“ケン”という男の話 (春雨シオン)
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Part1 英霊召喚

 ノッブの作品が増えてほしいと思って書きました。今回は実質、プロローグにあたります。


 人理保障機関・カルデア。ここは予測された人類の滅亡を回避するために設立された組織であり、人理の最期の希望である。古今東西を問わず、様々な英雄たちをサーヴァントという形で雇用し、その力を借りることで運用されている。人間を遥かに超える戦闘力を持つサーヴァントたちだが、彼らがカルデアに貢献する方法は、何も戦闘を行う武のみではない。芸術家に代表されるような戦闘が不得手なサーヴァントや、得意な料理をふるまったり、技術提供を行ったりという戦闘以外での貢献をするサーヴァントたちも多く存在する。

 

 ―――そんなカルデアにおいて最も重要な人物であり、まさしく最後の希望である少女は、意気揚々と廊下を歩いていた。

 

「あっ先輩!今日はいよいよ、召喚の日ですね!先輩のあの涙ぐましい努力が、実るといいのですが……」

 

「そう!今日という日に備えて、私いっぱい徳を積んできたんだから!きっといい人に出会えるよね!」

 

 弾けるような明るい橙色の髪を揺らしながら、『先輩』と呼ばれた少女。この一見平凡な見た目の少女こそ、人類最後のマスター、立香だ。その隣を歩く後輩のマシュと共に、立香は召喚室のドアを開いた。

 

「お、いらっしゃーい立香くん!もう召喚の準備は整ってるからね、後は君の操作を待つのみさ。」

 

 まるで絵の中から飛び出してきたのではないかと思うほど、美しい女性が声をかける。彼女は『万能の人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。カルデアの技術顧問を務める天才にして、モナリザが好きすぎてモナリザになったという変人だ。だが二人はとうに気心の知れた仲、あいさつもほどほどに召喚を開始する。

 

 

 本来、サーヴァントの召喚には触媒という英雄に関わりのある品を使い、召喚したい人物を指定するのが普通だ。だが今回の召喚はそれを使わない完全ランダム方式。例えるなら、マンションの一軒一軒を回り、それぞれにピンポンしまくるようなものだ。それに応じるサーヴァントというのは一体、どんなお人よしだというのか。

 

 眩い光が召喚サークルからあふれ、部屋中を照らす。だというのに立香は食い入るようにその光を見つめ、現れる人物を待つ。一体どんな人なんだろうか。男の人か女の人か。どこの生まれでどの時代に生きた人なのだろうか。立香はこの新たな出会いを待つ心躍る時間がたまらなく好きだった。

 

 

 

 ―――そして、一人の男が現れた。

 

 

 

「―――初めまして。サーヴァント・セイバー。真名は……そう、ケンとでもお呼びください。人理の危機にありながらすぐに推参できず、申し訳ございません。代わりと言っては何ですが、微力の限りを尽くしましょう。」

 

 

 ケンと名乗る男は腰に日本刀と木刀を佩き、物腰柔らかかつ丁寧な口調で挨拶をした。髷は結んでいないものの、長い黒髪を後ろでひとまとめにした姿には、どこか優美さが感じられた。……だが、珍妙なところが一つあった。男は、その背中に―――巨大な鍋を、背負っていたのだ。

 

「うわあ、よろしくね!ケンさん!私はマスターの立香!こっちが頼れる後輩のマシュ!それであっちが…」

 

「ちょ、ちょっと待ってください先輩。頼れる後輩と言っていただけたことは光栄ですが、いきなりそれではケンさんが混乱してしまいますよ。」

 

「ああ、お構いなく。それではマスター、これからどうぞこき使ってくださればと……」

 

「そんなに畏まらなくても大丈夫だよ!ほらほら、まずはカルデアを案内してあげるからついて来て!」

 

「はい、お供させていただきます。」

 

「ちょ、ちょっと先輩!?」

 

 

 

 まるで嵐のように去っていった立香とそれについて行ったケン。二人を見送り、ダヴィンチは苦笑いを浮かべる。

 

「いやあ、いつもの事ながら立香くんのコミュ力はすごいねえ。あっという間に懐に入っちゃうんだもん。」

 

「はい……。ですが、あの方は大丈夫なんでしょうか?真名をごまかすうえに、あの鍋は……。」

 

 マシュがそう言うのも仕方のないことだ。男は物腰こそ柔らかだが、怪しい部分は多々ある。立香を何に変えても守るという固い決意を持つマシュは、全ての物事を簡単に信用するわけにはいかないと考えていた。

 

「うーん、まあカルデアでは皆隠さないから麻痺しちゃうけど、普通真名は隠すものだしねえ。それに、いくら立香くんとはいえ、あんなにも早く懐くことはなかっただろう?彼女の人物眼には、悪い人には映らなかったんじゃないかな?」

 

 まるでよく懐く犬のごとく語られる人類最後のマスターだったが、当の本人は全く気付かず、ケンにあれこれとカルデアを案内していた。……確かに言われてみれば、嬉しそうに散歩をする大型犬のように見えなくもない。

 

「まあ、君の疑いももっともさ。私の方でも少し探りを入れてみよう。それより、そろそろメディカルチェックの時間だろう?ロマニがへそを曲げる前に、早く行ってあげた方がいいんじゃないかな?」

 

「あっ、そ、そうでした!失礼しますダヴィンチちゃん!」

 

 

 慌ただしく出ていくマシュをはいはーいと手を振り見送ったダヴィンチ。彼女は早速、ケンのステータスやスキルを考察するため、思考の海に沈んでいくのだった。

 

 

 

 

 

「えーっと……これで大体の施設は回ったかな?どうだったケンさん、感想は?」

 

「いやはや感服いたしました。立派な施設はもちろんですが、ここにはたくさんの人々がいて、心を通わせ合っている。素晴らしいことですね。」

 

「えへへ、そうでしょ!私、ここにいる皆が大好きだし、守らなくちゃなって思うの!でも私だけじゃどうしようもないから、力を貸してくれる?」

 

「もちろんです。私は英雄など身に余る男ですが、持てる力の全てを捧げる所存です。」

 

 二人は会話しながら廊下を歩き、そして最後の場所に到達した。

 

「ボイラー、ですかなこれは……?知識にはありますが、なぜこのような場所に?」

 

「あ、えーっとね。ここの近くに住み着いてるっていうか、間借りしてるっていうか……。まあサーヴァントの人たちが何人かいるから、一応挨拶しておいた方がいいかなって思ってさ。ケンさん多分、日本の人っぽいし。日本のサーヴァントとは相性いいのかなって。」

 

「なるほど……。確かに挨拶は重要ですな。それでは少し、お声がけをさせていただきましょう。」

 

「ああっと、ちょ、ちょっと待って!」

 

「? どうされましたか。」

 

 ドアに手をかけるケンを、立香は慌てて制止した。

 

「えーっとね、ちょっとここにいる人たちは特殊だからさ。その、イメージと違ったりしてもあんまりがっかりしないでほしいって言うか……」

 

「……ご安心を、マスター。癖の強い人物は、私もよく会っていましたから。今更その程度のことで、この心は折れはしません。」

 

 頼りがいのある言葉と共に、ドアを開けるケン。―――そこに広がっていたのは。

 

 

 

「あーっ!!今ノッブ私のダブルアイテム取りましたね!!そんなんだからミッチーに裏切られるんですよこの外道!!」

 

「はぁ~?沖田がすっとろいのが悪いんじゃが!そもそも沖田もさっき勝ち確後ろ甲羅してきたじゃろうが!これで終わったと思うでないぞマジで!!アヴェンジャー適性見せつけたるわい!!」

 

 

 

 

 ――――日本において破格の知名度を誇る英雄、沖田総司と織田信長が、レースゲームで醜い言い争いをしているシーンだった。いや、言い争いはやがてヒートアップし、火縄銃と日本刀とが交差する殺し合いへと発展していった。

 

「……その、ごめんねケンさん。みんないつもこんな感じのぐだぐだで……!?」

 

 立香は横にいるはずのケンの方を向き、息をのんだ。泣いているのだ。口を開け、信じられないという顔をしながら、ケンはボロボロと大粒の涙をこぼしていた。ケンの大柄な背格好も相まって、それは異様な光景だった。

 

「う、うわあゴメンケンさん!!そうだよね、ショックだよね!!ほんと、すぐやめさせるから!!ほらノッブ、沖田さんストップ!!」

 

 立香は慌ててケンを慰めながら、二人の喧嘩を仲裁した。渋々といった顔で二人とも武器を納め、マスターの方を見る。

 

「はぁ~、お主も無粋なところで声をかけるものじゃのう。せっかく面白くなってきたというところ、で………!!」

 

「面目ないです、マスター。でも悪いのはノッブの方で……!!」

 

 

 

 

 マスターの方を見た二人の顔もまた、驚愕に歪む。だがその目はマスターではなく、ケンの方に注がれていた。次の瞬間。示し合わせたわけでもないのに、二人はケンに向かって飛びついた。

 

 

 

「「ケン(さん)!!!」」

 

 

 

 大柄な男に飛びつき、その体を抱きしめようとする少女。その光景だけを見れば、ひどく感動的で、それでいて甘酸っぱいものだろう。……だが、それが同時に起こってしまえばどうなるか?アイハブアロマンス♪アイハブアロマンス♪……ゥーン!!修羅場、である。

 

 

 

「「………は??」」

 

 

 

「いやいやいや何してるんですかノッブ?せっかくの沖田さんとケンさんの感動的再会に何水差してるんですか?炎上繋がりで今度から高宮さんって呼びましょうか?ほらほらこれから子供には見せられないシーンが始まっちゃったりするんですからさっさと消えてくださいよ。」

 

「いや沖田こそ何しとるんじゃ?こいつはワシのケンなんじゃが?そもそもお前の時代にはとっくに死んでるんじゃから他人の空似じゃろ。というかケンが死ぬとか考えたらワシのハートが傷ついたんじゃが覚悟は出来とるんじゃろうな?」

 

 

 

 先ほどまでのある種じゃれ合いのような喧嘩とはうって変わって、今度は本気で人を殺しそうな目をしながらにらみ合う二人。立香は何が何だかわからず、ケンを見るがボロボロと泣くばかり。何も知らないものがこれを見たらどう思うのだろうか。

 

「マス、ター……。」

 

「な、なにケンさん!?」

 

 絞り出すようなケンの声に、立香は飛びつくように反応する。とにかくこの場を変えてくれるなら何でもよかったのだ。

 

「感謝、いたします……。本当に、本当に。まさか、また出会えるとは思っておりませんでした。私は、これほどまでに嬉しかったことはございません。」

 

 感動と感謝のあまり、涙声でしゃべるケン。とても感動的な絵面だが、マスターの声は震えていた。感動ではなく、恐れから。

 

「その、それはよかったんだけど……その、その二人は?」

 

「え?」

 

 

 

「ねえケンさん、当然私のほうですよね?私に会えたのが本当に嬉しかったんですよね?そりゃそうですよねなんてったって将来を誓い合った仲ですもんね?ケンさんが英雄になったのはなぜかはわかりませんけど当然ですよねそりゃ沖田総司の夫枠で座に登録されたんですよね?スキルも多分『沖田ラヴ』とかそういうのばっかりなんですよね??」

 

 

「お主の気持ちは当然察しておったが死んだ後まで追っかけてくるとか愛が重すぎるじゃろ。でもそういうところもワシはまるっと愛でてやるからとりあえずこの後閏じゃよね?そしたらケンの美味い朝餉をいちゃいちゃあーんとか口移しとかで食べて活力を得たワシの天下統一がもう一度始まるわけじゃな?まっことお主は出来た家臣よな??」

 

 

 

 

「……マスター。」

 

「はい。」

 

「助けていただけませんか?」

 

「無理です。」

 

 

 

 急におかしくなった(いつも通りともいう)二人が落ち着くまでにたっぷり30分を要し、その間ケンは2人からの睦言とマスターの冷めた目にさらされ続けた。それでも霊体化なり座に帰るなりを選ばなかったケンというサーヴァントの心の強さは、推して知るべしである。




 あくまでぐだぐだ勢らしく、ギャグやクスッと笑える要素を意識していきたいですが、これがなかなか難しい……。


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沖田の話:人でなし・人殺し・人たらし

 まずは沖田とケンの話です。圧倒的才能、周囲の人間、――欠落した心。人殺しに向きすぎている沖田は、ケンとの出会いでどう変わるのか。


 ボイラー室横、ぐだぐだの間(仮称)にて、三騎のサーヴァントたちが正座をさせられていた。世界広しと言えども、織田信長と沖田総司を正座させた人間というのは、この立香が初めてだろう。

 

 あの後なんとか二人を落ち着かせたケンと立香は、異常に暑いボイラー室横で、オカン(男)に出してもらったアイスティーを啜りながら、ケンを詰問していた。つまり三人の正座というのは実質、ケンの正座とそれ以外というわけだ。

 

「……それで?聞いちゃいけないのかなと思ってたんだけど、ケンさんってどういう経歴の人なの?真名を隠すのもその辺が原因なの?」

 

「いえ、実はですね。私は……」

 

「もちろん()()の事も話してくれるんですよねケンさん??私というものがありながら、どうしてノッブとも知り合いなんですか????」

 

「………そう、そう、だね、ですね。わ、わわたしの最初の生を語りましょう。まずはね。」

 

「ほう……それはさぞや面白い話じゃな。のう?ケン。」

 

「は、はい……。」

 

「……ちょっと、完全に震えちゃってるじゃないですか。もう、仕方ないですねえケンさんは!こうなれば、マスターたちにもお教えしましょう、私とケンさんの過去の秘密を!」

 

 さっきとはうって変わって、急にご機嫌になった沖田が話を始める。

 

 

 

 

――――――――

 

 

 

 私とケンさんが出会ったのは、新選組が新選組になる前です。私たちは京に登りましたが、所詮は田舎者ですからね、色々苦労したんですよ。近藤さんと清河さんが喧嘩して、近藤さんは『将軍様をお守りするべきだー』って言って、京に残ったんです。まあでも、今で言ったらパトロンを失ったみたいなもんですからね、その日の暮らしにすら苦労したんですよ。そんなときに目をかけてくれたのが、ケンさんだったんです!

 

 

 最初の出会いは屯所に届いた手紙でした。長々とつづられてはいたんですが、要は『ご飯ご馳走してやるから来い』っていうものです。そして最後の署名にはこうありました。『榊原鍵吉』と。

 

 

「え、ちょっと待って!!ケンさんの真名じゃないのそれ!!」

 

「……ええ、まあ、はい。広い意味ではそうです。」

 

「えこんなあっさりしてていいの!?なんかこう、真名融解的なかっこいい演出しないの!?」

 

「あーこれ一番恥ずかしい奴じゃな。隠しとったのが大したことじゃなかったやつ。ケンが真っ赤になっとるけどまあ、是非もないよネ!恥ずかしがっておるのもまた、愛いものよなあ。」

 

 

 ……話を戻しますと、そりゃもう皆大興奮ですよ。特に近藤さんなんて泡吹いて倒れる勢いだったんですから。なんせ、榊原鍵吉といえば私たちがお守りする将軍様の個人教授ですよ!将軍様に最も近い人の一人です。そんな人の家にお呼ばれしたんだから、そりゃもう皆ガチガチですよ。

 

 食事の内容なんてほとんど覚えてないですし、その後どうやって帰ったのかも覚えて無かったですけど、ケンさんはすっごく気さくな人でした。『将軍様をお守りするというその志、俺にも応援させてほしい』と……。ふらっと屯所に現れて、稽古をしたりしましたねえ。あと沖田さんが子供たちと遊んでると、ケンさんが一緒に遊んでくれたりもしましたね。いやあ、楽しかったですよそりゃ。

 

 

 

 ―――それが変わりだしたのは、芹沢さんを斬ったあとでしたかね。

 

 

 いつものようにやってきたケンさんが、沖田さんの頭に何発も何発もゲンコツをくらわしたんですよ!

 

『ケンさん何するんですか!痛いじゃないですか!!』って文句言ったら、『痛いのは当たり前だ。その痛みを忘れるんじゃない』って!土方さんも山南さんも全然助けてくれませんし、剣でやり合ってもまずいですしでおっきなたんこぶつくられたんですからね!

 

 

 

「うわー……ケンさんってそんな虫も殺せないような顔してドSだったの?」

 

「いえマスター、違うんです。俺は決してサドの気があるわけではなくて……何ですか信長様。なんで着物の裾を掴まれているんですか。」

 

「………よネ。」

 

「え?」

 

「お、お主がそういうのなら……ワシは受け止めるのも、是非もないかなって………」

 

「最悪な想像しないでくださいよ!自分を取り戻してください信長様!!」

 

「そうですよノッブ!!大体今は沖田さんのターンなんですからね!!精々ノッブは沖田さんとケンさんのラブラブちゅっちゅな物語を指をくわえたりあれしたりしながら聞いてればいいんです!!」

 

「沖田さんそんなキャラだっけ!?」

 

 

「いやいや、沖田ちゃん?そんなこと言っちゃだめだよ嫁入り前の娘さんが。」

 

「うわ、一ちゃん!?いつからいたの?」

 

「あ、ちょっとマスターちゃん?それいきなり言われちゃうと…」

 

「はじめ……ちゃん……?」

 

「あーあ、ケンが宇宙を見つめる猫みたいになっとるぞ。やっぱ知り合いじゃったのか。」

 

「……ま、昔話をしてんならちょっと混ぜてもらおうかな。なんせ、沖田ちゃんはケンさん狂いだから。」

 

 

 まあ、そんな日々が続いたわけですよ。それからはケンさん、いつもは普通にしゃべってくれるのに、時々いきなりげんこつしてくるようになったんです。そのたびに痛いなあとか嫌だなあとか思ってたんで、そのうち沖田さんからは関わらないようになりました。でもケンさんはげんこつだけはやめないんです。池田屋事件の後とかひどかったですねえ。三段たんこぶつくられましたよ。

 

 でも、一番ひどかったのはあの時です。脱走した山南さんが切腹したとき。

 

 

 

 

 ―――――――――――

 

 

 

 新選組の屯所に、突然の来客があった。いや、客と言っていいのだろうか。その客は長い髪を振り乱し、つむじ風の如く屯所に飛び込んできた。

 

「土方はどこだあっ!!沖田はどこだあっ!!!」

 

 駆け込んで来ていきなり副長と一番隊隊長を出せと怒鳴る大男。新選組の隊士たちが驚くのも無理はなかった。無理矢理上がりこもうとする鍵吉をなんとか押しとどめようとするが、その歩みを止められない。3人、いや4人がへばりついてもなお引きずって歩く。なんという力だ。

 

「ケン……さん………?」

 

「………てめえはここにいろ。」

 

「で、でも!あの人、私を呼んで!」

 

「いいからそこにいろ沖田ぁ!!」

 

「!!」

 

 鬼の副長、土方歳三は沖田を一喝し、表に出ていく。出てみれば、同じく鬼のような顔をした鍵吉がこちらに歩いてくる。土方の顔を認めると、その怒りは一層強くなる。

 

「土方ぁっ!!」

 

「鍵吉ぃ!!ただで帰れると思ってんじゃねぇぞ!!」

 

 その気迫に、思わず隊士たちは二人から距離をとった。もはや一歩も動けなかったのだ。そして今、二人の鬼が対峙する。

 

 

 

 

 

「ああ、あん時はひどかったねえ。怯えて隠れながら見てたけど、ホントに鬼と鬼同士って感じだったよ。」

 

「……よく言うぜ。隙あらばこっちを狙ってたくせによ。」

 

「はうっ!」

 

「ど、どうしたのノッブ!」

 

「た、タメ口のケンが……ワシのハートを……謀反じゃろこれ………。」

 

「の、信長様!?お気を確かに!」

 

「……ああ、変わらぬ味もまた、善き哉………」

 

「………とりあえず話進めちゃいなよ、沖田ちゃん。」

 

 

 

 

 二人の鬼の戦いは、鍵吉に軍配が上がった。土方は血みどろになり、大きく吹き飛ばされた。……だがお互いが本気だったのなら、こんなものでは済まなかっただろう。どちらかが食い殺されるまで、戦いは続いていたはずだ。

 

「……待てよ。」

 

 ふらふらと歩みを再開する健吉の前に、立ちはだかる者がいた。斎藤一である。

 

「……どけ。」

 

「どけるわけねえだろ。うちの副長ボコっておきながら、てめえ何のつもりだ。」

 

「いいからどけっつってんだ斎藤!!」

 

「ぶったぎられてぇか鍵吉!!」

 

 声を荒げる二人。また戦いが始まる。誰もがそう思ったとき、制止の声がかかる。

 

「何してんだ斎藤ォ!!」

 

「!? 副長……!」

 

 吹き飛ばされ、倒れ伏していた土方だ。

 

「そいつをてめえがどうこうしていいと思ってんのか!!そのぼろ雑巾みてえな男を!!それでてめえ、誠に恥じねえと思ってんのか!!!」

 

「!!」

 

 思わずたじろいだ斎藤。その横をふらふらと健吉は進んでいく。万全な状態の斎藤ならば、簡単に追いつける速度だったが、彼の足は動かなかった。背中に背負った『誠』が、重すぎたからだ。

 

 

 

 

 ガララと勢いよく襖が引き放たれたとき、沖田は言葉を失った。端正な顔立ちは腫れ上がり、紫色に変色し。そして何より、鼻がひん曲がった健吉が、千鳥足で入ってきたからだ。

 

「ケ、ケンさん!?どうしたんですかその顔!?というか、なんでこんなところにいるんですか!?ああもう。すぐ治療しますからそこに大人しく…」

 

「……よ。」

 

「え?」

 

「何で、平然としてんだ、沖田ぁ………」

 

 

 泣いていた。男のでこぼこした顔を大粒の涙が転がり落ちる。健吉はうわごとのように『なんでだよ』と呟きながら、沖田を殴った。まっすぐ立っていられないから、背中の中ほどをぽかぽかと殴った。力のない拳だった。

 

 

「お前は、お前は、人殺しなんてするべきじゃねえんだ。剣なんてやらなきゃよかったんだ。このばか、ばかやろう。」

 

 涙声の罵声は、怒りよりも困惑を呼ぶ。何が何だか分からない沖田はただ、すみませんすみませんと繰り返していた。なぜだか沖田の目からも涙があふれた。止めようと思っても止まらなかった。

 

 

 ……しばらくそうやってから、健吉はまたふらふらと出て行った。沖田は肩を貸そうとしたが、鍵吉に断られた。この日の出来事は隊士の中で伝説として伝えられ、鍵吉は影で『赤鬼』と呼ばれるようになった。

 

 

 

 

 

 

「こうしてみると、ケンちゃん結構意味不明だねえ。何かしらの妖怪の類でしょこれ。」

 

「っていうか、土方さんに勝っちゃったの!?ケンさん強くない!?」

 

「滅茶苦茶強かったよ?普通にボコボコにされたし。口癖が『免許皆伝なめんなコラ』だったからね。」

 

「恥ずかしいからいうんじゃねぇよ斎藤……というか、将軍様に教えるんだから強くないとマズいだろ。」

 

「いやぁハハハ。そう言われるとボクのハードルも勝手に上がるからやめてくれるとありがたいなあ…。」

 

「お前なんて大したことないぞ。最強は龍馬かお竜さんだからな。」

 

「また増えてる……。」

 

 またまたいつの間にか坂本龍馬とお竜さんが参加していたが、ケンはもう考えないことにしていた。

 

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ皆さん!!こっからケンさんのすっごいかっこいいシーンなんですから!!」

 

 

 

 

 

 沖田はずっと、考えていた。なぜ鍵吉は自分をぶつのだろうかと。

 

 わからなかった。剣しかない無知な小娘だったから。

 わかる気がした。考える時間がたくさんあったから。

 わかりたかった。あの人は、大切な友達だったから。

 ―――わからなくてもいい気がした。もう、先は長くないのだから。

 

 

 

 

「コフッ!ゲホッゲホゲホッ!はぁ、はぁ……」

 

 早く、早く治さなくては。頭の中はそればかりでした。将軍様がお亡くなりになられて、世の中が乱れているのを肌で感じられるほどだった。新選組の出番は近い。戦の匂いはすぐそこにある。だというのに、私の体は動いてくれない。少しでも気を抜けば、あまりの情けなさに泣いてしまいそうでした。新選組のみんなは忙しくしていましたし、健吉さんは将軍様の逝去をきっかけに江戸に帰ったと聞いていました。私の居場所は、次々に私を置いていきました。私が一緒に走れないから。

 

 

 ですが急に、いろいろなものが私のもとへ届くようになりました。食べ物やら薬やら、いろいろです。特に絵は嬉しかったですね。部屋の中から動けない私を、少しでも元気づけようとしてくれているようでした。たまにお見舞いに来てくれる皆さんに聞いても、自分じゃないと言うので不思議ではありましたが。

 

 

 ……そのうち、お医者さんまで来るようになりました。私は本当に嬉しかったですよ。これで戦える。新選組でいられる。そう思ってました。

 

 

「………誠に、残念ですが………」

 

 

 

 どのお医者さんもそう言いました。あれだけ好きだった『誠』という言葉が、嫌いになりそうなほどでした。外には雪が降り積もって、木枯らしばかりが身に染みました。

 

 

 

 

 ある日、私がいた近藤さんの妾の方の家の外から、怒声が聞こえてきました。私たちはそういうの敏感だからわかりますけど、3人ほど私を殺しに来たんですよね。なのに、なぜだか入ってくるでもなく叫ぶだけ。わけがわかりませんでした。

 

 ……いや、違いますね。本当はわかってたんです。なんとなく察してたんです。でも、裏切られたくなかったんです。希望を目の前につるされて、取り上げられたくなかったんです。信じることが怖かったんです。

 

 

 ただ、その、なんとなく。―――頭が痛いなあって、思ったんです。

 

 

 重い体を引きずって、何とか部屋の襖を開けたんです。表にでて、その人を探しました。3人の男の人が、走って逃げていくところでした。

 

 

「……沖田。」

 

 

 ……やっぱり、そうでした。今度は、綺麗な顔をしてました。

 

 

 

 

 

「鍵吉さん、でしょ……?いろいろ送ってくれたの……。」

 

「何だっていい。だからしゃべるな。」

 

「しゃべり、ますよ………。あのこと、聞いてなかったですもん………。」

 

「……何のことだ。」

 

「何で私の事、ぶったんですか………?」

 

 

 

 降って湧いた機会だと思いましたから、絶対聞きたかったことを聞いてみました。絶対に聞きたくない答えを、頭の端っこに追いやって。

 

 

「……お前に」

 

「……」

 

「お前に、化け物に落ちてほしくなかった。」

 

「……え?」

 

 

「俺がお前を初めて殴った日、俺はお前を慰めるつもりだった。仲の良かった芹沢を斬って、さぞ落ち込んでいるだろうと思っていた。」

 

「だがお前はどうだ?いつもと全く変わらずに、子供たちと遊んでいた。気丈な奴だと思って、『芹沢のことは残念だった』と言ってみただろ?お前はどうだった。」

 

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

「その時俺は思った。こいつは心が欠けているって。」

 

「それでも、子供と遊ぶお前は楽しそうだった。警邏をするお前は凛としていた。団子を食べるお前は幸せそうだった。……お前が人間じゃないと、俺には思えなかった。」

 

「だから何度も何度も、人を斬ったと聞いたたびにお前を殴った。殺した後に、少しでも痛みを思い出せばいいと思った。」

 

「心が痛まないなら、体を痛めればいいんだと。そうやってたら、ほんの少しでも、人殺しを忌避するんじゃないかって。お前が人間でいられるんじゃないかって。」

 

 

 

 

「―――沖田。お前はやっぱり、人殺しなんてするべきじゃなかった。剣なんて知らなくてよかった。綺麗な着物を着て、たまには団子でも食べて、たくさんの子供に囲まれて暮らせばよかったんだ。どっかいいところにもらわれて、婆ちゃんになるまで生きてればよかったんだ。」

 

「……鍵吉、さん………。」

 

「……でも、ダメなんだろ?」

 

 

 鍵吉さんが私の目を見ました。呆れたような、諦めたような目でした。それでも、暖かい目でした。

 

 

「……はい。私は、新選組です。この命は、戦いの中で燃やしたい。戦いの果てに死にたい。……こんな、こんな、ところで………!!」

 

「いいよ。今は俺しか聞いていない。」

 

「―――ッ!」

 

 

 

 もう、限界でした。

 

 

「―――死にたくないッ!!嫌です!何で、何でこんなことに!!最後まで、戦わせてくださいよ!!!」

 

 剣を取りたい!!自分の中の誠に従って、信念の下に戦いたい!!

 

「―――なら、戦おう。沖田。」

 

「……え?」

 

「お前の戦いはまだ、終わっていない。まだ、死ぬと決まったわけじゃない。この病気を治すのが、今のお前の戦いだ。この布団の上が、今のお前の戦場だ。……大丈夫、仲間ならここにいる。俺がお前と一緒に戦ってやる。――だから諦めてくれるな、沖田。俺と共に、生きてくれ。」

 

 

 

 

 

「かかかかっけー!今めっちゃキュンキュン来てるよ私!!」

 

「ええ、そうでしょうそうでしょう!!これはもう沖田さん大勝利コース一直線でしょう!!」

 

「す、すごいです……!べべ、勉強になりマシュ!」

 

 いつの間にかメディカルチェックを終えたマシュも合流し、真っ赤な顔をしながら聞いていた。

 

「というかこれで沖田ちゃんと結婚してないの?………ざけんな、鍵吉。」

 

「……だって、()()()()だったんだもの………。」

 

「へ、へん!こんなんでのぼせてたら、ワシのパートとかやばいんだからネ!!」

 

 

 

 

 

 まあその、本当に嬉しかったんですよ。お見舞いに来る人は皆、()()()って言うんですから。剣はもういいんだ、平穏に暮らせ、静養しておけ………私のことを思っての言葉ってのはわかってますけど、やっぱり悔しかったんです。

 

 でも鍵吉さんだけは違ったんです!戦えって言ってくれたんです!!私はその言葉が聞きたかったんだって、その時やっと気づきました。それからは毎日が楽しかったですよ。体にいいものとか、よく効く薬とか名医とか………いろいろ二人で探して、たくさん試しました。治ったら何をしようって話して、でもやっぱり剣しかなくて、二人で一緒に刀の手入れをして………希望に、満ちてたんです。

 

 

 

 

 ――――まあでも結局、その日は来るんですけど。

 

 

 

「………ねえ、ケンさん。」

 

「………何だ。」

 

「私、ケンさんの計画、ちょっといいかもって思い始めましたよ。」

 

「………何のことだ。」

 

「……綺麗な着物を着て……どこかいいところにもらわれて……たくさんの子供に囲まれて、暮らすっていう話ですよ。」

 

「……そうか。」

 

「ケンさんは誰か知らないんですか?いい男の人、紹介してくださいよ。」

 

「………いいぞ。どんなのが好みだ。」

 

「そう、ですね……。やっぱり、沖田さんより強い人が絶対条件ですよね!女の子は守られたいものなんですし!後は、生まれとかはあんまり気にしないですけど、江戸生まれの武士とかいいですよね!あとは……あとは………」

 

 

 

「………死にかけの女に最後まで付き合おうとする、酔狂な人がいいですね。」

 

 

 

「そう、か……。そうか………。」

 

 

 

 沖田さんはもう言いたい事全部言っちゃったので、言葉は必要なかったんです。でも同時に理解してもいました。私が、ケンさんの人生の傷になっちゃいけないって。だから言うべきじゃなかったんです。でも言いたかったんです。

 

 

「ケンさん?」

 

「……なんだ?」

 

「私、今世は諦めます。」

 

「!? 何言ってるんだ、お前はまだ…」

 

「わかるんです。ケンさんも、知ってるんでしょ?いっつもお医者さんの話聞くの、ケンさんの役目でしたもんね。」

 

「………」

 

「ですから、一つ約束してください。」

 

「………何だ。」

 

「もし、私が生まれ変わって………ケンさんの周りの、どんな女の人よりも、沖田さんがいい女の人だったら………」

 

 

 

 

 ………私のこと、お嫁さんにしてくれますか?

 

 

 

 

 その言葉は、言いたくても、結局言えなくて。だというのに、私の心は晴れやかでした。最後の最後で、ケンさんの傷にならなくてよかった。今世のケンさんは、誰かに譲ってあげますよ。でも、来世でもし出会えたら。―――その時は、きっと。新選組の皆さんを呼んで、盛大に祝言をあげるんです。近藤さんは泣いてくれるでしょうか。土方さんは笑ってくれるでしょうか。永倉さんは……斎藤さんは……。

 

 

 

 ―――芹沢さんは、山南さんは。許して、くれるでしょうか?

 

 

 ああ、ケンさん。私今、後悔しましたよ?芹沢さんも、山南さんも。殺さなきゃよかったって。罪悪感を感じましたよ?殺してしまって、ごめんなさいって。

 

 

 

「沖田?………ゆっくり休め、沖田。お前は俺の誇りだ。よく頑張ったな。」

 

 

 

 何言ってるんですか。本当に頑張ったのは、ケンさんじゃないですか。あなたの、あなたのおかげで私は、沖田総司は最後の最後で、人間になることが出来たんです。本当に、本当に―――

 

 

 

「あり、が、とう……」

 

 

 私は顔に水滴が落ちるのを肌で感じながら、ゆっくり目を閉じました。ひどく優しくて、暖かくて―――哀しい、雨でした。

 

 

 

 

「ひぐっ…ぐすっ……」

 

「こんな……こんな悲恋の物語が………あの沖田さんにあったなんて………」

 

「………やっぱ、結婚してないのおかしいだろ………早く祝言あげろよ…………」

 

「鍵吉ぃっっっ!!さっさと袴に着替えてこぉい!!!!!!」

 

「……わしも、結婚式にはよんどーせ。」

 

「お竜さんたちほどではないが、中々いい夫婦だと思うぞ。」

 

 

 

「そうですよね!!やっぱりケンさんのお嫁さんは沖田さんをおいて他にいませんよね!!イエーイ沖田さん大勝利!!!!」

 

「ちょっと待ていお主ら!ちょっと死んだくらいであっさり流されおって情けない!!ケン!次はワシらの番じゃ!長くなるからのう、つまめるものを用意せい!!」

 

「は、はい!」

 

 

 パタパタと部屋から出て、急ぎキッチンへ向かうケン。沖田もついて行こうとしたが、ノッブの話がどうしても気になるので部屋に残った。実際のところ、彼女の恋のライバルとしては一番手なのだから。まあ、自分が遥か先を行っている自信はあるが。

 

 

 

「ウオッホン!では早速、ワシとケンの戦国ラブロマンスを語ってやるとするかのう!初めに言っておくが、ワシとケンは幼馴染じゃ!付き合いが一番長いのはワシなんで、そこんとこヨロシクゥ!!」

 

「でも幼馴染って結構な負けぞくせ…」

 

「しーっ!先輩、しーっですよ!!」

 

「ヌゥッ、最近は幼馴染再評価路線じゃろうが!!結局強さは付き合いの長さというところ見せてくれるわ!!」

 

 すごく脱線しそうな予感を感じさせながら、ノッブは話を始めた。まずはケンとノッブの出会い、ノッブがまだノッブではなく、吉法師であったころから始まり始まり……

 

 




 当初、『私のことお嫁さんにしてくれますか』は言えていました。ですが、それをケンが断るビジョンが見えず、このままノッブのパートに行ったら完全に二股クソ野郎じゃねえかとなり、このような落としどころになりました。

 でもそのおかげで『罪悪感』を取り戻して人間になれた沖田が生まれたから怪我の功名だヨネ!


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ケンの話:2度の生/信長の話 其の一:バターのリゾット

 さて、次はケンのこれまでの人生と、信長の話のさわりです。

 よろしければ、感想・評価・お気に入りなどしていただけると、次の話の活力になります。


「ぬっふっふ……これからワシとケンのイチャラブ天下布武の始まりじゃあ!者ども、口から砂糖やらはちみつやら垂れ流してもいいようにバケツを用意しておけい!」

 

 意気揚々と号令をかけるノッブ。だがその進行を遮ったのは、意外な人物だった。

 

「お待ちを、信長様。」

 

「ん?おおなんじゃケン。もうつまみは完成したのか?」

 

「いえその、マスターたちが混乱するのではないかと思いまして。だって信長様の中の私、いきなり侍から料理人にジョブチェンジしますし。」

 

「おお、それもそうじゃな!ワシとしては、お主とワシだけが知っておる秘密というのも好みじゃが、せっかくのワシの話を混乱してて聞いてなかったというのも、もったいないしのう。よし許す!しゃべれケン!」

 

 ありがとうございます、と前置きをしてから、ケンはゆっくりと語り始めた。

 

 沖田が死んでから、私は江戸に帰りました。世の動乱は察していましたが、私を取り立ててくださった家茂様以外に仕えるというのも、たくさんの思い出がある京に残るのも辛かったので、江戸でのんびり道場でもやりながら暮らそうと思っておりました。

 

 まあそれから興行をやったり、杖を刀と言い張って持ち歩いたり、色々やったわけですが、それを語るのはご勘弁を。顔から火が出てしまいます故。

 

 とにかく私は、少なくとも満足して死にました。最期の時まで髷を解かないという誓いも果たすことができましたし、士族の扱いも少しはマシになっただろうと。畳の上で死ねるとは、これ以上はないだろうと思いながら眠りにつきました。覚めることのない眠りのはずでした。

 

 

 

 ーーー目が、覚めたのです。朝の霞がかかったような視界で、私は泣き叫んでいました。男として情けないと堪えようとしましたが、息をするたびに泣き声に変わるのです。私は、赤ん坊になっていました。榊原鍵吉としての記憶を残したまま、生まれ変わったのです。

 

 

「えー…ちょっと怖いねそれ。何が原因だったの?」

 

「さあ、私は剣と料理と……日本史くらいにしか明るくありませんので、原因などは解りかねます。ですから、ひとまず生きてみようと思ったのです。」

 

 

 それからは色んなことをしました。剣道部に入ったら私の写真が剣道の祖として飾られていて恥ずかしかったり、父の歴史書を盗み読んで現実との乖離を楽しんだり。そして何より……

 

 

「ん、どうしたケン?はよう続きを喋らんか。」

 

「その、お恥ずかしながら。……沖田を、探しておりました。」

 

 

 瞬間。キャーッと黄色い悲鳴が女性陣から上がる。

 

 

「キャーッ!キャーッ!なにそれケンさん一途すぎ!!マジでラブコメじゃん!!」

 

「す、すごいです!憧れます尊敬します!!」

 

 

「ケンさん……結局式はいつ上げますか??明日でも何なら今日でもいいんですよそれに沖田さんは和式洋式どっちでも行ける感じで初夜とかもオールオッケーバッチこいみたいな感じですよ?」

 

 

 ―――だがもちろん、それを快く思わない者もいた。

 

「ほう……まさか他の女との惚気を聞かされるとは思わなかったぞ、ケン?よほどドクロの盃になりたいようじゃな?」

 

 地獄の底から響いてきたのかと思うほどに、冷たく低い声がケンを襲う。ここからほんの少しでも気に食わないことがあれば間違いなく首をはねるだろうと思われるほどの迫力。まさしく第六天魔王の姿がそこにあった。

 

「申し訳ありません……ですが、沖田は約束を忘れることはあっても、違える女ではありません。あいつが生まれ変わると言ったのならば、必ず生まれ変わるはずだと。その周りにはきっと、新撰組の奴らもいるはずだと。」

 

 ……何のことはありません。情けない話ですが……。―――私は、寂しかったのです。自分しか知らないことを山ほど抱え、疎外感が消えた日はありませんでした。家族も、友もいるはずなのに。私はずっと、ひとりぼっちでした。

 

 そんな日々でしたが、私に転機が訪れました。料理との出会いです。

 

 食卓を囲み、共に皿を空にする。その時間は人を繋ぎ、食を通してなら、私は一人ではないと思えました。

 

 その後の話は単純です。大学を出てから、三つ星ホテルに見習いシェフとして就職。下積みをこなしながら、さまざまな技術を目で盗みました。やがてお客様に出す皿を任せられることも増え、副料理長まで取り立てていただきました。そしてそのうち、私は自分の店を持ちたくなりました。

 

 それに、結局沖田を見つけられていなかった私は、ひょっとしたら外国にいるのではないかとも思いました。沖田を探すことと、店を出すのにいい場所を見つけること。二つの理由から、私は諸国漫遊の旅に出ました。

 

 

 ―――やがて私も年をとり、再び死期が近づいているのを悟りました。沖田は終ぞ見つけられず、妻を娶るのも忘れていました。

 

 

 ですが店は大きく育ち、子供ともいえる弟子たちと孫のような見習いたちに囲まれて、孤独を感じることはありませんでした。私の料理でお客様は笑顔になり、その笑顔を見て私たちも笑顔になる。何の不満がありましょうか?

 

 そうして私は、二度目の死を迎えました。いいと言ったのに従業員たちが病院に押しかけ、笑顔がいいと言ったのに泣き笑いの表情で見送ってくれました。

 

 ………そうしてまた、目が覚めたのです。

 

 

 

「ですが二度目ともなると慣れたもので、すぐに状況の把握に努めました。それで、出会ったのが―――」

 

「当然ッ!ワシじゃっ!!」

 

 今の今までだんまりだったノッブが、待ってましたと言わんばかりに登場する。

 

「いやあ、ようやくワシのターンになったのう。ここからはワシに任せよ、ケン!お主とワシの愛の覇道をたっぷり語ってやるわ!」

 

「……はあ、まあ、よろしくお願いします。」

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 ワシとケンの出会いはワシがまだ吉法師と呼ばれておった頃じゃ。そん時のワシ、親父からいきなり跡継げとか言われてのう。そんでホラ、ワシ女じゃろ?戦国の世を生き抜かんとすれば、そんなことで舐められるわけにはいかぬわけよ。もし侮られれば、一瞬で周りの国に食いつぶされるからのう。

 

 じゃけどね?そん時のワシ、もう荒れに荒れてたわけよ。『ワシが織田のためにいろいろやってんのに!何お前らヘラヘラしてんだよ!!』ドン!!じゃないけどまあ大体そんな感じ。なんやかんや言って、うつけ扱いされるのは心にくるもんがあるわけじゃな。

 

 それにさー。ワシの言葉、だーれにも通じなかったんじゃよね。ワシがあれが食いたいこれを持ってこいと言ってもだーれも理解せんかった。それでワシ、ほんとはどうしようもないうつけなのかと思っとった。親父はワシのことを後継にしたかったらしいけど、そんなのより信勝のほうがよっぽど向いとると思っておった。

 

 

「お呼びですか姉上ぇ!!信勝は、あなたの信勝はここにおります!!!」

 

「うわでた。」

 

「って、おおおおお前はケン!!お前もまた姉上に仕えるために来たのか!!大儀だ、大儀だぞぅ!」

 

「……信勝、様。……ご健勝そうで何よりです。」

 

「ああもう泣くな!姉上のどんな物語よりも素晴らしいお話の邪魔になるだろうが!」

 

「うーんぐだぐだ。いつものノッブみたくなってきたね。」

 

「どうしていつもこうなるんじゃろうなマジで。」

 

 

 ま!とにかくワシは孤独じゃったわけよ。周りの人間はワシの言葉がわからんし、女じゃったから軽んじる家臣どもも多かった。マジで言うこと聞かん家臣どもと茶器ボンバーで吹っ飛ぼうかと思っておったわ。爆弾正から日本初の爆死更新するとこじゃったな。

 

 

 

 ―――じゃが、ワシの人生を変える男がおったんじゃ。

 

 

「はぁ~……。いつものことながら、つまらん世の中じゃのう。やりたいことはあっても出来ず、やらなければならないことばかり山積する。信勝がもちっと気張ってくれればいいが、イマイチ何考えとるのかわからんし。そもそも言葉が聞こえんし。お主ら金魚か、ってくらい口をパクパクさせるばかりじゃ。」

 

 信長……否、今は吉法師と呼ぶべきだろう。彼女は高い木に登り、市井をぼんやりと眺めていた。彼女はそれが自分が守り導くべき存在と理解してはいたが、それはそれとしてよくわからんものを守れと言われてもいまいちモチベが上がらないのだ。せめて何か、変わったことでもあればいいのだが………

 

 

「……んお?何じゃあの人だかり。今日は祭りなんぞなかったじゃろ。」

 

 

 彼女の目が賑やかな人だかりを捉えた。何の変哲もない民家の前にたむろする人々だったが、その顔は笑顔に満ちていた。

 

「ふーむ……ま、後を継ぐなら民意とかも大事じゃろうし!ここはワシが、一体何の騒ぎなのかピシッと確かめてやらんとな!」

 

 吉法師は木からひらりと飛び降り、久しぶりに意気揚々と歩きだした。

 

 

 そうして人だかりに近づいて行ったとき、最初に吉法師が感じたのは鼻腔をくすぐるいい匂いだった。

 

「ん、んん!?なんじゃこの腹が減る匂いは?」

 

 いっそ暴力的とも言えるほど、まろやかで腹の空くいい匂いだ。見れば、出元は人だかりの中心であり、人々はそれを食べているらしい。

 

「なんじゃなんじゃ、誰が作っとるもんなんじゃ?」

 

 突如現れた吉法師に人々は皆大いに驚き、人だかりは蜘蛛を散らすようにばらばらになった。それでも皆、自分の器だけは絶対に手放さなかった。

 

 

 ―――真ん中にいたのは、ぐつぐつと煮える鍋の傍に座る男だった。鍋は卵色のおじやのようなものを煮込んでおり、空腹の原因はそこから出る匂いだった。

 

 

「ほう、美味そうじゃのう!そらお主、ぼさっとしとらんでワシにもよそわんか。」

 

 吉法師がそう言うと、言葉は通じぬまでも意味は察したのか男が杓子で茶碗におじやをよそう。味噌でもない、塩でもなさそうなそれに、吉法師は興味津々だったのだ。

 

「お……ので………お気を………さ…」

 

 ところどころかすれたようになって聞こえない男の声をよそに、吉法師は器の淵に口をつけ、豪快におじやを啜る。―――だが、一口飲み込んだところで驚いてすぐに口を離した。

 

 

「う、うっまあ!なんじゃこれ!」

 

 

 おじややおかゆのように飲むようにして食べるものだと思いきや、米粒一つ一つがしっかりと食感を遺している。それに驚く暇もなく、吉法師の舌をうまみの奔流が襲う。昆布やきのこのそれとは違い、重厚感のあるうまみは舌を大変に驚かせたが、それを優しく包み込むようなまろやかさが後から追いかけてくる。

 

 吉法師は先ほどのあまりにもったいない食べ方を反省し、さじを使ってゆっくりと味わうように食べる。熱々のそれを口に運ぶたび、早く次をよこせと脳と舌とが渇望する。夢中になって食べ進めれば、あっという間に茶碗は空になってしまった。

 

 

「―――そんなに気に入ったのなら、おかわりもありますよ。」

 

「まことか!!はよう、はよう注げ!!」

 

 

「!? いや、待て!お主、今ワシに何と言った!?」

 

「? おかわりもあると、申しましたが………」

 

 

 おかわりもあるという、どんなに尊い神やら仏やらのありがたいお言葉とやらよりも素晴らしいセリフを聞いた吉法師だったが、それよりも遥かに重要なことがあった。

 

 

(間違いない!! 今、ワシはこやつの言葉を解した!! その上こやつは、ワシの言葉をも解した!!)

 

 

 初めてのことだった。兄弟、家臣、実の親でさえも、彼女と言葉のキャッチボールが出来た者はいなかった。それがどうだ、目の前の男とはさも当然の如く会話が成立している。目の前の男は一体何者なのか。

 

「お、お主……。ワシの言葉が分かるのか?」

 

「? もちろん、わかりますが………。」

 

 初めてだ。初めて、自分と通じ合える人間と出会った。吉法師は自然とほほが緩んでいくのを感じた。同時に、目の前のこの男をどうすれば手放さずに済むかと考え始めた。

 

「……お主、名は?」

 

「ケンと申します。」

 

「そうか、ならばケン。お主、ワシの……料理人になれ。」

 

 この時、吉法師はギリギリで“夫になれ”というのを踏みとどまった。吉法師が女であることは絶対に秘密であったし、政略結婚も既に視野に入れていたからだ。もっとも、その頑張りはすぐに無駄なものになるのだが。

 

 

「……私を、必要としてくださいますか。」

 

「うむ!ワシには、お主のような人物が必要じゃ!!」

 

「ならば、ありがたくお受けいたしましょう。しばしお待ちを、ご挨拶をしなくては。」

 

「うむうむそうか!ならば、用事を済ませてすぐにここへ来るのじゃぞ!ワシをあまり待たせるでないぞ!!」

 

 

 吉法師はすぐに生まれの場所……勝幡城に駆け戻り、大急ぎで厨房へと向かって行った。なにせ、現段階で誰よりも重要な人物を迎えようというのだから、その場所を整えておくにこしたことはない。ほんの少しでも汚れがあれば掃除をさせるつもりであったが、女中たちが善く働いているのか、埃一つない綺麗な場所だった。

 

 これならよいだろうと今度は門に駆け戻り、ケンを今か今かと待っていた。やがて男が歩いてくるのを認めると、すぐに駆け寄り声をかけた。

 

「ケン!お主遅かったではないか!」

 

 時間としては荷造りをしてきたにしては早すぎるほどだったが、ケンは嫌な顔一つせずに深々と頭を下げた。実年齢からしたら出来すぎた子供である。

 

「申し訳ありません。なにぶん子供なものですから、説得に時間がかかってしまいました。それで、私が使っていただける場所というのは……」

 

「うむよいよい!こちらじゃ、着いてまいれ!」

 

 城内は騒然としていた。あの大うつけがいきなり平民の子供を料理人として雇うと言い出したのだから当然である。もっとも、これは吉法師から直接聞いたわけではなく、かろうじて彼女の言葉を理解できた父の信秀の通訳によって知られたものであったが。

 

 当然反発の声は多くあり、ほとんどの家臣が何とかして追い出すべきだと主張した。信秀は『奴が何の意味もなく行動するとは思えない』と擁護する気持ちがあったが、反対する家臣が多すぎた。

 

 

 

 そして今、この状況に至るわけである。

 

 

 ケンはまるで、罪人が白州で沙汰を待つかのようにポツンと中心に座らせられ、その周りを取り囲むように家臣団が座っていた。列のてっぺんとも言える場所には信秀が座り、吉法師も今回ばかりは静かに座っていることを余儀なくされた。

 

「おいケンとやら。お主はただ単に、吉法師さまに誘われるままここに入ってきただけじゃな?であれば罪には問うまい。すぐに引き返し、親のところへ帰るがよい。少しでも我々の役に立つというのなら話は別だが、お前のような子供には不可能だろう。なあ?」

 

 それを聞いて嘲るような笑いが家臣団から起こる。信秀は渋い顔をし、吉法師は拳を握りしめ、ケンはじっとうつむいていた。

 

 ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!ワシの、ワシのようやく見つけた理解者を、貴様ら何の権限で追い出そうというのか!!燃え滾るような怒りを感じながら、それでも吉法師はじっと正座をしていた。ここで抗えば、多くの家臣にそっぽを向かれることになる。それだけはダメだ。だがケンを失うのは嫌だ。どうすればいい、どうすればあちらを立てながらこちらも立てることが出来る?

 

 それを思いつくには吉法師は若すぎた。なにせ元服を迎える前の子供なのだ。―――だが、ケンにとっては簡単なことだった。なにせ、既に2回の人生を生きたのだから。

 

 

「………わかりました。」

 

「うむ。それでよいのだ。吉法師さまも、よろしいですな。」

 

「………うむ。」

 

「それでは、早いところこの城を出ていけ。そして親元に帰るのだ。」

 

 

 だが、ケンは動かない。

 

 

「何か、勘違いをされているようですね。」

 

「な、なんだと!?」

 

「私が『わかりました』と申し上げたのは、『役に立つのなら話は別だ』という部分です。厨房をお借りします。」

 

 

 シンとざわめきが収まる。誰も彼もが驚き、声を発せなかった。

 

 

「ま、待て!いいから帰れといっておるだろうが!!あまり我らをこけにするならば、お前を斬り捨ててしまうぞ!!」

 

「斬るのならそれも結構。刃にかかって死ぬのであれば本望です。……ですが、吉法師さまは『私が必要だ』と言ってくださった。ならば、全力を以て応えるまでです。私はあの方のお役に立ちたい。」

 

 

(ケン………)

 

 

 吉法師は心の中で、彼の名前を呼ぶ声が止まらなかった。唇を噛み、涙をこらえた。嬉しかったのだ。今まで誰にも理解されなかった自分のために、『役に立ちたい』と言ってくれる人物がいることが、この上ない幸せであった。ケンの一言一句を聞き逃すまいと耳を澄ます吉法師だったが、流石に次の言葉には耳を疑った。

 

 

「……もしもあなた方だけでなく、吉法師さまのお役にも立てないのならば。武士の出ではございませんが、腹を切る所存です。骸は河原にでも捨てて、烏や犬に食わせるがよろしい。……厨房を、お借りします。」

 

 

 もはや誰も、一言も発せなかった。背を向け、歩き出すその小さな背中に声をかけることも、手をかけて押しとどめることもできなかった。あの歳でなんという威厳か。なんという覚悟か。だんだんと遠ざかっていく背中からは、まるで後光がさしているように見えた。

 

 

 

「うわー……かっこいい。そんな小さいころから命を懸けるなんて。」

 

「あの時は、とにかく城から放り出されないようにするので精一杯でしたから。マスター、よろしければお召し上がりください。信長様の話に出てきたリゾットです。」

 

「えっいいの!?うわーやっためちゃくちゃ食べたかったんだ!!」

 

 早速手をつけている信長はしみじみとあの時を振り返る。

 

「いやあ、あの時のケンはやばかったのう……。子供のくせに何年も生きてきたような大人の雰囲気があって、思い返してもじゅるりじゃよね。ケン・リリィの実装が待たれるのう。」

 

「うわあ……ケンさんが作ったってだけでめちゃくちゃおいしく感じますね……。っていうか!ズルいじゃないですかノッブ!何一人だけケン(ショタ)堪能してるんですか!ケンさん何とかならないんですか!!今から小さくなれませんか!?」

 

「……お前には俺がいれば十分だろう。」

 

「はひぃんそうです!」

 

「沖田さんがこんなキャラだったかなってのもあるけど、ケンさんも大分悪いよねこれ。」

 

 

「もぐもぐ……よし、食い終わったらケンの料理の続きじゃ!あっでも長すぎるから次回に持ち越しするのも、是非も無いヨネ!」

 

 




 今回食レポに初めて挑戦しましたが、これがなかなか難しいねんな……。


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信長の話 其の二:湯漬けと鹿のコールドカット

 いつの間にかランキングに乗っていてビックリしています。これも全て、皆さんの評価や感想などの応援のおかげです。

 パワーをもらったのでちょっと多めに書いてしまいましたが、エピソードは3分割できるはずなので休み休みお愉しみください。


 ケンが厨房に引っ込んでから、どれくらいの時間がたったのだろうか。おそらく15分程度のことだと思われるが、そこにいる人々にとっては永遠にも感じられる時間だったことだろう。

 

 そして、ケンと小姓とが膳に茶碗を載せて持ってきた。小姓が信秀の前に、ケンが吉法師の前にそれを恭しく差し出す。二人のみならず、家臣団も皆茶碗を興味深くのぞき込む。

 

「な、なんじゃこれは!!」

 

 最高齢の豊かなひげを蓄えた家臣が叫ぶ。――ケンが持ってきた茶碗の中に入っていたのは、()()()()()()()()()()()()

 

「き、貴様!!上様に何というものを!!その狼藉許せん、切り捨てて――!!」

 

「お待ちを!こちらの湯を注いで完成にございます。」

 

 抜刀した人間を前にしても一歩もひるまないケン。その凛とした姿にひるんだのか、周りはまた一言も発せなくなる。

 

 

(――ケン、信じるぞ……。)

 

 

 吉法師は祈るような気持ちで、急須から湯を茶碗に注ぐ。―――次の瞬間。

 

「お、おお!?」

 

 握り飯が、自然に割れたのだ。そして中から飛び出してくる、かぐわしい香りと言ったら!まさしく蓮が花開くかのごとき現象に、誰も彼もが息をのんだ。ふわあと香る匂いが皆の鼻腔をくすぐり、一部の家臣はつい唾をのんだ。もちろん、緊張からではない。

 

「も、もう辛抱たまらん!食べるぞ、ケン!」

 

「はい。召し上がってください。」

 

 ずずっと湯と共に米を啜れば、味噌の味と共に肉のうまみが弾ける。これは一体何が入っているのだろうか。

 

「ケン!これは何が入っとるんじゃ!」

 

「はい。カモの肉をミンチ……つまりつぶしたものと、みじん切りにした人参、大根、しめじを炒めて味噌で味付けしたものが入っております。」

 

「ぬう、つまり豪華な湯漬けになっているということか……。」

 

「し、しかし!!そんなもの、誰にでも出せまする!この子供を雇うという事には――」

 

「そうです!()()()()()()()ところが重要なのです。」

 

 

 ケンは我が意を得たりと言わんばかりに声をあげる。

 

 

「この飯玉は具材をつめて揚げております。つまり、保存が効くのです。」

 

 それを聞いて吉法師があっと表情を弾ませる。

 

「そうか!つまりこれは、兵糧というわけじゃな!」

 

 ケンはにっこり笑ってあとを続ける。

 

「その通りです。誰にでも、大量に作ることができ、保存が効いて、そして美味い。」

 

「これを大量に作り、兵士の皆さんに持たせるとどうでしょう?普段食べるものよりもずっと美味い食事を暖かい状態で食べられるのです。おそらく、士気は跳ね上がることでしょう。」

 

 

 もはや誰も異議の声をあげられなかった。シンとした空間を破ったのは信長の父、信秀である。

 

「あっぱれである!このケンという男、ただの料理で我が軍の増強を成し遂げおったわ!褒美を取らすが、何が望みか!」

 

 ケンは間髪入れずに申し入れる。

 

「それでは、私を料理番としてお雇いください。皆さんの邪魔になることは致しません。」

 

「む、しかしお前のような子供がおっては邪魔になるだろう。……よし、では吉法師専属の料理番にしてやろう!その腕、我が娘のため存分に振るえ!」

 

「はっ!この腕全てを捧げさせていただきます!」

 

「親父!!」

 

 

 吉法師は飛び上がって喜んだが、信秀はそれをぴしゃりといさめる。

 

「吉法師!お主にやつの命は預けるぞ。好きにせい。」

 

「ああ感謝するのじゃ!よしケン、さっそくついてこい!お主は今日からワシの家臣じゃぞ!!」

 

「―――はい、お供します!」

 

 

 子供二名が出て行ったあと、家臣団は急に議論を始めた。やれあの子供は本当に信用できるのかだの、見張りをつけておくべきだだの、騒がしい事この上ない。信秀はその中でも特に冷静な一人の若者を呼び寄せた。

 

「のう勝家。奴をどう思う。」

 

 そう、後の世にて秀吉と覇を争い、最後まで織田に仕え続けた忠臣。柴田勝家その人であった。

 

「はっ。子供にしては頭が回りまするが、所詮それまででしょう。吉法師さまが成長なされたら追い出すのがよろしいかと。」

 

「うむ……そう見えるか……。」

 

「……信秀さまは違うのですか?」

 

「うむ。お主を含め誰も気づいておらなんだが、やつは()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

「!! 言われてみれば確かに……!信秀様のご慧眼、御見それしました。」

 

「よい。だが、ワシはこう思うのだ。これからの織田には、あのような特異な者が必要なのかもしれんと。ワシは今でも吉法師に家督を継がせるつもりでいる。そうなれば、吉法師を支える者もきっと特異な者ばかりになるじゃろう。――勝家、お前にも期待しておるぞ。」

 

「はっ!ありがたきお言葉にございまする!!」

 

 

 礼をしながら、勝家は心の中で考え続ける。果たしてあのうつけが、この織田を継ぐのにふさわしい人物であるのかと。行動は突拍子もなく、人望もない。そしてなにより女である。勝家は吉法師に仕えたわけではなく、織田に仕えているのだという自負から、一人の人物を考えていた。

 

 だがこの時点で、勝家は己が主君にふさわしいと考えている人物のことを、まったく理解できていなかったのだ。のちに織田信勝と呼ばれる、かの叛逆者の狂気を。

 

 

 

 

「これでケンがワシの家臣になったわけじゃ!やっぱ、結果を出すべきタイミングで出せる奴っていいヨネ!お前らに言っとるんじゃぞ中日打線!!」

 

 カルデアには職員のモチベーションを保つため、様々な娯楽がある。ノッブが言っている中日打線というのは、チャールズバベッジ氏監修のAIにより、現実のプロ野球ペナントレースを完全再現したものに登場する面子である。地元の球団ということで猛プッシュしているノッブだったが、現在は最下位に甘んじているため、いろいろ溜まるものもあるのである。

 

「ケンさんってなかなかアイデアマンだったんだねー。私だったら思いつかないよ。」

 

「ああ、それでしたら二度目の生の際、歴史書を読み漁る中で知ったのですよ。桶狭間の前に湯漬けを食べて出陣したシーンがしょっちゅう出てきますよね?あれに賭けたんです。」

 

「え。それだともしノッブが湯漬け嫌いだったらどうするつもりだったの!?」

 

「その時はその時ですが……まあ、あのご様子だと心配無用でしょう。」

 

「うん?」

 

 

「ケ、ケンがワシのこと、ずっと前から知っておったとか……やっぱワシら、赤い糸でがんじがらめにされちゃった系カップルなんじゃよね!ていうかそう考えたらちょっとヤンデレっぽいけどノッブ的にはOKです!」

 

「ああ姉上!くねくねした姿もお美しい!!まさしく天に昇らんとする龍のごとき凛々しさが……」

 

 くねくねしながらよくわからないことを呟いている若干気持ち悪いノッブの姿を見ては、マスターも納得せざるを得なかった。カッツに関してはいつも通りなので動じなかった。

 

 突如キレたりくねくねしたりと、忙しない戦国武将である。その後、なんとか復活したノッブが話を再開するまでに時間がたっぷりあったため、マスターたちはリゾットのおかわりを出来たそうだ。

 

 

 

「ケン!こっちじゃ、はよう来い!」

 

()()()、お待ちを!」

 

 ワシもこの時たしか元服終わっとったのう。それでケンも信長呼びなわけじゃ。まあ元服したからといって家督を継いだわけではないから、まだまだワシはうつけ継続中よ。それに、この頃からケンの飯でバフかかっとるからうつけも4割増しじゃ。ワシが言うのもなんじゃが、いろいろ無茶やったもんじゃな。

 

 まあこの後の無茶はもっとすごいんじゃけど!

 

「ケン!お主、ワシの嫁に料理を作れ!」

 

「はあ、信長様は女性を娶られるのですね。では、どんな方なのかお聞かせください。」

 

「むぅ、もう少し動揺したりせんのか貴様。この前ワシが全裸に羽織り一枚でおったときも、『風邪をひかれてはいけません』と着こませてきおって。」

 

 『お主が肩に触れてきたときのワシの純情を返せ』とは流石に言えないノッブだった。

 

 

「えっていうかちょっと待って!あのセイントグラフケンさんにやった奴だったの!?異性に!?あれを!?」

 

 立香は驚きを隠せなかった。なにせ、そっちの趣味はないはずな上、相手があのノッブだと分かっているマスターでさえも、クラっと来た上思わず飛び込みそうになったあの透き通るような体を、惜しげもなく異性にさらしたというのだから。

 

「うわー……流石にドン引きですよノッブ。というか、沖田さんより貧相な体してるくせに生意気です!!ねえケンさん。私の方がほら、どことはいいませんけど大きいですよ?」

 

「はぁ~~~~?ワシのスキル『魔王』舐めとるじゃろお主!公式に『自力でロリからボインにまでなれる』と書かれたこの魔王を!!ワシなら例えゴスロリだろうとパツキン美女じゃろうと思うままじゃ!あ、でもケンがワシより気に入った姿があるってのは普通に気に食わんから胸のサイズまでにしておくんじゃぞ?胸ならどれだけでかくても長くても良いのじゃぞ?」

 

「……あの、早く話戻しませんか?」

 

 

 ――――ケンは、耐えた。

 

 

 

「むぅ、なんか釈然とせんが。まあよい、ワシの妻は斎藤道三の娘じゃ。濃姫、と呼ばれておるのう。」

 

「……なるほど。では、人となりは一体……」

 

「―――まあ、一言で言えば食わせ者よ。仮にあれが男であったら、間違いなく天下に覇を唱えたであろうな。」

 

「――! 信長様にそこまで言わせるとは……。では、気合を入れて作らねばなりませんね。」

 

 

 まあワシもケンがそこまで言うならと任せておったんじゃが、こやつ予想以上のものを持ってきおったわ。

 

 

「いやあ、めでたい!今日は素晴らしい日ですな、信長様!!」

 

「……うむ。」

 

 相変わらず信長の耳に家臣の声はノイズがかかったように聞こえなかったが、彼女はとりあえず頷いておいた。家臣に促されるまま、隣に座る己の妻―――濃姫を見る。桜の花びらをそのまま髪に染め込んだような美しい色の長髪を垂らし、肌はつやつやと漆を塗ったかの如く輝く。彼女の美しさは疑うべくもないが、それよりも信長は彼女の心と聡明さを高く買っていた。

 

「信長様、濃姫様、失礼します。こちら、料理をお持ちしました。」

 

「おおケン!さて、今日は何を……おおっ!」

 

 ぐつぐつと煮えたぎる鍋には、大根やニンジン、白菜などで作られたであろう花のような野菜たちが一面に咲き誇っていた。葉っぱのように敷かれた水菜もまた粋な演出である。

 

「今日はお二人のお祝いとして、このように花を象らせていただきました。いわゆるブーケ鍋と呼ばれるものにございます。」

 

 

 濃姫はケンをじっと見つめていた。やはり、夫であるはずの信長が、ケンが来たとたんに機嫌がよくなったのが気に食わないのだろうか。

 

「……何か、粗相などございましたでしょうか。」

 

「あら、いいえごめんなさいね。ふふ、少しあなたのことが気になっただけだから。そうね、後でまた来てくれる?」

 

「……? 畏まりました。」

 

 

 意味深にケンを下がらせた濃姫。彼女とケンが話をするのは、その日の夜のことだった。

 

「……信長様。私は決して不貞など………」

 

 ケンは濃姫の下を訪れたが、そこには信長も同席していた。まあ当然と言えば当然である。

 

「そういうなケン。襲われてはたまらんからのう。」

 

「あらまあ、うふふ。どちらの心配かわからないわね。」

 

 

 濃姫は軽く笑って、ケンに本題を切り出す。

 

 

「ねえ、ケンさん?私あなたに聞きたかったのだけれど。あの花のお鍋、わざと出したでしょう?この、()()と呼ばれる私に。」

 

「―――! 流石でございます。」

 

「ではあなたはこう思っているのかしら?『蝶は花に帰るもの。とっとと父のもとに帰れ』と……」

 

 そう問いかける濃姫―――いや、帰蝶の声は氷のように冷たい。その刺すような視線にさらされてなお、ケンは平常心を失うことはなかった。

 

「いいえ。あの花はまさしく、帰蝶様であるあなたへの歓迎です。ですが、確かに『花の下へ帰ってこい』という思いもこもっています。ただし、その帰ってくる先は信長様の元です。」

 

 夫婦は動じることなく、ケンの言葉に耳を傾ける。

 

「あなたがもし、帰る場所に迷われたのであれば、この花を目がけて飛んでください。私は信長様のために、料理を作り続けるつもりですから。」

 

 それを聞いてクスクスと少女のように帰蝶は笑う。

 

「それだと、信長様があなたを首にしたとき困るではないですか。それとも信長様は、あなたを絶対に手放さないと?」

 

「あっ、こ、これは……」

 

「うふふ、からかいがいのあること。信長様のものでなかったら、私のものにしたかったですわ。」

 

 ケンはその妖しく微笑む帰蝶を見て、自分の考えを改めた。今まではいきなり連れてこられた可哀そうな子供だと思っていた。だからこそ、少しでも元気が出るようにと華やかなブーケ鍋をこしらえたのだ。だが実際はどうだ、このこちらを見定めるような目。そして興味のあるものを見つけた時のこの笑み。濃姫が女であり、敵ではなかったことに安堵せずにはいられなかった。そして何より、信長に釣り合う妻がいたことに感謝したのだった。

 

「――あなたのような方がいらっしゃったこと、私は天に感謝せざるを得ません。」

 

「あら、そう?私はてっきり、信長様の夫を狙っているものだと思っていたのだけど。」

 

「お、夫ですか!?いえいえそのような、恐れ多いことは……」

 

「何!?ケンお主狙っておらんのか!?かーっ!つまらん男じゃのう!男に生まれたのなら大物を狙わんか大物を!」

 

「そんな……」

 

 

 最初の雰囲気から一変し、和やかに夜は更けていく。やがてケンは退出し、再び閏には夫婦だけが残った。

 

「ふふふ。信長様、夫を狙っていないと聞いた時、あんなに露骨にがっかりしてしまって。傍目で見ても丸わかりでしたよ。」

 

「あれはそれでも気づかん男よ。全く、我ながら妙な男に引っかかったものよな。」

 

「ふふ。その割に嫌ではないようですね?」

 

「……ま、飯は美味いからな。お主も食べたいのであれば持ってこさせようぞ。」

 

「あら、嬉しいお言葉ですわね。ですが信長様?一応私は妻ですのよ?それなら―――」

 

 そこまで言うと濃姫は信長の両手首を掴み、押し倒す。

 

「―――こちらの方も、楽しませていただけるのですよね?」

 

「―――無論じゃ。」

 

 

 明かりもついていない閏の中。我々には、その暗さで二人の表情すらうかがい知れない。そこで何が行われたのか、どんな様子だったのか。知っているのは月ばかりである―――。

 

 

 

 

「うわあ……百合だ………ロリ同士のインモラル百合だ………」

 

「せ、先輩!?お気を確かに!!ほ、ほほほらこちらのベッドに………」

 

「もう信長様!!マスターの教育に悪いではないですか!」

 

「そうは言っても事実じゃしのう。あいつめっちゃ上手かったからワシびっくり。ま、しばらく実装の気配もないし天下泰平じゃヨネ!」

 

「……そんなこと言ってると、最近流行りのプリテンダーとかアルターエゴ辺りで来ても知りませんからね!沖田さん的にはノッブを引きとってもらえるとハッピーハッピーやんけですし!」

 

 

 

 

 と、そんな感じで楽しく暮らしていた信長とケンとその他もろもろであったが、転機が訪れた。弟、織田信勝との後継者争いである。もっとも強力な味方であった“美濃のマムシ”斎藤道三を喪い、信長が弱体化したときを逃さないタイミングだった。

 

 

「出るぞ!お主ら、戦の支度をせい!!」

 

「「「はっ!!!」」」

 

 

 信長は自分の家臣をすぐさままとめ、着々と戦の準備を整えていった。皆、『叛逆者の信勝を討て!!』と一致団結している上、自分のもとに残った礼としてケンに作らせた料理をふるまわれ、そのあまりの美味さに士気は天井知らずであった。

 

 ケンは戦について行くわけにも行かず、信長たちの帰りを待ちながら、戦勝祝いの準備を進め、宴の料理をこなした。この頃にはもうケンが料理頭……つまりは料理長に命じられており、仕事の量は何倍にも膨れ上がったが、ホテルでの忙しさに比べれば何ということはなかった。何より、戦に出ている信長たちの苦労を思えば、この程度のことで音を上げるわけにはいかなかったのだ。

 

 ――――そして、戦は終わりを迎えた。

 

 結果から言えば、勝者は信長。一度目の戦いで敗れた信勝は、信長の温情と母の懇願によって命を許された。しかし、家臣とともに二度目の謀反を企てたため、愛想をつかした勝家により密告され、信長に捕縛。切腹を、明日に控えることとなった……。

 

「……それで、私に料理をつくれとおっしゃるのですね。」

 

「そうじゃ。奴の死ぬ前の最後の食事、お主に任せる。」

 

「………畏まりました。」

 

 

 ケンは悩んだ。自分にそんな大役がつとまるのかと。また、どうにかして信勝を助けられないかとも思った。なにせ榊原鍵吉であったころ、自分にも兄弟がいたのだから。兄として、姉の気持ちは痛いほどによくわかった。

 

 だが、だからこそ。言えなかったのだ。自分何ぞよりも、信長様の方が遥かに信勝様を大事に思っておられると分かっているから。誰よりも助けたくて、そして誰よりも殺さなくてはならないのが、信長にとっての信勝だからだ。

 

 ケンは悩んだ。悩みに悩み抜き、一つの料理を思い立った。すぐに調理に取り掛かり、完成したのはちょうど夕餉の時間になったときだった。

 

 

 

「ふ、ふふふふ。あははははははは!」

 

 あはははは!!死んだ、死んだ!みんなくたばった!!当然の報いだ!姉上に従わずに、僕を取るなんて!!ああ、これでいい。これで完璧だ!僕は邪魔な家臣たちもろとも死に!姉上の覇道が始まるんだ!!ああ、我ながらなんて完璧なんだろう!!邪魔ものも、無能も、みんないなくなる!!!姉上を邪魔するものはもはや何もない!!!

 

 

「失礼します。夕餉をお持ちしました。」

 

「……ちっ。人がいい気分になっているのに、なんて空気の読めない奴だ。いいぞ、入れ。」

 

 僕が許可を出すと、一人の男が膳を持って入ってくる。この男は知ってるぞ。料理頭のケンだ。姉上に子供のころから仕えている中々見どころのある男だ。だが、所詮は料理人。何か大層なことが出来るはずもない。そう、それよりも大事を為すのは勝家のような武将だ。僕を裏切るなんて、なんという忠臣だろう!あのような人間ばかりなら、僕も何も心配しなくていい。ただ死ぬだけでいい。

 

 そう思って僕は膳に手を伸ばし、皿をのぞき込んだ。

 

「……何だ、これ。肉か?」

 

 皿に乗っていたのは、おそらく肉であろうものの薄切りが数切れと、真っ白でどろどろしたものだ。とろろや山芋ではなさそうだ。

 

「はい。『鹿のコールドカット、チーズソースを添えて』です。」

 

「こ、こーるど?」

 

「はい。『コールド』というのは、“冷たい”という意味です。普通の肉を加熱した後、一度冷やした料理です。これは鹿の一番よい部分である背中の肉を、コショウで味付けと匂い付けをしました。それを薄く切って、チーズを融かして作ったソース……つまりたれをかけてお食べください。」

 

「……ちいずとは何だ。」

 

「チーズは牛の乳を固めたものです。牛の乳を酢と一緒に加熱すると、チーズになるのです。まろやかな味になるので、どうぞおかけください。」

 

 ケンがあまりにも自信たっぷりに話すので、渋々言うとおりにする。肉の上に白いどろどろをかけ、意を決して口に入れる。

 

「!」

 

 うまい!肉とはこんなにも臭みがなく、食欲をそそる味だったのか。この白いドロドロも、口当たりがよくなるうえに肉の香ばしさを引き立てる。この相性の良さは、まるで姉上と僕のような………

 

「あ、あれ………?」

 

 な、なんで涙が出てくるんだ?この肉と白いやつの相性の良さから、僕と姉上を思い出したから?な、なんでだ……?

 

「……その鹿肉は、信長様が狩りにでて獲られたものです。」

 

「え……!?」

 

「私がお願いするより前に、信長様が獲ってこられたのです。弓を取り、野山をかけ、私のもとに『これであいつに料理を作れ』とおっしゃったのです。」

 

「ほ、本当か!?本当にこの鹿を!?」

 

「はい。今その皿に乗っているのが、信長様に渡された鹿です。いい肉でしょう。」

 

 姉上!姉上が、僕のために獲物を獲ってきてくださった!!僕はボロボロと涙をこぼしながら、一心不乱に肉を口に詰め込む。涙の塩気は、またちぃずが補ってくれた。

 

 

 

 

 そして、ついにその瞬間が来る。ボクは白装束を着て、家臣団に囲まれている。目の前には小刀が置かれ、その先には姉上が僕を見ている。死ぬことに対しての恐れは全くなく、一仕事終えた時のような清々しい気分だった。

 

「では、最後に何か言うべきことはあるか?」

 

 ああ、姉上!その目です!その冷たい声です!それこそ戦国の覇者の目!!覇王の目!!

 

「……では、一つだけ。」

 

「うむ。」

 

 さあ、最後の仕上げだ。後はただ、“後はお任せします”と言えばいい。そうすれば、姉上は僕の意志を未来に持って行ってくれるはずだ。

 

「……あの、ケンという料理人に。」

 

 

 あれ?何言ってるんだ僕は?

 

 

「―――あの鹿は美味かったと。本当に嬉しかったと、お伝えください。」

 

「!! ――それでよいのか。」

 

「………はい。さ!斬りましょ!腹!姉上が暇しないよう、僕頑張りますからね!」

 

 

 ……おっかしいなあ。こんなはずじゃなかったんだけど。まあでも、最期に姉上に感謝を伝えられてよかったような気もする。というか、僕が本当に言いたかったのはこういうことな気がする。頭をひねりながら、小刀を腹に突き刺す。

 

 

「あ……姉上………」

 

 

 あーやっば。まだ伝え忘れていたことがあった。そうだ、やっぱりちゃんと言わなきゃ。

 

 

「おしあ……わ………せに………」

 

 

 ――――やっぱ、違うな。

 

 

 首に一瞬、冷たい物が当たった気がした。

 

 

 

 

「……とまあ、こういう風になるわけです。懐かしいですね姉上!」

 

「………。」

 

「……ちょっと、見る目が変わったかも。」

 

「はい……今まではただの拗らせサイコシスコンだと思っていましたが……。やはりあなたも、武士なのですね。沖田さん見直しましたよ。」

 

「あー……ワシこの件に関してはノータッチで。なんか、何言っても著しくイメージを損なう表現になる気がするからのう。」

 

「それがいいでしょうね。さあ、食後のお茶をどうぞ。利休さんには及ばないでしょうが、私も少しは勉強したのです。」

 

 

 

 わーありがとうと言う声やたくあんはどうしたといういつものセリフなどと共に、ケンが淹れた煎茶を楽しむ。信勝も受け取り、一口啜る。そのお茶は熱いのではなく温かく、やさしく皆を包むのであった。

 




 信長と濃姫が普通に会話出来てるのは、『信長のシェフ』での濃姫が結構な大物キャラだったので、『これを捨てるなんてとんでもない!』と思った次第です。コハエースにはまだ出てないですけど、やっぱりノッブが女の子だからなんですかね?


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信長の話 其の三:桶狭間の戦い~京料理を添えて~

 桶狭間の戦いにて、ケンの戦いも幕を開けます。まだ桶狭間って、いつ終わるんですかね信長の話………ケンの性能も決めてあるのに………。

 よければ評価・感想等よろしくお願いします!


「さあさあ!ここからはワシ史上最もバカみたいな戦い!桶狭間の話じゃ!」

 

 永禄3年(1560年)、織田陣営は大混乱に包まれていた。あの大軍営をまとめ上げる豪将・今川義元が、尾張国へと侵攻を始めたからである。家臣団は右を左への大騒ぎ。その中にあって動じない信長の姿は、まさしく織田の総大将にふさわしいものであった。

 

「……ワシは策を練る。お主らも動じるな。」

 

「信長様!」

「……やはり、我らの君主だ。あの動じなさよ。」

 

 家臣らの尊敬のまなざしをその背に一身に受けながら、信長は自室に戻った。

 

 

 

「うわーんケンえもーん!!よしもっちゃんがいじめるよーーーーーー!!!」

 

「……あの、信長様。なんやかんやよいお年なのに、それはちょっと……」

 

 この時の信長は生まれから数えれば26歳。少女のはつらつさと大人の妖艶さが混じり合った、この時しか味わえぬ魅力を放つ女性となっていた。そこらの男など、彼女がつうと涙の一筋でも流せば『どしたん話きこか』と群がったであろう。

 

「うるさいぞケン!お主は黙ってワシの泣きつく狸に徹しておればよいんじゃ!それにこうしているのも、今川に対抗する策を講じての物よ!」

 

「それはわかっております。信長様はいつだって真剣、全力なお方。では、何か浮かばれたのですか?」

 

「うむ!ちょっとどうしようもない気がしてきた!だってあいつら多すぎるんじゃもん!」

 

「……そんなことをおっしゃらずに。」

 

 

 実際のところ、ケンはこの戦いの結末を知っている。織田信長の奇襲攻撃により、今川義元の首を取ることで決着なのだ。だが、目の前の女性にそんなことが可能なのだろうかと思う。

 

 

(しかし、それで当然なのだ。)

 

 

 ケンはずっとそばで、信長のことを見てきた。自分の料理を食べて、顔をほころばせる彼女を見た。自分の言う事が少しづつ家臣に理解され始め、嬉しそうな彼女を見た。―――信勝が腹を切ったあの日、一筋だけこぼれた彼女の涙を見た。

 

 

(信長様もやはり、()()()()()。どんなに優れた武力があろうと、先見的な視座を持とうと。この人も、怖いものは怖いのだ。)

 

 

 ケンは、理解していた。信長が、失うことを恐れていることを。既に頭の中に奇襲攻撃のことはあるだろうが、それを実行する踏ん切りがつかないのだと。その足かせになるというのなら、自分は―――

 

 

「……よし!ひとしきり泣き言を言ったらすっきりしたわ!とりあえず今日は寝るぞ!ケン!伴をせい!!」

 

「いえ、それは帰蝶さまに悪いので。」

 

 

 その後、濃姫までノリノリだったため、ケンはまさかの同衾ハーレムにぶち込まれることになった。―――それでも、耐えて見せた。

 

 

「……ケンさん……あんた、男だぜ………。」

 

「は、一ちゃんがジーンとしている!やっぱり男の人同士、通じ合うんだ!」

 

「やっぱりケンさんは沖田さん一筋なんですね!わかってはいましたけど照れますね!えへへ!」

 

 

 ―――ケンは、ちらりとマシュの方を見た。彼女から感じ取れる気配から、この先に待ち受けているのであろう修羅場を察知し、ケンは一人覚悟を固めるのであった。

 

 

「まーこれはちょっと気に食わんかったけど!それよりこやつのひどいのはこの後よ!」

 

 

 

「の、信長様!!一大事にございます!ケンが、ケンが!!」

 

「な、何じゃと!?」

 

 

 ―――ケンが、逃げ出した!

 

 

 その報はすぐさま信長の耳に届けられ、城内は一大事となった。多くの家臣が、これを機に織田家から離反する者が現れなければいいがと考えたが、信長はそれどころではなかった。

 

「――信長様、こちらへ。」

 

「!? 帰蝶……?」

 

 そんな信長の袖を掴んだのは、妻の帰蝶だった。彼女は信長を別室へと促し、そこで一枚の手紙を取り出した。

 

「―――ケン!?」

 

 その手紙の差出人はケン。彼女が今一番求める人物であった。

 

「どういうことじゃ帰蝶!なぜお主がこれを!!」

 

「うふふ。たまたま、それを書いている時に出くわしたのです。聞いてみれば、今日この時まで内緒にしてほしいと。あまぁい菓子につられてしまいましたわ。」

 

 信長は聞きたいこともあったが、とにかく手紙を読んでみることにした。

 

 

 

『信長様。何も言わず、こうして手紙を残すにとどめたことをお許しください。私は今ごろ、今川の陣にいるか、斬り捨てられて骸と化していることでしょう。私は料理で向こうの敵陣に潜り込めないかと画策しております。今川殿は京へのあこがれが強い人物とのこと。京料理ができる料理人とあれば無下にはしないだろうと、勝算を持っております。向こうでは酒によく合うつまみと、煙の上がる炊事を行うつもりです。どうか、ご武運を。』

 

 

「………馬鹿者が!」

 

「ええ、大馬鹿者でございます。まさか、言われっぱなしではございませんわよね?」

 

「当然じゃ!皆をここに集めよ!!」

 

 

 そのまま信長は具足!湯漬け!と指示を飛ばし、着々と夜襲の準備を整えた。そうして信長は、己の前に差し出されたあの飯玉を見て、頬を緩める。

 

 

 ―――死なさんぞ。ワシから逃れられると思うな、ケン。

 

 

 

 

 

 一方その頃。ケンは、今川の陣の前で見張りに止められているところだった。

 

「何者じゃ貴様!名を名乗れ!!」

 

「は、はい!俺、いや私は、ケ、ケンと申します!京で料理人をやっておりました!な、なにとぞ皆さんに料理をふるまわせていただけないでしょうか!こ、こここで働かせてください!!」

 

 図体はバカでかいくせして、小心者のでくの坊。見張りの二人ともそう判断し、ケンを中に入れた。ものの試しにと作らせた料理が非常に美味だったため、これは御大将にも報告せねばと、すぐにケンは今川義元の前に通された。

 

 

「―――貴様が、京の料理人か。」

 

「……はい。」

 

 

 強い。ケン……いや、榊原鍵吉として、そう判断せずにはいられなかった。具足に隠されてはいるものの、鍛え上げられた肉体。所作の一つ一つからは気品があふれ、それでいて一部の隙も無い。

 

 

(信長の噛ませ犬にされることも多い人物だが……流石にこの大群をまとめるだけの事はある。)

 

 

「余は京の料理に興味がある。何か作れ。」

 

「ははっ、ただいま!」

 

()()()。この魚を使え。」

 

「―――これは。」

 

 

 義元から指示された桶の中身を見てみると、ウナギのような魚が窮屈そうに泳いでいる。だが掴んでみればその口からは鋭い歯がのぞく。

 

 

「な、なぜこの魚がここに。これはハモではないですか。」

 

「然り。だが、保存の方法など料理人にとってどうでもいいことだろう。これは京の人間にとってなじみ深いものと聞く。疾くせよ。」

 

「……はい。」

 

 

 ハモ、鱧とは。ケンはこの魚を出してきた義元から、自分への警戒を感じずにはいられなかった。

 

 なにせ、この魚は非常に小骨が多いのだ。通常の魚は捌いて小骨を取れば十分だが、鱧の場合は手作業でとろうとすれば日が暮れ、夜が明けてしまうほど大量の骨がある。そのために生み出された技術が『骨切り』である。

 

 

(だが、この骨切りが難しい。)

 

 

 ケンはもくもくと鱧を捌きながら考える。目の前には、ぬめり取りをされたうえで、三枚おろしにされた鱧がまな板の上にのっている。これからこの薄い魚の身に包丁を入れ、皮一枚のみを残さなくてはならない。つまり『身には大量の切れ込みが入っているが、皮一枚で繋がっている状態』にしなくてはならないのだ。極めつけはその細かさ。『一寸につき、二十六筋入れて一人前』とされるのだ。一寸は約3.3cmなので、約1.2mmごとに包丁を入れることになる。

 

 

(しかも俺は、鱧切り包丁など持っていない。普通の包丁でやるしかない。)

 

 

 ケンの努めていたホテルは主に西洋料理を出していたため、西洋料理と比べて和食には明るくない。自分の店を持つため修行していた際に、いろいろな店を訪れる中で、何度か職人に拝見させてもらった程度だ。流石のケンの手も、震えを隠せない。

 

 

(いや、落ち着け!!こんなことでどうする!!)

 

 

 そうだ、自分は何をしに来た!わざわざ君主の元を離れ、ここまでのこのこ死にに来たのか!否!自分はここを生き延び、許されるのならば帰らねばならぬ!!

 

 

 鱧の身に包丁が入る。骨を断ちながら、勢い余って皮まで切らないよう、細心の注意を払いながらだ。ほんの少しでも力をこめすぎれば、皮は切られ、身はぐちゃぐちゃになり、料理は台無しになるだろう。

 

 

(自分の磨いた技を信じろ!自分の行いを信じろ!俺は今、この状況に対して!何の落ち目もない!!)

 

 

 

 

 

「……お待たせしました。『鱧の湯引き』にございます。」

 

「お、おお……!」

 

 

 今川の家臣団からどよめきの声が漏れる。骨切りをされた鱧は、このように熱湯にくぐらせて食べるのが常識だ。その際、鱧は牡丹のように開く。骨切りがしっかりできている証拠である。

 

 

「こちらの梅肉をつけてお召し上がりください。」

 

「おお、なんと美しい見た目か!これぞまさしく、雅を是とする京の皿!」

 

「味もさっぱりとしていて、梅肉とよく合うのう!なんという美味じゃ!」

 

「義元さま、これはますます上洛が楽しみになってまいりましたな!」

 

「……うむ。」

 

 

 義元も一切れ口に運び、頷いた。

 

 

「ケンとやら、見事である。お主を我が軍で雇おう。余と家臣らの料理、任せたぞ。」

 

「はっ!ですが、義元さま!実は私は、兵士の皆さんにふるまおうと持参したものがございます!それを供させていただけませんか!」

 

「………。」

 

「おお、感心なやつよ!それではふるまってまいれ!」

 

「はい!それでは、これにて失礼いたします!」

 

 

 ケンは陣から下がり、次の料理に取り掛かった。その心の中で、自分の策が嵌ったことに高揚しながら。

 

 

「いやあ、これはよい拾いものをしましたな!」

 

「ああ!あの者がおれば、京で田舎者となじられることもなかろう!やはり天意が、我らに京に登れとおっしゃっているのだ!」

 

「ふ、拾い物か……。まこと、その通りよ。」

 

「おお!御大将もそのように!皆のもの、今日はこの美味い魚で、早い戦勝祝いを行おうぞ!」

 

 

 陣からは笑いが漏れ聞こえ、今川軍の浮かれっぷりがはっきりわかった。ケンは持ってきた甘い酒……みりんをふるまい、兵士らからおおいに歓迎された。そうして夜が更けていき、ケンは陣の中に再び呼ばれた。

 

 

「ケン、ここに参りました。次の料理でしょうか?」

 

「否。余も酒を嗜む故、伴をせい。」

 

「……かしこまりました。」

 

 

 今川義元とケン。本来交わるはずのない二人が、今この瞬間だけは同じ時を過ごしていた。やがて、義元がゆっくりと口を開く。

 

 

「ケン。お主、織田の者だな?」

 

「!? ―――な、何をおっしゃられるのですか。」

 

「ふ、隠さずともよい。兵士らは騙せようとも、この『海道一の弓取り』はごまかせん。」

 

 

 バレていた!そうケンが気づいた次の瞬間、思わず腰の得物を確認しようとしてしまった。

 

 

「ふ、やはり貴様も武士よのう。もっとも、あくまで料理人であろうとしているようだが。」

 

「……なぜ、気づかれたのですか?」

 

「まあ、なんとなくよ。それより今、貴様は死と生の当落線上にあるのだぞ。足掻かずともよいのか。」

 

「……俺は」

 

「ん?」

 

「俺は、織田の者ではございません。野良の武士です。」

 

「ふ、ふふふ。はははは!野良の武士とな!面白いことを言う男よ!だが、安心せい。貴様が織田の者であろうがなかろうが、我が京への道の邪魔になるのなら踏みつぶすのみ。貴様の所属で、奴への態度は何も変わらぬ。」

 

「……であるなら、一つわからないことがございます。何故、俺を好きにさせたのですか。」

 

 ケンが敵方の者であるとわかっているのなら、陣中を好きに動かせるはずがない。現に、家臣団の中には酔いつぶれた者もいるし、兵士たちも同様だ。

 

「貴様が出したあの鱧の湯引きよ。鱧の調理法を知っている上、あれほど美しい骨切りが出来る男が、鱧の血に毒があることを知らなかったわけがあるまい。」

 

「―――!!」

 

 鱧の血にはイクシオトキシンという毒素が含まれている。これは摂取しても下痢や腹痛を起こす程度のものだが、大量に摂取すると死に至ることもあるものだ。故に、鱧の刺身は存在しない。

 

「貴様は出したもの全てに毒を盛らなかった。この戦国の世において、そのような正直な奴は貴重というだけよ。」

 

「………。」

 

「それに、貴様の料理は美味かった。家臣の者たちは皆、美味いだけとしか思わなかったようだが……余は違う。貴様の料理は外交の手段になる。あの大うつけが、それに気づいているかどうかは知らんがな。」

 

「で、ですが!酔いつぶれた人たちはどうするのですか!?私のせいでこうなったのですよ!?」

 

「なんだ、貴様死にたがりか?そんなにも責任を問うとはな。」

 

「……ただ、策を弄して失敗したならその報いがあって当然と思っているだけです。」

 

「ふはは、真面目だな。だがそれも構わぬ。余の覇道に、この程度の策も見破れぬ者など不要よ。貴様の小細工のおかげで、部下を選別する手間が省けたわ。」

 

「………。」

 

 

 ケンは無言だったが、心の中で感動に打ち震えていた。何という大器。何という豪胆さか。榊原鍵吉として……いや、一人の男として、今川義元という男に感動していたのだ。

 

 

「そして、それがお前をここに呼んだ理由よ。余の家臣には、能ある者と無能とがおる。お前はまさしく能ある者。なればこそ、余がやつを……織田信長を打ち破ったのならば。お主、余と共に京に登れ。」

 

「………。」

 

「ふふ、その目。聞かずともわかるわ。信長以外に仕える気はないという顔じゃな。」

 

「……はい。もしこの場で斬られるのならば、死に物狂いで逃げまする。」

 

「ははは、よい!それでこそよ!そういう頑固な男を口説き落としてこそ、天下人というもの!では、こうしようぞ。貴様は地図のここ……陣の一番端に隠れておれ。そしてこの地図を、一番目立つここに掲げておく。」

 

 

 言いながら、義元は陣中を現したであろう地図を、天幕の内側に濡れないよう掲げた。

 

 

「これで、仮に信長の奴が余を殺せたのならば……貴様の元に向かえるだろうな。だが余が勝てば、当然余が貴様を迎えられる。」

 

「……私は、戦勝品ですか。」

 

「ふふ、そういうことよな。だがこれでこそ、燃えるというもの!」

 

 

 義元はケンの顎を下から持ち上げる。男であるはずの彼からは、くらりとくるほどの色気が漏れ出ていた。

 

 

「大人しく待っておれ。すぐに、迎えに行くからのう。」

 

「……私が察して、腕の腱を切るのに間に合うといいのですが。」

 

「ふはは、言う奴よ! ―――では、行くがよい。」

 

 

 ケンは頭を下げ、天幕を後にする。わかっているのだ。彼は信長に敗れ、ここで命を散らす。それの手引きをしたのは自分だ。 ―――だが、わかっていたとしても、彼に死んでほしくないと願ってしまった。それは信長の敗北を意味すると分かっているのにだ。

 

(―――嗚呼、だがどうか。)

 

 どうか、その死が誇りに満ちたものでありますように。ケンは、真っ暗な布の下でそう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 今川義元は、一人だけ具足も外さずに外にたたずんでいた。その手には体ほどもある大弓を抱えている。

 

 その鼻に、ポトリと水滴が落ちる。一つ、二つと落ちてくる水滴はやがて雨となり、一寸先も見えないほどの豪雨となった。

 

 

「………そうか。」

 

 

 今川義元は一人、ポツリと呟いた。

 

 

「―――天は、奴を選んだか。」

 

 

 夜にこの豪雨。奇襲に絶好の機会。これを信長が見逃すはずがない。奴は、天運に恵まれているらしい。

 

 

「ふ、ははは!だからといって、最後の勝ちまで譲る気はない!さあ来い、『尾張のおおうつけ』!!この『海道一の弓取り』、今川義元の首!!そう簡単にくれてやるほど、甘くはないぞ!!」

 

 

 突然響く、リズムの違う雨の音。いや違う。これは、馬の蹄の音だ。陣の幕を破って雪崩れ込んでくる織田軍。義元が能あると判断した者以外は、突然の奇襲に驚き総崩れとなった。

 

 

「いまがわあああああ!!!」

 

「よい目をするではないかうつけ!!ここに、雌雄を決しようぞ!!!」

 

 

 『尾張のおおうつけ』織田信長。『海道一の弓取り』今川義元。勝敗のわかりきった、それでいて全く行方の分からない戦いが、今幕を開けた。

 

 

 

 

 ざあざあと天井を雨粒が打つ。戦場の怒号が聞こえてこないのはその雨音ゆえか、あるいは義元殿が離れたところに隠してくださったからか。ただじっとその時を待っていた私の目の前で、天幕の扉が開かれました。火も、月明かりもない暗闇では誰か判別できず、俺はゆっくりとろうそくに火をつけました。

 

 

「………ケン。」

 

 

 そこには、信長さまがいました。お美しい黒髪を濡らし、ボロボロになった鎧は血まみれでありました。私は慌てて、信長様に声をかけました。

 

「信長様!お怪我はございませんか!」

 

「………。」

 

 俺はなんて愚かだったのだろう。桶狭間の戦いで信長が勝つとしても、無傷かどうかはわからないではないか。ひょっとしたら、ここまで無理をさせてしまったのかもしれない。そう思うと、恥のあまり腹を斬りたいほどでした。ですが、信長様の行動は私の想像を超えていました。

 

「ケン……ケン……!!」

 

「の、信長様!?」

 

 信長様は、抱き着いてきたのです。あ、沖田はそこで抑えておいてください。はい、ありがとうございます。やがて信長様もそれに気づいたのか、慌てて離れて私を叱りました。

 

「お、お主、こんのクソボケが!何を一人で敵陣に行っとるんじゃ!殺されたりしたらどうするつもりだったんじゃ!!」

 

「……申し訳ありません。」

 

「お前のせいで……!いや、お主のおかげで、か……。」

 

「……ありがとうございます。」

 

「まあよい。生きて帰っただけでなく、戦の勝ちまでもたらしおったわ。じゃがケン!これからはこき使ってやるから覚悟せい!!」

 

「はい!よろしくお願いします!!」

 

 

 私と信長様は、こうして本陣に帰り……

 

 そこまで話してケンはようやく気が付いた。マスターの立香を含め、信長以外の聴衆がきょとんとした顔をしていることに。

 

「あ、ああ。失礼しました。帰蝶さまにもよく言われたのです。『あなたたち二人は言葉が足りない』と。」

 

「まあワシとケンなら言葉ではなく心で通じ合った仲じゃし?今更言葉にせずとも、熟年夫婦の如く以心伝心が可能なわけよ!」

 

「放してください斎藤さん!!私は奴を、奴を斬らなくては!!」

 

「こらこら今は信長公のターンなんだから……。あーもう、あとでケンさんにやってもらえばいいでしょ?」

 

「言質とりましたからね!!耳元で囁きオプションももちろんつけますからね!!!」

 

 

 ……まあ、私と信長様は帰ったわけです。そしたら当然、私の行いについて紛糾するわけですよ。なにせ、勝手な行いをしたわけですからね。ですがそれも、信長様が私を派遣したという形にすることでむしろ評価していただきました。それと同時に、信長様も私の料理の美味さ以上の価値にお気づきになられたらしく。これから散々にこき使われるわけです。今思えばこれこそ、私の独断専行への報いなのでしょうね。ですが、私は何も後悔はしておりません。信長様のお役に立てた上、今川義元という偉大な男にも出会えたのですから。

 

 

 これが、桶狭間の私から見たすべてです……そう話を締めくくったケンは、すっかりぬるくなった自分の茶をすする。周りを見れば、あの時の再現をするぞケンと騒ぐ戦国武将。そうはさせません今度は沖田さんのささやき添い寝いちゃいちゃナイトですと押さえつける剣豪。そしてそれを、ケラケラ笑いながら見つめる今生の主君。

 

 ――見ていますか、義元さま。ここは、いいところです。ご縁があれば、今度はもっとしっかりした京料理をご馳走いたします。そう思いを馳せながら、ゆっくりと喉を潤すのであった。





 ―――英霊の座

???『ふ、ははは!相も変わらず、生意気を言う奴よ。』


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信長の話 其の四:鯨の竜田揚げと京野菜のオードブル

 時系列とか無視して書きたいシーンばっかり書いてるけどまあ、これから特異点修復とかも待っとるわけじゃし………ま、是非もないヨネ!

 感想・評価・ここすきなどしていただけるとパワーになります!よろしくお願いします。


 さて次は……げ、あの将軍の話か。あんま気乗りせんし、先にサルとかミッチーの話をしとくかのう!

 

 サルの話は今更言うまでもないじゃろ?有能な家臣じゃし、くだらない冗談とかも言うしで、中々ワシのお気に入りじゃった。家臣団にもすぐに取り入ったし、ケンの有用さにもすぐに気づきおったわ。ま、一回殺すかとも思ったんじゃけどネ!

 

「え何で?今の流れでどうしてそうなんのか全くわかんないんだけど。」

 

「うむ、それがのう。ワシとケンの仲に嫉妬したのか、それとも出世の邪魔になると思うたのか。ニコニコ笑顔の裏で、殺意がチラチラ見えとったわ。まあ結局、ケンはワシと違って人畜無害な男じゃし、利用した方がいいと気づいたんじゃろうな。それからはもう半ばリアクション芸人よ。ケンもケンで突拍子もないことやりだすから、サルの奴も愉快な反応を見せたもんじゃ。」

 

「へー!なんか今のケンさん見てるとそんな風には見えないけど。」

 

「……若気の至りですよ。」

 

「ふふ、マスター気になるか?気になるじゃろう?そんじゃ、ケンの家臣団に出しおった料理のことを話してやろうかのう!」

 

 

―――――――――――

 

 

 

「あんのクソ将軍!!下手にでてれば調子に乗りおってクッッッッッソ腹立つ!!!」

 

「の、信長様……。誰かが聞いているとも知れませぬ。どうか、気をお静めに……」

 

「やかましいわ!!何言っとるのかさっぱりわからんし、イラつくだけじゃからさっさと下がれ!!」

 

「は、はっ……。」

 

 

 信長は、荒れに荒れていた。天下取りにその威光を利用するため、足利義昭を立てて幕府を再興したまではいいものの、その義昭は信長に高圧的に接し、明らかに見下しているのが分かっていた。信長も機嫌を損ねるわけにはいかず、ひたすら平身低頭してへりくだっていたため、彼女のストレスはマッハで溜まっていった。

 

 

「信長様。荒れておりますな。」

 

「ああ!? ……なんじゃミッチーか。というかそもそも!!お主の方からもあのクソ将軍を何とかせんか!仲介をやったんじゃから、その後の面倒もしっかり見んか!!」

 

「申し訳ありません!この光秀の不徳の致すところにございます!!!」

 

 

 冷静に考えて信長の怒りはかなり理不尽なものだが、この叱責された男……明智光秀にとっては、それすらも己の不手際であった。心の底から信長に心酔し、このお方のためなら自分の命どころか日の本の人間すべてを殺しつくしてもいいと考えるほどだった。

 

 

「ですが、ケンより菓子を預かっております!!私が依頼をした品でございますが、どうぞお召し上がりを!!」

 

「む、菓子、菓子か……。チッ、あやつもワシの事をよく知っておるわ。」

 

 

 呟きながら、信長はケンが作ったクッキーを口に運ぶ。彼女はクリームやカスタードといった、シンプルな甘味を好んでいたのだが、今それを出すと食べるのに失敗した際、キレて家臣の一人や二人斬りかねないというケンのファインプレーだった。

 

 

「……もうよい、下がれ。」

 

「はっ!」

 

 

 光秀は返事をしつつも、心の中では嵐が吹き荒れていた。なにせ、生来真面目が服を着ているような実直な性格である。主君の怒りを鎮められないことを、心の中では非常に不甲斐なく思っていた。

 

 

(―――こうなれば、ケンにまた頼るしかあるまい。)

 

 

 そう思いながら、彼は厨房へと歩みを進める。彼は“信長様の一番の理解者”になりたいと常々感じており、そのためにケンから学ぶべきことは多いと考えていた。そのため話を聞くことに飽き足らず、自ら包丁を取って料理を習い始める始末だ。……自分のやるべき仕事はしっかり終わらせてからこれだというのだから、やはり真面目な男である。

 

 

「ケン!ケンはいるか!」

 

「光秀さま、どうなさいましたか?ひょっとして、クッキーはお気に召しませんでしたでしょうか。」

 

「いや、そんなことはない。信長様は、表面上は怒りをお収めになられたが、やはりイライラが隠せていらっしゃらない。本来は私が何とかするべきことなのに……。情けないことだが、なんとかならぬか。」

 

「……それはやはり、将軍様がらみのことでしょうか。」

 

「間違いなく、な。私とて、奴を何度斬りたいと思った事か。」

 

 

 話を聞いて、ケンは考え込む。やがて、何かを思いついたようで、彼は光秀に一つの質問をした。

 

 

「―――光秀さま。」

 

「なんだ?」

 

「信長様のため、その身も心も捧げる覚悟はおありですか?」

 

「わかりきったことを聞くな。当然だ。」

 

「―――では、お願いがございます。」

 

 

 光秀に何かを話すケン。それを聞いた光秀は思わず正気かと聞きなおしてしまう。無論です、と力強く頷き、ケンと光秀はその時に向けて準備を始めた。

 

 

 

「――――で、これは何じゃ?」

 

 

 

 これ以上ないくらい冷たい目をした信長が、一堂に会した家臣団をにらみつける。いや、正確に言えば主催の光秀を、だ。

 

 

「はっ!信長様に長旅のお疲れをとっていただこうと、私が食事会を執り行わさせていただきました!珍しい食品も多数ご用意しておりますので、お楽しみいただけるかと……!!」

 

 ただ単に理由を説明しただけだというのに、物凄い緊張感である。信長の気一つで光秀が斬られたとしても何もおかしくないほどだ。

 

「い、いやあそれは楽しみにござる!!光秀さまの忠誠と言ったら本当に目を見張るものがあるでござるなあ!!」

 

 空気を払拭するため、努めて秀吉が明るい声をだす。ギリギリのところで信長は踏みとどまったのか、機嫌が悪そうに『うむ』とだけ頷いた。

 

「それでは、料理を持ってこさせましょう。ケン!」

 

「失礼します。」

 

 恭しく礼をしながら、ケンが配膳をする。目を引くのはやはり、たくさんの小皿に囲まれた中心の大皿だ。それぞれの膳に同じように並べられたそれからは、どうしても何かの意図を感じさせた。

 

 

「―――ケン、皆さまに料理の説明を。」

 

「はい。それでは、一皿ずつ説明させていただきます。」

 

 

 ケンがそう宣言してから始まる、料理の説明。この皿はザワークラウト、これはオムレツといい、と次々に興味深い話が為されていく。しかも、どの料理にも京野菜が使われているという嬉しい情報もあった。しかし、目の前に肉を置かれた凶暴な獣を想像していただきたい。獣はお預けをくらい、一体どんな想いであろうか。

 

 

「……くどい!!ケン、お主何のつもりじゃ!!」

 

 

 正解はこうである。だが、ケンはそれにもひるまない。

 

 

「では、最後の品。中心の最も大きな皿にございます。こちらは『鯨の竜田揚げ』です。」

 

「鯨はわかるが……た、竜田揚げとはなんでござるか?」

 

「竜田揚げとは、肉にしょうゆやみりんといった調味料で下味をつけた料理です。そのおかげで肉の臭みがなくなり、非常に食べやすくなります。」

 

 

 しょうゆ?みりん?と家臣の間にざわめきがおこるが、知らないのも無理はない。なにせ、ケンが来た頃にはまだ醤油がなかったからだ。ケンは味噌の上澄みを醤油の代用品として使っており、これがあるのとないのとでは風味やコクが段違いである。

 

 

「そして、鯨という食材にも意味がございます。昔から鯨は捨てるところがないと言われるほどに()()()()()()()動物です。現に、皆様の箸置きも鯨の骨を加工したものとなっております。」

 

「鯨の周りを囲む京野菜の料理も、中心の鯨も。皆さんならば完食していただけると思っております。―――それでは、どうぞお召し上がりください。」

 

 

 手を付ける者は、誰ひとりとしていなかった。ケンの説明から、あまりにも『何かある』という匂いを感じるからだ。その臭さは料理の良い匂いを帳消しにするのに不足はなかった。

 

 

「く、ククク……。ふはははは!!」

 

「!?」

 

「の、信長……様……?」

 

 

 突如大笑いを始めた信長に驚きを隠せない家臣団。ケンは眉一つ動かさないが、どこか嬉しそうな雰囲気が漏れている。

 

 

「ケン!!やはりお主、ワシの一番の理解者よ!惚れ直したわ!!」

 

「ありがとうございます。」

 

 

 あまりに言葉が簡略化されたそのやりとりに、周りはポカンとした表情を隠せない。

 

 

「では、ワシは完食させてもらうとするか。肉も骨も、しゃぶりつくしてくれる。」

 

 

 そう宣言し、勢いよく食事を始める信長。周りもようやくその意図に気づいたが、やはり箸は動かない。いや、動かせない。

 

 

(こ、これは………()()()()()()()()()()()()()()()()!!)

 

 

 京野菜に囲まれた皿は幕府に守られている様を示し、真ん中の鯨は将軍を示す。おそろしいのは将軍を鯨になぞらえていることだ。先ほどケン自身が説明した通り、鯨は肉だけでなく、油・皮・骨・ひげなど、ありとあらゆる部分を利用される。つまり、ケンは暗にこう言っているのだ。

 

 

『将軍の皮の一枚、骨の一片に至るまで、我々が利用しつくしてやる』と。

 

 

 それを理解したからこそ、信長は真っ先に食事を開始した。この時点で信長にとって将軍とは、へりくだりこびへつらわなくてはならない人物ではない。ただ単に、おいしくいただくための“食材”になり果てた。

 

 そしてその問いは、家臣たちにも同時に投げかけられているのだ。将軍を喰らう覚悟はあるかと。京を堕とす覚悟はあるかと。この膳に手を付けるということは、幕府や将軍に弓を引くのと同じ意味であるのだ。

 

 

「そらケン、お主も食べるじゃろ?」

 

「―――はい。いただきます。」

 

「んなっ!?」

 

「そうかそうか!流石ワシの惚れた男よのう。よっし、それじゃワシから褒美あげちゃう!ほれ、あーんじゃあーん。」

 

「あ、あーん………」

 

 

 目の前で睦まじい夫婦のようなやりとりを見せられ、家臣団は絶句する。当然、二人の行為が痛いからではない。一介の料理人が、将軍を敵に回す事に躊躇なく合意したからだ。これでは自分たちの立つ瀬がない。

 

 

「……ワシは食べる!!裏切りを許していただいたあの日から、ワシの主君は信長様ただ一人!!幕府将軍何するものぞ!!」

 

「そ、その通りでござるなあ!そ、そそそそれがしも、いただく……とするで……ござる………。」

 

 

 柴田勝家、そして木下秀吉。両名の宣言から波が家臣団に伝わり、最終的に全ての家臣が鯨を完食した。それを見ながら、黙々と食べ進めていた光秀は改めて信長という人物に打ち震えていた。家臣が将軍を斃すことに乗ったのは信長が主君だからではない。信長が信長であったからだ。後世にカリスマと呼ばれるこの力は、光秀の心を掴んで決して離さなかった。

 

 

「のう、ケン。お主、まっことワシ孝行じゃな。」

 

「ありがとうございます。」

 

 

 食事を終えた信長は、ケンにしなだれかかる。

 

 

「……信長様?」

 

「………お主の言う通り、ワシももういい年じゃ。」

 

「……そのようなことはありません。」

 

「ケン。」

 

 

 いつになく真剣な瞳。信長の真っ赤な目は、ケンの瞳を捉えて離さない。いつもと違い、潤んで見えた。

 

 

「いつまでも、待たせるな。ワシは……ワシは、お主しか考えられん。お主以外など、死んでも御免じゃ。故に、じゃ。……今日、待っておるぞ。」

 

「……わかりました。」

 

 

 二人の手が、膝の上で握られる。その手がいつの間にか指同士を絡めたものになっていることに、誰も気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

「ノッブ大勝利じゃあ!!所詮幕末のクソ雑魚人斬りサーの姫になんぞ負けるわけないんじゃが!じゃが!」

 

「……ノッブ。」

 

「ん、なんじゃマスター?ワシのウイニングランにお主も並走希望か?まあでも、ワシとケンは最初から最後まで一緒に走るわけじゃけど!なにせ心と体で結ばれた仲、是非もないヨネ!」

 

「あれ、あれ。」

 

「なんじゃもう……ん!?」

 

「……ケンさん。」

 

 そこには、完全に光を失った目をした沖田がいた。刀を抜き、自分の首筋にあてている。

 

 

「私、ね?シたことないんですよ。ずっと剣の事ばっかり考えてきて。女の幸せなんて、知ろうともしなくて。……やっと恋のことを自覚したのも、死ぬ前なんです。そりゃそうですよね。こんな、こんな化け物には……お似合いの結末ですよね……。」

 

 

「沖田………。」

 

 

「やっと……やっと、大好きな人と再会できたと思ったら、その人は他の人と結ばれた後なんて……やっぱり、私化け物だったんですね。恐ろしい怪物から逃げ切って、綺麗なお姫様と結婚するための噛ませ犬だったんですね。」

 

 

「―――わた、私が!人間になれるなんて!付け上がりだったんです!!」

 

 

 涙で大きな瞳をいっぱいにしながら、沖田が悲痛な叫びをあげる。立香が声をあげようとするより前に、ケンが沖田にとびかかる。一瞬で刀を奪って制圧すると、沖田を力いっぱい抱きしめた。

 

 

「違う!そんなことはない!!沖田は、お前は必死に人間であろうとしたじゃないか!それを卑下するな!お前の頑張りを、お前が否定しないでくれ!」

 

「ケン、さん……。」

 

「……お前の頑張る姿が好きだった。病で普通に生きるのも辛いはずのお前が、それでも頑張って生きるのが、この上なく尊く思えた。……俺はお前に、勇気をもらっていた。お前は俺がいたから生きられたっていうけど、それは違う!お前がいたから、あの時の俺は生きられたんだ!お前が必死に頑張る姿が頭の中にあったから、俺も最後まで侍であることが出来たんだ!!」

 

「私のこと、好きですか………?」

 

「ああ!すごく感謝している!!」

 

 

「えへへ、よかったあ……。」

 

 

 沖田がようやく、ケンの背中に腕を回して抱きしめ返す。絵面だけ見れば感動的なシーンだ(パート2)。だが、ケン以外の全員が確かに見たのだ。一瞬だけ信長の方を見て、頬をゆがませた沖田を。

 

 

 ―――瞬間。

 

 

 人々の動きは、真っ二つの陣営に分かれた。沖田の顔をふっとばそうと即座に火縄銃を展開する信長と、なんならケンごと沖田を刺し殺そうとする信勝。沖田の幸せを守るため、即座に抜刀する土方と斎藤。立香、マシュ、そして龍馬は、完全に中立になった。ここですぐに令呪の準備が出来た立香は、優秀なマスターであると言わざるを得ない。

 

 

 結果的には、その令呪が切られることはなかった。

 

 

「ここから濃密な戦の匂いがします!!戦と言ったらこの軍神お虎さんも混ぜなさーい!!」

 

 

 『越後の軍神』長尾景虎。彼女もまた、ここカルデアに召喚され、飲酒あり戦ありの軍神ライフを満喫していた。いきなり部屋に飛び込んできた彼女に流石の沖田も驚きを隠せず、ケンを抱きしめる手を離し、二人は離れた。

 

 

「って、あーーーーっ!!ケンじゃないですか!あなたもようやく私のもとに仕える気になったのですね!あのつるぺたうつけなんてほっといて、今から私の部屋でしっぽりですよ!」

 

「か、景虎さま……お久しぶりです。」

 

「もう!そんな風に堅苦しい呼び方しないでくださいって、生前に言ったじゃないですか!ほら、なんて言うんですか?」

 

「お、お虎さん……。」

 

「キャー!やっぱり覚えててくれたんですね!私いま、すっごく嬉しいです!ゴロゴロニャーン!」

 

 

 ひとしきり騒いだ後、景虎はまるで猫が飼い主に甘えるように、ケンの膝の上に座る。167cmと女性にしては大柄な景虎だが、彼女は何も気にすることなくケンに体をこすりつけて甘える。まるで、()()()()()()()()()()()とでも言うように。

 

 

「……ケンさん。」

 

「どうやら、話してもらう必要があるみたいじゃな?」

 

「……は?信長如きと人斬り風情が何の用ですか?」

 

 

 まさかの3人目。ケンはいよいよ、胃に穴が開くのを覚悟し始めた。もっとも、すべて自分が蒔いた種であるのだが。




「そういえば、ケンさん的に将軍様に弓引くの抵抗あったんじゃないの?」

「いえ、家茂さま以外将軍と思ったことはないので。」

「思ったより思想強めだった……。」


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景虎の話 其の一:戦国風チキンカツ

 前回はたくさんの感想、本当にありがとうございました。ついつい張り切ってしまい、あっという間に書きあがりました。皆さんの応援のおかげです。

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「それでは、語らねばならないでしょうね!ケンと私のイチャイチャにゃーんなあの日々を!」

 

「ええい、事情を知らぬお主じゃといろいろわからんじゃろうが!ここはケンの一番の理解者であり伴侶でもあるこのワシに任せて部外者は引っ込んでおれ!」

 

「は???ちょっと出会うのが早かったからって調子に乗らないでくださいよ???」

 

「……とりあえず、マスター。私から話させていただきます。」

 

 

 私がかげと……お虎さんと出会ったのは、信長様のムチャぶりがきっかけです。当時、『越後の龍』と聞けば誰もが震えあがったものです。嵐のような強さに、対峙しただけで人々を震え上がらせる威風。それは信長様においても例外ではなく、いつも手紙を送っておいででした。

 

 そんな折、私は武田の方に誘拐されたのです。

 

 

「え、さらっと言ってるけどやばくない?」

 

「激ヤバに決まっておるじゃろ。あの時のワシ、マジで武田滅ぼしてやろうかと思っておったわ。」

 

 

 まあ、結果として私はちゃんと信長様のもとへ帰ってこられました。理由としては、信玄公が逃がしてくれたからです。私は捕まりかけた時、何とか全員ぶった斬って逃げられないかとも思ったのですが、仮にそれをやって織田方との関係が悪化でもしたらいよいよ腹を切るしかありませんから。

 

 そうしてさらわれた後、私は信玄公のために料理を作りました。そのころには既に病に侵されていた彼は、食欲もあまりわかないようでしたが、『食べないと死にます』と根気強く説得し、何とか栄養をとっていただきました。……そうしているうちに信用を得て、私は個人的にいろいろな話を聞かせていただいたのです。―――それが、お虎さんを初めて知ったきっかけでした。

 

 

「越後の龍……ですか?」

 

「うむ。お前になら、語っても良いと思った。なにせ、心はいまだ織田にあるようだしのう。」

 

「……それは。」

 

「よい。それよりも、今はわしに愚痴らせろ。あの女の破天荒さには、いつもほとほと困らされたわ。」

 

 

 そこからはもう、愚痴の嵐でした。信玄公も、武田の長として弱みを見せるわけにはいかず、積もるものもあったのでしょう。思うままにしゃべった信玄公は、満足したのかゆっくり眠りました。そのうち私は解放され、信長様のもとへ帰ってくることが出来ました。最初はそっけなかったですが、私にはわかります。本当に喜んでくださっていると知って、やはり帰ってきてよかったと思いました。

 

 ところが、私はすぐに織田を出る必要がありました。上杉家との同盟をまとめる必要があったからです。

 

 当時、信長様は将軍の怒りを買って包囲網を作られていました。それに応じたのが信玄公です。私たちは対抗するため、上杉家との同盟を決めました。その交渉役に秀吉さんと私が選ばれたわけです。

 

 

「いやあ……き、緊張するでござるなあ。お、お主はないのでござるかケン?」

 

「まあ、信長様の無茶ぶりは今に始まったことでもないですし。それに、こんな大役を任せていただいたのは信頼の顕れでしょう。ならば、私は全力を尽くさせてもらいます。」

 

「……その通りでござるな!ケンの料理も頼りにさせてもらうから、全力を出すんじゃぞ!」

 

 

 正直言って、この時の秀吉さんは頼りがいがあったのですが………。お虎さんが姿を現すと、その姿は一気に頼りなくなりました。

 

 

「……お前たちが、織田の遣いか。」

 

「……は、はっ!」

 

「ならば、頭をあげい。」

 

 

 その声は高い女性のものでしたが、威厳にあふれていました。私は『まさか本当に上杉謙信が女性だったとは』と思いながら、顔をあげました。その時の驚きと言ったら。

 

 

(沖田……!!?)

 

 

 そう、あまりにも。あまりにも沖田と瓜二つだったのです。私はつい、彼女は沖田の生まれ変わりではないのかと思ってしまいました。時代を遡っているのだからおかしいと思われるかもしれませんが、現に私という例がございますので。

 

 

「では、用命を述べよ。」

 

「ははっ!我らの主君、織田信長様は、あなたとの同盟を望んでおられまする!景虎殿の方にも、既に何通か信長様からのお手紙が届いていることと思いますが………」

 

「……確かに、手紙は何通ももらった。おべっかまみれの、うさんくさいものをな。」

 

「そ、そもそも!景虎殿は義を重んじる方とお聞きしています!信長様は現在非常に窮されておりまする!どうか、義によってお助けいただけぬか……!!」

 

「そもそも義を語るのならば、将軍様に弓をひくという信長の行為自体がおかしいであろう。それによって追い詰められた挙句、助けてくれとはなんと情けないことか。」

 

「ぐ、ぐむむ……」

 

 

 私は隣で聞いていて、かなり驚いたことを覚えています。あの秀吉さんが、弁論で完全に言い負かされているのですから。そしてそれは、私の出番が近いことを表していました。

 

 

「ひ、ひとまず議論が滞ってきましたし、某の連れてきた料理人に何か作らせましょう!聞けば、景虎殿は大の酒好きとか!『織田の台所衆』という通り名は、景虎殿も聞き及びのことと思いますが、その料理頭が腕にふるいをかけて、至高のつまみをおつくりしましょう!」

 

 

 私は厨房に通され、すぐにおつまみを用意することにしました。上杉謙信と言えば、塩を舐めながら酒を吞むことを好んだというのは有名な話。だが、それ故に高血圧から来る脳出血で亡くなったと言われている。……私は、体の底からふつふつと湧き上がるものを感じずにはいられませんでした。

 

 頭によぎるのは当然、布団に横になっている沖田です。私の手を握る力がだんだんと弱くなり、次第に冷たくなっていく体。あのような思いは、二度としたくないと考えていました。

 

 

(と、なれば……血圧を下げてくれる食べ物がいいだろう。)

 

 

 私の頭の中に、レシピが浮かんでは消えていきます。普通のものを出してもおもしろみがない。それに、持参した食品にはぴったりのものがある。これを使って何か……。そう思いながら、用意していただいた食材を見ていく中で、一つの食材に目が留まりました。その瞬間、ジグソーパズルの最後のピースが嵌ったかのように、私の頭で一つの料理が決まったのです。

 

 

 

 

 

「お待たせいたしました。」

 

 確か、ケンと言ったか。織田の料理人が膳を持って部屋に入ってくる。酒は楽しみですが、料理など。塩か梅干しがあればそれで十分だというのにご苦労なことですね。だけど、出されたものを残すというのも義に反するのでしょう。たぶん。そう思いながら、目の前に差し出された皿を見て、私はうすら笑いを浮かべました。まあ、見てた家臣たちは驚いたり怒ったりしてましたけど。

 

 目の前に差し出されたのは見たこともない茶色の料理。ほかほかと湯気を立てるそれは、味噌の良い香りをさせていましたが、てんぷらにしてはあげすぎです。黄金のごとき色を通り過ぎ、まるで枯れた花のようではありませんか。

 

 

「き、貴様!!景虎さまに焦げたものを食わせようと言うのか!!かの、“軍神様”に!!!」

 

 

 家臣みーんな、魚の群れに石を投げ込んだみたいに騒いでいます。まあ、何でかはわかりませんけど。中には抜刀しかけているものもいるというのに、その料理人は落ち着き払っていました。普通は怯えて許しを乞うものですが、違う者もいるのですね。

 

 

「―――そちらの料理は、それでよいのでございます。なにせ、てんぷらではございませんので。」

 

「……ほう、では何と?」

 

 

「そちらは“フライ”です。名づけるならば、『戦国風チキンカツ』でしょうか。」

 

 

 ふ、ふらい?ちきんかつ?と毒気を抜かれたように家臣たちが混乱しています。まあ、特に何もなさそうなのでいただくとしましょうか。

 

 

 ザクリッ!

