろう情報を丁寧に拾い上げ、本拠地の魔術師たちに報告すべく纏め上げる。

 

 “赤”の陣営の英霊とそのマスター、獅子劫界離に気づかれず行うその手腕は間違いなく優れたものであり、彼が魔術師としてそれなりに優秀なのは疑うべくもなかった。

 だが……いや、だからこそ。

 

「半端に優秀、というのも中々に考えものですね」

 

「──え?」

 

 不意に衝撃。後頭部に何かが当たったと認識すると同時、アヴィは地面に倒れていた。あまりにも突然の出来事に呆然としつつ、辛うじて動く首を動かして、視線を向けると、そこには一人の青年がいた。

 

 白い髪に褐色の肌。

 カソックに身を包む柔和な笑みの似合う青年だ。

 

「初めまして。そして失礼。おやすみなさい」

 

「ガッ!?」

 

 友好的としか見えない笑みを浮かべたまま青年は掌打を繰り出す。

 二度目の衝撃を前にかくしてあっさりとアヴィは意識を奪われた。

 

 ユグドミレニアが街に蒔いた監視の目の一つ……それをこうも簡単に潰してみせた犯人──天草四郎時貞はふぅと息を吐く。

 

「やれやれ、慣れないことはするもんじゃありませんね。気取られず、かつちょうど良い相手を見付けるのには苦労しました。街の方の魔術師たちは横の繋がりが強い。そういう意味では旧市街に配置された貴方は災難でしたね」

 

 などと災難を起こした側の言う台詞ではない言葉を口にしつつ、シロウは倒した魔術師の衣服を雑に脱がす。

 目的は二つ。一つはサーヴァントに戻ったことで消費せざるを得なくなった魔力の補給と、もう一つは……。

 

それ(・・)がお前の目的か』

 

 不意に誰もいないはずの空間に声が響き渡る。シロウはその声に驚くこともなく肯定の言葉を返していた。

 

「ええ、まあ。保険に近い仕込みですがね。ただ、これは私の直感ですが、何となく役に立つとも思いますよ。──さて、告げる(セット)

 

 そう言ってシロウは倒れた魔術師の身体に自身の左腕を当て、魔術の鍵となる呪文を口ずさむ。刹那──シロウの左腕が淡い光を纏う。

 ──これこそがサーヴァントとしてのシロウが持つ宝具である。

 名を『左腕(レフトハンド)天恵基盤(キサナドゥマトリクス)』。

 

 英霊・天草四郎時貞が唯一、歴史に名を残すに至った功績。苦難の道を歩む信徒たちに希望を抱かせるため、奇跡を起したという天草四郎時貞の逸話を元に成立した宝具。あらゆる魔術基盤に接続し、如何なる魔術をも発動可能とする万能の鍵である。

 

 決して強力な宝具とは言えぬし、寧ろ性能面だけで見れば魔術師たるアルドルの振るう魔剣や神代の魔術にすら劣る代物だが、それでも使いようはあるのだ。

 本来は右腕と組み合わせ、他にも色々と切り札のような使いまわしが出来たのだが、他ならぬ話題に挙げたアルドルによってそれは失われた。

 

 よって隻腕となったシロウに出来るのは宝具を用途通りに発動するだけだ。

 

「つくづく、やってくれるものだなアルドル・プレストーン・ユグドミレニア。お陰でこちらのやり繰りはカツカツですよ」

 

 困ったものだと言いつつ、その表情には怒りでも憎しみでもなく、微笑み。追い詰められたと口では言いながら余裕としか見えない表情だった。

 

『その割には嬉しそうに見えるな』

 

「そうですか? いえ、そうかもしれませんね」

 

 姿なき声の指摘にシロウは同意する。別段、強者との戦いに悦を得られるような武人の気質を持っているわけではないが、別の所に敬虔なる信徒として思うことがあるのだ。

 アルドルという強力な障害は紛れもなく挑み続けたシロウの人生において一、二を争う強力な障害である。

 であれば逆説的にこうも思う。

 これほどの難敵、これほどの障害、これほどの試練が立ちふさがるということは。

 

「これを越えた先にこそ我が大願成就は成立する。そう確信しているからかもしれませんね」

 

『そうか』

 

 シロウの言葉に淡白に声を返す姿なき人物。

 シロウの目的と彼の目的が別にある以上、シロウの確信はどうでもいいと思っているのか、それとも別に思う所があるのか。

 

 何にせよ、その本心は伺い知れない。

 それでも特に問題はないのは、関係があくまで呉越同舟だからだろう。

 一時的な協力関係、なればこそそこに信用も信頼も不必要だった。

 

「ですが、そういう貴方の方はどうなのですランサー。貴方もまたかの人物に少なからず関心がある様子ですし、英霊の貴方から見ても彼は脅威ですか?」

 

『英霊なのはお互い様だろう。だが……ふむ』

 

 シロウの問いに姿なき声……霊体化した“赤”のランサーは何事かを考えるような沈黙を置いた後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

『関心があるのは確かだな。彼からは俺や()に似た気配を感じる。異国風土には知見を持たないが、恐らく半ば人間から外れているのだろう』

 

「……やはりですか。いえ、ああもあからさまに符号が揃っていると疑わない方が不可能ですからね。正体は分かりますか?」

 

『俺の視界は賢者のそれと違って全知ではない。影からその正体を悟ることは不可能だ。だが一つ言えることがあるとすれば黄昏の後、神々は死んだのだろう。それは間違いないはずだ』

 

「では別の存在ということですか。とはいえ意味がないとは思えない。名乗ること、仄めかすことに何らかの魔術的意味があると見るべきでしょうね」

 

『さてな。どちらにせよ、俺のやるべきことは決まっている。立ちふさがるならば我が槍を振るうまでだ』

 

 事情など考えるにも値しないと言い切って“赤”のランサーは沈黙する。その言葉の意味するところを悟れない程、シロウは鈍くない。

 苦笑しながら黙り込んだ“赤”のランサーに返答する。

 

「ええ。そうですね。立ちふさがるならば、倒すしかない」

 

 言い切ると同時、作業は恙なく終了する。

 シロウは左腕を引き、立ち上がった。

 

「さて、仕込みの方は終わりましたし、予定通り敵の手腕を見せてもらうとしましょうか。彼の能力を推測するにてっきりルーラーを味方に付ける選択をするとも考えられましたが、どうやら彼女の存在が目障りなのはあちらも同じようです。もしかしたら面白いものが見れるかもしれません」

 

 ……彼の背景から察するに恐らくは未来視の類かとも想定していたのだがどうにも背景はそれだけではないようだ。

 

 おおよそ魔術師の目的──根源に至るという目的にせよ、ユグドミレニアという一族の繁栄を願う目的にせよ、どちらの領分においても本来は彼女を邪魔者として排斥するよりも味方であることを選ぶはず。

 それでも敢えて排除を選ぶというからには、やはりシロウと同じように向こうにも相応に後ろ暗い背景があると考えられる。

 

「リスクを置いてまで街に出て来た甲斐がありましたね。神か、或いは私の幸運か。何であれ、私は既に賽を投げた。であれば後はそれがどう生きるか」

 

 “赤”のライダーと“赤”のアーチャーの反骨心を利用して、獅子劫の下に遣わしたのも、こうして自らが街に出てきて仕込みに耽るのも、全ては勝利へと至る伏線が為。

 弱者に勝利は掴めない。いつだって待ってるだけでは救いは訪れないのだ。成したい理想も、叶えたい野望も、自らの手で掴み取ってこそ。

 

「せいぜい見せてもらいますよ。アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。異教の神を語る神官の手腕というものをね」

 

 だからこそ、いつだって前を、未来を、希望を。

 その視線に陰りは無く、天草四郎時貞は微笑んだ。




魔術師アルドル

十三歳で時計塔入学ののち、主に『考古学』を専攻。在学時は主に北欧圏を中心としたフィールドワークを多く行っていたがため、英国に居る期間はさほど長くなかったという。ユグドミレニア一族を背景とした経済支援により時計塔内派閥『中立派』に資金援助を行い、メルアステアと盟を結ぶ。

卒業後は亜種聖杯戦争を転戦しつつ、聖遺物や神話関連の遺物の採取を行っており、その過程で時計塔の執行者や聖堂教会の代行者と激突。これを全て返り討ちにしたことにより魔術師としての名声が広まる。

得意魔術はルーン魔術と北欧系の呪術だが、魔術基盤とは別に『再現』に関する魔術に秀でており、その分野であれば系統を選ばず得意としている。時計塔在学時には『投影』に関しても幾つか論文を提出している。


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カモミールの光 Ⅴ

 ──この世界は面白い、と青年は言った。

 

 心踊るような冒険譚(れきし)がある。

 目を奪われるような物語(げんじつ)がある。

 聞き入るような未知(みらい)がある。

 

 事実は小説よりも奇なりと言うように、この世界というものは図ったように何もかもが奇天烈で予想外で、他のどんな娯楽よりも心が躍る。

 呼吸をしている、生きている、この世界に確と存在している。

 ただそれだけでこうも充実しているのだと。

 

 無論、世界はただ優しいだけではない。

 醜い部分もあれば、吐き気を催す邪悪もある。

 

 光あるだけに闇は深く。

 世を尊ぶものと同じぐらいに世を恨むものが絶えぬのも理解できる。

 

 しかしだからこそ世界は色とりどりの千差万別。

 白か黒かだけで説明の付けられない千変万化。

 

 この多様さこそが面白さ。

 正しさだけの世界ではなく。

 悪意に満ちた世界でもない。

 

 永遠はなく、進化と退化と変化を繰り返し。

 常に輪廻し、逆行し、変わる。

 不変なりし普遍では無く、転輪し続ける。

 

 この一分一秒に色彩を変化させるが故に、決して止まらない。

 今この時にも新たな物語が、歴史が、未来が生まれ続けている。

 

 ああ──まこと、この世界は面白い。

 

 ……それが青年の全てだった。

 ……それが魂魄の原典だった。

 

 起源に引きずられて変質したのではない。

 原初(はじめ)からそういう性質(カタチ)だったのだ。

 遙か古より存在するその起源は不変であり、普遍なれば。

 変化する世界とは逆しまに青年は変わらない。

 

 そう、何の思惑も運命も無く、始めから。

 故に当然の因果として幾度の輪廻を繰り返しても結論は同じ。

 

 光あれ──その瞬間から世界を視ていた。

 旧くより変わらずに在り続けた起源が、■が感動を覚えている。

 

 民草の花のような笑顔を。

 

 感謝に握り込まれる手の熱さ。

 

 紙を捲るたびに変化する感動。

 

 描いた理想に一歩ずつ近づく達成感。

 

 謎を埋めていく充実感。

 

 不可避の悲劇を前にした虚しさ。

 

 歴史に思いを馳せていた時の満足感。

 

 ……そうして巡り巡って辿り着いた今に思う。

 この旅程は素晴らしかった。

 この感動があるからこそ私は不変で在り続けられたのだと。

 

 生きている。

 ただこれだけが、こんなにも充実している、こんなにも素晴らしい。

 

 己を取り巻く数奇な運命に感謝しかない。

 

 与えられた機会、残された刻限は少ない。

 しかし、その刻限に刻んでいきたい。

 確かにワタシは世界に在ったのだと。

 この感動を胸に。

 

 だから──そう、だから──。

 

「いざ栄光を。望む光をこの手に掴み、私は私の絵図(アートグラフ)を完成させる」

 

 (わたし)終点(ピリオド)に相応しい、物語を作るのだ。

 

「九つ巡りて黄昏時は来たる。終焉を吼える蛇竜の災い、世界を斬り裂く焔の滅亡。なれど黄金は天にあり。遍く災いにもギムレーは揺るがず。次代の良き人々により滅びの世界は再び色付く。時間は巡る、巡り巡って神々の継嗣と人々が新たな天地を創造する。これぞ普遍の理なり──」

 

 思い描くは懐かしき景色。郷愁を覚える終わった遥かな過去。

 鉾の時代、剣の時代、風の時代、狼の時代。

 黄昏は終わり、天地の狭間を生ける人の歴史へ。

 

 世界は転輪する。

 

「次代の天地を統べる者として、旧き盟約を今此処に」

 

 廻る、廻る。世界は今日も廻りつづける。

 だからこそ再演を、同時に再会と再開を。

 

 人と共に歩みゆく──黄昏の果ての楽園を此処に。

 

「──光神宣言(リーヴ)伝承降誕(ユグドラシル)

 

 来たれ──我が栄光、我が故郷。

 世界樹の宙に坐す新王が、新天地を創造する。

 千年樹が鼓動を奏で始める。

 

 ──さあ冠位指定を始めよう。

 

 

……

…………。

 

 

「あ、パッシオ叔父さん! それからレティシアちゃんも! こっちです! こっち!」

 

 午後特有の何処となく気だるげな雰囲気を纏うトゥリファスの街。

 そこに響き渡る、こちらを呼びかける明るい声。

 

 目を向けてやれば、そこにはかつてフランスで出会い、そして此処ルーマニアで再会した女性シャルロットがぶんぶんと手を振ってこちらに笑顔を向けている。

 大仰な出迎えに、周囲からは問答無用に注目を集めているが、それさえ気にせずシャルロットは満面の笑みでこちらを歓迎していた。

 

 そんなシャルロットの態度に思わずルーラーは苦笑し、パッシオの方は頭を抱えるような態度で首を振った。

 

「……すまないねレティシア君。来客歓迎の過ぎる身内で。まったく、もう少し彼女には周辺の雰囲気を読んで欲しいのだがね。談笑中のマダム方に迷惑だろうに」

 

「ふふ、確かに。ですが、気を悪くするほどの大声でもありませんし。寧ろ微笑まし気に見られているかと」

 

「目立ってる時点で無害とは言えぬよ。やれやれ」

 

 苦言するパッシオにフォローを入れるレティシア。

 

 ──先のアパートメントでの会話ののち、レティシアもといルーラーは彼の提案に乗って昼食をご相伴に預かることとなり、こうして彼御用達というレストランに招かれることになった。

 ついでに知人との茶会で席を外していたシャルロットも共に相席することとなり、レストランを集合地点として合流することとなったのだが。

 

「彼女の歓迎の仕方を考えるに、もう少し賑やかなお店にすれば良かったかな」

 

 と、そんなことをぼやきながら席に着くパッシオと、それに続くルーラー。

 二人が席に着くと同時に周囲の注目する視線は外れ、場違いな訪問者の気配に微かに浮足立った店内にも落ち着いた雰囲気が戻った。

 

 店の空気が元の状態に立ち戻ったことを感じ取った後、パッシオは軽く息を吐きながら、半目でシャルロットを見る。

 

「シャルロット君。君も淑女なんだからもう少し貞淑にできないものかね」

 

「大声ってほど大きな声は出してませんし、少しぐらい目立った方が二人もこっちに気づきやすいという私なりの配慮です。なので、これぐらいだったら大丈夫ですよ、多分」

 

「だからといってねぇ……」

 

「まあまあ、パッシオさん。実際、周りの方々もそれほど気にしていらっしゃらないようですし」

 

 詰るパッシオと軽口を叩くシャルロットを仲裁するようにルーラーは間を取り持つ。此処で言い合いを行えばそれこそ却って目立つ結果に繋がるだろうし、何よりせっかくの昼食時だ。険悪な雰囲気のまま食事を取るのは誰にとっても不幸だろう。

 

 そんな彼女の配慮を察してかパッシオは小さく咳払いし、シャルロットの方も気ぶりを吐き出すようにふうと軽く息を吐いた。

 両者ともそれで意識の切り替えは済んだのだろう。

 微笑を浮かべて、ルーラーの方へ顔を向ける。

 

「すまないねレティシア君。少々熱が入ってしまった」

 

「……気が立ってたのかもしれませんねー。お互いに最近色々と物騒ですし」

 

「いえ、落ち着いたようで何よりです」

 

 二人の謝罪を笑顔で受け流していると、丁度そのタイミングで、空気を見計らったのだろう店員がメニューを差し出してくる。

 パッシオが目礼しながらそれを受け取る。

 

 同時に三人分のミネラルウォーターを店員に持ってくるように伝えてから、ルーラーたちの方へと向き直った。

 

「さて、まずは改めてこうして再会したことを祝そうか。最近の街は物騒だと話したばかりだしね」

 

「全くです。レティシアちゃんも本当に大丈夫だった? 親戚の家にお世話になっていると聞いてますけど困ったことはありません?」

 

「大丈夫です。きょうか……お世話になっている親戚の家でも良くしてもらってますから」

 

「そう? なら良かった」

 

 シャルロットからの気遣いを受けつつ、ほっと息を吐くルーラー。

 今の身の上が教会住まいを露見させてしまう所であったからである。

 

 ……サーヴァントであるルーラーにもその霊体を受け止めるレティシアにもトゥリファスに知り合いは居ない。そのため彼らには親戚の家に世話になると通したものの、実際には世話になる場所に窮するところであった。そんな中、ルーラーを受け入れ、一時の仮宿を提供してくれることになったのが他でもない教会。但し、“赤”の陣営とは関係ない、この街に古くからある教会であった。

 アルマという曰く、ユグドミレニアの監視役として長くこの街に赴任されているという修道女は聖杯戦争の調停者にして聖女たるジャンヌダルクを快く受け入れてくれた。

 

 そんなこともあり、実際ルーラーがこの街に来てから生活面で困ったことは一切ないと言っていい。やはり目下の悩みはただ一つ、聖杯大戦にまつわる己の招かれた理由という一点に限られる。

 

「うむ。不便していないようなら何よりだよ。先にも話したが少女一人では今のトゥリファスは余りにも物騒だからね、私もシャルロット君も心配していたのだよ」

 

「それにレティシアちゃんはしっかりしているようで意外と抜けてる所がありますからね。あ、はいメニュー表……パッシオさんも私も大体決まってるので好きに頼んじゃってください。おすすめはカルボナーラです」

 

「抜け……ありがとうございます」

 

 手渡されるメニュー表を受け取りながらやや眉に皺を寄せる。

 確かに成人も迎えぬまま死した生前は元より、現代に生きる少女の身体を借り受けた現世の姿もまた若き少女とくれば、外から見て頼りがいというのものが感じられないという客観的評価までは納得がいくものだった。

 しかし抜けているという評価は心外だった。

 

「……自分では、しっかりしているつもりなのですが……」

 

「しっかりしている子は旅程をしっかり組むものですよ。ヒッチハイクなんて人の善性に十割依存したことを選ぶなんてことをしっかりしている子は選びません」

 

「うっ……」

 

「その件についてはシャルロット君の言う通りとしか言えないだろうね。レティシア君は性善説により過ぎていると思うよ。それが悪いとは言いたくないが、世の中には悪い人というのは必ずいるものだからね」

 

 二人の指摘に流石のルーラーも何も言い返せずに言葉を詰まらせた。

 実際の所、現世に蔓延る悪漢程度、サーヴァント・ルーラーとして現界を果たした今の彼女にとって一蹴するに簡単な相手なのだが、見た目からして極々普通のフランス人少女に過ぎない彼女の言葉を神秘知らぬ一般人が知る余地など無く、二人の忠言にルーラーは黙するしかない。

 

「と、些か説教臭くなるか。やれやれ……私も年かね。すまんね、レティシア君、心配の言葉ばかりで。まあ田舎の年寄りの言葉を受け流してくれたまえ」

 

「私は全然年寄りじゃないんですけど?」

 

「成人を過ぎたらこの頃の少女にとってはおじさん、おばさんだよ。シャルロット君」

 

「むっ、そんなことありません。ね、レティシアちゃん」

 

「そうですね、成人を過ぎたらいきなりという風には思いません。パッシオさんはともかく、シャルロットさんは、お姉さんという感じでしょうか」

 

 そもそもルーマニアに来てから彼らにお世話になることとなった最初のきっかけはシャルロットだった。フランスでレティシアが邂逅した時の記憶では、年の近い友人といった風な印象を受けたが、こうして色々な世話を焼いてくれる様は寧ろお姉さんと呼ばれるものの振る舞いに近い気がする。

 

 ふと生前を思い出す。そういえば聖女となる前のジャンヌダルクには両親に兄や妹は居ても、姉と呼ばれる存在は居なかった。自らがお姉ちゃんと呼ばれることはあっても、自らが誰かを姉と慕ったことは無かったと記憶している。

 

 そういう意味で自らが誰かを姉と呼称するのは何処か新鮮なようで……新鮮?

 

「姉、姉なる者……妹の私……? 何故でしょう。何故か身に覚えがあるような、思い出したくないような……これは英霊の座に刻まれた記録?」

 

「レティシアちゃん? どうかしましたか?」

 

「い、いえ、何でも! 何でもありません! あ、注文したいメニューは私も決まりましたので!」

 

 小首を傾げてこちらを不思議そうに見るシャルロットに慌てて首を振る。

 恐らくは何処かに自らが英霊として召喚された時の記憶だろうが、自分でも思い出したくないと思う程に色々と英霊としての自分の性質から外れすぎてたと直感的に感じる。

 それは言うなれば黒歴史というべきか、或いは夏の暑さに浮かされていたというべきか、ともかく今に思い出すべきではないだろう。

 

 話題逸らしに渡されていたメニュー表をパッシオの方へと返却するとパッシオの方は慌てるレティシアに疑問符を浮かべつつ、律儀に店員を呼び寄せ応対する。

 それに息を吐きつつ、パッシオ、シャルロット、レティシアの順でそれぞれ注文をすると店員は一礼して注文の品を準備するため奥へと引っ込んでいった。

 

「……それにしてもレティシアちゃんは凄いですねー」

 

「え?」

 

 不意に店員の後ろ姿を見送った後、突然ルーラーの顔を眺めながら笑みを浮かべながら何処か感慨深そうにシャルロットが口を開いた。

 意図のつかめない発言に困惑していると、次いでシャルロットが続ける。

 

「いえ、ちょっと思い出したんです。私がレティシアちゃんと同じぐらいの年の時はどうだったかなーって。私、こう見えて実は修道院暮らしだったんですよ」

 

「え、そうだったんですか?」

 

「はい! そうだったんです!」

 

 意外な発言を聞いてルーラーは素で驚く。この天真爛漫とした女性が、修道院暮らしの身の上だったことが余りにも意外で想像がつかなかったためだ。

 とはいえ絶対にないと考えきれないほどの過去ではない。

 実際、ルーラーが身を預かっているレティシア当人も学院の寮暮らしであり、日頃から学院の外には出ずに祈りと勉学を繰り返す外界とは隔離された生活を送ってきている。

 

 そういった意味合いにおいて文明の進んだ現代であっても、古くからの慣習や外界から断絶した生活に身を置く人間が居ることに不思議はなかった。

 

「私は今でこそ、こうやって色々なことを知って、実際に見て、自分で行動しようと思って歩き回っていますけどレティシアちゃんと同じぐらいの時には、ただただ激変していく周りに翻弄されることしか出来ませんでしたから。ですからその年で身一つ、たった一人で異国の地を歩けるレティシアちゃんは凄いなー、って素直にそう思うのです」

 

「それは……」

 

 シャルロットの言葉を聞いてルーラーは口ごもった。

 

 確かに事情を知らぬ傍から見れば若き少女の勇気の発露。身に余る好奇心からまだ見ぬ世界へと飛び出す羽ばたきに見えるだろう。

 だがその内実はレティシア自身の選択ではなく、彼女を受け皿として顕現したルーラーとしての行動である。だからこそ今のルーラー……ジャンヌ・ダルクに目の前の女性の称賛は受け取れるものではなかった。

 

 勇気を讃える、というならば全く無関係の事象……聖杯大戦なる魔術師の怪しげな儀式に際して、ルーラーに肉体を譲ることを許し、尚且つ自身もまた危険に身を投じることを受け入れたレティシアの献身こそ讃えられるべきだろう。

 

 とはいえ、事情を知らぬシャルロットは続ける。

 

「レティシアちゃんは怖いと、思ったことは無いんですか?」

 

「怖い、ですか?」

 

「はい。異国の地に踏み出す一歩、誰も知らない場所に一人で踏み出す孤独感。初めての事柄にはどんなことであれ未知です。そして人はどうしても知らないことを恐れてしまうでしょう? それに何より一人で決断し、その決断の結果は自分一人に返ってきてしまう」

 

 人は未知を恐怖する生き物だ。

 いいや人間に限らず生命は未知に恐怖する。

 それは生命体が持つ本能、自らの命を守るという原初の感覚として当然の反応なのだ。

 

 暗闇の先には何が居るかが分からない。

 天敵がいるかもしれないし、毒の沼があるかもしれないから。

 だからこそ未知を、生命体は、人は畏怖するのだ。

 現代においてもそれは変わらないだろう。

 

 異国の地、異国の人々。

 違う言語、違う環境、違う生活。

 

 自らが所属するコミュニティーとは異なる場所へ踏み込むことは暗闇に一歩踏み出すのと変わらない。予想外の出来事に出くわすかもしれないし、それこそ危険に出会うことだってあるだろう。

 何よりも踏み出すと決めたのは自分自身である以上、その結果はどうあれ自分の責任によって背負わなくてはならない。

 

 それが怖くないかとシャルロットは問うているのだ。

 自分の決断によって良からぬ結果が、望まぬ答えが返って来るかもしれないのに。

 

「レティシアちゃんは自分の決断によって悪い結果が付いてきてしまうかもしれないことを、自分の判断が間違っているかもしれないことを恐れないんですか?」

 

「────」

 

 その問いに対して、答える言葉はルーラーのものではなく──。

 

「──いいえ。()にも恐れる心はありました。でも同時に自分の心がそうしたいと願ったことも事実です。そして……そうしたい、そうありたいと願う私自身の心の声。恐れる心以上に私はそれを無視できませんでした。結果的にその判断が悪しき結果を呼び寄せたとしても、それでも私は、自らの心を偽る真似をしたくはありません」

 

『──貴女は』

 

 ……内なる聖女は言うだろう。

 平穏を生きる年若い少女を、戦場に引き込んだのは己だと。

 罰せられるべき罪を背負うべきは己だと。

 

 だが聖女は一つ勘違いをしている。

 聖杯が、或いはそれよりも高き所にいる存在が選択したルーラーの受け皿──レティシアは調停者にとって最も親和性を有する存在が選ばれているという事実を。

 それが意味するところを聖女は果たして悟っているのか。

 

 レティシアという少女は確かに実的な意味において何の力も持たない平々凡々な少女である。しかしその精神……己を偽らず、何らかの選択に対して歩みだしたら止まれないという性質は紛れもなく。

 

 故に彼女が思うのは一つだけ。

 きっと同じ過程、同じ結果を辿るとしても、自分が心に描いた決意は変わらない。もしも自分が再びあの日のような決断を問われる日が来るとしても、自分は同じ答えを返すのだろうという確信だけが今も胸に在るのだ。

 

 そう、あの時確かに自分は聞いたのだ。

 聖女の求める声を。協力を願う祈りを。

 

 ならば偽れない。見なかったことなど出来はしない。

 何度でも己は旗を取り、何度でも炎の中に身を投じるだろう。

 自分の祈りを裏切ることなど、出来やしないのだ。

 

 嘘偽りのない己の言葉。

 それを聞いてシャルロットは目を見開いて黙り込み。

 

 次いで、思わずと言った風に笑みを浮かべる。

 

「ふ、ふふ」

 

「シャルロットさん?」

 

「いえ、すいません。ただよく分かりました。成程、これは仕方ありませんね」

 

 シャルロットは困ったようにクスクスと笑う。

 首を傾げるレティシアを傍目にシャルロットは笑い笑い、そして。

 

「ええ。ええ。納得しました。レティシア(・・・・・)ちゃんには敵いそうにありませんねー」

 

 そう言ってシャルロットは満足するように頷いたのだった。

 

 

 

 談笑もそこそこに。

 注文した商品が机に並べられていく。

 

 昼食として頼んだパスタはパッシオが薦めた通り、絶品でルーラーをして思わず追加注文をしようか迷うぐらいには美味しかった。

 とはいえ客人の立場で流石に追加注文をする図々しさは聖女にはなかったが。

 ……シャルロットの遠慮せずにという言葉にちょっとだけ揺らいだのは内緒である。

 

 それから彼らとの会話もルーラーは楽しんだ。特に考古学者だというパッシオが世界中を回っていた時の話などは非常に興味深かった。

 彼の語りの巧さもあってか、聖杯の知識よりも臨場感のある知見の有るその言葉は、生前に学びの機会が殆どなかったルーラーをして知的好奇心を大いに燻られる内容だった。

 

 そうしてこの穏やかな一時にルーラーは短い安息を済ませる。

 一通り食事を済ませ、会話も楽しんだ。休息を取るという意味合いにおいて、今日の日々は十分に英気を養えたと言えるだろう。

 

 何よりも裏で進む聖杯大戦とは無関係に今を生きる守るべき人々の存在。それを改めて目の当たりにしたことはこれからさらに激化していくだろうルーラーが決意を再認識するにいい機会だったと言える。

 

 よって──。

 

「今日は本当にお世話になりました」

 

 レストランから出るとルーラーは彼らに一礼をし、お礼を告げる。

 彼らに、そして同時にレティシアの心遣いに感謝する。

 

「もう行っちゃうんですか? せっかくの機会だからもう少しお話しようと思っていたんですけど」

 

「シャルロットくんに同調するわけではないが、そう別れを急くこともないだろう」

 

「そうですね。再会できたのですから私ももう少しシャルロットさんやパッシオさんとお話をしていたかったですが……そろそろ行かないといけません。私がこの街に訪れたのは勉強のためですが、それだけではないのです」

 

「ふむ……何か、大事な用事でもあるのかな?」

 

「はい」

 

 パッシオの言葉にルーラーは強く頷く。

 そう──忘れてはならない。

 己が何のためにこの地を訪れたのかを。

 

 調停者(ルーラー)が何のために必要とされたかを。

 

 聖杯大戦──平和の裏で進行する魑魅魍魎の魔術師たちによるこの儀式には彼女が招かれるだけの危機が存在しているのだ。

 ともすれば儀式によって彼らの平穏すらも揺らぐかもしれないのだ。

 その事実を、改めてルーラーは強く認識する。

 

「ならば止めることはできないか。では代わりに君の旅が無事に終わる様に祈るとしよう。月並みな言葉だが身体には気を付けるのだよ? 無理はしないようにね。何かあれば遠慮せずに私たちを頼ってくれ」

 

「……お心遣い感謝いたします。パッシオさんもどうか無事に」

 

「ははは、大袈裟だなレティシアくんは。だがしかしその言葉は受け取っておこう。事もない日々を過ごせるというのは確かにそれだけでも幸せだからね」

 

 そう言ってパッシオは朗らかに笑う。

 見ず知らずの少女がため、金銭と時間と労力を惜しみなく分け与えた初老の親切な老人は、ルーラーのささやかな祈りを快く受け取った。

 

「レティシアちゃん」

 

 そしてもう一人。

 たった一度の邂逅を縁に此処まで親切を働いてくれた女性、シャルロット。

 彼女は本当に残念そうな顔でレティシアを見る。

 

「本当にもう行ってしまうんですか?」

 

「はい」

 

 別れを惜しむ言葉にルーラーは強く頷く。

 

「シャルロットさん、そしてパッシオさんも……本当の話、私は確かな役目を持ってこの街を訪れたのです。この街を訪れた理由として私は歴史の勉強と貴方方には告げましたが、それだけが理由だったわけではないのです」

 

「……事情があるのだね?」

 

「ええ。私にはやるべき役目と責任があるのです。貴方方との出会いは代えがたく、私も叶うことならばこの機会にもっと貴方方とお話していたい。ですが──だからこそ、この時間を惜しむ心があるからこそ、私は往かねばならぬのです」

 

「そうか、ならば止められないな。……シャルロット君」

 

「分かっています。ええ、ええ、そうですね。本当に残念ですけれど」

 

 そう言って本当に、本当に惜しむようにシャルロットは首を振って。

 何処か、悲しそうな笑みを浮かべながら。

 

さようなら(・・・・・)──レティシアさん」

 

 別離の言葉を口にする。

 ──友愛を深める時はもうお終いだ。

 これよりは役目を果たす時。

 

 今より幕明けるであろう惨劇(グランギニョル)を思い、シャルロットは静かに嘆息して。

 

 

 

我が言葉を聞け(Hljóðs bið ek allar)

 

 

 

 ──刹那、世界が塗り替わった。




■■■■


極東にある国家、日本に生まれた青年。
家系はこれといって特別性のない単なる庶民の出。
出生の時刻が二〇〇〇年一月一日零時零分零秒であること以外、生誕に関わる特殊性は何一つ存在していない。

人より好奇心が非常に強く、また物語に関する感受性が強いという個性を除けば能力は凡夫のそれであった。ただし好きが何よりのモチベーションというべきか、目標を決めたら一直線に努力する性質であり、その甲斐あってか努力によって興味分野においては秀才と呼べるだけのものを有していた。

物語を愛し、秀才が故に天才を敬する性質のためか、認めた相手が周囲から賛美されることを好む。特別な者には特別性に見合うだけの報いがあるべきとの考えを有しているためやや能力至上主義者の気色があるのが長所であり、短所でもある。

夢を追い、大学へ進学し、学びの日々を送っていたが、偶発的に当時関東で起こっていた連続殺人事件の現場に遭遇する。そして自らの命を犠牲に足止めを行い、あわや被害者となりかけていた少女を救い命を落とす。



……その献身はより可能性の多い未来のために。
己より多くの可能性が残された命にこそ幸在れ。
願わくば、その足跡が私の描くそれよりも素晴らしきものであらんことを。


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黄昏の残響

「──世界は一つの樹である」

 

 『九つ廻る千年神樹』──自らが創り上げた決戦術式にして、計画の根幹を成す大礼装を見上げながらアルドルは誰に言うでもなく独白する。

 

「別に陰謀論に傾倒しているわけではないし、かと言って妄想を口にしているわけでもない。つまるところ、惑星が球体であり、世界に果ては無く、宇宙の上に浮かぶ一つの星である──などと、その様な現実は重要ではないという話だ」

 

 この惑星が球状であることなど、それこそ紀元前に生きたサモスの賢人が既に言い当てていたし、中世ともなれば海の男たちの誰もが知っていた観測的事実だ。

 しかし現代──惑星の形や大地の果てはおろか、天動説すら否定され、地球という星に由来する神秘が暴かれたこの時代にあって、未だ占星術や星の運行にまつわる魔術が廃れず、確かに存在している。

 

 しかも占星術では未だに否定された天動説を基盤としながら、である。そしてこの事実こそが魔術においては重要なのだ。

 

「そう、現実はさほど重要ではない。重要なのはその様に捉えること。世界は樹であるという説が星の記録に、人の記録に確固として刻まれていること。そこが重要だ」

 

 何故ならばこれは魔術だ。

 魔力を使用して、神秘たる現象を発現する、現実を蝕む魔術師の技である。

 

 であれば重要なのは発動するに足る魔力量とそれを成立するための術の形だ。成立さえしてしまえば現実など簡単に砕け散る。

 それこそが魔術が魔術たる由縁なのだ。

 

「かつて樹は一つの世界であり、人も神々も妖精も竜も、その内界で生きていた。樹より分かたれた枝葉には九つの階層があり、世界に生きる者たちはそれぞれ種族と役割によって各々の階層に存在した」

 

 その世界の名を曰く、世界樹(ユグドラシル)

 北欧神話に起源を持つ、かの神話の宇宙観そのものと言える樹の名だ。

 原初の巨人たるユミルの亡骸を基盤とした一つの世界。

 

「だが黄昏を経て神代は終わり、全ての神々はこの世を去った。世界に満ちていたという真エーテルは消え失せて、魔法使いも役目を終えた。科学技術の進歩によってあらゆる神秘が暴かれた現代において魔術師はただ過去を思い、届かぬ星を見上げるのみだ」

 

 神代と現代。神話の物語など関係なく、世界はとうに断絶した。

 世界は球体であり、世界樹などは存在しない。

 だが──。

 

「しかし北欧神話には続きがある(・・・・・)。続きが記されている。ならばこれは矛盾だろう。そして理論に隙間があるならば、そこに神秘は生ずる」

 

 結局のところ魔術などと大層な名を与えられたこれらの現象は全て世界に対する詐術だ。現実に存在している微かな不明やまことしやかに囁かれる噂話、或いは陰謀論や空想。人々があり得るかもしれないと思う無意識の信仰こそが魔術と呼ばれる技の真髄。

 

 だからこそアルドルは信じた。続きがあるならば、伝承を証明する何かがこの世界には存在するはずだと。神々は魔術史にも現実にもこの世を去ったが、北欧神話には生き残りが居ると。

 

 ……多くの魔術師たちは笑った、有るかもわからない神代の痕跡を求めるなどと砂漠で一粒の砂金を見つけ出すようなものだと言って。

 そしてアルドルはそれを否定しなかった。己もまたその通りだと思ったからだ。

 

 現実的に考えれば(・・・・・・・・)、神代の痕跡を発見するなど不可能だ。しかも時計塔という現代魔術史最大勢力が多くの神秘を管理下に置くこの時代において、真の意味で手つかずの神秘を見つけ出すというのはほぼ(・・)不可能だ。

 魔術師として、神秘を学び、魔術を学び、この世界の住人としての価値観を育んだ己の知見は、それがどれほどの愚行なのかを嫌というほど承知していた。

 

 けれど同時にアルドルは知っていた。両義(思想)を継承する一族に生じた全知全能の貴人、何の因果もなく唐突に生じた怪物王女(ポトニアテローン)、英雄の武具すらも模倣する世界の使い手、自分と寸分違わぬ自分を作り上げる人形師、現代に生まれた魔法の継承者──。

 

 鬼、真祖、仙人、人狼、神喰らい、統一言語──英霊。

 

 神代の終わったこの時代においても想像だにしない神秘は数多く存在する、何の因果もなく生じる奇跡はいつの時代にも発生する。

 であれば無い、と断言することは出来ない。

 いいや、寧ろこう考えるのが普通だろう。

 

 存在するのが当然だ(例外は常に存在する)──と。

 

「何より私自身が何の因果もなく生じた奇跡の産物だからな。存在自体は疑うべくもなく、賭けは単に私自身の運命力と巡り合わせ、その一点に限られた」

 

 アルドルは探した。書物を漁り、伝承を辿り、口伝を聞いて、自らの足で土地を駆け巡り、黄昏の残滓を己に許された時間の限り、探して探して探し続けた。

 執念──否、未来に懸ける桁違いの情熱は彼に歩みを止めさせない。

 必ず勝つ、勝って運命を変える。その一念でアルドルは必勝を確信するだけの産物として、かの神話を選び、その痕跡を探し続けた。

 

 そして──その果てに見つけ出したのだ。

 

 アルドルは邂逅する。北欧圏に存在する国家、アイスランド……その国土を覆うヴァトナヨークトル氷河に生じた蒼き洞窟。数世紀もの悠久を過ごした自然神秘の最奥にあった自然ならざる神秘の御業によって形成された異界空間、二対の鴉に守られるようにそれ(・・)はあった。

 

「ユグドラシルの枝葉──北欧世界の残滓」

 

 そしてそれは此処とは違う位階に通じる起点でもあったのだ。

 神話において生き残ったとされる……かの神を証明する楔として。

 

「痕跡どころか本家本元を探し当てたのは完全に想定外だったが、僥倖だった。何せ私との相性値は最高だ。枝葉も使えばそれこそ大聖杯を獲得する栄光どころではない、向こう千年の我が一族の繁栄を確約するようなものだ」

 

 アルドルの冠位指定──己の計画はあの時点で完成したと言っていい。必勝を確信し、後はすべての条件を整えるのみ。

 過程で幾つかの想定外は生じたが、そこはそれ。

 野望への試練のようなものだったと思えば良い。

 

 何であれ構想は、成った。

 

 その証明こそユグドラシルの枝葉を基盤として、神話伝承をなぞり、固有結界を利用して内に一つの内界を抱える工房『九つ廻る千年神樹』である。

 残る課題はただ一つ、これを完全起動させるに足る超抜級の魔力炉心。

 即ちは大聖杯。

 

「だが──工房は既に完成している(・・・・・・)のだ。……抜かったな抑止力。あの対決を経て勝利したのが私という時点でお前は既に手遅れだ」

 

 地球の霊脈上に工房を固定したのは何も霊脈に干渉するためでも、樹という在り方を証明するためでもない。他ならぬ世界の一部として、組み込むこと。

 全てはそこにあったのだ。

 

「これより時代を再演する。もはや誰にもひた隠しには出来ないだろうが、計画の肝は聖杯大戦が始まるまで気取られないことにあったからな。何よりお前を迎え撃つのに手加減などしていては此方が食われかねん」

 

 故に自重は彼方に投げ捨てよう。

 現状可能な最大戦力を使い、介入者を粉砕する。

 

「『我が言葉を聞け(Hljóðs bið ek allar)』」

 

 それは工房内に展開された世界を起点として術式を通すのではなく、工房そのものを起動させる詠唱。アルドルが完成させた決戦術式の全貌にして、冠位指定の到達点。

 

 ──世界が変わる、宇宙観(テクスチャ)が上書きされる。

 工房内に展開されるは固有結界だが、工房それそのものは固有結界に非ず。物質として世界に在り、具現するもの。

 なればこそ、霊脈を介して世界に流れ出す変革の波動は心象世界という偽りを重ねるのではなく、森羅万象という在り方を侵略する。

 

 されど現実に生きる人々の認識に影響はないだろう。何故ならば魔力を持たない人々は、これを見るに足る高さに居ない。世界に九つの視点(カメラ)がある。北欧神話を選び取ったのは魔術師としての親和性や相性以上に、その世界観にこそあったのだ。

 

「剪定などさせん、特異点にもならん。そんなことをしては本末転倒も良い所だ。栄光とは後に続く未来があってこそ得られるものなのだから」

 

 強いて言うならば魔術史に多分な影響を及ぼすだろうが……裏で竜の遺骸の探索やら、世界を滅ぼしうる七つの兵器やら、時代を跨ぐ時間扉やらを築き上げた魔術協会の連中に文句を言われたところで別段何も感じやしない。

 運命を変えるとはそういうことだ。

 

 文字通り、続く全ての筋書きを破壊する。

 心は痛むが、それも心の贅肉というもの。

 既に己は此処の住人なれば、それらしく好き勝手に振る舞ってやろう。

 

「それでは出陣といこうか。一度乗り越えた障害だが、だからと言って二度目は簡単に乗り越えられる、というものでもなし。事には全力で当たらせて貰おう──異論はあるかね?」

 

 そこでアルドルは初めて、話しかける。

 樹に宿るモノに、ではない。

 

 彼に無言で侍る三人の少女──彼女らに問う。

 返事は簡潔に、ただ一言。

 

「──我らは貴方の意に沿うのみです。マスター(・・・・)

 

「その承諾に感謝する──では行こうか、帰還を宣する凱旋へと」

 

 かくてアルドルは霊脈を介し、空間を飛び越える。

 もはや此処は己の世界。

 であれば■が世界に遍在するように、己もまた遍在する。

 

 この寄り道に決着を付けるべく、『(ヴェラチュール)』が降臨する。

 これぞ本当の意味での宣戦布告。

 

「征くぞ、世界(・・)よ。()が相手だ」

 

 

 

……

…………。

 

 

 

 世界の創世、審判の始まり、或いは終末の大洪水。

 今ある世界が変貌する瞬間を目の当たりする人間の反応に例外はない。

 

「──ッ! 一体何が……!」

 

 ルーラーは動揺した。

 

「冗談だろ……おい……!」

 

 獅子劫界離は戦慄した。

 

「何だこれ……」

 

 モードレッドは困惑した。

 

「ハッ……こいつはまた……」

 

 アキレウスは冷汗を流した。

 

「……なんだと?」

 

 アタランテすらも驚嘆した。

 

 世界が変わる。

 その現象を生きながらに目の当たりにして平静であれる者など存在しない。

 歴戦の英雄も、神秘を手繰る魔術師も。

 その光景を前にして例外なく、心を乱す。

 

 ……敵と味方の区分さえ、関係なく。

 

「……アルドル殿、貴方はこれほどまでに」

 

「あ、アーチャー……これは一体……?」

 

「まさか、義兄さんの魔術なのか……? これが……?」

 

 期せず援軍として訪れ、そして巻き込まれた“黒”の陣営の者たち、フィオレ、カウレス、ケイローン。魔術というには桁違いの光景を前にして、彼らもまた身震いする。

 

 嘗てダーニックが、セレニケが、ゴルドが目の当たりにした光景の片鱗。

 その全貌が現実に姿を現したのだ。

 なまじ魔術と世界の常識を有するからこそ例外なく、飲まれた。

 

 

 ──それは現代を生きる者には異界であり、そして懐かしさを覚える原風景(過去)だった。

 

 

 沈むことすら想像もできない程に高く地上を照らす太陽、何処までも何処までも続くような澄み切った悠久の空。地上を流れる風は一切の空気汚染がなく、肺を通すだけで全身が洗われるように心地よく、草原が奏でる草のざわめきは自然が生む音楽のよう。

 

 天空を駆ける竜。草原を駆ける幻想種たち。草木に、岩陰に、身を潜める妖精の仔ら──。

 

 比喩ではなく、そこは別世界だった。

 トゥリファスの街のみを元の世界の痕跡として、あらゆる全てが書き換わっている。

 

「固有結界……? いやそうじゃねえ……対象を飲み込んだんじゃなくて世界そのものの書き換え? 冗談だろオイ、そんなものサーヴァントの宝具でも……それこそ神霊の──」

 

 呆然と呟きながらも正確に状況を把握しようとするのは獅子劫界離。

 “赤”の陣営に起きた思わぬ想定外(ハプニング)を前にして尚も冷静に自らの身の振り方を見極め続けた生粋の戦闘屋にして魔術師は世界が変貌したこの渦中にあっても目前の状況を受け入れて考察を開始する。

 

 大気に満ちるエーテル濃度、余震が如く脈打つ霊脈。

 眼前の光景にばかり目を取られてしまうが、重要なのはこの環境の変化だろう。

 局地的にとはいえ惑星環境そのものを変化させてしまうこれは紛れもなく、固有結界──否、それよりも度外れた空想具現化の類だ。

 

 それこそこの星において星霊(ガイア)の具現たる者たちが行使できる規格外の権能であり、紛れもなく星に由来する者のみが振るうことの叶う究極域の技である。

 この領域の神秘を具現化させ得る英霊などきっと存在していない。

 あり得るとすれば星の端末たる存在か、或いは原初より星と共にあった自然原理そのもの、即ちは神霊や高位の精霊ぐらいであろう。

 

 景色だけならば幻術、或いはそれこそ虚と実を入れ替える固有結界の存在を疑うべきであるが、此処は間違いなくトゥリファスの街であり、地続きの大地もまた地球環境そのものである。

 違うのは環境(在り方)。信じがたいことに、まるで時代を巻き戻したかの如く、地球環境そのものが過去の時代へと逆行している──。

 

「ふふ、流石はライオンさん。経験豊富なだけあって、中々の推理ね。半分ぐらい正解に届いていると言えるわ。けれど一点、サーヴァントの宝具を舐め過ぎなのは頂けないわね。世の中には世界を上書きする皇帝様だったり、世界を壊せる王様だったりがいるのよ。だったら、案外世界そのものを侵食する英霊だっているかもしれないでしょう? 私は見たこと無いけど」

 

 悪戯っぽく笑う声。

 鈴の音が鳴るような可憐さで気づけば街路に人影があった。

 影が二つ。少女と、青年。

 英霊と思わしき騎士と──恐らくは元凶(魔術師)

 

「……へえ、流石は英霊。俺が知ってんのは此処に居るセイバーたちぐらいだからな。色々知ってるなら今の状況ごと色々と教えてくれると有難いな、お嬢さん」

 

「いいわよ、別に。──ああ、自己紹介がまだだったわね、私はルクス。見ての通り非力なただのお嬢さん(レディ)でこの状況を作った人の身内よ、そしてこちらは“黒”のセイバー。本来の主が謹慎中だからお手伝いを頼んだの、よろしくって?」

 

 そう言ってクルリと回転(ターン)を決めると豪奢なドレスの裾を摘み、丁寧にお辞儀をする少女ルクス。その様はまるで舞踏会に登場した貴族の令嬢のようだ。

 対して社交的なルクスに比べて“黒”のセイバーは無言。敵を眼前に構えながら臨戦態勢を取るのでもなく、ただただ仁王立ちのまま立ち尽くしている。

 

 しかし厳しい表情には微かな隙も無く、眼光は鋭い。

 一瞬も気は抜かないという態度は敵対者を前にしたこの状況では納得がいく態度だったものの──。

 

「前にあった時よりもえらく堅い態度じゃねえか“黒”のセイバー、流石に三対一のこの状況じゃ理解できなくはないものの──だからこそ分からん。何故、単騎駆けで現れた?」

 

「…………」

 

「無視かよ、相変わらずの堅物め」

 

 やれやれと“赤”のライダーは肩を竦める。

 異常事態に動揺したのは彼も同じだが、それでも敵対者が現れた以上、即座に意識を立て直せるのは流石は英霊ということだろう。事態の正確な把握を務める獅子劫界離とは違い、この状況変化が敵対者の存在によって成立したというのならば、是非もなし。

 変化を置いて、まず敵を倒すという元来の目的のために行動を起こすのだ。

 

 だが、激情家の性質にあって同時に一流の戦士たる心得を有する俊足の英霊とは異なり、冷静沈着を地で行くはずの狩人はと言えば、“赤”のライダー以上に動揺していた。

 この環境の変化に──ではない、現れた敵対者の存在に彼女は動揺した。

 

「──……子供、だと……」

 

「姐さん……? いや、そうか……アンタは」

 

 似合わない動揺をする同胞たる“赤”のアーチャーの様子を見て“赤”のライダーは一瞬、驚きの表情を浮かべるもすぐに原因に行きつく。

 その動揺は“赤”のアーチャーの願いに起因するものだ。

 何故ならば彼女は──。

 

「──全ての子供たちに父母の愛を。素敵な願いだと思うわ、英霊アタランテ。父母に見捨てられ、アルテミスの遣わした聖獣に育てられた貴方が、子が慈しまれる世界を望むのは当然でしょうし」

 

「……ッお前! 真名を、いや……姐さんの願いを何処で──!?」

 

「さぁ? 強いて言うなら()から。彼女の叫びは今もこの胸にあるの」

 

 そう言って少女は慈しむように自らの胸に手を当てる。

 まるで大切な宝物を抱えるかの如く。

 

 その態度に“赤”のライダーは困惑すると同時に警戒心を跳ね上げる。

 見た目にそぐわない態度と言い、底知れない知見と言い、目前の少女は何かがおかしい。魔術師というには人間的で、人間というには何処か致命的にズレがある。

 

 “赤”のライダーの視線を受けて、対するルクスは無言のまま微笑む。

 

「あら? 無駄に警戒させてしまったかしら? 困ったわ、ただでさえ数的劣勢なのにさらに大英雄アキレウスの警戒まで買ってしまうなんて。これは俗にいう絶体絶命という奴じゃないかしら? ねえ?」

 

「……の、割にはえらく楽しそうだな嬢ちゃん。絶望って態度じゃないぞそれ」

 

「ふふ、御免なさいね。ちょっと本当に楽しくって。一騎当千、万夫不当の英霊を三騎も眼前に控えながらまるで魔王様のように掛かってこいって構える構図。童話みたいで楽しいの」

 

「……はぁ、何というか。そいつは良かったな」

 

「ええ。良くってよ」

 

 真実、状況を楽しんでいるのだろう。

 からころと笑う少女の微笑みに嘘偽りはない。

 

 ……だからこそ、より異常なのだ。

 この状況でこの余裕。殺気立つ三騎の英霊に当てられながらも依然、平静な態度を崩さないなど戦に優れた魔術師でさえも困難であろう。

 もしも、そんなことが可能だとすればこの状況にあっても能天気な思考を持つ人物であるか、或いはそもそもこの状況が絶望的ではないという最悪の答えしか残っていない。

 

「おいチビ。下らねえ軽口叩いている暇があるならさっさと掛かってこい」

 

「ちょ……セイバー、お前」

 

 だが、それら一切知ったことかと言わんばかりに“赤”のセイバーは剣の切っ先をルクスに向ける。あまりに喧嘩っ早いその態度に獅子劫は驚き、ルクスは目を丸くさせ、ぱちくりとさせる。

 

「まだ状況も相手の底も分かってねえんだぞ? むやみに食って掛かると痛い目に遭うだろ。まずは冷静に状況の整理と納得をだな」

 

「まどろっこしいわ、そんなの! 大体、この手の怪しい奴は口八丁でこっちを翻弄するだけの性格の悪い奴だって相場は決まってるんだよ、だからさっさと叩っ切るに限んだよ!」

 

