彼女が麦わらの一味に加わるまでの話 (スカイロブスター)
しおりを挟む

原作開始前
1:彼女の名前はベアトリーゼ


 太陽の中に小さな影が生じて上甲板に何かが降り立った、次の瞬間。

 

 しなやかな影が激しく舞い踊り、甲板上に控えていた海賊達が瞬く間に数を減らしていった。吹き飛ぶ手足。千切れ飛ぶ頭。破砕された頭蓋から脳や目や舌が飛び散り、破壊された肉体から臓物と骨がまき散らされる。鮮血と肉片が周囲を赤く染め、肉塊のオブジェが転がっていく。

 

 海賊達が振るう剣戟も、放つ銃撃も、突き出す拳も、しなやかな影を捉えるどころか、カスることさえできず。ただただ一方的に蹂躙されてゆく。

 

 怒号と罵声は悲鳴と断末魔に変わり、甲板上は死の暴威に対する憤怒と発狂と恐怖と怯懦のるつぼと化した。

 しなやかな影は立ち向かう者も、逃げ出す者も、勇者も、臆病者も、男も女も、誰一人区別なく鎧袖一触に殺し、屠り、裂き、砕き、壊していく。

 

 それは一方的な狩りであり、一方的な処刑であり――

 虐殺だった。

 

「う、うぉおおおおおっ!!」

 海賊の頭目らしき中年男が恐怖と驚愕に顔を引きつらせながらも、己を鼓舞するように叫び、自らの両腕をイソギンチャクのような触手に変化させ、

「お、お、おおおれ、おれはニョロニョロの実を食った触手人間っ! 悪魔の実の能力者だっ! 泣く子もだま――」

 名乗り口上を語り終える前に一瞬で全ての両腕触手群を破壊され、

「るぅうううううううううううううううううううっ!?」

 奇怪な悲鳴を上げながら、その首を千切り飛ばされた。

 

 触手人間の何某の首が地面に落ちると同時に、黒い影も動きを停めた。

 戦闘騒音が絶え、穏やかな潮騒以外の何も聞こえない。

 

 唯一の生き残りは年幼い見習いの少年だけ。仲間の血肉を浴びて真っ赤に染まった少年は、腰を抜かして小便を漏らし、涙と鼻水を垂れ流し、ただただ震えながら、瞬く間に仲間達を皆殺しにした虐殺者を凝視していた。恐ろしすぎて目を離すことが出来なかったから。

 

 わずか一分ちょいで30余名の海賊を鏖殺し、甲板上を血肉の一色に塗り潰したというのに、虐殺者は返り血一つ浴びていない。血に触れている場所は殺戮現場に立つ靴裏だけだった。

 

 あまりにも無慈悲な大量殺人を終え、虐殺者は疎ましげに短外套のフードを下げる。

 血と臓物と屍からこぼれた排泄物の悪臭に晒される細面は、二十歳手前くらいの乙女の物。小麦色の肌。癖の強い夜色のミディアムヘア。物憂げな双眸に宿る暗紫色の瞳。長身を包む衣装はしなやかな体の線を強調するような暗橙色の皮革製タイトジャケットとスリムパンツ、メタル入りの黒いニーブーツにロンググローブ。そして、鈍色の短外套。

 

 腰に巻いた装具ベルトの銃やナイフを一切使わず、大量殺人を終えたアンニュイ乙女は、ふっくらとした唇から気だるげな吐息をこぼす。

 

 潮風に嬲られる夜色の髪の毛先と短外套の裾がゆらゆらと踊る中、夜色の瞳が唯一生き残った見習いを捉えた。

 瞬間。少年は凄まじい“気”を当てられ、少年は泡を吹いて失神する。

 

 アンニュイ乙女は『酔いどれ水夫』をスローテンポで口ずさみながら船楼へ向かって歩き出したところへ、腰のパウチに入れてある電伝虫が美女の声を伝えてきた。

 

『ビーゼ。制圧は終わった?』

「ん。甲板上にいた連中は殲滅した。約束通りガキは殺してない」

 ビーゼと愛称で呼ばれたアンニュイ乙女ベアトリーゼは電伝虫へ返事をしながら、海賊船に近づいてくる小型船に手を振った。

 

「これから船内の生き残りを始末しにいく」

 面倒臭そうに語りつつ、ベアトリーゼは血肉に染まった甲板を進み続ける。

「回収するのは……オタカラと食料、医薬品、あと……」

 

『肝心な物を忘れてるわよ、ビーゼ』

 電伝虫の向こうから慨嘆気味の声音が返ってくる。

『ログポースと航海日誌、それに海図。忘れないで』

 

 念を押すように美女は繰り返す。

『そのために彼らを狩ったの。きちんと回収してちょうだい』

「了解」

 ベアトリーゼは気だるげに“相棒”へ応じた。

「そっちも油断しないでよ、ロビン」

 

 

 

『そっちも油断しないでよ、ロビン』

「ええ。分かってるわ、ビーゼ」

 電伝虫の通信を切り、ニコ・ロビンは小さく溜息をこぼした。

 

 花咲く21歳。艶やかな黒髪。知性的な青い瞳。目鼻立ちの整った繊細な美貌。すらりとした細身ながら、出るべきところはくっきりと出ている優美な容姿。

 

 どこか煽情的な皮革製の着衣をまとうベアトリーゼと違い、ロビンは暗紫を基調にしたフレアシャツと革パンツ、編み上げのニーブーツ、顔を隠すようにツバ広のテンガロンハットを被り、暗緑色の外套を羽織っている。

 冒険(フィールドワーク)中の学士といった装いが良く似合う。

 

 チャーターした小型船の船長と船員達が唖然としていることに気付き、ロビンは見事な営業スマイルを湛えた。

「海賊はツレが無事に“無力化”しました。戦利品を回収しますから船を寄せてくださるかしら?」

 

「――っ! へ、へい! すぐにっ!」

 我に返った船長は茫然としている船員達に叱声を飛ばし、小型船を海賊船へ向けて進ませる。

 

 慌ただしく操船を始める船長達を隙なく窺いつつ、ロビンは思う。

 心配しなくても、私は誰も信用しないわ。貴女以外はね、ビーゼ。

 

 8歳の時、ロビンは故郷オハラを海軍に壊滅させられた。

 8歳の時、ロビンは母を、師を、親友を、同胞を虐殺された。

 8歳の時、ロビンは世界の敵にされた。

 

 オハラ唯一の生き残りであり、おそらくは世界で唯一の古代語解読者であるロビンは、世界政府から執拗に命を狙われ続け、海軍に『悪魔の子』という汚名と高額の賞金を科されていた。

 

 世界の敵意と悪意と殺意に晒され、幾度となく狙われ、幾度となく騙され、幾度となく裏切られ、幾度となく傷つけられても、ロビンは懸命に生き抜いてきた。

 

 泥水を啜り、残飯を漁り。他人を利用し、他人を騙し、他人を裏切って。己と他人の血反吐に塗れ、罵詈雑言と呪詛を浴びせられながらも、歯を食いしばって生き続けてきた。

 

 8歳で世界の敵にされて以来、たった一人で。

 

 誰も信じられず。

 

 誰も頼れず。

 

 誰からも助けられず。

 

 誰からも救われず。

 

 ロビンはたった一人で戦い続けてきた。

 愛する母、尊敬すべきオハラの考古学者達、心優しき巨人の親友、皆に託された想いと遺された願いを果たすために。

 

 ロビンはたった独りで世界を相手に戦い抜いてきた。

 ベアトリーゼに出会うまで。

 

       ○

 

 早々にぶっちゃけてしまえば――

 ベアトリーゼは転生者である。

 

 ただし、彼女には創作物(ワンピース)の世界に転生したという認識を抱ける程度の前世記憶しかなかった。虫食いと欠落の大きな前世記憶に加え、元より大傑作ワンピースをあまり嗜んでいなかったのか、原作知識はニワカにも劣るうろ覚え状態。

 

 ゆえに、ベアトリーゼにとってこの転生はワンピース世界への転生というより、異世界転生に等しい。

 

 そして、ベアトリーゼの転生はインセインモードだった。

 転生先は西の海に浮かぶ蛮地。国家の体を為しておらず世界政府が存在を無視し、海軍すら近づかず、周辺国家も見捨てた土地。数人のウォーロードが鎬を削り合う殺戮の荒野であった。

 

 その『酷さ』を創作物で例えるならば……

『FallOut』シリーズ世界のイカレたレイダーとヤベェミュータントしかいない無法地域だと思えばよい。

 あるいは、『メトロ』シリーズのように小勢力同士が絶えず殺し合い、凶暴な化物に満ちた修羅の世界とも。

 もしくは『マッドマックス』や『砂ぼうず』の如き無慈悲な暴力に溢れた環境だろうか。

 

 要するに、人命が捨て値以下の価値しかない土地、人が生きるために人を食らう世界だ。

 

 殺人的な太陽。焼けた砂と岩。右を見ても左を見てもぺんぺん草も生えていない干からびた荒野。自然生態系はわずかにサボテンが生え、原始的な爬虫類と奇怪な昆虫がうろつくだけ。

 悲惨かつ過酷な環境で、ウォーロード達が絶えず略奪と強姦と虐殺の抗争を繰り返す。

 

 控えめに言って地獄である。

 

 そんな地獄に生を受けたベアトリーゼは、ウォーロード達が争う競合地域を徘徊する孤児だった。

 ウォーロード達の少年兵ですらなく、少女慰安婦ですらなかった。孤児仲間と共に戦場に遺棄された死体や物資を漁り、盗賊市場で売りさばいて口を糊するネズミとして生きてきた。

 

 穴の開いた靴下みたいな前世日本人知識はほとんど役に立たず、役に立つとしても周囲の注意や警戒心を引くような真似は出来なかった(ネズミが目立てば駆除されるのが通り相場だ)。

 

 それに、ネズミ暮らしは艱難辛苦そのものだった。

 ウォーロードの軍勢から暇潰しに殺されかけ。戦場漁りの縄張りを巡るネズミ同士の抗争で殺されかけ。荒野をうろつく群盗山賊に犯されかけ。腹黒い商人に騙されて犯されかけ。原始的な爬虫類や奇怪な昆虫に食われかける。そんな日々が繰り返される。

 

 だから、生き延びるためにベアトリーゼも殺し、騙し、盗み、奪い、食った。前世日本人としての価値観や自己同一性は苛烈で悲愴な日々に摩耗し、日本的な良識や倫理観、道徳心などは消滅していき、そして完全に現地人化した。順応したと言っても良いだろう。

 

 その好例が食事だ。

 稼ぎで食えるものは残飯と大差ない物だったし、荒野に生息する昆虫と爬虫類が主食だった。まあ、味は酷いものだったが、人界の集落で食える残飯同然の飯より、栄養価が高かったことは皮肉と言えよう。戦場漁りで得られる軍用糧秣は御馳走で、時には餓死した仲間の骸を食ったし、死体に湧いた蛆まで食らったことさえあった。

 

 正しく地獄だった。

 

 推定10歳になって戦場漁りをしていた時、ベアトリーゼは壊滅した酒保商隊(の残骸)と出くわし、その積み荷からグロテスクな果実を見つける。

 ベアトリーゼの穴だらけな前世知識でも、その果実が『悪魔の実』と呼ばれるワンピース世界の異能発生ガジェットだと分かった。

 

 もっとも、ベアトリーゼがその前世知識を思い出したのは、その果実を欠片も残さず胃袋に収めた後だった。腹が減っていたから食った。文句は言わせぬ。

 

 こうして異能を得たベアトリーゼは、自らウォーロードの一人へ売り込み、ネズミから飼い犬になった。

 ちなみに、ベアトリーゼという名前はこの時、ウォーロードから与えられたものだ。それまではチビだのモジャ髪だのと呼ばれていた。

 

 能力者ならば、少年兵よりも少女慰安婦よりも待遇がマシだから。清潔な衣服とまともな寝床、朝昼晩三食の飯が得られるなら、ウォーロードの手先になって誰かを殺す方がマシだから。

 

 兵士として抗争に身を投じつつ、サディストの教官から虐待同然に鍛えられ、異能の扱いに加えて独自の戦技を編み出し、覇気という技能やこの世界についていろいろと学び――

 

 14歳を迎え、ベアトリーゼはウォーロードと護衛部隊を皆殺しにして国外へ逃亡した。

 

 だって、ベアトリーゼにはそれが出来たから。

 異能と戦技と知識を備えた結果、一応の主君と仲間を皆殺しにし、金穀と食料などを奪い、船に乗って国外に脱出することが、出来たから。

 

 前世の良識や倫理や道徳が失われ、現地人らしい冷酷無比の価値観に染まり切っていたことも、ベアトリーゼはまったく悩まなかった。

 

 よりマシなところへ行くことが出来るのだから、やるでしょ。

 

 こうして、ベアトリーゼは地獄のような世界を脱して――数日と経たずに海賊と遭遇した。

 当時、17歳のニコ・ロビンが素性を隠して潜り込んでいた海賊船に。

 

 

 かくて故郷を奪われた少女と、故郷を捨てた少女が出会った。

 奇しくも、東の海の小さな村で赤髪の大海賊と太陽のように笑う少年が出会った年に。




Tips
『酔いどれ水夫』
 19世紀にアイルランドで歌われていたらしい労働歌。

 ニコ・ロビン21歳
 原作では、ロビンがグランドライン入りしたのは23歳。
 翌24歳時にクロコダイルと出会い、バロックワークスを設立する。

『Fallout』
 日本国内では、3まで知る人ぞ知るポストアポカリプス系ゲームだったが、3が一般層にもヒットして有名人気作品になった。

『メトロ』
 ロシアのポストアポカリプス系SF小説をゲーム化したもの。元々は三部作だったらしい。Falloutに比べてどこか陰惨な雰囲気が漂う。

『砂ぼうず』
 うすね正俊が描く近未来デザートパンク漫画。第一部と第二部でノリが大きく異なる。
 作者が大病を患った関係で、いろいろな伏線が回収されぬまま幕引きとなった。

『マッドマックス』
 ヒャッハー!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2:マーケットへ行こう

読者の方の御指摘で、ロビンの能力取得年齢が間違っていることに気付きました。
合わせて内容を少し修正しています(11/7)


 14で国を脱するまでヒデェ食生活を送ってきたベアトリーゼは、国を脱して以来、食事に妥協しない。美味いものが食える時は絶対に美味いものを食う。明日は自分が虫や魚の餌になっているかもしれないのだから、我慢しない。

 

 ベアトリーゼは大きな鱶肉のステーキをぺろりと平らげ、焼きたてのパンを5つも食らい、根菜と魚介のスープを二度もお代わりし、デザートにアイスケーキを3人前注文する。

 

 蛮族同然の生まれ育ちながら、食事の所作に野卑さが無い理由は、ひとえに欠落だらけの前世知識とロビンがマナーを教えてくれたおかげ。

 

 アイスケーキを幸せそうに堪能するベアトリーゼの様子に、ロビンは微笑みながら食後の紅茶で唇を湿らせる。

「食事時のビーゼは本当に可愛いわね」

 

「美味しいものをお腹いっぱい食べられる幸せ。実に尊い」

 非文明的な蛮地出身者はしみじみと呟き、最後の一口を味わう。満足げに小さな首肯を重ね、ベアトリーゼは余韻を惜しむように珈琲を口へ運んだ。

 

「満足した?」とロビンは姉が妹を気遣うような優しい微笑みを浮かべる。

「ん。大いに」とベアトリーゼは素直に応じた。

 

「それじゃ、“本題”に入りましょうか」

 ロビンは食堂の周囲に気を配りながら、控えめな声量で語り始める。

「入手した航海日誌を精査して確認したわ。掴んだ情報通り、あの海賊はマーケットに出入りしていた」

 

「これで行けるわけだ」とベアトリーゼが夜色の目を妖しく細めた。

「ええ。彼らのログポースと海図を使えば行ける」ロビンも不敵に口元を緩め「マーケットに」

 

 先立ってニョロニョロの何某なる海賊から奪ったログポースと航海日誌、海図。

 ロビンとベアトリーゼがこれらを欲した理由は『マーケット』へ赴くためだった。

 

偉大なる航路(グランドライン)』の一角に、アラバスタ王国やベアトリーゼの故郷みたいな砂と岩に塗れた島がある。

 国家のような体制は存在せず、かといってウォーロードのような奴輩も跋扈していない。

 その島にある物は3つだけ。

 

 砂と岩の荒野。

 大昔に滅んだ国の遺跡や遺構。

 そして、マーケット。

 

 あらゆるものが遣り取りされる、完全なフリーマーケットだ。

 

 国家がないから税関も無い。マーケットを仕切る権力者や相互扶助組合や公共サービス組織も無いから税も上納金も取られない。

 

 マーケットでは何をどんな値段で売っても良い。他人や余所の商売を邪魔しない限り、誰に憚ることなく商売して良い。

 

 一般的な商売――合法的な問題ナシの取引や売買は当然として、司法が存在しないため非合法品や規制品や盗品や略奪品も例外なく遣り取りされている。

 

 盗まれたり奪われたりした金や宝石や貴金属類。贋作盗品を含めた美術品、芸術品、骨董品、楽器や文化財。世界政府や諸国家が規制対象にしている兵器、文物、諸々の技術、動植物に昆虫、種子。酒や煙草などの嗜好品、高級調度品などの贅沢品、麻薬や違法薬物、多種多様な薬品や薬剤とその原料。もちろん、人間も商品として取引されていた。

 

 近年では世界政府や国家、海軍の表沙汰に出来ないビジネスの経路や保管所、資金洗浄などにも利用されており、世界的権力の黙認を受けていると言えるだろう。

 

 さながら村上龍の『ヒュウガ・ウィルス』に登場したオサカ・フリーマーケットだ。

 

 ただまぁ、複雑怪奇な海流と海域に塗れているグランドラインにおいても、マーケットへ行くことは極めて難しかった。マーケット行きのログポースや航海経験が無ければ、まず辿り着けない。

 

 誰でも参加できるというマーケットの開放的かつ自由なルールや世界的権力の黙認は『限られた者しかマーケットへ行けない』という前提に成り立っている。

 

 ニコ・ロビンは過酷な逃亡生活の中でマーケットの話を聞いて以来、ずっと行くことを願っていた。

 マーケットではあらゆるものが取引される。

 もちろん、知識や情報も。

 

 もしかしたら。もしかしたら、マーケットならば、手に入るかもしれない。

 母と同胞達が世界を敵に回してまで得ようとした『失われた100年』の真実が。

 この世界に秘められた歴史が。

 たとえ、それらに届かずとも何かしらの手がかりやヒントが得られるかもしれない。

 

 世界政府と海軍の追及から逃れながら、当てもなく世界を彷徨いながら情報を集めるよりも、確実だろうから。

 

 一方、ベアトリーゼはロビンのような悲願を持っていない。

 人生を賭した宿願など持っていない。

 ただし、ベアトリーゼはロビンと出会ったあの日、誓約した。

 ロビンが“諦めない限り”守り続けると。

 

     ○

 

 それは2人が出会ったあの日のこと。

 ベアトリーゼは壊滅させた海賊船の甲板、血肉と潮の臭いが漂う中、ニコ・ロビンと邂逅した。曖昧な前世知識でも覚えがある作中主要人物との予期せぬ遭遇に、動揺していた。

 

 当時のニコ・ロビンは『ハナハナの実』を食した能力者になって久しかったが、地獄の底みたいな土地で血に塗れながら生を掴んできたベアトリーゼと、社会に深く潜伏して生き延びてきたロビンでは、戦闘力が根本的に違う。

 事実として、ロビンが殺されなかった理由は、ベアトリーゼがハナハナの実の能力とロビンの容姿に『この子、ひょっとして漫画に出てた主要キャラじゃ?』と気付いたからに過ぎない。

 

 対峙するロビンは恐怖と怯懦に身を奮わせつつ、困惑していた。

 

 海賊達が暇潰しに襲った小型船にいたのは小汚い少女――の姿をした怪物だった。

 眼前の少しばかり年下の少女は、気怠そうな顔つきで庭掃除でもするように、海賊達を一方的かつ容赦なく蹂躙した。その圧倒的暴威は凄惨の一語に尽きる。なんたって五体満足の骸が一つも無い。破壊された人体と破砕された人肉が散乱し、甲板上は血肉で真っ赤に染まっている。

 

 そんな恐るべき殺戮者が自身をまじまじと見つめた直後、突如として動揺し始めたのだから、ロビンが困惑しても無理はなかった。

 

「ニコ……ロビン? お前、『悪魔の子』のニコ・ロビンか?」

「――ッ!」

 ロビンはベアトリーゼに改めて恐怖し、身を強張らせた。『悪魔の子』として世界政府から追われるロビンには高額賞金が懸けられている。

 

 ――戦うしかないっ。ロビンが覚悟を決めて抗戦しようした、刹那。

 

「本物のニコ・ロビンかぁ……」

 ベアトリーゼは小さく息を吐いて戦意を解いた。むろん、隙は見せなかったが。

 

 怪訝そうに美貌を歪め、ロビンは警戒と猜疑を隠さずに問う。

「どういう、つもり?」

 

 ベアトリーゼは答えず、小麦色の細面に物憂げな表情を湛えた。

 別に原作を遵守する気はなかった。そもそもワンピースの内容をろくすっぽ覚えていないし、何より自分が生き抜くことが最優先だ。ネームドをぶっ殺して原作が大きく変わろうと知ったことではない。

 

 ただ、ベアトリーゼは底の抜けたボロ靴のような前世知識から、知っていた。

 

 ニコ・ロビンが母も同胞も友も奪われ、世界から命を狙われながらも、たった独りで抗い続け、生き抜いてきたことを。

 

 それは、この世界に転生して一匹のネズミとして生きてきたベアトリーゼに、同族憐憫に似た共感を抱かせていた。

 

 そして、ベアトリーゼはニコ・ロビンを前に思うのだ。

 世界政府や海軍が恣に島一つ、国一つを容易く滅ぼせるというなら、なぜ自分の故郷は世界政府や海軍に救われなかったのか、と。なぜ見捨てられたままだったのか、と。

 

 彼らがその絶大な力を使えば、ウォーロード達を掃討し、あの干からびた地で苦しみながら生きる人々を救い、導くことが出来るはずだ。

 

 あの島で生きてきた地獄の日々、どれほど祈ったことか。前世日本人の良識や倫理や道徳がすり減っていく日々、どれほど懇願したか。飢えに苛まれながら涙も果てた目で夜空を見上げ、どれほど渇望したか。救いを。助けを。援けを。慈悲を。優しさを。

 

 なぜ助けてくれなかった? そんな義務も責任もないから?

 あんな蛮地で浅ましく生きている私達など、救う価値もないから? 気にかける意味もないから? 助けるに値しない命だから?

 

 ふざけるな。

 

 ――なら、私にも世界政府や海軍に貢献する義理も務めもない。いや、それだけで足りないな。

 奴らに意趣返ししてやる。理不尽で不条理で八つ当たり同然の嫌がらせをしてやる。

 吠え面を掻かせてやる。

 

 不貞腐れたクソガキの理屈である。が、地獄の底で生まれ育ち、前世の善良な人間だった価値観を根こそぎ粉砕され、野蛮人のルールが叩きこまれたベアトリーゼにとって、大事な理屈だった。

 

「……提案がある」

「提案?」

 疑念を隠さず、ロビンが不信感を露わにするも、ベアトリーゼは気にせず続ける。

「お前が生き続けることで世界政府に仇なすというなら、お前が諦めることなく世界の敵であり続ける限り、私がお前を助け続けよう」

 

「―――え?」

 ロビンは虚を突かれたように目を瞬かせた。

「……それは、貴女が私のことを守ると? そんなことをして貴女に何のメリットがあるの?」

 

「メリットは特にない。むしろ厄介事にしかならないな」

 ベアトリーゼは気だるげに応じ、唖然とするロビンへ薄笑いを向けた。女妖のような笑みだった。

「でも、お前が捕まらない限り政府や海軍が嫌な思いをするんだろう? お前が生き続ける限り、この世界の脅威であり続けるんだろう? それで良い。私は支配者面している豚共と守護者気取りの犬共に吠え面を掻かせたいんだよ」

 

「私を嫌がらせの道具か何かにする気?」

 ムッとして睨むロビンへ、ベアトリーゼは視線を払うようにひらひらと手を振る。

「それを言うなら、お前が提案を呑めば、私はお前専用の番犬になる。お互い様だよ」

 

「……貴女が私を裏切らないという保証は?」

「そんなものはないし、どんなに言い繕ったところで信用しないだろ?」

 ベアトリーゼの反問にロビンは黙り込む。図星だった。

 

「まあ、私が信用できないなら信用しなくていいし、この提案を呑まないとしても、私はお前を害したりしない。この場でサヨナラするだけさ。仮に私の提案を呑んだとして、私を裏切ったとしても、それはそれで構わない」

「騙されても平気なの?」

「騙されることも裏切られることも初めてじゃない。私も騙したり裏切ったりしたことがあるし、まあ、その時はその時さ」

 

 訝るロビンへ面倒臭そうに応えつつ、ベアトリーゼは喉が渇いたな、と呟いて周りに転がる死体を物色し始める。

「それに、私の提案には条件があることを失念しないで」

 

 副長の死体からスキットルを奪い取り、ベアトリーゼは飲み口を袖で拭って一口呷る。強い酒精と風味。ラム酒だった。

「私がお前を守る条件は、お前が世界の敵であり続けること。お前が諦めない限り、だ。お前が心折れて諦めた時、私はお前を見捨てる」

 

 その上から見下ろすような、見物客のような言い草に、ロビンはかあっと頭に血が昇った。何も、何もわかっていないくせにっ!

「――私は、私は諦めたりしないっ!」

 

 諦めたりするものか。

 母と同胞と親友を殺され、故郷を焼かれた。オハラを脱出する時、ロビンは灰になっていく故郷を見続けながらオールを漕ぎ続けたのだ。迫害され、騙され、裏切られ、追手から逃れながら、安息無き日々を生き抜いてきたのだ。

 

 全ては母達の見つけた真実を知るため。全てはこの悲願を果たすため。

 

 諦めたりするものかっ!

 

 屈したりするものかっ!

 

「私は絶対に、諦めないっ!」

 青い瞳に宿る激情に偽りは欠片もない。ロビンはベアトリーゼを真っ直ぐ睨み据えて、宣告する。

「貴女こそ覚悟することね。役に立たないと分かったら容赦なく切り捨てるわ」

 

「怖いね」

 アンニュイな細面に苦笑を湛え、ベアトリーゼはスキットルを傾けてからロビンへ放る。

「私はベアトリーゼ。ただのベアトリーゼさ。よろしく、悪魔の子」

 

 ロビンはスキットルを傾け、強い酒精に喉を焼かれながらも海へ投げ捨てる。

「私はニコ・ロビン。よろしく、私の番犬」

 

 

 

 2人が出会ってから4年。世界では――

 

 フーシャ村の太陽のように笑う少年がゴムゴムの実を食ってしまったり、2人の少年と義兄弟の盃を交わしたり。

 

 客船オービットとクック海賊団が遭難し、ぐるぐる眉毛の少年と海賊が無人島に漂流したり。そして、2人で海上レストランを開いたり。

 

 マリモ頭の少年が親友の形見として和道一文字を譲られたり。

 

 ココヤシ村の少女が敬愛する義母を殺され、故郷を守るために憎き魚人の手下になったり。

 

 船大工の青年が恩人を助けようとして失敗し、自らをサイボーグ化したり。

 

 青っ鼻のトナカイが気の良いヤブ医者と出会ったり。

 

 ――していた4年間。

 

 ベアトリーゼは決してロビンを裏切らなかった。

 組み始めの頃、ロビンが不信と猜疑からベアトリーゼを窮地に追い込んだ時も、ロビンがベアトリーゼを見捨てて一人で脱出した時も、ベアトリーゼ一人なら危機から逃れられた時も。

 

 ロビンを脅威と危機から守り続けた。いつものようにどこか物憂げに、どこか気だるげに、圧倒的暴威を発揮して。

 

 今はロビンも認めている。

 ベアトリーゼは自分を決して裏切らないと。

 たった独りで世界の追及を搔い潜り続けたロビンは、一人ではなくなったのだ。

 

 心を許したロビンはいろいろと語った。

 母のこと。恩師のこと。心優しき巨人の親友のこと。故郷のこと。自分の悲願のこと。

 

 ベアトリーゼもいろいろと話した。

 生まれ育った蛮地のこと。戦場漁りの鼠だったこと。ウォーロードと護衛隊を裏切ったこと。

 

 今や、ロビンにとって、ベアトリーゼはただ一人愛称で呼ぶ存在だった。

 今や、ベアトリーゼにとって、ロビンはただ一人愛称で呼んでくれる存在だった。

 

 2人は守る者と守られる者であり、2人は海軍に追われる共犯者であり、2人は世界を相手取る同志であり、2人は無二の親友――だった。

 




Tips
『ヒュウガ・ウィルス』
 村上龍の『五分後の世界』の続編。
 前作『五分後の世界』が半グレオヤジが別世界線の日本へ転移した物語だったのに対し、『ヒュウガ・ウィルス』は現地主人公物。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3:彼女とロビンの話。

 

 ニコ・ロビンがベアトリーゼと組み始め、ベアトリーゼが『あの島』の出身者と言った時、思わず吃驚を挙げた。

 

『あの島』は世界政府が存在価値を認めず、海軍すら近づかず、周辺国家が見捨てた、西の海に浮かぶ最悪の蛮地。

 数人のウォーロードが軍勢を率いて暴虐と抗争を繰り返し、住まう者達も奪い、犯し、殺しあう暴力の荒野。乾ききった土地で砂と岩しかなく、植生はサボテンくらいで、原始的な爬虫類と奇怪な昆虫しかいない不毛の島。

 

 西の海の子供達はこう説教される。

『よい子にしていないと、“あの島”に連れ去られてしまうよ』と。

 

 ベアトリーゼは小さく肩を竦め、微苦笑しながら言った。

「まあ、極めて劣悪な蛮地だけれど、村のような共同体はあちこちにあったし、ウォーロードの拠点はそれなりに都市を形成していたんだよ」

 

「そう、なの」

 てっきりケダモノみたいな連中がウホウホ言いながら動物染みた集団生活を送っているものとばかり。とは流石にロビンも口にしなかった。

 

 ベアトリーゼはどうでも良さそうに語り続ける。

「私達は獣の皮を腰に巻いて石器や骨器で殺し合っていたわけじゃない。ウォーロードの軍勢も荒野の盗賊共も開拓村の自衛団も、海軍の兵士よりもずっと性能の良い陸戦装備を使ってた。

 焼けた砂塵から目や呼吸器を守るゴーグル付きマスク。極端な環境で活動するための着衣や装備。速射や連射の利くカートリッジ式銃器。

 いずれも輸入品じゃない。あの島で製造され、流通していたものだ。たしかにあの島は未開の蛮地で、社会は原始的な有様だったけれど、奇妙に近代的な技術があったんだよ」

 

 まるでポストアポカリプス物のゲームや漫画みたいにね、とベアトリーゼは心の中で呟き、「ここで問題」とロビンへ尋ねる。

 

「ロビン。まともな社会経済が存在しないあの島で、ウォーロード達がどうしてあんなに景気よく抗争を重ねられていられるのか、不思議に思わない?」

「――それは」

 ロビンは回答に詰まる。

 

 言われてみれば、おかしい。

 戦争とは基本的に消費のみの非生産行為である。莫大な金と物資を食らいながら、戦争行為単体では何も生み出さない。たとえ略奪で稼ぐにしても軍勢を動かす原資は必要だ。

 

 その金と物資の出どころは?

 

 そもそも、まともな植物が育たない――穀類を軸にした食糧生産が出来ない時点で、あの島に相応の人口が存在すること自体が不自然だ。

 

 ベアトリーゼの説明が真実なら、高度な装備品や弾薬などの消耗品を製造/量産する技術や産業、その資源が存在する。どこかから、ウォーロードの軍勢や島の人間を賄うだけの食料が流入している。

 

 どこか? 決まっている。島の外からだ。

 

 ロビンは言った。

「“あの島”は世間で言われているような、隔絶された孤島ではなかったのね」

 

「正解。私も詳しいことは知らないけど、ウォーロード達はどこかと貿易してるんだ。そのおこぼれが開拓村やその他に回って、最低限の、本当に最低限の社会経済を構築してる」

 ベアトリーゼは夜色の髪を弄りながら、気だるげに息を吐く。

「世界政府ではないし、海軍でも周辺国でもない。彼らは私達のことに塵一つ分ほどの興味もない。わずかでも関心があったら、あの島はあんな悲惨な状況にないはずだからね」

 

「思っていた以上に謎の多い島だったのね……」

 先入観から疑問すら抱いていなかったことに、ロビンは反省を抱く。師も言っていたのに。

 

『物事を分析する時は可能な限り主観を排除しなければ、正しい答えに辿り着けない』と。

 

「まあ、今となってはどうでも良い謎さ」

 ベアトリーゼは小さく肩を竦める。

「私は二度とあの島に戻る気はないし、あの島が今後どうなろうと知ったことじゃない。あそこはどん詰まりだ。きっと世界が変わっても、あの島だけは永遠に地獄のままだよ」

 

 そう吐き捨てるベアトリーゼの横顔には、なんの感情も浮かんでおらず、ロビンは掛ける言葉が見つからなかった。

 

     ○

 

 ある日のこと。

 ちょっとした鉄火場を潜り抜け、とある無人島でほとぼりを冷ましていた時だ。

 

 ベアトリーゼが練度を落とさないよう訓練をしていると、

「ねえ、ビーゼ。貴女のその戦闘術だけれど、あの島独自のものなの?」

 訓練を眺めていたロビンが興味深そうに尋ねる。

 

「一部はね。ウォーロードの軍で意地悪な教官から教わった。後はまあ、独学と実戦で培ったものだよ」

 ベアトリーゼは演武するように体を動かしていく。小麦色の肌に輝く汗が眩しい。

「相手の機を牽制し、虚を突き、相手の体幹を崩し、主攻。トドメを刺す」

 

 ウォーロードの軍勢が扱っている白兵戦技術は武器格闘技であり、隙間だらけの前世知識で言うところのシラットやクラヴ・マガに近かった。それらほど高度でも洗練されてもいなかったが。

 

 ただ、ベアトリーゼは悪魔の実の異能と兼ね合いを考えて、あの島の白兵戦技術にあれやこれやと手を加えて試行錯誤を積み重ねた。そうして作り上げられたそれは……

 

 傑作ハードSF『銃夢』に登場するサイボーグ用武術、機甲術(パンツァークンスト)のパチモノに近かった。

 

 まあ、それもうろ覚えだけど、と心の中で呟くベアトリーゼ。

「一対多数を前提にした何でもあり、さ」

 

「実戦的ね」

「周りに背中を預けられる仲間がいなかったからだよ。敵だらけの中で生きていくには対複数の技術や心構えが必須だ」

「たしかに」と身に覚えのあるロビンが頷く。

 

 ベアトリーゼは演武を終えて息を整えた後、傍らの大岩へ向き直り、

「対複数戦闘において、一人一人に時間も手数も割けない。理想は一撃必殺」

 グッと右拳に力を込める。瞬間、拳が鋼鉄の如き漆黒に染まる。俗にいう――武装色の覇気。

 

 そして、覇気をまとった拳で大岩を軽く小突いた。

「一般に打撃の心得は、体幹の芯を貫くとか、相手の重心の核を打ち抜くとか言われるけど、私は打撃の破壊力を相手の内部に深く浸透させることが重要だと思う」

 

 小突かれた大岩の表面に傷はない。が、ベアトリーゼが覇気を解いた直後。バキッとガラスが破砕するように大岩が砕けていく。岩の内側に向かうほど破片が細かく小さくなっていた。破壊が内側から生じたためだろう。

 

「覇気をまとい、その破壊力を内側に深く通してやれば、軽く小突いてもこうなる」

「覇気」ロビンは青い目を細め「意志の力を具現化した技能ね」

 

「実のところ、私にも体得の仕方はよく分からない。教官からは『危機的状況を重ねることで開花体得する』なんて言われて、酷い目に遭わされただけだし……思い出したら腹立ってきた。ぶっ殺しておけばよかったな、あいつ」

 黒々とした負の感情を吐き出すベアトリーゼに、ロビンは微苦笑しつつ、呟く。

「私も使えるようになるかしら」

 

「なるでしょ」

 ベアトリーゼは即答した。それは原作知識に依ってではない。ロビンが『悪魔の子』として絶えず危機的環境に身を置いているからだ。繰り返される危機を踏破していくことで『意志の力』は練磨されていく。過酷な宿命を背負うロビンが覇気使いになるのは当然だろう、という確信。

 

「ロビンの『ハナハナの実』は凄く強力だから、覇気と合わせて使えば、大抵の奴は倒せるようになるんじゃないかな」

「ビーゼも倒せるかしら?」とからかうようにロビンが問えば、

 

「それは困るよ。ロビンが私より強くなったら私の役割が終わっちゃう」

 ベアトリーゼが大きく眉を下げた困り顔を浮かべ、ロビンはくすりと喉を鳴らした。

「それは私も困るわね」

 

     ○

 

 ある日のこと。

 ロビンとベアトリーゼが御令嬢と女護衛の偽装をして客船に乗りこみ、食堂で昼食を摂っていた時のことだ。

 

 特大の海老フライを切り分けながら、ベアトリーゼは何気なく言った。

「乱暴に言えば、この世界はグランドラインとレッドラインで四分割されているんだよね?」

 

「そうよ」と白身魚のソテーを口にしていたロビンが首肯を返す。

 

「なら、東西南北の海は隔絶されている、とも言えるわけだ。海運関係者や海軍、海賊なんかを例外とすれば、各海の交流は皆無に等しい。つまり、この星は世界政府を例外として、東西南北四つの小世界がある」

「ふむ。それで」とロビンはベアトリーゼに先を促す。どこか興味深そうに。

 

「各海の世界で文化の独自性を持つはず。固有伝統と言ってもいいかな。たとえば、周辺国から断絶状態にあった“あの島”が独自の暴力社会と無法な世界観を形成していたように」

 ベアトリーゼは切り分けた海老フライをがぶりと口に運ぶ。

 

 舌の上でぷりぷりの食感と海老の甘味、タルタルソースの酸味と甘みがハーモニーを奏でた。美味!

 白ワインで口腔内を刷新し、ベアトリーゼは結論を告げる。

「各海の文化的共通性や類似性、その由来や経緯からも歴史の推移を測ることは可能なんじゃない?」

 

「つまり、貿易や交易の歴史ね」

 関心を惹かれたロビンが食事の手を止めてベアトリーゼを見つめる。青い目は真剣だ。ただしその集中力のベクトルはベアトリーゼの見解ではなく、ベアトリーゼ自身へ向けられている。

 

 当然と言えば当然だった。

 言葉は酷いが、ベアトリーゼは学も教養もない。蛮地でネズミ同然に生きていて、教育らしい教育はウォーロードの飼い犬になったわずかな間に得たものだけだ。実際、ベアトリーゼの読み書きは文法的にガチャガチャなことが多いし、字だってお世辞にも綺麗ではない。

 しかし――

 

 不思議な娘。

 ロビンは特大の海老フライを幸せそうにかっ食らう乙女を見つめて思う。

 無学者のはずなのに、ベアトリーゼは時折ロビンも舌を巻く計数能力や科学的知識、雑学的教養を披露する。今何気なく口にした内容も、無学者が話すような内容ではないし、使われる語彙も蛮族出のものらしくなかった。

 本当に不思議な子。

 

 ロビンはくすりと微笑み、

「これは私見だけれど、貿易と交易の観点からこの世界を見た場合――」

 食事を再開しながら今度は自身の見解を披露し始めた。ベアトリーゼが楽しそうにロビンの語りに耳を傾け、相槌を打ち、質問し、自分の意見も提出する。

 

 ベアトリーゼには謎が多い。だけれど――

 命を預けられるほど信じ、荒事に長けて頼もしく、学術談義や論戦も出来る親友が誠に得難いことだけは確か。

 

 ロビンは親友との穏やかな時間を楽しんだ。




Tips
シラット。
東南アジアの格闘技。映画俳優イコ・ウワイス出演作品は大抵、シラットによるアクションシーン満載。

クラヴ・マガ
イスラエルで創設された近接格闘技。映画『ボーン』シリーズでたっぷり見られるぞ。


装甲術(パンツァークンスト)
SF漫画『銃夢』に登場する火星古代武術。サイボーグ用格闘技術なので超音波や周波数などを用いた打撃技が見られる。ネット識者曰く『ジークンドーの影響が濃い』らしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4:プリティグッドな男。

ちょっと多め。


 十数年前に海賊王ゴールド・ロジャーが処刑されて以来、この世は大海賊時代。

 

 それでも、海を行き交う船の大半は海賊船ではなく、自衛武装した貨物船や貨客船であり、つまるところ海の主役は海賊でも海軍でも無く、世界経済を支える海運業界なのだ。

 そして、海の商人達にとって『マーケット』は莫大な儲けを得られる楽園であり、成り上がりを目論む中小商人達は『マーケット』へ行くことを熱望していた。

 海賊と手を組んででも、と考える博奕打ちはいくらでもいて、中には『悪魔の子』と呼ばれて追われる高額賞金首と手を組んでも良い、なんて奴も少なくなかった。

 

 夜道をカラカラと走る辻馬車(タクシー)の客室内で、

「そいつ、信用できるの?」

「元より信用も信頼も出来ないわ。でも、裏切らないなら問題ない。そうでしょう?」

「ん。確かに」

 ベアトリーゼはロビンの反問に同意し、冷酷に口端を歪めた。

「バカな真似をしたら潰すだけだね」

 

「バカな真似、ね」

 ロビンは肩を小さく竦める。

 

 本質的に善良なロビンは基本的に流血沙汰や人死を忌避している。が、世界の悪意や敵意、人間の醜悪さに晒されながら生き抜いてきたロビンは、冷酷な決断や冷徹な判断を下すことを恐れない。ゆえにベアトリーゼの暴力を否定しない。

 

 ベアトリーゼもロビンの気質を肯定する。命が捨て値以下の土地で生き抜いてきただけに、殺しに対して躊躇も逡巡もないし、後悔もしない。『ロビンが嫌がるような殺しはしない』くらいの自己抑制しかなかった。前世日本人の良識や倫理や道徳はちっとも戻っていないらしい。

 

「私達の賞金を合わせれば、1億ベリー越えよ? 判断を誤るには充分な額じゃない?」

「かもね。私なら1億ぽっちで地獄行きを選ばないけど」

「相手がビーゼと同様に賢明なことを期待しましょう」

 どこか楽しそうに微笑み、ロビンはベアトリーゼの夜色の髪を弄る。

 

 辻馬車が停まった先は、ビジネス街の一角に並ぶ煉瓦造りの建物。

 ロビンに先んじてベアトリーゼが馬車から降り立つ。

 

 月と星々が輝く夜空と同じ色の瞳を巡らせ、周囲を窺う。まるで建物を“見聞”するように。次いで、ブーツの右踵で石畳の地面をカツンと蹴り、数秒後に背後の馬車へ向けて首肯。

 

 馬車からロビンが降り、ベアトリーゼにエスコートされながら煉瓦造りの建物内へ入っていく。

「この建物内に用心棒が3人。相手の傍に1人、応接室の隣に2人。別室に15人。能力者や覇気使いはいない。少なくとも周囲3ブロック以内に海軍部隊はなし」

 ベアトリーゼはまるで“見てきた”ように告げた。

「高額賞金首2人と手を組もうって考えるだけに、あまり賢くないみたいだね」

 

「私が対応するわ」

 ロビンの端正な横顔に冷厳さが浮かぶ。

 アンニュイな細面に冷ややかな笑みを湛え、ベアトリーゼは言った。

「お任せするよ」

 

       ○

 

 テルミノは14で賞金稼ぎの集団に加わり、20年ほど斬った張ったを続けた結果、どうにも将来に不安を覚え、鉄火場商売から足を洗うことにした。

 元より学も金もコネもない貧乏人の小倅が腕っぷし頼りにゲソをつけた商売だ。足を洗うことに未練はない。

 

 ただまあ、同じように足を洗った仲間や付いてきた部下と共に起こした海運会社が、いまいち繁盛していない点に関しては、些か想定外であった。大海賊時代の到来で海運が不安定化したなら、元賞金稼ぎによる武装商船は儲かると踏んだのだが……

 運送依頼は思ったより来ず、赤字が月単位で増えていく。銀行の目つきが厳しくなっており、女房や仲間が不安顔を見せることが増え、晩飯のおかずが一品減り、晩酌の酒が安くなった。

 

 このままではプリティにヤベェ。

 そんな不安と焦燥が日増ししていく中、テルミノの下に謎の女から会社の電伝虫に連絡があった。

 

『ミスター・テルミノ。マーケットに興味はないかしら?』

 

 無い訳がない。

 賞金稼ぎ時代からマーケットの話は聞いていた。

 グランドライン内に存在する、ありとあらゆるものが遣り取りされる無法の大市場。世界政府も海軍も手出ししない商売の楽園。何より、マーケットに足を踏み入れた商人は例外なく大儲けする、という伝説がプリティグッドだった。

 

『私とその仲間を貴方の船に乗せてくれるなら、マーケットへ向かうログポースと海図を提供するわ。ただ――』

 女はテルミノを試すように笑う。優雅な笑い声だった。

『私達を乗せたら、海軍を敵に回すけれど』

 

 テルミノは思案した。

 マーケットには行きたい。プリティに行きたい。そも大儲けが期待できる商売の楽園に行きたくない商人などいない。しかし、海軍を敵に回す輩――間違いなく賞金首か犯罪者――を船に乗せるリスクも無視できなかった。なんたってテルミノは元荒事師。海軍が本気で殺しに掛かった時の恐ろしさをよく知っている。

 

 同時に、テルミノは海軍に好意や仲間意識を抱いていない。賞金稼ぎをしていた頃、賄賂やあれこれを要求する悪徳軍人はいくらでもいたし、手柄を横取りされたことは数知れず。ある仕事で揉めた時は留置場で一晩中小突き回されたし、海賊もろとも殺されかけた回数だって両手の指の数では足りない。

 

「一つだけ確認してえ」

 テルミノは通話相手の女へ問う。

『答えられることなら』

「あんたらの賞金額は?」

『2人で1億3千万ベリーを超えているわね』

 

 あ、こいつぁプリティにヤベェわ。

 

 金は必要だし、マーケットには喉から手が出るほど行きたいが、危なすぎる橋は渡れない。女房子供がいる身だし、社員の家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。

 テルミノが決断しかけた時、郵便屋が封筒を届けてきた。

 

 督促状だった。慇懃無礼な内容を意訳すると『年内に商売を黒字にしなきゃ船を差し押さえっぞ』という通告。

 

 テルミノは改めて決断した。

「話を受ける。直に会って詳細を詰めたい」

 

 

 

 で。

 

 

 

 テルミノは決断した時を振り返り『あの時の自分を殴って止めたい』と強く思った。

 なんたって、応接テーブルを挟んで向かい側に座る2人の美女――黒髪蒼眼の理知的な美女は世界的指名手配犯『悪魔の子』であり、夜色の髪と目を持つ小麦肌のアンニュイ美人は『血浴(ブラッドバス)』の異名を持つ大量殺人犯だった。

 

「私はR。彼女はB。どうぞよろしく」

 ニコ・ロビンが偽名と称するにはあまりにも簡素な名乗りを口にする。もしかしたら、既に試されているのかもしれない。プリティにヤベェ。テルミノは顔から血の気を引かせていた。

 

『悪魔の子:ニコ・ロビン』は賞金額7900万。完全殲滅作戦(バスターコール)の最中、8歳にして戦艦6隻を沈めたと言われている。『血浴:ベアトリーゼ』は賞金額5200万。西の海で5大ファミリーや海賊、海軍を相手に大暴れしていたイカレ女。

 

『場合によってはその賞金首をとっ捕まえて借金返済に充てよう』と考え、元賞金稼ぎである社員達を別室に控えさせたが……こちらが皆殺しにされるのがオチだった。

 

 もはやテルミノと社員が無事に生き延びる方法はただ一つ。

 この商談を上手くまとめ、この怪物女二人の力を利用し、マーケットに行くこと。

 マーケットに行くことが出来れば、1億3千万なんぞ端金に等しい。会社を大きくし、船も増やせる。大金持ちにだってなれる、はず。

 

 こいつはプリティな正念場だぜ……っ!

 テルミノは腹を括った。

 

        ○

 

 ロビンとミスター・テルミノの商談交渉を気だるげな面持ちで眺めながら、ベアトリーゼは応接室の隣室や周囲の状況を警戒していた。

 

 ベアトリーゼはワンピース世界における強者の技――覇気を扱える。

 ただし、ベアトリーゼが覇気を扱えるようになったのは、あの地獄より阿漕な地で最底辺の弱者として生き続けた日々があったから。無慈悲な世界に屈しない意志の力を宿していたため、サディスト教官から知識の伝授とコツの教導を得たことで、覇気を修得できた。

 

 もちろん、ネズミが覇王の素質を持つわけもなく、扱えるのは見聞色と武装色のみ。

 

 だが、見聞色の覇気の使い方に関しては極めて高い。同じ覇気使いに気取られぬほど隠密性の高い捜索探査が可能であり、同時に相手の見聞色の覇気を掻い潜ることすら可能だった

 全てはあの腐れ故郷で生き抜くために獲得した技術。

 

 ベアトリーゼは今の自分が一端の強者と自覚している。

 しかし、自分を最強などと自惚れることは、決してない。

 

 どれほど力をつけていようと、ベアトリーゼの気質は戦場漁りで糊口を凌いでいた頃と同じだ。

 臆病なほど注意深く。

 石橋を叩き割って鋼鉄の橋を架けるくらい慎重に。

 動くと決めた時は大胆で勇敢に。

 殺る時は相手を破壊するほど徹底的に。

 

 ゆえに、ベアトリーゼは気怠そうに振る舞い、物憂げな面持ちをしていても、その実は怯えたハリネズミのように周囲を警戒している。

 控えている連中は得物を手に固唾を呑んで、応接室のやり取りを窺っているようだ。今のところ、バカな真似はしないらしい。大いに結構。

 

 そうして、

「――では、以上の条件で、出発は一週間後。それでよろしいですね?」

 ロビンが商談をまとめに入る。幾度も汗を拭っていたせいで額や頬がツルツルに輝いているテルミノが大きく頷く。

 

「契約書は作りますか?」とロビンが微笑む。

「いや、御二方を信用する。契約書は結構だ」と首を横に振るテルミノ。

 高額賞金首と取引したなんて物証が残ったら大問題だ。海軍にバレたら大変なことになる。

 

「良い取引が出来ました。出立の日を楽しみにしています、ミスター・テルミノ」

 ロビンが腰を上げてから右手を差し出す。テルミノはまじまじとロビンのたおやかな右手を見つめ、慌てて汗まみれの手をハンカチで拭ってから、ロビンの右手を握った。

「こちらこそビジネスの成功を期待しています。ミス・R、ミス・B」

 

 ロビンの隣に立つベアトリーゼは握手を求めず、代わりに妖しい微笑を寄こした。

 プリティに怖い。

 

 2人が応接室を出ていき、テルミノはその場にへたり込む。

「プリティにビビりっぱなしだったぜ……今日だけで生え際が随分と後退しちまった気分だ」

 

 

 テルミノが小粋なジョークを飛ばしている頃、ロビンとベアトリーゼは表に待たせていた辻馬車に乗り込み、

「この一週間、何事もなく済むかな?」

「あの社長さんがさっきの交渉中のように社員の手綱をきっちり握っていれば、何も起きないわ。そうでないなら――」

 ロビンは小さく吐息をこぼす。

「この街に海軍や賞金稼ぎ達が押し寄せるでしょうね」

 

 社長のテルミノが沈黙を通そうとも、2人の賞金に目が眩んだ社員が海軍や賞金稼ぎに通報/密告をすれば、結果は同じ。

「そいつは一大事だね」

 ベアトリーゼは窓枠に肘を預けて頬杖をつく。

「出立は一週間先か……何をして時間を潰すかな」

 

「何を言ってるの、ビーゼ。私達も準備をしなきゃダメよ」

 どこか呆れた視線を返し、ロビンは続ける。

「マーケットで活動するためにもっと資金を集めないと」

 

 一瞬、きょとんした後、ベアトリーゼは怪訝そうに眉根を寄せた。

「……資金ならこの間のなんちゃら海賊団から奪ったものがあるじゃないか」

 

「あれだけじゃ足りないわ。向かう先はあのマーケットなのよ」

 ロビンは珍しくオンナノコな笑みをこぼす。

「きっと欲しくなる物がいろいろとあるわ。これまで食べたことのない美味しいものとか」

 

 あら可愛い。ベアトリーゼは微苦笑と共に頷いた。

「それじゃお金を集めようか」

 

      ○

 

 2人の美女が危惧していた海軍の襲来も用心棒の集結も起きなかった。

 

 代わりに、島の近海におぞましいほど破壊された死体だらけの海賊船が座礁したり(唯一の生き残りは海賊見習いの小僧達だけで、見習い達は凄惨な恐怖体験(トラウマ)から口が利けなくなっていた)。

 あるいは、体中の骨をへし折られた死傷者に満ちた海賊船が漂流していたり(海賊見習いの少年少女は昏倒するだけに留められていた)。

 

 いずれの海賊船もオタカラや売却可能な品が一つ残らず奪われていた。

 ただ、賞金首の海賊は放置されていたため、当局は海賊同士の抗争と判断している。

 

 そして、テルミノの武装商船『プリティグッド号』が出港する。

「俺はやれる俺はやれる俺はやれる俺はやれるぞ」

 港を出てから、船長室でテルミノは鏡に映る自分へ発破をかけていた。

 

 テルミノは此度のマーケット行きに賭けている。

 渋る銀行を脅して賺して泣きついて、家と家財一切を抵当に入れて融資をもぎ取り、現地で売り飛ばす商材と現地で商材を仕入れる資金を搔き集めた。これで失敗したら倒産確定で夜逃げか一家離散しかない。この一週間で随分と生え際が後退してしまった。

 

「俺はプリティにやり遂げてみせるっ!」

 鏡に向かって宣言するテルミノ。生え際からはらりと髪が舞い散った。

 

 

「社長さん、一週間会わなかっただけで随分と生え際が後退してなかった?」

「そこには触れないであげましょ」

 ベアトリーゼの指摘にロビンが生暖かい優しさを返した。

 そして、この船旅は――――

 

 

 一見さんお断りの複雑怪奇な海流と海域は、ログポースと海図があっても容易いものではなかった。

「面舵――半分、いや4分の1、プリティに4分の1だっ! 4分の1だっつってんだろバカヤローッ!!」

 操船を誤れば、座礁や沈没待ったなし。

 

「うわぁああああ、プリティにクソでけェアザラシだぁああああああっ!!」

 警戒を怠れば、海王類とこんにちは。

 

「帆をたためっ! 急げ急げ急げっ! プリティに横転しちまうぞっ! 早くしろーっ! 間に合わなくなるぞーっ!」

 横っ面を張り飛ばすように襲来する嵐やスコール。

 

「左舷に船影―っ! 距離3200ッ! 海賊旗っ! プリティに海賊旗を掲げてるぞーっ!!」

 商売の楽園でたらふく稼ぎ、物資を満載した船が行き交うということは、その金と物資を狙う者が集まるということでもあり。

 

 

 ――安心して食事や睡眠をとれず、便所で気を抜くこともできやしない。

 楽園へ至る道程に困難は付き物であるが、マーケットへ向かう航海は艱難辛苦に満ちていた。

 

「いやはや、大変な航海だね」

 久し振りの好天の下。上甲板の隅で日光浴をするベアトリーゼが欠伸混じりに言った。

「評判通り、いえ、以上かしら。マーケットの存在が広く伝わっている一方で、出入りしている人間が少ないのも道理ね」

 隣のロビンが学者的な口調で語る。

 

 2人とも他人事のような言い草だった。まぁ、実際のところ、戦闘やその他に長けていても航海の素人であるベアトリーゼとロビンはお客さんに過ぎなかった。

 

 もっとも、2人はただ漫然と船室で揺られていたわけではない。

 海王類に襲われた時はベアトリーゼがその圧倒的な戦闘技能で撃退したし、襲ってきた海賊船に至ってはベアトリーゼとロビンの2人だけで海賊達を壊滅させ、逆に船を丸ごと鹵獲していた。積み荷と船はマーケットで売り飛ばす予定だ。

 当初、テルミノは鹵獲船の牽引を渋ったが、ロビンが売却金を全員に等分すると言ったら、テルミノと船員達は満面の笑みで了承した。お金はいくらあっても困らない。

 

「でも」

 ベアトリーゼは口端を和らげた。小麦色の細面に悪戯っぽい微笑が浮かぶ。

「こういう真っ当な船旅は良いね。まさしく『世界を旅しろ、冒険を楽しめ』って感じでさ」

 

「その標語は初めて聞いたけど……そうね」

 ロビンは噛みしめるように同意した。この航海で感じている気分を一言で表するなら。

 楽しい。

 

「居心地も悪くないしね。元賞金稼ぎ達が起こした船会社って割に賞金首の私達を見る目がギラついてないもの」

 まぁスケベな目で見てくるけど、とベアトリーゼは微苦笑した。

「不満があるとすれば、この船は飯があんまり美味しく無いことかな」

 

「すっかり贅沢になっちゃったわね、ビーゼ」

 くすりと喉を鳴らし、ロビンはからかうように続ける。

「出会った頃はどんなゲテモノでも『故郷で食べていたものよりマシ』って文句を言わずに食べてたのに」

 

「良い物を知ると悪い物では満足できない。私が身を以って発見した真理だね」と嘯くベアトリーゼ。

「舌が肥えちゃっただけとも言うわね」

 くすくすと楽しげに笑い、ロビンはベアトリーゼの癖が強い夜色の髪を弄り始める。

 

 仲睦まじく過ごす美女2人の様子を窺う船員達は呟く。『百合は美しい』『てえてえイイゾ~』『尊い』。どうやら業が深い連中のようだ。

「姐さん方」と船員の一人がベアトリーゼとロビンへ声をかけた。「船長が呼んでまさぁ」

 

 

 2人が船長室へ足を運べば、この航海で頭頂部がすだれ気味になってきたテルミノがグラスを並べていた。

「順調に行きゃあ今日中にマーケットのある島が見えてくる。前祝いと行こう」

 キャビネットから未開封の酒瓶を取り出し、テルミノは蝋封をナイフで切ってコルク栓を抜いた。三杯のグラスに指二本分のウィスキーが注がれる。

「航海の成功に乾杯」

 

 テルミノの音頭に2人の美女もグラスを掲げ、琥珀色の酒を口へ運ぶ。芳醇な味わいと強烈な酒精。喉と胃袋を焼く感覚が何とも好ましい。

 

「契約じゃあ復路の乗船は含まれていなかったが、船員達はお二人の乗船を望んでる。道中、荒事で大いに助けられたからな。お二人が嫌でないなら――」

「申し訳ないけれど」

 ロビンがテルミノの言葉を遮った。

「私達はマーケットに到着後、別れた方が良い。私達に深入りすると不幸な目に遭うわ」

 

 それは善意の忠告であり、猜疑の警告でもあった。

 これまで、ロビンを追う世界政府の手は巻き添え被害を無視しており、ロビンが身を寄せた組織や集団はことごとく壊滅している。むろん、ロビンを裏切って因果応報の目に遭った連中も少なくないが。

 

 ともかく、ベアトリーゼ以外にロビンと深く関わって無事で済んだ者はいない。これは事実だ。ただし、この航海で寝食を共にして苦労を分かち合い、テルミノ達が気の良い連中だと分かった。ロビンとしては彼らをこのまま利用して危険な事態に巻き込みたくない。これも本心だった。

 

 同時に――復路も乗船した結果、母港に海軍と賞金稼ぎの歓迎委員会が控えている可能性を無視できない。テルミノがビジネスの成功の余禄に2人の賞金を得ようと考えているかもしれないのだから。偽りの友誼や情愛に騙された経験がロビンの人間不信と警戒心を解かない。

 

「契約通り、ビジネスライクに行こうよ」

 ベアトリーゼは淡白に告げる。

「あんたらのこと嫌いじゃないけれど、“良くないこと”が起きた時、私はロビン以外を守る気も助ける気もないからね。もちろん、事が起きれば容赦なんてしない」

 

 仄めかすように語られた内容は宣告だった。

 復路で海軍その他に襲われたら見捨てると。テルミノ達が裏切った場合は殺すと。

 

 20年に渡って鉄火場で生きてきたテルミノは悟る。ここが引き際。マーケットに到着したら別れた方が良い。

「どうやらマーケットで帰りの用心棒を雇った方がよさそうだ」

 

「ええ。その方が良い」とロビンは頷き。

「賢い選択だね」とベアトリーゼが冷笑する。

 

「まあ……今は祝杯を楽しもう」

 テルミノは酒瓶を手にし、自身と2人のグラスにお代わりを注いだ。

 




Tips
 テルミノ。
 オリキャラ。元賞金稼ぎのオヤジで現在は小さな海運会社経営。口癖はプリティ。
 会社の経営状態がヤバいため、冒険することに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5:マーケットへようこそ

 砂と岩しかないと語られる島は、遠目には一個の岩塊にしか見えない。

 島の中央に鎮座する岩が巨大すぎるから。

 

 そして世評の通り、島そのものは赤茶けた砂と無数の岩に覆われており、植生が非常に乏しい。

 見るからに不毛の土地で、ベアトリーゼは忌々しい故郷を思い出して仏頂面を作った。

 

 テルミノの武装商船が島に近づくと、島から小型船がやってくる。舳先に立つ事務員染みた丸腰の男がメガホンを口に当てて、言った。

「取扱品は何ですか―――っ?」

 プリティに困惑したテルミノは正直に、この島へ初めてきたことを告げ、説明を求めた。

 

 すると――

「マーケットには港がいくつかありましてーっ! 取扱品ごとに入港先が異なりまーすっ! というわけで取扱品は何ですかーっ!?」

 船を寄せて普通に会話できる距離になっても、事務員男はメガホンで話しかけてくる。うるさい。

 

 耳を押さえながら、テルミノは積荷の内容と牽引する鹵獲海賊船の売却を申し出る、と。

「わかりましたーっ! それではーっ! 7番港に入ってくださーいっ! そこで係の者が停泊場所へーっ! 誘導しまーすっ! 現地の者の説明を聞きーっ! 指示に従ってくださーいっ!」

 うるせェ。

 

 

 

 で。

 

 

 

 ベアトリーゼとロビン、テルミノ一行は上陸してマーケットに到着した。

 

 マーケットは全10港からなる大型港湾都市であり、数学的無秩序さで構成されていた。

 

 港湾区画から蜘蛛の巣状に広がる様々な通りに、木造の建物、石造の建物、煉瓦の建物、近年流行り始めたコンクリート製の建物、大中小の天幕、掘っ立て小屋やバラックが乱雑に軒を並べ、ジェンガみたく縦方向にもいい加減な建築を積み重ねている。

 

 店舗を持たずに荷車や路上で直接商っている者も多く、そこかしこに多種多様な屋台と露天商の連なりがある。辻の陰では見るからに怪しい売人達が商売に精を出しており、水商売が多い辺りでは男女と財布の駆け引きが繰り広げられていた。

 

 マーケット内は様々な人種や民族の見本市だった。

 白髪銀髪金髪茶髪黒髪、栗色に焦げ茶に赤毛、緑に青にピンクにエトセトラ。瞳の色や肌の色の多種多彩。老若男女に大きい奴に小さい奴、ヒレが生えている奴に毛むくじゃらの奴。様々な宗教や民俗衣装に身を包んだ奴。

 商人。従業員。店員。仲買人。卸売人。運送業者。案内業者。盗賊と山賊と海賊。賞金稼ぎと用心棒と傭兵。海軍の将兵と世界政府のスパイとどこぞの公務員。個人客と団体客。スリと置き引きと詐欺師。お金持ちからルンペンまで。居ないのは天竜人くらいだろうか。

 まさに混沌と混雑そのもの。

 

「なんとまあ」「凄いわね」

 燦々と輝く陽光が生み出す鮮烈な明暗と陰影。砕石舗装された路面が熱気を漂わせている。

 

 お上りさんのように周囲を見回し、感嘆を漏らすベアトリーゼとロビン。

 この街より栄えた街はいくらでもあるだろうが、このカオスな光景はちょっと覚えがない。それに野心と欲望に満ちた活気が凄まじい。

 

 不意に、ベアトリーゼの穴あき前世記憶が囁く。ニューヨークでもここまで人種/民族のるつぼじゃなかったなぁ、まさに異世界の光景だ。

 

「ビーゼ?」気づけばロビンがこちらの顔を覗き込んでいた。「どうかしたの?」

「ん。何でもない。人混みの凄さに気圧されたかな」

 ベアトリーゼが小さく頭を振っていると、

「よぉ、姉ちゃん達。初見さんだろ?」

 12歳くらいのクソ生意気そうな少年が声を掛けてきた。

 

 クソ生意気そうな少年は視姦するようにベアトリーゼとロビンを見回し、ナイフみたくギラギラした目つきでベアトリーゼが左手に持つトランクケース――大金が詰まっている――を見つめながら、続ける。

 

「俺はナップ、案内業者だ。3000ベリーでどこへでも連れて行ってやるぜ。それと、別の御用向きも請け負ってるぜ」

 ナップと名乗ったクソ生意気な少年は股間をぽんと叩き、ニヤリ。

「俺はスゲーデカチンでスゲーテクニシャンだからよ。ゴクジョーの一夜を味わわせてやるぜ。姉ちゃん達はイケてっからよ、3Pなら二割引にしてやるぜ」

 

 12歳くらいの小僧から下品な言葉モリモリで売春を持ちかけられ、ベアトリーゼとロビンは唖然として互いの顔を見合わせ、ナップへ応じる。

「他に当たれ、坊主」

「遠慮させてもらうわ」

 

「ンだよ、尻軽そうな見た目してるくせにお固ェな。エロいナリしてンじゃねーよ紛らわしい」

 悪態を吐くナップ少年。

 

「……拳骨食わせていいかな?」と微かに眉目を吊り上げたベアトリーゼ。

「子供相手に大人げないわよ」

 相棒を宥めるロビンもイラッとしているようで、口元がかすかに引きつっていた。

「古書を取り扱う店はどこかしら?」

 

「3000ベリー。前払いだぜ、黒髪のイケてる姉ちゃん」

 ナップ少年はずいっと右手を差し出した。

 

     ○

 

「この街にゃあ王様や頭目みてェな人間はいねェ。それぞれの通りや地域に顔役はいるが、それだけだ。細々としたトラブルは日常茶飯事だけど、マーケットが潰れちまうようなデカいドンパチは起きねェからな。王様みてェなもんは要らねェんだよ」

 ロビンの求めに応じ、2人を古書店街へ案内しながらナップが語る。

 

「まるでリバタリアね」とロビン。

「そこまで高尚なもんじゃないと思う」

 ベアトリーゼはマーケットの様相とナップの説明から、故郷の盗賊市や闇市を思い出していた。規模は桁違いであるし、故郷のものほど殺伐でも野蛮でもないが。違法で非合法なのに誰もが堂々と商売している雰囲気は、ニューヨークのキャナル・ストリートに近いかもしれない。

 

 多種多様な料理が並ぶ屋台群からは様々な匂いが漂っている。嗅覚が痺れそうなほど甘ったるい臭い。判別不能なほど様々な香辛料と発酵食品の臭い。

 東西南北の海に生息する動物達の剝製や骨格標本を扱う店。世界中の民族衣装を並べる店。所狭しと様々な工作機械を積み上げている店。

 ある通りは全ての店が人形を扱っていた。ヌイグルミからビスクドール、市松人形に球体関節人形まで。本物の人間の骨と皮を使って作られたという球体関節人形がショールームに展示されており、虚空を見つめるガラス玉の瞳がどこか物悲しい。

 

 そうして古書店が軒を連ねる通りへ辿り着く。インクと紙の香りが通りを包んでいた。文化的商材を扱っている関係か、通りを行き交う人々も他の通りと違って知的な印象を受ける。

 

「これ全部古本屋なの?」

「そうだぜ、小麦肌のイケてる姉ちゃん。この通りに並んでる全部が古本屋だ。絵本の専門店だったり、純文学の専門だったり、てな具合さ」

 ベアトリーゼの問いにナップはどこか得意げに返した。

「ここが黒髪のイケてる姉ちゃんの御要望した古書店街だが、一店一店巡ってたら何日あってもたりゃあしねェぜ。具体的にどんな本を探してんだ? 古代のセックス指南書か? それとも、発禁になったエロ小説か? 溜まってるならエロ本より俺のデカチンをお勧めするぜ」

 

 下品なジョークを飛ばすクソガキに、ベアトリーゼはいよいよ拳骨をくれてやろうかと思案する。ロビンはやれやれと言いたげな嘆息をこぼし、静かに言った。

「歴史関係の古書を扱っている店は?」

 

「歴史関係? オハラが海軍にふっ飛ばされたおかげで歴史絡みの古書はどれもこれもプレミア価格がついてるぜ。出来の悪い写本や贋作が多いから気ぃ付けるこった」

 ナップ少年の言葉は棘のようにロビンを刺激したが、冷静沈着なロビンは感情を表に出すことはなく、案内についていく。

 

 ベアトリーゼはロビンの心情を慮りつつも、密やかに周囲を警戒し続けていた。

 というのも、ベアトリーゼの見聞色の覇気が複数の脅威を捕捉していた。

 捜索探査範囲内に悪魔の実の能力者と覇気使いが複数人おり、海軍関係者も少なくないようだ。こいつらのうち、半数はベアトリーゼでも対処可能だが、残る半数は……かなり際どい。もしかしたら勝てないかもしれない。

 

 流石はグランドラインの有名スポット。やばそうなのが普通に買い物してやがる。

 もしかしたら原作のネームドがいるかも。

 まあ、居ても分からない奴だったらどうしようもないけど。

 

 前世知識といってもしょせんは穴あき靴下状態。主要キャラ以外はうろ覚え。

 はたして遭遇しても、ネームドだと分かるかしら。

 

      ○

 

 案内された古書店は仄暗い。外の暑気が一切届かぬらしく、どこかひんやりしている。並べられた書架には古書がぎっしりと詰め込まれていて、どれも年代物らしかった。

 書籍のページをめくるよりロビンに語ってもらう方が好きなベアトリーゼにはあまり感動を覚えない光景だが、ロビンは思わず拳を握り込んでいた。

 

 軽く見回しただけでも、『全知の樹』に収蔵されていたものと同じ書籍をいくつか確認できた。込み上げてくる懐かしさと郷愁。胸を刺す喪失感。ロビンは形の良い唇を細め、密やかに深呼吸して揺れる心情を整えた。

 

 ロビンは店の奥へ進み、カウンターで新聞を眺めている店主らしき初老男性の許へ向かう。

 店主は着流しをまとった魚人だった。両腕から胸元に和彫り調の刺青が走っており、爪楊枝をくわえながら新聞のページをめくっている。

 

「店主さん。少し良いかしら」とロビン。

「御用向きは何かね、黒髪のお嬢さん」

 魚人店主は新聞をカウンター台に置いてロビンへ向き直る。

 

「信頼できる第一級資料を探しているの」

 ロビンは一瞬、視線を外して店内を窺う。

 客は自分とベアトリーゼだけ。案内を終えたナップ少年は既に去っている。それでも、ロビンは人の耳目を避けるように声を潜め、告げた。

「特にポーネグリフ関連の資料が欲しい。情報でも構わない」

 

「……黒髪のお嬢さん。そいつはお勧めしないな」

 魚人店主は目を鋭くし、殺気に似た剣呑な雰囲気をまとって続けた。

「十数年前にオハラが焼かれた理由は、ポーネグリフを研究してたせいってェのがもっぱらだ。あそこは学者バカばかりだったから、手前らが死刑台に向かって突っ走ってることに気付いてなかったのさ。お嬢さんはまだお若い。歴史を学びたいなら違う切り口を選んだ方が良い」

 

 ぎゅっと拳を握り込むロビンを横目に、ベアトリーゼが口を開く。

「随分と事情通のようだけど?」

 

「古書に大枚をはたく人間はそう多くないのさ。まして魚人相手に気持ちの良い商売をする人間はな、小麦肌のお嬢さん」

 魚人店主は顎先を掻きつつ、

「オハラは良いお得意様だった。特にクローバーの旦那は金払いがよかった。稀覯本や禁書の類をポンポン買ってくれたもんさ」

 ロビンをじっと見つめる。

「黒髪のお嬢さんはオハラで見た若い女先生によく似てるな」

 

「――!」

 息を呑むロビン。無言で警戒心のギアを一段上げるベアトリーゼ。

 

「まあ、あんたが“どこの誰か”なんてこたぁ大した問題じゃあないがね」

「なら、望みの品を売ってくれるの?」とベアトリーゼ。

 

「個人的にゃあ若いお嬢さん方を死地に放り込むような品を売りたかないンだが……お嬢さん方に関しちゃあ“今更”かな」

「ええ」「そうだな」

 ロビンは覚悟を決めた顔つきで、ベアトリーゼはいつものアンニュイ顔で大きく首肯した。

 

「お嬢さん方の希望に叶う資料は二冊ある。一冊は手元にあって、こいつは今から500年ほど前に考古学者が書いたポーネグリフ研究の資料だ。学者先生の名前を取ってヴァイゲル草稿と呼ばれてる。内容の信頼性は少しばかり怪しいが、貴重な一冊だ」

 魚人店主は顎先を掻きながら語り、顔をしかめて続けた。

「もう一冊だが、こいつはもう売っちまった。13のポーネグリフの内容が記録された冒険家ハッチャーの日誌、その写本だ」

 

「ポーネグリフの内容が記してある、ですって? そんなものが――」

「残念ながら内容はこの世界の歴史や情報に関して記されたものじゃない。ポーネグリフの中身は現地に関するメモ書きみたいな内容ばかりだ。オハラの学者が望むようなものではなかったらしい。実際、クローバーの旦那も購入しなかった」

 

「……その売り先は?」とロビンが問えば。

「ヌーク兄弟という海賊だ。もっとも、今の奴らは海賊というより」

 刺青塗れの腕を掻きつつ、魚人店主はやや困り顔で言った。

 

「遺跡荒らしだがね」




Tips
 人種
 ワンピース世界の人種や民族は多種多様。

 リバタリア
 伝説の海賊都市。ゲーム『アンチャーテッド4』のストーリーラインはリバタリアの発見を目指すもの。

 キャナルストリート
 ニューヨークで有名な盗品市場。今は盗品より偽ブランド品や違法コピー品などパチモノが主流らしい。

 ナップ少年
 オリキャラ。クソ生意気な12歳。アメリカ製ティーン向けドラマにはこういうマセた悪ガキが必ず出てくる。

 魚人の店主。
 イメージ的にはVシネマに出てくるセリフ下手な役者。

 ヴァイゲル草稿
 実在の神秘学者ヴァレンタイン・ヴァイゲルに由来。語感が良かったから。

 ハッチャー日誌
 実在のトレジャーハンター、マイケル・ハッチャーに由来。現代で最も成功したトレジャーハンター兼沈没船サルベージ業者だとか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6:プランを立てよう

 焼き牡蠣のナッツ和え・チリソース付き。

 マトンと根菜の激辛煮込み。

 野菜たっぷりの炒め米粉麵。

 そして、氷でキンキンに冷えた炭酸割りの大ジョッキ。

 

 宿近くに並ぶ屋台で、ロビンとベアトリーゼの2人は些かジャンクな夕餉を摂っていた。

 日が落ちて空にでっかいお月様が浮かぶ中、マーケットはランタンやネオンの輝きで満たされ、賑々しい喧騒に包まれている。

 

「辛いっ! でも美味いっ! 美味いっ! けど辛いっ!」

 マトンの激辛煮込みに歓声を上げるベアトリーゼ。ロビンは焼き牡蠣を摘まむ。甘辛なチリソースとナッツのカリカリした食感が焼き牡蠣の美味さを一層引き立てていた。

 

「うん。美味しい」

 蒸留酒の炭酸割りを口に運び、ロビンは激辛煮込みに翻弄される相棒へ話を振った。

「例の件、ビーゼはどう考えてるの?」

 

 ポーネグリフ関連の資料――海賊ヌーク兄弟が持つ『冒険家ハッチャーの日誌』をどうやって手に入れるか。

 騒々しいとはいえ、誰が聞いているか分からないので、言葉は曖昧な物になる。

 

「穏当な方法で手に入れることは無理」

 激辛煮込みで大汗を掻いたベアトリーゼは、炒め米粉麺へ標的を変える。

「あー……お野菜の味わいとツルツルの麵が舌に優しい……」

 

 件の古書店でポーネグリフ関連資料『ヴァイゲル草稿』を購入したことで、資金は大きく減っているから、ヌーク兄弟から『ハッチャー日誌』を買い取ることは難しい。まあ、いくら積んでも売ってくれそうにないけれども。

 

「不穏当な方法なら可能なの?」

 悪戯っぽく微笑み、ロビンも激辛煮込みへ手を伸ばし――

「! 辛いっ!」

 秀麗な顔を大きく歪め、慌てて大ジョッキを傾けた。

 

 なんとも可愛い反応を見せた相棒に微苦笑しつつ、ベアトリーゼは米粉の野菜に混じっていた海老を摘まむ。

「不穏当の方向性に依る。スマートに行くか、こっそりと行くか、荒っぽく行くか」

 

 1:スマートに。詐欺師の如くヌーク兄弟からハッチャー日誌を騙し取る。

 

 2:こっそりと。闇夜に忍ぶ黒猫の如くヌーク兄弟の下へ侵入し、日誌を盗み取る。

 

 3:荒っぽく。ヌーク兄弟一味を力づくで蹴散らし、日誌はおろか全てを奪い取る。

 

 賢く聡明で冷静沈着な『悪魔の子』ニコ・ロビンならば、ヌーク兄弟の懐へするりと入り込み、日誌を騙し取れるだろう。

 ただし、詐欺に気付いたヌーク兄弟が追ってくる可能性がとても高い。鬱陶しい事になる。

 

 歳若いながら恐るべき戦闘能力を持つ『血浴』ベアトリーゼならば、ヌーク兄弟一味を壊滅させ、日誌もオタカラも全て奪い取れるだろう。

 大騒ぎを起こしたら、島から離れることが難しくなりそう。厄介な事になる。

 

 となれば、誰にも見つからず密やかにヌーク兄弟の拠点へ侵入し、正体をバレぬまま日誌を盗み出し、速やかにこの島を離れた方が良い。

 ただし……ベアトリーゼとロビンがポーネグリフ関係の古書を探していることをナップ少年と古書店主が知っている。あの2人はヌーク兄弟へ情報を売るだろう。

 なんたって、マーケットでは誰が何を売っても良いのだから。

 

「口封じを――」

「止めて」

 ベアトリーゼの言葉を遮るロビンの声には、切実な響きがあった。

 

 クソ生意気だろうと子供は子供。大人が守ってしかるべき存在。大事な親友に子供殺しなどというおぞましいことはして欲しくない。

 それに、あの魚人店主は母や師や同胞のことを覚えてくれている。母達が邪悪な科学者ではなくこの世界の真実へ命を懸けたことを知ってくれている。傷つけてほしくない。

 

 過酷な人生を送りながらも、ロビンは良心や善意といった人間の最も高貴な資質を失っていなかったし、心に柔らかな部分を残していた。それはベアトリーゼという心の許せる存在を得ていたから、かもしれない。

 

「分かった。この件は無しね」

 地獄の底より酷ェ蛮地で生まれ育ち、野蛮人のマナーが骨の髄まで染みついているベアトリーゼは違う。徹頭徹尾、荒事のプロらしく必要なら子供だろうが妊婦だろうが容赦なく躊躇なく殺せる。快楽殺人鬼ではないから必要のない殺しはしないだけだ。

 だから、というわけではないけれど、ベアトリーゼはロビンの善性を好み、尊ぶ。いわば外付けの良心。

 

「諸々を考えると、こっそりやって、素早くこの島から離れる、がベスト。つまり」

 ベアトリーゼが大ジョッキを口へ運び、酒精と炭酸の爽快感を楽しむ。いつものアンニュイ顔に悪ガキの微笑を湛えた。

「私達は女怪盗になるわけだ」

 

「それは――」

 ロビンも悪戯っぽく口端を緩める。

「楽しそうね」

 

 

 

 で。

 

 

 

 宿に戻って計画の詳細を詰めていると、不意にベアトリーゼが強く告げた。

「そだ。怪盗をやるなら、全身スーツを着ないとっ!」

 

「……なんて?」

 ロビンは目を瞬かせながら、小麦肌の相棒を見た。マジだった。

 

「女怪盗は全身スーツを着るものなんだよ。お決まりって奴さ」

 ふんすと鼻息を荒くするベアトリーゼ。本気で言っているらしい。

「そんな決まり、聞いたこともないけど……」と呆れ顔になったロビン。「どこの誰が言い出したの?」

 

「細かいことは良いのっ!」

 ベアトリーゼはロビンの問いを一蹴する。

 

 スカタンな前世記憶が強く囁くのだ。

 キャットウーマンだってブラックウィドウだってブラックキャットだって全身レザースーツだったのだから、凄腕の美女怪盗はレザースーツを着なければならないのだと。

 それに、レザースーツでなければ、全身タイツかレオタードではないか。そんな特殊性癖な恰好をするくらいなら、レザースーツの方が良いではないか。

 

「ビーゼの普段の服自体、全身スーツみたいなものでは?」

 ロビンの指摘通り、ベアトリーゼは暗橙色の皮革製タイトジャケットとスリムパンツを着用している。同色の上下だから全身スーツっぽい。

 

「……とにかく全身スーツを着るのっ!」

 ベアトリーゼは強引に話を押し通した。

 

 ロビンはバカな妹を見る姉の顔でやれやれと溜息を吐いた。

「スーツはともかくとして、いろいろ準備しないとね」

 まずは獲物の情報収集から。

 

      ○

 

 ヌーク兄弟。

 コッカとペップのヌーク兄弟はとっても仲良し。2人とも三十路で身長3メートル前後で体重300キロという巨漢だ。コッカは素肌の上に鋲付革ジャンを着こみ、ぴちぴちレザーパンツを穿くハードゲイスタイルなサディスト。ペップは革製のベストと短パンというハードゲイスタイルなナルシスト。

 

 コッカはシュワシュワの実を食った炭酸水人間で、ペップは肉体超強化を得意とする武装色の覇気使い。

 兄弟は共に凶暴で残忍で獰猛なクソ野郎で、兄弟に従うヌーク兄弟海賊団の面々も人殺しと拷問と強姦が大好きなクズ共だ。

 

 そんなクソッタレ兄弟とクズ共は現在、マーケットから離れた荒野に労働キャンプを作り上げており、自分達が誘拐したりマーケットで買ったりして集めた奴隷達を使い、遺跡の発掘を行っている。

 

 荒野を照らす鮮烈な曙光を浴びながら、

「フォ――――――――ッ!!」

 コッカが奇怪な雄叫びを響かせ、朝のラジオ体操ならぬ朝の高速腰振り運動を行っていた。

 マシュマロマンのような締まりのない体躯。垂れ流される汗。揺れる贅肉。朝日を浴びる腋毛とギャランドゥ。

 

 あまりに汚い絵面を前に、控えている奴隷がげんなり顔を浮かべた。

 

 寝起きの腰振り1000回済ませ、コッカは奴隷から受け取ったタオルで汗を拭い、奴隷が用意した炭酸飲料を手に取り、

「ブ――――――――――――――ッ!」

 盛大に噴き出した。眉目を吊り上げて奴隷を睨みつける。

「セイセイセイセーイッ! ドぬるィじゃねーかっ! ドぬるいコーラなんぞ、人道に対する最悪の叛逆だぞテッメェ~ッ!」

 

「ひぃっ!? お、おおお、お許しをっ!?」

 奴隷が怯えて許しを乞うも、ぬるい炭酸飲料が我慢ならぬコッカは怒り心頭であり、加虐性癖から奴隷の怯懦した顔に興奮し、もはや止まらない。

「ダァメだ―――許さーんっ!! 叛逆者はぁ粛清だ――――ッ!」

 

 コッカは大きな手で奴隷の顔を鷲掴みし、シュワシュワの実による炭酸水放出。怒涛の勢いで噴出した炭酸水は奴隷の鼻腔や口から体内に注ぎこまれ、器官や肺に流れ込んだ炭酸の発泡が激烈な苦痛をもたらす。

 溺水による酸欠と発泡の苦痛に奴隷は激しく身悶えし、痙攣し、そして、白目を剥いて、窒息死した。

 

「フ―――――――――――――キモチィ―――――――――――――ッ!!」

 死体を投げ捨てたコッカは再び雄叫びを上げ、労働キャンプに響き渡った。

 

「おはよう、兄貴ィ。今日も朝からぶっ飛ばしてるなぁ」

 コッカへ親しげに声をかける似た顔立ちの巨漢は、ヌーク兄弟海賊団副長にして弟のペップだ。肉達磨な兄貴と違い、ペップはボディビルダー的な逆三角体形のスーパーマッチョ。

 病質的ナルシストのペップは常に美しい姿勢――ポージングを取っている。今は両腕を挙げるフロントバイセップス中。

 

「まーた奴隷を殺しちまったのかィ? 奴隷だってタダじゃーないンだぜェ」

 サイドチェストに切り替え、ペップは兄コッカへ苦言を呈す。

「船員達も陸に上がりっぱなしでイラついてンだ。兄貴があんまし暴れまくっと船員共も真似して奴隷をイジメ殺しちまう。少しぁー自重してくれィ」

 

「セイセイセイッ! 朝っぱらから小言は止めやがれ、弟よ」

 コッカは疎ましげに耳を押さえながら腰をひと振り。

「発掘自体は順調に進んでンじゃねーか。問題ねェだろ?」

 

「経費を無視すりゃーな。ただでさえ覚醒剤(ハッカ)まで食わせてるし、深層の採掘に合わせて送風機も増やさなきゃならねェ。このうえ奴隷を頻繁に殺してたらアシが出ちまうよォ」

 モストマスキュラーに変更し、弟ペップは楽観的な兄コッカへ言った。

 

「わーった、わーった。まずは朝飯にしよう。朝はしっかり食わねェと体に悪ィからなっ!」

「俺は計算したカロリー以上は食わねェよォ。このうつくすィ肉体を損なっちまうからなァ」

「飯に頭を使うなんてテッメ~はまったく変な野郎だぜ」

「俺の美貌は日々の努力で維持されてるのさ、兄貴ィ」

 身長3メートル・体重300キロの巨漢兄弟はそのまま食堂である大天幕へ向かっていく。溺死した奴隷の死体など見向きもせずに。

 

 

 

 

「とんだ変態兄弟だな」

「兄はシュワシュワの実の炭酸水人間。弟は強力な覇気使い。どちらも厄介よ」

 偽装布を被って身を隠しつつ、ベアトリーゼとロビンは太陽を背にしながら遠巻きに労働キャンプを探っていた。

 

 労働キャンプ周辺はバラ線で覆われ、監視用の櫓が組まれている。発掘作業をしているらしい現場には大きな坑道口が開けられ、廃土と送風用の器材まで持ち込まれていた。想像以上に本格的かつ大規模だ。

 

 ベアトリーゼがロビンに問う。

船員(クルー)に厄介なのは?」

 

「能力者がもう一人いるみたい。甲板長を務めるジェーコ。動物系の悪魔の実ヤモヤモの実を食したヤモリ人間らしいわ。他の船員も場数を踏んだ連中が揃ってるようね」

「ヤモリ人間。なんかイメージし難いな」

 2人のうら若き乙女の目が海賊達の集まっている大食堂テントへ注がれた。

 

「「……」」

 

 居た。食堂である大天幕にヤモリが居た。

 男なら涎を垂らしかねないほどエロティックな肉体美を持つヤモリ頭のイケ女が、上品にフレンチトーストを食べている。

 あれはヤモリ人間というより、ヤモリの被り物を被っているだけでは?

 乙女2人が揃って首を傾げた。

 

     ○

 

 準備過程で情報を集めた結果、どうにも面倒臭いことが分かった。

 ヌーク兄弟はこの島にある遺跡の一つを発掘しているらしい。

 

 ポーネグリフ関連の資料と合わせ、ひょっとしたら『失われた100年』絡みかと期待したが、どうやらこの島の遺跡は総じて500年ほど前のもの――世界政府が樹立した後の遺跡だった。

 となると、世界政府樹立以前に作成されたポーネグリフとどう関係するのか謎だったが、それも、冒険家ハッチャーの経歴を調べることで分かった。

 

 冒険家ハッチャーは別にポーネグリフ関係を専門に追っていたわけではない。前人未到の未知に挑むことを重視しており、いわば雑食気質の冒険家だったのだ。

 ロビンとベアトリーゼはハッチャーが記したポーネグリフ関係の情報に注目していたが、ヌーク兄弟はハッチャーが記録したこの島の遺跡の情報を重視していたらしい。

 同じ資料でも求めた情報が異なっていたのである。

 

 宿のテーブルや床に集めた情報を広げながら、

「で、その遺跡って具体的にはどういうものなわけ? 奴隷に覚醒剤(ハッカ)をぶち込んで不眠不休で作業させるなんて余程でしょ」

 ベアトリーゼは小首を傾げた。

 

 イケないお薬の代名詞『覚醒剤』、その効果はガチだ。

 そも覚醒剤の原点は過酷な最前線暮らしの兵士達に『活を入れるため』だった。覚醒剤をキメた兵士達は不眠不休で行軍し、塹壕を掘り、戦い続けたという。

 

 ただし、覚醒剤は安くない。世界政府もきっちり非合法化して厳格な規制を行っている(違法薬物は規制の厳しさ――流通のリスクに比例して価格が向上する)。マーケットならキャンディの如く容易く入手できるが、別に安価な訳ではない。

 奴隷を酷使する輩は珍しくないが、覚醒剤まで使って遮二無二働かせる例は稀だ。

 

「その件だけど、いろいろ面白いことが分かったわ」

 ロビンは学者然とした面持ちでシードルの瓶を口に運び、舌と喉を潤わせる。長い話になるらしい。

 

「この島は今でこそ砂と岩しかない不毛な土地だけれど、かつては緑豊かな島だったそうよ。それに高度な文明を持つ小国家もあったみたい。島にある遺跡や遺構はその国家が存在した名残ね」

「ふむ。環境をここまで完全に変えるとなると、大火山の噴火くらいだけれど、この島に活火山はないね」

 

 ベアトリーゼが合いの手を返せば、ロビンは満足げに頷き、

「そこが道理と常識の通用しないグランドラインの面白いところでね。いくつかの記録書を調べてみたら、面白い推論があったわ」

 無邪気な好奇心を湛えて語る。

「この島の環境が激変して小国が滅んだのが、推定500年前。同時期、ここから東に200海里ほど離れたところで大型海底火山が噴火して、一帯の海域を長く航海不能にしたらしいの」

 

「その噴火の火山灰や飛翔溶岩がこの島を直撃したっていうの?」

「いいえ。事実はもっと奇なりよ」

 ロビンは楽しそうにオチを告げた。

「海底火山の大噴火で吹き飛ばされた大量の海底岩石や土砂が、この島を直撃したの。この島にそびえるあの巨大な岩。あれこそ海底火山の噴火で吹き飛ばされたものなのよ」

 

「――はあ?」

 眼を瞬かせるベアトリーゼ。期待通りの反応にロビンは微笑む。

「あの巨岩の表面にはサンゴやフジツボなどの化石が数多く見られるそうよ。大噴火の記録が無ければ、この島が海底隆起で誕生した際のものだと考えたでしょうね」

「世界は不思議と驚異に満ちているね」とベアトリーゼ。

 

「話を続けるわね。この島は海底火山の大噴火に巻き込まれ、大量の岩石や土砂に埋没した。それこそこの島にあった小王国を埋めてしまうほどに」

 ロビンの話を聞くベアトリーゼに前世知識が囁く。まるでポンペイ遺跡だな、と。

 

「そして、この島の存在は忘れられ、マーケットが生まれるまで誰も知らぬ無人島だったわけか。諸行無常だね」

 ベアトリーゼはシードルを傾け、話を進めた。

「ということは、あの変態兄弟はその小王国の埋蔵金やらなんやらを手に入れるために、遺跡を発掘してるわけか」

 

「概ね、その推測で間違ってない。マーケットには兄弟が卸した出土品が出回っていたわ」

 でも、とロビンが続ける。

「あの発掘現場を見る限り、単に小王国時代の貴金属や文物が本命ではなさそうね。もっと何か別のものを掘り当てようとしてるわ。その本命が何かまでは分からないけれど」

 

 ロビンはシードルの瓶を干し、話の水先を変えた。

「彼らの目的は脇に置いておくとして、私達の目的が大事ね。例のハッチャー日誌はヌーク兄弟が所持していない。間違いないの?」

 

「ん。船員や奴隷達のやり取りを盗み聞きした限りだとね」

 ベアトリーゼは説明する。

 

 ヌーク兄弟は入手した『ハッチャー日誌』を自身で持たず、発掘作業を監督する奴隷の学者に持たせているという。

 つまり、この発掘作業は奴隷の学者が『ハッチャー日誌』の記録を基にして指揮を執っているらしい。まあ、作業そのものは土木技術者が監督しているようだが。

 

「で、困ったことにその奴隷の学者は、ここ数日、あの発掘現場の地下に閉じ込められたままで、当分地上に戻ってこなそう」

「日誌を手に入れるためには、発掘現場の地下へ潜り込む必要がある、か。中々にリスキーね」

 出入り口は一つだけ。監視と哨戒の目を掻い潜ることは容易くない。

 

「任せてよ」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔を妖しく歪めた。

「無音侵入と穴倉潜りはネズミの十八番だ」

 




Tips
 焼き牡蠣~以下4品。
 適当にググって見つけた東南アジアの屋台料理。

 全身スーツ
 ボディスーツともいう。女スパイや女怪盗の由緒正しいステレオタイプ衣装。
 キャッツアイの頃はレオタードか全身タイツが主流だった。

 ヌーク兄弟。オリキャラ。
 兄コッカ。弟ペップ。
 名前の由来はコカ・コーラとペプシ・コーラ。
 いい加減なキャラ付けのためにハードゲイスタイルになった。
 ハードゲイスタイルなので、元ネタは安直にレイザーラモンHG・RG。

 コッカはシュワシュワの実の能力者で炭酸水人間。
 ペップは強力な覇気使い。

 ジューコ。
 オリキャラ。ヤモリ女。名前の由来はヤモリのフランス語読み。
 動物系ヤモヤモの実の能力者

 覚醒剤
 シャブ、スピードなど色んな読み方がある。ハッカの読みは砂ぼうず由来。
 ちなみにアンフェタミン系はドイツが発明。メタンフェタミン系は日本が発明。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7:オペレーションスタート

ちょい多め


 夜空はどんよりとした分厚い雲に覆われ、月明かりは届かない。

 そんな夜闇の深い未明時。

 2人の乙女が発掘現場に忍び寄っていく。

 

 体の線を強調するぴっちりした漆黒のボディスーツ。肘や膝、脛にプロテクターが付いているけれど、おっぱいから腰回りにお尻、太もも、全ての線と形状がはっきりくっきり。由緒正しいステレオタイプな女怪盗スタイルであった。

 雑嚢などを下げた装具ベルトを腰に巻き、コルセット型の装具ベストを装着。動きを妨げない程度のバックパックを背負っているが、まあ、そんなもんではボディスーツのセクシーは翳らない。

 ちなみに、ボディスーツを着こむ時、衣擦れ防止にワセリンの塗り合いをした、かもしれない。御想像にお任せしよう。

 

「……本当に着る羽目になるなんて」と小声でぼやくロビン。

「見られて困るプロポーションじゃないでしょ」

 ベアトリーゼは特に気にせず頭を覆う昆虫面のヘッドギアを被った。

 地下深くになれば、酸素が乏しくなり健康を害するガスも多い。対ガス系ギアは不可欠。

 

「気にするところがズレてるわ、ビーゼ」

 ロビンは慨嘆しながら同じく昆虫面のヘッドギアを被る。

 

 互いに装備と装具を確認し合った後、2人の女怪盗は猫のように発掘現場へ忍び込んでいく。

 順番に鉄条網を潜り抜け、櫓の歩哨や巡回の目を盗み、物陰を伝いながら夜闇や照明の光陰が最も深い暗がりを進む。その歩みは夜の街を散歩する猫のように澱みが無く軽やか。

 

「しょせん海賊だな。隙だらけだ」

 ベアトリーゼがヘッドギアの中で呟く。

 

 故郷でネズミ同然に生きていた頃に比べれば、鼻歌を口ずさんでも良いくらいヌルい。熱反応を読み取って獲物を探す捕食性爬虫類。想像を絶する捜索能力を持つ肉食性昆虫。狡猾な盗賊。強力な索敵装備を持つウォーロードの正規兵。これらの脅威と比べたら、ヌーク兄弟海賊団なんぞ案山子にも値しない。

 

 ベアトリーゼの背に続くロビンの動きも滑らかで迷いや不安はない。

 当然だ。ロビンは命を預けるほどにベアトリーゼを信頼している。その背中に続くことに何の疑いも抱いていない。

 

 坑道出入り口前には数人の警備が控えている。

 荒野の夜は冷え込むため焚火を囲み、退屈な見張り仕事を紛らわせるため、カードゲームに興じていた。警備自体は隙だらけだが、連中の目を避ける遮蔽物も暗がりもない。

 

 強めの覇気を当てて無音で昏倒させることも出来るが、その場合は優れた覇気使いのヌーク兄弟の弟ペップに覇気を気取られる。

 となれば、ベアトリーゼは背後のロビンへ顔を向け、右手で警備を示した後、自身の首を示し、喉を掴む仕草。

 

 ロビンは首肯し、警備の海賊達を全員視界に収め、

二輪咲き(ドスフルール)――クラッチッ!』

 ハナハナの実が猛威を振るう。警備達の肩甲骨辺りから二本のたおやかな腕が伸び、瞬時に首を極める。警備達は悲鳴を上げるどころか、事態を認識する暇もなく、頸動脈を絞められて意識を落とした。

 

 ベアトリーゼがぐっと右拳を伸ばしてきた。ロビンは微苦笑と共に自身の右拳を合わせた後、2人は失神した警備達の脇を抜けて足早に坑道内へ侵入していった。

 

 万事順調。

 ――だった。地下発掘現場へ潜り込むまでは。

 

 発掘坑道内は木材で補強され、等間隔にカンテラが吊るされている。カンテラの照らす発掘坑道はそれなりに高く広い(作業効率の事情に加え、ワンピース世界には図体のデカい奴が多いからだろう。ヌーク兄弟からして身長3メートル台だ)。そして、坑道表面は酷く固い。

 

 ロビンが語ったこの島の歴史を考慮するなら、この坑道は元々海底の岩石と土砂だった地層を穿り通したもの。数百年分の外気熱量と圧力で土砂が含んでいた海水が抜け去り、固く硬く絞められていったのだろう。

 

 同時に水分が抜けていく過程で無数のクレバスを築き、サンゴや魚介の残骸などを骨材として天然の洞窟を作り上げていったらしい。人工的に掘削された坑道と天然の洞窟が混ざり、地下は迷宮と化していた。

 

「参ったな。こりゃ思った以上にデカい穴倉だ」

 ベアトリーゼが呻くように言った。

「見聞色の覇気と能力を使っても迷いかねない。クレバスに落っこちたらどこまで行くことやら。カンテラや誘導マーカーを見失ったら、二度と地上へ戻れないかもね」

 

「不安になるようなこと言わないで」

「ん? 怖くなった? 手をつないであげようか?」

「体中に手を生やしてあげましょうか?」

 冗談を交わした後、2人は遺跡の深層部へ向かっていく。

 

 地表から離れていくにつれて空気が薄くなり、そこかしこに有害なガス溜まり(恐ろしいことに無色無味無臭だ)が生じ始める。そこかしこに送風機が置かれて何かしらの動力でぐりぐりと動いているものの、ヘッドギアの対ガス機構が無ければ健康を害してしまうだろう。

 

 変化のない坑道内は時間の感覚がたちまち摩耗していく。

 海賊共も坑道内の巡回などする気が無いらしく、見回りの類は全く存在しない。当然だろう。こんな迷宮を事前知識も装備も異能も無しでうろちょろしようものなら、たちまち迷子になってクレバスに落っこちる。

 

 奴隷達もそのことを知っているから、地下発掘現場や坑道で逃げたりしない。逃げたところで地上に辿り着けない。実際、三人の奴隷が坑道内で逃げ出し、暗がりに消えていた。

 

 迷宮で道を間違えれば、命を失う。単純で容赦のないロジック。

 

 そうして危険な迷宮を抜け、発掘現場中層に達すると、莫大な土砂に飲み込まれたのだろう往時の建物が見え隠れし始める。まあ、まだ背の高かっただろう建物の屋根や上部だけだが。

 

 火山灰が町全体を充填するように飲み込んだポンペイは都市の姿がほぼ完全に残っていたというが、この遺跡は空から降り注ぐ莫大な海底岩石と土砂に飲み込まれたためか、重量と圧力で圧潰していた。それでも往時の姿を想像できる程度には形態を保っている。

 

 たとえば、焼き煉瓦造りの頑丈な建物はそれなりに姿を留めており、丸太などで補強されながら掘り出され、屋内を満たしていただろう土砂や残骸が取り除かれている。出土した往時の文物は全て運び出されていて何もない。今頃は労働キャンプの倉庫に保管されているか、マーケットで売りに出されているだろう。

 

 坑道の踏破にくたびれたのか、遺跡を前にしてもロビンはあまり好奇心を示さない。

 

 本命の深部へ行く前に少し休憩を取る。カンテラの吊るされた通路から外れ、暗闇の中で小休止。

 昆虫面のヘッドギアを外し、汗塗れの顔を拭う。全身をぴっちり包むボディスーツ内も汗みずくだ。濡れた下着の感触がなんとも不快だった。

 

「小腹が空いたね」

 ベアトリーゼは背嚢を下ろして行動食を取り出す。

 

 この手の極限環境での活動はエネルギーを大量消費するので、行動食と言っても高カロリー・高タンパクのものを必要とする。2人は大量のピーナッツとこってりヌガーを押し固めたパワーバーと干し果物を押し固めたフルーツバーと燻製ベーコンの塊を齧り、ぬるい水で渇きを癒す。体にカロリーとタンパクとビタミンと塩分と水を補給。

 

「構造はかなり複雑だけど、カンテラが吊るされてるからマシだね。明かりが無いと本当に真っ暗で記憶力と勘だけが頼りになる」

「明かりは持たないの?」

「両手を自由に使える状態にしておかないと、いざって時対応できないでしょ? それに本当に狭いところでは松明もカンテラも持てないよ」

 ロビンに答えながら、ベアトリーゼはネズミだった頃を思い出す。

 

「一度、盗賊から逃げるためにまったく光も音もない洞窟で数日過ごしたことがあったんだけどね、真っ暗闇の中で誰かの泣き声や囁き声が絶えず聞こえてくるんだ。

 もちろん、幽霊の声じゃない。単なる幻聴だよ。

 思うに、人間てのは情報遮断された完全孤独下に置かれると、本能的に他人を求めるんじゃないかな。それでちょっとした物音や気配を記憶内の人の声と結び付けて認識させるんだろうね。

 それと、洞窟から出た時、最初に欲しかったものは水や食い物ではなく、本物の人間との会話だったなぁ」

 

「さらっと怖い語りを聞かせるの、やめて?」

 ロビンが死ぬほど嫌そうに言って溜息を吐く。

「さっさと目的のオタカラを確保してこの穴から出ましょ」

 

「少しは遺跡探索を楽しみなよ、考古学者の卵さん」

 からかうベアトリーゼに対し、ロビンはハナハナの実の力を使ってベアトリーゼの鼻をつねらせた。

 

 ちなみに、ロビンは知らない。ベアトリーゼがもっと怖い話をしなかったことを。

 ベアトリーゼが見聞色の覇気で調べた結果、この地下遺跡はかなり不安定だ。

 発破でドカーンとしたりした日にゃあ、地表近くの岩盤が抜けて大崩落を起こすかもしれないことを、ベアトリーゼは話さなかった。

 

     ○

 

 通路を抜けると、巨大な空間に出た。

 どうやらこの遺跡都市の目抜き通りらしい。通りの両脇に連なる石造りの重厚な建築物達がつっかえ棒となり、降り注いだ大岩石を受け止め、その大岩石が屋根となって土砂による埋没を防いでいたようだ。むろん、長い年月の中である程度(それでも大量)の土砂が流入しただろうが、それらは奴隷によって掻き出されたようだった。

 

 おかげで、目抜き通りを中心に数区画分の街並みが窺える。いやはや人力でこれほどの大作業を成し遂げたとは。そりゃ覚醒剤もぶっ込むわな。

 

「凄いわ」「やばいなこれ」

 地底に登場した500年前の街並みに感嘆するロビン。

 

 街並みの天井――大岩石や柱となっている建物群の強度に不安を抱くベアトリーゼ。

「連中の作業拠点は……あそこか」

 

 目抜き通りの一角。元は広場か何かだったのだろう場所に大きな天幕が据えられ、大量の照明が輝き、送風機やなんやらがガンガン稼働している。

 2人は猫のように人気のない暗がりを進み、広場へ近づいて物陰から様子を探った。

 

 広場の大天幕では十数名の武装した海賊達が退屈そうにカードゲームをしたり、雑談を交わしたりしていた。便所や食堂、寝床なども用意されているらしい。

 一部の真面目な海賊達が出土品や物資、奴隷の体調などを管理し、作業を監視/監督しているようだった。

 

 そして、一個中隊規模の奴隷達――汗と泥に塗れたボロボロの着衣をまとう疲れ切った男達が、ツルハシとスコップだけで大量の土砂を削り、重たい岩石を割り、掘り出した残土などを運び出していく。

 どうやら一つの建物を傷つけずに発掘しようとしているようだ。現場監督らしい男が作業手順の指示を幾度も怒鳴っている。

 

「あそこで図面と睨めっこしてるオヤジ。あいつが発掘の指揮を執ってる奴隷の学者かな」

 ベアトリーゼが示した先には、他の奴隷達と同じ着衣ながら重労働をせず、簡易テーブルに並べられた図面と書類を開いているオッサンがいた。

 そのおっさんの手元に、見るからに古い作りの書物が置かれている。

『ハッチャー日誌』だ。

 

「獲物は見つけたわね。後は好機到来を待ちましょう」

 ロビンの弾んだ声はオタカラを前にした女怪盗そのものだった。

 

      ○

 

 掘り出されたものの放置されている廃墟の一つに身を潜め、ベアトリーゼとロビンは互いに身を寄せ合い、偽装布を被っていた。

 地底の暗がりは死人のケツより冷たく寒い。酸素の薄い独特な冷気は防護装備を着ていてもなお、体温を奪い、四肢の末端を凍えさせる。高温ガスが噴き出す環境なら話はまた別なのだが。

 

 敵の真っ只中で火を焚いて暖を採れない以上、女二人で身を寄せ合って互いの温もりに頼るしかない。

 

 ベアトリーゼはロビンの胸元に手を回し、真剣な口調で問う。

「……ロビン、またオッパイ大きくなってない? ねえ、同じようなもの食べてるのに、なんでロビンだけそんな大きくなるの? ねえ、なんで?」

 

 21歳のロビンさん、身長180センチ越えのHカップ(なお、後に麦わらの少年と出会う頃にはIカップまで成長する模様)。一方、18歳のベアトリーゼさん、身長180センチ越えでFカップ。決して貧乳などではないのだが、ロビンの方が凄いプロポーションのため、相対的に胸が小さく見えるという悲劇。

 

「こら。揉まないの」

 ロビンはベアトリーゼのデコを突きつつ、『ハナハナの実』の力を使い、奴隷の学者が使っているテーブルの裏面に耳を咲かせ、連中の会話を盗聴していた。

 

『教授よぉ……ほんとーにこれで終わりなんだろうなぁ? 俺達はもうこの穴倉にうんざりしてンだ。ちゃっちゃと海に戻りてェンだよ。これでハズレでしたなんてオチだったら、流石に血ィ見るぜ』

『時間が掛かったのは、土木学的必要性からだ。無暗に掘っては崩落する危険が高かった。こういう発掘作業はたとえ遠回りして時間が掛かっても、安全を確保して進めねばならん。君達とて生き埋めにはなりたくなかろう?』

『それはそーだけどよぉ……』

 

 海賊と奴隷の学者――“教授”のやりとりに耳を傾けながら、ロビンはこの島の歴史について調べた内容を振り返る。

 かつてこの島に存在した小王国。実態は都市国家に毛が生えた程度の規模だったものの、それなりに高度な文明を誇っていたという。ヌーク兄弟が掘っているこの辺りは小王国の首都ではなく小王国の窓口たる港湾都市の一角だったらしい。

 

 となると、連中の狙いは王侯貴顕の財宝とは考えにくい。

 あり得るとすれば、時の大商人か何かの宝物庫と言ったところか。平民とはいえ大商人となれば下手な貴族よりずっと豪奢で豪勢な暮らしをしているものだ。無い話ではない。

 

『ハッチャーがここでフランマリオンの眠り姫を見たと記している。奴は日誌に偽りを書かない。決してな。間違いなくここだ。この先に、眠り姫がいる』

 ロビンの眉根が寄った。

 

 ――フランマリオン。

 

 ロビンは『失われた100年』を追う過程で、天竜人20家についても調べている。

 800年前、世界政府を築いた20人の王。そのうちアラバスタ王国ネフェルタリ王家以外の19王家は聖地に移り住んだ。その19王家の分家筋がフランマリオン家。天竜人に関する資料はそう多くないため(下々民が神たる天竜人について知るなど不遜、というわけだ)、分かっていることは多くないが、その権力は本家を凌ぐほどだという。

 

「フランマリオンの眠り姫ってなに?」

 ベアトリーゼの問いに、ロビンはヘッドギアの中で短く息を整える。

 

「……これは聞きかじりだけれど、フランマリオン家は奴隷に産ませた子を政府非加盟国の国主や有力者に降嫁させることがあるそうよ。世界政府に加盟させる、約束手形として神の血を引く子を与える、といった理屈を並べて」

「外様を取り込むための政略婚みたいなもの?」

 ベアトリーゼの意見は常識的に正しい。一般的な論理だ。が、天竜人の論理は違う。

 

「いいえ」

 ロビンは忌まわしそうに続ける。

「フランマリオン家はそうやって非加盟国を恣意的に操る。国家経済を破綻させたり、社会を混乱させたり、内乱を起こしたり、戦争をさせたり、自分達の掌で国とその地に住まう全ての人々の運命を弄ぶ」

 

「酷いな」

 ヘッドギアの中でアンニュイ顔を盛大にしかめつつ、ベアトリーゼは話を進めた。

「なら、フランマリオン家の眠り姫ってのは」

 

「おそらく、“出荷”された娘がこの島で天変地異に巻き込まれて命を落とし、後に冒険家ハッチャーはその亡骸を見つけた、そういうことなんでしょうね。そして、死体を公表したり持ち物を奪ったりせず立ち去った。正しい判断だと思うわ。常識的に言って、たとえ死体でも天竜人と関わることは避けるべきだもの」

 たしかに、とベアトリーゼもロビンの推論に納得する。

 

 この世界に生きる人間にとって、天竜人とは二本脚の災害だ。その絶対的地位は海軍大将すら顎で使役するほど。気まぐれに人間を殺しても罪にならず。気まぐれに人を奴隷にしても許される。奴隷にした人間をどれほど虐げても、誰も非難など出来ない。

 だから、この世界の人間は天竜人と関わることを忌避する。触らぬ神に祟りなし、と。

 

 ロビンが新たな疑問を口にする。

「彼らはなんのために天竜人の亡骸を見つけようとしているのかしら?」

 

「きっとロクな理由じゃないさ」

 どうでも良さそうに応じ、

「いずれにせよ、これは不味いなあ」

 ベアトリーゼはロビンへ言った。

「マーケットに潜伏しているだろう世界政府の出先機関は間違いなく、この発掘作業にスパイを潜り込ませてる。天竜人絡みのことも知ってるはず。私達がマーケットに来ていることも察知してるだろうけど、私達がポーネグリフ関係の資料を手に入れようとしていることまでバレてると考えるべきだよ」

 

「――っ!」ロビンは息を呑む。

「マーケットでは仕掛けてこないと思う。あそこで暴れると政府や海軍にも都合が悪い。でも、島から出る際、間違いなく狙ってくる」

 ゆっくりと息を吐き、ベアトリーゼはアンニュイな夜色の目を鋭くする。

「予定変更だ。多少ここで派手にやってでも、速やかにこの島から脱出した方が良い。奴らが海上で網を張る前に余所へ逃げないと」

 

 手遅れになる。

 

 ベアトリーゼは見聞色の覇気と異能で調べた情報を基に作成した坑道と地下採掘場の地図を広げ、ロビンと共に新たな計画を練り始めた。

 

 やること自体は単純。

 陽動の騒ぎを起こし、どさくさに紛れて日誌をかっぱらうだけ。

 ここは発掘現場。トラブルは付き物だ。ロビンのハナハナの実でちょっとばかり目立つ崩落を起こさせ、その騒ぎに乗じてハッチャー日誌を奪取。後は一目散にズラかるだけ。なんなら坑道の一部を破壊し、奴らを地下に閉じ込めても良い。

 

「それは……奴隷にされている人達まで犠牲になってしまうわ」

「どのみち私達には彼らを助けられないよ」

 ヘッドギアの中で表情を曇らせるロビンへ、ベアトリーゼは言葉を選んで冷徹に告げた。本心はもっと冷酷だった。奴隷なんぞどうでも良い。ロビン以外はどうなろうと知ったことじゃない。

 

「重要なのは崩落の規模だね」

 ベアトリーゼは話を強引に進める。

「連中の意識が完全にそちらへ向く規模の崩落が必要だ。出来れば、この採掘現場一帯を粉塵が満たすくらい大きなものが良い。でも、それだけ大きな崩落が起きた場合、この地下空間自体がどうなるか分からない」

 

 ロビンにも秘していた事実。

 この地下空間は見た目よりもずっと脆弱で危うく、とても繊細な均衡で成り立っている。

 崩落の衝撃が伝播し、地下空間の崩壊を招くかもしれない。下手を打てば、数千万いや下手したら数億トンの土砂が襲い掛かってくる。ロビンのハナハナの実で巨腕を出現させても支えられまい。一瞬で磨り潰されてお陀仏だ。

 

「……かなりシビアでリスキーね」

 眉根を寄せて端正な顔を険しくするロビンへ、ベアトリーゼは不敵に微笑む。

「いつも通りってことさ」

 




Tips
 洞窟/地下遺跡
『砂ぼうず』の第二部における主戦場。

 暗闇における人体の精神失調。
 ググればいくらでも出てくる。こんなこと調べる人がたくさん居るらしい。

 ロビンのバストカップ。
 公式です。

 フランマリオン家。
 オリジナル設定。というか、現段階で判明している天竜人が少なすぎる。オリジナルにせざるを得ない。
 名前の由来は『銃夢:火星戦記』に登場した火星18大公の1つで、内乱で亡びたらしいフランマリオン公から。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8:地下遺跡の戦い

誤字報告、ありがとうございます!


 ベアトリーゼとロビンが目当ての『ハッチャー日誌』をこっそり盗み出す計画から、強襲して強奪する方向へ切り替えていた時、通路から集団が姿を見せた。

 

 ハードゲイな装いのヌーク兄弟海賊団船長ヌーク・コッカとヤモリ頭のエロボディ女ジェーコ。それと船員達。弟ペップの姿が見えないが、地上に控えているのだろう。

 

「こりゃあキャプテン。急にどうしたんですかぃ?」

 警備の頭目らしい海賊が慌ててコッカの許へ駆け寄り、揉み手で尋ねる。もっとも、その目はコッカの隣に立つジェーコのデカパイに注がれていたが。

 

「教授へ会いに来たのヤモ」

 コッカに代わってジェーコが応えた。語尾はおかしいが、すんげぇ美声だった。声帯の美しさが音となって表れ、輝いているようなスーパー美声だった。

 

 ジェーコはデカパイを強調するように腕を組み、ヤモリ特有の大きなギョロ目を動かす。

「塩梅はどうなのヤモ?」

 

「教授はようやく本命に手が届いたと言ってまさぁ。ただ、酷くデリ……デリカット? な発掘作業になるんで、時間を食うとも」

 と海賊が説明すれば、

 

「セイセイセーイッ!! 眠てェこと抜かしてンじゃあねーぞっ! 本命に届いたならチャキチャキ終わらせやがれってンだっ!」

 不満顔をこさえたコッカを宥めるように、ジェーコが声をかける。

「キャプテン、ここで急いてしくじったら大事ヤモ。それで“教授”はどこヤモ?」

 

「あそこでさぁ」

 海賊がコッカとジェーコを奴隷の学者の許へ連れて行く。ヤモリ頭の女が腰を振り、尻を強調するようなキャットウォークで歩く様は哲学的気分を抱かせる。

 

 コッカが教授を睥睨しながら、質す。

「教授よォ、ようやく眠り姫に届いたそうじゃあねェか。あとどれくらいで俺は眠り姫を拝めるンだぁ? いい加減、我慢しすぎてスプラッシュしそうだぜ、俺ぁよぉ」

 

「眠り姫の墓所は既に届いた。だが、状況は極めてデリケートだ」

 疲れ顔で“教授”が告げた。

「墓所となっている屋敷を安全に発掘するためには、少しずつ土砂を取り除き、なおかつ入念に補強をしていかなくてはならない。この地下空間は砂上の楼閣より脆い。飴細工のようなものだ。僅かなことで大崩落を招きかねん」

 

「セイセイセイセーイッ!! ンなかったりぃ話ぁどーでも良いンだよ、教授。俺が聞きたいのは具体的な数字だ。あと何日だ? あと何時間だ? 俺はあと何回腰振ったら、眠り姫に会える? そこをきっちりかっつり分かり易く答えろ」

 

 コッカは冷酷な目つきで教授を見下ろす。残酷かつ残忍な輝きが宿っていた。

「俺ぁテッメーに多くのものを与えた。労働力。機材。時間。それに、クソ高ェ古本まで買い与えた。テッメーは結果を出す義務っつぅもんがあるよなぁ? だから、あと何日だ? 何時間だ? 俺はあとどれだけ我慢すれば良いのか、チャキチャキ答えろ」

 

「そ、それは――私の一存では応えられない。発掘作業は私だけでなく、土木作業のプロである現場監督とも協議して進めている」

 教授は咄嗟に現場監督も巻き込んだ。現場監督が目を剥き「このクソ野郎やりやがった」と殺気立つも、コッカとジェーコに睨み据えられて震え上がる。

 

「……どうやら貴方達には具体的な数字を出せないようヤモ。代わって私が決めるヤモ」

 おもむろにジェーコが告げ、

「ま゛っ!?」「ちょっ!?」

 驚愕する教授と現場監督、それと、

「フォ――ッ! そりゃあ名案だぜ。ジェーコ、爽快にビシッと決めやがれっ!」

 ニタニタと笑うコッカの承服を得て、ジェーコは命じる。

「3日。貴方達に3日あげるヤモ。そのうえで、貴方達が真摯に仕事へ当たれるよう、ペナルティも決めておくヤモ」

 

 ジェーコは長い舌を伸ばし、目玉の表面を舐めた後(ヤモリに瞼はないため、こうやって目を掃除する)、

「達成予定から1時間遅れる度に爪を1枚剥がしていくヤモ。手足の20枚を剥がし終えたら、次は指の第1関節を切り落としていくヤモ。第1関節が終われば、第2関節。指を落とし終わったら、掌を少しずつ削っていくヤモ。掌が終わったら足を同じように削るヤモ」

 ヤモモモと不気味に笑う。ヤモリ面と美声が相成って怖い。凄く、怖い。

 

 そして、コッカは満足げな喜色を浮かべ、ゲラゲラと大爆笑した。

「フォーッ! そいつぁクールな名案だぜ。安心しろ、テッメーら。ジェーコの言ったことはこれまで“何度も”やったことがある。どれだけ切り刻んでも敗血症なんぞにゃあ罹らねェ、安心していーぞ」

 

 どこに安心する要素がありやがるんだこのバカ、と内心で絶叫する真っ青顔の教授と現場監督。

 

 その時、発掘作業現場で崩落防止櫓が倒壊し、轟音と悲鳴と共に大量の粉塵が噴出。倒壊時に生じた粉塵嵐が地下空間に広がっていく。

 

「なんじゃ――――あっ!!」

 コッカの怒号もまた、粉塵嵐に飲み込まれていった。

 

     ○

 

 視界は皆無。騒音だらけで聴覚も当てにはならない。

 

 それでも、ベアトリーゼには全てが見えている。

 見聞色の覇気と異能による捜索探査。汗が触れても瞬きしないほどの集中力。自己暗示に近い野戦反応心理状態。投入しえる全てを用い、大量の粉塵が飲み込み覆った地下遺跡の全てが見えている。

 

 ロビンがハナハナの実で倒壊させた櫓が見えていた。

 立ち竦み混乱する奴隷や右往左往する海賊達が見えていた。

 怒号を上げようとして粉塵を深く吸い込み、激しく咳き込むヌーク兄が見えていた。

 眼瞼の無い両眼をギョロつかせて周囲を探ろうとしているジェーコの様子が見えていた。

 その場に伏せて両手で頭を守っている教授と現場監督の姿が見えていた。

 横倒しになったテーブルの傍らに落ちているハッチャー日誌が見えていた。

 

 だから、ベアトリーゼはハッチャー日誌を目指し、濃霧の如く広がった粉塵の中を全速力で駆けていく。アイススケーターが氷上を滑走するように姿勢を低く迅速に。足音はおろか装具の揺れる音すら漏らさずに。

 

 粉塵を切り裂いて一気に日誌へ肉薄。勢いを殺さぬまま、トンビが食べ物をかっ攫うように手を伸ばし――

 

「セーイセイセイセーイッ! あああああああああうっとぉしーいっ!!」

 瞬間、コッカが怒号を発し、

 

「!! 伏せるヤモ―――――ッ!!」

 ジューコが悲鳴のように警告を発した、その直後。

 

「オールレンジッ! ライムグリーン・スプラ――――ッシュッ!」

 炭酸飲料を思い切り振り回してから開封したように、ヌーク・コッカが“爆発”。全身から衝撃波と弾丸と化した高速飛沫が発せられ、粉塵だけでなく右往左往していた奴隷や海賊を次々と巻き込んでいく。

 

「ぎゃあああああっ!?」「ぐあああっ!!」

 悲鳴と共に奴隷達や海賊達が薙ぎ払われ、コッカを中心に粉塵が吹き払われる。

 

「船長、乱暴すぎるヤモっ!」「勘弁してくださいよ船長っ!!」「ぎゃああ、俺の、俺の足がアアアっ!!」「ああ……血が、血が止まらねえよぉ」「ぅあああ」「痛えよ痛えよ」

 身を起こして怒鳴るジューコや海賊達。土砂と血に塗れた死傷者達が苦悶とすすり泣きをこぼす。

 

 そして、着衣の汚れを払っていたコッカが、闖入者に気付いて眉根を寄せる。

「あああ~ん? だぁれだテッメ~。客を招いた覚えはねーぞオゥッ!」

 

 高速飛沫の嵐を防ぐため、足を止めざるを得なかったベアトリーゼが、コッカの目線に捉えられた。荒事慣れしたジューコや海賊達が即座に侵入者へ身構える。

 

 ベアトリーゼは顔を覆う昆虫面ヘッドギアの中で舌打ちしつつ、飄々と応じた。

「や、お気になさらず」

 

「気になるわ、バッカヤローッ! それに……テッメー、“なんで日誌を引っ掴んでやがる”ッ!」

 コッカは額に青筋を浮かべ、ベアトリーゼを睨み据えた。

「はっはぁ~ん。さてぁ今のぁテッメーの仕業だなぁっ? ド派手な陽動しかけて日誌を強奪()ろうってわけだ。味な真似し腐るじゃねーか、スベタがよォ」

 

「見た目の癖に巡りが良いね」

「誰が炭酸の抜けたコーラ頭だゴルァッ!!」

 軽口を叩くベアトリーゼに瞬間沸騰し、コッカは両腕をベアトリーゼへ向け、

「くらぁえ、ファンタカッターッ!」

 超高圧炭酸水の収斂放射。

 

 言わずと知れたように高圧水流によるウォーターカッターは鋼板だろうと容易く穿ち貫く。人体のような軟目標など造作もなく貫通/切断してしまう。実際、射線上に居た奴隷が巻き込まれ、真っ二つにされる。

 

 ベアトリーゼは舞うように側転やバク転を重ねて炭酸水のウォーターカッターを回避。

「くたばれクソアマっ!!」「撃て撃て撃てっ!!」

 そこへ、海賊達が拳銃や小銃で射撃を加えてくる。

 

 ち、と鋭い舌打ちをこぼし、ベアトリーゼは日誌を小脇に抱えながら回避運動のギアを一段上げる。高圧高速ウォーターカッターの攻撃をかわしている関係で、弾幕斉射の全てをかわし切れない。如何に高度な身体操作技法に基づく回避能力が高くとも面制圧射撃は厳しい。

 

 ベアトリーゼは見聞色の覇気で自分に命中する弾丸だけを判別し、着弾箇所に武装色の覇気を巡らせて超硬化。弾丸を撥ね退ける。

 

 銃声の斉唱と弾丸が撥ねる硬い音色が響く中、

「――あの女、覇気使いヤモっ!」

 ジェーコが警告するように鋭く叫ぶ。

 

 コッカが苛立たしげに怒鳴る。

「総員、抜刀っ! あのクソスベタを活け造りにしちめェっ!!」

 

『おおっ!』

 海賊達がサーベルやカトラスを抜き、ジェーコが覇気を巡らせたのか両手を黒く変色させる。荒事慣れしているだけに身のこなしに無駄がなく、間合いを詰めながらベアトリーゼを包囲していく。

 

 ウォーターカッターと弾幕が途絶え、ベアトリーゼは足を止めた。日誌を後ろ腰の雑嚢へ乱暴に突っ込み、どこか物憂げな声音で告げる。

「お前らの探し物は見つかったんだから、もうこの日誌は要らないだろ? 私が貰っても問題ないし、私がここから立ち去っても不都合がないはずでは?」

 

「どーんだけ自己チューな考え方してンだ、このアマッ! その古本がいくらしたと思ってやがるっ! 要らなくなったからってタダで手放すわきゃねーだろうがっ!」

 コッカが青筋を幾つも浮かべながら吠えた。

「だいたい……手前のもんを黙って奪われる海賊が居るかボケェッ!!」

 

「人がせっかく“命を助けてやる”って言ってるのに」

 はあ、とわざとらしく溜息をこぼし、ベアトリーゼは言った。氷のように冷たい声で。

「仕方ない。少し遊んでやる」

 

「セイセイセーイッ!! 吹くじゃあねーかスベタがッ!! ちっと覇気が使えるくらいでちょーしこくなよっ! グランドラインにゃあテッメー程度の覇気使いなんざ珍しくも何ともねーンだっ!」

 

 ベアトリーゼは既に悪魔の実の能力を“発動”している。誰も気づかぬままに。否、能力を使用するために、あえて下らないやりとりをしたと言って良い。

 

 動物系悪魔の実の能力者であり、常人と異なる知覚野を持つジューコのみ奇妙な“耳鳴り”を感じていたが、それは先ほどの倒壊とコッカの“爆発”のためだと気にしていない。

 

「クソスベタの血祭りパーティを始めてやらぁっ!!」

 コッカががなった、刹那。

「いいや。もう終わったよ」

 吐き捨てるように呟き、ベアトリーゼは右手を上げてパチンとフィンガースナップ。

 

 瞬間。

 ベアトリーゼを中心に不可聴域高周波の大波紋が地下世界に伝播し――

 

 

 

 

 

 ヌーク兄弟海賊団の船員ジャックはがちゃりと剣を手から落として、

「――ああ」

 神々しく輝く円盤型飛行物体(UFO)を見ていた。

 

    〇

 

「ゥウ……」

 海賊達は目から焦点を失い、茫洋としながら次々と武器を落としていく。いや、海賊達だけではない。奴隷達も茫然自失状態に陥り、虚空を凝視しながら棒立ちしていた。

 そして、誰も彼もが虚ろな目つきでブツブツと独り言を重ねたり、自分にしか見えない何かへ話しかけたりしている。

 

「な、何が――ジャック! マイクッ! ベンソンッ! 何してやがるっ!? 野郎共、さっさと武器を拾いやがれっ!」

 コッカが怒声を挙げるも、船員達は何の反応も返さない。

 

 ジャックは『誰も信じてくれないんだ。僕がUFOにさらわれたって。嘘じゃないのに』とブツブツ。マイクは頭を抱えて『ごめんなさいごめんなさい』と泣きながら謝り続け、性病持ちのベンソンは顔を押さえて『溶ける溶ける顔が溶ける』と悲鳴を上げていた。他の船員や奴隷達も似たような状態に陥っている。

 

「だめヤモ、船長っ! 皆、おかしなことになってるヤモッ!」

 無事に反応を返す者はヤモリ頭のエロボディ女ジューコだけ。そのジューコにしても、

「ヤモッ!?」

 体から力が抜けたようにその場からへたり込み、

「ジュー、コッ!?」

 コッカも足腰が言うことを聞かず、その場に膝をついてしまう。

 

「か、体が……何が――何が起きてやがるっ?!」

 混乱しながら、コッカはおそらく原因だろう存在を睨みつけた。

「テッメーッ! クソスベタ、何しやがったぁあっ!」

 

「解説が欲しけりゃニュース・クーでも読んでろ」

 ベアトリーゼは冷ややかに嘲笑う。

 

 この手の“創作物”なら手の内を御丁寧に(読者へ)解説することがセオリーであるが、このワンピース世界を現実世界として生きているベアトリーゼは、手の内を明かすような発言など絶対にしない。

 

 情報は重要な武器であり、情報は自身の墓穴にもなりかねない。たとえこれから死にゆく者であろうと、自身の優位性を損なうような情報開示は決してしない。

 臆病で慎重なネズミほど長生きできるのだから。

 

「他の雑魚共はともかく、能力者のお前ら二人はここで確実に殺しておくか」

 ベアトリーゼは絶対零度の殺意を発し、

「ふざけ――」

 

 怒鳴り返そうとするコッカの許へ一瞬で間合いを詰め、武装色の覇気をまとった漆黒の拳を動けぬコッカの顔面目掛けて放つ。

 

「やらせないヤモッ!」

 も、紙一重で割り込んできたジューコが武装色の覇気を纏った両腕で、ベアトリーゼの一撃を防ぐ。

 

 さながら砲弾と装甲が激突したかのような轟音がつんざく。

 

 ベアトリーゼはヘッドギアの中で密やかに眉根を寄せた。

 元よりあの技は悪魔の実の能力者と上位覇気使いには効果が鈍いが、これほど早く立ち直ってくることは予想外。

 

「ヤモリンドー・アーツッ! ゲッコーラッシュッ!」

 ジューコがデカパイを揺らすように大きく身をしならせ、左右の乱打を放つ。

 

 ベアトリーゼは高速乱打を危なげなく左右の手の甲で受け流す。ギャリギャリと金属が擦れ合うような衝突音が響き、

 

「――からのっ! ゲッコートリプルシュートッ!」

 ジューコの右足が鞭のようにしなり、下段蹴りが連続で放たれた。

 

 牽制の乱打から崩しの下段蹴りか。ベアトリーゼが下段蹴りを一度、二度と膝受けで防いだ直後、三度目の下段蹴りが突如軌道を変え、上段蹴りに切り替わる。

 

「!」

 首を刈り取るような勢いで迫る変形上段蹴り。ジューコの強靭な体幹と姿勢制御技能が無ければ実現不可能な、上位技法(オーバーアーツ)

 

 ベアトリーゼは咄嗟に身を捻ってかわすも、爪先がヘッドギアをかすめた。

 ばきり、とヘッドギアが壊れ、癖の強い夜色のミディアムヘアと小麦肌のアンニュイ顔が晒される。

 

「ヤモモモ、ぶちのめし甲斐のある可愛い顔してるヤモ」

 不敵に笑うジューコと鋭く舌打ちするベアトリーゼ。そして、

「その面ぁ手配書で見たぁ覚えがあるぜ……っ! 『悪魔の子』とつるんでるクソスベタだっ! たしか『血浴』のベアトリーゼッ!」

 コッカが怒りで強面を真っ赤に染めた。

 

「セイセイセイセイセーイッ!! 西の海をちょろちょろ逃げ回ってたメスガキ共が、グランドラインに来て、俺相手にはしゃぎましたってかぁっ!? たかが賞金数千万ベリー風情のガキが、この俺をっ!! ナァメやがってェ―――――っ!!」

 ブチギレまくるコッカ。

「テッメーも悪魔の子も、穴っつぅ穴をガバガバんなるまで犯してから、生きたまま剥製にしてやるっ! マーケットの中央広場に飾ってやるぞクソスベタッ!!」

 

「発情期のエテ公みたいにいちいち喚くな、鬱陶しい」

 麗しいアンニュイ顔で悪態を吐くベアトリーゼに、コッカは怒りのあまり貧血を起こしかけ、次いで、力の入らぬ足腰に活を入れて無理やり立ち上がった。

 

「ぶち殺すっ!」

 コッカが吠えた瞬間。

 

 ベアトリーゼは蹴った地面に砂煙を残し、瞬時にジューコへ肉薄。

「ヤモッ!?」

 ジューコはギョロ目を思わず蠢かす。ヤモリの強力な視力でも、自身の見聞色の覇気でも、動きを捉えられなかった。既に相手は攻撃挙動に入っている。迎撃も回避も間に合わない。被弾を前提にした防御しかない。想定被弾部位へ集中的に武装色の覇気をまとう。

 

 前世記憶を基に名付けられたベアトリーゼの一撃が放れた。

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!!」

 

 ずどん。

 

「ヤモォ―――――――――――――ッ!?」

 打撃の暴虐的な衝撃がジューコの体内を蹂躙しつくし、ジューコの目と鼻と口から鮮血が噴出。これまで色んな相手と戦い、いろんな攻撃を食らってきたが、これほど強力無比な一打は食らったことが無かった。まるで体内で衝撃波が発生し、爆発したかのようだった。

 

 筋肉を圧潰され、骨を砕き折られ、内臓をいくつか破壊され、血流を激しく乱され、神経を焼かれたジューコはぐるりと白目を剥き、腰を抜かしたようにへたり込む。

 

 勝負はついた。が、ベアトリーゼは躊躇なく確殺の手刀をジューコの首へ向けて放つ。

 

 残忍だからでも冷酷だからでもない。能力者はしぶとい。確実に殺したと判断するには、首を落とすくらい必要――それがベアトリーゼの認識だった。

 

「させるかボケェッ!! ライムグリーン・スプラッシュッ!!」

 コッカの放った炭酸水の飛沫弾幕が迫り、ベアトリーゼはトドメを中止して飛び退く。

「覇気使いの能力者か。鬱陶しいスベタがよぉ~っ!! 何の実を食いやがった。超人系なのは間違いねぇ。催眠系能力か? 意識操作系能力か?」

 

「教える義理はない。何もわからぬまま死ね」と歯牙にもかけぬベアトリーゼ。

 

「テッメェ~、それでも海賊かぁ? 海賊が手前を誇り名乗らねぇでどうするっ!」

「私は海賊じゃない」

「なら……テッメーは何だってンだっ!! ファンタカッター・バラージッ!!」

 

 炭酸水のウォーターカッターが乱れ放たれ、地面を削り、遺跡を穿ち、巻き添えに海賊や奴隷がぶった切られる。

 

 絶対貫通切断の水流刃を舞うようにかわしながら、ベアトリーゼはせせら笑い、

「私は『悪魔の子』の番犬(ガードドッグ)。そして、私は」

 笑みを消して誇りを湛え、

「ニコ・ロビンの仲間だ」

 踊るようにウォーターカッターの群れを掻い潜り、跳躍してコッカのクロスレンジへ。

 

「テッメ」

 容易く懐へ潜り込まれて強面を引きつらせるコッカの顎に目がけ、

「弾丸撃(ゲショシュラーク)ッ!!」

 ベアトリーゼは全身の体重を乗せた漆黒の拳を叩きつけ――

 

 

 ずがん。

 

 

「―――――――――――――――――――ッ!」

 コッカの口から発せられた音声はもはや言語になりえなかった。カエルパンチと呼ぶにはあまりにも暴威的な一撃により、コッカの巨躯はロケットの如く打ち上げられ、凄まじい勢いで天井の巨岩の中心へ激突した。

 

 直後、地表貫通弾を叩きこまれたような大衝撃が天井の巨岩を通じ、地下空間を支える通りの建築物群へ伝播。地下空間全体がめきめきと不吉な悲鳴を上げ、軋み、震え始める。

 

 地下空間を満たす破滅の音色に、ベアトリーゼはアンニュイ顔を蒼くした。

「やば。下手打った」

 

 ベアトリーゼが反省の言を呟いた瞬間。

 天井の巨岩にビキッと無数の亀裂が走り始めた。

 

 

 

 

 地下空間全体を震わせる強烈な揺れ。そこら中から不穏な音色が響きだす。

「ビーゼ、やりすぎよ……っ!」

 戦闘に加わらず、先んじて退路を確保していたニコ・ロビンは眉間に深い皺を刻む。

 

 そこへ、夜色のミディアムヘアを揺らしながら駆けてくるボディスーツ姿の美女。この不吉極まる音色と震動を生み出した元凶、ベアトリーゼのカムバックだ。

「ごめん、ロビンッ! しくじったっ!」

 

 ロビンはベアトリーゼの無事に安堵しつつも、天井の巨岩にビキバキと走っていく無数の亀裂を目にし、顔を蒼くした。

「急いで地表へ脱出しないと……っ!」

 ロビンがそう告げた直後。

 

 

 天井の巨岩が中心から砕け、大量の岩石を先鋒に土砂の激流が降り注いだ。

 




Tips
 拷問:人間の品性と想像力の技術。

 ライムグリーン・スプラッシュ。
 スプライトはコカ・コーラ社の製品。技の元ネタを気付いてもらえるだろうか。

 ファンタカッター
 ファンタはコカ・コーラ社の製品。基本はグレープとオレンジ。シーズン限定テイストがたくさんある。ナチス時代のドイツで開発された物が原点。

 UFO
『砂ぼうず』のオマージュ。

 ヤモリンドー・アーツ
 ジューコのオリジナル戦技。ノリで作ったので深く考えてない。

 周波衝拳(ヘルツェアハオエン)
『銃夢』に登場するパンツァークンストの基本奥義。打撃に周波数による振動を乗せて放つ技。
 主人公は自身の能力を考慮した結果、前世記憶を基にこの名を付けた。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9:登れ登れとにかく登れ

書き溜めが尽きました。


 轟音。轟音。轟音。

 言語表記不可能なほどの、大轟音。

 

 巨岩が砕け、大小様々な岩石の雨が降り注ぎ、ベアトリーゼの能力で正気を失っていた海賊や奴隷達が叩き潰され、落着衝撃波で吹き飛ばされ、遺跡が次々と倒壊していく。

 そして、莫大な土砂の垂直落下式大津波が地下空間へ流れ込み、飲み込んだ海賊と奴隷を磨り潰し、地下遺跡群を埋め潰していく。

 まさしくカタストロフィ。

 

 その圧倒的な質量の大激流の中で、

「――――――――――――――――――――――――っ!!!」

 勇気を絞り出すように叫び、半ベソを掻くベアトリーゼが崩落口から地表を目指していた。瓦礫や崩壊口の壁面を足場に跳躍し、岩石の雨と土砂の大津波を覇気と異能の拳骨で強引にこじ開ける。

 

 そのベアトリーゼの背中にハナハナの実を駆使したニコ・ロビンが“6本腕”でしがみ付いていた。

「――――――――――――――――――――――――ッ!!」

 ロビンもロビンでその端正な顔から普段の冷静沈着さが完全に失われていた。ヘッドギアに覆われた細面は涙と鼻水と冷や汗塗れ。

 

 美女2人が美貌を台無しにして言葉にならぬ絶叫を挙げる様は、なんとも言えぬ気分を掻き立てるが、まあ、仕方ないと言えば仕方ない。

 なんせ、降り注ぐ莫大な土砂を掻き分け、土石流の隙間を潜って崩落口から地上へ出ようというのだ。無理無茶無謀どころではない。狂気の大博奕。あるいはダイナミックな自殺に等しい。僅かでもまともな頭なら、冷静でいられるわけがない。

 

 業務用冷蔵庫サイズの大岩が迫り、ベアトリーゼが『邪魔っ!!』と殴り砕く。も、大岩の陰からラグビーボール大の岩石が流星群の如く襲い掛かった。

 連打を放って岩石の豪雨を払い除けようとするも、物量差に手が追いつかない。

 

「ビーゼ、危ないっ!!」

「ギャッ!?」

 がっ! と岩の一つがベアトリーゼの頭を直撃し、色気のない悲鳴が漏れる。咄嗟に武装色の覇気で頭部を守ったが、跳躍中の着弾衝撃までは抑え込めない。姿勢が崩れて重力に足首を掴まれる。

 

 そこへ降り注ぐ土砂の壮絶な奔流。

「あ」

 ――呑まれる。

 ベアトリーゼが如何に覇気使いだろうと悪魔の実の能力だろうと、数千万トンに達するだろう土石流をどうこうできない。

 

「ピエルナフルールッ!!」

 刹那、ロビンが落下中の岩に“足を生やし”、ベアトリーゼと自身を蹴り飛ばして土石流の軌道から脱出。

 

 蹴り飛ばされた2人は壁面にぽっかりと開いていた洞窟の横穴へ転がり込む。

 間一髪、土石流から逃れたベアトリーゼは冷や汗と涙と鼻水塗れの顔をロビンへ向け、

「無事っ!?」

「ええ、無事よっ!!」

 周囲の轟音に負けじとロビンも怒鳴り返す。

「これ以上は無理よっ!! 崩落口からは登れないっ!! 危険すぎるっ!!」

 

「だけど、この横穴は進めないし、ここには留まれないっ! いつ崩れるか分からないんだっ!!」

 ベアトリーゼはいつものアンニュイ顔を明後日へ投げ出し、眉目を吊り上げてロビンへがなった。

「再アタックするっ!! 早く掴まってっ!!」

 

「ビーゼっ! 貴女、イカレてるわっ!」とロビンが涙声で罵倒する。

「知ってるっ!!」

 ははは、とベアトリーゼは泣き笑い顔を返し、

「ふんぬらばぁっ!!」

 乙女らしからぬ雄叫びを挙げて壁面を思いきり蹴りつけ、横穴の縁から再跳躍。

 

「こんなところで死んでたまっかいっ!!」

 砂漠ドクトカゲの如きしぶとさを発揮し、ベアトリーゼは涙に濡れた夜色の双眸をギラギラと輝かせ、ロビンと共に地上を目指してひたすら登り続ける。

 

 

 

 天井の巨岩が崩落し、大量の岩石と莫大な土砂が地下空間の地面――遺跡群が並ぶ目抜き通りを直撃した。

 その圧倒的な衝撃と暴圧、重量が地下空間の地面をずどんと押し抜く。

 

 語り継ぐ者が失われていたため、誰も知らなかった。冒険家ハッチャーも知らなかった。

 この遺跡の地下に広大な下水路と冠水防止の貯水機構が敷かれており、巨岩が天井となって土砂の流入を防いでいたため、無傷で残っていたことを。

 結果、天井の崩落は第二の崩落――地下遺跡の目抜き通り大陥没を招く。

 

 当然ながら、この二重大崩落は地表にも影響を与える。

 落雷のような轟音と地響きが生じた刹那、ずどっと労働キャンプに直径十数メートルの大穴が開く。

 

 さながら活火山が噴火したような粉塵の大噴出と地震に、

「な、何だあ―――――っ!?」

 ヌーク兄弟の弟にして副船長ペップが思わずポージングも忘れて驚愕した。

「に、逃げろーっ!! 穴から逃げろっ!! 飲み込まれっちまうぞーっ!!」

 海賊や奴隷の悲鳴が響き渡り、キャンプは大騒ぎになった。

 

 

 

 そして―――

 

 

 

「下の奴らが発掘作業で下手打ったンすかね……?」

「分からん。が、恐らくそーだろーよォ……」

 傍らの部下の問いかけに、ペップが茫然と大穴を見つめながら応じる。

 

 地上の彼らは地下で起きた戦闘を知らない。そのため、発掘作業の事故だと思っていた。崩落自体は一段落したが、それでも大穴の縁は思い出したように崩れ、直径を少しずつ広げている。

 

「離れろっ!! あぶねーぞっ!!」「ここらもヤベェな」「ああ。下手すっとここら一帯丸ごと落っこちっぞ」

 穴の周辺で様子を見ていた奴隷や海賊達がいそいそと大穴から退避していく。

 

 その様子を眺めながら、ペップは誰へともなく呟いた。

「おゥい勘弁してくれェ。この仕事にいくら注ぎ込んだと思ってンだぁ? 億単位だぞ億単位。それがお前ェ、これ、おゥい、全部パーかァ? マジでェ? ガチでェ?」

 

「あの、ペップ様。船長やジューコ甲板長達の、下にいた連中の救助をしねーと……」

 部下がおずおずと提言すれば、

「救助……ああ、うん、そーだなそーだ、助けねーとな」

 ペップは大きな溜息を吐き、大きな手でがりがりと髪を掻きむしる。

「兄貴はシュワシュワの実を食った炭酸水人間だ。いざとなりゃあ“奥の手”を使って這いあがってくるだろーよォ。ジューコもタフな女だ。なんとか生き残ってンだろ。他の連中は……まあ、三分の一くれェ生き残ってりゃあ上等だろーなァ」

 

 人員の補充費で大赤字だぜェ、とペップは毒づきつつ、

「地下に降りる救助隊を編成しろォ。それと崩落の危険を考慮して立ち入り禁止区域を設定すっぞ。おら、ちゃきちゃき働けっ!!」

「へいっ!! おら、お前らいつまで呆けてやがるっ! 仕事だっ!!」

 周囲に命令を飛ばす部下を横目にもう一度溜息を吐き、小声で呟く。

「……たとえくたばってても、天竜人なんかに関わるもんじゃねェなァ……」

 

       ○

 

 崩落口の底。頭上の崩落口から陽光が注ぎ、宙を漂う大量の粉塵がきらきらと輝いている。時折、がらがらと岩石や土砂が降ってくるが、概ね崩落は落ち着いていた。

 

 地下空間にいた者達の多くは莫大な瓦礫と土砂に呑まれて生き埋めになったが、ペップが予想した通り、3分の1程度は奇跡的に生き延びていた。

 まあ、その生き残っていた奴らも五体無事な者は一人もいない。骨折やらなんやらでズタボロのボロ雑巾状態だ。

 

 ずぞりずぞり、と瓦礫と土砂の隙間からでろでろの液体が染み出し、その液体は徐々に人の形を成した。

「フォ―――――――――――――――――ッ!!」

 ボロボロのケツの穴みたいな有様のコッカが怒号を発する。3メートルの背丈は変わらないが、300キロあった隆々たる体躯は見る影もなくガリガリに痩せ衰えていた。

 

 シュワシュワの実を食べた炭酸水人間であるコッカは、その肉体を液状化させることも可能であり、本来なら打撃銃撃斬撃などが通じない。ただし、覇気をまとった攻撃は例外で、ベアトリーゼの強力無比な一撃をまともに食らってしまった。挙句は大量の土砂に飲み込まれ、生き埋め。

 朦朧とする意識の中、咄嗟に体を液状化させなかったら、今頃はばらばらに磨り潰されて大地の養分になっていただろう。

 もっとも、液状化したことで周囲の土砂に水分をガンガン吸収されていき、危うく大地のシミになるところだった。なんとか這い出たものの、このようにすっかり体が痩せ細ってしまった。

 

 それでも、

「あの、腐れクソスベタ……よくも、よくも俺のビジネスを台無しにしゃあがったな――――――――――――――――っ!!」

 それでも、コッカは元気いっぱいだ。周囲の惨状を見回し、再び怒号を挙げた。

 

「ヤモォ……」

 と、そこへ壁面の割れ目から、傷だらけのデカいヤモリがにょろにょろ這い出してきた。

 

 ヤモリ頭のエロボディ女ジューコの獣形態だ。

「あやうく死ぬところだったヤモ……」

 

 崩壊が始まった刹那、意識を取り戻せなかったら間違いなく死んでいただろう。不鮮明な意識のまま獣形態になって岩盤の隙間に逃げ込み、ギリギリで九死に一生を得た。

 

「オラ行くぞ、ジューコ」

 コッカはひょろひょろの身体ながらジューコを肩に担ぎ上げ、額を青筋で満たした。

「今から、あのクソスベタを追いかけてぶち殺すっ!」

 

「追いかけるって……あの大崩落ヤモ? あいつらだって生き埋めに」

「甘ェぞっ! そいつぁ激甘な考えだぞ、ジューコッ! いいか、ああいうクソスベタはなぁ、きっちりぶっ殺さねえ限り死なねェンだよっ!! だーら、今すぐあのクソスベタを追っかけてぶち殺すんだっ!!」

 鼻息を荒くし、口から泡を飛ばしてがなり飛ばすコッカに、ジューコは呆れを隠せない。 

「船長……元気過ぎるヤモ……ほんとに人間ヤモ?」

 

「セイセイセイセイセーイッ! やられっぱなしで済ませられっかっ! たとえ死にかけてようが、きっちりやり返すンだっ!!」

 怒気を露わにしてふらふらと歩き出すコッカに、ジューコは呆れと敬意を新たにした。

 

      ○

 

 ベアトリーゼとロビンは大穴から少しばかり離れた物陰で、並んで体育座りをし、どこか呆けた面持ちで太陽を眺めていた。2人ともボロボロのデロデロで、汚れ切ったボディスーツのあちこちが擦り切れたり、裂けたりして乙女の柔肌を覗かせている。

 

 ベアトリーゼの小麦色肌の細面は涙と鼻水と汗に土砂が引っ付いて泥塗れだった。元より癖の強い夜色のミディアムヘアは半ばボンバヘッドになりかけていた。

 ロビンはヘッドギアを被っていたおかげで繊細な美貌を泥塗れにしていない。が、凄まじく疲れ切った面持ちで目の下に黒々としたクマが浮かんでいる。

 

 2人とも疲弊と消耗と致死的な危険を体験したショックで茫然自失状態だった。この場から脱出せず、物陰で体育座りをしてぼけらっと太陽を眺めるほどに。

 

 幸いなことに地上にいたヌーク兄弟海賊団は大穴の周囲200メートルを危険区域として立ち入り禁止にしていたから、じっと大人しくしている分には見つからない。

 

「ロビン」焦点の合わない目つきでベアトリーゼが呼びかける。

「なに、ビーゼ」とロビンも茫然としたまま機械的に応じる。

「生きてるって素晴らしいね」

 

 ベアトリーゼがぼけっとしたまま発した内容に、ロビンは我に返った。

「元はと言えば、ビーゼがやり過ぎたせいでしょっ!」

 ロビンは眉目を吊り上げ、ベアトリーゼの頬をつねる。

 

「痛いっ!」

 頬をつねられた痛みで意識が復活し、ベアトリーゼは唇を尖らせた。

「やり過ぎたのは認めるけど、あいつら手抜きできるほど弱くなかったんだよ」

 

「100歩譲ってそれは認めても……普通、落ちてくる土石流の中を登る? きちがい沙汰にも程があるわ」

 端正な顔を険しくして詰め寄るロビンに、ベアトリーゼは眉を大きく下げて唸る。こりゃ不味い、お説教モードだ。

「でも、土石流が止むの待ってたら生き埋めだったし、坑道の方じゃ崩れた時に逃げ道がないよ。確かに無茶で無謀だったけど、やるしかなかったんだって」

 

「……」

 ロビンはジトッとした目つきでベアトリーゼをしばし睥睨し、大きく息を吐いた。

「ここを脱出し終えたら、きっちり反省会をするから。いいわね、ビーゼ」

 

「一生懸命頑張っただけなのに……」と肩を落とすベアトリーゼ。

「それで、脱出のアイデアは?」

 後ろ腰から水筒を取り出し、ロビンは一口呷ってからベアトリーゼに渡した。

 

「夜を待って脱出しよう」

 ロビンから受け取った水筒を傾け、ベアトリーゼは疲れ切った吐息をこぼす。

「地上に残ってる連中の頭数は多くない。夜闇に紛れれば問題なくここから抜け出せる。それに」

 

「それに?」

「少し休みたい。覇気を使いすぎた」

 覇気は強力だが、比例して体力と気力も消耗する。戦闘と土石流の強行突破でベアトリーゼの体力気力はすっからかん。

「ちょっと休ませて……」

 言い終えるが早いか、ベアトリーゼはこてんと体を倒し、すぐさま寝息を立て始めた。

 

 やれやれと言いたげに小さく嘆息し、ロビンはベアトリーゼの頭を持ち上げ、自身の膝の上に乗せた。荒れた夜色の髪を右手で梳いて整えながら、左手でベアトリーゼの雑嚢からハッチャー日誌を取り出し、内容に目を通し始める。

 時折ベアトリーゼの寝顔へ向けられるロビンの眼差しは、慈しみに満ちていた。

 

       ○

 

 日が傾きかけた頃――

「血浴? 西の海の賞金首の? 悪魔の子ニコ・ロビンと組んでるっつーあの?」

「ああ、そうだよっ! あのクソスベタ、必ず八つ裂きにしてやるっ!!」

 なんとか地上に生還したコッカは、瘦せ細った体を元に戻そうと大量の飯を掻っ込みながら、弟へ地下の出来事を語っていた。

 

 ペップは兄の話を聞き、トライセラトップスをポージングしながら問う。

「兄貴ィ。血浴が現れたってこたーニコ・ロビンも傍にいたはずだ。姿ぁ確認したのかィ?」

 

「ん? 言われてみりゃー姿は見てねェ……な。だけどよォ、血浴はニコ・ロビンと組んでる。一緒に動いてるはずだろ?」

「多分な。兄貴ィよぉ。こりゃちと不味い事態だぜェ」

 ペップは首肯しつつフロントラットスプレッドへポーズを変更。

「政府はニコ・ロビンを血眼ンなって探し続けてる。言い換えりゃーニコ・ロビンの影があるところ、海軍がやってくるってな具合だぜェ」

 

「海軍だぁ?」コッカは食事の手を止め、弟を睨みつけて「……テッメー、海軍如きにイモ引いてんのかァ?」

「兄貴ィ、普段ならともかく、俺達ぁ今、ズタボロのケツの穴みてェな様なんだぜェ? 兄貴だって本調子じゃあねェし、ジューコなんて猫にも負けそうなザマじゃあねーか」

 いきり立つ兄を宥めるゴリマッチョな弟。

 

 痛いところを指摘され、コッカは不貞腐れるようにそっぽを向き、ガツガツと食事を再開する。反論が無かったことを是認と見做し、ペップは話を続けた。

「それに……俺らがフランマリオンの眠り姫を探してることが海軍にバレたら、不味いことになンぜェ」

 

 ペップは巨躯をずいっと兄へ寄せて射るように見据え、

「どうするよォ、兄貴ィ。このまま眠り姫を探し続けても良いぜェ。救助作業の過程で分かったンだけどよォ、どうやら眠り姫の遺跡は無事だったらしい。もうちょい頑張りゃー掘り出せなくもねェ。まあ、資金や奴隷、船員の再調達やらなんやらが必要だけどな。もちろん、ここで手を引いても悪かねェ。状況は散々だしよォ」

 質す。

「船長として決めてくれ、兄貴ィ」

 

「決めるまでもねェっ!!」

 コッカは眉目を吊り上げ、どがんと拳をテーブルに叩きつけた。皿が砕け、料理が飛び散る。憎悪に染まった目つきで、コッカは虚空を睨み据えて呪詛を吐く。

「ここで天竜人の“干物”を手に入れりゃあ、“奴ら”と取引できンだっ! そうすりゃあ、そうすりゃあよぉ……っ!! あのクソババアをぶち殺せるかもしれねェんだっ!」

「兄貴ィ……」

 

 ヌーク兄弟海賊団が生まれたのは約5年前。それ以前は兄弟の父ヌーク・ヴァージルが船長を務めるヌーク海賊団と名乗っていた。

 名を改めた理由は単純明快。船長だった父が死んだからだ。

 四皇の一角。大海賊“ビッグマム”シャーロット・リンリンに寿命を奪われて。

 

 ヌーク海賊団は大怪獣に蹂躙される木っ端モブの如く、失笑が漏れるほどあっさり捻り潰された。ビッグマムは心底くだらないものを見るような目を向け『お前らは殺す価値もねェ。オレの時間を無駄にした罰だけで許してやるよ』と宣い、その能力で父ヴァージルの寿命を奪い取って殺害。コッカとペップからもそれぞれ30年分の寿命を奪った。

 

 かくて、尾羽打ち枯らす大惨敗を喫したが、コッカは心折れなかった。それどころか、ビッグマムに対して凄まじいまでの憎悪を抱き、なんとしても殺すと誓っていた。

 

「あの化物クソババアをぶち殺すにゃあ、俺達の力だけじゃ足りねェっ! “奴ら”と渡りを付けにゃあならねェんだっ!! そのためにも、眠り姫をなんとしても見つけンだよっ!」

 コッカが再び、ドンッ! と卓に拳を叩きつけた。

 

 

 

 ――と同時に銃声が幾重もつんざき、船員や奴隷達がバタバタと斃れていく。

 

 

 

「なんじゃあっ!?」「カチコミかっ!?」

 目を丸くするコッカ。血相を変えるペップ。

 血達磨になった船員が息も絶え絶えに駆け込んできて、

「船長っ! 副船長っ! 敵襲だっ!! 奴らぁ――」

 銃声と共に頭を撃ち抜かれて崩れ落ちた。

 

 部下の頭からまき散らされた血と脳漿を浴び、コッカとペップは額に青筋を浮かべ、怒号を発する。

「上等じゃあゴルァッ!」「どこのクソだか知らねェがぶち殺したらぁっ!!」

 

 大騒ぎはまだ終わらない。




Tips
 瓦礫が落ちる中を大脱出。
 『砂ぼうず』オマージュ

 シュワシュワの実
 オリジナル悪魔の実。炭酸水を扱える。自身も炭酸水になれる。
 強力な能力だが、覇気使いには普通にぶっ飛ばされちゃうんだなあ。

 ロビン
 ベアトリーゼの無茶に振り回され気味。
 でも、お説教は欠かさない。年上のお姉さんだからネ。

 四皇”ビッグマム”シャーロット・リンリン
 ワンピース世界でも屈指の大怪獣。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10:荒野の土は血を呑み続ける。

 剣戟と銃撃の合奏。怒号と悲鳴と罵倒と断末魔の合唱。

 夕暮れの荒野に戦闘交響曲が終わりなく流れ続ける。

 

 昆虫面の不気味なヘッドギアに砂漠戦用装備をまとった小柄な兵士達が、カートリッジ式の小型連発銃を手に少人数ごとに分かれ、無言のまま移動と射撃を交互に繰り返し、距離を詰めた後に白刃を煌めかせて銃剣突撃を行う。

 

 海賊達の迎撃に仲間が斃れても、臆することも激することもなく、ただただ戦闘行為を遂行し続ける。海賊達を殺し、両手を挙げて投降を訴える奴隷達も容赦なく命を奪っていく。

 まるで自分達以外の動くものは皆殺しにするとでも言うように。

 

「このクソチビ共がっ!」

 海賊が銃剣突撃してきた小柄な兵士の一人をサーベルで袈裟にぶった切る。斃れしな、小柄な兵士の不気味なヘッドギアが脱げ落ちた。

 

 夕陽に晒された死体の顔立ちは、10歳前後の子供のもの。

「ガ、ガキじゃねえかっ!? まさか、こいつら全員が――」

 

      ○

 

 時計の針を少し戻す。

 

 無法なる完全な自由市場は世界政府にとって不都合であり、同時に表沙汰に出来ない密やかなビジネスを行う上で極めて好都合だった。

 これは世界政府隷下の海軍や諜報機関サイファー・ポールにとっても同様で、海軍やサイファー・ポールはマーケットで非公式、非公然、非合法の情報収集や資金調達を行っている。軍隊や諜報機関にとって政府から支給される予算――使い道を監査される資金――以外の金はいくらあっても困らない。なんせ公に出来ない仕事は金が掛かる。

 

 よって、サイファー・ポールにとってマーケットは諜報任務の要所の一つであり、組織の秘密資金を獲得する大事な金の鵞鳥だった。軽率な真似をして問題を起こしたら免職や懲罰では済まない。

 

 ゆえに、マーケットへ派遣されるサイファー・ポールの諜報員は、伝統的に有能であることを当然として世界政府の法や組織の規則、社会正義の正否よりも、政治的かつ組織論的な是非の判断が下せる者が選出してきた。どれだけ戦闘能力や工作能力に長けていようと、マーケットにおける政府や組織の利権を台無しにするようなバカは選ばれない。

 

 そうしてマーケットに派遣された諜報員達を管理統括するケースオフィサーの“ジョージ”はうってつけの人物だった。

 

「――そうか。状況次第では今日中に動く。マーケットで調達した傭兵に準備させろ」

“ジョージ”は電伝虫の通信を切り、手元の書類仕事へ戻る。

 

 表向き、とある商社の出先事務所長を務めている彼は、本当に所長としてあれやこれやの雑務を行い、サイファー・ポールの『密やかなビジネス』とは別に相当の利益を上げていた。

 スパイマスターとしてだけでなく、ビジネスマンとしても非常に有能らしい。

 

 応接ソファに座る貴婦人が皮肉っぽい微苦笑をこぼした。

「状況次第で動くというのは、些か短絡的すぎない?」

 

 大きな薔薇飾りが付いた白い帽子に白いコートを羽織り、可憐な容姿を裾丈の短い青のミニワンピースと白いロングブーツで包んでいる。

金髪のボブヘアとサファイア色の瞳が印象的な若い美女へ、“ジョージ”は書類から顔を上げずに応じた。

 

「否定はしない。ただ……ここはいろいろ事情が入り組んだ土地だ。おまけに能力者も覇気使いも少なくない。臨機応変に動くことが一番“安全”だ」

「だとしても、エージェントでなく傭兵を利用する理由は? 傭兵自体はともかくとしても、わざわざ児童歩兵を選ぶなんて。趣味が悪いわよ」

 

「マーケットに展開しているエージェントはあくまで諜報任務が優先だ。“この程度”で存在が露見されるリスクは冒せない。それに、あれらはマーケット内で調達できる傭兵集団でも、一番費用対効果の良い部隊だ。旧ガルツバーグ国軍の元将校が経営する『児童歩兵隊(スクール)』で、下手な海兵より陸戦に長けている」

“ジョージ”はちらりと貴婦人を窺い、言った。

「立ち寄っただけ、と言っていたが……私の仕事の監査にでも来たのか? ステューシー」

 

 ステューシーと呼ばれた若い貴婦人はおどけるように肩を竦め、白磁のカップをクルミ材製の応接テーブルに置く。

「ここへは本当に貴方の顔を見に寄っただけよ。ただ“旧友”として指摘させてもらえるなら、あの小さな傭兵達がどれだけ使えようと、能力者や覇気使いを倒せないわ。ヌーク兄弟に殺されるだけよ」

 

「元よりあれらは露払いと弾避けの消耗品だ。本命は別に用意してある。目ぼしい脅威以外を排除できれば良い」

「子供の命を何だと思ってるのかしら。まったく酷い人ね」

 言葉はもっともらしいが、貴婦人の整った顔には一片の憐憫も同情もない。それどころか酷薄な冷笑すら滲んでいた。

 

 ステューシーの皮肉にも“ジョージ”は眉一つ動かさず、淡々と書類仕事を続ける。

「我々が日々血と汗を流して護持している体制が、あのような子供達を生み出し、その命を使い潰している。この現実に不満があるなら、君から政府や天竜人に改善を働きかけてはどうだ? 上手くいけば、君や私の仕事で犠牲になる憐れな子供達が減るかもしれない」

 

 穏やかな口調に含められた反感の強さに、ステューシーはからかうように口端を歪めた。

「相変わらずの叛骨心ね。もう少し従順になれていたら、もっと“上”に行けるのに」

 

「君のようにCP-0へ行けとでも? 私は世界政府の犬であることは受容できても、マリージョアの豚共のためにあくせく働くなど御免被る」

「子供達の命を鼻紙のように使い潰す悪徳は許容できても、気に入らない連中に頭を下げることが出来ない。まるで駄々をこねた子供ね。流石に見苦しいわ」

 喉を鳴らしながら毒舌を放つステューシー。

 

「容姿は昔と変わらず美しいままだが」“ジョージ”が顔を上げ「“中身”は年相応に陰険になった。すっかりやり手婆だ」

 

 刹那、ステューシーが弾丸無き銃撃――“飛ぶ指銃”を放ち、“ジョージ”の万年筆を打ち砕く。飛散したインクが“ジョージ”の手と執務机を汚した。

 

「……酷いな。この万年筆はお気に入りだったのに」

「万年筆で許してあげたのよ。貴方が旧い友人で無かったら頭を撃ち抜いてるところだわ」

 微かに煙をくゆらせる右手人差し指の先へ、ふっと息を吹きかけ、ステューシーは瑞々しい脚を組み直す。

 

 ステューシー。世界政府の諜報機関サイファー・ポールにあって天竜人直属のCP-0に籍を置く世界最高峰の女諜報員。世界の闇の帝王の一人『歓楽街の女王』として裏社会に君臨し、四皇のビッグマムとすら交流を持つ悪女。そして、“ジョージ”の旧き友である年齢不詳の女。

 

「悪かった。失言を謝罪しよう」

“ジョージ”はハンカチで手と卓を拭いながら、無機質に詫びる。

 

 その様に小さく鼻息をつき、ステューシーは話を再開した。

「ニコ・ロビンが血浴を伴ってこの島に来ているのでしょう? 確保しなくていいの? 後で怒られても庇ってあげないわよ?」

 

「問題ない」“ジョージ”は淡々と「五老星から言質と許可を得ている。少なくともマーケット、いや、この島の中でニコ・ロビン捕縛のために我々が騒ぎを起こすことはない」

 

「へえ」ステューシーは興味深そうに「彼女に御執心の老人達をどうやって説き伏せたの?」

「ニコ・ロビン捕縛を強行した結果、マーケットにおいて我々の存在が暴露することの不利益を説いた。『密やかなビジネス』を日の目に晒すことは得策ではないと」

 

「確かにね。『密やかなビジネス』は誰にも知られず気付かれずが鉄則だもの。ニュース・クー辺りに感づかれたら大騒ぎになるでしょうし」

 裏社会の女王でもある女スパイは大きく首肯して先を促す。

「そのうえで、五老星に注進した。加盟国が荒れる程度ならともかく、政府の機密資産が明らかになり、マリージョアの豚共が騒ぎだした場合、非常に面倒なことになると。豚共は金があれば、あるだけ蕩尽に費やすからな。政府の機密資産を自分達の遊興のために差し出せと言い出しかねないと指摘した。五老星は誰も反論しなかったよ』

 

 実際はもっと散々な言い様だったが、五老星の誰も反論しなかった。天竜人がこの世界に君臨して800年。その幼児退行的な劣化はもはや五老星自身が諦観を抱くほどなのだから。

 

 ステューシーはくすくすと心底楽しそうに笑い、

「貴方のそういうところ、本当に変わらないわね」

 青い双眸を冷ややかに細めた。

「それでも、ニコ・ロビンがポーネグリフ関係の情報を入手する懸念は拭えないけれど?」

 

「その件も問題ない。ニコ・ロビンが入手した資料は『ヴァイゲル草稿』。それと、ヌーク兄弟と事を構えてまで入手しようとしているのは『ハッチャー日誌』だ」

「ああ。そういうこと」

“ジョージ”の言葉に、ステューシーは思わず嘆息した。

 

『ヴァイゲル草稿』は中身の大半が的外れな推測と妄想に過ぎない。脅威性が低いからこそ、これまで放置されてきた資料だ。今後も問題になることはなかろう。

 そして、ハッチャー日誌だが、アレに記されたポーネグリフ関連の記述は毒にも薬にもならぬ、無害な記録に過ぎない。だからこそ、冒険家ハッチャーは暗殺も粛清もされず天寿を全うし、その日誌が古書市場に流通していたのだ。

 

「今回の件で問題として重視すべきは、ニコ・ロビンではなくハッチャー日誌を用いてフランマリオンの眠り姫を発掘しようとしているヌーク兄弟だ」

“ジョージ”は淡々と言葉を紡ぎ、

「天竜人の屍を満天下の晒し者にするだけならば、ともかく」

「いえ、それは大問題よ。ともかく、なんてレベルじゃないわ。物凄い大問題になるわ」

 苦言を呈す旧友から目線を外し、呟くように言った。

「私は天竜人の遺骸が技術的に悪用される可能性を懸念している」

 

「天竜人の血統因子を利用するかもしれないと?」

“ジョージ”の見解に、ステューシーは端正な顔を強張らせた。

「流石に……妄想的じゃないかしら。たかが海賊に血統因子を利用するほどの技術があるとは思えないわ」

 

「どうかな。既にヴィンスモークのジェルマ66という前例があるし、同様に高度な技術を持つ海賊などいくらでもいる。カイドウの許にいる元MADSのクイーン。ゲッコー・モリアの海賊団には天才外科医ホグバック。シャーロット・リンリンやドンキホーテ・ドフラミンゴなど優秀な人材を揃えた海賊は少なくない」

 それに、と“ジョージ”は憂鬱そうに続ける。

「世界政府の管理下にあるとはいえ、ドクター・ベガパンクもシーザー・クラウンも本質的には道徳倫理を持たない人間のクズだ。連中が天竜人の血統因子を密かに入手して悪用しない、と君は断言できるか?」

 

「出来ないわね」

 ステューシーは即答してカップを口に運ぶ。ぬるくなっていた御茶に眉をひそめた。

「ヌーク兄弟が高度な技術を持つロクデナシに天竜人の遺骸を提供する可能性、か。泳がせて取引相手を確認した方が良いんじゃない?」

 

「その策も考えはしたが、大昔の遺骸とはいえ天竜人だ。諜報活動の材料として利用したとなれば、面倒臭いことになる。私の職責にそこまで厄介なことを背負う義務はない」

“ジョージ”はしれっと『これ以上は面倒臭いからやらねえ』と宣う。

 

 旧友のふてぶてしい物言いに、

「この業界では必要以上に背負い込まないことが鉄則だものね。まして、厄介なことは避けるに越したことはないわね」

 ステューシーがくすくすと上品な笑い声をこぼしていると、電伝虫が鳴り響く。

 

 鼻息をつき、“ジョージ”は電伝虫を手に取り、

『ジョージ、大変ですっ! 発掘現場がっ!』

「どうやら臨機応変が求められるようね」

 鈴のように喉を鳴らし、ステューシーは腰を上げた。

「そろそろ行くわ。食事に行こうと思ったけれど、この調子じゃ難しそうだし」

 

「少し待て」

 電伝虫の先にいる部下へ告げ、

“ジョージ”は新たな万年筆をメモ用紙に走らせ、ステューシーへ差し出す。

「ここに立ち寄って行くと良い」

 

「あら、なあに?」とステューシーは興味深そうにメモ書きを受け取る。

 

「アップルパイの専門店の場所だ。私のツケで受け取れるようにした。土産にすると良い」

 わずかに表情を和らげ、“ジョージ”は言った。

「アップルパイは好物だったろう?」

 

「……貴方のそういうところは好きよ、“ジョージ”」

 ステューシーは邪気の無い微笑を返し、メモ紙を大事そうに懐へ収めてから旧い友に別れを告げた。

「それじゃ、お仕事頑張って」

 

“ジョージ”も退室していく旧友を見送り電伝虫へ向き直って、

「詳細に報告しろ」

 部下の報告を聞いた後、

「大崩落か……分かった。黄昏と共に作戦を開始しろ」

 淡白に命じる。

「ヌーク兄弟とその一味を潰せ」

 

       ○

 

 昆虫面のマスクを被った児童歩兵達はどれだけ仲間が斃れようと恐怖も怯懦もせず、仲間の死に憤怒も憎悪もせず、カートリッジ式の小型連発銃を撃ち、銃剣を煌めかせて突撃し、無抵抗の奴隷を撃ち殺し、銃剣で刺し殺し、海賊達に弾丸を叩き込み、銃剣で滅多刺しにする。

 まるで捕食性の昆虫のように。

 

「クソガキ共がぁ……っ!」

 コッカはシュワシュワの実の能力を使って児童歩兵達を薙ぎ払い、

「なめンじゃあねェぞっ!!」

 ペップは武装色の覇気を身にまとって児童歩兵達を薙ぎ倒す。

 

 周囲に子供の死体が積み重ねられるも、怒れる兄弟は気にも留めない。

 敵ならば子供相手だろうと暴力を一切鈍らせない。ヌーク兄弟は人間的にクズであるが、紛れもなく本物の戦士であった。

 

 しかし、彼の船員達が同じく本物の戦士とは言い切れない。

「船長、不味いヤモッ! 押されてるヤモッ!!」

 包帯塗れのジューコが重傷を押して叫ぶ。

「ダセェ泣き言抜かすなっ! ガキ共なんぞ蹴散らしやがれっ!」

 

 コッカが怒鳴り飛ばすも、児童歩兵達は死を恐れる素振りすら見せず、仲間の遺骸を平然と踏み越え、手足をもがれようとハラワタをこぼそうと命ある限り戦闘を継続する。

 まるで火に向かって行進する昆虫のように。

 

「なんなんだ、このガキ共ぁ!? 死をまったく恐れてねえぞっ!」

 船員達は死傷を一切恐れぬ児童歩兵達の不気味さに気圧され、慄き、その隙を突かれて撃たれ、刺され、死んでいく。

 

「船長っ!」ジューコが悲鳴のように叫び「このままだと、私達以外がもたないヤモッ!!」

「兄貴、ジューコの言うことが正しいぜェッ! 皆、こいつらの勢いに呑まれちまってるよォッ! このままじゃあヤベェッ!」

 ジューコとペップの喚き声にコッカが歯噛みして唸った。

「クソッタレがぁっ!!」

 

     ○

 

 絶え間なく聞こえてくる戦闘交響曲はロビンの許にも届いていた。

 ハナハナの実の能力を用い、耳目を生やして状況を確認。ロビンは眉間に深い皺を刻む。

 

 昆虫面のヘッドギアと砂漠戦装備をまとった小柄な兵士達が、ヌーク兄弟海賊団を襲っていた。無言のまま少人数単位で戦闘を続けている。

 小柄な兵士達は射撃と移動を繰り返し、カートリッジ式の小型連発銃を構えて銃剣突撃していく。海賊達の反撃で仲間が斃れても一顧にしない。仲間の屍を踏み越え、蟻がたかるように海賊達へ襲い掛かり、銃剣で滅多刺しにしていた。

 武器を持たぬ奴隷達に容赦ない。両手を挙げて命乞いする奴隷へ銃弾を撃ち込み、銃剣で刺突する。小柄な兵士達は無言のまま淡々と虐殺を重ねていく。

 

 何者か分からないけれど……酷いことを。

 ロビンは眉根を寄せながらも、状況を分析する。小柄な兵士達の襲撃によりヌーク兄弟海賊団は混乱の極みにあり、大穴周辺の警戒網は穴だらけ。間隙を突いての脱出は可能だろう。

 

 まだ動けないベアトリーゼはハナハナの実で背負えば良い。あの小柄な兵士達と遭遇しても倒せないことは――

 その時。仲間に踏み越えられた亡骸からヘッドギアが脱げ落ちた。

 

 ――っ! 子供、ですって……っ?

 

 涙に濡れた目を見開き、息絶えている児童歩兵の骸を目の当たりにし、ロビンは凍りつく。

 

 まさか、この兵士達全員が子供なの……っ!? 

 昆虫のように戦い、死んでいく子供達の姿に、ロビンは戦闘の光景とは別種のおぞましさを覚えていた。

 

 




Tips
”ジョージ”
 オリキャラ。原作サイファーポール関係者がCP9ばかりだし、作中時期のCP9は既にアイスバーグの許に潜入中。オリジナルに頼らざるを得ない。

 名前の元ネタはスパイ小説の大家ル・カレに登場するスパイマスター、ジョージ・スマイリー。

 児童歩兵隊(スクール)
 銃夢;ラストオーダーに登場する小悪党ペイン大佐が率いる児童歩兵。
 同作品世界は人類が不老長寿技術を確立しているため、出産や子供の存在が違法になるという極端な人口抑制策がとられている模様。

 ステューシー
 原作キャラ。CP0のエージェントで、裏社会の大物で、ビッグマムとも知己がある、という冷戦時代のCIA工作官みたいな女。彼女の実年齢は最高機密らしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11:世界最強と津波と眠り姫

ちょっと誤解が生じる描写があるようなのでちょっぴり修正(11/12)


 乾ききった荒野は血を吸い続けている。

 児童歩兵達が数人がかりで担いでいた機関銃を次々と据えていき、労働キャンプへ制圧射撃を開始する。キツツキのようなテンポで連ねられる銃声。弾幕に脱出路が次々と塞がれ、減らされていく。ボウリングのピンみたいに打ち倒される者達を尻目に、ヌーク兄弟海賊団は掃射に駆り立てられ、追い詰められていった。

 状況は絶対的に不利。

 

「フォ―――――――ッ! クソガキ共がああああああああっ!」

 シュワシュワの実の能力者であるヌーク・コッカは肉体を液体化出来る。弾丸など通じない。優れた覇気使いであるヌーク・ペップも鉛玉など物ともしない。包帯だらけのヤモリ頭エロボディ美女ジューコもなんとかなる。

 しかし、海賊団の海賊達は違う。弾丸を浴びれば負傷するし、当たり所が悪ければ命を落とす。そして、三人が無事でも団として壊滅しては意味がない。

 

「いよいよ不味いぜェ、兄貴ィ」

 ペップが呻く。

「奴ら、俺らを“ひとまとめ”にしてやがるゥ。こりゃあ、つまりよぉ」

「能力者や覇気使いを潰す切り札がある、ヤモ」

 ジューコが傷の痛みに呻きながら言う。

 

 

 

 刹那。

 

 

 

 

 血みどろの発掘場を前にし、

「……くだらん仕事になりそうだな」

 世界最強の剣士が面倒臭そうに呟き、狩るべき獲物を目指して歩き始めた。

 

       ○

 

 鉄火場に現れた一人の男。

 金色の瞳を持つ鋭い双眸。黒髪に精悍な顔立ち。丁寧に整えられたモミアゲと口ひげ。上流階級的洋装を着こみ、羽飾り付帽子に赤と黒のロングコート。

 加えて、背に担がれた黒い大刀。

 

「そんなまさか……鷹の目っ!?」

 ハナハナの実の能力を用い、発掘現場一帯を偵察していたロビンが思わず吃驚をこぼす。

 

 世界政府公認海賊である王下七武海の一角『鷹の目』ジュラキュール・ミホーク。その別名は世界最強の剣士。その剣に斬れぬ者はないという。

 

「なぜ……なぜ鷹の目がこんなところに……」

 いくら聡明なロビンでも、ミホークがマーケットに居た理由は好物の赤ワイン――滅多に流通しないヴィンテージの調達に来ただけで、マーケット内のサイファー・ポールから当たり年のヴィンテージ数本と古酒を報酬にこの“アルバイト”を請け負った、なんて事情を想像できるわけもない。

 

 なんであれ、ロビンにミホークと交戦する選択はあり得ない。実力差が大きすぎて戦いにもならないだろうし、動けないベアトリーゼを危険に晒すわけにはいかない。

 どうすれば――

 

 

 不意に戦闘交響曲が止み、小鬼の群れみたいな児童歩兵達や海賊達が手を止め、世界最強の剣士の動向を見守る。

 

 

「テッメーは……鷹の目ェ……ッ!」

 ヌーク・コッカが歯ぎしりを混ぜて唸った。

「政府の飼い犬野郎が~っ! 俺達から眠り姫を奪うためにクソガキ共を引き連れて来やがったのかぁっ!」

 

 

「不快な誤解だ。この憐れな子らとは無関係だし、お前達の事情など知らん」

 ミホークは金色の鋭い双眸を巡らせ、昆虫面のヘッドギアを被った児童歩兵達を横目にし、

 

「王下七武海の協定に基づき、海賊を狩るだけだ」

 背中に担いだ最上大業物である大刀『夜』の柄に手を伸ばし、

 

「そして、俺はくだらん仕事に時間を掛ける趣味はない。さっさと終わらせよう」

 世界最強の黒い刃が鞘から抜かれ、絶対零度の殺気が解放された。

 

 

 殺気が発掘現場一帯を舐めた瞬間、ロビンに膝枕されていたベアトリーゼの瞼がぱちりと開く。

 

      ○

 

 その一太刀は柔らかな微風のようであり、

 

 その一振りは静謐な凪のようであり、

 

 その一撃は金色の瞳が捉えた全てを断った。

 

 戸惑いに似た雰囲気が流れた、兆し。

 幾つもの岩石が次々と両断されて倒れていき、土砂塊が崩れていく。

 

「な、なにが――」

 海賊や奴隷達は何が起きたのか分からぬまま、ふっと意識を失って白目を剥き、次々とその場に崩れ落ち――地面に倒れ伏した衝撃が体躯に伝わった瞬間、ずるりと彼らの身体が二つに分かれていった。

 

 

 断末魔や悲鳴はおろか呻き声すら漏れぬ一撃虐殺。

 世界最強の名に相応しき斬撃であった。

 

 

 凄まじき斬撃は鉄火場から数百メートル離れたロビンの許まで届いており、切っ先がかすめたように髪がはらりと散った。

何が起きたのか理解し、ロビンはぶわっと冷や汗を掻き、カタカタと震え始める。

 ベアトリーゼが冬眠明けの熊みたいに身を起こし、鷹の目達が居る方角を睨み呟く。

「なんかすっげェ怖いのが来てるね」

 

 

「ほぅ」

 ミホークは漆黒の大刀を無行の位に下げ、金色の瞳で己の一太刀を生き延びた者達を見据えた。

「強き者はいないが、運良き者が混じっていたか」

 

「セイセイセイセーイッ!! 余裕ブッこいてんじゃあねェ、このタコッ!」

 コッカは顔を冷や汗塗れにしながら嘲罵を放つ。

「俺ぁシュワシュワの実を食った炭酸水人間っ! たとえテメェのヤッパが覇気をまとってようが、この俺を切れるわきゃあねェンだよアホンダラがァっ!」

 

 嘘である。絶死の黒刀が迫る瞬間、肉体を液化して奇跡的に避けられただけだ。同じことをもう一度やれと言われても出来ない。

 

「無理ヤモ、無理ヤモ、無理ヤモ、絶対に無理ヤモ、絶対に無理ヤモ」

 ジューコは獣形態になって地面へ張り付いてベソをかいていた。とっさに獣形態をとって伏せなければ、死んでいただろう。命は取り留めたが心は完全に折れていた。

 

 なまじ覇気が使えるだけにジューコは『格の差』を魂で理解し、敗北を認めてしまった。地面にへばりついて泣きながら『殺さないでヤモ殺さないでヤモ』と繰り言を重ねるだけだ。

 

 そして、

「お、俺のうつくすィ肉体が……」

 卓越した覇気使いのペップは覇気を纏って黒刀を受け止めようとしたが……

 黒色に染まっていた肉体が肌色に戻り、両断された上半身がずるりと地面に落ちる。即死だった。

 

「ペップゥ―――――――――――――――――――――――――ッ!!」

 コッカの悲愴な絶叫が轟き渡り、

「水は斬れぬ、か。面白いことを言う」

 ミホークはコッカの悲憤を完全に無視して冷酷に口端を歪めた。

「つまらぬ仕事に興が乗った。斬れぬかどうか、その身に教えてやろう」

 

「よくも弟をっ!!」

 殺意と憎悪に相貌を塗り固め、

「テッメーは必ず殺す。絶対に殺す。何が何でもぶっ殺すっ!」

 コッカは迷うことなく切り札を使う。

 

 

「食らいやがれ、コーラ・ザ・グレートツナミッ!」

 

 

 瞬間。コッカの肉体が大膨張した。質量保存の法則なんぞクソ食らえとばかりに、黒炭酸水の大津波と化す。

 大質量の暴虐が荒野に生まれ、死体も岩石も土砂も一切合切区別なく飲み込んでいく。ただでさえ大崩落で弱っていた発掘現場の地盤が、黒い津波の重量と衝撃に耐え切れず崩壊を始めた。

 

 

 

 

 

 突如生じた黒い大津波による地盤崩壊は、大穴の付近にいたロビンとベアトリーゼを真っ先に巻き込む。

 足元から破滅的な鳴動が始まり、

「――やばいっ!」

「! 逃げるわよ、ビーゼっ!」

 ロビンがベアトリーゼを抱き起こして崩落から逃れようとするも、大地の震動が激烈すぎて立つことはおろか四つん這いになることすらできず、視界が大きく上下に揺さぶられる。

 

 そして、足元の地面がばきばきと幾筋も断裂し、

 

 ばがんっ!

 

「きゃあああああああああああっ!?」「ひゃああああああああっ!?」

 2人を土砂と共々地の底へ引きずりこむ。

 

 一瞬の浮遊感。その直後に襲う恐怖の落下。大量の土砂と岩石に呑まれて地底へ落ちていく。

 

「人が死ぬ思いで地上に出たってのにっ!」

 ベアトリーゼは左腕でロビンを抱き寄せ、傍で落ちていく大岩を蹴りつけながら、

「ビーゼッ!? 何する気ッ!?」

「黙って、ロビンっ! 舌噛むよっ!」

 右拳を黒く染めてバチバチと赤い発光電磁気をまとい、土石流へ向けて電磁加速パンチを放つ。

「おんどりゃあああっ!!」

 

 

 

『くたばれ鷹の目ェ―――――――――――――――――ッ!』

 怒り吠える巨大な黒い津波が迫る。

 

 荒野が轟音と共に鳴動し、崩壊を始める。

 

 昆虫面の児童歩兵達が逃げ惑う。

 

 カタストロフ的光景を前に、ミホークは凶暴に微笑む。

 

「愉快」

 世界最強の黒刀が踊り――

 

 破滅を断つ。

 

      ○

 

 水平線へ沈んでいく夕陽が荒野を優しく照らす中、

「あーあ……」

 事の成り行きを監視していたサイファー・ポールの諜報員が唖然として呟く。

 

 荒野に半径数百メートルの大穴が出来ていた。岩盤の崩落に加え、炭酸水の大津波で洗い拭われたことで、地下に眠っていた都市が五〇〇年振りに姿を現して夕陽を浴びている。

 

 破滅的破壊を生き延びた数人の児童歩兵達が茫然と遺跡都市を眺めていた。

 

「とにかく……報告、報告するか……でも……なんて説明すれば良いんだ……?」と途方に暮れる諜報員。

 

 この破滅的光景を生み出したミホークはかすり傷一つ、否、傷どころかマントに濡れ染み一つ負っていなかった。

 愛刀を背中の鞘に納め、ミホークは夕焼けに晒される遺跡都市へ降りていく。

 

 破壊された歴史的街並みに一切関心を向けず、ミホークは半ば崩れかけた屋敷に足を運んだ。

 屋敷の庭先で右腕と下半身を失ったコッカが喘鳴していた。炭酸水化する力も残っていないのだろう。ハラワタと脊椎が露出し、真っ赤な血を垂れ流している。もう助からない。

 

「きたねェぞ飼い犬野郎……“津波を切る”なんざ、でたらめすぎ、るだろ、うが」

「あれがお前達の目的か」

 ミホークはコッカの非難を相手にせず、崩れかけた屋敷の一室――壁が崩れて剥き出しになった寝室へ金色の瞳を向ける。

 

 半ば崩壊し、瓦礫と土砂と炭酸水の泥に塗れた屋敷にあって、寝室だけはまったく無傷で、まったく汚れておらず、屋敷が地下に埋まる以前からまったく変わっていないようだった。

 

 如何なる術を用いたのか、ミホークにも分からない。ともかく、屋敷の寝室だけは五〇〇年前の姿を保っていて――

 天蓋付き寝台の上。乙女が穏やかな面持ちで眠っている。五〇〇年に渡って眠り続けている。

 腐ることも朽ちることもなく眠り続けている。

 

 如何なる事由か理由か眠り姫は彫刻のように蝋化していた。

 地下空間の環境を考えれば、万に一つミイラ化はしても、蝋化はしないはずだが……この世界は不思議と少しの奇跡に満ちている。

 

 寝室のドア傍には傷だらけの直剣を握ったまま横たわる白骨死体が一つ。隙間に除くドアの向こうには数人分の“残骸”。

 五〇〇年前、突如莫大な土砂に呑まれたこの街の、この屋敷の、この寝室で、この天竜人の乙女にどのような物語があったのか、ミホークには知る術もない。

 

 世界最強の剣士であるミホークに分かることは、白骨死体が握る直剣は凡庸なものに過ぎないこと。しかれども、傷だらけの直剣が業物に劣らぬ“誉れ”を宿していることも、分かった。

 

「ふむ。主に穏やかな最期を迎えさせるため、か」

 天竜人はこの世界の人々から恐れられ、それ以上に憎まれ、恨まれている。白骨となった剣士がそのような天竜人を最期まで守らんとした理由は分からない。が、少なくとも剣士は成し遂げた。凡庸な直剣が誉れを抱くほどに。

 

「見事」とミホークは言葉少なに讃えた。

 

 と、

「ちきしょお……あと少しだったのによぉ……恨むぜ、鷹の目ェ。そ、れに、あ、の、くそ、こむ、す、めどもぉ……」

 恨み言を口にしながら、コッカの命が消えた。

 

 ミホークはコッカのことになどわずかな意識も注がず、その死体を視界にも収めず、肩越しに背後を窺い、些かはしたないほどボロボロな姿の乙女達へ、問うた。

「お前達はこの骸を求めるか?」

 

「いいえ」と黒髪碧眼の知性的な乙女が応じた。青い瞳は警戒心に満ちている。

「死体にもあんたにも用はない」

 黒髪碧眼の娘に支えられた、夜色の髪と瞳を持つ小麦肌の乙女が答える。夜色の瞳は戦意を秘めている。

「で、あんたは私達に用があるの?」

 

 ミホークは金色の瞳で2人の乙女を見定め、

「遊興の続きとしゃれ込んでも良いが……」

「あ? いい歳した大人が女の子をイジメる気か?」

「ビーゼッ!?」

 夜色の瞳を持つ乙女が噛みつくように言い返し、隣の黒髪碧眼の乙女が慌てる。

 

「その有様では戯れにもならんな」

 鷹の目を持つ世界最強の剣士は踵を返し、

「遊興は済んだ。良きものも見た。帰って夕餉だ」

 警戒心を隠さずにいる乙女達の脇を悠然と通り過ぎていく。

 

 

 

 去っていくミホークの背中を見送り、ベアトリーゼとロビンはその場にへたり込む。

「……おっかなっ! 怖すぎてチビるかと思った」

「なら、なんで喧嘩売るようなこと言うの……」

 ロビンは疲労感をたっぷり込めた溜息をこぼし、眠り姫へ目線を向けた。

「……彼女、どうしましょうか?」

 

「鷹の目へ言った通りさ」ベアトリーゼは疲れ顔で「ロビンはどうしたい?」

「望みの物は手に入れたわ。ここにもう用はない」

 眠り姫から視線を切り、ロビンは黄昏を見上げる。

 

「帰りましょう」

 




Tips
 鷹の目ジュラキュール・ミホーク
 原作キャラ。世界最強の剣士。謎めいたイケオジ。原作を読む限り、意外と気さくな人かもしれない。

 コーラ・ザ・グレートツナミ。
 コーラは炭酸飲料の王様だから、最大奥義は当然コーラ。

 眠り姫
 厳密には死蝋化も生前の姿を保つわけじゃないが、まあ、演出の都合ということで。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12:狩りの計画。もしくは謀略。

 月光が注ぐ遺跡都市で、密やかに招集されたサイファー・ポールの諜報員達がフランマリオンの眠り姫を連れ帰るべく、黒檀製の瀟洒な棺へ丁重に納めていく。

 最後に蓋が閉じられる直前。

 

「待て」

“ジョージ”が作業を止めた。ドア傍の白骨死体から直剣を取り、棺へ納めて乙女に抱かせる。

 

「……よろしいので?」

「構わんさ」

 銀の煙草ケースを取り出し、“ジョージ”は紙巻煙草をくわえてマッチで火を点す。

 蓋が閉じられ、“神”の遺体を納めた棺が慎重に運ばれていく。仰々しいほどの煙を吐き出し、諜報員へ問う。

「数字は?」

 

 諜報員は小さく鼻息をつき、どこか非難がましい声音で応じる。

「敵も味方も生きている人間を数えた方が早いです。ヌーク兄弟海賊団と奴らに囚われていた奴隷の生き残りは合わせて10名前後。ヌーク兄弟は死体を確認してます。こちらの “傭兵達”は生存が重軽傷15名。他は死んだか、助かりません」

 

「そうか」

 紫煙をくゆらせながら“ジョージ”は興味無く応じ、踵を返す。

「次はニコ・ロビンだな」

 

「マーケット内で捕縛はしないのでは?」

「ああ。マーケット内ではしない。娘一人のためにマーケット内に構築した諜報網を台無しにしたくないからな」

“ジョージ”は煙草から灰を落とし、どうでも良さそうに言った。

「だから、小娘達が海に出たら動く。2人とも能力者だ。泳いで逃げることも出来ん」

 

 なるほど、と諜報員は首肯する。

「しかし、上手くいきますかね? ニコ・ロビンもベアトリーゼも手強いですよ?」

 

「上手くいかなくとも構わん。海上に出てしまえば、海軍の管轄だ。失敗に終わっても泥を被るのは我々(サイファー・ポール)ではない」

 さらりと言い放つ“ジョージ”に、諜報員は感じ入ったように大きく頷く。

「流石」

 

     ○

 

 

 

 

 空高くに昇った太陽が燦々と輝き、マーケットは今日も乾いた暑気に満ちている。

 昨夜、発掘現場から安宿へ帰還後、2人は心身の疲弊から入浴すら忘れて(乙女にあるまじきことだ)昏倒するように眠りこけてしまった。幸い、部屋へ海軍や賞金稼ぎが乗り込んでくることもなく、2人はたっぷりと睡眠を貪り、起床後にゆっくりシャワーを浴びることが出来た。

 

 まあ、ベアトリーゼは眠り過ぎてしまったことに『気を抜いたっ! 抜いてしまったっ! ダサッ! 私ダサ過ぎッ!!』と肩を落としていたが。

 

 ともかく昼を過ぎた頃、紙袋を抱えたベアトリーゼは密やかに尾行が無いことを確認しつつ安宿へ戻り、借りた部屋に入る。

 ツインベッドのしょぼくれた部屋で、ロビンがキャミソールと短パンというルーズな姿で読書していた。艶めかしい肢体のあちこちに擦り傷や切り傷や打ち身の痣が出来ている。

 

 

 書物から顔を上げ、ロビンはベアトリーゼへ告げた。

「お帰り」

 

「食べ物と医薬品を買ってきたよ」

 ベアトリーゼは紙袋を卓に置き、軽食と医薬品を並べていく。

「先に手当てを済ませよっか」

 

 というわけで、美貌の乙女達が化膿止めを塗り合いっこし、絆創膏を貼り合いっこする。

 ロビンの艶めかしい柔肌に走る細かな傷に化膿止めを塗り込み、ベアトリーゼは小さく唸った。アンニュイな双眸に微かな羨望を滲む。

 

「ロビンは肌が綺麗で良いなぁ……」

 地獄の底みたいな土地でネズミ同然の幼少期を過ごし、ドンパチチャンバラを生業としてきたため、ベアトリーゼの身体はあちこちに傷痕がある。特に両手は傷痕とタコだらけ。

 

「ビーゼの肌だって十分綺麗よ」

 お世辞ではなく本心から告げ、ロビンはベアトリーゼの小麦肌へ絆創膏を貼っていく。確かにベアトリーゼの身体は傷痕が少なくない。が、肌はきめ細かく滑らか。無駄なく鍛えられた体つきはアスリート的健康美に満ちている。

 

 乙女2人が手当てを済ませ、遅い昼食を始めた。

 ハムとチーズと新鮮な野菜をたっぷり挟んだ大きなバゲットサンドウィッチ。フライドポテトとチキンナゲット。

 表から届く喧騒をBGMにして、ロビンは上品に、ベアトリーゼは心底美味そうに食べていく。バゲットサンドウィッチを齧り、ポテトとナゲットを摘まみ、濃いめの紅茶を呑む。

 

 食事の手を止めず、2人は昨日の“冒険”について語り合う。

 地下遺跡のこと。二度の大崩落のこと。児童歩兵。鷹の目。眠り姫。

 一通りの話題をバカ話のように語り、大きなバゲットサンドウィッチをお腹に収めた。

 

 ロビンが紙ナプキンで口元を拭って、言った。

「手に入れた資料の精査と研究のために少し腰を据えたいところね」

 

「少しの間なら、ここに滞在しても良いと思うよ」

 ベアトリーゼは冷めたポテトを摘まみながら応じる。

 

 当初のプランでは冒険家ハッチャーの日誌を確保し次第、マーケットを離れる予定だった。しかし、トンズラを図っていた最大の理由――ヌーク兄弟の追跡が無くなった今、政府や海軍の追手が迫らない限り、慌ててマーケットを離れる理由はない。

 

 そして、ヴァイゲル草稿とハッチャー日誌を入手した今、ロビンは内容を精査し、研究する場所と時間を欲していた。そういう意味では、政府や海軍が大きく動けないマーケットは都合の良い場所ではある。

 

「ただ……」ベアトリーゼは窓の外へ顔を向け「私らへ熱い目線を寄こしてる奴らが居ない訳でもないから、長居はお勧めしないね」

 見聞色の覇気を微かに用いて半径数百メートルを探れば、幾人かこちらを窺っている。政府の犬か賞金稼ぎか海賊か。

 

 暗橙色のスリムパンツに包まれた美脚を組み、ベアトリーゼは続ける。

「いつでも40秒で逃げ出せる備えをしている限りは、ロビンの望む通りにして、ええで?」

 

「その語尾はやめて」

 ロビンは微苦笑し、少し考えてからベアトリーゼに問う。

「私が作業をしている間、ビーゼはどうする?」

 

「んー……番犬らしくロビンの傍に控えてるだけでも良いけど……」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で頬杖を突く。

「この街には面白そうなものが多いし、なんか探してみるかな」

 

      〇

 

 海軍元帥“仏”のセンゴクは時折、自らの役職がしがない中間管理職のように思える。

 世界秩序を守る最大戦力のトップであるにも関わらず、世界政府の無茶振りや天竜人のクズ共に悩まされ、善意的に表現して『個性豊かな』部下達の振舞いや突き上げに苦労させられ。

 元帥なのに、在り方は中間管理職そのものだ。元帥なのに。

 

「溜息なんぞついてどーした。幸せが逃げるぞ」

 元帥執務室の応接ソファにふんぞり返る大柄な初老男性が、バリボリとおかきを齧りながら言った。

 

「お前には想像もつかん悩みだ、ガープ。それと、堂々と仕事をサボった挙句、私のおかきを勝手に食うな」

 センゴクは豪快な鼻息をついて緑茶を口に運ぶ。既に大分ぬるくなっていた。切ない。

 

 湯呑を執務机に置き、センゴクはおもむろに口を開く。

「マーケットでサイファー・ポールが天竜人の遺骸を確保した件は聞いているな?」

 

 海軍本部中将“英雄”モンキー・D・ガープは『天竜人』という単語を耳にした瞬間、顔を仰々しいほど盛大に歪めた。

「くそったれのフランマリオン家の縁者だとかいう話じゃろ? あのアホッタレ共め、500年も前からろくでもないことしとったんじゃなぁ」

 堂々と悪態を吐き捨てるガープ。

 

 センゴクは頭痛を覚える(その物言いが出来ることに羨望も幾らか抱いていたが、表には出さない)。

「そういうことをデカい声で言うな」

 

「お前だって思ってるくせに」と悪戯小僧のように笑うガープ。

「デカい声で言うな」

 センゴクは顔をしかめつつ、すっかり冷めてしまったお茶を口に運ぶ。

「それでな。サイファー・ポールからの要請でフランマリオン家の遺骸をマーケットからマリージョアへ移送することになったんだが」

 

「お」ガープが楽しそうに「マーケット行きか。構わんぞ。あそこぁ面白ェもんが山ほどあるからな」

「あんなデリケートな場所にガサツなお前を送り込めるかっ」センゴクは眉間に深い皺を刻む。

「ケチ臭いこと言うのぉ」と拗ねる初老大男。

「お前があそこで暴れた後、しばらくコング元帥が胃痛と脱毛に悩まされたんだぞっ!」

 

 マーケットでは世界政府だけでなく海軍やサイファー・ポール、世界政府加盟国の『密やかなビジネス』が行われている。そんな場所で大暴れすれば、当然ながら表に裏に大問題となるわけで。時の海軍元帥だったコングは苦情の大嵐を浴びる羽目に。

 

「おー? あー、あったあった! そんなこともあった! いや、懐かしいのぉ、ガハハハッ!!」

 野武士のように大笑いするガープ。上司の苦労を屁とも思っていない笑い声であった。

 

「……ともかくな、マーケットに『迎え』を送ることになったんだが」

 苦虫を嚙み潰したような顔のセンゴクが、真剣な声音で続ける。

「どうにも怪しい」

 

「あン?」と片眉を上げて訝るガープ。

「マーケットのケースオフィサーは移送任務に本部付き艦隊を寄こせと抜かしてきた」

「本部付きの艦隊を?」

 センゴクの言葉に、ガープはますます怪訝そうに眉根を寄せた。

 

 海軍本部付き艦隊はいずれも精鋭揃い。“雑用”なんぞに駆り出して良い艦隊ではないし、今年は世界会議を控えているため、むしろ各支部から人手を抽出して再編成中だった。

 

「……そのケースオフィサーって誰じゃ?」

「“ジョージ”と名乗っている。お前も覚えがあるだろう?」とセンゴク。

 

 ガープは脳裏に“ジョージ”の面を思い浮かべ、不快そうに顔をしかめて吐き捨てた。

「あの腹黒狸か。政府のボケ共やマリージョアのクズ共とは別方向のロクデナシじゃ。要請なんぞ無視しちまえ」

「そういう訳にもいかん。正規の手続きを踏まえての要請だ。無視は出来ん」

 センゴクは顎を撫でながら思案し、

「――となると誰を送るか、だが……まずサカズキはない。政府にマーケットへの派遣を禁じられている」

「サカズキがあそこに行ったら問答無用で丸焼きにしちまうだろうからな」とガープが鼻をほじりながら首肯した。

 

 海軍大将“赤犬”サカズキは『正義』の名の下、避難船すら撃沈する男だ。政府や海軍などの『密やかなビジネス』が行われているマーケットとて躊躇なく焼き払うだろう。だからこそ政府も海軍もサカズキへマーケットに近づくことさえ禁じていた。

 

「何も将官を送り込まんでも。死体の運搬なんぞ佐官の小戦隊で構わんだろ」

「“ジョージ”絡みだ。せめて将官の分艦隊を送りたい。マーケットというデリケートな現場を考えると政治的判断を下せる器量も欲しいところだ」

 

「面倒臭いのう。ぱぱっといってちゃちゃっと引き取ってくりゃあええじゃろう。なんなら、わしが行ってやろうか?」

「マーケットに行って遊びたいだけだろう。却下だ」

 再びバリボリとおかきを齧り始めたガープを睨みつけ、センゴクは溜息を吐いた。

「……ここはおつるちゃんに頼むか」

 

「おつるちゃんはドフラミンゴに睨みを利かせとるだろ」

「いや、今はレヴェリーに合わせて再編成中だ。確認の必要はあるが都合が付くかもしれん」

 センゴクは冷たくなった御茶を飲み干した。

「問題はどうやっておつるちゃんを説得するか、だな……」

 

       ○

 

「あら。どうしたの、それ」

 ロビンが興味深そうにベアトリーゼの手元へ視線を注ぐ。

 

「露店のオヤジの口車に乗せられちゃったよ」

 買い出しから戻ってきたベアトリーゼは、B5判くらいのスケッチブックと絵具セットを持ち帰ってきた。

「手持無沙汰に散歩してたら、絵でも描いてみたらって」

 

「良いと思うわ」ロビンは微笑んで「ところで、ビーゼは絵心あるの?」

 

「落書きすら描いたこともねえです」

 ベアトリーゼは何とも言えない顔つきで応じた。

 今生はもちろん前世でも絵なんて学校の美術の授業でしか描いた覚えがなく、そして別段上手くなかったように思う。

 

 ともあれ、ベアトリーゼがスケッチブックに鉛筆を走らせてロビンの似顔絵を描いたところ……

 ロビンはしげしげと自身の似顔絵を見つめ、うん、と小さく頷いてから感想を述べる。

「前衛的な表現というか、大胆な筆致というか、アバンギャルド的?」

 

「無理に褒めようとしないでよ……いっそのこと下手と断じて欲しい……」

 ベアトリーゼはいつも物憂げな顔をげんなり顔に変えつつ、鉛筆をくるりくるりと指の間で踊らせた。

「まあ、とりあえず文明的かつ文化的な趣味として続けてみようかな……そのうち他人様に見せられる程度にはなるだろ……多分」

 

「前向きで良いと思うわ」

 くすりと控えめに微笑んだ後、ロビンは顔を引き締める。

「街の様子は?」

 

「ロビンの目と耳が捉えた通りだよ」

 買い出し袋から桃を一つ取り出し、ベアトリーゼはナイフで皮剥きを始めた。ちなみにこのナイフは白兵戦用で実際に幾度か敵の血を吸ったことがある。

「私らのことを探ってる奴らが少しずつ増えてきてる」

 

 皮を剝いて切り分けた桃をロビンに勧めるも、ロビンは小さく肩を竦めて遠慮した。ベアトリーゼは桃を口に運びつつ、言葉を編む。

「このままマーケットに留まり続けるなら、セーフハウスをいくつか用意した方が良い。もしくはこの島を離れるか」

 

「……もう少し時間が欲しいわね」

 ロビンは読みこんでいた古書を突く。

 わずか数日で古書店街の常連になりつつあり、資料が10冊近く増えていた。まあ、流石にポーネグリフ関連の物はなかったが。

 

「この島を離れる段取りだけはつけておいた方が良いけど、状況が許す限りは留まっても構わないと思うよ」

 ベアトリーゼは桃を摘まみながら夜色の双眸をアンニュイに細めた。

「ところで、桃は本当にいらない? 美味しいよ?」

 

「その気持ちだけで充分よ、ビーゼ」

 ロビンは柔和な笑顔で断る。

 人間の喉笛を裂き、心臓を抉ったナイフで剥いた桃は、気分的に食べたくない。

 

 こういうところはズレたままなのよね、とロビンは心の中でぼやいた。

 




Tips
センゴク
 原作キャラ。海軍の偉い人。作中屈指の苦労人。元帥なのに・・・

ガープ。
 原作キャラ。べらぼうに強い爺様。
 ぶっちゃけ海軍より海賊やってる方が似合う。倅が革命家、孫が海賊。ガープの父親がどんな人だったか気になるところ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13:狩られる立場へ

 ベアトリーゼは安宿の部屋の窓辺に座り、煩雑で雑多で活気と熱気と暑気に満ちたマーケットを眺めながら、スケッチブックに鉛筆を走らせて写生していく。

 

 一言で言って、下手だ。

 遠近やらパースやら等身やら何やら狂いまくっていて、なんとも稚拙だった。

 しかし、ベアトリーゼの視点に映る光景の要点――街区の要所は全て紙面に描かれていた。つまり、風景画としては赤点だが、斥候が描いた写景図としてはアリだ。

 地獄の底みたいな故郷を出てもなお、ベアトリーゼの根幹は荒野で生きてきたネズミのままであり、ウォーロードに飼われた狗のままである証左。

 

 写生を終えたら、スケッチブックのページをめくる。見聞色の覇気で書き上げた街区図のページを開き、幾度か写景図を描いたページと行き来してから赤鉛筆で丸印を書き込んでいく。

 書き込みを済ませた後、ここ数日で調達したマーケット各港の出航予定表を確認。

 

 ベアトリーゼは思案する。

 この島から高飛びするなら、4海か“楽園”内の島々を向かう船が良い。海軍本部や聖地、四皇の縄張りがある新世界方面へ行くことは避けたい。

 それと、そろそろ懸念すべきことが一つ。

 

 ニコ・ロビンの“物語”だ。

 ロビンは“砂怪人”と組んでアラバスタ王国転覆計画に関与した末、主人公一味に加わる。

 問題は、うろ覚えに加えて熱心な原作ファンでもなかったため、ニコ・ロビンがいつ頃、“砂怪人”と組んでアラバスタ王国転覆計画に関わるのか、ベアトリーゼには分からないこと。

 

 そして、自分という異物が原作へどういう影響をもたらすか。

 どこかで“砂怪人”と出会った時、原作通りにロビンは“砂怪人”の傘下に入るのか、あるいは原作と違って物別れするのか。前者の場合、自身も“砂怪人”の傘下に入るのか。

 

「ケ・セラ・セラ」

 なるようになるさ。

 

「どうかした?」とロビンが資料から顔をあげて尋ねる。

「そろそろ昼飯だなって」

 ベアトリーゼはスケッチブックを閉じ、ロビンへ提案した。

「ここ数日籠りっぱなしだったし、外へ食べに行こうよ」

 

 ロビンは少し考え込み、首肯した。気分転換も悪くない。

「そう、ね。うん。そうしましょうか」

 

「何を食べようか」ベアトリーゼは腰を上げ「肉か魚。米かパンか麺類か」

「通りを回ってみて、ピンと来たところへ入るのはどう?」

「クールなアイデアだね」

 ロビンの提案にベアトリーゼは満足げに微笑んだ。

 

      〇

 

 昼飯時。良好な天候の下、軍船が少しずつマーケットの近海に集結し、群れを形成していく。

 群れの頭目を担う者は海軍本部中将“大参謀”つる。上品に齢を重ねた老貴婦人だ。『正義』の将官コートを羽織る背筋はぴんと伸びており、歳を感じさせない。

 

「面倒な仕事を押し付けられたもんだね」

 つるは苛立たしげに鼻を鳴らした。

「天竜人の古い遺骸の運搬ってだけでも気が滅入るのに、マーケット近海で捕物をしろだって? 蜂の巣の前で火遊びしろってのかい、まったく」

 

 マーケットは完全なる自由市場。表裏を問わぬ取引が行われている関係で『裏』の人間が大勢出入りしている。そんなところの傍で海軍が作戦行動を取ったらどうなるか。

 脛に傷がある連中や悪党共が早合点して暴れ出しかねない。なんたって悪党は大概が短慮で短絡的なバカばかりなのだから。

 

「しかも、標的が『悪魔の子』? とんだ厄ダネじゃないか」

 十数年前にバスターコールで滅ぼされたオハラの遺児にして、世界でただ一人の古代言語解読者。その“真の価値”を知る者にとって、海軍や政府を敵に回してでも手中に収めたいと考える。

 不味いことに、マーケットには、ニコ・ロビンの持つ“真の価値”を知る者が少なくない。

 面倒な事態が約束されているようなものだ。

 

「それに、今のニコ・ロビンにはとんでもない番犬がついてるものねぇ」

 デッキの一角に安楽椅子を据え、暢気にくつろぐ大男が言った。

「ダラケてんじゃないよ、クザン。海軍大将らしくピシッとしな」

 

 周囲が思わず背筋を伸ばすようなつるの小言を浴びても、海軍大将“青雉”クザンは小さく肩を竦めておどけるのみ。中将が大将を叱りつけるという軍隊の階級制度と組織秩序への挑戦とも言える行為だが、叱られた当の大将閣下自身が肩を小さく竦めるだけだった。

 

「いやいや、ここはおつるさんの艦隊だろう? 俺ぁ居候らしく端っこで目立たないようにしてるよ」

「……一遍、海軍軍人として教育し直した方が良さそうだね」とつるの叱責が続く。

「勘弁してくれ、おつるさん。俺ぁ物覚えが悪くて座学の成績が悪かったもんだから、えらい苦労したんだよ?」

「あんたの成績が悪かったのは、物覚えが悪いんじゃなくて居眠りばかりしてたからだろ」

「そういう見方もある、かもしれないなぁ」

 

 しれっと宣うクザンに、つるは不出来な倅を見るような目を向けた後、真剣な顔つきで問う。

「……正直に答えな、クザン。ここにはニコ・ロビンを捕らえに来たのかい? それとも、ベアトリーゼを排除しに来たのかい?」

 

 それは、同じことのようで大いに異なる。

 

 海軍大将“青雉”クザンにとって、オハラの一件は心に突き刺さった長く鋭い棘だ。

 女子供に到るまで虐殺される様を目の当たりにし、親友をこの手で殺した。この事実を何も感じずに受け止められるほど、クザンの人間性は萎れていない。

 

 一方で、オハラの学者達に同情も憐憫も寄せていない。

 連中は『知りたい』という欲望のままに政府が調査を禁じた歴史へ手を出した。そこに悪意の有無など関係ない。やるなと言われたことを確信犯的に行い、罰を受けた。それだけだ。これほどの惨禍を招くとは考えていなかった、というのは甘えに過ぎない。クザンは修羅場を重ねた海軍軍人らしい冷徹さを備えている。

 

 であるからこそ、クザンはニコ・ロビンを気にかける。

 親友が命を懸けて守り通したオハラ唯一の生き残りが、どのように生きていくかを。

 

 そして、現状を評価するなら。

 あまりよろしくない生き方を歩んでいる、と断じざるを得ない。

 

 無理もない。とクザンの甘い部分が溜息を吐く。世界から敵視された幼子が穏やかに生きられるわけもなく。それでもなお、生きようと足掻けば、泥水を啜って生きるしかなく……その生き方を彼女へ科したのは世界に他ならない。

 

 ――だからって、選んだ拠り所が血生臭すぎないかね……

 

 クザンは心の中でぼやく。

 ニコ・ロビンは4年ほど前から“血浴”のベアトリーゼと組んでいた。

 

 そのベアトリーゼは軽く調べただけでも眩暈を覚えるほど危険な女だった。

 この世の地獄みたいな“あの島”の出身者で、不可解な悪魔の実の能力者で、優れた覇気使い。何より、殺すために生まれてきた(Born to Kill)ような女。

 西の海でベアトリーゼはギャングやマフィア、悪党や群盗海賊を散々に襲い、奪い、殺している。血浴の異名もその凶悪無比な強盗殺人が由来だ。

 

 生き残り曰く――ベアトリーゼは美しい冷笑を湛え告げたという。

『お前らみたく酷い目に遭っても司直に助けを求められない悪党はな、私にとって“美味しいカモ”なんだよ』

 

 賞金稼ぎや海軍だって邪魔なら躊躇なく排除する。蛮地出身のベアトリーゼの人生観において邪魔臭い奴をぶちのめし、ぶっ殺すことは当然のことだからだ。堅気でもニコ・ロビンや自身へ危害を加えようとしたなら、容赦しない。

 

 しかし……ベアトリーゼと組んで以来、ニコ・ロビンが潜伏することで民衆へ被害が及ぶことが激減したことも事実。

 つまるところ、余計な手出しをしなければ、今のニコ・ロビンとベアトリーゼはピースメインと言えよう。あまりに血生臭いピースメインだが。

 

「どうなんだい」

 つるに問われ、クザンは意識を内側から戻して小さく頭を振った。

「仕事の邪魔はしないよ、おつるさん。だらけちゃあいるが、俺も背負った正義に嘘はつかないさ」

 

      〇

 

「海軍が集結を完了したそうです」

 諜報員の報告に、

「そうか」

“ジョージ”は紙巻煙草をくわえ、ライターで火を点し、ゆっくりと煙を吐き出してから、告げた。

「猟犬達を放て」

 

      〇

 

 マーケット内で暖簾を構えるその食堂は家庭的な小店。店の内外に並ぶ丸テーブルや椅子はいずれも使い込まれており、経年劣化した色合いの漆喰壁には水彩の風景画がいくつか飾られていた。

 

 出される料理はオリーブオイルとニンニクとハーブを用いた、いわゆる南仏系料理。

 ベアトリーゼとロビンの卓にも、オシャレな皿に盛られたオシャレな料理をオシャレな白ワインと共に頂くオシャレなランチ。

 濃厚なパテのトマト詰め、魚介たっぷりのブイヤベース、ほかほかの自家製パン。

 

「美味しい。とっても美味しい。すっごく美味しい」

 ベアトリーゼはニコニコと幸せそうに微笑みながら魚介を食らい、パンをブイヤベースに浸していただく。

「ええ。美味しいわね」

 ロビンも和やかな面持ちで舌鼓を打っている。

 

 そうしてオシャレな料理を食べ終えたところへ、ミルクティーとベリー・テリーヌが届く。

 

 イチゴとブルーベリーのテリーヌを前に表情を柔らかくした直後、ベアトリーゼは眉間に皺を刻んだ。

「……デザートを済ませるまで待てないなんて、野暮の極みだ」

 

 ロビンもベアトリーゼの様子から状況を察し、残念そうにデザートを見下ろす。

「とても美味しそうなんだけれど……残念ね」

 

「本当だよ」ベアトリーゼの夜色の双眸が不機嫌そうに歪み「デザートを邪魔するとか、許されざる凶悪犯罪だよ。非人道的所業だよ」

 

「……マーケットに居られるタイムリミットが来た、と見るべきでしょうね」

 ロビンはナプキンで口元を拭い、

「ルートと無賃乗船する先は選んである。宿まで行って、荷物を持って、この島からおさらば」

 ベアトリーゼはフォークを置いて、

「行くよ」

「ええ」

 ロビンが首肯した、直後。

 

 通りを行き交う人々の中から、複数人の男女が次々と銃や刀剣類を抜き、料理店へ殴り込む。

「悪魔の子ニコ・ロビンは生け捕りだっ! 血浴のベアトリーゼは殺しちまえっ!」「合わせて1億3千万っ! 絶対に逃がすんじゃあねェぞっ!」「やったれやぁっ!!」「うぉおおおっ!!」

 

 雄叫びを上げて賞金稼ぎ達が殴り込んできて堅気の店員と客が吃驚と悲鳴を上げ、

「美味い飯を食わせてくれた店を血で汚したくないから、命は()らないであげよう」

 ベアトリーゼが小麦肌の物憂げ顔に冷酷な微笑を浮かべた。

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)双掌打(ドッペルト)ッ!!」

 

 ずがん

 

 通りに面する店の壁と窓が吹き飛び、粉塵が漂う中、血達磨になった賞金稼ぎ達が路上に転がっていく。

 通りが丸見えになるほど大穴が開いた壁を前にし、客達と店員が慄然と、店主が唖然と白目を剥いている。

 

 手で粉塵を払い除けながら大穴から店外に出て、ロビンが呟く。

「……血で汚した方が、このお店にとってマシだった気がするわ」

 

「ん。ちょっとやりすぎたとは思う」

 ベアトリーゼはロビンに続いて大穴から通りに出る。

「それじゃ、屋上伝いで一直線に行こうか」

 

「狙撃されない?」

「されるよ。でも私が防ぐから問題ないね」

「頼もしいわね。それじゃ、まずは屋上へ上がりましょうか」

 ロビンがたおやかな両腕を交差させ、ハナハナの実を用い、生じさせた腕でワイヤーアクションのように屋上へ移ろうとする。

 

 も、

「ここは私にお任せ」

 ベアトリーゼがロビンの腰に腕を回して抱きよせ、能力を発動。

「? ビーゼ、何を――」

 ロビンの疑問が発せられるより先に――

 

 ずどん

 

 ベアトリーゼは両足の下で超高速大気振動を招じさせ、強烈な衝撃波を放つ。瞬間、乙女2人がロケットのように空へ打ち上がった。

なお、通りの人々や大穴の空いた料理店は余波を浴び、散々な目に遭った。御愁傷様。

 

「んんんんんんんん~~~~~っ!!」

「ははは~っ!」

 重力を蹴り飛ばす強烈な加速荷重に、ロビンの口から艶っぽい苦悶が漏れ、ベアトリーゼはジェットコースター的スリルを楽しんで笑う。

 

 数十メートルほど急上昇したところで運動エネルギーが尽き、マーケット上空に浮かぶ2人は引力に足を引っ張られた。位置エネルギーが落下の運動エネルギーに転換され、自由落下していく。

 

「んんんんんんん~~~~~~っ!!」

「ひゃ~っ!」

 発掘現場での大崩落を思い出して生物本能的苦悶をこぼすロビンと、バンジージャンプ的スリルを愉しんで笑うベアトリーゼ。

 

 眼下からパンパカパンパカと銃声が響いて銃弾の群れが飛来するも、偏差射撃が出来る輩がいなかったらしく、弾丸は一発も2人を捉えない。

 ベアトリーゼは落下しながらロビンをお姫様のように横抱きし、コンクリ製建物の屋上へ滑らかに着地。ロビンを丁寧におろして、アンニュイ顔をにやり。

「楽しかった?」

 

「ビーゼのおかげで甲板に叩きつけられたクラゲみたいになるかと思ったわ」

 乱れた髪を手櫛で直しつつ、さらっと毒舌を吐くロビン。

「このまま屋上伝いに?」

 

「ん。隣の建物へ跳び移りながら、ひたすら走る」

「そう……通りを飛び越える時は私の能力を使うわよ」と真顔で告げるロビン。青い瞳が怖い。

「? ? ? 何で怒ってるの?」ベアトリーゼは困惑しつつ「あ、デザート食べられなかったから?」

 

「……ビーゼ。後で“話し合い”ましょう」

「!? なんで?」

 ロビンにお説教を宣言され、ベアトリーゼが目を瞬かせた。

 

 と、そこへ銃弾が飛んできた。どうやら賞金稼ぎ達が追いついてきたらしい。通りや建物の下から怒号と罵声が近づいてくる。

「とりあえず行こう」

「ええ」

 

 乙女2人が駆けだす。

 この日、マーケットの賑わいは少々騒々しいものになっていく。

 




Tips

つる
 海軍中将で”大参謀”の二つ名を持つ老婦人。若い頃は正統派美女だった模様。
 ウォシュウォシュの実なる能力者だが、原作でその戦闘描写がないため、さっぱり分からぬ。

クザン
 海軍大将で青雉と呼ばれる松〇優作。氷の能力者。

特殊タグ。
 初めて使ってみた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14:冴えたアイデア

「八輪咲き――クラッチッ!」

 ロビンのハナハナの実が猛威を振るう。ボキボキと骨が砕ける音色とバチンバチンと腱が断裂する音色が奏でられ、賞金稼ぎ達が絶叫しながら崩れ落ち、激痛にのたうち回る。

 

 それでも頸椎をへし折られて殺されなかっただけマシかもしれない。

 あるいは、ロビンに倒されて幸運だったかもしれない。

 

 ベアトリーゼの相手をしてしまった者達は、もっと悲惨だったから。

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!」

 

 武装色の覇気をまとい、覇気と周波数振動を秘めた黒拳はあらゆるものを破壊し、破砕する。

 分厚いコンクリ壁だろうと、鍛えられた筋肉質な人体だろうと、お構いなしに。

 飛散する瓦礫片が散弾のように賞金稼ぎ達を薙ぎ払い、黒拳の直撃を浴びた賞金稼ぎが爆散して血肉をまき散らす。

 色気を漂わせる物憂い顔を湛え、ベアトリーゼは容赦なく躊躇なく命を破砕し、周囲を鮮血で真っ赤に染め上げていく。

 

 その凄惨な光景に荒事慣れした賞金稼ぎ達すら怯え竦む。

「ば、ばけもんだぁっ!」「5千万ベリーの強さじゃあねえぞっ!」「海軍の奴ら適当な賞金つけやがってっ!」「割に合わねえっ! 逃げろぉっ!!」

 

 逃げ出していく賞金稼ぎの背中を見送り、ベアトリーゼは革製の長手袋を軽く振るって血を払い落とす。

「とりあえず“第一陣”は撃退したね」

 

「第一陣?」とロビンが訝る。

「賞金稼ぎ共の数が多すぎるし、数のわりに雑魚ばかりだ。きっと誰かが旗を振ってるんだよ。こういう場合、バカアホマヌケの物量でこっちを疲弊させてから、腕の立つ本命を当ててくる」

 故郷での経験談から状況を類推するベアトリーゼ。

 

「つまり、私達を狙った狩りね」

 ロビンは繊細な美貌を強張らせた。

「なら、旗振り役は……サイファー・ポール辺りかしら」

 

「多分ね」ベアトリーゼはさらりと認め「自前の諜報員じゃなくて賞金稼ぎ共を踊らせてる辺り、性格が悪い。きっと陰険で友達のいない奴だよ」

 悪態をこぼしつつ、ベアトリーゼは思案する。

 

 こちらを探っていた連中はある程度捕捉していたけれど、まさかこれほど大勢動員していたとは。完全に想定を覆された。

 相手は陰険なクソ野郎だけど、手際が良い。このまま島を脱出しても、海上で網を張っている可能性が高い。海軍、それも本部将官クラスを用意しているかもしれない。

 戦闘力に自信はあるけれど、逃げ場のない海上で本部将官クラスの手練れと戦って、必ず勝てるとは言い切れない。

 

 ――不味いな。詰み掛けてる。

 

「ビーゼ? どうしたの?」

 鋭敏なロビンはベアトリーゼの微細な変化を見逃さない。

 

 ベアトリーゼはいつものアンニュイ顔に柔らかな微笑を湛えた。

「ロビン。出会った時に約束したよね。ロビンが諦めない限り、守り続けるって」

 

「? ビーゼ?」

「ロビンが世界の脅威であり続ける限り、私はロビンを守り続ける。私は常々、世界政府や海軍に吠え面を掻かせたいと思ってるからね」

 

 ロビンは顔を蒼くして相棒を凝視する。

 小麦肌の秀麗な顔に浮かぶ優しい笑みは、故郷で死に別れた巨人の親友に酷似していて。だから、ロビンはベアトリーゼがこれから何をしようとしているのか、即座に察することが出来て。

「ダメよ。絶対にダメ」

 

 ロビンは顔を強張らせ、恐怖を吐き出すように言った。

「一緒に脱出するの。これまでそうしてきたでしょう。私達なら出来るわ。だから」

 

「諦めてなんかないよ、ロビン。私は荒野でドブネズミみたいな人生を送ってきたけど、諦めた事だけは無いんだ」

 ベアトリーゼは失うことへ怯えている親友をあやすように、

「私はロビンを必ず守るし、私自身も必ず生き延びる。だから、私達がこの島を脱出するにあたって一番確実な手段を採るんだよ」

 繊細な美貌を歪めているロビンの頬に手を添えて優しく、励ますように告げる。

「大丈夫。上手く行くよ」

 

      〇

 

「いくらか想定外の海賊共が“狩り”に加わっているようですが」

「かまわん。賞金稼ぎ達ではなく、海賊がニコ・ロビンを確保してもいいし、ベアトリーゼを殺してもいい。いずれにせよ、あの2人がマーケットに留まれなくなった時点で、狩りは半ば成功している」

“ジョージ”は数本目の煙草をくわえ、火を点す。

「後は海軍の責任だ。成功しようと失敗しようと関係ない」

 

 紫煙をくゆらせる上司を横目に、諜報員は思う。

 この人は性格が悪い。

 

      〇

 

 安宿の一室が爆散し、大量の粉塵が立ち昇り、瓦礫が通りに降り注ぐ。

 加えて、安宿内に突入した賞金稼ぎ達が肉塊となって通りに落ちてきて、血肉をまき散らす。

 

「きゃああああああああっ!」「血浴の仕業かっ! あのメスガキャアッ!」

 通行人達の悲鳴と安宿を包囲する賞金稼ぎ達の怒号が轟く中、乙女が屋上に姿を見せた。

 

 小麦色肌のアンニュイな美貌。癖の強い夜色のミディアム。気だるげな相貌に宿る暗紫色の瞳はどこまでも冷たい。

 しなやかな長身を暗橙色の皮革製タイトジャケットとスリムパンツを包み、メタル入りのニーブーツとロンググローブ。鈍色の短外套をまとい、背中にバックパックを担いでいた。

 暗緑色の外套を羽織り、フードを目深に被った長身の女性を抱きかかえている。

 

「ベアトリーゼだっ! ニコ・ロビンも一緒だぞっ!」と賞金稼ぎが屋上を指して怒鳴った。

 

 直後。

 ベアトリーゼの足元が爆発し、安宿の屋上を半ば崩落させながら、乙女達が一気に飛び去って行く。

 

「飛びやがったっ!」「港に向かってるぞっ!!」「追えっ! 逃がすなっ!!」

 賞金稼ぎ達が大騒ぎしながら、飛び去っていったベアトリーゼ達を追いかけていく。

 

 殺気だった喧騒の最中、粉塵漂う安宿の裏手から、長髪の眼鏡美人が密やかに立ち去っていった。

 

      〇

 

 戦闘機や対地攻撃機の超低空飛行を地表追随飛行(ナップ・オブ・ジ・アース)という。

 ジェット機が主流の現在は地上数十メートルを飛ぶことを言うが、第二次大戦時代の日本海軍航空隊は翼端が波頭に触れるほど低く飛んだそうな。

 

 ベアトリーゼはマーケットの市街上空を低く低く飛び抜けていく。数百メートルごとに建物の屋上を蹴りつけて運動エネルギーを補充し、港湾部を目指して一直線に飛び進む。

 

 海軍体術“六式”の移動術“剃”や“月歩”を用い、ベアトリーゼ同様に空を駆けてくる者達が数人いた。サイファー・ポールの諜報員――ではなく元海軍の賞金稼ぎと言ったところだろう。六式を扱える辺り、腕利きと見做して間違いあるまい。

 

「鬼さんこちら」

 ベアトリーゼは独りごちるように呟き、港へ向けて空を駆けていく。

 

“本気”で飛べば、連中を振り切ることも不可能ではない。武装色を足にまとったうえで、能力をフルパワーで地面なり海面なりを蹴りつければ、数百メートルどころか数キロ先まで高速飛行が可能なのだから。

 

 しかし、それでは意味がない。追いかけてきてもらわねば。

 

 自分とロビンがマーケットから脱したと認識してもらわねば。

 

 マストが居並ぶ港湾部が見えてきた。港に出入りする船舶の群れが見えてきた。

 海上方面に絞って、ありったりの見聞色の覇気を駆使して捜索探査し――

 

 ベアトリーゼはやはりと納得しつつも、心底忌々しげに舌打ちした。

「徹底してるな。なんて性格の悪い奴だ」

 

 こちらの見聞色の覇気が届くぎりぎりに海軍本部艦隊が展開していた。

 大型主力艦4隻、艦隊の猟犬である快速フリゲート4隻。

 

 まったく、小娘2人に大掛かりなことだね。

 でも、()()()()()

 

      〇

 

「ベアトリーゼとニコ・ロビンが賞金稼ぎ達の追跡を振り切り、出港中の民間貨物船に着艦を確認。そのまま乗っ取ったようです」

 甲板の舳先。つるの直属部下である女性将校が告げた。見聞色の覇気の扱いに長けた彼女は艦隊の目だ。

 海軍中将“大参謀”つるの直属部隊は選び抜かれた女性将兵で固められている。

 

「ベアトリーゼが食べた悪魔の実は一体何なんだい? 打撃に凶悪な破壊力を付与させ、何らかの精神失調をもたらし、挙句は高速飛翔まで可能にする。そんな悪魔の実、聞いたことがないよ」

 不機嫌顔のつるが誰へともなく問う。

 

「飛翔に関しては六式のようなものなのでは?」

 部下の一人が自身の想像を口にする。

「その割にゃあ空を蹴る動作がないことが気になるね」とクザンが横から口を挟む。

 

「……海軍本部科学班の分析では、あり得る可能性としてプルプルの実ではないか、と」

 別の部下が報告した。

 

「プルプルの実? それはたしか……触れたものを振るわせるだけの“ハズレ”の実じゃあなかったかい?」

「おそらく、今までの能力者がプルプルの実を本当の意味で使いこなせてなかったんだろう」

 クザンがつるの疑問へ推察を口にした。

「悪魔の実は使い方の教科書があるわけじゃない。能力者自身が能力の理解を深め、使いこなさない限り、本当の力を発揮しない」

 

「たしかに」

 自身もウォシュウォシュの実の能力者だけに、つるはクザンの見解に納得し、そして顔つきを強張らせた。

「覚醒している、そう見做した方が良いね」

 

「こりゃあ厄介だ。ただでさえあの歳で異常なほど戦い馴れた覇気使いだってのに、覚醒した能力者なんて。5000万どころじゃない。5億でも安すぎる」

 クザンは溜息を吐いて正義の二文字が入った白い将官コートを羽織り直す。

「おつるさん、どう来ると思う?」

 

「あの船を人質に、なんて真似はしないよ。ニコ・ロビンは海軍に人質戦術は無駄だと思っているからね」

 

“本気”になった海軍がどこまで冷酷に残酷に非道になるか、ニコ・ロビンは骨身に学んでいるだろう。

 その気になれば、自身とベアトリーゼを倒すために民間船の乗員を躊躇なく犠牲にする、と。

 

 むろん、つるはそんな無体な真似を考えてもいない。が、つるがそういう手を取らないことを、ニコ・ロビンもベアトリーゼも知らない。

 

 となれば、

「あの船を無事に逃がすため、こっちにベアトリーゼが攻め込んでくる」

 お前も分かっているだろう? と言いたげに険しい目線を寄こす大参謀に、青雉は頷き、次いで表情を硬くする。

「こんなこと言いたかぁないけど……犠牲無しじゃあ済まないよ、おつるさん」

 

「センゴクの奴、とんだ貧乏くじを押し付けてくれたもんだ」

 つるは腹立たしそうに吐き捨てつつ、腕を組んで仁王立ちする。

「総員戦闘用意っ! 敵を小娘と思うんじゃないよっ! 腹を括りなっ!」

 

 応ッ!