 

 

「!!」

 

 

 少し噛んでみると、小気味良く軽快な音と共に中から何かがあふれてきます!白くてドロドロのそれは、衣の上からかかっている味噌と衣に包まれた……これは、鶏肉でしょうか?それと複雑に絡み合い、うまみを何倍にも増しています!私はもう辛抱が効かなくなって、盃に注がれていたお酒を一息に飲み干してしまいました。

 

 

 ―――合う。このチキンカツという料理は、お酒にとてもよく合うのです。辛めで刺激たっぷりのこのお酒。そのひりつく舌をやわらかく幸せで包むチキンカツ。気が付けば、私はあっという間にお酒を空にしてしまい、思わず次の分を探しました。

 

 

「景虎さま。こちらにご用意しております。」

 

 

 おお!あの料理人が既に次のお酒を用意しているではないですか!いやあ気がききますね。私はつい嬉しくなって、その日は大量にお酒を呑んで寝てしまいました。だって、あのチキンカツっていうのをケンが次々に出してくるからダメなんですよ!頭の中では、『これはまたひどい二日酔いになるなあ』と思っていましたけど。

 

 

 交渉は明日改めてやればいいと思いながら、あの二人には一晩泊まる部屋を用意しました。そして、私は日が昇り始めるまでぐっすり眠っていたわけです。

 

 

 目が覚めたとき、私は違和感に気づきました。()()()()()()()()()。あんなにお酒を呑んだのに、私の二日酔いはほとんどなかったのです。

 

 

「か、景虎さま!あの料理人が、あ、朝餉を用意したと言っております!やはり捨ててしまった方がよいでしょうか?」

 

 

 朝餉。ふむ、朝餉ですか。いつもは食べる気がしませんが、今日はいつになく調子がいいですし。それに、出されたものを以下略。

 

「……いや、食べよう。」

 

「は、ハッ!畏まりました!」

 

 私が朝餉を食べると聞き、多くの人が驚愕の色を示しました。まあ、頭が痛くて朝は弱かったので当然といえば当然ですね。朝餉は米にしじみの味噌汁、焼きのりという単純なものですが、なぜか食べると心が温まるような気がしました。どうしてなのか全く分からず、思わずケンを呼び出してしまいました。しかも、二人っきりになるようにしたうえで。

 

 

「景虎さま……。何か、粗相などございましたでしょうか。」

 

「いや、お前の話を聞いてみようと思っただけだ。お前が作った料理について、興味がある。昨日は酒に酔って聞けなんだからな。」

 

「そういうことでしたら、よろこんでお話しします。」

 

 

 ケンはにっこり笑って、私に話を始めました。何故だか、また心がポカポカしてきました。

 

 

「まずは昨日の料理。戦国風チキンカツですが、あれはカモ肉の中にチーズを入れて、衣をつけて揚げたものです。チーズというのは牛の乳を固めて作られる食品で、カルシウムと脂肪分を多く含んでいます。脂肪分が高い食品は胃でアルコールが吸収されるのを防ぐため、悪酔いすることを防ぎます。また、鳥の肉はタンパク質を豊富に含むため、腸でのアルコール吸収を防ぎますから、酔わなかったのはそのあたりのおかげでしょう。」

 

 

「また、衣ですが……本当はパン粉があれば一番良かったのですが、今回はこちらの……麩で代用させていただきました。」

 

 

「麩?」

 

 

 かるしうむとかあるこーるとかのよくわからない言葉はひとまず置いておいて、私はケンの手に乗った麩をまじまじと見つめました。これがあの、サクサクとした食感を生み出すのかと。

 

 

「はい。パン粉は食パンから作ることもできますが、麩も小麦粉のグルテンから作られるため、似通った点のある食材です。麩をすり鉢で粗目に砕き、溶き卵と小麦粉を付けた肉にしっかりとつけます。そうした後に油で揚げ、味噌だれをかけて完成です。」

 

 

「もともと、味噌とチーズは同じ発酵食品ということもあり、相性が非常に良いのです。どちらも栄養価が高い食品ですので、お体にもよいことでしょう。」

 

 

「なるほど……。」

 

 

 ふぅん。単にうまいものを作っただけかと思えば、結構色々考えてたんですね。特に、私の体の事を―――。あ、あれ?またポカポカしてきました。

 

 

「な、ならば。あの朝餉はなんだ?まだ何か意味があるのか?」

 

 

「はい。しじみに含まれるオルニチンという成分が、二日酔いによく効くのです。単に食べるより、味噌汁にしたほうが効果が高いと聞くのでそのように。それから、焼きのりはマグネシウムを非常に多くふくんでいます。マグネシウムは………」

 

 

 そこまで話して、いきなりケンは話をやめてしまいました。私はつい続きが気になって、ケンをゆすって急かしました。ケンも観念したのか、ようやくポツリポツリと話し始めます。

 

 

「マグネシウムは、血圧を下げる効果があるのです。尿を排出するはたらきがあり、その尿と共にナトリウム……つまり塩分が抜けるからです。また、大豆などの豆類に多いカリウム。牛乳等に多いカルシウム。肉類のタンパク質なども、同様の効果があります。」

 

 

「……私は以前から、あなたがたくさんのお酒を、塩や梅干しで呑むのが好きだと聞いておりました。ですが、それは高血圧の原因となり、最終的には脳出血などの病を引き起こしてしまいます。」

 

 

 そこでケンは一息おいて、言ったのです。

 

 

「私は……私は、もう誰かを、病で喪いたくないのです。私の大切な、大切な人は、病で命を落としました。あなた様にそっくりの、美しい人でした。……いえ、今のは忘れてください。」

 

 

 忘れろとは言われましたが、なぜか私は引っかかっていたのです。『美しい』という言葉が頭の中に反響し、ポカポカはいよいよ強くなっていきました。

 

 

「その、とにかく私は!私は、あなたが病に倒れるようなことが、我慢ならないのです!」

 

 

 ポカポカ、ポカポカ。私のポカポカはいよいよ収まらず、気づけばケンの手を握っていました。私より弱いのに、私の手よりごつごつしていて、包丁を握った手なのかマメが潰れた後がたくさんある良い手でした。

 

 

「あの……景虎、様………?」

 

「決めました。」

 

「え?」

 

「織田との同盟。私は受けましょう。」

 

「! あ、ありがとうございます!!」

 

「ただし。条件があります。」

 

「それは一体……?」

 

「それは………」

 

 

 

 

 

「信長様!木下秀吉、ただいま帰りましてござる!!」

 

「うむ。」

 

「こちらが景虎からの返事にございまする。同盟に応じると……!」

 

「ほう、ケンがやったか。」

 

「は、ははは……。敵いませんな、やはり!ケンがすべてまとめました!」

 

「ふ、さすが我が伴侶よな。……して、ケンはどこじゃ。ワシは腹が減っておる。」

 

「そ、それが……、しょ、書簡を開いていただければと……。」

 

 

 その言葉で何かを察したのか、信長は手紙を破かんばかりの勢いで開く。そこに記されていたのは、確かに同盟の了承。だが、最後の一文には信長の逆鱗に触れることが書いてあった。

 

 

「―――なお、同盟の条件として、料理人ケンを長尾景虎の預かりとすること。」

 




「美しい人……ケンさんが沖田さんのこと、美しい人って……うへへ……」

「……ケンさんさあ。あんまりこういうこと言いたくないけど、多分自業自得だと思うよ。」

「私もそんな気がしてきました、マスター。過去の罪からは逃れられないのですね。」


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景虎の話 其の二:とびうおのムニエル ???

 今回、試験的にフォントを使ってみました。もし虫食い部分とかがあったら怖いですけど、しっかりチェックしたのでもーまんたい! ……なはず!

 あ、あとまったく関係ない話なんですが、評価のバーがありがたいことに真っ赤になっておりました。皆さんの応援のおかげです。本当に感謝しております!

 感想・評価・ここすきなどしていただけると力になります!


 むかーしむかしのお話です。あるところに、とても強い龍が住んでおりました。龍は自分の周りに住んでいる人たちが怖がっているのを見て、どうしたのだろうと思いました。辺りを見回せば、恐ろしく強い虎や凶暴なマムシといった怖い生き物たちが、自分の住処を広げようと争っています。それを見て龍は思いました。

 

『なるほど、この強い生き物たちが原因なのか。なら、守ってやろう。』

 

 龍は時に火を吹き、時に雨を降らせ、人間たちをよく守りました。人間たちは口々に龍のすばらしさや強さを称え、感謝の気持ちをこめた贈り物をしました。

 

 ですが龍は、ちっとも嬉しくありませんでした。当然の事だからです。ただ、納得だけがありました。『自分が彼らによいことをした。だから彼らは感謝した。それだけだ。』それだけとしか、思いませんでした。

 

 

 

 龍はそれからも、人々を助け続けました。人々の龍に対する感謝はますます強くなり、とうとう龍は神様になりました。たくさんの人々が龍の行いを称え、龍の戦いを畏敬し、龍の発言に酔いしれました。龍は『それも当然だ』と思いました。

 

 

 

 

 ある日、龍のもとに一人の男がやってきました。男は龍を見て、大きな声で言いました。

 

『龍神さま、そのように酒を呑んではいけません。お体に障りまする。もしご不満ならば、俺がふさわしい料理を作って差し上げます。』

 

 人々は怒って口々に男を罵りました。『龍神様に失礼な奴だ!』『お前なんて斬り殺してやる!』ですが、龍神はひとまず男に料理を作らせてみました。

 

 するとどうでしょう、男は見たこともない技術を使って、すばらしい料理を作って見せたのです。龍神は、何かをおいしいと思うのは初めてのことでした。男は龍神を見てにっこりと笑い、お気に召しましたかと聞きました。龍神はひとまず男を自分の近くに置き、自分のために料理を作らせることにしました。 

 

 

 

 

 

 

 

「私……ですか?」

 

 ケンは思わず尋ね返してしまうが、これは無理もないことだ。なにせ、織田と上杉というあまりにも大きく重要な同盟を結ぶ条件が、自分の身柄だというのだから。

 

「はい。あなたです。……まさか、断りませんね?」

 

「そういうことでしたら謹んで承ります。ですから、同盟の方は何卒……」

 

「! ええ、ええ!しっかりと、結ばせていただきましょう。」

 

 長尾景虎は笑った。今まで見せたことのない、心からの笑顔であった。そしてその後、ケンは子細を秀吉に報告するも、ここでもひと悶着あった。当然、秀吉に泣きつかれたのだ。『お主がおらんかったら某信長様に斬られちゃうでござる~』というあまりにも情けなく、そしてあまりにも同情を誘うその涙には流石のケンも揺らいだが、結局は同盟の重要性を優先し、ケンは上杉家に残ることとなった。お詫びに怒りをなだめるための保存のきくお菓子を山ほど作り持たせ、秀吉は信長のもとへ帰るのであった。

 

 

 

 そして現在、ケンはというと……

 

 

「ケン~~?今日のご飯は何ですか?」

 

「かげと……お虎さん。あまりそういう猫なで声を出していると、家臣の方々に誤解されてしまいますよ。それから包丁を使っている時は危ないので、くっつかないでください。」

 

「えー、そんなこと言わないでくださいよ。今日は公務ばっかりで、ケン成分が足りないんです!あなたの言うまぐねしうむとかよりも、私にとってはケン吸いの方が健康にいいんですよ!ほらほら、私の体が心配なら大人しくしてて下さい!」

 

「はあ……そんなものですか。」

 

 

 ケンはすっかり虎から家猫と化した景虎にひっつかれながら、何も考えないようにしていた。少しでも意識を料理以外に向けてしまえば、自分の背中に押し付けられる柔らかさや、うなじをくすぐる吐息に反応してしまう。それだけはダメだ。俺はまだ、ねこまんまになるわけにはいかない。ご飯に味噌汁をかけたあの素朴な味を思い出す事だけに集中しながら、ケンは急いで料理を行う。

 

 

「おっ!いい匂いがしてきましたね!これは何ですか?」

 

「今日はいいトビウオが入ったので、とびうおのムニエルです。オリーブオイルの代わりに椿油を使ってみました。」

 

「とびうお!いいですね、早く食べましょう!」

 

「はい、それではお持ちします。」

 

 

 ケンは丁寧に膳を運び、景虎はその後ろをいかにもご機嫌といった様子でついて行く。部屋に入り、ケンは配膳を終えると出て行こうとする。だが、またも手を掴まれてしまった。

 

 

「もう、いつになったら覚えてくれるんですか?あなたがお酒を控えろっていうから、あなたにお酌をさせているんですよ?」

 

「……やはり、俺がやるのですか。」

 

「当たり前です!たくさん呑めないのなら、その分質を高めないといけないでしょう!」

 

「……まあ、そういうことならお付き合いします。」

 

 

 ケンは了承し、景虎の隣に正座する。ようやく彼女も満足したのか、機嫌よく酒を煽る。越後名物のとびうおはやはり美味く、ついつい酒が進みそうになる。だがケンはあくまでゆっくりと酒を注ぎ、景虎の酒量を調節する。少しだけ不満だったが、ケンの横顔を見ているとまあいいかという気になった。

 

 

「……ふう、今日も美味しかったですねえ!それじゃあケン!わかっていますね!」

 

「はい。まあ、じゃあ、どうぞ。」

 

 

 景虎はケンの正座した膝に頭を乗せ、甘えるようにごろんと寝転がった。嬉しそうに頭をこすりつけ、にゃーんと甘えた声をあげる。ケンは躊躇いがちに、その頭をゆっくりと撫でる。

 

 

「ふふ、幸せですね。」

 

「……左様ですか。」

 

「はい。まさか、戦い以外にもこんな幸せがあるなんて思いませんでした。これも、ケンがいてくれたおかげですね。」

 

「それはようございました。私の貧相な膝でよければ、いくらでもお貸しいたします。」

 

「あっ、いいましたね!じゃあ今日は一晩このままでいてもらいますよ!」

 

 

 おお、これが人の心がわからないと評され、家臣らからも神として崇められた軍神の姿だろうか。今そこにいる彼女は、愛する男に甘える普通の女性としか思えなかった。

 

 

 

 

 

 龍神は、いつの間にか男の事をすっかり気に入ってしまいました。男は龍神のために料理を作り、おかげで龍神の体はすっかり軽くなったのです。また、男は龍神のやることを受け入れてくれました。体をこすりつけると優しく鱗を撫でてくれ、頭を近づけると手櫛でたてがみをすいてくれました。

 

 

 男は、初めて龍を見てくれた人間だったのです。それまで周りの人間は、龍の“行動”ばかりを見ていました。

 

 

 男は龍の体を心配し、暖かい料理を作りました。

 男は龍の美しさに感心し、そのことを一生懸命褒めました。

 男は龍の孤独に同情し、その体に精一杯寄り添いました。

 

 

 龍は男との時間があまりに心地よく、辺りを見回すことを忘れていました。だから、気づかなかったのです。遥か遠く、東の方で、煌々と燃え盛る焔があることに。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 ガシャーーーーン!!

 

 

「ひ、ひいい!」

 

「ええい下げよ!!貴様ら、味噌と塩しか知らんのか!こんな不味い飯をワシに食わせるとは、その腕切り落としてくれようか!!」

 

「お、お許しを!お許しください、信長様!!」

 

「の、信長様そのあたりで……。某が別の料理人を連れてきますから……!!」

 

 怒りのままに膳を投げ、料理をめちゃくちゃにした信長は、秀吉の言葉でなんとか刀を抜くのは抑えた。だが刀に触れた手を畳に叩きつけ、そのイライラは誰が見ても明らかだった。

 

(ひぇ~~~どうするんじゃこれえ!ケン、早く帰ってこんか!)

 

 秀吉もビクビクしながら部屋を掃除していた。本来、秀吉はこんなことをする立場ではないのだが、上司の前でこういう良い行いをするのが彼の出世の秘訣である。

 

 

「……サルも下がれ!ワシはしばらく一人になる!!」

 

「は、ははーっ!」

 

 

 待ってましたとばかりにスタコラサッサである。急に静かになった部屋で、一人信長は包みを開く。これは秀吉にケンが持たせた菓子で、お麩で作ったラスクだ。非常に貴重な砂糖をふんだんに使った贅沢なお菓子で、日持ちもするし食べやすい。

 

 

「……ケン。」

 

 

 ワシは、ワシはこんなにも弱い女であったか。ただ一人の男がいなかっただけで、こんなにも不安定になるのか。男など、種さえあれば十分ではなかったのか。否、否、否である。あやつがただの男であるわけがない!あれなるは我が半身、我が両翼!ケンがいなくては生きられぬのだ!

 

 

「……早く、帰ってこい。ケン……。ワシは……ワシは、寂しいぞ……。」

 

 

 ワシの馬鹿息子どもも今は養子に出している。世間を学ばせ、織田を継げるようにしておかねばならん。ワシは日ノ本のために天下布武を敷くつもりではあったが、女の喜びを知ってからは少し考えが変わった。馬鹿息子の中でも、出来のいい方に後を継がせてワシはケンと老後を過ごすのもいいかもしれないと思っていた。あの男は、当然ワシについてくるじゃろうと考えていた。

 

 

「もし……もし帰ってこなんだら。ワシは、上杉も武田も皆殺しにしてくれる。屍の山の上で、ケンの震える体を力いっぱい抱きしめて、唇を奪ってやる。」

 

「ケン。ワシは、お前を逃がさんぞ。」

 

 

 

 

 焔は燃え盛り続けていましたが、それは熱のない焔でした。焔を燃やす薪が、今はなくなっていたからです。焔が燃えているのは、ひとえに龍への怒りからでした。

 

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

「ふっ!はっ!」

 

「おお、やりますね!これはこちらも、手加減できません!ハァッ!」

 

 

 ケンと私は、朝起きてから共に打ち合いをするのが日課でした。ケンは料理人であるはずなのにかなりの使い手で、私は狂喜しました。ああ、この人は美味しい料理だけでもなく、私に寄り添ってくれるだけでもなく。戦いでも私を喜ばせてくれるのか。

 

 最初は自分で『薪割り剣術』と言っていたように、ただ振り上げてただ振り下ろすだけのような剣だった。だがそれの、何と強烈なことか。何千何万ではとても足りない鍛錬の果てに練り上げられたであろうそれを、受け止める私の手は喜びに震えた。しかも、それに至るまでの道筋つくりが素晴らしい。足払いや牽制の斬撃、突きなどでこちらの隙を作ろうとしてくる。そしてほんの少しでも隙が出来れば、すかさず薪割りが来る。

 

「あはははははは!!楽しい、楽しいですねケンさん!!」

 

「私は、そんな、余裕は!」

 

 ついつい楽しくなって高笑いしてしまう。私の攻めに何とか対応するケンの緊張した顔は凛々しく、玉のような汗が輝く姿はすごくかっこよかった。思わず気分が高揚して、勝負を決めにいった。

 

 

「くあっ!!」

 

 

 一気に踏み込み、ケンさんの木刀を弾き飛ばす。そのまま懐に飛び込み、襟をむんずと掴む。一気に腰に乗せ、跳ね飛ばすように地面に投げる。ケンさんは受け身をとって、頭を守った。

 

 

「いやあ、あはは。ついつい本気になってしまって……」

 

 

 私はケンさんに謝ったが、ある一点をつい凝視してしまう。私が襟をつかんだせいで、はだけた着物。襟の隙間からは、鍛え上げられて盛り上がった胸と、鎖骨が見えました。激しい運動で出た汗が、しっとりとその肌を湿らせていました。

 

 

 ―――あ、おいしそう。

 

 

「お、お虎、さん……?」

 

 

 ああ、そんな声出さないでくださいよ。そんな困惑したような、怯えたような声。そんな声聞いたら、私……抑えが効かなくなるじゃないですか。

 

 

「お虎さん……!?がっ!?」

 

 

 がぶり。ああやっぱり、鉄の味がするんですね。あんまりおいしくなかった。これならケンさんの料理の方がずっといいです。

 

 

「はーっ、はーっ……。お虎、さん……?どうして、このような……。」

 

「………え? あ、ああ!そ、そんな目で見ないでください!」

 

 

 その目!もうずっと、忘れていたはずのその目!!今までの幸せな夢から、一瞬で私を引き戻すあの目!!私を見る、怪訝な目!理解できないものを見る、怯えた目で!

 

 

「ほ、他の!他の誰から、そんな目で見られても構いません!でもあなただけは!!ケンさんだけは、そんな目で見ないでください!!わ、わた、私を、()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 

 

 

 ある日、いつものように龍は男と過ごしていました。男は料理が出来るだけでなく、武芸の心得もあったのです。男があんまり強いので、ついつい龍は嬉しくなって、男に噛みついてしまいました。男はうめき声をあげ、ピクピクと蠢いています。血がどくどくと出ていました。

 

 龍は悲鳴を上げ、おろおろと男にすがります。よく見れば傷はさほど深くなく、少し皮膚が切れただけです。痕になるかもしれませんが、命に関わるものではないようです。ですが、男が龍と離れたいというのなら、龍はもう生きていかれません。宝玉のような目からボロボロと大粒の涙をこぼし、傷をペロペロと舐めました。男は黙ってそうさせていましたが、やがて口を開きました。

 

 

 

 

「……お虎さん。お虎さん。もういいですよ。大丈夫ですよ。」

 

「ふぇ?」

 

 

 

 私は必死に、かじりついてしまった傷を舐めていました。医療の心得なんて何もありませんから、それが唯一の出来ることでした。ですが、ケンさんは私の頭を撫でてくれました。

 

 

「なぜこんなことをなさったのかは存じ上げませんし、知りたいとも思いません。ですが、そのような顔はなさらないでください。そんな風に泣かれてしまうと、私まで悲しいですから。」

 

「でも……!でも……!」

 

 

 男は龍の頭を抱き寄せ、いつものようにたてがみをすいてやりました。そうして、何も変わらない優しい声で、『大丈夫、大丈夫』と呟きました。龍はもう、何も考えられませんでした。ただただ男に抱かれたまま、そのまま撫でられていました。

 

 

 ようやく落ち着いた龍は、改めて男の傷を見ました。もうふさがっているみたいでしたが、龍の罪を突き付けられているようで、龍は暗い気持ちになりました。あの頃と比べると、龍はとても感情が豊かになっていました。

 

 

 

「で、でも……!こんなに強く噛んだら、痕が……!」

 

「残るかもしれないし、残らないかもしれません。それに、痕なんてどうでもいいじゃないですか。男子の傷は向こう傷ですよ。……あっ、こ、これはお虎さんが敵とかそういう話ではなく……!」

 

「い、いいんですか……?私、私……!!」

 

「大丈夫です。ほら、そろそろ朝餉を作る時間です!今日も腕によりをかけますから!」

 

 

 

 龍はやっと、男と仲直りが出来ました。やはり男の傷は痕が残ってしまいましたが、男はまったく気にしていませんでした。ですが、龍はそうもいきません。時折隙間から傷の痕が覗くたび、暗い感情になりました。腹の底からこみあげてくる、罪悪感とほの暗い喜び。二つの感情は、龍にとって大事な大事な宝物。男にすら見せることなく、大事にしまっていたのです。

 

 

 

 ですがある日、男はひどく浮かない顔をしていました。この頃には、龍は男の気持ちを思いやることが出来ていましたから、何度も何度も聞きました。どうしてそんな顔をしているのか。何か自分に出来ることはあるか。男は悲しさと嬉しさが混じった顔で、龍に告げました。

 

 

 

「私は、そろそろ帰らなければなりません。」

 

 

 

 驚いた龍が顔を上げ、辺りを見回してみれば、焔は彗星となり、戦国の世を駆け抜けます。男は、星が落とした子だったのです。

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

「とまあ、こういう事があったわけです。いやあ、あの時のケンさんはすごかったですね!もう心広すぎて大陸かっていう!」

 

「何沖田さんのケンさんに手出してるんですかね……。その時つけた傷の10倍の切り傷を付けますよ?」

 

「は??雑魚狩りサーの姫に何ができるんですか??」

 

「こんの――!!」

 

 

 お互いの武器に手をかけ、一触即発の二人。ケンは慌てて二人を止める。

 

 

「ふ、二人とも落ち着いてください!ほら、俺はもう全然痛くないですから!!」

 

「ねえケンさん。」

 

「お、おお!マスターも何か言ってあげてください!」

 

「その傷さ、今もあるの?」

 

 

「「「え?」」」

 

 

 予想外の立香の発言に、ケンだけでなく女性陣の動きも止まる。立香はそれにも構わず続ける。

 

 

「脱いでよ。」

 

「え?」

 

「いや、だからさ。傷があるのかどうか気になるから、脱いでよ。」

 

 

 そう冷徹に告げる立香の瞳はどこか澱んで見えた。おそらく、ケンと女性陣のシュガーな生活を聞かされて、ちょっと何かのブレーキが壊れたのかもしれない。

 

 

「せ、先輩!?大丈夫ですか!?」

 

「いや、マシュも気にならない?ケンさん、なんかいい体してるらしいし。」

 

「いやまあ、私は減るものでもないですしいいですけど……。でも私なんかでいいんですか?筋骨隆々の男性なら、半裸がデフォみたいなサーヴァントはたくさんいるじゃないですか。」

 

「いやあ、見せようとしないものを見るのがいいみたいな……というか、隙あらば見せようとしてくるサーヴァントの人もいっぱいいるから、あえて見せないものを見てみたいなあって。ほら、きよひーとかさ。」

 

 

「お呼びですかますたあ??♡♡♡あなたのきよひーはここにおります♡♡♡」

 

「あーごめんね。もののたとえなんだ。」

 

「いえいえいつでもお呼びください!♡」

 

 

「なるほど、マスターも苦労されているのですな。語尾にいちいちハートが見えましたよ。」

 

「まあそんなわけでさ。油ものばっかりだと胃もたれするから、ちょっと気分を変えたいなって。」

 

「私の体はとんかつに添えるキャベツですか……?」

 

 

 『まあ、特に面白いものでもないですよ?』と前置きしながら、ケンは少し襟の辺りを緩めた。そしてそれに、熱視線を送るサーヴァントが3名。

 

 

「……あの、信長様にお虎さん?沖田はともかく、あなたたちは見慣れたものじゃないですか。」

 

「い、いやこれはその……何か、ケンが自発的に脱ぐのはちょっと……フレッシュって言うか……そ、率直に言ってワシのハートに討ち入りっていうか!!」

 

「こ、ここここれはただの傷の確認ですから!傷があったらあったで嬉しいし、なかったら傷一つないケンさんを……!!」

 

「もってくれよ、沖田さんの体……!!い、今だけは!口から吐血ではなく鼻からならオッケーですから!」

 

 

「……童貞?」

 

「あの、マスター?令呪三画使うほどの価値は多分私の体にはないですよ?それでもいいんですか?」

 

「いいからいいから。はいじゃあどうぞキャストオーフ!!」

 

 

 立香の宣言とともに、ケンはするりと左肩から着物を脱いだ。筋肉で隆起した肩が露出し、この時点で沖田さんが鼻を抑えた。ノッブは耳まで真っ赤になり、お虎さんはしゃーしゃーとうるさい。右の方も脱ぎ、ケンの上半身は完全に露出した。それと同時に、3騎の理性も限界だった。ケンに一斉にとびかかる3騎。だが、その行動を予測している者がいた。

 

 

「令呪を以て以下略!」

 

 

 立香の掌の印が赤く輝き、3騎の動きが雷に打たれたように制止する。

 

 

「ぐ、ぐおお……。カルデアの令呪は強制力はないと教わっておったのにぃ……!!教えはどうなっとるんじゃ教えは!!」

 

「ま、マスター強くなられましたね……!まさか、このお虎さんのスイートステップを見切るとは……!」

 

「というかそもそも!以下略って何ですか以下略って!命令くらいしてくださいよ令呪切ったんなら!」

 

 

 3騎の怨嗟の声を聞き流しながら、立香はケンの体をじっくりと検分する。

 

 

「どの辺り噛まれたの?」

 

「この鎖骨の下あたりですが……。見たところ、痕はないようですね。まあ、全盛期の姿で召喚されるそうですし。私の全盛期は色々混じってるのではないですかね。」

 

「へー……。でもやっぱりいい体してるねケンさん。ほんとにシェフだったの?」

 

「いや、その。二度目の生ではこんな風ではなかったのですが、それ以外では剣を振るい続けましたので。自然とこんな感じになるのですよ。」

 

「ふーん……。ほーん……」

 

 

「あの、マスター?流石にそう凝視されると、その……恥ずかしいのですが。」

 

「あっゴメンゴメン!いやあ、なんか私ちょっとおかしくなっちゃってたみたい。まあ、ケンさんの胸見てたら治ったけど。」

 

「はあ、それはようございました。それなら、マスターがストレスを貯めてしまったときは、いつでもお剥がしください。まあ今はないようですし、改めてお茶を入れましょうか。マスターも緑茶でよろしいですか?」

 

「あっ、ありがとー!じゃあじゃあ!お茶請けもお願いしていい?」

 

「もちろんです。まだまだ話は長いですから、一息入れながら行きましょう。」

 

 

 なお、このやりとりをしていたケンの『休日のお父さん感』と、ケンが服をゆっくりと着なおす際の謎のセクシーさ。そしてマスターに与えられた『ケンいつでもお脱がし権』の嫉妬が3騎にちょっと変な刺さり方をしたらしく、少しの休憩はのぼせた人たちが復活するまで続くのだった。




「ケンさんの胸からはリラクゼーション効果が期待できる……!?これは、何かしらのスキルなのでしょうか先輩!」

「マシュ殿はあまり冗談の通じない方なのですな。私は確かに何度も転生した都合上、剣客としてのスキルと料理人としてのスキルがありますが、流石に胸筋からそういう効果を出すスキルはちょっと……。」

「ボディビルダーの英霊が待たれるね!」


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景虎の話 其の三:豆乳鍋 ケン

 今回のサブタイトルを見ていただけたらわかるように、R-15の要素が含まれます。苦手な方はちょっと注意していただけると幸いです。

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 男は涙を流しながら、龍に別れを告げようとしました。自分は焔の傍で育ったから、そこに帰らなくてはならない。あなたと過ごした日々は本当に楽しかった。この御恩は、一生忘れません。男は多分そう言っていたのですが、龍の耳には届きません。

 

「え……なん、なんで……。」

 

「秀吉さんからの書状が来たのです。信長様の機嫌がいよいよマズイから早く帰ってこいと。その上、食事を碌になさらないため頬がこけてきたようだともあります。……私は、ついここの居心地がよすぎたので、自分の仕事を忘れてしまっていました。急ぎ戻らなくては。」

 

「い、いや、でも!!それはきっと、誇張した表現で……!!」

 

「……いいえ。私にはわかります。信長様は頑固なお方ですから。きっと、一度作ったものを不味いと言った料理人の料理は、二度と食べようとしないことでしょう。」

 

「それに、その……思い上がりかもしれませんが、私がついていないと、いけないような気がするのです。」

 

 

 やめろ。

 

 

 照れくさそうに話すな。私の前で、私以外の女の話を嬉しそうにするな。やめろ、やめろ、やめろ。

 

 

 

 

 

 龍神の心は、いつの間にか闇に覆われていたのです。男をその体で押し倒すと、澱んでしまった目で言いました。『お前は誰にも渡さない。お前は、わたしのものなのだと。』言葉は湯水のように口からあふれ、されど心を温めはしません。両手を押さえつける手には思わず力がこもりみしりと嫌な音を立てます。龍神はこのままでは、悪龍に堕ちてしまいます。心という、不確かなものを得たからです。愛という、得難いものをもらったからです。

 

 

 

 

 

「お虎、さん……?」

 

「………のに。」

 

「え?」

 

「あなたが、必要なのは!!私だって同じなのに!!」

 

「――――!!」

 

 

 

 

 

 ――――されど、希望はまだ残されていました。合理しか知らなかった龍は、今では無駄だと思えることもするようになったのです。自分の弱音、本音。龍は心のままにすべて話しました。そして男は、それを無下にできるような人間ではありませんでした。

 

 

 

「いかないで………」

 

「お虎さん……。」

 

「いかないで、ください……。わたし、わたしだって!あなたがいないと、生きていけません!!」

 

「そんなことは!」

 

「ないわけないじゃないですか!!あなたのおかげで心を知ったんです!そしたらわかったんですよ!!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

「―――ッ。」

 

 

 

 龍は、それでもよかったのです。戦いをするのは好きでした。お酒を呑むのは好きでした。だから、戦いとお酒さえあれば、龍はそれでよかったのです。それを変えてしまったのは男です。だというのに、男は龍から離れるというではありませんか。龍は怒り、かつての姿を取り戻しました。戦いしか知らなかったあの荒々しい姿。心を閉ざした哀しき龍。そのこぼれた涙は男を打ち、男は一つの決意をしました。

 

 

 

「わかりました。お虎さん。」

 

「―――じゃあ!」

 

「ですが、やはり私は織田の料理人です。その在り方を曲げることは出来ません。」

 

「……どういう、ことですか。」

 

「私は料理人、ならば料理こそが本領でしょう。いつかこんな日が来ると思い、用意していたものがございます。少々お待ちください。」

 

 

 その背中を見やりながら、景虎は寂しさと共に安心感を覚えていた。ああ、やはりこの人はケンなのだと。景虎が何度も甘えたあの広い背中。そして厨房に向かう彼からは、何をしてくれるんだろうと期待をせずにはいられない。それもみな、もうすぐ失われる。どうすればいい?私は、どうするべきだ?景虎の心は、これまでにないほどかき乱されていた。

 

 

 

 

 男は涙を流す龍を見て、いつものように『何か作りましょう』と言いました。龍はそんなことはいい、ただわたしのそばにいてくれと言おうとしましたが、途中でやめてしまいました。言うのが恥ずかしかったのではありません。ただ、男なら何とかしてくれる気がしたからです。

 

 

 

 

 何分、何時間がたったのでしょうか。私は時間なんて見ていませんでしたが、本当に永遠のように感じられました。やがてケンが障子を開け、私を呼びました。その体に縋りつきたい気持ちを必死に抑え、ケンの前を歩きます。後ろから聞こえる足音が、私を慰めてくれているような気がしました。

 

 どうぞ、とケンがいい、襖を手で示します。おそらくは、中の部屋で料理が待っているのでしょう。私は意を決し、勢いよく襖を開きました。

 

 

 その瞬間、目にしたのは。こちらを見つめる、家臣たちの目でした。今までとは明らかに違います。だって、“私”を見ていますから。家臣たちは私の姿を認めると一斉に手をつき、頭を下げました。

 

 

「景虎さま!我々は、目が覚めました!!」

 

「あなたは!いえ、あなたも人間であったことに!私たちは、目を反らしていたのです!」

 

「あなたの事を理解しようともしなかった!我々は命じられれば、腹をも切る所存にごさいます!!」

 

 

 口々に私に謝罪する家臣たち。ですが私は謝られている意味が分からず、思わず聞いてしまいました。なぜ、そんなことをするのかと。家臣の中でも一番強かった柿崎が代表して口を開きます。

 

 

「実は、そこなる料理人のケンに、我ら皆頼まれたのです。『どうかあの方の本質を見てほしい』と。私は本当に、顔から火が出る思いでございます。誰よりも長くあなたに仕えていながら、あなたの事を少しも理解していなかった。いえ、理解しようとしなかった!! ……故に、こうして集まったのです。改めて、あなた様にお仕えする決意表明のために!!」

 

 

 誰も彼もが力強く頷きました。それを見た時、私は確信したのです。ああ、今の上杉家が一番強いと。誰もが私を見て、私に歩み寄ろうとしている。わかりますか?私たちは、この瞬間全てがかみ合ったんです。

 

 人の心がわからなかった私。そんな私を、遠くから見ているだけの家臣たち。バラバラだった私たちは、今この瞬間、ようやく一つになれたのです。それを為したのはやはりケンでした。

 

 

「―――さあ、それでは食事にいたしましょう。景虎さま、こちらを。」

 

 

 そう言ってケンが差し出してきたのは、木のおたまです。ケンの目の前では優しくてほっとするような、いい匂いのする鍋がありました。

 

 

「今日は、豆乳鍋をご用意させていただきました。豆乳も血圧を下げるのによい食材ですので、ぜひご完食いただければと。そして、景虎さま。」

 

 

 ケンがまっすぐにこちらを見据えます。なんと透き通った、力強い目をするのでしょうか。

 

 

「こちらを、家臣の皆様によそっていただけますか?ご心配なされずとも、十分な量をご用意していますので。」

 

 

 言いながら、何か意味深に片目だけをつぶります。私がそれをウィンクという行為だと知ったのはサーヴァントになってからですが、そこに込められた意図ははっきりわかりました。

 

 

「―――なるほど、面白い。では、各々器をとって並ぶがいい。私の手で配るとしよう。」

 

 

「な、か、景虎さま自らが!!」

 

「そのような、恐れ多い……!いやしかし、歩み寄ると決めたのだから……!!」

 

「で、では殿!!この柿崎、一番槍をいただきまする!!」

 

 

 そう宣言し、柿崎が私の前に出てきました。よく見てみると手が細かく震えていましたが、それは恐怖からでしょうか。

 

 

「――よく、仕えてくれた。これからも頼むぞ。」

 

「―――!! はい、はい!!この柿崎、どこまでもお仕えいたします!!」

 

 

 ああもう、そんなに泣いていたら、せっかくのケンの料理の味が分からなくなるじゃないですか。他の家臣もそんな調子で、全員に行きわたったころには、皆ボロボロと涙をこぼしていました。

 

 

「……ケン。」

 

「はい。」

 

「我が器には、お前がよそえ。……しばらく、会えなくなるのだから。」

 

「!! ―――はい、ありがとうございます。」

 

 

 いつの間にか、私の目からも涙がこぼれていました。止めようと思っても止まらない、滝のような涙でした。家臣たちがいなければ、みっともなくしゃくりあげていたことでしょう。そんな私の涙は豆乳鍋の中に溶けて、それでも優しい口当たりで、私の体と心を温めてくれました。

 

 

 

 

 

 男は龍神の周りに住む人々を集め、龍と彼らのためにたくさんのご馳走を作りました。人々は今まで龍神のことを真に理解しようとしてこなかったことを恥じ、龍を神様として扱うことをやめました。

 

 男はゆっくりと口を開きます。

 

 

『龍よ。あなたは私といるときは、いつも頭を近くに持ってきてくださった。誰かに理解されたいと願うのならば、あなたは人になりなさい。両の足で大地を踏みしめ、彼らの近くで物を見なさい。あなたは頭の位置が高いから、大切なものを見落としてしまっていたのです。』

 

 

 

 龍は言われた通り、人間になりました。雪のように白い長髪に、秋の月を思わせる黄金の瞳。龍は、なんとも美しい女性になりました。するとどうでしょうか。人間の目から見れば、人々の顔がより鮮明にわかりました。笑っている人、泣いている人、涙をこらえている人。鼻の高さ、目の大きさ、耳の形。龍であったころには気づかなかったことでした。

 

 

 そして、龍は男の顔を真正面から見ました。震える両手で男の頬を撫で、間違いなくそこにいる事を確かめます。龍には、そこにいる誰よりも男が恋しく思えました。泣きながら男を抱きしめ、ただそうしていた。『行かないで』とはもう言えなかったのです。

 

 

 

 

 

 食事会を終え、私とケンとは部屋に戻りました。そこで、帰る条件を突きつける必要があったのです。

 

「……まず、私はケンを信長のもとに返します。ですが、これにはいくつか条件を付けます。」

 

 

 一. 年に一度、一か月の間ケンを景虎のもとに派遣すること。

 二. ケンは織田家、上杉家の両方の情報を相手に漏らさないこと。

 三. 信長はケンの身柄、命を最優先に考え、死なせるようなことがないよう努めること。

 四. 以上の事が守られなかった場合、上杉家が織田家を滅ぼしてでもケンを預かること。

 

 

「……これらが守られなかった場合、私は再び軍神になりましょう。意志も、心も忘れて。あなただけを求めます。」

 

「私から断言することはできませんが、おそらく信長様は条件をのむでしょう。……ありがとうございます。」

 

「……いいえ。ですが、これだけは言わせてください。必ず、私のもとに帰ってきなさい。私が死ぬまで、あなたは元気なままでいなさい。……そのために、これを預けます。」

 

「―――これは。」

 

 

 手渡されたのは、黒い布に来るまれた包丁。布には竹に雀の上杉家家紋が縫い付けられている。ケンが了承を得て包丁を手に持つと、冷たい水に濡れているかの如く流麗なその姿には、ケンの驚いた顔が映るかのようだった。

 

 

「こ、こんな良いもの、いただけません!私にはあまりにももったいなく……!」

 

「いいえ、正当な報酬です。信賞必罰、あなたはこれにふさわしい働きをしました。……受け取りなさい。」

 

「……ありがたく、頂戴します!!」

 

 

 ケンは深々と頭を下げ、感動に肩を震わせた。自分のやってきたことを、ここまで高く評価されたのだから当然だ。しかも、その相手はあの長尾景虎である。ケンは頭をあげることが出来なかった。

 

 

「ケン。顔をあげなさい。」

 

「……はい。」

 

「―――ああ、やっぱり駄目ですね。」

 

「え?」

 

 

 その呟きと共に、景虎はケンに抱き着き、強引に唇を奪う。ケンは驚き、反射的に抵抗しようとするが、圧倒的に景虎の方が強いため、ただ自分の舌を貪る景虎の舌を感じていることしかできなかった。料理人として常人より舌の感覚が優れていたためか、意外とザラザラしているのだな、と思った。

 

 

「ぷぁっ……ふふ、口吸いは初めてでしたが、悪くありませんね。なにせ今までのまぐわいは、ただ子を為すためだけのもの。……月並みですが、愛があるとまた違うのでしょう。」

 

「景虎、さま……?」

 

「ふふ、そうとろけた顔をしないでくださいよ……。あの時は思わず噛みついてしまいましたが、今回は正しい意味でいただくとしましょうか。」

 

 

 呟くと、景虎はケンの着物を乱暴に脱がせる。あらわになった肌には、あの日の噛み傷の痕がまだ残っており、景虎の想いをさらに昂らせた。

 

 

「い、いけません!私には既に子が……!!」

 

「ああ、信長とのせがれですか?別にいいじゃないですか。一人も二人も変わりませんよ。」

 

「そのような……!」

 

「―――ねえ、ケン。」

 

 

 今までの荒々しさから一転して、景虎の声が愁いを帯びたものになる。

 

 

「私、初めてなんです。」

 

「――ッ! そんな、さっきは!そ、それよりも!猶更いけません!」

 

「嘘をついたのは謝りますが、男の人はそっちの方がいいんでしょう?それにこうして、誰かが欲しいと思えたのは初めてなんです。そもそも、今まで神様扱いされてたんですよ?神様に手を出そうとする人なんているわけないですし?」

 

「……だから、ですね。寂しいんですよ。それともケンは、私じゃいやなんですか?」

 

「……私は、あなたにすら嫌われるんですか?」

 

 

 少しづつ、その瞳が澱みを増していく。景虎はわかっていた。ケンは優しい男だから、自分を見捨てられないことも。その行為は、義に反するということも。

 

 だが、関係ない。率直にいって糞くらえだ。今景虎を突き動かす慕情と衝動の前に、義も神もあったものではない。

 

 

 

「……景虎、さま。」

 

「―――お虎さんと呼んでくださいと……。ああいや、もっと粗暴に……虎。今だけは、虎と呼んでください。」

 

「―――虎。」

 

 

 あ、そんな目も出来るんだ。それが景虎の率直な感想だった。それまで食べられるのを待つのみの、怯えたうさぎのような雰囲気だったのが、いつの間にか肉食獣の目になっていた。ああ、今から食べられちゃうんだ。そう思いながら、虎はうっとりと目を閉じた。ただ一夜の夢だった。

 

 

 

 

 

 龍は、男と結ばれました。ほんの少しの間だけですが、その時間は2人だけのものでした。男は焔のもとに帰りましたが、龍はもう孤独ではありません。今は龍も人間だからです。龍の周りにはたくさんの人がいて、同じ目線でものを見てくれるからです。

 

 ですが龍は、時折東の方をじっと見つめることがありました。その仕草は、いつの間にか人々の間で季節の風物詩となっていました。青い葉っぱが散って、赤い葉っぱで満ちる頃。料理が上手くて、武芸が達者なあの男。誰よりも優しくて、誰よりも暖かいあの男。彼が東からやってくるのは、いつも秋の事なのでした。

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

 

「の、信長様!!ケンが、ケンが帰ってきております!!」

 

「何じゃと!はよう連れてこんか!!」

 

 

 約二か月もの間、ピリピリとした緊張感に包まれていた岐阜城は、この知らせに湧き上がった。なにせ、信長の不機嫌を唯一何とか出来る可能性のあるケンがようやく帰ってきたからだ。特に料理人たちの喜びようはすさまじく、時間さえあればケンを胴上げでもしそうな勢いだった。

 

 信長はいっそ自分が出迎えにでも行きそうな勢いでケンの帰りを喜んだ。ケンがそばにいないことの影響が想像以上に大きく、これからはケンを遣いにする場合でも、すぐに帰ってこられるようにしておかなくてはならないと決意していたほどだ。

 

 いやいや今はそんなことを考えている場合ではない。まずはあの帰ってくる男をどうやって迎えるかだ。ここはやはり、君主として威厳のある姿を見せなくてはならぬ。そう思いながら、信長は胡坐をかいた最後まで威厳たっぷりノッブなポーズでケンを待つ。

 

 

 そして今か今かと信長が待ち望む中、その人物がやってきた。

 

 

「失礼します。ケン、ただいま戻りまし…!?」

 

「ケンーーー!!!」

 

 

 ……せっかく考えていた威厳ある対応は、ケンの顔を見た瞬間にすべて吹き飛んだ。恥も外聞もかなぐり捨てて、ただケンに抱き着いた。天下布武を唱えた戦国の覇王にして、既に後継を産んだ母の姿か?これが……。

 

 

「ワシの事をほ、ほ、ほっといてお前は!ワシがどれだけ、寂しい思いをしたと……!!」

 

「申し訳ありません。」

 

「あっ申し訳なさげなケン男前すぎるッ!じゃなくてじゃな! ……あー、越後で何をしとったか聞きたいところじゃが、この手紙を見る限り、それを聞いたらあの軍神気取りが攻めてくるらしいしやめておくか。」

 

 

 信長の手には、ケンに先んじてやってきた景虎からの条件が書かれた手紙が握られていた。一年の内一か月もケンを要求してくるのには参ったが、この分ではあの女も落とされたのじゃろう。ワシとはまた違った意味でズレとる女じゃったが、ケンにはそういう女に対する特攻があるのかもしれん。そう警戒を深めた。

 

 

「そ、それよりも!お体は大丈夫なのですか!?確か、秀吉さんの手紙だと相当痩せられたと……」

 

「ま、子を産んだ後に増えておった分がもとに戻っただけよ。菓子も食べられなかったし!」

 

「……なら、よかったです。安心しました。それでは、何かおつくりしましょうか。」

 

「いやいやお主、何か勘違いしとるようじゃのう。」

 

「え?」

 

 

 その瞬間、信長の瞳が妖しく輝く。

 

 

「どうせお主、あの軍神気取りに喰われたんじゃろ?そんな上杉かぶれを、ワシの領内に置いておくわけにはいかぬなあ?」

 

「で、では一体……?」

 

「クク、お主にしては理解が遅いのう。いや、ワシとお主の事じゃし、既に気づいておるな?その上でとぼけておるわけじゃ。」

 

 

 信長の口が嗜虐に歪む。現代風な言い方をすれば、Sっぽい顔で笑っている。ケンはやはり、草食動物の顔で怯えていた。信長がケンに覆いかぶさるような格好になっており、逃げられない。

 

 

「おっと、逃げようとしても無駄じゃぞ?最悪帰蝶が控えておるからのう。」

 

「はぁ~い。ケンさん、諦めた方が楽ですわよ?」

 

「あ、あの、信長様?」

 

「命乞いなら聞かんぞ?お主から越後の香りが消えるまで、この部屋からは出さないつもりじゃからな。……ま、これもケンの浮気のせいじゃし、是非もないヨネ!」

 

 

 無邪気な口ぶりとは裏腹に、信長の貌は間違いなく大人の女であった。このような絶世の大和撫子と一夜を共に出来るとは、普通の男なら大歓喜であろう。

 

 だがケンにとっては、ただただ己の心の弱さを呪うばかりだった。

 

 

「逃がさんぞ……ケン。一生ワシから離れられないようにしてくれるわ。」

 

 

 しゅるりという、肌から布が滑り落ちる音がした。夜はまだ、続くのだった。




「ケンさん女の人に弱すぎない?ノッブもこれ使いに出すの向いてなかったんじゃないの。」

「うーむ……ワシの思ったことはきっちり遂行してくるから外せんのよな。代わりに行く先々で現地妻つくってくるんじゃが!じゃが!」


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Part2 カルデアのドクター

 今回はロマ二回です。なんだか非常に筆が乗ったので、急いで投稿させていただきます。

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「おーい立香くーん。話が盛り上がっているようだけど、そろそろ休んだ方がいいよ。」

 

「あ、ロマニ。なーにせっかく盛り上がってるところに入ってきて~。そんなんだからモテないんだよ?」

 

「ボクがモテないと決めつけるのはやめてくれるかなあ!?よしんばモテてないとしてもそれが原因じゃないやい!」

 

 

 ノックした後、部屋に入ってきたのはふわふわした雰囲気の男性だ。どこか頼りなく見えるが、立香ときゃいきゃいやっているところを見るに、悪い人ではないようだ。ケンはあいさつ回りの時に多忙とのことで伺わなかった医療部の人物だと判断し、あいさつを行おうとした。

 

 

 ―――だと、言うのに。何だろうか、この違和感は。目の前の人物に悪い点など何も見当たらない。だというのに、何故か顔を見ているだけで怒りを覚えるのだ。そんなにムカつく顔をしているだろうかと思わずまじまじと見つめてしまうが、彼の中の不自然な怒りが増していくばかりだ。そう、例えるならば、なんとなくこいつが全て悪いと思えるような、あの花の魔術師を見ているような……。

 

 

「あ、あの~……流石にそんな風に見つめられると、いくら男の人相手でも照れてしまうんだけど。」

 

「……あ、ああ。これは失礼しました。初めまして、サーヴァント・セイバー。最初の名前は榊原鍵吉ですが、気楽にケンと呼んでください。」

 

「う、うわあやったあ!サーヴァントに初めて普通の対応をされた気がするぅ!」

 

「あーケンさんも早く慣れた方がいいと思うよ。ロマニはいっつもこんな感じだから。」

 

「さ、左様ですか。私は料理など心得ていますので、要望があれば何かおつくりいたしましょう。何か好物はございますか?」

 

「え、ホント!?じゃあ、何か甘いものを作ってもらってもいいかな?やっぱりストレスと疲れには甘いものだよね!」

 

 

 屈託のない笑顔で話すロマニを見て、やはりこの人には何かあるとケンは思わずにはいられなかった。笑顔には疲れが見え、そして何かを隠しているのがはっきりわかった。ケンの長い長い人生で培われた人を見る目は、ロマニの本質をとらえかけていた。

 

 

「では、今から作りましょう。」

 

「え?い、いや今からっていうのはちょっと……。もう時間も遅いし……」

 

「いえ、今すぐです!何があるかわかりませんので。善は急げです!」

 

 

 立香からの生暖かい目と、例の3騎のどこか据わった目に見送られながら、ケンはロマニを引きずって部屋を出る。夜も更けたカルデアには、人もサーヴァントもまばらだった。ロマニもサーヴァントの力に叶うわけがないと諦めたのか、おとなしく食堂までついてきた。

 

 

「さて、甘いものといいましたが、何がいいですか?和菓子?それとも洋菓子でしょうか。」

 

「え、えーっと……まだ仕事が残ってるから解放してほしいかなって……」

 

「こんな夜中にまですることではありません。マスターに念話で聞いてみれば、いつも休めと言われているのに無下にしているご様子。そんなことを見逃すわけにはいきません。」

 

「あなたが、いろいろと背負っていることも聞いています。ですから今このひとときだけでも、休んでいかれませんか。」

 

「……ありがたい話だけど、やっぱり僕は仕事に戻らなきゃ。だからこの場は……」

 

 

 しばらく俯いていたロマニだったが、決心したように顔をあげる。だがその目に捉えたケンは、ブンブンと音を立てながら、金属の棒で素振りをしていた。

 

 

「……えーっと……?」

 

「ああ、これは失礼!つい日課の素振りをこなすのを忘れていましたので!!今ここで、やらせていただいております!!もしお帰りになるというのなら、この剛腕で止めますがいかがなさいますか!!?」

 

 

 今までのケンらしくない、まさかの力押し。二の腕が鬼のそれのように隆起するのを見ては、流石のロマニも大人しく席に着くことしかできなかった。

 

 

「さて、それでは……そうですね、あまり時間のかかるスイーツだと居眠りしてしまうかもしれませんし、ここはクレープにしましょうか。」

 

「クレープ……。」

 

 

 そういえば、最後に食べたのはいつの事だろうか。甘いものは好きだが、勉強や仕事の合間に食べられるように、持ち運びのしやすいもの……たとえば大福やケーキ一切れなど、さっと食べられるようなものばかり食べていた。そう考えると、食堂に来たのもいつぶりかわからないほどだ。立香くんたちがせっかくおいしいからと誘ってくれていたのに、それもなあなあにしてしまっていた。

 

 

「さあ、生地が出来ました。クレープの皮、伸ばすとこ見たくないですか?」

 

「見る……。」

 

 

 ロマニは疲れからか、妙な口ぶりになってしまう。熱したプレートの上で、クレープが綺麗な円状に広がっていくのをボーッと見つめていた。ケンはトンボがあってよかったですよと言いながら、次々にクレープの生地が出来上がっていく。

 

 

「さて、こんなものですかね。ロマニ殿は、なにか具材のリクエストはありますか?ないならこっちで決めますが……。」

 

「えーっと……じゃあ、あんこでお願いできるかな。」

 

「いいですね。つぶあんですか?」

 

「ん~こしあん!」

 

 

 だんだん楽しそうになってきたロマニを見て、ケンはかしこまりましたと微笑んで頷いた。少しだけ時間がたった後、ケンがテーブルに着いたロマニのもとに、木でできた皿を持ってやってきた。皿の傍らには、同じく木でできた二股のフォークも添えられており、いつものプラスチックや金属の食器とは違い、暖かさを感じた。

 

 

「食器の選び方も、料理人のセンスですから。さあ、お待たせしました。『こしあんとイチゴのクレープ』です。実はこちら、隠し味を使っております。よければ、何が使われているのか推理するのも面白いのでは?」

 

「へー……。じゃあ、いただきます。」

 

 

 行儀よく手を合わせてから、ロマニはフォークでクレープを三分の一ほど切り取り、口に運ぶ。イチゴがこぼれそうになって、慌てて手を添えた。

 

 

「ん、おいしい!こしあんっていうから甘いだけかと思ったんだけど……ちょっと、しょっぱいというか?でもそのしょっぱさがいいね!」

 

 

 口に入れた時、想像されるあんこの甘さとは違う。あんこは極論を言ってしまえばただ甘いだけだが、このクレープのものは少しの塩味を感じる。それは邪魔になるのではなく、むしろあんこの甘さを引き立て、より深みを増しているのだ。そこにイチゴのみずみずしさと酸味のある甘さが混じり、ロマ二の口の中で幸せなハーモニーを起こしていた。

 

 

「ん~でもこれ、何だろう……塩じゃないよね?」

 

「そんなに簡単だったら問題になりませんよ。」

 

「だよねぇ。ん~……ダメだ、わかんないや!降参降参、答えは何だい?」

 

「ふふ、もう少し色んなものを食べるべきでしたね。それに使われているのは白みそです。」

 

「え、お味噌!?ホントに?」

 

 

 味噌、味噌とは!ロマニにとって、スイーツとはただ砂糖やら果物やらを使ったものという認識だったため、思わず聞き返してしまう。味噌とスイーツとが、どうしても結びつかなかったからだ。

 

 

「ええ。私が織田で料理人をやる中で、どうしても手に入らない食材であったり、貴重なものでそう簡単には使えないものであったりはたくさんありましたから。特に信長さまは甘味が大好きだったんですよ。体に悪いから控えたほうがよいと、何度も具申したのですが。ですがそういう時に、よくあんこと味噌を混ぜたものです。」

 

「……それってようは嵩増しじゃないか!?え、あの信長公にそんなことして大丈夫だったのかい?」

 

「ええ、はい。むしろ、『創意工夫、まことにあっぱれじゃ』とほめていただきました。」

 

「へ~……あの信長公がね……」

 

「その信長様にお褒めいただいたもう一工夫、こちらチーズを添えてみてください。」

 

 

 そう言ってケンが差し出してきたのは、瓶に入ったヨーグルトのようなチーズだ。何チーズなのかはロマニにはまったくわからなかったが、差し出されるまま受け取って、もう一つのクレープに挟んでみる。スイーツにチーズが合う気がせず、少し躊躇したロマニだったが、思い切ってかじりつく。

 

 するとどうだろうか、滑らかな口当たりのそれは、今までの味をまったく邪魔しないどころか、イチゴの酸味をふんわりと受け止め、よりやわらかな味になった。その分、白みそ入りのあんこの味が味覚にダイレクトに伝わり、ロマニの舌から脳へたっぷりの幸せ物質が送られたかのようだ。

 

 

「おいっし……。これ何ていうチーズなんだい?」

 

「それはフロマージュ・ブラン。フロマージュとは、フランス語で『チーズ』を意味する、チーズのキングオブキングです。特徴はヨーグルトのような口当たりの良さで、お菓子には頻繁に使われるんです。」

 

「うわぁ……全然知らなかったや。今まで…というより、立香くんやキミよりずっと長い間ここにいるはずなのに……」

 

「なら、これから知っていけばいいだけのことでしょう。私もここで勤めさせていただこうと思っているので。」

 

「え!?そうなの!?」

 

「ええ、はい。まだ話は通していませんが、自分の力を試す場所があるのなら、それに挑みたいと思うものでしょう?聞けば、ここには古今東西の料理自慢が集うとか。ふふ、今から楽しみですね。」

 

 

 ―――ああ、眩しいな。ロマニは、瞳に闘志を灯したケンを見ながら、そう思った。サーヴァントは既に死した歴史の遺物。偉人の影法師。そう思い、見下した態度をとる魔術師も多いと聞く。だが目の前にいる彼や、今までの特異点で出会ってきた彼らを見れば、それは誤りだったと誰もが思うだろう。こんなにも活き活きとして、輝いている。

 

 

「……いいなあ。」

 

 

 それに対し、自分はどうだ?自分が何をすべきなのかもわからず、先の見えない闇の中でもがいている僕は。立香くんやマシュが光となってくれなければ、きっと明後日の方向へ進んでいたに違いない。情けない。本来ならその役目は、自分がこなすべきことなのに。

 

 

「……何を思っているのか、お聞きしても?」

 

 

 ケンがいつの間に作っていたのか、マグカップにホットミルクを作って持ってきてくれた。ロマニが躊躇いがちに手を伸ばし、口をつける。砂糖が溶かされているのか、優しい口当たりで飲みやすかった。

 

 

「……ちょっとね。でも大したことじゃないんだ!」

 

「大したことかどうかは、私が決めます。それとも、話せないようなことですか?」

 

「横暴だね!? ……いや、でも、そうかもしれないな。話したら、少しは楽になれるかもしれないね。……ちょっとの間でいいんだけど、聞いてくれるかい?」

 

「睡眠時間を削らない程度になら、お付き合いします。」

 

「あはは、最近来てくれたナイチンゲールさんみたいなことを言うんだね。」

 

「ま、そこそこ近代の英雄ですから。睡眠は大事ですよね。おっと、話がついそれました。さて、お聞きしましょう。」

 

 

 ロマニはポツリポツリとしゃべり始めた。嬉しかったこと、辛かったこと。最初はゆっくりだったが、いつの間にかケンに乗せられたのか、せきを切ったようにしゃべってしまった。独白はいつしか嗚咽交じりになり、いよいよ彼が絶対に秘匿すべきとした真実の、その扉の目の前にたどり着いた。

 

 

「……どうなさいましたか?」

 

「いや、少しね。これ以上は、しゃべれないかなって。」

 

「……それは、カルデアに害を及ぼすことですか?」

 

 

 突然、ケンから猛烈な剣気が放たれる。普段から穏やかで謙遜しがちな彼ではあるが、伊達にサーヴァントなわけではない。一般人……いや、例え現代の戦闘技術を修得した者であっても、敵うわけがないと思わせるような威圧感がロマニを襲った。

 

 

「もし、あなたが裏切り者であったりするのなら。私は絶対に許しません。ここには沖田も、信長様も、景虎様もいらっしゃる。その場を壊そうというのなら、この身に代えても殺します。」

 

「……絶対に、違う。これが何なのかは今は言えないが、それだけは約束できる。僕の抱えた秘密は、カルデアにとって悪ではないよ。」

 

「……信じてくれるかは、わからないけど。」

 

 

 ロマニは、自分の首にうすら寒いものを感じて、思わず抑えてしまう。目の前の男がほんの少しその気になるだけで、自分の胴体と頭はサヨナラだ。だが怯えている暇はない。何とかして、目の前の男を説得しなくては。今、死ぬわけにはいかないのだから。

 

 

「―――なら、信じましょう。」

 

「え?」

 

「突然の殺気、失礼しました。少し脅しをかけてみただけです。」

 

 

 思わず椅子から崩れ落ちる。ケンが慌てた様子で『ロマニ殿!?』と声をかけてくるが、大丈夫と手で制した。

 

 

「もう!ほんっとに怖かったんだからなぁ!」

 

「失礼しました。ですが、何故かあなたから、黒幕のような気配を感じて仕方なかったものですから。」

 

「うっ、それはその……」

 

「やはり斬りますか……。」

 

「わーっごめんごめん!気のせいだから!!」

 

 

 深夜だというのに、食堂には2人のはしゃぐ声が響く。ロマニは久しぶりに、心の底からリラックスすることが出来た。自然体でいられるというのは、それだけで心が軽くなるものなのだ。

 

 

「……本当に、聞かなくていいのかい?自分で言うのもなんだけど、めちゃくちゃ僕怪しいだろう?」

 

「まあ、ロマニ殿は悪い人ではないようですし。これでも私、色んな人を見てきましたから。それなりに人を見る目には自信があるのです。それに、マスターもあなたの事を信用なさっているようですしね。私の今の主は立香殿なのですから、彼女がやれと言わない限り、傷つけたりはしませんよ。」

 

「それ逆説的にやれって言われたらやるってことじゃないかなぁ!?」

 

「ふふ、言われないようにご機嫌をとることですな。具体的には、マスターの言う通り今日は休むとか。」

 

 

 いたずらっぽくケンは笑う。それにつられたのか、ついロマ二も笑いが漏れてしまう。

 

 

「はぁーあ!斬られるのは痛そうだし、今日は大人しく寝るとするかな!なにせ、立香くんの機嫌を損ねるわけにはいかないし!」

 

「それがいいでしょうね。もう一杯、ホットミルクを作りましょう。緊張がほぐれ、よく眠れるはずです。」

 

「ありがとう。……なぁ、ケンさん。」

 

「? どうかなさいましたか?」

 

「その、いつになるかはわからないけどさ。また、来てもいいかな?」

 

 

 その言葉を聞いて、ケンは心底幸せそうに笑う。

 

 

「馬鹿ですね。ロマニ殿もカルデアの職員なのですから、いつ来たっていいに決まってるじゃないですか。」

 

「……そっか、そうだよねぇ!よぅし、これから毎日通っちゃうぞう!」

 

 

 ロマニもすっかり元気になったようで、熱々のホットミルクをこぼさないよう、ゆっくりと自室に帰っていった。ケンはその背中を、皿洗いなどの後始末をしながら見ていた。どうか、ロマニ殿が今日はゆっくり眠れますように。そう願いながら、穏やかな深夜は更けていくのだった。

 

 

 

 

 

「……マスター?ロマニ殿は、自室に帰られたようですよ。話の内容は、念話の通りです。」

 

『………そっか。ありがとう、ケンさん。ロマニってば、全然言う事聞いてくれないんだもん。」

 

 

 ケンは、念話によってロマニとのやりとりを立香に中継していた。これがもし、やましい目的であったならば断わったかもしれないが、そこにあるのは純粋な心配だということがわかっていたため、ケンは引き受けたのだ。

 

 

『えーっとね、それじゃあケンさん。個室に案内したいところなんだけどさ。実は明日も召喚予定でさ。それで、まとめて部屋を作ろうってことだから、今日だけは誰かの部屋にいてほしいんだよね。』

 

「マスター、そんな恐れ多い。私なんて、霊体化してその辺の壁にでも貼りついていますから。」

 

『カメレオン……?いやいやそれがさ。もうわかると思うんだけど、あの3人が喧嘩になってさ。私の権限で、ケンさんの今日の部屋決めちゃった。』

 

 

 あくまで軽い様子で話す立香。ケンは、まあそんな気はしていたと死んだ目をしながら、誰の部屋ですかと尋ねた。そして、重い足取りでその部屋に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 ――そして、今に至るのである。

 

 

「……ふふ、どうですかケンさん?沖田さんとの同衾は。沖田さんはですねえ……ちょっと、あの、何もいえないですかね……。」

 

「……不満なら出ていくぞ。」

 

「どうしてそうなるんですか!ただ、その、幸せすぎて……ああもう、わかってるくせに!!こんなこと沖田総司に言わせるなんて、このドS!鬼畜!5じゃなくて4だったら攻守交替なんですか!?」

 

「落ち着け沖田。何を言っているのかわからんぞ。」

 

「黙らせたかったらキスで口を塞げばいいじゃないですか!ほらんー!んぅーんー!!」

 

 

 深夜だというのに口をとがらせ、うるさく騒ぐ沖田。二人で一人用の布団に入っていることもあり、狭い場所でこのテンションは正直きつかった。―――そのため。

 

 

「え?あの、ケン、さん……?」

 

「――お前が悪いんだからな。」

 

 

 ケンが、沖田の上に覆いかぶさったのだ。いつも後ろで結んだ長髪は、今は解かれて垂れている。その髪が垂れた様子が、沖田にはひどく性的に思えた。少しづつ近づいてくるケンの顔、そして唇。沖田は耳まで真っ赤にし、息を荒げながらもゆっくりと目を閉じた。やがて、視界が、暗転し………

 

 

 

 

 

 

 

「……で、気を失っちゃって何もできなかったんだ。」

 

「………。」

 

 

 翌朝。深刻そうな顔をした立香。顔を真っ赤にし、涙目で震える沖田。そして後ろで、腹を抱えて笑う信長と景虎。既に経験済みの余裕というものが違うのである。

 

「ぎゃははは!おき、沖田!お主、意中の男と同衾しておいて興奮しすぎて気絶って!!厠で気張りすぎて死んだどこぞの武将以下じゃろこれ!ぎゃははは!!」

 

「あ、あはははは!わ、笑ったらいけないとは思うのですが!ダメですちょっとおもしろすぎます!なんせ昨日『今日キメますよ沖田さんは!!』なんて堂々宣言してたのに!!あっ、信長は後で〆ますからね。あれは俗説ですからね言っときますけど!!別のところではどうなのか知りませんけど、私にそんな事実はないですからね!」

 

 

 流石の立香も見かねたのか、何とか沖田を元気づけようとする。

 

 

「その、ほら、沖田さん。あんまり落ち込まないで……。は、初めては多分皆そんな感じなんだよきっと!沖田さんだけじゃないって!」

 

「ううう……うわーん!だって、だってしょうがないんですよ!ケンさん、私に対してすごいSっ気出してきますし!これできっと愛想つかされちゃったに決まってます!うわーん!!」

 

 

 とうとう泣き出してしまった沖田。クソガキ戦国武将二名はいよいよ腹筋が痛みだし、床を拳で叩いたり転げまわったりでなんとか笑いを逃そうとしている。もうこれはどうしようもないと思った立香は、ケン本人にSOSを発進した。ほどなくして、厨房での仕込みを終えたケンが部屋にやってきた。

 

 

「マスター、どうなさい……あっ……」

 

 

 部屋に入ってきただけですべてを察したのだろう。ケンは迷わず、沖田に近づいた。

 

 

「沖田。仕込みがあるからと、お前の部屋を先に出たのは悪かった。」

 

「……。」

 

「俺はお前を嫌ってなどいない。むしろ、お前と一緒だと飾らなくて済むから居心地がいい。……その、だから。こんなことが出来るのは、お前相手だけだ。」

 

 

 え?『こんなこと』って何? ……その疑問は、あっという間に判明した。ケンが沖田の正面に回ったかと思えば、顎を指で持ち上げ、沖田の唇を奪った。信長や景虎が止めることも出来ないほど、一瞬の出来事だった。された沖田でさえも、何が起きたかわからないという顔をしていたのである。

 

 

 その張本人であるケンも、顔を赤くしていた。慣れないことをしてしまった……というような表情のまま、捨て台詞を吐いて行く。

 

 

「……続きは、今度にしろ。今はそれで元気出せ。」

 

 

 そそくさと逃げるように退散するケン。止まっていたその部屋の時間が動き出したのは、ケンが出て行った後だった。

 

 

「キャーッ!何今のすっごい!完全にラブコメのそれだったじゃん!!沖田さんほら、大勝利だよ!?」

 

「え……?お・きた……?」

 

「幼女に名前をもらった哀しきモンスターじゃん。」

 

「……おい、虎の。」

 

「ええ、わかっていますよ。」

 

 

 あれを見た瞬間、二人の意志は固まった。

 

 

『自分も絶対、あれやってもらおう!』と。

 

 




「いやあ、昨日の今日で来ちゃったけど、大丈夫だったかな?ケンさん、何か作ってくれるかい?」

「ええ、もちろんですよ。マスターもきっと、喜んでくださるでしょう。」


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Part3 サプライズ・ニンジャ

 今回は感想を送ってくださった方から着想を得た回になります。そろそろ、特異点にのりこめー^したいですね。

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 ケンは厨房にて、忙しい時間を過ごしていた。最初にあいさつをしたときは、厨房での上下関係を意識して『皿洗いでも掃除でもなんでもします!よろしくお願いします!』とは言ったものの、何故かメインの調理を担当することになっていた。

 

 その理由は二つ。一つは単純にカルデアキッチンが忙しすぎて、少しでも料理が出来る人材ならとにかく調理に回したいからというもの。何しろ、ここにいるサーヴァントたち全員の魔力を立香の魔力やカルデアの電力のみで賄おうとすれば、どちらも一瞬で干からびてしまう。そのため、サーヴァントたちは食事から魔力を得ることが推奨されているのだが、これが非常にめんどくさいのだ。

 

 なにせ、サーヴァントとなった者は非常に多国籍だ。文字通り、世界中の英雄が集まっているので、好みの食事もまったく異なる。その上、かつて王であったり皇帝であったりしたサーヴァントは美食にうるさく、キッチンの食事にあれこれと注文を付けることが非常に多かった。

 

 そんなところに現れたケンは、非常に重宝されたわけである。なにせ、世界中の料理を修得している上、信長というとっつきにくさ日本一みたいな主のもとで働いていたのだから、そういうお客さんに対しての扱いも慣れたものだ。ネロ帝など大いに気に入って、『貴様を余の料理人にしてやろう!』と騒いだが、三千世界が飛んでくる前に何とか収めた。その代わり、後日ネロの食事を全て作らされる羽目になったのであるが……。

 

 

 そしてもう一つは、オカンによる猛プッシュである。最初は『フッ、皿洗いからとは中々殊勝な心掛けだな。だが、そう言うからには覚悟を決めてもらおう!たとえ皇帝だろうと神霊だろうと、ありとあらゆる雑用を受けもってもらおうか!』と息巻いていた。

 

 だが、ケンの二度目の生の名を聞いたところ、「―――ケン?………ちょっと待った。確かその名は、恵まれない地域の人々のために無償で栄養満点かつ美味しい料理を提供し続けたかの聖母と言われた人物のはずだ。』と、妙に見覚えのある解説を行った後、『あなたのような偉大な人物に雑用などさせるわけにはいかないな』とキラキラした目で要請された。まあケンとしても断る理由はなかったので、ひとまず調理を担当させてもらっていたのだ。

 

 

 

『えー、サーヴァントの呼び出しです。セイバークラスのケン。セイバークラスのケン君は、至急召喚ルーム迄お越しください。マスター君がお待ちです。』

 

 

「む、カルデアの放送か……。それではケンさん、行ってくるといい。こちらは任せてもらおう。」

 

「ありがとうございます。それでは、少し失礼しますね。」

 

 

 突然のマスターからの呼び出しを受け、ケンは仕事を中断して立ち上がる。一体何の御用だろうかと考えながら手を拭き、急ぎ召喚ルームへ向かった。思えば、ケンのサーヴァント人生はここから始まったのだなと感慨深く思いつつ、部屋のボタンをおして中に入る。

 

 

「マスター、ケンです。ご用命でしょうか?」

 

「あ、ケンさーん!こっちこっち、こっち来て座って。」

 

 

 立香に言われるまま、サークルのすぐ隣の座布団に腰掛ける。すると、すぐにダヴィンチちゃんがやってきた。

 

 

「やあケン君!昨日挨拶に来てくれた以来だね。どうだい食堂では、元気にやってるかい?」

 

「ダ・ヴィンチ殿……。はい、非常によくしていただいております。ところで、御用はいったい……?」

 

「ああ、それなんだけどね!実は、これからの特異点を攻略するのにあたって、諜報の重要さを思い知ったのさ!一応アサシンクラスのサーヴァントは何人かいるし、デオン君のようなかつて諜報員だったサーヴァントもいないわけではない。でも、彼?彼女?は今はセイバークラスだからね、どちらかと言えば正面からの戦闘が得意なわけさ。」

 

 

「そこで!君の出番というわけさ!」

 

 

 ビシッと指を立てたダヴィンチちゃん。しかしケンには、その理屈がよくわからない。

 

 

「……ええっと、確かに私にはアサシンクラスの適性もあるようですが、今はセイバークラスですよ?何もお役に立てるようなことはないような……」

 

「ああいやいや!君そのものに諜報員をしてほしいわけじゃないんだ!君の話を聞く限り、君は戦国時代の日本に生きていたことがあるんだろう?それなら、忍者の一人や二人、縁を結んではいないかと思ってね。」

 

「ええ……私より、信長様や景虎様のほうがいいのではないですか?」

 

「うーんそう思ったんだけどね。彼女ら、あんまりそういうのに縁がないみたいなんだよねえ。信長君はあんな感じだし、景虎君はそういうのが嫌いでやらなかったみたいだし。何か、いいツテはないかなあ?」

 

 

 言いながらダヴィンチちゃんは、うーん私は何を言っているんだろうねと思っていた。いくら信長に仕えたと言っても、ただの料理人にそんなツテがあるわけが……

 

 

 

「……いやその、あるにはあるのですが。あんまり……」

 

「え!?あるの!?ケンさんすごい!」

 

「マジで!?いやホントに予想外だったなこれは!万能の人といえど、流石に読めなかったよ!」

 

 

 ケンはあまり乗り気ではなかったようだが、二人のあまりの勢いに渋々アンカーになることを同意した。アンカーになると言っても、ただ召喚サークルの近くに立っているだけだ。

 

 

「それだけでよいのですか?何か、おつくりした方がよいのでは……」

 

「うーんとりあえずやっちゃおうぜ!どうせ麻婆豆腐でいっぱいになるんだからさ!」

 

 

 ダヴィンチちゃんの言葉に立香は胸を抑えつつ、召喚の詠唱を行う。グルグルと回転する光の帯が3本になり、サーヴァントが召喚されたことを示している。立香は目を輝かせながら、『誰!?誰!?』と騒ぐ。

 

 

 眩い光が収まり、一人のサーヴァントが姿を現す。立香は目を輝かせ……そして、顔を赤らめた。

 

 

 なにせ、現れたサーヴァントは……ほとんど、裸だったのだ。いや、ほぼ裸の男なら立香も見慣れているのだが、ほぼ裸の女の子というのは慣れなかったからだ。現れたサーヴァントは、裸に黒いリボンを巻き付けたとしか思えない格好をしていた。怪我でもしているのか片目を黒帯で隠しているが、それよりも隠すべきところあるでしょと立香は思わずにはいられなかった。

 

 

「サーヴァント、アサシン。甲賀上忍、望月千代女と申します。どうか、主命を。……んなっ!ケン!?お主もおるのか!?」

 

「ああ、あなたの方でしたか千代女さん!よかった、あなたがいれば百人力です!」

 

「ま、またお主はそういうことを臆面もなく……!!そ、それよりも!拙者はかつて生きた望月千代女ではなく、彼女の影法師。記憶を共有こそすれど、お主の知っている彼女ではない!」

 

「――そんなことをおっしゃられずに。あなたは、私の知っている千代女さんと何も変わりません。」

 

「……だからぁ!!そういうことを言うんじゃないって言ってるでござろうが!!」

 

 

 ケンは感動のあまり、千代女の両手を握ったまま、傍から聞いていたらあまりにも情熱的なセリフを吐く。千代女は顔を真っ赤にしながら、何とかして逃れようともがくが、筋力Dでどうこう出来る相手ではなかった。完全に手を掴まれてしまっては忍術でもどうしようもなく、彼女は湯気を出しながら黙り込むしかなかったのである。

 

 

「ハァ~~~~~………ケンさんさあ………」

 

「うーん、話には聞いていたけど、これはひどいね!」

 

「……あっ、マスター!こ、これはその、違うのです。」

 

「………。」

 

 

 千代女はいつの間にか黙りこくってしまった。その表情は、どことなく不満げに見えた。なおその後、ケンと千代女の話はまた例の部屋で聞くという実質的な死刑宣告を受け、ケンはまた肩が重くなるのを感じていた。

 

 

「……あ、そういえばさ。さっき何であんまり乗り気じゃなかったの?千代女さんが来てくれた時、すっごい嬉しそうだったじゃん。」

 

「えっとですね、実は……私の中で忍者の心当たりが、二人いたのです。一人は千代女さん。そしてもう一人は、その……ややこしくなるかなと……。」

 

 

「ねぇダヴィンチちゃん。」

 

「んー?」

 

「ケンさんの禊がてらさ、もう一人の方も召喚狙っちゃっていい?」

 

「んふふーやっちゃおうぜい!!」

 

 

 ダヴィンチちゃんは稀代の悪女の如き表情をしながら、召喚にゴーサインを出す。ケンは必死に止めようとするものの、一瞬で復活した千代女の縛術で転がされてしまった。そしてそのまま、目の前で召喚が行われる。まるで待っていましたと言わんばかりにサーヴァントが現れた。

 

 

「―――加藤段蔵。入力を求め…主殿!?主殿主殿!!」

 

 

 目にも止まらぬスピードでケンに飛びつかんとする段蔵。――だが。

 

 

 キィン!!

 

 

「……何?」

 

「段蔵貴様、どういう了見にござるか。ここにいるのは……いるのは……わ、私の男にござるが!?」

 

「千代女さん!?」

 

 

 ケンに大型犬の如く飛びつこうとした加藤段蔵を、刃を以て防いだのは望月千代女であった。途端に辺りに緊張感が満ち、立香は黙って令呪の準備をした。この前三画全部つかったのに……と思いながら。

 

 

「なるほど、主殿のいつもの奴ですね。理解しました。ご安心召されよ、望月殿。拙者は主殿の忍びにして刃。誰が主殿の伴侶であろうが構いませぬ。ただ段蔵が傍に居られればそれでよいのです。」

 

 

 忍の鑑と言うべき台詞をまっすぐな瞳で述べる段蔵。これには流石に同じ忍として、千代女も刃を下げずにはいられなかった。

 

 

「ただ定期的に主殿との魔力供給と、一日に一度は主殿との口吸いを行うこと。これだけを守っていただければ誰でも……」

 

「覚悟おおおおおおお!!!」

 

 

 ああ、やっぱり今回もダメだったよ。

 

 

 

 

「はーい、というわけで新しくカルデアに来てくれた望月千代女ちゃんと加藤段蔵ちゃんでーす!もれなくケンさんクラスタでーす!皆仲良くしてあげてね!」

 

 

「「「………。」」」

 

「いや、あの、先輩。気軽に地獄を作らないでほしいのですが……。」

 

「私のせいじゃありませーん!全面的にケンさんが悪いでーーす!仮に痴情のもつれでカルデアが崩壊したら全部ケンさんかエミヤの責任でーーーす!!」

 

 

 なぜか飛び火したオカンはくしゃみをしつつ、この先に待ち構えている何かの予感に身震いした。サーヴァントは風邪などひかないはずだが……と首を傾げつつ、次の食事のための準備をしていた。

 

 そしてげに恐ろしきはぐだぐだの間である。これ以上修羅場をつくってどうしようというのか。節操という者はないのだろうかこの男は。誰もが次に来る殺し合いを予期し、備えた。そしてようやく、信長が口を開く。

 

 

「え、痴女?」

 

「なんてこというんですか信長様あ!?」

 

 

 誰もが思っていながら、誰もが言わなかった台詞を当然の権利のように言い放つ。これが第六天魔王の力とでも言うのか。

 

 

「いやだってそんな恰好したサーヴァントなんぞ、痴女か西川〇教くらいのもんじゃろ。メイヴちゃんとかいうビッ〇でも装いはまともじゃったぞ。」

 

「だから千代女さんですってば!そもそも西川の兄貴は御存命じゃないですか!」

 

「いやだってほら、今人類ほぼ全員死んどるし……」

 

「いい加減にしないと愛想つかしますよ!?いいんですか景虎の料理人になっても!」

 

「何ィ!?ケンお主言っていい事と悪い事が」

 

「ケン!ようやく決心がついたのですねああ私は嬉しいです!」

 

 

 千代女をほったらかしてこの騒ぎ、いったい彼女が何をしたというのだろうか。立香は完全に彼女に同情していた。ああほら、今でも痴女呼ばわりされて真っ赤になっちゃってるよかわいそうに。だが沸騰するのが早ければ冷めるのも早く、あっという間にいつもの3人になった。

 

 

「あ、もうワシ慣れたからいいわ。あと痴女煽りももう飽きたし。いちいちこやつの浮気症に目くじら立てておったら身がもたんし。―――まあ?こやつの一番がワシで無くなったら、そんときは皆殺しコースじゃが?」

 

「……まあ、私もおおむね同意見です。私の前でイチャつかない限りいいでしょう。ですが、一番は私にしなさい。妾の一人や二人、男なら持っているものですし。それに?信長やら武田の者やらを妾扱いして、叛逆されるのも中々面白そうですし?」

 

「ふふふ、沖田さんはケンさんのあの強引なキスであと十年は生きていけますから!今なら病弱なんてなんのそのですよ!げほ。」

 

 

 千代女と段蔵の二名に囲まれたケンは、沖田のキスされた発言を機に、両名の雰囲気がすごいことになっているのをひしひしと感じた。

 

 

「……ケン。」

 

「………はい。何でしょう、千代女さん。」

 

「少し屈め。」

 

「はい。」

 

 

 かなり大柄なケンが、おもむろにかがんだ。その瞬間―――

 

 

「!?」

 

「何じゃと。」

 

「わーお。」

 

 

 千代女がケンの唇を奪ったのだ。顔を真っ赤にして、まくしたてるようにしゃべる。

 

 

「わ、私は!!私がお前の一番になるんだからな!!」

 

「主殿。ご感想は?」

 

「感想とかいいからぁ!?」

 

 

 恥ずかしさのあまり、風の如くボイラー横から飛び出した千代女。流石の敏捷A、誰の目にも止まることなく抜け出した。

 

 

「……で、主殿。ご感想は?」

 

「サイコですかこの子は!?」

 

「だーから嫌じゃったんじゃよこやつ雇うの……。ケンもケンで、野良犬を拾ってくるノリで忍拾ってくるんじゃから……。」

 

「むっ、段蔵はサイコなどではありませぬ。その証拠にこうして主殿……ケン様を、心からお慕いしておりますので。」

 

「キャーかっわいい!ケンさんにはもったいないでしょこんないい子!」

 

「私もそう思います。だから段蔵、此度はマスターの忍として……」

 

 

 ようやくキスの衝撃から帰ってきたケンは、段蔵をしっかりとマスターに仕えさせるべく、言い聞かせようとした。しかし、段蔵はそれを是としなかった。

 

 

「いえ、生前は信長を主君としましたが、それは主殿の傍にいたいがため。ここカルデアではその遠慮もございませぬ。」

 

「わーおナチュラルに無視されちゃった私!噛ませ犬かな?」

 

 

 軽い口ぶりの立香だが、これはあまりよろしくない。そう判断したケンは、少しだけ段蔵に釘を刺しておくことにした。

 

 

「段蔵。それはよくない。」

 

「……主殿。」

 

「お前は生前、よく頑張ってくれた。お前の働きは誰よりも俺が知っている。……大丈夫、お前の主が変わったとて、お前を手放したりはしないさ。」

 

「……はい。この段蔵、最期の時まであなたのそばに居ります。」

 

「フッ、馬鹿者。そういうことではないよ。……だが、少し安心した。やはりお前は段蔵だ。相も変わらず、手のかかる奴だ。」

 

「……ふふ、ならば手を離さぬようにお願いします。なにせ段蔵は、手のかかるあなたの忍ですから。」

 

 

 

「……チッ。」

 

「せ、先輩!?気持ちはわかりますが、そのようにやさぐれてはいけません!!」

 

………クソが(小声)マジむかつくわいちゃつきやがって(小声)

 

「ドクター!!メンタルチェックをドクター!!」

 

 

 立香をやさぐれさせるほどイチャついたケンと段蔵。もちろん、その代償は支払わなければならない。

 

 

「……ケーン!覚悟出来とる?☆」

 

「………信長様、これは違うのです。つい懐かしい気持ちになって」

 

「……やはりあの時殺しておくべきでしたか。空蝉の術とかで逃げる前に仕留めなくては……は、あははは。」

 

「お虎さん?あの、心取り戻してるんですよね?」

 

「キス……沖田さんのキス……あでも?ケンさんからキスしてくれたのはまだ沖田さんだけですね?……やっぱり沖田さん最強です!!この勝負もらいましたよ!」

 

「……頼むからお前はそのままでいてくれ。」

 

 

 新たなサーヴァントを二人。望月千代女と加藤段蔵を加え、カルデアはさらに賑やかになった。それに比例して、ケンの胃痛はさらにひどくなったのであった。




「そういえば沖田さん最近テンプレヤンデレムーブしないね。」

「ふふ、沖田さんはMという新たな活路を得ましたからね!」

「それは活路というかいばらの道では……。」


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千代女の話:ラタトゥイユ・ブラン

 今回の話は地味に難産でした……。武田のことなーんもわかってないのに書くの無理があったよ!

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 ひとまずケンを軽く〆た後、信長も景虎も知らない千代女の話を聞くこととなった。立香から呼び出されてやってきた千代女は、ひとまず赤くなった顔はもとに戻せたようである。

 

「お館様。望月千代女、ここに。」

 

「あっ、ごめんね!今大丈夫かな?」

 

「お館様、拙者の事を考慮する必要などないでござる。所詮忍は消耗品、あなたのなさりたいようになさってくだされ。」

 

「然り。忍は刃の心と書くように、武器と同じように扱うもの。段蔵もそのように扱ってくださればと。」

 

「………。」

 

 

 そう言っている段蔵は、胡坐をかいたケンの膝の上にちょこんと座っている。だが段蔵の身長は165cm、普通ならそんなことが出来る身長ではないのだが、自分の絡繰の足を取り外す事で座っていた。

 

 

「……じゃあ、とりあえずケンさんの膝から降りて?」

 

「な!?そんなご無体な!どうかマスター、段蔵をこのままにしてくださいませ!」

 

「代わりにほら、千代女さん乗せるから。」

 

「マスター!?私の膝は空き地か何かですか!?」

 

「お、おおおお館様!?拙者はそのような、破廉恥なことは……!!」

 

「ノッブもお虎さんも乗せたんでしょ。じゃあ今更じゃん。」

 

「先輩そろそろ下品です!」

 

 

 渋々膝から下りた段蔵は、『ご堪能あれ』と千代女にサムズアップし、部屋のスペースを取らないように天井裏へと引っ込んでいった。千代女はかなり迷った挙句、しずしずとケンの膝に座る。段蔵より一回りほど小さいためか、ちょうどいい感じにフィットした。顔を真っ赤にしつつ、彼女は生前の話を始めた。

 

 

 

 

 

 拙者、望月千代女は、甲斐の信玄公に仕えたくのいちでござる。もっとも、拙者の来歴など大したものではござらん。忍が己のことをペラペラと語るのもおかしな話でござるからな。

 

 ……その、ケンと出会ったのは。お館様の指令で、この男をさらった時の事でござる。当時、こやつは未知の方法を用いて戦を勝ちに導いたり、不可能と思える交渉を成し遂げたりと、甲斐では危険視されていたのでござる。そのため拙者に命令が下り、こやつを誘拐したというわけです。

 

 拙者も決行の際には、細心の注意を払ったのです。相手はかなり大柄な男の上、何かわからない術を使う。それこそ、拙者の動かせるだけの忍を使いました。ですが、こやつは警戒心というものを知らないのではないかと思えるほどに、あっさりと捕まりました。

 

 

「なんで抵抗しなかったの?」

 

「全員殺せる自信がなかったからです。もし誰かに逃げられて織田と武田の関係が悪化したら事ですから。忍の一人とて、大事な部下でしょうし。」

 

「……忍が何人死のうが、当然のことと気にもかけないのが普通の時代であるというのに。お人好しな奴でござる。」

 

 

 ただ、一つ問題があったのでござる。捕獲したケンをお館様のもとへと連れて行く際、忍の内の一人が倒れたのです。体が資本の仕事というのに情けないことにござるが、仕方なく拙者たちは休憩にしました。その間、ケンは何やらもぞもぞやっていたのですが、これがケンの運命を変える業だったのです。

 

 

「もう読めたよ!何か作ってたんでしょ!」

 

「お館様も体験済みでしたか。それなら話は早いでござる。こやつが作っておったのは、いわゆる薬膳という奴でした。」

 

「現代と違って、探せばそこら中に食材がありましたから。捕まっている身ではありましたが、あれこれ採っておいたのですよ。」

 

 

 薬膳を食べ、その忍が回復していくのを見ていた馬場殿……えっと、重臣の一人でござる。その人が、ケンにお館様の料理を作らせてはどうかと考えたのでござる。城についてから試してみれば、食欲のなかったお館様が、『美味』と呟いたではありませんか。この時点でケンの扱いは、『なんか怪しいやつ』から『なんか怪しいけど役に立つからとりあえず使えるだけ使う奴』になったのでござる。

 

 そこからお館様は、少しづつですが肉付きがよくなってきたようでござった。顔色に関しては明らかに違ったもので、皆よかったと喜んでいたのを覚えておりまする。そして同時に、ケンの料理を食べてみたいと思う者も増えてきたのでござる。

 

 

 拙者はそれを、少し離れた物陰で見ておりました。あくまで任務はケンの監視でござったが、寝るとき以外ほとんど誰かに囲まれていたので、特にやるべきこともなかったでござる。ですが、少しだけ羨ましくもありました。拙者も奴も、共に諜報員のはず。なのに奴は明るい白の中を歩き、拙者は今も黒の中にいる。……どうして、拙者はああではないのか。この身に消えない呪いを背負い、夫を戦で喪い、汚れ仕事を請け負いながら、誰かに感謝されることもない。

 

 

 その日もまた、拙者には勅命が下されました。

 

 

『料理人のケンを、篭絡して武田の人間にせよ』

 

 ……まあ、殺しよりは楽な任務でござる。拙者はいつもの装束を纏い、奴の牢に向かったのでござる。

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

「………。」

 

「その、千代女さん。もし話しにくいのなら、飛ばしても……」

 

 

「オウオウオウ!人の夫をたぶらかしておいてそれは通らんと思うんじゃが!?きっちり話してもらわないかんじゃろうなぁ!?」

 

「ヤンキーいるじゃん。」

 

「まあ私も信長に賛成です。場合によっては毘天八相行きますよ。」

 

 

「そ、その……こ、この装束がその時の装いでござる……。」

 

「……。」

 

 

 真っ赤になる千代女と、静まり返るオーディエンス。やがておもむろに信長が立ち上がったかと思うと、千代女の体を纏う帯をおもむろに解いて……

 

 

「って何してるでござるかぁ!?」

 

「うおっマジじゃ!これ全部一本の帯になっとるぞコレェ!」

 

「だから色仕掛け用って言ってるじゃないですかぁ!もう嫌い!信長なんて嫌いです!!」

 

「せ、先輩!とにかく急ぎ霊基再臨を!」

 

「ごめん種火切らしちゃった!ひとまずケンさん脱いで!」

 

「ちょっ、何脱がすの慣れてきてるんですか!」

 

 

 あっという間にまた上半身を裸にされてしまったケン。ひとまずその上着を千代女に着せ、何とか話を再開することが出来た。

 

 

 ……そ、それで。拙者は牢に入ったのでござるよ。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

「……おや、あなたは。確か、私をさらった方でしたな。何か、御用でしょうか?」

 

「………。」

 

 

 何も言わず、千代女はケンに倒れ込む。ケンは何とか受け止めつつ、どうされましたかと驚いて声をあげる。一度目の驚きは倒れたことに対してだったが、二度目の驚きは別の事に対してだ。黒い帯を体に巻き付けただけのような、露出の多い装いをしていたからだ。

 

 

「ケン……。」

 

「は、はい!ケンはここに!」

 

「体が、熱いのだ……。お主を、見た時から……。」

 

「……!」

 

「どうか、お主のモノで……鎮めてくれ……。」

 

 

 言いながら、ねっとりと蛇のようにケンの体にまとわりつく千代女。その手がケンの股間に伸びようとしたとき、ケンが叫んだ。

 

 

「いけません!う、浮気になってしまいます!」

 

 

 ()()。その言葉を聞いた時、千代女の動きがぴたりと止まった。かと思えば、ボロボロと涙をこぼし始めたのだ。しゃくりあげながら、時折『盛時様』と呟いている。ケンは今の瞬間まで襲われかけたのも忘れ、慌てて千代女を慰めた。

 

 

「落ち着かれましたか。」

 

「……済まぬ。……はは、こんなもの、お笑い草だ。どこに篭絡しようとした相手の前で泣きわめき、挙句その相手に慰められる忍がいるというのか。……ああ、情けない。情けないなあ、私……。」

 

「……そのようにご自分を卑下されてはいけません。よろしければ、私に事情をお聞かせしていただけませんか?ほんの少しでも、心が軽くなるやもしれませぬ。」

 

 

 普通なら、そんな話に乗るわけがない。情報戦とはつまり、出来る限りの情報を相手から得、こちらの情報を渡さないのが肝要。まして忍が、自分の弱みになりかねない話を部外者にするなどと。……だが、千代女はなぜか話す気になった。自分の人生で、唯一気の安らいだあの時間の事を。自分の呪いを含めて愛してくれると言ってくれた、あの人の事を。

 

 

 

「……そうでしたか。あなたもまた、喪った人だったのですね。」

 

「……()()?」

 

「はい。……私もまた、大切な人をたくさん喪ってきましたから。森殿に、浅井殿。……沖田総司。」

 

 

 

――――――

 

 

「コフッ!」

 

「沖田さんが!沖田さんが倒れた!なのに何だろう、この幸せそうな顔は……」

 

「もうコイツこのまま死んどったほうがいいんじゃね?生き恥さらさんで済むじゃろ。」

 

「ノッブは部族一のブーメラン使いかな?」

 

「……話を続けます。」

 

 

 

―――――――

 

 

 

 二人は月の明かりが降る夜に、お互いの傷を共有していた。誰よりも深くその痛みを理解する二人は、ただお互いをしばらく憐れんでいた。何よりも無駄な時間で、何よりも尊い時間だった。

 

 

「……望月殿。」

 

「何だ?」

 

「明日、私の作る料理が決まりました。どうか、明日もう一度来てくださいませんか?」

 

「―――何?どういうことだ。」

 

「秘密です。ですが、後悔はさせません。」

 

 

 ケンは何かとてもいいことを思いついたような微笑を浮かべた。千代女はその顔に、あの人を重ねずにはいられなかった。夜はゆっくりと更けていき、千代女は報告に戻らなくてはならなかった。

 

 

「―――して、首尾は?」

 

「はっ。いつものように仕掛けましたが、思いのほか意志が強く……。ですが、明日の約束を取り付けました。どうか、もう一度機会を。」

 

「―――ふむ。()()()。」

 

「ッ!?な、何故ですか!もう一度行えば、必ずや……」

 

「……確かにか?次はないぞ、千代女。」

 

「はい!必ずや、成し遂げて見せまする!!」

 

 

 お館様……つまりは信玄公のもとを発ち、千代女は自分の仕事に戻った。ケンはいつものように何かを作り、信玄公のもとに運んだ後は家臣らにも配っていた。マメな男だと思いながらそれを見ていると、あっという間にまた夜が来た。

 

 

 千代女は再び、あの牢に足を運んでいた。だが、その装いは昨日のようなものではなく、上に羽織を着たような格好だ。わかりやすく言えば第二再臨である。

 

 

「……ようこそ、いらっしゃいました。お待ちしていました、千代女さん。」

 

「……ああ。だが、何も料理など出来ないだろう。なにせ、ここでは火も使えないのだぞ。」

 

「いいえ。今回お出しするのは、冷製の料理ですので。」

 

 

 そう言ってケンが取り出したのは、容器に入った、みじん切りにした野菜たちのように思われる料理だ。ひんやりとしたそれを皿に取り出すと、ケンは果実を絞ってそれにかけた。

 

 

「それは?」

 

「柚子です。本当はレモンがよかったのですが。まあ、柚子にあうように仕上げましたから。」

 

 

 呟きながら盛り付けを終えたケンが、ゆっくりと千代女の前に皿を差し出す。

 

 

「―――お待たせしました。“ラタトゥイユ・ブラン”です。」

 

 

 見れば、刻まれた野菜がさっぱりとした雰囲気を漂わせている。千代女は忍として、食べられるなら何でもいいと思っていたので、少しも躊躇することなくそれを口に入れた。

 

 

「―――!」

 

 

 その瞬間、口の中が芳醇な香りでいっぱいになる。野菜はしっとりとした食感になり、噛むたびに中からうまみの汁があふれ出す。じゅわっと出てくるうまさがすぐに次の口の動きを促し、あっという間に野菜たちは咀嚼され、食道を通って胃の中へ送られる。その時にも最後の抵抗とばかりに舌にうまみを乗せていき、千代女の手は止まらなかった。

 

 

「―――気に入っていただけましたか?」

 

「……美味い。これは、どういう料理なんだ。」

 

「ラタトゥイユとは、フランスの家庭料理です。本来はトマトを使って真っ赤になるスープなのですが、今回は手に入らなかったため、代わりに塩と日本酒でうまみをつけています。赤に対する白として、ブランとつけさせていただきました。」

 

「……お前のよくわからない言葉に関してはもう気にせぬ。だが、ここまで美味くなるものか。特にこの胡瓜に茄子などは……!!」

 

 

 そこで思わず、千代女は息をのんでしまった。この料理に込められた、本当の意味に気づいたからだ。

 

 

「盛時様……」

 

 

 涙がふたたびあふれ出す。胡瓜と茄子と言えば、盆の精霊馬の材料だ。ケンはそれを見ながら、自分の意図が伝わったことに安堵しつつも驚いていた。精霊馬の風習は江戸時代に広まったものとされている。そのため、最悪自分の住んでいたところの風習と話そうと考えていたのだが、同時に盆の風習には地域に差があるともされている。ここ甲斐ではたまたま、そういう風習があったようで一安心である。

 

 

「……精霊馬は、今年も豊作であることを先祖に伝えるために茄子や胡瓜を使うのだと言います。であるならば、あなたがこうして元気にやっていることを伝えること。それこそ、盛時様への供養であるでしょう。」

 

「……よ?」

 

「え?」

 

「どうすれば、いいのよ……?元気に、元気にやってるなんて、無理に決まってるじゃない!だって、だって、私!呪われてるのよ!?」

 

 

 半狂乱になって叫びながら、千代女は乱暴に来ていた羽織を脱ぎ捨て地面にたたきつける。それどころか体の帯すら取り払い、完全な全裸になってしまった。ケンは慌てたが、止めるより前に息を呑んだ。千代女の薄く細い体には、あまりに不釣り合いな痛々しい蛇の痣。その蛇は体に巻き付き、今にも全身の骨をめちゃくちゃにして絞め殺してしまいそうだ。

 

 

「……見ろ。しっかりと、見ろ。これが!これがお前が、生きろと抜かした女の体だ!こんな体になって、やっと、やっと見つけた大切な人も!この世にもう、現れるわけがない私を受け入れてくれた人もなくしたっていうのに!!」

 

 

 ケンは、言われた通りに目を離さなかった。そこに男女の情など介在しようのない、まるで宗教画のような光景だった。やがてケンは、ゆっくりと口を開く。

 

 

「……それは、誤解でございます。あなたを受け入れてくれる人は、この世にたくさんいることでしょう。」

 

「勝手な、ことを……!!」

 

「なにせ、ここに一人いますから。」

 

「なっ――!?」

 

 

 ケンは、何よりもまっすぐな目で語った。千代女が面食らっている間に、言葉を続ける。

 

 

「私はあなたが呪われているかどうかなど、気にはしません。私は、あなたの心を見ましたから。―――私は忘れていません。私を拘束したとき、痛まないように緩く縄を結んでくださったこと。倒れた忍の方を情けないと言いながら、心配してあれこれと世話を焼いていたこと。……あなたの心は、今でも澄んでいます。呪いの有無で、それは何も変わりません。」

 

「美食の世界には、『ワインの樽に一滴の泥水を垂らせば、それは樽一杯の泥水である』という言葉があります。これは、ワインという素晴らしいものに泥水という汚いものを混ぜれば、全てが台無しになってしまうという意味です。」

 

「……ですが、日本の料理界には、『灰汁も味のうち』という言葉もあります。日本には、欠点を受け入れる度量の広さがあるのです。――盛時様も、きっとそのようなお方だったのでしょう。」

 

 

「………。」

 

 

 千代女はただ、ケンの話を黙って聞いていた。この男が、嘘をつけるとは思えない。誰の料理にも毒を盛らず、ただ誰に対しても正直で誠実であろうとしたこの男が。ケンはなお続ける。

 

 

「……きっと、現れます。盛時様のように。おこがましいかもしれませんが、私のように。あなたの事を受け入れてくれる人が、きっと現れます。だから大丈夫です。どうか、御身お大事になさってください。」

 

 

 言いながら、ケンは自分の上着を脱いで千代女に着せた。そこになってようやく、自分が裸であることを恥じ、千代女は赤面した。だが彼女の体温が上がっているのは、決して恥ずかしさのせいだけではないだろう。火照る頬を仰いで冷ましながら、彼女は自分のやるべきことを思い出そうとしていた。

 

 

(そ、そうだ!私、こいつをたぶらかさないといけないんだった!)

 

 

 一度目は浮気だからとして、最期まで成し遂げられなかった。だが、だが!

 

 

(―――ここに、いてほしい。)

 

 

 これは使命感なのか。それとも男を求める女の情なのか、それもわからない。……しかし、一つだけはっきりしていることがある。こいつを、逃がしたくはないということだ。

 

 

「……なあ、ケン?」

 

「はい。――って、千代女さん!?」

 

 

 千代女はケンにしなだれかかり、もう一度抱き着いた。ひどく震える体を、その体温で温めるかのように。

 

 

「……お前は、ここにいるつもりはないか?」

 

「……はい。私の居場所はここではありません。俺は織田の……いえ、信長様の料理人ですから。」

 

 

 

「ノブッ!」

 

「ブーメラン着弾確認、ヨシ!」

 

「ハ、ハートが……ワシのハートが本能寺……ガクッ。」

 

「……こいつのもとに帰したの、失敗だったかもしれぬでござる。」

 

 

 

 それを聞いて、千代女は決意をした。自分のこの何が何だかわからない、この男を求める心は、墓場まで持っていこうと。この想いに蓋をして、知らないふりをして生きていこうと。大丈夫、大丈夫だ。だって生きていく力は、目の前の男がくれたから。

 

 

「……ではケン。拙者についてまいれ。」

 

「千代女さん?いったい……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

「!!」

 

 

 はっとした顔になり、すぐに頷いたケン。物音を立てないようゆっくり戸を開き、二人はあるところに向かった。

 

 

「―――着いた。ここでござる。」

 

「ここは……?同じ、牢にしか見えませんが。」

 

「……ただの牢であればよかったのでござるがな。」

 

 

 呟きながら、千代女はゆっくりと扉を開いた。中を見れば、ひとりの少女がうずくまっている。光のない目を見て、ケンは驚く。武田はこんな少女にも手心を許さないのかと憤慨しかけた。だが、次の千代女の言葉に更に驚くことになる。

 

 

「―――加藤段蔵、起動。」

 

 

 ブゥンという音と共に、少女の瞳に煌々とした光が戻る。すぐに膝まずく姿勢になり、声を発した。

 

 

「加藤段蔵。ここに起動。入力を求めます。」

 

「ち、千代女さん?これは一体……?」

 

「何やら妖術を用いて作られたという、絡繰人形でござる。―――こやつを、お主の護衛につける。よいな?段蔵。」

 

「主命にございませぬ故、お断りいたします。」

 

「それはわかっておる。だが、お主もまた処刑を待つ身。それはお主の存在意義にも関わるであろう。お主がこやつに手を貸すというのなら、お主を見逃してやろう。」

 

「……承知しました。それでは、あなたの事はなんとお呼びすれば?」

 

「あ、ああ。ケンとお呼びください。」

 

「承知しました。それではケン、ここを脱出しまする。着いてきてくだされ。」

 

「よ、よろしくお願いします。」

 

 

 そこまで話したところで、二人は出口へと走ろうとした。しかしそこで、ケンはあることに気づきハッと振り向いた。

 

 

「―――千代女さん!あなたは、こんなことがバレたら……!」

 

「……バレないようにすればいいだけでござる。もう二度と、会う事はないであろう。……達者で暮らせ。」

 

「――ありがとうございます!どうか、お元気で!!」

 

 

 そう叫ぶと同時に、段蔵はケンを抱えて走り去った。やはり忍というべきか、風のように消えていった二人。千代女は薄暗い闇の中、はらはらと涙を流していた。

 

 

「……馬鹿者。そんな風に叫んで、バレてしまったらどうするつもりだ。それに、この服も返していないのに。」

 

 

 千代女は自分にかけられた上着の両の襟を掴み、自分の体を抱きしめるように包んだ。いろんな食材の匂いが混じり合ったその服は、これがケンの匂いなのだと感じた。いつまでそうしていたかはわからないが、いつの間にか窓から朝日の光が差し込んでいるのが見えた。光が作る、白の四角形。千代女はちょうど、その中に立っているのだった。

 

 

 

 

 翌朝。千代女はすぐにお館様への報告へ向かった。

 

「お館様。あの料理人が、例の絡繰を伴って逃げ出してござる。」

 

「……詳しく話せ。」

 

「はっ。拙者が篭絡に成功したと思えば、いつの間にか朝になっていたでござる。……おそらくは、何かしらの術を使ったものかと。」

 

「……そうか。追わなくてよい。」

 

「御意に。ではこれにて――」

 

「なにせ、お前にまで逃げられてはたまらないのでな。」

 

 

 その瞬間、部屋の気温が下がったのを否応なく感じた。千代女は今、自分が蛇に睨まれた蛙であることを自覚せざるを得なかった。

 

 

「……お気づき、でしたか。」

 

「あの料理人が、段蔵の価値に気づくとは思えぬからな。あれは危険すぎる。故に、牢の中で飼い殺しにするつもりであったが……まあ、台無しよ。どうしてそういうことするの?」

 

「申し開きのしようもございません。……どうか、厳正なる処罰を。盛時様のところへ送ってくだされば幸いです。」

 

 

 そう言いながら、首を差し出すように頭を下げる千代女。これで終わりだ。ケン、どこか遠くへ逃げてくれ――そう思いながら、千代女は目をつぶっていた。

 

 

「阿呆。お前まで失って、困るのは我らであろうが。悪いと思っているのなら、働きで返せ。」

 

「……! ありがとう、ございます……!!」

 

「それに、だ。」

 

「はっ……?」

 

 

 そこで一息入れた信玄公は、にかっと笑ってみせた。

 

 

「生きておれば、また奴に会えるやもな。お前が幸せになるのであれば、儂の甥も喜ぶというものよ。」

 

「は……は、はあ!?そ、そそそそのようなことは……!!」

 

「ふはは、あそこまで露骨に想っておいてか!自分のこととなると鈍い奴だったのだな。」

 

 

 随分と元気になって笑う信玄。思わず千代女の頬も緩んでしまう。ケン。こちらは何とかなったようだ。……もし、もしかしたら。また会えるかもしれない。やはりお前の言うように、生きてみよう。そう思いながら、千代女は優しく痣を服の上から撫でた。爽やかな風が、西北の方から吹いてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、加藤殿!?このような道を行かなければなのですか!!?」

 

「ここが一番の近道です故。しゃべると舌を噛みますよ。」

 

「し、舌はまずいです!」

 

「あっ、飛びますよ。歯にも注意してくださいね。」

 

「!? うわああぁあぁああぁあああぁああぁ!!」

 

 

 ―――一方その頃、加藤段蔵とケンは逃亡珍道中を過ごしているのであった。

 

 




―――躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)

???「見た?あの千代女。なあ見たかあのがっかりの仕方。絶対脈ありだよね?」

「はっ!今までお館様の命に逆らおうとしたことなどありませんでしたからな。拙者、相当ぞっこんと見ました!」

???「あやっぱり?これ次そのままいったりしてな?―――盛時も、喜ぶだろうな。」

「……あの方は、千代女が幸せになるのならそれでよいと言っておりましたからな。本当に、惜しい方を……。」

???「言うな。生き死には武士の定めよ。だがだからこそ、遺された者が気にしてはならぬ。生きている間はもてはやされ、死ねば居なかった者として扱われる。これぞ武士の理想よ。儂らの死を悼む者は、遠ければ遠いほどよいのだからな。」

「……はっ!胸にしかと刻みました!」


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加藤段蔵の話 前編:忙しいシェフのまかない茶漬け

 最近担当してる生徒さんが増えたせいで、忙しい日々を送っております。その上スプラも買っちゃったからこれ投稿ペースが大変なことになりそう。出来る限り急いで更新するつもりですので、応援よろしくお願いします。

 感想・評価・ここすきなどしていただけると励みになります!


「……で、そいつを拾ってきたのか。そのどこの馬の骨とも知れぬ忍を。というかそやつ女じゃよな?それワシに対する浮気じゃヨネ?」

 

 ケンは隣で綺麗な正座をしている段蔵を、ちらりと横目で見た。その姿勢はお手本のように美しかったが、信長のそれを見る目は冷ややかだ。

 

「……拾ってきたというより、私が段蔵殿に救われたのです。彼女がいなければ、俺は今も牢の中でした。」

 

「だから雇えと?こやつが武田の間者である可能性もあるのにか?ケン、お主偉くなったもんじゃな?料理人の分際で、人事に口を出すのか?」

 

「そのようなことは……!!」

 

 

 何とか反論しようとするケンだが、二の句は継げない。信長の言葉が正しいとわかっているからだ。自分はただの料理人であり、信長の配下の一人にすぎない。明らかに出過ぎた真似である。

 

 

「――ケン、それまででよい。ここからは、この段蔵が話すべきところだろう。」

 

 

 無機質な少女の声が響き、信長の目がさらに鋭くなる。信長がその言葉を聞き取れたかどうかは定かではないが、段蔵を見極めるつもりになったのだろう。こうなったら段蔵に託すしかない!ケンはそう思い、祈るように見た。

 

 

「――では、お見せしましょう!加藤段蔵の真価!」

 

 

 そう宣言するや否や、段蔵の両手から展開される、超振動ブレードやバルカン砲などの兵器の数々。どう考えても暗殺未遂にしか思えないこのムーブには、さすがのケンも開いた口がふさがらなかった。だが、当の信長はそうは思わなかったらしい。

 

 

「かかかカッケー!何じゃそれ何じゃそれ!ワシに説明せい!」

 

「命令を受諾しました。まずこちらの“果心式二十連装砲”ですが……」

 

 

 ……ケンは、信長が新しいものに目がないことを思い出した。そういえば子供のころから新しい料理ばかり食べたがっていた。一日として被りがあることを許さなかった時期もある。いろいろメニューを考えるのに苦労したものだな、としみじみと感じていた。

 

 ケンが感じ入っている間、段蔵と信長はいつの間にか小声での話になっていた。

 

 

「……で、お主に感情はないのか?それで子も産めんと?」

 

「はい。段蔵の体には肉が使われている部分もありますが、子を産む機能はありません。忍にそんなものは不要ですから。また、味覚なども存在しません。」

 

「ほうほう……。……流石にこれなら、ケンでも堕とせんじゃろ。

 

「? 信長様?」

 

「ああいや何でもないぞ!それよりケン!お主、よい人材を拾ってきたな!」

 

「は……?」

 

 

 怒られていたかと思えば、いきなり褒められたケンは目を白黒させる。信長のことは理解してきたつもりだったが、流石にこの急旋回は予想外だった。

 

 

「この加藤段蔵は、これよりお主の護衛につけることとする!お主はワシの大事な家臣じゃし、またさらわれてはたまらんからな!」

 

「そういうことであればこの段蔵、身を粉にさせていただきます。」

 

「は、はあ。よろしくお願いします……?」

 

 

 よし、これにて一件落着じゃ!と信長が言い、この場はお開きとなった。ケンは台所へと向かい、そこで信長に与えられた部下――通称『台所衆』に、無事帰ってきたことと段蔵を紹介することにした。台所衆からは帰ってきたことを喜ばれつつも、信長の他に近しい女性が出来たことを心配された。仮に信長がそれに怒ったら……と思うと、誰も彼もが震えあがった。その心配は、とある越後の龍によって成し遂げられるのだが……。

 

 

 さて、ではここらで信長のもとでのケンの一日をご紹介しよう。これはあくまで信長のもとに居て、信長も共にいるときのスケジュールである。

 

 

 ―――ケンの一日は早い。この時代なら朝は日が昇るころに起きるのが当然ではあるが、ケンもその例に漏れない。というか、それより前に起きても明かりがないので何も出来ないのだ。朝起きてから、髪をとかして後ろで結ぶ。襖を開けると常に段蔵がいる。

 

 

「おはようございます、ケン殿。今日もご健勝そうで何よりです。」

 

「おはようございます、段蔵さん。ただ、こんなに近くに居なくてもいいような……」

 

「いいえ。ケン殿の身柄を狙う輩は多くおります故、こうしてお守りする必要があるのです。」

 

 

 ……ひとまず段蔵は人目につかないよう天井裏などに潜み、今日もまた、監視のもとケンの一日が始まる。ケンはまず、朝餉の用意をしなくてはならない。信長は常に新しいものを求め続けるので、ケンは常に献立を考えておく必要がある。だが、それがケンの生き甲斐でもあるので全く苦ではない。

 

 

「こっちの鮎の下ごしらえ終わりました!」

 

「米、そろそろ炊けます!」

 

「ソースの味見お願いします!」

 

 

「鮎はそこに置いておいて!クリームチーズは完成したか!?ソースは塩気が多い!酢で対応!」

 

 

 ケンは周囲の料理人に指示を飛ばしながら、てきぱきと仕上げていく。はっきり言って朝食のメニューとしては凝りすぎているくらいなのだが、信長のためなら仕方がない。そうして完成したメニューを信長のもとへ運ぶとき、信長の様子にはある特徴がある。

 

 

「信長様、ケンにございます。朝餉をお持ちしました。」

 

「……入れ。」

 

 

 第六天魔王にしてはかなり覇気のない声が襖の向こうから聞こえてくる。ケンはいつものこととはいえ、ためらいがちに襖を開ける。

 

 中にはぼさぼさの黒髪の頭を掻きながら、大きなあくびをしている信長がいた。寝間着ははだけ、その陶磁器のような美しい肌がちらちらと見える。ケンは出来るだけ気にしないようにしながら、信長の前に膳を置く。

 

 

「……ほう、いい匂いじゃ。やっぱり……これがないとのう。一日が始まったという気がせんのう。」

 

「光栄です。それではこれで私は……」

 

「馬鹿者……いい加減、慣れんか……。お主しかぁ、ワシの髪をぉ!触ってよい者はぁ……おらんのじゃぞぉ!」

 

「……やっぱり、私がやるんですか。」

 

 

 ケンは信長の酔っ払ったような声に、渋々といった感じで部屋に残り、信長の食事が終わるのを待つ。これがケンの他には帰蝶と昔からの重臣しか知らない信長の秘密。実は、低血圧なのか寝起きが非常に悪いのである。かつて信長が吉法師と呼ばれていたころからだが、朝に会うときはいつも寝ぐせのついたボサボサの髪をしていたのだ。見かねたケンが許可を得て、とかして支度をしてやっていると、いつしか信長の髪の手入れはケンの役目になっていた。

 

 初めの方こそ『むやみに男に髪を触らせてはいけません』と断ろうとしたケンだったが、「間者を警戒してのこと」と言われてはどうしようもなく、こうしていつもの日課になっていた。

 

 

「……ふふ、こそばゆいのう。あ~……。」

 

 

 猫のような声をあげながらされるがままに髪の手入れをされている信長。やがて長い黒髪はさらさらと小川のように煌めく、美しさを取り戻した。その頃には信長も覚醒し、ようやく織田家の一日が始まる。

 

 

「うむ!それでは今日も一日、張り切っていくとするかのう!ケン、伴をせい!」

 

「……はい、お供します。」

 

 

 なんやかんや言いながら、こうしてピシッとした信長は本当にカリスマに溢れて凛々しい。ケンも執務の部屋の前まで付き添い、そこで別れた。

 

 

「――ケン殿。」

 

「うわっと、段蔵さん!?いきなり目の前にでるのはやめてくださいよ。俺が今帯刀してたらどうするつもりだったんですか。」

 

「それは持っていないときを狙ったから大丈夫です。それよりも、先ほどの信長との行動は普通なのですか。」

 

 

 段蔵のまっすぐな瞳を前にしてケンは答えないというわけにもいかず、仕方なく話をする。

 

 

「えーっと、多分普通ではないですね。―――信長様は、孤独な方だから。」

 

「? たくさんの人間がまわりにいると思いますが。」

 

「そういうことじゃないんです。あの人の言葉を、はっきりと理解することが出来る人はほとんどいないんですよ。これでも今はマシになった方なんですけどね。私たちがまだ子供のころは、あの人の言葉は周囲にまったく理解されなかったんです。だから、いつの間にか俺がやるようになってたんです。」

 

「……。」

 

「だから、ほんの少しでもあの人の孤独に寄り添えればなと思ったんです。……誰にも理解してもらえない寂しさは、俺が一番よく知ってますから。」

 

 

 ケンは少し、寂しそうに笑った。二度目の、現代で料理をしていたころを思い出す。自分は料理に出会えたからよかったが、信長はいつまでも一人だ。あんな思いは、もう誰にもしてほしくない。

 

 

「……さて!なんだか湿っぽくなりましたが、とりあえずご飯でも食べましょうか!まかないを作るので、段蔵さんもどうですか?」

 

「段蔵に食事は……いえ、やっぱりいただきます。」

 

「おっ、そうですか!あまり凝ったものはできませんが、それじゃ張り切らないとダメですね。」

 

 

 ケンは足取り軽く、再び厨房へと戻った。作るものは、残り物の魚と余ったご飯とを茶漬けにしたものだ。一手間として魚を炙ってあり、出汁を注ぐと身がしまって花開く美しさも目に嬉しい。刻みネギを乗せれば完成だ。

 

 

「段蔵さんはこちらをどうぞ。……さて、ではいただきます。」

 

「……いただきます。」

 

 

 二人は手を合わせ、茶漬けを食べ始める。魚の身は引き締まるというよりはふわふわとした食感で、味も淡泊な感じがする。しかし、その淡泊さがむしろ良く、出汁の味とよく合う。……もっとも、段蔵には味覚がないので何もわからないのだが。

 

 

「どうでしょうか段蔵さん。気に入っていただけましたか?」

 

「……はい。美味しいです。」

 

「それはよかった。……それじゃ、この余った魚は段蔵さんにあげますよ。」

 

「え?」

 

 

 段蔵が聞き返すより早く、ケンは余っていた分の魚の切り身を段蔵の茶碗に乗せた。

 

 

「……ケン殿。段蔵にはこのような物、不要です。」

 

「あっ、ひょっとして魚は苦手だったでしょうか?それは申し訳ありません。」

 

「いえ、そういうわけではないのです。ただ段蔵は、その、味を感じないのです。食物から活力を得ることは可能ですが、ワタシのためにこのようなことをしてもらう必要はありません。」

 

「……。」

 

「ですから、良い物はすべてケン殿が食べるのがよろしいかと。……段蔵に、遠慮は不要です。」

 

 

 少しケンは面食らっていたようだが、すぐに平常心を取り戻した。なにせ、逃亡道中で段蔵が明らかに人間とはかけ離れた存在であることを知っていたからだ。それでも、ケンの姿勢は変わらない。

 

 

「……食べ終わったら、髪をとかしましょうか。もちろん、段蔵さんがお嫌でなければですが。」

 

「……よろしくお願いします。」

 

 

 ケンは信長に使うのとは別の、自分の髪に使っている櫛を取り出すと、段蔵の髪を丁寧にすき始める。段蔵の感覚器官にやわらかな刺激が伝わり、少しだけくすぐったさを感じる。抗拷問用の感覚遮断機能を起動しようかと思ったが、何故だかそれをしたくはなかった。

 

 

「……。」

 

「……よし、これでどうでしょうか?結んだりした方がいいですか?」

 

「いいえ、段蔵はこれで。」

 

「そうですね。俺もこっちの方が好みです。」

 

 

 長い黒髪をさらさらと撫でるケンの指と言葉に、何故か段蔵は胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。好み、この身、KONOMI。頭の中でグルグルと思考が回転し、計算が止まらない。何だろうか、これは。

 

 

「さて!それじゃ、信長様の菓子を作るとしましょうか!そろそろ小腹が空いたとおっしゃる頃ですから。」

 

「……承知。では、引っ込みまする。」

 

 

 段蔵は再びどこかに姿を消し、ケンは菓子作りに取り掛かった。その姿を、段蔵はじっと見ているのであった。

 

 

 

 

 

「信長様、ケンです。菓子をお持ちしました。」

 

「うむ、入れ!」

 

 

 信長は自分のもとに送られた書簡をあれこれと精査したり確認したりしていたが、ケンが菓子を持ってきたと知ると嬉しそうに部屋に招き入れた。

 

 

「今日はクグロフをお持ちしました。中に干しブドウを入れて焼き上げる菓子なのですが、今回は別のもので代用しております。だからどちらかというとクグロフというよりカヌレですね。」

 

「まあなんだっていいわそんなこと!ワシはこうして仕事に励んで居るから、お主が食わせ!」

 

「……まったく、行儀が悪いですよ。」

 

「よいではないか、よいではないか!ほれあーん。」

 

「……はぁ、あーん……。」

 

 

 仕事が忙しいという建前であーんをさせておきながら、ひとたび噛めば菓子の美味さに破顔する信長。すぐに仕事をほっぽり出して菓子を堪能するが、あくまであーんはやめさせない。見ているだけで甘ったるくて胃もたれしそうである。それを気にしてか、ケンはあくまで塩対応だが……。

 

 

「……。」

 

 

 その光景を見ながら、段蔵は再び、胸のざわめきを感じた。忍には不要なそれに困惑しつつも、何故だか大事なもののように思えて、それを忘れようとはしなかった。

 

 

 そして日が低くなってくると、今度は夕餉を作らなくてはならない。ここでもケンは忙しく動き回るが、今日はどこか様子が違った。

 

 

「うおお加藤さんすげえ!あんなに簡単にクリームが!」

 

「しかも見ろよこれ!俺たちがやるのより、圧倒的にふわふわだぜ!」

 

「ああ、これでもう、筋肉痛に悩まなくていいんだ……!右腕だけ妙に太くなっていくのを気にしなくていいんだ!」

 

 

 そう、段蔵の存在である。彼女は自分の体に仕込んである兵器の一部を転用し、調理に役立てている。具体的に言うと、貫手を行う際、手首を高速回転させることで威力を高める技を応用して、泡だて器の代わりをしているのだ。

 

 これにはケンの部下である料理人たちも大喜び。大勢の人間が段蔵を尊敬の目で見つめる中、彼女の目はただ一人に向けられていた。その男の手が一瞬あいたのを認めると、とてとてと近寄っていく。

 

 

「ケン殿。くりーむというのはこれでいいのでしょうか。」

 

「ああ、段蔵さ……えっ!?すごいこれどうやったんですか!?こんなにきめ細やかなクリーム、俺はもう一生見られないだろうと……!」

 

 

 ケンが目を輝かせ、感動のあまりクリームの入った鉢に掴みかかる。慌てて木べらを掴み、ほんの少しすくって舌の上に乗せる。あまりにも馴染みがあり、そして忘れかけていたほど懐かしい味に、ケンは思わず涙を流した。ケンだって人間であるし、おいしいものを食べたいと思う。

 

 だが、ケンのかつて生きた時代とここ戦国の世とでは、あまりにいろいろなことが違いすぎる。技術もまだまだ未熟であり、食材の味だって悪い。ケンも努力してなんとか再現しようとしていたが、やはり限界というものはある。ケンのよく知るそれとは少しだけ違うそれらを味わうたび、ケンの望郷の思いは高まった。

 

 無論、それは信長のもとでの暮らしに不満があるというわけではない。ただ単に、寂しいのだ。自分が味わえないのもあるが、それよりも遥かに強い思いは、『もっと美味しいものを食べてもらいたい』という事だ。信長や周りの人は、美味い美味いと食べてくれるが、そうではない!本当はもっと、もっと出来るんだ!!そういう思いを常に抱えていたのだ。

 

 

 

 段蔵が作ったクリームは、ケンの過去の記憶を呼び起こさせた。そしてケンは、その記憶に教えられたのだ。『無力感を感じている場合ではない!』と。思い出せ、あの日々を!料理の本場であるイタリアやフランスで、自分の料理がまったく認められなかった悔しさを!技術の発展していないアフリカで、あまりの食材の少なさに頭を抱えた無力感を!!

 

 

 自分は一度でも、それらを諦めたことがあったか!『しょうがない』と思ったことがあったか!

 

 

「……ありがとうございます、段蔵殿。」

 

「そ、そんな。泣くほどおいしかったのですか?」

 

「……ええ、はい。素晴らしいクリームです。これは、信長様にもぜひ味わっていただかなくては!」

 

 

 

 ちくり。ケンの言葉に、段蔵の心が少し痛んだ。先ほどまでは多幸感ばかりだったというのに、なんだろうかこの痛みは。信長。そう、信長だ。ケンが信長の名を出したとき、ほんの少しだけ心が痛んだ。あるはずのない心が。だが、段蔵のそんな思いをよそに、次々と今日の夕餉が完成していく。やがて、いつものようにケンが膳を運ぶ。段蔵も心に何かを抱えながら、その後ろをついて行くのだった。

 

 

「信長様、夕餉をお持ちしました。」

 

「うむ、入れ!」

 

 

 いつものように信長がケンを招き入れ、二人きりの夕餉が始まる。信長が料理に舌鼓を打ち、ケンがそれに対して礼や料理の説明をする。信長がケンに甘え、ケンが戸惑いながらあしらう。二人の時間は穏やかに過ぎていくが、それを影から見る者がひとり。

 

 やがて食事が終わり、信長がケンの胸板にこてんと頭を預ける。ケンは躊躇しつつも、信長を優しく抱きしめる。いつもの姿はそこになく、ただ一人の女がそこにいた。それを見ながら、段蔵は胸の痛みを抑えきれなかった。どうして、自分はあそこにいないのか。そう思わずにはいられなかった。

 

 

「……加藤。」

 

「! はっ!」

 

 

 突然信長に名前を呼ばれ、すぐに部屋の中に入った。わかってはいたが、信長はケンに完全に体を預けてだらけきっていた。より近くで見たことで、段蔵の痛みはさらに強くなっていく。

 

 

「これからワシはこやつを抱く。故に、誰ひとりとして近づかせるでないぞ。」

 

「……承知。」

 

 

 段蔵は歯噛みしながら、部屋の外に出る。襖の傍に立ち、誰かが近づくことのないよう見張りをしていた。その間にも、信長の嬌声や何かの水音が聞こえてくる。段蔵は見張りのために感覚遮断を行うわけにもいかず、ただじっと耐えていた。胸に、無数の針を突き刺されているようだった。

 

 

 ……そのまぐわいは、結局夜が明けるまで続いた。夜通し見張りを続けた段蔵は、一つの考えにたどり着き、それを実行することとした。一抹の寂しさを、胸の奥底に押し込んで。

 

 

 

 

 

 ケンは、信長よりも早くに起きた。いつもの事である。胸板を抱く信長の腕をはらい、着物を着こむ。すぐに朝餉の準備に取り掛かろうと思い、つい段蔵の顔を思い浮かべた。

 

 

「女性と共寝をした次の朝に、別の女性の顔を思い浮かべるとは……。」

 

 

 ケンは自分の行いを反省しつつも、昨日段蔵が茶漬けを食べてくれたことを思い出すと、ついつい頬が緩んでしまう。着物を着終わった後、襖を開けたケン。

 

 

「あっ、段蔵さん。おはようございます。」

 

 

 襖の目の前には、今まさにケンが考えていた段蔵がいた。だが、心なしかその目からは光が失われたように思える。そして何より、段蔵が挨拶を返してこない。これは今までになかったことだった。

 

 

「だ、段蔵さん……?えっと、ひとまず厨房に行きましょうか。」

 

 

 ケンが言い終わるや否や、すぐに姿を消す段蔵。これはいつも通りだ。その後も朝餉を作り、信長のもとに運んだら朝起きた時横にいなかったことに文句を言われ、いつも通りの時間が過ぎていった。

 

 一通りの仕事を終え、ケンはどうしても気になることがあったため、段蔵を呼んだ。

 

 

「――段蔵さん。」

 

「ここに。」

 

 

 やはり、何かおかしい。雰囲気が固くなったというか、無になったというか……

 

 

「えっと、何かありましたか?悩みがあるなら、よければお話ししていただけませんか?」

 

「……段蔵は、ただの忍です。悩みなど、とても。」

 

「――やっぱり何かおかしいですよ!昨日までは普通だったのに、何があったんですか!?」

 

 

 段蔵はとうとう、何の躊躇もなく言い放つ。

 

 

「――段蔵は、ただの忍です。感情など不要な物。ワタシはただ、入力された命令に従う人形です。ご用命がなければ、これにて。」

 

 

 そのあまりにも冷たく無機質な声に、ケンは言葉を失った。段蔵は言葉どおり、姿を消した。ケンは呆然としながら、誰もいない廊下に立ち尽くすしかなかった。




「……ケーン……ケーン!」

「あっ、信長様!いかがなされましたか?」

「お、お主……昨日やりすぎじゃろこれ!腰がまだ動かんのじゃが!?じゃが!?」

「……えーと……も、もう少し運動をされるべきかと……。昨日も稽古サボってましたし。」


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加藤段蔵の話 後編:兵糧丸  プロローグ:円卓の残滓

 先に謝っておきます。今回、クソ長いです。思ったよりも長くなってしまって、もう少し簡潔に伝える能力があればよかったのですが……。

 それと新規ぐだぐだイベ開催決定おめでとうございます!私はシンで進めなくなって、その後にきたイベントに参加できなかったことに拗ねて引退してしまったので、YouTubeに早くアップしてくれよな!あと、これから出てくるサーヴァントとネタが被らないでくれよな!!