 言いながら“赤”のセイバーは脳裏に生前出会った白い魔術師を思い出す。

 王の知恵者として控えたあの男もまたその手の類のものだった。

 忌々しいことに連想で「あっはっは」と胡散臭い笑い声まで聞こえてくる。

 

「だからさっさとやるぞマスター。どうあれこの変化の直後にあのチビが英霊連れて現れたんだ。元凶には違いないだろうしな」

 

「待て、“赤”のセイバーッ!」

 

 敵対心を隠しもせず構えた剣を今にも振り下ろさんとする“赤”のセイバーを制止する声。

 それは意外にもマスターたる獅子劫ではなく──。

 

「あん? 何のつもりだアーチャー。テメェもあのチビのまどろっこしい会話に付き合おうって口かよ」

 

「…………」

 

 “黒”の陣営と“赤”の陣営。

 距離をしておよそ五十メートルの間を取る両者の間に“赤”のアーチャーが割って入る。

 弓こそ構えていないものの、剣先をルクスたちに向ける“赤”のセイバーを厳しく睨むその態度はとてもではないが同じ陣営に向けるものではなかった。

 

 “赤”のセイバーは舌打ちしつつ、真意を問う。

 いざともなれば敵が増えるだけの話だ。

 

「黙ってねえで応えろよ。オレは良いぜ? 元々、旗だけ同じの、大聖杯を競う間柄だろうしな。今更敵の一人や二人、増えたところで……」

 

「……子供(・・)なんだぞ」

 

「はっ?」

 

 “赤”のアーチャーの言葉に“赤”のセイバーは呆然と、気の抜けた声を発する。

 それは殺気立った“赤”のセイバーをして予想外の発言であった。

 思わず気を惑う程に。

 しかし、“赤”のアーチャーは呆然とする“赤”のセイバーの態度に気づくことなく、言葉を重ねていた。

 

「あの少女は、まだ子供だ。子供なんだぞ? もしかしたらただ戦いに巻き込まれたのかもしれないし、親の魔術師の言い分に付き合わされているだけかもしれないんだぞ? 我々の目的は“黒”の陣営を、ひいては連中のサーヴァントを倒し、大聖杯を手にすることにある! ならば、ならばあの少女を殺す必要はないはずだ!」

 

「ばッ──!」

 

 “赤”のアーチャーの言い分を聞いて、“赤”のセイバーは再び呆然として、次瞬、烈火の如く言葉を叩きつける。

 

「馬鹿かテメエ! この状況で無関係もクソもあるか! 大体、向こうもあんだけやる気満々なんだぞ! これで殺さず見逃すなんて選択肢があり得るかよ! 敵は殺す! それがこの聖杯大戦だろうが!」

 

「巻き込まれただけかもしれないだろう! 意に反して操られているだけという可能性だってあるはずだ。あの少女はまだまだ幼い、善悪の区分も正しくついていないかもしれない! それを問答無用に殺すなど汝とて英霊の矜持に反しよう! 言葉が通じるのであれば説得してからでも問題ないはずだ! 尚も敵対するというならば、まずは無力化を──!」

 

「……あー、こいつは」

 

「……姐さん」

 

「あらあら、これは」

 

 獅子劫は“赤”のアーチャーの発言から、“赤”のライダーは嘗て聞いた彼女の祈りから、そしてルクスは自らの知識から、“赤”のアーチャーの真意を悟る。

 

 ──弱きは死ぬ、強きに喰らわれて。

 ギリシャ神話の狩人、俊足のアタランテは弱肉強食を良しとする自然真理(ワイルドルール)の中で育ってきた英雄である。

 故にその価値観は獣に等しく、現にシロウ・コトミネによるマスターの挿げ替えに納得している点からも彼女の冷徹な思考は読み取れよう。

 

 性差すらも些事たるもの。男であろうが女であろうが、弱きは奪われ、強きは得る。彼女にとって全てはそのように出来ており、それを彼女も良しとしている。

 しかし、そんな彼女にも一つだけ例外はあった。

 肯定すべき弱き存在が居た。

 

 それが子供である。

 

 無垢にして無色たるもの。

 親の助けなくば生きることさえ困難な存在。

 ……何よりも、彼女が守りたいと願った存在。

 

 父母に見捨てられ、神の庇護あって英霊となるまでに育った彼女だが、故にこそ彼女は父母の愛に飢えていた。父に守られ、母に慈しまれるという当たり前に。

 そして飢えは転じて祈りと化す。自分に愛がなかったからこそ、他の子どもたちには父母の愛を。守られ、慈しまれる世界を、と。

 

 それこそが彼女の祈りであり、聖杯に託す願いであった。

 だからこそ眼前で子殺しが行われるなどと見過ごすことが出来るはずがない。

 たとえ、それが敵対者であれ、この異変を起こした元凶であれ、子どもに手を下すなど、許容できるはずがないのだ。

 

 だからこそ──。

 

「……ホント、容赦ない上、性質が悪いわね貴方(・・)。時計塔からの執行者を警戒して、キャスターにあのランサー(・・・・・)を据えたことといい、聖女様の良心を利用してあんな物騒なナイフを後ろに控えさせることといい、実は神父様や金ピカの王様と同類なんじゃないかしら?」

 

 誰にも聞こえない声量でぼそりとルクスは呟いた。

 足止めとしてこの場にルクスを遣わせたのも恐らく此処まで全て見越しての選択なのだろう。眼前の“赤”のアーチャーにとって子供が鬼門なのを知って彼──アルドルは少女(ルクス)にこの場を任せたのだ、

 

 何故ならば彼は知っている。“赤”のアーチャーの子供に対する想いが、畜生に落ち、聖女に弓を向けることを良しとするほどに大きなことを。

 その可能性(事態)はホワイトチャペルに語られる子供たちの地獄を目の当たりにした果ての選択だったが、足並みを乱すだけならば大仕掛けは必要ない。

 

 適当に動揺を誘えればいいと言わんばかりに平然と弱点を突く辺り、人心を弄ぶ素質ありと見做されても文句は言えまい。

 

「ま──私は何でもいいけど。保険を重ねた上で私に一任する辺り、実際、言葉ほどに余裕があるわけじゃないだろうし。貴方は貴方でせいぜい頑張りなさいな」

 

 と、ルクスが呟いた直後。

 トゥリファスの街に極大の魔力が渦巻くのを感じ取る。

 

「向こうも始まったようね」

 

「ッ……次から次へと今度はなんだ……!?」

 

 度重なる状況変化に、事情を知るルクスは肩を竦め、獅子劫は吐き捨てるように叫ぶ。

 この場より数キロ離れた別の街区。

 恐らくはトゥリファス市庁舎近隣と思われる地点で火柱が上がる。

 

 天を突かんとする膨大な火力は同じ“赤”の陣営のランサーを思わせるもの、だが違う。

 かの炎が太陽が如き業火であるならば、こちらは神聖さを感じさせる聖火。

 如何なる悪性をも払わんとする輝きが街を照らす。

 

紅蓮の乙女(ラ・ピュセル)……であるなら私はとんと仕事せずに済むのだけれど、あの様子だと違うわね。大方、前と同じ連中(・・)強化(・・)か。予想通りだけれど億劫ね、適当に会話してジャンプすれば脇役で済んだのだろうけど、やっぱり私もダンスを踊らなきゃいけないみたい」

 

 やれやれと言葉はやる気なさげだが、それに反してルクスは楽し気に微笑む。

 そうだとも。

 せっかく出張ってきたのだから自分もそれなりに動いてみたい。

 裏方ばかりで動かされていたのだから偶には舞台に上がってみたい。

 

 然るに。

 

「セイバー」

 

 彼女は優しく、そして何処か年に似合わない蠱惑的な笑みを浮かべて。

 

「往くわよ。気を強く持って、歯を食いしばりなさいな。でないと──」

 

 まるで遥かな高みにいる■■のように、宣する。

 

「自分を忘れてしまうから」

 

 ──その変化、敵対者において感じ取ったのはただ一騎。

 

 俊足の英雄は槍を構えて問答無用に突撃する。

 同時に陣営の同胞たちにあらん限り叫ぶ。

 

「……まさか──チィ、“赤”のセイバーッ! 姐さん! 今すぐアイツから目を逸らせ! それから魔術師! 出来るなら精神防御を──ッ!」

 

「遅いわ、俊足の英雄。競争は私の勝ちね」

 

 躊躇いなく突撃する“赤”のライダー。

 秒と掛からずかの英霊の槍は少女の胸に突き刺さるだろう。

 

 五十メートルの間合いなどかの英霊には無いも同然。

 駆り出しから僅か0.5秒。

 神速の攻勢に対して少女にできるのは迫る死を前に一言、遺言を残すぐらいか。

 

 されど──その一言こそ致命の一撃。

 そも彼女が操るは魔術にあらず。

 その身は、か弱き少女なれば、出来ることは精々名乗る(・・・)ことぐらい。

 

 だからこそ刮目して聞くが良い、人界駆ける英霊たち。

 黄昏より響き渡る残響に、今こそ酔いしれる時だ。

 

 

「──フレイヤ(・・・・)

 

 

 言葉は一言。

 されど、世界は忘我した。

 

 かくして誰そ彼時が訪れる──。

 




「起きよ、乙女の中の乙女。起きよ、友よ。
 今は夜の闇も闇。
 ヴァルハラへ、神聖な神の宮殿へ、馬を進めましょう」



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黄昏の残滓

「──ッ! 一体何が……!」

 

 パッシオとシャルロット、異邦の地にて知り合った良き人々との束の間の平穏を終えた直後、まるで昼夜が入れ替わるかの如く平穏は容易く荒れ狂う。

 世界が変わる。魔力が渦巻く。

 その想像を絶する光景を前にさしものルーラー、聖女ジャンヌ・ダルクを以てしても動揺を隠すことが出来なかった。

 

 直前に辺り一帯に響き渡った言葉は恐らくは魔術詠唱。ならば、眼前にて巻き起こった光景は魔術師かサーヴァントのどちらかによって齎された変化だろう。

 だが、ルーラーはその可能性しか考えられないと理性的に考えながら、常識的にあり得ないと即座に本能で否定する。

 

 何故なら──これは、この術理は──。

 

「あり得ません! 空想具現化なんて──!」

 

 ルーラーは生前より魔術に欠片も縁を持ってはいないものの、この聖杯大戦に参するに際して、他のサーヴァントと同じくこの時代に適応した知識を聖杯から授けられている。だからこそ、この現象を一目で看破し、なお動揺する。

 

 それほどまでに眼前の景色は、術理はあり得なさ過ぎたからである。

 

 ……魔術世界には大禁呪とされる固有結界というものが存在する。虚と実、内と外、心と現実を入れ替えるその摂理は、一度発動させれば術者の心象風景に合わせて世界を変質させることができるという。

 

 特異的な能力を有する魔術師や一部の上級死徒が使用する技であり、サーヴァントによってはこれを宝具とするものも居るほどに強大な魔術にして一種の到達点とも言える術である。

 

 今まさに眼前で行われた世界改変は正に固有結界という魔術の特性に近似したものであり、或いは中途半端に知識を仕入れた者であれば、これを指して固有結界であると認める者もいるかもしれない。

 

 しかし分かるのだルーラーには。何故ならば彼女もまた固有結界を宝具として持つ者である。たとえ人々の信仰によって、サーヴァントとして昇華されてから手にした武器であっても、己が武器には相違なく、故にこそ固有結界の特性は我が身を以って熟知していた。

 

 なればこそ、眼前の光景が固有結界とは似て非なるもので──固有結界などというそんな生易しいもの(・・・・・・)ではないことに気づき、戦慄するのだ。

 

「世界の書き換え……惑星環境の改変……それは精霊の中でも最上位の、それこそ星の触覚と呼ばれる特別な精霊でしか成せないはず、仮に例外があったとしてもそれは星に由来する存在のみ。それなのに──」

 

 空想具現化──それは霊長たる人の身では到底叶うことのない奇跡の具現である。一部の特別な精霊が行使するというこの術理は、惑星の意志によって生み出された特別な精霊だからこそ出来る干渉。自らの思い描いたカタチを文字通り現実に描き出すという神の権能すら凌駕する桁外れのモノだ。

 

 断じて人間が、人間から昇華したサーヴァントであっても行使できるはずがない。これは星に由来を持つ者の権能。この惑星から自立し、自らの意志で以て歩み始めた人間では絶対に行使できない技なのだ。

 それを──。

 

「──なんと。今日は終末予言の日だったかな? 長らく神話や文化、宗教に触れて来た私だが、審判の日も最終戦争も今日日起こるなど終ぞ知らなんだがね」

 

「な、な、なんですかこれッ!? パッシオ叔父さん、どうしましょう!?」

 

「あ……」

 

 一見して冷静さを装った動揺の声と、動揺を隠す気もない悲鳴を聞いてルーラーは忘れかけていたはずの我を取り戻す。

 それと同時に顔を蒼褪めさせ、自身の失策を悟る。

 

“しまった……! 狙いが何にせよ、彼らを私の巻き添えに……!”

 

 見渡せば変貌した世界のトゥリファスには人の姿がない。恐らくはこの術理は対象のみを誘うものであったのだろう。空想具現化は固有結界とは似て非なるものだが、技の本質が世界を個人の思う通りに変えるというものである以上、変化に際して組み込む対象を選ぶことも可能であろう。

 

 だからこそ、この規格外の大規模改変に対して一般人は遠ざけられたのだ。だがしかし、彼ら……パッシオとシャルロットがこの場に居合わせている原因はまず間違いなくルーラーにあった。

 

 恐らくだが、ルーラー……サーヴァントと共に行動する彼らもまたこちら側の関係者だと誤認させてしまったのだろう。

 ルーラーはマスターを持たぬ特性をこの現象を引き起こした対象が知っているか知らぬかはともかくとして、英霊と親しく関わる人間など脅威か否かを置いて捨て置けるはずもなし。

 そんな思惑が読めるからこそ、状況はより最悪だ。

 

 何故ならばこれほどの神秘を前にした人間を真っ当な魔術師が許容するはずもなし。こうして巻き込まれた以上、ルーラーと全く無関係な存在だと分かっても、末路はたった一つだけ。

 

「……ッ! パッシオさん、シャルロットさん! 細かな説明は後でします! ともかく今は落ち着いてください!」

 

 言いながらルーラーは同時に換装する。

 レティシアの着ていた私服から、ルーラー本来の戦装束に。

 

 事態に混乱するのはルーラーも同じだが、これが明確な何者かによる干渉であると悟っているからこそ、もはや警戒は怠らない。

 文字通り何が起こるか分からないのだ。ルーラーを狙った作戦にせよ、別の目的があるにせよ、これほどの神秘を操るモノなど尋常な存在であるはずがない。

 

 構える。如何なる攻撃が来ようとも必ず凌ぎ切ると決意して──。

 

 

『──流石に混乱していると見える。らしくない程隙だらけだぞ、聖女』

 

 決意を嘲笑う、青年の声が響き渡った。

 

 

「なに──ッ! ぐ、かはッ!?」

 

 不意打ちを受け、倒れる。

 黒い光弾──ガンドという呪いを無防備に受け、昏倒する。

 その光景を前にシャルロットは悲鳴を上げた。

 

パッシオ叔父さん(・・・・・・・・)──!?」

 

「なっ──!?」

 

 そう倒れたのはサーヴァントであり、この場で唯一事情を知るルーラーなどではなく、彼女に巻き込まれた無関係なただ人、パッシオであった。

 彼に当然、魔術の心得など無く、呪いに対する耐性も絶無。当たり前の出力で放たれた平均的な魔術師の振るうガンドは、当たり前のように効果を発揮し、パッシオを気絶たらしめた。

 

『──ん、何だ。見た目通り本当にただの人間だったか。これはしまったな。大方、ルーラーに手を貸す教会の関係者か、或いは魔術協会から遣わされた人員かと予想していたが……街に溶け込むため、何も知らない一般人に接する程度は、ルーラーも心得ていたということか』

 

「貴方は──ッ!!」

 

「パッシオ叔父さん! 目を覚ましてください! パッシオ叔父さん──!」

 

「…………」

 

 人の倫理観とは相容れぬが魔術師の定めと頭では理解できても、人間を軽視するような魔術師の声にルーラーは憤る。

 この相手が何者かは知れぬものの、相容れぬ価値観を有した相手であるのは確かであろう。

 気絶したパッシオと彼に呼びかけるシャルロット、そんな二人を庇うようにして背後に置き、ルーラーは聖旗を手に叫んだ。

 

「姿を見せなさい! 何者であれ、聖杯大戦の調停者たるルーラーに攻撃して来た以上、私に敵意あるものと見做します! 何よりもこの光景──貴方こそが私がこの地に遣わされた原因であるならば……!」

 

「否──お前の敵は私ではないよ(・・・・・・・・・・・)。尤もお前を遣わしたものにとっては知らぬがね。とはいえ、良いだろう。かの偉大なる聖女の呼びかけに応じないわけにもいくまい。場を設けた責務として挨拶させて頂くとしよう」

 

 不意にルーラーは、その不思議な言い回しをする声が何時しか場に響くものではなく、肉声によって発せられるものに切り替わっていることに気づく。

 

 直感的に彼女は空を見上げた。

 

 トゥリファスの街並みに無数に屹立する石造りの建築物。その中でも一回り大きな時計台の上に、一人の魔術師がいた。

 

 ──強い意志を感じさせる蒼い瞳(メタルブルー)

 ──高貴な貴族を思わせる白い制服。

 ──年若く、しかし身から放たれる余りにも洗練された気配と魔力。

 

 疑うべくもない。

 “黒”の陣営に属する魔術師にして、ユグドミレニアの枝。

 

「お初にお目にかかる、救国の聖女ジャンヌ・ダルク。見ての通り、私はユグドミレニア、ひいては“黒”の陣営に属する魔術師。名をアルドル・プレストーン・ユグドミレニアだ。こうして、相まみえたことを光栄に思うよ、ルーラー」

 

「────…………え?」

 

 そうして、姿を現した魔術師は真に礼を払って頭を下げる。

 鋭き眼光に浮かぶは正真正銘、本気の敬意。

 事もあろうに慇懃無礼な言動で襲撃してきたはずの魔術師は、さながら偉大な先達を敬するが如く、ルーラーに最上の敬意を送っている。

 

 ルーラーは固まった。

 驚愕や混乱といった動揺からではない。

 彼を見て、彼を知って、彼に気づいた瞬間から全ての感情が消し飛ばされた。

 

 言葉を発しないルーラーに替わるかの如く、アルドルは続ける。

 

「故に非常に残念だ。討つしかない縁とは言え、それでも貴女と言葉を交わすという機会は光栄だったのだが、それをするには貴方の()が許してくれないようだ」

 

 嘆息。やはりこうなるのかと、呆れるようにアルドルは言って。

 

「ならばこう言い換えよう。久しぶりだな(・・・・・・)、相変わらずで何よりだ」

 

 告げた刹那──悪性を滅する聖なる焔が煌々と輝いた。

 

 

 

 

 『それ』は『透明』だった。

 

 世界に異物があれば即座に処断できるのが世界にとっての特権だ。人の無意識下の意志によって発生した『抑止力』という絶対の概念。世界そのものと言っていい世界を存続させたいという生存本能は歴史の過去現在未来に問わず、絵図に予期せぬ色や空白が生じれば即座に反応し、その原因を撲滅できる。

 

 しかし、それも観測できればという話だ。

 

 『無いもの』を消去することは神様であっても死の概念であってもできない。初めから無いのだから、そも消し去ることは出来ないのだから。

 だからこそ『それ』は『抑止力』にとって例外中の例外、特異点をも超える特異点であった。

 

 存在が確立しているなら真実『無い』ものなど存在しない。無という概念を背負うにせよ、世界によって、誰かによってその姿、形、名前が与えられているのならば、いや、観測しうるのならばそれは確かにこの世界に在ってしまうのだから。

 そう言った意味において『完全なる無』というのは世界に存在しないし、そもそもその概念自体世界に存在しない証明であろう。

 

 ──であるからこその異端。その『透明』は世界にとって『完全なる無』であった。

 

 ある日突然、何の前触れもなく、気づけば世界に存在した『透明』。

 人の意志の具現たる『抑止力』は当然の様にその存在を察知した。

 

 何故ならばそれこそが『抑止力』の意義。人の生み出したアラヤと呼ばれる生存本能の性質なのだから。生きたい、という意志はその本能に基づき、予期せぬ色を観測しようとして──観測できなかった。

 

 何故か、理由は明白だ。

 その『透明』は『完全なる無』であったのだから。

 

 無なのだから誰にも見えないし、無なのだから誰にも分からない。

 何の因果も因縁もなく生じたそれは、世界との縁がまるでない。

 

 故に無、完全なる無。

 如何な『抑止力』と呼ばれる世界そのものと言っていいほどの存在であっても干渉できるものではなかったのだ。

 無いものには手が出せない。だからこそ無敵。

 

 『抑止力』は計算不能の不具合(エラー)に対して何のアクションも取れなかった。

 

 正体不明、存在不明。

 されど、一度だけ、それを観測する機会を得た。

 

 南米で執り行われた亜種聖杯戦争。

 とある快楽主義者によって持ち込まれたケルト神話に由来する聖遺物を型として生成されたそれは、大聖杯や本家本元の聖杯には及ばぬものの、七騎の英霊を呼び出し、大抵の願いならば叶えられる極めてオリジナルの聖杯戦争に用いられた聖杯と同等の性能を有するものだった。

 

 故にきっかけは些細なものだった。

 

 偶然、その戦いに参列したものの中に、世界の危機を呼び込むものが居た。

 

 偶然、その戦いに参列したものの中に、英霊の枠を選ばなかったものが居た。

 

 だからこそ『抑止力』はその枠に守護者をねじ込み、己が役目を果たさんとした。

 偶然である。偶然に偶然が重なった結果、知らず『抑止力』は、その使徒を『透明』の下に遣わしていたのだ。

 

 そして『透明』と『抑止力』に遣わされた使徒は混迷極まる戦いを満身創痍となりながらも勝ち上がり、聖杯を手にすることが叶った。

 ──この瞬間である。『透明』と『抑止力』の守護者、そして聖杯。存在位置が極めて近く、加えて「人の世を滅ぼすことが可能である」という可能性が、遂に『完全なる無』を観測するに足る因果として成立したのだ。

 

 『抑止力』は見た。

 『それ』を。『完全なる無』の正体を。

 

 

 

『それ』は存在してはならないものであった。許してはならないものであった。受け入れてはならないものであった。否定すべきものであった。抹消すべきものであった。

 

■姫、F■t■、■■使い■夜──■説、■ー■、ア■■──前■、■■者、異■から■■■■■■■■────。

 

殺す消す拒む亡くす排する失くす在ってはならない許しがたく認めがたく侮辱に等しく悍ましい悍ましい悍ましい悍ましい────。

 

 

 

 『それ』を絶滅させねば──人類(我ら)は生命体であることすら否定される──。

 

 

 

 よって抑止の輪が廻る。『それ』を討たんと動き出すは錆びついた理想を背負う者。迎え撃つは『それ』の因果に呼応して動き出した創世期より不変の概念として世界に在る一柱。

 最後の夜に行われた世界の存亡を賭けた終末戦争は果たして、理想を《光》が照らして終わった。

 

 『抑止力(アラヤ)』ではなく、『(ガイア)』に属するかの存在にとって『それ』はさほど意味のないものだから。

 それよりも野心の果てを見てみたいという契約の名の下、あくまで英霊という規格だった彼は()の差によって敗れ去った。

 

 よって二度目は無い。

 覚えている。その敗北を観測(知っ)たからこそ──。

 

 

 ──エラー観測、エラー観測。

 ──検索開始。検索終了。

 ──条件適合。霊格適合。

 ──魔力不適、霊器不適、能力値不適。

 ──観測データより不明を確認。

 ──規定値に向け霊格挿入開始。

 

 ──霊器再臨、クラス向上。

 ──個体の領域拡張(バックアップ)開始。

 ──■■■による運命力の付与、完了。

 ──■■■による宝具の再設定、完了。

 ──■■の情報並びにこれまでの観測データの付与、完了。

 

 ──全条件達成(オールクリア)

 

 ──再召喚(・・・)、クラス・冠位英霊調停者(グランド・ルーラー)

 

 現界──《オルレアンの乙女》。

 

 

……

…………。

 

 

()よ、この身を捧げましょう」

 

 聖火が上がる。その名は希望。

 

「私が愚か者であるなど百も承知」

 

 聖旗が揺らめく、誇りと掲げ、道を照らす印と掲げられる。

 

「結末は分かっていた。訪れる末路も、訪れる悲劇も、私は最初から知っている」

 

 迷いはない、恐れもない。

 未来への展望に絶望する心もない。

 

「それでも、救える命があるというのならば」

 

 そうして乙女は駆け出した。

 自身の幸福も、平穏も、安穏として全てを投げ捨てて。

 身体に鎧を、腰には剣を、そして──。

 

 この手に──聖旗《誓い》を。

 

「きっと、この道は間違いではないのです」

 

 嘗てそういう歴史があった。

 嘗てそういう偉業があった。

 嘗てそういう伝説があった。

 

 今よりずっともっと前。

 フランスに生まれた村娘の少女は希望のために立ち上がり、後の世に百年戦争と呼ばれる戦の時代を駆け抜けたのだ。

 全ては遠き過去の事。されどこの時この瞬間より、救国(・・)は今より始まるのだ。

 

 

「──聞け! この戦場に集いし一騎当千、万夫不倒の兵士たちよ!! 本来相容れぬ性質、本来交わらぬ心の持ち主たちであっても今は互いに背を預けよ! 我らが背負うは故国の誇り、我らが背負うは人々の希望! 主の御名の下、フランスを守護する盾とならんッ!!」

 

 

「──ハッ、そうきたか(・・・・・)ッ!」

 

 

 焔より現れたるはいと気高き聖女の姿。

 それを見てアルドルは鉄面皮を喜悦に歪め、獰猛に吠える。

 

 絡繰りなど一瞬で看破する。元よりそれはアルドルにとって十八番中の十八番。自身が魔術性質とも言える技である。

 目には目を、歯には歯を。

 そして──再演には再演を。

 

「なるほど。確かに今のお前なら無敵だ。この時代で、人々の加護を受けた状態での再現とは。まさに今の私は歴史の主役(主人公)やられ役(史実)というわけだ」

 

 気づけば、焔の中から人影が現れる。

 武装し、兵士としての面目は保っているものの、総じて貧相。

 とても強兵とは言えぬその形。

 

 しかしその瞳には、確かな希望(信仰)

 不退転を掲げた決意の意志が輝いている。

 

 そう──此処はオルレアン(・・・・・・・・)

 今より歴史が始まるのだ(・・・・・・・・・・・)

 

 ──視線が交錯する。

 

 聖女は思った。

 ──アレが主の敵、嘆きの元凶であるのか、と。

 

 アルドルは笑った。

 ──若く(・・)初々しい(・・・・)。あれが全盛期(・・・)か、と。

 

 両者の意識はチグハグで何処か噛み合わない。

 まるで全く違うものを見ているかのように、酷くズレている。

 それでも分かることは一つだけ。

 

「──貴方が私の敵ですね」

 

「──然り、()がお前の敵だよ。初めまして(・・・・・)、英雄の卵」

 

 問答終了。

 交わされた言葉を終えると同時、鬨の声が上がる。

 ジャンヌダルクと、彼女と共に現れた一万を数える兵(・・・・・・・)

 

 敵を払わんと乙女の掲げる旗を導に、進軍を開始する。

 

 

 

 ──端的に言うのであれば、それは歴史の再現なのだろう。

 

 かつてフランスの百年戦争の渦中において起こったとされるオルレアン包囲戦と呼ばれる戦い。救国の乙女、その伝説の始まりにして最初の戦い。フランス国内ににわかに広がっていた救済の噂話を真実とする戦い──。

 祈りが転じて昇華した英霊ではなく、正真正銘歴史上に存在した英雄として呼び出された状態というのが今のルーラー、ジャンヌ・ダルクなのである。

 

 いや、そもそもサーヴァント・ルーラーであるかも怪しいだろう。向上した霊器は明らかにサーヴァントという規格を越えている。何せ見受けられるステータスはかつて亜種聖杯戦争で見たヘラクレス(アルケイデス)を凌駕しているし、幸運の項目に関してはもはや測定不能。

 

 評価規格外(EX)ですらない以上、その幸運はいっそ世界が味方であると言っても過言ではない。

 よって結論する。今の彼女は青年の識るルーラーではない。青年の識るサーヴァント、ジャンヌ・ダルクでもない。

 

 ……いつか何処かの、『普通』の人間の考察を思い出す。

 或いはかの乙女も、抑止力の加護を受けていたのではないだろうか──と。

 

「いや、いや、この際事実はどうでもいいか。問題は、私がこれを越えられるかという話──」

 

「オオオオオオオ──!!」

 

 突撃する。気炎を上げて槍を構えた兵士が突っ込んでくる。

 その速度、身体能力は普通のものではない。

 まして彼らにとっての頭上、およそ五階建ての建築物の屋上に立つアルドル向けて飛び上がって、襲い掛かるなど人間の出来る芸当ではない。

 

 ──視る。

 

「神敵滅殺ッ!」

 

 叫びながら躍りかかる兵士をアルドルは半身になって避ける。

 目標を失った兵士の槍は虚空を射抜くが、即座に転身、再度目標を捉えんと槍を大きく振るってアルドルの方へと叩き落した。

 

 それをアルドルは地を蹴ってさらに躱す。肉体の強化魔術を経て人外の身体能力を得たアルドルは勢いそのまま別の建物に跳躍して難を逃れる。

 そして回避した先から、見た。空ぶった兵士の槍が先ほどまでいた屋上の床を粉砕し、建物の天蓋を木っ端みじんに破壊する様を。

 

 続けて襲い来る弓矢の一斉掃射、殺到する剣兵。

 何れの威力も人以上の膂力、威力で以て破壊力を証明する。

 それでアルドルは確信した。

 

「なるほど──トラオム(・・・・)の仕様か、厄介な」

 

 呟くと同時、虚空に描く三つのルーン。

 原初のルーンという神代魔術を惜しみなく雑兵へ向け放つ。

 

「主のご加護を──!」

 

 乙女が叫ぶと同時、アルドルの魔術は確かに炸裂した。

 しかし──。

 

「オオオオオオオ!!」

 

「チッ──!」

 

 無傷。アルドルの眼前、肉薄するほどの距離でアルドルの魔術を受けたはずの魔術耐性が欠片もないはずの兵士は構わず剣を振り下ろす。

 それを居合の要領で抜刀した斬神魔剣(ティルフィング)で弾き、返しでそのまま兵士を袈裟斬りにする。

 

 絶命必至の致命傷。なのに──。

 

「神の加護は我らにあり──!」

 

「まだ動くか。ならば──!」

 

 武装失くして致命傷を負い、それでも尚、両手でアルドルの首元に掴みかからんとする兵士に歯噛みしながらアルドルは巧みな動作で兵士をいなしつつ、直接兵士の心臓へ原初のルーンを刻みつける。

 

破壊(ハガル)──消し飛べ」

 

 超々至近距離で炸裂する原初のルーン。

 心臓どころか兵士の上半身ごと消し飛ばしながらアルドルは毒づいた。

 

「これで一人目。ハ、堪らないな」

 

 消し飛ばした兵士を睨みつけるアルドルに、息つく暇もなく次の、次の、次のと兵士たちが襲い掛かる。

 それを今度は対応せずに、空間跳躍で囲みから離脱しつつ、三百メートルほど本隊からの距離を取り、観察と考察を行う。

 

「兵士は一人一人が並のサーヴァント級。身体能力は言うまでもなく、魔術を抜きにすれば私以上のスペックか。多少の手傷では倒れず、おまけに勇猛果敢な上、聖女の援護もある──と」

 

 そして総数一万。率直に言って。

 

「理不尽。そして真っ当に考えれば勝ち目無し。二度目とはいえ、やはり手間だな抑止力の相手という奴は」

 

 次いで疲れたように、アルドルはため息を吐いた。

 

 ──抑止力。

 それは人々の普遍無意識によって編まれた世界の安全装置を指す言葉だ。

 通称カウンターガーディアンとも呼ばれるそれは主に二種の存在、アラヤとガイアなるものが存在しているのだが、今回この場に働いているのは前者である。

 

 例えば地球規模での人類殺戮、例えば人理の破壊。

 

 端的に言えば人類存亡の危機に対して、その要因を消すことを役目と負う存在である。人の生きたいという意志の具現化とでも言えば分かりやすいだろう。

 『彼ら』は人の世をより永く存続するために存在して、そのためならば今ある世界を変え得る要因に対して善であろうと悪であろうと等しく残酷に対応する。

 

 そう、今を生きたいという人々の具現なのだから良きも悪しきも関係ないのだ。たとえより良い未来のためであろうとアレは現行世界の変更を許さない。

 よって抑止力はその存在を多くの魔術師に古くから認知され、憎悪の念を向けられてきた。

 

 何故ならば魔術師の『根源』に至るという目標もアレにとっては粛清対象、文字通り可能性があるというだけで干渉を行い、魔術師の悲願を木っ端みじんに砕きに掛かる。

 今まで多くの魔術師が『根源』を目指しながら殆ど到達していないという現状の原因は少なからず抑止力にあると言っていい。

 

 そして、そんな抑止力が人類存亡のために行う修復手段はいつの世も、大体一つと相場が決まっている。即ち──。

 

「対応すべき数値に合わせ、絶対に勝利できる数値で対処する。物語で言うところのデウスエクスマキナだな。相手するだけ馬鹿馬鹿しい」

 

 よって勝てない。

 何をどう工夫を凝らそうと、抑止力が干渉してきた以上、死するのみ。

 

「──というのが普通の常識だ」

 

 そう、それが抑止力の。

 この世界を生きる魔術師たちの常識だ。

 

 しかし、そのルールは。

 あくまで同じ人類(アラヤ)だからこそ適用されるもの。

 

「そもそも人が絶対にアラヤに勝てないのは、己自身も人のアラヤに組み込まれているからだ。生きたいという願い、種の存続を望む人々の普遍無意識がアラヤであるのならばそこに自身も組み込まれているのは当然の事」

 

 世界を含む自分。

 無意識の祈りがこちらに牙を剥いて掛かってくるのだ。

 なればこそ勝てない。勝てるはずがない。

 

 同じ人類(アラヤ)である限り、抑止力は越えられない。

 

「だが、そうだな。敢えて言うならば──例外は常に存在する。もう一度、それをこの戦いで証明しよう」

 

 知るが良い──世界の調停者。

 絶対を誇るお前にも、例外は付きまとうという現実を。

 破綻の無いその数式を粉砕する、乱数を見せてやろう──。

 

「宝具発動を許可する、まずは気勢を削いでやれ」

 

「了解」

 

 そうしてアルドルは僅か数十秒にて空間跳躍で逃れた己の場所を特定し、迫りくる二百ほどの先行偵察隊を眼前に淡々と命ずる。

 己がサーヴァント・アサシン──ではなく、空に浮かぶ彼女たち(・・・・)に。

 

 名を受けて、彼女たちは動く。

 構えた槍を地表の兵たちへ。

 照準し、捉え、穿つ。

 

「「「同位体、顕現開始」」」

 

 感情の色が無い、機械のような声。

 

「「「同期開始」」」

 

 彼の識る彼女たちとは少し違う、けれど変わらぬ同じ存在。

 あの時とは立場の違う彼女たちは本来の役割を演ずる。

 故に迷いも惑いもない。

 

 主神(ヴェラチュール)の命の下、命令を粛々と実行する。

 

「アレは……!」

 

 乙女が気づく。

 認識は変われどその身はルーラー。

 なればこそ、瞳は彼女たちの真名(正体)を看破した。

 

 オルトリンデ、ヒルド、スールズ──。

 其は──神霊(・・)・ワルキューレ。

 

「「「終末幻想・少女降臨(ラグナロク・リーヴスラシル)!」」」

 

 黄昏の残響が光となって響き渡る。

 彼女たちは勇士を招く乙女なれば、たとえ死を恐れぬとて信仰という縁に縋った偽の勇士に心揺らがせるはずもなく。

 

 無慈悲な槍の光は先行偵察部隊を一掃した。

 

「それでは比べ合いといこうか。ああ──そういえば、関係ない私情も一つ存在したな。いつぞやの仕返しだ。その信仰、挫かせてもらおうか──!」

 

 そう言って、神話の奏者は不敵に笑った。

 ──黄昏時が始まった。




「わたしに骨の折れる道をとらせた見知らぬ人は誰。雪に埋もれ、雨に打たれ、露に濡れ、長いことわたしは死んでいたのです」


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神話賛歌

 名前とは、人間が揮う最も古い神秘の一つだ。

 

 命名という言葉が表すように、名を与えるという行為は命を吹き込むことに等しい。何故ならばこの世界に於いて、生命、無機物、概念に問わず、存在を確立するために名というのは必要不可欠なものだからだ。

 

 人間に認識する知性がある限り、名がないものなど存在しない。

 言葉という表現に富んだ迂遠なコミュニケーション手段を是とした人類にとって名が無いことはそれだけで不便となるから。

 

 ただ「青空」と伝える為だけに、外に出て上を仰いだ先にある青い色などと一々目に映る現象を詳らかに語るなど、時間の無駄にもほどがある。

 人間は百年ぽっちの命しかないのだ。たかだかコミュニケーションにそんな手間をかけていてはそれだけで寿命を使いつぶしてしまう。

 

 故に人類は、互いの共通認識に名を与えた。

 天を仰いだその先にある青色を天空と呼び、足を伝って感じ取れる確たる感触を地面と呼んだ。

 

 他にも肌を撫でる感覚を風、夜の闇を照らす灯を火、身を潤す透明な液体を水、そして有機無機に関わりなく全ての生命の台となるそれを土と呼んだ。

 

 この世が言葉に溢れる限り、名前はその存在を表す最も簡単な表現手法。よって名を与えるという行為が命を与える行為と同意とされ、古来より今に掛けて重要な儀式とされてきたのだ。

 そして当然、魔術世界においても同じこと。

 

 例えば全世界に存在するあらゆる呪いの中でも最も簡単かつ最もポピュラーなものは存在の名前を起点として発動するモノだろう。

 不吉な呪物に憎む存在の名を刻む、或いは逆に願いを託す存在を祝いの品に括りつける。これらは存在を表す名を起点に発動する最も簡単な魔術と言えよう。

 

 他にも継承を示す「二世」の名乗り、真名を隠す「セイバー」等の偽名、他者から見た己を表す渾名など。

 名が生む意味のバリエーションは多岐に渉る。

 

 即ち名前とは全世界において人間が共通して使用して来た、もっとも古く、もっとも単純で、もっとも分かりやすい魔術なのである。

 

 神々ですら名前の原則には縛られる。

 名前のない神がどのような末路を辿るかなど、最古の唯一神教者たちが己が仰ぐ神の名を忘れてしまった事例からも読み取れよう。

 

 忘却という機能を人間が有する以上、名がないモノは存在がないに等しく、記される事象は歴史の渦に埋もれていくのみ。

 存在を表す上で名前はやはり必要不可欠なのだ。

 

 ならば──。

 

『名前とは存在そのものであり、名を名乗るという行為は他者の認識に己が何者かであるかを示す行為と言える。であるのなら逆説的に名乗る名前によって人の認識は塗り替えられるということではないか──』

 

 数年前──時計塔。

 嘗てこのような考えの下、『名前』の研究に務めた魔術師が居た。

 彼は名前によって認識は存在として定まるという理論の下、名を名乗るという行為そのものの魔術的意味をより深堀りしようとしたという。

 

 取り分け、彼の奇人ぶりを時計塔内で知れ渡らせた珍説「神の名を名乗ることで神そのものと同一化できるのではないか」という仮説は当時の魔術師たちにとっては有名な戯言(ギャク)として数多の失笑を買った。

 

 確かに世には襲名という手段に代表されるように、己に関わる先々代々からの役目や立場を同じ名を名乗ることで自らのモノとする手法や、全く関わりのない逆に偉人や神々の名を借りて術の強化をする手法など、借りの名(・・・・)を利用した魔術などそれこそごまんと存在している。

 

 しかし名を名乗ることで神々と同等の存在になる魔術など思考の飛躍にも程があった。それこそ悪い薬でも飲んだ奇人の発想としか言えまい。

 

 名を利用して術の強度を補強する、程度ならば人々の無意識下による信仰を利用するという意味で有効であるものの、神それそのものの力を行使するには前提として神々の存在がこの世に確立されていなければならない。

 

 だが、地上から神は疾うの昔に去っている。

 より分かりやすく言うならば神の名前は死語なのだ。

 役目を終えた言葉に力は宿らない。

 

 よって今さら神を名乗ったところで成れるものなど怪しい新興宗教の教祖ぐらいだろう。少なくとも現代魔術を追及する時計塔の中で、それを追及するなど余程の馬鹿か、度し難い間抜けぐらいであろう。

 

 ──そんな周囲の憐みと侮りを受けながら、それでもその魔術師は追及を重ねていった。非常識は承知の上、それでも非常識を追及していかなければならない理由が彼にはあったからである。

 

 魔術(つるぎ)が要るのだ。神秘の追及や根源到達と言った魔術師たる者が手段とする魔術ではない。純粋に武力として強力な魔術が。

 それも人間や魔術師というものたち以上の、精霊に等しい強力な上位存在に食い込ませられるだけの牙が。

 

 果たして、彼の愚行の果ての答え。それは彼が前哨戦と定めた南米の地で、魔術協会の宿敵たる聖堂教会の監督役の前で開かれた。

 後に神父はこう言ったという「彼は神の名を名乗(かた)る」と。

 

 南米亜種聖杯戦争、最大最強の復讐者を眼前に、神話を憎む大英雄へと魔術師は大胆不敵に名乗りを上げた。

 

『──神格装填、(わたし)は神の名を名乗(かた)る』

 

 

 

 

「──フレイヤ(・・・・)

 

 幼き少女が口にした言葉は魔術詠唱でも何でもない、ただの名称だった。

 

 フレイヤ──それが意味するところは即ち北欧神話に伝わる美の女神たる存在、フレイヤそのものであろう。

 曰くヴァン神族出身で海の神ニョルズの娘。ヴァナディースとも呼ばれる生と死、愛情と戦い、豊穣を司る典型的な女神である。

 

 神話においては愛多く、様々な色恋沙汰と共に語られる女神だが、魔法に長けているともされ、あの全知全能と謳われる隻眼の賢者オーディンも一時彼女に魔法の知恵を乞うたという。

 

 しかし──だから何だというのか。

 

 何故ならばこれは魔術詠唱でも巨大な術式を駆動させる発動呪文でもない。

 ルクスはただ単に名乗っただけだ。

 まるで己こそがフレイヤであると言わんばかりに。

 迫る大英雄を前に名乗りを上げただけ。

 

 そこには何の魔力も力も宿っておらず、幼子がごっこ遊びをするが程度の真似。

 であれば残る結末はその戯言を遺言とし、死に落ちるのみである。

 

 である──はずなのに。

 

 彼女が名乗ったその刹那に。

 全ての認識が忘我した。

 

「──────────────」

 

 件の大英雄も、苦悩する弓兵も、気炎を吐く剣士も、経験豊富な死霊魔術師も、空も地面も空気もすらも世界も──。

 時すらも刻む役割を忘却し、出現した『それ』に見入る。

 

 絶世の『■』だった。

 空前絶後の『■』だった。

 

 言葉を重ねることすら無粋。筆舌に尽くしがたいそれは正に美の女神を名乗るに等しい『■』であり、同時に人間の認識など容易く塗りつぶす孔だった。

 これを前に自我を保てる知性体など存在しないと。そう思わせるほどの完璧にして究極の『■』。

 

 ものみな全ての行動が止まる。

 この場に居合わせた全ての概念が役目を忘れた。

 

 よって少女は命を拾い、同時に得る。

 最大にして最悪の敵手の隙という成果を。

 

「『さあ、行きなさい私の英雄。その猛き刃で私に勝利(ジークフリート)を下さいな』」

 

「ッ────!!!!!」

 

 吼える。もはや断末魔に等しい壮絶な絶叫を上げて竜殺しが踏み込む。

 そうしなければ動けないと悟ったから、そうでもしないと一歩も動けないと確信したから。

 

 悪竜現象(ファヴニール)と相対した時とは全くベクトルの異なる絶望。仮にかの竜を究極の恐怖とするならば、こちらは究極の喪失だろう。

 如何なものであろうともこれを前には全てが消える。朱に交われば赤くなるとは極東の言葉だが、これは同じ赤に塗り替える所か、全てを全て黄金一色に塗りつぶす認識の暴力だ。

 

 “黒”のセイバーがこの場で動けるのは別段、主の許可があったからだとか身内だから巻き込まれずに済んだとかそういう話ではない。

 何故ならばこの『■』は全てを巻き込む。敵も味方も関係ない。彼女を認識したその瞬間に事は全て終わっているのだ。

 

 よって動ける理由は単純に二つ。此処に至るまで一度も彼女を直視しなかったことと、彼女に覚悟するよう言い聞かせられていたから。

 大英雄の全身全霊をかけた究極の自制と単に術の掛かりが浅く済んだ。このたった二つの理由を蜘蛛の糸と辿り、竜殺しは絶望を振り切る。

 

 大剣が狙い過たず落ちる。

 対象は言うまでもなく最大最強の難敵、俊足の大英雄。

 余りにも有名すぎるその弱点を突かんと刃が下る。

 

 回避? ──出来るはずがない。

 防御? ──出来るはずがない。

 

 この絶望、この『■』を前に動ける者など居ない。

 結果は順当に。

 余りにも呆気なく大英雄は、致命の一撃を叩きつけられる。

 

「──ぁ…………だ、………だァ!!!」

 

「な……!?」

 

 だが奇跡が起こる。否、奇跡を起す(・・)

 憤怒にも似た激情で強引に、大英雄は絶望を引きちぎる。

 代償に存在理由(レゾンデートル)に激しく損耗を負い、危うく英霊の形すら保てなくなるほどの傷を負うが、全て関係ない。

 

 竜殺しが自制という鋼の理性で耐えたならば、こちらは燃えるような感情で以て振り切った。

 英雄として相応しく生きる──己が願いにして魂とも言うべき理念が敵を前に棒立ちをする己など許容するなど絶対にあり得ない。

 

 『■』を上回る情熱が、大英雄に奇跡を与えた。

 

「「ッ!!」」

 

 二つの気合が火花を散らす。

 剣と槍。共に『■』を上回るため渾身に渾身を重ねた一撃同士はサーヴァントが宝具なしで出力できる最大威力を発揮し、雷鳴の如く響き渡る。

 

 その想定外、予想外とも言える結末を前に女神(ルクス)は。

 

「『流石ね。見惚れちゃうぐらいに素敵よ、大英雄(アキレウス)』」

 

 平時の様に悪戯っぽくクスリと笑う。

 如何にも少女らしい屈託のない笑顔で言葉(ぜつぼう)を続ける。

 

「『でも残念。そういう(・・・・)の見慣れちゃってるのよね』」

 

 そう、何故ならば己は物語るモノ。

 必然的に彼も彼女も多くの物語を識っている。

 故にこういった展開(きせき)も彼らに掛かればただの既視感(デジャヴ)だ。

 

 悪いがこれぐらいはやると、大英雄(アキレウス)を識るものとして確信していた。

 だからこそ何処までも順当に、予想通りに。

 彼女は()の手段に取り掛かる。

 

 よって遍く女神の掌の上。

 役者では脚本家には届かない。

 

「『ばきゅん』」

 

 指先を銃の形に、ウインクを交えながら少女は大英雄を射抜く。

 それは何て事の無いただの呪い、不吉を呼び込むガンド。

 威力としては平凡と言わざるを得ない一撃だった。

 

 それこそ魔術師(アルドル)の司る光線じみた暴力的な一撃ではない。嫋やかなる少女が使うに相応しいとも言える慎ましやかな一撃。

 

 万全の英雄ならば受けたところで眉一つ顰めないだろう、魔術はしかし着弾箇所のみがあまりにも致命的すぎた。

 

「ガッ!! ああああああああああああッ!?」

 

 呪いが弾け、大英雄が絶叫を上げる。

 アキレス腱が射抜かれ、無敵の加護が掻き消える。

 奇しくもそれを契機として、幻想の時間も終わりを告げた。

 

 弾かれるように“赤”の陣営が正気を取り戻す。

 

「──ぐっ、ああ畜生! 言わんこっちゃねえ! これだから胡散臭い奴の戯言には乗るんじゃねえんだッ!!」

 

「──……くっ、ライダーッ!」

 

「ッ──ハ、何が起こった!?」

 

 元より強力な魔力耐性を有するからか、真っ先に“赤”のセイバーが正気を取り戻し、次いでサーヴァントたる“赤”のアーチャーが、最後に獅子劫界離が己の意識を掴み取り、ようやく戦場に復帰する。

 

 相も変わらず周囲の景色は魔法じみているモノの、認識を磨り潰す魔法以上の奇跡の時間は終わりを告げたらしい。

 しかし復帰した彼らの眼前に飛び込んできたのは、無敵を失い絶叫する大英雄と余裕の笑みを浮かべる少女の姿。

 

 “赤”の陣営の視線を一様に受けた少女は悪戯がバレたと言わんばかりに、小さく舌を出しながら言う。

 

「ふふ、お帰りなさい」

 

「ッ! もう言いたいこたぁねえよなァ! マスターッ!!」

 

「ねぇな! 問答無用に敵だそいつぁ! 行けセイバーッ!!」

 

「応ッッ!!」

 

 『魔力放出』、全開。

 猛々しく狂い吹き荒ぶ魔力の渦。

 赤雷を纏い、稲妻の如く“赤”のセイバーが奔る。

 

 目標は無論、目前の危険人物(クソったれなチビガキ)

 

「あら、こっちも既視感(デジャヴ)。英雄の突撃を二回も受けるなんて光栄ね。でも魔法の時間は終わってしまったからどうしましょう」

 

 対して少女の余裕は崩れない。

 微笑みながら迫る死の影を恐れることなく見つめ返す。

 このまま死ぬのはあり得ない。

 されど同じ手段は使えない。

 

 だからこそ少女は少女らしく、言うのだ。

 力を持たぬ弱者として、祈りの言葉を。

 

「──ということで助けて、英雄さん」

 

「フッ──!」

 

 少女の求めに応じて“黒”の剣士が動いた。

 赤い稲妻を打ち払わんと青白い魔力が輝く。

 

 動きを止めた“赤”のライダーを傍目に、“黒”のセイバーは反転。そのままルクスと“赤”のセイバーを結ぶ間に割り込み、“赤”のセイバーの突撃を横合いから切りつけた。

 視界外からの一撃ではあったものの、この程度の反撃は予期されたるもの。直感に頼るまでもなく迎撃に動いた“黒”のセイバーの一撃を魔力を乗せた剣で容易くはね退ける。

 

 赤雷を伴う一撃はそれだけで“黒”のセイバーの膂力を簡単に上回り、“赤”のセイバーと比べて長身な青年の身体を吹き飛ばした。

 

 その赤雷伴う一撃は並のサーヴァントであればそれだけでも少なからず損傷を負うはずなのだが、“黒”のセイバーは当然無傷だ。

 剣と体捌きで上手く力を逃したのもそうだが、余波程度の魔力で傷を負う程、“黒”のセイバーは柔い体をしていない。

 

 竜の血潮を浴びた肉体は依然無敵。弱点を射抜かれて特性を消失した“赤”のライダーとは異なり“黒”のセイバーは依然健在だった。

 いっそ見事とまで思える着地まで決め、ルクスを守る騎士の様に彼女の下に舞い降りた。

 

「チッ! 邪魔しやがって!」

 

「ありがとう。助かったわ」

 

「大事ないなら、何よりだ」

 

 毒づく“赤”のセイバーを傍目に、仮初の主従は短いやり取りを済ます。

 この時点で予定の目標は達成されている。

 であれば此処から先は余談。

 あちらが決まるまでの耐久戦だ。

 

 ルクスが一歩下がり、“黒”のセイバーが一歩前に出る。

 

「それじゃあ後は任せるわ。見ての通り、何の力も無いか弱い少女だから簡単な援護はするけれど、期待はしないで頂戴な。貴方の力を信じるわ、セイバー」

 

「……了解した」

 

 流石の“黒”のセイバーも、そのいけしゃあしゃあとした言動に言いたいことの一つも浮かんだが、今は死地。

 やるべきことは言葉ではなく剣を重ねることである以上、問答は不要だった。

 剣を構え、敵に向き直る。

 

 本来の主からの無言の枷は外れているものの元より、不愛想な性格をしている自覚はある。なので敵手に掛ける一言は端的かつ明快に。

 