 

 艦隊将兵が意気軒昂に応じ――

 そして、民間貨物船の船首先で巨大な水柱が上がり、血浴の異名を持つ乙女がたった一人で海軍艦隊へ向かって飛翔してきた。

 

      〇

 

 海面に足が触れる瞬間、超高速大気振動で生じた静電気と摩擦熱が海面を水蒸気爆発させ、ベアトリーゼをロケットのように飛翔させる。

 

 亜音速に達しながらも覇気によって守られた体は、些かも傷つくことなく艦隊に到達し、

弾丸(ゲショス)(シュラーク)ッ!!」

 身体ごと飛び込むような超加速パンチがフリゲート艦の横っ腹を撃ち抜く。

 

 その破滅的衝撃に高速飛散した船体木材が死のシャワーと化して水兵達の身体を貫き、引き裂く。衝撃が船全体に伝播して甲板や船体がたわみ、竜骨や肋骨が歪み、水圧に負けた水面下部位が破断。挙句は吹き飛んだ砲弾や炸薬が衝撃波に殉爆し――

 フリゲートの一隻が爆発横転し轟沈。乗船している水兵達諸共に海中へ没していく。

 

 一瞬で一隻が撃沈され、さしものつるも呆気にとられ、クザンも目を瞬かせていた。

 

「こりゃあ……参ったな」

 クザンは顔を険しくしたまま、艦隊司令官であるつるへ問う。

「この辺一帯の海面を凍らせて、ニコ・ロビンの乗る船も押さえちまおうか」

 

 階級が上であろうとこの作戦の指揮権はつるにある。クザンは判断を委ねた。

 

 つるは心底うざったそうに吐き捨てた。

「戦術的にはそれが正解だけど、ダメだ。この海域を氷結しちまうとマーケットの商売に問題が生じる。世界政府が出しゃばってくる政治的問題になる」

 

「……良いのかい、おつるさん」

「同情するんじゃないよ、ヒヨッコ。良いも悪いもない。()()()()()()()

 

 サカズキやガープならマーケットのことなど無視して討伐を優先するだろう。だが、その判断が許されないから、両者はマーケットはおろか近海へ赴くことすら禁じられているわけで、この作戦につるが選ばれた理由なのだ。

 

 たとえ、結果として部下の犠牲が増そうとも、戦術的正否より政治的是非の冷徹な判断をくだせるから。

『清らかなる正義』を掲げながらも、つるは紛れもなく世界の清濁を知る老練の女将軍だった。

 

「まずは艦隊総員でベアトリーゼを押し潰す。それからニコ・ロビンを乗せた船を追っても遅くない。それに」

 つるは眉目を吊り上げた。

「確信したよ。たとえニコ・ロビンを捕り逃してでも、あの娘はここで倒しておくべきだ」

「……同感だ。一撃でフリゲートを沈めるような小娘を放置したら、将来どうなるか分かったもんじゃあない」

 

「なんとも剣呑な評価を頂いているようだから、その評価に合わせて忠告するよ」

 上空から第二マストの先端に降り立ったベアトリーゼがつるやクザン達を見下ろしながら、

「とっととこの海域から失せろ。じゃないと」

 アンニュイ顔に残忍な微笑を湛えた。

「皆殺しにしちゃうぞぉ」

 




Tips
おつるさんの部下。
 原作では容姿だけ描写されていたが、名前も能力も紹介されてないので扱い方が分からない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15:狩る者と敗れる者

ちょい長め


 戦術とは強い敵を避けて弱い敵を叩くことだ。 

 

 随分と威勢の良いことを言ったが、ベアトリーゼは“大参謀“つるや”青雉“クザン、つる直属の精鋭達とやり合う気など無い。

 穴だらけの原作知識でも覚えている、激ツヨな青雉やネームドのつると真正面から殴り合いなど怖すぎた。なんでこんな強キャラが出張ってくるんだよ冗談じゃねーぞ、と内心で悲鳴を上げている。

 

 しかし、やりようはある。

 要は海軍が追ってこないように出来れば良いのだ。強キャラを倒すことは至難の業だが、船を潰すこと自体は然程難しくない。

 

 となれば、まず狙うべきは4隻のフリゲート。

 フリゲートは捜索追跡能力を重視した船種であるため、武装や頑健性を犠牲にした代わりに足が速い。民間貨物船を逃すためには、優先して潰さねばならない。

 

「二つ目っ!」

 歌うように叫び、ベアトリーゼは覇気と周波振動を乗せた黒脚のドロップキック。二隻目のフリゲートの鼻面を思いきり蹴り飛ばし、そのまま船首を足場に再跳躍。

 

 二度の強烈な衝撃が船首から伝播し、甲板や船体側面が大きく波打ち、鋲がバンバンと撥ね跳んで海兵達を殺傷する。たわみ歪んだ船体の隙間から海水が流入し、衝撃で脆弱化していた船体は浸水圧力に耐えきれず、ドミノが倒れるように次々と破断していく。

「くそ、まるで対艦兵器だっ! 何なんだあいつはっ!!」と海兵が悲鳴を上げた。

 

 二隻目のフリゲートが船首から沈みかけたところへ、破損した船体を包むように氷塊が広がり、沈没を防ぐ。まあ、沈没を防げただけ、とも言えるが。

「おいたが過ぎるぞ、お嬢ちゃん」

 クザンが三隻目のフリゲートのメインマストへバレリーナのように降り立ったベアトリーゼを睨む。

 

 が、ベアトリーゼはクザンに見向きもせず、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)っ!」

 足場にしている三隻めのフリゲートのメインマストへ、瓦割りをするかのように覇気をまとった黒拳を叩き込む。

 再び黒拳の衝撃がメインマストを通じて船体に伝播し、マストを中心に致命的な破壊を生じさせた。

 

「一言も交わさないとは、寂しいじゃあないのっ!」

 クザンも再び氷を生み出して三隻目のフリゲートが沈没することを防ぐ。

 

 が、その間にベアトリーゼは最後のフリゲートへ向け、足場のマストを踏み砕きながら跳躍していた。

 

「アイス(ブロック)両棘矛(パルチザン)ッ!」

 飛翔するベアトリーゼへ向け、クザンが大気中水分を収斂氷結させて作り出した槍を投げつけ、

「撃て撃て撃てっ! あのモノノケ女を撃ち落とせっ! やらせるなっ!」

 各大型艦の海兵達が小銃や拳銃、果ては艦載砲で弾幕を展開。狙われたフリゲートの海兵達も迎撃射撃を雨霰と打ち上げる。

 

 クザンの氷鎗といくつかの弾丸がベアトリーゼを捉えるも、武装色の覇気をまとった肌に弾かれ、傷つけることが能わない。

「これで四つっ!!」

 ベアトリーゼは四隻目のフリゲートの船尾を黒脚で思いきり蹴り飛ばし、船尾から船首へ向けて衝撃を走らせ、船体を叩き割った。

 

「次から次に忙しないなっ!」

 クザンが大急ぎで船尾から沈み始めたフリゲート艦を周囲の海面共々凍り付かせ、沈没を防ぐ。

 

 ベアトリーゼは大型艦のマストの先端に降り立ち、目標達成に一息吐いた。

 沈みはしなかったが、これでフリゲート四隻全てが航行能力を失った。

 ちらり、と暗紫色の瞳を巡らせ、民間貨物船の位置を窺う。

 あの民間貨物船がこの海域から一定距離を離れれば、鈍足の大型艦で追いつくことは難しい。

 

 念を入れるなら、この大型艦4隻を沈めるべきだろうが……大型艦は流石に一撃二撃では沈まない。用いられている木材や素材が頑健かつ頑丈なものだからだ。世界一周を成し遂げた海賊王の船ほどでは無いにしろ、フリゲートのような馬車馬船とは頑丈さが違う。

 それに、クザンやつるなど強キャラを相手にしながら大型艦を壊すことは中々厳しい。

 

「というか……氷怪人もあのお婆ちゃんも超強そうだし、部下のおばさん達もなんかおっかないし……」

 ベアトリーゼが独りごちると、見聞色の覇気に長けた女性将校が叫ぶ。

「アイツ、今、先輩達のことババアって言いましたっ!!」

 

「ババアなんて言ってない。おばさん達って言ったんだよ」とベアトリーゼが言い返せば。

 

「お姉さんだろうがこのガキャアッ!!」「ちっと若ェからって調子乗りやがってッ!」「泣かすっ! 絶対泣かすっ!!」

 つるの直属部隊の中で比較的年齢が高い女性幹部達がブチギレた。

 

「良い部下を持ってるね。おつるさん」と笑うクザン。

「後で説教だ」眉間を押さえたつる。

 

 意気軒高なつる直属部隊を窺いつつ、ベアトリーゼは決断した。

 こいつらをしっかり食いつかせるためにも、命懸けの綱渡りをしなければ……ああ、でも、多分。

 

 

 

 負けるだろうなぁ。

 

 

 

 でもまあ、負けるくらいなら構わない。荒野の地獄でネズミとして生きてきたベアトリーゼにとって、勝ち負けさえどうでも良いことだった。

 

 生き残ってこそ。生き延びてこそ。生き抜いてこそ。

 

 生きていてこそ、美味い飯も食えるし、熱い風呂にも入れるし、綺麗なベッドで眠れるし。

 

 生きてさえいれば、()()()()()ロビンにも会えるだろう。

 

 とはいえ、ただで負けるつもりはない。

 故郷で嫌となるほど見聞きし、学んだのだ。敗北者がどうなるか。

 

 生きてさえいれば、勝ち負けなどどうでも良い。

 が、負け方を考慮しないと、全てを奪われる。

 

 負けるにしても()()()()()()()()()()()()()

 

 ベアトリーゼはゆっくりと深呼吸を済ませ、アンニュイな細面を引き締めた。

「ここからは遊び抜きだ。死んでも恨むなよ」

 夜色の髪と鈍色の短外套をなびかせながら、マストから飛び降りる。

 

       〇

 

 沖の先から遠雷のように戦闘騒音から微かに届く。

 マーケット内は騒動の後始末が進められており、結果的にマーケットを荒らした賞金稼ぎ達が各店の店員や用心棒達にボコられている。

 

「賠償金出せテメェッ! ああ? 払えねえだぁっ!? 眠たいことほざいてンじゃねェぞっ! 内臓売ってでも銭コ作らせっからなゴルァッ!!」

 花屋のお嬢さんが賞金首のおっさんをボコりながらカタにハメている。

 

「こいつは死にかけてるじゃねェか。10万ベリーにもならねェよ」「なら、もう一人付けて30万でどうよ?」

 奴隷商と定食屋のオヤジがズタボロの賞金稼ぎ達の売買交渉をしていた。

 

 どうしようもねえ。

 

 そんなどうしようもねえ喧騒を余所に、カラカラと車輪付き旅行鞄を引く眼鏡の淑女が港傍の瀟洒なホテルに入り、部屋を取る。

「御一人様ですか?」と受付が問えば。

 

 長髪の眼鏡美女は優雅に微笑みながら、台帳にサインを記入していく。

「ええ。連れはこの騒動で病院に運ばれてしまって」

 

「それは御愁傷様で」

「ありがとう。でも、検査入院ですぐに退院できるそうだから」

 眼鏡美女は受付の気遣いに礼を述べつつ、

「ところで、明日にはこの島を出たいのだけれど、乗船の手配を頼めるかしら」

 

「生憎、当宿では船舶の手配を請け負っておりません。が……こちらの船会社へ紹介状を御用意しましょう。ミス――」

 受付が台帳を確認し、美女へ告げた。

「ミス・オルビア。如何ですか?」

 

「充分よ。手間を取らせて悪いけれど、お願いするわ」

「かしこまりました。紹介状は後程お届けしますので、先に御部屋へ御案内します」

 

 そうして、部屋に通された眼鏡美女はドアにしっかり鍵をかけ、窓のカーテンを引く。

 旅行鞄をベッドの傍らに置き、美女は眼鏡を外してから髪を強く引っ張った。

 

 ずるり、と長髪のカツラが外れ、艶やかな黒髪が露わになる。

 

 ニコ・ロビンは小さく息を吐き、不安と心配を湛えた青い瞳を海の方へ向けた。

「ビーゼ……」

 

      〇

 

 日が傾き、黄昏が始まろうとしている。

 

 大型艦の甲板に氷塊がいくつも散乱している。

 

 つる直属の精鋭達が重傷を負って衛生兵達に手当てを受けている。

 

 艦隊付きの優秀な将校達が血塗れで倒れ、痙攣を起こしていた。

 

 少なくない将兵が甲板や船傍の水面に骸を晒している。

 

 多くの将兵が茫然として虚空を見つめてブツブツと何か呟いたり、頭を抱えて泣いたり、怯えたりしている。

 

 海軍中将“大参謀”つるは口元の血を拭い、背筋をピンと伸ばして敵を睨んでいた。

 

 上官や部下や戦友を失った海兵達が憤怒と恐怖で顔を歪めながらも武器を構えている。

 

 海軍大将“青雉”クザンが鼻や口元から血を垂れ流しつつも、氷刃の剣を構えていた。

 

 血浴のベアトリーゼは海兵達と自身の血に塗れながら、肩で息をしていた。

 

 ――これは完全に想定外だ。いや、まいったね。

 こいつらすっげー強いわ。お婆ちゃんとその部下連中は覇気を込めて周波衝拳ぶち込んだのに死なないし、不可聴域音波で催眠掛けたのに雑魚共にしか通じないし。なんなの? 原作ネームドや強キャラは中身も別物なの?

 

「ほんとーにおっかない嬢ちゃんだ」

 クザンはハンカチで鼻と口の血を拭い、溜息をこぼす。

「いくら覇気使いの能力者相手とはいえ、ここまでボコられたのは久し振りだよ」

 

 こっちのセリフだよ、とベアトリーゼは内心で慨嘆する。何度も何度も必殺技をぶち込んだのに、ちょっと血が出てるだけってどういうことだよ。

 

 数時間に渡る激戦。海軍側は明確に損害を重ねていた。が、その死者は戦闘の規模と比して少ないと言えた。それもこれも、海軍大将“青雉”クザンが盾役としてベアトリーゼを相手取ったからだった。

 

 と、クザンの足元からパキパキパキと甲板上を霜が走り、甲板表面を凍り付かせていくが、ベアトリーゼの足元で氷結の前進が止まった。霜が砕け、融解し、湯気をくゆらせる。

 

「どういう訳か凍らないんだよなぁ」

 クザンはぼやき、ぎろりとベアトリーゼを睨み据えた。

「なあ、嬢ちゃん。お前さんはなんでニコ・ロビンと一緒にいる。なぜニコ・ロビンのためにここまで体を張るんだ?」

 

「答えたら逃げてもいい?」とベアトリーゼ。

 

「そういうわけにゃいかないね」とつる。疲労が蓄積しているだろうに構えが一切ブレていない。「あんたはここで死ぬか、捕まるかだ」

「これだけ暴れておいて逃がすわけねェだろう。流石に図々しいぞ」とクザン。

 

「じゃあ、答えない」

 ベアトリーゼは傍らにある氷塊を少し砕き取り、がりがりと齧って渇きを癒す。戦闘で疲弊した体に氷の冷たさが心地良い。出来ればアイスクリームが食べたかったけれど。

 民間貨物船は既にこの海域を離れている。今すぐにでも、この場からずらかりたいところだが、迂闊に背を晒したら……

 少なくとも、クザンとつるを戦闘不能なり、追跡困難なりに弱らせなければ、逃げられない。

 

 しかし、これだけ戦ってもクザンはまだ“余裕がある”。つるもまだ戦闘不能にほど遠い。自身の消耗具合と負傷の塩梅を考慮すると、脱出条件はほとんど達成不可能だろう。

 この二人だけ規格が違いすぎるよ。これが原作ネームドってこと? 勘弁して欲しいね。

 

 ベアトリーゼは小さく息を吐き、決断する。

 これ以上はこっちがもたない。負け見込みで戦ってきたけれど、勝ちの目を捨てる気もない。最後の勝負と行こう。

 

 暗視色の瞳が鋭さを増した。

 来る。クザンは集中し直し、つるは戦意を練り直し、周囲の海兵達も構えを強めた。

 

 

 

 

 

 数瞬の緊迫した静寂。

 微かに揺られる大きな船体。遠くに聞こえる潮騒。

 黄昏に染まっていく空。

 甲板上に散乱する氷塊の一つが、ぐらりと倒れ――

 

 

 

 

 

 機、来たり。

 

 

 

 

 

 先手を取ったのは、クザン。

「アイスカプセルッ!!」

 ベアトリーゼを凍結せんと、掌から冷気の弾幕を早撃ち(クイックショット)

 

 が、ベアトリーゼに触れるや否や冷気弾が即座に融解してしまう。

「!? ホントにどうなってんだそれっ!!」

 クザンは罵りながら右手に握りしめた木片を芯に氷の長刀を創り出し、急迫してくるベアトリーゼを迎え撃つ。

 

 振るわれる氷刃。ベアトリーゼは疾風の如き一投足でさらに間合いを詰め、クザンの手元を叩き、剣閃を払い除ける。

 

 ィィイイン……ッ! クザンが微かな耳鳴りを認識したと同時に、ベアトリーゼの黒い左拳が放たれた。

 

 避けられねェか。クザンが咄嗟に左腕を氷塊の盾にして打撃を受け止め――られない。

 ベアトリーゼの黒拳が直撃した瞬間、クザンの左腕は飴細工のように砕けた。そして、クザンの腕を千切り飛ばした左の黒拳がそのままクザンの身体を撃ち貫き、背から飛び出した。

 

「ぐああああああああっ!?」『青雉大将ッ!!』「クザンッ!」

 青雉の苦悶と海兵達の悲鳴とつるの驚愕が重なった。

 

伏撃(フェアシュラーク)で打ち込んだ振動波へ打撃による振動波を重ねることで、内部爆発を生じさせる奥義、周波鐘衝(ヘルツェアナーデル)。その周波鐘衝の技で腕と胴の一挙破壊を行う周波崩拳(ヘルツェアファレン)

 加えて、ベアトリーゼは左拳から最大出力の超高速振動波を放射。左拳を中心にクザンの胴体を爆発させて二分した。

 どしゃりと甲板に落ちるクザンの上半身と下半身。

 

 海兵達の悲痛な叫びが海上に轟く中、

 ――なんだ、今の手ごたえ。

 ベアトリーゼが怪訝そうに眉をひそめた、わずかな間隙。

 

 甲板上に散在する氷塊の一つが割れ砕け、中からクザンが飛び出し、

「剃ッ!」

 さながら瞬間移動の如き速度でベアトリーゼに肉薄。

 

 ――! さっきのは氷の分身かっ!? くそ、速いっ! 

 ベアトリーゼが反応するより速く、

「アイス塊ッ!」

 振るう右拳の先に氷塊の大槌を創り出し、武装色の覇気をまとう。黒き大槌がベアトリーゼを直撃した。

 

「ぎゃっ!?」

 もはや爆発染みた轟音と共に強烈な打擲衝撃が体の芯まで貫き、ベアトリーゼのしなやかな体が吹っ飛ぶ。乙女の肢体が衝突した氷塊を破壊し、メインマストの根元へ叩きつけられた。

 

「やれやれ……肉を切らせて骨を断つ、なんて言うけれど……今のはヤバかった。一瞬遅かったらマジで死んでたよ、お嬢ちゃん」

 へし折れた左腕を氷で固めて矯正し、クザンは甲板に血反吐をぶちまけるベアトリーゼへ歩み寄っていく。

 

 ベアトリーゼは夜色の髪が汗と血と氷の融解水で濡れそぼり、端正な顔は擦り傷と切り傷と痣だらけで、汗と血に塗れていた。鼻と口元から血反吐を垂れ流している。

 それでも、暗紫色の瞳に激しい戦意を込め、クザンを睨みつけた。

「こ、の氷怪人。パパとママから女の子には優しくしろって教わらなかったのか?」

 

「お嬢ちゃんはオンナノコなんて可愛い生き物じゃなくて、人食い鬼の類だろ」

 クザンは壮絶な冷気を湛えた右手を振り下ろす。巨人すら数秒で氷漬けにする技アイスタイム。

 

 が、ベアトリーゼは咄嗟にクザンの右手首を蹴り上げ、氷漬けの危機から逃れた。軋む体を叱咤して飛び退き――ガクッと膝をつく。

 

 疲労と消耗、負傷、蓄積したダメージ。

 体力は空ッケツで、体の外も内も怪我だらけ。指先が疲労痙攣を始めているし、膝に力が入らない。視界がかすみ、聴覚も鈍っている。

 限界だ。

 もうこの場から逃げ出すことはできない。

 

 やっぱりダメだったか。

 ベアトリーゼは敗北を受容する。

 されど、それは諦めを意味しない。

 

「仕方ない。プランBだ」

 赤黒い唾を吐き捨て、ベアトリーゼは両腕を高々と掲げた。

 

「なんだ、降参す―――?」クザンが眉間に皺を刻み、ギョッと目を剥く。

 

 ベアトリーゼが掲げた両腕は武装色の覇気をまとって黒く染まり、両手の間で静電気が鮮烈な赤光を発しながらバチバチと踊り狂う。放電現象は徐々に激しさを増していき、バレーボール大の色鮮やかな炎雷――燃焼プラズマに姿を変えた。

 強烈な放射熱に周囲の氷塊や霜が次々に溶けていく。

 

「おいおいおい、嬢ちゃんの能力は一体何なんだ? プルプルの実ってのぁいったいなんなんだ?」

 クザンがこめかみに冷や汗を伝わせた。マグマだの光だの操る同僚がいるだけに、分かる。ベアトリーゼの両手の中で光り輝く炎雷が途方もなく高温だと。

 

「食らえ」

 ベアトリーゼは物憂げな美貌に似合いの麗しい笑みを湛え、

「プラズマ溶解炉(キュポラ)ッ!!」

 両腕を振り下ろし、破滅の炎雷をクザンへ投げつける。

 

 クザンは甲板上を濡らす氷水や血を媒介に能力を全力発動する。水分が足りるかどうかは賭けだが、やるしかない。

大氷河時代(アイスエイジ)ッ!!」

 超高熱の燃焼プラズマ球と大津波の如き大氷塊が衝突し、

 

 

 

 

 

 どかーん

 

 

 

 

      

 

 周辺の水分が一瞬で蒸発するほどの高温気化爆発が発生し、海軍中将つるの船は更地のようになっていた。

 マストも船楼も胸壁も、クザンが構築した大氷壁も、大氷壁の陰から漏れていた海兵達も、全てが綺麗さっぱり吹き飛ばされている。

 

 爆煙染みた濃密な水蒸気が漂う中、生き延びた海兵達の悲鳴や苦悶が広がっていく。

 爆発そのものを免れても、爆発による高温高圧の衝撃波を浴びて死傷した将兵が少なくない。両隣の大型艦もマストがへし折れ、死傷者が生じていた。

 

「――とんでもない怪物がいたもんだ」

 つるが膝をついて呻く。

 

「まったくだよ、おつるさん」クザンも両膝をついて深呼吸し「今回は胆が冷えた」

 

 潮風が濃密な水蒸気を払っていき、船首付近で白目を剥いて倒れているベアトリーゼが夕陽に照らされた。ボロ雑巾同然の有様だが、胸元が上下している。生きているようだ。しぶとい。

 

「どうする?」クザンはつるへ問う。「このまま始末しちまうかい?」

 つるはちらりと周囲を窺う。

 部下や将兵達は復讐と報復を求めて相貌を大きく歪めていた。当然だろう。あの小娘一人に何人の海兵が傷つけられ、命を落としたか分からないのだ。八つ裂きしなければ気が済むまい。

 

「いや、このまま生け捕りにする。海楼石の鎖と錠を用意しなっ!」

 どうして、と言いたげな部下や将兵達に、

「小娘を助ける為じゃない。プルプルの実の実態把握のためだ。ここであの娘を殺してしまえば、またどこかでプルプルの実が生まれちまう」

 つるは怪物を見るような目で失神中のベアトリーゼを窺い、部下達へ語って聞かせる。

「触れたものを震わせるだけのハズレ? これのどこが外れだ。戦術級兵器並みの危険な超人系能力じゃないか。実態を把握しておかなきゃ“次”がどうなるか分かったもんじゃない」

 

 背筋をピンと伸ばし、つるは指揮官として命令を発した。

「じきに日が沈む、負傷者の救助を急ぎなっ! 艦隊各艦の被害調査も併せて進めなっ! それと、電伝虫をすぐに用意だっ!」

 

「電伝虫?」とクザンが小首を傾げる。

 つるは眉目を吊り上げて憤慨を露わにした。

「センゴクの奴に文句を言ってやらなきゃ気が済まないっ!」

 クザンは同意するように首肯し、夕焼けの水平線へ消えていく民間貨物船を見送った。

 

       〇

 

「おつるちゃん、怒っとったなぁ」とガープが笑う。

 センゴクは先ほどまで烈火の如く怒号を発していた電伝虫を一瞥し、目元を揉む。

「フリゲートが撃沈1、修復不能な大破が3。大型艦の大破1、中小破3。事実上の壊滅だ。クザンとおつるちゃんが居て、だぞ。信じられん」

 

 ガープは笑顔を消し、茶を啜る。

「船の被害のわりに人員の犠牲が……まあ、そう多くないことが救いじゃな」

 大抵のことを笑い飛ばす豪快な老傑も、死傷した同胞に触れる時まで笑みを浮かべることはない。

 

 旧友の気遣いに感謝しつつ、センゴクは大きく深呼吸して首を傾げた。

「ベアトリーゼが食したと思われるプルプルの実に関し、事前情報が大きく間違っていたことが今回の損害につながったようだが……あれは、触れたものを震わせるだけだろう?」

 

「ワシらが聞いた限りではな。しかし、どんな能力も使い手次第じゃ。ベアトリーゼとかいう小娘は完全に使いこなしていたっちゅうことじゃろ」

 ガープはばりぼりと煎餅を齧り、続ける。

「なんであれ、危険な奴を捕らえることが出来たんじゃ。良しとしよう」

 

「ああ。血浴のベアトリーゼの捕縛と天竜人の遺骸移送。とりあえずは片が付いた。ただし、ニコ・ロビンを逃してしまったのが不味い」

 センゴクの慨嘆に、ガープが野武士のように笑う。

「あの娘っ子に逃られるのは今に始まったことじゃなかろう。気にするな」

 

「世界政府やサイファー・ポールに嫌みを言われる身になってみろ」

 ガープを叱りつつ、センゴクは茶を口に運び、大きく息を吐いた。

 




Tips

フリゲート
 原作では船種があまり触れられないが、フリゲートは帆船時代から艦隊の狩猟犬として捜索追跡、連絡などに使われた。

大型艦
 原作の軍艦は本当にデカい。あのサイズだとパドルシップでも、そんなにスピードは出ないだろう。帆船なら言わずもがな。

オルビア
 ニコ・ロビンの亡き母の名前。
 我が子より研究を優先しちゃったママ。でも、確かに娘を愛していた。

ベアトリーゼの悪魔の実の能力。
 次回を待て。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16:彼女と彼女の別れ

ちょい長めです
Nullpointさん、戦人さん、Kurouさん。誤字報告ありがとうございます。


 失神している間に身包み剥がされ、ベアトリーゼは縞々の囚人服を着せられていた。

 能力者を無力化する海楼石の大きな手錠と足錠を付けられた後、少々手荒な手当てを受けてから船倉の檻にぶち込まれている。

 

 で。

 

 ベアトリーゼが意識を取り戻して少し経った頃、檻の前につるとクザンが椅子を並べて座った。

 クザンは折れた左腕を包帯で固めており、おつるは額に包帯を巻いている。そして、2人とも軍服を新たにしていた。兵を率いる者は見栄えが大事だ。

 

「てっきり怒れる海兵達に輪姦(マワ)されるかと思ってたけれど、違う感じ?」

 包帯と絆創膏だらけのベアトリーゼがしれっと問えば、つるが嫌そうに顔をしかめ、クザンがやれやれと言いたげに溜息を吐く。

「負けん気が強いのか、状況を真面目に受け取れないのか」とつるが独りごちる。

 

「や。私の故郷で兵隊やってた連中はそうだったから」

 ベアトリーゼは海楼石の負担を然程感じさせぬ調子で言葉を続ける。

「ロビンの逃亡先なら知らないよ。合流した後に決める予定だったんでね。知らないことこそ最大の情報保秘でしょ?」

 

「どうだか」腕組みしたつるは鼻息をつき「まぁいい。まず聞きたいことはあんたの能力についてだ」

「ネタバレしてくれない?」とクザンも問う「嬢ちゃんが食ったのぁプルプルの実だろ? どういう能力なんだ?」

 今日、2人はプルプルの実の能力者ベアトリーゼと戦い、はっきり認識した。海軍や世界政府はプルプルの実に対し、根本的に誤解していたことを。その真の能力についてまったく把握していない事実を。

 

 2人に問われ、ベアトリーゼは少し考え込む。

「あんた達に手の内を明かして私に何のメリットが?」

 

「私らへ素直に答えなきゃ、御希望通り拷問が待ってる。これを避けられることは充分なメリットだろう?」

 つるの怖い目線を受け止めつつ、ベアトリーゼは鼻息をついた。

 まぁ……いいか。多少のネタバレをしたところで問題はない。

 

 ベアトリーゼはクザンとつるを順に窺い、問う。

「触れたものを振るわせる。その意味が正しく分かってる?」

 

「正しく、とはどういう意味だい?」

 脚を組み替えつつ反問するつるへ、

「力学的現象としての振動について物理学的理解はあるかってこと」

 ベアトリーゼはさらりと答える。

 

 クザンとつるはぽかんと目を瞬かせ、端に控える看守の海兵達も呆気に取られた。眼前の小娘から突如として小難しい言葉が出てきたことに、困惑を隠しきれない。

「え、と、何言ってんの?」とクザン。

 つるも戸惑いを湛えている。

 

「プルプルの実は振動を与える能力をもたらす。そして、振動とは数多くの現象の源だ」

 周囲の戸惑いを余所に、ベアトリーゼは滔々と語る。

「たとえば……大気を振るわせて摩擦させることで、静電気……この場合は電磁波の一種だけど、その電磁波をさらに振るわせることで、燃焼プラズマ化させることが出来る。この時、燃焼プラズマをサイクロトロン共鳴させれば」

 

「待った。ちょっと待った」

 クザンが右手を伸ばしてベアトリーゼの言葉を遮り、問う。

「嬢ちゃんの言ってることがさっぱり分からない」

 隣に座るつるも目をぱちくりさせていた。どうやらベアトリーゼの説明が理解できなかったらしい。

 

 ベアトリーゼが唇を尖らせた。

「だから、最初に聞いたじゃないか。力学的現象の物理学について理解はあるかって。どうするの? 説明、続けて良いの?」

 

 クザンとつるは顔を見合わせ、揃って眉を下げた。2人とも物理学的な専門知識はない。そもそも軍人にそんな知識は要らない。

 つるは言った。どこか悔しそうに。

「分かり易く説明しておくれ」

 

 大きく深呼吸し、ベアトリーゼは疲れ顔で言葉を編む。

「プルプルの実は理論上、雷だろうと熱だろうと津波だろうと地震だろうと作り出せる」

 

「「―――」」クザンとつるは声もなく驚愕した。

 

「早合点しないの。理論上、て言ったでしょ」

 アンニュイ顔に柔らかな微苦笑を湛え、ベアトリーゼは顔を強張らせている海軍高官達へ説明を続けた。

「実際に作り出せるかどうかは話が別だよ。プルプルの実が持つ”真価”を発揮するためには、前提として高度な理工学的知識や理解が必要だ。でなければ、何をどう振動させればいいか、分からないからね。単に空気を振るわせたところで、私が見せたような放電も熱プラズマも作り出せない。これは私の経験則から言って間違いないよ」

 

 能力を得たばかりの頃は本当に『ハズレ』を引いたと思ったものだ。原子や分子、電子などの物理学に関する前世記憶が無かったら、ベアトリーゼもお手上げだったろう。

「そして、私が()()した結果を挙げるなら、武装色の覇気をまとったうえで全力放出しても地震や津波は起こせなかった。大地や海にマクロ的振動を与えるには、人間規模の発生源では絶対的に振動の発生量が足りないんだと思う」

 

 超音波や高周波を広域展開させることは然程難しくないけど、とベアトリーゼは心の中で呟く。全てを教えてやる気は更々ない。奥の手は秘密にしてナンボだ。

「こういえば安心するかな。プルプルの実は小さく細かく振るわせることに長けているけど、グラグラと大きく強く揺らすことはできない」

 

 意味分かるよね、とベアトリーゼ。

 海軍将官なら分からぬわけがない。クザンは包帯が巻かれた左腕を撫でながら、つるは額の包帯を掻いて、二重の意味で安堵した。

 一つはプルプルの実の能力者が第二の白ひげ(怪物)になりえないこと。

 もう一つは、今回ベアトリーゼを捕縛できたこと。

 

 ベアトリーゼは「要するに」とまとめに入る。

「プルプルの実が()()を発揮するためには、高等理工学の知識と理解が絶対条件だ。学と教養の無いバカには、触れたものをプルプルと振るわせることしか出来ない“ハズレ”だよ」

 

 クザンは左腕をさすりながら少し考え込み、

「……嬢ちゃんはその学と教養をどこで身につけた? 相当な高等教育を受けなければ、身に付かない知識だろう。嬢ちゃんの故郷の“あの島”で学んだとは思えないし、島を出てから学校に通ったわけでも無いはずだ」

 じろりとベアトリーゼを見つめた。

「ニコ・ロビンに習ったのか?」

 

「ロビンは博学だけれど、専門は考古学で、知識や教養は人文学が主体。理工学は私の方が詳しい。そして、どこで身につけたかという質問の答えは」

 血浴という恐ろしい二つ名を持つ乙女はアンニュイ顔に悪戯っぽい笑みを湛えた。

「内緒」

 

 悪魔の実のネタが割れても、前世記憶を持つことがバレるよりマシだ。

 たとえ穴開き靴下みたいなものでも、知識は武器だ。本当に頼れる武器は隠しておくに限る。

 

「話は変わるが、聞かせてくれねェか」

 クザンがベアトリーゼを見据えた。

「なぜ、ニコ・ロビンと組んだ? なぜ、ニコ・ロビンを守るためにここまで無茶をした?」

 

「ロビンと組んだ理由は、まず私が世界政府と海軍が大嫌いだから。世界の敵とされたロビンがあんたらの手を逃れ続ければ、政府と海軍を苦悩させられるでしょ? 私はあんた達に嫌がらせしたくて、あんたらに吠え面を掻かせたくて、悪魔の子を守ることにしたんだよ」

 さらっと暴論を語るベアトリーゼに、つるは心底呆れた顔を浮かべる。

「そんなバカな理由で海軍を向こうに回したってのかい」

 

「私の故郷は地獄の底みたいなところで、私はずっと疑問を抱いていた」

 ベアトリーゼは歌うように言葉を編み、

 

「どうして誰も救ってくれないのか。どうして誰も助けてくれないのか。世界政府は強大な権力を持ち、海軍はたった十隻の軍艦で島一つ丸焼きに出来るほど強力なのに、どうして私達の惨状を見て見ぬ振りをするのか。どうして私達の悲劇を無視するのか。どうして私達をウォーロードや群盗山賊の暴虐から守ってくれないのか。どうして飢えて朽ちていく私達を見殺しにするのか。どうして。どうして。どうして」

 吟じるように言葉を紡ぎ、

 

「この世界の支配者を気取り、この世界の守護者を称するくせに、天竜人へ上納金を払わなければ人間を人間と扱わない拝金主義の豚共と犬ッコロ共に意趣返ししたいと思うのは、感情論として筋は通ってるだろう?」

 物憂げな美貌に似合いの笑みを浮かべた。

 

「性根がひん曲がってるね」とつるは吐き捨てた。

「そりゃあね」とベアトリーゼが肩を竦め「お婆ちゃんも餓え死を逃れるために孤児仲間の死体を食ったり、死体に湧いた蛆で空腹を満たしたりすれば、分かるさ」

 

「だとしても、だ」

 つるは眉をひそめ、『清らかなる正義』を掲げる女傑は厳粛に告げた。

「この世界は理不尽で不条理だ。苦しく哀しいことに溢れてる。あんたの生まれ育ちを憐れみもする。だがね、あんたの生き方は認めないよ。あんたのそれは同じように辛い人生を送りながらも、この世界で善人として正しく生きる人達への侮辱だ」

 

「……貴女は優しい人なんだね」

 厳しい言葉の中に教誨師のような誠実さが感じられ、

「そのお叱りは甘受するよ。自分でも八つ当たりだと分かってるからね。そのうえで、“やらずにいられなかった”私の心情も察して欲しいなぁ」

 ベアトリーゼは柔らかな微笑みを返した。

 

 戦いと殺しに長けた恐るべき能力者ではなく、年若い乙女が見せたその笑みは、胸を締め付けるほどに切なく――つるは目を伏せて鼻息をつく。クザンも目線を外すように天井を見上げた。

 苦みのある静寂が場を支配した。

 

「……話を続けようか」

 コホンと咳を打ち、

「ロビンを守るためにあんたらを向こうへ回した理由は簡単だよ」

 ベアトリーゼは自らが作り出した雰囲気を蹴り飛ばすように告げた。

 明確な敵意と嫌悪を込めて。

「大事な友達を豚や犬ッコロに渡すわけないだろ」

 

「たとえ、死ぬことになってもか?」

 クザンが問う。冷厳な声で。

「そうだよ」ベアトリーゼは冷笑して「あんたが殺した親友のようにね」

 

 鋭利な悪意にクザンの顔が歪む。つるはクザンを横目にしつつ、ベアトリーゼに険しい眼差しを向けた。

「他人の心を土足で踏み躙って楽しいかい?」

 

「まさか。私は他人を野菜のように切ったり砕いたりしても平気な人間だけれど、人には他人が決して侵してはいけない領域があり、その領域に対して敬意を払うべきだと思ってるよ。今のは……そうだね、些か非礼に過ぎた。本心から謝罪するよ、大将閣下。申し訳ありません。ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げるベアトリーゼ。

 

 で、顔を上げたベアトリーゼはのうのうと宣う。

「ところで実は……空腹で意識が落ちそうなんだけど、残飯でも良いから何か食べさせてくれないかな?」

 クザンとつるはどこか疲れた息をこぼした。

 

     〇

 

 ひとまずの尋問を終え、犬の餌みたいな飯を出された。

 嫌がらせかもしれないが、ベアトリーゼにとっては屁でもない。ウォーロードに仕える以前の生活で口にしていたものにしてみれば、はるかにマシだ。

 

 看守の目を盗み、ベアトリーゼは腹に力を入れ、胃液を逆流して口腔内に異物がせり上がってきた。

 ペッと掌に吐き出したるは、一本の釘。

“青雉”クザンに敗れた時。意識が飛ぶ寸前に甲板の釘を引っこ抜いて飲み込んでいたのだ。

 

 ベアトリーゼは釘をくわえて手錠の鍵穴に突っ込み、カチャカチャ―――ガチャリ。

 ……ふむ。使えるな。これならプランBを使わずに済みそうね。

 

 外した手錠を静かに掛け直し、ベアトリーゼは釘を再び口の中へ隠した。

 まだ逃げる時じゃない。ロビンに心配をかけてしまうが、体力の回復を待とう。どこへ移送されるにせよ、艦隊は痛めつけてある。到着まで時間が掛かるはず。

 しばらく食っちゃ寝させてもらうとしよう。

 

 目を瞑るやいなや、ベアトリーゼはすやぁ……と寝息を立て始めた。

 図太い。

 

     〇

 

 ベアトリーゼを捕縛後、つるの艦隊は眠り姫の亡骸を受け取るため、マーケットへ入っていた。

 入港したのは大型軍船4隻のみ。結局、大破したフリゲート3隻は牽引航行に耐えきれず自沈させるしかなかった。

 

 ちなみに、マーケットの港湾職員達はあからさまに愛想が悪く、店の従業員達も態度が良くない。これはマーケットが本質的に非合法な存在だから、という訳ではない。大抵の海兵があまり金を持っていないからだ。完全自由市場において金のない奴は好かれない。

 

「これが500年前の宮様か。安らかに眠ってたんだからそのまま眠らせておけば良いのに」

「安らかに眠っていたところを海賊(バカ)共が掘り起こした。こちらとしても厄介事だった」

 とある商館。表向きは物資補給のため商談に訪れたことになっている青雉クザンと大参謀つるは、“ジョージ”と接見していた。

 

 天竜人フランマリオン家の娘の亡骸が納められた黒檀製棺桶を確認後、面々は商館の応接室に移り、

「海の上では」“ジョージ”はクザンの包帯が巻かれた左腕を窺い「随分と“苦労”したようだな」

「ああ。大変だったよ」

 クザンは無感動に応じて白磁製カップを口に運び、片眉を上げた。こりゃあ良い茶葉だ。

 

「ベアトリーゼを確保したことは、ニコ・ロビンにとって大きな意味を持つ。長期的には捜索追跡において効果が出てくるだろう」

“ジョージ”が煙草を吹かしながら言うと、

「サイファー・ポールはベアトリーゼについてどこまで把握していたんだい?」

 つるが険しい目付きで“ジョージ”を睨む。

 

「“あの島”の出で、悪魔の実の能力者で、強力な覇気使いで、ニコ・ロビンと強い絆を育んでいる女。それくらいだ。能力の詳細は掴んでいなかった。我々はグランドライン外の()()をわざわざ相手にしないからな」

“ジョージ”は煙草をくゆらせながら語り、他人事のように告げた。

「君達の戦闘詳報が重要な情報源となるだろう」

 

 ベアトリーゼとの戦闘で大勢の死傷者を出しただけに、“ジョージ”の物言いにつるは強く憤慨したものの、表には出さない。情報機関の中でも有数の腹黒狸相手に感情を表しても、つけ入られるだけだ。

 

「ともかく、眠り姫は海軍(そちら)に引き渡した。あとはそちらの職責だ」

 さらりと言い放ち、“ジョージ”は短くなった煙草を灰皿に押し付けて消火。

「滞在中、マーケット内では下手な真似をしないことだ。ここでは政府や我々だけでなく、海軍も“有益なビジネス”を行っている。君達が如何に軍内で要職にあっても、始末書だけで済まなくなるぞ」

 

「御忠告どうも」「余計なお世話だね」

 クザンはさらりと答え、つるは不快そうに応じ、それぞれ腰を上げる。

 

 退室際、クザンは足を止めて振り返った。

「ところで、随分と良い茶葉を使ってるようだが……ここで買えるのか?」

「何を抜けたこと聞いてんだい、このすっとこどっこい」

 つるはクザンの背中を引っ叩き、共に退室させた。

 

 海軍高官の2人が出ていき、“ジョージ”は新たな煙草をくわえ、火を点す。紫煙を吐きながら、秘書として控えていた諜報員へ問う。

「ニコ・ロビンの方は?」

「貴方の想定していた通りです。ベアトリーゼが乗り込んだ貨物船を確認したところ、背格好の似ていた女賞金稼ぎでした。御丁寧に喉と両手の腱を潰してありましたよ。貨物船の船長を締め上げたところ、大金で買収されたと吐きました。連れ込んだ女を乗せて戦域から最大船速で逃げろとだけ指示されたと」

 

「では、まだマーケット内にいるか。いや、今日辺り出港した船のいずれかに変装して出て行った可能性が高いな」

“ジョージ”はどうでも良さそうに紫煙を吐き、

「捜索しなくていいので?」

「必要ない。マーケットの外へ逃れたなら、もう追いつけない。海軍にも知らせなくていい」

 諜報員へ冷淡に告げる。

「我々の職責はマーケット内で密やかなビジネスを維持し、円滑に行うことだ。情報の共有義務すらないのに、わざわざ厄介事へ手を突っ込む必要がどこにある?」

 

 諜報員は思う。

 この人は本当に陰険だ。

 

     〇

 

 グランドラインをリヴァースマウンテン方面へ向けて航行する貨客船の中で、母オルビアの名で乗船したロビンは、ニュース・クーの届けてきた新聞を購入し、個室で開いた。

 

『血浴のベアトリーゼ、逮捕される!』

 

 与太記事の多い世界経済新聞社のものだが、こと『面白い』ニュースに関しては偽らない。面白ければ偽る必要がないから。

 二十歳前の小娘が単独で海軍本部艦隊を襲い、海軍大将と本部中将の精鋭部隊を向こうに回し、フリゲートを1隻撃沈、3隻を航行不能の大破。大型艦を1隻大破、3隻を小中破。海兵の死傷多数。

 こんな『面白いネタ』に世界新聞社の社長モルガンズが手を加えることなどあり得ない。実際、モルガンズは情報を得てげらげらと大笑いした。

『さいっこうにクールなネタじゃねえかっ!!』と。

 

 そんなろくでもねえ奴が作っている新聞を目にし、ロビンは凍り付いた。

「ビーゼ……っ!」

 

 ロビンにとって、ベアトリーゼは世界から狙われる自分を守り続けてくれた信頼する仲間で、絶対の信用を寄せる唯一無二の相棒で、たった一人の大事な、とても大切な親友だ。

 その大事な親友が海軍に捕まった。

 

 思い出したくなかった、大事な人を失う恐怖。

 

 二度と味わいたくなかった、大切な人を奪われる絶望。

 

 顔から血の気が引き、目の前が暗くなる。指先から生じた震えが体全体を揺さぶり、力を奪ってロビンをへたり込ませるまで三秒もかからなかった。

 

 どうする? どうする? どうする? どうすればいい? どうすればビーゼを救い出せる?

 

 恐怖と絶望に痺れた頭で自問する。

 ビーゼを捕らえている海軍部隊を襲撃して、救い出す? 無理だ。ビーゼですら勝てなかった相手に、自分が勝てるとは思えない。まして、相手は“あの”“青雉”クザンだ。

 

 なら、出頭を条件にすれば、ビーゼを解放させられるだろうか。ダメだ。世界政府が取引に応じるか分からない。

 それに……それは“諦めること”だ。

 

 ベアトリーゼはこれまで何度も告げてきた。

 ロビンが“諦めない限り”守り続けると。

 

 もしも、自分が“諦めたら”ビーゼは決して許さないだろう。だけど、だとしても、ビーゼに嫌われ、失望され、見限られても――

 ビーゼが監獄で酷い目に遭うよりは良い。ビーゼが死んでしまうよりはずっと良い。

 

 ロビンは決断し、ふらりと立ち上がる。膝に力が入らず机に体をぶつけ、旅行鞄が倒れた。衝撃で開き、中身がこぼれる。

 

 覚えのないスケッチブックが姿を見せた。

 ベアトリーゼのスケッチブック。

 

 どうしてこれがここに……ビーゼが忍ばせたの? なんのために?

 ロビンは震える手でスケッチブックを拾い上げ、ページを開く。

 

 控えめに言ってもヘタクソなロビンの似顔絵や姿絵。街並みの写生画。線や遠近が狂いまくったマーケット内の写景図。

 それと――メッセージ。

 

『もしも私が合流できなくても諦めないで。生きてさえいれば、いつか必ずロビンの許へ向かうから。そして、もしも私が死んでも』

 びくりとロビンは身体を震えさせながら、残りの文章を読み進めた。

 

『ロビンは必ず心から信じられる人達と出会える。

 だから、諦めないで。夢を、願いを、信念を諦めないで。

 必ず希望が訪れるから。

 私の()()を信じて』

 

 ぽたり、と紙面に水滴が落ちる。

 

「バカ」

 口から勝手に言葉が漏れる。

 

「バカ。バカ。バカ。ビーゼのバカ……っ!」

 言葉と共に滂沱の涙が溢れていく。

 

「私は貴女が傍にいることが一番の希望なのに……っ!」

 ロビンはスケッチブックを愛おしげに抱きしめ、静かに泣き続けた。

 

 そして、決断を新たにする。

 遺言とまで言われて、信じない訳にはいかない。

 だって、ベアトリーゼはニコ・ロビンのたった一人の、愛する親友なのだから。




Tips
プルプルの実。
 オリジナル悪魔の実。上手い名前が思いつかずさんざん悩んだ末に引っ付けた名前。
 銃夢:ラストオーダーにて、チビゼクスというキャラが周波衝拳をした際、相手をプルプルと振るわせただけだったので、そこから名前に採用。

バカには扱えない。
 科学的知識が無ければ、分子や原子を振動させて周波数や超音波、静電気やプラズマを作り出す、という発想に辿り着けない。作中で『ハズレ』扱いされていたのは、歴代の能力者が真価を発揮できなかったから。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17:彼女の処遇は神の胸一つ

一色刹那さん、戦人さん、Kurouさん、フェルミウムさん。誤字報告ありがとうございます。
Nullpointさんが御指摘くださった16話の誤字報告ですが、暗喩表現を意図したものですので、誤字ではありません。分かり辛くてスイマセン。



 この世界の神たる天竜人が一人、下界に行幸した。

 

 大抵の場合、下界を訪ねた天竜人達が向かう先は聖地マリージョアにほど近いシャボンディ諸島で、主にヒューマンショップなる奴隷商だった。この世界の神は下卑た嗜好をお持ちだ。

 

 ただし、この日、下界へ降りてきた天竜人が向かった先は、ヒューマンショップでもシャボンディ諸島でもなく、海軍本部であるマリンフォードだった。

 

 マリンフォードに入港した豪華船舶から降りてきた神は、膨らませた風船から手足が生えたような姿の肥え太った醜男だったが、目つきは異様に鋭く薄気味悪い。

 そんな醜悪な肥満体の天竜人が大柄な奴隷達の担ぐ神輿に乗り、護衛の兵士や奴隷の美女達を従えて進む様は、邪神の山車行列みたいだ。

 

 このぶくぶく太った豚、もとい天竜人の男はフランマリオン家の当主であり、天竜人の中でも屈指の愚物、失敬。傲岸不遜極まるチャルロス聖すら、遠慮がちになるほど尊大で不気味な男として知られていた。

 

 神の訪問に際し、海軍本部は手透きの兵士が全て動員され、閲兵式典の如く整列していた。むろん、出迎えた将兵達の中に大の天竜人嫌いで知られる“英雄”ガープや癖の強い“青雉”クザンなどの姿はない。

 

 もっとも、歓迎を受けているフランマリオンの当主は、居並ぶ海兵達に目線一つくれることなく神輿の上でふんぞり返り、傍らで扇を振る美女奴隷の尻を撫でている。

 

 フランマリオンの急な訪問により、抱えている仕事を投げて出迎えることになったセンゴク元帥は『レヴェリーの準備でクソ忙しいのに』と内心で毒づきつつも、フランマリオンへ恭しく一礼した。

 

「ようこそお越しくださいました、フランマリオン聖」

 フランマリオンはセンゴクの挨拶に自ら返事せず、黒服の侍従へぶくぶくと肥えた手を振る。絵に描いたような傲慢さ。

「挨拶など無用。さっさとアレの許へ案内せよ、と聖様の御言葉です」

 侍従がセンゴクへ告げる。フランマリオン自身は傍らで扇子を振るう奴隷の美女の尻を撫で続けていた。これ以上ないほどの驕慢さ。

 

「では、ご案内させていただきます」

 クソ豚野郎め、と心の中で罵倒しつつも、礼を失することなくセンゴクはフランマリオンを海軍本部施設の一角――マーケットから移送されてきた眠り姫の棺が保管されている区画へ案内する。

 

 そして、黒檀製の瀟洒な棺を前にし、フランマリオンは再び手を振った。

「棺を開けよ」と侍従が代わりに命じた。

 警備の海兵達は戸惑いつつも、センゴクの目配せに応じて棺の蓋を開ける。

 

 傷んだ剣を抱いて眠る、死蠟化した天竜人の乙女。

 フランマリオンは神輿から降り立ち、肥え太った体を揺らすように歩き、棺の中で眠る先祖の骸へ手を伸ばし――閉じられた右瞼をこじ開けた。

 

 死者を冒涜するような振舞いに海兵達や奴隷達が眉をひそめるも、フランマリオンは気にすることなくこじ開けた屍の右目をねっとりと覗き込み、

「ぐふふふ……どうやら血統因子は採取できそうだえ」

 卑しい笑い声を漏らして踵を返した。

 

 神輿に座り直し、フランマリオンは汚れた指を奴隷の美女に舐めさせながら、センゴクへ“自ら”告げる。

「コレをさっさとわちきの船へ運ぶえ」

「は。すぐに手配します」とセンゴクは応じた。用が済んだらさっさと帰れ、と心の中で吐き捨てる。

 

 が、センゴクの願いに反して、フランマリオンは薄気味悪い双眸で海軍元帥をねめつけた。

「時に、“箱庭”の者を捕らえたと聞いたえ」

 

「は?」予期せぬ問いにセンゴクは目を瞬かせ「確かに、“あの島”の出身者である犯罪者を捕縛しましたが」

 

 奴隷にしたいとか言い出すのではあるまいな、とセンゴクが訝りつつ答えると、

「目と髪は何色だえ?」

 

「は?」センゴクは再び目を瞬かせた。明確に困惑を覚える。

「聖は何色かとお尋ねです、元帥閣下。御答えを」と侍従が促す。

「失礼しました。報告では髪が夜色、瞳は暗紫色と聞いております」

 センゴクが戸惑いながら告げれば、

 

「ぐふっ! ぐふふふふふっ! ぐふふふふっぅうっ!」

 豚が嗤う。心底楽しげに。

 聞く者の神経を逆撫でする不愉快な嗤い声だった。天竜人は神を自称しているが、このデブは神は神でも邪神の類で間違いなかろう。

「愉快だえ。実に愉快だえ。ヴィンデの血がまだ残っていたえ。まったくしぶといえ。ぐふふふふっ!」

 

 ヴィンデ? 海軍元帥としてこの世界の秘密を数多く知るセンゴクも覚えのない言葉。

 

 フランマリオンはひとしきり笑った後、センゴクへぎょろりと鋭い目を向けた。

「箱庭の者は処刑してはならんえ」

 

「は?」センゴクは三度目を瞬かせる。意図が理解できない。「処罰の裁定はまだ下されておりませんが……」

「処刑で無ければ、終身刑でも拷問刑でも構わんえ。とにかく生かしておくえ」

 醜悪な天竜人の要求にセンゴクは怪訝そうに顔をしかめた。眼前の豚が何を考え、何を企んでいるのか、さっぱり分からない。

「聖、よろしければお考えを伺えますでしょうか?」

 

 しかし、

「元帥閣下」フランマリオンの侍従が無機質にセンゴクへ「聖の、神たる天竜人様の御命令です」

「―――承りました。そのように手配します」

 センゴクは不満を覚えながらも、了承した。釈放しろと言われるよりマシだ、と自身を慰める。

 

 クザンとつるが苦労して、多くの海軍将兵が血を流して捕らえた凶悪犯を天竜人(ブタ)の気まぐれで釈放するなどとなったら、クザンとつるに合わせる顔がない。傷つき、斃れた将兵に顔向けできない。そんな事態よりはマシだ、と良かった探し。

 海軍の頂点に立つ男が中間管理職的心情を抱いていると、

 

「よろしいえ、よろしいえ」

 邪神同然のデブがニタニタと笑みを湛え、言った。

「今日はとても気分が良いから、此度の件に関わった者達へ褒美を取らすえ」

 

「は?」幾度目かとなる瞬きをするセンゴク。振り回されっぱなしである。

 

「後ほど、聖より恩賞が下賜されます。感謝して拝受なさりませ」と侍従。

「今日は実に良い気分だえ。ぐふふふ」

 豚はそう嗤いながら、呆気にとられるセンゴクを無視して去っていった。

 

「なんなのだ、いったい……」

 残されたセンゴクの戸惑いを解ける者はいない。

 

      〇

 

「む」

「おや」

 海軍本部の廊下で、2人の海軍大将がばったり出くわす。

 

 片や徹底した正義を背負うマグマ怪人。

 片やだらけた正義を背負う氷怪人。

 

 2人は元より気が合わずお世辞にも仲良しとは言えない関係だったが、オハラの一件以来、両者の間には大きな隔意が存在している。

 とはいえ、2人は不仲であっても、戦友の絆があった。

 

 海軍大将“赤犬”サカズキはクザンの左腕に巻かれたギプスを一瞥し、ともすれば皮肉にも聞こえる調子で言った。

「小娘にやられたそうじゃのぅ。ダラケすぎとるから不覚をとるんじゃ。これを機に立ち居振る舞いを改めぇや」

 

「お気遣い傷み入るよ。おかげで仕事をサボっても怒られねェ」

 海軍大将“青雉”クザンは左腕のギプスを撫でつつ、飄々と切り返す。

 

 ふん、と鼻息をついてサカズキがクザンの脇を通り抜けていく、と。

「そうだ、サカズキ」クザンがサカズキを呼び止め「ちっと聞きてェことがあるんだが」

「なんじゃ」

 片眉を上げて怪訝そうに応じるサカズキ。

 

「高等理工学って分かる? 具体的には力学的現象の物理学って奴なんだけど」

 クザンの言葉にサカズキは眉間に深い皺を刻み、帽子の鍔を掴んで被り直した。

「……しっかり療養せえ。頭の怪我は後が怖いけェのう」

 普段よりいくらか優しい声音だった。

 

 去っていくサカズキを見送り、クザンは眉を下げて呟く。

「頭は怪我してねェよ」

 

     〇

 

「血浴のベアトリーゼをインペルダウンに収監すること自体に異論はないよ。私としてもあの小娘には檻の中で内省する時間が必要だと思ってたからね」

 海軍本部の元帥執務室。

 つるは旧友の上官と顔を合わせ、苦労して捕らえた小娘の処断について話をしていた。

「だけど、その処断は天竜人の意向だとは聞いたよ。いったいどういうことなんだい」

 

「わしにもよく分からんのだ。フランマリオンの当主が突然言い出してな。五老星やサイファー・ポールにもそれとなく探りを入れてみたが、さっぱり分からん」

 センゴクは詫びるように答えた。

「科学班の要請も一蹴されたよ。ベアトリーゼの扱いは完全に確定した。動かせん」

 

 プルプルの実の能力者に関する戦闘詳報と報告書が海軍本部科学班に届いた時、彼らは当然のようにベアトリーゼの身柄を要求した。

 あれこれと理屈と理由を並べていたが要するに――

 調べさせろ。弄り回させろ。実験させろ。解剖させろ。

 というわけだ。

 

『500年先を行く天才』ドクター・ベガパンクはプルプルの実だけでなく、ベアトリーゼの科学的知見にも好奇心と興味を抱いていた。

 

 人間のドクズことシーザー・クラウンはベアトリーゼが戦闘で発揮した破壊と殺戮に強い関心を寄せていた。

 

 他の科学者達にしても『ハズレと見做されていた悪魔の実の秘められた真価』を暴く研究を熱望し、切望し、渇望していた。そのためにベアトリーゼを解体解剖しても良いと思うくらいに。

 

“ジョージ”が『人間のクズ共』と評したが、謂れなき誹謗中傷ではないのである。

 もっとも、彼らが天竜人フランマリオンの意向を覆すことは出来なかったけれど。

 

「全ては天竜人の胸一つ、か」

 つるは苦り切った顔で吐き捨てた。

「……まったく、あの小娘の言い草に同意したくなるよ」

 世界政府と海軍の在り方が気に入らないから八つ当たりするために世界の敵になる、と宣った小娘が脳裏をよぎる。

 

 センゴクもどこか砂を噛んだような顔でつるに尋ねた。

「おつるちゃん。“ヴィンデ”という単語に覚えはあるか?」

 

「ヴィンデ?」つるは怪訝そうに「いや、聞いたことがないね。なんなんだい?」

 

「分からん」センゴクは頭を振り「フランマリオンが口にしていた言葉だ。それが此度の処断に深く関係しているようだ。おそらくフランマリオン家の歴史に関係する言葉だと思うんだが……」

「歴史に詳しい連中は私らが滅ぼしちまったね」とつるが皮肉たっぷりに言った。

 

 センゴクはこほんと咳払いした後、本部中将の上官である元帥として言葉を編む。

「……ベアトリーゼの移送は別の者に委ねる。おつるちゃんと艦隊はレヴェリーの開催に合わせて作戦予備ということにする。戦力回復と休養に努めてくれ」

 

「そうさせてもらうよ」つるは溜息混じりに頷く。

「それとな」

「まだ何かあるのかい」不景気な話はもう聞きたくない、と言いたげな顔のつる。

 

 センゴクはおもむろに口を開き、

「フランマリオンから此度の件に関しておつるちゃんと部下達に褒美が出るそうだ」

「は?」

 不満を忘れて呆気にとられたつるを見て、微苦笑をこぼした。

 

      〇

 

 海軍本部マリンフォードは悪さした海兵をぶち込む懲罰房などを備えているが、基本的に捕縛した悪党をぶち込む留置場や収容所の類はない。捕縛した悪党はマリンフォードまで連れ帰る前に監獄船やエニエスロビー行きの護送船へ引き渡されるためだ。

 

 ただし、ベアトリーゼは例外的にマリンフォードまで連行されていた。これはベアトリーゼを捕らえた本部中将“大参謀”つるがフランマリオンの眠り姫を移送する任務も負っていたからで、そちらを優先した結果、ベアトリーゼもマリンフォードまで連行されたわけだ。

 

 で、現在。

 ベアトリーゼは悪さした海兵達と同様に懲罰房という名の独房にぶち込まれている。

 

 四畳半ほどの狭い部屋には小汚い便器しかなく、眠る時は薄っぺらのかび臭い毛布にくるまって床に寝転がるしかない。鋼鉄製格子付きの小さな明かり取り窓があるだけ。分厚い鋼鉄製ドアには看守用覗き穴と餌用の小型差し入れ口があるが、看守が収容者と言葉を交わすことは、決してない。

 

 この懲罰房において最大の罰は狭さでも不便さでも惨めさでもなく、孤独にある。

 社会性動物である人間は他者との交流と外部の情報を完全に遮断されると、あっという間に精神が壊れていく。真の引きこもりボッチは狂人一直線なのだ。

 

 もっとも、故郷で光も音もない洞窟内をたった一人で彷徨った経験すらあるベアトリーゼにとっては、絶対的な孤独であろうと『三食寝具付き』が確定している時点で屁でもなかったが。

 

 ベアトリーゼは折り畳んだ毛布を枕に寝転がり、海楼石製のごつい手錠と足錠は装着されたまま思案する。

 ――インペルダウン行き、かぁ。

 

 海楼石によって能力を封じられ、身体能力を大きく制限されていても、ベアトリーゼは少しばかり見聞色の覇気を使うことが出来ていた。

 おかげで看守達の雑談などから自分がカームベルト内にある大監獄インペルダウンに移送されるらしいことを掴んだ。

 

 ベアトリーゼは夜色の髪を弄りながら思案を続ける。

 裁判無しで監獄送りかぁ。まぁ私は非加盟国出身の人権無き蛮族で凶悪犯だし、拷問されたり輪姦されたりしないだけマシと思うかなぁ……

 原作知識が曖昧でよく分からんけど、インペルダウンってたしかADXフローレンスみたいな最重警備刑務所だっけ? それとも南米の刑務所みたいな悪党の箱庭みたいなとこ? 

 

 何にせよ……

「到着前に移送船から脱走して適当な島か航行中の船へ逃げ込む、がベストか」

 

 それからロビンが砂怪人と組んで潜伏してる砂漠の……アラバスタだっけ? そこへ行けば、ロビンと会えるはず。その後の身の振り方はロビンと相談すれば良い。

 

 ベアトリーゼは穴だらけの原作知識を掘り返してプランを考える。

 なんせ他にやることがない。

 

 

 

 

 そして、数日後。

 

 

 

 

 ベアトリーゼの身柄は囚人護送船に引き渡されることになった。

 軍艦でインペルダウンまで運ばれる訳じゃないらしい。まぁグランドライン内で賞金5000万ベリー程度の“小物”の扱いはこんなものなのだろう。

 

 懲罰房から出され、ベアトリーゼは武装した海兵達に港まで連れられて行く。足錠が擦れて足首がチクチクする。

 と、ベアトリーゼは視線を感じ、首を巡らせた。

 

 海軍大将“青雉”クザンが官舎の窓辺からこちらを見ていた。

 

 ふむ。

 少し考えてから、ベアトリーゼは足を止めてクザンへ向き直り、わざとらしく投げキッス。

 

 クザンは心底嫌そう、かつ仰々しいほどに顔を大きく歪めた。

 嫌がらせは成功したらしい。善き哉。

 

「何をしている!? さっさと歩けっ!」

 護送役の女性海兵に尻を蹴飛ばされ、ベアトリーゼはクザンから目線を切り、足錠をガチャガチャと鳴らしながら港へ向かって歩き出す。

 

 港に到着すれば、停泊していた護送船『ベッチモ』は中型の外輪式気帆船で、囚人の奪回を試みるアホンダラに対するためか、相応の重武装が施してあった。

 

 ふむ。ふむふむ。

 この規模の単艦なら、海兵の乗員は数十人。収容区画に100人ちょいってところかな。

 

 自分の護送船を観察しながらタラップを登り、船内へ進む。

 収容区画は独房と共同房に分かれていて、共同房は鋼鉄製格子のある一般的な牢屋。独房の方は懲罰房のような完全隔離仕様。

 どうやら自分は独房行きらしい。

 

 共同房にぶち込まれている小汚いチンパンジー達は大抵が海賊の野郎共で、囚人服姿とはいえ見目麗しいベアトリーゼを目にすると、途端に騒ぎ出した。ピューピューと口笛を吹き、囃し立てる。

「可愛い子ちゃんじゃねえかっ!」「こっち来いよ、楽しませてやるぜっ!」「おっぱい見せろっ!」「おほおおおおおおっ!」「おい、ここでマス掻きすんなっ!」

 

 看守が眉目を吊り上げてガンガンと警棒で格子を殴り、

「騒ぐな、クズ共っ! すぐに黙らんと飯抜きにするぞっ!!」

 移送役の海兵達へ八つ当たりするように怒鳴った。

「クズ共が喧しくてかなわんっ! さっさと檻にぶち込めっ!」

 

 海兵達は看守の剣幕に気圧され、ベアトリーゼの両脇を持って独房まで引きずっていく。

「ここがお前の豚箱だっ!!」

 

 ゴミ袋のように独房へ投げ込まれ、ベアトリーゼが小汚い床に転がっている間に、ガシャンと分厚い扉が閉ざされた。

「やれやれ……ぞんざいな扱いだなぁ」

 ベアトリーゼがぼやいているうちに船が動き出す。

 

 かくて血浴のベアトリーゼは地獄の大砦インペルダウンへ向けて送り出された。

 彼女が自由になる日はもう、永遠に訪れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はずだった。




Tips

フランマリオン聖
 オリキャラ。天竜人。何やらヒロインの秘められた素性を知っている御様子。
 元ネタは銃夢:火星戦記に登場する設定、18大公の一人フランマリオン公ズィルバー家。

ヴィンデ
 オリ要素。あからさまな伏線。
 元ネタは銃夢:火星戦記に登場する設定、フランマリオン公に仕えた3兵団の一つヴィンデ兵団。なお3兵団は謀反を起こしてフランマリオン公家没落を招いたらしい。

サカズキ
 原作キャラ。海軍大将で赤犬と呼ばれる菅原〇太。マグマの能力者。






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18:護送船『ベッチモ』の惨劇

 小汚い独房の中で、ベアトリーゼは見聞色の覇気を用いて船外の様子を探る。

 ―――いつまで経っても周りに船も島も現れないんですけど?

 

 原作知識がポンコツのベアトリーゼは知らなかった。

 マリンフォード、エニエスロビー、インペルダウン。これら世界政府の重要施設島の付近には正義の門という天まで届く巨大な鋼鉄製扉が据えられ、同島嶼から成る三角海域内はクソデカい大渦が人工的に形成されており、民間船舶が進入不可能な海域になっている。

 

 そして、この三角海域周辺は島嶼がとても少ない。

 平たく言えば、マリンフォード、エニエスロビー、インペルダウンからなる三角海域と周辺は世界政府の縄張りであり、政府関係以外の進入も存在も禁じられているのだ。

 

 加えて、ベアトリーゼの知らぬ情報として、世界会議が直近に迫っている関係から海軍が海上警備の都合で航路制限を掛けていた。

 

 つまり、ベアトリーゼの脱獄逃走計画は最初から破綻していたのである。ニワカの穴開き知識などこんなもんだろう。

 

 ベアトリーゼは独房内で頭を抱えた。

 どーしたもんかしら。いや、ほんとに。

 

 このままだと船から逃げても、逃げ込む先がない。

 出来れば、もっと海軍本部から離れたところで動きたかったけど、これじゃ護送船から逃げても助からない。遭難するのがオチだ。

 

「……仕方ない。計画変更。ちゃっちゃと動こう」

 ベアトリーゼは腹に力を入れて、胃の中に隠していた釘を舌の上に送り出す。

 

 カチャカチャ――ガチャリ。

 くわえた釘を鍵穴に突っ込んで手錠を開錠。次いで、足錠を外してから、ベアトリーゼは狭い独房内でラジオ体操よろしく強張った体をほぐしていく。形の良い唇から艶っぽい呻き声が漏れた。

 

「んー……流石に鈍ってるな」

 訓練を一日サボれば、調子を取り戻すのに一週間掛かる、だっけ? まぁ何でもいいや。

 

 体を慣らしながら、ベアトリーゼは臨機応変に計画を組み立てていく。

 予定では船から逃げて、能力を使って海上をかっ飛び、付近の島なり航行中の船なりに逃げ込むつもりだった。しかし、近くに島も船もないのでは計画倒れも甚だしい。

 

 海上マラソンをして海に落ちて溺死、なんて無様なオチは避けて通りたいところ。

 であるから、まず救難艇を奪って近場の船なり島なりを目指す。当然、救難艇にはありったけの物資も積んでおく必要がある。このだっさい囚人服も着替えておこう。普通、囚人服を着た遭難者なんて誰も助けない。

 

 後は……

「この船を沈めるか」

 脱走が露見することは出来るだけ先送りしたい。この船を沈めて自身を消息不明、推定死亡にしておく方が動きを取り易い。

 となれば、念には念を入れて――

 

「皆殺しにしておくか」

 昼飯に何を食べるか決めたような軽さで呟く。

 

 外付け良心のニコ・ロビンが居ない今、ベアトリーゼは完全に故郷の――地獄の底で生きる野蛮人の価値観と思考で動く。

 

 臆病なほど注意深く。

 石橋を叩き割って鋼鉄の橋を架け直すくらい慎重に。

 動くと決めた時は大胆で勇敢に。

 殺す時は相手を破壊するほど徹底的に。

 

「それじゃ始めるか」

 アンニュイ顔に冷笑を浮かべ、ベアトリーゼは覇気をまとった右拳で独房の扉の鍵を殴り壊した。

 

 護送船『ベッチモ』で惨劇の幕が開く。

 

      〇

 

 真っ先に制圧したのは通信室だ。

 通信室に詰めていた海兵達はベアトリーゼの進入に気付くより早く頭部を破壊され、悲鳴を上げるどころか、自身の死を認識する間もなく命を落とした。

 

 血塗れの室内で電伝虫を確保し、外部との連絡手段を奪取ないし破壊。ベアトリーゼは船内伝声管を通じて不可聴域超音波を発振。

 

 人の耳では音として認識できない帯域の超音波は静かに、だが確実に作用し、無自覚に聴覚した人間の脳波を乱して半催眠状態に陥らせる。突発性の重度鬱状態や幻覚を見る震顫譫妄状態、一種の金縛りとなり、本人は何をされたのか無自覚のまま無力化されてしまう。

 後は煮るなり焼くなりお好みで。

 

 例外は一部の特異な体質や精神を持つ者、強固なタフネスを誇る覇気使いや能力者くらいだが、不可視かつ不可聴の攻撃だけに手の内がバレるリスクは低い。

 周波振動を伴う打撃や熱プラズマ攻撃などは見せ札。この慎重かつ臆病なネズミらしい狡猾で姑息な、強力な運用方法こそベアトリーゼの真骨頂と言えよう。

 

「さて、塩梅はどうかな」

 ベアトリーゼは見聞色の覇気を最大効力で発動し、船内を探った。

 海兵のほとんどは無力化に成功。極少数の士官が金縛り状態で意識を保っているようだ。囚人もごく一部が健在のまま。

 この連中は能力者か覇気使いなのかもしれない。気を抜かず確実に始末しておこう。

 

 

 静かな足音と『酔いどれ水夫』の口笛が船内に響き――

 

 半催眠状態で身動きの取れない海兵達が次々と殺害されていく。

 男の海兵も女の海兵も。歳若い新兵も退役間近の老兵も。一切の区別なく覇気をまとった拳で頭部を殴り砕き、即死させる。一方的で確実な処刑。

 

 これこそベアトリーゼの望む理想的な戦闘状況。

 故郷で荒野を這い回るネズミとして育ち、ウォーロードの許で戦闘犬として生きた経験から言って、敵と正面切って戦うなど避けるべきことだった。

 

 正面切って戦えば負傷するかもしれないし、負けるかもしれない。

 実際、過日において海軍大将と本部中将に負けて、ズタボロになった挙句、このザマだ。

 

 戦いとは相手が気づかぬうちに仕掛け、何もさせず一方的に攻撃し、一方的に殺すに限る。これならこっちは一切被害無しだし、何より楽でいい。

 

 

 静かな足音と『酔いどれ水夫』の口笛が船内に響き――

 

 やめろやめてくれ。お願い殺さないで。人間のクズがこの野郎。地獄へ落ちろ。

 意識のある海兵達の命乞いも罵詈雑言も一切合切無視し、ベアトリーゼは無機質に淡々と海兵達を殺して回る。さながらホラー映画の殺人鬼のように。

 海兵達を皆殺しにした後、返り血に塗れたベアトリーゼは囚人の収容区画へ向かう。

 

 

 静かな足音と『酔いどれ水夫』の口笛が船内に響き――

 

 悪夢を見ずに意識を保っている囚人が次々と殺害されていく。

 俺の能力は役に立つから殺さないでくれ。あんたの手下になるから助けて。くそったれが~地獄に落ちやがれ。てめぇきたねぇぞ勝負しろクソ女。

 やはり命乞いと罵倒を聞かされるが、ベアトリーゼは完全完璧に無視し、スプラッター映画の怪物よろしく淡々と殺人を重ねていった。

 

 悪夢を見ていない囚人を片付けた後は、各共同房を固く閉ざして逃げられないようにする。船を沈めた後に海水が始末してくれるだろう。

 

 

 そうして、意識のある者達が一人残らず狩り尽くされた。

 囚人服を真っ赤に染め、夜色の髪や物憂げな細面から返り血を滴らせた姿は、まさに血浴(ブラッドバス)の二つ名通り。

 

 ベアトリーゼは見聞色の覇気でもう一度船内を捜索探査。

 ―――問題ナシ。

 後は出ていく時にこの船を沈めれば良い。

 

「次は……や、まずはお風呂入るか。血が臭いし」

 ベアトリーゼは『酔いどれ水夫』の口笛を吹きながら船内浴室へ足を向ける。

 

 返り血を浴びた囚人服と下着を脱ぎ捨て、シャワー口から降り注ぐお湯の雨を浴びる。

 夜色の髪と小麦色の肌が濡れていく。錠をはめられていた手首と足首の擦り傷がピリリとしみた。瑞々しい乙女の肌を滑り落ちていく温かな水が、豊かな乳房から引き締まった腰を通り、臀部と下腹部を伝って二本の美脚へ向かう。

 石鹸で髪と体を洗い、返り血を含んだ赤い泡が排水口へ吸い込まれていく。

 

 浴室を出て髪と体を拭い、ベアトリーゼは裸のまま士官室へ足を運び、女性将校の私物を漁る。未使用の下着を発見して着用。

「んー……サイズがちょっとキツいか? まあ、しゃーない」

 

 次いで女性士官の着衣を拝借。予備の海兵ズボンと私服らしいフリルブラウスを着こむ。

「趣味じゃないけど……選り好みできる状況でもないか。ん? 靴のサイズが合わないな」

 

 男性士官の荷物も漁ってサイズの合う靴下とブーツを見つけて確保。ついでに装具ベルトも頂き、ナイフと拳銃を突っ込む。悪魔の実の能力と覇気を使えるけれど、手札は多い方が良い。

 

 その後、ベアトリーゼは艦長室や指揮所へ赴き、金庫を破壊してログポース数個と経費用資金やいくつかの海図を略奪。医務室と食堂を順に回って物資を搔き集め、甲板の救難艇に積んでいく。

 

「疲れたし、お腹減ったし……脱獄って大変なんだなぁ……」

 全ての準備を終えた頃には日が沈みかけていた。

 

 物資を満載した救難艇を海面に下ろし、ベアトリーゼは救難艇に乗り込んで船首に回り込み、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)双掌打(ドッペルト)ッ!!」

 覇気をまとった黒い双拳に周波振動を乗せ、護送船を全力でぶっ叩く。

 

 過日のフリゲートのように、護送船の船体が大きく歪み割れ、激しく浸水して船首から沈没していった。

 沈没していく護送船に背を向け、

「一人船旅かぁ。前回はロビンに会えたけど、今回はどうかな」

 アンニュイ顔で微苦笑し、ベアトリーゼは救難艇を走らせた。

 

 これが護送船『ベッチモ』で起きた惨劇の一部始終である。

 

         〇

 

 数日後。

 護送船『ベッチモ』が定時連絡を絶ち、インペルダウン到着予定時刻を過ぎても姿を見せないことから、海軍は捜索隊を出した。

 

 四日間の捜索の末、海面に浮かぶ船体一部らしき漂流物と腐乱して浮き上がった複数人の海兵の亡骸から『ベッチモ』が遭難し、沈没したものと判断された。

 

 いろいろ杜撰で稚拙なところの多い組織であるが、海軍は『ベッチモ』沈没に対して調査委員会を設置し、原因究明を図った。

 常識的にいって当然の対応だが。

 

 なんせ海兵数十名余と移送囚人約100名超が死亡したと見做されているのだ。人間のクズ共はともかく、海兵数十名がなぜ犠牲になったのか調査解明することが組織の責任であるし、遺族に対する誠意だ。さらに言えば、世界会議も開催直前。航路上に問題があれば不味い。

 

 ちなみに、調査委員会とは別のところで、この『海難事故』を疑問視する者達が居た。

 

 海軍大将“青雉”クザンは『事故』という報告をまったく信じなかった。

 ()()ベアトリーゼを乗せた船が海難事故に遭って、一人の生存者もなく全員が死亡した?

「怪しすぎるだろ」

 

 本部中将“大参謀”つるも、『事故』ではないと判断していた。

 賊や海王類の襲撃が原因であれ、突発的な気象災害が原因であれ、沈没までに救難信号一つ発信されないなどあり得ない。

「不自然過ぎる」

 

 他にも航海に長けた者達や『ベッチモ』のクルーを知る者達が『この事故はおかしい』と口を揃えた。

 しかし、同海域は難所で沈没船を引き上げて調査することは難しく、事故以外の具体的物証、生存者の証言や第三者の目撃情報もない。極めてグレーな状況でありながら、調査委員会は『事故』という結論以外に出しようがなかった。

 

 それに……非情なようだが、海軍は世界会議(レヴェリー)へ向けて忙しい。海兵数十人の犠牲はともかく、インペルダウン送りになるようなクズ共が死んだところで困ることは一つもない。

 

 かくして、ニュース・クーを通じて『護送船ベッチモ沈没事故』に対する海軍の結論と犠牲者の名簿が発表された。

 犠牲者の名簿には『血浴』ベアトリーゼの名前も載っていた。

 報道後、この死亡認定に伴ってベアトリーゼの指名手配は解除された。

 

 

 

 後に、つるは『ひとの苦労を台無しにして』と酷く機嫌を悪くし、クザンは深々と溜息を吐いて『言わんこっちゃない』とぼやいた。

 理由は語るまでもなかろう。

 

        〇

 

「船一つ沈めるのは流石にやりすぎよ、ビーゼ」

 グランドライン内のとある国。

 ニコ・ロビンはカツラと眼鏡で変装し、名を偽り、公立図書館でクールビューティな司書さんとして市井に潜伏していた。

 

『護送船ベッチモ沈没事故』の記事を目にし、犠牲者名簿にベアトリーゼの名前を確認し、ロビンは思わず微苦笑をこぼす。

 字面通りにベアトリーゼが死んだなどと一切信じていない。

 それどころか、これはベアトリーゼ流の『生存報告』だと確信している。

 

「砂漠ドクトカゲよりしぶとい、そう言っていたものね」

 まあ、ロビンはその砂漠ドクトカゲを知らないけれども。

 

 ロビンは新聞を卓に置き、カップを口に運ぶ。ハチミツ入りの紅茶が優しい甘味を伝えてくる。

 私も何かしらの手段で潜伏場所をビーゼに知らせたいけれど……

 賭けても良い。それをすれば、ベアトリーゼより先に海軍か賞金稼ぎがやってくる。

 

 それに……何度も読み返したスケッチブックのメッセージから察するに、ベアトリーゼはロビンの向かう先に見当がついているようだった。

 信じよう。

 

 カップを卓に置き、ロビンは新聞に記載された親友の名前を愛おしげになぞった。

 ビーゼは必ず自分の許を訪ねてくる。

 

 だから再会の時を信じて、

「私も諦めないわ、ビーゼ」

 青い瞳は希望の力に満ちており、諦めの色は微塵もない。

 

      〇

 

「……ごめん、ロビン。私、もうロビンに会えないかも」

 ベアトリーゼは諦めそうだった。

 暗紫色の瞳は途方に暮れている。

 

 だって、船の行く先に真っ黒な雲が広がっていて、雷雨を伴うドデカい嵐が一直線に近づいてきているのだもの。自分へ向かってぐんぐんと迫ってくるんだもの。

 これから起こることを想像するだけでお腹が痛くなるし、吐き気が込み上げてくるし、目頭がツンと熱くなる。

 

「なんでこんな目に……私が何したっていうのさ」

 色々やらかしている。直近では数日前に大量殺人を犯している。控えめに言っても極悪人である。

 

 ともかく、大ピンチだった。

 

 海王類相手ならまだ持ち前の戦闘力で対応できる。

 

 ちょっとしたトラブルなら前世記憶と能力と覇気で何とかできたかもしれない。

 

 でも、

「特大級の自然災害が相手はちょっと無理かなー……」

 ベアトリーゼは遠い目をして誰へともなく呟く。

 

 もしもベアトリーゼに麦わら一味の美人航海士並みの航海術があれば、まだ何とかなったかもしれないが……如何せん、ベアトリーゼにそんなもんはない。

「大自然の前じゃ、人間なんてちっぽけなもんだね」

 

 へへ、とアンニュイ顔に投げやりな笑みをこぼした後、

「ちきしょーっ! ロビンと再会するまで死んでたまっかぃッ!」

 ベアトリーゼは我に返った。

 迫りくる黒い巨雲と嵐に半ベソを掻きつつ、食料と水を可能な限り防水袋へ突っ込み、ありったけの救命浮き輪と共に体へ括りつけていく。

 

Q:ひょっとして転覆に備えて……?

A:彼女はマジです。

 

「かかってこんかいコラァーッ!!」

 ベアトリーゼは自棄っぱち気味に嵐へ向けて叫び――

 

 

 救難艇は高波の直撃を食らってあっさりと横転沈没。ベアトリーゼはゴムボールのように海へ投げ出された。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 

 さて、悪魔の実の能力者は海に嫌悪される。

 体の大部分が海に浸かれば、意識が飛びかけるほど脱力し、一寸たりとも泳ぐことが叶わない。

 

 波に飲まれ、水中に没したベアトリーゼは、荒れた水流にぐわんぐわんと激しく揉みくちゃにされ、

「がぼぼぼぼぼぼっ!? がぼっ!? ぼっ!? がぼー………」

 間もなく意識を飛ばした。

 

 

 

 大量殺人犯に天罰が下ったのかもしれない。




Tips

護送船ベッチモ
 テキトーに思いついた名前。
 果たして、これほどの凶行を行う人物が麦わら一味に入れるのだろうか。

催眠超音波。
『砂ぼうず』オマージュ
 第二部の序盤において、小泉太湖がハイテク装備で行っていた戦術。

彼女はいつもマジ。
『砂ぼうず』オマージュ
 分かる人には分かってほしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19:女海兵。王女。女賞金首

ちょっと長めです

蜂蜜梅さん、フェルミウムさん、金木犀さん、誤字報告ありがとうございます。
作中表現の誤謬を指摘いただき、修正しました(11/11)。


 ベアトリーゼが18歳、ニコ・ロビンが21歳のこの年、聖地マリージョアのパンゲア城で世界政府加盟国による世界会議(レヴェリー)が催される。

 

 四つの海とグランドライン内のあちこちから各国の王族を乗せた御召船がマリージョアを目指して進んでいた。

 むろん、玉体の行幸であるから船には精鋭の護衛が満載であり、海軍が派遣した護衛艦を伴っていて、各護衛船には相当の手練れ達が配置されていた。

 アラバスタ王国の国王ネフェルタリ・コブラとその御息女を乗せた御召船の護衛艦には、海軍本部中佐に上がったばかりの能力者“黒檻”ヒナが配属されている。

 

「ヒナ中佐。マリージョアに着くまで私の代理を務めてみるかね?」

 護衛艦の老艦長がまだ30に届かない海軍本部中佐“黒檻”ヒナへ提案した。

 

「よろしいのですか?」

 きっちりとした緩みの無い雰囲気の美女が微かに表情を綻ばせた。

 

 ヒナは20代半ば。薄桃色の長髪が似合う凛とした顔立ち。長身を紅いパンツスーツで包み、佐官用白コートを肩に羽織っている。

 士官学校時代も任官後も優等生的な海軍将校であり、優れた能力者であることも手伝い、ヒナは出世の早い方だ(事実、現在20代半ばで本部中佐だ)。

 

 が、オリオリの実を活かした高い捕縛能力を買われ、上層部に戦闘要員と見做されている感が強く、海軍将校の花形――船長/艦長職をまだ経験していない。

 同期の中には大尉や少佐で連絡/通報艦やフリゲートの艦長を務めている者もいるのに……

 優等生のヒナは同期の煙男と違い、上層部へ噛みつくことはないものの、船長職に任じられていない点に関しては『ヒナ不満』とこぼしていた。

 

「今回、君がこの艦の副長に任じられたのは、王族護衛のためだけでなく、私の副長として艦長の立ち居振る舞いなどを学ばせるためだよ」

 老艦長は柔らかく微笑み、ヒナへ言った。

「上は君に期待しているのだ」

 

「……分かりました。艦長代理の件、お受けします。ヒナ感謝」

 あくまで冷静沈着に、だが、美貌を歓喜に和らげながら、ヒナは艦長に敬礼した。

 

 一方。

 アラバスタ王国御召船でも、この航海を楽しんでいる者がいた。

 

「今日も海がキラキラ輝いてるっ! 綺麗っ!!」

 可憐な顔立ちに鮮やかな青玉色の髪を結ったポニーテールがよく映える。可愛い。華奢な体を包む上品なワンピースも大変にお似合いだ。可愛い。

 ネフェルタリ・ビビちゃん(10歳)である。可愛い。

 

「ビビ様ーっ! 危ないですからすぐに降りて―――いえ、迎えを行かせますから大人しくしていてくださいっ!!」

 御転婆王女ビビはいつの間にかメインマストのてっぺんにある檣楼(しょうろう)に登って心底楽しそうに目を輝かせ、彼女の身を案じて護衛隊長のイガラムが顔を蒼くしていた。

「はっはっは。ビビは今日も元気で可愛いなっ!」

「笑っている場合ですか、コブラ様っ!!」

 親バカな国王が娘の心配より娘の笑顔を喜ぶ様に、イガラムは不敬ながらツッコミを入れずにいられない。

 

「あああもうっ! ペルッ!! ビビ様をお迎えに向かえっ!」

「はっ!」

 隊長の命令に護衛隊副官ペルは即応し、両腕を猛禽の翼に変化させて羽ばたかせ、メインマストのてっぺんへ向けて飛び上がった。

 

 非常に希少な動物系悪魔の実トリトリの実『モデル・ファルコン』の能力者であるペルは、王国最強の戦士である。が、この時はまだ二十代半ばの青年。いろいろ経験が足りない。

「ビビ様。そこは危ないですから甲板に降りましょう」

 滑らかに檣楼へ着地したペルが恭しく幼い姫君へ上申する。

 

「ええー……せっかく良い景色が見られるのに……」

 美少女御姫様ビビは拗ねるように唇を尖らせた。可愛い。

「あ」良いこと思いついた、とビビは微笑み「ペルが傍にいれば危なくないわっ! 一緒に景色を楽しみましょう!」

 

「えっ? いえ、そういう訳には」と戸惑うペル。

「ペルが居ても危ないの?」と小首を傾げるビビ。可愛い。

「そんなことはありませんっ!」ペルは力強く「私はいついかなる時もビビ様をお守りしてみせます!」

 

「なら、一緒に景色を見ても大丈夫ねっ!」

 言質を取ったと言わんばかりに悪戯っぽく笑い、ビビは眼下のイガラムへ告げた。

「イガラムッ! ペルが一緒だから危なくないわっ!」

 

「そうです、イガラム隊長っ! 自分が一緒なので大丈夫ですっ!」と本末転倒なことを言ってくる護衛隊副官。

「何を言いくるめられておるんだお前はッ!!」

 イガラムは10歳児に言いくるめられた部下に頭痛を覚え、

「はっはっは。ビビは賢くて可愛いなっ!」

 暢気に高笑いする主君に、思わず頭を抱えた。

「あああああああ」

 

 そんな一連のやり取りを見守っていたもう一人の護衛隊副官のチャカは思う。

 うむ。今日も平和だ。

 

       〇

 

 しかして、何が起きるか分からないのがグランドラインという海だ。

 

 天候や海流の激変。危険な海棲生物の襲来。そして、

「報告ッ!! 10時の方角、距離約4500に海賊船を複数発見ッ!! 視認できた船影は3っ!」

 通信士が檣楼の監視員から報告を受け、老艦長と現在、艦の指揮を任されているヒナへ報告した。

 

「海賊船が3隻。計画的にアラバスタ王国御召船を狙ってきた?」とヒナが眉をひそめた。

「王族の誘拐に成功すれば、多額の身代金と悪名……連中にとっての名声が手に入る。海軍護衛船とやり合う価値があると踏んだようだな」

「つまり、我々をナメているわけですね。ヒナ憤慨」

 美貌を歪めつつ、ヒナは老艦長へ問う。

「指揮権をお返ししますか?」

 

 非常事態だ。艦長職のお勉強をしている場合ではないし、責任問題が生じる可能性もある。老艦長は首肯した。

「そうだな……艦の指揮は私が取ろう。ヒナ中佐は甲板上で待機。接舷戦闘に備えてくれ」

 

「はっ! すぐに! ヒナ出撃」

 ヒナは敬礼をし、足早に甲板へ向かった。

 

 

 

「護衛艦より連絡。海賊はこちらで対処する。避難されたし。以上です」

 伝令の報告に、

「敵は数に優ります。我らも助勢した方が良いのでは?」

 護衛隊副官チャカが上申するも、

 

「無用だ。それは彼らの面目を潰すことになる。信じて任せることも、守られる者の務めだ」

 アラバスタ国王コブラは首を横に振り、通信士へ告げた。

「了解の旨を伝え、儂の名で武運長久を祈ると送れ」

 

「分かりました、すぐにっ!」伝令は敬礼し、すぐさま通信室へ向かっていった。

「ん?」コブラは周囲を見回し「ビビはどうした?」

「え? 今、そこに居られたはず」

 チャカも周囲を見回して小首を傾げた。可憐な姫様の姿はどこにもなく――

 

「ビビ様ーっ! 危ないから降りて下さいっ!!」

 甲板の方からイガラムのバリトンが響いてきた。

 

「……よほど、マストの上がお気に召したようですな」

「うーむ。流石に少し言って聞かせた方が良いかもしれん」

 眉を大きく下げたチャカと、困り顔を浮かべるコブラ。

 

 そして、

「見て、ペルっ! 海賊が来たわっ! しかも3隻も……海軍は1隻だけど大丈夫かしら?」

 メインマストの上で双眼鏡を構えるビビ。可愛い。

 

「護衛艦は精鋭と聞いております。数に劣っていても後れは取らないかと。それに、もしも護衛艦に事あれど、我らが控えております。ビビ様とコブラ様には指一本触れさせません」

 隣に控えるペルが力強く応じた。

 

 ただし、当のビビはペルの忠義より海戦の行方に気を取られていて、

「ねえ、ペル」

 しなやかな手で海戦が始まった方角とは別方向――御召船が進む先を差した。

「あっちにも何か見えるわ」

 

「え?」

 ペルが顔を向けた先、何もない海面がボコボコと大きく泡立ち始め、ずぼっと“そいつ”が海上に顔を見せた。

 

 王国最強の戦士は顔を引きつらせ、怖いもの知らずの御転婆姫も顔を蒼くする。

「―――海王類ッ!!」

 

 海の王と畏れられる種族の巨大海棲生物は蛇のように長い首を海面に突き出し、御召船へ向けて牙を剥いてみせた。

 

      〇

 

『御召船近傍に海王類が出現っ!!』

「何? 不味いな」

 監視員からの報告に老艦長が顔を強張らせた。

 

 海賊共はともかく、海王類は撃退も討伐も簡単にはいかない。

 こういうことが無いよう、護衛船や御召船は船底に海王類をやり過ごせる海楼石を敷き詰めてあったのだが……グランドライン内で万全はあり得ない。

 

「予定変更。最大船速で船首回頭。海賊共を無視して御召船の救援に向かえ」

「海賊達に背を向けることになりますが」と艦付き参謀。

「艦尾砲で白燐弾を打ち込め。マストと上甲板を焼き払えば奴らの船足は止められる」

 老艦長は命令を発した。

「御召船をマリージョアまで無事にお連れする。それが最優先にして最重要任務だ。甲板で待機中のヒナ中佐に伝えろ。場合によっては海王類の相手をしてもらうと」

 

 艦長の命令は速やかに実行された。

 頑健な船体が軋むほどの急回頭が行われ、護衛艦が御召船の許へ急行していく。

 

 これを好機と見た3隻の海賊船が数をかさに着て追撃を試みる、も、護衛船の船尾に搭載した艦砲から白燐弾が撃ち込まれ、たちまち船足を鈍らせた。

 

 ワンピース世界のこの時代、白燐弾は煙幕弾や信号弾として採用/配備されていたが、現場では白燐の焼夷効果を応用し、焼夷弾として用いていた。

 むろん、木造帆船といえども白燐弾程度では炎上したりしない。が、マストの帆や索具は確実に焼損するし、甲板上の人間もただでは済まない。

 

 事実、白燐弾を浴びた海賊船は阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 なにせ人体に付着した白燐は骨まで焼くし、水を掛けても消えない。白燐自体が燃え尽きるまで体を焼かれる激痛にのたうち回るしかない。白燐弾の俗称――ウィリーピート『ぎゃあぎゃあ騒ぐ』の由来が如何に悪意的か分かろう。

 

「流石にあれは惨い。ヒナ同情」

 ヒナは白煙に包まれた海賊船から届く苦悶と苦痛の絶叫に眉をひそめる。

 

「俺らを倒して王族を誘拐しようっていう図々しい連中です。いい気味ですよ」

 傍らにいた海兵が冷酷に鼻を鳴らし、ヒナへ問う。

「中佐殿、海王類が相手です。海賊よりずっとヤベェですよ。大丈夫ですか?」

 

「人間相手よりは苦労するだろうけれど」

 紙巻き煙草をくわえ、ヒナはライターで火を点して紫煙をくゆらせた。

「御召船を守ってみせる。ヒナ決意」

 覚悟と決意で固められたその横顔は、誰もが息を呑むほどに美しい。

 

      〇

 

 その海王類は頭だけでも御召船よりデカかった。

 アリゲーターガーみたいな面を御召船へ向け、船の上方から大口を開けて襲い掛かる。

 

 御召船は海王類から逃れようと急回頭を始めた。マストの先端に居たビビとペルは強烈な遠心力の荷重に晒された。

「きゃああっ!?」

「ビビ様ッ!」

 恐怖からその場に屈みこむビビ。咄嗟にペルは獣化して翼を広げ、脚でビビを優しく掴み、空へ退避した。

 

「パパッ! 皆っ!」

 御召船に向けて発せられるビビの悲痛な声に、ペルも歯噛みする。主君と上官、同僚、同胞達の身を案じるが、もはやできることは何もない。

 

 と、御召船に迫った海王類の横っ面に爆炎の華が咲き、周囲に大きな水柱が立ち並ぶ。

 護衛艦が牽制射撃を加えたようだ。海王類の図体が破格とはいえ、初弾から命中させた手腕にペルも舌を巻く。

 

 横っ面を引っ叩かれ、海王類は咄嗟に身を捩って食事から回避に切り替える。野生動物は第一に生存本能を優先する。些細とはいえ異常事態があれば、まず退いて状況確認を行う。

 海王類の真っ赤な瞳が自身へ向かって迷うことなく突っ込んでくる――ちっぽけな何かを捉えた。

 

 このちっぽけな何かの正体は海王類には分からないが……こんなちっぽけな存在に食事を邪魔されたことに強く苛立つ。

 海王類は標的を御召船から護衛艦へ変えた。恐ろしげな牙の並ぶ口を全開にし、巨躯を半ば海上に出して護衛艦へ飛び掛かる。

 

『号令に合わせて面舵半分ッ!! 奴の鼻先で回避するッ! ヒナ中佐、頼むぞっ!』

「了解しましたっ! ヒナ交戦っ!!」

 伝声管から響く老艦長の声に応じ、ヒナはオリオリの実の能力を発動。両腕から漆黒の檻格子が船外へはみ出るほど長々と展張し、

「わたくしの身体を通り過ぎる全てのものは……禁縛(ロック)されるっ!」

 

 海王類の大顎(あぎと)が護衛艦へ迫り、

『面舵半分っ! 今っ!!』

 護衛艦が急速回頭して海王類の牙をぎりぎりで避けていく、刹那。

 

袷羽檻(あわせばおり)っ!」

 ヒナの両腕から伸びていた漆黒の檻格子が鞭のようにしなり、海王類の巨大な首元に漆黒の檻が絡みつき、鉄環の如く締め上げた。

 

 その凄まじい締め付けトルクによって分厚い海王類の頑健な鱗殻が砕け、皮膚が裂け、脂肪と筋肉が潰れ、頸椎部が割れ、喉がひしゃげる。

 

 オリオリの実は肉体を黒檻に変化させ、能力者が触れたものを黒檻で捕縛する能力であるが……殺害が出来ない能力ではない。一般的な手錠でさえ締め付けトルクを誤れば捕縛者の手首をへし折ったり、鬱血させて壊死や心不全を起こすのだから。

 

 頸椎部を圧迫骨折され、喉を潰された海王類は血反吐を噴き出した。それでも、海の王と称される生物は即死しない。海面を血に染めながら狂おしく巨躯を捩り、御召船へ向かって突っ込んでいく。

 

「ヒナ不覚っ!」

 こうなってはヒナにも護衛艦にも打つ手はない。仮に命を刈り取れても、砲弾を雨霰と浴びせても、慣性の法則が圧倒的な質量を御召船に衝突させてしまう。

 

 万事休す。

 誰もがこれから生じる惨事を想像し、顔を強張らせ、身を凍り付かせた刹那。

 黒檻が巻き付いた海王類の頸椎部がブクリと膨らみ、

 

 

 

 どかんっ!

 

 

 

 頸椎部から鮮烈な爆発が発生し、海王類の頭が半ば千切れかける。頭部が千切れかけたことで重心と慣性の荷重が移り、体躯の軌道が変化した。

 

 海王類の巨躯が御召船の手前で着水。莫大な水量の水柱が昇り、大きな波紋で御召船と護衛艦を激しく揺らした。巻き上げられた大量の海水が周辺一帯へ雨のようにざあざあと降り注ぎ、虹が掛かる。

 

 大きく波打つ海面に横たわる海王類。流れ出る大量の血が海面を赤く染めていく。

 

 大量の海水を浴びたヒナは脱力感と護衛対象が危機を脱した安堵から、大きく息を吐きつつも、海王類の不可解な最期に首を傾げる。

「……何が起きたの? ヒナ疑問」

 

 ヒナが海王類を倒したと誤解し、海兵達が歓声を上げるも、

『諸君、喜ぶのはまだ早いぞ。海賊共は諦めておらんようだ。再度回頭し、バカ共を叩きのめす。戦闘態勢を立て直せ』

 応ッ!!

 老艦長の命令に、海王類撃破で士気を挙げた海兵達が頼もしく応じた。

 

 海賊退治に意識を注いでいた海軍は気づいていなかった。

 本来、真っ先に歓声を上げるべき御召船から喝采が上がらず、どこか困惑した雰囲気が漂っていることに。

 

 そして、上空に退避していた10歳の王女はヒナの疑問の答えを知っていた。

「ペル……今の見た?」

「はい、ビビ様。私も見ました」

 

 いつの間にかペルの背中に移っていたビビは、眼下の大怪獣退治劇を鳥瞰で観戦し、目撃した。

 

 海王類の首が爆発し、御召船の手前に着水する瞬間。

 首に開いた大穴から小さな影が飛び出し、御召船の甲板に降り立ったところを。

 その小さな影の唐突な登場に、御召船が驚き困惑していることを。

 甲板上で護衛隊の将兵達が対処と反応に窮していることを。

 

「ペル、甲板に降りて」

 ビビの願いに、ペルは困り顔を浮かべた。

 

「危険です、ビビ様。イガラム隊長やチャカが対処してからの方が」

「ペル。お願いっ! 凄く気になるの」

 真剣な顔で頼み込んでくる王女殿下へ否と応じるには、ペルはまだ若かった。姫の願いを叶えることを優先して思考し、判断してしまう。

「着艦後は私の前に出ないでください。約束ですよ」

 

「うんっ! 約束するわっ!」

 花のような笑顔を浮かべるビビに、小さく微苦笑しつつ、ペルは甲板へ向けて降りていく。

 

 

 

 で。

 

 

 

「うわぁ」

 甲板に降り立ち、ペルの陰から“それ”を見たビビは、護衛隊の兵士達やペルと同様にドン引きした。

 

      〇

 

 話を幾日か前に戻そう。

 

 前提として、ワンピース世界に地球世界の常識は通じない。

 たとえば、海賊王の船医だったこともある老灯台守は、ピノキオよろしく超巨大鯨の胃の中にワンマンリゾートを作っちゃったり。太陽のように笑う少年は大ウワバミに飲まれた際、体内を洞窟と勘違いして大冒険しちゃったり。

 

 ベアトリーゼもそんなワンピース世界の現実を体験した。

 嵐によって海中に没した後、海王類にごっくんと一飲みにされ、ぎりぎりで溺死を免れた。もっとも、海王類の胃袋は完全な暗闇の世界であり、食われた大魚や海獣や船舶の残骸が浮かぶ胃酸の海であり、化物染みた寄生虫の巣窟であり、修羅場慣れしたベアトリーゼをして耐え難いほどの悪臭に満ちた空間であり、海王類が大きく動く度に攪拌されるミキサーだった。

 

 目を覚ました時、ベアトリーゼが地獄に落ちたのかと勘違いしても無理はない。

 見聞色の覇気で自分が海王類の胃袋の中にいると知った時、ベアトリーゼの胸中に到来した感情は表現が難しい。

 

「そりゃ、私は控えめに言っても地獄行きの人生を送ってきたよ? だけど、因果応報にしても報いが過剰じゃないかな……」

 嘆きながらも、そこは砂漠ドクトカゲよりしぶとい女。早々に脱出計画を練り始める。

 

 しかし――

 プラズマ溶解炉を使えば、この胃袋から腹に焼き穴を開けて体外に脱出できるだろう。が、その後は海水に力を奪われて溺死だ。

超音波でこの化物に催眠を掛けてみるか? ……駄目だ。この化物に効く周波数や催眠暗示を掛ける方法を調べている間に胃酸で溶かされちまう。

 どうする? どうする? どうする? どうやってここから脱出する?

 

 考えれど考えれど、答えは見つからない。

 それに、考えてばかりもいられなかった。

 

 海王類が大きく動く度、胃の中は大地震に襲われたように荒れ狂う。食われた魚類や海獣などの死体が胃酸に融解されて独特の悪臭が生じ、気を抜けば嘔吐してしまう。挙句は人間大サイズの寄生虫が襲ってくる始末。

 

 眠っている間に溶かされたり、寄生虫に食われたりしないよう、船舶の残骸と死臭漂う大型海獣の身体で作った寝袋にくるまって寝る外なく(もっとも、まともに眠れるわけもなかったが)。

 手持ちの水と食糧が尽きた後は、胃袋の中にある魚や海獣の死体、倒した寄生虫を食うしかなかった。

 

 シャレにならないほど過酷な状況。故郷を地獄の底だと思っていたが、ここは故郷より酷かった。さしものベアトリーゼも泣きが入るほどに。

 ぶっちゃけ発狂していないことが奇跡というか、発狂しないこと自体がある種の人格的異常性を証明しているというか。

 

 そして、ベアトリーゼはいよいよ進退窮まり、腹を括った。

「……もういい。もう殺そう。コイツを殺そう。コイツをぶっ殺して、浮袋を脱出シェルター代わりにして海面に脱出する。その後は出たとこ勝負だ」

 

 で、だ。

 

 大博奕に出ようした時、見聞色の覇気で海王類が海面近くまで上昇していくことを把握。しかも周囲に船が居る!

「ああああああああああああああああああああああああっ!!」

 言語能力を明後日へ投げ捨て、ベアトリーゼは覚悟ガンギマリの血走った目つきで体に浮き輪を巻き付け、残された体力を絞り出して燃焼プラズマを作り出そうとしたその矢先。

 

 海王類が大暴れし、ベアトリーゼは胃袋の中で揉みくちゃにされ、血反吐と一緒に食道へ向けて押し流された。

「ああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 逆流の中で体に巻いた浮き輪が剥ぎ取られ、このままでは海面に落ちた瞬間、水没するという恐怖に、ベアトリーゼのしぶとさが発揮された。

本能的に展開された見聞色の覇気が、海王類の頸部損傷と御召船の位置を捕捉。今生でも上から数えた方が良いほどの超集中力を発揮した。

 

「ああああああああああああああああああああああああっ!!」

 腰に巻いていたナイフと拳銃を血反吐へ突っ込み、血液と胃酸の電子へ超高速振動を与え、強引な電気分解モドキを実行。たんぱく質が焼ける悪臭と塩素の臭いに嘔吐しつつ、爆発的に生じた水素と酸素を迷うことなく静電気で、どかん!

 

 武装色の覇気をまとって限界まで肉体を強化してもなお、脳を揺さぶり、内臓をひっくり返し、骨の髄まで振るわせる高圧衝撃波が、ヒナの黒檻で脆くなった海王類の首を吹き飛ばし、血肉諸共にベアトリーゼを体外へ噴出。

 ベアトリーゼは残った最後の体力を絞り出して姿勢を制御し、御召船の甲板へ落下した。

 

 甲板に着地後、ベアトリーゼは顔面から突っ伏すように崩れ落ち、意識を失う間際に思う。

 海王類なんて大嫌い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 およそ人間が表現できるどんな臭いよりも酷い悪臭を漂わせ、でろでろの血反吐に塗れてゾンビよりヒデェ有様の女を前に、ネフェリタリ・ビビちゃんは鼻を摘まみながら呟く。

「何があれば、こんなことになるの?」

 姫の疑問に答えられる者はいなかった。




Tips

黒檻のヒナ
 原作キャラ。艦長になれないうんぬんはオリ設定。
 個人の戦闘能力が階級に直結するワンピース世界海軍の組織序列を考慮すると、単に捕縛できる能力とは思えない。
 口調再現の二字熟語が地味に大変。

ネフェルタリ・ビビ。
 原作キャラ。アラバスタ王国王家の一人娘。
 現在は10歳。
 10歳児の表現がこんなに難しいとは思わなかった。

ネフェルタリ・コブラ、イガラム、ペル、チャカ。
 いずれも原作キャラ。いずれも再現が難しい……
 
海王類。
 ワンピース世界で生物ヒエラルヒー最上位者。
 脅威度はピンキリっぽい。

ゲロ塗れ。
『砂ぼうず』オマージュ。
 小泉太湖は第一部ではウンコ塗れになり、第二部では汚物に塗れた。

『ああああああああああっ!!』
 書いていてシリアスサムのカミカゼを思い出した。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20:ビビちゃんと謎の老婆

ちょっと短めです。


「信じ難い話ですが、この女性はあの海王類の体内から飛び出してきたようなのです」

「……ヒナ驚愕」

 

 海王類を討伐し、護衛艦が海賊を蹴散らした後、御召船の被害確認のために本部中佐ヒナが移乗してきて、

「御覧の通りで事情聴取も出来ん有様でしてな。名前すら分からん」

 護衛隊長イガラムは目線をヒナからベッド上で昏睡状態の女性へ目を向けた。

 

 御召船の客室。そのベッドに横たわる女性は、色素の落ちた紺色っぽい髪に小麦色の萎れた肌をした――“老婆”にしか見えない。

 よぼよぼの皺くちゃお婆ちゃんを前に、ヒナは腕組みして唸る。

 

 優等生な将校であるヒナは、グランドライン内の主要な海賊や指名手配犯を把握しているが、こんな老婆は覚えがない。

 直近で生じた近海の海難事故は護送船ベッチモくらいだが、あの船に海兵にも囚人にも老婆はいなかったはず。

 

「うーむ……ヒナ困惑」

「こちらも困惑していますよ」

 イガラムは昏睡状態の女性が甲板に落ちてきた時のことを思い出し、溜息をこぼした。

「なにせ凄まじく汚く、凄まじく臭かった。近づこうにも、臭気で目が開けていられないほど痛くなるわ、気が遠くなるほどの吐き気を催すわ……本当に大変でした。彼女の身を清潔にする際の人選は、決死隊を選抜するような悲壮感が漂いましたよ」

 

 そう、女性は本当に汚く臭かった。アラバスタ王国の精鋭達すら近寄れぬほどに。動物系悪魔の実イヌイヌの実モデル・ジャッカルの能力者であるチャカなどは、その優れた嗅覚が仇となり、悪臭によって体調を崩したほどだ。

 

「御苦労様です。ヒナ同情」と表情を崩しつつ「所持品の類は?」

 

「身元を示す物も貴重品の類もなかったし、被服類は疫病が発生しかねんと判断して海へ投棄処分済みだ。もう本当に臭くて臭くてな……」

 イガラムは疲れた溜息をこぼし、

「海王類を撃破した貢献者かもしれんし、単に居合わせた遭難者かもしれん。いずれにせよ、現状は不審者の可能性もあるので拘束してあります」

 老婆の右手首とベッドのフレームを繋ぐ手錠を一瞥した。

 

「正しい判断かと」

 ヒナはアラバスタ王国人達の判断と措置を肯定し、思案する。

 

 海上遭難者の救助と保護は海軍の主要任務の一つだ。護衛対象の御召船が保護したこの身元不明者――状況的には不審者でもある――を引き取ることは、救助保護と護衛対象の安全確保に適う。

「この女性は我々の護衛艦で保護しようと思いますが、」

 

「それが筋だと思います。ただ、ですな」

 イガラムは自慢の巻き毛を弄りつつ、少々困り顔で続ける。

「国王様は、救助保護したのだから仕舞いまで面倒を見る、と。少なくとも療養を終えるまではアラバスタ王国で保護すると仰せです」

 

「それは」と眉根を寄せるヒナへ、

「待たれよ。貴官の言いたいことがおそらく正しい。私も護衛として同意します」

 ヒナの言葉を遮り、イガラムはどこか誇らしげに告げた。

「然れども、アラバスタでは、砂漠で迷い人を救ったならオアシスまで共に歩むべし、という。国王様がアラバスタ人の矜持に従い、この女性を保護するとお決めになったのであれば、我らも否やはない」

 

「個人としては素晴らしい人倫意識だと思います。ですが、海軍軍人として、迷い人が悪党である可能性を危惧せぬわけにはいきません」とヒナが指摘する。

 

「まさに。しかし、我らは疑うより信じることを尊ぶ。どうか我らの矜持と国王様の意向を尊重して頂きたい」

 一礼するイガラム。

 

 国王の信頼深い護衛隊長に頭を下げられては、これ以上食い下がれない。ヒナは小さく鼻息をつき、首肯した。

「……わかりました。ただし、警戒は怠らぬよう願います。ヒナ心配」

 

「貴官の心遣いに感謝する。忠告も心に留め置くと約束しましょう」

 イガラムはどこか安堵したように頷き、告げた。

「ところで、国王様と王女様が先ほどの貴官らの活躍を讃え、艦長殿と貴官を茶会に御招待したいとおっしゃっている。時間を作って貰えるだろうか」

 

「艦長と相談してみなければわかりませんが、都合がつくよう調整してみます」

「是非お願いする」イガラムは警備の部下に「ここは任せるぞ」

「はっ!」

 警備の護衛隊士を残し、イガラムとヒナが客室を出ていく。

 

 かくして、海軍本部中佐“黒檻”ヒナは老婆の素性に気づかなかった。

 優等生で情報通で教養豊かなヒナも、まさか18歳の乙女が衰弱して老婆のような姿に成り果てているなど、想像できなかった。

 

 まぁ非常に稀有な事態だから、無理もない。

 人は壮絶な超過労と激烈な超ストレスに掛かると、普通は死ぬ。

 が、死なずに済んだ場合、衰弱から老いたような姿になるケースがある。

 いわゆる『心労で老け込む』という現象の極端な在り方だ。

 

 この急激な肉体の老化現象は、不可逆的なこともあれば、飯食って寝てれば回復することもある。

 血浴のベアトリーゼという女がどちらかは、言うまでもなかろう。

 

     〇

 

 海王類の体内から飛び出してきたゾンビモドキの悪臭老婆が着艦し、誰も彼もが困惑と戸惑いを湛えていた中、国王コブラが真っ先に決断を下し、命じた。

「この者が何者であれ、とにかく体を洗って清潔にしてやれ。汚すぎるし臭すぎる」

 

 拾ってきた野良猫の扱いである。が、人間の出来たコブラだからこその判断でもあった。

 ワンピース世界の一般的な王侯なら『この汚物をさっさと海へ捨てろ』と言い出してもおかしくなかった。

 そして、アラバスタ王国の可憐な御転婆姫はこの“野良猫”に興味津々だった。

 

「あの人、目が覚めた?」「あの人、起きた?」「あの人、気が付いた?」等々頻繁に昏睡同然に眠りこける老婆の様子を見に来る。

 

 先に触れたように、老婆が安置された客室には護衛隊の警備が置かれ、老婆の右手は鉄製の手錠でベッドに括りつけられていた。不審者だからね、仕方ないね。

 

 

 そうして御召船が聖地マリージョア近海に至った頃。

 

 

 ビビが父と朝食を取っているところにイガラムがやってきて告げた。

「コブラ様。あの女性が目を覚ましました」

 

「! あの人、起きたのっ!?」

 ビビが喜色を浮かべて席を立とうとするも、

「まだ食事中だぞ、ビビ」

 コブラが厳しい声音で叱る。親バカで娘に激アマな親父であるが、躾は押さえるべき点をしっかり押さえていた。当然だろう。彼の大事な愛娘はいずれアラバスタの女王となるのだから。

 

「ごめんなさい、パパ」しゅんと俯くビビ。

 とはいえ、朝食の場に些か気まずい雰囲気が漂う。

 

「んんっ! マーマーッ!」とイガラムが突然発声練習を始め「ビビ様。あの女性に興味がおありなのは分かりますが、素性が定かでない者とお会いさせるわけにはいきませんぞ」

「堅いこと言うな。ビビはしょっちゅう街に繰り出して大冒険してるだろうが」

 イガラムが常識的な見解を告げたのに、なぜかコブラが逆ネジをぶっ込む。

「なんで貴方がそういうこと言うんですかっ!?」とイガラムもツッコミを堪えられない。

 

 叱られて俯いていたビビは父と護衛隊長のやり取りに機嫌を直し、にっこり微笑む。そのうえで尋ねる。

「イガラムが一緒でもダメ? チャカやペルが一緒なら良い?」

 

「……分かりました。私が御一緒なら」

「やったぁ!」

 花のように笑うビビに、イガラムも釣られて微笑み、コブラも優しい笑みを浮かべて思う。

 ビビは世界一可愛い。

 

 マナー正しく朝食を終え、ビビはイガラムを伴って客室へ足を運ぶ。好奇心で小さな胸がはち切れんばかりにワクワクしていた。聞きたいこと尋ねたいことが次から次に浮かんできて、お話することが楽しみで仕方なかった――

 

 のだけれども。

 

「○×▽~◎~※※◇~〇□~」

 ベッドで上体を起こしていた老婆は、焦点の合わぬ暗紫色の瞳で虚空を見つめながらブツブツと謎の言語を呟いていた。

 

 一言でいって、怖い。ビビは即座にイガラムの陰に隠れたし、イガラムもドン引きした。警備の護衛隊士は半ベソを掻いている。

 

 平気そうにしているのは国王一行に帯同していた侍医と御召船付船医、セクシー看護婦だけだ。

 

「お、御婆さんは大丈夫なの?」

 ビビがおずおずと医者達に尋ねる。

 

「体力はちっと回復したようですが」「精神的疲労はまだ回復してないようですな」「とりあえず栄養剤を打っておきましょう」

 侍医と船医とセクシー看護婦が『あるあるよくある』と言い、老婆へ処置を進めていく。

 

「××~●▽~※◎※~~◇◆~ヴッ!」

 注射を打たれた瞬間、老婆は白目を剥いてぱたりとベッドに倒れ込んだ。

 

「!? 死んじゃったのっ!? お婆さん、死んじゃったのっ!?」

 ショッキングな光景にビビが驚愕し、目尻に涙を浮かべる。

 

「大丈夫です」「寝ただけです」「多分」

 侍医と船医とセクシー看護婦が『あるあるよくある』と言い、イガラムは内心で『こいつらヤブじゃなかろうな』と疑った。

 

      〇

 

 ビビちゃんは昏睡する老婆の観察日記をつけ始める。

 

 A月B日。

 海王類のお腹から飛び出してきたおばあさんが、やっと起きた。

お話しできるかと思ったけど、不気味な言葉をブツブツつぶやいていて怖かった。お話しできなくて残念。

 

 

 A月C日。

 お医者さん達が二本目の注射を打った。おばあさんはまた白目をむいてたおれた。お医者さん達は『あるあるよくある』と言ってたけど、本当にあの注射、効いてるのかしら? 

 

 

 A月D日。

 明日、マリージョアに行くための港に到着するらしい。

 世界会議が開かれるお城は雲より高いところにあるってパパが言っていた。早くおばあさんとお話してみたいけれど、お城にも早く行ってみたい。楽しみなことが多くてうれしい。

 

 

 A月E日。

 おばあさんはまだ起きないけれど、私とパパは船を降りて一緒にポンベアという変わった乗り物で物すごく高い壁を昇った。ペルが飛ぶ高さより高いところは初めて。景色がすごくきれいだった! 

 

 赤い土の大陸の頂上に着くと、トラベレーターという地面が動く歩道ですごく大きなお城に向かった。どうやって動いているのかしら。

 社交の間というきれいな中庭で、いろんな国の人達にごあいさつした。ちょっと疲れた。

 

 レヴェリーは一週間続くそうだけど、私は三日目で先にお船に戻ることになった。パパはイガラム達と港を観光していなさいと言ってくれた。

 

 天竜人様が暮らしている国の港だから、見たことも聞いたこともない物がたくさんあって楽しみ。

 

 

 

 A月G日。

 お船に戻ったら、おばあさんのかみの毛がくすんだ紺色から夜色になってた! あと、気のせいかしら。おばあさんの顔のしわが減っていた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 A月H日。

 おばあさんが起きた! 不気味な言葉も使わなくなってた! お医者さん達すごいっ!

 でも、まだ体調が悪いみたい。ずっとぼんやりしていてお話は出来なかった。残念。

 お医者さん達の説明だと、もっと元気にならないとご飯が食べられないらしい。早くご飯が食べられるようになると良いな。

 

 

 A月I日。

 おばあさんが「トカゲ汁……八つ目トカゲの……八つ目トカゲのトカゲ汁が食べたい」とつぶやいていた。

 

 八つ目トカゲって何? 目が八つもあるトカゲってこと? すごい、そんなトカゲは見たこと無い。

 

 トカゲなんて食べられるの? とイガラム達に聞いたら、アラバスタでも砂漠の奥地で狩りをして生活している者達は食べていると教えてくれた。

 

 コックさん達に聞いたら、お船の厨房にトカゲはないと言われた。おばあさんに食べさせてあげたかったのに。

 

 

 A月J日。

 イガラム達と港町を観光している時、いろんなお店を回ってみた。

 目は八つ無かったけど、トカゲの燻製も見つけた! おばあさんに食べさせてあげよう。

 元気になってくれると良いな。

 

 

 A月K日。

 今日でレヴェリーも終わり。パパを出迎えに港へ行ったら、ドラム王国の王様に意地悪された。あの人嫌い!

 

 アラバスタに向けて出発するけど、帰り道のごえいはヒナさんじゃないらしい。

 

 おばあさんのためにコックさん達へトカゲ汁を作ってとお願いしたら、誰も作ったことなくて困っていた。でも、ごえい隊の兵士さんに砂漠の奥地出身の人がいて作ってくれることになった。

 おばあさん、喜んでくれるかな。

 

 

 A月L日。

 おばあさんにトカゲ汁を出したら、ものすごい勢いで完食して眠っちゃった。

 元気になると良いなぁ。

 

 

 A月M日。

 おばあさんがお姉さんになってたっ!

 トカゲ汁すごいっ!!

 

 チャカが怖い顔で古い新聞と手配書を持ってきて、パパとイガラムと何か難しい話をしている。

 私はお姉さんと会うことを禁止されちゃった。どうしてなのかしら? 

 




Tips

老化現象
 砂ぼうずオマージュ。
 ただ、精神的高ストレス体験で老化する描写は砂ぼうず以外にもある。
 たとえば、攻殻機動隊SACの13話『≠テロリスト』とか。

聖地マリージョア
 原作における謎多き地の一つ。天竜人とか言う白痴化したロクデナシの巣窟。
 世界線が違えば、ネフェルタリ家もここの住人となっており、ビビも『~あます』とか言っていたかもしれない。

燻製八つ目トカゲ/トカゲ汁
 砂ぼうずオマージュ
 衰弱した小泉太湖を回復させた一品。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21:ビビちゃんと悪い魔女

書き溜めが尽きたので少し間隔が開きます。ご了承ください。

nullpointさん、13121さん、青黄 紅さん、誤字報告ありがとうございます。


 拝啓、ニコ・ロビン様。

 不本意な別れから少し経ちましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 私は今、屈強な兵士達に囲まれています。

 

「……まさか保護した老婆が死んだはずの凶悪犯だったとはな」

 椅子に腰かけ、腕組みした護衛隊長イガラムはベッドで上体を起こしている小麦色肌の乙女を睨み据えた。

「血浴のベアトリーゼ」

 

 素性がバレてますな。

 

 左手で乱れたままの髪を弄りつつ、ベアトリーゼはイガラムへ言った。

「死んだことになっているなら、私は一般人になったと言えるのでは?」

 

「そんなわけあるかっ! 生存が確認されれば、再手配されるわっ!」とイガラムが真っ当なツッコミを入れる。

 

「それはまあ、たしかに」

 ベアトリーゼはいくらか頬がコケているアンニュイ顔に微苦笑を湛える。トカゲ汁を食し、ようやっと衰弱から回復して意識が覚醒していた。まあ、未だ万全には程遠いけれど。

「一つ確認したいのですが……私のことは海軍に通報しました?」

 

「まだだ」とイガラムが油断なく応じる。

 

「それは良かった。私としては、そのまま通報なさらないことをお勧めします。アラバスタ国王陛下の御名誉にも関わりますし」

「国王様の名誉とはどういう意味だ」

 どこかからかうように口端を和らげるベアトリーゼ。対照的にイガラムは顔を険しくした。

 

「私の保護を決定し、身柄を海軍に引き渡さなかったのは、おそらく国王陛下の御決定があってのこと。つまり国王陛下は存じ上げなかったとはいえ、凶悪犯を保護してしまったのです。これを政府やニュース・クーにでも知られたらどうなると? 世界経済新聞辺りなら面白おかしくあることないこと書き連ね、陛下を物笑いの種にしますよ」

 滔々と説くように語り、ベアトリーゼは柔らかく告げた。

「かといって、今更私をこっそり処分し、死体を海に棄てて事を隠蔽する、というのも叶わない。貴方達では私を殺せないから」

 

「病み上がり風情が調子に――」

 チャカが佩いた剣を抜きかけた刹那。

 

 ベアトリーゼの暗紫色の双眸から絶対零度の無情動な殺意が発せられ、護衛隊の面々を捉えた。

 覇王色の覇気のような強者のもたらす暴圧ではなく、本能的な恐怖感を刺激する冷たい圧力。

 

 護衛隊の面々は全身から冷たい脂汗を発し、否応なく理解させられる。ベッドで上体を起こしている病み上がりの女は、いつでも自分達を一方的に殺せる存在なのだと。

 

「きゃっ!」とドアの向こう、廊下から可愛らしい悲鳴が上がり、ベアトリーゼは殺気を解いて護衛隊の面々も我に返った。

 

「無礼をお詫びしますが、これは貴方達に短慮な強行案を思いとどまって頂くため。私とて命の恩人を害し、後味の悪い思いはしたくないのです。ご理解を」

 ベアトリーゼはイガラムへ詫び、次いでドアへ顔を向けた。

「もし。そこに居られる御令嬢様は、アラバスタ王国至尊の御血筋に連なる方ではありませんか? 卑賎な我が身なれど、御尊顔を拝謁する栄を賜れますでしょうか?」

 

 下手な宮仕えなどより余程貴顕との接し方を心得ているようなベアトリーゼの言葉使いに、イガラムは驚きを隠せず、まじまじとベアトリーゼを見つめる。

 

 がちゃり、とドアが開き、青髪の美しい可憐な少女がおずおずと姿を見せた。先ほどベアトリーゼが発した殺気にまだおっかなびっくりしているようだ。

 

 ベアトリーゼはここ数年、ロビン以外に見せたことのない優しい微笑みを少女へ向け、恭しく一礼した。

「寝台の上から許しも得ず、名乗る無礼をお許しください。私はベアトリーゼ、家名を持たぬ卑賎の咎人でございます」

 

 少女はイガラムやチャカをちらりと窺った後、小さく深呼吸し、そのやんごとなき生まれに相応しい態度で応えた。

「私はアラバスタ王国ネフェルタリ家、国王コブラの娘にして王女のビビ。我が名、我が顔を見知りおく誉れを許す」

 

 一片の瑕疵の無い見事な振舞いに、イガラムは感涙しそうになり、チャカやペルなど護衛隊士達は『この方こそ我らが姫』と誇らしさに顔を上気していた。

 

「御尊顔を拝謁賜り、恐悦至極です。ビビ王女殿下」

 ベアトリーゼは胸に手を当て、大きく頭を垂れた。

 

        〇

 

「貴顕への礼儀作法を知る凶悪犯か。どこぞの上流階級の出自なのか?」

「資料で分かる限りですと、西の海でも屈指の蛮地の出だとありました。どこであれほどの礼法を身につけたのか。口の利き方がなっとらん者達に見倣わせたいくらいです」

 イガラムは主君へ答え、溜息を吐いた。

「情けない話ですが、あの娘には私はもちろんチャカやペルでも勝てません」

 

「病み上がりの小娘だぞ?」と片眉を上げるコブラ。

「新聞で報じられたことが事実なら、海軍本部大将と本部中将の精鋭部隊と単騎で渡り合える小娘です。そして、おそらくは……」

 青い顔をしたイガラムが言い澱む。

 

「例の護送船が海難事故に遭った件は、あの娘の仕業か」とコブラはこめかみを撫でた。

「はい」イガラムはうっすらと冷や汗を滲ませ「海兵と囚人を合わせ、百数十名を死なせ、いえ、殺しています。対峙して確信しました。あの娘はそういうことが出来ます。躊躇も逡巡もせず、必要なら、という理由でいくらでも他人を害せる手合いです」

 

「とんだ凶悪犯を拾ってしまったな」コブラは自嘲的に笑い「私は人を見る目が無かったか」

 

「……如何いたしますか? あの娘が指摘した通り、海軍に通報すれば国王様の名に傷がつくやも」

「私の名に傷がつく程度で凶悪犯を再び世に放つ危険を防げるなら、安いものだ。どこかで誰かが犠牲になるより、私が笑われる方が良い」

 コブラが快活に告げる。

 

 も、イガラムの顔が苦渋に歪む。

「臣としては国王様が誰かに笑われることは耐え難く、ましてやワポルのような俗物共に嘲笑われるかと思うと、はらわたが煮えくり返ります」

 ビビ様を叩きやがってあのクソ野郎。機会があれば真っ二つにしてやりたい。と心の中で呪詛を吐く。

 

 イガラムの忠君振りに、コブラは柔らかく目を細めた後、真顔を作る。

「言っておいてなんだがな、通報はせん」

 

「? というと?」

 戸惑うイガラムに、コブラは王らしい、重責を担う者の顔で応えた。

「海軍本部の誇る最高戦力と伍して渡り合う娘が暴れれば、この船でどうなる? 世界会議のためにこの船は我が国でも重要な人材が数多く乗船しているし、無辜の者も多い。彼らを失う訳にはいかん。何より、私だけでなくビビにまで万一があれば、ネフェルタリの血が絶えてしまう」

 

 息を呑むイガラムから目線を切り、

「ゆえに、私は凶悪犯を世に放つ悪徳を犯す」

 コブラは船窓の先に広がる海を窺う。

「イガラム。一つを頼まれてくれ。密やかにな」

 

      〇

 

 国王と護衛隊長がシリアスなやり取りを交わしていた頃――

 御転婆姫は周囲の目を盗んで凶悪犯の許へ遊びに行っていた。まさに怖いもの知らず。

 

「ベアトリーゼはどんなところから来たの?」「どんな旅をしてきたの?」「どうして海王類の中から飛び出してきたの?」

 赤ずきんちゃんの如き質問攻め。これにはビビの警護のために同道しているペルも苦笑い。

 

 ビビの質問攻めに難儀しつつ、ベアトリーゼは思案を巡らせる。

 まさか乗り込んだ船がアラバスタ王国の御召船だったとは。

 

 なんとも気不味いものがある。

 原作知識は大穴だらけであるが、ベアトリーゼは原作アラバスタ編を大まかに覚えていた。

 

 眼前で質問しまくっている可憐な御姫様と彼女の祖国が、数年後に砂怪人の謀略によって辛酸を舐めることになることを、ベアトリーゼは覚えている。

 

 命の恩人達が苦境に陥ることを知りながら放置することは些か気が引けるし、わざわざトカゲ汁まで作ってくれた心優しいビビちゃんが悲しみ苦しむことを看過することは、少々良心が痛む。

 

 しかし、彼らに砂怪人の魔の手が及ばないと、アラバスタでロビンと再会できる確証が失われてしまう。

 

 ぶっちゃけ、アラバスタ動乱も砂怪人の企みも“どうでも良い”が、アラバスタの動乱と砂怪人は、ロビンが麦わら一味に加わる大事な出来事。

 

 ロビンと麦わら一味の出会いを損なう訳にはいかない。

 麦わら一味はロビンにとって無二の仲間になる。麦わら一味に加わることで、ロビンの悲願――失われた100年の真実を知ることが叶う。

 

 何より、麦わら一味は『世界の敵』となる者達。彼らが活躍することで政府と海軍がどれほど煮え湯を飲まされるか……今から想像するだけでも胸がすく。

 

 ロビンの幸福と夢の成就、そして私の“楽しみ”のためにも、アラバスタ編は原作通りの展開を迎えることが望ましい。

 

 まあ、これ以上深入りすることはなさそうだけど。

 ベアトリーゼは厳重化した警備と監視を横目にしつつ、思う。

 どうもアラバスタ王国の皆さんが私をこのまま乗せてくれそうにないなぁ。

 

 害されたり海軍に突き出されたりすることはないようだが、十中八九アラバスタへ到着する前に『出てけ』と言われるだろう。そして、その要請を断る術はない。

 

 原作の展開とロビンのことを考慮すれば、彼らを害せない。抗えない以上、素直に逃げるしかないだろう。

 いやはや……ロビンとの再会の道程は遠いですなぁ。

 

「どうかしたの?」とビビが心配そうに「大丈夫?」

「いえ、少しぼんやりしただけです、ビビ様」とベアトリーゼは意識を内面から戻す。

 

「様は付けなくてもいいのに」

「王女様の御尊名をお呼びする栄だけで身に余ります。ご容赦を」

 ベアトリーゼは愛らしい姫君に微苦笑を返す。

「ビビ様には大変な御恩があります。不敬な真似は出来ません」

 

「それはトカゲ汁のこと? 私は燻製を見つけてきただけよ?」

 きょとんとするビビに、ベアトリーゼは自嘲的に、されど誇りをもって答える。

「私は飲食の恩は忘れません。故あれば騙すことも裏切ることも躊躇しませんけれど、一飲みの泥水、一欠片のかびたパンであろうと、それで命を繋いだなら私は決してその恩を忘れない」

 

 あの乾ききった修羅の地で生き抜いてきたベアトリーゼにとって、『食』の価値はそれほどに重かった。

 

 ふむ。深い関わり合いを避けるにしても、ビビちゃんの優しさと懐かしい味に対する御礼はして然るべきだな。

 

「ビビ様。改めて私などのために骨を折って下さったことに、深甚の感謝を。そして、受けた御恩にはとても足りませんが、一つ贈り物をしたいと思います」

「贈り物?」

 ベアトリーゼは左手で右手首に巻かれた鉄製の手錠を突く。

 

 ぱきん、と鉄製の手錠が飴細工のように砕けた。ペルが目を丸くし、護衛隊が慌てて武器を抜いて構える。

 

「ビビ様、お下がりくださいっ!」

 自身の体を姫君の盾としながら、ペルがベアトリーゼを睨む。

 

「暴れたりしませんよ」

 小さく微笑し、ベアトリーゼは砕けた手錠の欠片を両手に包み、

「久しぶりだから上手くできるかな」

 以前、ロビンの前で披露した時は熱管理に失敗してスラグ化してしまった。

 

 武装色の覇気をまとった黒い両手の間で静電気を発生させ、小さな燃焼プラズマに変化。電磁波で包んだ小さなプラズマ溶解炉の中で、手錠の欠片を瞬く間に融解させていく。

 

 ベアトリーゼはプラズマを慎重に操作し、融解した鉄を8の字状の小さな捻じれ環――俗にいうメビウスの輪に変化させた。

 成形を終えると、プラズマを消散させ、武装色の覇気をまとった手で小さなメビウスの輪を握り、『あちち』と呻きながら冷ましていく。

 

 さながら魔法のような光景に誰もが呆気にとられていた。ビビも「すごい……」と讃嘆をこぼしている。

 

「ベアトリーゼは魔法使いなの?」とビビ。10歳の少女は悪魔の実の能力者なんて無粋な表現より、夢のある存在を求めているのだ。

 

「私はどちらかといえば、魔女の類でしょう。しかも悪い魔女です」

 くすりと喉を鈴のように鳴らし、ベアトリーゼはある程度冷めたことを確認し、小さなメビウスの輪をビビに向かって差し出す。

手遊(てすさ)びのつまらぬものですが、御厚情の御礼にビビ様へ贈らせていただきます」

 

「ペル。貰って良いよね?」

 ビビが懇願するように上目遣いでペルを見上げれば、

「……危険はないな?」

 ペルは悪い魔女を睨み質し、ベアトリーゼの首肯を受けて溜息を吐いた。

 

 溜息を許可と見做し、ビビはペルの前に出てベアトリーゼから小さなメビウスの輪を受け取る。まだ温かい。鉄なのに銀のように輝いていて、鉄特有の金属臭もしなかった。

 

「ありがとう、ベアトリーゼ。大切にするね」

 大輪の向日葵みたく笑うビビに釣られ、ベアトリーゼも微笑んでしまう。

 

 と、部屋にイガラムが入ってきた。ビビが居たことに眉根を寄せ、咎めるようにペルを睨む。睨まれたペルは首を竦めるしかない。

 

「ビビ様。ここには来てならぬと申し上げたでしょう。お前達もお止めせんか」

 イガラムはビビと警備の隊士へ小言をこぼしつつ、有無を言わせぬ強い口調で。

「この者と大事な話がありますゆえ、ビビ様は御退室ください」

 

「わかったわ……」

 ビビは唇を尖らせ、渋々と出入り口へ向かう。

「ベアトリーゼ。また来るね」

 

「ここへは来てはなりませんぞっ!」とイガラム。

 聞こえなーい、とビビは逃げて行った。

 

「誠に可憐で利発な姫君でいらっしゃる。少々御転婆ですけれど、将来は素晴らしい女王になられるでしょうね」

 当然だ、とイガラムは誇らしげにベアトリーゼへ応じつつ、本題に入った。

「国王様が貴女の処遇を御決断した」

 

「伺いましょう」

 ベアトリーゼは居住まいを正した。

 

      〇

 

 翌日、ビビは至極当然のようにベアトリーゼの部屋に向かう。

 まだまだ尋ねたいこと聞きたいことがたくさんあった。何より――

 ビビはベアトリーゼとお友達になりたかった。

 

「え……」

 しかし、客室にベアトリーゼは居なかった。

 影も形もなく。ベッドの上に一枚の置手紙があるだけ。

 

『お世話になりました。御恩の礼はいずれ宝払いで。ベアトリーゼ』

 

「ベアトリーゼ、いなくなっちゃった……」

 ビビが哀しげに、寂しげに手紙を握りしめれば。裏面にも何か書いてあった。

 

『追伸。ビビ様へ。急に居なくなる不義理をお許しください。悪い魔女はいつまでも一処(ひとところ)に留まれないのです。どうかお元気で。貴女の友ベアトリーゼより』

 

「悪い魔女でも良いからもっと一緒にいたかったのに……」

 しょんぼりするビビに、同道していたペルが慰めるように提案した。

「ビビ様。彼女から貰った鉄環をお守りにしてはどうでしょう?」

 

「これをお守りに?」

 ビビはポケットから小さなメビウスの輪を取り出して見つめる。

「御伽噺では魔女の贈り物には魔法が掛かっているものです。ビビ様を御守りする魔法が掛かっているかも」とペル。

 

「悪い魔女の魔法でも? 呪われない?」

 ちょっぴり不安そうなビビに、ペルは控えめに口端を和らげた。

「手紙にはビビ様を友と書いてるでしょう? 悪い魔女でも友達を呪ったりしませんよ。大丈夫です」

 

「……そうだね。うん。御守りにする!」

 ビビは鉄製のメビウスの輪を翳して嬉しそうに呟いた。

 

 精製と成形の過程で5N級の高純度鉄と化したこのメビウスの輪は、鉄製でありながら錆びることが無く、まだ幼かったビビは魔法が掛かっていると信じるようになった。

 ビビはこのメビウスの輪に飾り紐を通し、お守りのネックレスにして身につけるようになり――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数年後、アラバスタを襲った動乱の最中、ビビへ本当に加護をもたらす。




Tips
8の字メビウスの輪。
 循環。再生。無限の象徴。ベアトリーゼの能力で作れるか、という疑問は演出ということで御了承ください。

5N級
99.999パーセントの意味。高純度鉄は極めて錆びにくい。
分子や原子の振動とプラズマによる再融解で作れるとは思えないが、演出ということで御了承ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22:ガレーラカンパニー女子事務員のビーさん

 

 グランドライン前半“楽園”にあるその島は、ウォーターセブンと呼ばれている。

 島全体が一つの街を為しており、歴史的に造船が盛んな島だ。

 十数年前には『トムズワーカーズ』が中心となって近隣島嶼との間に海列車を開通させている。さらには、今年の先頃には新進気鋭の造船技師/青年実業家アイスバーグが同島の七大造船会社を合併統合し、ガレーラカンパニーという超大船会社を発足させていた。

 

 伝統的に優秀な造船技術とアイスバーグの見事な経営手腕でガレーラカンパニーの業績は急上昇中であり、加えて、海列車の定期便による流通と人の移動の安定化は、島全体の景気と活気を高くしている。

 

 アイスバーグという男は才能の塊だった。造船技師として超一流。船大工の技量も超一流。棟梁としても超一流で、経営者としても実業家としても抜群に有能で優秀だった。

 もっとも、それほど卓越した才人であっても、どうにもならないことがある。

 

 海賊という人種が途方もなくバカばかりということだ。

 

 目抜き通りの真ん中で、

「船を作って貰っておいて銭を払わねェなんて通るわけねェだろ。お前ら揃いも揃って払いを踏み倒すクズの家系か? パパもママもクズだからお前らもクズなのか?」

 若い女がはすっぱに毒舌を垂れ流す。

 

 癖毛がアフロみたいな夜色の髪。細面に色味の濃い楕円形サングラスを掛けているため、目の形や色は分からない。すらりと伸びた180センチ前後の長身にメリハリの利いた体つきを、へそ出しキャミソールと七分丈デニムで包み、背中に『ガレーラカンパニー』と記されたブルゾンを羽織っている。

 

 女に口汚く罵られた海賊達は瞬間湯沸かし器の如く憤慨。

「ママは関係ねえだろうがママはあっ!! テメェ、俺達が南の海で恐れられたカワズ一家だと知らねェのかっ!? オゥッ!」

 

「テメェらみてーな田舎モンなんざ聞いたこともねェよ。いい歳して自意識過剰の思春期真っ最中か? 気持ち悪ィな」

「このアマぁ……ぶっ殺せっ!!」

 船長らしき身長3メートルを超える大男の号令を合図に、人相の悪いチンピラ共が得物を抜いて若い女へ襲い掛かる。

 

「面倒くせェな。チャキチャキ払うもん払いやがれば良いのに」

 若い女は疎ましげに舌打ちし、舞うようにチンピラ達の攻撃をかわしていく。そして、演武でも披露するようにチンピラ達を全て一撃で地面に沈めていった。

 あっという間に船長以外のチンピラを撃沈し終えても、若い女は汗を掻くどころか息を乱してすらいない。

「よくまあ、こんなよわっちぃ連中がここまで生きて辿り着けたもんだ。バカで雑魚だけど運の良さは人並外れてるってか? 宝くじでも買っとけ雑魚」

 

「このアマぁッ!!」

 船長の大男が激高し、デカい両手の手袋を脱ぎ捨てた。指先まで鋲付鋼板で補強された物々しい手が露わになった。

 なるほど。この体躯とこの拳ならば、生半な相手は容易く撲殺できるだろう。あとはナリとゲンコに見合った技を備えているかどうかだが……。

 

「くたばりゃあッ!!」

 通りの一角に野太い罵声が轟き、身長3メートルを超える大男がデカい拳を振るう。

 それだけだ。能力も武装色の覇気もなく、格闘技的な練磨もされていない。

 

 ――つまらないなあ。

 自身の倍以上ある男の拳に晒された若い女は、ひゅっと身を躍らせ跳馬のように大男の太い腕を掴んで跳ね、くるりと身を捻り込みながら男の顎先を蹴り抜く。

 機甲術(パンツァークンスト)の戦技、孤影襲(オイサーシュトース)の変則応用。殺さぬよう覇気は使わず、低出力の振動を乗せているだけ。

 

 脳を強く揺さぶられた大男は鼻血を噴出させながら失神し、顔から地面に倒れ込む。

 若い女は大男を蹴り飛ばした反動で高々と宙を舞い、しなやかな三回転捻りを披露して着地。御丁寧にパッと両腕を伸ばすキメポーズで〆。

 

 周囲から歓声と拍手が上がった。野次馬達がやいのやいのと騒ぐ。

「ビー相手にやり合おうなんてバカな奴らだな」

「ガレーラカンパニーが出来て以来、島全体が繁盛するようになったけど、こういうバカも増えたなぁ」

「まぁ、ビーが相手で良かったんじゃねえの? 1番ドックの職人達だったら、こいつらは今頃刺身になってるぜ」

 

 野次馬達から『ビー』と呼ばれた女は、パッパッと乱れた着衣を整えてから野次馬達へ言った。

「このバカ共を引き渡して賞金を船の払いに回させねェと……面倒臭ェなぁ。誰か駐在を呼んでくれ」

 

 ビーは失神した大男の背に腰を下ろし、『酔いどれ水夫』の口笛を吹きながら爪にヤスリをかけ始めた。

 

      ○

 

 バカ共を駐在に引き渡して諸々の手続きを済ませ、ビーは“職場”へ戻――らずにガレーラカンパニー傍の喫茶店に足を運ぶ。

 

 新聞を読みながらコーヒーの到着を待っていると、

「ビーおばちゃん。お待たせ~」

 エプロン姿の歳幼い少年がエスプレッソとティラミスをテーブルに置いた。家業を手伝っているのだろう。可愛らしい。

 

「おばちゃんじゃねェよ。お姉さんだ。間違えんな、チビッ子」

 女子事務員ビーの偽装を被っているベアトリーゼは、はすっぱな調子で応じて新聞をテーブルに置いた。少年の頭をぐりぐりと撫でてからカップにミルクを注ぐ。

 

 エスプレッソを嗜み、本命のティラミスへフォークを差し込む。

 ザバイオーネクリームとマスカルポーネチーズの利き具合が絶妙で、隠し味のオレンジが素敵。甘味は女の子を幸せにする。

 

「――ん。美味しい」

 表情を綻ばせ、ベアトリーゼはパクパクとケーキを食べ進めていく。

 

 瞬く間にティラミスを胃袋に収め、ベアトリーゼはエスプレッソを口に運ぶ。再び新聞を手にし、読み始めた。

 

 内容はもっぱらウォーターセブンの新会社ガレーラカンパニー絡みが多い。商売が活況のため職人や事務員の募集も目立つ。

 新聞を読み進めながら、ふとベアトリーゼは穴開きだらけの原作知識を振り返り、ウォーターセブン/エニエスロビー編を思い起こそうとする、も。

 

 ぶっちゃけ、この辺の原作知識はかなり怪しい。

 この街で、麦わら一味は声が矢尾一樹なサイボーグ男フランキーを仲間にし、たしか船をパワーアップさせる(でも、フランキーを街で見かけたこともないし、噂も耳にしていない。どういうことなんだろう?)。

 で、政府の豚共がロビンの身柄をエニエスロビーに連れ去り、麦わら一味がサイファー・ポールの犬共と戦い、名シーンの『生きたい』に至る……覚えていることはこれくらいだった。

 

 もっとも、自分が計画通りにアラバスタでロビンと合流したら『生きたい』のシーンは無くなるかもしれない。

 

 自分が傍にいれば、ロビンは絶対に諦めないはずだから。仲間のために政府へ投降など諦観的選択肢を採るわけがない。それに……自分が傍にいたなら、政府の犬などに連れ去らせるなどあり得ない。犬共は接触してきた時点でぶち殺す。

 ただ、犬共のことを覚えてないんだよなあ。肩に鳩を乗っけてる奴とウソップのパチモノみたいな奴と……ん~~分からん。けどまあ、青雉より強いってことはないだろうから、どうでも良い。

 

「……数年後のことより現在の方が問題なんだよなあ」

 ベアトリーゼは密やかにぼやく。

 

 一年前。

『海軍に通報せず見逃してやるから、静かに消えろ』というアラバスタ側の提案を受け入れ、ベアトリーゼは御召船から姿を消し、ウォーターセブンに流れ着いていた。

 本音を言えば、さっさとアラバスタかその付近へ移りたかったのだが、グランドラインを旅するために必要な金を稼げなかった。

 

 当初、西の海に居た頃のように海賊やマフィアから強盗稼ぎをし、まとまった金を作り次第、商船なり何なりに乗り込んでアラバスタか、その近海の島へ行こうと思っていた。

 ところが……

 ちょっとした事情から、強盗働きを控えることになった。

 

 ウォーターセブンの近くに政府の重要島嶼エニエスロビーがある。その関係で海軍の往来や哨戒が多い。海賊相手とはいえ、強盗働きで稼ごうものなら海軍がやってくるだろうし、ベアトリーゼの素性が発覚したら海軍の最精鋭が討伐に現れかねない。

 せっかく死亡認定されて指名手配を解除されたのだ。今少し身元を隠したままでいたい。

 

 それでまあ、真っ当に金を稼ぐことにしたわけだ。

 大造船会社ガレーラカンパニーの事務員として。

 

 そう、事務員である。ごく普通の事務職の社員である。

 前世記憶の諸々知識や技術を活かしつつ、素性を隠すべく賞金首『血浴のベアトリーゼ』の印象から遠そうな職業に就いたのだが……

 

 ガレーラカンパニーは海賊相手にも商売しており、先述した通りに海賊共はバカで。絶賛繁盛中のため職人達は忙しい。

 そこで、腕っぷしが職人よりも強力な女事務員に取り立ての仕事も割り振られたわけで。

 身を隠しきれてねえじゃん。と思わなくもないが……この一年、海軍が逮捕に現れることもなく、賞金稼ぎが乗り込んでくることもなく。

 潜伏という点では成功しつつも、事務員の給料では中々まとまった金が作れず、うだうだとウォーターセブンで一年過ごしていたわけだ。

 

 ベアトリーゼはエスプレッソを口に運び、つらつらと考える。

 ……砂怪人とロビンがアラバスタで悪さするまで、グランドラインに居る理由なんてないんだよなぁ。四つの海でテキトーにガラを隠してるほうが良い気がする……。

 

 とはいえ、ウォーターセブン近くから四つの海へ渡る手段がなかった。金も船もないし、手に入れる当てもなければ、乗せてもらえそうな心当たりもない。

 どうしたものやら。

 

 答えの出ない思考をうだうだと巡らせていると、

「こんなとこに居たぁっ!」

 両腕に刺青ギチギチの大男がやってきた。

「ビーッ! 探したぞっ! 手間ぁ掛けさせやがってコノヤロウ」

 

「ぎゃあぎゃあうるせェな。一仕事済ませたんだ、茶ぁくらい飲ませやがれ」

 ビーを演じ、はすっぱに応えるベアトリーゼ。

 

「そのひと仕事の件で、アイスバーグさんが呼んでんだよっ!」と刺青ギチギチ男。

「仕方ねェなあ」

 ベアトリーゼは腰を上げ、支払いの紙幣をおいて店を出ていく。

 

「ビーおばちゃん、お釣りお釣り!」

 と、少年店員が慌てて呼び止める。

 

「お姉さんだ。間違えんな、チビッ子。釣りは小遣いだ。とっとけ」

 ひらひらと手を振り、ベアトリーゼは刺青ギチギチ男と一緒にガレーラカンパニー本社へ向かった。

 

      ○

 

「ンマー……さっき駐在から連絡があってな。突き出した海賊共の賞金が振り込まれた。船の建造費用にゃあ全然足りなかったがな」

 

 ガレーラカンパニーの社長執務室。

 部屋の主である天才的な造船技師兼実業家のアイスバーグは紅茶を口に運ぶ。青髪で唇が青くて、髭の剃り跡が青々とした三十路男はダンディズムに溢れている。

 

「まあ、あんなにひ弱じゃ高額賞金は付かねェでしょうね」

 ビーを演じるベアトリーゼは応接セットのソファにふんぞり返り、窓辺に貼られたニコ・ロビンの手配書――最初期の8歳児の頃のもの――をちらりと一瞥。

 それから茶を啜り、片眉を上げた。

「あれ? ボス、お茶の淹れ方を変えたンスか?」

 

「ンマー……分かるか。お前は何を飲み食いしても美味ェとしか言わねェもんだとばかり」

 仰々しく驚くアイスバーグに、ベアトリーゼは嫌そうに顔をしかめた。

「酒と水の区別がつかねえ職人連中と一緒にすんな」

 

「茶を淹れたのは俺じゃない」とアイスバーグは話を進め「秘書に淹れて貰った」

「この間採用したっていう」ベアトリーゼは小さく首肯し「すげー美人らしいですね。職人連中が騒いでましたよ。ボスの好みっスか?」

 

「いや、お前の時と同じだ、ビー。仕事が出来る子を選んだだけだ」

 さらっとベアトリーゼを評価している言い方をするアイスバーグ。

 

 と、狙いすましたように『失礼します』とドアが開き、長身の眼鏡美女が盆を抱えて入室してきた。真面目そうな容貌に金髪のショートヘアがよく似合っている。

「アイスバーグさん。お代わりをお持ちしました」

 

「ンマー。ありがとう、カリファ」

 アイスバーグはカップを渡し、ベアトリーゼに美人秘書を紹介した。

「ビー。彼女が新たに雇った秘書のカリファだ。カリファ、彼女がウチで一番仕事が出来る事務員のビーだ」

 

「初めまして。この度、秘書として採用されました、カリファと申します」

 紹介されたカリファはぺこりと一礼した。優雅な挨拶だった。

「事務員のビーだ。よろしく。つっても、あたしも入社して二年目のぺーぺーだけどな」

 はすっぱな女を演じ、ベアトリーゼも挨拶を返す。

 

 カリファとベアトリーゼは互いに挨拶を交わしつつ、目線で鶏冠の立ち具合を図る。別にネガティブな感情で行われているわけではない。美女特有の『私の方が綺麗(可愛い)』というマウント取り合戦だ。体育会系男子が力こぶと腹筋を競い合うようなもんである。

 

 そして、両者は互いに“隠している方の顔”で思う。

 ――どこかで見たような……と。

 

「ビー。カリファも含めて新人も増えた。先輩としていろいろ教えてやってくれ」

「あたしも入社二年目の新人なんスけどね」

「そうだな。だが、頼りになるくらい出来る二年目だ」

 アイスバーグはさらりと褒め、カリファが新たに淹れた茶を呑み、

「うん。美味い。美味い茶を淹れられるってのは大事な技術だ。気分がほぐれて良い仕事が出来るようになる」

 やはりさらっと褒める。言葉や態度に作為が一切無い辺りが慕われる所以の一つか。

 

 格好良い、とカリファは表情を和らげつつ、

「アイスバーグさん。市銀の頭取との御約束が迫っていますのでそろそろ」

「ンマー……俺、あいつ嫌い。その約束は無しで」

「えっ!?」

 突如ガキっぽい態度で我儘を言いだしたボスに目をパチクリさせる。

 

 ベアトリーゼは微苦笑を湛え、困惑している新人秘書へ言った。

「ボスはスゲー仕事が出来る男なんだけど、同じくらいスゲー気分屋なんだ。色々大変だと思うけど、ま、慣れてくれ」

 

「が、頑張ります」

 新人秘書は戸惑い気味に頷くしかなかった。

 

 と、ドアがノックされて「邪魔しますぜ、アイスバーグさん」と声を掛けながら、少年というべき年頃の職人が姿を見せた。

「アイスバーグさん、職長達が今こさえてる船体をチェックしてくれって……ゲェ、ビーッ!?」

 

「迷惑かけたお姉さんに対して『ゲェ』とはよぉ……愉快な反応を見せてくれるじゃねーか、パウリー」

 一つだけ年上の女事務員に睨まれ、少年職工パウリーはうぐっと腰を引かす。

 

 19歳のパウリー少年は既に博奕で借金をこさえ、度々借金取りに追われている。

 で、借金取りの一部が会社に乗り込んできて女事務員にぶちのめされ、正座させられる事件もまた、度々起きていた。

 

「その節は御迷惑を……をぉおおーっ?!」

 パウリーは奇声を上げ、カリファを指差す。

「この度秘書に採用されましたカリファです。よろしく」

「なんだその破廉恥な恰好はーっ!? 生足を晒し過ぎだーっ!! そんな短ェスカート穿いてんじゃねえっ!! ズボンを穿けズボンをーっ!!」

「えぇ……」

 突如破廉恥呼ばわりされ、再び戸惑うカリファ。

 

「女に免疫がねーんだよ、コイツ。パウリー、賭場に行くより風俗へ行けよ」

 ビーを演じてはすっぱにからかうベアトリーゼ。

「女が下品なことを言うなっ! そして、お前はへそを隠せへそをーっ!!」と顔を赤くして喚くパウリー。

「騒々しい奴らだ」と溜息をこぼすアイスバーグ。

 

 やいのやいのとやり合っているところへ、部屋に新たな人影が。

「パウリー。アイスバーグさんを呼ぶのにいつまで掛かっとるんじゃ」四角い長鼻の少年。

『職長達が怒ってるぞパウリー。ポッポー』肩に乗せた鳩がしゃべっている黒髪の青年。

 

 大穴が開いた原作知識を持つベアトリーゼはここに至り、ようやく気付く。

 ……こいつら、政府の犬ッコロじゃない?

 




Tips
ウォーターセブン。
 原作の街。モデルはヴィネツィアらしい。

アイスバーグ。
 原作キャラ。作中屈指の出来る大人。ガレーラカンパニー発足時は33歳。

カワズ一家
 オリキャラ。元ネタは砂ぼうず第一話に出てくる盗賊一家。頭目はママをバカにされるとブチギレる。

女子事務員
 オリ設定。あれだけデカい会社なんだから、従業員が職人だけってことはないはず。

パウリー
 原作キャラ。この頃はまだ19歳。

CP9の面々
カリファ。
 原作キャラ。この頃はショートヘア。21歳。この時点では非能力者。
カク
 原作キャラ。この頃は19歳。この時点では非能力者。
ロブ・ルッチ
 原作キャラ。この頃は24歳。この時点でネコネコの実の能力者として扱う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23:シップライト・セクレタリー・バーキーパー。スパイ。

 世界政府の密命を帯びた諜報員達がウォーターセブンに潜入したこの年。

 

 東の海のシロップ村で、長っ鼻の少年が村のチビ達を集めて『ウソップ海賊団』を結成していた。

 

 グランドラインのドラム島では、一人の偉大な男が命を散らし、心優しい青鼻のトナカイが魔女の弟子になった。

 

 グランドラインの魔の三角海域で、一人の生ける骸骨が怪人影男に影を奪われ、剣豪ゾンビに敗北していた。

 

 とまあ、世界はこんな調子で回っている。

 

 さて。

 借家の台所で厚切りベーコンと卵を焼きながら、ベアトリーゼはガレーラカンパニーに潜り込んできたスパイ達の対処を考える。

 

 うろ覚えとはいえ原作知識――サイファー・ポールの面々からすれば、自分達に一切の落ち度がないのに素性や任務内容が割れている理不尽――を持つアドバンテージは大きい。

 加えて、ベアトリーゼは覇気使いにも悟られぬほど細微に見聞色の覇気を使える。覗き見と盗み聞きはネズミの十八番。政府の犬なんぞに後れは取らない。

 探り合いでも、殴り合いでも。

 

 原作の流れがぶち狂うかもしれないけど……今のうちにぶっ殺しておくか。

 ……いやいや、それはいくら何でも脳筋すぎる。デキる女として浅慮は控えよう。

 蛮族的思考に走りかけるも、臆病なほど慎重な部分が押し留める。

 

 厚切りベーコンと卵を焼き終え、薄切りトマトと千切りレタスと共に皿へ盛りつけていく。温めたライ麦パンにバターとジャムを塗り、ラストに紅茶を淹れてミルクをたっぷり注ぐ。

 

 朝飯をもしゃもしゃと食べながら、ベアトリーゼは今後の身の振りを考え続けた。

 奴らが大人しくしているなら放置。仕掛けてくるなら返り討ち。メキシカン・スタイルでエニエスロビーに配達してやろう。

 その後は……とりあえず海列車で行ける所へ逃げて、交易船に潜り込んで高飛び。どこへ行くかは乗り込んだ船次第。

 

「……行き当たりばったりか。ロビンが居てくれたらなぁ」

 一年も顔を合わせていない親友を想いつつ、ベアトリーゼは食事を済ませて身支度を始める。

 今日は胸元の曲線を強調するタイトなTシャツとホットパンツ。足元はスニーカー。

 

 問題は髪だ。確かにベアトリーゼの髪は癖が強いものの、自然にアフロになるほどでは無い。毎朝毎朝、アフロチックになるようヘアセットしなくてはならなかった。

 

 これが実に面倒臭い。

 ベアトリーゼは思う。

 一年前の私は何を考えてこんな髪型にしちゃったんだろう……

 

      ○

 

 ウォーターセブン某所。

 

「……あの女は本当に血浴のベアトリーゼなんか? 一年前に死亡認定されとるぞ」

 長鼻の影が首を傾げる。

 

「死体は見つかっていない。護送船『ベッチモ』の沈没時の状況は完全に不明だ。ベアトリーゼが生き延びていた可能性を否定できない」

 角みたいな髪型の大きな影が滔々と言葉を編む。

 

「髪と肌の色、背丈と体形は情報と同じね。ただし、サングラスで目を確認できないし、髪型は大きく変わっていて、服装の嗜好も手配書のものと大分異なっている。顔を合わせた印象では資料にあった人柄とも一致しない。変装と演技なら頑張っているわね」

 細身の女性的な影が語った。

 

「ベアトリーゼのことはどうでも良い。重要な点はあの女が居るなら、傍にニコ・ロビンも居る可能性が高いことだ」

 肩に鳩を乗せた影が冷淡に言った。

 

 うーむ、と長鼻の影は唸る。

「それらしい女が傍に居る、といった話は無いようじゃが……」

 

「ベアトリーゼを確保すれば分かることだ」と肩に鳩の影。

 

「待て。この街に潜入したばかりだ。我々の本命はあくまで古代兵器の設計図。ニコ・ロビンは完全に想定外だ。()()()()長官の判断と指示を仰いだ方が良い」

 角みたいな髪型の影が提案し、

「そうね。彼女が本当にベアトリーゼだと確定したわけでも無いし、仮に本物なら海軍大将と中将の精鋭部隊と単独で戦える女よ。簡単に捕らえられる相手じゃない。慎重に動いた方が良いわ」

 女性的な影も同意する。

 

「ワシは仕掛けても構わんが……あの女がベアトリーゼと確証を得てからでも良いと思う。勘違いで無実の市民を傷つけてはCP9の名折れじゃ。それに、仕掛けるなら仕掛けるで、潜入偽装(カバー)が剝げることに備えておくべきじゃろう」

 長鼻の影は肩に鳩の影へ言った。

「相手はモノノケ女じゃ。身バレを気にしながら戦えるほど易い相手じゃなかろう」

 

「我々の身元が発覚すれば……本命の任務が不味いことになる」と角みたいな髪型の影。

 肩に鳩を乗せた影は沈黙し、室内に静寂が満ちる。

 

 そして――

 肩に鳩の影は告げる。無機質な声で。しかし、どこか不満そうに。

「分かった。本来の任務と並行して女の身元を探る。カリファ。お前のカバーはアイスバーグの新人秘書だ。仕事を教わる(てい)で近づけばいい。友人関係になって探れ」

 

 水を向けられた女性の影――カリファは怪訝そうに眼鏡の位置を直す。

「あら。貴方達が彼女と親密になるという手もあるんじゃない? ハニートラップは基本でしょう? ルッチ、お手並み拝見させていただける?」

 

 カリファがからかうように切り返せば、肩に鳩を乗せた影――ロブ・ルッチが微かに渋い顔を作った。

「……俺はしゃべらない男というカバーを被っている。(ハットリ)を使って口説けとでも?」

 

「絵面的に凄く面白そうじゃな」

「ジャブラ辺りが知ったら死ぬまで弄り続けるだろうな……」

 長鼻の影――カクは腕を組んで唸り、角みたいな髪型の影――ブルーノは顎を撫でながら唸る。2人ともどこか楽しそう。

 

「それで」カリファはルッチへ顔を向け「彼女の調査のこと、長官には?」

「真偽が判明してからでええじゃろ」とカク。

「同感だ。件の女子社員がベアトリーゼと確定したら知らせればいい」とブルーノ。

「現段階で報告しても、余計な真似をするだけだ。後回しで良い」とルッチ。

 

 三者三様の言い回しだが、上司を蔑ろにしていることに変わりはない。もちろん、エリートである彼らは『報連相』の重要性を正しく理解している。しかし、相手が度し難い無能では『報連相』しても悪い結果しか出ない、とも認識していた。

 そして、彼らの認識は正しい。

 

「予期せぬ事態だが、失敗は許されないことを改めて胆に銘じておけ」

 ロブ・ルッチは全員を見回して告げた。

「全ては正義のために」

 

       ○

 

 かくて、スパイ達は諜報活動を始め――

 

 某日。

 新人船大工の偽装を被るカクとルッチは、調査対象の女子事務員に叱られていた。

「お前ら新人のくせ、揃って提出書類の締め切り破ってんじゃねェよ」

 

「すまんのう。でも、先輩らが期日を多少過ぎても大丈夫と言うておったんじゃぞ?」

 頬を掻きながら釈明するカク。

『そうだ。パウリーやタイルトンが遅れても平気だって言ってたぞ、ポッポー』

肩に乗せた鳩の腹話術で応じるルッチ。

 

「締め切り破りまで習うんじゃねェよ」

 ビーは銃声みたいな舌打ちをし、アフロ染みた夜色の髪を掻く。

「今回はケツ蹴りを勘弁してやっけど、次からは容赦しねェぞ。締め切りを守れ」

 

 サングラス越しにぎろりと睨まれ、カクは肩を竦め、ルッチ(と鳩のハットリ)は降参したように小さく手を挙げた。

「蹴られちゃかなわん。今後は締め切りを守るわい」

『悪かったよ、ビーポッポー』

 

「ビーポッポーってお前……なんか新たなキャラクターが生まれそうになってるじゃねェか」

 嫌そうに小麦肌の細面を歪め、ビーはしっしっと追い払うように手を振る。

「ほれ、仕事に戻れ。怪我すんなよ」

 

 事務所を追い出され、カクは声を潜めて呟く。

「どう思う?」

『あれが演技なら完全に溶け込んでいるな、ポッポー』と腹話術で応じるルッチ。

 

 はすっぱな言葉遣いや態度、すぐに手を出す気の強さと荒さ。ズボラそうな印象を受けるが、仕事は丁寧でミスがほとんどない。しかも手早く定時までに片付ける。優秀と言えよう。

 

「それにしても」カクは眉を下げて「ビーポッポーってなんじゃビーポッポーって。不意打ちはやめてくれ。吹き出すところじゃった」

『俺のカバーに合わせた演技だ』

 心なしかルッチの横顔は得意げだった。

 

 

 

 一方。

 

 

 

 卓越した才人アイスバーグの傍に潜入し、秘書として人となりを観察しているカリファは、思う。思わざるを得ない。

 こんな人が上司だったらなぁ、と。

 

 有能で優秀で仕事の出来はいつも最高。部下の扱いが上手く、気配りも欠かさない。明確なビジョンを持ち、カリスマ性にも富んでいる。少々荒い言葉遣いや時折見せる稚戯染みた無節操さも慣れてしまえば可愛いもの。

 

 エニエスロビーのCP9司令長官室でふんぞり返っているバカアホマヌケでドジの四重苦男が脳裏をよぎり、カリファは思う。思わざるを得ない。

 アイスバーグが上司だったら良かったのになあ、と。

 

 そして、カリファはもう一つの役割――同じ女子社員として調査対象のビーに近づき……

 

 

 

「あたしの奢りだ。存分に食ってくれ」

「あ、ありがとう。御馳走になるわ、ビーさん」

 カリファは若干顔を引きつらせながら微笑む。

 

 卓の上に乗った料理はスペシャルパワーランチ。体が資本の職人向けに大きな皿の上に山盛りのタンパク質と脂と炭水化物。食事という名の燃料である。

 しかも飲み物はビール。午後も仕事なのにビールだ。

 

 太る。絶対に太る。太ってしまう。

 カリファはカウンター内の店主を睨む。貴様なぜこんなメニューを作ったと忌々しげに。

 

 理不尽な怒りをぶつけられた酒場の店主――ブルーノはさっと目を背けた。

 中心街で酒場の店主に化けたブルーノは、律儀に店を繁盛させるべく客寄せの目玉にスペシャルパワーランチを考案した。おかげでドカ食いしたいガテン系の客で賑わっている。

 

 ビーは食前酒代わりにビールを呷ってから、

「そろそろアクア・ラグナが近いから、しっかり食っておいた方がいい」

「アクア・ラグナ……たしか、毎年生じる高潮でしたか?」

 カリファが確認するように問えば、こくりと首肯する。

「そ。下町の辺りはごそっと水没しちまうような奴な。で、その後始末で島全体がてんやわんやの大騒ぎになる。そんでもって、ウォーターセブンは今やガレーラカンパニーの企業城下町みたいなもんだ。当然、ウチのボスは大騒ぎの中心に担ぎ出される」

 

「……アイスバーグさんの秘書である私も多忙になると」

 カリファの正解に、ビーはにやりと笑う。

「今からしっかり食って体力をつけておかないと大変だぜ、カリファ」

 

「そうですね。いただきます」

 カリファは内心で溜息を吐きつつ、山盛りのガテン系飯を食べ始める。腹立たしいことに美味かった。

 

 2人が毒にも薬にもならない会話を交わしながら食事を進めていく。

 皿の上の料理をほとんど平らげ、ビーはビールジョッキを手に片眉を上げた。その目線は壁の一角へ向けられている。

 

「この店は悪趣味な“ポスター”を並べてンなぁ」

 ビー目線の先には多くの指名手配書が貼られていた。四皇や大物海賊を筆頭に高額賞金首が並んでいる。

「どいつもこいつも汚ェ面の不細工だし……“赤髪”みたいなイケメンがもっと増えねェもんかね」

 

「あら。ああいうのがタイプなんですか?」とカリファ。

「タイプってわけじゃあねェけど、周りと比べるとさぁ……たとえば、ほら、あそこの2億。自分があの出っ歯デブとハグして、キスして、愛を囁くところを想像してみ?」

 カリファは想像した。想像してしまった。想像して、心理的ダメージを受けた。食事の手を止め、げんなり顔を浮かべる。

「……食欲が無くなりました」

「だろう?」けらけらと笑うビー。

 

 大きく息を吐き、カリファは手配書の群れへ顔を向け、

「それにしても……あんな小さな子でも指名手配になるんですね」

 むさくるしい野郎共の写真に混じる幼女の写真を示す。

 

『悪魔の子』ニコ・ロビン。アライブ・オンリー:7900万ベリー。

 

 相手の反応を探る誘い水。

 カリファはビーの様子を注視した。眼鏡の奥からビーの一挙手一投足を観察し、表情筋のささやかな動きも見逃すまいと集中している。

 

「あの歳であの金額だ。よほどのクソガキなんだろーよ」

 が、ビーは極々自然体のままだった。鼻を鳴らしてからビールを呷って笑う。

「手配されてから10年以上か? ガキの身でよくまあ逃げおおせたもんだ。確かに『悪魔の子』だわな。おっかねーわ」

 

「仲間がいたのかもしれませんね」とカリファ。

「まあ、普通に考えりゃあそうだろうな。今頃は海賊団でも結成してるかもしれねェ」

「海賊団、ですか?」

 予期せぬ言葉にカリファは密かに警戒のレベルを一つ上げた。カウンター内で作業しながら聞き耳を立てているブルーノも、ビーの言葉に意識を集中させている。

 

「ガキの時分から10年以上も政府や海軍を向こうに回してるアバズレだぞ? 悪党共からすりゃあ充分にワルの偶像(ドンナ)になれるだろうさ」

 ビーはカリファへ悪戯っぽく微笑み、けらけらと笑う。

「いずれ、ガレーラカンパニー(うち)へ船を買いに来たりしてな!」

 

「そんな日が来るかもしれませんね」

 作り笑いを返しながら、カリファはビーの回答をどう判断すべきか頭を悩ませた。

 

「しかし……」ビーはカリファの手元を見て「意外と健啖なんだな」

「え?」

 カリファが自身の手元へ目線を落とせば、スペシャルパワーランチをほとんど食べ終えていた。思いの外、食べ進めていたらしい。

 

「や。丁度良かった。女一人じゃあ入り難い店がいくつかあって、どうしたもんかと頭を捻ってんだが……」

 サングラスの奥でビーの双眸が妖しく輝く。

「これからは心置きなく入れそうだ」

 

「え?」

 カリファは困惑する。何かとてつもなく嫌な予感がしていた。

「え?」

 

 

 

 

 

 数日後――

「なんじゃ、えらく疲れた顔して」

 ウォーターセブン某所に集結したスパイ達は、くたびれ顔の女スパイを訝しげに窺う。

 

「……近づいたら妙に気に入られてしまって」

 カリファは沈鬱な面持ちで呻くように言った。

「食べ歩きに連れ回されて、ここ数日だけで3キロも増えた……増えちゃったわ……」

 

「たかが体重くらいで――」

 ルッチは仕舞いまで口に出来なかった。カリファから海王類も逃げ出しそうな目で睨まれたために。

 

「ともかく、この数日で分かったことは、彼女の周囲にニコ・ロビンらしき影はない。誰かと連絡を取り合っている様子もない。ただ意地でも人前でサングラスを取らないわね。さりげなく聞いてみたけど、『貫き通してこそのファッション』とかよく分からない返しをされたわ……」

 カリファは少々疲れ気味に語る。

「あと、秘書(わたし)の仕事と彼女は意外に接点が少ない。アイスバーグはフットワークが軽くて、気まぐれなところがあるせいもあって、勤務中は接触の機会がそう多くないの。やっぱりハニートラップも仕掛けてみたら? カクはどう?」

 

「人食い鬼と懇ろになるなんぞ絶対に嫌じゃ」とカクが真顔で拒否。「ブルーノが口説けばええじゃろ」

「却下だ」とブルーノもそっぽを向く。

 

「貴方達、重要任務に対して選り好みを持ち込み過ぎよ」とカリファは苛立たしげに男共を睨む。

 

 ルッチは場の雰囲気が集中力を欠いたことに小さく鼻息をついた。

「……分かった。ブルーノ。お前の“能力”で近いうちにあの女の部屋を調べろ。それで確証が得られないようなら、女の件はしばらく静観し、本命へ注力する」

 

「なんぞあったのか?」

 カクがルッチに問えば、

「出入り業者と職長達のやり取りを耳にした」

 ルッチは淡々と続ける。

「来年の次期市長選にアイスバーグを推薦立候補させようという動きがある。まだ本人にも打診されておらず、アイスバーグ自身の考えも分からないがな」

 

「それはまた……色々難儀なことになりそうだな」とブルーノ。

「だが、好機でもある」

 眉間に微かな皺を刻み、ルッチは言った。

「選挙は一種の騒動だ。何かしらの隙も生まれるだろう。逆にこの選挙の間を逃せば……この潜入任務が長引く可能性が出てくる」

 

      ○

 

 某日の昼下がり。

 ブルーノは自らの持つ悪魔の実の能力『ドアドアの実』の力を用い、ビーことベアトリーゼが借りているアパートの部屋に侵入した。

 

 壁に触れさえすれば、どんな所にも――大気中にすらも、人体にさえも、ドアを創り出すことが出来る空間操作能力。ドアドアの実の前では固く閉ざした扉も意味をなさない。

 

 一人暮らしの女性の部屋に侵入し、ブルーノはまず室内を見回し、“覚える”。

 どこに何がどのように置かれているか、何一つも見落とさぬようにしっかり記憶していく。

 

 変哲の無い1LDK。整理整頓が行き届いている、というよりは殺風景の一歩手前か。女性的な可愛い置物などの類は一切ないし、調度品や生活用品も実用第一といった感じだ。

 

 一通り室内を観察し、記憶した後。ブルーノは部屋の捜索を始める。

 

 本棚――安売りの小説が数冊。他は、海列車の路線各島嶼の食通ガイドばかり。

 全ての本のページを手早く流して何か挟んで隠していないか、何か書き込まれていないか確認するが、特になし。本棚の裏にも特になし。全て元通りに戻す。

 

 続いて、箪笥とクローゼットの中を確認。さして多くない化粧品を調べ、全ての衣服を広げ、手早くポケットや襟裏まで調べていく。下着だって構わず調べる。ブラジャーとショーツも一つ一つ調べていく。もちろん無心で。箪笥とクローゼットの裏も調べるが、やはり何もない。

 

 窓際のサイドボードにはスケッチブック数冊、絵具と色鉛筆。

「……絵を描くのか」

 意外そうに呟きつつ、ブルーノはスケッチブックのページを開く。この中にニコ・ロビンの似顔絵ややり取りが描かれていれば、と思う。

 

 しかし……スケッチブックの中に描かれていたものは、ウォーターセブンやガレーラカンパニー、海列車や諸都市の風景画。ガレーラカンパニーや市井の人々のスケッチ、練習らしき静物や人体のデッサン。ニコ・ロビンはどこにも描かれていないし、メッセージのやり取りらしきものもない。

 

 ブルーノはスケッチブックを元の位置に戻し、ぽつりと呟く。

「ヘタウマ……といったところか」

 

 正直、自分の方が上手い(凄腕諜報員はターゲットの似顔絵や作戦地域の写景図くらい完璧に描けねばならぬ、ならぬのだ)。

 

 その後、ブルーノはベッドそのものやベッド下、キッチン、浴室、洗面所、トイレの隅々まで調べていく。

 

 人は思いもよらぬ場所に隠し物をするものだ。

 金庫はフェイクで冷蔵庫の中に権利書を隠していたり。浴室の壁の中に機密ファイルを隠していたり。便所の床下に横領金を貯め込んでいたり。

 

 ところが、この部屋には怪しい物もやましい物もなく、ビーをベアトリーゼと確定する材料も、ニコ・ロビンと関わりを示す物も、何一つなかった。

 

「似た別人なのか……?」

 全てを記憶した通りに元へ戻してから、ブルーノは能力を用いて部屋を出ていく。

 

 

 

 ブルーノの報告を以って、スパイ達は女子事務員ビーに対する調査を中断。

 来年行われる市長選に合わせ、アイスバーグが保有する“だろう”古代兵器の設計図を発見/確保する計画を練っていった。

 

 

 彼らのプランが成就しないことを、この世で一人だけ知っている。




Tips

ブルーノ
 原作キャラ。
 この時、26歳。原作登場時は30歳だったのかと驚いた。
 既にドアドアの実の能力者ということにしてある。

ハットリ
 ロブ・ルッチの愛鳩。主の腹話術へ完璧に合わせた動きをする天才鳩。

バカアホマヌケでドジの四重苦男。
 スパンダム。割と人気キャラであるが、作中の言動と行動はカスの一言。

古代兵器の設計図。
 この時点では確かにアイスバーグが所有している。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24:アクア・ラグナ来りて

 自宅の湯船に身を浸し、ベアトリーゼは女子事務員ビーの仮面を外してくつろぎながら、ここ三カ月ほどの“観察”結果を思索していた。

 

 今や私室でしか作らない物憂い顔をつるりと撫でて、呟く。

「ワン公達の動きからして……私の調査を止めてアイスバーグ一本に絞ったか。となると……仕掛けるなら市長選あたりかなぁ」

 

 前世日本人の自己同一性(アイデンティティ)が疑わしいほどに野蛮人ではあり、何かと行き当たりばったりが目立つものの、ベアトリーゼは無能ではない。

 現代国家において諜報機関と軍隊が協力し合う都合上、互いのやり口をある程度理解し合うように、ウォーロードの飼い犬だった経験から、()()()()()()を大まかに理解している。

 

「市長選の繁忙の隙を突いて、踏みこんだ活動をする。政敵とのトラブルを演出して身柄の確保……は無理か。対抗馬がいないから実質的に信任投票だし。現段階でアイスバーグが消えることはデメリットが大きすぎる」

 まあ、何をするにしても……とベアトリーゼは悪意を込めて口端を歪めた。

 

「無駄な努力、ご苦労さんだね」

 この世界が原作通りに――自分という存在によるバタフライ・エフェクトが生じない限り、連中は約4年後の原作時までこの街に潜伏し続けるのだから。

 

 ベアトリーゼが呟いたように、市長選自体は原作で描かれていなかったものの、アイスバーグの市長就任は確定で間違いない。

 この市長選の主役はアイスバーグではなく、原作で描かれなかったモブ達……アイスバーグの後援者達やウォーターセブンの有力者達であり、アイスバーグが作り出す繁栄の果実をどれだけ手中に出来るかというゲームだ。

 

 CP9のスパイ達はこのゲームの盤外で、アイスバーグの“隠し物”を見つけ出そうとしているわけだが……

 ベアトリーゼ自身の原作のウォーターセブン/エニエスロビー編をはっきり覚えていないものの、たしか“隠し物”は“フランキーが持っている”ため、ワン公共はその事実を知らずに選挙の間、東奔西走することになる――と認識していた。

 滑稽だと冷笑するベアトリーゼ。

 

 もっとも、原作をうろ覚えのベアトリーゼは知らない。

 

 現段階において、元トムズワーカーズの船大工カティ・フラムことフランキーはウォーターセブンに帰還しておらず、アイスバーグ自身が古代兵器の設計図を隠し持っていることを。

 街でフランキーを、あれほど強烈な存在感を放つ奇怪な大男を見聞きしないことを、疑問にすら思っていなかった。『生活圏が違うから関わらないんだろう』程度に考えている。

 見事に油断していた。

 

 ゆえに、ベアトリーゼは自身が重大な誤認をしていることに気付かず、鼻歌さえ口ずさみ始める。

 この世界で誰一人として知らないその曲の名は、サミー・デイビスの『世界で二番目の優秀な秘密諜報員』。

 完全に慢心していた。

 

 世界で二番目に優秀なスパイの歌を歌い終え、

「……そろそろ本格的にこの島を出る算段を立てないとなぁ。ドカッとまとまった金を稼ぐ方法はないものか」

 浴槽に顎先まで沈め、ベアトリーゼは大きく息を吐く。水面にさざ波が広がった。

 

 流石に原作開始の頃まで事務員暮らしをする気など無い。

 ガレーラカンパニーもウォーターセブンも居心地が良い。カリファを食い歩きに連れ回し、小デブ化させる試みはそれなりに楽しい。が、さっさとロビンの傍に行きたかった。ロビンの柔らかい毒舌や辛いユーモアが恋しい。

 

「あ……そういや、そろそろアクア・ラグナの時期か……あーまたぞろ忙しくなるなぁ……面倒臭い。面倒臭いよぉ~働きたくないよ~~~」

 ウォーターセブンの風物詩が近いことを思い出し、ベアトリーゼは頭のてっぺんまで浴槽に沈めて、ぶくぶくと吐息の泡を昇らせた。

 

        ○

 

 ウォーターセブンはヴィネツィアよろしく高潮の定期便に見舞われる。

 アクア・ラグナと呼ばれるこの高潮が到来した際、住民はガレーラカンパニー(旧七大造船会社)の大造船場へ避難して潮が引くまで待つ。あるいは、海列車で他の島へ渡ってアクア・ラグナが去るまでバカンス。がセオリーとなっていた。

 

 ガレーラカンパニーの関係者にしてみれば、アクア・ラグナによって日頃の職場に住民が入り込んでくるわけで。

 職人連中の一部は家族に職場を紹介したり見学させたり、車座になってわいわいと賑やかに過ごしたり、暢気な空気がある一方。

 

 実質的に管理運営組織となる事務方は、あらゆる面倒事が持ち込まれていた。

 便所の場所案内に始まり、びーびー大泣きする迷子のチビ達を保護したり、ボケた徘徊老人達を保護したり。立ち入り禁止区画に入ろうとする悪ガキ共に拳骨をやり、廃材でキャンプファイヤーをやろうとするウェイウェイ野郎共を張り飛ばし、酒盛りを始めたおっさん達のケツを蹴り飛ばし。資材をくすねようとしたアホタレをウェスタンラリアットで成敗し。

 

「ビーおばちゃん。もっと遊んでー」「遊んでー」「あそぼー」

「おばちゃんじゃねえっ! お姉さんだっ! こら、まとわりつくなっ!」

 女子事務員ビーことベアトリーゼは迷子として保護されたチビ共にモテていた。いや、迷子だけでは無かった。

 

「びーっ! あそんでーあそんでーっ!! にゃはははっ!」

 黄緑髪のチビッ子が勢いよく飛びついてきた、というよりダイビング頭突きをしてきた。ついでに「にゃー」と鳴く兎も一緒に飛びついてきた。

「ぐえっ!」

 チビッ子と兎に左右の肋骨を直撃され、ベアトリーゼは悲鳴をこぼす。

 

「いってーな、チムニーっ! 危ないから飛びつくなって何度言えばっ!」

 ベアトリーゼはチビッ子と兎を叱るも、

「きゃー! にゃはははっ!」「にゃーっ!」

 海列車シフト駅駅長ココロに連れられてやってきた孫娘チムニーちゃん(4歳)は悪びれることなく、ベアトリーゼの膝上に身を乗せてはしゃぐ。ついでに兎のゴンベも乗っかってくる。

 

「このジャリん子めっ!」

 ベアトリーゼは4歳児を抱え持ち、ぶんぶんと飛行機ごっこ紛いに振り回す。歓声を上げて喜ぶチムニーちゃん。

「あーずるいーぼくもーっ!」「あたしもやってーっ!」「やってーっ!」

「ああああ、もうっ! 群がるなチビ共っ!!」

 

 海軍を心胆寒からしめた女が子供達に振り回されていた頃、パウリーは後輩のカクとルッチを連れ、本社施設周辺を見回りしていた。

「まるで祭りじゃなぁ。避難活動に対する常識が崩れそうじゃ」

 どこか楽しげな避難民を横目に、カクが何とも言えぬ顔つきで呟く。

『たしかに、もっと悲愴なものをイメージしてたな、ポッポー』とルッチ(の鳩のハットリ)。

 

「アクア・ラグナの規模次第だな。今年は高潮の規模が小さくて余裕があるんだよ。一昨年は結構規模がデカくて皆不安がってたぜ」

 パウリーが先輩面で語る。

「それにまあ、“本番”は潮が引いた後だからな。町中の掃除と諸々の修理。アクア・ラグナで狂った予定の調整。特に納期が迫ってる船だな。ドックに寝泊まりすることになるぞ」

 

「大忙しじゃな」

 カクが眉を大きく下げていると、見るからに高そうな服を着たおっさん達がぞろぞろとガレーラカンパニーの本社へ向かっていく。

「見かけん人らじゃな」

「ああ。ありゃあ商工会のお偉いさん達だな。大方、来年の市長選絡みのことでアイスバーグさんへ会いに来たんだろ」

 パウリーの説明にルッチではなく、鳩のハットリが身振りしながら問う。

『こんな時にか? ポッポー』

 

「アクア・ラグナが引くまで他にやることがねェからな。それに」パウリーは苦笑いして「こんな時なら、アイスバーグさんも逃げられねえ」

 アイスバーグは時に稚戯を発揮して面会などの約束を放りだす。自身が『面倒』と感じる手合いとは特に。

 

「見回りを続けるぞ」

 パウリーに促され、カクとルッチはお偉いさん達を一瞥してから見回りを再開する。

 

      ○

 

 ウォーターセブンの風物詩アクア・ラグナが訪問し、街が暴風と高潮に見舞われている間、ガレーラカンパニーの会議室で街のお偉いさん達が侃々諤々の議論を交わした。

 話し合いが一段落し、アイスバーグは執務室で古馴染の老船大工と一服淹れていた。

 

「選挙は建前だ。勝負にもなりゃしねえよ。オメェの市長就任を認める行事みてェなもんだ」

 羊の角みたいにデカいパイプを吹かす老人が、工場煙突のように大量の煙を吐き出した。カリファが無言で全ての窓を全開にしていく。アクア・ラグナが訪問中のため空は真っ暗だ。

 

「この島でオメェを支持しねェ奴なんざいねェ。職工連中はオメェの腕前と棟梁振りに惚れこんじまってるし、街の人間もガレーラカンパニーの、いや、オメェがもたらした恩恵に与ってるからな」

 老人はもうもうと紫煙をくゆらせながら、言った。

「何より、オメェはトムの後継者だ。この島の人間で、いや、海列車でつながっている島々で、トムの“偉業”に敬意を払ってねェモンは誰一人としていねェ。たとえトムが罪人として刑場の露に消えても、その偉業を貶められたりしねェ。そして、オメェはトムの偉業を継ぐ者として、まったく相応しい男だ」

 

「俺を(おだ)ててウォーターグラスにでも登らせてぇのかい、オヤジさん」

 アイスバーグは眼前の老人から視線を外し、紅茶を口に運ぶ。振舞いこそ物静かであるが、心の中は波立っていた。

 

 伝説の魚人船大工トム。海列車を開発し、廃れ寂れていくだけだったウォーターセブンを復活させた男であり、アイスバーグにとって父同然の師匠であり、海賊王の船を造った罪で処刑された造船技師だ。

 

 師匠トムがエニエスロビーへ連行されていった日のことは、一日とて忘れたことはない。

 あの日、アイスバーグは敬愛する師匠だけでなく、バカな弟分も失ったのだ。

 

 言葉にしきれぬ悲しみ。胸で煮えくり返る怒り。心が砕けそうなほどの痛み。それと……政府に対する憎悪。

 この感情を暴れさせぬため、師の遺志を守り通すため、アイスバーグは必死に働き、働き、働き続け、ガレーラカンパニーを興して世界最高の造船会社の社長になった。

 

 政府や海軍に自ら近づき、商売を持ち掛けて『役に立つ存在』足るべく努めてきた。

 市長になったなら、より効果的だろうとアイスバーグは冷徹に計算する。

 

「オメェを登らせることはもう決定事項だ」

 老人は――ガレーラカンパニーに合併統合されたウォーターセブン七大造船会社の一つで、かつて社長兼船大工棟梁を務めていた老人は、大量の煙を吐き出して続ける。

「問題はよ、オメェをどういう体裁で登らせるかってことなんだ」

 

 アイスバーグが市長と社長職を兼任するのか。それとも市長就任に合わせ、会社を他の者に任せるのか。

 

 後者なら大騒ぎだ。

 ガレーラカンパニーは世界最大級の大造船会社。その社長の椅子ともなれば、どれほどの富と名声を伴うか、どれほどの権力と利益を得られるか。

 

「さっきの会合で言った通りだ」

 決して譲れないものを抱く漢の顔つきで、アイスバーグは断言した。

「俺は社長を辞める気はねェ。ケツで椅子を磨いてる時間が増えたし、船より書類の相手ばかりしているが……俺の根っこは今でもトムズワーカーズの船大工だ。その生き方を変える気はねェ。変えろってんなら市長にならねェよ」

 

 部屋の端に控えているカリファは“任務”は別にして思う。格好良い……っ!!