 感想・評価・ここすきなどしていただけると励みになります!


 ひとまずケンは、朝まで共寝して時間が遅れた分急いで厨房に向かった。とにもかくにも時間がないので、昨日のうちに仕込んでおいたクロワッサンを焼き、そこにバターに少し塩を加えたマーガリンとあんこを持って部屋に舞い戻る。

 

 普段は間食のお菓子以外は信長に甘いものを取らせないようにしているのだが、ケンが何か信長に言いたいことがあるとき、このように甘いものを持っていくのだ。

 

 

「はあ~?段蔵がおかしいじゃと?あんなもんじゃろあいつは。」

 

「信長様、そんなことは……」

 

 

 最初こそあんこがついていることにニヤニヤした顔を隠せなかった信長だが、相談の結果はけんもほろろ。信長は段蔵に対して何の考えも示さなかった。

 

 

「あいつはそもそも心がないという風に聞いておるぞ。それがもとに戻っただけじゃろ。」

 

「しかし最近はしっかり挨拶や食事をしてくれるなど、人間らしい行動をしています。俺はあれをただの演技とは思えないのです。」

 

「ふーむ……ま、自分の仕事をきっちりしてからならワシも文句は言うまいよ。」

 

「! ありがとうございます!」

 

 

 何とか許可をもらったケンは、いつものように信長の朝の支度をしてやりながら、ベタベタと体を触る信長をあしらっていた。そもそも、髪をとかしているのになぜこちらを向いているのか。

 

 

「……どうしたものか。」

 

「む、ケンではないか。何か、悩んでいるようだな。信長様のことか?当然信長様の事だな?」

 

「……明智様。いえ、信長様のことではございません。」

 

 

 庭の石に腰掛け、うんうんと唸っていたケンに声をかけたのは明智光秀だ。彼は基本的には有能なのだが、信長が関わるとどこかネジが外れる。どうしてもその姿を見るたび、信勝の姿がケンの目には浮かんでしまうのだ。

 

 

「むっ、何故信長様のことを考えていないのだ!お前は信長様の料理人として常に信長様を最優先に考える責務が――」

 

「これは信長様の指示なのです。加藤段蔵という忍びを、いつもの調子に戻してほしいと。」

 

「ぬぅ、そういうことか……。それならば、私も手を貸さないわけにはいくまい。」

 

 

 『信長からの指示』ということで納得してくれた上、光秀も『何か考えてみよう』と言ってくれたが、ケンは正直に言ってあまり期待していなかった。光秀は確かに有能な人物だが、人の心の機微には疎い部分があった。どちらかというと学者肌といった人物なので、研究や計算を任せておくにはいいのだが政は苦手よなと信長がボヤいていたこともある。

 

 以下、他の部下に対する信長のぼやきである。

 

 

「光秀か。あやつは人の話を聞かんからのう。もっとワシの言葉に耳を傾けんと……いや、傾けようとはしておるのか。それこそワシの口に耳をつけんばかりの勢いで。ま、理解できぬのなら聞いていないも同じよな。」

 

「権六……。あやつも人の話を聞かんな。まあ戦は強いから……。」

 

「佐久間はダメじゃな。話が理解できてない上根性なしの能無しじゃ。仮に新人じゃったらクビにしとったかもな。……あれ、そう考えたらワシの家臣聞かん坊ばっかじゃね?」

 

 

 なお、ここでのクビにするというのは『解雇する』という意味ではなく、文字通り首をはねるという意味である。何とかケンがいる間は家臣に対する暴力は抑え込んでいるが、敵対者に対しては容赦のない信長であった。

 

 このように愚痴を言いながら晩酌をしていた信長に対し、最後は気持ちのいい話で終わった方がいいだろうと思ったケンが、『では秀吉さんはどうですか?』と尋ねてみたことがあった。

 

 

「んぇえ……? ……ああ、サルか。サルは有能じゃし、ワシの話わかるし、面白い奴じゃし……。でも、変態じゃしなあ。」

 

 

 その言葉については流石に同意せざるを得ないケンであった。

 

 

 結局、光秀と一緒に考えても良い考えは浮かばなかった。仕事があると去っていった光秀の背中を見送りながら、『あの方ももう少し信長様のことを見てくれればよいのだが……』と思っていた。あの方は信長様自身を見ているというより、『信長様の役』を見ているような気がするのだ。

 

 当然だが、信長様は普通の人間だ。確かに天下を獲るにふさわしい大器を持つ人間だと思ってはいるが、それでも崇拝の対象にはならない。もっとしっかり、話をするべきだと思うが……。そんなもやもやとした気持ちを抱えながら、ケンは日々を過ごしていた。

 

 考えても考えても何もいい考えは浮かばず、日々の仕事に忙殺される中で、ケンも段蔵のことを放置せざるを得なかった。あくまで仕事はきちんとこなすし、絡繰の体を活かして効率化もしてくれた。ケンが堺の商人たちと交渉して手に入れたじゃがいもやとうがらしなどの作物を、何とか自分で作れないかといろいろ試していた畑も、段蔵の助けによって明らかによくなっていた。

 

 そのおかげで提供できる料理はグンと増えたし、信長もとうがらしを使った料理を気に入った。だが、段蔵の心はいまだ戻らない。ケンは何とかせねばと思いつつ、またいつもの荷造りを始めるのだった。

 

 

 

 

 

「あっ!ケン!!会いたかったですよ!道中何も危険はなかったですか?盗賊は?獣は?つい最近鏖にしたばかりですが、もし万が一にでもあなたが傷つくようなことがあったら軍神になりますから、気を付けてきてくださいね???」

 

「あ、あはは……。ご無沙汰してます、お虎さん。万事順調でしたよ。」

 

 

 ケンは年に一度の越後遠征に来ていた。これは信長と景虎との間に結ばれた約定に基づき、ケンが一年に一度、一か月間景虎のもとに身を寄せるというものだ。ケンは信長の許可を得て、じゃがいもを土産として持ってきていた。もともとじゃがいもは冷涼な気候を好む作物だし、越後ならよく育つだろうと思ってのことだ。

 

 この輸出には二つの意味があり、一つはケンが飢饉で死ぬ人々を看過できなかったこと。空腹で死ぬなど、料理人として許せない。もう一つは信長の賄賂である。現に信長から送られた書状には、たくさんのおべっかと共に、『ケンに手を出したら許さないこと』や『この作物をあげるから攻め込まないでほしいこと』などが遠回しに書かれている。

 

 

「相変わらずうさんくさい手紙を書く奴ですねえ……。」

 

「まあ、それだけ信長様も必死なのですよ。敵対したくはないと常日頃から言ってますし、俺もそう思いますから。」

 

「そ、そんなにも私のことを……!やっぱり私の事大好きですね!!」

 

「……まあ、否定はしませんけど。」

 

 

 実際、ケンは景虎のことを心から尊敬していた。軍神と謳われるほどの強さは名に偽りなく、ケンの武士としての心が彼女を求めてやまなかった。榊原鍵吉として生きていたころは、『二君に仕えず、二師に習わず』の誓いを立てていたが、今の自分はケンであるし、いいのではないかと思って共に稽古を行うこともあった。

 

 

「ふ、ふふふふ……。今のはちょっとヤバいですね。思わず虎になりかけましたよ。」

 

「そ、それは困ります。とりあえず、食事にしましょうか。じゃがいもを味わってほしいですし、ベイクドポテトをつくりましょう。」

 

 

 ケンはこちらに来るといつもそうするように、料理を作って酒の酌をする。ケンは医者ではないし、現代と違って血圧を測るような機械もない。だが、健康に害さない程度の酒量というのは料理人として心得ているため、ケンはそれを守るよう徹底させていた。景虎は少し不満げだったが、『あなたが早死にしたら悲しいですから』というキラーワードに負けたのだ。

 

 

「はむっ!はふっ、はふっ……ん~!美味しいですねこれ!ほろほろ崩れるのに、濃厚な味わいで……!」

 

「それはようございました。じゃがいもはほんのひとかけらからでも育つ作物ですし、お酒の原料にもなります。越後の気候はじゃがいもに適しているようですし、栽培を検討してみてはどうですか?」

 

「お酒!いいですねいいですね!すぐに作らせましょう!」

 

 

 景虎は非常に機嫌がよく、慣れた手つきでケンの体を胸板中心に撫でまわす。何故俺の周りの女性はこんなにもセクハラが多いのだろうかと思いながら、ケンはぎこちない笑みを浮かべていた。その顔を見て景虎も何か感じるところがあったのか、ケンに問いかける。

 

 

「――何か悩んでいるような表情ですね。私に話してみませんか?」

 

「お虎さん……?そのような、事は……」

 

「私にはわかります。この、人の心を知ったお虎さんにはね! ……まあ実際のところは、あなたの顔をじっと見ていたからわかったんですよ。なにせ、一年ぶりですからね。」

 

「……ふふ、敵いませんね。それでは、聞いていただけますか?」

 

「ええもちろんです!ふふ、こうして悩みを聞くというのは、夫婦のようで心が踊りますね!」

 

 

 うきうきした様子の景虎に、ケンは段蔵の話を始めた。最初の方は楽しそうに聞いていた景虎だが、女の話と分かった途端に一瞬で目からハイライトが無くなった。未だに笑顔以外の感情表現の方法は覚えていないようで、ずっとニコニコしている。慣れたケンならともかく、何も知らない人が見たなら恐怖で漏らすかもしれない。

 

 

「……ふ、ふふふふ。あなたも中々、変なことで悩むのですね。それにしても段蔵、段蔵ですか。私のもとにかつていた忍ですね。」

 

「えっ!?そうなんですか!」

 

「ええ。まあでも、忍を使うような仕事はここにはないですし、それより危険すぎて何とか殺そうとしてたくらいです。ふふ、まさか信長のもとに行っていたとは……」

 

「そ、そんなことが……。」

 

「考えてもみてくださいよ。高い忍の技術……諜報やら暗殺やらを高水準でこなせて、それでいて死も恐れず罪悪感もない。はっきり言うなら、最高の忍でしょうね。ふふ、こう言ってたら昔の私みたいですね。」

 

 

 懐かしそうな顔をして、穏やかな笑顔を浮かべる景虎。その顔を見て、ケンはなぜか安心感を覚えた。

 

 

「まあ、段蔵がケンのところにいるのなら安心です。大事にしてやってください。彼女にも、生きる権利はあるはずでしょう。私にしたように、心を与えてあげてください。」

 

「―――はい!」

 

 

 景虎のこちらを信頼してくれているようなまっすぐな瞳を見て、ケンは大きく頷いた。今まで感じていた不安や焦りが、一気になくなっていく。心がまっさらな青空になったかのようだ。そうだ、何とかなるさ!なんせ、景虎だって心を持てたんだから!

 

 

「ありがとうございます、景虎様!おかげで迷いが晴れました!」

 

「うむうむ、それは上々!さて、ではお礼をもらいましょうか。」

 

「……え?」

 

「ふふ、もちろん体ですよ?ああでも、そう考えたらケンからのお礼というより、私からのお礼ですかね?なにせ、私の前で他の女の話をしたんですから。」

 

「あ、ああ……。」

 

 

 いつしか、景虎の目からはまた光が無くなっていた。いや、正確に言えば奇妙な形の光があるのかもしれない。そう、それは、まるで、ハートの、ような……

 

 

「ふふ、私から責めるというのにも興味があったんです。気をやらないよう、気をつけてくださいね……。」

 

 

 

 ―――虎の捕食が始まった。

 

 

 

 翌朝、妙に肌がつやつやした景虎に見送られながら、ケンは岐阜城へと帰っていった。正直言って足はふらつくし体調は最悪だったが、何とか城にたどり着く。しかし、ケンの仕事はまだ終わらない。信長の嫉妬を丸出しにした『上書き』に準備する必要があるからだ。

 

 

「とにかく、エネルギーを補給しなければ……」

 

 

 ケンは呟きながら、自分用に作り置きしておいた飯玉を取り出す。厨房まで湯をもらいに行ったところ、ケンの事情をよく知っている部下が、気を利かせてただの湯ではなく出汁をとって注いでくれた。その暖かさにほっと安心し、ようやく腰を落ち着けることが出来た。

 

 

「……その、ケンさん。お疲れ様です。ほんと、なんか、羨ましいはずなのに絶対こうなりたくないなって……ハハ……。」

 

「……ああ、気にしなくていいよ。こういう保存食を、しっかり作っておいてよかった。」

 

 

 その時、ケンの頭に閃くものがあった。保存食、そうだ、保存食だ!!

 

 

「これだ!これなら、段蔵殿にも……!!」

 

「ほーう……ようやく帰ってきたかと思えば、すぐに別の女の話とはのう。流石に色男は女もよりどりみどり、随分余裕があるらしいな?」

 

「い、いや、信長様、これは、その……」

 

 

 ああ、我々は幾度この景色を見ただろうか。余計な発言をして、信長に〆られるケンの姿を。いい加減学べよと誰もが思った。お前の周りにはたくさんの女性がいて、その一部は執着すらしている。なぜ、この男はそれでも粉をかけるのをやめないのか。

 

 

「まあワシも?鬼ではあるまいし、お主が段蔵のために心を砕いておったことは百も承知よ。これについては今更何も言うまい。」

 

「の、信長様……!」

 

 

 ケンは感動のあまり、声が上ずってしまう。まさか、そんな思いやりのある台詞を信長から聞けるとは!

 

 

「そ・の・か・わ・り~?☆」

 

 

 驚くほどきゃぴきゃぴした甘い声でケンに近づく信長。ケンは、長い付き合いからこの習慣を知っていた。これは、信長がケンに対して本気でキレている時の声だ。

 

 

「今日は絶対に寝かさんから、覚悟しとけよ……。」

 

 

 先ほどまでの声からは想像もできないほど低い声が、ケンの耳元で囁かれるように響く。決して不快なものではないが、怖いものは怖い。

 

 

「……はい。」

 

 

 ケンは何とか死なないようにするには、どうすればいいだろうかとそればかり考えているのであった。

 

 

 

 

 

 

「―――段蔵殿。いらっしゃいますか。」

 

「ここに。……?ケン殿?」

 

「……ああ、よかった。実は、試してみてほしい料理があるのです。活力が付くと思いますので、よければどうですか?」

 

 

 段蔵はすぐに、『段蔵には味がわからぬ故、料理の毒見には向いておりませぬ。適任を呼んでまいりましょう。』と言いかけた。だが口から出てきたのは、まったく別の言葉であった。

 

 

「……どちらかと言えば、活力が必要そうなのはケン殿の方ですが?」

 

 

 段蔵を呼んだケンは、今にも干からびてしまいそうだ。干ししいたけみたいになっている。

 

 

「……では、俺も一緒に食べますか。大丈夫、味にも栄養にも自信はあります。」

 

 

 それなら自分が味見をする必要はないだろうと思いつつも、命令とあれば従わないわけにはいかない。ひとまず用意された座布団に座り、料理が出されるのを待つ。そうして、供されたのは……

 

 

「……何だ、これは?何か……何か、思い出しそうな気がするのだ!なんだ、何だこの気持ちは!」

 

「―――お待たせしました。兵糧丸でございます。」

 

 

 兵糧丸。その言葉が、段蔵の中で何かを思い起こさせる。壊れかけた記憶領域に、とても大切な記憶がよみがえる。日本の人間のものではない、赤い髪をした赤ん坊。自分の兵器だらけの両手で、その子を傷つけないよう気をつけながら、母親の代わりを務めたあの日々。

 

 

(……そう、か。これは、これは忍としてのワタシの記憶。)

 

 

 この兵糧丸は忍が携帯する食料だ。すっかり忘れてしまっていたが、私にも作った記憶がある。風魔の里にて、まだ小さなあの子と一緒に材料をこねたのだ。どうして忘れてしまったのだろう。

 

 

「……段蔵さんは味を感じないとのこと。しかし、味だけが料理ではありません。もっとも代表的なやり方は、視覚に訴えかけること。芸術品のように美しく盛り付けなどを行うことで、味のわからない方でも料理を楽しむことが出来ます。」

 

「ですが、私は段蔵さんの心をもう一度見せてほしかったのです。であれば、段蔵さんの大切な記憶……忍に関する料理が、あなたにはよく効くのではないかと思いました。」

 

「……何か、思い出しましたでしょうか。」

 

 

 ケンが慎重に尋ねると、段蔵は答える代わりに兵糧丸をほおばった。やはり味なんてわからないが、嗅覚が伝えてくれる。口の中の触覚が、ボロボロと口の中で崩れる食感を教えてくれる。ああこれだ。この口の中の水分が不足して、水やお茶を啜りたくなるこの感じ。本当に、本当に……

 

 

「……懐かしい。懐かしいです。ああ、そう、こんな感じでした。ワタシ、段蔵は、段蔵は―――大切に、していただきました。絡繰人形のワタシを、人間のように扱ってもらいました。ワタシも、まるで、人間のように……。」

 

「人間ですよ。」

 

「……え?」

 

 

 突然言葉を発するケンに、段蔵は驚いた顔をする。だが、それを意に介さず続けるケン。

 

 

「―――俺は、人間の心があるのなら、誰だって人間だと思っています。それに心というものは、後からでも手に入れられるものなのだと。」

 

「現に信長様も、景虎様も、沖田という私の大切な友人も、皆心を取り戻しました。……あなたにも、そうなってほしいと思っています。」

 

「段蔵さん。あなたは、人間です。人間の心があるのだから、それはもう人間です。」

 

 

 人間。そうだ、ワタシは人間だ。いや違う、人間でありたかった。誰かに人間だと、言ってほしかった。

 

 

「ワタシ、は……人間で、いいのですか?絡繰人形としてではなく、人間として生きていいのですか?」

 

 

 震えながら、段蔵はケンの手を握る。ぬくもりを確かめるように。自分のぬくもりを、相手に伝えようとするように。

 

 

「……もちろんです。あなたは俺の信頼のおける護衛で、感謝すべき働き者で―――大切な、大切な人間です。」

 

 

 段蔵の手の感覚器官に、強く圧迫された感覚が伝わる。力が強くて少し痛かったが、とても優しい痛みだった。

 

 

「―――承知しました。それではこれより、加藤段蔵。本当の意味で、あなたの忍になりましょう。忍とは、刃の心と書くものです。……我が主、ケン殿。いえ、主殿。この心持つ刃加藤段蔵をどうか一生、大切に使ってくださいませ。」

 

 

 そこで一息いれた段蔵は、改めて宣言する。

 

 

「―――不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。」

 

「――はい。これからも、頼りにさせてもらいます。段蔵さん。」

 

 

 長い、長い時間を経て。ようやく二人の心は交わった。冬の空に日は高く、日差しは少しばかり暖かかった。きっともうすぐ、春が来るのだろう。そう思いながら、ケンは兵糧丸を口に放り込むのだった。

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

「これが、ワタシが主殿を見つけた物語の一部始終にございます。どうですかマスター?」

 

「とりあえずケンさんは責任とれよって思った。」

 

「「「わかる。」」」

 

 

 何という正論か。快刀乱麻なこの答えには、ケンも思わず頷いてしまう。

 

 

「まぁ~でもさ!ケンさんが色んな人の人生に寄り添って、心を守ってたんだなっていうのは伝わったよ。何か料理人というよりカウンセラーみたいだよね。」

 

「……確かに、接客の中でお客様の好みや悩みを慮るシーンもありましたし、心に関わるという点では似ているかもしれません。ですが私の中では、あくまで私は武士であり、料理人だと思っております。」

 

「へ~……。ていうことはさ、戦力としても期待していいの?私、戦闘のことに関してはまだまだだから、もし苦手だったらカルデアでご飯作って待っててもらってもいいんだけど……。」

 

 

 そう言いながら、こちらを伏せ目がちに見つめる立香。ケンは、安心させるように軽く笑った。

 

 

「―――お任せください。これでも、宝具はちょっとすごいのです。局所的にですが、刺さる部分もあるのではないかと。」

 

「へー!じゃあさじゃあさ!ちょっとシミュレーションとか……」

 

 

 興奮して話す立香だったが、その時は唐突に訪れる。

 

 

『マシュ、立香くん、急いでブリーフィングルームに来てくれ!()()()()()()()()()()()!』

 

「!!」

 

 

 放送だ。ダヴィンチちゃんの声を聞き、すぐに立香は立ち上がった。

 

 

「よし、それじゃ行こうかマシュ!えーっと、あと段蔵さんとちーちゃんもついて来て!」

 

「ち、ちーちゃんにござるか……。」

 

「承知。では主殿、失礼しまする。」

 

「は、え?お、おい段蔵!?」

 

 

 あっという間にケンを抱え、ブリーフィングルームへ疾走する段蔵。例の三人が止める間もなく、あっという間に見えなくなった。

 

 

「あー……行っちゃいましたね。まあ、ケンさんも初めての特異点ですし、説明聞いておいた方がいいでしょうしね。」

 

「是非もなし、か。まあすぐに帰ってくるじゃろ。なんせ()()()料理人じゃし?」

 

「おっと、戦をご所望ですか?ふふふ、それならそっ首叩ききってあげましょうか。」

 

 

「「「……。」」」

 

 

 本当に、本当に気軽に修羅場ができるものである。これでは立香の言うような、カルデアXデー(原因:痴情のもつれ)は本当に近いのかもしれない。これを唯一止められるあの男は、ケンは何をしているのか。

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

「来たね、二人とも。あっ、ケンさんも来てくれたのか!それに、あたらしく召喚されたサーヴァントの二人も!いよいよカルデアも充実してきたなあ!」

 

「……お館様。何にござるかこのちゃらんぽらんと辞書で引いたら挿絵に載っていそうな男は。」

 

「うぐっ!ケンさんの暖かさがあった分、この冷たさが心に刺さる……。」

 

 

 すっかり落ち込んでしまったロマ二をよそに、ダヴィンチちゃんが説明を引き継ぐ。

 

 

「さて、では早速見つかった特異点の話をしようか。時代は十三世紀。場所は聖地と知られるエルサレム。」

 

「――そして。唯一、わかっていることがある。今回の敵の正体だ。」

 

「!?」

 

 

 マシュと立香が驚愕するのも無理はない。今までの特異点修復は、率直に言って行き当たりばったり。現地に着いてから戦力の増強を図り、現状の把握をして、倒すべき敵、解決すべき問題を突き止め、ようやく修復に至る。だが、今回はその倒すべき敵が分かっているというではないか。

 

 

「す、すごいすごい!どうやったのダヴィンチちゃん!やはり天才か……!?」

 

「ふふん、それはもう天才だとも!だが、残念ながらまともな方法ではないんだ。これの鍵を握っているのはそう……またしても、キミなのさ。」

 

「……え?」

 

 

 振り向いた立香の視線の先には、同じく驚いた顔をしているケンがいた。その反応が期待通りのものだったからか、ダヴィンチちゃんはにっこりと頷く。

 

 

「そう、ケン君!またまた君なんだ!流石の私でも、ちょっと引いてるよ!」

 

「ま、待ってください!私には何も、心当たりが……」

 

「まあそうだよねえ。正直言ってこの方法、バグ技というかチートというか……こう、仕様の穴をついたようなものだから。」

 

 

 恐らくは二度と使えないものだと思ってくれ――と前置きをして、ダヴィンチちゃんは語り始める。

 

 

「実は君を召喚した際に、魔力の残滓とも言えるものがあったんだ。メカニズムについて詳しくはしゃべらないよ?言っても理解できるのはマシュくらいだろうしね。とにかくその魔力の残滓とは、私たちの他にも()()()()()()()()()()()()()()()()という事を示している。その召喚がなぜ成功しなかったのかは不明だが、結果としてケン君はカルデアに召喚され、別の魔術師の痕跡を伴ってやってきた……というわけさ!」

 

「……別の魔術師の痕跡……あっ!ひょっとして、その魔術師というのが……!」

 

「ご名答!特異点にいる私たちの敵であるわけさ! ……まあ能動的にサーヴァントを召喚しようとしていただけで、敵かどうかはまだわからないんだけどね!」

 

 

 そうおどけるダヴィンチちゃんだったが、この推測はほぼ間違いなく当たっているだろう。サーヴァントを召喚する目的など、ほとんどの場合は戦力の増強を望んでのこと。特異点において戦力増強を望むなど、ほぼ黒幕と言って差し支えないだろう。

 

 

「そ、それで……!いったい、誰なんですか!?その、推定敵というのは……!!」

 

「うん。魔力のパターンから判断したものなんだけどね。まさしく聖地。魔術師たちにとっての、永遠の憧れ。……中世はブリテン、円卓の騎士!!それを束ねる騎士王、アーサー!!恐らくは、それが今回の敵になるはずだ。」

 

 

 円卓の騎士。数多のサーヴァントの中でも、トップクラスに優秀であるとされる英雄たち。人々を守護する正義の使徒たる彼らが、人理に対し牙をむく。

 

 

「……そういう、ことですか。なるほど確かに、それなら合点がいくというものです。」

 

「ケンさん……?」

 

 

 最初に言葉を発したのはケンだった。彼は、全てに納得したかのような表情をしている。そんなケンを立香は不安そうに見つめるが、ケンはにっこり笑ってガシガシと頭を撫でる。

 

 

「大丈夫です、マスター。何も不安がることはありません。いつものように、あの切れ味鋭い突っ込みを見せて下さい。」

 

「……さて、では話を再開しようか。カルデア司令部としては、ケン君にもレイシフトに同行してほしいと思っている。なにせ、この特異点における唯一にして一番の手がかりなのだからね。」

 

「もちろんです。むしろ、私から願い出たいほどですから。」

 

「そうか、そう言ってくれると助かるよ!それじゃあ早速出発したいんだけどいいかな?信長君たちに文句を言われる前に出発したいだろう?」

 

「あ、あはは……。マスターさえ、よろしければですが……」

 

 

 そこにいる全ての人間の目が、一斉に立香へと向けられる。普通なら恐縮する場面かもしれないが、それでも彼女は威風堂々としていた。

 

 

「―――大丈夫!何時でも準備は出来てるから!」

 

「よぅし、なら出発だ!今回は計4名のレイシフトだから死ぬほど大変だと思うけど、何とか頑張ってね!」

 

「え、だ、ダヴィンチ!?君も行くつもりなのかい?」

 

「当たり前じゃないか。なにせ、今回はEXの特異点だぜ?何があっても対応できるよう、この万能の人を連れて行かないわけにはいかないだろうさ!」

 

 

 さも当然といった風に告げるダヴィンチだが、その話には筋が通っている。職員たちはただでさえ人数の増えたレイシフトを、さらに少ない人数でこなさなくてはならないという狂った状況に泣きわめきつつも、絶望することなく果敢に挑みかかった。彼らもまた、戦っているのである。

 

 

「―――さて、それでは行こうか!円卓の騎士のお膝元にして、おそらく今までで最も困難なレイシフトに……!!」

 

 

 宣言と共に4名の意識は暗い闇の中に落ち、過去へと遡っていく。そこに待ち受けるは白亜の騎士。その心に宿るのは、正義かそれとも悪心か―――。

 




「……え、ワシの本能寺とか長篠とかは!?」

「手取川の戦いだってまだじゃないですか!あんなおいしいイベント中々ないでしょうに!!」

「……ま、まあでもホラ。ケンさんもう行っちゃったっぽいし……。」

「「「は???」」」


(うわ~……こりゃ霊脈見つけたら、即行コースだね。ケンさんには申し訳ないけど、まあ頑張って。)


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Part4 二人だけの真実

 スプラ3が届いたので投稿ペース落ちまーす! ……というのは冗談で、出来る限り頑張るので応援よろしくお願いします。

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 暗転した意識から目を覚ましたカルデアの一行。ひとまず今回は地に足がついていることを確認し、また空中に放り出されることはなかったと、安心したのもつかの間に―――

 

 

「す、砂ーーー!?物凄い砂嵐!!」

 

「先輩!ひとまずこちらへどうぞ!私が盾になります!」

 

「いやマシュ、それだと動けなくなる!あの岩場迄移動できるかい!?」

 

「私が抱えます!マスター、しばし辛抱を!」

 

 

 いつもの事ながら、レイシフトして早々ひどい目にあうものだ。一行はなんとか岩の影に避難し、立香の安全を確保した。――はずだった。

 

 

「ああ、くそ!最悪だ、敵性反応!魔力の塊ともいうべき存在が、こちらに向かってきている!」

 

「数は?」

 

「3……いや4!気を付けてくれ、視界が不明瞭だ!」

 

「初陣ですね。張り切っていきましょう。」

 

 

 頼もしいケンの言葉に頷いた立香は、敵がやってくる方を見据える。不明瞭な影がだんだんとはっきりしてきて、巨大なライオンのような姿をした、ソウルイーターが飛び出してくる。

 

 

「化け物とやるのは初めてですね!ダヴィンチ殿、フォローを頼みます!」

 

「アイアイサー!好きに暴れてきたまえ!」

 

 

 飛び掛かってくるソウルイーターの前脚を縦に真っ二つにしてやったのち、ひるんだところで距離を詰め、一刀のもとに首を落とす。初めてとは言ったもののケンも武芸を修めたサーヴァントである。この程度なら朝飯前だ。

 

 

「ヒュー!やるねえ!ホントに初めてなのか~いあぁ~ん?」

 

「あなたもセクハラ族ですか!?」

 

 

 その後も順調に敵を排除していき、カルデアは初陣を華々しい勝利で飾った。

 

 

「よし、敵性存在消失!お疲れ様!」

 

「この程度なら、宝具を使うまでもないですね。安心しました。」

 

「お疲れ様ケンさん!疲れてない?」

 

「ええ、余力は十分です。すぐにでも移動できますよ。」

 

「そうだね、いつまた敵が現れるかわからない以上、早いところ移動した方がいいかもだ。立香くんが大丈夫なら、すぐにでも……ッ!!新たな反応だ!小さいが、大量にいるぞ!」

 

 

 ダヴィンチちゃんの声に弾かれるように反応した立香の目は、確かに髑髏の面を捉えた。複数の髑髏面の人間が、女の子を攫っている!

 

 

「ケンさんあそこ!女の子が危ない!」

 

「承知!」

 

 

 一番彼らに近かったケンの反応も早く、すぐに彼らの前に立ちふさがる。突然現れた大男に驚いたのか、集団も動きを止める。

 

 

「何者だ貴様!我らの邪魔をするな!」

 

「そういうわけにはいきません。私のマスターのご指示ですので。」

 

「マスター?貴様、サーヴァントか?」

 

「! ではあなたも……?いやそれよりも!何故その女性を攫うのですか!」

 

「話す必要はない!邪魔をするなら消えてもらうぞ!!」

 

 

 突如として始まる戦闘だったがしかし、サーヴァントと人間の戦力差は歴然。余裕を持って対処し、無事女性を奪還せしめた。その間に素顔を見られた百貌のハサンと名乗るサーヴァントに因縁をつけられる一幕もあったが、まあケンがいるのだから日常茶飯事であろう。

 

 そして、ひとまずその女性を起こすことにしたのだが……

 

 

「なー!不敬!不敬です!!この私、ニトクリスを卑怯な手で眠らせかどわかそうとは……!!」

 

「違います!私たちは、さらわれていたあなたを助け出しただけであって……!」

 

 

 いつの間にか誘拐されかけていたという困惑からか、見るからにエジプトの人といった様相の女性は、騒ぎ立ててこちらを敵視している。マシュや立香を筆頭に、なんとか宥めようとするが話が通じない。

 

 

「ええい問答無用です!紫のあなたが纏う鎧は、あの聖都の騎士たちのもの!その上そっちの男は、どこをどう見ても女泣かせの雰囲気です!!あなたのような女性の敵を、信じるわけがありません!」

 

「困ったな、否定しきれないぞ!」

 

「何やってんのケンさん!」

 

「私のせいですか!?」

 

「何をコソコソと……!もう許しません、行きなさいスフィンクス!あの不敬者たちを、太陽王の威光にて焼き尽くすのです!」

 

「オオオォォーーーーーッ!!」

 

 

 現れたのは、人間より一回り大きなライオンに、翼と仮面をつけたかのような不気味な獣。見た目だけならばただの気色の悪い化け物だが、纏う雰囲気は不思議と神々しさを感じさせ、神獣の名にふさわしい威容であった。

 

 

「スフィンクス……!!この状況で、あの神獣の相手をするのは、とても……!!」

 

「――いいえ、心配はありません。なにせここにいるのは、あの織田信長の料理人。例えいかな強敵であっても、神と名乗る者に負けるわけにはいきません。……でなければ、顔向けできませんからね。」

 

「ケンさん!?勝算があるのですか!?」

 

「無論です。さあスフィンクス、かかってきなさい。この織田の料理人の目の前で、浅ましくも神を名乗ったこと、後悔しながら逝きなさい―――!!」

 

 

 落ち着き払ってゆっくりと抜刀するケン。その白刃の煌めきと、冷たい殺意を目に宿し、討つべき敵を目に入れる。これからの行いは全て、主の名を汚さぬために―――。

 

 

 

 

 

 

「な、何故です!?このようなこと、あり得るはずが―――!!」

 

 

 戦いは、ある意味蹂躙であった。今やスフィンクスの手足は半分ほどの長さに斬り落とされ、バランスの悪い体を支えきれない。頼みの綱である翼を用いた飛行も、体をいびつに損傷しているせいで空中での制御が難しいのか、全く脅威とはなっていない。これは全て、あの料理人を名乗る男の行った事である。

 

 

(何故!?何故、何故―――!?何故、スフィンクスの体が再生しないのですか!?)

 

 

 スフィンクスは古代エジプト人から『シェセプ(神の姿)・アンク(再生と復活)』と呼ばれており、これが訛ってスフィンクスと呼ばれるようになったと言われている。その名が示す通り、本来であれば傷をつけられてもすぐに再生するはずなのだ。いや、それ以前に高い神性を持つため、ケンのような神性を持たないサーヴァントでは傷ひとつつけられるはずがないのだ。

 

 ―――だが現実はどうだ?あの男の刀の前に、まるで動物の肉を捌くかの如くスフィンクスは傷つけられていく。神性も再生も、()()()()()()()()()()()()()()。あっという間に満身創痍になり、今まさに敗けようとしている。

 

 

「やああーーーっ!!」

 

「!?」

 

 

 マシュの盾を使った突進攻撃がスフィンクスの足に命中し、完全にバランスを崩す。ガクンと前のめりになったスフィンクスは、まるで頭を差し出すかのような態勢になってしまう。その隙を見逃してくれるほど、相対した敵は甘くなかった。

 

 

「――とった!御免!!」

 

 

 マシュの盾を踏み台に跳びあがったケンが、スフィンクスの首を斬り落とす。この期に及んでなお、スフィンクスの体は再生しない。それどころか、まるで命を終えたかの如く砂粒になって消えていく。

 

 

「や、やりました!スフィンクス撃破!!」

 

「うおおマジか!乗り掛かった舟と思って戦ってたけど、まさか本当に勝てるとは!」

 

「すごいすごい!ケンさんどうやったの!?」

 

「何とかなりましたか。これで、信長様にどやされずに済みそうですね。」

 

 

 勝利に歓喜するカルデア一行とは対照的に、ニトクリスの顔は青い。もともとこのスフィンクスは、ファラオ・オジマンディアスからの賜りもの。スフィンクスの中でもトップクラスに優れたものである。それをいとも簡単に、目の前の者たちが圧倒して見せた。もはやこうなっては認めるしかない。

 

 

「くっ……わ、わかりました。あなたたちはスフィンクスを斃し、その力を示した。そうであるならば、こちらも尊敬を以て当たらなくてはならないでしょう。――あなたたちの言う事を信じ、このニトクリスの客人として、光機の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)に立ち入る栄誉を与えます!!」

 

「ラムセウム・テンティリス……!!あの最大最強のファラオ、ラムセス2世の居城ですか!すごいことですよこれは!!」

 

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう!ファラオの威光をしかとその目に焼き付けなさい!!」

 

 

 マシュに褒められた途端に機嫌をよくするニトクリス。立香は思わず、心の中で『チョロ……』と呟いていた。いつの間にか一緒になって盛り上がっているニトクリスとマシュたちを尻目に、ケンはこっそり立香に近づいた。

 

 

「マスター。私は遠慮させていただきます。スフィンクスを殺したとあれば、顰蹙を買うこともあるでしょう。」

 

「え!?でもそんな、仲間外れみたいな……。」

 

「それに、調べたいこともあるのです。どうか、お願いします。」

 

「うーん……まあケンさんはわがまま言うような人じゃないだろうし、多分何か大事な事なんだよね?それなら大丈夫!私のことは心配しなくてもいいよ!マシュも、ダヴィンチちゃんもついてるし!」

 

「ありがとうございます!ではその神殿の前で合流いたしましょう。」

 

 

 オッケーと話をつけたケンと立香は、ひとまず大神殿の前まで行動を共にした。その外観の見事さにテンション上がりっぱなしのダヴィンチちゃんとマシュに連れられて、立香がオジマンディアスとの謁見に向かうのを見送ったケンは、少しでも体力を温存するために日陰に入って腰掛けた。 

 

 

 ケンは調べたいことがあると言ったが、それはあくまで建前である。目的は一つ、彼との接触だ。

 

 

「……ケン、殿。」

 

「――!あなたでしたか。私はてっきり、パーシヴァル卿あたりかと……。」

 

「あはは……本当にそうなら、どんなにかよかったことでしょうか。私のような、木っ端ではなく……。」

 

 

 自信なさげに笑う、白銀の義手を身に着けた騎士。……サー、ベディヴィエール。円卓の騎士の中でも目立たないと言われている彼が、ケンの前に立っていた。

 

 

「それで、なぜ後ろをついてくるだけだったのですか?あの時――スフィンクスに襲われたときも、私たちを見ていましたね?近づこうとするのは目で制しましたが。この特異点にいるという、彼女となにか関係が?」

 

「それは……」

 

「―――答えて下さい、ベディヴィエール。私の今の主は立香殿であり、アルトリアではない。あいつがマスターを傷つけるというのであれば、躊躇なく首に刃を振るいます。無論、あなたに対しても。」

 

 

 信長の如く、冷たい声を発するケン。熱砂の砂漠だというのに、気温が下がったように感じてしまう。やがて、沈黙を破ってベディヴィエールが話し出す。

 

 

「私は……私は、我が王を殺すために来たのです。」

 

「……なるほど。」

 

「……不審に思わないのですか。」

 

「いいえ。ただ、私の記憶とは大分違っているようだと思っただけです。」

 

 

 ベディヴィエールが何かを聞いてくる前に、話の主導権はこちらにあるとでもいいたげに続きを促す。

 

 

「そうして歩いている中で、あなたの存在を目にしました。マーリン殿から聞いていた通りの話だと思い、何とか接触しようと……」

 

「待ってください。……マーリン?()()()()()()()()()()()()?」

 

「……? え、ええ。マーリン殿は男性でしょう。あなたも知っているはずでは……?」

 

「いや、失礼しました。……それなら、ひとまずは安心でしょう。」

 

 

 その名を聞いてケンの頭に浮かぶのは、二通りのろくでなし。ケンはあれほどまでに、『死なないでくれ』という言葉をひどい意味で使える存在は彼女しかいないだろうと思いだして身震いした。もし彼女のほうにベディヴィエールが捕まっていたら……ああ、想像もしたくない。

 

 

「ケン殿……?」

 

 

 急に押し黙ったケンを不審に思ったのだろう。ベディヴィエールが心配そうにのぞき込んでいた。その表情に、彼の本質が何も変わっていないことを感じ、ケンは少しだけ安心した。どうやら、何かしらの精神汚染などの影響はないようだ。

 

 

「大丈夫です。それよりも、これからどうしますか?私たちと目的は同じはず。同行するというのなら歓迎しますし、上手く仲介しますが。」

 

「……そうしたいのは山々ですが。まだ信じきれない自分がいるのです。それに、私は獅子王……つまり、ここでの王にこっそり会いに行くつもりですから。実は、聖抜という催しがあり……」

 

 

 ケンは、ベディヴィエールから聖抜なる催しの話を聞いたが、それは恐ろしいものであった。その上、それに加担している……というより、主催しているのがかのアルトリアやかつての友と聞けば、驚くのも無理はない話だ。

 

 

「……ありえない。そんな、そんなことを、彼らが……!?」

 

「辛いことですが、事実です。私はあなたよりここにいる時間が長いですから。」

 

 

 ケンは、聖抜自体に対してはそれほどの感情を抱かなかった。殺し殺されが当たり前の時代に生きてきて、慣れきっていたからだ。だが、それをよく知っている人間が行っているとなれば話は別である。

 

 

「……あなたがその聖抜に乗じて聖都に潜り込もうとしているのはわかりました。ですが、私にはマスターがいる。お優しい方ゆえ、それを知れば必ず全員を助けたいと願うはずです。」

 

「知らせるわけにはいかないでしょう。聖抜はこの死の大地において、唯一とも言っていい生存の手段。求める者は数多く、百や二百では足りません。それだけ多くの人間を押しとどめる方法など、とても……」

 

「……あえて、一切聖都に近づけさせないというのは?聖抜が終わったあとになら……」

 

「この地には山の民という協力者になってくれそうな人々がいます。彼らの心象をよくするためにも、聖抜から人々を助け出した方がいいかと……。」

 

 

 この時二人は同時に、ひどく残酷な正解にたどり着いていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それしかない。もちろん、全ての人間を救うことなど出来ないし、おそらくは50程度が限界だろう。しかしそれでも、立香たちの心は少しはマシになるはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そういう免罪符が付くのだから。後は自分たちが黙っていさえすれば、全てが丸く収まるだろう。

 

 

「……お互い、辛い役回りを背負ったものですね。あなたも私も、自らの主君のために。」

 

「……ああ。やはり、綺麗事だけでは回らないらしい。」

 

 

 二人は固く、誓約をした。この事実は、自分たちだけが持っておくと。立香には、明るい道だけを歩いてほしいのだ。あの太陽のような笑みが似合う、暖かい日差しの差す道だけを。

 

 

 

「それで、結局どうする?ベティは俺たちに加わるのか?」

 

「――!ふふ、懐かしい話し方ですね。あなたはやはり、そちらの方がいい。ですが、私はやはり王と話がしたい。残念ですが、出会わなかったことにしてください。」

 

「……そう、か。俺はお前を責めない、ベディヴィエール。お前の正義を信じて行動してほしい。俺も、俺のマスターを信じるからな。」

 

「――ありがとうございます。どうかあなたも、お気をつけて。」

 

 

 再び歩き始めたベディヴィエールを見送りながら、ケンは一人考える。この事実を立香に伝えればどうなるかをだ。知れば必ず、彼女は全員を助けたいと願うだろうし、そのために行動もするだろう。だが、4人で何ができる?一つの家族だけで、津波を止めようとするようなものだ。例え主君に嘘をつくことになろうとも、彼女の心を守りたい。その一心で、ケンは知らないふりをすることにしたのだ。

 

 

「あっ!ケンさーん!ずっと待ってたの?」

 

「―――ええ。どうでしたか?太陽王とやらは。」

 

「えっとね、すっごい王様って感じの人だった!」

 

「ハハハ、なんとなく想像できますね。」

 

 

 ケンは知っている。人の心に寄り添い続けてきたからこそ、人の心の弱さを知っている。

 

 誰しも、信じたいものを信じるものだと。仮に立香に聖抜のことを伝え、自分たちが総出で聖都に向かおうとする人々を説得して止めようとしても、おそらくは誰も信用しないだろう。日々の苦しい生活の中で、ひょっとしたらまともに生きられるかもしれない。その希望のなんと甘露に映ることか。いくら危険だと叫んでも、彼らは歩みを止めないだろう。

 

 そうして刃が自分の喉元に迫るまで、全く危険に気づかない。誰かの喉が血を吹いて、そこでようやく気付くのだ。自分たちが間違っていたと。

 

 

「……ケンさん、何か迷ってるの?」

 

「―――いいえ?何故そう思ったのですか?」

 

「いや、その、なんとなく、なんだけどさ……。でもほら、おせっかいかもだけど、ちょっと心配で……」

 

 

 申し訳なさげに話す立香。ああ、やっぱりいい人だ。こんな人が、残酷なことを知る必要はない。傷つくのは自分だけでいい。そう思いながら、ケンはにっこりと笑みを作った。恐ろしいほど空っぽで、温度を感じさせない笑みだった。

 




「あの男……!!本当に、どんなカラクリで……!」

「ほう、あのスフィンクスを斃すか。中々面白そうではないか。だが、かの大英雄には及ばんだろうよ。フハハハハ!」


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Part5 失楽園の料理

 最近の楽しみはここすきを眺めることです。作者自身これいいなと思った表現や台詞にここすきがついているとニヤニヤしてしまいますね。その評価が間違いなく私のモチベにつながっておりまする。本当にありがとうございます!

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 さて、ベディヴィエールと別れたケンを加えたカルデア一行は、共に聖都を目指す難民たちと合流して、現在は夜のキャンプを行っていた。難民たちは強盗や怪物から護衛を行ってくれるカルデアを歓迎し、多くない食糧を分けてくれた。ケンも、オジマンディアスから供されたという物資と共に腕によりをかけ、塩分多めのスタミナ料理を作り、非常に喜ばれた。

 

 食事を終えたのち、明日も日の出とともに行動するためすぐに難民たちは眠りについた。ケンやダヴィンチちゃんはサーヴァントとして睡眠を必要としないため、寝ずの番を買って出た。焚火を守りながら、ケンは未だ考え続けていた。自分は、彼らに勝てるだろうかと。無論、精神的な問題ではない。命のやりとりには慣れているし、例え今まで談笑していた相手でも斬り殺せる自信がある。殺人のスイッチは緩い。だが、単純に彼らは強いのだ。特に警戒すべきは、日中で無敵の―――

 

 

「ケンさん?」

 

「―――おや、マスター。どうされましたか?眠れないのですか?」

 

 

 思考を中断し、また笑顔を作る。その顔を見て立香は安心するどころか、更に表情を曇らせた。

 

 

「……ねえ、ケンさん。私って、そんなに頼りないかな?」

 

「!? な、何を言うのですか。あなたは……」

 

「私もね、いろんなサーヴァントの人に会って、色んな世界を渡って……色んな経験をしたの。だからわかるよ。ケンさん、やっぱり何か隠してる。」

 

「……ですから……。」

 

「……やっぱり、だめかな。」

 

 

 そう言って寂しそうに笑う立香。その諦めたような笑みは、ケンに一つの記憶をフラッシュバックさせた。燃え盛る本能寺の中、『是非もなし』と笑う、かつての主君の姿を。

 

 それに気づいた時、ケンは弾かれるように地面に頭をつけていた。下が固い地面なのも厭わず、土下座の姿勢をしていたのだ。

 

 

「……え?ケ、ケンさん!?」

 

「申し訳ございません、マスター!!私は……私は、思いあがっていました!!」

 

「え?え?」

 

「私はこの先に待ち受ける真実を知っていながら、勝手にあなたの心を決めつけてしまいました!あなたの心は、あなたのものだというのに!」

 

 

 何という傲慢だったのだろうか!立香が傷つくと決めつけ、教えるべきことを教えなかった!人の本質を見るべきだとは、自分が抱いた信条だというのに!

 

 

「お、落ち着いてケンさん!何があったの?」

 

「フーッ、フーッ……。大丈夫、大丈夫です。……マスター、失礼しました。」

 

 

 何とか心臓の鼓動を抑え、ケンは改めて座りなおす。そうしてマスターの目を改めて見据え、ゆっくりと話し始める。

 

 

「……マスター。これから話すことは、ひどく残酷なことです。ひょっとしたら、聞かない方がよかったと思うかもしれません。なぜ話したと、私をなじってもらっても構いません。令呪を使われずとも、腹を切る所存です。」

 

「―――うん。大丈夫、話して。」

 

 

 立香の声を受け、ケンはゆっくりと話し始める。聖抜の真実。敵の強大さ。そして、全員を救う事はまず不可能であるということ。立香は震えながらその話を聞き、その度にケンは胸を痛めた。それでも話さなければならぬと、最後まで話しきった。

 

 

「……これが、私の聞いた話の全てです。情報源については、ご勘弁ください。その方と、情報源については明かさないと約束したのです。」

 

「……そっか。ありがとうケンさん。話してくれて。」

 

「礼などと――!!私は、殴られるどころじゃすまないことをしたのです!」

 

「ううん。私のこと考えてくれたの、わかって嬉しかった。ありがとう。」

 

 

 ケンは自分を戒めなければならないと思いつつも、その言葉が心に染みていく。ホットチョコレートを飲んだように、甘い暖かさで心が満ちる。

 

 

「――ケンさん、やっぱり私のことよくわかってるんだね。私、今の話聞いて絶対助けなきゃって思ったもん。」

 

「――ッ! ……しかし、マスター。絶対に、全員を助けることは不可能です。」

 

「……だよね。でも、ケンさんが話してくれた意味は絶対あるよ!ケンさんだけじゃなく、私とマシュと、ダヴィンチちゃんで考えたら何か浮かぶかもしれないし!それにさ、最悪人海戦術で何とかしようよ。全員で必死に呼びかけたら、その聖都の前で戦うよりたくさんの人を助けられるかもしれないじゃん?」

 

「……マスター。」

 

 

 ケンは、目の前で屈託なく笑う少女に、自分のかつての主たちの姿を見た。群雄割拠の日本で、天下布武を掲げた火の玉のような少女を。滅びの確定した島で、少しでもよくあれかしと尽くした騎士の王を。あまりにも強大な敵の前に、吐き気をこらえながら奮闘していた、あの放っておけない皇帝を。

 

 その顔を見た時、ケンは改めて確信した。今のサーヴァントとしての生は、この少女のために使おうと。仮に信長やアルトリアと立香が対立しようものなら、迷うことなく立香につこうと。

 

 

「ありがとうございます。私も、おかげで迷いが晴れました。―――そして、マスター。私に一つ、考えがございます。」

 

「ホント!?やろうよ、それ!」

 

「ま、まずは詳細をお聞きください。おそらくかなり大変な作業になりますので……。」

 

 

 ケンは、焚火の前で立香に自分の考えを話し始めた。4人だけで行うにはあまりに大変なその作業を聞いてなお、意志を曲げることはなかった。そして、その作業に備えるためにすぐに眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

 刺すような日差しの中、難民たちは歩を進める。野盗や怪物に荒らされた故郷の村を捨て、唯一の望みを聖都に託して歩き続ける。会話もなく、ただ黙々と進む彼らの中に、突然ざわめきが起きる。

 

 

「おい、なんだかいい匂いがしないか?」

 

「言われてみれば確かに……。で、でもこんなところで料理屋なんてあるわけないだろ。きっと死んだ獣が地面の熱で焼けたんだよ。」

 

 

 しかし、そのような匂いではないことを誰もが承知していた。ただ単に肉が焼けている匂いではなく、にんにくのような……。

 

 

「あっ!多分、あっちからしてくるよ!行こうよお母さん、ねえ行こうって!」

 

「た、確かに何か見えるけど……。でも、そんなこと……。」

 

 

 口では拒むが、母親の足はふらふらとそちらの方に向かう。それにつられるように一人、また一人と歩き出し、最終的には全員が匂いのする方へ向かうのであった。

 

 

「さあいらっしゃーい!極東の王様に仕えた料理人の、とびきり美味しい料理だよー!お代はとらないよー!」

 

「ファラエル!ピタパン!フムスもご用意してあります!クッベもありますよー!」

 

「食べなきゃ絶対後悔するよー!ほらほら、絶世の美女に応対される幸福も味わっていきたまえ!」

 

 

 カルデアの一行は、ダヴィンチちゃんの設営してくれた出店のような仮設ブースで料理を提供していた。もちろん、これは単なる慈善事業ではない。

 

 

「ピ、ピタだ……。フムスも、いつぶりに食べるだろう……。」

 

「このファラエル、すっごく美味しいわ! ……私の、結婚式のときに母さんが作ってくれた……。」

 

 

 ピタとは中東でよく食べられるパンだ。普通の食パンよりももちもちした食感が特徴で、後述するフムスと一緒に食べることが多い。そのフムスというのはひよこ豆のペーストの事で、見た目は白い味噌のような感じだが、味は優しい口当たりで、フムスにディップして食べるのが一般的である。

 

 ファラエルは豆のコロッケのような料理で、カレー風味の味付けが特徴である。おかずとして食べることもあるが、サンドイッチのようなファストフードと位置付けられることも多い。クッベもコロッケのような料理で、肉やチーズに衣をつけて揚げる。中東料理として知られるほか、イスラエルの隣の国であるレバノンでもよく食べられる。

 

 

「ケンさん、さらにクッベを20、ファラエルを10お願いします!」

 

「了解です!」

 

 

 ケンは汗だくになりながら油を使い、次々に料理を完成させていく。次から次へと客はやってくるので、ケンの作業はまったく楽になることがない。それでもあきらめることなく料理を提供し続けると、難民たちの中に心境の変化が表れ始めた。

 

 

「うっうっ……。か、帰りたい。帰りてえよ……。」

 

「お、おい!?せっかくここまで来たってのに……!」

 

「で、でもよ!俺たち、諦めるのが早すぎたんじゃねえのか!?聖都に行ったって、受け入れてもらえるかもわからねえじゃねえか!」

 

「そ、それは……。だがあの方たちは、正義を信じる方たちだと……」

 

「それなら聖地に都市をつくらなくたっていいじゃねえか!」

 

 

 少しづつ心に溢れてくる望郷の思いと、そこから来る聖都への不信。やがて、リーダー格の男が立ち上がる。

 

 

「……皆。俺は、故郷に帰ろうと思う。」

 

「な!?」

 

「俺が間違っていたんだ。俺たちの生きる場所は、あそこにしかない。故郷にしかないんだ。きっと、諦めるのが早すぎたんだ。強盗や怪物と戦ってでも自分たちの畑を守って、家を守る。それが生きるってことだったんだ。」

 

「リーダー……。」

 

「もちろん、全員が俺についてくる必要なんてない。俺と同じ考えの奴だけがついて来ればいい。……ここで別れよう。」

 

 

 そう言って、人々は口々に議論を始めた。聖都に向かいたい人と故郷に帰りたい人とが話し合うが、割合は圧倒的に帰郷派が多かった。多くの人の舌に、故郷の味が残っていたからだ。

 

 

(上手くいったようですね。)

 

(こんなに上手くいくなんて……。料理ってすごいんだね。)

 

 

 これこそがケンの考えた作戦だった。故郷の記憶を料理によって思い起こさせ、帰るように仕向けるというものだ。信長の元に仕えていたころ、宣教師の本心を探るために使った経験が役に立った。記憶とは、何かと結びついていることが多い。今回はそれを味によって再現したのだ。

 

 やがて難民たちが立ちあがり、立香たちに礼を言って逆方向に向かっていく。故郷に帰ろうとしているのだ。これで少なくとも、目の前にある死は回避できた。ここからの面倒まで見てやることは流石にできない。

 

 だが、マスターの要望は『できるだけたくさんの人を助けること』である。一度の交渉でダメだったならば、次の手を打つまでだ。ケンは、あくまで聖都に向かおうとする人々の中でも、もっとも影響力のありそうな人物に声をかける。

 

 

「……あなたたちは、聖都に向かうのですか?」

 

「……ああ。俺たちにはもう、あそこしかないんだ!あいつらは故郷に帰りたいと言ったが、それは現実が見えて無いだけで――」

 

「殺されるとしてもですか?」

 

「……え?」

 

 

 ケンは最後のチャンスとばかりに、聖都にて行われる鬼畜の所業について話した。難民たちはあくまで信じられないという顔をしていたが、100%信用される必要はない。ほんの少しでも疑惑の渦を作ってやるだけでいい。

 

 

「そ、そんな……そんなこと、あるわけが……」

 

「ないとは言い切れません。信じるか信じないかはお任せしますが、私は断言します。このまま聖都に向かえば、間違いなく殺されることでしょう。」

 

「……そ、そうだ!!お前ら、聖都に向かうライバルを消そうとしてるんだろ!?人数が減れば、聖都に入りやすくなるんだろ多分!!」

 

「そう思いたいならそれでも結構。あなたの選択によって死ぬのは私ではなくあなたですから。」

 

 

 あえて冷たく突き放すような言い方をし、不安を煽る。そうすれば、人は逃げたくなるものだ。安全策に走ろうとするものだ。その安全策に続く逃げ道は、先ほど料理で舗装した。

 

 

「……帰ろう。俺、万が一にでも死にたくねえよ……。」

 

「お、俺も!どうせ死ぬんなら、故郷の方がマシだ!!」

 

「お、お、俺は諦めねえからな!!何が何でも聖都に行くんだ!!」

 

 

 また何人かのグループが離脱し、最終的に聖都に向かおうとする人数は10分の1程度になっていた。そこでようやくケンも見切りをつけ、次の料理の準備をする。立香やマシュはあくまでも全員に諦めさせようとしていたが、やはり難民の意志は堅く失敗した。少しだけ落ち込んだような顔をしながら帰ってくる立香に、ケンは安心させるように声をかける。

 

 

「マスター、お疲れさまでした。あの人たちも、聖都での戦いで逃げられるかもしれませんから。」

 

「……そう、だね。うん、そうだ!落ち込んでる暇なんてないよね!」

 

 

 このように移動しながら料理のキャラバンを続け、カルデアはかなりの人数を故郷に帰還させた。それでも聖都の壁についたとき、集まっている難民は500を超えるだろう。カルデアが接触できなかったグループもいるのだろうし、これは仕方のないことだ。

 

 

『あ、あー……。聞こえるかい、立香くん!?』

 

「ロマニ!やっと通信がつながったんだ!」

 

『ああそうなんだ!今の状況を報告してく……わ、ちょ、ちょっと!?』

 

『おいマスター!ケンはどこにおるんじゃ!』

 

「……ケンさん、覚悟決めて。」

 

「……はい。」

 

 

 集まっている難民たちに迷惑をかけるわけにもいかず、なおかつ目立つのがもっとも不味いことなので、ケンは必ず後でお話ししますからと何とか通信を打ち切った。夜も更けているため、周りに寝ている人も多い。誰かを起こしたりしなかっただろうかと心配していたその時。

 

 

 ―――急に、夜が明けた。

 

 

「なっ!?わ、私いつの間に寝てたの!?」

 

「いや違う!いきなり昼になったんだ!」

 

「昼……なるほど、あの男ですか。なら、逃げの一手ですね。」

 

 

 そう呟くと、ケンはすぐに移動するよう立香に促した。また、深く深くマントを被ることで、顔をしっかりと隠した。戦闘になるであろうという事はあらかじめ伝えておいたため、全員すぐに動くことが出来た。ダヴィンチちゃんもコソコソと仕掛けていた何かのスイッチを持ち、非常に悪い顔をしていた。

 

 

「な、何だ!?いきなり朝になったぞ!?」

 

「――恐れることはありません。これは私に与えられた獅子王からの祝福(ギフト)。獅子王の奇跡です。」

 

 

 澄み渡った川のせせらぎのような爽やかな声が響き渡り、難民たちも静まり返る。その声を発したのは、ブロンドの髪をした大柄な騎士。――太陽の騎士、ガウェイン卿だった。

 

 

「あなたたちには、聖都に入るまえに選別を受けていただきます。この光に選ばれた者こそ、聖都に入る資格のある者。」

 

 

 そう宣言すると同時に、一人の女性の体が眩い光を放つ。その女性はどうやら母親のようで、手を握る子供が不安そうに母親を見る。

 

 

「……一人だけ、ですか。ではその女性を聖都に招き入れましょう。……それ以外には、聖罰を始めます。」

 

 

 難民を囲む騎士たちが、装備している剣や槍などの武装を構える。一方的な虐殺が始まる……ことはなかった。

 

 

「ダヴィンチ殿!」

 

「よっしゃー!まとめてぶっ飛びたまえ!!」

 

 

 実に楽し気にダヴィンチちゃんがスイッチを押すと、地面に埋め込んでおいたダヴィンチボンバーが爆発。難民たちを取り囲む粛清騎士の円に穴が出来る。

 

 

「皆あそこだ!あの穴から逃げられるぞ!!」

 

「い、急げ!!」

 

 

 できた穴に雪崩れ込む難民たち。次々に連鎖して起こる爆発。ダヴィンチボンバーはあえて時間差を作ってあるのだ。

 

 

「先輩!私たちはここで、殿を務めましょう!」

 

「もちろん!ってあれ、ケンさんどこ行った!?」

 

「あ、あそこです!あの輝く女性のところ!!」

 

 

 ケンは子供に斬りかかろうとする粛清騎士の兜の隙間、喉の部分に刀を突きさして始末すると、すぐに女性の手を引いた。

 

 

「早く!こっちへ!」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「礼はいいから早く走って! ――ッ!」

 

 

 突如襲い来る斬撃。ケンは果てしなく重い其の一撃を何とか受け止め、ケンは吹っ飛ばされた。

 

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 

 母親は叫ぶが、ケンは言葉をかけることなく手で『早く行け』と促す。言葉がなくとも伝わったのか、母親は頷いて走り出す。マシュが彼女の方へ走っていたのでもう安心だろう。

 

 

「……あの一撃を受け止めますか。騎士道に反する攻撃までしたというのに、簡単にいなされては困りますね。」

 

「……。」

 

「あまり話をするのが好きではないようですね。ですが構いません。どちらにせよ、ここで死んでいただきます!」

 

 

 突如始まるガウェインとケンとの戦闘。しかし、日中3倍の強さを誇るガウェイン相手には勝負にならず、ケンは耐えることで精一杯だ。倒すことを目的とせず、ひたすら逃げ腰で戦うことで、何とか戦いと呼べるものになっていた。

 

 だが、そんな戦いからでも得られるものはある。ガウェインは、目の前の姿を隠すようにマントを被った人物の使う剣に、妙に見覚えがあることを感じずにはいられなかった。

 

 

(この剣筋、まさか彼の……?いや、彼に限って我が王を裏切るはずが……)

 

 

 一瞬生じた迷い。その隙を逃さず、突っ込んでくる人物がいた。

 

 

「はぁあああーっ!!」

 

「何ッ!?」

 

 

 黄金に輝く、白銀の義手。それを掲げて斬りかかってくるのは、見間違えようもないかつての友。

 

 

「ば、馬鹿な……!!なぜ、なぜあなたがここに!」

 

「ぐ、うぅうぅううう……。こ、答える必要はありません!サー・ガウェイン!その悪逆非道、ここで絶たせてもらいます!!」

 

 

 ベディヴィエールの叫びと共に、輝きを増す戦神ヌァザの腕。その光は、もはや日光をも呑まんとするほどだ。極光を浴び、ガウェインのギフトがほんの少しだが弱まった。すかさずケンは首を刎ねに斬りかかるが、ガウェインもギリギリでガラティーンを振るう。そのせいで踏み込みきれなかったケンは、逆にフードを切り裂かれるという結果に終わった。

 

 

 ―――だが、それがガウェインに与えた衝撃は大きかった。

 

 

「ば、かな……!」

 

「! 今です、離脱しましょう!!」

 

「ケンさんこっち!早く来て!!」

 

「ダヴィンチフラッシュもおまけしとこう!急いで脱出だ!!」

 

 

 ダヴィンチちゃんのスタングレネードのような何かが投擲され、あたりの人間の視界を奪う。ガウェインに至っても例外でなく、思わず目をつぶってしまう。その隙を逃さず、カルデアの一行やベディヴィエールは離脱に成功した。……というよりかは、あまりに多くの事が同時に起こり、ガウェインが行動できなかった。しばらく彼はそうやって立ち尽くしていたが、やがて足取り重く王城へと向かう。かの王に、この出来事をどう説明すべきかと考えながら。

 

 

 

 ―――キャメロット内、王城

 

 

「……失礼します。ガウェイン、帰還しました。」

 

 

 その言葉に、円卓についていた騎士たちが一斉に振り返る。13の席があったそれは、今では歯抜けだらけになり、ひどく不自然なものであった。

 

 

「――ガウェイン卿。何が起きた?」

 

「――ッ! ……獅子王陛下。既に、お目覚めでしたか……!」

 

「随分と騒がしい戦いのようだったのでな。爆発、剣戟……ここまで聞こえてきたほどだ。それよりも、疾く報告を為せ。」

 

 

 機械のような冷たい声を発するのは、まさしく黄金の如き見事な髪を持った女王だ。その容貌、その振る舞い、どれをとっても理想的。まさしく王の中の王と呼ぶべき存在である。……ただ一点を除けば。

 

 

「……サーヴァント2騎に妨害され、聖抜に選ばれた唯一の女性を逃がしました。他にも協力者がいたようで、粛清騎士の囲いも突破され、難民を計100名ほど逃がしてしまいました。」

 

「ハハッ!馬鹿見てえだなガウェイン!一番大事な役割を与えられておきながら、そんな大ポカやらかしてんのかよ!」

 

「――黙れ、モードレッド。お前には、ここに入る許可を与えていない。」

 

「わーってるよ、父上!しっかり荒野を守っとくからよ!」

 

 

 死刑宣告のような獅子王の言葉にも、モードレッドは嬉しそうに答える。父上と言っているが、ひどく歪な関係のように思える。

 

 

「それで、そのサーヴァント2騎とは何者だ。我々の計画の障害になりうる者か。」

 

 

 ガウェインに質問したのは、『鉄のアグラヴェイン』と呼ばれるほど、冷血で厳格な騎士だ。獅子王に最も忠実に尽くしている騎士であり、他の円卓の騎士からも恐れられている。もしガウェインが……いや、他のどんな騎士だとしても、敵に回ったならば何の躊躇もなく殺すことが出来るだろう。そのような恐ろしい人物の前でさえも、ガウェインはまったく動じることなく言葉を発した。

 

 

「……()()()。つまらない英霊でした。ただ単に、私が油断していただけの事。」

 

 

 ガウェイン卿は、理想の騎士としてあるまじき嘘をついた。この嘘が、この先の運命を大きく変えることとなる―――。

 




「あっ、あやつ早々に通信切りおった!!」

「ちょっと!ノッブがずっと話してたせいで沖田さんは声しか聴けなかったじゃないですか!!私だってケンさんと睦言を囁きたかったのに!!」

「やってしまいましたねえケン。これは教育でしょうねえ……。」


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Part6 正義の激流

 今日は本当は投降する予定はなかったんですが、アイデアが浮かんできたので忘れないうちに書き上げた作品になります。誤字脱字とかないかすっごい不安。

 新規ぐだぐだイベ来ましたね!千利休・壱世・山南敬助とか戦う気ある?っていう面子ですけど、この中にひとり今後出したいと思っていた人物に深く関わってるんですよね。すごく映える生きざまの人ですので、予想してみるのも面白いかもしれません。

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 カルデアの一行は聖都を囲む嘆きの壁での戦いから離脱し、現在は50名ほどの難民を抱えながら必死で撤退していた。難民の中には病人や子供も混じっているためその進行スピードは遅く、ケンは焦りを隠せなかった。

 

 

「クソ……急がなくては、追手が来るというのに!」

 

「しかし、皆さん疲れています……!サーヴァントの私たちや、魔術礼装のサポートがある先輩とは体力の差が大きすぎます!」

 

 

 焦りは難民たちの中にも不安を生む。そう考えたダヴィンチの提案で、今夜はひとまずここで休むこととなった。ケンも難民の疲れには気づいていたため、渋々了承して料理を作った。

 

 

「ケンさん……。なんでそんなに焦ってるの?」

 

「マスター。私も、普通の騎士王が相手であれば、このように焦ったりはしません。去る者は追わずという方針もありましたから、追手が来る可能性は低いでしょう。……ですが、聖都でのあの残虐な行い。あれを行う――いえ、行うことが出来る者に、一人心当たりがあります。」

 

「――アグラヴェイン卿、ですね?」

 

 

 会話に割って入ってきたのは、先ほどの戦いで協力してくれたベディヴィエールだ。ケンを除くカルデアの一行は、ケンとベディヴィエールが旧知の仲であることや彼が特別な義手を持っていることに驚愕したが、それはひとまず飲み込んでいた。

 

 

「ベディヴィエールさん!アグラヴェインっていうのは?」

 

「……鉄のアグラヴェイン。その通り名の示す通り、頑強な騎士です。ですが、彼の特徴はそこではありません。彼の真の能力は文官としての統治能力。……そして、拷問技術。」

 

「彼はたとえ、苦痛に呻く声を三日三晩聞かされ続けたとしても眉一つ動かさないでしょう。それほどまでに冷血な面がある人物です。王に対する忠誠心は本物ですが、それ故に敵対者を徹底的に排除する傾向があります。……少なくとも、私たちをみすみす逃がしてくれることはないでしょう。」

 

「……そんなに怖い人なんだ。」

 

「少し、人間嫌いなところがあるようでしたね。率直な物言いをしていたので、トラブルの原因になることもしばしば……。」

 

「まあ、それはいいじゃないかベティ。ひとまず、今の状況の危険さはわかっていただけたと思います。ですから、マスターも出来るだけ早くお休みください。明日も急ぎ移動しますので……。」

 

「う、うん。それじゃあお休み!ケンさんもベティさんも、ゆっくり休んでね!」

 

 

 マスターがテントの中に引っ込んだのを確認し、ケンとベディヴィエールはようやく一息つくことが出来た。ケンが作った野菜のポタージュをつつきながら、今までにあったことを共有する。その結果、まずは山の民に助けを求めるべきだということに決まった。獅子王と対立している上、何騎かサーヴァントが混じっているため、協力するならここしかない。ひとまず二人も休むことにして、その日は終わった。

 

 

 翌朝。ケンとベディヴィエールは昨晩話し合ったことを報告し、カルデアの方針は決定した。難民たちも山の民に話をつけてくれることとなり、すぐに移動を始めた。とはいってもやはり、全てが順調というわけにはいかず、あまりにも暑い気候に倒れそうになる人も現れ始めた。その人たちを休ませるたびに立ち止まらなくてはならず、焦りは蔓延していく。

 

 

「……あの人たち、大丈夫かな。」

 

「うーん、少なくとも命に関わるものじゃないよ。ただの熱中症みたいだ。でも、立ち止まっているのが怖いところだね。」

 

「こうしている間にも、追手が迫ってきているはずです。最悪、戦闘の準備をしていた方がいいでしょう。……そして問題は、誰がこちらを追っているのかという事です。最悪なのは……」

 

「―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

「!? い、今の声誰!?ロマ二!?」

 

『ち、違うよ!?それに、そっちに魔力の反応は確認できない!』

 

 

 この状況にはまったくそぐわない、ひどく呑気な声が響き渡る。その場にいた誰もが驚いて辺りを見回すが、声はすれども姿は見えない。一体何が起きたというのか。

 

 ……いや、正確には一人だけ違う反応をしている者がいた。真っ青な顔をしたケンだ。

 

 

「やあやあ、皆元気にしているかな?花の魔術師、マーリンお姉さんの登場さ!もっとも、マーリンお兄ちゃんに悪いから今回は声だけの登場にさせてもらうんだけどね!」

 

『マ、マーリンだってぇえ!?え、そ、そんな、こんな女性じゃないはずだぞ!?』

 

「おや、その声はソ……んん!親愛なるドクター・ロマ二じゃないか。ゆっくり挨拶したいところだけど、今はそれどころではなくてね。一つ助言をしに来たのさ。」

 

 

 突如現れた声はマーリンを名乗り、カルデアに助言があるという。だがその声を遮る者が一人……

 

 

「ま、待ってください!え、マ、マーリン殿がなぜここに!?あなたは確かにあの時、『最初で最後のお別れ』だと……!」

 

「あっ、いたいた!いやあそれがね?あの時の君の答えがあまりに美しいものだったから、サーヴァントの生も見守ってあげようかなと思ったのさ!まあこれから長い付き合いになるわけだし、よろしく頼むよ、マイ・フェイト♡」

 

「あ、悪夢だ……。」

 

 

 思わず頭を抱えてしまうケンと、それを意にも介さず楽し気な(自称)マーリン。周りはあっけにとられていたが、立香の目は冷たい。

 

 

「い つ も の。今更言う事ないよねケンさん。」

 

「誤解ですマスター……。今回ばかりは本当に誤解なのです……。」

 

「えー!哀しいなあ、あんなに素敵な時間を過ごしたっていうのに!おっと、そういえばそれより話すことがあるんだった。さっきも言ったと思うけど、君たちをランスロット卿が追跡中だ。あと数十分もすれば、君たちの計測の範囲にも入るだろう。」

 

 

 マーリンが軽い調子で話してきたことは、カルデアの中に小さくない衝撃を与えた。なにせ、相手はあの円卓最強の騎士、ランスロットなのだ。戦えばどうなるか、わかったものではない。

 

 

「し、しかしちょっと待ちたまえよ?マーリンを名乗る君が、敵の工作である可能性はないのかな?私たちを惑わすためということも考えられるだろう。」

 

「意外と疑り深いのだね、ダヴィンチ。まあ疑うのも無理はないと思うけど、その理由の一端は君の握る自爆装置にあるんだよ?」

 

「……。」

 

 

 自分の隠し玉を明かされて、流石のダヴィンチも驚きを隠せない。なぜわかったと問い詰めるよりも先に、立香とマシュが声をあげる。

 

 

「じ、自爆!?なんでダヴィンチちゃんそんなもの持ってるの!?」

 

「ダメです!そんなこと、許されません!」

 

「……参ったな。座まで持っていくつもりだったのだけれど……。」

 

 

 ダヴィンチちゃんは観念したように、されどどこか嬉しそうに自分の企みを語った。嘆きの壁で戦った時点で追手が来ることは予想できたため、最悪自分が車に乗って敵軍に突っ込み、自爆することで足止めをするつもりであったということを話し、立香とマシュからお説教を約束されていた。困ったように笑うダヴィンチだったが、その雰囲気は朗らかだ。

 

 

「まあ、つまりはそういうことさ。ダヴィンチが自爆しようとしたらまず間違いなくケンが庇うだろう?というか、ケンなら自分が代わりに突っ込んでいくと予想したんだ。私としてはケンに死なれたら困るから、こうして安全に逃げられる方法を提案しに来たというわけさ。」

 

「……それは多分、そうしただろう。その点に関しては感謝せざるを得ない。」

 

「うんうん、それでいいのさ!さて、それじゃあ花のお姉さんの素敵な脱出プランを聞いてくれるかな?まずは、こっちの方角に向かってついて来てくれたまえ。」

 

 

 マーリンの先導に従って移動する面々。ロマ二とケンはあまりいい顔をしなかったが、手段を選んでいられないのも事実だ。仕方なくついて行くと、やがて激流が見えてきた。まるで何かに怒っているかのようなその川の流れは、難民たちに畏敬の念を抱かせるには十分だった。

 

 

『な、なぜこんなところに川が!?そもそもこんな荒野なら、とっくに干上がっているはずだろう!?』

 

「ここは普通の川じゃないからだよ、ミスターロマ二。観測してごらん、きっと異常性に気づくから。」

 

『え、えーっと……うわっ、なんだこの魔力量!?ほとんど魔力の塊と言ってもいいくらいだ!これじゃまるで、誰かの魔術で作られたみたいな……あっ!』

 

「うんうん、優秀優秀。ここはとあるサーヴァントの宝具で作られた川なんだ。誰かはわかるかい?」

 

 

 激流に飲まれないよう気をつけながら、ベディヴィエールがゆっくりと川に近づく。近くで見たことによって確証を得たのか、息を飲んで驚いた。

 

 

「こ、これはケイ卿の宝具……!ここまでの出力をしているなんて、どれほどの怒りを……。」

 

「ケイ?あ、あのちゃらんぽらんがこれを!?」

 

 

 ケンも驚き、川に駆け寄った。ケン自身にはその力は感じ取れなかったし、この激流とケンの知るケイとがどうしても結びつかなかった。

 

 

「実はこれは戦いの痕跡でね。ここでケイ卿と獅子王との一騎打ちがあったのさ。」

 

 

 そう前置きをして、マーリンは話し始める。叛逆によって忠義を示した、王に最も近い男の話を。

 

 

「実はね、今のキャメロットにいるのは全ての円卓の騎士というわけではないんだ。召喚されなかったわけではないんだよ?召喚された上で、彼らは真っ二つに分かたれたんだ。獅子王に従う者と、反旗を翻す者。両者のとった行動は真逆でも、共に王を想う気持ちは同じだった。」

 

 

「実は、一番初めに叛逆を決めたのがケイ卿でね。彼の行動が、他の叛逆者に勇気を与えたと言ってもいいだろう。獅子王側についた騎士たちは、逸話も宝具もモリモリの化け物揃い。そんな相手に戦うことを選ぶとは、私の知る彼とは随分違うようだ。――まあともかく、彼らは獅子王に歯向かい……そして、ボロ負けした。」

 

 

「はっきり言わせてもらうなら、勝敗の見えている戦いだったからね。ほとんど守勢一方の彼らは一人また一人と倒れ、最後にはケイ卿一人が残った。実に皮肉な話だね。最後に残ったケイ卿は、獅子王に降伏するふりをしておびき寄せ、自らの宝具を展開した。それがこの川だよ。」

 

 

「円卓一の水泳の名手と謳われる彼は、こういう水に関する宝具を持っていてね。これで獅子王と自分とを囲み、誰にも邪魔をされないようにしたのさ。勝てる見込みのない戦いだが、ケイはそれでも戦うことをやめなかった。片腕をもがれてなお、剣を持ち換えて戦った。 ……その結果、この川だけが残ったのさ。」

 

 

 その言葉を受け、あらためて川に目を戻す。荒れ狂う流れは、髪を振り乱しながら戦う勇猛な騎士を思い起こさせた。彼は一体、何を思って戦っていたのだろうか。

 

 

「―――進みましょう。私たちは、彼の意志を継いで戦わなくてはならない。」

 

 

 ベディヴィエールのその言葉に、みな力強く頷いた。マーリンも満足げに頷き、『うんうん、これこそ私の仕事だよね』と呟いている。

 

 

「さて、ではこの川を渡る方法ですが……ダヴィンチ殿。よろしくお願いします。」

 

「……ふっふっふ。自爆がダメなら別の方法で役に立とうじゃないか!この万能の人、レオナルド・ダ・ヴィンチちゃんに任せなさい!」

 

 

 その言葉に嘘はなく、あっという間に橋が組みあがった。釘も接着剤も使わないのに高い強度を誇ると有名な『ダヴィンチの橋』に代表されるように、橋を作ることに関してはそれなりに一日の長がある。ダヴィンチちゃんはあっという間に全員が渡れるような橋を組み上げると、渡り終わったあとにそれを燃やして落としてしまった。これで円卓の騎士が追ってきたとしても、その配下の騎士たちまでは追ってこれないだろう。

 

 

「やったー!これでちょっとは安心できるんじゃない!?」

 

「山の民に接触するまで油断は禁物です。しかし、これほどまでに上手くいくとは……。」

 

「全くだね!マーリンはろくでなしだと各所で聞くが、自分の目で見るまで分からないものだ!」

 

 

 口々に褒められて、マーリンの方も『やあやあ、ありがとう!』などと調子のいいことを言っているので、難民たちの雰囲気もいつしか柔らかなものになっていった。こうなってはケンもマーリンのことを警戒してばかりもいられないと思い、感謝を告げる。

 

 

「――マーリン殿。今回の助力は本当に助かりました。……過度に警戒していたこと、謝罪します。」

 

「わぁ、久しぶりにしおらしいところを見た気がするね。なに、私がやりたくてやったこと、礼は不要さ。」

 

「マーリン……!」

 

 

 ケンは一人、感動していた。マーリンからそんな義に溢れた人のような言葉が聞けるなんて!誰しも、善の道に進めるものなのだと打ち震えていたが、次の言葉でそれはあっさりと裏切られる。

 

 

「どうしても礼がしたいというのなら、君のあのかわいい女の子たちによろしく言っておいてくれないかい?『近いうちにお邪魔するよ』とでもさ。」

 

「……は?」

 

 

 おじゃま?する?カルデア、に……??

 

 

「おっと、そろそろマーリンお兄ちゃんに怒られてしまうね。それじゃあ、残りの旅路も頑張ってくれたまえ、マイ・フェイト!」

 

「いや!あの!ちょ、ちょっとまっ……!!」

 

 

 真夏の夜の夢の如く、一瞬で消えていったマーリン。後に残ったのは、更に厄介ごとの種を抱えてしまった男の、悲痛な叫びのみなのであった……。

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

「サー・ランスロット!標的の足跡はこちらの川の目の前で途切れています!」

 

「で、ですが、こんな激流に橋をかけられるものか……?追跡から逃れられぬと観念して、身を投げたのでは……?」

 

 

 ランスロットはただじっと、川を見つめ続けていた。かつての友の墓ともいえるこの流れ。自分が為せなかった正義を突きつけられているようで、思わず胸を押さえてしまう。

 

 

「サー・ランスロット、いかがなさいますか?あなた一人なら、この川を泳いで渡ることも可能なのでしょうが、我々はそうは……」

 

「……いや、この川を渡ることなど、誰にもできはしない。馬を手配しておけ。川を迂回して追うぞ。」

 

「了解です!すぐに用意を!」

 

 

 返事をして慌ただしく動き始める兵士たち。それを横目に見ながら、ランスロットは考え続けていた。己の正義とは、一体何だったのかを。




「マ、マスター……。一応お聞きしたいのですが、その花はいったい……!」

「あ、これ?なんかいつの間にかポケットに入っててさ。すごくきれいだしいい匂いだから、しおりにでもしようかなって。」

「す、捨ててください今すぐに!!なんなら燃やしてください!!」


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Part7 山の民

 待たせたわりに今回はタメの回です。あんまり面白くないかもだけどごめんやで。その代わり出来る限り早く次の見せどころを書くつもりなので、長い目で見てちょ!

 そういえばぐだぐだイベ、盛り上がってますね。……山南さん、裏切りすぎでは?調べても大した逸話が出てこなかったからどうするんだろうと思ってたら、事あるごとに裏切るフーゴ的なキャラで行くんですかね?

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 マーリンの宣言の衝撃冷めやらぬまま、カルデアは山の民に接触していた。山の民はもともとここエルサレム周辺に住んでいた人々を、はぐれサーヴァントたちが守護するという形で存続している集団だ。ベディヴィエールの勧めで、カルデア一行は交渉を行っていたのだが……

 

 

「……相分かった。難民の者たちは受け入れよう。だが!貴様らのようなよそ者を認めるわけにはいかぬ!」

 

「そ、そんな!」

 

『ちょっと待ってくれ!僕たちの目的は同じで……』

 

「黙らっしゃい!この声だけの卑怯者めが!!」

 

『ひいごめんなさい!』

 

 

 集落を守っていたサーヴァント……呪腕のハサンに一喝され、ロマニはすっかり縮こまってしまう。フンと鼻を鳴らし、ハサンは話を続ける。

 

 

「そも、そこにいるのは円卓の騎士ではないか。我らの最後の希望までも摘みに来たのか。」

 

「待って!ベディヴィエールは円卓の騎士じゃないの!」

 

「そうです!ガウェイン卿のように強くもなければ、これといった逸話もない方ですから!」

 

「あ……はい……そうですよね……私なんて……。」

 

「そ、そうなのか。強く生きられよ、白銀の方。では、そっちの男はどう説明するのだ!鍋を背負って帯刀しているという怪しい見た目の上、女泣かせの香りがプンプンするわ!」

 

「しょ、初見で見破られた!?先輩、この方は相当いい目を持っています!」

 

「わ、私は……私は、初めて会う方にもわかるくらい、遊び人なのでしょうか……。」

 

 

 心に深いダメージを負った二人を他所に話は進み、ひとまずは力試しをすることとなった。山の民の協力者である、アーチャークラスのサーヴァント、アーラシュの仲介によるものだ。曰く、『ハサンは難民を救ってもらったことをこの上なく喜んでいたが、それはそれとして信用できるのかどうかと、仮に協力体制をとった際足手まといにならないかの確認をしたい』との事である。

 

 

 そして始まる戦闘だったが、こちらの編成がセイバー2騎とシールダー、それにキャスターとバランスがいいのに対し、相手はアーチャーとアサシン。接近さえしてしまえばあっさりケリがつくと思われたが、予想に反し戦いは苛烈を極めた。

 

 というのも、相手の戦い方が抜群に上手いのだ。アーラシュから放たれる矢は、一撃一撃が非常に強烈で、対処するために足を止める必要があったため、中々距離をつめることが出来ない。その上、ハサンが影から飛び出すように急襲を仕掛けてくるので、ほんの少しも気を抜けない。

 

 戦いは結局、立香のガンドによって動きが止まったハサンをマシュが盾でぶん殴って決着した。アーラシュはハサンが負けた時点で笑いながら降参し、何とかカルデアの勝利となったのであった。

 

 

「ぐ、むうう……流石にここまで完璧に負けては、これ以上意地を張るのも無意味、か……。」

 

「だから言ったろ?呪腕の兄ちゃん。こいつらはいい奴だってな。」

 

「私たちはあくまで獅子王を倒すため、協力できると考えています。どうか、力を貸していただけませんか?」

 

「……それを願い出るのはこちらの方だ、魔術師殿一行よ。どうか力添えをお願いしたい!」

 

「やった!交渉成立だね!」

 

 

 こうして山の民の協力を取り付けたカルデアは、彼らの村に迎え入れられた。ケンが戦って助けたあの親子も、子供は新天地にわいわいと走り回り、母親はそれをなだめながらも幸せそうな顔をしている。

 

 

「よっしゃ!歓迎の宴といきたいところだが、その前にちょっと仕事に付き合ってくれるか?あんたらも、周りからの信用が得られるかもだぜ?」

 

「アーラシュさん。仕事とは一体……?」

 

「なに、村の周りの化け物どもをちょっくら狩りに行くだけさ。村の安全は守れる、食える部分は少ないが肉も取れる、そんであんたらは信用が得られる。いいことずくめだろ?ま、あんまり美味くはないけどな!」

 

 

 ガハハと快活に笑うアーラシュ。周りの雰囲気もついつい緩んでしまう、リーダーシップのある人物だ。その弓の腕はやはりすさまじく、ケンやベディヴィエールが走り回ってようやく一匹キメラを仕留めたころには、アーラシュが3匹仕留めていた。もっともキメラはベースがライオンなので、強いわりに美味しくない獲物なのだが……

 

 

「ふふふ、そこはこのダヴィンチちゃんにお任せさ!ムジーク家の錬金術の如く、上等なお肉に変えてあげよう!」

 

 

 しかしそこはカルデアの誇る技術者、ダヴィンチの面目躍如というものである。錬金術によって臭みを抜いてくれた。臭みさえ抜ければある程度食べられるものになるが、どうしても固さや筋っぽさは抜けない。だが、カルデアにはこの男がいる。

 

 

「肉が固いときは繊維を断つように切るのが大切です。それから、脂肪が少なそうなので牛脂を使いましょう。こんなこともあろうかと、持ち込んでいるのですよ。」

 

 

 あとは叩いて柔らかくしながら……などと呟きながら、てきぱきと調理を行うケン。塩コショウで味付けをすれば、食欲をそそる匂いが香り出す。

 

 

「おお、美味そうだな!こりゃ急いで持って帰って、皆にも食わせてやらなきゃだ!」

 

「はい!急いで帰還しましょう!」

 

 

 来た時とは違って足取り軽く、一行は村に帰った。きちんと調理されたキメラの肉は非常に評判がよく、あっという間になくなってしまった。立香もしっかりと腹ごなしをし、すっかり忘れてしまっていた目的を思い出した。

 

 

「あっ、そうだ霊脈!マシュ、確かこのへんにあるんでしょ?」

 

「そうでした!ハサンさん、ここに召喚サークルを設置させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「……そうですな、戦力の増強になるのであれば。」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 嬉々として盾を設置し始めるマシュ。その嬉しそうな様子を見たケンは、立香に尋ねてみた。

 

 

「マスター、召喚サークルとは何ですか?」

 

「あっそうか、ケンさん初めてだもんね。召喚サークルを設置したらカルデアから物資の支援を受けられたり、サーヴァントの皆を呼んだりできるんだよ!」

 

「なるほど……え、ちょ、ちょっと待ってください?カルデアから、サーヴァントが来るのですか??」

 

「……まあ、責任とればいいんじゃない?」

 

「マシュ殿ステイ!ステイですちょっとまっ――!!」

 

 

 ―――もう、すべてが手遅れだったのだ。

 

 

「オウオウオウ、ケン?まるでワシらが来るのが嫌みたいな言いぐさじゃなあ?」

 

「い、いえそのようなことは……」

 

「やっぱり()()()が必要みたいですね?特異点とかなんとか関係ありません、上下関係というものをしっかりその体に教えてあげますよ、うふふふふ……。」

 

「お虎さんも落ち着いてください。か、カルデアに戻ってからなら、いくらでもお相手しますから……。」

 

「言質とりましたよケンさん!沖田さんもお、お、お相手してもらいますからね!!」

 

「……鼻血出てるぞ。」

 

 

 あっという間にいつもの空間になってしまったケンの周囲を、立香とマシュは冷ややかな目で見つめていた。あれさえなければいい人なのになあと思いながら。

 

 

「ははっ!ケンのやつも中々隅に置けねえな!」

 

「やはり、あの時感じた女泣かせの雰囲気は……やれやれ、ですな。」

 

 

 すっかり賑やかになった歓迎の宴。夜は更け、魔力の温存のためにぐだぐだ3騎は帰っていった。有事には必ず呼んでくださいねと言葉を残して。

 

 

「……結局あの3人、ケンさんといちゃついてご飯食べて帰っていっただけなんだけど。何しに来たんだろ。」

 

「面目ないです、マスター。私が我儘を言ってついてきたばかりに……。」

 

「まったくじゃな!猛省せんか!」

 

「……ん?」

 

 

 そこいたのは、目を引く艶やかな黒髪と燃え盛る焔のような緋色の目をした少女。そう、帰ったはずの織田信長がそこにいた。

 

 

「な、なんで帰ってないんですか信長様!マスターが干からびてしまいます!」

 

「あー、それは安心せい!ワシは今、マスターからのパスは一時的に切っておるからな。まあなんせ?ワシってば、『単独行動』とか言う便利スキル持っとるわけじゃし?やっぱ、越後のメス猫だの敵を殺した人数より粛清した身内の方が多いような人斬りサーの姫とは違うわけよな?はっははは!」

 

「……あんまり陰口言ってるんじゃ、ホントの意味で単独行動してもらいますからね。」

 

「むう、ワシとおるのに他の女をかばうでないわ!まあそういうところを好きになったんじゃけどネ!」

 

 

 また始まったよと、もはや立香はほんの少しも気に留めず、ぐっすりと眠りについた。日が昇るのに従って目を覚ませば、一日の仕事が始まる。ひとまず今日も狩りに出ようとした時、一人の男が駆け寄ってきた。

 

 

「頭目ー!大変だ、西の村から狼煙が!!」

 

「な、何だと!?色は何色だ!?」

 

「――黒!敵襲だ!」

 

「アーラシュ殿、旗は何と出ているか!?」

 

「赤い竜の首を経ち斬る稲妻だ!見覚えはあるか!?」

 

「おお、おおお――!!まずい、皆殺しにされるぞ!!」

 

「ん、皆殺しじゃと?疾く申せ!」

 

 

 信長が珍しく君主らしいことを宣言すると、カリスマが働いたのか物見の男は突然の命令にも困惑することなく、弾かれたように報告する。

 

 

「は、はい!黒の狼煙は、『まもなく接敵する』の意味です!」

 

「西の村には、百貌の姉さんがいるが、もって半日ってとこだろう!だが、ここから向かうにはどう見積もっても2日はかかるぞ!」

 

「なおのこと不味いのは襲撃者だ。獅子王を示す竜を殺すと宣言するのは一人しかいない!」

 

「ま、まさか――!」

 

「―――モードレッド!あのバカ……!!」

 

 

 ケンの呟きは周囲の喧噪にかき消され、誰にも聞かれることはなかった。信長でさえ、次の手を考えて誰の話も聞いていなかったのだ。

 

 

「ダヴィンチちゃん!なんかこう、ビューンと西の村まで飛んでいけたりしないの!?」

 

「時間さえあるのなら、木と鉄釘一本でヘリコプターくらいちょちょいだが、どう頑張っても半日はかかる!その間に全滅か、最悪モードレッドの宝具の的になるだけだ!」

 

「いや、待てよ。そうかそれがあった!飛べばいいんだ!」

 

 

 アーラシュの顔が明るくなり、周囲の視線が集まる。

 

 

「と、飛ぶ!?そんなことが可能なのですか!?」

 

「ああ、片道切符だがな!それより部隊編成だ。立香とマシュ、俺までは確定として、ケンはどうする?」

 

「私に行かせてください!信長様は――」

 

「当然、ケンのいるところワシありよ!小粒どもが相手なら、ワシの宝具が文字通り火を吹いてくれるわ!」

 

「よし、それでいいな!?ベディヴィエールは!?」

 

「彼女が相手なら、ケンさんに任せたほうがいいはずです!どうか、お気をつけて!!」

 

 

 一瞬で編成は確定した。ケン、信長、立香、マシュ、アーラシュが西の村への救援へ。呪腕のハサン、ダヴィンチ、ベディヴィエールが残って村の護衛に。救援チームは急ぎアーラシュの案内で、謎の土台のような場所にたどり着いた。

 

「これは……いったい何ですか?」

 

「まるで、発射台のような……。」

 

「おっ、察しがいいな!よし立香、ここに入って取っ手をしっかりつかんでな!マシュはしっかり守ってやるんだぞ。ケンと信長殿はサーヴァントだから多分大丈夫だ!」

 

「ま、まさか。この発射台に私たちを乗せて飛ばす気ですか!?」

 

「当たり前だろ!多分時速300キロくらいは出るから、舌を噛むなよ!」

 

「馬鹿だこの人ーーーー!!!」

 

 

 立香の叫びも空しく、一行を乗せた船(?)は吹っ飛んでいく。

 

 

「うはははは!サルの奴みたいな無茶苦茶やる奴よ!お主、ワシの家臣にしてやろう!」

 

「そいつは嬉しいな!だが、そろそろ着地だぜ!しっかり掴まってな!」

 

「せ、先輩!私がカバーしますから、ご安心を!」

 

「ケン!ワシ怖い!ギュッとせんかギュッと!」

 

「満面の笑みで言わないでください!!信長様と違って、私もちょっと、余裕ないです!!」

 

 

 悲喜こもごもの船は平らな地面に着陸(墜落)し、すっかり大破してしまう。着地体制をとっていた一行は何とか無事だったものの、ケンは足が未だ震え、立香は頬が緩んだ気がしてもみほぐしていた。

 

 

「情けないのう、ケン!夜の方はワシがいつも足腰立たなくさせられるのに――」

 

「わーっ!わーっ!な、なにも聞いていませんよね皆さん!?」

 

「ハハハ、英雄色を好むってやつだな。ゆっくり話を聞きたいところだが時間が惜しい!さっさと西の村に向かうぞ!」

 

「――然り。私が案内をしましょうぞ。」

 

 

 誰も気づかぬうちに現れたのは呪腕のハサンだ。いきなりの登場に驚くも、西の村は巧妙に隠されているということなので、彼の案内がなくてはたどり着けないのだ。

 

 

「では急ぎましょう!恐らく、5分も走れば敵の最後尾に追いつけまする!」

 

「了解です!先輩、お姫様抱っこ失礼します!」

 

「よっし、じゃあ出発!」

 

 

 流石にサーヴァントの速度と言うべきか、あっという間に粛清騎士の群れが見えてきた。その先に村があると思われる場所からは、もうもうと煙が立ち上り、戦火を否応にも感じさせた。

 

 

「ここは二手に分かれましょう!私とアーラシュ殿は伏兵に!」

 

「了解だ!立香、頼んだぜ!」

 

「任せて!それじゃ行くよ皆!」

 

「はい!マシュ・キリエライト!接敵します!」

 

 

 マシュの堅さを活かした突撃により、戦いの火ぶたが切って落とされた。だがそれは、一方的な戦いであった。

 

 

「うっははははは!!脆い脆い脆すぎるわ!獅子王とやらは、まともな鎧もそろえてやれんような貧乏軍か?まあワシらの時代、兵の鎧は自分持ちじゃったけど!」

 

 

 信長があまりにも優秀すぎたのだ。宝具の『三千世界(さんだんうち)』によって展開される三千丁の火縄銃の弾丸が、片っ端から獅子王軍の粛清騎士の鎧を粉砕し、中身を貫いていく。回避しようにも四方八方から飛んでくる秒速480メートルの殺意を前にしては無意味。頼みの綱の鎧でさえも、信長の言うように紙屑同然だった。

 

 

「す、すごーい!ノッブそんな強かったの!?」

 

「なんじゃマスター、知らなんだか!おなごは見られて強くなるものよな!」

 

「信長様こっちは撃たなくていいですから!あなたの弾丸も躱さなきゃいけなくなってます!」

 

「馬鹿者!お主は下がってワシの戦いぶりを見ておけい!」

 

 

 ケンが斬りかかろうとする相手を中心に撃ち殺す信長。おかげでケンはすっかり手持無沙汰である。だがその行為はケンの事を思っての事とわかっているので、ケンも素直に立香の傍に控えた。突然の奇襲などに備えるためである。

 

 

「愛されてるねえケンさん。」

 

「ありがたいことに、ですね。しかしマスター、随分と余裕がおありのようですね。」

 

「私だって、何度も修羅場をくぐってきたもんね!こういう時、焦ってもいいことないのを知ってるから!」

 

 

 ケンは立香の一般人と言うにはあまりに据わっている目を見つめた。秘めた決意と勇気は、なんとも好ましいものであった。

 

 

「―――それは結構。では、そろそろ本丸です!そのままの覚悟でお願いします!」

 

『ケン君の言う通りだ!そっちに一際大きな魔力反応!おそらくはモードレッドだよ!』

 

「よし、やるぞぉ!」

 

「はい!」

 

 

 ―――突如、赤雷が走った。味方であるはずの粛清騎士すら吹き飛ばし、更地になった大地に足音が響く。

 

 

「やっと面白そうなやつらが出てきたじゃねえか!特にそっちの赤いのは、案外骨のありそうな……!」

 

「―――おい、待て。なんでてめえがここにいるんだよ。」

 

 

 モードレッドのエメラルドの瞳が、まっすぐにケンを射抜く。諸国大名弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺すという言葉があるが、まさしくモードレッドの瞳は、ケンを射殺すばかりの鋭さだ。それでもケンは一歩も退かず、その視線を受け止める。

 

 

「……はっ!面白れぇ、俄然やる気が湧いてきたぜ!なぁ、ケン!!てめぇの四肢を切り落として、俺の砦に放り込んでやるよ!!」

 

「――ほぉ、笑わせるのう。愉快な犬は嫌いではないぞ。」

 

「あ?」

 

 

 澱んだ眼でモードレッドを見つめるのは、当然我らが信長である。すごむモードレッドを気にも留めずに続ける。

 

 

「ワシのケンの四肢をもぐ?中々いい冗談じゃな。ワシがオチをつけてやろう。――つまらん冗句を抜かした雌犬を、魔王が撃ち殺したというのはどうじゃ?」

 

「――やってみろよ、ちんちくりんが。」

 

 

 魔力放出でロケットのように吹っ飛び、距離を詰めるモードレッド。それを即座に火縄銃を展開して迎えうつ信長。――今ここに、魔王と赤雷が対峙する。




「あっははは!早速修羅場だね、マイ・フェイト!あぁ、想像するだけでゾクゾクするなあ。あそこにボクが入ったらどうなっちゃうんだろうか。」

「それに生前はお盛んだったみたいだけど、カルデアに来てからはまだのようだし……ふふ、すっごくいい事を思いついてしまったね!」


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Part8 竜を断つ赤雷 星を斬る侍 1/2

 最近急に寒くなってきましたが、皆さん体は大丈夫でしょうか。今の時期に風邪ひくとコロナかどうか不安なんですよねえ。

 サブタイトルでお気づきかもしれませんが、今回前後編に分かれております。すぐに後編も投稿するつもりですので、少々お待ちをば……。

 感想・評価・ここすきなどしていただけると励みになります!!


「オラオラオラ!でかい口叩くわりに、大したことねえじゃねえか!」

 

「チッ、妙な力を使う奴じゃな。」

 

 

 戦いはモードレッドが押していた。獅子王に与えられた祝福(ギフト)の力により、モードレッドは無尽蔵に宝具をぶっ放せる。無論、その源は無限ではないのだが。

 

 

「オラいくぞ!麗しき(クラレント)――」

 

「遅いわ!」

 

 

 宝具を展開しようとした瞬間を狙い、信長の射撃が襲う。しかしあくまでこの射撃は牽制、戦いを決定づけるものにはならない。その魂までも燃やし尽くして魔力を供給するモードレッドの苛烈さは増していく一方で、次第に追い詰められる信長。

 

 

「ハッ!それで勝てると思ってんのかよ!」

 

「信長さん!援護します!」

 

「下がれマシュ!これはワシとこ奴の戦よ!」

 

 

 援軍を拒否し、孤軍奮闘を続ける信長。しかしやはり立香との魔力のパスを切っている影響が大きいのか、じりじりと押され続ける。

 

 

「もういい、てめえには飽きた!これで吹っ飛びやがれ!麗しき(クラレント)――」

 

「ぬぅっ!」

 

 

 またも火縄を展開し、防ごうとする信長。だが―――

 

 

「―――ッ! 是非もなし、か。」

 

「ノッブ!?まさか、魔力が……!!」

 

 

 不発。信長は火縄銃をゆっくりと下ろし、全てを受け入れたように立ち尽くした。対してモードレッドは悪鬼の如く口の端を歪め、絶対的な勝利宣言を行う。

 

 

「―――我が父への叛逆(ブラッドアーサー)!!!」

 

 

 振るわれた剣から、赤い雷が放たれる。それは信長の体を呑み、それを塵に変えるはずだった。

 

 

「――え?」

 

「消え、た――?」

 

「……てめえ。てめえッ!!」

 

「……やはり、果報者よな。」

 

「――あなたの料理人ですから。」

 

 

 ケンだ。信長の前でケンが、刀を振るった残心の態勢をとっていた。それはまるで、ケンがモードレッドの宝具を切り裂いたかのような……

 

 

「……何をしやがった。料理しかできねえはずのてめえが!どうやってオレの宝具を――!!」

 

「信長様、お怪我はありませんか。……例え命令に反してでも、もっと早く助太刀すべきでした。」

 

「うはは、謙遜もここまでくると嫌味よな!じゃが、褒めて遣わす!あっぱれじゃ、ケン!」

 

「もったいなきお言葉、ありがとうございます。……どうやらなんともないようですね、安心しました。」

 

 

 モードレッドの言葉などまるで耳に入らないかのように会話するケンと信長。その態度は、モードレッドの怒りにさらに油を注いだ。

 

 

「やめろ!!てめぇ、オレの前で他の女にそんな優しい声をかけてんじゃねえ!!」

 

「モードレッド……」

 

 

 ケンは少しだけ哀しそうな眼をしながら、モードレッドの方を見た。彼女の怒りはまだ収まらないようで、激情のままに言葉をぶちまける。

 

 

「何度も!何度も何度も何度もオレは言ったよな!?オレか、父上かだと!!父上ならまだいい!!あきらめもつくし、奪い取ってやれる!!だから、だから!!()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

「……生前(まえ)から言っていたはずだよな。『誰かに愛されたいのなら、遍く人を愛すべし』と。誰かに偏った愛を向けるのではなく、たくさんの人を自分から愛せと。」

 

 

「うるせぇ!うるせぇうるせぇうるせぇ!!予定は変更だ、四肢だけじゃ足りねえ!もう他の女を見られないよう、その両目を潰してやる!他の女に愛を囁けないよう、その喉を潰してやる!てめえは、てめえは!!俺に愛されるだけでいいんだよ!!」

 

「……独りよがりだな。与え、受け取るのが愛というもの。それが心を通わせるということだ。――今から、それを見せてやる。」

 

 

 そこでケンはモードレッドから目線を外し、信長に改めて向き直る。そのまま、右の手を信長の後頭部に添える。サラサラと黒髪が流れ、形のいい耳があらわになる。

 

 

「な、なんじゃケン……?お、お主まさか、こんなところで……!」

 

「――信長様。少しだけ、お静かにお願いします。」

 

「――!」

 

「おい!!てめぇ、やめろ!!!」

 

 

 信長の唇に人差し指を当て、黙らせたケン。一瞬で信長の頬に朱がさし、やがて潤んだ瞳をゆっくりと閉じた。二人の顔は少しずつ近づき、その距離がゼロになろうという瞬間―――

 

 

「――――殺す。」

 

 

 モードレッドの頭の中で、何かが切れる音がした。

 

 

 ギャキィン!!

 

 

「くぅっ!!すごい衝撃……!」

 

「マシュ殿!今のモードレッドが一番強いです!ご注意を!!」

 

「は!?は!?あ、頭が追いつかんのじゃが!?」

 

 

 混乱する信長だったが、無理もないだろう。いきなり激昂していたはずのモードレッドが静かになったかと思えば、自分たちの目の前にマシュが飛び出してきて、そのまま激突しているというのだから。今の今まで口づけをしようとしていたはずのケンは信長をかばうように抱き締めており、それも信長の頭が正常に働かないのに拍車をかけていた。心臓がバクバクと脈打ち、呼吸も早くなり体温が上がる。

 

 だが次のケンの行動には、信長はすぐに反応した。

 

 

「しばしお待ちを、信長様。私は決着をつけに行きます。」

 

「――ッ!やめい、ケン!その目を、お主だけはその目は!!」

 

 

 信長の華奢な体を離し、改めてモードレッドに向き直るケン。信長はその目に、あまりにも見慣れたものを見て必死に引き留めた。その目に宿るのは、ドス黒い殺意。自らの目的のため、誰かを殺すのが当たり前の時代にあって、誰もが抱えた狂気の瞳。そのどぶ川の中、決して失われなかったケンの瞳の輝きは、今黒い焔に塗りつぶされていた。

 

 

「マスター、信長様を頼みます。きついでしょうが、この戦いが終わるまでは……。」

 

「――うん、わかった。ケンさん、気を付けて!!」

 

「離せマスター!ケンに、ケンに人を殺させるわけには……!」

 

 

 信長の想いとは裏腹に、ケンは2人の戦いに飛び込んでいく。信長も必死にその背中にすがろうとするが、魔力不足の今は立香にさえ簡単に取り押さえられてしまう。戦いに目を向ければ、マシュは何とか防戦一方で持ちこたえていた。しかし、 ケンがモードレッドの視界に入った途端、狙いがあっという間に切り替わる。

 

 

「――ッ、ケンさん!狙いはあなたです!!」

 

「承知の上です!私とて、虐殺をしたあいつを許せはしない!」

 

 

 ケンとモードレッドの打ち合いはしかし、ケンの不利に進んでいく。宝具を展開しようとするたびに妨害しなくてはならないため、ケンの動きはかなり制限される。その上モードレッドは分厚い鎧を着こんでいるため、攻撃しても有効打になる箇所が少ないのだ。腕前が拮抗する中、その二つの縛りは大きなハンデだった。

 

 

「……。」

 

「……モード、レッド!!」

 

 

 いつの間にか、二人の様相は逆転していた。全く何もしゃべらず、ただ強烈な剣を振るい続けるモードレッド。激昂して刀を振るうケン。二人の戦いは苛烈を極めていた。

 

 

「やめろ……。やめるんじゃ、ケン!」

 

「ダメだよノッブ!今ケンさんは、私たちのために戦ってるんだから!」

 

「わかっておるわそんなこと!奴は、奴はあんなにも簡単に、簡単に人を殺せる奴ではないんじゃぞ!!」

 

 

 そうだ、信長の知る彼はそんな人物ではない。戦に敗れ、処刑を待つ身の敵将に対しても慈悲をかけ、信長に助命を嘆願したこともある。誰よりも殺しを恐れ、そして悲しんでいたはずなのだ。

 

 

「まして知り合いじゃぞ!?ケンに斬れるわけがないじゃろう!」

 

「いいえ!斬れまする!!」

 

 

 信長の悲痛な叫びにケンが答える。

 

 

「私は、私はもう!!信長様の知っているほど、綺麗な私ではないのです!!」

 

「ッ! ケン……。」

 

 

 ケンの頬には切り傷が出来、そこから一筋の赤が流れる。目元に出来たその傷は、まるで涙を流しているように見えた。

 

 

「……身内の不始末は身内でつけなくてはなりません!モードレッドは、私が殺します!」

 

「―――おっと、そいつはちと早すぎるんじゃないか?」

 

 

 突如、大気を切り裂いて飛来する物体が一つ、二つ。その狙いは過たず、鎧を着た騎士の弱点である、関節部分を正確に射抜く軌道を描いており、流石のモードレッドも剣で防がざるを得ない。

 

 

「―――!? てめえ!!」

 

「――ッ! モードレッドの、声が……!」

 

 

 ケンは驚き、声が聞こえてきた方に振り向く。現れたのは、逆側から粛清騎士を一掃してきたアーラシュだ。

 

 

「ま、あんまり気負いすぎんなよ、ケン!俺たちは仲間だろ?」

 

「アーラシュ、殿……。」

 

「それにな、あの大将に怒ってんのは俺も同じだ。というより、あいつにあの祝福(ギフト)とやらを与えたやつにな!」

 

「! 怒って、くださるのですか……?」

 

「ああ、当たり前だろ!勇士の誇りがまるでない!勇士が自分の命を懸けるに足るものは、守りたいものと誇りのためと決まってるもんだ!だが奴は、ただ単にムカつくから自爆したいだけだろ!そんなもんは子供の癇癪、我がままにすぎねえ。そんなガキの面倒に、俺たちを巻き込むなってもんだ!」

 

「な、ガ、ガキだと!?オレは外見が16で止まってるだけだ!少なくともガキじゃねえ!!」

 

 

 よくわからないところにキレるモードレッド。すっかりいつもの調子が戻ってきた。

 

 

「そうか、そいつは悪かった。だが、俺の言う事は変わらねえぞ!悔しかったらここは退け!再戦にすべてをかけてこい!少なくとも、俺は相手をしてやる!」

 

「……モードレッド。俺も冷静ではなかった。わざとお前の傷を抉るような真似をしたこと、謝罪する。」

 

「……んだよ、冷めるじゃねえか。」

 

「……すまんな。」

 

 

 あくまで悲しそうな顔をしているケンに、モードレッドは舌打ちで返す。だが、もうこれ以上の戦いをするつもりはないらしい。

 

 

「……わーったよ!てめえがそんな面してたら、こっちまで湿っぽくなっちまう!ここはオレの負けを認めてやる。だがな!」

 

「特にそこの赤いのはよく聞いとけよ!オレは二度も負けるつもりはねえ!てめえらの命もケンの野郎も、まとめてオレがもらうからな!」

 

「……やってみよ、犬コロ。」

 

 

 ケッと不機嫌そうな声を漏らしながら、モードレッドは撤退していく。ロマ二は追わなくていいのかと言ったが、追撃するほどの元気はもはや残っていなかった。ケンはゆっくりと納刀し、アーラシュに頭を深々と下げる。

 

 

「……ありがとうございます、アーラシュ殿。」

 

「いいってことよ!あんた、あいつを殺すのを躊躇してたみたいだしな!知り合い同士で殺し合うなんて、こんなに悲しいことはない。いつだって頼ってくれていいんだぜ?」

 

「それも確かにあります。ですが、私が本当にお礼を言いたいのは、モードレッドを叱ってくれたことです。」

 

「ん?そりゃどういうことだ?」

 

 

 首をひねるアーラシュに、なおケンは続ける。

 

 

「誰かを叱るというのは、その人のことを思っての行為ですから。本当にどうでもいい相手なら、何もしなくていいはずでしょう? ……私は、モードレッドを誰かが叱ってくれたことが、本当に嬉しいのです。心からあいつを案じる人がいるということですから。」

 

「……ははっ、説教して感謝されるのは初めてだな!まあなに、あんたもいろいろあるみたいだし、今度ゆっくり聞かせてくれよ!」

 

 

 はい、確かに――とケンが頷き、戦のあとは穏やかな時間が流れていた。だが一人、地面にその膝をつける者がいた。織田信長、その人である。

 

 

「チッ、派手に暴れすぎたわ。後一日は持つはずじゃったが、ここまでらしいのう。」

 

「の、信長様!?マスター、早く手当てを……!!」

 

「うはは、心配するでないわ。ただ単にカルデアに退去するだけのことよ! ――それよりもケン、も少し、も少しちこう寄れ。」

 

 

 いつもの様子からは想像もできないほど、華奢でかわいらしい声が発される。ケンも理由のわからない震えを感じながら、信長の傍に寄っていく。

 

 

「……ふふ、そんなに不安そうな顔をするでない。相も変わらず、愛い奴よ。」

 

「……まだ、そう言っていただけるのですか?私は、あなたの知る私とは……!!」

 

 

 突然、信長がケンの唇を奪った。言葉を発しかけた口を無理やりにキスで塞ぎ、ケンは驚きのあまり目を見開いてしまう。今にも触れあいそうなほどに近い信長の瞳は、まるで舌を出せと言っているようで、思わず従ってしまう。これは自分の欲望ではなく、カリスマのせいだと言い聞かせながら。

 

 

「……ぷぁ。ふふ、欲張りな奴よ。まさか舌まで入れてくるとは思わんかったぞ、このケダモノ!」

 

「ち、違います!これはきっと、信長様のカリスマのせいで……!」

 

「うはは、それじゃそれ!お主はやはり、ワシに振り回されるのがよく似合っとるぞ!」

 

 

 信長はこれまで見たこともないほど、優しい瞳をしていた。その目は本来、織田信長という人物にはありえないもの。『子を見る母』という、この世でもっとも暖かい視線だった。

 

 

「―――死がワシとお主を別った後、お主に何があったのかは知らん。じゃが今、お主はこうして再び、ワシのもとに馳せ参じた。それだけで十分じゃ。」

 

「信長、様―――。」

 

「うむ!笑え、ケン!ワシは笑ったお主が好きじゃ!泣いとるお主も好きじゃが、笑っとる方が気分がいい!これからも、ワシの傍で笑え!どんなに傷つこうと構わぬ!ワシの傍に帰ってこい!」

 

「……いいの、ですか?私をまだ、おそばに置いてくださるのですか?」

 

「馬鹿者!お主以外に、誰がワシに寄り添えるんじゃ!こう言ったらあれじゃけど、意外と寂しがり屋なんだからねワシ!」

 

「―――存じて、おります。あなたが寂しがりやなことも、そのくせ助けを求められない照れ屋なことも。」

 

「ば、馬鹿者!誰かに聞かれておったら、斬り殺すところだったんじゃからネ!」

 

 

 こらえきれず、穏やかに笑い合う二人。今生の別れのごとき光景だが、ほんの数日離れるだけでこれである。

 

 

「――ふぅ、まったく世話が焼けるやつじゃが、これでもう迷いはないじゃろう。では、これを受け取れい!」

 

「この、刀は……!」

 

「宗三左文字!お主にも馴染みの深いもんじゃろう。常にワシの傍にあったこの刀、お主に賜す!」

 

「う、受け取れませぬ!こんな、こんな上等な……!」

 

「うはは、遠慮するでないわ!それとも何か、景虎の包丁は受け取れて、ワシの刀は受け取れぬと?」

 

「……え、嫉妬してたんですか?」

 

「う、うるさいわ!ともかくこれは、ワシからお主への命令じゃ!かつて包丁を送り、厨房がお主の戦場じゃと示したように!今はこの戦も、お主の戦場!で、あれば。この刀とともに、戦場を駆けるがよい!」

 

 

 震える手で、ケンはその打刀を受け取った。宗三左文字は、信長から秀吉へ、秀吉から家康へと渡った、『天下取りの刀』と謳われる名刀。これを渡すという行為がどれほど尊いことか、理解できぬケンではなかった。

 

 

「ありがとう、ございます……!!私は、もう迷いませぬ!この戦場を駆け、必ずや勝利を!!」

 

「うむ、その意気よ!それではお主の奮闘ぶりを、向こうから眺めてやるとするかのう!うっはははは……!!」

 

 

 高笑いとともに、空に溶けていく信長。ケンは、繋がってはいないその蒼穹を見上げながら、この先の戦いに対して、決意を新たにするのであった。 

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

 

 その後、西の村にて戦っていた百貌のハサンと合流した一行は、彼女がニトクリスを攫おうとしていたアサシンだと判明してひと悶着あったものの、なんとか西の村の復興を進めることが出来た。

 

 そして次の目標も決まった。敵に捕らわれている、とあるハサンの救出である。ケンも早速向かおうとしたのだが、大して疲れていない自分たちに任せろと止められてしまった。代わりに村の護衛をすることとなったのだが、帰ってきた立香たちはこれ以上なく大きな収穫を持ち帰ってきた。

 

 

「では、やるか!そーれ、おいしいお米がどーんどーん!」

 

「す、すっげえええ!米が、米がこんなにもたくさん!!」

 

 

 ケンも思わずキャラが変わってしまうこの宝具。アーチャークラスの俵藤太の力によるものだ。俵藤太は藤原秀郷という名でも知られる、日本の英雄だ。もっとも有名な逸話はやはり、平将門を仕留めたことだろう。そしてもう一つ残る伝説が、大百足退治。その報酬にもらったのがこの宝具、『無尽俵』なのである。

 

 

「ははは、まだまだ出るぞ!山海の恵みもどーんどーん!!」

 

「う、うおおお!!野菜や魚だけじゃなく、山菜もキノコも、貝も海藻も……え、鰹節まで出てくるの!?それはちょっと違うんじゃないですか!?」

 

「まあいいではないか、ケン!はははは!」

 

 

 テンションのおかしい二人のおかげで、西の村は大宴会となった。ケンが休みなく作った宴席の料理は大好評で、あっという間に難民たちの腹に収まった。中には、『こんな美味いものが食えるなんて、生きててよかった』と言う者もおり、皆の心を温めた。さて、そのケンはというと……

 

 

「ははぁ、それは大変でしたね。さぞや苦労も、多かったことでしょう。」

 

「そーなの!わかってくれるケンさん!?あの馬鹿弟子ども、いつもいつも迷惑ばかりかけて……!!」

 

 

 すっかり出来上がってしまった玄昭三蔵、通称三蔵ちゃんに絡み酒をされていた。一応擁護すると、ケンも相手をしてしまうから悪いのだが、ケン自身は『セクハラがないぶんお虎さんよりマシだな』と思っていた。

 

 

「それでね、それでね!あたしを一人こんなところに放り出して、いくら御仏様と言えどもひどいじゃないのー!」

 

「ああほら、そんな風に酒ばかりでは悪酔いしてしまいますよ。ほら枝豆のムースとか豆腐の揚げピロシキとか、いろいろ作ってありますから。」

 

「もぐもぐ……おいしー!もう!清貧だっていうのが精進料理なのに、こんなおいしいの作られたら意味ないじゃない!ふざけんなー!」

 

 

 泣き上戸から怒り上戸へと、忙しい人である。しかしそこはさすが信長に仕えたケン、そのあたりの対処は心得ている。うんうんと聞き流しながら、適当なタイミングで料理を口に入れる。そんなことを繰り返していたら、すっかり三蔵ちゃんは気持ちよさそうに眠ってしまった。

 

 

「……溜まっているものがいろいろあるのだろうな。少しでも癒されてくれるといいが……」

 

 

 ケンは呟きながら、周りを見回す。既に焚火は立ち消え、皆既に寝入ってしまったらしい。だが、その顔は皆一様に幸せそうだった。穏やかな寝顔を一通り見回したケンは、この場所を守ることができてよかったと改めて思った。また、これからも守っていかなくてはならないと思ったのだ。

 

 その決意は、すぐに役に立つことになる。この村に、不穏な音色が近づいているからだ。

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

 所変わってカルデア。帰ってきた信長の話である。

 

 

「ふーんふーんふふーん♪信長~慕情は本能寺~~♪」

 

 

 ……よくわからない鼻歌を歌っている。だが、機嫌が良さそうなのは確かだ。そんな信長がカルデアの廊下、その曲がり角に差し掛かった時……

 

 

「ノブッ!?な、なんじゃ!?」

 

 

 突如、引きずり込まれたのだ。曲がり角の先から、誰かの腕が伸びてきて、彼女を引っ張ったからだ。―――そして、地獄の底からの声が響く。

 

 

「……いーいご身分ですねノッブ……一人だけケンさんとイチャイチャ特異点修復ですか……。」

 

「い、いや、沖田?その、そんなキャラじゃないじゃろお主っていうか……もっと、きゃぴきゃぴした感じで行こうぜみたいな……」

 

「うふふふふ、何でしたっけ?越後のメス猫でしたっけ?あっはははは!!よほど軍神の威光が見たいようですね?」

 

「ヒィッ!お、お主はマジでシャレにならんじゃろ!?」

 

 

 問答無用!!と二人に斬りかかられ、哀れ信長は爆発四散。ボイラー室横の小部屋の前に縛り付けられ、首から『ワシは節操ナシのうつけです』と書かれた木札を下げる羽目になったのだった。

 




「小太郎。あなたもここに来ていたのですね。」

「――ッ!段蔵、殿……。」

「――やはり、母とは呼んでくれないのですか。」

「!? 母上、記憶が……!?」

「……ええ。ワタシは、あなたの母親の代わりをさせてもらっていましたね。生殖機能のない身ですが、ワタシは母と思っていましたよ。」

「母上……!!」

「そして、父上もここに来ています。」

「――ッ! では、先代もいるということですか!?」

「いえ、ケンという料理人です。」

「……ん?」


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Part9 竜を断つ赤雷 星を斬る侍 2/2

今回もすごく長くなってしまいました。お気をつけて。

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 大宴会から一夜明け、皆二日酔いで痛む頭を押さえながら、復興作業にあたっていた。例の敵に捕まっていたというハサンの、静謐のハサンは何やら毒の体をしているらしく、触れるだけでも死に至るほどなのだとか。しかし立香にはマシュとの契約のおかげか耐毒スキルがあるようで、静謐のハサンとごく普通に触れ合える。そのこともあってか、すっかり懐かれているようだ。

 

 そんな穏やかな時間が過ぎていた西の村だったが、当の静謐のハサンの発言によって、場は凍り付いた。

 

「初代様に、ご助力を願うのはどうでしょうか……。」

 

「何!?静謐貴様、この時代の当代が誰かを知っての事か!?呪腕がどうなってもよいと!?」

 

「――ッ!?そんな……申し訳ありません、知らぬこととはいえ……」

 

「……よい。私もいずれ、そうせねばならぬと思って居ったところよ。」

 

 

 ハサンたちの間だけで意味が伝わる会話をしている3人は、周りが理解できていないことに気づいて慌てて説明をしてくれた。

 

 曰く、ハサン達の間には『初代様』と呼ばれる伝説的な存在がいるのだと。その初代様は非常に強力な力を持っており、その気になれば一人で獅子王軍を壊滅させることも可能だろうと。その強力な助っ人候補に一行は湧き立ったが、ハサンたちの顔は暗い。だがその中で唯一、呪腕のハサンだけは明るい声で言った。

 

 

「ささ、そんなことより早く東の村に帰りましょうぞ!子供たちは腹を空かしていることでしょうしな!」

 

 

 何故だか不自然なほどに落ち込んでしまった静謐を心配しつつも、一行は東の村に()()()向かった。一応アーラシュがまた飛ばそうかと提案したのだが、ケンやマシュが必死に断ったことと、人数が増えた分飛びにくいということで何とか徒歩になったのだ。

 

 

「おっ、おっかえりー皆!何やら知らない人も増えているみたいだね?ロマ二からの通信で聞いてはいるが、そのへんもゆっくり聞かせてくれたまえ!」

 

「お疲れ様です、立香。それにケンさんやハサンの皆さんも。……それで、モードレッドは。」

 

「……大丈夫、撃退しただけだ。殺してはいない。」

 

「そうでしたか――!よかった……。」

 

「……ありがとう、ベディヴィエール。」

 

 

 相変わらず言葉の足りない会話をするケンだったが、すぐに調理に取り掛からなくてはならなかったため、ひとまず話は後回しだ。そうして料理をふるまい、腹ごしらえを終えた一行は、『初代様』のいるという霊廟に向かうメンバーを決めようとしていた。

 

 

「今度は我々に行かせてくれたまえ!なにせ、暇すぎてこの村の周りにいろいろトラップを仕掛けてしまうくらいだからね!連れて行ってくれないと、家という家にバンクシーよろしく落書きしてやるからね!」

 

 

 まだバンクシー話題になる前だろ……という突っ込みが入りそうなダヴィンチちゃんの抗議により、村に残って護衛を行うメンバーが確定した。アーラシュとケンとが残ることとなった。アーラシュは千里眼を活かした索敵、ケンはそのアーラシュが接近を許した際に備えてのことだ。ベディヴィエールや接近戦も得意な俵藤太ではダメなのかということだが、ベディウィエールはしっかり休養を取っていて動きやすいため遠征に。俵藤太は三蔵ちゃんについて行かなくてはならないためだ。

 

 

「それじゃ行ってくるねケンさん!気を付けて!」

 

「マスターもお気をつけて!あまりご無理なさらないようにしてくださいね!」

 

 

 遠征組を見送り、ケンとアーラシュは早速見張りの任務についた。今は日も高く、見張りはしやすい。しかし油断は禁物、敵はどこから現れるかわからない。ケンはしっかりと周囲に気を巡らせながら、緊張感を保ち続けていた。

 

 

「おいおいケン。そんなに張り切ってると、肝心な時にしくじっちまうぜ?」

 

「アーラシュ殿。お恥ずかしながら、こういうことには慣れておりませんから……。」

 

「ははは、心配すんなって!先に敵を発見するだろ?後はそれを射つだけさ。」

 

 

 アーラシュの言葉は一見軽薄だが、それは揺ぎ無き自信に裏打ちされたものであり、不思議と説得力がある。ケンの心もなぜか安心し、軽い笑みを浮かべられるくらいにはなった。

 

 

「ありがとうございます。少し、気が楽になりました。」

 

「そいつは上々!っと、そう言ってたら敵だ、ケン!ありゃ粛清騎士の群れだな!」

 

「――ッ! 距離は?」

 

「まだ3キロは離れてる。俺以外には見えてないだろう。すぐに迎撃の準備だ!皆に知らせてきてくれ!」

 

「わかりました!」

 

 

 すぐに村に駆けだし、住民たちに危機を知らせるケン。皆訓練がしっかりなされているのか、慌てることなく女子供は避難し、男の中から数人が前に出る。

 

 

「ケンさん、俺たちはアーラシュさんの狙撃の手伝いだ!あんたも一緒に来てくれ!」

 

「はい!」

 

 

 アーラシュのもとに戻ってきたケンたちは、すぐさま迎撃を開始した。アーラシュの弓の腕はすさまじく、3キロ先の崖をよじ登ろうとする騎士たちの腕を正確に射抜いて行く。転げ落ち、他の騎士も巻き込みながら落ちて行く騎士には目もくれず、すぐに次の騎士を狙う。

 

 

「次!次!!」

 

「はい!」

 

 

 男たちもアーラシュの近くに矢を運ぶなどして援護する。ケンは一応アーラシュの護衛という立場なので、アーラシュの傍を離れないようにしていたが、つい何か出来ることはないかとそわそわしてしまう。もっとも、こんなにも離れた距離にいる敵に対して出来ることなど、ケンには何もないのだが。……いや、何もないはずだった。

 

 

 ―――そう、こちら側からではなく向こうから、攻撃がやってきたのだ。

 

 

「むっ! ……おいおい、こんなに簡単に俺の矢が撃ち落とされるかよ。」

 

 

 目にも止まらぬ速度で飛んでいたはずのアーラシュの矢が、空中で突然なにかにぶつかったように堕ちたのだ。

 

 

「―――流石は東方の大英雄。凄まじい豪弓です。ええ、私は悲しい……。本来ならば、あなたの腕をズタズタにしたはずなのですが……。」

 

 

 現れたのは、一見すると女性に見まがうほど麗しい、赤髪の騎士。その手に持つは、まるで琴のような弓だ。その姿を一見したケンは、苦々し気に呟いた。

 

 

「サー・トリスタン……。」

 

「……!あなたもまた、そちら側につくのですね。」

 

 

 ケンの姿をみとめたトリスタンは目を見開き、その顔をしっかりと見た。彼ほどの弓の名手が見間違う事はないはずだが、それほどまでの衝撃的だったのだ。

 

 

「ああ、私は悲しい……。」

 

 

 トリスタンは涙をこらえるかの如く目をつむり、手元の弓をポロロンと鳴らした。その音色はまるで、美しい女性が静かに涙をこぼしているかの様だった。

 

 

「……それは私も同じ気持ちです。あなたたちと戦いたくはない。」

 

「ええ、本当に……。ああ、悲しい。私は悲しい……。」

 

 

 トリスタンは弓をかき鳴らしながら、その言葉を続ける。

 

 

「本当に、私は悲しい……。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

「――ッ!」

 

 

 ケンはすぐに刀を構え、防御の姿勢をとる。だがそれは、首元ではなく手元をガードしているものだ。このままではケンの首が血を噴くはずだったが、そうはならなかった。

 

 

「――ッ! ……いつものように、首を狙わないのか。ほんの少しの苦痛も与えたくないと、ほとんどそうしていたくせに。」

 

「苦痛を味あわせることほど、甘美なことはないでしょう。いかに獅子王の任務といえど、つまらないことに変わりはありません。であれば、少しばかりの楽しみがあってもよいはずでは?」

 

「……だからといって、普通腕の腱を狙うかね。俺がいつも、腕には気をつけているのを知っているくせに。」

 

「だからですよ、ケン。あなたが腕を失い、絶望しているところが見たい!」

 

 

 悪辣な宣言を行い再び弦に手をかけるトリスタンだったが、今度はその矢がケンに放たれることはなかった。すかさず狙撃を行ったアーラシュの矢が、トリスタンに迫っていたからだ。

 

 

「――チッ、無粋な方だ。」

 

「そりゃどうも!お前さんみたいな嫌な奴に嫌われるなら、俺も本望だ!」

 

「おや、そこまで嫌われていましたか……。ああ、私は悲しい……。」

 

 

 嘆きながらもトリスタンの攻撃は止むことがない。弦が弾かれ、音が鳴る度に真空の矢が放たれる。不可視にして超高速のそれは、予備動作を見なければ絶対に防げない。弦が弾かれた瞬間に、弓が向いている方向から軌道を予測。そこからどこに命中するのかを考え、防御なり回避なりを行う。ほとんど考える暇はなく、反射レベルの速度が要求される。

 

 

「皆さんは俺のうしろへ!守れなくなります!」

 

「その前に、撃たせるかよ!」

 

 

 アーラシュが矢継ぎ早に射撃を行うが、トリスタンの方が発射レートは早い。矢をつがえる必要がないからだ。しかし矢の威力は段違いであり、アーラシュの矢を一本堕とすのにトリスタンは二回の攻撃を要する。その結果、ギリギリのところで両者は拮抗していた。

 

 

「す、すげえ!アーラシュさんが押してるぞ!」

 

「これなら勝てるかもしれねえ!だが、どうやって奴ら、ここを見つけたんだ!?」

 

 

 周囲の喧噪を気にも留めず、アーラシュは狙撃を続ける。だがその背後に、誰にも気づかれることなく何者かが迫る。その影が剣を振り上げ、振り下ろしたその時!