「来い」

 

「……ハッ、ほざいたな! “黒”のセイバー!!」

 

 “赤”のセイバーが踏み込み、“黒”のセイバーが迎撃する。

 此処に、通常の聖杯戦争ではあり得ない、最優のサーヴァント同士の激突が結実した。

 死闘が幕明ける。

 

 

 

「それで、今のはどういうことだ?」

 

 油断など欠片もしないと、己が得物たる銃口を“黒”の剣士の背に隠れる少女へと照準しつつ、獅子劫は言葉を投げかける。

 悠然と構える少女は、先ごろの現象はともかく、隙だらけだ。

 

 火事場に本当に縁のない存在だったのだろう。多少周囲に気を配っている様子は見受けられるが動きは全く素人以下。

 〝赤”のセイバーと相対しながらもこちらに気を向け続ける〝黒”のセイバーさえいなければ、それこそ獅子劫一人で片付けられていただろう。

 

 しかし見た目はともかく、規格外の手札を収めているのは今に体験した事象から明らかだろう。だからこそ油断なく、隙なく、少女の一挙手一投足を満遍なく観察しながら獅子劫は不明の糸口を探りに掛かる。

 

「さあ、何の事かしら? 全く想像もできないわね?」

 

「……嬢ちゃん、意外といい性格してるな」

 

「ふふ、お褒めに預かり恐悦至極……お礼に手品の種を教えてあげるわ」

 

 のらりくらりとした態度に思わず獅子劫が呆れたように揶揄するが、当の少女は柳に風。獅子劫が変に駆け引きするのが馬鹿らしくなってくるほど簡単に言葉を紡いで見せた。

 

「さっきのは魔術ではなく、簡単な呪術よ。枕詞に魔女の、という単語が付く以外は本当に単純な、ただ名を名乗るだけのお呪い」

 

「呪い……ああ、成程な。だからその(ナリ)で扱えるってわけか」

 

「ええ。察しの通り、私は魔術回路を持たない身だから。魔力の方は裏技で確保できるのだけれど術式を動かすことは出来ない。だからこそ出来るのは発動条件を揃えることだけ。それなら誰にだってできるでしょう?」

 

 魔術と呪術。一般に同一の現象を引き起こすと認識される両者だが、魔術師たる視点から見ると両者は異なる術である。

 

 魔力を用い、術を練ってそこにある現象をプログラミングして任意の現象を引き起こすのが魔術だとするならば、呪術とは髪や爪、血といった術者本人の肉体を素体として現象を書き換えるプログラム。

 要は文字通り魔力と術式だけで発動する魔術とは異なり、物理的要因を介して現象を発動するのが一般的に呪術と呼ばれる神秘である。

 

 このため呪術は魔術とは異なり、純粋な魔力耐性を突破して相手を呪う特性を有するなど魔術とは異なる性質を秘めているのだ。

 また呪う、という特性上、何も簡単なものであればそれこそ魔力源すら最低以下で済む。ポピュラーな所でいうなら、極東の藁人形だろう。

 

 呪う対象の肉体部位と時刻と己の憎悪。三種の条件を持って他者を呪うこの儀式こそ呪術の特性をこれ以上なく言い表している。

 

 よってルクスのそれも同じこと。「名乗り」という行為を起点として呪いを起動させているにすぎず、だからこそ魔術回路も余計な詠唱も必要としていないのだ。必要なのは僅か一手順。

 それこそ一工程(シングルアクション)よりも短い手順で彼女は神秘を発動する。

 

「しかしさっきのを簡単っていうには流石に無理があるだろ。昔聞いた話にゃ時計塔のイゼルマがさっきのと似た現象を引き起こしたって聞いてるが、あっちは馬鹿にならない手順を踏んでたはずだ」

 

「……驚いた。貴方の口からその単語を聞くとは思わなかったわ。貴方って顔に似合わず勉強熱心よね。ライオンさん」

 

「そりゃどうも。だがさっきから言うライオンさんって呼び方は止めろ。真剣に構えているのが馬鹿馬鹿しくなってくる」

 

「あら? 呪いを扱う私にそれを言う? 渾名も立派な呪いよ。もしかしたらこうして呼ぶことで貴方の気勢を削ぐ攻撃にしているのかもしれないわ」

 

「いや多分呪いとか関係ないよな。渾名(それ)

 

「あ、分かる?」

 

「……ホント、良い性格してるぜお前さん」

 

 将来はきっと魔性の女になるぜ、と口の中で続く言葉を飲み干しながら若干痛みを覚えつつ頭を指先で二度ほど叩いて話の主題を戻す。

 

「で、呪いなのは分かったが、それだけじゃ説明が──」

 

「──セイズ」

 

「…………」

 

「北欧神話は何かと魔法がよく登場する神話なのは知っているわよね? 例えばルーンなんかは有名ね。それから小人やエルフの魔法の道具とか、呪歌(ガルドル)。そしてマイナーなセイズ。知っていて?」

 

「名前だけならな、北欧に伝わる古い魔女術と聞いている」

 

「流石」

 

 獅子劫の言葉にルクスがパチパチと手を叩く。

 相変わらず人を食わせ者な態度だが、ルクスの反応に一々気を荒らされていては見えるものも見えなくなる。

 彼女の言葉には適当に応じつつ、獅子劫は必死に思考を巡らせた。

 

 ──セイズ。

 

 それは北欧神話──より厳密に辿るならば後期鉄器時代の古代スカンディナヴィア社会において慣習として行われてきた呪術儀式だ。

 起源は殆ど不明だが、教会の教えが北欧の旧き信仰を侵す前から存在していたことを考えればかなり古い……それこそ北欧の原始信仰に端を発する技であることは容易に想像できる。

 

 北欧のサガなどでも言及は極めて少なく不明は多いが、北欧神話の女神フレイヤがセイズに長けており、また魔女術と表される通り、使い手の多くが女であったという記録から、基本的に魔女の使う呪術であることが示唆されている。

 そんな彼女たちは、人々に巫女(ヴォルヴァ)と呼ばれていたと。

 

「認識はその程度で間違っていないわね。付け加えるなら魔女術だからといって女しか使えないわけじゃないことぐらいかしら。実際、神話上だとオーディンにも言及されているしね。ああ、殿方が使う際はセイズマズルと呼ぶのが正しいわね」

 

「……で? その北欧に伝わる古い呪術がさっきのとどう関係してくるんだ? 神秘は古いほど強力になるって言うにも限度があるだろ。まして複雑な手順もなしに神の名を名乗るだけで発動する呪いなんて──」

 

「聞いたことがないって? それはそうでしょうね。だって掘り起こして改良と改善を施して、新たな基盤として確立した私たちだけの呪術ですもの」

 

「んなッ!?」

 

 その言葉に平静を装っていた獅子劫は目を剝いた。

 下地があったとはいえ魔術基盤を一から創造した、などと言われて仮にも魔術師を名乗るものとしては冷静でいられるはずもない。

 

 だが驚愕する獅子劫に対し、ルクスは意外にも淡白な反応だった。

 

「そんなに驚くことかしら? ロードエルメロイ……あ、二世の方ね。彼のお弟子さんの方がよっぽどとんでもないし」

 

「いや、比べる基準が可笑しいだろ……」

 

 時計塔にて名を響かせる新参気鋭のエルメロイ教室の面々と比較すれば魔術基盤を作る程度は確かに簡単なことなのだろう。

 そもそも魔術基盤自体作る手間はそこまでではない。

 問題は神秘薄れた現代において魔術基盤として確立させ得るだけの効力を有するか否かで、実際確たる以上の効果を発揮するからこそルクスのそれに獅子劫は驚嘆したのだ。

 

「ふーん、そんなものかしらね? 魔術基盤から一々設計して魔術を成立させて使い捨てる混沌魔術の使い手に比べれば大したことじゃないと思うけれど」

 

「おい待て! エルメロイ教室にはそんな奴いたのか!?」

 

「いるわね。帰ったら教授に聞いてみると良いわよ」

 

 面白い反応をする獅子劫に堪らずクスクスと笑いながらルクスは付け加えた。

 

「──話を戻すと私たちの呪術はセイズを下地にアレンジを加えた呪術よ。セイズとは元々、術者の精神をトランス状態にして神や精霊といった存在に接続する呪術だったの。超常の存在に感覚器官を繋げることで未来視や魔法行使するための起点とした、これが魔女術、セイズという呪術よ」

 

 そうセイズ本来の呪術特性は「道」だ。

 舞踊や歌を歌うことで自らの精神を空にし、超常たる存在を己の内に招くという巫女の儀式、それがセイズと呼ばれる魔女術本来の力。

 

 だが彼女──いや()はさらにその先を求めた。

 巫女の超常の力を授かるのではなく、超常の存在を間借りする呪術として──神の力を限定的に行使する呪いとして術式を編纂し直した。

 

「起点となるのは名前。名は体を表す、なんていうように名前とは存在の本質をもっとも端的にかつ明白に表した言葉よ。天空(ゼウス)とか、正にその通りの形と力でしょう」

 

 ギリシャ神話の主神とされるこの神は遡るとインド・ヨーロッパ語の共通の語源“天空”を意味する言葉に辿り着く。

 そしてかの神に限らず、古き時代より信仰されてきた神々の名は天然自然の原始的な意味合いを伴う名乗りばかりだ。

 

 天空神、太陽神、地母神──神々の名は役割を表してきた。

 

「名前は存在の方向性を定めるもの。なら、名を名乗るということは他者の認識において存在を格付ける極めて重要な儀式と言えるわ」

 

 命名とは、ある意味では究極の呪いだ。

 まだ何者でもない無垢なる存在を名によってこの世に縛り、名によってこの世に表すのだから。万の憎悪より、破格の呪いとして機能する。

 

 ならばそれと同じく名乗りとは、自らが何者であるか、どのようなものであるかを世界に宣するが等しいと言える。さらにそこへ功績や生き様、特性や物語を付与すれば他者の認識を誤認させる程度は造作もなく。

 

「元々は本質に等しいたった一柱の神様に接続するための手段だったのだけれど、途中で手間が省けてしまったからね。今はちょっと応用で神様の名前を借りれるようにしているの。彼らが存在したという証明を地上に流布する詩人として、神話を謳う許可が、私たちにはある」

 

 今のルクスは、彼ら(・・)は期せず接続した『彼』の影響で『全ての神々に愛される』という特権を有している。

 そのためセイズという『道』と『名乗り』の呪術とを組み合わせることで瞬間的ではあるものの、神話の語り手……古の詩人が如き、神話の読み上げが可能。

 

 故に。

 

「これが私たちの揮う呪術、神名接続(セイズマズル)よ。理解できたかしら?」

 

「……なるほどな」

 

 遥か古の呪術と、最も強力な原始呪術。

 この二つの組み合わせこそが、彼女の力の本質なのだろう。

 

 無論、この二つだけで女神の権能を間借りしているというわけではあるまい。恐らくは複雑な手順や前置きの条件があって起動しているのだろうが、同時にこの呪術の弱点も獅子劫は理解した。

 

「何の力も無いって言い分はあながち比喩じゃねえことか、その力、使えても効力は長くねえな?」

 

「あら? どうしてそう思うの?」

 

「だってお前さんはルクス(・・・)なんだろう?」

 

「……あはははは、流石ね、そこに気づくのは百戦錬磨なだけはあるわね、ライオンさん」

 

 そうこの呪いの本質は誤認(・・)だ。神の名乗りとそれを信じ込ませるに足る背景(物語)があって成立しうるもの。

 アレだけの『■』を前にして、時間経過で彼らが正気を取り戻したのも、眼前の相手が女神(フレイヤ)ではなく少女(ルクス)だと気づいたからだ。

 

 名前というのが存在を定める絶対の呪いであるとするならば、少女がルクスと銘打たれた存在である以上、そこから必要以上には外れられない。

 呪術の起点とする名前は逆に術の限界点を縛る呪いとしても機能する。対象がルクスと認識し直すまでがこの呪術の持続時間である。

 

 加えて一度誤認し、再認識したという手順が発生すれば当然、次に誤認する可能性は低くなる。同じ薬を飲めば抗体が出来てしまうように、一度正された認識をもう一度間違わせるのは極めて困難なのだ。

 

 よって初見殺しにして初見終わり。

 この呪術に二度目はない。

 ──ただ一つの例外を置いて、だが。

 

 尤もそっちは彼女の領分ではない。

 故に抜け穴。獅子劫の足りない考察をルクスは突くのだ。

 

「でも一つだけ。足りない部分があったわね」

 

「何だと?」

 

「長々と詳らかに私が手札を晒した理由は二つ。一つは語った通り、この呪術に二度目は無いから。もう一つは、一度目の誤認は知ったところで防げないからよ」

 

 この呪術は対象に対し一度限り。

 ルクスの名乗りはもう通用しない。

 しかし──当然、そんなことは考慮済み。

 

 次手の無い手を用意するほど、この呪術を作り上げたものは甘くないのだ。

 

「それじゃあ足りない部分を教えましょうか。とても簡単な話よ、この呪術はね。対象を選ばないの。だからこういうこともできる」

 

 そうして少女は目を向ける。

 今も“赤”のセイバーと戦う“黒”のセイバーへと。

 

「まさか……! させるか!」

 

「遅い。それに無意味よ、彼。初めからこういうつもりで立ち回ってるし」

 

 ルクスの狙いに気づいた獅子劫は咄嗟にルクスに向け、銃口より呪いの弾丸を撃ち込むがそれよりも早く反応した“黒”のセイバーの放つ、剣気によっていともたやすく撃ち落された。

 それにルクスは感謝と共に(のろ)いの言葉を授ける。

 

 

「貴方に伝承詩(バラッド)を送りましょう、不死身の英雄。『不死身のザイフリート』『素早き若者シヴァルド』。『シグルドリーヴァの言葉』より智慧を授かり『ニーベルンゲンの災い』を謳いなさい」

 

 

 獅子劫の制止も無情に、神名接続(セイズマズル)が歌い上げられる。

 そう、この呪術は単に神の名を借りるというものではない。

 超常の現象に接続するというのが呪詛たる本質。

 

 そしてその対象は何もルクスだけに留まらない。

 認識を誤認させるに足る因果……物語さえ存在しているのならば、何であろうと繋げ得るのだ。

 

「“赤”のライダーには三対一で勝てると思っているのか、なんて言われてしまったけれど、その言葉にはこう言い返しましょうか。なら、足りない分は増やして上乗せしましょうか、と」

 

 霊器再臨、霊器向上、霊器拡張、霊器強化。

 ──つまるところ、これは増力(ブースト)

 しかしただの強化などでは断じてなかった。

 

 “黒”のセイバーの姿が変わる。

 鎧はより重厚さを増し、顔つきは何処か若く、瞳は狼のような蒼い色に変色し、手にする黄昏の大剣は黄金剣へ。

 

「こいつは……!?」

 

「大陸ゲルマンの伝承に現れる不死身の肉体を携えた無敵の剣士よ。これなら貴方たち全員を相手取ることもできるのではなくて?」

 

 様変わりした剣士を置いて少女が笑う。

 無邪気なまま虫を踏みつぶす子供の様に屈託なく。

 

「それじゃあ盛大に踊り明かしましょうか。仮にも戦士を名乗るのならば、ちゃんとリードはしてくださいね。尤も──」

 

 出来るのならば、だけれど。

 その言葉は剣戟に掻き消える。

 

 巫女の歌と不死身の伝承が“赤”の陣営に食らいついた。




神名接続(セイズマズル)

主人公君渾身の初期構想切り札。
なお、途中で『本物』に繋がったので不要となった模様。
但しトゥリファス以外の土地だと手札が限られるため、領地外で戦闘行動を取る際には今でも用いる。

能力としては超常存在への接続、同一化。
神や概念に問わず自身に繋がる因果線上にあるものなら何であれ接続してその名の力を己のモノとして取り込むことができる呪詛。

言わば存在を呪う言ノ葉。
対象は自身に限らず任意ならば他者にも掛けることができる。

一回限りで効果も数分と持たないものの、それでもなお現代魔術社会における神秘の深度を考えれば破格中の破格呪術。
これだけで封印指定待ったなし。

例外的にとある一柱を対象とした時のみ、この呪術は無制限に使用可能となる。
またその時のみ『名乗り』の有効時間も無制限となる。


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嬰児賛歌

 人間に限らず、生まれ出でた生命体にとって誕生期の記憶というのは自己という存在を定義する上で極めて重要な要素としてある。

 雛鳥が初めて目の当たりにしたモノを親だと確信するように、まだ自己のあやふやな無垢な記憶に刻み込まれる微かな記憶は、たとえ成長という過程を経て記憶を失ったところで簡単には覆らない。

 

 泣き声を無視した親の記憶を持つ赤子が諦観を抱きやすい人間に成長する。何もかもを面倒見る親の下に過ごした子供が、我がままで反抗的な大人になる。子の意志を軽視し、親の命令を絶対とした家庭の幼児がひたすらに消極的な性格を持つ。

 

 正にこれらは幼少期の記憶が無意識下に顕在した例と言えよう。

 

 環境が自己の全てを決定する、などと断言はできないが、少なからず幼少期の記憶が自己を確立する上で大切な要素となるのは既に医学的な知見においても証明されていることだ。

 

 そう、始まりの記憶は強烈だ。どれほど強くなろうとも、どれほど美しくあろうとも、始まりに刻み付けられた記憶(キズ)を拭い去るのは容易ではない。それはたとえ英雄であっても変わらない。

 

“女は要らぬ”

 

 ──そう言って、去り行く背中を今も覚えている。

 

 泣いた、叫んだ、懇願した。まだ何も、何の力も持たなかった赤子は、森に己を捨てて目の前から去っていく父に必死になって願った。

 手をバタつかせて、必死になって父母の愛を求めた己。赤子として与えられるはずだった無償の愛を受け取れなかった己。

 

 助けて欲しかったことを覚えている。手を取って欲しかったことを覚えている。抱きしめて欲しかったことを、覚えている。

 

 しかし願い虚しく、己には何も、何も与えられなかった。

 無力で、無価値で、何の生きる術も持たなかった赤子は幸運にもその憐れさが女神の同情を誘い、天然自然に命を育まれることでその生を拾ったが、幼少期のその経験は彼女に歪みを生み出した。

 

 彼女の価値観は弱肉強食。初めから何も与えられず、自然の中で己の力のみを頼りにして生き長らえた獣の論理。

 即ち男であれ、女であれ、大人であれ、老人であれ、強きが生きて弱きが死ぬという単純なものだ。

 

 だが、その方程式の中に子供は含まれていなかった。いいや自覚の有無を問わないのであれば、含みたくなかった(・・・・・・・・)、というのが正しいだろう。

 

 ……だって彼女は知ってしまったのだ。この世には無償の愛というものが存在して多くの赤子は、子どもたちはその揺籃に抱かれて育つのだと。寧ろ己のような捨て子の方が例外で、そちら側が希少な不幸なのだと。

 

 親が、周りが……属する環境が不運にも恵まれていなかったからこそ起こる悲劇。ならば間違っているのはそちら(・・・)だろう。

 

 元より無償の愛など存在せず、ただ強きが生き残る形が世界ならば、彼女は孤高の、強き女傑のまま生き抜き、その生に疑問を抱かなかったはずだ。

 だが彼女は知ってしまった、無償の愛があることを、穏やかな優しさがこの世界には存在することを。

 よって強者の論理は此処に歪む。

 

 弱肉強食を良しとしながら、されど子が絶対的に慈しまれるという世界を望むその価値観。獣にも人間にも依れない半人半獣の半端者。

 それこそが英霊──アタランテの持つ唯一無二の弱点だ。

 

「ああ──」

 

 手に弾く弓がかつてないほどに重い。

 眼前には武の心得も、魔術の知恵も持たぬ幼子がこちらに向けて微笑んでいる。命を狙われ、殺し合いを傍観する立場にあっても無垢。

 怒りも憎悪も恐怖もなく、世界に在るその姿は正に無邪気に生きる子供のそれで、何もかもがダメだった。

 

 だから彼女は気づけない。自らの弱点を突かれた彼女は、眼前の少女の右目が輝いていることにも、この場において最弱の存在であるはずの少女が今も不遜であれることに気づけない、気づかない。

 

 敵は己の願いを知っている(・・・・・・・・・・・・)

 

 これがどれほど致命的な事実なのかに弓兵は未だ気づけなかった。

 形は変われど、これは聖杯戦争。

 

 何故、英霊が真名を隠すのか、

 何故、英霊が正体を隠すのか。

 その常識とも言える事柄を忘れることがどれほど致命的なのか、彼女は未だに気づかない。

 故に傍観は続く。戦いの渦中に身を投じるわけでもなく、弓兵は葛藤に飲まれ、自己の傷と向き合うのだ。

 

 

 剣の英霊(セイバー)剣の英霊(セイバー)

 通常の聖杯戦争ではありえない最優の英霊同士の戦いは拮抗を経てから徐々にその天秤を傾けつつあった。

 

 赤雷を纏う剣が唸りを上げて竜殺しの肉体を抉る。

 魔力放出によって底上げされた剣の一撃は生身で受ければ問答無用に何であれ粉砕することの叶う凶剣だ。

 最優のサーヴァントとされる剣士の英霊(セイバー)にして、世界屈指の知名度を誇る円卓の騎士。

 

 叛逆の騎士モードレッドの技は相手が並のサーヴァントであれば宝具を使わずとも一蹴できるほどに強力である。

 例えばこれが既に敗退した“黒”の陣営の騎乗兵(アストルフォ)などであれば容易に倒しうるだろう。

 

 だが先に苦戦を強いられた“黒”のキャスターと同じく相手は断じて並ではなかった。いや、それどころか常識外れはこちらが上だ。

 

「おお……!」

 

 気合を発して“黒”のセイバーが踏み込む。そう、踏み込む(・・・・)だ。目の前の敵は“赤”のセイバーの凶剣に対してあろうことか防御ではなく、攻勢を仕掛けてくるのだ。

 常識的に考えるのであれば無謀を通り越して狂気だろう。生身で受ければ問答無用に致命的な凶剣を生身で受ける。

 

 論理の破綻したその振る舞いは狂気としか言いようがあるまい。“黒”のセイバーの真名がジークフリートでなければ、だ。

 

「クソが……ッ!!」

 

 剣が弾かれる。まるで硬質な鋼を切りつけたかの如き、反動を受けて、凶剣はその攻撃力を発揮することなく、竜殺しの生身に弾かれる。

 その何度目かになる光景を目の当たりにし、“赤”のセイバーは毒づきながらも、敵手が繰り出す反撃を飛び退いて躱した。

 

 大剣を扱っているとは思えない程、小器用に胴を抉りこむような斬撃は踏み込みと、その長身な躰を余さず使うことで見た目以上に、刃の射程範囲が伸びる。

 仮に半身になる、足を引く程度の回避運動では躱し切れない。だからこそ距離を取るというのがより確実な方法だ。

 

 直感に頼るまでもなく、戦場の経験と此処までの観察結果から導き出される当然の答えに則り、彼女は正解を選び取った。

 だが、その場における最善手が戦場における正解とは限らない。

 矮躯と称されるモードレッドに長身のジークフリート。同じ大剣という大振りな武器を使う剣士ながらも、その体格差という使い手の特徴が牙を剥いた。

 

「シッ!」

 

 “赤”のセイバーを追撃する一撃。大上段からの大振りが“赤”のセイバーの首筋へと振り下ろされた。

 

 得物と体格。“黒”のセイバーの攻撃範囲はもはや槍の間合いに近い所がある。よって飛び退いた“赤”のセイバーを襲う“黒”のセイバーの一撃は距離をしてギリギリ“赤”のセイバーの反撃が届かない位置にある。

 なればこそ相手側の攻撃に対して回避という手段を使い切った“赤”のセイバーが取れるのは防御という手段のみ。

 

“ぐ……重ッ──!”

 

 剣を引いて、首元で大剣の一撃を防御する。

 受ける際に傾斜を作り、勢いを逃がすという咄嗟の判断は流石は百戦錬磨の円卓の騎士とだけあったが、それでも相手の膂力は想定以上。受けた剣を通じて、両手が痺れ、衝撃を受け止めきれずに足は僅かに後退する。

 

 それを見て、“黒”のセイバーは更なる追撃を加えんと大剣の柄を短く握り直しながら最速で次弾の準備を終え、“赤”のセイバーも次弾に備えて身構える。

 が、その動きは陽動(フェイント)。本命は……上からの攻撃に意識を逸らした上での下部打撃(膝蹴り)

 

「ガッ……!?」

 

 予期せぬ衝撃に“赤”のセイバーの身体がくの字に曲がって、宙に浮く。そして“黒”のセイバーは意識外からの打撃に硬直する“赤”のセイバーの足を掴み取り、雑に地面に叩きつける。

 

「ッは……ッ!」

 

 この場においては“赤”のライダーと同等とも言える筋力を十全に発揮した二度の衝撃はただそれだけで“赤”のセイバーに強烈な損害(ダメージ)を与える。

 意識を完全に刈り取られなかったのは“赤”のセイバーが全身甲冑(フルプレート)に身を包む騎士であったことのみだ。

 

 仮に先の“黒”のセイバーの様に生身で攻撃を受けていれば、まず間違いなく昏倒していただろう。

 しかし意識の有無で状況が改善するとは限らない。地面に叩きつけられ、総身を襲う痺れに悶え苦しむ間もなく、“赤”のセイバーの目に映るは必死の刃。全身の力を乗せて、剣を突き立てに掛かる敵剣士の姿。

 

「あああああッ……!」

 

 身体が軋むのも構わず、声を張り上げて“黒”のセイバーが止めと放つ一撃を己が剣で横一文字に切り払う。

 左手を支えに、魔力放出も交えて放った緊急防御の手段は、位置関係、体勢の差から不利を強いられているにも関わらず、“黒”のセイバーを剣ごと弾き飛ばす。

 

「っ……!」

 

 砂煙を上げながら押し戻された“黒”のセイバーは一瞬、その表情に驚きを浮かべるものの、即座に剣を構え直し、正眼で立ち上がる“赤”のセイバーを見据え、“赤”のセイバーの方も呼吸を荒げ、よろけながらも瞳に強烈な敵意を浮かべたまま体勢を立て直した。

 

「……不味いな」

 

 一連の攻防を歯噛みしながら見守る獅子劫は我知らず呟く。

 戦いの状況は劣勢。徐々に、徐々に“赤”のセイバーが追い詰められつつあった。

 

 技量の差は向こうが一枚上回るが、魔力を放出する“赤”のセイバーの方が通常攻撃による殺傷能力が高い。

 よって純粋な能力値にのみ争点を置くのならば両者の差はそれほど離れていない。共に最優の冠を有するサーヴァント同士、差は歴然と言うほど隔絶してはいないはずなのだ。

 だからこそ、この差はやはり宝具と。

 

「……あの嬢ちゃんか」

 

 サングラス越しに獅子劫と目が合う。

 忌々し気にする獅子劫とは対照的に相変わらず少女は楽し気に笑いかけてくる。

 ここまで来るといっそ呆れるほどの余裕ぶりだ。

 

 とはいえ、あの少女然とした常識外れにいつまでも意識を割かれているわけにもいかないだろう。隙あらばあの少女の命を刈り取るチャンスを狙いつつも、獅子劫は間違いなく分析が苦手だろう、“赤”のセイバーに代わって、敵兵の脅威度を正確に測っていく。

 

「まず厄介なのがあの多少の攻撃じゃ小動もしない身体だな。全力で打ち込んでもかすり傷程度で済ませられるから防御を必要とせず、こっちの動作を無視して完全に攻撃一辺倒で来やがる」

 

 ルクスがいるため、完全に攻撃に振り切っているわけではないようだが、あの桁外れな耐久性があるからこそ“黒”のセイバーは構わず踏み込んでくる。

 そして絶えず攻勢に乗り出してくる相手を前にはどうしても防御や回避といった受けの行動に回らざるを得ないのだ。

 

 とはいえ受け一辺倒では状況が打破できるはずもなく、当然攻撃の隙間を掻い潜って反撃を“赤”のセイバーは繰り出す。

 しかしそのどれも、首に打ち込もうが、胸に打ち込もうが、悉くが弾かれてしまうのだ。

 この耐久性は間違いなく宝具であり、ルクスの言動から考えてその正体も明らかであった。

 

「ニーベルンゲンの歌に登場する竜殺しの大英雄ジークフリート。となると弱点は背中だけか」

 

 竜殺しのジークフリート。欧州を中心に広く叙事詩で語られた存在であり、十九世紀ごろに誕生した「楽劇王」の助けもあって西洋を中心に世界的な知名度を誇る紛れもない大英雄である。

 

 竜殺しの武功を立てたことにより獲得したという無敵の肉体は彼に様々な栄誉と栄光と、そして悲劇を齎したとされる。

 まさに円卓の騎士と同等以上に渡り合うのも納得の存在である。

 

 であれば伝承通り。その身は弱点たる背中を除けば無敵と呼ぶに相応しい耐久性能を有しているということだろう。

 この事実は同時にかの英雄の致命的な弱点もまた伝承通りという証明材料であるものの。

 

「言うは易く行うは難しってか。ありゃあ早々に背中を取らせてくれはしないだろうな……」

 

 回避も防御も必要としない“黒”のセイバーは常に正々堂々、正面から敵に構えてくる。そのため弱点を突こうにも簡単には背中に回らせてもらえない上、ルクスの存在もあるせいで、“黒”のセイバーは背後に対して、かなりの警戒心を上乗せしている。

 それが“黒”のセイバーが完全なる攻勢に移らない理由であり、今も劣勢を強いられつつも“赤”のセイバーが張り合えている理由である。

 

 そして無敵の身体という宝具に加えて厄介な要素がもう一つ。

 

「ッ──はッ──!」

 

 “黒”のセイバーが虚空に三つの軌跡を刻む。

 剣閃によって描かれる軌跡はあろうことか“黒”のセイバーが元来、持ち得るはずのない神秘なる智慧の術理。

 次の刹那に来るであろう攻撃に対して、“赤”のセイバーは忌々し気に吼えながら回避へと動く。

 

「チィ──ランサーモドキといい、あのわけわからん魔術師といい、同じ芸しか出来ねえのかテメエらッ!!」

 

 “赤”のセイバーの文句など知らぬとばかりに発動するはルーン魔術(・・・・・)。あろうことか魔術師の英霊(キャスター)でも魔術師でもない、よりにもよって剣の英雄(セイバー)がルーン魔術を使用する。それも原初のルーンなどという下手な魔術師の英雄をも凌ぐ常識外の術理を。

 

 虚空に刻まれるは何れも『(スリサズ)』。薔薇の棘を連想させるような短剣を生み出し、それらを殴りつけるようにして“赤”のセイバーへと投擲する。

 

 恐るべき三連暴投に“赤”のセイバーは迎撃と回避を交ぜ合わせて、魔術による攻撃を凌ぎ切るが、直後に飛び掛かってきた“黒”のセイバーの大剣を凌ぎ切れずに右肩の鎧装甲を粉砕され、浅く傷を負う。

 

「ッのやろ……! ッ!? く……!」

 

 反骨を叫ぶ“赤”のセイバーの顔面目掛け、無言のまま襲い掛かる“黒”のセイバーの掌底。見れば仄かに輝いており、明らかにルーン魔術で強化されている。ただでさえ高い膂力を有する“黒”のセイバーに高位の魔術の助けが伴えば、その威力は間違いなく“赤”のセイバーの頭蓋を破壊しうるだろう。

 

 直感的に身を屈め、掌底を回避し、更なる追撃を避けるために魔力放出を敢行。“黒”のセイバーの脇を潜る様にして“赤”のセイバーは弾丸じみた勢いで“黒”のセイバーの攻撃圏より逃れ出る。

 

 だが、逃れた“赤”のセイバーを襲うのは鋭い氷の礫、無数の刃、雹の嵐。ルーン魔術によって編み出された遠距離攻撃手段がこれでもかと言わんばかりに“赤”のセイバーを強襲する。

 それを“赤”のセイバーは赤雷で以て切り払うが、自らの雷の輝きによって一瞬視界を塞がれた“赤”のセイバーの隙を見切って、またも“黒”のセイバーが懐まで踏み込んできて──。

 

 剣術と魔術。二つを組み合わせた変則的な戦いぶり。絶えず間合いを支配するその様に獅子劫はより苦い顔を強める。

 

「……単純な強化じゃねえ。霊器……いや、霊格そのものに働きかけているのか。クソ、厄介なんてもんじゃねえぞそれは……!」

 

 英霊ジークフリート。少なくとも彼は魔術的な伝承を残す英霊ではない。ルーン魔術を揮う竜殺しの英雄は北欧神話のサガに登場する同じ竜殺しの英霊シグルドを語る伝承に登場する描写であり、そしてジークフリートとシグルドは同一の起源を持つ英雄であっても同一の存在ではないのだ。

 

 故に本来、あそこに在るのがジークフリートである以上、ルーン魔術など使えるはずがないのだ。にも拘わらず、あの英霊が我が身の技であると言わんばかりにルーン魔術を揮える理由は一つだけ、他ならないルクスの存在にある。

 

 曰く、神名接続(セイズマズル)。認識を通じて概念に接続するという未知の呪詛によって強化されたジークフリートは、今や大陸ゲルマン、北欧圏を中心に広く伝播されている「竜を殺した不死身の英雄」という伝承に接続されている。

 

 それ即ちあそこにいるのは『ニーベルンゲンの歌』に登場する英霊ジークフリートという存在などではなく、「竜を殺した不死身の英雄」という伝承の全てを包括した存在として一時的な霊器の増幅(ブースト)を受けているということだ。

 

「全く、滅茶苦茶にもほどがあるだろチクショウ!」

 

 お陰で今、“赤”のセイバーと相対する剣の英雄は、不死身の身体を有し、原初のルーンを揮い、大幅に切れ味(ナーゲルリング)(やど)した魔剣を携える怜悧な見た目を持った英雄王子として君臨している。

 

 イングランドで召喚されるアーサー王、ギリシャで召喚されるヘラクレスの様に、生前にも等しい霊威を持って“黒”のセイバーは猛威を振るう。

 

“少なくとも真っ当にやりあって勝てる相手じゃねえ。効果時間は分からんが少なくともあの嬢ちゃんの様に一瞬で効果を失う様子がない以上、それなりの効果時間があるということだからな”

 

 となれば、時間切れを狙うのは悪手だろう。それに戦いの天秤が既に向こうへと傾きつつある現状、耐え凌ぐだけの拮抗がこのまま続くとは限らない。“赤”のセイバーが奮戦しているモノの、流石に此処まで悪条件を突き付けられては手の施しようがないだろう。

 

 やがて来たる展開を嫌うならば何としても戦いの流れを変える必要があるだろう。そしてそのために必要な最も簡潔な手段と言えば一つだけ。

 獅子劫の視線が弓を構えたまま膠着する“赤”のアーチャーの方へと向く。出来れば友好的な関係のまま進めたいが、事ここに至ってはそんな甘えは通じまい。多少強引にでも状況を動かさねば詰むのはこちらだ。

 

「……アーチャー、お前さんに子供相手がキツいのはよく分かった。だからアンタはセイバーの奴を援護してやってくれ。あのお嬢ちゃんは俺がやる」

 

「ッ──いや、しかしッ!」

 

 その声掛けに“赤”のアーチャーはびくりと竦み、次いで拒絶するかのように首を振るが、彼女の心情に付き合える余裕はない。

 獅子劫は多少荒っぽくなろうとも言葉を続ける。

 

「よく見ろ! ありゃあ何の力も持たねえ無力なガキじゃねえ! 自分の意志で戦場に立ち、今も“黒”のセイバーを援護して戦う立派な魔術師()だ! 間違えるな、あいつは誰かの庇護を必要とする子供なんかじゃねえだろ!」

 

「……まあ酷いこと。どこからどう見ても幼気な少女じゃない?」

 

「どこが幼気だ! どこが!?」

 

 例によって言葉の途中に茶々を入れてくるルクスに思わず、勢いそのままツッコミを入れるが、この一連の余裕すら少女が無力ではないことの証明だろう。この状況下、命を狙われている現状で微笑むものなど尋常な精神強度じゃない。器はともかく、精神力という一面は既に子供の領域にはない。

 

「……戦えないならせめて引け。手を出すな。こいつらは俺たちだけでやる。文句も後で聞いてやる。それで満足しろ“赤”のアーチャー」

 

 最終勧告とばかりに獅子劫は“赤”のアーチャーに告ぐ。

 果たして──葛藤する“赤”のアーチャーは弓を下ろし、歯噛みする。

 

「……ッ……っくぅ──わかっ」

 

「『助けてくれないの? お姉ちゃん!!』」

 

 響き渡るは懇願する子供の声。

 身を切られる痛みで覚悟を固めた“赤”のアーチャーの意志を一瞬で折りに掛かる致命打が、空隙に叩き込まれた。

 

「ッッッ!!」

 

「……ッの、流石に趣味が悪いだろ嬢ちゃんッ!」

 

 流石の獅子劫も少女のやり口に言葉を荒げるが、当の少女はすまし顔のまま、やや感情の色を欠いた口調で淡々と言う。

 

「これは聖杯戦争でしょう? 貴方たちだって“黒”のセイバーの弱点を狙おうとしているじゃない? だったらこちらもそちらの弱点を突くだけよ」

 

「くっ……!」

 

 正論、だが此処まで徹底していると底知れない恐怖すら感じる。

 敵は天真爛漫な少女として振る舞いつつも、行動は全て的確だ。感情と理性を完全に切り離し、容赦なく勝つための手段を叩きつけてくる。

 そこに躊躇は一切ない。

 

「私ね、ライオンさんも、あっちで奮戦しているセイバーも、葛藤しているアーチャーも。みんな好きよ。その強さ、その輝きに敬意を持ってることに嘘偽りはないわ」

 

 そう言って微笑みかける少女の瞳はやはり敬意と好意が隠されることなく映っており、敵たるはずの“赤”の陣営に降り注がれている。

 だが(・・)しかし(・・・)

 

「ええ。だから、油断なんかしないわ。躊躇はしないし、迷いもしない。慢心なんて以ての外。そんなもの、敬愛する貴方たちに失礼にしかならないでしょう。なので尊敬の意も込めて私()徹底的にやらせてもらうの」

 

 本来、友好を示すはずの敬意や好意、尊敬がそのまま敵評に裏返る。英霊や敵魔術師に高い好感を覚えているから、それがそのまま容赦のなさに反転する。

 

「ホントッ……質が悪いな!」

 

「ふふ、御免あそばせ?」

 

 これが神代司る少女呪術師。

 現代を生きる魔女(ヴォルヴァ)の本性。

 

 容姿(すがた)変われど、性格(たましい)変われど、その本質は普遍かつ不変なれば、同じ起原が色濃く出たものとして方向性は自ずと似通う。

 たとえ魔術師でなくとも、彼ら彼女らは、彼ら彼女らという理由(だけ)であらゆる全てへの脅威と成り得るのだ。

 

 もはや考える猶予はない。

 このままやられるぐらいならば出来る全てを懸けて状況を覆さんと獅子劫は銃の引き金を振り絞る──。

 

 ──刹那、一陣の風が駆け抜ける。

 

「──そうかい。だったらこっちも容赦なくやらせてもらうぜ?」

 

「ッ、させん!」

 

 突風としか思えないほどのそれは、凄まじい勢いで“黒”のセイバーの背後に守られるようにして突貫する。

 ルクスに反応すら許さない壮絶な疾走はあわやルクスを貫きかねんと迫るがルクスの眼前数センチという所で“黒”のセイバーに止められる。

 

 危うく死にかけた──そんな状況にもかかわらずやはり少女は穏やかに笑いかける。

 

「流石、早い復帰ね? アキレウス?」

 

「ああ、嬢ちゃんのお陰で目ェさめたからな。こっから先は手加減も油断もできやしねえよ」

 

「そ。とっても怖いわね、それ」

 

「楽し気に言いやがるぜ」

 

 “赤”のライダー──俊足の英霊アキレウス。

 踵を貫かれ、無敵を失い、失速を味わったものの、それらは決して致命的ではない。弱点を貫かれた代償にサーヴァントとしての大幅な負荷(デバフ)と先にフレイヤの魅了を強引に引きちぎった影響で霊器に多大なる損傷を負っているモノの、そんなものは全て些事だ。

 

「ハッ、満身創痍からが英雄の花だろうがッ! なァァァ!!」

 

「く、おおおおおおッ!!」

 

 たかだかその程度(・・・・)、我が疾走を止めるに能わず。

 “赤”のライダーの気合を反映するかの如く槍技が怒涛に乱舞する。

 瞬きほどの間に二十七。

 壮絶な槍の嵐を“黒”のセイバーは見事に凌ぎ切る。

 

「忘れてんじゃねェェェェ!!!」

 

「ぬぅ、おおお!?」

 

 だが直後、赤雷と共に飛び込んでくるは叛逆の騎士。

 ルクスを守るためとはいえ、強引に振り切られた“赤”のセイバーは怒りと共に“黒”のセイバーを強襲。

 魔力放出を多分に込めた弾丸じみた一撃を正面から受け止め、堪らず“黒”のセイバーはたたらを踏む。

 

「そこォ!!」

 

 その隙に繰り出される、一閃の槍。

 “黒”のセイバーと言えどもこの予期せぬ怒涛の攻撃を前に防御も回避もすることが出来ず、さらに速度や無敵に制限が掛かったとはいえ、元より彼は大英雄。その身が揮う渾身技はたとえアキレス腱を射抜かれても変わることはなく。

 

「ぐぅぅぅぅぅぅ!!」

 

 “黒”のセイバーが吹き飛ばされる。

 空中に舞うは微かな鮮血。

 無敵を貫き、遂に“黒”のセイバーは手傷を負った。

 

「よーし、悪くない援護だったぜ“赤”のセイバー。そのまま援護は任せた。こいつはきっちり俺が仕留めてやる」

 

 得意げに槍を回しながら“赤”のライダーは調子よさげに言う。弱点を射抜かれ満身創痍となっているとは思えない程堂々たる様だった。

 しかし、その言動が癪に障ったのか、“赤”のセイバーが噛みつく。

 

「アァ!? 援護じゃねえオレが主力だ! 勝手に割って入ったのはそっちが先だろうが! 寧ろお前が援護しろ! オレがコイツをぶっ倒すッ!!」

 

「おいおい、さっきまで追い詰められてたやつが良く言うぜ、少しは感謝して欲しいんだがね?」

 

「まんまと踵射抜かれて動けなくなってたやつに言われたくねえよ」

 

「く、くは、ハハハハハ! 言うねェ! 全くそりゃそうだ! ならこっからは汚名返上といかせてもらおうか。つーわけで競争だ。貸し借りは無し、この場は先に倒した方のお陰ってのでどうよ?」

 

「……いいぜ乗ってやる。だが邪魔はすんじゃねえぞ。足が痛いなら引っ込んでろ」

 

「抜かせ、貴様こそ我が疾走に遅れるなよッ!」

 

 此処に、天秤が再び動いた。

 不死身の竜殺しに相対するは叛逆騎士と俊足の英雄。

 新たな参戦者に数的劣勢を“黒”のセイバーは強いられるが、彼の様子に変化はない。浅く吐息を吐きながら大剣を構える様は威風堂々。

 

 如何なる苦難、如何なる敵を前にも決して怯まず、打倒するという明確な意思がその眼に浮かんでいる。

 

「さあて、お礼参りといこうか」

 

「そのすまし顔をぶった切る!」

 

「……俺の役目は変わらない。まとめて斬り捨てる」

 

「「ハッ、やってみろォ!」」

 

 英雄たちが激突する。

 もやは魔術師の介在する余地はなく、英霊のみが立ち入ることが出来る聖杯を巡る戦争はより華々しく激烈に、新たな局面を迎えるのだ。

 

「形勢逆転……とまではいかなくとも状況は好転したか」

 

「そうね、流石は大英雄。足を射抜かれてからが本番なのがあの英雄の恐ろしさよねえ」

 

 怖いわーとルクスは続ける。

 大英雄アキレウスの復活。それを目の当たりにしても少女は変わらぬままだ。まるで動揺などない、全て予定調和だといいたげなその態度に流石の獅子劫も不気味さを覚えながら言葉を投げかける。

 

「清々しいぐらいに余裕だな嬢ちゃん。この程度は何でもないってか?」

 

「そういうわけじゃないわよ? ただメインステージの演者じゃないから気が楽っていうのはあるわね。どうあれこの場は大局に何の影響も及ぼさないもの。残念ながらね」

 

「あん? そりゃあどういう──」

 

 意味だ、と問いただそうとした時の事だった。

 魔力が濃くなる(・・・・・・・)

 

「ぐ、ご……おぇ……こいつ、は──」

 

第四世界観(ムスペルヘイム)……いえ第五世界観(ニヴルヘイム)ね。一気に随分と下げるなんて、やっぱり一筋縄ではいかないか」

 

 空を見上げながらルクスが独り言のように呟く。彼女の視線に釣られてみればいつの間にか青空は真冬を思わせる曇天へ。トゥリファスの街の外は極寒を凍土を思わせるあらゆる生命を許さない雪原と化していた。

 

「一瞬で、景色を……それにこの魔力の濃さは……」

 

「おおよそ循環魔力はこの惑星の十一世紀と同じぐらいじゃない? 貴方たち魔術師の感覚で言えばね。もう一段ぐらい落とすと神代に踏み込んじゃうからこの辺りまでが現代魔術師の生存圏ね」

 

 さらりと魔術師としての常識に当てはめればとんでもないことを口にしつつ、動揺する獅子劫を傍目にルクスは空を、次いで今も戦うサーヴァントたちを見る。

 彼らの激闘は今も激しく続いているものの、その激しさたるや先よりもより激烈なものとなっている。

 

 気づけば“赤”のセイバーの赤雷はマスターの魔力供給も殆どなしに桁違いの出力を発揮し、“赤”のライダーはその身のダメージにも拘わらず速さに磨きが掛かっている。そしてそれら両雄を相手取る“黒”のセイバーはよりいっそう強靭な肉体と魔術と剣に冴えが加わっており──。

 

 既に戦いの規模はサーヴァントの枠を超え始めていた。

 

「……やれやれ、こうなってくると魔力消費で勝負が決まるなんてつまらない結末にはなりそうにないわね」

 

 そう言ってルクスは初めて笑みを消して嘆息する。

 

 ──獅子劫は未だ悟っていないだろうが、今の世界、その視点における魔力濃度は既にサーヴァントが単独現界出来るほどの魔力濃度を誇っている。

 よってこの世界観では魔力消費でサーヴァントが形を失うなどあり得ない。それは同時にこの場でサーヴァントを打倒するには霊核を直接傷つけて倒すのが必須条件ということを示すのだ。

 

 だからルクスは疲れたように息を吐く。

 手早く済ませられるのなら、このまま“赤”の陣営を有耶無耶にやり過ごして撤退する選択肢もあったものの、呪詛の効果時間を考えれば何れ形勢は“黒”のセイバーの不利へと傾きうる。

 

 よって“赤”の陣営を引きつけつつ、適度に時間を稼ぎつつ、彼らをこの場に繋ぎとめるには。

 

「御免なさいね。やっぱり手抜きはいけないみたい」

 

 ルクスの視線が“赤”のアーチャーを射抜く。

 その視線、先ほどまでとは毛色の違う瞳に捉えられ、“赤”のアーチャーは初めて自身の理念からなる躊躇ではなく、言いようのない不安感から思わず弓矢を構える。

 しかし、ルクスは動揺も恐怖も、まして躊躇も抱かない。

 

 一歩、前に踏み出す。

 

「勘違いしないでくださいね。私は別にライオンさんが言う通り、悪い趣味を持ってるわけでも歪んだ楽しみを持ってるわけでもないの。ただ必要だから、勝つために、貴女たちを上回るにはそうするべきだと思ってるから、確実な手段を的確に実行しているだけなの、決して、そこだけは誤解しないでね?」

 

 目を開く、揺籃の様に、右目が輝く。

 

「ふふ、カウンセリングをしましょうか。“赤”のアーチャー、いいえ、ギリシャ神話の女狩人アタランテ」

 

「ッ……く、来る──」

 

 その、どうしようもない不吉に。

 獅子劫に言い募られても動くことのなかった弓弾く指が震えるように動こうとして。

 

 

 

「それじゃあ──その歪み(キズ)を切開しましょう。貴女自身と向き合うときよ、アタランテ」

 

 《望郷》の眼が啓く。

 合理を以て必要なことを必要な時に。

 敬愛するからこそ躊躇いは無し。

 

 ──聖杯戦争において英霊が名を隠すのは自らの武功を刻んだ伝承からその弱点を突かれないためにある。

 英霊アタランテの伝承に聖杯戦争における分かりやすい伝承は刻まれてはいないが、英霊アタランテを識れば、その弱点は自ずと見えてくる。

 

 初めに少女がアタランテの秘めたる祈りを口にしたこと。

 その意味を、決して軽視してはならなかったのだ。

 

「『アイリアーノス』」

 

 魔女の言葉によって鏡が起こる。

 英霊たるものの弱点を抉り取るために。

 此処に少女は神話を謳う。



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迷える者たちへ

『──ねえ、アーチャー。もしも、もしもの話ですけれど、私が此処で我が儘を言ったとしたら、貴方は付き合ってくれますか?』

 

 彼の力になりたいと、その一心で私は己のサーヴァントにユグドミレニアの魔術師ではなく、自分自身の祈りのために協力を乞うた。

 もしかしたら私の助力なんてなくたって、彼は一人で事を済ませられるのかもしれない、或いは余計なお世話になるかもしれない。

 

 けれど焦がれた《光》の背を見送って、何もせず何も成さずに立ち止まって、また置いていかれるのだけは嫌だった。

 

 だって、かつて私は逃げ出した。痛みに耐えかね、足の治癒を断念したあの時。私の願いに寄り添って、根気よく決して諦めずに付き合ってくれた彼に背を向けて、自分には無理だと立ち止まってしまった。

 

 その後悔は今も胸に残っている。

 

 もしもあの時、私が諦めずにいたら足は治っていたかもしれない。そうでなくとも挑戦しつくした果ての結論であったならば、譲れぬ願望を携え、昔と同じように彼と共にこの聖杯大戦で共に肩を並べ、戦えていたかもしれないのだ。

 

 でも、それは今になっては叶わぬ光景だ。

 立ち止まった私とは違い、彼は一人で駆け抜けた。幾多の死地、幾多の死線にその身を晒し、命を懸けて願いのために走り続けた。

 

 そして、今も走り続けている。戦略を練り、戦術を操り、敵陣営の秘密を暴き、状況をつぶさに観察し、的確な手を打ち続ける。

 聖杯大戦において一族を代表するサーヴァントのマスターという枠組みに留まらず、しっかりとユグドミレニアの主力たる魔術師として本気でこの戦に挑んでいるのだ。

 

 迷い惑い揺れに揺れ、今もこうして悩み続ける私なんかとは違って、彼は今この時も彼自身の意志と心でこの戦いに向き合っている。

 

 だからこそ今度こそはと、そう願って私は彼と同じ戦場に立つことを望んだのだ。今度は逃げ出さず、そして何より己の意志で、ユグドミレニアの魔術師としてではなく、聖杯に願いを託さんとする一人の人間として、戦う。

 

 そうすれば今度こそ後悔せずに済むと思って……。

 

 ──いや違う。結局のところ私が此処に居るのはそう難しい話ではないのだろう。ただ昔のように彼と話したかった、接したかった、笑い合って、共に一族の未来のために歩きたかった。

 言葉にすれば本当にそれだけ。魔術師としての責務、自らが抱える祈り、それらを置いてもただ昔日の日々を取り戻したかっただけ。

 

 そんな極めて俗な、およそ魔術師らしくない人間的な理由で私は彼の立つ戦場に赴いたのだ。

 心に決めたささやかな誓いのために。

 今度は一緒に戦うのだと胸に決めて。

 

 そして、そして……。

 

「────嘘」

 

 そして彼女は──フィオレは、現実を目の当たりにするのだった。

 あんまりにも断絶しすぎたアルドルとの道。

 後悔しながら立ち止まったフィオレと迷いなくに進み続けたアルドルとの間に築かれていた差。奇跡のような幻想が、無情な現実を叩きつける。

 

 ──それは神話であった。

 

 晴れわたり、澄みわたる空の群青。

 肌を撫でるそよ風は何処までも心地よく、草原の奏でる音楽は遥か彼方に忘れて来た懐かしき故郷を思い出させるよう。

 木陰で体を休める幻想種、楽し気に踊り舞う妖精たち、空と宙の境を飛ぶ竜。

 

 御伽噺の風景が現実に書き起こされている。

 此処は正しく神話の世界。

 かつてないほどに好循環を繰り返す魔術回路と、魔術師として培ってきた常識が信じがたい現実の直視と不信を繰り返す。

 

 あり得ない、あり得ない──だが、これが現実だと。

 

「……アルドル殿、貴方はこれほどまでに」

 

 ふと何処か呆然とするように、今まで一度も取り乱す素振りを見せてこなかったフィオレにとって頼もしきサーヴァント──“黒”のアーチャーが思わずと言った様子で言葉を紡ぐ。

 その声は微かに震えており、それがどれ程の動揺を覚えているかをこの上なく示していた。

 反射的にフィオレは目の前の真実から目を背けるように、答えを知る愚問をアーチャーに問う。

 

「あ、アーチャー……これは一体……?」

 

「──敵の宝具、という可能性もありますが……いえ、事ここに至れば憶測などという逃げ口上は止めるべきでしょうね。これはアルドル殿の魔術でしょう。如何なサーヴァントの宝具とて昨日今日でこれほどに大掛かりな魔術は用意できません。少なくとも数年、いいえ、数十年単位の用意があっても出来るかどうか、そのような類いの大儀式でしょうから」

 

「まさか、義兄さんの魔術なのか……? これが……?」

 

 険しい表情で頷く“黒”のアーチャー。

 そして彼の言葉に信じがたいと反応するカウレスはフィオレの胸中を言葉として形にする。

 

 ──ユグドミレニア最強の魔術師アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 あのダーニックすら惚れ込んだ、ユグドミレニア一族が誇る歴史史上間違いなく最高峰の才能を有する魔術師。

 幼少期より遥かな未来の景色を見据え、研鑽に研鑽を重ねて来たアルドルの成果。思えば初めて目の当たりにすることとなったアルドルの本気(・・)は余りにも度外れていた。

 

 言葉を失くす姉弟に“黒”のアーチャーが自らの見解を語る。

 

「流石にこうして見るだけでは魔術の詳細は掴めませんが、恐らくは土地と地脈を経由した魔術なのでしょうね。空想具現化……信じがたいことですが、今この瞬間、この場は紛れもなく一つの神話に彩られている」

 

「く、空想具現化……!? あり得ないだろ! 固有結界ならまだしも、幾ら義兄さんでも精霊の真似事だなんて……!」

 

「……そうですね。しかしどれ程認めがたくても目の前のこの光景こそが現実でしょう。ただ、より正確に言うならこれもまた空想具現化の亜種ですね。思い描いた幻想で現実を塗りつぶすのではなく、かつてあった幻想を呼び起こす……逆行運河、いえ、あくまで魔術の延長線上にある術理だというのならば『再現』の成せる術か。いずれにせよ規格外には違いありません」

 

「再現……」

 

 “黒”のアーチャーが語る見解は現実を目の当たりにした今でさえあり得ないと言いたくなるほどの荒唐無稽だ。

 現代魔術師にとっては非常識とさえ言い切っていい。

 

 だが、『再現』という単語を聞いてフィオレは何処か納得していた。

 

 再現、神話の再現。道は分かたれたとはいえ、フィオレはアルドルと共に魔術を共同研究していた身だ。アルドルの得意としている魔術は覚えているし、全容はともかく彼が昔から何を研究していたかも知っている。

 

 かつてフィオレに彼は語った。ユグドミレニアが祖の目指した風景に至りたい。夢を捨て去らざるを得なかったダーニックに代わり、ユグドミレニアに栄光と未来を齎すのだと。

 

 古くは北欧地域に地盤を置いていたユグドミレニアにとって、なるほどこの光景はユグドミレニアが目指した道の一つなのかもしれない。

 遥かな過去、断絶した神代の景色、北欧神話世界。

 アルドルが目指し続ける冠位指定(グランドオーダー)

 

 とりわけ古い魔術遺産の発掘や術式の再現に特化した技能を有するアルドルならば手間と労力を惜しむことなく使えば、このような光景に至るだろうと。彼を良く知るものの一人として理由のない確信を得る。

 

「では……アーチャー、これがアルドルの魔術だとして、彼は何のためにこれほど大掛かりな魔術を……? いえ、魔術を発動させた理由については“赤”の陣営やルーラーで説明を付けることが出来るんでしょうが……」

 

「そもそも何のためにこれほどの準備を行っていたか、という話ですね。確かに聖杯を獲るための準備というには些か規模が大きすぎます。これもまた予想の話ですが、これがアルドル殿の追い求める栄光の一環、と考えるべきなのでしょうね」

 

 フィオレの質問の意図を読み切ってアーチャーは丁寧な回答をする。

 自身の考察と今までのアルドルの言動。

 そこから組み上げた予想を開示した。

 

「マスターもご存じの通り聖杯……我々が勝ち取るべき願望器とは無限にも等しい魔力の源泉です。純粋無垢な魔力が満ちた無限の杯は願いや祈りを託せば原則、どのような願いも叶えることが出来る」

 

 そう、よって万能の願望器。

 それが聖杯。私たちが目指すべき勝利の証である。

 アーチャーは知識の復習を行いつつ本題に入る。

 

「ですが──如何な聖杯とはいえ叶えられる願いにも限度がある。特に方法論が存在しない願いに関しては特に」

 

「……あ、そうか。聖杯自体はあくまで無限に等しい純魔力の集積体だから、術者である魔術師本人が聖杯の使い方、願いを叶える方法を知らないと魔術が成立しないのか!」

 

「その通り」

 

 目敏く気づいたカウレスの言葉に“黒”のアーチャーが頷く。

 “黒”と“赤”の両陣営が追い求める万能の杯、聖杯。

 この高度な魔術式によって成立した術式の本質は内に秘めた無限にも等しい魔力量を以て、ありとあらゆる過程を超略して術者の願いを叶えるという面にある。

 

 よって聖杯とは万能の杯としてどのような願いであれ際限なく叶えることができるが、過程が確立していない願い……つまりどのような形であれ、理論的に成立している願いでなければ叶えることは出来ないのだ。

 

「そう、どのような形であれ、聖杯に祈りを託すのならば、その際に術者当人に明確な願いを成立させるための理論が必要となります。……これまた推測ですが、この大魔術こそがアルドル殿の願望、ユグドミレニアに栄光を齎すという願いを結実させるためのものなのではと考えます」

 

「アルドルの、願い……」

 

 “黒”のアーチャーの考察を聞きながら茫洋とフィオレは改めて眼下の景色を見る。

 トゥリファスの街を飲み込んだ異界の展望。

 この惑星を神代というテクスチャが覆っていた頃の風景。

 或いはユグドミレニアという一族が始まったとされる旧き北欧神話の時代。

 

 アルドルがダーニックの諦めたユグドミレニア元来の目指すべき地点を目標に突き進むというならば正にこの空想こそが到達地点と言えるのかもしれない。

 フィオレはまるで遠くの星を仰ぎ見るように彼の世界を眺めた。

 それはカウレスもまた同じであった。

 

 しかし──“黒”のアーチャーだけは違和感を覚えている。

 アルドルの願望を叶えるための過程。

 自らそう予測しておきながら彼は自らの言葉を疑った。

 

世界樹(ユグドラシル)の再現。アルドル殿の有する固有結界を大聖杯の力を以てより強固なものへと具現すると”

 

 なるほどこの光景は正しく“赤”の陣営との激突を終えた日の黎明に告げた言葉の通りだ。よもやこれほどの規模、これほどの術式を既に自力で達成するほどにまで完成度を高めていたとは予想だにしなかったものの彼は彼の語った通りに、事を進めている。

 

“だが、本当にこれがアルドル殿の言うユグドミレニアの栄光(・・・・・・・・・・)なのか?”