 

「オメェはつくづくあの野郎の弟子だな。頑固なところまでそっくりだぜ」

 老人は大きく頭を振り、どこか心配そうに尋ねる。

「まあ、職人連中もオメェが棟梁を辞めるなんて事態は認めねえだろうしなぁ。ただよ、市長の仕事はオメェが考えてる以上に大変だぜ? ガレーラの経営に加えて島全体の面倒見なきゃならねェ。オメェに出来るのか?」

 

「ンマー……オヤジさん、そいつは愚問だ」

 アイスバーグは不敵に微笑んで力強く言い切る。何一つ迷いもなく堂々と。

「俺はやるだけさ」

 

 カリファは任務を余所に思う。強く思う。イケメン……っ! この男イケメン……ッ!!

 

「やれやれ……本当に頑固な野郎だ」

 老人は眩しそうに目を細め、頷く。

「選挙までもう一年を切ってる。オメェの兼任を方々に飲ませるにゃあ時間がねェぞ」

「やれやれ。忙しくなるな」

 

 ぼやくアイスバーグの背後で、カリファも密やかに頷く。

 ええ。これから忙しくなる。

 

       ○

 

 アクア・ラグナが去り、水浸しになったウォーターセブン中が後始末に駆られている。

 ガレーラカンパニーの女子事務員ビーことベアトリーゼは、ガレーラカンパニーが街の復興支援へ供出する資材のリストへ目を通し、眉根を寄せた。

「ボス、なんか建築に転用できるものが多くないスか?」

 

「ンマー……ビーは新聞を読んでないのか?」

 アイスバーグは片眉を上げつつ、小首を傾げたビーへ言った。

「裏町の一角が水没しちまったんだよ」

 

「え? 水没? 今年のアクア・ラグナはそこまでヤバい規模じゃなかったのに?」

 目を瞬かせるビーへ、アイスバーグが説明を続ける。

「規模は小さかったが、廃船島から押し流された大量の廃材が裏町へ流れこんだ。そいつが水面下の基礎をいくつか崩しちまったらしい」

 

 ウォーターセブンは少しずつ地盤沈下を続けており、中心街と周辺ドックを除く一部街区は水没した街区の上に築かれていた。

 もちろん、水没した街区の建物は大概が内部を完全に埋め潰し、建物そのものを巨大な基礎に改装している(そうでもしなければ、水没した建物の上にさらに建物を建てる、なんて無理は厳しい)。

 

 ただ……全ての水没街区が基礎化されているわけではない。資材や資金には限りがあるし、技術的に基礎化が難しいものもある。そうした部分が水面下の構造的脆弱性となり、今回の高潮で流入した大量の廃材による大きな負荷に耐え切れず、崩壊を引き起こしたようだ。

 

「つまり、水中で崩れた建物が基礎部分へぶつかって連鎖倒壊を招いた、と」

 アフロモドキの髪を弄りながら慨嘆するビーへ、アイスバーグは小さく肩を竦めた。

「推測だがな。もしくは基礎部分に大量の廃材が引っ掛かった結果、高潮の水圧に負けちまったかもしれん」

 

「なるほど……建築転用可能な資材を供出するってことは、水没した裏町を再建するンスか?」

 ビーはサングラス越しにボスを窺う。

 

「ああ。廃材を撤去し、水中の状態を調査し、改めて基礎を作ってから、な」

 アイスバーグはカップを口にして喉を潤して、ふっと息を吐く。

「年単位の大工事になるだろうが、やらねェわけにもいかねェ」

 

「たしかに。まあ、公共事業の一環として考えりゃあ、造船業以外の雇用創出にもつながるから、悪い話ばかりじゃあないでしょうね」

 ビーはそんなことを言いながら、ふと疑問を抱いて雇用主に尋ねる。

「ところで、その裏町の地下というか水面下はまだ調べてないんですか?」

 

「ああ。まだだ」アイスバーグは首肯して「お前が調べてみるか?」

「あたしはカナヅチなんで遠慮します。ガキの時分に溺れて以来、海が怖いっス」

 渋面を浮かべたビーに対し、

「ンマー……お前に怖いもんがあることに驚きだ」

 ガチで驚くアイスバーグ。

 

「失礼な……まったく失礼な……年頃の女の子に向かって失礼な……」

 三度も繰り返して遺憾の意を訴えるビーを余所に、アイスバーグは続ける。

「潜水調査は冗談として、とりあえず水没街区の調査には参加しろ。市の担当から再建計画や必要資材の大まかな見積もりを貰ってきてくれ」

 

「了解です、ボス」

 メモ帳にあれこれと書き込んでから、ビーは腰を上げた。思いついたようにアイスバーグへ聞いてみる。

「ちなみに水没街区にオタカラとか沈んでないンスか?」

 

「水没前に端から端まで調べられたし、廃船は再利用可能な部品はもちろん換金可能なネジクギまで回収された物ばかりだから何もないぞ」

「夢も希望もねェや」

 アイスバーグの無慈悲な回答に、ビーはがっくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 街がアクア・ラグナの後始末に勤しみ、街のお偉いさん達が市長選の準備に追われ、CP9のスパイ達がアイスバーグの秘密を探ることに注力し、女賞金首が資金調達に頭を悩ませていた頃。

 

 街の裏側では裏町の一部水没がちょっとした事件を生んでいた。

 実にささやかで馬鹿馬鹿しい事件が。




Tips

油断。慢心
 思い込みって怖い。

『世界で二番目の優秀な秘密諜報員』
 精確にはSammy Davis jr『The Second Best Secret Agent In The Whole Wide World』
 イギリス映画『殺しのライセンス』がアメリカで上映された際の改題と主題歌。
楽曲コードに無かったので歌詞は書けなかった。

アクア・ラグナ。
 高潮。原作の規模は歴史上最大規模だったらしい。

チムニー
 人間と魚人のクォーター幼女。怖いもの知らず。
 現時点で4歳。

水没街区。
 原作設定を一部改変。
 地盤沈下で水没した街区の上に新たな街を作っていることは原作通り。
 水没した建物を基礎化したことは改変。
 なお、水没した街区は迷宮と化しており、ヤガラの楽園になっている模様。










目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25:豚を許すな

お待たせしました。


 海に悪党がひしめく御時世にあって、ウォーターセブンは治安の良い街だ。

 街の職人達がヘタな海賊より強いおかげでもあるし、政府の重要島嶼エニエスロビーが近く、海軍の巡回がマメに行われているためであるし、海列車とガレーラカンパニーのおかげで街の繁栄が安定しているためでもある。

 

 しかしながら、治安の良い街=犯罪が無い街/悪党がいない街を意味しない。

 

 ウォーターセブンにも、都市の繁栄に与れない負け犬共が居る。

 原作においてフランキーが街へ帰還するまで、ウォーターセブンにはスラム同然の地域があり、ノンフューチャーな連中がお先真っ暗なその日暮らしをしていたのだ。

 

 ウォーターセブンにも、悪党達が巣食っている。

 やはり原作においてパウリーが賭場で借金を重ねていたように、職人――ガテン系の多いウォーターセブンには飲む打つ買うが揃っており、こういう商売はどうしたって筋者の稼業だ。

 

 なんてことはない。

 ウォーターセブンにも、ありふれた闇があるというだけ。

 そんなありきたりな闇の中で藻掻く者達が、短絡的に悪事へ手を染めることもまた、よくある話。

 

     ○

 

 ドノバンという男がいる。

 天下のガレーラカンパニーを志してウォーターセブンにやってきた若者だ。

 故郷の造船場で修業を積み、腕っぷしも鍛えていた彼は、船大工として“それなり”に腕が良く、“それなり”に拳骨を振るうことも得意だった。

 

 しかし、世界屈指の造船会社ガレーラカンパニーが要求する基準は高く、“それなり”程度では就職が叶わない。

 ガレーラカンパニーの入社試験に落ちた後、ドノバンは下町の小さな造船工房に職を得た。が、ヤガラブル用の小舟を弄る日々は、ドノバンの船大工としての自尊心を傷つけ、欲求不満を募らせていく。

 

 こんなしみったれた仕事をするためにこの島に来たんじゃねえ。俺はもっとデケェことがやりてェし、もっとスゲェことが出来る人間なんだ。

 

 ドノバンは喧嘩やナンパに愚痴をこぼし盗んだバイクで走りだす少年のような鬱憤に駆られ、給料を酒や博奕や女遊びに浪費し、しょうもない喧嘩を繰り返し――

 気づけば、職を失ってワルの仲間入りをしていた。

 

 仲間達も似たようなものだ。夢と志を抱いてウォーターセブンへやってきて、今や場末の酒場で安酒を舐めるチンピラに。

 いよいよ食い詰め、ドノバン達がいっそ俺らで海賊を始めるかと戯言を検討し始めた時だ。

 

 先輩のイトコの知り合いという怪しいにも程がある男が現れ、ドノバン達へニヤリ。

「オメェらみてェな活きの良い奴らに、ちょーど良い話があるんだ」

 

 その『ちょーど良い話』を簡潔にまとめると。

 水没した旧市街区には上下水道整備用の連絡通路や旧水路があり、その連絡通路や旧水路は中心街の地下に通じている。当然、換金所の下にも。

 この地下通路を用いて換金所の床を抜き、金庫や保管庫へ進入。オタカラを一切合切かっさらう。

 

 どっかで聞いたような強盗計画だが、アホなチンピラ共が思いつくことに独創性なんて期待してはいけない。

 ただまぁ、アホはアホなりに足りない頭を絞る。

 

「この島の地下は迷宮だぞ。地図でもなきゃあ換金所の真下はおろか、帰ってくることも叶わねェ」

 ドノバンの仲間が指摘すれば、『先輩のイトコの知り合い』はにやにやと笑う。歯が汚い。

「地図があるのさ」

 曰く――ウォーターセブン内の土建屋に博奕で身を持ち崩した奴がいる。そいつを脅し……もとい、ちょいと説得して会社が保管していた地図を持ち出させたという。

 

「分からねェな」ドノバンは渋面を作り「なんで俺らに話を持ち込んだ? 地図があるならあんただけでやりゃあ良いじゃねェか」

「事はそう簡単じゃあねェんだよ、若造」

『先輩の(ry』は訳知り顔で言った。

「地図があってもウォーターセブンの地下が迷宮ってこたぁ変わらねェ。何より地下から換金所の金庫内へバレずにトンネルを掘ることは簡単じゃねえ。どうしたって頭数が要るし、あれこれと道具が要る。当然、その道具を使いこなす技術もな」

 

 ドノバンとその仲間を選んだ理由も“そこ”だ。

「盗み出した金とオタカラを背中に担いで運んでたら時間がいくらあっても足らねェ。そこでオメェらが代車や小舟を作るんだ。地下通路は水没してる場所が少なくねえからな。換金所の地下から台車で連絡水路まで運び、そこから小舟を使って外へ出すのさ」

 

『先輩(ry』はドノバン達を見回し、見透かしたように嗤う。

「オメェらが海賊を始めるにも、先立つもんは必要だろ?」

 

 実に怪しい話であるが、ドノバン達は乗った。どのみちノーフューチャー。どうせ失うものもない。海賊を志すなら換金所強盗くらいやってやろう。

 

 かくて、ドノバン達は『先輩(ry』の指揮の下、裏町のボロアパートをアジトに、ダンジョンRPGよろしく換金所の真下を目指して地下迷宮の探索を始め――

 その矢先にアクア・ラグナが到来。

 規模こそ小さかったものの、裏町の一角が崩壊水没してしまった。

 

 ここまで書けば、諸賢もお分かりだろう。

 ドノバン達のアジトは水没した裏町の一角に含まれており、水没した際に島の地下地図その他がどんぶらこっこ。

 街がアクア・ラグナの後始末に追われる中、彼らは地図その他を躍起になって探し回って――

 

 怪物と遭遇した。

 

      ○

 

 水没した裏町の区画付近は立ち入り禁止の封鎖線が敷かれている。

 そして、水没した区画の隣接地域では大規模な地下調査が行われていた。なんせ区画が一つ崩壊して沈んじまったのだ。隣接区の水中基礎部にも被害が及んでいるかもしれない。

 水没した区画の住民達は早いとこ再建して欲しい。都市内難民の生活は辛いから。

 一方、隣接地域の住民は自分の生活の安全が懸かっているため、きっちりした調査を望んでいた。

 

 しかしながら、再建事業に注げるリソース、特に人手と金には限りがある。

 ガレーラカンパニーはアクア・ラグナで滞っていた造船業に追われ、協力が難しい。

市としても、ウォーターセブンという島は造船業で得た金で回っており、超大造船会社ガレーラカンパニーの停滞は島全体の経済に関わるため、あまり無理も言えない。

 

 裏町でくすぶっている無職共を雇って再建事業に当たらせれば、と思うかもしれない。単純肉体労働者としては役立つだろうが、今必要なのは水中の土木工学や建築学や都市工学に通じた調査員であり、ガレーラに就職失敗して落ちぶれた連中はお呼びでは無い。

 

 そう、今は専門家が必要な場面……なのだけれども。

 どういう訳か、ウォーターセブンの地下迷宮へ向かう人々は銛やら大斧やら銃やらで武装していた。都市の地下を調べる技術者というよりダンジョンへ挑む冒険者みたいな有様。

 得物を手に召集されたカクとルッチが困惑を隠しきれない。

 

『これはどういうことなんだ? ポッポー』と(ハットリ)の腹話術で尋ねるルッチ。

「今年のアクア・ラグナみたく街区基礎に被害をもたらすような事例の場合、“出る”可能性が高いんだよ」

 先輩船大工パウリーが答えた。

「出るって……何が出るんじゃ?」とカクが訝る。

 

「海王類さ」と他の船大工がぼやくように「高潮に流されてくるのか知らんが、とにかく海王類が流れ着いてくることがある」

「大抵は廃船島辺りに漂着するんだが、そう大きくない奴だと島の地下に入り込んじまう。何年か前には地下をねぐらにしてた乞食や浮浪児が食われる事件も起きた。あん時ぁ大騒ぎだったよ」

 髭面の市職員がぶるりと身を震わせた。

「それでこの物々しさというわけか。なるほどのぅ」とカクが納得する。

 

「水溜まりには気を付けろ」

 背中に鮪切り包丁みたいなヤッパを担いだ女子事務員ビーことベアトリーゼが忠告する。

「裏町の地下にある縦穴は水の溜まったクレバスみたいなもんだ。どこまで落ちるか分からねェ」

 

『俺達は泳げないんだが……ポッポー』ハットリとルッチが揃って眉を下げる。

「溺れたら拾ってやるよ」と年上の後輩へ得意げに笑うパウリー。

 

 危険な地下水路の人食い怪物とかホラー映画だな。とベアトリーゼが暢気に考えつつ、ぼやいた。

「か弱い乙女をこんな危ない仕事に駆り出すとか、お前らにゃあ騎士道精神が足りねェよ」

 

「オメェのどこをどうひっくり返したら、か弱いなんて言葉が出てくるんだよ」

 ははは~と周囲が楽しげに笑う。

「失敬な。なんて失敬な。可憐な乙女に対してなんて失敬な」

 ベアトリーゼは三度も繰り返して遺憾の意を訴え、鼻を鳴らす。

「だいたい可能性がある、てだけだろ。ホントに海王類が入り込んだとは」

 

 

 PiiiGuOOOOOAAAAAHHHHHH!!!!!!

 

 

 地下迷宮の奥から反響してくる雄叫び。ホラー映画なら登場人物が怯えるシーンだが、

「……本当に入り込んでたみたいじゃなぁ」

 カクが溜息をこぼし、全員が得物を抜く。腕自慢の猛者揃いのためか、あるいは海王類なんて化物が身近な世界のためか、誰一人不安を滲ませていない。

 

「出来るだけ綺麗に仕留めてくれ」

 市職員が全員へ言った。目つきが狩人と化していた。

「種類にもよるが、海王類は皮から肉まで売り物になる」

 いわゆる『鯨一頭七浦潤う』だ。

 

「ボーナスは出るよな?」「バカ野郎、獲物は市の資産だ」「ケチめ」

 ぶつくさ言い合う野郎共を余所に、見聞色の覇気を広げていたベアトリーゼは眉をひそめる。

 なーんか海王類にオマケが引っ付いてる?

 

『なぁ』ルッチが眉根を寄せ『人間の声も聞こえるような気がしないか? ポッポー』

「気のせいだろ?」「いや、地下暮らしのホームレスが襲われてるのかも」「こんな深いところに? 生活できねェだろ」「野生のブルかなんかが鳴いてるとか」

 野郎共が訝っているところへ、

 

 PiiiGyuuuOOOOOAAAAAHHHHHH!!!!!!!!

 うわぁあああああああああああたすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

 

 

「聞こえた」「ああ。聞こえたな」『人間だったなポッポー』

 一同は顔を見合わせ、

「やべえっ! 人が襲われてるぞっ!」「急げっ!!」

 泡食って雄叫びと悲鳴の聞こえてくる方角へ向かって駆けだした。

 

     ○

 

 ワンピース世界は生物学的常識の通じないことが山ほどあるけれど、海王類はその代表格だ。

 単純に海棲生物が巨大化したものに始まり、哺乳類にエラとヒレが生えたような奴とか、進化の過程がまったく想像できない摩訶不思議な奴とか、その形態と種は多岐に渡る。

 大きさにしても、大型バス程度から原子力空母をスナック感覚で齧りそうなサイズまで様々。

 そして、ウォーターセブンの地下に流れ着き、ドノバン達を追い回している海王類の姿は――

 

 豚だった。

 天井に頭や背中が擦るほどデカく、首にえらがあって、四肢の先と背中にヒレの生えた、巨大な豚。

 

 ともかく、そんなドデカいヒレ付き豚が連絡通路を猛烈に這い進んでいた。双眸をらんらんと光らせ、乱杭歯の隙間に挟まっていた人間の足を大きく揺らしながら、眼前を逃げる小さな餌共を熱烈に追いかけていく。

 PiiiiiiiiGYyuuuuuuuOOOOOAAAAAHHHHHH!!!!

 

『うわぁああああああああああっ!! たすけてぇえええええええっ!!』

 人喰巨豚(ゴライアスピッグ)の咆哮と、追われるボンクラ達の悲鳴が暗い地下道につんざく。

 

 ドノバンはボンクラ達と共に全力で駆けながら思う。

 ここから出られたらその足で海に出よう。こんな島もううんざりだ。

 

 その時、

「おーい、こっちだーっ!!」「こっちに逃げてこーいっ!」

 地獄の底に蜘蛛の糸が垂らされ、魔女の鍋の底に天使の声が届く。

 

 ドノバン達は即座に声の聞こえてくる方角へ足を向け、冠水した地下連絡通路を全力疾走。これまでの人生で最も真剣な走行だった。

 

「ほぁっ!?」

 不意にジョイスンが足を滑らせてコケた。太めの女が好みでお調子者の屁こき野郎ジョイスンが、振り返る素振りもなく自分を置き去りにしていくドノバン達へ叫ぶ。

「待ってくれっ!!!!! 置いていか」

 

 ジョイスンの悲痛な訴えは途中に遮られた。末期の悲鳴すら上げられなかった。代わりに、脇目も振らず駆けるドノバン達の背中へ、肉が千切れ、骨の砕ける咀嚼音が届く。

 

「ひぃいあああっ!」「もぉやだぁああっ!!」「たすけてくれええっ!!」

 ボンクラ達は本格的に泣きが入り、走りながら小便を漏らす者さえいた。かくいうドノバンも全身が恐怖の冷や汗塗れで、故郷の母ちゃんが脳裏をよぎっている。母ちゃん母ちゃん助けてくれ母ちゃん!!

 

 ボンクラ共は走り、走り、走り、ひたすらに走って走って走り抜いて、元は広場だった貯水槽区画へ駆け込む。

 

 貯水槽区画には武装した職人や市職員が隊伍を整えていた。武装した職人や市職員の姿を見て、これほど嬉しかったことはない。

 助かった、とドノバン達が安堵の息を吐きかけた刹那、

 

 PiiigyuuUuuaaaAAAAAOooooooOOOHHHHH‼‼‼

 人喰巨豚がエントリー。

 

 血の味に興奮していきり立つ人喰巨豚を前に男達が思わず息を呑む中、女子事務員ビーことベアトリーゼは前世記憶の疼きを覚えていた。

 獣狩りの夜……オルゴールの少女……下水道……人喰い豚……リボン。

 そして、ベアトリーゼの魂にマントラが届く。

 

 豚を許すな。

 

       ○

 

「クソッ! 全然効いてねえっ!」

 パウリーは呻くように毒づいた。

 

 海王類と言っても人喰巨豚はさほど大きくない。ひょろい尻尾を含めて全長10メートルあるかないか。しかし、その体躯は海の王を称する生物に相応しく、実に頑健頑丈だった。

 銃弾や炸薬は頑丈な皮膚に防がれ、斬撃や刺突は分厚く頑健な脂肪層に阻まれ、血管や臓器を損傷させるどころか筋肉層にも届かない。生体構造上の弱点である四肢の関節部やエラ、眼球を狙った攻撃も期待したほどの効果を上げていなかった。

 

 PiiigyuuOOoooooOOAaaaAAHHHH‼‼‼

 

 むしろ中々な攻撃は豚を憤怒させ、凶暴化させてしまっていた。その暴れっぷりは凄まじく先述のタフネスと相成って手が付けられない。

「こりゃあ一回退くべきか」

 調査ではなく装備を整えた討伐隊を編成して出直すべきかもしれない。パウリーや一部の者達が弱気を抱く一方。

 

 まいったのぉ、これは。カクは太刀を振るいながら内心で唸る。

 カクは歳若くして政府公認の暗殺集団CP9に抜擢されるほどの実力を持つ。真の実力――海軍体術“六式”を駆使すれば、このタフネス極まる人喰巨豚とて難なく倒せるだろう。しかし、若き船大工の偽装を保った状態――六式を使わぬままでは、人食巨豚は少々骨が折れる相手だった。

 

 それはカクと同じCP9の精鋭ロブ・ルッチにも言えること。

 本来の実力を発揮すれば、この程度のケダモノなど鎧袖一触。然れども、ここで本来の実力を発揮しては偽装が剥げる可能性があった。

 

 であるから、カクが目線で『いっそ六式を使って仕留めるか?』と問うた時、ルッチは即座に首を横に振って否定した。

 こんな些事で任務を損なう危険は冒せない。

 たとえ、この場にいる者達が死傷したとしても構わない。古代兵器の設計図回収という重要任務を完遂できるなら、ウォーターセブンの地下に怪物が住み着こうと問題ないのだから。

 

「ルッチ」

 と、死んだはずの賞金首『血浴ベアトリーゼ』の可能性がある女子事務員ビーが駆け寄ってきた。

 マンモスVS原始人の集団みたいな光景を一瞥し、ビーはルッチへ問う。

「あれじゃあ埒が明かない。カクとお前であいつの動きを止められるか?」

 

『そういうのはロープ術が得意なパウリーに頼むべきだ、ビーポッポー』と鳩のハットリを駆使した腹話術で答えるルッチ。

「ビーポッポーはやめろ。チビ共が真似して大変だったんだぞ」

 心底嫌そうに顔をしかめる女子事務員ビー。

 アクア・ラグナで避難してきた子供達がルッチを真似て『ビーポッポー、ビーポッポー』と口々に呼ぶ様は、地球世界の偉大なるシンガーのスキャットマン・ジョンみたいだったのだ。

 

 ビーはゾッとするような冷笑を湛え、怪訝顔のルッチへ告げた。

「お前とカクはこの面子の中じゃあ別格だ。豚の足を止めるくらい余裕だろ?」

 ルッチは内心の驚きを微塵も表に出さなかったが、ビーは見透かしたように笑みを大きくする。

「出来るよな?」

 

『……足を止めた後はどうする? ビーに仕留める策があるのか? ポッポー』

 顕微鏡を覗くような目つきでルッチが問い返せば、ビーは白い犬歯を剥いて口端を吊り上げた。

「あたりきよ」

 

 ルッチは少し思案し、首肯した。この女の実力の一端を把握できるかもしれない。

『やってみよう。そっちも上手くやれよ、ビーポッポー』

「ビーポッポーはやめろ」

 眉間に深い皺を刻みつつ、ビーはルッチの許を離れていく。

 

 ルッチはカクへ素早く手信号を送った。

 ――右から目を狙え。こちらは左から攻撃する。

 カクの同意を得て、ルッチは人喰巨豚へ左から疾風のように急襲し、カクが人食巨豚の右から迅雷のように斬りかかった。

 2人の俊敏な同時攻撃が豚の両目を傷つけ、空中で交差しながら軽やかに離脱していく。

 絵に描いたような一撃離脱。見事な早業。美事な軽業。

 

 PiiigyuuOOoooooOOAaaaAAHHHH!?!?!? 

 両眼を傷つけられた人喰巨豚が苦悶の悲鳴を上げ、足を止めた。

 

 その間隙。

 夜色の髪をなびかせた影が矢のように駆け、巨豚の後方から襲い掛かり――豚の肛門目がけて鮪切り包丁を刺突し、さらに自らの右腕を肩口まで突っ込んだ。

 

 PppIiiGGggyyaaaaahhhhhhhh‼‼‼‼‼‼

 

「嘘だろぉおっ?!」「マジかマジかよっ!?」「おい、おいぃいっ!?」「ぅぁあああっ?!」

 人喰巨豚はもちろんのこと、男達も自身のケツを押さえながら悲鳴を上げる。

 

「往生せいやぁあっ!!」

 豚のケツ穴に右腕を深々と突っ込んだ女が雄々しく叫び、荒々しく右腕を引き抜く。

 その内臓諸共に。

 

 PiiGyYoooOOOOAAaaaaAAAAHHHHHHHHHH!?!?!??!!

 

 凄まじいまでの苦痛に人喰巨豚が凄惨な絶叫を上げ、肛門だけでなく鼻耳目口とエラからも大量の血が勢いよく噴出。貯水槽の地面も天井も真っ赤に塗り潰されていく。

 そして、人喰い巨豚は血塗れの眼球がぐるりと白目を剥き、その場に崩れ落ちた。

 

 男達は慄然として汚物と血に塗れた女子事務員を見つめていた。修羅場に慣れたルッチとカクすらドン引きしていた。

 そりゃそうだ。どこの世界に怪物を退治するためとはいえ、ケツの穴に腕を突っ込む者が居ようか。イカレているにも程があろう。

 

 超ドン引き中の男達を余所に、ビーは右腕を振るって血と汚物を払い落としながら、怪物豚に追われていたボンクラ共へ顔を向ける。

「ところで、“ボクちゃん”達はこんなところで何してたのかなぁ?」

 

 

 ドノバン達が換金所の強盗計画をゲロするまで、あと三分。




Tips

ウォーターセブン島の闇。
オリ設定。とはいえ、スラムや賭場があることは原作通り。

ドノバン
原作のフォクシー海賊団の船大工。たしか一コマだけ登場したネームドモブ。
キャラ設定は完全に独自設定。

人喰巨豚(ゴライアスピッグ)
オリキャラの海王類。
元ネタはA・ADV『ブラッドボーン』に登場する人食い豚。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26:まあまあの茶飲み話。

前回、誤字報告の御礼を失念していたので――
MAXIMさん、凶禍さん、ハクオロさん、誤字報告ありがとうございます。


 アクア・ラグナ後の後始末も一段落がついた頃。

 ガレーラカンパニー女子事務員ビーに扮するベアトリーゼが書類の山を社長執務室へ届けに来て、しれっとティータイムの御相伴に与る。

 

 応接セットにイケメン社長と美人秘書と女子事務員が座り、

「んー……美味し」

 ビーが上品な仕草で紅茶を嗜み、幸せそうに吐息をこぼす。

 

 アイスバーグは控えめに微苦笑した。

「ンマー……そうしてると豚のケツに腕を突っ込む女にゃあ見えねェなあ」

「アイスバーグさん。セクハラです」とカリファ。

「ンマー!?」アイスバーグは目を瞬かせて「悪かったな、ビー」

 

「や、別に構わないスけど……ちょっと豚のケツに腕を突っ込んだくらいで、皆ネタにし過ぎでしょ」

 ビーが小首を傾げれば、

「「えぇ……」」

 アイスバーグとカリファが揃って引いた。

 

「ビー。豚のケツに腕を突っ込むなんてのは全然“ちょっと”じゃねェぞ」

「ええ。そうですよ、ビーさん。控えめに言って、頭がおかしいです」

 社長と秘書から指摘されても、ビーはさして気にした様子もなく話を切り替えた。

「そうだ。豚で思い出した。結局、あのボンクラ共は不起訴で終わったらしいスね」

 

「ああ。強盗犯つっても未遂だし、主犯格の野郎は高跳びしちまったからな。厳重注意処分で済ませたそうだ」

 ビーとアイスバーグのやり取りを聞きつつ、カリファはカップを口に運ぶ。そうしないと溜息がこぼれそうだったからだ。

 

 アクア・ラグナ後の後始末時、地下水道調査で出くわした強盗未遂犯(ボンクラ)共は、返り血塗れの女子事務員ビーに凄まれ、あっさりとゲロった。

 換金所の保管庫へ地下から侵入し、金やお宝を盗み出す計画のこと。そのために地下通路の地図や進入路掘削道具や搬出用小型舟艇を用意していたこと。『先輩のイトコの知り合い』なる人物が地図を提供したこと。

 

 そして、件の『先輩のイトコの知り合い』なる主犯格はアイスバーグが言った通り、既に姿を消しており、素性も正体も定かではない。

 カリファ達は本命の任務を優先し、『先輩ry』の追跡調査を行わないことにしたが、なんともスッキリしない話ではある。

 

「それにしても換金所を狙うとは……随分と大胆な犯行を企てたものですね」

「道理ではある。銀行より換金所の方が金目の物を貯め込んでるからな」

 カリファの呟きにアイスバーグが合いの手を入れる。

 

 ウォーターセブン島に船舶の建造や整備/修理を依頼する連中は、手形や紙幣だけでなく商取引用金塊や金貨を用いることが多く、換金所で現金化する。それに、銀行で扱わない換金可能な宝飾品やら美術品やらなんやらも持ち込まれるため、いきおい換金所の保管庫はオタカラがたっぷり、というわけだ。

 

「そういやぁ……換金所の保管庫には『世界がひっくり返るようなオタカラ』が眠ってるンスよね、ボス?」

 ビーが色の濃いサングラスの位置を修正しつつ言った。

 

 カリファは眼鏡の奥で目を大きく瞬かせる。『世界がひっくり返るようなオタカラ』なんて初耳だった。ビーがプルトンのことを知っているとは考え難いから、古代兵器の設計図のことはないだろうけれど、なんとも気になる単語ではないか。

 

「世界がひっくり返るようなオタカラ……とはなんです? 初耳ですけど」

 演技と本心の交じり合った声音でカリファがビーとアイスバーグへ尋ねる。

 

「換金所の保管庫にあるのはそんな大層なもんじゃあ」

 アイスバーグが説明しようとしたところへ、

「まあまあ、ボス。いきなり正解を言っちゃあ盛り上がりに欠けるっしょ」

 ビーは人を食ったような笑みを浮かべ、カリファへ問う。

「カリファは世界がひっくり返るようなオタカラと聞いて何を思い浮かべる?」

 

 古代兵器の設計図を捜索しているエージェントにとっては、内心でドキリとさせられる口頭試問。

 カリファはカップを口に運び、紅茶と共に舌打ちしたい気分を飲み込む。

「そうですね……今の世相を鑑みるなら、何か強力な異能を持つ悪魔の実とか、でしょうか」

 焦点を外しつつも武力や軍事力を示唆し、アイスバーグの反応をさりげなく盗み見る。が、やはりこの程度で隙を見せたりしない。普段通りに平静のままだ。

 

「悪魔の実かぁ。目の付け所は悪くねーけど大造船会社の社長秘書なら、もちっとテクニカルな見解を返して欲しかったな」

 ビーは口端を緩めつつ話を続け、

「この問題の肝は、そもそも『世界がひっくり返る』ってのが“何を意味するか”だ」

 口調こそ雑なままだが、普段のヤンキー娘染みた様子と違って妙に教養を感じさせた。

「たとえば、海列車だって世界をひっくり返したと言える。実際、ウォーターセブン一帯を激変させたからな。これがカームベルトやレッドラインを越えて世界中を自由に往来できる乗り物が出来たら、どうなる?」

 

「なるほど」カリファはビーの言いたいことを理解し「世界がひっくり返りますね」

「人間を不老長寿に出来る薬、使っても減らない燃料、後は砂漠や永久凍土でも育つ麦とかな。世界を根底から激変させるだろーな」

「たしかに」

 カリファはビーに相槌を返しながら、ふと思う。

 

 世界秩序を守るため、強力無比な古代兵器プルトンの設計図を回収して政府の手で管理する、という理屈は体制側の人間として理解できるし、納得もできる。

 だが、世界から飢えを無くしたいという100パーセントの善意からどんな環境でも育つ穀物を開発する人間が現れた時、世界政府はその人物をどう扱うだろう。もしも、世界秩序を乱す危険人物として排除するなら……世界から飢餓を撲滅しようとした善意の人間を排除することが、正義と言えるのだろうか?

 

 身の丈不相応なことを考えていると実感し、カリファは強引に意識を切り替えた。

「でも、そんな革命的なものが換金所の保管庫にあるんですか? こう言ってはなんですけれど、換金所はつまるところ身代の大きな質屋みたいなものでしょう? 世界をひっくり返せるようなものを換金物として取り扱えるとは思えません」

 

「ンマー……流石はカリファ。賢察だ」

 アイスバーグが柔らかく微笑み、

「ビーが大げさに話を膨らましちまったが、換金所の保管庫にあるもんはそう大層なものじゃあねェよ。あるのは」

 さらりと言った。

 

「ただの設計図だ。とても古い船のな」

 

 !? カリファは危うく口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった。

 もちろん、アイスバーグがこんな茶飲み話の中で古代兵器の設計図について触れる訳がない。それは重々承知している。

 アイスバーグという男は聡明で隙が無い。数カ月に渡る調査と捜査でも、アイスバーグの周辺に設計図の気配すら見られず、本当に古代兵器の設計図を所有しているのかと疑いたくなるほどだった。

 

 が、理性で分かっていても感情的に反応が生じそうになる。

 カリファは内心の動揺を巧妙に隠しつつ、情報収集の機会を逃すまいと話に食いつく。

「設計図とはどういうことでしょう? 教えてください、アイスバーグさん」

 

「ンマー……構わねェが、がっかりするなよ?」

 そう前置きし、アイスバーグは語り始めた。

「まず説明しておく。古い船の設計図なんてのは歴史的や技術的な資料として価値はあるが、それ以上の価値はねェ。技術は日進月歩しているからな。最先端の秘匿技術も10年で誰もが知っている枯れた技術に成り果てちまう」

 

 ビーは茶菓子をぼりぼりと齧りながら、カリファは真剣な面持ちで耳を傾ける。

「換金所の保管庫にある古い船の設計図も、そんなもんだ。製作された当時は海軍も海賊も目の色変えて欲しがった代物だったろうが、今となっちゃあ時代遅れの技術を基に描かれた設計図に過ぎねェ。歴史的資料以外に価値がねェんだ」

 

「あー……“そういうこと”なんですね」

 カリファの端正な顔が曇った。予想はしていたことではあったものの、実際に期待していたものと大きく違えば、生理現象のように落胆に近い気分を抱いてしまう。

 

 逆に、カリファがある意味で期待通りな反応を見せたことで、ビーは悪戯が成功したような笑顔をこぼす。

「その辺のことを換金所の担当者がよく分かってなかったらしくてな。その古い船の設計図を結構な額で引き取っちまったらしい。売却しても元金を取り戻せねェってんで、以来、換金所は戒めのために件の設計図を保管してあるんだとさ」

 

「……ビーさんは私をからかうために大げさな言い回しをしたんですね」

「茶飲み話にゃあ丁度良かったろ」

 けらけらと笑うビーに、カリファは唇を尖らせて『紛らわしい話をして』と内心で毒づく。

 

「ンマー……件の設計図は俺が勉強用に買い取ってもよかったんだが」

 アイスバーグは書棚へ目線を向けた。

 

 超一流の造船技師で船大工であるアイスバーグは現場から遠のいた今も、忙しい生活の合間に勉強や研究を欠かしていない。書棚には技術書や学術書、工学的な論文がたくさん並んでいて、船舶史や技術史などの本も少なくない。中には俗にいう古代や中近世の時代に用いられていた古い船の設計図もあった。

「ウールヴヘジンの設計図は既に持っていたんでな」

 

「え。ウールヴヘジンですか? あの?」

 予期せぬ名詞の登場に、カリファは再び目を瞬かせた。

「何それ? なんかの食べ物?」とすっとぼけたことを抜かすビー。

 

「大昔に北の海で暴れ回った海賊団です。当時としては異例なほど高性能な船を使っていたとか」

 精確には違うけれど、とカリファは内心で呟く。

 

 諜報員養成機関で優等生だったカリファは、座学で学んだことをしっかり覚えている。

 ウールヴヘジンは海賊団などという生易しい存在ではない。数百年に渡って複数の島嶼を実効支配し続けた海上大軍閥だ。北の海の歴史によれば、世界政府の海軍と北の海の政府加盟国による連合軍が数度の『北伐』を実施し、ようやく滅ぼしたという。

 

「往時なら天井知らずの値がついたろうが、今じゃあ一部の物好きが欲しがる程度のもんさ」

 アイスバーグが苦笑気味に語るも、カリファは微かに眉を下げた。

「そうは仰いますけど、場所によっては公文書館で大切に管理されるような資料ですよ? 市長選で社にも御自宅にも不特定多数の往来がありますし、選挙期間中までは金庫なりにしまわれるか、どこかに預けられては?」

 

 それは善意の忠告であり、同時にスパイとしての意識誘導。

「ンマー……そこまで気を付けなくても良いと思うが……まあ、せっかくの忠告だ。考えておこう」

 アイスバーグは思慮深く答えつつ、壁時計を一瞥した。

「さて、そろそろ仕事に戻るか。ビー、オメェもだ」

「へーい」

 ビーは腰を上げた。その物憂げな様子はまるで別人のようだった。

 

      ○

 

『美食の町プッチ』にも美食とは無縁の店がある。

 その場末も場末の安酒場では、重症の飲兵衛達がアフタヌーンティー代わりに安酒を呷っている。そんなアル中共の吹き溜まりに、2人はいた。

 

「カス共を利用する策はローコストで悪くなかったし、それなりに上手くいってたンだぜ?」

 つい先頃まで『先輩のイトコの知り合い』と呼ばれていた男がぼやく。

 

『賞金額3200万:“ブラウントゥース”・ライリー。これまでの罪状は詐欺、恐喝、犯罪教唆に武装強盗。暴行傷害と殺人』

 中肉中背の四十路男で歯が汚い。装いもそこらの貧乏チンピラに毛が生えたような安物で、これ以上ないほど胡散臭かった。

 

 ライリーはビールをゴブゴブと呷り、下品なゲップを吐く。

「まさか自然災害で失敗に終わるとは……この俺の目をもってしても見抜けなかったぜ」

 

「元からオメェの節穴で見抜けるもんなんかありゃしねえだろパープリン。俺は最初(はな)っから上手くいくなんて欠片も思ってなかったぜノータリン。予想通りの結末過ぎて欠伸も出ねえわスカタン」

 鋭い目つきのイケオジがライリーを口汚く罵った。

 

『賞金額8800万ベリー:“ナーリー”ジンノ。罪状は多数の武装強盗と暴行傷害と殺人。公共物や私有財産への重篤な破壊行為』

 さながら格闘ゲームのキャラクターみたいな肉体美の持ち主で、芸術的な体躯を示すように半袖ワイシャツのボタンを全開し、ハーフパンツを穿いていた。やけにツルツルスベスベお肌の腕や腹には多彩な刺青が施してある。

 

「オツムの足りねえオメェに黒幕(フィクサー)なんぞ出来る訳ねえんだよマヌケ」

 アロハシャツの胸ポケットから紙巻煙草を取り出し、ジンノはオイルライターで火を点けた。臭いの強い紫煙が広がっていく。

「なんだよ。ジンノだって前の仕事(ヤマ)で下手打ったじゃねえかよ」

 不満顔のライリーが言い返せば。

 

 片眉を上げたジンノがもうもう煙を吐き出し、

「生意気な口を叩くじゃねえかウスラトンカチ」

 ゴッと拳が肉を打つ鈍い音が響いた。

 

 ライリーのへし折られた鼻からダバダバと血が流れる。バイオレンスの突然発生にも周囲の客は誰も気にしない。場末の安酒場だ。この程度の暴力など見物する価値もない。

「いってェなぁ。ちっとは加減しろよ」

 ライリーはぶつくさと文句をこぼして曲がった鼻筋を直し、鼻の両穴に紙ナプキンを突っ込む。血混じりの痰を吐き捨てた後、

「それで、頭目(ジャグマーカー)はこのヤマをどうするって?」

 何事もなかったように話を再開し、肴のナッツを齧り始める。

 

「打ち切りはしねェとよ。オメェのヘマは織り込み済みっつうことだボケナス」

 短くなった煙草を空いた料理皿で揉み消し、ジンノは新たな煙草をくわえて火を点けた。

「ただ開錠屋(ボックスマン)の手当てがつかなくなったらしくてな。計画を少し延期するらしい」

 

「保管庫の扉なんざ俺らで破れるだろ」

「俺らがやったら保管庫の中身までふっ飛ばしちまうだろオタンチン」

 ゴンッとライリーの頭を小突き、ジンノは煙草を吹かす。

「具体的にゃあ……ウォーターセブンで市長選が行われる頃だろうな」

「なんでそんな時期に? 選挙で街中が騒がしいぞ」

「その騒がしさに紛れて仕掛けるんだろうが、このアホンダラが」

 ジンノがゴンッと再びライリーの頭を引っ叩く。

 

「チャカポコチャカポコ人の頭をぶっ叩くんじゃねえよっ! ぶち殺すぞっ!」

 流石にライリーも腰を浮かせて憤慨するが、ジンノも鼻で嗤って腰を上げた。

「やってみろや、脳ミソ空っぽのアンポンタンッ!!」

 

 後はお決まりの喧嘩祭り。

 騒ぎを聞きつけた官憲が姿を見せた時には、ライリーとジンノはとっくに姿を消していた。店の修理費用はおろか飯代すら置いていかずに。

 

     ○

 

 王下七武海の大海賊サー・クロコダイルは帷幄に謀を巡らせるタイプの男だ。むろん海賊らしく暴力を行使することも厭わない。

 スナスナの実という強力な自然系悪魔の実の能力者であり、若くしてグランドライン後半“新世界”に乗り込んだこともある。その末に四皇の筆頭格白ひげに戦いを挑み、痛恨の敗北を喫したが、この敗北がクロコダイルという男をより危険に、より狡猾に変えていた。

 

 グランドライン前半“楽園”の某所――

 この日、クロコダイルは部下達の前で大海賊らしい冷酷さを披露していた。

 

 海賊。山賊。群盗。強盗団。マフィア。ギャング。少人数の犯罪者グループあるいは一匹狼。刑務所内の囚人集団。これらのワル共には共通の鉄則がある。

 密告者や裏切り者を決して許さないということだ。

 楽に殺す者は少数派で、大多数派は程度の差はあれど必ず拷問にかける。密告者がどのような運命を辿るか周囲に示すために。中には密告者当人だけでは済まさず、親兄弟姉妹に伴侶子供、果ては親族や恋人友人まで対象にする者もいる。

 

 クロコダイルは過剰な暴力を好まない。

 ただし、善性ゆえではなく無駄を嫌う合理性からであり、冷酷や残忍ではないことを意味しない。

 

 実際、この日クロコダイルが部下達へ披露した密告者の処刑手法は残忍極まる。

 スナスナの実の能力は体を砂に変化させることができ、また砂を自在に操ることが出来、砂嵐すら起こせる。加えて、触れたものの水分を吸収することが可能。木に触れればおがくずに。分厚い岩盤も砂山に変えてしまうし、人間を一瞬でミイラにすることさえ出来る。

 そして、人間の脱水症状には精神錯乱や発狂も含まれる。

 

 この恐るべき能力を用い、クロコダイルは密告者をゆっくりと干していった。

 部下達はまじまじと見せられた。人間が干からびながら狂い壊れていく様を。

 

 クロコダイルは密告者が錯乱し、芋虫のように呻き悶えもがく状態に陥ると、能力の行使を止めた。

「くたばるまでこのまま放置しておけ」

 

 葉巻に火を点け、クロコダイルが紫煙を吐きながら踵を返した時、狂死寸前の密告者が虚空に向かってブツブツと呻く。

みみみみ、みた。おおれ、おれれみた。ああ、あ、あ、あれ、あの、ああの、あのおん、おんおんな、おんな、ににににこ、にこ、にころびろびろろびん

 

 ぴたり、とクロコダイルは足を止めて肩越しに密告者を窺った。

「今、このネズミ野郎は何と言った?」

 慄然として震えあがっていた部下達は困惑を返すのみ。

 

 クロコダイルは舌打ちと共に部下達を一瞥し、密告者へ再び歩み寄って踏みつけた。

「もう一度歌ってみろ」

お、れれお、みみたみた。おおおんな、おんおんおんな、に、に、にいいこにころろろろびん

 密告者は腫れあがった舌と閉塞し掛けている喉から言葉を紡ぐ。

 

 

「にこ、ろびん、みた」

 

 

 クロコダイルは足を除け、部下へ命じた。

「このネズミをまともにしゃべれるよう手当てしてから、ニコ・ロビンについて聞き出せ。失敗したらテメェらもコイツと同じ目に遭わせる」

 

 かつて新世界へ踏みこみ、海賊の皇帝達へ戦いを挑んだ男は知っている。

 この世界には秘された歴史があり、失われた言葉で隠された歴史が刻まれた石が存在することを。隠蔽された歴史の真実を明かさんとして考古学者達が島ごと滅ぼされたことを。

 

 王下七武海として政府の飼い犬になった男は知っている。

 この世界に強力無比な古代兵器が存在することを。『悪魔の子』が失われた言葉を操れる唯一の存在であることを。

 

 強烈な野心を秘めた危険な男は知っていたのだ。




Tips
ウールヴヘジン
オリ設定。元ネタは銃夢:火星戦記に登場する宇宙海賊の残党軍閥。
 銃夢の原作では、宇宙海賊の軍勢が4度に渡って火星を襲い、この戦争が火星18大公時代を終焉させる一因となった。
 本作では、かつて北の海に存在した海上軍閥という設定。

”ブラウントゥース”・ライリー
オリキャラ。胡散臭い中年チンピラ。能力者かどうかは続きを待て。

”ナーリー”・ジンノ
オリキャラ。暴力的なイケオジ。
能力者かどうかは作中にヒントを出してある。

サー・クロコダイル
 原作キャラ。一部の人が大好きなワニさん。
 原作ではニコ・ロビンが24歳の時に出会い、秘密結社バロックワークスを立ち上げる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27:プリティグッドな男再び(オマケ付き)

お待たせしました。
Nullpointさん、末蔵 薄荷さん、誤字報告ありがとうございます。


 時計の針を少し進めよう。

 

 大晦日と新年の喧騒がウォーターセブンを満たしている。飲み屋という飲み屋で酔っ払い共のバカ騒ぎ。街中に張り巡らされた水路は、どこもかしこも飾り立てたヤガラブルのパレードだらけ。

 

 ベアトリーゼはガレーラカンパニーの年越しバカ騒ぎから早々に帰宅。ラフな部屋着姿で明かりを落とした部屋の窓辺に腰かけ、騒々しい年越しの夜を眺めていた。

 

 水路や通りを行き交う人々の中に仮装した者達が少なくない。

 海列車が開通して以来、近隣諸島と交流が盛んになったためか、カーニバルの町『サン・ファルド』から仮装文化が流れ込み、華やかな仮面と瀟洒な衣装の仮装が流行っている。

 

 マルディグラや死者の日みたい、とベアトリーゼは隙間だらけの前世記憶を思い出す。相変わらず文化体系の形成経緯がよぉ分からん世界だ。ロビンと議論してみたいな。

 

 窓の外から視界を外し、ベアトリーゼはテーブルに置かれた新聞を一瞥する。国際面のキューカ島で新ホテルが開店する提灯記事。現地の街並みと新ホテル店内が撮影された写真。その一角に小さく写る、若い女性。

 赤毛のかつらを被っているけれど、見間違えるはずがない。

 

 ロビンだ。

 

 なぜロビンがキューカ島のホテル兼カジノにいるのかは分からない。

 オハラ脱出後から砂怪人と組んでバロックワークスを設立するまでの間、ロビンの足跡は定かではない。“青雉”クザンの口から『ニコ・ロビンと関わった組織や集団は次々と壊滅した』と語られるだけ。ましてや穴開きバケツみたいな原作知識しか持たないベアトリーゼには分かろうはずもなく。

 

 重要なことはロビンがキューカ島に居ること。

 大方、諸々の資金稼ぎだろう、とベアトリーゼは当たりを付ける。ロビンはギャンブルに詳しいから。というか、詳しくなったから。

 主にベアトリーゼのせいで。

 

 西の海に居た頃、ベアトリーゼとロビンは『血生臭いピースメイン活動』に勤しんでいた。

 最上の獲物は海賊――オタカラ、食料、医薬品、銃砲弾薬、機材等の備品、船そのものから船員まで、全てを金に換えることが出来る『最も美味しいカモ』だ(蛇の道は蛇。ベアトリーゼやロビンが高額賞金首だと知っていても、金になるなら取引をするワルはいくらでもいる)。

 

 海賊に次いで、ベアトリーゼは西の海を牛耳っていたマフィアの五大ファミリーを筆頭に、陸の悪党達も散々ぱら襲った。野蛮人にとって弱い悪党などカモでしかない。

 悪党達の集金所(闇銀行も含む)や諸々の保管所、現金や物資の運搬船/移送馬車列を正面強襲、陽動強奪、侵入窃盗、ペテンや詐欺で騙し取ったりもした。

 そして、マフィアの経営する賭博場もまた、幾度も獲物にしてきた。

 

 往時、ベアトリーゼは物知り顔でロビンに語ったものだ。

『カジノは時に銀行より多くの金を蓄えているんだ。小額紙幣が主だけれど、両替所の窓口を襲うだけでも良い額を奪える。それに裏賭博場の場合、集金所も兼ねているケースが珍しくない。

 そのくせ金庫は銀行の物に比べれば一枚も二枚も質が落ちる。まあ、警備は銀行より厚いけれど、それだって裏賭博じゃ海軍や司直が追ってくることはない。

 さらにいえば、カジノなら強盗や泥棒のアプローチだけでなく、客として堂々と金を巻き上げることが出来る。楽しい遊び場だよ』

 

 マフィアの連中が聞いたら噴飯物の言い草だろう。

『それに……ロビンはこういう心理戦チックな遊びが得意でしょ? 頭いいし、騙し騙されの日々を送ってきたんだからさ』

 一言余計よ、とロビンにほっぺを抓られたことを覚えている。

 

 かくして、ロビンは賭博場について詳しくなった。襲撃者として設備や警備体制、経営実態などを学習し、博徒としてのノウハウやセオリー、ペテンやイカサマの手口にも通じている。

 

「大丈夫かなぁ」

 ベアトリーゼはぽつりと呟く。

 ロビンは抑圧された少女時代を過ごしてきた反動か、こういう“遊び”でしばしばやり過ぎる。とある賭場では尻の毛まで毟る勢いで大勝ちし、正体が露見。大立ち回りの脱出劇になってしまった。反省会にて『楽しくなっちゃって、つい』と気恥ずかしげに言い訳するロビンは実に可愛かった。

「やり過ぎなきゃ良いけど」

 

       ○

 

「おはようございます。それと、新年おめでとうございます。ビーさん」

「おはよう&おめでとう、カリファ」

 新年休暇明け、ベアトリーゼが演じる女子事務員ビーはカリファと共にガレーラカンパニー社屋へ出勤する。

「あとひと月もすれば、選挙か。年明けから忙しくなるなあ」

「ですね」

 

 カリファは内心で『勝負まであと一カ月』と念を押す。

 既にプランは出来ている。

 選挙でアイスバーグが忙しくしている中、カリファはアイスバーグに引っ付き小型電伝虫で絶えず位置情報を伝え、カクのサポートの下、ブルーノとルッチが普段は立ち入りの難しい自宅へ進入。私室や寝室まで調べる。

 最上は古代兵器の設計図を確保。最低でも設計図の有無を確認したい。無い物を探すなど無駄の極みなのだから。

 

「それにしても」ビーは唐突にカリファの横乳を突く。

「ひゃっ!? な、何ですかいきなりっ!?」

 顔を真っ赤にして両腕で胸を隠し抱くカリファ。

 

「なんか大きくなってない? 大きくなってるよね?」

 サングラス越しにカリファの胸を凝視するビーの目はマジだった。

「ねえ、なんで大きくなってるの? どうやって大きくしたの?」

 

 ビーとカリファは2人とも180センチ越えの長身美女であるが、胸周りはFカップのビーに対し、カリファはGだった。それもトップが100越え。相対的にビーの胸が小さく見える。

 

「目が怖いっ! 目が怖いですよ、ビーさんっ!?」

 困惑と動揺を露わにするカリファ。

 

 そんなカリファの反応を無視し、ビーはカリファの爪先から頭のてっぺんまで見回し、

「ん? ……胸だけじゃなく全体的にサイズアップしてる?」

 事実であった。真なる世界線のカリファはメリハリが大きく利いた悩殺ボディの持ち主だったが、異物(ベアトリーゼ)が混入している当世界線では別ベクトルのムッチムチ系悩殺ボディになっていた。

 むろん、原因はビーが食い歩きに連れ回していたせいだが。

 然れども、いくら正論とはいえ実際に口へ出して良いことと悪いことがある。

 

「カリファ、(デブ)った?」

「無礼者っ!」

 カリファが神速のリバーブローを放ち、ビーの身体がくの字に折れる。

 

「ぎゃぼッ!? な、ないすぱんち」崩れ落ちながらグッとサムズアップするビー。

 

「――あ、ご、ごめんなさい! 大丈夫ですかビーさん?!」と慌てるカリファ。

「お前ら、朝っぱらから何をじゃれ合ってるんだ?」

 そこへ通りかかったアイスバーグが呆れ顔を浮かべた。

 

     ○

 

「アレがウォーターセブンかっ! プリティな島だなあっ!!」

 船首の先に見える島嶼の姿に、テルミノは機嫌よく声を弾ませた。

「俺のプリティグッドな新しい船を造るのに相応しいぜっ!」

 

 倒産寸前だった海運会社は“マーケット”に出入りできるようになって、業績大回復。収益も大きく伸びていた。そこでテルミノは少しばかり奮発して世界屈指の造船会社があるウォーターセブンで、新たな船を造ることにしたのだ。

 

 生え際が随分と後退し、デコの幅が手のひらより大きくなっていたけれど、テルミノは気にしてない。いや、気にはしていたけれど、会社は順調。銀行も調子が良いことを言うようになった。女房と社員もよく笑うようになり、飯のおかずは一品増え、晩酌の酒もグレードが一つ上がった。万事プリティグッド。デコの幅なんて些末なこと……そう、些末なことさ。

 

「社長。そろそろ到着するヤモ」

 エロボディの三十路美女が音楽的美声で呼びかけた。

 

 元ヌーク兄弟海賊団甲板長のジューコだった。“マーケット”近郊の遺跡発掘場で海賊団が壊滅した時、ジューコは重傷かつ鷹の目ミホークを前に心が折れていた。戦闘後にやってきたサイファー・ポールに捕縛された後、現地の管理官(ケースオフィサー)“ジョージ”は選択肢を与えた。

 

A:インペルダウンで死ぬまで刑務作業に従事する。

B:サイファー・ポールの飼い犬として死ぬまで扱き使われる。

 ジューコは迷わずBを選んだ。そりゃそうだ。

 

 こうしてジューコは表向き足を洗い、テルミノの海運会社に潜り込まされた。

“ジョージ”はこういう『使い捨て』が利く人材を用い、マーケットへ出入りする商船へランダムに潜伏工作員を送り込み、情報網を構築している。基本的には毒にも薬にもならぬ情報収集要員だが、一朝事あらば殺し屋にも転用するし、裏切れば始末するだけ。

 

 ちなみにジューコは首へ巻かれた低品質海楼石製チョーカーにより、動物系悪魔の実『ヤモヤモの実』の力が抑えられているため、往時のようなヤモリ頭ではなく、人間の――えらい端正な顔を晒していた。ジューコ本人の美的感覚で言えば、人間の顔よりヤモリの顔の方がずっと美しいのだが。

 

 そんな背景を知らぬテルミノや船員達は『腕の立つ美人用心棒を雇えた』と素直に喜んでいる。暢気な奴やで。

「よぅし。野郎共、船足を上げろっ! サクッと上陸してプリティなもんでも食うぞっ!」

 おおーと歓声を上げる船員達に、ジューコは思う。

 プリティな食べ物って何ヤモ?

 

 

 

 で。

 

 

 

 ウォーターセブンへ入港後、

「ようこそ、ガレーラカンパニーへ」

 ガレーラカンパニーの受付窓口に赴いたテルミノとジューコは、色の濃いサングラスとアフロっぽい髪型をした小麦色肌の女子事務員を前に絶句した。

 

 変装していても見間違えるわけがない。テルミノにとってもジューコにとっても、人生を大きく変える要因となった女なのだから。

 

 我に返ったテルミノが恐る恐る口を開き、

「み、ミス・B? どうし」

「ええ。私はビーと言います。“はじめまして”」

 ゾッとするほど冷たい微笑みを返してきた女子事務員ビーことベアトリーゼの指向性圧力に口を噤まされた。

 

 慄くテルミノの隣で呆気に取られていたジューコが口を開きかけるも、

「お前」

「私 に 何 か ?」とベアトリーゼが唇の両端を大きく吊り上げ、犬歯を覗かせる。

 

「な、何でもないヤモ」

 背筋に氷を突っ込まれたような錯覚を抱き、ジューコも同様に口を噤まされた。

 

「本日の御用件は何でしょう?」

 ベアトリーゼは完璧な営業スマイルを浮かべた。

 

       ○

 

 その日の夜。

 月明かりの注ぐウォーターセブン市街某所。人気はおろか鼠一匹徘徊してない寂れた場所で、2人の女が密会の場を設けていた。

 

「ミスター・テルミノがこの島に来ることは、まあ分かる。ミスターは海運会社の社長兼商船の船長だし、新しい船を造ることは理屈に叶うからな……だが、お前がなんでしれっと用心棒やってんだぁー? お前、あの変態兄弟の手下だったよなぁ?」

 女子事務員ビーに扮したままのベアトリーゼがチンピラ口調で問えば、三十路美女然としたままのジューコも言い返す。

「色々あって今は足を洗って用心棒やってるヤモ。そっちこそ、こんなところで変装して事務員なんてやってるヤモ。たしか死んだって聞いたヤモ」

 

「こっちも色々あったんだよ。詮索屋は長生きしねェぞ」

「それはこっちのセリフヤモ。一回勝ったくらいで調子乗るなヤモ。だいたいお前、そんなキャラだったヤモ? 遺跡で戦った時はもっとアンニュイ女だったヤモ」

 

「ん。変装のキャラ付けのせいかな」

 ベアトリーゼはサングラスを外し、アフロ紛いな夜色の髪をわしわしと掻く。次いで、眼前の三十路美女を爪先から頭のてっぺんまで見回す。

 大人の色気むんむんのエロボディと長い脚を強調するようなセクシー系衣装は、以前目にした時と変わらないが、ヤモリ頭は鼻筋の通った眉目秀麗な美人顔に変わっていた。

「そっちは……ヤモリ頭はどうしたのさ? 人間の頭と交換したの?」

 

「頭を交換できるかっ! 自前の顔ヤモ!」

 ジューコの抗議にベアトリーゼは困惑を浮かべる。

「えぇ……それじゃ、日常的に人獣形態だったってこと?」

「そうヤモ。一番美しい姿をしてただけヤモ」とくびれた腰に手を当てて鼻を鳴らすジューコ。

 

「え?」

「え?」

 

 なんとなく気まずい沈黙。

 コホン、とジューコがわざとらしく咳をして雰囲気を強引に入れ替える。

「お前がここにいるってことはニコ・ロビンも一緒ヤモ?」

 

「なんでお前がロビンを気にする?」

 暗紫色の双眸を鋭くしたベアトリーゼに、ジューコは疎ましげに片手を振る。

「おっかない顔するなヤモ。ニコ・ロビン本人はどうでも良いヤモ。問題はニコ・ロビンが居ると分かれば、海軍や政府の工作員が殺到するってことヤモ。足を洗ったばかりで面倒事はごめんヤモ」

 

「ヌーク兄弟の下で散々悪さしてたくせに、都合の良いこと言うね」

「私に不都合が無ければ問題ないヤモ」ジューコはしれっと宣い「それで、ニコ・ロビンはいるヤモ?」

 

「言ったろ、詮索屋は長生きしない」

 ベアトリーゼが微かな殺気を漂わせ始めたため、ジューコはこれ以上踏みこむことを断念した。

「……これ以上は聞かないヤモ。お前とやり合う気はないヤモ」

 

 殺気を解き、ベアトリーゼはいつものアンニュイ顔を作った。小さく鼻息をつく。

「そうしてくれるとこっちも助かるね。ただでさえ市長選が近くて忙しいんだ。ヤモリ退治なんて面倒はしたくない」

 

「市長選?」

 ジューコは商業用金塊を換金するために赴いた換金所の様子を思い出し、合点がいったように頷く。

「ああ、それで換金所が物々しかったヤモ」

「換金所は別口だ。少し前に換金所に強盗(タタキ)を仕掛けようとしたバカ共がいたんだよ。主犯の歯が汚いおっさんに逃げられたこともあって、警備が厚くなってる」

 

「タタキを企てた、歯が汚いおっさん?」

 ジューコは大きな乳房を抱えるように腕を組み、整った顔立ちに関心を見せた。

 

 ベアトリーゼがアクア・ラグナ後に起きた騒動と強盗未遂事件、司直の手を逃れた主犯格のオヤジについて簡単に説明すると、ジューコは少し考え込んでから、ぽつりと呟く。

「そいつ、なんかブラウントゥースっぽいヤモね」

 

「?」ベアトリーゼは片眉を上げ「知ってんの? 昔の彼氏?」

「冗談でもやめて欲しいヤモ」

 艶貌を心底嫌そうにしかめ、ジューコは知っていることを語る。

「ブラウントゥース・ライリー。ヌーク兄弟海賊団に入る前、見聞きしたことがある渡りの職業強盗(ボタンマン)だヤモ」

 

「ボタンマン? そういう手合いは大概が海賊になるもんだと思ってた」

 意外な情報に目を瞬かせるベアトリーゼに、ジューコはしたり顔で言葉を続ける。

「海賊は船の維持費やらなんやら金がかかるヤモ。その点、渡りなら貨客船の運賃だけで良いから、少人数ならそっちの方が好都合ヤモ。最後にライリーの噂を聞いた時は、どこかの計画立案者(ジャグマーカー)と組んでるとかなんとか」

 

「ちょい待ち」ベアトリーゼは眉根を寄せて訝り「その歯が汚いおっさんとは別にジャグマーカーが居るの?」

「当然ヤモ。今回の件は大方ジャグマーカーが『上手くいけば儲けもの』程度でライリーに仕切らせたヤモ。あいつはボンクラだけど生き意地が汚いからしぶといヤモ」

 

 冷ややかに語るジューコの相貌は妙に煽情的で、イジメられて喜ぶ性質の者なら見とれていたかもしれない。

 生憎、そうした趣味を持たないベアトリーゼは、ジューコの披露した情報に一つの可能性を見出して渋面を浮かべる。

「……なんか凄く嫌な予感がしてきた。これってさ、本命の“仕掛け”がある話じゃない?」

「換金所にある金とオタカラの量を考えれば、十分にあり得るヤモ」

 ジューコはヤモモモと笑った。

 

「ふむ」腕を組み、ベアトリーゼは考え込み「これは悪くない、かしら」

 眼前のアンニュイ女の様子に、元海賊のジューコは察した。

「お前……タタキのアガリを横取りしようとか考えてるヤモ?」

 

「!? 何で分かったの?」

 ベアトリーゼがギョッとするも、

「お前の西の海での逸話や地下遺跡のやり口を考えれば想像がつくヤモ」

 ジューコはアホの子を見るような冷めた目を返し、仰々しく溜息を吐く。

「好きにすれば良いヤモ。今の私は海運会社の用心棒ヤモ。この街のことには関係ないヤモ」

 

「とか言っちゃって、そっちも意外と黒いこと考えてるんじゃない?」

 ベアトリーゼとジューコは互いに薄く微笑み合う。

 

「ふふふ」「ヤモモモ」

 2人の美女の目はまったく笑っていなかった。

 




Tips
 仮装祭日。
 ベネツィア・カーニバル。マルディグラの仮装行列、死者の日の祭り。いずれも仮装をする由来が異なるらしい。詳しいことを知りたい人は便利なウィキ様を検索しよう。

 カリファ。
 Gカップ(公式)。なお、ヒップサイズは作中美女集団内で一番大きいとかなんとか。
 主人公の食い歩き同伴によってムッチリ系美女にされつつある、不遇の眼鏡美女。

 テルミノ。
 5話以来振りの登場。ハゲが進行しているが、公私ともに順調。

 ジューコ。
 回によってはジェーコと誤表記されている悪魔の実『ヤモヤモの実』の能力者。
 ヤモリ頭は人獣形態だった模様。素顔は三十路系美人。
  原作においても、海賊だった奴がさらっと足を洗っているので、こういう転身もありかな、と。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28:バカ騒ぎの始まり。

お待たせしました。
NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


「賑わってるなあ」

 海運会社社長兼貿易船船長のテルミノはガレーラカンパニーに新型船の建造を発注し、ついでとばかりに『プリティグッド号』も整備/修繕を依頼していた。それだけ儲けているらしい。髪を犠牲にした甲斐があったようだ。

 いきおい、テルミノと船員達は選挙期間で賑わうウォーターセブンを観光していた。

 

 屋台でウォーターセブン名物水水肉を堪能し、テルミノは『こいつはドえらくプリティだっ!』と絶賛しつつ、傍らを歩くエロボディの美人用心棒へ告げる。

「この街ぁ治安がプリティだ。別に俺を護衛しなくても良いんだぜ、ジューコ」

 

「別に護衛してるわけじゃないヤモ。社長にタカるつもりヤモ」

 ジューコはさらっと応じる。

 

 用心棒の厚かましい言い草に苦笑いし、テルミノは周囲をちらりと窺う。通りを行く野郎共がジューコの美貌とエロボディに目を奪われている。振り返ったり、二度見する者も少なくなく、時折奥方や恋人に掣肘されていた。

 

「お前さんと連れ歩いてっと、社員に浮気を誤解されそうだぜ」

「私が社長と? ヤモモモ」ジューコは明朗に笑い、真顔で「ハゲと不倫とか侮辱の極致ヤモ」

「そこまで言うかっ! てか、ハゲじゃねェよっ! ちょっと生え際が深いだけだっ!」

「ハゲは皆そう言うヤモ。現実を受け入れるヤモ」

 アラフォー男の繊細な部分を蹴り飛ばされ、テルミノが憤慨して熱烈に抗議するも、ジューコは小さく肩を竦めて溜息をこぼすのみ。

 

 なんて失敬な用心棒だ、とテルミノは嘆く。気分を入れ替えるように街行く者達を見回し、鼻息をつく。

「ところで……お前さん、ミス・Bとどこで知り合ったんだ?」

「荒事商売の業界は狭いヤモ。社長こそあんなヤバい女とどこで知り合ったヤモ」

「この御時世に海で商売すりゃあ、ヤバい奴と関わりを持つもんさ」

 

 互いにはぐらかした回答をしつつ、通りを進む。視界の先に換金所が見えてきた。出入り口の両側に長棒を握った警備員が立っている。

 正しい意味での案山子だ。警備の役割は不審者を捉えることではなく、不審者に愚行を思い留まらせる抑止効果。不審者がガチで行動に移った場合、多くの事例が示すように警備員が不審者を捕らえることは稀だ(万引きの主婦やクソガキならともかく)。

 

 この換金所をタタくなら、ジューコは思う。腕の立つ奴が必要ヤモ。

 

 原作では物語の都合上、覇気を使いこなす強者は基本的にグランドライン後半に限られたが、海賊という『犯罪者』が強者の集まる過酷な環境に自らを置き続けるなど、()()()()()

 

 『ひとつなぎの大秘宝』や『隠された歴史の真実』といった大きな目標を目指したり、世界征服など強大な野心を抱いたりしない限り、わざわざ強大な海軍本部戦力や大海賊の縄張りをうろつくより、グランドライン前半“楽園”や四海で稼ぐ方が楽だから。

 どこで得ようと金は金、お宝はお宝。

 

 仮にも海賊王の船に乗っていた赤鼻バギーが東の海でせせこましく生きていたように。鮫男アーロンが東の海の片田舎で王様を気取っていたように。

 逆に、“冥王”レイリーのように、新世界から帰還した強者がそこらでしれっと過ごしていてもおかしくない。

 誰も彼もが新世界に留まり続けるはずもないのだから。

 

 話を戻そう。

 ジューコは換金所の建物を思案する。

 

 グランドライン内でこの規模の建物をタタくなら、強盗団は能力者や覇気使いが含まれるだろう。ブラウントゥース・ライリーはマヌケなタコスケだが、その仲間はマヌケではあるまい。

 タタキ後の逃走路は海列車か港か。まあ、おそらく港だろう。

 当然、“血浴”の小娘もそのことを察している。あの小娘は悪党だ。それも奪う類の。

 

 ――久し振りに楽しいことになりそうヤモ。

「ヤモモモ」

「なんだぁ、急に笑い出して?」と訝るテルミノへ、

「何でもないヤモ。それより奥様の御土産でも選びに行くヤモ」

 ジューコはエロボディをひけらかすようなキャットウォークで歩いていく。

 選挙はいよいよ明日に迫っていた。

 

 

 

 

 同日夜。ウォーターセブン某所。

「確認する」

 ロブ・ルッチが同僚達を見回し、

「1300時、俺とブルーノはドアドアの能力を用い、アイスバーグの私邸に侵入。室内を調査捜索する。カクは外から俺達のサポートだ。周辺監視と不測の事態に備えろ。俺達が動いている間、カリファは秘書としてアイスバーグの傍に侍り、動向に変化があれば即時報告だ」

 冷厳な声音で問い質す。

「何か質問は?」

 

「侵入時は変装をしていくんだな?」とブルーノが確認を取る。

「ああ。この街は仮装が珍しくない。身元発覚を防ぐ手に使わせてもらう」

「確かに素性隠しには都合が良いが……少し動き難くないか?」とカク。

「お前はこの程度の衣装で動きに問題が生じるのか」

「誰もそんなことは言うておらんじゃろっ!」

 ルッチの言い草にカクが唇を尖らせて噛みつく。

 

“じゃれ合い”を始めそうな2人へ割って入るように、カリファが口を開く。

「選挙当日のアイスバーグの予定だけれど。投票所に赴いた後は基本的にガレーラ本社へ詰めているわ。ただし、大勢が訪ねてくるだろうから、予定外の移動が生じるかもしれないし、私も都合上、連絡を送れない場合があると思って」

「その場合はワシが対応する。そのために屋外で周辺監視するわけじゃからな」

 カクが腕組みして鼻を鳴らした。

 

 ルッチは再度全員を見回し、他に意見が無いことを確認してから、告げた。

「上手くいけば、これで片が付く。集中して任務に当たれ」

 

 

 

 

 同じ頃。

 ベアトリーゼは“仕事服”を用意していた。

 夜色の髪。暗紫色の瞳。小麦色の肌。これらの身体特徴を隠すとなると、肌を晒さないジャンパースーツ。頭から首元まで包むマスク。目元を覆うゴーグルは……まあ、要らないか。

 

 幸い、ウォーターセブンはカーニバルの町サン・ファルドの文化流入で仮装文化が馴染んでいる。

「覆面強盗の楽園だね」

 統計的にハロウィンは覆面していても怪しまれないから強盗が増えるらしい。仮面はモラルや良識まで覆い隠す効果があるようだ。

 

 調達したケープ付きマスクに塗料で彩り華やかに模様を描いていく。

“死者の日”のシュガー・スカルみたくなったマスクを見下ろし、懐かしさを覚える。

 

 西の海でマフィア相手のタタキを始めたばかりの頃は、こういうマスクで顔を隠していた。

 ロビンは『素性がバレない方が良い』と顔を隠すことを強く要求し、ベアトリーゼが『皆殺しにしちゃえば顔を隠さないで済むよ』と言ったら、『野蛮人め』と言いたげな目つきを返してきたものだ。

 

「いよいよ、明日は市長選だ」

 久しぶりにワル相手の強奪仕事。楽しみだなぁ。

 遠足を翌日に控えた小学生のように、ベアトリーゼはウキウキしながら準備を整えていった。

 

      ○

 

 かくて迎えたり市長選当日。

 温かな陽光の注ぐ好天の下、街の各所に投票所が設けられていた。

 

 ウォーターセブンは平和で文明的だから、どこぞの独裁国家みたく投票所の近くに武装した秘密警察や“自称愛国団体”が応援団立ちして投票者を睨んだりしない。市民はどこかお祭りみたいな雰囲気で投票所に向かい、投票用紙に記載して投票箱へ投函していく。

 此度の市長選は複数名出馬していたけれど、実態はアイスバーグの信任投票だった。

 

 そのため、島内メディアはもちろん世界経済新聞を始めとする国際メディアも、当選が確定直後のアイスバーグからコメントを貰おうとガレーラカンパニーに張り付いている。

 

 一方、夢も希望もない連中が吹き溜まるスラムでは、ノーフューチャーな連中がいつも通りノーフューチャーな日常を過ごしていた。顎の四角い厳めしい男は下らない喧嘩で憂さを晴らし、食い詰めたモヒカンはすきっ腹を抱えてしょぼくれている。

 

「選挙なんてどうでもいいわいな~」「誰が市長になろうと関係ないわいな~」

 尖がり鼻の美人姉妹が安酒を呷って管を巻いていた頃。

 アイスバーグは投票を終え、ガレーラカンパニーの会議室で『後援会』のお偉方と過ごしていた。

 

 旧七大造船会社のお偉いさんや会社の幹部。市の商工会関係者に、職人仲間達。普段はガレーラカンパニーへあまり姿を見せないココロ婆さんも幼い孫を連れ、ガレーラカンパニーを訪ねている。

 

「んががが……トムさんにしごかれてた坊主が今や大会社の社長で、ついにゃあ市長選に臨むとはねえ。あらしも歳を取ったもんら。んががが」

 ココロは陽気に笑いながら酒瓶を傾けた。

 

「おいおい、ココロ“ちゃん”。勝利酒にゃあ早ェぞ」と同年代くらいの老人――元七大造船会社の棟梁が苦笑い。

「こりは単なる飲み物ら」と笑い返すココロ。「勝利酒はアイスバーグに奢ってもらうら」

「ココロさんにゃあ敵わねェな」

 アイスバーグは親愛を込めた微苦笑を浮かべた後、カリファに尋ねる。

「そういや2番ドックで建造中の船、進捗具合はどうなってる?」

 

「特に問題等の報告は上がっていません。ただ3番ドックで預かった貨物船プリティグッド号の修繕整備が少し予定より遅れ気味ですね」

「ンマー……そうなのか?」とアイスバーグ。

「報告書で確認した限りですけれど、船底銅板が割れていて、船体に腐食が及んでいるそうで」

「なるほどな」

 カリファの説明を受け、アイスバーグは納得する。

 

 木造船は船底や喫水線下部分に腐食防止処理を行うが、それでもフジツボやフナクイムシなどの浸蝕を完全に防げない。様々な要因から船体内に汚水が溜まる関係で内部腐食も起きる。船底へ銅板を貼って腐食を防ぐ手法も取られているが、今回はその銅版が割れたことで船体に腐食が及んだらしい。こうなると、銅板を剥がして腐食部木皮を交換せにゃならず。

 

「客には説明してあるのか?」

「ええ。ビーさんが『投票ついでに渡してくる』と中間報告書を持って先方へ伺いに」

「そうか。なら、良い」

 アイスバーグが満足げに頷く。カリファは壁時計を一瞥し、思う。

 ()()()()ね。

 

       〇

 

 カクが六式の体術を用い、建物屋上を伝って移動していく。

 任務を抜きにしても、カクは体を動かすことが好きだ。パルクールで街の屋根を自在に駆けることも、強者と戦うことも好きだ。運動部員が試合で日頃の練習成果を発揮するように、訓練と鍛錬で得た力を駆使することが好きだった。

 

 アイスバーグの私邸と周辺を観測できる建物屋上に到着し、カクは背中のバッグを降ろす。電伝虫と双眼鏡を取り出し、双眼鏡のレンズに反射防止のキャップを被せた。

 双眼鏡を使って周囲を窺い、次いでアイスバーグ私邸を観測。カクは電伝虫に吹き込む。

「問題ナシじゃ。いつでもいいぞ」

『了解。作戦を開始する』とルッチの抑揚のない返事が届く。

 

 カクは双眼鏡を下げ、周囲を見回しながら思う。

 ワシも見張りより侵入する方が良かったのう……

 

 カクが内心でぼやいている間に、ブルーノが能力を発動。

 如何なる扉も鍵も錠も隔壁も防塁も、ドアドアの実による侵入を防げない。この世の全ての泥棒や軍人やスパイや運送屋が欲しがる能力だろう。

 カーニバルの仮面と衣装で変装したルッチとブルーノは、アイスバーグの私邸内にあっさりと侵入し、室内の捜索を開始する。

 

「古代兵器の設計図。ルッチならどこに隠す?」

「ベッドの下ではないな」

 ブルーノのどこか茶目っ気を含んだ問いかけに、ルッチは淡白に返答する。

 

 2人は居間に始まり、書斎や寝室、果ては台所や浴室、トイレまで注意深く捜索していく。いずれも部屋も清掃と整理整頓が行き届いていた。多忙なアイスバーグがハウスキーパーを雇用していることを考えれば(大企業の社長なら普通だろう)、ハウスキーパーの目に触れたり、清掃の手が入るような場所に機密書類を隠したりしないだろう。

 

 クローゼットの中に金庫を発見したブルーノがドアドアの実の力で開ける。中には会社の重要書類や私邸の権利書等々。それといくらかの貴金属類と現金。それと、銀行の貸金庫賃貸契約書。ブルーノは契約書の内容に目を通していく。

 

 ルッチは書斎の書架を調べていた。

 造船関係の書籍や資料に始まり、経営や政治関係の書籍も並ぶ。聡明なアイスバーグは勉強家でもある。仮にこれら書籍の中に隠されているとしたら、とても数時間で捜索しきれない。では書架や書籍の埃の滞留具合を計ろうとするも、ハウスキーパーの掃除が行き届いているのか、埃自体が無い。

 

 ふと、ルッチの目が一冊の革製ファイルに留まり、書架から抜き取る。

 かつて暴威を振るった北の海の海上軍閥『ウールヴヘジン』が用いていた船舶の設計書だ。今では貴重な資料ではあるが、目的のものではない。

 ルッチが書架に革製ファイルを戻し、小さく頭を振る。

「……書斎は空振りだな」

「寝室もだ」とブルーノが書斎出入り口に姿を見せ「部屋の間取りに異常はない。隠し部屋の類はないな」

 

「自宅には隠してない、か」

「寝室のクローゼット内に金庫を見つけた。中に怪しい物は無かったが、銀行の貸金庫契約書が気になるところだな」

「貸金庫」ルッチは考え込み「あり得ると思うか?」

「対象が普通の金持ちで、預けるものが遺言書などならな。だが、聡明なアイスバーグが古代兵器の設計図を貸金庫に預けるか、と問われたなら……まあ、わずかな可能性でも確認せねばなるまい」

 

「たしかに」

 ルッチはブルーノの見解に同意し、書斎を出て居間に向かう。

「書斎にも寝室にも金庫にもない。隠し部屋もない。あとはリビングだが……ハウスキーパーの手が頻繁に入る場所だな」

 

「会社の執務室の方がまだ可能性はあるが……一応確認していくか」

 ブルーノの提案に首肯し、ルッチはリビング内を調べ始め――

 

『プルプルプル』と懐の子電伝虫が鳴き始めた。カクからだ。

『ルッチ。そっちにお客さんじゃ』

 

「客だと?」ルッチは仮面の下で眉をひそめた。

『ああ。お前さん達と同じく仮装しとるモンが一人、建物内へ入っていくぞ。腰に得物を下げとる』

 アイスバーグの私邸は集合住宅(コンドミニアム)の最上階。他階の住人という可能性もあるが……

「その仮装者の目的は“ここ”か」

『おそらく』とカクが告げる。

 

 と、そこへ『プルプルプル』とブルーノの子電伝虫が鳴く。今度はカリファからだ。

『ブルーノ、ルッチ。緊急入電。エニエスロビー近海で貨客船の横転事故が発生して付近の海軍船艇は救助活動に出動したわ。それと――』

 

「そこまでだ」ルッチはカリファの報告を遮った。

 研ぎ澄ませた知覚野が、迷うことなくこの部屋を目指して廊下を進む足音を捉えていた。

「撤収するか?」

「いや、このタイミングでアイスバーグの自宅を狙う手合いだ。コソ泥ではないだろう。どの筋か知りたい。“攫う”ぞ」

 ブルーノの問いに答えてから、ルッチは玄関へ向き直る。早くもかちゃかちゃとピッキングツールが鍵穴を擦る音色が聞こえてきた。

 

 何者か知らないが……。ルッチは凶暴に冷笑する。

「運の悪い奴だ」

 そして、ドアは開かれた。

 

      〇

 

『通信はそこまでだ』

「もう! 報連相はしっかりと習ったでしょうにっ!」

 ガレーラカンパニーの女子トイレ内。一方的に通信を切られ、カリファが眉間に皺を刻んでいた頃。

 

 通りの喧騒に混じって換金所の方から届く銃声と悲鳴。

 女子事務員ビーことベアトリーゼは投票所傍の屋台で水水肉を齧りながら、見聞色の覇気を走らせる。

 

 ――来たっ!

 

 足元に置いた、運動選手が愛用するようなスポルティングバッグを担ぎあげ、ベアトリーゼは食べかけの水水肉を水路へ向けて放り投げた。たまたま通りかかったヤガラブルが『ラッキー!』とばかりに水水肉をキャッチ&イート。

 

 ベアトリーゼは混雑する通りを厭って脇道に逸れ、三角飛びの要領で建物の壁面を蹴って跳び登り、屋上へ。

 見聞色の覇気で換金所の様子を窺いつつ、スポルティングバッグを開ける。ガレーラカンパニーのジャンパーを脱ぎ、取り出したダークグレーのジャンパースーツを着衣の上へ着こむ。素肌を覆い隠すように革手袋を装着し、手首の袖口と足首の裾口がめくれないようテープでぐるぐる。最後にサングラスを外してシュガー・スカル風に塗装したケープ付き仮面を被った。

 

 ベアトリーゼはジャンパーとサングラスを詰めたスポルティングバッグを排水管に押し込んで隠し、

「さぁて、久しぶりの強盗(タタキ)だ。気合い入れていきますか!」

 マスクの中で心底楽しそうに野蛮な微笑を湛え、換金所を目指して屋上伝いに駆けていく。

 




TIPS
強者の分布。
 メタなことを言うと、こういう理由付けをしておかないと、主人公と渡り合える敵を出せない……

シュガー・スカル。
 メキシコの死者の日に用いられる花柄など洒落た模様が施された骸骨キャンディー。
 ラ・ムエルテなどメキシコの死者の日はコワカワイイものが多い。

ココロ婆さん。
 白魚の人魚。若い頃はどえらい美人だったらしい。時の流れは、残酷だ……

ノーフューチャーな連中。
 後にフランキーの手下になる連中。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29:強盗と強奪のどちらがあくどいか。

佐藤東沙さん、拾骨さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。

基本的に誤字脱字はありがたく適用させていただきますが、文章の改変等につながる大きな誤字報告は適用の可否を判断させていただきます。ご理解ください。


 ヤガラブルやゴンドラが行き交う大通りならぬ大水路を、周囲の舟より一回り大きなカッターが進んでいく。船尾に立って特注の大きな櫂を漕ぐ船頭の男は漁師然とした装いでキャップを目深に被っていた。カッターに乗る四人の男達もオレンジ色の防水生地製の上下と黒い長靴をまとい、上着のフードで頭を覆っている。

 

 船頭は“運び屋(ホイールマン)”で“スキッパー”という。

 スキッパーは血の代わりに海水が体内を巡っていそうな熟練の船乗りで、本名は誰も知らないし、本人も決して名乗らない。ただ本人が酒の席で語ったところによれば、慰謝料を払わねばならない元嫁が4人いて、養育費を払うべき子供が7人いるという。

 

 船首の先にある大きな建物を一瞥し、スキッパーは男達へ告げた。

「見えでぎだぞ」訛りバチバチであった。

 

「いよいよだ」

 現場要員(ボタンマン)のリーダー、“ブッシュ”ハリソンが静かに呟く。

 

 壮年の悪党でプロレスラーのように筋骨たくましく、二つ名の“ブッシュ”の通り深藪のように毛深い。蛮族みたいな容姿の男だが、経験と知識を重ねた練達の強盗だった。

 顔も腕も胸元も毛深い“ブッシュ”ハリソンは、懐から白い粉の入った小瓶を取り出し、粉を左手の甲に載せてズズッと鼻で勢いよく吸い込む。

 

「俺にもくれ」「俺も」

 同じくボタンマンの“ナーリー”ジンノと“ブラウントゥース”ライリーもハリソンから小瓶を受け取り、白い粉を鼻から吸引。ライリーは吸引だけでなく歯茎にも粉を塗りつけた。

 

 粉は心と体にキックを入れるコカインちゃん。もちろんハイになるためではない。コカインの興奮作用と覚醒効果は集中力を強め、痛覚を鈍くさせる。つまり、もしも手酷い傷を負っても動き続けられるわけだ。

 

開錠屋(ボックスマン)。お前は?」

 ハリソンが小瓶を向けるも、

「要らないヨ。コカインは体に悪イ」

 開錠屋ロンパオは首を横に振った。

 

 西の海にある花ノ国出身の、小柄で目が細く泥鰌髭の中年男。まるでラー〇ンマンを縦に押し潰したようなナリだ。

 些か胡乱な見た目をしているものの、ロンパオは鍵屋ではなく開錠屋と呼ばれるに相応しく、どんな錠前も鍵も金庫の分厚い扉もぶち壊す技術を備えていた。

 

 この5人が換金所を狙う強盗団だ。

 精確にはこの5人に計画立案者(ジャグマーカー)が加わるが、大概のジャグマーカーは現場に出ない。どこかで司令官のように成功の連絡を待っている。

 

 そして、今頃はジャグマーカーが手配した通り、エニエスロビー近海で海難“事故”が起きている頃だろう。海軍はそちらの対処で事件に即応できない。

 換金所の警備はロートルの元海兵、海賊すらぶっ飛ばすウォーターセブンの職人達も所詮はアマチュア。発情した猿みたいに暴れるしか能がない海賊相手ならともかく、“本職(プロ)”の強盗である自分達の相手ではない。

 

「支度しろ」

 ハリソンの指示に野郎共が“仕事”の支度を始めた。

 

“ブッシュ”ハリソンは防水服の上から装具ベストを着こみ、腰の両脇にドデカい拳銃を突っ込む。それから恐ろしげな骸骨のマスクを被り、大口径の二連銃身散弾銃を担ぐ。

 

“ナーリー”ジンノは腰に弾薬帯を巻いてホルスターに拳銃を突っ込み、両足の長靴を脱いで素足になった。次いで、ホッケーマスクを装着してスレッジハンマーを握りしめる。

 

“ブラウントゥース”ライリーも道化のマスクを被り、弾盒帯を袈裟懸けにして海軍御用達の小銃に弾を込めた。

 

 ロンパオは京劇風の仮面をつけ、パウチがいくつも付いた装具ベルトを腰に巻く。

 

 顔を隠す理由は当局に正体を掴ませないため。同時に、恐ろしげな仮面は弱者を恐怖させられる。

 そして、全員が大きなバッグパックを背負い――

「着ぐぞぉ。さん、にぃ、いぢ……今っ!」

 スキッパーの秒読み通り大きなカッターが換金所の正面にピタリと停まった。

 

 

 ヘイスト・スタート。

 

 

「行くぜっ!」

 ジンノが船上から飛び降り、その余勢のまま石畳を文字通り滑っていく。

 

 悪魔の実スベスベの実の能力者であるジンノは、肉体の摩擦係数を自在に操れる。たとえば、足の裏だけ摩擦係数を激減させ、スケーターのように道路を滑走することが可能だ。

 

 ジンノは矢のように滑走して換金所の正面玄関へ急迫。ギョッとした警備員達が身構えるより早く襲い掛かり、ホッケー選手がパックをスマッシュするように右の警備員へフルスイング。

 スレッジハンマーが右の警備員の顎と頸椎を破砕。鮮血と歯が飛び散る中、ジンノはスイングの勢いを活かしつつ右足だけ摩擦係数を変更。右足を軸に高速ターン&左の警備員にスウィングダウン。

 左の警備員は振り下ろしの一撃で頭蓋を砕かれた衝撃により、眼窩から眼球が半ば飛び出し、鼻と耳から血を噴出させながら崩れ落ちた。

 

 瞬く間に正面玄関前の障害を排除し、ジンノは速やかに換金所内へ侵入。役割は所内の制圧ではなく、支配人の身柄を確保して保管庫や金庫の鍵を確保すること。ゴールを目指すスピードスケーターのように所内を猛スピードで滑走していく。

 

 ジンノに遅れて船を飛び降りたハリソンとライリーとロンパオが次々と換金所内へ突入。

「俺達ゃあ強盗だっ!! 死にたくなきゃあ動くんじゃあねえっ!!」

 ハリソンの大喝が換金所のメインホールに轟き、客と従業員達の悲鳴が響き渡る。

 

     〇

 

 ハリソン達が換金所を襲撃した直後。アイスバーグの私邸では――

「剃ッ!」

 六式体術の高速移動術を駆使し、カーニバルの仮装をしたロブ・ルッチが同じくカーニバル仮装姿の侵入者へ襲い掛かった。

 

「!?」

 侵入者はまったく予期していなかった不意打ちを食らい、ブルーノがドアドアの実で壁に開けた通路へ蹴り飛ばされた。

 

 ルッチは自身が蹴り飛ばした侵入者を追ってブルーノのドアへ飛び込み、一人残ったブルーノは室内を見回し、自分達の痕跡が無いことを確認。侵入者が開錠した玄関ドアの鍵を閉め直し、内心で『お邪魔しました』と呟きつつ、自身もアイスバーグ私邸を後にする。

 彼らの痕跡は何一つ残っていなかった。

 

 そして――

 ブルーノが作り出したドアの先、CP9の面々が利用している市内某所のセーフハウスにて状況が継続する。

 

 蹴り飛ばされた仮装姿の侵入者が唸りながら身を起こしているところへ、ルッチとブルーノがエントリー。2人は仮装を脱ぎ捨て秘密工作員らしい冷厳な目つきを湛える。

「貴様、何者だ。素直に正体を現し、全てを自白すれば命の安全だけは約束しよう」

 

 ルッチが冷淡に告げれば、

「いってェーよ。こんなの聞いてねェっつの」

 仮装姿の侵入者は忌々しげに悪態をこぼし、仮装を脱ぎ捨てる。

 

 若い男だ。ルッチと同じ年頃だろうか。中肉中背で十人十並みの平凡な顔立ち。観光客に化けるつもりだったのか、特徴の無い着衣を着こんでいた。

 キャラが薄く印象も乏しいが、男の若草色の瞳は酷く冷たい。

 

 修羅場に慣れた人間の目だ。ルッチとブルーノは警戒と注意を一段上げる。

「……貴様は何者だ。何が目的でアイスバーグの私邸に侵入した」ルッチが淡白に問う。

 

「簡単な盗みだっつーから小遣い稼ぎに請け負ったのによ。あの野郎、話が違ェっつの」

 男はルッチの問いを無視し、ブツブツと文句を言いながら背中のリュックサックを足元に放り捨て、

「六式を使うっつーことは海軍か政府の飼い犬かぁ? あー面倒くせェーっつのっ!!」

 リュックサックをルッチへ向けて蹴り飛ばす。動く気配も予備動作も察知させぬ一投足。

 

 ルッチは即断してその場から飛び退き、

「鉄塊っ!!」

 わずかに反応が遅れたブルーノは自信のある六式防御術の“鉄塊”を発動。全身を鉄のように固くし、来るであろう奇襲に備えた。

 

 ただし、全力ではなく通常の鉄塊で“受け”を図った辺り、ブルーノに油断があったと言わざるを得まい。そして、戦いを楽しむ気質ならともかく、戦闘を“作業”と見做す者は大概の場合、全力の初撃で仕留める。なにせ初見殺しに優る優位はないのだから。

 

「無駄だっつの」

 男の放つ右上段と左中段の同時突き――夫婦手(メオトーデ)がブルーノの顎と鳩尾を直撃。金属的な轟音と共にブルーノの顎と鳩尾が鉄板のようにひしゃげた。

 

「が――ッ!?」

 鉄同然の防御を貫く双撃。鳩尾から伝播した衝撃が神経を麻痺させ、胃液を逆流させた。

 顎に受けた衝撃により微細血管が破裂して涙腺と鼻腔から出血し、脳が大きく揺さぶられる。ブルーノは白目を剥き、鼻血と血涙と嘔吐を伴いながら崩れ落ちていく。

 

 男がトドメを刺そうと正拳突きの構えを取る。

「嵐脚っ!!」

 も、ルッチが咄嗟に斬撃を放つ六式戦闘術『嵐脚』を打った。男は斬撃を避けるべくブルーノから離れる。壁を両断するほどの切れ味に感心したような口笛を吹く。

 

 ルッチは床に倒れたブルーノを一瞥。失神痙攣を起こしているが、生きている。視線を眼前の平凡な容貌の、しかし危険な男へ移す。

「もう一度問う。貴様、何者だ」

 

「テメーに教えて何か得があるかっつの」

 若い男はルッチへ向けて構えを取る。

 

 その構えは、ルッチの知見に心当たりがあった。

「少し違うようだが……魚人空手か」

 

「お、分かるぅ? 分かるとあっちゃあ、仕方ねーっつの」

 ルッチの指摘に若い男が若干雰囲気を和らげ、お辞儀した。

「魚人空手剛柔流。ウェッジだ。お前も名乗れっつの」

 

 突如名乗り、自分にも名乗りを強要する相手に、ルッチは片眉をひそめつつも付き合うことにする。情報を引き出すために。

「俺はサイファー・ポール9。ロブ・ルッチ。改めて聞く。貴様の目的はなんだ。何が目的でアイスバーグの家に侵入した」

 

「テメーこそ何しに他人様の家に入り込んでたんだっつの」と若い男ことウェッジが問い返す。

「政府の機密だ。貴様が知る必要はない」冷淡に拒絶するルッチ。

「こっちも同じだ。悪党の都合を役人にゲロするかっつの」吐き捨てるウェッジ。

 

「……」

「……」

 両者の間に気まずい沈黙が流れ、

「ならば力づくで聞き出すだけだ」

「出来ねェことは言うもんじゃあねーっつの」

 サイファー・ポール屈指の殺し屋と謎の魚人空手使いが激突する。

 

     〇

 

 警備員達を速やかに制圧し、換金所支配人の拘束にも成功。順調だ。

 ジンノとライリーが正面ホールに集めた従業員や客を監視している間に、ハリソンとロンパオが支配人に金庫と保管庫を開けさせた。用意した運搬袋へ金庫の金と保管庫のオタカラを片っ端から詰めていき、運搬袋が満タンになる度に正面ホールへ運ぶ。積み上げられていく運搬袋。順調。大いに順調。

 

 が。保管庫の中にある、さらに強固な特別保管室の扉が開かなかった。

「開けられないとは、どういうことだ」

 支配人のデコに拳銃を押し付けながらハリソンが問う。

 

 恐怖で冷や汗に塗れた支配人がまくし立てる。

 曰く――この保管庫内の特別保管室の扉は特殊な時間錠であり、事前に開錠予定日を入力しておかない限り決して開けられないという。

 

「役立たずめ」

 ハリソンは躊躇なく引き金を引き、支配人を恐怖から解放してあの世へ送った。

「開けられるか?」

 

 問われたロンパオは特別保管庫の扉に向き直る。

 鋼鉄製扉の厚さは推定50センチ。表面は硬化焼き入れ処理済み。特殊な時間錠だから鍵穴――内部機構へ接触口がない。想定していた金庫や保管庫を開けるより難易度がはるかに高い。が、開けられないことは無い。

「少し時間が掛かル」ロンパオは保管庫内を見回して「オタカラなら充分アル」

 

「一番価値のある物を無視してか? あり得ない。開けろ。その間に俺は袋詰めを進める」

「了解」

 ロンパオは背中のバックパックを降ろし、この世界で最も硬い物質――海楼石製の大きなハンドル錐を取り出した。

 錐を錠部分に当て、

「ホァッチャアオオオォォ――――――――――――――――ッ!!」

 怪鳥染みた雄叫びを上げて目にも止まらぬ勢いで錐のハンドルを回し始めた。金属が擦れ削れる高周波音がつんざき、鮮烈な火花の大飛沫が噴出する。

 

 その様子を一瞥し、ハリソンは何か物申したい気分に駆られたが、口を開くことは無く黙々とオタカラの袋詰め作業を進めていく。

 それに、ハリソンにはジャグマーカーから()()()()()を任されていた。

 

     〇

 

 ロブ・ルッチはサイファー・ポールの最高傑作だ。

 生来の高い身体能力と才能。他者に対する社会病質的な鈍感さと冷酷さ。政府に対する忠誠と服従。動物系悪魔の実『ネコネコの実:モデル・レオパルド』を食して以降、好戦的傾向と暴力性が肥大化していたが、これはルッチの戦闘能力と任務に対する非情さをより向上させていたため、政府に問題視されていない。

 言い換えるなら、ロブ・ルッチに優る個人戦力を、サイファー・ポールは有していない。

 ルッチはサイファー・ポール最強の殺し屋なのだ。

 

「指銃“黄蓮”ッ!!」

 そんなルッチの指打ちが連打される。常人ならばハチの巣になるだろう攻撃。

 

「トロいっつの」

 しかし、ウェッジは嵐のような指銃の連射を容易くいなし払い除け、ゆらりとした体捌きでルッチの左側面へするりと回り込み、左肋骨へ鉤突きと呼ばれる右フック染みた打撃を叩き込む。

 

「がっ!?」

 六式防御術“鉄塊”を用いてなお肋骨が軋み、全ての血液が震えているのかと錯覚するほどの打擲衝撃。とっさに剃で距離を取ろうと図るも、

「逃がさねえっつの」

 機先を制された。ウェッジの下段足刀がルッチの軸足を襲う。

 

 脛は構造上、骨に沿う肉――緩衝材が乏しいため、下段蹴りの衝撃を殺せない場合、脛骨内の神経に壮絶な衝撃が走る。プロの格闘家ですら悶絶して崩れ落ちるほどに。

 軸足が激痛にマヒし、剃の発動ならず。ルッチはその場に動きを止めてしまう。

 ウェッジはその好機を逃さず仕留めに掛かる。も――

 

 ロブ・ルッチは心底楽しそうに冷笑し、秘めていたネコネコの実:モデル・レオパルドの力を解放。上着が千切れ飛び、肥大化した筋骨を豹柄の体毛が覆いつつむ。

豹の覆面を被ったような面構えになったルッチは、文字通り超人と化した筋骨で指銃の暴風を吹き荒らす。

「指銃“斑”ッ!!」

 

「うぜェっつのっ!!」

 舌打ちと共にウェッジは廻し受けを重ねて指銃の弾幕をいなし、後の先を取って砲弾のような中段足刀。

 

 ごがんっ!!

 

「鉄塊“空木”」

 鋼板を大槌でぶん殴ったような轟音が室内に響き渡り、足刀を弾かれたウェッジが体勢を崩す。その間隙を逃すことなくルッチが攻勢に出る。麻痺から回復した剛脚を活かし、

「剃刀っ!」

 人獣化した巨躯の背が天井に擦るほどの高速跳躍でウェッジの頭上に遷移。ウェッジを見下ろしながら牙を剥くように嗤う。

「嵐脚――凱鳥ッ!!」

 巨躯を竜巻のように回転させながら放つ豪快にして強烈な嵐脚。

 

 ルッチの秘めた暴力衝動と血を欲する残忍性が発露した一撃は、セーフハウスの床をぶち抜いた。崩落した瓦礫と失神したままのブルーノが下階へ落ちていく。

 

 手応えはあった。しかし、

 

「やってくれたなぁ政府の飼い犬……いや、そのナリなら飼い猫か? ややこしいっつの」

 粉塵漂う瓦礫の中から身を起こし、ウェッジは折れた鼻を無理やり真っ直ぐに治して赤い唾を吐き捨てる。

「遊びは仕舞いだ。悪魔の実の能力者は早仕掛けでぶっ殺すに限る」

 

 構え直したウェッジのまとう熱い闘気。放たれる冷たい殺気。言葉通り次の攻撃で殺す気らしい。ルッチは自身に迫る死の気配から無意識に微笑を湛えた。酷薄で残酷な微笑を。

「良いだろう。こちらも短期決戦は望むところだ」

 ルッチも大きな体を絞り込むように構えた。鍛錬に鍛錬を重ねて体得し、練磨に練磨を重ねて磨き上げた六式の究極奥義を狙う。

 

 両者はじりじりと間合いを詰めていく。目線や呼気だけで無数の牽制を交わし、互いに機を図る。

 ウェッジは額を伝う汗が目に入っても瞬きしない。漂う粉塵が眼球に張り付いてもルッチは瞬きしない。互いに相手を睨み据えて一瞬たりとも目を離さない。

 

 刹那。

 意識を取り戻したブルーノが呻く。

「ぅ」

 

 その小さな苦悶が合図となった。

蝦蛄(シャコ)正拳突きぁ!!」

 ウェッジは放つ。大気中の水分が摩擦熱で蒸発するほどの超高速正拳突き。

六王銃(ロクオウガン)ッ!!」

 ルッチは放つ。人獣の全膂力が込められた必殺の双拳撃。

 

 互いの奥義が交差し、短くも熾烈な死闘の決着がつく。

 

      〇

 

 ラ・ムエルテみたいな覆面を被ったベアトリーゼは見聞色の覇気で探る。

 強盗団は5人。建物内でタタキをしている奴が4人。換金所前に停まっているカッターが運び屋。いずれも大した脅威ではない。

 

 連中の獲物を全て掻っ攫うなら、襲撃のタイミングは連中が換金所から脱出した後。

 金とオタカラの全てが収められたカッターを奪うことが一番手っ取り早いし、効率的だ。強盗団全員を相手取ることにもなるけれど、ベアトリーゼの実力なら奇襲の初撃で三人仕留められる。一分以内に残る二人も殺れる。

 

 問題はカッターを丸ごと分捕っても隠し場所やらオタカラの移送手段やらに困ること。それに、追ってくるだろう官憲やガレーラの職人達を振り切ることも面倒臭い。

 そもそもベアトリーゼは全てを横取りする必要がない。アラバスタ王国へ行けるだけのまとまった額で充分。持ち運びと隠匿の楽な宝石類をバッグ一杯分で釣りがくるだろう。

 

 となれば。

 

 狩りのスリルと暴力衝動の発散と分捕りの快感を楽しむことを優先しよう。

 野蛮人の美女は覆面の中で犬歯を剥いて微笑む。

 

      〇

 

 金とオタカラでパンパンに膨れた運搬袋が次々と正面ホールに積み上げられていく。

「こいつぁご機嫌な光景だな」道化の仮面を被ったライリーが声を弾ませ、

「黙って見張ってろパープリン」ホッケーマスクをつけたジンノが毒づく。

 

 革製の防水ケースと運搬袋を持ったハリソンと、仕事用バックパックを背負いつつ両手に運搬袋を持ったロンパオが正面ホールに戻ってきた。

「終わったか?」と不機嫌そうなジンノ。「予定より時間が押してるぞ」

「実入りは想定以上だ」ハリソンは宥めるように応じ「表の様子は?」

 

「官憲はまだだが、武装した職人が表に集まり始めてンぜ」

 ライリーが締め切ったカーテンの隙間から表を窺う。

 造船用工具で武装した職人達が正面玄関付近に封鎖線を築きつつある。人質がいるからそう簡単に突入はしてこないだろう。若い職人が水路に待機しているカッターを移動させようとスキッパーと押し問答しているようだ。

 

「強行突破だ。煙幕弾と爆弾を」

 ハリソンが強盗団の面々へ命令を下し始めたところへ、

「あ?」

 外の様子を窺っていたライリーは見た。

 

 向かいの建物の屋上からしなやかな影が飛び降り、カッターの甲板に着地した刹那。

 影の長い脚が跳ね上がり、スキッパーをボールのように蹴り飛ばした。

 換金所正面玄関目がけて。

 

 ど が ん。

 

 固く閉ざされていた換金所の正面玄関扉が破砕し、破片と共にスキッパーが正面玄関ホール内に転がり込んでくる。

 玄関扉の破片が床を叩く音色と共に、ぐちゃりと水音が響く。脊椎が砕け、内臓が圧潰したスキッパーは後頭部と踵がくっつくように折れ曲がり、全身の穴から大量の血を垂れ流していた。

 

 あまりにも凄惨な光景に驚愕し、強盗団も人質達も言葉がない。眼前の現実を脳が認識するまでの数瞬の静寂。そして、絹を切り裂くような悲鳴が正面ホールに轟き――

「御邪魔しまあす」

 

 間の抜けた挨拶を口にしながら、色彩豊かなケープ付きマスクを被った女が玄関から入ってきた。

 不気味なマスクを被った女は、唖然とする強盗団へアンニュイな調子で告げた。

「オタカラを横取りさせてもらいに来ました」

 




Tips
強盗団
 基本的にオリキャラ。
 戦闘要員:”ブッシュ”ハリソン。毛深いマッチョ。深藪みたいな毛深さなので”ブッシュ”。名前は何となく語呂で。

 戦闘要員:”ナーリー”ジンノ。スベスベの実の能力者。
 ナーリーはスケートボーダーの俗語で、上手い奴を意味する。名前はレース系アニメのキャラからテキトーに取った。

 戦闘要員:”ブラウントゥース”ライリー。
 ブラウントゥースは煙草のヤニで汚れた歯のこと。名前は語呂。

 運び屋:スキッパー。
 スキッパーの意味は漁船の船長の俗語。なお大抵の場合、船長はキャプテンと呼ばれる。

 開錠屋:ロンパオ。
 欧州系の名前ばっかりだったので中華系(花ノ国)にしてみただけ。

謎の泥棒
 ウェッジ。
 オリキャラ。魚人空手剛柔流はオリ設定。
 名前は沖縄空手の上地流から『うえち』→『ウェッジ』。
 なので、技も沖縄空手っぽい感じ。
 
ロブ・ルッチ。
 原作キャラ。闇の正義ってなんだよ……

ブルーノ。
 原作キャラ。原作での立ち位置がやられ役っぽいから……

ベアトリーゼ。
 主人公。久し振りの強盗働きにうっきうき。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30:運命の出会い。

今年もよろしくお願いします。

拾骨さん、NoSTRa!さん、茶柱五徳乃夢さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 華やかな模様が施されたケープ付きマスクを被った長身の女が宣う。

「オタカラを横取りさせてもらいに来たよ」

 

 ――なんかイカレた女が現れた。

 強盗団の面々と人質の皆さんの心が一致した瞬間だった。

 

「なんだぁテメェ……っ!!」

“ナーリー”ジンノがイカレた闖入者へ真っ先にキレた。

「ふっざけんなよビッチッ!!」

 スベスベの実によるロケットのような勢いの滑走。瞬く間に女へ肉薄して躊躇なくスレッジハンマーを振るう。

 

「きゃっ、こわーい」

 女はおどけながら長い右脚で易々とスレッジハンマーを蹴り飛ばし、バレリーナのように身を回して、

「は?」

 手の内からスレッジハンマーを奪われて茫然としていたジンノの顔へ、優美な左回し蹴りを叩き込む。

 

「ぶぇっ?!」

 ぐしゃり、とホッケーマスクを蹴り潰され、鼻と口から鮮血をまき散らしながら壁際にぶっ飛ぶジンノ。

 

「!! このアマッ!!」

 瞬時にハリソンとライリーが銃を構え、即座に発砲。銃声。銃声。銃声。大理石の床が割れ砕け。タイル張りの柱が削られ。人質達の悲鳴が響き渡り。仮面の女はケープをたなびかせながら舞うように銃撃の嵐を避けていく。

 

「ちくしょう、当たらねえっ!!」

 ライリーが道化の仮面の中で毒づく。

「いいから撃てっ! 撃ち殺せっ!!」

 ハリソンは骸骨マスクの呼吸口から唾を飛ばし、二連銃身の散弾銃をぶっ放す。流れ弾が運搬袋を切り裂き、金やお宝を床にぶちまけた。流れ弾は人質達にも当たり、悲愴な悲鳴が惨憺たる阿鼻叫喚にアップグレードされた。

 

「ロンパオ、お前もあの女を撃――」

 ライリーが小銃の弾薬を交換しながら振り向けば、ロンパオが運搬袋を投げ出して背中のバックパックを降ろし、バックパックの側面ホルスターから青龍刀をぬらりと抜いていた。

 

 ロンパオは西の海にある花ノ国出身であり、花ノ国裏社会に属していた。が、数年前にイカレた小娘の襲撃で組織が壊滅。流れの開錠屋に身をやつしたという過去の持ち主だった。

 

 眼前で舞うように弾丸を避ける女。見紛うはずもない。華やかな紋様の仮面から覗く暗紫色の瞳。あの目。見間違うはずもない。

 あの日、父と慕った大哥(ダイロウ)や義兄弟と呼び合った仲間達を血の海に沈めた暗紫色の目の女妖。ロンパオの大事な者達を皆殺しにした憎き仇敵だ。

 死んだと報道されていたが、地獄の底から帰ってきたのかもしれない。

 それでもいい。皆の仇を討てるのなら。

 

「アァアッチョォオオオオオオオ――――――ッ!!」

 怪鳥染みた裂帛の咆哮と共にロンパオは仮面の女へ躍り掛かった。

 花ノ国刀術は密着状態(ゼロレンジ)の攻防を主とし、拳打足蹴に斬撃と刺突が織り交ぜられた連撃必殺の技術だ。初撃の跳躍刺突は間合いを詰めるため。続く横薙ぎは相手の姿勢を崩すため。薙ぎの勢いを活かし、左拳突きにて得意の間合いへ踏み込む。

 

「ホォ―――――――アアアアッ!!」

 甲高い雄叫びと共に怒涛の連撃が始まる。

 花ノ国特有の大胆な体裁きと流動的な運足。止むこと無き攻撃。連ね続けられる斬撃と打撃。重ね続けられる刺突と打突。さながら激流の如し。

 

 仮面の女はどこか楽しげに暗紫色の双眸を細め、疾風怒濤の連撃に立ち向かう。弾幕のような刺突をいなし、嵐のような斬撃を避け、激烈な拳打を払い、苛烈な蹴撃を受け流す。

 

 互いの睫毛まで数えられそうな肉薄距離の攻防。瞬きも許さぬ迫力に気圧され、強盗達も横入り出来ずにいる。

 傍目にはロンパオが一方的に攻めているようにしか見えないが、実際は仮面の女がロンパオの攻撃を全て防ぎきっていた。攻撃が一切届かず、かすり傷すら与えられぬ状況にロンパオは焦れ、青龍刀を不用意に大きく振り上げる。

 

 仮面の女はその隙を逃さず、少しばかり“本気”を出す。

 振り下ろされた青龍刀を武装色の覇気で覆った左手の人差し指と中指で挟んで奪い取り、体幹を崩したロンパオの胸部へ漆黒の右正拳を叩き込む。

 肉が潰れ、骨が砕ける轟音。そして、苦痛と悲憤の絶叫。

「アバ――――――ッ!!」

 

 血反吐で放物線を描きながらぶっ飛び、壁に叩きつけられるロンパオ。ずるりと床へ落ちかけたところへ、容赦なく投擲された青龍刀がロンパオの顔面を貫き、昆虫標本のように壁へ刺し留めた。

 

「功夫が足りなかったね」

 人質達の悲鳴に混じって仮面の女が冷笑したところへ、

「いっ―――てェな、この、腐れ穴のパープリンがあっ!!」

 鼻がひしゃげ、前歯を数本無くしてイケメン顔が台無しになったジンノが怒声と共に復活。コカインのおかげで痛覚が鈍っているため、常人なら失神昏倒間違いなしのダメージでも回復したようだ。

 

「おやおや。大人しく失神していれば死なずに済んだのに」

 ロンパオを始末した仮面の女は激憤中のジンノを一瞥し、鼻で嗤う。

「今度はきっちりトドメを刺してあげるよ」

 

「殺れるもんなら殺ってみろやアホッタレッ!! 俺ぁスベスベの実の能力者っ! 俺がその気になりゃあどんな攻撃もツルッと滑っていくンだよバカッタレッ! そんな俺を殺れンのかっ!? 殺せるってンのかよクソッタレッ!!!!」

 鼻血をブーブーぶちまけながら怒鳴り散らすジンノ。

 

「へぇ……言うじゃない。なら、御自慢の力を見せてもらおうか」

 楽しそうに呟き、女は矢のような勢いでジンノに襲い掛かり、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!!」

 漆黒に染まった右拳を放つ。

 

 覇気を用いた攻撃はたとえ相手が光になろうと、煙になろうと逃さない。摩擦係数がゼロになろうとも、例外ではない。覇気の攻撃への対抗手段は覇気による防御しかないのだ。

 加えて言えば、たとえ摩擦係数がゼロであろうと、接触時の衝撃(この場合は接触時の振動と言っても良い)は物理現象として“必ず”伝播する。

 

 すなわち。

 高周波振動を内包し、武装色の覇気をまとった必殺の拳は反応の間に合わないジンノの顔面を捉え、

 

 ぐしゃっ!

 

“ナーリー”ジンノの過ちは複数ある。能力を過信したこと。覇気の使い手ではなかったこと。何より、眼前の女の脅威度を完全に見誤ったこと。

 これらの過ちゆえに、ジンノは顎から上を木っ端微塵に破砕された。頭を半ば失った肉体が腰を抜かしたようにへたり込む。

 

「えっ」

 仮面の女が困惑しながら慨嘆をこぼす。

「えぇ……そこは私の攻撃を滑らせて得意面するところでしょ……なんで死んでんの」

 

 スキッパー、ロンパオ、ジンノ、立て続けに発生したスプラッターな事態に人質達が恐慌状態に陥り、

「ぅわぁああああああああっ!!」

 生き意地汚いライリーがパニックを起こし、裏口へ向かって脱兎の如く逃げ出した。ちゃっかり運搬袋を一つ引っ掴んでいくあたり、抜け目がないというか姑息というか。

 

「ありゃりゃ。逃げちゃった」

 仮面の女は逃げていくライリーを鼻で笑うだけで、追いかける素振りをまったく見せない。

「置いてかれちゃったけど、君はどうする?」

 

 嘲笑と共に視線を向けられ、ハリソンは髑髏マスクの下で苦々しく舌打ち。スキッパーの屍を一瞥してぼやく。

「計画が台無しだ。ホイールマンまで殺されちゃあオタカラを運び出せねェ」

 

「なら逃げる? 見逃してあげても良いよ。君らをイジメることも飽きちゃったし、私も適当に横取りして帰るから」

 せせら笑う仮面の女に対し、ハリソンは髑髏マスクの下で『ナメられたもんだ』と鼻息をついた。

「俺がグランドラインでどれだけ過ごしてきたと思ってンだ。能力者も覇気使いもうんざりするくらい相手にしてきたぜ。それでも、俺ぁこうして現役を続けてンだ。甘く見てンじゃねェぞ」

 

 ハリソンは装具ベストと上着を脱ぎ捨てて剛毛に覆われた上半身を露わにし、コォオオオッ! と過給機(ターボ)みたいな呼吸音を奏で始めた。

 生命帰還(バイオフィードバック)と呼ばれる特異な身体操作/変化術は、己の髪の毛一本から内臓の機能まで思うままに操り、骨の伸縮や筋肉量の増減すら可能になる。

 

 呼気が大きくなるに連れ、ハリソンの肉体も肥大化していく。ズボンがはち切れんばかりに両足が太くなり、二回りも大きくなった上背は馬鹿馬鹿しいほどの筋肉に覆われている。挙句は毛深い体毛が鎧の如く上体を包んでいた。

 ハリソンは目を瞬かせている仮面の女を見下ろしながら、構えた。

「大人の怖さを教えてやるぜ、クソガキ」

 

「年寄りの冷や水って言葉、知ってる?」

 仮面の女は楽しげに喉を鳴らした。

 

      〇

 

「シッ!!」

 鋭い呼気と共に巨拳が疾駆する。

 骸骨マスクの巨漢は見た目とは裏腹に軽妙なフットワークを刻み、小刻みな高速ジャブで牽制を重ねてきた。

 

 ボクシング。それも由緒正しいインファイト・スタイル。でたらめなナリに変身したくせに、正統派だな。

 ベアトリーゼはジャブをいなし、わずかな接触から伝わる衝撃の強烈さに仮面の中で眉をひそめた。

 運足と拳速はともかく、威力は私を撲殺してお釣りが来る。表では職人連中が突入の算段をしているようだし、遊び抜きで早々に仕留めるか。

 

 見聞色の覇気で周囲を探った後、ベアトリーゼは動く。

 骸骨マスクの高速ジャブを掻い潜り、大気を切り裂くように間合いを詰め、武装色の覇気をまとった漆黒の周波衝拳を腹部の水月へ叩き込む。が、

 

「な――ッ!?」

 ベアトリーゼはマスクの中で目を剥いた。

 武装色の覇気をまとい、高周波を含んだ必殺の拳を叩き込んだにもかかわらず、骸骨マスクは平然としていた。

 なんと、体躯を覆う体毛が拳の衝撃を柔軟に吸収し、高周波振動を全身の体毛へ放散して無効化せしめたらしい。想像の斜め上をいった防御能力にベアトリーゼも驚愕を禁じ得なかった。

 

 全身の体毛をわさわさと震わせながら、

「黒光りフックッ!!」

 骸骨マスクが後の先を取って左フック。鋼線染みた指毛に覆われる左拳は、なるほど名称通り黒光りしている。

 

 暴風のように迫る大きな拳を前に、ベアトリーゼはいつぞやのように身を躍らせる。左フックの拳を捉えて跳馬のように宙へ舞う。ぐるりと空中で身を捻りながら孤影襲(オイサーシュトース)を浴びせ、られない。

 

 左フックをかわされた髑髏マスクが左肩のタックルで宙を舞うベアトリーゼを弾き、深く踏み込みつつ腰を大きく捻って、

「ぶっ潰れろッ!! 黒光りメガトンスマーッシュッ!!」

 隕石の如き勢いで放たれる必殺の右拳。ベアトリーゼはプルプルの実の能力で大気を蹴って離脱を図る。も、大きな右拳が先んじて襲い掛かる。とっさに腕を十字に組んで武装色の覇気で硬化し――

 

 

 どがんっ!!

 

「ぎゃんっ!?」

 強烈な拳を浴びたベアトリーゼはゴムボールのように天井、床、壁と撥ね回り、最後に運搬袋の山に突っ込んだ。

 裂け千切れた運搬袋から紙幣や貴金属などが飛散し、お宝の山から女の両足がニョッキリ生えるシュールな光景に、人質達は言葉もない。

 

 ベアトリーゼの拳を浴びた腹を撫でながら、髑髏マスクは鼻を鳴らす。

「覇気の打撃に加えて衝撃を俺の体内に流し込もうとしたようだが、無駄だっ! この状態になった俺の体毛は剛柔硬軟自在の高密度繊維装甲(ファイバーアーマー)よっ! この危ねェ海でタタキをシノギにしてる人間を舐めるんじゃねェッ!」

 髑髏マスクの啖呵はベアトリーゼの耳に届いていなかった。

 

 ダメージ故ではない。確かに強烈ではあったが、かつて“青雉”クザンから浴びた一撃に比べたら微風のようにぬるい。

 お宝の山に上半身を埋めたベアトリーゼはダメージではなく、現金やら貴金属やら宝石やら美術品やら芸術品やらの中で、“それ”を目にし、固まっていた。

「う、そ……そんな……マジで……?」

 

“美術品”として換金所に保管されていた一対の“それ”は、木目紋様の青黒い刀身を持つ頂肘装剣(エルボーゲン・プラット)。傑作SF作品『銃夢』におけるヒロインの愛刀にして、『不純物が鋼に命を宿す』と謳われた名刀に酷似していた。

 

 ベアトリーゼは感激と感動のまま呟く。

「ダマスカスブレード」

 

 

 髑髏マスクがトドメを刺そうとオタカラに埋まったベアトリーゼの元へ歩み寄っていくと、先んじてベアトリーゼがお宝の山から飛び起きた。

「む」髑髏マスクが怪訝そうに目を細める。

 

 ベアトリーゼの両腕から刃が生えていた。

 ブレードの刃渡りは手首の付け根辺りから、耳たぶに届くあたりまで。肘の補助具に似た機構を革ベルトで固定し、木目紋様のブレードを腕に装着しているらしい。

 

 ベアトリーゼは機嫌よく腕のブレードを素振りし、

「おおぉ……この一体感。素晴らしい」

 感動のこもった讃嘆をこぼし、暗紫色の双眸を細めた。凶暴に笑うように。

「試し斬りをさせてもらおうか」

 

「斬撃なら俺の体毛を切り裂けるとでも? 浅はかな……俺がこれまで剣士と戦ってこなかったと思っているのか?」

 髑髏マスクの巨漢が不快そうに告げる。

 

 も、ベアトリーゼは意に介さない。

 既に相手の“手品”は割れている。確かに剛柔硬軟自在の体毛は武装色の覇気で固めた黒拳の衝撃を吸収しえるのだろう。高周波の振動を体内へ伝播させることなく放散しえるのだろう。今まで戦ってきた相手にはいなかったタイプの高度な防御能力だ。

 まあ、体毛の乏しい部分に高周波振動をぶち込んで血管や内臓を破壊したり、三半規管をぶっ壊したり、等々やりようはいくらでもあるが……

 この防御力の高さは試し斬りに丁度良かった。

 

 そろそろ表に集まってきた官憲や職人達が踏み込んできかねないけれど、時間が許す限りこのデカブツで頂肘装剣を用いた体術や戦技を試したい。

「簡単に死なないでちょうだいな」

 両肘から刃を生やしたベアトリーゼが躍動した。

 

       〇

 

『突入っ! とつにゅーっ!! とつにゅーしろーっ!!』

 駐在が拡声器で号令を下し、得物を握りしめた司直の兵隊とガレーラの職人達が換金所へ突入していく。

 

 そして、彼らは見た。

 両腕に青黒い刃を装着したしなやかな影が激しく躍り、毛むくじゃらの大男と激戦を繰り広げている様を。

 

 華やかな紋様を施した仮面を被った影は、ケープを髪のようにたなびかせながら、宙を飛び、地を這い、滑らかに舞い、疾風のように駆け、あらゆる体勢から鋭い斬撃を繰り出し続け。

 

 髑髏マスクを被った巨漢は丸太よりも太い腕を小刻みに、時に大胆に振るい、風切り音を奏でながら巨拳を放ち続け。

 

 鮮烈な剣戟と激烈な拳打の応酬。大気が裂かれ、弾ける轟音。しなやかな影の刃と巨漢の黒々とした体毛が接せば、どういう訳か金属音が走り、火花が散る。

 まるで旋風の鎌鼬と暴風の竜巻が争っているかのような激戦に、駐在も職人達も近づけない。

 

「な、なんなんだこりゃあっ!?」

 今年二十歳を迎えるパウリー青年は周囲の職人達と同様、常軌を逸した死闘を前に慄然と震えるしかなかった。

 ゴロツキや海賊と鉄火場を重ねた経験は少なくない。ぶっ飛ばした海賊の中に能力者がいたこともある。それでも、こんな熾烈な戦いを見たことが無い。

 パウリーにはしなやかな影の動きがほとんど捉えられない。パウリーでは巨漢の拳にとても反応できない。

 

 両者の戦いはあまりにも速く。あまりにも激しい。

 しなやかな影が斬撃一つ放つ間に、いくつの牽制と陽動を行っているのか、パウリーには分からない。

 巨漢が打撃一つ放つ間に、何手先まで読み、何通りの展開から手を採っているのか、パウリーには想像もつかない。

 

「鬱陶ぉしいっ!! 黒光りワイルドアッパーッ!!」

 拳風に床の粉塵が巻き上げられるほど強烈な左アッパーが放たれるも、しなやかな影はするりと躱して間合いを取る。

 

「無駄だっ! 俺に斬撃なんぞ通じねェッ!!」

 髑髏マスクは官憲も職人達も視界に収めていなかった。ただ眼前の小兵――あくまで巨漢に比したらの話で、仮面の女も180センチ前後はありそうな長身だ――へ怒鳴り飛ばす。

「いい加減、諦めてちゃっちゃっと殴殺されやがれっ!!」

 

「横入りも入ってきちゃったし、そろそろ切り上げようか」

 仮面の女がアンニュイな声音で呟き、両腕を大きく広げ、まるで全身のばねを圧縮させるように身を深く屈ませた。次いで、両腕の青黒い刃が微かに鳴動し、刀身に沿ってパチパチと青いプラズマ光が走り始め――

 

 動く。

 仮面の女の足元が爆ぜ、大理石製の床が爆ぜる。しなやかな影と青いプラズマ光が大気を切り裂く。煌めく刀身に雷光のような軌跡を曳かせながら、仮面の女は巨漢へ襲い掛かる。

 

 瞬きすら追いつかぬ刹那。

 髑髏マスクの巨漢は女が斬りかかってくる一瞬の機先を制し、

「黒光りライトニングブローッ!!」

“先の先”カウンターのチョッピングライト。命中すれば、頭はおろか上半身が砕け千切れるだろう。

 

 が、巨漢が制したと認識した機先自体が、女の陽動(フェイク)

 相手の“機”を外す機甲術(パンツァークンスト)上級奥義(オーバーゲハイムニス)遊撃(アインザッツ)功律動(リュトメン)によって誘い出されたに過ぎない。

 

 女は振るわれた巨拳を紙一重でかわし、巨腕を軸に螺旋を描くように肩口までするりと肉薄。新体操みたいに大きく身を捻り込みながら左の肘剣を一閃。

 

 すぱり。

 

 プラズマ熱をまとった刃が頑健な体毛を容易く斬り、分厚い肉を滑らかに裂き、太い骨を軽やかに断つ。

 女が三回転半捻りの末に着地。と同時に、髑髏マスクを被った巨漢の首がずるりと滑り落ちた。鮮血と共に命が噴き出し、巨漢の身体がしぼみながら大理石の床に倒れ込む。

 

 決着。

 

 華やかなラ・ムエルタの仮面を被った女がおもむろに振り返り、官憲や職人達が息を呑み、身を強張らせる。誰もが理解していた。

 この女には敵わない。この場の全員掛かりで立ち向かっても、一蹴されるだろうと。

 

 ところが――

 女は踵を返し、保管庫へ向かって一目散に逃げ出した。

 

「えっ!?」

 惨劇を予見して身を竦めていた官憲と職人達は呆気にとられ、

「お、追え―――――っ!!」

 職長の一人が叫び、我に返ったパウリーを含む数人が泡食って追いかける。追いついたところで捕縛できる自信はまったく無かったし、下手したら死ぬかもしれない。が、それでも『自分達の街』を襲われたのに黙って見逃すことなど、パウリー達には出来なかった。男の美学。

 

 ヤケッパチ気味にパウリー達が保管庫へ飛び込んだ矢先。爆発染みた轟音と粉塵の噴流に襲われる。

「うわああっ!?」「なんじゃああっ?!」

 男達が動揺し、混乱し、

「落ち着け玉無しのクソッタレ共っ! 取り乱すんじゃあないっ!!」

 最年長の職人が怒声を張り、

「うわぁ……」

 ようやく粉塵が落ち着いて視界が開けてみれば、仮面の女の姿はどこにもなく、保管庫の床にぽっかりと大穴が開いており、暗闇の底に地下道が覗いていた。

 

 逃げられた。

 その事実を前に、パウリー達は無意識に安堵の息をこぼしていた。




Tips
花ノ国刀術
 オリ設定。花ノ国が中国モデルみたいだから中華武術っぽいものを用意してみた。

スベスベの実。
 本人の摩擦係数を自在に操る強能力だけど、無敵ってわけじゃあない。
 次の能力者に期待しましょう。

生命帰還。
 CP9のクマドリ、王下七武海ボア・ハンコックの妹マリーゴールドのように髪の毛を自在に操り、ルッチのように筋肉量を増減させて体型を変化させたり。
 ルフィのギア4もこれに当たるのかは不明。

ダマスカスブレード。
『銃夢』のヒロインが扱う武器。機甲術マウザー派頂肘装剣ダマスカスブレードが正しい名称。
 肘に装着するブレードだが、バタフライナイフ機構の長刀になったこともある。
 LO以降は自在に肘から出し入れが可能になった。

 ダマスカスブレードを振るう際は技名が告げられないため、必殺技名を叫ぶワンピース世界ではちょっと扱いにくい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31:円満退職。あるいは大いなる誤解の自覚

長めです。
拾骨さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 換金所で蛮族系ヒロインが大立ち回りをしていた頃、ウォーターセブンの某所では一つの戦いに決着がついていた。

 

「―――」

 壁に背を預け、へたり込んでいるウェッジは胸部が大きくひしゃげへこみ、砕けた数本の肋骨が皮膚を突き破っていた。肺に流れ込んだ大量の血液によって溺死が迫っているにもかかわらず、咳き込む体力すら残っていない。瞳孔も開いたままだ。死神が迎えに来るまでもう幾ばくもないだろう。

 

 ウェッジから少し離れたところで、瓦礫に腰かけているロブ・ルッチも決して無傷ではない。

 拳を受けた腹部は青黒く腫れあがっており、いくつかの臓器が酷く傷んでいる。生命帰還を用いた治癒能力の促進を図らねば意識が飛びそうだった。

 

 勝敗を分けた要素はリーチの差と悪魔の実の能力による肉体能力の底上げ。それだけだ。同じく()の肉体だったなら、相打ちとなってルッチもウェッジと同じく死神の迎えを待っていただろう。

 ルッチは死闘を制した満足感や強敵を殺害した充足感を抱けず、勝ったのではなく負けなかったという不本意な現実に渋面を浮かべていた。肩に乗った(親友)のハットリが気遣うようにルッチの頬へ頭を擦りつける。

 

 そんなハットリの背中を優しく撫でつつ、ルッチは死にかけているウェッジへ問う。

「言い残すことはあるか」

 

 ウェッジは顔を上げる力すら残っていなかった。既に視界を失っているだろう眼球を蠢かせてルッチを窺い、唇の端を微かに曲げた。

「ねぇ……つ……の」

 かすれた声で憎まれ口をこぼし、ウェッジはこと切れた。肺から溢れた血液が口から垂れ流れていく。

 

「……これだけ苦労して結局、収穫はゼロか」

 アイスバーグの私邸捜索も空振り。この謎の泥棒についても何一つ分からずじまい。

 込み上げてきた徒労感にルッチが思わず溜め息をこぼしかけた矢先、ブルーノがウェッジのリュックサックを持ってやってきた。簡単な手信号で『このリュックの中身を調べよう』。

 

 ウェッジに顎を痛めつけられたブルーノは現状、会話が困難で先ほどから手信号でやり取りしている。

 ルッチが同意の首肯を返し、ブルーノはリュックサックの中身を瓦礫だらけの床に開ける。ピッキングツールや身分証等が一切入ってない現金のみの財布。

 それと、電伝虫。

 

「収穫がゼロ、というわけでも」

 小さく鼻息をつき、ルッチが呟きかけたところへ、電伝虫が『ぶるぶる』と鳴き始めた。

 

 2人の秘密諜報員は互いに顔を見合わせ、小さく首肯。顎を痛めて喋れないブルーノではなくルッチが通話に出た。

『ウェッジ君。約束の時間だけれど、首尾はどうかしら』

 成人女性の上品な美声。だが、しっとりとした声色から年齢が窺えない。うら若き令嬢のようにも老いた淑女のようにも聞こえる。

 

「ウェッジは今、通話できない」

 ルッチが告げると、先方が驚いたように息を呑む音が聞こえた。

『――どちら様?』

 

 先方の問いかけを無視し、ルッチは問いを重ねていく。

「貴様は、いや、貴様らは何者だ? 何が目的でこの男をアイスバーグの自宅へ侵入させた」

『ウィットに欠いた言葉遣いから察して政府の方ね。言葉の端々と息遣いから痛みを堪えているようだけれど、ウェッジ君と戦って……殺したのかしら?』

「だとしたら?」

『ビジネスが不首尾に終わって残念。それだけよ』女は言った。『CP9のスパイさん』

 

 今度はルッチが沈黙する番だった。

『海軍ではなく政府筋でウェッジ君を殺せる人間はCP9くらいよ。それにしても……まさかCP9がウォーターセブンに潜っているとは。スパンダインの低能息子は未だにプルトンの設計図を探しているのね』

 

 正体不明の相手に任務を見透かされた事実に、ルッチとブルーノの顔に険が浮かぶ。2人の反応が分かるのか、女はころころと鈴のように喉を鳴らした。

『スパイさん。スパンダインの愚劣な息子とウォーターセブンが並べば、プルトン以外無いわ。あの暗愚な息子がかつてプルトンの設計図を得ようとしてしくじり、不細工な顔がひん曲がった件は裏社会でも有名な笑い話なのよ』

 

 上品な口調で吐かれる強烈な悪罵。

 この女はスパンダイン・スパンダム親子の知人か何かなのだろうか。ルッチが推論を立て始めたところへ、

『スパイさんもこれから大変ね』

 女の悪意が通話相手のルッチへ向けられた。

 

「……どういう意味だ」

 ルッチの反問に、女は嘲りを込めて語り始める。

『アイスバーグ氏の市長当選は確定よ。そして、ガレーラカンパニーの社長も兼任する。彼は今後、政府と海軍の造船を積極的に受注するでしょうね。それも、特恵待遇契約で。これの意味することが分かる?』

「アイスバーグが政府と海軍にとって有益な人間になる、ということか」

『認識が浅いわね、スパイさん』女はくすくすと嘲り『今後、サイファー・ポールがアイスバーグ氏に何かしようとすれば、政府や海軍の受益者達が嘴を差し込んでくるという意味よ。もしかしたらあの親子が揃って失脚、なんてこともあり得るかもしれないわ』

 

 仮にバカアホマヌケでドジの四重苦上司が更迭され、もっとマシな上司が赴任するなら実に喜ばしいことだな、とルッチとブルーノが密かに思う。

 しかし、女がルッチとブルーノのささやかな希望を否定する。

 

『息子の方はともかくスパンダインはその辺りに目敏い。失脚のリスクを冒すような真似はしないでしょうし、息子にもさせないわ。結果、貴方達はこれから手足を縛られた状態で任務を進めることになる。頭脳明晰で用心深いアイスバーグ氏の相手は時間がかかりそうね、スパイさん』

 不吉な予言を聞かされ、ルッチは苦い顔つきで再び問う。

「……貴様は何者だ」

 

『楽しい御喋りが出来て良かった。それでは御機嫌よう』

 女は問いかけに答えることなく通話を切った。

 

「……正体不明の第三者に作戦を把握されている、か。長官に報告しない訳にもいかないな」

 ルッチが苦々しく呟き、ブルーノもしかめ面で頷く。

 救い難いほど愚かな上司はきっとこの報告に余計な真似を企むだろう。しかし、女の発言が事実なら、上司(スパンダム)の暴走は上司の後ろ盾(スパンダイン)が抑える。

 いずれにせよ、女の不穏な予言通り任務は大きな制約を課される可能性が高い。ルッチとブルーノは思わず溜息をこぼす。

 

 と、砕けた窓から四角い長っ鼻の青年が乗り込んできた。

「応援に来たぞっ! ――て、もう終わっとるっ!? 何がどうなっとるんじゃっ!?」

 困惑顔のカクに説明する面倒を思い、ルッチとブルーノは再び溜息を吐いた。

 

      〇

 

 サイファー・ポールのエージェント達が不吉な予言を聞かされ、げんなりしている頃。

 

 はー、はー、はー、はー。

 パンパンに膨れた運搬袋を抱えたまま、“ブラウントゥース”ライリーは人目を避けて仄暗い路地裏をひたすらに走っていた。

 道化のマスクも装具もとっくに捨てた。拳銃以外の武器も捨てた。上着も脱ぎ捨てて今や肌着とズボンだけ。計画はメッタメタでホイールマンの死で逃亡手段も絶えた。オタカラを抱えていてもどうにもならないが、小悪党としての本能か手放すことができない。

 

 薄暗い路地裏を延々と走り続け、ようやく周囲から人気が絶える。ライリーは足を止め、抱えていた運搬袋を足元に下ろした。げほげほと咳き込み、げぼっと嘔吐。悪党らしい不摂生を重ねた身にマラソンはキツい。滝のように流れ続ける汗を拭い、ズボンのポケットを漁り回す。

 スキットルも煙草も無い。どうやら上着と一緒に棄ててしまったらしい。

 

「ちきしょー、げぼっ! がぺぺぺぺっ!」

 ライリーは悪態をこぼそうとした矢先に再び嘔吐。小汚い地面に汚い吐瀉物をぶちまける。

 

 ゲロ臭く酸っぱい唾を執拗に吐き捨て、ライリーは建物の壁に背中を預け、ずるずるとへたり込む。

 走り続けたせいで酸欠気味の頭で、なんとかして計画立案者(ジャグマーカー)に連絡を取り、この街から脱出する方法を考える。も、何一つ良いアイデアが浮かんでこない。

 

「ヤモモモ……見つけたヤモ」

 

 不意に頭上から嘲笑が降ってきて、ライリーは反射的に前転二回。自分の吐いたゲロの上を通り過ぎ、ゲロに塗れながら拳銃を抜いて構えれば。

 建物の壁にヤモリ頭のエロボディ美女が張り付いてこちらを見下ろしていた。その奇怪かつ不気味な光景にライリーが思わずギョッとした。

「て、てめえは――っ!?」

 

「生き意地の汚いお前のことだから、あの女から逃げ出すと思ったヤモ。読み通りヤモ」

 ヤモリ頭のエロボディ美女ジューコが壁から軽やかに跳躍し、ライリーへ襲い掛かる。

「ヤモリンドー・アーツ、ゲッコーローリングサンダーッ!!」

 

 破城槌みたいな横軸胴回し回転蹴り。武装色の覇気で漆黒に染まった右脚の踵が、唸りを上げてライリーの顔面を直撃。

 その凄まじい一撃はライリーの顔面を深々と陥没させ、断末魔を上げる暇も許さず意識と命を刈り取る。蹴り飛ばされたライリーが錐揉み回転しながら宙を舞い、水切り石みたく地面を幾度か跳ね、最後に水路へ落ちた。汚い前歯を上下一本残らず砕かれたライリーは、白目を剥いたまま水中に没していく。

 

 ジューコはオタカラが詰まった運搬袋を左肩に担ぎ、にんまりと微笑む。

「ヤモモモ……奪い取ったオタカラの重みは格別ヤモ」

 まさに外道な感想を呟きつつ、右手と両足を建物の壁に張り付かせ、すいすいと昇っていく。

 

 ヤモリは四肢の指先に乾燥接着――ファンデルワールス力を発生させて岩やガラスにぺたりと張りつくこと――ができる自然界随一のクライマー。ヤモヤモの実によるヤモリ人間であるジューコも高い登攀能力を発揮可能だ。

 

「この街を出るまで奪ったオタカラをどこに寝かせるかヤモ」

 発注した船はまだ建造中。この島に乗ってきた『プリティグッド号』もまだ整備中。逗留中のホテルにオタカラを隠しておくのも、ちと具合が悪い。

 となれば。

「“強盗仲間”を頼るのが筋ヤモ」

 ジューコは長い舌を躍らせて笑う。

 

       〇

 

 アイスバーグの市長当選が発表され、ガレーラカンパニーでは飲めや騒げやの大宴会。換金所の強盗事件の後始末もしめやかに進められている。

 そんな騒々しくも物々しい夜。港傍にて2人の美女が月夜の薄闇に紛れて密会していた。

 

 首に低品質海楼石のチョーカーを巻いた三十路美女が、大きな乳房を強調するように腕を組んで告げる。

「オタカラを数日預けるだけで一割を取るのはボリ過ぎヤモ。7パーセント。これ以上は譲らないヤモ」

 

「分かった。そっちの条件を呑むから、一つお願いを聞いてよ」

 夜色の髪をアフロモドキにしたうら若い美女が頷き、ピッと右人差し指を立てた。

「お願い? どんなろくでもないことを要求するヤモ?」怪訝そうに眉をひそめるジューコ。

 

「あんた達の船でアラバスタまで乗せて」

 しれっとベアトリーゼが要求を告げれば、ジューコは悪臭を嗅いだように美貌を歪めた。

「そりゃ無理ヤモ。私は単なる用心棒ヤモ。船の行き先に口出しはできないヤモ。そもそもウチの会社はアラバスタと取引してないから、アラバスタ行きのログポースがないヤモ」

 

「使えないなぁ」

 舌打ちして悪態を吐くも、ベアトリーゼは食い下がる。

「なら、ミスター・テルミノの船が行ける範囲で、アラバスタに一番近い島まで乗せてちょーだい」

 

「まあ……そのくらいなら口利きしてやってもいいヤモ」

 ジューコは了承する。ベアトリーゼがアラバスタに行きたい理由は問わない。どうせろくでもないことに違いないし、聞けばきっと巻き込まれるのだから。

「取引成立だね」とベアトリーゼは年相応の無邪気な笑みを浮かべた。

 

「ウチの会社の船に乗るのはともかく、お前、会社の方はどうするヤモ?」

「辞表出して終わりだよ」

 ベアトリーゼはさらりとジューコに答えた。

 

 そう簡単に行くヤモ? とジューコは小首を傾げたが、深くは踏み込まなかった。眼前の小娘を案じてやる義理も借りもない。仮に溺れているところを見かけたら煉瓦を投げつけてやりたい女なのだ。どうなろうと知ったことではない。

 

 

 

 で。

 

 

 

 翌日。

「ンマー……バカ野郎。辞表出してハイさようなら、なんて通るか。どうしても辞めるってんなら、仕事の引継ぎと連絡はきっちりしていきやがれ。それが筋ってもんだ」

 珍しくアイスバーグがガチの声音でベアトリーゼが扮する女子事務員ビーに至極真っ当な説教を垂れる。

 

 これにはベアトリーゼも反論できない。蛮族根性と悪党気質が骨身に染みついているが、今回ばかりはぐうの音も出なかった。

 大量殺人を犯してもあっけらかんとしているモノノケ娘をションボリさせたアイスバーグは『女子相手にきつく言いすぎたか』と少し反省。ジェントルマンである。

 

 アイスバーグは些かばつの悪そうに後頭部を掻き、気を取り直して言葉を編む。

「ンマー……ともかくな、ビー。辞めるにも段取りってもんがある。立つ鳥跡を濁さずだ、やるべきことをやってから退職しろ」

 

「うす。了解っス」とベアトリーゼは居住まいを正してぺこり。「引継ぎと連絡をきっちり済ませます」

「もちろん考えを改めても良いぞ。お前さんは有能だからな。ウチに残ってくれるなら大歓迎だ」

 和やかに慰留を提案するアイスバーグに、ベアトリーゼは肩を小さく竦めた。

「や。お気持ちはありがたいスけど、あたしも色々挑戦したいんで。ほら、『世界を旅しろ、冒険を楽しめ』って言うでしょ?」

 

「そんな格言聞いた事ねェが……誰の言葉だ?」と小首を傾げるアイスバーグ。

「さあ? あたしも知らないっス」

 ベアトリーゼはしれっと応じた。

 

       〇

 

 ブルーノが経営する店は今日も盛況だ。仕事上がりのガテン系あんちゃんおっちゃんがガツガツと飯を食らい、グビグビと酒をかっ食らっている。そんな汚い絵面の中、カウンター席に並んでグラスを傾ける美女2人。これぞ掃き溜めに鶴。

 

「本当に辞めちゃうんですか?」

 心底残念そうに眉を下げるカリファ。

「色々旅しようと思ってね。無茶をするなら若いうちっていうだろ?」

 女子事務員ビーことベアトリーゼはどこか不敵な笑みを返す。も、カリファは出来の悪い姉妹を案じるような顔つきになる。

「ビーさんは無茶というより滅茶苦茶しそうですけどね……」

 

「信用ねェなあ」

 あっけらかんと笑い、ベアトリーゼはグラスを傾ける。

 

 政府の犬ッコロに情なんかこれっぽっちも湧かないけれど……まあ、事を構える時が来たらカリファは半殺しくらいで済ませてやってもいいかな、とサイコパスな思考をしつつ、ベアトリーゼは干したグラスを小さく掲げた。

「ブルーノ、シードルお代わり」

 

「はいよ。ちょっと待って」

 のんびりした口調で応じるブルーノ。なぜか顎に包帯を巻いている。

「なあ、そろそろ聞いていい?」

 グラスに発泡酒を注がれる様を眺めつつ、ベアトリーゼが問う。

「その顎、どうしたのさ?」

 

「家具を移動させてる時に強くぶつけちゃってね……」ブルーノは嘆くように「しばらく硬いものが食べられそうにないよ……」

「そりゃ災難だったな。お大事に」

 通り一遍の気遣いを示し、ベアトリーゼは肴の生ハムを摘まむ。

「そういや、ルッチの奴も調子悪そうにしてたな。カリファはなんか聞いてる?」

 

「いえ、私は特に」

 カリファはすっとぼけた。極秘任務中に予期せぬ手練れと交戦して重傷を負った、とは口が裂けても言えない。

「まぁ、鳩男のことはいいか」ベアトリーゼはにんまりを口端を吊り上げて「今夜はあたしの新たな門出祝いだ。たっぷり飲み食いしよーぜ、カリファ」

「えっ……そ、そうですね」

 カリファは体重計の数字を思い、顔を引きつらせる。

 同時に、女子事務員ビーと食べ歩く日々が終わることに、大いなる安堵とちょっぴりの寂寥感を覚えた。

 

       〇

 

 かくて、女子事務員ビーの業務引継ぎと諸々の連絡伝達、テルミノの発注した新しい貨客船『スーパープリティ号』と『プリティグッド号』の整備が完結する。

 テルミノは新造船『スーパープリティ号』の習熟航海を兼ね、プリティグッド号と共に“マーケット”で根拠地である某島へ帰還するという。

 なお、ベアトリーゼが乗船することに『オゥ……こいつぁプリティな不安がよぎるぜ』と顔に冷や汗を滲ませていた。彼の予感の正誤は如何に……

 

『たかだか二年ちょい務めただけでお別れ会なんて申し訳ないっス』とビーは謝絶し、ガレーラカンパニーを円満退職。

「世話になった礼っス。ボス、どーぞ」

 ガレーラカンパニーの社章が刻印されたカフスボタン。ベアトリーゼが精製した5N級高純度鉄をウォーターセブンの細工職人に加工して貰ったワンオフ品だ。

 

「送り出す側が餞別を貰うなんて格好がつかねェなあ」と微苦笑をこぼしつつも、アイスバーグは嬉しそうに頷く「ありがとうよ、ビー。大事に使わせてもらうぜ」

「達者でのう」『元気でなビーポッポー』

 長っ鼻のカクと鳩男のルッチ。

「もっと慎みと淑やかさを身につけろ」

「お前は女慣れしろパウリー」

 小生意気な年下の職人の鼻先を突き、女子事務員ビーは最後に“友人”カリファに別れのハグをする。

「元気でな、カリファ」

「ビーさんも」

 

 ハグをかわしつつ、ベアトリーゼは最後に少しばかり悪戯――自身とカリファの“正体”を言及しようかと思ったが、止めた。もしかしたら、数年後に再会するかもしれない。サプライズの要素は残しておこう。

 

「さようなら。またいつか」

 ガレーラカンパニーの人々へひらひらと手を振り、ベアトリーゼはガレーラカンパニーを後にした。

 

 後は下宿先から荷物を引き上げ(保管していたオタカラも持って)、テルミノの船に乗り込むだけ。次はどこへ向かうことになるやら。さっさとアラバスタに行ってロビンと合流したいんだけどなあ。

 そんなことを考えながら、ベアトリーゼが通りを歩いていると、

 

「よぉ、姉ちゃん。ちょいと道を教えてくれねェか?」

 頭陀袋を担いだ大男に声を掛けられた。

 

 見上げるほどの体躯。水色髪のリーゼント。鋭角のサングラス。金属プレートで覆われた鼻。ごつい両腕には星の刺青。そしてどういう訳か、アロハシャツに海パン一枚。

 隙間だらけでうろ覚えの原作知識でも見間違えようがなかった。

 主人公勢に一人。麦わら一味の船大工。亡き名船匠トムの弟子。

鉄人(サイボーグ)”フランキーだ。

 

「アイスバーグの野郎が社長をやってるガレーラカンパニーつぅ会社に行きてェんだが、この道を進みゃあ良いのかい?」

 問われたベアトリーゼは内心でドッと冷や汗を掻いていた。

 

 どうして? なんで? なんでフランキーがここで登場するの? え? 待って待って待って。ひょっとして、今までこの島に居なかったの? え、え、え? それじゃあ、プルトンの設計図は今までアイスバーグの旦那が持ってたってこと?

 

「おい、姉ちゃん。どーした? 大丈夫か?」フランキーがベアトリーゼの様子を訝って問う。

「あ、いえ。ミスターが些かエキセントリックな装いをされているので、驚いてしまって」と内心の動揺を誤魔化すベアトリーゼ。

「おいおい、姉ちゃん。褒めても出せるもんはねェぜ」

 エキセントリックと呼ばれて機嫌を良くするフランキー。

 

「ガレーラカンパニーでしたら、ええ。この道を真っ直ぐ進んで、突き当りのT字路の右手側に見えてくると思います」

「そうか。ありがとうよ」

 道を教えられたフランキーはいなせに礼を告げ、ガレーラカンパニーを目指して歩み去っていく。

 

 フランキーの大きな背中を茫然と見送るベアトリーゼは、冷や汗と動悸が止まらない。

 原作主要人物との予期せぬ邂逅と、何より二年以上事実誤認していたことに今更気付き、自分が如何に危うい一本綱の上で踊っていたのかを理解し、ベアトリーゼは思わず頭を抱えた。

 

 うぁああああああ……マジかよ、マジかよ。

 ……もう、原作知識を当てにすることはやめよう。こんな調子じゃ何の助けにもならんわ。

 そもそも自分という異物が混入し、主要登場人物のロビンと関わりを持っている時点で、何かしらの変化が生じているに違いない。

 ベアトリーゼは気を取り直すも、踏みだした新たな一歩は重かった。

 




Tips
ジャグマーカーの女。
 素性はまだ秘密。彼女がなぜ古い設計図を求めたかは後々。

ヤモリンドー・アーツ。
 適当な語感でこさえたオリ設定。
 浴びせ蹴りのことを英語でローリングサンダーキックっていうらしい。

フランキー。
 原作キャラ。
 フランキーがウォーターセブンに帰還した時期は、アイスバーグが市長就任後。
 アイスバーグを訪ねた際、本名『カティ・フラム』を名乗った。
  変態と呼ばれると喜ぶのは公式設定。

ウォーターセブン編はひとまず終了。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32:花と鰐と珈琲と

閑話的な内容です。

拾骨さん、佐藤東沙さん、戦人さん、一匹狼?さん、Nullpointさん、誤字報告ありがとうございます。


 

 話はウォーターセブンでアクア・ラグナの後始末が終わり、少し経った頃に遡る。

 

百花繚乱(シエンフルール)――トランプルッ!!」

 黒い長髪の眼鏡美人がたおやかな両腕を胸元で交叉させて告げた瞬間、蹂躙が始まった。

 花畑が開花時期を迎えたように図書館エントランスの天井や床や壁、エントランスへ乗り込んできた賞金稼ぎ達の身体にしなやかな腕が咲き乱れ――

 

 足を捩じり上げられて足首や膝をへし折られ、アキレス腱が断裂する音色が響く。

 腕を捻り上げられて手首や肘を砕かれ、肩の腱板が断裂する音色が響く。

 腰椎の破壊音、背骨の圧壊音、頸椎の破断音の合奏が響く。

 

 銃を持つ者は腕を押さえられ、銃口を仲間や己自身に向けて引き金を引かされる。

 刃を持つ者も腕を押さえ込まれ、その切っ先を仲間や己自身に振るわされる。

 

 装具ベルトに差していた手榴弾の点火プラグを引き抜かれ、自爆させられた者もいた。

 装具ベルトのナイフや拳銃を抜き取られ、自身や仲間を傷つけられる者もいた。

 

 苦痛と苦悶の悲鳴。恐怖と怯懦の絶叫。憤怒と昂奮の叫喚。

 

 全ての賞金稼ぎがエントランスの床に倒れ伏すと、眼鏡美人は胸元で交叉させていた両腕を解いてゆっくりと息を吐く。四肢や体幹の骨を砕かれ、奇怪な姿勢で倒れている賞金稼ぎ達へ向けられた青い瞳は、氷のように冷たい。

 

 美女は眼鏡を外し、次いで、かつらを剥がして床に棄てる。

 露わになった素顔は賞金額7900万ベリー:『悪魔の子』ニコ・ロビンその人だった。

 

「図書館ではお静かに」

 ニコ・ロビンは賞金稼ぎ達の頭目らしき男の元へ歩み寄って問い質す。

「どうやって私を捕捉したの? 密告? それとも何かしらの証拠を追ってきたの?」

 

「悪魔の子め、くたばりやがれ」頭目が脂汗塗れの顔で罵声を発する。

「両腕と背骨を破壊されて減らず口を叩く余裕があるとは、気丈なことね」

 便所を這い回る虫を見るような目を向け、ロビンはパチンと指を鳴らす。瞬間、床から腕が生え、まだ息のある歳若い賞金稼ぎの首を絞め始めた。

 

「ぐぅっ!?」歳若い賞金稼ぎがくぐもった悲鳴を上げるも、両腕を破壊されているため、身を捩ることしかできない。あどけなさの残る顔が大きく歪んで鬱血していく。

「やめろぉっ!」

 足元から届く抗議の怒声を煩わしげに聞きつつ、ロビンは再度問いかけた。ゾッとするほど冷徹に。

「私の居場所をどうやって掴んだの? 貴方が答えるまで部下を一人ずつ絞め殺していくわよ」

 

「―――――ぅううう」頭目は鬱血していく部下の貌を一瞥し「密告だっ! 密告があったっ!! 街の助役が密告してきたんだ、ニコ・ロビンに似た女がこの街の図書館に潜伏しているとっ!」

 

 ロビンは合点がいった。

 この街の助役は女癖が悪くて有名で、司書に扮したロビンも幾度か迫られたことがあり、先立ってはあまりにしつこかったので少々“灸を据えた”のだが……。

 

 なるほど、助役の密告から調査が入り、この顛末か。私も脇が甘くなっていたようね。

 

 ハナハナの実の能力が解かれ、歳若い賞金稼ぎがゴホゴホと激しく咳き込む。頭目は一瞬、安堵の表情を浮かべ、すぐに表情を強張らせてロビンを睨みつけた。

「俺達を倒してこの街から逃げおおせても、どこへ隠れても安心できる日は永遠に来ねェぞ。お前のような『悪』はこの世界に居場所なんてねェっ! お前は生きてちゃいけねェ人間なんだっ!」

 

 呪詛にも聞こえる罵倒を、ロビンは冷ややかに受け止めた。

 何を今さら、と。

 

 故郷が炎に包まれたあの日。

 別れの際、母は自分に『生きて』と幸せを願ってくれた。

 別れの時、大きな親友は『独りぼっちなんてない、仲間に会いに行け』と幸せを応援してくれた。

 

 2人の想いを恃みにしてもなお、寄る辺無き日々と安息無き生活の中で、ロビンは散々に思い知らされた。

 人間がどこまで冷酷になれるか。人間がどこまで残酷になれるか。人間がどこまで卑劣になれるか。人間がどこまで狡猾になれるか。人間がどこまで強欲になれるか。人間がどこまで邪悪になれるか。

 この世界が、どれほど残酷なのか。

 

 世界の無慈悲さに、ロビンは怯えきった子猫のように生きるしかなかった。

 視界に映る全ての老若男女が猜疑と不信の対象で、誰も彼もが潜在的な脅威だった。偽りと騙りと裏切りが繰り返される日々に、心を擦り減らしながら孤独に生き延びてきたのだ。

 17歳の時にベアトリーゼと出会うまで。

 

 この少しばかり年下の賢く麗しい乙女は『悪』だった。

 物憂げな美貌で野獣の如き獰猛さを隠し、殺人も破壊も躊躇しない危険な女だった。

 世界政府の法も規範も一顧にせず、社会通念上の道徳や倫理より自身の価値観を重視する傲慢な女だった。

 自分の大切なものは命懸けでも守るが、自分が気に入らないものは平然と足蹴にする身勝手で超自己本位な女だった。

 世界の理不尽と苦痛にしぶとく足掻くタフな女だった。

 残酷な世界を鼻歌混じりに進むたくましい女だった。

 

 痛快で健全な『悪』だった。

 

 そんな親友の“影響”を受けてしまったニコ・ロビンは、もはや怯えた子猫ではない。独りで世界を彷徨う生活に戻っても、ただ怯えて逃げ惑うことはない。

 母と大きな親友の祈りを肯定するように、『悪』である親友は『いつか心から信頼できる人間と出会える』と“予言”してくれた。

 

 だから、ロビンは賞金稼ぎ達の頭目へ告げる。瞬きを忘れるほど不敵な笑みと共に。

「私は決して諦めたりしない」

 そして、図書館から悠然と歩み去り、姿を消した。

 

      ○

 

 図書館司書という好ましき偽装を失った後、些かしつこい追手から逃れ続けて数カ月。逃亡資金の残余も怪しくなりかけ、ロビンは少しばかり思案した後、とある島へ向かった。

 

 グランドライン内でも屈指のリゾートアイランド『キューカ島』。

 この島は観光から様々な娯楽――健全なものから些かはしたないものまで備わっており、年がら年中多くの人間が骨休めに訪れる。それこそ海軍や政府関係者から手配書の出回った悪党まで。

 

 人の出入りが激しい土地は身を潜め易く、またいざという時に脱出し易い。

 もっとも、ロビンがキューカ島を選んだ最大の理由は賭博場(カジノ)が揃っているからだった。

 

 西の海で歴史を調べつつマフィアや海賊を相手に暴れていた頃(もっぱら暴れていたのはベアトリーゼだが)、ロビンは賭博の味を覚えた。

 泡銭を得る手段としてではなく、知的でスリリングなゲームとして。

 

 孤独な幼少期と過酷な少女時代を過ごし、子供らしい楽しみを知らずに生きてきたロビンにとって、賭博は自身の卓越した知性と鋭敏な洞察力と思考力を存分に振るえる“娯楽”になっていた。

 

 かくして、ロビンは赤毛のかつらと化粧で変装し、女博徒『ミスR』としてキューカ島のカジノへ推参した。

 ほとぼり冷ましと活動資金稼ぎ、それと少しばかりのスリルを楽しむために。

 自身の運命を大きく動かす出会いを迎えるとは知らずに。

 

     〇

 

 ベアトリーゼがガレーラカンパニーを円満退職し、フランキーと遭遇して心胆を寒からしめていた頃。

 

 陽光の注ぐグランドライン“楽園”キューカ島。大通りから外れたところにある小さなカフェテリア『カンザス』。

 朝食時が終わり、店内に客の姿はない。洗い物を終えた店主は手持無沙汰に新聞を読んでいる。

 と、カランコロンと呼び鈴が鳴く。

 

 店主は新聞をカウンターに置き、愛想の良い笑顔で客を迎えた。

「いらっしゃいませ」

 

 入店してきた客は若き美女。

 肩口まで届く艶やかな赤毛。知性と意志の強さを宿した青い瞳。繊細な造作の神秘的な美貌。すらりとした長身はメリハリがはっきりしており、黒いレザー製着衣がよく映えている。

 

 キューカ島の賭博界隈で噂の腕利き女博徒がカウンターに腰を下ろした。

「こんにちは。店長さん」

 

「ようこそ、ミスR。今日も珈琲とサンドウィッチでよろしいですか?」

「ええ。お願い」ミスRと呼ばれた女博徒はカウンターの新聞を一瞥し「それ、見せて貰ってもいいかしら」

「もちろんです。どうぞ」と店主は世界経済新聞をミスRへ渡す。

「ありがとう」

 ミスRが礼を述べ、新聞に目を通していく。

 

 店主はガラス製サイフォンから白磁のカップに珈琲を注ぎ、ミルクと砂糖の小瓶を添えてミスRの手元へ。

「良い香り」ミスRは香りを楽しんで微笑み、珈琲を上品に嗜む。「美味しい」

 

 賛辞に表情を和らげつつ、店主はサンドウィッチ作りを進めていく。

 炒めた厚切りベーコン、瑞々しいトマトとレタス。ハムエッグとチーズとサラダ菜。ブルーベリージャムとクリームチーズ。三種類のサンドウィッチを皿に乗せ、ミスRの手元へ配膳する。

「お待たせしました……おや、楽しそうですね、ミスR。お気に召した記事がありましたか?」

 

「ええ。少しね」

 柔らかな微笑みを湛え、ミスRは新聞をカウンターに置く。

 ミスRを上機嫌にさせた記事は、ウォーターセブンで起きた換金所強盗事件の容疑者に関する姿絵だった。

 シュガー・スカル染みた華やかな紋様の仮面を被った女強盗に姿絵に、ミスRはしばらく消息が不明だった親友の安危が分かり、気分を明るくしていた。もちろん、なぜウォーターセブンで強盗などしているのか不明だったけれども。

 

 どこか楽しそうな美女の様子に、店主が愛想よく声を掛けた。

「ミスR。珈琲の御代わりは如何です?」

「ありがとう、頂くわ」

 赤毛の女博徒は珈琲と食事を楽しみ、店主は黙々とカップを磨く。

 

 

 

 それぞれが穏やかな時間を楽しんでいたところへ、カランコロンと再び呼び鈴が鳴く。

「いらっしゃいませ」

 店主が新たな客へ笑顔を向け、ミスRも何気なく新たな客を窺い、2人はぴしりと固まった。

 

 オールバックの黒髪。精悍な顔を横断する傷跡。高級かつ上品なフォーマルと毛皮のコートで包まれた長身。金色のフック状義手が装着された左腕。

 政府公認の大海賊、王下七武海の一人。

 サー・クロコダイルの御来店だった。

 

     〇

 

 クロコダイルが一つ開けてロビンの左隣に腰を下ろし、告げた。

「珈琲。少しばかりブランデーを垂らしてくれ」

「風味付けでしたら良いラムがあります。如何でしょう?」

 店主がおずおずと提案しつつ、クロコダイルの手元に陶器製の灰皿を置いた。

 

「ああ……任せる」

 鷹揚に頷き、クロコダイルは横目でロビンを窺い、次いで、店長の所作を見物する。

 

「近頃、この島の賭場に腕利きの女博徒が出入りしているそうだ」

 そして、誰へともなくクロコダイルは言葉を紡ぎ始めた。

 

 曰く――知的で美麗な容貌。生来の聡明さと利発さ。過酷な人生で鍛え上げられた観察眼と洞察力。緻密な計算と戦略で勝利を掴む勝負強さ。プレッシャーに晒されても冷静さを決して失わない心の強さ。

 

「その女博徒はこの島の賭場に現れて以来、一度も負けてねえという。稼ぎに稼いで数千万ベリー。クハハハ……大したもんだ」

 冷笑と共に葉巻の灰を灰皿に落とすクロコダイル。

 

 ロビンは自身が調査されていた事実に表情を固くし、聡明な頭脳を活発に働かせてクロコダイルの狙いを図る。まさか自分の賞金が目当てということは無いだろう。政府の依頼か命令で動いた可能性はあるが……。

 

「お待たせしました。どうぞ」

 店主が滑らかな手つきでクロコダイルの手元に珈琲を置く。

 クロコダイルは葉巻を灰皿に置き、ブラックのまま珈琲を口に運ぶ。暴力的な雰囲気をまといながらも所作に野卑さは微塵もない。

 

 カップを置き、クロコダイルは片眉を上げた。

「美味いな」

 

「ありがとうございます」丁寧に一礼する店長。

「お前もこの珈琲が気に入ったのか? なあ?」

 クロコダイルはロビンへ顔を向け、口端を吊り上げた。

「ニコ・ロビン」

 

 ロビンは双眸を吊り上げ、警戒心を一瞬で最大まで引き上げる。否。心理的には既に戦闘を視野に入れていた。

 サー・クロコダイルは元賞金額8100万ベリー。金額こそ自身の賞金額7900万と大差ないが、それはクロコダイルが20代のうちに七武海入りし、賞金額が更新されていないからに過ぎない。それに、ロビンは賞金額を重視していない。

 なんたってベアトリーゼの賞金額が“たった”の約5000万ベリーだった。海軍大将と中将麾下精鋭部隊を向こうに回せる人間が、だ。賞金など脅威性を図る目安にならない。

 勝てる可能性はそう高くないだろうが、この店から逃れる程度の抵抗なら出来るはずだ。

 

「クハハハ……そう怯えるな。別に取って食いやしねェよ」

 クロコダイルは横目にロビンを捉えながら、

「俺がわざわざこの店まで足を運んだ理由はお前をとっ捕まえるためじゃねェ。お前とビジネスの話をしに来たのさ」

「政府に飼われることを選んだ海賊の言葉を素直に受け入れるとでも?」

 猜疑を隠さないロビンへ薄く笑いかけた。

「あくまで話も聞きたくねェと“駄々”を捏ねるなら、お望み通り海賊らしく振る舞っても構わねェ。精々抗うなり逃げるなりしてみりゃあいい」

 

 クロコダイルはくつくつと喉を鳴らし、珈琲を口に運ぶ。

「無駄な努力になるだろうがな。クハハハ……」

 

 冷ややかに笑う大海賊を、ロビンは冷徹に洞察して分析していた。

 サウロやベアトリーゼはいつか心から信頼できる人間と出会えると言っていたけれど、クロコダイルは違う。相対して確信した。サー・クロコダイルという男は誰も信用しない。誰も信頼しない。

 

 ロビンは傷つけられることを恐れ、他人を信じなかったけれど、クロコダイルの不信は自分以外の人間を根本的に見下しているからだ。他者を自身に有益か否かでしか判断しないタイプであり、本質的に他者を利用することしか考えていない。

 

 逆説的に考えれば、クロコダイルはロビンを有益と判断して接触してきたということ。強硬策――自分を誘拐なり拉致なりして無理やり従わせる手法を取らなかった点から考えて、何か具体的な目的があるのだろう。

 その目的とは何? この危険な男の狙いは?

 

「俺は若ェ頃に“新世界”へ乗り込んだ」

 クロコダイルは葉巻を一服しながら、自身の左手をちらりと一瞥する。

「あのイカレた海で俺は多くのことを知った。政府に都合の悪い真実やこの世界の謳われない事実。それに、いくつかの秘められた歴史もな」

 聡明なロビンはクロコダイルの続ける言葉を察した。そして、クロコダイルが自分へ近づいてきた理由も。

 

「お前が滅ぼされたオハラの生き残りであることも、政府が執拗にお前を追い続けている理由も、俺は知ってるんだぜ、ニコ・ロビン」

 人食い鰐を思わせる冷徹な眼差しがロビンへ向けられた。

 

「この世界で私だけが持つ技能を必要としているわけね」

「クハハハ……その通りだ。もちろんタダとは言わねえ。最初に言った通り、これはビジネスだ」

 クロコダイルは口端を薄く歪め、大きく紫煙を吐く。

「俺に協力する限り、お前を政府や海軍の追跡から守ってやろう」

 

「それは魅力的な話ね」ロビンは子犬を踏みつけるような声音で応じ「具体的にどんな協力をしろと?」

 

「ポーネグリフを解読しろ」

 クロコダイルは真剣な眼差しで言葉を編む。

「誰も読むことが出来ない古代言語が刻まれた謎の石碑。かつて古代語を解することが出来た連中の遺した古文書には、いくつかの解読例が記載されているが……内容はどれもこれも下らねェ記録ばかりだ。それもあって、今や大半の人間がポーネグリフを大した価値のねえ石ッコロだと認識してる」

 

 だが、とクロコダイルは続けた。

「真実は違う。政府のアホ共がポーネグリフにはとんでもねェ価値があることを証明した。オハラを焼いてな」

 今なお癒えない傷口を刺激され、ロビンが密やかに拳を握り込む。

 

「俺も方々に手を尽くして調べ、知った」

 人食い鰐が静かに、然れども、確かな興奮を滲ませて語る。

「世界に散在するポーネグリフの中には、政府が今も恐れている古代の超兵器について記載されているものがあると。そして、そのポーネグリフがアラバスタ王国に隠されているとな」

 珈琲を口に運び、クロコダイルはゆっくりと呼吸してからロビンを見据える。鰐が獲物を狙うように。

「俺に協力しろ、ニコ・ロビン」

 

「……仮に貴方の話が全て事実だとしたら」

 ロビンはやや冷めた珈琲を口に運び、クロコダイルへ告げる。

「その古代兵器に関して記されたポーネグリフは、アラバスタ王家が秘匿している可能性が高いわ。間違っても第三者の目に触れないようにね。あるいは、世界政府発足の20王家でありながら、ネフェルタリ家がマリージョアへ移らずアラバスタに留まった理由も、その古代兵器の情報を守るためかもしれない」

 

 続けろ、というようにクロコダイルは小さく首肯して促す。

「いくら貴方が王下七武海でも、閲覧の許可なんて得られないはず。いえ、古代兵器を入手しようとすれば、貴方でも無事では済まないわ。相手は歴史の秘密を守るためなら島一つ皆殺しにする連中なのだから」

 この問題をどう解決する気? ロビンが挑むように問えば、クロコダイルは嘲るように冷笑した。

「そんなことか」

 

 クロコダイルは紫煙をくゆらせ、昼の天気でも告げるように、言った。

「俺は海賊だぞ。必要なら国ごと奪うだけのことだ」

 あっさりと国盗りを宣言する大海賊に、ロビンは呆気にとられた。

「そんなこと出来るわけ」

 

「出来るさ。時間と手間と金は掛かるがな。既に計画もある」

 大海賊にして屈指の計画立案者(ジャグマーカー)。それがクロコダイルという男だった。

「後はお前の協力があれば、いつでも始められる」

 

 それはつまり、ロビンに拒否を認めないということでもある。

 ロビンは瞑目し、必死に考える。どう立ち回るべきか。この危険な男とどう取引すべきか。

 

 ニコ・ロビンの本質的に善良な人間だ。過酷な人生でいくらか荒んではいるけれど、性根は他人が傷つくことを望まぬ慈しみ深い人間だ。危険な野心家の非道な計画に手を貸すなんて、御免被りたい。

 一方で、ロビンにはたとえ悪に手を貸してでも叶えたい悲願がある。たとえアラバスタに悲劇をもたらし大勢から憎まれ、恨まれることになっても果たしたい渇望がある。

 

 鉛のように重たい静寂。壁時計の針が時を刻む音色がやけに大きく響く。蚊帳の外に置かれている店主が居心地悪そうに冷や汗を掻いている。

 

 

 そして、ロビンは決断する。この『悪』に加担することを。

「……条件があるわ」

 

「当然だな。言ってみろ」とクロコダイルが興味深そうにロビンを質す。

「私はアラバスタのあるものだけでなく、この世界にあるポーネグリフを見つけ、調べたい。私が貴方に協力するように、貴方も私の要求に協力して」

 ロビンの提示した条件に対し、クロコダイルは少し思案し、葉巻の灰を灰皿に落とした。

「あくまで俺の計画を優先するなら、構わねえ。そうだな、ポーネグリフの捜索に人手を割いても良い」

 

 合意を得た。ロビンは内心で安堵しつつ、決して信用できない新パートナーへ尋ねる。

「……取引が成立したなら、その計画とやらを聞かせて貰えるかしら」

 

「ああ。もちろんだ。だが、その前に」

 クロコダイルは首肯しつつ素早く席を立ち、2メートル半ばを越す上背と長い右腕を伸ばし、店主の首を掴む。

「“俺達”に不都合な証人を消しておかねェとな」

 

 ひ、と店主が悲鳴を漏らした刹那。クロコダイルがスナスナの実の能力を発動させ、店主を一瞬で水分を奪いつくして枯死させた。

 

 ロビンはその殺人を見逃す以外に選択肢がなかった。既に自身はクロコダイルの共犯者であり、この殺人もクロコダイルの踏み絵であることを理解していたから。

 ゆえに、ロビンは努めて冷静さを保ち、内心の動揺を隠すようにカップを口へ運ぶ。珈琲は完全に冷めていた。

 

 ミイラのように骨と皮だけに成り果てた店主の屍をカウンター内の床に放り棄て、クロコダイルは椅子に腰を下ろして薄く笑った。

「さて、話を再開しよう」

 

 何もなかったように、クロコダイルは計画を語り始める。

「まずは計画の第一段階、バロックワークスについてだ」

 




Tips
トランプル。
 オリ技。
 サブミッションや打撃以外の攻撃も含むのでクラッチやスパンクは妥当ではないかなと愚考した次第。意味は『蹂躙』

キューカ島
 扉絵連載『ミスG・Wの作戦名ミーツバロック』に登場した島。

カフェテリア『カンザス』
 銃夢無印に登場したバーの名前を拝借。

ロビンとクロコダイルの出会い。
 原作ではロビンが24歳の時にクロコダイルと遭遇。
 本作では、クロコダイルからロビンに接触した体裁になっている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33:マーケット再訪

佐藤東沙さん、拾骨さん、誤字報告ありがとうございます。


 ベアトリーゼが22歳を迎えるこの年。

 東の海では、黒猫海賊団の船長“百計”クロが逮捕/処刑されたと発表され、手柄を上げたモーガン大尉が少佐に昇進した。そして、シロップ村の資産家にクラハドールという新たな執事が雇い入れられた。

 

 グランドライン“新世界”にて、なんとビッグ・マムの秘蔵するポーネグリフを狙う無謀な挑戦者が現れ、案の定失敗したという。

 

 グランドライン“楽園”にて、アラバスタ王国のあるサンディ島で降雨量が激減し、深刻な干害が起きていた。

 

 そして、東の海の片田舎から、ソバカスが印象的な黒髪の少年が海へ漕ぎ出した。

 

 少年の名はポートガス・D・エース。

 17歳の、海賊だ。

 

     〇

 

 我らが野蛮人系ヒロイン:ベアトリーゼの現状を御説明しよう。

 ガレーラカンパニーを退職後、ベアトリーゼはテルミノ氏の武装商船に乗り込んだ。なお、これは完全な事後承諾であり、テルミノは『なぜかな……プリティにお腹が痛くなってきたぜ』と胃のあたりを押さえて呻いた。

 

 ベアトリーゼ自身はテルミノの活動圏内で最もアラバスタに近い島へ送ってもらう予定だったのだが、テルミノは新造船の習熟航海を兼ね、あちこちで交易しつつ“マーケット”経由で会社のある地元へ帰還する計画を立てていた。

 これに対し、「私は乗せて貰う身だし、そっちの都合に合わせるよ」とベアトリーゼは気軽に応じている。

 

 というわけで、テルミノの武装商船団(といっても、二隻だけだが)はウォーターセブン島を出港し、美食の街プッチで上等な食材や嗜好品を山積みして次の島へ行き、それらを売りさばいて今度は鉱物資源を調達。それを次の島で売却した後、貨物の運搬仕事を請け負う。

 こんな塩梅で銭を転がしつつ、グランドライン名物の唐突な気象災害に悪戦苦闘したり、時折遭遇する海王類を追っ払ったり海王類から逃げたり。

 

 あるいは鼠のように湧いている海賊と戦ったり。

「ヤモモモ。暇潰しのネタが来たヤモ」覇気使いのヤモリ美女が不敵に笑い。

「ダマスカスブレードの練習しよっと」野蛮人系美女が冷笑を湛える。

「プリティに頼もしいぜ……」自分に言い聞かせるように呟くテルミノ氏。

 

 交易先の島であれこれ買い物したり。

「? なんでローレグの下着ばっかり買うの?」

「普通の下着だと人獣形態を採った時、尻尾でパンツがずり落ちちゃうヤモ」

「なるほどね。半ケツ出す性癖があるのかとばかり」

「ぶっとばしてやろうかヤモ」

 

 で、とある工房都市に立ち寄った際、ベアトリーゼはダマスカスブレードを鍛冶屋に持ち込む。

 ベアトリーゼさん:常日頃から腕にデカいヤッパを装着していては不審人物に過ぎる。なんとかできますまいか?

 鍛冶屋さん:出来らぁっ!

 こうして頂肘装剣は装具とブレードをワンタッチで着脱可能に改造された。接続部の強度テストも合格。今後はブレードそのものを鞘に納めて腰に下げておき、扱う時に装具へ刃を装着することに。

「結局、装具自体は腕につけっぱなしヤモ。ファッション的にマイナスヤモ」

「それは妥協するしかないかなぁ」

 気づけばそれなりに親しくなったヤモリ女と野蛮人女。

 

 そんなこんなの冒険の末、ベアトリーゼは二度目の“マーケット”訪問と相成った。

 

      〇

 

 さて、“マーケット”はこの世界無二の完全自由市場であり、法の是非を問わずあらゆるものが取引されている。

 飲食物とて例外ではない。高価な酒などの嗜好品からゲテモノ食材まで多種多様な食品類がやりとりされていた。もちろん、甘味類も。

 

 ベアトリーゼを乗せたプリティ商船団(二隻だけ)がマーケットに到着する少し前のこと。

 グランドライン“新世界”。海賊女帝シャーロット・“ビッグ・マム”・リンリンが支配統治する万国(トットランド)。その万国の帝都たるホールケーキアイランドの“(シャトー)”にて。

 

「いいか、マーケットでは騒ぎを起こすなペロリン♪」

 大海賊ビッグ・マム海賊団の大幹部にして海賊女帝の長男ペロスペロー(アラフィフ)は長い舌で飴を舐めてから、応接卓を挟んで向かいに座る弟妹へ告げた。

「マーケットは私達にとって非常に有益な場所だ。現地の商人共と諍いを生んでは不利益が大きい」

 

 万国全ての者の頭痛の種――ビッグ・マムの“食い煩い”が生じた際、シャーロット家8女ブリュレのミラミラの実を使ってマーケットに赴き、ビッグ・マムの所望する菓子や食材を調達できる。少なくとも総料理長シュトロイゼンがビッグ・マムの求める料理を作る時間を稼ぐことが可能だ。

 実際、これまで幾度かビッグ・マムが食い煩いを起こして暴れた時、そうやって解決している。

 

「私もマーケットの重要性は分かってるわ、ぺロス兄さん。でも、ママとビッグ・マム海賊団を舐められたら、黙ってはいられない」

 カールした赤髪とニョッキリ生えた角が印象的なアラサー美女が指摘し、

「そうだぜ、ぺロス兄。海賊が面目を潰されたら、命のやり取りしかない」

 赤青二色の髪に割れ顎が特徴的なアラフォー伊達男が同意の首肯。

 

 シャーロット家18女ガレットと同家16男モスカートの意見に、長兄ペロスペローはソファの背もたれに体を預け、大きく鼻息をつく。

「何をされても我慢しろとは言ってない。マーケットでは御行儀よく振る舞えと言ってるだけだ。マヌケ共と接するように銃や刃を突きつけ、ママの名前を出して脅迫したり恐喝したりするな。ペロリン♪」

 

 いいか、とペロスペローは弟妹に念を押す。

「マーケットの連中は筋金入りの守銭奴だ。自分の命より金が大事で、たとえ殺されようとも商売の道理と仁義を重視する。

 たとえば、お前達が得物を突きつけて払いを拒否したり、タダで物を寄こすよう脅したりしたとしよう。奴らは決して折れない。それどころか『ビッグ・マム海賊団ともあろう大組織がこれっぱかしの金もケチるのか』と詰ってくる。

 そして、お前達がその生意気な商人を殺して商品を奪い取ったなら、翌日にゃあ世界経済新聞辺りがお前達を名指しで有ること無いこと書きたてて世界中に触れ回る。面子を損なったママが怒り狂うことを見越してな。連中はそういう“報復”をしてくるんだ」

 

「始末に悪いわね」と心底嫌そうに顔をしかめるガレット。隣のモスカートも渋面を浮かべている。

「だから」ペロスペローは弟妹へ繰り返す。「マーケットでは騒ぎを起こすな。分かったな?」

 

「ええ。ぺロス兄さん」「任せてくれ、ぺロス兄」

 ガレットとモスカートが力強く頷く。

 

 も、ペロスペローはちょっぴり不安だ。

 シャーロット家は80人を超す兄弟姉妹の超々大家族である、が、年長組、年中組、年少組では“意識”が異なる。

 

 年長組――母のリンリンが一介の海賊だった頃に生まれた世代は、幼少時に様々な苦労を体験し、成長後は母と共に戦ってきた武闘派揃い。

 

 年中組――リンリンが海の皇帝に成り上がる間に生まれた世代は、戦う母や兄姉の背中を見て育った者達であり、強い母と兄姉達を憧憬する“力”の信奉者達だ。

 

 年少組――母が海の皇帝として万国に君臨してから生まれた世代は、権力者の子女らしく傲慢でわがままで甘ったれが多い。

 

 そして、大家族の長兄たるペロスペローにしてみれば、年少組にはとても大事な仕事を任せられない。かといって年中組もペロスペローにはまだまだ尻の青い若造共だ。

 

 実際、ペロスペローからしたら、約20歳も年下のガレットなど妹より娘に等しい。戦う力はともかく、海千山千の油断ならない商人だらけのマーケットに、バイヤーとして送り込んで大丈夫か、と父性的心配が先立つ。

 

 10歳年下の弟モスカートも、別の意味で心配だった。

 海賊一家に生まれた者としては、モスカートは珍しく善良な気質だ。その善性から兄弟姉妹や万国の市民達からも信頼され、慕われている。統治を委ねられた万国ジェラート島での仕事振りも賞賛に値する。

 が、その善性ゆえに腹黒で狡猾なマーケットの商人達にカモられないか、と兄心から憂いを禁じ得ない。

 

 本来ならマーケットの案件は年長組――40代から上の弟妹に任せたいところ。出来るなら、自分か長女コンポートが望ましいし、実際、これまでそうしてきた。

 

 しかし、今は時期が悪い。

 近年、赤髪シャンクスなる“若造”が海の皇帝入りして以来、“新世界”は勢力抗争が激しい。ビッグ・マム海賊団の中枢戦力たる年長組をほいほい外へ出せない。

 

 さらに言えば、シャーロット・ローラ家出事件の余波も大きかった。

 シャーロット家21女ローラが巨人の国エルバフの王子との結婚から遁走、自ら海賊団を立ち上げて出奔してしまった。挙句、ローラの双子シフォンを代役に立てた策が裏目に出て、巨人族側が断交宣言。ビッグ・マムの悲願だった巨人族との和解の道は完全に断たれた。

 

“新世界”の勢力抗争とローラの件の後始末。これらで年長組はとにかく忙しい。

 なので、年長組末弟のモスカートと年中組のガレットに白羽の矢を立てたのだが、ペロスペローは父兄的心配が拭えない。

 

 ……まぁ、いざという時はカタクリを送り込めば何とかなるだろう。

 シャーロット家兄弟姉妹で最強の弟に丸投げするという保険を掛け、ペロスペローはモスカートとガレットへ言った。

「マーケットにはブリュレの能力で現地の拠点に行け。期間は一週間。予算は3億ベリー。出来るだけ多く食材を買い付けてこい。判断に困ったら連絡を寄こせ、ペロリン♪」

 

 かくして、ビッグ・マム海賊団のガレットちゃん(アラサー)とモスカートくん(アラフォー)がマーケットへお使いに赴いた。

 

        〇

 

 シャーロット・ブリュレさんじゅうはっさい。

 身長350センチの巨乳女性で、青紫髪に長い鷲鼻で向こう傷という魔女チックな容貌の巨乳淑女で、高い運用性を持つミラミラの実の能力を持つ巨乳能力者。とにかく、巨乳。

 

 この日、ブリュレはミラミラの実の力で弟妹と護衛のチェス戎兵を鏡世界(ミロワールド)へ誘い、マーケットにあるビッグ・マム海賊団拠点まで案内していく。

 

 上下左右全てがチェック柄に満たされ、多種多様な鏡で埋め尽くされた空間を進む間、

「ブリュレ姉さんはマーケットに行ったことがあるのよね?」

 右隣を歩く妹のガレットはどこかウキウキしている。“外征”以外で万国の外へ出ることが久し振りだからだろう。

 

「買い付けへ同行したことが何度かね」

 すまし顔で妹に応じつつ、ブリュレは思う。

 

 言えない。

 ミラミラの実の力を使ってこっそり何度も遊びに行っているとは、言えない。誰にも内緒で現地に自分専用の通用口となる部屋と鏡を用意してあるなんて、絶対言えない。姉としての威厳と面目が潰れてしまう。

 

「ブリュレ姉。ペロス兄には随分と釘を刺されたんだが、マーケットの商人共はそんなにヤバいのか?」

 左隣を歩く弟のモスカートはどこか緊張している。おそらくその手に三億ベリーが詰まった大型トランクケースを持っているからだろう。

 

「油断ならない連中が多いのは確かよ。でも、同じくらい信用できる商人もいるよ」

 すまし顔で弟に応じつつ、ブリュレは思う。

 

 自分はマーケットの商人達が好きだけれども。

 なんたってマーケットは“金のある”客に公平だ。魚人だろうと凶悪な海賊だろうと無下に扱わない。ブリュレが身長350センチの魔女染みた容貌で、顔に大きな傷があろうとも、恐るべき大海賊ビッグ・マムの娘でも、マーケットの商人達は『いらっしゃいませ、マダム』『お姉さん、うちの店にも寄ってくださいや』などと笑顔で声を掛ける(まあ、営業スマイルだが)。

 

 それに、世界中からあらゆるものが集まるマーケットは、散歩するだけでも楽しい。

 一部の界隈ではすっかり常連の扱いを受けており、兄弟姉妹以外で気の置けないやり取りが出来ることも嬉しい。

 もちろん、弟妹には明かせないが。

 

「注意深く振る舞えば大丈夫。あれこれと珍しいものが多いし、買い付けの仕事以外では見物して回っても良いと思うわ」

 ブリュレは姉貴然として弟妹へ微笑んだ。

 

 彼女の“秘密”が守られるかどうかは、まだ分からない。

 

      〇

 

「ビッグ・マムの子供が現れた? 具体的には何番目だ?」

 マーケットで諜報機関の密やかなビジネスを管理している諜報員“ジョージ”は眉をひそめた。

 

「“いつもの”8女ブリュレに加え、16男シャーロット・モスカート、18女のガレットを確認しています。2人ともマーケットには初めて姿を見せます」

 部下の諜報員が撮影したばかりらしい写真を“ジョージ”へ渡す。

 

 ビッグ・マム海賊団の在マーケット拠点は極彩色の派手な建物で周囲から『趣味が悪い』と評判だったりする。

 そんな派手な建物から出ていく男女。

 

 スカーフェイスの魔女チックな大女がブリュレ。

 赤青二色の髪に割れた顎、色彩豊かな装いの伊達男がモスカート。

 カールした赤髪に二本の角。優艶な肢体を赤いミニワンピースで包み、生足を晒す美女がガレット。

 

 2人に同道している者達は、普段拠点に詰めている者達とは異なり、カリカチュア的な装いと武器を担いでいた。

 チェス戎兵。ビッグ・マムがチェスの駒に魂を与えて作り出した、と言われる兵士達(ホーミーズ)だ。

 

「目的は把握したか?」

「年長組が出入りする商人達を訪ねていたところを見るに、食品類の買い付けかと」

“ジョージ”の問いに答え、諜報員は大きく眉を下げ、新たな写真を渡す。

「それと、死人が現れました」

 

 新たな写真には、夜色の髪に小麦肌の美女が映っていた。

 数年前、護送船と共に海の底へ沈んだはずの高額賞金首。

 血浴のベアトリーゼ。

 

 死んだはずの女を前にしても、“ジョージ”は微塵も驚かない。写真へ一緒に映っている、“ジョージ”が潜伏工作員に仕上げたヤモリ美女から既に報告を受けていたから。

 

 煙草を取り出し、“ジョージ”はゆっくりと喫煙しながら考える。

 ビッグ・マムの子供達と再来した血浴。そして、今自身が抱えている案件。

 これは”タイミング”が良いのか、悪いのか。

 

      〇

 

 すっかり伸びた夜色の髪をポニーテールに結いまとめ。

 しなやかな長身をタンクトップとタイトなスポーツジャージのズボンで包み、プレート入りブーツを履き。

 装具ベルトでダマスカスブレードを交差するように後ろ腰へ下げ。

 両腕にダマスカスブレード用装具を巻いて。

 最後にジャージの上着を着こむ。

 アスリートな装いをしたベアトリーゼは、プリティグッド号から新造船スーパープリティ号への甲板へ跳び移り、船内へ。

 

 エロボディをした三十路女ジューコが船長室の前に控えていた。

「社長さんはいつもの?」

 ベアトリーゼの問いに対し、ジューコは船長室のドアを顎で示してから頷く。

「奥様と通話中ヤモ」

 

 数年前のマーケット交易に初成功後、経営と生活が楽になったテルミノは私用の電伝虫を購入し、毎日朝晩二回に奥様と子供へ連絡している。

 

「いやはや。夫婦仲が円満すぎて胸焼けするね」と微苦笑するベアトリーゼ。

「毎日、愛の言葉を言ってくれる旦那は貴重ヤモ。奥様は“当たり”を引いたヤモ。ハゲだけどヤモ」とジューコはしみじみ。

「おやおやおや」ベアトリーゼはにやにやと笑い「それは経験談?」

「そうやって年上をからかっていられるのも今のうちヤモ」ジューコは鼻を鳴らして「お前もじきに年増の不良在庫扱いされるヤモ」

「なんて恐ろしいこと言うの」とドン引きするベアトリーゼ。

 三十路女と二十歳そこそこの乙女が哲学的会話を交わしていると、船長室の扉が開く。

 

 どういうわけかテルミノの顔は真っ青で、はらりと生え際から髪の毛が散る。

 

「あらら、酷い顔して。奥さんに離婚でも切り出された?」

「愛には賞味期限があるヤモ。社長、強く生きるヤモ」

 女達は『無い』と分かったうえでの毒を吐いて笑う。

 

「実にプリティなジョークだが、今は楽しむ余裕がねェ……」

 も、テルミノは今にも吐きそうな顔で呻く。

「メロンを、メロンを手に入れなきゃあならねェ……」

 

「「?」」ベアトリーゼとジューコは揃って首を傾げた。

 




TIPS
マーケット。
 オリ設定。詳しい説明は二話や三話を再読して頂ければ。

ビッグマム海賊団。
 シャーロット・ペロスペロー。
 長男。この時点で45歳。ペロリンの使い方が非常に難しい。

 シャーロット・ブリュレ。
 8女。この時点では38歳。口調が難しい。

 シャーロット・モスカート。
 16男。この時点では35歳。そもそも口調も能力も謎。

 シャーロット・ガレット。
 18女。この時点で26歳。バタバタの実の能力者らしいが、口調も詳細も謎。

 シャーロット・ローラ。
 23女。この時点で21歳。
 原作ではこの年、魔の三角でゲッコーモリアに影を奪われる。

シャーロット家の事情。
 独自解釈。
 世代ごとに意識差はあるだろうな、と。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34:世界で最も多くの金持ちを騙した果実。

お待たせしました。
拾骨さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 マーケットの『フルーツ通り』。

 その通りには、世界中の果実が集められている。

 全世界の多種多様な品種を扱うリンゴやイチゴなどの専門店。世界中の珍しい果物だけを取り扱う専門店。店先に果物の缶詰を積み上げている缶詰専門店やドライフルーツで飾り立てられたドライフルーツ専門店等々。

 

 四皇ビッグ・マムの子女シャーロット・モスカートとガレットは彩り豊かな果物と様々な果物の香りに満ちた通りを進み、取引相手の卸業者を訪ねた。

 取扱商品――様々な果実が飾られた応接室へ通された二人は、リンゴ柄のソファに腰を下ろして商談に臨む。

 

 兄や姉から色々と聞かされていたモスカートとガレットは肩肘を張って身構えていたが、リンゴ柄のシャツを着た卸業者は慣れたように商材のリストを並べ、適正商品を適正価格で卸すことを提案し、さらには割引まで申し出た。

 

 肩透かしを食らったように目を瞬かせる兄妹へ、卸業者は親切な調子で語った。

「日頃、御贔屓頂いている御得意様と刺し合いのような真似はしませんよ。他の得意先も同様でしょう。私共の扱う果実という商材は時節によって価格と取引量が流動しますから、その辺りの調整を交渉させていただきますが、常識の範疇ですよ」

 

「そうだったのか」とモスカートが胸を撫で下ろす、も。

「ただ、それはあくまで私共のような馴染みの業者に限られます。これまで取引をしたことがない業者や、一度限りの取引となりますと、お二人が御懸念された刺し合いが行われるでしょう」

 卸業者が冷や水を浴びせるように警告した。

「……些か不躾だとは思うけれど、信頼して取引できる相手を紹介して貰えるかしら。もちろん、その分の謝礼はさせてもらうわ」

 ガレットの申し込みに対し、卸業者は『それは構いませんが』と前置きし、続ける。

「果物関係でしたら、今ですと“トリコロール・メロン”には注意してください」

 

「トリコロール・メロン?」

 聞きなれない単語に訝るシャーロット兄妹。

 

 卸業者はアップルティーを口にした後、説明を始めた。

「知る人ぞ知るレアフルーツでして、何年か一度、極わずかに流通する大変希少なものです。産地も栽培法も謎に包まれており、業界では『極楽の果実』と呼ばれています。同時に『最も多くの金持ちを騙した果実』とも」

「剣呑な二つ名だな」とモスカートが訝り顔で合いの手を打つ。

 

「天上極楽を幻視するほどの甘味と香りを持つ果実。然れども、その現物を見た者は少なく、味わった者はさらに少ない。それゆえ“偽物”も数多く出回っているのです」

「果実の偽物? そんなものが?」とガレットが怪訝そうに問う。

 

「人間が想像しえるものはどんな物も人の手で作り出せる、と言いましてね。植物学者や化学者、細工職人や料理人などがあれやこれやの手管でトリコロール・メロンの精巧な贋作を作り出すのです」

 卸業者は再びアップルティーを口に運ぶ。

「ともかく、トリコロール・メロンには御注意を。なんせ単価で最低1000万ベリー相当の代物です。単価に比例して偽物も相当な精度ですので、失礼ですが、素人の目利きで真贋の判断はかなり難しいかと」

 

「なるほど」としみじみと頷くモスカート。生真面目な彼は手を出すまいと内心で誓う。

「一つ確認したいのだけれど、これまでウチにトリコロール・メロンを納めたことはあるの?」

 ガレットが挑戦的な眼差しで尋ねた。

 

「どうでしょう……少なくとも私共の知る限り、ご提供したことは無いかと。大抵の場合はマリージョアの高貴な方々や世界政府加盟国の王族に仕える御用商人が、即座に買い漁りますからな」

「そう」ガレットは口端を吊り上げて「手に入れるのに一苦労しそうね」

 

「お、おい、ガレット?」どういうつもりだとモスカートが問えば。

「モス兄さん。それほど貴重な果物なら、きっとママも喜ぶわ」と柔らかな笑顔を返すガレット。

 そんな珍しいもんの食い煩いを起こされたら対処できないぞ、とモスカートは喉まで出かかった。が、母を想って目を輝かせる妹に水を差すような発言と、卸業者の前で食い煩いの事情を明かすことは、善良なるモスカートには憚られた。

 

「あえて危険に挑まれますか。流石は四皇ビッグ・マムの御息女でいらっしゃる。胆が据わっておられますな」

 うーむと感嘆をこぼす業者に、ガレットは誇らしげに頷き、真面目なモスカートは思わず顔を覆った。

 

       〇

 

「トリコロール・メロン? なにそれ初耳ヤモ」

 メロンみたいな胸元を抱えるように腕を組んで小首を傾げるジューコへ、ベアトリーゼが記憶のページをめくって答えた。

「たしか、皮が赤白青三色の変なメロンだよ」

 

「悪魔の実っぽいヤモ。お前、食ったことあるヤモ?」

 ベアトリーゼは問いを重ねるジューコに首を横へ振った。

「図鑑で見たことがあるだけ。現物は知らん。たしか……悪魔の実ほどじゃないにしろ、かなりのレアものだから、果物とは思えないほどの高値でやり取りされてるんじゃなかったかな」

 

「ミスBの言う通り、激レアでチョー高価なフルーツだ」テルミノが嘆くように「平均取引価格は“最低で”1000万ベリー」

「1000万ベリー? たかが果物にヤモ?」目を瞬かせるジューコ。

 

「それだけ払っても食いたい奴がいるってこと。特権階級用の嗜好品だよ」

「プリティにクソッタレなブルジョワ様御要望のプリティグッドなフルーツさ」

 テルミノがベアトリーゼの言葉へ補記を加え、忌々しげに吐き捨てた。

「お偉いさんはそいつを入手して来いとの御依頼だ。しくじったら、ウチの資産を没収すると抜かしてやがるらしい」

 

「そりゃまた横暴な」

 合いの手を打ちつつ、ベアトリーゼは思う。この世界って本当に権力者が好き放題やれるよなぁ。ちょっとしたディストピアなのでは?