 

 

 ギャキィン!

 

 

「……読めてるよ。何年前だ?300年位前からか。」

 

「――ッ!貴殿、は……!!」

 

「懐かしいな、ランスロット。こうしてトリスタンが気を引き、その隙に別の者が接近する。いつもの手段だった。……君の役は、本来ベディヴィエールのものだったが。」

 

「クッ!」

 

 

 鍔迫り合いの態勢から距離をとる二人。だが、ランスロット卿の方には戦意がないように思われた。明らかに動揺した様子で、ケンを直視するのも億劫なようだ。

 

 

「おいケン!?どういうことだ!?」

 

「ランスロット卿の方は私に任せてください!アーラシュ殿はトリスタンを!」

 

「……了解だ!あとできっちり聞かせてくれよ!」

 

 

 手短にアーラシュとの話を終えたケンは、改めてランスロットに向きなおる。そして、柔らかな声で語り掛けた。

 

 

「……どうした、ランスロット。」

 

「……。」

 

「心配しなくとも、全部知っているよ。座からの情報でな。」

 

「―――ッ!」

 

 

 ランスロットが息を呑み、いよいよケンを直視できなくなる。だがケンは、それでも構わずに話を続ける。

 

 

「――確かに、俺の望んだ結末とは違う。だがそれでも、全員が一生懸命やった結果だろう。」

 

「だから、そう――。俺は、満足している。」

 

「やめてくれ、ケン!!そんな、そんな優しい言葉をかけられる権利は、私には!!」

 

 

 とうとう顔を覆ってしまうランスロット。内容はわからないが、どうやら相当の負い目があるらしい。

 

 

「――しかしそれでも、敵対するというのなら話は別だ。今の我が主は人類最後のマスターである、立香一人と決めている。彼女がこの村を守ってと言った以上、誰と切り結ぶことになろうとも、ここは死守させてもらう。」

 

「……それが、あなたの選択なのか。王に歯向かうと、そんな勇気が!!」

 

「あるとも。間違いは間違いと、糾弾してやらなくてはならん。 ……それに、あいつに何があったのかは知らないが、げんこつの一つでも落とさなければ気が済まん。」

 

「……やはり、あなたは変わらないのだな。」

 

 

 ランスロットは力なく笑い、宝剣アロンダイトを鞘に納めた。もはや、戦う意思はないようだ。

 

 

「私は未だ、迷いが断ち切れない。今再び生を受け、今度こそ王に忠義を尽くすのだと思っているのに……。私は、今の王が正しいと思えない。」

 

「ランスロット……。」

 

「……ここは、退かせてもらおう。私は今一度、自分の行いを考えたい。あの川に、自分は恥じていないかと。」

 

「……そうか。なら一つだけ言っておく!身の振り方に迷ったら、いつでもこっちに来い!うちのマスターはいい人だ!」

 

 

 ランスロットは今度こそ、少しだけ安心したような笑みを浮かべて去っていく。ケンもその背中が見えなくなるまでは見ていたが、すぐにアーラシュへの助太刀へと駆けていくのだった。

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

 

 

「……ランスロット卿はお帰りになられましたか。やれやれ、所詮は裏切り者の恥知らずですね。」

 

「だが、おかげで有利はこっちだ。あんたはどうするんだ、トリスタン!俺はこのまま、お前と撃ち合ってても構わんぞ!」

 

 

 アーラシュとトリスタンの撃ち合いは、未だ続いていた。だがランスロットが誰ひとり仕留めることなく撤退したのはトリスタンにとっても想定外のようで、二人の戦いはジリ貧である。

 

 

「……認めましょう。ここで戦いを続けていても、もはや得るものは何もない。私はあなたを仕留めきれず、あなたも私を仕留められない。……であれば、後は雑兵に任せましょう。」

 

「何ッ!?」

 

 

 宣言と共に、大量の粛清騎士たちが現れる。各々手には火のついた松明を掲げ、暗くなり始めた村を照らす。

 

 

「馬鹿な……!これだけの数、俺が見逃すはずが……!!」

 

「ええ、そうですね。あなたの千里眼ならば、普通の騎士たちなら見逃すはずがないでしょう。ですが彼らは、通常の粛清騎士ではない。いえ、騎士ということすらおこがましい外道たち。アグラヴェイン卿が抱えていたのを少し借りてきたのですよ。高性能の気配遮断を持つ、アサシンクラスの彼らを。」

 

「トリスタン!貴様!!」

 

「おや、ようやくご登場ですか。ふふ、しかしこの手段は中々いいですね。無駄話をして時間稼ぎをしている間に、本懐を成し遂げる……そういえば、あなたの常套手段でした。」

 

「……外道が。」

 

 

 悔しそうに顔を歪めるケンだったが、もはやトリスタンに構ってはいられない。既にこの村を包囲しているであろう粛清騎士たちの相手をしなくてはならないからだ。

 

 

「……さて、それでは私も撤退させていただきましょう。こんなみすぼらしい村と共に焼け落ちるつもりはありませんから。」

 

「待て!トリスタン貴様、ただで済むと思うなよ!!」

 

「ああ、私は悲しい……。あなたのそんなみじめな遠吠えを、もう二度と聞けないであろうことが、悲しい……。」

 

 

 あくまで余裕を保ちながら撤退していくトリスタン。それに対して何も出来ないことに歯噛みしながら、ケンとアーラシュは村に駆け戻る。ほとんどの住民は避難を済ませているだろうが、まだ残って戦っている男たちがいるはずだ。

 

 

「アーラシュ殿!村に、騎士どもは見えますか!?」

 

「ああ、うじゃうじゃいるぞ!ケン、先行してくれ!俺が援護する!」

 

「はい!」

 

 

 叫びながら、粛清騎士の群れに突入するケン。ガシャガシャと鎧を鳴らしながら取り囲もうとする騎士たちを切り裂きながら、必死で生存者を探す。この騎士たちが仮に人間ならば、料理で戦意をそぐことが可能だろうが、粛清騎士たちに心はない。あるのはただ暴力と命令だけであり、抗うには戦うしかないのだ。

 

 孤軍奮闘を続けるケンとアーラシュだったが、そこに強力な助っ人が現れた。

 

 

「ケンさん!大丈夫!?」

 

「ッ、マスター!よくぞご無事で!」

 

 

 立香率いる遠征組が、急ぎ村に帰ってきたのだ。すぐに味方のサーヴァントたちが加勢し、少しずつ押し返し始めた。

 

 

「魔術師殿、我らは向こうへ!」

 

「トータ、こっち行くわよ!」

 

「よかった……!これなら、なんとか……!!」

 

 

 安堵しかけたケン。何気なく刀を握る手を緩めた瞬間、聞きなれた、そして絶対に聞きたくない音が響き渡る。

 

 

 ポロロロン♪

 

 

 美しいその音色を聞いた瞬間、ケンは弾かれるように立香に飛びつく。せめてこの体が盾になり、立香の首にまでは届かなければよいと。しかし、その希望は儚く潰えた。

 

 突如飛来した矢が、空中で撃墜されたからだ。

 

 

「アーラシュ殿!」

 

「……貴様。本気で俺を怒らせたいらしいな。」

 

「え?え?ど、どしたの?」

 

 

 これまでにないほど、ドスの利いた低音で怒りをあらわにするアーラシュ。その声の行く先は、当然あの騎士である。

 

 

「おや、仕留める順を間違えましたか。この方が手っ取り早いと思ったのですが、やはり横着はするものではありませんね。」

 

「……トリスタン、貴様。一度拾った命を、わざわざここまで捨てに来たのか。」

 

「ふふ、あなたがそこまで気の利いた脅しを言えるとは思いませんでしたよ。しかしそのセリフだけでは、ここまで残った残業代にしては安すぎるでしょう。どうせなら、人類最後のマスターの命を……!」

 

 

 そこまで喋り、トリスタンは息を呑む。視線はまっすぐ、一人の人物に注がれているままだ。

 

 

「……私は悲しい。また一人、旧知の友を焼き殺さなくてはならないとは。」

 

「トリスタン卿……!あなたは、あなたは誇りを失ったのか!このような、無辜の人々に火をかけるなど……!!」

 

「誇り?あなたは何かを勘違いしている、ベディヴィエール卿。私の今のこの行いこそ、正しい騎士のありようだというのに。我らが王の意向を、最も良い形で遂行しようとしているのですから。」

 

「――ッ!黙りなさい!今のあなたは、かつての私の友ではない!その悪逆非道、ここで絶ちます!!」

 

 

 未だ混乱する立香をマシュに任せ、アーラシュとケン、ベディヴィエールの3人が、一斉にトリスタンに挑みかかる。だがトリスタンはあくまでのらりくらりと躱し続け、仕留めきることが出来ない。トリスタンの祝福(ギフト)の力により、与えた傷が簡単に修復してしまうのがもっとも厄介だった。

 

 

「無意味、無意味ですね。どうせ皆死ぬのですから、このような抵抗はもうやめに――」

 

「ほわちゃあーーーー!!」

 

 

 空気を読まない鋭い蹴り。周りの粛清騎士を一掃した三蔵ちゃんたちが加勢に来たのだ。

 

 

「貴様……!!このような、このような下衆に容赦はせん!柘榴と散れぃ!!」

 

「――チッ、この程度のサーヴァントの足止めも出来ないとは。何と使えない……。」

 

「黙りなさい!あなたは、必ずこの毒で殺します!!」

 

「……やれやれ。暑苦しいですね。これは家や人を焼いた熱のせいでしょうか……。」

 

「この野郎……!!」

 

 

 ケンは怒りのままに刀を振りかざすが、西の方に目をやって手を止めた。まるで流星のような光が、西の方に堕ちて行くのを見たからだ。

 

 

「――なに、あれ?」

 

「おお、おお――!!まさか、まさかそんな!!」

 

「西の村が、光に呑まれて――」

 

 

 何という、ことだろうか。西の村は光の柱に呑まれ、()()()()()()()()()()()

 

 

「あれこそ我らが王による真なる聖罰。聖槍を用いた絶対的粛清。―――そして、もう間もなくここをも飲み込む正義の光です。」

 

「卿、らは―――卿らは、正気なのか!?あんなものが、あんなものが本当に正しい行いだとでも言うのか!?」

 

「無論!正気無くして王が務まるはずがない! ……ここもあと5分の後に聖槍の光に呑まれるでしょう。どうか、好きな神に祈りでも捧げるのがよいでしょう。」

 

「貴様ァーーーッ!!」

 

 

 呪腕のハサンがトリスタンの首に短刀を振るおうとするが、その前に大量の粛清騎士が立ちふさがる。いや、それだけではない。いつの間にか、周りを取り囲まれている。

 

 

「く、こいつら……!最後の足止めというわけか!」

 

「とにかく突破口を開くのだ!静謐、わかっているな!」

 

「はい……!命に代えても、立香をここから逃がします……!!」

 

 

 皆奮戦するが、粛清騎士が減っていくだけで何も解決しない。

 

 

『み、皆!早くそこから退避するんだ!トリスタンの言う通り、直上からとんでもない魔力値の宝具が落ちてくるぞ!通常の宝具なんて比べものにならない!!消し炭になるぞ!!』

 

「でも、皆を放っておけないよ!」

 

「そうです!難民の皆さんを……!」

 

『何をやっとるかマスター!難民なんぞ放っておけ!!お主は大将なんじゃぞ!!』

 

「の、ノッブ!?何その木札!?」

 

 

 突然の通信で立香に呼びかけるのは、あの木札を首から下げた信長だ。恰好はふざけているが、その目と声は真剣だ。

 

 

『大将なら、負けを認めてここは退け!お主さえ生きておれば、カルデアはまだやり直せるんじゃ!ここで負ける勇気こそ、お主に一番必要なものじゃぞ!!』

 

「ノッブ……。」

 

「……信長公の言う通りです。立香!ここは急いで逃げてください!!」

 

「ベディヴィエールまで……!!嫌だよ、皆を置いて行けない!!」

 

「先輩……。」

 

 

 周りの雰囲気は重苦しいものになる。こうなれば、マシュが抱えていくしかない。そう思いかけたとき、立香の肩を叩く者がいた。

 

 

「そんなシケた顔するなよ、立香。俺が何とかするからよ。」

 

「アーラシュさん!どういうこと!?」

 

『ま、まさか君の宝具を使うつもりか!?そんなことをしたら、君の体は……!』

 

「まあそう言わないでくれよ。こんないい場面で使えたら、英霊冥利に尽きるってもんだろ?」

 

 

 快活に笑うアーラシュだが、周りの衝撃は大きい。特に、付き合いが長いのだろうと推察される呪腕のハサンはあからさまに動揺していた。

 

 

「そんな、アーラシュ殿!貴殿の宝具を使うという意味、知らぬあなたではあるまい!」

 

「おっと、皆まで言うなよ?そんなの聞いたら、立香たちがビビっちまう。」

 

「これが黙っていられるか!あなたの宝具を使えば、あなたは死んでしまう!!」

 

「……え?」

 

 

 立香は言葉を失った。死ぬ、死ぬのか?自分たちを助けるために、アーラシュが?

 

 

「だ、ダメ!ダメだよそんなこと!!」

 

「あーあ、だから言ったのに。はは、しょうがねえな。だが、さっきも信長が言ってたろ?俺一人の命でなんとかなるなら儲けものだ。さてと……。それじゃケン!皆を連れて洞窟へ行ってくれ!ここは危なくなるぜ!」

 

「……いいえ、その必要はありません。」

 

「……何?」

 

 

 アーラシュの言葉を遮ったケンは、堂々と宣言する。

 

 

 

 

「私が何とかしましょう。ここにいる誰も、死なせぬように。」

 

 

 

 

「な、何言ってんだケン?お前、あれをどうにかできると……」

 

「アーラシュ殿。申し訳ないが、ここは見せ場を譲っていただきます。通常の宝具ならともかく、あなたが死ぬというのは見過ごせない。」

 

「……。」

 

「―――あなたには果たしてもらう約束がある。モードレッドとの再戦がある。であれば、ここは譲ってください。」

 

 

 アーラシュは、思わず黙り込んでしまう。本来ならば、ケンの言葉を信じる意味はない。この地であってから精々数日の相手だし、いくら多少腕が立つからといって、あの聖槍を相手取るのは並大抵のことではない。それなら、自分の力を信じるのが一番だ。

 

 

(だが、こいつなら……)

 

 

 だがアーラシュは、何故かケンを信じてみたいと思った。それは果たして自分の命が惜しいからか、それとも自分が思っているよりはるかに、ケンの事を信用しているのだろうか。

 

 

「ですが、お願いがあります。どうか私のことを信じ、残ってほしいのです。」

 

「ど、どういうことですか!?」

 

 

 ケンは一つ一つ、ゆっくりと話した。

 

 

「アーラシュ殿。私をあの光に向かって()ってください。カルデアからは、何かこう、たくさんの人たちを出せる宝具を使える人はいませんか?いれば呼んでください。それからマスターは私に令呪を。宝具を使います。」

 

「ちょ、ちょっと待って。全然ついて行けないんだけど!?」

 

「……私を、信じてください。どうかお願いします。」

 

 

 ケンは真剣な瞳で告げる。まっすぐな視線に射抜かれ、立香は何も言えなくなる。あまりに多い情報量を、脳で処理しきれていないのだ。

 

 

『マスター。段蔵にあてがございます。私の子供……風魔小太郎をお使いください。』

 

「段蔵さん!小太郎くんなら、確かに……。」

 

「どうやら、何とかなりそうですね。それではアーラシュ殿、急ぎ発射台に向かいましょう!」

 

「……ああ!」

 

 

 二人は駆けだしていき、ケンは最後のお願いをマスターにした。

 

 

「マスター!私は目立ちたがり屋のようですので、出来るだけ多くの人々が私を見るようにしてください!小太郎殿の力も、難民の皆さんも出来れば私を見るよう仕向けてくださると助かります!」

 

「あの、だから!!言葉が足りないんだってー!私ノッブじゃないからーーー!!!」

 

 

 そして、二人はいよいよ発射台のもとにたどり着いた。頭上から星が落ちてくること以外、とても静かで、穏やかな夜だった。ケンは念話により、最後の打ち合わせを立香と行った。

 

 

「……マスター。そちらはどうですか?」

 

『段蔵さんと小太郎君を呼んで、小太郎君の宝具でいっぱい忍者が出てきたよ。それからロマニとダヴィンチちゃんに頼んで、カルデアにケンさんの事、中継してもらってる。全職員と全サーヴァントが、ケンさんの事見るようにって。』

 

「そ、それは……。少しばかり、恥ずかしいですね。」

 

『……ねえ、ケンさん。』

 

「どうされました?」

 

『私はさ!ケンさんに任せたこと、後悔してないよ!仮にこれで失敗しちゃっても!絶対恨んだりしないから!』

 

「……ありがとうございます。ですが、しくじりませんよ。」

 

「それに、いざとなったら俺もいるしな!ドーンと構えとけよ、ケン!立香!」

 

「ええ。 ―――それでは、お願いします!」

 

『うん!令呪を以て命じる!!ケンさん!あの光を切り裂いて!!』

 

「よっしゃ行くぞ!吹っ飛べ!」

 

 

 アーラシュの気合と共に、ケンを乗せて艦は飛ぶ。目標は一つ、あの極光だ。凄まじい風圧とともに、大きなGがかかる。いや、ひょっとしたら頭上に迫る聖槍のプレッシャーなのかもしれない。

 

 

「しかし、しゃべらないことにはどうしようもない!それがスキル……『撃剣興行』の条件なれば!」

 

 

 ケンは芝居がかった口調で、高らかに宣言する。

 

 

「さあ、神々もご照覧あれ!これより我が剣、()()()()!!」

 

 

 宣言した瞬間、ケンの魔力が爆発的に増加する。あふれ出る魔力は刀に宿り、白銀に輝く刃を創る。刀身は身の丈を遥かに超え、何メートルもの長さになる。その姿はまるで、勝利を約束する聖剣のようであった。ケンは鬨の声をあげ、自分の心を奮い立たせる。

 

 

 

 

「真名解放!!我が名は、榊原鍵吉!!日ノ本最後の侍なり!」

 

 

 

 

「これより振るう一刀は、我が生涯の結実である!!」

 

 

 

 

 

 燃えたぎらせた自らの内なる焔を、次は凝集させるかの如く押し込める。熱された魂は、冷やされることによって強度を上げる。刀匠が刀を鍛える際に、窯と冷水を往復させるようにだ。冷静に、冷酷に。冷やされたケンの心は、極限まで集中力を高めた。自分が近づきすぎて燃え尽きてしまうギリギリを見極め、必殺のタイミングで刃を振るうためだ。そしてその時が訪れ、ケンは詠唱を行う。

 

 

 

 

 

「―――切り裂くは刀、断ち切るは刃。それを振るうは武士(もののふ)なりけり。然るに三千世界と言えど、万象一切斬れぬものなし!!」

 

 

 

 

 

 目を見開き、斬るべきものをまっすぐと見据える。

 

 

 

「ご照覧あれ!天覧・同田貫兜割(てんらん・どうたぬきかぶとわり)!!!」

 

 

 

 ―――その日、その時間。空を見上げていた人々は、間違いなく見たはずだ。降り注ぐ黄金の極光を、銀の光が一閃したところを。そしてその輝きを最後に、()()()()()()()()()()()()()ところを。やがて銀の光も弾けて消え、代わりにキラキラとした輝きが雪のように地面に降り注ぐのを。

 

 だが、もう一つ落ちていくものがあるのを見ることが出来た者は、おそらく数えるほどだろう。まるで太陽に近づきすぎて羽が焼け落ちたイカロスのように、力なく堕ちていく侍の姿を。

 

 そうやって堕ちて、堕ちて、堕ちて……

 

 

「―――よっと!よくやったな、ケン!お前すげえよ!」

 

「アーラシュ殿……。着地、助かりました。流石に英霊の身といえど、少し危険でしたね。」

 

 

 千里眼によってケンの姿を捉えていたアーラシュによって受け止められた。大役を果たしたケンは、大英雄に肩を貸されながら、ゆっくりと歩き始める。喜ぶ仲間たちが待つであろう、あの暖かい村へ。

 




「――見ましたか、小太郎。あれがあなたの父上です。」

「……はい、母上。形は違えど、ゴールデンでした。ですが、その……父上呼びは、ちょっと……」

「む、そうですね。ワタシとしたことが、浅慮でした。」

「母上……。」

「あなたの好みをまったく計算に入れていませんでした。親父でもダディでも、何ならパパ上とでも」

「母上!?その、僕の好みを把握してるのなんか複雑なのでやめてください!」


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Part10 冷血騎士は星を見るか?

前回の感想にて、ケンのスキルや宝具について考察してくださった方々、ありがとうございます。私も早くネタばらしがしたくて、急いで書き上げてしまいました。今まで貼ってきたヒントを回収するの、とても気分がいいですね。

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 見事聖槍を切り裂き、村を守ってみせたケン。さぞや喜ばれるだろうとウキウキで帰った彼を待っていたのは、仲間からの質問攻めであった。

 

 

「ケンさん!何あれすっごいどうやったの!?」

 

「そうよ!単に料理が上手い人だと思ってたのに!」

 

「ぬう、お主も悪い奴よなケン。 ……あれほどの技が使えるのならば、一度くらい俺と立ち会ってくれてもよいではないか!」

 

「ま、まあまあ皆さん落ち着いて……。ちゃんと話しますから。」

 

 

 言葉を一気に浴びせられ、ひとまず宥めるのに精いっぱいなケン。だが、カルデアからの通信もすごいことになっていた。

 

 

『と、とりあえずカルデアの指揮官として、君にはちゃんと説明してもらうからね!さっきの宝具と、スキルについて!』

 

『おいケン!こっち、お主に会わせろってなんか武人系の奴らが押しかけてくるんじゃが!? ……ちょっ、おい景虎!お主はさっき行ったじゃろ!げえっ、なんじゃあの痴〇!?全身タイツとか正気の沙汰じゃないじゃろこれ!ま、ワシも魔王形態は似たようなモンじゃけどネ!』

 

「……ひとまず、私の話からしましょうか。」

 

 

 ひとまず座れそうな場所を見つけ、腰を落ち着けたところで話を始めた。この時当然の権利のように膝に載った段蔵を見て、小太郎がひたすら困惑していたのがとても気まずかった。

 

 

「……まずは、私のスキルからお話ししましょう。『撃剣興行』。ランクはAです。」

 

「そも、私はセイバークラスで現界していますが、大した逸話があるわけではありません。それこそ、強大な敵を倒したわけでもなければ、物語の主人公になったわけでもありませんからね。ですが、私……榊原鍵吉は、現代剣道の祖とされています。それが評価され、スキルになったものです。」

 

 

 ――撃剣興行とは、榊原鍵吉が始めたと言われるものだ。時代が移り変わり、武士は不要なものとされるようになった。その中で職を失い、必要とされなくなり、誰からも忘れ去られていく武士たち。彼らによって支えられた、刀や剣術などの文化。それが失われていくことを悲しんだ榊原鍵吉が、相撲興行にヒントを得て行ったと言われるものだ。

 

 

「ようは、剣術の試合を見世物にしたわけです。派手な衣装、にぎやかな音楽。……綺麗な若い女性に頼み込んで、薙刀の演武をしてもらったりもしましたね。 ……いった!」

 

 

 女性の話をしたことにより、太ももを段蔵につねられてしまった。ヒリヒリする太ももをさすりながら、ケンは話をつづけた。

 

 

「後世においては批判もされているようですが、ありがたいことに同時に評価もされています。例えば現代の剣道では、『面』や『胴』などと、攻撃の前に何処を斬るのか叫びますよね。あれは興業の都合上、斬った後に何処を斬ったのかを叫んだ名残です。 ……という、説もありますね。」

 

「そのへんはっきりしないんだ。」

 

「まあ、明言はしません。」

 

 

「ともかく、撃剣興行はそういう逸話を評価されたものです。効果としては、『私のことを見ている者が多ければ多いほど、私のステータスが上昇する』というものです。」

 

「え、それすっごい強くない?」

 

「うーんでも、通常の聖杯戦争は『神秘の秘匿』を是とするからねえ。あんまり役に立たないんじゃない?」

 

「おっしゃる通りで。私としてはネット配信でもしてくれれば、ありがたいのですが……。その上、あくまで興行ですから、斬りかかる前に()()()()()()()を宣言する必要があります。それも、それなりに大きな声で。口の中でボソッとしゃべってもダメです。」

 

 

 ケンによって語られた『撃剣興行』の詳細を、ここにまとめておこう。

 

 

 

『撃剣興行』 ランク:A

 

 スキルの使用者を見ている人物が多ければ多いほど、使用者のステータスが上昇する。ただし、攻撃の際にはどこを攻撃するのかを宣言する必要がある。これは剣術の命脈を現代まで保ち、文化を継承することに貢献した点を評価されてのものである。

 

 

 

「対人戦では使いにくいスキルですが、今回は役に立ってくれました。皆さんのおかげで、大量の観衆も得られましたし、相手はただ落ちてくるだけでしたから。近づきすぎて燃え尽きないよう、増えた魔力で刀を作り、先の方でかすめるように斬りました。

 

『え、ちょ、ちょっと待ってくれ!かすめるだけ!?そんな簡単に打ち砕けるものじゃなかったはずだぞ!?』

 

「そこはほら、私の宝具です。言ったでしょう?『宝具はちょっとすごい』と。」

 

 

 そこまで話したケンは、ゆっくりと自分の腰に佩いていた刀を外し、マスターの前に置いた。

 

 

「これが私の宝具……というより、現象でしょうか。『天覧・同田貫兜割』です。ひらたく言えば、何でも斬れます。斬ったものは死にます。」

 

「だからさァ!私はノッブじゃないの!ちゃんと全部話して!」

 

「し、失礼しました。ではまず、もとになった逸話からお話ししましょう。榊原鍵吉として、一番の人生の輝き。天覧会にての、兜割の話を。」

 

 

 榊原鍵吉という名で調べれば、真っ先に出てくるのがこの天覧兜割りだろう。廃刀令が出され、いよいよ人々から刀が失われていく中、1887年に兜割りの催しが行われた。この催しには明治天皇も臨席しており、目標の兜にはあの武田信玄の甲冑を作った明珍信家の兜が用いられた。

 

 

「その兜はそれはそれは見事な出来でした。私にはよくわかりませんが、ひょっとしたら魔術的な防御でもかけられていたのかもしれません。現に、私の前に挑んだお二人は失敗されていましたから。」

 

「ふーむ、甲冑に魔術的な加護か……。ありえない話ではないね。なにせ、日本といえば東洋の神秘の塊だ。由緒正しい明珍家となれば、多少そういうノウハウがあっても不思議じゃない。」

 

『言い伝えでは、榊原鍵吉はこの兜割りに白装束を着て臨み、失敗すれば腹を切る覚悟だったというね。そのあたりはどうだったんだい?』

 

「恥ずかしながら、事実です。それまで私は、命を懸けたやりとりというのをしてきませんでしたから。」

 

 

 ケンは、あの時のことを思い出していた。移ろいゆく時代の中、自分だけは経験をしていなかった。

 

 

「……思えば、土方も近藤も、沖田も命を懸けて戦っていました。私は、彼らの気持ちを知りたかったのです。」

 

 

 故に彼は、白装束を選んだ。命を懸けることを選択した。

 

 

「そしていざ挑み、兜をたたき斬った瞬間。私は理解しました。沖田が最後まで戦いたいと願っていたのは、決して愚かな選択ではなかったと。私はようやく、沖田のことを本当に理解できた気がしました。」

 

『……沖田が死んだぞ。2日ぶり3回目じゃな。』

 

「……帰ってから少しは慰めてやりますか。」

 

 

「えー、話を戻しますと。私の宝具はそれが評価されたものです。兜という、決して斬れてはならないもの……斬れないように作ってあるものを斬った。故に私の宝具は、見えるものすべてに『斬れる』という概念を与えます。 ―――わかりやすく言えば、視認できるものならあらゆるすべてが斬れるようになります。」

 

『あらゆるすべてが斬れる……。それは例えば、不滅の聖剣として名高いデュランダルなんかであっても……』

 

「斬れるでしょうね。もっとも、対象の強度が変わるわけではありません。斬れるようになっても、いざ斬れるかどうかは自分次第です。」

 

『なるほど……。え、でもちょっと待ってくれ!斬れるからといって、あの聖槍を斬ったこととは関係あるのかい?』

 

「それが私の宝具の第二の効果です。ほんの少しでも斬ってしまえば、斬られたものは持っている役割を失います。エネルギーや、破壊力なども同様ですね。これは恐らく、斬ったのが兜だったからよかったのでしょう。兜が斬られては、頭を守るという役目を果たせなくなったわけですから。」

 

「ああなるほど、そういうことか!何故君がスフィンクスを倒せたのかと思っていたんだ!」

 

「そう言う事です。私の刀の前では、スフィンクスの神性による概念的な防御も、もともと持っている再生能力も、すべて失います。他にも、信長様の前に割り込んでモードレッドの宝具を防いだときも同様です。ほんの一瞬でも刀を振るえれば、ビームは斬れますから。」

 

「それに、そもそも実体がないのがビームなので、『斬れるかどうか』も問題ではありません。……ようは、ビーム相手なら完封できるということですね。……あっ、しかしだからと言ってほんの指の先っちょでも斬れれば死ぬとかそう言う事ではありません。カテゴリがどうやら対現象宝具というもののようで、人体に対しては効きが悪いのです。不死身の肉体を持つ、みたいな相手には有効ですが、それも不死性を失わせるだけで、肉体強度は変わりません。」

 

 

 ここまで一気に話したところで、ケンは立香がポカンとしているのに気が付いた。どうやら情報が多すぎて、少し混乱してしまったようだ。そこで何とかわかりやすくなる手段はないかと考えた末、ケンはかつての主君に倣うことにした。

 

 

「えーっと、そう……わかりやすく言えば、『相性ゲーとかめっちゃ得意なんですよね、私!』 ……こ、こんなところでしょうか。」

 

『おいマスター!今すぐワシをそっちに呼べ!!いますぐ抱き締めなければ気が済まん!!』

 

『うわぁ信長公!?あなたまでそっちに行っちゃったら、僕一人じゃ抑えきれないよ!?』

 

「むっ、恋敵の気配を感知……!主殿、ここは私といちゃつきましょう!具体的には口吸いを……」

 

「こ、子供が見ていますから……。」

 

「う、うーん……母上は、本当に直っておいでなのだろうか……。」

 

 

 ケンの軽率な物まねにより、カルデアは一気に騒がしくなってしまった。ケンはもう二度とこのような事はすまいと思いつつも、話を締めくくる。

 

 

「……それから、言い忘れていましたがランクはEXです。これはAより凄いという事ではなく、ランクが変動するため計測できないのです。どんな宝具やスキルが相手でも、必ず上をとりますから。」

 

「なるほどねぇ……。つまり、ビームや炎、実体のないもの相手にはめっぽう強いけど、実体があるもの相手には技量勝負になるわけだ。その場合は撃剣興行なんかでサポートしてやらなくてはならないわけだね。」

 

「はい。その分、弱点もあります。例えば、物量で押してくるようなら不利です。一つ一つを斬っても、大した意味がありませんし。ですから信長様と戦ったならば、私は多分負けるでしょうね。」

 

「話を聞く限りだと、有利不利がはっきりしていらっしゃるような……。」

 

「そうですね。ですからマスター、どうか便利に使ってください。ビームを使ってくる敵なら私にお任せを。」

 

「……うん!そういえば、伝えるの忘れてた!助けてくれてありがとう、ケンさん!」

 

「ふふ、お安い御用です。」

 

 

 これが、星を斬り落としてみせた侍の力であった。今まで女性関係以外ほとんど情報のなかった、ケンの事をさらに知れたことを立香は喜び、改めて絆を確認した。話しているうちにケンの魔力も随分回復したらしく、お祝いの料理を作りましょうかと立ち上がった。東の村の家はほとんど焼けてしまったが、それでも人々の顔は明るい。

 

 

「あっ、アーラシュ兄ちゃん!皆のこと、守ってくれてありがとう!ホントに大英雄だったんだね!」

 

「――! ……ああ、だから言ったろ?誰にも負けねえってな!」

 

 

 子供の頭をガシガシと乱暴に撫でるアーラシュ。撫でる側も、撫でられる側も。どちらも弾けるような笑顔で、幸せに満ちている。

 

 

「……ありがとよ、ケン。お前のおかげだ。」

 

「―――お互い様ですよ。あなたがモードレッドに怒ってくれたときは、もっと嬉しかった。」

 

 

 

 

 感謝を告げるアーラシュに対し、ケンは鷹揚に笑う。背を向けて、再び厨房に戻るケンは背中に沢山の笑い声を受けながら、足取り軽く歩いて行く。ふと見上げた星空は、一行を祝福するように瞬いているのだった。

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

「―――どうした、アグラヴェイン。」

 

「はっ――!我が王、申し上げにくいことですが……()()()()()()()()()()()()。」

 

「……。」

 

 

 表情を変えることこそないが、黙り込んでしまう獅子王。アグラヴェインはひるみながらも、報告を続ける。

 

 

「どうやら、難民たちの村に撃ちこんだものの中でも、東の方に撃たれたものが消失したようです。」

 

「――何者の仕業か。そこにはトリスタン卿を向かわせたはずだな。当然視認しているはずだ。」

 

「……陛下が知る必要は」

 

「聞こえなかったかアグラヴェイン。私は何者の仕業かと聞いている。話せ。」

 

「はっ―――!」

 

 

 命令を受け、苦々し気にアグラヴェインが報告を行う。

 

 

「……ケン、です。陛下の召喚に応じなかった、あの裏切り者です。」

 

「―――!」

 

 

 今度こそ、獅子王は目を見開いた。どこか超常的な雰囲気を纏っていた彼女は、ケンの名前を聞いた瞬間にその光を翳らせた。

 

 

「……ケン。」

 

「――ッ! 陛下……。私は体調が優れません。どうか、下がらせていただきたい。」

 

「……ああ。下がるがいい、アグラヴェイン。」

 

 

 アグラヴェインは、こらえがたい吐き気を感じ、許可を得て扉を開けると、礼儀も忘れて走り出した。すぐに自分の執務室に駆け込み、壺の中に吐き出した。

 

 

「はぁ、はぁ……。ありえない。我が、我が王が、あんな顔を……!」

 

 

 ありえない。ありえるはずがないのだ。あの方は、清廉潔白にして完全無欠の王。あのような、あのような……!!あのような、女の顔をするはずがないのだ!!

 

 

 アグラヴェインは、一人ひそかに決意した。必ず、あの男を始末すると。あの男がいる限り、我が王は完璧たることが出来ない。アグラヴェインが何より嫌悪した、モルガンのように!!

 

 窓の隙間から覗く星空は、美しく瞬いている。だがアグラヴェインにとって、その輝きは鬱陶しいものでしかない。その空の果てに殺すべき男を思い浮かべ、ただ拳を握りしめるばかりだった。




「それではマスター、我々はこれにて。母上、帰りましょう。」

「……まだ、さよならのチューをもらっていません。」

「あまり人を困らせるものじゃない、段蔵。……後で、してやるから。」

「! 了解しました主命とあらば仕方ありませんすぐに帰りますよほら小太郎早く!」

「……診察はナイチンゲール殿か、それともダヴィンチ殿か。どちらがよいでしょうか。」

「うーん恋の病はどっちも対象外だと思うなぁ。」


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Part11 父と子と

今回はなぜか妙にギャグテイストになってしまいました。まあランスロットが悪いよーランスロットが。

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 アグラヴェインの鉄の殺意には誰も気づかないまま、一行は次の目的地へと向かっていた。目指す場所はアトラス院という、初代様から指示された場所だ。オジマンディアスの治める砂漠の下に眠るというその叡智の庭に、カルデアの一行は向かおうとしていた。

 

 

「我々はかの砂漠に向かうことは出来ませぬ。反乱の準備をせねばならぬ上、百貌のが顔を知られていましょうから。」

 

「そっか、じゃあしょうがないね。それじゃ、次に会うのは……」

 

「ええ。いざ、聖都に攻め込む時になるでしょうな。それまではどうか、御身お大事に。」

 

「うん!ハサンの皆も気を付けて!」

 

 

 こうして砂漠に向かって歩き出した一行は、襲ってくるスフィンクスに対応しながら歩を進める。ケンの宝具がスフィンクスに有効な事は既に判明しているため、他のサーヴァントの攻撃で足を止めた隙にケンが首を落とすという対処をとり、安定した結果を得た。

 

 

「スフィンクス、また一体撃破です!」

 

「今のうちに離脱しましょう!マシュ殿、マスターを抱えてください!」

 

「走れるからだいじょう――わわっ!」

 

「――ッ!? マスター!」

 

 

 突然地面に落ちたかの如く姿を消すマスター。ケンも慌てて飛び込むが、どうやら落とし穴になっているようだ。

 

 

「いってて……皆大丈夫……?」

 

「は、はい。マシュ・キリエライト無事です。」

 

「どうやら怪我した奴はいないみたいだな。だがこの穴は一体……むっ!」

 

 

 何かを発見したのか、即座に弓矢を虚空に向けるアーラシュ。その答え合わせをするように、一人の男が両手をあげて闇から姿を現す。

 

 

「いやはや、これが悪人のものならともかく、正義の徒であるアーラシュ・カマンガーの矢ならば喜んでホールドアップしようとも。こんな登場になってすまなく思うよ、カルデアの諸君。」

 

「あ、あなたは、まさか……!!」

 

「おや、姿だけで私の真名に見当がつくのか。これは君の洞察力が優れているのか、それともワトソンの手慰みがそこまで有名になっているのか……どちらにせよ、明かさなければならないだろう。私の名はシャーロック・ホームズ。あらゆる謎を解き明かすために存在する、探偵の代表だ。」

 

 

 シャーロック・ホームズ!推理小説の金字塔にして、探偵の代名詞とも言える彼は、実在の人物だったのだ。彼の大ファンであるマシュのテンションは天井知らずで、ついサインを求めてしまう。ハハハと笑いながら綺麗な筆記体でサインを行うホームズを、一行はポカンと見ていた。

 

 

「おっと失礼、君たちをここに呼んだのは私だよ。ここ、アトラス院にね。」

 

「っていうことは、ここが目的地ってこと?」

 

「イエス。君たちには、私をある場所まで護衛してほしい。なにせ今の私は、存在が非常に不安定でね。端的に言えば、非常に弱い。そこで、君たちの武力が必要というわけさ。」

 

「ケンさん……私はどうも、彼を好きになれないような気がします。どこか、マーリンを見ているような……」

 

「ちょ、や、やめてくれ!名前を呼んだら来るだろあいつ!?」

 

 

 ……実際には名前を呼ばなくとも存在しているだけでやってくるのだが。まあそんなケンの受難はさておき、一行はアトラス院の中心へと向かっていく。ホームズの推論通り、自動の防衛機構のようなものが襲い掛かってくる。ケンや藤太を中心に撃退していき、とうとう中心部にたどり着いた。そしてホームズはそこにあるヘルメスという端末で情報収集を行ってい、一行に結論を話し始めた。

 

 

「……さて、では真相を語るとしようか。ラインナップはマシュ君に力を貸している英霊の真名。そして獅子王の真の目的。君たちは、どちらの真実から聞きたいかな?」

 

「真名を……!」

 

「教えて!早く教えてホームズ!私たちの恩人なの!」

 

「ハハハ、ここまで乞われると流石に気分がいいものだ!それでは早速告げるとしよう!君の中に宿る、その英霊の名はギャラハッド!唯一聖杯を手にした騎士にして、災厄の席に座る円卓第13席の騎士だ!」

 

「ギャラ、ハッド……。」

 

 

 その名を聞き、へたり込んでしまうマシュ。ケンは慌てて支えようとするが、その前に立香が肩を抱いていた。

 

 

「マシュ、大丈夫!?どっか具合悪い?」

 

「い、いえ、違うんです先輩。その、すごく、嬉しいのです……。」

 

「うん……うん……!私も同じ!よかったね、マシュ!」

 

 

 喜び合う二人をただ黙って見ているケンに、ベディヴィエールがそっと近づいた。

 

 

「ケンさん、よかったのですか?なにせ、ギャラハッド卿と言えばあなたの……」

 

「皆まで言うな、ベティ。そのうち、あの男を交えて話す時が来る。今はただ、幸せに浸らせてあげよう。」

 

「……そうですね。」

 

 

 微笑ましく見守る二人だったが、この男は空気を読まない。

 

 

「さて、では次の謎解きに向かおう。獅子王の目的についてだ。」

 

「……。」

 

 

 空気読めよとケンは心の中で思いつつも、最も重要な部分であるため口をつぐんだ。それをホームズが分かっているのかどうかは不明だが、立て板に水を流したように流麗に語りだす。

 

 

「君たちは、聖槍のことを誤解している。あれは正確には槍ではなく、『塔』と呼ぶべきものだ。聖都に迎え入れられた人間を、放り込むためのね。」

 

「彼らは清く正しい人間を保護したというが、実際にはどんな状況でも正しい行いしかできない人間を収容したといったところだ。例えば、『自らが死ぬことになっても、子供を助ける』などのようにね。そんな人間の魂を確保、収容、保護……ああいや、保護は間違いだね。なにせ、収容された人々には生も死もないのだから。」

 

「例えるなら、そう……要素を抜き出したようなものだ。彼らの魂は『善良な人間』というショーケースとして保管されるだろう。その後は獅子王のもとで、永遠に管理され続けるのだろうね。」

 

 

 話し終えたホームズだが、誰ひとりとして言葉を発することが出来ない。あまりにおぞましい、王の所業を聞いたからだ。やがてケンが、絞り出すように話した。

 

 

「……つまり、こういうことですか?アルトリアは、人間を昆虫標本のようにするつもりだと?」

 

「昆虫標本、そうだね。まさしくその通りだ。善人を手元に置き、人間のすばらしさを永久に証明し続けるインテリアにする。それが真の目的だろう。」

 

「……人間を愛せとは言ったが、そんなことをしろと言ったはずはないんだけどな……。」

 

 

 ケンは俯き、悲しそうにつぶやいた。対照的にベディヴィエールは震え、怒りなのか恐怖なのかわからないが、ともかく大きな感情に押しつぶされそうだ。

 

 

「……結局さ、行くしかないよ。聖槍が完成しちゃう前に、獅子王に会わなきゃ!」

 

「そうね、私も賛成。そんなこと、御仏的にも絶対NGだもの!」

 

「よっしゃ、方針が決まったんならさっさと戻ろうぜ!ハサンの兄さんたちにも教えてやらなくっちゃな!」

 

「よし、それではここを出るとしよう。帰りの案内は任せてくれたまえ、諸君。」

 

 

 ホームズの案内により、行きほどの労力を使わずにアトラス院を後にした一行。立香は砂まみれとは言え、太陽の光のあるところに出られたことを喜んだ。

 

 

「うーん!あんまり深呼吸とかはしたくない天気だけど、少しはマシだよね!急いで村に帰んなきゃ!」

 

「そうですね。……しかし、どうやらただで帰れるわけではないようです。」

 

 

 そう呟くケンの言葉を裏付けるよう、粛清騎士たちが現れる。その軍を率いるのは、紫色の鎧をまとった湖の騎士。

 

 

「―――諸君らの道行きはここまでだ。いい加減、諦めていただこう。」

 

「サー・ランスロット……!!」

 

「――ッ! まさか、卿までもが……。我らは、本当に……」

 

「……?何か、様子が変だぞ。ひょっとすると、二心があるのやも知れぬ。」

 

「つまり、ランスロットも迷ってるってこと?それなら、何とか説得できるかも!」

 

「ええ、ネゴシエーションならば私の出番です。マスター、ここはお任せください。」

 

「ケンさん!よっし、お願い!」

 

 

 堂々と一歩前に進み出たケン。その姿を認めると、ランスロットの顔が歪む。

 

 

「ケン……。」

 

「サー・ランスロット!ここにいる、紫の少女に見覚えはないか!」

 

「わ、私ですか!?」

 

 

 ケンが手でマシュを示すと、ランスロットの顔が驚愕に歪む。

 

 

「ま、まさか……!その装い、その盾、その片目を隠す髪……!まさか、まさか君は!!」

 

「―――はい!私の名はマシュ・キリエライト!与えられた英霊の名は、ギャラハッド!!」

 

「―――!!」

 

 

 目を見開き、マシュから目が離せなくなるランスロット。畳みかけるようにケンは話す。

 

 

「そうです!あなたにも、親の情があるでしょう!ないとは言わせません!血のつながりがない私でさえ、あの尊い日々を忘れたことはない!!」

 

「……レディ。もう少し、近くで見てもいいだろうか。」

 

「……妙に体が反発している気がしますが、気合で耐えるので大丈夫です!!」

 

 

 許可を得て、馬から降りたランスロットが近づいてくる。手を伸ばせば触れてしまいそうな距離で、親子は再び再会を果たした。

 

 

「―――ああ、間違いない。彼女の中には、ギャラハッドがいる。」

 

「……そうでしょうとも。彼はこうして、立派に育ちました。」

 

「お父、さん……。何故だか、そう呼ばなくてはならない気がします!」

 

「ッ!こんな私を、そう呼んでくれるのか。」

 

「……よかったですね、ランスロット。」

 

「ああ……。今でも、鮮明に思い出せる。ケン、君と共に、四苦八苦しながら彼のおしめを変えたことさえも」

 

「チェストーーーー!!!」

 

「ぐばあっ!?」

 

 

 せっかくいい雰囲気だったのに、一言ですべてを台無しにしたランスロット。ケンはつい、頭を抱えてしまう。

 

 

「……どうして、お前はいつもそうなのだランスロット。女性に対しても言わなくていい世辞を述べて、見境なく惚れさせてしまっていたというのに。」

 

 

 それはお前もだろと立香は睨むが、ケンとランスロットはほぼ二人の世界に入ってしまって気づかない。

 

 

「ふ、ふふ……。反抗期だろう、わかるとも……。息子からのものと思えば、例え殴打であろうとも愛をもって受け止められる。親とはかくも、素晴らしいか……。」

 

「なら顔の形が変わるまでぶん殴ってやると、私の中の霊基が言っています!マスター、殴打の許可を!」

 

「流石にやめてあげて!?」

 

 

 立香の必死の説得により、何とか盾を納めたマシュ。ランスロットもよろよろと立ち上がり、腹部を抑えながら言った。

 

 

「こうして、円卓の騎士との決闘に負けたのです。私はもう、獅子王の騎士を名乗れません。」

 

「うんいろいろな意味で名乗れないと思うよ……。」

 

「どの面下げて騎士やってるんですかお父さん!」

 

「うっ、お父さん……。なんといい響き……。」

 

「マシュ殿ステイです!許してあげてください!」

 

 

 またも殴りかかろうとするマシュをケンは抑えながら、ランスロットの案内で一行は歩き出す。たどり着いたのは、巨大な難民キャンプ。

 

 

「こ、ここは……!まるで、村のような……!」

 

「ランスロット!あなたはひょっとして、粛清されようとしていた人々を!」

 

「……ああ。王は、難民を追えとは言われたが殺せとは言われていない。こうして匿っていたのだ。仮に私が死ぬことがあっても、君たちがここを守ってほしい。」

 

「すごいすごい!すごい詭弁だけど徳高いわ!」

 

「これは、褒めてやってもいいんじゃねえかマシュ?」

 

「顔に似合わずやりますねお父さん!穀潰しのくせに!」

 

「ふ、ふふふ……。そうだろうとも、マシュ!」

 

 

 わかりやすく調子に乗ったランスロットは、一行の一人に目が留まる。

 

 

「むっ……、先ほどは気づけなかったが、素晴らしい美女。レディ、失礼ですがご結婚などされていますか?もしおひとりであれば、私とお茶でも……」

 

「おっと、このダヴィンチちゃんに目をつけるとは中々お目が高いじゃないか。しかしお生憎さま、既に立香君の予約が入っていてね。」

 

「―――何を言っているんですか?もう一度言います、何を言っているんですか??」

 

「ははは、ランスロットらしいですね。本当に、美女と見れば見境なく誘いますから。」

 

「こ、こんな人が……!こんな人が、円卓最強の……!!」

 

「ま、まあまあ。ランスロットは進歩していますよ!今回はちゃんと、誘う前に独身かどうか確認してますから!生前の過ちを反省してるのは、大いに褒められるべきことですよ。」

 

 

 円卓組がすっかり和やかな雰囲気になっていたが、しかし問題も残されている。獅子王の待つ聖都に踏み込むための、兵力がまだまだ足りないのだ。ランスロット卿の配下の騎士たちと、彼らが匿っていた盗賊たちを合わせても、まだまだ足りない。

 

 

「……準備の時間さえ下されば、私に多少のあてがあります。それほど時間はかかりません。」

 

「ケンさん!何でもできるねケンさん!」

 

「何でもはございません。しかしそれには、藤太殿の助けが必要です。こういうものを出していただきたいのですが……」

 

「ふむ、ふむ……。相分かった!やったことはないが、おそらく大丈夫だろう!」

 

「それは良かったです。それでは、出陣の際にはこの腕を振るうといたしましょう。」

 

「……しかし、戦力はあるに越したことはありません。何かもう一押し、あればよいのですが……。」

 

「それならさ、オジマンディアスに聞けばいいんじゃない?」

 

「え?」

 

 

 あまりにもあっさりとした立香の言葉に、その場にいた誰もが停止する。しかし、考えれば考えるほど、それは魅力的な提案だった。

 

 

「……確かに、太陽王の力を借りられるなら大きい。彼は自分に益のある取引を見逃すような愚王ではない。我々が肩を並べて戦うに値する勇者であると示せれば、同盟を組むのもいとわないだろう。」

 

「つまり、やり合ってみればいいわけだな!話が早くて助かるぜ。」

 

「よし、それでは部隊の編制をしよう。メンバーは立香くんにマシュ、三蔵殿と藤太殿、ランスロット卿とその配下の精鋭騎士が10名に、ケン君とアーラシュ殿だ。 ……うーん、いつの間にかとんでもない大所帯になってしまったね!」

 

「まあ、是非もないでしょう。強大な太陽王に相対するのですから、このくらいは準備しておかなくては。」

 

「それもそうだね。さて、では馬に慣れている藤太殿とランスロット卿他は馬に乗って移動してもらうとして、我々にはとっておきの乗り物がある!さあさあ立香くん、運転席に座ってくれたまえ!」

 

 

 ダヴィンチちゃんが示したのは、デパートの屋上にあるパンダとかの乗り物を拡大したような車だ。ボンネットの辺りにはエジプトの壁画に描いてある猫の顔が象られている。

 

 

「オープニソナー・バステニャンだ!かわいいだろう?」

 

「……まあ、かわいいっちゃかわいいけど……。」

 

 

 渋々と言った風に車に乗り込んだ一行は、砂漠を滑走するように走る。快適すぎる旅路にキャーキャーと騒ぎながらも、アーラシュの千里眼により事前に危機を回避したおかげであっという間に到着した。

 

 

「来たね、大複合神殿!絶対に協力してもらわなきゃ!」

 

「はい!行きましょう、先輩!」

 

 

 改めて決意を固め、神殿に送った使いを待つ。まもなく、正門から守護獣が飛び出してくる。

 

 

「軍隊との勝負は我々に任されよ!立香殿はすぐに神殿内へ!!」

 

「了解!それじゃ、皆行くよ!!」

 

「――はい!」

 

 

 守護獣の群れとランスロットの騎士団が衝突し、カルデア一行は駆けだした。今のこの戦場が、今後の戦を左右する。ケンは戦いの分かれ目を感じながら、全力で走るのだった。

 

 




「ちょ、やめろって師匠!今あいつら特異点修復の真っ最中なんだから、あんたが出張る余裕はないっつーの!」

「ええい、離さんか馬鹿弟子!儂はついに、儂を殺せる勇士を見つけたぞ!」

「た、確かにアンタからしたら運命の相手かもしれねーが……。あーもう、こりゃ帰ってきた後の方がめんどくせぇことになりそうだな!」


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Part12 魔王の(きざはし)

そろそろ夏休みが終わり、投稿ペースも落ちるものと思われます。出来る限り頑張りますので、こまめにチェックしていただけると嬉しいです。

そして、今回は暖めていたネタを放出したく思います。反感を抱かれるかもしれませんが、どうかお許しください。思いついた時も書いてる時も、非常に楽しいキャラなんです。皆さんにも気に入っていただけると嬉しいです。

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 大複合神殿にて、守護獣の群れをかいくぐって太陽王のもとへと一直線に突っ走るカルデアの一行は、玉座に至る道を進んでいた。

 

 

「道は私が覚えています!ここを曲がれば――ッ!」

 

「GRuaaaaaaaaーーーー!!!」

 

「魔獣か!悪いが先を急ぐ身でな、ここは通してもらう!」

 

 

 アーラシュがすかさず放った一矢が正確に眉間を射抜き、あっという間に絶命させる。

 

 

「流石だな、アーラシュ殿!いつかお主と、弓の腕比べなどしてみたいものだ!」

 

「そりゃいい!だがまずは、この戦に勝たなくっちゃな!ここは先に行け立香!こいつらは俺たちがやる!」

 

「わかった!向こうで待ってるから!」

 

「応とも!すぐに片付けてやるともさ!」

 

 

 魔獣の相手をアーチャー2騎に任せつつ、廊下のような場所を走り抜け、ついに黄金に囲まれた玉座が姿を現した。

 

 

「――あれが、太陽王。」

 

 

 ケンは初めて見るその玉座に座す王をまじまじと見つめた。その容貌は一言でいうなれば、『どこを見ても完璧』である。筋肉質でありながらも筋肉だるまではなく、荘厳な雰囲気でありながらも親しみやすさがある。かの王はまさしく、最も優れたファラオであろうと思えた。

 

 

「ふはは……、フハハハハハハ!!まさか再び相まみえんとは言ったが、ここまで早くとはな!怒りを通り越して笑えて来たわ!」

 

「ほ、本当です!不敬です不敬!」

 

 

 なんだか楽しそうなことになっているファラオたちだったが、その雰囲気は次の言葉で一変する。

 

 

「――して、何用だ異邦のマスター。余に首を預けに来たか。ならば愉快に殺してやろう。」

 

「……要件は、既に伝えてあるはずだけど?」

 

 

(マスター……!)

 

 

 ケンは控えつつも、驚きを隠せない。自分よりはるかに格上の相手が自分を殺すと宣言しているのに、彼女は一歩として引いていない。なんという度胸だろうか。

 

 

「む、あの遣いか。確か、余と共に戦えだのという戯言だったが……うむ、これか。」

 

 

 そういってオジマンディアスが取り出したのは、一枚のパピルス。本当は普通の紙もあったのだが、『こういうのは雰囲気が大事だろう?』とダヴィンチちゃんがわざわざ作ったものだ。

 

 

「ふはは、あまりにおかしな要求だったのでな!腹を抱えて笑った後、こうして手元に置いておいたというわけよ。このような身の程知らずは、そうは見られまい!」

 

 

 なおも嘲り、大笑いを続けるオジマンディアス。三蔵ちゃんが流石に文句を言ってやろうとしたところ、突然その笑いが止まった。

 

 

「―――では、余興に対する褒美をやろう。我が輝きに目を灼かれ、絶望による死を許す!!」

 

 

 唐突に始まろうとした戦闘に、ケンだけが対応できた。これもまた、信長に仕えていた時の経験である。往々にしてこういう王様というのは気まぐれで、突然こちらを殺しにかかってくるものである。すぐさま立香の前に立ち、来るであろう攻撃に対応しようとした時―――

 

 

「すまん、遅くなった!状況はどうだ、立香!」

 

「―――――。」

 

 

 オジマンディアスは、杖を掴んだ状態でフリーズしてしまった。玉座の間へと突然飛び込んできた、アーラシュの姿を認めたからだ。

 

 

「アーラシュさん!ちょっと、何か敵対しそうな感じかも!」

 

「マジか!じゃあすぐに加勢を――」

 

「敵対?何のことだ?」

 

「え」

 

「ファラオ!?」

 

 

 いつの間にか、何食わぬ顔をして玉座に座りなおしている。誰も彼もが困惑を隠せないが、アーラシュの目は一つのものを捉えた。

 

 

「おっ、そいつは俺が書いた書状か!どうだ、ファラオの兄ちゃん!ちゃんと伝わるように書けてたか?」

 

「これは、勇者の……ニトクリス!」

 

「は、はい!」

 

「すぐに額縁を用意せよ!一刻も早くだ!!」

 

「え、し、しかしファラオ。先ほどは『燃やしてしまえ』と仰せに」

 

「余がそんなことを言うはずがないであろう!急げ、ニトクリス!」

 

「は、はいっ!」

 

 

 慌てて玉座の間を飛び出していくニトクリスを、ケンは妙に実感のある憐れみの視線で見送った。そういえば信長様のもとにいた家臣、いつもあんな感じだったなと。

 

 

「えーっと……それで、結局同盟のことはどうなったんだ?」

 

「当然、受けるに決まっているだろう勇者よ!余とて獅子王の行いは腹に据えかねていたのでな!貴様が出るというのなら、勝機も十分であろう。余と肩を並べ、共に戦う栄誉を許す!」

 

「おっ、そいつはありがてえな!ナイスだ立香、よく頑張ったな!」

 

「私は別に何もしてないっていうか……え、ダヴィンチちゃんこれどうなってるの?」

 

 

 すこぶる機嫌が良さそうに高笑いをしているオジマンディアスを横目に、立香は小声で隣のダヴィンチちゃんに尋ねる。

 

 

「うーん、この心変わりはアーラシュ殿のおかげとしか思えないけど……ま、何だっていいんじゃないかな?」

 

「説明諦めないでよ万能の人!」

 

『ま、まあきっと、アーラシュとラムセス二世……オジマンディアスは同じ時代を生きた英雄だからね。そのあたりで何か、好意的に感じる部分があるのかもしれない。』

 

『なーんかあいつを思い出すのう。ワシの熱烈ファンガールの、あのガチレズ……。』

 

「ああ……言われてみれば確かに……いや、もうちょっと狂ってましたよあの方は。」

 

 

 内輪ネタについていけない立香はひとまず理解することを諦め、流れに身を任せることにした。ひとまず結論から述べると、オジマンディアスはノリノリで協力を約束してくれた。スフィンクスから成る兵団を貸してくれるだけでなく、何と彼自身が戦場に立つと宣言したのだ。

 

 

「マジでか!?これは大きいぞ!なにせ、オジマンディアスと言えば並みいるサーヴァントの中でもトップクラスだ!これなら多少の兵力の差なんて、簡単にひっくり返せちゃうかもだ!」

 

「フハハハハ、余が戦場に立つのだ、当然の事!勇者よ、その武勇を存分に示すがよい!」

 

「おっ、そいつは燃えるな!ハハハ、こりゃ戦が楽しみだ!」

 

 

 そして一行は、最初に来た時の倍くらいの歓待を受け、ホクホク顔で帰っていった。東の村に着くと、聖槍から何とか生き延びて他の村にも兵力を募っていた百貌を加えたハサン3人が待っており、ランスロットが味方になったことを伝えると非常に驚かれた。

 

 

「あのランスロットが、我らに与すると……!それは、信じてもよいのですかな?」

 

「……まあ、あれを見てる限り大丈夫じゃない?」

 

 

「だーかーら!馬に乗るくらい簡単なんですってば!ギャラハッドさんには騎乗のスキルもあるんですから!」

 

「そ、そうは言ってもやはり心配でな。私の記憶では馬から何度も転げ落ちて」

 

「またぶん殴られたいんですか!?顔に行きますよ今度は!無駄に整った顔に!!」

 

 

「……なるほど。確かにあれは裏切るとかいうことではないですな。」

 

「それにしてもさ、ランスロットがケンさんとおしめ変えたって言ってたけど、ケンさん何があったの?」

 

「……複雑な家庭環境なので、私からはちょっと。そんなことよりほら!腹が減っては戦は出来ぬですよ!今日は山ほど作るつもりですので、お腹いっぱいで眠れないなんてことにならないでくださいね!」

 

 

 ケンは、普段の繊細な調理はどこに行ったのかと思わせるほどに、ボリューミーで馬鹿みたいな料理を行っていた。猪の肉を焚火でじっくりと焼き、ハーブやスパイスで作った特製ソースを回しかける。ソースの焦げがなんとも香ばしく、ご飯を運ぶ手が止まらない一品だ。

 

 

「おいしい!お米止まんなくて太っちゃうよこんなの!」

 

「あれだけ走り回ってれば大丈夫ですよ。それじゃ、私は作戦部の方にも差し入れてきますね。」

 

 

 ケンが肉と米とを以て向かったテントでは、ダヴィンチとランスロット、呪腕のハサンによって、最後の作戦会議が行われていた。

 

 

「皆さん、そろそろ煮詰まってきたころではないですか?少し息を入れては?」

 

「おっ、ありがとう!ちょうど匂いがこっちまで来て、お腹ペコペコだったんだ!」

 

「これは……懐かしいな。ケンの味だ。」

 

「ケン殿にも、作戦の内容を共有しておいた方がよいですかな?兵法に明るいかは不明ですが……」

 

「いえ、お聞かせください。」

 

「承知した。ではまず、西の方から太陽王の軍勢が攻め込みまする。城壁を破壊することが出来ればよいのですが……」

 

「ケンも知っての通り、キャメロットの正門は悪しきものを弾く。あらゆる攻撃は無効化されることだろう。」

 

「なるほど。それなら、私が正門を担当しましょう。」

 

「ああなるほど、君の宝具なら、キャメロットの門すら切り裂けるだろうね。ではモードレッド卿の方はどうする?」

 

「……おそらく、俺の方に来るでしょう。その時は俺が相手をします。出来れば、アーラシュ殿にも。」

 

「後は、軍を率いる将が足りないな……。ベディヴィエールは守りには長けているが、砦攻めはあまり得意ではない。藤太殿は将というよりも、兵士として駆ける方がよいそうだしな……。」

 

「それなら私に考えがあります。ちょうどよかったです。」

 

「君なんでもできるな!?万能の人の立つ瀬がないんだが!?」

 

「ですから、何でもは出来ませんよ。たまたま出来ることばかりだったというだけです。」

 

 

 その後は特に話し合うべきこともなく、ダヴィンチが締めくくった。

 

 

「よし、ひとまず聖都に入るまでが第一の勝負だね。そこから獅子王に謁見するまでは、もうアドリブで行くしかない。」

 

 

 

 こうして作戦はまとまり、一行は明日に備えてぐっすりと眠った。なにせ明日は夜通しの行軍から、聖都での全面戦争になるのだから。

 

 

 

 

 そして翌朝。ゆっくり体力を回復した立香は、しっかりとした足取りで行軍を続ける。日が暮れてもなお歩き続け、夜の闇に紛れて移動し、少しだけ休息をとって息を整えると、もう目の前に聖都が見えていた。

 

 

『――時刻は午前7時、もう日は高く昇っているね。聖都軍も、僕たち連合軍に気づいたみたいだ。城壁にはずらりと弓兵が並んでいて、こちらをにらみつけている。仮にどちらかが一歩でも踏み出せば、それが戦いの合図になるだろう。 ……立香くん、怖くはないかい?』

 

「……うん、大丈夫。もう、やるしかないわけだしね!それに―――」

 

 

 

 

 

 

「―――目の前で魚捌いてる人いるから、困惑の方が強いかなって。」

 

 

 

 

 

 

 立香がジト目で見つめる視線の先には、せっせとウナギのような魚をさばいているケンがいた。どこから持ってきたのかテーブルを置き、まな板の上で魚を三枚におろす。そうした後、慎重に切れ込みを入れていく。

 

 

「もう!ケンさんこれから戦だってのに何やってんの!ほら、マシュも何とか言ってやってよ!」

 

「す、すみません先輩!私の中のギャラハッドさんが、『好きにさせた方がいい』と……!」

 

『ほう、中々話の分かるやつではないか。そのがらはっどとやらは。』

 

「ノッブ?どういうこと?」

 

 

 通信で割り込んできた信長は、理解者面をしながら立香に語る。

 

 

『なに、ワシらの時代の武将なら、こやつのことはこういう言葉で知っておるものよ。“大男が料理を作っておれば、何をおいても阻止せよ”とな。ケンを厨房に立たせれば、敵はろくなことがない。もちろん、この敵というのはワシの敵じゃがな。』

 

 

 

 

 

 立香と信長の会話も今は無視をして、ケンは集中してまな板に向かっていると、ようやく調理が完了した。ケンは魚の切り身を、背負っていた鍋で沸かした湯にくぐらせた。魚の切り身はタンパク質の性質上、キュッと縮こまってしまう。だが切れ込みが入っているので、その姿はまるで花びらのように見えた。

 

 

 そうして出来た湯引きを、皿に盛り付け、すりおろした梅肉を添える。盛り付けは美しく、まるで手向けの花が敷き詰められているようだ。

 

 

 

「―――お待たせしました。『鱧の湯引き』にございます。」

 

 

 

「……ですが、これを食べるにふさわしいお方がいらっしゃらない様子。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

「――これこそ我が人生の報酬。何よりも得難く、何よりも尊い、あらゆる財を超えしもの。その名を人は、(えにし)と呼んだ。さあ、今こそここに、万夫不当の英雄を。我が美食が紡ぎし縁を辿り、抑止の円環より来たれ。」

 

 

「……でなければ、冷めてしまいまする。『縁を繋げ、我が美食(ユヌ・ランコント・ユヌ・シャンス)』。」

 

 

 

 

 瞬間、眩い光が辺りに満ちる。まるで小さな太陽が、地面に落っこちてしまったようだ。

 

 

「な、何!?何が起こってるのロマニ!?」

 

『……あ、ありえない。こんな、こんなことが出来るのか!?そこにあるのは、新たなサーヴァント反応だ!!今までまったく姿を見せていないサーヴァントが今、現れようとしているんだ!!』

 

 

 

 

 

 そうして光が収まり、そこには一人の人物が立っていた。体に匹敵するほど大きな弓を持ち、立派な烏帽子をかぶっている。周囲があっけにとられているのを気にも留めず、その人物は声を発する。

 

 

「――ふ、ははは。余をアーチャーで呼ぶとはな。よほどこの戦に必勝を期していると見える。だが――む、なんだケンか。道理で心が躍ったわけよ。」

 

「……。」

 

『……。』

 

「ふ、ははは。余の威光に声も出ぬか、愛い奴よ。だがお主、でかい奴とは思って居ったがそんなにもデカかったか?成長期という奴か?ん、というより何と言うか、余の声ってこんなにカワイイ系だったか?もっと威厳のあるバリトンボイスだったはずだが。これではまるで、琴の音色のような少女の声で……」

 

 

 

 

 

 

 そこでアーチャーは、ふと思いついたように刀を抜き、そこに映る自分の姿を認めた。沈む夕日のような温かみのある橙色の瞳。玉のような肌に、活発な印象を受ける短めのウルフカット。そして何よりも、頭頂部についた()()()()()()

 

 

 

「な、なな、何じゃコレーーーー!?」

 

 

 

 ケンの記憶とはかなり違った姿で、アーチャー・今川義元が現界した。

 

 

「お、おいケン!余はどう見えておる!?」

 

「は、はい。……率直に言って、犬の耳が生えた可愛らしい少女のように見えます。」

 

「じゃよねぇ!?お主どんな召喚した!正規の方法ではないとはいえ、ちゃんと男で呼ばぬか!」

 

「も、申し訳ありません。」

 

 

 

 何故か召喚したサーヴァントに怒られているケンを、周りは唖然とした目で見ている。なにせ、武装した少女……いや、もう幼女と言った方が正しい子に、180cm近くある大男が叱られてシュンとしているのだから。

 

 

「え、えーっと……ケンさん、これ」

 

『おいケン!お主これ、これが義元って……ぷっ。』

 

「んなっ、その声は信長か!?この姿、お主のせいではないか!!」

 

『あぁ~ん?何のことじゃそれ。』

 

「スキル!余のスキル!!“魔王の(きざはし)”ってなんぞこれ!」 

 

 

 

 通信越しに口論を始めた二人を見ながら、立香はようやく正気に戻った。自分をケンと信長のマスターと前置きしたうえで、ロマニに今川義元のことを聞いた。

 

 

「ロ、ロマニ?あの子は一体どういうことなの?」

 

『あ、ああ!こっちでも今、解析が完了した!確かにその女の子は今川義元だ!』

 

「誰が女の子だ貴様!余は『海道一の弓取り』なるぞ!」

 

『ごめんなさい!』

 

「……ロマニの謝罪も板についてきたね。」

 

 

 しみじみと呟く立香。なおも、ロマニの説明は続く。

 

 

『そ、それで。スキル:魔王の(きざはし)だけど、これはどうやら無辜の怪物の変化したスキルみたいだ。今川義元と言えば、織田信長の覇道の最初の壁にして、最初にしてはあまりにも強大な敵だ。だけど後世においては、圧倒的不利な状態で勝った信長が評価されるばかりで、義元自身についてはあまり触れられていないだろう?そのせいで生まれたみたいだね。』

 

 

『効果は“織田信長と同時に召喚されたとき、全てのステータスが信長を下回る”というものみたいだね。ああなるほど、だから女性になったんだ!』

 

「……然り。腹立たしいことこの上ないが、今の余はあらゆる点において信長を下回っておる。身長も奴より低く、体つきも貧相よ。というか肉体年齢まで下ではないか!今川義元がロリっ娘とか何かの冗談であろう!」

 

「で、では犬の耳は?どういうことですか、ロマニ殿。」

 

『えーっと、多分……こう、信長の噛ませ犬みたいなイメージがついちゃってるんじゃないかなって……』

 

「だから犬耳!?安直すぎるであろう!どうなっておるか抑止力!!」

 

『うははははは!!こ、ここまで愉快な事ある!?あれほど恐ろしく見えた今川のが、今では犬耳ロリっ娘アーチャーとはのう!』

 

「ええい黙れ!もとはと言えば貴様がもう少しマシな体であれば、余もこんな貧相なボディにはなっておらぬわ!」

 

「そ、そんな義元殿。貧相貧相というものではありませんよ。あなたの大切なお体なのですから。」

 

「なんだお主ナンパか!?いくら何でもこの体に発情するのはやばいであろう!」

 

「発情はしてませんが!?」

 

 

 

 ギャーギャーと喚き散らしていた今川義元だったが、ようやく落ち着いて話を聞いてくれた。今は開戦秒読みであるという事。軍隊の指揮をとるのであればとケンが思い、義元を召喚したこと。

 

 

 

「……話はわかったが、それ余にメリットある?正直ルーラーならともかく、ロリっ娘アーチャーの時点でかなりモチベ失っとるが。」

 

「一つ、ございます。―――敵軍には、信長様を圧倒した騎士がいます。」

 

「――!では、そいつを余が倒せば……」

 

「間接的にですが、信長様を超えられるのではと。」

 

「……ふ、ははは。人をのせるのが上手い奴よな、ケン。俄然やる気が湧いてきたわ!」

 

「それはようございました。」

 

 

 うまい事ケンが丸め込み、ようやくその気になった義元。最後のピース、指揮をとる将が埋まり、ここに連合軍は完全な形となった。一見犬耳の生えた幼女にしか見えない義元が指揮を執ると言われて、怪訝な顔をした兵士たちだったが、そこは義元のスキル:『文武のカリスマ』によって命令を聞かせるとのことだ。

 

 

「ふむ、だがこの姿ではついてくる者も不安よな。義元、動くぞ。この戦場の鏑矢をくれてやろう。」

 

 

 呟いた今川義元は一本の矢を手に取り、おもむろにつがえた。

 

 

「義元殿……?サーヴァントの矢なら届きもしましょうが、一本で何ができるのです?」

 

「ベディウィエールとやら、刮目するがよい。余は信長に敗れはしたが、決して劣ってはおらぬということをな。」

 

 

 キリキリと弦が引かれ、放たれた一矢は風を切って飛行する。サーヴァントの矢だが、義元の矢は通常の物理法則に従うようだ。綺麗な放物線を描き、城壁の兵士のもとへと飛来する。

 

 

 

 

 

 

 

 ……変わったことと言えば、その矢が無数に増えていることだけである。

 

 

 

 

 

 

 

「――な、なんだ、あれは!?」

 

「そ、空が!埋め尽くされるほどの矢だ!!退避――ぐあっ!」

 

「に、逃げろーーっ!!」

 

 

 キャメロットの城壁の上は、まさしく地獄絵図と化していた。絶対に反撃できない、通常の弓矢の射程距離の外から、空を覆いつくさんばかりの矢が飛んでくるのである。それはまるで、黙示禄の第五の喇叭が鳴らされ、バッタや蝗が人々を襲う、終末の光景のようであった。

 

 無数の矢の前に、兵士たちは一人また一人と倒れ、床を死体が埋め尽くさんばかりだ。その死体の上にも矢は容赦なく降り注ぎ、人間をハリネズミのように変えていく。畏れよ、かの行いを。それを為したのは、たった一人の幼子である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、ははははは!これぞ我が宝具の一!『九山八海・三千大戦世界』よ!何が三千世界(さんだんうち)だ、しっかり正式名称を言わんか!」

 

『義元公は、仏教にも明るい人だったそうだからね……。いろいろ溜まるものもあるんだろう。』

 

「そうらもう一発くれてやろう!矢が増えきるまでに時間がかかるが、この距離を飛ぶなら十分よ!」

 

 

 

 そうら飛べいと放った矢は、再び城壁に向かって飛来する。しかし、サーヴァントにはサーヴァントである。着弾するかと思われたが、焔の波のような横なぎが、ほとんどの矢を焼き尽くしてしまった。

 

 

 

 

「あれは、ガヴェイン卿の……!ここから狙撃しても、もはや意味はないかと!」

 

「むぅ、無粋だな。では馬鹿正直に突撃するとしようぞ。ケン、余をおぶることを許す!馬の代わりに走るがよい!」

 

『なにぃ!義元貴様、どういうつもりじゃ!ワシの料理人じゃぞそやつは!』

 

「ふ、ははは!当然嫉妬を狙ってのものよ!ほれほれ気張って走れケン。速ければほっぺにチューしてやってもよいぞ!」

 

「将なんだからもっと威厳あるところ見せてくださいよ!」

 

 

 

 文句を言いながらも、流石にこのような小さな子を走らせるのもと思ったケンは言われた通りにおんぶをし、前へ前へと駆けていく。義元の攻撃から未だ態勢を整えられていない隙を狙い、一気に距離を詰めるのである。ここでどれだけ兵力を失わずに城壁に辿りつけるかが、この戦の勝敗を分けるだろう。それを誰もが理解し、全速力で疾走する。だがそのため、連合軍は誰ひとりとして気が付かなかったのだ。

 

 

 

 髑髏を象った力が、忍び寄っていることに。




というわけで、信長の話ぶりに今川義元登場です。いつまでも公式が出してくれないので、俺が書きました。後で解釈違いを起こしても許されよ。

また、ケンの第二宝具:縁を繋げ我が美食(ユヌ・ランコント・ユヌ・シャンス)についても下で書いておきましょう。



縁を繋げ我が美食(ユヌ・ランコント・ユヌ・シャンス)

カテゴリ:対軍宝具 レンジ:50 補足人数:5~500

料理人として、数多の武将や忍、商人や僧侶、普通の村人から天皇まで。数多の人間と出会い、縁を繋いできたケンの生き様が宝具になったもの。ケンにはセイバー、アサシン、キャスターの適性があるが、キャスタークラスで現界した時にもっとも上手く使え、反対にアサシンクラスの場合ほとんど使えないようだ。

というのも、アサシンのケンは剣客としての面が強く評価された姿であり、キャスターのケンは料理人としての面が強く評価された姿であるためだ。第一宝具の『天覧・同田貫兜割』はアサシンとセイバーの際に最も強くなるが、キャスタークラスだとただ単に対象を柔らかくして斬りやすくする程度である。

宝具の能力は『生前、その人物にふるまい、心に強く刻み込まれた料理を作ることで、その人物を時間に限定のあるサーヴァントとして召喚する』というもの。キャスタークラスで召喚された場合、一日くらいなら3騎のサーヴァントを召喚することが可能。ただし、魔力をおぎなう都合上、半分受肉したような状態のため、サーヴァントとしては弱体化しているほか、魔力を食事などで補う必要がある。

アサシンクラスの場合サーヴァントとして召喚することは出来ず、召喚した英霊に応じて能力にバフがかかる。例えば織田信長を召喚した場合、幸運に補正がかかるなどである。セイバークラスの場合、シャドウサーヴァントのような形で召喚するのが精いっぱいだが、今回は特異点という魔力が潤沢にある環境であったことと、宗三左文字という強力な触媒になるものがあったため、完全な形での召喚を果たした。


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Part13 流星一条

8月の終わりに描き始めたこの小説も、10月に入ってしまいました。ここまで続けてこられたのは皆さんの応援のおかげでございます。これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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 聖都キャメロットに突入せんと全力で走り続ける連合軍。敵のサーヴァント・ガヴェインの攻撃により、今川義元の矢は防がれるが、それでも義元は放ち続ける。

 

 

「余は矢を放つだけだが、奴はいちいちそれを薙ぎ払う必要がある。圧倒的優位よな!」

 

「その代わり、これすっごい走りにくいんですけど!まだ続けなきゃダメですか!?」

 

「当然よ!この優位を保つぞ! ――ッ、待てい!」

 

 

 言いながら弓を引き絞る義元だったが、突然風向きが変わったのを感じた。これは弓兵としての感覚ではなく、武将としての第六感だ。ただ単に風向きが変わっただけでも、戦の流れというものは大きく変わる。流れの変化は、最終的な戦の結果にすらつながりうるのだ。

 

 まったくの無風、快晴の状態から。いきなり砂嵐が吹き荒れる。キャメロットを打ち砕こうとするように、一直線に向かっていくそれには、巨大な髑髏が見えた気がする。

 

 

「おお、おお――!見よ、まるで忌まわしき聖都を飲み込むように、砂嵐が――!」

 

「これなら、敵の弓矢は届きません!一気に接近できます!」

 

「――ッ!総員、弓を捨てよ!役に立たん!ここからは、速さが勝負だ!!」

 

「えっ、余もう役立たず!?召喚から一時間もたっとらんぞ!?」

 

『やはり時代は火縄よな!所詮貴様はワシの下位互換よ!わかったらそこをワシと代われ!おいマスター、今すぐワシを呼べ!』

 

「信長様、申し訳ありません!マスター、ここはお虎さんがいいかと!」

 

 

 飛び道具を無力化する長尾景虎のスキル『鎧は胸にあり』であれば、マスターを飛来する矢や石から守ることが出来るはずだ。

 

 

「なるほど!それじゃ来て、お虎さん!」

 

 

 マシュに抱えられながら、立香は手を掲げた。手の甲の令呪が赤く輝き、カルデアとのパスがつながった。

 

 

「長尾景虎、見参!マスター、状況は把握しています!あの城壁に向かって走って、殺しつくせばいいんですね!」

 

「うーんまあヨシ!それでいこう!」

 

 

 『承知!』と子供が見たら震えあがりそうな笑顔で返事をした景虎は、マスターの傍を離れないようにしつつも、その足はうずうずとしている。

 

 

「あはははは!ケン!まさかあなたと、戦場を駆けることが出来る日が来るとは思いませんでした!信長はあなたを戦場に出したくなかったようですが、あはははは!こんなにいいものはありません!私の傍を離れないようにしておきなさい!」

 

「は、はい!ありがとうございます!」

 

「げ、上杉のシグルイではないか。言っとくが余に構うでないぞ。」

 

「何ですかこのちんちくりんは。私は知らないですよ。」

 

「それはそれでむかつく!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 連合軍が天の恵みの砂嵐に紛れ順調に進軍を続ける中、聖都軍は大量の情報を処理しきれないでいた。

 

 

 

 

「報告!矢の雨、更に飛来!!」

 

「遮蔽に身を隠しなさい!登ってくる兵を叩き落すことに集中せよ!」

 

 

 

「さ、左翼第三番隊から報告!!スフィンクスの群れに襲われ、現在敗走中!」

 

「中央の二番隊を向かわせろ!倒し切れずとも、時間を稼げ!」

 

 

 

「右翼四番隊、謎の穀物の波に襲われ機能不全との報告!」

 

「穀物!?それはサーヴァントだ、相手をするな!」

 

 

 

 

 次々にやってくるのは敵がどれだけ快進撃を続けているかという報告ばかり。最終的にキャメロットへの侵攻さえ防げばいいものの、やはり否応にも焦らされる。しかし最後の報告は、ガウェインの背筋を凍り付かせた。

 

 

 

 

 

 

「ほ、報告!報告!()()()()()!!」

 

「何ですって――!!」

 

 

 

 

 すぐにガヴェインは西の方に目を向ける。だが砂嵐のせいで何も見えず、歯噛みしながら指揮を執るしかない。もし本当に太陽王が出たのならば、獅子王に任せるほかない。我が王の手を煩わせることを悔しく思いながらも、奮戦を続けるのであった。

 

 

 

 

「フハハハハハ!!!どうだ勇者よ、これこそ我が宝具の一つ!闇夜の太陽船(メセケテット)である!!」

 

 

 オジマンディアスの宝具の一つである『闇夜の太陽船』はとてつもなく巨大な戦艦というべき風貌だ。だがその艦は海ではなく、宙を往く。重厚感のある見た目通り、威風堂々とゆっくりとした速度で航行しているそれを、地上で豆粒程度にしか見えない兵士たちは、ただただ呆然と見つめていた。中には、手に持った武器をカランと取り落とした者もいた。

 

 

「おお、たっかいな!こりゃすげえや!」

 

「フハハハハハハそうであろう!ではここから、聖都軍の兵士を焼き尽くしてくれよう!」

 

 

 オジマンディアスが手に持った杖の石突を床に打ち付け、コツンと音を鳴らす。するとその音に反応したのか、それともその衝撃がスイッチになっているのか。船の舳先の主砲から、文字通り太陽の熱を持った光線が発射される。

 

 大地に線を引くかの如く伸びた光線は、一呼吸遅れて通った跡に大爆発を起こす。その光景はまさしく阿鼻叫喚。一瞬にして辺りにさっきまで命だったものが転がる。いや、ともすれば、塵一つ残さず消し飛ばしているのかもしれない。

 

 

「強ええ……。流石にこれなら、あっという間にケリがついちまうぞ!」

 

「ふむ、まあ余が出ればこうもなるか。しかしこのまま蹂躙しても面白くない!勇者よ、お前の武勇を見せてみよ!」

 

「よっしゃ!流石にファラオの兄さんには劣るだろうが、ちょっとばかし本気を出すか!」

 

 

 アーラシュも弓を引き絞り、曲射の要領で弓を天に向ける。

 

 

「流星一条、ミニバージョンってなあ!」

 

 

 空に向かって放たれた矢は、義元のそれのように増えるようなことはない。だが、その威力は絶大だ。着弾した傍から爆発を起こし、地面に大きなクレーターを作っていく。

 

 

「フハハハ、流石だな勇者よ!これなら余が出る幕はあるまいよ!」

 

 

 すさまじく上機嫌で、甲板の中心に据え付けられた玉座に座るオジマンディアス。それを見てアーラシュは怪訝な顔をした。

 

 

「ん、大丈夫かファラオの兄ちゃん。船酔いでもしたのか?」

 

「否!だが余は、余の力を振るうべき時を識る賢王よ!貴様がいれば、余も安心してみていられるというもの。」

 

 

 余裕たっぷりといった風に玉座に座るオジマンディアスは、まるで子を見る母のような笑みを浮かべていた。その顔にアーラシュは何かを感じつつも、あえて何も言わないでいた。

 

 闇夜の太陽船(メセケテット)は未だ、悠々と飛行を続ける。だがそこに似合う、太陽王の高笑いは今はない。吹き荒れる砂嵐も今は無視をして――ただ静かに、音もなく。その艦はただ、勝利に向かう。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 砂嵐に紛れて連合軍は順調に壁にたどり着いた。ケンやベディウィエールを含むカルデア陣営も、キャメロットの正門の前に到着。後はこの門をぶち破るだけだが――。

 

 

「ケンさんやっちゃって!」

 

「はい!しかし、この砂嵐では撃剣興行が……!」

 

 

 ケンへの視界が遮られているため、撃剣興行が十分に発動できない!そう思った、その時だった。

 

 

「砂嵐が……ッ!」

 

「止んだ……?これは!」

 

 

 なんという奇跡か。ケンのいる正門の周辺のみ、全くの無風になった。おかげでケンに敵兵の視線が集まり、全ての弓矢が狙いをつける。だがそれは、ケンの力を増す結果にしかならない。

 

 

「――ッ!撃て!総員、あの剣士を狙えッ!!」

 

 

 ガヴェインの咆哮を待ってましたと言わんばかりに、一斉に弓矢が放たれる。―――だが、奇跡は二度起こるものだ。

 

 

「何――ッ!?」

 

「お、落ちた……。あの剣士の目の前で!矢が急に、失速して……!」

 

「い、いや違う!女だ!あの女の前で、落ちたんだ!!」

 

 

 正門を前に、刀を大上段に構えて集中するケン。その背中を守るようにして、顔程もある大きな盃から、静かに酒を呑む女が一人。その女の前に矢は意味をなさず、まるで平伏するように地に堕ちる。

 

 

「――さあ、これでもう、そなたの邪魔をするものはない。己の為すべき業を為すがいい。」

 

「――感謝します。」

 

 

 二人にしか聞こえないほど小さな声で、会話を終えた二人。男は声を張り上げ、周囲の目をさらに集める。

 

 

「さあ、お立合い!我が名は、榊原鍵吉!魔王の懐刀にして、越後の龍の翼である!」

 

「――ッ!まずい!!」

 

 

 矢が意味をなさないのを見て、ガヴェインが正門に駆けだそうとする。だが、その前に立ちふさがる、黒い影が一つ。

 

 

「クッ!押し通る!」

 

 

 太陽の加護が得られないとはいえ、ガヴェインは相当な強者。その振るわれた剛剣は、影を真っ二つにするはずだった。

 

 

「なっ!外套の、一振りで……!!」

 

「――汝の出陣は能わず。我が砂塵は、その道行きすらも塗りつぶした。」

 

 

 立香たちが霊廟にて助力の約束を取り付けた“初代”ハサン・サッバーハが、ガヴェインの前に立ちふさがったのだ。

 

 

「――ッ!ダメだ、ケンが!」

 

 

 ガヴェインの目は自分の剣戟を軽くいなしたハサンの後ろに見える、白刃の煌めきをとらえた。

 

 

「遠からん者は音に聞け!近くば寄って目にも見よ!これより刀が切り裂くは、忘れ去られた羅生門!かつて通した人間の、顔すら忘れた阿呆(あほう)門!」

 

 

「星をも切り裂く一刀に!曇る事なき一刀に!聖都の門が何するものぞ!!」

 

 

「我が行いに負い目なし!いざ!『天覧・同田貫兜割』!!!」

 

 

 刀が振り下ろされる瞬間。人々は確かに、砂嵐が一瞬晴れたのを見た。空には太陽が燦然と輝き、曇り一つない空を照らす。その空がほんの刹那の間、刀に映って煌めいた。

 

 

 

 

 ドオオオオオオン!!!!!

 

 

 

「あ、開いた!正門がこじ開けられたぞ!お前ら、突っ込め!」

 

「すげえ……すげえっ!!こりゃホントに、勝てるかもしれねえぞ!!」

 

 

 連合軍の兵士の中に、一気に押せ押せムードが満ちていく。逆に、聖都軍には怯えと恐怖が氾濫する。

 

 

「せ、聖都の、門が……!!」

 

「ぶち破られた!絶対に、絶対に破られないはずの門が!!」

 

 

「この機を逃すでないぞ!総員突撃!!」

 

「ウオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 義元の号令に応え、兵士たちが雪崩れ込む。門が打ち破られたことにより、動揺していた兵士たちでは押されられるはずもなく、むしろ鬨の声に怯えて脱走する兵士も現れ始めた。

 

 

「退くなーッ!我らの正義を思い出せ!!」

 

「……民の屍の上にある正義が放つ光に、狂わされる虫はなし。思い知れ。汝らの威光は、とうに曇りきっている。」

 

「ッ!黙りなさい!我が王は……我らが王は、間違いなど!!」

 

 

 激昂して斬りかかるガヴェインだが、全く相手にされていない。立香たちとの約束は、ガヴェインを足止めしておくこと。その約束を果たすのみと言わんばかりに、ガヴェインを殺す気はないようだ。

 

 

「クッ……!しかし、我らが悲願はここに果たされた!あの光を見よ!!」

 

 

 ガヴェインが空に指をさす。そこには、いつの間にか再び吹き荒れていた砂嵐の中でも、はっきりと視認できる極光が現れた。

 

 

「あれこそが、我らの理想!我らの悲願!!誰にも侵されぬ、絶対神聖領域!!あの聖槍が打ち立てられた今、我らの敗北はない!!」

 

 

 ガヴェインの宣言と共に、周囲の兵たちもようやく戦意を取り戻す。オオーッと鬨の声をあげ、再び戦いを始める。その光景を見て、山の翁は何を思うのか。仮面に隠された表情からは、何も読み取ることが出来なかった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

「にゃーーーっ!!!すごいすごい、ケンかっこよかったですよ!!」

 

「あ、ありがとうございます。それよりも早く、先に進みましょうお虎さん。」

 

 

 興奮のあまりケンに飛びつき、体全体をすりすりとこすり付ける景虎。それを義元は、信じられないものを見た目で見ていた。

 

 

「ええ……。余が死んだ後、何があったわけコイツ……。」

 

『あ、やっぱそう思う?うちのケンが困ったもんじゃよなあ。』

 

「そんなこと言ってる場合ではありません!早く行きましょう、皆さん!」

 

 

 ……ぐだぐだやりながら、一行は正門から聖都に突入する。聖都の中の粛清騎士は、通常よりさらに強化されてはいたものの、まるで相手にならない。

 

 

 

「にゃはははははは!!!戦の時間だあああああ!!!こーろせーーーーーー!!!」

 

「……あれと同類に思われたくはないが。まあ相手をしてくれよう!この海道一の弓取りが!」

 

 

 群雄割拠の日本で、特に強力だった二人の武将。長尾景虎と今川義元が相手なのだ。雑兵などものの数にも入らない。次々と骸と化し……いや、塵になって消えていく粛清騎士を他所に、連合軍は獅子王の居城を目指し走り続ける。だが、その足をつい止めてしまう出来事が起きた。

 

 

『ま、待ってくれ!魔力計が完全に振り切れている!そっちに何か、巨大なものが現れようとしている!!』

 

「!!」

 

 

 突如現れた光が、王城を取り囲む。その光は壁のようになり、連合軍の道行きを阻む。

 

 

「これは……!聖剣と同じ光!ロンゴミニアドの外装です!」

 

「ケンさん!なんとか斬れない!?」

 

「クソ、これには実体がある!形あるものならば、全体の50%を斬る必要があります!これは、大きすぎる……!」

 

『な、なら何か!魔力を制御したり、供給したりする装置はないか!?』

 

「これは獅子王の力によるものだ!外部から破壊することなんて、できるはずがない!」

 

 

 光の壁に阻まれ、連合軍も立ち往生する。その隙に獅子王軍が挟撃を始め、あっという間に不利になってしまう。

 

 

「おい小娘!こちらは余たちで何とかなるわ!その塔をなんとかせい!」

 

「誰か、誰かカルデアになんとか出来そうな人は……!」

 

「ま、待ってください先輩!空から、さらに何か……!!」

 

「あ、あれは……()()()()()!?」

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ―――時は、ほんの数刻前にさかのぼる。

 

 

 

 

「ッ!あの光は……!例の聖槍とやらが、突き立てられたってことか!」

 

 

 アーラシュの千里眼が聖槍の光を捉えると、オジマンディアスは玉座から立ち上がった。

 

 

「来たか!フハハハ、よくやったぞ立香とやら!あの聖槍が姿を現したということは、獅子王めもそれなりに追い詰められたということ!!今こそ余の真価を見せるときであろう!」

 

「ファラオの兄さん!なんか、策があんのか!?」

 

「当然よ!だがそれに、貴様まで付き合う必要はない、勇者よ!代わりに前線の手伝いにでも出るがいい、あれを使ってな!!」

 

 

 オジマンディアスが杖の先で示した方に目を向けてみれば、甲板が開き、見慣れたアレが姿を見せる。

 

 

「こ、これは……!俺の発射台!」

 

「然り!『勇者の発射台、エジプトエディション』よ!この豪華絢爛の装飾と共に、旅立つがよい!!」

 

「……よっしゃ!」

 

 

 すぐにアーラシュが台に飛び乗り、狙いを聖都に定める。仮に誰かが気づいて狙撃を行おうとしても、現代のスナイパーライフルを使っても捉えきれないスピードだ。この時代の弓兵に撃ち落とせるはずもなく、仮に命中してもアーラシュのスキル『頑健』の防御を貫けないだろう。

 

 

「だが少し待て、勇者よ!」

 

「どうした、ファラオの兄さん!ここまでしてもらって悪いが、一刻も早くあいつらの加勢に行きたい!」

 

「フハハハ、それでこそよ!だが難しいことではない!ただあの、忌まわしい聖槍をただ眺めているがいい!余が叩き折ってくれよう!」

 

「なっ……!」

 

「だがその代わり、余にその勇気を!その技を!その名を、貸してもらいたい!!あの名ならば、何物にも勝るであろう!!」

 

 アーラシュの驚愕の表情に対し、オジマンディアスはあくまで冷静だ。その瞳を見て何かを察したのか、アーラシュはそれ以上何も言わなかった。

 

 

「……そうか。わかった!あれの名なら、いくらでも使ってくれ!ファラオの兄さん、あんたの事、忘れねえぜ!」

 

 

 別れを済ませ、アーラシュは自らを乗せた矢を放つ。心なしか、エジプトエディションの方が速度が速いようだ。あっという間に小さくなり、見えなくなってしまう。

 

 

「フハハハ、流石余と勇者の共同制作よ!見たかニトクリス、あのスピードを!」

 

『は、はい!……しかし、よかったのですか?最後まで、勇者と共に戦いたいのでは……』

 

 

 オジマンディアスは再び上機嫌になり、内部の機関室にいるニトクリスに語り掛けた。

 

 

「フン、くどい!余は英雄ではなく、神王よ!余を差し置いて神になりつつあるあの獅子王めが、ただ気に入らないだけのこと!」

 

「ニトクリス!これより我が大神殿から、この闇夜の太陽船(メセケテット)に移された全ての魔力を用いて!超遠距離大神罰を下す!!もはや防御など必要ない!!全ての魔力を余に集めよ!!」

 

『ハッ……!メセケテット、全ての動力を停止!高度、順調に低下!ファラオ、どうかお願いします!!』

 

 

 

 全ての魔力供給を停止され、メセケテットはゆっくりと墜落していく。だがその沈みゆく艦においてなお、太陽王は高笑いを続ける。

 

 

「フハハハハ!!よい、よいぞ!これこそが余の、一世一代の大出力!!これならば、かの流星にも届くであろう!」

 

 

「さあ!我が偉業!我が墓標!我が成したる、全ての結末を見るがいい!!この渾身の一撃を放ちし後に、我が完璧たる五体!!即座に砕け散るであろう!!」

 

 

 

 

 

 

 

「受けよ獅子王!!光輝の大複合神殿(ステラ)アアアアアア!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 オジマンディアスは、自らの持つすべての魔力を―――霊基の魔力すら宝具に使い、文字通り100パーセントの宝具を放った。現れたるは、地球上に存在する、どんなピラミッドよりも巨大な質量兵器。それは上空から、人の傲慢を打ち破るべく飛来する。それはまさしく太陽の如く。それはまさしく流星の如く。

 

 

 

 

 消えゆく意識の中、オジマンディアスは思った。我が光は、我が流星は、かの勇者に届いたであろうか?かの一射に比肩したであろうか?もし、そうだったのなら……

 

 

 

 

「フ、フハハハハ…………これこそ、我が、結末…………!誇りに満ちた、ものであった…………!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ。やっぱ、あんたはすげえよ。ファラオの兄さん。」

 

 

 

 

 超高速でかっ飛びながら、アーラシュはポツリと呟いた。最果ての塔を打ち砕いた、流星の如き一撃。それを見届けた勇者は、胸の奥に熱いものを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

「……必ず、勝つ。ああ、この戦争!!俺たちの勝ちで、終わらせてみせるとも!!」

 

 

 

 

 かつてその一射で、戦争を終結させた大英雄は胸に誓った。此度の戦は、勝利のために戦うのだと。どんどん近づいてくる地面。やがてすさまじい衝撃と音と共に、一本の矢が大地に突き刺さる。

 

 

 

 その矢の名は、アーラシュ・カマンガー。友との約定を胸に、この戦いを勝利に導く一矢である。

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

 

「何だと……!最果ての、塔が……!!」

 

「――もはや砂塵は不要、か。」

 

 

 山の翁の呟きと共に砂嵐が止み、空は再び快晴を取り戻した。それと同時に山の翁もガヴェインに興味を失ったようで、剣を下におろす。

 

 

「――ッ!驕ったな……!!中天の私であれば、遅れはとらない!!」

 

 

 それでも構わず斬りかかるガヴェインだったが、一瞬で受け流される。もっとも強い状態の、ガヴェインであるというのに。

 

 

「なッ!馬鹿な……!」

 

「無論、驕るであろうよ。目覚ましにもならぬ光であらば。」

 

 

 山の翁はガヴェインに背を向け、ゆっくりと逆方向に歩き始めた。ガヴェインの周りの兵士は、一騎打ちに勝ったガヴェインを尊敬の眼差しで見つめ、喝采をあげる。だが、当のガヴェインは一歩も動くことが出来ない。明らかに、自分の敗北であったからだ。

 

 

 敗者であるガヴェインに、出来ることはただ一つ。山の翁の背中が、砂塵の向こうに消えるまで、ただ見つめていることのみ。急に勝者の気が変わり、敗者の首を落とそうとしないよう、祈りながら。

 

 

「……総員、荷物をまとめ、故郷に帰るがいい。ここからは、サーヴァントの戦いになる。」

 

「ガヴェイン卿!?そんな、我々はまだ……!」

 

「いいんだ。今まで、よく尽くしてくれた。君たちが一人でも多く、故郷の土を踏めることを願っている。」

 

「ガヴェイン、卿……。」

 

「私はまだ、戦うさ!最期まで、王の剣であるために!円卓の騎士、ガヴェイン!参る!!」

 

「――ッ!どうか、ご武運を!!」

 

 

 聖都に向かって駆けていくガヴェインに、兵士の一人が声をかける。それが届いたのかどうかはわからないが、最後にこちらをちらりと振り返り、彼が笑ったような気がした。そこから先、ガヴェインがどうなったのか?故郷へ向かって歩く兵士たちに、それを知る術はなかったのだった。




「やあやあお疲れ様、お爺ちゃん!キャメロットはいいところだっただろう?」

「……冠位を捨てた妖精もどきが何用か。」

「もう、そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか。私たちグラ友同士だろう?」

「……。」

「あははごめんごめん。でもちょっぴり、気になることがあってね。どうしてああもケンを助けてくれたのかなあって。ほら、私の場合は愛があるから……ん、ちょっと待ってくれよ?ということはまさか、お爺ちゃんも私の恋のライバルに……!」

「よもや汝が色恋を語るか。だが我に感情は不要。ただ晩鐘の指し示した者を殺すのみ。」

「うーんつれないなあ!まあでも、君が獅子王を殺してしまわなくてちょっぴり安心したよ。私も彼女の気持ちは痛いほど理解できるからね。美しいもの、気に入ったものは、常に手元に置いておきたいよね。私の場合アヴァロンになるそれが、彼女の場合聖槍になってしまうだけだから。」

「……共感するか。汝が。」

「えーっ!そこまで人の心がわからないわけじゃないやい!なにせ、ケンに教えてもらったからね!ああほんとによかった!私がアヴァロンに招く前に、彼女が聖槍に入れてしまわなくて!」

「……やはりこの女、人の心がわからぬ。」


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Part14 救いの光は太陽の如く

大学が始まって、忙しい日々を過ごしております。おかげで投稿ペースも大幅に落ちますが、これまで通りの二日に一回、あるいは三日に一回の投稿を心がけて頑張りますので、楽しみに待ってくださると幸いです。

感想・評価・ここすきなどしていただけると励みになります!!


「あの、ピラミッドは……オジマンディアス王の支援、だったのでしょうか……?」

 

「どちらにせよ、聖槍がひとまず壊れたことに違いはありません!今のうちに、王城へ向かいましょう!」

 

『ああ!なんにせよチャンスだ!……いや、ちょっと待ってくれ!そっちに近づくサーヴァント反応が二つ!ひとつは恐らく、祝福を受けた円卓の騎士だ!』

 

「!!」

 

 

 ロマニの宣言に一行はすぐに気を引き締める。ほどなくして、赤い雷と共に弾丸のように飛来する騎士が一名。

 

 

「ハッ!やっとここまで来たかよ、ケン!聖槍がぶっ壊されちまったのは予想外だが、これでてめえの行く末も決まったな!」

 

「……何を言っているのかわからないな。悪いが俺は、お前と一緒に燃え尽きるつもりはない。」

 

「よくわかってんじゃねえか!あのままなら、てめえも聖槍に入れられてたんだろうが……ハハ!ようやくオレにも運が回ってきやがった!ここでこのまま、オレと共に死ね!永遠に、聖都の礎になりやがれ!!」

 

「だからその気はないと……ッ!?」

 

 

 濁りきった瞳のモードレッドに対し、あくまで反発を決め込むケン。その耳の下をかすめ、一本の矢が飛んできた。

 

 

「ッ!この矢……ハッ、てめえも生きてたのかよ、マイナー野郎!!」

 

「再戦の契り、今ここに果たしに来たぜ。さあ、先に行け、立香!!お前らこそ、獅子王に届く矢だ!俺は弓兵、矢を届けるのが仕事だからな!」

 

「アーラシュ!ありがとう!!」

 

「行かせると……チッ!」

 

 

 通り過ぎていこうとするカルデアの一行を追撃しようとするモードレッドだったが、すかさず撃たれたアーラシュの矢がそれを防ぐ。

 

 

「てめえの相手はこの俺だ、モードレッド!ここで仕留めさせてもらうぞ!!」

 

「ああ……まずはてめえから、ぶった斬ってやるよ!!」

 

 

 魔力放出で一気に距離を詰めようとするモードレッドだが、そこに突然横槍が入る。三本の矢が、正確にモードレッドの頭を撃ちぬく軌道で飛んできたからだ。

 

 

「――なんだ、てめえッ!」

 

 

 それを野生の直感で躱したモードレッドだったが、その矢を放った弓兵はあくまで涼しい顔をしている。

 

 

「……やれやれ、これで倒せたら楽だと思っておったが。そこまで安くはないか、信長という壁は。」

 

「てめえ……俺の戦いに、茶々入れようってのか!」

 

「ふん、貴様らの約定など知ったことではないわ。余はただ、貴様の首を獲ることのみ望む。信長の奴を、超えるためにな。」

 

「上等だ!先にてめえからぶっ殺してやる!!」

 

「なっ……!おいおい!」

 

 

 突如乱入した義元。それに激昂したモードレッドとの戦いになり、突如2対1の戦いが始まった。

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

「あれっ、義元殿がいない!あの人、モードレッドと……!」

 

『まあ何とかするじゃろ。あいつなんやかんやクッソ強いし。』

 

「そ、そうですね!では急ぎ……危ないッ!」

 

 

 突然飛び出したケンが、立香の前に立ちふさがり、刀で首をガードした。刀に激しい衝撃が伝わり、手がガクガクと震える。

 

 

「この矢は、トリスタン……!どこだ、出てこい!!」

 

『前方、右側の家の屋根!煙突の影に魔力反応がある!!』

 

 

 ロマニの声をうけ、全員の視線が屋根に集まる。まるで観客のアンコールを受けた役者のように、その裏からトリスタンが姿を現した。

 

 

「……やれやれ、あと10歩も進めば、全員を輪切りに出来たものを。どうも、今の私は実益よりも趣味を優先してしまいがちらしい。マスターを殺されたあなた方が、どんな顔をするのかどうしても気になってしまった。」

 

「トリスタン……!!」

 

「おお、怖い怖い。ですが、そのような殺意の籠った瞳も意味はありません。なにせ、今の私はあなたたちとまともに戦う意思はありませんので。」

 

 

 その言葉通り、トリスタンはあくまでカルデアと距離を詰めようとはしない。詰めよれば逃げ、逃げようとすれば攻撃し、延々と時間稼ぎを続ける腹積もりのようだ。

 

 

「クソ……!時間がないっていうのに!」

 

「ああ!あれは私たちにとってもっとも質が悪い!最悪の部類だ!」

 

『……マスター。ワシを呼ぶか?獅子王とやらがきつくなるじゃろうが、ここは……』

 

「……死ぬ気でやれば、5人くらい召喚いけるかもよ。」

 

『だ、駄目だ立香君!3騎が限界だと何度も……!』

 

 立香が覚悟を決めたように、右手を握りしめたその時。夜を煮詰めたような漆黒の刃が、トリスタンの首筋に襲い掛かる。

 

 

「むっ!これは……。」

 

「……ああ、残念無念よ。こちらも、貴様の首を獲りたくて仕方がない。もう少し近づくべきであったか。」

 

「ハサンのみんな……!」

 

 

 建物の影から現れたのは暗殺集団の長、ハサンの棟梁三人だ。喜びの声をあげる立香だが、呪腕のハサンはそれを穏やかに諫めた。

 

 

「ははは。そう喜んでいただけるのは嬉しいですなあ。ですが、今は一刻を争う場面。ここは我らに任せ、どうぞ先に進まれよ。」

 

「マスター!ここは進みましょう!」

 

「うん!ありがとう、ハサンさん!皆気を付けて!」

 

 

 屋根に立つトリスタンの下方を駆け抜けていく立香たち。指を弦にかけようとするトリスタンだが、すぐさま短刀が投擲され、妨害されてしまう。

 

 

「……ああ、私は悲しい。一番の獲物を逃したばかりか、この期に及んで虫の始末とは……。もはや、悲しみを通り越して怒りすら湧いてきました。あなた方の腹を裂いて、臓器を体の横に順番に並べて差し上げましょう。」

 

「ふん、その思いはこちらとて同じこと。貴様の顔が苦悶に歪むのが楽しみだ。」

 

 

 睨み合う三騎とトリスタン。弦を弾く音と同時に、三騎が飛びのく。どちらも人殺しの(けだもの)同士、どちらの牙が先に相手に食い込むか―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたどうした犬コロ!2体では手も出ないか!」

 

「ッ!てめえ……!」

 

「……言っとくが、これが戦争だ。モードレッド!悔しかったら何とかしてみせろ!」

 

 

 アーラシュと今川義元対モードレッドの戦いは、一方的な戦いになっていた。卓越した弓兵であるアーラシュと今川義元を、たった一人で相手取っているのだから無理もない。だが戦いの兵力差以上に、モードレッドの不利を決定づけている要因があった。

 

 

「このままでは的同然ぞ!貴様も一軍の将であれば、他の芸はないのか!」

 

「うる……せぇ!」

 

「モードレッド……。」

 

 

 モードレッドは一切、部下の騎士たちを使おうとしないのだ。自分だけがいればそれでいいという傲慢が、そのまま不利につながっている。

 

 

「――そこだッ!」

 

「ぐっ!く…そがあああ!」

 

 

 アーラシュの矢を辛くも剣で防ぐモードレッドだったが、その際の衝撃にすら怒りを感じるらしい。動きがあからさまに大ぶりになり、アーチャー2名に簡単に見切られる。斬撃を躱しながらも、義元はモードレッドを煽ることをやめない。

 

 

「聞けばお主、王になりたかったそうではないか。だが……ふ、ははは!これは傑作よな!臣下の一人も扱えぬ鳥頭で、民をまとめる王になりたいと!?」

 

「黙れッ!黙れ黙れ黙れ!!」

 

「ふ、ははは!王なんぞより、道化の方がよほど向いておるぞ!何なら余が雇ってくれようか!」

 

 

 もはや、モードレッドの頭の中には、敬愛する父の命令など微塵も残っていなかった。ただただ、目の前にいる弓兵を殺す事しか頭になかったのだ。そして、そんなヒートアップした頭で御せるほど、目の前の敵は安くない。

 

 

「がっ……!」

 

「……ふむ、頃合いか。」

 

 

 義元の放った矢がモードレッドの目の前で分身し、一本を弾いた隙にもう一本が肩に突き刺さったのだ。それを確認した義元は、ゆっくりと弓を下ろした。

 

 

「ざ、けんな……!こんなもん、唾の一つでもつけときゃ」

 

「いい加減にせんかうつけ!!!」

 

「は、はあっ!?」

 

 

 突然自分よりもずっと小さい幼女に怒鳴られ、思わずモードレッドの張りつめていた緊張の糸が弛緩する。そんなモードレッドを他所に、義元は説教を続ける。

 

 

「王になりたいのであれば、周りを見よ!!今の貴様は、数の不利をとられた上で負傷までした!!ここはどう考えても逃げの一手であろうが!!」

 

「ざ、ざけんじゃねえ!オレは騎士だぞ!?敵に背を向けて逃げるなんざ、んなことできるわけねえだろうが!!」

 

「はぁ~~~~~?死人に騎士もへったくれもあるものか!王とは国であり、王さえおれば国は生きていける!であれば、何をおいても王は生き延びねばならん!」

 

「逃げる事こそ勇気だというのに、貴様何を学んできたのか!獅子王とやらのもとに帰って、涙ながらに教えを乞うて来い!!」

 

「そ、そんなことできるわけねえだろ!そもそもオレは、嫡男でもねえし……!」

 

「それなら余とて三男よ!そのうえ、4歳で仏門に入れられたんだが!?周りの坊主の美ショタを見る目が獣のそれできつかったんだが!?」

 

「そ、そりゃなんか、どんまい……。」

 

 

 涙ながらに訴える義元の勢いにおされ、思わず謝ってしまうモードレッド。アーラシュも苦笑いでそれを見ている。

 

 

「ぐすん……。つ、つまりだな!嫡男とか何とか、そんなもん気にする必要はないということよ!貴様に足りておらんのは、ひとえに王の度量なり!!王であるならば逃げよ!王であるならば臣下を盾にせよ!それが王の責務であり、王の特権というものよ!」

 

「ま、それには俺も同意だな。頭が生きて無きゃ話にならねえ。王を守って死んだなら、それは戦士の名誉ってもんだ。」

 

「……王の、度量……。」

 

「であれば、もうどうするかわかったか!」

 

 

 俯き、考え込むモードレッドを注意深く見据えながらも、義元はゆっくりと歩き王城を背にした。

 

 

「ここからは、犬追物の始まりよ!貴様は必死に逃げ回り、余らがそれを追う!ふ、ははは!本来は弓取りの修練だというのに、まさか追われる者の帝王修行になるとはな!」

 

「……ああ、わかったよ。」

 

「うむうむ、それでいい。さて、では逃げよ犬コロ。この今川義元、馬がなくとも十分速いところをみせてくれよおおっ!?」

 

 

 モードレッドは肩に突き刺さった矢を無理やり引っこ抜き、義元に向かって投げつける。慌てて屈んだところ、烏帽子に突き刺さってなんだかちょっとおもしろいことになっている。

 

 

「お、おい貴様!今までの話聞いておったのか!?せっかく余がいいこと言ったというのに!」

 

「ハッ!死んだ後にんなこと言ってくんじゃねえよ!それに、オレは王の後継じゃねえ!その後ろで、王の敵を殺しつくす猟犬だ!つーわけで、てめえらも吹っ飛びやがれ!」

 

「ははっ!しくじっちまったな、義元の嬢ちゃん!だが、お前の選択ならそれも悪くねえさ、モードレッド!俺たちが最後まで付き合ってやる!」

 

「ええい、余の口先三寸で楽が出来るかと思ったのに……!!こうなれば『海道一の弓取り』の本領見せてくれるわ!!」

 

 

 吹っ切れたかのように、鎧を脱ぎ捨てたモードレッド。その顔は晴れ晴れとしており、動きも先ほどよりはるかに洗練されている。迎え撃つ二人の弓兵も、真剣勝負ながら爽やかだ。赤い雷と矢とが飛び交い、戦いは激しさを増していく。

 

 

 

 ―――そして、その時が訪れた。

 

 

 

「――終わりだ!モードレッド!」

 

 

 アーラシュの放った矢が、モードレッドの心臓を貫いた。頑丈なサーヴァントと言えど、流石に耐えられない。ガクリと膝をつき、剣を取り落とす。

 

 

「……あーあ。これで終わりかよ。結局、どっちもぶっ殺せなかったじゃねえか。」

 

「いいや、危ないところだったぜ。俺も何度もヒヤリとさせられたし、体もボロボロだ。なあ、義元の嬢ちゃん!」

 

「ぜー……ぜー……。ふざ、けるな、マジで……。この、からだ、よわい……。」

 

 

 勝者であるアーラシュも体中に細かい傷が出来ている。義元に至っては、立派な衣装がボロボロになったうえ本人もぼろ雑巾のようだ。

 

 

「ハ、ハハハ!てめえのそんな面が拝めたなら、まあ満足だろ!」

 

「……この、ばか、いぬ……。」

 

「……まあ、でも、なんつーか。お前の王の話、ちっとは参考になったぜ。ありがとよ。」

 

 

 そう言い残し、モードレッドは穏やかな顔で消えていく。召喚されてからすぐに、獅子王から見捨てられたモードレッド。怒りのままに無辜の民を殺し続けた悪魔のような生き様だったが、最後は戦士として戦い、誇りある死を迎えた。疲れ果て、仰向けに寝転がっている義元は、空の青さに目をしかめ、それでいてどこか嬉しそうなのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

「しゃあっ!!」

 

「戦いは数なり!!」

 

 

 呪腕のハサンと百貌のハサンが展開した分身とが、トリスタンに襲い掛かる。だが、トリスタンはそれを次々になぎ倒していく。

 

 

「脆い、脆い……。私に傷一つつけられないとは、なんという時間の無駄か。早いところ諦めて、死んでいただけないのでしょうか?」

 

「馬鹿め……!死ぬのは、貴様の方だ!」

 

「ほう、()()()()()()()()()()()?」

 

「な――に―――?」

 

 

 ポロロンと再び弦がかき鳴らされ、呪腕と百貌は防御姿勢をとる。だが、それが役に立つことはなかった。代わりに、何かが倒れたような音がした。

 

 

「ふ、ふふふふふ……!ははははははは!」

 

「ば、馬鹿な――!静謐の――!!」

 

「す、みません……。みきれ、なかった……!」

 

「貴様……!貴様アアアア!!」

 

 

 トリスタンの音断ちの矢は、正確に静謐のハサンのアキレス腱を切り裂いていた。毒の舞踊を舞い、辺りに毒霧を充満させていた静謐のハサンは、苦痛に顔を歪めて地に斃れる。

 

 

「ああ、なんと!なんと悲しい話でしょうか!虫どもが小さな頭で必死に考えた私の弱点!毒で死んだという生前の汚点!それをつこうという浅知恵も―――これこの通り。」

 

 

 言いながら毒の煙を吸い込むトリスタンだが、全く傷ついた様子もない。驚愕に顔を歪めるハサンたちに、トリスタンは実に楽しそうに種明かしをする。

 

 

「私に与えられた祝福(ギフト)は『反転』。故に毒で死んだ私は、毒でだけは死ぬことがない!」

 

「なんと――いうことだ――!」

 

 

 ハサンたちが必死に戦ってきたこのすべてが、無駄であったのだ。流石にショックが大きく、百貌に至っては立つことでやっとだ。

 

 

「それでは、これより処刑を行うとしましょう。そこに転がっているのは最後にするとしましょう。まずはそこの、震える小鹿のようなあなたから――!」

 

「いかん!逃げろ、百貌!!」

 

 

 弦に指がかかり、いよいよ絶対的な死が迫る。百貌はすべてを諦め、神に祈りを捧げていた。

 

 

 

 

 ―――だが、ここにいる誰もが忘れていたのだ。御仏は、すべての人を見ていると。

 

 

 

「ほわちゃああああああ!!!」

 

「――ッ!?何!?」

 

 

 突然現れたありがたい高僧が、伸び縮みする棒で殴りかかってきたのだ。それを後ろに飛びのいて躱したトリスタンの足元に、更に矢が襲い掛かる。

 

 

「ハサン殿!助太刀に来たわよ!」

 

「たまにはお主の勘も役に立つではないか、三蔵!大物が見つかったな!」

 

「三蔵殿――!藤太殿――!」

 

 

 突然の助っ人に驚きつつも、トリスタンはすぐに戦闘態勢に入る。その姿を見ても、三蔵ちゃんは一歩もひるまない。

 

 

「あなたね、いい加減にしなさいよ!戦争なんだから殺し殺されは当たり前でしょうけど、命を奪うことに対して反省がなさすぎ!一発か何発かぶん殴って、反省させてあげるから!」

 

「ふ、ふふふ……!面白い。それならば見せて差し上げましょう!この世には、神も仏もないことを!」

 

「――これを見ても、まだそう言えるかしら?」

 

「何――?」

 

 

 そこにいた者たちは、確かに見た。きゃいきゃいと騒いでいた少女の背後から、いと尊き後光が差しているのを。誰も彼もが、膝から崩れ落ちた。信仰の違いこそあれど、その光は誰もが持っている心に染みわたるからだ。救われたいという願いを、真っ向から肯定してくれる暖かい光。兵士たちは武器を手放し、涙を流している者たちすらいる。

 

 

「何を――!何をしたのですか、あなたは!」

 

「――私の生涯の結実にして、御仏パワーのほんのひとかけら。一生かけて、死ぬほどキツイ修行をし続けて、いろんな苦難を乗り越えて……。それでようやく届いた指一本。それを今、ここに見せる!」

 

 

 宣言と共に、光が形を作り始める。それは人の姿をしているはずなのに、花のようでもあり、木のようでもある。それを形容する言葉を探すが、口から洩れるのは感動から来る嗚咽のみ。

 

 

「――ッ!静謐!お前、傷が……!」

 

「治って……!?こ、これは、三蔵殿の力なのでしょうか?」 

 

「これ、は――!」

 

 

 流石のトリスタンも、指一本動かせない。三蔵はしゃなりしゃなりと歩を進め、トリスタンとの距離を詰める。

 

 

「反転しようがなんのその、人間の根底は善なんだから!私の、いいえ、御仏のありがたい拳は!あなたの心の奥まで届く!」

 

「罪科も悪魔もまとめて救う!これが私の、ありったけ――!五行山・釈迦如来掌―――!!!」

 

 

 少女の背後に立っていた覚者が、その巨大な掌をトリスタンに繰り出した。逃げるべきだと、躱すべきだと、トリスタンは理解しているはずなのに。なぜか、体が動かなかった。そうして極光に飲み込まれ、トリスタンは消し飛んだ。だがそれは、幸せな旅立ちであった。

 

 

「……お主らしいな、三蔵。人間の本質は善と来たか。はは、それは逃げられまいよ!なにせ、人間故な!」

 

 

 当の三蔵は、消えていったトリスタンに対し、丁寧に経文を唱えていた。その姿をハサンたちは困惑しながら見ていたが、見様見真似で頭を下げ、目を閉じた。なぜか心から憎しみは消え、ただ冥福を祈る気持ちだけがあった。外道に救いのある結末があったというのが、正しい事かどうかはわからない。だが、そこにいた彼らの心は晴れやかだった。何故だか、それが正解な気がしたのだった。

 

 

 

 

 

「――よし!これでちゃんと、あの人も御仏のもとに行けたはず!そしたらきっと、今度はいい人で召喚されるわね!」

 

「……そうかもしれませぬな。我らの道行きはこの世界で終わりですが、あの魔術師殿はまだまだ先に進まれる。であれば、今度は外道に染まっておらぬ彼奴と見える機会もあるやも。」

 

「それは楽しみだな!所業はともかく、弓の腕は確か!天文台にて腕比べもまた一興!」

 

「……それならば、ここは。」

 

「ああ。ここより先に、敵は通さぬ……!」

 

 

 弔いを終え、立ち上がった連合軍のサーヴァントたち。人の心がある兵士たちは、御仏の尊光によって戦意を失っていたが、粛清騎士たちはそうはいかない。かかとを鳴らし、一列に並び。王城を守らんと行進する。

 

 

「私の大事なお弟子の、大事な道行き……。あんたたちなんかに、邪魔させてたまるもんですか!」

 

 

 カルデアの一行が、獅子王のもとにたどり着くまであと少し。その間もなお、戦争は止まることがない。ただ連合軍の勝利を信じ、サーヴァントたちは騎士の群れに立ち向かうのだった。




「あはははははは!!次、ほら次!!雑兵ならせめて、数くらいは多くあってくださいよー!!」

『あ、あのー……。日ノ本最強の武将である長尾景虎殿にお願いがあるのですが、どうか聞き入れていただけないでしょうか?そろそろ退去ということなので帰ってきていただくというのは……。』

「何ですか信長、せっかくのいい気分に水を差すなんて無粋ですね。はぁ、まあ立香を困らせるというのも本意ではありませんし、そろそろ……ん!なんですか今走っていった男は!!絶対強いじゃないですかあれ!!よし、殺そう!」

『っておい!そっちはケンの……。こ、こんの……!下手に出ておれば調子に乗りおって!帰ってきたら、即行三千世界をああ嘘ですよ!?冗談ですからそんな、首だけでこっち向いて笑うのマジで怖いので勘弁してください!!』


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Part15 あなたは笑い、周りの人は泣くでしょう

長かった第六特異点も、次回で終わりを迎えます。ここまで付き合って下さった方、ありがとうございます。この特異点が終われば、またぐだぐだやり始めるはずですので、もうしばらくシリアスにお付き合いください。

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 襲い来る数々の刺客をかわし、王城に突入したカルデアの一行。ベディヴィエールの案内で、玉座への最短ルートを進む。

 

 

「こちらです!ここの階段を登れば……ッ!」

 

「この、気配は……!」

 

『ああ!円卓の騎士だ!サー・ガウェインが駆けのぼってくるぞ!』

 

『立香!そっちにあのメス猫も行っとるから、上手く使うんじゃぞ!』

 

「お虎さんってこと!?それなら、何とかなるかも!」

 

 

 足を止め、ガウェインを迎え撃つ態勢になる。誰も彼もが緊張感に満ち、戦いに備えている。そして、その姿が見えた時―――困惑を、隠せなかった。

 

 

「にゃははははは!!待て待てーーー!!首おいてけーーーー!!」

 

「くっ!まさか、このような刺客が……!」

 

 

 ジェイソンばりに武器を振り回しながら、ガウェインの背中に追いすがる長尾景虎。応戦したくとも、今はカルデアを止めるのが最優先であるため逃げるしか出来なかったようだ。

 

 

「お虎さん!こっちです!」

 

「あっケン!もー、ひどいじゃないですか!いきなり私を置いていくなんて!」

 

「いえその、一応声はかけたのですが、戦いに夢中になっておいでで……。」

 

 

 ケンが何とか景虎を抑えると、ガウェインはようやく気を取り直したらしい。ベディヴィエールたちを見据え、剣を抜く。

 

 

「……サー・ベディヴィエール。そしてケン。あなた方が今、ここにいること。私は天を恨まずにはいられない。」

 

「それはこちらも同じこと。我々は、先に進まねばならない!たとえあなたを、斬り伏せることになったとしても!」

 

「サー・ガウェイン!その太陽の現身すら、我が一刀のもとに斬り伏せよう!」

 

「……そう、それでいい。かかってきなさい、最後の円卓の騎士よ!そして、王に誰よりも近かった人よ!」

 

 

 ガウェインとの戦いが始まったが、前回ほど絶望的な戦いではなかった。太陽の加護を受けたガウェインが相手だとしても、こちらには毘沙門天の加護を受けた長尾景虎がいるからだ。