 

 魔術師にとって確かにこの光景は紛れもなく栄光といえるだろう。

 失われた神話世界の実現もそうだが、何より魔術師という生き物の生存原理、次代に悲願を託し続けた果ての結末という意味でも最高の形だと言える。

 

 先達(ダーニック)の目指した地点を継承者(アルドル)が叶える。それは間違いなくユグドミレニアという魔術家系が至る栄光の形だとも。

 

 だが──そう、だが。

 

“これではアルドル殿という卓越した魔術師(個人)に対する栄光にしかならない”

 

 “黒”のアーチャー……ケイローンが違和感を覚えたのはそこだ。確かにこの風景を大聖杯の力でより強固な形に押し上げれば、アルドルという到達点を生み出したという形でユグドミレニアには栄光が満ちるだろう。

 結局のところ魔術師という生命体は一つの到達点へと至るための土台に過ぎず、その目指した一つの到達点に至るというのならば、そこに至る道筋全てに栄光の光明は注ぐだろう。

 

 ユグドミレニアはアルドルという天才を生み出すために存在したのだと。それだけでも魔術世界にユグドミレニアの名は栄光のために伝わるだろうが……。

 それはアルドル・プレストーン・ユグドミレニアという人物を抜きに語った客観的な話である。

 

 彼が目指す栄光は別段、彼自身に帰結する必要がないもの。ユグドミレニアという一族(・・)が今後もこの魔術世界で輝くことを指して彼は栄光だと言っていたはずだ。

 でなくば、自らの一族に千年の繁栄をなどという台詞は口にするまい。

 

 そこまで考えてケイローンはふと思う。

 

「……まさか、この光景すら過程(・・)なのか」

 

 至った恐るべき考察にケイローンは言いようのない悪寒を覚えた。

 

 まさか、とは思う。

 自分でも信じがたい話だが、この風景、神代を再現するという魔法にも等しい奇跡の偉業。たったこれだけで現代魔術師たちからの称賛と憎悪を買うであろうこの成果ですら、彼が追い求めるというユグドミレニア一族の栄光へ至る過程の一つでしかないのではと。

 

 この予測が本当だとして、彼の目指す結末とは一体何なのか。

 神話の再現という奇跡すらも踏み台に齎す栄光とは一体?

 

 ケイローンはもはやアルドルという魔術師を侮りなどしない。彼は現代を生きる人間であり、ケイローンの生きた神代、ギリシャ神話世界の英雄たちと比べれば纏う神秘も魔力も劣る存在だが……その執念、その才能は紛れもなく本物だ。

 ともすれば嘗て育てて来た英雄たちにも負けず劣らず、こと魔術の才能に限って言うならば間違いなく今までケイローンが出会ってきた中でも最高クラスである。

 彼に勝る存在といえばケイローンの知識が届く限り、コルキスの王女ぐらいしか思い至らない。

 それほどまでにアルドルという魔術師は隔絶していた。

 

 であれば、それほどの天才が目指す地点はケイローンの想像すら及ばぬ領域である可能性も十分にある。

 ケイローンはあらためて眼下の景色を見る。

 

 彼方を征く竜種も、草原を駆ける幻想種たちも、木陰の妖精たちも。

 皆が皆生きている。

 作り物ではない、無機物有機物問わず時代を生きた者の記録を纏めて再現する規格外の魔術。

 

 ある意味では魔法以上の魔法といえる風景はケイローンからしても時代が巻き戻ったとしか思えない。

 正に空前にして絶後の改変である。

 

 ……だからこそ、彼は身近な変化に気づくのが遅れたのだ。

 アルドルの目指すユグドミレニアの栄光。

 その正体とは、既に身近で起こっていたということに。

 

「……あれ?」

 

 疑問符を鳴らしたのはカウレスだった。

 景色に見入るのもそこそこに、ふと気づいたと言わんばかりに彼は自らの両手を見下ろして、そのまま調子を確かめるかのように両手を握りしめ、放すという行為を繰り返す。

 

「カウレス? どうかしたの?」

 

「あ、姉ちゃん。いや、何か調子が……んん?」

 

 弟の不自然な様子に疑問を抱いたフィオレが問いを投げるが、それに対するカウレスの言葉は釈然としないものだ。自らも自らに起きた変調をいまいち読み取れないのか、不可解そうに首を傾げる。

 

「カウレス殿? どこか調子がおかしいのですか?」

 

「おかしいって言うか、逆かな。なんかやたらと調子がいいみたいなんだ。今気づいたけど、魔術回路の通りが良いっていうか……何だこれ」

 

「……ふむ」

 

 カウレスの言葉を聞いて、ケイローンはカウレスの様子を観察する。

 言われてみれば今のカウレスは確かに調子が良さげだ。

 外観から察するに魔力の生成量が増しているのだろう。普段のカウレスと見比べるまでもなく、今の彼を覆う魔力の気配は高まっており、それこそフィオレと何ら遜色のない……。

 

“────待て”

 

「──カウレス殿。少し様子を見させて貰っても構いませんか? 貴方の魔術回路と接触させていただきたいのですが」

 

「え? ……あ、いや、別にそこまでじゃ。悪いって感じじゃないし」

 

 ケイローンの提案に少しばかり渋い顔をするカウレス。

 魔術回路とは魔術師にとって生命線である。これを破壊されれば魔術は疎か、生命活動にすら支障を及ぼす場合がある。そのため魔術師にとって自らの魔術回路を他者につなげる行為は極めてハイリスクな行為なのだ。

 

 如何に信頼するに値する血の繋がりを持った姉のサーヴァントとはいえ、反射的に嫌悪が顔を出すのは仕方がないことだろう。

 

 対して渋る弟とは逆に姉の方はと言えば心配そうにケイローンを見る。何故ならこのような常識、ケイローンが知らないはずもなく、それを押して提案するということは、常識よりも優先せねばならぬ事情が発生したことを示していたから。

 

「ケイローン、カウレスに何かあったんですか? まさか……」

 

「いえ、悪い変化というわけではないでしょう。マスター、その点についてはご心配なさらずとも大丈夫ですよ。ただ少しばかり確かめたいことがあったのです」

 

「確かめたいこと?」

 

「ええ。恐らくは、アルドル殿が関わることです」

 

「……アルドルが?」

 

 思わぬ答えを聞いてフィオレが少し驚いたような反応をする。

 突如として弟に起こった変化に彼が関わっているとは思わなかったのだろう。

 

 だがカウレスの方はと言えば思い当たることでもあったのか、ケイローンの言葉を聞いて少しだけ合点が言ったように言葉を漏らす。

 

「あ……そういえば義兄さん、前に俺の魔術刻印に何か細工してたような……」

 

「それは本当? というかカウレス、それってかなり重要なことじゃ? そんな大事なこと今の今まで隠してたの?」

 

「い、いや隠してたわけじゃない。あの時は“赤”の陣営の奴らが攻め込んできてた最中だったし、義兄も急いでるみたいだったし、それに咄嗟のことだったから、忘れてて……」

 

「寧ろ、そっちの方が問題なんじゃないかしら?」

 

 ややジト目になりながら非難するような視線を向ける姉に対して、カウレスはしどろもどろになりつつ言い訳をする。

 確かに魔術刻印……フォルヴェッジではなくユグドミレニアのものとはいえ、仮にも魔術刻印と言える代物に何らかの細工を施されながらも今の今まで思考の外においていたのは魔術師としては落第も良い所だろう。

 

 如何な身内のアルドルとはいえ、自身に何らかの術を施したというのならば、当人に問いただすか自ら確かめるかと然るべき措置を取るのが当然である。

 にも拘らずこれまで特に何ら変化を与えてこなかったことと、あの接触自体、突然の出来事であったがため完全に記憶の隅から落としていた。

 

 魔術師として幾ら何でも迂闊すぎる……と自らの未熟をこんなところで直視する羽目になり、カウレスはチクチクと劣等感を刺激された。

 

 しかし姉はともかくケイローンの方はと言えばその言葉を聞いていっそ、考え込むようにして黙り込み、次いで改めてカウレスに提案をする。

 

「カウレス殿、その魔術刻印の件についても少し調べたいことが出来ました。できれば……」

 

「分かった分かったよ、元々俺の未熟だしな。このやたらと調子がいい感じも含めて、まとめて調べてくれ。頼めるか、アーチャー?」

 

「ええ。無論です」

 

 カウレスは降参するように両手を上げた後、そのまま手をケイローンの方へと向ける。

 それにケイローンは頷いて、差し出されたカウレスの手を握り、その魔術回路に接続する。

 

 カウレスの魔術回路の変調。

 アルドルが施したという魔術刻印への細工。

 神話の再現。ユグドミレニアの栄光。大聖杯。

 

 ……ケイローンの内で静かに組みあがっていく、アルドルがその胸の内に隠している展望。掴みかけた真実を確信するためにケイローンはカウレスの魔術回路に接続する。

 瞬間、自らに返ってくる走査の結果。三流魔術師と揶揄されたカウレスには見合わない、一流魔術師のものとしか思えない程の魔力精製率、循環量──そして、もう一つのあり得ない変化。

 

そういうことか(・・・・・・・)

 

 ──遂に全てを察した大賢者は戦慄と共に感嘆のため息を漏らす。

 千年樹(ユグドミレニア)に栄光を。

 なるほど、この方法であればユグドミレニアという一族は栄光と共に千年の繁栄を確立させ得るだろう。魔術協会も、聖堂教会も手が出せない、第三勢力として以後の魔術社会において独自の地位を築き上げるに違いない。

 

 だが、その発想、その過程。

 こと此処に至るまでの手段。

 大聖杯というものを除けば文字通り全てを自力で整えたアルドルに対してケイローンは呟いた。

 

「……貴方は何処まで見ていたのですか、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア」

 

 その誓いに偽りはなし。

 何処までも高く、何処までも遠く。

 賢者の視点すら凌駕してかの者は歩み往く。

 

 自らではどうしようもない悲願、自らではどうしようもない祈り、それら聖杯に縋らざるを得ない者たちが競い合う最中、ただ一人徹底して聖杯すらをも手段としか見做していない魔術師。

 

 用意が違う、願いが違う、熱量が違う、抱いた執念が違い過ぎる。

 よってかの者こそ聖杯大戦における最強の魔術師。

 

 孤高を貫く背を幻視し、ケイローンは初めて恐れを抱いた。

 

 

 

 

 アルドルという魔術師を指して、第三者が受ける印象は決まっている。

 即ちは〝常識外れ”という評価だ。

 

 神話に対する深い理解は元より古き神秘に簡単に手を伸ばし、掴み取って見せる様は普通の魔術師にとっては異質であり、驚異的なものに映るだろう。

 だが、実のところ本人──アルドルにとって掴み取る結果は常に当然のモノであり、謙遜でも卑下でもなく本当に大した偉業ではないのだ。

 

 その自己評価の理由は『視点』にある。そもそもアルドルにとっては神秘の探求とは五里霧中の果てに妄執と万感の思いを携えて手に入れるものではなく、識っている結果から逆算して到達するもの……明瞭な解答があると知った上で解く数式に他ならない。

 

 なるほどこの世界に生きる魔術師にとって精霊種に等しい英霊や、彼らが歴史に携えてきた伝説的な宝具、神話的存在というものは書物や伝聞でのみ存在する代物なのだろう。

 しかし、アルドルの場合は初めからそれらの存在を在るかどうか分からぬモノではなく、在るモノとして探求を進めているのだ。

 

 それは生来、独自の視点を持つアルドルならではの見識であり、故に彼にとって常に神秘も伝承も在るという結果から逆算して掴み取るものなのだ。

 言うなれば因果の逆転──結果が先にあり、そのための手段を考えることこそアルドルの魔術探求なのである。

 

 かつて彼とは異なる方向で〝常識外れ”とされた人形師はアルドルの事を指して「未来視における測定の視点に近いのだろう」と称した。

 その言は流石というべきかアルドルの特異性の一端に触れており、聞いた当時のアルドル当人は思わず苦笑したものだが、閑話休題。

 

 ともあれアルドルにとって全ては『結果』ありきの問題なのだ。

 彼が理想とする結果、彼が求める結果、彼が欲する結果。

 

 最初に答えがあって、そこに辿り着くために手段を考える。

 これこそがアルドルという魔術師の特異性だった。

 

 だからこそ聖杯大戦という結果が見えた彼にとって喫緊の課題である自己の強化。それに魔眼という手段を講じるのは至極当たり前の発想であった。

 『魔眼』──端的に言えばそれは見ることを利用した魔術である。

 多くは先天的に発露する異能として区分されるそれは、見たものを燃やす、視界の存在を捻じ曲げる、目を合わせたものの動きを止めるなど、複雑な過程を抜きにただ見ただけで干渉する単純なれど強力な魔術だ。

 

 また『魔眼』の特性として眼球自体が魔術回路となっているようなものなので、先天的に持たなくとも後から移植することも可能ということもまた手っ取り早い自己強化の手段として魅力的な点であろう。

 魔眼のリスクも特性もアルドルは十二分以上に承知していたし、何より獲得するために手段が彼の基準ではかなり簡単であったのも大きかった。

 

 何せ質や特性自体は運任せだが、『魔眼』を手に入れるだけならば当時時計塔に所属していたアルドルにとって極めて容易いことであった。

 これに関しては結果どころか手段までをも最初から識っている。

 

 存在自体はメジャーでも、モノ自体は希少な『魔眼』。

 それらを取引する場所の存在をアルドルは既に知っていた。

 

 よって彼は懇意であったカルマグリフ──時計塔が君主(ロード)の伝手を頼って会場に潜り込み、ユグドミレニアの資産を以て『魔眼』を買い付けるだけの、文字通り簡単な買い物を行う。

 その成果こそ、アルドルの右目。

 工房を接続する回路として利用する《望郷の魔眼》である。

 

 有する異能は端的に「ものの起源を観測すること」。

 死を直視する魔眼ほどではないが、古い神秘を突き止めることを旨とするアルドルにこれ以上ない魔眼であった。何せ少なくともこれがあったからこそ彼はユグドラシルの枯れ枝を正しく利用できたし、自己観測と神名接続によって元型(アーキタイプ)を見出すことが出来たのだ。

 

 結果を識る魔術師に、存在起源を辿る魔眼。

 この二つの視界を有するからこそ彼は誰よりも古き神秘に通じることが出来たのだ。

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニアにとって最大の武器とは誰よりも深く識り、誰よりも深く見て、それ故に誰よりも雄弁に語れることにある。

 そう──その一点に関しては、彼は下手な詩人をも上回るのだ。

 

 

 

『アイリアーノス』

 

 

 

 ──気づけば、懐かしの森に居た。

 思考は何処かボンヤリと、まるで他人事のように彼女は過去の一幕を直視する。

 

 少女がいる。

 

 身なりは気にしない性質なのか、まだ幼い顔立ちの少女の身なりは貧相でぼろ布で最低限、身体を隠す程度で、泥に汚れた横顔や碌に手入れもされていないだろう髪の毛からも少女が見た目に頓着しない、或いはできない存在であるのは間違いないだろう。

 ただ少女は美しかった。

 存在を飾る装飾品こそ無粋とばかりにただ在るがままに美しい。

 

 彼女の名前はアタランテ。

 

 父母に見捨てられ、それを憐れんだ女神アルテミスによって命を拾った野生の嬰児。望む望まないを置いて弱肉強食を生きることを強制された子供である。

 

 彼女は弓を弾いている。であればこれは恐らく狩りだろう。

 生きるためには肉がいる。

 果実や魚だけでは人間の肉体を維持するタンパク質が足りない。

 

 肉食動物が狩猟によって糧を得るのと同じく、彼女もまた弓という彼女にとっての牙を使って、得物を求めている。

 

 何を狙っているのか。

 そう、視界を動かしてみれば。

 

「あ……」

 

 猪の子供であった。

 少し先を歩く母親の姿を数匹の子猪がひょこひょこと追いかける姿は愛らしく。平時の人間らしい感性があれば微笑ましく見送るような光景だ。

 だが。

 

 射る射る射る──殺す。

 

 ものの五秒で小さな幼い命は簡単に散った。

 突然の出来事に母猪が呆然としている。

 植物や虫と異なり、ある程度の知性を有する動物には人間ほどではないにせよキチンと情が備わっている。故に動きが止まる。愛する子供たちの命が唐突に散らされたことによって母猪の警戒心が完全にかき消えた。故に──。

 

「フッ──!」

 

 射──命中。

 

 最低限の労力と最大効率で殺し合いにすら持ち込ませず、狩人は美しいほどに無駄がない狩りを終わらせたのだった。

 

「……今日は大量だな」

 

 微かに、口元を綻ばせて少女が言う。

 それを彼女は他人事のように直視して──。

 

 

『人間じゃなければ随分とあっさり子供を殺すのね』

 

 

 えーんえんえん

 えーんえんえん

 

 嘆きの声がこだまする。

 女たちの声であった。

 

 彼女たちの前にあるのは惨たらしい程に晒された首。

 まだ若い顔立ちの男たちであった。

 その死に顔は皆、恐怖と絶望に歪んでおり、そんな若い男たちの亡骸を前に女たちが嘆いている。恐らくはこの若者たちの母親や近親に当たる存在なのだろう。

 

 無惨な息子家族の姿に悲痛な泣き声を上げている。

 

「あ……ぁ……」

 

 覚えがある。覚えがあるということは彼女はこの光景を知っている。

 これは、ああ、これは……。

 

 

 

『当時の倫理観に否を唱える傲慢さは無いけれど、求婚者皆殺しはやり過ぎなんじゃない?』

 

 

 

 ──その矛盾は現代の医学的な知見においては愛着障害と呼ばれるものの一種なのだろう。

 或いは願いの自己投影ともいうべきか。

 

 子供は無償に愛されるべき。

 

 それは彼女にとって願望であり、祈りであり、歪みだ。

 愛されたかったのに愛されなかった。

 そんな己の不遇をせめて他人には当てはまらない様にと。

 

 だから彼女は子供を愛する。だから彼女は子供を慈しむ。

 彼らが父母からの愛を正しく受け取り生きることを望む。

 

 だが、彼女は弱肉強食を生きた者。

 愛が在ることを知っていても愛の何たるかを知らないモノ。

 故に、故に。

 

 

 

『幼く、無垢で、愛しい存在以外は守るべき存在ではないのね』

 

 

 

 ──……霧が覆う街の中を女が足早に歩いている。

 何かから逃げているのかその顔には焦りがあった。

 背には小柄な一つの影。

 恐らくは十代と思われる白髪の少女だ。

 

 子供だ。

 

 怪我をしているのか苦し気に顔を歪めながら母の存在を求める姿はこの上なく痛ましい。

 

〝──……ねぇねぇおかあさん。また、ピアノ、聞きたい”

 

〝──……分かったわ、何とかしてあげる”

 

 痛みから目を背けるように口ずさむのはささやかな我が儘。

 それを困ったように、けれど本当に愛おしいとばかりに微笑みかける様は正に彼女が祈る母が子を慈しむ場面そのもので。

 

「……ちが、止めてくれ……! 私は……!」

 

 それを……己は上から見下ろしている。

 見晴らしのいい高台、得物に気取られない位置。

 弓兵が狩り(・・)をするのに最も適した。

 

 不意に、眼下に見下ろす女……母親と視線が合う。

 諦めるような、嘆くような、それでいて、祈るような。

 

 矢が放たれる。

 

〝──……おかあ、さん……?”

 

〝私がいなくても、あなたは大丈夫……■■■■”

 

〝やだ、だめ、だめだよ、おかあさん! だめ、だめ、だめ……!!”

 

 母は子を庇い、子は母の死に涙している。

 

 理由は分からない、過程は分からない。

 記憶には、こんな光景、欠片もない。

 

 けれど、この手ごたえは、このやり方は、この狩猟方法は。

 

 

 

『子供は良くて、母親(おとな)はどうでもいいのね──なんて、偽善。結局のところ貴女は貴女がそうなりたかった願望を外に押し付けているだけでホントは子供を愛してなんかいないんじゃないのかしら。そうじゃなければたとえ敵でも、割り切って殺すなんてとてもとても』

 

「違う! 私はッ!! 私は本当に、全ての子供たちが愛される世界をッ……!!」

 

 否定する。

 そうだ、嘘ではない、嘘ではない、嘘ではない!

 私は真実、子どもたちを愛している。

 彼らの誰一人、不幸にならずに慈しまれる世界を望んている。

 

 そうなるように望んだ、そうなるように走った。

 それが英霊アタランテの願望。

 英雄として走り抜けても足らず、その欠落を埋めるために聖杯を……!

 

 

 

『ふ、ふふ、うふふふふふふふふふふふ……』

 

『嘘つき』

 

『貴女は、愛なんて知らないじゃない』

 

「……………………………………………ぁ」

 

 

 ──記憶(ノイズ)(はし)る。

 

 泣いている。泣いている。泣いている。

 まだ幼い赤子が一人泣いている。

 

 それに背を向け歩き出す男。

 

〝まって、まって……! おいていかないで!”

 

 短い手足をジタバタとさせて、その背中に手を伸ばす。

 泣いて叫んで懇願する。

 振り返って、抱きしめて──あいして。

 

 男が微かに振り返る。

 冷めた眼で赤子を一瞥し、たった一言。

 

 

〝女は要らぬ”

 

 

『だって──貴女は誰にも一度も愛されなかったんですもの』

 

 

 誰よりも深く識り、誰よりも深く見て、それ故に誰よりも雄弁に語れる。

 それ即ちは語り部、詩人の技である。

 古今東西、英雄にとって最大の鬼門たる存在は不死身の怪物でも、恐るべき竜でもない。

 

 時に英雄の雄姿を民衆に語り、時に英雄の疵を声高に叫ぶ。

 言の葉を操る彼らは武力ではなく、風聞という情報で以て人を殺す。

 よって弁舌、彼らの言葉は時として聖剣魔剣よりも遥かに質が悪い。

 

 何処までも自由に、恣意的に、面白おかしく。

 現実を捻じ曲げて物語を語るのだ。

 

 そう彼らこそが……言葉を武器とする彼らこそが。

 

 

「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 

 英雄殺しなのだ。




《望郷の魔眼》

感想欄で既にコソッと語ったアルドル君の右目。
『黄金』に位置づけされる魔眼。
その特性は「物事の起源を視る」というものだが、これは今ある形から起原にまで辿って行ってそのものを観測するという過程を得るため、一目この目で一瞥した瞬間から起原から始まる目の前のモノの足跡を瞬時に読み取る。

言ってしまえばあらゆる事象を一つの大河小説として読み取る魔眼。
最大性能を発揮すると人間の脳では処理しきれない情報量が流れ込むため、前の所有者は《オークション》に流したようだが、何故かアルドル君は相性が良かったのかその情報量を捌き切れるかつ使いこなすことが可能、ナンデヤロナー。

存在そのものを読み取ってるので、人間に使えば起源から始まる終着や衝動、性格は勿論こと辿った人生や心理描写、感情のうねりまで汲み取るので、愉悦部がまともに運用すると酷いことになる。

現在は工房に紐づく魔術として使用法は解析や接続という装置としての役割に落ち着いているが、対人の魔眼として使うと作中の通り。

どうでもいいけどルクスちゃんは多分ドSだと思いました、まる


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交錯する英雄譚

 ──それは古に謳われる英雄譚だった。

 

「「ッ────!!!」」

 

 声にならない絶叫。

 剣と槍が凄絶な激突を繰り返す。

 神話世界へと激変したトゥリファスの中心で二つの影は絶え間なく交錯する。

 

 相対する影──その片翼を担う“黒”のセイバーは圧倒的だった。

 

 元より竜殺しの大英雄。

 ニーベルンゲンに語り継がれる不死身の剣士。

 

 邪竜ファブニールを神の加護もなく手持ちの魔剣とその技量のみにて撃破してみせた実力は疑うべくもなく、英雄となってからは肉体は邪竜の返り血で不死身となっている。

 ならばこその無敵。超絶技巧の剣士が最堅の鎧を纏って切りかかって来る状況は正しく絶望としか言いようがあるまい。

 

 加えてマスター代行を謳う少女の存在によって今や彼は英雄叙事詩の枠組みを超え、人類史に刻まれる『不死身の身体を持つ竜殺しの英雄』という広義的側面を持つ存在にまで昇華されているのだ。

 

 振るうは絶技、纏うは無敵。

 それに加わるは切れ味を増す魔剣に、魔術の英知。

 正に誰もが想像する負けずの英雄が現実に映し出されている。

 

 大瀑布も斯くやと言わんばかりの一撃が繰り返される様は悪夢としか言いようがないだろう。

 想像するだに恐ろしい現実が此処に顕現する。

 

 しかし──それを返すは神速の旋風。

 

 剛力無双を体現する剣技を超高速の槍技が押し返す。

 眼前の猛威を前に恐怖どころか寧ろ至上の歓喜もて“赤”のライダーは正面堂々と向かい合い続ける。

 

「くっ、は、はは……! ハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 剣士より繰り出される一撃はどれもこれもが一撃必殺。

 少女の姦計によって神の加護を失った今の“赤”のライダーにとっては絶対に受けてはならない攻撃だ。

 死の存在はそれこそ末期に感じた喪失の冷たさに等しく、背筋を撫でる悪寒は嘗て類を見ない程に身を凍らせる。

 

 だが、それを上回る胸の熱が、今やこの身に満ちていた。

 

「そうだ……! これだッ! 俺はこれを求めていたッ!!」

 

 打倒不可能を思わせる難敵。

 必死不可避の絶体絶命。

 出口の見えない袋小路。

 

 希望のない命の綱渡り。

 絶望としか言えない場面に、しかして“赤”のライダーは歓喜する。

 

 ……“赤”のライダーに大聖杯に賭ける大望はない。

 元より彼が持つ望みは英雄として相応しくあること。

 それは生き様であり、在り方である。

 願いを叶える杯に託すものではなく、自らが体現するモノ。

 

 故にこそ彼は聖杯大戦に参じた。

 英雄としての己を望む声を英雄(おのれ)は決して裏切らないから。

 だが、彼は別段無欲な存在ではない。

 

 求める声を拒まないという一点においては、施しの聖者と呼ばれる“赤”のランサーに似たところがあるものの、“赤”のライダーは自らが我欲まみれであることを自覚している。

 英雄として刹那の生を駆け抜けるからには人生は彩りに満ちていた方がいい。生来の無敵や偉大なる教師の下で培った力や技巧をただただ弱兵に振り下ろすだけの戦など花が欠けるにも程があるだろう。

 

 語り継がれる英雄譚は誰よりも煌びやかでなければつまらない。

 よって男は求めた。

 難敵を、強敵を。

 自らが全力を振るって尚、砕けぬ敵手の存在を。

 

 そして、願いは此処に顕現する。

 

「ハハハハハハ!! 強い! 強いな“黒”のセイバー! 我が槍技、我が研鑽、我が全力を以てしてもお前は倒れない! 素晴らしい! これこそが俺の求めていたものだ! ご照覧あれ、オリュンポスの神々よ! この難業、この絶望! 我は今こそこれを覆し、新たな英雄譚を築き上げようッ!!」

 

「──づ、ぁああああ!」

 

 激突するたび、衝突するたびに加速度的に勢いを増していく一合。

 威力においては“黒”のセイバーが圧倒的であるものの、速度においてはやはり“赤”のライダーが一歩上回る。

 例え弱点を突かれ、本来の速力が出せなくなったとしても彼こそは世界最速を謳う大英雄。今や眼前に控える強敵を前に過去類を見ない程に高揚する精神は肉体的な負荷など当の昔に超越している。

 

 嘗てない程に冴えわたる槍技が手数の暴力で無敵の剣を押し返す。

 永遠を思わせるような拮抗。

 両者は互いの強みで以て、死闘の天秤を均衡させる。

 

 完全なる互角の均衡はしかし。

 

「無視してんじゃねえぞ! 仏頂面ッ!」

 

「……くっ!」

 

 鎬を削る舞踏に奔る赤き閃光。

 一合ごとに発生する僅かな呼吸の間隙を縫ってもう一つの脅威が“黒”の剣士に襲い掛かる。

 まるで猟犬が僅かな隙をかぎ分けて襲い掛かってくるように、“赤”のセイバーはほんの僅かな隙とも呼べない間に自身の凶剣をねじ込んだ。

 

 それに対して“黒”のセイバーは最小の動きで攻撃をいなす。自らの身の下に隠すようにして下段から切り上げる“赤”のセイバーの切り上げを手すきの片腕で捌き切る。

 凶剣を弾くは“黒”のセイバーの肘打ち。

 切り上げてくる剣に対し、自ら当たりに行くように打撃を振るうことで剣の勢いを減退させ、無敵の肉体で刃を弾き飛ばす。

 

 素の肉体能力が高いからこそ成せる最適解。

 何より“黒”の剣士はそれを“赤”のライダーから視線を逸らさぬままに、経験則と直感のみでやってのけたのだ。

 恐るべきは一瞬の判断の速さ。場面ごとの取捨選択が的確かつ早い。

 竜殺しという格上殺しを成すにはその程度は出来て当然と言わんばかりの行動であったが──最適解が常に正解だとは限らない。

 

 最善手という手を指して尚、悪化する状況というものが無情にも現実には存在しているのだから。

 

動いたな(・・・・)ッ!」

 

「く……!」

 

 その意図するところが次瞬、自身を直撃する。

 絶妙なタイミングで予定に含まれていなかった行動を強制された“黒”のセイバーは“赤”のライダーの猛攻に対して一瞬の対応を留めた。

 そして──その一瞬の隙をこそ“赤”のライダーは食い破る。

 

 間を通り越して僅かに出来た間隙。

 “赤”のセイバーが広げたそこに“赤”のライダーの槍が強襲する。

 

 肩口を刃が抉る。

 傷は出来ず、血も流れない。

 だが衝撃は発生する。

 

 力に押されて一歩、“黒”のセイバーが後退する。

 ならばそのような状態、“赤”のセイバーが見逃すはずもなく。

 

「オラァ!!」

 

「……ッ!」

 

 赤雷を纏いながらの飛び蹴り。

 魔力放出の効果で弾丸じみた勢いのまま飛び込んでくる“赤”のセイバーの一撃で“黒”のセイバーは更なる後退を強制させられた。

 

 ──“赤”のセイバー。

 その脅威性は大英雄ら二人に比べれば脅威は一枚落ちると言っていい。

 

 アーサー王の伝説に語られる円卓の騎士という身分も、伝説の主役に致命的な一撃を与えたという功績も凡百の英雄にはない逸話ではある。

 知名度も能力も決して並のモノではなく、寧ろ英雄の中でも上位に位置する戦闘能力を有しているだろう。

 

 だが比べる相手は英雄の中でも最上位の存在。

 純粋な総合戦闘能力においては二人に対して僅かに劣っていた。

 されど劣っているから脅威足り得ないなどとはならない。

 

 寧ろ敵に劣るからこそ戦場の優位をかぎ分ける嗅覚は鋭さを増しており、拮抗する天秤を誰よりも巧みに崩しに掛かる。

 元より格上殺し、絢爛たる円卓崩壊の引き金を引いた剣士である。こと破滅の引き金を引くことに関してはこの場の誰より巧みと言っていい。

 

 状況は二対一。数的優勢は“赤”に確保されている。

 手数の脅威を全面に押し出していけば均衡の傾きは容易に崩せる。

 相手が如何に優れた剣士とて手足は二本で、頭は一つ。

 反応できても対応できないという状況は必ず生じる。

 

 そして“赤”の剣士はそういった隙を決して見逃さない。

 戦場で築き上げた殺人術は対人において無視できない脅威となるのだ。

 

 徐々に、“黒”のセイバーは不利へ追いやられていく。

 

“分かっていたことだが、やはり数か”

 

 鉄面皮の下で不利を自覚しながら、冷徹な思考で“黒”のセイバーは思考する。

 

 少女の強化は成程、“黒”のセイバーに多大な加護を与えている。

 ……大英雄を前に控えながら、優れた剣士に対応しつつ、護衛対象の安全を確保する。言葉にすれば呆れるほどの三重苦を、それでも現状行えているのは少女の援護があってこそだ。

 流石の大英雄の実力を以てしても素面でこの難業を行うことは出来ない。

 

 とはいえ如何に強化されていても身一つだ。

 ただでさえ尋常ならざる手数を物とする“赤”のライダーに加えて、もう一騎サーヴァントを相手取るなどという状況は長々と演じられるものではない。

 

 或いは己が物量を武器とする英霊であるならば多対一も可能であったのかもしれないが、剣士である己は戦闘を得手としても戦争を得手とするわけではない。

 数の差という単純な差は単純であるが故に埋めがたい明確な差として、“黒”のセイバーに降りかかっているのだ。

 

 さらに現状を支えるこの強化。これにも時間制限がある。

 ルクスに曰く、無関係を繋ぎ合わせるならば数秒。

 英雄譚の主役という本家本元を支えるにしても十分。

 

 それが神名接続(セイズマズル)の限界時間だという。

 

 戦端が開かれてから既に経過は五分を切っている。

 天秤が瓦解するのは遠い話ではない。

 数の不利、時間の制限……何を取っても余裕はない。

 剣士として相対する限り、“黒”のセイバーの負けは見えている。

 

「…………」

 

 刹那、危険を承知でマスター代行たる少女に視線を送る。

 言葉は無い。

 ただこちらに気づいた少女は笑みを返してみせた。

 

 余裕か或いはそう見せかけただけの強がりか。

 いいや、そうではないだろう。

 接触は短いものの、言動から見受けられる彼女の気質は現実主義者。不利を自覚すれば当たり前に逃亡か、他力を乞える人格の持ち主だ。

 

 戦闘能力こそ殆ど皆無だが、戦況判断に関しては“黒”のセイバーをして躊躇いなく託せる程度には優れている。

 そんな彼女がこの不利を悟れぬはずもなく。

 

“──手はある、ということか”

 

 何をするのかは知らない。

 それでも“黒”のセイバーは何かあると判断した。

 

 少女は言った。

 この戦はあくまで時間稼ぎだと。

 本命から目を逸らすための足止めに過ぎないと。

 

 その一方でこうも言った。

 想定以上の成果を出す、と。

 

 この戦場はいつでも撤退を選べる戦場だ。

 少女にとって数的不利は予想外のモノでこの状況も想定にはなかったものだろう。その上で未だ戦場に立っているということは成果を出すためのカードがまだ残っていることを意味している。

 

 少なくとも“黒”のセイバーはそう判断した。

 ならば己が為すべきことは少女が作るであろう成果を出すに値する状況を見逃さないよう構えることであり、それを為すまでの時間を作ること。

 

“……皮肉な話だ”

 

 そこまで考えて思わず自嘲する。

 マスターとサーヴァント。

 その関係がこれ以上となく理想とする戦い方を“黒”のセイバーはマスターの代行たる存在と演じている。

 マスターではない存在を『信頼』する己を“黒”のセイバーは皮肉と笑う。

 

「……ならばこそ剣士であることを捨てるに相応しい、ということか」

 

「あん? 何を言って……」

 

 珍しく口を開いた“黒”のセイバーに対し、訝しむ“赤”のライダー。

 それに答えを返すことなく、“黒”のセイバーは強引に切り払いを放ちながら大きく後方へと跳躍した。

 

「てめ、いきなり口を開いたと思ったら……!」

 

「“我が眼前に勝利ありき”」

 

「ッ!!」

 

 そして手にするは生前は持たぬ魔術の技。

 問答無用と“黒”のセイバーは中空に『勝利(テュール)』の(ルーン)を刻んで解き放つ。

 

 現代魔術など及びもつかぬ原初のルーンによって効果を発揮するそれは熱線となって“赤”のライダーへ殺到する。

 流石の反射神経で“赤”のライダーは熱線を完璧に避けてみせるが、魔術は五月雨の如く、繰り出され、“赤”のライダーに間合いを詰めさせない。

 

「ハッ、剣術に自信喪失かよッ!」

 

 戦術を切り替え、魔術頼りに堕した“黒”のセイバーを嘲笑うかの如く“赤”のセイバーが突進する。

 相手が原初のルーンの使い手とあっては流石の対魔力も十分に機能しないものの、それでも減退はする。

 故に自身の対魔力性に魔力放出の赤雷を併用しながら真正面から“赤”のセイバーは熱線の雨を簡単に攻略してみせた。

 

 作り出した敵手との間合いはあっという間に詰まる。

 しかし──この攻防の意味はそこにはない。

 魔術を使ったのは意表を突くためでも、剣技を諦めたからでもない。

 

 無敵を失った大英雄と、魔力に高い耐性を持つ剣士。

 これら二つに対して魔術を放てばどうなるか。

 現実はこの通り、前者は回避し、後者は飛び込んできた。

 

「……俺は人間同士の戦争に特別通じているわけではないが、それでも基本程度ならば弁えている」

 

「そうかよ、その結果が陰気くせぇ魔術師共の技か? 下らねえ」

 

「否、そうではない。数的劣勢に陥った時の基本の話だ。……弱い敵から確実に討つ。ただそれだけだ」

 

「ッ! 貴様──!!」

 

 その言葉に激昂する“赤”のセイバー。

 果たして挑発を意図していたかはともかくとして見下しているとさえ受け取れる言葉に“赤”のセイバーは激情と共に凶剣を“黒”のセイバーに叩きつけようとして……黄昏の光を前に冷や水を掛けられたように冷静さを取り戻す。

 

「宝具──!?」

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 

 “黒”のセイバーの魔剣に翠光が宿る。

 真名解放により真エーテルを貯蔵する宝玉から魔剣に黄昏の剣気が充填される。

 

 竜殺しの魔剣が“赤”のセイバー目掛けて、その真髄を発揮した。

 

「ぐっ、オオオオオオオオ!?」

 

 怒りも忘れて“赤”のセイバーは全力で回避行動を取った。

 英霊が切り札とする宝具。

 防御に関して突出した宝具を持たない“赤”のセイバーにとって直撃は余りにも致命的である。

 

 開戦以来、最も死を間近に感じ取りながら、しかし“赤”のセイバーは距離を取って何とか迫る必死を躱してみせた。

 

「チッ、驚かせやがって……! だがこれで……ッ?!」

 

 崩れた態勢を立て直し、剣を構えて再び相対する“赤”のセイバー。強気な笑みはしかし再び目の当たりにする黄昏の輝きに凍る。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 

 宝具の連続使用。

 それは先の戦にて“黒”のキャスターを前に“赤”のセイバーが使った手であるが、よもや此処に至って同じ手を敵側に使われることは想定外である。

 直撃すれば絶滅不可避の脅威が“赤”のセイバーを襲う。

 

「舐めんな! そんな大振り当たるかよ!!」

 

 躱す。不意打ち気味に放たれた初撃とは異なり、次弾は見て回避するだけの余裕があった。

 流石に宝具の二連射は想定外だったものの、それでも分かっていれば避けられる。“赤”のセイバーは再びその生を確保するが、しかし(・・・)

 魔剣を満たす、三度目の輝き。

 

「てめ、ふざけ──!?」

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 

 掟破りの宝具三連目。

 抗議の怒号が黄昏の光にかき消される。

 

 ……マスターの魔力次第で宝具の連続使用は可能だろう。“赤”のセイバーは知る由もないが“黒”のセイバーの宝具、竜殺しの幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)は威力に対して魔力消費量が多くないことが強みだ。

 

 優れたマスターによる潤沢な魔力供給があれば、こういった宝具の連続使用はれっきとした戦術として選択可能なものである。

 

 だが──今の“黒”のセイバーにはそれだけでは済まされない事情があった。

 他ならぬ神名接続(セイズマズル)による強化である。

 

 サーヴァント、ひいては英霊という存在は歴史に刻まれるほどの功績を為した人物が人々の願いに応じて顕現した存在……いわゆる境界記録帯(ゴーストライナー)である。

 

 そのため英雄当人ではなく、彼らはあくまで英雄の影として呼び出される。

 故に状況次第で能力に制限が設けられてしまう限界点が存在していた。

 

 知名度補正などその最たるものだろう。

 人々の存在と認識によって初めて現世に繋ぎとめられる彼らはそれ故強さを人々の存在と認識に左右されてしまう。

 よって英霊は強力な存在であるものの……例えば神代。神秘を当然の様に振るうことが許された、自らの全盛期と比べれば、弱体化を強いられた状態に等しい。

 

 生前の方が強かった──そんな事態も少なくないのだ。

 

 しかし神名接続(セイズマズル)はそう言った英霊としての限界点を埋める。時間制限があるとはいえ、知名度という認識を逸話を語ることで補強し、英霊としての存在証明を世界により深く刻みつけることができるのだ。

 結果、実現するのは英霊としての限界点の突破。生前に等しい実力の行使を、否、それ以上をすら可能とさせる。

 

 取り分け“黒”のセイバーにとってそれが意味するところは大きい。

 何故ならば──。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 

 その身に宿る竜の血が齎した心臓は、竜の特性を有している。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 

 ただ呼吸をする、鼓動を重ねる。

 たったそれだけで、その身に魔力は充実する。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 

 竜殺しはその功績によって無敵の加護を得た。

 ならばその正体は元より竜の特性であり──。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 

 今や竜殺しそのものが──竜に成り代わった証明である。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)──ッ!」

 

 竜が絶えず咆哮するように連射される宝具。

 本来であれば切り札として放たれるであろう一撃が無造作と言っていい程に抜き放たれる。

 馬鹿馬鹿しい光景だが、戦術としてこれほど最悪な部類はないだろう。

 

「ッッ────!!」

 

 躱す躱す躱す躱す躱す──もはや毒づく余裕すらない。

 一撃でも喰らってしまえば終わりの攻撃を常態で繰り出される状況は悪夢にも程があった。“赤”のセイバーはただただ翻弄されるのみ。

 

 そして、それは“赤”のセイバーに留まらない。

 

「間合いを離したのは端からそれが狙いだったってことか──!」

 

 “赤”のライダーもまた宝具の度重なる連射を前に近づけずにいた。

 街区を躊躇いなく吹き飛ばす一撃一撃はそれだけで回避に取れる空間を次々に奪っていき、必然的に当たらないためにはより距離を取らざるを得ないという悪循環によって寧ろ“赤”のライダーは距離を引き離されていく。

 

 さらに宝具による広い攻撃範囲が齎すのはそれだけではなく。

 

「ぬおおおおおおおおお!!」

 

「ッ、マスター……!!」

 

 野太い悲鳴を聞いて“赤”のセイバーが振り向く。

 そう、この場にいるのはサーヴァントだけに非ず。

 

 “赤”のセイバーのマスター獅子劫界離もまたその脅威の巻き添えとなる。

 護衛対象として考慮に入れられているルクスはともかく、“赤”のマスターたる獅子劫は当然、“黒”のセイバーにとって抹殺対象だ。

 

 寧ろこちらの方が簡単に落とせる分、積極的に巻き込まれるのは当然であった。

 

「チィ──こっちも宝具を切る! 文句は聞かねえぞ、マスター!」

 

 であれば、この脅威。

 止めるためには手段は選べず、躊躇う余裕もない。

 鎧兜を解除し、邪剣に赤雷と憎悪を満たす。

 

 この宝具の連射の雨を止めるにはこちらも宝具を繰り出し、止めるしかない。

 あちらほどの連射は出来ないものの、一瞬の拮抗でも作り出せれば、“赤”のライダーが駆け抜ける時間ぐらいは築けるだろう。

 

 此処にきてアレの言う通り援護をするような真似になるのは業腹だが、“黒”のセイバーに敗れるよりはマシだと己に言い聞かせ──。

 

「──違う(・・)! セイバー、お前じゃねえ! そいつ()の狙いは──!」

 

 怒号のような決死の警告。

 それを受けて“赤”のセイバーに思考が生まれる。

 

“────”

 

 停止したかのような世界。

 マスターの言葉の意味、この状況、敵の意図する真の狙い。

 ……弱い敵から確実に討つ(・・・・・・・・・・)

 そもそも──この主従(・・)は初めからそいつを脅威と狙っていたではないか。

 

 マスターの存在もあり、未だ手痛い手傷もない万全たる己と。

 弱点を突かれ、自力の能力低下が激しい大英雄。

 

 仮に自身が逆の立場だとすれば、狙うのは……。

 答えは此処に──再び世界が激変する。

 

「ッぐ──こいつは!」

 

「チィ──今度は何だ!」

 

 先ほどまで穏やかな日差しと生命の息吹を感じさせる春の世界だったものが裏返る。

 吹き荒れるのは芯まで凍らせるかのような冷たい風。

 全ての生命を平等に終わらせる凍土。

 死の白銀が世界を覆う。

 

 それに共鳴するかの如く世界に満ちる魔力の総量。

 エーテルの減衰し続ける現代においてあり得ないほどの魔力が大気を満たした。

 その影響は当然、サーヴァントにも影響する。

 

 もはや単独顕現すら苦にならないような加護がこの場に集う全ての英霊に対して平等に降り注ぐが、しかし前触れすらないこの変動を前に、“赤”の陣営は悉くが動揺に隙を晒し、“黒”の陣営は好機と動いた。

 

「──邪悪なる竜は失墜し、世界は今落陽に至る!」

 

 この変化を“黒”のセイバーは事前に知っていたわけではない。

 だが、彼が殺し合う“赤”の二騎とは違い、彼は代理のマスターを信頼していた。この不利な状況を覆すだろう『何か』を待っていた。

 そんな心構えの違いが、この局面で生きる。

 