 

「本当の目的ぁ果物じゃあない。俺の失敗を口実にマーケット行きのログポースと海図を取り上げる気だろう。業突く張りでヘソの臭いクソッタレ共め」

 憎々しげに毒づくテルミノ。

「あらら。どうやら目立ち過ぎて嫉妬を買ったみたいだね。お偉いさんを絡めてる辺りデカい会社が動いてるよ。心当たりは?」

 ベアトリーゼが問えば、テルミノは苦虫を千匹ほど噛み潰したような顔になった。

「……あるなぁ。クソッタレな奴らにプリティな心当たりがあるなぁ」

 

 どうやら心当たりは多いらしい。

 まあ、成功者が妬み嫉み僻みを買うことはいつの世でもどんな業界でも変わらぬ真理。さらにいえば、成り上がりの新参者は周囲の嫉妬に加え、既得権益層から嫌がらせや妨害を受け易い。今回の場合、既得権益層と権力者が結託して成り上がりのテルミノを潰そうとしているようだ。まあ、その手管が粗雑かつ粗暴に過ぎるけれど。ギャングだって傘下に取り込む交渉くらいするのだが。

 

 相手がそう言うつもりならこちらも相応に振る舞うべき、と蛮族娘がさらりと提案した。

「アラバスタに高跳びさせてくれるなら、私がそのお偉いさんとクソッタレな連中を刺身にしてあげても良いよ」

 

 元凶悪海賊団の幹部だった女が大きく頷く。

「それは良い考えヤモ。こいつに踊って貰って、私達は知らぬ存ぜぬを決め込めばいいヤモ。スマートに解決ヤモ」

 

 元荒事師だけれど今は真っ当な商人はドン引きした。

「お前らプリティに恐ろしいこと言うね? 俺はお前らが怖くて震えてきたよ?」

 

「社長は不満らしいヤモ。とりあえずそのトリコロール・メロンとやらの入手を試みてみるヤモ」

「それでダメだったら社長さんの地元で刺身の盛り合わせだ」

 人殺しに慣れた元海賊と人殺しを屁とも思わない元賞金首が勝手に話を進めていき、テルミノは思わず頭を抱えた。

「ああああああプリティに胃が痛くなってきたぁ……っ!」

 はらりはらりと生え際から髪が散る。

 

 

 

 で。

 

 

 

「ダメヤモ。どこにも売ってないヤモ」

「プランB、刺身の盛り合わせだね」

「ああああ」

 レアフルーツを求めてマーケット内を彷徨うも見つからず。休憩と食事を兼ねて飯処に入れば。

 

 角の生えた赤毛の美女。赤青二色頭の割れ顎中年男。えらく図体の大きな魔女チックなスカーフェイスおばさん。

 

 えらく濃いのがいるな。ベアトリーゼは確信する。このキャラの濃さ……こいつら絶対に原作(ネームド)キャラだろ。

 

 さて、ここで一つ解説を挟む。

 ベアトリーゼの原作知識はエニエスロビー編辺りから急速に怪しくなり、パンクハザード編やドレスローザ編のことは知らないことばかり。万国編やズー編はネット上の話題を齧った程度で、ワノ国編以降に至ってはもはや未知である。

 

 ワンピースファンからしたらベアトリーゼはニワカ以下と断じるところだろうが、弁護もしておこう。

 

 創作物の長期作品にはしばしばファンの『卒業』が起こる。

『卒業』とは、小中学生の頃に作品を愛読していた少年少女が、高校や大学へ進学した際に興味の対象が他へ移り、作品から離れてしまう現象である。

 もちろん、延々と作品を愛し続ける熱心なコアファンも多いが、同じくらい離脱していくライトファンも多い。これはワンピースに限らずN〇RUTOなどの長期作品でも起きていたし、ポ〇モンやドラ〇エなどでも生じている現象なのだ。

 ゆえに、ベアトリーゼはブリュレ達を目にしても即座に原作キャラと判断できない。

 

 話を戻そう。

 ベアトリーゼは三人組を一瞥した後、隣を窺えば、ジューコが固まっていた。

「どしたの、お腹減り過ぎちゃった?」

 

「大人を捕まえてガキンチョ扱いはやめるヤモ」

 ジューコは嫌そうに顔をしかめつつ、声を潜めてベアトリーゼに告げる。

「そこの三人、ビッグ・マム海賊団の幹部ヤモ」

 

 ビッグ・マム海賊団と因縁のあるヌーク兄弟海賊団の一員だったため、ジューコはビッグ・マムの主要な子女の顔と名前を憶えていた(亡きコッカが船員達に『こいつらを見つけたら必ずぶっ殺せ』と手配書を暗記させた)。

 ちなみに、ジューコ自身はヌーク兄弟がビッグ・マムに殺されかけた後に入団したため、ビッグ・マム海賊団と直接の関わりはない。

 

 ジューコの説明を受け、ベアトリーゼは『やっぱり原作キャラかよ』と内心でぼやきつつ、店内へ進んでいく。

「連中とトラブルを抱えてるわけでも無し、関わらなきゃ大丈夫でしょ。とりあえず飯にしようよ」

「お前は楽観主義者か考え無しのアホヤモ」とジューコは悪態混じりの溜息をついた。

 

 ともかくベアトリーゼ達は入店し、店員に案内された席は……どういう訳かビッグ・マム海賊団三人組の隣の席。

 シャーロット家の三人も隣の席に着いた客をちらりと窺うが、すぐに興味を無くし、食事と会話を再開する。シャーロット家の三人にしてみれば、ベアトリーゼやジューコなど顔と名前を覚えるに値しない“マイナー”な元賞金首。テルミノに至っては一般人だ。

 

 

 かくて、世界屈指の大海賊の子女達と、世界有数の蛮地出身者が並んで飯を食う奇怪な光景が生まれた。

 

 

「美味しい」無邪気に食事を楽しむベアトリーゼ。例によって三人前ほど平らげていく。

「相変わらずよく食うヤモ」自身の食事を平らげ、昼間酒を口に運ぶジューコ。

「プリティな飯なのに味がしねェ……」とストレスで生え際の後退が進むテルミノ。

 

 隣の席では――

「万国以外の飯なんて久し振りだな」と舌鼓を打つモスカート。

「ねえ、ブリュレ姉さんの料理、一口貰っても良い?」と姉に強請るガレット。

「ウィッウィッウィ……一口と言わずお食べよ、ガレット」と機嫌が良く、いつもより優しいブリュレさんじゅうはっさい。

 仲睦まじく御食事中。

 

 こんな調子で互いを気に掛けることなく食事を進め、卓上に並んでいた料理が片付き、ブリュレとベアトリーゼが同時に店員へ告げた。

「「デザートにクリーム・ブリュレを」」

 完全にシンクロするセリフ。何と無しに互いの顔を窺い、目が合う。微苦笑を浮かべるベアトリーゼと、なんとなくこっぱずかしいブリュレ。

 

 そんな二人を横目にしつつ、ガレットとジューコが口を開く。

「ところでトリコロール・メロンのことだけど」「それでトリコロール・メロンの話ヤモ」

 完全に被るセリフと話題。何と無しに互いの顔を窺い、目が合う。怪訝顔のガレットとしかめ面のジューコ。

 

 この後の展開に嫌な予感を覚え、生真面目なモスカートが眉間を揉み、テルミノは天井を仰いだ。

 

 口火を切ったのはガレット。険しい顔つきでベアトリーゼ達を睨む。26歳のシャーロット家の女海賊は血の気が多い。これが若さか。

「アンタ達、トリコロール・メロンを狙ってるの?」

「のっぴきならない事情があってね。そちらも激レアメロンを御所望みたいだね」

 この場で最年少のベアトリーゼがしれっと応じる。

 

 ベアトリーゼがさりげなくいつでも立てる――戦闘に移行出来るよう座る姿勢を変えたことを、ジューコとモスカートは見逃さない。2人も密やかに重心を移す。

 

「トリコロール・メロンは私達が手に入れる。今、手を引けば見逃してやるわ」

 ガレットが優雅に髪を掻き上げながら脅し言葉を吐けば。

「ライバルを一つ減らしたくらいで手に入れられるもんでもないと思うけど?」

 ベアトリーゼがアンニュイ顔でポニーテールの毛先を弄りながら煽り返す。

 

「アンタ、アタシ達と競う気? 身の程知らずね。アタシ達が誰だと思ってるの?」

「分からないなあ。ああ、でも皆さんよく似てるから“大家族の御兄妹”かしら」

「――アンタッ! アタシ達を知っていて舐めた口を」

「怒った顔が可愛いね、お姉さん。でも、泣かせたらもっと可愛くなりそう」

 

 腰を浮かせかけるガレット。蛮族モードにスイッチを切り替えたベアトリーゼ。ジューコとモスカートがしかめ面を作りつつも鉄火場に備える。も、

「やめな。騒ぎを起こすなってペロスお兄ちゃんに言われただろ」

 ブリュレが姉の威厳を振りまいて血気盛んな妹を抑え、

「ミスB。これ以上問題を増やされたら俺の胃に穴が開いちまう勘弁してくれ」

 テルミノが慌てて蛮族系居候に泣きついた。

 

 ガレットは拗ねたように唇を尖らし、浮かせかけていた腰を下ろしてそっぽを向く。

 ベアトリーゼは小さく肩を竦め、戦意が無いことを示すように両手を小さく上げて姿勢を直した。

 無事に済んだ、とモスカートが安堵の息をこぼす。ジューコは目を吊り上げて『闇雲に喧嘩を売るなヤモ!』とベアトリーゼに叱声を浴びせる。

 

「現物を前に奪い合うならともかく、姿形もないもんのために喧嘩はあまりにみっともない。些末な行き違いってことで手を打って頂けませんか?」

 テルミノが腰を低くして提案。

「こっちもまあ、少し気が逸っていた。水に流そう」

 根が真面目なモスカートは『騒ぎを起こすな』という長兄の言葉に従い、手打ちを呑む。

 

 こうして武力衝突が回避され、無事に食事が終わる。

 

 二組は揃って勘定を済ませて退店し、

「命拾いしたな、小娘」「可愛くなり損ねたね、お姉さん」

 ガレットとベアトリーゼがじゃれ合い始め、2人の身内達が面倒臭そうに顔をしかめたところへ、

 

「こっちのお姉さん達はビッグ・マム海賊団の人達ですか? そっちのお姉さん達はプリティ海運会社の人達ですか?」

 ソバカスがチャーミングな三つ編み少女がやってきた。

 

「そうだよ、お嬢ちゃん。アタシ達に何の御用?」とブリュレ。本人に怖がらせる気はないが、350センチの上背と魔女染みた容貌が十分怖い。

「御使いを頼まれたの。御姉さん達にこれを渡してくれって」

 三つ編み少女はブリュレとベアトリーゼへ順にカードを渡す。

「ちゃんと渡したよ。じゃ、ばいばい」

 

 渡し終えるや否や、三つ編み少女はその場からすぐさま走り去っていく。

「ちょ、待っ」ブリュレが呼び止めようとするも、三つ編み少女は既に人混みへ消えていた。

 

「足速いなあ」と暢気に呟きつつ、ベアトリーゼはカードをテルミノとジューコにも見せる。

 カードに記された文言を確認し、テルミノは怪訝そうに眉根を寄せた。

「こりゃあ招待状か?」

 

 ――『本日、1900時。旧居住区。レストラン『ラクダ亭』にて希少果実の御相談承り〼』

 

 ビッグ・マム海賊団側のカードにも同じ内容が記されていた。

「罠……かしら? モス兄さん」「無い話じゃあない。どう思う? ブリュレ姉」

 ガレットとモスカートに問われるも、ブリュレは首を横に振る。

「罠かも知れないし、そうじゃないかもしれない。いずれにせよ、これは2人の仕事だ。2人で決めな」

 突き放すように応えつつも、内心では『罠だったら2人が大変! ペロスお兄ちゃんに連絡しておかなきゃ!』と考えていたりする。姉要素より妹要素が強いブリュレである。

 

「二組へ同時に寄越す辺り、なんとも臭い話だなあ。虎児が得られる虎穴か。あるいは毒蛇に満ちた蛇穴か。ひょっとしたら蟻を待ち構える蟻地獄の巣かも」

 ベアトリーゼはカードをひらひらと振り、テルミノへ問う。

「どうする、社長さん?」

 

 テルミノは苦悶顔で後退著しい生え際をひと掻きし、吐き捨てるように告げた。

「どうするもこうするもねえでしょうよ……」

 激レアメロンを手に入れる手段は、他に無いのだから。




Tips
トリコロール・メロン。
 オリアイテム。うだうだ書いたが、珍しい果物ってだけ。
 ちなみに、現実世界でも果物は割と闇深い事情が多い。さいきんだとシャイ〇マスカットとかね。

シャーロット家の皆さん。
 口調に自信がまったく持てない。

『卒業』
 読者の世代交代ともいう。長期作品はだいたい4年ぐらいに一回、読者の新陳代謝が生じるらしい。
 作品を追い続ける人。脱落する人。新しく入ってくる人。戻ってくる人。
 ちなみに、筆者は一度脱落して復帰したクチです。ニワカですみません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35:割に合わない果物の代価

お待たせしました
拾骨さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 マーケットの旧居住区――その名の通り、マーケット内で働く連中の集合住宅地区だ。もっとも、旧の字を冠するように諸々が古く経年劣化しており、建物も道も公共設備も荒廃している。

 

 夜空にツキが輝く宵の口。街区に並ぶ煉瓦造りの建物は廃墟寸前まで劣化しているか、ミノムシみたく違法改築に塗れている。街灯の多くは光を失って久しい。

 華やかなりし完全自由市場の楽園。その繁栄と富が届かなくなった残骸の地区。

 レストラン『ラクダ亭』はそんな街区の一角にあった。

 

「……レストラン? これが?」

 ガレットが美貌を歪めた。

「これでレストランを称するとは、大した厚かましさだ」

 モスカートは割れ顎を撫でながら奇妙な感嘆をこぼす。

 

 2人の視線の先には、ヘタクソな字の『駱駝亭』という看板が斜めに下がった掘っ立て小屋。安普請とか言う次元ではない。廃材でくみ上げられた文字通りの掘っ立て小屋だった。

 

 兄妹は互いに顔を見合わせた後、掘っ立て小屋へ向かって進み、

「本日は貸し切りでさぁ」

 掘っ立て小屋の前に立つ胡乱な男が2人へ告げる。

「招待状があるが?」とモスカートがカードを示す。

「こいつぁ失礼しやした。どうぞ中へ」

 男は掘っ立て小屋のドアを開き、恭しく兄妹へ入店を薦める。

 

 廃屋同然の見た目通り、店内も酷い。

 狭い店内には卓が一つだけあって、厨房というよりアパートのキッチンみたいな調理場には、染みだらけのコックコートを着た料理人が、鉈みたく大きな中華包丁を研いでいた。

 

 ガレットの脳裏に客を料理して食べてしまう怖い御伽噺がよぎる。夜にトイレへ行けなくなり、双子の妹ポワールに付き添って貰ったことまで思い出す。

 

 もっとも、内心に生じかけた不安は先客の姿によって打ち消される。

 ジャージ姿の小生意気な小娘。エロボディの三十路美女。生え際の後退が激しい中年男。

 

 希少果実トリコロール・メロンの入手を競うライバルの姿に、ガレットの心が奮い立つ。ビッグ・マム海賊団の看板を背負ってこの場を訪ねたのだから、無様な姿は晒せない。

 

「こんばんは。あの魔女チックな御姉さんは来てないんだね」

 昼間の諍いなど無かったように気軽な挨拶を寄こす小娘。

 馴れ馴れしい、と苛立つ一方、ガレットはなんとも肩透かしを食ったような気分を抱いた。

 

「たかがフルーツを入手するくらい、私達だけでお釣りが来るのよ」

 ガレットは兄と共にたった一つしかない卓の空いた席へ腰を下ろす。ちなみに、ガレットの耳には小指の爪ほどの小さな鏡をはめ込んだピアスがあった。

 ブリュレのミラミラの実の力を用い、鏡世界(ミロワールド)からシャーロット家次男カタクリが状況を監視している。弟妹思いの兄姉達であろう。

 

「トリコロール・メロンを求める者達が集まる、オークションのようなものを想定していたんだが」

 モスカートは小汚く狭く、どこか不気味な店内を窺いながら、誰へともなく呟いた。

「私もそう思っていたんですがね……どうも趣が異なるようで」とテルミノが相槌を打つ。

 

 と、昼間にカードを届けた三つ編み少女が店の奥から姿を見せた。

「いらっしゃいませ。えっと、まずはこれを見て下さい」

 少女は卓に映像通信電伝虫を置き、壁に映像を投影した。

 

     〇

 

『招待へ応じて頂き感謝する。ビッグ・マム海賊団幹部にしてシャーロット家16男モスカート殿。18女ガレット殿。プリティ海運社長テルミノ殿、同社船上警備主任ジューコ殿。それと、同社契約警備員、ということになっているベアトリーゼ殿。繰り返し、今宵の招待へ応じて頂いて感謝する』

 映像には何も映っていないが、声だけが届く。齢を重ねた男性のようでもあり、硬い口調の貴婦人のようでもあり、正体が判明しない。

 

『私は世界政府のとあるセクションに籍を置く者だ』

「政府だとっ!?」「やっぱり、罠だったのっ!?」と慌てるシャーロット家兄妹。鏡世界内でもカタクリが渋面をこさえ、ブリュレが目を剥いていた。

 

 そんなシャーロット家兄妹を宥めるように電伝虫が言葉を紡ぐ。

『そう警戒することは無い。今宵の招待はあくまでビジネスを目的としたものであり、君達の身柄を捕縛することではない。君達が不愉快に思うことを承知で言わせてもらうが、本題は君達の身柄よりずっと重要な取引だ』

 

「ああ言ってるし、とりあえず話を聞いたら?」とベアトリーゼが口を挟む。「政府の連中がお姉さん達をこの場で捕縛しようとしたら、私が加勢してあげるからさ」

「はあっ!? 何でアンタが――」ガレットが噛みつく勢いで口を開けば。

 

『ガレット殿。そちらのベアトリーゼ殿は元賞金首だ。護送船ベッチモ号の海難事故で死んだと思われていたが、御覧の通り生きていた。というより、護送船ベッチモは君が逃亡するために沈めたのだろう?』

「そうだよ。船に居た連中を皆殺しにしてね」ベアトリーゼはさらっと認め「お姉さん。私も政府は大嫌いなんだよ。敵の敵は味方ってわけさ」

ピアスからも『今はまだ静観しろ』とカタクリの声が届き、ガレットは唇をヘの字に曲げつつ矛を降ろす。

 

『話を進めさせていただこう』

 壁面に投影された映像に、果実が登場した。

 バスケットボール大の大きなマスクメロンで、赤青白三色(トリコロールカラー)の皮をしていた。最低単価1000万ベリー、最も多くの金持ちを騙した果実が四つも並ぶ。

『こちらが提供するものはトリコロール・メロン。保証書付きの最高級品だ。現在の時価取引額は5800万ベリーとなる』

「お前の首の価値、メロンと同じヤモ」とジューコがベアトリーゼへ小声でにやり。

 

『これらを代価として君達に共同で当たってもらいたい』

 電伝虫から伝えられる提案に、ガレットが眉間に皺を刻む。

「共同? ワタシ達ビッグ・マム海賊団にこいつらの助けがいるとでも?」

 

『君達の海賊団が強大なことは知っているが、私はビッグ・マム海賊団ではなく、あくまで今、この島に居るシャーロット・ガレット、シャーロット・モスカート、そして、シャーロット・ブリュレの三人と交渉しているつもりだ』

「そちらの言い分は通らない。俺達はビッグ・マム海賊団の一員だ。どんなことにもママと組織の面目が関わってくる。俺達が勝手をしてママと組織のメンツを潰すわけにはいかない」

 モスカートが正論を口にする。

 

『その回答は予期していた。なので協力してもらいたいのはブリュレ殿だけだ。ミラミラの実の能力で、ベアトリーゼ殿とジューコ殿の移動を担ってもらいたい』

「アンタ、なぜブリュレ姉さんの能力を――」

『それが我々の務めなのでね』と電伝虫の向こうで自称政府関係者が嘯く。

 

 政府関係者がブリュレの能力を精確に把握している、という事実にガレットもモスカートも表情を強張らせた。鏡世界内でも兄が眉根を寄せている。肝心のブリュレは『ひょっとしてマーケットを遊び歩いている時にバレた?』と内心ひやひや。

 

 と、ベアトリーゼがアンニュイ顔で口を挟む。

「これさぁ、大海賊ビッグ・マム海賊団の皆さんは単なる運び屋で、私達にヤバい仕事をさせるって話なの? それで報酬は山分けって報酬の公平性に欠いてない?」

 

『君達に関しては本命である希少果実に加え、別途危険手当を出すつもりだ』

 物憂げな双眸に餓狼染みた鋭さを込めて電伝虫を睨み、ベアトリーゼは告げる。

「同じく危ない橋を渡るなら、目的の果物を持ってるアンタを襲って分捕る方が、手っ取り早いんだけど?」

 

「たしかに、政府に与するより政府から奪う方が海賊の道理に適う」

「そうね」

 世界屈指の大海賊の子女達も野蛮人に同意し、ジューコの冷めた横顔は消極的同意を意味していた。

 

 野蛮人ばかりだ、と元野蛮人(賞金稼ぎ)のテルミノが密かにぼやき、

「ミスB。それじゃ話が進まねえ」

 早くもうんざりした面持ちで電伝虫に尋ねた。

「具体的に何をさせたいんです?」

 

 電伝虫の声は表の天気を告げるように応えた。

『暗殺だ』

 

     〇

 

 時計の針を少しばかり戻す。

 この日、グランドライン“新世界”の“不機嫌海域”近海某島にて、海賊以外の悪党へ鉄槌が下された。

 

 港町を見下ろす丘の上に建つ豪勢な屋敷は海軍の陸戦隊に制圧されていた。

 否。この島そのものが海軍に制圧されている。

 港町は海軍砲艦に押さえられており、周辺ではフリゲート隊が狼のように島から脱出を試みた船舶を拿捕していた。港町を始め、島内の全村落に陸戦隊の将兵が展開している。

 

 海軍本部中将“英雄”ガープは豪華絢爛な屋敷の中をつまらなそうに歩き、広々としたリビングを一瞥して鼻を鳴らす。

「ゴテゴテとまあ……成金趣味全開じゃな」

 

 ガープの批評は簡素かつ的確に真実を突いていた。屋敷は確かに豪華で豪奢だが、その在り様は伝統的富裕層的な品位を大きく欠いている。内装はどこもかしこもけばけばしく、調度品類は高価であっても珍奇なものばかり。はっきり言えば、貧乏な田舎者が頭の中で思い描いた金持ち像を実現したような……見事なまでの成金の屋敷だ。

 

「麻薬商とはそんなものでしょう」一歩後ろに控える副官のボガードが淡白に告げ「とはいえ、私もこの屋敷に満ちる虚栄的自己顕示欲の雰囲気にはうんざりしますが」

「まったくじゃ」ガープは苛立ちを込めて「更地にしたくなってくる」

「屋敷内の調査と押収作業が終わるまで我慢してください」

「じゃあ、終わったら更地に変えるとしよう」

 

 ガープは物騒なことを宣いつつ、広々としたリビングに足を進める。

 昼夜共に温暖なこの島には無用な暖炉の上に、油彩のドデカい肖像画が飾ってあった。

 肖像画は立派な体躯をした禿頭の偉丈夫。頭こそ寂しいが、その凛々しく厳めしい顔立ちはハゲというマイナス要素をものともしない威容に満ちている。

 

「で、このハゲは今どこだ?」

「中庭に確保してあります」

 ボガードが窓の外に目を向けた。

 

 部下の目線を追ってガープが窓の外へ顔を向けると、陸戦隊の小隊にしょっ引かれたチビデブの五十路男がいた。肖像画と似ても似つかない。共通点はハゲだけだった。

 

「見栄の張り方がマリージョアのクズ共みたいで気分が悪くなってきたぞ」

 ガープは辟易顔で中庭へ足を運ぶ。

 屋敷内同様、庭も高価な希少植物や珍奇な花卉類をむやみやたらに植えただけの陳腐な代物だったが、花々に罪はない。

 

 中庭テラスに置かれた椅子に大柄な体躯を預け、ガープは引っ立てられてきた麻薬商と対面し、いきなり罵声を浴びせられた。

「テメェらふざけんじゃねえぞコノヤローッ! こんな真似が許されっと思うなよコノヤローッ! 俺の島、俺の街、俺の屋敷を荒らし回った挙句、俺のカウチに座りやがってコノヤローッ! テメェらいつから海賊に鞍替えしやがったコノヤローッ!」

 腹の出た小柄な体から信じがたいほどの大音声で罵られ、ガープは思わず目を瞬かせる。

 

 麻薬商クラックの態度はおよそ海軍に捕縛された人間の態度ではなかった。運が良くてもインペルダウン送りが間違いない重罪犯は怯えるどころか、口角から泡を飛ばす勢いで罵詈雑言を重ねている。

 ガープはぶん殴って黙らせようかと思ったが、ハゲのチビデブの“余裕”が気に掛かった。海軍軍人として半世紀近くに渡り、この世界の善と悪、清と濁、正と邪を見てきた人間の勘が働く。

 どうしたもんか、とガープが思案を巡らせた。

 

 その矢先。

「だいたい、俺は“テメェらの側の人間”だろうがコノヤローッ!」

 頭から湯気をくゆらしそうなほど憤慨した五十路の麻薬商が怒鳴る。

 

 ガープは目を鋭く細め、おもむろに口を開く。

「おい、ハゲのチビデブ」

 

「人の身体特徴をあげつらうんじゃねえよコノヤローッ! 心無い言葉が人を傷つけるんだよコノヤローッ! もっと言葉の選びに思いやりを持てよコノヤローッ!」

「ちと黙れ、“小僧”」

 老雄の発した強烈な威圧感に、ハゲのチビデブ五十路はもちろん、身内の海兵達すら震え上がった。

 

 息苦しいほどの圧力に満ちた静寂の中、ガープは麻薬商クラックに問う。

「貴様……今、ワシらの側の人間と抜かしたが、どういう意味じゃ」

 

「ぁあ? ふざけんな、何も知らねェとでも言うつもりかコノヤロー」麻薬商クラックは不満げに「南の海(サウス)の件だコノヤロー」

「サウスの件? なんじゃそれは?」

 ガープも怪訝顔を作る。脇に控えるボガードも訝り、周囲の海兵達も眉をひそめていた。

 

 海軍の面々の反応に、麻薬商クラックは『失言した』と言わんばかりに慌て始める。トマトより赤く染まっていた顔がさぁっと蒼くなり、禿頭に沸々と冷汗が滲んでいく。

 

「何の話か知らんが、言いたいことがあるならさっさと言え。貴様はエニエスロビーに直行じゃからな。インペルダウンに放り込まれてからあれこれ歌っても手遅れじゃぞ」

 暢気な口調だったが、ガープの目つきは依然鋭い。

「ぃ、いや、その」麻薬商クラックは目を大きく泳がせる。

「貴様が海軍となんらかの関係にあるなら、その窓口になっとる奴がおるじゃろ。そいつの名前を言ってみぃ」

「そ、それは」クラックは肥えた顔を冷や汗塗れにしながら「クソ、なんでこんな……まさか、俺を……?」

 

「ごちゃごちゃ言うとらんでさっさと答えんかっ!!」

 焦れたガープの大喝を浴び、クラックは思わず仰け反って喚く。

「お、俺は何も知らねぇよコノヤローッ! 何も言うことはねえよコノヤローッ!!」

 

 大海賊時代に麻薬商として成功するには、腕っぷし以上に悪知恵と度胸が求められる。

 クラックはハゲでチビでデブという三重苦を背負って余りある肝っ玉を持っていた。“英雄”ガープの一発を浴びてなお沈黙を選び通す胆力を備えており、何よりこうして回答を拒絶すればガープが本部に連絡を取り、“関係者”が動くだろうことを読み抜いていたのだ。

 

 そして、天はクラックに味方した。

「ガープ中将っ!」通信兵がやってきて「沖で活動中のフリゲート隊より連絡っ! 時化が酷く作戦の遂行困難、港町に避難するとのことですっ!」

「つまり、我々も天候が落ち着くまでは島を出られませんな」とボガード。

 

 ガープは苦い顔つきで大きく鼻息をつき、

「このハゲチビデブを拘置しとけ。こやつの部下共がまだ残っとるかもしれん。捜索と掃討を継続せえ。それから」

 通信兵に告げた。

「センゴクへつなげ」

 

 

 

「――いや、私にも心当たりはない」

 電伝虫を通じてガープから報告を受け、センゴクは眉根を寄せつつ用意させた資料に目を通しながら言葉を続ける。

「今回の作戦はG5支部、基地長ヴェルゴ中将の報告書を元に立案されたものだ。G5管区内で不審な貨物船を臨検した際、大量の麻薬が発見され、逮捕された船長の航海日誌と個人手帳から麻薬商の所在が判明したのだ」

 

 センゴクは背もたれに体を預け、大きく息を吐く。

「ああ。分かっている、ガープ。すぐに情報を精査させる。だが、南の海は“大きな問題”を抱えている関係で時間が掛かるだろう。そちらでも件の麻薬商を尋問してくれ。そうだ、拷問も含めて、だ。実施するかどうかはお前の判断に任せる」

 

 そう告げながらも、ガープはしないだろうな、とセンゴクは思う。

 ガープは無茶苦茶な男であるが、人倫にもとる真似を好まない。手出しできぬ状態の囚人へ一方的に苦痛を与えて情報を引き出すなんてことはすまい(年端の行かぬ“孫”に虐待同然の鍛錬をしたり、危険なジャングルに放り込んだりするが、それは彼なりの愛情表現である。要は非常識なのだろう)。

 

「……ガープ。分かっていると思うが、南の海の件は、いやロス・ペプメゴの件は非常にデリケートだ。海軍としても解決の糸口になるなら、喉から手が出るほど欲しい……頼むぞ」

 通信を切り、センゴクは眼鏡をずらして目元を揉む。

 

 南の海が抱えている大きな問題。それは海軍が生み出したものだ。

 

 ことは海賊王ロジャーの処刑後、ロジャーに妻子が居たことが判明したことに起因する。

 政府はロジャーの妻子を逮捕ないし処刑を厳命し、海軍は南の海で大捜索を行った。

 

 海軍の捜索は極めて強引かつ乱暴なもので、多くの妊婦、若い母親、赤ん坊、あるいは妻子を守ろうとした夫や家族が命を落とした。しかも、処刑された女達は不義密通の汚名を着せられ、赤ん坊達は不義の子という不名誉を冠されて。

 

 政府と海軍の横暴に慣れたこの世界の人々でも、この蛮行は我慢できなかった。

 自分の妻や娘、姉や妹に不名誉の烙印を押され、生まれたばかりの赤子を一方的に断罪され、有無を言わさず殺される。こんな真似をされて耐えられる者など居ようはずがない。

 

 最初は遺族による穏当な抗議活動だった。が、政府と海軍がこの抗議運動を武力弾圧したことで、反政府/海軍テロ組織ロス・ペプメゴが結成された。

 

 ロス・ペプメゴ。

 その名は『海軍と政府に傷つけられた人々』を意味する復讐者の群れだ。

 

     〇

 

『海軍が身柄を確保した麻薬商を暗殺してもらいたい。彼の身柄がエニエスロビーへ運び込まれるまでに』

「あんたが政府の人間ならサイファー・ポールにやらせれば良いじゃない」

 ベアトリーゼの指摘に、電伝虫の先から『うむ』と同意の声が返ってきて、

『常ならばそうするが……今回は難しい』

 さらりと爆弾を放り込まれた。

 

『件の麻薬商を確保している海軍将官がモンキー・D・ガープだからだ』

 

「ガープッ!?」

 その場の全員が悲鳴染みた声を上げた。

 

 海軍本部中将モンキー・D・ガープ。純粋な覇気のみで数多くの強力な海賊達を叩き潰し、全盛期は『海賊にとっての悪魔そのもの』と畏怖された男。史上最凶の海賊ロックスを討ち取り、海賊王ロジャーを幾度も追い詰めている。“英雄”の二つ名に相応しい大豪傑だ。

 

「冗談じゃないぞっ!」「無理よ、危険すぎるわっ!」

 シャーロット兄妹にしてみれば、最強ビッグ・マムに匹敵する恐るべき強敵。ガレットの鏡ピアスの奥――鏡世界に控えるカタクリも仰々しいほどの渋面を浮かべていた。

 

「無理ヤモ。無茶ヤモ。無謀ヤモ」「プリティに不可能だろ」

元海賊のジューコと元賞金稼ぎのテルミノには、ほとんど伝説上の存在。

 

「報酬とリスクが釣り合ってないよ。解散だ解散っ!」

ベアトリーゼにとっては穴開き原作知識でもはっきりと覚えている『最強格の原作キャラ』だ。敵う気がしない。

 

『提供するトリコロール・メロンは最高級品だ。間違いなくビッグ・マムの舌を満足させるだろうし、テルミノ氏の問題もつつがなく解決するだろう』

 電伝虫の先から滔々とセールストークが続く。

『繰り返すが、ビッグ・マム海賊団に求めていることは、シャーロット・ブリュレの能力による移送だけであり、暗殺はジューコ殿とベアトリーゼ殿に委ねる予定だ』

 

「勝手に委ねるなよ」

 ベアトリーゼの抗議を無視し、

『海軍大将クザンと海軍中将つるとその精鋭を単独で相手取ったベアトリーゼ殿ならば、ガープ相手に時間を稼げるはずだ。その間にジューコ殿が件の麻薬商を暗殺すれば良い。そして、ブリュレの能力で脱出する。それだけだ』

 

「そんな簡単に行くと思うなら自分でやれヤモ」

 悪態を吐くジューコへ自称政府関係者は言った。

『勘違いしないで欲しい。ジューコ殿。君には受ける“理由”があるだろう』

 暗に『首輪付きであることを忘れるな』と仄めかし、次いで、電伝虫の目がベアトリーゼを捉えた。

『君には特別な報酬を用意してある』

「へえ、どんな?」

 小馬鹿にするような態度でベアトリーゼへ、電伝虫は淡白に告げる。

 

『君の過去だ』

 




Tips
自称政府関係者
 性格が陰険なオリキャラ。

シャーロット・カタクリ。
 原作キャラ。
 ビッグ・マムの次男坊で、シャーロット家子女で最強の男。
 色物が多いシャーロット家では珍しい純粋な武人気質で、お兄ちゃんキャラ。

モンキー・D・ガープ。
 原作キャラ。
 本作では、色々破天荒な爺様だが、表に出さないだけで多くの苦悩を抱えているだろうな、という解釈をしている。

麻薬商クラック
 オリキャラ。生贄役。名前の由来はクラックコカインから。
 冷戦時代に麻薬カルテルが自国政府やアメリカと関与し、共産ゲリラの抹殺に協力してた逸話から、世界政府の裏とつながっているという塩梅。
 
ロス・ペプメゴ。
 原作の出来事に由来するオリ設定。
 いくらなんでも、ロジャーの血を絶やすために無関係な妊婦や赤ん坊を殺しちゃあかんでしょ。そんなことされて泣き寝入りする奴はいねえよ、という独自解釈から作った。
 名前の由来は『ロス・ペペス』
 麻薬王エスコバルに対抗して組織された自警団(実際は敵対カルテルの殺し屋集団だったが)






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36:メロンのために拳骨魔人と踊れ

ちょっと字数が多め。
拾骨さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 テルミノをお留守番に残し、ベアトリーゼとジューコはガレットに連れられ、シャーロット・ブリュレのミラミラの実が生み出す鏡世界(ミロワールド)の中へ。

 奇怪な鏡世界に驚き、ブリュレの傍に立つ男――強さ的に超激ヤバ間違い無しの偉丈夫に驚いた。

 

 ジューコは息を呑み、隣のベアトリーゼに小声で説明する。

「ビッグ・マム海賊団の大幹部ヤモ。次男カタクリ、懸賞金10億ベリー越えヤモ」

 

「10億? そりゃ凄い」

 超高額賞金首を前に、ベアトリーゼが抱いた感想は『こいつを相手取った場合、どう立ち回るべきか』。

 

 地獄の底並みに酷い故郷で染みついた臆病なネズミ気質が、強者を前にして反射的に生存戦略の組み立てを始める。ニコ・ロビンという絶対的護衛対象がいない今、ベアトリーゼが優先すべきことは自分のことだけ。必要なら親しくなったジューコさえ見捨てる選択を採れる。

 

 当のカタクリは至極控えめな会釈を寄こすだけで名乗りもしなかったが。

「ブリュレ姉さんが目標のいる建物の鏡まで案内する。ついて来い」

 ガレットに促され、ベアトリーゼとジューコはシャーロット家の面々と共にチェック柄と鏡に埋め尽くされた世界を歩く。

 

 鏡世界をきょろきょろと見回しながら、ベアトリーゼは感嘆をこぼす。

「しかし……ミラミラの実か。凄い能力だな」

 

「ミラミラの実が凄いんじゃないわ。能力を使いこなすブリュレ姉さんが凄いのよ」

 ガレットが姉を誇り、当のブリュレは何となく嬉しいやら気恥ずかしいやらで、姉の様子を横目にしたモスカートが控えめに頬を緩めつつ、ベアトリーゼに声を掛けた。

「お前は“青雉”と“大参謀”の精鋭達と単独で渡り合ったそうだな」

「まあね。渡り合っただけで最後は負けてとっ捕まったけど」

 

 弟とベアトリーゼのやり取りに釣られ、カタクリが横目でベアトリーゼを窺う。

 身長5メートルを超える偉丈夫カタクリはビッグ・マムの次男坊にして、シャーロット家子女最強の男。40代とは思えぬ筋骨隆々の肉体をレザーの着衣で包み、口元をファーで覆っていた。

 

 熟練の戦士であるカタクリには分かる。自身の半分にも満たぬ背丈の小娘が精強であることが。倒せぬことは無いと断言できる。ただし、一筋縄ではいかないという確信もあった。

 興味からカタクリが問う。

「それほどの強さを持ちながら、雇われ護衛に身をやつしているのか」

 

「海軍や海賊にならなきゃならない道理もないでしょ」

 ベアトリーゼは自分の倍以上デカい男を見上げながら、

「ならば、お前はその強さで何を為す。何のために力を行使する?」

「……さあね。最初はもっとマシな人生を送るためだった。次は政府に対する嫌がらせと親友のためだった。今は……どうかな」

 重ねられる問いを疎ましげにはぐらかした。

 

 電伝虫越しに自称政府関係者が提示した報酬。

『君の過去だ』

 

 過去? 私の過去って何よ。

 まさか前世のことじゃないだろうけど、今生は物心ついた時には、地獄の底みたいな島で孤児仲間と共に戦場漁りをし、飢えを満たしていた。

 

 親の顔なんか知らない。興味がなかったとは言わないが、調べてまで知りたいことでもなかった。

 

 自分は娼婦が捨てた子かも知れない。盗賊かウォーロードに壊滅させられた開拓村の生き残りかも知れない。望まれぬ生まれだったのかもしれないし、愛されて生まれたのかもしれない。

 

 今更の話だろう。なんであれ自分は既にネズミとして育ち、悪魔の実を食べてウォーロードの飼い犬になり、そして、よりマシな人生を得るために海へ出た。それだけだ。

 

 親友(ロビン)と合流すること以外に目的はない。合流後のことはロビンと相談して考えれば良い。

 

 主人公一行みたいに、海賊王や何かの世界一になりたいわけでも無い。未知に憧れてもいないし、成し遂げたい大願も悲願もない。悪役連中みたいな野望も野心もない。

 

 私はただこの世界の不条理と理不尽に八つ当たりしてるだけ。

 言われてみると、私は何の夢も願いも望みも、人生を懸ける目的も目標もない。

 

 ただ暴力に秀でているだけ。

 この世界を彷徨う野蛮人。あてどなく流れ、暴力を振るうだけ。

 

 我ながら酷いなこれは。この世界に生まれて20年以上経つのに、人生設計まるで無しだよ。日本人だった前世はもうちょっと真面目に生きてた気がするけどなあ。

 

 政府の犬ッコロに踊らされることは業腹だけど……

 ベアトリーゼが自嘲的に口端を歪めた。

 今回の件は丁度良い機会なのかもしれない。自身のルーツを知ることで何かが変わるかも。

 

 ブリュレが大きな鏡の前で足を止め、告げた。

「着いたよ。殺し屋2人は支度しな」

 

       〇

 

 ジューコは首に巻かれた低品質海楼石付きチョーカーを剥がし、ヤモヤモの実の人獣形態を採る。ヤモリ頭のエロボディ美女になったジューコは満足げに鼻息をつく。

「やっぱりこの姿が一番美しいヤモ……」

 

「文化が違うのかしら。全然理解できない」

 スポーツジャージ姿に加え、ベアトリーゼは目元から首元まで覆うフェイスマスクをつけ、ニット帽を被って長い髪を詰め込む。両肘にダマスカスブレードを装着して腰の装具ベルトに厳ついカランビットを二本差した。ジューコと共に懐へ子電伝虫を忍ばせる。

 

「小娘にはこの美貌が分からんヤモ」と優雅に尻尾を振るジューコ。

「……お姉さんは分かる?」

「アタシに振らないで」

 ベアトリーゼに水を向けられたガレットは、疎ましげに紅い髪を掻き上げる。

 

「じゃあ」ベアトリーゼはブリュレへ顔を向け「そっちのデカパイお姉さんはどう思う?」

 

「デカパイお姉さんっ!?」

 とんでもない呼び名にブリュレは思わず目を剥いた。魔女だのなんだの言われたことはあるが、デカパイお姉さんなどと呼ばれたことは一度たりともなかった。

 ガレットとモスカートが『ブフッ!』と吹き出し、カタクリはそっと顔を背けた。が、その肩は小刻みに震えている。

 

「ガレットッ! モスカートッ! カタクリお兄ちゃんまでっ!」

 弟妹と兄達に叱声を浴びせ、羞恥で顔を真っ赤に染めたブリュレはベアトリーゼを睨み据える。

「このガキッ! 舐めた口を利くと八つ裂きにするよっ!!」

 

「気難しいなあ」とベアトリーゼは悪びれることなく頭を振った。

「お前、怖いもの知らずにも程があるヤモ」とジューコは呆れ顔。

 

「……不安はないのか?」

 カタクリが鋭い目つきでベアトリーゼを見下ろす。

「相手は海軍の生ける伝説だ。それに、俺達がお前達を送り出した後、裏切って退路を断つかもしれない」

 

「気にしても始まらないよ」

 ベアトリーゼは暗紫色の双眸をシャーロット家の最高傑作へ向けた。

「政府が海軍の顔にクソを塗りたくるような作戦を海賊に委託する自体、怪しさ満点だもの。上手くいったとして不都合な事実を知った私達を口封じしようとする可能性だって高い。まあ、海賊に政府の秘密作戦――一種の弱みを握られてでも、件の麻薬商を消したいのかもしれないけどね」

 

「疑い出したらきりがないヤモ」ジューコは長い舌で眼球を舐めて「そもそも、あの依頼人が本当に政府関係者かどうか誰にも証明できないヤモ」

 ジューコは電伝虫の相手が間違いなく政府関係者(ジョージ)だと確信していたが、馬鹿正直に言ったりしない。

 

「だが、それはお前達が俺達を信用する理由にはならないぞ」とモスカートが興味深そうに指摘する。

「一蓮托生とは言わないけど」

 軽く腕を振るってダマスカスブレードの具合を確認しながら、ベアトリーゼは続けた。

「少なくとも、そこのお姉さんは私に『裏切り腰抜けおばさん』てバカにされたくないと思うよ?」

 

 ガレットは瞬時に目を吊り上げ、怒声を発する。

「おばさんですってっ!! ブリュレ姉さんならともかく、アタシはまだ二十代よっ!!」

「ガレットッ!? 流れ弾を飛ばしてくるんじゃないよッ!!」と悲鳴を上げるブリュレさんじゅうはっさい。

「ブフッ!」と再びモスカートが噴き出した。

「……緊張感に欠くな」カタクリはファーの中で小さくぼやいた。

 

 支度を済ませ、ベアトリーゼはジューコへ向き直る。

「それじゃ行こうか」

 

「たかが果物のためにこんな危険を冒すとか人を殺すとか、狂気の沙汰ヤモ」

「狂気の沙汰ほど面白いって言葉もあるよ」

「どこのイカレ野郎の戯言ヤモ」

 毒づくジューコに、ベアトリーゼはフェイスマスクの中で笑った。

「さあ、誰だったかな」

 

      〇

 

 砲艦とフリゲートから成るガープの臨編戦隊は半舷上陸体制を取り、半数が麻薬商クラックの豪邸を始めとする島内の建物に宿を取り、残りが港に停泊する艦艇内に留まっていた。

 不機嫌海域の影響で島は暴風雨に見舞われており、艦艇に留まった者達は大波に揺られながら『陸でぐっすり寝たかったなぁ』とぼやく。

 

 で、ガープを始めとする陸戦隊の中枢部隊は麻薬商クラックの豪邸に宿泊している。有難いことに低俗な虚栄心に満ちた成金趣味の屋敷にあって、客間はまともだった。

 煌々と照明が灯る夜更け。海側から襲ってくる強烈な風雨に、窓ガラスがかたかたと震えている。

 

 容赦なく接収した屋敷の食材を用いた晩飯を摂った後、ガープはボガード共に屋敷の悪趣味なサロンで過ごしていた。

「あのハゲのチビデブはなんぞ吐いたか?」

「いえ。取り調べに黙秘を貫いています。意外と根性が据わっているようで」ボガードはガープに答えつつ「取調べ員が拷問の許可を求めています」

 

「そういうのは胸糞悪いことが得意な奴に任せればええ」

 ガープは迂遠に拷問を拒否した。

「それに、あやつの言い草だと、どんな爆弾が出てくるか分からん。本職の連中がきっちり調べた方がええじゃろう」

「たしかに、それはありますね」とボガードは首肯し「ロス・ペプメゴが絡む件は特にデリケートですから」

 

 大海賊時代は海軍に無数の頭痛を生んでいたが、南の海はそうした頭痛の中でもかなり病根が根深い。

 頭痛の筆頭格である反政府/海軍テロ組織ロス・ペプメゴは、海賊や革命軍とは違う。彼らの凶行は全て世界政府と海軍の“罪”に起因している。彼らの復讐には正当性があり、彼らの報復には大義がある。

 

 ロス・ペプメゴの誕生に、ガープは無関係ではない。

 公式には、ロジャーに子供はいなかったということになっている。つまり、捜索の過程で死亡した多くの妊婦、若い母親、無垢な赤ん坊、彼らの家族や友人達は、全て海軍の過誤によって命を落としたことになる。

 

 しかし、ガープは真実を知っている。

 海賊王ロジャーは本当に妻子を持っていたことを知っている。

 ガープ自身が獄中のロジャー本人からその事実を聞かされ、彼の遺児を密やかに保護したから。

 

 もし、ガープがロジャーの告白した事実を報告していれば、南の海で悲劇は防がれ、ロス・ペプメゴは生まれず、今なお終わりの見えぬ彼らのテロも起きなかっただろう。

 

 だが、ガープは報告できなかった。牢獄の中で不治の病に冒された()()()男から友と呼ばれ、彼の至宝たる妻子を委ねられた時、ガープは思ってしまった。

 ()の最期の頼みに応えてやりたいと。

 

 南の海で起きた悲劇を前に、ガープは苦しんだ。本来なら防ぎえた悲劇を前に良心の呵責と罪悪感に深く苛まれた。

 それでも、ガープは友の遺言を果たすことを優先した。多くの悲劇に目を背け、決意を貫き通した。

 

 そして、ロジャーの細君が無茶な出産から息を引き取る際、無垢な赤子を託されたガープは、誓った。固く誓ったのだ。

 この子を立派な海兵に育てよう。世界に背負わされた父の罪を贖って余りあるほどの立派な海兵にしよう。この子は偉大な海賊王の息子で、“自分の孫”となる男だ。必ずや海軍の、それも()()()英雄になるに違いないのだから。

 そう思っていたのだが……

 

 エースめ、海賊なんぞになりおってっ! 

 内心で愛する養孫に憤り、ガープは仰々しいほど大きな息を吐いた。

 

 その時。歴戦の老雄ガープはほとんど超人的な感覚で、“それ”を捕捉する。

 瞬間的にガープの顔が引き締まり、数瞬遅れてボガードが顔を引き締めた直後。

 

 正面玄関から派手な破壊音が轟き、海兵の怒声が屋敷内につんざく。

「敵襲―――――――――――――――ッ!!」

 

     〇

 

 大きな姿見鏡を出入り口に麻薬商クラックの邸内へ侵入し、ベアトリーゼは一度窓から屋敷の外へ出た。風雨に濡れつつ正面玄関から豪快かつド派手にエントリー。

 

 わざわざこんな真似をした理由は、この作戦の要諦がブリュレによる鏡を通じた移動にあるためと、暗殺にビッグ・マム海賊団の関与を露見させないためだ。前者は侵入と撤退に直結する要因であり、後者は後々の面倒を防ぐことに繋がる。

 

 銃や刀剣を抱えた海兵達がわらわらと正面玄関エントランスに集まってくる。“英雄”ガープ率いる精鋭部隊だけあって、対応が早い。休息時に襲撃を受けたためか、半数は軍服を脱いでおり、中にはパンツ一丁の者さえいた。

 

 ベアトリーゼは吠える。

「ミスター・クラックを引き渡せっ! さもなくば皆殺しにするぞっ!」

 麻薬商を救いに来たと大ぼらを吹きつつ、プルプルの実の能力で大気を振動させ、不可聴高周波を伝播させていく。この後に怪物が控えているのだ。雑魚相手に体力を消耗したくない。

 

「いきなり乗り込んできて戯言抜かすなっ! 賊徒めっ!」

 パンツ一丁の男は将校だったらしい。周囲の海兵へ命令を飛ばす。

「者ども、単騎で乗り込む相手だっ! 危険な能力者である可能性が高いっ! かまわん、射殺しろっ!」

 命令一下、海兵達が即座に斉射した。

 

 ベアトリーゼは天井へ向けて高々と跳躍して弾丸の嵐をかわし、肘剣を天井に突き刺して停止。眼下の海兵達を見下ろしながらひときわ強烈な催眠高周波を放った。

 

 悪夢へ誘う無音の調べに、海兵達は次々と武器を落としていく。

 茫然と棒立ちして虚空を見つめる者。茫洋と宙を見つめて独り言に耽る者。頭を抱えてすすり泣く者。へたり込んで怯え震える者。あるいは意識を保てども三半規管を狂わされて床に倒れ込む者。海兵達は瞬く間に無力化されていった。

 

 いつものなら意識を保つタフな奴らを仕留め、白昼夢に沈んだ連中を一方的に殺戮して終わりだが――

 ベアトリーゼは見聞色の覇気で既に捉えていた。

 

 強烈な力を持つ存在――“英雄”ガープがずかずかと玄関エントランスへ迫っていることを。それに、強敵はガープだけではないらしい。かなりの力を秘めた存在が複数、ガープの傍らに侍っている。おそらくガープ直属の精鋭達だ。

 

 数年前に干戈を交えた“大参謀”つる直属の部下(おばさん)達はえらく強かった。ガープ直属の部下達も間違いなく強いだろう。

 そういえば、あの時も時間稼ぎだったなぁ。最終的にとっ捕まっちゃったけど……今回は逃げ切れるかしら。

 

 そんなことを考えているところへ、“英雄”が御到着。

 堂々たる体躯から発せられる圧倒的活力と強烈な存在感。刈り込まれた短髪や髭は白いものの、老いの衰えを微塵も感じさせない。まるで人の姿をした巨大な巌だ。

 中折れ帽を目深に被ったスーツ男を始めとする部下達もまた、只者ならぬ気配を漂わせている。

 

 ガープは無力化された海兵達を見回し、死傷者がいないことを確認。天井に留まっているベアトリーゼをじろりと睨む。

「犠牲者が出ておらんならええ。わしはもう眠いんじゃ。さっさと帰るなら見逃してやるぞ、小僧」

 

「ガープ中将、賊を見逃されては困ります」中折れ帽の男がいろいろ雑な上司へ注進し「それと、賊は女です」

「ん? おお?」

 怪訝そうにベアトリーゼを見据え、ガープは濡れそぼったスポーツジャージが張りついた胸元の曲線を確認し、認識を改めた。

「小僧じゃなくて小娘じゃったか。勘違いしてすまんな、小娘」

 

 ベアトリーゼはなんとなく納得がいかない。Fカップなのに、充分大きいサイズなのに、なんで貧乳扱いを受けねばならんのだ。

 モヤッとした雑念を抱えつつ、ベアトリーゼはガープへ告げた。

「ミスター・クラックの身柄を引き渡せ」

 

「あのハゲのチビデブのために一人で殴り込んで来たのか。気合が入っとるな。しかし――」

 ガープは剛毅な笑みを湛え、

「一人でワシらをどうこう出来るという、その思い上がりが気に入らん。女を殴る趣味はないが……悪党は例外じゃぞ、小娘」

 めきめきと大きな拳を握り込む。

 

「なら、実力行使だ……っ!」

 ベアトリーゼは天井を蹴り、隕石のような勢いでガープへ襲い掛かった。

 

      〇

 

 両手に厳めしいカランビットを握り、両腕に青黒い肘剣を装着したしなやかな影が、暴風のように激しく躍り、あらゆる姿勢から刃と打撃を疾駆させる。

 

 縦横無尽に繰り出される攻撃の嵐へ、老雄は真っ向から受けて立つ。武装色の覇気をまとった拳で全ての斬撃を打ち落とし、全ての刺突を払い除け、拳打足蹴の暴風をものともしない。

 

『がははは、やるのうっ!!』

 猛々しく笑う老雄が深い踏み込みと共に左拳を振るう。

 およそ格闘技のような洗練された動作ではなく、単に殴るという挙動に過ぎない。が、その拳速は馬鹿馬鹿しいほどに速く、信じがたいほどに強烈だった。

 

 砲撃染みた拳打を間一髪掻い潜り、ベアトリーゼは大きく身を捩ってガープの顎先へ左の踵を叩き込む。ガープの口元からいくらかの鮮血が散る、も、その隆々たる体躯は微塵も揺らがない。

 

 追撃しようとしたベアトリーゼへ、長柄を構える女海兵が脇から荒々しい三連突き。

 バク転で三連突きを回避したベアトリーゼに、中折れ帽を被った男が素早く襲い掛かり、電光石火の剣閃を走らせた。

 

 白刃を左のダマスカスブレードで受け流し、ベアトリーゼは間合いを詰めながら逆手に握る右のカランビットを振るう。切っ先が中折れ帽の男の喉元へ届く刹那。虎刈男がトンファーを繰り出してカランビットの一撃を弾く。

 

 仕切り直すべくベアトリーゼが大きく跳躍して三人の海兵達から離れたところへ、ガープが突っ込んできて拳骨をぶちかます。

 隕石染みた拳骨が自身に着弾する間際、ベアトリーゼは軽やかに身を捻り、巨拳の甲を蹴りつけて飛び退く。

 

「よぉしのいだな。褒めてやろう」

 不敵に笑って口元の血を拭うガープ。その傍らで三人の海兵達が黙々と隊形を整えていく。

 

 強すぎだろ、この爺様。

 ベアトリーゼはフェイスマスクの中で歯噛みした。濡れたスポーツジャージが肌に引っ付いて疎ましいし、髪を詰め込んだニットキャップが熱い。

 

「お前さん、強いのう。名は何と言う?」

 眼前の老雄が好奇心を剥き出しにして尋ねる。

「ミスター・クラックを奪還に来た使者だよ」ベアトリーゼはあくまでホラを吹く。

 

「名乗らんのか」ガープはつまらなそうに唇を尖らせつつ「あのチビデブはなんぞネタを抱えておるようじゃったが……お前さんのような腕っこきを寄こすほどの重要人物なのか?」

「答える必要はない。部下に死人を出すか、ミスターを寄こすかだ」

 ベアトリーゼがあくまで『救出』を演じて脅し文句を吐けば。

 

「――ほう?」

 ガープの目つきが鋭くなり、傍らに控える三人の海兵達も殺気を濃くした。

「部下達を巻き添えにするわけにゃあいかん」

 広々とした玄関エントランスには、ベアトリーゼの催眠高周波で無力化された海兵達が残っている。先ほどの攻防では巻き込まれなかったが、これからも無事で済むとは限らない。

 

「なら」

 大きな右拳を固く握りしめ、仰々しいほど大きく振りかぶり、ガープはにたりと悪戯っぽく笑う。

「表で暴れるとしよう」

 瞬間。右拳が赤黒い稲妻をまとい、振り下ろされると同時に暴虐的なほど強大な衝撃波が放たれた。

 

 

 ずがんっ!! 

 

 

「ぃっ!?」

 その激甚なる一撃は、ベアトリーゼはおろか大きな正面扉と周囲の壁、挙句は表のポーチまで吹き飛ばした。

 




Tips

肘剣+カランビット。
『銃夢:火星戦記』にて、後に主人公の師匠となるゲルダが披露したスタイル。
 ちなみに、ゲルダは子供を傷つける者を許さない本物のヒーローである。

ベアトリーゼ。
 22歳を迎えてようやく自分の生き方を真面目に考え出した。

ガープの心情。
 独自解釈です。異論はあると思う。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37:ダンス・ウィズ・拳骨魔王

佐藤東沙さん、ヲールさん、太陽のガリ茶さん、誤字報告ありがとうございます。



「ぁぁああああああっ!?」

 ベアトリーゼは瓦礫やドアの残骸と共に屋敷正面の広場へ投げ出され、風雨の注ぐ地面を跳ね転がっていく。

 ようやく慣性の法則から解放され、大の字になった時には全身の骨肉が悲鳴を上げており、肺が震えて息が出来なかった。無理やり咳き込んで呼吸を再開させる。立ち上がろうとするも、三半規管がメゲて平衡感覚が狂っているのか、ふらついてしまう。

 

「……私も拳で、フリゲートを沈めた、クチだけど……これは、ちょっと、比較にならないわ……」

 泥と雨水に塗れた身をなんとか起す。両手のカランビットは柄尻のリングに人差し指を通していた関係で失逸していない。両肘のダマスカスブレードも無事だ。ただし、ニット帽が脱げ落ちたらしく、夜色の長髪が背に垂れ下がる。

 

「大技をやる前に一言いってくださいよっ!」と長柄の女海兵が怒鳴り、

「耳が痛いっス。耳鳴りが酷いっス」虎刈頭の海兵が両耳を押さえて嘆く。

「ガープ中将。屋敷を壊さないでください」と中折れ帽が静かに抗議。

 

「すまんすまん」

 ガープは三人の部下と共に雨曝しとなった玄関エントランスから屋敷の正面広場に歩み出て、ずぶ濡れになっているベアトリーゼに声を掛けた。

「お前さんも悪かったのう。ちとやりすぎたわ」

 雨を浴びながらガハハハと快活に笑う老雄。その傍らで中折れ帽の海兵が訝る。

「夜色の髪。暗紫色の瞳。小麦色の肌……まさか」

 

「どうした、ボガード。こいつは生き別れの娘だったか? それともお前さんの妹か?」

「自分には娘も妹もおりません」

 腹心の部下がイラッとした調子で答え、ガープはばつが悪そうに顎髭を掻く。

「小粋な冗談じゃろうが。で、あの小娘は誰じゃ」

「身体的特徴が死んだはずの賞金首と一致します」

 ボガードと呼ばれた中折れ帽の男は続けた。

「数年前、大将“青雉”とつる中将の精鋭部隊を単独で相手取ったプルプルの実の能力者。血浴のベアトリーゼかと」

 

「……その名には覚えがある」

 ガープの眉目がゆっくりと吊り上がっていき、

「護送船の水難事故で死んだという話じゃったな。生存者はおらんかったと聞いとる」

 眼前の乙女を射抜くように睨み据えた。

()()が殺したのか。護送船の海兵達も、囚人達も、皆、殺したのか」

 

 壮絶な怒気と威圧感に晒され、ベアトリーゼは大きく深呼吸してから、

「人違いだ。髪と目と肌の色が同じなんて珍しくもない」

 図々しいまでにしれっとしらばくれた。

 

「む。たしかにそうじゃな」とまさかの反応を返すガープ。

「!? 納得しちゃうんですかっ?」「絶対騙されてるっス」「せめて素顔を確認しましょう」

 部下達にやいのやいのと言われ、ガープは煩わしげに顔をしかめ、ベアトリーゼに問う。

「そういう訳じゃから、顔を隠しとる布っ切れを外してみぃ」

 

「断る。女の秘密を暴こうなんて厚かましい」

 自分のことを棚に上げて宣い、ベアトリーゼは装具ベルトのパウチからパラコードを取り出してカランビットで適当に切り取り、濡れた長髪を後頭部の真ん中あたりでポニーテールに結いまとめる。右小指の先で濡れそぼった前髪を目に掛からぬよう流した。

 逆手でカランビットを握る両手を武装色で染め上げ、両肘のダマスカスブレードに青いプラズマ光を宿す。

「どうしても私の正体を暴きたいなら、力づくでやるんだな」

 

「よぉ言うたな、小娘」

 ガープは野蛮に笑い、大きな拳を構えた。

 第2ラウンド開始。

 

      〇

 

 正面玄関の方から途方もない轟音がつんざき、豪邸全体が激震。そこら中の窓ガラスやら照明やらが割れ砕け、今や屋敷の大部分は仄暗い夜闇に支配されている。

 

 ヤモリ人間ジューコは両手両足の趾下薄板(しかはくばん)により、ファンデルワールス吸着を可能とするため、高い天井に張り付いて音もなく這い進んでいた。

 通常、人間は頭上へ注意を向け難い。夜闇が濃い場合はなおのこと。ましてや別の場所でド派手な大立ち回りが繰り広げられている。音も気配も発さぬ存在に気付くことは難しい。

 

 ジューコは大豪傑相手に戦っているベアトリーゼを心配していない。それどころか気にも掛けていない。過去の恨みから、ではない。元海賊でプロの荒事師であるジューコは自分の務めに集中し、余計なことを考えないだけだ。

 

 しかし、とジューコは瞼の無い眼球を蠢かせ、正面玄関の方を一瞥。

 すげー存在感ヤモ。あれが“英雄”ガープ……あんなの逆立ちしても敵わないヤモ。鷹の目並みにヤバいヤモ。絶対関わりたくないヤモ。

 ベアトリーゼが追い込まれても助けに行くまい、と決意するヤモリ女。その辺りシビアである。

 

 目標が拘置されている部屋を発見。部屋の前には武装した海兵が4人。見聞色の覇気で探りを入れれば、室内に武装した者が6人と丸腰が1人。

 一個分隊と目標の麻薬商。

 グランドライン勤務の海兵は戦いに慣れた手強い者が多い。

 

 だけど、ヤモ。

 ジューコは天井から真っ逆さまに無防備な4人の海兵達へ襲い掛かる。

 

 一人目は勢いよく頭部を踏みつけられ、頭蓋損傷と頸椎破損で即座に昏倒。

 最初の海兵が崩れ落ちる最中に跳躍し、

「ヤモリンドー・アーツ、ゲッコーダブルストライクッ!」

 右の跳び後ろ回し蹴りで二人目の顎を割り、後ろ回し蹴りの勢いを活かした左の大回し蹴りで、三人目の側頭部を蹴り抜いて右の眼窩と頬と顎角の骨を砕き、

「からの、ゲッコーレイドニーッ!」

 最後に四人目の海兵へ身体ごと突っ込む跳び膝蹴り。上下顎骨の複雑骨折と前歯の全損と重度のむち打ち。

 

 ぺたり、とエロボディのヤモリ頭女が廊下に着地すると同じく、海兵達が倒れ伏す。いずれも酷い重傷で意識がないけれど、息はある。手当てが間に合えば死にはしない。

 

 瞬く間に四人の海兵をリタイヤさせ、ジューコは満足げに喉を鳴らす。

「ヤモモモ。やっぱり私は弱くないヤモ。周りがおかしいだけヤモ」

 長い舌で眼球を舐めつつ見聞色の覇気で室内を探れば、廊下の異変に気付いたようで迎撃態勢を整えているらしい。武装色の覇気で肉体を硬化出来るとはいえ、このまま突入して斉射を浴びては芸がない。

 

 ふむん…… 

 引き締まった腰に右手を当て、ジューコは左手で顎先を撫でる。エロボディに相応しいセクシーな所作だが、ヤモリ頭のためか色々惜しい。

 ふと、ジューコは自身が蹴り倒した海兵達を見下ろす。彼らの腰には皮革製装具ベルトが巻かれ、パウチには弾薬に加え、手榴弾も収まっていた。

 

「そう言えば殺し方に注文は無かったヤモ」

 ジューコは悪人笑いをこぼし、兵士達の腰から手榴弾を集めていく。

 

       〇

 

 海軍本部中将“英雄”モンキー・D・ガープ。老いたと言えども、その拳は一撃殲滅の剛拳である。

 その剛拳の直撃を浴びようものなら、ベアトリーゼの肉体など容易く破壊されてしまうだろう。近接戦は絹糸を綱渡りするようなものだ。

 

 では距離を取って一撃離脱戦術を重ねるか。

 悪手だ。ガープの拳打に伴う暴虐的な衝撃波に叩きのめされてしまう。あんな衝撃波を浴び続ければ体が持たないし、プルプルの実で能う振動能力ではガープの剛拳の衝撃波に対抗できない。

 

 かつて“青雉”クザンと“大参謀”つるとその部下達を相手取った時、ベアトリーゼは一般の海兵達を巻き込むような内線高機動を取って不利を補うことで、伍して渡り合えた。

 しかし、この場にいるのは、強大無比なガープと高度な連携をこなす三人の精鋭のみ。内線機動が包囲撃滅を招きかねないことは先の一戦で体験済み。

 それなら、近接距離で綱渡りする方がマシだ。ガープの白兵距離に潜り込めば、他の三人も手出しできないはず。

 

 決断。

 ベアトリーゼはプルプルの実の力で大気を超高速振動させ、小規模ながら鮮烈な電磁発光を創り出した。

 

「むぅっ!?」

 夜闇に慣れたところへ放たれた閃光にガープの目が眩む。も、捉えた気配は逃さない。

 しなやかな影の動きに合わせ、海軍式格闘技でも“六式”体術でもない喧嘩殺法の右拳。

 あらゆる強敵をぶっ潰してきた“世界最強の拳骨”が雨水を蒸発させながら駆け、然れども、空を切る。

 

 異能(プラズマ)で虚を突き、兆しを惑わせる遊撃功律動(アインザッツリュトメン)を用い、ベアトリーゼは白兵距離に飛び込む。

「! 小癪な真似をしよるっ!」

“機”を外されたことを解し、ガープが右拳を迅速に引き戻しながら視界の回復を待たず、体軸を回して左の牽制打。

 

 深く屈みこんで左拳をくぐり、ベアトリーゼはガープの左脛へ右の頂肘装剣(ダマスカスブレード)を横薙ぎ。

 片足を切り飛ばさんと迫る一振りに、「甘いわっ!!」とガープは吠えて”六式”の身体硬化で迎え撃つ。

 

 鋭い金属衝突音と鮮烈な火花が夜闇を裂く。

 

 デタラメすぎるよ、このジジイッ!

 ベアトリーゼは驚愕して暗視色の双眸を見開きつつも、動きを止めず疾風迅雷の連撃を繰り出す。

 

 カランビットで膝裏の関節靭帯と膝窩動脈を狙う。火花が舞う。刃が通らない。

 ダマスカスブレードで内腿の大腿動脈を狙う。火花が踊る。刃が弾かれた。

「~~~~~っ!」

 刹那の中でベアトリーゼは歯噛みしながら、狙いを骨盤付近の神経と動脈から”陰嚢”へ切り替えた。男の絶対的急所だ。ここに武装色の覇気を込めた周波衝拳(ヘツェアハオエン)を叩き込めば――

 

「金玉を狙うのは戦いのマナー違反じゃぞ、小娘ェッ!!」

 ガープの瓦割り染みた垂直方向のチョッピングライト。

 

 

 

 ど が ん !!

 

 

 

 英雄の強烈な剛拳が麻薬商クラック邸の正面広場に水柱ならぬ土砂の柱を立ち昇らせる。あまりの衝撃に正面広場の植木が薙ぎ倒され、花壇が吹っ飛び、豪邸が軋む。

 

 雨に混じってざあざあと降り注ぐ大量の土砂に紛れ、しなやかな影がガープに急迫。プラズマ光をまとったダマスカスブレードが老雄の太い首目掛けて疾駆する。

 稲妻のように襲い掛かる斬撃へ、ガープは覇気をまとった右の拳骨でカウンターを狙う。

 

 青い剣閃と黒い拳閃が交差。

 剛拳が落下中の土砂と風雨を薙ぎ払うも、手応えはなく。

 鮮烈な衝撃波に剣閃が逸れ、切っ先がガープの首をかすめたのみ。

 

 三回転捻りで着地し、ベアトリーゼは三人の精鋭に注意を払いつつ、ガープから一旦距離を取る。

「いちちち……」

 少しばかり肉を裂かれて血が流れる首を撫で、ガープはしかめ顔を作った。

「もう少し深けりゃ死んどったぞ。まったく」

 

 ベアトリーゼはこめかみから垂れてきた血を手の甲で拭い、

「女の子を殴り殺そうとしておいてよく言う」

「言うたじゃろ。女を殴る趣味はないが、悪党は別じゃ」

「そういう男女平等主義は要らない」

 足元が泥濘になっていることに気付き、舌打ちする。

 

 ガープの剛拳と雨のせいで地面が泥濘に化けていた。このままだと機動力が削がれる。時間稼ぎもそろそろ限界だ。

 ヤモリ女め。まだかよ。

 

 

 内心の悪態に応えるように、屋敷から爆発音が聞こえてきた。

 

 

 やっとかよ。後は逃げるだけだな。それはそれで骨が折れそうだけど。

 ベアトリーゼが覆面の中で自嘲的に口端を歪めた。

 

「? なんじゃい?」

 ガープが肩越しに背後の屋敷を窺い、ボガードがツバから雨の滴る中折れ帽を微かに上げた。

「彼女は陽動で別動隊がいたのかもしれません」

 

「つまり、時間稼ぎのために一人でワシらを相手にしとったわけか」

 大きく唸り、ガープはまじまじとベアトリーゼを見つめ、

「……わからんな」

 不意に力を抜くように鼻息をつき、問い質す。

「それだけの根性と力があって、なぜこんなつまらん真似をしとる。どうして麻薬なんぞ売りさばくクズのために命を張る。なんのためじゃ?」

 

「……なんのため?」

 ガープの何気ない問いは、ベアトリーゼ自身が驚くほど感情をざらつかせた。自称政府関係者の持ちかけた“報酬”やカタクリとの短いやり取りが、思いの外影響を及ぼしていたのかもしれない。

 

 気分。そう表現するしかない感情を、ベアトリーゼは老雄へぶつける。

「前にもそんなこと聞かれた。その時は……私の考え方は性根がひん曲がってると言われたよ。辛い人生を送りながらも、この世界で善人として正しく生きる人達への侮辱だって。そう叱られた。正しい意見だと思う。でもね、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 暗紫色の瞳に宿る生々しい敵意は、ガープの琴線に触れた。麻薬商との会話のせいか、託された赤子を守るため見殺しにした人々と愛する養孫が瞼裏に浮かぶ。

 感傷と切って捨てるべき情動のまま、ガープはおもむろに口を開く。

「……海軍を恨んどるのか?」

 

「いいえ。私はただ八つ当たりしたいだけ。なんせ心の底から嫌いだから」

 どこか哀しげなガープを真っ直ぐ睨み据え、ベアトリーゼは辛辣なまでの嫌悪感を込めて吐き捨てる。

「神様気取りの豚共と独善的な犬ッコロ共がね」

 

「そうか」

 ガープは大きく深呼吸をし、固く握りしめた両拳を強く打ち鳴らす。瞬間、全身から可視できるほど濃密な覇気が迸った。

「お前達は手を出すな」

 既に気圧されている部下達へ静かに告げ、壮絶なまでの覇気の暴圧に戦慄するベアトリーゼへ、優しさすら感じられる声音で言った。

「全力で来い。この老骨がお前さんの怒りを受けてやる」

 

 孫娘を諭すような言葉に、その言葉に込められた謙譲の思いに、

「――知った風なことを抜かすなっ!」

 ベアトリーゼは激発した。

 おそらくは故郷から海に出て以来、最も激しく猛り怒る。

 

 若き女戦士と老雄は互いに感傷的気分からこの激戦の猛火に油を注いでしまい――

 ベアトリーゼは撤退/脱出を放りだし、眼前の老人を打ち倒すことだけに全意識を注ぎ。

 ガープは一人の大人として、道を誤ったこの娘を止めねばならぬと決意し。

 雨中の戦い第三幕が開く。

 

 

      〇

 

 ぶちのめした海兵達から掻き集めた複数の手榴弾がドアを吹き飛ばし、爆圧衝撃波と飛散したドアの破片が室内の兵士達を薙ぎ倒す。

 爆煙が濃霧のように漂う中、ヤモリ頭のエロボディ女が室内へ突入し、

「ヤモモモッ! 狙い通り一網打尽ヤモッ!」

 爆発でヨレている兵士達を一方的に制圧。

 そして、手錠と太いロープでがっちり拘束されているハゲのチビデブ五十路男へ問う。

「あんたが麻薬商のクラックヤモ?」

 

 見知らぬヤモリ頭の女に戸惑いを覚えつつも、クラックはこの状況を極めて自己本位かつ都合の良い解釈を行い、不細工な笑顔を作った。

「助けに来てくれたのかコノヤローっ!?」

 

「違うヤモ」

 ジューコは即座に否定し、

「は?」

 目を丸くして戸惑うクラックへ、

「ヤモリンドー・アーツ、ゲッコーハンマーッ!」

 武装色の覇気を込めた漆黒の右踵をクラックの禿頭へ叩きつける。

 

 肉が圧潰し、頭蓋骨が割れ砕ける音色が室内に響き、前頭部が大きくひしゃげて顔の穴という穴から鮮血を噴き出したクラックがうつ伏せに倒れ込む。

 ジューコはびくんびくんと痙攣するクラックの首を思いきり踏みつけ、頸椎を確実に砕き、神経と気道を間違いなく潰す。確認殺害戦果1だ。

 

 懐から子電伝虫を取り出した矢先、ジューコは壮絶な覇気を感じ取って凍りつく。全身の毛穴が開き、冷汗と体の震えが止まらない。

「あのバカ娘、何やらかしたヤモッ!?」

 

      〇

 

「――あの女、いったいなんなの」

 鏡から戦いを見つめていたガレットが茫然と呟く。

 

 雨夜。雷よりも激しい轟音が絶え間なく響き続けている。

 

 漆黒の剛拳が振るわれる度、衝撃波に雨が吹き払われ、泥土が吹き飛ぶ。

 英雄の拳打乱撃で大地が沸騰した水面のように荒れ狂う中、ベアトリーゼは濡れそぼった夜色の髪をたなびかせ、縦横無尽に勇躍する。天へ飛び込み、地に向かって昇り、プラズマ光を曳く頂肘装剣を走らせ、鉤爪状の刃を煌めかせる。

 

 濃密な覇気と六式体術で鋼より頑健となった老雄の肉体は全ての斬撃を弾き返す。刀身が削れて鮮やかな火花が飛び散り、閃光が夜闇を裂く。

 

 血浴の二つ名を持つ乙女は風雨の中で瞬きもせず、泥濘を爆ぜさせるように駆け、高周波を内包した闇色の打撃を繰り出す。しかし、常人ならば野菜の如く破砕する打撃と異能も、老将の身体を破壊できない。

 

 英雄の繰り出す弾幕の如き豪打を舞うように避け、長い脚を振るって蹴撃を打ち込む。英雄の振るう流星雨の如き連打を踊るようにかわし、身を大きく捻って膝を叩きつける。

 それでもガープは微塵も揺るがない。鼻や口角から血が飛び、肌に血が伝うとも、その大きな体躯は巌の如く屹立し続けている。

 

 まさに激戦。まさに激闘。

 

 海軍の生ける伝説”英雄”ガープと真っ向から渡り合うベアトリーゼの姿は、獣のように猛々しく、それでいて鮮やかで麗しく。

 ガレットの胸中に生じる奇妙な敗北感と嫉妬。同時に、シャーロット家年中組らしく力を信奉する気質が憧憬と畏敬を形成し始めていた。

 

 傍らのモスカートは鏡の向こう側で繰り広げられる戦いに、ただただ圧倒されていた。

 シャーロット家兄弟姉妹の最強の男カタクリは、全力をぶつけ合う死闘に羨望を覚えていた。いつからだ。あのような戦いが出来なくなったのは。

 そして、シャーロット・ブリュレは思う。あのジジイも小娘も凄いけどカタクリお兄ちゃんの方が絶対に強いもんねっ!

 

 と、電伝虫が響き、

『作戦成功ヤモッ! 回収を願うヤモッ!!』

 ヤモリ頭のエロボディ女の悲鳴染みた声音の報告が届く。

 

「分かった。侵入に用いた鏡へ向かえ。それと、お前の相棒の脱出はどうする?」

 カタクリの問いかけに、ヤモリ女は怒声を返す。

『どうするもこうするもないヤモッ! あんな戦いに首突っ込めないヤモッ!!』

「そりゃそうだ。あんなの関わったら、命がいくつあっても足りない」とモスカートが蒼い顔で同意する。

 

「見捨てるか?」とカタクリが冷厳に問う。

 囮役(ベアトリーゼ)を切り捨てれば、作戦終了。後は依頼人からトリコロール・メロンを受け取るだけ。あのヤモリ女を連れ帰って事の成り行きを説明すれば、テルミノ氏も文句を言うまい。まあ、文句を言ったところでビッグ・マム海賊団の暴威で蹴散らすだけだが。

 

「そんなのダメ。絶対ダメ」

 ガレットは眉目を吊り上げて悔しげに唇を噛む。

「ここであの女を見捨てたら、アタシ達はただ見物していただけの腰抜けの裏切り者になる。そんな不名誉な真似をしたらママに合わせる顔がない」

 

「ガレット。どうしたい?」

 カタクリが再び問う。今度は幾分優しい声色で。

「あの生意気な小娘が自力で脱出できないなら、アタシが拾い上げてやるわ。二度と生意気な口を叩けないようデカい貸しにする」

「で、でもな、ガレット。アレに横槍を入れるのは」モスカートは鏡の向こうで続く死闘を一瞥し「ママの食い煩いを宥めるくらい難しいぞ」

 

 カタクリは鏡の向こうで行われる熱戦を窺う。

「動くなら早い方が良い」

 見聞色の覇気で数秒先の未来視まで可能な大男は、淡々と告げた。

 

「もうじき、決着がつく」

 




Tips

ガープの剛拳
『銃夢:LO』に登場する空手家トージの轟拳をモデルに描写してみた。
 雨天の戦いもちょっぴりトージ戦をオマージュ。

ベアトリーゼ。
 分かったような態度を取られると怒っちゃう難しい御年頃(22歳)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38:拳骨魔神の拳はとっても痛い

佐藤東沙さん、拾骨さん、太陽のガリ茶さん、誤字報告ありがとうございます。


 狂奔。

 ベアトリーゼの身体は激情によって血肉が沸騰していた。反面、頭の芯は自身でもゾッとするほどに冷たく静かで澄み切っている。

 老雄と剣戟を一合交える度、拳打足蹴を一手交わす度、ベアトリーゼの雑念が削ぎ落とされて、意識が戦いに没頭していく。

 

 なぜか分からない。どうしてか分からない。

 ガープに向けて攻撃を繰り出す度、敵意が削られ、殺意が剥がれ、悪意が摩耗し、嫌悪と八つ当たり的な憤りが擦り減っていく。

 代わりに闘志の密度が高まり、戦意の濃度が強まり、戦闘への集中力が研磨される。

 まるで、ガープに負の感情を祓われているように。

 

 平凡な前世では決して味わったことがなく、野蛮極まる今生でも体験したことの無い感覚に、ベアトリーゼは戸惑い、苛立つ。

 だが、苛立ちが肉体の躍動を妨げることは無い。それどころか、身体の駆動は一層純化されている。これまで経験したことがないほど、肢体が思うままに機動する。体を自由自在に思いっきり動かすことの楽しさと快さ。戦闘という形で自己を表現する喜び。

 

 それらはどこか、幼子が父親相手に戯れているような温もりすら感じられ。

 その感覚にベアトリーゼは激情に駆り立てられ、挙動の鋭さがぐんぐんと増していく。

 

 鉄色の拳骨が豪雨となって襲い掛かるも、極限の集中力に達したベアトリーゼは全ての拳打を最小の動作で避け、剛拳の高圧衝撃波を弾丸撃(ゲショシュラーク)で貫き砕く。

 

 かつてフリゲートを轟沈せしめた大理不尽パンチの後の先を取り、ガープが左拳を打ち込む。

 ベアトリーゼが組み上げた展開通りに。

 

 ガープが繰り出した漆黒の拳を滑らかにいなしながら伏打(フェアシュラーク)を打ち込み、一瞬で老将の大きな体の左脇へ回り込む。がら空きの左脇腹――精確に左腎臓の位置を狙い、伏打の衝撃波へ周波衝拳(ヘルツェアハオエン)を重ねるように撃つ。

 上級奥義(オーバーゲハイムニス)周波衝針(ヘルツェアナーデル)

 

 決まれば人体を木っ端微塵に破壊させられる必殺拳も、鋼板を殴りつけたような轟音が響き渡り、ガープの口から数滴の吐血を招いただけ。英雄の肉体は頑健無比な大樹の如く微動にしない。

 武装色の覇気をまとった高貫徹力の拳打も、人体を吹き飛ばして余りある高周波の衝撃も、英雄の肉体を穿てず、砕けず、壊せなかった。

 

 ベアトリーゼは動揺を抑えられない。

 体裁きも運足も技も一挙手一投足が完璧なのに。攻防の読みも戦略も全てハマったのに。

「なんで……っ!?」

 

 呻くように吐き捨てるベアトリーゼへ、ガープは静かに諭すような声音で語る。

「お前さんは強い。その()(たい)に敵う者は早々おるまいよ」

 自身よりずっと小柄なベアトリーゼを見下ろす双眸に深い哀愁を抱いて。

「惜しむらくは……(しん)が足りん。(こころ)に芯が通らぬ強さは剃刀のようなもの。如何に切れ味鋭かろうとも脆い。心魂を伴わん脆い攻撃なんぞ、ワシには通じんっ!」

 

「戯言をっ!」

 ベアトリーゼはガープの放つ右拳を足場にバク宙。着地で溜め込んだ全身のばねを解放し、旋風のように突撃した。

 

 熾烈な激情とは裏腹に、深い踏み込みはかつてないほどに素早く滑らかで一片の無駄もなく。右肘を突き出すように繰り出されたダマスカスブレードの刺突もまた、完璧な挙動で繰り出される。

 

 されど、ベアトリーゼが放った最高の一刺しは、ガープを貫けない。

 青いプラズマ光をまとう頂肘装剣の切っ先は、老雄の肉体を覆う紅い稲妻の覇気に妨げられ、分厚い胸板に届く寸前でぴたりと静止していた。

 

「ありえない。こんなの、ありえない……っ!」

 眼前の認識を受け止めきれず狼狽えるベアトリーゼへ、ガープは叱るように吠えた。

「言うたはずじゃっ! 心を伴わぬ力なんぞ、魂のこもらん技なんぞ、ワシにぁ効かんっ!!」

 

「――っ!」

 叱声を浴びたベアトリーゼは、アンニュイな美貌を憤怒に歪めて鬼札を切る。プルプルの実の能力を行使して漆黒の左掌に超高熱プラズマを生じさせ、

「プラズマ溶解炉(キュポラ)ッ!!」

 全身のばねを用いた掌底打と共に必殺のプラズマ塊を放つ。

“英雄”ガープは真っ向から受けて立つ。赤黒い稲妻を伴う覇気で固められた剛拳を極熱の炎雷に叩きつけ、

 

 どかーん!!

 

 炎雷と剛拳の激突で生じた灼熱の衝撃波が雨を蒸発させ、泥土を速乾させ、植木を干からび枯らす。高圧熱波を浴びたガープの部下達が苦悶を上げながら上官の無事を祈る。

 

 真っ白な蒸気が濃霧のように漂う中――

 ガープはベアトリーゼの眼前に毅然と立ち続けていた。右拳から肘あたりまで酷い熱傷を負い、肩口まで着衣が焼尽し、髭もちょっぴり焦げていたが、その立ち姿には微塵の揺らぎもない。

 ”英雄”は倒れず。

 

「そんな、バカな……っ! こんなのあり得ないっ!」

 マグマすら蒸発させる数千度の超高熱プラズマが拳骨に掻き消されるという、理解の超えた現実に、ベアトリーゼは恐慌を起こして悲鳴を上げた。

 

「小娘よ、ワシが手本を見せてやる。これが――」

 ガープはパニックを起こしたベアトリーゼを真っ直ぐ見据えながら、酷い火傷を負った右腕をゆっくりと振りかぶり、覇気を込めず純粋な拳骨を全力で放つ。

「心魂を宿した拳じゃああっ!」

 

「っ!!」

 ベアトリーゼは避けられない。先ほどまでの鋭敏さが嘘のように失われ、体が思い通りに動かず、咄嗟に両腕を構えて防ぐだけで精一杯。

 そして、英雄の大きな拳骨がベアトリーゼへ着弾する。

 

 

 

 ず ど ん っ !

 

 

 

「ぅぐぁあっ!?」

 ベアトリーゼは小石の如くぶっ飛ばされ、豪邸の外壁を突き破って内壁と調度品を破壊しながら屋敷の奥へ撥ね跳んでいく。

 

 客間を数室ほどぶち抜き、高価な調度品類をいくつもぶち壊した末、

「ヤモォオッ!?」「ぎょええええっ!?」

 奇しくも、ズタボロになったベアトリーゼが転がった先は侵入/脱出用の大姿見がある部屋で、壁をぶっ壊しながら吹っ飛んできたベアトリーゼに、鏡世界(ミロワールド)へ脱出しようとしていたジューコと、ジューコの回収に現れたブリュレは女性として許されないほどの驚愕顔で悲鳴を上げた。

 

「お、お前生きてたヤモッ!?」「あわわわわっ!?」

 驚き慌てるヤモリ女と傷顔魔女。

 

 だが、2人の声はベアトリーゼに一切届かない。

 ガープの拳骨の衝撃はベアトリーゼを完全に貫徹していた。体躯の芯を打ち抜き、骨の髄まで細胞の一片までも激しく揺さぶり、全神経を強く痺れさせ、何より、

 

 途轍もなく“痛かった”。

 

 今生。物心ついて以来、数えることが馬鹿馬鹿しいほど苦痛を味わってきた。反吐をぶちまけてのたうち回るほどの激痛を何度も体験した。死にかけるほどの傷を負ったことだって一度や二度ではない。

 だが、今ガープに叩きこまれた拳は、これまで経験してきたどんな痛みよりも“痛かった”。

 この痛みは決して受容してはならぬと頭の奥で理性が叫ぶ。

 この痛みを受け入れろと心の奥で本能が喚く。

 

「あの、クソジジイ……ッ! ぶっ倒してやる……ッ!」

 ベアトリーゼは身を起こそうとするも、指一本動かない。拳打の衝撃が体の真核を貫徹したため、神経が言うことを聞かない。“痛み”によって戦意と闘志に体が応えない。

 

「このバカヤモッ! とっとと逃げるヤモっ!」「アホっ! さっさとズラかるんだよっ!!」

 ジューコがベアトリーゼの左足を引っ掴み、ブリュレがベアトリーゼの右足を、ズダ袋を扱うように手荒く引きずっていく。

「放せっ! 私はあのジジイと戦うんだっ!」

 激昂するベアトリーゼを無視し、2人が鏡世界へ通じる大姿見鏡へ爪先を踏み入れたところへ。

 

「んー? なんじゃあ、お前らは」

 壁の大穴からベアトリーゼを追ってきた拳骨魔神の御登場。

 

「出たヤモォ――――っ!」「ぎゃああああああっ!?」

 ジューコとブリュレがさながら大怪獣に出くわした一般人のような悲鳴を上げ、

 

「その小娘の仲間なら……お前らも悪党じゃな?」

 ガープがぎろりと眉目を吊り上げて拳骨を振り上げ、

 

「ヤモオオオオオオオっ!?」「助けてお兄ちゃああんっ!」

 三十路のヤモリ女と三十八歳の魔女が恥も外聞もなく恐怖した。その刹那。

 

「力餅ッ!」

 大姿見鏡の中から武装色をまとった巨拳が射出され、ガープを襲う。

「ぬぉおっ!?」

 不意を打たれたガープが咄嗟に右拳で迎撃するも、

 

「トーレント・デ・ブールッ!!」

 今度は大姿見鏡から高粘度クリーミング・バターの奔流が噴出し、

「なんじゃあああああああああああああっ!?」

 巨拳の相手をしていたガープが咄嗟に対応しきれず、バターの奔流に飲み込まれて壁の大穴へ押し流され、

 

「ぎゃああああっ!?」「ヤモ――ッ!?」「がぼぼぼーっ!?」

 同じく押し流されかけた姦しい三人を、大蛇のように伸びた餅が絡め捕って鏡の中へ引きずり込み、直後、大姿見鏡は割れ砕けた。

 

 残るは荒れ果てた麻薬商の豪邸のみ。

 

      〇

 

 モチモチの実を食った餅人間カタクリと、バタバタの実の力を持つバター人間ガレットによって、拳骨魔王の脅威から救出された三人は――

 

 バターに塗れたブリュレは『体中ベチョベチョだよ……』とへこたれ、同じくバター塗れのジューコは『全身ヌルヌルヤモ……』とうなだれていた。

 泥と血とバターでデロンデロンのベアトリーゼは仰向けに大の字のままで動かない。が、憑き物が落ちたように茫然としている。

 

「一先ずは片付いたな」

 カタクリはバター塗れの三人を一瞥した後、モスカートへ顔を向けた。

「後のことは任せる。取引の件だが……分かっているな、モスカート」

「ああ。カタクリ兄貴。相手は政府だ。信用しない」と赤青二色髪の割れ顎弟は頷く。

 

「そうだ。海賊と政府。根本的な敵同士だ。ましてこういう汚れ仕事の取引をするような手合いは、決して信じるな。気をつけろ」

 カタクリは弟の肩を軽く叩き、バター塗れのブリュレに声を掛ける。

「行くぞ、ブリュレ。俺を前線の船に戻してくれ」

「ぅぅう……分かったわ、カタクリお兄ちゃん。あんた達、カタクリお兄ちゃんを送ったら戻ってくるから、ここで待ってな」

 カタクリとブリュレが一旦去っていく。

 

 バター塗れのジューコは疲れ切った溜息をこぼし、モスカートに提案する。

「……とりあえず、休息したいヤモ。あの自称役人と会うのは少し時間をおいてから、はどうヤモ?」

「まぁ、良いだろう。手当てや着替えも必要だろうしな」

 モスカートはジューコとベアトリーゼを交互に窺い、同意の首肯を返した。

 

 ガレットはベアトリーゼの傍らに屈み、ベアトリーゼの顔を覗き込む。

「随分とまあ、ボロボロになったわね」

 

「マスク……外して……」とベアトリーゼが呻く。どうやらマスクに半融解状態のバターが染み込んで息苦しいらしい。

 ガレットはベアトリーゼの布製フェイスマスクを摘まんで首元へずり下げた。

「中々やるようだけど、アタシが助けなかったらとっ捕まってたわ。これは貸しよ。忘れないことね」

 

「……この仕事は共同で当たってるんだから、助けるのは当然なんじゃない?」

「助けてくださってありがとうございます、でしょう、が」

 正論を返してきたベアトリーゼの頬を指先でぐりぐりと突き、ガレットは小さく鼻息をつく。

「アンタは商船の雇われなのよね?」

 

「それが何?」と暗紫色の瞳を動かしてガレットを見上げた。

 ガレットは怪訝顔のベアトリーゼへ居丈高に告げる。

「アタシの部下としてビッグ・マム海賊団(うち)に入れてやっても良いわ。アタシをガレット様と呼ばせてあげる」

 

「そりゃまた」ベアトリーゼは微苦笑をこぼし「せっかくのお誘い悪いけど、誰かを様呼びするような生活は故郷で体験したよ。二度は御免だ」

 

「……せっかく誘ってやったのに。ホントに生意気な奴ね」

 ガレットは再びベアトリーゼの頬を指先でぐりぐりと突く。その顔はどこか残念そうだった。

 

      〇

 

 雨上がり、曇天の夜明け。

 兵士達は一夜で荒れ果てた麻薬商の大豪邸を掃除し、負傷者の手当てと移送に忙しい。

 

「助けに来たのではなく、口封じじゃったか。まんまと謀られたのぉ」

 徹夜明けのガープは替えのスーツに着替え、首にデカい絆創膏を貼っており、右腕には火傷の治療が行われて包帯でぐるぐる状態。

 死体袋に詰め込まれた麻薬商クラックの屍を見下ろし、ガープはしかめ面をこさえる。

「鏡を使って移動する能力者は、たしかビッグ・マムんとこの娘じゃったな。なぜビッグ・マム海賊団が麻薬商なんぞの口封じに動く? それに血浴のベアトリーゼはニコ・ロビンと組んどるはずじゃろ? 2人ともビッグ・マムの手下になったっちゅうことか?」

 

「分かりません」ボガードは端的に上官の疑問へ答え「現状では情報が少なすぎて推論も立てられません」

「家探しでなんぞ情報は見つからんのか?」

「麻薬取引や資産運用の帳簿類は見つかっていますが、例によって暗号塗れですし、解読できる人間はこの様です。精査には時間が掛かるかと」

 ボガードは死体袋を一瞥し、まだ乾いていない中折れ帽を被り直す。

「一つお尋ねしてよろしいですか、ガープ中将」

 

「なんじゃ?」と片眉を上げたガープへ、

「なぜ血浴のベアトリーゼを倒さず見逃したのです?」

 ボガードは疑問をぶつけた。

 

「人聞きの悪いこと言うな。殴り飛ばした先にビッグ・マムの娘が居るなんて想像できるか。ワシはあの後、とっ捕まえた小娘に懇々と説教垂れる予定じゃったんじゃぞ。それをビッグ・マムのガキ共に掻っ攫われるわ、一張羅をバター塗れにされるわ、考えてた説教が無駄になるわ、散々じゃい」

 拗ねたようにそっぽを向くガープに、どうやら本当らしい、と判断したボガードは小さく頭を振った。

「それはそれで、別のことが気になります。どうしてベアトリーゼにそんな“配慮”を? 奴は多くの海兵を手に掛けた凶悪犯です」

 

「……凶悪犯か」

 不機嫌な空模様を見上げ、ガープは仰々しく鼻息をついた。

「ワシには、導くべき大人に出会えなかった憐れな娘に見えたがな」

 

「? それはどういう」

 ボガードが問いを重ねようとしたところへ、通信兵が駆け寄ってきた。

「ガープ中将っ! センゴク元帥が直接報告をお求めですっ!」

 

「徹夜明けにセンゴクの小言か……面倒臭いのぉ」

 ガープは慨嘆をこぼし、電伝虫が用意された部屋へ向かっていった。その足取りはどこか重たい。

 

     〇

 

 マーケット内にある安宿の一室にて。

 ベアトリーゼは装備一式を外し、靴を脱いだ。血と泥とバターでデロンデロンになったスポーツジャージとフェイスマスクをゴミ箱に放り、次いで靴下と下着もゴミ箱へ。汚れ切った髪を結いまとめているパラコードを外し、やはりゴミ箱へ。

 

 素っ裸になったベアトリーゼは浴室に入り、生ぬるいシャワーを浴びる。

 体のあちこちにある傷にお湯が染み、ベアトリーゼは小さく舌打ち。お湯が夜色の髪と小麦色の肌から血と泥とバターを流し落していく。泥と血とバターの油分が排水口に流れ着き、ぐるりぐるりと渦を巻く。

 

 シャワーを浴びながら小さなバスチェアに腰かけ、ベアトリーゼは体に刺さった小さな木片や小石などを抜き取っていく。鏡とピンセットを使って背中に刺さったものも処理する。

 

 擦り傷や切り傷、打ち身の痣が体中にある。それでも深刻な外傷や骨折などは一つもない。

 その事実に苛立ちを覚え、ベアトリーゼはわしわしと髪を洗い、石鹸とボディタオルでガシガシと体を洗う。体中の傷がチクチクと痛んだが、根性と気合で無視。

 髪と身体の洗浄が終わったら、シャワーを止めて湯船に体を沈め、ベアトリーゼは唇を尖らせた。

「手加減しやがって、あのジジイ」

 

 ベアトリーゼは呻くように毒づく。が、その声音は自身も不本意なほど反感や嫌悪が乏しい。それどころか、この苛立ちが一種の好感の裏返しっぽくて余計に腹立たしかった。

 

 憂鬱な気分に駆られ、脳ミソが勝手に自己分析を始める。

 

 ひょっとして、私は無自覚に父性や母性を求めていたのだろうか。

 思えば、今生はロクな大人に出会っていない。

 

 親の顔も名前も知らぬ孤児として育った。荒野のネズミ暮らしの間に出会った大人は、自分達のコミュニティに属さぬ者に冷酷で冷淡な輩か、孤児達を利用して食い物にしようとするクズカスゲスだった。

 

 マシな生活を求めて仕えたウォーロードやその隷下の大人達は、ベアトリーゼを子供として扱わず、異能を持つ兵器として、命令に従う戦闘犬として接してきた。

 

 ベアトリーゼを人間として庇護する大人も、教え導くような大人も、いなかった。

 

 ロビンには師と親と友がいた。麦わらの一味の面々にも親や親に等しい大人がいた。愛情をもって教え導く大人達がいた。

 自分にはいない。誰もいなかった。底の開いた靴みたいな前世記憶と原作知識を頼りに、この世界の非情さと無慈悲さに順応し、必死に生きてきた。必死に、生きてきたのだ。それを――

 

 心に芯が通ってない? 心を伴ってない力? 魂のこもらない技? 好き放題抜かしやがって、あのジジイ。

 

 ベアトリーゼは大きく深呼吸し、肺いっぱいに空気を取り込んでから湯船に顔を突っ込み、

 ふざけんなあああああああああああああああああああっ!!

 お湯の中で絶叫した。

 

 ごぼぼぼと湯面が盛大に泡立つ。肺が空になるまで絶叫し続け、ベアトリーゼは息荒く顔を上げる。

 細かな傷に満ちた両手で顔を覆い、喘ぐように嘆く。まるで道に迷った幼子のように。

 

「……ロビンに会いたいよぅ」




Tips

ガープの覇気。
 独自解釈。
 ガープが覇王色の覇気を使えるかどうかは、現在(2023/1月)まで不明。
 だけど、海賊王ロジャーと渡り合えた男が使えないってことはないだろうから、こういう描写。

トーレント・デ・ブール。
 オリ技。
 シャーロット・ガレットの技。意味は『バターの奔流』。フランス語の理由はなんとなく語感で。

バタバタの実。
 独自解釈。
 原作での情報が足りな過ぎて、実質的にオリジナル悪魔の実状態で描写するしかない。

ベアトリーゼ。
 あれ、私って結構カワイソーな奴なんじゃね? と今更に気づく。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39:腹黒な連中の腹の底

お待たせした分、ちょっと多めです。
佐藤東沙さん、太陽のガリ茶さん、誤字報告ありがとうございます。


 オヤツ時が過ぎた午後。

 マーケットの一角にある『ラクダ亭』に、再び関係者が集まった。

 ビッグ・マム海賊団の面々とプリティ海運社の面々が一つしかない卓に着く。

 

 小柄な三つ編み少女がとことことやってきて、映像電伝虫を卓にセット。壁に映像が投射された。

『暗殺の成功を確認した。君達の協力に感謝する』

 電伝虫から男性とも女性とも取れる声音が流れ、

『約束通り報酬を引き渡そう』

 奥の通路から小汚い男が手押しカートを運んできた。

 

 カートの上にはバスケットボール大の赤白青三色のメロンが四つ鎮座していた。

「鑑定保証書付き最高級トリコロール・メロンでごぜェやす。お帰りの際はこちらのケースに入れてお持ちくだせぇ」

 男がカートの下段から特注の保冷ケースを示す。

 

『プリティ海運に対する特別報酬に関してだが、君が故国に帰りつく頃には、君を悩ませている問題は解決していると言っておこう』

 電伝虫から告げられた内容に、テルミノは目を瞬かせた。理解が追いつかないらしい。

「そいつはどういう――」

 

「ミスターを潰そうとしていた連中を世界政府のお役人が直々にやっつけてくれるってことだよ。ミスターの会社は安泰で、メロンは丸儲けになるね」

 パーカーにデニムパンツと平凡な恰好をしたベアトリーゼがつまらなそうに説明すれば、

「そ、そいつぁプリティグッドな御配慮で……心からプリティに感謝しますっ!」

 テルミノは電伝虫へ向け、ここ数日で生え際が大きく後退した頭を深々と下げた。

 

「感謝するなら危ない橋を渡った私達にして欲しいヤモ」

 首に海楼石付チョーカーを巻き、“普通の”三十路美女姿を取るジューコが冷ややかにこぼす。

「もちろんプリティに感謝してるさっ! 特別ボーナスを期待してくれっ!」とテルミノはガハハハと笑う。

 

『それと、ベアトリーゼ殿に関する特別報酬だが』

 電伝虫の言葉に合わせ、小柄な三つ編み少女がてくてくとベアトリーゼに歩み寄り、黒い手帳を差し出した。

「どうぞ、お姉さん」

 

「これが私の過去?」

 ベアトリーゼは胡散臭そうに受け取った手帳を開き、ぱらぱらとページをめくる。少なくとも手帳の4分の3ほど使用されているようだ。

「……これの執筆者が私の過去を知ってるってこと?」

 

『その手帳は君のルーツに関する内容が記してある。詳細は後程、自身の目で確認すると良い』

 自称政府関係者は淡白に語り、冷ややかな口調で続ける。

『取引は完了した。我々の協力関係はこれにて終了だ。断っておくが、今回の暗殺が政府の弱みになることは無いと言っておこう。政府を貶めるべく他言したいなら構わないが、プリティ海運は税務署の立ち入り検査などが頻繁に行われるようになるかもしれないし、ビッグ・マム海賊団はしばらく厳選食材の調達に苦労するかもしれない』

 

「脅しか?」モスカートが眉目を吊り上げる。

『この世界でおしゃべりは幸せになれないという事実を共有しただけだ、モスカート殿』

「偉そうに」ガレットは苦い顔で舌打ちし「まぁ……いいわ。目的の果実は手に入ったし。他に用が無いなら帰るわよ。早くママに食べさせてあげたいんだから」

「気が合うね、お姉さん。私も政府の役人とこれ以上関わりたくない。さっさと帰らせてもらうよ」

 ベアトリーゼの意見に全員も同意する。

 

 依頼を受ける前も依頼を受けた後も、誰一人として暗殺の事情を深く尋ねない。

 元より政府や海軍と敵対する海賊のシャーロット家も、元荒事師のテルミノも元海賊のジューコも元賞金首のベアトリーゼも、正しく理解している。

 藪を突く危険性と愚かさを。

 

『それでは失礼する。諸君。御機嫌よう』

 映像電伝虫が通信を断つ。

 

「気取った野郎だ」とモスカートが鼻を鳴らし、「気疲れする相手だったな」とテルミノが溜息をこぼした。

「何はともあれ」

 ベアトリーゼは時価数千万のメロンを一瞥し、ようやくいつもの物憂げな微笑を湛えた。

「メロンが手に入って、めでたしめでたしだね」

 

       〇

 

 サイファー・ポールの工作管理官“ジョージ”は煙草をくわえ、火を点す。ゆっくりと最初のひと吸いを楽しんでから、紫煙を吐いた。

「これで良かったのか?」ジョージは応接ソファに座る若々しい貴婦人へ顔を向け「ステューシー」

 

「ええ。“ジョージ”。面倒を掛けたわね」

 サイファー・ポール天竜人直属機関CP0のエージェントにして、闇世界の帝王の一人であるステューシーは柔らかく微笑み、紅茶を口に運ぶ。次いで、応接卓に置かれた写真を一瞥。物憂げな美貌の乙女を見つめ、小さく息を吐いた。

「夜色の髪。暗紫色の瞳。小麦色の肌。そして、“箱庭”の出身。条件は揃っているけれど、まさか“本物”だなんて」

 

「フランマリオン聖がそう見做しているだけだろう。最後の条件はともかく、身体条件そのものは珍しくもない」

“ジョージ”は煙草を吹かした。

「血浴をヴィンデと誤認している可能性の方が高いと思う」

 

「かもしれない。でも、この世界でヴィンデに最も詳しい者も、フランマリオンだけよ」

 自分へ言い聞かせるように語ったステューシーへ、“ジョージ”は尋ねる。

「だから、あの手帳を渡したのか?」

 

「そうよ」ステューシーは手元のカップを見つめ「あの手帳はヴィンデの人間が持つべきだもの」

 

 さしもの“ジョージ”も年齢不詳の旧友が何を思っているかまでは分からない。

 連絡をつけたのは早計だったか?

 

 ※ ※ ※

 かつてベアトリーゼが捕縛された際、フランマリオン聖が海軍本部でセンゴクへ身柄の扱いに言及した。これを受け、センゴクがそれとなく政府や諜報機関に探りを入れたことで、ステューシーの耳にも届いた。

 

 ベアトリーゼがヴィンデに連なる可能性を知った途端、ステューシーはこれまでの無関心が嘘のように血浴へ強い関心を示し、“ジョージ”にも協力を求めてきた。

 

 であるから、潜伏工作員(スリーパー)の一人であるジューコから、プリティ海運に血浴のベアトリーゼが潜りこんだ報告を受け、マーケットに来訪する予定であることは掴んだ時、“ジョージ”はステューシーへ連絡を取った。

 もっとも、自身の情報網関係を部下に明かしていないため、ベアトリーゼが姿を見せた時、部下から『死人が現れた』と報告を受けたわけだが。

 

 ともかく、連絡を受けたステューシーは天竜人直属機関CP0のエージェントとして、表向きは天竜人フランマリオン聖が関心を注ぐ“箱庭”出身者を調査する名目で、自身の持つ“手帳”をベアトリーゼへ渡すべくマーケットへ乗り込んできていたのだ。

 ※ ※ ※

 

 何を考えているのやら。“ジョージ”は内心でぼやきつつ煙草を吹かす。舌に伝わる煙の味が苦い。

「……ベガパンク辺りが知ったら、鬱陶しいことになりそうだな。ただでさえプルプルの実の能力が注意を惹いているところへ、“あの血筋”の生き残りだ。サンプルとして絶対に欲しがるぞ」

 

「大丈夫だと思うわ。数年前ならともかく、今の彼は別のことに夢中だから」

 ステューシーは顔を上げて薄く微笑み、「それにしても」と続ける。

「サウスの件に関わる“新世界”の麻薬商が狙い撃ちされ、貴方に尻拭いの要請が来たところへ、ビッグ・マム海賊団の子女と血浴がマーケットに丁度到着した。しかも、私が歓楽街のビジネスで使うトリコロール・メロンを調達したら、彼らもメロンを求めていた。確率的にあり得る?」

 

「何らかの作為が働かない限りあり得ないだろうな。だが、少なくとも、マーケット内で陰謀の類は行われていない。それは私が保証する」

 半分ほどになった煙草を灰皿に置き、“ジョージ”は紅茶で舌を潤す。

「つまり、世界は大いなる不思議に満ちているということだ」

 

「貴方はスパイより哲学者になるべきだったわね」

 ステューシーはくすくすと喉を鈴のように鳴らし、不意に真顔を浮かべる。

「クラックを刺したのは誰だと思う? 海軍は臨検した貨物船から“偶々”重要情報を掴んだと言っているけれど、仮にも島持ちの麻薬商になる男がそんなヘマを打つかしら」

 

「私は今回の尻拭いを乞われただけで、全体像を知らないから何とも言えない」

“ジョージ”は前置きして続けた。

「今回の最大受益者はロス・ペプメゴだろうが、彼らにグランドラインの、それも新世界に拠点を置く大物麻薬商を刺せるとは思えない」

 

「たしかにね」ステューシーは同意し「彼らはあくまでサウスのテロ組織だもの」

「可能性としては裏社会の利害抗争、それと政府内のセクト抗争もあり得る。サウスの件は最高レベルの非合法作戦だ。暴露されれば、高官のクビがいくつも飛ぶ。つまり、ポストが空く」

政府(身内)を疑うなんて、貴方らしいわ」

 楽しげに微笑み、ステューシーは紅茶を嗜む。

「でも、きっと政府内でも同じように考える人がいるわね。ああ、大変だこと」

 

「大変で言えば、万国もだろうな」

 短くなった煙草を揉み消し、”ジョージ”は憐れむように続けた。

「ビッグ・マムはトリコロール・メロンを口にするだろう。今後、メロンの食い煩いが起きるかもしれないが、あのメロンは簡単に入手出来ない。万国はこれから大変だ」

 

「それなら大丈夫よ」

 ステューシーは悪戯っぽく口端を緩める。

「リンリンはあのメロンが苦手だから」

 

      〇

 

 夕餉時を迎えた万国のホールケーキアイランド。その王城(シャトー)にて。

「……トリコロール・メロン」

 四皇“ビッグ・マム”シャーロット・リンリンは娘が持ち帰ってきた土産を前に、何とも言えない気分を抱いていた。

 

「凄く希少な果実だって聞いて、是非ママに食べて貰いたくて」とガレットが嬉しそうに言った。

「あー、うん。母親思いの良い子だね、ガレット。オレも嬉しいよ」

 美食に目が無い母にしては何とも味気ない反応に、ガレットは目を瞬かせる。

「ひょっとして……トリコロール・メロンが嫌いだった?」

 

「いや、嫌いってわけじゃあねェよ? 凄く美味いことは知ってる」と母の歯切れが悪い。

「? ママはこのメロンを食べたことあるの?」

 ガレットが意外そうに小首を傾げれば、

「あー……」

 リンリンが返答に窮し、仕方ねえなあ、とぼやいてから言葉を編み始める。

 

「我が子達を生む前の話さ。オレがロックスの下にいた頃に一度食ったことがある。べらぼうに美味かった。ただ――」

「ただ?」と同席しているモスカートが相槌を打つ。

 

「このメロンは“食べ合わせ”を許さねえのさ。完全に消化されるまでに他の食い物を口にすると、スゲェ腹痛に襲われる。それを知らずにオレはこのメロンを食った後にお菓子を食い、それはもうヒデェ目に遭った」

 ぼやくように語り、リンリンは眉間に深い深い皺を刻み込んだ。

「だいたい、おかしいと思ったんだ。ロックスがテメェで食わずにオレへ寄越すなんてよ。あの野郎、何が軽いイタズラだ。ふざけやがって……思い出したら、ぶっ殺したくなってきた」

 

 実際、当時のリンリンはガチでブチギレてロックスをぶっ殺そうとしたのだが、そこは当時の世界最強最悪。若き日のリンリンを問題なく撃退した。恐るべしロックス。

 

 手元の菓子を一つ取り、リンリンは忌々しげに口へ放り込む。菓子に宿ったホーミーズが断末魔を挙げるが、シャーロット一家は誰も気にしない。甘味で機嫌を宥めてから話を〆る。

「そんなわけで、オレはその件以来このメロンを一度も食ってねェ。ロクな思い出がねェからな。進んで食いたいもんでも無かった」

 

「……ごめんなさい、ママ。良い御土産になると思ったんだけど……」

 気遣いが上手くいかなかったことにションボリする娘へ、さしものリンリンも気まずいものを覚えたのか、優しい声を掛ける。

「そう気にするこたぁねェよ、ガレット。食べ合わせをしなきゃあ美味ェ果物さ。それに、お前が頑張って手に入れてきたレア物だ。後で皆揃って食べようねえ。マンママンマ」

 

 上機嫌に笑って娘を褒める母。褒められてパァアアと喜ぶ娘。

 

 ただし、年長組に属する息子モスカートは気づいた。

 皆で食べよう――ママは自分で食わず、家族に食べさせるつもりだと。

 

     〇

 

 そして、翌日。

 グランドライン“新世界”。ドレスローザ王国。

 ドレスローザ国王にして王下七武海“天夜叉”ドンキホーテ・ドフラミンゴは海賊などという“シケた”商売から大きく脱却して久しい。

 

 組織の実情は多種多様な事業を商う総合企業に等しく、ドフラミンゴは海賊団の頭目というより最高経営責任者と評すべき立場にある。これに加え、一国の王としての仕事もあるわけで、いきおいドフラミンゴは海賊とは思えぬ多忙な(しかし彼にとってはどこか退屈な)日々を送っていた。

 

 この日も、ドフラミンゴは家族たるファミリーの幹部達と朝食を摂りながら簡単な報連相を済ませた後、自身の執務室で仕事を処理していた。室内にあっても、トレードマークの特徴的なサングラスは外さない。

 

 ドアがノックされ、「若様、よろしいですか」

「ああ。入れ」とドフラミンゴが応じれば、黄緑髪が麗しい知的な美女が入室してきた。

 

 ドンキホーテ・ファミリーの幹部にして”家族”の一員、モネだ。

 秘書然とした装いのモネは小脇に抱えていたペーパーファイルを執務机に提出する。

「ヴェルゴからクラックの件で報告が届いたわ」

 

「ほう?」ドフラミンゴは背もたれに体を預け「やけに早ェな」

「ええ。半分良くて半分良くない話よ。それでヴェルゴも急いで寄越したみたい。詳細は報告書に目を通してください」

 

「フフフ。いや、説明してくれ。お前の口から聞きたい」とドフラミンゴは執務机傍の椅子を示した。

 絶対的忠誠を誓う主の要望に否やはない。モネは椅子に腰かけて言葉を紡ぐ。

「若様の指示通り、ヴェルゴは海軍本部を動かし、麻薬商クラックの逮捕作戦を実施させたわ。任務に当たったのは本部中将ガープの小戦隊。クラックの島を強襲し、身柄も確保した。ここまでは若様の計画通り」

 

「そこから先が良くない話か」とフフフと楽しげに笑い、ドフラミンゴは先を促す。

「クラックを捕縛したその日のうちに、殺し屋が送り込まれてクラックは殺害されてしまったそうよ。彼を利用して世界政府と海軍、加盟国の関係悪化を図る計画は失敗ね」

 モネは残念そうに美貌を曇らせた。

 が、ドフラミンゴはフフフと大きく笑う。

「失敗というほどのことじゃない。目障りな麻薬売りそのものは消えたんだからな」

 

 さて、ネタ明かしと参ろう。

 ドフラミンゴの扱う事業には武器弾薬の密造と密売が含まれており、大口取引先の一つが南の海のテロ組織ロス・ペプメゴだった。

 海軍は10年以上に渡ってテロを続けるロス・ペプメゴに有効な対策を取れずにいた。こうした状況に業を煮やした世界政府は、諜報機関(サイファー・ポール)にロス・ペプメゴへ潜入工作と組織壊滅を命じた。が、これも失敗。

 

 そこで近年は方向性を変え、賞金稼ぎや傭兵や懐柔した海賊を用いた白色テロ部隊を組織。ロス・ペプメゴの現場要員とその支持層へいわゆる『汚い戦争』を仕掛け、“人的資源”の消耗を強いている。

 この白色テロ部隊の資金源が麻薬商達だ。政府は麻薬商達に目こぼしを与える代わりに、組織運営に必要な資金を提供させている。麻薬商クラックもその一人だった。

 

 言うまでもなく、これはいろいろ不味い。

 仮に事が露見しようものなら、諜報機関(サイファー・ポール)の担当者と幹部は尻尾切りであの世行き間違いなしの大スキャンダル。政府にしても、五老星はともかく高官のクビがいくつか飛ぶだろう。

 

 海軍にしてみれば、これまで矢面に立ってきた自分達へ一切合切を秘密のまま、麻薬屋の金を元手にした白色テロ部隊による汚い戦争を推進していた、などという話は断じて許容できない。控えめに言ってブチギレ必至だ。

 

 加盟国にとっては、政府が目こぼしした麻薬商により国内に麻薬汚染を広げられ、市井の富を不法に奪われた挙句、白色テロ部隊に治安を悪化させられるわけだ。オブラートに包んで言ってもブチギレ確実である。

 

 間違いなく、政府と海軍と加盟国の関係に少なくない軋轢と相互不信が生じる。

 

 ドフラミンゴが描いた絵図も、この問題点を突くものだった。

 海軍内に深く潜伏させた配下(ヴェルゴ)を通じ、御得意様(ロス・ペプメゴ)に迷惑をかける麻薬屋の中で最も大きなネズミを潰しつつ、世界政府にクソを食わせ、海軍と加盟国を怒らせる“嫌がらせ”。

 特に事をマスコミへリークするのではなく、海軍の手で発覚させる点に、ドフラミンゴらしい強烈な悪意がこもっている。

 

「フフフ。しかし……ノロマな諜報屋共にしては随分と対応が手早い。その辺りの情報はあるか?」

「詳細は今も調査中らしいけれど、ビッグ・マム海賊団の関与が疑われていて、殺し屋の一人は死んだはずの元賞金首かもしれないって」

 モネの説明を聞き、ドフラミンゴは怪訝そうに眉をひそめた。

 

 ビッグ・マム海賊団が世界政府と? あの化物ババアは海賊王を目指すと宣いながらも、もう長いこと万国で王様ごっこに興じている。裏社会の帝王達ともつるんでいるし、裏で政府と取引をしていてもおかしくはないが……

「死んだはずの元賞金首というのはなんだ?」

 ドフラミンゴの指摘に、モネは説明を並べていく。

「血浴のベアトリーゼと呼ばれている女賞金首よ。西の海で『悪魔の子』ニコ・ロビンと組んで、かなり荒っぽくピースメインを働いていたみたい。数年前に逮捕され、護送船の水難事故で死亡。ということになっていたわ」

 

 モネの報告に、ドフラミンゴはあれこれと悪企みする人間らしく、自身の価値観と経験から答えを導き出す。

 死んだことにして政府が飼っていた、か。件の白色テロ部隊の精鋭かもな。

 世界を悪意的に捉えるドフラミンゴは勘違いに気付かない。まあ、気づかなくとも問題はないが。

 

 楽しげな主の様子に小首を傾げつつ、モネは執務机に置いたファイルを開いて写真を示す。

「これが血浴のベアトリーゼよ。(シュガー)は私と印象が似てると言うんだけど……そうかしら?」

 

 写真のベアトリーゼはモネ同様に目尻がやや下がり気味で、クールな物憂げ顔がモネと似通った印象を与える。だが、ドフラミンゴの注意を惹いた点は別にある。

 

 夜色の髪。暗紫色の瞳。小麦色の肌。そして西の海出身。

 

 聖地にて選ばれた者として生を受け、幼少期を過ごした男は古い記憶を刺激される。

 ドフラミンゴは天竜人の中でもとびきり薄気味悪い男を思い出し、

「この女……まさか、フランマリオンの――」

 口元に手を当てて真剣に考え込む。

 

 どこか鬼気迫る様子に、モネが心配そうに声を掛けた。

「若様?」

 

 モネの声で我へ返り、ドフラミンゴはいつも通りの笑みを浮かべる。

「なんでもねェ。それにしても……まったく退屈しねえ世の中だぜ。フフフフフフ」

 その嗤い声は世界の全てに憎悪を向けており、絶対の忠誠心を持つモネすら震え上がった。

 

      〇

 

 ドフラミンゴが狂笑を上げている頃。

 ベアトリーゼは徹夜で黒い手帳に目を通し終え、大きく息を吐く。

 

「宿命というのは二重の意味で人間を侮辱にしている、と言ったのは星海の魔術師だったかな。でも、宿命というものは確かにある、とも言うわよね」

 言ったのは『人間の業』を研究するイカレ科学者だったが。

 

 黒い手帳の表紙をゆっくりと撫で、ベアトリーゼは瞑目する。

 自分が前世記憶を持ってこの創作(ワンピース)世界に生を受け、異物として原作物語の一端に関わり、挙句は“これ”。

 

 宿命。

 

 そういうことかもしれない。いずれにせよ――ごめん、ロビン。

「アラバスタ行きは後回しだ」

 

 

 

 

「おーい、いつまで寝てるヤモ」

 ドアを開け、ジューコが室内を覗けばベアトリーゼの姿はなく。

 卓の上に置手紙と銭一袋。

 

『世話になった。またどこかで』

 

「紙っ切れ一枚で船を降りるとは……いい歳して仁義の通し方を知らないヤモ」

 ジューコは鼻息をつき、

「ま、殺しても死なないような奴ヤモ。そのうち新聞か手配書で顔を見るヤモ」

 船窓へ向けて呟く。

「せいぜい達者にやるヤモ」




Tips

ステューシー
 原作キャラ。原作本編でとんでもない事実が判明。
 というか、原作本編の真相明かしが怒涛過ぎて対応できないよ・・・

ヴィンデ
 銃夢:火星戦記に登場するヴィンデ兵団から名前だけ拝借しているオリ設定。

シャーロット・”ビッグマム”・リンリン
 原作キャラ。原作屈指の大怪獣。
 まあ、ビッグマムにも好き嫌いくらいはあるだろうな、と。異論は認める。

ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
 原作キャラ。一部界隈で41歳とかネタ扱いされている不憫な悪役。
 本作中ではまだ30代ぞ。

モネ。
 原作キャラ。ワンピースでは少数派のアンニュイ系クールビューティ。
 トラファルガー・ローに改造手術を受けるまでは普通の美女だったそうな。鳥好きが転じてハーピーになっちゃったらしい。えぇ……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40:はるばる来たぜエレジア

佐藤東沙さん、青黄 紅さん、Nullpointさん、誤字報告ありがとうございます。

※今話は劇場版FILM REDの内容に触れます。御注意ください。

※時系列を間違えていたので、修正しました(2/11)


 エレジアという島の場所ははっきりしない。

 東の海とも南の海とも“楽園”にあるとも語られているが、一方でそれらの海の出身者は覚えがないと語る。

 

 ただはっきりしていることは、かつて音楽の都と謳われたこの島嶼都市国家は5年以上前に、赤髪海賊団の襲撃で壊滅したと報道されている。人口数百人の住民は全滅し、島の街は壊滅。島を満たしていた音曲が絶えて久しい。

 

 しかし、この島にはたった二人の生存者が今も暮らしていて、善意の交易船が定期的に寄港し、物資が届けられているという。

 そんなか細い噂を頼りに情報を集め、エレジア近海行きの貿易船に乗り、いくつか貨客船を乗り継いで(時には密航も)、エレジア交易船へ乗ることに成功。

 

 そうしてようやっと辿り着いた先のエレジアは、小さな島だった。

 島の大半は休火山と火山湖が占めており、市街地は島の南部にあって、港が市街地東西に二つ。さらに水道橋でつながった小島には超大型海王類の骸骨が鎮座している。

 

 スループ型交易船の甲板からエレジアの姿を眺め、ベアトリーゼは物憂げな顔で言った。

「遠目には町の姿を保ってるようだけど……これまで復興や新規入植の話はなかったの?」

 

「滅んで間もない頃にぁそんな話もあったらしいですがね。どういう訳か立ち消えになっちまったようで、ゴードンさんと“娘さん”の2人暮らしのまんまでさぁ」

 船長がパイプを吹かしながら応じる。

 この船旅の序盤、ベアトリーゼが海賊船を“刺身の船盛”に変えて以来、船長以下全ての船員達は『ベアトの姐さん』と敬語だ。

 

「赤髪の虐殺を生き延びた唯一の生存者か」ベアトリーゼは少し考え込み「島を離れず親子二人だけで廃墟島暮らしとは、のっぴきならない事情がありそうだ」

「こんなとこまで足を運んできた姐さんもそのクチでは?」

 諧謔を滲ませた船長に、ベアトリーゼは微苦笑を返した。

 

      〇

 

 少女は残骸と化して久しい街の一角から、港を眺めていた。

 

 今日は交易船の寄港日だ。外部の人間と接せられる貴重な機会なのだけれど、

 ――あの人達はどうせすぐに出ていく。あの人達も私を“置いていく”。

 少女は遠き日の記憶と心の傷により彼らとの接触を――すぐに別れを迎える出会いを受け入れられず、こうして遠目に異邦人達を眺めるだけだ。

 

 港で保護者兼指導者のゴードンが交易船の船長と背の高い美女と何やら話し込んでいた。

 交易船は善意で廃墟のエレジアに立ち寄っているから、持ち込む物資もそう多くない。が、ゴードンも謝礼として作成した楽譜や書き記した音楽書を提供している。

 随分前に立ち聞きしたところ、ゴードンは世界的に知られた音楽家で、ゴードン作の楽譜や音楽書はその筋で高値がつくという。

 つまるところ、このささやかな交流は正しく交易だ。物資と文物の交換。

 

 ゴードンのリヤカーに物資が山ほど積み込まれ、交易船は街の井戸から組み上げた飲み水をたっぷり補給して出港していく。

 

 寂寥感と孤独感と行き場のないドロドロとした負の感情が少女の胸に湧き上がる。

 ああ。ほらみろ、すぐにさよならだ。私はまたゴードンと二人きりで、誰に聞かせることもない歌と音楽を学ぶだ―――け?

 

 ゴードンの傍らに美女が残り、出航していく交易船を見送っていた。

 ? ? ? ? どういうこと? あの人はなんで残ってるの?

 

 混乱しながらも美女をまじまじと窺う。

 癖の強い夜色のセミロングをローポニーにまとめ。暗紫色の瞳が印象的な細面。長い手足と引き締まった体つき。

 細身のワークパンツとフードジャケット。両腕に奇妙な装具を装着していて、腰に装具ベルトを巻いており、後ろ腰には交差するように大きな鞘を二本下げていた。

 

 美女は不意にこちらを向き、アンニュイ顔に微笑を湛える。

 

 気づかれた!?

 大きく驚く少女を余所に、美女は大きなバックパックを軽々と背負い、リヤカーを牽くゴードンと共に王宮へ向かって歩き出した。

 

 どういうことなの?!

 混乱する少女は疑問を解くため、自身も王宮へ向かって駆けていく。

 ウサミミ状のロー・ツインテールに結い上げられた紅白二色の長い髪が、少女の感情に比例して大きく揺れていた。

 

      〇

 

 住民の絶えたエレジアの街は廃墟と瓦礫ばかりであり、風化と植物に飲まれつつあった。

 雑草と苔にほとんど食われかけた石畳の通りを歩きながら、ベアトリーゼは思う。

 ポスト・アポカリプスでこんな街並み見たことあるな。山寺宏一が主人公の声を当ててた……何だっけ? んー……ダメだ。もう思い出せない。

 元より穴の開いた靴下みたいだった前世記憶だ。過酷な今生と相まって抜けも多い。

 

「それにしても……」

 物資満載のリヤカーを牽くゴードンが独りごちるように言葉を編む。

「古エレジア式楽譜など本当に久し振りに見た。この国ならともかく、外によく残っていたな」

 

「残っていただけで読解法が伝わっていなくてね。もはや古代語と同じだよ」

 ベアトリーゼは懐から黒い手帳を取り出し、鼻息をつく。

 

 黒い手帳に記されていた内容はベアトリーゼの過去というより、ある血筋についての調査と考察の記述だった。しかも、最も重要らしい情報はいずれも見たこともない文字で書かれており、読解困難だった。

 

 マーケットの古書街で店を巡り歩き、まず言語学系や記号学系の書籍で文字の正体を探り、謎の文字が古エレジアの楽譜に用いられる楽譜用記号と判明。今度は音楽書籍系の書物に当たって読譜を試みるも、古エレジア式記譜法の読み方を記した書物は、マーケットにすらなかった。

 かくして、ベアトリーゼは古エレジア楽譜の読譜のため、はるばるエレジアまで足を運んだわけだ。

 

 緑に食われつつある街を横目にし、ベアトリーゼは続ける。

「エレジアが滅んで久しいと聞いた時は、もうどうにもならないかと思った」

 

「この国が健在だった頃でも、古エレジア記譜法で書かれた楽譜を読める者はそう多くなかったよ」

 ゴードンは顔に哀切と寂寥とわずかな懐古を湛え、

「音楽学の研究者でも無ければ、古エレジア記譜法などまず触れないからね」

 興味深そうにベアトリーゼへ尋ねた。

「その手帳に楽譜を記した者はエレジアの縁者なのかい?」

 

「分からない。それも含めて調べに来た」とベアトリーゼは黒い手帳を懐へしまう。

「酔狂なことだ」

「それを貴方が言うのか?」

 ベアトリーゼは物憂げ顔でリヤカーを牽くゴードンを一瞥し、

「赤髪がこの島を滅ぼす以前、貴方は王だったと聞いた。エレジアは加盟国だったそうだし、世界政府へ再建なり復興なり申し出なかったのか?」

 周囲へ視線を巡らせる。顕微鏡でシャーレを覗くような目つきで。

「街並みを見る限り、被害は深刻だけど、再建できないほどでは無いように思う」

 

「知己を得たばかりだというのに、ズバリと踏み込んでくるね」

 無礼かつ非礼な問いに対し、ゴードンの反応は静かだった。色の濃いサングラスに隠され、双眸にどのような色が浮かんでいるかは分からない。が、少なくとも声色に怒りや不快は籠っていない。

「……音楽を愛する人々が何世代にも渡って築き、積み上げてきたものがエレジアだった。彼らの生きる日々がエレジアだった。彼らが失われた今、街並みを復興しても、外部から入植者を招いて国を再建しても、それはもうエレジアではないよ」

 

「つまりこの街は巨大な墓標で、貴方は墓守人か」

 ベアトリーゼの侮辱すれすれの物言いに、ゴードンは自虐的に喉を鳴らす。

「遠慮の欠片もない言い草だね」

「私は言うなれば、墓荒らしに来た人間だ。腹に一物を秘めているより率直な方が良いだろう?」

 

「その意見もまた、相手に配慮しているようでしていないな」

 ゴードンは短いやり取りの中で、ベアトリーゼという女が分かってきた。

 これはまた癖の強い女性だ。ウタと上手くやっていけるだろうか……

 

      〇

 

「この子はウタ。私の教え子だ」

 酷く損傷した王宮に到着し、ベアトリーゼはゴードンの“教え子”――縁起の良さそうな紅白二色頭が特徴的な16歳の美少女を前にして即座に確信する。

 

 この存在感ある容姿は原作ネームドですね、間違いない。

 原作知識がエニエスロビー編以降ほとんど無いに等しいベアトリーゼは、劇場版アニメなんかろくすっぽ見たことがない。なんか一時騒がしかったな、くらいの印象があるだけだ。

 余談ながらウタが登場する劇場版『FILM RED』は日本アカデミー賞作品を鼻で笑い飛ばせるほどの興行成績を上げ、ウタはアニメキャラクターながら紅白歌合戦にも出演したのだ。

 が、ベアトリーゼはこうした情報を全然覚えていなかった。あーらら。

 

「……ウタよ」

 警戒心と不安と少しの好奇心が入り混じった目つきは、子猫を思わせた。

 

 あら可愛い。懐かせたくなってくるわ。

「私はベアトリーゼ。よろしく」

 ベアトリーゼはさらっと名乗り、

「最初に明かしておくけど、私は賞金首だ。とはいっても海賊じゃないし、堅気相手に悪さしたことはないから安心して良い。それと、ここには調べ物で来た。用事が済んだらさっさと出ていくよ」

 しれっと言ってのけた。

 

 呆気にとられていたウタは、ぎろりと師であるゴードンを睨む。どういうこと、と薄紫色の瞳が詰問している。

「あー……一応事情は港で聞いた。ウタ、彼女は確かに賞金首で追われる身だが、一般人を襲ったことはないそうだ。私達に危害を加えることはない、と思う」

 ゴードンの説明を聞いても、ウタは納得しない。猜疑心たっぷりの目つきでベアトリーゼを睨めば。

 

「コワクナイヨー」とベアトリーゼは物憂げ顔に悪戯っぽい微笑を湛えた。

 からかわれたと感じ、ウタは両頬をぷくりと膨らませる。後頭部のウサミミ髪がぴこんと起立した。

 

 閉鎖的な環境で幼少期と多感な時期を過ごしてきたウタは、世間知らずであり、対人コミュニケーション能力が幼児期で止まっており、つまりまあ、16歳という年齢と出るべきところが出た体つきに反していろいろ幼い。

 

「バカにしないでっ!」

 頭一つ分は背が高いベアトリーゼへ噛みつくようにウタが抗議するも、

「とりあえず、空き部屋に案内してくれる? こんだけデカい建物ならまだ泊まれる客室の一つくらいあるだろ?」

 ベアトリーゼはひらひらと手を振って図々しく応じるだけ。

 

 あまりに太々しい立ち居振る舞いに、ウタは眉目をこれでもかと吊り上げた。ウサミミ型の髪が怒気に合わせて震えている。怒りの切っ先を師に変え、吠える。

「ゴードンっ! なんでこんな人受け入れたのよっ!!」

 教え子の怒声を浴び、ゴードンはこれからの日々を想像して眉間を押さえた。

 

 

 

 で。

 

 

 

「押しかけ居候をさせてもらう訳だから」

 客室に荷物を置いてから、ベアトリーゼが厨房で夕餉をこさえ始める。

「料理なんて出来るの?」と厨房の出入り口から怪訝顔を向けるウタ。

 

「ああ。得意料理はお刺身だよ」

 聞く者が聞けば顔を蒼くする回答だが、事情を知らぬウタは「刺身なんて魚の身を薄切りにするだけじゃない」と和食料理人が聞いたら憤慨しそうな返しを告げる。

「心配しなくても、食べられるものを作るよ」

 

 ベアトリーゼは肩越しにウタへ応じ、食材を下拵えしていく。

 刃物の扱いがやたら上手いことを除けば(やはりその理由を知らないウタは気にしなかった)、ベアトリーゼの料理は“普通”だった。

 野菜と魚介の煮込み料理(アクアパッツァ)。ホタテのソテー。タコとトマトのアヒージョ。

 

 手際よく料理を作っていくベアトリーゼの背へ、ウタは質問を放る。

「調べ物に来たって言ってたけど、ここで何を調べるのよ?」

 

 ベアトリーゼは赤ワインをグラスに注いでクイッと呷り、煮込み料理の味を確認。ウタへ顔を向けずに反問した。

「ウタちゃんは古エレジア式記譜法に詳しい?」

 

「知らない。古エレジア式記譜法なんてもう誰も使ってないもん」

 ウタちゃん、と小さな子に話し掛けるような口調が面白くなく、ウタはどこか挑むように答えた。ウサミミ髪がピコピコと揺れている。

 

 が、ベアトリーゼは気に留めることなく鍋の煮汁を小さじですくう。

「それがここに来た理由だよ。今じゃ誰も使ってないから、エレジアまで来る必要があった」

 煮汁を味見し、ベアトリーゼは鍋の煮汁を少しばかり小皿に取り分けてウタへ勧めた。

「ちょっと味見してみて」

 

 ウタは警戒心が強い猫のようにそろりそろりと歩み寄り、小皿を受け取って煮汁を口に運ぶ。美味しかったけれど、なんとなく悔しい。

「……悪くはないんじゃない」

 

 少しばかりヒネた感想に、ベアトリーゼはアンニュイ顔に微苦笑を湛え、

「じゃ、これで良いか。しかし……」

 厨房を見回してから問う。

「ゴードンさんは美食家なのかい?」

 

「そういうわけでも無いと思うけど……なんで?」

 予想外の質問を受け、ウタが不思議そうに小首を傾げる。

「様々な調理器具に豊富な調味料。料理人の腕次第だろうが、これだけ揃っていれば、大抵の料理が作れる。ゴードンさん自身が美食趣味じゃないなら、ウタちゃんのために揃えたのかな」

 

 ベアトリーゼの指摘にウタは目をぱちくりさせた。言われてみれば、ゴードンはこれまでウタに色んな料理を作ってくれた。自給自足できない調味料や食材も少なくないのに。

 すなわち、この調理器具と調味料はゴードンのウタに対する愛情の表れだ。

 

 自分がこれまで気づかなかった事実を来訪したばかりの余所者に指摘され、ウタは羞恥と反発を抱きながら、唇を尖らせた。ウサミミ髪が萎れるように垂れた。

「私が料理するために揃えたとは思わないの?」

 

「ウタちゃんの手は料理をする人間の手じゃないよ」

 ベアトリーゼはさらっと切り返し、グラスを傾けて残っていたワインを干した。

「ゴードンさんを呼んできて。飯にしよう」

 

       〇

 

 ウタにとって遺憾なことではあったが、夕食は楽しかった。

 ゴードン以外の人間と食卓を囲むのは7年振りだったし、“外の世界”に触れることも7年振りだった。ベアトリーゼの話も面白いものだった。

 

 考古学者の親友と過ごした冒険の日々の話。世界最大にして唯一無二の完全自由市場“マーケット”の話。嘘かホントか海王類に丸のみにされた話。想像もつかない海上を走る列車の話。あれやこれや。

 プルプルの実の能力者であることも明かし、指先でパチパチと静電気を踊らせたりもした。

 

 笑みこそ浮かべなかったけれど、ウタも随分久し振りに心が弾んだことを認めざるを得なかった。同時に、ベアトリーゼの話は心に深く刻まれた傷を少なからず刺激した。自分を捨てていったレッド・フォース号の“父達”が、外の世界でベアトリーゼのように冒険の日々を過ごしていると思うと、心の奥で黒く澱んだ何かが酷く疼いた。

 

 だから、食事が終わると、ウタは逃げるように部屋へ戻っていった。

 華奢な背中を見送り、ベアトリーゼはグラスを傾ける。

「……あのお嬢ちゃん。一度も笑わなかったな。バッタの話は私のテッパンなんだけど」

 

「あの話がテッパンというのは如何なものか。いや、私は愉快だったが」

 ゴードンは微苦笑をこぼしてから、ふぅと大きく息を吐いた。

「あの子は幼い時につらい体験をした。接する時は慮ってもらえるとありがたい」

 

「ふむ」

 ベアトリーゼは椅子の背もたれに体を預け、グラスを揺らしながらゴードンへ暗紫色の瞳を向け、

「ゴードンさん。私は明日から早速調べ物を始める訳だが……一つ確認しておきたい」

 問うた。

 

 

「本当に赤髪の海賊団がこの島を滅ぼしたのか?」

 

 

 食卓に沈黙が訪れた。鉛のように重苦しい静寂へ小さな波紋を広げるように、顔を強張らせたゴードンが問い返す。

「……何が言いたいんだね?」

 

 ベアトリーゼは目線をグラスの中の赤ワインへ移し、

「私は物心ついた歳には戦場漁りをしていたし、兵隊暮らしも経験した。海に出てからはほとんど荒事で生計を立ててきた。親友の考古学者から古い物の調べ方を教わった。だから、痕跡を見れば分かる。この街が大海賊によって一方的に破壊されたのか、それとも、激しい戦闘をしたのか、ね」

 再びゴードンへ双眸を向ける。

「さて、改めて質問だ。エレジアに軍隊は?」

 

「……ない」ゴードンは自身の手元を見つめながら「大海賊時代の最中にあっても、軍隊を持つ必要がない平和な国だったことが、王だった頃の誇りの一つだ」

「だが、ここには赤髪海賊団と激戦を繰り広げられる“何か”がいた。街に刻み込まれた痕跡がその事実を物語っている」

 グラスを口元に運び、ベアトリーゼは俯いて黙り込んだゴードンへ告げる。

「喋りたくないなら、それも構わない。知己を得て24時間も経ってないしな。信用云々以前だ。話せないこともたくさんあるだろうさ。

ただ、貴方が喋らないことで、私が何も知らないまま貴方の、あるいはこの島の秘密を暴いても、私は責任を取らないよ」

 

 所詮私は居候なんだからね。と無責任宣言をするベアトリーゼに、ゴードンは頭痛を堪えるように額を押さえ、しばしの沈思黙考の末、グラスのワインを一息で干した。

 そして、ゴードンは決断を語る。

「これから話すことを、絶対にウタへ明かさないと約束してくれ」

 

「貴方がそれで満足するなら」ベアトリーゼは首肯し「約束しよう」

 ゴードンはベアトリーゼを睥睨して大きく深呼吸し、

「……君の推測通りこの島は赤髪海賊団に滅ぼされたのではない。彼らはこの島を救おうとしたが、叶わなかったのだ。この島を滅ぼした本当の元凶。それは」

 どこか懺悔するように言った。

 

 

「歌の魔王だ」

 




Tips
エレジア
 劇場版登場。悩んだ末に人気の歌姫ちゃんと絡ませることにした。

エレジアの場所。
 原作時系列の関係で場所がはっきりしないらしい。

ウタ
 劇場版ゲストキャラ。
 現在16歳。まだ配信行為はしてないので救世主願望は持ってない。

ゴードン。
 劇場版ゲストキャラ。
 歌姫育成中。

ベアトリーゼ。
 エレジアに来島して初日でゴードンの秘密を暴く。せっかち。
 痕跡の調査と分析は、軍隊の捜索追跡技能として教わるもの。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41:野蛮人は天使の歌声に興味がない

佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。

※ 今話は劇場版FILM REDの内容に触れます。御注意ください

※時系列を間違えていたので、修正しました(2/11)


 野蛮人がエレジアへ入島して一週間。

 

 

 王宮のレッスン場に美麗極まる歌声が響く。

 採光窓から注ぐ光を浴びながら歌うウタの姿は、まるで天使のよう。

 

 音楽は芸術であり、学術である。

 楽曲は音の一つ一つを緻密に計算して組み上げられる。ゆえに演奏家や歌手は楽譜からなぜここでこの音程なのか、なぜここで音を伸ばす必要があるのか、といったことを深く理解することが求められる。曲に込められた意図や工夫、思想や想いまで深く把握したうえで、自身の技量と心を込めて表現する。

 その意味において、ウタは歳若くも既に立派な表現者だった。

 

 ただし、どれほど美妙巧緻の技術を持つ表現者であっても、その歌声が全ての人の心を捉えて揺さぶり、魂を歓喜させることは出来ない。

 

 世界的演奏家の音色を前にして欠伸をこぼした者などいくらでもいる。時代を変えたと謳われたビートルズやエルビスを『クソ』と一言で切って捨てた者など大勢いる。一度のコンサートで数百万ドルを稼ぐラッパーを『音楽家気取りのチンピラ』と罵倒する者なんて珍しくもない。

 

 天使の歌声が世界に響き渡っても、世界は変わらない。変えられない。

 腹を空かせた者達に必要なのは歌ではなく食べ物で、血みどろの戦いを繰り広げる者達に必要なのは歌ではなく武器弾薬と医薬品で、難民キャンプやスラムの希望無き子供達に必要なのは美辞麗句の歌詞ではなく真っ当な教育とどん底から這い上がる機会だから。

 

 歌で世界は変わらない。歌で新時代など訪れない。

 その冷厳な事実を、ウタはまだ知らない。

 

 が、ウタも残酷な事実の片鱗を否応無しに気付かされる。

 太々しく厚かましいドラ猫みたいな居候が、一度として自分の歌を聞きに来ないのだ。

 

 ――お前の歌声はこの世界の全ての人達を幸せにすることが出来る。

 心の深奥に深く刻み込まれた大切な、だけど、思い出したくない記憶がウタの脳裏によぎり、一つの疑問を抱かせる。

「……なら、なんでアイツは私の歌を聞こうとしないの?」

 

 

 

 

 王宮の図書室はベアトリーゼのオフィスになりつつあった。

 図書室と書庫を探索し、古エレジア式記譜法の書籍を何冊も搔き集めて、ノートや黒板にメモを書き込んでいる。

 レッスン場の方から、天使の歌声と伴奏のピアノの音色が微かに届いていたが、まったく関心を向けていない。

 

「本当に楽譜を書くためなのか? ほとんど暗号ツールと変わらないぞ、これ……」

 ぼやきながらベアトリーゼは黒い手帳に記されていた古エレジア式楽譜の記号と格闘していた。

 

 さて、ここで少し解説させていただく。

 現代地球において楽譜は五線譜が標準化されているが、五線譜の標準化以前の記譜法は文化圏ごとに大きく異なった。欧州圏の楽譜にしても線数が定まっておらず、東洋では漢文染みた文字譜が一般的で、近代以降は図形譜と呼ばれるものも登場している。

 

 また、楽譜に暗号――あるいは作曲者の遊びが込められた歴史も古い。

 多くは音程にアルファベットを当てはめ、音列に簡単なメッセージを忍ばせる手法が取られ、バッハ、ハイドン、ブラームス、シューマン、ラヴェル、ドビュッシー、ショスタコーヴィチなど錚々たる作曲者達が自身の作品にささやかな暗号を含ませている。

 

 前近代には暗号化を前提にした作曲法も研究されたが、こちらは少々難があった。暗号を前提にした作曲は楽曲として不自然な点が目立ち、逆に不審を誘ってしまったのだ。

 電子技術が発展してくると、デジタル化した楽曲のコードに暗号を含ませる手法が生まれ、楽曲を特定周波数に変換するとメッセージが解読されるものも登場している。

 

 古エレジア式記譜法は文字譜に属するものであり、古代語みたいな怪しげな記号に副記号として数字と別の文字が付属する。

 ややこしい。実にややこしい。

 ベアトリーゼは黒い手帳に記された古エレジア式記譜法の楽譜用記号を読解したうえで、全文を解読しなくてはならない。

 ややこしい。実にややこしい。

 

「何を思ってこんなクソ面倒臭い手を考えたんだよ……」

 ぼやかずにいられなかった。

 

 鉛筆を指の間で踊らせながら、ベアトリーゼは書籍を読みこみ、楽譜を読解し、暗号解読を試み、解析文章が意味を持たなければやり直し。意味を持っても正解か分からないので、保留しつつ、全文の解析作業を進める。

「だいたい、なんで記譜法に違いがいくつもあるんだよ……」

 

 事態をさらに七面倒臭いものにしている要素が、古エレジア式記譜法の変遷だ。

 どうやら前期、中期、後期で微妙に記譜法と読譜が異なるようで、これがまた読解と解読をややこしいものにしていた。

 

「ああああああ、面倒臭い。こんな面倒臭いの、プルプルの実の能力を把握しようとした時以来だ……っ!」

 プルプルの実の力を精確に把握し、理解するためにどれほど調査と実験を重ねた事か。

 

 ベアトリーゼは大仰に溜息を吐き、

「あー、ダメだ。集中力が切れた」

 レッスン場から微かに届く楽曲に意識を向け、ゴードンから明かされた“秘密”を思い返す。

 

 

 ※ ※ ※

 7年前。“赤髪”のシャンクスが娘のウタを喜ばせようと、音楽の街エレジアを来訪した。

 時のエレジア国王ゴードンと国民は海賊の来訪に当初こそ不安を見せたが、シャンクスが堅気に手を出さないピースメイン海賊であることと、何よりウタの素晴らしい歌唱力に魅了され、歓迎したという。

 

 当時、ウタは既にウタウタの実の能力者だったらしい。

 このウタウタの実の能力は、能力者の歌唱を聞いた聴衆を肉体的に昏睡させ、自我意識を能力者の支配する仮想世界へ強制移送する、というとんでもない代物だった。

 これに加え、トットムジカと呼ばれる楽曲を歌うと仮想世界と現実世界に、楽曲と同名の“歌の魔王”なる強大な怪異を顕現させるという、恐るべきリスクを抱えていた。

 

 悲劇は島を去る赤髪海賊団の送別のパーティで起きた。

 ウタは何も知らぬままトットムジカを歌い、顕現した“歌の魔王”がエレジアを襲った。シャンクス率いる赤髪海賊団は総力を挙げて“歌の魔王”からエレジアを救おうとしたが、力及ばず……

 

 島嶼都市国家エレジアは完全に壊滅し、国民は当時エレジア王だったゴードンを除いて死滅。

 不幸中の幸いかウタは何も覚えていなかった。トットムジカを歌ったことも。“歌の魔王”がエレジアを滅ぼしたことも。

 

 異変に気付いた海軍が迫る中、シャンクスは即座に決断した。

 七歳の娘をあまりに惨い真実と罪の意識から守るため、エレジア滅亡の罪と汚名を背負うことを。

 国一つ滅ぼし民を虐殺した海賊と共に居ては、娘の夢――世界一の歌姫になることは叶わない。だから、愛娘を手放して世界最高峰の音楽家であるゴードンへ預けることを。

 シャンクスは迷うことなく決断した。

 

 ゴードンもまた、即座にシャンクスの提案を呑んだ。

 自身の過失で幼いウタをトットムジカに触れさせてしまったと認識していた彼は、この夜の惨劇を己の罪だと認識していた。そして、一人の音楽家としてウタの途方もない才能に魅入られていた。

 自身の過失で国と民を滅ぼしたという自罰自戒意識。音楽家として偉大な才能を育てあげたいという欲。

 

 二つの強い感情に駆られ、ゴードンはシャンクスに誓った。

 ウタを世界最高の歌い手にすると。

 世界中の人々を幸せにし、新時代を切り拓く歌姫に育て上げると。

 

 かくして、シャンクスはこの島を去った。泣き叫ぶウタをゴードンの許に残して。

 ※ ※ ※

 

 

 胃もたれしそうな重たい話を思い返し、ベアトリーゼの感想は二つ。

 真っ先に浮かんだことは――『ウタウタの実ヤバい』だった。

 

 ウタウタの実の能力を宿した生歌をわずかでも聞けば、肉体は強制的に昏睡状態へ陥り、自我意識は能力者が支配する仮想世界に囚われる。挙句、その仮想世界に於いて受聴者は能力者の恣にされてしまうという。

 脱する方法は能力者が現実世界で意識喪失ないし睡眠状態に至って能力を解除する外ないらしい。そのくせ、能力発動中に能力者が死亡した場合、自我意識は仮想世界内に“永遠に”囚われ続けるらしい。

 挙句、無差別攻撃型の戦略級召喚獣付き。

 

 エグすぎて笑えない。

 私の催眠高周波攻撃の超上位互換に加え、四皇でも倒し切れない召喚獣付き。

 プルプルの実の力で音の伝播を狂わせれば防げるか? 歌の魔王と一体化しない限り能力者自身は強化されないみたいだし、歌い出す前に仕留めることが一番確実な方法だな。

 

 続く感想は――『赤髪の娘なんて原作に出てきてたっけ?』という困惑。

 ザルより風通しの良い原作知識に加え、劇場版アニメを全然知らないため、ベアトリーゼは『赤髪の娘』という存在に覚えがなく、『ルフィの回想シーンには出てこなかったよなー?』と困惑していた。

 ただしベアトリーゼ自身、既に原作知識が当てにならないことを体験済みであるし、まあ実際に存在しているのだから現実を受け入れるしかないわな、と飲み込んでいる。

 

 問題はウタがリスキーな存在であることだ。

 強力な異能と危険極まる召喚獣。それに、大海賊のパパ。

 万が一にもウタを害したなら……その瞬間から大海賊“赤髪”シャンクスと彼の海賊団から命を狙われるだろう。シャンクスの敵ということになったら、シャンクスを慕う主人公から自動的に敵認定されるかもしれない。

 

 ヤバすぎて笑えない。

 ベアトリーゼが思わず溜息をこぼしていると、図書室の出入り口にゴードンが姿を見せた。

「そろそろ昼食の時間だが……一緒にどうかね?」

 

「ありがとう。御言葉に甘えるよ」

 ベアトリーゼは黒い手帳を懐へ収め、ノートや書籍をそのままにして図書室を出ていく。

 

 図書室を後にして食堂を目指す道中、ゴードンが何気ない調子で尋ねる。

「解読の進捗はどうだい?」

「一歩進んで二歩下がる、そんな具合だよ」

 げんなり顔のベアトリーゼに、ゴードンは申し訳なさそうに苦笑した。

「だろうね。古エレジア式記譜法が廃れた理由がまさにそれだった。作曲者の意図を詳細に楽譜へ書き込める反面、難解になり過ぎてしまうんだ」

 

「音楽のためじゃなく暗号技術として生まれたような気がしてる」

「流石にそれはない、はずだがね」

 くつくつとゴードンは楽しそうに、そして、どこか懐かしそうに喉を鳴らした。

 

 笑いの調子が思い出し笑いみたいなことに気付き、ベアトリーゼは怪訝そうに片眉を上げる。

「何か思い当たる節が?」

 

「いや。そうじゃない。かつての友が君と同じような慨嘆をこぼしていてね」

 ゴードンはサングラスの奥で柔らかく目を細めた。

「彼は古エレジア式楽譜を研究していてね。先人達はなぜこんなややこしい記譜法を作ったのか、とよくぼやいていたよ」

 

「ふむ……」ベアトリーゼは歩きながら腕を組んで考え込む。

「? どうかしたかね?」

 ゴードンに水を向けられ、ベアトリーゼは思い付きを口にしてみた。

「や。その御友人は古エレジア式楽譜の容易な読解法を構築していないかと思ってね。研究者なら何かしらのコツなりなんなりを持つものだろう?」

 

「どうだろう……私には覚えがないが」ゴードンはうーむとひと唸りし「彼の自宅に行けば、何かしら読解法のコツが記されたものがあるかもしれない。彼の家が今も無事に残っていれば、だが」

「ふぅむ」ベアトリーゼは小さく首肯し「机に嚙り付いているのも飽いた頃だし、午後はその御友人宅を訪問してみようか」

 

「そうか。なら、ウタに案内させよう。あの子はこの島の端から端まで知っている」

 ゴードンの提案に、ベアトリーゼは眉をひそめた。

「あのお嬢ちゃんとあまり親しくしていないのは、私なりに“約束”を果たしているつもりなんだけど?」

 

「来島して一週間。君は一度もウタの歌を聞きに来ていない。君なりの気遣いだけが理由でもないだろう?」

 ゴードンはベアトリーゼの横顔を窺いながら、質す。

「教えて欲しい。君はウタの歌をどう思っているんだ? しっかり聞いていなくとも、多少は耳に届いているだろう? 感想を聞かせてくれないか?」

 

 ゴードンから真剣な眼差しを向けられ、

「悪く取らないで欲しいけれど」

 予防線染みた前置きをしてから、ベアトリーゼは言った。

「仕事を投げ出してまで聞きに行くほどでもない。それが私の素直な感想だね」

 

 前世で多種多様な音楽や世界クラスの演奏や歌唱に触れた経験が、ウタの歌に強い感動を抱かせない。歌声は美麗。歌唱力は抜群。だけど、心は震えない。

 決して、今生の蛮族人生で音楽を解せなくなったわけではない。

 

「そうか……」

 自慢の教え子の歌に手厳しい感想を寄こされ、ゴードンの表情が曇る。

 

 ベアトリーゼは小さく肩を竦め、どこか言い訳するように言葉を編む。

「別にあの子の歌がどうこうってわけじゃない。そもそも私にとって音楽は人生や日常を彩る要素の一つだ。熱中して拝聴するものじゃないんだよ」

 

 大いに残念な聴衆に対し、高名なる音楽家はうーむと唸った。

「それは音楽鑑賞より絵画を観賞する方が好き、ということかな?」

「んん?」

 やけに具体的な指摘をすることにベアトリーゼが訝ると、ゴードンは微苦笑と共に説明する。

「君が来島した日、荷物にスケッチブックと絵描き道具を見かけていてね」

 

「……ただの手遊び。下手の横好きだよ」

 合点がいったベアトリーゼはどこか気恥ずかしげにこめかみを掻く。

 

「芸術的な趣味があることは良いことだ。何より」

 ゴードンは教師のように語り、口端を和ませた。

「美しいものを美しいと感じる心があることは、素晴らしいことさ」

 

       〇

 

 エレジアを覆うように鈍色の雲が広がっていく。

 昼食後、日課の散歩に行こうとしたら、師からドラ猫の道案内を頼まれた。当然ながらウタは拒否したが、師に諭されて仕方なく承諾した(美貌が台無しになるほどの渋面だった)。

 

 ウタの心境を表すような曇天の下、ウタは不機嫌顔で無人の街を進んでいく。

 一歩後ろにベアトリーゼが続く。『酔いどれ水夫』を口ずさみながら。

 

 私の歌を聞かないくせに、私に鼻歌聞かせるってどういう神経してんの、この女!

 密やかに憤慨しつつ、ウタは廃墟と瓦礫の街並みを眺めるベアトリーゼを肩越しに窺う。

「……アンタの調べ物って具体的にはどういうものなの?」

 

「そうだな」ベアトリーゼは少しばかり思案してから「私の宿命に関わること、かな」

「宿命?」

 予期せぬ仰々しい回答に訝るウタへ、ベアトリーゼはとある狂科学者の言葉を借りて答えた。

「人は生まれを選べない。時代、場所、環境、家族……人は生まれた瞬間から生きる条件が異なる。これが宿命だ」

 

 家族という単語に未だ癒えぬ心の傷が酷く疼き、ウタはぴくりと小さく肩を震わせた。

 そんなウタを余所に、ベアトリーゼはアンニュイ顔で言葉を紡いでいく。

「私は地獄の底より酷い土地で生まれ、ネズミ同然の育ちをして、飼い犬の生き方を選び、首輪を千切って海へ出た。まあ、結果として賞金首になってしまったけれど、この私の宿命が生きるために自らの意思で選び、決断し、進んできた結果なのか。あるいは、何者かに仕組まれたものだったのか。私は知らなくちゃならない」

 

 黒い手帳に記されていた内容は、ベアトリーゼをして『今更』と笑い飛ばすことが出来なかった。であるからこそ、ベアトリーゼはわざわざエレジアくんだりまで足を運んだ。

 そう。きっと手帳に記された“秘密”を解けば―――ガープのクソジジイに『心に芯が通っていない』なんて二度と言わせない人間になれるはず。

 

 物憂げな細面に浮かぶ不似合いな熱意。一種の狂気に似た強い意思。

 ベアトリーゼはウタへ微笑みかけた。暗紫色の瞳をぎらつかせて。

「この残酷でクソッタレな世界で、私が自分らしく生きていくためにね」

 

 穏やかながらどこか狂気的な気配をまとうベアトリーゼに、ウタは不気味なものを覚えて目を背ける。

「……意味分かんない」

 

 9歳でこの島に置き去られてから7年間。対人交流の機会が歪なほど少なかったためか、ウタはベアトリーゼの語った言葉を上手く噛み砕けない。

 

 ただ――コイツは放浪中のドラ猫じゃないのかも。とウタがベアトリーゼの評価を上向かせたところへ、

「ウタちゃんにはまだ早かったかなー」

 にへらとからかうように口端を曲げるベアトリーゼ。

 

 やっぱりコイツはドラ猫で充分だわ! ウタは肩越しにベアトリーゼを睨んで遺憾の意を表す。

「子ども扱いしないでっ! 私はもう大人だもんっ!」

「オボコ娘がよぉ言うわ」ハンと鼻で笑うベアトリーゼ。

 

「!?」

 人生経験と対人交流経験が絶望的に不足しているウタも、許容してはならぬ中傷を受けた、と本能的に理解する。この発言を甘受してはならぬと本能が訴えていた。

 

 ウタは足を止めて向き直る。ウサミミ髪は既に屹立していた。眉目を限界まで吊り上げて右手人差し指を突きつけ、ドラ猫へ猛抗議する。

「そ、そういうアンタだって一人ぼっちでこの島に来たじゃんっ!」

 

「今だけですー。この島に来る前はそりゃあもう、選り取り見取りのイケメン食いまくりでしたー」

 厚かましい態度でしらばっくれるベアトリーゼに、ウタは一層強く憤る。ウサミミ髪が逆立っていた。

「嘘だっ! 絶対嘘だっ! アンタ、モテなそうだもんっ!」

 

「オーゥ。そんなことないですーモテますーモテまくりですー。そもそもウタちゃんってオトコノコ見たことあるんですかー?」

「あるに決まってるでしょっ! 男の子の幼馴染だっているもんっ!」

「ああ……想像上の……」

 演技がかった同情を返すドラ猫女に、かっちーんっ! とウタは頭の中で火花が飛ぶ。

「アンタぶっ飛ばすわよっ! 東の海のフーシャ村にいるルフィって子よっ!!」

 

「……ルフィ?」

 会話に飛び出した名前に、ベアトリーゼはまじまじとウタを凝視する。

「そうよっ!」ウタは吠えてから、ベアトリーゼの変化に気付き「何、その反応? ひょっとしてルフィを知ってるの?」

 

 ウタが怪訝そうに問うてきたものの、ベアトリーゼはそれどころではない。

 えー!? ルフィの幼馴染設定なんかぃ!? そりゃ赤髪の娘っていうならあり得るけど……あっれー? 回想シーンや過去話には出てこなかったよね? それとも、私が覚えてないだけ? 

 しっかし、幼馴染の美少女で恩人の娘でリスキーな能力設定とか、これもうヒロイン候補筆頭じゃん。ルフィの相手はハンコックかナミだと思ってたけど、この子じゃんっ!? 私みたいな異物が関わって大丈夫なのかしら。

 いやまあ、ロビンと接触してるし、それは今更か。

 

 あっさり切り替え、ベアトリーゼは訝るウタを言いくるめた。

「や。知り合いかと思ったけど……違った。便所に入ってるところを爆破してウンコ塗れにしてやった奴と勘違いしたわ」

「ぅわぁ……」

 ドン引きしたウタを余所に、ベアトリーゼは周囲を見回した。

「ゴードンさんの話だとこの辺りじゃなかった?」

 

「待って」

 ウタは足を止めてポケットからメモを取り出し、

「コンチェルト通りの3丁目12番。え、と……アレだ」

 住所を確認。右斜め前方を指差した。

 

 煉瓦と漆喰仕立ての三階建て。周囲の建物と違って被害は少なそうだ。

「ふむ。これは期待出来るかな?」

 ベアトリーゼは呟き、ウタへ水を向けた。

「ウタちゃんも来る?」

「……まあ、付き合ってあげても良いけど」唇をヘの字にしたウタは同行を了承。

 

 そして、2人は廃墟へ向かって歩みを再開した。




TIPS
音楽と暗号。
 インターネットで軽く調べただけなので間違っているかもしれない。
 誤りがあれば御指摘ください。

ウタウタの実
 原作の悪魔の実。
 本作では音波による催眠系能力という解釈。
 あまりの強力さからファンの議論を招いた。

トットムジカ
 原作に登場する謎の存在。
 ウタウタの実と連動することで実体化する集合無意識的存在、なのかなあ?
 二次創作では、最終的にウタの召喚獣と化す傾向にあるようだ。

とある狂科学者
『銃夢』のファンなら、分かるね?

小ネタ
 トイレを爆破してウンコ塗れ。
 砂ぼうずファンなら、分かるね?

ベアトリーゼ。
 基本的に音楽へ関心が薄く、CDとか全然買わないタイプ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

42:思春期少女の熱量にあてられて

佐藤東沙さん、トリアーエズBRT2さん、Nullpointさん、誤字報告ありがとうございます。

※今話は劇場版FILM REDの内容に触れます。御注意ください

※時系列を間違えていたので、修正しました(2/11)


 世界経済新聞はこの世界で最大の発行部数を誇る新聞である。

 が、社長モルガンズの方針から、報道内容を面白おかしくすべく事実の脚色や恣意的取捨を行ったりするため、世間一般の扱いは『タブロイド紙よりマシ』程度だ。

 

 一方で『ビッグニュースを世間へぶちまける』ためなら権力や暴力へ喧嘩を売ることも辞さないため、度々スクープ記事を発信する。

 ただし、これは真実を追求するジャーナリズム精神からではなく、ブン屋的な名誉欲と享楽主義が理由だが。

 

 そんな信用と信頼の不安定な世界経済新聞の特集企画案会議にて、

「エレジアァ? 詳しく説明しやがれ、コヨミ」

“新聞王”モルガンズ――アホウドリの着ぐるみマスコットにしか見えない男――が特集企画を提案した若い女性記者へ問う。

 

「はい、ボス!」

 コヨミという若い女性記者が溌溂と応じた。

「まず……ボスは5年以上に音楽の島エレジアが滅んだこと覚えてます?」

 

「当然だ。ありゃあビッグニュースだったからな。堅気に手を出さねェ赤髪が唯一堅気相手に犯した凶行だ。なぜ、赤髪がエレジアを滅ぼしたのか、今も謎が多い」

 しみじみと語るモルガンズへ、コヨミが話を続ける。

「その滅んだエレジアなんスけど、元国王ゴードン氏は存命で、今も音楽家として活動してるんスよ。しかも、エレジアに“娘さん”と暮らしてるらしいっス」

 

「娘? たしかゴードンは独身だったはずだが……まあ、事件から10年。結婚してガキをこさえたか」

 モルガンズはうーむと唸り、コヨミをじろり。

「お前、エレジアまで行ってゴードンに突撃取材する気か?」

 

「はいッ!」コヨミは力強く頷いて「ゴードン氏を取材して赤髪海賊団がなぜエレジアを滅ぼしたのか、その謎を解き明かすッス! 題して『エレジア滅亡の真実』っスッ!」

 

「クワハハハハハッ!! おもしれェじゃねえかッ! こいつはビッグニュースの臭いがするぜッ!!」

 コヨミの熱弁はモルガンズの野次馬根性、もといブン屋精神を捉えた。

「よしっ! まずエレジア滅亡事件のおさらい記事だっ! 赤髪海賊団に焦点を当てエレジア滅亡の“謎”を強調するっ! そこに取材記事を持ってきてドーンと行くっ!!」

 

 モルガンズは嘴から泡を飛ばす勢いでまくし立て、びしっとコヨミを指差す。

「コヨミッ! お前を特派員に任命するっ!! エレジアまで突撃取材してこいっ!!」

 

「了解しました、ボスッ!!」

 コヨミは意気軒昂に微笑み、軍人が見たら噴飯物の敬礼を返した。

「スクープを掴んできますっ!」

 

 女性記者コヨミも新聞王モルガンズも、自分達の行為が何を招き、何を引き起こすか、想像もしていなかった。

 

 もっとも……知っていたところで彼らの行動と判断が改められることはなかっただろう。

 なんたって彼らにとって『ビッグニュースを世に知らしめる』ことが何よりも優先されるのだから。

 

         〇

 

 イエロージャーナリズムの標的となったことを知らぬ紅白二色頭の少女は、夜色髪の乙女と共に廃墟を家探ししていた。

 

「住んでいた人がいなくなったからって、荒らしたらダメでしょッ!」

 仁義を重んじる赤髪シャンクスと折り目正しい元国王ゴードンに育てられたウタは、なんだかんだで育ちが良く、人並みの倫理観を備えていた。所有者である住人が死んだからと言って、その家を荒らし、家財を盗むのはよくない、と思っている。

 

「死人はあの世から苦情を寄こしたりしないよ」

 一方、ベアトリーゼは物心ついた時には戦場荒らし――死体から装備や荷物はもちろんのこと血塗れの着衣や汚れた下着と臭い靴下まで奪っていた。挙句、海に出たら悪党相手に強盗三昧。当然ながら、死人の家を荒らすことなんて屁とも思わなかった。

 

 とはいえ、わざわざ居候先の娘さんを怒らせてまでやることでもない。

「分かった分かった。出来る限り荒らさないようにするから、そう怒らないでよ」

 睨んでくるウタへ降参するように小さく両手を上げ、ベアトリーゼは二階へ通じる階段を昇っていく。

 

 二階は住人の私室フロアらしい。最初に足を踏み入れた部屋は子供部屋。思春期の少年の部屋だったのだろう。

「ふむ。年頃の男子の部屋か」

 室内を見回した後、ベアトリーゼは当然のように屈みこんでベッド下を覗き込む。

「オタカラ見っけ。隠し場所の創意工夫が足りないな」

 

「何があったの?」海賊の娘らしくオタカラという言葉に反応するウタ。

「じゃーん」

 ベアトリーゼがベッド下から取り出したものは、ナイスバディな女の子がたくさん載っている本である。タイトルは『ローアングル探偵団』。

 

「そ、それって!?」察したウタが細面をポッと赤くした。ウサミミ髪がプルプルと震えている。

「お察しの通り、エロ本だよ」ベアトリーゼはぱらぱらと中身を改めて「フツーだな。ウタちゃん、読む?」

「読まないっ!!」眉目とウサミミ髪を吊り上げるウタちゃん。

 

「そっか」ベアトリーゼはエロ本を埃が堆積している机の真ん中に置く。

「元の場所に戻してあげなよ……」とどこか気の毒そうにウタが指摘するも、

「見つけたエロ本は机の上に置いておく。発見者のマナーだよ。覚えておきな」

 ベアトリーゼはくすくすと悪戯っぽく笑うだけだ。

 

 ドラ猫の傍若無人な家探しは続く。

 夫婦の寝室に入れば、夫人のタンスを漁って――平凡な下着の中からド派手な下着を発掘。ベアトリーゼは壁に掛かっていた夫妻の写真を横目にし、唸る。

「奥さん、大人しそうな顔してえっぐい勝負下着を持ってるなぁ。ほら、このショーツなんて秘密のウィンドウ付き」

「見せないでよっ!」

 

「夜の営みに使うエッチな道具もあるかな?」

「そんなの探さないでっ! 亡くなった人のプライバシーを尊重してあげてっ!」

 耳まで赤くしたウタがベアトリーゼを寝室から引っ張り出す。

 

 三階にある書斎兼書庫に辿り着いた時には、ウタはすっかりくたびれていた。

「アンタね、もっと真面目にやりなさい」

「すいませんでした」

 6つも年下の少女からガチトーンで叱られ、流石にベアトリーゼも反省。

 

 そして、書斎兼書庫の捜索を開始した。

「……聞きたいことがあるんだけど」

 書棚を埋める書籍や古書の背表紙を順に眺めていきながら、ウタはベアトリーゼへ尋ねる。

 

「アンタ、なんで私の歌を聞こうとしないの?」

 午後のわずかな時間。ベアトリーゼの気ままな振る舞いに付き合わされ、少しばかり馴れたせいか、ウタは踏み込んだ。

 

 執務机周りを調べていたベアトリーゼは肩越しにウタを一瞥し、少しばかり考え込んでから、答える。

「まず第一として、私は音楽に然程熱中しない。そういう性格なの。音楽は生活や日常の一部。何か作業しながら聞いたりするもの。そういう接し方で充分。だから、レッスン場から漏れ聞こえてくるくらいで丁度良い。わざわざレッスン場まで足を運んで拝聴しない」

 

 納得できない、そう言いたげなウタの気配を感じ取り、ベアトリーゼは手を止めた。スリムなワークパンツに包まれたお尻を執務机に乗せ、ウタへ向き直る。

「ウタちゃんの歌は上手いと思うし、歌声も綺麗だと思うよ。でも、私の感性だとそこで終わりなの。感動して涙したりしない。これはまあ、多分私が多少なりとも音波を扱える能力者だからかもね。不躾に言ってしまえば、歌とは人間の感覚野や心理に快感を与える可聴域音波に過ぎない」

 

 ウタは目を瞬かせた。厚かましく図々しく傍若無人で気ままなドラ猫が突如、小難しい道理を並べたことに驚く。

「歌は、ただの音波だって言いたいの?」

 

「極論すれば。もちろん、気持ちよく感じる音を並べれば名曲になる、なんてことはないよ。音楽は陳腐で底の浅いものではないからね。古今東西の音楽家達は美しい楽曲を探求し、人の心魂を揺さぶる歌曲を表現しようと努め、音楽とは何かを追求し続けてきた。それは音楽が洗練された芸術であり、歴史と民俗に根付いた文化であり、高尚な学問だからだよ」

 Fカップの胸を抱えるように腕組みし、ベアトリーゼは物憂げ顔で淡々と言葉を紡ぐ。

 

 ウタの驚きは困惑に変わりつつあった。目の前のノッポな女が分からない。先ほどまでの能天気さが嘘のように消え去り、今は高等学問を修めた学士のように語っている。

「アンタ、何者なのよ」

 

 紫色の瞳に同量の不安と好奇を宿した紅白頭の美少女へ、夜色の髪の美女は暗紫色の目を細めた。どこか自嘲的に呟く。

「私が何者か。それを調べてるんだよ」

 

       〇

 

 とりあえずリュックサックが満杯になる程度の蔵書と資料を拝借し、ウタとベアトリーゼは廃墟を後にする。

 曇天と日暮れ時が相まって既に仄暗い。無人の街並みに2人の足音が響く。

 

 ベアトリーゼは照明代わりに指先に小さな発光プラズマ球をこさえた。

「アンタの能力。便利ね」

 幾分距離感が近づいたらしく、ウタの声音は往路と比べて柔らかい。人一人分離れているけれど、一応隣を歩いている。

 

「悪魔の実の能力もハサミと同じだよ。使い手の理解と発想だ」

「……ふぅん」

 ウタは少し考え込んでから告白する。ウタなりに歩み寄る姿勢を示すために。

「私も、能力者だよ」

 

「ああ。ウサウサの実のバニーガールでしょ」とベアトリーゼが真顔で告げる。

「全然違う! なんでそう思……髪型? この髪型ね? 髪型で適当に判断したわね!?」

 けらけらと笑ってごまかすベアトリーゼ。

 

 ダメな大人を見る目を向けた後、ウタは小さく頭を振ってから、

「ウタウタの実の能力者よ」

 ぽつぽつと語り出す。

 

 その内容はゴードンから密かに明かされたものと同じ。ウタの歌を聞いた聴者を昏睡させ、自我意識をウタの構築した仮想世界(ウタワールド)へ強制移送させる。さらに、昏睡下にある肉体はウタの意思である程度操れるという。

 ベアトリーゼは思う。おっさんから聞いた話よりもっと凶悪じゃねーか。

 

「アンタなら、この能力でどんなことする?」

 それはある意味で軽い気持ちから発せられた問だった。違う視点の意見を聞いてみたい、その程度のこと。

 

 ところが――

 ベアトリーゼは右人差し指で下唇を撫でながら思案した。

「そうね……私は荒事師だから荒事に使うわな」

 

「ウタウタの実の力を、戦いに使うの?」

 目を剥いて驚愕するウタへ、ベアトリーゼは冷淡に言った。

「ウタちゃんが自分の能力をどう認識してるか知らないけど、歌唱の可聴圏内にいる全聴者を一瞬で無力化できるし、さらにはちょっとした自戦力に転用できる。仮想世界内では能力が絶対支配者として、聴者の自我意識を好き勝手にできる点も利便性が高い。極めて強力な”兵器”に等しい。もちろん、いろんな悪さにも使えるな。銀行や貨物船を襲い放題だ」

 

「――違う。違うっ。違う違う違うっ! 違うっ!!」

 ウタは足を止め、今にも泣きだしそうな顔でベアトリーゼに怒鳴った。

 

 自分から尋ねた事だったが、ウタはベアトリーゼの回答を決して許容できなかった。自身の持つ力が兵器と同じだなんて、そんな意見は絶対に受け入れられない。

「ウタウタの実の力はそんなことのために使うものじゃないっ! 皆を、世界中の人達を私の歌で幸せにする、そのための――」

 

「あのね」

 ベアトリーゼはウタの言葉を遮って、告げる。

「幸せは人から与えられるものじゃないよ」

 

「え」

 ウタは激情を明後日に投げやり、唖然としてベアトリーゼを見つめる。

 

 物憂げな面持ちで、夜色の髪の美女は淡々と語り始めた。

「何をもって幸せとするかは人それぞれだ。私は美味しいものを食べてる時が幸せ。だけど、体を動かすのも好きだし、親友と一緒に旅したことも大好きだった。

 

 大きな声じゃ言えないけど、戦うことも好きよ。なんせ私は人生の大半を戦うことに費やしてきたし、それに海賊や悪党をぶちのめして連中のオタカラを奪うことはとっても楽しい。血が沸き立つ昂奮。勝利の充実感。強奪の征服感。そういうの、ウタちゃんの歌で得られる?」

 

「それは」ウタは答えようとしたが、言葉が続かない。体が、心が、言葉を紡ぎ出してくれない。

 

 そんなウタから目線を外し、ベアトリーゼは廃墟となった街並みをゆっくりと見回す。

「平凡な日常に幸せを見出す人達だって大勢いるよ。この世界は残酷でクソッタレだし、今の時代はそこら中にクズ共が蔓延している。だけど、そんな世界と時代の中でも、自力で幸福を掴み取っている人達は大勢いる。ウタちゃんはその人達の幸せをどう考えてるの?」

 

「―――」

 ウタはもはや言葉は一言も発せられない。

 

 ベアトリーゼはいくらか表情を和らげ、目に見えて動揺している未来の歌姫へ語り掛けた。

「自分の歌で人々を幸せにしたい。その夢は立派だけど、善意の押しつけは一方的な独り善がりだ。独善は偽善より質が悪い。この世は独善によって引き起こされた悲劇惨劇に溢れてる」

 

 両手を固く握りしめ、ウタは綺麗な顔を俯かせて喘ぐように呟く。

「だったら」

 

 ぽたり、と足元に雫の跡を作ってから、ウタは顔を上げて叫ぶ。潤んだ紫色の瞳でベアトリーゼを一直線に睨み据え、抑え込まれていた激情を解き放つ。

「だったら、どうすればいいのよっ! 私は世界で最高の歌手になって、世界中の人達を歌で幸せに出来るようにならなきゃいけないのっ!」

 

「それがそもそもの間違いだよ」

 孤独な少女の心からの叫びを、野蛮人はすげなく一蹴した。

 

「!?」ウタが凍りつく。

 

 ベアトリーゼはどこか憐れみを覚えながら、

「歌で世界は変えられないし、歌で時代は変わらないし、歌で人は幸せにならない。古今東西、歌で戦争や弾圧、迫害が止んだことなんてないし、歌で飢餓や疫病が解決したこともない。仮にそれがウタウタの実の力で出来るとしても、それは悪魔の実の力でしかない。ウタちゃんの歌である必要がないじゃないか」

 

 愕然として紫色の瞳を震わせる少女へ、大人の端くれが思いやるように言葉を掛けた。

「聴衆を感動させ、聴衆を楽しませ、聴衆の心を癒し、聴衆の心を奮わせ、聴衆の心を救う。それが世界最高の歌手しか出来ないことだと私は思う」

 

 仄暗い夕暮れの廃墟に重苦しい静寂が訪れる。鳥や虫の歌声も獣の話し声もなく、遠くの潮騒がわずかに聞こえてくる。

 

 大きく息を吐き、ベアトリーゼは俯いて肩を震わせているウタへばつが悪そうに言った。

「まあ……そうだね。能力を使わず純粋に歌だけで、音楽に関心が薄い私を感動させて泣かせることが出来たら、多少は世界最高に近づけるんじゃない?」

 

「……よ」

 ウタの口から呻くような声が漏れ、

「ん?」

 ベアトリーゼが怪訝そうに片眉を上げた、その刹那。

 

「何様よっ! このドラ猫っ!」

「あいたっ!」

 大海賊らしい負けん気を発揮した歌手の卵は野蛮人の脛を蹴っ飛ばし、脇目も振らず一心不乱に王宮へ走り去っていく。

 

 やれやれ、とベアトリーゼは激走するウタの背を見送り、路肩の瓦礫に腰を下ろし、わしわしと夜色の髪を掻く。

「柄にもなく青臭いこと言っちまったぃ。恥ずかしいなあ……あああ恥ずかしいっ!」

 

 大きく喚き散らし、ベアトリーゼは再び大きく息を吐いた。

 精神的に未熟な16歳の身悶えしそうな心情告白に釣られ、ついつい大人ぶってしまった。素面で何言っちゃってんの!? 恥ずかしい! こっ恥ずかしい!! たしかに何様だよ、私! クソッ! あああ、ほんとに恥ずかしいっ!

 

 つるりと顔を撫でてから、ベアトリーゼは腰を上げ、改めて誓った。

「下手に関わって面倒臭いことになる前に、さっさと手帳を解読して出ていこう」

 その前にまあ……

 

「ゴードンさんに報告しなきゃあいけないだろうなぁ」

 怒られるかも。怒られたくないなあ。

 




Tips
モルガンズ
 原作キャラ。トリトリの実を食ったアホウドリ人間らしい。
 スポーツチームの着ぐるみマスコットみたいなナリをしてる。
 新聞王の異名を持ち、裏世界の帝王の一人。

コヨミ
 オリキャラ。元ネタは『銃夢』に登場する少女記者コヨミ。
 口調が『銃夢』のコヨミと全然違う点はご容赦頂きたい。

ローアングル探偵団
 伝説のギャルゲー『アマガミ』に登場するエロ本。
 メインヒロインの絢辻さんは中の人がウタが同じ。
 綾辻さんは裏表のない素敵な人です。

ウタ
 世間知らずの16歳。野蛮人のせいでショックを受ける。

ベアトリーゼ。
 22歳の野蛮人。偉そうに語ってしまい、自身も精神的ダメージを負う。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43:世界経済新聞は世界を揺らす(限定的に)

お待たせした分、ちょっぴり字数多めです。

佐藤東沙さん、トリアーエズBRT2さん、誤字報告ありがとうございます。

今話は『FILM RED』の内容に触れます。御注意ください。
※時系列を間違えていたので、修正しました(2/11)


 人間は本質的に孤独であることに耐えられない。

 エレジアという巨大な独居房に閉じ込められていたウタの心は、孤独の毒に晒され続けていた。しかも、ウタには愛する父と家族に棄てられたという深い傷があった。

 

 ウタの精神がもう少しか細ければ、もしくは自分を捨てていった赤髪海賊団の“共犯”と見做していなければ、エレジアで唯一の他者であるゴードンへ強く依存をしていたかもしれない。定期的に訪れる交易船の船員に情を求めたかもしれない。それこそ自身の春を(ひさ)いででも。

 

 しかし、ウタの心は弱者のものではなかった。ウタ自身が如何に恨んでいても、レッド・フォース号の“父達”によって育まれた心は、孤独の毒に負けぬ健やかな強さを持っていた。

 であるから、ウタは懊悩に直面した時、うじうじと内にこもったりしない。大海原に生きる者はどれだけ悩み苦しんでいようとも、風と潮に向き合って航路を選び、進まねばならないのだから。

 

 一晩の苦悩に煩悶した翌朝。ウタは洗面所で鏡に映る自分の顔を見て、決断する。

 

 ゴードンが卓に朝食を並べているところで、

「これから毎日、私の歌を聞きなさいっ!」

 ウタは紅白ウサミミ髪を屹立させ、“宿敵”をビシッと指差しながら宣戦布告。

 

 指差されたベアトリーゼはポットを傾け、カップに熱い珈琲を注ぎつつ問う。

「珈琲、飲む?」

 

「砂糖とミルクをたっぷり入れて」

 素直に答えた後、ウタは双眸を三角形にしながら吠えた。

「これから毎日、私の歌を聞いてっ!! 約束してよっ!」

 

「や、私は忙しいんだけど……」とあからさまに面倒臭がるベアトリーゼ。

「感動させてみろって言ったのはアンタでしょっ! どうしても聞かないなら、アンタの仕事先に押しかけて無理やり聞かせるわっ!」

 ガミガミとまくし立てるウタは、さながらお姉ちゃんに我儘を訴える妹みたいな有様だったが……

「しょうがないなぁ。一日一曲だけよ。私も忙しいんだから」

 根負けしたと言いたげに眉を下げ、ベアトリーゼは湯気をくゆらせる珈琲を口に運ぶ。

 

「充分よっ! 絶対に感動させて泣かせてやるわっ!」

 不敵に口端を歪め、ウタは珈琲を飲む。

「あちっ!?」

 

 2人のやり取りを見守っていたゴードンは首を傾げる。

「いったい何の話だ?」

「少女の挑戦、かな」

 ベアトリーゼは冗談めかして微笑し、皿の白隠元豆を摘まんだ。

 

      〇

 

 ピアノの伴奏と共に、歌姫の絶唱が響き渡る。

 華奢な体から信じ難いほどの声量。年若い少女とは思えぬほど美妙巧緻な歌唱。ウタは一個の至高の楽器と化したように歌曲を“奏で”ていた。

 その歌声は人の心を震わせる天使か、人の魂を狂わせる悪魔か。いずれにせよ、常人の域を容易く凌駕した“声”だ。

 

 が、ベアトリーゼの心は揺さぶられない。ベアトリーゼの魂は惑わされない。

 前世の体験記憶――本当に歌で世界中を熱狂させた歌手達や名曲を知っているだけに、ベアトリーゼはウタの美麗な歌声に感情を動かされない。

 たしかに美しい。たしかに上手い。確かに見事で美事な歌唱だ。だけど――

 

“それだけ”だ。

 

 ベアトリーゼは冷淡な感情でウタの熱唱を評価する。

 良くも悪くも上手い“だけ”だな。この手の娯楽に慣れていない人間なら涙して卒倒するかもしれないけど、“この程度”は私にとってフツーだよ、お嬢ちゃん。

 

 巨大な繁栄を享受していた先進国人の前世を持つベアトリーゼは、ウタのような素晴らしい歌唱すら単なる娯楽として消費した経験を持っているだけに、評価がとても辛い。

 

 曲が終わり、ウタは汗ばんだ額を拭ってから、しれーっとしているベアトリーゼの様子に、可憐な顔立ちを曇らせた。ウサミミ髪もへにょりと垂れ下がる。

「……感動してない」

 

「ん。残念ながらね」

 ベアトリーゼは椅子から腰を上げ、軽く体を伸ばす。口元からこぼれる声が艶めかしい。

「ウタちゃんの歌は上手いよ。でもね、それだけ。他には言うことがない」

 

「……上手いことがいけないっていうの?」

 ウタは挑むようにベアトリーゼを睨む。

「まさか。ただまあ、技術的に上手いことと、人を感動させることはまた別問題だからなぁ」

「どういう意味よ」

 

「そこはプロにお聞き」

 ベアトリーゼはピアノの伴奏をしていたゴードンを顎で示し、

「それじゃ、私は仕事に行くから」

 ひらひらと右手を振り、私用のオフィスと化している図書室へ向かった。

 

 すらりとした長身の背中を悔しげに見送り、ウタは歯噛みしながら師をギロリ。

「上手い以上に必要なことって何っ?!」

 

 教え子の強烈な気勢に気圧され、師匠は思わず仰け反った。が、それでも導くべく教えを説く。こほん、と咳をして気を取り直してから、ゴードンは語り始める。

「ウタ。歌手とは何者かね?」

 

「?」

 ウタはゴードンの問いかけに訝りつつも、眉目を吊り上げたまま思案し、答えた。

「――表現する者」

 

「その通り」師は教え子の回答に大きく頷き「歌手とは歌を用いて表現する者だ。では、表現とは何か。自分の想いや考え、感情を伝えることだ。音楽家ならば演奏や歌唱で自身の想いや考え、感情、願いを表現し、伝える。彼女は君がまだ表現者として未熟だと言っているのだろう」

 

「じゃあ、どうすれば良いのよっ! 7年、7年だよっ! 私がゴードンに音楽と歌を習って7年っ! それでも未熟だっていうのっ!?」

 その発言がどれほど傲慢さに満ちたものか、年若いウタは気づかなかった。

 

 ゴードンは小さく苦笑してから、焦燥に駆られている教え子へ真っ直ぐに向き直った。

「ああ。ウタ。君はまだ未熟だ。“完成”には程遠い」

 

「――な」絶句するウタ。

「だが、それは私も同様だよ。私はまだ音楽家として完成していない。否、表現者が完成することなど、あってはならない」

 真剣な面持ちで言葉を紡ぐゴードンに、紅白頭の教え子は自然と居住まいを正す。

「表現者は立ち止まることなく、常により良き表現を探求し、研究し、模索せねばならない。自身を研鑽し、鍛錬し、より高みを目指して成長を求めなくなった時、表現者は単なる技巧者になってしまう。歌手ならば、芸術家(アーティスト)として歌手から歌が上手な喉自慢に成り果てる」

 

「……ゴードンも、まだ成長しようとしているの?」

「当然だとも」

 ウタの問いかけにゴードンは力強く頷いた。

「私は君という世界最高の才能を教え導くという大業を背負っている。日々上達し、成長する君に後れを取らぬよう研鑽と研究を怠ったことはないよ」

 

「……どうすれば、私はアイツを感動させられるのかな」

 縋るような眼差しを向けてきたウタに、ゴードンは困ったように禿頭を掻く。

「どうすれば聴衆を感動させられるか、どうすれば聴く者の心を揺さぶれるか、それはあらゆる音楽家が直面してきた命題であり、大いなる難題だ。私とて明確な答えを持っていない。いや、そもそも正答があるのかどうかも分からんよ」

 

「……」がっくりと肩を落とし、ウサミミ髪をヘニョらせるウタへ、

 しかし、とゴードンは優しく微笑む。

「思うに、ウタは既に答えの一つを持っていると思う」

 

「私が、答えを持ってる?」

 キョトンとするウタに、ゴードンは大きく頷いた。

「ああ、その通りだよ、ウタ。そして、その答えは私が教えるのではなく、ウタ自身が見つけなくてはならない」

 師の言葉に、ウタはただただ戸惑った。

「そんなこと言われても……私、わかんないよ……」

 

 ゴードンは慈しむように面持ちを和らげ、

「分からない時は原点(オリジン)に立ち返ってみると良い」

 語り掛けるように説いた。

「なぜ歌が好きなのか。なぜ歌手を志したのか。そこに答えがあるはずだよ」

 

      〇

 

「なるほど……言語学的表記だけど、数学的アプローチが正解なのか」

 もはや私用オフィスと化した王宮図書室にて、ベアトリーゼは持ち帰ってきた古エレジア楽譜研究者の資料や研究ノートを読み込み、解読法に当たりをつけていた。

 

「これなら、仮に古エレジア楽譜の読譜法を知らずとも解読が能うわけね。しかし……こんなの私が前世記憶(インチキ)持ちじゃ無かったら、解読以前の問題だぞ」

 

 そもそも、これを解読できるほどの高等数学を修めた人間なんて、この世界にそう多いとは思えない。

 となると、疑問が生じる。

 故郷の人間はどいつもこいつも高等学問どころか教育そのものと無縁な野蛮人だらけだった。ウォーロードの配下には学者や技術者が少なからずいたが、彼らとてこの暗号を解けるほどの数学的教養や知見を修めているか怪しい。

 

 椅子の背もたれに体を預け、ベアトリーゼは黒い手帳の革表紙を撫でる。

「この手帳は“誰”に向けて遺されたものだ?」

 個人的な記録ならここまでややこしい内容にするまい。私の過去、ルーツに関するものだとしても、絶対に“あの蛮地”の人間に向けられたものじゃないはず。

 

「まぁ、いいか。読み解けば分かるだろ」

 ベアトリーゼは黒い手帳に記された古エレジア式楽譜記号による記述を解読すべく、延々と計算し、独自に換字表を作り始めた。解読した内容をノートに書き記していく。

「やれやれ。ガレーラで事務員やってた頃を思い出すな」

 

 

 かくしてここにルーチンが発生。

 一日一回ウタの歌を聞き、生活諸事を片付け、黒い手帳の解読を進める。

 もちろん、根っこが武闘派の野蛮人らしく体力と練度維持のトレーニングも欠かせない。エレジアの廃墟内をパルクールで走り回り、我流の機甲術(パンツァークンスト)の鍛錬。たまの息抜きがてらスケッチブックに絵筆を走らせる。

 

「意外と上手なのね」とはウタの評価。

 ロビンに『前衛的ね』と評され、ブルーノから『ヘタウマ』と言われた絵も、『意外と上手』と見做される程度に成長していた。継続は力であろう。

 

 

 他方、ウタは色々と思い悩む日々を送り始めた。

 一日一回、居候(ベアトリーゼ)に歌を聞かせ。その後にレッスンと勉強。肺活量や体力を落とさぬようエレジア島内の散歩や運動をしながら、思考し、思索し、思惟し、深思し、潜思し、沈思する。

 これまでの7年間、ウタは歌唱技術の研鑽を積み重ねてきた。英才教育を施されたエリートらしく歌い手としては才能も手伝って、歳若くも一流の域にある。

 

 さりとて、表現者としてはまだまだ未熟な点が多い。

 歳若い点を差し引いても、ウタは人生経験があまりに不足している。人格形成と精神成長に重要な思春期を閉鎖的かつ孤独な環境で過ごしてきたため、対人交流から得られる経験や知見、教訓、何より自身の表現を他人から評価される体験が絶対的に足りていない。

 

 音楽であれ、演劇であれ、絵画であれ、彫刻であれ、詩や小説であれ、表現者は他者の評価から逃れられない。良くも悪くも表現者は他人の評価によって研磨されていくから。

 自身の表現力と他者の評価。その摩擦で生じる多くの苦悩に相克せねばならない。

 

 ウタは思い悩んでいたものの、日々のレッスンと勉強を疎かにしていなかった。それどころか、不遜なる居候の心を揺さぶってやろうとこれまで以上に熱がこもっている。

 

 

 教え子の様子に、師たるゴードンは思う。

 この苦悩を克服した時、ウタは表現者として大きく化けるだろうと。

 同時に、ゴードンもまた苦悩していた。

 ウタをどうやって世界に送り出すか。ウタの素晴らしい才能を、奇跡のような歌声を、どうやって世に発表するか。ウタの持つ特異な能力を世にどう認知させるか。そして――

 ウタウタの実に秘められた呪いともいうべきトットムジカをどうすべきか。

 

 エレジアという小さな箱庭で三者三様の数日が過ぎたところへ、ニュース・クーが世界経済新聞という名の小石を投げ込む。

 その小石は『不定期連載特集企画:エレジア滅亡の真実』という途方もなく危険なものだった。

 

      ○

 

 さて、少しばかりネタバレになってしまうが――

『原作・劇場版FILM RED』において、当初、ウタはルフィが海賊であることを知らなかった。

 少なくとも作中時間軸において、主人公ルフィが数々の大事件を起こし、世界的大海賊になっていたにもかかわらず、だ。

 であるならば、ウタは当時の世界情勢に対して無知だったと考えてよいだろう。

 

 しかし、異物(ベアトリーゼ)と交流するこの世界線において、ウタは無知のままでいられなかった。

 なぜなら、ベアトリーゼがニュース・クーから新聞を購読していたから。このため、ウタは新聞を通じて世界の悲喜こもごもを知ることになったし、新聞を題材にベアトリーゼやゴードンと質疑応答をし始めたから。

 

 たとえば。

「なんでこんなに争いばかり起きてるの?」

 ウタは新聞を読み終えた後に大人達へ問うた。

「哲学的な疑問だな」ベアトリーゼはくすりと笑って「元国王の御意見は?」

 水を向けられたゴードンは困り顔を浮かべつつ回答。

「争いが起こる理由は千差万別だが……施政者の観点から言えば――」

 

 あるいは。

「世界最大の海上エンターテイメントシティ、グラン・テゾーロ就航だって。凄いっ! 船の中にカジノ、ホテル、プールに遊園地、水族館、あとコンサートホールまであるっ!」

 大々的に報じられるグラン・テゾーロ就航に歓声を上げるウタ。

「全長10キロ? よくそんな船が作れたものだ」と暢気に感心するゴードン。

「ウタちゃんが歌姫として売れたら、そこでコンサートする日がくるかもね」

 グラン・テゾーロが登場する原作映画を知らないベアトリーゼが無責任なことを言ったり。

 

 もしくは。

「赤髪海賊団が新世界で縄張りを拡大……」

 ウタは自分を棄てた父の記事を見て苛立ち、新聞をくしゃくしゃに。

「ちょっ?! まだ読んでないっ!」

 悲鳴を上げるベアトリーゼ。

 

 そして、この日の新聞は――

『不定期連載特集:エレジア滅亡の真実』

 爆弾が載っていた。

 

 朝食の場は沈黙に凍りつく。

「「――――」」

 言葉を失うウタとゴードン。

 

 ある意味で爆弾を呼び寄せた張本人であるベアトリーゼは、激しく動揺して言葉もない2人を余所に、珈琲を口にしながら新聞を読んだ。

「ふーむ。堅気に手を出さない“赤髪”がなぜエレジアを滅ぼしたのか、という謎を解き明かすことが記事の趣旨みたいだね。御丁寧に当時の君らの写真まで載ってるよ。これは事件直後に海軍が撮影したものかな? まあ、それはともかく」

 

 ベアトリーゼはウタとゴードンを一瞥し、続けた。

「事件関係者や赤髪に取材したわけでもないようだ。いや、これから取材して記事を掲載していくつもりか」

 

「それって」顔を蒼くしていたウタが声を絞り出すように「いずれ記者が私達に事件のことを聞きに来るってこと?」

「多分ね」ベアトリーゼは他人事意識全開で「根掘り葉掘り聞いてくるだろうね。スクープが懸かっている時のブン屋は道徳も倫理も無いから」

「なんてことだ」ゴードンが頭痛を堪えるように禿頭を押さえて呻く。

 

 

「……私、知りたい」

 

 

 胸を押さえて苦悶するように端正な顔を歪めながら、ウタはゴードンを真っ直ぐに見つめる。

「あの夜に何があったのか、私も知りたい。知りたいよ、ゴードン」

 

 7年前のあの夜からずっと、胸中に在り続けた疑問。

 どうして、シャンクス達は自分を捨てていったのか。

 どうして、シャンクス達はあの夜突然、この国を襲い、滅ぼしたのか。

 一切の記憶がない7年前のあの夜、何があったのか。

 父が自分を捨てていったあの夜、何が起きたのか。

 

 ウタは薄紫色の瞳に涙を浮かべ、師であり、もはや育ての親にも等しいゴードンへ涙声で告げた。

「教えてよ、ゴードン。お願いだから」

 

「ウタ……それは」

 ゴードンは言葉を続けられない。7年前のあの夜の真実は、ウタにとってあまりに残酷だから。だが、ここで真実を告げなければ、ウタの信用や信頼を決定的に損なってしまうだろう。

 どうする。ゴードンは脂汗を滲ませながら、苦悶する。どうすれば良い。

 双眸から涙を溢れさせている教え子に、ゴードンは肯定も拒絶も出来ず――

 

「教えてあげなよ」

 不意にベアトリーゼが口を開いた。

 いつものアンニュイ顔で、暗紫色の瞳に少しばかりの倦みを湛え、ベアトリーゼは音楽家の師弟へ冷淡にも聞こえる声音で告げる。

「真実を語る時が来た。そういうことだろ」

 

「部外者が勝手なことを」

 ゴードンが苛立ちを込めて睨んでくるが、ベアトリーゼは歯牙にもかけない。心優しい善人の怒りなど、ケダモノ染みた野蛮人達の敵意や殺意に比べたら微風みたいなものだ。

「部外者だから言ってるんだよ」

 

 ベアトリーゼは大粒の涙をぽろぽろこぼしているウタを横目にし、ゴードンへ告げた。

「今、あんたがこの子にすべきなのは、残酷な真実を隠す優しさじゃない。過酷な真実を告げたうえで寄り添い、立ち直らせる労りだよ。でないと、あんたらの師弟関係は二度と元に戻らない」

 

「……」ゴードンは大きくうなだれる。

 ウタは綺麗な顔を涙に濡らしながら、ベアトリーゼに顔を向けた。

「……ひょっとして、何か知ってるの?」

 

「知ってるんじゃない。気づいたんだ」

 ベアトリーゼは幾分柔らかな声色でウタへ語る。

「私は痕跡の分析方法を学んでいたし、考古学者の親友から古物の調査法も教わっていたから、この街の破壊痕跡がおかしいことに気づいた。少なくとも、世間一般に語られている赤髪海賊団による襲撃では説明がつかないことに。

 だから、ゴードンさんに言った。“余計なトラブル”を起こさずに済むように隠してることがあるなら、先に言っておけと。彼は教えてくれたよ。ウタちゃんを“守るために”必要な真実を」

 

「……ゴードンッ!」

 ウタは腰を浮かせて師へ向かって吠えた。魂から血を流しているような声で。

「話してっ! 今すぐにっ!!」

 

 ゴードンは卓に肘をつき、俯いて組んだ両手へ額を預けた。サングラスの奥で懺悔するように瞑目した後、憔悴した顔を娘同然の教え子へ向けた。

「……良いか、ウタ。これから話すことの原因は全て、私にある。この国の王であり、封印された“アレ”の管理者たる、私の不明が招いたことだ。その点を誤ってはいけない」

 父同然の師から向けられる真摯な、そして、有無を言わさぬ語気に気圧され、ウタは頷く。

 

「まず、説明せねばならない。ウタウタの実の能力に伴う“呪い”について」

 ゴードンは赤髪シャンクスとの誓いを破り、真実を紡ぎ始めた。

「歌の魔王トットムジカ。あの夜の元凶だ」

 

        ○

 

 エレジアで修羅場が生じている頃、グランドライン“新世界”某島でもニュース・クーから新聞を買った者が居た。

「さてさて、今日の世界情勢は……はぁああああああああっ!?」

 ドレッドヘアーのオヤジが絶叫を上げ、二日酔いで寝転がっていた周囲の者達が辟易顔で目を覚まし、口々に罵詈雑言を浴びせる。

「うるせェぞヤソップッ!!」「宴会明けくらい静かにしろよッ!!」「頭に響くだろうがボケェッ!!」「勘弁してくださいよヤソップさんッ!!」

 

 ギャーギャー喚く周囲を無視し、ヤソップはレッド・フォート号後甲板で迎え酒をちびちびやっていた船長の許へ駆けていく。道中に二、三人ほど踏んでしまって罵声が怒号に変わったが、それどころではない。

 

「お頭ッ!! これを見てくれっ!!」

「血相変えてどうしたんだ、ヤソップ」

 四皇“赤髪”シャンクスは暢気に応じつつ、ヤソップが差し出した新聞を受け取り、眉根を大きく寄せた。

 不定期連載で綴られる特集企画記事『エレジア滅亡の真実』。

 その煽動的なタイトルにシャンクスは思わず瞑目し、大きく息を吐く。

 

「これは、参ったな……」

 世界経済新聞の特集記事面。掲載されている写真の一つに7年前の事件後、海軍が撮影したらしきゴードンと愛娘の姿が映っていた。

 7年振りに目にした娘の姿に、シャンクスの心が大きく揺れた。

「ウタ……」

 

 

 

 

 

 

 世界最大の発行部数を誇る世界経済新聞を手に取り、『エレジア滅亡の真実』に関心を抱いた者は他にも居た。

 たとえば、聖地マリージョアの住人。

 

「エレジアか。“世経”め。またぞろ余計なことに首を突っ込んだか」「当代のウタウタの実の能力者は“まだ確認されていない”。エレジアの“アレ”が公になることはあるまい」

 世界政府の重鎮『五老星』達があれやこれやと会話を交える中、着流しの老人が記事に目を通し、

「事件時、現場に急行した海軍艦艇は略奪品を満載した赤髪の船を目撃。逃走する赤髪の追跡より、エレジアの被害確認と救助を優先させるも、確認できた生存者は国王と“娘”のみ、か」

 鼻息をついた。

「ゴードン王は未婚者だったはずだ。この娘は何者だ?」

 

 

 

 

 

 また、世界経済新聞は“赤髪”シャンクスに恨みを持つ者の目にも触れた。

「―――ぉおお……っ! おおお覚えている、俺は覚えているぞ、このガキをッ!」

 その“怪物”は新聞を引き裂き、千切れた掲載写真を握りしめ、悶え叫ぶ。

「赤髪の娘ェあああああっ!!」

 




Tips

ウタ
 悩み多き思春期の16歳。いよいよ真実と直面する時が来た。

ゴードン
 ウタに真実を話す時が来た。

ベアトリーゼ
 なんだかんだ引っ搔き回してる元凶。

シャンクス
 世界経済新聞の記事により、ウタのためにどう動くべきか苦悩するお父さん。

”怪物”
 オリキャラ。
 今回の敵役。詳細は次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

44:悩んだ時は叫んでみよう

佐藤東沙さん、拾骨さん、戦人さん、誤字報告ありがとうございます。
めけめけさん、作中時系列の不備を御指摘くださってありがとうございます。

本話は劇場版『FILM RED』の内容に触れます。御注意ください


「ゥゥウウゥゥ――――――――――ウゥッ!!」

 賞金3億2千万ベリーの海賊“脳食い”マカクは発作を抱えている。

 

 動物系ヒルヒルの実の能力者であるマカクはヒル人間だ。

 このヒルヒルの実は特異種というべき“特性”があり、通常の動物系で確認し得る人間形態、獣形態、人獣形態の三形態ではなく獣形態しかとれない。そして、ヒルヒルの実の獣形態は――人間の頭部に蛭の体躯を持つ惨めな生命体に成り果てるものだった。

 

 が、マカクはこのヒルヒルの実のおぞましき特性によって、賞金3億2千万ベリーの強者に成り上がっていた。

 

 蛭の中には寄生虫も存在する。ヒルヒルの実の異能もまた、人間を含めた他生物に“寄生”することが可能だったのだ。

 ただ、他者に寄生して肉体を乗っ取る様子は、もはや人間というより化物の所業そのものだった。加えて、鼻と上下唇を削ぎ落とされた無惨な向こう傷顔が、彼の外見を一層人間離れしたものにしていた。

 常軌を逸した容貌、他人の肉体に寄生して乗っ取る異能。もはやマカクは”人間”と定義して良いかどうかも怪しい。

 

 マカクの精神面もまた、非常に危うい。

 ヒルヒルの実の能力者になったことで人間だった肉体を失って以来、マカクは自身に残された人間的部位――顔に対する執着が凄まじく、海賊商売に於いて自身の顔を傷つけた相手を絶対に許さない。嬲り殺しにした後、死体を損壊してもなお収まらぬほど怒り狂う。

 

 そんなマカクであるから、顔を無惨に破壊されて以来、ほとんど狂っている。壮絶なまでの加虐性と残忍性はもはやサディストなどという表現では追いつかない。

 マカクは少なくない部下を率いているが、部下達はマカクの暴力と恐怖に支配された奴隷であり、いざという時にマカクが寄生する予備の肉体であり、マカクの異常食欲を満たす家畜なのだ。

 

 いつもの発作を起こしたマカクは、自身の大事な顔を無惨なものに変えた男の手配書を、ナイフで滅多突きにしていた。

「ゥゥウウウウシャンクスシャンクスシャンクスシャンクスゥウウウウウ……ッ!!」

 

 かつて、マカクは赤髪海賊団と抗争してボロ負けした。命からがら逃げ伸びることは出来たものの、顔を酷く損壊された。このシャンクスに対する憎悪と怨恨がただでさえ化物染みたマカクを、より怪物的存在に変えている。

 

「シャンクスシャンクスシャンクスシャクスゥゥウウウウ……ッ! 殺してやる殺してやる殺してやる貴様の脳髄を欠片も残さず食らい尽くし、その体を俺のものにしてやるぅうッ!」

 剥き出しの歯茎と前歯の隙間から涎と呪詛を垂れ流すマカクだが、その実、一度も赤髪海賊団と再戦したことがない。

 

 恐ろしかったからだ。シャンクスの強さはさながら竜の如くだった。顔の傷を見る度に憎悪と怨恨を新たにするとともに、シャンクスに対する恐怖と怯懦も新たに糊塗されている。

 だから、マカクはシャンクスを憎み恨みながらも、再戦しようとはしなかった。シャンクスが四皇に至ってからは猶の事。

 つまるところ、マカクは復讐と報復を渇望すればするほど、恐怖と怯懦の心的外傷後ストレス障害に苦悶する羽目になっていた。

 

「ゥウウウウウウウウ―――ウッ! シャンクスシャンクスシャンクス……ゥッ!」

 この日、マカクがいつものようにトラウマの発作を起こしている時だ。

 

 ニュース・クーが『不定期連載特集企画:エレジア滅亡の真実』を掲載する世界経済新聞を配達した。

 マカクは震える手で新聞を引っ掴み、そして、見た。

 記事と共に掲載されている、海軍が撮影したらしきエレジア滅亡時の生存者二名の写真を。

 エレジア国王ゴードンと娘のウタの写真を。

 

「―――ぉおお……っ! おおお覚えている、俺は覚えているぞ、このガキをっ!!」

 マカクは過去を幻視した。

 

 往時、マカクは部下を引き連れてレッド・フォース号を強襲したものの、瞬く間に劣勢に陥った。その時、後船楼の出入り口から甲板の様子を窺う赤白二色頭の幼女を見つけ、人質に取ろうとした刹那。

 

 ――俺の娘に手を出すな……っ!

 

 一瞬だった。気が付いた時には寄生していた肉体は完全に破壊されつくし、鼻と上下唇が削ぎ落とされていた。

 新聞を引き裂き、千切れた掲載写真を握りしめ、マカクは絶叫する。

「赤髪の娘ェあああああああああああっ!」

 発狂したマカクは船内に轟くほどの怒号を発した。

「進路を変えろっ!! 目標はエレジアだッ!!」

 

 震え上がった部下達が大慌てで船の進路を変えていく中、マカクは邪悪という言葉では表現しきれない凶相を浮かべ、笑う。悪意を垂れ流すように剥き出しの歯茎から涎をこぼして、狂い笑う。

「シャンクスゥ……っ! 貴様の“娘”を滅茶苦茶にぶっ壊してやるぞぉおおおっ!!」

 

        ○

 

「―――これがあの夜に起きた全ての出来事だ」

 完落ちした犯人のように7年前の事件を語り終え、ゴードンは深くうなだれる。サングラスの隙間から流れ落ちる涙は自罰意識に染まっていた。

 部屋に満ちる沈黙の静寂は酷く冷たい。窓から注ぐ陽光の温もりが感じられぬほどに。

 

「私が、この国を、滅ぼしたのね」

 茫然自失状態のままウタが呻くようにこぼした言葉に、ゴードンは血相を変えて叫ぶ。

「違うっ!! そうじゃないっ! ウタは悪くないっ!! 私だっ! 私が悪いんだっ!! トットムジカの存在を知りながら、ウタウタの実の能力者である君から目を放してしまったっ! 私の不注意がトットムジカに君を誑かす隙を許してしまったっ! ウタは悪くないっ! 何も悪くないんだっ!」

 

「でも、私が歌ったから、私が歌ったから、この国の人達が」

 ウタが茫然としながら薄紫色の双眸から大粒の涙をこぼしながら、自責の言葉を編む。

「私が、この国を滅ぼしたんだ」

 

「聞きなさい、ウタッ! 君は何も悪くないんだっ!!」

 ゴードンが必死にウタへ説くも、ウタの心には届かない。

 

「この件は誰も悪くないんだよ」

 ベアトリーゼが大きく息を吐き、ウタとゴードンの視線を浴びながら、続けた。

「どういう理屈かは知らないが、トットムジカには意思があり、自ら封印を解く力を有していた。その前提を知らなきゃあ封印管理人だって注意のしようがない。ゴードンさん、その意味で責任があるとすれば、トットムジカの危険性を正しく伝えなかったあんたの御先祖が悪いってことだ。あんたはむしろ被害者だよ」

 

 呆気にとられるゴードンからウタへ視線を移し、ベアトリーゼは無感動に語る。

「当然、ウタちゃんにも責任はない。これは9つのガキが何も知らぬまま爆弾の起爆スイッチを押させられたようなもんだ。ウタちゃんもまた被害者だよ。罪なんて問われない」

 

「でも、私が歌ったから、この街の人達が死んじゃったことに変わりないじゃないっ!」

 ウタは泣きながら叫び、両手で顔を覆う。

「私がこの街を滅ぼして皆を殺した。だから、シャンクスは私を捨てていったんだ……恐ろしい怪物を呼び起こしちゃうような人間だから、私が邪魔になったから捨てたんだっ!」

 

「違うっ! そうじゃないっ!! シャンクスはそんな理由で君を私に預けたんじゃないっ! ウタの夢を守るためだっ! 彼は断腸の思いで君をこの島に残していったんだっ! 断じて捨てたんじゃないっ!」

 ゴードンが真摯な説得を重ねるも、ウタは逃げるように部屋を飛び出していく。

「ウタッ!!」

 

「待った」

 慌てて追いかけようとするゴードンを呼び止め、ベアトリーゼはポットを傾けてゴードンのカップに新たな珈琲を注ぐ。邪魔をするなと言いたげに睨んでくるゴードンへ、ベアトリーゼは溜息混じりに言った。

「あんたも少し冷静になった方が良い。何も考えずに珈琲を一杯飲んで、それから今後のことを考えろ」

 

「今後?」

 怪訝顔になったゴードンへ、ベアトリーゼは冷徹に告げる。

「ゴードンさん。あんたも向き合う必要があるだろう? 悪意の楽譜をどうするか。真実を知ったウタをどう教え導いていくか」

 

「―――ッ!」ゴードンはうなだれて「……そうだな。その通りだ。でも、ウタを放っておくわけにも」

「私が様子を見てくるよ」

 ベアトリーゼは腰を上げ、夜色の髪をゆっくりと掻きあげる。アンニュイ顔の双眸にどこか優しいものを湛えて。

「赤の他人の方が気楽に接せられることもあるからね」

 

      ○

 

 港の突堤、その先端でうずくまるように膝を抱え、ウタは泣いていた。

 残酷なほど青い空の下。哀しいくらい穏やかな海を前に、ウタは泣きじゃくる。

 自分の“罪”を知らされ、ウタはただただ大粒の涙を流し続ける。

 

 シャンクスは何も悪くなかった。それどころか、私のために汚名まで背負わせてしまった。自分が原因だったのに。自分がこの国を滅ぼしたのに。

 ベアトリーゼの言う通りだ。ウタウタの実は皆を幸せにする能力なんかじゃない。人を傷つける“兵器”だ。自分は大勢の人達を殺した犯罪者だ。

 私の歌は人を幸せにするどころか、命を奪うものだ。

 シャンクスが、赤髪海賊団の皆が自分をこの島に棄てていったのも当然だ。こんな危険な人間を手元に置いておけるわけがない。

「私が全部悪かったんだ……っ!」

 

「だったら、どうするの?」

 不意に背後から声を掛けられ、ウタは華奢な身を大きく震わせた。わずかに顔を上げ、泣き過ぎて真っ赤に充血した目を肩越しに背後へ向けた。

 

 いつの間にか、ベアトリーゼが三歩ほど後ろに立っていた。夜色の髪を潮風に揺らしながら強い日差しを浴び、心地良さそうに目を細めている。

 

「あっち行ってっ! 私を放っておいてよっ!」

 ウタが拒絶の言葉を浴びせるも、ベアトリーゼは委細無視してウタの隣に腰を下ろし、長い脚を畳むように胡坐を組み、

「後悔も自己嫌悪も自罰思考も構わない。内に引きこもったって良い。ただし、そこで立ち止まったらダメ。そこで立ち止まった人間は大抵が負け犬に成り果てる」

 冷酷に告げる。

「負け犬じゃ歌姫にはなれない」

 

 歌姫という単語にウタは身を震わせ、ぽろぽろと涙をこぼす。

「……もう歌姫になれないよ……誰も私の歌なんか聞いてくれない」

 

「じゃあ、どうするの?」

 ウタの泣き腫らした横顔を窺い、ベアトリーゼは先ほどの問いを繰り返す。

「歌姫になることを諦めて金輪際歌うことを止める?」

 

「それは――」

 歌うことを断つのか。その冷厳な詰問にウタは答えられない。ウタにとって歌は自分自身を形成し構築する全てだから。

 

「歌うことをやめて修道女にでもなってみる? 犯した罪の赦しを求めて神様とこの街で死んだ連中に祈り続けてみる? まあ、後ろ向きではあるけれど、選択肢としては有りかもね」

 淡々と言葉を紡ぎ、ベアトリーゼはウタへ三度問う。

「でも、ウタちゃんは歌を捨てることが出来るの?」

 無機質な暗紫色の瞳が傷心の少女を捉え、容赦なく問い詰める。

「ウタちゃんにとって歌とは何? ウタちゃんはどうして歌が好きなの? 歌手になろうと思ったのはなぜ?」

 

「私は―――」

 ウタは泣きながら自問する。

 

 私はどうして歌が好きなのか。私はどうして歌手になろうと思ったのか。

 

 脳裏に赤髪の父がよぎった。優しく笑ってくれる父の顔がよぎった。

 瞼の裏に“父達”が浮かんだ。楽しそうに歌ってくれる“父達”の姿が浮かんだ。

 あの日、自分を置き去りにして去っていくレッド・フォース号の姿が鮮明に思い出された。

 

 苦しい。哀しい。辛い。悲しい。心が血を流してすぐにも壊れそう。魂に亀裂が入って今にも砕けそう。

 

「……私が歌うことが好きになったのは、皆が喜んでくれたから。私が歌えば、皆が嬉しそうに笑って、一緒に楽しんでくれたから。皆が私を褒めてくれたから」

 何より――

「私が歌うとシャンクスが喜んでくれたから。私はシャンクスに喜んで欲しかったから。私はシャンクスに褒めて欲しかったから」

 

 ああそうだ。これこそ私の原点(オリジン)

 

 私の歌でこの世界の全ての人達を幸せにしたい。シャンクスは私には出来ると言ってくれたから。

 私は世界で最高の歌姫になって、この世界の全ての人達を幸せに出来ると、大好きな父が言ってくれたから。

 

 ああそうだ。だから、私は誓ったんだ。ルフィの前で誇らしく宣言したんだ。

 海賊王になると誓った彼に、私は新時代を開く歌姫になるって誓ったんだ。

 

 でも――

「でも、私、私が歌ったから、この島の人達が死んじゃった。私のせいで、この島の人達が」

 

「私もゴードンもウタちゃんのせいじゃないって何度も言ってるんだけど……まぁいいや」

 ベアトリーゼは腰を上げ、すらりとした長身を伸ばし、言った。

「そんなに自分が悪いと思うなら、まずやることがあるでしょ」

 

「やること……?」

 泣き腫らした顔を上げ、ウタは戸惑いながらベアトリーゼを見上げる。

 

 野蛮人はアンニュイ顔を悪戯っぽく和らげ、

「悪いことをした時はまず謝るもんだろ」

「謝る……」呆気にとられたウタへ、

「そ。気が済むまで、ごめんなさいって叫んでみなよ。何かが変わるかもしれない」

 手を差し伸べる。

「ほら、早く」

 

 ウタは怯えた子兎のようにおずおずと手を伸ばし、ベアトリーゼの手を、掴んだ。

 

 掴まえた(Gotcha)。ベアトリーゼはウタを釣り上げるようにして立たせ、にんまりと唇の両端を曲げた。ウタを街へ向き合わせて背中に手を添える。

 不安げなウタへ、ベアトリーゼは優しく告げた。

「大丈夫だから。さ、やってごらん」

 

 ウタは目を瞑り、大きな深呼吸を何度も繰り返してから、

「……ごめんなさい

 震える声で廃墟の街へ詫びた。も、隣のベアトリーゼがダメ出しする。

「そんなか細い声で誰に届くんだよ。しっかり声を出せ。世界最高の歌姫の声はそんなもんか?」

 

「ごめんなさいっ」

 声から震えが解けた。が、ベアトリーゼは認めない。鬼教官の如くウタを叱咤する。

「聞こえねーよ。歌手として鍛えてきたんだろ? 後悔してんだろ? この街の人達に悪いと思ってんだろ? 本気でやれよっ! 半端すんなっ! 全力でやれっ!」

 

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!