 

 

「くうっ!強い……!」

 

「流石です、お虎さん!あと、もう少しで!」

 

「勝てる、とでも!?この階層を吹き飛ばしてでも、私はあなたたちに勝つ!王と戦えなくともいい!王の死に目を見られなくともいい!彼女の道を、少しでも舗装できるならそれでいい!!」

 

 

 ガウェインの体が一回り大きくなったような錯覚を覚えるほどの魔力の高まり。明らかに、宝具を使うつもりのようだ。

 

 

「ッ!マスター、令呪をお願いします!!ここは、全力で行くしかない!」

 

「わかった! ――令呪を以て命じる!私たちを守って!!」

 

「―――勝負だ、ケン!!この剣があなたを焼き尽くすのが先か!あなたが、我が焔を切り裂くのが先か!!」

 

「―――その勝負、受けよう!かかってこい、ガウェイン!!」

 

 

 

 

 宣言とともに、ガウェインが剣を上に放り投げる。それは回転しながら落ちて行き、再びガウェインの手に帰る。行きと違うのは、剣が猛火を纏っていることだけだ。

 

 

「――この剣は太陽の現身。あらゆる不浄を滅す焔の陽炎!」

 

「――この剣は我が生涯。あらゆる事物を断つ栄誉の証!」

 

 

 二人の剣士の魔力が高まり、ガウェインは万感の思いと共に剣を振るう。召喚されてから今の今まで、感じ続けてきた矛盾を。仲間の騎士を殺したことに対する後悔を。変わってしまった王に対する、この上ないほどの憐れみを。

 

 

転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)!!」

 

 

 振るわれた剣は太陽の熱を持った波として襲い掛かる。紅蓮の怒濤を前にしてなお、ケンは眉一つ動かさない。

 

 

「俺には、毘沙門天がついている。何を恐れることがあるか!!」

 

 

 令呪によって得た魔力で、再び刃を形成する。白銀に輝くそれは、まるで月のように思えた。それが振るわれ、焔がかき消えた時。ガウェインは、全ての終わりを悟った。

 

 

「――御免。」

 

「がっ……!」

 

 

 ケンの後ろから、景虎が飛び出しガウェインを切り裂く。肩口からまっすぐな袈裟斬りを喰らい、膝をついた。

 

 

「……ここまでか。やはり私は、最後まで王の戦いに間に合わないらしい。不忠の騎士には、ふさわしい末路か……。」

 

「そんな……!あなたほどの忠義の騎士が、不忠などと……!!」

 

「その通りだ。それに、剣を交えてわかった。お前の剣には、最後まで迷いがあった。だから、こうして俺が勝てたんだ。……お前が、獅子王ではなく、騎士王に忠誠をつくしたからこその迷いだ。」

 

 

 ケンとベディヴィエールがガウェインの勇姿を称えるが、ガウェインの顔はそれでもなお、うかないままであった。

 

 

「ベディヴィエール。それに、ケン……。なぜ、今になって現れたのだ。全てが終わりを迎える、このタイミングなのだ。もっと、早く……聖都が築かれる前であれば、王も……お心を、取り戻したのかも、しれなかったのに……。」

 

「……悪いな。全ては俺が、臆病だったせいだ。この場所に来る勇気が、足りなかったからだ。」

 

「……。」

 

「……だがもう、逃げない。俺は絶対に、逃げない。……安心して逝け。」

 

 

 その言葉を、ガウェインが聞き遂げたのかは知りようがない。だが、立香には彼が、ほんの少しだけ笑った気がしたのだ。

 

 

「ケンさん……?逃げたって、どういう……?」

 

「申し訳ありません、マスター。全ての答えは、この先に。玉座に行けばわかります。」

 

 

 そう言って、階段の上を指し示すケン。立香は何か不穏なものを感じずにはいられなかったが、それでも進むしかないと覚悟を決めた。そうして歩き始めた一行だが、なぜか景虎だけは動こうとしない。

 

 

「お虎さん……?どうしたの、早く行かないと!」

 

「いいえ、マスター。私はこの先にはいきません。必勝を期すのであれば、私以上の適任がいますから。そうでしょう、ケン?」

 

「……ええ。まさか、譲っていただけるとは思いませんでしたが。」

 

「むー、それだとまるで、私が駄々をこねる子供みたいじゃないですか。私だって、立香のサーヴァントなのですからね。立香の益になるなら、そちらを優先しますとも。……もっとも、私以外の女を頼りにするのは腹に据えかねていますが。」

 

「お虎さん以上の適任?ケンさん、それって……。」

 

「ええ。きっと、あなたの思っている奴らですよ。さあ、行きましょう。文字通りの、最終決戦です……!」

 

 

 

 

 

 

 重い、重い扉を開く。その扉の重さは未来を拓くための試練か。あるいは過去との決別の痛みか。あまりにも懐かしいその場所に、あまりにも馴染み深いその部屋に。ようやく、一歩を踏み入れた。

 

 

「あれが――!」

 

「獅子王、アルトリア・ペンドラゴン……!」

 

 

 中央の玉座に座す、穢れ無きマントを身にまとった女性。彼女こそ、この特異点の元凶にして、円卓の騎士を統べし女王。

 

 

「――答えよ。そこの剣士にして円卓の料理人、ケンよ。何故、我が召喚に応じなかった。」

 

「―――!?」

 

 

 獅子王の声が響くと、誰も彼もが指一本動かせなくなった。声を聞いただけで、全身の筋肉が萎縮したからだ。それほどまでの重圧、プレッシャー。そんなことが、人間に可能だというのか。

 

 

「……答えよう、アルトリア。俺には、お前に相対する勇気がなかった故だ。一人でとっとと死んで、お前の苦労を一緒に背負ってやれなかった俺には、お前に合わせる顔がないと思ったからだ。」

 

「……。」

 

 

 ケンの告解を、獅子王はただ黙って聞いていた。まるで一つ一つの言葉を、ゆっくりと噛みしめるように。

 

 

「だがもう、俺は迷わない。人の身でありながら、ここまで歩んできたマスターと出会えたからだ。マスターに勇気をもらったからだ。」

 

「……それが、お前の答えか。」

 

「ああ、お前は間違っている。その傲慢、その悪逆!この剣が断つ!」

 

「……残念だ。お前の魂は、既に悪に染まってしまったのだな。例えお前であろうと、我が理想都市には不要である。」

 

 

 獅子王がゆっくりと玉座から立ち上がり、聖槍が風と光を纏う。

 

 

「――円卓を開放する。見るがいい、これが世界の果てである。」

 

 

 玉座の壁が一瞬にしてなくなり、まるで透明の波のようなもので満ちた地平が拓かれる。その光景に驚き、思わず周囲を見回す一行。

 

 

「これは……!獅子王は、はじめから世界の果てで待っていたのか!」

 

「獅子王、戦闘態勢です……!先輩、指示を!」

 

「なんで……!」

 

「――マスター?」

 

 

 俯いていた立香は、弾かれたように顔をあげる。

 

 

「なんで!なんでこんなことするの!?理想都市なんて、誰が作ってほしいって言ったのさ!!」

 

「マスター!?」

 

「すごいな立香君!すごいクソ度胸だ!でもそれを言う権利は、君にしかない!現在(いま)を生きる、君にしか!」

 

「……理由、か。そんなもの、決まっている。私の大切で、愛おしくて、何よりも愛している、人間(おまえたち)は―――あまりにも、脆すぎる。もう、失うことに耐えられない。もう、想い人が目の前で死ぬのを見たくない。」

 

 

 そこまで話した後、改めて獅子王はケンに向き直る。

 

 

「お前は悪に染まってはいるが、それでも私の愛した男に違いはない。理想都市に不要ではあるが、私と共に永遠を生きるがいい。」

 

「……。」

 

 

 露骨に嫌そうな顔をしたケンは、ただ黙って刀に手をかける。それを見ても全く気に掛けることなく、獅子王は続ける。

 

 

「何がおかしい?何が間違っている?私の偉業は、すべて人間(おまえたち)のためだというのに。」

 

『立香君!もう会話は十分だ!彼女はもはや、人間の精神構造じゃない!完全に神のそれだ!はやく、戦闘で打破するんだ!』

 

「ロマニ・アーキマン。あまりにも浅薄だな。だが私も結論は同じだ。お前たちを排除する。ケン、お前とてな。ただ、生きて傍にいればそれでいい。言葉も、視線も必要はない。愛を注ぐ必要はない。ただ我が傍で生きていろ。」

 

「来るぞ、立香君……!すぐに戦闘準備だ!敵は獅子王……いや、もはやあれは英霊ではない!名づけるのなら、聖槍の化身。女神・ロンゴミニアドだ……!!」

 

 

 獅子王は聖槍を掲げ、ただ無造作に振り下ろした。それだけなのだ。ただしそれは、神の領域の話である。

 

 

「―――ッ!マスター、伏せて!!」

 

 

 ドドドドと轟音をあげながら、魔力の波が襲い掛かる。ケンがすぐに飛び出し刀を振るうが、切り裂く瞬間の衝撃は殺し切れない。ケンは大きく後ろに吹っ飛ばされ、地面を転がされる。

 

 

「ケンさん!」

 

「クッソ、これでも喰らえ!万能の人(ウォモ・ウニヴェルサーレ)!!」

 

「無駄だ。」

 

 

 ダヴィンチが義手を高速変形させ、攻撃に最適な形にしてから行われる最高の攻撃。それすらも、虫を殺すかの如く弾かれる。

 

 

「ウソだろ……!」

 

「滅べ。」

 

「マシュ!」

 

「はいっ!!」

 

 

 再び聖槍から放たれた魔力の螺旋から、マシュが何とかダヴィンチへの攻撃を防ぐ。だがやはり、衝撃を殺し切れない。

 

 

「くうっ……。あ、足が……!!」

 

「――宝具、限定解放。10パーセント。」

 

「ッ!疑似展開・人理の礎(ロード・カルデアス)!!」

 

 

 マシュが咄嗟に宝具を起動し、何とか獅子王の攻撃を防ぐ。展開された巨大な盾は何とか極光を防ぐが、ミシリと嫌な音を立てながらジリジリと押され続ける。

 

 

「まずい……!ディフェンシオ・アイギス!!」

 

 

 ダヴィンチがとっさに展開した防御用の魔術によって、ギリギリで防ぐことが出来た。しかし、二人とも既にズタボロである。

 

 

『魔力が、ここまで……!立香君、どうなっている!?全く映像が届かない!!獅子王は、撃破出来たのか!?』

 

「……ごめん、ロマニ。これ、無理だ……。」

 

『そんな……!』

 

 

 立香もサーヴァントたちに守られ、その上で魔術礼装の防御もある。だというのに、体中がきしんで痛む。体中に小さな擦り傷が出来、立っているのでやっとだ。

 

 

「あー……無理だ、これ。火力が違いすぎる。神の領域じゃ、手が届かないのか。」

 

「ダヴィンチ殿……!立香殿……!」

 

 

 ベディヴィエールも動けなくなってしまった。立香をかばって必死に戦ったからだ。吹き飛ばされたケンは、未だに帰ってこない。

 

 

「終わりだ。お前たちが消滅した後、ケンを探して四肢をもぐ。そうして動かなくなった奴を、私の傍に留めおく。そうすれば後は、私と同じ神になるまで魔術で延命を続ければいい。」

 

「……嘆くな。これこそが、人間(おまえたち)の幸福である。命を守護する、究極の解答である。」

 

 

 

 

 聖槍を掲げ、終わりを告げようとするアルトリア。だが、彼女は最後まで気づけなかった。背後に迫る、忍の業に。

 

 

 

「―――変わらないな、お前は。」

 

「何―――!?」

 

 

 

 

 突如響く声に驚き、振り返るアルトリア。だがその男は既に、大きく振りかぶって――

 

 

 

 

「反省しろ、この大馬鹿者ーーー!!!」

 

 

 

 

 ゴンっというギャグ漫画のような音を立て、ケンの手刀が獅子王の頭頂部に突き刺さる。

 

 

 

「なっ……!」

 

「なにやってんの、ケンさん……!!」

 

『うはははは!やはりケンはこうでなくてはな!』

 

 

 

 困惑する大多数と、一人大笑いする信長。手刀をくらわせたケンは満足げで、くらった獅子王は痛みに顔をしかめ、頭を抑えている。

 

 

 

「な、なんだ……これは……!?」

 

「この特異点に来て、お前の所業を知ってから……絶対に、こうしてやらねば気が済まなかった!昔っからそうだったよな、アルトリア!お前が厨房でつまみ食いをするたびに、こうして愛のある手刀を食らわせてやったはずだ!」

 

「つまみ食い、だと……!?私が、そのようなことは……!!」

 

「なかったとは言わせないぞ!俺が何度、『もっと美味しくなるから待ってろ』と言っても、何度も何度もやったんだからな!ネズミかお前は!!」

 

 

 今の今まで絶望的な戦況であったはずなのに、あっという間にまるで痴話げんかのようだ。あっけにとられる立香だったが、一人の人物の異常に気が付いた。

 

 

 

「ふ、ふふふ……。あははははは!」

 

「べ、ベディヴィエール?」

 

 

 ベディヴィエールは、突然大笑いを始めた。目には涙すら浮かび、おかしくてたまらないといった様子だ。

 

 

 

「ああ、本当に――懐かしい。なんて懐かしい光景でしょうか。あなたはいつもこうして、ケンに怒られていましたっけ。あなたがつまみ食いをして、ケンがそれに怒って、サー・ケイが大笑いをして……皆、本当に楽しかった。」

 

 

「なんだ、それは……!?知らない!私には、そんな記憶!!」

 

 

「……ははっ。なんか、自分だけ行ってない遊びの話を友達が始めた悲しい思い出みたいじゃん。」

 

『うぐっ!り、立香君。それはちょっとボクに、クリティカルヒットする……。』

 

 

 立香もいつもの調子を取り戻し、足にも力が戻ったようだ。

 

 

「よし、スッキリしたところで戦いだ!今の手刀で多分ちょっとはダメージが入ったはず!さあかかってこいアルトリア!お前の間違いは、いつだって俺が正してやる!どこまでだって行って、頭に手刀をくらわしてやる!もう俺は、迷わないのだから!」

 

 

「く……!聖槍、抜錨!!其は空を裂き、地を繋ぐ嵐の錨!!最果てより光を放て!!」

 

 

 空に駆け上がり、聖槍を天高く掲げる獅子王。ケンはすぐに駆けだし、マシュの後ろへと控えた。

 

 

「え、ケ、ケンさん!?」

 

「かっこよく啖呵を切ったのに申し訳ないのですが、ここはマシュ殿よろしくお願いします!あなたの中に宿る、ギャラハッドなら大丈夫です!」

 

「そ、そんな!私はまだ、完全な宝具の展開はまだ……!」

 

「いつかは出来るんでしょう?それなら、今日この時がその時です!あなたの思う正義を、あなたの感じた願いを、そのままに叩きつけてやればいいんです!願いはないなんて言うませた子供ではありますが、人の願いを無下にできるほど、薄情な奴でもありませんから!」

 

 

「……!」

 

 

「さあ、あいつに答えを見せてやりましょう!何を感じ、何を願うのか!!人とは、死ねばすべてがおしまいなのか!!」

 

 

「人は……!」

 

 

 

 

 

 

 槍から放たれる光が収束し、圧倒的な熱量を帯びる。そのまま地面に穂先を向け、光輝の嵐を巻き起こす。

 

 

 

「ロンゴ、ミニアド―――!!」

 

 

 

 迫る破壊の化身、裁きの豪風。それを前にしてなお、マシュの決意は揺らがない。だって―――。

 

 

 

「死んだって、終わりじゃないんです!!命は続く、どこまでもどこまでも、果てなどどこにもないかのように!!」

 

 

「―――。」

 

 

 

 

「―――それは全ての傷、全ての怨恨を癒す、我らの故郷。顕現せよ!今は遥か理想の城(ロード・キャメロット)!!!」

 

 

 

 マシュが盾を構え、圧倒的な破壊をまっすぐに見据える。盾は少女の願いに応え、絶対的な障壁を築く。それはまさしく、白亜の城であった。

 

 

 

「支えるか、白亜の城を――!その、細腕で―――!!」

 

 

 

 獅子王は顔を苦悶にゆがめ、聖槍の出力を上昇させる。さらに破壊力を増した嵐は、城壁を少しづつ削り取っていく。

 

 

 

「く、うう……。」

 

 

 

「マシュ!待ってて、私も今……!!」

 

「マスター!そこで見ていてください!」

 

「ッ!ケンさん、何で!?」

 

 

 

 ケンはいつものように、いたずらっぽく笑う。

 

 

 

「だって、久しぶりの親子の共同作業なんですから!!ランスほどじゃないですが、俺だって結構子煩悩なんです!!」

 

 

「え……ええええ!?」

 

 

「なんですってぇええええ!?」

 

 

 マシュも驚愕を隠せないが、それを無視しながら、マシュの背中から腕を回して盾を支える。

 

 

「――さあ、ギャラハッド……いや、マシュ。この盾は、決して崩れない。自信を持ちなさい。お前は、俺の自慢の息子なのだから。」

 

 

「――は、はい!わかりました!」

 

 

「……ふふ、あなたも変わりありませんね、ケン。マスター、ここで見ていてください。」

 

「ベディヴィエール!あなたも、やっぱり……。」

 

「ええ。家族団らんを邪魔するのは気が引けますが、それでも伝えなくては。」

 

 

 ゆっくりと歩き出したベディヴィエールは、マシュの後ろに回った。

 

 

「サー・キリエライト。ケンの言う通り、自信を持ちなさい。白亜の城は、あなたの心に曇りがない限り、決して崩れはしない。」

 

「はいっ!マシュ・キリエライト、自信を持ちます!」

 

 

 しっかりと態勢を整えたマシュは、全く崩れることがない。それを見て、ケンは満足そうにうなずいた。

 

 

「……これなら、もう大丈夫だ。さあて、俺も本気を―――」

 

「いいえ。ここは、私に任せてください、ケン。あなたは、王の心をお願いします。あの裁きの光は、私が切り裂きますから。」

 

「……何?ベティ、お前何を言って……!!」

 

 

 怪訝な顔をして振り返るケンは、光を放つベディヴィエールの腕を見て言葉を失う。

 

 

「……待て。なんで、なんでだベティ。なんでそれが、お前のところにあるんだ!?」

 

 

 そんな二人を見ても、立香は何が何だかわからない。ベディヴィエールの義手が光を放ち、戦闘に使えるものであることは、ケンも知っているはずなのに。

 

 

剣を執れ、銀色の腕(スイッチオン・アガートラム)。今こそ、かの光を切り裂きたまえ――!」

 

 

 ベディヴィエールの銀色の義手が、ロンゴミニアドの嵐を切り裂く。それを見て、獅子王ですら言葉を失った。

 

 

「――その、光。私は、知っている。それは、まさか――。」

 

「……申し訳ありません、立香。それにケン、キリエライト、ダヴィンチ殿。私はずっと、皆さんを騙していたのです。どうしても、ここに来なくてはなりませんでしたから。」

 

「ま……待って……。」

 

 

 震える声で、立香はベディヴィエールを引き留める。

 

 

「何で……何で、体が崩れて!!」

 

 

 立香の言葉通り、ベディヴィエールの体は、まるで木が風化したように崩れ落ちていく。義手である右の腕は未だ健在だが、左腕の方はボロボロになってもう半分程度しか残っていない。

 

 

『……嘘だろ。どうして、どうしてこんなこと!立香君、そこにいるベディヴィエール卿は……彼は、サーヴァントじゃない!!ただの、人間だ!!君と同じ、ただの人間だ!!』

 

 

「うそ……?」

 

 

 信じられない様子の立香を見て、ベディヴィエールは安心させるかのようににっこりと笑う。

 

 

「いいえ。ドクターの言っていることは本当です。私は今まで、マーリンの魔術で皆さんを騙していたのです。私がただの人間だと判明すれば、絶対に止められてしまいますから。」

 

 

「当たり前だろ!そんな、そんなことを、俺は認めない!!なんで、なんでこんなことに!!」

 

 

「……聖剣だ。あの義手はヌァザの義手なんかじゃない。聖剣・エクスカリバーだったんだ!!」

 

 

 ダヴィンチがその正体を明かしたとき、ケンの顔が苦々し気に歪む。輝きを見た時点で分かっていたというのに、改めて突きつけられた残酷な真実。ベディヴィエールがエクスカリバーを持っているということは、考えられることは一つしかない。

 

 

「ベディヴィエール……お前は、まさか……。」

 

「―――はい。私は、獅子王と同じです。喪うのが、怖かった。どうしても耐えられなかった。王の最後の命令である、聖剣の返還。それをしてしまえば、王は力尽き、その生涯を終えたでしょう。……それが、どうしても耐えられなかった。私は、聖剣の返還に失敗したのです。だから王は、ああして亡霊の王になってしまった。」

 

「だからって……だからって、一人でずっと探し続けたのか!?アルトリアに、今度こそ聖剣を返すために……!!」

 

『エクスカリバーは確かに肉体の成長を止める!でも、でもそれは肉体だけだ!精神は常に老い続けるんだぞ!?ベディヴィエール卿が今日まで生き続けてきたとしたら、1500年間にもなる!そんなに長い間、たった、一人で……!?』

 

 

「それほど苦しいものでもありませんでしたよ。ですが……それでも皆さんが私の事を憐れんでくださるのなら、最後のお願いを聞いていただけませんか?」

 

「なっ、何!?教えて、ベディヴィエール!!」

 

 

 涙をボロボロとこぼしながら、立香は必死に問いかける。それを見て心底嬉しそうに笑ったベディヴィエールは、ゆっくりと告げた。

 

 

「どうか、私を王のもとまで連れて行っていただけませんか?私はもう、立っていられるかもわかりません。」

 

「……わかった……!絶対、絶対何とかするから!そこで見てて、ベディヴィエール!!」

 

 

 乱雑な手つきで涙を拭い、立香はベディヴィエールに答えた。そしてその手を天に掲げ、最も適任な者たちを呼ぶ。大切なのは、何を為したかではなく、何を為そうとしたのか。どんな志を掲げ、それに向かって邁進したのか。……例え後世に何も遺せなかったとしても、力の限り生き抜いた彼らを、立香はこの玉座に呼んだ。

 

 

「ベティ……そこで見てろ!俺が、いや俺たちが!!必ず何とかしてやる!!」

 

「あなたがそう言うなら安心です。ケン、よろしくお願いします。」

 

 

 令呪が紅く輝き、カルデアから3騎のサーヴァントが召喚された。立香の前に立つ3騎は、皆浅葱色のだんだらを羽織り、その背中には誠を背負う。中央の大男が刀を抜き、怒号をかける。

 

 

「新撰組!!出るぞ!!」




「そうか、君はそういう結末を望むんだね。ハッピーエンドが大好きな、マーリンお兄ちゃんらしい導きだ。」

「私としては、物語が終わりになってしまうのは悲しいけれど……ふふ、マシュちゃんがいいことを言ってくれたからね。次に始まる物語を、私も一緒になって楽しむとしよう。」

「ーーーさあ、行きなさい。贖罪のため、悠久とも思える時間を独り歩き続けた騎士よ。君の望んだ結末は、もうすぐそこにあるのだから。」


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Part16 なべて世はこともなし

「忠誠、公正、勇気、武勇、慈愛、寛容、礼節、奉仕」

                       ―――――騎士の叙任式の言葉


「―――新選組!!出るぞ!!」

 

 

 真ん中の土方が怒号をあげると、両隣の沖田と斎藤も刀を抜く。ケンもゆっくりと歩き出し、沖田の隣に並ぶ。

 

 

「―――ケンさん。戦いの覚悟はいいですね?」

 

「当然だ、沖田。必ず、ベディヴィエールを送り届ける。」

 

「―――承知。」

 

 

 いつもとは全く違う、切れ味鋭い瞳でちらりとだけケンを見た沖田は、再び獅子王に目を戻す。獅子王は突然現れた3騎を見ても、眉一つ動かさない。だというのにケンが沖田の隣に並んだ瞬間、目を見開いた。

 

 

「貴様……!!」

 

「え、なにあれそういうことなの?ケンさんまーたやってんのかよ、困ったもんだなあ、ハハハ。……沖田がいるのに何してんだてめえ。」

 

「今は黙ってろ斎藤。少しでも気ぃ抜けばお前でも死ぬぞ。」

 

「へいへい、わかってますよっと。……ま、マスターちゃんの命令なら聞かなきゃな。」

 

 

 斎藤一はゆっくりと歩き出し、獅子王に向かっていく。だがその歩法は何か妙だ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「何だ、これは……!」

 

「流儀とか理念とか、どうでもいいだろ?ただ単に、どっちが強いかだけの話だ。」

 

 

 そうして、斎藤と獅子王の距離が少し縮まったとき―――

 

 

「―――何ッ!?」

 

「はああっ!!」

 

 

 明らかに、瞬間移動した。少なくとも、獅子王にはそう見えた。実際には、これは斎藤の対人魔剣、『無形』によるものだ。特殊な歩法により、自分と相手の距離を誤認させる。そして、相手がそれを理解する前に斬り捨てる。それに何とか対応できたのは、獅子王の卓越した力量故だ。

 

 

「――ッ!受けられたか、畜生。」

 

「成程、歩法か。種が分かればどうという事はない。」

 

「だが、仕事はきっちり果たしたぜ。なあ!」

 

「――ッ!」

 

 

 宣言通り、背後から鬼が迫る。獅子王は、振り向きざまに聖槍で受け止めた。土方の剛剣を受けてなお、聖槍には傷一つつけられない。

 

 

「チッ、傷一つつかねえのか。おい榊原!!この槍をぶっ壊せばいいんだな!!」

 

「ああそれでいい!そうすりゃ、ベディウィエールを届けられる!!」

 

「があああああ!!!」

 

 

 受け止められた状態から、無理やり押し込もうとする土方。だが、あっさりと振り払われてしまう。

 

 

「ちぃっ!!」

 

「何やってんだ、副長!!あんた筋力Cの癖に、力で何とかなるわけねえだろうが!!」

 

「黙ってろ斎藤!斬り合いは気合だろうが!!」

 

 

 文句を言いつつ、斎藤一と土方歳三は獅子王と切り結ぶ。沖田もそれに続こうとするが、その手を抑える者が一人。

 

 

「――ケンさん?なぜ、止めるのですか。」

 

「……お前の出番はまだ先だ。それまでは俺といろ。」

 

「し、しかし……!」

 

 

 なおも戦いに赴こうとする沖田の手首を掴んだケンは、その手をぐいっと引き寄せ、顔同士を近づける。真剣なケンの瞳に、あっという間に沖田の顔が紅潮する。

 

 

「ふえっ!?ケ、ケンさん!?今の沖田さんは、斬り合いモードなんですがそれは……!?」

 

「そんなことは関係ない。俺の言う事が聞けないか?」

 

「いえ!もう離れませんから!!」

 

 

 あっという間に人斬りの顔からいつもの乙女の顔になった沖田。まさかのベアハッグにより、ケンから絶対に離れない態勢に入る。ケンはそこまでしろとは言ってないという顔で沖田を見つめるが、胸に顔をうずめた沖田は気づかない。

 

 

 それを獅子王は、物凄い目力で見ていることに気づいた新選組二人。両側から一斉に斬りかかり、槍どころか首を狙う。

 

 

「こっち、見ろやあ!!」

 

「死ねぇ!!」

 

 

 完璧なタイミングでの強襲だったが、獅子王には完全に見切られてしまう。土方の刀を聖槍で、斎藤の刀を籠手で受け止め、両者の顔は驚愕に歪む。

 

 

「マジかよ……!!クソっ!!」

 

「おい沖田ぁ!!てめえ、男といちゃついてんじゃねえ!!」

 

 

 バーサーカーからまさかのド正論。立香はベディヴィエールの体を気遣いながら、それを呆れ顔で見ていた。

 

 

「……あの人、マジで何やってんだろ。こんな、大事な時だっていうのに……!!」

 

「ふ、ふふ……。いいえ、立香。ケンは、あれでいいのです。一見ふざけているようで、全て相手のことを考えた行動なんですよ。」

 

「……うっそだあ。」

 

「それよりも、タイミングを逃さないようにしましょう。おそらく決着は、もうすぐです。」

 

 

 その言葉通り、獅子王の手によって斎藤と土方はふたたび弾き飛ばされた。獅子王はすぐにケンを誑かす女狐を串刺しにせんと動くが、寸前で視界を埋め尽くす巨大な盾に阻まれる。マシュが、ケンと獅子王との間に割って入ったのだ。

 

 

「邪魔だ――!!」

 

「くうっ……!!」

 

 

 その盾を、獅子王は思い切り槍の横っ腹で叩く。あまりの衝撃にマシュは堪えきれず、真横に吹き飛ばされてしまう。

 

 

 ――だが、その一瞬の隙さえ出来れば十分だったのだ。

 

 

「――ッ、ケンさん!令呪を以て命じる!!聖槍を、壊して!!」

 

「オオオオオオオッ!!」

 

 

 体をねじり、後ろの方で刀を構えた体勢から、令呪のブーストを受け一気に加速。そのまま体のバネを利用して、下から上に逆袈裟斬りを行う。狙いは一つ、防御のために構えられたロンゴミニアドだ。

 

 

「行けぇ!!」

 

「ぶった斬れ!!」

 

「ケンさーーーーん!!!」

 

 

 斎藤と土方、それに立香の祈りと共に、ケンの刀が……今は、宗三左文字が振るわれる!!全ての人類と、全ての生命のため。加速し続ける刀は、音をも超える。

 

 

 

 

 

 

 ―――だが、現実は非情である。

 

 

 

 

 

「――そんな。」

 

 

 振るわれたケンの刀は、ロンゴミニアドを弾くことには成功した。防御のために横向きに構えられたそれを、上にかち上げてガードを崩すことには成功した。……だが、それだけである。獅子王のボディはガラ空きになってはいるものの、ケンも斬撃の後の残心で、すぐに攻撃には移れない。全ては、失敗したのである。

 

 

 

 

 

 

 

(……終わったな。)

 

 

 

 

 

 

 獅子王は冷静に、あるいは冷酷に、絶望したかのような立香を見ていた。彼女の手にもはや令呪はなく、今のケンの斬撃が最高火力だったはずだ。全ては手詰まりになった―――はずだ。

 

 

 

 

 

(何だ?何かがひっかかる。)

 

 

 

 

 何か、違和感のようなものを覚えたのだ。この斬撃が最高火力?本当に?

 

 

 

 

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)……!!)

 

 

 

 そうだ、それを忘れていた。宝具を破壊する……あるいは、自らの現界に必要な魔力までも宝具開放に注ぎ込み、無理矢理火力を底上げする荒業。無論、それを使えばサーヴァントとして死を迎えるが、それを恐れるケンではないはずだ。何故だ?何故、使わなかった?

 

 

 

 

 

 

 獅子王の頭の中を、グルグルと『何故?』が回る。それはケンの最後の策であり、そして全ての決着をつける一手。全ての要素が、その一手を指し示していた。カルデアの手駒、ケンの宝具、光を失った聖槍。そして何より、姿を消したあの女。

 

 

 

 

 

 獅子王が答えにたどり着くのと、聖槍に()()()()()()()()()()のとは、ほぼ同時であった。

 

 

 

 

「―――御免。無明・三段突き。」

 

 

 

「……流石だ、沖田。やっぱりお前は、俺の誇りだな。」

 

 

 

 

 聖槍はちょうど中心部分に空虚な穴を開けられ、力尽きたように砕け散る。既に光を失ってしまったそれは、ちょうど木くずの如く風に吹かれて散っていく。

 

 

 

 

「これ、は―――!!」

 

 

『そうか!!沖田君の宝具、無明三段突き!!それは一度の突きに、二度目三度目の突きが内包されている!』

 

 

「どういうことロマニまったくわかんない!!」

 

 

『えーっとつまり事象飽和を引き起こして……いやいや、一回の突きが三回突いたのと同じになって……』

 

 

「……つまりは、一度目の突きを防いでも、二度目三度目の突きが対象を破壊するのさ。実質的な防御不可の攻撃は、絶対に受けてはいけない攻撃だ。特に対物破壊においては、絶対的な優位を持つ。」

 

 

 

「――感謝します、ケン。レディ・沖田。」

 

 

「あっ……ベディヴィエール!」

 

 

「お世話になりました、立香。」

 

 

 

 

 聖槍を失った獅子王のもとに、ベディヴィエールがゆっくりと歩み寄る。土塊と化し、砕け散っていく足で、蛞蝓よりもゆっくりと。だが獅子王は、それを見て震えるように後ずさる。

 

 

 

「……待て。それを、使うな。使えば、貴卿は―――」

 

 

 

「……私は未だ、覚えています。貴方の悲痛も、貴方の絶望も、貴方の笑顔も、覚えています。円卓の騎士を代表して、貴方にお礼を。……ありがとうございます、我が主、我が王よ。貴方こそ、我らにとって輝ける星。」

 

 

 ベディヴィエールは、残ったすべての力を振り絞り、銀色の腕を掲げようとした。だが彼の体のどこにも、そんな力は残っておらず、肩の高さまで上げるので精一杯だ。それでも彼は、震える足で歩み寄る。

 

 

 

「今こそ――いえ、今度こそ。この剣を、お返しします。」

 

 

 

 ベディヴィエールは、誰よりも敬愛する王の体に、その銀の腕を押し当てる。白銀の義手は黄金の光を放ち、流氷が砕け散るかのように割れた。中からは黄金に輝く勝利の剣が現れ、そしてアルトリアに還っていった。

 

 

 

「―――そう、か。すべて、すべて思い出した。森の中、血だまりに斃れた私のことも。それをのぞき込む、泣き腫らした顔の貴卿も。」

 

 

 

「―――見事だ、ベディヴィエール。貴卿は今、最後の命令を成し遂げた。」

 

 

 

 ……誰よりも優しく、誰よりも忠義に厚い騎士は、母に抱かれた子供のような顔で笑った。1500年ぶりの、達成感だった。彼は頭から崩れていき、最後には風に溶けて消えた。彼を運んでいった風はきっと、南の方へ行くのだろう。暖かくて、穏やかで、何の不安もない場所に、彼を連れて行くだろう――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……サー・ベディヴィエールの消失と、聖剣の返還を確認。それと同時に、第六特異点の、攻略を達成しました……。」

 

 

『……ああ。こちらでも確認できた。少しずつだが、世界がもとに戻り始めている。後はみんなで帰るだけだ。』

 

 

 

 偉業を成し遂げたカルデアの一行だが、誰の声も沈んでいる。そんな空気を払拭するかのように、新撰組が声をあげた。

 

 

 

「……ま、勝てたんなら俺たちは先に退散しますかねえ。マスターちゃん、お先。」

 

「……折れんじゃねえぞ、立香。」

 

「ケンさん。ケンさんからのキスはまだもう少し、沖田さんだけにしておいてくださいね。私がもう一歩先に、進める勇気が出るまでは!」

 

 

 

 役目を終え、去っていく新撰組。だがそれは、彼らが不要になったということではない。彼らはこれからも、戦い続けるのだろう。戦場を変えつつも、仕える主と、志は変わることなく……。

 

 

 

「……さて、と。それじゃあ、最後の仕事をするとしましょうか。」

 

 

「ケンさん?最後の仕事って……?」

 

 

「そりゃあもちろん、ベディヴィエールに託された仕事ですよ。『王のお心を頼む』と言われましたからね。……それに、あいつは昔っから寂しがり屋なんです。1500年も一人でいたから、すっかりいじけてしまったんでしょう。」

 

 

 あくまで軽く言うケンは、ゆっくりと獅子王に―――いや、アルトリア・ペンドラゴンに歩み寄っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……改めて、久しぶりだな。アルトリア、随分と待たせてしまったらしい。」

 

「……ああ。ケン、私はずっと、ずっとお前の帰りを待っていた。だというのに、召喚に応じないとはひどい男だな。絶対に確実な、触媒だって用意したというのに。」

 

「……そういやその辺聞いてなかったな。円卓の騎士は、円卓そのもので喚べばいいのはわかるが、俺は円卓じゃ呼ばれない。一体何で召喚したんだ?」

 

 

 ケンが訝しげに尋ねると、アルトリアは背中側にある鎧のベルトを外した。ゴトリという音と共に胸当てが落ち、アルトリアの上半身はぴっちりとしたインナーだけになる。

 

 

「……いきなり脱ぐなよ、ビックリするだろ。」

 

「ふん、そんな感情がお前にもあるとはな。だが見るべきは私の胸だ。」

 

「だから、そういうのはちょっと……。今はほら、息子が見てるから……。」

 

「……え、私のことですか!?確かに何か、すごい忌避感がありますが!!」

 

 

 突然飛び火したマシュを無視しながら、アルトリアは胸を張る。よく見てみれば、内ポケットのようなものがついている。

 

 

「……そんな風に思う気持ちがあるなら、もっと早く応えてくれてもよかったではないか。まあいい、これだ。」

 

 

 そう言いながらアルトリアが取り出したのは、何かの毛束のようだ。黒くてサラサラのそれは、妙に可愛らしい黄色のリボンでくくられている。ケンはそれを見てしばらく考え込んでいたが、何かを閃いたのか顔をあげた。

 

 

「お、お前これまさか……!俺が死んだときに切ったやつか!?」

 

「ケンにしては遅かったな。お前が『俺だと思えばいい』と言っていたから、ずっとこうして傍に置いていたというのに。マーリンから教わっていた防腐の魔術をかけて、お前が買ってくれた小さなリボンを結んで、このままの状態で保存しておいた。雨にも風にも、敗けないように。」

 

 

 どこか恍惚とした目でそれを見つめるアルトリアと、それにドン引きしている立香。邪魔しちゃ悪いよなあと思いつつも、こらえきれずに口を開く。

 

 

「それを……1500年もずっと持ってたの?」

 

「引くな、人類最後のマスター。お前もいずれ、そんな相手に会う日がくるかもしれん。」

 

「……やっぱケンさんに惚れる人、なんかおかしいよ……。」

 

 

 いつものようなジト目ではなく、憐れみの視線をケンに向ける立香。少し疲れた顔をしながらも、ケンは大丈夫と言いたげに頷いた。

 

 

 アルトリアはその動作を見ることなく、ロマニに声をかける。

 

 

「私は、間違えた。嵐の王となり、神の如き力を得た。それは人の心を逸脱したものだったが、それ故に得られた知見もある。」

 

 

「魔術王ソロモンと同じ視野を手に入れられたからこそ、奴の居場所が判明した。」

 

『――!ほ、本当かい!?一体どこに!?』

 

「焦るな。鍵は、第七の聖杯にある。第七の聖杯だけは、魔術王ソロモンが自らの手で送ったもの。対して、ここまでの六つの聖杯。それは、魔術王の子孫や弟子によって持ち込まれたものだ。だが、七つ目だけは違う。そしてその七つ目の聖杯は、魔術王の座標を示している。―――これの意味がわかるか?」

 

 

「……そこまでわかっているのなら、第七特異点も見つけられる!!ソロモン王の以前なら、かなり範囲は絞られる!!ありがとう獅子王、今度あったら感謝のキスを贈りたいくらいだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「フッ、次か……。次など、あろうはずもない。気づかないのか?お前たち、消え始めているぞ。」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルトリアの言葉に慌てて自分の両手を見た立香は、それがどんどん薄くなっていることに気が付いた。

 

 

「な、何これ!?ロマニ、私薄くなってる!!」

 

『――そうか、聖杯だ!!君たちは既に、太陽王から聖杯を受け取っている!だから特異点の原因である聖槍が砕けたことにより、君たちの退去が始まっているんだ!つまりは、君たちはカルデアに帰ってくるだけだから問題ない!多分、今川義元公もそうなると思う。今のマスターはケン君だからね。」

 

「……どうやら、それは男の名前のようだな。ライバルが増えなくて安心したぞ。」

 

「えーっと、それが……。カルデアには、その、いっぱいいるって言うか……。だからその、アルトリアも覚悟した方がいいよ。」

 

 

 その言葉に、獅子王は寂しそうに笑った。

 

 

「……そういえば、獅子王は退去が始まっていません。か、彼女はどうなるんですか!?」

 

「……そういう事か。彼女は英霊ではなく、この世界由来のものだ。だから、退去が行われることはない。だって、ここが帰る場所なんだから。仮にこの先、聖槍を持つアルトリアに出会ったとしても、それは彼女じゃない。」

 

「そんな……。」

 

 

 立香はせっかく出会えたのに、という言葉を飲み込んで、ケンをじっと見つめていた。誰よりも悔しいのはきっと、ケンだからだ。

 

 

「――お別れだ、ケン。ほんの数分ではあったが、1500年待った甲斐はあった。……いや、やっぱり最後は、こうやって別れるのがいいだろう。ケン、もう少し近くに寄れ。」

 

「……わかったよ。いつものだろ?」

 

「ふふ、今日は素直だな。だがまあ、好都合だ。」

 

 

 獅子王は軽く笑うと、ケンの頬に手を添える。うっとりとした目だったが、ふと気が付いたというようにマシュの方を見た。

 

 

「ああ、そこの盾の少女よ。ここから先は刺激が強いぞ、少し目を瞑っていろ。」

 

「いえ、もう慣れてしまって……って、うわーー!!せ、先輩!体が勝手に!勝手に目が閉じて開きません!!」

 

「テレビの催眠術でこんなん見たことあるよ私!!」

 

 

 キャピキャピと子供っぽく騒ぐ二人を他所に、アルトリアはケンと唇を重ねる。ただ単に、唇同士が触れ合うだけの子供のキスだったが、アルトリアはそれしか知らないのだ。それで彼女は、十分に幸福だったのだ。

 

 

「……この別れの挨拶をする度に、永遠に続けばいいのにと思ってしまう。我ながら、別れには向かない挨拶を作ったものだな。」

 

「“そんな挨拶なかっただろ!”と霊基が叫んでいます!」

 

「む、そんなことはないぞギャラハッド。これは由緒正しきブリテンズマナーだ。私は王様だから、挨拶の一つや二つ作っていいんだ。」

 

「“何やってるんですか色ボケキング!”だそうです!霊基からは以上です!!」

 

 

 目をつぶったままなのに何をしたのかわかるのか、マシュが騒いでいる。立香もそれに乗っかってはしゃぎ、ダヴィンチちゃんはそれを、暖かい目で見守っている。

 

 

「……どうだ、アルトリア。カルデアは、いい所だろう?」

 

「――ああ。私が赴けないというのが、至極残念ではあるがな。」

 

「そんな悲しいことを言うなよ。……だがまあ、それなら俺にいい考えがある。少し、耳を借りるぞ。」

 

 

 そう言うと、ケンはアルトリアの耳にそっと唇を寄せた。何かを囁くケンに、アルトリアは真っ赤になりながらも応えた。

 

 

「……それなら、これを持っていけ。」

 

 

 そう言うとアルトリアは、自分の髪をほんの少し、指で輪を作って抑えると、そこを小刀で大胆に切った。そのあまりにも大胆な行為に、平和な世界ではJKライフを満喫していた立香は、思わずあっと声をあげる。

 

 

「それじゃ、俺はこいつを使うとしよう。これでお揃いだ、アルトリア。」

 

 

 言いながら、ケンは自分の髪を結んでいた紐をほどく。はらりとケンの髪が解け、長髪の姿になる。

 

 

「この紐で、お前の髪を結ぼう。お前がお前のリボンで、俺の髪を結んでいたように。そうすれば、少なくともお前の形見にはなる。ひょっとしたら、触媒になってくれるかもな。」

 

 

「……聞いていなかったのか?私は英霊ではなく、お前たちに喚ばれることはない。だから――」

 

「そんなことはない。何かの奇跡とか、イフとか特殊な事情とか、色々考えられるだろ?それに、ガレスちゃんも常々言ってたじゃないか。ほら、さん、はい!」

 

 

「「無限の可能性を信じましょう。」」

 

 

 

 円卓の元気印の快活な笑みと、二人の声が完璧にハモったことで、二人は顔を見合わせて笑う。永遠に続くかの如く思われる、とても穏やかな時間だった。

 

 

 

「……ふふ、ふふふ。そうかもしれないな。ひょっとしたら、お前たちと縁が結ばれるかもしれん。その時は、聖槍と聖剣を振るう、パーフェクト獅子王を見せてやろう。他の円卓の騎士たちも交えて、ケンの料理をつつくとしよう。」

 

 

「その意気だ。――それじゃあ、今度こそお別れだ、アルトリア。残りの、人間としての人生。ベディヴィエールがくれた、お前の寿命までのモラトリアム。悔いのないよう、精一杯。力の限り生きるといい。」

 

「―――ああ。さようなら、人理の守り手たちよ。願わくば、我が道がお前たちと交わっていますように。」

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 同時刻。崩れ落ちる粛清騎士たちともに、サーヴァントたちの退去も始まっていた。

 

 

 

「体が、透明になっていく……!どうやらあいつらは、本当に成し遂げおったらしい!」

 

「うわーいやったーーー!!トータトータ、これであたしも、カルデアに行けるってことよね!?」

 

「はははは!もちろん、招き入れてもらわねば!なにせ、ここまで戦った褒美がまだ故な!」

 

「あっ、トータったらそんな俗な理由で戦ってたの!?そんなのあたしの弟子としてなっちゃいないわ!そこに座りなさいほら、ありがたい説法をしてあげるから!!」

 

「おっとこいつは墓穴を掘ったか……。だがまあ、もう間に合わぬ!続きは天文台で聞くとしよう!」

 

 

 

 

「……呪腕の。我らはもう、ここに留まれぬ。お前の死を看取ってやることは出来んが、許せよ。」

 

「……どうか、安らかにお眠りください。このような結末、本当に……。」

 

「これ、泣くな静謐。私はこの結末に満足している。お前たちも、達者でやるがいい。」

 

 

 呪腕のハサンがそう言うと、百貌のハサンと静謐のハサンは、光となって消えていき、この世界から退去していった。それと同時に、呪腕のハサンの目前に山の翁が現れた。

 

 

 

「―――首を出せい。」

 

 

「――はっ。この首、どうぞ落としてくださいませ。」

 

 

 言いながら跪く呪腕は、仮面の裏で目を閉じて、ただその時が訪れるのを待った。……だが、翁の剣がその首に落とされることはなかった。それどころか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「―――!? お、お待ちを!!何故、私を殺さないのですか……!?」

 

「おかしなこともあるものだ。今まさに落としたはずの、呪腕のハサンの声が聞こえようとは。」

 

「な―――!!」

 

 

 

 呪腕のハサンがよく目を凝らしてみれば、確かに呪腕のハサンの死体が転がっている。だが、自分はまったくなんともない。おかしな点と言えば、草花一本ない聖都の中だというのに、芳醇な花の香りがすることくらいだ。

 

 

 

(こ、これは――幻術か!?いやしかし、例えどんな熟達した幻術であろうと、初代様を騙せるはずが―――!!)

 

 

「――なんにせよ、我が剣が過つことはなし。この剣が首を落としたのならば、それが宿命というもの。我が責はこれにて終わった。だがなお、晩鐘の指し示す者がいる。音を頼りに歩くのみ。」

 

 

 

 

 

「しょ、初代様!!私は、未だ生きております!!」

 

 

 

 

「―――仮に、我が剣を逃れたハサンあらば。それはまだ、晩鐘に指し示された者ではないということ。未だ、やり残した仕事があるという事。」

 

 

 

「次の晩鐘が鳴る日まで、その首は下げたままにしておくがよい。」

 

 

 

 そう呟くと、山の翁は消えていった。一人残された呪腕のハサンは、しばし呆然としていたが、体中を多幸感が駆け抜けていく。

 

 

 

 

「なんと―――なんと、いうことだ。初代様は私に、『生きて山の民の復興に尽くせ』と仰せなのだ。……ははは。今まで多くの仕事をこなしてきたが、これほどやりがいのある仕事は他に知らぬ。」

 

 

 

「―――ありがとうございます、初代様。それに、魔術師殿―――いや、立香殿。ケン殿。マシュ殿。そして、ベディヴィエール殿……。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっと、俺の退去も始まったみたいだ!はは、しかし最初は、まともに退去できるなんて想像もしてなかったぜ。あんたはどうなんだ、義元の嬢ちゃん。」

 

「さっきから気になっておったが、その嬢ちゃん呼びをやめよ。……まあ、そうさな。今のマスターはケンの奴ゆえ、おそらくはマスター権を立香とやらに移譲するのであろうな。まったく、この姿のまま戦う羽目になるとは……。」

 

「はは、そいつは悪かった!だが、それはちょっと嬉しいな。またあんたと、カルデアとやらで会えるかもなんだろ?」

 

「なんじゃお主ら、よってたかって余を口説きおって。余はその程度ではなびかぬ。」

 

「ま、会いたいやつらはいっぱいいるからな!立香もそうだし、ケンとか藤太殿とかもな!あとは、あのファラオの兄さんも来てくれると嬉しいんだが……。」

 

「フン、貴様がいれば世界の果てまでも来るであろうよ。まるで夫婦か、餌を前にした犬かの如く懐いておっただろうが。あれでは嫁も苦労しようというものよ……。」

 

「いやいや、ああ見えて愛妻家らしいぜ?……ま、何にせよ明日は明日の風が吹くだな!それじゃ、またな義元!また会おうぜ!」

 

 

 そう言って消えていくアーラシュ。それを見届け、義元はつぶやいた。

 

 

「会いたくなくとも、お主ほどの男ならすぐに会えるであろうな。なにせ、あいつ星1だし!まあ、余も星3っぽいが……。」

 

 

 言葉は憎まれ口であるが、その言葉は穏やかだ。やがて義元も退去し、後にはなにも残らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 闇夜の太陽船(メセテケット)は消え去った。主のオジマンディアスが既にこの世界にいないからだ。それはあのエジプトの民たちも例外ではなく、この世界においてエジプトは不要なものになった。

 

 

 

「……やはり、私では力不足ですか。オジマンディアス様のような、エジプトの民を存続させるような力はなく、こうして退去を待つのみとは。」

 

 

 そう苦々し気に呟くのは、メセテケットから降り、砂漠に投げ出されたニトクリスだ。既に体は半分以上消えかかっており、もう間もなく退去は完了するだろう。

 

 

「……ですが、諦めはしません!あんなにもすさまじい、流星を見たのですから!私ももっと、もっと成長して、きっと立派なファラオになって見せます!」

 

 

 ――流れ星は、夢を運ぶ。戦争を一人で終わらせた弓兵から、神として崇められる太陽王へ。そして今、まだまだ未熟なファラオの少女のその胸に、一筋の流星が駆けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「はあ……はあ……。獅子、王……。」

 

「ひどい怪我だな、アグラヴェイン。よほどの強敵、いや仇敵と戦ったのか。」

 

「はい……。本当に、腹が立つことですが……、円卓最強は、嘘偽りなく……。」

 

 

 玉座に座す獅子王のもとに、ボロボロの体を引きずりながらアグラヴェインがやってきた。

 

 

「もうすぐ、賊軍がここに……。まだ、まだやらなければならないことが……。」

 

「ありすぎる、というのに……。」

 

 

 ドバっと、袈裟斬りにされた傷から大量の血が噴き出す。いくらサーヴァントの体と言えど、耐えきれずにアグラヴェインは崩れ落ちた。

 

 

「今度、こそ……。今度こそ、貴方に理想の国を差し上げるはずが……。本当に、お恥ずかしい……。」

 

「あなたに、わたし、は……ほんとうは、しあ、わせに……」

 

 

 うわごとのように呟くアグラヴェインを見て、獅子王はゆっくりと歩み寄り、その背中に手を置いた。

 

 

「……そうだな。全部、全部わかっていたさ、アグラヴェイン。貴卿の忠義に、心から礼を言おう。そして、安心して休むがいい。私はもう、満たされた。」

 

「……よ、かった……。わたしは、すべ、て。むくわれ、ました……!!」

 

 

 

 それは、まるで宗教画のような光景だった。傷つき、倒れた騎士に手を添えるのは、女神の如き美しさの女性。彼女は自分の手が、髪が、服が汚れることも厭わず、ただ騎士のそばにいた。その行為で、彼はどれほど救われただろうか。彼はどれほど嬉しかっただろうか。消えてゆく、終わりゆく、崩れゆく、城の中。この世で最も美しい光景を見ることが出来た者が、誰もいないことだけが悔やまれる――――。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

 

 

 立香は、ゆっくりと目を開けた。低血圧の朝のように、ボーッとした気分だったが、次第に視界が明瞭になっていく。

 

 

 

「――!先輩も目を覚ましました!!全員、無事帰還しています!」

 

 

 

 マシュの宣言と共に、管制室には歓声が上がる。皆口々に歓びを語り、笑顔が尽きることはない。

 

 

 

「……よかった。皆無事で、帰ってこられたんだ。」

 

 

「はい!これにて第六グランドオーダー、コンプリートです!先輩、お疲れ様でした!」

 

 

 じわじわと達成感が立香の体に広がっていくが、何か違和感を覚える。ここにいるべき人が、いないような気がするのだ。

 

 

「ッ、そうだケンさん!ケンさんはどこに行ったの!?」

 

 

 この特異点修復において、最初から最後まで付き添ってくれたケン。その姿が、どこにもないことに気が付いたのだ。心配する立香だが、それを周りはニヤニヤとした顔で眺める。

 

 

「ふっふっふ。それでは、皆を代表してこのダヴィンチちゃんが教えてあげよう。今、ケン君は厨房で忙しく働いているよ。」

 

 

「あっ、そ、そうだよね。ケンさんだもんね……。でも、何でそんなに忙しいの?」

 

 

「よくぞ聞いてくれました!我々は常に、苦々しく思っていたのさ!ここまで必死に戦ってきてくれた立香君に対して、十分なお礼がまったく出来ていないとね!ケン君もそれを感じていたのか、誰よりも早く目覚めては、私たちに話してくれたのさ。」

 

 

「え~……?まさか、まさか……!!」

 

 

「そう、そのまさかさ!!技術顧問として、予算的なことも考えて、最終判断は任されていたんだけど……今ここに、カルデア大宴会(仮称)の開催を宣言する!!頑張ってくれた職員やサーヴァントの皆に感謝を、新しくやってきたサーヴァントの皆に歓迎を、そして何より、人類最後のマスターである立香君に、これまでのお礼のほんの一部でも還元しようっていうわけさ!!」

 

 

 その瞬間、管制室を揺るがすような大歓声が巻き起こる。それをさらに煽るように、ダヴィンチちゃんのマイクが止まらない。

 

 

 

「さあさあ、遠慮はまったく不要!三日三晩は騒ぎ倒そう!今まで食べたどんな食事よりも、感動させてくれる料理が君たちを待っているぞ!!」

 

 

「「「「うおおーーーーっ!!」」」」

 

 

 

 たくさんの苦労の後には、たくさんの歓びを。どうかあと3日ほど、お待ちくださいませ。あなたの心を震わせる、最高の美食をお届けいたしましょう。カルデア大宴会まで、あと3日―――。




「―――おめでとう、ベディヴィエール。君はまさしく、忠義の騎士だった。どれほど苦難に満ちた旅路でも、君の足を止めるには至らなかった。」

「君に聖剣を渡したこと、決して間違ってはいなかったようだ。こうして千里眼で見ていることしか出来ない身だったけれど、よく頑張ってくれた。」

「それじゃあ僕も、僕の仕事をするとしよう。カルデアの善き人々に会えるのは、一体いつになるのやら……。」


        ―――妹を名乗る、別世界の自分から目を反らし続ける魔術師の言


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Part17 3つの班分け(スリー・グループス)

真面目な話を書きすぎて作者もエネルギー使ったし、読者の方々も少し疲れてしまったのではないかと思うので、しばらくはギャグパートをダラダラぐだぐだ書いていくつもりです。つまり、ケンがイチャイチャするパートも増え、その十倍くらい胃に穴のあく修羅場パートもあるという事です。さしあたっては、次回あたりが危ないか……。

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「えー、それでは!これよりカルデア大宴会に向けて、準備を始めていきます!」

 

 

 ケンは、カルデア中のサーヴァントが集まった食堂にて、引率の先生のように声を張り上げていた。当然ながら、本当に全てのサーヴァントが集まるとギチギチになってしまうので、何人かのサーヴァントは霊体化して話を聞いている。写真を撮ったらすごい量の心霊がいる写真になりそうだ。

 

 

「もちろん、準備への参加は強制ではありません!あくまで個人の善意に基づくものではありますが、それでもマスターのために力を貸していただけるという方は、奮ってご参加ください!!」

 

 

 

 

「まあ、自分たちでパーティーの準備をするなんて、なんて楽しそうなのかしら!ねえジャンヌ、一緒に参加してみない?」

 

「もちろんです!立香にはお世話になっていますし、この機会にお返しをしましょう!」

 

 

 

「うむ!贅を尽くした宴会は皇帝の特権であるが、立香ならば共にする権利があるだろうな!余もローマの絢爛たる宴を、市民にもたらしてやろうではないか!」

 

「―――うむ。愛を受け取るだけでなく、下賜する。これもまた、(ローマ)である。」

 

 

 

「つまりは、大酒かっくらってどんちゃん騒ぎするってことだろ?それならあたしらもしっかり働かなくっちゃねえ!なにせ、戦って分捕って、火照った体を酒で冷ますのが最っ高なわけだしね!」

 

「いやー、拙者こういうの実は憧れてたでござる!皆で力を合わせて、準備……。これはまさしく、文化祭!青春の定番イベントですぞお!」

 

 

 

「ジャックちゃんジャックちゃん!パーティーですって!ああ、楽しみだわ、楽しみだわ!きっとおいしいクッキーやお紅茶が、食べきれないほどたくさん出るのよ!」

 

「おかあさんも、いるの?なら、わたしたちもがんばるよ。」

 

 

 

「宴会、ですか……。二日酔いや乱痴気騒ぎによる負傷者など、様々な患者が考えられますね。医療部のミスターロマニをたたき起こしながら、備えておく必要があるでしょう。」

 

「……これは、俺も出番のようだな。“施しの英雄”らしいところを見せてやろう。」

 

 

 

 

 ケンの要請はかなり好意的に受け取られ、多くのサーヴァントたちが協力を申し出てくれた。それを嬉しく思いながら、ケンはさらに説明を続ける。

 

 

 

 

「それでは、これから協力を申し出てくれた方々を班分けしていきます!自分の能力を活かせるようにしていきますので、よろしくお願いします!」

 

 

 

 

 そう言うと、サーヴァントたちをそれぞれ3つの班に分けていく。一つ目は、食材や予算のQPなどをシュミレーションルームの戦闘で稼いでくる調達班だ。戦闘が得意なサーヴァントたちは基本的にここに行ってもらうことになっている。アーチャーや狩人の逸話がある人物には狩りを、海賊たちには漁をお願いした。

 

 

「うーん、ボクらは海賊であって漁師じゃないんだけどな……。」

 

「まあ、海に関することなら私たち以上の適任はいないでしょうし、仕方ありませんわね。」

 

 

 

「ふふ、狩りか……。ようやく狩人らしいところを見せられそうだな!マスターや子供たちのため、この弓を存分に振るうとしよう!え、り、リンゴもか!?それは別のやつに行かせてくれ!」

 

「オジサンもリンゴにはあんまりいい思い出ないからパスで頼むわ。ま、それ以外はそれなりにやらせてもらうかね。若いもんに任せっぱなしってのもな。」

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

 

 二つ目は、大宴会に華を添える余興組だ。主に芸術家系のサーヴァントたちに要請されているのだが、これを聞いた時のエミヤの反応は芳しくなかった。

 

 

『なるほど……。確かに、彼らの芸術は素晴らしいものだ。モーツァルトの演奏を聴きながら優雅な食事など、考えただけでも垂涎ものだ。だが、彼らの説得は難航すると言わざるを得ないだろう。ケンさん、悪いことはいわない。ただでさえ忙しい身なのだから、やめておいた方がいい。』

 

 

 赤い弓兵のその言葉に、なおもケンはなぜですかと食い下がる。

 

 

「クズだからだ。彼らは、その、作品のファンとしてはこういうことはあまり言いたくないのだが、かなり性格には問題があると言わざるを得ない。説得はおそらく、並大抵のことではうまくいかないだろう。」

 

 

 ひとまず交渉を行ってみることにしたケンだったが、その言葉通りに交渉は難航した。芸術家らしく小難しい言葉で飾られてはいるものの、要約すると『めんどくさいからヤダ!』である。

 

 しかし彼らは知らなかった。目の前にいるのが、数々の不可能と思われた交渉を成し遂げた男であるということを。

 

 

「そうですか、それは残念です。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト殿。それでは私は、マスターとの約定に基づいてこの不健康記録をナイチンゲール殿に提出しなくてはなりません。」

 

「ま、待て!ちょっと待ちたまえ君ぃ!?な、なななんでそんなものがあるんだ!?」

 

「何故って……そりゃ、カルデアですから。万が一の謀反とかに備えて設置されている監視カメラの映像を記録してるんですよ。普段はナイチンゲール殿もお忙しい身ですから確認することはありませんが、役に立つこともあるものですね。」

 

「……か、仮にそれが彼女の手に渡ったら……。」

 

「まあ、ピアノを粉々に破壊し、楽譜やら羽ペンやらを燃やし、レクター博士みたいにベッドに縛り付けられるのでは?ただでさえあなたは、死因が病死ということで目をつけられていたんですから。」

 

「き、汚いぞ君ぃ……。やはり人間は屑ばかりだ!!」

 

「とはいえ、悪い事ばかりでもありません。大宴会には、マリーアントワネット殿も参加のご予定ですから。荒事にはあまり向かない方なので、おそらくは余興組に入ることになるかと。彼女もとても楽しみにしていました。『久しぶりに彼の演奏が聴けるのね!』(高音)と。」

 

「オーケーわかった、参加する、参加するから!だからそのマリアのマネをしたであろう裏声をやめてくれ!言っとくが、まったく質が違うからな!?宝石と『自主規制』くらい違うからな!?」

 

 

 不満たらたらという風に納得したモーツァルト。それを見てニッコリと笑ったケンは、それはよかったと部屋から出て行ったが、少ししたのちに戻ってきた。それも、ガラガラと台車を押しながら。

 

 

「お礼の品と言ってはなんですが、このようなものをお持ちしました。『アペリティフ』です。」

 

 

 アペリティフとは、食前酒という意味で、夕食の前にちょっとしたおつまみと一緒にお酒とおしゃべりを楽しむ文化のことだ。フランス人はおしゃべり好きが多いとされ、意外と長時間続くこともある。

 

 

「お酒には白ワインとロゼワインの二種類を。つまみは『生ハムのバター巻』『大根のカナッペ』それから『サーモンのタルタル』をご用意させていただきました。ディップしてご賞味ください。」

 

「お、おお……!」

 

 

 目を輝かせるモーツァルトは、早速一つ一つの料理に舌鼓を打つ。このように脅すだけでなく、美食によって機嫌を取るというのがケンのやり方である。ご機嫌そうに料理を食べているのを見届け、ケンはモーツァルトの部屋を後にした。その後王妃に呼び止められ、『彼はあんな風に言っているけど、本当は最初から協力する気だったの。気難しい性格でごめんなさいね。』とのお言葉を賜った。確かに自分の裏声とは格が違うなと思いながら、恭しく礼をして次の作家の部屋へ向かった。

 

 

 

 ケンはこの落として上げる手段で、とにかく話が長くて描写がめんどくさいシェイクスピアとアンデルセンも陥落させ、順調にメンバーを集めていった。本当は撃剣興行(スキルではない方)もしたかったのだが、それをやるとカルデア最後の日になる予感がしたのでやめた。結果的にこの判断は正しかったことが、この後死の国の女王によって証明されるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 最終的に、余興組はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの特別公演、シェイクスピアの新作オペラ上演、アンデルセンの人魚姫2をちびっ子たちが劇にして演じるなどのプログラムを組むこととなった。ちびっ子組の練習時間だけが懸念点だったが、『そこは我輩にお任せを!』とシェイクスピアが言っていたことと、その背中に無言で狙いをつけているアタランテを信じることとしよう。

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

 

 そして3つの班分け、最後の一つにしてもっとも大変なチーム、調理組である。いくらエミヤやブーディカが普段からカルデアの食堂で甲斐甲斐しく働いているからと言っても、ケンの求めるレベルに達していない可能性もある。

 

 そこで、ひとまずエミヤ、ブーディカ、タマモキャットの三人に料理を作ってもらい、ケンがそれを試食することとなった。各自最も得意と自負する品をだし、それを口に運ぶケンをドキドキしながら見ていた。

 

 

「うん、うん―――皆さん筋がいいですね。驚きました。」

 

「ほ、本当だろうか!?私の料理は、あなたに認めてもらえるほどだろうか!?」

 

 

 妙にテンションの高いエミヤが、興奮気味にケンに詰め寄る。そういうのにも慣れているケンは、にこやかな表情を崩さないままに言った。

 

 

「ええ、もちろん。あと5年も修行すれば、自分の店を持ってもいいでしょう。」

 

「おお――!あと5年、5年かあ……!これからもより一層、奮励せねば……!!」

 

「え、それでいいのエミヤ!?結構辛口評価だったと思うけど!?」

 

「いやいや、店を持ってもいいなんて、そうそう口にはしませんよ。老いてからはそこそこ丸くなりましたが、現役のころは弟子が店を持つのが先か、私が老いて死ぬのが先かと本気で悩みましたからね。」

 

 

 そこまで語ったところで、ケンの目つきが鋭く、冷たいものになる。その目はまるで、切れ味のいい刃物……そう、ちょうど日本刀を思わせた。

 

 

「―――そして。今の私の精神状態は、現役のころのあの状態に戻っています!今の私は、料理に対して一切の妥協は認めません。それでもなお、着いてきてくださいますか!」

 

「はい、先生!!」

 

「ええ……?やっぱこの子、どこかで頭でも打ったんじゃ……ま、いいか。ひとまず、私も協力させてもらおっかな。」

 

「キャットも主のためとあらば、やぶさかでないのダナ。」

 

「――うむ、その意気やよし!まずは包丁の入れ方からです!傍から見ててすっごい気持ち悪かった!!」

 

「え、そんな時間あるの!?あと3日なんでしょ!?」

 

「100倍疲れる代わりに1000倍は早く覚えられます!ほら、まずは手を動かす!」

 

 

 ハートマン軍曹の如く、スパルタで技術を叩き込んでいくケン。瞳をキラキラと輝かせるエミヤの表情は、まるで憧れのヒーローを目の前にした子供のようだったという――――。

 

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

『えー、サーヴァントの呼び出しです。セイバークラスのケン君は、至急召喚ルームまでお願いします。』

 

「むっ、また召喚ですか。それなら流石に指導を続けるわけにもいきませんか……。」

 

 

 名残惜しそうな顔をしながら、ケンは厨房を後にする。だが、厨房の中を覗いてみればわかることだが、死屍累々の様相を呈している。あまりの情報量を処理しきれず、パンクしているからだ。彼らに『よく復習しておくように』と言い残し、ケンは去っていった。

 

 

「ふ、ふふ……。これが、プロの業か……。」

 

「こりゃ、皆喜ぶだろうね……。きついけど、その代わり味は段違いだ……。」

 

 

 タマモキャットに至ってはピクリとすら動かない。この後、片づけを始めるまでもうしばらくの時間が必要なのだった。

 

 

 

 

 

「マスター?召喚の様子はどうですか?」

 

「あっ、ケンさん!ごめんね、私のためにいろいろ動いてくれてるのに……。」

 

「気にしないでください。やりたくてやっていることですから。」

 

 

 ケンは笑いながら、召喚サークルに近づいていく。

 

 

「それで、誰を召喚するおつもりなのですか?私としては、早めに円卓の奴らを呼んで、禊をさせたいのですが……。」

 

「うん、私も賛成。というわけで、ケンさんには橋渡しになってもらおうと思ってさ。……それに、もし本当に獅子王が来てくれたらさ。きっと真っ先に、ケンさんに会いたいかなって。」

 

「……相変わらず、お優しい人ですね。」

 

 

 柔らかな笑みを浮かべたケンは、次々に現れる円卓の騎士たち一人ひとりに、それぞれ挨拶をしていく。彼らに特異点で何をしたのかの記憶はないが、この後嫌でも向き合うことになるだろう。

 

 

「おや、あなたはケン……!なるほど、長く英霊をやっていると、このような幸運もあるのですね。」

 

「ああ、久しぶりだなトリスタン。また会えて嬉しいよ。」

 

「ええ、本当に……。『円卓のママ』という異名を持つあなたには、大いにお世話になりましたからね。」

 

「その名を出すな、マスターが混乱するだろう。」

 

「ママ……?」

 

「ええ、マスター。彼にはサー・ギャラハッドやモードレッドの子守りを始め、王城での料理長としての仕事もきっちりとこなし、仮にマントなどがほつれていれば、針仕事までやっていただきましたから。」

 

「そうは言うがな、ガウェイン。そもそも身内に、育児放棄された子供が二人もいること自体がおかしいだろう。」

 

「うっ!そ、その件に関しては本当に申し訳ない……。」

 

「ここにマシュがいなくてよかったね……。」

 

 

 和気あいあいとした会話をしていた円卓の男たちだったが、次に現れたサーヴァントによって、空気が一変したのを誰もが感じた。

 

 

「サーヴァント・セイバーだ。ここに父上はいるか……って、おいおいおい!マジかよ、てめえも呼ばれてんのか、ケン!!」

 

「久しぶりだな、モードレッド。だが、ここでは控えるように。」

 

「わかったわかった、まあ大人しくしてりゃいいんだろ?その代わり、毎日会いに来いよな。」

 

「よし、いい子だ。後で菓子を作ってやろう。」

 

 

 その様子を見て、安堵のため息をつくガウェインとトリスタン、そしてランスロット。その様子がどうしても気になった立香は、思わず尋ねた。

 

 

「え、ど、どういう事?モーさんこんな感じの人だっけ?」

 

「まあ、その、モードレッドは親の愛に飢えている騎士だったので……ケンの母性がクリティカルヒットしてしまったのです。」

 

「誰がファザコンだランスてめえ!俺はそもそも、こいつのことなんてなんとも思ってねえっつーの!!」

 

「ええ……。」

 

「まあ、あの頃の私も割と子供に飢えていたといいますか……、信長様やお虎さんの子は、すぐに養子に出されるのが普通でしたので。父というのに憧れていたのです。」

 

「アルトリアと結婚しなかったの?」

 

「不貞ですから、それはちょっと……。」

 

「ぐうっ!!さ、刺さる……。」

 

「ま、オレとしては父上が二人になるなんてややこしいことがなくて安心だがな!」

 

 

 ひとまず召喚が終わった4人には別室で待機してもらうこととして、立香は次の召喚を行う。現れたのはセイバーのサーヴァントとキャスターのサーヴァントだ。

 

 

「セイバー・ベディヴィエール。此れよりは、あなたの剣となりましょう。」

 

「……キャスター。アグラヴェイン。」

 

「やった、ベディヴィエール!!よかった、よかったーー!!」

 

 

 喜びの涙を流しながらベディヴィエールに飛びつく立香。彼に彼女との記憶はないはずだが、戸惑いながらも頭を撫でて宥めてくれた。

 

 

「久しぶりだな、アグラヴェイン。まさか、応じてくれるとは思わなかったぞ。」

 

「……我が王が守護せんとしたブリテンは滅んだ。だが、その後に続く人理をも滅ぼされては、王の行いが本当に無駄だったものになってしまう。それだけは許せないというだけだ。」

 

「そうか……。まあなんにせよ、これからよろしく頼む。」

 

 

 ケンは握手をしようと手を差し伸べたが、アグラヴェインはそれを無視して霊体化した。彼の人間嫌いは相変わらずのようだ。

 

 

「……ま、そのうち何か作って持って行ってやろう。マスター、これで召喚は全てですか?」

 

「あっ、ううん!まだ獅子王が呼べてないしね!任せてケンさん、絶対何とかするから!ごめんねベディヴィエール、また後で!」

 

「はい、お待ちしています。他の騎士たちにも、久々に会いたいですしね。」

 

 

 再びケンと立香だけになった召喚ルームで、立香は祈るように呪文を告げた。あんなお別れは、あまりにも悲しすぎるから。そんな立香の祈りが届いたのか、それともここまで歯を食いしばって戦ってきた彼女に、ほんの少し運命が微笑んだのか。彼女が求めたサーヴァントが、そこには立っていた。

 

 

「あ、あなたは……!」

 

「―――サーヴァント・ルーラー。アルトリア・ペンドラゴン。お前たちには、獅子王と名乗った方が分かりやすいか。」

 

「アルトリア……!」

 

「―――ああ。久しぶりだな、ケン。お前の言う、奇跡というものが起こったようだ。」

 

 

 

 万能の人レオナルド・ダ・ヴィンチをもってして、もう会えないと宣告された獅子王。彼女はいかような奇跡によるものか、サーヴァントと化し、ここカルデアに再会を果たした。彼女のことを心から案じてくれた心優しい人と、1500年もの間、想い続けた愛しい人と。

 

 

 

 

「――ああ。嬉しい、嬉しいよ、アルトリア。でも、その……」

 

()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 ―――ただし、可愛らしい兎(バニー)として、だ。




「むっ!今、カルデアに新しい性癖を引っ提げたサーヴァントがやってきた気がします!具体的にはファザコン不良少女と激重系露出多めのパツキン美女!!親子丼の予感すらします!!」

「ええ……。沖田ちゃんいつの間に千里眼ゲットしたの?」

「そんなもんないですよ!これは恋する乙女のパワーです!ということは、ノッブたちも掴んでいるに違いありません!すぐに向かわなければ!!新撰組一番隊隊長、沖田総司!出ます!!」

「んなしょうもねえことに新撰組の看板掲げてんじゃねえぞ。」


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Part18 二人の麗人

まだ3日に一回だからセーフですよね?(震え声)本当は二日に一回でいきたいんですが、ネタの調子とかプライベートとかで投稿ペースが変わるので、定期的にチェックしてくれると嬉しいです。

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「何で、バニーガールなの……?」

 

 

 獅子王アルトリア・ペンドラゴン。彼女の頭には王冠の代わりに兎の耳がついており、身にまとうのは鎧ではなく煽情的な衣装である。第六特異点の記憶も新しい立香にとって、その姿と獅子王とはどうしても結びつかなかったのだ。

 

 

「ふ、驚くのも無理はない、立香よ。私とてこの姿には驚いたが、そのうち慣れるだろう。それに―――」

 

 

 言いながら、アルトリアはケンの首に腕を回す。彼女も171cmと女性にしては背が高いものの、ケンの方が10cmほど高い。そのため、通常ならば二人の顔は高さが違う位置にあるのだが、回した腕で引き寄せる。

 

 

「――この服なら、お前も夢中になってくれるだろう?」

 

「……アルトリア、あまりくっつかれると困る。」

 

「ふふ、嫌か?」

 

「そうではないけど……」

 

 

 顔を真っ赤にした立香の後ろで、勢いよく召喚ルームの扉が開いた。

 

 

「うおお、御用改めである!!ここから浮気の香りが……!!」

 

 

 飛び込んできた沖田が目にしたのは、煽情的なバニー衣装を身にまとった女性がケンに抱き着いている姿だ。沖田は怒りより先に羞恥が来たのか、顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。

 

 

「な、ななななんですかその服は!!え、む、胸とかもそうですけど!おへそ!おへそ出すための穴いらないでしょ!」

 

「む、お前のことは覚えているぞ。我が聖槍を貫き破壊した剣士だな。あの時の技は素晴らしい煌めきだった。」

 

「は、はあ、ありがとうございます……。って!違う違う、そんなこと言ってる場合じゃないんですよ!何であなた、ケンさんにくっついてるんですか!!やっぱり金髪なんてダメです!尊王攘夷万歳!!」

 

「落ち着け沖田、そんな思想強くなかっただろ!」

 

 

 ひとまずアルトリアの手を振りほどき、沖田の肩を抱いて揺するケン。アルトリアは澱んだ目でそれを見ていたが、やがて何かを思いついたようにケンの背中に抱き着く。

 

 

「ア、アルトリア!?今はそう言う事をしている場合じゃ」

 

「いいではないか。1500年ぶりだぞ?」

 

「そうだけど、後でちゃんと構ってやるから」

 

「どういうことですかケンさん!やっぱり、私が未だ生娘なのが気に喰わないんですか!?」

 

「そんなのお前の魅力に関係ないだろ!俺はお前の心と生き様を美しいと思ったんだから!」

 

「顔は!顔とか体はどうなんですか!」

 

「すごくかわいいだろ!何言ってるんだ!」

 

「……んふっ。」

 

 

 何かちょっと満足げになった沖田。一層不機嫌になったアルトリアが、強引にケンを彼女の方に向かせる。

 

 

「ケン。私はどうだ。かわいいか。」

 

「そりゃ、綺麗な女性になったと思っていたが……。」

 

「なら何故、頑なに手を出さなかった。」

 

「そ、そんなのお前が王で、ギネヴィアという妻がいたからであって……」

 

「ならもう遠慮はいらないだろう。言っておくが、私からお前を襲うような無粋はしない。必ずお前から手を出させてやるから、覚悟しておけ。」

 

 

 これは挨拶代わりだ――と言い、アルトリアはケンの首筋に口づけをした。首には小さな痣が出来、いわゆるキスマークが作られた。

 

 

「お、お前……いつの間に、こんなこと覚えたんだ。」

 

「ふふ、座からの知識でな。あらかじめ言っておくが、他の誰にもつけさせるなよ。これはお前が私のものだという証だ。」

 

「……手は出さないんじゃなかったのか?」

 

「誘惑の一環だ。お前は意志が強いから、私に手を出す前に他の女に喰われても面白くない。」

 

 

 ケンの頬を撫でながら、アルトリアはうっとりと眺め続けている。沖田はかわいいと言われたことで満足したのか床に転がっているし、立香は話を聞くのと実際に見るのとではまるで違ったのか、頭が沸騰して動けない。二人の時間は永遠に続くかに思われた。

 

 

 

 

 

 だが、我々は知っているはずだ。人の心がわからず、やらなくていい時にやりがちで、面白いことを最優先にしようとするキングメーカーを。

 

 

 

 

 

「うわっ!な、何!?光が――!!」

 

『大変だ立香君!今そっちに、魔力が高まっている反応だ!つまるところ、サーヴァントが現れようとしている!』

 

 

 それまでケンの修羅場を楽しみながら見ていたダヴィンチちゃんが、慌てたように声をあげる。召喚サークルに目を向ければ、確かにサーヴァントが召喚される時の光があふれ出ている。

 

 

『ひょっとしたら、侵略者かもしれない!十分に警戒するんだ!』

 

「いや、これ絶対……。」

 

「……腹立たしいが、まず間違いなく奴だな。」

 

 

 絡み合う二人は解け、ケンは諦めたように召喚サークルを見つめていた。この後に現れるであろう、あのキングメーカーだかトラブルメーカーだかわからない女性を。だが、獅子王は違った。大きくて柔らかな双丘から、ケンが見たこともないようなカードを取り出したのだ。『なんでそんなものを?』とか、『ずっとそこに入ってたの?』といったケンの疑問を無視しながら、アルトリアはまるでダーツでも投げるかのような姿勢になった。

 

 

 

 ケンがそれをぼんやりと眺めていると、やがて光は収束し、一つの人影が姿を現した。

 

 

―――その髪には、ほんの少しの曇りも穢れも存在しない。まるで晴れた日の雲のように透き通り、動くたびに可愛らしく揺れる。その女性はまるで、花のような人物だ。見ているだけで心地よく、香る色香は人を惑わす。常に余裕そうな笑みを浮かべ、誰もを魅了してやまない夢魔。

 

 

「やあ、久しぶり!花の魔術師、マーリンお姉さんのとうじょおおお!?」

 

「ちっ。外したか。私の強制帰還スローイングを躱すとはな。アヴァロンでぬくぬくと人の男をストーキングしていた割には、機敏に動けるではないかマーリン。」

 

「カルデアまで連れてきた恩人に対してなんてことするんだい君は!?君の世界の私は、一体どんな風に君を育てたっていうんだ!」

 

 

 アルトリアはマーリンの姿を認めた瞬間、カードを投擲したのだ。それは狙いを過たず、マーリンの顔を真っ二つにする軌道を描いて回転しながら飛んでいったのだが、間一髪のところでマーリンが顔を横に反らしたので、カードが彼女の頭を切断することはなかった。代わりにマーリンの頬には一筋の赤い線が引かれたが、まあその程度で済んだことを喜ぶべきだろう。

 

 

「いてて、それにしてもひどいじゃないか。傷になってないといいんだけど。」

 

 

 マーリンはどこからともなく手鏡を取り出し、傷のついたところを気に丹念に眺める。頬にできた切り傷はそれほど大きなものではないが、それ以外が理想的すぎるマーリンの肢体において、その傷はまるで美術品についた汚れのようで違和感があった。

 

 

「な、なんてことだ……。カルデアに来て早々災難だなあ。」

 

「だ、大丈夫?ダヴィンチちゃん印の軟膏使う?」

 

 

 心配そうに声をかける立香。彼女も同じ女子として、ルックスのことには敏感なのだ。

 

 

「ああ、ありがとうマスター!君は優しいんだね。」

 

「え、えへへ……。」

 

「……マスター、あまりデレデレするな。こいつに隙を見せるとろくなことがない。」

 

 

 立香の手を取って感謝を告げるマーリンだったが、アルトリアがすぐにその間に割り込む。冷たい目でにらみつけてくる彼女には、流石のマーリンも怯えを隠せない。

 

 

「ひ、ひぃ怖いよアルトリア!助けてケン!マイ・フェイト!!」

 

「……アルトリア、いくら何でもやりすぎだ。マーリンだってまだ何もしていないのだから、暴力はいけない。」

 

「そ、そうだそうだ!私だって、久々に会ったんだぞぅ!」

 

 

 ケンの背中にしがみつきながら、震え声でマーリンは抗議の声をあげた。だが、それを見るアルトリアの目は冷ややかだ。

 

 

「……よく言うな。キャメロットどころか、現界した時点でケンに着いて来ていたストーカーが。」

 

「……何?」

 

「あ~……そ、その話は、しなくてもいいんじゃあないかなアルトリア……。」

 

 

 途端に慌てだすマーリンだったが、ケンに手首を捕まれ動けない。その間に、アルトリアは話し始めた。

 

 

「立香。今までほんの少しでも、疑問に思ったことはないか?本人の遺髪という強力な聖遺物を以て召喚しようとした私に出来なかったケンの召喚が、カルデアに出来たことを。いくら沖田総司や織田信長といった縁のあるサーヴァントがいるといってもだ。」

 

「そういえば、確かに……。」

 

 

 カルデアの召喚というのは、基本的に拒否権が存在している。そのため戦いを忌避するサーヴァントや、マスターである立香に不信感のあるサーヴァントは基本的に召喚されない。その上、通常の召喚に必要な触媒もないため、多くの場合立香が繋いだ縁が頼りである。

 

 だが、ケンにはそれがない。触媒もなく、縁もない。だというのに、なぜ召喚されたのか。

 

「簡単なことだ。すべて、そこのマーリンが操作していた。」

 

 

 立香とケンはバッと振り向き、全員の視線がマーリンに集まる。本人は少しばかり気まずそうにえへへと笑いながらピースしている。冷たい目でそれを見たケンは、ひとまずアルトリアに視線を戻す。

 

 

「私は魔術王と同じ知見……つまり、千里眼を得た。ロンゴミニアドと共にあり、神霊に近い存在になった故にな。ベディヴィエール卿によって聖都計画から解き放たれた私は、その千里眼を使ってケンが召喚されなかった理由を探した。それまでは、考えもしなかったがな。心が薄かった私は、ケンがいないことを残念に思いながらも、恋しく思いはしなかった。」

 

「その結果、そこの女マーリンにいきついた。」

 

「ケンは転生を繰り返した果て、ある時ついに完全な死に至った。通常なら、英霊の座に登録されてサーヴァントとして召喚される条件が整う。」

 

「だが、ケンの場合はそうはいかなかった。マーリンがケンの魂をアヴァロンに持って行ってしまったからだ。」

 

 

 ケンは綺麗な二度見を行い、マーリンの瞳を見つめる。

 

 

「や、やだなあマイ・フェイト。そんなに情熱的に見つめられたら照れてしまうよ。」

 

「マーリン……俺は、人として死にたいと言ったはずだよな。」

 

「う、うわぁん!だって、だって死んでほしくなかったんだもん!ほんとに好きになっちゃったんだもん!」

 

「はぁ……。」

 

 

 大きなため息をついたケンは、アルトリアに続きを促した。

 

 

「その結果、ケンは死んでいる状態と生きている状態が混じり合って存在していることになった。肉体は何度も崩壊しているが、その度に転生して魂は生きていたわけだからな。そして最後の死を迎え、魂も消え果るはずのところを、この妖精もどきがアヴァロンに保管してしまった。故に、ケンが私に召喚されることはなかった。」

 

「その後、カルデアが召喚を試みた際に、どんな心変わりかは知らないが、マーリンは魂を手放し、カルデアと縁が結ばれるように細工した。その方法まではわからなかったが、結果としてケンはカルデアに召喚されたのだ。」

 

 

 周りはしんと静まり返っており、誰も声を発しなかった。

 

 

『……そ、そんなことが可能なのか?座のシステムを根本から揺るがしかねない偉業だと思うんだけど。』

 

「まあ、そこはなんてったって冠位を持つグランドキャスターなお姉さんだからね!あまり気に止まないでくれダヴィンチ女史!」

 

「……好きな男についてくるために冠位を捨て、クラスまでいじった女がよく言うな。」

 

「わー!恥ずかしいから言わないでおくれよ!!」

 

 

 出会い頭に殺しにかかったとは思えないほど、息の合ったやりとりをする二人。だが、マーリンの爆弾はこれでは終わらない。

 

 

「それにだ。この女、今まさに召喚されましたよみたいな顔をしているが、実際には最初からカルデアにいたからな。」

 

『な、何だって!?全然魔力反応は検知できなかったのに!?』

 

「こいつには幻術があるからな。ケンが召喚された際に、単独顕現というスキルでカルデアにくっついてきている。その後、幻術で姿や魔力の痕跡を消したのだろう。マーリンはどの未来においても死ぬことがないため、通常サーヴァントとしては召喚できない。そのため、誰の手を借りることもなく現世に現れることが出来るこのスキルが必要だったのだろうな。ケンのストーキングをするために。」

 

「や、やだなあアルトリア。これはあくまでナビの一環なんだよ?私も人理焼却という一大事に何かしないとなあと思って、ケンをサーヴァントとして送り込んだ。それだけだとケンが困るかもしれないなあと思って、私もこっそりついてきただけさ。」

 

「それなら、堂々とついて来ればよかったじゃないか。なぜ姿を隠すような真似をしていたんだ?」

 

「それは……。」

 

 

 そこでなぜかマーリンは口を閉じ、小刻みに震え出す。よく見れば、目には涙まで浮かんでいるではないか。

 

 

「ど、どうしたのマーリン!?大丈夫?」

 

「……だって、ケンが私のことを嫌うと思ったから……。私はケンの魂を独りよがりな理由で昇華させることを止めてしまったし、人類の物語が終わってしまうことを恐れて手放してしまった。こんな身勝手な女に、愛想をつかさないわけがないと、そう思ってしまったから……。」

 

 

 立香はそれを見て思った。マーリンも、ただの女の子なんだと。好きな人に嫌われたくないという、誰もが持つ欲求を持っているだけなんだと。そして、同時に確信さえしていた。あの人は、決して裏切らないと。その確信の通り、ケンがマーリンに優しく声をかけた。

 

 

「――馬鹿だな、マーリン。俺がそんなに小さい男だと思うか?」

 

「……ケン?」

 

「むしろ、感謝さえしている。お前のおかげで俺は沖田や信長様と再会できたし、こうしてアルトリアを救う事も出来た。お前がこうして、カルデアに連れてきてくれたおかげだ。ありがとう、マーリン。」

 

「あっ……えへへ、なんだか照れてしまうね。」

 

 

 そっとケンは指で彼女の涙を拭ってやると、マーリンはあどけない笑顔を見せてくれた。隣で見ていた立香がドキリとするほど可愛らしい微笑みだったが、ケンは慣れているのかまったくの平常心だ。アルトリアに至っては苦虫をかみつぶしたような顔すらしている。

 

 

「あ、そういえばさ。最初からカルデアにいたってことは、ケンさんの話も聞いてたんでしょ?今までの傾向からして、ノッブとか沖田さんと喧嘩しなかったのえらいよね!」

 

「ふふ、そうだろうマスター?私は余裕のある大人のお姉さんだからね!今更女性関係のひとつやふたつで動じはしないのさ!」

 

 

 すっかり普段の調子を取り戻したマーリンを、ケンは一安心といった風に見守っていた。

 

 

「それこそ、隣で聞いていてドキドキする話ばかりだったからね!聞いているだけでも下腹部のあたりがキュンキュンしてしまってあいたあっ!」

 

「ばっ、馬鹿たれ!!自制しろマーリン!!」

 

 

 いや、普段の調子を取り戻しすぎてしまった。ケンは手刀を脳天に食らわせた後、流れるように頭を下げさせた。

 

 

「マスター、申し訳ありません。実はこいつ、結構下ネタが多くて……。」

 

「まあ、夢魔と人間のハーフだからな。夢魔というのは淫魔……つまりサキュバスと同一だ。マスター、お前も奴のどぎつい冗句には気を付けることだ。」

 

「あと色仕掛けにもご注意を。好きなものはかわいい男の子とかわいい女の子と、公表してはばかりませんので。」

 

「いたた、今は君一筋だからそんな心配しなくてもいいのに……。あっ、ひょっとしてやきもちかい?なーんだ、なんやかんや言って、君もボクのこと大好きなんじゃないか!ボクも大好きだよマイ・フェイト♡」

 

「何を言っている。ケンが大好きなのは私だ。ケン、私も大好きだぞ。愛していると言ってもいい。」

 

 

 あまりにストレートに好意を伝えてくる美女二人に、ケンはたじたじになってしまう。助けを求めるような視線を立香に送るが、気づかないようだ。いや、正確には気づいているのであろうが、気づいていないふりを決め込んでいた。ケンの自業自得と言われれば、それはその通りである。

 

 その後、熱烈な抱擁と口づけを執拗に求めるアルトリアとマーリンによって大量のキスマークをつけられたところでマスターストップが入り、ケンはようやく解放された。そしてその後、満足げなアルトリアによってバニーになった理由が語られる。

 

 

「お前たちが退去したのち、私のいる世界は急速に閉じ始め……有り体に言えば、終わり始めた。その間に私は千里眼でさっき言った事を掴んでいたわけだが……そこに現れたのがこの女マーリンだ。」

 

「……マーリンの話は、幾多の苦難がありはするものの、最終的にはハッピーエンドに行きつく。こいつは人類がハッピーエンドを迎えるため、英霊となって力を貸してあげてほしいと言ってきた。もっとも、こいつの本当の目的はケンの女関係をさらにかき混ぜて面白くしたいというものだったがな。」

 

「だ、だって登場人物が多い方が、ドロドロのラブコメは盛り上がるだろう?」

 

「……ともかく、私はその誘いにのった。ケンに再び会えるのなら、どんな苦難も厭わない覚悟だった。」

 

「それで……バニーに……?」

 

「ああ。今の私は、単なるバニースーツを身にまとった獅子王ではない。円卓の守護者、長としての姿だ。」

 

 

 胸を張る獅子王アルトリアだが、ならなおさらバニーはおかしいだろうというツッコミが入る。それに対しても、しっかりとした理由があるようだ。

 

 

「私がカルデアに召喚されない理由は主に二つだ。一つは信仰が足りず、サーヴァントに足る霊基がないこと。もう一つは神の身になってしまったことで、座に登録されるには強すぎること。だが、この二つのうち一つは既に解決していた。」

 

「どっちの方なの?」

 

「信仰の方だ。私のやり方は間違ってはいたが、特異点にいた者たちにとっては確かな救いだった。そのため、サーヴァントになるにあたって不足はなかったが、神霊に近い私は召喚するにはスケールが大きすぎた。それを解決したのがマーリンだ。」

 

「そのとーり!私のおかげでここに来られたのに、アルトリアったらひどいよね!」

 

「話を戻すぞ。大きすぎる私の格を縮小するため、マーリンは幻霊を利用した。サーヴァントになるには小さすぎた者たちだな。」

 

『……なるほど、そういうことか!だから円卓の守護者なんだ!』

 

 

 合点がいったと手を打つダヴィンチだが、立香たちはポカンとしている。『最後まで聞けばわかる』といって、アルトリアは話を続けた。

 

 

「お前たちのよく知る円卓の騎士は13人だろう。だが、円卓の騎士は実は入れ替わりの激しい職場だ。現に、サーヴァントになっていない円卓の騎士はごまんといる。だが、弱いからといってその志は何も変わらない。その証拠に、彼らは私の召喚に応じたのだから。」

 

「えーっと、つまり……円卓の騎士を召喚しようとしたら、サーヴァントになれなかった円卓の騎士も幻霊としてついてきたってこと?」

 

「そうだ。そしてマーリンは、彼らに許可を取ったうえで私に力を譲渡させた。神霊としての格を下げ、英霊の範囲まで押し込むためにな。」

 

『結果、獅子王はすべての円卓の騎士を統べるものとしての属性を得て……ルーラークラスになったというわけか。』

 

「そういうこと!これで、アルトリアをサーヴァントに出来たというわけさ!」

 

 

 アルトリアがサーヴァントになることが出来た理由はわかった。だが、肝心なところは何も解決していない。

 

 

「あれ、でもちょっと待って!バニーは何でさ。」

 

「……それがね、アルトリアをルーラークラスにすると、何故か自動的にバニーになってしまったんだ。」

 

「ますます意味わかんないよ!?」

 

「まあ、これ以上は君たちが知る必要はない話だとも!ほら、バニーでえっちだからいいじゃないか!本人も気に入ってるみたいだし!」

 

「えー……何か気になるんだけど。」

 

「まあそれなら、後でこっそり教えてあげるよ。それよりもホラ!今日はパーティーの準備をしてるんだろう?私も手伝うから、とびっきり素晴らしいものにしようじゃないか!」

 

「そうだな。私も、円卓の騎士たちに再び挨拶をせねばなるまい。無論、禊もな。」

 

 

 なんだか釈然としないままだったが、獅子王とふたたび会えたことに比べれば些事である。そう立香は思うことにして、まだ床に伏せって“かわいい!”という言葉を反芻している沖田の看病に向かうのだった。

 

 




「気になるなあ……なんでバニーなんだろう……。」

「マスター、そんなに気になるのですか。ひょっとして、バニーはお嫌いでしたか?」

「ああケンさん。いや別に嫌いってわけじゃないけど……あそうだ、それならケンさんの方はどうなの?バニー好き?」

「……あいつの手前、嫌いとは言えないでしょう。」

「なーんか煮え切らないな~……。あ、そうだ!それじゃあさ、私がバニー着たら嬉しい?」

「マ、マスター!?嫁入り前の娘が、そんな恰好をするものでは……。」

「え~何、ケンさん想像しちゃった?私嬉しいかどうか聞いただけなのに?意外とえっちなんだね。」

「こ、これは……一本取られました。主君のバニーを想像したこと、責任をとって腹を切ります。ご容赦を。」

「わーごめんごめん!!冗談だからそんな間にうけないで!!」


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Part19 蝋燭のようなあなた

原神とオーバーウォッチ2、スプラトゥーンとかで遊び倒していた結果、こうして投稿が遅れてしまいました。だが私は謝らない。(メタルマン)

牛の歩みより遅いカルデア大宴会編ですが、これが終わったらオリジナル展開のぐだぐだイベをやるつもりです。今のところ影の薄い千代女あたりを活躍させたいですね。

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 ひとまず沖田を新撰組に引き渡した立香は、別室で待機していた円卓の騎士たちに挨拶をしに行くこととした。もちろん、ケンやアルトリア、獅子王を連れてである。

 

 ケンとしては、何かと騎士王には負い目のあるであろう連中であるため、大丈夫かと心配していた。それに、後ろをウキウキとついてくるマーリンのことも不安要素だ。自分に執着されるのも困るが、他の誰かに迷惑をかけるのもまた困るのだ。そこで、仕方なくこのような手段をとることにした。

 

 

「マスター。私とマーリンは、ここで待っているとしましょう。」

 

「何?どういうことだケン。」

 

 

 アルトリアは明らかに不満顔だったが、マーリンはそれはもう満面の笑みでケンと腕を組んでいた。それを見て青筋をたてながら、ケンにさらに詰め寄る。

 

 

「……何だ、邪魔者を抜きにして女といちゃつこうというのか。見損なったぞ。」

 

「うふふ、ああ今更言われなくともわかっているともマイ・フェイト!素敵な時間を過ごそうね!」

 

「わざとこじれるようなことを言わないでくれ。黙っていれば、お前は普通の綺麗で魅力的な女性なのに。」

 

「ケンさんもそういうこと言わなかったらただのいい人で済んだのにね。」

 

「……と、とにかく。せっかくの感動の再会に、私はともかくマーリンがいたら混乱するでしょう。英雄が好きなこいつに、騎士たちが目をつけられても良くないですし。」

 

「もう、本当に心配性だなあ君は!私は君一筋だって言ってるのに!でも私は、そういう独占欲強いところも好きだよ?」

 

「……もう好きにしてくれ。」

 

 

 楽しそうなマーリンと対照的に、ケンはすっかりくたびれたサラリーマンのようになってしまった。その姿に、流石のアルトリアも同情したのかケンが同行しないことに同意した。くれぐれも、貞操に気を付けるよう言い残して。三歩歩いて、振り返ってケンの様子を見るのを何度も繰り返したのち、ようやく円卓の騎士たちが控える部屋に入っていった。残されたケンとマーリンは、遅れて部屋に入るためこの近くから離れるわけにもいかず、ひとまずマーリンが足元に生やした花畑の上に座る。実質廊下に座り込んでいるのとなにも変わらないのだが、雰囲気というものがあるのだ。

 

 

「うふふ、二人っきりだねケン。思えば、私と君がまともに話をする機会なんて、これが初めてなんじゃないかな?」

 

「……そうかもしれないな。なにせ、俺はあれで死んだはずだからな。」

 

「う、ご、ごめんってば。もう勝手に連れてったりしないから。」

 

「……まあ、でも。お前の前で死んだのは、悪かった。俺の我儘のせいで、見苦しいものを見せたな。」

 

 

 

 

 

 

 ケンの脳裏に思い起こされるのは、ブリテンでのマーリンとの記憶だ。あのマーリンは男だったが、ケンに一つの忠告をした。

 

 

 

 

 

『このまま、君が生き続けるのならば。君は遠い未来で、最悪の死に方をすることになる。』

 

 

 

 

 

 ケンはブリテンで斃れてからも、この言葉を胸に抱き続けてきた。天下のためと銘打って、虐殺を続けた残忍で強大な敵に対し、ストレスと恐怖に吐き気をこらえ続けた彼女の、背中をさすってやっている時も。どんなに強大な敵を打倒しても、疎まれ排斥された彼女を、ねぐらで温かい食事と共に迎え入れた時も。自分はいつか最悪な死に方をすると、覚悟しながら生きてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そんなことはなかったよ、ケン。」

 

「何……?」

 

 

 どういうことだと尋ねる前に、ケンはマーリンの柔らかな胸の中に抱かれる。頭を抱きかかえている両腕の力は、決して振りほどけないようなものではない。だが、ケンはなぜか抵抗する気が起きなかった。彼女の放つ花の素晴らしい香りに惑わされたのかもしれない。そう思いながらも、ただ黙って抱かれていた。

 

 

「君の旅は、とても美しいものだった。終わりを迎えてしまったのは悲しいことだけど、君は最後まで生きようとしたじゃないか。」

 

「……。」

 

「蝋燭は燃え尽きる瞬間に、最も熱く明るく輝くものだというけれど、君も同じだった。誰も彼もを明るく照らそうとしたから、両端から燃えていき、短い生涯ではあったけれど。その輝きは、その熱は、私の心を掴んで離さなかった。物語が終わったあとの、あの空虚な冷たさを、感じさせないほどにね。」

 

「両端から燃える蝋燭、か……。」

 

「まあそのせいで、私以外にも君の火に憑りつかれた女の子がいっぱいいるみたいだけど!」

 

「……すまん。」

 

 

 マーリンは力いっぱいケンの頭を締め付けたつもりだったが、筋力Eではまったく痛くないらしい。だが、その気持ちだけは伝わったようだ。ケンは恐縮したような声で謝った。それに満足して、ようやく締め付けを解除してやると、ケンは大人しく胸に抱かれたまま、訝し気にマーリンを見上げた。

 

 

「今度はちゃんと、正当な方法で君をアヴァロンに連れて行く。君がカルデアで役目を終えて、退去するその日。死後の君をどうこうできるのは私くらいなわけだし、それくらいならいいだろう?」

 

「……再び人類の危機が訪れたらどうする。」

 

「その時は、私も一緒について行ってあげるとも!終わらない物語の始まりさ!」

 

「……ふふ。本当に、仕方のない奴だ。」

 

 

 ケンの雰囲気が少しだけ和らいだ。ケンはいつも誰かの傷に寄り添ってきたが、彼の傷に寄り添うことが出来る者はそういない。それこそ、全てを知っているマーリンくらいのものである。ひょっとすると、彼女がカルデアに来たというのは、とても幸運なことなのかもしれない。ケンは、第六特異点での自らの嘆きを、少しだけ反省した。

 

 

「ふふ、君は笑顔も素敵だね。もう少しだけ、このままでいてくれるかな?」

 

「……お前のおかげで心が少し軽くなったからな。仕方ない。」

 

「やった!それじゃ、ちょっとだけ……。」

 

 

 そう無邪気に笑うマーリンだったが、一つだけおかしな点があった。よく見なければ気づけないほど微かにだが、口元が動いているのだ。ケンもマーリンの双丘に耳をふさがれているため、その音にはまったく気づかなかった。

 

 

「戻ったぞ、ケン。そろそろお前たちも―――!!」

 

「……あ、アルトリア!?こ、これには事情があって」

 

「貴様……!!この魔力はなんだ!!」

 

「え、えと、これはほら、私のお花が」

 

「こうなったら、千里眼で―――」

 

 

 一瞬遠い目になったアルトリアは、すぐにその瞳を怒りの炎に滾らせた。そして、その怒りのままにマーリンに掴みかかる。

 

 

「マーリン!貴様、魅了の魔術を使うとはどういう了見だ!!」

 

「そ、それは……」

 

「……俺の対魔力で、何とかなるレベルなのだろうか。」

 

「何とかなるわけがないだろう!こいつは魔術師の最高位だぞ!腹立たしいことに!!」

 

「そうか……。ならマーリン、魔術は今後禁止だ。俺の許可なしに使うな。」

 

「そ、そんなご無体な!ひどいじゃないかマイ・フェイト!!」

 

「……どうせ、俺について回る気だろう。何か問題があるのか。」

 

 

 ケンが流し目を送ると、観念したようにマーリンは両手をあげた。なんやかんや、マーリンもケンに嫌われそうなことはしたくないのだ。

 

 

「ちぇー。何が何だかわかってないうちに私にメロメロにさせようと思ったのにー。」

 

「はあ……。くだらないことやってないで、早いところ禊を済ませるぞ。当然、お前もだマーリン。」

 

 

 ケンはマーリンの手をとると、円卓の騎士たちがいる部屋に入っていった。アルトリアも、渋々といった様子だったが後に続く。

 

 

「あ、ケンさん。大丈夫だった?」

 

「何を以て大丈夫なのかはわかりませんが、ひとまず綺麗な体ですからご安心を。円卓の方はどうですか?相当ショックを受けていたのでは?」

 

「うん。特異点での出来事を見てもらったら、やっぱり衝撃だったみたい。皆暗い顔してたけど、アルトリアが喝を入れたら、元気になったみたい。」

 

「おお、それはよかった。えらいぞアルトリア。」

 

「ふん、当然だ。今の私はブリテンの王ではなく、円卓の頂点。騎士たちのモチベーション程度、赤子の手をひねるようなもの。」

 

 

 セリフは凛々しいが、その顔は幸せそうにとろけてふにゃふにゃになっている。ケンがごく自然に、アルトリアの頭を撫でているからだ。立香の訝し気な視線と、マーリンの物欲し気な視線に気づいたケンは、慌てて釈明をする。

 

 

「こ、これはですねマスター。習慣といいますか、条件反射といいますか……。」

 

「ふふふ、ケンはいつもこうして、私の頭を撫でて褒めてくれるのだ。生前は気恥ずかしさから突き放すこともあったが、やはりいいものだな……。」

 

「ズルいなあ、私にもしておくれよマイ・フェイト!」

 

「はいはい……。」

 

 

 両手で別の女性の頭を撫でるという、小学校の先生くらいにしか許されない暴挙に出るケン。まあ、撫でられている方は幸せそうだからいいのかもしれない。

 

 

「……そろそろいい?」

 

「……ああ、満足だ。さあ、それでは禊に行くとしよう。」

 

 

 どこか不機嫌そうな立香に、アルトリアは勇ましい返事を返す。一行が円卓の部屋に入ると、円卓の騎士たちの間にどよめきが起こる。

 

 

「こ、これが……女性のマーリン!!」

 

「話には聞いていたが、麗しい……。だが何故か、全くお近づきになりたいと思わない!!」

 

「ええ……。危険な香りのする女性です……。それも、ガチな方の。」

 

 

 あの女好きで知られる円卓の騎士たちが、指一本動かないマーリン。それでも、当の本人は全く気にしていないらしい。

 

 

「いくら何でも失礼だろうお前たち。マーリンは確かにちょっとロクデナシな部分もあるが、いいところだってたくさんあるんだからな。」

 

「ケン……!やっぱり君は、私の運命(フェイト)なんだね!」

 

「はいはい……それより、あっくんはどこに行ったんだ。さっきから姿が見えないが。」

 

「ああ……。それなら、その、そこに……。」

 

 

 ベディヴィエールが遠慮がちに指した指の先を見れば、床に四つん這いの姿勢になり、頭を抱えているアグラヴェインがいた。何かをぶつぶつと呟きながら、時折髪をかきむしっている。

 

 

「……その、我が王がバニーになっておられることに、あのようにショックを……。特異点での記憶が、色濃く残っておられるようで……。」

 

「そ、そうか。それは、辛いな……。」

 

「まあでも、そんなことをしている場合じゃないんだろう?ほらほら、早速禊の内容を教えてあげたまえよマイ・フェイト!」

 

「ま、まあそうだな。」

 

 

 咳払いをしたケンは、円卓の騎士たちに告げる。

 

 

「では―――告げる!円卓の守護者たちよ!汝らは一度、道を誤った!今再び、正道に戻らんとするならば!!我らが主、藤丸立香の名のもとに誓え!!」

 

「「「はっ!!我らが剣、我らが勇気、我らが命!!全ては藤丸立香のために!!」」」

 

「ふふ……。まさか、我が王と共にこれをやる日が来るとは……。私は楽しい……。」

 

「ああ。やはりこれをやると、身が引き締まるような気がするな。」

 

「そこ!!まだ終わりではないぞ!!」

 

 

 ケンは私語をしていた騎士を叱責すると、再び禊に戻る。

 

 

「―――然らばその志、行いにて示して見せよ!!」

 

「「「はっ!!我ら円卓、いかなる苦難も乗り越えん!!」」」

 

「……よろしい。では、あなたたちにはここに赴いてもらいます!!」

 

「こ、これは……!!」

 

 

 円卓の騎士たちが目にしたのは、強風と荒波の中、船の上で網と格闘する屈強な男たち。彼らが必死に引き上げる網には、たくさんの魚がかかっている。黒光りするその魚たちは、いかにも生命力に満ちており、生きるパワーを感じざるを得ない。

 

 

「ケン!これは一体……!?」

 

「ご存じ、マグロ漁船だ。長期間船の上で暮らさなくてはいけない上、日々の仕事も激務と有名だ。」

 

「こ、これを、我々が……!!」

 

「女性などいるはずもない環境だ。ちょうどいいなランスロット。」

 

「ケンさんも乗った方がいいんじゃない?」

 

「何かマスター当たり強くありませんか!?」

 

 

 背中から撃たれて想定外のダメージを負ったケンだが、咳ばらいをして続ける。

 

 

「今回はこのマグロ漁船に、カルデアのシミュレーションルームを使って向かってもらう。ここでの激務で禊を行いながら、マスターにご馳走するマグロを獲ってきてもらう。」

 

「な、なるほど……。禊と物資の回収を兼ねているのですね。」

 

「その通りだ。何か、異論のある者はいるか!!」 

 

「……待て、ケン。貴様、このような場所に我が王を向かわせようと言うのか!!」

 

「あっくん……。」

 

「アグラヴェインだ!!どいつもこいつもあっくんなどと……!!」

 

「ケン。私もあっくんに賛成です。」

 

 

 手を挙げたのはガウェインだ。聞くところによると、彼が最もショックが大きいとのことだったため、ケンは不思議に思いつつも話を聞く姿勢になった。

 

 

「……ほう。その心は何だ、サー・ガウェイン。」

 

「そのマグロ漁というのは、強い海風の吹く環境と見ました。であるならば、我が王のあのような薄い装甲では、ポロリがあるやもしれません!」

 

「貴様ーーーッ!!ほんの一ミリでも貴様と血縁関係にあることを恥じる私の気持ちを考えたことがあるのか貴様!!」

 

「はははそう言うな我が弟。ガレスほど猫かわいがりは出来ないが、お前も求めるのならば私はやぶさかではないのだぞ。」

 

「殺す!!今すぐ退去させてやる!!」

 

 

 

「―――そこまでだ。跪け、アグラヴェイン。」

 

 

 

 

 目を血走らせながら叫ぶアグラヴェインだったが、アルトリアの凛とした声が響いた瞬間、跪いて命令を待つ姿勢になる。だが、本人の様子を見る限り、どうやら自分の意志ではないようだ。

 

 

「フ、これこそ我がスキルの一つ。円卓の騎士に対する絶対命令権だ。お前も円卓の騎士判定ならば、私の手中だったのだがな。」

 

「……円卓の騎士にならなかったことを、今日ほど嬉しく思ったことはないな。」

 

「まあいい。円卓の騎士たちよ、聞くがいい。私はかの特異点において、人々を標本にするという暴挙を犯した。だが、カルデアの者たちと何よりそこにいるベディヴィエールの働きにより、再びこうして正義の道に回帰した。これを機に、かつての罪を清算する。共に汗を流し、共に風雨に耐え、共にマグロを分かちあう。それこそ、我らが悪を雪ぐ唯一の手段である。」

 

 

 真剣な話をしているアルトリア。彼女の装いがバニーでさえなければ、もう少ししまったものになっただろうに。

 

 

「……我が剣、我が命は王のために。不肖モードレッド、マグロ漁に出陣する!!」

 

「モードレッド……!」

 

 

 感動の瞳でモードレッドを見つめるケン。それを見て不機嫌そうに彼女は顔を逸らすが、喜色が隠しきれていない。

 

 

「……ならば、我々も参りましょう。我が王の選択こそ、我らの歩む道筋!」

 

「然り。マグロがいかな魚といえど、我が音色には逆らえないでしょう。」

 

 

 次々に参加を表明する騎士たち。ここに、マグロ漁が決定したのだった。

 

 

「うんうん、実にいいことだね。いやしかし、彼らの苦悶に歪む顔を間近で見られないのが残念だ。」

 

「何を言っているんだマーリン。お前も当然参加するんだぞ。」

 

「……え?」

 

 

 ホクホク顔で見ていたマーリンの顔が、一瞬にして凍り付く。

 

 

「なにせ、俺の魂を無断で持ち出したわけだしな。その辺の禊は、きっちり受けてもらおうか。」

 

「え、じょ、冗談だよねマイ・フェイト?私、かよわい女の子なんだよ?」

 

「もちろん、わかっているさ。だからちゃんと、アン・ボニー殿とメアリー・リード殿の船に乗せていただけるようお願いしてある。彼女らはバニー仲間が増えたと喜んでいた。」

 

「当然、その船に私も乗り込むからな。逃げ出せるとは思わないことだ。」

 

「……や、やっぱり私、アヴァロンに帰ろっかなーなんて……。」

 

「行くな、マーリン。寂しくなるだろう?」

 

「そ、そんな雌殺しフェイスで言ってきたって嫌なものは――あ、ちょっと。掴まないでくれアルトリア。そ、そんな、無言で私を引き摺るのはやめてくれないか!?」

 

「覚悟を決めろ、マーリン。お前の大好きな、終わらない労働(ものがたり)の時間だぞ。」

 

「や、ヤダーーーーーーーーーーー!!!」

 

 

 泣いても喚いても、ボーパルバニーは止まらない。あっという間に一行はシミュレーションルームへと消えていき、立香とケンだけが残った。

 

 

「……ふぅ。まあ所詮、二日と少しの間ですが、いい薬になるでしょう。それではマスター、私もこれにて失礼します。まだまだ、やるべきことは残っていますので。」

 

「あ、う、うん。頑張ってね……。」

 

 

 マーリンを送り出し、心なしか軽い足取りで厨房へと向かうケン。まだまだビシビシしごかなくてはならないことがたくさんあると思いながら。

 

 

 

 

 

 ―――しかし彼は、忘れていたのだ。ここは英雄の坩堝カルデア。世界中の、時代を問わない英雄たちが集う場所。そうなれば、当然、このような女性も混じるのだという事を。

 

 

 

 

 

 

「―――ッ!!」

 

 

 

 

 

 突如飛来する紅の槍。ケンは咄嗟の居合斬りで槍を両断しようとするが、あまりの破壊力に半分ほど断ったところで腕が止められてしまった。

 

 

 

 

「何者だ!!姿を見せろ!!」

 

 

 

 

 威勢よく声を張り上げつつも、背中には冷や汗が流れる。刀は二股に分かれた槍に挟まれた状態のため、次の動きはどうしても遅れてしまう。すぐにもう片方の手を使って取り外したいところだが、その隙に襲われる可能性もある。スキルを使って腰に佩いた木刀を強化してもいいが、それで勝てるかは未知数だ。

 

 

 

 

「―――見つけた。ついに、ついに見つけたぞ。」

 

 

 

 

 突如響き渡る凛とした声。ケンは一瞬、自分に因縁のある人物だろうかと記憶を探ったが、聞いたことのない声だ。では一体誰が?そうケンが思ったその時、一人の女性が姿を現した。

 

 

 

 

「―――ッ!あなたが、この槍を……?」

 

「……そうだ。儂の名はスカサハ。ケルトの死の国の女王である。」

 

 

 

 

 

 その女性は、緋色の目を称えた紫色の長髪をしていた。よく見ると面頬をしており、忍者のようにも見える。だが、両手に携えた朱色の二槍は、忍者が持つにしては過ぎた得物だろう。

 

 

「スカサハ……確か、マスターに見せていただいたサーヴァントのリストの中に名前があったはず。これは一体どういうことか!!カルデアに対する裏切りと考えてよろしいか!!」

 

 

 ケンは警戒を緩めることなく、慎重に問い質した。返答次第では、今すぐに殺し合いになるかもしれないと思いながら。

 

 

「……否。儂の目的は今、達せられた。我が呪いの朱槍を、お前が乗り越えたことによって。」

 

「何……?」

 

 

 

 

 ケンが訝し気に呟いた、次の瞬間。

 

 

 

「なッ!?消えた……!?」

 

 

 

 まばたきの一瞬のうちに、スカサハが姿を消したのだ。ケンは一瞬困惑したが、すぐに警戒態勢に入る。自分が相手ならどうするか……否、自分が知る、最も強い奴ならどうするか。頭の中で思考した結果、一つの行動に行きついた。

 

 

 

 

「――沖田なら、後ろから!!」

 

 

「……惜しい。儂は沖田ではない。」

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

 振り向こうとしたケンの、目の前にスカサハが現れる。もはやこれまでと思いつつも、最後の抵抗を試みる。ほんの少しのダメージにでもなればと拳を繰り出すが、あっさりと躱されてしまう。それどころかタックルで組み付かれ、地面に押し倒されてしまう。

 

 

 押し倒され、両手両足を固定されてなお、ケンは抵抗を諦めなかった。自分の手首を掴む手を何とか振りほどこうとするが、まるでビクともしない。必死に抗うケンだったが、次の行動は流石に読めなかった。

 

 

 

 

「―――――――。」

 

 

 

 

 なんと、口づけをされたのだ。執拗に舌を絡めてくるその口づけに、ケンはなにか毒でも盛られているのではないかと思い舌を逃がそうとするが、蛇のように絡みついて離れない。

 

 

 

 

 

 

 そしてそのまま、どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。いや、それほど長い時間なはずはないだが、ケンにはとても長い時間に感じられた。

 

 

 

 

 

「ふー、それじゃ私もトレーニングでも……って、ケ、ケンさん!?それに師匠!?なにやってるのこんなところで!!」

 

「む、立香か。」

 

「ッ、マスター!!来てはいけません!!こいつは、俺が始末を……!!」

 

「ああ、いいぞ!その視線、その殺意だ!儂をこんなにも滾らせる!!」

 

「と、とりあえず離れて二人とも!!話聞かないとだから!!」

 

 

 

 立香の言葉にようやくケンの上からどいたスカサハ。ケンはすぐに立ち上がり、いつでも刀を抜ける姿勢で警戒を怠らない。

 

 

 

「マスター、油断してはいけません!!彼女はいきなり槍を投擲してきた上、私に襲い掛かってきました!!」

 

「槍を投擲って……え、ケンさんなんで生きてるの!?」

 

「え、し、死んだ方がよかったですか……?」

 

「そういうことじゃなくてね!?」

 

「そうだ!そこの男は、我がゲイ・ボルクの呪いを切り裂いた!故に立香、儂は決めたぞ!この男を、儂の婿にする!!」

 

 

 

 スカサハの衝撃の告白に、凍り付く二名。カルデア大宴会(仮称)の準備はまったく進んでいないのに、問題ばかりが増えていく。ケンは、自分の身には本当に何か別の呪いでもかけられているのではないかと、自分が送り出したトラブルメーカーの顔を、もう懐かしく思い始めたのだった。




「はぁ~~~~~~~~………………(クソでかため息)」

「おや、どうされましたキャプテン!どこか具合でも?」

「ちっげえし!拙者はさあ!キャワイイおにゃのことドゥフフなマグロ漁って聞いてたのにさあ!!何でこんなむさくるしい野郎どもと一つ青い屋根の下で、暮らさなきゃいけないわけえ!?ガン萎えでござるが!!」

「申し訳ありません黒髭殿。ですが、我々は王のため、そして立香のため、必ず最高のマグロを獲ると誓ったのです!どうか、お力添えをお願いします!!」

「うっ……。はぁ~~~~~。ま、立香殿のためとあらばいたしかたないですなあ。オウ野郎ども!!使えねえ奴は即刻海にぶち込んで魚の餌にしてやるから、気合入れて働けや!!!」

「アイ・アイ・キャプテン!!」


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Part20 死の国の女王は殺意がお好き

今回は若干短くなってしまいましたが、キリがいいところなのでご勘弁を。あと若干キャラディスに思われるかもしれない描写がございますが、後々挽回するのでちょっとだけ我慢してくださると幸いです。

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「この男は、儂の婿にする!!」

 

 

 スカサハの突然の結婚宣言に、フリーズしてしまうケンと立香。いよいよナイチンゲール女史に胃薬の申請をしに行かなくてはならないのかとケンが凍り付いたまま思考していると、また別の人物が乱入してきた。

 

 

「おいおいおい、アンタ何やってんだ師匠!いなくなりやがったと思ったら、いきなり求婚かよ!」

 

「む、馬鹿弟子か。お前もこれからは兄弟子になるのだから、今のようでは困るぞ。」

 

「いやついていけてねーんだっつの!」

 

 

 青いタイツに身を纏った、均整の取れた肉体の偉丈夫がスカサハに声をかけた。真っ赤な瞳と耳に揺れるピアスが印象的だ。

 

 

「あ、アニキ!スカサハさんどうしちゃったの?」

 

「おう、立香!すまねえな、うちの師匠がどうにもよ……。そっちのあんたも悪かったな。」

 

「は、はあ。確かあなたは、クー・フーリン殿でしたか。」

 

 

 クー・フーリン。北欧のケルト神話における主人公とも言える存在のはずなのだが、目の前にいる今の彼にからは、その輝かしい武勇は感じられない。どちらかといえば疲れているような感じがして、ケンは親近感を覚えずにはいられなかった。

 

 

「ああ……。あんたの方はケン、だったろ?あの聖槍をぶった斬ったシーン、見物だったぜ。」

 

「ありがとうございます。」

 

「ま、それのおかげで師匠があんな風になっちまったわけだが……。」

 

「あんな風とはなんだ馬鹿弟子!師匠の恋路を応援しようという気概はないのか!」

 

 

 げんなりした様子のクーフーリン。ケンは何故だか、とても仲良くなれそうな気がした。

 

 

「儂は……いや、私のほうがいいか。私はあの極光を切り裂く刃を見た時、ピーンと来たのだ。あれこそ、我が首を獲るにふさわしい一刀。お主こそ、私を殺してくれる相手だとな。故に、結婚するぞ。」

 

「話のつながりが見えてこないのですが……。ど、どういうことなのですか?」

 

「それが、師匠は長年生き続けてきたからか殺してくれる相手を探しててな。あんたの宝具なら、死なねえ奴も殺せると聞いてテンションが上がってんだ。そのついでに若い男でも捕まえられりゃ、行き遅れも同時に解決出来て一石にちょ―――」

 

 

 ―――クーフーリンの言の葉の、その先が紡がれることはなかった。スカサハの愛ある鉄拳が―――そう、怒りなど欠片もこもっていない、愛のある鉄拳が彼の頬を捉えたからだ。

 

 立香は初めて、人が殴られた衝撃できりもみ回転をするのを見た。ケンは初めて、人間が空中で横の線を軸に5回転するところを見た。

 

 

「つまりはそういうことだ。断じて、断じて私は行き遅れてなどいない!いいな!?」

 

「「あ、アイアイ・マム!!」」

 

 

 地面に倒れ伏し、ピクリとも動かないまま謎の門に吸い込まれていったクーフーリンを見てしまったケンと立香は、すぐに敬礼せずにはいられなかった。

 

 

「ふん、よろしい。それではお主も行くぞ。すぐに式をあげなくてはな。」

 

「え、ど、どこに!?」

 

「決まっている。我が影の国だ。そこで二人が一緒になった証を立てるのだ。」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ師匠!なんでいきなりケンさんと結婚したがるの!?」

 

「そんなもの、決まっているであろう。私はこいつを、私を殺せるほどにまで強くする必要がある。だがそれには永い時間がかかることは容易に想像できる。男をそんなにも永い時間独占するのであれば、婿とするほかあるまい。」

 

「な、なるほど……。筋は通っているか……。」

 

「納得しないでくださいマスター!!」

 

 

 納得しかけた立香に悲鳴を上げるケン。ズルズルと引きずられそうになるが、ギリギリで筋力が同ランクなので耐えることが出来た。筋力B万歳である。

 

 

「わ、私は出来る限り殺すなと信長様から仰せつかっているので無理です!そもそも今は、ただの料理人で……。」

 

「ただの料理人にしては、過ぎた絶技だな。お主に包丁など似合わんぞ。」

 

「……そ、そうだとしても!私はあの人を悲しませたくはありません!味方殺しは御免です!」

 

「何だ、意外と頑固な奴だな。」

 

 

 スカサハは力で勧誘することをやめ、やれやれとため息をつきながらケンを見た。流石に意欲のない者を鍛えるほど、強制したいわけではないようだ。

 

 

 だが、立香がそう安心したのもつかの間、スカサハはさらなる爆弾を投下する。

 

 

 

 

「―――では、私が理由をくれてやろう。お主が言う信長とやらの首、今すぐここに持ってきてくれよう。」

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 悪びれる様子もなく、あっさりと告げるスカサハ。だが、それだけでは終わらない。

 

 

「いや、もっと私を殺したくなるように……そうだ、沖田という女も殺そう。景虎とやらも強そうだし、新入りも歯ごたえがありそうだ。忍とやらを捕まえて、肢をもぐのも面白いやもな。お主の周りの女を殺しつくせば、お主もやる気が出るだろう。」

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ師匠、そんな……!!」

 

 

 

 そんなことしちゃダメだよ、という言葉を、立香は思わず飲み込んだ。自分の隣から、今まで感じたことのないほどの修羅の気配を感じたからだ。

 

 

 

 

「―――もし、あいつらに。あいつらに傷一つつけてみろ。」

 

 

 

 

「―――殺すぞ!!」

 

 

 

 

 髪が逆立っているのではないかと錯覚するほど、激しい怒気を放つケン。立香は、こんなケンは今まで見たことがないと思い、完全に震えあがってしまった。もし、もし誰かが彼女たちに毒牙を向ければ、即座に首は胴体とさよならをする羽目になるだろう。体の芯まで冷え込みそうな恐怖を感じていた立香だったが、心の奥の奥の方に、奇妙な火が灯る。冬の寒い日にストーブが人を集めるような温かさ。あるいは、虫が光に狂わされ、火の中に飛び込むような危険な明かり。

 

 

 

 

 

(―――いいなあ。)

 

 

 

 

 

 その火の名前は、羨望。立香は心の底で、信長や沖田を羨ましいと思った。自分に手を出したら殺すとまで言われてみたかった。誰かから、そこまで想われてみたかった。

 

 

 

「ふふふ……はははは!いい、いいぞケン!久方ぶりに感じた殺意だ!!私を殺せる者から向けられた、本物の殺意だ!」

 

「笑いごとでは――!!」

 

「すまんすまん、冗談だ。せっかくカルデアに腰を落ち着けたばかりというのに、わざわざ自分の椅子を壊す者もおるまいよ。」

 

 

 

 いかに冗談とはいえ、大切な人たちを殺すと宣言されたケンの心中は穏やかでなかった。しかし、立香の顔を立てて憮然としながらも刀にかけた手を下ろした。

 

 

「しかし、気に入ったのには違いない。やはりお前は、私の婿にするぞ。」

 

「……お断りします。私はあなたのことが嫌いになりました。」

 

 

 きっぱりと言い切るケンを見て、再び立香は驚愕した。あの温厚篤実を絵に描いたようなケンが、誰かを嫌いだと言うのがどうにも想像できなかったからだ。

 

 

「む、それなら惚れさせるまでだ。ルーン魔術を使えば……」

 

「ま、待って師匠!今ケンさんすっごい忙しい身だからさ!せめて終わってからにしてあげて!!」

 

 

 スカサハと彼女をにらみつけるケンの間に割って入り、立香は必死に声をあげた。

 

 

「まあ、お主がそう言うなら従ってやろう。だがケンよ、待っているがいい。3日後、お前を迎えに行く。」

 

 

 そう言い残して背を向けるスカサハ。彼女の背中が小さくなり、やがて消えたのを見送ると、立香はどっと疲労が来たのを感じた。思わず地面にへたり込みそうになったところを、ケンが受け止めてくれた。

 

 

「マスター、申し訳ありません。私があのような啖呵を切ったせいで……。」

 

「ううん、ケンさんのせいじゃないよ。あんな風に言われたら、誰だって……」

 

 

 

 

 

 ―――嬉しいに決まってるじゃん。

 

 

 

 

 

「……お、怒るに決まってるじゃん。」

 

 

 おかしい。おかしいなあ、何でナチュラルに守ってもらう側に立ってるんだろう。

 

 

「……そういっていただけると、気持ちが楽です。ですが、カルデアに不和をもたらしかけたのも事実。きちんと始末をつけますので。」

 

「あ、う、うん。でもさ、その、師匠も悪い人じゃないんだよ?今はただ、喉から手が出るほど欲しかったものが、目の前にぶら下がってるからちょっと気が焦ってるだけでさ。」

 

「……そう、ですね。私もやはり、冷静ではなかったようです。これからの仕事のためにも、気を取り直さなくては。」

 

 

 言いながら立ち上がったケンは、大きな伸びをしてから厨房へ歩き出す。だが、その裾を不意に掴まれた。

 

 

「マスター?何か、御用ですか?」

 

「……あの、さ!」

 

 

 立香も立ち上がり、ケンの顔を見上げる。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「もし、もしだよ?私が……」

 

 

 

 

 

 

 

 傷つけられたら、ノッブや沖田さんみたいの時みたいに、怒ってくれる?