「撃ち落とす──幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 

 冬の世界に生まれる黄昏の輝き。

 渾身の宝具が“赤”の陣営に襲い掛かる。

 

「成程な、距離を稼いだのは宝具開放の隙を突かせないため──」

 

 元より単純な剣術の技量においては“黒”のセイバーは“赤”のセイバーを上回る。純粋な正面衝突であるのならば“赤”のセイバーの隙を突いて宝具を発動するのは容易い。

 

「そんでもって狙いは終始一貫して俺ってわけかッ!」

 

 であれば目下の脅威……弱体化して尚、圧倒的な強さによって“黒”のセイバーに匹敵する“赤”のライダーを狙うのは当然の事。

 ましてや弱体化し、無敵を剥がされ、自慢の速力が低下しているというのならば、万全たる“赤”のセイバーよりも倒すことによって得られるメリットは大きい。

 

 近接での攻撃ならば宝具を振るう僅かな隙に反撃をねじ込むことも出来たであろうが。

 この間合い、詰めるよりも先にこちらが砕かれる。

 世界の変動による動揺によって行動も遅れた。

 

 正に絶体絶命──最大級の危機に、だが英雄は笑った。

 

「面白いッ! ならば挑むが良い……我が人生(すべて)に!」

 

 黄昏の光を眼前に、誇る様にして腕を掲げる。

 刹那、収束する黄金の光。

 気づけばその手には得物とする槍ではなく、一つの盾が在った。

 

「それは──!」

 

 “黒”のセイバーの声音に予想外の動揺が乗る。

 

 “赤”のライダーが複数の宝具を有しているのは既に“黒”のセイバーも認知していた。無敵の身体に、神速の脚、そして槍と、自らが騎乗兵(ライダー)と位置付けられた由縁たる戦車。

 都合四つ。最上位の英霊に相応しい破格の数の宝具を有している。

 

 それでも──五つ目の存在は“黒”のセイバーをしても予想外。

 世界に名だたる大英雄アキレウス。

 その最後の宝具が最大の壁となって黄昏を阻みに掛かる。

 

蒼天囲みし(アキレウス)──」

 

 その時、だった。

 

「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 戦場に響き渡る嘆きの声。

 自身の生死すら忘れて、この局面に大英雄の動きが止まる。

 

「姐さ──」

 

 同じ陣営のただの相方──そう言って捨てられるほど軽い存在であればどれほど良かったか。

 父より聞いた美しき女狩人の話。

 生前は会うことの出来なかった彼女の姿と、彼女の願う祈りは聞きしに勝るほどに美しかった。

 

 そんな相手の、聞いたこともないような絶望の悲嘆。

 これを耳にして大英雄が、否、大英雄だからこそ嘆きに過敏な反応を示し。

 ──少女が笑う。

 

「──彼女の弱点がその祈りにあるものならば、貴方の弱点は踵ではなく、その在り方ね。英雄色を好むとはいうけれど、あっちにこっちにと色目を使っては勝利の女神に嫌われるわ。そんな目移りばかりしていれば、素気無く振られるのは当然でしょう」

 

 その点、迷いなき“赤”のランサーの方が恐ろしいと締め括り少女は言葉を止める。

 数的劣勢などこの通り。

 欠片ほどの油断もせず、慢心もせず。

 言葉を手繰り、勝利を得る。

 

 “赤”の陣営が抱える弱点を抉り抜いた“黒”の陣営の勝利。

 結果はもはや確定した。ただ一点──。

 

我が麗しき父への反逆(クラレント・ブラッドアーサー)ッ──!!」

 

 軽く視て(・・・・)いたその要素が最善の結果だけを突き崩した。

 

 

 

……

…………。

 

 

 

 戦いは終わった。

 “黒”の陣営と“赤”の陣営。

 主従関係をも考慮に入れれば、二対四という圧倒的な数的劣勢は、しかし結果のみを見れば仕掛けていった“黒”の陣営が終始“赤”を圧倒することとなった。

 

 ほぼ無傷の“黒”の陣営と息も絶え絶えな“赤”の陣営。

 どちらが勝者かと問われれば十人が十人、“黒”の陣営だと答えるだろう。

 

 だが、それでも。

 

「……驚いた。貴女の性格を考えて庇うことは読み切れてなかったわ」

 

「ぐ、ゲホッ……クソ、ガキが、勝手に、オレのことを、推し量ってんじゃねえ……」

 

 ジジッと赤雷の残滓が砕けた鎧の表面を撫でる。

 

「お前……」

 

 驚いたような声を上げるのは“赤”のライダー。

 彼自身が死を確信する状況にあって、未だ命を繋いでいる理由が目の前にあった。

 

 纏っていた全身甲冑(フルプレート)は粉々に砕け散り、鎧内に隠されていた十代の少女にしか見えない可憐な容姿は満身創痍と露わになっている。

 受けた損傷が尋常ではないのは、吐息の荒さと剣を杖に見立てて何とか立っている様からも想像するに容易い。

 

 それでも──立っている。

 黄昏の光を前に堂々と立ちはだかり、“赤”のライダー共々、生を拾ってみせた。

 自身を見上げる“赤”のライダーの視線に相変わらず不機嫌そうに言葉を返す。

 

「勘違いすんな、別に守っただけじゃねえ。ただ、あの何もかも見通してますってクソガキの目が気に食わなかっただけだ」

 

「あら? そんな傲慢な視線向けてたかしら?」

 

「ハッ! 白々しい! 言ってやるがな、この際ハッキリと言ってやるよ、何が見えてるかは知らねえが、オレはお前を知らねえ(・・・・・・・・・・)。勝手にこっちをお前の物語の枠に嵌め込んでんじゃねえよ」

 

「……ん、成程。それは……確かに、この結果にも繋がる話ね」

 

 動揺、という訳ではないのだろう。

 終始変わらず余裕の笑みを浮かべていたルクスに初めて感情の揺れ動きが生じる。

 指を口元に当て、僅かに目を細め、何かを自戒するように黙り込む。

 

 その様に“赤”のセイバーは舌打ちを鳴らす。

 あの(・・)忌々しい白い魔術師の同類かとも思ったが、こういう態度を見るに完全にあの手の手合いというわけでもないのだろう。

 となれば、勝利のためならば手段を選べる手合いなのだろう。

 

 人知れず“赤”のセイバーは嫌悪を抱く存在ではなく、鬱陶しい相手だという評価を眼前の少女に結論と下す。

 

「うん、これは確かに気を付けないといけないわね。色々と上手くいきすぎて、最後の最後でおざなりになった面はあるかも。大概私もアルドルの事を言えないわね。どうしてもこちらの視点に流されるのは私たち共通の欠点、という事なのかしら」

 

「あぁん?」

 

「こちらの話よ。でも──実際この後どうする気なのかしら。結果は予想と変わってしまったけれど、依然私たちの有利は動いていないわよ」

 

「……チッ」

 

 再び余裕の笑みに戻ったルクスの視線が“赤”の陣営を見渡す。

 満身創痍の“赤”のセイバー。

 弱体化に加え、先ほどの宝具の不発で大きく消耗した“赤”のライダー。

 そして──何をされたかは知らぬが戦意どころか立っている意志すら挫かれた“赤”のアーチャー。

 

 “黒”のセイバーが時間制限により元の姿に戻っていることを加味しても、此処から逆転するには厳しいだろう。

 相手が未だに手の内を隠しているという可能性もある。

 何せ、実質的に一対多でこれほどまでの戦果を叩き出せる相手だ。

 

 終始余裕な態度からもまだ相手に余力が残っていることは明らかである。

 

「逆転の目があるなら是非見せて欲しいわね。これはあくまで寄り道だから、戦果としてはこれで十分。尤も、これ以上に手がないっていうのなら遠慮なくこのまま獲らせてもらうけれど?」

 

 その方が良いし、とルクスはクスリと笑う。

 彼女の態度に合わせて“黒”のセイバーは無言で剣を構え直した。

 

 “赤”のサーヴァント……“赤”のセイバーと“赤”のライダーも同様に身構えるが、如何せん流石に受けた手傷も相まって迫力不足だ。

 特に“赤”のライダー、彼の気は膝を折って沈黙する“赤”のアーチャーの方へと向けられている。とてもではないが戦闘に集中できているとは言い難い。

 

「正に絶体絶命、ってわけか」

 

 ルクスと同じく、戦場外から場を俯瞰する獅子劫は重く呟いた。

 彼女の言う通り“赤”の陣営にもはや逆転の目は無いに等しい。

 

 自身のサーヴァントである“赤”のセイバーは勿論、“赤”のライダーも“赤”のアーチャーもこれ以上の継戦は困難である。

 だとすれば撤退が最善の選択だろうが、どうにも相手は逃がすつもりはないだろう。

 

 ……実のところ、“赤”のセイバー主従に限って言うならば手はある。

 獅子劫の手に宿るマスターの証──令呪。

 これを切ればセイバーに自身を背負わせ、二人がこの場を離脱することは可能である。

 

 だが獅子劫はその手を安易に選べない。理由は友軍である“赤”のライダーや“赤”のアーチャーを見捨てられないからなどという人情ではなく、眼前の脅威を知ったからこそ、彼はただ撤退するという選択肢を取れなくなった。

 

「ユグドミレニアっていうのは実は嬢ちゃんみたいな化け物の巣窟だったりすんのか?」

 

「まさか。時計塔(アナタたち)の言う通り、大体は烏合の衆よ。聖杯大戦に本気で勝ちに行ってるのも我らが当主殿か、私たちぐらいでしょうし。魔術世界に宣戦布告した愚かな一族って評価は案外間違っていないわよ?」

 

「……ホント良く言うぜ、全く」

 

 少女の言葉にボヤくように獅子劫は言う。

 信用するかはともかく目の前の相手が言質によって自らを例外側だと言い切ったのは僥倖と言えるが、問題はその例外側が目下、何が何でも討たねばならぬ敵手であることは間違いない。

 

“ユグドミレニア当主、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア、それからアルドル・プレストーン・ユグドミレニアに、此処に来て降ってわいたように現れたルクスを名乗る少女か”

 

 少なくともこの三名は人外の領域に足を突っ込んだ怪物だ。

 ただの魔術師というには常軌を逸した実力者であることは疑いようがない。

 

 なればこそ“赤”のセイバーだけではユグドミレニアを相手取るには危険すぎる。

 少なくとも個々に挑みかかって倒せない相手であるのは明白だった。

 

“クソ、単独で挑みかかるのは無理だ。奴らを相手取るなら共闘は必須、だとすれば少なくとも現状、話が通じるライダーとアーチャーを此処で失う訳にはいかねえ”

 

 獅子劫は“赤”の陣営とコンタクトが取れない。

 否、ライダーたちの言葉を信じるに“赤”の陣営は既にシロウ・コトミネという聖堂教会の神父によって完全に掌握されているとのことだ。

 そんな真似をする相手がこちらと態々共闘を選ぶ可能性は少ない。寧ろ“赤”のセイバーのマスター権のみを求め、こちらを切り捨てる可能性の方が高いだろう。

 

 つまり何らかの理由で自由に動くことを許されている“赤”のライダーと“赤”のアーチャーを失えばただでさえ取れる手段の少ない獅子劫はより動きを限定されるだろう。

 手の内が見え透いた作戦など目の前の相手に通用しない。それはこの戦いにおいて見せつけられた戦術眼からも伺える。

 

“どうする……どうする!?”

 

 無謀にも挑みかかるか、絶望を覚悟に撤退するか。

 選べる選択肢はどちらも地獄。

 獅子劫は重く息を吐きだしながら自らの令呪に触れて。

 

『令呪を以て“赤”のライダーに命じます。騎乗兵(ライダー)たる宝具を開放し、戦場に集う全ての“赤”の陣営の離脱を助けてください』

 

 瞬間、それを切ったのは獅子劫ではなかった。

 場に木霊するような若い青年の声。

 それはこの場に集う誰もにとって想定外のモノであった。

 

「そう──此処で使うのね」

 

 空を見上げるようにして何者かへと呟くルクス。

 同時に“赤”のライダーの意志を無視して令呪の強制が発動する。

 

「つぅ、ぐぉお……ッ! ……!! “黒”のセイバーッ! それからそのマスターの代行を名乗る貴様! この屈辱は必ず返すッ! ゆめ覚えておくが良い! 貴様らを討つこの俺の事をなァ!」

 

 吼えるように“赤”のライダーが叫ぶ。

 その意志は未だに眼前の二人の“黒”を討たんと燃えているが、令呪による命令には抗えない。

 両腕が手綱を握り、自身の戦車を呼びに掛かる。

 

 宝具『疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)

 

 三頭の馬が引く“赤”のライダーの宝具が顕現し、“赤”のアーチャーと“赤”のセイバー主従を担ぎ込み、第三者の意志の下、強制的に場の離脱を選ぶ。

 

「逃がさ──!」

 

 それを阻もうと“黒”のセイバーが構える。……だが。

 

「追撃は不要よ、セイバー。あの人が介入してきた以上、向こうもこちらの状況をある程度、把握しているという事でしょうし、下手に追い打ちして逆に反撃されるのはよろしくないわ」

 

「……了解した」

 

 ルクスの言葉に“黒”のセイバーは手を止める。

 彼からすれば千載一遇の好機であったが、此度の戦場を指揮するものからすれば、そうは見えなかったらしい。此処に来て消極的な選択肢を選んだルクスに、“黒”のセイバーは命令を了承しつつ、その横顔へと視線を向ける。

 果たして何が見えたのか──気づけば少女の顔に笑みは消えている。

 

「ふぅん、令呪を此処で使うんだ。ならこの状況は向こうもキチンと把握していたってわけね。いや、そもそもライダーとアーチャーをライオンさんの下に遣わしている以上、寧ろある程度状況が見えているのは当然か。……尚の事分からないわね、何が狙いだったのかしら?」

 

「ルクス殿?」

 

「……こちらの話よ。まあ何はともあれ、当初の目標は達成したわ。今回はこれで良しとしましょう。私たちの戦いはこれで終わりよ。色々と助かったわ、ありがとう剣士(セイバー)さん」

 

「あ、ああ……」

 

 それも一瞬の事、再びいつもの本音の伺い知れない笑みで“黒”のセイバーに笑いかけるルクス。何やら明らかにはぐらかされたような感覚を“黒”のセイバーは抱くが追及の言葉はない。

 元より此度の己は彼女の護衛を任された身、であるならば余計な詮索は必要ないだろう。それは己の、サーヴァントとしての領分から外れるものだろうから。

 

「……了解した」

 

 短く了承の意を頷くことで“黒”のセイバーはルクスの言葉を受け入れる。

 しかし、何故かルクスの方はと言えばその反応に呆れたような目線を向けていた。

 

「……何というか今のを平然と受け入れる辺り、口下手というか忠義の騎士というか。ねえセイバー? これは聖杯大戦の本筋とは違うのだけれど、貴方はもう少し自分を出す贅沢をしてみてもいいのではなくって? ゴルドの叔父さんにも大概問題はあるけれど、貴方も貴方で、ちょっと、ねえ?」

 

「む、それはどういう……?」

 

「思いも考えも言葉にしなければ伝わらないってことよ。疑問が湧いたなら素直に問いただすことがあってもいいんじゃないかしら?」

 

「……だが察するに貴女が口にしたのは“黒”の陣営の勝敗、聖杯大戦の戦略に関する話だろう。であればマスターたちに連ねる貴女方の考えにサーヴァントである俺が口を出すのは……」

 

「そういう合理的な判断も、口に出さなければ何を考えているか分からないという印象にしかならないわよ。セイバー」

 

「……む」

 

「ま、秘密主義の私が言えたことでもないか。でも戻ったらマスターと言葉を交わすことをお勧めするわ。主従関係が悪影響を及ぼして足元を掬われる、なんて。“黒”のライダー主従はともかく、貴方たちにやられると私たちもちょっとは困るしね」

 

 中々に黒い皮肉を口にしつつ、クルリとルクスは“黒”のセイバーに向き直る。

 そして揶揄うようにして“黒”のセイバーの瞳を覗き込み。

 

「何だったら会話の練習相手になってあげましょうか? 今なら特別にどんな質問にも答えを返してあげるわよ?」

 

 と、冗談のように口にする。

 

「──ならば是非、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 ルクスをして冗談、の言葉だったのだが。

 “黒”のセイバー以上に答えを問いただしたい者たちにとって、その言葉は大きな言質だった。

 

「あら、あら? ……こういうのも間が悪いっていうのかしら?」

 

「さて、少なくとも秘密主義を自称する貴女たち(・・・・)にとっては喜ばしい事態ではないのかもしれませんね」

 

 そう言って姿を現したのは“黒”のアーチャー。

 その後ろには厳しい視線をルクスに向けるフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアと疑念の視線を送るカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 

 同じ陣営の味方であるはずの一騎と二人だが、しかし彼らがルクスへと向ける視線は友好的なものだとは言い難い。

 だが、それも当然のことだろう。

 そもそも“黒”の陣営においてルクスなどという魔術師は存在しないのだから。

 

 “黒”のアーチャーと変わる様にして、フィオレが問い質す様に口を開いた。

 

「貴女は何者ですか? 何故、“黒”のセイバーと共にいるのです?」

 

「……そうね」

 

 フィオレの言葉を聞きながらルクスは“黒”のアーチャーへと目をやる。どうやら様子から状況を見るに“黒”のアーチャーから何か言ったというよりかはこの場に居合わせたが故の必然、といった処か。だとすれば責任の所在は。

 

“自分のことは自分で何とかしなさいな、アルドル。いずれこうなることは貴方にも見えていたでしょうに”

 

 心の中で自分(ルクス)再生(呼び出)した自分(アルドル)に語り掛けながら、ゆっくりと口を開く。

 観念したかのように、或いは悪戯を明かす様に。

 

「私はルクス。アルドル・プレストーン・ユグドミレニアの代行……いいえ、彼のイフともいうべき存在とでも言えばいいのかしら。まあ自分で口にした台詞だしね。質問があるならば存分に受け答えるわよ。フィオレちゃんに、カウレスくん?」

 

 彼女は《光》に隠された秘密()をかく語るのだ。



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Te Deum

 聖女ジャンヌダルク。

 

 その名に余人は『悲劇の乙女』という言葉を連想するだろう。

 敗戦の絶望が差し迫るかの百年戦争火中のフランスにおいて、何の力も無い地位にありながら故国のためにと立ち上がり、窮地の国を救い上げ、その功績にも拘わらず最後には故国から裏切られ、十代のまま火刑に処された。

 

 後の復権裁判によって、彼女の残した栄誉こそ守られたものの、その余りにも短すぎる生涯と、短くも鮮烈な輝きは今を生きる人々にも忘れられずに伝わっている。

 

 事実、現代においても性差や立場を恐れることなく、何かしらの障害に立ち向かう女性たちのことを現代のジャンヌダルクなどと呼ぶように、彼女が如何に優しさと勇気に溢れた存在であるか人々は知っている。

 

 ……だが、それはあくまで聖女としてのジャンヌダルクという一部の側面を切り出して認知しているに過ぎないとも言える。

 言うなれば百年戦争(ものがたり)に登場したジャンルダルク(キャラクター)という程度の認識である。多くの人間は彼女が如何なる人間かを知らない。ただ国を救った聖女、その程度の認識がせいぜいだろう。

 

 だからこそ歴史を学び、『悲劇の乙女(物語のキャラクター)』ではなく『歴史上の人物(現実の人間)』として彼女を知る人間は、余人とは異なり、全く別の評価を彼女に下すのだ。

 

 即ち──狂人(英雄)、神に狂った恐るべき魔女(蛮族)である、と。

 

 

 

 

 

 

 異界に──否、聖域(・・)と化したトゥリファスの街。日常とは異なる非日常という名の視界に生きる魔術師は住人の消えた住居の屋根を疾風のように駆け抜ける。

 風の如く疾走しながら時に掻き消え、出没する様は既に脱落した“黒”のライダーが宝具、ヒポグリフの司る『次元跳躍』に類似していた。

 

「ふっ……はぁ……ふっ!」

 

 疾走する速度、並びに消えては出現する距離こそ“黒”のライダーには及ばぬものの、仮にも今を生ける人間の、それも現代の魔術師が詠唱もなしに瞬間移動を繰り返す様は凄まじいが、術者本人……アルドル・プレストーン・ユグドミレニアにとってはこの程度の魔術、誇るに足らぬ余技であった。

 

 元より『栄光』の要たる工房が起動し、自身が『神代回帰』を体現しているこの状態であれば霊脈を用いた遁甲術──瞬間移動の真似事など容易い。

 加えてユグドミレニアは「土地の支配者(セカンドオーナー)」。何十年も前からこの土地に血を馴染ませてきた。その影響と『工房』特性によって、もはや此処はアルドルにとって自身の庭どころか自身の体内も同然だ。

 

 故にトゥリファスという地において、アルドルは間違いなくキャスタークラスの英霊に匹敵する絶大な力を行使することが出来るのである。

 しかし──。

 

「……壮観だな」

 

 と、アルドルは振り返りつつ足を止める。

 眼下に見下ろす景色。

 英霊に匹敵するほどの力を持ちながらしかし、逃走(・・)を選ばざるを得なかった原因が街路を埋め尽くすほどに犇めいていた。

 

「「「Sánctus:(聖なるかた)!! Sánctus:(聖なるかた)!!」」」

 

 軍勢である。甲冑を身に纏う中世衣装の戦士達。

 その数、万に達する人の群れが異国の街を進軍する。

 

 十字架を掲げ、聖歌を軍歌のように口ずさみ進む、進む、進む。

 その行軍はお世辞にも洗練されたものでは無い。

 行軍速度はバラバラで、連携も何もあったものではない。

 仮に現代の軍人たちが見れば目を覆うような行軍である。

 

 だが……。

 

「人気者は辛いものだな。今も昔も大衆に注目される立場に立ったことは無かったが、成る程、ステージに立つ演者やお偉方が見ていた景色とはこのようなものか」

 

 恐れる者は誰もいない、立ち尽くす者は誰もいない。

 誰一人、行軍を止める者はいなかった。

 

 そして誰も彼もがたった一人を標的に進み続けている。

 魔術師(神の敵)を、魔術師(異教徒)を、魔術師(故国の脅威)を。

 

 即ち──アルドルを。

 

「────」

 

 背筋に怖気が奔る。

 アルドルとて幾つもの死線を潜り、何度も何度も死に近づいた。

 今さら自身の程度を遙かに超える存在などに恐れを抱くことはない。

 

 だが、これ(・・)は些か気質が違う。

 怒りでも憎悪でも無く、正義感でも義務でも無い。

 言うなれば、信仰(・・)

 

 神の敵たる何者かを討つという使命。神の意志を代行するという歓喜。理由も動機も踏み越えて、ただそうするべしという意志の下、進軍する兵士たち。

 彼らはアルドルという敵を見てなどいなかった。

 討伐の意味も意義も無く、斯くあれかしと行動するのみ。

 

 よって、その視線は噛み合わない。万の視線がアルドル一人に降り注がれているはずなのに、その誰一人とも視線が合わないのだ。

 誰もがアルドルという人物を通して神を名乗る何者かを見ている。

 

 自己陶酔、自己完結、ただただ内側にのみ収束する戦意。

 見る者に悍ましさを感じさせるような粘つく視線をアルドルは嫌悪したのだ。

 

「……信仰を悪と断じる傲慢さは持ち合わせていないが、成る程、恐ろしいものだな信仰という奴は」

 

 悪寒を振り払うように嘆息しながらアルドルは呟く。

 

「或いはこういうのも勇猛果敢な勇士というのかな。北欧の戦士(ベルセルク)が如き狂気的な戦振りではあるが──」

 

 ──直後、アルドルが立っていた建物が爆発する。

 弓矢による狙撃では無く、大砲を用いた砲撃であった。

 

 眼前に立つ戦士達は今の時代より過去の、中世の時代に生きた兵士たちだが、当時の技術水準においても『大砲』は既に実用段階にあった兵器である。

 だが、弓矢や槍とは異なり一度の攻撃で数多の人々を死傷させるこの兵器は、現代で言う所の毒ガスや生物兵器を始めとした非人道的な兵器という位置づけにあったはずだ。

 

 中世の時代における欧州の戦とは騎士道に準じた一種の戦争遊戯(ゲーム)。優位な条件を押しつけるための外交の一部に過ぎなかったという。

 そのため、人を殺すよりは人を捕らえ、人質として敵から金銭を奪い取ることこそが優先され、過度に人を死なせることは忌避された。

 

 破壊よりも強奪。自国の勝利では無く相手の屈服を。

 それこそがあの時代における戦争の形態だったのだ。

 

「──そこの所、どうなんだ。ヒルド」

 

 砲弾の直撃を受けたはずのアルドルはいたって平静に中断された言葉を続ける。

 時代背景にそぐわぬ戦振りにも、攻撃を受けた事への反応も無く。

 淡々と、自らを守護した従者へと。

 

アレ(・・)はただ己を他人に任せてるだけだよ。恐怖を感じないのでは無く、何もかもを何かに全部渡しちゃってるだけ。戦士としての矜持も無く、闘争に懸ける思いも無い」

 

 応える声は何処か機械じみたものだった。

 だが同時に言葉の節々には声音を越えた感情がある。

 実に認めがたいと、否定の感情が言葉に乗せられていた。

 

「あんなもの、勇士には程遠いよ」

 

 鼻腔を擽る火薬の匂いを振り払い、白鳥が如き鎧に身を包む少女が言い切る。

 

 風に靡く桃色の髪。

 神秘を感じる紅玉の瞳。

 幼さと女が交わった若葉の美。

 

 汚れなく気高いその有り様は、かの旗の聖女が如く。

 血風吹き荒れる戦場にあって尚、穢れを知らぬ気高き有り様。

 

 北欧世界が誇る神の使徒。

 清廉たる戦乙女が神の走狗に立ち塞がる。

 その名はヒルド。

 

 アルドルに……否、主神(・・)の従者として招かれた戦乙女(ワルキューレ)が一騎である。

 

「だろうな、言ってみただけだ。信仰は信念や信条とは異なる。思うに天を仰ぎ見て見えるのはせいぜい自分のちっぽけさ加減ぐらいだろう。私は連中のように幻想を信じ切れるほど現実に苦心を覚えることは出来ない、などと……ふ、非常識を信じる魔術師が言えた義理では無いか」

 

 中身はどちらも変わらないと皮肉げにアルドルは笑った。

 

「んー、マスターは違うと思うな。だってマスターは魔術に縋り付いているわけじゃないし。寧ろ身一つで戦いに相対するのは正しく勇士の在り方だよ。そういう意味じゃ北欧の戦士(ベルセルク)の名はマスターにこそ相応しいよ」

 

「私は別に狂っては……いや、ある意味では狂信者か。夢か現実かも怪しい記憶を頼りにこうして戦に投じているのだ。寧ろ気狂いの程度ではこちらが上だな。秩序に従う彼らに対し、世界に刃向かわんとするが私の立場だ。そういう意味では狂戦士(バーサーカー)は私の方だったか」

 

「うん、あんなのよりも私たちのマスターの方が断然、勇士らしい。もしもその魂が現世に迷うことがあれば私が連れてってあげるよ」

 

「さて聖杯大戦を勝ちきったとして、まず私の魂なぞ残りはしないだろうが、その賞賛は素直に受け取っておこう。世辞であれ、他ならぬ戦乙女からの褒め言葉だ」

 

 軽口を──少なくともアルドルの認識においては──断ち切って、視線を改めて眼下の敵へと差し向ける。抑止力がアルドルを粛正せんがため遣わした脅威。

 『冠位裁定者(グランド・ルーラー)』率いる、奇跡の軍勢を。

 

「──英霊ジャンヌ・ダルク。かの聖女が悲劇の炎に巻かれて散った気高い存在という側面を切り出した英霊だとすれば旗を持ち、人々を扇動し、率いる《オルレアンの乙女》は歴史を切り出した存在だと言える」

 

 黄昏色に揺らめく《望郷の魔眼》。モノの起源を解き明かす知恵の瞳は既に相対する存在が如何様なものであるかを特定している。

 元より神話や歴史の知識に秀で、『世界』に対する知見に富んだアルドルである。多少のステータスを攫えば後は推測によって容易く真実へと辿り着くのだ。

 

 それはさながら謎を明かす探偵のように、アルドルは未知の『冠位英霊』を語る。

 

「元々、英霊ジャンヌ・ダルクは歴史にありながら半ば神話に足を踏み入れた英霊だ。彼女が多くの奇跡を生前に起こしたという逸話からもそれは窺える。真実はどうあれ彼女は神格化され、多くの神秘を纏った」

 

 例えば、真摯に言葉を紡ぐことで人を信じさせるとか。

 例えば、悪霊を忽ち浄化する聖性を発揮するだとか。

 

 聖人と呼ばれる類いの人間が行使する『奇跡』。

 そうしたものを彼女は『聖女』という呼び名の象徴(イコン)となる過程で得た。

 

「丁度、世間は女預言者ブーム(・・・・・・・)であったはずだからな。神格化される下地は十二分に揃っていた」

 

 中世の秩序は法では無く宗教によって作られていた。それはまだ大衆の意識が未熟であり、理性によって国を統べられるほど完成しきっていなかったからだ。

 今の欧州の国々がこの当時、神の名の下に政ごとを行っていたのは、本気で神を信仰していたからでは無く知性が未熟な大衆を動かすのにそれが最も便利だったからだ。

 信仰という名の権威を御旗に政治が行われていたのだ。

 

 そして、そのために時の為政者たちが好んで使ったのが預言である。

 

「例えばスウェーデンの聖ビルギッタ、イタリアはシエナの聖カテリーナ。前者は救済への道筋を預言することで大衆の心に安息を与え、後者は自らの献身を世間に示し、政治的主張を神の預言に託して奏上した。預言などと世迷い言を世間が本気で信じ込むなど今では考えられないことだが──国の経済危機にペストと呼ばれるパンデミック、加えて人々を縛る宗教それ自体が大分裂を起こしている末世も斯くやという有様では信仰深いその当時に救済へと繋がる預言に縋る心情は理解できる」

 

 かの聖母マリアより生じた女性宗教者に対する信仰。

 危機に際して神の恩寵を授かれるという預言と呼ばれる宗教的な伝統。

 人々の社会に対する常識が未熟だったからこそ成立する超自然への理解。

 

 それらに加えて『国難』という分かりやすく眼前に迫る脅威を前に、人々が預言という奇跡に縋り付かんとする心情は理解できる話だ。

 そして、それを利用する為政者の存在も。

 

「フランスのジャンヌ・ダルクもそうして信仰、神格化されていった一例だ。当人の神への信仰深さに加え、彼女の出身であるドン=レミ村には古くから民間伝承として信仰される妖精の樹と呼ばれる木があり、その木の近くの泉には病を癒やすと言われる泉があるのだとか。そんな場所で、曰く大天使ミカエルのお告げを聞いたという話が伴えば、彼女は女預言者たるに十二分だろう」

 

 果たして神のお告げを本当に聞いたかなどこの際どうでも良い。

 要は大衆が信ずるに値する論拠があるか。

 それさえあれば神秘は成立する。

 人々の信仰の前には、本当の真実など意味の無いものだ。

 

「人々が熱狂できる要素があるなら後は容易い。市井の噂話、神の預言を聞いたという少女の言葉を権威が保証すれば良い。フランスにはちょうど良い先例があったからな。敵国イギリスは百年戦争の前半に当時はやっていた騎士道ごっこ(・・・・・・)にあやかって、『円卓の騎士団』を模した『ガーター騎士団』なるものを立ち上げ、兵士たちの戦意を煽ったという。これを真似れば良い」

 

 お題目は何でも良い。

 

 聖女を守る勇猛なる兵士、神の救済を執行する神兵。

 或いは聖女の御旗の下に集った一騎当千の英傑。

 

 兵士たちに高揚と誇りを与える肩書きでさえ在れば良い。

 後は王命の下、万事抜かりなく。

 聖女とその一軍は民草にとって神話と化した。

 

「そうして創り上げられたのがフランスを救う奇跡の聖女ジャンヌ・ダルク。救済の象徴として故国フランスを危機から救い、救国をなさんとする英雄だ」

 

 英霊(キャラクター)では無い。

 英雄(・・)ジャンヌ・ダルク。

 

 彼が今相対するのはそう言った存在である。

 

「故に、第一に恐るべきは彼女の持つ信仰や奇跡などでは無く──」

 

 アルドルは鋭く視線を眼下に向ける。

 絶え間なく矢と砲を放ち、狂ったようにアルドルを滅さんとする人の群れ。

 

「馬鹿正直に本気で聖女を狂信する、兵士たちに他ならない」

 

 言い切ると同時、遂に追いかけてきていた軍勢の第一波がアルドルに取り付く。

 英雄ジャンヌ・ダルクという存在に紐付けられた奇跡を成す存在として一兵卒の身分で在りながら並のサーヴァントに匹敵する身体能力を得た聖女の尖兵たちが、殺到する。

 

 彼らに容赦など欠片も無い。元より戦争外交に本物の戦争(・・・・・・)を持ち込んできた連中だ。当時、人道的な観点から忌避されてきた大砲を躊躇いなく用い、戦の作法たる名乗りも無く、ただ粛々と敵を討たんとする彼らは何処までも血を求めていた。

 

「威勢も迫力もあるが……流石に技も戦術も無い突撃に遅れは取らないぞ」

 

 だが、彼らに対して怯みも油断も無く構えていたアルドルは冷静だった。

 迫る数の暴力を前にしながらも優雅な様で空中にルーンを描き、魔術を発動させる。

 

 選んだ術は直接的に兵士を損傷させるものではなく、その動きを拘束するもの。幾重にも射出される氷の鎖が兵士たちから自由を奪い取る。

 絡みついた鎖は動きを縛るだけに留まらず、接触箇所から忽ち冷気を伝播させ、その肉体を凍り付かせに掛かる。

 

 当然、それに抗わんと兵士たちは暴れるが……。

 

「ヒルド」

 

「任せて!」

 

 アルドルの呼びかけに傍らの戦乙女が応える。

 動きを止めた兵士たちに接近すると瞬く間にその命脈を絶ちに掛かった。

 

 抵抗する兵士たちも何のその、嫋やかに、舞い踊るように槍を振るい兵士たちの命を狩る。

 さながらそれは死の舞踏(トーテンタンツ)

 勇士ならざる狂信者たちを確実に剪定していく。

 

「お見事。流石は戦乙女と言ったところか」

 

「これぐらいは当然! でも……」

 

「ああ、分かっている。()ぶぞ」

 

 しかし兵士たちの攻撃をはね除けたにも拘わらず、ヒルドの顔は明るくない。

 アルドルもまた攻撃を凌いだ事への安堵は無く、寧ろ急ぎ飛び退くようにして空間跳躍の魔術を起動し、前線から距離を離しに掛かる。

 

 直後、それまでアルドルたちが存在していた場所に、今に打ち払った先攻部隊とは比べものにならない兵士たちが競争するようにして殺到した。

 

「……戦争は数だ、というが正にその通りだな。まともにやればどう足掻いても先に踏み潰されるのはこちらだろうな」

 

「うん、流石にあの数を捌ききるのは厳しい、かな」

 

 言わずもがな、今も進撃を続けるフランス軍は当時のオルレアンの戦いの再現として呼び出された者たちだ。練度こそアルドルや傍らのヒルドと比べれば大したものでは無いが、並のサーヴァントに匹敵する身体能力と圧倒的な数はそれだけで一方的にアルドルたちの不利へと傾けてしまう。

 

 加えて連中の狙いは常にアルドル一人の命であり、ただそれのみを求めて進軍してくるのだ。たとえヒルドという脅威があってもお構いなし。攻撃を受けようが、殺されようが、遮二無二構わずアルドル一人を狙ってくるのだ。

 

 死の恐怖も、敵に踏み出す躊躇も無い。

 神の名の下に、聖女の旗の下に、ただ自身らが信仰を示すために。

 

「「「Miserére nostri Dómine(慈しみを私たちに主よ),miserére nostri(慈しみを私たちに)!」」」

 

「「「In te Dómine speravi(あなたにかけた私たちの希望は): non confúndar in atérnum(とこしえに揺らぐ事は無い)!」」」

 

「讃美歌──確か大聖堂(カテドラル)で聖女が歌ったのだったか。全くまともに相手するようなものでは無いな。聖女親衛隊など」

 

 愚痴るように言いながらアルドルは再び距離を取りに掛かる。

 傍らにヒルドがいるとはいえ、あの数に飲み込まれれば護衛など侭ならないし、魔術師として破格の状態となったアルドルであっても一溜まりも無い。

 

 大砲や弓矢の雨であれば簡単に防御結界ではね除けられるが、人の津波などを前にすれば如何に強力な結界も強化された硝子程度の役割しか果たせまい。

 

「連中、どうにも奇跡の具現らしいからな。飛び道具はともかく、銀の武具は聖別に似た特性を持っているらしい。近距離で魔術を振るうには危なすぎる」

 

「サーヴァントなら霊格の差ではね除けられるみたいだけれどね。それでどうするの、マスター? いったんスルーズを呼び戻して態勢を整える?」

 

「ん、そうだな……」

 

 ヒルドからの提案にアルドルは思考を回す。

 先に呼び出した戦乙女たちは傍らのヒルド含めた計三騎。

 聖女の警戒を誘うために宝具の一斉掃射の後、戦乙女のうち二人は軍勢の後方に構えた聖女へと差し向けている。目的としては『冠位英霊』と化したジャンヌ・ダルクの性能を測るためと、彼女にこの軍勢を指揮させないためだ。

 

 時折、同期したヒルドから伝えられる言を聞くに、向こうは殆どアルドルの動静に注意を向けており、彼女たちは完全にあしらわれているらしい。

 ならば手元に戻して連携した方が有効であるかもしれないが……。 

 

「いや、スルーズたちにはもう少し意識を散らしてもらおう」

 

 烏合の衆でこれだけの脅威を発揮するのである。彼らが熱狂する聖女の言葉を自由に戦場に通らせてしまえば少ない勝ち目がさらに下がる。

 元より相手は抑止力。時間をかけた消耗戦など向こうの独壇場だろう。何としてもこちらを滅さんとする絶対の暴力装置が相手だ。

 戦力が割られれば割られるほど、不利は大きくなっていく。

 

 よって……。

 

「──ヒルド、地下(・・)に繋げる。頃合いを見てスルーズたちを射程範囲から退避させてくれ」

 

「……! りょーかい!! 作戦行動、同期開始!!」

 

 アルドルの命令にヒルドが即座に答える。

 戦乙女が持つ独自の伝達機能によってヒルドが聞いた言葉をそのまま他の二人に伝達する。

 それを横目に見ながらアルドルは黄昏の魔眼を細めながら準備を進めた。

 

「手札は惜しまぬと決めたからな。さて神の名の下、恐怖を忘れた聖女の尖兵共。お前たちの信仰は果たして終焉を望む憎悪を凌駕できるか?」

 

 描かれるは神代魔術(エルダールーン)

 術式は空間と空間を繋ぐ置換魔術(フラッシュ・エア)に類するもの。

 だが、重要なのは魔術それそのものでは無く──。

 

「季節は移ろい、春から冬へ。怒りに燃える者よ、憎悪を吼えろ」

 

 昏い底より──信仰を手折る終わりの冬(フィンブルヴェトル)が降誕する。




主の御旗(ハーク・ザ・ヘラルド・)の下に集りて(エンジェルズ・シング)

ランク:B

種別:対軍宝具

レンジ:1〜99

最大捕捉:1000人


《オルレアンの乙女》に紐付けされて召喚される兵士たち。
かの戦の再現体として現れる一万にも上る軍勢。
状態として極めて高い『信仰の加護』を得ており、理性的な会話や行動が不可能な代わりに対精神干渉、対魔性に高い耐性を有している。
また奇跡を成す存在として伝説に組み込まれているため戦況優位の幸運が働く。

一兵の戦闘能力そのものは高くないが抑止力の支援がため一騎一騎が並のサーヴァント並みの性能を有しており、武具防具は対魔力に似た特性を有している。主の意思を代行せんがため聖女の旗の下、容赦なく敵を討つ。


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Fimbulvetr

 絶えず天へと捧げられる讃美歌。

 奇なる箛笛(ラッパ)の響きが如く戦場に轟く兵士たちの声。

 熱狂、陶酔、狂乱、歓喜……。

 生死を懸けた此処にて正気で在れる者など誰もいない。

 

 そう、何故ならば──死を前にすれば正気でなどいられない。

 生命にとって、死とは絶対かつ不変なる恐怖である。

 

 古来、秩序を形取るものとして宗教が用いられたのは死への恐怖が理由であった。争いや疫病が猛威を振るう時代において、死への恐怖は弱者強者に問わず、万人に通じる認識であった。

 死は恐ろしい──貴族も戦士も民衆も、誰もが万人に訪れる不幸がいつ己に降り注ぐのかと身を震えさせて怯えていた。

 

 だからこそ、「死後の救い」という概念で人々を恐怖から救い、善く在ることでそれが叶うと万人に教え、人々を自発的に善良な秩序を形作るように仕向けさせた宗教は人間社会が未熟であった頃に多く用いられてきたのだ。

 

 ──恐怖という感情を麻痺させる劇薬。

 嗚呼、それは何とも罪深い。

 

 人は私のことを聖女だと呼ぶ。

 国を救った勇敢なる乙女。

 恐怖に屈せず旗を掲げた救国の少女。

 

 そして、功績に反して訪れた非業なる終わり。

 

 悲劇の聖女──ジャンヌ・ダルク。

 

 だが、私は自らを聖女だと思ったことは一度もない。

 

 『主』の御名を用いて人々を狂乱させる罪科。

 信心深き皆々を地獄(戦地)へ引き連れ、進軍させる凶行。

 善く生きることが主が説く教えの本質だとするならば、誰よりも何よりもその教えに反しているのは他ならぬ私自身だ。

 

 たとえ万人が万人、私の勇姿を素晴らしいものだと讃えたとしても私自身がそれを認めることは無いだろう。

 救いを求めるには我が手は血に濡れすぎている。

 

 何かを救うために何かを切り捨てる。

 その選択をした時点で私は既に罪人と化したのだから。

 

 旗を握るその手に震えはない。

 指揮する声に躊躇いはない。

 

 “主の嘆きを聞いたのです”──選んだ道に後悔はない。

 

「畏き御稜威の大王、救わるる者を御恵(めぐみ)によりて救い給うが故に、御慈悲を以てかの者らを救い給え」

 

 よって彼女は旗を振る。

 主の涙を、悲劇を止めるために。

 全てを背負って立ち上がり、戦うのだ。

 

 恐れ慄け、不信心たる異教の尖兵。

 此処に我が旗ある限り、人理の営みは崩れない。

 

 

 

 

 『聖杯大戦』──英霊七騎対七騎による過去類を見ない大規模な儀式。ルーラーことジャンヌ・ダルクが此処に招かれたのはそのイレギュラー性あってのことだと推測された。

 だが、既にそのような生温い警戒は更新された。この地に招かれし要因、聖杯は疎か人理を形作る抑止力すら警戒した最大最悪の敵対者がこの地には存在したのだから。

 

「はぁあああ──!」

 

 大気の壁を突き破り、音速に達する速度で光の槍が振り下ろされる。

 

 身に纏うは穢れなき白亜の鎧。

 風に靡くは美しき金糸のような髪。

 いっそため息すら漏らしそうになる美貌。

 

 愛深き北欧の神々が具現せしめし天の遣い手。

 勇者の魂を救いとる者。

 黄昏に散っていった戦乙女(ワルキューレ)

 

 真名──否、神名スルーズが上空より強襲する。

 

「ふっ──!」

 

 その恐るべき急降下槍撃を前に、聖女は聖旗を槍の様に取り回しながら真っ向から受け止めた。

 衝突と同時に両足が地面に陥没するが、受けた聖女の身体に揺らぎはない。慣性と魔力放出が存分に乗ったAランク相当の一撃を前にしてもルーラーとして、いいや『冠位英霊(グランド・ルーラー)』と化した彼女は神霊サーヴァントという規格外の存在を相手に、一歩も足を引くことは無かった。

 

 一瞬の拮抗、少女の動きが止まる。

 

「聖女様に近づけるな!!」

 

「異教の徒に呪いあれ!!」

 

 同時、聖女に襲い掛かる不心得者へ、周囲の兵士たちが血気盛んに躍りかかった。たとえ相手の見た目が見目麗しい少女であろうが関係ない。剣を槍を、はたまた弓矢や砲をその手に取り、躊躇うことなく少女の命を簒奪せんとする。

 

 しかし何れの攻撃も少女に対して掠りもしない。総軍には到底及ばないものの、親衛隊の騎数は二百にも達するというのにその総攻撃を受けて尚、少女は無傷を貫き通す。

 兵士たちの剣舞は、舞のような回避機動で華麗に受け流され、驟雨のような槍の突きは悉くが少女の槍技に叩き落された。

 

「勇猛果敢──ですが、己ではなく他者に(よすが)を求める振る舞いは勇士ならざるモノ。然るに出直しなさい。勇者ならざる弱き者」

 

 頭上より言葉が告げられる──瞬間、少女の姿が消えた。

 まるで白鳥が飛び立つように、白い羽毛を残影と残して。

 

「ッ、下がってください!!」

 

 続く行動を予見して聖女が警告の檄を飛ばす。

 だが遅い。

 聖女が見上げる先。

 晴れやかなる蒼穹を背にして二人の少女が輝きを放つ。

 

 まるで審判の日を思わせる邪悪を滅する黄金の輝き。

 それは高純度に研ぎ澄まされた魔力の波である。

 一点に解き放たれる太陽の光が生命を焼き殺す強烈な光線と化すように、対象を滅する意図を以て放たれる広域魔力放出は然るべき大量の魔力を消費することを代価に群がる兵士たちを一瞬にして蹴散らした。

 

「オルトリンデ、援護を」

 

「了解、対象を聖女に。囲みます」

 

「くっ!」

 

 スルーズの呼びかけに応じるのはこの戦域に君臨するもう一騎の戦乙女。オルトリンデと呼ばれた濡羽色の髪をした少女が槍を構えて聖女へと攻撃を行う。

 かの大神オーディンより授かった大神の槍を模倣した『偽・大神宣言(グングニル)』による魔力光線。

 

 それはたちまち檻のようにして聖女の逃げ場を封じ込め、一軍の将をただの一騎に孤立させる。

 すかさずスルーズが再び突撃を敢行する。

 先の様に周囲の援護はない。

 純粋な二騎の英霊同士の技巧を比べ合う鍔迫り合いが巻き起こる。

 

「せぁああ!!」

 

 速度は歴然なほどにスルーズが上回った。

 元より黄昏の戦いを予見したオーディンによって創造されし戦闘個体。

 かつてこの惑星の全てを奪わんとした恐るべき凶星から着想を経て創られた使徒である。

 神代より空を駆け抜けて来た羽は戦闘機に匹敵する高速を叩き出し、その槍技は生半な槍の英霊(ランサー)の技量を超越する。

 

 突き、薙ぎ、振り下ろし。

 基本戦技(マニュアル)に則った基本行動ではあるが、そのどれもが洗練かつ流麗。自らが戦場を駆り、勇者の魂を掬い上げるとだけあって卓越している。

 

 加えて彼女らは常時空を駆る。

 

 戦場において常に上を取られるという事がどれ程の不利か、当然指揮官たる聖女は骨身に染みて理解している。

 だが理解して尚、純然たる人の歴史に生まれた聖女に空を駆る術など無い。よって順当に迎撃という手段に押し込まれる。

 

「流石は、北欧の戦乙女。これが本家本元の力ということですかッ!」

 

 ジャンヌ・ダルク自身、その名声の中に自身が戦乙女と呼ばれていることを認知している。だが、真にそう呼ばれる彼女たちはこと戦闘技能において遥かに聖女を凌駕していた。

 そのことに聖女は改めて戦慄と感嘆を口にする。

 

「ですが……!」

 

 自身の名声に対して執着はないが、だからと言ってこのままやられっ放しでいられるほど聖女もまた大人しくはない。

 元より今は聖杯大戦。勝ちを掴み取るのは強き者ではなく最後まで立っていられたものなのだから。

 たとえ技巧で劣っていようともやり様は幾らでもある。

 

 自らの聖旗を強く握りしめ、こちらの得物を薙ぎ払おうと下段から薙ぐように放たれる戦乙女の光槍を聖女は敢えてまともに受け止める。

 一瞬でも得物を手放せば瞬く間にやられる。その判断からの行動であったのだろうが代償に光槍の薙ぎを受けて聖女は自身の得物ごと空中へと吹き飛ばされた。

 

 そこを当然のように追撃するスルーズ。

 

 羽を持たない聖女は当然ながら空中での自由が利かない。地に足が付いていないのだから踏ん張りも利かず、空に舞う身体を制御する術も持たない。

 この上ない隙、この上ない好機。

 

 戦闘個体として生み出された彼女が敵の無防備を狙わない甘さなど持ち合わせているはずもなく、粛々と抵抗の余地がない聖女へと槍を突き立てる。

 

 刹那──。

 

「はああああああああッ!!」

 

「ッ!?」

 

 聖女が雄叫びを上げる。

 同時に彼女は聖旗と自身の体重移動で強引に体勢を立て直し、追撃して来たスルーズを地面へと叩き返した。

 

 そう、頭上を取られる不利を聖女は当然心得ている。ならばこそ、多少強引にでも相手の攻撃を利用して一瞬でも相手より上に立つことを優先したのだ。

 吹き飛ばされ宙に舞った聖女と、吹き飛ばし追撃を選択した戦乙女との位置関係はこの一瞬にのみ入れ替わった。

 

 そして聖女はこの一瞬さえあれば迎撃ではなく戦いに持ち込めると判断したからこそ敢えて敵の狙いを受け入れることを選択したのだ。

 

「かはッ……!」

 

 端正な顔を苦悶に歪ませ、スルーズが地に押し付けられる。

 そこへ聖女は先ほどのお返しとばかりに猛攻を加えた。

 

 流石は戦乙女とだけあって予想外の損傷からもすぐさま立ち直って迎撃を行うが今度は同じ地に足が付いたもの同士。

 対等な条件下ではその技巧は拮抗する。

 

 いいや……否。

 

「……あまり誇りたい話ではありませんが。力はどうやら私の方が上のようですね」

 

「くっ、おのれ……!」

 

 絶えず叩きつけられる聖旗の乱舞。

 スルーズはそれを巧みに捌いていくが、如何せん一撃一撃が重い。神霊として顕現するスルーズの性能は並のサーヴァントを遥かに上回っているモノの、それは調停者として招かれている聖女も同じこと。

 

 通常の英霊よりステータスに補正が掛かっているルーラークラス。それが今や世界の後押しを受けて『冠位』の称号を得ているのだ。

 《オルレアンの乙女》は恐るべきことに事、筋力(チカラ)においては数値上の性能で神霊たるスルーズのそれを凌駕しているのだ。

 

 だからこそ力比べではスルーズは聖女の後塵を拝することになる。

 

 十合、二十合──三十二合。

 技にて聖女の一撃を受け止め続けたスルーズであるが、力に押し負けて僅か体幹がブレた一瞬の隙に聖女が渾身の一撃を叩きつける。

 

「そこです!」

 

「きゃっ!?」

 

 壮絶な激音と共にスルーズの華奢な肉体がもんどり打って地面を回る。

 体中に軽い打撲を負いながらうつ伏せに倒れ込んだスルーズはすぐ様体勢を整えようとするが……一手、既に聖女は決めに動いている。

 

「天罰よ、此処に!」

 

「ッ、ああ!!」

 

 降り注ぐは光の矢。

 さながら薄明光線(エンジェルラダー)が如く、聖女の祈りに応じるようにして天より幾重にも連なる光線がスルーズの肉体を射抜く。

 致命的な部位への攻撃は携える盾にて払いのけるが、それでもその全てを防ぐことは出来ず二、三発と被弾し、悲鳴を漏らす。

 

「まず一騎、仕留めます!!」

 

「させないッ!!」

 

 くるりと聖旗を取り回し、構え直して聖女が疾駆する。

 この上ない好機。敵が複数いる以上、仕留められるところから数を減らしていくのは戦の常道である。

 聖女は容赦なく倒れているスルーズに止めを刺そうと動くが、それをさせまいと援護に徹していたオルトリンデが強引に割り込む。

 

 片手で聖女が止めと放った聖旗の一撃を受け止めて、もう片手でスルーズの身体を抱え込み、即座に空中へと離脱する。

 

「っ……!」

 

 スルーズの槍捌きを貫いただけあって聖女の一撃は片手で凌げるものではなく、僅かにオルトリンデの身体を掠めたが、彼女は構わない。

 流石の聖女もすぐに遥か空中にある敵への追撃は出来ないという判断の下、オルトリンデは距離を優先した。

 