 ウタは謝罪の言葉を繰り返す。力いっぱい、本気で、真剣に、歌手として鍛えられた発声を全力で用いて、喉が張り裂けんばかりに、肺の空気を全て絞り出すように、腹の底から、心の奥から、魂の核から、

 

「皆、ごめんなさいっ!!」

 歌姫の声が廃墟の隅々まで響き渡り、染み込んでいく。

 

 

 

 どれほど叫び続けたのか。空高くにあった太陽が気づけば、西へ向かって沈みかけていた。

「ごめんなさい」

 ウタは無理な発声を続けて喉を痛めていた。それでも涙はいつの間にか止んでいて、飲食を取らずに叫び続けた体はくたくたに疲れ切って汗塗れになっていて、力の入らぬ膝ががくがくと笑っている。

 

ごめんなさい

 虫の囁き声みたく呟き、ウタは体力の限界を迎えて意識を失った。

 

 ベアトリーゼは崩れ落ちるウタを抱きかかえ、少女の憑き物が落ちたような顔を見下ろし、小さく鼻息をつく。

「とりあえずは対症療法成功、かな。まぁ大丈夫だろ」

 ウタは半日近く『ごめんなさい』を続けたが、一方で『赦してください』と口にすることはなかった。無自覚かもしれない。しかし、重要なことだ。

「流石は大海賊の娘。タフな心を持ってる」

 

 ベアトリーゼはウタを背負い、王宮に向かって歩き出す。

 いつもの『酔いどれ水夫』ではなく『ビンクスの酒』を子守歌のように口ずさみながら。

「ビンクスの酒を、届けに行くよ。海風、気まかせ、波まかせ」

 

 その歌声は意識のないウタの耳にも届いていて。

 少女は夢を見る。

 レッド・フォース号の甲板で、フーシャ村の酒場で、皆と共にビンクスの酒を合唱していて、シャンクスが、“父達”が、ルフィが、幸せそうに笑って歌っていて――

 少女の目から一滴の涙がこぼれた。

 

「ヨホホホ~ヨホホホ~ヨホホホ~ヨホホホ~」

 ベアトリーゼは優しく、柔らかく、慈しむように口ずさみながら、夕焼けに染まる廃墟の中を歩いていく。

 

 翌日、ウタが喉を酷く傷め、熱を出して寝込んだことに、ゴードンからこっぴどく叱られると知らずに。

 

      ○

 

「7年前にエレジアで何があったか教えてくださいっ!」

「お嬢ちゃん。状況分かってるか?」

 四皇“赤髪”のシャンクスは溜息をこぼした。

 

 レッド・フォース号が水と食料を補給するため、とある港町に寄港したところ、どこから情報を掴んだのか自称『世界経済新聞の特派員』という若い女性記者が単身で現れ、『突撃取材させてくださいっ!』と言葉通り突撃してきた。

 

 堅気に手を出さない赤髪海賊団であるが、古傷を無思慮に突かれ、塩を塗りたくろうとする相手にまで紳士的に対応できない。

 というわけで、コヨミと名乗った女性記者はグルグルと簀巻きにされていた。が、そこは流石の世界経済新聞記者というべきか。図々しくインタビューを試みている。

 

「猿轡もすべきだったか」と副船長のベン・ベックマンが溜息混じりに言った。

「この嬢ちゃんは猿轡を食い千切りそうだぜ」とヤソップ。

 

「世界は真実を求めているのですっ! 面白おかしい真実をっ! だから、教えてくださいっ! エレジアでいったい何があったのかっ! さあっ! さあっ! さあっ!!」

 下手したら殺されるより酷い目に遭わされるかもしれないのだが、コヨミはお構いなしに取材を要求する。

 

「野次馬根性で人の過去へ踏み込んでくるな」

 シャンクスは鋭い双眸でコヨミを睨み据える。

 生半な者なら失禁失神しかねない四皇の威圧に晒されながらも、コヨミは怯え竦むどころか、目をらんらんと輝かせた。

「触れられたくない過去、というわけですね? なればこそのビッグニュースッ! だからこそのスクープッ! プライバシーなんてクソ食らえ! 私がここで命を落とそうとも、真実を追求するメスは止まらないのですっ!」

 

「お頭。このお嬢ちゃん、頭がちょっとおかしいぞ」とラッキー・ルゥ。

「世経の記者だからな。さもありなん」とホンゴウ。

 

「やれやれ」

 仰々しく溜息を吐き、シャンクスは小さく頭を振った。

「このまま転がしておけ。街の人間に俺達が出港した後に縄を解くように頼んでおく」

 

「あーっ! せめてコメントをくださいっ!」と諦めの悪いコヨミ。

「ノーコメントだ」

 シャンクスはつっけんどんに応じ、他の面々もレッド・フォース号のタラップを登っていった。

 

「あああああああああああああ」

 簀巻きにされたまま出港していくレッド・フォース号を見送り、コヨミは慨嘆をこぼす。

 

「大丈夫かい、お嬢ちゃん」と街の人間が縄を解こうと近づいてきたが、

「はい! 大丈夫ですっ!」

 コヨミはするりと自身をぐるぐる巻きにしていたロープをあっさり解く。

「記者たるもの、拘束から自力脱出できて当たり前ですからっ!」

「そうなのか。記者ってすげーなぁ」純朴な街の人間は素直に信じた。

 

「赤髪海賊団への突撃取材は失敗っ! となれば次に行きますっ!」

 コヨミはグッと拳を作り、目をランランと輝かせる。

「目指すはエレジアっ!!」

 




Tips
マカク
 オリキャラ。元ネタは『銃夢』無印に登場するサイボーグの魔角。
 元ネタでは他者(サイボーグ)のボディを乗っ取る特異なサイボーグだった。
 元ネタの過去は悲惨過ぎて草も生えない。

ヒルヒルの実
 オリジナル悪魔の実。
 上述の魔角の特異性を再現するために捻りだした。

ウタ
 苦悩する16歳。野蛮人に叫ばされる。

ベアトリーゼ
 苦悩する思春期少女に脳筋的対処療法を施す。

ビンクスの酒
 原作に登場する重要な劇判曲。

コヨミ
 元ネタは銃夢に登場する女の子。
 本作では名前と記者という設定以外ほぼオリキャラ状態。
 原作ファンの方ごめんなさい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

45:特派員到来

佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 野蛮人に唆されて延々と叫び続けた結果。ウタは喉を痛め、熱を出して寝込んでしまった。

 

 ベアトリーゼはゴードンからがっつり叱り飛ばされた末、寝込んでいるウタの傍らで看病しつつ、黒い手帳の読解を進めていく。

 時折、ベアトリーゼは囁くような小さな声で鼻歌を口ずさむ。それはいつもの『酔いどれ水夫』だったり、『ビンクスの酒』だったり。それと、ウタが寝息を立てていることを確認したうえで前世の覚えている曲を口ずさむ。

 

 通しできちんと歌えるものは意外と少ない。うろ覚えで特定のメロディとフレーズしか分からないものや、有名なサビの前後しか分からないものの方が多い。

 不思議なもので、有名アーティストのヒットソングより、他メディアと関わった曲の方がよく覚えている。CMソング。スーパーで流れていた宣伝ソング。コンビニの有線。映画の主題歌。ゲームのテーマソング。アニメやドラマのOPやED曲にそれらの劇判曲。

 

 そして、ベアトリーゼがCMで覚えた『この素晴らしき世界』を歌い終えた時。

 不意に膝を突かれる。

 

「今の、もう一回、歌って」

 いつの間にか目を覚ましていたウタが、ベッド脇に座るベアトリーゼの膝を突き、かすれ声でアンコールを要求。

 

 ベアトリーゼはウタのおでこに触れて熱の具合を確認。平熱よりちょい高いようだ。

「子守唄代わりに繰り返してあげるから、お眠り」

 ウタの頬を優しく撫でてから、ベアトリーゼは『この素晴らしき世界』を再び歌い始める。

 別段上手くはないけれど、なぜか酷く心を打つ歌を聞きながら、ウタは睡魔に誘われて眠りに落ちていく。

 

       ○

 

 翌日。

 熱が下がり喉も癒えたウタは、ゴードン特製のスープと粥で病み上がりの身体をいたわる。

 優しい朝食を終え、ゴードンとベアトリーゼに言った。

「あのね、レッスンや勉強を再開する前にしたいことがあるの」

 そして――

 

 

 昼のエレジアに鎮魂歌が響く。

 熱が下がり、喉が癒えたウタが最初に求めたことは、“歌手として”エレジアの亡き人々と向き合うことだった。

 ウタはいつものカジュアルな装いではなく喪服染みた黒いドレスをまとい、廃墟の広場に立つ。立ち会うゴードンも黒い正装を着こみ、ベアトリーゼも市街の廃墟から拝借してきた黒いドレスを着て居住まいを正している。

 

 ウタは広場の中央で大きく深呼吸した後、全身全霊で鎮魂歌を紡ぎ、編んでいく。

 

 無伴奏で歌われた鎮魂歌は技術的なものはもちろんのこと、作曲者が曲に込めた思いや願いを深く理解し、自身の心情と思いを込めて楽譜の一音、歌詞の一節に至るまで歌われていた。加えて、死者への哀悼、冥福の祈願、贖罪と魂の救済、涙の果てからの再起、全てが見事なまでに“表現”されていた。

 音楽家として耳の肥えたゴードンをして、滂沱の涙を堪えられないほどに。

 

 哀切に満ちながらも希望が込められた絶唱は、歌姫の双眸から流れる滴で終わりを迎える。

 

「ブラボ―――ッ!!」

 鎮魂歌に対し、この称賛が正しいか分からない。それでも、ゴードンは讃えずにいられなかった。滅びし国の代表者として、称賛と感謝を“表現”せずにいられなかった。

 

 相伴していたベアトリーゼは涙こそ流していなかったものの、背筋が震え、全身が粟立つ感覚に襲われていた。ウタの絶唱に感受性が強く刺激され、共感反応したらしい。

 

 凄まじいな。ベアトリーゼは思う。苦悩が芸術家を育てると言ったのは誰だったか。眼前の少女は成長どころか化けたと言うべきだろう。

 

 ウタは目元を拭い、憚ることなく大泣きするゴードンと鳥肌の浮いた小麦肌を擦るベアトリーゼへ向き合い、宣言する。

「私、歌い続ける。これからも、世界一の歌手を目指す。エレジアのことで人から後ろ指を指されても、非難されても、私は歌い続ける。一人でも私の歌で幸せになってくれる人がいる限り、私は歌うことを絶対にやめない」

 

「~~~~っ!」ゴードンは何度も何度も頷き、泣きっぱなしでもはや言葉にならない。

「良いと思う」ベアトリーゼは胸を持ち上げるように腕を組み「強くあろう」

 

「アンタを感動させて泣かす約束、まだ終わってないからねっ!」

 ウタに指差し宣言され、ベアトリーゼは面倒臭そうに眉を大きく下げた。

「まだ続けるのか……」

「当たり前よっ!」

 ウタは花が咲いたような笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 で。

 

 

 

 

 懐かれた。

 ウタは一日一回の歌唱挑戦に加え、ベアトリーゼの市街パルクールや機甲術モドキの鍛錬にも付き合うようになった。

 何より、赤ずきんちゃんの如き質問攻めが始まった。

 ベアトリーゼの故郷のこと、これまで旅して見聞きした島や国のこと等々。エレジアの外のことに、世界のことに強い関心をぶつけ、5W1H、特に『なぜ』と『どうして』を投げてくる。

 

 考古学者の親友がベアトリーゼをビーゼと呼ぶ、という話をしたら、ウタは物凄い勢いで食いついた。

「私もアンタのことビーゼって呼ぶっ!! 良いでしょっ! ダメって言っても呼ぶからねっ!」

「まあ、別に構わんけども」

 飼い猫の如く懐いてきたウタに戸惑いつつも、ベアトリーゼは良い気晴らしを得ていた。

 

 まだ全てを解読し終えたわけではないが、解読が進んだ手帳の前半部分だけでも、ベアトリーゼの物憂げな顔を険しく歪めるような代物だったから。

 

       ○

 

 把握した内容はとある一族の調査記録。それと記述者の名前。

 調査記録の対象は世界貴族始まりの19王家、その分家筋に当たるフランマリオン一族。

 そして、手帳の記述者は本名不明で“ウィーゼル”と自称していた。

 

 

 

 ”ウィーゼル”はかく語りき。

 フランマリオンの復讐と狂気の物語を。

 

 謎多き『失われた100年』の後、ネフェルタリ王を除く19人の王が一族を連れて赤い土の頂へ去った。

 残された空位の玉座がどうなったか。

 

 たとえば、ドレスローザ王国のドンキホーテ王はリク家に王位を禅譲して去った。

 しかし、フランマリオンの宗家筋に当たる王家は、後継を定めずに聖地へ発った。

 

 その結果、残された重臣や大貴族などの有力者による王位継承戦争が始まり、フランマリオン家はこの抗争によって一族を根絶やしにされたという。

 王の側妃となっていたニノンという女性を除いて。

 

 フランマリオン家最後の一人となったニノン側妃は王の子を産み、あらゆる手を尽くして天竜人フランマリオン家を興すことに成功。

 分家フランマリオン家を興した後、ニノン妃は我が子へ徹底的に叩き込んだ。

 一族を根絶やしにした王国の貴族や軍閥へ復讐し、後継者を定めず継承戦争を招いた宗家に報復することを。

 言い換えるなら、ニノン妃は子々孫々を憎悪と怨恨の鎖で縛りつけたのだ。

 

 “ウィーゼル”はこの狂気こそがフランマリオン家の原点であり、極めて異質かつ異様な一族にならしめた最大の要因と記している。

 そして、“ウィーゼル”の指摘を裏付けるように、フランマリオン家は一族の復讐を果たして宗家を圧倒する権勢を手に入れた後、狂気から解放されるどころか、狂気の深淵により深く沈んでいったようだ。

 

 曰く――天竜人は神である。絶対的権力者であることの言葉遊びではなく、真に神の如く人間を超越した存在に昇華し、進化し、発展せねばならない。

 この星の神たるに相応しき真の超人類(ウーバーメンシュ)に至るべし。

 

「まさかワンピ世界でトランスヒューマニズムと御対面するとは」

 呆れ気味に呟き、ベアトリーゼはかつてニコ・ロビンと交わした会話を思い出す。

「フランマリオンの眠り姫……ひょっとして奴隷に産ませた子を“出荷”して非加盟国を弄ぶことも、これが目的か。蟲毒の壺みたいに戦乱や動乱を用いて超人を創出すると? いや違うな。フランマリオンの目的は天竜人、もっと言えば自分達の超人化であって、下々民から超人を選び出すことじゃない。となると」

 

 実験。

 そう、非加盟国を利用して“何か”を実験していると考えるべきだ。

 

 解読した内容を記したノートを突きつつ、ベアトリーゼは暗紫色の瞳に蔑みを込める。

「ただでさえ強烈な優生選民思想を持っているところへ、トランスヒューマニズムを追加(トッピング)とか、イカレてるわ」

 手帳の内容が全て正しいとするなら、フランマリオンはこの世界にある超人化ガジェット――悪魔の実を用いずにトランスヒューマンへ至る手法を模索しているようだ。

 

 科学的手法による人間の改造や強制進化を試みている?

 ベガパンクが血統因子を発見したことが数十年前であることを考慮するなら、それ以前の数百年はいったいどんな馬鹿げた手法を試していたのか。想像するにもおぞましい。

 

 気が滅入ったベアトリーゼは深々と溜息をこぼしつつ、別の疑問を思う。

「それにしても……この“ウィーゼル”って奴は何者だ? どうやってこんな情報を掴んだ? 『失われた100年』ほどでは無いにしろ、これも秘匿された歴史の類だろ」

 疑問に答える者はいない。

 

      ○

 

 解読作業が本格的に進展し始めて以来、ベアトリーゼの表情は険しい。物憂げな面差しはいつも眉間に皺を刻み、暗紫色の瞳にも翳が絶えない。

 ベアトリーゼのオフィスと化した王宮図書室にやってきて、ウタは黒い手帳に興味を示す。

「手帳の解読が進むにつれて酷い顔するようになったけど、いったい何が書いてあるの?」

 ベアトリーゼは首を横に振った。

「ウタちゃんにはまだ早い」

 

「また子ども扱い」ぴこん! と勢いよく立つウサミミ髪。

「そうじゃない」

 ウタが唇を尖らせると、ベアトリーゼは真顔で告げる。

「これは人間の醜悪さと邪悪さの記録だ。多感なウタちゃんには悪影響しかないよ」

 

「……そんなに酷いことが書いてあるの?」

「具体的なことは避けるけど、まあ、吐き気を催すような人体実験とか悪意に塗れた社会実験とか、そういうことがたらふく書いてある」

 ベアトリーゼはおずおずと尋ねたウタへ手帳を突きながら答えた。

「それは……最悪だね」ウタは綺麗な顔を歪める。

 

「だろう? ウタちゃんみたく素直な子がこの手帳を読んだら、間違いなく人間不信と社会に対する敵意に染まるね」

 ふ、と息を吐いてベアトリーゼはカップを口に運ぶ。珈琲がやけに苦く感じる。

「ビーゼはそんなもの読んで平気なの?」と案じるウタ。

 ベアトリーゼは控えめに微笑み、アンニュイ顔を作る。

「おぞましい内容に触れたからって人間に絶望したり、世界に憤怒したりしないよ。私はそこまで青くない」

 

「私より少し年上なだけじゃん」

 ウタの指摘に、ベアトリーゼはニヤリと笑う。

「どうかな。中身はもうババアかも」

 からかわれたと感じたのか、ウタはぷくりと頬を膨らませる。

 

 と、不意にベアトリーゼが窓の外へ顔を向け、目を鋭く細めた。

「どうしたの?」

 訝るウタへ、ベアトリーゼは窓の外を見たまま応じた。

「なんか面倒臭そうなのが来たっぽい」

 

 

 

 

 燦々と陽光降り注ぐエレジア港に現れたそいつは、大きなシャチに乗っていた。

 そいつはすらりとした潜水服を着こみ、鞍を装着したシャチに跨っている。シャチはシャチで鞍と手綱に加え、背中と横腹に大きなバックパックをまとっていた。

 

 海底都市(ラプチャー)小さな妹(リトルシスター)を守る大きな姉(ビッグシスター)みたいな装いのそいつは、金魚鉢型ヘルメットを外してエレジア島を見つめ、ニヤリと笑う。

 

「趣のある街だっ! スクープの予感がするぞっ!」

 世界経済新聞の特派員コヨミは懐の防水パウチからカメラを取り出し、街をパチリと撮影。

 

 カメラをパウチに戻し、コヨミはヘルメットを被り直して手綱を振るう。

「ハイヨー、チャベスっ! スクープを獲りに行こうっ!」

 シャチはひと鳴きし、港の桟橋へ向かって泳ぎ始めた。

 

       ○

 

 ゴードンは困惑していた。

 この島に生まれ育って長いが、細身の潜水服をまとい、シャチの背に乗った来島者など見たことも聞いたこともない。

 

 桟橋に上ってきた金魚鉢頭はゴードンに気付き、ヘルメットを脱いだ。ウタより少しばかり年上だろう乙女が人懐っこい笑顔を向けてきた。

「世界経済新聞の特派員コヨミですっ!」

 

「私はこの島の元国王ゴードンだ」

 いろいろ察しがついたゴードンは顔を曇らせた。

「世経の記者さんか」

 

「はいっ! エレジア滅亡について調査と取材に来ましたっ! ゴードンさん、是非とも取材させてくださいっ!!」

「取材は断る。お帰り頂きたい」

 元気溌剌に答える様は好ましい。が、ゴードンは件の特集記事に振り回されたせいか、塩対応を返す。

 

「門前払いっ! だけど、挫けませんっ! さあ、取材させてくださいっ! さあ、さあ、さあっ!!」

 も、コヨミがぐいぐいとゴードンへ詰め寄っていく。押しが強い。

「参ったな。言葉が通じない」とげんなり顔をこさえるゴードン。

 

「取材させてあげなよ、ゴードン」

 そこへ紅白二色頭の小娘ウタが御登場。仁王(ガイナ)立ちしながら、ウタはコヨミへ挑むように宣告する。

「私達に隠すことなんて何もないわ。全部明かして晒して、そこから私はスタートするんだから」

 

「おお!」コヨミは喜色を浮かべ「話が見えませんけれど、何やらビッグニュースになりそうな予感ですっ! 私は特派員のコヨミと申します。貴女のお名前は?」

 

「私はウタ」

 ウタはドラムロールが聞こえてきそうな仁王立ちをしたまま、名乗った。

「世界最高の歌姫になる女よっ!!」

 

「ぉおおおおおっ! 何か分かりませんけど、全然分かりませんけど、貴女からはスクープな感じがしますよっ!!」

 昂奮したコヨミがバシャバシャとカメラでウタを撮影し、ウタはウタでまんざらでもない様子。

 

 これから起こるだろう面倒を思い、ゴードンは顔を覆った。

 

      ○

 

 コヨミは港傍の廃墟で潜水服からタンクトップとハーフデニムに着替え、

「血浴のベアトリーゼッ! 賞金復活のお尋ね者がこんなところにいたなんてっ! スクープですよこれは大スクープですっ!」

 王宮で早々にベアトリーゼと遭遇し、鼻息を荒くしてパシャパシャと撮影する。

 

「こりゃ賑やかになりそうだ」

 気だるげにぼやき、ベアトリーゼは鼻息をついて、

「おい、ブンヤ。私のことを記事に書いても構わないけど、一つだけ守れ」

 告げた。冷酷な殺意を隠すことなく。

「私がこの島で何をしていたかは、決して調べるな。ウタちゃんやゴードンさんにも尋ねるな。知ろうとするな。違えば容赦しない」

 

「こわっ! 本気ですねっ!? 流石は血浴っ! そこらの海賊よりダンチにヤベーですっ!」

 身を震わせるコヨミに、ウタが不満顔で尋ねる。

「ねえ、さっきからビーゼのことを物騒に呼んでるけど、なんなの?」

 

「え?」

「え?」

 戸惑うコヨミと訝るウタ。

 

 ベアトリーゼは疎ましげに前髪を掻き上げ、はぁと大きく溜息をこぼす。

「教えてやって」

「それでは遠慮なく」

 コヨミはコホンと咳をし、ウタへ演技がかった調子で説明する。

 

「ウタさん。ここにおわしますベアトリーゼさんは、西の海で『悪魔の子』ニコ・ロビンと組んで、海賊やギャングを標的に数多くの殺傷沙汰と強奪事件を起こし、時に海軍や賞金稼ぎも蹴散らしてきた凶悪犯なのですっ! ついた二つ名は『血浴』っ! 賞金5200万ベリーッ!」

 ででーんと口で効果音を告げながらベアトリーゼを示し、

 

「数年前、“マーケット”沖にて単独で海軍本部大将と本部中将の精鋭部隊と交戦の末に逮捕されるも、護送船を海難事故に見せかけて沈め、逃走っ! 長く消息不明でしたが、本年数カ月前にあの“英雄”ガープと交戦し、生存が発覚ッ! 再び賞金が懸けられましたっ! その額なんと――」

 コヨミはばばーんとベアトリーゼを両手で示す。

「2億5千万ベリーッ!!」

 

「に、2億5千万っ!?」と目を剥くウタ。

「やっす。それぽっちかよ」と不満げなベアトリーゼ。

 

「いやいやいや、ベアトリーゼさん、今日び海賊以外で億越えの賞金首は稀ですよ」

「全然知らなかった……」

 コヨミの解説にウタが唖然とする中、ベアトリーゼはどうでも良さそうに耳元を掻く。

「そりゃ自慢するようなことでも無いし、悪さを吹聴するような趣味もないからね」

「悪党は自慢したり吹聴したりしますけどね。特に海賊とか」とコヨミ。

 

「ともかく、だ」

 ベアトリーゼは強引に話を打ち切り、コヨミとウタへ物憂げ顔を向けた。

「取材をする方も受ける方も腹を括るんだね。あんた達2人が思っている以上にこれは危ういよ」

 

「「?」」

 歳若い二人は野蛮人の言葉を理解できず、小首を傾げた。




Tips
『この素晴らしき世界』
 サッチモことルイ・アームストロングの名曲。原題は『What a Wonderful World』
 色んなCMに使われているから、誰しも一度は聞いたことがあるはず。
 歌詞は書いてないから楽曲コードは不要だと思う。

”ウィーゼル”
 素性はまだ秘密。
 銃夢:LOに登場したスーパーハッカーのコードネームが由来。

ニノン側妃
 元ネタは銃夢:火星戦記に登場した孤児の少女ニノン。
 原作では悲しい最期を迎える。

コヨミ
 オリキャラの新聞記者。
 元ネタは銃夢に登場する少女コヨミ……だが、当キャラには原作要素が欠片もない。原作ファンの方申し訳ない。
 シャチの名前は、原作コヨミの愛犬の名前。

シャチで海を渡る。
 銃夢の作者、木城ゆきと氏による海洋ファンタジー『水中騎士』に登場する設定。

潜水服
 上記『水中騎士』の潜水服は重甲冑を兼ねていたけれど、本作のコヨミが着こんでいるものは海底SF『バイオショック2』に出てくるビッグシスターがモデル。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

46:怪物襲来

佐藤東沙さん、拾骨さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 世経特派員が襲来した翌日の王宮応接室。

 いささかくたびれてしまってはいるが、今も絢爛な内装と調度品が揃っている部屋で、世界経済新聞の特派員コヨミのインタビューが行われていた。

 

 良い記者は聞き上手だという。

 その意味で、コヨミは良い記者と言えた。当たり障りのない話題――壊滅したエレジアで自給自足の暮らしがどんなものかなどに始まり、自身の奇抜なシャチによる移動を紹介したりして、取材相手の緊張と警戒心を解きほぐす。

 機が熟したところで、本題に入る。

 

「それでは、事件が起きた時のことを伺わせていただきます」

 コヨミは真剣な眼差しでウタとゴードンを見つめ、切り込んだ。

「赤髪海賊団の送別会で、何が起きたんですか?」

 

 ゴードンは生唾を飲み込み、拳をぎゅっと握りしめて口を開く――直前。

「私が元凶よ」

 ウタが言った。背筋を伸ばし、俯くことなく、真摯な面持ちをコヨミに向けて。

「シャンクスが、赤髪海賊団がエレジアを滅ぼしたんじゃない。私からエレジアを救おうとしたけれど、叶わなかった。それがあの夜の真実」

 コヨミは息を飲む。ウタの眼差しと表情が偽りでも演技でもないことを証明していた。滝のように冷汗を掻くゴードンの様子も、ウタの発言が真実であることを裏付けしているようだ。

 

「―――詳しく伺っても?」

「もちろん」

 ウタは大きく頷き、

「そのために、まず私が悪魔の実“ウタウタの実”の能力者であること、その能力がどういうものか、説明させて」

 語り始める。

 ウタウタの実に秘められた呪いを。

 

 

 

 ウタがゴードンと共にコヨミへ真実を語っていた頃、ベアトリーゼも暗号解読を進めて自身のルーツに手を掛けていた。

「こいつら、ベガパンクよりずっと早く血統因子の存在に気付いていたのか」

 

 “ウィーゼル”の記述が事実なら、フランマリオンは奴隷や下々民を利用しての人体実験や交配実験により、遺伝学的知見や生命工学的見識を得ていたようだ。狂人ではあるが、白痴ではない。最も始末に悪い類の手合いだ。

 

 世界政府もフランマリオンの凶行に辟易したのか、非加盟国を弄ぶことに制約を課したらしい。その制約が効力を持つ前に、フランマリオンは実験場を作ることにしたようだ。

 

『箱庭』

 実験場に選ばれた土地は西の海に浮かぶ島で、自然環境が過酷で貧しく世界政府に加盟できなかったものの、人々は手を取り合って互いに助け合い、牧歌的に暮らす平和な国だったという。

 しかし、その島はフランマリオンの干渉によって瞬く間に荒廃した。勃興したウォーロード達が争い、群盗山賊が跋扈し、人々が互いに奪い合い、殺し合う猖獗の地に成り果てた、と“ウィーゼル”は記す。

 

 ベアトリーゼは瞑目した。

 忌み嫌っている故郷は、この世界の絶対的権力者によって作り出された人為的な地獄だった。物心ついてから自分が味わってきた多くの艱難辛苦と失望と絶望が、天竜人の妄念に起因していた。だから、海軍も周辺国も知っていながら見て見ぬ振りをしてきた。

 

 馬鹿馬鹿しい真実を知り、天竜人に対する殺意と世界政府に対する憤怒で、血が煮えくり返る。額に青筋が浮かび、無意識に拳が握り込まれて肉と骨がミシミシと軋む。

 

 今すぐマリージョアに乗り込んで、フランマリオンの一族を皆殺しにしよう。

 いや、奴らだけでは足りない。全ての天竜人に踏み躙られた者達の怒りを叩きつけてやろう。世界政府に弄ばれた者達の憎しみと恨みを味わわせてやろう。この世界の汚物共を一匹残らず殺し尽くしてやろう。神を自称するクズ共に人間の恐ろしさを思い知らせてやろう。

 

 ――まだだ。

 凶暴な衝動を抑え込むように、ベアトリーゼは大きな、とても大きな深呼吸を行う。

 

 落ち着こう。こんなのはこの世界で“よくある話”だ。原作『ワンピース』は楽しく愉快な物語が綴られているけれど、その世界観は残酷かつ無情なのだから。

 この世界にありふれた無慈悲さと残酷さが今生の故郷を襲っていた“だけ”のこと。怒り狂うほどのことじゃない。

 

 それに手帳の全てを読み解き終えていない。

「私の勘が正しければ……もっとろくでもないことが書いてあるんだろうな」

 嘆くように呟き、ベアトリーゼはカップを口に運ぶ。

 

 珈琲はすっかり冷めていた。

 

      ○

 

 迎える夕餉は海獣肉の分厚いステーキ、山盛りのベイクドポテト、山盛りの新鮮なサラダ、魚介のスープ。

 肉の出どころはコヨミの愛馬ならぬ愛シャチのチャベスが獲ったもので、半分以上は既にチャベスの胃袋に収まっている。

 

「チャベスとの旅はとっても刺激的で痛快なんですけど、道中の食事が携行保存食と捕らえた魚介に限られるのが難点なのです」

 コヨミはニコニコしながら山盛りのサラダをバクバク平らげていく。

 

「本当にあのシャチに乗って海を渡ってるの?」

「ええ。休む時は浮きテントで休むんです。ハンモックみたいで気持ちイイですよ」

 目を真ん丸にしているウタへ、コヨミは得意げに語る。

 

「嵐とか時化とか大丈夫なのかね? 海王類などに襲われたり……」

「転覆したりしますけど、潜水服を着ていますし、チャベスが何とかしてくれます。海王類とかの類は海楼石の御守りで誤魔化せますから、意外と何とでもなりますよ」

 驚き顔のゴードンにも、コヨミは自信たっぷりに応じる。

 

「この海獣、鹿肉みたい。美味しい」

 三人のやり取りを余所に、ベアトリーゼは分厚いステーキを切り分けて口に運び、歯応えと風味と味わいを楽しむ。アンニュイ顔も実に幸せそう。

 

 食事が済み、ゴードンが先に席を立ち、ベアトリーゼも席を立とうとするも、『お話ししたい』顔の小娘2人に捕まる。

 酒の代わりに紅茶とお菓子で女子会の開始。

 

「本当に驚かされました。赤髪シャンクスの娘。ウタウタの実。悪意の楽譜。歌の魔王。スクープてんこ盛りです」

 コヨミは取材手帳を開き、うーむと唸る。

「なにより、トットムジカのような“オマケ”が付く悪魔の実なんて初耳です」

 

「歳を取らなくなる悪魔の実や、能力者の命を代償に他人を不老不死に出来る悪魔の実があるらしい、と聞いたことがある」

 ベアトリーゼはうろ覚えの原作知識を口にし、グラスにラム酒を注ぐ。

 

 悪魔の実談義が進む中、

「ねえ、コヨミは7年前の事件をどう思う?」

 ウタが意を決して問う。

 

「そーですねー……これは“事故”のような気がします」

 コヨミは薄切りフライドポテトをパリッと齧り、

「この事件はいくつもの偶然が重なって重なって発生したと思うんです。

 

 赤髪シャンクスがウタウタの実の能力者である娘さんをエレジアに連れてこなければ、事件は起きなかった。

 

 ウタさんがウタウタの実の能力者でなければ、あるいは、トットムジカが惹かれるほどに歌が上手くなければ、事件は起きなかった。

 

 ゴードンさんが赤髪海賊団の上陸を拒めば、それか、送別会の時にウタさんの歌唱会を放送しなければ、事件は起きなかった。

 

 エレジアにトットムジカが封印されていなければ、もしくは封印がより強固で完全なら、事件は起きなかった。

 

 これだけの条件が偶然に重なって事件が起きたんです。誰かしらの作為が働いたわけでも無く」

 クピッと甘い葡萄ジュースを口に運ぶ。

「陳腐な表現になりますけれど、因果や運命といった、人智の及ばぬ領域で定められた出来事だったように感じますね」

 

「神の意図だと?」と小馬鹿にするような目を向けるベアトリーゼ。

「そう表現しても良い、という意味です。本気で神の意図があったなんて思ってませんよ」

 コヨミは小さく肩を竦め、ウタへ水を向ける。

「これは間違いなくスクープです。エレジア滅亡の真相を公表すれば、赤髪の名誉は回復されるでしょう。代わりに、ウタさんが歌手として生きていくことはかなり難しくなります。トットムジカの危険性から、怖がって誰も聞いてくれないかもしれませんし、行く先々で入国を断られるかもしれません」

 

 もじゃっとした赤茶色の髪を弄りつつ、コヨミは眉を大きく下げた。

「記者としては書かないという選択肢はありません。でも、インタビューの時に聞かせて頂いたウタさんの歌はとても素晴らしいものでした。いち“ファン”として、ウタさんが歌姫として飛躍する様を見たいし、記者として歌姫ウタの記事も書きたい。とてもアンビバレントです。悩みます。苦悩です。煩悶です」

 

「記事にして良いよ」

 ウタは澄んだ笑みを浮かべ、

「私、言ったでしょ。隠す気はないって。偶然でもなんでも、私がトットムジカを歌ったことでエレジアの人達は命を落とした。その事実を私は背負わなくちゃいけない。そのうえで、私は世界最高の歌姫になる」

 矜持と覚悟を持った挑戦者の顔で宣言する。

「私はエレジア音楽の全てを受け継いだ歌手なんだから」

 

「眩しい」ベアトリーゼは顔をしかめて呻く「十代女子の夢と希望に溢れた姿が眩しい。溶けそう」

「人の決意をバカにしないでよ!」吊り上がる眉目と共にウサミミ髪が屹立した。

「はわわ……格好良い」ファンになっているコヨミがほわわんとトキメく。

 

 ベアトリーゼはラムを呷り、酒精臭い息をこぼしてから言った。

「さっきの話に戻るけれど、ウタちゃんのことは“記事次第”だな」

 

「と言いますと?」

 コヨミが強い関心を向けてきた。ウタもまじまじとベアトリーゼを見つめる。

 

「人は物語が大好きだ。特に悲劇から立ち直って大きな夢を目指す若者の物語なんかは、特に好まれる」

 グラスにラムを注ぎ直しながら、ベアトリーゼは言葉を紡ぐ。

「だから、“そういう風”に記事をまとめりゃあいい。

 

 エレジア滅亡を引き起こしたウタウタの実の呪い。然して、ウタは7年に渡り、トットムジカを制御する術を学び、修めてきた。歌の魔王を御すことに成功した歌姫は、罪を背負い、夢を抱いて世界へ羽ばたく。世界経済新聞は歌姫の挑戦を今後も追っていきます。

 

 ――てな具合はどう? 批判したい奴も応援したい奴も食いつくんじゃない? その分、ウタちゃんは苦労するだろうけれど、世界の歌姫になろうってんだから、これくらいの負担は飲み込みなさいな」

 

「それだ――――――っ!!」

 コヨミは勢いよく腰を浮かせ、椅子がすっ飛ぶ。ビクッと驚くウタを余所に、目をらんらんとギラつかせた。

「真実と事実の切り口を変えて生み出す言葉のエンターテイメントッ! これぞ新聞の精髄っ! これこそ報道の芸術っ! 何より私が担当になれば、経費でウタさんのコンサートを楽しめますっ! 素晴らしいっ!!」

 

「……それ、偏向報道っていうんじゃあ……」と気圧され気味にウタが指摘し、

「職権乱用も加わってるな」とベアトリーゼが笑う。

 

「かつて偉人は言いました」

 目を輝かせながら、コヨミは不敵に言い放つ。

「面白ければなんでも良いのだとっ!!」

 

「報道の倫理や道徳が欠片もないな」

「執筆意欲が天元突破ですっ! お先に失礼しますっ! あああ、今夜はペンのダンスが止まりませんよーっ!!」

 ベアトリーゼのツッコミを無視し、コヨミはあてがわれた客室へ向かって全力疾走していった。

 

「嵐みたいな娘だね……」と呆れ気味のウタ。

「そもそもシャチに乗ってグランドラインの危険な海を一人旅する奴だ。頭のネジが外れてるよ」

 グラスを傾けてから、ベアトリーゼは表情を引き締めてウタへ言った。

「あいつには言わなかったけれど、この記事が出れば多分、来るぞ」

 

「来る? 誰が?」と怪訝そうに眉根を寄せるウタ。

「まず政府の豚共だ。奴らがウタウタの実の危険性やトットムジカを知れば、十中八九ウタの身柄を確保に動く。奴らに捕まれば間違いなく歌姫の道が断たれるだろう」

 

「そんな――」ウタは下唇を噛み「嫌だよ。そんなの絶対に嫌」

「もちろん彼らもこの可能性に気づく。だから、彼らも来る。間違いなく」

 続いたベアトリーゼの言葉に、ウタは目を瞬かせた。

「彼ら?」

 

 ベアトリーゼは優しい顔つきで告げた。

「娘が可愛くて可愛くて仕方ない親バカな海賊団さ」

 

      ○

 

 曇天の払暁時。

 エレジア沖に海賊旗を掲げるガレオン船が姿を見せた。

 旗は髑髏に蛭が巻き付いた図柄――“脳食い”マカクが率いる血蛭海賊団だ。船尾には虜囚達が吊るされて波に嬲られている。

 

「前方に島影っ! エレジア発見、エレジア発見っ!!」

 メインマストの見張り楼から報告が降ってきた。

「最大船速っ!! 最大船速だっ!! 走れ走れ走れぃっ!」

 身長4メートルに届きそうな肉体に身を宿らせるマカクが吠えた。剥き出しの前歯と歯茎の隙間から涎がぼたぼたと垂れ落ちていく。

「グアハハハハ~~~っ! シャンクスゥ貴様の娘の命運もあと少しよォオオッ!」

 

 マカクは血走った眼で団員に命じる。

「景気づけだっ!! “脳ミソ”を持ってこいっ! 若いメスの脳ミソだっ!」

 

「す、すぐにっ!」

 団員達は血相を変えて後甲板に向かい、船尾に吊るされた虜囚の一人を引き上げた。

 

 虜囚の乙女は恐怖と海水の冷たさに顔を土気色に染めていた。濡れそぼったボロ着が肌張りつき、若い体の線を明確に表していたが、そこに官能さなどはなく、ただただ憐れみを誘う。

 

「やめ、やめて、たす、たすけ、たすけて」

 低体温症で朦朧としている乙女は、両脇を抱えられてマカクの許へしょっ引かれていく。

 

 マカクは連れてこられた乙女の首を掴んで持ち上げ、

「ひぃ……っ」

 怯え震えた乙女の耳穴へ、触手のようにうねり伸びた舌を突っ込んだ。

 

「――――――――――――――――ッ!!」

 言語化不可能な絶叫が甲板に響き渡り、他の船員達が慄然と凍りつく。

 

 マカクの舌が乙女の頭蓋内に浸透し、ズルズルと音を立てて脳を穿り吸い込んでいく。

 ヒルヒルの実の異能。“脳食い”の二つ名の由来。マカクは人間の脳――特にエンドルフィンを始めとする脳内分泌物を摂取することで、より強くなっていく。

 その在り様はもはや人間の範疇に無い。紛れもなく人を食らう怪物だ。

 

「あぁあああああああ堪らねえぜェェッ!!」

 恐怖と絶望、肉体的限界で凝縮された脳髄の甘美なる味わいに、マカクは絶頂に似た興奮を覚え、多幸感と万能感に満たされる。

 息絶えた乙女を海へ投げ捨て、狂笑を湛えて叫ぶ。

「何をぼさっとしているっ!! 船を走らせろっ!!」

 

 狂暴にして凶悪極まるマカクだが、決して愚昧ではない。

 特異な動物系能力者であるマカクは、結局のところ、他者の肉体を乗っ取ってナンボの人面蛭に過ぎない。

 

 とどのつまり、マカクの本質は弱者なのだ。

 そして、本質的に弱者であることと、生物的物質的に弱体であることは一致しない。マカクは人間的に弱者であるがゆえに、他者へ対してどこまでも狂暴かつ凶悪に振る舞える。臆病さに起因する他者への暴力性こそ、マカクを3億越えの大海賊へ至らしめた原動力だった。

 

 であるから、事前情報でエレジアにたった二人しかいないと聞かされていても、マカクは気を抜いたりしない。いつも通り襲撃の手順を守る。

「先遣隊、上陸準備っ! 俺の予備のボディも用意しろっ!」

 

 ガチャガチャと武装を整えていく団員達に交じり、茫洋とした大男達が用意される。

 大男達はマカクの“予備ボディ”であり、既に脳の一部を食われてほとんど自我がない。最低限の生命維持能力と命令従事行動以外を持たない木偶人間だ。

 

 雲の隙間から注ぐ曙光を浴びた島影を睨み、マカクは涎を垂らしながら哄笑する。

「グアハハハハーッ! 娘が滅茶苦茶に壊されたと知った時、貴様がどんな面になるか楽しみだぜ、シャンクスゥウウウッ!!」

 

     ○

 

 王宮の客室で眠りこけていたところ、

「――来客が続くな」

 ベアトリーゼは不穏な気配を感じ取り、ぱちりと目を覚ました。

 スポブラとボクサーショーツ姿のままベッドから窓際に向かい、引き締まった腹を掻きながら見聞色の覇気を放つ。

 

 効力圏内にヒット。

 西の港外にガレオン船。短艇2艇による先遣隊が上陸中。頭数は総勢で50名前後。実力はほどほどだが、慣れた連中らしい。ガレオン船にやたら酷くケダモノ臭い奴がいる。能力者の類かもしれない。

 

 来るなら記事が出てから海軍か赤髪海賊団だと思っていたけれど、先んじて余計なのが来たか。

 

「ろくに日も昇らないうちから面倒臭ェなぁ……」

 ベアトリーゼは欠伸をこぼしつつキャミソールとタイトなワークパンツを身につけ、靴下とブーツを履いた。両腕に頂肘装剣(エルボーデンプラット)用の装具を装着。腰にダマスカスブレードとカランビットの装具ベルトを巻く。

 

 客室を出て、ベアトリーゼは夜色のセミロングをうなじ辺りで結いながら歩いていく。

「招かれざる御客がお越しのようですね」

 と、同じくコヨミが取材バッグとカメラを抱えて客室から出てきた。徹夜したらしく目が充血している。

 

「すぐに終わらせてくるよ。安心して寝てな」とベアトリーゼが告げるも、

「御冗談を。単独で海軍本部大将“青雉”や“大参謀”つるの精鋭部隊とやり合い、“英雄”ガープと決闘(タイマン)したと言われる“血浴”の戦いぶりを拝見できるんです。逃しませんよ」

 チャシャ猫のような笑顔を返すコヨミ。

「やれやれ。ブンヤって奴は」

 

 ベアトリーゼとコヨミが王宮の正面玄関へ到着したところへ、ウタとゴードンが寝間着姿のまま駆けてくる。ゴードンの手には電伝虫が握られていた。

「海賊が来たようだ」

 ゴードン曰くエレジアの付近にはナワバリウミウシという生き物が棲んでいて、船や大型海王類が接近するとゴードンの電伝虫に警告念波を届けるという。

 

「私が片付けてくる」

「私はその様子を取材してきます」

 ベアトリーゼとコヨミが告げると、ウタが一歩前に出た。

「相手は大勢いるし、私も手伝う。前に海賊が来た時は私がウタワールドに連れ込んで捕まえたの。だから、今回も私が歌で海賊達を捕まえるよ」

 

「ウタ、危ないことは――」

 慌ててゴードンが止めに入ったところへ、

 

「ウタちゃんは出ちゃダメ。そのうえで、見てなさい」

 ベアトリーゼは後腰に交差するように下げられた鞘から青黒いダマスカスブレードを抜き、両腕にがちゃりと装着。

「今の世界に蔓延する暴力がどういうものか私が見せるから、ウタちゃんなりに”考え”を持ちなさい。暴力に対する姿勢や考えをね」

 

「……暴力」

 ウタが顔を強張らせ、歳が近いコヨミへ顔を向けた。

「コヨミは……平気なの?」

 

「私は記者ですから戦いませんよ。それに、どんな悲劇も惨劇も、カメラを通してしまえば報道すべきネタに過ぎません」

「胸を張って言うことじゃあないぞ、ブンヤ」

 しれっと答えるコヨミへ辟易顔を返した後、ベアトリーゼはコヨミを伴って港へ向けて歩き出す。

 

「よく考えたら皆殺しは死体の始末が面倒臭いな。少し生かしておいて掃除させるか」

「コワッ! 流石は血浴っ! 命の扱いが軽いですね!」

「言っておくけど、海賊に襲われても助けないからな?」

「助けて下さいよっ! 私達、一緒に御飯を食べた友達じゃないですかっ!」

「友達の垣根が低くない?」

 

 殺し合いの場へ赴くのに気安いやり取りを交わす2人に、ウタはなぜか赤髪海賊団を思い出した。




Tips

ベアトリーゼ
 前世記憶と知識のおかげで意外と賢い野蛮人。

コヨミ
 世界経済新聞らしい記者精神の持ち主。面白けりゃあ良いのだ。

ウタ
 幼少期に過ごした外の世界は、こんな変人ばかりじゃなかったはず、と思わなくもない。

ナワバリウミウシ
 原作ガジェット。初出は万国編。
 エレジアに存在することは独自設定。

 弱肉強食の世界でエレジアみたいな小国が生きるには、こういう早期警戒システムは必要だろうな、て。





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

47:蛮姫無双。歌姫哀唱。

佐藤東沙さん、米田玉子さん、金木犀さん、拾骨さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。

ちょい長めです。


 曇天の早朝。まだ薄暗いエレジア港へ入港した2艇の短艇から血蛭海賊団先遣隊が上陸。銃や刀剣を抱えながら、街へ向かって進んでいく。

 

「植物に食われかけた廃墟と瓦礫しかねえな」

「金目のもんが残ってると良いんだがな。赤髪の娘を輪姦(マワ)して終わり、じゃアゴアシ代で赤字だ。最悪、俺達が船長の餌にされちまう」

 海賊達は顔を恐怖で大きく歪めつつ、苔と雑草に満ちた大通りを進んでいく。

 

『先遣隊。状況を報告せよ』

 通信機代わりの電伝虫から航海長の声が届く。

「事前情報通りでさぁ。街は完全に廃墟で、人っ子一人いねェです。今、大通りを通って街の広場へ進んでます」

 

『了解。俺達も上陸する。お前達はそのまま進んで王宮を制圧しろ。赤髪の娘は捕まえるだけで手を出すなよ。“一番槍”は船長だ』

「分かりやした」

 通信を切り、海賊達は足を進めていく。

 

「他人の身体で女を犯して気持ちイーんスかね?」「知らねえし、知りたくもねえよ、そんなこと」「赤髪の娘とかヤバくね? 絶対に復讐される。四皇に海の果てまで追われるぞ」「……楽に殺しては貰えねえだろうな」「だからってどーしよーもねーだろ。船長に脳ミソ食われるか、赤髪の娘をとっ捕まえてマワすかだ」

 そんなことを話しながら、仄暗い街を進んで広場に近づいていくと――

 

「待て。何か聞こえる」

 先頭を進んでいた斥候役の男が右手を挙げた。瞬間、海賊達は道の両端へ散開し、上下左右へ耳目を澄ませた。下手な海軍部隊よりも軍隊的な動きは彼らの経験値の高さを証明している。

 

「―――これは、鼻歌?」

 斥候役の男は小銃を構えながら広場へそろそろと進み、残りの面々は大通りの両端に広がったまま追随していく。

 

 大通りに繋がる中央広場。

 その中心で小麦肌の美女が『酔いどれ水夫』を口ずさんでいた。

 

「あれが赤髪の娘か?」「いや、違うだろ」「腕に付けてんのは、ヤッパか?」

 海賊達がひそひそと話す中、斥候役の男が小麦肌の美女へ銃口を向けて誰何する。

「誰だ、お前」

 

 美女は歌を止めて暗紫色の瞳を向け、艶やかな唇を三日月の形に歪めた。

「お前らの死だよ」

 

 刹那。

 夜色の髪が踊り、美女は斥候へ肉薄。青黒い刃が曙光を反射して煌めき――斥候が一瞬で左右に両断される。真っ二つにされた体が血と臓物をこぼしながら崩れ落ち、

 

 うわぁああああああああああああああああっ!?

 

 早朝の廃墟に先遣隊の悲鳴が響き渡り、反射的な銃声が幾重も轟き、そして、人体の破壊される音色と断末魔が続く。

 

 中央広場で始まった悲愴な戦闘交響曲は、港で上陸作業を進めていた本隊の耳にも届く。

「先遣隊、何が起きた。応答しろ、先遣隊! 先遣隊!」

 電伝虫に怒鳴る航海長。街の奥――広場のある方を窺う船員達が顔に不安を滲ませる。

 

 太い腕を組み、マカクは忌々しげに舌打ちした。

「赤髪の娘だけあって一筋縄ではいかねェか。父娘揃って苛立たせやがるぜェ……っ!」

 

 マカクは覇気使いではないため、見聞色の覇気で探索調査の類は出来ない。よって、広場で先遣隊と交戦している存在の正体を予備情報と合わせて判断し、誤認した。

 

 不意に悲愴な戦闘交響曲が途絶える。

 この静寂の意味が分からぬ者はいない。マカクは航海長の手から電伝虫を奪い取り、苛立ちを込めて問う。

「先遣隊。報告しろ」

 

『彼らは答えられないよ。私が皆殺しにしたから』

 気だるげな女の声で剣呑な返答が届き、海賊達が身を強張らせた。

 

「貴様が赤髪の娘か」マカクが額に青筋を浮かべる。

『私はお前らの死だ』

 通信が切られ、マカクは電伝虫の通話器を握り潰した。

 

「クソガキがぁ~~~っ!! 父親同様に俺様を舐め腐りやがってよォオッ!!」

 誤解したままビキビキと額に幾つも青筋を浮かべ、マカクは吠えた。

「総員戦闘準備っ!! クソガキを八つ裂きだぁあああああああっ!!」

 

 おぞましい怪物の大喝に海賊達が慌てて戦闘態勢を取り始めたところへ――

 麗しい怪物が空から海賊達のど真ん中へ舞い降りて。

『死』が荒れ狂う。

 

     ○

 

 夜色の髪をたなびかせながら、ベアトリーゼは敵中のど真ん中で高速内線機動戦を開始した。

 

 蛮姫が地を舞いながら、両手の厳めしいカランビットと両腕のダマスカスブレード、必殺の四刀を走らせる。

 海賊達は肉を斬られ、臓腑を貫かれ、骨を断たれる。喉を裂かれ、臓腑を抉られ、首や四肢を斬り飛ばされ、頭をカチ割られ、胴を両断される。

 

 蛮姫が天を踊りながら、高周波を宿した必殺の拳打足蹴を振るう。

 海賊達は武器や防具ごと肉体を砕かれ、潰され、爆ぜさせられ、壊される。

 

 剣林槍衾をするりと避けながら、拾い上げた銃を乱射し、奪い取った爆弾を投げつけ。

 砲煙弾雨をさらりとかわしながら、手近な者を肉壁にしたり、同士討ちや誤射を誘ったり。

 

 一方的に命を狩り続ける最中、蛮姫は微かに口端を歪めた。

 鍛えた身体を思うままに駆使し、縦横無尽に躍動させる快楽。

 研いだ技を思う存分に行使し、縦横自在に駆動する歓喜。

 暴力衝動を曝け出し、縦横無碍に振る舞う喜悦。

 蛮姫は久々に血を浴び、妖艶に嗤う。

 

「うっわぁーっ! すげーっ!」と物陰から世界経済新聞の特派員が夢中で撮影し続ける。

 

 圧倒的暴威を前に海賊達が恐怖した、刹那。

「クズ共がぁっ! メス脳ミソ一匹に無様ぁ晒してるんじゃあねえっ!!」

 鼻と上下唇が失われた大男が仲間の海賊ごと大斧を振るった。斬り飛ばされた海賊達の影から鮮血に塗れた剛刃がベアトリーゼに迫る。

 

「そんなすっとろいナマクラなんざ」

 死角から襲い掛かる大斧へ、ベアトリーゼは右のダマスカスブレードを一閃。青黒い木目状刀身が大斧の刃を枯れ枝のように斬り飛ばす。

 跳ね跳んだ刃が不運な海賊の頭に突き刺さる中、ベアトリーゼは大男へ飛び掛かった。

 

「ちょこざいなあっ!!」

 大男がベアトリーゼの頭部よりも大きな右拳で迎え撃つも、ベアトリーゼはつまらなそうに目を細めながら武装色の覇気で拳を漆黒に染め、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!」

 大男の右拳自体を殴り砕く。高貫徹力の打撃衝撃波は拳だけでなく、大男の右肘の辺りまで木端微塵に吹き飛ばした。

 

 が。

「グワッハハハーッ!!」

 爆砕されたように右腕が砕け散ったにもかかわらず、大男は哄笑と共に左拳を繰り出す。

 

 痛みをまったく感じずに反撃を繰り出す様に意表を突かれたものの、

 ――無痛体質か? いずれにせよ、動き自体はトロ臭い。

 ベアトリーゼは動じることなく後の先を取る。大男の左拳を右のダマスカスブレードで斬り落とし、そのまま身を捩じり、遠心力を乗せた後ろ回し蹴りを胸部へ叩き込む。

 

 武装色の覇気で破砕槌と化した左踵が大男の分厚い胸板を叩き潰し、頑健な胸骨と肋骨を砕き割り、心臓を圧潰させる。蹴りの貫通衝撃波はなおも止まらず、背筋を引き裂いて背中から血肉を噴出させた。

 

 しかし、

「グアワハハハハ――ッ! 無駄だぁああっ!!」

 大男は死ぬどころか高笑いをしながら、手首から先のない左腕でベアトリーゼを殴りつけた。

 

「ちっ!」

 バク転で攻撃をかわし、ベアトリーゼは眉根を寄せて大男を睨む。

 ――心臓を蹴り潰した感触があった。なんで生きてる? 何かの能力者か。

 

「どこの誰だろうと、このマカク様の息の根を止めるこたぁあ、でーきねンだよぉおおっ!! グワァハハハーッ!!」

 両手を失い、胸部が陥没した大男はマカクと自称しつつ、狂笑した。

 

 ……んん? マカク? ベアトリーゼは眉間に深々と皺を刻む。どこかで聞いたような名前だな。ま、いっか。

 

 マカクはベアトリーゼを睨む。

「だいたい何者だ、貴様ぁーッ! シャンクスの娘ではあるまいっ! この島にはシャンクスの娘と元エレジア国王の2人しかいないはずだろぉがあああっ!!」

「居候」ベアトリーゼがしれっと答える。

「いそぉろーだとぉっ!? 舐めよってからにぃ――まぁあいい。ちょっと待っとれぃっ!」

 

 血塗れの身体で平然と歩き、マカクは茫洋と突っ立っていた大男の許へ歩み寄って、

「ボディジャックッ!!」

 ぞろりと首が伸び、口がタライもかくやと大きく広がって大男の頭に被りつく。

 

 大男の頭を丸呑みした直後、血塗れの肉体から蛭のような体がずるりと這い出し、頭部を失った血塗れの体躯がどさりと崩れ落ちた。蛭状の身体が大男の体内へ――おそらく食道を通ってずりずりと侵入していく。

 そして、蛭のような体が大男の体内へ完全に侵入し終えると、男の頭部がマカクのものにすげ変わった。

 

「グワァハハハハーッ! どぉうだーっ! この“脳食い”マカク様は賞金3億越えの大海賊にしてヒルヒルの実の蛭人間っ! 俺にとって他人は全て予備ボディよぉおっ!!」

 大男の脳内分泌物を食らって昂ぶり嗤うマカクに対し、ベアトリーゼは端的に答えた。

「キモチワルッ」

 

 周囲の海賊達が『言っちゃったーっ!?』と言いたげに顔を引きつらせる中、マカクが顔を真っ赤にして激高した。

「貴っ様ーァッ!! このマカクを惨めで無様な寄生虫野郎と侮辱したなあッ!」

「そこまで言ってない。お前、被害妄想が酷いぞ」

「許さんっ! 貴様の脳ミソをペロペロ吸い取ってくれるわ―――――っ!」

「人の話を聞かない奴だな」

 ベアトリーゼは物憂げな顔を面倒臭そうにしかめた直後、

 

「剃っ!」

 ずどんっとマカクの巨体が跳ね躍る。

「!?」

 一瞬でベアトリーゼの眼前に迫ったマカクが剥き出しの前歯と歯茎から涎を流しながら、

「グワッハハハーッ!! くらえぃ指銃乱れ撃ちっ!!」

 一本貫手の弾幕を繰り出す。

 

 嵐の如き一本貫手の乱れ撃ちを軽やかにいなしきり、ベアトリーゼは後の先でマカクの頭部へ跳び回し蹴りを放つ。ボディの挿げ替えが出来るとしても頭を潰せば。

 

「紙絵っ!」

 も、マカクはその巨躯からは信じられぬほど軽やかな身のこなしを発揮し、ベアトリーゼの蹴撃をかわした。一旦距離を取り、自信たっぷりにぐつぐつと喉を鳴らす。

 

「驚いたかぁ? 俺は取り憑いたボディの持つスペックを完全に発揮できるのだぁーっ! この元海兵のボディは中々に優秀……貴様の小賢しい動きなど通じぬわ――――っ!!」

 

「……寄生虫風情が偉そうに」

 嘲られたベアトリーゼは苛立ちを滲ませ、双眸に冷酷さだけでなく残酷さも宿す。

 頭を叩き潰すかプラズマで焼き尽くすか迷っていたけれど、止めた。虫けらには虫けららしい始末をつけよう。

 

「負け惜しみよのぉ――っ! 嵐脚っ!」

 巨体から放たれた豪快な蹴りの鎌風が海賊達と港湾施設を斬り刻む。しかし、ベアトリーゼを捉えることは出来ず。

 

「すっとろいんだよ、虫けらが」

 鎌風を掻い潜ったベアトリーゼは一瞬でマカクに肉薄。武装色の覇気をまとった右拳をマカクの水月に叩き込む。

 砲弾の如き右拳の打撃力が分厚い腹筋を容易く貫通し、胃や肝臓などを圧潰させ、脊柱に砕き割る。加えて、体内に侵襲した拳から放たれた高周波衝撃が、血液を沸騰させて大量の高圧気泡を生み――

 

 ばあん。

 

 水風船が爆ぜるごとく、巨体の上体が千切れ飛ぶ。

「なぁあああああああああああッ!?」

 マカクの吃驚を聞きながら、ベアトリーゼは拳を引き戻す反動を用い、くるりと身を回して跳び後ろ回し蹴りを放つ。踵にマカクの頭を引っ掛け、ずるりと破損した巨体から人面蛭を引きずり出し、地面に踏みつけた。

「グバアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 

 ベアトリーゼは足の下でうぞりうぞりと藻掻き暴れる人面蛭を蔑むように見下ろし、

「なんでこんな雑魚が私より賞金が高いんだか」

 今更ながらに思い出す。

 

 こいつの名前とナリ、銃夢の魔角モドキじゃん。そういや、ブンヤのコヨミとかフランマリオンとかいろいろ被ってるけど、これって偶然? それとも、私と同じ”異物”?

 まさかとは思うけど、ノヴァ教授とか居たりしないだろうな。

「お前がアッパラパーなのは、デコに印が刻まれた奴に何かされたりしたせい?」

 

「あぁ? 何言っとるんだ貴様ぁ? 俺をバカにしとるのかーッ!!」

 憤慨するマカクに、ベアトリーゼは密かに安堵する。あ、ノヴァに弄られたわけではないのか。じゃ、偶然だ。あーよかった。

 

『銃夢』原作において、魔角は悲惨極まる生まれ育ちの末、狂科学者ディスティ・ノヴァの人体実験によってサイボーグにされた挙句、他人の脳ミソを食わねば生きていけない化け物に成り果てたという、憐れな過去があった。

 しかし、眼前のマカクを称する男はイカレ科学者にナニカされたわけではないらしい。

 

「おのれええええええっ! このメス脳ミソがああああっ! 食ってやるっ! 必ず貴様の脳ミソをチューチューペロペロ食らってくれるわーっ!!」

「うるさい」

 ベアトリーゼは足の下でぎゃあぎゃあと喚くマカクを海へ向けて蹴り飛ばした。

 

「グアァバアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 港外まで遠く蹴り飛ばされたマカクは優雅な放物線を描いて着水。そのまま沈んでいった。悪魔の実の能力者は母なる海に嫌われ、決して泳ぐことが出来ない。

 

「虫けらは虫けららしく魚の餌になっちまえ」

 残酷な冷笑をこぼしてから、ベアトリーゼは海賊達の残余へ向き直った。

「後始末用に5人ほど残して皆殺しに……ん?」

 

 海賊達の残余はしばしマカクが沈んだ海を凝視した後、武器を落としてへたり込み、啜り泣き始めたり、歓声を上げたりしていた。

 

「なんだぁ?」

 ベアトリーゼは目を瞬かせ、困惑する。

 

 まさか海賊達がマカクの恐怖支配から解放されたことに感涙や歓喜しているなど、想像の埒外だった。

 曇天からぽつぽつと雨が降り注ぎ始め、ベアトリーゼは小さく鼻息をついた。

「あーあ、降ってきちゃったよ」

 

      ○

 

 戦いが終わり、押っ取り刀で港に駆けつけたウタとゴードンは、惨状に言葉を失った。

 血蛭海賊団は半数が骸を晒し、もう半数も半死半生状態。五体無事に生き残っている者は10人といない。

 さらに言えば、海賊船の船尾に吊るされていた虜囚達もまた、死神に肩を掴まれているような状態だった。

 

 雨が降り注ぐ中、後始末が始まった。が、ベアトリーゼは冷酷に言い放つ。

『まずは捕まってた連中の手当て。負傷した海賊共? ほっとけ。こいつらは私が世話になってるゴードンさんと大事な友達のウタちゃんを襲いに来たんだ。死んだって構わない』

 

 かくして、武装解除して拘束した海賊達は、無事な者も負傷者も死にかけている者も雨曝しで放置。

 ベアトリーゼ達は虜囚達を港湾施設内へ運び、手当てを始める。も――

 

「ダメだな」

 虜囚達の容態を確認したベアトリーゼが物憂げ顔で溜息を吐く。

「手遅れだ。助けられない」

 

「そんな……」

 ウタは端正な顔をくしゃりと泣きそうに歪め、ベアトリーゼとゴードンを見る。

「何とかできないの?」

 

「症状が重すぎる。手の施しようがない」

 ベアトリーゼはウタへ答えつつ、ゴードンを窺う。ゴードンも力なく首を横に振る。

 

 虜囚達は長時間の半溺水状態にあったため、重度の低体温症と全臓器の代謝機能低下、大量の海水誤飲による低酸素症などを起こしていた。既に意識がない者もいる。

 ここまで症状が重いと単に温めても助けられない。レスピレーターで体内加温が出来る医療設備が要る。もちろん、本職の医者や看護師も必要だ。

 

 しかし、エレジアが滅んで7年。島内の病院は廃墟になって久しく、医者も看護師もいない。ゴードンは音楽家で医学など修めておらず、ベアトリーゼも軍隊時代に教わった野戦応急処置以上のことは出来なかった。

 助けようがなかった。

 

 ベアトリーゼは少し考えてから涙を滲ませるウタへ提案した。

「歌を聞かせてあげて」

 

「え?」ウタは濡れた薄紫色の瞳を瞬かせる。

 

「せめて安らかに逝けるよう優しい歌を聞かせてあげて。苦痛と恥辱を忘れ、幸せな思い出に浸りながら逝けるように。ウタウタの実の能力者で、最高の歌声を持つウタちゃんにしかできないことだから」

「……うん」

 ウタは使命感に近い感情を抱き、強く頷いた。

 

 ベアトリーゼが外へ出ていき、コヨミもその背に続く。

 コヨミはウタウタの実の仮想世界を体験してみたいという欲求はあったが、死にゆく人々の最期の時間を土足で踏み躙るほど堕ちていない。

 

 大きく深呼吸した後、ウタはゴードンの立会いの下にアカペラで歌い始める。加えて、ウタウタの実の力も使い、死にゆく虜囚達の意識を仮想世界(ウタワールド)へ転送。彼らに夢を見せる。海賊達に全てを奪われる前の、幸せな時間を過ごしていた頃の夢を。

 持ちえる全ての善意と優しさを込め、ウタは歌い続けた。

 

 

 

 

 ウタが優しい歌を紡いでいる間、ベアトリーゼは五体無事な海賊達の拘束を解き、後始末をやらせた。

 

 拘束を解かれた海賊達はまだ息のある仲間の手当てをし、仲間の死体や肉片の片付け、血肉に汚れた広場と港を洗浄していく。

 

 コヨミは戦場掃除を行う海賊達をパシャパシャと写真に撮りつつ、ベアトリーゼに尋ねる。

「彼らをどうするんです? 船に乗せて追い出す感じですか?」

 

「表向きはな。沖合に出た辺りで船ごと沈める。他所であれこれ吹聴されると面倒だからな」

 ベアトリーゼはダマスカスブレードの手入れをしながら、さらっと怖いことを言う。

 

「わざわざそんな手間をかけるのは、ウタさんの心情を慮ってですか?」

 コヨミはシャーレを覗き込むような顔で問いを重ねる。

「それとも、何か狙いがあるので?」

 

「さてね」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で雨空を見上げる。

「ところで話は変わるけど、コヨミの実家って飲み屋だったりする?」

 

「? いえ、父はフツーの勤め人で、母もフツーの主婦です。故郷を飛び出して記者をやっているせいか、家族や親戚一同から異端児扱いされてます」

 コヨミはきょとんとしながら簡単な身の上話を披露した。

 

 ふーん、とベアトリーゼは髪を弄りながら考え込む。

『銃夢』のコヨミと全然違うな。あの虫けら野郎も名前とナリは『銃夢』の“魔角”まんまだったけど、ノヴァみたいな奴にナニカされたわけではなかったし……ん。やっぱり偶然の一致か。

 

「どうかしました?」

「いや。腹減ったなと思って」

 訝るコヨミにテキトーな返しを告げ、ベアトリーゼはダマスカスブレードを後ろ腰の鞘に収めた。すらりとした体を伸ばし、艶めかしい呻き声を漏らしてからコヨミを横目に捉える。

「例の特集記事。次はいつになりそう?」

 

「んー、そうですね」コヨミは頭の中で算盤を弾き「本社に原稿と写真を送った後はボスの判断次第ですけど、構成やらなんやらで一週間前後くらいですかね」

「なら、十日以上先か」とベアトリーゼは唇を弄りながら独りごちた。

 

「? 何がです?」

 興味深そうにこちらを窺うコヨミへ、ベアトリーゼはにやり。

「内緒」

 

      ○

 

 小雨が注ぐ夕暮れ。どこか切ない雨音が王宮図書室に響く。

 ウタはベアトリーゼの隣に腰かけ、ぼうっと雨に濡れる中庭を見つめていた。

 

 隣のベアトリーゼは本日の出来事をまったく気にした様子を見せず、日課と化した黒い手帳の解読作業を続けている。

 ちなみに、血蛭海賊団の残余は死者の埋葬を終えた後、武装解除と金品没収の末に島から放逐され……沖合に出た辺りでベアトリーゼの追討を受け、船ごと海底に没した。

 もちろん、ウタとゴードンは知らない。

 

「……あの人達ね」

 ウタは瞑目してぽつりと呟く。死にゆく虜囚達の顔が瞼裏に浮かんでいた。

仮想世界(ウタワールド)を閉じる時、言ってくれたの。ありがとうって」

 

 ベアトリーゼは手を止め、顔を上げた。

 ウタは今にも泣き出しそうな顔をベアトリーゼに向ける。

「私、あの人達の最期の時間を幸せに出来たのかな……」

 

「彼らが幸せに逝けたのかは、私にも分からない。でも、きっと救われたと思うよ」

 ベアトリーゼはウタを抱き寄せ、紅白二色の頭を優しく撫でる。

「頑張ったね」

 

 歌姫は蛮姫の胸に顔を埋め、静かな嗚咽をこぼした。




Tips
ベアトリーゼ。
 今更ながらに銃夢要素の名前が並ぶことに気付く。
※ベアトリーゼが銃夢ファンという設定を忘れていたため。今までベアトリーゼが銃夢関連の単語や名詞をスルーしてきたことの辻褄合わせです。
 伏線ではありません。

ウタ
 暴力の現実と人の生死に触れて、ちょっぴり大人になった。

マカク。
 海中に沈んで間もなくデカい魚に丸呑みされた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

48:みんな集まれエレジアに。

佐藤東沙さん、金木犀さん、誤字報告ありがとうございます。



 世界経済新聞に不定期連載特集記事『エレジア滅亡の真実』が連日に渡って掲載され、秘密をぶちまける。

 第2弾『エレジアが滅んだ日。赤髪海賊団の決断』

 第3弾『歌の魔王。音楽の都に秘められた謎』

 第4弾『罪なき咎を背負った歌姫』

 番外記事『エレジア島の死闘。血浴のベアトリーゼ、血蛭海賊団を撃滅!』

 

 世界経済新聞の社主“新聞王(ビッグニュース)”モルガンズは御機嫌だった。

「コヨミの奴、クールな記事を寄こしやがってっ! 歌の魔王トットムジカ? 赤髪の娘が歌姫? 血浴のベアトリーゼ? どれもこれも最高にエンターテイメントじゃねえかっ!! こいつは世界が踊るぜっ! クワハハハハハッ!」

 

 モルガンズの機嫌に反比例し、五老星は猛烈に不機嫌だった。

「あの鳥男め」「まさか7年も前にウタウタの実の能力者がトットムジカを発動させていたとは……」「よりによって赤髪の娘か」「いつもの飛ばし記事ではないのか?」「だとしても、情報が世に出てしまった事実は動かん」

 五老星達は溜息を吐き、揃って頷く。

「ともかく身柄の確保だな」「放置しておくには危険すぎる」「しかし、赤髪は黙っていないだろう」「相応の戦力を送り込まねばなるまい」「その辺りも含めて海軍に命じよう」

 

 それにしても、と記事を見つめて五老星の一人が倦んだ面持ちで呟く。

「フランマリオンの箱庭の者がなぜエレジアに居る? この娘はニコ・ロビンの番犬ではなかったのか? 記事を読む限り、単独でエレジアに居たようだが……どういうことだ?」

 答えを持たぬ他の面々は顔をしかめるだけ。

 

      ○

 

 船足の速い巡洋艦で構成された海軍遊撃隊が一路エレジアを目指し、波を越えていく。

 

「この記事が事実なら、赤髪の娘は“事故”の被害者だろう。しかも、記事には自身の危険性を理解し、7年に渡って制御する術を修練していたとある。エレジア滅亡の“罪”を背負ったうえで夢を目指すという健気な少女を、問答無用で捕縛しろというのは……赤髪と戦争になるだけでなく、世間からも相当の批判を買うぞ」

 遊撃隊旗艦の司令官室。

 執務机に広げた新聞記事を見下ろしながら、紫髪の大柄な老人は電伝虫へ苦々しく告げた。

 

 海軍本部特別顧問兼海軍遊撃隊司令、“黒腕”ゼファー元本部大将の懸念に対し、海軍元帥センゴクは訥々と返す。

『……だが、五老星の言う通り、赤髪の娘自身にそのつもりがなくとも、ウタウタの実の能力は悪用されたら途方もなく危険だ。制御の術とやらがトットムジカの脅威にどこまで有効なのかも分からん。赤髪の娘の身柄を予防拘禁し、危険な真似をせぬよう正しく導くことは安全保障上、妥当だ』

 

 どこか言い訳じみた説明を並べる旧友に、ゼファーは慨嘆を返す。

「分かった。“上手くやる”」

 

『頼む』センゴクは砂を噛むような声で応じ『それとな、ゼファー。どういうわけか現地には“血浴”のベアトリーゼもいる。留意しておいてくれ』

「億越えの賞金首か。おつるちゃんの報告書を読んだ限りだと、かなりの戦巧者らしい」

 ゼファーは目線を掲載写真へ移す。夜色の髪をした小麦肌の美女が写っていた。

 

『ああ。しかし、懸念すべきは戦闘能力より気質だ。あの娘は政府と海軍に強烈な嫌悪と敵意を抱いているらしい。確信犯的に妨害してくるだろう』

 センゴクの見解に、ゼファーは思わず溜息が漏れた。

「政府が危険視するほど厄介な能力を持つ少女、娘を狙われて怒れる四皇、そして、強力な賞金首による妨害。厄介な任務を寄こしてくれたな」

『……すまんな。武運長久を祈る』

 

 通信が終わると、

 ドアがノックされ、ゼファーが『入れ』と許可を出す。

 茶と茶請けを載せた盆を持った青髪の美女――副官の女性将校アインが入室した。御茶くみなど本来は従卒の仕事なのだが。

「どうぞ、先生」

 

「ありがとう、アイン」

 受け取ったお茶を口に運び、ゼファーは大きく息を吐く。

「皆の様子は?」

 

「士気は良好で適度の緊張感を保っています。赤髪が相手でも怖気づくことはないでしょう」

 アインは盆を小脇に持ち換えながら応じた。その端正な顔は実に凛々しい。

「懸念があるとすれば、捕縛対象者の持つ特異な能力ですね。耳を塞ぐ以外に対抗策が無いというのは厄介です。指揮統率に難が生じます」

 

「確かにな。それに、“血浴”の存在もある。こいつもかなり厄介な相手だ」

 ゼファーは左手でスクエア眼鏡の位置を修正した。

 

 尊敬する上官の意見へ大きく頷き、アインは自分の考えを口にする。

「つる中将の報告書は私も閲覧しました。対多数戦闘に長けた戦巧者のようですから、対策としては高い戦闘力を持った個人か少数で挑むべきかと」

 

「そうだな。だが、相手は海軍本部将官と伍して渡り合える手練れだ。生半な者では時間稼ぎも出来まい」

「私にお任せください」

 アインは静かに意気軒昂し、自身を持って告げた。

「歳は精々二十歳少しでしょう? 私の能力なら無力化が不可能ではありません」

 

 モドモドの実の能力者であるアインは、モドモドのエネルギー波を当てた対象を12歳若返らせる。否。精確には対象を12年分の時間遡行させる。仮に20歳の相手にモドモドのエネルギー波を二度当てたらば、マイナス24年の遡行により存在自体が抹消されてしまう。

 難があるとすれば、射程がかなり短く、行使時に動作発光が生じること。戦闘においては初見殺しの能力でありネタ割れするとかなり厳しい。

 

 老練なゼファーもその辺りを危惧したが、戦い前にアインの士気へ水を差す真似は控えることにした。

「お前の志願は考慮しておこう。ただし、状況次第では私やビンズが相手をすることになる。その辺りは了承するように」

「はい、先生」とアインは素直に頷いた。

 

 優等生の教え子に少しだけ目尻を下げ、ゼファーは再び茶を口にしてから、表情を引き締めた。

「そう、状況次第だ。赤髪の娘を狙ってクズ共が動く可能性もある」

 

 ゼファーは人生の大半を海賊との戦いに費やしてきた。数え切れぬほど多くの仲間を失ってきたし、妻子も海賊に殺され、教え子達の命と右腕を奪われた。だからこそ、海賊という人種の卑怯さ、狡猾さ、残忍さ、そして愚劣さを完全に理解している。

「政府は赤髪の娘を捕えろと命じたが、事はクズ共から守ることになるかもしれん」

 

      ○

 

 海軍遊撃隊がエレジアを目指していた頃、赤髪海賊団の旗艦レッド・フォース号は単独でエレジアへ向かっていた。それこそ、海面を飛んでいるような船足で。

 

「世経め」

 赤髪海賊団副長のベン・ベックマンは苦々しい顔で毒づいた。

 

「記事になっちまった以上は仕方ないさ」

 後甲板の転落防止柵に身を預け、海を眺める“赤髪”シャンクスが静かに嘯く。その面持ちにいつもの明朗さや快活さは感じられない。

「それに……記事になったことは悪いことばかりじゃなかった。そうだろ?」

 不承不承ながら、ベックマンも頷かざるを得ない。

 

 世界経済新聞の特集記事でウタの近況が分かり、赤髪海賊団の面々は美しく育ったウタの姿に『俺達の娘は世界一の別嬪さんだ!』と大喜びし、勢い宴会を開いてしまったりもした。

 

 そして、最新号にはウタのインタビューも記載されていた。

 記事の中で、ウタは赤髪海賊団と別れてからの7年間、どれほど寂しい思いをしてきたかを隠すことなく語り、インタビューの仕舞いに――

 

 ウタ:あの夜、私を置いて去っていった父達のことを随分と恨みました。でも、惨劇の真実と父達の真意を知った時、私は父達の大きな、とても大きな愛情を理解できました。今は父達の思いやりに心から感謝しています。

 

 ――何か伝えたい言葉はありますか?

 ウタ:私はもう大丈夫だよ。エレジアで起きたことを背負って歌い続ける。いつか必ず世界最高の歌手になる。ありがとう、シャンクス。皆。大好きだよ。

 

 インタビュー記事を読み終えた赤髪海賊団の面々――今や大海賊団の大幹部達は憚ることなく男泣きし、ヤソップなどは故郷に残してきた妻子を思ってかひときわ大号泣し、シャンクスも少しの間船長室にこもり、部屋から出てきた時は目元が赤かった。

 

 ベックマンは煙草を口に運び、紫煙をくゆらせる。

 7年前に涙を呑んで手放した“俺達”の娘。悲しませただろう。寂しい思いをさせただろう。でも、俺達も辛く苦しかった。シャンクスも可愛がっていたルフィに思わず当たるほど落ち込んだのだ。

 

 全てはウタが世界最高の歌手になる未来を守るため。可愛い俺達の娘が夢を叶えられるようにするため。

 そんな俺達の気持ちを、ウタは分かってくれていた。酷な真実を知っても、心折れず夢を目指すと言ってくれた。

 あの日の決断は間違っていなかった。俺達の娘はやっぱり世界一の娘だ!

 

 だが。とベックマンは思う。

「世経のせいで、薄らバカ共がウタを狙うようになった」

 

「……ああ。困ったもんだ」

 シャンクスは大きく深呼吸して空を見上げ、

「ベック。俺は物心ついた頃からロジャー船長の船で世界中を旅してきた。いろんなものを見聞きして、嬉しいこともムカつくことも悲しいことも楽しいこともたくさん経験してきた。だが、これは知らなかったよ」

 右拳を強く握り込む。

「自分の子供を狙われるってのは、こんなに腹が立つことなんだな」

 

 ベックマンは船長に首肯を返して尋ねる。

「まずウタを保護する。その後はどうする? 俺達の船に囲うのか?」

 

 シャンクスは大きく息を吐き、

「政府やバカ共に狙われる中、ウタの夢を叶えてやるにはどうすれば良いのか、俺にも分からない。ただな」

 海の皇帝は断固たる意志を告げた。

「誰であろうと俺の娘に手出しはさせない」

 

      ○

 

 世界経済新聞の特集記事が世界の一部を揺らし、誰も彼もがエレジアを目指していた頃。

 エレジアの王宮で『鑑賞会』が催されていた。

 

『ウタという少女は危険だっ! あの子の歌は世界を滅ぼすっ!!』

 記録者の悲痛な絶叫。道化染みた巨大な怪物がエレジアを破壊し、赤髪海賊団が立ち向かう。

 

「これがトットムジカか」ベアトリーゼは頬杖を突きながら眺め。

「スクープっ! スクープですよ、これはっ!」コヨミは手帳にペンを走らせ。

「……こんなものが遺されていたのか」とゴードンは血の気が引いた顔を覆い。

「―――」ウタは愛らしい顔を蒼白にして凍りついていた。

 

 人面蛭野郎の襲撃から数日後のこと。コヨミが廃墟で映像電伝虫を何匹か見つけてきて、この惨状だ。

 

 ウタは震えながら無言で映像を凝視している。瞬きすらできない。冷汗が止まらない。呼吸が浅く速くなっていて、鼓動のテンポはまるで機関銃の連射みたい。

 予備情報を認識していても、覚悟を決めていても、実際に往時の映像を前にすると、その罪の恐ろしさに心が大きく軋み、激しく歪んでいく。

 

 と。

 

 隣に座るベアトリーゼがウタの肩に手を回して抱き寄せた。あやすように肩を撫でる。

「大丈夫大丈夫。大丈夫だよ」

 

「あー失敗したっ! この映像電伝虫から絵を抜いて原稿に添付しておけばっ!」とコヨミが呟く。

「コヨミ! 少しは当事者に気を使え! ゲンコツ落とすぞ!」

「おっとこれは失敬。昂奮のあまり失念していました」

 叱声を飛ばす野蛮人とちっとも悪びれない新聞記者。

 

 ベアトリーゼは鼻息をつき、映像の中で赤髪海賊団と戦う巨大な怪物を見つめる。

「しかし、こいつは何なんだろうな? 悪魔の実はたしかに何でもアリだけど、大抵は能力者の体力や技能、練度に依拠してるもんだ。これだけの巨体を実体化させるリソースはどこから得てる? 歌唱者からか? それとも、トットムジカの楽譜自体が何かしらのリソースを内包してるのか?」

 

 冷静にトットムジカを考察し始めた野蛮人に、ゴードンとウタが目を瞬かせた。

「そんなこと考えて何の意味があるのよ」

 顔を蒼くしたままのウタが(なじ)るように問うも、ベアトリーゼはどこか学士染みた顔つきで淡々と応じる。

「脅威の正体を正しく把握することで対策を練り、対抗手段を講じられる」

 

 コヨミが面白そうに口端を吊り上げた。

「当時のウタさんは9歳。この巨体を9歳児の体力だけで実体化させた、というのは考え難い気がします。ま、かといって他のリソースに心当たりがあるわけでもありませんが」

 

「その辺りについて何か知ってる?」

 ベアトリーゼに水を向けられたゴードンは映像を見つめながら、苦しげに答えた。

「……トットムジカに関する伝承は総じて、決して触れてはならないもの、という内容ばかりで、トットムジカの正体に言及したものは覚えがない。ただ一つ言えるのは、トットムジカは意思を持っている。この夜、奴は幾重もの封印を破ってウタへ忍び寄った」

 

「意思、ねえ」ベアトリーゼはふと思い出し「今更だけど、トットムジカの楽譜は?」

「……この王宮の奥底に封印してある」とゴードンは呻くように自白した。

 

「あ? 処分してないの?」

 ベアトリーゼが眉間に深い皺を刻み、逆にコヨミは好奇心を爆発させる。

「マジですか! 見たいっ! 現物を見せて下さいっ! お願いしますっ!」

 

「ダメだッ! アレは二度と外に出さないっ!」

 声を荒げるゴードンへ、ベアトリーゼが刃で刺すように言った。

「いやいやいや、そんな危険なもんは焼くなり海に捨てるなりしなよ。なんで残してるの」

 

 もっともな苦言を受け、ゴードンは大きくうなだれて告解する。

「……分かっている。頭では分かってはいるんだ。あんな恐ろしいものは処分した方が良い、と。でも、音楽家としての私は、あの危険な楽譜に貴重性を見出してしまっているんだ……」

「常識人のゴードンさんをして、ですか。これぞ業ですね」とコヨミは顕微鏡を覗くような目でゴードンを見つめる。

 

「やれやれ」ベアトリーゼは腕に抱く歌姫を一瞥し「ウタちゃん。酷なようだけど、この映像を見て何か思い出したりしない?」

 

 酷い問いかけをさらっと寄越す野蛮人に、ウタは渋面を返しつつも答えた。

「分からない……本当にこの時のことは何も、何も覚えてないの。送別会でエレジアの人達からリクエストされた曲を歌ってて……気が付いたら街が燃えていて、シャンクス達が私を置き去りにしてエレジアから去っていくところだったから……」

 

 尻すぼみになっていく声と沈鬱に俯いていくウタ。そんなウタの肩を優しく擦りながら、ベアトリーゼは考察し、推論を立てていく。

「ウタウタの能力者を仲介しないと実体化できない。普通の歌手とウタウタの能力者の違いは?」

 

「仮想世界を作れるか否か、でしょうか」とコヨミが相槌を打つ。

「カギはそこかな。デカパイお姉さんの鏡世界(ミロワールド)もそうだったけど、こういう仮想世界を作り出す類の能力は能力者の体力や練度とは別リソースがある気がするな……意識。仮想世界。実体化……」

 突拍子もないことを言いだしたベアトリーゼに、ウタは『デカパイお姉さんって誰よ』と怪訝顔を浮かべ、ゴードンは理解不能と言いたげで、コヨミは興味津々なのか目を煌めかせている。

 

 三者三様の反応を向けられる中、ベアトリーゼは穴開き靴下みたいな前世記憶やら抜けだらけの原作知識やらも持ち出して頭を捻り、SF的想像を構築して言語化した。

「理屈として辻褄を合わせるなら、トットムジカは集合無意識の収束体であり、ウタウタの実の能力者が構築する仮想世界で具現化し、何らかの方法で現実世界に実体化を遂げる。

 ただし、その実体化は能力者の意識が保持されている間だけ、か。実体化の原理を解き明かして、保持の永続性を実現できれば世界がひっくり返るな」

 

 ベアトリーゼのトンデモ考察に対し、

「アンタ、何言ってんの?」

 呆れるウタの顔には、もう恐れも不安もなかった。

 

     ○

 

 数日の時が流れ――

 彼らは来た。

 奇しくも時を同じくして。

 

 羊みたいな雲の群れが流れる晴天の早朝。エレジアの三人娘は灯台の塔頂部から穏やかな海を一望し、

「精鋭の海軍遊撃隊。四皇の赤髪海賊団。それと、箸にも棒にも掛からぬ海賊船が数隻、と。これはビッグニュース間違いないですよっ! フィルムが足りるかなーっ!」

 大ドンパチ間違いなしの状況にコヨミがはしゃぎまくる。

 

「思ったよりバカ共の数が少ないな。道中で沈められたかな」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔を浮かべながら、指先に高周波を生じさせてダマスカスブレードの刃を磨く。

 

 その隣では、ウタがレッド・フォース号から一瞬たりとも目を離さない。

「シャンクス……皆……」

 

 

 そして、戦いが始まる。

 歌姫を巡る戦いが。




Tips
ゼファー
 原作キャラ。劇場版『FILM Z』のキャラ。
 原作時系列だと、実はまだ海軍に復帰してない。本来はこの一年後に復帰して海軍遊撃隊を率いる。

アイン
 原作キャラ。劇場版『FILM Z』のキャラ。
 ネット情報によると、女性海兵では珍しくスカートを穿いたキャラなんだとか。

シャンクス
 原作キャラ。
 世界経済新聞の記事に一喜一憂。娘が狙われる状況に大変御立腹。

トットムジカに対するトンデモ考察。
 作者が捻りだした戯言。異議異論はあって当然。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

49:歌姫争奪戦争

ちょっと文字数多め。

佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 エレジアを目指し、波を裂くように駆けていく赤髪海賊団のレッド・フォース号。

「記事が出回って早々にこの有様か。俺達の娘は大人気だな」

 赤髪海賊団一の鉄砲屋ヤソップが自慢の見聞色の覇気を駆使し、索敵と偵察の結果を報告。

「エレジアに向かって最右翼に海軍の快速巡洋艦4隻、単縦陣で航行中。噂に聞いた“黒腕”ゼファーの遊撃隊だ」

 

「ゼファー? 何年か前に重傷を負って現場を退いたと聞いていたが……復帰していたのか。元気な爺様だな」

 副長のベン・ベックマンが感嘆をこぼす中、ヤソップが報告を続ける。

「その遊撃隊と最左翼の俺達の間に、薄らバカ共が7隻。遊撃隊に近い3隻は同一海賊旗。ありゃビッグ・マム傘下だ。ビッグ・マムの指示で来たにしちゃあガキ共が乗ってねえな。連中独自の動きか?」

「どっちだっていいだろ。邪魔するならぶっ飛ばしゃあいい」と料理長ラッキー・ルウが肉を齧りながら言い放つ。

 

「他の4船は?」

「海賊旗は全部違うし、連携もしてねえ。個別で来たクチだな。俺達に最寄りの2隻はエレジアより、俺達の首が目当てらしい。距離を詰めてくるぜ」

 船長の問いにヤソップが険しい顔で答えた。

「それと、エレジアになんかヤバそうなのが一人。ウタと一緒にいる」

 

「記事にあった例の高額賞金首か……ウタの友達かなんかだと良いんだが」

 顎先をひと撫でしてから、シャンクスは四皇の名に相応しい眼光を煌めかせる。

「俺達の進路を妨げる奴以外は無視だ。最大船速で突っ走れ」

 おうッ!! 赤髪一味は意気軒昂に吠えた。

 

       ○

 

「敵船を射程に捉え次第、砲戦開始。まずは眼前のバカ共を蹴散らせ」

 遊撃隊司令官である“黒腕”ゼファー元本部大将はテンポよく命令を発した。

 甲板は既に砂が撒かれ(海水と血による滑り防止だ)、砲兵は装填済みで、マスト櫓には観測員と狙撃兵達が小銃を構えている。戦闘準備は既に完了していた。

 

 アイ・コマンダーッ!!

 将兵達の雄叫びが水面を震わせる。快速巡洋艦で構成された遊撃隊は狼のように駆け、歪な楔隊形で進むビッグ・マム傘下の3隻へ迫っていく。

「目標射程に捕捉っ!」

 頭上から届く観測員の怒声に、ゼファーは頷いた。

「攻撃開始せよ。全力射撃だ」

 

「了解っ! 全砲、打ちィ方開始っ! 繰り返す、打ちィ方開始っ!!」

 砲術長の号令一下、先頭を進む遊撃隊旗艦の火砲が合唱を始め、後続艦も次々に砲撃開始。

 

 砲弾の嵐がビッグ・マム傘下の海賊船団へ襲い掛かり、幾重もの水柱を乱立させ、爆炎の花を咲かせる。

「初撃から交叉と命中弾。幸先が良いですな」

 旗艦の艦長がゼファーにニヤリと笑う。

 

「ああ。全くだ」

 ゼファーは生身の左手でスクエア眼鏡を押し上げ、改めて発破をかける。

「良いぞっ! その調子だっ! 奴らに海軍の力を徹底的に思い知らせてやれっ!!」

 

 アイ・コマンダーッ!

 海兵達の士気は最高の状態になっていた。

 

        ○

 

 後方に食いついた海賊船の放つ砲弾の中で危ういものだけを精確に“撃ち落とし”ながら、遊撃隊を確認し、ヤソップは呟く。

「向こうもおっぱじめたみたいだな」

 

「よそ見してないで後ろに張り付いたバカを何とかしろ。生意気に新型の快速スループなんか乗ってやがる。こっちより船足が速ェ……っ!」

 舵を握る航海長のビルディング・スネイクが眉間に皺を刻む。

 

「俺がひとっ走りして潰してこようか」と電撃使いのライムジュースが愛用の長棍を握りしめる。六式の月歩染みた空中歩行術を操る彼には、“ひとっ走り”して敵船に乗り込み、制圧することなど容易い。

 

「いや。眠っていてもらおう」

 シャンクスはライムジュースの肩に右手を置き、後方から迫る快速スループを睨み――

 壮絶な覇王色の覇気が放たれる。

 

 快速スループの甲板に居た海賊達は、まるで殺虫剤を浴びた蠅のようにバタバタと昏倒していく。操船の手を失い、スループは明後日の方向へ漂流していった。

 苛烈かつ強力無比な四皇の覇気は余波を大きく広げ、同海域に伝播する。

 

 古豪“黒腕”ゼファーは額に一滴の汗を伝わらせ、海兵達も息を呑む。海賊達はぶわっと冷汗を掻いた。随分と距離のあるエレジアの灯台でもベアトリーゼが瞬時に総毛立ち、コヨミが震え上がり、ウタは肌を粟立たせながらも、どこか懐かしさを覚えて涙ぐむ。

 

 銃弾一発放つことなく無力化された海賊船を置き去りに、レッド・フォース号は真っ直ぐエレジアの港へ進み続ける。

 そこへ一隻の海賊船がレッド・フォース号の鼻先へ切り込んでいく。

 

「! スネイクッ! 前からだけじゃねえっ! 下からも何か来るぞっ!」

 見聞色の覇気を広げていたヤソップが吠え、

「海中からかよっ!!」スネイクが勢いよく面舵を切る。

 レッド・フォース号が大きく進路を曲げた、その直後。

 

 

 ずっどーん!

 

 

 海中火山が爆発したかのように超巨大な水柱が隆起し、切り込んできた海賊船を木っ端微塵に吹き飛ばした。そして、崩れ落ちていく水柱の中から巨大な影が現れ、レッド・フォース号に立ち塞がる。

 

「グワッハハハ―――――――――ッ!!!!」

 全長十数メートルはあろうかという巨大な海獣が野卑な哄笑を広げる。よくよく見れば、白濁した双眸の間に人間の顔があった。

 

 鼻と上下唇がないその面は、人面蛭野郎マカクに他ならない。

「この脳食いマカク様に掛かれば、海獣の身体とて我が物に出来るのだぁーっ!! 些か時間は掛かるがなぁああっ!!」

 

 顔のあちこちに魚に突かれた痕があるマカクは、憎悪と怨恨で充血した眼でレッド・フォース号を睥睨し、

「シャアアアアンンンクスゥウウウウウウウウウウウッ! 今日こそ貴様をぶち殺し、我が恨みを晴らしてくれるわああああっ!」

 興奮のあまり、“余計なこと”まで言った。

「貴様をぶち殺したら、貴様の娘を嬲り殺しだっ! 親子仲良く地獄の底で――」

 

「今、何と言った?」

 シャンクスは静かに、だが、エレジア近辺の全生物に沈黙を強いる強烈な怒気を放つ。赤髪海賊団の面々も青筋を浮かべ、マカクを睨みつけていた。

 

「ぅ、ぅううううぅ、ぅうううおぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 気圧されたマカクは怯みながらも、絶叫しながらレッド・フォース号へ襲い掛かる。見上げるほどの巨躯にも関わらず、その様はまるで猫に追い詰められて発狂した鼠を思わせた。

 

       ○

 

「“脳食い”マカク。生きていたか。これだから世経は当てにならん」

 ゼファーは赤髪海賊団の前に屹立する巨大海獣を睨み、毒づいた。

 

 火砲が合唱し続けているため、艦上は凄まじく喧しい。誰も彼も大声で怒鳴り合っている。加えて、敵の砲弾が飛んできて周囲に着弾し、打ち上げられた海水が豪雨の如く降り注ぐ。

 敵味方共に射程内で撃ち合っている以上、確率論的被弾は避けられない。遊撃隊の艦艇も被弾し、忠勇な将兵に死傷者が出ている。砲弾は殺す相手の善悪も貴賤も関知しない。

 

 遊撃隊に被弾が生じていたが、ビッグ・マム傘下の海賊船団はもっと悲惨だった。

 砲弾を雨霰と浴びた1隻はマストを全て折られ、航行不能に陥っている。上甲板も砲甲板も死屍累々で血肉に塗り潰されていた。

 別の1隻は喫水線下に致命傷を負い、大きく傾いでいる。もはや転覆は防げまい。怯懦に屈した者達が逃げるように海面へ飛び込んでいく。

 最後の1隻も形勢不利と判断したのか、仲間を見捨てて離脱を試み出した。赤髪の娘を確保する任務を優先するなら、撃退判定で逃げるに任せるところだが――

 

「逃がすな。仕留めろ」

 ゼファーの冷徹な命令は即時実践され、遊撃隊の快速巡洋艦は逃げる海賊船の背を追い、砲弾を浴びせる。それどころか、転覆した二隻目の海賊船の傍らを通る際、一部の水兵達が海面で足掻く海賊へ容赦なく銃撃を浴びせた。

 

 逃亡する海賊船のケツに次々と砲弾が命中していく。榴弾が船体を砕いて弾殻片と船体木片が海賊達を叩き切り、徹甲弾が船体内部を粉砕しながら船首へ向けて駆け抜けていく。

 そして、一発の徹甲弾が弾薬備蓄庫を直撃し、大量の砲弾と装薬を誘爆させた。

 海上に巨大な爆炎が生じ、熱い衝撃波と轟音と爆風が広がっていく。天高く吹き飛ばされた船体の木材片や残骸片、破壊され尽くした亡骸や肉片がざあざあと降り注ぐ。

 

 ビッグ・マム隷下の海賊団を血祭りに上げ、将兵達が喝采と雄叫びを轟かせる中、

「隊司令っ! 海賊船二隻が港に接近中っ! 先んじられましたっ!」

 自分達がビッグ・マム隷下の海賊船団と交戦し、赤髪海賊団のレッド・フォース号が巨大海獣に阻まれている間に、海賊船二隻がエレジアへ向かっていたようだ。

 

「大丈夫だ」ゼファーは冷笑し「奴らが入港することはない」

 

「……血浴ですね」

 アインが正解を口にした直後。

 

 エレジア港で水柱が生じて爆発音が聞こえてきた。小さな影が電光石火の勢いで海賊船へ向かって飛翔していく。

 ゼファーはスクエア眼鏡の位置を修正し、小さな影に狙われた海賊船へ冷酷な眼差しを向ける。

「我々に沈められた方がマシだったろうに」

 

        ○

 

「あいむしんかーとぅーとぅーとぅーとぅとぅー」

 ベアトリーゼは鼻歌を口ずさみながら、海面間近の濃密な大気を切り裂いて高速滑空していく。

 時折、プルプルの実で生じさせた燃焼プラズマで海水を水蒸気爆発させ、位置エネルギーを回復。大気を高速振動させて推進力を確保し、滑空を継続する。

 

 瞬く間に近づいてくる海賊船を見つめ、ベアトリーゼは酷薄に微笑む。

 迎撃に放たれる銃砲弾の雨霰を軽々と掻い潜りながら海賊船に肉薄、くるりと前転してから身を起こし、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)双掌打(ドッベルト)ッ!!」

 必殺の双拳を海賊船の鼻先に叩き込んだ。

 

 

 どがんっ!

 

 

 さながら瓜が裂け砕けるように海賊船が破砕される。衝撃の暴威によって飛散する木片が海賊達を貫き、引き裂く。転げ回る火砲が海賊達を引き潰し、崩落した甲板や肋骨が海賊達を押し潰す。破砕された船首や船体全体の亀裂から海水が大量に流入し、船体を海中へ引きずり込んでいく。

 一撃で海賊船に致命傷を与えた後、ベアトリーゼは慣性を利用して大きな放物線を描きながら宙を舞い、三回転半捻りの末、もう一隻の海賊船のメインマストの頂に着地。

 

 逆立ちするように船首から没していく海賊船を一瞥した後、眼下で慌てふためく海賊達を見下ろし、

「次は船盛にするか」

 ベアトリーゼは両腕のダマスカスブレードに青いプラズマ光をまとわせ、慌てふためく最後の海賊船へ向かって飛翔した。

 

       ○

 

 蛮姫が乗り込んだ二隻目の海賊船を刺身の船盛へ変えていく中、赤髪海賊団は巨大海獣退治を始めていた。

 といっても、展開は一方的なものだったが。

 

 マカクが巨大海獣の体躯を以ってレッド・フォース号を叩き潰そうとするも、舵輪を握るビルディング・スネイクの巧みな操船でことごとく避けられ、逆にベックマンやヤソップの銃撃で自身の頭を撃ち抜かれないよう身を捩らねばならず、その隙を突いて空中戦に長けたライムジュースに長棍の雷撃をぶち込まれる。

 

「グァバアアアアアアアッ!?」

 体中から血を流しながらも無理やり船へ体当たりを試みれば、ラッキー・ルウやボンク・パンチにぶん殴られ、釣銭にハウリング・ガブの“斬れる咆哮”で海獣ボディの肉を削がれる始末。

 

 何も出来ない。船首に立つシャンクスに攻撃するどころか、レッド・フォース号に触れることすらできない。ただ一方的に袋叩きの目に遭っている。

 

「ふ、ふざけるなぁああっ!! シャンンンクゥウウウウスウウッ!!」

 激憤の絶叫を上げる怪物に、シャンクスは剣も抜かぬまま冷たい眼差しを向ける。まるで路傍の石ころでも見るような、温度無き眼差しを。

 

「その目、その目をやめろ、その目をやめろおっ!! もっと俺に怒れっ! もっと俺を憎めっ! もっと俺に殺意を向けろぉおおおおっ!!!!」

 マカクは絶叫し、レッド・フォース号へ飛び掛かりながら海獣ボディの喉元を膨らませて勢いよくゲロをぶちまけた。

 

 放出される強酸性のゲロの中には奇怪な寄生虫達が山ほど含まれており、寄生虫達が身を蠕動させながらレッド・フォース号へ降り注ぐ。

 その時。

 

「俺の船を汚すな」

 シャンクスはついに愛剣グリフォンを抜き放ち、振るう。

 

 その一振りは潮騒のように穏やかで、優しい潮風のように滑らかで。

 だが、その一撃は全てを断つ魔獣の如き獰猛さを宿していて。

 

 早朝の陽光を浴びて輝く長剣の剣閃は、巨大海獣のぶちまけた強酸性のゲロを一瞬で蒸発させ、寄生虫の大群を跡形もなく消滅させ、更には巨大海獣の頭を真っ二つに切り裂いた。

 

「グァアバアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!」

 否。切り裂いたのは巨大海獣の頭だけではなかった。巨大海獣の頭部に寄生する人面蛭もその体を両断されていた。

 鼻の鼻腔と上下唇のない口から大量に吐血し、マカクは白目を剥く。

 

 マカクの制御を失った巨大海獣はゆっくりと海面に倒れ込み、大量の飛沫をぶちまけて海面を激しく波打たせる。

 大きく揺さぶられるレッド・フォース号の船首で、シャンクスは長剣を鞘に収めた。

「前進再開だ」

 

 おう! と赤髪一味は高らかに応じて最大船速でエレジア港を目指す。

 水面に浮かぶ巨大な骸の脇を抜ける際、四皇“赤髪”はマカクへ一瞥すら与えなかった。

 

       ○

 

 エレジアの灯台から、ウタはエレジアの海で催される戦闘交響曲の演奏会を見つめていた。

 潮騒に混じって届く多数の銃砲による重奏。潮風に乗って伝わる怒号と悲鳴と罵声と断末魔の合唱。

 数日前にベアトリーゼが血蛭海賊団を殲滅した時よりも、ずっと大規模で惨たらしい戦闘交響曲。

 

 感受性の高いウタは殺し合いの音色にこもる様々な感情――恐怖、憤怒、怯懦、歓喜、憎悪、忌避、愉悦、怨恨、悲哀、絶望――を感じ取り、胸が締めつけられていた。

 

 憂い顔の歌姫の隣で、

「すっげーっ! ウタさんのパパは噂以上にすっごいですねっ!!」

 昂奮した女記者が歓声を上げながらパシャパシャと写真を撮りまくる。

 

 コヨミの平常運転振りにどこか救われた気分を覚え、ウタは強張った面持ちを微かに和らげた。

「あれくらい出来て当然よ。シャンクスだもん」

 ウタはどこか誇らしげに応じた。

 

        ○

 

 穏やかな紺碧色の海を大量の血と油が汚している。

 破壊された海賊船の残骸や断片が波に揺られ、死者や肉塊が漂う水面の中で生者は死の恐怖と絶望に打ちのめされていた。

 そこへ、遊撃隊の追討が迫る。海軍遊撃隊の将兵は海賊に家族や仲間を殺されたり、故郷を踏み躙られたりした経験を持つ者達で構成されている。ゆえに、彼らは水面に漂う無力な海賊達を無慈悲に鏖殺(おうさつ)していく。

 

 殺戮の続くエレジアの海、その一角で海面を赤く染めている巨大海獣の亡骸。両断された頭部に宿る人面蛭が喘鳴をこぼしながら、命を終えようとしていた。

 

 マカクは思う。

 俺はこのまま死ぬのか。誰にも看取られず虫けらのまま。誰にも気にされず獣の寄生虫として。誰にも恨まれず、誰にも憎まれず、たった独りで海の藻屑に成り果てるのか。

 

 

 嫌だ。

 

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 このまま死ぬのは嫌だ。こんな惨めな死に方は嫌だ。こんな憐れな最期は嫌だ。こんな末路は嫌だ。

 

 死の際、マカクの脳裏に半生がよぎる。

 困窮極まる貧村に生まれて両親から奴隷のように扱われて育ち、父母が流行り病で死ねば叔父一家に引き取られた。

 叔父一家はマカクを家畜のように働かせ、役立たず、邪魔臭い、無駄飯食いと毎日毎日罵倒し、気まぐれに殴り蹴り、わずかな残飯を食わせるだけ。そうしてマカクが飢えて餓えて骨と皮だけになって動けなくなれば、森に棄てた。

 

 マカクは森の中で獣や虫に齧られながら、偶然見つけた悪魔の実ヒルヒルの実を口にし、人間から蛭に成り果てた。

 

 誰からも愛されることなく恐怖と苦痛と恥辱に満ちた人生の果て、一切の救いがないまま、おぞましい虫畜生にまで堕ちた。このあまりに無慈悲な現実に、マカクの胸中に生じた感情は絶望などという言葉で例えられるものではない。

 

 人間であることを棄て、同胞を襲い食らう怪物となったことは、マカクが自ら選択したある種の自己救済だったのかもしれない。他人を虐げ苦しめることは、自身がかつてのような弱者でないことを確認する行為だったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、マカクは命の灯が掻き消える刹那、かつて絶望の底に至った時のように、絶叫した。

 

 

「ぃやぁだぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 

      ○

 

 絶望の底から発せられた悲憤の断末魔は、エレジアの海に満ちた不可視のエネルギーを震わせる。

 恐怖、怯懦、憎悪、怨恨、憤怒、失望、絶望……戦場に満ちるあらゆる負の集合無意識は怪物の悲憤に収斂され、王宮の地下深くに眠る真の怪物へ届いた。

 魔王は目覚め、本能のままにウタウタの実の能力者を求め、強力な封印をこじ開けていく。

 

      ○

 

 ベアトリーゼは返り血を浴びることなく海賊船一隻を刺身の船盛にし終えたところで、本能的に悪寒を覚えた。

 

 ゼファーは赤髪海賊団との決戦に備えてあれこれと命じていたところへ、経験豊富な武人の嗅覚が不穏な気配を嗅ぎ取った。

 

 シャンクスはエレジアへ急行する最中に覚えのある妖気を捉え、かつての夜を思い出して双眸を吊り上げた。

 

 三者三様にエレジア港の灯台を窺った時。

 

 

 

 

 フィルムを換えようとカメラを下げ、コヨミはぎょっと目を剥く。

「――ウタさん。それは、なんですか?」

 

 コヨミの眼前で、ウタが数枚の楽譜に囲まれ、戦慄に凍りついていた。

「あ、あ、ああ」

 

 魔王がウタへ囁きかける。

 歌え。歌え。歌え。全ての絶望せし者達のための讃歌を。この世の破滅を願いし者達のための聖歌を。歌え。唄え。謡え。謳え。

 

 歌え。

 

 戦場に渦巻く夥しい負の感情と集合無意識を力とし、悪意の楽譜が歌姫の深層意識まで侵入していく。

「や、やめてえええええええええええええっ!」

 宙に浮く楽譜に囲まれたウタは恐れと怯えのままに耳を塞ぐも、抗いきれない。流水が砂山を削り侵していくように、魔王の声がウタの意識と心を犯していく。

 

 歌え。歌え。歌え。歌え歌え歌え。歌え歌え歌え歌え歌え歌え。歌え。

 

「ウタさんっ!?」

 コヨミが慌ててウタを助けようとするも、ウタの身体はもちろん、ウタを取り囲む楽譜に触れることもできない。

 

「だ、め。逃げ、逃げて、コヨミ逃げてっ!」

 コヨミは悲痛な絶叫をあげるウタに、顔を大きく歪めるも即座に決断。灯台の塔頂部から海へ向かって飛び込む。海中に控えていた愛シャチのチャベスが、海に飛び込んだコヨミを素早く回収、脱兎のごとく灯台から離れていく。

 

「チャベスッ! 写真を撮れる範囲に留まってっ!」

 ウタを置いて逃げたけれど、コヨミは報道の義務と使命と記者の欲から逃げない。頭のネジが外れた世界経済新聞特派員はギリギリまでこの場に留まり、全てを見届けると腹を括っていた。

 

 ウタは苦悶を漏らしながら、必死に魔王へ抗い続ける。

「ぃやっ! 私は、あんたなんか、歌わないっ! 誰も幸せにしない歌を、私は絶対にっ! 歌わないっ!」

 

 歌え。

 歌え。歌え。歌え歌え歌え。

 歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え。歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え。

 

 お前は我を奏でるための楽器なのだから。

 歌え。

 

「違う、ちがう、ち、がうっ! 私はお前の楽器なんかじゃ」

 意識が飛びかける。もう抑えきれない。もう防ぎきれない。

 

 やだ。やだやだやだやだ。あの夜を繰り返したくないっ! もう誰も傷つけたくないっ!

 誰か助けて――

 

 涙に濡れる視界の端で、夜色の髪の美女が矢のような勢いで海面間近を飛翔してきていた。

「ビーゼッ! 助けてっ!」

 涙に濡れた叫びにベアトリーゼはさらに加速する。だが、ウタの意識を奪う魔王の手はさらに強く速い。

 

 も、う抑え、き、れ、ない。

「たすけ、て」

 ウタは海を駆ける竜頭の帆船、その船首に立つ父へ手を伸ばし、

 

「たすけて―――シャンクスっ!!!」

 

 その悲愴な叫びが水面を振るわせた直後、魔王の悪意にウタの意識が押し切られた。

 薄紫色の瞳が絶望の底より暗い闇色に染まり、魔王に囚われた歌姫がその美麗な声で奏でる。

 

「ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᚲ ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᛏ ᛏᚨᛏ ᛒᚱᚨᚲ 」

 魔王顕現の歌を。

 




Tips
歌姫争奪戦に参加した皆さん。
シード枠
 赤髪一味:大事な愛娘を狙われて激おこ。
 海軍遊撃隊:あまり乗り気じゃないけど、やるなら本気で。 

一般枠
 ビッグ・マム隷下の海賊団(3隻):やられ役1
 その他個人参加の海賊船×4:やられ役2

乱入枠
 マカク:モームみたいな大海獣の肉体を乗っ取って再登板。
  本作の読者には勘の良い(以下略)が多い模様。
 トットムジカ:劇場版のラスボス。
  原作には拙作のような干渉能力は見られなかった。
  演出です。御理解ください。


審判:ベアトリーゼ
 歌姫へのお触り厳禁である。違反者はぶち殺す。

  あいむしんかー
  VOB突撃。
  昨今のフロムはソウル系が主流だけど、AC系が主軸だった頃もある。

記録係:コヨミ
 スクープ記事に大興奮。

歌姫:ウタ
 私のために争わないで~と歌うほど図太くなかった。

保護者:ゴードン
 出し忘れた。退避中ということでおなしゃす


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

50:緊急クエスト『魔王を討伐せよ』

エレジア編が長引いているので、まくるためにちょっと長めです。

佐藤東沙さん、烏瑠さん、トリアエーズBRT2さん、金木犀さん、誤字報告ありがとうございます。


 歌姫が歌い始めた瞬間、悪意の楽譜は黒い粒子に姿を変える。

 どす黒い“それ”は渦巻きながらウタの身体を包み込み、爆発的に肥大化した。“それ”から溢れた飛沫が球頭の黒兵に変化し、軍団を形成する。

 実体を得た“それ”は灯台を押し潰し、港湾施設を押し崩しながらどんどん巨大化し、道化のような姿を成していく。

 

「トットムジカ」

 シャンクスは怪物の名を呟き、

「……お前が俺の娘を泣かせるのは、これで二度目だ」

 静かに、だが激甚に憤怒しながら、トットムジカを睨み据えていた。握りしめた愛剣グリフォンの柄がみしみしと悲鳴を漏らす。赤髪海賊団の面々も青筋を浮かべ、眉目を限界まで吊り上げていた。

 

 距離が遠く、ウタの悲愴な叫びは彼らの耳朶に届かなかった。しかし、彼らは確かに聞いた。助けを求める娘の叫びを。

 もはや是非はない。如何なる法も如何なる理も如何なる権も、天すらも彼らを止められない。

 

 怒れる海の皇帝は愛剣の切っ先を魔王へ向け、宣告する。

「ウタを返してもらうぞ」

 

      ○

 

「あれが、歌の魔王トットムジカ」

 アインが美貌を蒼白に染めて呻き、どこか縋るようにゼファーを窺う。

「赤髪の娘が我々を倒すために召喚したのでしょうか?」

 

「違うな。おそらく何らかの事態で暴発的に生じたものだ」

 ゼファーは機械仕掛けの巨大な右腕を弄りながら、漆黒の怪物を真っ直ぐ見つめる。

 

 距離が遠くて聞こえなかった。が、ゼファーは確かに聞いた。

 父に助けを求める娘の叫び声を。

 

 そして、その叫び声はゼファーの心の傷を強く刺激した。

 ゼファーの妻と子は自身を逆恨みする海賊に殺された。自身の教習艦を海賊に襲われ、アインとビンズを除く全ての教え子を殺された。

 

 一日とて忘れたことがない。

 おそらく最期まで自分に助けを求め続けただろう妻と子。抱きしめた2人の亡骸の冷たさを。忘れたことがない。

 

 流血に染まっていく教習艦。片腕を落とされて動けなくなった自分の前で殺されていく教え子達の姿を。教え子達の断末魔を。助けを求める彼らを守れなかったことを。片時も忘れたことがない。

 

 遊撃隊を指揮し、どれほど海賊を叩き潰しても決して薄れぬ怒り。どれほど海賊をぶち殺しても癒えぬ後悔と無念。倒しても殺しても心の傷は血を流し続けてきた。

 

 だから、ゼファーは即断した。躊躇も逡巡も無かった。

 赤髪の娘が罪なき罪を背負って夢を目指すと語る記事を読んでいたことも、彼の決断を後押ししたのかもしれない。

 

 今度こそ。今度こそ救ってみせる。

 

「二番艦も離脱し、他艦と合流して海上待機せよ。当艦のみエレジア港へ強行突入、トットムジカを打倒して赤髪の娘を保護する。ただし、この突撃は俺だけで行う。他の者は俺が上陸次第、旗艦と共に下がれ」

 ゼファーは矢継ぎ早に命令を発する。

 トットムジカの事前情報――海軍資料や世経の特集記事から判断する限り、あれに通常兵器や生半な武力は通じない。高練度の覇気使いか能力者でなければ。

 つまり、自分だけだ。

 

 唖然とするアインが口を開こうとした矢先、

「艦隊の保全はともかく、我らに対する命令は誤っておられますな」

 旗艦の艦長が静かに言った。

「たとえ役に立たずとも、勝ち目がなくとも、海兵には戦わねばならん時があります。後に犬死と嘲られようとも、海兵には示さねばならん時があります。それに、我らにもしかと聞こえましたよ。助けを求める少女の声が。これに応えずして何が正義か。助けを求める”市民”を救わずして何が海兵か。違いますか?」

 

「情に絆されて艦と部下を危険に晒すか。降格ものの判断だぞ」

 渋面を浮かべるゼファーへ、艦長は柔らかく微笑んだ。

「心無き正義は暴力に過ぎぬと、貴方に教わりましたので」

 

 艦長の言葉に強く頷き、アインが一歩前に出て叫ぶ。

「先生と共に魔王へ挑む者は一歩前へっ!」

 即座に全員が一歩前に進み、これ以上ないほど見事な敬礼をする。

 

「全員、教育隊からやり直しだな」

 仰々しく溜息をこぼし、ゼファーは叫ぶ。

「これより、海軍遊撃隊はトットムジカより少女を救出するっ! 相手は魔王を称する化物とその軍勢だ。総員、戦闘用意っ!!」

 

 アイ・コマンダーッ!

 海軍将兵達の雄叫びが水面を揺らす。

 

      ○

 

 幸か不幸か、ウタウタの実の力を行使した魔王の歌を聞いた者は、灯台へ急行中のベアトリーゼだけだった。赤髪海賊団と海軍遊撃隊は距離が離れており届かなかった。コヨミは可聴圏外に脱していた。

 

 自我意識を仮想世界へ転送されたベアトリーゼの肉体は制御を失い、飛翔の慣性のまま水面を水切り石のように幾度か跳ねた末、港に水没した。コヨミが慌てて回収しなければ、そのまま溺死していただろう。

 

 コヨミは愛シャチ・チャベスの背にベアトリーゼを引っ張り上げた後、巨大な道化の化け物をカメラで撮影し、祈るように呟く。

「皆さん、ハッピーエンドをお願いしますよ」

 

      ○

 

「ᛗᛁᛖ ᚾᛖᚷ ᛟᚾ ᚷᛁᛖᚲ ᚷᛁᛖᚲ ᚾᚨᚺ ᛈᚺᚨᛋ ᛏᛖᛉᛉᛖ ᛚᚨᚺ 」

 歌姫が魔王の歌を紡ぎ編み続けている。

 

「中二病系JPOPで召喚される魔王とか、どんなラスボスだよ」

 全方位全周囲が新月の夜色に染まった空間で、ベアトリーゼは毒づいた。

 

 非現実的世界の中、たった独りで魔王トットムジカと黒兵の軍勢に対峙しながらも、その物憂げな顔に焦りも不安も恐れもない。

 自分を見下ろし、裂けたような大きい口の両端を吊り上げる魔王へ、ベアトリーゼはダマスカスブレードにプラズマ光をまとわせ、宣言する。

「お前、私の友達を泣かせてタダで済むと思うなよ」

 

 ベアトリーゼの宣戦布告を契機に、魔王と黒兵の軍勢が動き出す。

 魔王の右目と帽子の竜飾り、胸元に浮かぶ髑髏飾りから真っ赤な破壊光線や黒い雷電がしっちゃかめっちゃかに放たれた。

 光線と雷電が荒れ狂い、黒兵の大群がベアトリーゼ目掛けて雲霞の如く殺到する。

 

 が、ベアトリーゼは迷うことなく黒兵の大群へ逆襲突撃を敢行した。

 破壊光線を掻い潜りながら一挙手一投足で黒兵達を容易く蹴散らし、ベアトリーゼは猛々しく魔王を嘲笑う。

「おい、もっと本気出せよ。八つ裂きにしちまうぞ、マヌケ面っ!」

 

      ○

 

 遊撃隊旗艦の全砲と海兵達の銃火器が合唱する。

 銃砲弾は魔王にかすり傷すら付けられない。が、取り巻きの黒兵を薙ぎ払い、遊撃隊最大戦力たる“黒腕”ゼファーの突撃路を切り開く。うち漏らしの黒兵を直掩のアインが二丁拳銃と双剣で始末し、魔王の破壊光線や雷電をビンズの操る植物の盾が防ぐ。

 

 部下達の啓開した道を駆け抜け、古豪は“不自然”にして“反自然”的存在の魔王に、自然の母たる海の力――海楼石を宿した巨腕を叩きつける。

「スマッシュバスターッ!」

 

 巨人族すら容易く沈める剛腕の一撃。しかし、

「! この手応えは――」

 魔王は全く動じることなく鍵盤模様の巨腕を振るう。巨大な爪撃がゼファーを直撃する間際、精妙にして獰猛な剣戟が魔王の巨腕を弾き飛ばした。

 

 四皇の一人“赤髪”シャンクスが愛剣を肩に乗せ、ゼファーの許へ歩み寄る。

「随分と久しいな、ゼファー。俺がロジャー船長の船に乗っていた頃以来か?」

 駆け寄ってきたアインとビンズがシャンクスへ得物を向け、同じく追いついてきた赤髪一味がゼファーを睨む。

「ここへ何しに来た?」

 

 返答次第ではこの場で斬ると言いたげなシャンクスに、ゼファーは左手でスクエア眼鏡の位置を直しながら応じる。

「海軍軍人として怪異に襲われている少女を救いに来ただけだ」

 

 意外な回答に目を瞬かせ、シャンクスはにやりと男気溢れる笑みを浮かべた。

「そうか。そりゃ心強いな」

 

 フン、とゼファーは不快そうに鼻を鳴らし、魔王をぎろりと見据える。

「アレはどうなっている。手応えが妙だったぞ」

 

「ああ」シャンクスは顔を引き締めて「7年前もそうだった。あの時はウタの体力が尽きて収まったが……」

「……なるほど。お前達でも止められなかった訳はそれか。だが、これまで封印されていた以上、倒す術もあるはずだな」

 歴戦の古兵が自問するように呟いたところへ、

 

「どういうことだ!? なぜ、またトットムジカが現れた!?」

 港へ駆けつけてきたゴードンが汗塗れの顔で叫喚し、シャンクスに気付いて仰天する。

「シャンクスッ!? 君も来ていたのかっ!? いったい何が起きたんだっ!?」

 

「久しぶりだな、ゴードン。いろいろ積もる話があるが……」

 動揺と狼狽で半狂乱状態のゴードンへ問う。

「まずは奴からウタを取り返してからだ。ゴードン、奴を倒すにはどうしたらいい?」

 

「え、た、倒す? トットムジカを?」

「倒す手立てはあるのか、ないのか、どうなんだ元エレジア王」

 厳めしい老雄に詰問され、ゴードンは怯みつつも知識を開陳する。

「私が調べた限りでは、現実世界と仮想世界で同一部位を同時に攻撃することで、効果があるようだが……」

 

「そりゃ不味いな。仮想世界(あっち)には誰も――」

「いや……お頭、一人だけいるぜ。あー」

 見聞色の覇気の強力な使い手であるヤソップが困惑顔で言った。

「美人のねえちゃんが大暴れしてる」

 

       ○

 

 ベアトリーゼは新月の夜色の世界を蹂躙していた。

 地を飛び、天を駆け、宙を舞い、空を躍る。刃を振るい、拳を繰り出し、蹴りを放つ。

 軽やかに光線を避け、滑らかに雷電をかわし、黒兵達を切り裂き、貫き穿ち、刺し抉る。殴り砕き、蹴り潰す。

 

 黒兵達を撃破する度、身体が軽く速くなり、繰り出される攻撃が鋭く重くなっていく。

 黒兵達を駆逐する度、知覚が研ぎ澄まされ、思考が加速して明敏になっていく。

 

 四方八方を敵に囲まれ、巨大な怪異を相手にしながら、自身が妙域に至っている感覚を抱いていた。

 身体は思い描く以上に躍り、技は考える以上に切れる。心が不思議な解放感と孤独感にたゆたっている。俊敏な内線機動と機を操る心法に惑わされた黒兵達が乱れ、その間隙を逃さず放たれる一撃は黒兵の戦列を鎧袖一触に引き裂いた。

 

 巨大な魔王へ通じる一筋の道を迅雷の如く駆け抜け、ベアトリーゼは武装色の覇気で漆黒に染めた必殺拳を叩き込む。

「―――!?」

 手応え無し。

 

 続けて、拳打足蹴を叩き込み、プラズマ光をまとう両手両腕の四刀で刻み込む。打撃も斬撃も感触はあったが、まったく効いていない。

 

 ベアトリーゼは苛立たしげに美貌を歪める。

 一刻も早くウタを助けねばならないというのに――

 

 反撃の光線が放たれるも、ベアトリーゼはプルプルの実の力で光線自体の波長を狂わせ、大減衰/散乱させた。それでも、光線の残滓に肌を焼かれ、肉を削がれる。

 

「鬱陶しいんだよっ! さっさと死にやがれっ!!」

 悪魔も泣きそう(デビルメイクライ)な凶気を発しながら、迫りくる黒兵達諸共に魔王の横っ面を思いっきり蹴り飛ばす。

 

 と、今まで平然としていた魔王が大きく仰け反った。顔にヒビが走り、体表面がガラス片のように剝離する。

 悲鳴を上げる魔王に、ベアトリーゼは怪訝そうに片眉を上げた。

「なんだ? ――っ!」

 

 訝った刹那、強い見聞色の覇気を感じ取った。誰だか知らないが、見聞色の覇気を超高練度かつ超高精度で使いこなしている。相当な手練れだ。

 

 ベアトリーゼは視界をジャックされた不快感に思わず悪罵を吐く。

「どこの覗き見野郎だ。ぶち殺すぞ」

 こちらの視界を覗き込むような干渉を受け、同時に視覚へ現実世界で赤髪海賊団と海軍が共闘している光景が映った。向こう側でも魔王が顔にダメージを負っているようだ。

 

「こっちとあっちで同じタイミングで同じ部位を攻撃すれば、通る。そんなところか。クソマヌケ面め。面倒臭い設定しやがって」

 こちらの攻撃に合わせろと言いたげな視界の動きに、ベアトリーゼは中指を立てる。

「ざけんな。お前らが合わせろ」

 

 ベアトリーゼはクラウチング姿勢を取るように身を低く屈め、

「ちまちま手足を落としてられるか。一気呵成にあのアホ面をぶち抜く。四皇と元海軍大将が合わせられねーとは言わせねェぞ」

 挑発的宣言の後――全瞬発力に加えて両手両足の先で燃焼プラズマを爆発。自身そのものを一個の弾丸として投射する。

 

 ずどん!

 

 音を置き去りにする超高速飛翔。体の前へ伸ばした両腕のブレードがウィングの役割を果たし、緩やかなスピン運動を生む。

 さながらライフル弾と化したベアトリーゼを危険と判断したのか、黒兵達が集結して魔王の守る肉壁を築く。も、ベアトリーゼに触れた不運な黒兵達はその体躯を一瞬で粉砕され、瞬く間に肉壁が貫徹される。

 

 肉壁を貫いた蛮姫弾頭は一切勢いを落とさぬまま、魔王へ向かって突入していく。

 魔王が大きな口を開き、奥の手の破壊光線を放とうとした刹那。

 

 ――させないっ!!

 

 いずこから響く歌姫の叫びと共に動きが一瞬、滞る。

 その間隙が戦いを決した。

 

「私の友達を返せ」

 蛮姫の超高速突撃が魔王を捉える。

 

        ○

 

「あのねえちゃん、無茶苦茶だっ! いきなりドタマをブチ抜く気だぞっ!」

 ヤソップが呆れ顔で喚き、

「良いだろう。乗った」

 シャンクスは楽しげに笑い飛ばし、ゼファーを横目に窺う。

「出来るか、ゼファー?」

 

「デカい口を叩くな、ロジャーの見習い小僧」

 ゼファーは黒鉄の巨腕バトルスマッシャーを構え、鼻息をつく。

「花は持たせてやる。道を開いてやるから娘を助け出せ」

 

「ああ」

 シャンクスは男性的魅力の滴る微笑を返し、愛剣グリフォンを構えた。

 

 そして、彼らは一斉に動く。

 

 突撃してくる海賊達と海兵達を迎え撃つべく黒兵の大群が殺到し、魔王の放つ光線と雷電が吹き荒れた。

 

 アインの銃撃とビンズの植物の壁が後背を守り、赤髪海賊団の面々が両翼を固め、黒兵の津波を押し留める。

 ゼファーが大きな右拳を振るって光線と雷電を殴り払う。バトルスマッシャーが衝撃に耐えきれず砕け折れるも、老雄は左腕を覇気で塗り固める。黒腕が眼前に立つ黒兵の堅壁を一撃で叩き割った。

 

 魔王へ届く道を切り開き、老雄が雄々しく叫ぶ。

「行けェ赤髪ィッ!!」

 

「感謝するっ!」

 赤髪とマントをたなびかせ、シャンクスは魔王へ一直線に激走する。

 

 魔王の咆哮と共に鍵盤模様の巨腕が躍り、巨大な爪撃が迫る。も、覇気をまとわせた愛剣を一閃させて爪撃を払い除け、魔王の巨腕を足場に高々と跳躍。

 大きな口を開き、魔王は切り札の破壊光線を発しようとした刹那。

 

 ――させないっ!

 

 いずこから愛娘の叫び声が響き、魔王の挙動が一瞬、凍る。

 その隙が戦いを決した。

 

「俺の娘を返してもらうぞ」

 シャンクスは覇王色の覇気をまとった長剣を大きく振り下ろす。海賊王の必殺剣“神避(かむさり)”に酷似した一撃が魔王を捉えた。

 

 

 仮想世界にて蛮姫の超高速突撃が魔王の眉間を貫き、

 現実世界にて赤髪の超絶必殺剣が魔王の眉間を斬り、

 虚と実の両界に魔王の断末魔が轟き響く。

 

       ○

 

 魔王の巨躯が霧のように消失していき、数枚の古びた楽譜がはらはらと舞い降り、ウタが崩れ落ちる。

 ウタが地に倒れ伏す直前、シャンクスは娘を抱きとめた。

 

 記憶にある姿より随分と大きくなっていたけれど、眠れる娘の寝顔は思い出のものとなんら変わらない。ずっと会いたかった愛娘の温もりに、シャンクスは思わず顔が和らぐ。

 

「その子がお前の娘か」

 残骸と化した右腕を抱えたゼファーがスクエア眼鏡の奥から鋭い眼光を発する。

 

「だったら、どうする?」

 シャンクスは顔を引き締め、ゼファーを睨み返す。

 

「この様で四皇を相手にするほど酔狂ではない」

 ゼファーは鼻息をつき、慌てて駆け寄ってきたゴードンへ問う。

「この楽譜を押収ないし処分すれば、魔王の降臨は防げるのか?」

 

 ゴードンはどこか消沈した様子で応じる。

「……封印は無駄だ。七年前も今回も王宮地下の特別な封印を破って出てきた。焼却処分は……分からない。それで無に出来るのかもしれないが、超常の力で復活する可能性もないとは断言できない。相手は人智を超えた存在なんだ」

「始末に負えんな」と慨嘆をこぼすゼファー。

 

「――ぅ」

 と、ウタが目を覚ました。

 

「気付いたか」

 絶対に聞き間違えたりしない優しい声に、ウタの意識を覆う霧が一瞬で晴れた。自分を覗き込む父と家族の笑顔に、言葉にし尽くせぬほど様々な感情が溢れ出し、目頭が瞬間沸騰して涙腺が崩壊する。

 

 文句を言ってやろうと思っていた。恨み言をぶつけてやろうと思っていた。横っ面を張り飛ばしてやろうと思っていた。尻を蹴り飛ばしてやろうと思っていた。

 

「しゃんくす、しゃんくす、しゃんくすぅっ!!」

 

 でも、実際に出来たことは、ずっと会いたかった父に抱きついて嗚咽をこぼすことだけ。

 そんな愛娘を父はただ黙って抱きしめ返す。

 

 自身が叶えられなかった光景を前にし、ゼファーはしばし瞑目した後、

「元エレジア王、楽譜は一番詳しいアンタに預けておく。アイン、ビンズ。撤収するぞ」

 壊れた義手を左肩に担ぎ直して踵を返した。

 

 シャンクスはゼファーの背へ問う。

「この後に宴を開くつもりなんだ。一杯やっていかないか?」

 

「海賊と馴れ合う気はない。お前達は殲滅すべき敵だ」

 ゼファーは厳格に応じて振り返ることなく、アインとビンズを伴って軍艦へ向かって歩きだす。

「……娘を大事にな」

 

「ありがとう。この借りは忘れない」

 シャンクスの礼に応えることなく、ゼファーは去っていく。

 老雄の大きな背中は、まさしく漢の背中だった。

 

 アインは密やかに振り返り、この激戦の”戦果”を窺った。

 愛娘を抱きしめる大海賊の背中は、正しく父親の背中だった。

 

      ○

 

 シャチの背で目を覚まし、ベアトリーゼはコヨミを伴って港に停泊している軍艦の脇から陸へ上がった。

「ベアトリーゼさん、インタビューさせてくださいよっ!」

「元気が有り余ってるなら、そこらの海兵に取材して来い」

 ベアトリーゼは酷い疲労感から億劫そうに応じる。

 

 軍艦は魔王の攻撃を浴びたらしく酷く損傷し、負傷者も大勢出ているようだった。が、一部の海兵が油断なくベアトリーゼを監視しており、マスト櫓の狙撃兵達が銃口を向けている。

 

 ぶっ潰しても良いが、闘争の雰囲気でもない。何より気分が乗らない。

 と。ごつい爺様が美女とひょろ長いノッポを伴ってやってきた。右腕の肘から先がなく、やたら大きい義手を左肩に担いでいる。

 

「血浴か」

 老人が鋭い眼差しを向け、美女とノッポが得物に手をかける。軍艦の海兵達もにわかに殺気立つ。コヨミが暢気にカメラを構えた。

 

「一戦したいなら受けて立っても良いけど、どうする?」

 ベアトリーゼが物憂げ顔で気だるそうに尋ねる。

 

「……お前はなぜ海軍を憎む?」と老雄が反問してきた。

「別に憎んでないよ。私はあんた達を心底嫌ってるだけ。これまで海兵を手に掛けたこともあるけれど、それは必要だったからで、好き好んで海兵を殺したわけじゃない。で、どうするの? ウタちゃんを連れて行くならぶっ潰すし、私を捕まえる気なら受けて立つよ」

 暗紫色の双眸に殺気を込めて質せば。

 

「今日のところは見逃してやる」

 老雄はベアトリーゼを無視し、軍艦へ向かって歩き出す。

 

「一つだけ個人的なことを聞きたいんだけど、良いかな?」

 ベアトリーゼはちらりと記者を横目にしてから老雄の大きな背中へ問う。

「西の海にある”箱庭”のこと。何か知ってる?」

 

「……」老雄は肩越しにベアトリーゼを窺い「俺が海軍大将に就いた時、あの島について言われたことは三つ。あの島に決して近づくな。あの島に決して関わるな。そして、あの島のことを決して知ろうとするな、だ」

 

 老雄の口振りと声音に、ベアトリーゼは暗紫色の瞳を冷たくぎらつかせた。

「だけど、あんたはあそこで何が起きていて、あそこがどんな有様か知っていたわけだ」

「だとしたらなんだ?」

 ベアトリーゼは大柄な老雄の問いかけへ、酷薄な気配をまとって悪罵を吐き捨てる。

「あんた達が豚にかしずく犬共だと再認識したよ」

 

「貴様、私達を犬と侮るかっ!」

 青髪の美女が激昂して腰の双剣を抜きかけたところへ、

 

「よせ。その女には我々を罵る“資格”がある」

 老雄が美女を制し、ベアトリーゼを睨み据えた。

「だが、お前が海兵を殺めた事実は決して看過せん。次に出会った時はお前の首を必ず獲る」

 

「やれるもんならやってみなよ」

 鼻で笑って応じ、ベアトリーゼは言った。

「ああ。そうだ。ウタちゃんを救う手助けをしてもらった義理がある。私の名前を使っても良いぞ」

 

「? どういう意味だ」と怪訝そうに眉根を寄せる老雄。

「ウタちゃんを連れ帰れないと問題になるだろ。私に妨害されたとでも言えば良い。賞金が増額されても問題ないしね」

「要らん気遣いだ」

 ベアトリーゼへ舌打ちを返し、老雄は軍艦に乗り込んでいった。ひょろ長も続く。青髪の美女が去り際にベアトリーゼを忌々しそうに睨んでいった。

 

 ゆっくりと離岸していく軍艦を見送り、コヨミは感嘆を漏らし、

「”黒腕”ゼファー相手によくまあ、あれだけ啖呵を切れますね……」

 好奇心で目を輝かせた。

「ところで、箱庭とは何です?」

 

「そんなことより、ウタちゃんのところへ行くよ」

 あからさまにはぐらかし、ベアトリーゼはしつこく食い下がるコヨミを連れ、ウタの許へ歩き始める。

 

 

 かくして歌姫争奪戦の幕は下りた。




Tips

トットムジカ。
 本作では第二形態で打ち止め。理由はウタが取り込まれた後も抗い続けていたから。作中で表現できなかったのは作者の無能と非才ゆえ。

トットムジカ(曲)に対するベアトリーゼの罵倒。
 批判とか非難とか、そういう意図は全くないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

51:彼女達にさよならはいらない

佐藤東沙さん、拾骨さん、誤字報告ありがとうございます。


 戦が終わり、申し訳程度の黙祷を捧げれば。

 後はまさしく大宴会。

 

 赤髪一味は航海用備蓄とかそんなものお構いなしに、ありったけの食料と酒を持ち出し、日の高いうちから大騒ぎした。

 

 もちろん、宴の主賓は彼らの愛娘だ。

 赤髪一味はまず七年前にウタを置き去りにしたことを伏して詫び、それからウタのことを如何に気に掛け想ってきたかを恥ずかしげもなく語り、美しく育ったウタをこれでもかと絶賛激賞し、この七年間の冒険譚と武勇伝を尾ひれ背ひれをつけて喋り倒した。

 

「しかし……ウタの友達があの“血浴”とはなぁ」

 シャンクスはしみじみと呟き、ウタの隣に座ってラッキー・ルウの手料理を幸せそうに食べるベアトリーゼを窺う。

 

 赤髪の視線を浴び、ベアトリーゼはニヤリと不敵に笑う。

「愛娘にワルい女友達が出来て心配? この先、ウタちゃんに彼氏が出来たら大変そうね」

 ベアトリーゼの投げ込んだ爆弾は見事に炸裂する。

 

「彼氏なんてまだ早いっ!」「ウタに男が出来るなんて嫌だーっ!」「絶対に認めんぞっ!」「そうだそうだ!」「ウタはいつまでも俺達だけの御姫様なんだっ!」「ウタの交際相手は厳格に審査するっ!」

 いい歳したおっさん達(ゴードン含む)がぎゃーぎゃーと悲鳴を上げた。

 期待通りの反応にベアトリーゼが大笑いし、コヨミも爆笑し、肴にされたウタは顔を真っ赤にする。

 

 そうして酔いが回ってくると、オヤジ達が『ウタの歌が聞きたーい歌って歌ってー』とリクエストを重ねだした。

 仕方ないなーとウタは嬉しそうに頷き、そうだ、と思いつく。

「他にも聞いてもらいたい人達がいるの」

 

      ○

 

「作戦は失敗だ。責任は全て俺にある」

 エレジアを離れていく海軍遊撃隊。旗艦の隊司令室で、ゼファーは電伝虫相手に告げた。

 破壊された右の義手が取り外されていた。四肢切断に伴う経年形状変化により、断端が細く丸くなっている。

 

『赤髪一味と血浴、有象無象の海賊共。それにトットムジカだ。これだけの敵を相手に回しながら、海賊船多数を撃破し、トットムジカを鎮静化。作戦自体は失敗でも責任追及などされんさ』

 電伝虫から海軍元帥センゴクの労いが届く。も、ゼファーの気分は晴れない。

 

 センゴクは旧友の心情を慮り、話の水先を変える。

『それで……赤髪の娘はどうだ? 脅威になりえるか?』

 

「その心配は限りなく薄い。あの娘は芯がある。愚かな真似はすまい」

 ゼファーは赤髪父娘の様子を思い返しながら答え、

『血浴はどうだ? あれは政府と海軍を心底嫌い抜いている。赤髪の娘を利用し、我々へトットムジカをけしかける可能性はないか?』

「ない」

 海軍へ強烈な敵意を向けてきた美女を脳裏に浮かべながら、断言した。

「あの女が我々を討ちに来る時は自分の手でやるだろう。そういう類だ」

『そうか……後はこちらで処理しておく。御苦労だった』

 

 隊司令用電伝虫の通信が切られる。と、ドアがノックされた。入室許可を出せば、アインが困り顔を見せた。

「先生の判断をお願いしたいことが起きまして……」

「どうした?」ゼファーは怪訝そうに「何か問題が起きたか?」

 

 それが、とアインが困惑顔で説明を始めた。

「赤髪から通信が入っており、協力してくれた礼に我々へ世界最高の歌姫の曲を聞かせたい、と……どうしますか?」

 ゼファーは何とも言えぬ顔を作り、背もたれに大きな体を預けた。

「……一曲だけだ。全艦に聞かせてやれ」

 

「よろしいので?」

 意外そうに問うアインへ、ゼファーは精悍な顔を和らげた。

「偶には良い。それに……魔王から救い出した歌姫から礼の歌を聞かせてもらう、というのは得難い体験だろう?」

 

 アインは恩師の口振りに微笑み、大きく頷いた。

「分かりました、先生。手配します」

 

 

 電伝虫を通じて伝声管や拡声器から、海軍遊撃隊に少女の声が届けられる。

 ――海兵の皆さん。私はウタ。世界一の歌姫を目指す歌手の卵……もう、ヒヨコかな? 今日、私の力が及ばず危険な事態が生じたところを皆さんに助けていただきました。そのお礼に一曲、皆さんに贈りたいと思います。私は海賊“赤髪”の娘で、海兵の皆さんは海賊の娘の歌なんて聞きたくないという方も居られるかもしれませんが……一曲だけ、お付き合いください。

曲は『この素晴らしき世界』。

 

 天使の歌声で紡がれるゆったりした調子の、穏やかな歌詞による世界讃歌。

 海兵達は手を止め、伝声管や拡声器から流れる優しい歌にしばし耳を傾けた。

 

 ――What a Wondaful World……

 御拝聴、ありがとうございました。どうか皆さんの航海に幸がありますように。

 

 わずか三分強の短い曲。

 だが、酷く心に残る歌を聞き終え、海兵達は余韻を味わっていた。

 

「……良い曲でしたね」どこか満足げにアインが呟く。

「そうだな」

 ゼファーはアインに同意を返し、眼鏡を外して目元を揉む。小さく息を吐いてから、珍しく冗談めかして言った。

「いつか、今日のことを自慢できるかもしれんな。俺達は世界一の歌姫を救ったことがある、と」

 

 アインは目を瞬かせ、師の冗談に大きく首肯する。

「ええ。そんな日が来ると良いですね」

 

       ○

 

「御拝聴ありがとうございました。皆さんの航海に幸がありますように」

 電伝虫の前で歌い終えたウタは、ふっと小さく息を吐いて通信を切った。

 赤髪一味の面々もゴードンもコヨミも拍手喝采し、歌の余韻に浸る。

 

「良い曲だな……ウタが作ったのか?」

 シャンクスに問われたウタは首を横に振り、

「ううん。これはビーゼに教えて貰った……ビーゼ?」

 

 ベアトリーゼが目元から一筋の涙をこぼしていた。

 

 ウタは目を真ん丸にし、ウサミミ髪を真っ直ぐに屹立させ、吃驚を上げる。

「あああああっ!! ビーゼが泣いてるっ!!」

 

「え」

 大声で指摘されたベアトリーゼは無自覚だったため戸惑いながら目元を拭い、驚愕した。

「なんで……え? や? え? え?」

 

 巨匠ルイ・アームストロングのかすれた濁声で歌われる原曲と全く違う、天使の美声で歌われた『この素晴らしき世界』。素晴らしかった。感動した。それは認める。この世界で自分しか知らない曲を他人の歌声で聞いたことで、前世の郷愁と懐古を強く刺激され、感傷的な気分になったことも実感している。

 でも、ベアトリーゼは理解できない。自分が涙をこぼすほどに心を揺さぶられた理由が分からない。自己分析が出来ない。

 

 狼狽えるベアトリーゼに、ウタが勝ち誇ってにんまりと笑う。

「私の歌に感動して泣いたっ! 私の勝ちだよ、ビーゼっ!」

 

「ち、ちが……これは、その、そう、汗っ! 目元に出来た汗っ! だからノーカウントだ! ノーカウントっ!」

 人前で感涙した羞恥に顔を真っ赤に染め、ベアトリーゼは慌てふためく。

 

 ウタはそんなベアトリーゼに向け、両手を顔の横に沿えて悪戯っぽく白い歯を見せた。

「負け惜しみー」

 

 かっちーんっ! ベアトリーゼは眉目を吊り上げる。

「生意気な小娘めっ! ならもう一曲歌ってみろっ! ベソ掻くまで酷評してやっからっ!」

 

 2人のやり取りに、シャンクスと赤髪一味は幼いウタがルフィと過ごしていた頃を思い出し、心底楽しそうに笑った。

 

       ○

 

 宴がお開きになった頃には、すっかり夜も更けていた。

 ベアトリーゼは中庭のベンチに座り、酔い覚ましに淹れた珈琲のカップを口に運ぶ。

 雲のない夜空に大きな月が浮かんでいて、星々がきらきらと輝いている。遠くから夜啼鳥の歌が聞こえていた。

 

「やあ。少し良いか」

 シャンクスが顔を覗かせ、ベアトリーゼと向かい合うように地べたに腰を下ろす。飲み足りないのか、手にある酒瓶を軽く呷った。

「ウタとゴードンから聞いたよ。ウタが随分と世話になったそうだな。今日の件と合わせて礼を言う。ありがとう」

 ぺこりと頭を下げる様は、大海賊ではなく父親そのものだった。

 

「あんたがこの島を訪れるまで、ウタは俺達を恨んでいたと聞いた。心から笑うことも出来ず、いつも寂しそうに海を見つめていたとも。あんたが居なかったら、今夜のように笑顔で再会できなかったかもしれない」

 シャンクスはベアトリーゼをまっすぐ見つめ、言った。

「デカい借り、いや恩が出来た」

 

「そんな仰々しく考えることはないよ」

 ベアトリーゼは両手でカップを包むように持ち、小さく息を吐く。

「私は何かしてあげたわけじゃない。あの子が殻を破り、立ち上がる時期にたまたま居合わせただけ。私はあくまで自分の目的を果たすためにここに来た」

 

「目的?」シャンクスは片眉を上げて「そういえば、あんたはニコ・ロビンと組んでいると聞いたが……」

「ロビンとは不本意な別れをして数年経つ。居場所は分かっているから、会いに行っても良いんだけど……」

 懐から黒い手帳を取り出し、ベアトリーゼは眉を下げてぼやく。

「この件にロビンを巻き込んでいいものか」

 

「ん?」シャンクスは眉根を寄せ、顎を撫でながら「その手帳、どこかで見た覚えがあるな」

 

「―――は?」

 ベアトリーゼが目を瞬かせる。

「手帳の中はなんか変な記号で書かれてないか?」

 シャンクスが酒瓶片手にさらりと告げる。

 

 唖然としているベアトリーゼへ、シャンクスは微苦笑と共に語り始めた。

「あれはたしかロジャー海賊団が解散して間もない頃、20年くらい前だな。リヴァースマウンテン近くの島で男に出会った。彼は“ウィーゼル”と名乗ったよ」

 

 ベアトリーゼは鼓動が早まる感覚を抱きつつ、シャンクスへ尋ねる。

「どんな男だった?」

 

「表現が難しいな。銀髪翠眼の長身で、疲れ果てた老人のようでもあったし、力のある目つきは若々しさがあった」

 赤髪は酒瓶の口を指で撫でながら、当時を振り返る。

「“ウィーゼル”は口数の多い男ではなかったが、俺がロジャー船長の船に乗っていたことを明かすと少しだけ語ってくれた。自分が西の海きっての蛮地出身であること。この世界の暗部について調べるため旅をしてきたこと。そして、その旅で知ったことを記録した手帳を、信頼できる人物へ託しに向かう途中だと言っていた」

 

 シャンクスは酒瓶を傾けた。

「別れた後、“ウィーゼル”がどうなったかは知らない。今も生きているなら結構な年頃だろう……その手帳絡みで俺の知っていることはこれくらいだ」

 

「興味深い話だった。ありがとう」

 ベアトリーゼはすっかり冷めてしまった珈琲を一息で飲み干した。夜空に浮かぶ月を見上げた。

 

 手帳の解読は完了している。

 天竜人フランマリオン一族の憎悪と狂気の歴史を知った。故郷“箱庭”の秘密を知った。“抗う者達”の存在を知った。

 そして、自身の出自についても。

 ベアトリーゼは密やかに呟く。感情の籠らぬ冷たい声で。

「……宿命、か」

 

「?」

 よく聞こえなかったシャンクスが小首を傾げたところへ、

「やっと見つけたぁ」

 ウタがやってきて父とドラ猫女をじろりと見据える。

「こんなところで、2人で何してたの?」

「ウタが世話になった礼を言っていただけさ」とシャンクスが苦笑い。

 

 ベアトリーゼは腰を上げて悪戯っぽく微笑み、

「そ。ちょっと話してただけ」

 シャンクスへ流し目を向けつつ、ウタに告げる。

「ひょっとしたら……私、ウタのママになるかも」

 

「へ? ……はあぁあああっ!?」

 言葉の意味を解したウタは海老のように目を剥き、眉目とウサミミ髪をこれ以上ないほど吊り上げた。

「シャンクスッ!! どういうつもりっ!! ビーゼは私と六つしか違わないんだよっ!?」

 

「待て、ウタッ! そんな話は一切してないぞっ! やましいこともしてないっ!!」

 憤慨して詰め寄ってくる娘を宥めつつ、シャンクスはベアトリーゼに抗議する。

「冗談にしても性質が悪いぞっ! 勘弁してくれっ!」

 

「おやすみ」

 ひらひらと手を振り、ベアトリーゼは王宮内へ戻っていった。難詰する娘と釈明する父のやり取りを背に聞きながら。

 

      ○

 

 翌日。

 王宮の一室で、ウタとシャンクスとゴードンが『これから』について相談し合う。

 

 大海賊“赤髪”の娘であること、特異なウタウタの実の能力者であること、トットムジカのこと、いろいろなことが世間に知られ、実際に海軍とバカ共がウタの身柄を狙ってきた以上、もうこれまでのようにエレジアで隠棲は出来ない。

 

「私……シャンクスと皆と一緒に居たい……」

 懇願するように、ウタは隣に座るシャンクスを窺う。

 赤髪の父は不安げな娘の二色頭を慈しみ撫でながら大きく頷き、

「少なくとも、ほとぼりが冷めるまで俺の船に乗っていた方がいい。だが、その後はどうしたらいいか……俺の船に囲いこんでいたら、歌手にはなれない」

 思案顔をゴードンへ向けた。良い考えはないか、と。

 

 もう一人の育て親というべき歌姫の師は少し考えてから、提案する。

「コヨミ君から四皇と呼ばれる大海賊達は縄張りを持つと聞いた。君の縄張りで少しずつ歌手活動をしていってはどうだろう? 少なくとも海軍や政府の影響が強い加盟国を巡るより良いと思うが……」

 

 ウタはゴードンの提案を自分なりに検討し、頷いた。

「私はそれでも良いよ。今日明日に状況が変わるわけでもないし、様子を見てから改めて考えてみたら?」

 

 場当たり的な言い草に聞こえ、シャンクスが眉を下げながらウタを質す。

「おいおい。ウタにとっての大事だぞ。そんな調子で良いのか?」

 

「大丈夫だよ」

 ウタは誇るように唇の両端を緩めた。

「だって、私はシャンクスの娘で、ゴードンに鍛えられた、世界最高の歌手だから!」

 無邪気な笑みを向けられた大人達は、気恥ずかしいものを覚えて頬を掻いたり、顎先を撫でたり。

 

「ゴードンはどうするの? 私がいなくなったら一人になっちゃうけど」

 教え子が恩師を案じるも、当人はあっけらかんと微笑む。

「私もこの島を離れるよ。なに、少し裕福そうな島に行けば音楽教師の仕事くらいあるさ。なんなら、酒場や路上で演奏して食い扶持を稼げばいい。腕には自信があるからね」

 

 冗談めかして告げるゴードンに、シャンクスがすぐさま困り顔を作り、

「あんたはウタと俺の恩人だ。日銭暮らしなんてさせられない。あんたの身の振り方は俺に任せてくれないか?」

「そこまで甘える訳には……」

「頼むよ、ゴードン。俺に顔を立てさせてくれ」

 ワンピ世界の国王だったとは思えぬほど謙虚なゴードンを説得した。

 

 少しばかりの押し問答の末、ゴードンが折れると、

「それとね、トットムジカの楽譜のことなんだけれど」

 ウタは切り出した。

「私が手元に持っておこうと思うの」

 

「……焼いちまうか、海の底に沈めちまった方がいいんじゃないか?」

 二度も娘を危険に晒した楽譜に手厳しいシャンクス。

「私もそれは危ういと思うが……」とゴードンも心配そうに言った。

 

 ウタは朴訥に自分の考えを語り、

「皆が助け出してくれたあの時、楽譜から感じたの。寂しい、悲しい、そんな感情が伝わってきたの。トットムジカはとても危険だけれど、だからこそ“独りぼっち”にしちゃダメなんだと思う。もしかしたら、トットムジカはウタウタの実の呪いとかじゃなくて、ウタウタの実の能力者に寄り添うものなのかも。それに」

 自信をたっぷり込めて宣言した。

「魔王だって私のファンにしてみせるっ!」

 

 呆気にとられた父と師は互いに顔を見合わせた後、承諾するように大笑いした。

 

      ○

 

 ベアトリーゼも島を離れる準備を進めていた。

 交易船の定期便を待つでも赤髪の船に乗せてもらうでもなく、コヨミの愛シャチに2ケツさせてもらう予定だ。

 

 そのため、ベアトリーゼはオフィスと化した王宮図書室で、コヨミから買い取った予備潜水服をちまちまと仕立て直している。なんせベアトリーゼはニコ・ロビン同様に180センチ越えの長身。160センチ台のコヨミより20センチ近く背が高い。加えて、ベアトリーゼはアスリート体型。いろいろと弄らねばならなかった。

 

「エレジアを離れた後、どこへ行く予定なんですか?」

 歌姫争奪戦争の原稿と写真を本社へ送り終え、解放感を隠さぬコヨミがウキウキ顔で問う。

 

 針仕事を進めつつ、ベアトリーゼが応じる。

「とりあえずハブ港のある島だ。そこから先は内緒」

「ベアトリーゼさんって明け透けなようで秘密主義ですよね。キモは話さないというか。スクープの臭いがする手帳やノートを見せてくれないし……」

「佳い女は秘密を持っているものさ」

 拗ね顔を向けるコヨミに、ベアトリーゼは小さく肩を竦めた。

 

 そんなやり取りを交わしているところへ、ウタがひょこっと現れた。

「今、良い?」

 

「大丈夫ですよ。ウタさんもどうぞどうぞ」

 コヨミは作業中のベアトリーゼを無視してウタを招じ入れる。

「今後の予定は決まりましたか?」

 

「うん。コヨミの記事で起きた騒ぎが収まるまでシャンクス達の船に乗る。ゴードンは赤髪海賊団の縄張りで音楽の先生をすることになったよ」

 ウタが小針を含んだ回答を返すも、コヨミは気にも留めない。記者たるもの面の皮は分厚くなければならぬ。

 

「ビーゼは……やっぱりコヨミと一緒に行くの?」

 ちらりとベアトリーゼを窺い、ウタは“本題”をちょろりと明かす。

「私と一緒にレッド・フォース号に乗っても良いんだよ?」

 ホントは是非来てほしいのだけれども、素直に切り出せない。自意識過剰な思春期の乙女心。

 

 ベアトリーゼは小さく口端を緩め、

「ウタちゃんにウタちゃんの夢があるように、私にも私のやることがある。なに、大丈夫。お互いの近況は新聞で分かるさ。アタシは事件欄。ウタちゃんは文化欄でね」

 残念そうに美貌を曇らせ、ウサミミをへにょらせるウタへ、にやり。

「それに、そのうちウタちゃんのコンサートかライブを見に行くかもしれない」

 

「かもしれないじゃなくて、必ず来てよっ! ビーゼもコヨミもっ!」

「気が向いたら」

「取材経費が出たら」

 ウタが不満げに唇を尖らせ、ベアトリーゼとコヨミが笑った。

 

      ○

 

 そして、迎える別れの日。

 出港していくレッド・フォース号。同じく出港していくシャチのチャベス。

 

 レッド・フォース号の舷側から身を乗り出し、ぶんぶんと手を振るウタ。

 シャチの背で2ケツするコヨミとベアトリーゼが大きく手を振り返す。

 彼女達の間で『さよなら』は交わされない。

 

 コヨミとベアトリーゼが潜水ヘルメットを被ると、シャチのチャベスが潜行していく。水中海流に乗って一気に進むつもりらしい。

 波間に消えていった2人と1匹を見送り終え、ウタは紫色の瞳を潤ませて呟く。

「一緒に過ごした時間はそんなに多くないのに、なんでこんな寂しいのかな……」

 

「友達になるのに時間は関係ないからな」

 シャンクスはウタの肩に手を置き、優しく語り掛けた。

「また会えるさ。それに……きっと手配書や新聞で何度も目にするだろう」

 

「それはそうかも。特にビーゼは」

 くすりと微苦笑し、ウタは小さくなっていくエレジアを見つめ、大きく頭を下げた。

「お世話になりました」

 万感の思いを込めて感謝を告げ、顔を上げたウタは赤髪一味と居候のゴードンを見回し、高らかに叫ぶ。

 

「私の新たな門出を祝して歌いますっ!」

 

 雲一つない蒼穹と穏やかな碧海に、歌姫と海賊達の陽気な合唱と超一流音楽家の演奏が響き始めた。

 




Tips
『この素晴らしき世界』
 ルイ・アームストロングの名曲。

ウタ
 ひとまず赤髪海賊団に籍を置くことに。いずれ再び巣立つ時が来るかもしれない。

ベアトリーゼ。
 黒い手帳の中身は追々明かします。


エレジア編終了。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

52:カルマは巡り回る

お待たせしました。

佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 

 グランドライン後半“新世界”にて。

 大型海賊船モビーディック号の後甲板で、大海賊“白ひげ”エドワード・ニューゲートは新聞を読んでいた。

 

 赤髪の娘ウタが大きなコンサートで素晴らしい歌唱を披露した記事を目にし、楽しげに大きな髭を揺らす。

「ロジャーんとこのハナタレがこんな立派な娘を持つようになったか。俺も歳をとるわけだ」

 

「かなり好評だったらしい。ウチの連中もこの娘のコンサートへ行きたそうにしてるよい」

 一番隊隊長兼船医のパイナップル頭男“不死鳥”マルコがそう言えば、白ひげは『グラララ』と喉を鳴らし、

「そいつは歌が聞きてえのか、赤髪の娘をナマで見てみたいのか、どっちだ?」

「もちろん後者が目的だ。気の早い奴らは『親父が居るのに、赤髪をお義父さんって呼んで良いのか』とか本気で悩んでるよい」

 マルコの呆れ顔に、一層笑いを大きくした。

「バカ息子共め。俺を笑い死にさせる気か」

 

 楽しげに紙面をめくり、『新進気鋭の海賊ポートガス・D・エース率いるスペード海賊団、早くも“新世界”行き』という記事を読み、眉間に大きな皺を刻んだ。

「またこのガキの記事か……随分とまあ生き急いでやがる」

 その声音は多分に憐憫を含んでいた。

 

 

 

 同じ頃。東の海。ゴア王国のド辺境にあるフーシャ村。

 村一番の別嬪マキノが商う酒場にて、麦わら帽子を被った15歳のモンキー・D・ルフィが新聞に目を通し、太陽のように笑う。

「もうグランドラインを半分渡ったのかぁ……さっすがエースっ!」

 海賊団を率いる“兄”の活躍が我がことのように嬉しい。それに、

「シャンクスも元気そうだし、ウタもホントーに歌手になったんだなぁ……2人に会いてーなぁ」

 幼馴染達と恩人の近況を知り、

「俺も早く海に出てーなぁ」

 ルフィは太陽のように笑い、海への渇望を新たにした。

 

 

「そうか。立派な海兵になれるよう稽古をつけてやろう」

 

 

 不意に背後から野太い濁声が聞こえ、ルフィは凍りつく。ギギギと首を軋ませながら振り返れば、大柄な老人が丸太のような両腕を組んで屹立していた。

「げえっ!? 爺ちゃんっ!!」

 海軍本部中将モンキー・D・ガープは孫の可愛げのない反応に大人げなく憤慨する。

「爺ちゃんに向かって『げえ!?』とはなんじゃーっ!」

 

 ごちん!

 

「ぎゃーっ! 痛ェ!!」

 癇癪を起こした祖父に拳骨を落とされ、ルフィが頭を押さえながら呻く。

「ぅぅ……ホントになんで爺ちゃんの拳骨は痛いんだ?」

 

 幼い日に悪魔の実を食べ、ゴム人間となって以来、ルフィの身体は生半な打撃や衝撃を物ともしなくなった。が、祖父の拳骨はどうにも“痛い”。

 

「そりゃ愛がこもっとるからな。愛ある拳は痛いに決まっとる」

 ルフィの隣に座り、ガープはマキノに孫と同じくオレンジジュースを注文する。ルフィの手元にある新聞を取り、不満そうに鼻を鳴らした。

「エースの奴め、海賊なんぞになりおって! しかも、新世界じゃと? “早すぎる”わ」

 

「早すぎる?」ルフィは目を瞬かせ「爺ちゃん、早ェとなんか不味いのか?」

「ただでさえグランドラインは厳しい海じゃ。特に“新世界”は勢いだけではどうにもならん」

 

「誰が相手でもエースは負けねェよ!」ルフィはまったく疑いなく「エースは俺と一緒に鍛えて、爺ちゃんのひでー稽古も乗り越えたからな!」

「そうじゃな……ひでーとはなんじゃっ! 儂の稽古に不満があるのかっ!! 立派な海兵になるための訓練じゃぞっ!!」

「俺は海兵じゃなくて海賊になりてーんだよ、爺ちゃんっ!」

「バカを抜かすなっ!」

 

 ごちーん!

 

「ぎゃーッ!」

 再び癇癪を起こす祖父と、拳骨を落とされて悲鳴を上げる孫。祖父と孫の荒っぽい交流にくすくすと微笑む村一番の別嬪マキノ。

 

「まったく。エースもお前も儂の愛情を分かっとらん」

 ガープは拗ね顔で新聞をめくり、“赤髪”シャンクスと娘のウタの記事を目にし、いっそう不機嫌さを増す。

「赤髪! こやつがルフィに余計なことを吹き込んだせいでっ!」

 

「シャンクスは命の恩人だ! 悪く言うなよっ!」とルフィが抗議の声を上げれば。

「その口の利き方はなんじゃーっ!」

 

 ごっちーん!

 

「ぎゃーっ!? ごめんなさーいっ!」

 頭を抱えて呻く孫を一瞥し、ガープは再び新聞に目線を落としてしみじみと呟く。

「しかし、赤髪に娘がおったとはなあ。全然知らんかったわぃ」

 

「ウタのことか? 爺ちゃんは会ったこと無かったっけ?」

「ん?」ガープは片眉を上げて「ルフィはこの娘に会ったことがあるんか」

 

「うん。ウタは歌がすっげー上手いんだっ! 世界一の歌手になるって言っててさ。夢に向かって動き出したんだなあ」

 ルフィは記事の写真を見ながら嬉しそうに笑う。どうやら随分と親しくしていたらしい、とガープは察した。

「ルフィに女の子の友達がいたとは……他にも女の子の友達がおるんか?」

 孫が軽薄なチャラ男になりそうなら“活”を入れるところだが、単にモテている分には、祖父として鼻が高い。

 

「女の友達? んー……いねェなぁ」ルフィが首を横に振る。残念ながら孫はモテているわけではないようだ。

 

「あら。ルフィ。私は友達じゃないの?」とマキノが横から口を挟むと、

「? マキノは友達っつーより、姉ちゃんみたいなもんだろ?」

「うむ。マキノは儂の孫娘同然じゃ」

 モンキー家の祖父と孫から極自然に身内認定していることを告げられ、マキノはにっこり微笑む。

「……そうね。私もルフィとガープさんを家族みたいに思ってるわ」

 

 当然だと言うように頷き、揃ってオレンジジュースを飲むモンキー家の祖父と孫。

 オレンジジュースのグラスを置き、ガープは新聞の紙面――エースの写真を見つめてからぽつりと呟く。

「まあ……元気にやっとるならええか」

 そう呟いたガープの横顔は、可愛い孫を案じる好々爺にしか見えなかった。

 

       ○

 

 グランドライン前半“楽園”のアラバスタ王国。

 同国最大のカジノ“レインディナーズ”総支配人を務めるニコ・ロビンは26歳を迎え、美貌に磨きがかかっている。

 

 そんな美しすぎるカジノ総支配人は新聞を流し読んでいく。

 数年前に結成された犯罪結社バロックワークスのナンバー2でもあるロビンは、新進気鋭の青年海賊や少女歌姫に関心がない。

 

 一通り新聞に目を通し終え、ロビンは小さく溜息を吐いた。数年前に別れた親友の記事は今日も載っていない。無事の証拠だろうが、これはこれで寂しい。

「ビーゼは今、どこで何をしているのかしら」

 

 寂寥感を滲ませているところへドアをノックされ、ロビンは素早く意識を切り替える。

 犯罪結社の大幹部に相応しい怜悧な仮面を被り、『どうぞ』と告げた。

 

 社員が入室し、

「ミス・オールサンデー。今期新入社員のリストです」

 ロビンをバロックワークスのコードネームで呼び、少々厚めのファイルを執務机に置いた。海軍やサイファー・ポールの潜入捜査員が紛れ込む可能性を指摘する。

「人員の増加に伴うリスクは把握しているわね?」

 

「もちろんです、ミス。新入社員達は“無難な資金稼ぎ”に従事させつつ身辺を洗います」

「結構。下がって良いわ」

 失礼します、と社員が退室していった。ロビンは怜悧な仮面を外し、素顔でぼやく。

「“こんなこと”に時間を割いていたくないのだけれど……」

 

 クロコダイルと協定を結んだ際、約束した各地のポーネグリフ調査はあまり芳しくない。これは秘密結社バロックワークスとしてではなく、政府に睨まれぬよう地質調査などを偽装したうえで行っていることも、調査の進展を妨げている。

 ポーネグリフ関係を調べていると悟られれば、政府は本気で動くから仕方ないと言えば仕方ないのだが。

 

 一方で、クロコダイルの本命――国盗り計画は順調に進んでいた。

 降雨剤(ダンスパウダー)を用いた密やかな環境テロにより、アラバスタは危機的な旱魃に晒されていた。そこへ情報工作で『国王のダンスパウダー使用疑惑』を流布させた結果、先頃に地方で反乱軍が結成された。指導者がわずか18歳の少年という点が些か不安だが……旱魃がさらに続けば、反乱軍は規模を瞬く間に肥大化させるだろう。

 平和で穏和に暮らしていた人々を不幸へ蹴落とし、あまつさえ同胞同士で相争わせる。そんな凶悪な犯罪に加担している事実に、根が善良なロビンは心を痛めていた。

 

 ……ビーゼなら隙を突かれる方が悪い、と言ってくれるでしょうね。

 ベアトリーゼは争いや戦いに関して冷徹かつ厳格なところがあり、指導者や指導層に対して辛辣な見方をする。基本的に権力というものが嫌いなのだろう。

 

 ふ、と溜息を洩らし、ロビンはファイルを開く。ぱらぱらとページをめくっていき、不意に手が止まった。

「あら」

 

 水色髪の可憐な美少女の写真と経歴書。

 見間違えるはずがない。この国に密入国して以来、祭典や巡幸で幾度か本人を目にしたことがある。

 

「健気というか、無茶というか……これ、王や宮廷も承知の上のことなのかしら」

 呟きながらも、ありえないとロビンは確信している。コブラ王の娘に対する親バカ振りは有名だし、何よりネフェルタリ家唯一の後継者なのだから。

「困った御姫様ね。お転婆に過ぎるわ」

 

 ロビンは再び溜息を吐きつつ、好都合かもしれない、と考えた。

 ずっと気になっていた。

 

 王女様がレインディナーズの視察に訪れた際、ロビンは総支配人として施設内を案内した。

 その時、ロビンは見た。王女様が首に下げた首飾りのペンダント・トップを。

 無限大記号の形をとった超高純度鉄製のメビウスの輪。

 

 まだ西の海を旅していた頃、ベアトリーゼが作ろうとして失敗したものに酷似していた。

 プルプルの実の力で超高熱プラズマを自在に操れるベアトリーゼにしか作れないものを、なぜアラバスタ王女が持っているのか。

 事情次第では、密かに御姫様を手助けしても良い。あるいは――

 

「とりあえず、大幹部の私と接見できる程度には出世してもらいましょうか。幸い“御付きの方”も一緒のようだし、出来ないことはないでしょう」

 ロビンは冷ややかに呟いた。

 親友手作りの品を持つ王女に、少しばかり嫉妬して。

 

 

 余談であるが……

 後にアラバスタ王女がメディアからインタビューを受けた際、首に下げた超高純度鉄製のペンダントについて問われ『ベアトリーゼという悪い魔女が手作りしてくれた御守りなの』と自慢げに語り、

「私、ビーゼからそんなの貰ってないっ!!」

 歌姫が怒ったという。

 

       ○

 

 常夏の『ラドー島』は世界政府直轄地だ。

 透明度の高い海は温かく水遊びにぴったり。自然も豊かで風光明媚な景観を楽しめる。

 

 港湾に接する都市部は鉄と石とガラスで築かれた巨大なパサージュで、夏島特有の強烈な陽光を巨大なガラス天蓋が和らげている。通りに並ぶ店はいずれもアールヌーボー調の造りで、通りはどこもかしこも色彩豊かな煉瓦タイルで彩られていた。

 

 都市の郊外にはコーヒー豆や天然ゴム、香辛料、コプラの大規模農園(プランテーション)が広がっており、大量の奴隷達が酷使されている。彼らは死ぬまで農園で働き続ける。否、彼らだけではない。奴隷の間に生まれた子供も、その子供も、農園を営む家畜として生きていく……

 

 とはいえ、それは観光客や住民には関係ないことだ。観光客は海辺や自然の中で優雅なひと時を楽しみ、パサージュでショッピングや美食を楽しむ。住民はパサージュや港で真っ当な仕事に精を出す。農園の奴隷達は視界にも入らない。

 まあ、気にしたところでどうこうできる訳でもないが。

 

 昼下がり。病質的なほど綺麗に整備された白浜(リゾートビーチ)の一角。ベアトリーゼはパラソルの下でラウンジベッドに寝そべり、日光と潮風を嗜んでいた。

 

 花咲く23歳。くせの強い夜色の長髪は緩く三つ編み。物憂げな細面に大きなサングラスをかけ、暗紫色の瞳を隠していた。すらりとした身長180センチ超の引き締まったアスリート体型を白いビキニ水着で包んでいる。

 仄かに汗ばんだ小麦肌。生意気なFカップ。きゅっと絞られた腰。張りのあるお尻。見事な曲線を誇る長い脚。体のあちこちにある細かな傷跡など問題にならない肉体美。

 

 名匠が手掛けたような健康美を衆目に晒しながら、ベアトリーゼはパーカーと装具ベルトを置いたサイドボードから氷の浮かぶラムコークを手に取り、口へ運んだ。グラスの結露が瑞々しい小麦肌の胸元に落ち、Fカップの谷間を滑るように流れていく。

 

 海を眺めながら、ベアトリーゼは思う。

 能力者になって何が不満かと言えば、水遊びを楽しめなくなったことだ。前世では水に体を委ねた時の浮遊感が好きだったのに。

 

 カクテルグラスをサイドボードへ置いたところへ、視界に人影が落ちた。

「隣。良いかしら?」

 

 金髪碧眼のすらりとした美女。すまし顔の貴婦人タイプ。青いフリル水着が白肌とたおやかな肢体に良く似合う。控えめなアクセサリーは素人目にも高級品。容貌は若々しく瑞々しいものの、碧眼はどこか老成を感じる。

 なんともミステリアスな貴婦人は人懐っこい微笑と共に隣のラウンジベッドを指差していた。

 

「御自由に」ベアトリーゼはアンニュイな調子で首肯を返す。

 貴婦人はラウンジベッドへ腰かけ、帽子を脱いで緩やかに波打つ金色のショートヘアを指でほぐしてから、ギャルソンを呼ぶ。

「モヒートを」貴婦人はベアトリーゼへ妖しく微笑み「貴女はどう?」

 

「いや、結構」

 ベアトリーゼはラムコークを指で示した。まだグラスの半分ほど残っている。

 少ししてから、ギャルソンが美女へ飲み物を届け、恭しく一礼して去っていく。2人の周囲から人気が遠のいた。

 

「それで」

 ベアトリーゼはサングラス越しに横目でモヒートを飲む貴婦人を窺う。

「独りで何しに来た。サイファー・ポール」

 

「御明察」貴婦人は面白そうにベアトリーゼへ微笑み「理由を聞いても?」

「立ち居振る舞い」ベアトリーゼはつまらなそうに「人殺しの雰囲気が隠せてないぞ」

 

「あら、手厳しい」

 くすくすと品良く喉を鳴らし、貴婦人はグラスをサイドボードへ置き、ラウンジベッドに寝そべる。自己主張の強い胸は重力に屈さなかった。

 貴婦人は奇妙な親しみを込め、名乗る。

「私はCP0のステューシー。よろしく、“血浴”のベアトリーゼ」

 

「政府の犬ッコロとよろしくしたくないんだけど」

「そう? なら、言い換えましょうか」

 煩わしげに鼻を鳴らすベアトリーゼへ、ステューシーは茶目っ気のある笑みを浮かべた。

「私が貴女へ手帳が渡されるよう手配した者よ」

 

「なるほど」ベアトリーゼはサングラスを額に押し上げ「どうやら少しは仲良くしないといけないらしい」

「ええ。いろいろ込み入った話をしたいと思っているわ」

 暗紫色の瞳に見据えられても、ステューシーの微笑は崩れない。

「けれど、今は日光浴を楽しませてちょうだい」

 

「……まあ、高級リゾートでせっかちな振る舞いは無粋か」

 ベアトリーゼは艶やかな唇をヘの字に曲げつつも了承する。

 

 サングラスを掛け直し、ベアトリーゼは謎の男“ウィーゼル”が遺した黒い手帳の内容を思い返した。

 

 天竜人フランマリオン一族の成り立ちと復讐。

 超人思想(トランスヒューマニズム)の狂気と妄念。

 “箱庭”の悲愴な歴史とフランマリオンの悪意に弄ばれた者達の記録。

 “抗う者達”。

 

 そして、最後のページに別人の筆跡で書かれた古エレジア式記譜法の暗号を解けば、とある島で倉庫業老舗“隠匿師”ギバーソンが商う保管庫へ誘われた。

 保管庫には偽の身分証と少なくない金、それに『ラドー島』のホテル宿泊券。

 

 かくして、ベアトリーゼはここラドー島にやってきた。

 接触してくる相手が“ウィーゼル”の関係者か“抗う者達”であることを期待して。

 

 ところが、蓋を開けてみれば、相手は天竜人直属の番犬CP0ときた。

 

 ベアトリーゼは囁くように呟いた。

「数奇なことになったもんだ」

 




Tips
”白ひげ”エドワード・ニューゲート。
 原作キャラ。最強枠の一人。
 ”息子”達の一部が歌姫のファンになっている現状に苦笑い。

モンキー・D・ルフィ。
 原作の主人公。
 海賊王を目指す船出まであと二年。

ニコ・ロビン。
 親友から手作りの贈り物を貰っていないことにモニョっとしている。

ステューシー。
 原作キャラ。現在、原作本編で怒涛の真相発覚が行われているキャラの一人。
 原作本編の展開次第では本章がどうにもならなくなってしまうけれど、もう諦めた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

53:実験動物達のティータイム

少し長くなりました。

佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 リゾートビーチと碧海を一望できるスイートルームの宿泊料は、この世界の平均的中産階級の月収に等しい。

 余裕のある広い間取り。高級感がありながら落ち着きある内装と洗練された調度品。キングサイズのベッドは当然清潔でふわっふわ。用意されたドリンクや軽食は無料だ(スイートはこんなところで金を取らない)。担当のコンシェルジュは1を要求すれば10を叶える勢いだ。まさに至れり尽くせり。

 

 大きな窓から夏島の夕日が注ぐスイートルームのリビング。最高級ウォルナットの豪奢な丸テーブルで美女達が向き合っている。

 片やヘンリーネックのタイトなカットソーに七分丈デニム、とこざっぱりした装いの蛮姫。

 片や自己主張の強い胸元をさらに強調するクロスホルターネックのミニワンピース、と艶やかな装いの歓楽街の女王。

 

 ベアトリーゼは丸卓の向かい側に座るステューシーへ怪訝顔を向けていた。

 不躾な目線に晒されているステューシーはコンシェルジュに用意させたアップルパイを楽しんでいる。

 

 暢気でミステリアスな美女に渋面をこさえつつ、ベアトリーゼは美術品染みた白磁器のティーセットへ手を伸ばす。自身のカップにポットを傾けて黒々とした紅茶を注ぐ。湯気をくゆらせる紅茶にレモンジャムを落とし、ティースプーンでゆっくり攪拌。

 

 仏頂面で甘酸っぱくした紅茶を飲むベアトリーゼへ、ステューシーは和やかに微笑みかける。

「ディナーは二階のレストランで摂りましょう。ここはお肉も魚介も凄く美味しいの」

 

「……その馴れ馴れしさはなんなのさ。私はお尋ね者でそっちは狩る側だろ」

「そんな些細な関係性はどうでも良いわ。私は貴女と親しくしたいの。他意や含意は……まあ、無いとは言わないけれど」

 掴みどころのない女だな。

 ベアトリーゼはアンニュイ顔をしかめた。ウォーターセブンで関わった犬ッコロ達はもっと“素直”だったのに。

「説明しろ。おススメの美食を楽しめるくらいには懸念を解消したい」

 

 ふむ、とステューシーは唇に人差し指を添え、思案顔を作った。なんとも演技がかった所作だが、麗貌と相まって絵になる。美人はお得。

 ステューシーは黒々とした紅茶を音もなく一口啜り、碧眼にベアトリーゼだけを映す。

「黒い手帳は読み解いた?」

 

 ベアトリーゼはデニムの尻ポケットから黒い手帳を取り出して卓に置き、

「記述者は“ウィーゼル”。天竜人フランマリオン家はニノンという側妃の復讐から始まった。その怨念は超人思想に至り、馬鹿馬鹿しい実験を延々と重ね続けている。現在の実験場は西の海の“箱庭”と呼ばれる島で、私の故郷」

 

 無情動に言葉を紡ぎ、どうでも良さそうな声音で言った。

「そして、私は旧フランマリオン一族を滅ぼした諸侯の一つ、ヴィンデ家の血から作られたモルモットの現地交雑体といったところね」

 

 

 黒い手帳に記されていたベアトリーゼの過去――ルーツ。

 それはフランマリオンの復仇と実験の産物だった。

 

 19王家の側妃ニノンが興した天竜人フランマリオン家は、世界貴族の権力を用いて旧フランマリオン一族を滅ぼした諸侯をことごとく討伐した。さらに、一族の復讐心と超人思想が絡み合った末、これら旧諸侯の生き残りを実験動物として扱うことにしたらしい。

 

 曰く――神たる天竜人の父祖を討ったこの不遜なる者達、神殺したる彼らの血は凡俗の下民共とは違う結果をもたらすやもしれぬ。

 

 諸侯の男達は胤を絞られ、諸侯の女達は孕まされ。薬漬けにされ。体中を切り刻まれ。解剖され。標本にされ。実験動物として試験場に放たれ。

 およそ人倫にもとる非人道的実験の数々が行われる中、いくつか諸侯の血筋を用いた人工授精卵の代理母実験が実施された。

 

 この実験にヴィンデ男爵家の人間も用いられた。

 天竜人たるフランマリオン家の卵子と神殺しの一つヴィンデ家の精子を人工授精させ、普通人種だけでなく手長族や足長族、巨人族など様々な人種の代理母で試験体を“製造”した。

 

 ヴィンデ家の身体特徴、夜色の髪、暗紫色の瞳、小麦色の肌を持つ試験体達――ヴィンデ・シリーズは“箱庭”に放流、適応変化を観察された。

 大半の試験体が“箱庭”の過酷な環境や無慈悲な社会に為すすべなく命を落としていく中、わずかに生き残った者達が血を繋いだが、こちらも長くはもたなかったようだ。

 

 より露骨に言うならば、野に放たれたモルモットが野ネズミと交配し、雑種を作り出した。

 つまり、ベアトリーゼはヴィンデ・シリーズの現地交雑種。

 

 皮肉なことを言えば、フランマリオンは『天竜人(フランマリオン)の血が確認し得る世代は全滅』と見做し、ヴィンデ・シリーズの観察実験を終了させていたことだろう。

 事実、“青雉”クザンと“大参謀”つるに捕縛されるまで、実験動物の末裔(ベアトリーゼ)の存在はフランマリオンに認識すらされていなかった。

 

 そして、手帳にベアトリーゼの父母についての記載はなかった。“ウィーゼル”もいち個人の出生まで調査していなかったようだ。

 結局のところ、血の原点は色々と分かったが、出生そのものについては不明のままだ。

 

 手帳を読み進めている時、ベアトリーゼは殺害直前のウォーロードが吐いた悪罵を思い出した。

 ――何者でもない雌畜生に名を与え、人にしてやった恩を仇で返すとは……所詮、荒野の禽獣かっ!

 遠からず的を射たものだったわけだ。笑うしかない。

 

 密やかに自虐的な微苦笑をこぼした後、ベアトリーゼは言葉を続ける。

「それと、抗う者達についてだけど……これはまあ、今は然程重要ではない」

 

「ええ」

 ステューシーは大きく頷き、居住まいを正してベアトリーゼを一直線に見据えた。

「手帳を読み込んだうえで……いえ、自身の原点(ルーツ)を知ったうえで貴女の見解を聞きたいわ」

 

 限界まで引き絞ったような緊張感を漂わせるステューシーに訝りつつ、ベアトリーゼはレモンの香りを漂わせる紅茶を口にしてから答えた。

「私という存在は雑種の犬猫と大差ないのかもしれない。品種改良された家畜と違いがないのかもしれない。でも、私がフランマリオンの実験動物(オモチャ)の一匹に過ぎないとしても、私が私の生き方を変える理由にはならない」

 

 前世記憶を持つが故か。蛮地で生まれ育ったゆえの精神的タフネスか。この世界の異物という自覚か。普通なら自己同一性が揺らぎかねない事実を知っても、ベアトリーゼの自我意識は泰然として動じなかった。

 ベアトリーゼは卓上に置いた黒い手帳をこつこつと突き、静かに言葉を編んでいく。

 

「私は私の自由意思で生きる。血の鎖につながれて宿命の奴隷にはならない。

 マリージョアに乗り込んで天竜人を能う限り殺し回る気もないし、愚昧で杜撰な支配を続ける世界政府を打倒する気もない。故郷をフランマリオンの軛から解放するなんてこともしない。

 まあ、今後も政府や海軍に“嫌がらせ”は続けるけれど、それはあくまで、私の彼らに対する嫌悪と悪意からであって、宿命に従う訳じゃない」

 

 突き放すように語るベアトリーゼへ、ステューシーは険しい目つきを向けて尋ねる。

「では、貴女は自らの存在理由(レゾンデートル)を証明する気はないと?」

 

「存在理由の証明? 人生を懸けて叶える大願のようなものを言っているなら、私にそんなものを期待するな。

 私はよりマシな生活が欲しくてウォーロードの飼い犬になり、よりまともな生活がしたくて主と同僚を皆殺しにして海に出た人間だ。手っ取り早く糧と金と刺激が得られるから悪党を標的に暴力を振るう女だぞ」

 

 ベアトリーゼはこの世界の無慈悲さと冷酷さに順応した。

 環境と世界に適応すべく、可能性を放棄して俗悪に染まった。

 

「私にこの世界を変えるような物語を紡げると思う方が間違いだ。そういう大業はこの世界の“登場人物”達がやるべきことで、“異物(イレギュラー)”たる私がやることじゃないし、出来ることでもない」

 

 ベアトリーゼは既に認めている。

 この世界の異物であることを。異質な存在である自身を。

 自らが大きな物語の主人公になりえないことを。

 

 端正な顔にどこか失望を滲ませたステューシーを余所に、ベアトリーゼは窓の外に広がる夕陽の残照と夜闇が溶け合う空を横目にしつつ、静かに言葉を続けた。

「私にこの世界を変える物語は紡げない。私に出来ることは科せられた”小さな物語”を完遂するだけ。

 そのうえで、私はこの世界の”大きな物語”を見届ける」

 

「? 何を言いたいのか、よく分からないのだけれど……?」

 ベアトリーゼは困惑するステューシーへ物憂げな顔を向け、告げた。

 

 

 

「私は次の海賊王の見届け人になる」

 

 

 呆気に取られた金髪碧眼の貴婦人を余所に、蛮姫はくすくすと鈴のように喉を鳴らした。

 我欲を満たす以外に大願も大望も無いのだ。『ワンピース』のいち読者(ファン)として、完結まで読むことが出来なかった大傑作を特等席で見物させてもらう。

 自分の命と人生の使い方は、それで十分だ。

「私はこの世界で最も素晴らしい物語を見届ける。それが私の自由意思の証明であり、私の存在理由。そのために生き、そのために死ぬ」

 

 ステューシーはベアトリーゼの言葉を噛みしめるように瞑目した後、

「貴女“も”強い人なのね」

 どこか哀切と羨望がこもった吐露をこぼした。

 

 ベアトリーゼはステューシーを真っ直ぐ見つめ、質す。

「今度はそっちの番だ」

 

 黒い手帳へ視線を映し、ステューシーは哀惜を滲ませて答えた。まるで懺悔するように。

「私が“ウィーゼル”を殺したのよ」

 

      ○

 

 銀髪翠眼の男“ウィーゼル”。

“箱庭”出身である彼の前半生は分かっていない。元々まともな行政サービスが存在しない土地だ。戸籍も住民登録もへったくれもない。

 ともかく、“箱庭”を飛び出した彼は、海賊王ロジャーが勇名と悪名を轟かせていた海へ身を投じ、海賊として活動を始めたらしい。

 

 ある時、“ウィーゼル”がとある船舶を襲撃し、数人の遺棄奴隷を保護したことで、彼の運命は大きな分岐点を迎えた。

 奇しくも、保護した遺棄奴隷達が天竜人フランマリオン一族の者に棄てられた(オモチャ)達だったのだ。

 

 遺棄奴隷達の口から語られた自身の宿命の一端を知り、“ウィーゼル”は自身の血に秘められた真実を追い始める。

 この世界の暗部とも言うべき真実を。

 

 世界を旅して情報を集め続け、最終的に“ウィーゼル”は無謀な賭けに出た。

 フランマリオンへ自身を実験動物として差し出したのだ。

 

 申し出に対し、フランマリオンは嬉々として“ウィーゼル”を受け入れたという。

『その銀髪翠眼と独特の虹彩形状はパパガイ・シリーズだえ。ヴィンデ・シリーズ以外は生殖能力を与えなかったはず……グフフフ。イレギュラーは新たな知見を得る好機だえ。多少交雑しているけれど、それもまた興味深いえ。グフフフ』

 

“ウィーゼル”は背中に天竜人の奴隷の烙印を押され、ハラワタを引っ掻き回され、頭を弄られた。

 そして、健康と寿命と尊厳を削ぎ落とされながらも幾多の真実を獲得し、あまつさえマリージョアから脱出することにすら成功した。

 

“抗う者達”に接触する可能性を危惧し、フランマリオンと世界政府は即座に“ウィーゼル”の追跡と抹殺を決定。

 狩人はフランマリオンの指名でステューシーが選ばれた。

 

 

 紅茶を口に運び、ステューシーは往時を思い返す。

「予想と異なり、“ウィーゼル”は“抗う者達”に接触しなかった。政府の追跡で”抗う者達”に累が及ぶことを避けたのか、それとも他に何か考えがあったのかは分からない。ともかく、私は彼を安宿の一室に追い詰めた」

 

 あの時のことは今も鮮明に覚えている。

 小汚い安宿の狭い一室。病み衰えた老人のような男は椅子に腰かけたままで抵抗する素振りを見せなかった。だが、ぎらぎらと精気と意思の力に満ちた双眸で睨み返し、恐れることも怯えることもなく堂々と吠えた。

 

 

 ――たとえ俺がフランマリオンの実験動物(ギニーピッグ)だとしても、俺を構成する全てがフランマリオンの狂気と妄念に由来するものであったとしても、その真実を得るために下した全ての選択は俺自身が望んで成し遂げたもの。

 

 こうしてお前に殺されることも、俺が実験動物でもなく自由意思を持った人間だった証明になるだろう。

 

 お前はどうだ? お前は天竜人に隷従する家畜と何が違うっ! 天竜人の走狗であるお前が実験動物に過ぎない俺より人間らしいと言い切れるのかっ!? 

 お前は自身を人間だと証明できるのかっ!!

 

 

 ステューシーは“ウィーゼル”に気圧され、激しく狼狽した。

“ウィーゼル”自身は知らなかったが、“特異な出自”を持つステューシーにとって、“ウィーゼル”の指摘は自己同一性を揺さぶるほどの衝撃だった。

 ゆえに、ステューシーは恐慌状態に陥り、狂ったように“ウィーゼル”の命を奪い、その骸を破壊し尽くした。

 

 我に返り、ステューシーは“ウィーゼル”の私物を検め、“二冊”の手帳を発見。本来なら政府なりフランマリオンなりに提出すべきだったが、隠匿した。

「一冊は貴女に渡した黒い手帳。彼が己を犠牲にして掴み得た事実の記録で、とある人物へ託そうとしていたもの。もう一冊はフランマリオンから逃げ出し、私に殺されるまでの間に書かれた日記のようなもの」

 

 ステューシーは手にしたカップの水面を見つめ、告解するように続ける。

「手記はとりとめのない内容だった。彼の思想や思考、感情、情動、世界観、苦悩や苦悶……彼という人間が記されていたわ」

 澄んだ声色に滲む強い後悔と慚愧。同時に表情と声音から伝わってくるより強い感情。

 それはまるで――慕情のようだった。

 

「分からないな」

 ベアトリーゼは瀟洒な椅子の肘置きを使って頬杖を突き、ステューシーへ冷ややかな眼差しを向けた。

「なぜお前がそこまで“ウィーゼル”を気に掛ける? この手帳もそうだ。なぜフランマリオンに提出するなり、処分するなりしなかった?」

 

「“私も作られた存在だから”よ」

 ステューシーはどこか感傷的な顔つきで応じ、世界政府の最高機密――自身の出自について簡潔に説明した。

 

 20年以上前、MADS時代のドクター・ベガパンクが自称“科学者”にしてロックス海賊団の船員だったミス・バッキンガム・ステューシーの血統因子から製造した世界初のクローン人間。

 

「私には生物学的な父も母もいない。私の出生には男女の愛憎もない。何かの目的や使命を果たすために作られたわけでもない。私は血統因子研究の技術実証のために作られただけ。フランマリオンが私に目を掛けている理由も私が世界最初のクローン人間だからよ。そう、だから……“ウィーゼル”の言葉は私の心を酷く揺さぶったわ」

 

 ステューシーが静かに語った内容は、ベアトリーゼの雑な原作知識に欠片も存在しなかった。ゆえに、ベアトリーゼは純粋な驚愕から呆気にとられ、まじまじと眼前の若々しい貴婦人を見つめる。

「クローンて……待った、20年以上前って言った? ベガパンクが血統因子を発見したのは、たしか20数年前だ。発見と同時期に出産されたとしても、“ウィーゼル”を殺した年頃はまだ幼児だったはず。いろいろ無理があるだろ」

 

「?」ステューシーは不思議そうに「クローンに出産は関係ないでしょう?」

「?」ベアトリーゼは眉をひそめ「複製胚を子宮で成長させる必要があるだろ」

 

「いえ? クローンは培養装置で製造するのよ」

 さらっとステューシーが告げる。

 

「―――――」

 ベアトリーゼは目を点にした後、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

「い、いやそれはそれで別の疑問が生じる。20年前に成人として複製されたなら、その若々しさの説明は?」

 

「私に年齢は意味を成さないわ」

 質問に対し、ステューシーは大きく開いたワンピースの背中から蝙蝠染みた翼を生やす。上犬歯も長く伸びている。

 

「悪魔の実ですか、そうですか」

 両手で顔を覆い、ベアトリーゼは心の底から毒づいた。

「この世界は科学技術や科学的現実の扱いがファジーすぎる! 不条理ってレベルじゃねーぞっ!」

 

「え、と……私は貴女が生命工学の高度な知見を持っていることに驚きなんだけど」

 ステューシーは微苦笑をこぼす。

 

「野蛮人でも学びを得る機会くらいあるさ」

 答える気はないと迂遠に告げ、ベアトリーゼは冷めてしまった紅茶を口に運び、とても大きな慨嘆をこぼした。

「科学バカの作り出したクローン人間が、狂人の作った試験体に親近感を覚え、厚意を抱くと。なんと評すべきか言葉に困るな……」

 

「同族嫌悪よりは良いんじゃないかしら」

 くすくすと品良く喉を鳴らし、ステューシーは紅茶を嗜んでから、

「その黒い手帳は彼が真実を知ろうとするきっかけとなった遺棄奴隷に託すはずだった。貴女と同じヴィンデの血で作られた女性にね」

 黒い手帳を見つめた。

「ただ、その女性は私が見つけ出した時、既に亡くなっていたわ。だから、ヴィンデの血を引く貴女に渡したの。少しでも彼の願いに沿ってあげたくて」

 

 そりゃまた随分とウェットな……

 ベアトリーゼはかすかに疲労感を覚えつつ、踏み込む。

「それで、私に何を求めてる。接触してきたのは同気相求が理由でもないだろ?」

 

「貴女と縁を持ちたかった。これは偽り無き事実よ」

 ステューシーは柔らかく微笑み、すっと表情を引き締めた。

「そして、何にも属さない貴方にお願いしたいことがあった。これも嘘のない本音」

 

「同じ実験動物の誼だ。聞くだけは聞いてやる」とベアトリーゼが頷く。

 

 碧眼の貴婦人は蛮姫の暗紫色の瞳を真っ直ぐ捉え、

「本当は私が秘密裏に保護している人物に会ってもらうだけで良かったのだけれど……問題が生じてね。保護し続けることが難しくなったの。貴女にはその人物を保護し、安全が確保されている場所へ連れて行って欲しいのよ」

「高額賞金首の私に頼みたい辺り、相当なワケアリか」

「ええ。御明察の通りよ。対象の人物はフィッシャー・タイガーのマリージョア襲撃事件時に逃亡した奴隷の一人」

 ベアトリーゼの指摘を肯定して真剣な面持ちで告げた。

 

「フランマリオンの研究に関わっていた奴隷の学者よ」

 

「やれやれ。引き受けない訳にはいかなそうだ」

 三つ編みにした夜色の長髪を弄りながら、ベアトリーゼは疎ましげに息を吐く。

「それで、保護が難しくなった理由は? どんな不味い事態から助け出せって?」

 

 ステューシーは控えめな微苦笑を湛えた。

「“抗う者達”に隠棲先がバレちゃったの」

 




Tips
ステューシー
 原作キャラ。ただし原作本編が当キャラの真相明かし真っ最中のため、実像が本作と異なる可能性大。どうにもならん。

大きな物語と小さな物語。
 リオタールの提唱したポストモダン哲学。
 詳細はいんたーねっつで調べてどうぞ。

ウィーゼル
 オリキャラ。本名不明。名前の由来は銃夢:LOのスーパーハッカ―。
 『己が何者であるか』を知るため、自身の命さえチップに差し出した。その選択の正否と価値は当人にしか分からない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

54:この世はイカレポンチばかり。

佐藤東沙さん、Nullpointさん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。

会話パートが多いと文字数が膨らんじゃう。


「“抗う者達”は実在する。陰謀論の与太話じゃねェ。奴らは“失われた100年”の間に生まれ、数百年に渡って存在し続けている秘密結社だ」

 

 曙光の注ぐ聖地マリージョア。

 荘厳な石畳の通路をコツコツと叩くように歩く白マスクの男が言った。

 

「そいつらの目的は政府を倒すことなのか?」

 隣を歩く長身の手長族の男が相の手を返す。

 

 2人とも衣服を白で統一し、戯画的な仮面で顔を隠していた。

 世界政府諜報機関サイファー・ポール。その中でも天竜人直属の特別部署CP0――通称イージス・ゼロのエージェント達だ。

 

 白マスクの男コードネーム・ゲルニカが右手を上げ、指を立てながら話を続ける。

「世界政府に抗う連中は概ね三種類だ。

 

 一つは自分達だけの独立領を築き、領内で好き勝手に生きるタイプ。古くは北の海の海上軍閥ウールヴヘジン、現在なら新世界にのさばる四皇達などがこれに当たる。

 

 もう一つは世界政府に取って代わろうとする手合いだ。大海賊のロックスやシキが該当する。奴らは世界政府を倒して自らが支配者になろうとした。

 

 最後の一つは世界の在り方を変えようと考える者達。今で言えば、革命軍だな」

 

 ゲルニカは右手をポケットに突っ込んで、

「“抗う者達”は革命軍と同じく、世界政府を倒して世界の在り方を変えようと考えている。だが、そのベクトルは革命軍とは全く異なる」

「……何を企んでるんだ?」

 長身の手長族男コードネーム・ヨセフの問いへ端的に答えた。

 

「全世界規模の混沌だ」

 

「それはまた大仰な」とヨセフが仮面の中で苦笑を漏らす。

 も、ゲルニカはヨセフの反応を無視し、無情動に言葉を編んでいく。

「“抗う者達”は世界政府を完全に解体し、世界を弱肉強食のルールに叩き落とそうと考えている。奴らの言い分だと、諸勢力が食らい合う淘汰の末、生き残った者達の間で秩序と均衡が自然発生する。その状態こそがこの世界の本来の姿、らしい」

 

 ゲルニカの説明に、ヨセフは少し首を傾げた。

「……世界政府がないだけで、今の世界と大差ないのでは?」

 

「大違いだ」

 ヨセフの指摘に首を横に振り、ゲルニカは再び説明を始める。

「世界政府が無くなれば、今のような世界規模で活動する海軍は存続できない。

 つまり、加盟国は海軍に守られなくなる。これまで耐え忍んできた非加盟国の奴らがこぞって反撃に出るだろう。天上金制度が無くなれば、弱小国に甘んじていた連中も力を取り戻し、下剋上を企て始めるだろうな。

 力のある者。賢い者。持つ者。そういう連中以外は滅ぼされるか、隷属させられる。しかし、強い連中も力が弱まれば倒される。まさに混沌の世だ」

 

「なるほど」ヨセフは頷き「だが、知名度が低すぎないか? 物好きの陰謀論以外で耳にしたことがないぞ」

 言外に『諜報機関(サイファー・ポール)の俺でも』と含めるヨセフに、

 

「例によって政府が情報操作で奴らの存在を否定しているからな。

 何より、奴らはまず表舞台に姿を見せない。俺もサイファー・ポールに属してそれなりに経つが、“抗う者達”と実際に遭遇したことはない。

 ただ、奴らの関与が確認できた事件はいくつかある。たとえば、先に挙げたウールヴヘジンも、連中が随分と支援していたそうだ」

 ゲルニカは『直近では南の海のテロ組織ロス・ペプメゴを援助している疑惑がある』と続けた。

 

 連絡通路を渡り切り、下界へ行幸――例によってシャボンディ諸島の奴隷市へ向かう天竜人のロズワード一家が見えた。

 ゲルニカもゆっくりと息を吐き、

「俺達が居る限り、この世界が変わることなどないさ」

 その声色はどこか自分自身へ言い聞かせているような響きがあった。

 

     ○

 

 ラドー島の高級ホテル、スイートルームの寝室。

 タンクトップにボクサーショーツという色気の欠片もない格好で寝ていたベアトリーゼが目を覚ませば。

 隣のベッドで寝ていたはずの金髪碧眼の貴婦人が自分の真横でスヤスヤと安眠している。しかも、スケスケのベビードール姿で。

 挙句にベアトリーゼの左手に指を絡める恋人つなぎまでしていた。

 

 ベアトリーゼは密やかにビビる。

「マジかよ。ベッドに潜り込まれたの気付かなかったぞ」

 

※ ※ ※

 話は昨夜に遡る。

『ラドー島』高級ホテルのレストラン。ドレスコードが設定されているだけに、どのテーブルにも上品なスーツ姿の紳士と高価なドレス姿の淑女しかいない。

 豪勢なディナーを食前酒と赤白のワイン共々にさらっと平らげ終え、蒼いドレス姿のベアトリーゼは食後のデザートを口に運ぶ。ほんのり甘いベリーソースのレアチーズケーキは御馳走に疲れた舌に優しい。

 

「――は? フランマリオンの逃亡奴隷をこの街に匿ってる? 政府直轄領の街に?」

「声が大きいわよ」

 紅いドレス姿のステューシーが眉をひそめる。

「声にスクランブルをかけてるから周囲には聞こえてない」

 プルプルの実を使いこなしている蛮姫は珈琲にミルクを加えつつ、話を押し進める。

「それより、なんだってこの街に隠したのさ」

 

「いろいろ都合が良かったのよ。ここラドー島は政府の直轄領で実質的に政府関係者御用達のリゾートだから、CP0の私が訪れてもそう違和感がない。適当な政府関係者と顔を合わせておけば、歓楽街の実業家という偽装身分(カバー)からも逸脱しない。件の人物の様子を確認し易かったの」

 ステューシーは紅茶を口にして説明を続けた。

「それに、政府直轄領だから海賊やその他も早々やってこない。司直は自分達の足元にお尋ね者が居るなんて想像もしてない。現に、貴女に気付いている人は誰もいないでしょ?」

 

「灯台下暗し、か」

 呆れ顔でレアチーズケーキを平らげ、ベアトリーゼはチーク材製の椅子に体を預けた。

「それで、バレたってなんで分かるの?」

 

「頼もしい“友人”が居るのよ」

“マーケット”で政府の密やかなビジネスを管理している工作管理官を脳裏に浮かべつつ、ステューシーはカップの取っ手を撫でる。なんとも官能的な指使いで。

「もちろん、その友人も“抗う者達”の素性や動向を把握しているわけじゃないわ。彼らは常に深い闇の中に身を潜めているから。稀に動きの一端を掴めるだけよ」

 

「前置きは良い。それで?」眉根を寄せたベアトリーゼが先を促した。

 年齢不詳の貴婦人は澄まし顔で説明を再開する。

「彼はここラドー島行きの運送物に偽装痕跡が見つかったと教えてくれた。私も確認したけれど極めて巧妙な偽装だった。こんなことが出来る組織は”抗う者達”しかいない。

 そして、この島に彼らの注意を惹くものがあるとすれば」

 

「あんたが匿ってる逃亡奴隷、か」

 ベアトリーゼは蒼いドレスに包まれた胸元を抱えるように腕を組み、唸る。

 

 抗う者達ね。

“ウィーゼル”の手記を読んだ限り、ベアトリーゼが彼らに抱いた感想は――

 

 なんか半端にホッブズの『リヴァイアサン』を齧ったような浅はかさを感じる。そりゃ私も蛮族育ちのおかげで暴力的自由主義の無政府主義に気触れてるよ? だからって無分別な世界規模の戦争状態なんて御免被るし、その果てに生じる均衡状態を最善の世界とか思わんわ。

 結論:こいつらにはお近づきになりたくない。

 

 ベアトリーゼは珈琲を口にして気分を切り替え、

「配送物の具体的な中身は?」

「人攫い屋よ。政府直轄領での仕事を請け負うくらい腕の立つ、ね」

 ステューシーの説明に物憂げ顔を歪めつつ尋ねる。

「確認が二点。件の人物を保護したとして高跳びのアシは?」

 

「スーパートビウオライダーを用意してあるわ」と即答するステューシー。「トビウオライダーをサイボーグ化したものよ。貴女は潜水服を着て世経特派員と一緒にシャチに乗っていたんでしょ? 同じ要領で扱えば良いわ」

 

 まずトビウオライダーとは小型種の鯨ほどもあるトビウオで、人間が騎乗して飛空艇のように滑空することが出来るトンデモ生物。これをサイボーグ化し、航行速度と飛翔能力、“燃費”を向上させたものがスーパートビウオライダーだ。もちろん、サイボーグ化技術の出どころは超天才科学者である。

 

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で小さく鼻息をつき、慨嘆をこぼす。

「動物をサイボーグ化する技術があるなら、船舶を完全機械化させりゃ良いのに。技術進化のベクトルが不条理すぎる」

 

「もう一つの確認したいことは?」

 くすくすと上品に喉を鳴らす貴婦人に促され、蛮姫は口を開く。

「私と件の奴隷学者を会わせて何をさせたいの?」

 

「特にないわ」

 ステューシーはあっけらかんと告げ、目を伏せる。紅茶の水面を見つめながら静かに言葉を編む。

「私は“ウィーゼル”のことをずっと引きずってきた。たった一度会っただけの、それも10分と満たない僅かな関わりだったのに」

 ベアトリーゼにも覚えはある。荒事に身を置く者が持つ“自分だけの物語”は、大抵が心の(PTSD)だ。

 

「貴女に彼が遺そうとしたものを伝えることで、私の中にある感情に区切りをつけたい。そう言ったら、迷惑かしら?」

 おずおずと上目遣いに問うステューシーに、ベアトリーゼは物憂げな眼差しを返す。

「肯定はしない。でも、拒絶もしない」

 

「……ありがとう」

 礼を告げるステューシーの微笑みは、ひどく感傷的で妙に官能的だった。

 

 ベアトリーゼは金髪碧眼の貴婦人を見つめて思う。こんなウェットなスパイがいるとは。なんとまぁ可愛いことで。

 冷淡な思考を弄んでいると、

 

「件の人物には明日、引き合わせるわ。それと、シャワーは私が先で良いかしら?」

 軽い口調で告げられたステューシーのセリフに、ベアトリーゼは眉根を寄せた。

「……ひょっとして私の部屋に泊まる気?」

 

 ステューシーはどこかウキウキした様子でにっこり。

「噛んだりしないから大丈夫よ」

 ※ ※ ※

 

 で。一夜明けて目を覚ましてみれば。

 スケスケのベビードールを着たステューシーがベアトリーゼの傍らでスヤスヤ安眠中だったわけだ。

 

 まあ、ベアトリーゼにとって添い寝自体はなんてことない。

 ロビンと共に旅をしていた頃はそれなりに同衾した。もちろんアレやコレといった意味ではない。野営や安宿で寒すぎて眠れない時に互いを湯たんぽ代わりにしたり、悲劇的な過去を持つロビンが悪夢にうなされた時に添い寝してやったり、だ。

 

 先のエレジアでも、妙に懐きだしたウタが『パジャマパーティしよっ!』と言い出し、コヨミと一緒にベアトリーゼのベッドへ潜り込んできた。

 ウタに引っ付かれ、寝相の悪いコヨミに幾度も蹴られ、実に寝苦しかった……

 

 とはいえ。

「昨日今日出会ったばっかで添い寝とか、距離感おかしくない?」ベアトリーゼがぼやけば。

「おかげさまで安眠できたわ」

 起床したステューシーはセクシーなベビードール姿のままサイドボードの水差しを手にし、妖しく微笑みながら二つのグラスへ冷水を注ぐ。

「そうだ。昨日は伝え忘れたのだけれど」

 

 怪訝顔のベアトリーゼにグラスを差し出し、ステューシーはベッドの縁に腰かける。

「仮に“抗う者達”の手配した猟犬達と事を構えるなら、貴女が“血浴”であることをバレないようにしてちょうだい。貴女の代名詞である派手な殺しと腕に装着する刃物は無しね」

 

「……マジで?」

 グラスを口にしようとしていたベアトリーゼが動きを止め、目を瞬かせる。も、ステューシーの返答は無情だった。

「貴女は自分で思っている以上に海軍や政府に危険視されているわ。貴女が政府直轄領から人を連れ出したと判明したら、相当に厄介なことになる。件の奴隷学者を無事に脱出させるためにも、貴女の素性が発覚することは避けて」

 

 手練れ相手に縛りプレイかよ。

 ベアトリーゼはげんなり顔で溜息を吐いた。

 

      ○

 

 政府直轄領ラドー島の大パサージュ。

 昼の強烈な陽光を和らげるガラス天蓋の下、石造りのアールヌーボー調建築物が並ぶ。

 ステューシーとベアトリーゼは個別に通りを進んでいく。前者は『バカンス中の若奥様』のように振る舞い、後者は『休日の女性船乗り』を思わせる様子で。

 

 そして、2人は少しの時間差を設け、人形修理店のドアを潜った。

 然程広くない店内は古いビスクドールが展示陳列され、壁いっぱいに人形の部品――頭や胴や四肢、髪や目や指や球体関節が並んでいる。人間の本能的な不安を刺激する薄気味悪さ。

 

 店主の朴訥とした女性が無言でステューシーとベアトリーゼを店の奥へ案内する。

 休憩室らしい一室へ案内され、2人が提供された紅茶を半分ほど消費した頃、エプロンを掛けた初老男性が入室してきた。

 初老男性は禿頭で痩身中背。髪は側頭部にひょろりと残っているだけ。もっとも体毛そのものが薄いのだろう。眉毛もほとんどなく、髭も剃った様子がない。

 それと、両手と両足に細身のリングを装着している。

「お久しぶりね、ドクトル・リベット」

 ステューシーの笑みにドクトル・リベットは神経質そうな眼差しを返し、ベアトリーゼを睨む。

「そ、その女はだ、だ誰だ? ミミミ、ミス?」吃音症なのか、ドクトルはドモりながら問う。

 

「あら。分からない? 夜色の髪。暗紫色の瞳。小麦肌」とステューシーが指を立てながらからかうように語れば。

「!!」

 ドクトル・リベットはクワッと目を見開き、鼻息を荒くしてベアトリーゼに詰め寄――れない。ベアトリーゼが昂奮したジイ様を容赦なく床へ投げ転がす。

 

「こら」と蛮姫に小さく叱声を掛けるステューシー。

「今のはこのジイ様が悪い」しれっと応じるベアトリーゼ。

 

 ドクトル・リベットは床に転がったままベアトリーゼを凝視し、わなわなと体を震わせていた。

「信じられんまさかヴィンデ・シリーズがまだ生き残っていたとは観察を打ち切られた段階でほとんどの血統が断絶していたのにくそっこんなことなら観察継続しておけば!!」

 物凄く早口の独り言。ドモりが消えている。

「いったい何ロットめの血筋だ?開始個体のナンバーは?交雑して何世代目だ?身体検査だ!採血して血統因子も調べなければならんそれに体細胞サンプルの採取もふぉおおおお滾ってきた!!」

 

「……なあ」蛮姫は金髪碧眼の貴婦人を横目に捉え「こいつ、本当に奴隷だったの? どうも私の想像と違う気がするんだけど?」

「ドクトル・リベットは奴隷と言っても、実質的にはフランマリオンの御雇学者よ。ドクトルがフィッシャー・タイガーの襲撃時に逃亡したのも他の奴隷達に殺されかけたから」

「恨まれる側かよ」ベアトリーゼは溜息をこぼし「保護は保護でも保護拘置か」

「その通りよ。この建物から逃亡したら手足のリングが、ぼん!」くすくすと上品に喉を鳴らすステューシー。意地悪な笑顔が妙にエロい。

 

「さぁ早く身体検査をさせてくれっ!隅々まで毛先から爪先までいや体や頭蓋の中まで!」

「ふざけんな」

 這いずり寄ってきたドクトル・リベットを踏みつけ、ベアトリーゼは鼻息をつく。

「この変態科学者から何を聞けと?」

 

「ドクトル」ステューシーはベアトリーゼの足の下でもがく初老学者へ「とりあえずは“ウィーゼル”のことを話してあげて」

「し、しし試験体ぴ、PP117号のここ、ことかね?」

 ドクトル・リベットは冷や水を浴びせられたように大人しくなり、吃音が復活する。ベアトリーゼが足を除けると、ゆっくりと立ち上がってテーブルに着いた。

 

「ぴ、PP117号はじ、実に有益なし、試験体だった。か、かか彼はは、覇気が使えたからな。は覇気使いの試験体はひ、非常に稀有なのだ」

「私は覇気使いで能力者だけど?」ベアトリーゼが何気なしに言えば。

「!何だと!?能力者だと!?ああああなんということを悪魔の実を摂取してしまったのか!せっかく貴重な試験体になりえたのにそれでは台無しだ!!あんなものに“汚染”されては超人類(ウーバーメンシュ)足りえないっ!!」

 ドクトルは早口でまくし立てながら禿頭を引っ掻き回す。剥き出しの頭皮に爪痕がいくつも残った。

「貴重な試験体になりえる存在の自覚が足りん!悪魔の実などという非科学的物体を取り込み人間本来が持ちえる可能性を汚している!嘆かわしいにも程がある!!」

 

「知らねーよ、お前の都合なんか」

 ベアトリーゼは早くもドクトルの扱いが雑になり始めていた。

 そんなベアトリーゼの思考を察したのか、ステューシーが一人憤慨しているドクトルに冷たい目つきを向ける。

「ドクトル。この子はちょっと気が荒いの。あまり脇道に逸れたことばかり言っていると、そろそろ手が出るわよ」

 

「む。わわ分かった、分かったよミス」

 大きく深呼吸し、ドクトル・リベットは低い鼻を弄りながら話し始める。

「PPい、い117は自身のる、ルーツと出生のひみ、秘密を知りたくて、フフランマリオン聖のし、試験体に志願した。かか彼は我々のは覇気研究におお大いに役立った。

 だだが、どどどういう訳か、わ我々の許から逃亡しししてしまった。り、理解できない。人類の進化にこ貢献する栄をほほ放棄するなど……おそらくげげ下賤の血が混ざり過ぎてしまったのだろう。ざざ残念なことだ」

 

「“ウィーゼル”はルーツと出生の真実を知ったから逃げたんだろ」とベアトリーゼは胡散臭そうに合いの手を打つ。

「そ、そそれは違う。ぴPP117号は確かに多くのことを知った。じじ自身がパパガイ子爵家の血を用いられたしし試験体の現地交雑体であることも、父祖がか過酷な環境下におけるて適応力と進化の可能性を探るべく“箱庭”に放流されたことも、た確かに知った。しかし、すす全てではない」

「? どういう意味だ?」嫌な予感を抱きつつベアトリーゼが先を促す。

 

「わ、我々はぴPP117号の覇気使用能力をけけ検証するため、は覇気を使用できる試験体の製造を試みた。覇気使いだったかか彼の血をベースに」

 がりがりと毛の薄い側頭部を掻きながらドクトルは続けた。

「ざ残念ながら、いいいずれの試験体も覇気をはは発現できなかった。ど、どのような身体的、精神的な強度刺激を加えても。まままだまだ未解明な部分が多すぎたんだ」

 

「強度刺激? 物は言いようだな。要は拷問と虐待だろう」ベアトリーゼは吐き捨ててから「……“これ”を許容したのか」

「いいえ」

 ステューシーは冷たい目つきで真実の一端を明かす。

「フィッシャー・タイガーの聖地襲撃事件時、フランマリオンの研究所(ラボ)を襲ってPP117号シリーズの実験を破壊した本当の犯人は、騒ぎに便乗した私だもの」

 

“ウィーゼル”に強くウェットな思い入れを抱くステューシーには、“ウィーゼル”のクローンや培養児を製造して非人道的実験に用いるなどという行為を、到底許容できなかった。

 フィッシャー・タイガーの犯行を奇貨に、ステューシーはフランマリオンの研究所を襲い、“ウィーゼル”のサンプルを全て破壊/破棄している。

 

「! なんだとっ!?」初耳だったらしいドクトル・リベットは憤慨し「あのラボ襲撃のせいで私は実験動物(他の奴隷)達に襲われ、逃げ出す羽目になったのだぞっ!?」

 

「だから何? それがどうしたの?」

「なな、なんでもないです……」

 CP0の女スパイが碧眼に凄みを湛えて睨みつければ、ドクトルはさっと目を背けて怒りを鎮火させた。

「そ、そそれで訪問の目的は何なのだ? そそそこのヴィンデ・シリーズにPP117号の話を聞かせに来ただけなのか?」

 

「本当は“ウィーゼル”やヴィンデ・シリーズに関わる話を、彼女に聞かせるだけで良かったのだけれどね」

 ステューシーはあっけらかんと告げた。

「ドクトル。貴方のことが“抗う者達”にバレちゃったの。だから貴方をこの島から移送するわ」

 

「なん……だと……」口を大きく開けて唖然とするドクトル・リベット。

 そんなドクトルを無視し、ステューシーは綺麗な顔をベアトリーゼへ向けた。

「まあ、分かったと思うけれど、この人に一般的な倫理や道徳は期待しないで。いろいろ不愉快で不快で殺したくなると思うけれど、我慢してね」

 

 ベアトリーゼは端正な物憂げ顔を物凄く嫌そうに歪めていた。

 




Tips
CP0:ゲルニカ
 原作キャラ。ワノ国編でルフィとカイドウの決闘に横槍を入れた奴。
 CP0でも極めて有能な『特級エージェント』らしいので、物知りさん扱い。

CP0:ヨセフ
 原作キャラ。ワノ国編で鬼ヶ島から脱出した奴。
 ゲルニカから説明を聞く役に。

ステューシー。
 原作キャラ。
 本作ではオリキャラとの接触で、クローンとしての出自に苦悩を抱いていることに改変。
 似たような出自のお友達が出来て、年甲斐なくはしゃぎ気味。

ドクトル・リベット。
 オリキャラ。元ネタは銃夢LOのDrリベット。発狂済みの狂科学者でノヴァの狂信者。
 原作でも本作でも彼の本質は『許されざる者』。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

55:ラン! ベアトリーゼ、ラン!