 

 

 

 

 

 

「マスター?」

 

 

「……ううん!何でもないんだ、ごめんね!」

 

 

 

 

 

 言えなかった。だって、答えを知るのが怖かったから。そして何より、嘘かもしれないと疑いたくなかったから。ケンは優しいから、きっと望む答えをくれるだろう。でも、それが本心からなのか、それとも優しさからの嘘なのか。そんなことで迷いたくはなかったからだ。

 

 

「……マスター。」

 

「な、何? ……ひゃっ!?」

 

 

 突然ケンは、立香の頭をわしゃわしゃと撫でた。何が何だかわからない立香だったが、不思議と手を払おうとは思わなかった。

 

 

「不安に思わなくとも、あなたが傷つけられることはありません。あなたを守るために、私がいるんですから。私だけじゃなくて、沖田も信長様も、お虎さんも千代女さんも、段蔵も円卓の騎士たちも。それどころか、他のサーヴァントの方たちも、貴方のためなら命だって惜しくないと言うでしょう。」

 

「そ、それは言いすぎなんじゃない?」

 

「言い過ぎなもんですか。でなければ、カルデアのほぼすべてのサーヴァントが準備に付き合ってくれるなんてありえませんよ。」

 

「……。」

 

 

 立香はもう、何も言い返そうとは思わなかった。ただ、ケンの言葉の一つ一つを噛みしめていた。

 

 

「不安になったのなら、いつでも私に話してください。今の私の主君は、あなた一人ですから。」

 

「……うん。」

 

 

 立香の目に力が戻ったのを認めると、ケンはにっこり笑って今度こそ踵を返す。あと少ししたら、すごいパーティーになりますからと言い残して。残された立香は、なんだかよくわからない気持ちに突き動かされ、自分の頬をむにゅむにゅと揉んだ。そうしたのち頬をパンと叩いて、気合を入れると、トレーニングルームに歩いて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、先生。実は、調理班に加わりたいというサーヴァントが何名か来ている。」

 

「ほう、何名ですか?」

 

「それが、かなり量が多くてな。誰も彼も、『マスターに手料理を食べてほしい』と……。」

 

……やっぱり、好かれてるじゃないですか。

 

「すまない、聞き取れなかった。何か言わなかったかね?」

 

「いいえ、気のせいです。それよりも、その志は素晴らしいですね。私は指導するつもりですが、皆さんはどうしますか?」

 

「フッ、愚問というものだろう先生。『誰だって食卓では平等』と貴方は言っていた。ならば、我々に断る道理などあるはずもない。」

 

「よ、よくそんな言葉覚えてたな……。雑誌の取材で、ありのまま伝えただけなのに。」

 

 

 相変わらずキラキラした瞳のエミヤを見やりながら、ケンたち調理班はいつの間にか大所帯になっていたキッチンで動き出した。本番の料理はまだ先だが、それまでにしっかりと基礎を教えておかなくてはならない。

 

 

 

 

「ケーーーン!上手く切れぬぞ!!」

 

「ネロ陛下、それは正しい切り方があるのです。ここを持って……」

 

「おおなるほど!やるではないか!」

 

「恐縮です。ああメイヴさん、そんな風に砂糖を入れてはいけません。スイーツではないのですから、一つまみ程度で十分です。」

 

「えーっ!面倒ねえ。材料を入れるだけで出来る料理とかないわけ?」

 

「あるにはありますが、かけた手間の分だけ美味しくなるものです。それに、クーフーリン殿は細かいところまでよく気の付くお方。あなたの努力も認めてくださることでしょう。」

 

「ホント!?もう、人を乗せるのが上手いんだから!」

 

「次は……うーん、少しこれだと火力が強すぎて中まで火が通りません。ジャンヌオルタさん、そこのつまみで調整してください。」

 

「こ、こう……?うわっ!も、もっと強くなったじゃないの!!」

 

「大丈夫です、まだ焦げてはいません!ほら、落ち着いて……。」

 

「こ、こうね。ふん!案外簡単じゃない!」

 

「そうです、案ずるより産むが易しですよ。」

 

 

 ケンは調理班の一人として、手料理を作りたいサーヴァントたちのために、指導を行っていた。その中でも特に担当する割合が多いのは、王様や反英雄などの気難しい連中だ。ケンはこういう相手の扱いに慣れているため、大きな騒ぎもなく進んでいた。

 

 

「せんせーい!こっち来てくださーい!!」

 

「はーい!今、向かいます……ね……。」

 

 

 ケンは呼ばれるままにテーブルへ向かっていったが、自分を呼んだ人物らを見ると凍り付いた。

 

 

「段蔵、大儀であった。中々便利じゃなボイチェン機能。」

 

「忍の任務にも、中々役に立ちました。なにせ、主殿は我々の声ならすぐに察しがつくでしょうから。」

 

「それで、のこのこやってきたわけでござるな。」

 

「み……みなさん……お久しぶりです……。」

 

 

 ケンが呼ばれたテーブルは、ぐだぐだ女性陣……別名、ケン被害者(脳破壊的な意味で)の会だ。全員一見和気あいあいと料理をしているように見えるが、よく見ると目が笑っていない。

 

 

「……さて、それではケン?その体中についたキスマークについて、説明してもらいましょうか?」

 

 

 感情が全くこもっていない笑顔というのは、ここまで恐ろしいものなのか。ケンはガタガタと震えながら、胃薬の申請を必ずしようと心に誓うのであった。




「アルトリア、中々筋がいいですわね!今度は帆をはりますわよ!準備なさい!」

「了解した。フッ、海の上というのも中々愉快なものだ。」

「そう言っていただけると嬉しいですわね。それに引き換え……」

「やだーーーー!!何でこんなに揺れるんだい船というものは!?地震知らずのアヴァロンを少しは見習ってくれ!」

「つべこべ言わずに働く!口よりも手を動かすんだよ!」

「ひーん!ケンの胸板が恋しいよーーー!!」

「……あれは多少揺られたほうがいい。何かの拍子にズレている部分がハマるかもしてん。」


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ぐだぐだ女性陣の話:ラッコ鍋

今回のサブタイトルで察した方も多いかもしれません。今回の話、かなりギャグに振り切っています。第六特異点でのシリアスとの温度差で風邪をひかれないよう、あったかくしておくことをお勧めします。

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「え、えーとですね……そ、それでは何をおつくりになりたいのですか……?」

 

「うーむそうじゃなあ……浮気者の活け造りとかならすぐに出来そうなんじゃがなあ。こう、切れ味のいい刃物で小間切れにするだけじゃし。」

 

「……そ、それを作る場合、自分ではらわた抜きますから……。も、もっとこう、私が教え甲斐がありそうなものとか……。」

 

「そうですねえ、ならたった一人で全身にキスマークを付ける手品の種とか教えてくれませんかねえ?今度沖田さんも皆さんの前で披露したいなーって。」

 

「……な、なんか想像したら気分悪くなったからやめてくれ。綺麗なままでいてくれ。」

 

「んっ……!!ま、まだです。私はちょっと、独占欲出されたくらいで陥落しませんからね。」

 

 

 威勢のいいことを言ってはいるが、頬は紅潮、口の端は歪んでいると、誰が見てもにやけ面が分かるほど嬉しそうにしている沖田。信長はそれを氷のような目で見たが、自分はそうはいかんとでも言いたげにケンに向き直る。

 

 

「まあワシの話をする前に……特別なゲストを呼んでおる。そやつに入ってきてもらうとするか。」

 

「特別な……ゲスト……?」

 

 

 訝しむケンとは対照的に、信長は真剣な面持ちでそのゲストの名を告げる。

 

 

「そう!日ノ本一の鬼殺しにして、雷霆操るインドラの化身!源頼光じゃ!」

 

 

 華々しいキャッチコピーと共に、平安の都の守護者にして、最高の武者。源頼光がその堂々たる姿を現す……はずだった。

 

 

「うああーーーっ!と、溶ける!とろける!!り、理性が……!!」

 

「ああ、いけません!いけません!!このような、このような愛らしい(わらべ)を前にしては、母は、母は!母はどうにかなってしまいます!!」

 

 

 ―――現れたのは、長く美しい黒髪を腰まで垂らした、見目麗しい女武者の頼光と、何故か彼女に抱えられながら頭を撫でられ、とろけた顔をしながら喚いている今川義元だ。その様はまるで……そう、実際に見たことはないが、かつて中国を滅ぼしかけた、阿片を吸った者のような……。

 

 

「あ~……忘れとった。そういやあいつ、清和源氏じゃったな。義元はある意味、頼光の子孫でもあるわけか……。」

 

「の、信長様。彼女は一体……?」

 

「こ奴は源頼光。大江山の酒吞童子やら、京の大蜘蛛やら、妖怪化生をぶった切りまくった武者よ。じゃがこ奴は、内なる母性を抑えきれぬという性を抱えておる。」

 

「ああ、なるほど。義元殿は清和源氏で、源氏の血を引いているから……。」

 

 

 合点がいったと深く頷くケンだったが、義元の方はそうもいかない。彼女……いや彼にとっては、生きるか死ぬかの瀬戸際であるのだから。

 

 

「ばっ……馬鹿たれこの!!貴様余のマスターだというのになんじゃその投げやりな態度は!!ヘルプミーマイマスター!!」

 

「まあ、まあまあまあ!いけませんよ芳菊丸。馬鹿たれなんて乱暴な言葉を使っては!母はあなたをそんな不良に育てた覚えはありませんよ?」

 

「あるわけないだろ育てられてないんだから!!」

 

 

 騒ぐ義元をひとまず脇に置き、ケンは信長に改めて尋ねる。

 

 

「それで信長様。いったい彼女を、何故ここにお呼びしたのですか?」

 

「ククク、それを話すのにここはよい場所とは言えぬなあ?場所を移す故、ついてまいれ!」

 

 

 突拍子のない信長のセリフだったが、いつもの事なので大人しく従うことにした。

 

 

「えちょ、嘘!?嘘だよねマイマスター!?余まさかの放置!?」

 

「大丈夫、大丈夫ですよ芳菊丸!母がきちんと、立派な侍に育ててあげますからね!」

 

「や、やめろぉ!!頭の中身が、かき、かき混ぜられられ……!!」

 

 

 ……ただの母性では説明のつかないナニカから、目を反らしながら。

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

「……な、なんか狭くないですか?窓もない場所で……。」

 

 

 その言葉通り、ケンたちが連れてこられたの部屋はなぜか窓もなくドアも一つだけ、照明も小さな明かりだけで薄暗く、6人が集まって料理をするには少し手狭に感じられた。

 

 

「いえいえ、こういう手狭なのが風情があっていいんじゃないですか。それにほら、囲炉裏ですよ囲炉裏!ケンさん懐かしいでしょう?」

 

「それはそうだが……。」

 

 

 沖田の言葉通り、部屋の中心には囲炉裏があり、木ぶたのされた鍋まである。ひょっとして、料理はもう終わっているのかもしれない。

 

 

「いいからいいから、こちらへどうぞ。ほらケン、何なら私の膝でもいいんですよ?」

 

「わ、わかりました……。」

 

 

 誘われるままに用意された座布団に座るケン。これから何が起こるのかはまったくの未知数だったが、ひとまずは言われた通りにするのがいいだろう。

 

 

「さて、それではワシの話であるが……ケン、お主はよくやっておる。」

 

「……え?」

 

 

 どんな叱責が来るかと身構えていたケンにとって、このセリフは予想外だった。拍子抜けしていると、それを見越したように信長が笑う。

 

 

「うはは、きょとんとした顔も愛いではないか。だが、そう意外なことでもあるまいよ。お主が立香をねぎらうため、色々と動いているのは知っておったからのう。」

 

「その心意気、誠にあっぱれ!で、あるが……お主とて功労者の一人であることには変わりなかろう。」

 

「……!」

 

 

 ケンの肩にポンと手を置き、信長は滔々と続ける。

 

 

「ワシらはな、それがどうにも面白くなかった。お主は常に働き通しで、報われることがない。戦働きを終えたかと思えば、次はすぐに戦勝祝いの準備とはのう。勤勉は美点じゃが、時には休むこともせねばならん。」

 

「まあつまりは、『いつもありがとう!』って気持ちを伝えたくて、こうして皆で準備したんですよ!」

 

「うむ。お主の料理には、いささか劣るであろうが……。」

 

「それでも一生懸命作ったので、どうか食べてくれませんか?」

 

 

 ケンを囲む、少女たちの笑顔。今度は間違いなく、喜びや感謝が伝わるものであった。それを受けて、ケンは涙をこらえながら言った。

 

 

「……劣る、などと……。私は、私は今まで、これほど嬉しく思った食事はありません。……是非に、いただきたい。」

 

「うむ!それでは火を入れるぞ!」

 

 

 信長の宣言とともに囲炉裏に火がつけられ、しばらくすれば鍋がぐつぐつと煮える音を立てながら、木ぶたを持ち上げかたかたと鳴る。ケンは一切手出しすることなく、信長や沖田が灰汁をすくったり汁が飛び跳ねるのに注意したりして、鍋を完成させる様子を見ていた。

 

 

「お?お?これ煮えたんじゃね?そろそろいけんじゃね?」

 

「そうですね、これなら……。」

 

「ってちょっと。ケンさんはただ、待ってるだけでいいんですよ。」

 

「……ふふ、すみません。」

 

 

 幸せ。そう、幸せだ。宴会の本番前に、こんなに幸せなことがあっていいのだろうかと思うほど、嬉しい。

 

 

「……よし、これなら大丈夫でござる。」

 

「主殿、完成です。さっそく食べましょう。段蔵は食えませぬが。」

 

「……ああ。いただきます。」

 

 

 たっぷりの白菜と人参、えのきにしらたき、水菜としいたけ、そして肉。とてもオーソドックスな寄せ鍋だが、ケンにとってはどんな高級料理よりも価値のある品だ。独特のにおいがするが、決して不快なものではない。一口一口、噛みしめるように味わっていると、六人で食べているからかすぐに空になってしまった。

 

 

「安心せい、もう一つあるぞ!」

 

「おお……!素晴らしいですね!」

 

 

 狭い部屋で鍋を煮ているため、皆自然と汗をかいてしまうが、そんなことを気にする者は誰もいない。再び鍋を煮ている時、異変が起こった。

 

 

(あ、あれ……。なんか、おかしいな……。)

 

 

 ケンはごしごしと目をこする。鍋を挟んで向かいに座る、沖田が妙に色っぽく見えたからだ。ケンは沖田のことを綺麗な女性だとは思っていたが、彼女を大切に思うのは見た目が理由ではない。最後まで戦い続けた彼女の生き様を美しいと思っていたはずだ。

 

 だというのに、なぜかしっかりと筋肉がついているはずなのにそれを感じさせない真っ白でむっちりとした太ももや、毛の一本汚れの一つない腋に目が行ってしまう。

 

 

「……どうしました、ケンさん?」

 

「い、いいや。何でもないんだ。」

 

 

(な、なんだこの気持ちは。俺が沖田に対して、こんなことを思うはずが……。)

 

 

「どうした、ケン……?」

 

「の、信長様……。」

 

 

 パァン、パァン!

 

 

「えっ……?」

 

「おっとぉ……ボタンがはじけ飛んでしまった……。」

 

「な、何故わざわざお胸を……?」

 

 

 なぜかいきなりスキル『魔王』を使い豊胸、自分の着ている軍服のボタンが耐えきれなくなってはじけ飛んだ。

 

 

「いやなに、少し暑くなってのう。はぁ~~暑い暑い……。」

 

 

 わざとらしく顔の辺りを手で仰ぐ信長。体の動きに合わせてふよんふよんと揺れるそれに、目が釘付けになる。

 

 

(い、いやおかしい!絶対におかしい!)

 

 

 ケンは確かに、信長を抱いたことがあるし、抱かれたことも何度もある。信長はケン以外の男を知らないので、実質的にケンは信長の夫と言えるだろう。だが、ケンは信長をそういう目で見ることは自制していたはずなのだ。

 

 理由は単純、やりすぎるから。信長は心を通わせるその行為がとても好きで、少しでも嬉しいことがあればケンを求め、少しでも気に障ることがあればケンを求めた。その結果が実子20人である。共に戦国の三傑と言われた秀吉の実子が4人、家康が16人であるため、ダントツで多い。そして何より、信長は女性である。つまり……これ以上は野暮であろう。

 

 

 

(た、確かにお会いするのは幾度の人生を超えた後だ……だが、だからといってすぐにサカるほど、俺は意志の弱い人間ではなかった!はずだ!)

 

 

 

 ケンの悶々とした思いを知ってか知らずか、信長が蠱惑的な笑みを浮かべる。よく見れば、彼女も暑さを感じているのかうっすらと汗が浮いている。その湿った肌を小さな明かりが照らして、まるで陶器のように照り輝いている。

 

 

「ふ、ふふふ……。ど、どうしたケン。もう限界か?」

 

「の、信長様……。」

 

「―――いいぞ。ワシは、いつでも……。」

 

 

 言いながら、軍服の下のインナーの首元をちらりと下げる。白く、美しい肌が見えて、ケンは花の匂いに誘われた虫のようにふらふらと近づいていき――――

 

 

「う、うぅ……。あ、頭がクラクラします……。」

 

「ッ!景虎様!!」

 

「……ちっ。」

 

 

 突然頭を抑えた景虎を見て、すぐにケンの意識は引き戻された。景虎の健康にはいつも気を配っていたが、いつ斃れるかわからない。そう思いながら彼女と過ごしてきたケンは、どうしても敏感に反応してしまうのだ。

 

 

「ケン……。一つ、お願いがあります。」

 

「は、はい!何でもおっしゃってください!」

 

「……胸元を、緩めてもらえませんか?締め付けられて、苦しいのです……。」

 

「胸元を……緩める……?」

 

 

 ケンが困惑するのも無理はない。なにせ今の景虎の胸元は、別にネクタイや鎧などで締め付けられているわけではないからだ。強いて言うなら、ぴっちりとしたインナーのようになっているため、それが締め付けの原因なのだろうか?

 

 

「そうです。こうやって……」

 

「!! い、いけません!!」

 

 

 言いながら景虎は端に指をかけると、少しずつ中心に向かってずらしていく。そうすると、当然、まろび出そうに……

 

 

「ああ、これ以上はきついですね……。力が、入りません。……ケン、お願いします。……脱がせて、もらえませんか?」

 

「そ、そんな、ことは……!」

 

 

 誤解のないよう言っておくが、ケンは景虎も何度も抱いている。というより、抱かれている。むしろ、襲われている。景虎も信長に負けず劣らず、そういう行為が大好きであった。これは決して好色という意味ではなく、行為を通して心が通じ合う感覚が大好きだったのである。その上、信長と違ってケンと会える期間は決まっている。必然、頻度や激しさは多くなる。

 

 その上、彼女の戦好きが悪い方向に働いてしまった。戦いとは、突き詰めれば相手を蹂躙することに行きつく。無論、景虎は戦うことそのものを好んでいたのだが、それは戦いの中にコミュニケーションを見出したからだ。攻めと守りの応酬、一瞬の駆け引き。そういったものに景虎は対話を見出していたのかもしれない。

 

 結果として、景虎は激しく自分から責めることを好むようになった。ケタ外れの体力と天性のセンスであっという間にケンを上回るようになり、いつもケンは腰砕けにされていた。

 

 

 だが、今はどうだ?自分を圧倒的に上回っていた相手が、自分の前でしおらしい姿をしている。これで昂らない男などいようはずもない。

 

 

「さあ、早く……。これはあくまで、医療行為ですからね。やましいことなんて、何もないんですから……。」

 

 

(……そうだ。これはただ単に、苦しんでいるお虎さんを助けるための行為だ。何も、やましいことなんてない。)

 

 

 そう思いながらケンはインナーの端と景虎の肌との間に指を滑り込ませる。

 

 

「んっ……。」

 

 

 くすぐったいのか、ぴくりと肌を跳ねさせて小さく声を漏らす。その声がなんというかとてもカワイくて、ケンの体の熱が更に増してしまう。その下にあるものなんて、もはや見慣れてしまっているはずだというのに。だというのに、ケンの渇望は留まるところを知らない。もはや、周りの他の女性なんてまったく気にもならなかった。

 

 

「う、嘘ですよねケンさん……?」

 

「ええい、早く誰かなんとかせんか!!」

 

 

 どこか遠いところで、何かの声が聞こえるような気がする。だが、そんなことどうでもいいだろう。ただ単に、目の前の女性を助けなければ……

 

 

 カタン!カラカラカラ……

 

 

「……おおっと。まさか、鍋蓋が跳ねるとは。しっかり見ておかなくてはならんでござるな。」

 

「そうですね。主殿、少し見ていただけませんか?景虎殿は拙者が。」

 

「あ、ああ……。そ、そうだな。料理人だものな。ではお虎さんを頼むぞ。」

 

 

 そう言いながらケンは段蔵と位置を交代し、鍋をのぞき込む。やはり独特のにおいはあるものの、鍋の様子はいい感じだ。だが、ケンは料理に集中する故に二つの事に気づかなかった。

 

 

 一つは、背中の後ろでは女の戦いが行われているということ。横たわる景虎の傍にやってきた段蔵に、景虎は冷たい視線を送る。とてもではないが、自分を看護してくれる相手に向けるものではない。

 

 

「……ちっ。やりますね。」

 

「ありがたきお言葉。ですが、勝負はここからにて。」

 

 

 もう一つは、自分たちを見つめる視線が存在するということ。この部屋もカルデアにある以上、監視カメラが存在する。だが、今日この日に限っては、カメラは単なるモニタールームに接続されてはいなかった。ではどこに?

 

 

 

 

「……今のプレイ、どう見るんだい解説のメイヴちゃん?」

 

「そうね、ほとんど勝負は景虎で決まりかけていたけど……忍が糸を使って鍋蓋をずらすことで、ケンの意識を逸らすことに成功したわ。景虎にとっては掴みかけた勝利が手からするりと抜けた感覚、これは悔しいでしょうね。」

 

「なるほどー。しかし、あくまで彼女たちは相手の勝ちを阻止しただけで、まったく勝利には近づいていないと思うのだけれど?」

 

「甘いわね。忍の二人は、この戦いにおいて最も難しい防御をマイナスなしに成し遂げたのよ。これは称賛に値するわ。」

 

「というと?」

 

「ぶっちゃけてしまえば、ケンを止めることなんて暴力に訴えるなり、権力を振りかざすなり、いくらでもやりようはあるわ。でもそれをしてしまえば、『病人の看護を邪魔してまでも我儘を言う』というとんでもないマイナスイメージが付きまとう。我儘な女になびく男はいないでしょう?」

 

「つまり、攻撃は最大の防御という事だね?何も妨害を受けなければ、そのまま攻め切ることが出来るし、逆に妨害を受けて阻止されてしまっても、相手を蹴落とすことが出来ると……。」

 

「そう。それをわかっているから、総司と信長は動けなかったわけよね。でも忍の二人はマイナスイメージを受けることなく、自然な流れで妨害を成し遂げた。素晴らしい仕込みと言わざるを得ないわ。そして上手いのが、ナチュラルにケンを鍋に誘導したことよ。」

 

「鍋……あーっなるほど!つまり彼に、更に濃厚な匂いをかがせることが出来たというわけだね!」

 

「イエス!あの、ラッコ鍋の匂いをね!ここから恐らく、勝負は加速するわよ!瞬き厳禁、しっかり見届けなさい!!」

 

「さらなる盛り上がりが予想される『絶対に風紀を乱してはいけないラッコ鍋』!実況席もまだまだ盛り上がっていこーう!!」

 

 

 

 

 ―――実況席である。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 そもそもこの催し……『絶対に風紀を乱してはいけないラッコ鍋』は、信長の発案で始まった。きっかけは、本当に些細なものだった。

 

 

 『マンネリ防止』。この一言に尽きる。ケンが忙しく働いている間、信長はいろいろな雑誌を読んで、夫婦円満の秘訣を学んでいた。その結果、『夜の行為がマンネリ気味だと上手くいかない』という金科玉条を学んでしまったのだ。

 

 

「うーむ、なるほどのう……。ワシは満足しとるが、いつもワシの方が先に潰されるからのう。ひょっとしたらケンの奴は満足しておらんのかもしれぬ。」

 

「というか、そうじゃなくても何度も同じことばかりでは飽きるやもなあ……。」

 

 

 その時、信長の頭に電流走る。最近沖田に勧められて読んだ漫画と、マンネリ防止。その二つが悪魔合体を起こしてしまったのだ。

 

 

「これじゃ! ……じゃが、一人ではつまらんな。奴らも巻き込むか……。」

 

 

 ぶつぶつと呟きながら、信長はルールを設定していく。頭の中によぎるのは、『狂気の沙汰ほど面白い……!』という台詞。やはり、人生にはスリルが必要だ。

 

 

 

 

 

「―――というわけで、集まってもらったわけじゃが。」

 

「まーた変な事考えたんですかノッブ。ケンさんは大宴会のために真面目に働いているというのに、ぐだぐだしてばっかりで……」

 

「まあ聞け。上手くやれば、修羅場なくかつ問答無用でケンとまぐわえる。」

 

「「「詳しく聞きましょう。」」」

 

「……せ、拙者は、別に興味ないでござる。」

 

「とかなんとか言いながら、しっかり聞き耳たてとるのは忍の性というものか……。うはは、愛い奴よのう。」

 

 

 そして信長が話したのは、狂気的とも思えるチキンレース。『絶対に風紀を乱してはいけないラッコ鍋』だったのである。




「小太郎、あなたの力を貸してくれませんか?」

「母上……!はい、僕の力の及ぶことであれば、いかようにも!」

「ありがとうございます。ではこの後、おそらくあなたに信長から依頼がくるでしょう。それを受けるのです。」

「織田公から……?それはいかような?」

「風声鶴唳を使えというものです。ですが、そこに私の頼みもそこにあります。心なさい、風魔小太郎。今こそ、親子の力を見せるときだと!」

「親子の、力……!!はっ!微力の限りを尽くします!!」


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ぐだぐだ女性陣の話 Part2:絶対に風紀を乱してはいけないラッコ鍋

えー……今回の話は相当ギャグに振り切ってますので、どうかお願いします。読むのやめないで!優しくして!もっと褒めて!!呼延灼のモノマネをしても隠し切れないほどひどい内容なので、どうか生暖かい目で見守ってやってください。

感想・評価・ここすきなどしていただけると励みになります!!


説明しよう!『絶対に風紀を乱してはいけないラッコ鍋』とは!信長が考案した、血で血を洗う女の戦いである!

 

 

「まあ、発端は沖田に借りた漫画だったんじゃけどネ?蝦夷を舞台にしたもんなんじゃが、中々興味深いものがあってのう。それがこの……」

 

「……ラッコ鍋、というわけですか。」

 

 

 ご存じない方に説明しておくと、古くより北海道で暮らしていた先住民族のアイヌの言い伝えには、『ラッコの肉を食べるときは必ず男女同数で食べなくてはならない』というものがある。なんでも、ラッコの肉には強力な催淫作用があり、一人だと気絶してしまうほどだというのだ。作中ではそれを知らなかった野郎どもが鍋を作って食べたところ、最終的に相撲をとることで発散したというシーンがあるのだが……。

 

 

「―――無論、ワシらは相撲如きでは発散できん。当然、ケンに襲い掛かることになるじゃろうな。」

 

「ちょっと待ちなさい、信長。貴方の言う修羅場のない方法というのは、ただ単に集団で襲い掛かって手籠めにすることなのですか?」

 

「否!普段の日常生活ならばともかく、夫婦の時間まで邪魔されたら流石のワシも魔王化不可避!!お主らとて、一対一を望んでおろうが?」

 

 

 そう言われて深く頷く面々。ああ、千代女だけはこくりと小さく頷いただけだ。

 

 

「じゃが、ケンの奴は無駄に意思が強いからのう。これまでも何度もモーションかけてきたが、全然なびかんもん。」

 

「確かに、沖田さんの同衾もガン無視でしたもんね。」

 

「いやお主は勝手に気絶したんじゃろ。」

 

 

 沖田の横槍に律義に突っ込みながら、信長は話を続ける。

 

 

「そこでこのラッコ鍋というわけよ。ケンの理性を融かし、誘惑に負けさせる。」

 

「やってることただの性犯罪者ですけど、それはいいんですかね……。」

 

「くくく、そういわれると思っておったからのう!ワシってば頭脳明晰系美少女戦国武将なわけじゃし、そこらへんは対策済みじゃ!」

 

 

 そこで源頼光を巻き込むことにより、この凌辱系漫画の竿役みたいな下衆な行為を、ゲームの範疇に落とし込むわけである。

 

 

「概要はこうじゃ。まず、ケンとわしらは部屋に入り、ラッコ鍋を調理して食す。ラッコ肉のせいで発情したケンは、ワシらの誘惑にめちゃんこ弱くなる。その結果、誰かの誘惑にのったならば、そいつに夜の権利を明け渡すというわけよ。」

 

「それだと、お虎さんあたりが力ずくでいっちゃいそうじゃないですか?」

 

「お主もうちょっとオブラートに包むとか出来んわけ?まあそれ防止の頼光よ。いくら景虎であっても、弱体化した状態で勝てる相手ではあるまい。それだけでなく、R18になる寸前のところで止めるストッパーの役割もある。この小説、一応全年齢じゃし。」

 

「なるほど……つまり、R18にならないギリギリのラインの誘惑を見極める必要があるわけですね。」

 

「うむ!ぶっちゃけケンにラッコ鍋を盛りたいけど、こうでもしないといざという時責任逃れ出来んからこういうリスクを背負ったとこある!まあ、ワシ以外を選ぶとか普通にあり得んけど!」

 

「ほーう……。言いますねノッブ。ですが、今度こそ私がいただきますからね。ケダモノになったケンさんに襲われ、美味しく頂かれてしまう沖田さん……。あっ、ダメです昇天しそう!」

 

「……まあこやつはいいとして。お主らはどうするんじゃ。ワシとしてはライバルが減って万々歳なんじゃが?」

 

「当然、参加しますよ。ケンは渡しません。」

 

「……お、お主らの手に渡っては一大事でござるからな。仕方なく、そう仕方なくでござる。」

 

「主殿を独占できる機会となれば、逃す手はありませぬ。」

 

 

 あっという間に決まったラッコ鍋パーティー。その情報を、改めてまとめておこう。

 

 

・ラッコ鍋で判断力が鈍った状態で、女性陣がケンを誘惑する。その誘惑にのってしまった場合、ケンと選ばれた女性は一夜を共に過ごす権利を得る。

 

・ただし、過剰に性的なアピールを行い、R18に足を突っ込んでしまうと、源頼光からのお仕置き。

 

 

 現在公開されている情報は以上である。ここから彼女たちが、どんな戦法を用いるのか?それらは、面白がって参加した彼女らに聞いてみよう。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「さあ始まりました『絶対に風紀を乱してはいけないラッコ鍋』!実況は私レオナルドダヴィンチ!解説は、ありとあらゆる恋を網羅した女、コノートの女王のメイヴちゃんにお願いしております!」

 

「よろしく。ぶっちゃけ私が参加したいくらいだけれど、まあ他の女のアプローチを見るのも面白そうよね。」

 

「それじゃあ選手の皆がゲートインするようだから、確認していこうか!」

 

 

 

『ほれこっちじゃケン、はよう入れ。』

 

「まずはこの催しの発案者にして、戦国の覇者!織田信長の登場だ!」

 

「彼女はケンと幼馴染と聞いているわ。長い時間を共に過ごしたからこそわかるツボを押さえたアピールに期待ね。」

 

 

 

 

『ケンさんは沖田さんの隣がいいですよね?え、そっち?そっちは真向いだからいいですね!』

 

「次にやってきたのは心と一緒に恋を知った人斬りモンスター!沖田総司だ!!」

 

「彼女はケンが初めて落とした女だそうね。男という生き物は、どんなに小さなトロフィーでも後生大事に抱えているもの。最初の女というアドバンテージ、活かしてほしいわね。」

 

 

 

 

『ケンは私の隣ですよね?ね?』

 

「か、彼女は!戦国時代最強の呼び声高い、長尾景虎がやってきた!!」

 

「普段の強者というイメージと、そこから来る小動物的なかわいさ。このギャップをどう活かすかよね。」

 

 

 

『拙者はどこでもいいでござる。それよりも、早く座れ。』

 

「まさか彼女が来てくれるとは!まさかまさかの未亡人属性!望月千代女の登場だ!!」

 

「日本には、一盗二婢三妾四妓五妻という言葉があるわ。これは男が女を抱く際に、興奮する順番に並べたもの。その中でも一位に据えられているのは盗……つまり、他人の女を寝取るのが一番興奮するというわけね。恥や外聞を、どこまで捨てられるのか……。ああん、私この娘が一番昂るかも!なんかちょっと、服にもシンパシー感じるし!」

 

「本人が聞いたらなんか怒りそうだね!」

 

 

 

『ワタシは主殿の膝に座りますので……冗談ですよ。』

 

「戦国の世にはこいつがいたぁッッ!生きる忍法帖ッッ!!加藤段蔵だぁッッ!!」

 

「彼女は要はロボットなんでしょ?基本的に人間の恋の相手は同じ人間、ロボットという持ち味をどう活かすのか、見物よね。」

 

 

 

 

「以上五名が、ケンとの夜の時間を争います!改めて実況はレオナルドダヴィンチ!解説はメイヴちゃん!そして最後に、このお方を紹介しておこう!」

 

「超カルデア級の風紀委員、源頼光!!今日は娘さんと一緒のご登場だ!」

 

「娘じゃないし子でもないわ!」

 

「よろしくお願いいたします。それで、私は何をすればよいのでしょうか?」

 

「アナタにはこれから行われることが、R18かどうかを判定してもらうわ。仮にアカンと思ったら、あの部屋に突入してね。」

 

「はぁ……。まあこれも、我が子立香のためですものね。母は、頑張りますからね!」

 

「いや絶対小娘関係ないだろこれ……。」

 

「それでは、早速モニタリングスタートだ!!」

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

「さあ、始まったラッコ鍋パーティーだけど……どうやらあまり動きは見られないようだね?」

 

「そうね。でも、孔子の言葉にこういうのがあるわ。戦いというものは、始まる前に既に勝負は決まっている、と……。つまり、ラッコ肉の催淫作用が働くまでの時間に、いかに準備を整えられるのか。これが大事になってくるわ。」

 

「なるほどー。おっと、ここで鍋の一つを空にしたようです!すぐさま次のラッコ鍋がグラウンドにスローイン!」

 

「なんでちょっとジョンカ○ラみたいにしゃべってんのこいつ。」

 

「ッ!見なさい!ケンの目が少しとろんとしてきたわ!これはどうやら、仕掛け時が来たようね!」

 

「さあ、始めに仕掛けていくのは、誰になるのかー!?」

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 ふ、ふふふ。降って湧いたこのチャンス、活かさないわけにはいきません!この中で未だ、沖田さんだけ未経験!それ故に警戒も薄いのでしょうが、この戦いにかける思いは誰にも負けませんからね!今こそ、誘惑のチャンス!

 

 

『おおっとー!?初めに仕掛けるのは、予想に反して沖田総司だ!あのうぶなMという新境地を切り開いたパイオニアが、この戦いでも一番槍!流石の斬りこみ隊長といったところか!』

 

『念のため言っておくと、この放送は彼女たちには聞こえていないわ。』

 

 

「ん……?」

 

 

 あっ、ケ、ケンさんが私の方を見て、目をゴシゴシ擦ってます!こ、こ、これはなにか、なにかしなくては!

 

 

『お、おお?タイトスカートの裾を摘まんで?」

 

 

 ち、ちらっ?

 

 

『……こ、これは?摘んでから、離したように見えるけど……?』

 

『……いいえダヴィンチ、よく見なさい。』

 

『ん~……お、おお!よく見ると3ミリほど裾が上がっている!いやでもこれ、ダヴィンチちゃんレベルの芸術家かメイヴちゃんレベルのビッ……恋愛巧者しか気づけないんじゃないかい?』

 

『甘い!とろけそうなほど甘いわダヴィンチ!気づくか気づかないかではないの。それより遥かに大事な意味を持つのは、沖田の顔よ。よく見てみなさい。』

 

 

 

 ―――は、恥ずかしい!!なんですかこれなんなんですか生前は全く太ももなんて見られても気にしなかったのになんならケンさんの目の前で着替えたこともあったのにていうかケンさんの目の前で生木替えとか何考えてるんですか私はああもう今すぐレイシフトして過去の沖田さんをぶんなぐって特異点修復したいです!!!

 

 

 

『か、顔が真っ赤になっている!これはひょっとして、彼女からしたら誘惑のつもりで……?』

 

『その通りよ。あまり上げすぎて風紀チェックにひっかかることを恐れたが故のチキンかと思ったけど……。これを見る限り、あれが全力ね。全力の誘惑があれだったのよ。』

 

『そ、そんな!それじゃ、この戦いでは圧倒的不利を迫られるんじゃ……。』

 

『それはないわね。その証拠に、見てごらんなさい。』

 

 

 

「……どうしました、ケンさん?」

 

「い、いやっ!!何でもないんだ……。」

 

 

 

 ……あ、あれ?なんか、想像以上に効いてませんか?ケンさん頬が紅潮して、沖田さんから目を反らして……え、い、意識!?意識されてますかひょっとして今!?

 

 

 

『お、おーっと!?予想に反して効果は抜群だ!何が要因なんですかメイヴちゃんさん!』

 

『あの娘は、誘惑において最も大事なものをわかっている……。それはズバリ“恥じらい”よ。』

 

『恥じらい……それはいったい?』

 

『女が男にアピールするところはたくさんあるわね。でも、それをたださらけ出すだけでは風紀チェックにもひっかかるし、何より芸がない。ガツガツいく女が癖ならいいけど、そうでなかった場合にはドン引きされて終わりよ。』

 

『でも、恥じらいがそれを解決する。もろ出しよりも大事なところだけ隠されていた方が興奮するのと同じ原理よね。』

 

『あくまで個人の感想だよ!』

 

『それに、これなら風紀チェックにもひっかからないわ。その証拠に、頼光は鯉口をカチャカチャならしているだけよ。』

 

『いや結構青筋浮いてない?今にも斬りかかりそうじゃない?』

 

 

 

 メイヴちゃんの解説の是非はともかく、ケンには効果抜群のようだ。お互いに顔を赤くして目を反らす様子は、まるで付き合いたてのカップルのようで初々しい。

 

 

 

『ああ^~いいねぇ^~~~。初心なカップルからしか摂取できない栄養があるよね!誰か赤ワイン持ってきて!』

 

『こいつ本当は中身おっさんなのではないか……?』

 

『ええい、じれったいわね!生娘ぶるのは別にいいけど、それで何かが解決するとでも思ってるの!?さっさと○○○しなさいよ!』

 

『こいつマジか!?』

 

 

 解説の仕事を放棄してしまったメイヴちゃんに驚愕しつつも、なんとか義元が後を受ける。

 

 

『え、えー……お、おお!次は信長の奴が仕掛けるようだぞ!』

 

 

 

 義元の言葉通り、信長が胸を強調するというわかりやすい色仕掛けに出たが、これは実況席にはあまりウケなかったようだ。

 

 

 

『うーん豊胸か~。私も出来なくはないけど、今が完璧なプロポーションなわけだしねえ。』

 

『今更体をいじくるなんて、自分の見た目にそんなに自信がないの?20人も産んでおいてそれはないわね。』

 

『え、でもあいつめっちゃ釣られておるぞ。』

 

『なんですって!?』

 

 

 

 その言葉通り、ケンの目はすっかり信長に釘付けだ。心なしか、息も荒くなっているような気がする。

 

 

 

『何よそれ!結局男なんて、胸が大きければ何でもいいわけ!?』

 

『人が酒や砂糖に抗えないのと同じように、男は胸には抗えないのかもしれないね。』

 

『聞こえてないのをいいことに言いたい放題だな。』

 

『頼光チェックも大丈夫そう!これはもう、信長公で決まりなのかー!?』

 

 

 

 否!魔王の歩む覇道には、常にこいつが立ちふさがる!!

 

 

「う、うぅ……あ、頭がクラクラします……。」

 

「ッ!景虎様!」

 

 

 

 

『いったーー!!越後の龍、堂々推参!!』

 

『いやちょっと待て、あの流れだと余のパターンだったろ!信長のライバルキャラっつったらさ!!』

 

『そんなことより見なさい、すごい攻勢よ!!恐ろしいのは、これが景虎が狙ったものではない可能性まであるという事!単に立ち眩みを起こして、単に胸元を緩めてほしいだけの可能性もあるッ!』

 

『そ、そんなことが可能なのかい!?』

 

『普通は不可能よ……。あまりにも、幸運な偶然が重なりすぎている。でもッッ!景虎なら、あるいは……ッッッ!!』

 

『まあ確かにあいつなら、垂直な壁くらいよじ登りそうよな。』

 

『ロシアの死刑囚はともかく、景虎君には“運は天にあり”という、戦闘においてあらゆる有利な判定を受けるスキルがある!これはまさか、恋愛にも有効だとでも言うのか!』

 

『もちろんそうよね!恋はいつでも戦争なのよ!!』

 

 

 

 そして、前回につながるわけである。

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

『では改めて、現在の状況をおさらいしておこうか!ターゲットのケンは、現在ラッコ鍋をかき混ぜてその匂いをたっぷり吸いこんでいるよ!』

 

『その匂いが体の火照りの原因とも知らずに、呑気なものよね!』

 

『悪役かこいつら。いやまあ、まぎれもなく悪趣味ではあるが……。』

 

 

 

 

 

「……よし。やっぱり、しっかり煮えていますよ。段蔵さん、お虎さんの方はどうですか?」

 

「もう大丈夫ですよ。心配おかけしました。」

 

 

 

 

 

 

『ここに来て、全員横一線といったところか。この戦いは完全に振り出しに戻ったとみていいのかな?』

 

『ん~、まだ何もしかけていない忍2名が気になるところよね。まったく自然に仕掛けられるもの。』

 

 

 

 

(……そう、怖いのはあの二人じゃ。)

 

 

 信長はちらりと横目に千代女と段蔵を見た。二人は特に大した動きはしていないはずだったのだが、そのうちの一人に視線が吸い込まれる。

 

 

(……にしても、あの忍の装束やっぱ頭おかしいじゃろ。ほんと、今すぐにでもしゃぶりつきたいほどに……!!?)

 

 

 

『おやあ?何故だか皆の視線が、千代女君に集中しているような……?』

 

『こ、これはまさか!』

 

 

 

 

(((ま、まさか……!!)))

 

 

 

 

(沖田さんたち、ラッコ鍋効きすぎて女性でもイケるようになってるーーーー!?)

 

 

 

 

『そういうことなのね!ラッコ鍋によって高まりすぎた性欲は、とうとう同性に牙をむくのね!!』

 

『誰が予想したかこの百合展開!こうなっては、ケン君の身が性的な意味だけでなく、物理的にも危なくなってきた!』

 

『百合に挟まる男は死罪と、甲州法度次第にも書いてあるからな。』

 

 

 

(まずいです……!沖田さんは、初めては必ずケンさんと決めているというのに!)

 

(このまま、このままにしておくわけにはいきません!)

 

((……。))

 

 

 

『露骨な焦りを見せる沖田君と景虎君!対して忍の二名はハニートラップはお手の物か、動揺は見て取れません!』

 

『そう、そこの二人はいい。でも、信長に動揺が見えないのが不穏ね。ひょっとして彼女、別にケンじゃなくてもいいのかしら?』

 

 

 

 

(いや……、信長に限って、ケン以外で満足するなんてことはありえない!)

 

 

(では、なぜ……!?)

 

 

「フ、フフフ……。ワシはぶっちゃけ、この状況を想定しておったという話よ。最初から、おかしいとは思わなかったのか?ワシがラッコ肉を手に入れたのなら、最初からケンに食わせておればよいと。」

 

 

「!!」

 

 

「ではなぜ、このような催しを開いたのか?答えは一つ、ワシがケンとしっぽりしておる最中に、百合プレイに興じるお主らを眺めて愉悦するためよ!」

 

 

「なっ……!」

 

 

『何だってえええええ!?』

 

『あっはははは!信長サイコー!いいこと思いつくじゃない!』

 

『……義元、ドン引き。』

 

 

「だっ、騙したんですねノッブ!!この鬼畜!」

 

「……じゃが、一つ誤算が生じた。」

 

「誤算……?」

 

 

 信長はケンの方をちらりと見た。今彼は、沖田を見たことによって生じた雑念を座禅によって必死に振り払おうとしている。小さな声なら聞こえないだろう。

 

 

「万が一にもラッコ鍋が効かないことがあってはならんと、風声鶴唳を風魔の小僧にかけさせたな?あれの弱体耐性ダウンを狙って。」

 

「……まさか、そこに不正が!」

 

「あったはず、じゃった……。」

 

 

 そう悲し気な瞳で呟く信長は、フッと小さく笑った。

 

 

「……ワシ、今めっちゃ盛っとる。なんなら沖田でもイケそうなほどに。」

 

「うわーーーッ!!ぜ、ぜぜぜったいダメですからね!百合乱暴反対!!」

 

「ほ、ほら、なんかもう、揚げ物が食いたい気分じゃけど時間かかりそうだからファストフードでいいかなみたいな……。」

 

「人の純潔ハンバーガー感覚で食い散らかそうと思ってんですかこの頭バーサーカー!!」

 

 

 じりじりと沖田ににじり寄る信長。必死に拒む沖田だったが、彼女自身もラッコ鍋のせいで正常な判断が出来ていない。なんかすっごいイケメンフェイスだし、もうこれでよくない?と思い始めていた。ケンも、初心者よりもある程度慣れてからのほうが嬉しいんじゃない?と独りよがりな理論を振りかざしかけた、その時――――

 

 

 

 

 

 二人の間の虚空に、一筋の稲光が駆け抜けた。

 

 

 

 

 

「―――今、ここから風紀の乱れる音がしました。御禁制ですよ?」

 

「は……」

 

「はい……。」

 

「わかればいいのです。それでは、皆で楽しく遊ぶのですよ?」

 

 

 

 何事もなかったかの如く、すたすたと部屋を立ち去る頼光。そのあまりの早業は、音すら置き去りにしたかの如く、とても静かに行われた。

 

 

 あまりの静けさに、座禅を組んでいたケンはまったく気づくことが出来なかったほどだ。沖田にしても信長にしても、一瞬にして頼光が目の前に現れたようにしか見えなかった。昂っていたはずの気分は一瞬にして冷め、冷静な思考を取り戻した。

 

 

 

 

『さ、それではどうぞ続けてください♡』

 

『……え、ええっと。これ媚とか売っといた方がいい奴?ま、ママ~~?』

 

『まあ、まあ!ええそうです、ママですよ義元!』

 

『この達したあとの冷めた感情をどう高めていくかというのが、連戦においては大事になるわよね。まあ私の体は一回程度じゃ味わいきれないほど至高だけど!』

 

『この流れでその話出来る君はやっぱりすごいなあ。』

 

 

 

 突然の頼光の襲来により、ラッコ鍋の部屋の勢力状況は完全に塗り替わった。目の前で彼女を見てしまった沖田と信長は強制的に賢者モードに突入し、畳の皺を数え始めている。これはしばらくしなくては戦闘に入ることは出来ないだろう。つまり、残りの三人に大きなチャンスが巡ってきたのだ。

 

 

 

(だ、だが……動けんでござる!)

 

 

 

 今の今まで、特に誘惑らしい誘惑を出来ていない千代女は、心の中で歯噛みした。いや、彼女自身は別にケンと自分が結ばれたいとかそういう気持ちでここに来たんじゃなくて、ただケンとは一歩一歩段階を踏みながら進んでいきたくて、わかりやすく言ってしまえば夫婦として歩んでいきたくて……と悶々と考え続けていたのがその主な要因だが、実はもう一つ、大きな理由がある。

 

 

 それは、彼女の衣装が破廉恥すぎて、頼光からの徹底マークを受けていたという事。最悪たまたまでも帯が下にズレてしまえば、首が飛ぶのではないかと思うほどのプレッシャー。この中で誘惑を行うというのは、並大抵の度胸ではない。

 

 

 

「主殿。そろそろ落ち着かれましたか。」

 

「……ああ、すまない段蔵。ようやく心が平静を取り戻した。」

 

「左様ですか。それでは少し心は痛みまするが、お目汚し、御免(ソーリー)。」

 

「それはどういう……!!」

 

 

 

 

 

 

『……バカな。ありえない。』

 

『……こんな、こんなことがあっていいというの?あの風紀委員の前で?』

 

『いきなり、脱いだ……!!』

 

 

 

「ばっっっ!!?な、なにやってんだお前は!?」

 

「何って……ただ、上の服を脱いで上半身をさらけ出しただけにござるが?」

 

「なんでなにも着てないんだばかあっ!」

 

 

 

(なっ……!!)

 

(なんじゃってーーー!?)

 

 

 

『こ、これは驚きだ!加藤段蔵、まさかのキャストオフ!あの風紀委員の行いを見て、なぜこんな暴挙に!!自殺行為としか言いようがない!!』

 

『……いいえ、よく見なさいダヴィンチ。目を逸らさずに、しっかりと。』

 

『そ、そんなこと言われても私は誰かの作品が粉々に粉砕されるというのは……おや?』

 

 

 そう、おかしいのだ。加藤段蔵が露出したというのに、()()()()()()()()

 

 

 

(なっ、何故!?何故頼光さんは動かないんですか!?)

 

 

(賄賂!?買収!?いや、奴に限ってそれはない!では一体、何故!?)

 

 

 

 風紀チェックに引っかからない段蔵や、いまだ手の内を見せない千代女。伏龍と化した景虎に、賢者モードの沖田と信長。彼女たちの戦いは、多くの謎を残したまま、最終局面に突入していくのであった。




「ふーっ、信長公の依頼でラッコ獲らされた時にはどうなることかと思ったでおじゃるが……なんとか納品出来て一安心ですなあ。拙者の船にあったらとんでもないことになりそうだし……」

「キャプテン!昼食の用意が出来ました!!」

「オウ!さーてさてさて、今日はマッシュポテト以外だといいなあ。」

「キャプテン、今日は珍しい動物の肉があったので、ケンに倣って鍋にしてみました。」

「ヘェ~~……って、ん?そ、その肉ってまさか……!!」


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ぐだぐだ女性陣の話:寵愛は誰の手に

遅くなって申し訳ありません。ちょっとワタツミにコーチ業をしに行っておりまして……。もうすぐ原神の新バージョンも来るしで、忙しい日が続きそうですね。

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 胸を完全に白日の下に晒すという、頼光がいなかったとしても危険すぎる暴挙に出た段蔵。ケンは顔を真っ赤にして顔を手で覆い、他の女性陣もあっけにとられていた。

 

 

「な、な、何をやってるんだ段蔵!!そんな、お前、ふ、服を!!」

 

「なかなか可愛らしい反応をしますね主殿……。段蔵も昂ってしまいます。」

 

 

 ケンのおかげで取り戻した心を存分に噛みしめる段蔵は、頬を紅潮させながらケンにぐいぐいと迫る。判断力の低下した頭で必死に拒むケンだったが、このままでは時間の問題だろう。

 

 

「ちょ、ちょっと待てい段蔵!いくら何でもお主、その恰好はまずいじゃろ!」

 

「お言葉ですが信長公。それを決めるのは風紀委員の頼光殿のはず。あのお方が何もおっしゃらないということは、ワタシの行為は正当なものなのでは?」

 

「ぬ、ぬうう……。生乳放り出しとるクセに……!!」

 

 

 歯ぎしりをして悔しがる信長だったが、その挙動は不審で、段蔵を直視することすら出来ない。もしあられもない裸体を見てしまえば、いくら同性相手といえども抗えないだろうという確信があったからだ。

 

 

「だ、ダメですよノッブ……!仮に目を開いてしまえば、沖田さんたちは歯止めが効かなくなる……!もしそうなれば、マジに丑王招雷くらいますよ!!」

 

「おのれ……!一体、どんなカラクリを……!!」

 

 

 暗転した視界の中、必死に頼光が動かない理由を探る信長。だがその答えは、目を開かなくては決して見つけられない。その証拠に、実況席ではあっという間に看破されたのだから。

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

『こ、これが……!』

 

『頼光が、動かなかった理由……!!』

 

『ねえこれ余見ない方がいい奴だと思って目閉じてるけどどうなってんの?なんでこの気狂……マ、ママは動かないわけ?』

 

 

 息を呑む女性陣に、頑なに目を瞑った義元が尋ねる。だが返ってきた答えは、あまりにも単純で、あまりにもくだらないものだった。

 

 

『だ……だってよ……!義元……!!』

 

『乳首が!!!』

 

 

 

 

 どん!!

 

 

 

 

『……は?』

 

 

 

 

 

 ―――その通りです。段蔵の体に、乳首はありませぬ。この胸部装甲は房中術のため、柔らかい素材を使ってはあります。しかし、ワタシの存在意義は風魔の忍術の保存。文字通り、生き字引でしかありません。故に子を産み、育てる機能など不要。そう断じられ、子を孕むための子宮も、乳を飲ませるための乳首も、ワタシには存在しないのです。

 

 ……それでもワタシは、それでいいと思っていました。いえ、それが当然だと思っていたのです。ただ単に、後進の忍に情報を伝えられる端末であればいい。子を産み、育てるなどワタシには無必要(ノーセンキュー)

 

 その考えは後に、あなたによって覆されたのです。

 

 

 

 ―――主殿。ワタシが初めて、愛した御方。このような余興の場というのが不満ではありますが、手段は選びません。なにせ段蔵は、女で忍ですので。

 

 

 

 

 

 

 

 

『おーっと、つるんてんの胸部の衝撃冷めやらぬまま、段蔵君が耳元に近づいていく!』

 

『あれはささやき戦術ね!早くマイクを近づけなさい!』

 

 

 

「―――主殿。もういいではありませんか。」

 

「な、何を……!」

 

「もう十分、我慢したでしょう?それに段蔵の方も、昂りすぎてもはや苦しいほどなのです。どうか、お慰みをいただけませんか?」

 

「い、意味を分かって言ってるのか?」

 

「ワタシは生娘ではありませぬ。というより、モテモテでした。それこそ、男の忍も女性を篭絡せねばならないときがありますから。そのための口説き方や房中術は、無論ワタシが練習台でしたから。」

 

「……!」

 

 

 

 

『こ、これはー!!他の男の存在を示唆している!』

 

『女の嫉妬は醜いというけれど、男だって嫉妬深い生き物よ!やりすぎてしまえば愛想をつかされるけど、適量ならば効果覿面の諸刃の剣!!』

 

 

 

 

 

「いいんですか主殿。ワタシを取られてしまいますよ。」

 

「……。」

 

「それとも、大勢いる女性のうちのひとりくらい、別の男に差し出してもいいと?」

 

「ッ!そんなわけないだろ!!」

 

「それでこそ主様。リアルにハーレムを顕現させた男です。」

 

「く……ただでさえ頭がクラクラするのに、これ以上悩み事を増やさないでくれ……。」

 

 

 頭を抑えて呻くケン。それを見て、今まで静観しっぱなしだった彼女たちが動き出す。

 

 

「!!大丈夫ですかケンさん!!」

 

「横になるんじゃ、今すぐに!!」

 

「景虎のここ、空いてますよ!!」

 

 

 

『ここぞとばかりに妨害に行く三人!必死過ぎてちょっと笑えてきたね!』

 

『ひどい実況を見た。』

 

『でも見なさいあのとろんとした顔を!これは勝負が決まりそうよ!』

 

 

 3人に介抱されるケンだったが、寝かされる前に手で制した。

 

 

「そ、その前に段蔵、これを……。」

 

 

 そう言いながら、ケンは自分の羽織を脱いで段蔵に渡す。それを受け取った段蔵が反射的にうなじのあたりに顔を埋めたのはひとまず無視をして、ケンは羽織の下着……襦袢姿のまま、なんとか話をする。

 

 

「俺は、お前のことが大事だから……。せめて、お前も同じくらいには……俺と同じくらいには、お前を大事にしてくれ。」

 

「……。」

 

 

 全員が静まりかえったのはケンの言葉に感動したからではない。ケンの体に目を奪われていたからだ。ラッコ肉の香りを逃がさないように狭く密閉された部屋の中で鍋を食べていたため、体は汗で濡れ、しっとりとしている。

 

 

 

 

(こ、この侍……スケベすぎる!!)

 

 

 

 じっとりとした視線を向ける沖田は、ケンが見ていないのをいいことに、襦袢の襟からちらちらと覗く鎖骨を舐めまわすように見ていた。もし頼光がいなければ、恥も外聞もなくむしゃぶりついていただろう。

 

 

 

「ど、どうじゃケン、胸元を開けて楽にした方がよいのではないか?べ、別に、ワシが脱がしたいから言ってるわけじゃないんじゃからね!!」

 

「ノッブ!?」

 

 

 

 首がちぎれるのではないかと思うほどの速度でノッブの方に振り向く沖田。こいつは何を考えているんだ、それで手を出してボコボコにされるのは私たちの方なのに……!!

 

 

 

「そう、ですね。暑くなってきましたから、少し失礼します。」

 

「……え?ま、マジ?」

 

「あなたがおっしゃったんじゃないですか。ふー、やれやれ……。」

 

 

 

 言いながら襦袢の帯を解こうとするケンだったが、力が入らないからか上手くいかない。

 

 

「……ええい、面倒だ。」

 

 

 帯を解くのは諦め、両方の襟を掴んで無理矢理横に開くことで脱ごうとするケン。ぐいっと両腕を開けば、鍛え上げられた胸筋も、鋼のような腹筋も、おしげもなく晒される。それを固唾を飲んで見守っていた女性陣たちは、まるでいけないことをしているような気分になり、さらに興奮を掻き立てられた。

 

 

「……ふう、だいぶ楽になりました。もっと早くこうすればよかった。」

 

「そ、そんなことされたらワシらの心臓持たないから。マジもんの謀反になっちゃうから。」

 

「そ、そんなに見苦しい体でしょうか。全盛期のものだから、かなりいい体をしてると思うのですが……。どうでしょうか、お虎さん?」

 

「へっ!?わ、私ですか!?」

 

「信長様は何故だか、お嫌いのようですので。あの頃より、ほら力こぶだってこんなに。」

 

 

 言いながら右腕にぐっと力が込もり、ケンの上腕二頭筋が隆起する。その山の谷間を、つうと一滴の汗が流れる。それが彼女たちが覚えている、最後の記憶となった。

 

 

 

 

 

 

 

『あっ……千代女君以外、全員ケン君に襲い掛かっちゃった……。』

 

『いやあの人斬り、周りをうろちょろしとるだけだが。』

 

『ああもう、そんなんじゃだめよ!見なさいあの3人を!ほとんど仕留めた獲物を食べる肉食獣の群れじゃない!』

 

 

 明らかに強姦としか思えない現場を見て、この人が動かないはずがない。

 

 

 

『丑王招雷―――』

 

 

 

 

「「「あっ―――。」」」

 

 

 

 

「天網恢恢!!」

 

 

 

 

 

 ――視界一面に映る紫の雷は、まるで夜桜のように。目を奪われた一瞬の後、信長たち4人の意識は、あっという間に刈り取られた。

 

 

 

 

 

「ふぅ……。御禁制です。ええ、御禁制ですとも!そこのあなた、けがはありませんか?」

 

「……。」

 

「おや、お眠りになっておられるご様子……。そこの忍の方、彼を医務室まで連れて行っていただけませんか?」

 

「しょ、承知!危ないところだったでござる……。

 

「何か、おっしゃいましたか?」

 

「い、いえ!それでは失礼するでござる!!」

 

 

 あっという間にケンを抱え、すぐに退散した千代女。部屋に残されたのはぐつぐつと煮立つ鍋、源頼光、そして4人分の天井に開いた穴。

 

 

「まったく、このように散らかしてしまって……。それに、お鍋もほったらかしではありませんか。仕方ありません、母が持って行っておくこととしましょう。」

 

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

 

『えー、それではあまりにもあっさりとした幕切れになってしまった“絶対に風紀を乱してはいけないラッコ鍋”!解説のメイヴちゃんさん、いかがだったかな?』

 

『まあ、そこそこは楽しめたわね。でもこれ、もう少しブラッシュアップできたんじゃないの?』

 

『ワードセンスがね……。私は万能の人とはいえ、もっとこう、淫靡な表現が出来るように勉強しておかなくては!』

 

『そうね!もっとぐっちょぐちょのどっろどろのR17.8くらいまでイケるようになっておきなさい!』

 

『それでは義元君にも聞いてみよう!どうだったかな?』

 

『信長が吹っ飛ばされた最後が気持ちよかった。』

 

『ありがとう!それではこれにて実況はおしまい!また次の機会があることを~~?』

 

『『待てしか!!』』

 

『……え、何その挨拶。余知らぬのだが。』

 

『待て、しかして希望せよの略だよ。今カルデアで最もホットな別れの挨拶なのさ。』

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくした後。ケンは、知らない天井で目を覚ました。自分はベッドで横になっているようだが、何故か四肢が固定されている。

 

 

「く、こ、ここは……?」

 

 

 自分はカルデアにいたはずだが、ひょっとしたら何者かの手に落ちたのかもしれない。さっきから妙に頭もクラクラするし、判断力が鈍っている感覚がある。急ぎ、この拘束から抜け出さなくては。

 

 

「くっ!この……!」

 

 

 体をバウンドさせてみたり、腕に力を込めてみたりするが、上手く力が入らない。このクラクラも同じ原因なのかもしれない。何かしらの、毒をかがされたり……。

 

 

「ケ、ケンさん落ち着いて!私だよ、立香だよ!わかる!?」

 

「ッ!マスター?」

 

 

 立香がベッドの上で暴れるケンの顔を覗き込み、宥めてくれた。その慌てた顔から見て、ナイチンゲールが現れることを危惧していたのだろう。

 

 

「も、申し訳ありませんマスター。ナイチンゲール女史には、私を売っていただければ……。」

 

「そうじゃなくて!ケンさん、急に倒れたって聞いたから。心配したんだよこれでも。」

 

「……申し訳ありません。」

 

 

 ケンはつい、情けないと思ってしまった。マスターに最高のお祝いをするはずが、こうして心配までかけてしまうなどと。 

 

 

「そ、それよりさ。羽織どこやっちゃったの?薄い襦袢ってやつしか着てないけど……。」

 

「ええっと……、そういえば、段蔵に譲ってやったような……。」

 

 

 ぶつぶつと呟きながら、少し前のことを思い出そうとするケン。しかし、頭の中にピンク色のもやがかかったように思い出せない。

 

 

「ううん……ダメです。やはり、上手く思い出せません。何か、こう、獣のようななにかが……?」

 

「ああ……そっか。」

 

 

 すべてに納得したように頷く立香。彼女はどうやら、訳知りのようだ。

 

 

「マスター、ひょっとして私に何があったかご存じなのですか?」

 

「え!?え、ええっと……その、知ってるっちゃ知ってるって言うか……。」

 

「――どうか、教えていただけませんか?先ほどから、体が火照って……」

 

「……。」

 

 

 息が荒いのは、暴れたせいに違いない。体が熱を持っているのもきっとそのせいだ。ケンはそう思っていたが、立香はごくりと唾を飲み込む。

 

 

「い、いや~~……ちょっとよく、わかんないかな……?」

 

「……そう、ですか。それではせめて、この拘束を外していただけませんか?」

 

「あっ、そ、そうだよね!拘束、を……。」

 

 

 すぐにバンドに手をかけた立香だったが、何故かその動きが止まってしまう。そんなにもきつい拘束なのだろうか。いや、動けないというよりも、動かないという風に見える。その証拠に、彼女の視線は拘束バンドの方に向けられていない。ちょうどケンと、見つめあうような態勢になっているのだから。

 

 

「……マスター?」

 

「……。」

 

「そ、その……そんな風に、見つめられてしまうと……。」

 

「……あっ!ごめん!す、すぐにやるから!!」

 

 

 だがやはり、サーヴァントを拘束するため頑丈に作られているのか、立香の力では難しいようだ。ケンは少しずつ頭がクリアになってきたため、自分で抜けることにした。信長から段蔵に、『ケンがあまりにも捕まったり拉致されたりが多いから教えとけ』という命令が下され、いくつかの脱出術を身に着けていたのだ。今回のようなケースに使える技も、いくつか存在している。

 

 

「マスター、少々お待ちください。今抜きますので……。」

 

「え、あ、抜けるの!?」

 

「そ、そうですよね。自分でできるなら最初からやれって話ですよね……。申し訳ありません。やはり、頭が混乱している。」

 

「い、いやいや心配しないで!全然気にしてないから!  ……ちょっと、残念な気も……。

 

「それでは……よっ……と。」

 

 

 忍の早業にて、ケンの両手はあっというまに拘束から抜け出した。自由になった手で両足の拘束も外し、ケンはようやく自由の身になった。何度か掌を開閉してみたり、手首をぐるぐると回してみたりして、異常がないことを確認した後、おもむろに立ち上がる。

 

 

「ふ、うぅ……、よし。マスター、ご心配おかけしました。もう大丈夫です。」

 

「よ、よかった。それじゃ……」

 

「ええ。それでは、仕事に戻ります。まだまだやらなくてはならないことがたくさ」

 

「うわーーーっ!!だ、ダメダメダメ!絶対、ダメだから!!」

 

「し、しかし。まだ仕事がたくさん残っていますので……。」

 

「令呪使うからねなんなら!!自分の部屋でもいいから、今日はゆっくり休んで!というか、私が連れてくから!ちゃんとケンさんの部屋につくまで、しっかり見張ってるからね!」

 

「わ、わかりました。……それでは、行きましょう。」

 

 

 その後のカルデアでは、薄着のしっとりした大男と、その前をまるで主人を守ろうとする犬の如く歩く少女が目撃されたらしい。その姿は人々の口に上がり、どちらが主かわからないと噂になったそうである。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 ケンさんの部屋のドアが閉まったのを見てから、私は背中を壁に預け、ズルズルとへたり込んだ。自分でもなんだかよくわからない感情に突き動かされて、ここまで来てしまったからだ。

 

 

「……もし。」

 

 

 もしケンさんの拘束が、自分じゃ絶対に解けないほどだったら……。私、どうしてたんだろ。

 

 

「……は!?ありえないありえない!絶対、ダメじゃんそんなこと!!」

 

 

 ひょっとしたら私まで、あのラッコ鍋にやられちゃったのかもしれない。うん、きっとそうだ。多分服とかに染みついた匂いにやられちゃったんだ。そうに違いない。

 

 

「そ、そうだよね……。うん、絶対そうだ……。」

 

 

 この体の火照りはきっと、ラッコ鍋のせい。そう思いながら私も、自分の部屋に戻ることにした。……ここにいたら、部屋に入りたくなってしまいそうだったから。




「あ、危なかったでござる……。忍でなければ拙者もラッコ鍋にやられていた……。」

「……。」

「……でも、ちょっとだけ羨ましいかもなあ。」

「私もあんな風に、グイグイ攻められたら……。」

「……ラッコ肉。名前だけ、覚えておこう。」


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Part21 カルデアで朝食を

すこぶる眠いですが、なんとか書き上げました……。楽しんでいただけると嬉しいです。

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 ラッコ鍋の惨劇から一夜明け、ケンはすっかり本調子を取り戻していた。だが、休んでばかりもいられない。なにせ今日は準備の最終日。マグロ漁に出ているブリテン勢を迎えに行った後、最後の仕上げをしなくてはならない。

 

 

「きっと頑張ってきたことだろうし、朝食を差し入れるとしよう。」

 

 

 独り言をつぶやきながら、ケンはブリテン……つまりはイギリスの朝食を用意し始めた。出来上がるころには、彼らも帰ってくるころだろう。ところでイギリスといえば食事がまずいという悪名をこれでもかと轟かせているイメージがあるが、実は朝食は豪華なことで有名なのだ。現に、イギリス以外の朝食が質素なのに対し、量と栄養という点で優れている。そのため、『イギリスで美味いものが食いたければ、朝食を3回食え』という言葉も残されている。もっとも、円卓の騎士たちの時代に、そんな文化はなかったが……。

 

 

「ポリッジ……ポーチドエッグ……ソーセージにキッパー、ケジャリ―……これくらいあればいいかな?」

 

 

 ここでケンが挙げた料理は全て、イギリスで頻繁に食される朝食のメニューだ。ポリッジとは要するに粥のことで、穀類を牛乳で炊くのが定番だ。ここに生クリームやバター、砂糖などを加えて食べるのだが、ブリテンでも頻繁に作ったメニューだ。もっとも、砂糖なんて高級品はホイホイ使えなかったが……。

 

 

「アルトリアは甘いものが大好きだったものなあ……。砂糖多めで。」

 

 

 イギリスの料理が不味いと言われるのは味付けが薄いためだとされている。このポリッジにしても、後から個々人が調味料で味付けして食べることが多い。まあ、中にはスターゲイジーパイのような、言い訳が出来ない品物もあるわけだが……。

 

 その上、円卓の騎士たちは、『食べて栄養になるのならそれでいい』というスタンスだったため、イギリス式そのままだと出されたものを口に運んで、お腹が膨れれば満足する。そんな風なので、ケンは常にこめかみに青筋を浮かべていた。

 

 

「キッパーはカルデアに既にあったし、ケジャリ―を作るだけでいい。インドの方々に沢山スパイスをとってきてもらって正解だった。」

 

 

 ケジャリ―とはカレー味のピラフのような料理で、イギリスで食べられるのは19世紀、インドがイギリス領になってからだ。もしここにラクシュミー・バーイーでもいたら激怒するかもしれないな……と考えつつ、クローブやターメリック、クミンなどを取り出す。

 

 

「……いい香りだ。これはきっと喜ばれる。」

 

 

 これを渡してくれたラーマ殿の困ったような笑みがつい思い起こされ、笑みがこぼれる。何でも、カルナ殿とアルジュナ殿がいつの間にかスパイスの収穫量で競争になり、大部分が吹き飛んでしまったそうだ。その後、アルジュナ殿の授かりの英雄としての力のおかげで、なんとかそれなりの量を確保できたらしい。マスターにどや顔を晒していたのはそういうことかと、ひどく合点がいったのを覚えている。

 

 

「バターで米の一粒一粒をコーティングするように……っと。」

 

 

 油が米を包むことにより、パラパラの食感になる。炒飯にしても同じ原理だ。

 

 

「おっと、忘れるところだった。海賊の皆さんにもお礼を用意しなくては。」

 

 

 漁などやったこともない彼らに教えるのは一苦労だっただろうし、酒に合うつまみの一つや二つ、差し入れても罰は当たらないだろう。そう思いながら魚のカルパッチョを作り、再び配膳用のワゴンに乗せる。シミュレーションルームに入れば、きっと彼らが疲れた顔で待っているはずだ。想像しつつ、ケンは扉のロックを解除し、中に入った。

 

 

「お疲れ様でした!朝食を用意していますから、よかったら…………?」

 

 

 シミュレーションルームに入ったケンが、困惑の声を漏らしたのも仕方のないことだ。帰還していた二艘の船とその乗員のサーヴァントたち。まともと言えるのはアルトリアとメアリー、アンくらいのもので、マーリンは床で潰れたカエルみたいになっている。まるで信長様のような……とつい考えてしまい、慌ててかき消す。

 

 

 だがさらにひどいのは黒髭の船の方だ。皆やけに元気がなく、そのくせ妙にスッキリした顔をしている。だが黒髭は、まるで真っ白な灰のようになってしまっている。アグラヴェインもひどいもので、アルトリアの目がなければ今すぐにでも喉を掻き切らんばかりだ。

 

 

「えっ……と……。これは一体、何が……?」

 

「……聞かないでください。」

 

「そ、そうか。ひ、ひとまず朝食を用意してあるから、よかったら食べてくれ。コ、コーヒーとか飲むか?」

 

「モーニング、コーヒー……。ハッ。ハハハハ……。」

 

 

 乾いた笑いのランスロットが気になるところだが、ひとまず放っておいた方がいい。ケンは大人の判断を下しつつ、マーリンのもとに近寄った。

 

 

「マーリン……?だ、大丈夫か?」

 

「……。」

 

 

 声をかけてもまるで反応がない。ケンは焦って肩を揺さぶるが、何かを呟くばかりで起きる気配がない。

 

 

「こ、これは……。ほんとに頑張ったんだな。俺は誇らしいぞ、マーリン。」

 

 

 ひとまずマーリンに羽織をかぶせつつ、ケンはアルトリアのもとに向かう。彼女はマーリンとは対照的に、かなり元気なようだ。

 

 

「アルトリア。漁はどうだった?」

 

「とても楽しかった。まっさらな大海原を駆け、マグロの群れを追いかけるのは胸が躍るな。」

 

「それは重畳。モードレッドは?」

 

「よく頑張っていた。流石私たちの娘だな。それに、奴も海の魅力に憑りつかれたようでな。今はサーフィンとやらにご執心だ。」

 

「そうか……。俺たちの娘というと語弊があるが、楽しそうで何よりだ。」

 

 

 どこかのビーチで、波を乗りこなすモードレッドの姿を想像し、ケンは微笑む。その傍らで静かに微笑むアルトリアは、まるで良妻の如き佇まいだ。

 

 

「……おっと、こんなことをしている場合じゃないんだ。朝食を用意したから、冷める前に食べてくれ。」

 

「何!?そういうことは先に言え!」

 

「言っておくが、ここにいる全員分だからな。お前ひとりの分ではないからな。」

 

「……ブリテンの王様でもか?」

 

「王様でもだ。」

 

 

 不満げに口をとがらせながらも、ケンの朝食の魅力には逆らえなかったらしい。そそくさと配膳ワゴンに向かったのを確認すると、ケンはおもむろにマーリンを背負った。このまま砂浜に寝かせておくのはどうかと思ったし、何より頑張った彼女を労いたかったからだ。

 

 シミュレーションルームを出て、カルデアの廊下を歩く。マーリンを自分の部屋で休ませるためだ。もしこいつが狸寝入りだったら……という可能性も考えないではなかったが、多少は好きにさせてやってもいいと思っていた。医務室に寝かせるのは怖かったからという事もあるが、それほどまでにマーリンの頑張りに感動していたからでもある。

 

 サーヴァントたちに与えられた個室は、基本的にマスターのそれと同じつくりをしている。自分の持ち物を置いたり、ある程度は改装することも許されてはいるものの、ケンは自分の部屋を特にいじることはなかった。ほとんど厨房かボイラー室横の部屋にいるため、ここには寝るくらいの用しかないためだ。

 

 そんな部屋だから、寝具として使っている布団も大して上等なものではない。カルデアで支給される、無地のスーツと毛布で寝ている。例え大したことのない寝具であっても、ケンの長い人生の中ではかなり上等な部類に入る。マーリンがどうなのかは知らないが、これしかないのだから我慢してもらおう。

 

 赤ん坊を扱うような慎重さでマーリンを仰向けに寝かせると、彼女のあまりにもあどけない寝顔が目に入る。初めて会ったときは何一つ苦労などしたことのないという余裕のある顔つきをしていたが、今こうして見ると少しばかり精悍さが増したような気がする。例えるなら、子供から大人に成長した、といったところだろうか。

 

 

「……いい女になったな。今はぐっすり休むといい。」

 

 

 さらりと目にかかる髪を耳にかけてやった後、ケンは部屋を後にするため踵を返す。次この部屋に帰ってくる頃には、きっとマーリンも目を覚ましていることだろう。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

「エミヤ殿。今日が最終日ですが、しっかり仕込みは出来ましたか?」

 

「ああ、問題ない。……だが、本当によかったのかね?我々も宴会に参加できるよう、交代制にしておくとは……。」

 

 

 エミヤの言葉通り、調理班は時間ごとに交代する当番制を取っている。バイキング形式で行われるため、足りなくなった料理はすぐに追加することが求められるが、それでも下ごしらえや作り置きを活用することで、何とか可能になったのだ。

 

 

「もちろんです。せっかく沢山のサーヴァントの方々が協力を申し出てくださったのですから、活用させていただかなくては。それに、これは私のためでもあります。……ええ、大変ですが何とかしましょう。」

 

「そ、そうか。あなたも何かと、気苦労が絶えないのだな。だがそういうことなら任せてくれ、先生!常に厨房に立っているわけではないとはいえ、全力を尽くすと誓おう!」

 

「感謝します。それでは、首尾よくいきましょう。」

 

 

 ケンは厨房を忙しく動き回る、エジソン&テスラfeat.バベッジの製作した調理ロボットを見る。本来なら人間と同じくらいのサイズで作るはずだったのだが、邪魔になるという理由でドブネズミ……失礼、チンチラサイズくらいのスケールだ。テーブルをチョロチョロと車輪で走り回り、調味料やスプーンを運ぶ様子はなんとも可愛らしい。

 

 

「これなら、時間的な問題は大丈夫でしょうか。それでは私は、余興組を見てきます。」

 

「ああ、よろしく頼む。……正直なところ、バーサーカー以外で彼らに言う事を聞かせる方法は先生位しかないからな。」 

 

 

 厨房をエミヤに預け、ケンは作家組の部屋に向かう。彼らはいつも締め切りギリギリまで追い込まれているということだったから、かなり心配していたのだが……。

 

 

「えっ!完成してるんですか!」

 

「驚くのも無理はないと思うけど、それが事実なんだ。現にほら、ここに原稿がある。」

 

 

 仕事あがり、ベッドで泥のように眠っている作家2人の代わりに、ヘンリー・ジキルが答えた。彼の手には分厚い紙の束が握られており、その言葉が嘘でないことを証明していた。

 

 

「おお……!正直、私が出会ってきた芸術家の方々も中々癖の強い方ばかりだったので、少し心配していたのですが……。」

 

「あ、あはは……。彼らも多分そういうタイプだけど、今回はかなりインスピレーションが湧いたそうだよ。君の体験談のおかげかな。」

 

「アンデルセン殿には“パンケーキにとにかく甘いものをぶちまけただけの三文恋愛小説”とボロカスに言われましたけどね。」

 

「……彼には少し、刺激が強かったのかもね。」

 

 

 何にせよ、完成しているのならそれで十分だ。念のためにアマデウスの方にも行ってみたが、マリー・アントワネットが一緒とあっては真面目にやらないわけがない。ちびっ子の劇の練習も中々順調そうだ。クッキーを持って行ったら、すっかり懐かれてしまった。

 

 

「まあ、おいしいわ!おいしいわ!」

 

「うん!わたしたちも、もっと食べたい!」

 

「それは良かった。ですが、晩御飯が食べられなくなるのであと一枚ずつですよ?」

 

 

 無垢な子供というのは、どうしてこうも癒されるのか。普段から獣のような視線を受け続けてきた男の、哀しい背中がその理由を物語っていた。

 

 

 その後もケンは、色々なところを見て回った。宴会の準備だけでなく、信長や沖田の様子を医務室へ見に行き、しばらくは目を覚まさないだろうと言われたり、そのついでに未だに医務室にいたクーフーリンやケルトのサーヴァントたちに話を聞いたりした。何の問題もないことを確認したケンは、明日の厨房(せんじょう)に備え、早めに寝付くことにした。

 

 

 ケンは自室の開閉スイッチを操作し、ドアを開けて中に入る。

 

 

「……ん、起きたか。よく眠れたか?」

 

「……まあね。めちゃくちゃきつかったんだぞう!!」

 

 

 ケンが置いて行った上着を羽織り、ぶーたれているマーリンがいた。かなり体格差があるので、ちょうど彼シャツのようになっている。そんな彼女に目を向け、刀を立てかけつつ、ケンは宥めるように言った。

 

 

「そう言うな。現にお前は、行く前よりずっといい顔つきになった。」

 

「……ふーん?君の好みかい?」

 

「……まあ、そうだな。今のお前の方が好きだ。」

 

「……ふーん?ふーん??」

 

「な、何だ。妙な奴だな。」

 

「べっつに~?ふふ、今の私の方が好きか~。」

 

 

 いきなり上機嫌になったマーリンを不審な目で見つつも、ケンはいそいそとタッパーを取り出した。

 

 

「マーリン、お前は食い損ねていただろう。お前のために用意した品があるから、食べられそうなら食べるといい。」

 

「えっ、ホント!?いやあ、実はずっと食べてみたかったんだ!」

 

「そこまで喜んでくれると俺も張り合いがある。それではこちら、『マグロと野菜のピリ辛和え』でございます。」

 

 

 ケンが差し出したタッパーを覗いてみれば、一口サイズにカットされたマグロと、パプリカや玉ねぎといった沢山の野菜がごろごろと見える。しかしどれも均一の大きさに切られており、味がしっかりついている。

 

 

「ん~……。中々食欲をそそる匂いだね!それじゃ早速……とと、テーブルが必要かな?」

 

「行儀は悪いが、布団の上で食べてもいいぞ。」

 

「ん、それじゃありがたく……。ん~~!口の中がホットな感じだけど、噛んだらしっかり野菜の甘味が出てくるね!ねえケン、今キスしたらどんな味するか気にならない?」

 

「味見はしてあるから別に。」

 

「ノリが悪いなあ……。ん、でも待てよ……。」

 

 

 料理に舌包みを打つマーリンの横顔を隣で眺めていたケンは、彼女の顔がにま~~と歪むのを見て、間違いなくろくでもないことを思いついたなとうんざりする。短い付き合いのはずだが、何故だか彼女のことはよくわかる。

 

 

「ちょっと失敬、マイ・フェイト!」

 

「何を……ん!?」

 

 

 いきなりマーリンがケンの両頬にふれ、熱烈な口づけを行ったのだ。自分で味付けをしたピリ辛が舌に伝わるが、ケンの舌をなぞるマーリンの柔らかな舌のどこからか、ほのかな甘みが感じられた。

 

 

「ぷぁっ……。ふふ、どうだいケン?ピリ辛の中から、私の味を見つけられたかい?」

 

「……何でお前、体まで花みたいなんだ。」

 

「わぁ、すごいすごい!やっぱり味覚が優れてるんだね!」

 

「……そりゃどうも。」

 

「ふふ、でもねマイ・フェイト?私だって、舌にはちょっと自信あるんだよ?例えば………」

 

 

 

 

 

「―――なぜか、君の舌から別の女の味がするよね?誰にされたのかな?」

 

 

 

 

 真正面からマーリンの顔を見るケンは、彼女の透き通るような桜色の瞳が、黒く黒く濁っていくのを確かに捉えた。いつの間にかケンの手首を掴む手にも力がこもり、指が食い込む。先ほどまで朗らかに笑っていたはずの表情もどこかへ消え去り、代わりに能面を張り付けたような薄っぺらな無表情のみになる。

 

 

「……知ってどうする?」

 

「そりゃあ、ちょっとお話するだけだよ?大丈夫、危ないことはしないからさ。」

 

 

 ケンはすぐに思考を巡らせる。マーリンの言う別の女というのは、間違いなくスカサハのことだ。あの後彼女の事を調べたが、本物の神様だったのだ。ここでもしマーリンに教えてしまえば、神と妖精の頂上戦争が起きる可能性すらある。マーリンが傷つくのは耐えられないし、スカサハは……少しだけ、夢見が悪い。そして何より、カルデアが危険にさらされる。

 

 

 

 ―――結論は出た。こいつをスカサハに会わせるわけにはいかない。

 

 

 

「……これは、俺とその女性の問題だ。お前の手を煩わせる必要はない。」

 

「ひどいじゃないかケン。私たちは夫婦なんだから、旦那様の問題は私が解決しないとね?」

 

 

 ……かなり重症だ。いつの間に俺たちは夫婦になったのだろうか。ひょっとすると、マグロ漁のストレスから現実逃避の術を覚えてしまったのかもしれない。

 

 

「そうか。なら、きちんと話をするとしよう。相手の名はスカサハ。……俺が、殺すべき相手だ。」

 

「スカサハ……。ああなるほど、そういうことか。」

 

 

 スカサハの名を聞いただけですべてに合点がいくあたり、マーリンが只者ではないことを思い知らされる。そして驚いたことに、スカサハと聞いただけで、マーリンはいつもの余裕たっぷりな雰囲気に戻る。

 

 

「なーんだ、心配して損した!彼女は恋とか愛とかから、最も遠い存在だからね!」

 

「そ、そこまで言うほどなのか。」

 

「なにせ、彼女は死の国の女王だからね!それじゃ、夜通しで添い寝囁きオプションの王の話をするとしようか!」

 

「いや悪いが、明日は宴会で忙しいんでな。今度聞かせてくれ。」

 

 

 けんもほろろ、取り付く島もないケンの冷たい態度に、マーリンはまるで熟年夫婦みたいだねとあくまでポジティブだが、添い寝は断らなかったのでいそいそと同じ布団に潜り込んだ。今日からここが私のアヴァロンってことにならないかなあと思いながら。

 

 次の朝目を覚ますと、ケンはすでにいなかった。それでもしっかり朝食を作って置いて行ってくれているのを見て、マーリンは朝からご機嫌な朝食を堪能することが出来たのだった。

 

 

 

 さあさ急げや急げ、準備を急げ!あと2時間も経ったなら、お祭り騒ぎの始まりだ!!




「はぁーーー!!さいっこうだったぜーーー!!」

「む、モードレッドか。その様子だと、サーフィンは楽しめたようだな。」

「ちっ、ちちち父上!?ふ、不肖モードレッド、ただいま帰還しました!!」

「そう固くなるな。思えばお前は、船の上でも私に話しかけてこなかったな。」

「は、はい……。オレ、オレは……。」

「……しばし暇を与えよう、モードレッド。お前がどうしたいのか、どうあるべきなのか。お前なりの答えを探し、再び我が前に立つがいい。これは聖杯を探すよりも困難な旅路だが……それでも、やり遂げて見せよ。」

「……!!ハッ!必ず、答えを探し出して見せます!!」


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Part22 ナンバーズ・アヴァロン

今回は宴会の始まりになりますが、うすあじです。次の話から力をいれて描写したいのでご勘弁をば。

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 早朝。誰よりも早く目を覚ましたケンは、最低限の身支度を行って厨房に向かう。綺麗に整頓された調理器具たちと、下ごしらえを終えてある食材たちも、今か今かと出番を待ちわびているように感じられた。宴会は午前9時から始まり、深夜の12時までの15時間続く。ロボットたちの作業に任せきりではなく、最低でも二人の調理班が厨房に残っていなければならないため、最低でも7時間半はここで戦うことになる。

 

 

「……む、おお先生か。流石だな、私もここに来るのは一番初めとの自負があったのだが。」

 

「言い出しっぺですから。」

 

 

 次にやってきたのは赤い弓兵、エミヤだ。彼はケンが来るまでの厨房の主とも言える存在で、高い調理技術とそれをも超えるほど高い意欲を、ケンは強く評価していた。

 

 

「改めて確認しておきますが、特に重要なのは正午です。この時間にマスターは召喚を行い、第六特異点でお世話になったサーヴァントの方々を連れてくることでしょう。」

 

「我々の担当する中での、大一番になるわけだな。各々の出身は日本、エジプト、中国、中東……。それに合わせたメニューを作るそうだが……。」

 

「エミヤ殿は米を使う料理を担当してもらうつもりです。三蔵ちゃんの精進料理と、ファラオ達への料理は私が作りましょう。」

 

「了解した。それでは、早速取り掛かるとしよう。」

 

「ええ。どうか、お覚悟を。ここからは、今までの比になりません……!!」

 

 

 ケンは気を引き締め、後ろ髪を紐で結びなおす。この感覚が、料理の始まりだ。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「味見!ソースを持ってこい!!」

 

「ベビーコーンのスライスは均等なサイズにしろ!!」

 

「肉は良く叩いて柔らかく!塩少なめのコショウ多めだ!」

 

「枝豆がゆであがったら潰してムースにしろ!春巻きの具に肉を入れるなよ!!」

 

 

 自分の分の調理をこなしながら、ケンは調理ロボットたちに次々に指示を飛ばす。少し離れたところでピラフを作っているエミヤは、その光景を憧れの視線でつい追ってしまう。

 

 

「報告!!ネロ・クラウディウス出現!!」

 

「!! すぐに向かうから、マグロに触るなよ!!」

 

 

 ケンはすぐに包丁をしまうと、調理服から接客用のウェイター服に着替えると、優雅さを損なわないギリギリのスピードでネロのもとへと急ぐ。純白のドレスと燃えるようなバラが目を引く彼女は、パーティーの喧噪の中でもすぐに見つけられた。

 

 

「ネロ陛下、ご機嫌麗しゅう。この宴席は、楽しんでおいでですか?」

 

「おお、ケンではないか!うむ、余はエンジョイしておる!」

 

「それはよかった。ですが、見たところお飲み物がないご様子。こちらに最高の葡萄酒をご用意させていただきました。“ワインの王様”バローロ。“ワインの女王”ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ。“イタリアの瞑想ワイン”アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラ。どれも素晴らしい品ばかりで、肴もこちらにご用意が。」

 

「どれ、では一口……。」

 

 

 ネロが真珠色の唇をグラスにつけ、ブルネッロを一息に飲む。その瞬間に溢れだす、力強さと華やかさ。そして何より、フルーティで包み込むような果実感。

 

 

「これは……!」

 

「―――うむ。(ローマ)である。」

 

「神祖!!」

 

 

 いつの間にか、ロムルスがネロの隣でグラスを煽っている。何も知らない蒙昧なる者が彼の言葉を聞けば、『ワインの感想がローマとは一体何事か』と思うかもしれない。だが、真に賢い者からすれば、これ以上に素晴らしい感想というのは作り得ないものである。

 

 

「……感服いたしました。私が選んだブルネッロ。それはまさしく浪漫の風。口の中を侵略するかのような重厚感。バラの花弁で雨を降らせるかの如き華やかさ。そして何より、全てを包み込む愛。」

 

「―――この葡萄酒は、ローマである。我らが築き、そして栄華を極めたローマ。その在り様を示したものである。」

 

 

 ネロは何故だか、自分の手の中にあるグラスが急に重くなったように感じた。だが、それも仕方のないことだ。このワインには、何千年もの重みがあるのだから。

 

 

「……ケン!やはり貴様、余の料理人に……」

 

「それ以上はいけません、ネロ陛下。愛とは情熱の風。ひとところに留まるものではありません。」

 

「そ、そんな……。」

 

「……ですが。季節が来れば、また風は吹きます。西の便りと共に、麦を揺らして帰ってきます。私もそれと同じです。あなたが望むのであれば、何度でも訪れましょう。」

 

「ほ、本当だな!?余は、余は寂しいのは好まぬぞ!」

 

「ええ。ですから、今だけはどうかご容赦を。」

 

「む、むうう……。わかった。余は物分かりのいい皇帝故な!」

 

「ありがとうございます。それでは、私は次の仕事が待っていますので。」

 

 

 こうして最難関のワガママ皇帝を突破したかに思えたケンだったが、お気づきだろうか?この男、問題を先送りにしただけなのである。料理に意味を持たせるのはケンの料理の真骨頂だが、そこから先は大抵ハッタリで乗り切っている。現に、選んだワインがイタリア……ひいてはローマを連想させることは想定していたが、ネロの料理人になるくだりは全てアドリブ、ハッタリの詐欺師の手段だ。……とはいえ、虎口を脱せるのなら贅沢は言っていられない。またすぐにやってくる気難しい王様のため、ふたたびケンは厨房に舞い戻った。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

 

 

「報告!!藤丸立香、召喚に成功!!まもなく、大一番なり!!」

 

 

 ふたたびけたたましく叫ぶ調理ロボット。いよいよ最も重要な出番が来たようだ。

 

 

「ッ、エミヤ殿!私はファラオの料理に移ります!まだいけますか!?」

 

「と、当然だ!まだ、まだやってみせるさ!!」

 

 

 そう言いながらも、彼の腕は既に震え始めている。おそらくは、限界が近いのだろう。ここまでおよそ6時間以上、戦い続けてきたのだから無理もない。

 

 

「あと少しです……!どうか、頑張って!!」

 

 

 ケンは励ましつつも、ファラオ達に出す料理に取り掛かる。既に何を作るかは決まっているため、後は思うがままに腕を振るえばいい。

 

 古代エジプトの料理は、壁画を読み取ることで現代にも伝わっている。それによれば平民はともかくとして、裕福な人々はかなり幅広い食事の選択肢があったことがわかっているのだ。穀類をはじめとして、タマネギやレタスなどの野菜、羊や豚、牛などの肉類、果てはブドウを栽培してワインをも作っていたという。

 

 ここまで多くの食材があれば、作れるものも多々ある。この材料からあの太陽王……オジマンディアスが求めるものを作ろうと考えれば、答えは少しずつ絞れてくる。

 

 

 玉ねぎとフライドオニオンをみじん切りにして、オリーブオイルで炒める。カッペリーニというパスタを加えて、そのまま炒め続ける。その間にフライドオニオンを作り、ひよこ豆も茹でる。これはかの大英雄の大好物のため、たっぷりと。茹で上がったひよこ豆を水につけた米に入れ、ブイヨンとスパイスと共に炊く。炊き込みご飯はエジプト料理の鉄板だ。

 

 

 だが、このままでは面白くない。もう一工夫が必要だ。

 

 

 ケンが取り出したのはラム肉だ。ジャックちゃんに解体してもらった馬鹿でかい肉の塊を、ひたすらに包丁でチョップしていく。機械ではなく手作業で行うことで、ミンチにした際の食感が良くなるのだ。出来上がったひき肉をボウルに入れると、多種にわたるスパイスを混ぜてしっかりと香りと味をつける。後はこれを細く成型して焼き上げれば、ペルシャ料理の大正義エース、キャバブ=ケバブの完成だ。

 

 

 これをコシャリの上に乗せ、上からトマトソースを回しかければ、エジプト料理と中東料理のツーマンセル『コシャリ・ケバブ』の完成だ。

 

 

 

「エミヤ殿!すぐに持って行きます!ほんの少しの間、厨房お任せします!!」

 

「承知した!任せてくれ!」

 

 

 

 すぐさま服を着替え、湯気を立てるコシャリ・ケバブをワゴンに乗せる。今頃召喚ルームから食堂へと移動しているころだろうから、すぐに行けば先回り出来るはずだ。彼らの喜ぶ顔を想像し、ついケンの頬もほころぶ。足取り軽く、ワゴンを転がすのであった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

 

「フハハハハハ!!よい!よいぞ料理人!!中々気の回せる男ではないか!!」

 

「おっ、こりゃうめぇ!ハハ、まさか戦いに召喚されたのに、いきなりこんな美味い飯が食えるとは思わなかったな!」

 

 

 すこぶる上機嫌の太陽王。つくづくアーラシュと一緒に召喚されてよかったものだ。

 

 

「すっごーい!これ精進料理なの!?もっとこう、もっと……!」

 

「この炒飯というのも、何という香ばしさか!よもやお米にこんな調理法があるとはな!マグロの握りも旨すぎる!!」

 

「果実!ああ果実!瑞々しい林檎はやはり最高だ!」

 

「……皆、こんなにも幸せそうに……。魔術師殿、感謝いたしますぞ。」

 

 

 皆それぞれ、好きな料理に舌鼓を打ち、幸せを嚙みしめている。呪腕のハサンにストレートに感謝を伝えられ、立香は思わず強く否定してしまう。

 

 

「い、いやいやいや!こんなの全部、ケンさんたちが頑張ってくれたおかげで……!」

 

「だとしてもです。サーヴァントたちが自発的に動き、思い思い楽しむことを許してくださっただけでも、貴女の度量が伺えようというもの。それに、静謐にしても……」

 

「……はい。私は、とても幸せです。」

 

 

 立香の背後に控え……いや、背中に張り付いている静謐のハサンは、まさしく天上に昇るかのようなとろけ顔で頷く。体の強毒のせいで人に触れれば殺してしまう彼女にとって、なんの気兼ねもなく触れられる立香は神か仏かと言ったところなのだろう。

 

 

「マスター。そろそろ、余興の始まる時間です。至高の芸術の数々、楽しんでこられては?」

 

「え、もうそんな時間!?私絶対人魚姫2観たかったんだ!」

 

「それでは召喚されたばかりの方々も、別室にご案内いたしましょう。すぐにボーイをよこしますので。」

 

「ボーイ?」

 

 

 立香の疑問には答えず、ケンはただ黙ってベルを鳴らす。するとどうだろう、すぐさまタキシードを着たランスロットが現れた。

 

 

「皆さま方、どうぞこちらへ。おや、素敵なマドモアゼルもいらっしゃるご様子。どうですか、この後お茶でも……んん!失礼。」

 

 

 ケンが鯉口を切って威嚇すると、ようやくランスロットが案内を始める。それを見届け、ケンもようやく脱力が出来た。

 

 

「……やれやれ、油断も隙もありませんね。少し目を離したら女性を口説いている。」

 

「ケンさん人の事言えないよ。」

 

「……と、とにかく!マスター、楽しんでおりますか?」

 

「それはもう!料理すっごい美味しいし、皆楽しそうだし!やっぱり賑やかなのが嬉しいよね!」

 

「それならば、私も頑張った甲斐があるというものです。ちょうどそろそろ上がりの時間ですし、私は戻ります。どうか、最後までお楽しみくださいね。」

 

 

 立香と別れ、ケンは厨房に戻る。最大の山場を乗り越えたことで、エミヤも力尽きてしまってはいたが、その顔は晴れやかだ。

 

 

「先生……。我々は、とうとうやり遂げたのだな。」

 

「……ええ。よく頑張りましたね。ここから我々は自由時間です。どうか、素晴らしい時間を過ごしてくださいね。」

 

「フッ……。私にとっては既にこの時間そのものが、夢物語のようだというのに。これ以上幸せになっては、何かの罰が当たるかもしれないな。」

 

 

 よろよろと立ち上がったエミヤを見送り、ケンもようやく着替えることが出来た。あまりにも着慣れた和服に身を包めば、仕事モードからは解放され、いつものケンに早変わりだ。

 

 

 厨房の裏……ダグアウトから出たケンは、これから何をしようかと考える。聞くところによると、信長様や沖田は夜まで強制入院ということで、お見舞いをしに行くのもいいかもしれない。というか、しに行っておかないと夜になって解放されてからが面倒だ。

 

 

 そう思い歩を進めるケンだったが、その足がはたと止まる。

 

 

「ケン、今からは暇なんだろう?少し私に付き合え。」

 

「アルトリア……。今から俺は、見舞いに行きたいのだが……。」

 

 

 なおもバニーのまま、アルトリアがケンの前に立ちふさがったからだ。ケンが同行を嫌がると、ぷくっと頬を膨らませて抗議する。

 

 

「奴らは私がいない間、お前とお愉しみだったそうだな。それなら今からのほんの少しの間でも、私に独占させようとは思わないのか。」

 

「……わかったよ。」

 

 

 ケンとて、第六特異点の負い目がないわけではない。途端に上機嫌になったアルトリアにがっちり腕を組まれながら、どこかに連れていかれるのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ここは……シェイクスピア殿の劇場?」

 

 

 アルトリアがケンを連れてきたのは、この時のために用意された真っ暗なミニシアターだ。収容できる人数はあまり多くはないが、それでも十分な施設だろう。もっとも、シェイクスピアが演出する、という条件がなければの話だが。

 

 

「そうだ。ここには、アダルティックな大人のデートをしに来た。……こんなに暗いんだ、たいていの事では気づかれないぞ?」

 

「やめておけ。せっかくの新作、楽しめなくては損だ。」

 

「……フッ。黙っていられるかな?」

 

 

 どういうことだ?と聞く前に、ケンは言葉を失った。ケンの右隣……つまり、アルトリアとは反対側の隣に、立香が座っていたからだ。

 

 

「……え、ケンさん?なんでここいるの?」

 

「いやそれが……アルトリアに誘われるまま……」

 

「おっと、そろそろ開演らしいぞ。ケン、静かにしておけ。」

 

 

 釈然としないまま、ケンは舞台に目を向ける。堂々と登場したナイスミドル、シェイクスピアが声を張り上げる。流石に素晴らしい声だ。

 

 

「皆々様、よくお越しくださいました!今日、ここに私の新作を公開し、皆さんの万雷の拍手を受けられるものと確信しております!!」

 

「お待たせした皆さまから、リンゴの芯が投げ込まれる前に!我が新作のモチーフをご紹介しましょう!これはブリテンの興亡の物語!かのアーサー王の、もっとも近くにいた人間の数奇な人生にございます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………は?」




「う、う~~~ん……強制入院、是非もなし……なわけないじゃろ!早く出せ!」

「ちょ、ちょっと騒がないでくださいよノッブ!またあの天使の皮被った悪魔が来ますよ!!」

「段蔵、私から逃げたあの術で逃げられないのですか?」

「……出来るなら、あなた方を見捨てて逃げていまする。」


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第一幕 運命に出会った日

さて、それではケンという男の話、ブリテン編の始まりです。滅びの確定した島で、彼は何を思い、何を為したのか―――。

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 開いた口が塞がらないといった様子のケンだったが、それも無理のないことだろう。なにせ、これからこの劇場で、あの書聖シェイクスピアの手によって、自分の人生を劇にしたものが上映されるというのだから。

 

 確かにシェイクスピアの協力の条件として、ケンは自分の人生を語る取材に付き合った。何度も何度も別人として生きたケンの体験は、作家にとっては垂涎ものかもしれない。だからといって、それをそのまま作品にするだろうか?

 

 

「どうしたケン。せっかくお前のために用意させた舞台だというのに。」

 

「……ま、まさかアルトリア。お前の仕業なのか?」

 

 

 ケンが震える声で尋ねれば、アルトリアは無言のどや顔で答える。よく見れば、シェイクスピアはこちらをちらちらと見ているようでもある。

 

 

「奴にロンゴミニアドを活用したブリテンズネゴシエーションを行ってな。快く了承してくれた。」

 

「それは要するに脅迫なんじゃないの……?」

 

「マスター、その、彼女はこういう、脳筋なところがありまして……。」

 

 

 昔からそうだった。一人の人間にしてはあまりに巨大すぎる力を持ったためか、彼女は敵軍との戦いにおいても、『私がエクスカリバーかませばよくないか?』と、単純すぎる力技で解決しようとするところがあった。もっとも、そのくらい適当な方が上手くいくことも多々あるのだが。

 

 

「それよりも舞台に目を戻せ。立香にしても、こいつのブリテンでの生き様は気になるだろう。」

 

「うーん、それはそうだけど……。」

 

「でも私がいる必要ありませんよねマスター?ちょっと、というかかなり、スレてたというかやさぐれてた時期なので、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……。」

 

「え~~~?マスター、ケンさんと一緒に観たいなあ~~~~~~?」

 

「……せ、せめてポップコーンとか」

 

「ほんの一瞬でもすべての観客の咀嚼音を止め、静寂を作り出すことが出来たならば、それは素晴らしい劇だということだ。心配せずとも、そんなものを食べている暇はないぞ。」

 

 

 あのアルトリアが、食べ物を拒否する―――。それほどまでに、この劇に対する思いは強いのだ。ケンはもはや何も言えず、おとなしく椅子に座るのだった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 物語の始まりは、かの男の物心のついた時から始めるべきでしょう。なにせ彼は、親の顔すら知らないみなしごであったのですから!

 

 普通の人間であったのならば、頼る者のいない心細さに、袖を涙で濡らしたでしょうが、男は少し違ったのです!ただ一言だけ、『今度はみなしごか』と呟いただけでした。彼の名前を、ここではケンといたしましょう!周りの村人の助けを借りながら、10と少しになったころ。ある噂話を聞いたのです。

 

 

「黄金に輝く選定の剣。それを抜いた者こそが、このブリテンを統べる王になるだろうと。」

 

 

 それを聞いたケンは、黙ってかばんに一切れのパンとナイフを詰め、村を出て行ったのです。育ててもらった村人たちに、感謝をつづった置手紙と、たくさんの銀貨だけを残して。

 

 

 

 

 さてさて、たどり着いたるは選定の剣、それが刺さった大岩のもと!黄金の剣を囲むのは、力自慢の男たち!雁首揃えて剣に挑むが、一ミリだって動かない!

 

 

 ではケンならばあるいはどうだ?普通ではないこの男、王たる資格はありやなしや?

 

 

「……うん、ここなら人もたくさんいる。さて、ひと稼ぎするとしよう。」

 

 

 ケンは石をならべて小さな窯を作り、そこにでこぼこだらけの鍋を置く。慎重に取り出した麦を鍋で煮て、そこに牛酪(バタ)をひとすくい。たちまち香るよい香り、人々の目鼻は釘付けに。

 

 

「さあさ皆さん、腹ごしらえはいかがでしょうか!今ならこちらのポリッジが、お値段たったの銀一枚!」

 

 

 

 

 

「……何ですかその顔はマスター。なんでそんなに不満げなんですか!」

 

「どうせならカリバーンやってみればよかったのに。意外とチキンなの?」

 

 

 口を尖らせる立香を他所に、舞台は粛々と続いている。

 

 

 

 

 王の資格は知らないが、商人の才はあるらしい。ケンの周りに人が集まり、あっという間に鍋はからっぽになってしまった。ケンは鞄に銀をしまうと、ふらふら市場へ歩いてく。材料の仕入れをしたならば、彼はすぐに戻って再び料理を作る。料理を作って人々に売り、暗くなったら宿に泊まる。

 

 そんなことを何度も何度も繰り返したケンは、すっかり顔の知れた存在になってしまった。カリバーンに挑み敵わなかった者たちも、ケンの料理を楽しみにすることで傷心と疲れた体を癒した。やがて、人の集まるカリバーンの周りで物を売れば儲かると気づいた商人たちが、敷物を並べて商売を始めた。あっという間に出来た臨時の市場のおかげで、ケンは一々歩く必要はなくなったが、それでもカリバーンを抜いた人間は現れない。

 

 

 何度も何度も日が昇り、それと同じだけ月が昇ったある日。一人の男が、こんなことを言い出した。

 

 

「おい見てみろ!カリバーンが、ほんの少しだけ抜けているぞ!」

 

 

 確かによく見てみれば、ほんの少しだけ刀身の見える部分が伸びている。ひょっとすると、あまりに多くの人々が挑戦したために、少しずつ少しずつ動いた分が、蓄積してこうなったのかもしれない。なにせ、ケンが来てから一年が経っていたのだから。

 

 人々は湧き立ち、更に多くの人々がカリバーンに挑んだ。そして同じ数の人々が落胆し、同じ数の人々がケンの料理を食べ、同じ数だけの銀貨がケンの鞄に入った。まったく羨ましいことで。

 

 

 

 今日も今日とて日が沈み、人々は皆帰路に就く。もしまだ人がいるのなら、そいつはきっと根無し草。帰る場所などどこにもない、あの月のようなぼっちでござい。

 

 

 

 ケンは、12になっていた。リンゴのように瑞々しい頬は実に健康的で、手足は子豚のようにふっくらとしている。ただ一つだけ、その瞳だけは、年相応のものではない。何千年の時を過ごした、化石のような虚ろな目だった。

 

 

 ケンは市場で買った、ほんの一杯か二杯程度の葡萄酒をあおる。革袋に入ったそれは決して上等なものではないし、風味も悪い。だがその口の中の不快さが、ケンの孤独を慰めてくれた。

 

 

「……もうここに来て2年になるのに、未だに王は現れない。選定の剣、カリバーン。これを抜いた者こそが、真なる統治者……つまり、アーサー王であるわけだ。」

 

 

 胡坐をかいていたケンは立ち上がると、カリバーンに近づいていく。月の光を受けるその剣は、今は黄金ではなく白銀の貌を見せている。

 

 

「……思えば、俺とお前はよく似ているな。お前もまた、仕えるべきご主人様に出会えないのだから。」

 

 

 突き立てられた剣に話しかける少年は、もし誰かに見られていれば、石を投げられ排斥されたかもしれない。だが、今その姿は月だけが知っている。少年は、構わず話し続ける。返ってくる言葉など、あるはずもないというのに。

 

 

「俺も同じだよ、カリバーン。信長様に仕えてから、どうしてもその影を追ってしまう。あの方がいない人生が、ひどく無意味に思えてしまう。愛してくださらぬともいい。冷遇されようともいい。ただお側において、こき使ってくださればそれでいい。」

 

「―――寂しい。ああ、寂しいな。老婆になってなお、凄烈な熱を持ったあの御方が恋しい。」

 

 

 一息に告げ、少年は再び葡萄酒をあおる。最後の一滴まで飲み干した彼は、ふらふらと赤ら顔でカリバーンにさらに近づく。ともすれば、触れてしまいそうなほどに。

 

 

「……ひょっとしたらお前も、俺のように脳をやられてしまったのかもしれないな。麻薬のような抗いがたい魅力を持つ王様に。なあ、カリバーン……。」

 

 

 呟きながら、少年はカリバーンのグリップに手を伸ばす。ほんの少しだけでも、ぬくもりが感じられないかと祈るように。そしてその指先が、カリバーンに触れた時――――。

 

 

 

「―――おっと、それに触るのはやめてくれないかな?私はNTRは趣味じゃなくてね。」

 

 

 

 ふわりと香る花の香り。ケンが驚いて振り向くと、この世の物とは思えないほど美しい男性がそこにはいた。ケンがその顔を見つめれば、男とは思えないほどの色気を放つ笑みを浮かべた。

 

 

 

「……あなたが、ブリテンの王になるお方ですか?」

 

「いやいや、私の名はマーリン。しがない花の魔術師のお兄さんさ!」

 

 

 

 マーリンのふわふわとした言葉を聞き、ケンは目の前の男が只者ではないことを理解した。ケンの乏しいアーサー王物語の知識の中で、マーリンというビッグネームには聞き覚えがあったからだ。

 

 

「そう、ですか。失礼しました、マーリン殿。確かにこの剣は王の持ち物、私程度が触れていいものではありませんでした。」

 

「うーん、そう恐縮されるとなんだかこっちが悪いような気がしてくるなあ。というか、カリバーンに触れてほしくないのは、君が王になってしまうからさ。カリバーンNTRじゃなくてブリテンNTRだね。」

 

「……ご冗談を。私に王の資質などありません。」

 

「私もそう思うけど、カリバーンはそうは思わないみたいでね。現にほら、少しずつ抜けてしまっているだろう?もし握ってしまえば、勝手に抜けてしまったかもしれないね。」

 

 

 確かに言葉の通り、カリバーンは触れられてもいないのに、上に引っ張られているかの如く動いている。あくまで緩慢としたその動きは、まるで物欲しげな視線を向けているかのように思われた。

 

 

「……だとしても、私は王になりたいわけではありません。ここに来たのは、私が仕えるにふさわしい王を待つため。カリバーンを抜いたそのお方を、誰より早く見極めるため。」

 

「ではもし仮に、君のお眼鏡にかなう者ではなかったらどうする?」

 

 

 マーリンの意地の悪い質問に、ケンは少し考えて告げた。

 

 

「……その時は、世を儚んで入水します。私が生きる意味もありませんので。」

 

 

 

 

 

「……そんなに、追い詰められてたんだ。」

 

「まあ、信長様に地獄の底までお供する覚悟でしたから。アルトリアに出会えていなければ、とっくの昔に湖の魚の餌でしたね。」

 

 

 

 

 

「そうかい。でも、おそらくはその必要はないはずだよ。今から一週間のうちに、とある人物がここを訪れる。その者はこの剣を、いともたやすく引き抜くだろう。そしてそれこそ、理想の王である証。君もきっと気に入るはずだ。」

 

「……そうであることを願いましょう。感謝します、マーリン殿。」

 

 

 再び瞬きをした時、マーリンは跡形もなく消えていた。まるで夏の夜の夢のように。だが、彼の言葉はケンの胸に宿り、生きる力をもたらした。あとほんの、一週間でいい。始まりにせよ、終わりにせよ、この喪失感は一週間のうちに消え失せる。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「この道をあと3日も進めば、例の選定の剣……カリバーンにたどり着く。そいつを抜けるかどうかで、ブリテンの王にふさわしいかどうかが決まるそうだ。……おい、聞いてるのかアルトリア?」

 

「……はっ!も、もちろん聞いてますよケイ兄さん!け、けけ決してご飯のことなんて考えてないんですからね!!」

 

「はぁ……。例え古城に棲むっつー龍だろうと、お前の食い意地を見たら悲鳴をあげて逃げ出すだろうよ。お願いだから食べないでくださーいってな。」

 

「なっ!?なんてこと言うんですか!それにただ、これはカリバーンのあるところに最近美味しいご飯屋さんが出来たっていう噂が流れてきたから……!」

 

 

 ぷんすかと憤慨するかわいいかわいい妹を無視しつつ、ケイは馬上からじっと道の先を見つめる。この先に選定の剣があり、アルトリアはそれを抜くのだろう。そうすれば彼女は王に―――すべてを救う、救世主になるのだろう。

 

 

 だが、それに何の意味がある?目の前の義妹は、普通の町娘となんら変わらない。食事の時間には目を輝かせ、こうしてからかってやれば面白いように反応する。笑って、泣いて、怒って……彼女は、普通の人間だ。

 

 

 だが王になれば、それらすべては失われる。人間の幸も不幸も全て失くして、彼女はブリテンを存続させる機構になり果てる。それがどうしても、ケイには納得がいかなかったのだ。

 

 

「……ケイ兄さん?まさか、道に迷ったのですか?」

 

 

 不意に、後ろから不安そうな声がかかる。そうだ、こんなところで悩んでいる暇はない。

 

 

「……まさかだろ。城で迷って、半泣きになって走り回ってたお前じゃあるまいし!」

 

「なーー!?そんな何年も前のこと、まだ持ち出すんですか!?」

 

 

 拳を振り上げて怒るアルトリアから、笑いながら馬で逃げるケイ。かなりのスピードだが、アルトリアなら追いつけるだろう。ああ、どうせならこのまま、逃げてしまおうか。運命すら追いつけないほど、どこか遠くまで走っていってしまおうか。

 

 

 出来るはずもない想像をしながら、ケイとアルトリアは疾駆する。駆ける馬の蹄の音は、まるで時を刻む針の音のよう。二人は刻一刻と、運命に近づくのであった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ―――その日のことを、私は生涯、忘れることはないでしょう。

 

 

 

 王になるという責務を、私はよく理解していなかった。ただ単に、カリバーンを抜かなくてはいけないから、抜きに行く……。ただそれだけだったのです。小さな子供が親に連れられて、よく知りもしない親戚にあいさつをするように。挨拶よりも、その後の食事を楽しみにしているのと同じだったのです。

 

 

 ですが、そこで、私は――――

 

 

 ―――もう一つの、運命に出会ったのです。

 

 

 

 

 選定の剣を抜き、力を入れすぎて尻餅をついてしまった私。それに手を差し伸べて、その黒髪の少年は言いました。

 

 

 

 

「―――どうか、お答え願います。」

 

 

「―――貴方が、私の主ですか?」






―――休憩中―――


「それにしても、ケンさんノッブに脳やられすぎじゃない?」

「それほどまでに魅力的な人物ということです。沖田は私の心に、信長様は私の脳にそれぞれ、消えない傷をつけていきました。」

「ほう、では私はどこだケン。」

「……胃とか?」

「よし今すぐその体に消えない傷を刻んでやろう。」

「わーっ!ストップストップ!」


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第二幕 悠久の時を越え

前回は沢山感想がついてとても嬉しかったし、パワーをもらえました!皆さんの応援のおかげで続けられているので、本当に感謝でいっぱいです!ありがとうございます!!

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 その日、少女は己の運命に出会い、ブリテンは大きな転換点を迎えた。まだ若きその王は、顔を真っ赤にしながら少年の手を掴んだのである。

 

 

「え、ええっと……ひ、ひとまずありがとうございます。お恥ずかしいところを……」

 

「……いいえ。この剣と、それに従う運命は、人の身には重すぎるものです。仕方のないことでしょう。」

 

 

 ケンが手に力を込め、アルトリアを立ち上がらせてやると、アルトリアは慌てるように手を離し、ケンの顔から目を反らす。

 

 

「……何か、失礼でもありましたでしょうか。」

 

「あっ、えっ、いっ、いえ!ただ単に、ちょ、ちょっと緊張してしまって……。」

 

 

 まるで生娘のような反応をしているアルトリアだったが、正真正銘の生娘である。立香はその姿と今のアルトリアがどうしても結びつかず、ケンの横顔ごしにバニーの彼女を眺めた。

 

 

「……おいお前。アルトリアに何してんだ。」

 

「あなたは……?」

 

 

 ケンが背中側からかけられた声に振り向くと、銀髪の飄々とした顔つきの男が、その顔を苦々し気に歪めながら、ケンのことを睨んでいた。

 

 

「こいつの義兄、名をケイ。んな事より、早速ナンパでもしてたってのか?」

 

「ちょ、ちょっとケイ兄さん!そんなわけないじゃないですか!」

 

「……まあ、ある意味ではそうです。私はこの方を口説きたいと思っています。」

 

「え!?そ、そんなほんとに!?」

 

 

 頭から湯気が上がっているのかと思うほど真っ赤になり、あたふたとするアルトリア。対照的にケイの顔はより不機嫌そうになり、今にも殴りかかりそうなほどだ。

 

 

「ちょうど今、仕込みを行っていたところです。もう少しお待ちいただければ、ご馳走出来るかと。」

 

「ご馳走!?ケイ兄さん、彼は間違いなくいい人ですよ!えっと、お名前は……」

 

「ケン、とお呼びください。あと少しで煮えますので、今しばらく……。」

 

 

 目を輝かせるアルトリアと、対照的に苦々し気なケイ。ケンと合わせて3人が覗きこむ鍋の中には、ぐつぐつとチーズの融けたポリッジが煮えている。

 

 

「うわあ、すっごい食欲をそそる匂い!こ、これ本当に食べていいんですか!?」

 

「ええ。……本当は、もっといろいろな料理を提供したいのですが。ここではこれが精々です。」

 

「そんな、こんなおいしそうな物作っておきながら!ほらケイ兄さん、早く頂きましょう!」

 

「はぁ、まったくお前は……。」

 

 

 不満たらたらといった様子で座り、ケンから器を受け取ったケイ。匙でひとすくいして、少し冷ましてから啜る。

 

 

「うおっ……旨……。」

 

「美味しいです!普段食べてるものより、すごく味が濃くて……!」

 

「それは良かったです。」

 

 

 すっかりカリバーンの事なんて忘れたしまったかのように、和気あいあいと食事が始まる。それを見かねたのか、あの男が姿を現した。

 

 

 

「……そろそろ、私の話を始めてもいいかな?なんか私のこと放って、すっかりお食事ムードだけど。」

 

「な、何だ!?誰だお前は!」

 

「ああ、マーリン殿。」

 

「……。」

 

 

 突如現れたマーリンに対し、驚愕して剣を抜こうとするケイ。あくまで平然として、泰然自若のケン。そして、ただひたすらにポリッジを口に詰め込むことに集中しているアルトリア。

 

 

「……いやあの、私が一番話をしたい人がご飯のことしか考えてない顔してるんだけど?流石にこれは予想外だったなあ。」

 

「よほどお腹が空いていたのでしょう。それほど多くは作っていませんから、そのうち食べ終わりますよ。」

 

 

 その言葉通り、やがて鍋は空になり、既に水で洗い終わった後のような、綺麗な姿を取り戻した。これはアルトリアが洗ってくれたわけではなく、一滴も残さぬようにと匙を振るいまくったからだ。

 

 

「ふぅ、ご馳走様でした……。ってあれ、マーリンではないですか。さっきぶりですね。」

 

「……何か、ホントに理想の王なのか不安になってきたなあ。」

 

 

 ぶつくさ言いながらも、マーリンは自分が王を補佐するために現れたことを語った。アルトリアがカリバーンを抜く前に声だけ届け、彼女に人ではなくなると忠告をしたことも。

 

 それを聞いて、ケイは当然のように激怒したが、アルトリアは平然としている。まるで、自分の運命をありのままに受け入れたかのようだ。

 

 

「だって、私はそういう風に生まれてきたんですよ?今更何を躊躇うことがあるんですか?」

 

「……お前……。」

 

「……詳しくお聞きしても?」

 

 

 ケンが尋ねると、許可も取らないうちにマーリンがべらべらとしゃべりだす。曰く、アルトリアは人の体に竜の心臓を……つまり、人の身でありながら竜の力を持った人間として作られ、ブリテンを治める理想の王としての宿命を持って生まれてきたのだと。

 

 

「……それで、貴女はよろしいのですか?」

 

「だから、そういう風に生まれたからそうするんですよ。私は別に、誰かの笑顔が守れるのならそれでいいかなあって。」

 

「……なるほど。」

 

 

 答えを聞いてにっこりと笑ったケンは、目にも止まらぬ早さで地面に置いてあったカリバーンを取ると、その切っ先をマーリンに向ける。その場にいた誰も、何の反応できなかった。ケイもアルトリアも、ケンの事をただ単に料理が上手い少年だと思っていたからだ。

 

 だが実際には、悠久の時を別人として生き、いくつもの鉄火場を生き抜いた男である。いくら修行を行ったとはいえ、まだ少年少女の二人の想像を超えるなど、造作もないことだ。

 

 

「―――マーリン。彼女のどこが、理想の王なんだ?」

 

「……怖い怖い、そんなに怒らないでおくれよ。君のお眼鏡には敵わなかったかな?」

 

「彼女は確かに、心優しい少女だ。だがそれ故に、為政者には向かない。人を疑うことを知らず、使命感もたっぷりだ。俺にとってはむしろ―――」

 

「―――詐欺師に騙されやすいタイプに見えるが?」

 

 

 

 

 目の前で繰り広げられる修羅場に、アルトリアはまるでついていけていなかった。ついさっきまでニコニコと笑っていた距離感の近い少年が、今はまったく感情を感じないお面のような顔でマーリンを睨み、そのマーリンもまた、表情を変えることなくニコニコと笑っているだけ。こんなわけのわからない状況に直面して、適切な行動を取れと言う方が無茶だというものだ。

 

 

 

 

「心外だなあ。私は間違いなく、彼女こそこのブリテンの王にふさわしいと思っているのに。」

 

「ならば話せ。お前の目的は何だ?」

 

「わかった、話すよ。話すから、その剣を下ろしてはくれないかな?」

 

「断る。答えによっては、この場でお前を斬らなくてはならない。」

 

「……斬れる、とでも?」

 

「人を斬るだけなら素人でも出来る。斬り得ぬを斬ってこそ、侍というもの。……こちらから問おう。()()()()()()?」

 

 

 

 

 相対するのは、どちらも人の道を外れし化物ども。ただ違うのは、それが先天的か後天的かという点一つのみ。心を知らぬ妖精もどきの魔術師と、心を知りながら外道に引きずり落とされた侍。

 

 

 ……先に折れたのは、魔術師の方だった。

 

 

「降参、降参!正直に話させてもらうよ。」

 

「疾く申せ。」

 

「はいはい……。簡単に言うとね、私はハッピーエンドが見たいんだ。」

 

 

 あっけらかんとした様子のまま、マーリンは説き始めた。彼は夢魔とのハーフであり、人間とは精神構造が違うこと。たまたまハッピーエンドが好きで、それをもたらしてくれそうな王様を作ることが彼の願いであるということ。

 

 そしてなにより、終わりに至るまでの過程で、何があっても気にしないということ。

 

 

「……つまり、素晴らしい結果にたどり着けるのなら、誰が傷つこうと、誰が死のうと構わないと。……まるでサイコパスだな。」

 

「まあ本質的にはそうだね。君たちとは違う、異物だから。酷い事とは思うけど、それを気にはしないよ。」

 

「ふ、ふざけんな!!てめえ、そんなことにアルトリアを巻き込もうとしてんのか!!」

 

 

 この台詞に激昂したのはケイだ。感情のまま殴りかかるが、その拳がマーリンを捉えることはなく、蜃気楼のようにマーリンを透過したケイは、躓いて地面に倒れてしまう。

 

 

「いやごめんね?これは幻術だから、私に触れることは出来ないんだ。まして、斬ることもね。」

 

「……だっ、黙れ!!選定の剣なんざ知ったことか、帰るぞアルトリア!!こんな奴の口車に乗って、王になんぞなる必要はない!!」

 

 

 倒れ伏してなお、義妹のために義憤するケイ。その姿をちらりと見て、ケンはカリバーンを鞘に納めた。そのままアルトリアのもとに歩み寄ると、片膝をついて剣の柄を差し出した。アルトリアはそれを見て、いよいよ何が何だかわからず混乱しているようだ。

 

 

「……え?えーっと……?」

 

「……これが、貴女の知るべき真実です。今、改めて聞かせていただきたい。()()()()()()()()()?」

 

「……。」

 

 

 未だに戸惑っている様子のアルトリア。ケンは続ける。

 

 

「貴女がもし王になりたくないのなら、その責は私が代わりに背負いましょう。カリバーンは、私を選んだのですから。」

 

「……!本当ですか?」

 

「事実だよ。まあ私としては不本意だけどね。」

 

「……ですが、私は所詮()()。この時代には存在しないもの。貴女が王になるのを望むのなら、それが最上の事でしょう。」

 

「故に問いたいのです。貴女が王になるのを望むのなら、それは何故ですか?」

 

「……それは、望まれ」

 

()()()()()()、というのはやめていただきたい。」

 

 

 ケンはアルトリアの言葉を強い語気で遮ると、強い言葉を使ったのを後ろめたく思っているのか、声のトーンを落として弁明する。

 

 

「……私が以前、仕えた主もそうであったのです。本人には何の野心もないのに、周囲から押し上げられ、いつの間にやら皇帝になってしまった方です。本人はただ単に、田舎でのんびりと暮らせればそれでいいと思っていたのに。―――もとはただの百姓、次が役人、山賊を経て皇帝。彼女は常に、苦しみ抜きました。強大過ぎる敵、周囲からの期待、自らの出自……。最後には、女性であることをも捨ててしまったのです。」

 

 

 

「―――故に、王になりたいと望むのならば、何のためかをここで決めていただきたい。貴女は、何故に王を目指すのですか?」

 

 

 

 ケンは目を開き、アルトリアをまっすぐと見つめた。彼女の目に、もはや迷いはなかった。

 

 

 

「―――私は、人々の笑顔を守りたい。皆が笑って暮らせることが、私の願いです。」

 

「……それは、あなたの願いなのですね?」

 

「そうです。私は請われたからではなく、私がそうしたいからするのです!」

 

 

 もはやそれは、少女の目ではなかった。民草を守り、愛する、王の目だった。

 

 

「……ならば、ゆめゆめお忘れなきよう。あなたはあなたの願いのために、この剣を抜き王になるのです。」

 

「―――はい。」

 

 

 アルトリアはケンの手からカリバーンを受け取り、改めて自分の腰に佩いた。マーリンは満足げに頷いているが、ケイは一度だけ、悔しそうに拳を地面にたたきつけた。

 

 

「改めて、貴女のお名前をお聞きしたい。」

 

「―――アルトリア・ペンドラゴン。」

 

「アルトリア・ペンドラゴン様。どうか私を、あなたの初めの臣下にしていただけませんか?料理と剣術しか出来ない男ですが、長い年月を生きております。数々の王を見てきたこの年の功、何かのお役に立つはずです。」

 

「こちらこそ、是非にお願いしたい!私について来てくれますか?」

 

「……はい。よろしくお願いいたします。」

 

 

 二人は改めて主従の誓いをし、アルトリアに初めての家臣が出来た。嬉しそうなアルトリアの姿を見ては、流石にケイもそれ以上文句は言えなかった。

 

 

「うんうん、これで皆丸く収まったね!いやぁ、よかったよかった!」

 

 

 ……だが相変わらず、空気の読めない者が一人。誰のせいでこんなことになっていると思っているのか。

 

 

「……マーリン。これからは、貴様も我が王に尽くすことだ。仮に王に、不義理をした暁には、俺が貴様を斬る。」

 

「いやあだからね?私は幻術を使えるから、目に見えてる私を斬ったところで意味はないんだよ。」

 

「言ったはずだ。斬り得ぬものを斬ってこそ、侍なのだと。ケイ殿、剣を借りる。」

 

「お、おぉ……。」

 

 

 ケイから剣を受け取ると、ただ何でもないように振り上げ、小さく詠唱を行う。

 

 

「外法だが、外道を斬るにはちょうどいい。加藤段蔵、許されよ。」

 

「―――妖術斬法・夕顔。」

 

 

 特殊な足さばき―――それと体重移動、功夫に見られる気という概念―――そして何より、複数回の人生を経たことによる研鑽。それがこの、純粋な超高速移動――『縮地』を生み出した。

 

 

 一瞬にしてマーリンとの距離を詰め、剣がマーリンの顔の傍をかすめる。だが、おかしいことが一つ。

 

 

 ―――マーリンの髪が一房、一瞬のうちに切断された。

 

 

「……嘘だろう?」

 

 

 驚愕に歪むマーリンの顔だったが、対照的にケンの顔は平然としている。それどころか、不満そうですらある。

 

 

「ちっ、やはり子供の体では、筋力が足りないか。」

 

「……だがまあ、男前が増したようだなマーリン。俺の言葉が嘘でないと分かったなら、王に尽くすことだ。でなければ、せっかくの男前の首が飛ぶ。」

 

「は、あははは……。これはとんでもない人が入ってきちゃったなあ……。」

 

 

 マーリンはケンを見て震えているが、このくらいやっておかなくてはいけない。いや、まだ足りないくらいである。アルトリアとケイに使った技について質問攻めにされながら、ケンは警戒を強めた。王に尽くすのならそれでよし、そうでないのなら懲らしめる。全てはただ、目の前の未熟な少女のために。

 

 

 

(……こんなことしてたら、あなたは浮気だと怒るでしょうか、信長様。)

 

 

(例え、怒鳴られようとも祟られようとも構いません。化けて出てくるとおっしゃるのであれば、それほど嬉しいことはありません。)

 

 

(それに、沖田……。お前の技に、少しでも近づけただろうか?段蔵は、外法を教えたことを後悔してはいないだろうか?)