 途中、オルトリンデの邪魔に遭っていた兵士たちが先のお返しとばかりに砲撃や弓の雨を降らすものの、聖女ならばいざ知らず、兵士の技量で戦乙女に傷を付けられるはずもなく、離脱を許すことになる。

 

「ふぅ……仕留め損ないましたか……」

 

 こちらの攻勢が届かない位置にまで一瞬にして駆け上がった戦乙女たちの姿を見送って聖女は少しばかりの無念を口にしつつ息を整える。

 流石にそう簡単に討たせてもらえる相手ではないとはいえ、意識を割かねばならない対象は少ない方が良い。

 

 ましてや──敵の全貌が明らかになっていないならば尚の事に。

 

「北欧神話に登場する神霊に等しい半神の存在ワルキューレですか。通常の聖杯戦争においてはまず呼び出されないはずの存在ですね」

 

 頭上よりこちらを睨みつけるオルトリンデ、並びに負傷から立ち直るスルーズの視線に正面切って返しながら、聖女は厳しい表情で言葉を漏らす。

 

「ルーラーのクラス特性たる『真名看破』が正常に働いている以上、サーヴァントとして現界しているのは間違いありませんが、クラスは持たず霊基も英霊の持つそれとは性能が異なっている。……この時代にあって限りなく神霊クラスの出力を許すなんて一体どんな手段を」

 

 前提として聖杯大戦と呼ばれるこの戦い。冬木の地より持ち出された聖杯を巡るこの儀式のサーヴァントは既に揃っている。

 “黒”と“赤”を合計した十四騎。即ちセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。

 

 戦いの末、何騎かの英霊は儀式から脱落しているモノの大聖杯が現世に呼び込む英霊の枠は埋まり切っているのだ。

 故に調停者として大聖杯と抑止力の判断の下、遣わされたルーラーのような例外中の例外でもない限り新たに英霊が呼び込まれるはずはない。

 

「あり得るとすれば一つは、英霊として呼び出されながら受肉し、現世に留まり続けた者」

 

 此処とは別の聖杯戦争で勝ち抜き、勝者となった英霊が受肉した上でもう一度聖杯戦争に望む。

 ……そのような例は聞いたことがないが、手段としてはあり得る可能性の一つである。

 

「そして、もう一つの可能性……ある意味では受肉した英霊以上に信じがたい話ですが、聖杯戦争とは関係なく、サーヴァントを呼び出したという可能性です」

 

 可能性、と自ら仮定しつつも半ば後者であることを確信するように聖女は言葉を言い放つ。

 そう、あまりにも信じがたい話だが、聖杯戦争と呼ばれる儀式なしにサーヴァントを、それも神霊クラスの存在を呼び出した可能性を聖女は疑っていた。

 

 理由の一つは他ならぬ聖女自身、事ここに至るまで戦乙女たちの存在を認知していなかったからである。

 

 ルーラークラスには幾つかの特権が存在する。調停者という役目の都合、他の英霊やマスターと高い確率で敵対しかねないことからそのステータスは通常のそれよりも大きく上乗せされることに加え、『真名看破』といった英霊の詳細を掴み取る特権スキルの存在、それに付け加えて高い索敵能力を有するという特徴があるのだ。

 

 少なくともトゥリファス。聖杯大戦の舞台となったこの地に集う英霊を感知できる程度には広範囲かつ高精度の索敵技能を聖女は有している。

 にも拘らず、聖女は今の今まで目の前の戦乙女たちの存在を感知できなかった。これほどまでに強大な霊基、魔力を有する存在にも拘わらずだ。

 

「或いはアサシンの持つ『気配遮断』のような特殊なスキルを有している可能性も考えられますが、私の目に映るステータスにそういったものの存在は見られない。必然的に彼女らの存在は第三者の存在を指し示すことになる」

 

 戦乙女自身に隠蔽にまつわる技能がないのであれば、それを為した存在はまず間違いなく彼女たちを呼び出したもの、それも英霊たるルーラーに対する高い隠蔽能力を有するほどの超抜級の使い手という事になる。

 

 隠していたのか、或いはこと此処に至って初めて顕現させたのか。状況の次第は推測しがたいが、どちらにせよ彼女たちほどの存在を呼び出せるという一点だけでもはや最大限の警戒をせざるを得ないだろう。

 

「ユグドミレニアの魔術師、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。抑止力すらも敵性判断を下すほどの存在。貴方は一体何者なのですか」

 

 今や聖女は唐突に現れた未知の敵を眼前の戦乙女以上に警戒していた。ただの魔術師というには余りにも常軌を逸している。

 神霊クラスのサーヴァント召喚、局所的な空想具現化。

 ともすればユグドミレニア総力で以ても叶うかどうか怪しい奇蹟をただ個人の技量のみで可能とするなど天才や鬼才を通り越している。

 

 今も囁く抑止力の神託──『敵を滅せよ』という使命からも察せられる通りかの者は世界の秩序に対して余りにも外れすぎていた。

 

「まさか……『根源接続者』? いいえ、それならばそもそも聖杯大戦に身を投じる理由がないはず。大戦に参した以上は願いと、聖杯に頼らざるを得ない能力の上限値が存在するはず。どれほど空前絶後であっても魔術師という枠に彼が捕えられていることに疑いようはない」

 

 あくまで『魔法使いじみた魔術師』。恐らくそこがアルドルという魔術師の限界点のはずだ。だとすれば神霊ワルキューレの存在も、空想具現化による環境変化もまた魔術の範疇ということだが……。

 

「いいえ、それこそあり得ない。一連の現象は魔術というにはあまりにも常軌を逸している。神代の魔術であっても、現代でこれほどの事は為せない」

 

 単純な話、魔術という規格ではこの一連の現象を説明付けることができないのだ。如何に込んだ術式を練り上げようとも神秘の衰退した現代でただの個人による魔術で此処までの事は出来やしない。

 それこそ魔術では単に出力が足りないのだ。ましてや局所的とはいえ星の改変など人理ではなく星の理に類する権利。

 

 そんな非常識、それこそキャスターの持つ宝具であっても……。

 

「────宝具(・・)?」

 

 ──アルドル・プレストーン・ユグドミレニアはマスター(・・・・)である。

 召喚したサーヴァントの枠は不明だが、令呪を持ち、聖杯戦争に参加している以上は英霊たる存在の主を務めるものの一人。

 常識外の神秘を個人で行使することが可能であり、ルーラーの目を掻い潜って何らかの手段を用いて神霊サーヴァントを世界に招けるほどの技量を有し、そして抑止力に排斥対象とされるほどの秘密を持った存在。

 

まさか(・・・)!」

 

 聖女は己の思い至った推測に戦慄する。

 神霊召喚、環境改変、星の権利、抑止の敵。

 

 英霊の宝具ですら不可能な一連の奇蹟。だが、アルドルという魔術師が本当に空前絶後の魔術師であり、マスターだとするならば、魔術とは別にこれほどの奇蹟を為せるだけの手段が一つだけ存在している。

 

 人理に記録させし、彼の異名が聖女の脳裏へと過る。

 魔術師たちは彼の事をこう呼んでいた。

 

 先祖返り(・・・・)人間の神(ヴェラチュール)──と。

 

 気づきを得た刹那に、聖女は突如として増大する魔力反応に顔を上げる。

 そこには──万の兵士たちを前にしても尚、不敵な笑みを浮かべる魔術師の姿があった。

 

「さて──神の名の下、恐怖を忘れた聖女の尖兵共。お前たちの信仰は果たして終焉を望む憎悪を凌駕できるか?」

 

 描かれるは神代魔術(エルダールーン)

 千年樹を名乗るユグドミレニアに生まれた神域の天才は威風堂々と抑止の尖兵たる者たちに相対する。

 挑むように、或いは受けて立つように。

 

「季節は移ろい、春から冬へ。怒りに燃える者よ、憎悪を吼えろ」

 

 かくして神話の伝承が紐解かれる。

 

 黄昏を経て神々は地表を去った。

 なれどもその憎悪、その記憶は一秒たりとも陰り無く。

 たとえ人々が神話の時間を忘れようとも。

 この恐怖は生命の根幹に刻まれしもの。

 

開門(ゲートオープン)

 

 魔術師が告げた瞬間、神代魔術(エルダールーン)が揺らめく。

 石を落とされた湖面の様に。

 空間へと広がる波紋。

 

 同時にそこから溢れ出すように圧倒的な冷気がたちまち世界を激変させた。

 

 春から冬へ。

 生命の脈動を感じさせる緑の風景は一瞬にして凍てついた。

 

 トゥリファスへ降り注ぐ冷たく白い嵐。

 太陽の輝きを覆う分厚い曇天。

 人知及ばぬ薄氷の地獄、何人も生きることを許さない静寂の世界。

 

 『九つ廻る千年神樹』──第五世界観(パターン・ニヴルヘイム)

 

 再現に特化した魔術師たるアルドルが神話の残滓(ユグドラシル)から組み上げた神話再現の極致であり、()が持つ宝具の一端。

 

 そして……。

 

「異なる神を断罪せんとするその傲慢を挫こう。身の程を知れ、神の代行者を名乗る人間ども。此処は神域(・・・・・)。貴様らの増長を窘める人知未踏の世界である」

 

 空間に響き渡る様、さながら遥か天から降り注ぐようなアルドルの不可思議な声に聖女も、兵士たちも反応できない。

 

 彼らは一様に変わっていく世界の様を、再び激変する環境に……否、否、否である。彼らが見るはただ一点、変わる世界の中心点。

 春を冬へと変えてみせた門より溢るるものをただ凝視していた。

 

 暗く、昏い底。

 日の光など存在しない冬の光景。

 監獄と見紛う暗闇の孔。

 

 そこから何かがこちらを覗き込んでいる。

 

 射殺すような鋭く冷たい邪眼。

 唸りと共に吐き出される極寒の冷気。

 恐るべき冬の権化。

 

 それ(・・)はただ憎悪していた。

 それ(・・)はただ赫怒していた。

 

 何に? 愚問である。この世全てにである。

 

後継(・・)たる私が遊星の尖兵の真似事とは中々皮肉の利いた話だが、アレと違って、怒りは全てに向けられたもの。まあ、不幸の押し付けということで弁明させてもらうとしよう」

 

 悪戯(いたずら)に顔を歪めるアルドルの声など耳にすら届かない。

 聖女も兵士たちも、それから目を離すことなど出来ず。

 

「ッ!!! 我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)ッ!!!」

 

 一瞬の躊躇いもなく発動される聖女の宝具。

 だが、それすらも。

 終わりの冬(フィンブルヴェトル)の前には己を守る役にしかたたない。

 

「やれ、ニーズホッグ(・・・・・・)。お前が憎む神の尖兵はそこにいるぞ」

 

 

『──────■■■■■■ッッ!!!!!!』

 

 世界に轟き渡る邪竜の咆哮。

 神代より今を生ける最強の幻想種が全ての信仰を薙ぎ倒した。




某戦神「ぶっ殺すぞお前(われぇ)!!」

邪竜「ぶっ殺すぞお前(われぇ)!!」


遊星の化身「困った時の協力、良い文明」

神話の後継「先達のリスペクト、良い文明」


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九天に注ぐ杯

 アルドルの築き上げた魔術工房にして、彼の計画の根幹にある大魔術式。

 名を『九つ廻る千年神樹』。

 

 かつて北欧世界に存在した神々と幻獣と人間たちの暮らした世界観、宇宙観を完全再現し、固有結界内には今は失われた神秘が数多秘蔵されている。

 北欧世界に息づく妖精や幻獣は勿論のこと、神々を害した魔狼の末裔、神々と敵対した巨人族の末裔など、友好的かそうでないかを問わず、北欧神話観に存在したか否かのみを制限とし、余さず彼らを内包していた。

 

 正に規格外──とはいえ、実のところ工房を形作る魔術式自体はとても単純であり、必要となる聖遺物や素材など発動するに足る条件を揃えることは難しくともやっていることは何処まで言っても再現の枠から飛び出さないのだ。

 

 術式自体は魔術でも基本とされる照応や伝承の模倣。『望郷の魔眼』を始めとして再現に特化した魔術や異能を有するアルドルがユグドラシルの神枝という特級の神秘遺産から嘗て存在した世界の歴史、テクスチャの一端を読み取り、それを神話観になぞって創り上げた魔晶の模倣樹に転写しているというだけのもの。

 

 再現──そのルールに縛られる以上、アルドルにできるのはかつて存在した世界観を作り上げる事までであった。

 ならばこそ、彼の創り上げた世界観に住まうものはあくまでも模造、模倣。記録から呼び起こした形だけのものとなるはずであった。

 

 しかし彼の固有結界内の存在は例外なく生きている。

 生命体として独立し、個我を有して生活している。

 

 それは余りにも矛盾であろう。

 

 生命体の創造……それも既に地上から消え失せた幻獣や妖精といった存在をも独立した生命体として再現するなどというものは魔法の領域に等しい。

 アルドルという魔術師はあくまで「魔法使いじみた魔術師」である以上、舞台を再現することは出来ても登場人物までは用意できないはずだ。

 

 にも拘わらず、アルドルの固有結界には生ける神秘が息づいている。

 その不明、その矛盾の原因は『彼』にあった。

 

 

 ──元々、北欧神話世界に生きた『彼』は神々が黄昏を経て地上から消え去った後もかの偉大なる大神の後進として次代の世界を担う責務があった。

 神々亡き後の北欧神話世界観にて生き残った者たちを引き受けるという役回りである。

 

 北欧の神々の方針は、黄昏を経て訪れるだろう人の世を尊ぶというものだ。そして霊長の繁栄に際しては余分な残滓は不要だろうとし、生き残りを星の内海へと隔離し、人よりその存在を分かつことを選んだのだ。

 元より大神の後進という立場であった『彼』はその役目を引き受け、生き残りたちを引き連れて星の内海へと潜り、残されたささやかな世界を照らし続けていた。

 

 誰からも忘れられた黄昏後の楽園。

 永劫不変に沈黙し続けると思われた光の園は、しかし一人の魔術師が辿り着いたことで千年ぶりに開かれることとなる。

 

 魔術師は己が願いと展望のために『彼』へと『契約』を持ち掛け、『彼』もまた数奇な運命を持ち合わせた魔術師の行く末に興味を持ち、力を貸すことを約束した。

 だが、『彼』がいなくなれば内海に残された世界からは『光』が無くなり、残されたモノたちは忽ち泡沫として消えてしまうことになる。

 

 故に『彼』の懸念を失くすためにアルドルは『契約』に際して新たな移住先を提案した。それこそが極大規模の固有結界『九つ廻る千年神樹』である。

 

 そう、『九つ廻る千年神樹』が世界観の模倣に留まらず北欧世界の住民まで再現している理由はそこにあった。文字通り、当初より新たな移住先として用意されたこの世界には北欧神話の生き残りたちが今も息づいているのだ。

 

『おや?』

 

 よってこの世界に生きる住民たちの王は彼らに動きがあれば当然気づく。第五世界観。その深淵。今にも尚、その憎悪を燃やし続け、アルドルは疎か『彼』すらも制御不可能なかの悪竜が身じろぎしたのを感じ取り、言葉を漏らした。

 

『いきなり最大最高の大砲を使い切るとは、思い切りが過ぎやしないかい? アレの憎悪は筋金入りだ。砲の指向性を確保するだけでも君には相当な負荷だろうに』

 

 ニーズホッグ。それは北欧神話において語り継がれる世界樹の根を食む悪竜の名だ。『彼』と同じく黄昏の果てに生存した数少ない生き残りの一人であり、神代より現代まで生存し続けた純血の竜種。

 並の英霊どころか大英雄のカテゴリに収まるサーヴァントにすら匹敵する超抜級の幻想種である。

 

 神代が終わった後は地底(ナーストレンド)を住処とし、現代文明からは完全に距離を取っているが、今なお北欧神話の神々への憎悪を燃やしている。

 

『アレに協力の概念は無い。仮に現世へと呼び出せば真っ先に僕を狙ってくるだろうし、次点は他ならぬ君だ。利用法としてはせいぜいが、こちらの気配を敢えて悟らせ、攻撃させ、その攻撃の指向性のみを操って便利な大砲に仕立て上げるぐらいだ』

 

 そう、邪竜の憎悪は誰にも制御できない。

 

 アレほどの神秘存在を使役することなどそれこそ大神クラスでも出来るかどうかという話だ。

 よって、アルドルは自らの固有結界にかの者の存在も組み込むと決めた段階で制御ではなく、利用することに注力し、術式を構築している。

 

 第八世界観(ヘルヘイム)ではなく、第五世界観(ニヴルヘイム)に扉を作ったのも、神秘が減衰し、ギリギリ現代の枠に収まっている時系列(ピリオド)とすることでニーズホッグが扉を食い破って地上へと現界させないための措置である。

 

『それでも君自身に掛かる負荷は尋常じゃないだろう。一度の制御で君の魔術回路が殆どすべて焼き付くほどだ。少なくとも開戦早々に切っていい手札じゃないだろうに』

 

 『彼』はアルドルらしくない判断に一人、小首を傾げた。

 誰よりも未来へと視線を向け、誰よりも慎重に事の全てを運んできた男だ。

 当然、現在敵対する抑止力がどういうものか知っているはずだし、純粋な力比べではどう足掻いても勝ち目がないことだって知っているはずなのに。

 

『南米の折は相手があくまで抑止力から援護を受けた、ただの英霊(サーヴァント)であることを利用して『本体(ボク)』に成る(・・)ことで返り討ちにできたけれど、此度の相手は冠位英霊(グランド)それも僕の見る限り、幾つかの反則を乗せている。思うに君対策だろう』

 

 人類の抑止力、カウンターガーディアン。

 人類の永き存続に障害を齎すものを問答無用で排除するそれは、前提として排除対象よりも強大な存在、ないしは排除対象に対して特攻が働くようなものを用意してくる。

 

 現秩序に多大な影響を及ぼすであろうアルドルの計画を害するために派遣されてきた『冠位英霊』も例外ではない。しかも一度、排斥に失敗した記録を有する抑止力だ。二度目は確実に抹殺すべく、それこそ世界そのものがアルドルの不利に働き続ける。

 

こちらの領域(トゥリファス)に入った段階で彼らの関与は減衰するが、大聖杯を未だ獲得していない以上はあくまで聖域(・・)止まり、人理の延長線上だ。守護者の力は精々が三割減程度、勝率が僅かに残されている、といった処か』

 

 半ば『工房』の枝と化しているトゥリファスの霊脈。

 そこを介して『彼』は現在の状況を的確に知覚していく。

 

『まさかとは思うが相手が底を出す前に決めに行ったのかな? 純粋な出力比べに持ち込まれる前に何もかもを決めようと? それでは前と同じだ。流石に二度目は通じないよ。そんなことが君に分からないはずないのだけれど』

 

 はて、如何なる意図があるものかと『彼』はアルドルの狙いが読み切れず思考を回す。

 

 敵の数に対応するだけならば、戦乙女たちやニーズホッグを早々に呼び出して宝具という切り札を使い切らずとも魔狼たちか、巨人どもを当てれば十分だっただろう。あくまで敵の兵士たちは多少強力な霊体だ。神代より血を繋いできた幻想種たちに霊格は遠く及ばない。

 

 彼らを宛がい、兵士たちを食い荒らせば事態を打開するため、例の聖女は新たな手を打ってくるだろう。少なくともそうしてある程度、敵の力の底を見切ってからでも遅くはない。

 

『ニーズホッグの出力を上回る手札となれば、あとは僕ぐらいだろうけど、二度目は無いと君自身よく理解しているだろうに。まさか寄り道で消滅するつもりかい。確かに戦況は優位を築けているけど、君の記録を見る限り、君抜きではあの聖人の相手は厳しいだろう』

 

 現在までにアルドルの暗躍もあって“赤”は殆ど一方的な消耗を負っている。通常、この状況であればアルドルが居なくとも彼の叔父であるダーニックの手腕で如何様にも進められるだろう。

 だが、それは相手が単純に魔術協会から派遣された魔術師たちの組織であればという話だ。

 

 “赤”の裏に例の神父がいる以上、まだ逆転される余地があるというのが『彼』の見立てだ。そうでなくとも自身へ向けられる好意に鈍いアルドルは気づいていないようだが、アルドルはユグドミレニアの精神的な主柱である。彼が消えれば“黒”のアーチャーや“黒”のバーサーカーのマスターは勿論のこと、ダーニックですら動揺するだろう。

 そして、そんな隙を例の神父が逃すはずなどない。

 

 天秤は依然、拮抗しているのだ。

 途中下車が許されるほど楽観していい状況ではない。

 

『サーヴァントの数も未だ健在だしね。主力と呼ばれる英霊は未だ誰一人落ちていない。特に君が最大級の警戒を向けている“赤”のランサー辺りは君の状態から薄々、僕にも察している節があるからね。まあ伝承的に彼は今の君と似たような状態(・・・・・・・)を体験しているみたいだから言わずもがなだけど』

 

 同一起源体(ルクス)の活躍によって、“赤”のライダーを筆頭に完全回復が厳しい損害を与えることに成功したようではあるが、結果的には敵を討ち果たせてはいない。

 最も警戒する敵方の英霊は無傷のままで例の神父は何やら怪しい動きを匂わせている。

 

 この聖杯大戦が決着を見るには、恐らくあと一度決戦を行う必要があるだろう。

 

『だからこその『寄り道』だ。彼女の存在は大局に大きく影響を齎すが、それは“赤”の方も同じ事情だ。上手く整えれば呉越同舟で打ち滅ぼす盤面にも持ち込めただろうに』

 

 第一にアルドルにとって厄介な聖女の存在は相手にとっても同じである。

 例の神父もまた不相応な理想を掲げ、杯を求める者。

 上手くすれば、“赤”を利用して彼女を討ち果たすことだって出来るのだ。

 

 本命は聖杯大戦の勝利。

 抑止力の介入を嫌うあまりそちらにばかり戦力を割いていては本末転倒というもの。

 ニーズホッグや戦乙女など持ち出さずとも、やり様はあっただろう。

 

『というか、だ。僕はてっきり彼女を討つ役目は君のサーヴァントだと思っていたんだけど、そのためにわざわざ迂遠な立ち回りをしていたんだろうし、いつの間に方針を────…………ん?』

 

 突然、独白が止まる。

 何かに気づいたように『彼』は黙り込む。

 次いで霊脈を介して街を精査し、現場の状況を把握する。

 

 二秒ほどの沈黙ののち、『彼』は納得したように頷く。

 

『ああ──だから派手に立ち回っているのか。成程、勝てないことは重々承知。最後の最後でひっくり返せば委細問題なしと。ははは、相変わらず性格が悪いな君は』

 

 声音は何処か呆れるように。

 演者に対して至上の礼を払いながら容赦なく叩き潰しに行くアルドルの姿勢に『彼』は困った風に独白を続ける。

 

『初手、こちらの領域に全員を取り込んだことで既に手は打ち終えていたという訳か。『冠位英霊』の上書きで聖女の記録はほぼ初期化されている。後は視点(カメラ)を変えられるこちらの特権で向こうの視点から自然な形で映らないよう仕向けさせるだけでいい、と』

 

 恐らく、ルーラーと会敵し、抑止力が干渉してきた段階で方針は決まっていたのだろう。ルーラーがルーラーのままであった場合と、何らかの変調をきたした場合。

 前者ならば予定通りに、そして後者ならば注目を利用するという作戦に。

 

『そういうことなら、精々派手に負けると良い(・・・・・・)。僕はその時が来るまで依然、こうして観客に努めよう。泥臭く意地汚く、何より後悔しないように戦うと良い』

 

 ひとしきり笑い、納得し、『彼』は再び沈黙する。

 『光』は静かに事の推移を見守るのみ。

 

 魔術師がその魂を燃やし尽くす選択を行うまで観客に徹するのである。

 

 

 

 

 ──白く、白く、ただ白く染め上げられた視界。

 身の毛がよだつ憎悪の咆哮を前に聖なる軍は為すすべもなく飲み込まれた。

 

「──……かはっ!」

 

 沈黙する銀の世界。

 それを拒むようにして白い大地を跳ねのけて、乙女は立ち上がる。

 オルレアンに奇跡を呼び込みし英雄ジャンヌダルク。

 雪崩のような竜の咆哮(ドラゴンプレス)を受けながら彼女は何とか生存を勝ち取った。

 

「はぁ……はぁ……くっ……!」

 

 無論、無事ではない。

 咄嗟に全力で発動した自身の宝具は五体満足こそ、保証したが尋常ならざる魔力消費を要求した。今や抑止力の使者として桁違いの魔力供給を受ける彼女であるが、それでも器の方は無限ではない。どれ程、多くの魔力を受け取れようと、一瞬のうちに自身の器に収まる魔力を使い切れば、消滅は必至だ。

 

 つまるところ、彼女は今、死にかけたのだ。

 時間経過によって再び魔力は回復の兆しを見せているが、即座に全快まで達しないという事実が、先の攻撃が要求した消耗の深さを物語っている。

 

「状況は……!」

 

 自身の消耗を無視して聖女は戦を優先した。

 ……何が起こったかは把握している。

 

 ニーズホッグ、恐るべき冬の災厄。

 北欧神話世界に君臨し、黄昏からも生き延びた邪竜。

 一体如何にしてかは知らぬが、アルドルはそれを旗下に置いていた。

 その結果こそが銀色の世界だ。

 

 邪竜の咆哮は悉くを飲み込み、周囲は雪崩後のように一面は白く染め上げられた。今なお続く吹雪の余波がその威力の程度を語っている。

 聖女が守れたのは精々が自分の身一つであり、旗下の軍勢がどうなったかまでは把握していない。

 だが、楽観できないことは明らかであった。

 

 永遠のような体感。時間にして僅か三十秒の白い闇(ホワイトアウト)が晴れる。

 そこに広がっていたのは……。

 

「────」

 

 何もかもが止まっている死界であった。

 

 兵士たちは末期の恐怖を顔に張りつけ固まっていた。

 ──氷の中に閉じ込められているわけではない。

 ──氷点下に晒され、凍死しているわけでもない。

 

 まるで魂の熱ごと寿命(時間)を止められてしまったように。

 彼らは皆、生命活動を停止していた。

 

「──バロール王の死を齎す魔眼、或いはメドゥーサの石化の魔眼の同類だ」

 

「ッ!」

 

 声を聴いて聖女が咄嗟に身構える。

 しかし、臨戦態勢を整える聖女を意に介すことなく、魔術師の方は朗々と、雪の大地を踏みしめながらかく語る。

 

「氷獄の呪い──生命体の寿命を停止(とめ)る邪竜の災いだ。冬が呼び込む凍死を概念化したものであり、触れれば最後、例外なく熱は止まる。魂も、思いも、全て。本質が呪いである以上、仮に焔を司る宝具であっても対応は出来ん。かの邪竜に対抗するならば属性でなく、概念で対応するのが正しい。例えば聖火や、聖女の祈りと言った風に、な」

 

「……そのようですね。肉体ではなく、その魂を射止める呪い。肉体は無事であっても中身が止まってしまえばそれは死んでいるのと変わらない。そういう呪い(もの)です」

 

 生身であれば凍死免れないはずの世界にあって、視界に収まるその魔術師は悠然と。白い息を吐くことすらなく立っている。

 魔術師アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 不倶戴天たる敵は今にも飛び掛からんとする聖女とは対照的に無手。油断なく構えながらも剣を交えようとする気配はなかった。

 

「どういうつもりですか?」

 

「それは寧ろ、こちらの言葉だ。抑止力の守護者。まさかお前がこの程度で詰むほど手ぬるい存在ではあるまい。さっさと次の手を指せと、そういうつもりだよ」

 

「……やはり貴方は知っている、いいえ、知っていたのですね。私の事も、抑止力の介入も」

 

「予想できたのは後者までだ。こういう形で介入されるのは二度目だが、こういう形での介入もあるのだとは識らなかったよ。私は所詮、人間でね。全知全能は程遠い」

 

 肩を竦めながら自身の能力の限界を語るアルドル。

 だが、聖女に言わせれば謙遜にすらならない。

 

 何故なら目の前の魔術師は抑止力という存在の介入すら予想の中にあると言い切ったのだ。ある意味では聖杯よりもあり得ない抑止力の直接介入という事態を。

 それはもはや用意周到や思慮深いなどという次元の話ではないだろう。精度としては未来予測に近い次元の異能を保持してるとしか考えられない異常である。

 

「やはり、本当に根源に……?」

 

 聖女の問いにアルドルは虚を突かれたような顔になる。

 推測が本当に予想外のものであったのだろう。

 感情の読めない鉄面皮に珍しく人間らしい表情を浮かべて嘆息する。

 

「……成程、そっちに行くか。まあ、ある意味ではそちらの方が現実的な予測ではある。我が身のことながら私という存在は余りにも奇天烈だからな。全ての生涯(記録)を保持したままの転生などあの『蛇』辺りが知れば憤激は免れんだろうし」

 

「何を……」

 

「こちらの話だ。……私の身の上を探る余裕はあるまい。それとも役目を全うすることを諦めるか、抑止力の遣い」

 

 人間らしい反応も一瞬の事。

 聖女の疑問にハッキリとした答えを返すことなくアルドルは、聖女の動きを観察する。

 対する聖女の方は眼前の魔術師を鋭い眼光で見据えて──不意に自身の聖旗を地に立てた。

 

「──聖杯大戦を運行するルーラーとして、主より遣わされたものとして、問います。“黒”の陣営のマスター、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。貴方は何の目的があって、大聖杯を、奇跡の成就を願うのですか」

 

 武器を置いて、問いを投げる。

 それは戦場において愚行であろう。

 ただでさえ敵は抑止力をして排除対象の烙印を押した存在。如何な手段か神話を現実に持ち出すことを可能とする空前絶後の魔術師である。

 

 先の邪竜に加え、恐らく白い闇の奥に控えているだろう戦乙女もいるのだ。一瞬の油断も許されない状況下において武器を置いて言葉を語るなど愚かという他ない。

 

 だが、同時にこの疑問は絶対に解かねばならないと聖女は確信したのだ。これほどの規模、これほどの手札を揃えてまで聖杯大戦に挑む者。

 これだけの神秘を司りながらも、万能の杯に手を伸ばさんとするその真意を。

 

「……こと此処に至って問答か。時間稼ぎのつもりか?」

 

「いいえ、私が知るべきだと判断したからです。私を……世界を敵に回してまでも叶えたい貴方の望みというを」

 

「ふむ、それで善きものであれば見逃してもらえるのか?」

 

「いいえ、それが善きものであれ悪しきものであれ、貴方の願いを叶えさせるわけにはいきません。主がそのように判断した以上、ルーラーとしてその役目を果たします」

 

「では無意味極まる問答だな。答える義理は──」

 

「ですが、()は知るべきだと判断しました。貴方ほどの魔術師が願う奇跡の正体を。世界そのものが否定の烙印を押したものの正体を。それが……願いに命を懸けるマスターを一方的に罰する私の義務です」

 

「……義務、義務と来たか」

 

 聖女の言葉にアルドルは目を細める。

 

 世界による一方的な介入。ルーラーとしての役割。

 迷わず役目を実行する覚悟がありながら同時に、参加者たちが自身の全てを懸けた争いに横やりを入れるという無粋。それすらをも自らの責務と背負い、倒すべき命を対等と見做した上で、絶つ。

 

 聖教において殺人は罪である。だからこそ、かつて教徒たちは倒すべき敵に異教の烙印を押し、隣人ならざる異端として排除したというのに、聖女は人を人としたまま倒す覚悟で相対している。

 

 自身の罪を見つめ、受け入れ、背負った上で進む。

 それは何とも真っすぐで眩い覚悟であることか。

 

「『私は聖女などではない』──(ガワ)が多少変わっても聖女は聖女という事か。まったく、呆れるほどの真っ当さだな」

 

 微かにアルドルは笑みを浮かべる。

 魔術師としてではなく、かつてその勇姿に見入った者として。

 人間らしい感動の笑みを。

 

 ──ならばこそ、全身全霊で相手せねばなるまい。

 

 余分(感情)が消える。

 人から魔術師へ、挑む者へ。

 

 焦がれた本を破り捨てるように、魔術師が進み出る。

 

「……私の願いを問うたな、聖女。ならば返す答えは単純だよ。千年樹に栄光を──私の願いは終始一貫してそれだけだ」

 

「聖杯に、一族の繁栄を願うと?」

 

「ダーニックは、そのようだが。私は違う。君に私がどう見えているかは知らぬが、これでも私は悲観者でね。たかだか聖杯程度(・・・・)で我らユグドミレニアが魔術世界を凱旋できるなど想像できない」

 

「聖杯程度、とは。魔術師たちが追い求める万能の杯を随分と軽く見るのですね」

 

「正しい評価だろう。万能と言えど好き勝手に扱えば抑止力(お前たち)が現れる。叶えられる願いに制限のある万能など不完全も甚だしい。実際、幾度も聖杯の儀式は失敗している。『冬木』の聖杯の完成度を以てしても精々が人並みの望みを成就させる程度であろうよ」

 

 アルドルの言葉は魔術師として余りにも異端であった。魔術師たちの誰もが全てを懸けて追い求めるほどの願望器、聖杯を不完全と言い切るなど真っ当な価値観の魔術師ではありえないことだ。

 だが、同時に……恐らくは聖杯を入手した()にあるであろう大望を抱えるアルドルらしい言葉でもあった。

 

「それに世界は広く、深淵に底はない。魔術協会にせよ、聖堂教会にせよ、聖杯ほどの万能性が無くとも聖杯に匹敵する神秘は蓄えていることだろう。たとえ聖杯があろうともたかが数世紀の積み重ねで数十世紀の歴史に敵うなどとはとてもとても」

 

「なるほど──ユグドミレニアという魔術一族の独立には聖杯では足りない、そう考えるからこその評価ということですか」

 

「そういうことだ」

 

 聖女の言葉をアルドルは肯定する。

 彼の聖杯に評価が低い理由は単に、聖杯ほどの並外れた聖遺物(アーティファクト)であろうとも相対するものの強大さと比較しての言葉だった。

 彼は自らを悲観者と表したが、この発想は寧ろ現実主義者(リアリスト)故のものだろう。

 確かに「一族の繁栄」という願いだけでは、ユグドミレニアに栄光は程遠い。

 

 仮に聖杯を手にし、願いを成就させたところで、せいぜい魔術世界に魔術協会に合流しない魔術一派が出来る程度であり、今日まで続く魔術社会に何ら影響を及ぼさないことだろう。

 アインツベルンのような独立した魔術一族にユグドミレニアという新たな家が加わるだけで今までと大差はない。

 

「或いはダーニック程の政治的手腕があれば協会とも渡り合えるのかもしれないがね。どちらにせよ聖杯を手にした所で得られるのは衰退の時の先延ばしだろう。協会に替わる新秩序を作り上げるという栄光には程遠い」

 

 或いは聖杯を悪用し、ユグドミレニアに勝る全ての組織の絶滅を聖杯に願えば、望みが叶ったと言えるやもしれぬが、それこそその手法では抑止力の粛清対象だろう。

 敵を滅ぼす方法を用いようが、自らを底上げする願いを用いようが、ユグドミレニアが魔術世界を凱旋するためには聖杯だけでは足りなさすぎるのだ。

 

「……分かりませんね。では貴方は何のために聖杯を求めるのですか。聖杯では自らの悲願が叶わないと知りながら何のために」

 

部品(パーツ)だよ。聖杯という機能に用はない。欲しいのはあらゆる願いを成就させるほどの出力を誇る魔力にある」

 

 不明を問い質す聖女の言葉。

 それに間髪無くアルドルは言葉を返す。

 

「要は質も数も足りていないから無意味なのだ。聖杯一つでは協会や教会の積み重ねには決して届かない。ならばどうすればいいか、答えは単純だ。こちらも質と数を底上げすればいい」

 

 口にした願いは王道だった。

 一族を繫栄させる。それはユグドミレニア当主、ダーニックと同じ結論でありながら、ダーニックよりも箍が外れている印象を抱かさせる言葉。

 

 胸騒ぎにも似た焦燥感。抑止力が敵と見做した男の結論。

 聖女は意を決して、問う。

 

「それは、聖杯を使って一族の力を底上げすると、そういう事ですか」

 

「違うな。言っただろう、聖杯は部品に過ぎないと」

 

 不意にパチンと、アルドルが指を鳴らす。

 刹那、背後に展開されたのは無数のルーン魔術。

 

 それもただのルーン魔術ではなく原初のルーン。

 神代に連なる者が操る神代魔術の一端である。

 

「時に聖女、君は神代魔術がどういうものか知っているかね。これらは言葉の通り、神代……まだ根源が近き所にあった時代に魔術師たちが行使したもので、現代魔術とは比較にならない、神秘や力を秘めている。今にこれを使うことができるのは『彷徨海』のような神代より今に時を重ねて来た一部のものたちのみだ」

 

 中空に瞬く原初のルーン。

 それを横目に眺めつつ、アルドルは不敵な笑みを浮かべて聖女に笑いかける。

 

「もしも──これら神代魔術が、才能も適性も関係なく、誰にでも(・・・・)扱える(・・・)ようになった(・・・・・・)ら魔術世界の秩序がひっくり返るとは思わないか?」

 

「────な」

 

 アルドルの言葉に聖女は絶句した。

 神代魔術。遥か過去に魔術師たちから失われた神秘の行使。

 彼ほどの空前絶後の才能と努力で以てようやく実現する魔術の業を誰にでも扱える領域に落とし込む。それは確かに魔術協会や聖堂教会の歴史に追いつくだろう手段であり、あまりにも狂った発想であった。

 

「魔術協会が今日まで圧倒的な勢力として魔術社会の秩序を担っている理由は、連中が魔術の研鑽に必要な術式や魔導書、霊地を独占しているからだ。つまるところ、連中は魔術研究の環境を手元に置くことで一大勢力を築き上げたと言える。ならばこちらも同じことをすればいい」

 

 神代魔術に、聖杯という無限の魔力供給源。

 才能も適性も何もなく、ただユグドミレニアであるというその一点だけでこの二つが手にできるとなれば確かにユグドミレニアは魔術協会や聖堂教会に匹敵する勢力に、いいやそれをも凌駕する一大勢力に成りあがることが可能であろう。

 

 何せ垣根の低さに対して得られるメリットが桁違いだ。

 魔術協会にしろ聖堂教会にしろ、より深い部分にある神秘には相応の立場と政治的な立ち回りが要求されるが、アルドルの言う構想ならば、ユグドミレニアであるというだけで、神代魔術という現代の魔術よりも深い部分にある神秘に触れることができるのだ。

 

 衰退しつつある名家や歴史の浅い新参者ほど、ユグドミレニアの提供する環境は楽園に等しい価値がある。

 そして参入した魔術師らが悉く神代魔術を体得した魔術師ともなれば……ユグドミレニアは質と量ともに魔術社会を一変させる勢力となることは間違いあるまい。

 

「不可能です! 如何に聖杯の力を以てしても一族全てに神代魔術を扱わせるなんて。魔術には縁がありませんが、貴方の願いの非常識さは分かります。魔術世界における現代と神代の壁は簡単に越えられるものではないでしょう。それこそ歴史の改変、時代を組み替えるほどの禁忌に等しい!」

 

「そうだな。現環境に干渉を掛けるのであれば、どこぞの怪獣王女(ポトニアテローン)の如く、人理そのものに干渉しなくてはならない。そんなことをすれば下手をしなくともこの偏向線(ライン)ごと剪定されかねん。だが、神代魔術を扱うだけならばそのような規模の改変は必要ない」

 

「……どういうことです」

 

「魔術師であっても知るものは少ないが、神代魔術とは『契約』だ。仔細は省くが、文字通り神代に生きた神々と契約した魔術師が行使するのが神代魔術と呼ばれるものの正体だ。そして私がこうして証明するように契約は、環境に左右されない」

 

 たとえ環境が神代の終わりであっても、神との契約さえ生きているのであれば、現代の環境下でも神代魔術は行使できるとアルドルは語る。

 恐らく、契約に際して細かな条件は伴うのであろうが、単に神代魔術を行使する上で必要なのは神々、神霊との契約が鍵となるのだと。

 

「……では貴方の目的はユグドミレニアに与する神の召喚──いえ、待ってください」

 

 神代魔術は神と契約することによって成り立つとアルドルは語った。

 だが既に現代にありながらアルドルは平然と神代魔術を行使している。

 

 時系列が合わない。

 願いの順番が逆であろう。

 

 終点がユグドミレニアたる者が神代魔術を行使できる未来であるのなら。

 そのために聖杯を使って『神』の召喚を望むのであれば。

 

 今、アルドルが神代魔術を扱えているのはおかしい──。

 真実に気づいたように目を見開き、聖女は魔術師に視線を向けた。

 

 ──然るに、もう遅い。

 『工房』は既に完成している。

 

「──悲願は自らの手で勝ち取ってこそ価値がある。私に聖杯に縋りつくような願いはない。杯は我が九天に注がれ、その果てに黄昏の果ての栄光は訪れる。構えろ、人理を守護する防人よ、新たな理を築く者として、古き秩序を此処に排する。聖杯を手にし、私は神話を再演する」

 

 それが最後通告だった。

 同時に白い闇を引き裂いて、聖女へと襲い掛かる光の矢。

 言うまでもなく、それらはワルキューレたちの攻撃であった。

 

 聖女は聖旗を再び手に取り、身を翻して光槍を回避する。

 

「──抑止より人理を託されたものとして、聖杯戦争の秩序を担うものとして、貴方の願いは許容できません。自らが願いにより人の理を反すのであれば……貴方は敵です! アルドル・プレストーン・ユグドミレニア!」

 

 よって、これより先に言葉は不要。

 不倶戴天の敵として両者は再び激突を再開した。



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光の輪舞曲(ロンド)

 かくして異なる教え、異なる責務を胸に。

 二つの光は死地へと踏み込んだ。

 

「やあぁァァァ!!」

 

「オオォォォォ!!」

 

 激突する魔剣と聖旗。

 マスターとサーヴァント。

 常識的に見れば優劣明らかなる対決。

 

 だが、在り得ざる現代神話の中にあって、そのような常識を語ることほど無意味なことは無いだろう。

 身の丈に合わぬ理想、身の程を知らぬ無謀、それを貫き通した果てに魔術師が辿り着いたのは魔人の領域。

 優劣は、狂気の前に叩き潰される。

 

「これは──!」

 

 一合、二合、三合──崩れない。

 身体能力において圧倒しているはずの聖女の一撃が悉く撃ち落とされていく。

 耳に響く金属の悲鳴。

 激突は終わりを見せず、此処に拮抗が発生する。

 

「──シィィ!!」

 

 その戦いは剣技にせよ、杖術にせよ、お世辞にも洗練されたものではなかった。口から洩れる檄は獣のように。

 打ち交わす武芸は何処までも泥臭いものである。

 

 “黒”のセイバーの様に竜を討つほどの技巧は無く。

 “赤”のライダーの様に恐れを知らぬ奔放さは無い。

 

 人の範疇の技巧。

 即ち、自らの生存を保証し、相手のみを仕留める殺人技術である。

 

 ──元より両者は御伽噺の存在ではない。

 片や故国を救わんとして、戦の御旗を取った者。

 片や一族を救わんとして、戦に身を投じた者。

 

 武術を人を殺すための道具と見做して磨いてきた者同士。

 基底にある術理は全く同じものであった。

 

 技量は互角。

 

 自身が戦うことを本分としないジャンヌダルクと魔術こそが牙であるアルドルでは単純な戦闘術理において大差は存在していなかった。

 

 その上で武技の激突において有利なのはやはり聖女だろう。

 彼女はサーヴァントである。英雄としてその生を駆け抜け、今や人類の総意志たる抑止力を代行する者。

 一時的に冠位を頂いた彼女の能力値は既にジークフリートやアキレウスと言った大英雄に勝るとも劣らない。

 

 まかり間違ってもただの人間。多少強化された程度の魔術師など、そもそも障害にすらならぬほどの絶対的な差があるのだ。

 加えて得物は身丈を凌駕する聖旗。精々が半身ほどの長さしかない魔剣と比べれば歴然とした間合いの優位である。

 

 性能差、有効範囲──単純な比べ合いにおいてアルドルが生存を勝ち取れる可能性は万に一つにもあり得ない。

 しかし……。

 

「侮るな、サーヴァント──!」

 

 見るが良い、幾度となく叩きつけられる死地を幾度となく跳ね返す魔術師の姿を。

 圧倒的不利にあってアルドルは健在だった。

 

 魔術的強化や彼が積み重ねて来た経験の数々、説明に値する要因は様々存在しているが、彼が踏みとどまれている理由の最大は一つのみ。

 勝利への強い渇望。ただそれのみだった。

 

「ッ!!」

 

 聖旗の乱舞をすり抜け、魔剣が頬を掠める。

 一歩も引かず、寧ろ殺すと言わんばかりの気合は無謀の具現であった。

 

 両者の関係性を見れば、聖女に食らいつくため、性能で劣るアルドルは本来であれば受け身を重視した戦いを選択して然るべきのハズだ。

 だが彼は自らの滅びなど気にかけることなく、踏み出す。

 

 敵は殺し、自分は生き残る──。

 そんな理念の下、組み上げられたであろう武技の全てを目の前の勝利のみに費やした狂気の沙汰が常識を容易く捻じ曲げていくのだ。

 

「ッ! ……そんな無謀が、いつまでも──!」

 

 気圧される己を叱咤するように、聖女もまた攻めかかる。

 

 脇腹を抉り抜かんと聖旗を横薙ぎに放つ。

 相手が踏み込んできた直後に合わせて的確に放たれた一撃は身を守るしか受ける手立てのない攻撃であった。

 仮に回避を選べば強引な挙動をしなくてはならず、体勢が崩れることは必至。かと言って攻めかかるために踏み出しておきながら守りに入れば相手に手番を委ねることになる。

 

 どちらにしても天秤は聖女の方へと傾いていくだろう。

 守りにも逃げにも未来は無い。

 よって選ぶべき道はただ一つ。

 

「続けるとも。勝利を掴む、その時まで!」

 

「なっ──!」

 

 弾かれる聖旗。より深く踏み込んだアルドルは強化した自らの片腕で以て、聖女の一撃から強引に身を守る。

 

 無論、受けきれるはずなどない。

 鮮血が空中を舞う。

 幾らアルドルほどの魔術師が強化を加えたとはいえサーヴァントの一撃である。

 腕の骨は粉砕され、血肉が飛び散り、腕はその原型を失う。

 

 だがアルドルの顔に苦痛は無い。

 覚悟していた消耗など気に留める必要などないとばかりに、返礼に聖女の鎧ごと、その身を切り裂いた。

 

 戦果も被害も確認する間もなく、アルドルは勢いそのまま、聖女の脇を潜り抜けて背後へと回り込み、死角からの攻撃を行う。

 しかし、これ以上の追撃を聖女は許さなかった。

 

 右足を軸に回転するようにして最速で振り向き、続く斬撃を聖旗で受け止めて、力任せにアルドルを押し返す。

 戦闘は拮抗する両者だが、膂力において依然圧倒するのは聖女である。アルドルは後方へと吹き飛ばされ、距離を置くことを余儀なくされるが、こちらも無駄なく最速で立ち直ると負傷を治すことなく攻勢を続行する。

 

 結果、拮抗は再び。

 魔剣と聖旗が奏でる輪舞曲(ロンド)は終わる気配を見せない。

 

 白熱する意志と意志の激突。

 その最中で如何にして敵を排除するか、刹那の間に両者の思考が巡る。

 

“力量において差は一切ない。やはり勝敗を分けるのは選ぶカードと隠し持つ手札の数か。聖女の性質と変質を考えるに完全に守りに入った彼女を討ち破るのは恐らく不可能か”

 

 聖女の宝具──我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)

 

 彼女の有する規格外(EX)の対魔力をそのまま物理的な防御に変換するAランクの結界宝具。邪竜の咆哮さえ防ぎ切ったあの宝具を破る術はない。

 数々の魔術や切り札、収集した魔術礼装を有するアルドルであるが、瞬間火力において邪竜の一撃を凌ぐものは一つとして存在していないからだ。

 

 先の一撃を防がれた段階で火力勝負では自分に分が無いと確信する。

 

“加えて、先の一撃で魔術回路も大部分が焼き付いている。原初のルーンを描くだけならばともなく、複雑な術式は走らせられない”

 

 魔術師たることが本分のアルドルだが、それを措いて態々、斬り合いに乗り出したのは自身の消耗を必要以上に悟られないためのものでもあった。

 複雑な魔術を使用することが不可能である以上、使える手段は限られてくるだろう。

 

 さらに最悪なことに相手は抑止力の遣い。見れば先ほど腹部に付けた切り傷も瞬く間に回復していき、纏う魔力も失ったうちから回復して行っている。

 仕留めるなら頭や心臓といった致命の部位に、一撃を叩き込まなければならないだろう。

 

“補助があるとはいえ体力にも魔力にも限りはある。持久戦になればいっそこちらに勝ち目はないか。……ハッ”

 

 絵にかいたような絶体絶命。

 希望のない、死に向かう片道旅行。

 

 だが、そんなのはいつものことだ。

 

「勝機は自らの手で作るもの。足りない分は足す(・・)までだ」

 

 再び踏み込む一瞬に、自らの得物に目を向ける。

 ──元より『再現』は己の独壇場。

 アルドルはいつか見た魔術を脳裏に思い浮かべた。

 

「少しだけ、手を出すのは恐れ多いがね」

 

 懐かしい感傷を振り切り、アルドルは集中に埋没する。

 自らの狙いを悟られぬよう。

 斬り合いを演じながら魔術を奔らせた──。

 

“──強いッ!”

 

 一方、勝利への布石を淡々と準備するアルドルに対するジャンヌダルクの胸に在ったのは驚愕と敵意に勝る称賛の心であった。

 不倶戴天──決して譲ることの出来ぬ立場にある彼女だが、それでも人生を先に走り終えた先達だからこそ、後進の凄まじい気迫に感じ入るものは生まれる。

 

“神秘が減衰して久しいこの時代によくぞ此処まで練り上げたものです。ましてやその若さ。勝利のためとはいえ一体どれだけの代償を払ったことか”

 

 例えば代行者のように、人を超えた超常を相手取る者であれば、或いはサーヴァントと渡り合うことができるだろう。

 例えば執行者のように、魔術師を狩るために戦闘能力にふり幅を置いた者であればサーヴァントに肉薄することも可能であろう。

 

 しかし、魔術師として卓越しながらも、サーヴァントと殺し合うことが出来る領域にまで漕ぎつけるなどあまりにも常軌を逸している。

 研究、鍛錬、経験……如何に才能があるとはいえ、常日頃から己を虐待するような途方もない執念無くしてはきっとこの領域には至らない。

 

 親に甘える怠慢など許されない。

 友と友愛を交わす余裕などない。

 

 異性と恋をし、愛を育む人としての幸福を噛み締める余分などあり得ない。

 

 これは一つの事柄のために己の全てを切り捨てていった結果に行きつくであろう果ての果て。

 何もかもを犠牲にしたからこそ、辿り着く魔人の業。

 

“一族への想い、などとそんな生易しいものではこうはならないでしょう。それほどまでに自分を、全てを、何もかもを投げうってでも貴方は勝つと、そう言うのですね”

 

 まるで煌々と燃える太陽のような情熱。

 彗星の様に、自壊しながら果てを目指す光。

 

 ……似ていると、聖女は思った。

 

 かつて──少女がいた。

 彼女は歩みだす前、自らの結末を見せられた。

 立ち上がり、走り抜けて、栄光と、賞賛と。

 

 そして、魔女として悲劇的な末路を辿る終わり。

 

 だがそれでも少女はその道(・・・)を選んだのだ。

 訪れる末路がどんなに悲劇的なものだったとしても、その歩みに、その果てに、少しでも誰かが救われる希望があるというのならば──。

 

“そうでしょう……ええ、そうでしょうとも。ならば引くはずなどない。引くはずなどないのです”

 

 たとえ相手が世界であっても後退することなどあり得ない。

 太陽に焼かれるイカロスの様に。

 それでも空を目指すだろう。

 

“ならばこそ全力で以てその悲願を打ち破ることこそ貴方に対する最大の慈悲だ。夢を手折る者として、人理に立つ者として、貴方の情熱(ねつ)を払いましょう!”

 

 訪れる結末はせめて悔いのないことを。

 敵手の全身全霊を、こちらの全身全霊で叩き潰す。

 

「はあぁぁァァァァァ!!!」

 

 裂帛の気合い。

 敵意も敬意も、全てを乗せて聖女もまた踏み出す。

 英霊として、調停者としてあるからこそ引き下がれない。

 

 せめて相対するものとして相応しい敵であること。

 それこそが一方的に裁く立場から示すことの出来る慈悲なのだと。

 

 狂奔する魔術師の剣舞を、真っ向から押し返す──!