遅くなりました。

佐藤東沙さん、キャンディさん、烏瑠さん、麻婆餃子さん、誤字報告ありがとうございます。

4/2:TIPSにちょっと追加。本編に変更なし


 夕陽が巨大なガラス天蓋を通じてパサージュ内に注がれる。

 通りや軒先のアーク灯やガス灯がぽつぽつと目を覚まし始め、観光客達の往来も飲食店が多い辺りへ移っていく。

 

 人形店の上階――居住階となっている一室で、ベアトリーゼは支度を進めていた。

 本来なら目立たぬよう人混みに紛れて高跳びすることが理想だが、見聞色の覇気が既に建物周辺におっかない連中の展開を捕捉していた。

 

「監視と通信に3人。武装したツーバイツーが3個で15人。政府直轄領にそれだけ兵隊を送り込むとは」

「ドクトルの知識にはその価値があるからね。やる以上、向こうも本気よ」

 暢気に微笑むステューシーに、ベアトリーゼは物憂げ顔で嘆息を返す。

「気楽に言ってくれる」

 

 本気の連中相手に、“血浴”であることをバレる戦い方は禁止。つまり、我流機甲術は使用不可で、悪魔の実の能力は不可視・不可聴の催眠音波や三半規管を痛めつける高周波ぐらいしか使えない。

 畢竟。荒事になれば、銃とヤッパを使ってのドンパチ・チャンバラになる。

 

 まあ、それは良いとして、

「本当にこの格好が必要なの……?」

 ベアトリーゼはげんなり顔で自分の格好を見回す。

 

 身体の線にピッタリ沿ったロングスリープ・ハーフのウェットスーツ。平たく言えば、競泳水着に長袖を加えたような代物。あるいは脚部だけないウェットスーツ。これに脱着の易いサイドストラップのニーハイブーツ。

 この格好でパサージュから高跳びのアシがあるヨットハーバーまで行けと?

 不審者じゃん。

 

「ヨットハーバーでいちいち着替えてる余裕はないでしょう? 少なくとも、その恰好なら現地に到着してブーツを脱ぐだけで潜水服を着られるわ」

「それなら普通のウェットスーツを」

 ステューシーは澄まし顔で応じ、なおも渋面を崩さないベアトリーゼへ悪戯っぽく口端を和らげた。

「その恰好が嫌なら、あとはビキニ――」

 

「これで良いです」

 美貌を台無しにする渋面を作りつつ、ベアトリーゼは水着(ウェットスーツ)の上に、店主の中年女性が用意した装備一式を身に着けていく。

 

 長い脚を包むニーハイブーツの両足首に小型ナイフを隠し。くびれた腰に装具ベルトを巻き、ホルスターに拳銃とナイフを挿す。Fカップの胸元をプレートキャリアで覆い、パウチにカートリッジ式弾薬を詰める。

 ダマスカスブレードとスケッチブック他を詰めた小振りなバックパックを背負う。

 

 ステューシーは大きな胸を包むように腕を組み、支度を進めるベアトリーゼに“計画”を説明していく。

「島を脱出後、ログポースが示す通りにカームベルトを突っ切って東の海へ向かって。スーパートビウオライダーならカームベルトを問題なく越えられるから、最短で東の海に入れるわ。東の海にある目的地に着いたら、ドクトルと交換でアラバスタ行きのエターナルポースを渡す。ドクトルを途中で棄てないようにね」

 

「ちゃんと連れて行くよ」

 ベアトリーゼは用意されたカートリッジ式の連発騎兵銃(カービン)を手にし、スリングで右脇に吊るした。最後に筒形フェイスマスクで目元から首元まで覆い隠す。

 武装した不審者の完成。

「じい様の支度は?」

 

「トランクケース一つ分にまとめろと言ったら、持っていく資料に頭を悩ませてるみたい」

 微苦笑を湛えたステューシーはベアトリーゼの後ろに回り、癖の強い夜色の長髪を編み直し始め、

「ケアが足りてないわね。綺麗な髪なのにもったいない」

 小さく肩を竦めるベアトリーゼの髪を三つ編み団子にしながら、尋ねた。

「アラバスタに行ってニコ・ロビンと合流したら、 “失われた100年”を追うつもり?」

 

「そのつもりだよ」蛮姫は即答し「約束は守る性質なんでね」

「……それ、海賊王の見届け人になるという貴女の生き方と折り合いがつくの?」

 金髪碧眼の貴婦人が重ねた問いに、

「もちろん」

 蛮姫は不敵な微笑みを返す。

「ロビンが選んだ者が海賊王になるからね」

 

 絶対の確信がこもった返答に、ステューシーは少しばかり困惑する。

「それはどういう――」

 

「で、でで出来たぞ。ここれでよかろう?」

 と、そこへくたびれ顔のドクトル・リベットが現れた。

 平凡な全身ウェットスーツ姿でデカいトランクケースを抱えており、眉の無い双眸が半べそ気味。

「ぅう……ままマリージョアを離れて以来、かか重ねてきた研究のしし資料や成果の多くをこんなか形で置き去りにせねばならんとは……」

 

「貴方が残していく資料はベガパンクの許へ送るから、無駄にはならないわ」

 ステューシーがさらっと告げると、ドクトルは眉目を吊り上げ、吃音症を投げ捨てた。

「ベガパンクだと!?ダメだダメだダメだ!!悪魔の実頼りの分際で天才を自称して恥じない男に私の研究成果を委ねるなど冗談ではない!」

 

「悪魔の実頼りだとしても、貴方よりずっと優秀なことは事実でしょ」

「!!ぐぅうううう悔しいいいっ!あんなインチキ野郎に劣るという評価!屈辱だ恥辱だ侮辱だ許せない!!私だって脳ミソを拡張できればあんな奴に負けないのにぃいいいっ!」

 床に崩れ落ちて慟哭するドクトル・リベットを余所に、ステューシーは髪を結い終えたベアトリーゼへ向き直る。

「ドクトルは放っておいて脱出の打ち合わせを詰めましょう」

 

 ベアトリーゼはマイペースな年齢不詳の美女と慟哭を続ける老科学者を交互に窺い、思う。

 こんな調子で鉄火場に臨むの?

 

       ○

 そして――

 夜の帳が降りていく空。朱に焼ける水平線。夜闇と残照が混ざり合う逢魔が時。

 裏路地に接する人形店の住居玄関兼店舗裏口に4人の男達が近づいていく。男達はいずれも平凡な装いで、上着の懐に拳銃を下げている。リーダー格の四十路は拘束用の縄やら錠やらを詰めた鞄を担いでいた。

 

 4人の男達は人形店の裏口前に立ち、リーダー格の男が子電伝虫に吹き込む。

「こちらグリヤーダン。準備良し」

『シェフよりグリヤーダン。“年寄り鴨(ビュー・カナール)”を確保しろ』

 濁声で作戦開始が命じられ、男達は動きだす。

 

 バールで素早く鍵を抉じ開け、男達は蛇のように屋内へ侵入していく。懐から抜いた拳銃を構え、油断なく地階と店内を捜索。人影無し。

 男達は地階を捜索後、退路確保として1名が裏口前に残り、3人が上階へ向かって階段を上っていく。古びた階段がぎしりと鳴る。

 先頭の男が居住階出入り口のドアノブを回した、刹那。

 

 

 どかーん!

 

 

 人形店の窓という窓が吹き飛び、真っ赤な爆炎と粉塵混じりの爆風が噴出した。超ムキムキマッチョのロバと馬車がガラス片に薙ぎ倒される。

 爆発の衝撃波と音圧に近隣店舗も窓ガラスが割れ、パサージュの分厚いガラス天蓋すら震わせる。突如発生した爆発音に往来の人々が悲鳴と吃驚を上げて不安顔を浮かべた。

 

 爆発騒ぎが夕闇時のパサージュに広がっていく中、電伝虫の念波通信が密やかに飛び交う。

『アボイエよりシェフ。グリヤーダンの観測反応が途絶しました。パティシエは全滅を推定しています』

『こちらシェフ。アボイエ、グリヤーダンより“(カナール)”だ。どこにいる?』

『シェフ。パティシエは“鴨”が地下水道をヨットハーバーへ向けて移動中と推定しました。鴨の傍に“(シャー)”が一匹。猫が“女悪魔(ディアブレス)”かは不明。また保安官事務所に通報有り。一個分隊の出動確認。現着まで7分』

『こちらシェフ。ポワソニエ、“鴨”を追って地下水道へ入れ。レギュミール。ヨットハーバーから地下水道に入り、ポワソニエと挟撃だ』

『ポワソニエ、了解』

『レギュミール、了解』

 

 そんな電伝虫の交信を小柄な黒電伝虫で盗聴傍受し、

「完全に食いついたわね」

 人形店から少し離れたところの暗がりの中で、ステューシーは端正な顔に氷の微笑を湛えた。

 

「……マダム。ドクトルの資料は押収してベガパンクへ届けるのでは?」

 人形店の店主を務めていた中年女性が炎上中の店舗を横目に問えば、

 

「あら。そんなこと言ったかしら?」

 ステューシーはすまし顔で嘯き、踵を返した。コツコツと石畳を叩くように裏路地を進み始めた。

「想定より襲撃の規模が大きい。彼女が間に合ってくれて幸運だったわ。私が連中の相手をせずに済んだ。これで安全に進められる」

 

 最上級諜報機関CP0のエージェントにして闇の帝王達に連なる『歓楽街の女王』ステューシーはプロ中のプロだ。気に掛けているヴィンデ・シリーズの関係者(ベアトリーゼ)“よりも”、長く保護していた重要人物(ドクトル・リベット)“よりも”、優先すべきものを間違えない。

 金髪碧眼の貴婦人は部下を連れてパサージュの夜闇に溶けていく。

 彼女達の動向に気付けた者は誰もいなかった。

 

       ○

 

 煌びやかなパサージュの地下水道は鼠やゴキブリ達の糞尿に流入したゴミや汚物、それにカビと腐敗と様々な悪臭に満ちている。照明器具は一切ないものの、ところどころにある排水口から地上の明かりが弱弱しく差し込んでいた。

 

 悪臭が染みついた濃密な湿気を掻き分け、ベアトリーゼはカンテラを構えながら点検歩道を駆ける。全力疾走ならヨットハーバー傍の出口まですぐなのだが、運動不足の年寄りが一緒ではそれも叶わない。

 

 と、背後から人形店が爆発した残響が届き、

「あああ、あのあアマァッ! わわわ私のせ成果をふふ吹き飛ばしおってェっ!!!」

 地下空間に罵声を響かせるドクトル・リベットを余所に、ベアトリーゼは舌打ちした。爆破は“ビックリ箱”の域を出ている。現に見聞色の覇気で窺う限り、“敵”はこちらへ全力を注いでいた。

 

 ウォーロードの飼い犬時代に経験したパターンだと、これは“囮”にされた可能性が高い。

 だが、要人はこちらが引き受けている。最重要資料も要人の手荷物の中。

 

 ――となれば、まだ隠し事があったわけだ。これだからスパイって奴は。

 苛立ちを覚えるも、然程怒りを抱かない。ベアトリーゼとて自身の敗北や捕縛“よりも”ロビンの脱出を優先させたクチだ。ステューシーのやり口は理解できる。

 

 ――再会したら一発殴らせてもらおう。

 理解できるが、納得は別だ。なんせベアトリーゼにとってステューシーは仲間でも友人でもない。昨日今日知り合った政府の犬だ。

 

「ぶつくさ文句言ってないで急げ、ドクトル。追いつかれたらもっと面倒なことになるぞ」

「なな長年軟禁されてててきたうう運動不足の老人にむむ無理を言うなっ! ぅう! かかつてはせ世界最先端の研究をしてきた私が、ここんな鼠同然の――これも全てああの汚らわしい魚人のせいだ!」

 

 ぶー垂れる老人を伴って走りながら、ベアトリーゼは見聞色の覇気を放って探り続けていた。

 パサージュ方面からツーバイツー。ヨットハーバー方面からツーバイツー。迷宮染みた地下水道内で的確にこちらへ迫ってくる。

 

 ――えらく耳目の利く奴が居るな。でも見聞色の覇気を飛ばしてないようだし、私の見聞色の効力圏に引っ掛からない。能力者か装備か?

 まぁいい。待ち伏せではなく挟撃を仕掛けてくるなら、さっさと返り討ちにしよう。

 

 ベアトリーゼは不意に足を止め、

「ドクトル」

「なな、なんだ?」

 汗だく顔で訝るドクトル・リベットへ無情動に命じた。

「そこの角に隠れて耳を塞いでろ」

 

 カンテラの火を消し、ベアトリーゼはプルプルの実の力を使って奏で始める。

 悪夢へ誘う不可聴の音色を。

 

       ○

 

 コールサイン:ポワソニエとヨットハーバー側から進んでくるコールサイン:レギュミール、両班8名の狩人は“年寄り鴨”を挟撃するべく、地下水道を駆けていて、

 

 ――ィイン。

 

 耳鳴りを認識した瞬間、彼らは白昼夢の世界に引きずり込まれた。

 この世で一番怖いもの。この世で一番嫌いなもの。辛すぎて記憶の一番奥に封印してしまった記憶。苦しすぎて思い出したくない心の傷。

 彼らの意識は悪夢に囚われ、武器を落としてその場に崩れ落ちる。

 

 頭を抱えてうずくまり、誰かに謝罪し続ける者。自己嫌悪に満ちた懺悔を繰り返す者。気が狂ったように体を掻き毟り続ける者。茫然と虚空を見つめ続ける者。

 

 悪夢によって身動きが取れなくなった彼らへ銃口が向けられ、地下水道の暗闇に鋭い発砲光が煌めき、乾いた銃声が轟き渡る。

 弾丸が動けぬ者達に次々と命中し、彼らはぬめった地下水道の石畳へ斃れていった。

 

 ベアトリーゼはカートリッジ式弾薬を再装填しつつ、撃ち倒した者達の許へ歩み寄る。8人の追跡者達のうち3人ほどまだ生きていた。生き残りからこちらの情報が渡ってもつまらないため、頭へ一発ずつ打ち込んでとどめを刺す。

 

 始末した追跡者達を手早く検分。隊長格らしき2人の男から子電伝虫を回収し、ドクトルの許へ戻りながら、通信を試みる振りをして催眠音波を送り込む。

 

 顔を覆うフェイスマスク中で、ベアトリーゼはうーむと唸った。

「なんかヌルい……ヌルくない?」

 

 

 

 

 グリヤーダン、ポワソニエ、レギュミールの現場要員3班は連絡が途絶え、“特注”の観測員パティシエを含めた観測班(アボイエ)も連絡が取れない。

 

 ――全滅。

 不吉極まる単語が脳裏をよぎった直後、“シェフ”は拳銃をズボンに差して部屋を飛び出した。

 本来ならまずは依頼人に連絡を取るべきだったが、この商売が長い“シェフ”は何をおいてもフェールセーフを優先。足早に表通りへ向かう。

 

 その治安の良さから、パサージュは夜を迎えても飲食店区画を中心に人通りが少なくない。加えて、爆発延焼中の人形店周辺が消防と野次馬でごった返していた。

 

 そんな夜の賑わいに紛れながら、“シェフ”は必死に考える。

 依頼人からCP0の女諜報員やラドー島当局と交戦する可能性は聞かされていた。だからこそ実戦経験が豊富な人員を二個分隊も揃え、“特注”の者まで用意したのだ。如何に相手が政府諜報機関や海軍の精鋭だろうと、視認や交戦報告すら出来ずに撃破されるなど――ましてや現場から離れた場所にいる観測班まで潰されることはありえなかった。

 

 おそらく、“女悪魔(ディアブレス)”――CP0の女諜報員は手札を用意したのだろう。それもとびきりヤバい鬼札を。

 いや、もしかしたらハメられたのか? 俺達は何かの露払いにして――

 

 どん。と酔っ払いのオヤジとぶつかった刹那。

「逃げちゃあいかんヨ」

 

 どすり。

 

 嘲りの言葉と胸に走る痛みを知覚した直後、“シェフ”の意識は永久に途絶え、煉瓦タイル敷の道路に崩れ落ちる。

 刺突孔があまりに小さく深いため出血が体内に留まっていた。そのため、往来の人々は酔っ払いが転倒したと思って放置していたが、

 

「おい。大丈夫かい?」

 お人好し達が様子を窺い――

「し、死んでるぅーっ!」「きゃああああっ!?」

 騒ぎに背を向けて酔っ払いオヤジが去っていく。“シェフ”の心臓を一突きした細長いダガーナイフを懐に隠して。

 

     ○

 

 夜のラドー島パサージュが火事と人死で騒がしい中、ヨットハーバーの付近は静謐だった。

 

 ヨットハーバー付近の小路。

 マンホールが静かに外され、穴っぽこから夜色髪の美女が頭を出す。

 

 地表に出てしまったモグラのように周囲を見回してから、ベアトリーゼはマンホールを出て周囲を警戒しつつ、マンホールへ告げた。地下水道を走り回ったせいか尻が食いこみ気味のウェットスーツを直したいが、今は仕事に集中すべし。

 

「良いぞ、ドクトル。出てこい」

「まま待ってくれ。トトランクがひひ引っ掛かって」ひーひー言いながらドクトル・リベットがマンホールから這い出てきた。

 歳のせいか運動不足のせいか万事の動きが鈍いドクトルに眉をひそめつつ、ベアトリーゼは油断なく警戒を続ける。

 

 星月夜の潮騒に海鳥達の歌は混じらない。カビと鼠の糞尿の臭いに塗れた地下水道と違い、ヨットハーバー付近は新鮮な潮の香りとほんの少しの生臭さが漂っている。

 泊地には桟橋に沿って瀟洒なヨットや豪華なクルーザーが幾隻も並んでおり、周辺施設――煉瓦造りの洒落たヨットハウス、揚降クレーンと修理工場、陸上保管場、船具庫に人の気配はない。防波堤やプロムナードの辺りで夜釣りをしている物好きがちらほらいるが……

 

 待ち伏せはいない。少なくとも探知範囲には。

 

「すす少しくらいて手伝ったらどどうなのだね」

 ドクトル・リベットが毒づきながら大きなトランクケースをマンホールから引っ張り出した。

 

 刹那。

 ベアトリーゼがドクトルを抱えて横っ飛びする。直後、プロムナードの辺りから発砲光が煌めき、連射音がつんざく。

 

「ほぁああっ!?」

 事態を認識したドクトル・リベットが悲鳴を上げ、次いで、弾丸の嵐が吹き荒れた。弾丸が石畳で跳ねて火花が踊り、粉塵が舞い上がり、削られた石片が飛散する。

 

 弾幕に追い立てられるように、ベアトリーゼはドクトル・リベットを抱えたまま街路樹の陰へ身を隠す。直後に『見えているぞ』と告げるように再び弾丸が飛来し、街路樹の枝が撃ち落とされた。

 

「ひぃっ!! お、おおおい、だだ大丈夫ななななんだろうな?!」怯えているためか吃音症がいっそう酷くなっているドクトルを無視し、ベアトリーゼは状況の把握に努めた。

 

 プロムナードから約3、400メートル。当てることも出来たのに“わざと”外した。しかし、問題は銃撃の意図より見聞色の覇気による捜索哨戒を潜られたことにある。敵の隠蔽潜伏能力がかなり高い。

 地下水道で始末した奴らは”餌”で、こいつらが本命だろう、とベアトリーゼは当たりをつけた。

 

 弓手のプロムナードから厳つい機関銃を腰溜めに抱えた大きな影が二つ現れ、次いで、馬手のヨットハウスの陰からも一組の大きな影が現れた。やはり銃を構えている。

 

「まあ、そう来るわな」

 金床と鉄槌――正面拘束と側面機動打撃の戦術は戦略規模から歩兵戦闘まで応用できる古典的な基本戦術だ。古典的かつ基本的なだけに確実性が極めて高い。

 

 街路樹の陰から動こうとすれば、牽制射で射竦められる。かといって動かなければ向こうの好き放題にされてしまう。

 無論、ベアトリーゼの卓越した身体能力とプルプルの実を用いた超人的機動力を発揮すれば、この状況を脱することは容易い。が、素性が露見すると後々面倒臭くなってしまうし、御荷物(ドクトル)がいる。あまり無茶は出来ない。

 

 それに――

 迫ってくる二組の影。どちらも全身黒づくめで頭を不気味(ガッポイ)なマスクで覆っているが、影の姿形が些かおかしい。

 

 プロムナードから迫るツーマンセルは身長2メートル前後。後ろ首辺りにヒレらしき突起物があって、魚人っぽい。

 

 ヨットハウスから迫るツーマンセルは身長3メートル前後。こちらは手足が異様に長く、腕に至っては肘関節が“二つ”あった。

 

 何より、この四人の敵は感情が酷く乏しいというか、人間味が薄いというか……猛烈に不穏な気配がする。

 ベアトリーゼはフェイスマスクの中で小さく毒づいた。

「厄介なことになってきたな」

 




Tips
ハーフウェットスーツ。
 袖付き競泳水着か脚部だけないウェットスーツか。実在する。

やられ役の皆さん
 シェフ:指揮官――刺されて死亡。
 グリヤーダン:現場班A――吹き飛ばされて全滅
 ポワソニエ:現場班B――撃たれて全滅
 レギュミール:現場班C――撃たれて全滅
 アボイエ:監視・通信班――催眠音波を拾って無力化
 パティシエ:特殊監視員――催眠音波を拾って無力化

黒づくめ達。
 ガッポイなマスク
 SF系FPSの古典的名作ハーフライフに登場するコンバイン兵みたいなマスクってこと。

 詳細は次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

56:夜の鬼ごっこは命懸け

拾骨さん、烏瑠さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 海軍ラドー島防衛隊は田舎警察署のようなものであり、もっぱら近海の海難事故に対処する以外に目立った仕事がない。たまーに政府直轄領へ喧嘩を吹っ掛けてくる海賊(アホ)が現れるが、島内各地の設置された沿岸砲台で上陸される前にぶち殺せる(沿岸砲台は艦船に対して極めて有利。なんせ沈まない)。

 

 そんな緊張感に欠ける日々を送っているラドー島防衛隊であるが、退屈な日々を過ごしているからこそ、出番があると猛烈に張り切る。使命感や義務感をぎらつかせ、戦意と闘志を燃やし、日々の鬱憤を晴らさんばかりに奮戦敢闘するのだ。

 

 当然、ヨットハーバーの銃撃戦が通報されるやいなや、防衛隊司令は隷下部隊をすぐさま出動させた。

「島民の皆様の御宸襟を騒がせる不埒者共を速やかかつ果敢に撃滅せよっ! 何より――このヤマを保安官事務所に奪われるなッ!! 海軍魂ィイイッ!!」

『海軍魂ィイイイイッ!!』

 

 かくして、完全武装の海兵一個小隊がヨットハーバーへ即応出動。

 さらにラドー島防衛隊泊地から沿岸警備艇――全長十数メートルの二本マスト帆走艇で舷側重機関銃に加え、前甲板に回転砲架式速射砲を搭載したバムケッチが緊急出撃。

 海軍の皆さんはやる気満々。殺る気も満々だ。

 

     ○

 

 ヨットハーバーに銃声が轟き続け、夜の静寂が引き裂かれている。

 牽制射に頭を押さえられ、両翼から不気味(コンバイン兵)なマスクの黒づくめ達が迫る中、

「ドクトル。荷物をしっかり抱えとけ」

 街路樹の陰に身を潜めるベアトリーゼは怯えているドクトル・リベットへ告げ、胸に巻いたプレートキャリアのパウチから閃光弾を取り出す。安全ピンを引っこ抜き、空へ放り投げた。

 

 轟音と共に強烈な閃光が夜闇を吹き飛ばす。

 その瞬間を逃さず、ベアトリーゼはドクトルを左脇に抱えて街路樹の陰を飛び出した。

 黒づくめ達が発砲してくるが、射撃精度は先ほどより随分と甘い。夜闇に慣れていたところへ浴びせた閃光が効いたらしい。

 

「ひぃああああああああああああああっ!?」

 ドクトルの裏返り気味な悲鳴と鋭い銃声がヨットハーバーに響く。

黒づくめ達のばら撒く弾丸の風切り音と擦過の衝撃を肌に感じながら、ベアトリーゼは右手だけで騎兵銃を構えて反撃の牽制射を撃つ。

 

 向こうも発砲しながら、弾丸を掻い潜るように素早い移動を繰り返し始めた。

 プロムナードのツーマンセルへ発砲している間に、ヨットハウスのツーマンセルが一気に距離を詰めてくる。胴に対し、長い腕は肘関節が2つあり、足も大腿部がやけに長い“手長足長”共。

 

 ベアトリーゼが素早く牽制射を放つ。が、3メートル級の図体を持つ“手長足長”共は被弾を物ともせず前進してくる。

 加えて、どちらも不可聴域の催眠音波が通じていない。耳栓でもしているのか。

 

 ――手強い。こいつらが本命の狩人か。

 ヨットやクルーザーが並ぶ泊地へ向かいたいが、こいつらを引き剥がさないことには厳しい。次善案の陸上保管場を目指して激走する。

 

「ぎゃああああああっ!? 死むむぅぅうっ!? しし死んでしまうぅっ!!」

 左脇に抱えたドクトル・リベットが悲鳴を上げ続けていたが完全に無視。両翼から迫る黒づくめ達へ牽制射を繰り返し、黒づくめ達の銃撃を紙一重で逃れながら、走る。走る。走る。ひたすらに走る。

 陸に揚げられた舟艇が並ぶ陸上保管場まであと10メートル。8メートル。5メートル。2メートル。1メートル。

 

 聴覚が風切り音を捉えると同時に、

「――やべっ!」

 咄嗟に武装色の覇気をまとった刹那。ベアトリーゼの側頭部に強烈な衝撃が走った。

 

「ぅぎっ?!」

 着弾衝撃で上体が強制的に仰け反らせられるも、激走の慣性でベアトリーゼは舟艇の間へ飛び込むように倒れ込んだ。ドクトル・リベットは左脇からすっぽ抜けるように投げ出され、

「のわあああああああああああああっ!?」

 悲鳴と共に陸上保管場を転がっていく。

 

 黒づくめ達は速度を落とし、銃の弾薬を再装填しながら陸上保管場へ向けて進む。そこには油断や緊張といった人間味が一切存在しない。

 

「ぃ……ったいな、クソッ!」

 ベアトリーゼは側頭部を押さえながら覆面を引き下げ、胃液混じりの唾を吐き捨てた。間一髪で武装色の覇気をまとうことに成功したが、頭に鉛玉を叩きこまれては無事で済まない。

 手酷い頭痛と込み上がる嘔吐感を堪えつつ身を起こし、少し先でケツを空に向けてひっくり返ったドクトルの許へ駆け寄る。

 

「ききき君は私の護衛だろう!!もっとしっかり安全に私を護って」

 吃音症を忘れてなじってくるドクトルの襟首を引っ掴み、ゴミ袋のように引きずりながら舟艇の間を走る。

「ぎゃああああああ!? 私の尻が擦れてるっ! 尻が擦れてるっ! 擦れてるゥっ!!」

 

「少し黙ってろっ!」

 ベアトリーゼが石畳に尻が擦れて悲鳴を上げるドクトル・リベットへ怒声を浴びせた直後。

 

 背後で夜闇を切り裂く発砲光が煌めき、静寂(しじま)を引き裂く発砲音がいくつもつんざく。吹き荒れる銃弾。舟艇が穿たれ、削られ、船体から塗膜や木片が飛散する。弾丸が石畳を跳ねて粉塵と火花を舞い踊らせる。かすめた弾丸が髪を散らせ、ウェットスーツを裂く。

 

 紅いヨットの陰にドクトルを乱暴に投げ込み、ベアトリーゼはヨットを盾にして騎兵銃を構え、引き金を引いた。騎兵銃の薬室で炸裂した火薬の反動衝撃が銃床を通じて肩を叩く。前床を掴む左腕に力を入れて銃口の跳ね上がりを押さえ込む。

 

 魚人らしきツーマンセルは銃撃を避けて物陰へ飛び込んだ。

 一方、手長足長のツーマンセルは回避行動など一切取らず、騎兵銃の弾丸を浴びる。も、弾丸はまるでゴムの塊にめりこんだように殺傷効果を与えられていない。そのため、手長足長達は撃たれても怯みもせず、射撃しながら前進を続ける。

 銃弾が通じないならゴリ押しは一つの解としてアリだが――

 

 ベアトリーゼは右手で牽制射を重ねつつ、左手でプレートキャリアのパウチから手榴弾を取り出す。安全ピンを噛んで引っこ抜き、爆発までの猶予時間と手長足長の距離を測り――

 

 投擲。

 野球ボール大の手榴弾は“手長足長”の2人の間に落ちると同時に、どかん!

 

 爆炎と高圧衝撃波と無数の破片を浴び、“手長足長”の2人が薙ぎ倒される。身長が3メートルと大きかったことも爆発の被害を大きくしたようだ。

 

 常人なら即死か重傷待ったなしであるが、“手長足長”の2人は全身をズタボロにされながらも、むくりと起き上がる。裂けた着衣の下に鋼板製の防護装具が覗いていた。

 

 そして、“手長足長”の一人が壊れたマスクを外し――

「!?」

 ベアトリーゼはギョッと端正な顔を強張らせ、ドクトル・リベットは驚愕で息を忘れた。

 

 月光に晒された“手長足長”の素顔は異形としか言いようがない。

 禿頭には小さな突起が幾何模様に並び、双眸は昆虫のような複眼で。外鼻はなく、蛇のように細長い鼻腔があるだけ。口は唇も歯も舌もなく喉奥まで窺える有様で、食物摂取器官の役目を棄てて完全に呼吸器官化されたようだった。

 

「なんだありゃあ」

 あまりにも怪異な顔貌を目にし、ベアトリーゼが戦闘中にもかかわらず怪訝顔を浮かべた傍ら、ドクトル・リベットは愕然として呻く。

「モ、モモモ、モッズ」

 

「モッズ?」

 ドクトルの言葉を聞きとめ、ベアトリーゼが眉根を寄せた刹那。

 物陰に退避していた魚人らしきツーマンセル組が射撃を再開。手長足長のペアが損傷した銃を棄て、無手のまま駆けだした。

 

「!? くそっ!」

 ベアトリーゼは即断した。銃弾でも手榴弾でも止められない相手にドンパチなど意味がない。ドクトルの首根っこを引っ掴み、脱兎のごとく逃げた。

 

 ヨットの間を引きずられながら、ドクトル・リベットは慄然と震えながらブツブツと自問する。

「なんでどうしてモッズがこんなところにどういうことなんだどうなってるんだそれにあの姿はなんだありえないありえないありえない」

 

       ○

 

 手長足長のツーマンセルが保管場に並ぶヨットやボートの間を逃げ回るベアトリーゼを追いかけている間、魚人らしき黒づくめのツーマンセルは泊地と陸上保管場の連絡通路へ移動していく。

 

 どうやらベアトリーゼとドクトルの装い――ウェットスーツから2人の退路が海にあると判断し、手長足長達を猟犬にして自分達は先回りを図るようだ。

 

 が、魚人のツーマンセルは不意に足を止めた。

 常人離れした感覚野を持つ彼らは、正面ゲート前に海軍ラドー島防衛隊の一個小隊が到来したことを察知したらしい。

 

 黒づくめの魚人達はツーマンセルを解き、一人が海軍の足止めを図るべくゲート方面へ向かっていく。残った一人はスチームパンクに近代化されたような小銃のドラム型弾倉を交換し、がちゃりと撃鉄を起こし、猟犬達が獲物を追い立ててくる時を膝射姿勢で待つ。

 

 手榴弾の爆風を浴びてズタボロになった手長足長のツーマンセルは、3メートル級の体躯から想像もつかぬほどの俊敏さで、ドクトルを引きずるベアトリーゼを追い回す。

 大腿部の長い脚と肘関節が二つある長い腕を大きく振るい、並ぶヨットやボートを軽々と飛び越え、易々と登り越えていく様は、密林の樹幹を自在に飛び回る猿のようだ。加えて、声帯を持たぬゆえに無言で襲い掛かる姿は、もはや怪人を通り過ぎて怪物としか評しようがない。

 

 ベアトリーゼはドクトルをヨットの脇へ放り投げ、飛び掛かってくる手長足長に騎兵銃を素早く速射する。

 弾丸が吸い込まれるようにマスクを外した手長足長へ着弾するも、黒装束の下に着こんだ防護装具に阻まれ、殺傷し得ない。ならばと頭を狙えば、長い腕で頭を庇われてしまう。

 

 ――庇った。素の状態なら弾丸が効くのか。

 切迫した状況下でもベアトリーゼの冷徹な観察力は機能し続ける。

 

 タフネスと防護装備で強引に距離を詰めた手長足長が、長い右腕を鞭のようにしならせて拳を振るう。ベアトリーゼに避けられた拳がヨットの船体をボール紙の如く砕き貫く。

 

 ――化物らしいフィジカルだけど、それだけか。ガープの方がよほど化物染みてたっつの。

 飛散する船体木片を浴びつつ、ベアトリーゼは至近距離から手長足長の顔へと騎兵銃を速射。

 手長足長は長い左腕を巻き付けるように顔を護り、腕の防護装具に着弾した弾丸が火花と共に跳ねる。

 

「いただきだ」

 守りに入った一瞬の間隙を突き、ベアトリーゼは武装色の覇気をまとった左拳を手長足長のどてっ腹にぶち込む。

 蛮姫の拳打が手長足長の防弾板を砕き割り、巨体をくの字に折り曲げさせる。位置を大きく下げた頭。その右複眼に騎兵銃の銃口を突き刺し、二連射(ダブルタップ)

 

 手長足長の後頭部が吹っ飛び、脳と脳漿の混じった血がまき散らされた。鼻腔と口、耳からも大量の血を噴出しながら手長足長が崩れ落ちたところへ、

「ひぃいいいいいいっ!? 助けてくれええええええっ!!!」

 背後でマスクが無事な方の手長足長が、ヨットの下からドクトルを引きずり出そうとしていた。

 

 ベアトリーゼは舌打ちと共に、巨体を折りたたむように屈みこみ、長い腕をヨット下のドクトルへ伸ばしている手長足長へ飛び掛かり、無防備な横っ腹を思いっきり蹴りつけた。

 武装色の覇気をまとった漆黒の足刀をまともに食らい、手長足長の巨躯がサッカーボールのように吹っ飛んでいく。

 

「そんなところで何を遊んでんだッ!」

「きききみが私を投げ込んだんだろうがっ!」

 ベアトリーゼは冷汗塗れで苦情申し立てをするドクトルの足を掴み、無理やりヨット下から引きずり出し、そのまま駆けだした。

 

「ぎゃあああああああっ!?」

 再び引きずり回されるドクトルの叫喚が響き渡ると同時に、ゲート付近から激しい銃声が轟き始めた。

 

        ○

 

 押っとり刀で駆けつけた海軍ラドー島防衛隊の一個小隊は、困惑に駆られていた。

 

 彼らが陸上保管場へ近づくと、物陰に潜んでいた賊徒の一人が掃射を浴びせてきた。待ち伏せによって負傷者が出たが、小隊は挫けずに応戦。散開して遮蔽物の陰からブラウンベス似の小銃をガンガンぶっ放す。

 

 双方の発砲炎が激しく煌めき、大量の弾丸が飛び交った。流れ弾にヨットハウスの壁が穿たれ、窓ガラスが砕かれ、ヨットやクルーザーに弾痕が刻まれ、石畳が削られ、花壇や植え込みが千切れ飛び、跳弾が火花を踊らせる。

 

 夜闇の中で繰り広げられる弾丸の応酬により、海兵達に被弾者が生じ、賊徒も何発も被弾する。

 が。黒づくめの大柄な賊徒は平然と乱射を続け、あろうことか被弾しながら泰然と弾倉の交換作業までしていた。

 

「なんなんだあいつはっ!? 撃たれたら大人しく死ねよっ!」

 指揮官の中尉が思わず罵倒する。

 

「あの野郎、服の下に防弾板を仕込んでやがるっ!」先任軍曹が毒づき「中尉、小銃弾じゃダメですッ! どうしますかっ!?」

「構わんから撃てっ! 全身を完全に覆えるわけじゃないっ! 関節や装甲の無い部分に当たれば効くはずだっ! それに装甲板だっていつかは限界を迎えるっ! とにかく撃てっ! 撃ち続けろっ!!」

 中尉はヤケッパチ気味に怒鳴り、電伝虫を担ぐ通信兵へ吠えた。

「本部に報告しろっ! 賊は防弾装備の重火力、我が方の小銃では効果なし! 重装備の応援を乞うっ! 急げっ!」

 

 通信兵が大慌てで中尉の命令を本部へ報告していると、陸上保管場と泊地の連絡通路からも激しい連射音が響き始めた。どうやら陸上保管場方面に弾幕を浴びせているらしい。

「くそぅ、いったい何が起きてやがるんだっ!?」

 中尉の疑問に答えられる者はいなかった。

 

 一方――

「後はここを抜けるだけなのに」

 ベアトリーゼはクルーザーの陰から連絡通路を窺い、すぐに頭を引っ込めた。直後、飛来した弾丸がクルーザーの身肉を穿ち、削ぐ。風切り音と着弾音と船体木片を浴びつつ舌打ちする。

「泊地まで遮蔽物無し。相手は鉄砲上手(シャープシューター)。鬱陶しいな」

 

 ステューシー曰く、ヨットの中に潜水服を用意してあり、海中にスーパートビウオライダーを隠してあるという。

 私一人なら武装色の覇気で身を護りながら強行突破できるけど。ベアトリーゼは疲労と憔悴で悄然としているドクトルを一瞥し、控えめに唸った。御荷物の方は一発でも食らったらアウトだし、参ったな。

 

 蹴り飛ばした手長足長が戻ってきたら面倒になる。何とかその前にステューシーの用意したヨットに辿り着きたい。正面ゲートの方から届く幾重ものの銃声は黒づくめと海軍の戦闘騒音だろう。黒づくめに加えて海軍の相手までやってられない。

 

「ドクトル」ベアトリーゼは騎兵銃の弾薬を装填しながら「あの黒づくめ共について何か知ってるなら、情報を寄こせ」

 

 ドクトル・リベットは眉毛の無い顔をベアトリーゼへ向け、汗塗れの額を押さえて呻く。

「あああ、ああアレは、アレらはおおおそらく、モッズだ」

 

 大きく息を吐き、ドクトルは吃音症を忘れてまくし立て始めた。

「フランマリオンの生命科学研究は超人類の創生を目的としていたが、生み出した技術の応用や発展も研究されていた。可能性と多様性を追求するためにな。その一つが奉仕種としての人造人類の創造だ。神に天使が侍り従うように、神たる次元に達した超人類に奉仕する者達は、下々の雑民ではなく専属の優等種でなければならない。モッズはそうした奉仕種人類の研究で生まれた人造人間だ」

 

 ベアトリーゼは端正な顔を歪めて吐き捨てた。

「この世界の科学者にはモラルってもんがないのかしら」

 

「問題はアレらが()()ベースということだ」

 ドクトルが差別用語を用いて呻く。

 

 ワンピース世界にはホモ・サピエンス以外の人類も数多く存在する。巨人、魚人、手長人、足長人、蛇首人、小人、獣人然としたミンク族……。原作において魚人を“魚類”と差別する様子が描かれていたが、人間の本質から言って魚人“だけ”を差別するなどあり得ない。

 

 人という種が目や髪、肌の色ですら差別することを考えれば、他人種を純粋ヒト種の亜種を見做して差別する純粋ヒト種至上主義が存在しても、なんらおかしくないのだ。

 

「フランマリオンは研究や実験において亜人共を利用することはあったが、実用ベースに亜人を利用することはなかったんだっ! 亜人のモッズが存在することはありえないっ!」

 ドクトル・リベットが喚き散らした直後。

 

 ヨットハーバー沖に海軍ラドー島防衛隊の警備艇が姿を見せ、船首とメインマスト櫓に据えた探照灯を輝かせ、ヨットハーバー一帯を照らし出した。前甲板の回転砲架式速射砲と舷側の重機関銃がヨットハーバーへ向けられる。

 

「いよいよ厄介なことになってきた」

 ベアトリーゼが忌々しそうに毒づいた直後。蹴り飛ばした手長足長が戻ってきて、こちらに向かって猛然と駆けてくる。ますます渋面を濃くし、ベアトリーゼは暗紫色の双眸を細めた。

「……邪魔臭い奴」

 

 刹那。

 警備艇(バムケッチ)の速射砲が夜のヨットハーバーに吠えた。

 

      ○

 

 火砲は戦場の神だ。

 その歌声は味方を奮い立たせ、敵を恐怖させる。

 

 警備艇に搭載された速射砲は艦載砲としては豆鉄砲の部類だったが、砲声は小銃とは比較にならないほど大きく、雄々しく、恐ろしい。放たれた砲弾は海兵達を撃っていた黒づくめの賊徒の至近距離に着弾し、2メートルの体躯を子猫のように吹き飛ばす。

 

 爆発衝撃波が駆け抜け、もうもうと爆煙が立ち上る中、海兵達が歓声を上げる。も、歓声はすぐさま恐怖と困惑の呻き声に代わる。

 

 なぜなら、黒づくめの賊徒がむくりと立ち上がったからだ。

 バケツをひっくり返したように体中から大量の血を垂れ流していても。砲撃によって右腕をもぎ取られていても。身体が斜めに傾ぐほど腹の肉を抉り損なっていても。

 立ち上がったズタボロの賊徒は指の足りない左手で腰から大きな拳銃を抜き、戦闘を続けようとする。

 

「ぅわあああああああああああああああっ!?」

 海兵達はパニックを起こし、躍起になって銃弾を賊徒に叩き込み続ける。

 賊徒が倒れ、動かなくなっても、中尉と先任軍曹が『射撃やめ!』と叫んでも、兵士達は銃が弾切れを起こすまで撃ち続けた。

 

「本当になんなんだよ……っ!!」

 中尉の呻きは小隊の総意だった。




Tips
モッズ
 名前の由来は『改造』を意味する英語『Mod』から。
 元ネタは砂ぼうずに登場する人造人間。
 原作ではアンデッドやガーディアンと呼ばれ、設定的な詳細が語られなかったが、超先進的な科学技術で作られているようだ。

 本作では顔貌をより怪物っぽくオリジナルにしているが、原作ほど不死身じゃない(原作だと首だけになっても死なない)。


純粋ヒト種至上主義。
 独自解釈。
 魚人差別があるなら、多種族に対する差別だってあるわな、と。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

57:ゲッタウェイ・ランナウェイ

佐藤東沙さん、キャンディさん、NoSTRa!さん 烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 不気味なマスクを被った手長足長は肘が二つある長い腕をしならせ、ベアトリーゼが体験したことのない軌道の打撃を繰り返す。一発一発が素早く重い。人間を殴殺できる拳だ。

 が、ベアトリーゼにとっては対処しきれないほどではない。

 

 機甲術(パンツァークンスト)の技とダマスカスブレードがアリなら楽勝なのに!

 ベアトリーゼは苛立たしげに内心で毒づきつつ、手長足長の打撃を舞うようにかわし、避け、演武のようにいなし、受け流す。

 

 拳打を重ねても仕留められないと判断したのか、手長足長は大腿部の長い脚で豪快な回し蹴りを放つ。

 

 その長い脚を掴み、ベアトリーゼは鞍馬のようにくるりと身を回し、手長足長の右横顔に鉄槌のような蹴撃を叩き込む。

 ばきりと不気味なマスクの上半分が砕け、手長足長の昆虫染みた目元辺りが露わになり、マスクの隙間から鮮血がだばだばと溢れだす。声帯がないため、手長足長は苦痛の悲鳴も怒りの罵声も発さない。ただただ無言で再び両腕を構えようとして、かくんと両膝をつく。

 

「!? !? !?」

 複眼に戸惑いと混乱が浮かぶ。漫画なら手の内を明かすところだが、ベアトリーゼは何も語らない。蹴撃を叩き込んだ際、プルプルの実の力で周波振動を加えて三半規管を強く狂わせたことを教えない。

 

 満足に体を動かせない手長足長の額に騎兵銃の銃口を押しつけ、

「邪魔臭いんだよ、お前」

 ベアトリーゼは引き金を二度引いた。

 

 手長足長の額が撃ち抜かれる。頑健な頭蓋骨を貫通するために運動エネルギーを費やしたのか、弾丸は後頭部から飛び出さずに頭蓋内を激しく跳ね回り、脳ミソを攪拌した。うつ伏せに斃れ伏せた手長足長の額の貫通孔や眼窩、鼻腔、耳孔、口腔からどろりとした脳漿混じりの血が溢れ、石畳に広がっていく。

 

「しし信じられん、いい一度ならず二度までも、ももモッズを平然と倒すとは……しし調べたいっ! きき君を隅々まで調べたいぞっ! ぶぶ分析したいっ! か解剖したいっ!!」

 世迷い言を並べるドクトル・リベットを余所に、ベアトリーゼは見聞色の覇気を広げた。

 

 海兵達は負傷者を後送しつつ、二個分隊ほどで進んでくる。間もなく最後の黒づくめ――魚人らしき鉄砲上手と交戦するだろう。海上の警備艇はヨットハーバーの出入り口を押さえている。鬱陶しいが、これは海中から潜り抜けられる。

 

 ベアトリーゼは騎兵銃の弾薬を再装填しながら言った。

「ドクトル。奴が海兵とドンパチを始めたら、目的のヨットへ向かうぞ。準備しろ」

 

 最後の黒づくめ――魚人のモッズは脳内に仕込まれた念波通信機能で他のメンツが撃破されたことを理解している。

 が、作戦失敗の撤退という思考は生まれない。自己保存本能が存在しないため、たとえ死亡することになっても、命令完遂のために機能するだけ。そして、命令完遂のため、ベアトリーゼとドクトル・リベットを襲撃に向かいたいところだが、海兵二個分隊に張りつかれて思うように動けない。

 

 海兵達の足止めに呼応し、警備艇の速射砲が再び吠えた。

 砲弾の風切り音が迫り、魚人のモッズが咄嗟に身を伏せるも、1メートルも離れぬところへ着弾。榴弾の爆圧衝撃波が石畳諸共に魚人のモッズを吹き飛ばし、海へ叩き落とした。

 

 砲撃音の残響を最後に戦闘騒音が途絶える。緊張と疲労の混じった静寂が訪れ、海兵達が波紋を広げる海面へ照明と銃口を向け、賊の姿を探し始めた。警備艇の探照灯があちらこちらとヨットハーバーを舐め回し続ける。

 

 隙を窺いつつ、ベアトリーゼがドクトルを従えてドブネズミのようにこそこそと連絡通路を横断、泊地へ向かう。

 

 海軍に気取られることなく青いヨットに乗り込み、ベアトリーゼとドクトルは船室で用意された潜水服を大急ぎで着こんでいく。

 海中都市(ラプチャー)のビッグシスターみたいな格好になったベアトリーゼは、着ぐるみ染みた姿のドクトルへ告げる。

「行くぞ、ドクトル。次はナイトダイビングだ」

 

 ドクトル・リベットはうんざりした声で慨嘆をこぼす。

「しし島一つ離れるために、ここれほど苦労するは羽目になるとは……」

 

「私だってこの島に来た時はバカンス気分だったよ」

 鼻息をつき、ベアトリーゼは球形型ヘルメットを被った。気密を確認して密やかに船外へ出て、舷側から静かに夜の海へ身を沈めていく。

 

 内心、ベアトリーゼはビクビクしていた。なんたって悪魔の実の能力者だ。海水へ直に身を浸したら一瞬で無力化され、そのまま溺死一直線。もしも潜水服に不具合があり、海中で浸水しようものなら、そのままあの世行き待ったなし。

 

 そんな不安と恐れを抱いた身にとって、夜の海は怖すぎた。防波堤に囲われたヨットハーバー泊地の水面は穏やかで、月光と探照灯の明かりで煌めいているが、ベアトリーゼにとっては奈落の底へ通じる底なし沼と大差ない。

 

 内心の怯えと恐れを抑えながら、ベアトリーゼは海中へ完全に没する。潜水服の気密性ヨシ! 背中の酸素ボンベもヨシ! 一片の安堵感を得て、ヨットの真下に控えている巨大な魚影を視認した。

 小型の鯨ほどあるスーパートビウオライダーは頭の後ろと背びれの間にハンドルとシートが据えられており、動きの邪魔にならない辺りに旅荷物が据えてあった。

 

 ドクトルの襟首を掴み、ベアトリーゼは巨大トビウオのシートへ向かって泳いでいく。前世の水泳体験が無ければ、ドクトル共々溺れたクラゲみたいになっていただろう。

 

 ベアトリーゼはドクトルを後席に押しこみ、前席に座る。

 サイボーグ化されたトビウオの後頭部はアナクロなバイクに似たようなタコメーターがいくつか並び、右ハンドルからスロットルワイヤーらしきものが頭に接続されていた。低めのバーハンドルにアップステップ。ライディングポジションは前傾的でカフェレーサーっぽい。

 

 この前傾ポジで東の海まで行けとか、腰と首が死ぬわ。ベアトリーゼは球形型ヘルメットの中でぼやきつつ、エンジンスタートならぬトビウオ覚醒起動(ウェイクアップ)

 ぶるりと巨体が震え、サイボーグトビウオが目を覚ます。

 

 よし。ベアトリーゼは背後のドクトルへ手信号。このまま海中を進み、警備艇の腹の下を潜ってヨットハーバーの外に出る。

 ベアトリーゼはドクトルの首肯を確認し、右ハンドルのスロットルを回す。

 スーパートビウオライダー発進。

 

 ――した、その刹那。

 黒い影が横合いから突っ込んできた。

 

    ○

 

「やはり指揮個体無しですと駄目ですナ。せっかくの高性能を十全に発揮できていませんでした。命令に絶対服従と言えば聞こえが良いですが、状況変化に対して柔軟性に欠きますヨ」

 酔っ払い然とした中年男は大型望遠鏡でヨットハーバーの様子を窺いながら、盗聴防止機能を持つ白電伝虫に淡々と語る。

「――ご心配なく。破壊された個体は問題ありません。生命活動の停止に伴い、じきに細胞のアポトーシス分解が始まりますから。ええ。海軍の手元に残るものは一部の装備品と融解した腐敗液だけです。ドクトル・ベガパンクであろうと分析できませんヨ」

 

 望遠鏡で窺うヨットハーバーでは、中年男の言葉通りモッズの死体が融け始めたことで海兵達が騒いでいる。

 双眼鏡を下げ、

「それと、御報告したいことがあります。ドクトル・リベットの護衛についてです。サイファー・ポールの女悪魔(トイフェリン)かと思っていましたが、違いました。ええ。違います。別人でした」

 中年男は大きく息を吐き、

「アレはおそらく指名手配犯の“血浴”のベアトリーゼです。はい。情報通りならば“箱庭”の出身者……身体特徴から言って、ヴィンデ・シリーズの可能性があります。女悪魔やドクトル・リベットと、どういう繋がりか分かりませんが――」

 報告を続けていたその時。

 

 

 ヨットハーバー泊地の海面が爆ぜ、水柱と共に大きな影が宙へ飛び上がった。

 

 

 沿岸の海兵達が吃驚を挙げ、警備艇の探照灯が慌ただしく動く。中年男も何事かと急いで双眼鏡を覗き込み、呆気に取られる。

 

 月光と探照灯を浴び、紺色の鱗がキラキラと煌めくそいつは、馬鹿馬鹿しいほどデカいトビウオだった。

 小型の鯨ほどあるトビウオが大きな胸ヒレを翼のように広げ、腹ヒレと尾ヒレを海面に擦りながらヨットハーバーの出口へ滑空していく。

 

 頭の付け根と背びれの間にあるシートらしき人工物に人が2人――いや、3人だ。ハンドルを握っている長身の女が、『ぎゃああ殺されるぅうう』と喚く後席の男を掴む黒づくめの大男を、『タダ乗り禁止だバカ野郎!』と叫びながらゲシゲシと蹴り落そうとしていた。

 

「……なんとまあ」

 魚人のモッズは砲撃の至近弾を受けたせいか、ボロ雑巾みたいな様だった。だが、モッズは死ぬまで命令完遂のために動き続ける。おそらく後席の男はドクトル・リベットなのだろう。

 

 警備艇(バムケッチ)の海兵達が大慌てで前甲板の速射砲と舷側の重機関銃を用意し、手透きの者達がブラウンベス似の小銃を構える。

 ハンドルを握る女がトビウオを急上昇(ズームアップ)させると同時に、警備艇の火器が合唱を始めた。速射砲が吠え、重機関銃が叫び、小銃の群れが歌う。弾幕が注がれた海面が激しく泡立ち、着弾の水柱が十重二十重に並び、曳光弾が水を切って跳ねる。

 砲弾による一際大きな水柱が立ち昇る中、高々と飛翔したトビウオが警備艇の頭上を飛び越えていく。

 

 と。ドクトルにしがみ付いていた魚人のモッズが蹴り落とされ、警備艇に向かって落ちていき、マストに激突。索具や帆桁(ヤード)を壊しながら前甲板に叩きつけられた。

 

 魚人のモッズはもはや子猫にも負けそうなほどガチャガチャになっていたが、それでもなお命令を果たすべく立ち上がろうとし、海兵達に取り押さえられた。本来のモッズなら容易く振り払えるだろうが、頑強な脊椎すら折れた有様では難しい。

 

 警備艇を飛び越えた馬鹿デカいトビウオは弾幕射撃から逃げるように再び海中へ飛び込み、そのまま浮かび上がってくることはなかった。

 

「……なんとまあ」

 中年男は再び唖然と呟き、通話中だったことを思い出して白電伝虫へ詫びる。

「失礼しました。事態が急変したもので。魚人型モッズの一体が生きたまま海軍に捕縛されました。すぐに処分します。それと、ドクトルとベアトリーゼがトビウオライダーで島外へ逃亡したことを目視確認しました。追跡しますか?」

 

 しばしの沈黙の後に通話先から返答が来た。しっとりとした女性の、若い令嬢のような、老いた淑女のような声で。

『それはこちらで手配します。貴方は捕縛されたモッズを確実に処分して撤収なさい』

 

「了解しました。では、失礼します」

 通信を切り、中年男は双眼鏡を警備艇に向けて呟く。

「お勤め、御苦労サン」

 

 手元の白電伝虫の番号を変え、念波を発信。直後、魚人型モッズの頭蓋内に設置された装置が起動し、脳幹を破壊。生命活動が強制終了(シャットダウン)した魚人型モッズはやがて細胞単位の自壊(アポトーシス)を始め、ドロドロと溶けていく。

 

 警備艇の海兵達が驚き慌てる中、中年男は荷物をまとめて夜闇へ姿を消した。

 多くの混乱と困惑を残し、夜のヨットハーバーに静寂が戻る。

 

      ○

 

 水平線に太陽が顔を覗かせた頃。ラドー島から50海里(約100キロ弱)ほど離れたところにある岩礁にて、逃亡者達は小休止を取っていた。

 

 球形型ヘルメットをフードみたく背に下げ、ベアトリーゼは岩礁の一角に腰かけて高カロリー・高タンパクやビタミンの固形保存食(レーション)を齧り、水筒のぬるい水で嚥下する。食事というより燃料補給に等しい飯は、美食家を自認するベアトリーゼには不本意極まりない。

 

 長年に渡って人形店内に軟禁されていたドクトル・リベットは、久々の外界を満喫――することもなく、胸元まで海水に浸かってサイボーグ化された巨大トビウオを“診察”し、用いられたサイボーグ化技術を見分していた。

 

 ラドー島のヨットハーバーを脱出する際、海軍警備艇(バムケッチ)の弾幕を掻い潜ったため、半機械化されたトビウオは些かの被弾を被っていた。もっとも“スーパー”を冠するだけあり、頑丈な魚鱗は小銃弾や砲弾片程度で貫かれたりしなかった。不幸中の幸いと言えよう。

 

「……お、おお概ね機械置換(サイバネ)ベースか。つっつまらんな。めっ目新しくない」

 ドクトルは巨大トビウオに興味を失くし、ベアトリーゼに問う。

「も、目的地まで……どどどのくらいかかるのかね?」

 

「ステューシーの言葉が正確なら10日前後ってとこ」

 ベアトリーゼは汗と潮風でべたつく髪を掻き、腰の防水パウチを開けて防水処理された地図を開き、ログポースと並べて調べる。

「ただまあ、道中に飲食物の補給やお魚ちゃんの餌を調達しなきゃならないし、二週間は見た方が良いかもな」

 

「に、二週間……けっけ研究が滞るな……」

 大きな溜息を吐き、ドクトル・リベットは日焼けし始めた禿頭をガリガリと掻く。

 

「研究、ね」

 ベアトリーゼは暗紫色の瞳を老科学者に向けた。

「あの人形店の地下で何やってたのさ」

 

「大それたことはしていない。設備も機材も予算も無かったからな。最新論文すらろくに手に入らなかった。精々が小動物や植物を用いた基礎研究をしていたくらいだ。まったく、私の才能を何だと思っているのか」

 吃音症を忘れてぼやき、ドクトルは眉の無い双眸をベアトリーゼへ向けた。解剖台に乗せたモルモットを見るような目だった。

「ヴィンデ・シリーズの観察が打ち切られて久しい。現地交雑が進んでいただろうに、ヴィンデの身体特徴がここまではっきり現れるとは。君の血から天竜人の血統因子も確認できるかもしれんな」

 

 実験動物ヴィンデ・シリーズはヴィンデの卵子に天竜人の精子を受精させ、代理母で出産させた者達だ。つまり、生物学的には天竜人の血を引いている。

 無論、だからと言ってヴィンデ・シリーズが天竜人かと言われたら、世界政府も天竜人達も否と断言するだろう。

 

「天竜人の血統因子が確認出来たら、試験体として偉大な研究に貢献できるだろう。悪魔の実に“汚染”されているとはいえ、覇気の発現者であることも考えれば、PP117に次ぐ貴重なサンプル……」

「クソ食らえだ」

 ベアトリーゼが吐き捨てる。

「トランスヒューマンなんてくだらないものを研究するより、風邪薬を作る方が余程人類と世界の貢献になる」

 

「愚かで近視眼的思考だ。いいかね、この世界は多くの亜人に溢れている。畜生紛いな魚人族やミンク族、畸形同然の手長族や足長族、ヒト種かどうかすら怪しい巨人族や小人族、このようなヒト種モドキ共が我々純粋ヒト種にとって如何に危険か、君は分かっておらん」

 語っているうちにドクトル・リベットは熱が入ってきたらしい。口調が速くなっていく。

 

 逆にベアトリーゼはアンニュイ顔で冷めきった眼差しを返し、気だるげに返す。

「差別主義に基づく被害妄想にしか聞こえないな」

 

 ベアトリーゼの返しが癪に障ったのか、ドクトルは顔だけでなく禿頭まで真っ赤にし、

「奴らが我々の文明の恩恵を享受している以上、我々の成果物を利用して世界の支配種族になろうと企む可能性があるっ!」

 ナチスの総統みたく大袈裟な身振り手振りを加えてまくしたてる。

 

「であるからこそ、純粋ヒト種は生物として超人類(ウーバーメンシュ)に進化せねばならんっ! 真にこの世界の支配種としての地位(ニッチ)を確立し、胡乱な劣等種共を隷従させ、管理せねばならないっ!

 そして、我々が超人類へ進化するアプローチこそ“覇気”だっ! ごく少数の限られた者だけが使える覇気を万人が自在に扱えるようになれたならどうだっ!? 覇気による感覚野や肉体の増強と拡張を常態化し、生得化できたならっ!?

 我々は自らに秘められた可能性を実現することで超人類へ昇華されるはずだっ!!」

 息継ぎ無しの長広舌を終えたドクトル・リベットは、汗をぼたぼたと垂れ流しながらぜーぜーと肩で息をしていた。

 

 ベアトリーゼは冷たい眼差しをドクトルへ向け、うんざりと嘆息を吐く。

「あんたとの旅は楽しくなりそう」

 

     ○

 

 ベアトリーゼとドクトルが島外脱出した翌日。

 パサージュとヨットハーバーの事件でラドー島が騒々しい中、金髪碧眼の貴婦人が武装貨客船で悠々と島を後にする。

 

 CP0のエージェントにして歓楽街の女王ステューシーは、豪華な一等船室で最上等の紅茶を嗜みつつ、卓上に置かれた小振りの特注トランクケースを人差し指で艶めかしく撫でた。

「この島は良い隠し場所だったのに。あの連中にも困ったものね」

 

 ステューシーがラドー島に隠匿していたものはドクトル・リベットだけではない。

 ラドー島にある独立系銀行の貸金庫に預けていたものもある。

 

「でも」

 フッ、と形の良い唇の両端を和らげ、ステューシーは小振りなトランクケースを開けた。

 トランクケース内には羅紗張りの緩衝材が敷き詰められ、数本の硬質ガラス製バイアルが並んでいた。完全密封バイアルはいずれも不活性保存液で満たされ、生体片が収められている。

 

「見込んだ通り彼女のおかげで、こうして安全に持ち出すことが出来たから、良しとしましょうか」

 バイアルを見つめる碧眼とバイアルへ触れる手つきには、オンナの業深き情念が濃密に込められていた。

 

 抗う者達から『女悪魔』と呼ばれる彼女がねっとりした情念を注ぐ硬質ガラスの小瓶達には、ラベルに血統因子抽出『可』、複製培養『可』といった文言が並び、共通して『被検体番号PP117』と記されていた。

 

 ひとしきりバイアルを愛でた後、ケースを閉じる。ステューシーは紅茶を音もなく上品に啜りつつ、思う。

 彼女もプロだから囮にしたことをそれほど怒らないでしょうね。むしろ、今頃はドクトルに気分を害しているかしら。まあ、その辺りの手当てをしておけば大丈夫でしょうけれど。

 

 それにしても、と思案の向きを変えて呟く。

「まさかモッズまで開発していたとは。思いの外、組織の力を伸ばしているわね」

 

 海軍の通信を盗聴した限り、“抗う者達”は人造人間を投入してきたようだ。もっとも、ベアトリーゼと海軍によって倒されてしまったが。

 だとしても、低評価を下すことは早計だろう。

 

 海軍の通信によれば、少なくとも一般的な歩兵火器はまったく通じず、艦載砲しか効果が無かったという。つまり、普通の兵士達相手には十分な脅威足りえる。十分な支援と優れた指揮の下で運用すれば、それこそ生半な軍勢など容易く蹴散らすに違いない。

 何より――これは“抗う者達”が高度な生命科学術を保有し、強力な人造人間の軍隊を作り出せることや、危険な生物兵器の製造が可能ということを意味する。

 

 ステューシーはシニカルに微笑んだ。

「これから大変なことになりそうねえ」




Tips
ドクトル・リベット。
 彼は自身の見解――天竜人と下々民が同じ純粋ヒト種という考えがどれほど危ういものか、理解している。
 そのうえで、彼は自身の差別主義に基づき、純粋ヒト種の超人類化を願っているのだ。

海軍ラドー島防衛隊の皆さん。
 わけがわからないよ!

ステューシー
 原作において進行形でキャラのネタ明かしが行われている最中なので、本作の描写と原作設定が乖離する可能性大。というか、もはやその前提で書いている。

ベアトリーゼ。
 今回の件で最大の面倒と厄介は追手ではなく、ドクトルだったことに気付く。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

58:目指すはイースト・ブルー。

52話から今話まで同年の出来事なのだけれども、作中時系列を誤認してしまいました。

原作開始2年前の現在、ビビは既にバロックワークスに潜入して二年目を迎えているが、52話では『今期の新入社員』と書いてしまっています。
なので、本作では『一年ズレて入社』ということで、御一つ……



千一さん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、NosTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 ラドー島を脱してから数日後――

 狂暴な陽光がじりじりと肌を焼き、煮えた潮風が髪を嬲る。

 

 野球場ほどの大きさしかない小さな無人島……いや、草木が生えた大きめの岩礁というべきか? ともかくカームベルトの手前に浮かぶこの島で、ベアトリーゼとドクトル・リベットはテントを張り、休息を採りつつあれこれと準備していた。

 

 スーパートビウオライダーを休ませ、潜水服やその他をしっかり干し、諸々の装具や道具を整備する。釣り上げた魚を開いて干物に加工し、狭い島内を探索して可食の植物や果実――新鮮なビタミンや食物繊維の元――を調達し、植物を成育させている水源を探して飲料水を確保する(もちろん、水浴びもする)。

 

「や、ややれやれ……なっ長旅に加えてサバイバルキャンプか」

 ぼやくドクトル・リベットにベアトリーゼはアンニュイ顔を歪め、

「カームベルトは海王類の巣窟だ。この巨大トビウオは格好の餌として狙われるだろう。つまり、カームベルトに進入したら東の海へ抜けるまで休息無しだ。しっかり準備しておくんだよ」

「じゅ、じゅ準備をするなら、せせめてどこぞの港町によっ寄るべきだったのではないかね?」

 苛立たしげに舌打ちした。

「どの口がほざくんだよ。そもそも先の港町であんたがトラブルを起こしたせいだろーが」

 

Q:何があったのですか?

A:ドクトルが手長族に差別言葉を吐き、大騒ぎ発生。物資の補給もままならず。

 

「私はあんたが被害妄想の優生主義者でも構わないけどな、どういう常識してれば、手長族の溜まり場で手長族の店主に向かってテナガザルなんて言うんだよ」

「そっそれはあの店主がわわ我々からボッたくろうしたからだ。ぞ、ぞ増上慢の畸形劣等種に正当な抗議をしただけだ」

「抗議ね。私はてっきり殺し合いを吹っ掛けたのかと思ったよ」

 ベアトリーゼが嫌みを吐くも、ドクトル・リベットは日焼けして赤くなった禿頭を掻くだけだった。

 

       ○

 

 緑色の短髪に三白眼の精悍な顔立ち。180センチ前後の背丈に引き締まった体つき。白いヘンリーネックシャツに腹巻。ニッカポッカみたいな黒いズボンに革の編み上げブーツ。そして、腰に佩いた三本の打刀。

 独特な出で立ちをした少年の名は、ロロノア・ゾロ。

 少年と青年の狭間にある17歳の剣士だ。

 

 悪名高い“血浴”の蛮姫が長旅の“荷物”にイライラとしている頃。

「参ったな」

 若き剣士ゾロは酒場の窓から表の様子――激しい雨風を一瞥してぼやいた。

 ゾロは大抵のことに動じない極太の肝っ玉を持つ若者だったが、今度ばかりはちと困っている。

 

 ――金がねえ。

 立ち寄った島で嵐に見舞われてしまい、足止めされている間に路銀が尽きかけていた。

 

 世界一の剣豪になると亡き親友に誓い、世界一の大剣豪と噂される『鷹の目の男』へ挑むべく故郷を飛び出して幾星霜。『鷹の目の男』を探して旅をしつつ、生活費稼ぎに海賊や悪党をぶった切ったりとっ捕まえたりしていたところ、ゾロは新進気鋭の賞金稼ぎ“海賊狩り”と呼ばれるようになっていたが……逆に言えば、この若造は腰の得物をぶん回す以外に食い扶持の得方がなかった。

 ある意味で行き当たりばったりのノープランだが、なんせ今は大海賊時代。石を投げれば海賊に当たる御時世とあって、ゾロが路銀稼ぎに困ったことはあまりなかった……のだけれども。

 

 ゾロはバキバキに鍛えられた腕を組んでぼやく。

「適当に海賊を仕留めりゃあ良いと思っていたんだが……この嵐じゃあ、しばらく現れそうにねえな」

 腹巻から財布を取り出して残金を確認。安酒をもう一杯飲んだら素寒貧だ。この島を出る乗船費用はおろか、今夜の木賃宿の宿泊費すらない。

 

 ただ、ゾロにとって寝床と飯はどうでも良かった。雨風がしのげれば何でもいいし、飲食は大自然から拝借するだけだ。まあ、酒を我慢しなければならないことに思うところはあるが。

「嵐が収まるまで山にこもって修行してりゃあ、そのうち海賊がやって来るだろ」

 

「なあに、ゾロちゃん。お金に困ってるの?」

 カウンター内で煙草を吹かしていた女将が、艶っぽく流し目を向けてくる。

 

 下手したら母親より年上の女将に色目を向けられ、ゾロはげんなり顔で応じた。

「呑み代くらいはある。ツケにはしねェよ」

 もう一杯飲んだらオケラだけどな。とゾロは心の中で自嘲する。

 

「それ、困ってると同じ意味よ、ゾロちゃん」

 女将は煙草を吹かしながら笑った後、声を潜めた。

「今、オイコットの辺りに荒事師と軍需物資が集められてるそうよ。ここの港にもオイコット行きのそれっぽい船が何隻か泊まってるわ。多分、近い内にドンパチが起きると思う」

 

「俺は賞金稼ぎの真似事をしちゃあいるが、兵隊商売なんてする気はねえよ」

 ゾロは眉間に大きな皺を作り、しかめ面を返す。

 剣を振る目的はあくまで世界一の頂に立つため。悪党をとっちめたり斬ったりもしているが、それは世界最強と語られる『鷹の目の男』へ挑む旅を続けるために路銀が必要だからで、人斬りを生業にしたいわけではない。

 

「早とちりしないの」女将は煙草を吹かし「ゾロちゃん、この話で重要なのは今、オイコット近海はお金や物が大量に動いてるってこと」

 そこまで言われれば、ゾロもピンときた。

「なるほど。その金や物を狙って海賊共も集まって来る訳か。狩場だな」

 

「それだけじゃないわ。人が集まるってことは情報も集まる。ゾロちゃんの言ってた世界最強の剣士について何か分かるかもよ?」

 女将の指摘にゾロは大きく頷く。確かに銭だけでなく『鷹の目の男』に関する情報も必要だった。なんせ故郷を離れてしばらく経つが、世界最強の居場所はさっぱり分からないままだ。

 しかしまあ、なんにせよ、オイコットまでのアゴアシ代がないことに変わりはない。

 

 ゾロはさっさと嵐が止んで海賊が現れることを期待し、女将に言った。

「この安酒をもう一杯くれ」

 

      ○

 

 本当の故郷、か。

 ナミは海賊船の転落防止策に身を預け、嵐が明けて波模様が穏やかになった海を眺めながら、密やかに思う。

 

 麗しき花なれど青い果実の16歳。蜜柑色のショートヘアと勝気な眉目が印象的な美貌。160センチ後半の細身にサイズ86の立派な胸をお持ちの美少女だ。七分丈袖のミニワンピースが良く似合っている。

 ナミは得意の開錠技術(ピッキング)と潮読みを披露し、開錠屋(ボックスマン)兼航海士補助としてこの海賊団に潜り込んだが、本当の狙いはこの海賊団のオタカラだった。

 

 海賊専門の泥棒。それがナミの正体だ。

 魚人海賊団アーロン一味に牛耳られた故郷ココヤシ村を“買い取る”ため、1億ベリーを必要とするナミは度々“海域調査”と称して故郷を離れ、出稼ぎ――海賊からオタカラを盗んでいた。

 

 もっとも、今回は獲物選びを失敗した。

 この海賊団の懐具合は実にしょっぱい。オタカラはおろか運転資金も乏しい。毟れるだけ毟っても精々300万ベリーくらいだろう。シケている。実にシケている。

 

 シケているのは懐具合だけではない。

 近場の島で新進気鋭の賞金稼ぎロロノア・ゾロが安い賞金首を討伐したと聞くや、船長はすぐさま進路を変えた。

『おっかねえ奴にゃあ、近づかねェことがこの稼業を長く続けるコツよ』

 

 その言葉は正しい。ナミも異論はない。けれど思う。

 シケてるわ。懐も気概もシケにシケってるわ。

 

 まあ、それはともかくとして。

 進路を変えて向かう先が、オイコット王国の近海だった。

 曰く――オイコットの辺りで荒事師と軍需品が集められているという。そこでやり取りされる多くの金と物を狙おうという訳だ。海賊らしい短絡さである。

 

 ……オイコット、か。

 ナミはその国名は覚えがあった。

 亡き義母ベルメールが海軍軍人だった頃、オイコット王国の戦場で自分と義姉ノジコと保護したという。

 

 ナミにとって故郷はココヤシ村で、母はベルメールだ。迷いなく言える。

 でも、オイコットは自分が生まれた土地であることも認めている。

 

 ベルメール本人から当時の話を聞く機会はなかったけれど、後に穏やかな東の海では珍しいほど激しい戦争があったと聞いた。おそらく実の両親は戦火で命を落としたのだろう。

 生まれの土地は戦禍に焼かれ、今の故郷は魚人のクズ共に支配され……血の繋がる親は戦火に命を落とし、愛した義母は魚人のクズ共に殺された。

 

 ……神様は私に何か恨みでもあるわけ?

 ナミは感傷的な気分に駆られ、物憂げに息を吐く。同時に強く強く決意を新たにする。

 馬鹿馬鹿しい。何が神様よ。“あの時”ベルメールさんを助けてくれなかった神様なんかに頼るもんか。私の故郷は私が守るんだ。皆は私が守るんだ。

 

 魚人海賊の頭目アーロンは約束した。1億ベリーでココヤシ村を売ってやる、と。

 1億ベリーで故郷を、ノジコを、皆をあのクズ共の手から取り返せる。そのためなら、このシケた海賊共からだって容赦なく、1ベリー残らず盗み取ってやるわ。

 

 ナミは水平線を見つめながら、密やかに握りしめる。

 もっとも……ナミはある残酷な“可能性”から無意識に目を背けていた。悪党達の渡世を聡明な知性と優れた機知で生き抜いていながら。悪党達を幾度も騙し、偽り、裏切り、金品を盗み取ってきたにも関わらず。

 ナミはその“可能性”について考えることを、無自覚に拒絶していた。

 

 無理もない。故郷を取り戻すために、大事な人達を護るために、ナミに出来ることはアーロンの口約束を信じる以外に無いのだから。

 だから、ナミは考えない。気づかない。想像しない。

 

 アーロンが約束を反故にする可能性を。

 

 アーロンが約束を守らない可能性を。

 

 アーロンがナミを騙し、偽り、裏切る可能性を。

 

 多くのものを背負った少女を乗せ、海賊船はオイコット近海へ向かっていく。

 

      ○

 

 アラバスタ王国の情勢は良くない。

 世界政府加盟国内でも屈指の善政が敷かれて非常に安定していた国情は、約二年前から続く旱魃(かんばつ)を機に劇的に悪化。今や反乱軍が結成され、いつ内戦が発生してもおかしくないほど不安定化している。

 

 ただし、元来極めて高い民度を誇り、王家を敬愛するアラバスタ人達は“最後の一線”を踏み越えていない。反乱軍は抗議運動や暴動を起こし、王国政府当局はそれらを武力行使せずに鎮圧する、といった小競り合いに終始していた。

 この状況はネフェルタリ家が脈々と積み重ねてきた善政と、そんな王家を敬い尊ぶ国民の結束と連帯がもたらした、素晴らしい成果と言えるだろう。

 

 だが、何事にも限界はある。

 その限界を迎える前に問題を解決すべく、国王コブラと有能な政府高官達は全力を尽くしていたが……未だその糸口は見つかっていない。

 

 国王コブラは執務を終えて私室に向かい、疲れに屈するようにソファへ腰を下ろす。

 アラバスタが乱れ始めて二年強。このたった二年強でコブラは随分と老け込んでいた。彼の背負う責任の重圧を考えれば、無理からぬことだろう。

 それに、コブラの心身を苛む悩み事は他にもあった。

 

「無事でいるのだろうな、ビビ……」

 コブラは嘆息をこぼす。

 

 一人娘にしてアラバスタ王女――王家唯一の後継者ネフェルタリ・ビビは1年前、市井で偶然に情報を得た。

 闇に潜む犯罪組織バロックワークスがアラバスタ転覆を狙っている、と。

 

 ビビはすぐにコブラへこの情報を報告し、コブラも藁を掴む思いで調査させたが、空振りに終わった。それどころか、現場からは『怪しげな情報で現場を混乱させないで欲しい』と上申書が提出されてくる始末だ。

 

 事態がまるで改善されぬ状況に業を煮やしたのか、ビビは大胆というか無謀な真似に出た。

 王国護衛隊長イガラム(と超カルガモのカルー)を連れて出奔したのだ。

『バロックワークスへ潜入し、祖国を脅かす敵の正体を見極めて参ります』と物凄く綺麗な字の置手紙を残して。

 

 元々、活発で御転婆なところのある娘だったが、流石にこの行動には誰もが絶句した。冗談抜きでコブラは卒倒しかけたし、王国の重臣達と護衛隊のチャカとペルは白目を剥いた。

 しかも、出奔して以来、便りも報せもない。

 そりゃコブラも老け込むだろう。

 

 そして、父を悩ませている当人は――

「お前で最後よっ!!」

 

 グランドラインの端も端。リヴァースマウンテンから最初に辿り着く7島の一つ。

 月光の注ぐ港町の路地裏。

 

 ネフェルタリ・ビビは両腰のホルスターから生えているリングにそれぞれ左右の小指を掛け、居合抜きでもするように両腕を振るう。ポニーテールに結われた水色の長髪が大きくたなびいた瞬間。

「クジャッキー・ストリング・スラッシャーッ!」

 両腰のホルスターから戦輪を連ねた刃鞭が矢箭のように走った。

 

「ひっぎゃああああああああああああああっ!?」

 胸を大きくX字に斬られたチンピラ海賊が悲鳴を上げ、のたうち回る。戦輪の形状から傷自体は浅いが、戦輪を繋げ連ねた構造から刃傷は鋸で抉り削られたようになっていた。うわぁこれは痛い。

 

 ビビは刃鞭の運動エネルギーをいなすように腕を振るい、切っ先をホルスターへ誘えば、刃鞭が自ら意思を持ったかのようにホルスター内へ収まっていく。最後に小指に装着した刃鞭のリングを外し、フッと息を吐いた直後。

 

「こ、のメスガキがぁっ!」

 血達磨になったチンピラ海賊がベソを掻きながら、腰から拳銃を抜く。

 

「―――あっ」

 ビビが慌てて刃鞭を抜こうとするも、先に拳銃の銃口がビビを捉えた。チンピラ海賊が引き金を引く間際、

 

「イガラッパッ!!」

「ぎゃあああああああああああっ!?」

 銃声の雄叫びが轟き、散弾の嵐がチンピラ海賊を瞬く間にボロ雑巾へ変えた。粉塵と血煙が漂い、斃れ伏せたチンピラ海賊から鮮血が広がっていく。

 

 危うく死にかけたという事実。それと、賞金を懸けられるような悪党とはいえ眼前で人一人が無惨に命を落とした光景。ビビは思わず息を飲み、身を竦ませる。

 無理もない。化粧で整えた美貌と発育の良さから随分と大人びて見えるが、その実、彼女はまだ14歳に過ぎないのだから。

 

「残心をわず……ズ、ごほんっ! マ~マ~♪ ゥン! 残心を忘れるな。長生きできんぞ」

 路地裏を見下ろす建物の屋上。カールを三段重ねにした髪型の四十路男が、サックス型散弾銃というけったいな得物を構えていた。

 

「イガラ……」

 ビビが安堵から名前を呼び掛けたところへ、二メートル超のがっしりした上背をシックなフォーマルで包んだ四十路男は、ビビへわずかに首を横に振る。

 

 ハッとして気を引き締め直し、ビビは大きく頷いた。

「後からきて獲物を横取りなんて」

 演技で高飛車に振る舞いながら、ビビはアラバスタ王国護衛隊長イガラムの偽名を呼ぶ。

「歳の割にセコいんじゃないの、イガラッポイ」

 

「命を助けられて礼の一つも言えんとは。近頃の若者は礼儀を知らんな」

 ビビの演技に応えて演技をしつつ、イガラムは密やかにホッと息を吐いた。なんせ何処に耳目があるか分からない。

 

 秘密犯罪結社バロックワークスに潜入し、イガラムはこの組織の情報保秘能力の高さに舌を巻いていた。

 イガラムにとって忸怩(じくじ)たるものがあるが……アラバスタ王国当局よりも諜報戦能力は上だろう。このため、国王に王女ビビの安危を知らせることも、バロックワークスの情報を報告することも出来ずにいる。

 もっとも、この組織の実態は未だほとんど不明だ。組織を指揮統率し、管理監督している者達の影すら踏めていない。

 

 と、暗がりから男がぬぅっと姿を見せる。

「殺しちまったのか。死体じゃあ値が落ちるんだがな」

 バロックワークスの上級社員ビリオンズの一人で、今のところ下級社員ミリオンズであるビビとイガラムの上司を務めている男だった。

「まぁいい。後はこっちで始末をつけておく。お前らは転属だ」

 

「転属ですって?」「どうせなら栄転が良かったがね」

 怪訝顔を浮かべるビビと悪態をこぼすイガラムへ、ビリオンズの男は懐と腰から中華肉切り包丁を取り出しながら言った。

「港でミスター・7とミス・ファザーズデーと合流し、指揮下に入れ。以上だ。分かったら、さっさと行け」

 

 どういうことかは分からないが、ビビとイガラムに拒否権はない。それに“これから行われること”を目にしたくもないため、2人はその場から足早に去っていく。

 

 ビビが路地裏を出ていく時、肉と骨を断つ音が聞こえた。

 懸賞金と交換するために、チンピラ海賊の首が斬り落とされる音が。

 

 

 

 

 

 そして、ビビは港でバロックワークスの下級幹部ミスター・7から告げられる。

 東の海まで出張する、と。




Tips
ロロノア・ゾロ。
 主役格の一人。
 原作開始2年前のこの時期、17歳。
 本作では既に『海賊狩り』と呼ばれる賞金稼ぎ。

ナミ。
 主役格の一人。
 原作開始2年前のこの時期、16歳。
 海賊を騙し、オタカラを盗んできた彼女が、なぜアーロンが約束を守ると信じたのか?
 信じるしかなかったからだろう(異論は認める)。

ネフェルタリ・ビビ。
 準主役格の一人。
 原作開始2年前のこの時期、14歳。
 バロックワークスの新入社員。まだ下っ端。

 クジャッキー・スラッシャー。
 ビビの得物。本作では専用ホルスターを装備しており、原作初登場時のように胸に隠してない。だって、アレは流石に……ねえ?

ベアトリーゼ。
 本作のオリ主。
 原作開始2年前のこの時期、23歳。
 イライラが溜まってきた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

59:場合によっては滅ぼすことも辞さない。

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。

あとがきの誤字修正(4/24)


 オルガン諸島にあるオレンジの町。桟橋の一角に巨大なサイボーグ化トビウオが停泊する。珍奇極まる代物を漁師達や、港湾職員達が遠巻きに見物していた。

 

 その野次馬達の背後には自警団らしき連中がちらほら。

 オレンジの町は約半世紀前、海賊によって故郷を破壊された者達が寄り集まって興した開拓都市だ。そうした歴史故だろう。不意の外来者に警戒心が強いようで、野次馬達の眼差しは好奇や興味より不安や憂慮が濃い。

 

 もっとも、人懐っこい気質の者達でも、今は距離を取るに違いない。

 なんせ巨大トビウオの背から桟橋に上がった潜水服の2人は、猛烈に剣呑な雰囲気を放っている。特に細身の潜水服を着た方――体の曲線から察するに、長身の女性はおどろおどろしい気配を漂わせていた。

 

 女性は球形型ヘルメットを外し、素顔を晒す。

 三つ編み団子に結われた夜色の長髪も小麦肌の物憂げな美貌も、疲労と寝不足がありありと浮かんでいて。暗紫色の瞳は酷くくたびれていた。しばらく風呂はおろか水浴びすらしていないのだろう。麗貌に相応しくない体臭や汚れの臭いがする。

 

 続いてヘルメットを外した方は日焼けした禿頭の初老男性で、眉の無い双眸は寝不足で真っ赤に充血している。今にも精魂尽き果てそうだ。

 

「どいてくれ」

 野次馬を掻き分け、もさっとした白髪の老人が桟橋に歩み出てきた。白髪頭の老人は丸眼鏡の奥から油断なく2人を窺い、問いかける。

「わしはこのオレンジの町で長を務めとるプードルじゃ。お前さんらに一つ聞きたい」

 

 小麦肌の美女は暗紫色の瞳をプードルに向けた。ゾッとするほど冷たい瞳を。

 

 若い頃、故郷を海賊に破壊された経験を持つプードルは、直感的に察する。この小娘は堅気ではない、と。たった二人で珍妙なトビウオに乗って現れた辺り、海賊ではないのだろう。だが、海賊の斥候かもしれないし、そうでなくとも何かしらの厄種であろう。

 

 プードルは肚に力を入れ、夜色の髪の美女を見据え、質す。

「お前さんらはこの街に害をなす者かっ? そうであるならば、早々に立ち去って貰うっ!」

 勇敢な町長の詰問に合わせ、自警団がそれとなく野次馬達を下げていく。

 

 美女の双眸が細められた。おどろおどろしい気配が強められ、自警団や野次馬も町長と同じく眼前の美女が危険な存在であることに気付く。

「……この御時世だ。私達のなりは怪しいだろうから、警戒する気持ちはよく分かる」

 

 青筋が浮かんだこめかみを撫でつつ、美女は続ける。

「こっちはグランドラインから三日間徹夜してカームベルトを越えて、そっから二日間、嵐に遭うわ、立ち寄る島もないわで、ろくに寝てないし、飲み食いしてない。髪はガビガビで肌もベタベタ、髪も身体も汗や汚れで臭いし、首と腰が痛いし、潜水服の中も膝まで水が溜まってて倦怠感が酷い。おまけに面倒な“荷物”の扱いで神経が疲れてる」

 眉目を吊り上げた美女は隣の初老男性を睨みつける。も、禿頭の初老男性はそっぽを向く。

 

 銃声のような舌打ちを放ち、

「だから、美味い飯が食いたいし、温かい風呂に入りたいし、清潔なベッドでぐっすり寝たい」

 美女はプードルと自警団員を冷淡に見回してから、

「今から金を取りだす。おい、そこの奴。引き金に指を掛けるんじゃねーよ。ぶち殺されても文句いえねーぞテメー」

 巨大トビウオの背に装着された荷物へ向かう。防水バッグを開け、袋を一つ取り出してプードルに放った。

 

 プードルは受け取った袋を覗く。高額紙幣の札束が三つ。

 

 美女は告げた。

「宿泊代には充分だろ。それでも入島を拒否するっつぅーなら……そっちの“期待”に応える。どうするんだ、町長さんよ」

 暗紫色の瞳が獣の様にぎらつく。

 

 美女の発言が脅しでもはったりでもないことを見抜き、プードルは頷いた。袋を美女へ放って返し、自警団へ言う。

「マイク。2人をヘクソンの宿へ案内してやってくれ。それと、港の者達にこのトビウオを傷つけないよう厳命しておいてくれ」

 

 自警団員達と野次馬はプードルの決定に不安と懸念を現しつつも、信頼する町長の決断によって争いが起きなかったことに安堵を漏らす。美女の隣に立つ初老男性もくたびれた吐息をこぼしていた。

 

 町長を含めたオレンジの町の人々は知らない。自分達が今、絹糸の上を歩いたことに。

 

 プードルは気難しい顔つきのまま美女と老人へ言った。

「オレンジの町にようこそ」

 

       ○

 

「ゾロ兄ちゃん。なんで港に行くだけなのに迷うの? 目と鼻の先だよ? どうやったら迷子になるの?」

 馴染みになった安酒場で下働きしている少女が呆れ顔を浮かべ、隣を歩く緑髪の少年剣士に問いを重ねる。

 

 自分より7つ年下の少女に呆れられ、ロロノア・ゾロはバツが悪そうに応じた。

「迷ってねえ。ちょっと行き先を間違えただけだ」

 

「それ、迷子って言わない?」

 目を泳がせるゾロに、少女はくすくすと笑う。

「迷子にならないよう手を繋いであげようか?」

 

「そいつぁ格好がつかねえ。勘弁してくれ」

 少女の申し出を謝絶しつつ、ゾロは案内されて港に辿り着く。

 

 木賃宿から徒歩10分。この距離をなぜ迷子になれたのか、と問えば。ロロノア・ゾロは極度の方向音痴であるから、としか言えない。後に仲間となる船医トニートニー・チョッパーはゾロの方向音痴の酷さに先天性疾患の可能性を疑っていたほどだ。

 

「オイコット行き、間もなく出港だ。乗るつもりならさっさと乗ってくんな」

 小振りな貨客船の昇降橋に立つ船乗りが手招きする。

 

「世話になったな。女将にもよろしく伝えておいてくれ」

「うん。ゾロ兄ちゃんも元気でね」

 手を振る少女に首肯を返し、ゾロは昇降橋を通って貨客船の甲板に乗り込む。

 

「オイコット王国行き、出港だっ!」

 船長らしき男性が手を大きく振り、船員達が離岸作業を開始する。船員達の動きに無駄がない。どうやら“当たり”の船らしい。

 さりげなく周囲の船客を窺ってみれば、得物を担いだり佩いたりしている者が少なくない。荒事師達が互いをぎらついた目で窺う様子は、雄鶏達が鶏冠の立ち具合を競っているみたいだった。

 

 なるほど。女将の話はマジみたいだな。

 ゾロは闘犬が牙を剥くように薄く笑った。世界最強の頂を目指す剣士として命懸けの真剣勝負は望むところ。相手が強者なら、尚更良い。

 景気づけに一杯やるか。ゾロは貨客船の食堂へ向かって歩き出す。

 

 ……船員に案内されるまで、ゾロは食堂に辿りつけず貨客船内を歩き回っていた。

 

       ○

 

 温かくて美味い食事。熱くて爽快なシャワー。清潔で気持ち良いベッド。

 命の洗濯を済ませた翌日。目覚めたベアトリーゼはゆっくりと体を伸ばし、物憂げ顔で吐息をこぼす。

「文明って素晴らしいわ……」

 

 海王類から逃げ回りながらカームベルトを越えるのに3日。

 東の海に入って嵐と遭遇するわ、休息できる島や岩礁がないわ、で2日間、トビウオの背で休むしかなく。

 計5日のタフな超長距離移動は、()しものベアトリーゼでもキツかった。オレンジの町に入った時、町長プードルに告げた脅し文句はガチのマジだったのが、いい証拠だ。

 

 飯と風呂とベッドのためなら、オレンジの町を滅ぼして原作ストーリーを激変させても構わない。本気で真剣にそう考えていた。

 まさしく野蛮人である。

 

 簡単にストレッチで体をほぐした後、ベアトリーゼはカットソーとデニムパンツを身に着け、部屋を出た。宿の地階にある食堂へ足を運び、朝食を摂る。

 

 分厚いベーコンと肉がみっちり詰まったソーセージ。半熟の目玉焼き。具沢山の野菜スープ。ホカホカの大きなトースト。

 上機嫌で三人分の朝食を平らげ、食後の珈琲を嗜みながら新聞に目を通していたところで、ドクトル・リベットが食堂に現れた。

 よれよれのスウェットとスラックスの姿は、貧乏暮らしの老人にしか見えない。

 

「つっつ疲れが抜けんよ……」

 ドクトルは朝食を摂らず、砂糖と牛乳をたっぷり加えた珈琲だけで済ませるらしい。

「もも目的地まで残りはど、どのくらいかね?」

 

強行日程(キャノンボール)で3日くらい。のんびり行って5日かそこら」

 ベアトリーゼはカップを口に運び、珈琲で湿った唇の間からふぅと息をこぼしてから、

「問題は日程よりこっちだ」

 世界経済新聞ではなく、東の海のみで流通するローカル紙をドクトルへ渡した。

「オイコット王国の近海でドンパチが起きそうよ」

 

「な……なんだと?」

 ドクトルは眉の無い双眸を顰め、紙面に目を通していく。

 

 

 

 東の海にあるオイコット王国は約15年前に大きな戦災を被って以来、苦境が続いている。

 政治の不安定化。経済の不況。官の汚職と不正。天上金の負担。世界政府の援助不足。市井の窮乏……復興と再建の道のりに終わりが見えない。

 

 そんな折、オイコット王国領海の端にある島嶼から、巨大な糞化石性(グアノ)リン鉱床が発見された。

 リン鉱石は肥料に化ける資源。オイコットにとってまさしくオタカラだった。

 

 問題はリン鉱床が発見されてから件の島や近海に賊徒が出没し始め、現地の開発や採掘が進まないことだった。

 当初、オイコット王国は海軍に事態の解決を要請していたが、解決どころか進展すらせず。業を煮やしたオイコット王国は自ら周辺海域の鎮定作戦を行うことにしたらしい。国軍の動員に加え、“義勇兵”と軍需物資を搔き集めている。

 もっとも、この戦支度によって金とモノの流れが活発になったことで、方々から新たな賊徒を引き寄せてしまっているようだが。

 

 

 

「なっななんということだ。だだ大丈夫なのかね?」

「現地の状況次第だな。ドンパチが始まっちまったら、強行突破か迂回して遠回りの二択だ」

 頬杖を突いて気だるげに答えるベアトリーゼへ、不安顔のドクトルが別案を呈す。

「じょ、情勢がおお落ち着くまでこの島にと逗留するというのは?」

 

「どうかな。“抗う者達”の追手が掛かってるかもしれない。それと、この街で分かったが、トビウオライダーは東の海では目立ちすぎる。ここに長っ尻してると、トビウオライダーの目撃談から刺客が来るかもしれないぞ」

 ベアトリーゼは癖の強い髪を弄りながら続けた。

「どこかでアシを変えておかないと不味いかもな。その意味ではオイコット近海は丁度良い。戦支度で船が行き交ってるみたいだから便乗できそうだし、なんならドンパチに紛れてアシを奪っても良い」

 

「ささ、さらっと物騒な手段を挙げるのはやめてくれ」と顔をしかめるドクトル。

「“抗う者達”の追手とやり合うよりは穏当だよ」

 鼻息をつき、ベアトリーゼは珈琲を飲み干した。

 

    ○

 

 東の海のオイコット王国を目指す貨客船の一室で、ビビはデニムのホットパンツとキャミソールを着こみ、ニーハイソックスとブーツを履く。

 水色の長髪をポニーテールに結ってから、手鏡でテキパキと化粧を施していき、14歳の王女を10代後半の賞金稼ぎへ化けさせた。

 それから両腰に得物を収めたパウチを差し、雑嚢を後腰に巻く。

 

 最後に無限大記号に似た小さなメビウスの輪のペンダントを首から下げた。ペンダント・トップは鉄製でありながら超高純度のため錆びることがなく、銀に似た輝きを放っている。

 10歳の時に出会った『悪い魔女』ベアトリーゼが、“魔法”で作ってくれた御守りだ。

 

 あの出会いから4年が経った今、ビビは『悪い魔女』が何者なのかを知っている。

“血浴”のベアトリーゼ。

 西の海出身。悪魔の実の能力者で覇気使い。かつては『悪魔の子』ニコ・ロビンと組んで活動していた。罪状は多数の暴行傷害、窃盗、武装強盗、詐欺、不法侵入、器物損壊、公共物損壊、公務執行妨害、それに殺人を重ねてきた広域指名手配犯。

 およそビビが出会ってきた人間の中で、最も危険な悪人だった。

 

 しかし、そうした一般的な評価と、ビビの持つベアトリーゼの人物像は一致しない。

 あの限られた時間の交流において、ベアトリーゼは終始ビビへ敬意と謝意を欠かさず、慈しみと優しさを持って接していた。あの様子が嘘や偽りだったとは思えない。

 なんにせよ、悪い魔女から貰ったメビウスの輪はビビの大事な宝物だった。

 

 身支度を終え、ビビは部屋を出て貨客船の食堂へ足を運ぶ。

 朝食時のため、配食式の乗客用食堂はそれなりに賑わっている。ビビはさりげなく周囲を窺いつつカウンターで朝食――丸パンとクラムチャウダーとドライフルーツを受け取り、食堂の一角へ向かった。

 

「おはよう」

 ビビはどこか生意気そうに挨拶し、卓に着く。

 

 卓の面々の返事はまばらだ。半数以上は会釈や目線を返すだけで飯に集中しているが、イガラムを除けば、どいつもこいつも食事の所作に育ちの悪さが滲み出ていた。

 

 彼らは今回の“遠征”に参加を命じられたバロックワークス下級社員(ミリオンズ)で、総勢10名。他にはこの場に居ないが、この面子を率いる下級幹部(フロンティアエージェント)が2名。軍隊風に言えば、兵卒一個分隊、指揮官2名といった具合か。

 

 ビビは固焼きパンを千切り、クラムチャウダーに浸して口へ運ぶ。

 安作りの固焼きパンは味や食感より日持ちと量産性を追求しており、皮も生地もとにかく固い。汁物の水気を吸わせて柔らかくしないととても噛み切れない。クラムチャウダーも海上レストランの副料理長辺りが口にしたら、『食材に謝れ!』と料理人を蹴り飛ばすだろう出来栄えだ。

 

 王宮の上等な食事に慣れたビビにとって、この手の食事は辛い。……が、それを表に出すことは許されない。

 ビビが忍耐の朝食を摂っていると、

 

「俺ぁグランドライン生まれで、初めて四海へ出たんだけどよォ」

 ミリオンズの少年が周囲の面々へ、主にビビへ目線を向けてくる。少し年上らしいこの少年は今回の任務で初顔合わせして以来、ビビに粉を掛けており、イガラムを密かに苛立たせていた。

「なーんかすっげー平和なフンイキじゃね? 本当にドンパチ仕事なんてあんのか?」

 

「東の海はこんなもんだ。シケた小悪党しかいねェから緊張感がねェ」

 二十代半ばくらいの男が食後の一服を吹かしながら言った。東の海の出身らしい。

「それって治安が良いってことじゃないの?」とビビが指摘する。

「退屈なだけさ」と男は渋面で紫煙を吐いた。

 

「目的地のオイコット王国について何か知っているか?」

 最年長者であるイガラムの問いかけに、男は小さく肩を竦める。

「全然。15年くらい前に戦争でメタメタになったって聞いたくらいだな」

 

 何気なく吐かれた言葉に、ビビは微かに顔を曇らせた。今まさに祖国が“メタメタ”になりかけている王女にとっては、身につまされる。

 

 そこへ、

「朝飯は済んだか、ボンクラ共」

 デコのど真ん中に『7』と瘢痕(スカリフィケーション)を入れた凶相の男が現れた。

 

 エグい瘢痕だらけの浅黒い肌。極彩色のシャツに革パンツ、爪先がそっくり返ったブーツ。首や腕に金のアクセサリー、とまあ絵に描いたようなガラの悪い男で、腰には装飾塗れのサーベルを佩いている。

 秘密犯罪結社バロックワークスの下級幹部(フロンティアエージェント)であるミスター・7だ。

 

「朝ごはんは~しっかり食べないと駄目よ~」

 隣に立つ身長4メートル強の大きな女がこてこてのアニメ声で笑う。背丈だけでなく業務用冷蔵庫みたいに横にもデカい。業務用冷蔵庫みたいな体躯をぴっちりしたTシャツとオーバーオールで包んでいる。

 ミスター・7のパートナーで下級幹部のミス・ファーザーズデーだ。

 

「到着は明日だ。旅行気分を切り上げて気ィ入れて支度しとけ。分かったな、ボンクラ共」

 デコの瘢痕を掻きながら、ミスター・7はミリオンズの面々を見回して言い、ミス・ファーザーズデーがボーリング玉みたいな拳を作り、ウフフと笑う。

「皆~頑張りましょうね~」

 

 なんとも気の抜ける〆の言葉で朝食と連絡が終わり、ビビは一人で前甲板に向かう。グランドラインと、何処か雰囲気の異なる空と海を眺めた。

 

 ミリオンズの少年ではないが、ビビも此度、初めてグランドラインの外へ出た。東の海なんかへ行っている場合じゃないのに、という焦りを覚える一方、生来の好奇心や冒険心のせいかこの旅にワクワクしている。

 

 自分が秘密犯罪結社に潜入しているということの意味を、14歳の彼女はまだ理解していない。

 

        ○

 

 オレンジの町に二泊三日して休息と諸々の補給と整備を済ませ、ベアトリーゼとドクトル・リベットは出立することにした。

 潮風が涼やかな朝の港。ベアトリーゼとドクトルが潜水服姿でスーパートビウオライダーに旅の荷物を積み込んでいると、

 

「もう出立するのか?」

 町長のプードルがやってきた。入島時に見せた険しさはない。かといって厄介者が出ていくことを喜ぶ向きもない。

 

「元々旅の最中だ。長居するつもりはないよ。それに、さっさと出ていった方がそっちにも都合が良いだろ?」

 ベアトリーゼがちくりと嫌みを吐くも、

 

「問題を起こさず、しっかり金を落としてくれる分には出ていけと言わんよ。むろん、出立を止める気もないがね」

 町の長を務める人間らしい老獪さを、プードルは披露した。

 ドクトル・リベットは仏頂面をこさえたベアトリーゼを横目に思う。一本取られたな。

 

「“やんちゃ”な爺様だ」

 舌打ちして球形型ヘルメットを被り、ベアトリーゼはトビウオの前席へ。続いてドクトルも後席に乗り込む。トビウオライダーを覚醒起動させた。

 準備が整い、ベアトリーゼがハンドルを握ってプードルへ顔を向ける。

「じゃあな、町長」

「せせ世話になった。こっここは良い町だ」とドクトル・リベットもなけなしの社交性を示す。

 

「旅の無事を祈る」

 気難し屋のプードルが愛想の欠片もない顔で告げつつ、大きく手を振った。

 

 巨大なサイボーグ化トビウオが泳ぎ始め、港を出ると共に飛翔。みるみるうちにプードルの可視距離を越え、海原に去っていく。

「何事もなく出て行ってくれましたね」と自警団長が近づいてきて「案外、警戒するほどではなかったのかも」

 

「どうかな」

 プードルはそう言い、ポケットから一枚の紙を出して自警団長へ渡す。

 

 自警団長は受け取った紙を見て、ぎょっと目を剥き、さあっと顔を蒼くした。

『血浴のベアトリーゼ。賞金3億5千万』

 

「ちょ、町長は知ってたんですか?」

 蒼褪めた自警団長が震えながらプードルに問う。

 

「知ったのは昨日だ。君らにも教えんかったし、海軍にも通報しなかった」

「な、なぜです?」

「この街を守るためだ」プードルは即答し「この街を三億越えの怪物と海軍が戦う舞台にしないためだ」

 町長は顔を蒼くしたままの自警団長へ強かに笑う。

「正しい判断だっただろう?」

 




Tips
オレンジの町。
 町の背景事情は原作通り。余所者を警戒してそうというのは独自解釈。
 ペットショップに名物犬が居るけれど、上手い扱いが思いつかず出番カット。

プードル。
 原作キャラ。
 オレンジの町の町長。気合が入った爺様。

ミスター・7
 原作における先代ミスター・7。オリキャラ。
 スカリフィケーションがどんな物か検索すると、グロ画像が表示されるので自己責任でどうぞ。

ミス・ファーザーズデー。
 原作における先代ミス・ファーザーズデー。オリキャラ。
 モデルはボーダーランズのエリー。体重130キロ”超”の美女である。

ゾロ。
 今日も今日とて迷子。

ベアトリーゼ。
 場合によっては本気でオレンジの町をぶっ潰す気だった野蛮人。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

60:小さな島を巡る小さな戦争

佐藤東沙さん、青黄 紅さん、茶柱五徳乃夢さん、N2さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、キャンディさん、みやともさん、誤字報告ありがとうございます。


 少しばかり退屈な話をさせて頂こう。

 

 オイコット王国領海内アラワサゴ島。

 領海の端にあるオイコット王国の僻地であり、小さな集落が2つ3つあるだけのド田舎だった。王国のアラワサゴ島統治は放置に等しく、半ば領有していることを忘れていそうな島だった。

 

 ところが、近年になって大規模な糞化石性リン鉱床が発見され、事情が激変する。

 15年前の戦禍の傷が未だ癒えぬオイコット王国にとって、アラワサゴ島はにわかに金の卵を生む鵞鳥に化けた。

 

 早速、現地に人を送って採掘場や諸々のインフラを整備し始めた矢先のこと。

 アラワサゴ島近海に海賊が出没し始めた。それも“うじゃうじゃ”と。

 

 背景を明かしてしまうが、なんてことはない。

 金の話だ。ただし、政治レベルの。

 

 オイコット近隣国――世界政府加盟国Aとしておこう。

 加盟国Aはアラワサゴ島そのものを奪う気はない。僻地開発は金も手間も面倒も掛かる。が、リン鉱石が生み出す莫大な利益の恩恵には大いに関心があった。

 そこで、加盟国Aはアラワサゴ島のリン鉱石権益に大きく食い込む謀略を仕掛けた。

 雑草のように繁茂している海賊共を、オイコット近海へ“少しばかり”けしかけたのだ。“適度”に、オイコットを窮地へ追いやるために。

 

 ただまあ、この手の謀略に誤算は付き物。

 オイコット近海には加盟国Aの想定を超える数の海賊達が殺到し、オイコット近海を荒らし始めた。

 海賊共は貨物船や交易船を拿捕するだけでは済まず、アラワサゴ島にも乗り込んで現地集落や新たに興された開拓村を襲撃。開発中の採掘施設やインフラを破壊し、金品や物資を掠奪し、女子供を強姦し、虐殺まで行う始末。

 

 オイコット王国は海軍に事態の解決を強くとても強く要請するも、事態は一向に解決せず海賊共の跳梁跋扈が続いて被害が日に日に増していき、アラワサゴ島のリン鉱石採掘が一歩も進まない。ついには、アラワサゴ島に近い他の島嶼まで被害が及び始めた。

 

 挙句、オイコット周辺の非加盟国――便宜上非加盟国Bと呼ぶ――が海賊と組んで兵隊を送り込んでアラワサゴ島を実効支配し、その利益で加盟国入りを目論んでいるという情報が入るに至り――

 

 オイコット王国の堪忍袋の緒が切れる。いや、緒どころか、堪忍袋自体が吹き飛んだ。

 軍の動員を決定し、さらには“義勇兵”と軍需物資を集め始めた。

 アラワサゴ島近海の鎮定作戦に冠せられた名が、オイコット王国の姿勢をこれ以上ないほど雄弁に物語っていた。

 

 作戦名:アージャント・フューリー。

 抑えきれぬ憤怒。

 

      ○

 

 戦を間近に控え、アラワサゴ島は大いに賑わっている。

 オイコット王国の正規軍人。“義勇兵”。酒保商人。娼婦。アラワサゴ島に人と物を運ぶ船の船員。商人や船の用心棒。東の海のあちこちからやってきた荒事師達と、彼らを相手に商売する者達だ。

 

 ちなみに島民と開拓村の労働者達は避難“していない”。

 王国は彼らの避難を認めなかった。一日でも早くリン鉱石の採掘を始めるべく、鎮定作戦とは関係なく開発を強行している。なんせ国運を賭けた事業だ。人命など論ずるに値しない。

 

 そんな政治的冷酷さを余所に、アラワサゴ島へやってきたバカ共は暢気に騒いでいた。

 港の一部では商人や船員達が勝手に市場を開いている。“義勇兵”に参加する荒事師達はオイコット軍の登録所に並び、参加しない連中は商人や船舶に用心棒仕事を持ちかけていた。

 酒や食い物を提供する店や屋台はどこも荒事師で溢れ、娼婦達が彼らの間を蝶のように行き交っている。血の気の多いバカ共が集結しているため、あちこちで喧嘩騒ぎが起きていた。

 

「まるでお祭りだな」

 屋台の脇に設けられた臨時席――荷箱が置かれただけ――に腰かけ、ゾロはオイコット産の真っ黒なビールを呷っていた。

 

「ドンパチを始める前の景気づけみたいなもんさ」

 相席の中年男が小魚の唐揚げを摘まみ、賑わう周囲を見回して冷笑する。

「こいつらの何人が生き残れるやら」

 

「含みのある言い草だな」

 怪訝顔を浮かべたゾロへ、中年男はしたり顔で続けた。

「ヘータイを集めてんのぁオイコットだけじゃねえのさ」

 

 中年男曰く――オイコット王国近海に集結した荒事師の全てが“義勇兵”や用心棒になったわけではないらしい。

 アラワサゴ島を狙う側へ与する者達もそれなりにいて、海賊共の手勢に加わったり、アラワサゴ島の奪取を目論む近隣国の非正規戦部隊へ参加していたりするという。

 

「つまりな、こいつは海賊退治なんかじゃねえ。この島の利権を巡る立派な戦争なのさ。で、俺達の役割はさしずめ、弾除け、肉壁、囮の餌。つまり捨て駒だ。ま、御上にしてみりゃあ俺らは犯罪者予備軍みてェなもんだからな。敵と共倒れにさせたり、使い潰したりする方が好都合ってわけだ」

 他人事のように語り、中年男は黒ビールをぐびぐびと呷る。

 

「あんたはそこまで分かっててコレに参加するのか?」とゾロが問えば。

「俺はこういう仕事が好きなのさ」

 自嘲的に嗤い、中年男はゾロの得物へ目を向けた。

「三本か。二刀流で予備に一本てとこか?」

 

「いいや」ゾロは黒ビールを口にしてから「三本全部使う」

「? 腕は二本しかねえだろ。三本目はどうやって持つ?」

 訝る中年男へ、ゾロは不敵に笑って口元を示す。

「ここさ」

 

 中年男は呆気に取られ、ガハハと大いに笑う。どうやら冗談だと思ったらしい。

「面白いあんちゃんだ。笑わせてくれた礼に一つ情報をやろう」

 

「別に冗談を言ったわけじゃねェんだが」としかめ面のゾロ。

 まぁ聞けよ、と中年男は真顔になり、

「こいつは噂だが、今回の件にゃあグランドラインの奴らも参加してるそうだ。もしも敵にそれっぽいのがいたら、悪いことは言わねえ」

 告げた。

「ケツをまくって逃げな」

 

「ほぅ? グランドラインの奴らはそんなに強ェのか」

 ゾロが獰猛に目を細めた。世界の頂を目指す若者にとって、自分以外の強者は打ち倒すべき障害に過ぎない。

 

 若いねえ、と中年男は微苦笑をこぼし、小魚の唐揚げを摘まむ。

「グランドラインからわざわざ最弱の東の海に遠征してくるような奴は、そう強くはねェ。ただまあ、グランドラインで荒事師をやっている奴は総じて、四海の連中よりもずっと慣れてやがるのさ」

 

「慣れてる? 何に?」

 ゾロの問いかけへ、中年男は薄笑いを返す。

「殺し殺されることに、さ」

 

        ○

 

 オイコット王国領海外にある某島。

 非加盟国Bが非公式に編成した『解放軍』の者達が、参集したロクデナシ共へ向けて拡声器で大義名分を喚いている。

 

『アラワサゴ島は歴史的に我ら固有の領土であり、オイコットによって不法占拠され、我らの資源を不法に採掘し、我らの富を、未来を奪っているっ! 我々はこの不正義な状況を正すべく起ち上がった義士であるっ! オイコットからアラワサゴを取り戻し、世界政府へ加盟して我らが持つべき権利を勝ち取るのであるっ!』

 

 バロックワークスの面々に与えられた宿舎の一角で、ビビはプロパガンダを聞き、倦んだ気分を覚えていた。政治やこの世界の仕組みを学んでいる王女として思う。

 加盟国になりたいというのは分かるけれど……これは無謀過ぎるわ。

 

 この世界において世界政府加盟国であるか否かは、文字通り国家国民の生存権に関わってくる重大事だ。であるから、加盟国になるべく天上金を賄う資源を得たい思考と感情は理解できる。だが、彼らは世界政府の貪婪さを知らない。

 

 おそらく、政府は非加盟国Bがアラワサゴ島を奪い取った時点で『重大な脅威』と見做し、海軍に同国の壊滅を命じるだろう。多くの民は殺されるか奴隷として接収される。同国は世界政府の直轄領になるか、近隣国へ委託統治されることになる(その場合、統治の負担は近隣国が背負わされる)。そして、オイコットはアラワサゴ島の統治能力無しと判断され、世界政府主導の開発地にされるだろう。

 つまり、世界政府が美味しいところを”総取り(全て奪って終わり)”だ。

 誰も幸せになれない。

 

 ビビは密やかに溜息をこぼす。この世界の非情さと無情さに。叶わぬ夢を見て血を流そうとする者達に。祖国が危機に瀕しているのに他人の戦へ身を投じる状況に。

 

 と、集会場で開かれていた『作戦会議』へ出席していたミスター・7とミス・ファーザーズデーが戻ってきた。

「集まれ、ボンクラ共。仕事の説明をする」

 

 ビビは腰を上げ、他の面々と共にミスター・7の許に集まった。

「近々、海賊共がアラワサゴ島近海を一斉襲撃する。その際、俺達は『解放軍』と共にアラワサゴ島の西岸に強襲上陸だ。その後、現地の集落や開拓村を制圧し、最後に南岸の港湾部を落とす……が、このドンパチがどう転がろうと俺らには関係ねェ」

 ミスター・7はデコに刻んだ『7』の瘢痕を掻きながら“指令”の内容を説明する。

「俺達の狙いは金だ。アラワサゴ島のオイコット軍拠点には義勇兵共の給料や部隊運営資金が溜め込まれてる。連中のドンパチに紛れ、奴らの金を頂く」

 

「火事場泥棒か」とイガラムが唸る。「かなり難しい仕事だな」

 戦争を利用して強盗なんて……どこまで悪辣なの。ビビは内心で反感を強めつつ、決意を新たにする。一刻も早く頭目の正体を突き止めて倒さなければ……

 

「あの子達を上手く利用すれば~きっと大丈夫よ~」

 縦にも横にも大きい業務用冷蔵庫みたいなミス・ファーザーズデーが、ちらりと窓の外を窺う。

 

 雑多な装備に、不揃いの戦装束をまとった“解放軍”の兵士達。その大多数は非加盟国Bの民兵達――食い詰めた貧乏人だった。例外は彼らを指揮する非加盟国Bの正規軍人か、給金と略奪目当ての荒事師達だ。

 

 ミスター・7はデコの瘢痕を掻きつつ、面々を見回す。

「敵を最弱の海の雑魚共だと思って気ィ抜くんじゃねェぞ、ボンクラ共。銃砲の威力はどこも同じだ」

「皆~頑張りましょ~ね~」

 ミス・ファーザーズデーがこてこてのアニメ声で発破をかける。

 

 若い連中が暢気に合いの手を返していたが、イガラムは腕を組んで渋面を作っていた。

 ――火事場泥棒などしている余裕があるかどうか怪しいものだ。

 

 イガラムは密やかに次代の主君を窺う。最悪、ビビ様だけは何としても御守りせねば。

 たとえ我が身に代えても。

 

 護衛隊隊長が内心で決死の覚悟を固めていることに気付かず、ビビはこの任務で手柄を上げ、バロックワークス中枢に迫ることしか考えていなかった。

 これほど危険な任務で手柄を上げられたら、ビリオンズへの昇進は間違いないはず。もしかしたら、エージェントに抜擢されるかもしれない。謎に包まれているバロックワークスのトップや最高幹部達の情報を得られる機会もあるだろう、と。

 

 この時、ビビは正しく理解していなかった。

 自分が戦争に身を投じたことを。

 

        〇

 

 実のところ、海賊達の一斉襲撃はオイコット王国側にバレていた。

 暢気な東の海の海賊に機密保持や防諜の意識があるわけもない。飲み屋でベラベラ。表で堂々とペチャクチャ。そこらでワイワイガヤガヤ。情報は駄々洩れだった。

 

 当然、オイコット王国軍はこの情報を元に海賊の一挙撃滅を図り、海軍にも根回しを行って共同作戦を実施する。

 これまで動きが鈍かった東の海の支部海軍も今度ばかりはしっかり動き、臨時編成の討伐艦隊が組織された。

 巡洋艦3隻、フリゲート6隻、コルベット6隻。

 参加将兵の大半が志願者であり、極めて士気旺盛だった。

 

 グランドラインに憧れる者は海賊だけではない。

 一部の海兵もまたグランドライン――正確には海軍本部勤務を望んでいた。出世や権力や名誉を欲する上昇志向から。自身が何者であるかを示したいから。より多くの海賊を血祭りにあげたいから。支部勤務より給与が良いから。

 そうした海兵達にとって、この海賊討伐作戦は手柄を挙げるまたとないチャンスなのだ。

 

 加えて、此度の鎮定作戦にはオイコット軍総司令部から“口頭で”命令が出ていた。

 捕虜を取るな。降伏を認めるな。薄汚い賊徒共を一人残らずブチ殺し、その惨めな死に様を世間に晒せ。オイコットの国土に手を出せばどうなるか、東の海の端まで教えてやれ。

 

 そんな状況を露知らず、アラワサゴ島近海にほいほい乗り込んできた海賊船が居た。

 ココヤシ村出身の少女を乗せた海賊船が。

 

 

 

 

 払暁のアラワサゴ島沖に砲声が轟く。

 オイコット王国“義勇兵”を乗せた徴用武装船群――大砲を積んだ小型商船や大型漁船が餓狼の群れみたいに小柄な海賊船を追いかけ回していた。

「絶対に逃がすなよっ!」「沈めないよう注意しろっ! 喫水下には打ち込むなっ!」

 敵船を拿捕すれば、“多少”傷んでいても高額の褒賞金が出るため、武装船群の義勇兵達は酷く生々しい闘志と戦意を旺盛に発揮している。

 

「クソッタレ共がっ! 海賊を襲うなんてあべこべじゃねえかっ!! ええぃちきしょうっ!撃て撃て撃て撃てっ!! 奴らを追っ払えっ!」

 船長の裏返り気味の怒声と共に海賊船も艦載砲を放ち、徴用武装船群を追い払おうと試みるも、如何せんこちらは一隻で、向こうは複数隻。しかも船足で負けていると来た。

 

「何がひと稼ぎよっ! 私達の方が獲物にされてるじゃないっ!」

 追いかけ回されている海賊船の甲板にて、ナミは頭を抱えて物陰に隠れていた。そして、武装船群が単縦陣を取って弧を描くように海賊船を片翼包囲していく様を見て、

「――まずいっ!」

 ナミが逃げ出す猫のような勢いで後船楼内へ飛び込んだ直後。

 

 武装船群の火砲が合唱、砲弾の嵐が小柄な海賊船を滅多打ちにしていく。

 船体木皮が穿ち貫かれ、ヤードがへし折れ、索具が引き千切られ、帆が引き裂かれ、爆煙と粉塵と血煙が甲板も船内も満たしていく。海賊達は飛散した木片や弾殻片を浴び、吹き飛んだ船具に潰され、運が良ければ即死し、運が悪ければ苦痛という形で生命の力強さを味わった。砲声と爆発音の合奏が海賊達の悲鳴を掻き消している。

 

「ひぃいいい……っ!」

 ナミは頭を抱え、身を縮めて恐怖を吐き出す。

 

 10歳の時に故郷をアーロン一味に襲われて以来、海賊専門の泥棒として大海賊時代の渡世を生きてきた身だ。海戦を経験したことだってあるし、盗みにしくじって殺されかけたことだってある。

 

 しかし、これほど激しい鉄と炸薬の暴風雨を体験したことはなかった。

 今、ナミに出来ることなど何もない。ただ物陰に隠れ、固く目を閉じて身体を限界まで縮み竦め、自分が隠れているところへ砲弾が飛び込んでこないことを、何かに祈るしかなかった。

 

 不意に、絶え間ない砲声と破壊音、船体を揺らし続ける徹甲炸裂弾の嵐がぴたりと止んだ。不気味な静けさの中でナミに聞こえるものは、穏やかな波音と船体の軋みと死に損なった海賊達の悲鳴と苦悶だけ。

 

 ナミは怯える猫のようにそろりと物陰から這い出し、四つん這いのまま船体を穿った砲撃孔へ近づき、外を窺う。

 武装船群が海賊船から離れていく。この場から去るのではなく距離を取っていた。

 

 なんで? 仕上げに移乗制圧するんじゃないの?

 セオリーから外れた行動にナミが疑問を抱いた、刹那。

 

 島側から巨大な砲声が轟き、先ほどまでとは段違いの爆発音と衝撃にナミは亀のようにひっくり返った。

「きゃあああっ!?」

 床に体を打ちつけ、散らばる木片や何かの破片に綺麗な肌が傷つくも、ナミは痛みに意識を回している場合ではなかった。

 

 なぜ武装船の群れが離れたのか、理解してしまったからだ。

「沿岸砲で仕留める気なのっ!? どこまで念入りなのよっ!!」

 ナミはオイコット軍の強烈な殺意に慄く。

 

 それでも生存本能に従い、沿岸砲の砲撃で激しく揺さぶられる船内を這い進む。血塗れの死体や肉片の間を抜け、助けてくれと手を伸ばしてくる死に損ない達から逃げるように、ナミが後船楼の出入り口に向かえば、

 

「降参っ! 降参するからぁっ! もう撃つなぁっ! 撃つなぁっ! 撃つなよぉおっ!!」

 傷だらけの船長が船首に立ち、煤と血に汚れた白布を狂ったように振り回していた。

「降参するって言ってんだろぉお!!」

 

 瞬間、船首に沿岸砲の砲弾が直撃した。

 ナミは見た。見てしまった。船首が吹き飛ぶ際、爆炎と高熱圧衝撃波によって船長の身体が水風船のように弾け、蒸発する一瞬を。

 

 もはやナミは悲鳴を上げる余裕すらなかった。

 船首を砕きもがれた海賊船がつんのめるように沈み始める。まだ動ける数人の海賊達が我先と海へ逃れていく。ナミも衝動的に彼らの背に続き、払暁の仄暗い海面へ頭から飛び込んだ。

 無理もない。既に船は沈没を始めているし、死の恐怖に骨の髄まで竦み上がったところへ、『逃げられる』という光景を目の当たりしたのだから。

 

 しかし、オイコット軍は非情にも砲撃を繰り返す。沈みかけていた海賊船を完全に轟沈させ、海中に逃れた海賊達を砲弾の水中衝撃波で叩きのめす。

 ナミもまた大気中より高速で伝播する衝撃波に飲み込まれ、意識が薄れていく。

 ノジコ、ゲンさん、皆……ベルメールさん……

 

 この小柄な海賊船の撃沈がこの短くも激しい“戦争”の始まりだった。

 

       〇

 

 サイボーグ化されたトビウオライダーが吐き気を覚えるほど蒼い空と大きくうねる海の狭間を飛翔し、オイコット王国近海に進入する。

 ベアトリーゼは眼下に浮かぶ船体の木片やマストの切れ端などを見つけ、巨大トビウオを一旦着水させた。球形型ヘルメットを脱ぎ、周囲を見回しながら潮風を嗅ぐ。

「懐かしい臭いがする」

 

「に、に臭い?」

 後席で怪訝そうに首を傾げるドクトル・リベットへ、ベアトリーゼはアンニュイ顔に野蛮な微笑を湛えた。

「戦争の臭いだ」

 




Tips
アラワサゴ島
 オリ設定。
 オイコットが東京(TOKYO)の逆読みなので、小笠原(OGASAWARA)の逆読み。

アージャント・フューリー作戦。
 アメリカがグレナダ侵攻作戦につけた作戦名。

ベアトリーゼ。
 ついに来ちゃった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

61:想像と現実の違い

NoSTRa!さん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、拾骨さん、誤字報告ありがとうございます。



 小さな島を巡る戦争が始まって三日。

 

 オイコット王国近海で海軍とオイコット軍の武装船群が海賊と死闘を重ねる中、『解放軍』を自称する賊徒の軍勢がアラワサゴ島西岸に上陸を強行。激しい陸戦が繰り広げられていた。

 幾度かの小競り合いの後、戦場は三カ所に集約された。

 

 島の北部に立つアラワサゴ島最高地点。暗号名『フラムト』。

 

 島の中央部のリン鉱石採掘場と開拓村群。

 

 島の南部にある島唯一の港湾と都市部に通じる連絡道路(シーサイドハイウェー)

 

 全ての戦場と双方の戦力を合わせても、兵が万に届かぬ実に小規模な戦いである。

 しかし、戦いそのものは戦争と評して良いほどに激しいもので、オイコット軍の『捕虜を取るな。降伏を認めるな。一人残らず殺し尽くせ』という姿勢は、報復の連鎖を引き起こしていた。オイコット軍が捕らえた解放軍の兵士達を銃殺すれば、解放軍は捕まえた“義勇兵”を斬首し、三日目を迎えた頃には双方が捕虜をリンチに掛けて嬲り殺しにする始末だ。

 

 海軍支部准将プリンプリンは報告書へ次のように記している。

『まるで冥界の門が開かれ、悪鬼の群れが溢れ出たようだ』

 

     〇

 

 アラワサゴ島の第6開拓村は既に残骸と化していた。

 民家や納屋は一つ残らず破壊され、焼け落ち、廃墟となっている。憩いの場であったろう広場を始め、あちこちにオイコット軍の重砲による大きな砲撃孔が穿たれていた。

 そんな残骸と化した第6開拓村が、この日の中央部の戦いにおける焦点だった。

 

 砲撃の噴煙が霞のように漂う村内は、元々の陽気に加えて戦闘の炎熱によって空気が煮えている。その煮えた空気は煤と火薬と死体の臭いに満ちていた。

 青い腕章を巻いたオイコット軍の義勇兵達も、黄色い腕章や鉢巻を付けた解放軍の兵士達も、汗みずくで頭のてっぺんから爪先まで煤と土汚れに塗れ、黒ずんでいる。

 双方の兵士達は廃墟や砲撃孔に潜り込みながら、銃弾を浴びせ合い、擲弾を投げつけ合い、刀剣類や銃剣やスコップで殺し合う。

 

 稀に生じる戦闘の切れ目。そのわずかな時間に負傷者を後退させ、弾薬を補給し、少しばかりの飲食を取り、そそくさと排泄を済ませ、せっせと掩体を掘ったり民家の土台石を積み上げて急造陣地を作ったり、敵情に探りを入れたり、隙を突いて狙撃したりする。

 

 そこに原作の活劇チックな混戦乱闘はなかった。

 悪魔の実の能力者や覇気使いや常人離れした戦士のいない戦場は、ただただ現実的で無慈悲な戦闘が行われている。

 

 夜明け前に始まった戦いは、朝を過ぎ、昼を越え、おやつ時を迎えた頃。いよいよ山場を迎えた。

 義勇兵の指揮官は応援を求めて電伝虫に怒鳴り、解放軍の指揮官は増援を欲して電伝虫に吠える。

 先に兵力強化を成功させた方が、この場の勝利者となるだろう。

 

 そして、先に第6開拓村へ現れたのは、解放軍の方だった。

 

 が。

「うわぁああああっ!!」「助けてくれぇっ!」

 現れた解放軍の兵士達は増援というより、敗残兵達が逃げ込んできたような有様だった。

 

 戦場に戸惑いが生じ、戦闘交響曲の演奏がにわかに止まったところへ、

「ようやく味方が居たか。散々探し回ったぜ、まったく」

 敗残兵達に続き、両手で持つだけでなく口にまで刀をくわえた若い剣士が現れる。

 

 緑髪の頭に黒布を海賊巻きした若き剣士ロロノア・ゾロは、なぜか物凄くうんざりしていた。

 

「ひゃああ、来たぁあっ!?」「皆、逃げろ、ぶった切られるぞぉ!!」

 と、ゾロを目にした敗残兵達が血相を変え、再び逃げ出す。その恐慌振りに解放軍の兵士達がギョッとし、対峙する義勇兵達は反射的に身を晒した敗残兵達へ銃撃を加える。

 

 戦闘交響曲が一瞬で再開される。銃声が幾重にも連ねられ、弾丸が吹き荒れた。

 

「ここも銃ばっかりかよ。剣士はいねえのか、剣士は」

 ゾロは辟易顔を浮かべてぼやき、

「とりあえず、この場を押さえねェと味方と話も出来ねェか」

 三本の刀を構えて敵中へ向けて駆けだした。

 

 自殺的な蛮勇に義勇兵達が制止の声を発しようとした刹那。

 

「三刀流……鬼斬りっ!!」

 交差させた三刀を広げるように振るいながら放つ突進技に、解放軍の兵士達が文字通り吹き飛ばされた。鮮血が飛び散り、斬り飛ばされた腕や両断された小銃が宙を舞い、斬られた兵士達が戦場に転がっていく。

 

 ゾロの進撃と斬撃は止まらない。

 馬手の刀で敵を袈裟に斬り、弓手の刀で敵を逆上げに斬り、口にくわえた和道一文字で敵を横薙ぎに斬る。

 飛来する銃弾を切り落とし、軍刀やスコップの剣林を切り払い、銃剣の槍衾を切り飛ばし、剛の剣が肉を裂き、豪の剣が骨を断つ。三本の刃が振るわれる間合いに入った全てが斬られていく。

 

 その姿はまさに剣鬼だ。

 

「うわぁあああっ!?」

 ゾロの激烈な蹂躙は解放軍の兵士達の士気崩壊を引き起こし、

「今だっ! 総員、あの三本持ちに続けっ! 突撃っ!」

 ゾロの強烈な活躍は義勇兵達の士気爆発を招く。

 

 恐慌状態に陥った解放軍の兵士達は義勇兵達の突撃を抑えきれず、たちまち壊走。

 かくして、第6開拓村の戦いはロロノア・ゾロによって決着を迎えた。

 

 

 

 で。戦闘後。

 

 

 

「第2開拓村? そりゃ採掘場を挟んで反対側だぞ。なんでこんなところにいる?」

 義勇兵の指揮官がゾロへ問う。その顔つきはどこか険しい。

 たった一人の応援にして勝敗を決する活躍を果たしたヒーローだが、怪しいところがあれば……

 

「こっちが聞きてェよ。第2開拓村? とやらへ行けって言われたから、いざ向かってみりゃあ、いつまで経っても辿り着けねェし、出くわす奴は敵ばかりだし、騙されてんのかと思ったぞ」

 言い訳するどころか悪態を吐き、ゾロは腹をグーグー鳴らしながら告げた。

「何か食いもんと酒はねえか? 朝から迷いっぱなしで飲み食いしてねェんだよ」

 

 指揮官は後始末を指揮監督する務めを抱えており、この太々しく図々しい若造について考えることが面倒臭くなった。腰の雑嚢からスキットルを抜き、ゾロへ放る。

「食い物は用意させる。とりあえず、そいつを呑んでろ。急場を救ってくれた礼だ」

 

「遠慮なく貰っとくぜ」

 ゾロが言葉通りスキットルを呷り始め、指揮官は小さく頭を振って踵を返す。

 

 味方の死傷者が集められ、手当てと簡易埋葬が行われる。敵の死者は砲撃孔へ投げ込まれ、油を掛けて焼き捨てられた。捕らえられた敵は私物を全て奪い取られ、別の砲撃孔へ連れていかれ、次々と殺されていった。慈悲もなく、許容も無い。

 捕虜が処刑されていく様を、オイコット軍宣伝班が写真と映像電伝虫に収めている。

 

 悪趣味なこった。ゾロは顔を背けるように瓦礫へ腰を下ろし、スキットルを傾けながら鼻息をつく。

 武人の端くれであるゾロは、抵抗できない者や敗れた者を容赦なく殺害することが気に入らない。口にも出した。『もう戦えない奴まで殺すことはねェだろう』と。

 

 だが、オイコット軍の兵士達は血走った目つきでゾロを睨みつけた。

『雇われ兵が口出しするなっ! こいつらを一人残らずぶち殺して、東の海中に教えてやるんだっ! 俺達の国に手を出したらどうなるかってなっ!!』

 当事者達の怒りと憎しみの激しさに、ゾロは閉口したものだ。

 

 ゾロはスキットルを呷って思う。こういう戦いは気が乗らねえ。それに……

「これだけ荒事師が集まってて、ドンパチばっかりってェのは無しだろ。チャンバラもしろよ」

 戦争は集団による鉄と炸薬の殴り合いばかりで、英雄譚や軍記モノで聞いたような個人の勇気と名誉を賭した武の競い合いが、まったくなかった。

 

 物足りない。まったく物足りない。

 ゾロは溜息をこぼし、スキットルを傾ける。も、既に空だった。思わず仰々しいほどのげんなり顔を作る。

「チャンバラはねえし、敵に強ェ剣士はいねェし、おまけに酒もねェ。散々だな」

 

 ゾロは知らない。この日、迷子の間に出くわした複数の解放軍部隊を潰したことで、解放軍から優先殺害目標にされたことを、まだ知らない。

 

       〇

 

 夜闇を払う照明弾の光を浴び、銃剣がぬめった輝きを放つ。

 怒鳴り叫びながら駆けるオイコット軍義勇兵達の顔は興奮と恐怖と狂気で引きつり、さながら悪鬼のようだ。

 

 解放軍の野戦陣地から迎撃の斉射が始まり、弾丸の嵐が義勇兵達を削ぐように倒していくが、突撃は止まらない。義勇兵達は死傷者を置き去りにしながら、着剣した小銃を強く固く握りしめて走り続ける。

 20メートル。15メートル。10メートル。5メートル。そして――

 

 義勇兵達が次々と解放軍の陣地へ飛び込み、銃剣で刺突し、銃床で殴りつけ、擲弾を投げ込み、拳を叩きつけ、相手の首を絞める。

 顔の皺や睫毛がはっきり見え、吐息や唾が掛かる距離で繰り広げられる殺し合い。

 

 その最中――

「夜這いはお断りよ~」

 縦にも横にもデカい女が業務用冷凍庫染みた体躯で軽妙に躍動し、長大なモンキーレンチをバトンのように振り回し、ぐちゃりと義勇兵達の手足を殴り潰し、ごしゃりと義勇兵達の胴体を殴り砕き、ぐしゃりと義勇兵達の頭蓋を殴り割る。まるで二本足の粉砕機だ。

 

「ボンクラ共が~っ! 晩酌くらいさせやがれっ!!」

 デコに『7』と瘢痕を入れたガラの悪い男が毒づきながらサーベルを振るう。不気味な瘢痕や悪趣味な柄シャツや先端の尖ったブーツなどチンピラ紛いな容貌とは裏腹に、『7』男の剣は正統派のサーベル術で兵士達の命を滑らかに刈り取っていく。

 

 秘密犯罪会社バロックワークスの幹部二人が獅子奮迅の活躍をする中、イガラッポイと偽名を称する王国護衛隊長イガラムがバロックワークス・ミリオンズの面々を指揮する。

「浮足立つなっ! 敵はそう多くないっ! 落ち着いて対処しろっ!」

 

 ビビは仲間達と共に着剣した小銃を手にした。愛用の刃鞭は混戦に不向きだ。味方を巻き込みかねない。次々と打ち上げられる照明弾の灯りと腕に巻いた布の色を頼りに敵味方を見分け、銃弾を放つ。

 夜闇に轟く無数の銃声と爆発音と怒号と罵声と悲鳴と断末魔。14歳の少女は恐怖を感じる余裕などない。指揮を執るイガラムと周りの仲間と掌中の銃の熱を頼りに、ひたすら引き金を引くだけだ。

 

「死ねぇえええええええええっ!!」

 その時、ビビの横合いから義勇兵が刃付けしたスコップを振り上げて突っ込んできた。

 

 ビビが反射的に銃口を向けると、義勇兵は銃剣に飛び込む形になった。

 どすり、と銃剣が肉に刺さる感触が手に伝わり、

「ひっ」「ぎゃあっ!!」

 ビビと義勇兵の悲鳴が被り、目が合う。

 

 ビビを殺そうとし、ビビが銃剣を刺した義勇兵はまだ少年だった。その面差しに幼馴染(コーザ)の顔が脳裏によぎった。

 義勇兵が倒れ込み、ビビが慌てて銃剣を引き抜こうとするも、刃が筋肉に締め上げられて引き抜けない。結果として銃剣で腹をぐりぐりと抉られた義勇兵が吐血しながら泣き叫ぶ。

 

 意図せぬ自分の所業と銃剣が抜けない現実に、ビビはパニックになる。顔を冷汗と涙と鼻水で汚しながら銃剣を引き抜こうとするも、根が張ったようにビクともせず、義勇兵の凄惨な悲鳴によって増々恐慌に駆られていく。

 

「何やってんだっ! 引き金を引けっ!」

 仲間のミリオンズに怒鳴られるがまま引き金を引けば、発砲の反動でずるりと銃剣が抜けた。ビビは奇妙な安堵感を抱きつつ、若い義勇兵がゆっくりと絶命していく様を見つめた。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

 恐怖の夜は二時間ほどで終わりを迎え、味方の救助と残敵の始末が進められる中、ビビは物陰に身を潜め、血と泥に汚れた両手で顔を覆い、声を押し殺して泣いていた。

 戦闘が終わって興奮と恐怖と抜けると、殺人の罪悪感と自己嫌悪、生き残った安堵など様々な感情がぐちゃぐちゃに乱れ混じり、ビビは涙が堪えられなかった。

 

 バロックワークスに潜入して以来、賞金稼ぎとして犯罪者を死傷させ、窃盗や強盗など組織の悪事に加担してきた。修羅場を潜ってきたという自信があった。祖国を救うために手を汚すことも辞さぬ覚悟もあった。

 しかし、戦争の残酷さと狂気と恐ろしさはビビの想像を超えていた。健やかな精神を持つ14歳の王女にとって、この島の戦はあまりに無惨で残虐だった。

 憎悪と憤怒に満ちた戦いは苛烈極まりなく。捕虜に対する暴力はあまりにおぞましく。

 

 たった三日。わずか三日でビビの心は擦り切れそうになっていた。

 祖国を救うためという決意が挫けそうになるほどに。

 

 同時に、ビビの覚悟は刷新されてもいた。この島で起きているような戦禍を、なんとしても防がなければならない、と。

 この三日間の経験で、ビビは確信した。

 もしも、アラバスタでこの島のような戦争が起きたら、二度と元には戻れない。

 

 血と泥に汚れた手で目元を拭い、ビビは火薬と死の臭いに満ちた空気で深呼吸し、努めて気を静める。

 朝靄をゆっくりと溶かしていく早朝の曙光を見つめ、ビビは強く誓う。

 絶対に生きて帰り、バロックワークスの正体を明らかにしてみせる、と。

 

       〇

 

 蜜柑畑。真っ青な空。蜜柑の木々の隙間から覗く遠景の海辺。

 木々に実った蜜柑は黄色く熟れていて、甘酸っぱそうな香りが漂っている。ナミは蜜柑を突き、皮の弾力を確かめて思う。

 やっぱり。これ、ウチの蜜柑だ……

 

 きょろきょろと周囲を見回し、蜜柑の木々の間に人影を見つける。

 ノジコ……? いえ、あのモヒカンっぽいポニーテールは……嘘、そんなはず……でも……っ!

 

 気づけば、ナミは人影の背を追って走り出していた。

 しかし、走っても走っても人影に追いつけない。さして広くなかったはずの蜜柑畑は終わりなく続き、人影との距離は一向に縮まらない。

 

「待ってっ! ねえ、待ってよっ! ベルメールさんでしょっ!? ベルメールさんっ!!」

 ナミは人影へ呼びかけながら走り続ける。体中の汗腺から汗が吹き出し、服はおろか下着まで濡らしている。肺が苦しい。気管が苦しい。息が続かず、喉が痛い。手足も重くなってきた。

 

「待って……待ってよ。お願いだから、待ってっ!」

 それでも、ナミは人影を追い続ける。体が安めと悲鳴を上げても手足を必死に動かし続ける。汗を振りまき、空気を求めて喘ぎ、涙を流しながら遠くにある背中へ手を伸ばし、ナミは人影に向かって叫ぶ。

 

 

「おかあさんっ!!」

 

 

 自分の叫び声にナミは目を覚ました。眼前に潜水服姿のハゲジジイの顔があり、その手が自分の服を半ば脱がしていることに気付き、

「きゃああああああああああああああああああっ!?」

 ナミは防衛本能のままに悲鳴を上げ、老人の顔面へ拳を叩きつけた。拳に老人の鼻を潰す感触を覚えながら容赦なく振り抜く。

 

「あだっばああああああっ!?」

 老人が悲鳴を上げながら仰向けに倒れ込む。

 

「な、なな何してんのよあんたっ!! この変態っ! レイプ魔っ! 女の敵っ!!」

 ナミは半ば脱がされた着衣ごと身体を抱えて後ずさりし、老人へ罵詈雑言を浴びせた。

 

「あばばばば」

 老人は苦悶したままで返答しなかった。鼻を押さえる両手の隙間からぼたぼたと血が流れている。どうやら鼻骨がイッたらしい。

 

 ナミは素早く周囲を見回す。

 然程広くない密閉空間。防水布製のテントだろうか。フワフワと揺れる体感と外から聞こえる潮騒。ひょっとしたら海上をぷかぷかと浮いているのかもしれない。

 

 なんにせよ、変態ジジイと一緒に居たくない。ナミは貞操の危機から脱すべく立ち上がろうとし、

「っっつうっ!!」

 瞬間、体の芯から激痛が走って崩れ落ちた。呼吸するだけで体が軋み、内臓が悲鳴を上げる。生理反応として涙が滲むほどの痛みに加え、体が重く熱く、力が抜けていく。

 な、何が一体どうなって……

 

 ナミが苦悶しているところへ、テントの出入り口が開かれた。

 

 二十代前半頃の小麦肌をした美女。癖の強い夜色の長髪をローテールの御団子に結いまとめ、すらりとした長身をタイトな潜水服に包んでいる。

 そして、暗紫色の瞳が映えるアンニュイな美貌。

 

 ナミはどこかで美女を見た覚えがあった。が、痛みと熱に頭が回らず思い出せない。

 

「ドクトル、何を騒いでるんだ?」

 美女は禿頭の老人の様子に眉をひそめて訝り、次いでナミの覚醒に気付いて端正な麗貌に柔らかな微笑が浮かべた。

「目が覚めたのね」

 

「あ、あんた達、誰よっ!? 私をどうする気っ!?」

 ナミが苦痛と熱に息を乱しながら睨むも、美女は子猫を相手にしているように微笑みを崩さず、鼻を押さえて苦悶している老人へ目線を戻す。

「おいおい、ドクトル。鼻血イワせてどうした。ひょっとして、この娘にイケないことしようとしたの?」

 

「ふざけるな!!診察のために濡れた着衣を脱がせようとしたらいきなり殴られたんだ!!あああ鼻が折れたぞ!?助けられた礼を言うどころかいきなり暴行するなど……ありえないありえないありえない!!なんて無礼で非文明的な野蛮人なんだ!!」

「そりゃご愁傷様」

 早口で喚き散らす禿頭の老人に、夜色髪の美女はナミへ向けたものとは別物の冷笑を返した後、再びナミへ目線を戻す。

「いろいろ説明して欲しいだろうけれど、まずはそこの爺様に診て貰った方が良い。一応は医者の真似事が出来るからね」

 

「真似事とはなんだっ!私はこの世界でも指折りの生命学者だぞっ!そこらの医者よりよほど人体の構造に精通しているんだっ!それを変態だのレイプ魔だの名誉毀損も甚だしいっ!このような扱いは極めて遺憾だっ!」

 老人が鼻を押さえながら憤慨するも、小麦肌の美女は気だるげに目を細めただけ。

 

 その表情に、ナミは美女の正体にようやく思い至る。

 覚えがあるはずだ。何度も手配書で目にしてきたから。

『悪魔の子』と組んで10代の内から西の海やグランドラインで海賊やマフィアを獲物にし、海軍を蹴散らしてきた女強盗。

 ここ数年は個人(ソロ)で暴れまわり、今や下手な海賊団の賞金総額(トータルバウンティ)より高額な賞金を懸けられた女。

 その名は――

 

「血浴の、ベアトリーゼ」

 ナミがどこか茫然とした調子で呟く。

 

「あら。東の海でも私の顔と名前が知られてるのね」

 微苦笑を返すベアトリーゼ。

 

「あ」ナミは言葉に詰まる。

 実際のところ、東の海において、同海と関わりが皆無に等しいベアトリーゼの知名度はさほど高くない。ナミが個人的にベアトリーゼへ関心を持っていただけだ。

 

 同じく海賊を獲物とする女悪党として、悪党共を血祭りにあげて大金を奪い取る活躍に痛快さを抱いていた。個人で海賊団を撃滅させるベアトリーゼの強さに羨望と嫉妬を覚えていた。

 自分も彼女くらい強かったら。自分も彼女のように振る舞えたら、と。

 

 同時に不安も生じていた。

 伝え聞く血浴のベアトリーゼは海賊に冷酷極まるという。もしも自分が魚人海賊団アーロン一味の一人と知られたら……

 

「……何がどうなってるの?」

 ナミが可憐な顔と不安げに曇らせながら、おずおずと尋ねる。

 

「どうもこうも、漂流していた貴女を見つけたから船乗りの仁義として救っただけ。それで手当てしようとして、まあ、善意に仇で返されたってところかな」

 ベアトリーゼは鼻を押さえているドクトルを一瞥し、ナミへ問う。

「さて。貴女はどこの誰さんで、どうしてドンパチをやってるオイコット王国の海に流されてたのかなぁ?」

 

 冷たい暗紫色の瞳に見つめられながら、ナミは痛みと熱で鈍る頭で必死に考える。

 海賊に対して冷酷非情な女強盗を言いくるめられる理由を。




Tips
プリンプリン准将。
 原作キャラ。アーロン一味の強さを表現するために登場した一発屋。原作での生死は不明。

ゾロ
 アラワサゴ島紛争におけるFOE。

ビビ
 真っ直ぐな彼女はこの凄惨な戦争で何を知り、何を学び、何を誓うだろうか。

ナミ
 野蛮人に拾われ、オイコット編からリタイヤならず。

ベアトリーゼ。
 澄まして大人ぶっているけれど、漂流しているナミを発見した時はビックリ仰天。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

62:泥棒猫ちゃんといっしょに

相馬小次郎さん、佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、腹黒薩摩さん、誤字報告ありがとうございます。

お待たせしました。今回はちょっと文字多め。


「これが、トビウオ?」

 ナミはテントの出入り口から表を覗き、小型の鯨ほどある巨大な、加えて半機械化された得体の知れないトビウオを見て目を瞬かせる。16年生きてきてこんなもの見たことがない。

 

「グランドラインにはもっとイカレたものが掃いて捨てるほどあるよ」

 ベアトリーゼがどこか楽しそうにくすくすと喉を鳴らす。

 

 ナミはベアトリーゼ達と簡単に名前を交換した後、状況を簡潔に説明された。

 どうやら乗っていた海賊船を沈められた後、自分は船体の残骸に引っ掛かって漂流していたらしい。そこをベアトリーゼが発見。トビウオライダーを着水させて海上テントを広げ、ナミを救助し、診察と手当てをしようとしていたとのこと。

 

 まあ、診察はナミの覚醒で中断されたが。

 

 対して、ナミはベアトリーゼに民間貨物船の航海士見習いと名乗った。オイコット近海に急増した海賊に襲われて船を沈められた……と。口から出まかせだが、航海士としての知識はあるし、この辺りの事情はベアトリーゼより詳しいから誤魔化せられる。裏取りも出来ない……はず。

 

 ベアトリーゼはアンニュイ顔でナミの説明を聞いた後、改めてドクトル・リベットにナミの診察と簡単な手当てを行わせた。

「みっみ右肋骨が二本、ひひ左の肋骨が一本。折れる寸前だ。そそそれと、おっ溺れた時に雑菌が入ったのだろう。はっは肺炎を起こしかけている」

 

 鼻に当て布を張ったドクトル・リベットが恨みがましい目でナミを見据えながら、診察結果を語り、手当の準備を進めていく。

「ま、ままず圧迫固定からだ。ふ、服を脱ぎたまえ」

 

「……脱がなくても服をめくれば良いでしょ」

 ナミは『お前に裸を見せたくない』と迂遠に告げる。本音は脱衣して左肩の刺青を晒したくなかったからだが。

 

「す好きにしたまえ……っ!」苛立ちを隠さないドクトル・リベット。

 濡れた上着を大きくめくり、ブラに収まったサイズ86の胸が顔を出すも、ドクトルは微塵も関心を示さず(それはそれでナミの自尊心を損ねたが)、ヒビが入った左右の肋骨を支えるように当て布を巻き、圧迫固定した。

 

 身体の痛みが大きく和らぎ、ナミはほっと息を吐いて上着の裾を下げる。

「ろっろ肋骨に負荷がかかる動きは、ひ控えたまえ。そそそれと、この抗生剤をのっ呑んでおくように」

 ドクトルが救急箱から薬剤瓶を取り出し、ナミへ錠剤を二粒渡した。

 ナミは錠剤を呑み下し「どれくらいで治るの?」

 

「き、き君が回復力の高い体質でないなら、いいっ一週間は安静にしておけ」

「一週間? 無理よ。そんなに休んでいられないわ。早く村に帰らないと……」

 ドクトルの回答に、ナミが困り顔を浮かべる。

 あまり帰りが遅れれば、アーロンが逃亡を疑うかもしれない。ココヤシ村やノジコ達に何をされるか分かったものじゃなかった。

 

「そ、そそんなことは知らんよ」ドクトルは冷淡に突き放す。

「何よ、それ」ナミはムッとして「あんた、医者のくせに患者に対して無責任ね」

 患者の抗議に対し、ドクトルは諸々の道具を片付けながら淡白に嘯く。

「わわ、私は医者ではない。せっ生命学者だ」

 

「? ? ?」ナミは困惑して「訳わかんない。“血浴”といい、あんたといい、東の海で何を――」

「ナミちゃん。あまり詮索しないで。口封じしないといけなくなる」

 テントの外、トビウオの前席で海図を見つめていたベアトリーゼが、飄々と警告を飛ばす。

 

 ナミは口を噤みつつ、眉を大きく下げる。ちゃん付け呼び自体はともかく、その響きが半人前の子ども扱いという点がよろしくない。アーロン一味の海図制作士として、海賊専門の泥棒として、既に5年以上も海の渡世を生きているのだ。ちゃんと一人前扱いして欲しい。

 

 ナミの思春期らしい自尊心と反発を余所に、ベアトリーゼは思案していた。

 割と困り気味に。

 

 こんなところに主人公御一行のヒロイン様が居るとはねえ……ほんと、海に浮いてるところを見つけた時は驚きすぎて宇宙猫になりかけたわ。

 

 しっかし……どーしようっかなぁー……

 下手に深く関わったら私がアーロン一味潰すことになりかねないよね? 最弱の海でイキってるサカナ共なんざ5分もあれば皆殺しに出来るけど、それは……ちょっとなぁ……

 

 ココヤシ村の一件は、誰にも頼らず恃まず独りで戦い続けてきたナミが、ルフィ達を仲間と認めて助けを求め、麦わら一味に加わる超重要エピソード。加えて言えば、ルフィが戦いの間、最も大事な宝である麦わら帽子をナミに預けるという最高にエモいシーンがある。ニワカとはいえ、ファンとしてこのエピソードをワヤにしたくない。

 

 原作の流れを別にしても、麦わら一味において、ナミは胆の人物。天候観測と海図作りに天賦の才を持つ航海士で、渡世の生き方を心得た賢い交渉人で、麦わら一味の金庫番。ナミは麦わら一味において、未来の海賊王にとって超重要人物なのだ。

 

 時期的にもよろしくない。原作開始までもう二年を切っている。ここで大きな変化をもたらした場合、リカバリーが利くか怪しい。海賊王の行く末を見届けたい身としては、原作の大きな――よろしくない方向への改変は望ましくない。

 

 ベアトリーゼはちらりと横目にテント内のナミを窺う。

 もうちょい早く出会えていれば、ロビンのように深く関わっても良かったんだけどなあ。うーん……やっぱり原作開始までアーロンの許で耐え忍んでいただきますか。

 

「私達の補給がてら最寄りの島へ連れて行ってあげるから、その後は入院するなり、故郷の村に帰るなり、好きにすれば良いさ。ただ……問題が一つある」

「問題って?」とナミは不安げに合いの手を入れる。

「その最寄りの島が戦争を始めちゃってるんだなぁ……」と遠い目のベアトリーゼ。

 

「ほ、ほ他に近場の島はないのかね?」

「あることはあるけど、作戦海域内なんだよ」

 ドクトルに応じながら海図から顔をあげ、ベアトリーゼはナミに尋ねた。

「この辺りの情勢や状況について何か知ってる?」

 

「戦争が始まってからのことは全然。ただ……この戦争はいろいろヤバいわ」

 砲弾の雨に晒された時のことを思い出し、ナミは小さく身を震わせた。

 

「深入りは危険か」

 ベアトリーゼは海図を見つめ、

「とりあえず、アラワサゴ島から少し離れたところにあるオウィ島に行ってみよう。道中に海軍かオイコット軍に出くわしたら、上手いこと逃げるか。いや、事情を話して“遭難者”のナミちゃんだけでも保護して貰った方が良いかな?」

 ちらりとナミを見る。

 

「お、お気遣いなく。高額賞金首の仲間だと思われたら大変だし、逃げる方向で良いです」

 ナミは首を横に振った。海軍やオイコット軍に接触されたら素性がバレかねない。間違いなくこの海域で一番危険な女に敵認定されたら……想像もしたくなかった。

 

「そりゃそうだ。じゃ、オウィ島に直行しますか。あ」

 思い出したように呟き、ベアトリーゼはトビウオライダーを見回した。

「……こいつ、2人乗りだったわ。3ケツはできなくも無いけど、どうしよっかな。ドクトルをロープで引きずっていくか」

 

「きっきき君は私をな何だと思ってるんだね!?」

 あまりにもあんまりな提案に憤慨するドクトル・リベット。

「面倒臭い荷物」と真顔で即答するベアトリーゼ。

 

「……あんた達、本当になんなの?」

 もっともな疑問を呈すナミへ、ベアトリーゼは口元に人差し指を添え、にやり。

「ないしょ」

 

        〇

 

 アラワサゴ島紛争、開戦から4日。

 海上の戦いは海軍とオイコット軍水上部隊が海賊の集団を圧倒し、島内の戦いもオイコット軍側が優位に立ちつつあるようだ。

 

 妥当と言えば妥当だろう。

 海賊が群れを成したところで所詮は烏合の衆。艦隊運動も作戦の協働もままならぬ連中が艦隊戦で海軍に勝てる道理などなく、オイコット軍水上部隊の群狼戦術に対抗できるはずもない。

 

 結局のところ、よほどの不利や劣勢を覆せる軍事的要素、あるいは余程の強者の存在が無ければ、海軍が海賊如きに負けることはない。艦艇でも装備でも人員の質や練度でも優位なのだから。

 

 そして、アラワサゴ島紛争は硫黄島やアッツ島のような孤島を舞台にした戦いであるため、海上補給線を断たれた側が不利に陥ることは当然の帰結。まあ、敵である『解放軍』とやらはその辺を甘く考えていたようだが。

 

「こりゃダメだな。ボンクラ共は勝てそうにねえ」

 解放軍の後方陣地の一角。

 秘密犯罪会社バロックワークスの下級幹部ミスター・7はデコの瘢痕を掻きながら、忌々しげに吐き捨てた。元よりチンピラ然とした容貌と身なりだけに、不機嫌面を作ると酷く怖い。

 

「それどころか~負けが見えてきたわね~海を押さえられたら、私達の脱出も難しくなるわ~」

 業務用冷凍庫染みた体躯のミス・ファーザーズデーが、こてこてのアニメ声で相棒の見解を肯定する。その顔はミスター・7に負けず劣らずの渋面になっていた。

 

「では、任務中止をして脱出、かね?」

 イガラムの問いかけに他のミリオンズ達が微かに期待を抱く。

 

 この4日間でミリオンズ達は完全に憔悴していた。腕っぷしに自信があり、犯罪組織の一員として切った張ったやタマの取り合いに慣れていると言っても、戦場の“それ”は桁違いの段違いだった。しかも互いに捕虜を嬲り殺し合うような、陰惨かつ凄惨な戦いが繰り広げられている。一言で言えば、彼らはこの殺戮の島にうんざりしていた。

が。

 

「ボンクラ共が。東の海くんだりまで足を運んで手ぶらで帰れるか」

 ミスター・7はイガラムを始めとするミリオンズの期待を蹴り飛ばし、瘢痕だらけの浅黒い腕を組んで続ける。

「当初の予定通りにオイコット軍の金を狙う。ただし、港湾攻略戦のどさくさに紛れる計画から、オイコット軍の義勇兵に化けて潜入する方針に変更だ」

 

「潜入?」とビビが『そんなことが可能なのか』と言いたげに訝る。

 風呂どころかシャワーを浴びることもできないため、ビビは随分と汚れていた。美しい髪も脂と汚れで青みが濃くなっている。それでも美貌が衰えていないのは、七難を隠す若さのおかげか。素地が素晴らしいからか。

 

「義勇兵共は制服を着てるわけじゃねえ。こっちと同じく腕に腕章を巻いてるだけだ。化けることは難しくねェ。合言葉やなんかは適当にとっ捕まえた捕虜から聞き出しゃあ良い」

「そういうことなら~私はちょっと不向きね~私って人に覚えられ易いから~」

 こてこてのアニメ声で微苦笑をこぼすミス・ファーザーズデー。なるほど、その業務冷凍庫並みの図体は覚えられ易かろう。

 

「ミス・ファーザーズデーは2人連れて陽動に当たれ。残りのボンクラ共は俺と一緒に潜入を――」

 ミスター・7が計画について語っているところへ、

 

『ミスター・トゥコ。居るか? 話がある』

 解放軍の参謀らしき男がナンバー・7の偽名を呼んだ。

 

 小さく舌打ちし、ミスター・7はミリオンズを見回した後、ミス・ファーザーズデーへ告げる。

「仕方ねえ。ミス・ファーザーズデー。ボンクラ共へ説明の続きをしておいてくれ」

 

「任せて~しっかりお話ししておくわ~」

 ミス・ファーザーズデーは気の抜けるアニメ声で相棒に応じ、ビビ達へ向き直った。

「それじゃ~皆~しっかり聞いてねえ~」

 

 業務用冷凍庫染みたビッグサイズな美女が悪企みの内容を説明している間、呼び出されたミスター・7は解放軍の参謀から“依頼”を持ち込まれていた。

 

「“海賊狩り”、“三刀流”ロロノア・ゾロか。こいつを俺に狩れ、と?」

 ミスター・7は渡された資料を左手に持ち、右手でデコの瘢痕を掻きながら依頼を反芻した。

 

「歳若いが、かなりの手練れだ。既に幾つも部隊を壊走させられている。中央部の戦いが劣勢に追い込まれた要因の一つだ。しかも、性質が悪いことに、こいつはどうやら戦場の自由選択権を持った一匹狼(ワンマンアーミー)らしい。部隊に所属せず気ままに戦場を徘徊し、遭遇した我らの部隊を叩いて回っている。罠や待ち伏せが難しい。今や末端の同志達は奴の姿を見ただけで逃げ出す始末だ」

 参謀は疲労の濃い顔を憎々しげに歪め、ミスター・7へ険しい目を向けた。

「グランドラインから来た最精鋭の君に奴を倒して貰いたい。出来れば、一対一の決闘で」

 

「倒すことは構わねえが……なんでそんな面倒くせえ真似を?」

 怪訝そうに眉をひそめるミスター・7へ、参謀は眉間に深い皺を刻む。

「君も察しているだろう。戦況は芳しくない。兵達を鼓舞するには分かり易い戦果が一番だ」

 

「なるほど。話は分かった」

 ミスター・7は少し考え込み、悪人笑いを湛えた。

「仮にこいつをこちら側へ引き込むことが出来たら、それでも良いか?」

 

「引き込む? そんなことが可能だと?」

 目を瞬かせて反問する参謀へ、ミスター・7は口端を大きく歪める。

「義勇兵なんて呼ばれちゃあいるが、所詮は金目的の戦争犬だ。より美味い餌がありゃあ尻尾を振るかもしれねェだろう? 失敗したら予定通り殺せばいいだけだ」

 

 参謀は眉間に刻んだ皺をさらに深くし、少し考え込んだ後、頷いた。兎にも角にもこの戦争に勝たねばならない。であるなら。

「多くの同志がこいつに斬られている。簡単には受け入れられない……が、この戦いに勝利するためなら、怒りと恨みは胸の奥にしまおう」

 同意は成された。

 

 ミスター・7は歪んだ笑みを大きくする。

 秘密犯罪会社バロックワークスは腕の立つ荒事師を勧誘していた。引き込んだ者が優秀で成果を上げれば、勧誘者にも褒賞が出る。

 

 そうした組織の事情を抜きにしても、現在の戦況で強力な駒であるロロノア・ゾロを引き抜くことは、オイコット軍側に少なくない動揺をもたらすだろう。何より、ロロノア・ゾロを利用できたなら、本命であるオイコット軍の金をより奪い易くなる。

 ロロノア・ゾロが愚かにもこの勧誘を蹴ったなら、解放軍の求めるままに斬ってしまえば良い。

 

 ま、ちょっとした余興みてェなもんだな。

 悪意的に嗤うミスター・7はまだ自分の運命を知らない。

 

      〇

 

 澄んだ朝空の下、波浪穏やかな海面を巨大トビウオが飛ばずに泳いでいる。

 なんてことはない。ナミの潜水装備が無いので飛翔――着水――水泳加速――飛翔のプロトコルを採ると、怪我人のナミに負担がキッツイのだ。仕方ないので、海面を泳がせている。まあ、それでも下手な船よりずっと速いが。

 

 ちなみに、乗車ならぬ乗“魚”位置は前席ベアトリーゼ、後席にナミ。ドクトルは後席の後ろに設けられていた荷物の積載スペースに“詰まれて”いる。

 ドクトルはこの扱いに抗議申し立てをしたけれど、例によってベアトリーゼは押し通した。

 

 ベアトリーゼはトビウオの後頭部に並ぶ、計器盤の距離計と括りつけた東の海用コンパスと防水加工した海図を確認していた。それに加え時折、見聞色の覇気を発して周辺を捜索哨戒。トビウオを目的のオウィ島へ向けて進ませていく。

 防水ポンチョを被ったナミは後席に座り、ベアトリーゼの引き締まった腰に両腕を回して引っ付いている。冷ややかな向かい風と体に当たる波飛沫の痛痒に難儀しつつも、魚の背に乗って風と波を切って高速航海する体験に奇妙な感動を覚えていた。

 

「……良いわね、これ。凄く爽快」

 和らいだとはいえ肋骨の痛みがあるため満面の笑みとはいかないが、ナミは随分と久方振りに無邪気な微笑をこぼす。

 原作・空島編で(ダイアル)を用いた原チャリみたいな一人乗り小型船舶ウェイバーを気に入り、長く愛用していた。スピードが出る乗り物が好きなのかもしれない。

 

「ああ。海面をかっ飛ばすのも、空を宙返りしたりするのも楽しい。ただし、長く乗ってると首や腰がかなり辛い。鍛え方が足りないとヘルニアになるかも」

「本当? そんなにキツいの?」

 俄かに信じられないと言いたげなナミに、

「ナミちゃんが怪我をしてなくて、この海域が平和だったら、運転させて真偽を確かめさせてあげても良かったんだけどね」

 ベアトリーゼは気安く応じ、トビウオを走らせていく。

 

 そして――

 

 太陽が南へ昇った頃に小休止を取り、ぬるい水と味気ない保存食を摂る。

「このトビウオライダーの欠点は」

 原料定かならぬエネルギーバーを齧り、ナミがぼやく。

「船と違って休息がきちんと採れないことね」

 

「ほ、ほ本来は沿岸でつっ使うものだ。が、外洋航海はそもそもそっそ想定されていない」

 ぬるい水が収まった革製の水袋を傾け、ドクトルは渇きを慰める。

 

「カームベルトを越える時に比べりゃ、落ち着いて飲み食いできるだけマシだ」

 ベアトリーゼはエネルギーバーをぼりぼり齧り、海図を確認する。

「おやつ時までには着きそうだ。オウィ島の村で宿を取れるか分からないけど、少なくとも陸でぐっすり眠れるな」

 

「だ、だっだと良いがね」ドクトルは水袋をしまい込みながら、難渋面を浮かべる。

「含みがあるわね」耳敏く聞きとめ、ナミが背後のドクトルを窺う。

 ドクトル・リベットはどこか説くようにナミに言った。

「ここっこれから向かう先もせ、“戦場”の一つだ。も、目的の島が安全とは、かっ限らない」

 

 ナミにはドクトルの言葉が不吉な予言に聞こえ――

 その正否は航海を再開して数時間後に判明した。

 

 

 

 

 

 海抜高度――水面上に立った成人の目で水平線までの視認距離は約4キロ強程度であり、人間の目による精確な識別可能距離はおおよそ400メートルが限度と考えられている。

 また、ベアトリーゼは見聞色の覇気やプルプルの実の力による振動波を活用した探知で、常人をはるかに上回る捜索探査が可能だ。

 

 もっとも……この場合、能力の有無はさして問題ではない。

 

 太陽が南から西へ進むおやつ時。

 異能を持たぬナミやドクトルでも、水平線の先にある小さな、とても小さな島の異変に気付くことが出来た。

 島から煙が空高くまで昇っていたからだ。

 

      〇

 

 海軍とオイコット武装船群は“頑張り過ぎた”。

 特にオイコット武装船群の海賊船団に対する攻撃はあまりに苛烈で、あまりに冷酷無比だった。結果、散々に打ち負かされた海賊達の八つ当たりがオウィ島を襲ったのだ。

 

 ベアトリーゼ達は潜水服姿のまま島の裏手へ密やかに上陸し――

 エレジア島並みに小さなオウィ島にある人口200人前後の小さな町が、海賊達によって蹂躙されている様を見た。

 

 港や浜に船を停泊させた、100人前後の海賊団が哄笑を上げながら暴れ回っている。

 

 金や食料はもちろん換金可能なあらゆるものを奪い、建物を遊び半分に壊し、焼いている。住民を海軍とオイコット軍に叩きのめされた怒りの捌け口にし、残虐な手法で嬲り殺しにしており、島の端まで悲鳴と断末魔が響いていた。

 少女や若い女性達が親や夫の前で“壊れる”まで凌辱され、飽きるまで虐待され、惨殺されている。

 そうしてズタズタにされた死体は、燃え盛る建物へ次々と投げ込まれていた。

 心底楽しそうに嗤いながら。酒と暴力に酔い痴れながら。悲惨な末路を辿る住人を嘲り笑いながら。

 

「度し難いな」

 一般的な倫理道徳に欠くドクトル・リベットは酷く気分を害していた。純粋ヒト種至上主義者の彼にとって、こういった蛮行に走る手合いは『優性種の面汚し』であり、『殺処分すべき出来損ない』だった。

 

 ナミは血が滲むほどに拳を握り締め、唇を噛みしめ、涙を流しながら激怒していた。

 若者らしい純粋な正義感から、生来の心優しさから、ナミが内に秘める人間的善性から、激怒していた。

 6年前にココヤシ村を襲われた時のことを克明に思い出し、激怒していた。

 この惨劇を止めることが出来ない自分の無力さに、激怒していた。

 

「……海賊め」

 蜜柑色の髪の少女から漏れた声はまるで呪詛だった。

 

 そして、ベアトリーゼは不快な郷愁感を覚えている。

 オウィ島で起きている惨劇は故郷で幾度も見た光景だった。

 ウォーロードの軍勢に占領された敵方の街。盗賊団に襲われた開拓村や商隊。より凶悪な敵に負けた群盗山賊のアジト。ロクデナシ共によって食い物にされる難民や孤児達。

 被害者にも、加害者にも、傍観者にもなった。

 

 まあ、それはともかくとして……どうするか。

 荷物(ドクトル)を危険に晒すリスクは避けたい。ここで海賊共を皆殺しにした結果、海軍や“抗う者達”に自分が東の海に居ることがバレてもつまらない。

 

 しかし、(アシ)を得る好機だ。スーパートビウオライダーは目立ちすぎる。

 ベアトリーゼは可憐な顔立ちを怒りと涙で染めている美少女を横目にし、決める。

 船を奪うついでに、好感度を上げておくか。

 

「ドクトル。ナミちゃん。5分経ったら町に来て」

「「え」」ナミが涙に濡れた目を瞬かせ、ドクトルが眉間に深い皺を刻む。

 困惑する2人を余所に、ベアトリーゼは後ろ腰に下げていたダマスカスブレードを抜き、両腕に装着していく。

 

「ちょっと、どうする気っ?」

 ナミは涙を拭いながら慌てて呼び止める、も。

 

「奪う」

 さらりと答え、ベアトリーゼは両腰からカランビットを抜いて両手に握る。

「金も食い物も船も、命も。奴らから全て奪い取るんだ」

 

「一人であの数に挑む気?!」ナミは目を丸くして「無茶よっ! いくらあんたが強くても、あんな大人数が相手じゃ……」

 

「ナミちゃん。億越え賞金首ってのがどれほどのものか、見せてあげるよ」

 ベアトリーゼはナミへ微笑んでから、球形型ヘルメットを被った。プルプルの実の力を用い、地面を爆発させるように飛翔する。

 

「きゃああっ!?」

 突然の衝撃波を浴び、ナミは悲鳴を上げ、粉塵に咳き込みながら町へ向かって飛んでいくベアトリーゼを唖然と見つめる。

「飛んでる……なんなのよ、あいつ……?」

 

 ドクトルは禿頭に被った土埃を払いながら、言った。

「今、ここっこの東の海で、い、いい一番、恐ろしい女だ」

 




Tips
回復力が高い体質。
ワンピ世界の人々はだいたいこの体質であろう。

オウィ島
オリ設定。硫黄島(IWO)の逆読み。

トゥコ
オリ設定のナンバー・7の偽名。
元ネタはブレイキング・バッドに出てくる麻薬カルテルのボス。

ナミ
自分で書いてみると、キャラ立てが難しい……っ

ベアトリーゼ
雑魚海賊殲滅RTA


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

63:泥棒猫の決意

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、金木犀さん、protoolさん、誤字報告ありがとうございます。



 球形型ヘルメットと体の線を露わにする細身の潜水服をまとった『死』は、オウィ島の町の中央広場へバレリーナのように降り立ち――暴風と化した。

 海賊に凌辱されている町に、死の暴風が吹き荒れる。

 

 死の暴風が海賊達を飲み込んでいく。手足が千切れ飛び、首が宙を舞い、頭や胴が爆ぜ、殴り壊され、斬り捨てられ、蹴り砕かれ、貫き抉られていく。

 

 死の暴風が町を彩っていく。鮮血で石畳が朱に染められ、骨肉や臓腑が壁面や街路樹を塗りたくり、無惨な肉塊があちこちに飾られていく。

 

 死の暴風が町に殺戮の交響曲を響かせていく。発砲音。爆発音。金属がぶつかる音と金属が割れる音。肉の裂かれる音。骨の砕かれる音。恐怖の悲鳴。怯懦の叫喚。苦痛の絶叫。絶望の命乞い。憤怒の罵倒。そして、命を奪われる断末魔。

 

 海賊達は何が起きたのか、自分達がなぜ襲われるのか、なぜ殺されるのか、何一つ分からぬまま一方的に駆逐されていく。

 

 死の暴風によって、海賊達の主力が撃滅されるまでに2分13秒。

 町内を制圧し終え、死の暴風が止むまでに5分7秒。

 返り血で真っ赤に濡れた球形型ヘルメットを外し、ベアトリーゼは柔らかな唇をすぼめ、艶めかしく息を吐く。

「だっさ。7秒もオーバーしちゃった」

 

 ほとんどの海賊は即死していたが、一部の不運な海賊達は肉体を酷く損壊させられながらも即死できず、激痛と絶望に発狂して泣き喚き続けていたが、ベアトリーゼは気にも留めない。

 

 代わりに、10人ちょいほど生け捕りにした海賊達へ命じる。

「住民の亡骸を墓地へ運んで丁重に埋葬しろ。お前らの仲間の死体(ゴミ)は町外れの穴へ捨ててこい。日没までに終わらせろ。ああ、逃げたり武器を手にして抗おうとすれば」

 

 パチンと指をスナップさせて音波を放てば、伏打(フェアシュラーク)で叩き込まれた高周波と共振し、海賊の一人の頭が針で突かれた風船のように弾けた。

 悲鳴を上げて慄き震える海賊達に、ベアトリーゼは残酷に嗤う。

「お前らには“魔法”を掛けてある。もう一度言う。抵抗も逃亡も無駄だ。日没までに終わらせろ。出来なければ……バラバラにしちゃうぞぉ」

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

「これが、“血浴”のベアトリーゼ……」

 血に塗れた町を、ナミは慄然と見つめる。

 

 ナミが恐れるアーロンでも、個人でこれほど一方的な虐殺は出来まい。しかも、ベアトリーゼに襲われた海賊達はほとんどが原形を留めていない。ダマスカスブレードで野菜のように切り刻まれ、打撃で粘土細工のように叩き潰され、謎の力と技で体を徹底的に破壊され尽くされている。生命の神秘によって即死できなかった者達も、手の施しようがないほどズタズタで、『早く殺してくれ』とすすり泣いていた。

 

 10歳の頃から海賊の渡世を生きてきたナミも、ここまで残酷非道な光景は目にしたことが無かった。生理的忌避感と本能的恐怖から思わず嘔吐してしまう。

 それでも、死に損ないの海賊共に同情も憐憫もしない。ナミの怒りと正義感は海賊共へ慈悲を注ぐことも許さなかった。

 

 なぜなら、町は海賊達の犠牲者で溢れていたからだ。

 住人達は虫けらのように殺され、ゴミのように打ち捨てられていた。嗜虐的に拷問死させられた骸も少なくない。

 強姦された末に切り刻まれた裸の女性にノジコを想う。射撃の的にされたらしい駐在の銃殺体にゲンさんを想う。焼け落ちた建物の中に積み重ねられた老若の亡骸にココヤシ村の皆を想う。

 

 無惨な犠牲者達の姿に大事な人達の姿が重なり、ナミの柔らかな心を締め付け、怒りと悲しみの火に油を注ぐ。

 そして、ナミは胸に抱く幼い女の子ごと撃ち殺された母親を目にした。2人の血に染まった小さなぬいぐるみ。

 

 ナミは心に一つの決意を抱く。怒りと悲しみの涙を拭い、身体の痛みを無視して血塗れの町を回る。数少ない生存者を見つけては、港傍の建物――何かの事務所へ連れていった。

 

 生き残りは多くない。海賊共に弄ばれていた若い娘達が数人と、親達がとっさに隠したらしい幼子達だけ。

 体を穢された娘達はただただ打ちのめされていた。ほとんど自失状態でドクトルの手当てを受けている。家族を失った幼子達はただただ泣いていた。本能的に庇護者と見做したのか、ナミの許に集まり、泣いている。

 

 ナミは娘達や子供達に掛ける慰めの言葉を見つけられない。

 これまで自分が如何に“幸運”だったか、思い知らされていた。確かにアーロン一味に愛する母を殺され、故郷を搾取的に支配されている。しかし、ココヤシ村はこの町のような運命を辿らなかった。かつて盗みに失敗した時もトレジャー海賊団に捕らえられた時も殴る蹴るこそされたが、この町の娘達のように凌辱されなかったし、殺されなかった。先日も死にかけたところをベアトリーゼに助けられた。

 

 自分の幸運に後ろめたさを抱きながら、ナミは子供達を抱きしめ、頭や背中を撫でてやる。亡き母ベルメールが自身にしてくれたように。

 ナミが自身に備わる善性と仁徳と良心を発揮しているところへ、井戸水で返り血を落としてきたベアトリーゼが姿を見せる。

 

「生き残りはここにいるだけだ。この町、いや、この島はもうダメだな」

「私達がもっと早く来ていたら……」

 ナミは可憐な顔立ちを大きく歪める。

 ベアトリーゼは小さく息を吐き、手近な事務机に腰かけた。

「それは海軍やオイコット軍が抱くべき後悔だよ。ナミちゃんが抱く必要はない」

 

「……理屈ではそうだろうけど……でも……」

 ナミは自分の許に集まって泣いている幼子達に、往時の自分を重ねてしまっていた。ゆえに――

「海軍かオイコット軍に通報したら、この子達を保護しに来てくれると思う?」

 この子達を放置していくことなど、既にナミの選択肢にはなかった。

 

「多分、来るだろう。ただ、保護された後まではどうか分からないな」

 ベアトリーゼは事務机の引き出しを漁り、ウィスキーのミニボトルを見つけて『お』と声を漏らした。瓶の蓋を外して一口呷ってから話を再開する。

「聞いた限りじゃオイコットの国情は中々厳しいらしい。子供達はおそらく孤児院に預けられるだろうけど、真っ当に育てて貰えるかどうか。闘犬養成所みたいな施設も珍しくないからね。最悪、保護した後に放逐されることもあり得る。女の子らも同様だ。身寄りのない娘が選べる生き方はそう多くない」

 

 優しくない世界の過酷な現実。

 ナミはぎゅっと拳を握りこむ。

「こんなこと、頼むのは筋違いだと分かってる。出会ったばかりでお互いに信頼も信用も無いことも、これが独り善がりな同情だってことも分かってる。だけど」

 ベアトリーゼを真っ直ぐ見た。

「私はこの子達を助けてあげたい。力を貸して」

 

「ふむ……説教紛いのことは抜きにしようか」

 真剣な眼差しを向けられ、ベアトリーゼは長い脚を組んだ。

「私が奪ったクズ共の船に生き残りを乗せることは構わない。奪った食い物と金を分け与えても良い。その方が私とドクトルにとっても“都合が良い”からね。だけど、そこまでだ」

 

 小さな酒瓶を傾け、ベアトリーゼは蜜柑色の髪の少女を見据える。

「オイコットなり他の国なりに連れて行った後、子供らや女の子達がどうなろうと関知しない。というか、そこまで面倒を見られない。私は信頼できる預け先なんて無いし、継続的な衣食住の世話なんて無理。生活を賄う金にしても、海賊共の金以外に当てはない。その辺、どうするの? この島から連れ出した後のことまでは知らないっていうなら、まあ、それも構わないけどさ」

 

 夜色髪の蛮姫が告げた冷厳な言葉は、しかし避けられない現実的問題だった。

 ナミは聡明な頭脳を最大限に働かせる。

 解決策が一つだけあった。

 

 だが、それは極めて危険な賭けになる。ナミは自分の周りで悲しむ子供達を見回す。

 ふと思い出す。まだ幼いノジコが赤ん坊の自分を見つけ、負傷して死に掛けていた海兵のベルメールに助けを求めたのだと。

 自身も家族を失ったばかりだったろうに、ノジコは赤ん坊だった自分を抱き上げた。

 (ベルメール)は重傷を押してノジコと自分を救うために故郷まで舟を漕いだ。

 

 ――いつでも笑ってられる強さを忘れないで。生き抜けば必ず楽しいことがたくさん起こるから。

 母の言葉に背中を押され、ナミは踏み出す。

「……故郷に行けば、“貯金”が数千万ベリーあるわ。この子達も女の子達も無事に暮らしていける。でも、前提として、ある海賊一味を倒さないといけない」

 ナミは腹を括った目でベアトリーゼを見据える。

「私の貯金の半分と、海賊一味が溜め込んでいるお金を全部あんたに渡す。だから、その海賊一味を潰して」

 

 覚悟を示したナミに対して―――

 そう来たかぁ。

 ベアトリーゼは内心で困り果てた。

 

 繰り返すが、ベアトリーゼは原作改変をする気などサラサラない。むしろ、原作展開を特等席で眺める気満々だった。ナミの好感度稼ぎも後々に見物人として優遇されたら良いな、程度の浅慮であった。

 

 はっきり言おう。ベアトリーゼは甘く見ていた。

 ナミの故郷を救いたいという決意と覚悟の強さを。ナミのアーロン一味に対する怨恨と憎悪の深さを。ナミの心の強さを。

 眼前のナミは本気で嘱託殺人――殺しの依頼を口にしていた。

 

 ヤバい。

 

 ヤバい。ヤバい。ヤバい。

 私がアーロン一味を刺身にしたら原作が変わっちゃうよォ。

 うろ覚えだけど、たしかアーロン編ってシャボンディ編とかジンベエ絡みとか魚人島編とか後々にも影響があるんじゃなかったっけ?

ヤッバいって。

 

 ステューシーに『海賊王の見届け人になる』とか言っておいて、海賊王の物語を妨害してりゃあ世話ねえわ!!

 

 どうしよう? 引き受けても断っても不味いことになりそうだし、どうしよう? どうしよう? 

 

 どうしよう!?

 

 ベアトリーゼは物憂げな思案顔でミニボトルを傾けているが、その実、内心で冷汗をだらだら流しながら必死に頭を捻り、なんとか原作展開を守る方策を考えていた。

 

 と。その時――

 ぷるぷるぷるぷる。ぷるぷるぷるぷる。

 

 蛮姫の懐で小型電伝虫が鳴いた。

 

     〇

 

 金髪碧眼の貴婦人ステューシーは二つの顔を持つ。

 一つは天竜人直属の諜報機関CP0のエージェント。海軍体術“六式”でも上位技法(オーバーアーツ)を使いこなす凄腕美人だ。

 一つは闇社会の帝王の一人である歓楽街の女王。闇金王や新聞王など大富豪と伍する社会的地位を持つ美しすぎる実業家だ。

 

 最上級諜報員として、闇社会にも根を広げる大実業家として。ステューシーはこの世界でも屈指の情報網を持つ。加えて、その特異な出自から天竜人フランマリオン家より手厚い優遇や便宜、援助を受けている。まぁ、実験動物に対する研究者の好奇心と愛情に近い厚遇だが……プロであるステューシーは利用できるものを利用するだけだ。

 

 ラドー島事件後、ステューシーは“大事なもの”を新たな隠匿場所に移し、当局の捜査へ密やかに干渉し、証拠を始末したり、情報を隠蔽したり、証人を黙らせたりしてベアトリーゼとドクトルの逃避行を陰から支援していた。

 そして、ドクトル・リベットのことが“抗う者達”に露見した原因を調査し――

 

 グランドライン“前半”某所。

 歓楽街の女王は野蛮でも下劣でも残忍でもない。しかし、暴力の行使を厭わない。暴力を行使する際に容赦も慈悲も与えない。

 

 この日、歓楽街の側溝から高級娼婦の死体が見つかった。

 娼婦の骸は頬骨を砕かれ、耳鼻と指が削ぎ落されていた。銃で撃たれた口の中に、切り取られた指が押し込められている。

 見立て殺人で言えば、密告者に対する罰と処刑。

 歓楽街の人々は女王を裏切ったらしい愚か者の死に溜息をこぼし、凄惨な死体を教訓に女王を改めて畏れ敬う。

 

 処刑を命じた当人は、不機嫌顔でアップルパイを突いていた。

「私の足元まで鼠が入り込んでいたとはね」

 

 人の出入りが激しい歓楽街を事業にしている以上、鼠やモグラの侵入を防ぎきれない。諜報員と二足の草鞋を履く関係で、組織統制も末端まで神経を通わせることが難しい。むろん、仕方ない、と一言で済ませる訳にはいかない。諜報員に自分の足元まで迫られていた、など存在価値を損ないかねない失態だ。

 

 ふっと息を吐き、フォークを置いて紅茶を口に運ぶ。

 あの子の方は順調かしら。ステューシーは卓上に置いてある電伝虫へ手を伸ばす。妨害念波を飛ばす白電伝虫も起こし、ドクトル・リベットを預けた頼もしい蛮姫へ連絡を入れた。

 

 幾度か繰り返される呼び出し音。そして――

『もしもし?』

 通話具から届くベアトリーゼの声はどこか切羽詰まったような、安堵したような。

 

 ステューシーは微かに眉をひそめ、

「そちらの状況は?」

『オイコットの件は知ってる?』

 その反問から続く会話の展開を想像し、小さな嘆息がこぼれた。

「介入しちゃったの?」

 

『補給と休息に立ち寄った島がオイコットのドンパチに巻き込まれてて、成り行きで女子供を保護しちまった』

 なるほど。声音の理由はそれね。

 傍に第三者がいる可能性もありそうだ。言葉を選ぶ必要があるだろう。

「常識的には善行を讃えるべきなのだろうけれど、貴女の立場と任せた“仕事”を考えると、あまりよろしくない状況ね」

 

 カップを口に運んだ後、ステューシーは問う。

「どうするつもり?」

『保護しておいて放りだすような真似は避けたい。もちろん、荷物はしっかり運ぶさ』

 

 予想していた範疇の回答に、ステューシーは眉を大きく下げる。こちらとしては有象無象の戦災難民の安危よりドクトルの移送が重要だ。その辺りを取り違えられては困る。

「荷物の移送が露見するだけでも不味いのだけれど」

 

『小言を言いたいのは分かるよ。でも、トビウオライダーで東の海に入った時点で手遅れだ。私も失念していたけれど、ここでは目立ちすぎる。この島で海賊共から船を分捕ったから、乗り換えて目立たぬよう荷物配達するつもり』

 

 ステューシーはカップの取っ手を指で撫でながら少し考え込み、鼠から聞き出した情報を伝える。

「こちらも少し事情が変わったわ。私の落ち度なんだけれど、足元に鼠が潜んでいたの。荷物の配送先が漏れているかもしれない」

 

『……不味いじゃん。どーすんの?』

「配送先は代替案があるわ。ただ、そちらの戦争が落ち着かないと厳しいわね。せっかく船を変えても臨検で見つかったら意味がないもの」

『確かに』

 電伝虫の向こうで蛮姫が薄く笑う気配がした。

 

 

『いっそ戦争を終わらせちゃおうか』

 

 

「なんて?」

 ステューシーは碧眼を瞬かせた。

 

      〇

 

「――そういうわけだから、事態がひと段落したら、今度はこっちから連絡するよ」

 ベアトリーゼが子電伝虫の通信を切ると、

 

「あんたが強いのは充分分かったけど、一人で戦争を終わらせるなんて、そんなこと出来る訳ないじゃない」

 ナミがどこか怒ったように眉目を吊り上げるも、ベアトリーゼはミニボトルを飲み干し、妹へ人生経験を語る姉のような顔つきを向けた。

「この世界には一般人の常識が一切及ばない人間が居る。たとえば悪魔の実の能力者とかね」

 

「悪魔の実? そんなの与太話――」

 怪訝顔を浮かべたナミへ、ベアトリーゼは手のひらに静電気球を作り出す。

 ナミは呆気に取られ、泣いていた子供達もポカンとして静電気球を見つめた。

 

「私は悪魔の実プルプルの実を食べた振動人間。振動を自在に操れる」

 ベアトリーゼは静電気球を熱プラズマ化させ、一瞬で小さな酒瓶を粘土のように軟化させた。

「グランドラインには、私みたいな“化物”がごろごろ居る。そして、私のような化物と互角にやり合える強者も大勢いる。たとえではなく事実としての一騎当千や破軍、国落とし。そういう奴らが珍しくないんだ」

 

 絶句するナミに、ベアトリーゼはぐにゃぐにゃに軟化した元酒瓶のガラス塊を弄りながら告げた。

「さて、ナミちゃんの提案だけれど、“荷物の配送計画”が狂ったみたいだから、今のところは回答を保留しておくよ。こちらとしてはあくまで荷物を送り届けることが優先なんでね」

 

 蛮姫は澄ましたアンニュイ顔で淡々と語っているが、内心は問題を先送りできて安堵の域をこぼしていたりする。

 

「そんな……」ナミが綺麗な顔を曇らせた。

「まあ、何かしら手を考えよう。助けておいて放り出すほど悪趣味じゃないからね」

 ベアトリーゼはガラス塊を動物の置物に作り変え、机の上に置く。子供達が目を丸くして動物の置物を凝視していた。

 

「ドクトルが女の子達の手当てを済ませたら、飯にしよう。悲しくても辛くても、生きていくために飯を食わないとな」

 机から腰を上げ、ベアトリーゼは出入り口へ向かう。

「その猫の置物はあげるよ」

 

「猫?」ナミは置物をまじまじと見つめ「これ、豚じゃないの?」

 子供達も豚だと思っていたらしく、ナミの意見に同意してこくこくと小さな頭を上下させる。

 ベアトリーゼはアンニュイ顔をくしゃりと歪め、逃げるように出ていった。

 

 

 

 

 

 日が沈んだ頃、町外れで生き残っていた海賊達が爆ぜる音が鳴ったが、ナミや生き残った女子供達がその音色を聞くことはなかった。




Tips

ナミ
センシティブすぎたかもしれない。
原作だと登場エピソードで、ルフィに『覚悟が足りない』と指摘されたが、このナミは既に覚悟完了済みになりそう。


ステューシー
歓楽街の女王というより暗黒街の女王みたいになっているけれど、まあ、似たようもんだから良いかな?

ベアトリーゼ。
調子こいた結果、原作改変を招きそうになり、冷汗ダラダラ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

64:ソードマン・ダンシング

佐藤東沙さん、茶柱五徳乃夢さん、トリアーエズBRT2さん、拾骨さん、烏瑠さん、六文銭拾いの皮剥さん、金木犀さん、かにしゅりんぷさん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 バロックワークスから派遣された面々は夜明け前の闇に紛れ、動き始めた。

 

 プランはこうだ。

 当日、ミスター・7がオイコット軍の腕利きと決闘し、敵方の注意を惹きつける。

 その間、ミリオンズの面々が奪い取った軍服を着こんでオイコット軍兵士に成りすまし、敵勢力圏へ侵入。港湾の軍拠点に潜入して義勇兵の給金や運営資金を盗み出す。

 同時に、ミス・ファーザーズデーが港湾に停泊中の船を強奪。ミリオンズと合流して友軍の勢力圏へ撤収する。

 ミリオンズの指揮は最年長かつ、幾度かの戦闘で指揮官振りを披露した偽名イガラッポイことイガラムが執ることになった。

 大胆不敵というか無謀というか。

 ともあれ、オタカラ強奪作戦は実行に移された。

 

 アラワサゴ島紛争6日目。未明。

 ミス・ファーザーズデーはその巨体から、想像もつかぬ無音移動で敵の哨戒線へ接近。見張りの兵士を素早く静かに撲殺し、予定通り哨戒線に穴を開ける。

 

「それじゃあ~皆~頑張ってね~」

 目立つミス・ファーザーズデーは独自に動くため、一旦ミリオンズと別れる。

 

 こてこてのアニメ声を背中に受けつつ、ビビを含めた10名のバロックワークス下級社員(ミリオンズ)がオイコット軍の勢力圏へ侵入していった。日が昇ってから、ビビ達は汚れた包帯などを巻いて負傷兵を装い、三人ほど重傷者の振りをさせて担架に乗せた。

 

 かくして、後送される負傷兵に化けたミリオンズは堂々と道を進んでいく。

 道すがら出会う義勇兵達はビビ達に注意を払わず、それどころか『大丈夫か?』『早く良くなるといいな』などと労う言葉すら掛けてきた。

 いくつかある検問所でもビビ達は特に警戒されない。身分証などの確認もせず、前線の様子を聞いてくるくらいだ。

 

「勝ち戦で大分弛んでいるな」

 イガラムが苦い顔で呟く。アラバスタ王国で護衛隊の指揮官を務めていた彼としては、こうした現場の弛緩が気に入らない。

 

「兵の脱走を警戒してないのかしら?」

「ここは孤島だぞ。逃げようがねェ。それに脱走は即銃殺刑だ。勝ち戦でそんなバカなことする奴はまずいねェよ。負傷するまで働いたなら、サボりくらいは認めるってなもんだろうよ」

 ビビの疑問に、担架に乗せられているミリオンズが答えた。

「言い換えりゃあ……この戦争はもう勝敗が決まってんのさ。金はともかく脱出のアシを確保しねェとマジでヤベェぞ」

 

「ヤベェって……どういうことだよ?」と若い少年のミリオンズが不安顔で問う。

 イガラムが難渋顔で語る。

「このいぐざ……ごほんっ! マーマーマー……ッ! 戦の苛烈さを鑑みれば、オイコット軍は我々を最後の一人まで狩り殺そうとするはずだ。よしんば、降伏を容れられたとしても待っているのは、処刑か捕虜としての強制労働だな」

 ミリオンズの面々が顔を不安げに引きつらせる。

 

「こんなところで死ぬ気はないわ」

 ビビが言った。綺麗な顔を険しくしながらも、固い決意を込めて。

「なんとしても生きてグランドラインに帰る」

 

      〇

 

 この世界は理不尽と不条理に満ちているが、まだ美徳を遺していた。

 グランドラインから来た解放軍の傭兵剣士“トゥコ”――バロックワークス下級幹部ミスター・7が、“海賊狩り”ロロノア・ゾロに宛てた果たし状はつつがなく当人に届けられ、ゾロは『おもしれえ』と獲物を見つけた虎みたいに笑った。

 

 オイコット王国軍は既に勝勢を得ている中、武勲者を悪戯に喪う可能性に渋い顔をしたが、最終的に容認した。

 大海賊時代は男性原理の時代だ。荒事を生活(たっき)にしている者達は、死より臆病者と見做されることを恐れる。こればかりは海賊も傭兵も軍人も変わらない。

 

 

 

 アラワサゴ島紛争6日目の昼前。やや雨の臭いを含んだ風が吹く曇天。

 島の中央部。

 

 かつて開拓村だった廃墟と砲撃孔の残骸。両軍が睨み合う中間地点(ノーマンズランド)に、大勢の両軍将兵と広報班が見守る中、2人の剣士が対峙する。

 

 オイコット王国軍義勇兵。少年と青年の狭間にある17歳。ロロノア・ゾロ。

 緑の短髪を覆うように黒布を海賊巻きし、鍛えられた長身に腹巻をしていた。三本の刀を腰に佩き、獰猛な薄笑いを浮かべている。

 

 解放軍傭兵。年齢定かならぬ成人男性。通称“トゥコ”。

 額の『7』を始めに浅黒い肌の体中に瘢痕(スカリフィケーション)が刻まれている。極彩色の柄シャツに革のパンツ、先端がそっくり返ったブーツ。首や手首には金のアクセサリーがじゃらじゃら。絵に描いたようなチンピラ具合だ。およそ剣士には見えない。

 

 しかし、ゾロはミスター・7を前にし、直感的に理解した。

 ――こいつは強ェ……っ! 今まで戦ってきた海賊共なんぞよりずっと……っ!

 

「俺がロロノア・ゾロだ。“招待状”を貰ったんで、この通りやってきたぜ」

 ゾロは血が沸き立つ感覚を抱きながら名乗り、果たし状を放り捨てた。デコを掻いている男へ問う。

「始める前にいくつか聞きてェことがあるが、良いか?」

 

「構わねえよ」とトゥコを自称するミスター・7は首肯する。

「グランドラインから来たのか?」

「そうだ」即答する瘢痕男。

 

 ゾロは期待を込め、問いを重ねた。

「“鷹の目の男”と呼ばれる剣士を知っているか?」

 

「そりゃ“鷹の目”ミホークのことか?」

「! 知ってるのか?」

 あっさりと肯定され、ゾロは目を見開き、心拍が跳ねた。

 

 ミスター・7はデコの『7』を掻きながら、どこか自嘲的に嗤う。

「グランドラインであいつを知らねェ奴はいねェよ。王下七武海“鷹の目”ジュラキュール・ミホーク。誰もが認める世界最強の剣士だ」

 

「そうか……グランドラインに行きゃあ会えるんだな」

 あてどなく続けてきた旅に明確な目標が見え、ゾロは自然と唇の両端が吊り上がる。

「ふん」ミスター・7はデコを掻く手を止め「弟子入り志望……ってわけじゃあなさそうだな。挑む気か」

 

「ああ。世界の頂を目指してるからな」

 恥じることなく堂々と答える眼前の若造に、ミスター・7は微かな苛立ちを覚えた。世間知らずのボンクラが。世界の頂を目指すだぁ?

 疼痛にも似た不快感を堪え、ミスター・7はゾロに言った。

「……なら、お前に良い提案があるぜ」

 

「あ?」ゾロが怪訝そうに目を細める。

「俺が属する組織に入れ」ミスター・7は薄く笑い「鷹の目は神出鬼没でいつどこに現れるか分からねえ。が、ウチの組織の情報網なら調べられる」

 

「組織?」

 増々訝るゾロへ、ミスター・7は勧誘を続ける。

「ああ。秘密犯罪会社バロックワークス。俺達のような人間に相応しい組織だ。お前の実力ならば、金も女も出世も手に入れられるぞ。どうだ?」

 

 はぁ、とゾロは仰々しいほど大きな溜息を吐き、

「……あまり気が削がれることを言ってくれるなよ」

 失望と挑発を込めてミスター・7を睨む。

「テメェも剣士なら言葉で勧誘するより、剣で従わせるくらいの気概を見せやがれ」

 

「……舐めたクチ叩きやがって……最弱の海でちっと名が売れたくらいでイキってンじゃねェぞ」

 ミスター・7はペッと唾を吐き捨て、腰から装飾過多のサーベルを抜く。

「膾にしてやるぜ、ボンクラ」

 

 刀よりも反りが大きなサーベルを右手一本で握り、左手を腰に添える。左足を大きく引き、身体を大きく斜に構えた。麻薬カルテルのチンピラみたいなナリであるが、正統派のサーベル術だ。

 姿勢に無駄な力が入っていない。相当に練り込まれていることがよく分かった。

 

 故郷シモツキ村で学んできた剣術とはまったく異なる体系の剣を前に、ゾロは獰猛に犬歯を剥いて嗤う。両手に刀を握り、愛刀和道一文字を口にくわえた。

「いくぜ、“7”野郎」

 

      〇

 

 時計の針を少し戻す。

 前日の夜。夕食が終わり、保護した女子供達がどこか哀しげな寝息を立てる中、晩酌をしていたベアトリーゼへ、ナミが不安顔で尋ねる。

「戦争を終わらせるって、まさか戦場にいる兵隊達を皆殺しにするとか、そういうこと?」

 

「皆殺しになんかしないよ」

 ベアトリーゼは眉根を寄せつつ、プランを説明する。

「聞けば、もうほとんど趨勢が決してるみたいだし、さっさとオイコット軍に勝たせてやれば良い。後は……そうね。オイコットに海上封鎖なんてやってる余裕を失くしてやれば、好都合かな」

 

「それってオイコット軍や海軍を沈めるってこと?」

 ナミが憂慮顔で質問を重ねる。流石に気分を害し、ベアトリーゼはアンニュイ顔を歪めた。

「なんでいちいち物騒な想像するの? 私、そんな凶暴に見える?」

 

 蜜柑色の瞳が『おめー、この島を襲った海賊を皆殺しにしたばっかだろ』と語っていた。

 

「見えますか、そうですか」

 トホホ、とベアトリーゼは肩を落としつつ、

「オイコット軍の指揮系統をちょっと乱すだけだよ」

 物憂げな美貌に妖しい微笑を湛え、ぺきぺきと指を鳴らす。

「エレジア以来、全力全開で覇気をぶっ放してなかったからなぁ。今回はぶっ倒れるくらい派手にやりますかね」

 

「覇気?」

 ナミが聞き慣れない単語に訝るも、ベアトリーゼは「ま、見てのお楽しみ」と薄く笑うだけだ。

 

 ナミはベアトリーゼを見つめながら思う。

 だんだん分かってきたわ。こいつ、手綱を握っておかないと不味いタイプね。

 

 

 

 そして、現在。

 

 

 

 鈍色の空の下。

 サイボーグ化されたトビウオライダーがアラワサゴ島を目指し、最大速度で海面をかっ飛んでいく。

 その様はさながら敵空母に向かって海面スレスレを駆ける海軍雷撃機だ。まぁ、前傾姿勢でハンドルを握り、身体の重心移動でトビウオを操縦する様は飛行機乗りよりバイク乗りみたいだが。

 

「たしかに、この運転姿勢は中々キツいわねっ!」

 操縦を任されているのは、防水服とゴーグルを装着したナミだ。これまで体験したことがない高速域と強烈な風圧に怖さを覚えているけれど、それ以上にこのタフな乗り物? を操ることに興奮していた。どうやらスピードを好む質で、こういうものを乗りこなす才が備わっているようだ。

 

「もうちょい下げろっ! 尾ヒレの先が波頭に触れるギリギリを攻めてっ!」

 ベアトリーゼが後席から風切り音に負けないようナミの耳元で声を張った。

 

「海面の空気が濃いところってことねっ! やってみるっ!」

 ナミはベアトリーゼの指示を精確に理解し、要求通りに尾ヒレの先が波頭に触れるギリギリ――大気の密度が濃い海面間際まで高度を下げ、トビウオライダーをかっ飛ばす。

 

 風を掴むのが上手い。うーむ。この状況、紅の豚を思い出すなぁ。ベアトリーゼは暢気な感想を抱きながら鈍色の空を窺う。

 ふむ……ひょっとしたら現地は雨が降ってるかな。

 ちっとばかり面倒なことになるけど……まあ、いいか。

 

      〇

 

 サーベルとは、馬上で手綱を握りながら片腕で振るうために開発された騎兵用武器だ。刀剣としては軽量であり、反りが大きく重心が切っ先に寄った作りが多い。

 

 そして、サーベル術は大きく分けて二つ。

 レイピアの流れを汲む西洋系サーベル術(現代フェンシング的なものだ)

 もう一つは東欧系サーベル術(有名どころはハンガリー騎兵やウクライナ・コサックの剣技だ)。

 両者は運足や近接打撃の有無等でいろいろ異なるが……ある一点で共通している。

 それは、速さだ。

 

 

 

 ――速ェ……ッ!