 

 

(でも、そう……この、一生は。)

 

 

 

 

 

「―――我が王。」

 

「な、なんかくすぐったいですね。普通にアルトリア、でいいですよ。

 

「……そうですか。では、アルトリア。私の技も、力も、命でさえも。すべてあなたに捧げ、尽くすことを誓います。」

 

「ふぇ、え、あ、は、はい!そ、そうですよね、王様ですもんね!」

 

「……早めに慣れてくださいね。」

 

 

 相変わらず男に免疫のないアルトリアを心配しながらも、一行の旅は今ここに、始まりを告げたのだった。




―――休憩中―――

「どうだ、マスター。小さいころのケンは、魔性だろう?異性の友人なんてまったくいないころだというのに、思春期にこんな距離感の近い異性がいたら多少勘違いもしようというものだ。」

「うーん、一理あるかも……。この時から好きになっちゃってたの?」

「いいや、それはこの後のお楽しみだな。」

「そっか……。そういえば農民上がりの皇帝って誰なの?私あんまり歴史とか詳しくないから……。」

「……あの方々に関しては、正直なところ歴史の勉強とか意味がないと思いますよ。私も現代との齟齬にかなり驚きましたから。」


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第三幕 アルトリアの怒り

始めに言っておきますと、今回は多分ひどいです。ちょっと頭がおかしくなってたと思ってください。

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 アルトリアは選定の剣、カリバーンを引き抜き、ブリテンの王たる資格を示した。彼女は―――いや、あえて彼と呼ぼう。彼は、マーリンと義兄のケイを引き連れブリテンの各地を冒険し、多くの魔物を討伐し民の尊敬を集めた。その結果、ガヴェイン卿やベディウィエール卿といった素晴らしい騎士たちが彼のもとに集い、彼らを束ねた騎士王は、卑王ヴォ―ティガーンを打ち倒しブリテンを救った―――。

 

 これが、多くの人口に膾炙したアーサー王物語であろう。だが、その裏で王を支え続けたとある人物のことを知る者はあまりにも少ない。彼の者は、他のどんな騎士も真似できなかった技の冴えを持っていたという。彼の者は、魔法と見紛うような術で王の空腹を癒し、病に喘ぐ人々を救ったという。―――彼の者は、王の想い人であったという。

 

 その者が何故、歴史に名を残していないのか?それには、キリスト教とその教会が深く関わっているとされている。アーサー王はキリスト教の理想的君主と位置づけられており、清廉・公正・節制などと、キリスト教の教えによく合致していたため、彼には夢のような王であってもらう必要があった。それこそ、ギネヴィアという妻がありながら、別の男を想っていたなどという事実は不都合であったのだ。そのため、現存する資料には彼の者の記述は見られない。彼の者は、歴史にもみ消された存在だと言えるだろう。

 

 

 ―――おや、前置きが長くなってしまったね。それじゃ、続きも楽しんでくれたまえよ。

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

「……リア?アルトリア?聞いているかい?」

 

 

 こちらを覗き込むマーリンの声にはっと意識を引き戻され、慌てて頷いた。まもなく卑王・ヴォ―ティガーンとの決戦だというのに、こんなことでどうするのか。

 

 

「……申し訳ありません、マーリン。つい気が抜けてしまっていました。」

 

「また見惚れていたのかい?流石の私も、ちょっと妬いてしまうくらいお熱いね。」

 

 

 バレていた。目の前の人懐こい顔で笑っている魔術師には、自分がなぜ心ここにあらずだったのか、すっかりお見通しのようだ。頬が熱くなるのを感じつつも、つい彼の姿を目で追ってしまう。兵士たちに出陣食を振舞い、あれこれと世話を焼いている私の最初の臣下を。

 

 

「それにしても、わざわざこんな高いところから必死に姿を探すとはね。私はそのまま落ちてしまうのではないかと思った。」

 

「……うるさいですよ。今から鎧を着るのですから、早く出て行ってください。」

 

「はいはい。あっでも一人じゃ着れないだろう?従者は……まあ、彼しかいないか。」

 

「……と、当然です。急いでくださいね。」

 

 

 りょうか~いと気の抜けた返事をしながら、戸を開けて出ていくマーリン。まったく、気の抜けているのはどっちなのか。そう思いながら、私は再び窓から下を眺める。王として一人だけ城の中で戦支度をしているのだが、鎧は一人では纏うことも脱ぐことも出来ない。そのため全ての騎士には、騎士見習いの従者がつくのが普通だ。だが、アルトリアの場合は女性であることを知られてはいけないため、従者も慎重に選ぶ必要がある。

 

 

(―――そう、これはそのためだ。決して私欲のためなどではない。)

 

 

 ノックの音に返事をし、扉を開けながら。アルトリアは誰よりも待ち望んだ彼に、満面の笑みを以て応えるのだった。

 

 

 

 

 

 

「アーサー王。まもなく出立ですが、お加減はいかがでしょうか。」

 

 

 ケン。私の最初の臣下にして、この世でもっとも大切なあなた。出会った頃の可愛らしい容姿はどこかに消え、目の前にいるのは精悍な青年。無駄のない引き締まった体と、強い意志を秘めた瞳。まるで情熱の炎が燃え滾っているかのようなそれに少し見つめられただけで、私の体は熱に浮かされてしまう。

 

 

「そんな風に呼ばないでください。今は私とあなたしかいないのですから、どうか二人っきりの態度で。」

 

「……わかったよ、アル。」

 

 

 彼の声が私の鼓膜を震わせ、甘い電流となって全身を駆け巡る。やはり、あだ名で呼ばせる試みは正解だった。心の中での昏い喜びは胸に秘めたままに、本来の目的を告げる。

 

 

「それでいいのです。……では、鎧を着せてもらえますか?私の従者は、あなたしかいませんから。」

 

「ベティはどうした。彼も誠実で、従者には申し分ないと思うが。」

 

「……あ、あなた以外に触られたくないんです。」

 

 

 相変わらず彼はいじわるだ。私の想いに、もうとっくに気づいているはずなのに、まるで相手にしてくれない。それでいて他の女性に興味がある風でもないから、つい期待してしまう。

 

 

「……はいはい。それじゃ、さっさと着せていくぞ。」

 

「あっ……ひゃあ!?ど、どこ触ってるんですか!」

 

「……一向に変なところは触っていないが。誤解を招くようなことを言うんじゃない。」

 

 

 ちぇっ、失敗ですか。マーリンに教わった『痴漢冤罪』というこの技も、ケンにはまったく通用しなかった。

 

 

「でもまあ、安心した。大きな戦いの前に、不安になっているのではないかと思っていたから。そんな風にふざける余裕があるなら、大丈夫そうだな。」

 

「そりゃそうですよ。なんてったって、あなたに教わったんですから。『いざという時、思考のためには頭に空きがないといけない。だから人は心に余裕を持つべきで、そのためには笑うことだ』って。」

 

 

 彼にはいろいろなことを教わった。あの超高速移動の縮地とか、食べられる草の見分け方とか、王としての心構えとか。残念ながらどれも習得できたわけではないけれど、私の大切な宝物だ。

 

 

「それは重畳。俺の仕えた方々の事を、ほんの少しでも伝えられたなら満足だ。」

 

「いつもそう言ってますけど、そんなにすごい人たちだったんですか?」

 

 

 何気なく聞いた質問だったが、思いのほかケンは食いついてきた。よほどその話に飢えていたのだろう。

 

 

「もちろんだ。初めに俺を登用してくださった家茂様も、死ぬまで俺を傍に置いてくれた信長様も、どこまでも強く気高い景虎様も、決して折れることのなかった沛公も。全部全部、俺の誇りであり、一生の自慢だ。」

 

 

 そう嬉しそうに語るケンを見ていると、私もなんだか嬉しくなってしまう。この人が隣で笑ってくれていたら、どんなに嬉しいだろうかと。

 

 ―――だというのに。なぜか、ちくりと胸の奥に小さな針が刺さる。

 

 

「……ケン。」

 

「どうした?」

 

「私は……私は、そこに入れるでしょうか?」

 

「……どういうことだ?」

 

「あなたがそうやって、嬉しそうに語る王様たちの中に。私は、入れてもらえるのでしょうか。」

 

 

 私以外の王様を、嬉しそうに語る。それがどうしても、受け入れられなかった。確かに彼らの生き様は、思わず胸が躍るほどワクワクすることがあり、それでいて泣きたくなるほど哀しいこともある。そんな人たちのもとで生きていれば、それは素晴らしい人生なのだろう。

 

 では、今は?私という王のもとで生きる今は、その人たちに負けないくらいいいものなのだろうか?

 

 

「……そうだな。今はまだ、わからないかな。」

 

「……わからない?」

 

「俺はずっと自分の人生を、死ぬ時に評価してたんだ。だから、アルのことも死ぬ時まで評価するつもりはないよ。」

 

「……そ、そうですか。」

 

 

 死ぬ時まで。それってひょっとして、死ぬまで私の臣下でいてくれるということなのかもしれない。そんな私の悶々とした気持ちにまったく気づくこともなく、ケンは黙々と鎧を着せていく。革紐を結び、留め金を留め、アルトリアは着々と、勇ましい騎士の姿になっていく。

 

 

「きついところはないか?」

 

「問題ありません。後は籠手だけですね。」

 

 

 鎧を着るとどうしても動きが鈍ってしまうが、怪我をした方がよほど動きに支障がある。ヴォ―ティガーンに対して鎧がどれだけ意味があるかはわからないが、出来る限りの準備をしておかなくてはならない。

 

 

「……ヴォ―ティガーン。」

 

「確か、マーリンの奴が言ってたな。この世界で最強の生物である、ドラゴンになれると。」

 

「はい。私のエクスカリバー、それからマーリンに手渡された聖槍・ロンゴミニアド。二つの力をもってしてもなお、届くかどうか……。」

 

「……俺に襲い掛かったときに折れた、カリバーンの代わりの聖剣か。あいつもかわいそうな奴だった。」

 

「……そ、それは言わない約束じゃないですか!だいたいそれにしたって、いつまでも私の想いに答えてくれないあなたが悪いのであって―――!」

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

「いやいやいやちょっと待って?なんか聞き捨てならない台詞があったんだけど?」

 

「……何も、そこまで忠実にやらなくてもいいのに。」

 

「えほんとにあったの!?カリバーンって逆レ未遂で折れたの!?」

 

 

 驚愕する立香と、何故か頬を紅潮させて照れ顔になるアルトリア。言っておくが、笑いごとではない。シェイクスピアの名脚本と名演、それに素晴らしい演出により、なんだか報われない恋の果てに思いつめた男女のような、ある種の心中もののような物悲しい様相を呈しているが、やってることは最低である。

 

 

「騎士道に反する行いをすると、カリバーンは折れるのです。広く知られているのは、敵に背後から斬りかかったことですが、あんまりにもあんまりなので改変されたのでしょう。」

 

「……ひどい……ひどすぎる……。」

 

「私もカリバーンにはある種のシンパシーを感じていたのですが……せっかくのご主人様が、色ボケだったあれの気持ちを想うと……。」

 

「いやあ、すまないな。つい恋が暴走してしまってな。」

 

「……なんかちょっとマーリンに似てきたなお前。」

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

「……まあいいさ。カリバーンが折れたと聞いたときの、マーリンと湖の精霊とやらの唖然とした顔はちょっと面白かったし。」

 

 

 ケンの脳裏に思い起こされるのは、開いた口の塞がらないマーリンの顔だ。カリバーンが折れたと聞いた時は余裕たっぷりだったくせに、アルトリアからその原因を聞いた時は、『逆……え、レ……??』と語彙力を失っていた。いつでも余裕たっぷりという表情が崩れたあの瞬間は、ケンにとっては胸の空くものだった。

 

 もっとも、普通の男なら敬愛する上司に性的に襲われかけたらそれどころではないと思うが、ケンは別である。なんせ、慣れているからだ。……哀しい慣れだなと、その後には虚しさを覚えずにはいられなかったが。

 

 

「それに最強だかなんだか知らないが、恐れる必要はない。俺の生きた時代には、今よりずっと後……1500年後の時代だってあるが、そこにドラゴンなんて爪の一つも残っていない。対して人間はますます隆盛、まさに我が世の春が来たってな。」

 

「……。」

 

「個としては竜が最強なのかもしれないが、種としては人間が最強さ。何も恐れるものはない。」

 

「……それ別に、私に対する慰めになってはいないのでは?」

 

「……バレたか。」

 

「……ふふっ。」

 

 

 気まずそうに頬をかくケンに、思わず笑みがこぼれる。やっぱりこの人は、いつでも私に勇気を与えてくれる。

 

 

「まあ、さ。あれこれ言ったけどさ。つまりは、気楽に考えていいってことだ。別に負けてもいいんだ。生きて帰ってきてくれれば、それでいい。」

 

「しょ、正気ですか!?私たちが負けるという事は、人類が……!」

 

「負けても、生きてればいいさ。生きて帰ってくれば、もう一回チャンスが生まれるだろ?アルは負けず嫌いだから、泣きべそかいて帰ってくるだろうが、ご飯を作って待ってるよ。しっかり食べて、活力つけて、もう一回挑めばいい。」

 

「……。」

 

 

 負けてもいい。そう言われたのは初めてだった。今までカリバーンを引き抜いてからずっと、ヴォ―ティガーンを倒すことだけを考えて修行をしてきた。マーリンとケンのもと剣術を学び、たくさんの怪物たちと戦い経験を積んだ。全ての経験、全ての人生は、奴を倒すためにあるのだと思わされた。

 

 

 ……なんだか、心が軽くなった気がする。そっか。負けてもいいんだ。

 

 

「……さてと。それじゃ最後に、おまじないをしておこう。」

 

「おまじない?」

 

「ああ。手を出してくれ。」

 

 

 言われた通りに左手を出すと、ケンがすぐにその手をとった。男の人らしいごつごつとした指は、否応にでも私との違いを感じさせてドキッとした。相変わらずケンは私のことなんて気にしていないように、私の薬指を指でつまんだ。

 

 

 そのままケンは自分の長い髪の毛を一本抜くと、私の薬指にひと巻ふた巻して、血が止まらない程度に結び付けた。こういう細かな気遣いも、私の心をかき乱す一因だ。

 

 

「ケン……、これは?」

 

「『心中立て』という、俺の故郷の風習だ。遊女……つまりは娼婦が、愛する男のために、自分の体の一部を切り取って渡すことを言う。必ずまた、会いに来ることを約束させるためにな。」

 

「……。」

 

「最上級は指切りと言って、指を切り取って渡すそうだが、俺の指は刀や包丁を握らなきゃいけないんでな。髪で我慢してくれ。」

 

「……。」

 

 

 私はもう、何も言えなかった。目の前の男は、間違いなく自分のことを愛しているのだと思った。そうでなければおかしいとすら思えた。もはやブリテンがどうとか、ヴォ―ティガーンがどうとか、人類がどうとか、そんなことはどうでもよかった。そもそもこの世界は、母が良い子を産むために存在するはずだ。自分の血を残す事こそ、生物の本懐だったはずだ。

 

 

 そして同時に、ひどくムカついた。目の前にこんなに愛おしい人がいるのに、それを抱きしめることもできない。抱き寄せ、愛を囁き、褥を共にすることもできない。それも全て、ヴォ―ティガーンが悪い!あいつさえ、あいつさえいなければ!!

 

 

 然り!然り!然り!ヴォ―ティガーン、殺すべし!!

 

 

「ケン!籠手を持ちなさい!」

 

「―――!了解!」

 

「マーリン!今すぐに皆を集めよ!これより、出陣の時!!」

 

「よぉし、やる気だね!私も頑張ってサポートしよう!」

 

 

 アルトリアは激情のまま、城の塔から兵たちに姿を見せ、出立前の演説を行う。

 

「兵たちよ!!私は今、ここに宣言する!一刻も早く、かの悪逆を打ち倒す!全ての悲しみに終止符を打つ!当たり前のように笑い、当たり前のように食べ、当たり前のように子を為す!!そんな世界を、取り戻して見せる!!」

 

「オオーーーーーッ!!」

 

「吼えよ!吼えよ!怒りのままに叫ぶがいい!!我らから奪った、あまりに多いものを!!今こそ取り戻す時!!!」

 

「ウオオーーーーーーーーッ!!!」

 

 

 武器を振り上げ、兵士たちは激しく咆哮する。ヴォ―ティガーンとの戦いを前に、士気は最高潮に達していた。あの完璧に思えた王が、惜しむことなく激情を見せている。感情すら失ったかに思えた騎士王が、我らのために激怒している。その事実が兵たちの胸に火をつけ、勇気と誇りを与えたのだ。

 

 

「あれこそが、我が王……!!なんと、なんと誇らしい。」

 

 

 ガヴェインは静かに涙を流した。民たちのために本気で怒る王に、心の底から忠誠を誓ったためだ。

 

 

「私も、敗けていられません。絶対に、ここは守護して見せます!!」

 

 

 騎士王が留守の間、サクソン人からの防衛を任された守将のベディヴィエールは、決意を新たにした。ほんの足跡ひとつ、血の一滴でさえも、このブリテンを汚させはしないと。

 

 

「成長したな……。アルトリア……。」

 

 

 小さいころから見続けてきたアルトリアの勇姿に、ケンも涙をこらえきれなかった。自らの過酷な運命に怒り、それでいて逃げずに立ち向かう。例え贔屓目が入っていたとしても、今のアルトリアはケンにとって理想の王と言えた。

 

 

 そうしてアルトリア率いるヴォ―ティガーン討伐隊は、勇ましく進軍していき、大きな戦果を持って帰ってくることになる。ケンはそれを信じていたからこそ、今できる全ての贅を尽くした豪華なご馳走を用意して待っていた。今はまだ、自分が一番のご馳走であることを知らないままに―――。




「ウソでしょ……。この人、性欲で兵士まとめてる……。性欲でヴォ―ティガーン倒してる……。」

「……い、いやいや。これは私も初耳なんですけど。あの時のアルトリアめっちゃかっこよかったなあと思いながら見てたんですけど。」

「フッ。ヴォ―ティガーンは人類を滅ぼすことでブリテンを守ろうとした後ろ向きの力だ。それに対し私は、未来へ繋ぐという前向きの力だ。最後の最後、本当の力を発揮するのは、前向きな方に決まっているさ。」

「……こ、ここまで堂々と言われるとそんな気がしてきた!愛の力と言えなくもないよきっと!」


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第四幕 命に値札をつけなさい

最近ドルフィンウェーブのえっちな小説を書き始めましたが、これに比べてまったく進まないんですよね。えっちな小説の難しさというのをひしひしと感じていますが、いつの日か、この小説につながると信じて……。

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 アルトリア率いるヴォ―ティガーン討伐隊が旅立った後、ケンは宴会を用意するため忙しく働いていた。アルトリアたちが勝利して帰ってきたならば戦勝の祝いを、敗北して撤退してくるのならば慰労と次の戦いに向けての英気を養うためだ。

 

 

(……とはいえ、やることはほとんどない。全く嬉しくない暇だな。)

 

 

 ケンの頭を悩ませたのは、ブリテンの食糧事情だ。土地が寒冷で乾燥しているため、作物の量がそもそも少ない上、食材の種類も少ない。じゃがいもやとうもろこしのような、主食に成り得る作物はもちろん、人参も大根も牛蒡も白菜もない。ある野菜と言えば、辛みの強い玉葱くらいのものだ。

 

 加えて、調味料の類もほとんどない。スパイスと呼ばれるものたちはインドの方が原産だし、コショウにしたってそうだ。ここで使えるものは塩くらいしかないし、甘味が欲しかったら砂糖も使えないので蜂蜜を使うほかない。それも修道院に交渉せねばならないため、一年中手に入るわけではない。

 

 

「料理長!肉焼き、始めます!」

 

「よし、頼んだぞ!」

 

 

 ケンに声をかけてきたのは、かまどの前に立つ二名の料理人だ。二人の前には串にささった巨大な肉の塊が火の上で炙られている。皆さんにわかりやすく説明すれば、モンハンのあれである。

 

 

 

 

 

「それでいいのか巨匠。」

 

「締め切りが迫っていると、細かい描写とかめんどくさくなるんですよね。書きたくて書いてるはずなのに不思議ですよねえ。」

 

 

 

 

 『焼けば焼くほど、煮れば煮るほど美味しくなると思っている』と言われるイギリス人相手に、ちょうどいい焼き加減というものを教え込むのには苦労したが、何とか納得させた。焼いている羊肉は今朝屠殺した新鮮なものだが、念のためしっかりと火を通しておく。正直、アルトリアの胃袋なら寄生虫すら消化して栄養にしそうな気もするが、他の騎士たちがお腹を壊してもいけない。

 

 

 

 

「ほーう……私の胃袋を随分と高く評価してくれているようだな。嬉しいぞケン。」

 

「ち、違う違う違う!!これはシェイクスピアが勝手に脚色しただけだから!俺はそんなこと思ってないから!!」

 

「ちょ、流石に私闘はマズいって!」

 

 

 

 

「後は、このマーリンを脅迫して持ってこさせたコショウをつぶして……」

 

 

 ケンはブリテンのあまりの食材の少なさに愕然とし、何か食べられるものはないかとあれこれ試していた。キノコや果実、果てには草としか言いようのないものでも、山菜の類ではないかと口に入れてみたりしていた。

 

 その果てに目を付けたのが、マーリンが歩くだけで足元に生える花だ。薄桃色の幻想的な見た目と、甘い香りが特徴の花。ケンはある日、マーリンの後ろをカルガモの子供のようについて行き、足元に生える花を摘んで集めたことがあった。

 

『何をしているんだい?』と理解できないものを見る怯えのこもった目で尋ねられたケンは、こともなさげに『この花を抜いてな、この花を抜いてな、蜜でもとって料理に出来ないかと思ったのだ。』と答えた。マーリンはそれだけはやめてくれと、代わりに幾ばくかの胡椒を持ってきた。それからというもの、ケンは定期的にマーリンの足元の花と引き換えに、胡椒や砂糖を得ていた。ケンはこれを、『800年以上錬金術を先取りしてやった』とほくそ笑んだものである。

 

 

 

 さて、かくて宴席の料理は完成した。メインは子羊を串に刺し、強火で炙った焼肉。これをナイフで削り取って食べる、ケバブのようなものだろうか。塩コショウが振ってある分、この時代には過ぎた美食だろう。そこに添えられるのは、今焼き上げたばかりのふわふわなパン。融かしたチーズと一緒に食べるのがいいだろう。それからケンが食材を開拓していく中で発見した果実を使い、発酵させてアルコールにした果実酒。はっきり言ってケンの満足度は10%にも満たないが、これが精いっぱいである。

 

 

 

「―――アーサー王!!アーサー王帰還!!勝利の凱旋である!!」

 

「ッ!アル……アーサー王!」

 

 

 ケンは物見の報告を聞くと、すぐに厨房を飛び出した。一刻も早く、彼女を労いたかった。だが門へと向かったとき、ケンの見たのは想像とはまったく違う光景だった。

 

 

「アーサー、王……。」

 

「……ケン。」

 

 

 出立したときの凛々しさはなくなり、鎧はほとんど壊れかかっている。小麦畑のような美しい髪は髪型が崩れ、美しかったころの見る影もない。そんなアルトリアよりひどいのはガヴェイン卿の方で、どこかの乞食かと思うほどみすぼらしい姿になっていた。今の彼らを見て、一国の王とその忠実な騎士と信じる者はいないだろう。

 

 

 だが何よりもおかしい点は、アルトリアとガヴェインの()()()()()()()という点だ。

 

 

「……さぞやお疲れでしょう。ひとまず湯浴みの準備をしておりますので、汗をお流しになってはいかがでしょうか。もちろん食事がお望みでしたら、すぐにでも……。」

 

「湯浴みを……いや、やはり先に食事にしよう。ケン、頼んだぞ。」

 

「はい。ガヴェイン卿は……」

 

「……私には、過ぎた待遇です。このような役立たずはどうか、放っておいていただけませんか。」

 

 

 絶望の底まで沈んだかのような声をもらし、ガヴェインは俯いてしまう。これはただ事ではないと感じたケンは、いつでも温めなおすからとだけ言い残し、アルトリアの乗る馬の轡を引く。

 

 

 

 

 手早く鎧を外してやり、アルトリアが着替えるのを部屋の外で待つ。その後お湯で濡らした布で最低限汚れをふき取り、ケンはアルトリアを食卓へと通した。

 

 

「……さあアル、冷めないうちに食べるといい。何があったのかは聞かないが、お腹がいっぱいになれば、少しは沈んだ気持ちもマシになるはずだ。」

 

「……。」

 

 

 力なく頷くと、アルトリアはカトラリーを手にした。弱弱しい手つきだったが、肉を切り取りパンに乗せ、上からたっぷりとチーズソースをかける。アルトリアはこの食べ方が大好きだった。

 

 

「うまいか?」

 

「……。」

 

 

 いつもなら目を輝かせ、マナーなんて気にしないと言った風にかぶりつくのに、今はネズミがナッツでもかじるかのように、ちびちびとしか口に入れない。その姿に、本当にショックを受けていることを察したケンは、自分も黙ってフォークを手に取った。

 

 

 

 ―――それから、どのくらいの時間がたっただろうか。ケンとアルトリアは黙々と食事を続け、ただ黙って食卓を囲んだ。子羊の肉はもう五分の一も残っておらず、そのうち五分の4・5くらいはアルトリアの胃袋に収まっている。少なくとも食べられないほど落ち込んでいるわけではないとわかったため、ケンはそれで満足していた。

 

 

「……ケン。」

 

「どうした、アル?少しは元気が出てきたか?」

 

 

 体を気遣うケンの言葉に答えることはなく、アルトリアは一つの問いを投げかけた。

 

 

「……私の行いは、本当に正しかったのですか?」

 

「……詳しく聞こうか。果実酒を作ったから、飲むといい。マーリンの魔術で氷を作らせたから、よく冷えていて美味いぞ。」

 

 

 ケンの差し出した盃を受け取ると、アルトリアはそれを両手で握った。少しだけ口に含んで唇を湿らせると、ゆっくりとしゃべり始める。

 

 

 

「……私たちは、サクソン人からなる兵たちを蹴散らし、卑王ヴォ―ティガーンの住まう城に攻め込み、その姿をこの目でとらえました。彼は薄汚れた装束に身を包んだ、みじめな老人としか思えない風貌をしていましたが、私の姿を認めると、魔竜に変身してみせたのです。」

 

「……うん、それで?」

 

 

 ケンが優しく続きを促すと、堰を切ったようにしゃべり始めた。

 

 

 

 

 

 ―――ヴォ―ティガーンが竜に変身したのを見てもなお、兵士たちは一歩も退かず、武器を手に立ち向かったのです。その姿は誇らしく、素晴らしいものでしたが、奴の前にはあまりにも無力でした。あの竜の一息で、私とガヴェイン卿以外の全ての兵士たちが、塵一つ残さず蒸発してしまったのですから。

 

 

 その蛮行に激怒したガヴェイン卿と共に、『約束された勝利の剣』と、『転輪する勝利の剣』を振るいましたが、その光を吞み込んでかき消してしまうほどの力を持っていたのです。私たちが呆然としている間に、ヴォ―ティガーンの前脚の一振りで、ガヴェイン卿が地面に叩きつけられ、地に伏せられてしまったのです。

 

 

 

 

「その時の、私は……!!」

 

 

 

 

 言葉に詰まらせ、体を震わせるアルトリア。その時のことを思い出しているのかもしれない。ケンは優しくその肩を抱き、無理に話さなくてもいいと言った。それでもアルトリアは話すと言い、またゆっくりと言葉を紡いだ。

 

 

「……私は、ひたすらに剣を振るい続けました。ほんの一瞬でも気を抜けば、あっという間に命を刈り取られる。それをわかっていたからこそ、何とか立ち回ることが出来たのです。」

 

「多分、何時間か過ぎた後だったと思いますが、復帰したガヴェイン卿と共に、二振りの聖剣でヴォ―ティガーンの両手を地面に縫い付けました。そこからロンゴミニアドで心臓を貫き、ようやく討伐したのです。」

 

「……すごいな、アルトリア。よく頑張ったな。」

 

 

 ケンの賞賛に一瞬輝きかけたアルトリアの顔は、あっという間に曇ってしまう。

 

 

「……違う、違うんです。私はヴォ―ティガーンを倒したその時、本当に本当に嬉しかったんです。これでブリテンは救われて、私もまた貴方に会えると。そう思ったのに、ヴォ―ティガーンの亡骸から現れたのは、ひどくみすぼらしい老人だったんです。」

 

 

「老人は私に言いました。『ブリテンが滅びるより早く、おまえはブリテンの手で死ぬ』と。私は震えました。その予言が恐ろしかったからではありません。その予言をした者が、どこからどう見てもただの哀れな老人だったからです。」

 

 

 

 ―――私たちは、何をした?

 

 

 たくさんの兵士たちの人生を奪って、孤独で哀れな老人を痛めつけただけじゃないのか?こんなにも多くの人々を死なせておいて、私たちは何を得た?ブリテンは未だ、何も救われていないのではないのか?

 

 

 

 ―――だというのに、私はなぜ、こんなにも嬉しいのだ?

 

 

 

「……あなたの顔が、浮かんだのです。」

 

 

 

 アルトリアはさらに強く盃を握りしめ、中の果実酒に波紋がおこる。震える唇は、間違えないように言葉を慎重に選んでいるかのようだ。

 

 

 

 

「こんなにも多くのものを失って。こんなにも多くのものを傷つけて。それなのに私は、あなたに再び会えることを喜んでいた。あなたの顔がまた見られる幸甚に打ち震えていた。」

 

 

 

 ―――死ななくてよかったと、心の底から思ってしまったんです。

 

 

 

 

「……。」

 

「―――あなたが、カリバーンを抜いてくれたらよかったのに。」

 

 

 アルトリアは俯いたまま、ポロリと言葉をこぼす。そのせいで、気づけなかった。ケンのこめかみが、ピクリと動いたことに。

 

 

 

「こんな、自分の命が惜しい情けない王様なんかじゃなくて。あなたが王様だったら、きっともっと上手くやってくれてたはずなのに。」

 

「……。」

 

「折れたカリバーンを加工した短剣、きっと今も持ってるんですよね?私はそれを持ったあなたに、未だ勝てたためしがない。いつだって剣が加速する前に止められて、首筋に刃を突き立てられる。」

 

「……。」

 

「戦術だって、私の知らないことをたくさん知ってるし、私よりずっと上手く兵士たちを扱える。政治ですら、私はあなたに教わることばかりです。」

 

 

 ぽつりぽつりというアルトリアの話し方は、いつの間にか速く、激しいものになっていった。ひょっとするとそれは、アルトリアなりの理不尽に対する憤りだったのかもしれない。

 

 

 

「アルトリア……。」

 

「私、なんか!!本当は、王様になんかなるべきじゃなかっ……!」

 

 

 突如言葉を詰まらせたアルトリア。ケンが人差し指で、アルトリアの唇を塞いだからだ。

 

 

「―――そこから先の言葉を、続けることは許さない。」

 

「……!」

 

 

 

 アルトリアは何も言えなかった。初めて見る、ケンの氷のような視線。今まで決して見せることのなかった、リアリストの一面。

 

 

 

「お前の言おうとしたその言葉は、死んでいった兵士たちへの裏切りだ。彼らはもう、何かを考えることも、何かをしゃべることもない。だが間違いなく、お前を信じて戦い、そして散っていった。」

 

「生き残った者のするべきことは、死んでしまった者たちの遺したものを未来につなげることだ。そうすれば死んだ者たちの価値は残り続け、決して消えない。」

 

「ッ、それは綺麗事で……!」

 

「何度も同じことを言わせるな。死んだ者はもう、何も感じない。何も考えない。死後の世界などありはしない。自我がないのだから、存在しないのと同じことだ。」

 

「そんな……!そんな、冷たいこと……!」

 

 

 

「それが現実だ、アルトリア。死を意味のあるものにするか、全くの無価値にするか。それはただ単に、生者のエゴでしかない。死そのものに価値はなく、生き残った者が値札をつける。それが命というものだ。」

 

「……なら、ならどうすればいいんですか!?私は彼らの死を、どうやって受け入れればいいんですか!」

 

 

 アルトリアは激情のままに叫ぶ。その叫びはケンの胸を打つことはなく、彼はただ平然と言い放った。

 

 

「お前の好きにすればいい。」

 

「え……?」

 

「未来のために命を託したのだと前向きにとらえてもいい。自分の愚行のために命を無駄にしたと悲観してもいい。だが、失ったもののために立ち止まることだけはしてくれるな。」

 

「もしそうなれば、彼らの死はマイナスになる。ただの現象、ただのゼロでしかなかったものが、お前にとってのマイナスになる。」

 

 

 ケンは少しだけ、遠い目をした。死を目の前にして、それでもなお自分の想いを吐露しなかったあの少女のことを思いだした。怖かっただろう。悔しかっただろう。あいつの想いに、気づいていなかったわけではない。むしろ俺の方から、想ってすらいた。きっと彼女が、妻にしてほしいと言っていたら、俺はきっとそうしただろう。もう幾ばくも無い命のために、俺は人生の全てを捧げただろう。

 

 

 

 ―――だというのに、あいつはそれをしなかった。死にゆく自分が、俺の足かせにならないように。自分の気持ちを押し込めて、感謝を告げて死んでいった。

 

 

 

 おかげで俺は、信長様に仕えられた。沛公を支えられた。アルトリアの傍にいられた。あいつをもし、もし……妻にしていたならば、幾度人生を経ても、操を立てていただろう。誰にも仕えることなく、誰とも契ることなく、ただ死を待つだけの人生を、幾度となく繰り返しただろう。

 

 

 

(―――すまん、沖田。)

 

 

 

 そうしてケンの視線は、現代へと帰ってくる。目の前で、自分の教えを受け止めきれないうら若き王に向けられる。

 

 

 

(もう少しだけ、お前の優しさに甘えさせてくれ。)

 

 

 

 

「……アルトリア。残酷なことだが、このブリテンで最も価値のある命はお前だ。最も生き残るべきはお前だ。例え親兄弟を踏みつけにしてでも、お前は生き残らなくてはならない。」

 

「……。」

 

「そうなればお前は、この先数えきれないほどの死を目にする。戦いの中で死ぬもの、病に倒れて死ぬもの、老いて死神に追いつかれるもの……。死は世界に溢れ、お前の目に映るだろう。」

 

「……本当は、気にしてほしくない。一つ一つの死に、心を痛めてほしくなどないし、そうするべきでもない。」

 

「……わかっています。でも、でも―――!!」

 

 

 ケンは、聖母の如き顔で頷いた。

 

 

「アルは、優しいからな。気にするなって言っても、きっと無理だ。心を痛めて、傷をたくさんつけるだろう。好きにしろと言ったのは俺だから、それでもいいさ。」

 

「でも、それだけだときっと辛いから。アルの痛みも苦しみも、俺が一緒に背負ってやる。なにせ、俺はアルの何十倍も長く生きてるからな。経験があるからアルにも勝てるし、アルより多くの悲しみを背負える。」

 

「ですがケン、それは――!」

 

 

 あなたが傷ついてしまうと言いかけたアルトリアの声は、途中で遮られてしまった。

 

 

「いいのさ。なにせ俺は、アーサー王の最初の臣下だから。」

 

「―――!」

 

「楽しいことも、辛いことも、これからはみんな一緒だ。決して、お前ひとりに背負わせたりなんかしない。王が孤独である必要なんかない。」

 

 

 言いながら差し出されたケンの右手。本当はわかっている。この手をとってはいけない。それは王の行いではない。

 

 

(―――でも、でも。)

 

 

「―――ありがとう、アル。今日からもう一度、改めて主従の始まりだ。今、ここに誓おう。お前を決して、ひとりぼっちにさせない。」

 

 

 強く、強く握られた手は、ケンの体温を直に伝えてくる。固く結ばれた両手はまるで、私たちの未来を示しているようですらありました。きっともう、離れることは出来ないのだと。




「あー……。駄目だ、私沖田さんの話弱いわ。涙腺にすっごい来るわ。」

「……男というのは、情けない生き物ですから。初恋のことをいつまでも覚えているものですよ。」

「私としては不本意だが、そのおかげで今のケンがあると考えるとな。今思えば我が聖槍を破壊したのも奴と考えると、何か褒章を与えたほうがいいのかもしれん。」

「それなら、ケンさんの初恋のこと教えてあげたら?沖田さん未練無くなって座から退去しちゃうかもだけど。」

「や、やめてください。恥ずかしい2割、沖田が調子に乗る2割、信長様に殺される6割なのでやめてください。」


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第五幕 円卓会議と叛逆の騎士

もうそろそろ前書きに書くことがなくなってきた世界だ。でも次の言葉だけは書きたいからしょうがないんですよね。

感想・評価・ここすきなどしていただけると励みになります!!(切実)


 魔竜ヴォ―ティガーンを倒し、アーサー王は理想の都、白亜の城、キャメロットを建てた。汚れ一つない純白の壁に守られ、民たちは黄金の麦畑を揺らす風を感じながら、平和と豊な暮らしを享受した。

 

 理想の王の素晴らしい統治を聞きつけ、多くの騎士たちが彼のもとに集った。湖の騎士・ランスロット。悲しみの子・トリスタン。―――そして叛逆の騎士・モードレッド。彼はアーサーを弑し、ブリテンを混乱の渦に巻き込み、荒れ狂う時代の波によって白亜の壁は削り取られた。護りを失った民たちは惑い、最後にはすべてが失われた……。

 

 ―――さてさて、この世界ではどうなるのかな?

 

 

「アールートーリーアー!!そのフォカッチャはまだ完成してないって言っただろうが!お仕置きするからそこになおれ!」

 

「ひぃ!ゆ、許してくださいケン!お腹が空いて仕方なく……!」

 

「あとちょっと待てばチーズとオニオンとベーコンを乗せた、最強のフォカッチャが完成したというのに……。急いては事を仕損じると教えたのを忘れたか!」

 

「忘れてないです!後生、後生ですから手刀だけは―――!」

 

 

 叫びも空しく、ケンの黄金の右手がアルトリアの頭に振るわれる。大地すら裂きかねないその一振りに、流石のアルトリアも頭がかちわれるのではないかと錯覚した。

 

 

「かっ……くっ……。」

 

 

 本当に痛いとき、人はすぐには悲鳴を上げることは出来ない。ただただ頭を抑えてうずくまるアルトリアを見て、ケンはやれやれとため息をついた。

 

 

「食べるなとは言ってないだろう、アル。俺はただお前の料理人として、お前に美味いものを食べてほしいだけだ。」

 

「うぅ~~……。それに関しては私も悪かったですけどぉ……。」

 

 

 涙目でケンを見上げるアルトリアだったが、ケンはあまり動じる様子がない。子供のころはこれで言うことを聞いてくれたのだが、流石に大人になった今、通用しないのは仕方のないことか。

 

 

「それより急いでサラシを巻かないと、そろそろ円卓会議の時間だろう。正直なところ、サラシで誤魔化せてるのが奇跡だと思うくらいだが……。」

 

「な、なんですかケン。私の豊満なボディに見惚れてるんですか!?」

 

「……そういうことを言うなら、せめてその赤ら顔を何とかするんだな。無理するなって気持ちが真っ先に来たぞ。」

 

 

 ケンの言う通り、アルトリアはかなり成長した。本来、エクスカリバーは所有者の体の成長を止める力がある。早い話、持っている限り老化しなくなるのである。だがアルトリアは、あえてこれを手放した。『ヴォ―ティガーンは失敗した。それは力によってブリテンを治めようとしたからだ。私は力ではなく、徳によってブリテンを治める。我が聖剣エクスカリバーは、振るわれるべき時まで眠っているべきだ。』と表向きには宣言していたが、ケイやマーリンなどの、アルトリアに特に近い者たちは知っている。

 

 本当の理由は、ケンと一緒に歳を取りたかったからだ。ケンが精悍な青年から、立派な男へと成長していくのを、自分だけが少女のまま見ているのがどうしても嫌だった。ケンは真面目な男故、歳が離れすぎていては手も出すまいと考えたのもある。

 

 その際に発した言葉もまた、ひそかな伝説となっている。

 

 ―――王の資格を示すだけならば、エクスカリバーでなくとも、カリバーンで十分だ。志半ばにして斃れたかの選定の剣は、今我が従者の腰に、生まれ変わってついて来ている。ならば、それでいい。私の王道、王の資格は、そよ風ほどにも揺らがない。

 

 

 この台詞、よく聞いてみると「ケンは絶対に私の傍を離れないから、カリバーンが離れることもない」という中々に情熱的な台詞になるのだが、当の本人がそれに気づく様子はまったくない。ケンにしても、愛の言葉を囁かれるのは一度や二度の話ではなかったため、全く気にすることがなかった。そのため周りから見ると、二人ともクソボケカップルである。もっとも、ケンはその言葉を、大切に胸の奥にしまっていたのだが―――。

 

 

 

 

 

 閑話休題。円卓会議の前である。ケンの男装がバレることを危惧した発言を受けても、アルトリアは動じなかった。

 

 

「ああ、その件に関しては大丈夫です。マーリンの幻術で隠していますから。」

 

 

 どや!とばかりに胸を張るアルトリア。巨大な質量を持つ双丘が強調される格好になるが、ケンは特に動じなかった。

 

 

「おお、マーリンが。よく協力してくれたな。」

 

「言う事を聞かなかったら、エクスカリバーの隠し場所を私のベッドの下にしますからねと言ったらすぐでした。遊び惚けているロクデナシと思っていましたが、中々どうして便利な方ですね。」

 

 

 流石のマーリンも、男子中学生が年齢制限を大きく超過した本を隠す浅知恵と浅慮を以てエクスカリバーが扱われるというのは許容できなかったのだろう。ケンに脅迫され、アルトリアに恫喝されと散々なマーリンだったが、宮廷魔術師という職だってタダではないということがわかったはずだ。

 

 

「そ、そんなことよりも、わかっているのですかケン?わ、わたわたしのこの艶やかなカラダを見て、堪能し、味わうことが出来るのはあなただけということなのですよ?」

 

 

 前かがみになり、ぱっくりと開いた胸の谷間を見せつけるアルトリア。普通の男ならその色香に惑わされ、自らの立場すら忘れてアルトリアに襲い掛かったかもしれない。だが相手が悪かった。目の前にいるのは、ありとあらゆる女性を抱きつくし、この世の女体を味わいつくした色男だ。ケンにとってその程度の誘惑は児戯にも等しく、ただじとっとした目を向けるだけだった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

「……あらゆる女性を抱きつくしたんだ。」

 

「……この世の女体を味わいつくしたのか。まったく、色男さんには敵わないな?」

 

「い、いやこれは悪意のある脚色が入ってるだろう。まるで人を節操ナシの遊び人で女泣かせのように……。」

 

「今のお前の言葉が、お前自身を如実に表していると思うがな。」

 

「……そうかもしれん。」

 

 

 すっかり落ち込んでしまったケンを他所に、立香はそっと自分の胸に手を当てた。アルトリアを見るたびに感じていた、女性としての魅力。あの小川のせせらぎを絵にしたようなサラサラの金髪。はっきりと整った目鼻立ち。そして何より、暴力的とすら言えるほど豊かなバスト。

 

 

 とてもではないが、自分が敵う点などどこにもない。アルトリアにすら靡かなかったケンさんは、自分の貧相な体を好きになってくれるのだろうか―――。

 

 

「……スター?マスター?どうかなさいましたか?」

 

 

 声に意識を引き戻されてみれば、視界いっぱいに映るケンの顔。立香はあっという間に覚醒し、慌てて顔を上げた。

 

 

「……ふぇっ!?あ、ケ、ケンさん!?ちょっ、顔、近いから……!」

 

「し、失礼しました。ですがその、具合が悪そうでしたので……。」

 

「あっ全然大丈夫!というか、ちょっと元気になったっぽいっていうか……!?」

 

 

 (……元気になった?な、何言ってるんだ私!?)

 

 

「いっ、今のナシ!忘れて!」

 

「か、かしこまりました。」

 

 

 

 二人を見つめる目は四つ。二つの目玉はしかめ面。もう片方はキラキラ目。見つけた見つけた、いい玩具。花も恥じらう恋心。魔法使いに、お任せさ!

 

 

 

 

『……う~ん、シェイクスピアというよりマザーグースみたいだね。まあどっちにしても、大して上手くない文章だろうけど。』

 

『そんなことより、とっても面白そうな……いやいや、応援したくなる娘がいるじゃないか!これはキングメーカー、愛の伝道師として、私も一肌脱がなくてはいけないね!』

 

『さしあたっては、そう……暗殺者としてのマイ・フェイトとか、気にならないかな?』

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「……よし、それでは行くとしようか。待ちくたびれているかもしれない。」

 

「もちろんです。……あれ、ていうかそれは私の台詞では!?」

 

 

 アルトリアは部屋の戸を開き、外に出る。ケンはその少し右の後ろをついて歩く。これにも理由があり、アルトリアが右手側に柄を置いて剣を佩いているためだ。どうしても右側に対する攻撃がワンテンポ遅れてしまうため、ケンが右側で警戒しているというわけだ。

 

 

 ところで、現在アルトリアが佩いている剣を知っているだろうか?マルミアドワーズという、エクスカリバーをも凌ぐという聖剣で、伝承では鍛冶の神ウルカノスがヘラクレスのために鍛造したものだという。強くないわけがないこの来歴は、アルトリアの腰に下げられるには十分と言えた。

 

 そしてその傍らで控えるのは、選定の剣カリバーンを携えた久遠の旅人、ケンだ。アルトリアの逆レ未遂によって折れたかの哀しき剣は、今は短剣へと作り変えられ、ケンの腰でその輝きをいかんなく放っている。

 

 

 

 

 ―――そして今、アルトリアの手によって、円卓への扉は開かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「―――それでは、これより円卓会議を始める。まずはサー・ケイ。異民族の襲撃はどうなっている?」

 

 

 円卓会議。全ての者が平等であることを示す円卓に座り、騎士たちとその王、そして王の忠実な臣下が、ブリテンの未来を語らいあう神聖な場所。この場においては、全ての者は平等な立場であり、どんな意見であろうと議論の机に上がる。

 

 そんな会議において真っ先に指名された最古の騎士・ケイ卿は、いつもの皮肉たっぷりな台詞を吐いた。

 

「ああ、誰かさんが後先考えずにエクスカリバーぶっぱしてくれたおかげで、皆ビビりあがって大人しくしてるよ。もっとも、近くの村人も震えあがってたけどな。あれを落ち着かせんの、どんだけ大変だと思ってるんだ?」

 

「貴様!!畏れ多くも騎士王の前で、その態度はなんだ!」

 

 

 すかさずケイに噛みついたのは、苛烈なまでの忠誠心を持つ忠臣、通称『鉄のアグラヴェイン』。彼は騎士王を立てようとするあまり、時折このように強い言葉を使うことがあった。

 

 

「ごめんって、あっくん。そんなに怒んなよ。」

 

「だからその呼び名はやめろと―――!」

 

 

 掴みかかりかけたアグラヴェインだが、ここが神聖な円卓の間であることを思い出し、何とかこらえる。周りの騎士たちもニコニコと微笑ましいものを見る目で見ているが、流石にこのままでは不憫だろう。ケンはアルトリアにちらりと目配せを行うと、アルトリアは小さく頷いた。言い忘れていたが、ケンはちょうどアルトリアの向かい側になる位置に座っているため、常に視線を浴び続けている。正直、きついと思っていた。

 

 

「―――よくこらえたな、アグラヴェイン。その鋼の如き精神、賞賛に値する。」

 

「なっ、騎士王――!!ありがたき、幸せ―――!!」

 

「だがどうか、許してやってくれ。彼らとて悪気があったわけではなく、ただ貴卿と親交を温めたいと思っただけなのだ。」

 

「それがあなたの御意思であれば、如何様にも――!」

 

 

 あまりの感動に顔が上げられないと言わんばかりに、アグラヴェインは俯いたまま震えていた。その姿を見てアルトリアは頷くと、次の報告を促した。

 

 

 それを受けて、次々と報告を始める騎士たち。報告には彼らの仕事の割り振りの他にも、意外と性格が出て面白いものだ。例えばアグラヴェインはきっちりと税や収穫を数字にして報告するのに対し、パーシヴァルやトリスタンは大雑把だ。パーシヴァルは「大盛りでした!!」としか言わないし、トリスタンは「よく見えませんでした……。私は悲しい……。」と何をしにきたのかわからない発言ばかりしている。その度、ベディヴィエールによってフォローされるのだが。

 

 

 そうして騎士たちからの報告を聞き、次は議論が始まる。国民から寄せられた意見や要望を精査し、収穫高の使い道を考え、異民族たちへの防御に備える。あれこれと話し続け、すっかり議論も煮詰まり、あらかた結論が出た。そこでようやく、ケンの出番というわけである。

 

 

 

「さあ、そろそろ会議も終わったことだし飯にしよう。今日のメニューはチーズフォンデュだ。ブリテンという国の贅を見るがいい!」

 

 

 ケンは円卓の間に、ぐつぐつと泡の弾ける音と、鼻腔の奥の奥までくすぐる食欲をそそりすぎる鍋を持って入ってきた。ケンの後ろからついてくる別の料理人たちは、一口サイズに切られた肉やキノコにパン、ケンが作ったソーセージなどを携えて入ってきた。

 

 

「いよっしゃあ!これが楽しみでここ来てるからな!」

 

「……チッ。はしたないぞ貴様。」

 

「そうは言うけどよ、お前の兄貴を見てみろよ。もう鍋の前に陣取ってるじゃねえか。」

 

 

 ケイの言葉通り、ガヴェイン卿はナプキンまでつけて臨戦態勢だ。よく見ると、既にフォークを手に持っている。

 

 

「……あれは私の兄ではない。」

 

「なっ!?聞き捨てなりませんよアグラヴェイン!お前は私のかわいい弟で―――」

 

「今すぐ鍋にその顔を突っ込んでくれる!!チーズで溺死しろ!!!」

 

「むっ、待てアグラヴェイン。私も食べるのだから、そういうことはよしてもらおう。」

 

「申し訳ありません騎士王!!」

 

「……やっぱこいつ、めちゃくちゃ面白いな。」

 

 

 どったんばったん騒いでいるケイやガヴェインと対照的に、ひょいひょいと自分の分を食べ進めているのはトリスタンだ。隣で食べているベディヴィエールは、彼の長い髪がチーズに入ってしまわないか気が気でない様子だ。

 

 

「……おや、そういえば。私の外套にまた穴が開いていたのです。ケン殿、忙しいこととは思いますが……。」

 

「またか。まあ、パッパとやっておくから置いて行ってくれ。」

 

「感謝します。ですが、ああ、私は悲しい……。私にもランスロット卿のように、女性にモテる才能があればその方にお願い出来たのですが……。」

 

「な、ななななにを言っているのかねサー・トリスタン!!???」

 

「……心配しなくとも、今頃ギャラハッドは馬小屋だ。馬の世話をしているところだろうな。」

 

 

 あからさまにホッとした様子のランスロット。彼の子供、ギャラハッドの話は、また別の機会に回すとしよう。

 

 

「さあ食べなさいガレス。もっともっと食べなさい。」

 

「もう、そんなに食べたら太ってしまいますよ!大きくなるのも大事ですが、私だって一応女の子なんですからね!」

 

 

 円卓の末っ子、ガレス。それの皿にひょいひょいと具材を盛って行くのはパーシヴァルだ。最年少であるということもあり、あれこれと周りから世話を焼かれる彼女だったが、それはケンとて例外ではない。厨房で働いていたこともある彼女は、ケンから様々な技術を教えられ、それを何とか覚えようとする様は好ましく映った。まるでロマンスが始まりそうな気配だったが、彼女曰く、『背後からすごいプレッシャーを感じます!』とのことで、イマイチ進展していないらしい。ケン曰く、『大人げないにもほどがある』とのことだ。誰のせいだと思っているのだろうか。

 

 

 

 ケンはぐるりと円卓を見回し、満足そうに頷いた。円卓が全ての人間に区別をつけないためにあるのなら、そこで行われることに最も向いているのは食事であるはずだ。食事は人と人とを繋ぐ行為であると考えているケンは、その考えを常に持ち続けていた。

 

 

「ああ、そういえば。アーサー王に是非とも仕えたいという者がいたのです。」

 

 

 発端は、トリスタンの何気ない台詞だった。そんなことを黙っていたことに驚きつつも、騎士たちは先を促した。

 

 

「確か、名前を――――モードレッド、でしたか。」

 

 

 

 

 瞬間。ケンの体中から殺気が放たれ、全ての騎士が身構える――――ことは、なかった。

 

 

 

 

 

 

「モードレッド……()()()()()()()()()()()()()()()……。」

 

 

 

 

 ―――理由は、ただ一つ。ケンは、モードレッドがどんな騎士なのか、これっぽちも知らなかったからだ。




「なー、ワシらそろそろ忘れ去らたんじゃね?タグに織田信長と沖田総司って入っとるから、このままじゃとタグ詐欺疑われかねないんじゃが!じゃが!」

「劇が終わったらぐだぐだイベやるらしいですから我慢するしかありませんね……。というか、沖田さんだってそろそろケンさん成分が不足してきたんですけど!なんかないんですかなんか!このままだと、沖田さんしゃべり方も忘れますよ!?ただでさえ、お虎さんと判別しにくいって言ってたのに!」


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第六幕 滅びの芽、未熟な騎士

――――どうか、見届けて。


 円卓会議の後、食事を終えた円卓の騎士たちは、再び自分の仕事に戻るべく支度を始めた。その中の一人であり、先ほどモードレッドの事を発言したトリスタンにケンは話しかけた。

 

 

「サー・トリスタン。そのモードレッドという騎士は、今どうしているんだ?」

 

「……確か、どうしてもアーサー王に謁見したいと言っていました。私が円卓の騎士であるので、何とか取次ぎを図ってほしかったようです。もっとも私一人の判断で謁見を許すわけにもいかないので、ひとまず断っておきましたが。」

 

「なるほど……。それなら、後でアーサー王に聞いてみるとしよう。俺ももとは、ごり押しで仕えさせてもらった身だからな。本当にモードレッドが仕えたいと願っているのなら、力を貸してやりたい。」

 

「成程。相変わらずお優しい方だ。そう言う事なら、王都に滞在すると聞いているので、会ってみてもいいかもしれません。」

 

「感謝する。……おっと、忘れるところだった!はいこれ、いつものお土産。大事に食べるんだぞ。」

 

 

 そう言ってケンが手渡したのは、小さな箱型のバスケットだ。トリスタンは顔を綻ばせ、嬉々としてそれを受け取る。周りを見渡してみれば、全ての円卓の騎士がそのバスケットを持たされている。

 

 

「ああ……、私は嬉しい。中身は、いつもの物なのですか?」

 

「ああ。ハンバーガーと、ビスケット。ハンバーガーの方は今日の夜にでも食べることだな。ビスケットの方は日持ちするから、ゆっくり食べても大丈夫だ。」

 

 

 そのバスケットを大事そうに懐に入れると、トリスタンは改めて別れを告げるとキャメロットを去っていった。その後ろをベディヴィエールがついて行き、その後からケイ、ガレス、パーシヴァルが出て行った。ランスロットが出ていく前に、ケンは声をかけた。

 

 

「ああ、ちょっと待ってくれランス。俺も久しぶりにギャラハッドに会いたい。」

 

「……そうか。君と一緒だとギャラハッドの機嫌が良くなるから、なんだか複雑な気分になるのだが。」

 

「まあ、焦る必要はないさ。ゆっくり時間をかけて、打ち解けていけばいい。」

 

「……そうだな。私からも、歩み寄る努力が必要なのだろう。」

 

 

 話しながら馬小屋に向かうケンとランスロット。響く靴の音に気づいたのか、馬に飼葉をやっていた少年が振り返る。

 

 

「サー・ランスロット。もう出発の時間で……」

 

「ようギャラハッド!久しぶりだな!」

 

「ケンおじさん。お久しぶりです。」

 

 

 白いくせっ気で片目の隠れた髪型をした少年が、ランスロットの馬の世話をしていた。彼はランスロットのように鎧は着ておらず、質素な平服で仕事をこなしていた。彼は多くの騎士見習いのように、ランスロットの従者として彼の馬を世話していたのだ。

 

 

「ああ、食後の運動をしてらっしゃる。それよりどうだ、最近の調子は?」

 

「サー・ランスロットのもとで、しっかり勉強させていただいています。」

 

「それならよかった。これはお前の分のお土産だ。中にはいつもの食事と一緒に、心ばかりだが小遣いを入れておいた。お前がこっそり剣の修行をしていたのは見てたからな。それほど上質なものには手が出ないだろうが、なまくらくらいなら買えるだろうさ。」

 

「―――! ありがとうございます、おじさん。」

 

 

 ギャラハッドはほんの少し、よくよく目を凝らしてみないとわからないほどほんの少しだけ微笑を浮かべると、『荷物を取ってきます。』と言って走り去っていった。ケンはそれを微笑ましく見ていたが、彼の肩をがっしりとつかむ手が二つ。

 

 

「ケン……!!貴様、この裏切り者!!」

 

 

 もちろん、ランスロットである。まるで血涙でも流さんばかりの勢いで、激しくケンの両肩を揺さぶる。

 

 

「ズルい!!ズルいぞ畜生!!!いつの間にか、よくお小遣いをくれる優しい親戚みたいになって!!!そんなの、絶対懐かれるじゃないか!!!」

 

「そ、それはすまん。 ……いかんな、俺もつい甘やかしてしまっているようだ。今度の修行では、少々厳しく教えてやらなければな。」

 

私も小遣いをあげれば懐かれたりしないだろうか……?いや、それよりもさらに厳しい修行を……。

 

 

 ぶつぶつと呟き始めたランスロットをひとまず放置し、ケンも馬の様子を見てみることにした。彼の生きた時代は、ほとんどが馬の活躍した時代だ。必然的に馬の世話をする機会も増え、ケンは馬についての知見も深かった。

 

 

「……毛艶がいいな。筋肉や骨にも異常はなさそうだし、流石にランスロットのものだけあって、いい馬だ。ギャラハッドもちゃんと世話が出来ているようだし、安心かな。」

 

「今戻りました、サー・ランスロット。いつでも出発できますよ。」

 

 

 そうこうしているうちに、ギャラハッドが旅支度を終えて戻ってきたようだ。ケンは二人がしっかりと馬に乗ったのを確認すると、門まで見送りについて行った。

 

 

「それじゃ、次会う時まで息災でな。『男子三日会わざれば、刮目してみよ』。お前の成長に期待している。」

 

「はい。おじさんもお元気で。」

 

「……。」

 

 

 未だお父さんと呼ばれることを諦めていないランスロットだったが、それを完全に無視するギャラハッド。一応上司だから従っているという様子がありありと映っている。もし対等な相手だったならば、一人で先に行ってしまっていたかもしれない。

 

 

「ほら、早いところ行きますよ、サー・ランスロット。」

 

「はは、これは道のりは険しいな。」

 

「クッ……!だが私は諦めないぞ……!!」

 

 

 決意を新たに馬を歩かせる親子を見送り、ケンはキャメロットに向かって踵を返す。王都の道を少し歩けば、キャメロットの門が見えてくるはずだ。

 

 

「ケンさんケンさん!ちょっとうちの魚見てってくれよ!」

 

「いーや、まずは俺んとこのパンだ!あんたから教わったフォカッチャってのが、上手く出来たんだぜ?」

 

「すまん親父さんたち!アーサー王がお待ちなんだ!」

 

 

 城下町を歩けばたくさんの店が立ち並び、その店主たちからケンはいちいち声をかけられる。だがこれは、彼らにとっては重要なビジネスチャンスなのだ。なにせケンの身分はアーサー王お付きの料理人。彼が食事をした、彼が材料を仕入れた、彼がその価値を認めた―――。どんなに小さなことでも、アーサー王の威光がついて回るため、どの店もあやかろうと必死なのだ。

 

 

 いつもならケンは一つ一つの店をじっくりと回り、使えそうな食事を吟味したり、調理や食材の保存法についてあれこれ口出ししたりと交流しているのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 

 

(モードレッド―――。アーサー王物語のことなんて、エクスカリバーくらいしか知らない俺が、名前だけは聞いたことがあるような気がする騎士候補。)

 

 

 モードレッドというのが、一体どんな役割を持った人間なのかはわからない。それでも知名度が高い以上、何かしらの重要な役割を果たしたはずなのだ。例えばブリテンの危機を救う英雄であるのかもしれない。

 

 

(―――あるいは、ブリテンを滅ぼす()()なのかもしれない。どちらにせよ、手元に置いておくべきだろう。)

 

 

 一番いいのは味方として引き入れることだが、最低でも敵対しないようにしたい。そう思いながら、ケンはひとまずアルトリアの許可を得るため、キャメロットに急いでいた。

 

 

 ―――だが、そこに不穏な影が一つ。深々とローブを被った人影が、路地裏からケンの姿を見つめていた。その影はケンの進行方向で待ち伏せていたようで、走ってくるケンが自分の目の前に来たその瞬間、建物の角から飛び出した。

 

 

 道のど真ん中に突然飛び出したため、ケンとその影は正面衝突。ローブを着た人の方は吹っ飛ばされる―――はずだった。

 

 

 

「……何?」

 

「おっと、すまない。怪我はないか?」

 

 

 ケンがその人物と衝突する瞬間。体をひねって力を受け流したのだ。正面衝突するはずだった力は横に逸れ、結果としてどちらも吹っ飛ばされることはなかった。ケンの足さばきと、咄嗟の状況判断が優れていた。それをローブの人物が理解するのにはしばらくの時間を要したが、それでも予定のやり方が失敗したことだけはわかった。

 

 

「すまないが、先を急ぐ身なんだ。怪我がないのなら失礼する。」

 

 

 そう言って再び走り出そうとするケン。ローブの人物はとっさにその服の裾を掴み、ギリギリのところで引き留めた。怪訝な顔をしてケンが振り向くと、ローブの人物は顔を覆うフードを取り、その素顔を晒した。その瞬間、ケンが息を呑んだのは仕方のないことだろう。なにせ、その人物はアルトリアの生き写しの如くそっくりだったからだ。

 

 

「お前がケンだな? 俺の名はモードレッド。ちょっとばかしオレに付き合ってもらうぜ。」

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ケンはモードレッドに連れられるまま、キャメロットを出て森に入っていた。いつの間にかモードレッドはローブを脱ぎ捨てており、どこから持ち出してきたのかわからない立派な鎧を身に着けていた。そんな臨戦態勢のモードレッドが何も言わずにズンズンと進んでいくのに、ケンもただ黙ってついて行った。そしてその足が、少し開けた場所で止まった。

 

 

「……おし、この辺でいいだろ。」

 

 

 何かを決めたらしきモードレッドはケンに向き直ると、おもむろに長剣の切っ先を向けた。何の飾り気もない無骨な剣だが、それ故に冷たい殺意を感じる。

 

 

「てめえには、オレがアーサー王に仕えるための口利きをしてもらう。本当ならぶつかって詫びの代わりに働いてもらうつもりだったんだが。てめえが躱しやがったせいで台無しじゃねえか。」

 

「……こんなことをしなくても、俺はお前を推薦する気だったんだがな。―――考え直すなら早いうちがいい。早まるな。」

 

 

 ケンの言葉を聞き、モードレッドはチンピラ感全開で嘲笑する。

 

 

「ハッ! 声が震えてねえところだけは認めてやるよ!」

 

 

 言い放つと、モードレッドは魔力を自分の逆方向に噴射することでロケットのようにかっ飛ぶ。人間の脚力を遥かに超越したスピードを可能にする魔力放出の応用だ。このスピードのまま斬りかかれば奴は死ぬだろうから、後ろを取るだけの移動だ。

 

 

 ―――後はそこから、がら空きの背中に叩きこんでやればいい。背中を見つめながらそう考えていたのが、傲慢であったことをモードレッドはすぐに理解した。

 

 

「―――何だ。意外に優しいのだな。」

 

「何ッ!?」

 

 

 首筋に落とそうと振り上げた剣を握る右手の手首を、ケンががっしりとつかんでいた。背中に目がついているとしか思えないその反応速度に驚きながらも、モードレッドはすぐに手を振りほどき距離をとった。

 

 

「……チッ。やっぱり力負けするか。まったくどうなってるんだ俺の体は。」

 

 

 少しだけ顔を歪めるケンを見ながら、モードレッドの思考は止まることがない。彼女はなぜ自分の動きが見切られたのかではなく、次にどうするべきかを考えていた。反省など、死んでからで十分だからだ。

 

 

(……何をしたのかは知らねえが、やることは変わりねえ。)

 

 

 今、モードレッドとケンは3メートルほど離れた位置にいる。この距離を一瞬で詰められることはない。その上、仮に相手に抵抗されたとしても

 

 

「―――縮地。」

 

 

(―――はっ?)

 

 

 ありえない。そう、ありえないのだ。音も無く、人間が3メートルもの距離を一息に飛ぶことはありえない。だがそれは、現実としてここにある。モードレッドの目の前に、ケンの姿が存在する。何が何だかわからないまま、それでも防御しようと剣を持つ手を咄嗟に持ち上げたモードレッドは、素晴らしい剣士だと言わざるを得ない。

 

 

 ―――だが、それ故にわからなかったのだ。この時代、この島に、存在するはずのない『技術』のことが。

 

 

(―――手首を、掴まれた?)

 

 

 そう感じた。だが、それが何だというのか。手首を握ったところでモードレッドを制圧出来たわけではない。ただ力の差で圧倒し、振りほどいた後に仕切りなおせばいい。先ほどの組合で力の差は歴然だ。ここから制圧されるなど、天地がひっくり返りでもしない限りありえない。

 

 

 

 

 ―――そう。天地がひっくり返らなければ、()()()()()()()のだ。

 

 

 

 モードレッドは、確かに見た。自分の世界が、ぐるりと回転するのを。天に向かって伸びるはずの木々は空色の大地に向かって伸び、頭上にあったはずの太陽はいつの間にか足元にある。なんだ、これは。何が起こったというのか。

 

 

 何もわからないまま、世界がもとに戻ったとき。モードレッドは腹ばいに地面に転がされ、掴まれていた手は背中に回っている。

 

 

 ―――そして何より、モードレッドのうなじには、冷たい刃が当てられていた。

 

 

 

 

 

「―――さて、話を聞いてくれるよな?」

 

 

 モードレッドの剣技は生存のためのもの。生き延びるためならば、騎士道精神など関係はない。未だ未熟なその騎士は、苦々し気に頷いた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ―――危なかった。

 

 

 自分の腕に組み敷かれたモードレッドを見下ろしながら、跳ねる心臓をなんとか落ち着かせる。今は逆らわずに大人しくしているが、ほんの少しでも気を抜けば、また例の魔力放出とやらで抜け出すだろう。今こいつが抵抗しないのは、仮に動けばこの刃が首に突き刺さるという共通認識があるからだ。いつでも首を刈っ切る準備をし、油断してはいけない。

 

 

「……おい。」

 

 

 あからさまに不機嫌そうな声が、尻の下から……失礼、踏みつけにしているモードレッドの方から聞こえてくる。その声に敵意はあっても殺意がないことを確かめ、話を聞く。

 

 

「なんで、オレは負けた? てめえがオレをこうやって、無様に転がしやがったあの技はなんだ?」

 

 

 ……なるほど。今モードレッドは、()()しようとしている。なぜ負けたのかを知り、次に活かそうとしている。それなら、教えない理由などどこにもない。

 

 

「―――初めの一太刀を防いだ時のは、ほとんど勘だ。」

 

「はあ? てめえ、ふざけんのも大概に――」

 

「ふざけていない、事実だ。直感と言い換えてもいい。」

 

 

 そう、あれはほとんど直感だった。モードレッドがアルトリアにそっくりだったものだから、彼女と同じことが出来るのではないかと思っただけなのだ。

 

 幾度となく人生を繰り返し、様々な経験を積んだことにより、自分の技術はかつての自分とは比べものにならない。一度の人生では修得に至らなかった縮地も、中国に生まれ武術を学んだ際、『気』と呼ばれる力の使い方を覚えたことによってようやく修得に至った。それでもなお、沖田の速度には及ばないと確信している。あいつはやはり、途方もない天才だった。

 

 

 話を戻すと、自分は『経験』によって強くなったが、それだけでは乗り越えられない壁がある。それが『身体能力』だ。例えどんなに体を鍛えても、死ねばすべては無に帰る。自分は何度も何度も転生を繰り返すうちに、まるで脳味噌を入れ替えているみたいだと感じるようになった。自分の脳が動きを覚えていようと、それに体がついてこない場合も多々ある。

 

 

 今回のモードレッドに関しても、魔力放出による飛来はほとんど見えなかった。故に、経験から来る直感に頼る必要があった。

 

 

 モードレッドの目的は自分の口利きでアーサー王に謁見し、その騎士として仕えることだ。つまり、『自分を殺すわけにはいかない』。ここまでは推理出来る。そのためにとる手段が暴力というのは少し短絡的だが、ひょっとしたら個人的な恨みでも買っているのかもしれない。

 

 ともかく、『不殺』という条件から、『魔力放出の勢いのままに攻撃する』という線は消える。あのスピードなら、ほんの少し触れただけでも車にはねられたようなダメージを受けるだろう。故に、魔力放出を使ったのは『モードレッドは、自分の視界から姿を消したかったからだ』と推察できる。

 

 

 

「……。」

 

「少し難しかったか?」

 

「ちげぇよ! ……ただ、そこまでがっつり見破られてんのがムカついただけだ。」

 

 

 返事をするということは、話を聞いている証拠だ。そのまま続ける。

 

 

 

 姿を消したのならば、視界の外から攻撃してくるのは当然の理屈。後は音に集中すればいい。モードレッドはしっかりと鎧を着こんでいたから、ほんの少しでも動けば音が鳴る。そこから大体の位置を掴み、歩く後姿を見ながら目に焼き付けたモードレッドの身長や腕の長さから、どこに手首があるのかを判断。後は自分を信じて掴むだけでいい。

 

 

 

「……。」

 

「どうだ? 少しは参考になっただろうか。」

 

「……ぜんっぜんだ。つーかんなもん、信じられるわけねえだろ!どうせなんかの魔術でも使ったんだろうが!」

 

 

 

 魔術。魔術か。それを言われると弱い。なにせ自分は、魔術にはとんと弱いからだ。長い人生、いわゆる魔術師と呼ばれる者たちに出会った事も少なくない。今の人生でも、マーリンという大魔術師に出会っている。だがどうも、彼らに教えを乞う気になれなかった。

 

 

 理由は単純、嫌な奴らだからだ。自らの目的のためなら、その他の一切を踏みつけにしてもかまわないというそのスタンスが、どうしても相いれなかった。故に自分に魔術の素養は一切ないし、使ったこともない。

 

 

 

「……まあ、高度に発展した技術は魔法と区別がつかない、だったか? さっきから長々と説明したのも、要は長い間生きてきたら、自然と気配が読めるようになりましたってだけのことだ。それに、俺には才能がなかったから、こんなにも長い時間がかかってしまったが、アーサー王はとんでもないぞ。あっという間に修得してしまった。」

 

 

 何気なく発したその言葉に、モードレッドは強く反応した。

 

 

「ッ! アーサー王ッ!? おい、それマジなのか!?」

 

「お、おお……。あの方は一瞬で……もう予知と言えるレベルの直感を身に着けた。話をよく聞いてみると、いろいろ転がってるヒントを自然と集めて自然と頭の中で構築して、結論にたどり着くんだそうだ。まったく、俺がそれが出来るようになるまで、どれだけかかったと思ってるのか……。」

 

 

 その力が最初に発現したのは、自分に染みついた匂いから夕食のメニューを当てたことというのは黙っておこう。本人の名誉のためにも、この足元のファンガールのためにも。

 

 

 

父上……。やっぱり、すげえ……。

 

「ん、何か言ったか?」

 

「う、うるせえ! 何も言ってねえからな!」

 

「そうか、ならいいんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――嘘だ。俺は今、嘘をついた。

 

 

 

 『ん、何か言ったか?』……。白々しい。一言一句、聞き逃さなかった。質問したのは、聞こえなかったと相手に意識させるためだ。

 

 

 

 そして今の情報で、確信したことが一つある。『叛逆の騎士モードレッド。ブリテンの滅びの原因の、生殺与奪の権を今、俺は握っている』ということだ。

 

 

 

 アーサー王物語で覚えている断片的な話。アーサーという王様。マーリンという魔術師。円卓の騎士という集団。

 

 

 ―――そして、『アーサー王は自らの息子と殺し合い、相討ちになって死んだ』という、悲劇の結末。

 

 

 今までずっと思い出せなかったその名前。アーサー王の息子という、断片的な元凶の情報。そのために俺は、アルトリアに息子が出来ることを恐れた。

 

 

 彼女からの好意に答えなかったのも、ただ単に妻であるギネヴィアに悪いというだけでなく、そのためでもあった。もし彼女を受け入れ、男子を授かったならば。俺は王位の簒奪を恐れ、我が子を喰い殺したというサトゥルヌスのように、自分の子供を手にかけることになっただろう。

 

 

 

 だが今、モードレッドがアルトリアのことを『父上』と呼んだことで、すべての点が線でつながった。

 

 

 

『叛逆の騎士の名はモードレッドだ。』

 

『モードレッドはブリテンの滅びの原因になる。』

 

 

 

 

『―――滅びの芽は、摘むべきだ。』

 

 

 

 

 ふとモードレッドの顔が、あの人物と被って見えた。

 

 

 ――――明智光秀。

 

 

 俺が殺すべきだと考えながら、終ぞ決心の出来なかった男。あの人のことを殺すには、俺はあの人のことを知りすぎた。あの人の苦悩を、あの人の葛藤を、あの人の決意を、知りすぎた。

 

 

 故に本能寺に火は放たれ、信長様の覇道は終わりを告げた。あんなにも哀しい笑顔を、俺はあの方にさせてしまった。

 

 

 

 

 頭の中で、ドス黒い何かが囁く。耳を通さず、鼓膜を震わせず、直接脳に語り掛けた。

 

 

 

 

 

今なら、殺れるよ。

 

 

 

 

 

 そうだ、今なら殺せる。俺はモードレッドの事情など何も知らないし、周りに目撃者もいない。次やり合ったら勝てるかどうかわからない相手が、今は俺の刃にかかる寸前になっている。

 

 

 

 

殺せ。

 

 

 

 

 そうだ。殺すべきだ。

 

 

 

 こんな機会はもうないぞ。

 

 

 

 そうだ。これは滅びに抗う、最後のチャンスかもしれないんだ。

 

 

 

 

 

ブリテンのためだ。アルトリアのためだ。

 

 

 

 

 

 そうだ。あいつもきっと、ブリテンを守るためだと分かってくれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺せ。殺せ。殺せ。早く殺せ。残酷に殺せ。一思いに殺せ。凄惨に殺せ。美しく殺せ。まがまがしく殺せ。清らかに殺せ。悪のために殺せ。正義のために殺せ。意志のために殺せ。理屈によって殺せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、その右手に、力を込めて……。

 

 

 

 

 

 

 俺は、声に、誘われるまま―――――。

 

 

 

 

 

 右手の刃を、握りしめた。

 

 



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第七幕 黄金のような剣

――――終わるときまで、一緒に。


 ケンは頭の中の声に誘われるまま、右手の短刀を握りしめた。後はこの刃を、モードレッドの白い首筋に突き立て、横に滑らせるだけでいい。雪のような肌から鮮血が噴き出し、この手は赤に穢れるだろう。だが、それが何だというのか。ブリテンを、アルトリアを、助けられるというのなら、この手がどれほど汚れても構わない。まだ何も知らぬ無垢なるモードレッドを、殺したって構わない。

 

 

そうだ、そうだ! 殺すべきだ!

 

 

 再びあの『声』が聞こえ、ケンの心をドス黒い色で塗りつぶす。ケンはこれが、長い人生の中で初めての殺人だった。榊原鍵吉であったころ、土佐藩の浪士3人に襲撃されたこともあった。信長に仕えていたころ、忍や敵方の武士にさらわれることもあった。それでも彼は、今までに一人として殺したことがなかった。

 

 そんな彼は今、主君のために人を殺す。大義のために人を殺す。

 

 

 

 ―――右手の刃は、太陽の光を反射して輝いた。その光は、あまりに見慣れた鈍色ではなく。

 

 

 

 ―――黄金に、輝いていた。

 

 

 

 

「―――!」

 

 

 

 

 

 

『こちらこそ、是非にお願いしたい! 私についてきてくれますか?』

 

 

『ふ、ふざけないでくださいよ! 何ですか今の技、反則です反則!!』

 

 

『あなたの料理は、いつ食べても絶品ですね!』

 

 

『え、えっとですね。ふ、ふふ二人っきりの時は、アルと呼んでくれませんか……?』

 

 

『―――私は、今改めて思いました。ブリテンの民を守護したいと。ヴォ―ティガーンは間違いを犯しましたが、その精神は本物だったのです。ならば私は、暴力でなく愛によって国を護る。混沌ではなく秩序によって民を束ねる。』

 

 

 

 

 

『―――あなたも、ついて来てくれますか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アル―――――?」

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

失敗した。

 

 

 

 

もう、心のどこにも殺意はない。こいつの心は愛で満ちた。黄金のような輝きで満ちた。

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

まあ、いい。

 

 

 

 

 

不愉快極まりないが、別にいい。この先いくらでも、機会はある。

 

 

 

 

 

楽しみにしておいてやる。お前がいつ、人を殺すのか。何度目の人生で、人を殺すのか。

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

愛。

 

 

 

 

 

殺意に勝てるものがあるとすれば、愛だけか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケンの手から、短刀が零れ落ちる。黄金のそれは日の光を反射し、ケンの瞳にぬくもりを届ける。かつて主の蛮行により、砕け散った黄金の剣。誰よりも早く彼を見初めた、勝利を示す選定の剣。

 

 

 

 ―――カリバーンが、地面に転がった。

 

 

 

「……? ッ!! てめぇ、何でてめえがこれを持ってやがる!!」

 

 

 ケンの力が緩んだことで、モードレッドはすぐさま跳ね起きた。そしてそのまま、地面に転がったカリバーンに手を伸ばす。

 

 

 ―――だが。それは一体、どんな奇跡だというのだろうか。

 

 

「な、に……?」

 

 

 ―――何の力もかかっていないはずなのに、カリバーンが独りでに動いたのだ。モードレッドの手から逃れるように地面を滑り、尻餅をついているケンの目の前で止まった。

 

 

「カリバーン……? ……そう、か。お前が、助けてくれたのか?」

 

 

 ケンは震える手を伸ばすと、その柄を握りしめた。モードレッドの時とは違い、カリバーンは微動だにしなかった。それどころか、より一層輝きを増したようですらある。

 

 

「……ありえねえ。そんな、そんなことがあっていいはずがねえ。」

 

 

 その光景を見ながら、モードレッドも震えていた。自分の底から湧き上がってくる気持ちがなんなのか、それに名前を付けられなかった。これは怒りか?それとも感動か?あるいは恐怖なのか?だが一つだけ、はっきりしていることがある。

 

 

 

 

 ―――カリバーンは自分ではなく、目の前の男を選んだ。

 

 

 

 

「てめえ、てめえは……。何者なんだ? 何でカリバーンを持っている? 何でカリバーンに選ばれている?」

 

 

 モードレッドは、震える膝で立っているのが精いっぱいだった。突きつけられた現実を、受け止めることが困難であったからだ。

 

 

「……俺、は。俺は……。」

 

 

 

 

 ――――ただの、料理人だ。

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 思わず聞き返したモードレッドは、その言葉を理解してすぐに怒りを発露させる。あまりに高まった感情は、魔力が雷として放出される。赤い雷が彼女の周りを奔り、髪が逆立った悪鬼のような姿になる。

 

 

「―――ふざけんな!! てめえ、オレの事を舐めてんのか!!」

 

 

 激情のまま、モードレッドは尻餅をついたままのケンに斬りかかる。赤い雷を纏ったそれは、たやすくケンの頭をかち割れるだろう。 ―――彼女に、その気があればの話だが。

 

 

「……。」

 

「……ふざけんなよ。なんで、防御しねえんだよ……。」

 

 

 モードレッドは腕を……いや、肩を震わし問いかけた。今にも剣を取り落としそうな彼女を見て、ケンはゆっくりと話し始めた。彼の懺悔と、決意を。

 

 

「―――俺は、お前を殺そうとした。いつかブリテンの敵になるであろうお前を殺し、ブリテンを護ろうとした。 ……愚かにも、俺だけの判断で。」

 

「……なら、何で直前で日和ったんだよ。あそこからなら、何度だってオレを殺せたはずだろうが。」

 

「……。」

 

「答えろ!!」

 

 

 叫ぶモードレッドに動じることなく、ケンは答えた。

 

 

「……アルトリアの事を思い出した。」

 

「アルトリア―――!? おい、何でてめえそれを知って―――!」

 

「俺が彼女の最初の臣下だからだ。彼女がカリバーンを抜いたその日、俺はそこにいた。そして、仕えさせてもらった。」

 

「最初の―――って、ちょっと待ちやがれ!じゃあ何でてめえがカリバーンに選ばれてやがる!!」

 

「……俺はブリテンの王になる者に仕えたかった。だからカリバーンのある場所で待ち続けた。何の気なしにカリバーンに触れようとした時、マーリンが現れた。」

 

「マーリン――!」

 

 

 モードレッドが教えを受けた師に伝えられた、クソッタレの魔術師。目の前の男の台詞の一つ一つが、モードレッドの記憶を呼び覚まし、彼の言葉が真実であることを伝えていた。

 

 

「マーリンは言った。『君がカリバーンを抜けば、君が王になってしまう』と。俺はあくまで王に仕えたいのであって、王になりたいんじゃない。」

 

「だからずっと、待ち続けた。アルトリアが、カリバーンを引き抜くその時を。」

 

「……。」

 

 

 モードレッドは黙りこくってしまった。与太話もいいところなケンの話を、それでも真剣に聞いていたのは、カリバーンがケンを選んだのをはっきりこの目で見たからだ。

 

 

「……なら、何でオレを殺すのを躊躇してんだよ。そうだ、ふざけんな! 父上の最初の臣下なら、父上の敵を排除すんのは当然のことだろうが!! いくらでも殺せるチャンスがあったってのに、何躊躇ってやがんだ!!」

 

 

 殺そうとしたことではなく、殺さなかったことに激怒するモードレッド。これこそ、彼女の歪みの正体。全ては王であるアーサーのためにあり、王の糧になることが善。王の邪魔になるものが悪。彼女のものさしは、彼女の中に存在しないのだ。

 

 

「それは―――」

 

 

 自立、とは自分で立つと書く。自分の中のものさしで、善悪を判断して行動すること。それこそが自立の条件であり、それが出来ないものはロクデナシである。その理論に従うのならば、ここにいるのは二人のロクデナシということになるだろう。

 

 

「―――アルトリアがそれを、望まないからだ。」

 

 

「―――!」

 

 

 

 モードレッドは、自分の身を震わせるこの感情の正体をようやく理解した。その名を、『感動』。彼女が生まれて初めて、自分の同類と出会ったことへの感動。

 

 

 

「―――てめえ、名前は?」

 

「……ケン。」

 

 

 モードレッドは、つうと一筋の涙を流した。

 

 

「そうか。なら、ケン。オレをアーサー王のところまで連れて行ってくれ。」

 

「……話を聞こう。」

 

 

 真剣な瞳でケンを見つめ、まるで少女漫画のワンシーンのような大胆で直球の告白を行うモードレッド。その瞳に戯れの様子がないことを確かめた上で、ケンは続きを促した。

 

 

「オレはアーサー王の姉である、モルガンの子供だ。つまり、オレには王位継承権がある。」

 

「……確かにアルトリアに息子が生まれない限り、次の王位につく可能性はあるな。」

 

 

 息子が生まれていたら、殺していたかもしれないが―――。その言葉は、今になってはケンの脳裏にひとかけらも浮かばなかった。モードレッドは深く頷き、話を続ける。

 

 

「オレは次のブリテンの王にふさわしい存在になるために、ありとあらゆることを学んだ。剣術に政治、処世術なんかをな。」

 

「それで次は、アーサー王のもとで働いて覚えをよくしたいと。なるほど、悪くない。」

 

「お、おう……。それはそうなんだが、何か訳知り顔されてんのムカつくな。」

 

 

 ケンはモードレッドの話を切り上げ、自分の最も知りたかった疑問を投げる。

 

 

「母親がモルガンなのはわかった。では父親はどうした? お前の言う王位継承権に近いのは、モルガンの夫である男のはずだろう?」

 

「ああ、そりゃオレが物心つく前に死んだらしい。だからオレは、父親の顔なんて知らねえ。」

 

「そうか、それは悪いことを聞いた。」

 

 

 

 ―――なるほど、大体掴めてきた。

 

 

 

(モードレッドは恐らく、アルトリアの実子だ。姉妹の間に出来た不義の子であることを隠すため、父親は死んだということにされたのだろう。)

 

 

 ケンがすぐにこのように推測したのには理由がある。ケンがここ、ブリテンに生まれ落ちる前に、とある経験をしていたからだ。ケンがかつて仕えた女性は、皇帝となった自分が女性であることに苦悩していた。女性の生き方と、皇帝の生き方。二つの間に板挟みになった彼女は、最終的に皇帝の生き方を選んだ。

 

 すなわち、性転換の薬を飲んだのだ。仙人由来だというその力は絶大で、彼女はどこからどうみても眉目秀麗のナイスミドルになっていた。もっとも、本人はそれを全く望んでいなかったのだが。

 

 

 ともかく、ケンは性転換をする技術があるというのを知っていた。そのため、モルガンがアルトリアを性転換させたという可能性にたどり着いたのだ。

 

 

(そんなモードレッドがアーサー王に反旗を翻すほど、アルトリアを憎むことになった理由とは何だ? 何が彼女をそうさせた?)

 

 

「……そういえば、アーサー王の事はどう思っているんだ? 俺は近くで見ていて、よくやっていると思うが―――」

 

 

 何気なく切り出したケンだったが、それに対するモードレッドの食いつきようはすごかった。

 

 

「はぁ!? ふっざけんなてめえ如きがアーサー王を気安く語ってんじゃねえ!!」

 

「ど、どうした急に。」

 

「いいか、アーサー王ってのは完璧な王だ! よくやってるなんてちゃちな誉め言葉なんかでいい表せる御方じゃねえんだよ!!」

 

「す、すまない、悪かった。」

 

「チッ、次言いやがったらぶん殴るからな。」

 

 

 なぜか怒られながらも、ケンは思考をやめない。少なくとも今の時点では、アルトリアの事を憎むどころか尊敬しているようだ。 ……いや、もはやここまで来ると崇拝の域か。

 

 だが、深い愛というのは裏切られたとき、強い憎しみへと変わるもの。ひょっとすると、モードレッドの心を裏切るような出来事が起きたのかもしれない。

 

 

(常に彼女のメンタルを気にかける必要があるな。)

 

 

「……んなことよりもよ! オレをさっさとアーサー王に会わせろよな!」

 

 

 とてもではないが、人にものを頼むような態度ではないモードレッドがケンに言う。しかしそれを、ケンは拒むことはしなかった。もとより、モードレッドは身内にするつもりだったからだ。

 

 

「―――いいだろう。お前をアーサー王に取り次いでやる。」

 

「――! へへっ、話が分かるじゃねえか!」

 

「だが、お前が騎士として認められるかどうかは別問題だ。取り次いだ後のことは、アーサー王に従うがいい。」

 

「わーってるよ! そんなもん、父上が間違えるわけがねえからな!」

 

 

 ケンは立ち上がり、モードレッドをキャメロットまで案内する。その後ろを意気揚々とついて行くモードレッドはきっと、自分の力で道を切り開いたことを誇らしく思っているに違いない。実際には、その道はケンの策略に過ぎないことを知らぬまま。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうだった?」

 

 

 ケンは王城から出る道中でモードレッドに声をかけるが、彼女の顔はどこか浮かない。それどころか、ケンを睨みつけてくる。

 

 

「……その分だと、何か納得いかないことがあったみたいだな。だがそれはアーサー王の言う事、従わないなどと言わないだろうな?」

 

「……わかってる。わかってんだよ、んなこと。」

 

 

 モードレッドの反応を見るに、命令に従わないというのはおそらく選択肢にないのだろう。だがそれが、納得できるかどうかというのは別の話というだけだ。

 

 

「―――だからって、何でオレがてめえなんかの従者にならなきゃなんねえんだよ!!」

 

 

 ――――Phase1、完了(コンプリート)

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

 

「……え? モードレッドという騎士を、ケンの見習いにしてほしい?」

 

「ああ、そうだ。中々見どころのある奴だからな、俺のもとで鍛えてやりたい。」

 

 

 ケンはモードレッドを城の外に残し、アルトリアに話を通しに来ていた。最初はケンの遅い帰りを心配していた彼女は、帰ってきたと聞いて顔を輝かせたが、突然の申し出に困惑しているようだった。

 

 

「……ひょ、ひょっとして女性だったり?」

 

「ああ。だが、何と言うか……心は男というか、自分は男と思っている女性というか……。」

 

「なーんだ、それなら安心ですね! 全然オッケー、もーまんたいです!!」

 

 

 喜んだり疑ったり、また喜んだりと忙しいものだ。まあひとまず許可が下りたため、ケンはモードレッドを迎えに行った。仮にアルトリアがモードレッドの地雷を踏んだのなら、俺の足もその上に重ねなくてはならない。足に力を込め、地中深くまで押し込まなくてはならない。覚悟を決めながら、ケンは玉座の間の扉の前で立ち止まった。

 

 

「さて、それでは謁見だ。くれぐれも、失礼のないようにな。」

 

「わーって……いや、承知した。行こう。」

 

 

 口調を整えなおしたモードレッドは、頭をすっぽりと覆い隠す鎧兜の姿で頷いた。アルトリアが余計な心配をしないようにという配慮だ。

 

 

「アーサー王、モードレッドを連れてきました。」

 

「―――入ってくれ。」

 

 

 モードレッドとアルトリアの会話は、うすら寒さを感じるほどに事務的で簡単なものだった。だがその温度のないやりとりこそ、二人が各々の理想的な姿であることの証だ。王は当然のように騎士を使い、騎士は当然のように王に従う。それこそ、理想的な主従というものだ。

 

 

「―――以上だ。何か質問はあるか。」

 

「いいえ、アーサー王。これより我が命、貴方様に捧げます。」

 

「―――そうか。ではしばらくは、そこのケンのもとで学びを深めるといい。必ずやお前の糧になることだろう。」

 

「はい。貴方の命令であれば、そのように。」

 

 

 アーサー王は、ケンの方を向いた。

 

 

「また貴方の仕事が増えてしまったな。だが、どうか許されよ。」

 

「貴方様の責務に比べれば、この程度。」

 

「頼もしい返事だ。よし、それでは下がるがいい。」

 

「はい。行くぞ、モードレッド。」

 

「……はい。アーサー王も、どうかご健勝で。」

 

 

 ケンとモードレッドはこうして部屋を出て、先ほどの会話に繋がるというわけだ。

 

 

「まあそう言うな。やってみれば、意外と料理人の仕事も楽しいかもしれん。」

 

「……チッ、やるって言ってんだろ。オラ、さっさと案内しやがれ。」

 

「わかって……ゴホッ!ゴホッ、ゲホッゲホッ!!」

 

「おいおい、風邪でも引いたってのかよ。オレにうつすんじゃねえぞ。」

 

「……すまない。少し、ほこりっぽかったからな。」

 

 

 

 ―――ケンはまた、嘘をついた。咳き込む口を押えた手のひらについた、血が混じった痰をハンカチでこっそりふき取った。自分に迫るタイムリミットが、まだ先であることを祈りながら。

 

 

 




「……なんか、びっくりしちゃった。いきなり話の感じが変わるんだもん。」

「……。」

「……。」

(二人とも黙っちゃった。ここが、重要なところってことかな?)


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第八幕 フィクサー

今回の話、ちょっとキャラディスのように見えるかもしれませんが、ご安心ください。心を知る前のマーリンはこんなものです。

感想・評価・ここすきなどしていただけると励みになります!!


 日差しが暖かくなってきた春のとある日に、オレはとうとうアーサー王への謁見を果たした。憧れ続けたあの方は神々しさすら覚えるほど、一つ一つの所作が完璧で、指の先に至るまで理想的だった。あの御姿を見た時、オレは不敬にも『あの人が本当にオレの父上だったなら、どんなにか素晴らしかっただろう』と思ってしまった。

 

 アーサー王のことを父上と呼ぶのは、オレの心の中だけの秘密の習慣だ。憧れと尊敬を込めてこう呼んでるが、母上には不評だった。現に、うっかりそう呼んじまった時の修行はいつもの3倍だったからな。そりゃ、母上からしたら死んだ本当の父上を思い出すから、面白くねえってのはわかる。反省はしてるけど、やめてはいない。それほどまでに、オレの中でアーサー王は大きな存在になっていた。

 

 

「ん……もう朝か……。」

 

 

 いつもは近くで飼ってる鶏がうるさく鳴いてから―――いや、正確にはデリカシーの欠片もねえあいつが起こしに来てから起き出すが、今日は妙に早く目覚めた。ま、あいつに叩き起こされなくて済んだと思えばいいか。

 

 

「……。」

 

 

 いや、待てよ。いっそ、寝たふりをしとくってのはどうだ? いつも澄ましてやがるあいつの顔が驚愕に歪むと思うと、なんだかおもしろくなってきやがった!

 

 

「……へへっ、どんな顔すんだろうな、あいつ。」

 

 

 しばらく待ち続けていると、いつものようにノックが3回。ブリテン流は2回だが、あいつはいつも3回たたく。故郷の習慣らしいが、オレはそんな場所聞いたことがねえ。

 

 

「モードレッド。入るぞ。」

 

 

 聞きなれた声が扉越しに聞こえてきて、こっちに一歩ずつ近づいてくるのを感じる。オレの感覚ならこの程度楽勝だ。そのまま近づいて、オレの布団に手がかかり、勢いよく引き上げられた瞬間、俺はその男の目の前に拳を繰り出した。まあ、寸止めのつもりではあったが。

 

 

「喰らえケン―――!」

 

「甘いわ!」

 

「あいたぁ!?」

 

 

 痛ってえっ!? ケンの野郎、起き抜けにいきなりデコピンかましやがった! ていうか、普通に起きてんの見破られてたじゃねえか!

 

 

「おはようモードレッド。よく眠れたようで何よりだ。」

 

「……クッソ。てめえ、気づいていやがったのか。」

 

「お前は寝相が悪いからな。やけに綺麗に寝てるなと思ったら、警戒するのは当然だろ?」

 

「……。」

 

 

 ムカつく。目の前でしたり顔をしてやがるのが、オレの……一応、上司ってことになってるケンって料理人だ。料理人の癖に、やたら強ええし勘がいい。その上、カリバーンにも選ばれてやがるらしい。

 

 

「さて、さっさと顔を洗ってきな。今日の朝食はポタージュだ。」

 

「わーってるよ……。」

 

「あ、そうそう。今日はガレスも一緒だ。あんまりいじめてやるなよ?」

 

 

 げ。あの優等生ヤローもいるのか。そういや、近々帰ってくるって話だったな。

 

 

「しねえよ! それとも……んだよ、オレがそんな事する奴に見えるってのか?」

 

「まあ、ないな。お前はそんなこと、する奴じゃない。」

 

「お、おう……。」

 

 

 ……あー、もう何だこれ!! こいつはいちいち、オレを戸惑わせやがる。んな真っすぐに言われたら、適当に言い返せねえじゃねえか。

 

 

「はぁ……。いいから、さっさと出てけよ! 今から着替えんだからな!」

 

「はいはい……。早くしろよな。」

 

 

 ムカつくままにゆっくり着替えて、あいつを待たせてやってもよかったが、何でかそれをする気にならなかった。とっとと着替えて、ドアを開ける。

 

 

「オラ、行くぞケン。さっさと飯作って、鍛錬だ鍛錬。」

 

「俺が上司なんだが……。」

 

 

 ぶつくさ言いながら後ろをついてくるケン。ハッ、いい気味だぜ。言っとくが、厨房でもオレは最強だ。今んとこケンの野郎に教わることも多いが、いつかオレが追い越してやる予定だ。そんなことを考えながら歩いていたら、あっという間に厨房についていた。だがどうやら、オレたちよりも早くについていた奴がいたらしい。

 

 

「あっ、モードレッドさん! それにケン師匠も!! お久しぶりです!」

 

「久しぶりだな、ガレス。前の円卓会議以来か?」

 

「はい! ですが、任地での食事は全て私が担当していましたから、料理の腕は鈍ってないはずです!」

 

 

 まるで仔犬が尻尾振ってるみてえにケンに話しかけるガレス。オレはどーも、あの優等生とはそりが合わねえ。

 

 

「おお、それはすごいな。では手を見せてみろ。」

 

「え……。て、手はちょっと……。」

 

「おや、ガレスは嘘をついたのか? 食事全てってのは、話を盛ったってことか?」

 

「そ、それはありません! で、では……どうぞ……。」

 

 

 おずおずと差し出されたガレスの手を迷いなくケンが掴んで、オレもそれを後ろから覗き込む。

 

 実際それは、あまり見せたくはないものだった。手のひらにも指にも、細かい切り傷が沢山ついている。それに、指の付け根の辺りには大量にマメが潰れた跡が出来ていて、白くて美しいと聞いていた面影はどこにもなかった。

 

 

「う、うぅ……。だからあんまり見せたくなかったんですよ……。」

 

「何を言うか。お前の頑張りが感じられる、いい手じゃないか。」

 

「え……! ほ、本当ですか!?」

 

「ああ。流石は“美しい手のガレス”だな。見直したよ。」

 

「あっ、え、えへへ……。て、照れてしまいますね!」

 

 

 顔を真っ赤にして俯くガレス。んだこれ。何見せられてんだオレ。

 

 

「……。」

 

「いてっ。 ……モードレッド? 何故足を蹴ったんだ?」

 

「……。」

 

「いてっ。ちょっと待てやめろ。いてっ。ちょ、いてっ、やめ、やめなさい!」

 

 

 どうにも面白くなくて、ついケンのふくらはぎをつま先で軽く蹴る。騒いでやがるけど、それはオレのせいじゃねえ。

 

 

「な、何が不満なんだモードレッド。教えてくれたら努力するから、執拗なローをやめてくれないか。」

 

「……マジだな? 取り消すなよ?」

 

「わ、わかった。何が気に入らなかったんだ?」

 

 

 チャンスだ。へへっ、この際無茶苦茶言ってやるぜ。鍛錬の時間を今の2倍にしろとか、献立を一週間肉限定にしろとか、色々考えられる。こいつの困った顔が見れんならサイコーだ。

 

 ……あー。でも、くっそ。優等生サマの……ガレスの、あの顔が忘れられない。

 

 

「……手。」

 

「ん?」

 

「手だよ手! オレの手も見ろっつってんだ!」

 

「え、そ、そんなことでいいのか?」

 

「んだよ、今度はケツでも蹴っ飛ばされてえのか!?」

 

「わかった、わかったから。じゃあほら、見せてみろ。」

 

 

 ケンが差し出してきた手に、オレの手を重ね合わせる。こうして見るとこいつの手、やっぱりオレのとは全然違う。あれこれと細かなところまで眺められたり、手のひらをなぞられたりするのがひどくくすぐったい。

 

 

「モードレッド……。」

 

「な、なんだよ。」

 

 

 あーもう! その真剣な顔でこっち見る奴やめろ! なんかドキドキするだろ!

 

 

「お前――――生命線すごい短いな。体に気をつけろよ?」

 

「ハァ?」

 

「いや待て、運命線がある。しかもこれすごいな、ごん太だ。」

 

「……何言ってんだ?」

 

「手相占いだよ。こういう、手の皺を見て色々占うんだ。」

 

 

 ……は? こいつ、オレの手で勝手に占いしてやがんのか?

 

 

「……な、なんだよそれ! ふざけんじゃねえよ!」

 

「どうした、何故怒る。」

 

「うっせえバーカ! バカケン!」

 

「ハハハ、冗談冗談。お前の手も綺麗だよ、モードレッド。」

 

「なっ……!!」

 

 

 こ、こいつ! こいつ、こいつ!! こっぱずかしくて、一秒だってここにいられない。

 

 

「バ、バッカ! バーカバーカ! 離せコラ!」

 

 

 何が何だかわからない気持ちに突き動かされるまま、厨房を飛び出した。火照った頬に当たる風がオレの体を冷やして気持ちいい。しばらくは、この感情に身を任せてもいいかもしれない。

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

 

「おおっと。おいおい、今から仕事なんじゃないか。どこ行くんだモードレッド。」

 

「ケン師匠……。あれはちょっと、やりすぎたんじゃないですか?」

 

「ついからかいすぎてしまったかな。後でしばきまわされそうだ。」

 

 

 困ったように頭をかくケン。ガレスはそれを笑いながら見ていたが、少し安心したような顔をしていた。

 

 

「でも、私は少しほっとしました! 前はもっとこう……抜き身の剣みたいだったモードレッドさんが、いつの間にかあんなに感情豊かになったんですから!」

 

「そうだな。仲良く出来そうか?」

 

「もちろんです! よき友、よきライバルになれそうです!」

 

「それは嬉しいな。あいつは実際、すごくいい奴なんだ。仕事を放り出して逃げたように見えるが、きっとそのうち戻ってくる。オレたちは下ごしらえだけしておいて、食器を洗いにいっていようか。」

 

「そうですね!」

 

 

 ケンとガレスが厨房を離れた後。すぐにブロンドの髪を揺らした騎士見習いが現れた。その人影は、既に仕事の大部分が終わっていることを不服そうにしながらも、手際よく仕上げを行って朝食を完成させた。できたスープを器に注ぐと、パンと共に盆に乗せた。その頃には不機嫌さも幾分消えていたようで、スキップでもしそうなほど、ご機嫌でとある部屋に向かうのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 この部屋の前に立つと、いつも緊張と興奮とが入り混じって体が震える。スープをこぼさないよう気を付けながら、盆を片手に持ち替えて空いた手でノックする。

 

 

「―――入ってくれ。」

 

「失礼致します!」

 

 

 オレは音を立てないようにドアを開け、ゆっくりと部屋に入る。そこにいたのは、誰よりもオレが敬愛してやまない人だ。

 

 

「……おや、今日はお前一人かモードレッド。ケンはどうした?」

 

「あのやろ……じゃなくて、ケン様は今頃鶏の世話に行っていると思います! 繁殖が上手くいきそうとのことだったので。」

 

 

 一応上司だから、ケンの野郎にも様づけしなきゃならない。こればっかりはどうもむず痒い。

 

 

「そうか。奴がこうして、食事の席を外すのは久しぶりだな。」

 

「そんなに長い間、食卓を囲んでいらしたのですか?」

 

「ああ。私が15のころからだから、かれこれ20年近くになるのか。奴は共に食事をすることで、人の心は通い合うと信じている。故に、一緒に食事をするというのをとても大事にしているのだが……ああ、なるほど。」

 

 

 父上は何か納得したように頷いた。本当なら、王の心を尋ねるなど不敬もいいところだが、どうしても気になってつい聞いてしまった。すると父上は、女神のような優しい笑顔をオレに向けて言った。

 

 

「これはきっと、私たちが親交を深められるように、ケンが取り計らった事なのだろう。あの時もそうだった。円卓の騎士たちが集まり、初めての円卓会議が行われたときも。沢山の料理を運んできたケンに皆面食らっていたが、あれは見物だった……。」

 

 

 心の底から懐かしそうに笑う父上。なにか、オレの知らない新しい一面を垣間見たようで気分がいい。

 

 

「……よし、ならケンがくれたせっかくの機会だ。モードレッド、お前の分の朝食も持ってくるがいい。一緒に食べて、話をするとしよう。」

 

「え!? そ、そんな、そんな、幸甚、い、いいのですか!?」

 

 

 マジか!? マジでマジのマジか!!??

 

 

「もちろんだ。私は普段執務に追われ、お前たちのことを深く知る機会はなかったからな。この機会に、いろいろ聞かせてほしい。」

 

「は、はい!! すぐに持ってきます!!!」

 

 

 オレは部屋をあくまで冷静に、クールに出て、扉が閉まったのを確認した途端に全力で駆けだした。アグラヴェインの野郎に見つかったらうるさいだろうが、そんなことを気にしている場合ではない。全速力でオレの朝食を用意し、父上の部屋に舞い戻る。『えらく早かったな』とおかしそうに笑ってくださっただけで、オレは天にも昇る気持ちだった。

 

 そこから先は、どんな話をしたのかまったく覚えていない。それでも、本当に夢のような時間だったことだけは覚えている。

 

 

「……そ、それで! ケンの奴、『俺の人参が一番に決まってる、なんてったって年季が違うぜ』なんてイキってたのに、掘り起こしてみたら一番しょっぼいサイズで! 他のじゃがいもも、大根も、牛蒡も! あいつの作ったもの、全部しょぼかったんだぜ!」

 

「ハハハ、その時のケンの顔が是非とも見たかったものだな。」

 

「めちゃくちゃションボリしてた! オレでさえ、慰めてやるかって気持ちに……ハッ!」

 

 

 やべえ、何やってんだオレは!? 調子こいて、父上にタメ口こいちまった! すぐに謝ったら許してもらえねえかな!?

 

 

「あ、アーサー王!! 申し訳ございません、つい馴れ馴れしくしてしまい……!」

 

「何故謝るのだ、モードレッド。私は貴卿の、そのような接しやすいところを評価しているのに。」

 

「そ、そのような……!」

 

 

 ゆ、夢!? 絶対夢だろこれ!!

 

 

「それよりも、話の続きを聞かせてくれないか。そう……。特に、貴卿がケンと、親しくなった経緯を聞きたい。」

 

「そ、そんなことでいいのですか? あまり面白い話では……」

 

「いい。ただ、気になるだけだ。」

 

 

 妙にグイグイ来るなと思ったが、きっと何か尊いお考えのあってのことだろう。だが、特に喋れるようなことはない。オレがどんなに反抗的な態度をとっても、絶対に見捨てることはなかった。真っ向から叱ってくれて、その後はしっかり慰めてくれて……。その姿がただ、父上が本当にいたらこんな感じだったのかもなって思っただけであって……。

 

 

「……ふむ。つまり貴卿は、ケンに父の姿を見出していると。」

 

「ち、違うのですアーサー王! あれは別に、そんなんじゃなくて……。」

 

「いいやそう言う事だ。モードレッド、あなたはケンを親と思っているのだ。」

 

 

 な、なんか今日の父上押し強くねえ!? そんな違和感は、次の言葉であっという間に吹っ飛んだ。

 

 

「いいのだ、モードレッド。ケンもお前を子供のようだと思っていると言っていたし、それは私にとっても同じことだ。ケンの子供であるのなら、それは私の子供であるも同然なのだから。」

 

 

 ……え? オレ、今、アーサー王に、子供、って……。

 

 

「……も、申し訳ありません、アーサー王。オレ、いや私は少し、めまいがしてまいりました。」

 

「そうか。あまり無理をするな、モードレッド。ケンのもとに帰り、この話を聞かせてやるがいい。いいな、絶対に聞かせるのだぞ。お前は私とケンの子供だからな???」

 

 

 やべえ…………。なんか、もう、フラフラする…………。幸せ、すぎ、て……。足、だけは、うご、く……。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「ふーむ……。頭の中で、真っ黒な声がね……。」

 

「ああ。心当たりはないか?」

 

 

 ケンはマーリンを呼び出し、以前モードレッドを組み伏せた時に感じた強い殺意について相談していた。今まで覚えたことのないほど強烈なそれが、どうしても自分のものとは思えなかったからだ。ここブリテンでは魔術や呪術の類が豊富なため、そういう魔術が存在しないのだろうかと思い、マーリンに相談してみたのだ。

 

 

 

「うーん……。まあ、魅了(チャーム)の原理を応用すれば出来ないこともなさそうだけど。にしたって、モードレッド卿を殺したかったなら自分で手を下せばいいことだしね。」

 

「……それに、『何度目の人生で人を殺すのか』とも言っていた。俺のことも良く知っているみたいだ。」

 

 

 全ての現在を見通すマーリンであっても、見破れないケンの中の黒い殺意。しかし皆さま、忘れてはなりません。彼は親切で賢い魔術師ではなく、自分の趣味嗜好しか考えないサイコパス。この世で最も、力を持たせてはいけない人種でございます。そうなれば当然、真実を隠すことすらあるわけです。

 

 

 

 

 

 

「……まあ、この話はこんなものか。じゃあ次の質問だが、俺はあとどのくらい生きられる?」

 

「うーん、こればっかりはどうにもわからないね。私は現在の全てを見通す目を持ってはいるけど、未来が見えるわけじゃない。そりゃ、病気の具合とか怪我の様子とかから、『もうすぐ死ぬだろうなー』とかはわかるけど、それは予測であって予知ではない。」

 

 

 最近ケンの体を蝕み始めた急な衰え。咳の中に血が混じっていたり、妙に疲れやすくなっていたり。特に、激しい運動をした後は症状が出やすかった。

 

 

「それでも、何故君が弱っているのかはわかるよ。聞きたいかい?」

 

「……勿論だ。今は誰もいないし、早いところ聞かせてくれ。」

 

 

 ケンの言葉にマーリンは頷き、何でもないことのように平然と語った。

 

 

「いいかい、ケン。君の体はね――――」

 

「ッ!? おい待て!」

 

 

 ケンの耳が、こちらに向かって歩いてくる何者かの足音を捉えた。不規則なリズムを刻むそれは、ふらふらと歩いていることを表している。

 

 

「ひょっとしたら誰か、怪我でもしたのかもしれな……ッ! モードレッド!?」

 

 

 ケンの視線の先には、顔を真っ赤にさせてふらふらと歩くモードレッドがいた。すぐさま駆けつけ、その体を抱きとめると、膝枕をして寝かせた。まるで熱に浮かされたようで、ケンは額に手を当てたり、仰いで風を送ってやったりした。

 

 

 だというのに、空気の読めない奴はとことんダメなものである。

 

 

 

「おや、モードレッド君か。もう少し持つと思ったけど、意外と早かったね?」

 

「……どういうことだ、マーリン!! 今すぐ答えろ!!」

 

 

 まるで黒幕のような話ぶりに激昂するケン。マーリンは少しも悪びれることなく答えた。

 

 

「だって彼女は普通の人間ではないからね。人造人間(ホムンクルス)という、作られた存在なんだ。ちなみに作ったのはアーサー王の実姉、モルガン・ル・フェ。君も聞いているだろう?」

 

「……ああ。アルトリアから聞いた。アルトリアを敵視し、ブリテンの王位を狙っている魔女だと。」

 

「うんうん。モードレッドはそんな彼女が、キャメロットを内部から破壊するために送り込まれたスパイみたいなものなんだ。もっとも、本人は心からアルトリアに仕えているみたいだけど。」

 

「モードレッドが、スパイ……。」

 

 

 その事実を聞いてなお、ケンはモードレッドをひとかけらも疑わなかった。誰よりも近くで、彼女が必死に努力していたことを知っているからだ。慣れない料理や、畑仕事に悪態をつきながらも、決して投げ出したり逃げ出したりすることなく。最後にはやり遂げて、共に喜び合った。その尊い日々は、思い出は、嘘ではないと信じる。

 

 

 

「ホムンクルスは普通の人間より成長が早いから、基本的に優秀な人物が多い。でもその代わり、寿命が短くてね。まあ30年も持てばいい方じゃないだろうか。」

 

「30年……。しかし待て、モードレッドはとても30歳には見えないぞ。」

 

「うん、実際20にもなってないんじゃないかな。というかさっきも言ったけど、成長が早いからね。実のところ一桁かもしれない。」

 

 

「まあつまり、寿命にしては早すぎると思ったのさ。モルガンに魔術を教えたこともある私としては、彼女の魔術師としての実力は疑いようもないしね。設計ミスっていうのも考えづらい。」

 

「……もったいぶるな、早く話せ。」

 

「まあつまりはね? いつまでもスパイ活動をしないモードレッドに業を煮やして、処分しちゃえってなったのかもねって。」

 

 

 使えないものは、処分する。そんな、人間の命とは、そんな風に扱っていいもののはずがない。あんなに頑張って、あんなに楽しそうだったモードレッドの日常を、奪う権利などあるはずがない。

 

 

「……マーリン、そのモルガンってやつの居場所を教えろ。」

 

「おっ、カチコミかい? いいねえ、派手にやろう!!」

 

 

 なぜかテンションの上がるマーリンに、昔の軍師と呼ばれる同僚たちの姿をみたが、今は懐かしさに浸っている場合ではないし、そもそも攻め込むわけでもない。

 

 

「居場所と、それからモルガンの今までの人生全部、出来る限り詳細に! アルトリアに聞くわけにもいかない、絶対止められるし!」

 

「それはそうだろうね。でもいいのかい? 相手は恐ろしい魔女だよ?」

 

 

 恐らくこちらの心配など微塵もしていない、マーリンの白々しい言葉に、ケンは迷いなく返した。

 

 

「―――俺は、料理人だ。モルガン・ル・フェイの心、何とかして融かしてみせる。」

 

 

 腰にぶら下げた短剣は、ケンの気高い心のように、黄金の輝きを見せるのだった。




「……な、なんか勘違いでケンさん死地に送られそうになってるんだけど。マーリンって人ひどくない?」

「フォーウ!フォウフォーウ!!」

「うわっ、フォウ君!? ここぞとばかりにアピールしてくるね!? 初出演だから!」

「フォウ殿も、マーリンには思うところがあるのかもしれませんね。」

「まったく、あいつはかなりのロクデナシだからな。」

「自分の部下を好きな人との子供ってことにして、既成事実狙いに行くのも相当だと思うよ私は。」


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第九幕 死の痛み

今回、ようやくケンに関する大きな謎に、指一本を駆けることが出来ました。謎の全てが判明するまで何年かかるんですか? もうホームズが全部解き明かせばよくない? とか思ってしまいそうですが、頑張っていきます。

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 ケンはマーリンからモルガンの居城とその人生とを教わると、すぐに馬に飛び乗って走りだした。彼があとほんの少しでもその場にとどまっていれば、モードレッドは実際には何ともないことがわかったはずだろうが、人が誰かを深く想う心に比べれば、そんなことは些事であろう。それに遅かれ早かれ、モードレッドの寿命のことを知れば、ケンはこうしただろう。

 

 さて、馬を駆るケンは森を抜け、山と谷とを一つ越え、二つ越え、馬を全力で駆けさせたにもかかわらず、日が暮れようかという頃に、ようやくモルガンの住まう城にたどり着いた。城壁はぼろぼろに朽ち、長い年月が過ぎたことと、誰も管理をしなかったことが察せられる。だというのにこういう古い建物にはつきものの、壁に絡みついて天へと伸びる蔦の類は一切見当たらない。せめて緑でもあれば多少はマシな彩りになると思うのだが。灰色の石の壁からは生命の温度を感じられず、ケンは思わずマーリンからの情報を疑ってしまう。

 

 

「ここが、モルガンの住む城……。」

 

 

 ケンはここまで必死に走ってきた友の背から降り、彼を十分に労った。近くの澄んだ湖でたっぷりと水を飲ませ、青草の茂る場所に杭を打ち、手綱を長めに固定してやると、再び城の門の前に戻った。背中に背負った大鍋に、カリバーンの他に持ってきた刀とが当たって音を立てる。本当はもっと日本刀に近いものが欲しかったのだが、とてもではないが時代を先取りしすぎた代物だった。今ケンが佩いているのは、ただ単に細くて薄くなった、安っぽいロングソードのようなものだ。だが在る物で何とかするのはいつものこと、ケンは覚悟を決めて門戸を叩く。

 

 

「私はアーサー王の料理人、名をケンという!! モルガン様のご子息、モードレッドのことで話がある!! 誰かいるのなら、この門を開けてくれないか!!」

 

 

 木製の扉を力いっぱいに叩き、ケンは誰かがいるという望みをかけて声をかけ続ける。マーリンからの情報によれば、彼女は魔術で大抵のことを一人でこなせるため、召使いや兵士といった城には当然存在する者たちまで排除し、孤独に過ごしているのだという。もしどうしようもなければ門をぶち破るつもりでいたが、それをやって心象を悪くするのもいけない。ケンはモルガンを倒しにきたわけではなく、モードレッドを治してもらうために来たのだから。

 

 

「―――! 開いた……。」

 

 

 その気持ちがモルガンに伝わったのか、はたまた自らの縄張り(テリトリー)にケンを誘い込みたいのか。どちらにせよ、門が開いたのなら行かないという選択肢は存在しない。ケンは腰の得物の位置を確かめながら、ゆっくりと足を踏み入れた。

 

 

 ―――そこは、ひどく静寂に満ちた場所だった。人間どころか、ネズミや虫のような小さな命すら感じられない冷たい場所だった。もしモルガンが本当に、ここでたった一人で暮らしているというのなら、精神に異常をきたすのではないかと思うほど淋しい場所だった。

 

 だが決して油断してはいけない。現在のブリテンよりも遥かに神秘が薄く、魔術のレベルが下がった時代であっても、結界二十四層、魔力炉三機、猟犬代わりの悪霊、魍魎数十体、無数のトラップ、廊下は一部異界化という完璧な防御を敷くことが出来るのだ。

 

 爆弾によって儚く散ったそのトラップたちのことはともかく、ケンはこれからこの城を、真っ向から後略せねばならない。はっきり言って無謀―――否、死にたがりとしか思えない。もし本当に攻略するつもりがあるのなら、足踏み一つ間違えてはいけない。

 

 

「……マーリン、信じるぞ。」

 

 

 だがこの男、魔術の知識はゼロである。この城に足を踏み入れることが出来ただけでも喜ぶべきことだが、ここから先どこにどんな罠や仕掛けがあるのかなど、まったく見破れない。ならばどうするか?

 

 

「―――ッ!!」

 

 

 ―――真っすぐ、突っ走ったのだ。

 

 

 一歩目、二歩目までは何も起こらなかった。だが三歩目を踏み出した瞬間、前方から無数の魔術の矢が飛来する。ケンの視界は赤く染まり、その無数の矢が体中を貫き、残らず貫通していった。悲鳴を上げ、倒れ伏すケン。一歩も動くことの出来ない男を見て、魔女は何を思うのか―――。

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

「―――何だ? あの男は。」

 

 

 虫の声すら聞こえない古城。その一室で、妖妃モルガンはピクリと形のいい眉を動かした。彼女は千里眼こそ持たないが、遠見の魔術なら素晴らしい技術を持っている。ブリテン島全てをすっぽりと覆うほどに影響範囲は広く、もし彼女が王であったならば、あらゆる反乱の芽は一瞬で摘まれることだろう。惜しむらくは、現実には彼女こそが反乱を起こす者だということだ。

 

 

「……カリバーンを奴が抜いた時、真っ先に仕えんとした者がいたと聞くが、奴がそれなのか?」

 

 

 彼女が覗き込む水鏡の中には、忙しそうに働く精悍な青年が映っていた。畑を耕し、家畜の世話をし、市場に繰り出しては買い物をする。とてもではないが、重臣の働きには見えない。仮に奴が最初の臣下だったとしても、取り立てて美点もない、普通の人間なのだろう。

 

 やがてその男は厨房へと行き、モルガンが初めて見る野菜を調理し始めた。手際よく行われる職人芸というのは、見ているだけでつい時間が過ぎていってしまうもの。モルガンはつい男によって着々と料理が完成していく様を眺めてしまっていた。

 

 

「……こんなことに時間を浪費してしまった。くだらない。」

 

 

 モルガンは本来の目的を思い出し、水鏡が映す対象をアルトリアに切り替える。あの完璧と呼ばれる王の、ほんの少しでも欠点や弱点を探るのが目的だ。

 

 

「……何だ、あれは?」

 

 

 そこに映ったのは、彫刻のような温度のない顔をした完璧な王などではない。ふにゃふにゃとした笑顔で食事の配膳を眺めている女性だった。それを行っているのは例のあの男であり、手には目で見ているだけで食欲をそそる、美術品もかくやという皿の数々。

 

 

(あれが完璧な王……だと?)

 

 

 目を離すことが出来ないまま、モルガンも配膳の様子を眺めていた。カトラリーをアルトリアの前に並べる男の手に、アルトリアがそっと手を重ねる。それを男はパッと跳ね除ける。

 

 

(……王のくせに、拒絶されたのか? 威厳というものはないのか?)

 

 

 そしてそのまま、何故か男もテーブルの反対側の席に着く。アルトリアが神に食前の祈りを捧げ、男は両の掌を合わせて何かを呟いた。男の方の祈りはすぐに終わったようだが、アルトリアの事を待っているのか食事に手を付けることはしない。最低限の礼儀はあるらしい。

 

 そのまま食事が始まり、アルトリアは男と談笑しながら食事を進める。アルトリアは上気した頬で、男と皿とを交互に見つめ、この世の全ての幸せを享受したかのような気の抜けた顔を晒している。こんな、こんな奴に私はブリテンを奪われたのか。

 

 怒りで指先が震えるのを感じながら、モルガンはさらに厳しく監視を行うこととした。アルトリアと、自分が送り込んだ最も高い駒であるモードレッド。両名の監視を続けていると、衝撃のものを目にしたのだ。

 

 

「馬鹿な……!! 何故、あの忌まわしい剣があの男のもとにある……!!?」

 

 

 そう、カリバーンだ。カリバーンが折れたという噂が流れた時、モルガンはほんの少しだけ、それによってアルトリアが求心力を失わないかと期待した。もっともすぐにエクスカリバーが現れた上、モルガン自身も何らかの対策を予見していたため、落ち込みはしなかった。

 

 だがそのカリバーンが、例の男を選んでいたというのなら話は別だ。実のところ、モルガンはカリバーンに触れたことすらなかったからだ。モルガンが挑む前にアルトリアが剣を抜いてしまい、その話は一瞬にして人々に広まった。もはや誰も、アルトリア以外の王を認める雰囲気ではなかったのだ。

 

 ……いや、正確に言えば彼女の王権を認めないものたちはいた。モルガンはそれを大々的に示すことはなかったが、モルガンの夫でありガヴェイン卿やアグラヴェイン卿の父親でもあるロット王をはじめとする12人の王たちなどだ。

 

 だが、モルガンは自らの夫である彼に対し、特に何かをすることはなかった。ロット王がアーサー王に反旗を翻すと聞いた時も。彼がペリノア王と戦い、戦死したと聞いた時も。彼女はただ、『そうですか。』と言っただけだという。人々はこの振る舞いを、夫の死に対して何も感じない冷血だとも、いつ死ぬかわからぬ騎士の妻として、理想的な女性だとも言った。だが、真相はどちらでもない。

 

 モルガンにとって、彼はどうでもいい人間だったのだ。自分の色香に惑わされた、凡百の人間の中の一人でしかなかった。故にもう、覚えていない。鋼のような筋肉を纏った、逞しい腕で押し倒されたことすら覚えていない。ただ彼が常人より遥かに強かったため、子を産む種としてはちょうどよかった。ただそれだけのこと。ロット王が負けたところで何の問題もない。自分の手でキャメロットを崩し、アルトリアから王位を奪い取るまでの事。

 

 

 

 ―――話を戻そう。モルガンはモードレッドが手に取ろうとしたカリバーンが、男のもとに滑って移動するのを見た。王の資格のない者には決して引き抜けないというあの剣は、男を主として認めているように見える。

 

 

 

(選定の剣が選ぶ人間は、一人だけではないのか……!? もしあの男もカリバーンに選ばれているのだとしたら―――!!)