 

 

「すご……」

 

 斬り合う二つの影。

 凌ぎ合う二人の戦士を眼下に、賞賛が漏れる。

 

 声は上空。

 神霊ワルキューレが一人、ヒルドのものであった。

 

 主たるアルドル──いいや『彼』の命の下、アルドルを主と定める彼女たちは時折、援護を送りつつも眼下で繰り広げられる戦に見入っていた。

 いや、より正確に言うのであれば一人の魔術師の勇姿に、であろう。

 

 ──アルドルのことは以前より認知していた。

 

 こうして現世に召喚されるのは初めてのことだが、元より人間でありながら主と対等に盟約を交わした存在だ。

 よきに計らえという主の命を措いても、アルドルという人間をマスターと奉じることに否は無かった。

 

 とはいえ、それらはワルキューレ──黄昏に備えて大神が創り上げた戦闘機械としての論理的な判断に基づくものに過ぎない。

 論理とは別の部分、機能の下に隠された個体としての感情、ヒルド、オルトリンデ、スルーズ……彼女たち(・・・・)として初めて見るアルドル・プレストーン・ユグドミレニアのそれは古の勇士そのものであった。

 

 死に恐れることなく、敵の強大さに慄くことなく。

 栄光を目指してただ突き進む。

 

 ──それは未だ世界が輝ける神々に支配されていた時。

 巨人の進撃に恐れることなく立ち向かったミズガルズの戦士たち。

 勇者(エインフェリア)と呼ばれる誉。

 ワルキューレたちが魅入られ、拾い集めた輝ける星。

 

 歴史の彼方に語られる人界神話(ヴォルスング・サガ)が目の前で再現されている。

 

 英霊という星の輝きに勝るとも劣らない人の輝き。

 これを前にしては如何にワルキューレとはいえ、否、ワルキューレだからこそ魅入られずにはいられない。

 煌々と燃えるあの輝きに。

 

「……っ」

 

「わわ、ダメだよ! マスターに言われたでしょ! 隙を作るまでは手を出すなって! 今はこっちの準備に集中しなきゃ!」

 

「あ、ごめんなさいヒルド」

 

「ヒルドの言う通りです。オルトリンデ。こちらの不手際で奮戦するマスターの足を引っ張るわけにはいきません。同期に集中するように」

 

「……そういうスルーズは手元が緩んでいました。さっきからチラチラと下の方見て「ああ!」とか、「そこです!」とか言ってました」

 

「んな! あ、アレは見ていたのではなく、たまたま、そう! たまたま目に入っていただけです! け、決して魅入っていたのではなく」

 

「二人とも! そこまで! ほら集中集中!」

 

 言い合う二人を諫めつつ、同時にヒルドもまた二人に共感を覚えている。

 人の時代にあって、あれほどの勇士。

 戦士ではなく、魔術師であるものの、彼が抱く大志と決意は嘗ての北欧の戦士たちに比肩している。

 仮にこの身が嘗てのように大神が使命を帯びた存在であったならば、あの魂を拾い上げていたことだろう。いいや、今この時でさえ、彼が悲願を前に倒れたとあったならば、誠にヴァルハラに連れ立つことに否は無い。

 

「うーん、ちょっと勿体ない、かな」

 

 だからこそ少しだけ無念があるとすれば、そのような未来が絶対(・・)にないことが分かってしまっていることだろう。

 アルドルは余命の無い身だ。正義の味方に払った代償は重く、勝つにせよ、負けるにせよ、アルドルに未来はない。

 

 だがそれ以上にもう一つ。自壊を待たずして既に彼の運命を決定づける要因が存在している。

 他ならぬアルドルの創り上げた神名接続(セイズマズル)──南米亜種聖杯戦争にて、この魔術を行使してからずっと『彼』に接続したままなのだ。

 より正確に言うのであれば解除できなくなったというべきか。

 

 アルドルと『彼』はあまりにも相性が(・・・)良過ぎた(・・・・)

 ……強い輝きは、あらゆる全てを塗りつぶす。

 たとえ聖杯の力を使っても、あらゆる意味で彼は手遅れだった。

 

「だから、うん。せめて覚えておこう」

 

 網膜に、その勇戦を記録する。

 人の時代にあって、神話を謳う一人の勇士がいたことを。

 

 同期する想いは、同じモノ。

 ワルキューレたちは主の号令を待つ。

 

 

 そして──

 

「づぁ! ……か、はぁ……ハァ──」

 

「ふ──!」

 

 開戦してから十分。

 示し合わせたような渾身の衝突。

 いっそ激しい火花と激音を奏でて、同じ磁力を拒む磁石のように両者の距離が離れる。

 間合いにして三十メートル。

 

 両者は睨み合う。

 

「お見事です。その奮戦は素直に賞賛いたしましょう。ですが……」

 

「はァ──分かり切った事を言うな。まだやれる、それだけだ」

 

「──そうですか」

 

 未だ威勢の良い言葉を返すアルドルの言葉に聖女は冷えた視線と共に自らの聖旗を構え直す。

 ……アルドルの消耗は歴然だった。

 如何に優れた才気、尋常ならざる努力を重ねた所で人間であることに変わりはない。動けば疲労し、集中はいつまでも持続しない。

 

 特に圧倒的な戦力差が分かっているという状態での消耗は尋常なものではない。ふらついている足元に、整わない呼吸。

 限界寸前なのは明らかだった。

 

 対して聖女は未だ呼吸一つ乱れておらず、消耗した魔力も抑止力の援護によってほとんど全快のまま揺るがない。

 

 このままもう十分と待たず斬り合いを続ければ、十中八九、先に倒れるのはアルドルだろう。

 そして、そんなことはアルドルとて分かっている。

 

「…………」

 

 魔剣を構え直しつつ、アルドルは聖女の動きに注意しながら、先に防御で犠牲にした自らの片腕の調子を確認する。

 

“痛みはあるが、大方、治ったか”

 

 聖女との激突の最中、アルドルは少ない魔術回路を動員して、傷の手当てに魔力を割いていた。

 一瞬の判断が生死を分ける斬り合いにあって、魔術に思考を割いていたため、想定よりも回復に時間を要したが、これで両手を使うことに支障はなくなったと言える。

 

 尤もそれも状況に対しては雀の涙ほどの保証だろう。

 聖女の言う通り、自分に残された体力は少ない。

 全力でやれて恐らく三分。

 それ以上ともなれば、天秤の拮抗は保てない。

 

「────」

 

 ならばこそ──この三分で斬り合いに片を付ける。

 ここまでやって実力は拮抗している。

 自分と聖女、二人の技巧に確たる差はない。

 

 では、どうすれば良いか。

 

 ……語るに及ばず。

 己が選ぶは常に、王道なり。

 

 足りないのであれば、足す。

 届かぬならば、積み上げる。

 

 ヒントは過去に、信じるのはいつだって、己と己が見て来た感動だ。

 一瞬の瞑目、意識の集中、過去への追憶。

 その先にあるモノこそ──勝利への道筋。

 ──唱える。

 

「──再現(トレース)開始(オン)

 

 その魔術は、最も焦がれ。

 そして、最も己を追い詰めた男の再現だった。

 

 言葉と同時に、魔術回路を通じて魔剣を読み込む。

 北欧神話において語り継がれる栄光と破滅の魔剣。

 ティルフィング──そこに刻まれた歴戦の記録を。

 

「憑依経験、習得。戦闘技能、抽出。──再現」

 

 アルドルに彼ほどの異能は無く、アルドルに彼ほどの精密さはない。

 だが、それが魔術の範疇にある以上。

 魔術の天才であるアルドルに、出来ない道理は無い。

 

 贋作には至れずとも、その技能を此処に再現しよう──。

 

「魔術……ですが、何をしようと、これで終わらせます」

 

「そうだな。これで終わりだ。……いくぞ、聖女」

 

 脳裏に想起される、とある王の記録。

 オーディンの血を引く栄光と破滅の歴史。

 

伝承(トリガー)装填(オフ)──!」

 

 神話は此処に。

 約束された破滅を受け入れ、栄光へと手を伸ばす。

 アルドルは聖女を眼前に、真っ向から挑みかかった。

 

「何かしたようですが、正面からとは。覚悟は買いますが……!」

 

 無謀──聖女は一言断じた。

 単純な武技の比べ相手は両者は互角。

 

 しかし、先ほどまでならばいざ知らず、拮抗を保つにはアルドルの体力は限界に近い。このまま削り合いを行えば先に倒れるのはアルドルだ。

 そうと知りながらも剣に頼るは、恐らく聖女が持つ破格の対魔力故の選択だろうが……それでも。

 

「サーヴァントを前に出すことも出来るでしょうに、自ら決着を付けることに拘っているのか、それとも自らしか信頼できないのか、何にせよ──」

 

 お覚悟を──言葉と同時に聖旗を大地に突き立てる。

 天より降り注ぐ光の柱(エンジェルラダー)

 聖女が選んだのは此処まで演じて来た武技ではなく、ルーラーとして、サーヴァントとして持つ技能であった。

 

「────」

 

 不意を突く攻撃。

 死角たる上空からの幾重にも及ぶ魔力光線。

 回避は不可能だった。

 

 アルドルにせよ、聖女にせよ、二人は英雄じみた技巧の持ち主ではない。完全に不意を打つ攻撃を前に対応してみせるなど、それこそ英雄の領分だ。

 死地を駆け抜け、技を鍛えたとしてもあくまで人並みの戦士に留まるモノにこの不意打ちは躱せない。

 

 よって、詰み。

 アルドルは為すすべもなく光に飲まれ──。

 

 

「隙を見せたな、ジャンヌダルク──!」

 

 

 叫びと共に光を切り抜けた人影が、その未来を否定する。

 

「なっ──!!」

 

 不意を突いたと思わせながら、その実、本当に不意を打たれたのは聖女であった。完全に仕留めたと確信した敵が、健在である。

 その衝撃は、彼女の思考に致命的な隙を生み出し……。

 

「切り裂け──斬神魔剣(ティルフィング)!」

 

 魔剣が、聖女の身に紅の花を咲かせる。

 

「ぐぅ──!」

 

 ……心臓まで届かなかったのは、運だった。

 僅かに、そう僅かに。

 敵の予期せぬ接近に気づいたことで僅かに足を引いたことでギリギリ聖女の心臓にまで刃が届かなかった。

 ただそれだけの幸運で聖女は生を堅守した。

 

 だが、未だ死線は眼前に。

 死神は、聖女の首に手を掛けたままなのだから。

 

「おおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 吼える。地を割れよとばかりに力強く踏み出したアルドルは怒涛の剣舞を実行する。此処で決めると、言葉より雄弁にその瞳が語っている。

 

「この、程度──倒れる訳にはいきません──!」

 

 激痛を無視して聖女も自らを叱咤して応戦する。

 傷は深いが、それでも致命ではない。

 即死に至る傷でなければ抑止力の援護により回復機能が働く。なればこそ、生存を選ぶために己がするべき事はこれ以上の損耗を防ぐこと。

 

 アルドルの技巧との差異はない。

 如何にして先の一撃を捌いたかは不明だが、二度目の幸運は無い。単なる消耗戦に持ち込むのならば、勝ちは揺るぐことは無いだろう。

 

 ──聖女の楽観は一瞬で崩される。

 

「ふっ──!」

 

 首元に迫る一撃。意識の空白にねじ込まれる致命の斬撃。

 無意識の条件反射で弾き飛ばすも、首筋に浅い傷が生まれる。

 

“見逃した……いいえ、見えなかった! 今の一撃は!”

 

 驚愕を言葉にする余裕などない。

 ヒュンヒュンと風切り音を唯一の残影に怒涛の剣舞が襲い掛かる。

 先ほどまでとは比べ物にならぬ洗練された剣技。

 後退や反撃など考慮しない、斬れば死ぬことを前提とした一斬必殺の未知なる太刀筋が矢継ぎ早に放たれた。

 

「く……あ……!」

 

 一方的に押し込まれる戦線。

 聖女とて反撃を試みるものの、最小の所作と最速の反応で全ての反撃を受け流され、反撃の糸口が見えない。──まるで歴戦の英雄と向かい合っているように、先ほどまで互角と判断していた目の前の男は、一足飛びで聖女の技量を超越した。

 

「昔──とある英雄がいた。特異な異能を有し、宝具であっても模倣することができるという気高く強い、正義の味方が」

 

 振り下ろされる聖旗を切り上げで逸らす。

 合力の理。膂力で劣れど、相手の重みを利用してアルドルは、迎え撃つ刃に角度を付けて、迫る聖旗の軌道を逸らした。

 瞠目する相手を意に介すことなく、攻勢の代価に血を要求する。

 奔る剣閃、聖女の太腿を刃が斬り裂く。

 

「彼の異能は英霊の宝具であれ、武具の性能をそっくりそのまま読み取り、自己の内に保存する事。そして必要に応じ、記録された武具の贋作を投影する事」

 

 無限の剣製(アンミリテッド・ブレード・ワークス)──無限の贋作を内包した固有結界を持つ英霊。

 南米亜種聖杯戦争においてアルドルがアーチャーとして召喚したサーヴァントはそのような能力を持っていたのだ。

 

「そう贋作を作ることこそ彼の本分。だが、彼はそれとは別に幾らかの応用が使えてね。武器の贋作を作るということは武器の記録を読み込むという事だ。端的に言えば、彼は武器に刻まれた使い手の経験すら読み解くことが可能だった」

 

「使い手の……経験……? くっ! ああっ!!」

 

 朗々と語るアルドルの言葉に聖女は、突然変異とも言えるアルドルの変化に対する糸口を感じ取る。

 だが、語る言葉すら隙作りの戦術だと言わんばかりに、反応すら許さない神速の突きが聖女の肩口を抉り取る。

 

「創造理念、基本骨子、構成材質、制作技術、憑依経験──贋作を作るという事は真作を形取る記録──歴史の全てを遍く熟知し、模倣するということ。この魔術はそういうものだ。私は彼ほどに全てを知ることは出来ないが……例えば武器に記録された歴史(けいけん)を再現する、その程度ならやってやれないことはない」

 

「それは……そうか、今の貴方の剣術は──!」

 

「そうだ、今の私は英雄の領域に立っている。聖戦は此処までだ、ジャンヌダルク。オルレアンの奇蹟を待たずに、悲劇の内に終わるが良い!」

 

 こちらを振り払おうと放たれる聖旗を半身になって躱し、聖女が反応するよりも早く、得物を握る彼女の手首を切り裂く。

 意志の有無など関係なく、片手の腱を切り裂かれたことにより、聖旗から手が離れる。せめて手放すまいと残る片手で押さえるが。

 

「しまっ……!」

 

「遅い!」

 

 持ち直す余裕など与えない。

 アルドルはさらに一歩、深く踏み込んで当て身を喰らわす。

 聖女の体勢が完全に崩れた。

 

 魔剣で聖旗を弾き飛ばし、全力で魔力強化を施した前蹴りで聖女を蹴り抜く。

 

「かはッ──!!」

 

 くの字に身を曲げて吹き飛ぶ聖女。

 反撃、防御、回避──何れを取るにももう遅い。

 この好機、こちらの動きが聖女の全てを上回る。

 

「スルーズ! ヒルド! オルトリンデッ!」

 

 命令は既に伝達済み、名前のみで意図は伝わる。

 呼びかけと同時にアルドルは望郷の瞳を見開く。

 聖域展開の時点で『工房』との接続は完了している。

 

 泉に書き記した術式を残る魔術回路を総動員して最短で組み上げる。

 

魔術式(ソフト)──神話再現、魔剣装填!」

 

 神すら引き裂く絶剣に炎が宿る──。

 

「ここだ! いくよ皆!」

 

「了解」

 

「全力で、行きます」

 

「「「同位体、顕現開始!!」」」

 

 空に響く三人の少女の声。

 唱えると同時に、三人を囲うように陽炎が揺らぎ像を為す。

 陽炎は白亜の鎧に身を包んだ少女たち。

 

 即ちは三人と同じワルキューレ。

 その数三人を含め都合二十一騎。

 軍団利用を前提に作られたワルキューレの性能特性を利用した、宝具機能。同期したワルキューレたちによる一斉射撃。

 

 戦の先駆けに放った一撃とは訳が違う。

 正真正銘、全力による、宝具解放。

 

「「「終末幻想(ラグナロク)少女降臨(リーヴスラシル)」」」

 

 天より落ちる偽・大神宣言(グングニル)

 主が作り出す好機を待ち望んだ彼女らは、この好機に栄光を捧げんと、槍を振り下ろした。

 

「『戦士の神々の剣により、太陽が煌めく。岩山は砕け、女巨人は倒れ、戦士は冥府の道のりを辿り、天は裂かれる』──枝の破滅を謳え、終末の巨人よ。汝が握る焔の剣こそ、神々の黄昏を唱えるものなれば!」

 

 ティルフィングに刻まれる原初のルーン。

 魔剣の特性を上書きして、『枝』に記録された歴史から一つの神話を再現する。

 

 剣が纏うは破滅の焔。

 

 かつて北欧に終わりを告げたこの炎こそ、悲劇の炎に焼かれた聖女の末路に相応しい。

 

神話再現(オペラ)災禍の輝き(レーヴァテイン)!!」

 

 放たれる終末再現。

 真なる『災禍なる太陽が如き剣(レーヴァテイン)』に至れずとも、ティルフィングに装填して放たれたこの魔術はこと破滅の概念武装としては本家本元と何ら変わらない。

 炎を死因に持つジャンヌダルクにとって特攻とも言える効力を発揮する。

 

 ──槍と剣。

 

 どちらも英霊を屠るに不足ない一撃だ。

 防ぐのであれば聖女もまた宝具を使用する他ないが、既にそれは手元よりなく、回避を選ぶにはこの身は傷を負い過ぎている。

 

「…………」

 

 終わりが迫る。

 もはや、反撃も抵抗も、生き残るこそすら許されない。

 詰み、負け、必死──そんな未来が聖女の首に手を掛ける。

 

「……主よ」

 

 だからこそ──。

 

 

 ────これ以上の様子見は(・・・・)不要だろう(・・・・・)

 

「“憎みあらそい われらを裂き、

  人はあざけり ののしるとも、

  神はわれらの 叫びをきき、

  なみだにかえて 歌を歌わん”──聖典、起動」

 

 直後──聖女の姿は光と焔に飲み込まれて、消えた。




《ステータス が 更新されました》

真名:ワルキューレ
  (ヒルド、スールズ、オルトリンデ)

CLASS -

マスター:アルドル・プレストーン・ユグドミレニア

性別:女性

身長・体重:159cm/46kg

属性:秩序・善

筋力:A 魔力:A+++
耐久:A 幸運:E-
敏捷:A 宝具:A

【クラス別能力】

対魔力 -
・神霊として招かれているため聖杯によるクラス補正無し。

神性 A
・神霊そのもの。

原初のルーン A
・大神より賜りし神代魔術
 『主』の許可により、その全てが使用可能。

運命の機織り -
・織られた布を引き裂くことで戦場の勝敗を決めるというワルキューレの特性を具現化したスキル。此度の召喚に際して失われている。


【宝具】

偽・大神宣言(グングニル)

ランク:B
種別:対軍宝具
レンジ:5~40
最大捕捉:20人

大神オーディンから授かった武具。
大神宣言(グングニル)の劣化複製版。
真名開放して投擲すれば必中機能が発動する。

終末幻想・少女降臨(ラグナロク・リーヴスラシル)

ランク:B
種別:対軍宝具
レンジ:0~40
最大捕捉:100人

完全に同期した自分たち──複数のワルキューレたちが一堂に集い、ヴァルハラへと至る勇者の魂を導くための機能のすべてをより合わせ、手にした宝具『偽・大神宣言』を一斉に投げつける。
対象に槍の投擲ダメージを与えると同時に、効果範囲に一種の結界を展開。あらゆる清浄な魂を慈しみ、同時に、正しき生命ならざる存在を否定する。
サーヴァントや使い魔といった存在や、術式、幻想種、吸血種、等々の魔術や魔力に類する存在を退散させる空間を作り出すのである(抵抗判定に失敗した個体を退散させる)。

白鳥礼装(スヴァンフヴィート)

ランク:A
種別:対人宝具
レンジ:-
最大捕捉:自身

大神オーディンから授かった白鳥の衣。
これにより、ワルキューレは飛行能力を有し、高速機動を可能とする。
天馬に騎乗していない状態では、この宝具に機動性の大半を依存している。
この宝具の真価は「大神オーディンの加護」である。
この加護によりワルキューレの精神と肉体は絶対性が保たれ、精神に影響を与える魔術や能力の類をシャットアウトし、肉体はBランク以下の物理攻撃を弾き、カロリーを大量に摂取しても体型は変化しない。
また今回の聖杯戦争においては「大神オーディンの加護」に変わるとある神霊の加護が発動しているため、冠位指定の旅(とある可能性)とは異なり、スキルではなく宝具として発現している。


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守護者

 聖杯大戦において魔術師の剣となり、盾となる存在──英霊。

 彼らは長きに渡る人類史で類まれなる功績、或いは罪科を残し、その己が伝説を起点として過去、現在、そして未来に至るまで伝承されていった結果、人にして人ならざる存在に到達した存在である。

 

 霊体であるがために物理的な干渉が通用せず、高位の霊器を有しているために幻霊や悪霊といった存在を一蹴してしまう程の極めて高い魔力密度を誇っている。

 魔術世界において、彼らの存在は境界記録帯(ゴーストライナー)と呼ばれ、人々の信仰によって編み上げられた祈りの具現、精霊の一種であるとカテゴライズされており、霊長の守護者として恐れ、畏れられている。

 

 そして今回のような聖杯を巡る戦ではサーヴァントと呼ばれる一使い魔として顕現しているが、本来彼らの役割は一個人に尽くすことではなく、人々の祈り、無意識下での叫びを聞いて、人類の脅威となるものに立ち向かうことこそが本分だ。

 あくまで聖杯戦争の発祥たる遠坂、マキリ、アインツベルンは、元から存在していた霊長の守護を担うシステムを聖杯戦争用に低性能化(デチューン)した結果が、サーヴァントであり、真なる役割は霊長の守護者──人類という種の存亡を守護する存在であり、それが英霊という存在の役割だ。

 

 ……その守護者の中においても特に冠位英霊(グランド)と呼ばれる者たちは他の守護者とは一線を画する存在だ。

 衰退、災厄、星の死──人類に滅びを呼び込む要因は数あれど、その中には一英霊ですら対処しかねる大災害。結果的に人類に滅びが訪れる要因ではなく、人類を明確な意図の下に滅ぼそうとする悪意があった。

 

 その名は『人類悪』。人が人であるが故に有する悪性。自らも霊長に属しながらも霊長の滅びを望む自滅因子(アポトーシス)

 世界に七つあるとされる獣の因子。それらに対応するために生み出されたのが、英霊召喚システムの上位に位置づけられる冠位英霊(グランド)という存在だった。

 

 滅びを打ち倒す希望の灯火。それこそが冠位英霊(グランド)である。だからこそ彼らの能力は通常の英霊と比べても圧倒的だった。

 まず英霊の中でもトップクラスの功績を打ち立てた者しか、前提としてこの資格を得ることは出来ず、対応する災厄が災厄なだけあって性能も、時として神霊すら上回るという。

 

 よって──たとえ一騎駆けとはいえ、一個人が撃滅できるような存在ではないのだ。ましてや此度は想定外(イレギュラー)想定外(イレギュラー)。本来であれば資格無きものに器を与えてまでの介入である。

 何しろ相手が相手だ。抑止力が成立して以来の異常事態、人にも■にも属さない全く別の法則が紛れ込む事態。そのうちに抱える法則が世界に流出するだけで問答無用で人類の存在意義を殺す最悪である。

 

 何としても撃滅せねばならぬ──その意志の下に召喚された英霊はもはや抵抗するという前提が大間違いなのだ。

 かくして《光》の予言は的中する。もはや、その既知感は何の役にも立たず。一方的に障害を粉砕する理不尽が、遂に本領を発揮する。

 

 

 

 

 炎が爆ぜる。光が地を照らす。

 聖女に直撃する二種の攻撃。

 確かな手ごたえを感じながらアルドルは炎と光に飲み込まれた聖女の様子を伺う。

 

「…………」

 

 先の攻撃は聖女に対して現状、己が行える最善だった。

 

 単純な攻撃力では聖女の宝具は凌駕できない。であるのならば、そもそも宝具を使わせなければいい。その発想の下、敢えて不利な近接戦闘を選び、加えて自分自身の首を絞めかねない単騎決戦を挑んだ。作り出した一瞬に必ず致命の一撃を叩き込む。

 

 言うまでもなく、難業だ。

 一つ間違えれば自らの命を落としかねない紙一重であったが、それでも真っ当にサーヴァント戦を行えば抑止力の援護がある聖女には、まず勝ち目がないとアルドルは判断した。

 三対一に己の援護を加えれば状況の有利を作り出すことは叶うだろうが、アレの性質を考えれば下手に不利を押し付けてしまうと更なる強化が加えられる可能性がある。

 運命力──己が置かれる立場を考えれば幸運に端を発する外因は全て聖女の有利に働いていくだろう。ならばこそ初めから敢えて己を不利な立場に置くことによって、少しでも何かしらの補正が掛かる可能性を引き下げ、紙一重の可能性にアルドルは懸けた。

 

 目論見はこの通り達成され、聖女の霊器には確かな損傷(ダメージ)が叩き込まれたはずだ。

 

「傷は入った、かな?」

 

 沈黙するアルドルの傍に三騎のワルキューレが舞い降りる。

 口を開いたのはヒルド。

 彼女らもまた敵対する聖女がどのような存在であるか、アルドルから、そして彼女たちの主から教えられている。彼我の差が理不尽なほどにかけ離れていることも楽観視していい程の相手でないことも。

 

 だが、それでも先の一撃は渾身だった。

 最大出力での宝具発動、並びに聖女の死因を狙い撃つ概念魔術。

 いずれも回避不能、防御不可能なタイミングでの攻撃。

 

 技は確かに決まったのだ。少なくとも無傷では済まされない──。

 ヒルドはその様に思う。

 そして、その判断は他のワルキューレたちも同じだ。

 

「いや……」

 

 しかし戦闘に長けた戦乙女たちの判断をアルドルは否定する。

 視線を聖女の消えた地点に合わせ、何が起きても即応できるように魔術回路を回しながら傍らに立つ少女たちの判断に言葉を返す。

 

「確かに絶好のタイミングで勝ちにいった。攻撃も間違いなく通っただろう。それでも、それで勝てる程度だとは思えん。何せ相手は理不尽の権化だ。聖域を構築しているとはいえ、基本的に我々は物語に於ける「必ず打倒される敵役」に属している。勝勢からの逆転など連中の得意分野だろう」

 

「……こちらの領域ではヒトの抑止力は機能しにくいのに、ですか?」

 

「現状、効果はあくまで減衰だからな。聖杯を獲得し、領域として安定化まで済ませられれば別だが、基本的には絶対に倒せない相手を、倒せる可能性が僅かに残された相手に落とし込める程度のものだ。まあ実際、それすらこちらの理論値だ。つまるところ何が起きても可笑しくないということだよ、オルトリンデ」

 

「討伐を確認するまでは油断大敵ということですね」

 

「そういうことだ」

 

 オルトリンデの疑問に丁寧に回答しながら、同時にアルドルは考察を深めていく。

 何事に対してもまず以て最悪こそが起こり得る状況だと悲観した思考を有するアルドルだが……アルドルとて何も自らの判断や能力を過小評価しているわけではない。

 

 例えば、この異界──『工房』内に展開されている北欧世界観をトゥリファスの地に現界させる聖域化の術理。これはアルドルが考えうる中で最も抑止力に有効であると考案し、数年掛けで構築した渾身の対策だ。

 人の抑止力、そう呼ばれる理不尽がどういう性質を持っているのか。

 アルドルはよく理解している。

 

 抑止力には真っ当に対抗すればまず勝てない。何故ならば現状の惑星環境下に於いて人間こそが最も秀で、繁栄している理だからだ。無意識下の人の信仰こそが抑止力の強大さだとするのであれば、数十億の人々が基準となるこの偏向線(セカイ)において、その力は絶対的だろう。

 或いは存在する■の理を基準とした吸血鬼たちが跳梁跋扈する偏向線(セカイ)や、そもそも人理がかき乱された偏向線(セカイ)とは異なり、此処の基盤は万全だ。

 

 どうあれ力比べでは勝ち目がない。

 だからこそ、この力の根底にある理に罅を入れるために構築したのが、このトゥリファスという地に敷かれた聖域化の術式である。

 

 東洋圏における神社の構築と西洋圏における原生保存の思想。

 言ってしまえば環境保護という人類の自制を利用したのが、この魔術だ。

 

“今や地球の殆どを網羅する人類だが、それでも未明領域は未だに存在している。例えば地底、例えば深海。たとえそれが人類が有するリソースを全て費やせばいつか到達可能な場所であっても、そのいつかが今でない以上、人類の限界点は存在する”

 

 神秘は今日この日にも減衰している。

 人類という種がより科学を発展させ、謎という謎を明かせば明かすほどに神秘という輝きは過去のものとなっていく。

 だが、それでも今は魔術が成立している。その事実こそが人類の今の限界点。人類という法則はまだ星を覆いきってはいない。

 

 ならば抜け道はあるのだ。絶対的な人の抑止力に干渉されない、星の領域。未だ人の増長を窘めている人知未踏と呼ばれる領域が。

 アルドルが目を付けたのはその領域の中においても……敢えて人類が踏み込むことを避けた領域だ。

 

“ブータンのガンカー・プンスム。インドのセンチネル島。アイスランドのスルツェイ島──宗教的、民族的、自然保護的観点から人類自らが、人類からの接触を禁止した領域……即ち聖域”

 

 トゥリファスに展開された大規模な環境干渉は、そういった人類の持つ価値観、概念を魔術的に解釈したものだ。此処より先に踏み入ってはならない──人類自ら規定した禁則の地。

 そこに『工房』に住まう『彼』を組み込むことで杜を構築し、神が住まう聖域として人の抑止力の干渉を受け付けない場所として成立させたのが、聖女や魔術師たちが戦慄した空想具現化の正体。文字通りこの場所は外部とは全く違う理で機能しているのだ。

 

 本来であれば理論上、この街においては人の抑止力は働かない。何故ならば、此処は神話を基準とした世界。枝を宿した者は等しく神域に至る存在なれば、此処に人類は存在しないのだ。

 ……尤もそれは聖杯を獲得した後の話。アルドルの地力だけでは展開限界がある以上、精々が抑止力に不便をかける程度のものだが、しかしそれでも。

 

“効いてはいる。そのはずだ。でなければとっくの昔に私は聖女の持つ『啓示』によって存在を捕捉されているはずだからな。ルーラーの多重存在によるエラー……そのような事例があることを知ってから抜け道は必ずあると確信していた”

 

 あり得ないなどというのはあり得ない。

 それはとある魔法使いの言葉であり、自らも体験した事実だ。

 だから、勝ち目はあるのだ。

 

「しかし──」

 

 それで容易く敵うなど、アルドルは楽観しない。

 今の一連は戦乙女たちの言う通り手ごたえを感じた。

 

 その上で自らの手腕に疑義を覚えるのは、偏に状況に不明があるからだ。

 

「再召喚による冠位(グランド)の取得。()にとっても未知なる現象だ。だが、それを措いて聖女が披露したのは未だに英霊として通常時の技能のみ。まさか連中の加えた強化がその程度で収まるとは到底、思えん」

 

 何か、ある。

 アルドルという劇物を撃滅するために、アルドルという存在に刺さる特攻要素。

 敵は必ず己の上を往く──その確信がアルドルに油断を抱かせない。

 

 確信は果たして現実となる。

 

「炎が……収束していく──?」

 

「……やはり此処からが本番ということだな。ヒルド、スルーズ、オルトリンデ。来るぞ、構えろ」

 

 聖女の身を滅ぼさんと牙を剥いた破滅の炎。

 その余韻とも言える熱が渦を巻き、収束していく。

 

 アルドルの魔術干渉ではない。

 考えるまでもなく敵手が何かをしたと見て良いだろう。

 戦乙女たちに警戒を呼び掛けながら、アルドルは一挙一動をも見逃さぬと視線を強めた。

 

 風向きが変わる。炎が一点に収束していく。

 気づけば──人影が見え始めていた。

 

「──主は仰られた」

 

 凛と響く声。

 耳にする者全ての心に沁みるような声である。

 言葉よりも厳格に、何者に対しても自らの意思を通す強さを感じる声。

 

「──罪人に罰を。不浄に浄化を。そして──人々に救いを」

 

 人影は一つではない。

 

 何かがいる(・・・・・)

 聖言を口ずさむ乙女の下に傅く様に。

 さながら古の騎士が如く、人影が傅いている。

 

「──我が名はジャンヌ・ダルク。主の言葉を聞き、主の意志を代行し、主の御名に祈りを捧げる者。かの者が唱えた光を覆う影を払う者。異教にして異境なるもの一切の、侵犯を阻む者です」

 

 一歩、乙女が踏み出す。

 アルドルは剣を構えたまま無言。

 

 その表情は厳しいものだった。

 ……断じよう、楽観はしていなかった。

 敵は必ず何かをしてくると確信はしていた。

 

 その上で。

 

「最後の慈悲です。告解の機会を与えます。

 ──魔術師、貴方は自らの罪を認め、贖いを行う意志はありますか?」

 

「……笑止、この身に贖罪の意志は無し。元より私は秩序に挑む者、秩序を下さんと欲するモノ。我が祈り、我が願い、その一切の障害となるモノは等しく敵である。御託は結構だ、抑止力の聖処女よ。お前が抑止に属する限り、我らに相互理解はあり得ないと知れ」

 

「──いいでしょう。その言葉、確かに聞き入れました」

 

 嘆息、瞑目、そして開眼。

 アルドルの視線を返す聖女の視線にもはや感情(ねつ)は無かった。

 最終勧告を払いのけた愚者。そのような者に慈悲は無い。

 

 何処までも冷めきった裁定者の瞳が、ただ障害を見据えている。

 

「罪には罰を、悪人に裁きを。主の御名の下、あらゆる不浄を此処に正しましょう」

 

 乙女の背後で傅いていた影が立ち上がる。

 その出で立ちは騎士だった。

 顔から爪先まで銀の鎧で身を包み、手には聖なる銀色の剣。

 立ち振る舞いに一切の隙は無く、一種の気品すら感じる。

 

 神の使徒、聖なる騎士。

 

 なれど一点──人に在らぬはずのモノがある。

 かの者の背中には、白鳥のような()があった。

 

「ク──成程、それが本命か。確かにそれは識らない(・・・・)。識る余地もない。だが、知っているよ。お前がジャンヌダルクだというのならば、それは可能性の一つにあったからな」

 

 喜びとも怒りとも取れる凄絶な笑み。

 アルドルはそれを見ながら魔剣を強く握りしめた。

 

 不測の事態、未知なる展開。

 そういったものに対してアルドルは強い。

 特殊な出生から獲得した圧倒的な知見に、物事の本質を辿る望郷の魔眼、数多の死線を潜り抜けたことによる膨大な経験値。こと知識において、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアに本当の意味での未知は無いに等しいと断言できる。

 

 だが──此処に例外が存在している。

 

天使(・・)か」

 

 アルドルの言葉を肯定するように、騎士の翼が広がる。

 穢れの無い純白の六枚羽。

 教会の定義において熾天使(セラフィム)と呼ばれる者。

 

 神への愛と情熱を燃やす焔の属性を有するモノ。

 

「ジャンヌ・ダルクの身元に現れるのを見るに、名づけるのであれば天使ミカエルか。尤も、天使相手に名を定義することが果たして意味のある行為か疑問だが……」

 

 視る。たとえ己が知識に無くとも、アルドルの瞳は本質を看破する魔眼だ。初見の相手であってもこの目を前には正体の不可侵は許されない。

 数多の神秘を解き明かしてきた視線が天使を捉える──。

 

「……視える、が……これは……理解できんな(・・・・・・)。というよりもヒトの理解にないか。下手に直視しすぎるとこちらが発狂するか」

 

 脳に流れ込んできたのは膨大な情報流。

 人類の知識では理解不能であろう何もかもが異なる原理。

 アルドルは僅かに知識の断片に触れ、一瞬でその視線(接続)を切った。

 

 特殊な出生を持つアルドルをして理解不能のカタチは通常の魔術師であれば視た段階で流れ込む知識に脳が耐えきれず狂うだろう。

 冷静にその事実を受け止めたアルドルは読み解くのを諦めた。

 

「となると、これは……ああ、最悪だ。出たとこ勝負とはな。一体いつ以来になるのやら……」

 

 未知なる相手、未知なる戦力に対して全くの初見で戦わねばならない。

 ある意味では生まれて初めて体験する展開にアルドルは覚悟を決めた。

 

 聖女の手には聖旗ではなく、剣。

 羽を模したであろう装飾の柄が特徴的な細剣(レイピア)

 その切っ先をアルドルへと向ける。

 

「──お覚悟を」

 

「上等──」

 

 言葉を返す、その刹那に。

 聖女と共にアルドルの前に構えていたはずの天使は、アルドルの背後に顕れていた。

 

 

……

…………。

 

 

「は────?」

 

 あっさりと首元に迫る銀の聖剣。

 それを前にアルドルは走馬灯のように思考を回していた。

 

“空間転移? 次元跳躍? ──いや違う。魔力の揺らぎなど無かった! どんな手段であれ、この環境下で私が予備動作を見逃すことなどあり得ない! 魔術干渉でも概念干渉でも異能力でもない! コイツ、一瞬ですらなく、私の背後に顕れたのかッ!?”

 

 平時より冷静を心がけるアルドルをして声にならない赫怒を抱く。

 巫山戯るなと吼えた。

 何らかの能力の行使など、そんな生温い現象じゃない。

 

 ただヒトの前に顕れる者──そういったものである(・・・・・・・・・・)という一点で、天使はアルドルの背後に姿を見せたのだ。

 理不尽を呪う声にならない怒り。命の危機に反応する身体。

 それら全てを天使の剣が上回る。

 あらゆる意味で命を繋ぐには手遅れだった。

 

“────死”

 

 何処までも無慈悲な天使の粛清が、愚者の首を斬り落と──

 

「……タ、ぁぁアア!!」

 

 音が弾ける。

 迫る刃は横槍(・・)によって、阻まれる。

 敵の襲撃を警戒して、傍に降り立った三騎の戦乙女。

 その一騎たるヒルドが決死の反応で天使の刃を阻んだのだ。

 

「くっ──!」

 

 飛び退く。薄皮一枚逃れた死線から脱するためにアルドルは振り向くことすら手間であると、敵を視線に捉えるよりも早く、ほとんど反射の領域で飛んだ。

 

「戦術同期──!」

 

「……これ以上は、やらせない!」

 

 アルドルが離脱すると全くの同時にスルーズとオルトリンデが動いた。

 敵手を仕留め損ねた僅かな空白。

 ヒルドが全霊を懸けて作り上げた一瞬を戦乙女は無駄にしない。

 

 言葉ではなく思考を同期させた行動の共有。

 スルーズの手には原初のルーン。

 オルトリンデの手には大神の模倣槍。

 

 左右からの挟撃で天使を落としに掛かる!

 

『────』

 

 次瞬、起こったのは理解にし難い現象であった。

 放たれる灼熱のルーンと、大神の光槍。

 天使の背後、反応すら許されない左右の死角から放たれた攻撃に対して、天使はただ自らの六枚羽を動かした。行動はそれだけ。そして、たったそれだけでルーンも槍も、天使に届く直前にまるで力を失ったように威力を衰えさせ、虚空に掻き消える。

 

「そんな──!?」

 

「一体何を──!」

 

 予想外の出来事に動揺するスルーズとオルトリンデ。

 彼女たちが動揺から立ち直るのを待たずして天使が動く。

 

 さながら機械の様に、目に映る邪魔者を排斥せんと天使はヒルドに止められた剣を力任せに動かして、そのまま回転するように付きまとう戦乙女たちを切り払う。

 吹き飛ばされる戦乙女たち。それぞれ武具や防具で受けたため、斬撃による傷はない。

 しかし傷をも上回る衝撃が彼女たちを打ちのめした。

 

「噓でしょ!? 私たちを纏めて跳ね返すなんて、なんて出力(パワー)ッ!」

 

 驚愕をヒルドが叫ぶ。

 

 仮にも神霊。サーヴァントなどとは文字通り桁が違う霊器で現界するワルキューレの能力値(ステータス)は桁違いである。たとえサーヴァントとして上層に位置する大英雄らであっても彼女たち三騎を纏めて相手取ることは極めて困難であると言える。

 

 そんな彼女たちを目の前の天使は基本性能(スペック)だけで払いのけた。

 その事実は即ち──。

 

「コイツ、私たちより二段は上だ──!」

 

 少なくとも膂力に限ればワルキューレたちをも優に凌駕する。

 その事実を悟って彼女たちは驚愕したのだ。

 

『────』

 

「ッ! 攻撃、来ます! 狙いは──!」

 

「ヒルド、避けて!」

 

「こ、の──!!」

 

 天使が動く。

 鎧に隠れた視線が射抜くのはヒルドの姿。

 恐らく、戦力が同一化されたワルキューレの中でも最も早く先の一撃に反応したヒルドこそがこの場における最大脅威だと判断したのだろう。

 

 大神によって創造された戦闘機体であるワルキューレ以上に、感情を伴わない機械的な判断の下、0と1で構成された人工知能(AI)のように、天使はヒルドに刃を向けた。

 

 剣に技は無い。武具を振るだけ、ただそれだけの行動。

 なれど──。

 

“ただ純粋に速い! 避けるのは、間に合わないか! 受けきれる!?”

 

 一瞬の判断でヒルドは回避機動ではなく、盾を翳すことを選んだ。

 ──鎧の真名解放には間に合わない。

 確信と同時に原初のルーンを奔らせ、膂力及び鎧そのものの性能強化。

 

 しかし、そこまでしても不安は消えない。先に見た通り、敵の性能はワルキューレのそれを遥かに凌駕している。加えてスルーズとオルトリンデの攻撃を掻き消した謎の特性。

 万が一、それが攻撃にも有効の場合、下手をしなくてもルーンで底上げした盾ごとヒルドの身を絶ちかねない。

 受けの選択は賭けに近い。それも相手が相手なだけに幸運補正が期待できない状況下での運任せ。

 

「やられたらゴメンね──マスター!」

 

「……いいや、その謝罪は必要ないッ!!」

 

 ヒュンと風を切り裂き飛翔する一筋の光。

 攻撃行動を取る天使は背後に迫る脅威を知覚する。

 

『────』

 

 空を飛ぶように、羽ばたく。

 それは先ほど原初のルーンと光槍を焼失させた行動。

 魔術・宝具起点の魔力干渉を消し去る異法。

 

 だが──。

 

『Gi────!』

 

 止まる。今度の攻勢は掻き消すことが出来なかった。

 背に刺さったのは小さな青銅の刃だ。

 内臓を抉るほどの長さも鋭さも持ち合わせない、剃刀のような刃。

 

 それが刺さった瞬間、初めて天使が声を上げる。

 硬直し、まるで機械が軋むような悲鳴を漏らした。

 

 脅威とする判定が移る様に、ヒルドに目もくれず天使が振り返る。

 視線の先には、脅威として下に数えた魔術師が敵意を向けていた。

 

「効いたか。聖人由来の遺物だからな。仮にも聖女に紐づけされて召喚されたお前が相手ならば何らかの効果を発揮すると判断した。ふん、最初の礼だ。水を掛ける程度には貴様の目を覚ましたようだな」

 

 振り向いた天使に差し向けるように手に握る刃を向けるアルドル。

 魔剣ではない。これはアルドルの収集した遺物の一つ。

 

「以前、代行者共に狙われる機会があってね。その際に連中が持ち出した聖遺物の一つだ。名を、『デリラの剃刀』。霊的、魔力的に問わず奇蹟(魔術)の発露を封じる呪いの剃刀だ」

 

『────』

 

 聖書において、とある聖者の力を封じ込めたという聖遺物。襲撃して来た代行者から戦利品として取り上げたアルドルの手札の一つである。

 武具よりも魔術的触媒に使用するため、懐に忍ばせていたが備えは上手く働いたらしい。

 

“封印効果があるとはいえ、所詮は対魔術師想定の品。それを連中が兵器加工した投げナイフ。使用法などアサシンの真名隠し程度の役割だったが……ある意味、天使さんに救われたか”

 

 自身に幸運はないが、稀代の暗殺者の幸運には預かれたらしい。

 

「ごめん! 助かった! ありがとうマスター!」

 

「礼は不要だヒルド。助けられたのはお互い様だからな。それに状況が悪いのは変わっていない」

 

 見れば天使は自らの背後に手を回し、剃刀を抜き去って放り捨てる。

 すると、浅い傷口はすぐさま回復して消えた。

 アルドルは眉を顰める。

 

「……聖遺物の特性上、不治の効果があるのだがな。モノがなければ回復する辺り、理不尽な瞬間移動とは違って攻撃を無効化する特性は何らかの原理で行われているようだな」

 

『────』

 

 返ってくる言葉は無い。

 天使は剣を構え直して、アルドルを眼前に構える。

 どうやら再び攻撃対象を変更したらしい。

 

“機械的な反応……というより機械そのものだと仮定した方がいいだろうな。出現時に召喚に伴う魔力反応、物理世界への干渉が見られなかった。先に見た瞬間移動の異法が発動している可能性もあるが、一番高い可能性は、やはり……”

 

 アレ(・・)は恐らく、聖女の宝具だ。

 冠位英霊(グランド)となる過程で、抑止力がアルドルを討伐させるために聖女に与えた未知なる切り札。少なくとも現状、手にできる情報からアルドルはそのように考察した。

 

“となると、アレ自体を倒したところで意味はないな。聖女の状態を考えるに苦労して倒したとしても再度、展開される可能性がある。……やはり討つならば聖女だな。直接抑止力から遣わされている彼女を打倒しない限り勝利はない”

 

 問題があるとすれば、先ほどから無法を働く天使の背後に守られるように聖女は控えているということか。天使を倒すにせよ、放置するにせよ。何とかしてアレを止めることをしない限り、聖女を討つことは出来ないだろう。

 であれば、己がすべき選択は。

 

「方針は変えん。聖女は私が直接何とかしよう。ヒルド、スルーズ、オルトリンデ。お前たちはあの天使を押さえつけてくれ。それと、今後は私の守りは不要だ。瞬間移動は一度見た。二度目は、無い」

 

「……お待ちを、マスター。先ほどとは状況が違います。幾らマスターでも敵との一騎打ちなど無謀に過ぎます」

 

 スルーズが諫言を口にする。

 だが、それも当然の反応だろう。

 

 敵は、此処に来て本気になった。

 先ほどまでの様子見とは訳が違う。

 

 未知の手段を隠し持った敵が本気で殺しに来る。

 それもアルドルに対する特攻を持った敵が。

 顕れたあの天使だけでも手に余るほどの強さなのだ。

 聖女が他に理不尽を持っていないと誰が断言できよう。

 

 既にアルドルは無茶を演じており、消耗は明らか。

 この上でたった一人で英霊を相手取るなどというのは無謀の極みだろう。

 

「その無謀を通さねば勝機は無いだろう。この聖域にある限り、取れる手段はまだ──」

 

 ある、そう言いかけたアルドルにポツリと。

 何気ない一言を差し込むように聖女が口を挟んでいた。

 

「なるほど、貴方の自信の根源はこの場所にあるのですか。確かにこの場所は『主』の声が聞きづらい環境下にありますが……ええ、そういう事なら燃やしますか(・・・・・・)

 

「なに──?」

 

 不穏に響く聖女の言動。

 アルドルが疑問を抱くより、既に。

 聖女は剣を抜いていた。

 

「“天の輝きの宿る都の輝きよ、平和にあふれる神の国ではたたえの歌声。やむことはない”」

 

 唱えるのは教会の聖言。

 奇蹟を謳うフランスの乙女が此処に主の意志を代行する。

 

「“憂いと嘆きの雲は消え去り、罪と苦しみの夜霧も晴れて、真昼の太陽、輝き渡る”」

 

 聖女を中心には炎が舞う。

 アルドルが使用した破滅の焔とは違う。

 強く、雄々しく、其れでいて優しくも荘厳な黄金の火。

 

紅蓮の聖女(ラ・ピュセル)? いや、違う。冠位(グランド)由来の宝具か!」

 

 身構える。最速で構築する防御の術式。

 並びに『工房』に控えた黄金宮の再現を発動待機状態に移行する。

 威力は不明、効果も不明。

 

 なればこそ全力で守る必要があるだろう。

 しかし──そんな生温い考えは次の瞬間に破壊される。

 

「“全ての縄目は解き放たれて、儚いこの身も蘇られさせ、まことのいのちに歓び憩う”」

 

「これは──!?」

 

 炎が輝きを増していく。

 それに伴い、あり得てはいけない事態が発生した。

 

 世界(・・)が、軋む。

 法則に、揺らぎが生じる。

 

 アルドル渾身の環境変動型大結界。

 『神聖領域(アナザーコスモロジー)九界顕す森羅舞台(ドラウプニルコンサート)』。

 その基盤にあろうことが罅が生じているのだ。

 

 原因は、明確だった。

 

「改教──そうか、貴様! 貴様の特性はそういう方向性(・・・・・・・)か!! 大した傲慢だな! よりにもよって()を相手に、それでもって挑みに来るかッ!!!」

 

 気炎を吐く。

 明確なる憤怒の発露。

 聖女の力の根源を見切った■■■■(アルドル)は身も凍るような黄金の輝きを瞳に映して吼える。

 

「“今こそ十字架を進んで担い、この世の旅路を勇んで進もう、勝利の冠を授かる日まで”」

 

 だが、彼の怒りを意に介すことなく、聖女は粛々と聖言を唱え終える。

 己が為すべきことはただ一つ。罪を正す(・・)、それのみである。

 

「『我が身を犠牲に捧げて(Dags)知恵を得る(ansuz──)』!」

 

 魔術師が激情のままに右手を地に叩きつける。

 刹那、まるで木の根の様に伸びる魔術回路。

 それは空を地を、遍く世界を覆いつくし、崩壊を拒むように支える。

 

 浮かび上がる膨大な太古の魔術(エルダー・ルーン)

 人の行使する魔術とは明らかに原理の異なる魔術が発動する。

 

「──故国に捧ぐ焔の献身(グロワール・オルレアン)!!」

 

「──■■宣言(リーヴ)伝承降誕(ユグドラシル)!!」

 

 太陽の様に世界を灯す天上の輝き。

 抗するはかつて世界の基盤(テクスチャ)となった大神奥義。

 

 二種の理がそれぞれの正しさを世界に唱え、激突した。



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知恵を手繰る

 爆ぜる炎、肌を燻る熱波。

 度重なる大魔術行使の反動で軋む魔術回路は怒りで無視された。

 視線に映るはたった一人の聖人。

 さながら怨敵を睨みつけるようにしてアルドルは口火を切った。

 

「やってくれたな……!」

 

「…………」

 

 返ってくる言葉は無い。

 《オルレアンの乙女》は敵が健在であることに鼻を鳴らすのみに回答を留め、次いでふと空を見上げるようにして未だ輪郭を保つ世界を見渡す。

 

「……霊脈を通じて土地を書き換えている魔力の流量を一時的に増幅させたのですか。今の私の魔力出力をも上回るとは。やはり最低でも一つか二つ。聖杯クラスの聖遺物(アーティファクト)を所有しているようですね」

 

 誰に言うでもない独白。

 事ここに至っては、もはや敵と言葉を交わす必要が無いという事か。

 聖女は誰にも向けない言葉を続ける。

 

抑止力(データベース)を見るに、恐らくは冬木の儀式を模した亜種聖杯戦争の戦利品といった処でしょうか。これほどまでに土地を塗り替えている事からも相当の期間と相応の聖遺物を用いたことには疑いはありませんし……出所はミレニア城塞。対象の処理後には工房の除去も役目と数える必要がありそうです」

 

「……ふん、いよいよ以って本性を現したかよ、守護者(ガーディアン)

 

 アルドルは荒っぽい口調で毒を吐く。

 気づけば怒りのせいか、雰囲気が普段のそれとは変わっている。

 工房への接続の影響で変色した金色の瞳には珍しく直情的(ストレート)な感情が映っていた。

 

「マスター!」

 

 だが、それも一瞬のことだ。

 瞑目して呼びかけに振り返った時には既にいつもの鉄面皮が浮かんでいるのみ。

 

「ご無事ですか!?」

 

「問題ない、と続けたい所だが……」

 

 心配そうに顔を覗き込んでくるスルーズを傍目に、アルドルは自らの調子を確認するようにして自分の身体を見下ろした。

 かすり傷や切り傷と言った外傷は多々あるが、外から見られる致命的な損害(ダメージ)は存在しておらず、この一息入れる余裕で呼吸もある程度整ったと言える。

 

 しかし、目に見えない損耗について──例えば魔術回路などは、この戦いの中で回復させることは難しい程に消耗が蓄積されており、これ以上の魔術行使に期待は出来ない。

 加えて言うならば工房の方も先の《オルレアンの乙女》による宝具行使で大量の魔力消費を強いられた。その影響で眼前の敵を封じるこの大結界も発動限界が近づいてきており、何にせよ長期戦になればいよいよ以って戦うことすら厳しくなるだろう。

 時間はアルドルの首を絞めていくのみ。

 

「────」

 

 一秒にも満たない沈黙。

 高速で思考が可能性を巡る。

 

 ──残された手札と、敵の戦力。

 ──勝利するために必要な条件。

 ──後に続く戦と、戦い抜くために必要な時間。

 

 躊躇なく、決断が下される。

 

「一分だ。それで聖女の底を見切る。そこから先は私も祈るしかあるまい。一手でも読み違いか上回られたならば、私たち(・・・)の敗北を認めてやるさ」

 

「……それは、あくまでもルーラーは御身が仕留めると?」

 

「いいや? 当初の予定通りだ。アレを倒すことは私には(・・・)出来ん。それはよく分かったからな。あれほどまでに私を殺すことに特化させるとは、抑止力はどうやら聖杯大戦を審判するよりも、この戦いを優先するらしい。その点だけは幸運だな」

 

 先ほどまでは知覚を広く保ちながら、如何なる不意打ちにも対応せんとしていた聖女の視線が、いつの間にかワルキューレたちには目もくれずアルドルだけを冷たく射抜いている。

 裁定者の瞳は粛々と愚かなる魔術師に裁定を告げている。

 

 裁きを、即ちは死を。

 

「方針は変わらない。お前たちはあの天使を押さえてくれ。それと一度だけなら取り逃がしてもこちらで対応する。その時は任せた」

 

 端的に述べるとアルドルもまた、聖女に視線を返す。

 剣を構えながらその切っ先を聖女へと戦意の健在を示した。

 

「ですが……」

 

「まあまあ、心配するのもわかるけどさ」

 

 なおも言い募ろうとするスルーズだが、宥める様にヒルドがその肩に手を置いて止める。

 ヒルドはもう振り返らない自分たちのマスターに向けて一言。

 

「ねえ、マスター。本当に大丈夫?」

 

「ああ。安く負けをやるつもりはないし、無意味な自己犠牲に興味もない。栄光は必ず我らの下に。そも聖杯大戦に無粋な横槍を許すほど、私は甘くない。つまり──任せろ、勝つのは私たち(・・・)だ」

 

 その言葉に迷いも憂いも存在しない。

 魔術師らしく淡々と、己のすべきことを告げているのみ。

 故に、それで十分だった。

 

「……うん! なら任せました! どうかご存分に、悔いのない戦いを!」

 

 敗勢すら見える絶望の状況に見合わない笑顔の大輪。

 ヒルドはそれだけ言うと軽やかに飛び立つ。

 戦乙女からのささやかな応援。

 一片の曇りもない信頼を背に受けてアルドルは苦笑する。

 

「ふ──戦乙女の御前だ。恥ずべき戦いをするつもりはない。それに……信頼に待たせている相手もいる。勝ち筋は必ず手繰り寄せてみせよう」

 

 軽口を叩いた後、言葉を捨てる。

 

 一分──それが敵戦力を見切るのに許された時間。

 そこから先の読み違いは許されない。

 継戦能力、未知なる手札、予備戦力の有無。

 どれかを見誤れば敗北は不可避。

 綱渡りのようなこの戦いに、余裕などと呼べるものは何一つない。

 

 息を吐いて、鼓動を宥める。

 ──運命に挑む覚悟は十分か?