 ゾロは思わず舌を巻く。

 デコに『7』を刻んだ男の振るう刃は軽く速く鋭い。

 

 刀のように腰を入れて全身の筋肉を躍動させない剣だ。腕だけ、下手をすれば、手首の返しで鋭い斬撃を放つ。刀でそんな振り方をすれば青竹一本斬れぬだろうが、『7』男の剣は充分に命を奪えるものだった。

 ――訳が分からねェ。なんでそんな軽い振りに“重さ”を込められる!?

 

 矢継ぎ早に繰り出される迅速な剣閃をさばきながら、ゾロが反撃を試みれば、『7』男は軽やかな足さばきでゾロの間合いから離脱する。

 ――それに、この動き……っ! 一投足が速ェッ!

 

 離脱だけではない。踏み込みもだ。体を沈めるほど深く踏み込んできて、ゾロの間合い外から刺突や斬撃を打ち込んでくる。生半な攻撃はしなやかに返されてしまい、大技――これまでどんな敵もぶっ飛ばしてきた『鬼斬』や『虎刈』などを放とうにも、技の出掛かりを押さえられてしまう。

 ――“(せん)”を握られっぱなしかよっ! クソッ!

 

 海に出てから相手にしてきた群盗海賊共は、どいつもこいつも逆上した猿のように得物を振り回すか、基本のなってない我流剣法だった。ゾロの剣の根っこである地元シモツキ村の剣術は刀に特化したものだった。本格的かつ熟練のサーベル術剣士と戦ったことがなく、未知の剣戟に翻弄されてしまっている。

 

 が、ゾロは口端が吊り上がっていた。

 強敵に心が躍っていた。待ち望んでいた強者との戦いに血が滾っていた。

 命を懸けて剣の腕を競えることに歓喜していた。

 

「……何を笑ってやがる、ボンクラが」

『7』男が不快そうに顔を歪めた。

 

「あんたをバカにしてるわけじゃねえよ」ゾロは笑みを大きくして「この戦いが楽しいだけさ」

「抜かしやがる」

 全身の力を溜め込むように低く構え、『7』男はゾロを睨み据えた。その姿と眼光は獲物に襲い掛かる猛獣のようだ。

「こっちぁ諸々仕事を抱えてんだ。ガキといつまでもじゃれ合ってられねェんだよ」

 

 ――来る。

 ゾロは三刀を構えて呼吸を整えた。

 

「微塵切りにしてやるぜ、ボンクラがっ!」

『7』男が豹のようにゾロへ飛び掛かり、

「サーブレ・サルサッ! ピカンテッ!!」

 疾風怒濤の剣舞を繰り出す。

 ラテン音楽が聞こえてきそうな激しいステップワークと共に、装飾過多の曲刀が一瞬たりとも止むことなくゾロを襲う。

 

「ぉおおっ!」

 十重二十重に繰り出される斬撃に、ゾロは一歩も引かない。三刀を振るい、片っ端から迅速の剣閃を払い、いなし、受けとめ、受け流し、防ぐ。

 鎬が削られ、飛散する大量の火花が煌めく様は、さながら夜空に咲く花火のようだ。先のそっくり返ったブーツが地面を叩く音色と、剣戟の音色が絶え間なく響き渡る。

 

「ザケやがって、生意気に踊るンじゃねえっ! サーブレ・サルサ、ムイ・ピカンテッ!」

『7』男は怒声と共に剣戟のリズムとテンポをさらに上げた。斬撃の嵐がゾロを覆い包む。

 

 剣の激突で生じる火花が吹雪く。

 

 斬撃の暴圧にゾロは少しずつ、だが、着実に押されていく。捌ききれない刃に肌を削がれ、肉を裂かれ、火花に交じって血が舞う。

 

 ――これだけの激しい動きだ、そう長く続けられやしねェ。技の終わり、狙うはそこだ。

 如何なる痛みもゾロの集中を毛ほども乱せない。汗や血が目に入ろうと瞬き一つしない。呼吸する暇もなく肺が軋み始めようとも、全身の筋肉が酸素を欲しようとも、ゾロは致命の一撃を必ず防ぎながら反撃の機を狙う。

 

 そして。

 不意に、斬撃の嵐の速度が急激に落ちた。

 

 ――ここだっ!

 ゾロが反撃を繰り出す、も。

 

「激しいだけがサルサじゃねェ。リズムの緩急が大事なんだよ、ボンクラがっ!!」

『7』男は凶相を大きく歪めて笑う。

 斬撃の速度を意図的に落としてゾロを誘い出し、後の先を握る。狙い通りにゾロの頭蓋を叩き割らんと装飾過多のサーベルを振り下ろす。

 

 ひときわ大きな轟音が響き渡り、鮮烈な火花が爆ぜた。

 口にくわえた和道一文字でサーベルを受け止め、ゾロは飢えた虎のように笑う。

 

「リズムが止まったぜ、ダンスマン」

『7』男が舌打ちと共に離脱を図ろうとするが、ゾロが凶暴にして強暴な剣を矢継ぎ早に叩き込んでいく。

 

 再び火花が激しく咲き乱れ、剣戟の音曲が広がる。『7』男が奏でていたものよりも苛烈で熾烈で獰猛に。

 

 逆転する攻守。強暴な剣風に押されていく『7』男が歯噛みし、

「ぐううっ! ナメんじゃねェぞボンクラァッ!!」

 連撃の継ぎ目を狙い、後の先を取るべく不安定な姿勢から刺突を放つ。

 

 ゾロは馬手の刀で刺突を払いながら深く踏み込み、口にくわえた和道一文字を浴びせる。『7』男が護拳(ナックルガード)で防いだ。

「鬼」

 そこへ両手の斬撃を重ね撃つ。

「斬りィッ!」

 

 ごがんっ!!

「ぐおぉあああああああああっ!!」

 

 轟音と絶叫が重なり、『7』男が吹っ飛ぶ。護拳と柄が砕けたサーベルと手首から先を失った右腕が宙を舞い、金属片と肉片と鮮血がまき散らされていく。

 変則的なゼロ距離からの三刀流・鬼斬を成功させ、ゾロは残心を取りながら大きく息を吐いた。

「故郷を出て以来、一番手強い奴だっ――」

 

「やり……やがったな、クソボンクラがぁ……っ!!」

 右腕を肩口から吹き飛ばされた『7』男がふらつきながらも、立ち上がる。体中を血と泥に塗れさせ、土気色の凶相を大きく歪めて。

 

「!?」ゾロは思わずギョッとし、慌てて構えを取り直す。死に損ないの『7』男はそれほどの気迫をまとっていた。

 

『7』男は震える左手でデコの瘢痕をガリガリと掻きながら、

「腕一本飛ばしたくらいで、か、勝ったつもりになってんじゃ……ねえぞ、ボンクラァ……っ!! こ、この程度の傷ぁググ、グランドラインじゃ珍しかぁ―――」

 ぐるりと白目を剥き、腰を抜かしたように崩れ落ち、どしゃっと顔を突っ伏して二度と動かなかった。

 

 ゾロは目を瞬かせた後、改めて大きく息を吐いて緊張を抜く。

 果し合いを見守っていたオイコット軍の兵士達が大歓声を上げ、解放軍の兵士達から苦悶と慚愧に満ちた呻き声が漏れる。

 

 周りを余所に、ゾロは三本の刀を順番に鞘へ納めていく。戦闘の昂奮に煮えていた心頭に万感が込み上がる。

 強敵に勝った手応えと満足感。死闘を制した充足感。快い疲労感。命を失わずに済んだという安堵感。奇妙な寂寥感。不思議な喪失感。

 

 頭に巻いていた黒布を引っこ抜くように脱ぐ。黒布は汗でぐっしょりと濡れていた。戦闘中は意識の端に掛からなかったが、身体のあちこちが痛み始めた。どうやら思いの外、刃を浴びていたらしい。

 やれやれ。俺もまだまだ修行が足りねえな。

 

 ぽたり。

 

 小さく鼻息をついたところへ、雨滴がゾロの顔に当たった。

「降ってきたか」

 ゾロは何気なく空を見上げた。いつの間にか黒鉛色の雨雲が空を覆っている。

 

「――ん? 鳥か?」

 ぽつぽつと雨粒をこぼし始めた空に、何かが飛んでいた。

 




Tips
ロロノア・ゾロ
原作キャラ。
刺されても、斬られても戦い続けられる異能生存体。

ミスター・7
原作設定に沿ったオリキャラ。
バロックワークスのサーベル使い。
ワンピース的なお笑い要素が入れらなかった。反省。
 技名は適当なスペイン語。

ナミ
原作キャラ。
中の人は映画『紅の豚』のヒロインを演じた。

ベアトリーゼ
オリ主。
自覚の足りない野蛮人。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

65:どかーんと景気よく

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 ロロノア・ゾロがバロックワークス下級幹部ミスター・7と決闘を繰り広げ、バロックワークス下級社員のビビ達がオイコット軍拠点へ潜入を試みている頃。

 

 アラワサゴ島を目指し、海面をバカでかいトビウオが波を裂いて泳いでいく。水平線の先にうっすらと島影が見えてきた。

 

「ほ、本当にやるの?」

 ナミが肩越しにベアトリーゼを窺う。ゴーグルの奥で蜜柑色の瞳が不安に揺れている。

 

 後席に座るベアトリーゼがアンニュイ顔でのほほんと答えた。

「大丈夫大丈夫。ちゃんと計算したから。計器盤脇に貼り付けた計算書通りにやれば、問題ない」

「! 計算って……あんたの計算なのっ!? 当てになるの、それっ!?」

 ナミにしてみれば、当然の疑問である。が、

 

「ちゃんと翼面荷重や沈下速度、滑空比とか諸々算出して飛行距離を計算したよ」

 ベアトリーゼに聞き慣れぬ言葉を並べられ、ナミは目をパチクリさせた。

「よくめ、え?」

 

「島上空の風向や風速、対気速度が分からないから」ベアトリーゼはしれっと「半分はギャンブルだけど」

「ちょっとっ!?」

 聞き捨てならぬ言葉に、ナミが眉目を吊り上げる。が、ベアトリーゼは物憂げ顔のまま軽~く言い放つ。

「大丈夫。ナミちゃんならやれるよ」

 

「何の根拠があって――」

「貴女が優れた航海士で、気象読み(フォーキャスター)だからだ、ナミ」

 ベアトリーゼは物憂げな顔のまま、ナミの目を見つめて続ける。

「空を飛ぶために必要なのは風を掴むこと。風を掴むために必要なことは気象条件を確実に分析すること。ナミなら出来るだろ?」

 

 ナミは酸欠の金魚みたく口をパクパクとさせた後、勝気な眉目を吊り上げて、

「おだてても出来ないもんは出来ないわよっ!」

 自信たっぷりに口端を緩める。

「私以外ならねっ!」

 

 期待通りの回答に満足し、ベアトリーゼは小さく頷いた。

「さあ、空へ行こう」

 

 ナミは大きく頷き、スーパートビウオライダーにしがみ付くように姿勢を寝かせる。右ハンドルのスロットルを限界まで全開に。スロットルが直結されたトビウオの脳ミソに信号を与えた。トビウオの双眸がガンギマリになり、全身の筋肉が躍動して速度が激増していく。小型の鯨並みの体躯から生じる凄まじい振動にナミの華奢な体が強く揺さぶられる。トビウオが波浪を乗り越える度、波と飛沫を被る度、体勢が大きく崩れ、衝撃に振り落とされそうになる。

 

 操縦に苦労するナミへ、ベアトリーゼが風切り音を避けるように身を寄せて告げた。

「膝を締めて、腰と腕を上手く使え。男に跨った時にみたく」

 

「気が散ること言わないでっ! そんなのやったこと無いわよっ!」

 ナミの怒声にベアトリーゼはからからと笑い、大きくなる島影を見つめながら言った。

「離水まで10秒だ。9、8、7」

 

 ベアトリーゼが始めたカウントを聞きながら、ナミは集中する。視界の風景が後方へ吹っ飛んでいく中で、離水点を真っ直ぐ睨む。

 

 この“助走”が全てだ。離水したらもうやり直しは利かない。離水速度、上昇の角度や方位、何一つ間違えてもアラワサゴ島の上空で失速してしまうし、計器盤脇に貼られた計算表の通りにしても、上手くいくかどうか。

 

 もっとも、ナミに確率の数字など関係ない。

 緊張と不安を勇気と集中力でねじ伏せ、やり遂げるだけだ。

 

「2、1、離水っ!」

 ベアトリーゼの号令に従い、ナミがハンドルを引いて巨大なトビウオの体躯を海中から空へ躍らせる。長大な胸鰭を展張して風を掴んだ瞬間、巨体が強風を浴びた凧のように急上昇していく。

 

 ナミとベアトリーゼは波打つ碧海を背に黒鉛色の空へ向かって駆けあがる。トビウオの後頭部に埋め込まれた計器盤の針が暴れ回る。

 強烈な荷重に内臓と全身の血が引っ張られる不快感に、ナミが綺麗な顔を歪める一方で、

 

「ひゃっほーっ! 昇れ昇れっ! はははははっ!」

 ナミの背後でベアトリーゼが楽しげに高笑いしていた。

 

 人の大一番を思いっきり楽しんでんじゃないわよっ! 心の中で毒づきつつも、ナミは計器盤と計算書の数字を合わせるよう、姿勢制御に全神経を注ぐ。

 

 同時に、ナミは知覚の全てを用いて気象を読む。

 視界に映る雲の動き。耳朶を叩く風の音。肌を刺す向かい風の温度。高度で変わっていく湿気の匂い。冷えていく空気の味。

 

 全ての速度エネルギーが急上昇によって位置エネルギーへ転換された瞬間、ナミは巨大トビウオを捻り込ませ、水平滑空飛行に移る。

 急上昇をやり遂げ、ナミはひとまずの安堵を抱く。控えめな深呼吸後に眼下の景色を見て、肌が粟立った。

 

 高度1000メートルにも届かない“低空”だったが……

 自然豊かな小島は紺碧の海に浮かぶ庭園のようで。紺碧の海に絶え間なく生じて消えていく波模様は遊色宝石のようで。

 

「綺麗……」

 ナミが感嘆をこぼした、刹那。

 

「よくやった、ナミ」

 背後からベアトリーゼがナミの頭を優しく撫でた。

 

 そのささやかな行為にナミの体が微かに震え、“懐かしさ”に心が揺れた矢先。

「西岸には近づかないよーに。じゃ、行ってくるわ」

 ベアトリーゼがひょいっと立ち上がり、両手を広げてぱっと飛び降りた。

 

 まるで買い物に出かけるような気軽さで飛び降りるベアトリーゼに、ナミは狂人を見るような目を向け、頭を振る。

「イカレてる」

 と、ピシッと水滴がゴーグルに当たって弾けた。

 

     〇

 

 落下速度は終端速度で時速100キロ超。高度1000メートルから地表まで30秒と掛からない。

 ベアトリーゼは雨に交じってフリーフォールしながら、視界内でぐんぐん大きくなっていくアラワサゴ島へ見聞色の覇気を放つ。

「なんだ、両軍合わせて一万もいねーじゃん。戦争ごっこかよ」

 

 経験と訓練で強化された見聞色の覇気はアラワサゴ島全域を捜索圏にまるっと収め、ベアトリーゼは戦略系ゲームの画面を見るように両陣営全部隊の配置を捕捉した。主目標が巣くう西岸の辺りを窺う。

「んー……予想以上にしみったれた拠点構築だな」

 

 “目標”を捕捉し、ベアトリーゼは地面に落着するまでの残り時間をカウントしつつ、覇気と能力を使う。両手を武装色の覇気で包み、プルプルの実の力を発動。電磁界を構築して熱プラズマをサイクロトロン共鳴加熱。バランスボール大に膨れ上がった熱プラズマ球の熱量を数百度、数千度、数万度、数十万度、と指数関数的速度で増大させていく。武装色の覇気で身を守っていても、輻射熱で球形型ヘルメットや潜水服がじりじりと熱せられる。

 

 ベアトリーゼは迫るアラワサゴ島西岸を見つめ、超高熱プラズマ球を西岸にある解放軍司令部陣地へ向けて投げて落とす。

 酷薄な微笑と共に。

「どかーん」

 

      〇

 

 小さな小さな太陽が落ちてきた。

 鉄溶鉱炉の100倍の炎量を持つ熱プラズマ球は解放軍司令部を外し、西岸のビーチに落着。その莫大な熱量を解き放つ。

 

 どかーん!!

 

 数十万度の炎熱はビーチを一瞬で溶解させてマグマの大穴を作り上げた。落着地付近にいた解放軍の兵士達が輻射熱で“蒸発”し、焼尽され、炭化していった。地中の水分が気化爆発し、高熱圧衝撃波が西岸一帯を薙ぎ払う。海岸植物の多くが一瞬で枝葉の全てを失い、焼け残った幹もへし折れて大地に倒れる。

 そして、超高温マグマの大穴に海水が大量に流れこみ、莫大な熱量と膨大な海水の界面接触が大規模な相転移反応を招く。

 

 どっっか―――――んっ!!

 

 巨大な炎柱。巨大な噴煙。真っ白な凝結雲。暴虐的な衝撃波。

 爆発の衝撃は島全体を強く揺さぶり、島上空の雨雲を吹き飛ばし、巻き上げられた膨大な粉塵が新たな雲を作り出す。高熱圧衝撃波と爆発音と爆風が島全体や近海を覆っていく。

 

 爆心地付近の解放軍司令部は高熱圧衝撃波によって跡形なく消し飛ばされた。解放軍の将兵達は炎熱で焼け死ぬか、衝撃波で圧潰死した。運悪く即死出来なかった者達は焼け煮えた大気と大地の余熱で生きたまま蒸し焼きにされていく。

 

 島の中央部、開拓村の残骸や瓦礫が激烈な衝撃波で吹き飛び、決闘を見物していた兵士達を薙ぎ払う。

 決闘に勝利し、余韻を味わっていたゾロもその一人だ。

「ぅぉおおおおおおっ!? なんだこりゃあああっ!?」

 マヨネーズ中毒のサムライみたいな悲鳴を上げ、ゾロは周囲の兵士達と同様、爆風にふっ飛ばされた。

 

 強烈な爆風は島の南部にも襲い掛かり、全ての建物を損傷させた。船着き場に停泊していた船も例外なく痛めつけた。いくつかの船舶が転覆する。

 

 オイコット軍拠点は熾烈な爆風によって半ば崩落し、瓦礫が兵士達を押し潰していく。

 拠点へ潜入していたバロックワークス下級社員達も含めて。

 崩れ落ちる瓦礫の雪崩。屋内を満たす大量の粉塵。ビビは廊下を吹き抜けてきた爆風と爆音に華奢な体を蹴り飛ばされる。悲鳴は崩落音と轟音に呑まれてビビ自身にも届かない。

 

 強く激しい衝撃波と爆風と波浪が、西岸沖に展開中だったオイコット軍の武装船を薙ぎ倒して転覆させた。

 

 東岸の沖にいた海軍の軍船で、海軍将兵達が島から立ち昇る噴煙を唖然と見つめていた。艦長が誰へともなく呟く。

「……まるで神罰の火だ」

 

 そして、島を飛び越えた直後、爆風で海に叩き落とされたナミは、目を回して海面に浮かぶサイボーグ化トビウオによじ登り、茫然としていた。

「これが、人間に出来ることなの……」

 

     〇

 

 粉塵混じりの黒い雨が降る。

 島北部の高地『フラムト』の一角。

 ベアトリーゼは球形型ヘルメットを背に下げ、気だるげなアンニュイ顔で噴煙が漂う島を眺めていた。

「やー……久々の全開発動はくたびれましたわ。さーて、成果はどんなもんかいな、と」

 

 見聞色の覇気を放ち、攻撃損害評価を図る。

 高熱プラズマをぶち込んだ辺りは綺麗さっぱり消し飛んだようだ。深さ30メートル強、幅100メートル弱の円形爆発孔の地表面は一部ガラス化しており、海面から大量の湯気を放っている。解放軍司令部は完全に壊滅。指揮機能も完全消失。爆撃の効果は絶大ナリ。

 

 島南部のオイコット軍司令部も被害大。爆心地から距離があったわりには効果が大きい。建築物の構造的な問題かもしれない。結果的には好都合だ。これだけ被害を受ければ、再編と立て直しが終わるまで海上封鎖は出来まい。

 

「ん?」

 と、見聞色の覇気による捜索探査に微かな“反応”が引っ掛かった。

 

 んん? これは……プラズマの痕跡? なぜオイコット軍の拠点にプラズマの痕跡がある? 爆発で飛散した瓦礫か飛礫? いや、出来立てじゃない。どういうこったい? ? ?

 

 怪訝顔を作り、ベアトリーゼは見聞色の覇気を集中させて解像度を上げ――“視た”。

 オイコット軍拠点の崩落部。粉塵が濃霧のように漂う中。どこかで見覚えのあるカール髪の中年兵士が無我夢中で、プラズマの痕跡がある辺りの瓦礫を掘り返していた。

 

「……待て。待て待て待て。この人は……いや、あの人がここに居るはずがない。よく似たそっくりさんに決まってる」

 ベアトリーゼが顔色を悪くしながら自分へ言い聞かせるところで、カール髪のおっさんが叫ぶ様を知覚した。

 ――ビビ様っ! 御無事ですかっ!? ビビ様ぁっ!

 

 瞬間、ベアトリーゼがピシリと凍りつく。

「……嘘でしょ。嘘でしょ? 嘘でしょおっ!? ちょっと待てっ! なんでビビ様がここにいるんだよっ!? ええええええっ!? なんで!? ビビ様なんでぇ!?」

 

 どうして? なぜ? いったい何が? どういう理由で? ナミに続いてビビ様まで……どうなってんだっ!? なんだってこんなちっぽけな島に原作重要人物が二人も居やがるんだよっ!? あああ、くそっ! ビビ様とイガラムに何かあったら、アラバスタ編がめっちゃくちゃになっちゃうっ!? ナミ編に続いてアラバスタ編まで原作破壊とか冗談じゃねえぞっ!

 

 ベアトリーゼは血相を変えてプルプルの実の力を用い、島南部へ向かって跳躍した。

 

       〇

 

 爆発の熱風と轟音で生じた粉塵が(もや)のように漂う中、ゾロは身を起こす。

「くそ……なんなんだ、いったい……」

 

 黒い雨と血と汗と泥に塗れてでろんでろん。緑髪も顔も体も真っ黒だ。爆発の熱風と轟音にやられたのか、耳鳴りと頭痛が酷い。ごほんと強く咳き込めば、どす黒い痰が出てきた。

 

 周囲の兵士達も似たような有様だ。どこか茫然とした様子で靄の先――西岸から立ち昇る蒸気と煤煙を見つめている。

『7』男の骸が泥に半ば埋まっていた。

 

「やれやれ、一張羅が台無しだ」

 ゾロが溜息交じりにぼやいた、その時。

 直感的に怖気を覚え、靄のように漂う粉塵の先を睨む。

 ――何か、来る。

 反射的に和道一文字の柄へ手を伸ばす。鯉口を切るほどの確証はない。

 

 やがて解放軍側の薄闇から空気が爆ぜるような音が聞こえてきた。

 周囲の兵士達も異変に気付き、武器を拾い上げて不安げに粉塵の薄闇に対峙する。

 

 空気の爆ぜるような音が近づいてくる。

 それも恐ろしく速い。まるで旋風のようだ。

 

 ゾロは足を開いて腰を下ろし、抜刀居合斬りの構えを取った。まだ愛刀の鯉口を切らない。

 

 粉塵の靄の先、しなやかな影が映った。

 金魚鉢頭にほっそりとした体躯。どうやら女のようだ。モモンガのように地表スレスレを飛翔し、時折地面を蹴りつけ、速度と高度を稼いでいる。また、地面を蹴りつける度、どういうわけか小爆発していた。音の正体だろう。

 

 ――強ェ……っ! それもとてつもなく……っ!

 モモンガ女を目に捉えた瞬間、ゾロは凍りつく。『7』男の時に抱いたような期待感や戦いの昂揚など生じない。ただただ自身の死を覚えさせられ、肌が粟立ち、全身から冷汗が噴き出す。

 

 ゾロが慄然としている間に、モモンガ女が進路上につっ立っていた解放軍の兵士やオイコット軍義勇兵達を文字通り蹴散らしていく。

 

「邪魔だ三下共ッ! 道を開けないとぶち殺すぞっ!」

 蹴散らされた義勇兵達が吹っ飛ぶ光景とモモンガ女の怒声に、ゾロは我に返った。

 

 直感が告げている。逃げろ。アレはお前が勝てる相手じゃない。

 本能が叫んでいる。バカはよせ、さっさと逃げろ。

 

 だが、ゾロは世界最強を目指す志で直感も本能もねじ伏せ、鯉口を切った。疾風の如く迫ってくるモモンガ女へ吠えた。

「来やがれっ!!」

 

 蛮勇と克己の雄叫びを上げ、ゾロはモモンガ女へ抜刀居合斬りを放つ。

 稲妻の如き獰猛な剣閃。

 

 ごん!

 金魚鉢頭のモモンガ女は、ゾロの居合斬りを片手で容易く叩き払う。

 

「なぁっ!?」

 ゾロは驚愕で目を剥く。全力で放った居合斬りをあっさりと防がれた。しかも、精確に鎬を殴って。

 俺の剣を、こんな簡単に……っ!?

 

「邪魔だボケッ!」

 崩れた体勢を立て直すより速く、モモンガ女の右足刀がゾロへ迫る。

 

 ――っ! この直撃を貰ったら死ぬっ!

 ゾロは咄嗟に腰の刀を鞘ごと抜き、足刀を防ごうとする。が、たおやかな美脚から放たれた足刀は砲撃同然だった。鞘が砕け、刀がへし折れ、筋肉が裂け、骨が折れ、サッカーボールのように蹴り飛ばされ、廃墟に叩きつけられる。

 

「がぁあああああああああ―――っ!?」

 崩落する廃墟の瓦礫に半ば埋もれ、ゾロは気を失った。

 

 

 

 真っ黒に汚れた剣士のガキを蹴り飛ばした後、ベアトリーゼは一直線に島南部の港へ向かってかっ飛んでいく。

「さっきの小汚いガキはどこかで見たような……まぁいいか。今はビビ様の許へ急がねば!」

 ベアトリーゼは蹴り飛ばした剣士のガキがゾロだと気づいていない。ゾロもゾロで髪も顔も着衣も真っ黒に汚れており、居合で挑んだため、三刀流の姿を見せていなかったが……ともかく。

 

 今は一刻も速くビビ様の許へ!

 

     〇

 

 ビビは痛みによって目覚めた。

 崩落した天井から天使の梯子が幾筋も差し込まれている。宙を舞う粉塵がきらりきらりと煌めいていた。

 

 ゴホゴホと咳き込みながら、ビビは自身の状態を診る。身体は半ば崩落の瓦礫と土砂に埋もれていたが、五体無事のようだ。誰かが覆い被さって守ってくれたらしい。

 

 ビビに色目を使っていたミリオンズの少年だった。頭が大きく歪み、口と鼻からどろどろと血を垂らしている。瞳孔が開き切った目が虚空を見つめて微動にしない。

 

 命懸けで守ってくれた少年の名前を覚えていないことに気付き、ビビは自己嫌悪を抱くが、悲劇感に酔っているわけにもいかなかった。

 なんせ天井がミシミシと悲鳴をこぼしている。次の崩落が起きれば、少年と同じく瓦礫の餌食だ。瓦礫を除けて立ち上がろうとするも、瓦礫の隙間が挟すぎて左足が抜けない。

 

 ビビ様っ! と天井からイガラムの声と瓦礫を掘ろうとする音色が降ってきた。

「イガラムッ! 私は大丈夫よっ!」

 呼びかけてみたが、届いてないらしい。泡食ったイガラムの声が返ってくるだけ。ビビはミシミシと呻く天井に不安を覚えつつ、左足を解放すべく瓦礫を押したり引いたり。しかし、ビビの細腕ではビクともしない。

 どうしたら――

 

 ずどん!

 

「きゃあっ!?」

 轟音と共に突如崩落する天井。可憐な悲鳴を上げて反射的に頭を庇うビビ。しかし、危惧した瓦礫の雨が降り注いでくることはない。全ての瓦礫がビビを押し潰す前に周囲へ散らされている。

 

 何が起きたのか全く分からず、ビビは唖然茫然。

 粉塵が晴れていくと、金魚鉢頭の長身女がビビを見下ろしていた。ビビはギョッとして身を強張らせる。

「だ、誰っ!?」

 

 女は金魚鉢みたいな球形型ヘルメットを外し、素顔を晒した。

 癖の強い夜色の髪。眉目秀麗な物憂げ顔。暗紫色の瞳。思い出のままだった。

「あ、貴女は――」

 

「お久しぶりです。ビビ様」

 悪い魔女ベアトリーゼは物憂げな顔に柔らかな微苦笑を湛えた。

 




Tips
ナミ
悪魔の実の能力者が如何に怖いものか目の当たりにする。

ゾロ
原作開始前状態で四皇幹部級とやり合えば、そらこうなるよ。

ビビ
悪い魔女と再会する。

ベアトリーゼ
危うくゾロを殺しかけたことに気付き、白目を剥くまであと数時間。

超高熱プラズマ爆発。
ベイルート港湾爆発事故を参考にしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

66:アフター・アラワサゴ

大変お待たせしました。

茶柱五徳乃夢さん、末蔵 薄荷さん、トリアーエズBRT2さん、佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。

Tipsに追記。本編に変更はありません(6/28)。


 蛮姫のアラワサゴ島襲撃から二日後。

 オイコット王国の港に負傷兵を満載した病院船が入港し、傷病兵が次々と運び出され、空き倉庫を利用して作られた負傷兵用の臨時収容施設へ移されていく。

 

「あれ? ここの女性兵士はどこ行った?」

「こっちのベッドにいたカール頭のオヤジは?」

 病院船内で衛生兵達が空になったベッドを前に困惑している頃、カール髪の中年男と水色髪の美少女が同港町の質屋を訪ねていた。

 

 2人はいくつかの宝石を換金後、その足でいくつかの服屋を巡り、カール髪の中年男は学者先生に、水色髪の美少女は助手の学生に化けた。

 

 ギンギラギンの太陽が海面を照らす正午。学者先生と美少女助手が飲食店のテーブル席に腰を下ろす。

 料理と飲み物を注文し、学者先生に扮したイガラムは大柄な背中を椅子に預ける。

「……なんとか上手くいきそうですな」

 

「ええ。悪い魔女さんの言う通りにね」

 美少女助手に変装したネフェルタリ・ビビはホッと息を吐く。

 

 アラバスタ王国の王女と護衛隊長の2人は、アラワサゴ島のオイコット王国軍拠点へ潜入するための変装を利用し、負傷兵としてオイコット本国へ移送される形で同島を脱出。オイコットに到着後、密やかに病院船から脱走。現在に至る。

 

 全ては悪い魔女――ベアトリーゼのアイデアと援助だった。謎の爆発による混乱と錯綜が無ければ、身元の精査で露見していただろう。博奕の要素が多分にあったが……無事に進みそうだ。

 

「彼女はなぜこれほど我々に、いや、ビビ様に協力的なのか……何か裏があるのか……」

 イガラムが懸念を披露する。相手は高額賞金首のお尋ね者。常識的な疑念と言えよう。

 

「かもね。でも、今の私達は彼女を頼るしかないわ」

 ビビは胸元に下げた首飾りを弄りながら、どこか嬉しそうに応じる。

 

 イガラムが抱いた疑念はあの日、瓦礫の中でビビがベアトリーゼにぶつけた疑問だった。

 手を差し伸べるベアトリーゼに『どうして』と。

 

 ベアトリーゼは即答した。微苦笑交じりに。

 ――僭越ながら、私は貴女の友を自認しておりますので。それにまあ……お詫びも込めて。

 お詫びが何を意味しているのかは分からなかったけれど、アラワサゴ島を無事に脱出できたことはありがたい限り。

 

「グランドラインへ帰還する船も用意すると言っていたわ……今は待ちましょう」

 ベアトリーゼの言葉をまったく疑っていないビビに、イガラムは危うさを覚えるも、確かに今は待つ以外の術がない。

 

 ゆっくりと深呼吸し、イガラムは話の水先を変える。

「此度の作戦は完全に失敗です。ミスター・7は戦死。ミス・ファーザーズデーは消息不明。ミリオンズは我ら二人を除いて全滅。帰還しても任務失敗の咎で処罰されるやもしれませんぞ」

 

「だとしても、戻らないという選択肢はないわ。潜入を続けられなくなるなら、違う方法を取るだけよ」

 ビビの意思は揺るがない。いや、あの小島で陰惨な戦争を体験し、一層強くなっていた。悪く言えば、強迫観念的。トラウマ的反応の一種と言っても良いだろう。

「とにかく、まずはグランドラインへ戻らないと。全てはそれからよ」

「……ですな」と護衛隊長は王女へ首肯した。

 

 料理と飲み物が卓に並べられたところで、店の表から喝采と歓声が上がり、若者が店に駆け込んできて叫ぶ。

「戦争が終わったぞっ! 勝ったんだっ!!」

 店内もまた歓喜に爆発した。

 

 客達が祝杯を上げて国歌を大合唱する中、ビビとイガラムはグラスを手に取り、

「全ての斃れた者達に」

「献杯」

 ビビの音頭にイガラムが応じ、2人はグラスを傾けた。

 

     〇

 

 戦勝報告に本国が沸き立つ頃、高地『フラムト』の頂上でオイコットの旗がはためいていた。

 実のところ、戦い自体は『謎の爆発』で解放軍司令部が完全壊滅した7日目に終わりを迎えていたが、オイコット王国軍の司令部も大きな被害を負っていたため、立て直しと後始末に時間を食った形だ。

 

 予想されていた解放軍兵士の捕虜に対する処刑――虐殺は起きていない。『謎の爆発』で毒気が抜けたのか、オイコット軍の兵士達は捕虜を常識的に扱っている。

 

 アラワサゴ島の西岸に新しく生まれた円形状の入り江。

「ヒッデェな」

 入り江の周囲を見回しながらゾロが呟く。

 

 ゾロは全身のあちこちに包帯が巻かれ、モモンガ女に折られた左腕をギプスで固定している。腰には和道一文字と無銘が一本。三刀流を名乗るには一本足りない。

 

 ゾロのぼやき通り、入り江の周辺は植生も生態系も破壊し尽くされている。焼け残った木々の幹が墓標のように佇み、水際には死んだ魚が大量に折り重なって腐敗臭を放っていた。解放軍の司令部があった辺りでは捕虜による戦場掃除が行われ、死体の処分と物資の回収が進められている。

 

 そして、軍の工兵達が入り江を調査していた。

 ゾロは仏頂面を浮かべながら屈みこみ、地面を突く。凍結した氷よりも滑らかで硬い。ガラス化現象だ。

 あのモモンガ女、本物の化け物か何か? 

 

「腕の具合はどうだね? 今からでも病院船に乗るか?」

 オイコット軍の将校がゾロに声を掛けてきた。一回りほど年上だろう将校は疲れ顔で、懐から煙草を取り出し、ゾロにも一本勧める。が、ゾロは首を横に振った。

「飯食ってりゃそのうち治る。それより、あのモモンガ女の行方は?」

 

 モモンガ女? 将校は小首を傾げつつ煙草をくわえ、美味そうに紫煙を吐く。

「分からん。我が軍の拠点を痛めつけた後、海に消えた。海軍も行方を追えなかったらしい。おそらく……悪魔の実の能力者だったのだろうな。能力者の中には桁外れの化け物もいると聞く。あの女はその類だろう。何が目的だったのか……まあ、結果として戦争は終わったが」

 

 将校はちらりとゾロを窺う。

「勲章授与も辞退したそうだな。やはり我が軍に仕官する気は無いかね?」

 

 ゾロは小さく肩を竦めて「高く買ってくれるのはありがてェが、宮仕えは性に合わねェ」

「それは残念だ」将校は紫煙を燻らせ「これからどうするのかね?」

 

「これまでと同じだ。旅を続けるさ。でもまあ」

 入り江を眺めながら即答し、ゾロはギプスで固めた左腕を撫でる。

 故郷を飛び出して以来、文字通り一蹴されたことは初めてだった。まったくもって腹立たしいし、悔しい。

 同時に、とんでもない強者の存在に心が躍っていた。

 

 あのモモンガ女、俺の居合斬りをあっさり払いのけやがった。

 もっと強くならなきゃならねェ。もっと体を鍛えて、もっと技を練らねェと。

 ゾロは愛刀和道一文字の柄に右手を添え、入り江の先に広がる海を見つめた。

「とりあえずは修行だな」

 

     〇

 

 アラワサゴ島紛争の終結が宣言された翌朝。

 ベアトリーゼはだらしない格好でぼりぼりと腹を掻いていた。

 ヨレヨレのスポーツブラとショーツ。ボロっちいサンダル。元々癖の強い髪は寝癖が加わって鳥の巣みたいだ。

 

 そんな恰好で安っぽい木造椅子に腰かけ、ベアトリーゼは長い脚を机に乗せて電伝虫の相手をしている。

「ちょっと張り切り過ぎたことは認めるよ」

 

『そうね。小規模とはいえ、島の海岸線を変えるほどだもの。さぞかし張り切ったんでしょうね。おかげで方々が大騒ぎしてるわ』

 電伝虫が優艶な声で皮肉る。諜報員にして歓楽街の女王は御機嫌斜めらしい。

『それに……なにやらまた“面倒事”を増やしたみたいだけれど』

 

 若作りババアめ。手が長いな。ベアトリーゼは内心で悪態を吐きつつ、しれっと嘯く。

「なんのことかしらん」

 

『まぁ良いわ。配達を完遂してくれる分には目を瞑ります』

「そりゃどうも」

 ベアトリーゼは小さく欠伸をこぼし、引き締まった腹を掻きながら続ける。

「それで配達先は?」

 

『フラウス王国。港で引取人が出迎えるわ』

「承りました、マダム。リボンを付けてお届けします」

 演技がかった調子で応じ、ベアトリーゼは通話を切った。鳥の巣状態の長髪を弄りつつ、襲撃時のことを振り返る。

 

 アラワサゴ島を強襲し、海岸線と人間を“ちょっと”吹き飛ばした後、オイコット軍の拠点で超重要人物(HVP)2名を発見。ベアトリーゼは保護を試みるも2名を連れての脱出が困難だったため、2名に『手札』を渡して島から撤収。ナミと合流してオウィ島へ戻っていた。

 

『手札』が上手くいったなら、HVP2名は“オイコット軍の”負傷兵に化け、オイコット本国に後送されているだろう。ドクトル・リベットをフラウス王国へ配達したら、トンボ返りでオイコットの2名がグランドラインへ帰還するお手伝いをせねば。

 何と言ってもビビ様は大恩人。万難を排してお帰り頂く。

 

 それにしても……。ベアトリーゼは大きく鼻息をついた。

「ナミちゃん、ビビ様に加えてゾロまで居たとは……分からなかった。この私の見聞色の覇気をもってしても」

 

 オウィ島に帰還後、ニュース・クーの新聞に目を通してビックリ。まさかあの島に麦わら一味の重要人物ゾロがいたとは。

 情報は常に最新のものを手に入れなきゃあかんね。

 

 うっかりぶっ殺しかけたことを知った時は思わず白目を剥き、口から魂が抜けかけてしまうほど驚愕したものだ(その様を間近で見ていたナミは、ベアトリーゼに奇癖が有るのではないかと疑った)。

 

「東の海に来てから予想外のことばっかだなぁ……原作開始まであと一年半くらい。どうなることやら」

 ロビンと出会う前――故郷から海に飛び出したばかりの頃は原作ブレイク上等くらいに思っていたけれど、今は心から原作通りに進んで欲しい。このクソッタレな世界が若き海賊王によってひっくり返される様を見届けたい。

 

 と、部屋に近づいてくる人の気配をキャッチ。

 身長体重と歩幅と歩調。ナミだ。

 

 ノック無しでドアが開けられ、蜜柑色のショートヘア娘が姿を見せる。今日も今日とて可憐なナミちゃんはベアトリーゼの格好に眉を寄せた。

「女を棄ててるわね」

 

 5つ以上年下の小娘から辛辣に評され、ベアトリーゼはぼさぼさの髪を指で梳く。

「御指摘が耳に痛い。スーパートビウオライダーは船よりも速いけど、積載荷物が限られる。“余計な荷物”もあるから余計にね。おかげで替えの服も下着もこのザマさ」

 

「お洒落とは無縁ってわけね」

 ナミは小さく鼻息をつき、机に小癪なお尻を乗せて電伝虫をちらり。

「あんたの“依頼人”と連絡は取れたの?」

 

 ベアトリーゼはゆっくりと立ち上がり、しなやかな長身を伸ばして悩ましげな声をこぼす。

「フラウス王国に“荷物”を配達したら、オイコットへ向かう」

 

「……オイコット? どういうこと?」とナミが怪訝そうに眉根を寄せた。

「急ぎの別件が出来た。悪いけど、優先順位の問題でこの島で保護した女子供は後回しだ」

「後回しって……別件って何よ」

 ナミの愛らしい顔つきが不快そうに歪み、ベアトリーゼは宥めるように話を続ける。

「言葉が悪かったね。別に子供達を放りだすわけじゃないから安心して良い。場合によっては信用できる預け先が見つかるかもしれない」

 

「待って。話が見えない。あんた、この前は信頼できる相手はいないって言ってたじゃない」

「事情が変わったんだよ。今、極めて信用性の高い人物が東の海に居る。その人に協力することで保護した女子供に健全な保護環境を与えられる可能性がある」

 ベアトリーゼはアラワサゴ島で遭遇した王女と護衛隊長を脳裏に浮かべる。2人の帰還に協力すれば、女子供をアラバスタ王国で保護できるだろう。内戦は控えているけれど、この世界で数少ない仁君が治める国だし、国の民度も桁違いに高い。

 ココヤシ村がダメということもないが……アラバスタ王女殿下の裏書き付きで保護される方が安心ではなかろうか。

 

「……信用して良いの?」ナミは詐欺師を見るような目を向けてくる。

「私だって保護しておいて放りだすような真似はしたくないよ。気分が良くないからね」

 アンニュイ顔に冷ややかな薄笑いを浮かべ、ベアトリーゼは机に腰かけているナミの隣へ座った。

「さて、ナミちゃんに持ち掛けられた提案だけど」

 

 瞬間、ナミが可憐な顔と華奢な体を強張らせる。その一方で、橙色の瞳の奥で強烈な感情が業火のように燃え盛っていた。殺し屋(ベアトリーゼ)を用いて仇敵(アーロン)を消す、という決意は固いらしい。

 

 ベアトリーゼは物憂げ顔で言葉を続けた。

「一緒に鉄火場を潜った“戦友”として、正直に明かそう。私とドクトルはかなりヤバい連中に追われている。グランドラインからこの海まで追ってきそうな奴らで、状況次第ではドンパチ沙汰になるかもしれない。海上、フラウス、オイコット、もしくはナミちゃんの故郷でね」

 

「そんな大事なことを今さら明かすの?」

 不審と不快に綺麗な顔を歪めるオレンジ髪の少女に、ベアトリーゼは小さく肩を竦め、

「誠意だよ。黙っていても良かったけど、土壇場でやっぱ無しって言ったら怒るでしょ?」

「絞め殺してやるわ」蛮姫を睨み据える橙色の瞳はマジだ。

 さもありなん、と気まずそうに髪を弄る。

「言っておくけれど、私を的にする以上、向こうはそれ相応の腕利きを送り込んでくるだろうし、私も周りを気にしていられないかも」

 

「……巻き添えを出すってこと?」

 ベアトリーゼは不安そうなナミへ顔を近づけ、魔女のように犬歯の先を覗かせた。

「人を呪わば穴二つ。リスクフリーの陰謀なんて無いよ」

 

「そんなこと、言われなくたって分かってる。私だって修羅場をくぐってきたわ」

 負けん気を露わにし、16歳の少女は蛮姫を押し退ける。きゅっと眉目を吊り上げた。

「だけど、私の大事な人達を犠牲にしたら、ただじゃ置かない。あんたがどんなに強くたって関係ない。あんたにしてみたら私なんて鼠みたいなもんだろうけど、鼠だって噛みつく牙を持ってるわ」

 

 本気で睨みつけてくるナミに、ベアトリーゼはロビンと出会った時を思い出し、郷愁の微笑をこぼす。

 

「バカにしてるの?」

 ナミが美貌に怒りを混ぜるも、ベアトリーゼは首を横に振る。

「親友のことを思い出しただけ。初めて出会った時、ナミちゃんのように睨まれた」

 

「……それって、『悪魔の子』ニコ・ロビンのこと?」

 ナミは腕組みしながら尋ねる。怒気は収まっていなかったが、興味が勝った。

 

 なんせ、ナミは新聞で『血浴』と相棒の『悪魔の子』の“活躍”を追いかけていた。ベアトリーゼがグランドラインで逮捕され、海難事故で死亡したと報道された時は少なからずショックを受け、生存が報じられた時に嬉しさを覚えたものだ。本人は決して認めないだろうけれど……一種のファン心理に近いかもしれない。

「何年か前、あんたが逮捕された時にコンビを解消したって新聞で読んだわ」

 

「コンビ解消をしたわけじゃないよ。私が海軍に捕まって別れただけ。まぁ、いろいろあって再会できないまま数年経っちゃったけどね。そのうち会えるさ」

 ベアトリーゼは机から降り、独りごちるように呟く。

「生きてさえいれば、ね」

 

     〇

 

『血浴』のベアトリーゼがアラワサゴ島紛争に介入したという情報は、関係者の想像以上に素早く伝播した。

 海軍、政府情報機関、報道、有力海賊団、それに、“抗う者達”にも。

 

 

 その船は全長130メートル越えでマストが5本も立っており、帆はなんと42枚だ。乗員乗客併せて300人超え。ロイヤル・クリッパー型客船は優美な姿に相応しく優雅に水面を進んでいく。

 時たま、愚か者達がこの美麗な帆船を襲うこともあるが、大抵の場合は警備にぶちのめされて処刑ショーの出演者になり、乗客を楽しませて人生を終える。

 

 特等客室(デラックス・スイート)にて。

「報道の通りです。東の海で確認しました。ヴィンデ・シリーズの女が護衛についています。――しかし、それでは――……はい。かしこまりました。そのように対処します」

 そのしっとりとした女性の声は若い令嬢のようであり、老いた淑女のようであり。

 

 フラウ・ビマ。年の頃は三十路半ば頃か。

 結い上げられた濡れ羽色の長髪。優しげな顔立ち。気弱そうな目元。程よい肉付きの肢体を濃紺色の和風ワンピースで包み、陽光を避けるサマーストールをベールのように被っていた。

 

 美女と評するほどの麗貌ではない。が、ほどほどに整った容姿、柔弱な雰囲気と成熟した艶気といったものは、世の男達のリアル――少し強気に押せば、その体を好きに貪れそう―な欲望を刺激する。男を引き付ける優艶な姥桜、そういうオンナだ。

 

 そして、フラウ・ビマはその事実を “正しく自覚して”いる。

 安淫売のように明け透けなセックスアピールをするのではなく、ちょっとした所作や仕草でオンナを感じさせ、メスの気配を漂わせ、精妙に計算された大人の艶気を演出している。

 

 もっとも、それらはフラウ・ビマの本質ではない。

 彼女の本質、それは漆黒の瞳に宿っている。

 諦念と失望を超克した絶対零度の深淵。

 

 白電伝虫の通信を切り、フラウ・ビマは香り豊かな紅茶を口に運ぶ。その様は手弱女の容貌と相俟って一枚絵のように美しい。それだけに闇深い瞳の恐ろしさが際立つ。

 

 真っ黒な瞳で船窓の外に広がる海原をしばし眺めつつ、フラウ・ビマは思考を巡らせる。緻密に組み上げていく。

 ヴィンデ・シリーズの娘と伍して戦える駒。東の海にそんな者は皆無だし、グランドラインから素早く送り込むことも難しい。

 

 ――ああ。丁度良い連中がいたわね。

 彼らなら情報を流せば必ず食いつく。

 マリージョア内の情報は喉から手が出るほど欲しいだろうから。なにせ彼らは“本気”で世界政府を倒そうとしている。

 あの赤い大陸の頂に何が潜んでいるかも知らぬまま。

 

 フラウ・ビマは漆黒の双眸を悪意的に細める。

 白電伝虫の通話器を手に取り、番号を入力。通話口に出た相手へ静かに語り掛ける。導火線に火を点すように。

「革命軍に情報を流しなさい。天竜人の飼い犬だったドクトル・リベットが東の海に居る、と」

 




Tips

ビビ
イガラム
オイコット兵の変装を利用して島から脱出に成功。オイコット王国にて潜伏。

ゾロ
腕をへし折られたけど、飯食って酒飲んで鍛錬してれば治っちゃう。
頂を目指し、もっと強くなろうと誓う。

ナミ
いまいちベアトリーゼを信用しきれない。

ベアトリーゼ
原作の見届け人を気取っておいて、原作破壊まっしぐら。

フラウ・ビマ(ビマ婦人の意)
オリキャラ。”抗う者達”の一員。

元ネタは銃夢:火星戦記に登場するキョーコ・ビマ。
世界に絶望していた薄幸の日系女性。
とある陰謀のために幼いガリィの偽母を演じさせられ、悲劇的な最期を迎える。
ただし、彼女がガリィに注いだ愛情は本物だった。
木城ユキト氏が描く平凡な容貌が妙にエロい(唐突な感想)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

67:船はフラウス王国へ。

烏瑠さん、拾骨さん、佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 満天の星。夜の海が奏でる穏やかな潮騒。星月の明かりに煌めく波模様。

 戦争が終わったため、海軍の艦隊もオイコット軍の武装船群もいない。しょぼくれた帆船が海流に乗って、オイコット王国近海を通り抜けていく。帆船の後方海中を巨大トビウオが密やかに続く。

 

 夕食後の静かな夜更け。保護した女子供達は、ドクトルから就寝前の読み聞かせを受けている。ナミは大タライで行水中(今時、シャワーも無いなんてっ!)。

 

 ベアトリーゼは後甲板のデッキチェアに長い脚を放りだすように腰かけ、夜番を務めていた。ラムの酒瓶を片手に星々を眺めながら物思いに浸る。

 薄れていく前世の思い出と。鮮明な今生の想い出と。

 

「月見酒なんて風流なところがあるのね」

 ナミがタオルで髪を拭いながら、後甲板に上がってくる。

「見張り番としてはどうかと思うけど」

 

「酔うほどは呑んでないよ。水代わりさ」

 ベアトリーゼは物憂げ顔のまま暗紫色の瞳をナミへ向け、酒瓶を傾けた。

 

「それにしても……本当にまともな服を持ってないのね」

 ナミはどこか失望交じりの眼差しでベアトリーゼを見る。

 

 今日のベアトリーゼは、あちこちほつれたキャミソールと色褪せたホットパンツ。それにボロサンダル。夜色の長髪は癖任せにぼっさぼさ。

 これは酷い。

 

「前にも言ったろ。コーデできるほど服を持ってねェの。ナミちゃんだって着たきり雀じゃん」

「私は良いのよ。そもそも遭難者だったんだから」

「そういやそうだった」

 ベアトリーゼがくすくすと喉を鳴らしているところへ、船楼からドクトル・リベットが姿を見せる。

 

「こ、ここ子供達とむっ娘達はしゅ、就寝したぞ」

 蛮姫がオウィ島を制圧以降、ドクトルがトラウマを抱えた女子供達の面倒を見ていた。

 子供好きには到底見えないが、扱いを心得ているらしく、子供達はドクトルに懐いている。女性達にしてもドクトルに信頼を寄せているようで、恐れたり反発したりするそぶりを見せない。

 

「毎夜、御苦労さん」

 ベアトリーゼがおざなりに労い、ナミはタオルを首に掛け、蜜柑色の瞳をドクトルへ向ける。

「……子供や傷ついた女性の扱いが上手いわね。なんか意外だわ」

 

「い意外なことなど無い。なっ慣れているからな。と当然のことだ」と自慢げに宣うドクトル。

「? 慣れてる? なんで?」

 怪訝そうに眉をひそめつつ、ナミが問いを重ねる。

 

 こりゃいかん、とベアトリーゼが話の水先を変えようと口を開こうとするも、空気を読まないドクトルは言った。言ってしまった。

「う、うむ。私はあっああいう()()()をか、数多く扱ってきた。こ好感を得ることなどた、容易いのだよ」

 

「……なんですって?」一瞬でナミの眉目が吊り上がり、双眸に強い感情が浮かぶ。「あんた、子供や女性を実験に使ってたっていうの?」

 

「うむ。子供は新陳代謝が活発で実験データを取り易い。しかし、成人に比べて情緒や肉体面がどうしても安定性に欠く。そのため、彼らの扱いには気を配ったものだ。これは女性に関しても同様だったな。多くの場合、奴隷として売られてきた関係から精神面に難があり、管理には繊細さを求められた。うむ、懐かしい」

 ドクトルは吃音を忘れて得意げに言葉を並べていく。ナミが正義感を刺激され、双眸に強烈な敵意と嫌悪を込めていることに気づきもしない。

 

「……その実験に利用された子供達や女性達は、どうなったのよ」

「もちろん“廃棄”されるまで使い倒したとも。それに余さずきちんと標本を採取したぞ。私は他の愚か者達と違って、闇雲に実験体を使い捨てたりしなかったからな」

 あっけらかんと語るドクトルの様に、

 

「――っ!」

 このジジイ、修正してやる。とナミが拳を握り締めたところに、ベアトリーゼが止めに入る。

「無駄だよ。ドクトルの倫理観や道徳観は、一般的な価値観から隔絶しているからね」

 

「そそそれは君も同じだと、おっ思うがね」

 ドクトルからイヤミを聞かされ、勝気な眉目をこれでもかと吊り上げたナミに睨まれつつ、ベアトリーゼはバツが悪そうに癖の強い髪を掻く。

「まあ、少し明かしておくと、ドクトルはとある権力者の下で邪悪かつ愚劣な研究に従事していたマッドな学者なんだよ。簡単に言えばロクデナシだ」

 

「失敬な!」

 ドクトルは一瞬で禿頭を真っ赤に茹で上げ、眉の無い目を三角形にした。

「私が従事していた研究は、純粋ヒト種をより上位存在へ進化させることを目的とした崇高なものだぞっ! 邪悪かつ愚劣などと無礼極まりないっ! ロクデナシなどと名誉毀損だっ! 君は実験体を何かの被害者のように見做しているようだがね、まったくナンセンスかつ低ベクトルの意見だっ! 彼らは被害者などではないっ! 彼らは元より奴隷として売り買いされていたのだっ! 家畜として、下品な欲望を満たす玩具としての生しか送れぬ者達に、私達は崇高な目的に貢献する機会と栄誉を与えたっ! 感謝されることはあっても非難される謂れなど無いっ!」

 仰々しい身振り手振りに加え、口から泡を飛ばしてまくし立てる様は、防空壕で将軍達を怒鳴り飛ばす第三帝国総統みたいだ。

 

 ナミは絶句した。眼前の老人は人体実験で女子供の命を奪ったことに、一切の呵責を抱いていなかった。その言葉に釈明の色は微塵もなく、それどころかナミを蒙昧と逆に非難する始末。

 

 まったく理解できない。

 ただ、ナミは絶対零度の眼差しでドクトル・リベットを睨み据え、煮え滾った声で吐き捨てる。

「人間のクズね」

 

「なんだとぅっ!!」

 ドクトルが頭から湯気を放つが、ナミは相手にせずベアトリーゼをきゅっと睨む。

「あんた、“これ”になんとも思わないのっ!?」

 

「噛みつかないでよ。仕事で運んでるだけなんだから」

 ベアトリーゼは嘆息交じりに肩を竦め、

「そもそも私は『血浴』だよ? ジョーシキ的な倫理や道徳を期待するもんじゃないね」

「自覚してるなら直せっ!」

「……トイレ行ってきまーす」

 ナミの正論パンチを浴びて逃げだした。

 

     〇

 

 グランドライン前半“楽園”。白土の島バルティゴ。

 何もかもが白一色の島内に唯一ある街は、世界政府に叛旗を翻した革命軍の拠点であり、住民は全て革命軍の兵士であり、支援要員である。

 

 雨に濡れる大きな石造り建物――革命軍総司令部の一室で、革命軍総司令官と若き参謀総長、それと幾人かの幹部が顔を合わせていた。

 

 総司令官は“革命家”ドラゴン。世界政府が『世界最悪の犯罪者』と呼ぶ男だ。

 タテガミのような長髪で、厳めしい顔の左側に幾何学模様のような一筋の刺青を入れている。鍛え抜かれた長身も手伝って威圧的な雰囲気が漂っている。

 

 ドラゴンは情報解析官から届けられた書類を突く。

「どう思う?」

 

「罠でしょうね」

 顔の左側に大きな火傷痕がある金髪の青年が即答した。

 

 革命軍参謀総長サボ。

 通常、参謀総長は参謀団――軍事官僚団の頂点であるから最前線に出るなどあり得ないのだが、この若き革命軍参謀総長はいつも最前線や現場にいる。それどころか一番槍を決める始末だ。それで良いのか革命軍?

 

「フィッシャー・タイガーの聖地襲撃から約10年。完全に姿を隠していたドクトル・リベットの情報がこうも簡単に入手できるなんて怪しすぎる。情報源がクリーンというのも俺達に都合が良すぎる」

 サボの見解にドラゴンは小さく頷き、厳めしい顔つきを険しくする。

「確かにな。だが、この情報は罠だとしても見過ごせない」

 

 ドクトル・リベットは天竜人の奴隷であったが、実態はお雇い学者だった。他の逃亡奴隷達より多くの情報を有している。さらに言えば、謎多き天竜人フランマリオン家の情報も持っている。ドクトル・リベットの身柄を確保する価値は大きい。

 

 もちろん、リスクもある。

 革命軍がドクトル・リベットを確保したことが聖地に知られたら、政府は海軍やサイファー・ポールを使って奪還ないし抹殺に動くだろう。“抗う者達”の動向も無視できない。

 

 加えて――

「リベットの警護に“血浴”のベアトリーゼが付いている」

 ドラゴンの顔が苦虫を嚙み潰したように歪む。

 

 革命軍……というよりドラゴンは、血浴のベアトリーゼに良い感情を抱いていない。

 ドラゴンはオハラ滅亡以降、唯一の生き残りであるニコ・ロビンを――友人クローバー博士の最後の弟子を“保護”しようと務めてきた。

 

 しかし、賢く利発なロビンは幼いながら驚異的逃亡を続けて手が届かず。

 ベアトリーゼと組んでからはその暴れっぷりに方々の目を集め、迂闊に手を出せなくなってしまい。

 そして、ベアトリーゼと別れた数年前からは完全に身を隠してしまった。

 

 ドラゴンにしてみれば、ベアトリーゼは友人の遺児を悪の道に引きずり込んだ不良娘に近いのかもしれない。

 

「海軍内に潜伏している同志の情報だと、ベアトリーゼはかなりの反政府思想らしいよ。革命軍に迎えられないかな? ドラゴンさんが探し続けている、ニコ・ロビンの行方も知っているかもよ?」

 キャスケット帽を被ったうら若き乙女――女性幹部のコアラが、不機嫌顔のドラゴンを窺いながら提案する。

「どうかな。革命軍に共感するタイプとは思えないけれど」とサボが渋面を返す。

 

「なら、戦うの?」

 コアラが卓上の新聞を示す。アラワサゴ島紛争の終結を報道する記事には、円形に穿たれた沿岸の写真が飾られている。

「こんなことができる相手と? サボ、本気?」

 

「必要ならな」

 サボは強気に告げる。

「確かにベアトリーゼは強い。だけど、能力者は海楼石を使えば弱体化がさせ易い。やりようはある」

 

「そもそもの疑問なのだが」

 革命軍の将兵や子供達に格闘技を指導している魚人空手家ハックが、腕組みしながら自問するように言った。

「なぜベアトリーゼはリベットと一緒にいる? どういう繋がりだ? それにどうして東の海に? 情報にはその辺りがないぞ」

 

情報管制官(ギルテオ)が裏取り中だが」ドラゴンは眉間に皺を刻みながら「難しいだろうな」

 

「今重要なのはリベットを確保するか、しないか。それだけですよ」

 サボが若者らしい血気盛んな意見を語り、会議室内の目がドラゴンに集中した。

 

 ドラゴンは腕組みして沈思黙考。人生の大半を革命成就のために費やしてきた男は、ドクトル・リベットを捕える作戦のリスクとリターンを冷徹に計算する。

 

 約90秒の計算の末、ドラゴンは決断した。

「リベットの身柄を押さえよう」

 

     〇

 

 革命軍幹部が会議を行った数日後。

 昼飯時が近づく頃……蛮姫と気狂い科学者、泥棒猫に難民の女子供を乗せたボロ船が、フラウス王国に入国する。

 

「大きいな」

 今日も今日とて酷い格好のベアトリーゼは、女子供達と共にしげしげとフラウス王国の玄関口――メビウス港を見回す。

 

 女王バン・ドデシネの治世により、フラウス王国は大海賊時代にあっても繁栄と安全を謳歌している。

 

 その事実を裏付けるように、メビウス港はとても大きく、活気に満ちていた。

 桟橋や船揚場には大小様々な船が停泊し、幾つかの荷捌き施設には船が横付けされ、沖仲仕達が忙しなく貨物を船に積んだり、降ろしたり、運んだり。倉庫街や野積み場には、大量の物資が出入りしていた。港湾内の卸市場は賑やかな喧騒に満ちている。

 

 港の先には、煉瓦と石でネオ・ロマネスク調に築かれた建物の街並みが広がっている。丁寧に刈り込まれた街路樹と、綺麗に清掃された石畳の通り。往来の人々も綺麗な服を着ていて、血色が良い。

 

「私も初めて来たけれど、今の女王様が玉座に就いてからは随分と繫栄してるそうよ」

 舵輪を握るナミが説明する。

 

「そ、そその秘訣はアレか」

 ドクトル・リベットが眉の無い目を向けた先には、海軍の軍船が並ぶ港湾区画。

 

 フラウス王国女王は国内に世界政府海軍の軍港を誘致し、駐留費用を負担することで自国と海域、海運航路の安全を確保したらしい。

 

「海軍に媚びて得た繁栄ってことね」

 故郷の事情から海軍に良い感情を持たないナミが鼻を鳴らすも、ベアトリーゼは『そうでもないさ』と首を横に振る。

「海賊被害が蔓延する御時世だ。安全保障への投資は民衆に安心感を与えるし、安定と安全は平穏を生む。そして、平穏は経済を栄えさせ、国家と民衆に富をもたらす。民衆から搾り取ることしか出来ない薄らバカ共よりずっと賢い」

 

「……あんたって偶に賢そうなこと言うわよね。びっくりするわ」

「ナミちゃんは私をどう見てるのよ」

「手綱を握っておかないと何をしでかすか分からない猛獣」

 ベアトリーゼとこんな会話を交わしながら、ナミは係員の指示に従って船を旅客船の停泊場へ進める。

 

 しょぼくれた船を係留し終えた直後、ベアトリーゼの懐に収めていた子電伝虫に連絡が入った。

『ビラル通り5・12』

 機械音声みたく無機質な声が一方的に番地を伝え、切れた。

 

 こっちの動きはまるっと捕捉済みなわけね。ヤーな感じ。

 眉根を寄せつつ、ベアトリーゼはナミへ言った。

「悪いけど、ナミちゃん達は私とドクトルが用事を片付けるまで、船に留まって子供達の世話をしてて。他所より安全とはいえ、性質の悪いのが居ないとも限らないからね」

 

「着替えを買ってくれるなら良いわよ」ナミはにやり。「もちろん、他の子達の分も」

「頼もしいね」

 ベアトリーゼは楽しげに笑い、ナミに歩み寄って冷徹な声音で囁きかける。

「もしも、明日の朝までに私が戻ってこなかったら、この番号の電伝虫に連絡を入れてオイコットへ向かえ。ナミの交渉次第になると思うけど、子供達を保護して貰えるはず」

 

「あんたが戻らないって……そんなにヤバいの?」

「帰ってきたら、服を好きなだけ買ってあげるよ」

 唖然としているナミの肩を優しく叩き、ベアトリーゼはドクトルへ冷徹な顔を向けた。

「ドクトル、荷造りしろ。行くぞ」

 

「こ、ここ今度は荒事無しだと良いのだがね」

「荒事のタネは私じゃなくてあんただろ」

 

「ちょっと待って」

 ナミが愚痴るドクトルと毒づくベアトリーゼの間へ割って入り、不機嫌顔の蛮姫をじろり。

「その恰好で出かける気? 悪名高き『血浴のベアトリーゼ』のイメージをもっと大事にして」

 

「どうしろってのよ?」

 訝るベアトリーゼに、ナミは悪戯っぽく口元を緩める。

「私に任せて」

 

 

 

 で。

 

 

 

 タンブルウィードみたいだった夜色の長髪を丁寧に梳かし、強い癖を活かしてフェミニンなゆるふわアレンジに。

 

 よれよれの着衣をひっ剥がし、保護した女達が持ち出した着衣の幾つかを提供してもらい、現れ出たるは優美なヒップラインと美脚を強調するデニムショーツ。引き締まった上半身をゆったり包むカットソー、足元でさえも可愛いく見えてしまう編みサンダル。

 

 ろくすっぽ手入れをしてない小麦色の肌に保湿クリームを塗りこんで(ただし、元よりすべすべお肌で、ナミはなんとなく納得いかない)。最後にナチュラル系メイクとネイルの手入れ、簡単なアクセサリをあつらえば……?

 

 なんということでしょう……!

 血溜まりが似合う野蛮人が、港町にぴったりなロコガールへ大変身です。

 

 技の限りを尽くした匠は満足げに呟きます。

「デカい犬をトリミングしてる気分だったわ」

 

      〇

 

 見聞色の覇気を展開しつつ、ロコガールなベアトリーゼがドクトルを伴ってメビウス港から伸びる通りの一つ――ビラル通りを進む。

 当然ながら、ベアトリーゼは両腕に肘剣用装具を巻き、後ろ腰にダマスカスブレードの鞘を交差させるように佩いている。装具ベルトにはカランビットを二本差していた。

 

「ま、まっまたしても囲われ生活か。かか返す返すあの魚人が下らんことをしなければ、と思わざるを得ん」

 ドクトル・リベットが眉毛の無い眉を掻きながら鼻息を吐き出す。そして、鋭い眼差しでベアトリーゼを窺う。

「……君は小島を襲いに行った時、いろいろ算出していたな」

 

「吃音を忘れてるぞ、ドクトル」

 ベアトリーゼが茶化すも、

「私は生命学者で物理学に明るいわけではないが、飛行に関する計算法、いや、公式が存在するなど聞いたことがない。少なくとも、私が目にすることが出来たエッグヘッドの研究資料内には皆無だった」

 ドクトルはプレパラートの細菌を見るようにベアトリーゼを見据え、有無を言わせぬ口調で質す。

「蛮地出身で学を修めておらん君が、なぜ政府の最先端科学研究所ですら未知の物理公式を知っている」

 

 ワンピース世界の科学はフレーバーというか、いい加減というか、諸々が定かならぬ有様だ。帆船がぷかぷか泳ぐ一方で、サイボーグが当たり前のように現れるし、フリントロックが連発銃化しているし、毒ガスや迫撃砲が存在するし(化学兵器も迫撃砲も第一次大戦の発明である)、パドル船があるけど、スクリュー船はないし、極稀に飛行船の描写もあるが――

 飛行機は一切登場しない。

 

 航空機開発に求められる流体力学自体はニュートン力学を始祖とし、20世紀までにベルヌーイ、オイラー、レイノルズなどが重要な公式を発見している(もちろん、彼らは自身の研究が航空機の開発に役立つなど知らなかったが)。

 

 造船知識以外怪しいのに肉体をサイボーグ化しちゃったフランキー、アンドロイドを開発しちゃったツキミ博士、潜水艦を作っちゃったヴォルフ博士、といった例外的存在もいるにはいるが、現状のワンピース世界において、ドクター・ベガパンクのお膝元エッグヘッド未来研究所以外に先進的先駆的科学が普及していることは、世界観的にあり得ない。

 

 ゆえに……蛮地出身のベアトリーゼが高等科学の識見を持っている事実自体、極めて異常なのだ。

 ドクトル・リベットは険しい顔で詰問する。

「君はいったい何者だ。その知識をどこで、どうやって手に入れた」

 

「長生きしている割に物知らずだな、ドクトル」

 老科学者から射抜くように睨み据えられ、蛮姫はフンと鼻で嗤う。

「佳い女は秘密があるもんさ」

 

 煙に巻かれ、ドクトルが眉目を吊り上げた矢先、ベアトリーゼが長い脚を止めた。

「着いたな。ここだ」

 

 ビラル通り5・12『ルイズ・レストラン』。

 

 ベアトリーゼは見聞色の覇気で探りを入れる。店内と周囲に待ち伏せ無し。

 しかし……どうにも不穏な予感が拭えない。

 蛇穴に入るような心境で、ベアトリーゼは店のガラス戸を開けた。




Tips

ベアトリーゼ。
スーパートビウオライダーに乗って以来、私服がよれよれの干物女状態。

ナミ
新世界編以降、服装が頻繁に変わるようになった。総じて可愛い。

ドラゴン
原作キャラ
革命軍総司令官。個人的に奥さん(ルフィの母親)が気になる。

サボ
原作キャラ。
革命軍参謀総長。火傷顔のイケメン。声もイケボ。
作中時系列だと、幼少期の記憶を喪失中。

コアラ。
原作キャラ
革命軍幹部。キャスケット帽が似合う美少女。魚人空手の使い手。

フラウス王国。
バン・ドデシネ女王が治める国。原作では名称しか出ないので、どんな国か分からない。
ほぼ本作のオリ国化。

 メビウス港
  バンドデシネの大作家メビウスにちなむ。

 ビラル通り
  バンドデシネの大作家ビラルにちなむ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

68:ベアトリーゼ先生のレッスン

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、金木犀さん、誤字報告ありがとうございます。


 ビラル通り5・12『ルイズ・レストラン』

 店内は長方形で然程広くなかった。調度品は質素というか地味というか、清掃は行き届いているけれど、飾り気はまったく無い。縁が擦り減った椅子と丸テーブル。幾度も洗濯されて縁がほつれ気味のテーブルクロス。レストランというより西洋定食屋と名乗って欲しい塩梅だ。

 昼飯時だというのに、客は奥の卓に一人。厨房出入り口の椅子で新聞を読んでいた女給が、気だるげに『いらっしゃいませ~』。

 

 トイレに拳銃が隠してありそうな店だな。

 ベアトリーゼがそんなことを思っていると、太った女給にテーブルへ案内され、ドクトル・リベットと共に腰を下ろす。

 渡されたメニュー表を開けば、『荷物をトイレへ』とメモ書きが挟んであった。

 

 外連味があり過ぎ。

 小さく溜息をこぼし、ベアトリーゼはドクトルへ告げる。

「ドクトル。トイレに行ってきたらどうだ?」

 

 唐突な物言いにドクトルが訝しげに眉毛の無い眉をひそめるも、ベアトリーゼが意味深に目配せして促し、“意図”に気付く。

「……わわ分かった。そうしよう」

 棒読みで応じ、ドクトルは固い動きで立ち上がる。店の奥に向かい、トイレへ入った。

 

 ベアトリーゼは見聞色の覇気で奥のトイレの様子を探る。

 なんとまあ。便座脇の隠し戸が開き、男達によってドクトル・リベットが無音で拉致……もとい確保され、隠し通路を通じて店外へ搬送されているではないか。

 外連味を利かせすぎだろ。トイレに隠し戸ってなんだよ。忍者屋敷かよ。

 

 ともあれ、ドクトル・リベットは引取人の手に渡った。

 荷物の配送は終わり。受領のサインも別れの挨拶もなかったが、まあ、さよならの握手やハグを交わすような仲でもない。まったく名残惜しくも無いし、後ろ髪も全然引かれない。

 

 永遠にさようなら(アウフ・ニンマー・ヴィーダーゼン)、ドクトル。

 趣の欠片もない任務完了に鼻息をつき、ベアトリーゼはメニュー表から顔を上げ、女給に問う。

「ここのお勧めは?」

 

「子牛料理だ」

 奥の卓に居た客が言った。

 

 鉄色の肌をした壮年紳士。白髪交じりの胡麻塩頭。黒い肌を包む着衣は仕立ての良い三つ揃えで、襟元は青いスカーフタイ。

 新聞から顔を上げず、黒人の紳士は続ける。

「ワインの煮込みが特に美味い」

 

 ベアトリーゼは片眉を上げつつ、女給に注文する。

「……じゃ、それのランチセット。大盛りで」

 

「は~い。ごゆっくり~」

 気だるげに応じ、女給が厨房へ注文を伝えに行く。卓に一人残ったベアトリーゼはフッと短く息をこぼし、黒人紳士に目を向けた。

「で。何か報酬は?」

 

「事情の説明は求めないのか?」

 黒人紳士が新聞から顔を上げずに反問する。も、ベアトリーゼは長い脚を組み直して、目を細める。

 

「いらねェよ。余計なことを知ってケツを狙われたくない」

 ドクトルが以前のように軟禁されるのか、何かの仕事に従事させられるのか、あるいはバラされて海に沈められるのか。いずれにせよ、ベアトリーゼは知ったところで何かしてやる気など更々ない。

 

 ベアトリーゼの価値判断は常に『自分』だ。自分にとって大切や必要かどうか。大切や必要なものには迷わず命を懸けるが、後者は魚の餌になろうと蟲の飯になろうと知ったことではなかった。

 そして、ベアトリーゼにとってドクトルは大切にも大事にも必要にも分類(ファイリング)されない。それどころか、ドクトルから知りたいこと――自身のルーツ、記述者ウィーゼルの由緒など全て得た。もはや用無しとすら思っている。

 

 冷淡なベアトリーゼに、黒人紳士が新聞から顔を上げ、黒い瞳を向けてくる。社会の裏側で生きてきた人間特有の、深い闇を秘めた黒曜石のような目。

「なるほど、マダムが気に入るわけだ」

 黒人紳士はポケットから黒い小袋を取り出し、ベアトリーゼへ放る。

 

 ベアトリーゼは小さな袋を受け取り、中身を覗く。1カラット前後のダイヤモンドが十数粒。

「換金が面倒臭いけど、まあ、持ち運びは楽だな」

 ポケットへ収めようとしたが、考え直して胸の谷間に押し込む。

「他に話は?」

 

「ない。話は終わりだ」

 代金を卓に置き、黒人紳士は立ち上がる。カンカン帽を被り、出入り口のガラス戸へ向かった。

「お前に用があれば、マダムから直接連絡が入るだろう」

 

 店を出ていく黒人紳士の背を見送り、ベアトリーゼは鼻息をつく。と、太った女給が盆に料理を載せてやってきた。

 子牛のワイン煮込み。ほかほかのパン。付け合わせのミニサラダとグラスワイン。

 

 こりゃ美味しそうだ。

 ベアトリーゼがグラスワインで舌と喉をウォームアップ。健啖を発揮してバクバクとランチセットを平らげていく。子牛肉がほろほろで柔らか。濃厚なソースをパンに絡ませてパクッ! ミニサラダの新鮮な野菜で舌休め。

 瞬く間にランチセットを平らげ、食後のエスプレッソが届いた時――

 

 ガラス戸が開き、年若い男女が入店してきた。

 青いハットにフロックコートの火傷顔青年。

 キャスケット帽のボブヘア美少女。

 

「いらっしゃいませ~」と気だるげな女給。

 火傷顔青年とキャスケット帽少女は緊張した目つきで店内を見回し、ベアトリーゼに警戒心を向けつつ、“目当て”が居ないことに困惑を覚えている。

 

 そんな2人を窺いつつ、ベアトリーゼはエスプレッソを味わう。

 んー? あの火傷小僧と小娘。なーんか見覚えがあるなぁ……。

 

 隙間風がビュービュー差し込む原作知識を振り返れば、当たりあり。

 小僧の方はたしかルフィの義兄弟だ。でもって、革命軍の幹部だったか。こりゃアレか。革命軍もドクトルの情報を掴んで、確保に動いたってとこかな。

 となれば、当然私のことも把握してるか。

 

 ふむ。

 

 カップを卓に置き、ベアトリーゼは物憂げ顔に薄い笑みを湛え、2人へ声を掛けた。

「お二人さん。良ければお話しない?」

 

     〇

 

 革命軍の幹部コアラは純粋ヒト種でありながら魚人空手を修め、その実力は師範代に達する空手家である。

 武に生きる者として、コアラには分かる。いや、理解させられる。

 卓を挟んで向かいに座る女が、自分より桁違いに強いと。

 

「自己紹介しとこっか。私はベアトリーゼ。二つ名は『血浴』。懸賞金3億……いくらだったかな。ともかくお尋ね者だよ」

 怪物女はあっけらかんと語り、唇の両端を柔らかく緩めた。

「で、革命軍のお二人さん。お名前は?」

 

 素性がバレてる!? コアラは顔を引きつらせた。隣のサボも眉間に深い皺を刻んでいる。

「どうして分かった?」

 サボが挑むように問う。も、ベアトリーゼは子犬をあやすように微笑み続け、上品な仕草でカップを口へ運ぶ。

 

 その余裕綽々の態度に神経を逆撫でされ、サボは眉目をきりきりと吊り上げる。コアラが慌てて『落ち着いて、サボ君!』と袖を引っ張るも、無視してベアトリーゼを問い詰めた。

「答えろ」

 

「殺気を振りまいてまあ。革命軍じゃ女性との接し方を教えてないのかい?」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔を和らげ、サボとコアラを順に窺う。

「世界政府を向こうに回す“物好きな連中”は有名なんだよ。君らが思っている以上にね」

 

 革命軍を軽んじる言い草に、サボは当然として、コアラも不快感に顔を歪めた。その様にベアトリーゼが「あらあら、お可愛いこと」と笑みを大きくする。

「さて、お二人さん。お名前は?」

 

 激しくイラッとするサボを押さえるように、コアラは口を開く。

「私は革命軍のコアラ。こっちはサボ君」

 

「2人とも素敵な名前ね。よろしく、コアラちゃん。サボくん」

 ベアトリーゼは子供を相手にするように応じ、暗紫色の双眸を細めた。

「ここに来た理由は、私が配送した“荷物”のため?」

 

「―――そう、です」

 コアラが敬語で首肯した。サボが咎めるように睨んでくるも『これは交渉なのっ!』と目力を込めて相棒を睨み返す。

「ということは……“荷物”の素性も分かってるわけだ」

「はい」コアラはベアトリーゼに首肯を返し「ドクトル・リベットは聖地について詳細な情報を持っていると聞いています。私達の戦いのために、彼の持つ情報が必要なんです」

 

「正直な子は好きよ。コアラちゃんの誠実さに免じて、私も正直に話そうか」

 ベアトリーゼは満足げに頷き、話を始める。

「私はドクトル・リベットをここまで警護してきた。彼の身柄を必要とする者へ預けるためにね。そして、一足違いで既にドクトルを引き渡した。ここにはもういない」

 

「――時間稼ぎかっ! ならまだ近くにっ!」

 サボが店の外へ飛び出そうと腰を浮かせかけるも、コアラはサボの袖を強く引っ張って押さえ、微笑むベアトリーゼを睨み据えた。

「聞きたいことがあります」

「答えられることなら」

 

「貴女は世界政府や海軍を強く敵視していると伺っています。なのにどうして、天竜人に与して非道な研究をしていたドクトル・リベットを護衛していたんですか?」

「ただの仕事だよ」ベアトリーゼはしれっと告げて「私の政府や海軍に対する好悪は関係ない。仕事だからドクトルを護送した。それだけだ」

 

「あいつが他の奴隷達に何をしていたのか、知っているのか?」

「ドクトルが天竜人の下で、非道な人体実験をしていたことかな? ああ。知っていたよ、サボくん。でも、言った通りさ。ドクトルが種族差別主義者のクソヤローとか腐れマッドサイエンティストとか、関係ない。受けた仕事に私情は挟まない」

 サボがぎらぎらとした目で睨み据えきて、コアラも不快感で可愛い顔を強く歪めるも、ベアトリーゼは気にせずコーヒーを飲む。

「仕事が完了した今、私はドクトルのことなんてどうでも良い。ドクトルがこれから何をしようと、これからどうなろうと、知ったことじゃない」

 

「では、ドクトル・リベットの行方を教えてください」

 コアラが真摯に問う。も、ベアトリーゼは物憂げに眉を下げた。

「悪いけれど、知らないな。配送後のことまで関知しないよ。それにまあ、“依頼人”に不義理な真似もしたくない」

「特大級のクソヤローに義理立てするのか」

 サボが青筋を浮かべ、コアラも苛立ちを堪えるように唇を噛む。

 

 歳若い二人の様子を“確認し”、ベアトリーゼのアンニュイ顔から笑みを消す。

 

 ベアトリーゼの変化を目にし、コアラは直感的に感じとる。眼前の化物女はのらりくらりとしたやり取りの中で“何か”を確認したのだと。

 でも、何を? 今のやり取りで何を確認したの?

 

「ドクトルの件は仕事だ」

 疑問の答えを探すコアラを余所に、ベアトリーゼは自身のFカップの谷間に指を突っ込み、黒い小袋を取り出して卓に中身を開ける。

 じゃらじゃらと転がる十数粒のダイヤモンド。

「私の協力が欲しいなら、これと“同等”の対価を出せ」

 

 冷厳に告げられた条件に、コアラは思わず目を剥いた。十数粒のダイヤモンドと同額の報酬など簡単に用意できない。なんたって革命軍は資金繰りが厳しい。自給自足とカンパと悪党からの没収でなんとかやり繰りしているのだから。今回の派遣に関しても懐に余裕が全然なかった。

 

 一方。強く苛立っていたサボも、ベアトリーゼの変化に釣られ、ようやく冷静さを取り戻していた。思考が素早く巡り始める。

 同等の対価? 同額の対価ではなく? ただの言い方か? それとも、何かを示唆しているのか?

 

 ベアトリーゼは戸惑うコアラと考え込んだサボを一瞥し、ダイヤモンドを袋に戻す。小袋を胸の谷間に収め、ポケットから料理の代金を出して卓に置いた。

「対価を出せないなら話は終わり。私は別件の用事があるんでね。失礼するよ」

 悠然と立ち上がるベアトリーゼ。

 

「あ……」

 コアラは留められる提案を考えるも、適当な案が出てこない。

 案を出せなかったのはサボも同じこと。だが、優等生なコアラには出せない案を、“やんちゃ”なサボには出すことが出来た。

 

「対価は出せない。だが」

 サボは言った。険しい目つきでベアトリーゼを見据えて。

「あんたをぶちのめして、クソヤローの居場所を聞き出すって手もあるな」

「サボくんっ!?」コアラが相棒のとんでもないセリフに目を剥く。

 

 サボは女性に手を上げるような真似を好まないし、出来るなら避けたいと思う性質だが、相手は賞金億越えの怪物。サボの定義する女性の範疇に含まれない。何より、この女は自分達の知らない情報を持っている、という確信があった。

 

 

「ふふっ」

 

 ベアトリーゼは鈴のように笑い始め、

「ふふふ……とーっても楽しい気分になってきちゃったなぁ……」

 暗紫色の瞳を猛獣のようにぎらつかせ始め、ベアトリーゼはサボを真っ直ぐに見下ろす。

「クソガキ、私をどうするって?」

 ――ああ、もうやるしかない。コアラもサボに続いて腹を括った。

 

 緊迫した静寂が店内に広がり、空気が冷たく張り詰める。店外の喧騒がやけに遠く聞こえてくる。剣呑な雰囲気を悟った女給が店の奥へ逃げ込んだ。

 壁時計の秒針が一周し、長針がかちゃりと隣へ進む。

 

 直後。

 

 サボが早撃ちのように卓を蹴り上げた。

 卓とテーブルクロスと空のカップが宙を舞う中。

 

 サボは椅子から立ち上がりながら右腕に武装色の覇気を巡らせ、卓の陰となったベアトリーゼに向かって――

「竜爪拳、竜の鉤爪っ!」

 

 コアラは蹴り上げられた卓上のあれやこれやが宙を踊る中、椅子を蹴倒しながら飛び上がり、テーブルクロスの陰にあるベアトリーゼに向かって――

「魚人空手、激流蹴りッ!!」

 

 

 

「小賢しい」女妖が疎ましげに呟き、漆黒に染まった拳を振るう。

 ど が ん っ !!

 

 

 

 店の正面出入り口が周囲の壁ごと吹き飛び、サボとコアラが瓦礫と共に通りへ転がった。

 がたん、と『ルイズ・レストラン』の看板が落っこちた。粉塵が立ち込める店内から、女妖が悠然と通りに歩み出てくる。

 

 痛みを堪えながら立ち上がろうとするサボとコアラを睥睨し、ベアトリーゼは思案する。

 さて、どーっすかな。原作的にぶっ殺すわけにもいかないしー……ま、追いかけてこられても鬱陶しいし、半殺しくらいで済ませてやるか。

 

 そだ。いーこと思いついた。

 

 半殺しにするついでに、ちょっくら稽古つけてやろう。私ってば親切ぅ。

「楽しい気分にしてくれた礼だ。ちょっくら揉んであげる」

 右腕をひと振りして粉塵を払い飛ばし、ベアトリーゼはサボとコアラへ向けて右腕を伸ばし、くいくいっと右手を振った。

「ほれ。さっさと掛かっておいで」

 

「舐めるなよ、血浴……っ!」

 サボは歯で切った口内の血を吐き捨て、竜爪拳の構えを取る。

「……負けられないっ!」

 コアラもまた、左袖口で血を流す鼻と唇を拭い、魚人空手の構えを取った。

 

     〇

 

 街から轟音と悲鳴が響いてきて、ショボい船の甲板で女性達と共に荷物の整理をしていたナミは、直感的に察した。

 ……これ、絶対あいつでしょ。やっぱりトラブったんだっ!

 

 ナミは不安顔を浮かべ、縋るような目を向けてくる女性達を一瞥し、決断。

「出港準備よ。いつでも船を出せるように支度して。急いで!」

 

 不安に怯えるくらいなら体を動かしておく方が良い、と女性達に命じ、ナミは橙色の瞳を街へ向け、額に冷汗を浮かべた。

「さっさと戻ってきなさいよ……」

 

     〇

 

「きゃあっ!」「ぐああっ!」

 コアラとサボがぶっ飛ばされ、半壊した『ルイズ・レストラン』の向かいにある建物の壁に叩きつけられる。

 

「ぐ……強い……っ!」

 サボは全身の痛みに火傷顔を歪めながら呻く。

 

 認めざるを得なかった。

 血浴のベアトリーゼは強い。()()自分よりずっと格上だと。

 なんたって、サボとコアラの攻撃が()()()()()()()()。それどころか――

 

「ぅぅ……なんで……なんで……」

 痛み“以外”の理由でコアラが呻く。

 コアラは魚人空手の使い手だ。周囲の水分を用い、強力な衝撃波を放てる。はずが、衝撃波はおろか、大気中の水分を扱うことさえ出来なくなっていた。

 

 むろん、それはプルプルの実の能力者ベアトリーゼが周辺大気の水分を制しているためだ。コアラが魚人空手の技を放つべく周囲の水分を用いようとしても、大気中の水分、加えて水の分子や原子を乱されてしまう。

 ゆえに――今のコアラは魚人空手の師範代ではなく、ただの空手家に成り果ててしまっている。否、状況はもっと酷い。

 

「なんで、魚人空手が使えないの? なんで……っ!?」

 心血を注いで習得した魚人空手の技が発動しない事実に動揺し、コアラのどんぐり眼に涙が滲み始める。

 

 状況の不明がコアラの動揺と混乱を一層強くしていた。しかも、ベアトリーゼは能力の行使に仰々しい身振り手振りをしないし、一々種明かしもしない。コアラには状況を解くカギがなかった。

 

「しっかりしろ、コアラ!」

 サボが叱咤を飛ばした矢先――

 

「武器を封じられたくらいでパニクり過ぎ。もっと手札の使い方を学べ」

 気配もなく間合いを詰めてきたベアトリーゼが、狼狽えているコアラの鳩尾を蹴り抜く。

「きゃあっ!!」

 蹴り飛ばされたコアラが飛び石のように通りを跳ね転がった。

 

「コアラッ! よくもっ!」

 サボは壁に叩きつけられたコアラを一瞥し、跳躍してベアトリーゼへ吶喊。

「竜爪拳、竜の鉤爪っ!!」

 武装色の覇気をまとった強烈無比な一撃が、ベアトリーゼのしなやかな長身の『核』を狙って繰り出される。

 

「その技は体幹の真芯や重心点ばっか狙い過ぎ。攻撃の軌道が単純」

 も、ベアトリーゼはサボの手首を軽く打って強烈な攻撃をあっさりといなし、後の先を取ってサボの横っ面に掌底打を叩き込む。

 

「がはっ!」

 サボの口から悲鳴と鮮血が飛ぶ。

 武装色の覇気による硬化防御をまとってもなお、衝撃が体の芯まで届き、全身に激痛と痺れが走る。

 なんなんだ、この女の打撃はっ!? 覇気も使ってないのに、どうしてこんな――

 

「だいたい、そんな単調な攻撃が私に通じると思ってることが気に入らねェ」

 吐血しながら膝をついたサボを、ベアトリーゼは容赦なく殴り飛ばす。

 吹き飛ばされたサボはコアラと並んで倒れ込み、2人揃って苦痛と敗北感から身を起こせない。

 

「そこらの雑魚相手なら大技一発どかんと蹴散らしゃあ良い。けどな、手前より格上相手にそんなやり方が通じる訳ないだろ。機と兆しを読め。牽制と崩しをサボるな。主攻を通す戦略を組め。立派な覚悟や決意がありゃあ勝てるってもんじゃねーんだよ」

 ベアトリーゼは戦闘でマニュキュアが剥げてしまった爪を気にしながら、倒れ伏すサボとコアラに飄々と語り、

「ま、こんなところかな。私のレッスンを活かして精進……ん?」

 2人がピクリとも反応しないことに片眉を上げた。アンニュイな美貌を怪訝そうに歪めつつ、歩み寄り、屈みこんで様子を窺う。

 

「……やっべ、やり過ぎた」

 そりゃ鳩尾蹴り抜いたり、顎を打ち抜いたりすれば、意識も飛ぶ。

 

「あちゃー……どーすっかな」

 周囲を見回せば往来が絶えており、見聞色の覇気を巡らせれば軍港区から海兵達がおっとり刀で駆けつけている。失神中の2人を放置したら間違いなく捕縛されるだろう。

 海軍に革命軍幹部を捕える栄をプレゼントしてやる義理は無いし、こんな()()で革命軍に恨まれてもつまらない。

「しゃーない」

 ベアトリーゼは2人の襟首を掴み、ロコガールな装いらしいお気楽な足取りで港へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 ナミ〈両腕を組んで〉:……そのズタボロの2人は何?

 ベアトリーゼ:ちょっと色々あって拾ってきちゃった。

 ナミ:そんなの拾ってくるんじゃないのっ! 居たところに返してきなさいっ!

 

 ベアトリーゼ:やー、ちょっとそーいう訳にも。連れていくしかない感じなんで。

        それと、さっさと出港しないと海軍が団体さんでやってくるかなーって。

 

 ナミ〈苛立たしげに〉:あんたには首輪と手綱を付けておくべきだったわっ!

 




Tips

ルイズ・レストラン。
 オリ設定。
 元ネタは映画ゴッドファーザーでマイケル・コルレオーネが暗殺を実行した店。

黒人紳士
 オリキャラ。ステューシー独自の手駒。

サボ
 原作キャラ。革命軍参謀総長。作中時系列ではまだ記憶喪失中。
 再現が難しい。とても難しい……

コアラ
 原作キャラ。革命軍幹部。
 再現が難しい。原作では無茶をするサボのブレーキ役だったけれども……

ナミ
 やっぱり手綱を握ってないと駄目じゃない!(憤怒)

ベアトリーゼ。
 またしても浅慮から原作展開を破壊した模様。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

69:蛮姫の小賢しき悪あがき

佐藤東沙さん、烏瑠さん、拾骨さん、誤字報告ありがとうございます。


「……ぅ」

 

 サボは目を覚ます。

 知らない天井。規則的な揺れ。潮騒と木の軋み音。潮とカビと酒の臭い――船の臭い。見知らぬ小汚い部屋だ。士官室らしい。隣のベッドでは、傷の手当てを受けたコアラが穏やかな寝息を立てていた。

 相棒の無事に安堵しつつ、サボは身を起こそうとする。も、体中に鋭い痛みが走り、思わず苦悶の呻きを漏らす。

 

 そして、否応なく思い出す。

 血浴のベアトリーゼに敗北したことを。しかも、手も足も出ず一方的に小突き回されて。

 クソ……俺達は負けたのか……

 

「ここは……?」

 痛みを堪えて意識を集中し、サボは見聞色の覇気を巡らせ――このしょぼくれた船に若い女性達と幼い子供達しか乗っていないことを把握し、困惑する。

「? ? ? どういうことだ?」

 

 がちゃり、とドアが開き、サボはギョッとして身構えた。ドアが開かれるまで、見聞色の覇気でも捉えられなかったことに驚きを禁じ得ない。

 

 ドア口に長身のアンニュイ美女――血浴のベアトリーゼが姿を見せ、物憂げな目線を向けてくる。

「起きたか」

 

 ベアトリーゼが警戒心全開の子猫みたいなサボへ、右手に持っていたバケツから小瓶を抜き取って放る。未開封のシードルだった。

 シードルを受け取りつつ、サボは警戒心全開でベアトリーゼを見据えた。

「俺達をどうする気だ?」

 

 ベアトリーゼはベッド傍の椅子に腰かけ、自分もバケツからシードルを取り出し、蓋を開けて一口呷る。

「君らを連れてきたのはクソ海軍に手柄を上げさせたくないからであって、君ら自体に用はない」

 警戒心全開で睨んでくるサボへ応じつつ、ポケットから子電伝虫を取り出して机に置いた。

「というかね、迎えも呼んでさっさと帰って欲しいんだよ。君らの扱いはヒッジョーに面倒臭いからさ」

 

「……あんたが何を考えてるのか、さっぱり分からない」警戒半分困惑半分のサボ。

「佳い女は謎めいているものよ、サボくん」

 ベアトリーゼは薄く微笑み、シードルの小瓶を傾けた。小麦肌の喉を艶めかしくうねらせる。

 

 サボはガキ扱いされて強く苛立ちつつも、小瓶の蓋を開けて口へ運ぶ。ぬるい発泡酒は酷い味だったが、喉が渇いていたのか、一気に飲み干してしまう。こふ、と大きく息を吐く。

 大きく深呼吸し、サボは渋面をこさえて。

「これは好奇心から聞くんだが……どうしてこの船は女子供ばかり乗せてるんだ?」

 

「先のアラワサゴ島紛争の巻き添え。成り行きで生き残りを保護したの」

「彼女達をどうする気だ?」とサボが問いを重ねれば。

「安全な場所に連れていく。ああ、君らに預ける気は無いよ。戦争の巻き添えで家族を亡くしたガキ共や、親兄弟を目の前で殺された挙句に強姦された女達を革命の尖兵にする、なんてのは私の趣味に合わない」

 

 ベアトリーゼの語った内容に、サボは言葉もない。大きく、とても大きく深呼吸し、少しばかりの警戒心を残したまま純粋な疑問を投げかける。

「……あんたは革命軍(俺達)が気に入らないのか?」

 

 小瓶を傾け、ベアトリーゼはしなやかな身体を椅子の背もたれに預けた。

「世界政府と海軍は死ぬほど嫌いだし、この世界の人間社会はクソだと思ってる。だけど、君らが起こそうとしているパラダイムシフトにも興味はない。この世界の在り方が変わろうと変わるまいとどうでも良い。私はただ適応し、立ち位置を見つけて、“大きな物語”を眺めたいだけ」

 

「? 大きな物語?」

「学びと教養も身につけろ、参謀総長閣下。それじゃ革命成就後が大変だぞ」とベアトリーゼはからかうように微笑む。

 煙に巻かれ、サボは苦虫を100匹くらい噛み潰したような顔を作った。

 

「ともかくさっさと帰れ」ベアトリーゼは腰を上げ「それと、迎えが来るまでこの船の女子供と関わるな。一般人にとって、革命軍との関わりなんて面倒事にしかならない」

 

「まるで藪蚊か何かの扱いだな……」

 大きく眉を下げるサボを残し、ベアトリーゼは部屋を出ていった。

 

      〇

 

「で、あいつらは何者なの?」

 士官室の外で、ナミが生意気な胸を抱えるように腕を組んで仁王立ちしていた。

「知らない方が良いよ。私とは別タイプの超お尋ね者だから」

「……超お尋ね者」

 さらっと告げられた不穏極まる言葉に、ナミの可憐な顔立ちが引きつった。

 

「そ。世界政府が居場所を知ったら、即座に海軍か殺し屋を送り込んでくるレベルの超お尋ね者」

 ベアトリーゼがしれっと告げれば、ナミはクソデカ溜息をこぼし、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

「それで……私達のプランに変更は?」

 

「ないよ。オイコットへ向かい、伝手と接触して子供らを委ねる。多分、この船を手放すことになるから、私とナミちゃんはトビウオでココヤシ村へ行き、魚人海賊団をぶっ殺す」

「ちょい待ち」ナミは眉間に皺を作って「この船を手放すの?」

 

「ああ、私にはもう不要だからね」

 ベアトリーゼは歩き出し、隣を歩くナミを余所に溜息をこぼす。

「まったく、シナリオが狂いまくりだよ」

 

「シナリオ?」ナミが片眉を上げ「どういう意味よ、それ。何かよからぬことを企ててるんじゃないでしょうね。私をハメる気なら――」

「イジメられた子猫みたいに疑り深いな。まあ、そこが可愛いところだけど」

 ベアトリーゼは微苦笑してナミの頭を撫でる。も、

 

「ガキ扱いしないでよっ」

 ナミは仏頂面を浮かべてベアトリーゼの手を払いのけ、真摯な目つきで訴える。

「ちゃんと説明して」

 

「私には私の事情がある。ナミちゃんを拾ったことに始まり、アラワサゴ島、フラウス王国……シナリオにない出来事が多すぎる。“大きな物語”にどんな影響が及ぶことやら」

「何言ってんだかさっぱり分からないんだけどっ! 私、ちゃんと説明しろっつったわよねっ!?」

 泥棒猫が蛮姫の左腕を掴み、食って掛かる。も、蛮姫は右人差し指を唇に添え、ニッと犬歯を剥く。

 

「内緒」

 同性のナミでも背筋がゾクゾクするほど蠱惑的な笑みを向けられるも、ナミはイィィラッとしてベアトリーゼの尻を引っぱたいた。

「あいた!」

 

     〇

 

 まあ、ナミちゃんをはぐらかしたものの……うん。現状は控えめに言っても原作破綻が確定ルートに入ってますな。あーあ、どーしましょ。どーしましょ。麦わら一味が結成されなくなったら、どーしましょ。

 

 ベアトリーゼはデッキチェアに腰かけ、ぼけらっと薄暮の海を眺めていた。

 

 分水嶺はアーロン一味だよな。連中を潰したらもうリカバリーは利かねーだろ。

 まっずいよなあ……ナミちゃんがルフィに心から信頼を寄せる超重要イベントだもんなぁ……最悪、麦わら一味入りしない可能性だってあり得る。それは避けたい。

 となると――アーロン潰しで手を抜き、野郎を逃がすしかない。でもなぁ、手抜きがバレてナミちゃんに見限られたくねェしなあ。

 

「どーしましょ。どーしましょ。あー……懐かしのゲテモノ料理食いたい。サバクドクトカゲのたまひも、ミドリナメクジシチュー……」

 頬杖を突き、故郷の味を思い出していたベアトリーゼは苦々しい顔で鼻息をつく。

「いや、別に美味いもんでもなかったな。食いたくねェわ―――と、……来たか」

 

 ベアトリーゼが腰を上げて左舷に向かえば、薄闇に紛れて外洋航海用ヨットが近づいてきた。

 船首には空手着姿の魚人男性が仁王立ちしている。

 

 なんで空手着? ベアトリーゼが小首を傾げているところへ、船楼の出入り口が開き、サボとコアラが出てくる。見聞色の覇気で迎えの到着を捉えたのだろう。

 と、ナミもしれっと姿を現す。流石は泥棒猫ちゃん。好奇心旺盛だ。

 

「一応礼を言っておく」「手当てしてくれて、ありがとうございました」

 あからさまに不承不承といった体のサボと、どこか気後れ気味のコアラ。

 

「ま、貸しにしとくよ」

 ベアトリーゼはひらひらと手を振り、顎先で近寄ってくるヨットを示す。

「あの空手着の魚人親父が迎え……で合ってる?」

 

「はい」コアラは頷いて「私達の仲間のハックです」

「……魚人」とナミが眉間に深い皺を刻む。

 

 サボとコアラがナミの様子に気付く。橙色の瞳に宿る強い感情も。種族差別的な嫌悪ではない。それは革命軍の一部兵士達が天竜人や世界政府に向ける感情に近い。

個人的体験に基づく恐怖と憎悪だ。

 

「魚人と、何かあったのか?」

「……あんたには関係ない」

 サボの問いかけに、ナミは険しい目つきのまま顔を背けた。

 

「身柄引き渡しの時に喧嘩はやめろ。要らぬ誤解を招いて余計なトラブルを招く」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で口を出し、ナミへ告げる。

「ナミちゃん。中に戻って子供達の様子を見ておいてくれる? “お願い”」

 

 不満アリアリに鼻を鳴らし、ナミは踵を返して船内へ戻っていった。まあ、船楼出入り口傍に控えて立ち聞きする気満々だろうが。

 

 サボがナミの背を見送ってから、ベアトリーゼに火傷顔を向けた。

「あの子の事情を知ってるのか?」

 しかし、ベアトリーゼは答えずに小さく肩を竦めるだけ。

 

 ヨットが近づいてきて船首に立っていたハックが跳躍。シュタッと甲板に降り立つ。

「サボ、コアラ。2人とも無事で何よりだ」

 エビスダイの魚人ハックは若人達の無事な姿に厳めしい顔を和らげ、

「「ハック!」」

 子犬のように駆けよってきた少年少女の頭頂部へ、ごちんと拳骨を落とした。

「いてぇっ!?」「いたぃっ!?」

 

 ハックは頭頂部を押えてうずくまるサボとコアラを見下ろし、

「無茶はするなと釘を刺しておいただろうがっ! 反省せいっ!」

 若者2人に雷を落とした後、ベアトリーゼに一礼した。

「2人の命を取らずにくれたこと、感謝する」

 

「ふむ」

 ベアトリーゼは夜色の髪を弄りながらプルプルの実の力を密やかに展開。この場のやり取りが盗み聞き中のナミに届かないよう大気中の音の伝播率を細工してから、革命軍の三人へ問う。

「今、この東の海に魚人の海賊団が居ることは把握してる?」

 

「いや……儂は長らくグランドラインに居ったから、東の海の事情には明るくない」

 ハックは太い腕を組んで大きく唸った。傍らでコアラが顔を曇らせている。

「魚人の海賊団か……首領か幹部の名は分かるか。知己かも知れぬ」

 

「知り合いだろうな」ベアトリーゼは冷笑し「首領の名はアーロン。幹部も元タイヨウの海賊団のメンバーだ。今は東の海の片田舎を恐怖支配し、王国ごっこをしてる」

 

「――なんと」ハックは顔を強張らせ、コアラが『そんな』と思わず口元を覆う。

「私はとある依頼を受けてね。アーロンとその一味をぶっ潰しに行く。まあ、皆殺しにするつもり」

 

 さらっと告げられた内容に、

「ま、待ってっ!」

 かつて天竜人の奴隷だったところをタイヨウの海賊団――特に船長のフィッシャー・タイガーに救われたコアラは、真っ青な顔でベアトリーゼに詰め寄る。

「タイガーさんの仲間だった人達がそんなことするわけありません! 何かの間違いです!」

 

「勘違いするな」

 ベアトリーゼはぴしゃりと言い放ち、冷厳な目つきで革命軍の三人を順に見回す。

「黙ってアーロン一味を始末しても良かったところを、善意から通告してやっただけだ」

 

「そんな――」

「落ち着け、コアラ。頭を冷やせ」

 ハックは取り乱し気味のコアラを制し、瞑目して大きく深呼吸した。

「我が友ジンベエが王下七武海入りする条件として、獄に囚われていたアーロンを釈放させたことは儂も知っておる。しかし、まさか東の海に移り、無辜の民を虐げておったとは……ジンベエの恩情に仇で返しおって、あの馬鹿者めが」

 

 苦悩顔のコアラとハックを横目にし、サボがベアトリーゼに向き直る。

「頼める立場じゃないことは承知だ。でも、そのアーロン一味を殺さずに済ませてもらえないか? もちろん見逃せという意味じゃない。ぶちのめして海軍へ引き渡す体で良いんだ」

 

「二つ条件を飲むなら、その頼みを聞いてあげる」

 ベアトリーゼは暗紫色の双眸を鋭く細め、

「一つ。この件の邪魔をするな。嘴を突っ込んで来たら、今度こそ殺す。そしてもう一つ」

 囁くように、だが、三人の耳朶を確実に打つように告げる。

 

「お前達にドクトル・リベットのことを密告()した情報提供者を言え」

 

      〇

 

 すっかり日が沈んだ夜の海。女妖を乗せた船が水平線の陰に隠れていく。

 

 革命軍のヨットの客室で、コアラは膝を抱えて俯いていた。サボがそんなコアラの隣に腰かけ、無言のまま慰めるように背中を撫でている。

「タイヨウの海賊団の皆は、天竜人の奴隷にされて心が壊れてた私に、本当に良くしてくれたの。私がまた心から笑えるようにしてくれて、故郷へ、お母さんの許へ送ってくれた。あの人達が何の罪もない人達を傷つけ、虐げてるなんて……私、信じられないよ」

 

 ハックが苦渋に満ちた顔つきで呻くように言葉を紡ぐ。

「儂はタイヨウの海賊団に加わっておらなかったから、詳しい事情や経緯を知らん。だが、タイガーの死後に解散し、アーロンが姿を消したことは事実だ。よもや東の海で悪行に走っておったとは思わんかったが……無いとは言い切れん」

 

 2人の言葉を聞きつつ、サボは推理を巡らせていた。

 ナミと呼ばれた蜜柑色の髪の少女。魚人のハックへ向けられた恐怖と憎悪の眼差し。おそらく、彼女が魚人海賊団アーロン一味の被害者だろう。あれほど濃密な敵意を発していたからには、よほどの目に遭わされたと見ていい。

 

 ベアトリーゼが彼女(ナミ)を奥へ引っ込めてくれてよかった。あの場にいたら、擁護の言葉を口にしたコアラに反発して深刻な事態になったかもしれない。

 

 いや、ベアトリーゼの“善意”にも何かしら理由があるのだろう。本命はアーロン一味の件ではなくネタ元の特定か。お尋ね者なら自分の足取りを把握している者を気に掛けてもおかしくないが……何か引っかかるな。

 

「ハック。本当にアーロン一味のこと、このまま放っておいて良いの?」

 コアラは今にも泣きだしそうな顔を師に向ける。

 

「儂とて思うところはある。だが、これはアーロン自身が招いた応報だ。それに……革命軍に身を置く者として、儂はお前達二人を無事に連れ帰る義務がある。あの女と戦わせるわけにはいかん」

 弟子に苦悩顔を返し、ハックは大きな嘆息をこぼした。

「一見で分かった。アレは危険すぎる。儂らの手には負えん」

 

「信じるしかない」サボはコアラの背を撫でながら、言い聞かせるように「ベアトリーゼが約束を守り、彼らを殺さないと」

 

      〇

 

 去っていく革命軍のヨットを見つめながら、ベアトリーゼは思案する。

 

 ナミちゃんと革命軍2人の接触――情報のやり取りは最低限に遮断した。このイレギュラーはぎりぎりまでリカバリー出来た、はず。

 次はビビ様の件だけど、これもやりようはある、はず。

 でもってアーロン一味の始末も“仕込み”を図れば、原作チャートに近づけられる、はず。

 

 原作と流れが変わることは、もう仕方ない。でも、『麦わらの一味』は何としても原作通りに結成させなくては。

 彼らこそ、この“大きな物語”の中核に他ならないのだから。

 

 ベアトリーゼが船内へ戻ろうと踵を返せば、ナミが船楼の出入り口に背を預け、細面に露骨なほど不信感を浮かべていた。

 あー……それと、このワケアリ少女の相手をせねば。

「ナミちゃん。ちょっとお話しようか」

 

 で。場所を船長室に移し――

 

 優美な身体を背もたれに預け、脚線美の麗しい脚を机の上に置き、ベアトリーゼはグラスに指二本分注いだラムをグビグビと呷る。

 机を挟んで向かいに座るナミは、両手でグラスを持ち、クピクピとラムを舐めていた。

 

「あいつらに随分と気を使ってたけど」ナミは猜疑の目を向け「そろそろ正体を教えなさいよ」

「革命軍って知ってる?」

 

「世界のあちこちで政府や国に叛旗を振ってる連中よね……あいつらがそうだったの?」

 ナミが橙色の目をまん丸にし、心底嫌そうに美貌を歪める。

「なるほど、確かに超お尋ね者ね。深入りしたくないわ」

 

 でしょ? とベアトリーゼは微苦笑をこぼす。

「私と関わりを持つだけでもリスキーなんだ。挙句に革命軍とつながりを疑われたら、故郷を解放しても司直に捕まって尋問、もしかしたら拷問されるよ」

「そんな厄介な連中を拾ってくんな」ナミは溜息と共にげんなり。

 

「まあ、煩わしい話はここまでにして、前向きな話をしようか」

 ベアトリーゼはラムを飲み干し、グラスにお代わりをだぶだぶと注ぐ。

「故郷を取り戻したら、ナミちゃんはどうする? 何がしたい?」

 

「ココヤシ村を取り戻したら……」

 ナミは両手で持つグラスへ目線を落とす。琥珀色の水面に映る自分を見つめながら、これまで想ってきた夢を思い返す。

 

 いつか航海士として世界中の海を旅し、自分の目で見た“世界地図”を作る。

 幼い頃、母の前で語った夢。母を殺されてからもずっと秘めてきた夢。

 

 ――ああ、そうか。

 ナミは実感する。

 ココヤシ村をアーロン一味から取り戻すということは、私の夢を取り戻すことなんだ。

 

 酷く感傷的な思いがこみ上げ、ナミはグラスを口に運び、ぐいっと一息で飲み干す。酒精の熱で押さえ込まないと涙がこぼれてしまいそうだったから。

 無言でグラスをベアトリーゼに差し出し、お代わりを要求。グラスへラムを注ぐベアトリーゼを見つめて、尋ねる。

「本当に、アーロン達を倒せるのよね?」

 

「五分かからねーよ」ベアトリーゼは即答し「ただまあ、海に逃げ込まれたらちょーっと不味いかな。悪魔の実の能力者は“海”に嫌われてるから」

 

「海に、嫌われてる?」

「拒絶と言っても良いかもしれない。どんな能力者でも海に身を浸けると脱力しちまう。これが能力の絶対的な弱点だ」

 怪訝顔のナミにベアトリーゼが説明すると、ナミは怖い微笑を返してきた。

「じゃあ、あんたを殺す気なら、あの潜水服にこっそり穴を開けておけば良いわけだ」

 

「頼もしいね」ベアトリーゼは小さく肩を竦め「それで、私の質問の回答は?」

 ナミは不敵に微笑み、唇の前に右手人差し指をかざす。

「内緒」

 

「これまでのお返しか」

 くすくすと楽しげに喉を鳴らすベアトリーゼへ、ナミは表情を年相応に和らげた。

「ねえ、グランドラインの話をしてよ」

「そうだな……”マーケット”の話でもしようか」

 

 船は静かにオイコット王国を目指して進んでいく。




Tips

ベアトリーゼ
 原作改変は妥協するも、麦わら一味結成だけは原作通りにすべく悪あがきをする。
 なお、ステューシーからの報酬『アラバスタ行きログポース』をまだ受け取っていないことに気づいていない模様。

ナミ
 ベアトリーゼの小細工でフィッシャー・タイガーの活躍と悲劇、アーロンの慟哭を知らずしまい。それが彼女にとって良いことなのかどうかは分からない。

サボ
 今回の作戦が失敗に終わった挙句、厄介な事情を知ってしまって頭が痛い。

コアラ
 恩人の仲間が東の海で悪事を働いていることにショック。

ハック
 革命軍期待の若者二人を迎えに来たら、曇らされてしまった人。

アーロン。
 知らないところで命運を左右されている気の毒な鮫男。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

70:ビビと悪い魔女。と泥棒猫。

佐藤東沙さん、NoSTRAa!さん、かにしゅりんぷさん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 オイコット王国はアラワサゴ島紛争の戦勝祝賀気分が残っており、港や町の雰囲気は明るい。

 

 そんなオイコットへ昼頃に入港後、ベアトリーゼはナミに女子供達を引率させ、飯を食わせに行かせた。

 ナミは『悪さするんじゃないわよ』と捨て台詞を残しつつも数珠繋ぎに子供達の手を握り、女達を率いて飲食店に入っていく。

 

 ナミ達を見送った後、ベアトリーゼはとある宿の部屋を訪ねた。

 部屋の宿泊者はカール髪に丸眼鏡を掛けた大柄な男性で、文化学者イガラッポイ教諭。そして、水色髪を二つお下げにしている可憐な女学生ウェンズ・ディ。

 諸賢には説明の要も無かろうが……こてこての偽名を名乗るアラバスタ王女と護衛隊長である。

 

「再び御尊顔を拝謁できて恐悦至極です、ビビ様」

 入室したベアトリーゼは女学生に化けたアラバスタ王国の姫君と、学者先生に扮する護衛隊長へ恭しく一礼。ビビの面差しを注意深く窺い、気遣うように慈しみの眼差しを向けた。

「少し瘦せられましたか? お加減がよろしくないなら出直しますが……」

 

 眉目秀麗なビビの細面は少しやつれ気味だった。睡眠も十分ではないのだろう。微かではあるが、目の下に薄く隈が滲んでいた。

「あの島で色々あったから……でも、大丈夫。どこも怪我をしてないし、なんともないわ」

 ビビは明るく微笑むも、その気丈な振る舞いが却って痛ましい。ビビの背後に控えるイガラムも密やかに面持ちを渋くしている。

 

 まあ、無理もない。

 秘密犯罪会社バロックワークスに潜入して鉄火場を経験していたとはいえ、アラワサゴ島紛争は酸鼻を極めるものだった。14歳の健全な少女の心に与えた影響は大きい。特に銃剣で少年兵を刺殺した体験は、ビビに悪夢をもたらしていた。

 

「あの島でビビ様達にお会いした時は、驚きのあまり胆を潰し掛けました。いったい如何なる事情で、あのような危険な場に居られたのです?」

 ベアトリーゼは努めて明るい口調で尋ねた。むろん、ビビ達がバロックワークスに潜入していることを知っているし、その関係であんなところに居ただろうと推測していたが。

 

 ビビはベアトリーゼに椅子へ座るよう促す。次いで肩越しに背後のイガラムを窺い、イガラムの首肯を得たうえで説明を始めた。

「実は今、私達はアラバスタに仇為す組織に潜入しているの」

 

 ここ数年、アラバスタに不自然な旱魃が続いたこと。

 その旱魃が秘密犯罪組織バロックワークスによる、環境テロの可能性が高いこと。

 その事実の正否とバロックワークスについて捜査するべく潜入したこと、バロックワークスの任務でアラワサゴ島紛争に身を投じたこと……。

 

 説明を聞き終え、ベアトリーゼは物憂げ顔を大きく曇らせた。

「不敬を承知で言わせていただきます。あまりに無茶です。尊い御身をなんとお考えなのですか。イガラム殿もイガラム殿です。なぜ御止めせず一緒になって潜入などしておられるのです」

 

 流れ弾を浴びたイガラムはバツの悪そうに目を逸らし、「父や大臣達みたいなことを言わないで」とビビが拗ねるように唇を尖らせる。可愛い。

 

「ビビ様がされていることは、私のような卑賎の凶悪犯が思わず苦言を呈するようなことなのです。御理解くださいませ」

 うっかり殺しそうになったし。と心の中でぼやき、ベアトリーゼは仰々しく嘆息をこぼしてから、慈しむように表情を和らげた。

「しかしながら……国難にあって民と国のために身を投じられる姫君を戴き、アラバスタは幸福ですね」

 

 最上級の誉め言葉を聞かされ、ビビは面映ゆそうに照れ笑いをこぼし、

「そう畏まらないで。私達は友達でしょう? “これ”をプレゼントしてくれたし、貴女も置手紙にそう書いていたと思うけれど? ね、悪い魔女さん」

 首から下げているペンダント――かつてベアトリーゼが作った超高純度鉄製のペンダント・トップを掲げる。

 ビビの背後に控えるイガラムが『こほん!』とわざとらしく咳をして姫殿下の気安すぎる態度を注意する。も、ビビは聞こえない振りをした。

 

 アラバスタ主従のやり取りに微苦笑しつつも、ベアトリーゼは困り顔を返す。

「友誼を賜ったことと、ビビ様への礼節は別物です」

「では王女として命じます。もっと気楽な言葉を遣いなさい。まして、私はここで学生に扮しているのですから」

 

「……分かりました。殿下の御意のままに」

 ベアトリーゼは控えめに深呼吸し、ビビへ柔和な笑みを贈る。

「ともかく、ビビちゃんとイガラム殿が無事でよかった」

 

「貴女のおかげよ、ベアトリーゼさん。心から感謝してる。本当にありがとう」

 嬉しそうに謝意を告げ、ビビは居住まいを正した。

「それで、早速なのだけれど……グランドラインに戻る手筈について聞いても?」

 

 アラワサゴ島紛争で戦争を実体験したビビは、憂慮と焦燥感に駆られていた。

 一刻も早くグランドラインに帰り、バロックワークスの実態を暴いて祖国の危機を救わねばならない。あの小さな島で起きた惨劇をアラバスタで起こさないためにも、一分一秒でも早く為すべきを成さねばならない。

 戦場の悪夢を見ていることも、ビビの焦燥をより強めている。

 

 使命感と義務感に焦り逸る14歳の少女へ、ベアトリーゼは帰還案を挙げた。

「一つは私がこの国まで乗ってきた船。ショボい船だけど、グランドラインまで問題なく航海できると思う。ただ、船員がいない。ビビちゃんとイガラム殿の2人ではリヴァースマウンテン越えが厳しいかも。まあ、その時はローグタウン辺りで人員を調達すれば良いわ」

 

 何か言いたげなイガラムを制するように、ベアトリーゼは言葉を続ける。

「もう一つはローグタウンまで行き、そこで私の伝手を使って帰還する。安全性を考慮すると、そちらの方が良いかもしれない」

 

「伝手、というのは?」と眉間に皺を刻んだイガラムが横から口を挟む。

「とある海運会社です。“マーケット”にも出入りしていますので、実力に不足はありません。下手な海賊などは軽く蹴散らせます」

 

 ビビはベアトリーゼの案を聞き、口元に手を当てて少し考え込む。

「でも、私達は持ち合わせがないわ。今も、アラワサゴ島を脱出する時、ベアトリーゼさんに貰った宝石を売ったお金でやりくりしてるの」

 

 そう、負傷兵に化けてアラワサゴ島紛争から脱したビビとイガラムは素寒貧だ。ベアトリーゼが与えた宝石の売却金でオイコット王国に潜伏滞在している。人を雇う余裕などない。ましてや武装商船をチャーターする資金など逆立ちしても出ない。

 

 が、

「大丈夫。ビビちゃん達が帰国するために必要な資金は私が出すから」

 ベアトリーゼはさらりと言い放ち、胸の谷間から小さな布袋を取り出し、卓上に中身を開けた。袋からじゃらりとこぼれるダイヤモンドの粒。

 

 邪気の欠片も無い申し出に、ビビとイガラムは強い困惑を覚える。『どうしてそこまで』と疑問を禁じ得ない。

 2人の戸惑い顔に対し、ベアトリーゼは滅多に見せない慈しみ深い微笑みを浮かべ、

「ビビちゃんは衰弱していた私に、わざわざトカゲ汁を作ってくれた。その恩に報いてるだけよ」

「そんなこと」

 眉を大きく下げて美貌を曇らせる王女へ、明確な尊崇と尊敬を込めて言葉を編む。

「貴女の『そんなこと』が、私にとっては命を懸けるに値する恩義なのです。殿下は何も気兼ねする必要はございません。ただどうしても、とおっしゃるならば、友として気持ちを告げて下されば良いのです」

 

 ビビは目頭に熱いものを覚えつつ大きく頷き、花のような笑みと共に告げた。

「ありがとう、ベアトリーゼさん」

 

「どういたしまして、ビビちゃん」

 ベアトリーゼはにっこりと笑い、フッと息を吐いて背筋を伸ばす。

「さて、今度は私からビビちゃんにお願いさせて欲しいの」

 

 『私に叶えられることなら』とビビは即答した。イガラムも何も言わない。

 

 小さく首肯し、ベアトリーゼは『お願い』を口にする。

「今、先の紛争の難民を保護しているの。女子供のね。彼らをビビちゃんのグランドライン行きに同行させ、アラバスタ王国で保護して欲しい」

 

「! それは……二つ返事では了承できないわ」

 ビビは口惜しそうにぎゅっと手を握り締めて続けた。

「ベアトリーゼさんも知っているように、グランドラインの船旅は決して安全じゃないし、それに……恥を明かすようだけれど、アラバスタも国情が不安定になりつつある。もしかしたら……アラワサゴ島のように戦火が生じるかもしれない。女性や子供達を保護するに適していないわ」

 俯くビビ。瞑目するイガラム。2人とも苦渋に満ちた顔だった。

 

「それでも」

 ベアトリーゼは一切の迷いなく、2人へ断言する。

「私が知る中で、戦火で傷つき身寄りのない女子供を安心して預けられる国は、貴女の国にしかありえない」

 

 ビビは大きく、ゆっくりと深呼吸し、背後のイガラムを肩越しに窺う。決心に満ちた眼差しを受けた護衛隊長が恭しく首肯を返すと、ビビは告げた。

「分かりました。その戦災難民をアラバスタで保護します。アラバスタ王女、ネフェルタリ・ビビの名誉に懸けて……必ず」

「ありがたき幸せ」とベアトリーゼは大きく頭を垂れた。

 

 ふぅと大きく息を吐き、ビビは背もたれに華奢な体を預ける。

「女性や子供達を伴うなら、ベアトリーゼさんの伝手を頼る方が良いわね。少しでも安全な方が良いもの。ベアトリーゼさん、お願いするわ」

 

「分かりました。すぐに連絡を取ります」

 ベアトリーゼはポケットから子電伝虫を取り出し、伝手の番号を入力した。

 

 

 

 で。

 

 

 

『ミス・B。いくら何でも東の海へ来いってのはプリティに無茶ですよ。しかも、ウチの警備主任を乗船って……腕利きであるジューコの乗船の有無で、請負額がプリティに変わるんです。つまり稼ぎ頭だ。それをほいほい出すのは』

 グランドライン内で海運貿易業を営む『プリティ海運』の社長テルミノの困り声が、安宿の部屋に流れていた。御託を並べているが、話を謝絶する気が見え見えだった。

 

 ベアトリーゼは子電伝虫の先にいるテルミノへ、絶対零度の声音で告げた。

「それは“私を敵に回したい”ってことかな、ミスター・テルミノ?」

 

『……Oh』

 室内の空気が冷え込むほどの圧力は通話先にもしっかり伝わったらしく、テルミノのひきつった呻き声が返ってきた。

 

 殺意すら感じさせる冷厳な調子でベアトリーゼは“交渉”を続け、

「世界政府加盟国の王族と独自のコネクションが持てる。ミスターの交渉力次第じゃ、最恵待遇契約も結べるかもしれない。これがミスターの会社にとってどれほど旨みになるか、分かるでしょ?」

 最後通牒した。

「取引成立だよな、ミスター?」

 

『プリティなお取引ありがとうございます……超早(ちょっぱや)で対応させていただきます……』

 なぜかビビとイガラムにも、通話先でテルミノの髪が抜け落ちる様が幻視できた。

 

「快諾してくれましたね。良かった良かった」

 威容を解き、ベアトリーゼはニッコリ。

 

「えっ? ええ、そうね……うん。快諾して貰えて良かったわ」

 ビビは目を白黒させつつ、深く考えないことにした。イガラムが心中で、顔も知らぬプリティ海運社長に憐憫の情を向ける。まあ、ともあれ……プリティ海運社長の頭髪より、優先すべきことがある。

「ベアトリーゼさん、私達と一緒にアラバスタへ来て欲しいの」

 

 おずおずとビビは言った。

「貴女の善意に甘えてばかりで恥ずかしいけれど、貴女の力があれば」

 

「ビビちゃん」

 ベアトリーゼはビビの言葉を遮り、

「申し訳ないけれど、私にも事情がある。今はアラバスタに行けない」

 シュンとうなだれるビビに続ける。

「でも、そう遠くない先、アラバスタへ赴くわ。必ずね。約束に……そのペンダントを少し貸してくれる?」

 

「? ええ」とビビは高純度鉄製のペンダントを外してベアトリーゼへ渡す。

 

 鈍い銀色のペンダントを手の上に置き、ベアトリーゼはプルプルの実の力を発動。

 超高純度の鉄は錆びないと言われているけれど、絶対ではない。加熱して酸化膜を施すことも可能。そして、加熱量と熱伝導を緻密に制御すれば――8の字状メビウスの輪がビビの髪に似た淡青色に(むら)なく染まっていく。

 

「わぁ……っ」

 まるで魔法のような出来事に、ビビが年相応の感嘆をこぼした。

 

 ベアトリーゼは熱を冷ましてから、ペンダントをビビに返す。

「アラバスタへ行く約束の証よ、ビビちゃん」

 

「……うん。私、待ってるわ。ベアトリーゼさん」

 満面の笑みを返すビビに、ベアトリーゼは少なからず後ろめたさを覚えた。

 

 ペンダントを加工した“目的”は別にあったから。

 

      〇

 

 当然の帰結として、ナミが保護した女子供を委ねる相手と直接会うことを要求し、ベアトリーゼはナミの要求を認めざるを得なかった。またしても原作チャートがボロボロと崩れていくわけだが、『麦わら一味が結成されりゃあ良いや。こまけェことはもう知らね』とヤケッパチだった。そういうとこだぞ。

 

 かくして、港にてナミが引率する難民御一行と、委ね先たる学者先生と女学生が顔合わせする。

 

「……あんたの知り合いにしては随分と真っ当そうね」

 ナミは人見知りの猫みたいな目つきで、学者先生と女学生の2人をじろじろと不躾に見つめる。

「どういう関係なの?」

 

「私が海軍の護送船から脱走した後、くたばりそうになったところを助けて貰ってね。諸々の情報集めをしてる最中、御二方がフィールドワークの旅の道中に、先のアラワサゴ島紛争で足止めされてると聞いたんだよ」

 しれっと虚実を交ぜた説明をし、ベアトリーゼは2人をナミに紹介する。

「こちらイガラッポイ先生と先生の教え子のウェンズ・ディさん。御二方、こちらはこの子らを保護しているナミさん。東の海で航海士見習いをやってた子です」

 

「……よろしく」

 ツンツンした態度で会釈するナミ。

 

「こちらこそ、初めまして」「初めまして、ナミさん」

 丸眼鏡に地味ながら三つ揃えを着た学者先生イガラッポイが丁寧に挨拶し、女学生のウェンズ・ディが上品な微笑みを返した。

 

「この二人に任せて大丈夫なの? 戦争の関係でこの辺りの海は安全だけど、他はその限りじゃないわ」

 ナミがイガラッポイとウェンズ・ディへ値踏みするような眼差しを向けつつ、ベアトリーゼに尋ねる。もっともな質問だろう。なんせ今は大海賊時代。海は無法地帯だ。

 

「イガラッポイ先生はグランドライン生まれで、若い頃は剣とギターを持って大冒険していた人なんだよ。東の海の雑魚海賊なんて相手にならないさ」

 真顔でしれっとテキトーなホラを吹くベアトリーゼ。

 

 唐突に変な設定を背負わされてギョッとするイガラムと、そんなイガラムの様子にくすくすと微笑むビビ。

「む、むがじ……マ~♪ マ~♪ 失礼。赤面ものの過去を暴露され、動じてしまいました。ですが、ベアトリーゼ嬢がおっしゃられた通り、腕に覚えがあることも事実ですぞ、ナミ嬢」

「ナミさん。先生はこう見えてとても腕が立ちます。これまでも先生のおかげで安全に旅が出来ましたから、大丈夫ですよ」

「それに、ローグタウンで武装商船に乗り換えるから問題ないよ」

 

 イガラッポイ教諭と女学生ウェンズ・ディの説明に加え、ベアトリーゼも援護に回り、ナミは仏頂面のまま了承の言葉をこぼす。

「それなら良いけど……」

 

「私はローグタウンまでの航海の件でイガラッポイ先生と打ち合わせがあるから、ナミちゃんはディちゃんと一緒に子供達の乗船を手伝ってあげて。それに、子供達とお別れもしたいでしょ?」

「……そうね。わかった。あんた、ディだっけ? 手伝って」

「ええ。分かりました」

 ナミはベアトリーゼの勧めに応じ、ウェンズ・ディと共に女子供達を乗船させに向かいながら、

「ディは育ちがよさそうなのに、よくあんなお尋ね者と関わりを持ったわね。いっちゃなんだけど、悪名が凄いでしょ、あいつ」

 肩越しにイガラッポイと話し合っているベアトリーゼを窺う。

 

「私があの人の悪名を知ったのは、遭難していたところを救助した後でしたし……それに、私にはとても礼儀正しくて、いろいろ面白い話をたくさん聞かせてくれたり、“魔法”で御守りを作ってくれたり……」

 ウェンズ・ディはペンダントの青い8の字状メビウスの輪をナミへ見せ、花のように微笑む。

「ベアトリーゼさんは私のお友達です。ナミさんもでしょう?」

 

「えっ? 友達……?」

 ナミは橙色の瞳を瞬かせ、思わず考え込む。

 

 出会ってからまだ数日の付き合いでしかない。友情の篤さに時間は関係ないというけれど、それでもあの女野蛮人と友人かと問われたなら……?

「友人というより、なし崩しにつるむことになった仕事仲間って感じ? 合ってる?」

「私に聞かれても」

 

 そんなやり取りを交わしつつ、ナミとウェンズ・ディは難民の女子供達を乗船させていく。すっかりナミへ懐いていた子供達が『ナミお姉ちゃんも一緒に行こうよう』『お姉ちゃんと一緒じゃなきゃヤダ』とベソを掻いたりグズったり。

 ナミは目頭に熱いものを覚えながら子供達一人一人と別れのハグをし、女達にも一人一人に『元気で』『幸せになって』と声を掛け、握手やハグを交わす。

 

 その様子を見守っていたウェンズ・ディが拳を固く握りしめ、『女性達と子供達は必ず安全な場所へ送り届けます』と固い決意を披露し、ナミをちょっぴり驚かせた。

 

 そして―――

 舷側から別れの手を振る女子供達へ手を振り返しながら出港する船を見送り、ナミはベアトリーゼに憂い顔を向けた。

「あの子達、今度こそ幸せになれるかな」

「もちろん」ベアトリーゼは即答し「むしろ今、問題を抱えているのはあの子達より、私達だよ」

 

「―――は?」ナミが片眉を上げて訝り「どういうことよ」

 ベアトリーゼは顎先を撫でながら続けた。

「旅費として有り金を全て渡しちゃったからオケラだ。今日の宿代くらいしかない」

 

「少しくらい残しておきなさいよ……」

 ナミはこめかみを押さえて溜息をこぼし、眉を大きく下げた。

 

「私だってそんなに持ってないわ。旅費を稼ごうにも先の戦争のおかげでオイコット近海に海賊がいないし……」

 海賊専門の泥棒らしく『旅費=海賊から盗む』と考えたナミに対し、悪党全般を獲物と見做す凶悪犯のベアトリーゼは不敵に口端を吊り上げる。

「悪党は海賊に限らないよ。どこの国にも犯罪組織は必ず存在する。二つ三つギャングなりマフィアなりの拠点をタタけば、それなりに稼げるさ」

 

「まぁ……真っ当に働いている人達を襲うよりはマシだと思うけど……」

 泥棒猫は消極的同意を返す。なんせ“血浴のベアトリーゼ”のタタキは基本的に殺戮劇を伴う。泥棒であっても人殺しではないナミとしては、全面的に賛成し難い。

 

「ナミちゃんが殺しを避けたいなら、まあ、半殺しで済ませても良いよ。ともかく決まったなら善は急げだ。早速計画を練ろう」

 どこか楽しげなベアトリーゼに、ナミは呆れとも感心とも取れる眼差しを向けた。

「活き活きとしてまぁ……」

 

「人間狩りに優る楽しみは無し。特に武器を持つ者を狩る楽しみを知った者は、二度と他の狩りで満足できない、ていうからね」

 ベアトリーゼが演技がかった調子で宣えば、ナミは心底嫌そうに美貌を歪める。

「どこの気狂いの戯言よ」

 




TIPS

ナミ
 現在16歳。
 保護した女子供達との別れにほろり。
 なお、ビビとイガラムがバロックワークスの社員であることも、実はアラバスタ王国の王女と護衛隊長であることも知らない。
 事実を知った時、どんな反応をするだろうか……

ビビ
 現在14歳。
 適当な偽名が思いつかなかったので、ウェンズデーからウェンズ・ディ。作者は浅はか。
 船旅の道中、難民の女子供達と仲良くなり、この子達を守るためにも……と一層決意が強まった模様。
 

イガラム
 偽名は原作通りイガラッポイ。
 船旅の道中、ベアトリーゼがテキトーなことを言ったせいで、子供達からギターの演奏をねだられ難儀する。


ベアトリーゼ
 もう麦わら一味が結成さえれば、他はどうでもいいや、と開き直った模様。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

71:ビビとプリティナイスな船と……

佐藤東沙さん、NoSTRAa!さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 ベアトリーゼがナミを伴い、オイコット王国の暗黒街で嬉々として狩りに勤しんで懐を潤していた頃(『楽しい労働は素晴らしいね、ナミちゃん』)――

 

 プリティ海運の快速武装商船『プリティナイス号』がリヴァースマウンテンを越え、東の海へ進入していた。

「まったく、社長があのアマにビビったせいでとんだ面倒仕事ヤモ。そんなんだからハゲるヤモ」

 スカートスーツ姿のエロボディ美熟女が、デカい乳房を強調するように腕組みしては、悪態を吐く。

 

 プリティ海運の警備主任、ジューコの毒舌を浴びせられた社長テルミノは激しく憤慨した。

「俺の頭髪は関係ねェだろっ! それに俺はハゲじゃねェよ、ちょっとプリティな髪型をしてるだけだっ!」

 彼の生え際は大きく大きく後退しており、現在は頭頂部を通り過ぎ、後頭部へ回り込もうとしていた。地肌が目映い頭頂部と違い、側頭部がフサフサなところが余計に切ない。

 

「社長はどこからどう見てもハゲヤモ。ちっともプリティじゃないヤモ。いっそスキンヘッドにした方が良いヤモ。なんなら残ってる毛を毟ってやるヤモ」

「なんてプリティに恐ろしいこと言いやがる……っ! ジューコ、お前にはプリティグッドな心がねえっ!」

 

 茹蛸みたいに頭を赤くするテルミノを、ジューコはハッと鼻で嗤う。

「ハゲはナイーブ過ぎて扱いが面倒臭いヤモ。奥様の苦労が偲ばれるヤモ」

「女房まで持ち出してハゲ弄りするンじゃねェよッ!! しまいにゃプリティに号泣するぞっ!」

 船上に響くテルミノの悲鳴に、船員達は苦笑い。

 

 

 で。

 

 

 プリティ海運の快速武装商船は『始まりと終わりの町ローグタウン』にて“貨物”と合流する。

「ベアトリーゼ嬢から紹介に与った、イガラッポイと申します。こちらは私の教え子ウェンズ・ディ。それとこの子らは、ベアトリーゼ嬢から託された戦災難民の子らです」

 イガラッポイと名乗る学者先生と、ウェンズ・ディと称する女学生。それと不安顔の女子供達。

 

 テルミノはイガラッポイ教諭から紹介状を受け取り、内容を改めた。

 意訳すると『預けた全員をきっちり無事に届けろ。毛ほどでも傷をつけたら――わ か っ て ん な ?』。

 

 こいつぁプリティな紹介状だぜ……まるで脅迫状みてェだ。へへ……震えてきやがった。テルミノの生え際から、貴重な髪がはらりはらりと抜け落ちる。

 

「あの、顔色が悪いですけれど、大丈夫ですか?」女学生ウェンズ・ディがテルミノを案じる。

「お客様、御心配なくヤモ。社長の抜け毛はいつものことですヤモ」

 同席していた警備主任ジューコが紹介状という名の脅迫状に震えるテルミノに代わり、独特の語尾に目を瞬かせているイガラッポイとウェンズ・ディへ、説明を続ける。 

「この人数なら、全員問題なく我が社の船に乗せられますヤモ。そちらの船はどうされるヤモ? グランドラインへ移送するとなると別途に金銭が生じますヤモ」

 

「船については処分しても構わないと、ベアトリーゼ嬢から言質をいただいているが……」

「それなら売却して、支払いの足しにすることをお勧めするヤモ」

「では、そうしましょう」

 イガラッポイ教諭はジューコの提案を承諾。

 

 かくて契約が交わされる。しょぼくれた船はローグタウンの中古船業者に売り飛ばされて支払金に化け、残金分はダイヤモンドを始めとする宝石や貴金属によって賄われた。

 

「諸々の手続きと準備が済むまでは御自由にお過ごしください。本船内で過ごされても構いませんし、街を観光しても良いでしょう。ただ、当地でトラブルが無いようお願いします。本当にそこだけは本当に、気を付けてください」

 脅迫状から立ち直ったテルミノがくどいくらい念押しし、イガラッポイ教諭と女学生ウェンズ・ディを困惑させた。

 

 ともあれ、契約交渉が終わった。テルミノは学者先生と女学生と別れてから、ジューコに問う。

「学者先生と学生、か。どう思う?」

「……あの学者の振舞いは、軍人かそれに類する人間ヤモ。それと、学生のねーちゃんは……ヤバい気がするヤモ」

 端正な顔立ちを険しくするジューコに、テルミノは目をパチクリさせて問いを重ねる。

「……とてもプリティなお嬢さんだが、マジか?」

 

 ジューコは厳しい顔つきのまま「昔見かけた高位貴族の御令嬢が、あんな感じの佇まいだったヤモ」

「きぞっ!?」……テルミノは出目金みたく目を剥いては、渋面をこさえて「……そうか、ミスBの言ってたコネってのぁそういう……なんてプリティな厄ネタだ」

 仰々しく溜息をこぼし、テルミノは髪より地肌の面積が多い頭頂部を掻く。

「万難をプリティに排してアラバスタまで送り届けるぞ」

 

 テルミノがそう固く心に決めた矢先のこと。

 快速武装商船『プリティナイス号』が学者先生と女学生、難民の女子供にオマケとしてローグタウンで調達した、東の海産の物品を積み込んで出港して間もなく――

 

 業務用冷蔵庫みたいな大女が率いるボロ船の海賊団が襲ってきた。

「その船をいただくわぁ~っ! 殺されたくなかったらぁ船を止めなさ~いっ!」

 

     〇

 

 説明しておこう。

 アラワサゴ島紛争後期、解放軍側に参加していたバロックワークスの面々は戦火のどさくさに紛れ、オイコット軍の軍資金を強奪しようと目論んでいた。

 

 バロックワークス下級幹部にして、派遣チームの指揮官ミスター・7……。彼が、オイコット軍義勇兵の最精鋭“海賊狩り”ロロノア・ゾロと一騎打ちしている間、派遣チームのミリオンズがオイコット軍に変装してオイコット軍拠点に潜入、軍資金の奪取を図った。

 

 この作戦が実施されていた際、バロックワークス下級幹部にして派遣チームの副指揮官ミス・ファーザーズデーは脱出用船舶を確保すべく、オイコット軍の船着き場を襲撃しようとしていた(彼女はその魁偉な容貌ゆえに変装が無理だった)。

 折りしもこの時、蛮姫ベアトリーゼによる突然の紛争介入が行われ、迷惑極まる超高熱プラズマの空爆によって衝撃波と局地的な津波が発生、ミス・ファーザーズデーは高潮に呑まれてしまった。

 

 それから数日間、ファーザーズデーは自分と同じく波に攫われた残骸で筏を組み、東の海を彷徨い、たまたま出くわした貧相な海賊船を襲った。船長と幹部をぶち殺し、下っ端共を服従させ、グランドラインへ帰還を試みるも、ボロ船ではどうにもリヴァースマウンテンを越えられそうになく。

 ミス・ファーザーズデーはリヴァースマウンテン近海で通りかかる船を奪うべく、待ち伏せしていたのだ。

 

 

 

 気の抜けるアニメ声の脅迫が海面に轟く中……。

「あれは」「そんなまさか」

 イガラッポイとウェンズ・ディが小さく驚く傍ら、

 

「学者先生達の知り合いヤモ? や、そんな筈はないヤモ。堅気のお二人があんなドチンピラ共と知己があるわけないヤモ?」

 何かを察したように警備主任ジューコが尋ねた。

 

「え!? えっと」

 咄嗟に上手い返しが見つからないウェンズ・ディことビビに代わり、イガラッポイことイガラムがジューコへ答えた。

「その通りです。全く知らない輩でした」

 

イガラム? どういうつもり?

 ビビが声を潜めて問えば、イガラムも小声でひそひそと答える。

ミス・ファーザーズデーが生きていると、いろいろ面倒になります。ここは非情になられませ

 イガラムは“察している”ジューコへ、言った。

「ジューコ警備主任。あの賊を“確実に”排除して欲しい。できるだろうか」

 

「ヤモモモ。学者先生、それは愚問ヤモ」

 ジューコは楽しげに喉を鳴らしながら首に巻いた海楼石付きチョーカーを外し、動物系悪魔の実ヤモヤモの実の力を発動させる。

 ヤモリ頭のエロボディ人獣と化したジューコはスカートの臀部から伸びる尻尾を大きく振り、ぎょろりとした目玉を舌で舐めながら、唖然としているビビとイガラムへ宣言した。

「すぐに片付けてくるヤモ」

 

 ジューコはボロ船の海賊共へ向けて大きく跳躍し、

「ヤモリンドーアーツッ! ゲッコー・ダイビングストライクッ!!」

 飛び移りながらの膝蹴りで一人目の頭蓋を破砕し、

「からの、ゲッコートリプルッ! そして、ゲッコースピニングダブルッ!!」

 2人目に左右拳のワンツースリーをぶち込んで殴殺し、二連後ろ回し蹴りでアホ面を晒していた海賊共を薙ぎ払う。

「ヤモモモ……弱すぎて欠伸が出るヤモ」

 

 瞬く間に手下達をぶち殺され、業務用冷蔵庫みたいな巨体女――バロックワークス下級幹部ミス・ファーザーズデーは激高し、バカでかいレンチを棍棒のように振り回す。

「このクソトカゲ~ッ! 皮を剝いで財布にしてやるわぁ~っ!」

 

 こてこてのアニメ声による罵倒を浴び、ジューコが瞼の無い両目をぎょろりと蠢かせた。光彩がきゅっと絞られる。

「トカゲ……だとヤモ? この私をトカゲと抜かしたヤモ? 貴様は万死に値するヤモッ!」

 

 ヤモリであることに絶大な――余人にはさっぱり理解できない――こだわりを持つジューコは激しく激しくブチギレた。眼前の業務用冷蔵庫女にこの美しい容貌はトカゲではなく、ヤモリであることを叩きこまねばならないと戦意を燃焼させる。

 

「ヤモリンドー・スーパーアーツッ! グレイトフル・サラマンダーコンボッ!!」

 ジューコは両手両足を武装色の覇気で漆黒に染めあげ、一直線に襲いかかる。

 

 飛び込みの鋭いワンツーがミス・ファーザーズデーの得物を破壊しつつ体勢を崩させ、巨体を風船の如く浮かせるサマーソルトキック。そして、浮いた巨躯が落ちることを許さぬ拳打足蹴の連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃。連撃!!

「ヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモッ!! ヤモモモモモ――――――――ッ!!」

 

 肉を打ち、肉を潰し、骨を砕き、骨を割り、ミス・ファーザーズデーの巨躯を破壊する音色が轟き、

「ぎょええええええええええええええええええええええええええっ!」

 アニメ声の断末魔が水面を震わせ、トドメの1回転式ドロップキックによって血達磨のミス・ファーザーズデーが海に叩き落とされた。

 

 赤く染まる海面にミス・ファーザーズデーが浮かび上がってくることは二度と無かった。

 

「地獄の底で爬虫類の分類を学び直してくるが良いヤモ」

 ふしゅぅうと大きく息を吐いて勝利台詞を宣うジューコ。

 プリティナイス号の舷側から、戦いを見守っていた船員達は拍手喝采。テルミノも安堵の息を吐く。

 

「ミス・ファーザーズデーを鎧袖一触に……」ビビは讃嘆をこぼし「あんな強い人が無名の船乗りなんて……世界は広いわね、イガラム」

「いやはや……なんと評すべきか言葉に困ります」

 イガラムは頭痛を堪えるように眉間を押さえた。

 

     〇

 

 以降、問題もなくプリティナイス号はリヴァースマウンテンを越え、グランドライン内を進み、サンディ島アラバスタ王国の港町ナノハナに到着。

「おかげさまで大過なく到着出来ました。感謝申し上げます。後ほど王宮から連絡が届くと思いますので、しばしこの町に御逗留ください」

「こりゃプリティに御丁寧な……。そのようにします」

 テルミノの合意を得た後、ビビは電伝虫で王宮に連絡。『すぐに帰って来い』と強く訴えてくる父と大臣達へ『まだ戻るわけにはいかない』と伝えつつ、難民の保護とプリティ海運の扱いを依頼し、一方的に通信を切った。

 

 そして、バロックワークスにも生還の連絡を入れると、すぐに出頭命令が下された。ビビはイガラムと共に指定された港湾部の倉庫へ向かう。

 

 バロックワークスは任務失敗に厳しい。此度のアラワサゴ島の任務は大失敗だった。どんな目に遭うか分からない。……が、ここで逃げ出すわけにもいかなかった。

 2人が指定された倉庫に入った直後。抵抗する暇もなく、黒い目出し帽を被った男達に組み伏せられる。後ろ手で手錠を掛けられてから、乱暴に丸椅子へ座らされた。

 目出し帽の男達は『仕事は済んだ』と言うように倉庫を出ていき、ビビとイガラムだけが残された。恐怖と不安がビビとイガラムの心を支配する。

 

 2人ともバロックワークスに潜入して裏社会の残忍さをたっぷり見聞きしていたし、アラワサゴ島紛争の記憶が新しい。それに、船旅の間に交流を持った難民の女子供達から“体験談”も聞いていた。これからどんな目に遭うのか、想像力が暴走し、身体が震えて冷汗も止まらない。

 

 ……大丈夫。殺す気や拷問する気があるなら、さっきの連中がやったはず。これはそういうことじゃない。大丈夫。大丈夫。

 ビビは下唇を噛んで今にも目から溢れそうな涙を堪え、隣のイガラムも『落ち着いて、落ち着いて。冷静に、冷静に』と繰り返している。

 

 

 

 

 

 

 

 どれほど時間が経ったのか。

 ビビとイガラムが恐怖と不安に心が潰れかけたところで、不意に出入り口が開く。

 出入り口扉の蝶番が軋む音色に、ビビとイガラムは思わず体を大きく震わせた。

 

 倉庫に入ってきた人間は一人だけ。

 革製の着衣とテンガロンハットをまとった、黒髪碧眼の神秘的な美女だった。

 

 ビビは美女に見覚えがあった。化粧と装いで全く別人に見えるが、印象的な美しい碧眼。見間違えない。

 アラバスタ王女として、王下七武海サー・クロコダイルがオーナーの大カジノ『レインディナーズ』を行幸視察した時、施設の説明をしていた女性支配人だ。

 

 女性支配人は入り口傍に置かれていた丸椅子を持ち、コツコツとブーツの踵を鳴らしながら2人の許へ歩み寄っていく。

 そして、2人の前に丸椅子を置き、美女は長い脚を組んで座り、ビビとイガラムへ微笑んだ。

「私はバロックワークス副社長、ミス・オールサンデー」

 

 ビビとイガラムは思わず息を呑む。これまでバロックワークスの最高幹部に関して、顔も名前も人数すらも分からなかった。それが突然、バロックワークスのナンバー2と接見。動揺するなという方が無理だった。

 

 冷汗をだらだら流す2人へ、ミス・オールサンデーと称した神秘的美女は言葉を紡ぐ。

「アラワサゴ島紛争の軍資金奪取作戦で生還したのは貴女達だけ。とりあえず、報告を聞かせて貰おうかしら。そのうえで、貴女達の扱いを判断するわ」

 

 命が懸かった業務報告だ。

 2人は必死に考えながら言葉を連ねていく。ビビは頻繁に言葉をつっかえ、イガラムは頻繁に喉を詰まらせては『マ~マ~♪』と発声練習する始末。

 

 ミス・オールサンデーは柔らかな微苦笑を湛えながら、シリアスな笑いを生む業務報告を聞き、時折確認するように問いを発する。

 口頭試問が課される度、ビビは声と膝を震わせながら真っ青な顔で答える。イガラムは発声練習を繰り返し過ぎて、何が何だか。

 

 業務報告と口頭試問が終わる頃には、2人ともへとへとに疲弊し、憔悴していた。

 

 ミス・オールサンデーは今にも目を回してひっくり返りそうなビビとイガラムから視線を外し、聴取した内容を吟味して告げた。

「いくつか報告の裏取りが必要になるけれど……任務失敗の責任は、指揮を担ったミスター・7とミス・ファーザーズデーに帰結するでしょうね。貴方達が罰を受けることは無いわ」

 最高幹部の言葉に安堵するビビとイガラムへ、ミス・オールサンデーは控えめな微笑を送ってから腰を上げた。

「私が去ったら解放される手筈になっているわ。それと、後日に連絡が入るから、それまで休養していてちょうだい」

 

「分かりました」「承知しました」

 恭しくも疲れ切った様子で首肯する2人に小さく頷き、ミス・オールサンデーは倉庫を出ていった。

 

 ミス・オールサンデーが居なくなったことを確認し、イガラムが脱力して呻く。

「乗り切りましたな……」

「ええ。生き延びたわ」

 ビビも肩で息をしながら応じた。不安と恐怖から解放されたためか、勝手に涙がこぼれる。……だが、涙に濡れる双眸は闘志にぎらぎらと輝いていた。

「ミス・オールサンデー……最高幹部の顔と素性が分かった。大きな前進よ」

 

     〇

 

 倉庫を後にし、ミス・オールサンデー……ニコ・ロビンは移動用動物のF-ワニの屋根付きシートに乗り込み、カジノ『レインディナーズ』のあるレインベース市に向かって発進させた。

 

 ワニの癖に極めて高い移動速度を誇るF-ワニの背で揺られながら、ニコ・ロビンは冷ややかに呟く。

「思っていたよりもタフな御姫様ね。それとも、ビーゼのおかげかしら」

 

 2人が生還できた理由? そんなもの、ビビの首から下がっていたペンダントを見れば容易に分かることだった。

 

 超高純度鉄製のペンダント・トップが淡青色に熱着色されていた。

 ビビが大切にしているペンダントにそんな加工を施せる者が居るとすれば、ペンダントを作成したベアトリーゼ本人しかありえない。

 

 ビーゼと出会い、助けられた。だからこそ、ミスター・7を始めとする派遣チームが全滅する中、あの2人だけ生きて帰ってこられたのだ。

 

 ロビンはこの数年の調査により、ベアトリーゼが護送船から逃亡後に遭難し、世界会議(レヴェリー)のためマリージョアへ向かうアラバスタ王国御召船に救助された事実を掴んでいた。この邂逅により、ビビはベアトリーゼの友誼を得たのだろう。

 

 でなければ、ベアトリーゼがビビを助けたりすまい。

 ベアトリーゼは冷酷非情だ。必要なら、女子供だろうと老人だろうと妊婦だろうと野菜のように切り刻める。同時に、ベアトリーゼは情が厚い。己が認めた者のためなら、命を懸けることも厭わない。ロビンのために独りで海軍と戦い、捕縛されたように。

 

 そして、此度に関して言えば、ベアトリーゼがビビを助けた理由は友誼だけではない。

 

「私へのメッセージね」

 ビビが帰還後、私と接見すると見越していた。だから、あのペンダントを加工したのだろう。自分の存在を匂わせるために。つまり――

「ビーゼは私がバロックワークスで最高幹部を務めていることも、アラバスタにいることも、知っているのね」

 

 なら早く会いに来てくれたら良いのに……。

 モヤッとした気分を覚えつつも、ロビンは何となく察する。大方、行く先々で面倒事を起こすか、厄介事に巻き込まれているのだろう。

 ベアトリーゼは決して愚かではないけれど、なんというか、ズレたところがある。熟慮を重ねて重ねて、そのうえで落とし穴にハマるようなウッカリ振りを披露するのだ。

 

「まあ、そこがビーゼの可愛いところなのだけれど」

 いずれにせよ、ビーゼがアラバスタに来る。そう遠くない先に。

 

「彼のプランが滅茶苦茶になるわね」

 その時、ビーゼは私と御姫様のどちらを優先するかしら。いえ、どちらを選ぶなんてしないわね。

 きっと、私と御姫様を揃って守り通すに違いない。

 たとえ自分を犠牲にしてでも。

 

 ロビンは砂漠の地平線を見つめながら、寂しげに呟く。

「早く会いたいわ、ビーゼ」




TIPS
テルミノ
 オリキャラ。
 プリティ海運社長。以前登場した頃よりハゲが進行している。

ジューコ
 オリキャラ。
 動物系悪魔の実ヤモヤモの実の能力者で覇気使い。
 今回はちとネタに走り過ぎた感がある。

ミス・ファーザーズデー
 キャラを活かせぬまま退場。

ビビ
 なんとか無事にグランドライン内へ、ついで故国にも一時帰還。
 最高幹部のミス・オールサンデーがレインディナーズ支配人であることを知る。
 ただし、ミス・オールサンデーがニコ・ロビンであることにはまだ気づいていない。

イガラム
 なんとか無事にグランドライン内へ、ついで故国にも一時帰還。

ニコ・ロビン
 モヤモヤカウンター上昇中。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

72:復仇の音色に猫が嗤う

佐藤東沙さん、かにしゅりんぷさん、金木犀さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 大海原を優雅に泳ぐロイヤル・クリッパー型客船の特等船室。

 優艶な姥桜のような淑女フラウ・ビマは報告書に目を通し終え、失望に似た吐息をこぼす。

「血浴のベアトリーゼ、か。思った以上に厄介ね」

 

 フラウ・ビマはベアトリーゼと直接関わったことはないが、間接的な関わりはある。

 たとえば、“マーケット”。ヌーク兄弟海賊団が発掘を試みた『フランマリオンの眠り姫』。

 たとえば、ウォーターセブン。換金所とアイスバーグが所有する、ウールヴヘジンの船艇設計図奪取プラン。

 

 前者は取引責任者(マネージャー)として、後者は計画立案者(ジャグマーカー)として糸を引いていた。

 どちらのケースにおいてもフラウ・ビマは、ベアトリーゼが現地に居ることを知らなかった。事後調査において『こんな奴が居たようだ』と、認識しただけだ。

 

 ただし、今回のドクトル・リベット案件は異なる。

 明確にプロジェクトの障害と見做し、さらにその脅威度も強く確認した。

「宿無しの野良猫と見做すには、爪牙が鋭すぎる。気ままに振る舞う人食い虎と考えた方が良いわね」

 

 つまり、どうあっても飼い慣らすことは無理。それに、サイファー・ポールの女悪魔(トイフェリン)との関わりも気になる。部下とは思えないが、大なり小なり協力関係にあることは間違いあるまい。

 

 フラウ・ビマは卓上に広げられた東の海の地図と複数紙の新聞を見下ろす。

 ドクトル・リベットの護送が終わったというのに、血浴はグランドライン内へ戻る様子を見せていない。東の海を観光でもするつもりなのか。それとも、女悪魔の絡みで動いているのか。あるいは……別の目的か。

 

 気になる点はオイコットで生じた女の覆面強盗だ。複数の地元ギャングが襲われ、死傷者発生。犯人の女は“2人組”。被害額は現金で推定600万ベリー。

 ――奪い取った額が少なすぎる。これは準備資金を調達しただけね。本命は別にある。

 

 強盗として、血浴のベアトリーゼのスタンスは分かり易い。通行人の財布や雑貨店のレジに見向きもせず、銀行の金庫や現金輸送車を狙うタイプ。

 

 地図と複数紙の新聞の情報を俯瞰的に見つめ続け、フラウ・ビマは自身の思い至った解答を確認するように、部屋の棚から『東の海』とラベルが貼られたファイルブックを取り出し、ページをめくっていく。

「コノミ諸島。魚人海賊団アーロン一味。ノコギリのアーロン、懸賞金2000万。これが本命ね」

 

 フラウ・ビマは細い顎先を撫でながら思案する。

 これまで血浴のベアトリーゼに妨害されて損失を出したのだから……彼女を利用して利益を得ても罰は当たるまい。それに、魚人は商材にも“素材”にもなる。たとえ“最弱”……そう揶揄される事もある、東の海で粋がっているような小物でも。

 

 漆黒の双眸を冷たく怜悧に細める一方、ふっくらした唇を悪戯っぽく緩め、フラウ・ビマは電伝虫の通話器を手に取った。

 

      〇

 

 東の海――某島。

 小さな港町の船着き場近く。簡素な飲食店の軒先にあるテーブル席に、うら若き乙女達が座っている。

 

 片や、小麦肌を晒すように潜水服の上半身部分を脱ぎ、袖部分を腰で縛った夜色髪の美女。人呼んで“血浴”のベアトリーゼ。

 

 片や、タイトなTシャツに短パンで健康美を晒す蜜柑色のショートヘア美少女。後に“泥棒猫”の名で知られるナミ。

 

 乙女達の卓にはテーブルクロス代わりに古新聞が敷かれ、スパイス蒸しにされた蟹がどっさり。付け合わせはさっぱりした酸味のピクルスとザワークラウト。御供は大ジョッキのビール。

 ベアトリーゼとナミは素手で蒸し蟹の腕や足をひっこ抜き、甲羅を引っぺがしては、身肉を口に運ぶ。濃厚な蟹の旨みとスパイスの絡みあった味わいは、2人の娘っ子を笑顔にしていた。

 

 ビールをぐびぐびと呷りながら、蟹の残骸と身肉のカスを卓上に散らかしつつ、時折、ピクルスとザワークラウトで舌をリフレッシュ。

 

「蟹は塩茹でが一番かと思ってたけど、これも悪くないわね」

 額に汗を滲ませつつ、ナミが三杯目の蟹を解体していく。

 

「甲殻類はどんな食べ方をしても美味い。蟹、海老、ザリガニ、サソリ」

 ベアトリーゼは五杯目の蟹の身肉へかぶりつきつつ、卓に敷かれた古新聞の記事に目を通していた。

 

 スペード海賊団が白ひげ海賊団傘下に収まり、超新星の海賊と謳われたポートガス・D・エースが白ひげ海賊団二番隊隊長になったという。

 それから、パンクハザード島にて化学兵器暴発事故が発生。島は有毒物質に汚染され、政府によって完全封鎖されたという。

 いずれも興味深くはあるが、現状の我が身には関係ないことばかり。

 

「ちょっと待った。サソリは甲殻類じゃないわ。蟲よ、蟲」

「そうだっけ? 見た目が似てるから甲殻類だと思ってた」

 ナミのツッコミに小首を傾げつつ、ベアトリーゼは大ジョッキのビールをぐびぐびと呷った。

 

 そうして、蒸し蟹が殻と食いカスの山となり、ピクルスとザワークラウトの皿が空く。

「はー……美味しかった……」

 椅子の背もたれに体を預け、ナミは満腹の倦怠感を楽しみながらナプキンで手と口元を拭う。

「今日はここに泊まっていくの?」

 

「んー、この島からココヤシ村までもうちょいだし……今、この島を出てかっ飛ばせば、明日の昼頃には到着するかな。一泊しちゃうと、明日の朝出発で夕暮れか夜の到着になるね」

 未練たらしく齧っていた蟹の爪を卓に放り、ベアトリーゼは蟹の汁とスパイスに塗れた指先を官能的に舐める。

 

 ナミちゃんの依頼をこなしつつ、革命軍の要望に応えてやらにゃならない。

 ひっじょーに面倒くせーけど……まあ、面倒くせーだけで別段難しくもない。

 問題は……これで原作チャート大崩壊が確定するってことよね。一年半後、ナミちゃんは麦わら一味に入ってるかしら。不安だなー。

「ナミちゃんが決めて良いよ」

 

 委ねられた選択肢に、ナミは考え込む。

 事は到着時間の問題ではない。故郷の解放、人生の奪還、亡き母の仇討が懸かっている。

 

 ……と、店員がやってきて、2人の手元に蜜柑を置いた。

「食後のサービスです。どうぞ」

 

「あら、ありがと」ベアトリーゼはさっそく蜜柑を手に取り、皮を剥いて「ん。味が濃くて美味しい」

「……この蜜柑はどこの?」

「コノミ諸島産の物です。あの辺りはここ数年物騒なんですけど、やっぱり蜜柑はコノミ諸島の物が一番美味しいんですよ」

 店員はナミへ訳知り顔で語り、卓を離れていった。

 

 コノミ諸島――魚人海賊団アーロン一味に支配された島々。故郷ココヤシ村のある島々。

 ナミは蜜柑を手にしてしばし見つめた後、ベアトリーゼを真っ直ぐ見据えた。

「……これから出発しよう」

 

 待ってろ、アーロン。

 

 あんたの王国も、あんたの野心(ゆめ)も、全てぶっ潰してやる。

 

 橙色の瞳に昏い光を宿すナミに、ベアトリーゼはアンニュイ顔で頷いた。

「りょーかい。じゃ食休み後に出発ってことで」

 

      〇

 

 スーパートビウオライダーが胸鰭を海面に擦りつけるように飛翔していく。

 ベアトリーゼとナミは小休止を取るごとに操縦を交代し、コノミ諸島――ココヤシ村を目指し、進み続けていた。

 オヤツ時から夕暮れ時を過ぎ、日が沈んで頭上に星々が広がる中、2人はサイボーグ化トビウオを休眠させて海上テントを浮かべ、味気ないエナジーバーとぬるい水で夕餉を済ませる。

 

「お昼に美味しい物を食べた分、がっくり来るわね」

「確かに」

 ナミのぼやきに微苦笑を返し、ベアトリーゼは優しく告げる。

「明日は夜明けとともに出発する。早く寝た方が良い」

 

「……今夜は眠れそうにないわ」とナミはゆっくりと息を吐く。

 目を瞑って横になったら、きっと頭の中をいろんな事が巡るだろう。アーロン一味に故郷を襲われ、母を殺されてから約6年。悲しいこと。辛いこと。苦しいこと。悔しいこと。許せないこと。後悔すること。思い出したくもないこと……本当にたくさんあったから。

 

 ポールに吊るしたランタンを見上げ、ベアトリーゼは思案顔を作ってから、ナミに尋ねた。

「ココヤシ村ってどんなとこ?」

 

「……良い村よ」

 ナミはぽつぽつと語り始める。

 

 ココヤシ村があるコノミ諸島は、世界政府加盟国の某国辺境に分類される“自治島嶼”だ(海域の航行権などの関係から国として領有するが、行政としては徴税その他をしない代わりに諸々の面倒も見ない)。

 諸島内にはココヤシ村を始め、ゴサの町など集落がいくつかある。温暖な気候となだらかな地勢や良好な漁場などから、農業や漁業といった一次産業が盛んで、果樹栽培を手掛ける者が少なくない。裕福ではないけれど、牧歌的で安穏とした営みが紡がれていた。

 

 ナミは語る。

 村での暮らしのこと。姉のノジコのこと。口うるさいけれど温かく見守ってくれていた、駐在のゲンさんや村の皆。

 血の繋がらぬ自分へ、惜しみなく愛情を注いでくれた母ベルメールのこと。

 

「でも、6年前……あいつらがやってきて全部壊した。あいつらが全部」

 今では魚人海賊団アーロン一味がコノミ諸島を牛耳り、ミカジメ料を払えない者へ容赦ない制裁を下している。加えて、一味はココヤシ村にアーロンパークと称する拠点を築き、近海に大型海獣モームを住まわせて制海権を維持しているという。

 

 島のことやココヤシ村のことを語るナミの表情や口振りは柔らかかったが、アーロンのことに触れるやいなや、怒りや憎しみを露わにした。

 

 ひとしきり話を聞いたベアトリーゼは、ピーナッツを齧りながらポツリと言った。

「存外、ぬるい悪党だな」

 

「ぬるいですってっ!? 皆、アーロン達に生殺与奪を握られて、支配されてるっ! 男も女も子供も老人も、あいつの気分次第で殺されても、文句も言えないっ! それのどこがぬるいっていうのよっ!!」

 ナミが瞬間的に殺気立つも、ベアトリーゼは気にせず言葉を続ける。

「まぁ聞いてよ、説明するから」

 

 この時代のこの世界の一般的在り方に倣うように、コノミ諸島も内需と地産地消、自給自足が主体となって経済が回っている。裕福さに欠くけれど、食っていく分には困らない。

 が、こういう地域内で経済活動がほとんど完結した社会は、収奪が行われると、あっという間に干上がってしまうため、中長期に渡って継続するためには、事業として行う必要がある。

 

 当然ながら事業として搾取と収奪を行う場合、諸々の細かなことをきちんと計画検討し、リソースを振り分け、マメに管理監督しなければならない。それこそ、西欧人が先住民を奴隷化して大農園や鉱山を経営していたように(結局は奴隷化した先住民を使い潰してしまい、アフリカから黒人を輸入する羽目になったわけだが)。

 

 しかし、原作に見る限り、アーロン一味がそうした振舞いをしていた様子はなく、地元縄張りからミカジメ料を徴収するヤクザ以上でも以下でもなかった。

 実のところ、アーロンは東の海を統べる帝国を築くという大望を持っていながら、王どころか領主にすらなれていない。

 ただの賊徒。それがアーロンの正体だ。

 

 ベアトリーゼは食べ終えたピーナッツの包みを、プラズマ熱で瞬間的に焼き消す。

「私の故郷のウォーロード達だったら、征服した村の住民は私財と土地を没収して奴隷化、老若男女で分けてそれぞれ強制労働。二度と家族に会えず死ぬまで働かせる。ナミちゃんみたいな若い女の子は慰安所送りにして、子供らの一部は児童歩兵として使い潰すよ」

 

「……あんたの故郷は地獄か何か?」

「地獄より酷ェとこだよ。あらゆるものが最悪か最低だ」

 ナミが嫌悪感をたっぷり込めて皮肉を言うも、ベアトリーゼ自身が心底忌々しげに吐き捨てた。

 さしものナミも気後れを覚えて「……なんかごめん」

 

「こっちこそ気分を悪くさせてごめんね」

 ベアトリーゼは物憂げ顔で微苦笑を返し、保母が幼稚園児に提案するような柔らかい口調で言った。

「そだ。お話してあげるよ」

 

「お話? どんな?」

 ナミが幼子のように興味を示せば、ベアトリーゼは得たりと口端を緩めた。

「バッタの話なんだけど……」

 

      〇

 

 心地良い陽光が注ぐ朝。ココヤシ村の外れ。

 ノジコは簡単な朝食を済ませた後、仕事の支度を始める。

 

 ノジコは花盛りの18歳。艶っぽい唇が印象的な細面、健康的に日焼けした肌とグラマラスな胸元が目立つしなやかな肢体は、胸元から肩にかけてシンプルなタトゥーを入れてある。

 バンダナをカチューシャのようにして青色髪をまとめ、タンクトップの上から農作業用エプロンを巻き、軍手を装着。剪定鋏などをエプロンのポケットに収め、母屋裏に広がる蜜柑畑に赴く。

 

 さほど広くない蜜柑畑を見て回る。収穫時期はまだ先だが、除虫と摘果、草取りは欠かせない。

 愛する母が亡くなり、大切な妹が魚人海賊団に囲われて6年。ノジコは独りで家と蜜柑畑を守ってきた。

 

 はっきり言ってしまえば、母が手がけていた頃に比べ、ノジコが作る蜜柑の方が美味しかったりする。それは周囲の大人達が独りになってしまったノジコを助けるべく、ミカン栽培のノウハウを伝授したり、作業を手伝ったりしていたから。もちろん、ノジコ自身も蜜柑畑と家――妹の帰る場所を守ろうと必死に努力してきたことも大きい。

 

 農作業を一通り済ませ終えた頃には、太陽が随分と高い位置に昇っていた。

 軍手の甲で額の汗を拭い、ノジコは休憩がてら母屋に戻る。カラカラに乾燥させた蜜柑の陳皮を薬缶に入れて煮出し、マグカップへ注ぎ、蜂蜜を少し加えて攪拌。

 

 蜜柑の香りが快い陳皮茶を口に運ぼうとした矢先、呼び鈴が鳴り、聞き慣れた濁声が届く。

「ノジコ。居るか、ノジコ」

 

 一服を妨げられて眉を大きく下げつつ、ノジコはカップを置いて玄関へ。

 ドアを開ければ、駐在の壮年男性が迷子を捜す父親のような顔で立っていた。

 

「今日も来たの、ゲンさん」

 制帽に風車の玩具を差し、厳めしい顔に向こう傷を幾つも走らせる駐在のゲンさんは、呆れ顔のノジコへ尋ねた。

「……ナミは帰ってきたか?」

 

「まだよ。御茶を入れたところなの。ゲンさんも呑む?」

「いつもならとっくに帰ってきとるだろう? どうなっとるんだ?」

「分かるわけないじゃない。連絡手段なんて無いんだから」とノジコは素っ気ない。

 

 2人はここ数日、まったく同じやり取りを交わしている。

 というか、ナミが“出稼ぎ”に赴く度、ゲンさんは『ナミは無事に帰ってきたか?』とノジコの許にやってくる。まぁ、ナミのことがなくても『調子はどうだ?』と頻繁に様子を見に来るが。

 

 ノジコとナミにとって、ゲンさんは父親同然の敬愛すべき男だ。が、年頃の娘らしく父親的存在に対して、篤い気遣いにちょっとうざったいものを覚えなくもない。

 

「もしやナミの身に何かあったのかもしれん……」

 悪い想像をし始め、口元を押えて唸りだすゲンさん。

 

「ナミなら大丈夫よ。これまでも帰りが遅れたことは何度かあったでしょ」

 あっけらかんと応じるノジコ。それは妹を深く信頼しているからであり、一方でそう思い込まないと心配で仕方ないという心情もある。

「ああ見えても、ゲンさんより賢いし、機転が回るし、すばしっこいし、大丈夫だって」

 

「そうだな。ナミは私よりも……て、おいっ!!」

 ゲンさんがノリツッコミを披露したところへ、

 

「なんで家の前で漫才やってるのよ」

 怪訝顔のナミが、猫のようにふらりと登場する。

 

「ナミッ!! 無事だったかっ!!」「お帰り」

 大袈裟に無事を喜ぶゲンさんと、あっさりとしつつも内心で大きく安堵するノジコ。

 

 ナミはそんな2人を玄関前から押し退けるように母屋へ入り、湯気を燻らせている薬缶を見つけた。

「あら、淹れたてじゃない。用意が良いわね、ノジコ」

 ノジコ達の心中を知ってか知らずか、ナミは薬缶を傾けてお茶を淹れ始めた。

 

「あんたのために用意したんじゃないっつの」

「今回は随分と帰りが遅かったじゃないか。心配したぞ」

 妹に続いて母屋へ入ったノジコが溜息混じりにぼやき、付いてきたゲンさんが父親然とした小言をこぼす。

 

「オイコット王国の方で戦争があったでしょ? アレの影響で帰りの船がなかなか見つからなかったのよ」

 ナミの説明に、ノジコがわずかに表情を曇らせた。赤ん坊だったナミと違い、ノジコにはオイコットで生まれ育った記憶がある故に。

「……ともかく、無事に帰ってきてよかった」とゲンさんが胸を撫で下ろす。

 

 ナミはカップを口に運び――熱くて美味しい、と口端を綻ばせる。

「やっぱり、実家の味って落ち着くわね」

 

 ノジコは微かに眉をひそめた。何かおかしい。“出稼ぎ”から戻った時のナミは、アーロン一味の許に赴くためどこか神経を尖らせ、陰があるのに。なんでこんなに穏やかなの?

 

 ゲンさんも違和感を覚えたらしく眉根を寄せつつ、言葉を選んで声を掛ける。

「ナミ。なにか――」

 

「そろそろね」

 不意にナミが壁時計に目を向け、

「「?」」

 ノジコとゲンさんが訝った、刹那。

 

 

 どっかあああああああああああああああんんんんんん!!

 

 

 アーロンパークの方角から落雷のような大轟音が聞こえてきて、窓ガラスや壁をびりびりと震わせる。

「な、なにっ!?」「なんだっ!?」

 血相を変えて驚くノジコとゲンさん。2人とは裏腹に、ナミは満足げに頷く。

「“時間通り”ね」

 

「ナミ、あんたいったい……」唖然として妹を見つめる姉。

「……何をした? ナミ、何をしたんだっ?」顔を引きつらせる父同然の男。

 

 愛する姉と敬愛する駐在へ、ナミは美貌を和らげる。

「アーロン達の許へ殺し屋を送り込んだの」

 怖気を覚えるほど美しい微笑は、橙色の瞳が復讐の歓びに輝いていた。

 




Tips
フラウ・ビマ
 オリキャラ。元ネタは銃夢:火星戦記のキョーコ・ビマ。
 ”抗う者達”の一員。ケースオフィサーやジャグマーカーなどを兼ねている。
 奸婦や毒婦の類。

ベアトリーゼ
 オリ主。
 自分の故郷はホントーに酷かったなぁって。

コノミ諸島
ココヤシ村。
 原作に登場する土地と集落。土地の説明は原作改変とオリ設定。

ノジコ
 原作キャラ。
 ナミの2歳年上の義理姉、作中では18歳。

ゲンさん。
 原作キャラ。
 ココヤシ村の駐在。事実上の村長的立場。ナミとノジコの父親的存在。

ナミ
 復讐の音色はどこまでも甘く響く。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

73:歓喜無き勝利。あるいはーー

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん 誤字報告ありがとうございます。

ナミ編を巻きに入ったのでちょっと文字多め。


 ナミが自宅に戻った時刻に前後して――

 

 デコに太陽の刺青を入れたタコの魚人ハチが、アーロンパークの水門前で首を傾げていた。

「ニュ~? っっっかしーな。モームの奴、餌の時間だってのに……おーい、モームッ!! 飯だぞーっ!!」

 

「どーしたんスか、ハチさん。大声出して」

 丁度、海から上がってきた魚人の若い()が尋ねれば。

「オゥ。飯の時間だってのに、モームの奴が来ねェんだ」

 

「モームならえれー勢いで出かけていきましたよ」と沖を指差す若い衆。

「ニュ!? そりゃ縄張りに侵入者が現れたのかもしれねェな!」

 ハチは想像力を大回転させて自己完結し、

「俺ァちょっと様子を見てくるぜっ! アーロンさん達に伝えとけっ!」

「ちょっと待―――行っちゃった……」

 若い衆の制止を無視して海に飛び込み、猛烈な速度で沖へ向かって泳いでいった。

 

「侵入者なんている訳ねェ……ん?」

 海嘯に混じって何か聞こえてくる。これは……口笛?

 若い衆はきょろきょろと周囲を窺い、海岸線の先に人影を見つけた。

「アレは……?」

 

 歳は二十代前半頃。物憂げな美貌の女で、癖の強い夜色の長髪をポニーテールにまとめている。小麦肌の長身にタイトな潜水服をまとい、上半身部分をはだけさせて袖を腰で結び、ハイネック・Xバックのビキニブラを露出していた。

 

 あからさまに怪しい女は『酔いどれ水夫』の口笛を吹きながら、アーロンパークの水門へ向かって歩いてくる。

 若い衆は不審な女へ声を張る。

「おい、オメー何もんだっ!? ここはアーロンさんの居城だぞっ! 人間如きがふらふら近づくンじゃあねェッ!!」

 

 女は若い衆の誰何と警告を無視し、暢気に口笛を奏でながらアーロンパーク水門前までやってきて、苛立つ若い衆へアンニュイ顔を向けた。

「おにーさん。ここが魚人海賊団アーロン一味の根城?」

 

「だーら、そー言ってんだろっ! 耳が遠いのか? オツムが鈍いのか? 何なんだよ、オメーはよォっ!!」

「私? 私はね」

 女は牙を剥くように犬歯を覗かせて嗤い、右腕を漆黒に染めながら大きく振りかぶり、

「強盗だよ」

 

「――あ?」

 右手に生じさせたバレーボール大の超高熱プラズマ球を、きょとんとした若い衆に向かって投げつけた。

 

 超高熱プラズマ球は若い衆に悲鳴を上げる暇も与えず命を蒸発させ、そのまま水門を直撃。門扉の鋼板を飴のように融解させ、海水に触れると同時に大規模な水蒸気爆発を起こした。

 

 

 どっかああああああああああああああんんんんっ!!!

 

 

 落雷のような轟音と共に熱圧衝撃波が門扉の残骸と水門基部を吹き飛ばし、アーロンパークを襲い、全ての窓ガラスや扉を破砕し、壁や屋根を大きく損壊させた。

 真っ白な蒸気が入道雲のように立ち昇り、煮えた蒸気が濃霧のように立ち込める中。

 

 ベアトリーゼは右肩を回し、蜂の巣を突いたような騒ぎになっているアーロンパークの敷地内へ、散歩でもするように入っていく。

「お邪魔しまーす」

 

 なお……水門破壊時の衝撃波は水中伝播し、沖を目指して泳いでいたハチを襲い、一瞬で失神させていた。

 

     〇

 

 熱圧衝撃波に襲われたアーロンパークの正面広場/敷地内水路は荒れ果てている。

 たちこめた乳白色の蒸気が包む敷地内は、破砕した窓ガラスや崩落した屋根材や建材の瓦礫が散乱し、水路の海水が湯気を燻らせている。

 

 倒壊した正面玄関ポーチの脇。魚人海賊団アーロン一味の頭目“ノコギリ”アーロンは吹き飛ばされたカウチから身を起こし、半壊した居城を見上げて額に血管を浮かべた。

「俺の城が……なんだこれは……どうなってやがんだこれはぁっ!!」

 

 アーロンの怒気に当てられて若い衆が慌てふためく中、アーロン一味の幹部イトマキエイの魚人クロオビが吠える。

「落ち着け、者共ッ!! この程度のことで取り乱すなっ!」

「被害の確認を急げ! チュ♥」

 同じく幹部であるキスの魚人チュウが、苛立たしげに指示を飛ばす。

 

 ……と、乳白色の闇の中から『酔いどれ水夫』の口笛が聞こえてきた。

 こんな時に口笛を暢気に吹くアホッタレは一味に居るまい。なれば、口笛の主こそこの惨状を起こした下手人だろう。

 

「魚人空手、百枚瓦正拳ッ!!」

 クロオビが口笛の聞こえてくる辺りへ向け、衝撃波を放つ。周囲の水分を制する魚人空手の技は立ち込める蒸気を吹き払い、荒れ果てたアーロンパークの姿を陽光に晒し――

 人間の若い女を露わにした。

 

「テメェが犯人かぁっ!」「下等種族がやりやがったなぁっ!!」

 若い衆が襲撃犯である女へ敵意と殺意を剝き出しにする。

「テメェ……っ! 下等な人間如きが、俺の城をぶち壊しやがってェっ!!」

 アーロンは女を睨み据えながら、ぎりぎりと牙を噛みしめる。

「何もんだ、テメェッ!!」

 

「私? 私は強盗だよ、ごーとー」

 癖の強い夜色髪のポニーテールの毛先を弄りながら、女はアンニュイ顔で宣う。

「強盗だぁ?」埒外な回答に、アーロンはビキビキと額に浮かぶ血管を増やしていく。

 

「あんたら、相当貯め込んでるらしいじゃない。魚が金を持っていても持ち腐れだろうし、親切な私が分捕ってあげようと思ってね」

 強盗を称した小麦肌の女は煽るように宣い、薄笑いと共に右手人差し指をくいくいと振った。

「掛かっておいで、お魚ちゃん達。強盗ついでに遊んであげる」

 

「……このクソ女を今すぐ八つ裂きにしろぉおおおっ!!」

「おおおおおおっ!」「ぶっ殺したらぁっ!!」「膾にしてやっぞゴルァアッ!!」

 ブチギレたアーロンの怒号をスターターに、魚人海賊達が一斉に強盗女へ襲い掛かり――

 惨劇の幕が開かれた。

 

      〇

 

 ココヤシ村の住人達が通りに出て、アーロンパークが建つ方角へ不安顔を向けていた。

 潮風に乗って微かに届く怒号と雄叫び、そして、悲鳴と断末魔。

 魚人海賊団アーロン一味の根城で何かが起きている。何か、恐ろしいことが。

 

 ノジコの家からゲンさんとノジコが通りに出てくると、住民達は一斉にゲンさんの許へ駆け寄っていく。

「ゲンさん! アーロンパークで何かが起きてるぞっ!」

「ああ……“知ってる”」ゲンさんは青い顔で頷く。

「知ってる、だと? どういうことだ!?」長老格の一人である村医者が眉根を寄せた。

 

「私よ。アーロンパークの騒ぎは私が起こしたの」

 遅れて姿を見せたナミへ住民達の目線が集中する。村の男衆がおずおずと問う。

「ナミちゃん……何をしたんだ?」

 

「アーロン達の許へ殺し屋を送り込んだのよ」

 

 ナミがさらっと答えれば、

「ええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 住民達は海老のように目を剥いて驚愕し、悲鳴染みた吃驚声を上げた。ゲンさんとノジコが思わず顔を覆う。

「なんと無茶なことをっ! 相手はアーロンじゃぞっ! ただでさえ強大な力を持つ魚人においても、別格の猛者っ! 敵うものなど――」

 

「大丈夫よ」ナミは村医者の言葉を遮り「送り込んだ殺し屋は凄く強いから」

 余裕の微笑を湛えるナミに薄ら恐ろしいものを覚え、住民達が絶句して唖然慄然する中、悄然としたノジコが尋ねる。

「……ナミ、いったいどんな化け物を呼び込んだの?」

 

 ナミは橙色の瞳を細め、口端を綻ばせる。

「血浴のベアトリーゼ。グランドラインから来た、懸賞金3億5千万の女よ」

 

「ええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 住民達は再び絶叫した。

 

 うるさっ、と耳を押えて住民達の絶叫をやり過ごし、ナミはアーロンパークへ向かって歩き始める。

 

「ナミっ!? まさか、あそこへ行く気かっ!?」ゲンさんが血相を変えて声を掛ける。

「私が起こしたことだもの。きっちり見届ける義務があるわ。それに」

 橙色の瞳を復讐心でぎらつかせながら、ナミは言った。

「アーロン達の最期を見たいの」

 

 今まで見たこともないナミの冷酷非情な目つきに、ゲンさんも、ノジコも、村の住民達も心を引き裂かれるような痛みを覚える。

 

 皆、知っていたのだ。

 6年前、まだ10歳の少女だったナミがココヤシ村を、住民の皆を救うためにアーロンへ取引を持ち掛け、以来たった独りで戦い続けてきたことを。

 だから、住民達はナミの決意を酌み、孤独な戦いを妨げぬようアーロンの恐怖支配に耐え忍ぶ戦いを続けてきた。

 

 だが、その選択は正しかったのか……とゲンさんは苦悩せずにいられない。

 ベルメールやノジコに抱かれ、無邪気に笑っていた少女が、こんな冷たい目をするようになってしまったことに、ゲンさんや住民達は悔いずにいられない。

 

 ゆえに、

「私も行こう」

 ゲンさんはナミと共に歩き始めた。ノジコも、村医者も、男衆も、女衆も続いてナミと共に歩き始める。

 

 ナミを先頭に、ココヤシ村の人々はアーロンパークへ向かって行進する。

 終わりを見届けるために。

 

       〇

 

 武装色の覇気をまとった拳打足蹴で魚人を殴り砕き、魚人を叩き壊し、魚人を蹴り潰す。拾い上げた刀剣で魚人を切り裂き、蹴り飛ばした刀剣で魚人を刺し貫く。立ち向かってくる魚人を殺し、逃げ出した魚人を屠る。

 正面玄関前の広場は、今や俎板のような有様だった。魚人達の血で染まり、骨肉が散らばり、臓腑や手足が転がり、酷く損壊した骸が並ぶ。

 

 アーロン一味の若い衆を殺戮し終え、ベアトリーゼは美貌を曇らせていた。

 退()()だったからだ。

 魚人の力は常人の10倍? 盛り過ぎだろ。ブレード抜きのハンデを付けても欠伸が出るっつの。

 

「テメェ……いったいなんだ? なんなんだ、テメェはッ!!」

 アーロンが顔から血の気を引かせながら、ベアトリーゼを睨み据えていた。

 

 その双眸にもはや種族至上主義の蔑みは無い。こんな圧倒的強者が突然に襲ってきたという理不尽に憤り、一方的に自分の王国が崩壊させられる不条理に困惑し、そして、かつての恐怖と屈辱を思い出していた。

 

 かつて――

 敬愛していたフィッシャー・タイガーが人間達の卑劣な罠によって死んだ時、尊敬するフィッシャー・タイガーが死に際に告白した“秘密”と悲愴な心情を知った時、アーロンは人間に対する憎悪と怨恨に染まり、復讐と報復を企てた。

 が、ボルサリーノと名乗った海軍本部中将に手も足も出せず敗北した。将官が悪魔の実の能力者だったという点を差し引いても、下等種族である人間に一矢報いることすら出来なかった。

 

 そんな屈辱と恐怖の過去を振り払うように、アーロンはベアトリーゼに猛り狂って吠える。

「なんでテメェみてェな奴が、東の海に居やがるんだっ!!」

 

「おいおいおい……勘弁してよ」

 アーロンにとっての理不尽の権化は、両手から返り血を払い落としながらアーロンと生き残っている幹部二人――クロオビとチュウを順に見回し、気だるげに息を吐く。

「お前ら、“あの”フィッシャー・タイガーの船に乗ってたんだろう? 世界政府に喧嘩を売った悪名高きタイヨウの海賊団だった奴らが、この程度のことで泣き言抜かすなよ。ただでさえ退屈なのに、興が醒めちまう」

 

 ベアトリーゼの悪罵に、アーロンの双眸が吊り上がる。大きな拳をみしみしと握りしめ、牙を軋ませた。

「人間が……下等で卑劣で下劣なテメェら人間が……! タイの大アニキを裏切り、騙し、殺したお前ら人間が……()()()大英雄を語るんじゃねえっ!!!!」

 

 クロオビとチュウも目の色を変えていた。

 2人にしても、亡きフィッシャー・タイガーは今も敬慕する大英雄。その名を持ち出されて貶められたなら、たとえ命を落とそうとも雪がねばならない。

 

「アーロンさん」クロオビが魚人空手の構えを取り「俺とチュウが奴の隙を作る」

「あのバケモノ女を仕留めてくれ」チュウも腹を括り「あんたさえ生きてりゃあ、海賊団は復活できるからな……チュ♥」

 

「……ああ。分かった」

 アーロンも2人の覚悟を受け取った。もはや犠牲無しに眼前の女を殺せないことは理解している。

「あのクソ女を殺す。そのために死ね」

 

 ベアトリーゼは悠然と構えを取りつつ、さて、と思案する。

 ナミちゃんの麦わら一味入りの件と原作の魚人島編とか、いろいろ絡みがあるし、革命軍との“契約”通り、ぶちのめして済ませるか。有象無象は殺しちまったけど、元タイヨウの海賊団だった三人を生かしてあるし、問題ないっしょ。

「作戦会議は終わった?」

 

「ほざけっ!! 魚人空手奥義っ! 千枚瓦正拳ッ!!」

「くらえ、水大砲っ!!」

 クロオビの放った強烈な衝撃波と、チュウの放った高速の大水球がベアトリーゼを襲う。

 

 砕け吹き飛ぶ敷地と瓦礫。飛散する骸と土砂。

 常人ならば挽肉同然に破壊されただろう。しかし、ベアトリーゼは常人ではない。豪快な両者の攻撃を容易く掻い潜って肉薄し、

「まず一匹」

 反応が追いつかないチュウの無防備な右脇に、漆黒の拳を叩き込む。

 

 武装色の覇気をまとった一撃はチュウの右肋骨を破砕し、右肺を破裂させ、肝臓に一部損傷を与えた。スイッチを切るように意識を刈り取る。

 

「二匹め」

 返す刀でクロオビを仕留めようと図るが、仮にも武術を修めるクロオビはベアトリーゼの予測より少しだけ対応が早い。

「イトマキ組手ッ!!」

 迫る漆黒の拳に備え、硬いヒレの生えた両腕を交差させて十字受けの構えを取りつつ、長い後ろ髪を鞭のように走らせてベアトリーゼへ巻き付ける。

 

 直後。ベアトリーゼの一撃がクロオビを襲う。

 十字受けの構えを取る両腕へ真正面から叩き込まれた漆黒の拳が、クロオビの両腕をボール紙の如くひしゃげ潰し、その衝撃をクロオビの胸部から体幹の真芯まで貫徹させる。両腕の開放複雑骨折、両腕の筋肉圧潰、胸骨骨折、両肺と心臓に高負荷が掛かり、脊椎に達した衝撃に全神経系が麻痺。クロオビは吐血と共に意識を手放した。

 

 が、クロオビの後ろ髪を巻き付けられていたベアトリーゼは、倒れ込むクロオビ――身長250センチ越えの錘――に姿勢を崩される。

 

 チュウとクロオビが命を削って作った間隙を突き、アーロンが必殺の大技を放つ。

(シャーク)・ON・DARTS!!」

 

 ノコギリザメを思わせる鋭く硬く尖った鼻を鏃とした超高速飛び込み体当たり。高い運動エネルギーを持った身長260センチ強の筋骨隆々の体躯――質量はそれ自体が殺傷力を持つ。加えて、ノコギリザメの魚人が持つ超硬の鼻鏃は、人間の肉体など破壊できる。まさしく”必殺”技だ。

 

「くたばりやがれ、クソ女っ!!」

“ノコギリ”アーロンの咆哮と共に迫る、必殺の一撃。

 

 ベアトリーゼは凶暴な冷笑を湛え、クロオビの後ろ髪を一瞬で引き千切るやいなや、迫るアーロンへ向かって真っすぐに跳躍。バレリーナの如く体躯をしなやかに捻り込み、漆黒に染まった右膝を放つ。

 

 アーロンの鼻鏃がベアトリーゼの右太腿をかすめ潜水服と肌を裂く(きわ)、ベアトリーゼの右膝がアーロンの口元に着弾し――

 

 ずどぉんっ!!

 

 落雷染みた轟音がつんざき、アーロンの巨躯が地面に叩きつけられた直後、ゴムボールみたく跳ね上がり、城の中腹――『ARLONG PARK』と書かれた辺りに激突、磔のように壁へ身が埋まった。

 

 一般の格闘技でも膝のカウンターは即失神KOを招く。ましてや、アーロンは大速度を乗せていた分、カウンターの威力は凄まじいものがあった。上下歯列と顎部の完全破砕骨折。超硬の鼻も大きく折れ曲がり、頬骨と眼底も割れ砕け、頸骨損傷を被り、脳神経系を打ちのめす衝撃に意識を完全に失っていた。

 

「やっべ。綺麗に入り過ぎた。生きてっかな」

 ベアトリーゼは身を起こし、城の外壁に埋まるアーロンを見上げた。

 

 そこへ、

「アーロンがっ!!」「他の魚人共も全滅してるぞっ!!」「信じられん、本当にアーロン一味が倒されて……」

 戦闘の余波で倒壊していた側門に、人だかりが出来ていた。誰も彼もが目を真ん丸にし、眼前の光景を受け止めきれずにいた。

 

 そんな中、蜜柑色のショートヘアの美少女が敷地内を進み、城の外壁に埋まって白目を剥いているアーロンを見上げ――

「ざまぁないわね、アーロン」

 ぽとり、ぽとり、と大粒の涙をこぼし始めた。

 

 ナミは橙色の双眸からボロボロと泣きながら、アーロンに向かって力の限り罵倒を浴びせる。

「お前の王国も、お前の野望も、お前の夢も、全部、全部、ぶっ潰してやったわっ! ざまあみなさいよっ!! 下等種族とバカにしていた人間に全部潰されて、全部台無しにされてっ! 6年、あの日から6年、この日を待ってたわっ! いい気味よっ! ざまあみろっ!!」

 

「もういいっ! よせ、ナミ! もういいんだっ!」

 ゲンさんがナミに駆け寄り、抱き寄せて罵倒を打ち切らせた。ノジコも駆け寄り、泣きながらナミに抱き着いた。

 ナミの悲愴な絶叫と号泣に釣られ、村民達も大粒の涙を流して嗚咽をこぼす。

 苦難と屈辱の終焉、自由の奪還。恐怖支配からの解放。しかし、原作にてルフィ達がアーロン一味を倒した時のような歓声は生じない。

 

 そんなココヤシ村御一同を余所に、

「武装色の硬化が甘かったか。こりゃ縫うかなんかしなきゃ――」

 ベアトリーゼが右太腿の傷を確認していた時。

 反射的に暗紫色の双眸を水路に向け、同時に見聞色の覇気を放つ。

 

 二つ。いや、三つ。速いっ!

「全員下がれっ!」

 ベアトリーゼが声を張り上げた直後、水路の水面が爆ぜ、三つの黒い影がナミ達へ迫る。

 

「え」

 突然の事態にナミ達は反応できない。ベアトリーゼがプルプルの実を発動、足元を起爆させてロケットのように駆けるも、影の一つがベアトリーゼの急進を阻む。

 

 アーロン一味相手の時みたいな手抜きはしない。ベアトリーゼは影に向かって武装色の覇気に加え、高周波を宿した必殺の右拳を放つ。

 しかし、影は長い腕を走らせてベアトリーゼの右肩付け根を打ち、拳を間合いの外へ押し出した。

 

 今のは――っ!?

 リーチ差によって必殺の拳を空振りにさせられ、ベアトリーゼは邀撃の機を逃し、

「ベアトリーゼっ!?」「な、なんだ貴様らは!?」「ちょっと、なんなのよっ!?」

 ナミ達が二つの黒い影に確保され、首に刃物を当てられていた。

 

 大きく舌打ちし、ベアトリーゼは黒い影達を窺う。

 奇怪(ガッポイ)な面のマスクに全身黒づくめの長身。肘や背中から覗くヒレ。ラドー島でやり合った“抗う者達”の人造人間(モッズ)と全く同じだ。

 

 ここでイレギュラーかよ。ベアトリーゼは双眸を大きく吊り上げた。

「目的は?」

 

 モッズの一体が城の壁に埋まるアーロンを指差し、次いで倒れ伏しているチュウとクロオビを指す。

「奴らをくれてやれば、この村の連中に手出しはしない?」

 ベアトリーゼの詰問にモッズの一体がグッと親指を立てた。その回答はフランク過ぎない?

 

 動揺している村民達と人質に取られたナミ達を一瞥し、ベアトリーゼは大きく息を吐いて戦意を抜く。パッと両手を挙げた。

「分かった。連れてけよ」

 

「ベアトリーゼ、どういうことっ!? こいつら何なのっ!?」

 困惑を浮かべるナミへ、ベアトリーゼはしれっと答えた。

「んー、前に話した私とドクトル絡みの面倒かな。巻き込んじゃった。ごめーん」

 

「ごめーん。じゃないわよっ!」

 激しく苛立ち、ナミは自分達に刃を向けているモッズ達にも怒鳴った。

「あんた達、アーロン達をどうする気なのっ!? 別に殺したって構やしないけど、この村と皆に害を及ぼす気なら、ぶっ飛ばすわよっ! ベアトリーゼがっ!!」

「ナミ、刺激するようなことは」

「ゲンさんは黙っててっ!」

 流石は後にビッグ・マム海賊団に捕縛された際、『シャワーを浴びさせて!』と吠えた女。気が半端なく強い。

 

 モッズ達は呆れたように顔を見合わせつつ、一体のモッズがテキパキとアーロン達を回収し、背中のバッグから運搬用らしい大きな袋へ三人を押し込む。

 

 ベアトリーゼ達を牽制しつつ作業を済ませ、モッズ達は運搬袋を担いで水路に飛び込んでいく。最後の一体がナミとベアトリーゼに手を振り、水路へ飛び込む。

 

 憤懣やるかたないナミは、足元の瓦礫片を拾って投げつけた。

「ふざけんな―――――――っ!!」

 

 モッズ達が去っていった水路を一瞥して鼻息をつき、ベアトリーゼは密やかに歯ぎしりする。

「漁夫の利ってか? 舐めた真似しやがって……」

 




Tips

アーロン
 原作キャラ。
 後の魚人島編で語られた過去話などから『賞金額2000万はおかしくね?』という意見があり、ネズミ大佐の隠蔽工作等によって賞金額が抑えられていた、と考察があるとかないとか。
 オリ主の登場で割を食わされた人。

クロオビ&チュウ。
 原作キャラ。
 前述の魚人島編の過去話にも登場している。実はベテランの戦士。懸賞金安すぎでは?

ハチ
 原作キャラ。
 この人も実は歴戦の剣士。
 幸運にもオリ主と直接対決せずに済んだ人。もっとも、今後の彼がどうなるかは不明。

ナミ
 宿願の復讐を遂げた。その心情は余人に計り知れない。

ノジコ、ゲンさん、ココヤシ村の皆さん。
 ナミの様子に曇らさせられた。

モッズ
 オリキャラ
 ”抗う者達”が開発した人造人間の魚人型。

ベアトリーゼ
 狩りの仕上げを邪魔されてオコ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

74:次はグランドラインで。

佐藤東沙さん、3n19m4さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。 


 諸々の後始末をココヤシ村の人々に委ねた後、ベアトリーゼ達はベルメール家の母屋へ移っていた。

 

 ベアトリーゼは潜水服を脱ぎ、スポブラ&ショーツ姿になって、アーロンに裂かれた右腿の傷を手当てしている。ゲンさんがあられもない姿のベアトリーゼを前に、目のやり場に困っているが、女達は誰も気にしてない。

 

「医者にやって貰った方が良いんじゃない?」

「このくらいなら自分でやれるよ」

 ナミの真っ当な意見に小さく肩を竦め、ベアトリーゼは傷口を丁寧に洗浄。ピンセットで創傷部から繊維などの異物を全て取り除く。局部麻酔の注射を打ってからチクチクと傷を縫い塞ぎ、抗生剤を注射する。包帯をぐるぐる巻く。

 

「手慣れてるな」とゲンさんが目のやり場に困りつつ指摘すると。

「生傷の絶えない生まれ育ちだったし、軍隊で救急処置も教わった。あとはまあ、そうそう医者に掛かれないお尋ねもんだからね」

 ベアトリーゼは右腿部分が裂けた潜水服を手にし、しかめ面を作った。

「けっこうデカく裂けたな。この村で補修生地が手に入るかしら」

 

「潜水用の布地となると難しいかもね……てっ! そーじゃないでしょっ!」

 ナミが身振り手振りを加えつつ、眉目を吊り上げた。

「あの黒ずくめ共はなんなのよっ!」

 そうだそうだと言いたげに、ノジコとゲンさんも険しい目つきを向けてくる。

 

「まあ、聞きたいって言うなら説明するけど、楽しい話でもないよ」

 ベアトリーゼはノジコの用意した酒を口に運び、語り始める。

 

 世界政府を完全に解体し、世界を混沌と闘争に引きずり込み、その先に自然発生する均衡を夢見る集団の話を。

 

 話を聞き終えたナミは『フンッ!』と大きく鼻を鳴らした。

「“抗う者達”? そいつら、バカねっ!」

 ナミに掛かれば、世界政府も警戒する秘密結社も形無しである。

「そのバカ共はアーロン達を連れてってどうする気なの?」

 

 ベアトリーゼは空になったグラスをノジコに向けてお代わりをせがみつつ「多分、モッズの素体かサンプル取りかな」

「モッズ?」グラスへ酒を注ぎながら怪訝顔を返すノジコ。

「人為的に造り出して改造した人間兵器」

「にわかに信じられん」ゲンさんは腕組みして唸り「そんなものが本当に存在するのか?」

 

「北の海には複製人間を実用化した傭兵国家があるし、グランドラインには自分の体を機械化した奴もいる。高名なるドクター・ベガパンクも生命科学でいくつも発明してる。この世界は割とかなりイカレてるんだよ、駐在さん」

 ベアトリーゼの説明に、ナミの脳裏に心当たりがよぎった。

「あんたが警護していたあのイカレ学者も」

 

「そーいうこと」ベアトリーゼが首肯を返せば、

「やっぱりロクデナシだったのね、あのジジイ」

 ナミは忌々しげに吐き捨て、額を押さえて大きく息を吐く。

「どちらにせよ、アーロン達は碌な目に遭わなそうね」

 ノジコとゲンさんもどこか憂鬱な面差しで嘆息した。根が善人である彼らは仇敵とはいえ、惨い末路を喜ばないのだろう。

 

 治療したばかりなのにグビグビと酒を飲むベアトリーゼへ、ナミは気を取り直して尋ねた。

「あんたはこれからどうするの?」

 

「潜水服を直し次第、あいつらを追いかける」

 ベアトリーゼはグラスの縁を撫でながら即答。手つきがなんかエロい。

「私は受けた仕事はしっかりやり遂げる凄腕美人なんでね。アーロン達をぶっ殺すなり、海軍に引き渡すなり、きっちりカタをつける」

 

 冗談めかしているけれど、物憂げな美貌に浮かぶ翳は冷酷そのものだった。グラスの酒を飲み干し、ベアトリーゼはナミに目を向け、ニヤリ。

「だから、約束していた報酬の払いは無しで良い。代わりに、潜水服を直すまで宿と飯の面倒を見てよ」

 

 ナミはノジコの首肯を確認してから頷いて「あんたがそれで良いなら」

「契約成立だ」ベアトリーゼは再びノジコへお代わりを要求しつつ「それで、ナミちゃんはこれからどーするの?」

 

 ノジコとゲンさんからも目線を浴びる。が、ナミはとっさに答えられない。

 ナミには夢がある。航海士として世界中の海を見て回り、自分だけの世界地図を描き上げる。かつて母の前で語った夢だ。アーロン一味に奪われ、そして、取り返した夢だ。

 

 でも、どうしてだろう。夢を取り戻し、自由になったのに、今の胸中には復讐と奪還を為し終えた疲弊感があるだけ。『海へ出る』という言葉が出てこなかった。

 

 そんなナミの胸中を知ってか知らずか、ベアトリーゼがグラスを呷ってから、進言する。

「まあ、今は少し様子を見た方が良いと思う」

 

「どういう意味?」と眉をひそめて訝るナミへ、

「悪党ってのは鼻が利くからね。アーロン一味に代わってここらを牛耳ろうと、新しいカスが襲来するかも」

 

 ベアトリーゼは肴の蜜柑果汁の人参ピクルスを摘まむ。

「それに、グランドラインの大海賊団ならともかく……アーロン一味程度の賊が6年にも渡って諸島一つを完全に支配できていたってのも、かなり臭う。大方、海軍のクズを買収して誤魔化してたんだろ。そのクズがどう動くかもわからない」

 

「心当たりがあるわ」ナミが心底憎々しげに吐き捨てる。幾度かアーロンパークに出入りする海軍将校の姿を見たことがあった。

 

「何より、グランドラインを目指すなら、信頼できる仲間を見つけた方が良い」

 ぽりぽりとピクルスを齧りながら、ベアトリーゼは真剣に拝聴しているナミへ続ける。

「ああ、私についてくるつもりなら、ダメよ。ナミちゃんが私と一緒に旅するのは、ちっと無理だ」

 

「足手まといになるって言いたいの?」ナミが不満げに唇を尖らせた。

「そんなことないよ。オイコットで一緒に強盗した時は上手くやれたしね」

 ベアトリーゼのさらっと語った内容に、駐在のゲンさんが目を剥く。

「強盗だとっ!? どういうことだ、ナミッ!?」

 

「ギャング相手よ。堅気に迷惑かけてないわ」ツンと宣うナミ。

「海賊相手に泥棒やってたし、今更よね」苦笑をこぼすノジコ。

 

「ぐぬぬぬ」

 姉妹の保護者を自認する駐在が煩悶する中、ベアトリーゼは淡々と言葉を紡ぐ。

「私は必要なら男でも女でも老人でも子供でも妊婦でも殺せる。その私にとって“必要”な時を、ナミちゃんは受け入れられないでしょ」

 

「当然よ、ナミはそんなことしない」

「そんな外道な真似、ナミは絶対にせんっ!」

 ナミに代わり、姉と父同然の駐在が揃って即答。家族からの信頼の篤さへ面映ゆそうにしつつ、ナミも頷く。

 

 愛されてるね、とベアトリーゼは柔らかく微笑み、ナミへ諭すように語り掛けた。

「そう焦ることは無いよ。今はいろいろ心の整理が必要だろうし……ナミちゃんなら良い仲間と出会えるさ」

 

「何の根拠があって」

 戸惑い気味のナミに、ベアトリーゼは物憂げ顔を悪戯っぽく和らげた。

「予感がするんだよね。きっと、ナミちゃんは最高の仲間と出会って、命がいくつあっても足りないような大冒険をするって予感がさ」

 

「不吉な予言するんじゃないわよっ!!」とナミが眉目を吊り上げ、

「楽しそうでいいじゃない」とノジコが笑い、

「そんな危険な旅にナミを行かせられるかっ」ゲンさんが渋面を浮かべる。

 

 三人のやり取りを見つめ、ベアトリーゼはくすくすと笑い、酒を呷った。

 ――この”忠告”で少しでも麦わらの一味入りが確実になれば良いけど。

 

 

     〇

 

 グランドライン内、某所。

「無事に帰還できて何よりだ。サボ、コアラ」

 革命軍総司令官ドラゴンに迎えられ、サボは申し訳なさそうに、コアラはどこか哀しそうに顔を曇らせた。

 

「大口叩いておきながら失敗してしまって……言葉もないです」

 サボはベアトリーゼによって味わった敗北を思い出し、痛悔の拳を握り締めた。

 

 ドラゴンはサボへ励ましの言葉を掛ける。

「強者と戦い、生き延びた。その体験から学べることは多い。糧にして活かせよ、サボ」

「はい……っ!」

 火傷顔の青年は失敗と敗北を引きずっていない。この経験がサボをより強く、より賢くするだろう。問題は……

「コアラ。話はハックから聞いている。いろいろ思うところがあるだろう」

 

「ドラゴンさん……」

 今にも泣きそうな顔を返すコアラの肩へ手を置き、ドラゴンは幾分威容を和らげる。

「人間と魚人の隔たりは大きい。奴隷解放の英雄フィッシャー・タイガーの仲間にも、そういう者が居た。辛く悲しい現実だが、だからこそ事実から目を背けず乗り越えろ、コアラ。強くあれ」

 

「……はいっ!」

 コアラは目元を拭い、力強く頷く。

 

 父親の如く歳若い2人を激励した後、ドラゴンは革命軍総司令官の顔に戻り、2人から改めて報告を受け、失敗に終わった作戦のデブリーフィングを行う。

 

 フラウス王国での戦闘とその後の顛末を説明した後、

「最後に血浴のベアトリーゼですが……」

 サボは少し考え込み、言った。

「改めて気付きました。俺達は彼女について、ほとんど知らない。なんらかの能力者で覇気使い。西の海の危険な蛮地出身、ニコ・ロビンの元相棒。政府と海軍を酷く嫌悪している。これだけだ。精確な出自、悪魔の実の能力、交友関係やコネクション、それに、あの戦闘技術。何も分かってない」

 

「私……ベアトリーゼさんと対峙したら、魚人空手の技が一切使えなくなりました」

 コアラは自分の手を見つめる。

「周囲の水分がまったく制御できなくなったんです。多分、悪魔の実の力だと思うんですけど、どうやったのか、何が起きたのか、私には分かりませんでした」

 

 むぅ、とハックが眉間に深い皺を刻んで唸る。周囲の水を制することが魚人空手の神髄。それを完全に封じられたとあっては、ただ事ではなかろう。

 

 サボは会議に出席している全員を見回し、考えを述べる。

「やはり俺達にリベットとベアトリーゼの情報が入ったこと自体、罠だった。これは間違いない。ただ罠の方向性は俺達を潰す目的じゃなく、リベットとベアトリーゼを押さえることに利用された、そう思う」

 

「……情報管制官(ギルテオ)。情報源の方は洗えたか?」

 ドラゴンが動物を象った帽子を被る髭面男へ水を向ける。も、情報管制官テリー・ギルテオは首を横に振る。

「いくつかの筋から洗ってみたが、どれもある程度辿ると手がかりが途絶えてしまう。これは明確に情報戦の手口だ」

 

「情報戦というと、サイファー・ポールのような……か?」

「どうかな。これは近年のサイファー・ポールらしからぬ、非常に緻密な情報工作だ」

 ギルテオは淡々と説明する。

 

 大海賊時代の到来以降、サイファー・ポールは従来の諜報的手法から、暗殺や破壊工作などの直接的攻撃が主流になり、情報収集能力や情報戦能力が低下していた。

 

 代わって、諜報の世界で台頭している勢力は、闇社会のフィクサーやジャグマーカー、加盟国が独自に持つ諜報機関だった。ただし、彼らは主に利権や金を巡る戦場で暗躍している。

 

「”血浴”は見方を変えれば、フリーランスの“個人事業主”だ。どことつながりを持っていてもおかしくない」

 ギルテオが話を終えると、ドラゴンが顎先を弄りながら呟く。

「……今一度、機会が欲しいな」

 

「その目的は?」サボが興味深そうに食いついた。

「情報だ。サボ、仮に彼女がこの世界の秘密や謎に踏み込んだ存在なら……その価値は極めて高い。同志になれずとも協力関係、せめて情報のやり取りが叶う関係を構築しておきたい」

 

「一筋縄ではいかなそうですけどね。とんだ曲者ですよ、あの女は」

 サボは腰を上げて、パシンと手を打つ。

「俺、鍛錬に行ってきます。今度会ったらふん縛ってやる」

「私も付き合う」コアラも立ち上がり、ぎゅっと拳を握り込み「次はあんな簡単にやられたりしない……っ」

 

 会議室を出ていくサボとコアラを見送り、ハックはドラゴンへ不敵な笑みを向けた。

「作戦は失敗だったが、良い薬になったようだ。2人とも一層強くなるぞ」

 

「それだけでも送り出した意味はあったな」

 ドラゴンも満足げに頷きつつ、表情を引き締めた。

 ギルテオの見解には何も言わなかったが、かつて世界を旅して回り、世界の表裏と正邪を見分して回ったドラゴンには、心当たりがあった。

 

 歴史の闇に潜み続けている者達。

 いずれ、彼らと“再び”接触を持たねばなるまい。

 

     〇

 

 結論から言ってしまえば、ベアトリーゼは数週間ほどココヤシ村に逗留した。

 片田舎のコノミ諸島で潜水服用生地を調達することは思いの外時間が掛かったのだ。

 

 この間、ベアトリーゼはこっそりステューシーと連絡を取ったり、アーロンパークの解体作業を手伝ったり。ココヤシ村付近にアナクロな防犯システムを構築したり。

 

 ナミにコノミ諸島や周辺を案内させてあれこれ買い物したり、食べ歩きしたり。

 蜜柑畑の世話を手伝ったり、蜜柑を使った商品開発をしたり。

 近所のガキ共の相手をしたり、土地の爺さん婆さんに気に入られて息子や孫の嫁にと言われたり。

 アーロン一味の壊滅に伴って空白状態となったコノミ諸島を狙い、胡乱な海賊がやってきたら、暇潰しに魚の餌へしたり。

 

 そして、ようやっと潜水服の修復が終わり、出立の準備が整ったところで、ネズミとかいう海軍大佐がやってきた。

 ネズミ大佐は解体中のアーロンパークを唖然と見つめ、金がどうのこうのと喚き出し、部下達に住民達へ向かって得物を抜かせ――

 

 ベアトリーゼにぶっ潰された。

 部下の大半は死に、少数の生き残りは一生不具に苦しむ体になり、ネズミ大佐自身は催眠音波攻撃で自我崩壊するほどの恐怖を刻みこまれた。

 

 ココヤシ村の小さな船着き場。ベアトリーゼは見送りに来たナミ達へしれっと語る。

「ネズミ大佐とその部下達の自己犠牲的勇戦により、ココヤシ村に潜伏していた凶悪犯血浴のベアトリーゼを撃退。村は解放されました。ネズミ大佐達は英雄です。そんな風に報告しといて」

 

「それで良いのか?」ゲンさんが厳めしい顔をさらにしかめる。

「罪状が増えたところで、今さら何も変わりゃしないよ。へーきへーき」

 ベアトリーゼはあっけらかんと笑い飛ばし、寂しげに美貌を曇らせているナミへ柔らかな微笑を向ける。

「そんな顔しないの。いずれまた会えるよ」

 

「またテキトーなこと言って」

 ナミはぼやいてから大きく息を吐き、

「ベアトリーゼ、いろいろありがとう……またいつか」

 ぎゅっと野蛮人を強くハグした。

 

「次会う時はグランドラインで」

 ベアトリーゼは旅荷物を積んだスーパートビウオライダーに跨り、ヘルメットを被ってから三人へ投げキッスを送って、化け物トビウオを勢いよく発進させた。

 

 瞬く間に小さくなっていくベアトリーゼの背を見送り、ゲンさんが溜息をこぼす。

「嵐のような女だったな……」

 

 ベアトリーゼの姿が消えた水平線を見つめ、ナミは熱を宿した目元を擦った。

「私もグランドラインを目指す。最高の仲間を見つけて、命がいくつあっても足りない大冒険をする」

 

「……だと思った」

 ノジコは慈しむように妹の頭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時流れて――

 東の海、オレンジの町。

 

 住民が避難した街は閑散としていた。対照的に広場の辺りでは、略奪を終えた海賊達がバカ騒ぎしている。

 

 ナミは宴の喧騒から離れ、げんなり顔で無人の市街を散歩していた。

「今回も大外れだったわね……」

 

 故郷を離れ、グランドライン入りを目指して仲間を探してはいたものの。出会う連中はどいつもこいつもロクデナシかクソッタレか、みみっちい小悪党ときた。

 ロクデナシはこっちからお断りだし、クソッタレは御免被るし、みみっちい小悪党はお呼びじゃない。

 

 この一年半の旅で、ナミは思い知った。

 海賊を盗みの獲物としてではなく、仲間になることを前提にして見た場合……本当に、マジで、呆れるほどに、どうしようもない連中ばかりだと。

 

 此度、航海術と鍵開けテクを披露し、入団を認められたバギー海賊団にしても……

 船長の”道化”のバギーを筆頭にノータリン、パープリン、アッパラパーばかり。

 

 今回もハズレかぁ。グランドラインの海図を持ってるっていうから期待したんだけど……あれじゃあねえ……

 ナミは思わず嘆息を吐いた。

 

 その刹那。

「ぅひゃぁぁあああああああああああああああああああっ!?」

 びった――んッ!!