 

 

 

 ひょっとしたら、自分にも王の資格があったのかもしれない。ブリテンを手に入れることが出来たのかもしれない。

 

 

 いつの間にかモルガンの拳が水面を打ち、水鏡を破壊していた。飛び散った水飛沫で濡れた服が苛立ちを加速させる。

 

 

「―――あの男は、アルトリアの止まり木にして王の資格を持つ者。生かしてはおけない。」

 

 

 ここまで嫌というほど見せつけられた、アルトリアの幸福な生活。執務をこなし、美食に舌鼓をうち、仕事が終われば愛する(ヒト)と蜜月の時を過ごす。決して許すわけにはいかない。認めるわけにはいかない。叩き潰さなければならない。

 

 そのためにも、あの男。ケンという料理人は、必ず殺さなくてはならない。奴がいるだけでアルトリアの精神が安定する上、王と王妃がそれぞれ不倫をするという仮面夫婦まで成立させている。さらに、アルトリアを斃したとしてもあの男が蜂起する可能性がある。カリバーンを掲げれば、求心力は十分だろう。

 

 

「料理人というお前の人生に、ふさわしい終わりをくれてやろう。 ―――“内側から」

 

 

 呟きながら、モルガンは左手の掌を宙に向ける。すると手のひらの上に、ぼうと赤黒い光球が現れた。

 

 

「―――壊れる”」

 

 

 光球を握りつぶすと、まるでトマトが潰れたような音と共に、大量の血が噴き出した。これはモルガンの行使する魔術の中でももっとも簡単な部類のもので、対象の体の中に魔力の爆弾とでも言うべきものを仕込み、爆破することで内側から爆裂させるという凄惨な殺し方だ。

 

 並みの人間ならば―――いや、並みの魔獣ならばこの程度の魔術でも確実に仕留められる。そこらの魔術師が組んだ防御ならば、あっさりと突破してのけるだろう。だが、水鏡の中に映るケンには、何の異常も感じられない。

 

 

「―――やはり、防御の術式はかかっているか。マーリンが向こうにいる以上、その可能性は把握していた。」

 

 

 そう、ほとんどの敵を何の危険もなく葬り去れるであろうこの魔術による攻撃すら、モルガンにとっては小手調べでしかない。なにせ、相手には魔術師の頂点にして自らの師、マーリンがついているのだから。腹立たしいことに――――本当に、腹立たしいことに、マーリンの魔術は一流という言葉では言い表せないほど完成されている。キングメーカーである奴はおそらく、ケンをアルトリアのバックアップにしているであろう。であれば、魔術による暗殺に対する防御も察しがつく。

 

 

「まあいいだろう。奴を殺すチャンスなどいくらでもある。それこそ、自分からやってきてくれるようだしな。」

 

 

 床にこぼれた誰のものとも知れない血を、魔術によって温度もなく蒸発させながら、モルガンは呟いた。彼女の見つめる水鏡の先では、ケンが急いで馬に乗っている。走り出した方角と、突然倒れたモードレッドから判断して、おそらくはこの城を目指しているのだろう。

 

 

「城の防御を突破してここまでたどり着いたのなら、私が直々に殺してやろう。 ……ああ、なんだか楽しくなってきた。私の城、どうか楽しんでくださいね? 久方ぶりのお客様―――。」

 

 

 

 魔女は声もなく、ただ口元だけで笑った。その笑顔が嘲りを含んだものなのか、それとも無垢なるものなのか。誰にも、知りようはなかったのである。

 

 

 

 

 

――――――――――――――― 

 

 

 

 

 

「かっ……! く、ぁああぁぁああっ……!!」

 

 

 石でできた冷たい階段の上。ケンは今、殺虫剤を噴霧された虫のようにうずくまって呻いていた。その理由は単純、モルガンの魔術をもろに喰らったからだ。

 

 

「いき、てる……!! う、生きてる……! 俺はまだ、生きて……!!」

 

 

 体中に魔術の矢を受け、ケンは全身に穴を空けられた痛みにもだえ苦しんでいた。だが、その体から一滴として血は出ていない。マーリンの言葉を思い出し、何とか段階を踏みながら立ち上がった。

 

 

「『君に魔術は効かないよ』か……。真実で嬉しいが、出来れば後半部分は間違ってて欲しかった……。」

 

 

 ケンはモルガンの城に来る前、一つの助言を受けた。その時の言葉をすべて、以下に記すとしよう。

 

 

 

 

 

『ああ、モルガンの魔術は超一流だとも。でも心配いらない、君に魔術は効かないよ。』

 

『私にプライドなんてものがあったとしたら、君のことが憎くて仕方なかったかもしれないけど、まあ無いからね。だけどモルガンにとってはそうじゃないかもしれないから、そこは重々気を付けてくれ。』

 

『ああそれと、魔術が効かないとは言ったけど、それは“傷つけることが出来ない”という意味だ。魔術によってけがを負ったり、死ぬことはないと断言できる。まあ、喰らったら死ぬほど痛いと思うけどね。』

 

 

 

 

 

「文字通り、死の痛み……。何度も喰らえば、痛みでショック死するかもしれないな……。」

 

 

 ガクガクと震える足と、痛みを恐れて逃げようとする弱い心に鞭を打ち、ケンは再び前に進む。そこからは本当に地獄と言えた。死霊魔術で作られた骸骨兵たちはまだいい方で、網目状のレーザーで出来た壁のようなものが迫ってくる回避不能のトラップや、魔術の矢と物理の矢が入り混じった矢の雨など、殺意をひしひしと感じる罠たちを時に躱し、時にその身に受け、のたうち回った。

 

 

 それでも彼はただひたすらに前に進んだ。罠が苛烈さを増す度に、これはきっとモルガンのもとに近づいているのだと考え、軋む足を前へと進めた。焔に身を焦がされては倒れ、雷をその身に受けては声も出せぬ痛みに悶えた。

 

 ケンは何度も、何度も、自分の体から鮮血の噴き出す幻影を見た。自分の体がありえない方向に曲がっている激痛を見た。実際には何ともない体に、どちらが真実なのかわからない、根源的な恐怖を見た。

 

 それでも、それでも彼は前に進んだ。幾度となく死の痛みを感じながら、それでも彼の足は止まらなかった。その苦悶に満ちた道行きは、孤独な魔女の心に届くことはなかったが、一人の気楽な花の魔術師の、興味を引くには十分すぎた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

「おやあ? 別のボクがやけにご執心な子がいると思ったら、いつの間にか面白そうなことをしているね。ちょこっと調べさせてもらおうかな。」

 

「ふむふむ? モードレッドを短命の定めから救うために、モルガンの城に単身乗り込んでいったと……。え、何それ面白すぎない? それであんな、何度も何度も死に至る罠にかかって悶えてるんだ。」

 

 

「あ、今度は極寒の冷気の中に放りこまれた! ひどいな、北極なんか比じゃないぞ! さっき業火に巻かれたばかりだっていうのに、あっちのモルガン君は容赦ってものを知らないのかな? まあでも、熱さの後に冷たさっていう芸術点は高いよね。100マーリンポイントをあげよう。そしてそれを喰らった苦悶の表情の君には4500マーリンポイント!! そこから止まらずに歩き出したことでポイント倍だあ!! 10000マーリンポイントでボクがストーカーになるから頑張ってね。」

 

 

「冗談はさておき、これは中々どうして、性癖にクリーンヒットする子がいたものだ。しかもこれ、えーすごいな! ()()()()()()()()()()()()()()()じゃないか!」

 

 

「マーリン? さっきから一人で、何をぶつぶつ言っているんだい?」

 

 

「大したことじゃないよ、アーサー!! ……これはしばらく、退屈しないで済みそうだね。今は別のボクが一緒にいるから顔を合わせにくいけど、彼が死んだら会いに行くのも面白そうだ。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ケンは進む先で部屋を見つけてはノックをし、返事が返ってこなければドアを開けた。外れのドアを引くたびに罠が作動し、ケンは死の痛みを味わった。酷く非効率な方法だったがしかし、それしかケンには手段がなかったのだ。

 

 

「……諦めない、諦めないぞ。必ず、会うんだ……。」

 

 

 満身創痍になりながら、なお傷一つついていないケン。体はなんともなくとも、精神はボロボロになってしまっている。それでもすがりつくように扉に手をかけ、ほとんど倒れ込むようにノックを行った。

 

 

 

 ――――そしてようやく、待ち望んだその声が聞こえた。

 

 

 

「―――よくここまでたどり着きました。入りなさい。」

 

「――! やった……! ついに、見つけたんだ……!!」

 

 

 涙ぐみながら、ケンはドアを開いた。その先にいるのがどんなに恐ろしい人物でも構わないと思った。ケンの城の探検は、ここでようやく終わりを迎えることが出来たのだ。

 

 

 

 ―――だが、それが良くなかった。扉の先に待ち構えるのは、歴史に名を残した()()だというのに。

 

 

 

 

「―――え?」

 

 

 

 

 ケンが見たのは、こちらを向いている無数の剣。湖の穢れた部分だけを掬ったかのような、本質的な嫌悪感を感じる色の魔力で構築されている。そして何より、今まで見てきた中で最も冷たい、絶対零度の瞳。

 

 

 

「―――簡単に終わらないように。」

 

 

 

 モルガンの手がひときわ大きく輝いたかと思うと、武器たちが一斉にケンに向かって飛来する。いや、それだけではない。撃たれた次から次へと補充され、ケンの肉体を貫き続けていく。魔力の炸裂する轟音はあるべき悲鳴をかき消し、ただ苦痛だけを押し付ける。

 

 

 ―――そこにあるのはまさしく、圧制だった。民草の声に耳を傾けることなく、ただ自らのやりたいように行われる政。ようやく全ての武装が撃ち込まれたとき、そこにいたのは男ではなく、無数の武器が撃ち込まれた剣山。もはやケンの姿などどこにも見えず、おぞましい雰囲気だけを感じる物体であった。

 

 

「―――心配せずとも、本気ではありません。」

 

 

 モルガンは先ほどまでの冷たい声とはうって変わって、ひどく楽し気な声を発した。まるで少女が、新しいおもちゃを手に入れたかのように。

 

 

「久しぶりのお客様で、浮かれてしまったようです。まだ聞こえているかどうかはわかりませんが、次が最後です。安心して喰らってくださいね。」

 

 

「では―――」

 

 

 ニコニコと笑顔を浮かべたまま、モルガンは再び手を掲げた。見れば、剣山の上から一際巨大な槍が迫っている。目を凝らせばわかることだが、その槍はかの聖槍・ロンゴミニアドに瓜二つだ。

 

 

「―――堕ちよ。」

 

 

 最終通告が為され、穢れた聖槍が剣山を貫く。それに反応したかのように、全ての武装が光を放ち、轟音と共に爆裂した。その爆風からモルガンは障壁で身を護りつつ、物体があったはずのその場所を見つめ続けた。普通の人間なら―――いや、もはや円卓の騎士たちでさえも葬りかねないその猛攻を受けたのだ。もはや原型を留めるどころか、塵一つ残らなかったとしても不思議ではない。

 

 

 

 

 ―――それは、果たして喜ぶべきことなのだろうか。

 

 

 

 

「―――流石に私も驚きました。いくら工房を破壊しないよう手加減していたと言っても、あれを受けて肉の形を留めますか。」

 

 

「あなたは、やはり――――ただの人間ではないようですね。」

 

 

 ケンは、何も答えなかった。体中に血は滲んでいたが、自分のすぐ側で爆発が起きたとは、到底信じられないほどの軽傷だった。彼が何も言わなかったのは痛みのショックで気絶していたのか、それとも自分の体の変化に呆然としていたのか。物言わぬ口の代わりをするかのように、心音だけが空しく響き渡るのであった。

 

 

 

 

 

 

 




「いやあ、あれはひどかったですねえ。死ねないのが逆に辛くて、終わりがないんですよね。」

「……。」

「そ、そのように思いつめないでくださいマスター。今の私はほら、ピンピンしてますし……。」

「私の姉が、本当に……。こうして目にするとまた、新たな感情が湧き上がってくるものだ。カルデアに召喚されたらただじゃおかないからな。」


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第十幕 根源に至る道

「その体、興味が湧きます。」

 

 

 モルガンは未だピクリとも動かないケンに対し、聞こえているかもわからない言葉を投げかける。

 

 

「こうしてあなたを間近で見てわかったことですが、あなたからあの憎らしい魔術師の魔力を()()()()()。つまりは、マーリンはあなたに魔術を一切行使していないという事。」

 

「ではあなたがどうやって魔術を防いだのか。あなたが佩いているそのカリバーンの効果なのか、それともあなた自身に魔術の素養があるのか。」

 

「―――ああ、いけない。楽しくなってきてしまった。あなたは実験の材料にさせてもらうとしましょう。運びなさい、ホムンクルスたち。適当に拘束もしておくように。」

 

 

 モルガンはケンの傍を通りすぎ、入れ替わりで三体のホムンクルスたちがケンに向かって歩く。使用人の服を着た彼女たちは、見た目とは裏腹に人間を遥かに超える力を持っている。三人どころか一人でも、成人男性を運ぶのには何の支障もないだろう。

 

 

 ……だというのに、ああ。まだこの男は、私の興味を引きたくて仕方ないらしい。

 

 

「―――モルガン、様。」

 

「素晴らしい精神力ですね。常人なら痛みで気絶するどころか、気が狂っていてもおかしくないというのに。」

 

 

 大きな音を聞いて振り向いたモルガンが見たのは自分に跪く男と、その後ろに転がされているホムンクルスたちだ。状況から判断するに、モルガンが横切った後、扉に手をかけるまでの間に、男が三人のホムンクルスを制圧したのだろう。

 

 

「その上、三人を殺さずに制圧しますか。全ての罠に引っかかった愚鈍な男とは思えませんね?」

 

「……物理なら、何とかなります。痛みは……慣れれば大丈夫です。」

 

 

 顔中に脂汗を浮かべながら強がりを言うケンを見て、モルガンは妖しく笑う。

 

 

「ああ、楽しくなってきてしまいました。あなたは実験材料としてではなく、私の客人としてもてなすとしましょう。着いてきなさい。」

 

 

 再びケンに背を向けたモルガン。扉に向かって歩く彼女に、ケンはついて行こうとはしなかった。ただ立ち上がり、すぐに後ろに飛びのく。

 

 瞬間。ケンがいた場所に、再び穢れた聖槍が突き刺さる。いや、正確には床を貫通して槍が飛び出してきたのだ。仮にケンがそこにとどまったままならば、再び槍に貫かれていたことだろう。

 

 

「……。」

 

「―――罠に引っかかり続けたのは無駄じゃなかった。こうしてあなたの魔力とやらを、肌で感じられるようになったのだから。おかげで魔術の前兆を、読み取ることが出来た。」

 

 

 ケンはなにも、無為に罠にひっかかってきたわけではない。こうしてモルガンと相対するにあたって、万全の準備を整えようとしただけの事。最初の罠―――魔力によってつくられた矢の一斉掃射を受けた際、ケンはまったく反応出来なかった。普通なら感じられるはずの前兆が一切なかったからだ。そのせいでハリネズミにされたケンだったが、おかげで一つ確信できた。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そうなれば、もはやケンに恐れるものは何もない。魔術による攻撃の前兆をつかむため、攻撃をその身で受け止め続けた。魔術に関する知識がほぼ0のスタートであったことと、もう一つの要因からケンは最後までモルガンの魔術を理解することは出来なかったが、最後の最後、穢れた聖槍の攻撃によって、ようやく彼女の尻尾を掴んだと、ケンは確信していた。

 

 

「マーリンやアルトリアから、あなたの事は聞いています。目的のためならば、手段を選ばない女性だと。決して隙を与えてはいけないと。」

 

「……。」

 

「ですが私は、あなたにモードレッドを治してもらうために来ました。ここで事を構えるのは決して本意ではありません。」

 

「どうか、取引に応じていただきたい。私に差し出せるものであれば、この命以外の全てを捧げましょう。」

 

「……。」

 

 

 モルガンはただ黙ってケンを見据えていたが、その心中では彼を見下していた。所詮目の前の男も、他人よりも自分の命が惜しいのだと。もっとも、本来それは当然の心であったのだが。人の命より、自分の命を惜しむ。その人間として実に正しい考えを目の当たりにして、モルガンは失望していた。彼女は自分の心に気づいていないのかもしれないが、それほどまでにケンという男に期待していたのだ。ひょっとしたら、自分の求めるものを与えてくれるのではないかと。

 

 

「―――自分が一番大事。結局それが、人間なのですね。どうせなら、自分の命すら惜しくないと言えないのですか?」

 

「……この命は今や、私だけのものではありません。私の持つ技術を継承するまでは、死ぬわけにはいかないのです。」

 

「中々の言い逃れですね。長く生きていると、そういう技術ばかりが身につくのですか?」

 

「……参りました。私も回りくどい言い方はやめることにしましょう。」

 

 

 言いながら、刀を抜き放つケン。モルガンも杖を握る手にほんの少し力を込め、戦闘に備える。そのあまりに突出した魔術の実力のせいで勘違いされがちだが、モルガンは接近戦も決して不得意にしていない。本来のブリテンの王として育てられたため、剣の腕や組み手もかなりの腕である。だが、それが振るわれることはなかった。

 

 

「……マーリンから、聞いています。何故私に魔術が効かないのか。」

 

「その理由は、私の体にあったのだと。」

 

 

 

 

 

「――――私の体は、()()()()()()()()()()のだと。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「神秘? なんだそれは。」

 

「魔術師じゃないとよくわからないよねえ。」

 

 

 マーリンはあっけらかんと笑いながら、ケンに告げた。上手く理解出来ていない様子のケンに、マーリンは説明を加えた。

 

 

「神秘を説明する前に、根源について説明した方が早いかな。根源とは全ての魔術師の目指す場所であり、この世の真理と言い換えてもいい。もしその根源にたどり着くことが出来れば、その魔術師はこの世の全てを知ることになる。そうなれば、世界の全てを自由に変えることが出来るはずだ。」

 

「……本気で言ってるのか?」

 

「本気も本気、大真面目だとも。まあ私は人類の描く絵が見たいのであって、自分で絵を描きたいわけではないからね。そういうのにはあんまり興味ないのだけれど。」

 

 

「話を戻そう。根源から全てが生まれ、人間の文明は根源から枝分かれした先にあるものだ。そう考えると、人間の文明から遠いものほど根源に近いと考えられるだろう? それは何なのかと考えたら、自然や物理法則、それの象徴である神々になるわけだ。魔術師たちはそんな神秘的なものを研究することで、根源に至ることを願っている。」

 

 

「さて、神秘に戻ろうか。基本的には旧いものほど神秘が高いと思っていい。人間の文明から離れるほど、神秘は高くなるわけだからね。神秘が高いということは、現在の人間に理解されていないものだということ。」

 

「神秘が高いというだけで、魔術は効果が薄くなる。君の体の神秘の高さなら、例えモルガン(かのじょ)の魔術であっても意味をなさないだろう。だが、メリットばかりでもないんだ。」

 

 

 そこで一息入れたマーリンは、再び話し始めた。

 

 

「―――最近、作物の収穫量が減っただろう?」

 

「……滅びは近いということか。」

 

「そういうことだね。ここブリテンは、他の土地よりも神秘の高い場所だ。未だ精霊が存在するところなんて、中々無いからね。でもだからこそ、世界から排斥されつつある。今は神の時代から、人の時代へと移り変わっていく流れだから。」

 

「そんなブリテンでさえ、君は長生きできない。その身に宿した神秘が、あまりにも高すぎるから。例えるなら、常に半分溺れた状態で生活しているようなものだ。」

 

「まとめると、神秘が高すぎるこの地と君は、長生きできないというわけだ。その代わりに魔術が効かないけど、喰らったら多分すごい痛いから気を付けてね。」

 

 

 説明を締めくくったマーリンだったが、ケンは未だ納得のいっていない表情をしている。その証左のように、一つ質問をした。

 

 

「……何故だ? 俺は特に、そんな神秘が高くなるような事はしていない。何故神秘が高まったんだ? ……ひょっとして、俺の見たことのない今生の親が関係してるのか?」

 

「いや、そういうことじゃないよ。君の神秘はそういう要因じゃない。」

 

「……じゃあ何故だ?」

 

「―――君の特異性は、それだけじゃないだろう? 神秘なんてよくわからないものじゃなくて、もっと身につまされるものがあったはずだ。」

 

 

 そう言われた瞬間、ケンの脳裏に浮かぶのは、ここではない様々な土地。そして何より、そこで出会ってきた人々の顔。

 

 

「転生―――!!」

 

「その通り。君の神秘がありえないほど高いのと、君が何度も転生しているのは同じものが原因だ。」

 

「お、教えてくれマーリン!! 俺は、俺はどうやったら――――!!」

 

 

 ケンはマーリンに掴みかかるように迫る。だが穏やかな笑みを崩さないマーリンに毒気を抜かれ、彼の服を掴んでいた手を離した。

 

 

「……すまない。少し、取り乱した。」

 

「私はどこにも逃げないから、まずは落ち着くといい。それから、ひとまずアルトリアの治世が終わるまでは、その話をするのは我慢してほしい。彼女が安定しているのは、ほとんど君のおかげだからね。君に人生を終える方法を教えて、すぐにそれを実行されてしまっては不都合だ。」

 

「……随分とはっきりものを言うんだな。いつものように、煙に巻くような話し方はしないのか?」

 

「だって、こういった方が君には効くだろう?」

 

「……。」

 

 

 沈黙は肯定を表し、ケンとマーリンの会話は終わった。その後モードレッドが現れたことにより、現在につながるわけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――残忍な魔女を前に、言葉を紡ぐ。一つとして間違えてはいけない。爆発すれば、もうキャメロットには帰れないかもしれないのだから。

 

 

「私の体はこの時代ではありえないほど神秘が高く、その魔術的な価値は高い。それこそ、()()()()()()()ほどに。」

 

「……。」

 

 

 これもマーリンからの入れ知恵だ。根源というワードを魔術師は好む。

 

 

「あなたが根源に到達できたのならば、すべてはあなたの思いのままになるはずです。私の体は、その役に立つはずだ。」

 

「……それがどうしたというのですか? 私はあなたの体に頼らなくとも、ブリテンを崩壊させられます。」

 

 

 質問は話を聞いている証拠――――少なくとも、まだ自分の話に対する興味は潰えていない。なれば、次の話題が必要だ。それも客を前のめりにさせるような、とびきり大きな話題が。

 

 

「確かにブリテンは滅ぶことでしょう。 ―――ですがそれは、あなたの手によってではない。」

 

「……。」

 

 

 再び黙ったモルガンは黙ってしまったが、彼女の眉がほんの僅かに動いた。間違いなく、動揺している。

 

 

「これはマーリンとアルトリア、そして私しか知らないことですが……、ブリテンはその高すぎる神秘故に、人理から取り残されつつある。ここまで言えば、あなたならわかるはずでしょう。」

 

「ブリテンは、人理に滅ぼされる……。」

 

「はい。この土地は遅かれ早かれ必ず滅ぶ。それを回避するには、誰かが根源に到達する他ない。」

 

 

 モルガンは何よりもブリテンに執着する。この島の滅びを回避する方法があるとなれば、必ず飛びついてくるはずだ。それに彼女自身、既にブリテン島の滅びを予見していた可能性もある。自分を監禁し、実験材料にしようとしていたのがその証拠だ。

 

 

「故に、私は取引をしたい。お互いの目的を達成できる、妥協点を示したい。」

 

「―――私はアルトリアのもとに帰りたい。あなたは私の体が欲しい。故に、私は剣を抜いたのです。あなたに向けるためではなく、この肉を裂くために。」

 

 

 刀を逆手に持ち替え、後ろの壁に突き立てる。無論、刃を上にしてだ。

 

 

「私の両腕を差し上げます。ですからどうか、モードレッドの寿命を治してやってください。」

 

「……理解できませんね。あなたに差し出してもらわずとも、ただ殺して奪えばいいだけなのではないですか?」

 

「何度も見てきたはずだ。私はあなたの魔術では死なない。物理で私を殺せる自信があるのなら、チャレンジするのも面白いかもしれませんが……。」

 

 

 そこで口をつぐみ、モルガンをまっすぐ見つめる。ここまで見せてきた、何度も罠にかかってきた姿。そしてその全ての攻撃で、生き延びてみせた姿。

 

 

「あなたがもしも、応じていただけるのならば。こちらにサインをいただきたい。」

 

 

 言いながら巻物を―――いや、スクロールを広げる。これはマーリンに持たされた特注品。俺にはとてもわからない仕組みだが、こういう契約に役立つものだそうだ。

 

 

「自己強制証明(セルフ・ギアス・スクロール)――――あなたならば、ご存じのはずですね?」

 

「……。」

 

 

 “自己強制証明”は、平たく言えば破ったら死ぬ約束をさせられる道具だ。決して違約不可能な取り決めをする際に用いられる呪術契約で、如何なる手段を用いても破棄することは出来ない。ただし条件を決める際に細部まで決めておかなければ、抜け道的な手段で契約を破棄されるおそれもある。

 

 例えば『AはBを殺害出来ない』という契約を行ったとする。ここで仮にAがCという第三者に命じて、Bを殺害させたとする。だがこの場合、AはBに手を下していないため、ペナルティは発生しない。

 

 

「これが文面です。ご確認ください。」

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

束縛術式

 

 

対象:

モルガン・ル・フェイ

 

 

旧きブリテンの刻印が命ず。

各条件の成就を前提とし、制約は戒律となりて、例外無く対象を縛るものなり。

 

 

制約:

モードレッドの寿命が通常の人間程度まで延びるまで、あらゆる魔術的な研究・及び行使を禁じる。ただし、目的がモードレッドの延命のためであるならばこの限りでない。

 

 

 

条件:

ケンの両腕を切断し、研究材料に差し出す。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 ……この契約が結ばれたならば、俺の両腕は失われる。再び死に、新たな生を得ない限り、刀を握ることも包丁を握ることもできない。

 

 

 だが、それが何だというんだ?

 

 

 刀なんか握れなくたって、円卓の騎士たちがいる。もう料理が作れなくたって、ガレスやモードレッド、他の料理人たちが代わりをしてくれる。

 

 

 ―――二度とアルトリアを、抱き締めることが出来なくったって。きっと彼女が、俺の体に腕を回してくれるだろう。

 

 

 俺にもう、両腕は必要ない。抱えきれないくらいたくさんできた大切なものは、心の中にしまってあるから。

 

 

「―――さあ! 決めていただきたい!! 今ここで!!」

 

「私を殺せる可能性に賭け、何も得られないリスクを取るか!! モードレッドと引き換えに、この両腕を取るか!!」

 

 

 モルガンに叫びながらも、足に軽く力を込めておくことは忘れない。仮に交渉が決裂したならば、決死の逃避行が始まるのだから。注意深くモルガンの顔を見ながら、ゆっくりと唇が動くのを捉えた。

 

 

「――――何故?」

 

「―――。」

 

 

 思わず、足から力が抜けかける。彼女から質問がやってくるとは思わなかったからだ。

 

 

「何故? 何故そこまで、モードレッドに気を遣うのだ?」

 

「……。」

 

「金を積まれた? ありえない。大きな恩でも売られたか? そんなことは見ていない。では何だ、惚れでもしたのか? それならばまだあり得る。だが何故、何故、何故―――何故それが、《《私ではない》?」

 

「モルガン、様―――。」

 

 

 ……ああ、ようやくわかった。彼女が本当に求めているものは、俺の両腕なんかじゃなかった。俺も少し、魔術を目の当たりにして高揚していたらしい。神秘だの、根源だの、考えてみれば俺にはどうだっていいものだった。俺が差し出せるものなんて、いつだって一つしかないじゃないか。

 

 

「……話しすぎましたね? それではあなたの交渉ですが……」

 

「いいえ、モルガン様。少しだけ、ほんの少しだけ待っていただけませんか?」

 

「……つまらない話であれば、この場で首を刎ねる。」

 

「ありがとうございます。どうか私に、料理を作らせていただけませんか?」

 

「―――何?」

 

 

 虚を突かれたような顔をする彼女を見て、ようやく人間らしい顔が見られたと思った。それまでの彼女は、楽しそうにしていると思えば突然冷め、残忍かと思えば威厳のある姿を見せる―――というように、コロコロと態度が変わったからだ。だが彼女もやはり、自分と同じ人間なのだと思えた。それなら、いつもやっていることだ。ただそっと、心に寄り添ってやりたい。

 

 

「食事が終わって、一息ついたら……その時、また改めてお返事をいただきたいのです。どうか、私に厨房をお貸しください。」

 

「……。」

 

 

 俺のやろうとしていることが、正解なのかはわからない。とっとと契約を結ばせて、モルガンの行動を縛った方がいいのかもしれない。だとしても、俺がやるべきことはこれだと思った。

 

 

「……いいでしょう。好きにしなさい。」

 

「ありがとうございます!!」

 

 

 許可が下り、ホムンクルスの案内で厨房に向かう。これから作る料理は―――そう、暖かいのがいい。どんなに冷え切った心でも、優しく融かしてくれるようなやつがいい。

 

 さあ、火を入れて。必要な料理を、必要な人のもとに。かつて掲げた信念は、時を越えてわが胸に。




――――キャメロット・夫婦の寝室

「そ、そんなことまで!? ギネヴィア、あなたは私を置いてどこまで行くつもりなのですか!」

「……ねぇアルトリア。あまりこういうことは言いたくないけれど、あなたはちょっと奥手すぎると思うわ。」

「い、いいえそのようなことはありません! つい先日だって、配膳をしている彼の手にそっと手を重ね合わせて―――」

「あの方が食事の準備を邪魔されて、いい気になるわけがないじゃない。まったく、どうして私から見てもこんなすごいものを持っているのに、こんなにも色恋に弱いのかしら……。」


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誰も知らない独白(モノローグ)

今年最後の投稿です。忙しすぎて返信や更新できてなくて申し訳ありません……。来年も頑張りますので、良ければお付き合いください!


 私がそれを自覚したのは、いつのことだったか。同じ父の血を引きながら、自分はブリテンの王にはなれないのだということを。

 

 物心がついた時から、王になるための経験を積んできた。剣術を学び、政治を修め、人との話し方を叩きこむ。誰もが心から付き従うような、理想の王。そうなるために、私の人生はあった。

 

 あった、はずなのだ。

 

 

 

「―――次の王は、アルトリアだ。モルガンではない。」

 

 

 

 最初は本当にただの偶然だった。ただ単に、父王に渡すべき報告があったから部屋に向かっていただけのこと。本来なら石造りの部屋から声が聞こえてくるわけがない。だがその日はなぜか、戸が開いていた。

 

 そのせいで、聞こえてしまったのだ。父王の心無き声が。

 

 

「なっ……! 何故ですかウーサー!! 私の、私のモルガンはどうなるのです!?」

 

 

 ああ、これは母上の声か。思えば母上も気の毒な人だ。もとはと言えば父王が既に別の王の妻であった母上に惚れ、強引に娶ったというのに。母上が生き延びるためには、父王に嫁ぐしかないというのに。そのせいで周囲から『毒婦』と罵られることも、一度や二度ではなかった。

 

 私の前ですら、隠すことなく陰湿な発言が行われることがあった。母上はただ唇を噛みしめ、じっとこらえていた。それはきっと私のためだった。いくら後継者の第一候補と言えど、母が面立って使用人たちを罰そうとすれば、王妃ご乱心と言われかねない。そのせいで私の王道が遮られてはいけないと、自分の心を押し殺していたのだろう。

 

 母上が怒ってくれたから、私の手にはまだ力があった。手も足も震えながらも、まだへたり込まずに済んだ。

 

 

 だがその心は、あっさりと裏切られた。

 

 

 

「どこへでも、適当な国の王か貴族にでも嫁がせればよい。あれは見た目もよく利発だ。体もよく育ったから、求める男は多いだろう。」

 

「そんなことをすれば、余計に持参金がかかるではありませんか!!」

 

「……ならば修道院にでも入れるか。」

 

「そういうことを言っているのではありませんウーサー!! あの子が王になればと思って、私は今までずっとこらえ続けてきたのです! 王でないなら、あんな氷のような子供になんの価値があるのですか!?」

 

 

 

 ……そこから先は、聞き耳を立てることすら出来なかった。耳を塞いでしまいたかったが、両手に持ったスクロールがそれを許さなかった。ただ黙って部屋の前を離れ、自分の部屋へと急いだ。雫は頬を濡らすことなく、ただ後ろ髪を湿らせた。

 

 

 私はベッドにもぐりこみ、ひとしきり泣いた。泣いて、泣いて、泣いて――――。涙が枯れ果てた時、ようやく眠りについた。次に目覚めた時、私は涙を失った。ひび割れた荒地のように、涙は枯れ果ててしまった。

 

 

 

 それからは、何も知らないふりをしながら生き続けた。ただ従順な女のふりをして、運命に身をゆだねた。私はまだ、あまりにも弱い。このブリテンを、奪い取るためには。

 

 父王が死に、アルトリアが選定の剣を抜いたと聞いた。母上は風邪をこじらせ、私以外に誰もいない孤独なベッドで死んだ。 ……私が王になれていれば、母上にもまた違う結末があったんだろうか。王の後ろ盾を得て、幸せを掴めたのだろうか。

 

 

 

 

 ……そんなことはどうでもいい。ブリテンを手にするには、力を得なくてはならない。そのためには、どんなことだってしてみせる。

 

 私はマーリンに魔術の師事を受け、その力を伸ばした。ロット王と婚姻を結び、幾度となくその獣欲を受け止めた。全てはただ、ブリテンのために。マーリンの持ち込む厄介ごとに頭を悩ませ、体が壊れる寸前まで叩きつけられる肉欲によって出来た傷を魔術で癒す。

 

 

 どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも、涙は流れなかった。涙を流すのはきっと、ブリテンをこの手に収めた時なのだと信じた。

 

 

 

 やがて、ロット王と幾人かの王が結託し、アーサー王を打倒するために蜂起した。この頃には私の魔術は完成しつつあり、城の人間もほぼホムンクルスと入れ替わっていた。つまりロット王がいなくなれば、この城は完全に私のものになる。

 

 勝ったならばそれでいい。適当なところで始末して、ブリテンを乗っ取る。アルトリアを殺すよりも楽な作業だ。負けたのならば、戦死してくれるのがいい。逃げ帰ってくるのなら、手を下さなくてはならないから。

 

 結果から言えば、ロット王は戦場で死んだ。遺体は帰ってこなかった。負けた場合で言えば、まあ最上と言える結果だろう。城を完全に乗っ取り、工房へと作り変える。王にとって、建築学は当然修めているべきものの一つだ。自分の城を作る際に役立つのは当然だが、敵の城に攻め込む際にも、建築学の知識は役に立つ。私は知識を十全に活用し、城の内観を整えた。

 

 

 今までの無骨で、鼠が出てもまったく気にしないずぼらな王から解放された城は、まさしく生まれ変わった。荘厳、美麗、瀟洒。自分の城を持つというのは、こんなにもよいものだったのか。

 

 私はあの日以来、本当に久しぶりの歓びを感じていた。意味もなく壁を撫でてみたり、椅子に座ったり立ち上がったりするのを繰り返してみたり。無邪気な子供のように、自分だけの城を堪能した。

 

 

 だが城の外に出た時、その浮足だった気持ちは、一瞬にして冷めきってしまった。

 

 

 

「あの、城は――――。」

 

 

 

 私の目が捉えたのは、穢れ一つない純白の壁。理想の城、キャメロットだった。あまりにも完璧すぎるそれを目にした時、私は一歩も動けなかった。あの中に、アルトリアがいる。そう思うだけで、世界の全てが灰色に変わった。だというのに、あの城だけは美しいまま。

 

 どうやって帰ってきたのか、もはや覚えてすらいなかった。ベッドに再び身を預け、白いスーツを見つめ続けた。食事をとることもせず、眠りにつくわけでもなく。私はただただ、シーツを見つめ続けた。

 

 

「アルトリア……!!」

 

 

 すべて、すべてが無価値に思えた。あれほど好ましかった内装も、美しいと思った外見も。私の城はすべてにおいて、あのキャメロットを下回っていると感じたからだ。

 

 

「本当、なら……!! 本当なら、私があそこに……!!」

 

 

 悔しくて、悔しくて、なのに涙は流れなくて。溜まりに溜まった感情が、眼球を押し上げているのではないかと思うほどに、目の奥は熱くなる。

 

 

 どうして、どうして私はああじゃない? どうしてアルトリアばかりが、望むものを手に入れられる? キャメロットはいい。円卓の騎士たちも、民も実りも好きに持って行くがいい。私はただ、ブリテンがあればそれでいいのに。どうしてそれだけのことも、私には認められない?

 

 

「絶対に……! 絶対に、許さない……!! 生かしてはおかない……!!」

 

 

 本当はわかっている。アルトリアは何も悪くない。私の恨みは決して正当なものではない。だがそれでも、生かしてはおけない。あれが生きているだけで、私は生きていけないのだ。あれが存在するだけで、惨めでたまらなくなるのだ。選ばれた者と、選ばれなかった者。それをまざまざと見せつけられて、黙っていられるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 そうして私は、アルトリアを強く憎むようになった。同時にキャメロットを崩壊させるため、ありとあらゆる手を打った。息子や娘を円卓の騎士にし、スパイとして潜り込ませる。いざという時、奴らが私の味方になるとは思えない。だが私の血族があそこにいるというだけで、不和をもたらすことが出来るはずだ。さらにアルトリアを死に至らしめる……あるいは廃人にするような魔術の研究。魔術を用いてアルトリアの動向を監視し続け、ブリテンを奪いとる日を夢見続けた。

 

 

 ―――そして今、何の因果か。アルトリアの愛する男に、私は料理を作らせている。

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

 

 

「……。」

 

 

 飽きもせず灰色をしたままの壁を眺めながら、料理の完成を待つ。思えば最後に掃除をしたのかいつのことだったか。ホムンクルスたちに任せるばかりで、自分では何もしてこなかったように思う。まあ、防虫の魔術をかけ忘れたことはない。奴らの姿どころか、あの気味の悪いしょっか……これ以上はやめた方がいいだろう。

 

 厨房からこの部屋まではかなり距離がある。あの男が料理をしている音や香りは届かないが、それでもこの城から逃げ出すことは絶対に不可能だ。調理器具の他に道具は持たせていないし、厨房には手伝いの名目で監視のホムンクルスたちがいる。どんなに奴が手練れだとしても、徒手で突破することは不可能だ。

 

 

「モルガン様。まもなく完成するとのことです。」

 

「そうか。では食堂まで案内してやれ。」

 

 

 立ち上がり、食堂へと歩を進める。思えばその場所へ向かうのは、いつぶりのことだろうか。むさ苦しい騎士たちが食い散らかした肉のかけら、それを求めて走り回る鼠たち。床は常に油でてらてらしていて、葡萄酒を溢しても誰も気にも留めない。

 

 まあ? 今は私の手によって、汚れ一つないわけだが?

 

 もう誰も使わないのだからとも思ったが、汚れたままというのも気分が悪い。それに私の城に汚れた部分があるというのを、キャメロットとつい比較してしまう。 ……やめよう、無駄だ。

 

 

 

 

「モルガン様、お待ちしていました。こちらの席へどうぞ。」

 

 

 例の男―――確か、ケンと言ったか―――が椅子を少し引き、着席を促す。それなりに礼儀は学んでいるらしい。こちらも作法に則り、恭しく席に着く。ああ、退屈だ。

 

 

「ウェイターもいないので、すぐに料理を持ってきましょう。お腹空きましたか?」

 

「……。」

 

 

 人好きのする笑顔でにこやかに話しかけてくるが、そんなことで私が絆されるとでも思っているのだろうか? はっきり言って不愉快だ。私が話す気がないというのがわかったからか、ケンはいそいそと厨房に引っ込んだ。そして何か、湯気を立てるものを持ってきた。

 

 

「さて、お待たせしました。『猪肉(ししにく)のハンバーグ』です。」

 

 

 言いながらケンが私の前に差し出した皿には、私が嫌いな肉―――その中でも、特に苦手な猪肉がごろりと鎮座している。湯気を立てる肉にはたっぷりとソースがかかっているが、その色は鮮血を思わせる鮮やかな赤。……この男は、私に喧嘩を売っているのだろうか?

 

 

「私も朝から何も食べておりませんので、失礼いたします。」

 

 

 言いながらケンは、ちょうど私の真向いの席に座る。確かによく見てみれば、自分の分の皿をちゃっかり用意している。……食材は奴が持ってきたもの故強くは言えないが、どういう神経をしているのだろうか。

 

 

「いただきます。さあて、この時代の猪はどんな味がするのか……。」

 

 

 ケンは呟きながら、ハンバーグとやらにゆっくりとナイフを通す。透明な肉汁があふれ出すと共に、肉の中に閉じ込められていた熱と香りが飛び出してくる。切り分けた肉にたっぷりとソースをつけ、雫を溢さないよう口に運ぶ。

 

 

「ん~……ん、ふふふ……。」

 

 

 どこか気持ちの悪い―――自然とほころんだ顔で、ケンは咀嚼を続ける。その両顎が何度もかみ合わされ、そして呑み込まれたそれが食道を通り、喉仏が上下する――――。

 

 すぐにケンは次のナイフで切り分けようとしたが、そこではたと手が止まった。何故――と思って顔を上げると、笑顔でこちらを見ているケンと目が合った。

 

 

「ふふ、毒なんて入ってませんからどうぞ。冷めたら油が固まって、美味しくなくなりますから。」

 

「っ、黙りなさい。この私が、毒など恐れると?」

 

 

 そう、これは毒を恐れて食べないのではないと証明するためだ。決してこの料理に、興味が湧いたからではない。

 

 

 フォークを肉に突き刺して、私もナイフを振るう。するとどうだろう、私の知る肉とはまったく異なり、するりと刃が通る。何度も何度も往復させて、ようやく千切れるのが猪肉ではなかったのか。

 

 ケンに倣ってソースをつけ、肉を口に運ぶ。咀嚼する度、ソースの酸味と肉の旨味が混じり合って、口の中で暴れまわっているようだ。

 

 

(これは、どんな食材なのだ? 初めて食べるが、嫌ではない……。いやむしろ、好ましい……。)

 

 

 熱々の肉がほろほろとほぐれ、噛むたびに旨味があふれる。それに、あの猪肉の臭みが全く感じられない。むしろ食欲をそそる素晴らしい香りのように感じられてきた。

 

 

 飲み込んだあと、すぐに次の分を口に運ぶ。何度食べても飽きることはなく、次を次をと食べ進めてしまう。ふと気づくと、ハンバーグは既に半分ほど無くなってしまっていた。そして何より、それをニコニコと見つめているケン。

 

 

「っ、わ、忘れなさい。私は決して、夢中になってなどいません。」

 

「いえいえ。あんなに幸せそうに食べていただけたなら、料理人冥利に尽きるというもの。モルガン様さえお嫌でなければ、私の分もお召し上がりになられますか?」

 

「なっ……!!」

 

 

 何という魅力的な提案か。だがそんなことを、どうして言えるというのか。

 

 

「ふ、ふざけるのも大概にしなさい。誰があなたの手を付けたものなど……。」

 

「おや、アルトリアなら一も二もなく飛びつく提案なのですが。姉妹とはいえ、似通ったところばかりではないという事でしょうか。」

 

「……では、今日のところは二人で食べましょうか。」

 

 

 微笑みながら、ケンは自分の分のハンバーグを口に運ぶ。何故だか無性に腹が立つが、私もナイフとフォークを動かす手を止めない。付け合わせで添えてあったマッシュポテトが油っぽさを軽減しているため、止まらないと言った方が正しいのか。

 

 ともかく私は、あっという間に自分のハンバーグを食べ終えてしまった。こんなにもしっかりと肉を食べたのはいつぶりのことだろうか。思えばしっかりとした食事をとるのも、久しぶりな気がする。ホムンクルスたちに適当にパンやチーズなどを運ばせ、それを飲み物で流し込んで終わり。ロット王が死に、ブリテンの支配者がアルトリアになってからは、私のもとに会食の誘いが来ることも無くなったため、私の食事の杜撰さは増していくばかりだった。

 

 

 ……だが何故だろうか。この食事は、会食とは違うと感じる。味は確かに、違う。あの時食べたものよりも数段上だ。だが何か、何かが違う気がするのだ。

 

 

「どうでしょうか? ご満足、いただけましたか?」

 

「……まあ、美味ではありました。」

 

 

 つい頷いてしまう。この男からは悪気が感じられず、毒気を抜かれてしまった。

 

 

「それはよかった。それだけで満足です。さ、後片付けをしますから、ゆっくりされていてください。」

 

 

 温めたミルクをカップに注ぎ、ケンは厨房に戻っていく。もはや何も警戒することなく、モルガンはそれに口をつけた。何だろうか、この胸に感じる暖かさは。ずっとずっと前から、こうだったような気さえしてくる。辛いことなんて、何一つなかったような――――。

 

 

「ああ、言い忘れていましたが、私はこれでお暇させていただきます。」

 

「ぶっ!? ゴホッゴホッ……! な、何を言っているのか、わかっているのですかあなたは!」

 

 

 何だ? この男、一体何が目的だ? 私のご機嫌をとって、私の気を引きたいからこそ料理を振舞ったのではないのか? だというのに帰る?

 

 

「料理人の仕事は済みましたから、後は帰るだけです。モードレッドのことは……まあ、私が何とかします。マーリンが教えてくれるとは思いませんが、勉強するしかないですね。」

 

「な……!!」

 

 

 急に怖気が襲ってくる。何だ、何だこの寒さは? ―――私、私は、必要ない?

 

 

「ま……待ちなさい。」

 

「いいえ。早く帰らなくては、キャメロットの厨房が滞りますので。」

 

「モ、モードレッドは……」

 

「あなたに頼らずとも、私が何とかします。」

 

 

 とりつく島もない言い様に、私は何故だか怒りではなく焦りを覚えた。

 

 

「そ、そう! 私の体を、一晩差し出しましょう。それで―――」

 

「……自分を切り売りするようなことをなさらないでください。」

 

「じゃ、じゃあ……!!」

 

 

「どうすれば、いい……?」

 

 

 何故だか、ぽろぽろと雫が目からこぼれた。あの日彼果てた涙が、私の目に帰ってきた。ずっとずっと、誰かに言いたかった言葉と共に。

 

 

「……ずっと、その言葉が聞きたかったんです。」

 

「あ……。」

 

 

 ケンのしなやかな指が、私の目じりをそっと拭った。

 

 

「申し訳ありません、モルガン様。不躾とはわかっていますが、私はマーリンからあなたのこれまでの人生を聞いてきました。」

 

「……。」

 

「あなたが何を欲しているのか、あなたにどんな料理を提供すればいいのか。それを知るためのことでしたが……。」

 

「……そんな打算を抜きにして、私はあなたにずっとこうしたかった。」

 

「理不尽に満ちた人生を、ご自分の力だけで打ち破られてきた。それに対して、私が手を貸せるようなことなど、あろうはずがございません。」

 

「ですが、あなたに力を貸すことは出来ます。あなたの止まり木になって、その羽を休めることくらいは出来ます。私が料理人として働く中、テーブルについた人々は、皆笑顔になってくれました。食事をしている間だけは、皆全てを忘れてくれました。」

 

「私にはわかります。あなたがどれだけ、努力してきたのか。手段は間違っているのかもしれませんが、目的は間違っていないはずです。人は皆、幸せになるために生きているんですから。」

 

 

 手段―――おそらくは、ブリテンを奪い取ることを指しているのだろう。それが間違っていると突きつけられているというのに、怒りはなかった。

 

 

―――そして、同時に。私の心は決まった。

 

 

「ですから、モルガン様。どうか―――」

 

「その先は不要です。」

 

 

 驚きに歪むケンの顔。初めて見る顔ではないが、意味が違う。あの時―――私が彼を殺そうとした時の顔とは違い、可愛らしいものだ。

 

 

 ……だからこそ、少しだけ心が痛む。

 

 

「あなたの言いたい事はわかります。私に、アルトリアと和解しろというのでしょう?」

 

「……はい。姉妹で殺し合うなどと、そのようなことはーーー!」

 

「断る。ブリテンを得ることこそ、私の悲願だ。」

 

「ッ……! 考え直しては、いただけないのでしょうか……!」

 

「少し弱った姿を見せたからといって、私を懐柔出来たとでも? 思い上がるな、料理人。 ……貴様の本分はただ料理を作ることのみ。私を変えることなど出来はしない。」

 

「ッ、違う! 人間が、たった一人の人間で変わることだってある! 一皿の料理が、人生を変えることだってある!」

 

「ない。私はとこしえにアルトリアの敵であり、ブリテンを簒奪せんとする魔女だ。それこそが悲願であり生き様だ。もう一度だけ言う。思い上がるな。私は変わらない。」

 

「……。」

 

 

 ……ケンは、呆然とした顔で俯いた。なんの責任もないのに、打ちひしがれているらしい。それをどうしても直視出来ず、横を向いたまま私は言葉を続けた。

 

 

「……だが、お前の出した料理は美味だった。それに免じ、モードレッドの寿命は延ばしてやろう。10日の後、奴をここに来させろ。」

 

「ありがとう……ございます……。」

 

 

 本来の目的は達したというのに、ケンの顔は晴れない。

 

 

「……立ちなさい、ケン。万が一にでもこの城をうろつかれることのないよう、私が見送りをします。城を出て、どこへなりとも行きなさい。」

 

「……。」

 

 

 ケンの返事も聞かず、私は彼の前を歩く。後ろからついてくる足音だけが、彼の存在を証明していた。どちらも声を発することなく、二人の足音だけが響く。

 

 その道行もやがて終わりを迎え、私たちは門の前、最後の扉に到着した。この扉を開ければ、ようやく外へと出ることができる。私は振り向くことなく、背中越しに話をした。

 

 

「……ここまでで十分でしょう。行きなさい、アルトリアの料理人。運が良ければ、キャメロットの崩壊に巻き込まれずに済むでしょう。」

 

 

 もう二度と、会うことはないだろう。私に温もりを与え、私の決意を鈍らせる男。本来交わらないはずの道が、偶然交差してしまっただけのこと。

 

 「……。」

 

 

 ケンはただ黙って、扉を開いた。そしてこちらを一瞥もすることなく、城を出ていき扉を閉めた。無礼な行いだったが、今はそれがありがたかった。

 

 ーーー次にあなたの顔を見れば、今度こそ堪えきれなかったから。

 

 

「ーーーモルガン様。」

 

 

 ……だというのに、あなたは私に声をかける。扉に隔てられ、その表情まではわからない。それでも、暖かい声だった。

 

 

「私はきっと、あなたの敵になるのでしょう。アルトリアのために戦って、あなたに刃を向けるでしょう。」

 

「それでも私は夢を見ます。いつかあなたと、アルトリアとが、笑い合える日が来ると。誰も争わなくていい、平和な日々が訪れると。」

 

「……いつでもいいです。いつでも、帰ってきてください。」

 

「その時はきっと、お帰りなさいといいますから。」

 

「……さようなら! そして、ありがとうございます! いつかまた、きっとキャメロットで!!」

 

 

 馬の蹄の音が遠くなり、私はようやく涙を流した。扉に縋り付いて、小娘のように声を上げて泣いた。この顔を、彼にだけは見られたくなかったから。初めて欲しいと思った、彼にだけは。

 

 ……私の初恋は終わりを告げ、本当の意味で私は一人になった。アルトリアを殺した後、彼は私に笑いかけてくれることはないだろう。だが、それでも。私は必ず、ブリテンを手に入れる。

 

 認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。この世に、彼が与えてくれたような、無償の愛があるということを。もし認めてしまえば、私の今までの全ては無駄になるから。努力して、努力して、努力してーーーその果てに得られるのが、きっと私の求めるものだから。そうでなくては、私の努力は無駄になるから。

 

 だからどうか、あなたに見ていて欲しい。私がアルトリアを殺すところを。あなたが私を憎むのならば、この世から無償の愛は消え果てる。あなたが私に見せてくれた、希望の光は消え果てる。

 

 その時こそ、私が真に報われる時。あなたの愛を拒んだことが、正しいことだとわかる時。

 

 さようなら、愛しい人。どうかその灯火を、私以外に吹き消されることのありませんようにーーー。



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第十一幕 光と闇

今回、かなり詰め込みすぎてしまった気がします。それでも次回から話が大きく変わりだすので、仕方のないことと思って読んでいただけると幸いです。

感想返信遅れて申し訳ありません。本当に元気をもらってます!!


 ケンがモルガンの城から帰ってきた後、彼らはいつも通りの日常に戻った。あれほど濃密に感じた城での時間も、終わってみれば一日にも満たない。変わったことと言えば、帰ってきたケンに対し、アルトリアのアプローチが少し積極的になったことぐらいだろうか。傷心のケンに対してのそれは、魅力的どころか鬱陶しいものではあったのだが……。

 

 アルトリアのアプローチが加速すると共に、ケンの忙しさも増していった。自分が為すべき仕事を定め、それに邁進するようになったからだ。

 

 

(……残された時間は多くない。やるべき全てを、やっておかなくては。)

 

 

 ガレスやモードレッドに対する料理の指導はさらに厳しくなった。鍛錬にしても同じだ。自分が生きているうちに、教えられる全てを教えておきたい。それだけでなく、滅びの運命に対する備えも必要だ。モードレッドを殺すという判断が出来なかった以上、彼女を叛逆者にしないよう、気を遣う必要がある。そのためケンはモードレッドにほとんどかかりきりであり、今は彼女と初めて戦ったあの森の中で、ガレスを加えた3人での稽古を行っていた。

 

 モードレッドのことばかり気にしていて気付かなかったことだが、ガレスも最近ではメキメキと力をつけている。流石にガウェインの妹ということなのだろう。だがやはりケンやホムンクルスのモードレッドとは差があり、力尽きて倒れてしまった。そろそろいい頃合いかと、ケンは稽古の終わりを告げることにした。

 

 

「今日はここまでにしよう。よく頑張ったなガレス。それにモードレッド。」

 

「ハァ? まだまだイケんだろうが。もっと付き合えよ!」

 

「剣はここまでだ。そろそろ料理に取り掛からなくてはならん。お前に教えてやりたいものは山ほどあるからな。」

 

「……チッ。わーったよ! やればいいんだろ、やれば!」

 

「ありがとう。ガレスも、それで大丈夫だな?」

 

 

 すっかり潰れてしまったガレスにケンが声をかけると、なんとか腕を上げて答えた。

 

 

「は、はい……! ま、まだ、まだやれます。」

 

「へっ、情けねえ奴だな! オラオラ、さっさとしねえと置いてくからな!」

 

「……相変わらず、素直になれない奴だな。さあガレス、へばっている暇はないぞ。何度も言ってきたが、鎧を着ながら全力疾走が出来るようになれ。一人で脱げるようなものじゃない限り、このまま逃げるしかないんだからな。」

 

 

 ケンは手を貸すことなく、ガレスが何とかして立ち上がろうとしているのを黙って見ていた。何度も何度も力尽きかけながらも、ガレスは両の足で立ち上がった。

 

 

「鎧、盾、槍……。その全てはそれぞれ重量のあるものだが、生き残るには必要なものだ。だが、逃げる時には捨ててしまえ。この教えは、覚えているな?」

 

「は、はい! だって、師匠との修行はいつも逃げる訓練から始まりますから! ……でも、本当にいいのでしょうか? 誇り高き騎士が、戦場で敵に背を見せるなんて……。」

 

 

 表情の陰ったガレスを見て、ケンは彼女の顔を正面から覗き込む。ガレスがケンの方を見つめ返してきたのを確認してから、ケンは話し始めた。

 

 

「ガレス。おそらくだが、お前の考えている『逃げる』と俺の考えている『逃げる』は違うものだ。」

 

「えっ……?」

 

「俺の言っている『逃げる』という行為は、戦いそのものから逃げろと言っているんじゃない。逃避じゃなくて、撤退なんだ。」

 

「撤退……。」

 

「そうだ。負けそうな時に戦って、その結果死んだら馬鹿みたいだろう? 例えば相手が自分よりずっと強い時、自分が怪我をしていたり装備を失っていたりして、満足に戦えない時。そういう時、躊躇なく逃げること。これも一つの強さなんだ。」

 

 

 強さ、と聞いてガレスの目が真剣さを増した。眉にグッと力がこもり、ケンの言葉を聞き逃すまいとしているようだ。

 

 

「一時的に逃げることがあったとしても、戦うことを諦めない意思さえあれば、騎士の誇りは失われない。戦いをやめない限り、負けていない。大切なのは、戦う意思なんだ。」

 

「成程……。師匠のおっしゃりたいこと、少しずつ理解出来てきた気がします!」

 

「よし! それじゃ応用編だ。さっきから散々逃げろと言ってきたが、逆に逃げてはいけない時もある。どんな時かわかるか?」

 

「え? こ、今度は逃げちゃダメなんですか?」

 

「……ふふ、ちょっと難しいか? だが大丈夫、今回はシンプルに一つだけだからな。一つだけだから、注意して聞くんだぞ。」

 

「は、はい!」

 

 

 混乱しながらもいい返事をするガレスに、ケンは満足げに目を細めた。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「騎士が決して逃げてはいけない時。それは『後ろに守るべきものがある時』だ。」

 

「後ろに、守るべきものが……。」

 

「ああ。忠誠を誓った王でも、肩を並べて戦う友でも、暴威に怯える民でも。お前が守るべきものが後ろにあるのならば、騎士は絶対に背を向けてはいけない。例え敗れ、倒れたとしても。死ぬまで戦った時間で、彼らは逃げることが出来る。」

 

「……。」

 

「忘れるな、ガレス。騎士が民からの尊敬を集めるのは、いざという時に民の代わりに死ぬ捨て駒だからだ。誰かの命を燃やすべき時、躊躇いなく命をくべられるからこそ、騎士は騎士でいられる。まさしく、『散りぬべき時知りてこそ』だな。」

 

「……? それは、どういう意味なんですか?」

 

「……昔の知り合いが、とある人に伝えてほしいと教えてくれた言葉だ。お優しい方だから、お前に教えたこともきっと許してくれるさ。」

 

「ともかく! 騎士というものは、全力で命を行使するべき時は躊躇ってはいけないし、その瞬間まで自分を粗末にすることも許されない。そんな辛い人間なんだ。 ……それでもお前は、騎士になりたいというのか?」

 

 

 ケンの問いかけに、ガレスは迷うことなく返事をした。

 

 

「はい! ずっとずっと、私の夢だったのですから!」

 

「なーんかかったりーなー。オレはそんなもん、気にしたことねえってのにさ。」

 

 

 ケンとガレスが話しているのを、面白くなさそうに見ていたモードレッドが憎まれ口をたたく。

 

 

「まあ、あいつもあんな風に言っているが、少なくとも王に対する忠誠は本物だ。もしアーサーが危機に陥ったとしたら、躊躇なく命を懸けるだろうさ。」

 

「あったりまえだろ! オレの命は王のためにあるんだからな!」

 

「だが何度も言っているように、お前は王に依存しすぎだ。自分で考え、判断することも重要だからな。」

 

「わーってるよ! 何回聞かされたと思ってんだ!」

 

 

 ぶーたれたモードレッドに背を向けると、ケンは改めてガレスに向き直った。

 

 

「お前の覚悟、俺は確かに見届けた。お前はどうだ?」

 

「え?」

 

 

 ケンの声につられるようにして、ガレスは後ろを振り向いた。

 

 

「……お見通しか。君には敵わないな。」

 

「えっ! な、何故あなたがこんなところにいらっしゃるのですか!?」

 

 

 木陰から姿を見せたのは、美しい紫色の鎧を纏った騎士。ガレスが誰よりも尊敬してやまない、湖の騎士ランスロットだ。

 

 

「いや、誰かいるってことと、そいつに殺気がないってことしか気づかなかった。ガウェインかと思っていたが、ランスだったか。」

 

「ああ。ガウェイン卿もずっと気にかけてはいたのだがね。その証拠に、私はガウェイン卿の代わりに、君に大切なことを伝えに来た。」

 

「大切な、こと……?」

 

「ああガレス。私たちは、君を騎士として認める。近く、叙任式が行われることだろう。」

 

 

 目をパチクリさせているガレスだったが、だんだん理解が出来てきたようだ。体が震え、跳びあがって喜んだ。

 

 

「ほ、本当ですか!? 私、私騎士になれるんですか!?」

 

「ああ。だが、これが終わりではない。むしろ、ここからが始まりだ。騎士となった以上、それなりの働きが求められる。厳しくなるだろうが、その覚悟は今見せてもらった。しっかり励むのだぞ、ガレス。」

 

「はっ、はいっ!! 不肖ガレス、身も心も捧げます!!」

 

 

 二人のやりとりを、ケンとモードレッドは少し離れたところで見ていた。ケンはモードレッドの方をちらりと見て、彼女が騎士として認められた日のことを思い出す。モードレッドを殺しかけたことと、それを唆したあの黒い声。せっかくめでたい場面だというのに、心が沈んでしまう。

 

 

(転生、神秘、滅びの定め、黒い声……。解決するべきことだらけだ。)

 

 

 思わず頭を抱えたくなるような状況だが、それでも諦めるわけにはいかない。ともかくブリテンの滅びを回避することを第一目標とし、ケンは心の中で兜の緒を締めなおした。

 

 

「……何見てんだよ。」

 

「ああいや、お前が騎士になったころを思い出してただけだ。あの頃と比べると、本当に立派になったな。」

 

「な、何だよ。急に褒めてきやがって、何か気持ち悪ぃな。」

 

「いいと思ったところは素直に褒める。コミュニケーションの第一歩だ。」

 

 

 モードレッドと会話するケンのもとに、ガレスが仔犬のように駆け寄ってくる。

 

 

「師匠! 私、私ついに、騎士になれたんです!!」

 

「ああ、おめでとう。お前が頑張っていたことは俺が誰より知ってる。本当によく頑張ったな。ほら、お前からも何かないのかモードレッド。」

 

「な、何でオレに振るんだよ。んなもん、適当にやってりゃ……。」

 

 

 どうしても素直になれず、つい逆らってしまうモードレッド。それでも暖かい目で見つめるケンに毒気を抜かれ、真っ赤になりながらも言葉を紡ぐ。

 

 

「……あああもう! わーった、わーったよ! おめでとう!! これでいいのか!」

 

「わあ……! あ、ありがとうございますモードレッド!」

 

「うわっこの、抱き着くな! やめろこら、離れろよ!」

 

 

 ブンブンと振られる尻尾が見えそうなほど、モードレッドにじゃれつくガレス。ケンとランスロットはその様子を微笑ましく見ていた。

 

 

「……あんなにも純粋な子供のように見えるのに、騎士の誇りと矜持を持ち合わせている。彼女はきっと、ブリテンを背負う騎士となるのだろうな。」

 

「ああ。そこにはきっと、モードレッドもいるはずだ。俺や騎士たちが老いて引退しても、あいつらがいるなら大丈夫だと思える。」

 

「本当に。君の言葉を借りるのならば、私は彼らの代わりに死ぬべきなのだろうな。」

 

「……聞いてたのか。クサい台詞だったかな。」

 

「いいや、私の心にも響いたさ。それに私は、彼女たちを守って死ねるのならそれでいいとさえ思える。」

 

「……そうだな。俺も同じ気持ちだ。きっと理解してくれるはずだしな。」

 

「理解? ……なるほど、確かに。残されることを悲しむほど、弱いお人ではないだろうな。」

 

「お前の方はわからん。大切にしてやれ。」

 

「無論だとも。」

 

 

 会話をして笑い合うケンとランスロットだったが、それに熱視線を送る新米騎士が一人。

 

 

「……す、すごいです。こ、こここれは私の心に刻印しておかなくては!! 憧れのお二人があんなサービスなんて、ひょっとして夢ですか!? え、騎士のお祝い??」

 

「……たまにお前が何言ってんのかわかんねえな。」

 

 

 必死に目を見開き光景を目に焼き付けるガレスだったが、やがてランスロットに連れられて森を離れた。残されたケンとモードレッドも、並んで城への道を歩く。キャメロットまではまだかかると考えたケンは、ごく自然に話を切り出した。

 

 

「……なあ、モードレッド。」

 

「あ?」

 

「……モルガン様のところ、どうだった?」

 

「……。」

 

 

 ケンは正直なところ、殴られることくらいは覚悟していた。モルガンがアーサーと敵対しているのは有名な話だったし、当然モードレッドの耳にも入っている。自分の母が王の敵であると知ったモードレッドは、意外にも全く取り乱すことがなかった。ただただ、『王の敵なら殺す』とだけ言った彼女に、ケンは危うさを感じずにはいられなかった。

 

 そんな彼女に、モルガンの城に行くようにと言いつけたのだ。いくら彼女のためとはいえ、王の命令として無理矢理言う事を聞かせたため、彼女にはきっと恨まれているだろう。

 

 それでも聞かなくてはならないと思った。アルトリアを憎むモルガンと、叛逆の騎士モードレッド。その二人に繋がりがある限り、把握しておかないわけにはいかない。

 

 

「……。」

 

 

 だがモードレッドは黙って隣を歩くばかりだ。少しばかり性急すぎたのかもしれない。

 

 

「……話したくないなら、別の機会でも」

 

「―――オレは!」

 

「!」

 

 

 ケンの言葉を遮り、モードレッドが口火を切った。

 

 

「……オレは、本当は行きたくなかった。今更あいつと顔を合わせるなんざ、まっぴらごめんだと思ってた。」

 

「……すまない。」

 

「最後まで聞けって! ……それでも、オレが本物の人間になれるってなったら、行くしかないだろ。」

 

「……オレ、あいつの顔、絶対見ないようにしてたんだ。挨拶もしないで、態度も適当で……。」

 

「それでも淡々と進むから、黙って待ってたんだ。そしたらなんか、妙な陣の中に立たされた。『これでお前の寿命を延ばせるから』って……。」

 

「……それからのことは、あんま覚えてねえんだ。ただなんか、すげえ魔力が流れ込んできたことと、体ががーって熱くなったのだけは覚えてる。」

 

「それで結局、ぶっ倒れたんだよ。目の前が真っ暗になったっつーのか?」

 

「な……! だ、大丈夫だったのか!?」

 

 

 思わず隣のモードレッドに掴みかかるばかりの勢いで、ケンは問いかけてしまう。モードレッドは少し驚いた顔をしたのち、何故か笑い出した。

 

 

「な、何かおかしいこと言ったか?」

 

「いや、くく、あんまりにも予想通りだったから、何か面白くなっちまった。」

 

「……。」

 

 

 一通り笑った後、モードレッドは再び話し始めた。だが、その目はいつの間にか真剣味を帯びている。

 

 

「そしたらさ。その、モルガンのやつがさ。オレのこと、本気で心配してくれたんだ。」

 

「―――!」

 

 

 ケンは思わず息を呑んだ。モルガンが、誰かを本気で心配したのか?

 

 

「オレの目を覗きこんで、何度も名前呼んでくれてさ。『大丈夫』って返事したら、すっごい安心した顔してくれて……。」

 

「モードレッド……。」

 

「―――オレさ! 何か最近、全部上手くいくんだ。父上もオレの話、嬉しそうに聞いてくれるしさ。剣も料理も、すっげえ成長してると思う。 ……それから()()ともなんか、いい感じになれる気がするんだ。」

 

「それは多分、その、お前のおかげだと、思うから……。」

 

「……。」

 

「……どうした?」

 

 

 何故か俯いて黙り込んでしまったモードレッド。ケンは思わず尋ねる。

 

 

そ、その……だから……オレと、ずっと一緒に……。

 

「……聞こえんぞ。」

 

「う、うっせえ!! オラ、とっとと帰るぞ!!」

 

「うわっ、おい!」

 

 

 叫びながら、モードレッドはケンの手を無理矢理とって駆けだした。強引に手を繋がれる形になったケンは、モードレッドの走るのに引っ張られるようにして走り出した。前を走るモードレッドの顔を見れば、耳の先まで真っ赤にしている。さっきの言葉は、彼女にとって一世一代の大勝負だったらしい。

 

 

(―――すまない、モードレッド。)

 

 

 本当は、さっきの言葉は聞こえていた。モードレッドの想いにも気づいていた。それがストルゲー(家族愛)なのか、アガペー(無償の愛)なのかはわからない。だが、どちらにせよその想いに答えるわけにはいかなかった。モードレッドは今や普通の人間と同じ寿命を持っているのだから。おそらく、ケンの方がずっと早く死ぬのだろう。

 

 先ほどモードレッドの想いが分からないと言ったが、実はもう一つ候補がある。それがマニア(偏愛)だ。これはいわゆる共依存と言われる愛の形で、不健全な愛だとされる。もしモードレッドがこれを抱いていた場合、ケンの死によって暴走する可能性がある。強い愛は裏切られた時、強い憎しみに転化することが多々ある。それが叛逆の騎士のものとなれば、うかつな返答は出来なかった。

 

 

 その結果、ケンは己の心を隠した。箱を開けさえしなければ、その中で猫が生きていると信じられるから。

 

 

 ケンはモードレッドに握られた手を、強く握り返した。籠手に包まれた硬くて冷たい手だったが、それでも強く握りしめた。繋がれた手が離れないことを祈るかのように。あるいは彼だけが知る真実が、手から零れ落ちないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、行ってくるわねアルトリア。あなたの方も、今日で決めるつもりで頑張るのよ!」

 

「あ、ああ。」

 

 

 キャメロットの塔の最上階。王とその妃の寝室では、奇妙な光景が広がっていた。窓から身を乗り出し、飛び降りようとしている王妃ギネヴィアと、何故か彼女に怒られているアルトリア。何も知らない者が見たらひどく困惑するであろうが、彼らにとってはいつものことなのだ。

 

 

「だ、だがその、やっぱり今日は吉日ではないというか……。」

 

「あのねアルトリア。あなたいつまでそう言っているつもりなの? あなたは知らないかもしれないけど、あの方本当に人気なんですからね。どこか適当な町娘にかっさらわれてから、後悔したって遅いのよ?」

 

「そ、それはそうだが……。」

 

「それに! もうすぐ遠征を行うつもりなんでしょう? 最近、着々と準備が進んでいるようだったから。」

 

「……はい。ローマに侵攻します。何とか騙し騙しやってきたものの、領民を食べさせていけないという諸侯も増えてきましたから。こうなった以上、外の国に食い扶持を求めるしかありません。それこそ、まだ動けるうちに……。」

 

「アルトリア……。」

 

 

 ギネヴィアは、心の底から自分の夫に同情した。本心を言えば、戦争などしてほしくはない。彼女の愛するランスロットが危険にさらされるからというのもあるが、友人としてアルトリアを本当に大切に思っていたからだ。アルトリアの優しさを良く知るギネヴィアは、アルトリアは自分たちのために誰かを踏みつけにすることを、きっと心苦しく思うだろうと確信していた。

 

 

「……ですが、私は迷いません。ローマの民を哀れに思いはしますが、私にはブリテンの民を守護する義務がある。例え世界の全てを敵に回してでも、ブリテンの民のために戦うでしょう。」

 

「……。」

 

 

 ギネヴィアは自分の夫のことを、今日ほど誇らしく思った時はなかった。だがそれは、悲痛な覚悟でもあった。ローマは大国であり、いかに円卓の騎士たちが強力といえど、負ける可能性も高いだろう。それどころか、侵略をよしとせず王に従わない者も出るかもしれない。

 

 だが、きっと大丈夫だ。だって彼女には、ケンさんがいるのだから。例えどんなことがあっても、あの方だけはアルトリアの味方でいてくれる。アルトリアを、一人にしないでいてくれる。

 

 

「……それならやっぱり、早いところ勝負を決めなくちゃ! 愛する人が待ってくれてると考えたら、きっと戦場でも力が湧いてくるわ!」

 

「……そうですね。その通りです!! よーし、絶対今日、はいと言わせてみせます!」

 

「その意気よアルトリア! 頑張れ、頑張れ!」

 

 

 ようやくやる気になってくれた親友を見届け、ギネヴィアは窓のへりに足をかけた。実はこの窓、地上まで縄梯子がかけられていて、下でランスロットが待機しているのだ。彼女らは表向きには夫婦であるため、愛する人に会うだけでもこのような苦労を強いられていた。もっとも、アルトリアが風の魔術を使えるため、それで落下死などを防ぐ命綱の役割を果たしているのだが。

 

 

「それじゃあ改めて、行ってくるわね。応援してるから、アルトリア!」

 

「はい! どうか、素敵な時間を!」

 

 

 今度はしっかり返事を返してくれた。これなら、きっと大丈夫だろう。そう信じながら、ギネヴィアは外の闇に溶けて行った。現代と違い、文字通り真っ暗な闇の中だが、彼女に恐れはない。この世の全てを照らしてくれる、愛する人が待っているのだから。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「よ、よし……。ギネヴィアも行ってしまったし、私も準備をしなくては……。」

 

 

 うるさく跳ねる心臓を抑えながら、今日も今日とてケンを迎えるのに不足がないかを確認する。寝間着はわかりやすく言えばワンピーススタイルのゆったりとしたものだが、ギネヴィアに助言を受けて、ちょうど骨盤の上あたりを帯でしばってある。こうすることでボディラインがはっきりとわかり、私の豊満なバストが強調される。

 

 ……まあ正直、普段からかなり露出してると思うのだが、今までなびいてくれたことはない。そんなにも、前の人生で出会った女性がすごかったのだろうか。

 

 

「で、ですが私も、殿方の喜ばせ方くらい知っています。ええ、しっかり勉強しましたとも!」

 

 

 ―――誤解のないよう言っておくが、情報源はギネヴィアである。ギネヴィアはもともと貴族の娘であり、それにふさわしい教育を受けてきた。その中には妻として夫を喜ばせるいわゆる性技も含まれるのだ。貴族の娘にとって、最も恐ろしいのは夫から離縁されることである。家同士の関係が悪化するだけでなく、実家に帰ればなじられ、周囲からも役立たずとして扱われる。それを苦にして自ら命を絶つ者までいる。

 

 つまり、貴族の娘たちにとって円滑な夫婦関係というのは必須条件であり、そのために夜の性活を学び身に着ける必要がある。性交渉が上手くいかないというのは、現代でも意外と多いことからわかるように、夫婦にとってまさに死活の離婚の理由であるのだから。

 

 話を戻すと、貴族の娘であるギネヴィアも当然これを修めており、彼女はそれを親友のアルトリアに惜しげもなく教授した。W不倫という大きな秘密を共有する女性が二人、仲が深まらないわけがなかった。結果として、経験はないおぼこの癖に知識と技術だけは豊富という、なんとも歪な王様になったのは果たしてよかったのか悪かったのか、それはこれからわかることであろう。

 

 

 コン、コン、コン。ノックの音が三回鳴る。これこそ、ケンがやってきた合図。通常欧米ではノックは二回なのだが、ケンはもともとが日本人である。染みついた習慣は抜けず、いつの間にか二人の秘密の合図と化していた。

 

 

「あっ、どっ、ど、どうぞ。入ってください。」

 

 

 い、いけませんね。いきなり他人行儀になってしまいました。確か、行為に至るにはそういうムード作りが肝要とのこと。

 

 

「こんばんは、アルトリア。今日も一日、お疲れ様だったな。」

 

 

 ケンの声が私の鼓膜を震わせ、その振動が脳にダイレクトに伝わるみたいだ。甘い痺れにとろけそうになるのを何とかこらえ、平静を装って声を出す。

 

 

「い、いえこの程度。あなたの苦労に比べたら、全く……。」

 

「そうか? だが俺の苦労など、お前のためと思えば辛くなどないさ。」

 

「ッ……♡」

 

 

 ……はっ、いけないいけない。ハートマークなど浮かべてうっとりしている場合ではないのです。だがこれも全て、ケンが悪いんです。裏表なく、正直に思いの丈を告げてくれる。それだけで貴重なのに、ケンは本心から私のことを案じているのだ。これほど大切に思われたら、こちらが多少意識するのも仕方のないこと……な、はずだ。

 

 

「それで、今日は何の御用なんだ? また按摩でもしてほしいのか?」

 

 

 按摩、というのはケンが時々やってくれる筋肉をもみほぐす行為だ。熱したチーズみたいになってしまうので時々しかしてくれない。それも魅力的な提案だったが、それよりも今日は話をしたい。ともすれば騎士道に反するのかもしれない、ずるい話を。

 

 

「……いいえ。今日は少し、話でもしたいなと。」

 

「そうか。なら、隣失礼するぞ。」

 

 

 言いながら、ケンは私のすぐ隣に腰を下ろした。二人ならんでベッドに腰掛けていると、すごく夫婦のようで嬉しい。だが、今からする話は楽しいものではないため、あまりはしゃぐことはなかった。

 

 

「ヴォ―ティガーン討伐のこと、覚えてますか?」

 

「忘れるわけないさ。あんなにボロボロになって帰ってきたの、後にも先にもあれ一回だった。」

 

 

 そう、私が最も追い詰められた戦いでした。それと同時に、とても大切な転換点でもあったんです。ただ単に、恋に恋するだけの少女から、運命の人を見つけたと確信する大人になった瞬間だったんですから。

 

 

「あの時、だと思うんです。私があなたのこと、本当の意味で好きになったのは。あなたがいなければ、生きていけないほどになったんですから。」

 

「……。」

 

 

 ああ、黙り込んでしまった。王になってから、今までずっと一緒に生きてきたんだからわかってしまうんです。この沈黙が、何を意味するのか。

 

 

「……やっぱり、駄目、なんですか……?」

 

「……すまないな。日に日に死が近づいてくるのがわかる。後もう、一年ももたないと思う。」

 

 

 

 ケンは、幾度もの死を経験した。普通の人間ならば、一度しか体験しない死をだ。その結果、彼の魂には不思議な感覚が刻み込まれていた。彼が言うには、死には前兆があるのだという。その前兆は全ての死の前に訪れるが、ほとんどの人間はそれを感じ取ることが出来ない。

 

 なぜならば、()()()()()()()()だ。当然の話だが、人は死んだらそこで終わりであり、例え人生の終わりに死の前兆を感じたとしても、それを活かす機会がない。それこそ、自分を何度も死線ギリギリにおいて、その都度生き残った人間でもなければ、それを感じ取ることは難しい。それを感知することが出来た人物は、口をそろえてそれを『殺気』と呼ぶ。

 

 だが逆説的に、何度も死を経験したケンはその死の前兆と殺気に異常なほど敏感になった。それこそ、目で見なくとも殺気を感じ取れば、攻撃を察知できるほどにだ。モードレッドの不意打ちを防いだカラクリもここにある。計算して行った部分もあるが、ほとんどは感覚だよりだ。

 

 もっとも、万能というわけではない。死に敏感になったということは、死に至らないものには鈍感になったということでもある。現に、モルガン城では殺気頼りで進もうとした結果、魔術の攻撃をくらってしまった。これはおそらく、魂が魔術では死なないことを理解しているのだろうと、ケンは考えていた。

 

 

 

 話を戻すと、ケンは死の前兆―――おそらくは神秘の高さによる寿命によるもの―――を感じ取っていた。それをアルトリアに隠すことだけは忍びなく、教えていたのだ。

 

 聞かされた時のアルトリアのうろたえようはひどかった。王であることすら投げ出して、ケンを治す方法を探そうとさえしていた。だがそれは、彼女に許された行いではない。ケン自身もそれを望まなかった。ただ天命として、受け入れる準備は出来ていた。だってもう、慣れっこだから。

 

 

「……そう、ですか。やっぱり、駄目なんですね。」

 

「……すまない。」

 

「謝らないでください。今はもう、私だって覚悟が出来てますから。」

 

 

 うろたえ、受け入れようとはしなかったアルトリアだったが、最後には何とか呑み込んだらしい。それよりも今は、残った時間をどれだけ有効に使うかを考えることに専念していたようだった。おそらく、今日の話だってその一環なのだろう。

 

 

「……本当は、子供が欲しかったんです。あなたと私の血を引いた、愛の結晶が。そうすれば、あなたの事を諦められるんじゃないかって。」

 

「―――アルトリア、それは……。」

 

「わかってます。この国は、いずれ滅ぶ。神秘の低い人間の血が混ざるならまだしも、私よりさらに神秘の高いあなたとの子供は、間違いなく幸せになれない。 ……私の幸せのためだけに、子供を不幸に出来ない。」

 

 

 次第に肩を震わせ始めたアルトリアを、ケンは反射的に抱き締めた。どれだけ力を込めても、まだ足りないと思った。どうして、この時代に生まれてしまったのだろうか。王と臣下ではなく、一般人として出会えなかったのだろうか。

 

 悲しみはやがて衝動へと変わる。アルトリアはいつの間にか、ケンを押し倒す形になっていた。

 

 

「え……?」

 

 

 まだ状況を受け入れ切れていないケン。アルトリアの決意したような瞳は雫に濡れていた。ケンは彼女の涙を拭ってやりたったが、両手を押さえつけられて動けない。

 

 

「―――本当は、わかってるんです。あなたの事を、深く知るべきじゃないって。知れば知るほど好きになって、あなたが死んだ後も求め続けてしまうって。」

 

「……。」

 

「でも……、それでも……。」

 

 

 アルトリアは小さく息を吸い、一息に告げた。

 

 

「―――それでも、私はあなたが欲しい。思い出を追いかけるだけの亡霊になってしまうとしても、あなたを愛していたい。」

 

「アル……。」

 

「あなたがもし、反対したとしても。私はもう、止まりません。……だけど、その……」

 

 

 ケンにだって、わかる。アルトリアとは、長い付き合いだったから。

 

 

「―――。」

 

 

 ただ黙って、抱き締めた。間違っていないと、示すかのように。

 

 

「……ケン。ケン、ケン―――!!」

 

 

 そこから先の話を、語るのは野暮というものだろう。それに何より、つまらない陳腐な話でしかない。互いに愛し合う二人が、結ばれただけのこと。世界中どこでだって起こっている、ありふれた普通の話だ。



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第十二幕 長い、長い旅の果て

ブリテンでのケンの物語は、これにて完結です。ここまで続けてこれたのは皆さんの応援のおかげです! 本当にありがとうございます! ですが、本当に筆が乗ったのはブリテンの滅びの方なので……その話は、宴の後に致しましょう。


「いやあ、ついに結ばれたんだね! 私も中々やきもきしながら行く末を見守っていたものだから、正直ほっとしているよ!」

 

「……やめろマーリン。どこで誰が聞いているかわからないんだ。」

 

 

 ここはキャメロットから少し外れた土地。ケンはマーリン経由でいろいろと他国の作物を手に入れていたため、それをここで栽培していた。本来この時代のブリテンには存在しない作物も沢山あるため、あまり大々的には作れないのだ。それこそ、国民の食生活を豊かにするような量は作れず、もっぱらアルトリアの食事用―――あるいは祭りの際にふるまわれる料理に使う程度の量しか育たなかった。

 

 例外として、ジャガイモだけはキャメロットで大量に栽培している。本来この時代には存在しないのだが、主食として最適なのでこのくらいは許してほしい。見ているか菌糸類。あなたのガバ時代考証は、意外なところで役に立ったぞ。

 

 さて、そんな畑にやってきたマーリンは、ケンがアルトリアと結ばれた日から一か月ほど後に帰ってきていた。何をしていたのかはわからないが、まあ聞く必要もないだろう。

 

 

「まあまあ、私の千里眼でこの辺りに人がいないのは確認済みだから安心していいとも。それよりどうだったんだい、アルトリアの身体は?」

 

「……今度同じことを聞いたら首を落とすからな。」

 

 

 自分の仕えている王を娼婦か何かと勘違いしている宮廷魔術師にすごみつつ、ケンは土をあれこれいじっていた。信長様のもとで刺激的な人生を過ごしていたためか、のんびり農民を……という気分にはならなかった。それでもこの時代に存在しない堆肥などを使って、農業の改良を図っていた。

 

 それでも収穫高の低下を緩やかにする程度の効果しかなく、自分のところの収入だけではどうしようもない諸侯も現れ始めた。アルトリアはとうとうローマへの侵攻を決め、今は着々とその準備が行われているところだった。

 

 

「それにしても、君もよく働くものだね。そろそろ死期が近づいていると思うのだけど。」

 

「相変わらず歯に衣着せない奴だ。まあ、今はアルトリアもモードレッドも手が離せないからな。食事の時間でもないし、何もすることがない。そうなると、働いていないと落ち着かないんだ。」

 

「まるで仕事中毒だね。まあよほど無理をしなければ、命が縮まるようなことはないと思うよ。ピンピンコロリという奴さ。」

 

「へぇ、そんな言葉、この時代には既にあったのか。言葉ってのは面白いものだな。」

 

 

 手に持っていた土を畑に戻すと、ケンは袋に入った荷物を抱えた。

 

 

「おや、もう終わりかい? それじゃ私も、そろそろお姉さんに甘える時間だから……。」

 

「待てマーリン。聞きたいことがある。」

 

 

 ウキウキの足取りで歩き出すマーリンだったが、ケンに呼び止められて不機嫌そうに振り返る。彼に感情はないため、あくまで不機嫌そうな仕草というだけだが。

 

 

「このローマ遠征、どのくらいの年月が必要だと思う?」

 

「うーんそうだね。少なくとも、君が死んでから帰ってくることになると思うよ。」

 

「……もう少し何とかならなかったのか。」

 

 

 あんまりにもあんまりなマーリンの物言いにケンは眉を顰めるが、彼の知りたいことはわかった。RTA走者のようなコミュニケーションは、マーリンと会話する上であまり気にしてはいけない。

 

 

「そうは言っても事実だしね。それに、君の方がよくわかっているはずだろう?」

 

「……それでもだ。人と会話するなら、慮った方がいいこともある。」

 

 

 文句を言いながらも、ケンにさほど気にした様子はない。マーリンの言葉が正しいことの証拠だ。

 

 

「まあ君がそういうなら、君のことを考えた話をしようか。一つ提案なんだけどね、星の内海に興味はあるかい?」

 

「星の内海? なんだそれは。」

 

「魔術に明るくない君に詳しく説明しても理解できないだろうから、簡潔に説明しよう。この世界は地球という星を包んでいる布のようなものなんだ。これをテクスチャと呼ぶけど、物事には常に裏表があるものだ。その裏側が星の内海―――アヴァロンと呼ばれる、妖精郷なんだ。」

 

 

 マーリンはさらに話を続ける。

 

 

「そこは何の苦痛も悲しみもない理想郷でね。本来ならどんな人間もたどり着くことが出来ない場所だが、私の手引きがあれば話は別さ。」

 

「……そこに俺を連れていきたい、と?」

 

「その通り。君は今まで王によく尽くしてくれたから、お礼みたいなものさ。最終的にはアルトリアもそこに行くことになっているから、君が先に行って待っているといいよ。」

 

「なんだか、話がうますぎるように感じるな。実際のところ、何か目的があるんじゃないか?」

 

「いやいや! 君たちの夫婦生活があまりに短いものだったからね? 私も少しかわいそうに思っただけのことだよ。」

 

 

 あくまで柔和な笑みを浮かべていたマーリンだったが、やはり何かを隠しているような気がする。ケンはふと思い立ち、マーリンに問いかけた。

 

 

「ひょっとして、俺の転生のことを気にしているのか?」

 

「……相変わらず鋭いね。隠し事は得意だと思っていたんだけど。」

 

 

 マーリンは相変わらず笑みを浮かべていたが、少しだけその笑顔に影が差したような気がする。ケンはさらに突っ込んだ。

 

 

「教えてくれ、マーリン。俺が転生すると、何か不都合があるのか?」

 

「うーん、その、まあそれもあるんだけど……。でも抑止力もあることだし、君がどんなに詳細な知識を持って過去に生まれたとしても、君一人で歴史が変わることはない。だからこそブリテンの滅びも、緩やかに滅ぶという選択肢をとったわけだしね。」

 

「あまり詳しいことは教えられないけど、これだけは覚えておいてほしい。ケン君、君を転生させる存在はね、君を死なせないことが目的じゃない。むしろ、君を死なせることが目的なんだ。」

 

「……何を、言ってるんだ? 死なせることが目的なら、とっくの昔に俺は死んでる。それを無理矢理蘇らせてるのが、その黒幕なんじゃないのか!?」

 

「おっと、これ以上は話せない。話してしまえば、君は必ずその黒幕を追うだろう。そいつを倒すことさえ出来れば、君の転生は間違いなく終わる。だがそれは、君も抑止力の標的になることを意味するんだ。君の話を聞く限り、2015年の段階でもそいつは生きているからね。」

 

「だ、だが人間1人や2人くらいなら抑止力は動かないんじゃなかったのか!?」

 

「うん。一人や二人では抑止力は動かないよ。その人物が滅びの原因でない限りね。 ……だけど黒幕は、今や人類史の深いところまで根をはってしまった。揺らぐことのない大樹のように……あるいは、どれだけ掃除しても湧き出てくる黴のように。それこそ黒幕がいなかったことになれば、人類史が根底からひっくり返りかねない。そうならないように抑止力は存在するから、君は世界の敵になりかねない。」

 

 

 マーリンは一息つくと、厳かに口を開いた。

 

 

「……断言しよう。このまま生き続ければ、君は未来で最悪な死に方をする。」

 

 

 いつもの調子とはまったく違う、刃のような温度のない言葉。その言葉はケンの胸を貫き、彼に冷や汗を流させた。

 

 

「とまあ、たまには魔術師らしく預言なんてしてみたけれど、どうだったかな?」

 

「……。」

 

「少し脅かしすぎてしまったかな。でも大丈夫、アヴァロンに行けば全て解決さ! 何の不安もない場所で、アルトリアと一緒に暮らせばいいじゃないか。」

 

「……すまない、少しだけ待ってくれないか。その、料理を作らなくてはならないから……。」

 

「まあ……大切なことだから、ゆっくり悩むといいよ。それこそ君が死ぬ直前にでも答えを聞きにいくからね。」

 

「……感謝する。」

 

 

 ケンは何とか返事をし、背を向けて重い足取りで歩き出した。ようやく掴みかけた黒幕は、世界そのものに守られていた。そいつを狙えば、自分は世界に殺される。だがそれでも、自分の人生はきっと終わらない。また新たな肉体を得て、また新たな人生を続けるのだろう。

 

 だが、耐えられるのか? ケンは自分の精神が、少しずつ擦り減っていることを認めざるを得なかった。どんなに沢山の人々と交流し、誤解や対立を乗り越えて仲を深めたとしても、自分だけが先に行かなければならない。このブリテンで出会った人々も、死ねば二度と会えない。それが正しいことなのだろうが、自分だけは覚えている。遺されたアルトリアのことばかり気にしていたが、自分も大して変わらない境遇ではないか。

 

 

 ―――無間地獄。思わずその言葉が頭をよぎる。終わらない生は、心を蝕み続けていた。

 

 

 それに比べたら、マーリンの提案のなんと甘美なことだろう。果てのないトンネルの中で、明確に終わりを与えてくれる。その上そこには愛する人もいて、何も恐ろしいものはない。

 

 

 本当はわかっているのだ。人間ならば、死ぬまで生き続けることが正しいと。アヴァロンに行くことは逃避だと。だからこの場はマーリンの提案を断り、キャメロットへの帰路を歩いている。だが魔術師は、自分が死ぬ直前に答えを聞くと言った。自分は果たして、その瞬間まで生を諦めないでいられるだろうか? 苦痛に抗い、生きることを選べるだろうか?

 

 まるで足に鉄球をつけられたかのような気分で、ケンは歩いていた。その後ろ姿は、運命の鎖に縛られた囚人のように見えた。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「戻ったか、ケン。」

 

「はっ……。」

 

 

 キャメロットへと戻ったケンはやるべきこともなく、かといって何かをする気にもなれず。ただぼんやりと時間を過ごした後、アルトリアから呼び出しを受けていた。部屋に入るとアグラヴェインを筆頭に文官たちが慌ただしく動いており、否応にも戦火の匂いを感じさせた。

 

 

「知っての通り、まもなく我々はローマ帝国への侵攻を開始する。貴殿には円卓のシェフとして、糧食の生産の監督と出立前には宴の準備を行ってもらうことになる。やってもらえるか。」

 

「……承りました。では早速、準備にとりかかります。」

 

 

 堅実な――――逆に言えば、ありきたりでつまらない指示だ。ケンは部屋を出て、厨房へと歩きながら思う。信長様ならきっと、あっと驚くようなことをさせてくれるのだろうな――――。

 

 

(……!? な、何故俺はこんなことを考えている!?)

 

 

 やさぐれている。思ったよりもはるかに、黒幕を追えないというストレスが心に負担を与えている。……しかし、これも無理のないことと理解してほしい。ケンはたった今、人生の目標を奪われたも同然なのだから。それこそ、モルガンに両腕を差し出したとしてもここまでは落ち込まなかっただろう。モードレッドを救えたし、何より再び転生すれば両腕が使えるからだ。

 

 だが黒幕に関してはどうだ? この先、何度繰り返してもそいつは安全地帯からケンのことをあざ笑っているのだ。何度繰り返しても、そいつの首には届かないのだ。

 

 

(……いつぶりだろう。こんなにも、死ぬのが怖いのは。)

 

 

 ……どうせ、どうにもならないのなら。ずっとここにいたい。また誰も自分のことを知らない場所に行くのは、怖い。

 

 

 それでも心を何とか押し殺し、糧食を作る料理人たちを監督した。戦場において、食の果たす役割は大きい。美味い食事というのはそれだけで士気を高揚させるし、兵士たちの健康状態を保つ上でも欠かせない。そのことに気づいていたナポレオンが保存食のアイデアを民間から募集し、缶詰が生まれたという話はあまりにも有名だ。

 

 ケンは固く焼いたクッキーのような糧食―――有体に言えばカロリーメイトを作らせており、あれこれと指示を出しながら忙しく歩き回った。少しでも働いて気を紛らわしたかったというのもある。クッキーを焼く者、クッキーを袋に詰める者など分担して行われた作業により、大量の袋の山が出来上がる。これをリヤカーに積み、倉まで運ぶのを繰り返し、作業は日が暮れるまで行われた。

 

 

「ケンさん、今日はこの辺りにしよう。」

 

「……そう、ですね。」

 

「……? その、大丈夫か? なんだか顔色が悪いような……。」

 

 

 心配する副料理長に曖昧な笑みを返しながら、ケンは踵を返した。今日はアルトリアの部屋に行く日、疲れを顔に出すわけにはいかない。部屋に行く前に、顔を洗うとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……幸せですね。」

 

「そう、か……。」

 

 

 今、俺はアルトリアと同じベッドで眠りについていた。アルは本当に幸せそうな声だが、どうしても負い目が優ってしまう。

 

 

「……すまない。俺がまともな体なら、お前のこと……。」

 

「……。」

 

 

 どうしても心は後ろを向き、弱音ばかりが口をつく。アルトリアの顔を、まともに見ることが出来ない。だがその時、いきなりアルトリアの顔が目の前に現れた。

 

 

「どうして、謝るんですか?」

 

「え……?」

 

 

 思わずアルトリアの顔を見つめてしまう。彼女のエメラルドの美しい瞳がまっすぐに俺の目を射抜き、思わず目を反らしそうになる。だが一方では、彼女から目を反らせなかった。あまりにも暖かい、笑顔だったから。

 

 

「私はずっと、民が幸せならそれでいいと思ってきました。それだけでは、いつか折れる日が来てしまう。でも私には、あなたがいてくれたんです。あなたがいてくれたから、ここまで来ることが出来たんです。」

 

「だから今度は、私があなたを幸せにする番なんです。今までずっと私たちを幸せにしてくれたあなただから、もうあなたの幸せを望んでもいいんです。」

 

「……だから、何かしたいことはないんですか? 例えば前の人生から、ずっと心残りだったこととか。」

 

「―――!」

 

 

 そうだ、忘れていた。大切な、大切な記憶。

 

 

 

 ―――もし私が生まれ変わって、ケンさんの周りの、どんな女の人よりも、沖田さんがいい女の人だったら。

 

 

 

 

 ―――ワシの代わりに、お主が天下を獲れ。地獄からそれを眺めていようぞ。

 

 

 

 

 ―――どうか、平穏に。平穏に暮らしてほしい。平穏な暮らしが、何よりも尊いものだと気づいたから。

 

 

 

 

「……よかった。あったみたいですね。」

 

 

 気づけば涙が零れ落ちていた。あんなに大切な記憶だったのに、いつの間にか失くしていた。長く、生きすぎた。

 

 

「……ありがとう……。ありがとう、アルトリア……。」

 

 

 そうだ、死ねない。死ぬわけにはいかない。沖田の生まれ変わりにも会っていなければ、信長公のいうように天下もとっていない。

 

 

「もう、大丈夫ですか?」

 

「ああ……、ああ。もう、もう大丈夫。もう迷わない。俺、俺は、まだ生きて―――」

 

 

 そこで気づいた。まだ生き続けるということは、アルトリアと別れるということだ。それを彼女はわかったうえで言っているのだろうか。涙まみれでしょっぱくなってしまった口で、何とか言葉を紡ぐ。

 

 

「……その、アルトリア……。俺が、生き続けるということは、もうお前とは……。」

 

「……ええ、知ってます。」

 

 

 アルトリアは再び笑いかけてくれたが、どうしても寂しそうな印象を受ける。

 

 

「だから、私のお願いも連れて行ってくれませんか?」

 

「……お願い?」

 

「はい。私のこと、忘れないでください。私だけじゃなく、円卓の騎士やこのブリテンで暮らした人々のこと、忘れないでください。それだけで、満足ですから。」

 

「……。」

 

 

 ケンは今度こそ、アルトリアの瞳を直視した。彼女の瞳に嘘の色はなく、本心からの言葉だと信じられた。強い決心の瞳を受け止め、俺はアルトリアの両手を包み込むように握りこむ。

 

 

「……約束する。絶対、絶対に、忘れない。これからどれだけ長い時間を経ても、皆俺の中にいる。」

 

「……よかった。それなら、安心して死ねます。」

 

 

 そう言った彼女は、本当に安心したような顔をしていた。何度も死んで来た身だからわかるが、自分のことを知っている人がいてくれるというのは本当に安心するものだ。自分が生きてきたことを、肯定されたような気がする。

 

 

「さあ、安心したところで寝ましょう。ケン、また抱きしめてくれますか?」

 

「勿論。ぐっすり眠るといい。」

 

 

 嬉しそうに胸に顔を埋めるアルトリアがたまらなく愛おしく、つい抱きしめてしまう。彼女の行為はひょっとすると、実年齢からすると幼いものなのかもしれない。でもそれでいいのだ。どんなに辛いことを経験しても、どんなに体が成長しても、誰しも子供の心を持っているものだから。どんなに未熟なところを見せたとしても、月の他に知る者などいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「料理長! こっちの仕上げ終わりました!」

 

「肉焼き、あと5分です!」

 

「ソース味見お願いします!」

 

 

 戦場と化した厨房において、俺のような病人に出番はない。それでも何かせずにはいられず、味見と監督を担当していた。指示を飛ばしながら、料理人が次々と匙を持ってやってくるのに対応する。

 

 

「これは酸味が強すぎる。こっちは塩をもうひとさじ入れておけ。」

 

「はい!」

 

 

 次々と完成した料理が外へと運ばれていき、がやがやと盛り上がる騎士や兵士たちの腹にどんどん収まっていく。普段食べたこともないような美食の数々に、皆の士気はうなぎのぼりだ。

 

 

「おい! ポタージュはこんなもんでいいのか!」

 

「師匠! こっちのパイも試食お願いします!」

 

 

 モードレッドとガレスも、本来する必要のない仕事だというのに汗を流してくれている。二人ともローマ遠征にはついて行かないそうなので、ありがたく手伝ってもらおう。

 

 

「……うん、合格だ。成長したな、二人とも。」

 

「よっしゃ! へへ、そんじゃ持ってくぜ。父上が待ってるからな!」

 

「あれ、モードレッド卿の御父上がいらっしゃるのですか? それならぜひ、ご挨拶を……」

 

「やべ……! そ、そんなことする必要ねーって! おら、とっとと行くぞ!」

 

 

 モードレッドはどこかうかつだったが、それもここが安心できる場所ということの裏返しだろう。そう思うと、なんだか浮き立つような気持ちになる。初めて会った時にはあんなにもとげとげしかったのに、今ではすっかり牙の抜けた獣だ。

 

 そんなモードレッドが歩き去って行ったしばらく後、料理人の一人が駆け寄ってきた。

 

 

「料理長! まもなく出立とのことです!」

 

「―――そうか。わかった、行くとしよう。」

 

 

 これがきっと、今生の別れになる。人目があるからアルトリアの望んだ終わりではないかもしれないが、それでも素晴らしいものにしてやりたい。震える足に体中の力を込めて何とか立ち上がり、外へと歩みを進める。

 

 

「さーて、次はっと……。うわっ、お前何やってんだ!」

 

「モードレッド……? ちょうどいい、少し……肩を貸してくれるか?」

 

「え、か、かかかた!? お、お前それマジで言ってんのかよ!?」

 

「……? すまん、自分で歩くのがきつくてな。お前が嫌なら、無理にとは言わないが……。」

 

「そ、そうじゃねえけど……。あーもう、わかったよ!」

 

 

 モードレッドが俺の腋の下に腕を通し、肩を貸してくれるのにありがたく世話になる。今の彼女は平服だから、体の感触がダイレクトに伝わってくる。こうしてみると、モードレッドもやはり女なのだと感じる。もっとも娘みたいなものだと思っているから、成長の歓びをひしひしと感じているだけだ。

 

 

「……たく、しゃきっとしろよな。父上のとこに行くんだろ?」

 

「ああ……。大丈夫、あいつの前に出たら、ちゃんとするさ。」

 

「―――あいつの前では、かっこつけたいからな。」

 

「……。」

 

 

 そこからは、お互い口を開かなかった。俺も出来るかぎり体力を温存したかったし、モードレッドもしかめ面で話しかけてこようとすらしない。きっと彼女なりに、気を遣ってくれているのだろう。そう思いながら歩き続け、アルトリアがいる塔のてっぺんまでたどり着いた。

 

 

「ありがとう、モードレッド。少し、二人にしてくれるか?」

 

「……おう。」

 

 

 モードレッドは踵を返し、歩き去っていった。その背中を見送り、俺は部屋の扉を開く。

 

 

「―――来たか、ケン。」

 

「―――ああ、アルトリア。これが多分、最後のお別れだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沢山の騎士たちの前で、気を張っていたアルトリア。こちらを振り向くことなく、言葉を背中越しに投げかける。人々の前で王としてふるまおうとしているアルトリアの意志を感じ、すぐに跪いてその言葉に耳を傾ける。

 

 

「いろいろな……いろいろなことがあった。ヴォ―ティガーン、クエスティング・ビースト、サクソン人にピクト人、大量の巨人たち……。その間に、何度もあなたと食卓を共にした。」

 

「私が辛い時、いつだってあなたが傍で支えてくれた。私が嬉しい時、いつだってあなたが傍で共に喜んでくれた。」

 

「今まで全く二心なく、私に仕え続けてくれたこと。私は生涯忘れはしないだろう。」

 

 

 跪き、目線はつま先を見続ける。幾度となく繰り返された別れといえど、いつになっても慣れはしない。俺の体が震えているのは、倒れ込みそうな体を地面についた手で支えているからだ。きっと、そうに違いない。

 

 

「―――ケン。」

 

「―――。」

 

 

 違う。この『ケン』は、違う。王のアルトリアの言葉じゃなくて、少女としてのアルトリアだ。弾かれるように顔を上げた俺の目には、目を潤ませるアルトリアが映った。きっと俺も、似たような顔をしていたに違いない。

 

 王にも、淑女にも似つかわしくない仕草で目元をゴシゴシと拭い、アルトリアは微笑した。その笑みがあまりに綺麗だったので、俺は不覚にも呆けてしまう。何か言葉を挟む暇もなく、アルトリアは口を開いた。

 

 

「―――貴方が、私の鞘だったのですね。」

 

 

 彼女が何を伝えたかったのか、一瞬のうちに理解する。出会ったばかりのアルトリアに、最初に教えた話を言っているんだ。

 

 

 

 

『―――大切なのは鞘の方なんだ。剣は簡単には形が変わらないし、不用意に触れた者を傷つける。』

 

『俺は剣というのは、人間の()だと思っている。折れず、曲がらず、他者を傷つける。その上風雨に晒されれば、錆びついてやがてダメになる。だからこそ、鞘が必要なんだ。』

 

『……まあ、俺もとある人からの受け売りさ。覚えていたら、いつかいいことがあるかもしれないな。』

 

 

 

 

(―――覚えて、いたのか。)

 

 

 

 嬉しい。心の底から沸々とこみ上げてくる熱を感じる。何か返さなくてはと思うよりも先に、口が先に動いた。

 

 

 

「―――アルトリア。お前もまた、俺の出会った素晴らしい王だった。きっと次に出会う誰かに、お前の事を語るだろう。」

 

「―――!」

 

 

 アルトリアもまた、泣き笑いのようなひどい顔をしていた。それでも騎士たちには背中しか見えていない。俺しか知らないその表情は、次の人生へ持って行こう。大切な宝物がまた一つ増えた。

 

 泣き虫の王様の背後から、気づけば朝日が昇りつつあった。黄金の輝きに照らされ、二人の時間は終わりを告げる。もう、それぞれの人生に帰らなくてはならない。

 

 

「―――さようなら、ケン。私の生涯で、最も大切な人。どうかあなたに、素晴らしい終わりが来ますように。」

 

「―――ああ。お前にも、ブリテンにも、素晴らしい滅びがあることを願う。さようなら、アルトリア・ペンドラゴン。誰よりも高潔で、正しくあろうとした王よ。」

 

 

 二人は互いに背を向けた。王は彼女の言葉を待つ、大勢の人々の方を向いた。料理人は彼を待っている、終わりに向けて歩を進めた。二人の道はもう、交わることはないのだろう。それでもきっと、繋がっているものはある。その繋がりがある限り、きっといつかすれ違うくらいは出来るだろう――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、ケン君。すまないね、最後に見るのがイケメン花の魔術師お兄さんで。」

 

「……お前の……減らず、口は……止まらない、な……。」

 

 

 キャメロットのどこかにある、小さな部屋の一つ。そのベッドに、一人の大男が寝かされていた。枕元には、女性と見紛うほど麗しく色気のある花の綿毛のような男が立っている。

 

 

「おっと、すまないね。今ちょっとだけ時間をゆっくりにしていたのを忘れていた。そろそろ体が慣れると思うんだけど……。」

 

「……やれやれ。最後の最後まで締まらない奴だな、マーリン。」

 

 

 ケンと呼ばれた男の返答に掴みどころのない笑みを返したマーリンは、真顔に戻ると問いかけた。

 

 

「―――さて、それじゃ一応答えを聞いておこう。ケン君、アヴァロンに行く気はないかい?」

 

 

 真剣なマーリンの様子に、ケンの顔つきも自然と真剣になる。かすれかすれの声だが、それでもはっきりと答えた。

 

 

「―――ああ。俺はこのまま死に、次の人生を生きる。まだ、果たしてない約束があるからな。」

 

「……そう、か。」

 

 

 残念そうな、あるいは納得したような顔で、マーリンは頷いた。

 

 

「うん、まあ、そんな気はしてたんだ。義理堅い人だからね、キミは。」

 

「よくわかってるな。まあ、心はもう爺さんだ。年を取ると頑固になるものだから、諦めてくれ。」

 

「……。」

 

 

 ケンはマーリンに更に言葉を続ける。

 

 

「どうした。そんなに俺の答えが残念だったか。」

 

「……いや、何故だかわからないんだけどね。今ボクの胸に、よくわからないものが渦を巻いているんだ。君が死に……より過酷な道に進むことに対する……そう、憐憫。憐憫を抱いている。でもそれだけじゃないんだ。もう無茶なお願いを聞かされることもないと思うと寂しいような気もするし、でも君が納得した道を選べたことを喜ぶような気もする……。あるいはすべてがまやかしで、ボクはやっぱり何の感情もないのかもしれない。」

 

「……。」

 

「あ、あはは。どうしてしまったんだろうね。人の死なんて、山ほど見てきたはずなのに。」

 

「……いいんだ、マーリン。」

 

「え?」

 

 

 ケンは、孫を見る老人のような顔で微笑んだ。彼が最後に関わる()()として、マーリンの心を気遣った。

 

 

「お前が思いたいように思えばいいんだ。お前はとうとう感情を手に入れて、人間の仲間入りをしたのかもしれない。あるいは、ただの気まぐれなのかもしれない。」

 

「―――それでも俺は、お前の事を友だと思う。共にブリテンに生きた、仲間だと思う。」

 

「それだけは忘れてくれるな。それだけだ。」

 

「――――。」

 

 

 魔術師は、いつものようにしようとした。笑ってごまかそうとした。しかし頬の肉はうまく動かず、舌を動かすのが精いっぱいだった。

 

 

「ふふ、そうやって数々の女性を落としてきたんだね。参考にさせてもらうよ。」

 

「……ああ。だがまあ、ほどほどにしておけよ。」

 

 

 ケンはすべてわかっているというように笑った。彼の四肢は既に動かず、穏やかな死はノックを始めた。最後の挨拶をするべく、ケンは口を開いた。

 

 

「……そろそろ終わりだ。マーリン、皆によろしくと伝えてくれ。」

 

「―――もちろん。だがそう、本当に何もないのかい? よほどのことでなければ、今までのお礼に何かしてあげようと思うのだけれど。」

 

「……。」

 

 

 してほしい事。死を前にした人間に言うことではないと思うが、ケンには一つだけあった。自分ではなく、死地に赴く彼らのために。

 

 

「……それなら、誰か戦場で死んだときに。三輪でいい、花を咲かせてほしいんだ。」

 

「花を……? それならお安い御用だけど、それでいいのかい?」

 

「……ああ。戦場は、寂しいからな。一輪は、家族のもとに。一輪は、王のもとに。そして最後の一輪は、天国まで持って行くんだ。そうすれば誰も、一人じゃない。誰も、寂しい思いはしないで済む。」

 

「……確かに。君の願いは、このブリテンが滅ぶその日まで続くと約束しよう。」

 

 

 それを聞いて、ケンはまだかろうじて動く唇で笑顔を作った。もう何も、心残りはなかった。

 

 

「ありがとう、マーリン。もう見送りは十分だ。次の人生に旅立つとするよ。」

 

「……それなら、失礼するとしよう。さようなら、ケン君。」

 

 

 マーリンは魔術を解除し、部屋のドアを開けて外へでた。ケンはとうとう一人になった。旅立ちの準備は整った。

 

 

 

「―――さようなら、ブリテン。滅びの決まった、ひとりぼっちの島よ。それでもここは―――そう、美しい場所だった。」

 

 

 

 ケンはゆっくりと目を閉じ、柔らかな枕で眠った。決して覚めることのない眠りだった。それでもそれは、終わりではなかった。

 

 

 

「そう―――。これは、終わりではない。」

 

「君が死んだことで、君は次の人生に進む。新たな人々と出会い、新たな経験を積む。」

 

「それはきっと、人類の切り札になる。過去を求めた黒幕への、これ以上ないカウンターになる。未来へ進む者こそが、いつだって輝いているのだから。」

 

「―――さようなら、私のトモダチ。いつかきっと、君と出会う日が来るだろう。」

 

「……()()()()で、君を待つ。」

 

 

 魔術師は手に持った杖を一度だけ、床に打ち付けた。キャメロットの花という花が季節を忘れて花開き、そして一生を終えて散った。花びらたちは宙に舞い、風に吹かれて飛んでいった。花びらたちが消えた空はきっと、彼が見上げる空に繋がっているに違いない。



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幕間 続くべきでなかった物語

 お久しぶりの投稿です。自動車学校とか試験とか、いろいろ忙しかったんです許してつかあさい。


「我が舞台はこれにて閉幕! 皆々さま、万雷の拍手をお願い致します!」

 

 

 シェイクスピアが壇上に立ち、その良く通る声を張り上げるまで、全ての物が静止したかのように何の音も起きなかった。だがそれも、劇作家の声が通るまで。人々は夢から覚めたように、まさしく雷が同時に降り注いだかのような拍手と歓声が鳴り響いた。

 

 それは立香を含めた一行においても例外ではなく、彼女は目を真っ赤に腫らしながら精一杯の拍手をしていた。アルトリアは頬を染めながらケンの手を握り、ケンもそれを振り払おうとはしなかった。

 

 

「すごい……すごかった……。」

 

「ふふふ、見ろケン。マスターももはや語彙力を失ってしまったようだぞ。」

 

「……まあ、マスターが喜んでくれたなら赤っ恥をかいた甲斐はあったかな。」

 

 

 しばらく動けそうにない立香を見守りたいところだったが、ケンにはこの後まだ約束がある。そのために用意したいものもあるため、上手くこの場を離れなくてはならない。

 

 

「……アルトリア、その、今から片付けとかに行かなくてはなんだが……。」

 

「それなら行ってくるといい。私のことを気遣っているのなら、気持ちだけ受け取っておこう。」

 

「ほ、本当か!?」

 

 

 あまりにも素直に行かせてくれるアルトリアに、思わずケンは聞き返してしまう。本当なら気の変わらないうちに逃げ出すことだが、意外過ぎてつい反応してしまった。

 

 

「もちろんだ。私もこのカルデアにやってきた以上、時間はいくらでもある。一時的に離れることになったとしても、それは川の流れが分かれただけのこと。私たちは必ず、最後には結ばれるのだからな。」

 

「……そうだな。」

 

 

 なんだかもう、いろいろ考えたくなくなってしまったケンは、いそいそと劇場を離れた。その足ですぐに厨房へ向かうと、宴は終わりに近づいているからか、今は落ち着きを取り戻していた。ケンとエミヤの交代で入ったブーディカとタマモキャットは、厨房奥の仮眠室にぶっ倒れていた。まあ、好都合ではある。

 

 

「ロボットさん、頼んでいた下ごしらえは終わってますか?」

 

「アイヨー!」

 

 

 ケンが声をかけると、鼠サイズのロボットたちが沢山の食材を持ってやってきた。それを検分して、満足そうに頷くとケンは腕まくりをし、手を洗い始めた。

 

 

「……よし、それじゃあ始めましょう。まずは―――」

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ―――カルデア、シュミレーションルーム。今まで立香が行った事のある場所を記録し、再現する場所。当然エネミーの再現も可能で、サーヴァントの成長に足りない素材がある場合、ここにやってきて戦闘を行うのである。

 

 だが、ここを利用するのは何もマスターを伴ったサーヴァントのみではない。サーヴァントの多くは、数々の戦場で武勲を立てた者や、自分よりも遥かに強大な敵を打ち倒した者など、戦いに関する者が多い。そうなれば当然、血の気の多い者たちも含まれる。

 

 そういうサーヴァントたちが、古今東西の英雄たちが集まる場所に放り込まれたらどうなるか? ……無論、腕試しをしたいと思うものだ。そういう際に、ここシュミレーションルームは使われる。ある程度の地形へのダメージを無効化出来るため、マスターのいない時間を狙って多くのサーヴァントが訪れる。今日もどうやらその類のようで、室内では広々とした荒野が再現されていた。

 

 

 ―――だが、その部屋の中、一人の男が異彩を放っていた。

 

 

 荒野にあって不釣り合いな茣蓙を敷き、その上に座って盃を傾ける。まるで花見でもしているかのようだが、それに不釣り合いなほど、辺りには緊張感が満ちている。それは間違いなく、彼が目の前に置いた刀のせいなのだろう。

 

 そしてそこに、近づいてくる影が一つ。砂と岩の大地を踏みしめ、それでいて足音一つ漏らさない。長い髪をしたしなやかな体の人物は、まず間違いなく女性なのだろう。その美しい肢体が躍動し、座ったままの男の背中に向かって、朱色の槍が投擲される。

 

 

 

 

「――――!」

 

 

 

 

 それは、一瞬にして行われた。男が目の前の刀を抜きはらい、振り向きざまに槍を両断したのだ。切り上げによって真っ二つにされた槍は二股に分かたれ、男の両側をそれぞれ通過し、遥か遠くの岩山を破壊した。その轟音を背後に聞きながら、男は女から消して目を離すまいとにらみつける。だが女は、男のそんな顔すら微笑ましいといったように笑いだす。

 

 

「ふ、ふふ、はははは! まさかこの呪いの槍から逃れるばかりか、両断するとはな! 男子三日会わざればという奴か!」

 

「……少し、懐かしい思い出を思い出しましてね。その頃の記憶が戻ってきた、ということにしておきましょう。」

 

 

 笑みを浮かべる女―――スカサハは、その言葉を聞いて両手にゲイボルグを召喚する。

 

 

「ふふふふ、ならば力を示してもらおう! 今日、儂かお主かどちらかが死ぬのだ! ああ、何と心躍ることか!!」

 

「―――残念ですが、それは叶いません。」

 

「何?」

 

「……私は所詮、料理人です。やるべきことは、料理を供するだけのこと。」

 

 

 力強い目でスカサハを見つめ返したケンは、刀を握る右手を離すと指を鳴らした。すると、突然シュミレーションルームの風景が切り替わった。真っ赤に塗られた壁、金色の装飾。そして何より、中央の丸テーブル。

 

 

「これは―――。」

 

「私の記憶を再現してもらった施設です。どうせなら、本場の空気を味わっていただきたいのです。」

 

 

 言いながら、ケンは椅子を引いてスカサハを促した。ケンに戦意がないと察したスカサハは、憮然とした表情で席についた。それを確認してから、ケンも椅子に座る。丸テーブルはかなり大きなもので、ケンとスカサハの両手を伸ばしても、お互いの手にはまったく届かない。

 

 

「何をするつもりだ?」

 

「すぐにわかります。今、持ってきますので。」

 

 

 ケンが言い終わるより先に、どかどかと皿を抱えたロボットたちがやってきた。調理用の鼠サイズのロボットたちではなく、配膳用の人間サイズのロボットたちだ。入れ替わり立ち替わり、沢山の料理を運んでくる。あっという間にテーブルは埋め尽くされ、最後に二人の前に置かれた盃に恭しく清酒が注がれた。

 

 

「これは―――」

 

「何も言わず、ひとまず召し上がっていただけませんか? なにせこれは、『満漢全席』。食べ終わるまでに、三日三晩はかかります。」

 

「―――。」

 

 

 食卓を囲んでいるというのに、二人の間には妙な緊張感が張りつめる。ケンはあくまで刀にかけた手を離すことはなく、スカサハも微動だにしない。

 

 

 ―――その様はまさに、戦場だった。共に言葉は発しないが、確かな駆け引きと選択があった。

 

 

 そして。その静寂を破ったのは、スカサハの方だった。

 

 

「ふ、ふふふふふ。ははははははははは!」

 

 

 その笑いにケンは指をピクリと動かしたが、刀を抜くことはしない。おかしくてたまらないと笑うスカサハを睨み続ける。

 

 

「く、くくく……。いや、そう怯えずともよい。この勝負、確かに儂の負けだ。」

 

「―――! 流石は、死の国の女王ですね。」

 

「無論だ。儂は凡人の上に立つ者。それなりの振る舞いというものがある。この場に連れ込まれた時点で、負けは決まっていたな。」

 

 

 言いながらスカサハは箸を手に取り、熊の手を掴むと豪快にかじりついた。

 

 

「―――ほう、意外といけるものだな。」

 

「ええ。普通の熊ではなかったのですが、肉厚でいいものでしょう。」

 

 

 ケンもようやく刀を手放し、料理に手を付けた。自分を殺せる者を前にしてのこの豪胆な態度に、スカサハは改めて感心せずにはいられなかった。

 

 

 

 ―――何故、スカサハが負けを認めたのか? それにはこの場と、満漢全席という料理が深く関わっている。

 

 

 ケンが言ったように、満漢全席とは本来、三日三晩かけて料理を食す宴の様式だ。ケンはかつて、織田と武田の戦いが巻き起こった際に、捕らえられた秋山虎繁の助命嘆願のためにこの料理を出したことがある。信長にはあっさりと見破られ、処刑の日時が変わることはなかったが、それでも潔く死した彼と、ケンと信長。あの夜、確かに三人の心は通じ合ったのだ。

 

 そして今回も、同じ手を使った。スカサハは今日、どちらかが死ぬという想定でここにいた。だが実際には、三日三晩かけて食べなければならない料理が供された。

 

 それを断ることが、女王として出来ようはずもない。自分をもてなそうとしている人間を無視してならばなおさらだ。

 

 

「だが、わからんこともある。」

 

「何でしょう。」

 

 

 スカサハの問いかけに、ケンは箸を置いた。

 

 

「儂がもしも―――もしも、このような場など関係ないと言い、お主や女たちを殺そうとすればどうした?」

 

「……あえて、強い言葉を使いますが。」

 

「道理も風情も解せぬ雌犬ならば、斬るのに躊躇はありませぬ。」

 

「―――! ふ、ふふふ。儂を捕まえて雌犬とはな。」

 

「い、いえスカサハ殿のことではなく……。ただそういう心構えだったというだけのことです。」

 

 

 慌てるケンを見て一通り楽しむと、スカサハは再び料理に手を付け、食事は再開された。

 

 

「―――これは、持論ですが。」

 

 

 やがて、ケンはゆっくりと口を開いた。スカサハも料理を口に運ぶ手を止め、耳を傾ける。

 

 

「私たちは今、殺し合いが出来るような状況ではないはずです。世界の危機を前に、震えながらも前に進もうとしている人々がいる。それに背を向け、我欲を満たすためだけには動けない。」

 

「ふむ……。まあ、正論ではあるな。最も、儂の心を動かすには足りぬ。」

 

「そうでしょうね。あなたの事を色々聞きまわりましたが、力に裏打ちされていない言葉を嫌いそうだと思っていました。」

 

「ふふ、よくわかっているではないか。それがわかっているのなら、貴様は何を見せてくれるのだ?」

 

「―――約束を。」

 

 

 ケンは箸を置き、椅子から立ち上がった。だがその手に刀はなく、徒手のままである。

 

 

「あなたの逸話は山ほど聞きましたが……その中で特に興味を引いたものがあります。」

 

「―――神殺し。幾度となくそれを成してきたあなた相手だからこそ、私は約束に裏付けが出来る。」

 

「……ほう。」

 

「―――どうか、約束していただきたい。もしも私が、私でなくなったならば―――。」

 

「遠慮なく、私を討っていただきたい。」

 

「……ふふ、笑わせるな。もとよりそのつもりよ。」

 

「よかった。安心しました。」

 

 

 ケンはニコリと笑みを浮かべ、右腕を前に突き出すと、その二の腕辺りを強く握った。

 

 

「―――では、よろしくお願いします。」

 

 

 その時の雰囲気を、一体どう形容すればいいのだろうか。一瞬にしてケンの魔力の感じが変わり、周囲は異様な雰囲気に包まれた。例えるなら―――そう、根源的。山の斜面を流れ落ちていくマグマのような―――あるいは、荒れ狂う海の大波のような。そんなシンプルで、それでいて絶対に征服出来ないと思わせるような、偉大とも言える雰囲気があった。

 

 

「これ、は――――。」

 

 

 スカサハも、言葉を失わずにはいられなかった。ケンの手に握られていたのは、見間違えようもない―――

 

 

「ッ!」

 

 

 だがそれも、ほんの一瞬のこと。すぐに魔力ももとに戻り、ケンは右腕を抑えて蹲った。

 

 

「……どういう、ことだ。お主、あれは、あれは間違いなく―――。」

 

「……ええ。ご想像、通りです。これが私の、正真正銘の切り札。失敗すれば、世界が根底から変わりかねない―――文字通りの勝利か死か(オールイン)。」

 

「……マスターには?」

 

「……伝えていません。こんな危険すぎる賭けに、頼ってほしくはありませんから。」

 

 

 首を振るケンだったが、それを見つめるスカサハは打ち震えていた。それは感動か、あるいは恐怖か。それでもケンが言う、スカサハを殺すという約束。その裏付けには十分だったことは確かだ。

 

 

「……もう一度だけ、聞かせろ。儂を殺すという約束、二言はないな?」

 

「―――必ずや。世界を救い、私たちが不要になった時。あなたの首をもらいましょう。」

 

 

 そのために、これを―――。ケンは呟きながら、何かの包みを取り出した。それを縛る紐を解くと、真っ黒なチョーカーが現れた。

 

 

「これは―――」

 

「チョーカー。首につけるアクセサリーです。」

 

 

 ケンはおもむろにスカサハの首に腕を伸ばすと、チョーカーを付けた。締め付けがきつくないことを確認すると、満足気に頷いた。

 

 

「……これこそ、私の約束の証です。今の私は、あなたを傷つけることは出来ない。ですから、傷の代わりにこの飾りを。」

 

「……。」

 

 

 スカサハは、自分の首にそっと触れた。何故だか、暖かさを感じたような気がした。死の国の女王である彼女の体温ではない、生きた暖かさだった。

 

 

「……お気に召しませんでしたか?」

 

「―――いいや。これは……ふふ、約束の証、か……。」

 

 

 スカサハはこの先、これを手放すことはないだろうという確信があった。自分がいつか死を迎えるまで、これは永遠に自分の首を護るのだろうと思った。

 

 

「だが―――そうだな、お主、少し寄れ。」

 

「は、はい。」

 

 

 困惑した顔で近づいてくるケンを見ながら、スカサハは思った。こいつが証を渡すというのなら、こちらからも返さなくてはならないと。すぐには婿にすることは出来まいが、それでも唾をつけておく必要はあると。

 

 

「―――。」

 

「ッ!? 痛ッ―――!」

 

 

 ケンの首筋に、歯を立てたのだ。思わず頭を掴み、跳ね除けようとしたケンだったが、力はスカサハの方が強い。されるがままにされるしかなく、ただ噛みちぎられないことを祈った。

 

 やがてその口は離れ、ケンの首にはっきりとした歯型を残した。スカサハは妖艶な笑みを浮かべ、その傷を指先でなぞる。

 

 

「な、何を……。」

 

「ふふ、儂も―――いや、私もお前に、証を残しておきたかっただけのこと。言っておくが、すぐには癒えぬぞ。サーヴァントの身であろうと、遅延のルーンがかかっているからな。時間が経てば治るやも知れぬか、その間はついたままだ。」

 

「……。」

 

「そう嫌そうな顔をするな、死の国の女王のモノになれたのだぞ?」

 

 

 再びケンの首に顔を近づけたスカサハは、今度はいたわるように傷を舐めた。首筋に舌が這う感覚に悶えながらも、声だけは出すまいとケンは人差し指の腹を噛んだ。その態度すらスカサハを昂らせたのか、傷を舐めるのは、傷をつけることよりも遥かに長い間行われた。

 

 

「噛みついた後、傷跡を舐めるというのは―――確か、猫だったか? 自分に逆らうと恐ろしいぞという、警告であるそうだな。」

 

「……ならば、躾をせねばなりますまい。今日だけは許しますが、明日からは―――。」

 

「ふふ……。楽しみにしているぞ、婿()殿()。」

 

 

 やはりケンは、あまりいい顔はしなかった。それでもスカサハには、その顔すら愛おしく思えた。ようやく出会えた、運命の人。年甲斐もなく―――と言ったら殺されそうだが、浮き立つような気持ちは止められない。例え全てが静止する、死の世界にあったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――宴は終わった。全ては何事もなかったかのように片付けられ、立香は久々にぐっすりと眠りについた。それこそ、本来ならば夢すら見ないほどの深い眠りに。

 

 ……だが、相も変わらず空気の読めない夢魔が一人。夢の中は彼女のテリトリーであり、それは想い人の主であっても例外はない。

 

 

「やあやあ、ほとんど初めましてだね、マスター!」

 

「……あれ、マーリンさん? ここどこ?」

 

「ふふふ、マーリンさんとはくすぐったいね。それにいつか、男の私もやってきそうだし、マーリンお姉さんとでも呼んでくれたまえよ。」

 

「とと、こんな話をしに来たんじゃなかった。実はね、今回私がここに来たのは、王の話をするためなんだ。」

 

「王の話……? それって、アルトリアの話ってこと?」

 

 

 立香の言葉に、マーリンは満足そうに頷いた。

 

 

「うんうん、話が早くて助かるね! アルトリアたってのお願いで、君にケン君が死んだ後のブリテンのことを、話して聞かせてほしいとね。本当なら彼女自身から話すべきなんだろうけど……。まあ、少なくともハッピーエンドの話じゃないからね。」

 

「……。」

 

「―――それでも、聞いてくれるかな?」

 

 

 立香はマーリンの目をまっすぐに見つめ返し、力強く頷いた。

 

 

「うん。聞かせて、マーリンお姉さん。私、皆のマスターだから。皆のこと、ちゃんと知っておきたい。」

 

「それでこそマスター、マイロードだね! よぅし、それでは張り切って語らせてもらおう! 黄金時代のブリテンが、いかにして滅んだのかを!」

 

 

 誰も知らない、夜闇の中。王の話が語られる。それは愛する誰かを失った者の物語。めでたしめでたしの先にある、続くべきでなかった物語。




「……え、とうとうワシら一切関わりなく宴終わったんじゃが!?」

「ノッブがいけないんですからね……。入院中暇だからって、マイクラなんてダウンロードするから……。」

「完全に宴会そっちのけで遊んでましたからね。まあ、おかげで退屈はせずにすみましたが。」

「7章とか始まって終わったんですがそれは……。」

「うーむ、まったく手つけてないのう……。ま、そのうちようつべにでも上がるじゃろ! いちいち育成すんのダルイし!」

「この人自分のとこのゲームなんだと思ってんだろう。」


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