 ──終着点まで走り抜ける決意はあるか?

 

 ……万が一の敗北を、噛み締める準備はあるか?

 

「ハッ──」

 

 否、否、否──敗北などあり得ない。

 万が一の懸念などするだけ無駄に極まる。

 

 千年樹に栄光を。

 為すべきことは、決まっている。

 

 無言のままに手を翳す。

 身構える眼前の敵を前に一言。

 

「『囲え(おちろ)』」

 

 決戦の開始を宣言した。

 

「ッ!」

 

 瞬間、激しい猛吹雪がアルドルと聖女に襲い掛かった。

 視界を眩ます白い闇。

 吹き荒れる極寒は風速にして90m/s。

 家屋すら原型を保つことが出来ない暴風にさしもの聖女も立ち竦んだ。

 

「ですが、この程度……!」

 

 風と同時に重石の様に圧し掛かるのは-200℃を超える冷気。

 サーヴァントの霊基すら軋ませるそれは考えるまでもなく何らかの魔術行使。

 とはいえ凄まじい負荷を掛けられてもやはり聖女は健在。

 聖女を守る奇跡の加護は冬の侵犯を許さなかった。

 

「相変わらず大した守りだ。防御という一面においてお前は間違いなく最強のサーヴァントだろうな。だが、私はそれ故の弱点も知っている。御旗が守るは聖女のみ、これ以上面倒な横槍はいれられたくないのでね。悪いが()を潰させてもらおう」

 

「何を──『啓示』が……? いえ、貴方!」

 

 アルドルの言葉に訝しむ聖女はすぐに言葉の意味するところを悟る。

 風や冷気だけではない。

 自らの身体に圧し掛かる負荷は外的のみならず内部にも及ぶ。

 

 あからさまに減する性能(ステータス)

 備わっているはずの特性(スキル)の半減。

 サーヴァントとして己を確立する基盤が薄れていく感覚。

 

 間違いない。抑止力との……人理との繋がりが細くなっている。

 さながら圏外に置かれた通信機器のように。

 如何なる手腕か《オルレアンの乙女》は世界から孤立した。

 

 僅かに動揺する聖女を傍目に、アルドルは白い息を吐きながら告げる。

 

「──深淵氷獄(コキュートス)。対サーヴァント用の切り札の一つだ。聖堂教会(れんちゅう)の遣う大聖堂の業を参考に、外部と内部とを完全に隔てる魔術だよ」

 

「……なるほど」

 

 静かに納得を口にしつつ、聖女は悠然と告げるアルドルを見た。

 この極限環境下ではサーヴァントである聖女はともかく、魔術的な強化があるとはいえ人間に過ぎないアルドルでは立っていることは疎か、呼吸することすら厳しいはずだが、その様子に変化という変化はなく、通常環境下と同じ振る舞いをしている。

 

 言うまでもなく術者本人に危害が加えられるような易しい設計はしていないということだろう。

 

 とはいえ言葉から察するに何のデメリットもないという訳ではない。察するにこれほどまでに精巧な密室の結界である以上、外部からの支援を期待できないのは敵も同じ。

 この結界内にある以上、戦力は独力にのみ限られる。

 

“サーヴァントを前に魔術師が、などとはもはや言えませんね”

 

 アレ(・・)は違う。

 常識外を生きる魔術師という存在にあって尚、常識外と呼ばれる怪物。

 魔人や英傑の領域に踏み入った人外の存在だ。

 

 ……神秘薄れた時代には珍しいが、別段、特別と呼ぶものではない。

 人類に限らず、時折ああいった存在は現れるのだ。

 

 特に変わった因果があるわけでもなく。

 特に複雑な背景があるわけでもない。

 

 まさに突然変異としか言いようがないままに現れる個体。

 常識を容易く打ち破る怪物の素養を持つ者たち。

 目の前の人物は、そういう類の者なのだろう。

 

「世界から神秘が薄れようとも、人の世が続く限り英雄は生まれるということですね」

 

 軽視はしないし、加減などいらない。

 全力を以て叩き潰すべき敵だと聖女は改めて認識する。

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙。軋むような停滞。

 時間が、空間が、あらゆる全てが停止するような錯覚。

 もはや交わすべき言葉は尽き、示すべき在り方は告げた。

 相互理解など不可能で、妥協で手を取り合うなどあり得ない。

 

 ならば──。

 

「「排除する(します)」」

 

 熱なく告げられた一言を皮切りに、鳴り響く耳を劈く金属音。

 此処に運命を分ける最後の戦闘が始まる。

 

 ──最初に動いたのはアルドルだ。

 考えるまでもなく筋量(パワー)において圧倒的な不利を背負うアルドルは、即座に力の押し合いでは勝ち目がないと判断し、聖女の攻撃を刃に傾斜をつけ後ろに流すようにして受ける。

 そして聖女の脇を潜り抜けるようにして、すれ違いざまに脇腹を抉る様にして切りつける。

 

「シッ──!」

 

 鋭い剣閃はひたすらに速度を重視したもの。神代の魔術師として自身を確立させるアルドルは、魔力放出の真似事で瞬間的に動作の速度を上げることができる。

 これに加え、先の技量再現(トレース)にて剣術の技量を底上げしている状態だ。無駄が徹底的に削り切られた英雄の領域にある太刀は既に《オルレアンの乙女》に対応できる領域にはない。

 

 当たる──だが次瞬。齎された結果は血の戦果ではなかった。

 

「……ッ!」

 

 金剛石でも切りつけたかのような感覚。とても人体からは発せられないはずの激音。

 神代より引き継がれし魔剣──ティルフィング。

 サーヴァントすら傷つけうるはずの武具がただの生身に弾かれた。

 

 視る。気づけば《オルレアンの乙女》の身体。

 それを庇護するように聖性を感じさせる白い光のようなものが──。

 

「“十八のまじない(アルフォズル)”!!」

 

 飛び退く。原因、考察、動揺──その全てを切って捨てて次なる敵手の挙動よりも先んじてアルドルは魔術を唱えていた。

 出現するは十八のルーン文字。偉大なる原典、かの大神オーディンが箴言に語ったとされる十八種の原初のルーン。火であり、風であり、加護であり、呪詛であり、魅了であり、知恵である魔術が聖女の下に殺到する。

 

 抑止力との接続(パス)に妨害を掛けているとはいえ《オルレアンの乙女》は万全のルーラー。彼女は対魔力を始め、呪詛や精神に働きかける外法には尋常ならざる耐性がある。

 効かないことなど端から承知。故に必要だったのは気勢を削ぐ、一瞬があれば良い。

 

“魔術的干渉ならばともかく宝具による剣撃を弾いた? 聖旗による真名解放はなかった。少なくともルーラー、ジャンヌ・ダルクは素で防護の特性を持つ英霊ではない。ということは冠位由来の宝具かスキルか”

 

 炸裂する。十八の極彩色の魔術は反撃に動こうとした《オルレアンの乙女》を飲み込んで追撃を許さない。高い対魔力に、呪詛に対する抵抗力。この二つを持つ身であったとしても対するは原初のルーン。神代の薫陶を受けた大魔術だ。

 少なくとも何もせずに無傷で切り抜けられるほど甘くはない。

 攻撃から逃れるために身を固める必要があるだろう。

 

 その間に思考する。未知なる防御性能、見知らぬ結果。

 力押しが許されるほど抑止の使徒は甘くない。

 不明を不明のままにすれば代価を支払う破目になるのは明白だ。

 

“確かジャンヌ・ダルクには戦場で胸に矢を受けながらも戦地で指揮を執り続けたなどという逸話があったな。……戦場での立ち振る舞い。逸話を形として後天的な宝具か? だとすると効果範囲、持続時間を考察する必要がある。或いは特定の武具で突破できるならば──”

 

 反撃に備えつつ、高速で先の現象の意味を探る。

 ……だが、許されたのはそこまでだ。

 予想していたよりも遥かに早く聖女が行動を開始する。

 

「ハ──!?」

 

 大魔術の余韻が残した黒煙の中、アルドル目掛けて何かが飛翔する。

 炸裂音のような響きと共に飛来するのは聖旗。

 《オルレアンの乙女》が有する桁違いの出力で投げつけられたそれが、大気の壁をぶち破りながら剛速球で飛んできたのだ。

 

「クッ……ああ!!」

 

 反射的に切り払う。

 人間は咄嗟において回避よりも防御に主眼を置いてしまうものだ。

 この一瞬に受けという選択を取ったこと。

 それこそが隙に繋がると気づいた時には遅かった。

 

 ──不意に身体に影が落ちる。

 

「影……上か!?」

 

 空中高らかに打ち弾かれた聖旗。

 それを掴む聖女の姿。

 得物の投擲と同時に、アルドルの注意が逸れた一瞬。

 彼女は予め得物が敵手に弾かれることを予想して、その方向に跳んでいたのだ。

 そして。

 

「やあああああああ!!」

 

 自らの得物を取り戻した聖女がアルドル目掛けて落下する。

 重力を活かした振り下ろし。

 元の出力を嵩まして地に叩き落される強烈な一撃はとてもアルドルに受けきれるものではなかった。

 

「チィ!」

 

 飛び退いて躱す。直後、轟音。

 先ほどまでアルドルが立っていた場所に小規模のクレーターが出来る。

 

性能(ステータス)の押し付け、力任せとはな。少しは聖人らしく……ッ!」

 

 毒を吐く余裕など与えられない。

 アルドル目掛けて再びの投擲。今度は得物のそれではない。

 聖女の一撃で巻き上げられた地盤。

 瓦礫の山を弾丸に幾重もの投石がアルドルに殺到したのだ。

 

 ……人を一人殺すのに大規模な魔術や宝具などいらない。

 あくまでアルドルは生身であり、肉と骨で出来た人間である。

 一定以上の質量を持つ物体が頭蓋を砕いて胸を貫けば、それだけで死ぬのだ。

 

(アッシュ)……!」

 

 手を翳す。唱えるは防護を示す原初のルーン。

 浮かび上がった文字はそのまま盾となり、傘となり、瓦礫の雨からアルドルを庇護する。

 しかし。

 

「……馬鹿力め!」

 

 一撃、二撃、三撃と瓦礫がぶつかるたびに防護に罅が奔る。

 魔術的な干渉でも何らかの付与効果でもない。

 ただただ桁違いの物理的接触があろうことか神秘の守りを剥がしに掛かっているだけ。

 

 サーヴァントが手にしたものは何であれ、一定の神秘を纏うため、特定のスキルや宝具の有無に関わらず神秘的な接触を可能にするという。

 その効果が表れた結果だとは考えられるが、衝突のたびに手榴弾も斯くやとばかりに響き渡る爆発音は詳細を抜きに圧倒的な力を感じざるを得ない。

 

 こちらが頭を使って何重にも用意した準備を力で引き千切られる感覚。

 アルドルは思わず、歯ぎしりをした。

 

「──失礼。学が無いことは自覚していますから」

 

「ッ!!」

 

 突風が頬を撫でる。

 四足獣のように身を低く迫る影。

 

 投石は相手の動きをその場に留めるためだ──。

 

 そう悟った時にはもう遅く、アルドルは聖女に接近を許す。

 

 コンパスの様に地から宙へ。

 半円を描きながらアルドルの喉元に聖旗が迫る。

 

「う、お……!」

 

 仰け反るようにして躱した。

 肌に勢いよく吹き付ける風。

 大気を引き裂く一撃は当たれば喉を潰されるどころか、首から上を吹き飛ばしていただろう。

 一命を拾ったアルドルだが、死地は未だに続いている。

 聖旗の勢いをそのままに今度は旗の石突きが脇腹に迫る。

 

 大きく体勢を崩しているため回避は選べない。

 魔術の詠唱も間に合わない。

 となれば残る手段はただ一つ、剣を引いて刃で受ける!

 

「ッ! ヅ……ゥ!」

 

 衝突と同時、柄を通じて手に。

 手を通じて腕にまで強烈な痺れが襲う。

 守りの代償、それは一時的とはいえ剣を握る腕から感覚を喪失させる。

 だが、聖女に容赦はない。

 

 さらに一撃、もう一撃と、聖旗を手元で回転させるようにして立て続けに攻撃を放ち続ける。卓越した杖術捌きはまるでよく出来た演目を辿るようだ。

 手具演技(バトントワリング)のバトンのように身丈以上の聖旗を軽々と躍らせる。

 

 堪らないのはアルドルの方だ。アルドルは基本性能(ステータス)で劣る自覚から、攻勢に拘り、魔術や礼装を凝らして聖女に万全を発揮させることを許さなかった。

 それが受けに回ったことを契機として聖女の思う通りに行動させることを許してしまっている。

 

 元より性能面で絶対的に上回るものが、その通りの能力を発揮できた場合どうなるか。その結果が現実に映される。

 防戦一方──アルドルは追い詰められる。

 

術理(うで)を振るうことを許さない力押し……! 思惑に沿わない近接戦ではやはりこちらが圧倒的に不利かッ!”

 

「“吼えよ(ウル)ッ!”」

 

「む……!」

 

 キンと耳を刺すような音。

 守勢の最中、肉薄する二者の狭間に刻まれるルーン文字。

 打撃具で殴りつけられるような衝撃が双方を襲う。

 

 聖女は守る動作すらなく衝撃にただ踏ん張る。

 自身の身を覆う光の加護に加え、英霊としての性能。

 ただの衝撃に過ぎない魔術の干渉なぞに小動もしない。

 

 一方、アルドルの方は自らの魔術によって大きく吹っ飛んだ。

 防御を初めから考慮しない強引な攻勢の代償に、その身は宙を舞い、顔には苦悶が浮かんでいる。

 

「だが……!」

 

「成程、近距離を不利と見て距離を取ることを選びましたか。ですが……その姿勢からでは追撃に身を守ることは出来ないでしょう」

 

 アルドルの狙いは簡単に見切られていた。

 聖女は冷たく言い放つと、引き離される距離を即座に詰める。

 大きく踏み出して三歩。

 自滅覚悟でアルドルが築きに掛かった間合いは呆気なく詰められる。

 

「ハッ、正に猪突猛進といった様だな。よほど自身の防御性能に自信があると見た。……距離は十分、一動作分だけの余裕さえ作れれば、やり様はある!」

 

 思惑を蹴破られることに動揺は無かった。

 それどころかアルドルは強気に言い放つと懐に手をやり、何かを投擲する。

 

 一瞬、僅かに聖女の踏み込みに迷いが生ずる。

 聖遺物、礼装……はたまた呪物。

 アルドルという魔術師の特質性を鑑みて、この状況下で彼が投じた起死回生。

 何らかの概念を纏った品であることは間違いないだろう。

 

 対応するか──いいや。

 

「些か、一辺倒が過ぎましたね。狙いが分かりやすければ躱すのは簡単です」

 

 踏み込みそのまま、首を僅かに傾げる。

 たったそれだけで投擲物は聖女の顔を横切った。

 額を狙った一撃……だったのだろうが、あからさまに過ぎる。

 これならば態々対応する迄もなく、挙動一つで捌き切れる。

 

 どのような狙いがあったとしても当たらなければ意味はない。

 冷徹に言い放つと《オルレアンの乙女》は容赦なく無防備なアルドルへ、聖旗を振り下ろす。

 これで終わりだ、そう告げる紫水晶(アメジスト)の瞳に──。

 

「──いいや、狙い通りだ」

 

 微笑を浮かべるアルドル。

 視線は聖女の先、彼女の姿を追従する影に向けられている。

 地に落ちている人影──()が刺さり立つ。

 

 刹那、終わりを唱えたはずの聖女は全ての自由を奪われた。

 

「──ッ! 身体が、動か、ない……!?」

 

 予想外の出来事に動揺が口走る。

 反射的に全身に力を籠め、全身に魔力を循環させるが動かない。

 サーヴァントとしての全性能を以てしても尚、絶てぬ拘束。

 観察に視線を回して、気づく。

 

 影──聖女の後ろに仕える人影に、一本の釘が刺さっている。

 一目見て判断できる神秘の残滓──呪いとは対極の、聖性すら感じる品。

 抑止の知識を手繰ることなく聖女はそれを知っている。

 

 何故ならば、それは教会の──。

 

聖釘(サクリ・キオディ)!? 魔術師である貴方が何故それを──!!?」

 

「それこそ、今更というものだろう聖女。何年かけてこの戦いに備えて来たと思っている。対聖人を念頭に置いた武装の一つや二つ、聖堂教会(れんちゅう)から強奪しているに決まっているだろう」

 

 嘲る様に魔術師が言う。

 聖釘(サクリ・キオディ)──聖書に語られる『かの聖人』を磔にしたという釘。

 『拘束』の概念を纏う概念礼装。

 それこそが聖女の影を縫い付けるものの正体であった。

 

「そして──ようやく動きが止まったな。その光の防御、存分に検証させてもらうとしよう」

 

 再びアルドルの手が懐に伸びる。

 聖釘の特性は《オルレアンの乙女》に対して最悪(さいこう)だ。

 如何に冠位を戴く強力な英霊であっても、この拘束は即座に破れるものではない。

 

「くっ──」

 

「対魔力干渉に呪詛への耐性、越えて魔剣の物理的な干渉すら退けるとはな。先の神代魔術の効果を引き摺る様子もなし。その防御力、“黒”のセイバーの宝具に匹敵すると言っていいだろう。しかし完璧なるものなど存在しない。強力な守りには致命的な弱点が生ずるものだ」

 

 言いながら放たれる七つの黒鍵。

 魔術師が扱う魔術としてアレンジされた概念武装が、《オルレアンの乙女》の手首足首両肩胸元にそれぞれ放たれ──光に阻まれ弾き飛ばされる。

 

「……聖痕(スティグマ)をなぞったのだが、ダメか。由縁は聖人というものではなく、ジャンヌ・ダルクの方に紐づいている可能性の方が高いか」

 

 まるで実験結果を測る学者の様に。

 冷静に目の前で起きた現象をアルドルは考察する。

 

「好き、勝手を……!」

 

「先に無法を働いたのはそちらだろう。時間がないのでね、更新された情報は全て閲覧させてもらう」

 

 歯噛みする聖女を傍目に、今度は魔剣を軽く構え、アルドルは動きを封じられ無防備となった聖女に容赦なく斬りかかる。

 首や胸と言った弱点は当然のこと。

 背後も含め、五体全てに剣撃の雨を浴びせた。

 

「真エーテル、装填。斬り裂け斬神魔剣(ティルフィング)!」

 

 さらに真名解放──最大性能を発揮した魔剣が聖女を袈裟斬りにする。

 しかし──それでも。

 

「無傷、か」

 

 聖女の身体には、傷一つ存在していなかった。

 

「これだけやって尚、無傷とはな。考えられる可能性は特定スキル、特定武具、特定存在でのみ有効であるという特性か、時間経過、何らかの条件の達成による突破。……流石に全てを検証する暇は」

 

「──ルーラーを……舐めるなッ!!」

 

「……流石にないか」

 

 激情を吼えると同時、《オルレアンの乙女》を中心に炎が起こる。

 拘束は依然、解除されなかったものの、炎は結界の雪を解かす所か、界そのものを揺るがす。

 完全に閉ざされているはずの深淵が軋む。

 

 その様を見てアルドルは詳細を暴くことを諦めた。

 

「ああああァァァァァ──!」

 

 無様に拘束される自身への怒りを叫ぶ。

 聖女が力任せに拘束を破りに掛かった。

 概念干渉や礼装の破壊ではなく純粋に力による突破。

 

 成立しないはずの手段は、果たして聖女は一歩踏み出し、聖釘が揺れる。

 

「……なんともはや恐ろしいな」

 

 嘆息。声音には微かに呆れすら含んでいた。

 とはいえ見るに聖女の行動は拘束を振りほどくという一面においては正しかった。

 これ以上、影縫いで抑え込むのは厳しいだろう。

 

「外部からの干渉、一切を受け付けないのはよく分かった。であるならば内部からなら、どうか」

 

 時間はない。聖女を拘束していられる時間も、この戦いを続けている時間も。

 見方と攻略の糸口を転換する。

 残された最後の可能性をアルドルは手に取る。

 

「──……()?」

 

「FNブローニングM1900。文字通り、とある戦争の引き金になった品だよ」

 

 アルドルが手にした予想外の武具に疑問を唱える聖女。

 律儀に問いに答えを返しつつ、アルドルは銃弾を装填して聖女の額に照準する。

 

「……そんなものが通用すると」

 

「さて、どうかな。この銃これ自体、それなりの一品だが秘策は銃弾の方だ。昔、中東の亜種聖杯戦争に望んだ際に手に入れた戦利品でね。六つしかない貴重な品を私の手でアレンジしたものだ」

 

 ──それは数多く参加した亜種聖杯戦争の戦歴において初めてアルドルが死の予感に戦慄を覚えた戦い。『静謐』の名を持つアサシンと望んだ聖杯戦争。

 圧倒的な魔術師としての性能を誇るアルドルを屠るため、敵方に居た傭兵組織がアルドルを殺すために雇った凄腕の暗殺者(ヒットマン)が得物としていた魔弾。

 

 ひとたび着弾すれば最後、魔術師の魔術回路をズタズタに切り裂き、その上で繋ぎ直して焼き壊す魔術師殺しの業。あの男の《起源》たる『切って(つな)ぐ』礼装。

 

 名を──。

 

「『起源弾』──では存分に味わってくれ」



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北天を舞う

 『エッダ』を始めとした北欧神話と総称される詩編群。人類史上に記録される、かの北欧神秘との接触はおよそ九世紀頃だと言われている。

 

 九世紀後期──絶海の孤島アイスランド。

 北欧神話が出土したその島との接触は偶然であった。

 

 とある北欧の船乗りによって発見されたこの島は、もともと人の住まない無人島であった。その後、船乗りたちによって広まった新天地の噂を知ってノルウェーに住んでいたフローキ・ビリガルズソンなる男が最初に入植を試みようとした事が始まりである。

 

 フローキは食糧の蓄えに失敗し、すぐに島を去ることとなるのだが、上陸に際しては探索のため山を登った彼が、バックアイスにうずまったフィヨルドの景色を見て、この島を氷の山と呼んだことが後の国名、アイスランドへと繋がったとされる。

 

 絶海の孤島が発見され名づけられた後、最初に入植することに成功させたのは西ノルウェーからやってきたインゴールヴという男だ。

 後年、彼はアイスランドの入植に纏わる事情──アイスランド人の歴史を語る『植民の書』を始めとした記録を残した。

 

 その記録に曰く、当時のノルウェーにおいてはハラルド美髪王が台頭しており、彼が国内の諸勢力を従えながら統一王権を成立させる真っ只中だったという。

 ハロルド美髪王は目論見通り、統一王権を掲げることが叶うものの、彼の圧政を善しとしなかった豪族らは自らの家財をかき集め、彼の支配の届かない新天地を目指した。

 

 ……かの美髪王の施政を嫌った者たちの集まり。

 それこそがアイスランドという国の起こりであったのだ。

 

 そして新天地こそを新たなる故郷と定めた入植者たちは、首長を集団の頭とし、同時に祭司であると仰いで、牧羊や漁業を主な中心として生活を営むようになる。

 入植当時においては全島に共通する法律や中央の政府といった行政機関は存在しなかったのだが、次第に求められるようになり、かつての故国たるノルウェーを倣って立法・司法の府である民会アルスィングを確立。

 大陸の影響を受けつつも彼らは、詩と狩りを中心とした独自の文化圏を築き上げていく。

 

 神の残滓と神秘の色を残した絶海の孤島。

 独自の道を歩む彼らは、こうして一時は諸国の騒乱からは無縁の穏やかな生活を送ることとなる。

 ──しかし、戦とは無縁であっても文化的侵攻に無縁であることは出来なかった。

 

 一〇〇〇年。その年、北欧では最も遅く、全島民会(アルスィング)にて改宗の決がなる。

 其は唯一神の名の下にありとあらゆる神秘を管理しようと目論む大勢力。現代においても世界最大たる信仰を一手に引き受ける教会である。

 異教を認めない教会はその教義に則り、アイスランドに残された神秘の存在の独占と廃滅を狙って手を伸ばしてきたのだ。

 

 とはいえ如何に教会とて、神秘の管理のみを理由に一国を狙っているわけではない。

 北欧地域においてはたびたびイングランドを始めとした西洋諸国に襲撃を行うヴァイキング──略奪を営みとする者たちの存在に頭を悩ませていた。

 そのため教会の『表向き』の顔をして彼らを管理したいという願望があったのだ。

 

 当時のイングランドに名高き偉大なる統治者アルフレッド大王の手腕もあって、イングランドやアイルランド周辺に住まうヴァイキングの改宗に成功してからはノルウェー、スウェーデンといった国々にも布教の活動を働きかけており、そういった政治的な施策が遂にアイスランドに届いたという形である。

 

 武力ではなく政治的な圧力による改宗。神秘の管理という目的もある以上は焚書が如く、元の神秘を廃絶させるのでは意味がない。そこで彼らが考えたのが、改教──即ち彼ら異教の文化を丸ごと教会の教えに取り込むという施策だ。

 

 教会の教えを定着させるためには、まず現地の支持を取り込む必要がある。

 極東で言う所の神仏習合。現地の異教なるモノたちを聖人や聖女といった形で教会の存在に取り込み、ゆっくりと彼らの教えに教会の教えを沁み込ませていくのだ。

 

 幸いにして、北欧の神話とは口伝が主で先祖代々に教えられてきた詩や教えが中心である。

 書と筆をして教えを継ぐ教会とでは残せる記録の精度が違う。

 今でなくとも百年、二百年後。果たして口頭による教えと書による教えとでどちらがより原典に等しい伝説を継承できるか──。

 その答えは考えるまでもないだろう。

 教会による弾圧を待たずして時間が、人が持つ『忘却』の原罪が自ずと神秘を忘れさせる。

 

 そうしてまた一つ、異教の神話は取り込まれた。十二世紀、十三世紀にかけては教会の影響によって齎された文化に伴い、アイスランドでは学芸などの国の文化が急速に発展する。

 その過程で穏やかな改宗のお陰で異教の神は名と伝承を残され、『エッダ』に記される北欧の神々は今日まで語り継がれることとなるが、一方で教会が仕込んだ『毒』の影響力もまた平和的に北欧の人々を侵食している。

 

 一例として尤も分かりやすいのは──とある神の存在だろう。

 光の神として伝承されるその神は、もともと北欧神話の原典には存在しなかったとされる存在だ。

 彼は最高神たるオーディンの息子の一人とされ、神々に愛されるほどの美貌とカリスマを有していたといわれているが、彼に通じる神話は極端に少ない。

 

 取り分け自身について言及される神話に関しては、自身の終わりに纏わるものしか残されておらず、加えてその物語が教会に記される『とある聖人』に通じるものであるというのもまた教会の影響を感じ取られずにはいられない点だろう。

 

 神話に曰く──光の神たる彼はロキの姦計により死を迎え、後の黄昏を経て新世界と共に復活する。

 

 この何者にも愛される『光』たる存在が、裏切り者の姦計によって死を迎え、その後に新世界の始まりと共に蘇るという形式はまさに『とある聖人の復活』をなぞるものであり、かの神が存在することこそ北欧神話の伝承に教会の影響があった証明でもある。

 

 ……始まりからして偽に濡れた存在。

 故に『彼』には責務があるのだ。元より偽の息子に過ぎない己を、それでも自分の息子として認めたオーディンに、そして神の列席に加わることを許した北欧の神々に。

 ──この身は時代と共に転輪する生命。

 紛い物であろうとも次代の北欧を担うとされる者なれば。

 

 ……その真髄が教会に意図して作られた二次創作(にせもの)に過ぎないのだとしても。

 

 神々(かれら)亡き後の世において、神々(かれら)を語る責務が、彼にはある。

 

 だからこそ、彼は魔術師と契約した。

 己と同じ転輪する不変の生命、永遠を名乗る高貴なる魂。

 勇士にして時代が違えば聖人たる資格を有する異郷の者。

 

 世にも珍しい、たった一人の同類。

 彼が千年樹を望むように、彼もまた神話を望む。

 

 だからこそ敗北は許されない。

 だからこそ敗走は許されない。

 

 ましてや世界の皮を被った教会(れんちゅう)の手先に落ちることなど許せることではない。

 

 目には目を、歯には歯を。

 そして──神話には、神話を。

 

 

 

 

 ──身も凍る向かい風を引き裂いて戦乙女が空を駆ける。

 肌を刺す冷気の感触は既にマイナスにして三十度。

 体感にすれば猛吹雪も相まってその二倍に達するだろう。

 

 容赦なく生命の体温を苛む極寒を前にして、しかし戦乙女の顔に苦痛の色はない。元よりこの地は、主たるものが築き上げた古き故郷の再現。

 なればこそ、過酷な世界はその内にいるものに牙を剥かず、この世界の外からやってくる侵略者にのみ向けられるもの。

 

 滴り落ちる雫の様に。トゥリファスの霊脈を侵す創界(ドラウプニル)は千年樹の基盤を斯く確立させ、侵攻者を容赦なく排斥する。

 

 だが──人理を拒絶する世界に在って、天使は健在であった。

 

 吹雪に凍えることもなく、戦乙女の槍に刺し貫かれることもなく、教えを知らぬ世界に教えを広めるべく無慈悲なる宣教者は世界を侵す。

 

「────」

 

「わわっ! スルーズ! また来るよ!」

 

「ッ……!」

 

「各機散開! あの炎に触れないで!!」

 

 天使の刃に焔が収束する。それを見てスルーズは他の戦乙女に回避を命じながら自身もまた回避のために距離を取った。

 ……空に戦場を移してから、もう幾度も見て来た敵の剣。忌々しき改教の概念が世界の基盤に亀裂を走らせる。

 

 焔の熱気に空間が揺らぐ。蜃気楼のようにして熱波の向こうに蒼が見える。

 それは本来の空、本来の世界(テクスチャ)

 神話を否定する現実が微かに顔を見せた。

 

「────!!」

 

 打ち出される。剣の振りと同時に、まるで世界を食む蛇のようにのたうち回る。大振りな一撃は攻撃範囲こそ広いが、回避は容易い。

 空を自在に駆る戦乙女たちであれば、焔に焼かれることはないものの……かの炎は戦乙女たちだけを狙ったものではなかった。

 

「くっ……!」

 

「ああ、もう! 好き勝手やっちゃって!!」

 

 炎が焼くのは北欧世界そのもの。

 教義にそぐわない教えを廃棄するように炎が、大気を、寒冷を、世界を()いていく。

 せめぎ合う様に宙に奔る紫電は、この世界を構築する魔力(エーテル)の抵抗だ。

 

 炎に拮抗し、失われるたびに補填される結界魔力は、炎によって付けられた傷をすぐさま修復するが、そのたびに世界の色が薄れていく。

 

 聖杯の後押しがあるならばいざ知らず、神話再演(ユグドラシル)は未だ完全ではない。霊脈から吸い上げた膨大な魔力の貯蓄と、予備魔力源として神樹に収納された亜種聖杯。

 この二つがあって、戦争の勝者ならざるまま神話の具現を可能としているに過ぎない。

 

 演目は無限にならず、展開には期限が存在している。

 そして天使の剣は、その時間を容赦なく削っていく。

 

「……スルーズ。このままではマスターの帰還を待たずに、世界が持ちません。あの炎……アレが繰り出されるたびに結界の魔力が大幅にすり減ってます。今はまだ余裕があるようですが……」

 

「ずっとは続かない、よね。それにこっちの余力だってアイツの出力の上限がこの規模止まりならっていう仮定の上だしね。もしも私たちの想定しているよりも出力を上げられるのだとすれば……」

 

「一息でこの世界を焼き払うことが可能でも不思議はありませんね」

 

 互いの思考を共有(リンク)しながら戦乙女が集合する。

 彼女たちの眼前には六枚の羽根を堂々広げる天使の姿。

 大神によって創られた戦闘機である戦乙女以上に無機物的な戦闘機械が無言のままに飛んでいる。

 

「とはいえ──」

 

 言うと同時にスルーズが駆けた。

 白鳥の羽毛のような魔力残滓と言葉を残して直線に駆ける。

 スルーズの速度は数字に換算して時速約5000km。

 既存の戦闘機を優に上回る超高速の突撃は、視界に捉えきれるものではない。

 

 されど天使はそれに反応する。掲げられる銀の聖剣。

 聖別された異端を害する剣は接近するスルーズに対して一切のズレなく完璧なタイミングで振り下ろされた。

 だが、そこに術理は無い。戦乙女たち以上に戦闘機械として特化している天使であるが、動きのそれ自体は極めて単調だ。

 有する性能(スペック)こそ恐るべきものだが、それ以外……技量などにおいては大した脅威には成り得ない。

 

 それは、こちらの接近を読んだ天使の返しの太刀とて同じこと。

 剣が振り下ろされると同時に、スルーズは素早く切り払うようにして槍を振った。

 両者の影が交錯し、剣と槍の衝突に火花が散る。

 

 スルーズはそのまま速力を落とすことなく天使の後方へと直線に駆け抜け、剣を弾かれた天使は、後方へと流れた敵影へと視線を向ける。

 

 直後──天使の身体を光の槍が直撃した。

 

「────!」

 

 されど天使に損傷はない。

 白い六枚の羽。

 

 当たる寸前、異端を否定する聖なる輝きが、襲い来る槍撃を弾き飛ばしたのだ。異教の原理。教会にそぐわぬ力の一切を天使は受け付けない。

 

「やあああ!!」

 

「そこッ──!」

 

 しかし──既にその特性を戦乙女たちは理解していた。

 光を弾いた天使の眼前、反応する間もなく二人の戦乙女が現れる。

 

 大神の槍(グングニル)誘い(フェイク)

 本命はヒルド、オルトリンデ両名の直接攻撃である。

 

 クロスを描くようにして、侵犯者を断ち切る二つの双撃が天使に降り注ぐ。

 

「────」

 

 衝突……なれど敵は健在。

 渾身の二打は確かに天使を打ち付けたが、その鎧に傷は無く、二打の衝撃にも天使は小動もしなかった。

 

「──やはり、こちらの攻撃を受け付けませんか」

 

 戦乙女の連携を天使は防御力ただ一つで無力化する。

 幾度も繰り返されるこの光景。

 置いて来た言葉の続きを嘆息交じりにスルーズは呟いた。

 

「ッ~~~堅ったぁ! やっぱり全然効いてないよ!」

 

「……何処に打ち込んでも鎧に傷一つ付けられないなんて。あの羽と同じく直接攻撃自体も何らかの特性で無効化している?」

 

 距離を取りながらヒルドは愚痴る様に、オルトリンデは困惑するように敵の異質さに考え込む。

 開戦より既に天使の五体に余さず攻撃を加えた戦乙女たちだが、天使の異常な防御性能を前に手詰まりとなっていた。

 

 あの不可解な羽ばたき。

 こちらの魔術を、魔力を、宝具を悉く無力化していくあの羽毛。

 アレが天使を無敵たらしめているのだ。

 

「どうする? あの厄介な羽を何とかしないことには攻撃は通らなさそうだよ」

 

「……対魔力のようなスキルや普通の宝具とは何か根本的に違います。恐らくは概念(ルール)による特殊防御。マスターは何か察するものがあったようですけれど」

 

 思考を同期させながらヒルドとオルトリンデはスルーズに問う。

 主が舞い戻るまでの時間稼ぎ。それが自らの役目とはいえ、こうもこちらの干渉を全て弾かれてしまっては足止めも出来ない。

 せいぜいがこうして天使に突っかかることで敵の注意を引く程度だ。

 

「──……改教ですか」

 

 戦乙女は戦闘機械だ。

 彼女たちは戦いや勇士の御霊を掬うことは出来ても、『知恵』を振るう事には適していない。戦に纏わる戦術を駆使するならばともかく、こういった敵の特性を分析し、解析し、対応する機能はない。

 

 智慧のルーンを使えば或いは閃くものもあるやもしれないが……。

 

「致し方ありません。マスターにあまり負担を掛けたくはありませんが、『泉』に接続します」

 

 悠長に構えている暇はない。

 優先すべきは頼まれた任務である。

 決断は早く、スルーズは知恵を借りる事を選んだ。

 

「分かった」

 

「了解」

 

 スルーズの選択に同期する両機も頷く。

 戦乙女に供給される魔力の繋がり。

 マスターとサーヴァントという聖杯戦争における形式とは全く異なる回線を通じて、『泉』へと接続を開始する。

 

「「「臨時接続(アクセス)──輝ける神々よ、我らに導きの箴言を」」」

 

 詠唱ならざる言霊を呟き、回線(パス)を通じて接触(アプローチ)を開始する。

 それは同位体との共有(リンク)とは違う。

 此度の特殊な状態だからこそできる外部装置への接続要求であった。

 

 

 外部より九つ廻る千年神樹(ナインヘイムユグドミレニア)への接続(アクセス)を確認。

 霊器(アカウント)確認──認証、臨時接続を許諾。

 

 

 戦場から遥か離れたミレニア城塞。

 工房に安置されている魔術が無機質な文字を紡ぐ。

 アルドルの悲願を為す計画基盤にして、北欧世界を再現する規格外の魔術工房は戦乙女より求められた機能を淡々と起動する。

 

 

 魔術式“智慧の泉(アウルゲルミル)”──起動。

 

 子機より親機への敵性存在の情報の要求を確認。

 群霊黄金宮(データベース)再生、仮想自立思考を定義。

 異名存在(ケニング・アバター)との戦術同期を開始。

 

 

 『工房』に存在する北欧の伝説を再演するために必要なありとあらゆる術式が収められた情報集積体(データベース)と九つの視座より現状況に最も適した視座の一つが浮上する。

 

 

 異名存在(ケニング・アバター)──パッシオ・ホリゾンガー。

 敵性存在の解析、及び戦術分析を開始します。

 

 

 体に損傷を負おうとも、人格(記憶)は元より工房に収められたるもの。

 戦乙女に『知恵』を授けるべく、賢者の記録が再生される。

 そして──。

 

 

『神格装填、(わたし)は神の名を語る──我が()ミーミル(・・・・)

 

 

 その言葉が戦乙女の脳裏に響いたと同時、全ての工程は完了していた。

 

「……申し訳ございません。マスター(・・・・)、知恵をお借りします」

 

『ははは、何の。工房を完全起動させたとはいえ、魔術刻印の回路を完全に開いたわけではないからね。大した負担は掛かっていないさ』

 

 律儀に謝罪の言葉を口にするスルーズに、老人の声が笑いかける。

 その声、その雰囲気は数刻前まで聖女に同行していた老人のモノだ。

 アルドルが持つ九つの視座……聖女の監視役と誘導を兼ねていた異名存在は、舞台を降りて気が抜けた役者の様な気軽さで戦乙女に話しかける。

 

『それに、ちょうど何処かの魔術師君のせいで暇を持て余していたのでね。予定通りだったとはいえ本当に手加減なしにガンドを撃ってくるとは。身体に意味はないと言っても、一応痛覚は生きているのだけれどね』

 

「それは……あの……」

 

『おっと下らぬ愚痴で困らせてしまったかな? 老人の戯言と聞き流してくれたまえよ──さて、時間も多くないし気を取り直して講義といこう。抑止力の介入こそ予期していたとはいえ、随分と面倒な存在を引き当ててしまったようだしね』

 

 戦乙女の視界を通して、パッシオは天使へと目を向ける。

 囲う様に一定の距離を取る戦乙女たちへ天使は、無機質な視線を返している。

 

『天使──取り合えず仮称として呼んでいるアレは、結論から言ってしまえばジャンヌ君……聖女の持つ概念武装、特殊な形態の宝具だと考えられる』

 

「概念武装……成程、そういうことですか」

 

 概念武装──それは物理的な破壊力ではなく、意味・概念への干渉を起こす武装のことである。

 積み上げた歴史や語り継がれる伝承を元に能力を発揮するそれらは物理的な破壊力という面においては魔力(エネルギー)に依存して術を発動する魔術や宝具に劣るものの、ある一定の対象、特定の条件下においては宝具以上の代物として効果を発揮するという。

 

 例えば対吸血鬼を主目的に教会が揮う『黒鍵』。

 或いは英国童話(ナーサリーライム)に伝承される『ヴォーパルの剣』。

 

『まるでこちらの術理を否定するかの如き羽ばたき──手元の情報で組み上げられる推測だが天使(アレ)は、一つの歴史の再現。教会が、布教の過程で世界中のあらゆる神話体系に干渉し、その在り方を改変させた改教の概念の具現──言うなれば編纂聖典とでもいうべき代物なのだろう』

 

「編纂聖典──」

 

 不意に天使が駆動する。

 様子を伺うこちらに痺れを切らしたのか、それとも戦乙女たちの気が異なる場所に向けられていることを察したのか。銀の聖剣を構えながら突進するように迫る。

 ターゲットは天使より正面に構えるスルーズ。

 

 だが、思考を別に割いているとはいえ、元より彼女たちは戦闘機体。機体に刻まれた戦の勘が思考するよりも早く天使の一斬を避ける。

 虚空を掠める天使。攻撃を躱しながらスルーズは、その背後を取った。

 

「どうやら小回りは私たちの方が上のようですね」

 

「────」

 

 言葉に返答することなく、天使が振り向きながら背後のスルーズに斬りかかる。

 速度、威力、反応速度。いずれも素晴らしい。

 

「しかし──甘い」

 

 性能に対して行動が読みやすい。

 振り向きざまの剣をスルーズは槍で受け止める。

 

 天使は攻撃が止められたと判断した瞬間、スルーズの握る光の槍ごと、その霊基を粉砕せんと炎を銀剣に纏わせようとするが、それよりも早く、スルーズは行動していた。

 

「フッ──!」

 

「────!」

 

 蹴り抜く。

 天使の身体を足場としてスルーズはひらりと、舞うようにして天使の間合いから離脱した。

 離れ行く敵性存在を視認しながら、すぐさま逃がすまいと天使は追撃を構える。

 

 直後、構える天使の銀剣を視覚外から飛んできた槍が弾いた。

 

「余所見は厳禁、だよ! オルトリンデ!」

 

 効果はない。銀剣が纏うは異端を否定する破邪の焔。

 衝突すら発生させずに光の槍はたちまち炎に焼かれて消え去るが。

 

「知覚機能、押さえます」

 

 さらに追撃するように天使の周囲でルーン魔術が発動する。

 発動するは視覚と魔力探査を封じる濃霧。

 直接的な魔術干渉は無効化されることを予期して、間接的に天使の行動を押さえに掛かる。

 

「────」

 

 霧は、一瞬で晴れた。

 六枚羽の羽ばたき、ただそれだけで天使を惑わせる濃霧は初めから無かったかのように消え去った。

 

「やっぱりダメか!」

 

「本当に、厄介です」

 

 無傷の天使を視認してヒルドは嘆息し、オルトリンデは歯噛みするように呟く。

 一方の天使は攻撃こそ無力化したものの視覚外からの襲撃に、再びターゲットを変更したらしく、スルーズから視線を外して、今度は二機の戦乙女目掛けて襲い掛かった。

 

『ふむ……性能に対して、あの単調な動き。聖女にちなんでミカエルとアルドル君は呼んでいたが、君たちの言う様にあまり戦闘に特化しているようには見えないね』

 

「はい、その都度に知覚したモノ、或いは対象の脅威如何によって対象を切り替えているようです。対応を固定しない様を見るに、複雑な戦闘技能を与えられていないのかと」

 

『仮にアレが推測通り、かの守護天使だというならそれはおかしな話だね。ミカエルの性質を考えるに寧ろ戦闘特化型でも不思議ではないだろうに』

 

 戦い慣れしていないのは三対一とは言え、ある程度戦乙女たちが対応できていると察せられる。

 

 あの天使は確かに性能では大きく戦乙女を上回っている。

 加えて、こちらの能力を無効化する機能が備わっているのだ。

 普通に戦えばこちらは足止めすらできずに敗れるのが道理だろう。

 

 しかし現実は、天使は自らの散漫ぶりで戦乙女たちに抑え込まれている。

 

『魔力の揺らがぬ空間転移……視界に突如として顕れる現象……天使の託宣……聖女と分断されてからのあの散漫ぶり、もしや今の状態だと本当に知覚(みえ)ていないのか?』

 

「……マスター?」

 

『おっと失礼。あの二人が気を逸らしている間に講義を再開しよう』

 

 呼びかけられて、再びパッシオは言葉を再開する。

 編纂聖典──天使のカタチを取る概念武装の正体を。

 

『先に話した通り、アレは改教……教会が布教に当たって、現地の信仰を取り入れるためにその土地の神や偉人を聖典に取り込み、信仰の形を変えさせたという歴史(かてい)の具現。異教神話の編纂を概念(カタチ)としたものだろう』

 

「神話の書き換え、伝承の改ざんを為す機能……では、こちらの魔力を否定するようなあの能力の無効化は」

 

『無効化というより、無力化というべき代物だろうね。推測通りアレが編纂聖典とでも言うべき代物ならば、こちらの魔力(教え)を触れた先から向こうの都合の良いものに書き換えているのだろう。そして意味を消された魔力は宙に霧散し、効果を失う』

 

「それが、あの光の正体……」

 

『名称はどうあれ、アレが聖典だとするなら説明は通る。差し詰め能力は教会に迎合しない一切の教えを否定する機能。そしてあの天使は聖典を形どる精霊、とでもいった所かな』

 

「精霊? あの天使が、ですか?」

 

『転生批判の第七聖典……っと、こちらはいいか。まあ、アレが教会の特性を多分に受けた存在であること、そして教会の持つ概念武装の特性を鑑みるに、そう考えた方が道理が通るというだけの話さ。この場において重要なのは、アレは特性上、教義にない干渉を一切払いのけるということだろう』

 

 そこが一番重要なのだと、パッシオは強く言う。

 

 ──教義にない干渉を一切払いのける。

 その意味は今更考えるまでもない。こちらの能力の基盤が北欧神話(他の神話体系)に存在する限り、魔術だろうが、宝具だろうが、天使はその全てを無力化する。

 

 理解して、スルーズは静かに告げた。

 

「つまり──あの天使を討伐することは出来ないと、そういう事ですね」

 

『その通り。実に抑止力らしい容赦の無さだね。アルドルくんがやったように教義に組み込まれた干渉ならばともかく、こちらの北欧由来(メインアプローチ)の全てが無力化される以上、それは覆しようのない現実だ』

 

 困ったように結論を口にするパッシオ。

 間違いなく絶望的な内容のはずだが、告げるパッシオにも、結論を耳にしたスルーズにも、絶望の色はない。当たり前の現実を、当たり前のように受け止めていた。

 

「情報共有──完了。箴言、感謝いたします」

 

 攻略不能であるという結論のみにも拘わらず、スルーズは満足したように礼を取った。

 これで戦えると、これ以上の助力を頼むことなく当然の様に。

 

 その違和感のある対応を気にも止めず、パッシオは頷いた。

 そして彼もまた不可解なほど後ろ向きな結論を口にしながら応答する。

 

『うむ。悪いが引き続き、足止めは頼んだよ。アルドル(わたし)君はもう少しばかり試したいことがあるのでね。反応の確認が終わったならば、こちらも終幕(フィナーレ)に移る。何、ようやく敵の全容も見えてきたからね。後はこちらの負け方次第だよ(・・・・・・・)

 

 回線が切れる。

 

 ──ふと、スルーズは眼下を見下ろす。

 そこには猛吹雪に覆われた球体(ドーム)型の結界が見える。

 あらゆる生命を受け付けない氷獄の奈落からは、絶えず轟音と、幾重もの魔術の輝きが見える。

 

 “──……もう少し掛かりますか”

 

 もうじき設定された期限が近いが、主の検証はもう暫しの時間を有するようだ。

 それまではこの天使の足止めを続ける必要がある。

 

 敵はこちらの術理(ルール)を一切無効化する天使。

 倒すことは出来ず、かと言って受けに徹しているだけでは、あの炎が結界を焼き切ってしまう。

 自らの思考回路の発する熱を逃がすように、スルーズは薄く息を吐く。

 

 “仮に当機(わたし)たちが破壊されたとしても、結界は死守しなければいけません。祭壇を破壊されてしまえば、予定が台無しになる。この基盤を抜きに人理の使者を跳ね返すことは出来ない”

 

 重要なのは敵戦力を正確に把握したうえで、この世界を維持する事。

 その後に至っては……最悪、マスターさえ無事であるのならばどうにでもなる。

 

「であれば……」

 

 組み上げる。必須事項、不要項目。

 戦乙女は保身の概念を無視して、目的達成に必要な戦術(アプローチ)を演算する。

 

 彼女たちは戦乙女。

 その存在意義は自らが生き残ることなどではなく。

 

「──戦術、同期。……北欧が末の願い、勇士の祈りを我らが羽で導きましょう。在りし日の大神よ、我らに勝利の加護を」

 

 静かに祈りを口ずさみ、戦乙女が飛翔を開始した。



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