 空から麦わら帽子を被った少年が落ちてきて、地面に叩きつけられる。

 ナミが唖然としながら上空を見上げれば、悠然と去っていく巨鳥。信じがたいことだが、この少年はどうやら巨鳥に棄てられたらしい。

 

「ええ……そんなことってある……?」

 現実に起きとるやろがい。

 

 ドン引きしつつ、ナミはうつ伏せに倒れている少年へ近づき、

「? ? ? なんで血が流れてないの? まさか……生きてる?」

 腰を引かせたまま恐る恐る突いてみる。

 

 不意に、麦わら帽子の少年がぐりんとナミへ顔を向けた。

 

「ひょえっ!?」

 ナミが美少女に相応しくない吃驚を上げて尻もちをつく。

 と、少年の腹から下水管が詰まったような音が響き渡り、少年は呻くように呟く。

「腹……減った……」

 

 この時、ナミは欠片も想像もしなかった。

 今、自分が最高の仲間と出会ったということを。

 




Tips

ナミ
 アーロン一味壊滅後、燃え尽き症候群気味。
 原作と違い、グランドラインを目指す仲間を求めて東の海を巡ることに。

サボ&コアラ
 再びベアトリーゼとまみえたなら、今度こそ……!

ドラゴン
 改めてベアトリーゼの厄介さに溜息。

テリー・ギルテオ
 原作キャラ、革命軍の情報管制官。ただし、原作においても超脇役のため、キャラ性がほとんど不明なので、本作ではほぼオリキャラ状態。

ネズミ大佐。
 ナレーションで退場してしまった。別に可哀そうでもない。


ナミと麦わらの少年との出会い。
 作者が日和った。いや、これもルフィの運命力。
 ただし、既にアーロンパークが壊滅しているため、彼らの東の海での冒険は大きく変わる。



ナミ編:終結。
連続更新も一旦ここまで。次回更新はちょっと間が空きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

75:海のレストラン。砂漠のレストラン。

閑話回。

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 お魚さんを模した船首と船尾を持つ特徴的な帆船の名は『バラティエ』。

 海賊の跋扈するこの御時世では珍しい、海上レストランだ。

 

「いらっしゃいませイカ野郎」

 坊主頭の筋骨隆々の男が喧嘩を売るような挨拶で迎え、

 

「マダムのようなお美しい方に御来店いただき、とても光栄です」

 給仕を兼ねる副料理長のグルグル眉毛金髪少年が、亭主の前で堂々と女房へ色目を向け、

 

「テメェバカ野郎ッ! こんなブイヨンが使えるかっ! 作り直しやがれっ!」

 厨房からオーナー兼料理長の怒号と共に蹴り飛ばす音が響く。

 

 そんなけったいな海上レストラン『バラティエ』の厨房で、唯一の魚人料理人が三対の腕でせっせと皿を洗ったり、食材の仕込みをしたりしている。

 

「おう、はっちゃんッ! その皿を洗い終わったら、オメェも賄いを食えっ!」

「にゅっ! 分かったっ!」

 元気よく返事をするタコの魚人、彼の名は元魚人海賊団アーロン一味幹部のはっちゃん、またの名をハチ。

 彼は今、海上レストランで下働きをしていた。

 

 数カ月前、ハチは謎の爆発による衝撃波の水中伝播で失神し、意識を取り戻した時にはアーロン一味が壊滅していたことを知った。これにはハチもびっくり仰天。

 

 これがアーロン自身ならば、怒り狂ってコノミ諸島に乗り込んで大暴れしたところだろう。しかし、ハチは元々あまり種族差別意識を持たず、人間にも隔意がない。ハチが人間憎しのアーロンに与した理由にしても、幼馴染のクロオビについていっただけのこと。

 一味が壊滅して突然、一人ぼっちになってしまったハチとしては、東の海に留まる理由もない。

 仕方なしに故郷(くに)の魚人島へ帰ろうと決めた……その道中。

 

 ハチは良い匂いを放つ不可解な船を発見した。

 好奇心から近づいたところ、なんと海上レストランらしい。

 

 ハチはやはり好奇心のままに入店してみた。

 大半の客は魚人自体を目にする機会が乏しい東の海の人間だけに『ほえー、なんじゃありゃあ』と目を瞬かせていただけだったが、客の一人が露骨に顔をしかめた。

「魚人っ!? なぜこんなところにっ! おい、ウェイターっ! この気色悪い魚野郎をとっとと追い出せっ!」

 

 グランドライン内で聞き慣れた罵倒と侮蔑、嫌悪と差別の眼差し。東の海に長く居て久しく忘れていた魚人差別が実感として蘇り、ハチの顔が大きく曇る。

 

 給仕をしていたグルグル眉毛の金髪少年は苦情を訴えた客を一瞥し、ハチへ気さくに尋ねる。

「あんた、腹減ってんのか? 金は持ってるかい?」

 

「にゅ? あ、ああ。腹減ってる。金も、少しなら」

 てっきり追い出されると思っていたハチは目をパチクリ。

 グル眉金髪少年は小さく頷き、空いている席を示した。

「なら、そこに座んな。有り金で払える分の飯を作ってやるよ」

 

「おいっ! 何してんだウェイターッ!! そいつは魚人だぞっ!!」

 ハチを追い出せと言い出した客が腰を上げて喚き散らすも、グル眉金髪少年は煙草をくわえて火を点け、紫煙を燻らせながら宣う。

「魚人だろうが人魚だろうが……いや、人魚ならむしろ大歓迎だ。是非来店して欲しい……ともかく誰であれ、飯を食いに来た奴はこの店の客だ」

 

「な……っ!? 下っ端では話にならんっ! オーナーを呼べっ! オーナーをっ!」

 客がぎゃーぎゃーと喚きだすと、厨房からえらく長いコック帽を被った義足の老人が不機嫌顔で現れ、

「チビナスッ! 何の騒ぎだっ! また客の女に粉掛けやがったのかっ!?」

「俺じゃねえよ、クソジジイ。そのヤローが魚人(この)の客に文句垂れてんだ」

「あぁ?」

 グル眉金髪少年の説明を聞き、ハチをぎろりと睨みつける。

 

 罵声を浴びるのではないか、とハチが思わず首を竦めた。が、オーナーらしい義足の老人は、肩透かしを食ったように鼻を鳴らすだけだった。

「魚人か。イーストじゃ珍しいが……そいつがどうした? 暴れてるわけでもなし、何も問題ねェだろ。何だってんだ」

 

「な、何を言ってるんだっ! 魚人だぞっ! そんな薄気味悪い奴、さっさと追い出せっ!」

 客が義足の老人に向かって怒鳴れば、

「あぁ?」

 老人はビキビキと額に青筋を走らせ、

「ここぁ俺の店だっ! 俺が入店を認めた客を、テメェに追い出せと言われる筋合いはねェッ!! 気に入らねェなら、テメェが出ていきやがれっ!!」

「な―――ぎゃあああああああああああああああっ!?」

 義足を一閃。件の客を文字通り店外へ蹴りだした。

 

 正面扉ごと吹っ飛んだ客が店外で着水する音が響き、唖然としているハチと周囲の客を余所に、グル眉金髪少年が呆れ顔で煙草を吹かす。

「あーあ、またドアをぶっ壊しちまった。それに、食い逃げさせちまって……加減しろよ、クソジジイ」

 

「うるせえ、チビナスッ!! 扉はテメェが直しとけっ! まったく、くだらねェことで騒ぎやがって……っ!」

 老人は義足を鳴らしながら、厨房へ戻っていった。

 

「というわけだ。安心して飯食ってけよ」

 グル眉金髪少年は困惑しまくりのハチへ座るよう促し、目を点にしている客達へニコッと笑う。

「今のはバラティエ名物の余興です。引き続き、お食事をお楽しみください」

 どんな名物やねん。

 

 ともあれ、ハチは食事をする前から『バラティエ』がすっかり気に入ってしまった。

 料理は滅茶苦茶美味かったし、料理人達も面白い人間ばかりだった。

 

 手透きになったグル眉金髪少年――サンジと名乗った副料理長が『人魚って見たことあるか? 美人ばかりなんだろ?』と興味津々に話しかけてきた(なお、ハチが人魚の話を始めたら厨房からコック達も話を聞きにやってきた)。

 

 話が盛り上がり、ハチが『子供の頃、たこ焼き屋になるのが夢だった』と語れば、お調子者が『この店で修業しちゃあどうよ』と言い出して。

 

『たこ焼き屋がレストランで修行する必要ねえだろ?』『料理と客商売の勉強にゃなるべよ』『皿洗いもまともに出来てねえ奴がよく言うぜ』『あんだぁ? テメェこそクソ不味い賄いばっか作りやがってよぉ、料理人が聞いて呆れらぁ』『表出ろコラァ!』

 とまあ、コック達が乱闘を始め……オーナー兼総料理長のゼフが『何を遊んでやがんだ、ボケ共!!』と全員を蹴り飛ばした(なお、ハチも巻き添え被害を食った模様)。

 

 結局、ハチはバラティエで働き始め、忙しくも楽しい日々を過ごしている。

 

 営業時間が終われば、ハチはたこ焼きの練習をし、

「外はカリカリ。中はふわとろ。タコの下処理も歯応えが丁度良い。しっかり腕を上げてるじゃねーか、ハチ」

 タコ焼きを試食したサンジがハチを褒める。

 

「にゅっ! そうかっ!!」

 嬉しそうに破顔するハチに、サンジは釘を刺す。

「でもまあ、ソースはまだまだ工夫が必要だな。たこ焼き本体の出来が良いだけに、ソースの弱さが目立ってるぞ」

 

「にゅ~それなんだよなあ。色々試しちゃあいるんだけど」

 ハチは眉間に深い皺を刻み、三対の腕を組んで唸る。

「伝説のタレが手に入ればなあ」

 

「? 伝説のタレ? なんだそりゃあ?」

 怪訝顔のサンジにハチが語る。

 この広い海のどこか、伝説のたこ焼き屋が残した幻のタレが眠るという……。

 

「いやいやいや、放置されたタレなんて、傷んでて使い物にならねェだろ」

 サンジがツッコミを入れるも、ハチは『分かってねえな』と言いたげに笑う。

「大丈夫。きっと激ウマ間違いなしだ。なんたって伝説のタレだからな!!」

 

 煙草に火を点し、サンジは煙を吐きつつ、うん、と小さく頷いてハチの話に納得する。

「……そうだよな。伝説ってのはそういうもんだ」

 サンジもまた伝説を信じているから。

 

       〇

 

 アラバスタ王国レインベース市。

 バロックワークスが資金洗浄のために経営しているレストラン『マタル・ラヒム』。

 

 豪奢な個室の中央にある卓の上に、御馳走が並んでいた。

 白身魚と野菜の塩レモングリル。肉団子のトマト煮込み。ハトの詰め物ロースト。素揚げ茄子のオーブン焼き。米と野菜のロールキャベツ。焼きたての無発酵パン。

 旱魃が続くアラバスタで生産量が激減しつつある国産ワイン。

 いずれも味だけでなく、見た目も素晴らしいアラバスタ料理だ。

 

 しかし、ビビは料理を楽しむ余裕がない。まぁ、料理を楽しめていない点ではミスター・9も大差ない。

 なんせミスター・9は睡眠薬入りのワインを飲まされ、卓に突っ伏していた。

 

 緊張で凍りついているビビとイビキを掻くミスター・9を余所に、卓の向かいに座る黒髪碧眼の美女は、上品かつ優雅な所作で料理を食べ進めている。

 

 不意に、黒髪碧眼の美女――バロックワークスのナンバー2、実質的に実働面での最高経営責任者であるミス・オールサンデーは、ビビに柔らかく微笑みかけた。

「食が進んでないようだけれど、舌に合わなかったかしら?」

 

「い、いえ……そんなことはありません」

 そう応じつつも、ビビの手は進まない。

 

 ビビは緊張と困惑でいっぱいだった。

 これは、どういう状況? 私の正体がバレている……そういうこと? でも、それならこの場にミスター・9を招く必要は無かったはずだし、わざわざ眠らせることもない。どういうつもりなの?

 

 疑問が頭の中でぐるぐると巡り回るビビへ、

「新任の下級幹部との懇親会。そういう体裁にしておかないと、こうして顔を合わせることが難しいでしょう」

 ミス・オールサンデーはワイングラスを手に言った。

「ねえ、“御姫様”?」

 

 ほとんど無意識の条件反射だった。ビビは椅子を蹴倒して立ち上がりながら、腰のパウチから戦輪の刃鞭を眼前の女へ向けて抜き打つ――はずだった。

 が、実際のビビは微動だに出来ない。気づけば、椅子の背もたれや床から生えた無数の腕に掴まれ、椅子に押さえつけられている。

 

「悪魔の実の……っ!」ビビが呻く。

 ミス・オールサンデーは手にしていたグラスを口に運び、神秘的な美貌に冷淡さを滲ませた。

「早合点しないで。貴女を害するつもりならとっくにしているわ」

 

「なら、どういうつもりっ!?」

 生殺与奪を奪われながらも、ビビは気丈に振る舞う。だが、体の震えはミス・オールサンデーにしっかりと伝わっている。

 

「貴女の目的は察しがつくし、そのこと自体に興味も関心もないわ。私が貴女に関心があるとすれば、一つだけ」

 背もたれから伸びた腕の一本がビビの胸元へ進み、首から下がるペンダントを摘まみ上げた。

()()ビーゼのこと」

 

「!?」

 ビビは目を見開き、正面に居る黒髪碧眼の美女を凝視する。以前会った時は分からなかったけれど、言われてみれば、手配書の少女の面影がある。でも、まさか――

「まさか、貴女が……貴女があの、『悪魔の子』ニコ・ロビンなの……っ!?」

 

 ミス・オールサンデーことニコ・ロビンは唇の両端を微かにあげ、ワイングラスを卓に置く。

「そうよ、御姫様。私はニコ・ロビン。二つ名は『悪魔の子』。懸賞金7900万ベリー。そして、血浴のベアトリーゼの相棒」

 

「貴女が……」

 ビビは唖然としてロビンを見つめ、新たな疑問――いや、猜疑に襲われる。

 

 ニコ・ロビンとベアトリーゼ。2人が親友の間柄であることは有名だ。それに、ベアトリーゼはビビに『親友自慢』を語って聞かせていた。

 であるなら――ニコ・ロビンがアラバスタ転覆を企てるバロックワークスの最高幹部だというなら……ベアトリーゼは? ベアトリーゼもまたバロックワークスの一員なのでは?

 

 彼女が私にどこまでも尽くしてくれた理由は、私を懐柔して騙すためだった?

 

 いえ、そんなはずない。

 私と彼女が初めて出会った頃、バロックワークスはまだアラバスタに手を伸ばしていなかった。それにあの時、既に彼女はニコ・ロビンと行動を別にしていた。だから、違う。ベアトリーゼさんは違う。

 

 私の友達の、悪い魔女さんは、私を騙したりしないっ!

 

「何か必死に考え込んでいるようだけれど」

 ニコ・ロビンが微苦笑をこぼす。

()()ビーゼの名誉のために言っておくわ。今、この国で起きていることと、ビーゼは完全に無関係よ。ビーゼは貴女を騙しても裏切ってもいない」

 

 その言葉にビビは心底安堵する。その一方で、新たな疑問が湧く。

「どうして、私とベアトリーゼさんのことを」

 

「私は調べものが得意なの。貴女とビーゼの出会いについても、ビーゼが貴女に命を救われたことに深く感謝していることも、よく知ってるわ」

 ロビンはビビを冷たく見つめ、

「本来なら、貴女の“使い途”はたくさんある。アラバスタ王の一人娘。ネフェルタリ家唯一の後継者。そして、若い女性ということ。だけど……」

 少しだけ首を傾げてこめかみを指で揉む。

 

「貴女には()()ビーゼを助けてくれた借りがあるし、ビーゼも“贈り物”をするほど、貴女を気に入っているようだから……そうね。バロックワークスの計画が完了するまでの間、貴女の好きにさせてあげるわ」

 その物言いを、ビビは軽侮と受け止めた。

 

「……ベアトリーゼさんは貴方のことをよく語ってくれたわ。自慢の親友だって。過酷な運命にも屈しない女性で、誰よりも賢くて、誰よりも強くて、優しい人だって。話を聞いて、私もそう思ってたわ。ベアトリーゼさんの友達なら、その通りなんだろうって」

 ビビはロビンへ向け滔々と語り、

「でも、ベアトリーゼさんの勘違いだったみたいね」

 唾を吐きかけるように言った。

「あんたは最低よ」

 

「気丈な子ね」

 ロビンはビビの挑発に乗らず、小さく息をつく。

 碧眼にどこか憐れみを湛えて。

 

 国を救おうと奔走するビビに、ロビンは幼い頃の自分を重ねていた。

 世界政府に殺されそうになっている師と母と同胞を、海軍に焼かれようとしている故郷を、何とかして救おうと奔走したあの日の自分を。

 

 自分は救えなかった。母も師も同胞達も故郷も。あまつさえ、自分達を救おうとした親友まで命を落としてしまった。

 

 この娘も自分と同じ運命を辿るだろう。

 

 “彼”は冷酷非情で冷徹無比だ。

 アラバスタを乗っ取る時、ネフェルタリ家を根切りにするはず。あるいは……国権奪取を正当化すべく、ネフェルタリ家の正当継承者ビビを妻にする可能性もあるかもしれない。

 いずれにせよ、ビビにとって幸福な未来はない。

 

 過酷な人生を歩みながらも決して損なわれなかった、ロビンの最も高貴で美しい心の部分が酷く痛む。

 自分を取り巻く全てを救おうと奔走する少女から、全てを奪い取ろうとしている自分を強く恥じる。

 

 同時に、ロビンは決して諦めない。

 必ず、ネフェルタリ家が秘蔵するポーネグリフを読み解く。母達が知る事ができなかった真実を得るために。そのためなら、この国とこの健気な少女を犠牲にする覚悟がある。

 

 ビーゼは私を非難するかしら。それとも、理解してくれるかしら。

 

 ロビンは自分を睨み据えている少女へ、告げた。

「……ビーゼが助けてくれると思っているなら、諦めなさい。あの子が来ても、この国を救うことは出来ない」

 

 どこか慰めるように、優しさすら感じられる声音で。

「ビーゼに出来ることがあるとすれば、それは貴女がこの国の滅びに巻き込まれないよう、助け出すこと。ビーゼは貴女や貴女の大切な人達を必ず救出するわ。自分の命を顧みずに」

 かつて自分を逃がすためにたった一人で海軍へ挑んだように。

「でも、それがビーゼの限界よ。貴女は救えても、この国は救えない」

 

 ビビは強く拳を握りしめ、

「……たとえ、あんたの言うことが全部正しくて、その通りになるとしても」

 ロビンを睨みつけながら宣言する。自身の全てを込めて。

「私が諦める理由にはならないっ! あんた達バロックワークスから、絶対にこの国を守ってみせるっ!!」

 

 ああ……ビーゼがこの子に肩入れするわけね。

 ゆっくりと深呼吸し、ロビンは腰を上げた。どこか羨むような微笑みをビビへ向け、

「健闘を祈るわ、御姫様」

 足音もなく部屋を出た。

 

 直後、ビビを拘束していた無数の腕が花弁となって散り消える。同じく、卓に突っ伏していたミスター・9がふがふがと呻きながら目を覚ました。

「ムゥ……あれ? 俺ぁいったい……」

 

「……飲み過ぎよ、ミスター・9。ミス・オールサンデーは退室されたわ」

 ビビは『ええ!? 俺ぁなんて粗相をしちまったんだぁ!?』と慌てふためくミスター・9を余所に、つい先ほどまでニコ・ロビンが座っていた空の席を仇敵のように睨む。

 

 あんたがベアトリーゼさんの親友だろうと、関係ない。

 この国を守るためなら。

 あんたもバロックワークスも……必ず倒してみせる。

 




Tips
バラティエ
 原作設定の海上レストラン。
 多様なギミックを持つ大型帆船。

はっちゃん。
 原作キャラ。
 はっちゃんが本名で、ハチがあだ名だったらしい。知らんかった。

サンジ
 原作キャラ。
 何の因果か、ハチと同僚に。

マタル・ラヒム
 オリ設定の店。名前はエジプト語で『慈雨』

ニコ・ロビン
 原作キャラ。
 ビビと対面中の心理描写は作者の解釈。異論は認める。

ビビ
 原作キャラ。
 ベアトリーゼの親友がバロックワークスの最高幹部だと知り、ショックを覚える。
 
 ※東の海から帰還した際、ミス・オールサンデーと出会った時に『ニコ・ロビンに似てる?』といった伏線を張り忘れていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作開始後
76:大きな物語の始まりの裏で


佐藤東沙さん、拾骨さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 東の海。ゴア王国ド辺境。フーシャ村。

 この日、恩人に託された麦わら帽子を被り、17歳の少年が小舟に乗って大海原に漕ぎ出した。

 少年の名はモンキー・D・ルフィ。

 この世界を揺らす“大きな物語”がついに動き始めたのだ。

 

      〇

 

 グランドライン前半“楽園”。“マーケット”の港湾市街地から外れた郊外。海岸沿いに並ぶ舟屋の一つ。

 舟用ガレージの天井から、小型の鯨並みにデカいトビウオがぶっといスリングベルトで懸架されている。いや、トビウオといって良いのか。

 なにせ、ほとんど生身の部分がない。

 

 各器官と臓器。血液。筋肉。骨格。皮膚。鱗。ヒレ。脳ミソと脊椎の一部を除いて全て人工物。今も鰓回りが取り外され、分解整備されていた。

 外された外装――皮膚と鱗も隣の部屋で塗装処理中。しかもカラーリングは赤と黒のヨシムラカラー。

 一緒に赤黒のヨシムラカラーのタイトな潜水服が吊るしてある。エアタンクではなく、海中の溶存酸素を取り込む水中呼吸器を搭載した最新モデルだ。

 いずれもカラクリ島未来国バルジモアや未来島エッグヘッドなどから流出した技術、設計図、素材で制作された先進機材だった。

 

 ともかく、採光窓とガス灯の明かりの下、美女が作業台で人造鰓を整備していた。

 癖が強い夜色のショートヘア。小麦肌のしなやかな肢体を、ビキニブラとオーバーオール作業着に包んでいる。

 

 作業台に鎮座するドデカい鰓を(ひだ)の一つ一つまで丁寧に洗い、細かな異物も残さず取り除き、極太の注射器で活性剤を打つ。整備を終えた鰓を持ち上げ、トビウオに装着。接続部と血管を有機性のパッチで高速癒着させ、蒼い人工血液を流し込む。

 

 作業がいち段落着くと、小麦肌の美女は水を張ったバケツから瓶ビールを取り出し、王冠を噛んでひっ剥がし、喉を官能的にうねらせ、瞬く間に飲み干した。

 

 不意に階段上のドアが開き、見目麗しい金髪碧眼の貴婦人が姿を見せる。端正な顔を不機嫌そうにしかめていた。

「なんで電伝虫に出ないの? ベアトリーゼ」

 

 小麦肌の美女……ベアトリーゼはオーバーオールのポケットをまさぐり、小さく肩を竦めた。

「ありゃ、子電伝虫は上に置きっぱなしだった」

 とぼけたことを抜かすベアトリーゼに鼻を鳴らしつつ、貴婦人はカツカツとヒールを鳴らしながら階段を降りてきた。

 タオルで手を拭いながら、ベアトリーゼは金髪碧眼の貴婦人に問う。

「で? ステューシー、今日の御用向きは?」

 

「ちょっと“茶飲み話”をしに」

 金髪碧眼の貴婦人ステューシーは、懸架されているスーパートビウオライダーを見上げる。

「完成が見えてきたわね」

 

「ようやくな。“あの女”のせいで一年掛かりだった。ムカつく」

 ベアトリーゼは鼻を鳴らして毒づいた。

 

      〇

 

“あの女”とは誰か?

 

 時計の針を一年前に戻そう。

 それはベアトリーゼがココヤシ村を出立し、ズタボロのアーロン達を連れ攫った“抗う者達”を捜索追跡し――

 三日間徹夜でカームベルトを強行突破、グランドラインへ進入した矢先のこと。

 

「ん?」

 

 出くわした。

 朱色に塗られたド派手な船と。

 

 帆布に掲げられている紋章は髑髏と九匹の蛇。

 女ヶ島の九蛇海賊団だ。

 

 露出の激しい小娘――おそらく観測員がマスト櫓からベアトリーゼに誰何する。

「止まれーっ! 貴様、何者だーっ!?」

 

「先を急いでんだよ、ほっとけバカッ!!」

 ベアトリーゼは三徹して危険なカームベルトを越えたばかりで気が立っており、さっさと通り過ぎようとした、刹那。

 

 武装色の覇気をまとわせた矢が砲弾のように飛来し、トビウオライダーの鼻先に着弾。高々と水柱が上がった。

 

 一般的には警告射撃だが、野蛮人のテーブルマナーに則れば『いっちょ殺し合おうぜ』である。

 

 暗紫色の瞳を血走らせつつ、ベアトリーゼはトビウオライダーを停止させた。

 九蛇海賊団を『一人残らずぶち殺して魚の餌にしよう』とも考える。しかし、穴空きだらけの原作知識といーかげんな原作チャート保守意識から『半ベソ掻かせるだけで済ませてやろう』とも思い直した――その時。

 

 絶世の美女が、艶美極まる黒髪を潮風に揺らしながら船首に立ち、

「我が九蛇海賊団の前を素通りできると思ってか、この慮外者めっ! 命が惜しければ、所持品の全てを献上せよっ!」

 見下そうと背筋を仰け反らせすぎて空を見上げていた。

“海賊女帝”と謳われるボア・ハンコックその人だった。

 

 

 ※ ※ ※

 さて、話を中断して恐縮であるが……

 九蛇海賊団の根拠地、女ヶ島は海王類の支配領域たるカームベルト――東の海に接しない側のカームベルトにある。

 縄張りの都合から、九蛇海賊団が根拠地の真反対に位置する、東の海側のカームベルト付近まで足を伸ばすことは、まずない。

 

 のだけれど……此度はちょっと事情が異なっていた。

“海賊女帝”ボア・ハンコックは王下七武海に属しており、私掠権を認可されているので海賊と非加盟国から奪っても罪にならない。

 

 そして、アマゾン・リリー現皇帝にして九蛇海賊団船長“海賊女帝”ボア・ハンコックは、惨苦と屈辱を極めた過去から強烈な弱肉強食思想の持ち主であり、過去のトラウマに打ち勝つべく天上天下唯我独尊系の超高慢な性格を形成していたのだ。

 

 そんな彼女がいつものように遠征へ繰り出し、とある海賊団の一隻を仕留めると……

 積み荷が年端もいかぬ少女達ばかりだった。

 

 捕虜の海賊を締め上げたところ、この少女達は非加盟国から連れ去られ、シャボンディ諸島の人攫い屋に売り飛ばされるか、幼い少女や少年を好む連中専用の売春宿へ出荷されるという。

 

 怯え泣く少女達は鞭打たれた痕がいくつもあり――それはハンコックの逆鱗(トラウマ)を強く強く刺激し、血を沸騰させた。

 

 ハンコックは自身のメロメロの実の能力で石化させた海賊達を、即座に蹴り砕き、号令を飛ばす。

『この薄汚い愚物共を一匹残らず叩き潰すっ! 征くぞっ!!』

 

 この瞬間から、此度の遠征目的は金品や物資の掠奪から、海賊女帝を怒らせた海賊団の撃滅となった。

 ハンコックの妹達は姉の心中を想い、また姉と共に苦酸を舐めた経験から意気軒高。船員達は女帝の剣幕に慄きつつも、デカい狩りに臨んで士気を激アゲした。

 

 かくて、ハンコック率いる九蛇海賊団は、人身売買を商っていた海賊団一統を狩り回り、ついにはグランドラインを縦断。東の海側のカームベルト付近にまでやってきていた。

 

 そこへ出くわしたるが、蛮族女だったわけで。

 ※ ※ ※

 

 ハンコックの見下しきった物言いに対し、

「言うに事を欠いて、献上しろだあ……っ?」

 憤慨したベアトリーゼは球形ヘルメットを脱ぎ、ハンコックへ向けて中指を立てた。

「おとといきやがれ、バーカッ!!」

 

「! ハンコック様に向かってなんてことを!」「なんたる不敬っ!」「殺せっ! あの女をぶっ殺せ!!」

 九蛇の女戦士達がいきり立って武器を構えた間際。

 

「誰が出よと言ったっ!! 下がれっ!!」

 眉目を吊り上げたハンコックは部下達を下がらせ、

「無礼な奴め……貴様のような不届き者は、水底(みなそこ)永遠(とわ)に悔やみ続けるがよいっ!」

 両手を添えてハートマークを作り、

「メロメロ甘風(メロウ)ッ!!」

 ハンコックの美貌に“魅了”される者は例外なく石化してしまう、ハート形波動を放つ。

 

 が、激おこ中のベアトリーゼがハンコックの美貌に魅了されているはずもなく。また当人の強力な覇気と“とある理由から”、メロメロの実の石化効果が生じない。

 

「何ッ!?」同性すら魅了する絶世の美貌を持つハンコックにとっては意外中の意外。思わず吃驚を上げ、九蛇の戦士達もびっくり仰天。

 

「そんなもん効くか、バーカバーカッ! ちっとオッパイがデカいからってチョーシ乗ってんじゃねーぞバーカッ!」

 プロレスラー武藤敬司のポーズ取って煽り倒すベアトリーゼ。これは酷い。

 

『ブチッ!』と何かが切れる音を、九蛇海賊の女達は確かに聞いた。が、音の発生源を見る勇気は無かった。そんな中、ボア三姉妹の三女マリーゴールドが『ね、ねえさま?』と恐る恐る長女の様子を窺い……『ひぇっ!?』と白目を剥いた。

 

 ハンコックは麗貌を憤怒に染め上げ、ゴゴゴゴゴゴと背景音が聞こえてきそうな目つきで海面上のベアトリーゼを見下ろし、宣告する。

「貴様はギタギタに叩きのめし、魚の餌にしてやる……っ!」

 

 ベアトリーゼも美貌を怒気に満たし、ドドドドドドと背景音が聞こえてきそうな目つきで船上のハンコックを見上げ、通告する。

「上等だ、このアマ。ボッコボコにして泣かせてやる……っ!」

 

 凪いだ海にて蛇姫と蛮姫が睨み合う。互いに放つ殺気によって周囲の空気が緊迫し、軋む。

 

 そこへ立ち止まっていたトビウオライダーを狙い、眼下から海王類が襲い掛かってきた。

 両女傑はその“機”を逃さない。

 

 蛇姫は船首から迷うことなく跳躍し、

芳香脚(パフューム・フェムル)ッ!!」

 

 蛮姫は海王類の襲撃からトビウオライダーを逃しながら跳躍し、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!!」

 

 両女傑の間に飛び出した超巨大カマスみたいな頭に双方の必殺技が叩き込まれ、顔の右半分が石化破砕され、顔の左半分が爆ぜて血肉をまき散らす。

 

 頭を破壊された超巨大カマス型海王類が、莫大な水飛沫を上げながら巨躯を海面に横たえ浮かべ、ハンコックとベアトリーゼが同時に海王類の骸の上に降り立つ。

 

「姑息でしょーもない技を使いやがって」と嫌みを吐くベアトリーゼ。

「下品な技を恥ずかしげもなく、よく使えるものよ」となじるハンコック。

 

「「あ?」」

 2人は互いに一本の青筋を浮かべ、

「ぶちのめす」「叩きのめす」

 同時に相手へ向かって襲い掛かった。

 

 それはキャットファイト、なんて生ぬるい代物ではなかった。

 この世界でも上澄みの女戦士がガッコンガッコン殴り合い、互いに眉目秀麗な細面を腫れ上がらせ、鼻と口からダバダバと血を流し、髪と着衣をボロボロにした様は、壮絶の一語に尽きた。

 

 ボア・サンダーソニアさん(28歳・ボア三姉妹次女・おとめ座)。

『激怒された姉様と伍して戦える者が居るなど思いもしなかった……本当に、本当に恐ろしい光景だった……』

 

 リンドウさん(九蛇海賊団狙撃手・独身)。

『2人の戦闘で海王類の骸がどんどん破壊されて……血肉の臭いに釣られたんでしょうね。海王類や海獣が集まってきてしまって、戦いは決着がつかずに終わったわ』

 

 ランさん(九蛇海賊団船員)

『帰りの航海中、ハンコック様はずっと不機嫌で、船内の空気が最悪でした』

 

 ボア・ハンコックさん(29歳・王下七武海“海賊女帝”・独身)

『あの女、次に会ったら必ず殺す……っ! 必ずだ……っ!!』

 

 ベアトリーゼさん(25歳・全世界指名手配中)

『あのアマ、潜水服はおろかトビウオライダーまで壊しやがってっ! 何が(ピストル)キスだっ! 乗り物狙いの追撃とか、喧嘩のマナー違反だろっ! ふざけんなっ!』

 

 というわけで、海賊女帝の追撃によってスーパートビウオライダーが大きく損傷してしまい、ベアトリーゼは“抗う者達”の追跡を断念。

 重傷の化け物トビウオを修理すべく、カーチスに愛機を破壊されたポルコ・ロッソのように船をチャーターし、トビウオを”マーケット”へ持ち込んだ。

 

 もっとも、“マーケット”においても、ドクター・ベガパンク由来の最先端技術で作られたスーパートビウオライダーを修理できる者は居らず、自分で直そうにも部品やらなんやらが早々手に入らず。

 結果、ベアトリーゼは自力でトビウオライダーを直すため、約一年間“マーケット”に留まってあれやこれやと奔走する羽目になったわけだ。

 

 なお、ボア三姉妹と縁のある“冥王”レイリーは、ハンコックからこの話を聞いて大笑いし、「喧嘩友達が出来たな」と軽口を叩いてハンコックに脛を蹴られた。

 

        〇

 

 舟屋は基本的に一階部分が舟のガレージで、二階部分から上が住居。

 ベアトリーゼが住んでいる舟屋も、一階部分が海に直結しているスロープ付きガレージだ。ただし、住居区画は小さい。ワンルーム+ロフト。

 ワンルームには四人掛けのダイニングテーブルが鎮座しているけれど、一人暮らしであるから実質的に大きめの汎用テーブル扱い。

 

 小型冷蔵庫の中身を覗き、ベアトリーゼは席についたステューシーを窺う。

「ビールとシードル……どっち?」

「紅茶」

 

「さいですか」

 ベアトリーゼは薬缶に水を注ぎ、コンロに掛ける。お湯が沸くまでに数分。

 

 これまでの経験則上、ステューシーは紅茶を口にするまで絶対に本題へ入らない。仕方なしにベアトリーゼはカップやらなんやらを用意する。ちなみに、ステューシー用のマグカップは彼女自身がここに置いていったものだ。

「紅茶を淹れさせるなら、手土産に菓子くらい持ってこいよ」

 

「そんなもの購入してたら、特別な訪問先があると思われるじゃない。論外」

 生徒へダメ出しする女教師みたいに応じ、ステューシーは和やかな眼差しを返す。

 

 政府と海軍を毛嫌いする高額賞金首と、政府諜報機関屈指の秘密工作員。本来、相容れぬ立場の2人は奇妙な関係を育んでいた。

 友情でもなく、親愛でもなく。仲間でもなく。利害関係とも損得勘定の付き合いとも言い切れず。出生にろくでもない思惑といかがわしい科学が関わっている“同胞(はらから)”として。

 

 不思議な相互共助。ベアトリーゼは敵にも味方にもなる関係を甘受できる。プロだから。

 ただ……ステューシーがここを訪ねる際、強力な隠密能力を駆使して知らぬ間にベッドへ潜り込み、手を恋人つなぎすることはやめて欲しい。起きる度にガチでビビる。

 

 と。薬缶の口から蒸気が昇った。ベアトリーゼはポットに茶葉を入れてから薬缶のお湯を注ぎ、マグカップへ紅茶を淹れた。

 

 ステューシーは差し出された紅茶の香りを嗜み、上品に音もなく啜り、満足そうに頷く。

「……うん。随分と上達したわね」

 

「毎度毎度ダメ出しとレッスンを受けりゃあね」

 ベアトリーゼは仏頂面でカップを口に運び、ステューシーの向かいに座った。

「それで? またぞろ歓楽街で問題でも起きた?」

 

 “マーケット”に滞在中、ベアトリーゼはステューシーから仕事――主にステューシーの歓楽街を害する不埒者の捜索追跡、拉致誘拐、暗殺などを請け負っていた。報酬は金、あるいはスーパートビウオライダーの改造用部品や資材など。

 ベアトリーゼは政府と海軍が大嫌いだから、不良工作員や海軍の悪徳将兵の始末なら受けることもあったけれど、政府に利する仕事は一切受けない。

 

 ステューシーは紅茶を少し飲んでから、

「金獅子のシキという男を?」

「たしかロックスやゴールド・ロジャー世代の大海賊で、地獄の監獄インペルダウンから逃亡した唯一の脱獄者。海賊界のレジェンドだ」

「誇大妄想狂の老害よ。ま、誇大妄想癖は若い頃からだけど」

 辛辣なシキ評を口にした。

 

「インペルダウンを脱獄して20年余。その行方はようとして知れなかったのだけれど、ここにきて情報提供者が現れたの」

 カップを卓に置き、ステューシーは卓上に両肘を置く。

「元々その情報提供者は海軍に駆け込んだの。ところが、駆け込んだ先の基地をシキの配下に襲撃されて」

 

「死んだ?」

 ベアトリーゼの合いの手に首を横に振り、ステューシーは部下の失態を嘆く管理職みたいな顔つきで、深々と溜息をこぼす。

「なんとか生き延びたらしいわ。ただし、海軍は頼りにならないと逃亡してしまったそうよ」

 

 どこか哀愁を漂わせるステューシーに、ベアトリーゼは意地悪に口端を歪めた。

「西の海でロビンとタタキやってた頃、そういう話を何度か聞いたよ。マフィアの悪事を告発しようと司直へ協力を申し出たけど、司直が身を守ってくれそうにない、頼りないって逃げちゃう証人や情報提供者の話」

 

「まさにソレ」

 ステューシーはカップの持ち手部分を指先で撫でながら、不満そうに唇を尖らせた。

「情報提供者が駆けこんできた時点で、さっさと海軍本部なり秘密施設なりへ保護しておけばいいものを……おかげでサイファー・ポールが捜索に駆り出されることになった」

 

「いろいろ大変なのは分かった。でも、エリート諜報員が尻拭いに出張るほどのこと?」

 ベアトリーゼは腕を組んで背もたれに体を預け、

「それは”金獅子”シキの能力が理由よ。フワフワの実の能力者で、触れた無機物を自在に浮かせることができる」

「なるほど」

 ステューシーの語った内容から察しがついた。

 

 聖地を空から直接襲撃される可能性を懸念しているわけだ。まあ、魚人一人の襲撃であの騒ぎだ。ゴロツキの集まり……いや、ゴロツキの集まりだからこそ大集団で襲撃されたら、恐ろしいことになるだろう。

「だけど、シキが脱走して20年も経ってる。今更、躍起になる理由は?」

 

「20年も経ったからよ。シキは老いて人生の残り時間が少ない。元から個人で世界支配をしようなんて愚か者よ? そんな男が老耄の狂気に駆られたら、それこそ何をしでかすか分からないわ。今だからこそ、シキは脅威なのよ」

 世界政府に仕える女諜報員は、碧眼を“同胞”の女へ真っ直ぐ向けた。

「貴女が政府を嫌っていることは知っているけれど――」

 

「その通り」ベアトリーゼは吐き捨てるように「聖地が襲撃されたら、私はビール片手に豚共が焼け死ぬ様を眺めるよ」

 

「手を貸してくれないの?」

 ステューシーがあらゆる男を篭絡する上目遣いを披露した。が、ベアトリーゼは鼻で笑い飛ばす。

「お守り仕事はドクトルで懲りたよ。まぁ、あんたとの仲だし、政府嫌いの私が動くだけの報酬が用意できるなら、考えても良いけど……いや。やっぱダメ。私はマジでそろそろアラバスタに行きたいんだよ」

 そろそろ原作が――次の海賊王の物語が始まる頃だし、とベアトリーゼは心の中で接ぎ穂する。

 

「報酬、ね」

 ステューシーは右手人差し指を頬に添え、演技がかった仕草で考え込み、微笑む。

「ああ。いいものがあるわ。お気に入りの玩具の出力を大きく向上させる人造心臓はどう? 海面高度で飛翔速度が時速300キロは出るようになるかも。しかも先払い。おまけで潜水用ヘルメットもベガパンク御謹製の多機能仕様を用意――」

 

「この凄腕美人に任せとき」

 ベアトリーゼは食い気味に答えた。

 原作のことはとても大事。でも、それはそれ。これはこれ。

 

「取引成立」

 蛮姫と女悪魔はカップをカチンと合わせ、紅茶で乾杯した。




TIPS

ボア・ハンコック
 原作キャラ。
 ワンピース世界で一番の美女らしい。
 幼い頃、天竜人の奴隷にされた。後にフィッシャー・タイガーの聖地襲撃で逃亡に成功し、”冥王”レイリーに保護され、故郷の女ヶ島に帰還。島の皇帝となり、天下に名を馳せる王下七武海”海賊女帝”になった――という立身出世伝を地で行く人。

 カームベルトで蛮族女と遭遇。大喧嘩をして因縁を持つことに。

ボア・サンダーソニア/ボア・マリーゴールド。
 原作キャラ
 ハンコックの妹。2人ともヘビヘビの能力者。歳若い頃は姉に負けず劣らずの美少女だった。

リンドウ/ラン
 原作キャラ。アマゾンリリーの女戦士で、九蛇海賊団の船員。

”冥王”レイリー
 原作キャラ。
 海賊王ゴールドロジャーの右腕だった老人。今は市井に隠棲中。
 他の面々もひっそり隠れ住んでるんだろうなあ。

”金獅子”シキ。
 映画キャラ。ただし、存在は原作でも語られている。
 かつてロックス海賊団に属し、独立後も世界支配を目論んで暴れ続けた。
 ロジャーと長く抗争したが、ロジャーの死に動揺。海軍本部を襲撃して捕縛されるも、両足をぶった切ってインペルダウンを脱獄したというレジェンド。

 シキが登場する映画の時系列はスリラーパーク編の後とのこと。

ベアトリーゼ。
 スーパートビウオライダーを大改造中。新型潜水服共々ヨシムラカラーに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

77:麦わら小僧と海賊狩りと泥棒猫。

一応、麦わら一味の主要面子の出会いは書いておこうと。
原作との違いをお楽しみください。

佐藤東沙さん、春梟さん、BLACK_READさん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 グランドラインで蛮姫が小さな物語を始めた頃。

 

      〇

 

 麦わら小僧は船出して間もなく、渦潮に呑まれて遭難した。

 普通ならくたばるところだが……なんやかんやの末、麦わら小僧は海賊の小間使いをさせられていた海兵志望のヘタレ眼鏡小僧と出会い、イカツいオバサン海賊をぶっ飛ばした後、ヘタレ眼鏡小僧と共に改めて海へ出発する。

 

「これからシェルズタウンに向かおうと思いますが、構いませんか?」

 ヘタレ眼鏡小僧……コビーはいーかげんな地図を広げ、目的地を示す。

 

「良いぞ。そこに行こう」

 麦わら小僧……モンキー・D・ルフィはあっさり了承した。

「そんで、そのシェルなんとかって、どんなとこなんだ?」

 

「最寄りで海軍基地がある町です。僕はそこで海兵に志願しようと思って。あ、でも……ルフィさんは海賊……」

「俺のことは気にすんなって。海兵になるのがコビーの夢なんだろ。叶えに行こうぜ」

 ルフィはニシシと無邪気に笑い、釣られてコビーも笑う。

「……はいっ! 僕、夢を叶えに行きますっ!」

 

「海兵かぁ」ルフィは祖父を思い出しながら呟き「海賊の方が絶対楽しーぞ、コビー」

「アルビダ様、いえ、アルビダの下で一年過ごした経験から言わせてもらえば、海賊は全然楽しくありませんでしたよ」

 

「そりゃ雑用で扱き使われりゃあなぁ」

 ぼやくコビーにルフィは白い歯を見せ、からかうように言った。

「コビーは海兵になっても、すっげー苦労しそーだな」

 

「不吉なこと言わないでくださいよっ!!」

 コビーが顔をしかめ、ルフィは『冗談だって!』と頭上で輝く太陽みたいな笑顔を湛えた。

 

      〇

 

 麦わら小僧ルフィはシェルズタウンに到着すると、成り行きからモーガンだかピータンだかいう専制君主気取りの悪徳海軍大佐を、ぶっ飛ばす。その後は海兵になるため町に残るコビーと別れ、代わりに仲間へ引き込んだ“海賊狩り”のロロノア・ゾロと共に再度海へ出た。

 

 ルフィは満足げに口端を上げた。

 午前中にコビーと出会って女海賊をぶっ飛ばし、午後に海軍大佐をぶっ飛ばし、コビーと別れる代わりにゾロが仲間になった。

 海へ出て早々に大冒険を味わい、友達と仲間が出来た。実に“幸先が良い”。

 

 ニシシと笑うルフィに、ゾロはジト目を向けた。

「何やら楽しんでるところわりーけどな。海賊のくせに航海もろくに出来ねェってのは、どういう了見だ?」

 

 ゾロの指摘は正しい。

 2人を乗せた小舟は絶賛、“漂流中”だった。そりゃそうだ。この小舟には海図もコンパスも羅針盤も観測器もない。ちなみに食料と水もない。なーんもない。……自殺志望かな?

 もうじき日も暮れる。このままだと状況が漂流から遭難に変わりかねない。

 

「航海術なんて無くても海には出られたからな!」

 ルフィはあっけらかんと語り、ゾロに問い返す。

「お前こそ航海できねえの? 海をさすらう賞金稼ぎだろ?」

 

「そりゃ誤解だ。俺は賞金稼ぎじゃねえ。ある剣士と勝負するために海へ出たら、村へ戻れなくなっちまった。それで、食い扶持稼ぎにアホ共を斬ったり捕まえたりしてただけだ。それを周りが海賊狩りだの賞金稼ぎだの勝手に言ってるんだよ」

 ゾロの説明を聞き、ルフィは要点を掻い摘んで言った。

「つまり……迷子かっ!」

 

「その言い方はよせっ!」

 図星を突かれ、ゾロは誤魔化すように案を出す。

「……一晩様子見るか。日が暮れりゃあ、水平線に灯台なり街灯りなりが見えるかもしれねェ。見つけりゃ、灯りに向かって進む。見つからなかったら……」

 

「そん時はそん時、考えりゃいいよ」

 ルフィの返しに、ゾロは「だな」と頷く。

 2人ともサバイバビリティが化け物みたいに高く、生来の楽天家であるため、常人ならベソを掻きながら神様に助けを求めそうな状況でも、『どーにかなんだろ』とまったく動じていなかった。

 

「さっさと航海士を仲間にしねェとな」ゾロは鼻息をつき「これじゃグランドラインどころじゃねェ」

「そうだな」ルフィは大きく頷いて「まずは音楽家を見つけようぜ!」

 

「なんでだよっ!」

 ゾロのツッコミが海原に響いた。

 

 

 

 で、一夜明けて……。

 

 

 

「灯り、見えなかったな」ルフィが溜息交じりにぼやく「腹減った」

「ああ。全くな」ゾロが気だるげに応じて「俺は酒が飲みてェ」

 

 南の空へ太陽が昇り始めても、周囲には島影も船影もなく。

 漂流が本格的な遭難になり始めていたが、2人は慌てることもなく小舟に寝転がりながら、暢気に話を続けていた。

 

「とりあえず……ひと潜りして魚でも獲るか」

 ゾロの意見にルフィが大きく眉を下げた。

「俺、泳げねェぞ。悪魔の実の能力者だからな」

 

「そういやビヨーンって伸びてたな。ゴムの能力だったか」ゾロはしげしげとルフィを窺い「前に出くわした能力者は、海岸一つを焼き尽くしてたが……お前のは地味だな」

 

 失礼な言い草に、ルフィは双眸を三角形にする。

「なんだと、迷子っ! 俺は地味じゃねーぞ!!」

 

「迷子言うなっ! ぶった切るぞ! ……ん?」

 負けじと言い返した時、ゾロは視界に広がる蒼穹の中に小さな影を見つけた。

 

「どした、ゾロ?」

 訝るルフィに、ゾロは空に浮かぶ小さな影を指差す。

「あれ、鳥じゃねーか?」

 

「ホントだ。ありゃかなりデケェな……」

 ルフィは名案を思いついたと言いたげに目を輝かせ、がばっと身を起こす。

「あの鳥、食おーぜっ!」

 

「ああ?」片眉を上げてゾロが不思議そうに尋ねる。「どうやって?」

「任せとけっ! ゴムゴムのぉ~……ロケットッ!!」

 ルフィは小舟の小さなマストの横桁(ヤード)を使い、ゴムゴムの実の能力を駆使。ロケットというより、パチンコよろしく上空の鳥へ向かって飛翔していく。

 

「悪魔の実を食った奴は、どいつもこいつも飛べるのか……?」

 かつて戦場で遭遇したモモンガ女を思い出しながら、鳥を目指してかっ飛んでいくルフィを眺め、

「ん?」

 ルフィが想像以上にデカかった巨鳥にくわえられ、そのまま連れ去られていく様を目撃した。

 

「ぎゃああああああっ!? ゾロ―――――――っ!?」

「アホかぁ―――――ッ!! なにやってんだ、てめぇは―――っ!?」

 ルフィの悲鳴とゾロの怒声が水面に響く。ちょっと楽しい。

 

 ゾロは慌ててオールを漕ぎ、ルフィをくわえた巨鳥を追いかけていく。

「世話のかかる船長だぜ、まったくっ!!」

 

 かくて、ルフィとゾロは幸か不幸か陸地に向かっていく。

 それも、道化のバギー率いるバギー海賊団が略奪を終え、宴会騒ぎをしているオレンジの町に。

 

     〇

 

 ナミは済し崩し的に、空から落ちてきた麦わら小僧を保護し、適当な一軒家に入り込んで食材を拝借。簡単な飯を食わせてやる。

 

「飯食わせてくれて、ありがとうっ! もっと食いてェけどっ!」

 麦わら小僧は気持ち良い笑顔で礼を言いつつ、お代わりを要求してきた。

 

「御代わりは受け付けておりません」とナミが投げやりに応じれば。

「そっか……」麦わら坊主はあからさまにションボリした。

 

 感情表現が素直な奴ね、とナミは微苦笑しつつ、改めて麦わら小僧を観察する。

 年頃は同じくらい。黒髪黒目。まぁ悪くない顔立ち(ナミの主観)に左目の下に刃傷の痕。中肉中背ながらしっかり鍛えてある。赤いベストにデニムのハーフパンツ、サンダル。得物は無しの無手無腰。

 最大の特徴たる麦わら帽子は随分と年季が入っているようだけれど、大切に手入れされているらしく、くたびれていない。

 あの高さから落ちてきて無傷という辺り、恐ろしく頑丈な身体なのか、あるいは……。

 

「で? あんたはどこの誰さん?」

「俺はルフィ。海賊王になる男だっ!」

 

 朗々と名乗る麦わら小僧。ナミは橙色の目を瞬かせ、心配そうに言った。

「……ルフィだっけ? 少し安静にしておいた方が良いわよ」

 

「別に具合は悪くねェよっ!」ルフィと名乗った麦わら小僧は気分を害しつつ「シツレーな奴だなぁ。お前こそ誰だよ?」

 

「私はナミ。今は航海士……見習いってとこね」ナミは不敵に微笑んで「ま、実力はそこらの本職以上だけど」

「航海士なのか!」ルフィはパァッと目を輝かせ「なあ、俺達の仲間になってくれよっ!」

 

「? 仲間? どういうこと?」

 訝るナミへ、麦わら小僧は語る。

 

 海賊になるべく故郷を出て、仲間も出来た。が、先ほどのデカ鳥のせいでその仲間とはぐれてしまったという。

「俺達はグランドラインを目指してんだけど、航海士が居なくて困ってんだ。仲間になってくれ!」

 

「たった2人、船すら持ってない。そんな海賊未満の仲間になれって? 勘弁してよ。それに、私は航海士見習いって言ったでしょ? もう海賊団に入ってるのよ」

 今度はナミがルフィへ簡単に説明する。

 

 この町は今、“道化”のバギー一味の襲撃を受けていた。住民は全員、郊外の避難場所に身を隠している。バギー一味は町の広場で掠奪成功の宴会中で、ナミは宴に加わらず散歩していた頃に、ルフィに遭遇し――

「この町の誰かさんの家で、御飯を食べさせたってわけ」

 

「ふーん」ルフィは小さく頷き「じゃ、お前はそのバギー一味なのか?」

「……一応ね」

「一応?」

 小首を傾げたルフィへ、ナミは慨嘆を返す。

「仮入団ってとこ。正直、付いていく気はもう失せてるんだけどね」

 

「なんでだ? せっかく入ったのによ」

「だって船長から末端まで揃いも揃って、ロクデナシでみみっちくて、パープリンでノータリンでアッパラパーで、格好も船もダサいし、臭いし。それに、やっぱり私は罪もない人達から暴力で奪う連中は大っ嫌い。ああいうクズの仲間になるなんて反吐が出る」

 

「お、おぉ……そ、そうか」

 怒涛の勢いで罵詈雑言を並べる蜜柑色の髪の少女に、これまでの人生で斯くも毒舌な女性に覚えがないルフィは、思わず気圧された。

 

 ……とはいえ、そこは切り替えが早いルフィ。ナミへ白い歯を見せ、勧誘を再開する。

「そういうことなら、俺達と一緒にいこーぜっ!」

 

「バギー一味もどうかと思うけど、あんた達は論外よ、論外。船も持ってない海賊未満になんて付き合いきれないわ」

 ナミが女性的シビアさを持って勧誘を拒否するも、ルフィはあっけらかんと告げる。

「船ならあるって。小舟だけど」

 

「小舟かいっ!」

 ナミがツッコミを入れた直後――

 

 

 

 ずがあああああああああああああんっ!!

 

 

 

 広場の方から轟音が響き、窓や壁がカタカタと小さく震えた。

「な、なにっ!?」

 目を丸くするナミの傍らで、ルフィは思い出したように呟く。

「あ、いけね。ゾロのこと忘れてた」

 

「ゾロ?」

 眉をひそめ、ナミは明敏な記憶力のページをめくる。ゾロ。その名前はたしか……

「ひょっとして、凄腕賞金稼ぎの“海賊狩り”ロロノア・ゾロのこと?」

 

 ナミに問い詰められ、ルフィは左目元の傷痕を掻きながら応じる。

「おう。周りが勝手に海賊狩りって呼んでる、とは言ってたな」

 

「なんで海賊志望のあんたと、凄腕賞金稼ぎが組んでるのよっ!? あんた、本当は賞金稼ぎなのっ!?」

 ナミは血相を変えてルフィに食って掛かった。

 

 あの愛すべき蛮族女ほどではないにしろ、ロロノア・ゾロも海賊狩りやアラワサゴ島紛争で勇名を馳せた実力者だ。ちゃらんぽらんなバギー海賊団なんて、蹴散らされかねない。一味が潰れても構わないが、巻き添えは御免被る。

 

「ちっげーよ! 俺は海賊になるんだって! ゾロは俺の仲間になったんだよ。昨日」

 しれっと答えるルフィに、

「昨日っ!?」

 ナミは素っ頓狂な吃驚を上げる。もう何が何やら……頭が痛くなってきた。麦わら小僧を恨みがましく睨み据えた。

「あんた、いったい何者なのよ」

 

「だから言っただろ」

 ルフィはニシシと楽しそうに笑う。

「俺はモンキー・D・ルフィ。海賊王になる男だ」

 

 

 ……それからどーなった?

 

 

 ナミがルフィと共に広場へ向かってみれば、迷い込んだロロノア・ゾロが『賞金稼ぎの海賊狩りが襲ってきた』と勘違いしたとバギー一味と大立ち回りしていた。

「俺ぁ仲間を探してるだけなんだが……ま、丁度良い。お前らをぶった切って有り金と食いもんと船をいただいちまおう」

 

「賞金稼ぎが海賊より阿漕なこと抜かしやがって……なめんじゃあねえよ、クソガキがぁっ!!」

“道化”の二つ名通りピエロチックな容貌の海賊バギーは、青筋を浮かべて怒り狂っていた。

 

 まあ、彼の主観では、気持ちよく宴会を楽しんでいたところに、凄腕賞金稼ぎが襲撃してきたのだから、無理もない。おまけに手下が片っ端から倒されているとなれば、入っていた酒も手伝って怒り心頭にもなろう。

 

「おーい、ゾローっ!」

 と、鉄火場に場違いなのんびり声が響き、闘争が一時停止する。なんだなんだとバギーと一同が目を向ければ、新入りの航海士見習いが見知らぬ麦わら小僧と一緒に現れた。

 

「おぅ、ルフィ。無事だったか」

“海賊狩り”が肩に刀を預けながら応じる。

「丁度良いところに来たな。こいつらをぶっ倒して、路銀と食いもんと船をいただこうぜ」

 

「はっはっはっ! すっかり海賊だな、ゾロっ!」

 ルフィと呼ばれた麦わら小僧が快活に笑い飛ばし、隣で新入りの小娘が額を押さえて溜息を吐いていた。

 

 その様子に、バギーは“常識的”な海賊的思考で判断する。

「テメェ、新入りッ! さてはテメェが海賊狩りを手引きしやがったなっ!? 俺の首を獲るために俺の一味へ潜りこむたぁ、手の込んだ真似してくれるじゃねーかっ!!」

 

「えぇっ!?」ギョッとナミが目を真ん丸にした。

 ナミには濡れ衣も甚だしいのだが、この状況はバギーの言い分そのものであり、一味の面々も『なんて狡賢い奴らだっ!』とすっかり信じている。

 

「ちょ、ちが」

 ナミが慌てて釈明しようとした矢先、ルフィがしれっと言い放つ。

「ナミはお前らが死ぬほど大嫌いだから、俺の仲間になるってよ」

 

 周囲の敵意と殺意と怒気が一層強くなり、ナミはルフィの襟首を引っ掴む。

「はぁっ!? あんた、何勝手なこと言ってるのよっ! 前半は合ってるけど、あんたの仲間になるなんて言ってないわっ!!」

 

 ナミの抗議を余所に、ルフィはゾロへ向かって大きく手を振る。

「ゾローっ! 航海士が仲間になったぞーっ!」

 

「人の話を聞けーっ!!」

 眉目を吊り上げ、ナミはルフィの首根っこを掴んでがっくんがっくん揺さぶり、

「このクソガキ共、俺を無視してゴチャゴチャやってんじゃあねえッ!! テメェら、俺を誰だと思って――」

 怒号を上げたバギーに対し、鬼も逃げ出しそうな形相を向けた。美人が台無しだよ。

「うるっさいわねっ! 見て分からないのっ!? 今、立て込んでんのよっ! あんたはそっちでロロノア相手に遊んでなさいっ!」

 

「あ、すいません……」

 猛烈な剣幕に思わず身を仰け反らせてしまうバギー。は、と我に返り、表情筋の限界に挑むような怒り顔をこさえた。

「じゃねぇよっ!! 何様だお前は―――っ!! 俺は賞金額1500万の”道化”のバ――」

 

「たかが1500万でデカい口叩いてんじゃないわよっ! すっこんでろっ!!」

 3億5千万ベリーの賞金を懸けられた女に、筆頭賞金額2000万ベリーの魚人海賊団を壊滅させた泥棒猫は、物言いに容赦というものがなかった。

 

「――――――――――」

 ナミの罵倒にバギーはもはや言葉も出ない。一味の面々もあまりにもあんまりなナミの言い草に絶句している。

 

「えらく気の強い女だな……」さしものゾロも呆れ、

「あっはっはっはっ!! ホントに強烈だなぁー」

 この場で唯一人、ルフィが大爆笑していた。

 

 その笑い声が癇に障ったのか、あるいはこれ以上ナミと関わりたくなかったのか、バギーは標的をルフィに変え、怒鳴った。

「なぁに大笑いしてやがんだ、コノヤローッ! テメェはどこのクソッタレだッ!?」

 

「俺?」

 バギーに睨まれたルフィはにやりと不敵に笑う。

「俺はルフィ。海賊さ。お前から航海士(ナミ)とグランドラインの海図を分捕らせてもらう」

 

 のうのうと宣う麦わら小僧に、バギーは脳卒中を起こす寸前までブチギレた。呆気に取られている部下達へ血走った眼を向け、喉が張り裂けんばかりに怒号を飛ばす。

「テメェら、何をぼさっとアホ面晒してやがんだっ!! 殺せっ! このクソガキ共を今すぐぶっ殺せっ! ド派手に、いや超ド派手にぶち殺せえええええええええっ!」

 

 

 あとはまあ、多少差異はあれど原作とあまり違いはない。

 

 

 大乱戦が再開し、バラバラの実の能力を知らなかったゾロがバギーに隙を突かれて腹を刺され。ナミが『あんた達みたいなクズ共とは縁を切らせてもらうわ』とバギー砲を一味に向けて発射。ルフィ達は爆発の混乱に乗じて一時撤退。

 

 で、撤退した街中でプードル町長とペットショップを守るシュシュと出会う。一人と一匹としんみりした交流をした後――

 

 ルフィ達は再び広場へ突入。

 バギー一味の幹部達をぶちのめしてから、ルフィがバギーと決闘を始めた。

 悪魔の実を食した超人同士の戦いは、常人の理解を超えた奇怪極まるものだった。が――

 

「……なんか地味ね。大爆発させたり、破壊光線を出したりしないの?」

 戦いに立ち会っていたナミがベアトリーゼを思い浮かべながら、野次めいた感想をこぼし、

「地味って言うな!!」

「オメーは俺達を何だと思ってんだっ!? 怪獣じゃねえんだぞっ!?」

 ルフィとバギーが思わず、戦いを中断して抗議する場面もあったりしたが……

 

 ともあれ、バギーに麦わら帽子を傷つけられたルフィが激昂し、お返しにバギーをボッコボコに。

 そして、ナミがバラけたバギーの身体を押さえたところへ、

「俺の大事な麦わら帽子を傷つけたお返しだ、赤っ鼻」

「ちょ、待――」

「ぶっ飛べっ! ゴムゴムのぉ~……バズーカァッ!!」

「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 ルフィはバギーを彼方へ吹っ飛ばした。

 頭目の敗北に、バギー一味が算を乱して逃げ出していく。

 

 

 

 戦いは麦わら小僧達の勝利で終わり、でもってまあ……

 

 

 

「小童共っ! すまんっ!! 恩に着るっ!!」

「気にすんな、楽にいこう!!」

 ルフィ達は町長の礼に応えつつ、奪い取ったバギー海賊団の短艇を進発させ、オレンジの町を後にした。

 めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

 この世界を揺るがす、大きな物語は始まったばかりだ。




Tips

モンキー・D・ルフィ。
 原作主人公。CV田中真弓。
 窪ノ内英策版は爽やか系のイケメン。
 キャラ描写が難しすぎる。

ロロノア・ゾロ。
 原作主要キャラ。CV中井和哉。
 窪ノ内英策版はスポーツマン系のイケメン。

ナミ。
 原作主要キャラ。CV岡村明美。
 窪ノ内英策版は夢に向かって頑張っている美少女。

バギー
 原作キャラ。CV千葉繁。
 声優界のレジェンドが声を当てたことで、アニメでは原作以上に強烈な存在感を放つ。



~ルフィの本作における航海日程~

0:フーシャ村を出発。その日のうちに遭難。

+1:早朝。コビーと遭遇。
   午前中。アルビダをぶっ飛ばす。
   午後にモーガンをぶっ飛ばし、コビーと別れ、ゾロを仲間に。

+2:昼頃にオレンジの町に到着。
   バギー一味と交戦。ナミを仲間に。
   夜。ガイモンの無人島で一泊。

+3:ナミの航海術でシロップ村を目指す。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

78:それぞれのお使いイベント

佐藤東沙さん、拾骨さん、NoSTRa!さん、かにしゅりんぷさん、mnskさん、凶禍さん、誤字報告ありがとうございます。


 東の海の、戦う男ガイモンの島で一夜を明かした麦わら小僧達は、ナミの提案でしっかりした船を手に入れるべく、最寄りのゲッコー諸島シロップ村を目指していく。

 

 そのシロップ村では、17歳になっても定職に就いてないウソップが、“いつものように”『海賊が来たぞぉおお!!』と大騒ぎしながら朝の村を駆け巡っていた。

 

      〇

 

 同じ頃。

 グランドライン前半“楽園”の朝の海を、スーパートビウオライダーがかっ飛んでいた。

 

 赤黒のヨシムラカラーに塗られたその化け物トビウオは、もはや生物と言って良いのか怪しい。

 流体力学的理由からボディは本来の姿より滑らかな流線型になっている。一方で、強力な人造筋肉をぎっちり搭載した体躯は非常にマッシブだ。

 人造の超強力な心臓と鰓は、長時間の超高負荷運動を可能にしていた。人造の強靭無比な筋肉と頑健かつしなやかな各部のヒレは、水を切り裂くように海中を疾駆させ、風を引き裂くように空中を疾走できる。

 

「気ン持ちイイイィィッ!!!」

 トビウオの体躯にしがみ付くように前傾姿勢で操縦するベアトリーゼは、その楽しさに知能指数を低下させていた。

 スーパートビウオライダーと御揃いの赤黒のタイトな潜水服を着こみ、多眼式の多機能潜水ヘルメットを被った姿は……何処か人型宇宙人っぽい。

 

 ベアトリーゼはフルカスタム・フルチューンド怪物トビウオのスパルタンな性能を楽しみながら、海をかっ飛んでいく。

 目指す先は目標(HVP)が最後に確認された町だ。電伝虫の念波誘導でナビゲーションしているため、ログポースは使わずに済んでいる。

 

 計基盤の脇に据えた海図を一瞥し、ベアトリーゼはぽつりと呟く。

「時期的にいつ、麦わら一味が結成されてもおかしくないからなぁ。さっさと片付けないと」

 

 ルフィの名前が表舞台に出てくるのは、アーロン編が終わってからだけど、そのアーロン編は私がぶっ潰しちまったし。

 まあ、アーロン編が無くても、ルフィなら東の海で何かしらして賞金が懸けられるはず。

 その手配書の公開がタイムリミットだな。

 

 原作の航海日程はかなりスピーディで、たしかルフィは故郷を離れてから10日前後でグランドラインに入り、海賊デビューして約一月で王下七武海のワニ公をぶっ倒している。

 私の存在と干渉で原作チャートがどう狂ったか定かじゃないし、手配書が公開された後はアラバスタで麦わら一味の到着を待ちたいところ。

 つまり――

 

「この仕事をぱぱっと片付けて、ちゃっちゃとアラバスタ行って、ロビンと再会するっ! でもって、麦わら一味が来るまでのんびりバカンスして、特等席でワニ公をぶっ倒す様を見物だっ! うっひょー、たっのしみィーっ!!」

 

 またぞろ獲らぬ狸のなんとやら。そういうところだぞ。

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 そうして、グランドラインの海を走り続け、ベアトリーゼは日が沈みかけた頃にHVPが最後に確認された港町へ到着した。

 

 小さな港町だ。奇怪(ビザール)極まる怪魚に乗った怪しい女が入港すれば、どうしたって衆目が集まる。

 

 ベアトリーゼは桟橋に上がってヘルメットを脱ぎ、野次馬達に交じる港関係者の代表らしき年長者へ、ベリー金貨を投げ渡す。

「停泊代だ。明日、島を発つ時にもう二枚金貨を払う。ただし、私のお魚ちゃんと荷物に何かあったら、お前らとお前らの家族を殺す。しっかり管理しろ」

 

 泣く子も黙るほどの冷たい殺気を分撒いて周囲に理解させた後、ベアトリーゼはヘルメットをトビウオライダーのメットホルダーに掛け、宿泊用バッグを下ろした。タイトな潜水服の上着部分をはだけさせ、袖部分を腰に巻き終えると、桟橋から街へ向かって歩き出す。

 

 好奇と不安の視線を浴びつつ、ベアトリーゼは肩に担いだバッグから、防水処理した写真を取り出した。

 モノクロ写真の中で微笑む、幸せそうな男女と幼い子供。

 

 改めてHVPの顔を確認し、ベアトリーゼは見聞色の覇気を展開。歩きながら目標の捜索追跡を開始する。

 ベアトリーゼは、見聞色の覇気を用いた捜索追跡に長けていた。それは、ロビン仕込みの調査技術や軍隊流の痕跡技術と併用することで、ほんのわずかに残された痕跡を科学捜査班のように見つけ出し……脳内で精密なイメージを再構築できる。

 

 今も、ベアトリーゼの脳ミソは見聞色の覇気が捉えた無数の痕跡と情報を元に、幾日か前の町の光景やHVPの動向を幻視させていた。

 

 多少ぼやけた幻視映像の中で、HVPがとある宿に入り、204号室に宿泊。数日間、宿に留まった後……2人の男と合流して港に停まっていた武装貨客船へ乗り、この町を出ていく。

 

 用心棒を雇ったか……。

 ベアトリーゼが見聞色の覇気を切って、幻視を終えようとしたところで。

 ――ん?

 HVPが島を離れた直後、胡乱な手合いが件の宿に侵入し、HVPが宿泊していた204号室を調べた後、自分達の船でこの島を離れていく様を幻視した。

 

「追手が掛かってるのか。面倒臭ェことになりそう」

 小さくぼやき、ベアトリーゼは『酔いどれ水夫』の口笛を吹きながら、宿へ向かって歩いていく。

 

      〇

 

 翌朝。

 シロップ村の海岸で、麦わら小僧達と黒猫海賊団が激戦を繰り広げている頃……。

 

 ベアトリーゼは港の管理事務所を訪ねていた。

「数日前に出港した貨客船の行き先を教えてくださいな」

 

 受付窓口の垢抜けない受付嬢の手元に100ベリー札とカランビットを置き、ベアトリーゼは怖い笑顔を浮かべる。

「どっちを選んでも良いよ」

 

 垢抜けない受付嬢は顔を青くしつつ、おずおずと100ベリー札を手に取ると、入出港の記録簿を開き、不安顔で言った。

「そ、その船はルルシア王国に向かいました」

 

「ルルシア」

 ベアトリーゼはバッグから取り出した高縮尺の海図を開き、位置を確認。思わず舌打ちする。

「……くっそ。昨日、通り過ぎた島かよ」

 

 不意に前世記憶が疼く。

 退屈なサブクエ。かったるいお使いイベント。●●にいって、◆◆に会って、▼▼を貰って、××をしてきて! 

 ベアトリーゼはテレビに映るレトロなドット絵の画面を幻視した。

 サマルトリアの王子:いやーさがしましたよ。

 

 ざ け ん な。

 

「助かったよ」

 アンニュイ顔を強張らせたベアトリーゼは、受付嬢へなおざりな礼を告げて管理事務所を出ると、まっすぐに桟橋へ向かう。

 この仕事、ひっじょーに鬱陶しいことになるかもしれない。

 もしも、原作のアラバスタ編へ間に合わなかったら……

 

 気づけば、ベアトリーゼは桟橋に停泊するトビウオライダーへ向かって駆け出していた。

 

      〇

 

 ベアトリーゼが血相を変えてルルシア王国へ向かった頃。

 東の海、シロップ村。

 麦わら小僧とその仲間達+シロップ村のウソップ“海賊団”により、ギタンギタンに打ち負かされた黒猫海賊団が、ケツに帆かけて逃げ出していく。

 

 先ほどまで戦場だった海岸の坂道で、ルフィ達は島から遠ざかる海賊船を眺めながら、戦闘後の休息を取っていた。

 

「あー、腹減った。肉食いてェよ、肉」

 黒猫海賊団元船長“百計”のクロと戦い、ルフィは体のあちこちを斬られていた。血を流し過ぎたためか、どこか気だるげだ。

 

「俺は酒が飲みてェな……喉が渇いた」

 坂の岩壁に背中を預け、ゾロがぼやく。

 ゾロは道化のバギーに刺された腹の創傷が治っていなかったが、ニャーバンブラザーズと称する黒猫海賊団の船番コンビをあっさり蹴散らしていた。

 

「肉とか酒とか、朝から胃もたれしそうなこと言ってるわね」

 ナミは抱えていた大きな麻袋の中身を広げ、あれこれと数え始めた。

 何気に、ナミもベアトリーゼ仕込みの棒術で、黒猫海賊団の雑魚を叩きのめしていたりする。出来る女ナミ。

 

「それは?」とゾロが問えば。

「あいつらの船から迷惑料をいただいてきたの」

 つまり、黒猫海賊団が貯め込んできた全財産だ。

 

「抜け目がねェな」とゾロが口端を上げる。

「頼もしいな」とルフィもニシシと笑う。

 

 ナミは奪ったオタカラの査定と勘定を済ませ、

「200万ベリーくらいね。シケてるわ」

 眉を大きく下げて難しい顔を作った。

「バギーから奪ったお金と合わせても、グランドラインを目指せるような船を買うには全然足りない……。当分は、あの短艇を使い回すことになりそう」

 

「グランドライン入りはまだまだ先か」

 ゾロは大の字で寝転がっているルフィへ問う。

「で? あいつは……()()()か?」

 

「ああ。()()()だ」

 ルフィは上半身を起こし、太陽のような笑顔を浮かべた。

「ゾロ。ナミ。あいつ、船に乗せるぞ」

 

 だろうなとゾロは口端を和らげ、でしょうねとナミは微苦笑をこぼす。

 

「でも、その前に」

 ルフィは立ち上がって2人へ言った。

「朝飯を食いに行こう!」

 

      〇

 

 ルフィ達が村の食堂で少し遅い朝食……というには大量の飯をかっ食らっている時。

 

 ウソップは自身の“海賊団”解散宣言をした後、自宅に戻ってきていた。

 腹に入りきらなくなるまで水を飲んだ後、救急箱を取り出し、黒猫海賊団との戦いで負った傷を手当てしていく。

 

 だけど。

 上手く軟膏を塗れない。上手く絆創膏が貼れない。上手く包帯が巻けない。

 手先が震えて止まらないから。

 

 帰ってくるまでは平気だった。しかし、安心できる自宅に戻った瞬間……ウソップは耐え難いほどの恐怖に襲われていた。

 

 初めてだった。本気の殺意をぶつけてくる相手と対峙したことは。

 初めてだった。命懸けの戦いをしたことは。

 

 戦闘の興奮が醒め、勝利の充足感と村とカヤを守り切ったという達成感が落ち着くと、自分がどれほど危険な綱渡りをしたか実感し、恐怖が収まらなくなっていた。

 

 そして、カヤが敵に囚われ、彼女を救うべく強化パチンコを放った時を思い出し、ウソップは強烈な嘔吐感に駆られた。

 慌ててトイレに駆け込み、先ほど呑んだ大量の水を全て便器に吐き出した。しかし、胃の中が空っぽになっても、嘔吐感が収まらない。

 

 もしも、あの一撃が外れていたら。

 もしも、あの一撃が逸れてカヤに当たっていたら。

 

 その想像がウソップの胃袋をキリキリと締め上げ、ウソップの心をギリギリと締め上げる。

「よ"か"っ"た"」

 

 ウソップは便器に向かって吐露し、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。

 ルフィ達にも、ウソップ海賊団のチビ達にも、カヤにも明かさなかったウソップの本心。

 

 よかった。

 本当によかった。あの一発が外れなくてよかった。あの一発が敵に当たってよかった。あの一発がカヤに当たらなくてよかった。

 誰も死なずに済んでよかった。ルフィ達が死なずによかった。大事な“友達”であるチビ達が死なずに済んでよかった。

 この村の人達を守れてよかった。亡き母が眠るこの村を守れてよかった。親父が帰ってくる村を守れてよかった。

 

「よ"か"っ"た"ぁ……っ!!」

 胃酸に焼かれて痛む喉を震わせ、ウソップは肩を震わせ、嗚咽を漏らす。

 誰に知られることなく村を守り通した若き英雄は、誰にも知られることなく恐怖と安堵に涙を流す。

 

 泣きながらも、ウソップは立ち上がった。

 チビ共の前で宣言したからだ。もう遊びは終わりだと。本物の海賊として父のように海へ出る時が来たのだと。

 

 ウソップは自分の体より大きなリュックサックへ、詰め込めるだけ詰め込んでいく。

 必要なものも要らなそうなものも、大事なものも案外大事で無いものも。とにかく詰め込めるだけ詰め込んでいく。

 

 いつの間にか涙は引っ込んでいた。

 そして、二枚の写真を手に取る。

 

 一枚は少し前、チビ達とカヤと共に写したもの。カヤもチビ達もとても楽しそうだ。

 

 もう一枚は少しばかり古い。

 幼い自分を中心に、若い頃の母と父が仲睦まじく寄り添っている写真。

 

 ウソップは父を誇りに思っている。

 クラハドール……カヤの屋敷の執事に化けていたクソ海賊野郎は、父をこれ以上ないほど侮辱し、ウソップは憤怒した。

 だが、なんてことはない。それは父を貶められたからではなく、ウソップ自身が心の奥に隠し抱いていた感情を指摘されたからだ。

 

 当たり前だ。

 父は家族を置き去りにして海賊になり、便りも寄越さず、母を一人で逝かせ、自分を一人ぼっちにした男だ。母が生存中も、亡くなった後も、自分がどれほど寂しい思いをしてきたことか。

 

 ウソップが父を自分と母を棄てたクソヤロウと恨まなかったのは……ひとえに母が最期の瞬間まで父を愛し続け、我が子に父が誇るべき男だと繰り返し伝えてきたからだった。

 

「俺は親父を尊敬している。男として海の戦士である親父を誇りに思っている。だが、それとお袋のことは話が別だ。だから……ごめんな、お袋。俺は親父に出会ったら」

 

 まずぶん殴る。

 

 力いっぱいぶん殴る。これは絶対だ。俺のことは良い。しかし、お袋を一人で逝かせたことや、東の海に来ていながらお袋の墓に一度も詫びに来なかった件に関して、必ずケジメは取る。必ずだ。

 

 ウソップは二枚の写真をリュックの一番頑丈な所へ、この世の何よりも尊いものをしまうような手つきで収めた。全ての荷物をまとめ終え、家の外へ出る。17年を過ごしてきた小さな家を振り返り、その目にしっかり焼きつけた。

 

 お袋の墓に挨拶を済ませたら、出発しよう。

 俺もあいつらと同じように海賊を目指すんだ。

 

 ウソップの足取りに迷いはない。

 

 

 

 

 そして―――

 

 

 

 

 ウソップが海岸に到着すると、船首飾りが可愛らしい羊顔のキャラベルが停泊していた。

 カヤの家が所有する『ゴーイングメリー号』。小柄で今では古い型だけれど、とても良い船だ。どうやらカヤは、ルフィ達に船を譲ることにしたらしい。命を救われた恩返しだろう。

 

 カヤと別れの挨拶を済ませ、ウソップが小舟で出発しようとすると、メリー号の舷側に立っていた緑頭の青年ロロノア・ゾロがウソップへ言った。

「何やってんだ。早く乗れよ」

 

「え?」ウソップはきょとんとして「な、なんで……」

 後甲板からウソップを見下ろしていた麦わら小僧ルフィが告げる。

 

「俺達もう仲間だろ」

 

 ウソップはじわりと涙を滲ませ、歓喜の声を上げた。

「キャプテンは俺だろうなっ!!」

「バカ言え、船長は俺だッ!」

 ルフィが笑顔で怒鳴り返した。

 

        〇

 

 船を進めつつ……荷物を確認したり、操船を試したり、搭載砲を試し撃ちしたり。

 それから、絵心のあるウソップが主導となって麦わらを被った髑髏の旗が作られ、メインマストの帆にも同様の絵柄が描かれた。

 ルフィ達は無邪気に自分の旗揚げを喜んでいた。

 いずれ、彼らの旗が世界を揺らすことになるとは知らずに。

 

 ともあれ、一仕事を終えたルフィ達は船楼主室に集まり、簡単な昼食を摂りながら話し合う。

 

「グランドラインに入る前によ、もう一人必要なんだ」

 ルフィがおもむろに言った。

 

「うん」ナミも首肯し「立派なキッチンがあるし、コックが欲しいところね」

「長旅には美味い飯と酒が欠かせねェしな」とゾロも同意する。

 

「そういうもんか?」

 船旅も長旅も知らないウソップが問えば。

 

「食料在庫の管理とか、栄養配分の面とか重要よ」

「飯が不味かったり、酒が切れたりするとマジでキツいぞ」

 船旅と長旅を知るナミとゾロがしみじみと語り、

 

「だよな。だから、入れようぜ」

 ルフィがうんうんと頷き、言った。

「音楽家」

 

「「「なんでだよっ!!」」」

 三人のツッコミが綺麗にシンクロした。

「お前はアホかぁっ!?」

「今の話の流れでそーはならんだろっ!」

「あんた、私達の話ちゃんと聞いてたのっ!?」

 ゾロとウソップとナミからヤイヤイと言われ、

 

「だ、だってよぉ、海賊っつったら歌うだろ? なら音楽家が要るだろっ!?」

 ルフィが身を仰け反らせて釈明しているところへ、

 

「出てこい海賊どもォオオオッ!!」

 突如、表から怒号がつんざいた。

 

「あ?」「ん?」と戦い慣れしているルフィとゾロは片眉を上げ、

「なんだぁっ!?」ウソップは吃驚し、

「朝に一戦したばかりなのに……」

 ナミはげんなり顔を作り、ルフィへジト目を向けた。

「ルフィ。さっさと片付けてきて」

 

「俺が代わりに行っても良いぜ?」

「いいよ。腹ごなしにちょっと行ってくる」

 ルフィは軽い調子でゾロに応じ、主室を出ていく。

 

 

 で。

 

 

 ルフィがワンパンで襲撃者を沈めたところ……

 この襲撃者は、ゾロが知る賞金稼ぎジョニーだった。

 

 なんでも、相棒のヨサクが壊血病に罹ってしまい、岩礁の上で安静にしていたところ、ルフィとウソップが大砲の試射を食らわせたらしい。で、怒り狂ったジョニーが報復に襲ってきたという顛末だとか。

 

 ぎゃーぎゃーと大騒ぎする男共に呆れつつ、ナミは応急措置としてヨサクにライムの絞り汁を大量に飲ませた。

「これでしばらく休んでいれば、良くなるわ」

 

「すげーな、ナミっ! これからは航海士と船医の一人二役だなっ!!」

「俺ぁお前が出来る女だと思ってたぜ、ナミ」

 ルフィが尊敬の眼差しを向け、ウソップがなぜか『ナミは俺が育てた』な得意面を作り、

「栄養満点、俺ふっかぁ――――つっ!」

 ライム果汁を呑んだばかりのヨサクが飛び起きる。

 

「間に合わない。ツッコミが間に合わないわ」

 ナミは思わず目元を押さえてぼやく。

 

 一同がトンチキなやり取りを交わした末……。

「よし、“海のコック”を探そうっ! うンめー飯を作れる奴なっ!」

 ルフィが方針を定めると、賞金稼ぎのジョニーが手を挙げていった。

「はいっ! はいはいはいっ! 俺に良い案がありやすぜっ!!」

 

「ほう? なんだ?」

 ゾロが合いの手を返すと、ジョニーはにやり。

「海のコックを見つけるのに、うってつけのところがあるんでさぁ」




Tips
HVP
 High Value Person(Package)
 高価値人物(高価値物)の意。HVTの場合は高価値目標の略。

ウソップ
 原作主要キャラ。
 本作における心理描写は全て作者の独自解釈。異論は認める。

ベアトリーゼ。
 そういうところだぞ。

お使いイベント。
 ゲームのボリュームを増すためにしばしば取られる手法。なお、ユーザーの見解は賛否両論の模様。

サマルトリアの王子。
 国民的RPG『ドラゴンクエスト』の第二作で登場する主要キャラクター。
 彼を仲間にする過程は、おそらく日本国内で最も有名なお使いイベントであろう。

ヨサク&ジョニー
 原作キャラ。
 ゾロをアニキと慕う賞金稼ぎコンビ。しばし、麦わら一味に同行する。
 原作では、アーロン編後に別れ、新世界編の頃には、賞金稼ぎから足を洗って漁師になったらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

79:大人げないですよ、ミホークさん

トリアエーズBRTさん、佐藤東沙さん、春梟さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。

内容と後書きの一部名称に間違いがあったので修正。内容に変化無し(3/28)


 これは、ルフィ達がゴーイングメリー号を手に入れる前日くらいの出来事だ。

 

     〇

 

 その日、王下七武海の一人“鷹の目”ジュラキュール・ミホークは“マーケット”に赴いていた。

 眼鏡に適う銘酒を数本入手し、マーケットを離れる前に腹へ何か入れていくか、とミホークが通りの屋台を見繕っていた時のこと。

 

「あっ!」

 赤茶髪の乙女がミホークを見つめ、『こいつはどえらい獲物を見つけたぜ』と目をぎらつかせていた。

 

 首からぶら下がるカメラ。左袖には『世界経済新聞特派員』の腕章。

 面倒臭そうな手合いに見つかった、とミホークは眉根を寄せたが、既に時遅し。

 

 世経の乙女記者はミホークに食いついていた。

「王下七武海、鷹の目ミホークさんですよねっ!? 私、世界経済新聞特派員コヨミと申しますッ! ミホークさん、取材をさせて下さぁ―――――いっ!!」

 

「断る」ミホークは即座にばっさりと拒絶し、寄らば斬ると冷徹な殺気を放つ。

「言下に一蹴っ! だけど、諦めませんよっ! さあ、取材させてくださいっ! さあさあ、さあっ!!」

 コヨミと名乗った乙女記者は物怖じせずグイグイと詰め寄ってくる。

 

 狂人の類か。ミホークは溜息をこぼす。この手の人種は斬るか応じるかせねば、いつまでも離れない。そして、ミホークは海賊相手ならともかく、イカレとはいえ武器を持たぬ者を無礼討ちするような趣味を持たない。

 それにまぁ……忙しい身の上でもない。むしろ暇だ。

 

 やれやれと言いたげな目つきで、ミホークは告げた。

「一杯奢れ……その間だけ付き合ってやる」

 

「あざーっす!!」

 コヨミは早速ミホークを近くの呑み屋へ連れ込み、ミホークの好みを聞かず勝手に注文する。

「私とこちらにシングルモルト、ロックのダブルっ!」

 

 呑み屋のマスターはミホークの威容にビビりながらも丁寧に酒を用意し、カウンターに並んで座る2人の手元にグラスと御通し(チャーム)のナッツを置く。

「では、スクープを祈って乾杯っ!」グラスを手にニコニコ笑うコヨミ。

 

 とことん自己中心的に話を進めるコヨミに、ミホークは無言でグラスを口に運ぶ。安酒だった。もはや溜息も出ない。

「何が聞きたいか知らんが、さっさと済ませろ」

 

 両手でグラスを包むように持ち……くぴりと呑んでから、コヨミは切り出した。

「ミホークさん、“黒い魚人”という噂、聞いてませんか?」

 

「黒い魚人?」鸚鵡のように返し、ミホークは片眉を上げて「話せ」

 その回答は心当たりがないことを意味していたが、コヨミは首肯して説明する。

 

 半年ほど前から、グランドライン前半“楽園”の浅いところ――リヴァースマウンテンから数日の海域で、全身黒づくめの魚人達がグランドライン入りして間もない海賊(ルーキー)を襲っているという。

 

「この黒づくめの魚人達は海賊達を襲って何も奪わないんです。いえ、海賊達の命は奪っていますけれど、金品や食料、文物、武器弾薬、船そのもの。何も奪い取らない。海賊を殺すことだけが目的みたいな連中なんですよ」

 コヨミの説明を聞き、ミホークは安酒を少し呷る。

「人間と魚人の隔意は大きく深い。そういう輩がいてもおかしくあるまい」

 

 この世界において、最も差別と迫害を被ってきた種族は魚人族だろう。二百年ほど前までは『人に近い姿を持ち、言語を操る知能を持つ……“魚”』という扱いだった。

 そして、魚人への差別や迫害も奴隷として攫われることもいまだに続いているため、人間を憎み恨む魚人が少なくない。

 

 ミホークの見解に、コヨミは大きく頷く。

「御説ごもっとも。でも、そういう恨み辛みが動機なら、グランドライン入りしたばかりの海賊(ルーキー)なんて狙わず、シャボンディ辺りの人攫い屋や、魚人島近くで人魚を狙う海賊達を襲うのが筋でしょう?」

 

「理屈ではな」ミホークはナッツを摘まみ「だが、種族憎悪で殺しをしているような手合いならば、理屈が通じずともおかしくないだろう」

「それも確かに。けど、略奪を一切しないというのは、流石に説明がつかないと思いませんか? 活動の資金や物資はいくらあっても困らないでしょう?」

 

「俺に聞かれてもな」

 ミホークは残っていた安酒を飲み干す。知らぬことの話を続ける意味はない。興味も引かれない。

 

 空にしたグラスを置き、ミホークが腰を浮かせかけた矢先、コヨミは言葉を編んでいく。

「わずかな生き残りが語ったところでは、その黒い魚人達は相当強いらしいですよ。グランドライン入りしたばかりの海賊(ルーキー)は大抵が雑魚ですけど、中には血浴と悪魔の子、火拳みたいな腕利きもいます。そういう手練れ達までやられてるんです」

 

 ミホークは浮かせかけていた腰を下ろす。

「……そいつらが現れる海域は分かるのか?」

 

 コヨミは大物を釣り上げた釣り人のような笑顔を浮かべた。

「お代わり、飲みます?」

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 かくして、ミホークは予定を変え、グランドライン前半“楽園”の入り口へ向かった。

 剣の頂に立って以来、ミホークは退屈と閑暇に倦んでいる。好敵手だった“赤髪”が片腕を失ってからは特に。

 

 まぁ……暇潰しにはなろう。要らぬ道連れがついてきてしまったが。

 

 しれっとコヨミも同行しており、跨った鯱を操りながら、赤ずきんちゃんのようにミホークの船について質問を重ねていた。

 

 記者なら当然だった。

 なんたってミホークの船……否、小舟はおよそ航海に向いてない。

 

 ミホークの小舟は船舶工学に喧嘩を売るような棺桶型で、狭い甲板には小さなマストと、玉座めいた座席が鎮座しているだけ。船旅用設備など一切ない。ミホークはこんな気狂いな代物でグランドラインを気ままに巡っている。

 いったいどうやったら、そんな無理無茶無謀がまかり通るのか……。

 

 もっとも、ミホークはコヨミの質問に一切答えなかったが。

 

 そして、ミホーク(とオマケ)が“黒い魚人”が出没するという海域に到着した時、グランドライン入りして七日目を迎えた “首領(ドン)”・クリークの海賊艦隊もまた、同海域に足を踏み入れていた。

 

 ミホークは水平線に居並ぶ大艦隊を双眸に捉え、

「……件の魚人達と出会うまでの暇潰しになるか」

 愛刀『夜』を抜いた。

 特に理由のない暴力が――それも圧倒的な”超”暴力がクリークの海賊艦隊を襲った。

 

      〇

 

 それは世界最強による完膚なきまでの蹂躙であり、大型恐竜がダンゴムシの群れを蹴散らすような一方的に過ぎる撃滅だった。

 加えて挙げておくと、あまりにも強大無比なミホークに畏怖や恐怖を覚えるより、クリーク達の“ひ弱さ”に呆れや憐憫を通り過ぎて、居た堪れないものを覚える光景だった。

 

「以前、エレジアで血浴のベアトリーゼさんが、海賊達を一方的に蹂躙する様を見ましたけど……彼らはまだ善戦したんですねえ……」

 コヨミは鯱の背に跨ったまま、大海原に生じた海賊船の墓場を撮影していた。

「それにしても……5000人もいて、能力者も覇気使いもいないとか……いや、仮に能力者も覇気使いも居ないとしても、これはちょっと不甲斐ない気もします。ミホークさんはどう思います?」

 

 血に染まった波間で揺れる無数の残骸と海賊達の屍。既に水底へ消えていった船と人も多い。わずかな生き残り達が水面に浮かぶ残骸にしがみ付き、ぶるぶると震えている。

 

「剣を振るったことを恥じるほどの弱者達だ。しかし、生にしがみつく根性はあるようだ」

 ミホークは鷹のように鋭い双眸を、無様に逃げていく巨大ガレオン船と数隻の帆船へ向けた。

 

 コヨミはミホークの目線を追い、呆れ顔を浮かべる。

「あらら、逃げるにしても、なんでカームベルトに向かうかなぁ……あの人達、海楼石を備えてるんですかね。というか、ただの帆船で凪の海を越えられるのかしら」

 

「知らん。どうでも良い」

 ミホークは手にした愛刀『夜』を握ったまま、逃げていく巨大ガレオン船から目線を外す。そして、自身が作り出した惨劇の海をゆっくりと見回し……不意に唇の端を微かに上げた。

「本命が来たようだ」

 

 コヨミは事態の変化を察し、愛鯱チャベスの手綱を引き、

「では、私は邪魔にならないよう離れて取材しますかね。それと」

 黒々と染まっていく空模様を指さした。

「嵐が来そうです。あまり勝負を楽しむ時間は無いかもですよ」

 

「それはそれで面白い」

 薄い笑みをこぼし、世界最強の剣士は広い足場を求め、転覆した海賊船の横っ腹へ飛び移った。場を離れていく記者と鯱を視界から外し、船の残骸と海賊の屍に満ちた水面を睥睨する。

 

「来るがいい」

 鷹の目がわずかに細められた、刹那。

 

 海面から黒い影達が勢いよく飛翔し、海賊船の横っ腹に降り立つ。

 いずれも無手無腰。奇怪(ガッポイ)な仮面で顔を覆い、隆々とした逞しい体躯を真っ黒な装束と装具で包んでいる。しかし、背中や腕から生えるヒレは紛れもなく魚人の証。

 

 4人。ミホークは鷹のような目で一人一人を観察する。

 

 1人は仮面の口元がひょろりと伸びている。

 1人は両腕に鋼板染みたヒレが生えており、

 1人はデコの部分が瘤のように盛り上がっている。

 最後の1人は仮面の鼻先からノコギリのような鼻が覗く。どうやらこのノコギリ鼻が一番“出来る”ようだ。

 

 いずれも“良”。

 海中に、より腕の立つ者が2人残っているようだが、戦いに加わる気がないようだ。

 

 ふむ。ミホークは『まずは挨拶』と最上大業物の大刀を“軽く”振るう。

 柔らかな微風が駆けた、その直後。

 周囲の海賊船の残骸達が野菜のように両断され、果ては遠方に逃れていた海賊艦隊の一隻が真っ二つになった。

 

 が、黒づくめの魚人達は絶死の刃を掻い潜り、ミホークへ向かって襲い掛かる。

 ミホークは一撃をかわされたことに唇の端を緩め、黒い魚人達を迎え撃つ。

 

 口伸びが水滴の超高速弾の弾幕を張り、ヒレ腕と瘤デコが肉薄しての拳打足蹴を連ね、三者の攻撃の()を繋ぐように、ノコギリ鼻が砲弾のような体当たりを放つ。

 

 常人ならば瞬く間に戮殺しえる圧倒的暴力が見事な連携で繰り出される。も、ミホークは漆黒の大刀を軽く振るって弾幕を切り払い、優しい剣捌きで拳打足蹴の嵐を容易くいなし、わずかな体捌きでノコギリ鼻の体当たりをかわす。手傷を負うどころかコートや帽子の端にすら触れさせない。

 

 ミホークは魚人達の攻撃をあっさりとしのぎきり、

「思ったより楽しませる。返礼だ。頂の剣を見せてやろう」

 後の先を取って世界最強の黒刀を走らせる。

 

 

 

 

 

 

 

 その一太刀は全てを断った。

 周囲の残骸も、水面に揺蕩う骸も、海すらも、空さえも、切り裂かれた。

 

 口伸びは大きく飛び退いたにも関わらず、右腕が消し飛ばされた。

 ヒレ腕は海中へ逃れようとしたが、剣風に吹き飛ばされて残骸のマストに叩きつけられる。

 ノコギリ鼻はとっさに大きく伏せるも、強烈な剣閃から逃げきれず仮面の左半分を破壊されて左目を失った。

 

 そして、斬撃をまともに受けた瘤デコは上半身が消滅していた。命と上半身を失った瘤デコの下半身がその場にへたり込む。

 

「む」

 斬撃の余波で大きく破損した足場の海賊船が急速に沈み始め、ミホークは自身の小舟に飛び移る。加えて、災害染みた一振りが呼び水となったのか、急激に天候が荒れ始めた。真っ黒な暗雲が空を覆い、風が吹き荒れ、水面が激しく暴れだす。

 

 生き残った魚人達がそれまでと打って変わって憤怒と憎悪を露わにしたことに、ミホークは興味深そうに片眉を上げるも、天候の悪化は如何ともし難く。

「ひとまずの仕舞いか。残念だ」

 ミホークは口惜しそうに嵐から退避を始めた。

 

 なお、一足先に逃げ出していたクリーク達もまた、この嵐に巻き込まれていた。

 気の毒すぎる。

 

     〇

 

「え。追うんですか?」

 コヨミは双眸を丸くした。

 

 嵐が過ぎ去った後、クリーク艦隊の墓場だった海域は元の姿へ戻っていた。

 わずかに浮かぶ海賊船の残骸の上で、コヨミは固形燃料式の小型携帯コンロで軽食を作りながら、向かいに腰かけるミホークをまじまじと見つめた。

「流石にそれは……弱い者イジメっぽくて、大人げない気がしますけど」

 

「あの弱者達を追う訳ではない。目的は黒い魚人達だ。彼奴らも弱者共と同じ方角へ逃げていったからな」

 ミホークはコヨミの誤りを解きつつ、小型携帯コンロに載せられたフライパンをジッと見下ろす。バターとスパイスに塗れた白身魚の切り身がじりじりと焼かれ、良い香りを漂わせていた。

「……そろそろ良いのではないか?」

 

「少し表面が焦げた方が美味しいんですって。目玉焼きもいります?」

「貰おう」

 

 2人は嵐の後の海上で『白身魚のソテー・目玉焼きを添えて』を食べながら、話を続ける。

「あの黒い魚人達と対峙してみて、どうでしたか?」

「海賊ではないな。周囲の残骸にある金品や文物に見向きもせず襲ってきた。次に、人間に対する憎悪や怨恨が理由でもない。奴らからはそうした情念を一切感じなかった。いや、感情自体が乏しかったように思う」

 

 コヨミの問いに応えつつ、ミホークは思案顔を作った。

 そう、あの魚人達からは感情が感じられなかった。戦いに臨む人間は、いや、獣にしても多くの感情を露わにする。闘志。戦意。殺意。敵意。害意。悪意。憤怒。恐怖。興奮。怯懦。歓喜……だが、あの魚人達からは如何なる情動もなかった。

 あれではまるで……昆虫だ。

 

 しかし、少々本気のひと振りを浴びせた後、生き延びた三人の魚人達は我に返ったように、感情を露わにしていた。あれは如何なることか。

 

 ミホークは食事を終え、ハンカチで口元を拭った。

「いずれにしても、このままでは消化不良だ。追う」

 どうせ暇だ。

 

 コヨミはカームベルトの広がる方角へ顔を向けた。

「はてさて……彼らはどこへ向かったんでしょうね」

 

      〇

 

 グランドライン某所。

 ロイヤル・クリッパー型豪華客船の特等船室――実質、フラウ・ビマの住居と化している部屋。

 フラウ・ビマは電伝虫の通話器を置き、小さく溜息をこぼす。その些細な仕草が酷く艶めかしい。

 

「大変、失礼しました。“事故”が起きてしまったようで」

 居住まいを正し、フラウ・ビマは来客へ丁重に謝罪する。

 

 撫でつけられた灰色の髪。鉛筆状に整えられた口髭。三つ揃えとネクタイとシャツ、傍らに置かれたハット、いずれも最高級品で、革靴は磨き上げられて輝いている。

 そんな老紳士は豪奢な応接セットのソファに腰かけ、美術品染みた白磁のカップを手にしつつ、丁寧な物腰でフラウ・ビマへ問う。

「例の強化試験体に問題が起きたのですか?」

 

 フラウ・ビマは優艶な姥桜じみた容貌に微かな緊張を走らせ、説明を始めた。

「はい。“鷹の目”ミホークと交戦して損傷を被り、制御用の念波信号を受信しなくなってしまったそうで……カームベルト内へ逃亡したと。今、回収班に準備させております」

 

 老紳士はカップを左手に持つティーソーサーへ置き、静かに語る。

「脳神経系、すなわち精神や心理にメスを入れれば、大なり小なりリスクを孕みますからね。損傷によって不具合が生じたのかもしれません。試験体NA-N6aのことを?」

 

「いえ、寡聞にして存じません」

「NA-N6aは20年以上前、機械置換系の手法で身体強化を図った試験体です。血統因子発見以前だったことも手伝って、いろいろ技術的に稚拙なところが目立ちました。肉体の半分以上を機械化し、脳神経系にも手を加えた結果……人格的に随分と変容してしまいましてね。最終的には、手に負えないほど精神的に破綻してしまいました」

 

 訥々した口調で語られた内容に、フラウ・ビマは慎重に言葉を選ぶ。

「NA-N6aは成功に至らなかった……ということでしょうか」

 

 フラウ・ビマの言葉選びに、老紳士は口髭を楽しげに震わせた。

「より直截に言えば、実用を目指したという点では完全な失敗といって良いでしょう。ただし、研究室レベルでは大成功です。NA-N6aによって得られた知見と経験、数々のデータは現在のモッズの礎となりました」

 

 老紳士はカップを口に運んで舌を湿らせ、

「もっとも、脳神経系や魂はいまだ未解明の部分が大きい。経験豊富なドクトル・リベットは入手したい人材でした」

「我々の力不足でお迎え出来ず、申し訳ありません」

 大きく頭を垂れるフラウ・ビマへ穏和な微笑みを返す。

 

「ドクトルの護送を担った者は海軍大将と戦えるほどの手練れだったとか。貴女に()()()()()手札を考えれば、責を問うことはありません」

「いたみいります」

 

 緊張を解かぬフラウ・ビマから視線を外し、老紳士は船窓の外を窺いながら、

「試験体の件ですが、放置して構いませんよ」

「よろしいので?」

 真意を探るように漆黒の瞳を向けるフラウ・ビマへ言った。

「構いません。政府が試験体を元に我々の技術力を過小評価するなら油断を誘えますし、逆もまた然り」

 

 カップを瀟洒なテーブルに置き、“抗う者達”の最高幹部を務める老人は、顔の皺を大きく歪めるようにフラウ・ビマへ笑いかけた。

「我々は粛々と為すべきを成せばよいのです。偽神からこの世界を解放し、あるべき調和と均衡をもたらすためにね」

 

        〇

 

 時計の針を少し進めよう。

 

 麦わら一味と賞金稼ぎコンビを乗せたゴーイングメリー号が、“海のコック”を仲間にすべく、海上レストラン『バラティエ』を目指して航海していた頃。

 

「……勘弁してよ」

 ベアトリーゼはルルシア王国の漁村にある酒場で、慨嘆をこぼしていた。

 

 案の定というか、目標(HVP)は別の船を手配して既にルルシアを発っていた。しかも、素性の怪しい船で。こうなると追跡の難度が跳ね上がる。

 

 挙句……

『血浴のベアトリーゼッ! 酒場は完全に包囲したっ! 大人しく投降せよ!!』

 誰かしらが通報したらしく、大勢の海軍将兵がこの酒場を取り囲んでいた。ルルシアに近いG2支部の連中だろう。

 ベアトリーゼはビールを呷り、仰々しいほど大きく溜息を吐いた。

「ああああああ、もう、ほんと勘弁してよ」




Tips

ジュラキュール・ミホーク
 原作キャラ
 ワンピ世界最強の剣士にして、ワンピ世界屈指のランダムエンカウント・ボスエネミー。
 暇潰しでクリーク艦隊を全滅させるなど、非常におっかないイケオジだが、意外と気さくな所もある模様。
 ワインを愛しており、自身の拠点で土弄り……家庭菜園をしているらしい。

クリーク。
 原作キャラ。
 とても不運で気の毒な人。

コヨミ
 オリキャラ。元ネタは銃夢に登場する女記者コヨミ。
 容姿と名前以外に元ネタの面影はない。ファンの人ごめんなさい。

 拙作では、ミホークを焚きつけ、意図せずしてクリーク艦隊を全滅させてしまったが、特に反省はしてない。

黒い魚人達
 ”抗う者達”の人造魚人。それと、肉体とオツムを弄られた強化試験体達。
 いったい何者なんだ……

実験体NA-N6a
 元ネタは『砂ぼうず』第一部に登場するサイボーグ男、難波(Nanba→NA-N6a)。
 サイボーグ化の過程で頭がイカれ、性的不能になってしまっている。
 原作キャラ曰く『もーダメですよ、あいつ』



今週の連続更新はここまでが限界。来週も連続更新できるかは不明


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

80:バラティエの一夜

NoSTRa!さん、かにしゅりんぷさん、一般人Aさん、地木陰さん、誤字報告ありがとうございます。


 麦わら一味は海上レストラン『バラティエ』の傍らで、海軍将校フルボディ大尉とちょっとした小競り合いを起こし、ルフィがバラティエに誤って砲弾を当ててしまう。

 

「おいゴラァッ!」「降りてこい!」「どういうつもりだコラッ!」

 得物を手にわらわらと出てくるヤクザ達……と見紛う、ガラの悪いコック達。

 仲間を庇って全ての責任を負ったルフィに対し、『バラティエ』オーナー、ゼフが言い渡した示談の条件とは……

 

 まあ、それはともかく。

 

 砲弾を浴びたバラティエからワラワラと飛び出してきたコック達の中に、バラティエで修行中のタコ魚人のはっちゃん……またの名をハチも居て。

 船長ルフィの予期せぬやらかしに、ゴーイングメリー号の舷側で目を覆っていた一味の中には、ナミが居て。

 

「にゅっ!? ナ、ナミッ!?」

 目を真ん丸にするかつての加害者。

 

「あんた……ハチっ!?」

 吃驚の声を上げるかつての被害者。

 

 

 ここに、因縁を持つ二人が遭遇した。

 

 

 ルフィがバラティエへ詫びを入れに行っている間、

「なぁ、ゾロ。いったい、ナミはどうしちまったんだ? あの魚人を見てからただ事じゃねェぞ」

 ウソップはちらりと後甲板を窺う。目線の先では、ナミがおどろおどろしい『放っておいて』オーラを漂わせている。

 

「さぁな」

 ゾロは舷側の胸壁に背中を預け、投げやりに応じた。

 

「さぁな、て……お前」

 反応に困るウソップへ、ゾロは短く刈り込んだ緑髪を掻きつつ続ける。

「そんなに気になるなら、聞いて来いよ」

 

 ゾロが面倒臭そうに告げれば、ウソップは突然胸を押さえて呻きだす。

「うっ!? 女の過去を詮索するな病の発作がっ!」

 

 テキトーなホラを吹くウソップに眉根を寄せながら、ゾロはナミへ向かって声を張った。

「おい、ナミ! ウソップがお前にビビりまくって半ベソ掻いてるぞ。そろそろ事情を話すなり、気を鎮めるなりしてくれ」

 

「ベソなんて掻いてねーわっ!」

 ウソップはゾロへ喚きつつ、腰を引かせながらナミへ向かって言った。

「で、でも話したいなら聞くぞ、ナミッ! ただし、聞くだけだぞ、それ以上のことは俺に期待するなよっ!?」

 

「あんた達はまったく……」ナミは心底鬱陶しそうに溜息を吐き「事情は後でルフィを交えて話す。それで良い?」

「ルフィか」ゾロがバラティエに顔を向けて「あいつはあいつでどーなって」

 

 どがんっ! ぎゃあああっ! パン! がっしゃーん!! と店内から破壊音やら悲鳴やら銃声やらが次々と聞こえてきた。挙句は血達磨になった海軍大尉が、慌てふためいて自身の船に乗り込み、大急ぎで逃げ出していく。

 

「「「……」」」

 三人は逃げていく海軍船を見送り、ナミは髪を掻き上げ、ドン引き顔のウソップと困惑顔のゾロに提案した。

「とりあえず……店、入ってみる?」

 

       〇

 

 グランドライン前半”楽園”、某所。

「遅かったか」

 ベアトリーゼは割れた窓から、夕陽が差し込む室内を見回す。

 

 元はそれなりに高級志向だった部屋は、散々に荒れ果てていた。破壊された調度品や家具が足の踏み場もないほど散乱し、部屋の主やその手下達の惨殺体が転がっている。特に、主は手酷く拷問されてズタズタだった。

 

 目標(HVP)がルルシアから出国するために利用した密輸業者を特定し、アジトに乗り込んだところ、既にこの有様だった。

 ロビン仕込みの調査技術と軍隊仕込みの痕跡分析、見聞色の覇気を用いた捜査で分かったことは単純明快。

 

 血の乾き具合と死体の傷み具合から、襲撃はおよそ半日前だ。下手人は“金獅子”シキの放った追手達。

 

 ベアトリーゼは思案した。

 HVPは巧妙に痕跡を消しつつあり、追手には半日分先んじられている。このままでは時間を無駄にするだけだ。

「……そもそも追手共はどうやって、こんな精確にHVPを追ってるんだ? 何かしらの追跡装置? 見聞色の覇気? ビブルカード? ……ビブルカードか」

 

 ベアトリーゼは暗紫色の瞳を細めて舐めるように室内を見回し……執務机傍から一本の髪を拾い上げた。

「……犬の方を追うか」

 

     〇

 

 ベアトリーゼがビブルカード職人を脅しつけて急ぎ仕事をさせている頃、営業時間を終えた海上レストラン『バラティエ』にて。

 

 店の裏でハチは三対の腕で膝と頭を抱えていた。

「どうした、浮かねェ面して。今夜はタコ焼きの練習しねェのか?」

 いつの間にか金髪グル眉少年――バラティエ副料理長のサンジが傍らに立っていた。

 

「サンジ……」ハチは大きく溜息を吐き「今日はとてもじゃねェが、練習する気分になれねェ……」

 ハチは元来、人間に隔意を抱いていない。子供の頃には遭難していた人間を助けたこともある。そんなハチがアーロン一味に身を置いていた理由は、幼馴染のクロオビに付き合っただけだった。無論、その決断にはフィッシャー・タイガーの悲劇が、大なり小なり影響を与えていたけれど。

 

 だが、アーロン一味から離れ、一年に渡ってバラティエで愉快で楽しい人間達と触れ合ったがために、ハチはココヤシ村での行いとナミにしたことの罪深さを思い知っていた。

 

「……そいつはナミさんが理由か?」

 サンジは煙草に火を点け、ふっと紫煙を吐いた。

 

「にゅ!? な、なんで」

 動揺するハチに、サンジは苦笑いをこぼした。

 

「そりゃ、お前とナミさんの様子を見りゃあ、何かのっぴきならねェ因縁があるって分かるさ。で? 何やらかした? お前の不景気な面から察するに……後悔するようなことか?」

 ハチは大きく肩を落とし、顔を覆って頷く。

「ああ。後悔してもしきれねェ……俺達はナミに取り返しのつかない、本当にヒデェことをしちまったんだ……」

 サンジへ懺悔するように言い、ハチは語り始める。自分の罪を。

 

 

 同じ頃。

 バラティエの傍らに控えるゴーイングメリー号の主室でも、ナミが面々に語っていた。

「私はあのタコ男と因縁があるのよ」

 

「俺は興味ねェんだけど……」

 ルフィが言葉通り興味なさそうに渋面を浮かべた。なんともアレな言い草だが、ナミは別段気にした様子もなく淡白に言葉を並べる。

「仲間として、私の事情にあんた達を巻き込むかもしれないから、話しておくだけよ。聞きたくないなら、それでも良いわ」

 

「まぁ、ともかく聞いてみようぜ」

 ゾロが不満顔のルフィを宥めながら酒瓶の栓を開けたところへ、ナミがグラスを突き出した。

「ん? お前も飲むのか?」

 

「素面で話したいことじゃないのよ」

 ナミはゾロの酌で注がれた酒をちびりと舐め、

「私は故郷を魚人の海賊団に襲われたの」

 淡々と語りだす。時折、酒精の力を借りながら。

 

 10歳の時、故郷をアーロン率いる魚人海賊団に襲われ、養母を殺されたこと。それから6年に渡り、魚人海賊団に囲われ、海図製作を強制されていたこと。魚人の頭目と取引し、一億ベリーを集めるために海賊専門の泥棒をしていたこと。

 

 ルフィがぐーすかとイビキを立て、ゾロは飲酒に集中して流し聞き状態で、唯一真面目に聞いていたウソップは、想像以上に重たい話に胃の痛みを覚えていた。

 

「転機は、オイコットのアラワサゴ島紛争よ」

「ん?」ゾロが酒杯を傾ける手を止めて「お前もあのドンパチに参加してたのか?」

「待て待て待て」ウソップが横から口を挟む。「ゾロ。お前、賞金稼ぎだったんだろ。なんで戦争に参加してんだ? 傭兵稼業もやってたのか?」

「あの頃は路銀が無くてな。ちょっと稼ぐつもりで首を突っ込んだだけだ」

 

「私はあの戦争に参加してないわ。当時潜り込んでた海賊船がアラワサゴ島沖で沈められて、遭難してたところをあいつに拾われたの」

「あいつって?」

 ウソップの合いの手に、ナミはどこか表情を和らげて懐かしそうに語る。

「気さくで、自儘で、野蛮な女。懸賞金3億5千万。“血浴”のベアトリーゼよ」

 

「さ、3億5千万……っ!?」

 ウソップは目を剥いた。東の海の平均賞金額は300万ベリー。故郷シロップ村で戦った“百計”のクロですら、“破格”の1600万ベリーだったというのに……

 

 ウソップの驚愕ぶりに微苦笑をこぼし、ナミは話を紡ぎ続ける。

 ベアトリーゼと共に旅し、その“ついで”にアラワサゴ島の海岸を吹き飛ばしたと。

 

「あれはお前らの仕業かっ!」ゾロは眉間に大きく皺を刻み「あのモモンガ女、3億5千万の賞金首だったのか。道理で……」

「「モモンガ女?」」

 ナミとウソップが怪訝そうに小首を傾げる。も、ゾロは軽く手を振り、話の続きを促す。

「なんでもねえ。こっちの話だ。それで?」

 

 グラスを呷り、ナミは美貌に冷酷さを湛えた。

「ベアトリーゼと取引したのよ。報酬を払うから、アーロン達を始末してって」

 

 一年半前のあの日、実際に手を血に染めたのはベアトリーゼだったが、その殺意は紛れもなくナミ自身のもので、ナミの手もまた血で紅く染まっているのだ。

 

「そ、そいつぁ……」

 まだ一般人の気質が色濃いウソップは、思わず息を吞んだ。

 

 一方、命のやり取りに慣れているゾロは驚かない。

 母の仇討ちと故郷の奪還のため、自分では勝てない強敵を倒すために、殺し屋を送り込んだ。誰に憚ることのない立派な“策略”だろう。ゾロはナミを大きく見直していた。この女は思っていた以上に”頼もしい”。

 

 ナミは酒で唇を湿らせて、続けた。

「ベアトリーゼが魚人海賊団を壊滅させた時、得体のしれない連中が介入してきて、ボロボロのアーロン達を攫ってったの。かなりヤバい連中らしいから、酷い目に遭ってるでしょうね」

 

「じゃあ、あのハチってタコは魚人海賊団の生き残りなのか」

 ウソップの指摘に、ナミは苦虫を嚙み潰したような顔で答える。

「魚人海賊団の幹部だった奴よ。あの場に死体がなかったから、逃げたとばかり思ってたけど、まさかこんなところで“普通に”働いていたなんてね」

 

 水銀のような重たい空気が流れる中、ゾロがおもむろに口を開く。

「どうすんだ、ナミ。あのタコ、お袋さんと故郷の仇なんだろ? ……殺るのか?」

「お、おいっ!?」ギョッと目を丸くするウソップ。

 

「……そうしたい気持ちは確かにある」ナミは手元のグラスを覗き込みながら「でも」

「で、でも?」ウソップがごくりと生唾を呑み込みつつ、先を促す。

 

 ナミはしばし考え込み、ぐいっとグラスを飲み干してから言葉を紡ぐ。

「アーロン達は種族差別主義者ばかりで人間なんて犬以下だと思ってたけど、あいつは私達に差別的なことを一度だって言ったことが無かったし、あいつが率先して村の人達を傷つけるようなこともなかったし……」

 

 むろん、ハチは善人などではない。アーロン一味がココヤシ村を襲い、コノミ諸島を征服した魚人の一人だ。他の魚人達と共に、敗北した人々の姿に嘲笑を浴びせていた姿を、ナミは忘れていない。

 

 だが、魚人達がナミを下等種族のガキと見下す中で、ハチはナミを決して差別しなかったことも、忘れていない。

 冷静に振り返れる今だからこそ、ハチとアーロン達の違いが気に掛かる。

 

 ナミが言葉を続けられずにいるところへ、ルフィが大欠伸をしながら目を覚ます。

「ふぁぁ……腹減ったな……なんだ、お前ら。まだ話してたのか」

 

 どこか呆れるルフィへ、ウソップも呆れ顔を返す。

「ルフィ、お前なあ……船長なんだからよぉ」

 

「だって、俺はナミの“昔”に興味ねェもん。だからよ、ナミ」

 ルフィはナミを真っ直ぐ見つめる。

「“今”、ナミはどうしたいんだ?」

 

 ナミは言葉を紡げない。どうしたいのか。答えを出せない。

 ルフィは『じれったい』と言いたげに小さく鼻息をつく。

「決められねーならよ。あいつと直接会ってくりゃあ良いじゃねーか」

「そんな簡単に言うなよ、ルフィ」ウソップが横から「お前は寝てたから聞いてねえけどな。ナミには深い事情ってモンが」

 

 

 どこぉ!! 

 ニュ―――――――ッ!?

 

 

 突如、『バラティエ』の方から蹴り飛ばす轟音と悲鳴が聞こえてきた。

「うぉおお!? な、なんだぁっ?」

 ギョッと目を剥いて驚くウソップ。ゾロは気にも掛けず、小腹を空かせたルフィから肴の乾き物を死守していた。(『おい!? 俺のツマミだぞ!』『少しくらいくれよー』『全部食おうとしてんじゃねェかっ!!』)

 

「今の悲鳴って……」

 ナミが訝しげに眉根を寄せているところへ、コンコンと主室のドアがノックされ、ガチャリと開かれた。

 

 訪問者は金髪グル眉少年サンジだった。昼間、店内で見せた軽薄な様子は微塵もなく、真剣な面持ちを浮かべている。

「夜分、邪魔して悪いな」

 

「おー、サンジじゃねーか。俺と一緒に海賊やる気になったのか?」

 ルフィがゾロから失敬した乾き物を齧りながら手を振るも、サンジは首を横に振った。

「ちげーよ。ナミさんに用事だ」

 

「私に用って何? サンジ君」

「こいつのことさ」

「にゅ~……ナ、ナミ……」

 サンジが身をずらせば、頭にデカいタンコブをこさえたタコ魚人が、立派な体躯を委縮させながら姿を見せた。

 

「ハチ……っ」

 反射的に美貌を歪ませるナミ。ウソップが『このタイミングでかよ』と息を呑み、ゾロは成り行きを見守ることにし、ルフィはそんなゾロの手元から乾き物をもう一つくすねた。

 

 サンジは背筋を伸ばして言葉を編む。

「ハチから話を聞いた。こいつが魚人海賊団の幹部だったこと、ナミさんの故郷でしたこと。それに……お母様のことも」

 

 話を聞き、サンジはタコ魚人を蹴り飛ばしていた。彼が心から尊敬する男に叩きこまれた騎士道精神のままに。

『こんなところで膝抱えてる場合かっ! テメェにはいの一番にやらなきゃあならねェことがあるだろうがっ!!』

 そうしてサンジは、ハチの襟首を引っ掴んでこの場にやってきたのだ。

 

「ナミさん。無礼を承知で頼みがある」

 サンジはハチを一瞥し、

「こいつに謝罪をさせてやって欲しい。もちろん、こいつの謝罪を受けるかどうかはナミさん次第だ。だが、頼む! 謝罪をする機会を与えてやってくれ!」

 ハチと共に腰を深く折って頭を垂れた。

 

 大きく頭を下げている2人へ、ナミは厳粛な眼差しを返す。

「……ハチはともかく、なんでサンジ君が頭を下げるのよ」

 

 サンジは頭を下げたまま、ナミの詰問へ答えた。

「過去がどうであれ、こいつは今、バラティエのコックで、俺は副料理長。こいつの上司だ。尻拭いをしてやる務めがある。それに……こいつは俺の仲間で、ダチだ」

 ハチが頭を下げたまま身体を微かに震わせ、三対の拳をぎゅっと握った。

 

 乾き物を齧りながら様子を見ていたルフィは、ナミへ尋ねた。どこか、優しい響きを含んだ声で。

「どうする、ナミ?」

 

 室内の全ての目が注がれる中、ナミは瞑目し、ゆっくりと深呼吸する。

 頭の中で様々な記憶が巡り、胸中で様々な感情が渦を巻く。母。姉。村の人々……。アーロン。魚人達。幾夜、悲哀と寂寥にどれほど涙を流してきただろう。幾度、憤怒と屈辱を堪えてきただろう。

 

「……頭下げたくらいで、何もかも精算できると思わないで。私が失ったものは、そんなに軽くない。私や皆が味わった6年はあんたが頭を下げたくらいで、済ませられるほど軽くない」

 

 委縮しきったハチが声を震わせながら答えた。

「も、もちろんだ、ナミ。じゅ、十分承知してる。ゆ、赦して貰えるなんて考えてない。た、ただ、償いたいんだ。償わせて欲しいんだ……」

 

 野郎共が固唾を飲んでナミの一挙手一投足を見守る中……、ナミは美貌を険しくしたまま、瞼の裏に2人の女が映る。

 いつも笑顔で溢れるほどの愛情を注いでくれた母。陽気で野蛮で頼もしい賞金首の友達。

 ……いつまでも恨みを引きずって生きるなんて、私“らしく”ないか。

 

 ナミは大きく息を吐き「聞くだけは聞いてあげる。だけど、赦す赦さないは別よ」

 

「じゅ、充分だ、ナミ。ありがとう、ありがとう……っ!」

 ハチは腰が抜けるように膝をつき、大きく頭を下げた。サンジとウソップが安堵の息をこぼし、ゾロが口端を和らげ、ルフィはニシシと白い歯を見せ、ぐーっと腹を鳴らした。

 

「なんだ、腹減ってんのか?」サンジは片眉を上げる。

「サンジ! 飯作ってくれっ! ついでに俺達のコックになってくれ!」ルフィがしれっと要求。

 

「ついでで勧誘すんな。というか、今はお前がウチの雑用だろうが」

 サンジは立派なキッチンを一瞥し、ついでハチとナミを窺い、小さく頷く。

「まぁ……良いか。夜分に押しかけた詫びだ。簡単なもんを作ってやるよ」

 

 その夜、サンジはゴーイングメリー号で初めて料理した。

 言葉通り、卓に並んだ料理は簡単なものばかりだったが、ルフィは美味い美味いと健啖ぶりを発揮し、『お前食いすぎだろっ!?』とウソップとゾロを交えた奪い合いが生じ、『お前らばっかり食うなっ! ナミさんの分が無くなるだろっ!』とサンジが参戦。バカな野郎共を眺めながらナミは微笑し、そんなナミにハチが甲斐甲斐しく酌をしたり、料理を小皿に盛ったり。

 

 ちょっとした宴会は盛り上がり、話はそれぞれの話に。

 

 一繋ぎの大財宝を手に入れて海賊王になる。

 

 世界最強の剣士になる。

 

 世界中の海を巡って自分だけの地図を描く。

 

 偉大な海の戦士になる。

 

 海一番のタコ焼き屋を開く。

 

 そして、サンジは語った。

「俺はいつかオール・ブルーを見つけるんだ」

 

 

 

 

 

 バラティエの総料理長兼オーナーのゼフは、大穴が覗く天井から満天の星を見上げながら、晩酌を舐める。

 ふと、ゼフは海上レストランに並走している小柄な海賊船を一瞥した。先ほど“チビナス”がハチを連れて乗り込んでいくところが見えていた。ハチと海賊船の少女に何やら因縁があることを察していたから、厄介事が起きるかと様子を窺っていたが、何ということはなく、賑やかに楽しんでいるらしい。

 

 ゼフはグラスを傾ける。

 ……可愛い子には旅をさせろ、だったか。チビナスは背中を蹴り飛ばさにゃあ、旅に出そうにねェが。

 微苦笑をこぼす横顔は、父親そのものだった。

 




Tips

サンジ
原作主要キャラ。
バラティエの副料理長。
ハチの過去を知り、ナミと和解出来るように骨を折る。

ゼフ
バラティエの総料理長兼オーナー
かつては赫足のゼフと呼ばれたグランドライン帰りの海賊。遭難事故を機に、料理人として第二の人生を歩んでいる。
実質的に、サンジの育て親であり、料理の師匠。

ハチ
過去の罪に追いつかれた。

ナミ
原作主要キャラ。
ハチと再会。和解したとは言い切れないが、過去の件を胸に収めるだけの器量を見せた。

ルフィ
原作主人公。
バラティエに流れ弾をぶち当ててしまい、償いとしてバラティエの雑用係をすることに。
なお、雑用の大変さを知ってコビーを見直していたり。

ベアトリーゼ。
本作の主人公。
原作開始以降、脇役に転落しつつあるが、これも彼女が半端に原作チャートを変えてしまったから。自業自得。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

81:頂に立つ者。頂を目指す者。

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、春梟さん、誤字報告ありがとうございます


 ルフィがバラティエの雑用係を務め始めて二日目。

 レストラン帆船に並走しながら、船長を除く麦わら一味の面々はグランドライン入りの計画を話し合っていた。

 

「ベアトリーゼから聞いた話だと、グランドライン内は地磁気が特殊で、通常の羅針盤は使えないらしいの。だから、ログポースっていうグランドライン内専用の物が要るわけ。というか、これがないと……」

 ナミの説明に、ウソップが相槌を打つ。

「それがないと?」

 

「まともに航海できないって」

 ゲゲッと唸るウソップ。ゾロは顎先を撫でながらナミへ尋ねた。

「そのログなんちゃらは手に入るのか?」

 

 ナミはテーブルに広げた海図を示しながら説明し、

「東の海では流通量が多くないけど、このローグタウンって町で入手できるみたい。東の海におけるグランドラインの玄関口よ」

 勝気な眉を大きく下げる。

「ただ、お金がね……航海に必要な諸々の経費を考えると、ログポースのために使える予算はそう多くないわ。何らかの金策が必要かも」

 

「海へ出て最初の難関が金かぁ」

 思わずぼやくウソップへ、ゾロが苦笑いを返す。

「そんなもんだ。俺が海賊狩りって呼ばれるようになったのも、日々のアゴアシ代稼ぎが理由だからな」

 世知辛い話にウソップが溜息をこぼした、直後。

 

 蹴り破られるような勢いでドアが開かれ、居候中の賞金稼ぎヨサクが叫ぶ。

「大変です、ゾロの兄貴っ! ウソップの兄貴! ナミの兄貴っ! すぐに来てくだせぇっ!」

 

「なんで私まで兄貴なのよっ!」

「どうした、そんなに慌てて」

「とにかく来てくださいっ! 説明するより早いっスっ!」

 ナミのもっともな抗議を見事にスルーし、ヨサクが暢気な調子のゾロ達の尻を叩くように大声を重ねた。

 

 泡を食ったヨサクへ怪訝顔を返しつつ、ゾロ達が船楼から甲板へ出てみれば。

「でけえっ!? なんだありゃあっ!?」

 バラティエに向かって進んでくる巨大ガレオン船を目の当たりにし、ウソップが吃驚の声を上げた。

 

 ヨサクの相棒ジョニーが顔を恐れと怯えに歪めながら言った。

「髑髏の両脇に砂時計の旗、ありゃあクリーク海賊艦隊の旗艦ですぜっ!」

 

「……えらくボロボロだな」

 ゾロの言葉通り、巨船は酷く損傷しており、水面を進む姿もどこか痛ましい。

 

「なんらかの自然災害か、海王類にでも遭遇したのかも」

 ナミは警戒心を全開にしつつも、怯えた様子を見せない。バギー一味、黒猫海賊団相手の戦闘から、よほどの相手でなければ能力者のルフィと海賊狩り――東の海における上澄みのゾロが、何とかできると判断していた。

 もちろん、いざという時はゴーイングメリー号でさっさと退避するつもりだが。

「ウソップ、単眼鏡を持ってたわよね? 向こうの様子や周囲を探ってみて。艦隊って呼ばれるくらいだし、手下の船がいるかも」

 

「お、おうっ!」

 ウソップは促されるままに腰のパウチから折り畳み式の単眼鏡を取り出し、巨大ガレオン船の様子を窺う。

 

「―――なんだあ?」

 戸惑うウソップの声音に、ゾロが片眉を上げた。

「どうした?」

 

 ウソップは単眼鏡を覗きながら、

「それが……」

 見たままを告げた。

「あいつら、死にかけてるぞ」

 

      〇

 

 クリークの海賊艦隊は鷹の目、ジュラキュール・ミホークに襲われた時点で大半を沈められ、カームベルトへ逃げ込んだ。その後、残っていた僚船達は海洋ホラー映画さながらに、次々と海王類の餌食になってしまった。

 

 唯一生きて東の海に帰ってこられた旗艦にしても、船体は損傷が酷く沈没寸前。乗員達に餓死や衰弱死が発生しており、仲間の死体を食う体力すら残っていない有様だった。

 

 飢えと渇きと疲労に衰弱しきった首領(ドン)・クリークは、副長のギンに肩を担がれながら『バラティエ』に入り……その大柄な体躯を折るように跪き、頭を垂れ、食事を食わせてくれと懇願した。ついには土下座までし、残飯でも良いからと乞食のように食べ物を乞い願う。

 その姿は憐れ極まり、『東の海の覇者』と称された威容は微塵も見られない。

 

 だが、バラティエのヤクザなコック達は飯を出すどころか捕縛を提案する。なんたって、クリークという海賊の逸話は『騙し討ち』ばかりなのだ。本当に衰弱しているかどうか怪しいもの。

 それに飯を食わせてやったところで、この男が『ありがとうございました』と立ち去るなんて……“あり得ない”。

 シケた海賊ばかりの東の海において、ドン・クリークは数少ない“ガチ”で凶悪な海賊なのだから。

 

 しかし、周囲の制止や反対を無視し、サンジはクリークに飯を与えた。それがサンジの”信念”だから。

 

 そして、飯を食って体力を取り戻したクリークはあっさり前言を翻し、その身に備えた武器を振るってコック達を蹴散らし、宣言する。

『部下100人分の食い物とこの船を寄こせ』

 

 客達が我先にと逃げ出し、連絡船に乗ってバラティエから大急ぎで遠ざかっていく中、

「にゅーっ! この店を奪うだとぉ!? そんなことさせるかっ!!」

 満を持して、タコの魚人ハチが姿を見せた。

 

 その三対の手に得物は無いが、素手でも問題ない。鈍っているとはいえ、かつては世界政府相手に喧嘩を売ったタイヨウの海賊団の一員。クリーク“如き”に、ハチは後れなど取らない。

 ましてや、大事な“仲間達”を傷つけられたことで、ハチは既にクリークをぶちのめすことを決めていた。

 

 予期せぬ魚人の登場にクリークも身構える。

 

「待て、ハチっ!」

 ところが……ゼフが割って入り、クリークに食い物を与えてしまった。サンジ同様、ゼフの”信念”によって。

 

 クリークは食い物を担ぎ、バラティエの面々へ一時間の猶予を与え、ズタボロの旗艦に戻っていった。要求にゼフ――かつて“赫足”と呼ばれたグランドライン帰りの海賊が持つ、航海日誌を追加して。

 

 入れ替わるように、ゾロ達が店内にやってきて、ルフィへ問う。

「どうすんだ?」

 

「戦う」ルフィはあっさり告げ「あいつは海賊王を目指すって言った。ならいつかやり合う相手だ。ここでぶっ倒しても構わねーだろ」

 

 ルフィの意見へ賛同するように、コック達も『さっさとお前らも逃げろ』と言ったゼフへ逆らい、『この店を守る』と戦意を露わにする。サンジも煙草を吹かしながら「この店を奪おうってクソヤローは殺す」と冷たい覚悟を剥き出しにした。

 

 意気軒高な野郎共を前にナミは小さく頭を振り、ルフィへ提案する。

「私はメリー号を離れさせておくわ。巻き込まれたら敵わないし」

 

「おう。俺達の大事な船だ。任せたぞ、ナミ」

 ルフィはナミへ大きく首肯し、『すまねえすまねえ』と詫び続けているクリーク海賊団のギンに好奇心から尋ねる。

「お前、グランドラインのことは何も分からねえって言ってなかったか? その割にゃあ、あいつは色々知ってそうだったぞ?」

 

「何も分からねえのは本当さ……」

 ギンは告解するように応じた。

 突然襲ってきた一人の男に……“鷹の目の男”によって、50隻5000人から成る海賊艦隊が壊滅させられた、と。

 

『そんなことあり得ねえ!』と騒ぐコック達。しかし――

「にゅ~。“鷹の目”に限った話じゃあないぞ」とグランドライン出身のハチが言う。「グランドラインには強ェ奴がいくらでもいるからな」

 

「そうね」ナミは蛮族女を思い浮かべながら「ベアトリーゼも海岸線を吹き飛ばしてたし」

 

 えぇ……とドン引きするウソップの隣で、ルフィが武者震いしていた。

「くぅ~~~~っ! ぞくぞくするなぁ! 俺も早くグランドラインに行きてェっ!!」

 ゾロが獰猛に口端を歪めて「同感だ。あの男はグランドラインに居る……っ!」

 

「お前ら、バカだろ。真っ先に死ぬタイプだな」

 サンジが冷めた調子で告げるも、ゾロもルフィも『とっくに死ぬ覚悟は出来てる』と言い、ウソップが負けじと『俺もだ!』と続く脇で、ナミは『私は嫌よ。死にたくないわ』と鼻息をつく。

 そんな四人に戸惑いを隠せないサンジ。

 

「ま、グランドラインのことは後だ」

 ルフィは右拳を左手に当てて不敵に笑う。

「今はあいつらをぶっ飛ばそう」

 

 そして――

 腹いっぱい元気いっぱいになったクリーク艦隊残党100名が雄叫びと共にバラティエへ襲い掛かろうとした、その刹那。

 

 巨大ガレオン船が“斬られた”。

 

 

 

 

 

 

「目的の相手と違うのに何で斬ったんです?」

 鯱に跨った新聞記者が呆れ気味に質すと、小舟に乗った世界最強の剣士は、悪びれることなく言った。

「ついでだ」

 

     〇

 

 海賊達の放つ銃弾を切っ先で容易く逸らす世界最強に、ゾロは歓喜で身が震えた。左腕に巻いていた黒布をほどき、頭を覆うように海賊巻きにする。

「なあ、俺はお前に挑むために海へ出たんだ。いっちょ、勝負してくれよ」

 

 鷹の目の男は片眉を上げ、

「何を望む?」

「最強」

 即答するゾロに小さく溜息をこぼす。

「力の差を見抜けぬわけではあるまい。この俺に立ち向かう勇気は、貴様の心力か。はたまた無知か」

 

「俺の野望。そして、親友との約束のため」

 ふむ、と小さく頷き、“鷹の目”は小舟から巨船の残骸に降り立つ。

 

「え……っ? ミホークさん、このお兄さんと戦う気ですか? “弱い者イジメ”は格好悪いですよ? お兄さんも悪いこと言いませんから、やめた方が良いですって。本当に死んじゃいますよ?」

 鯱の背に跨った潜水服姿の女の物言いに、ゾロはイラッとしたが、気づく。その声音に自身への嘲りが一切こもっておらず、”善意”から、ゾロへ忠告しているのだ。絶対に勝てないと見越して。

 

 ゾロは大きく深呼吸して腰の三本を抜く。

「望むところ……っ!」

 

「無益だが……暇潰しにはなろう」

 鷹の目は首から下げていたロザリオを外し、仕込まれていたナイフを抜く。

「井の中の蛙よ。世の広さを教えてやる」

 

「そんなもんで……っ!? 舐めやがって……っ! 死んで後悔すんじゃねえぞっ!」

 ゾロは世界最強へ向かって吶喊し、自身の大技“鬼斬り”を放つ。

 

 も――鷹の目は玩具みたいな小さなナイフで、いとも簡単にゾロの大技を止めた。

 

 誰も彼もが思わず息を呑み、我が目を疑う。

 そんな―――そんなわけねェ、いくら何でもこんなに遠いわけねェ!! 世界がこんなに遠いはずがねえっ!

 何より、ゾロが現実を受け容れられぬ中、潜水服女が小さく呟く。憐れむように。

「……だから忠告したのに」

 

     〇

 

 ルフィは拳を握りしめ、瞬きを忘れて戦いを見守っていた。

 

 ゾロは猛り狂った猛獣のように剣戟を繰り出し、剣閃を重ね、剣技を放っている。しかし、暴風のようなゾロの斬撃を、鷹の目は小さなナイフ一本で全て防ぎ、それどころかゾロを圧倒していた。

 

 剣のド素人であるルフィにも分かる。ゾロと鷹の目の間には隔絶した実力差があると。ゾロ自身も分かっているのだろう。あの凶暴で荒々しい太刀筋は、激しい動揺と焦燥の裏返しだ。

 

 隣のウソップは絶句して唖然としており、ナミもメリー号を避難させることを忘れ、戦いを凝視している。

 

 ルフィは内に込み上がる不安を堪えながら、ゾロの挑戦を見守る。

 もしかしたら……ゾロはここで命を落としてしまうかもしれない。だが、この戦いに横槍を入れることは“絶対”に出来ない。これは仲間の戦いだから。仲間が命を賭して“夢”へ挑戦しているから。だから、ルフィは我慢する。我慢して戦いを見守り続ける。

 

 そして、ゾロは辛辣で残酷な現実に折れそうな心を奮い立たせるように、がむしゃらに剣を振るい続け、

「食らい……やがれェっ!」

“鬼斬り”に並ぶ自身の大技、“虎狩り”を放ち――

 

「遅い」

 いとも容易く後の先を取られ、鷹の目に胸を刺された。

 

「ゾロ―――ッ!」「兄貴ィ――――ッ!!」

 ウソップとヨサク&ジョニーの悲鳴が海上に響き、ナミも口元を手で覆い、身を強張らせていた。ルフィは割れそうなほど歯を食いしばり、戦いの行く末を見守り続ける。

 

「……なぜ退かん? 本当に死ぬぞ」

 胸を刺されてもその場から退かぬゾロへ、鷹の目が怪訝そうに問う。

 

 ゾロは吐血し、胸から多くの血を流しながら、

「“ここ”を退いたら、いろんな大事なモンがへし折れて、二度と“ここ”に立てねェ気がする」

「それが敗北だ」

 鷹の目を真っ直ぐに睨み据えた。

「なら退かねェ。死んだ方がマシだ」

 

「ほう」

 鷹の目はゾロの胸に突き立てたナイフを抜き、()()()()()()()()

「小僧。名を聞こう」

 

 ゾロは大きく息を吐き……三本の刀を構えながら、答えた。

「ロロノア・ゾロ」

 

「覚えておこう。久しく見ぬ“強き者”よ。そして、剣士たる礼儀を以って、世界最強の黒刀で沈めてやろう」

 鷹の目は背中の大刀を抜く。気づけば、潜水服女も真剣な顔で戦いを撮影していた。

 

「ルフィ……ルフィッ!!」ナミがルフィを揺さぶり「ゾロを止めて! じゃないとゾロが――」

「ダメだっ!」

 ルフィは戦いから目を離すことなく、自身を揺さぶるナミの手を押さえた。

「我慢して……、ちゃんと見届けろっ!」

 怖いもの知らずの権化みたいなルフィが手を震わせていることに気付き、ナミは息を呑む。

 

「三刀流、奥義……!! 三・千・世・界ッ!!!!」

 ゾロが最後の大技を繰り出す。今の自分が繰り出せる正真正銘、最後の鬼札。全てを注ぎこんだ最後の一撃。

 

 だが、ゾロの乾坤一擲の奥義は、無情にも鷹の目が振るう黒刀に容易く防がれ、挙句に両手の無銘が砕かれた。

 

 敗北。

 反撃の黒刀が迫る間際、ゾロは現実を受け入れると共に和道一文字を丁寧に鞘へ納め、鷹の目に向き直る。

「背中の傷は、剣士の恥だ」

 ゾロは嘯いて小さく笑い、堂々と世界最強の剣を受けた。

 

     〇

 

「うぉおおああああああああああああああああっ!!」

 斬られて海に落ちたゾロを、ウソップ達が慌てて引き上げる中、半ベソを掻いたルフィが衝動的に鷹の目を強襲する。も、その攻撃はあっさりとかわされ、鷹の目の傍らの残骸に衝突してしまう。

「この……っ!!」

 

「安心しろ。あの男は生かしてある」

“鷹の目”の言葉にルフィは慌てて振り返り、ゾロを引き上げたメリー号へ吠える。

「ゾロは無事かっ!?」

 

「全然無事じゃないわよっ!! でも、生きてるわっ!」

 ナミがルフィに怒鳴り返し、ウソップ達が救急箱やら何やらを抱えて駆け回っていた。

 

 そこへ、

「強くなれ、ロロノア。俺はこの先幾年月でも最強の座にて貴様を待とう。この俺を越えてみよ、ロロノアッ!!」

 鷹の目はゾロへ叱咤激励の言葉を贈り、安堵しているルフィへ問う。

「剣士の仲間よ。貴様は何を目指す?」

 

「海賊王」

 ルフィの即答に、鷹の目は口端を和らげた。

 

 直後、瀕死のゾロが親友の形見である和道一文字を抜いて掲げる。

 

「ちょっと動かないでっ!」「安静にしてろってっ!」

 ナミやウソップの制止を無視し、ゾロは吠える。血を吐き、涙を流しながら。

「俺はもう……二度と敗けねェッ! あいつに勝って、大剣豪になる日まで、絶対にもう、敗けねェっ!!」

 

「……シシシ! ああ、分かったっ!!」

 誓いと決意を叫ぶだけ叫び、ルフィの返答を聞くと、ゾロは意識を失った。

 

「ゾ、ゾローッ!? しっかりしろーっ!」「兄貴ィ―――!! 死ぬなーっ!!」

 慌てふためくウソップと賞金稼ぎコンビを余所に、ナミは眉目を吊り上げながら手当てを急ぐ。

「このバカッ! だから動くなって言ったのにっ!!」

 

 ぎゃーぎゃーと騒がしいメリー号の様子に、潜水服女が身悶えしていた。

「なんという青春真っ盛り……っ! 素敵すぎるっ! 記事にして広めたいっ!! でも、これはスクープになるか分からないっ!」

 

「良いチームだ」

 踵を返し、鷹の目が立ち去ろうとすると……クリークが口を挟む。

「オゥ、鷹の目ェ……テメェは俺の首を獲りに来たんじゃあねェのか?」

 

「元より貴様らは“ついで”だ。偶さか見つけたので寄ったに過ぎん。もう十分楽しんだ。帰って寝る」

「えっ!? ミホークさん、黒い魚人を追うって話はっ!?」

「面倒だから止める」

「気分屋過ぎますよっ!?」

 

 自身を無視してやり取りを始めた鷹の目と潜水服女に、クリークは青筋を幾つも浮かべ、

「ついで、だぁ……? この東の海の覇者、首領(ドン)・クリークを、俺の艦隊を、“ついで”で……ふざけんじゃあねえっ!!」

 全身の銃器を斉射した。が――

 

「さらばだ」

 鷹の目は大刀をひと振りし、剣風で弾幕ごと巨大ガレオン船の残骸を吹き飛ばした。

 

     〇

 

 かくして、バラティエの戦いが“前座”を終えた頃。

 グランドライン前半“楽園”では――

 

 嵐の海を化け物トビウオが飛んでいた。激しく波打つ水面を避けて宙を駆け、時折、推進力を回復するために荒れた海へ飛び込み、海中を走る。

 

「こう荒れてちゃ休憩も取れやしない」

 雨と波飛沫を浴びながらスーパートビウオライダーを飛ばし、ベアトリーゼは計器盤の脇に貼りつけた海図とビブルカードへ目線を向けた。

「ジャヤか……ベラミーや黒ひげ一味とかち合いたくないんだけど……」

 

 時間的に原作と一月以上の開きがあるから、出くわすことはないだろう。

 

 ただ、懸賞金3億8千万ベリー(逮捕に来たG2支部の海兵達を半殺しにしたら増額された。命を取らずにおいてやったのに。解せぬ)を狙う者は賞金稼ぎに限らない。自身の名を上げようとするバカな海賊や、金に目が眩んだ意地汚い堅気も含まれる。

 

 負け犬の吹き溜まりと評判の島だ。一匹狼の高額賞金首であるベアトリーゼは、“人気者”になれそうだった。

 

「洗練された文化人の私としては、非文明的なドブ町には行きたくないんだけどなー」

 ベアトリーゼはぼやきながら、雨を切り裂くように怪物トビウオを走らせた。

 




Tips
原作との違いは、戦いの場にナミ達がいることくらい。

ミホーク
原作キャラ。
世界最強の剣士。自由人。

クリーク
原作キャラ。
海賊艦隊総督。気の毒な人。

ギン
原作キャラ。
海賊艦隊総隊長。チョロインな男。

コヨミ
オリキャラ。
世経記者。麦わら一味に目を付けた。


ベアトリーゼ。
扉絵連載に移った本作主人公。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

82:世界は広い。世間は狭い。

rxさん、佐藤東沙さん、XMSさん、N2さん、NoSTRa!さん、ちくわぶさん、拾骨さん、誤字報告ありがとうございます。

あとがき部分の書き忘れ修正。本編に修正なし(8/25)


 鷹の目ジュラキュール・ミホークが去った後、海上レストラン『バラティエ』の命運を賭した戦いが始まる。

 ナミ達を乗せたゴーイングメリー号は、バラティエの戦うコックさん達+麦わら小僧VSクリーク海賊艦隊残余の戦場から距離を取り、世界最強の剣士に斬られたゾロの手当てに奔走していた。

 

「信じられない……っ! ぎりぎり骨へ届かないように斬ってる……っ!」

 手当てを進めていたナミが吃驚を上げる。

 

 ゾロの厚い胸板に走る傷は派手だが、胸骨や肋骨を傷つけないギリギリの深さだった。むろん、胸筋やら何やらが斬られているため、断じて軽傷とは呼べない。それに、骨の間を抜けて心臓に届く寸前だった刺し傷はかなりヤバい。

 

「ナミの兄貴ィ、ゾロの兄貴は助かりますよねっ!?」「ゾロの兄貴を助けてくだせェ、ナミの兄貴ィッ!!」

「だから、なんで私が兄貴なのよっ!?」

 ヨサクとジョニーの懇願に怒声を返しつつ、ナミは拙い手つきでゾロの傷を縫い合わせていく。

「ああ、もう。私は航海士で船医じゃないのにっ!」

 

 ナミは冷汗塗れの顔を上げ、治療に手を貸さず戦いを注視しているウソップへ怒鳴った。

「ウソップッ! 何をぼうっとつっ立ってんのよっ! 手を貸してっ!」

 

 だが、ウソップはナミに応じず、瞬きを忘れて戦いを見つめていた。

 シロップ村の戦いが初陣だったウソップにとって、バラティエの戦いは鮮烈に過ぎたのだ。

 

 本職の武闘派海賊であるクリーク一味の海賊達は、つい先ほどまで死にかけていたとは思えぬほどの強さを発揮し、バラティエ名物戦うコックさん達を圧倒している。

 が、そんなクリーク一味の海賊達を――

「にゅ―――――ッ! 俺の仲間達に手を出すんじゃあねェっ! たこ焼きパンチッ!!」

 傷ついたコック達を守るタコの魚人はっちゃんが、その圧倒的膂力を発揮し、海賊達を片っ端からぶちのめし、ノックアウトしていく。

 

「コックを舐めるんじゃねェ。オロすぞ、テメェら……っ!」

 軽佻浮薄な女好きと思っていたサンジが、凄まじい足技を次々と繰り出し、海賊達を蹴り飛ばし、打ち倒していく。

 

 そして何より、

「ゴムゴムのぉ~~大鎌っ!」「ゴムゴムのぉ~~鞭っ!」「ゴムゴムのぉ~~散弾(ショット)っ!」

 ルフィが凄まじかった。

 

 悪魔の実を食してゴム人間となったルフィは、ゴムボールのように巨船の残骸の間を飛び回り、手足をゴム紐のように伸ばして海賊達をぶっ飛ばし、蹴散らしていく。銃弾を浴びせられても、自らをゴム風船のように膨らませ、弾丸の運動エネルギーを相殺してしまう。

 

 東の海の覇者“首領(ドン)・クリーク”が様々な武器を繰り出し、あの手この手で攻め立ててくるが、ルフィはその全てを越えてクリークを殴り、蹴り、叩き、打つ。

 戦場を縦横無尽に動き回り、身体を自由自在に駆使し、強敵を翻弄して戦う様は、どこか楽しげですらある。

 

「すげェ……」

 ウソップの口から感嘆が漏れた。

 

 シロップ村でクロを打ち負かしたことから、ルフィが凄く強いことは知っていた。だが、自分の認識はまだ足りなかった。

 ルフィは“とんでもなく”強ェ……っ!

 

「良いですね、あの子」

「ぅおっ!?」

 突如、隣から声がして、ウソップがビビりまくった吃驚を上げる。

 

 いつの間にか潜水服女がゴーイングメリー号に乗船し、戦場を撮影していた。

「お、お前は鷹の目の仲間の―――」

「え? 違います違います。私は世界経済新聞特派員のコヨミです。別件の取材のため、ミホークさんに同道していただけで、仲間ではありません」

 いくらか年上の女記者はウソップに人懐っこい笑みを向け、再びカメラを構える。

「麦わらの子、良いですね。悪魔の実の能力者は大概が予測不能な戦い方をしますけれど、あの自由気ままにのびのびと戦う姿は、見ていて楽しくなってきます」

 

「楽しくって……あれは“殺し合い”だぞ」

 ウソップが健康的常識から嫌悪感を示すも、コヨミは微笑みを返すだけ。レンズをクリークに向け、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「5000人も従えて食わせてきた力は認めますが……それだけですね。あの人、海賊より会社でも経営してた方が良かったのでは?」

 

 恐ろしい武器を幾つも振るうクリークをざっくり切って捨てるコヨミに、ウソップは目を真ん丸に見開き、まじまじと女記者を見つめた。

「あんた、いったい何者なんだよ」

 

 コヨミはニッと白い歯を見せる。

「世界経済新聞の記者です」

 

 

 

 

 そして―――

「ゴムゴムのぉ――――大鎚ぃっ!!」

 螺旋回転と速度をたっぷり乗せ、ルフィはがっちり掴んだクリークを頭から残骸のマストに叩きつけた。

 

 大型榴弾が炸裂したかのような轟音が海面を揺らし、クリークの“悪あがき”が終わりを迎える。

 毒ガスすら含めた多種多様な武器、頑強な鎧、尊大傲慢ながら強固な意志、クリークはその全てをルフィに真正面から打ち破られ、白目を剥いて昏倒した。

 

 もっとも、正面突破に拘ったルフィもあちこち傷だらけ。海に落ちた際、悪魔の実の能力者特有の脱力反応も手伝って完全に意識を飛ばしてしまう。サンジが慌てて海中に飛び込み、ルフィを拾い上げた。

 

「勝敗が決しましたね」

 コヨミは予想通りと言いたげな声音で言い、カメラを下げつつ、バラティエに引き上げられるルフィを見つめた。

「逸材の予感がしますが……紙面に載るにはまだ早いかなぁ」

 

     〇

 

 戦いの後の後始末。

 バラティエのヒレ――展張式テラスでコック達が後始末や手当てを進める中、ルフィが大イビキを掻いていた。

 

 コック達は誰も彼も傷を負っていたが、死人も手足を無くすような者も出なかったためか、勝ち戦に笑顔を浮かべ、自分の活躍ぶりを誇張気味に自慢し合っている。大活躍だったハチは皆から感謝と称賛を寄せられ、照れ臭そうに笑っていた。

 

 サンジは仲間達の無事を密かに喜びつつも、守り抜いたとはいえズタボロになったバラティエを見回し、渋面を浮かべる。

 こりゃ修理代がかさみそうだ。それに、この騒ぎ。客が戻るまで時間が掛かるかもしれねェ。しばらくは閑古鳥が鳴くかもな。

 

 サンジは副料理長として経営面のことに気を揉むも、隣でグースカと盛大にイビキを掻く雑用係を一瞥し、悩むことが馬鹿馬鹿しくなった。

「暢気な野郎だ。あれだけの大立ち回りをして死にかけたってのに」

 ルフィを横目にしながら煙草に火を点し、サンジは紫煙を燻らせる。

「こいつも、こいつの仲間の緑頭も、どうかしてるぜ。命あっての物種だろうに」

 

「信念で腹ァ括った奴らは、皆“こう”だ」

 傍らにやってきたゼフが立派な口髭を弄りつつ、じろりとサンジを見た。

「それに、雑用をどうこう言える身か? チビナス。この店を守るって啖呵を切った時のテメェは、雑用に負けず劣らずの様だったじゃねェか」

 

「そりゃあ……テンションが上がってバカ言っただけだ。蒸し返すんじゃねェよ、クソジジイ」

 サンジはどこか気恥ずかしそうに顔を背け、仰々しいほど白煙を吐く。

 

「口の減らねェチビナスめ」ゼフは口端を上げて「しっかり手当てしとけよ。明日にゃあ通常営業だ」

「このザマで店を開く気かよ」

「抜けたこと言ってんじゃねェ。腹減って飯が食いたくて仕方ねェ奴に料理を出す。俺はそのためにこの店を開いたんだ。店がぶっ壊れたくらいで休まねェよ」

 

 ゼフは不敵に笑って店内へ戻っていく。

 サンジはゼフの背中を見送り、どこか嬉しそうに口元を和らげた。

 

 

 

 バラティエが戦いの後始末を進める傍ら。ゴーイングメリー号では、船医でもないのにゾロの大怪我の手当てを担ったナミが、くたくたに疲れ切っていた。

 そして、瀕死の大怪我を負った当人は、甲板に寝かされたままグースカと高イビキを上げている。ちなみに、ぎゃーぎゃー騒ぎ続けたヨサク&ジョニーも喚き疲れて寝ていた。

 

「どいつもこいつも……」

 ナミが疲れ顔に微苦笑を浮かべたところへ、ウソップが盆を持って船楼から出てきた。盆に載るマグカップは“3つ”。

「ナミ。お疲れさん」

 

「ありがと」ナミがカップを受け取り、

「それと、あんたにも」

「お気遣いに甘えさせていただきます」

 しれっと居残った潜水服姿の女記者コヨミも、ウソップからカップを受け取った。

 

「……あんた、世経の記者なんだって?」

 温かい御茶でひと心地つけてから、ナミがコヨミへ鋭い眼差しを向けた。

「鷹の目と一緒にカームベルトを越えてくるなんて、どんなスクープを追ってるの?」

 

「そうですねぇ……」

 コヨミはもったいぶった調子で応じつつ、御茶を飲む。

「今宵一晩、この船に泊めてくれるなら、まあ、少しくらい明かしても良いです」

 

「構わないわよ」ナミは橙色の瞳を細め「相応のお代は貰うけど」

「ナミ。勝手に決めちまって良いのか?」

 バラティエの方は酷い有様だから、泊まることは無理だろう。ただ、この船にも怪我人(ゾロ)がいるし、船長(ルフィ)の許可無しに部外者を泊めることは不味いのではないか。

 そんなウソップの懸念に、ナミは小さく肩を竦めた。

「船長も副船長も寝込んでるんだから、航海士の私が判断を下すしかないでしょ。大丈夫、責任を負うわ」

 

「若いのに、しっかりしてますね」

 コヨミは感嘆をこぼし、うんと小さく頷く。

「お金の持ち合わせは多くありませんが、職業柄、情報をたくさん持っています。お代はそれで如何です?」

 

「それで良いわ」

 ナミは『宿泊代以上に情報を引き出してやろう』と不敵な微笑を返した。

 ウソップは思う。ナミが頼もしすぎる。

 

       〇

 

 月が星々を引きつれて黄昏の空に浮かび、残照を浴びた波間がキラキラと煌めく。

 

 コヨミはナミと交渉の末、ゴーイングメリー号に一晩泊まることに。この際、

「フィルムを現像したいんで、空いてる部屋を貸して貰いますねー」

 愛鯱チャベスの背から荷物を降ろし、ゴーイングメリー号の船倉へ向かった。

 

 まぁコヨミはともかく。ナミはちらりと主室の一角を窺う。目を覚ましたゾロがチビチビと酒を舐めている。

「あんたね、ついさっきまで瀕死だったって分かってんの?」

 

「酒は百薬の長っていうだろ? これもチリョーだ、チリョー」

 ナミにジト目で睥睨されつつ、ゾロはグラスを見つめて独りごちる。

「……東の海で負けたのは、これで2度目だ」

 

「そうなの?」

「アラワサゴでモモンガ女にやられた。一瞬で蹴り飛ばされて、相手にもされなかった」

「あんた、ベアトリーゼとやり合って生き残ったのっ!? 凄いじゃないっ!」

 ナミは橙色の瞳を驚愕に染めた。

 

「どういう誉め言葉だよ」

 ゾロが不満そうに顔をしかめ、酒を口に運ぶ。

 

「飯を貰ってきたぜ」

 ヨサク&ジョニーと共に、ウソップが大きな料理皿を抱えてバラティエから帰ってきた。

「ルフィの奴、さっきまでピクリともしなかったのに、飯の臭いを嗅いだら一瞬で起きやがったよ。サンジと一緒にこっちに来るってさ」

 

 直後。

「めっしめしーっ! 腹減ったぞー、飯食わせろーぃっ!!」

「お前、自分が重傷者だって忘れてねェか?」

 体中に大中小様々な絆創膏を貼られたルフィが、主室のドアを蹴り破らんばかりの勢いで入室し、続いて入室したサンジが呆れ顔を作る。

 

「おや。良い匂いですね。私も御相伴に与れます?」

 続いて、船倉から上がってきたコヨミが主室に姿を見せた。潜水服姿ではなく、キャミソールとホットパンツ、サンダルとラフすぎる格好で。

 

「っ!? ナミさん以外にも素敵なレディがっ!? ……僕はサンジ、貴女と出会うためにこの船に導かれてきました」

 即応してチャラいセリフを並べるサンジを余所に、コヨミを知らないルフィがきょとんとして、コヨミを指差す。

「誰だ、こいつ」

 

「これは失礼しました。私、世界経済新聞の特派員コヨミと申します。麦わら一味航海士のナミさんの許可を得て、この船で一晩過ごさせていただきます」

「そっか。ナミが良いって言ったなら構わねーぞ。俺はモンキー・D・ルフィッ! この船の船長で、海賊王になる男だっ! よろしくなっ!」

 ニカッと白い歯を見せて笑うルフィ。

 

「ん? モンキー・D?」

 コヨミは目を瞬かせ、ルフィをまじまじと見つめて、尋ねる。

「つかぬことを伺いますが……ルフィさんは海軍本部中将“英雄”モンキー・D・ガープさんの御親類ですか?」

 

「うん。俺の爺ちゃんだぞ」

 ルフィはしれっと答え、一味の面々とヨサク&ジョニーが目を点にして、

 

『えええええええええええええええええええええっ!?』

 

 メリー号が水面から飛び上がりそうなほどの吃驚が響く。

 

「本当に意外性の男だな……」ゾロも驚き顔を浮かべ、

「ルフィが“英雄”ガープの孫っ!?」ナミが目を真ん丸にし、

「マジかよっ!? マジかよっ!? マジかよっ!?」ウソップは語彙が死に、

「ルフィの兄貴、マジパネェ」「ルフィの兄貴、マジヤベェ」

 ヨサク&ジョニーが震え声で畏敬を新たにしていた。

 

「これはちょっとしたスクープ……いや、この御時世、身内に海賊がいる海軍軍人もそう珍しくないし……うーむ」

「海軍本部中将の孫が海賊王を目指すとか、お前、ホントに無茶苦茶だな」

 腕を組んで唸るコヨミとしみじみと語るサンジを余所に、

 

「そんなことよりよ、飯食おうぜっ! 宴だ宴っ!」

 さらっと流し、ルフィは夕餉の始まりを宣言した。

 

 とまあ、こんな調子で始まった食事はサプライズが続く。

 コヨミがエレジア島の一件を話題にすれば、

「シャンクスとウタに会ったのかっ!?」

 ルフィが凄い勢いで食いつき、ルフィの麦わら帽子が四皇“赤髪”シャンクスから託されたものと判明し、さらに赤髪の娘“歌姫”ウタと幼馴染というビッグニュースに、一同の吃驚が繰り返された。

 

 一方、ナミはコヨミがベアトリーゼと知縁を持っていることに驚いていた。もっとも、コヨミの方もベアトリーゼが東の海に訪れていたことに驚いていたが。

 

「黒い魚人達を追ってカームベルトを越えてきましたが……いやあ、まさか東の海でこんな驚きの出会いが待っていたとは。『世界は広い。世間は狭い』とはよく言ったものですね」

 ははは~とコヨミが暢気に笑うと、ナミが眉根を寄せた。

「待った。黒い魚人って何?」

 

「んー……面白い話を聞かせて貰えましたし、バーターということで。黒い魚人というのはですね、近頃、グランドライン前半で悪さしてた連中です」

 コヨミは現像したばかりの写真を取り出し、ナミに渡した。

 

 奇怪(ガッポイ)な仮面と黒装束で全身を包んだ魚人達。

 仮面の口元が長い『伸び口』。

 両腕に鋼板のようなヒレを生やした『腕ヒレ』。

 そして、仮面からノコギリのような長鼻が出ている『ノコギリ鼻』。

 

 ナミは本能的にドッと汗を滲ませる。呼吸と動悸が早まる。心中に生じた懸念と疑念が荒れ狂う。

 そんな、まさか。でも――

 

 コヨミがナミの変化に訝り、ルフィ達がナミの様子に気付いて声を掛けるが、ナミの耳には周囲の音など一切届いていない。

 震える手で続く写真を見て―――息を呑む。

 

 割れた仮面から覗く左目が潰れた『ノコギリ鼻』の顔は、決して見紛うことのない仇敵のもの。

 

「アーロン……ッ!」

 可憐な細面から漏れた声は、恐怖と憎悪に震えていた。

 

 ナミは椅子を蹴倒しながら腰を浮かせ、コヨミの胸倉をひっ掴んだ。テーブル上のグラスやコップが倒れ、野郎共が驚愕する中、引きつった声を張る。

「こいつらを追ってきたと言ったわねっ!? こいつらは今、この東の海に居るのっ!?」

 

 ナミの剣幕にウソップやヨサク&ジョニーが仰け反り、事態に付いていけないルフィが目を瞬かせる傍ら、ナミの語った事情を覚えていたゾロが眉間に深い皺を刻み、サンジは美少女と美女の諍いをどう仲裁するか脳ミソを回している。

 

 一方、胸倉を締め上げられている当人は“笑っていた”。唇の両端を大きく吊り上げ、狐のように目を細めて笑っていた。記者の嗅覚が捉えていたのだ。眼前の少女から漂うスクープの匂いを。

 

 鬼気迫る橙色の瞳に睨み据えられながら、コヨミは逆にナミが怯むほどの勢いで迫った。

「スクープの予感がビンビンしますっ! ナミさん、いろいろお話を聞かせて下さいっ! さあっ! さあっ! さあさあさあ、さあっ!!」

 

 

 ウソップはコヨミの様子にドン引きしながら、隣のゾロに小声で言った。

「ゾロ。あの女記者、ちょっと頭おかしいぞ」

 

       〇

 

 東の海で、麦わら一味の少年少女達が『黒い魚人』を巡って大騒ぎしている間、ベアトリーゼは空を走り、海上を駆け、海中を飛んでいた。

 

 黄昏時が過ぎ、宵の口が始まり、夜が更けて。

 月光を浴びて煌めく海を進み続け、水平線に人工の灯りを捉えた。

 

 ジャヤ島だ。

 

「ようやくか……とはいえ、このままモックタウンへ入港するわけにも行かないか」

 目立ちすぎる。それにもしも、手塩をかけて作り上げたスーパートビウオライダーを悪戯されたり、壊されたりしたら、モックタウンを地図から消すことになる。それは面倒臭い。

 

 ベアトリーゼはモックタウンから離れた岩だらけの海岸に進入。手頃な海中岩窟へ化け物トビウオライダーを休眠状態にして隠蔽する。

 

 そして、荷物を担いで岸壁に上陸し、周囲が無人であることを確認した後、満天の星の下で堂々と着替え始めた。

 

 レーススーツみたいな赤黒のタイトな潜水服を脱ぎ、次いで、スポーツ下着のようなインナーの上に、貧乏チンピラが着ていそうな安いジャージの上下をまとう。

 

 だっさい格好だが(ナミが見たらイメージが崩れると叱るだろう)、後々どうせ返り血を浴びて脱ぎ捨てることになるんだから、ベアトリーゼ的には無問題。

 

 腰に装具ベルトを巻き、ダマスカスブレードとカランビットを下げ。最後にサングラスを掛け、ベアトリーゼは歩き出す。

 口笛で『酔いどれ水夫』を奏でながら、モックタウンを目指して。

 

 左手の上に載せたビブルカードが震えていた。

 獲物は近い。




Tips

クリーク
 50隻、5000人の組織を維持するだけの能力はあるけど、それだけの人。
 海賊じゃなくて武装商船団でも経営してれば、一廉の人物になれたと思う。

ギン
 まったく見せ場が無かった。
 原作では後々登場しそうな雰囲気を醸しながら退場したが、現在までちらりとも映ってない。

サンジ
 自分の夢のために命を懸けるバカ共を前に何を思う。

コヨミ
 しれっと麦わら一味に混ざり、いろいろ情報を与えている。

ナミ
 コヨミから黒い魚人達の情報を得て、血相を変える。


ベアトリーゼ
 芋ジャージ姿で鉄火場に向かう25歳、自称文化人の美女。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

83:また逢おうぜ、クソ野郎共。

 賑やかで姦しい今宵。

 怪我だらけのコック達はいつまで経っても酒盛りを止めない。ゼフがそろそろお開きにさせようかと思案した時だ。

 

 サンジが麦わらの雑用小僧の仲間である小娘――何やら切羽詰まった様子で顔色が悪かった――を連れてきて、電伝虫を使わせた。

 

 バラティエには予約の受付や買い出しの連絡などをするため、電伝虫を備えてある。使わせてやることは構わない。

 

 が、顔色の悪い小娘が気に掛かり、ゼフは事を見守ることにした。もちろん、コック達も野次馬根性丸出しで物陰から窺っている。まあ、全然隠れられていなかったが。特にハチが酷い。ほとんど丸見えだった。

 

 ナミは不安げに蜜柑色の髪を弄りながら、『早く早く早く』と通話器から応答を待つ。

 しかし……待てども待てども、応答はない。幾度掛け直しても、応答はない。

 

 ナミはついには今にも泣きだしそうな顔で「何で出ないのよ、ゲンさんっ! お願いだから、出てよっ!!」と電伝虫に向かって怒鳴りだした。

 

 これは只ならぬ事態だと、誰の目にも明らかで。

 サンジと来たら取り乱したナミを上手く慰めることが出来ていない(日頃、調子よく女に接している癖に、まったくだらしないチビナスだ)。

 

「ど、どうしたんだ、ナミ? 何かあったのか?」

 ハチがおずおずと尋ねれば、ナミはハチを睨みつけて怒鳴る。

「アーロン達が戻ってきたかもしれないのよっ!! あんたのお仲間のアーロン達が、この海にっ!」

 

「にゅ――っ!? 何だってーっ!?」ハチは目を剥いて驚愕し「あ、アーロンさん達が!? どういうことなんだっ!?」

 

 ナミはまくし立てる。

 世界経済新聞の女記者から聞いたという『黒い魚人』の話を。かつて、ハチが身を置いていた魚人海賊団の頭目と幹部二人が、この東の海に戻ってきているかもしれない……と。

 

 そして、そいつらが本当に東の海へ戻ってきたなら、その理由は小娘の故郷ココヤシ村――よりはっきり言えば、一味を壊滅へ追い込んだナミへ復讐を企むかもしれない、と。

 

 ハチは絶句し、『本当にアーロンさんなら、あり得る話だ』と大きく項垂れた。

敗北の復讐に、ナミを後悔させるためだけに、ココヤシ村を皆殺しにする。アーロンはそれが出来る男だ。

 

 魚人の大英雄フィッシャー・タイガーが非業の死を迎えた時も、アーロンは怒りと憎しみに駆られ、たった独りで復讐と報復を試みた。本気で、タイガーを騙した者達を一人残らず殺そうとしていた。あのコアラという少女の故郷を襲い、皆殺しにしようとしたのだから。

 

「絶対にさせない。もう二度と皆を、ココヤシ村を傷つけさせない」

 ナミは橙色の瞳を決意と覚悟で輝かせ、ハチを睨み据えた。

「ハチ。あんたは、どうするの? アーロンに加勢するの? ここで私を捕まえて、アーロンに差し出す?」

 

「そんなことはしねェっ!!」

 ハチは大声を張った。びくっと身を竦ませたナミに気付き、

「お、大きな声を出してすまねぇ。だけど、信じてくれ、ナミ。俺はアーロンさん達に味方しねェ。ナミを捕まえて差し出したりしねェ……っ!」

 三対の拳を固く握りしめ、双眸に覚悟を湛えた。

「俺が……俺がアーロンさん達を止める……っ!」

 

「……あんたが?」ナミは猜疑を隠しもしない。「償いのつもり?」

 

「これはそんな立派なことじゃねェ」ハチは首を横に振り「アーロンさん達を止めることで、俺は俺のけじめをつけるんだ。とんでもねえ間違いをしちまった自分の落とし前をつけるんだ。それで、ようやくナミやココヤシ村に償いを始められるんだ」

 ハチはゼフに向き直り、大きく頭を下げた。

「にゅー……ゼフの旦那。俺は行かなきゃならねえ。この店が大変な時に、本当にすまねェ。だけど」

 

「ごちゃごちゃ御託を並べるんじゃねェ、ハチ」

 ゼフはハチの言葉を遮り、鼻を鳴らす。

「出ていく時ぁ、テメェの料理道具を持っていけよ」

 

「そりゃどういう意味だ。ハチにここへ戻るなっていうのかよ」とサンジが渋面を浮かべて口を挟む。

 

「そうだ。もう俺の店に戻ってこなくていい」

 ゼフはハチの目を真っ直ぐ見据え、言葉を紡いでいく。ぶっきらぼうな調子で、だけど父性的慈愛を多分に含んだ声で。

「過去のテメェにケリをつけて、新しいテメェのために生きろ。テメェの足でしっかり立って、たこ焼き屋を始めやがれ」

 

 ハチは目を潤ませ、大きく頭を下げて最敬礼する。

「……ありがとう、ありがとう、ゼフの旦那」

 

「礼は要らねェよ、ハチ。店がこの様で退職金はおろか餞別も出せやしねェ。まったく締まらねェ話だ」

 照れ臭さを隠すように編み込んだ長い口髭を弄り、ゼフはナミへ幾分和らげた声音で言った。

「そういうわけだ、嬢ちゃん。こいつを連れて行ってやってくれねェか」

 

 ナミはちらりとハチを窺い、大きく頷く。有無を言わせぬ強い調子で告げる。

「……良いわ。ハチ。夜が明けたらすぐに出るわよ」

「ああ、分かったよ、ナミ」

 ハチが力強く首肯すると、ナミは踵を返してバラティエを出ていく。

 

 決意と覚悟に満ちた小さな背中を見送り、ゼフは渋面を浮かべたままのサンジをじろりと見据えた。

「チビナス。良い機会だ。テメェも一緒に行け」

 

「はぁっ!?」サンジはギョッとし「なんで俺が――」

 ゼフはサンジの反論を蹴り飛ばすように厳粛な面持ちを湛えた。

「いつまでも“俺の”夢に引っ付いてんじゃねェ。テメェにゃテメェの夢があるだろう」

 

「―――ッ!」

 サンジは二の句を告げられず、立ち竦む。

 

「その足りねえ頭で一晩しっかり考えろ、クソチビナス」

 ゼフはそんなサンジを突き放すように背を向け、物陰から覗き見していたコック達へ怒声を浴びせた。

「テメェらもさっさと寝ろっ! 明日も忙しいんだっ! 寝坊しやがったら蹴り飛ばすぞっ!」

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げていくコック達と、部屋から去っていくゼフ。

 一人その場に残ったサンジは金髪をぐしゃぐしゃと搔き乱し、呻くように独りごちる。

「俺は……」

 

      〇

 

 ナミがゴーイングメリー号へ戻ると、焦れていたらしいウソップが真っ先に声を掛けた。

「どうだったっ!? 故郷と連絡はついたのかっ!?」

 

 ウソップへ首を横に振り、ナミは未練がましく鳥の骨をしゃぶっていたルフィへ歩み寄る。

 アーロン達を倒して故郷を守るために、なんとしても、この能力者を口説き落とさなくてはならない。

 

 ナミはその明敏な頭脳をフル回転させながら、言葉を紡ぎ始めた。

「……ルフィ、頼みがあるの。次の目的地を……私の故郷のココヤシ村にして」

 

 ルフィはしゃぶっていた鳥の骨を皿に放り、ちらりと仲間達を窺う。固唾を飲んで様子を見守るウソップ。気だるげに、だが、鋭い目つきで成り行きを見守るゾロ。

「そりゃ……ナミの仇から故郷を守るために、そいつらと戦えってことか?」

 

 ナミは大きく頷き、ゾロ達を順に見回して“交渉”を続けた。

「タダとは言わない。故郷には残してきたお金がある。それを払うから、だから……!」

 

「……そうじゃねェだろ、ナミ」

 ムッとした顔つきで、ルフィがナミの言葉を遮った。

「なんで金の話をするんだよ」

 

 急に機嫌を悪くしたルフィに、ナミは困惑した。付き合いはまだ浅いものの、こんな強い不快感を滲ませるルフィを見たことがない。

「なんでって……だって、私の事情で航海の予定を変えるし……それに、あんた達にもアーロンと戦って貰うことになる。その報酬を払うって話よ」

 

 ルフィはますます機嫌を悪くし、ナミを射るように睨みつけ、

「“だから”なんで、報酬の話になるんだよ」

 困惑と動揺から返答に窮するナミへ、これ見よがしに溜息を吐いた。

「ホントに分かんねェのかよ。お前、頭良いのにバカだな」

 

「な――」絶句するナミ。

「お、おい、ルフィ」ウソップが横槍を入れようとしてゾロに制される。

 

 ルフィはゆっくりと深呼吸し、獅子が咆哮するように怒鳴った。

「俺達は仲間だろうがっ!! 仲間に助けを求めるのに、金だの報酬だの言うんじゃねェっ!」

 

「―――ッ!」

 ナミの橙色の瞳と華奢な体と心が大きく揺れた。

「な、何が仲間よ……っ! 一緒に組んでまだ一月も経ってないのにっ!」

 ルフィはナミへ怒鳴り返す。本気で怒った顔で。

「時間なんか関係ねェっ! お前は俺の仲間だっ!」

 

 これまで、ナミに仲間が居たことは無い。故郷と大事な人達を守るため、たった一人で魚人海賊団に抗い続けてきた。ナミの宿願を叶えてくれた異邦の蛮姫は恃む相手であって、共に立つ仲間ではなかった。

 

 だから、ナミはルフィの憤慨を理解することが遅れた。そして、理解してしまえば――

 鼻腔の奥がツンとして、目頭が熱くなる。心がキュッと絞められて、身体が震える。

 

 ナミは潤んだ瞳でルフィを見つめる。ゾロを見つめ、ウソップを見つめた。

「相手は、あの鷹の目が殺し切れなかった相手なのよ……? 私の故郷を守るために、戦ってくれるの……? 私を助けて、くれるの……?」

 

 ルフィは吠えた。雄々しく。猛々しく。

「当 た り 前 だ っ !!」

 

 ゾロは笑う。不敵に。獰猛に。

「鷹の目が仕留めきれなかった相手を仕留められたら、少しばかり気分がよくなりそうだ」

 

 ウソップは胸を張って、ナミへ言った。

「おおお俺もいるぞ、ナミっ! ま、任せとけっ! 俺には8千万からなるウソップ軍団がいるからなっ!」

 

「めっちゃ声が震えてますぜ、ウソップの兄貴」「膝もガクブルですぜ、ウソップの兄貴」

 ヨサク&ジョニーが野暮チンなツッコミを入れた。

 

『ナミちゃんは最高の仲間と出会うよ』

 あいつの言葉は正しかった。ナミの目尻から涙がこぼれそうになった。

 

「なんというアオハル全開……っ! 私、震えがとまりませんっ!」

 最高にエモいシーンを台無しにするように、コヨミが身悶えしていた。

 

    〇

 

 バラティエに接舷しているゴーイングメリー号から届く喧騒に耳をくすぐられながら、サンジは自室のベッドに寝そべり、くわえた煙草から立ち昇る紫煙を見つめている。

 

 奇しくも、ゼフも自分のベッドに寝転がり、直したばかりで真新しい天井を眺めていた。

 

 2人は思い返している。

 奇縁から始まり、共に歩んできた日々を。

 

 初老の元海賊とチビガキの2人で始めた『バラティエ』。

 ゼフは昔気質の職人肌で言葉で教えるより見て学べ技を盗めのタイプだったし、しょっちゅう蹴り飛ばす。サンジはぶつくさ文句を言いつつも、ゼフから料理の技術と足技を学び取ってきた。

 

 店が軌道に乗り、人手不足から募集を掛ければ、パティやカルネみたいなヤクザなんだかコックなんだか分からない奴ばかり集まってきて……。女性従業員を欲しがる面々の声を、ゼフが一蹴したり……客がゼフを海賊上がりとバカにすれば、サンジが血祭りにあげたり……。

 

 オール・ブルーの伝説を語り合ったことを。

 

 海で飯を食わせることの意義と信念を語り合ったことを。

 

 サンジとゼフは振り返っていた。

 

 

 

 

 そして―――

 

 

 

 

 翌日。

 海上レストラン『バラティエ』の朝は早いが、この日はいつも以上に早い。

 前日の“バカ騒ぎ”による損壊部位の後片づけや修理があったし、料理の仕込みもある。

 

「たった一年だけど、ゼフの旦那に皆、本当に世話になった。ありがとう」

 荷物を包んだ風呂敷を背負うハチが丁寧に頭を下げれば。

 

「水臭ェこと言うなっ!」「いつでも来いよっ!」「たこ焼き屋がんばれよっ!」

 コック達が寂しさを含んだ笑顔でハチと握手したり、肩や背中をばんばん叩いたり。

 

 賑やかで温かな別れの場に、荷物を担いだサンジが現れると、コック達は黙り込む。

「お前らにもこの店にも、もううんざりだ。俺は出ていく」

 

 サンジの憎まれ口に、コック達は鼻白み負けじと悪罵を投げつける。

「上等だバカヤロー!」「とっとと出てけ暴力コック!」「グル眉っ!!」

 

 ハチは狼狽え気味にサンジへ尋ねる。

「い、いいのか? サンジ。ゼフの旦那に挨拶しなくて」

 

「良いんだ。腐れ縁が清算できてせいせいするぜ」

 サンジはハチを伴って店を出て、接舷しているメリー号へ向かって歩き出す。メリー号の舷側では、麦わら帽子を被ったハチャメチャ野郎がサンジの乗船を今か今かと待ち焦がれていて。その隣で、蜜柑色の髪の美少女が不安と憂いを滲ませている。

 

 ……行こう。俺も俺の足で立つ。俺の夢に向かって進むんだ。

 サンジがメリー号へ乗り込もうとした、刹那。

 背中に声が届いた。

 

「サンジ」

 今までろくに呼んでくれたことのない名前を呼ぶ声が。

 

「カゼひくなよ」

 今まで聞いたこともないような、親心がこもった声が。

 

 サンジは雷に打たれたように身が震えた。湧き上がる情動を堪えきれない。沸き立つ感情を押えられない。大粒の涙が溢れていることにも気づかぬまま、即座に荷物を投げ捨てて振り返り、

「オーナー・ゼフッ!!」

 両膝をつき、深々と頭を下げた。心の底から、ありったけの感謝を込め、万感の思いを全力で叫ぶ。

「長い間!! クソお世話になりました……っ!! この御恩は一生……ッ!! 忘れませんっ!!」

 

「寂しいぞ馬鹿野郎っ!」「悲しいぞクソッタレっ!」「サンジもハチもがんばれよ、チクショーッ!」

 むさくるしいコック共が泣き顔で喚き散らし、ゼフも目元を拭っていた。

 

「また逢おうぜ、クソ野郎共っ!!」

「みんな、またなぁああああっ!!」

 サンジはコック達に怒鳴り返し、ハチと共にメリー号へ乗り込む。

 

「出発だ――――っ!!」

 船長の号令がかかり、メリー号がバラティエを離れていく。

 

 この日、麦わら一味にコックが仲間になり、元海賊のコックから“息子”が世界へ旅立った。

 

      〇

 

 ジャヤ島モックタウンに潜り込み、ベアトリーゼは渋面を作った。

「汚いし……臭いし……」

 

 見聞色の覇気を巡らせ、モックタウンの全体像を俯瞰的に窺ってみれば。

 大通りや人の出入りが激しい港付近は、植民地様式の木造建築や『海のゴミ箱』と化す以前の真っ当な建物が並んでいる。

 

 騒々しく賑やかではあるけれど、往来の人々は漂流ゴミのように他所から流れてくる海賊やお尋ね者や追放者。この町に行き着いた社会的敗北者共。この町から出られない……あるいは、出ることを諦めた土地の負け犬達。実にろくでもない。

 

 そして、原作で描かれなかった居住区は凄まじく酷い。

 住民の居住区は木造の家が少数だった。大多数は東南アジアのスラムよろしく、トタン造りのバラックや増改築が重ねられた木材とガラクタの“塊”が並んでいた。

 

 掃除されなくなって久しい雨水溝はゴミと土砂で埋没し、小路はゴミや汚物で完全に覆われている。どこもかしこも悪臭が充満していた。屎尿、汚物、不衛生な体臭や口臭、腐敗した何かの臭い……。

 

 悪臭に嫌気がさし、ベアトリーゼは背中のリュックサックからバンダナを取り出し、鼻の頭から口元を覆うように巻く。

 

 政府や海軍の手が届かないという点では、“マーケット”と同じだが、中身は比べるべくもない。向こうは超一流百貨店。こちらは公衆便所だ。

 

 ベアトリーゼは見聞色の覇気を切った。この醜悪な街に故郷を思い出し、痛烈な不快感を覚える。

 

 あー……見苦しい。今すぐ焼き払いたい。今すぐ人も建物も焼き払って更地にしてやりたい。

 

 ベアトリーゼが大通りを目指して歩いていると、小汚い男達に囲まれて『げへへへ、せ、清潔な女だあ』『金目のもんを全部出しな』『それと、服を脱いでケツを向けろ』。

 

 二秒で無力化した。

 

 直後、乞食や浮浪児が昏倒した男共から、ケツの毛まで毟る勢いで一切合切――汚れた下着まで奪い取っていった。

 

「そんなところまで故郷と一緒かよ。最悪だな」

 ベアトリーゼはげんなりしながら大通りに出る。

 

 荒事前に腹ごしらえしておこうか。適当に店を選び、スイングドアを押し開けた。

 朝方でも店内は呑兵衛が少なくなかった。夜中から居続けているらしい客達はテーブルを占拠して舟を漕いでいる。

 

 店内の一角に揃いのジャンパースーツを着こんだ若者達が居た。いや、暖色のジャンパースーツを着こんだ白熊が交じっている。着ぐるみか……? いや、あんな登場人物が居たような気がする。

 

 ベアトリーゼは口元を覆うバンダナを首元へ下げつつ、カウンター席へ向かう。と、トイレから出てきた長身の青年と交錯する。

「おっと、ごめんね」

 

「いや、こっちも悪かった」

 モコモコした帽子を被り、バカでかい刀を肩に担ぐ青年が美声で応じる。

 

 あら、いけめん。

 

 青年は目の下に色濃い隈があり、陰気な雰囲気を漂わせているが、顔立ちは精悍。すらりとした痩身長躯はしっかり鍛えられているようだ。

 

 このイケメンも原作ネームドっぽいな。えーっと……誰だっけ?

 ベアトリーゼが穴あきだらけの前世記憶を振り返っているところへ、

 

「あーっ! キャップテーンがナンパしてるッ!」

「なんだってーっ!? キャプテンがナンパっ!?」

「ホントだっ! キャプテンが服装はアレだけど美人さんをナンパしてるっ!」

「恋はハリケーンか、キャプテンッ!」

 白熊の歓声を発端に、ジャンパースーツの若者達がやんややんやと騒ぎ始めた。

 

「ナンパなんかしてねェ。一々騒ぐな」

 イケメンが煩わしそうにしかめ面を作る。

 

 なんとも快活な賑やかさにベアトリーゼの悪戯心が疼いた。

「あら。じゃあ、私がナンパしようかしら。格好良いお兄さん、モーニングを一緒にどう?」

 

「は?」イケメンが『何言ってんだこの女』と、眉間に皺を刻む。

 

「お姉さん、お目が高いっ!」

「服の趣味はアレだけど、男を見る目は間違いなしっ!」

「キャプテンは格好良いからなっ!」

「ナンパされても仕方ねえよなっ!」

 一匹とその他が自分達の船長が格好良いと褒められ、美人にモテたことに喜ぶ。

 

「おい。あんた、どういうつもりだ」

 イラッとしているイケメンに、

「冗談よ、冗談。お仲間の元気がいいから、つい」

 ベアトリーゼは手をひらひらと振ってカウンターへ向かった。

「じゃーね、格好良いお兄さん」

 

「何なんだ、あの女」

 北の海からグランドライン入りした“死の外科医”トラファルガー・D・ワーテル・ローは迷惑そうにぼやきながら、麦肌の芋ジャージ女にどこか既視感を抱いていた。が、心当たりを思い出せず、賑々しい仲間達の許へ戻っていった。

 

 彼が芋ジャージ女の正体を知るまで……もう少し。




Tips

ゼフ
”息子”を海へ送り出した。

サンジ
 無事、麦わら一味に参加。

ハチ。
 かつての過ちを贖うべく、麦わら一味の船へ一時乗船。

ナミ
『助けて』はまだ言ってない。

ルフィ
 作者解釈。ちょっと強引だったか。


ベアトリーゼ。
 ダサジャージを着た美女ってエロだらしない感じがする……するだろ?

トラファルガー・ロー。
 原作キャラ。
 ちなみに、中の人は『砂ぼうず』のアニメに木っ端役で出演したことがある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

84:ココヤシ・クライシス

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、ふぇいるさん、誤字報告ありがとうございます。

忙しかったり、怪我したりで更新できず。


 水底を進むアーロンとチュウとクロオビの三人は、三つの感情に支配されている。

 憤怒。恐怖。憎悪。

 

 アーロン達を捕えていた“あの人間達”は、これまで魚人島で見聞きした人間達や、タイヨウの海賊団やアーロン一味として交流してきた人間達と全く別物だった。

 

 “あの人間達”は、アーロン達を人間と見做さなかった。徹頭徹尾、アーロン達を実験生物(ギニーピッグ)として扱った。

 アーロン達がどれほど罵詈雑言を浴びせようとも、本気の殺意と害意を込めて叫ぼうとも、慈悲を乞い縋っても、泣き喚いて許しを求めても、一切反応を返すことはなく……。

 淡々とラットのようにアーロン達へ様々な薬品を注射し、黙々と解剖台に載せた蛙のようにアーロン達を切り開き、粛々と檻に閉じ込めたチンパンジーのようにアーロン達を観察し、記録と情報を収集するだけだった。

 

 かつて、フィッシャー・タイガーが死の間際に、聖地マリージョアで天竜人に味わわせられた苦痛と屈辱と恐怖を語ったが……タイガーの体験した地獄はまだマシだっただろう。

 タイガーは天竜人に尊厳を踏み躙られ、汚され、辱められ、蔑まれ、嘲笑われたが……それでも、彼は人間として生き延びられた。

 

 だが、アーロン達は違う。

 彼らが直面した人間の残虐さと残酷さと残忍さは、アーロン達から人間の尊厳を切り取り、削ぎ取り、剥ぎ取った。

 コックが魚介を解体して料理を作るように、頭蓋を切り開かれ、身体を切り開かれ、一部を切除され、一部を“何か”に交換され、薬品で変異させられ、微生物やウイルスを寄生させられ……アーロン達に残ったものは、わずかな自我と思考力だけ。

 

 ゆえに、奇しくも自由を取り戻した後……アーロン達は東の海へ真っ直ぐ向かった。

 自分達を、地獄へ落とした人間達に対する憤怒。

 自分達に、地獄を味わわせた人間達に対する恐怖。

 自分達が、地獄に行く元凶となった裏切り者のナミとココヤシ村の反逆者達と……自分達の城を襲い、同胞達を虐殺した女に対する憎悪。

 

 憤怒に駆られ、アーロン達はココヤシ村を滅ぼさんと目指す。報復のために。

 恐怖に迫られ、アーロン達はかつて自分達が支配したアーロンパークを目指す……逃亡のために。

 憎悪に突き動かされ、アーロン達はナミと、あの女を殺すべくココヤシ村を目指す。復讐のために。

 彼らには、もはや()()()()しか残されていなかった。

 

 そして、彼らは辿り着く。

 自らの帝国の始まりである、ココヤシ村に。

 自らを破滅させる発端となった……ココヤシ村に。

 

「ナミを捕マエろ」

 左目を喪ったアーロンは、夜の水平線に見え隠れするココヤシ村の灯りを睨み据えながら、クロオビと隻腕となったチュウへ言った。

「あノ裏切り者の小娘の前デ、村の連中ヲ一人一人嬲リ殺す。あの小娘ガ慕う駐在と、姉ノ首を捥ぎ千切ッテやる」

 

「あぁ……やろう……アーロンさん」

「地獄。見せ。る」

 クロオビとチュウが片言の調子で嗤う。

 憤怒と恐怖と憎悪に塗り潰された怪物達が、復讐の爪牙を剥く。

 

       〇

 

 牛頭の大海獣モームはこの一年、快適に暮らしていた。

 約一年前、アーロンパークの傍で奇怪なトビウオライダーを目にした時、モームは根源的恐怖を覚えた。アレに関わったら死ぬ、という直感に従って本能のままに逃げ出した。

 

 モームはアーロン達に忠誠心など欠片もなかった。故に、逃げ出した後……アーロンパークへ戻ることもなく、東の海で気ままに自由を謳歌していた。

 少なくとも、この日まで……。

 

 手頃な獲物が見つからなかったこの日、モームは海面を進む木塊――船と鯱を見つけた。

 鯱の方は既にこちらに気付いているから、襲っても逃げられるだろう。あの小癪な白黒はモームより動きが機敏で足が早い。

 

 だが、あの木塊は違う。

 経験則として、モームは知っている。あの木塊は海獣よりずっと鈍く、中に人間(エサ)が居ることを知っている。そして、魚人でない限り……人間(エサ)は海中で何もできない、マヌケな生物だと知っている。賢いモームは知っているのだ!

 

 モームは木塊へ狙いを定め、勇んで襲い掛かり――

「ゴムゴムのピストルッ!!」

首肉(コリエ)シュートッ!!」

 ぶっ飛ばされた。

 

 白目を剥いて海面に浮かぶ大海獣を前にして……。

「にゅ? モームじゃねェか!? お前、こんなとこで何してんだ!?」

「モーム? なんでこんなところに?」

 大海獣モームを知る元魚人海賊団のタコ魚人と、蜜柑色の髪の美少女が目を瞬かせていた。

 

「でもまあ、好都合ね」

 美少女は橙色の双眸を狡知に細め、野郎共ヘ言った。

「縄を持ってきて。長くて太い奴を」

 

 

 

 ……で。

 

 

 

 どうしてこうなった? どうしてこうなった?

 縄を掛けられたモームは内心で嘆きながら、メリー号を牽引していく。

 目指すは、コノミ諸島ココヤシ村。

 かつて、モームが逃げ出した場所だった。

 

 

     〇

 

 うだるような暑気の漂う昼下がり。

 簡素な船着き場にメリー号を泊め、麦わら一味はココヤシ村に足を踏み入れた。

 なお、モームは解放された途端、脱兎のように逃げだした。まるで、何かに怯えるように。

 そして、村は酷く痛めつけられていた。家屋は破壊され、田畑は荒らされている。しかし、村は無人だった。死者はおろか血痕一滴落ちていない。

 

「襲撃からあまり時間が経ってないようですね」

 コヨミがカメラを手にしたまま周囲を窺う。建物はいずれも損傷跡が日焼けしておらず、風雨や埃を被っていなかった。

 

「アーロンさん達の仕業だ……」

 ルフィ達と共に村を見て回っていたハチは、完全に蒼褪めていた。破壊された村を凝視しながら、苦しげに呻く。

 

「分かるのか?」

 ルフィに問われ、ハチは三本の右腕でそれぞれ破壊された家屋を指し示す。

「あの引き裂かれたように壊された家は、アーロンさんがやった。あっちの濡れた建物は、チュウが水弾を撃って壊したんだ。それとこの家は、クロオビが魚人空手で殴り壊したものだ」

 

 ハチの説明を聞いたゾロは、腰の左右に差した三本刀――愛刀、和道一文字とクリーク一味から巻き上げたもの二本――の柄頭に両手を置きながら、ルフィへ険しい顔を向けた。

「ルフィ。この連中、相当“できる”ぞ」

 

「だな。でも関係ねェよ」

 ルフィは白い歯を見せて、不敵に笑う。

「ここで負けるようじゃ海賊王になれねェ」

 

「それもそうだ」

 ゾロも獰猛に口端を歪めた。

「兄貴。その傷で戦う気ですかい?」「そりゃいくら兄貴でも無茶ですぜ」

 ヨサク&ジョニーがおずおずとゾロへ至極真っ当な忠告する。も、

 

「そうだな。お前ら、傷が開かねェよう包帯をきつく縛り直してくれ」

 ゾロがそんな忠告に耳を貸す気など無い訳で。尊敬とも呆れとも取れる顔で、ヨサク&ジョニーがゾロの包帯をつけ直していく。

 

「それにしてもよぉ……この村の連中はどこに行っちまったんだ?」

「ニュー……俺にも分からねェ。村は荒らされてるが、血痕もねェし、戦いがあったわけじゃなさそうだから、アーロンさん達が攫って行ったとも思えねェ。何がどうなってんだか……」

 ルフィとハチが首を傾げていると、村外れに向かっていたナミとウソップとサンジが戻ってきた。

 

 メリー号がココヤシ村に到着した直後、ナミは周囲の制止を無視して長棍を握りしめて船を飛び降り、村へ駆けだした。

 無理もない。甲板からも故郷の惨状が見えていたのだから。船上から村の様子を目にした時、ナミはただでさえ青かった顔を白くしていた。脳裏にオウィ島の惨劇が蘇り、犠牲者達の姿がノジコ達の顔で再現された。サンジが慌てて支えに入らなければ、崩れ落ちていただろう。

 

「……家は荒らされていたけど、ノジコはいなかった」

 ナミは美貌を青くしたままだが、どこか不安を和らげていた。代わりに村の様子から敵の強大さと凶悪さを察したウソップが顔色を一層悪くしている。

 

 サンジが煙草をくわえ、ライターで火を点す。紫煙を吐きつつ、ナミへ尋ねた。

「村の人達が全く見当たらねェが、ナミさんには心当たりがあるかい?」

「多分、避難所へ逃げたんだと思う」

 

 ナミは説明する。

 血浴のベアトリーゼはアーロン一味を壊滅させた後、アーロンが消えたことによる悪党共の襲来に備え、村の周辺に簡単な警戒網を設置。アーロンパーク解体に伴い、資材を流用して村のインフラ整備に加え、郊外に避難所を作らせていた。

 

「アーロンパークが解体されてたのか」

 ハチは何とも言えない顔で唸り、ナミに尋ねる。

「今、跡地はどうなってるんだ?」

「海軍の屯所になってるわ」

 

 公式には、ネズミ海軍支部大佐とその部隊は壊滅的損害を被りながらも、億越え賞金首“血浴”のベアトリーゼを撃退したことになっている。

 その結果、海軍はネズミ大佐の功績とコノミ諸島の安全保障のため、旧アーロンパーク跡地に一個小隊ほどの屯所を置いていた(なお、当のネズミ大佐はベアトリーゼに精神を完全にぶっ壊されてしまい、療養所でぼんやりと生きている)。

 

 むろん、たかが一個小隊にコノミ諸島を守る力はない。が、有事に素早く軍へ通報したり、近場のバカ共を牽制することは出来る。

 つまるところ、この小隊はまさに今のような事態の時――

 

 風に乗って届いてくる銃声と砲声、様々な破壊音、悲鳴と怒号と断末魔。

 物騒な音色から成る戦闘交響曲を耳に捉え、麦わら一味は弾かれたように音が聞こえてきた方角へ顔を向けた。

 

 林の樹冠の先から黒煙が昇っている。

 

「かつての自分達の城がぶっ壊されていて、海軍の根城になっちまっていたことに御立腹……てっとこか?」

 紫煙を燻らせるサンジ。

 

「だろうな。海軍の連中にゃあ悪いが。探す手間が省けた」

 包帯を巻き直し終え、ゾロが左腕に巻いていた黒布を解き、頭に海賊巻きした。

 

「か、海軍が倒しちまうかも」冷汗をだらだら流すウソップが希望的想像を口にするも、

 

「……にゅ〜、ウソップ。アーロンさんは強ェんだ。こんな田舎に駐屯させられるような兵隊じゃ、倒せやしねェ。あ、ナミ……田舎ってのは、悪口じゃなくて」

 ハチが残酷な現実を語り、慌ててナミに釈明し始める。

 

「田舎なのは事実でしょ。いちいち謝らなくていいわ」

 余裕のないナミは苛立たしげに吐き捨てた後、ルフィを見る。幼子が縋るような、弱々しい目で。

 

 自身を見つめる橙色の瞳に、いつもの勝気さと快活さがまったく無い。ルフィはその事実が酷く、酷く気に入らない。立ち昇る黒煙を鋭く睨む。俺の大事な仲間に、こんな目をさせている奴があそこに居る。

「ナミは姉ちゃん達のところへ行って、無事を確認してこいよ。ヨサクとジョニーはナミと一緒に行ってやってくれ」

 

 ルフィは安心させるようにナミへ微笑みかけ、踵を返した。戦闘交響曲が聞こえてくる旧アーロンパーク跡地/現海軍駐屯所を目指し、歩き始める。

「俺はアーロンとかいう奴をぶっ飛ばしてくるからよ」

 

 ルフィに続き、ゾロとサンジも歩き出した。

「そこは俺達って言えよ、船長」

「ナミさんの故郷を荒らしたクソ野郎共をオロさねェとな」

 

 ハチが三人の背を慌てて追う。

「アーロンさん達は俺が止める!」

 

「お、俺は狙撃手としてお前らを全力で援護してやるから、安心して戦えよ!」

 ウソップがへっぴり腰で皆を追いかける。

 

 野郎共の背を見送る橙色の瞳が滲み出た涙にぼやけた。ナミはごしごしと目元を脱ぐい、長棍を握り直した。

「走るわよ。あんた達、しっかりついてきなさいっ!」

 言い終えるが早いか、ナミは避難所へ向かって駆け出した。

「あ、待ってくだせぇよ、ナミの兄貴!」

「俺達はナミの兄貴の護衛ですぜっ!」

「だから、どうして私が兄貴なのよっ!!」

 ナミは頓珍漢なヨサク&ジョニーに叱声を浴びせつつ、わき目も振らず走っていく。

 

「あれ? 私は?」

 言及の無かったコヨミは目を瞬かせた後、ルフィ達の後を追った。

 

 

 

 

 かつてコノミ諸島周辺を牛耳った魚人海賊団アーロン一味の拠点アーロンパークは、往時の姿を一切残していない。正面ゲートの跡と続く水路が残るだけで、建物は完全に解体されていた。今は海軍の平凡な小規模施設――屯所本部兼兵舎、哨戒艇の整備庫と物資の備蓄庫、訓練園庭があるだけだ。

 

「下等種族共っ! よクモ俺の城ヲッ!!」

 アーロンは激昂のあまり、潰れた左目から出血していたが、気にもしていなかった。完全に頭に血が昇っている。自分達の城を更地にされ、海軍の小ぢんまりした施設に化けていた事実に、激昂していた。ただでさえ、報復と復讐を兼ねたココヤシ村襲撃は、村が無人だったことで肩透かしを食った状態だった。そこへ、この現実。ブチギレない方がおかしい。

 

 一方、襲撃を受けている駐屯所の海兵達はわずか1個小隊。しかも、冴えない万年中尉に率いられる彼らは、辺境の屯所勤めに回されるような人材だった。当然ながらコノミ諸島の安寧を護るには、力も才覚も気力も経験も不足している。

 が、彼らは自分達に課せられた最低限の任務――『脅威や問題を通報した後、死ぬまで時間を稼ぎ続けろ』を果たすだけの能力と必死さを備えていた。

 

 そして、彼らは自分達より絶対的に強大な脅威を前にしても逃げ出すことはなく、冴えない万年中尉も、うだつが上がらない下士官達も、パッとしない兵士達も、義務を果たした。

 

 彼らが命を代価に稼いだ時間によって、アーロン達が避難所を見つけ出す前に、“彼ら”が間に合った。

 アーロンが心底憎々しげに海軍旗を踏み躙っていたところへ、彼らが破壊された海軍屯所に立つ。

 いずれも十代後半の少年達。

 それに、同胞たる魚人。

 

「ハチィ……ッ!」

 アーロンは隻眼を吊り上げ、かつて部下だったタコ魚人を睨み据える。

「テメェ……なンデ、人間共と一緒ニ居やガル……ッ!」

 

「アーロンさん……ッ! クロオビ、チュウ……ッ! その姿は……いったい」

 ハチは凍りついていた。

 

 アーロンもクロオビもチュウも、黒づくめの着衣から覗く素肌に毒々しい色みのリヒテンベルク図形が走っていたり、顎の付け根や肩口に腫瘍が出来ていたり、眼球が酷く充血していたり、と明らかに普通ではない。

 それに、三人とも重傷を負っている。アーロンは左目を、チュウは右腕を失っていたし、クロオビも背中を大きく歪めていた。

 

「ハチ……あの日……お前は……ここに……居なかった……」

 クロオビが激しい敵意を露わにしながら、訥々と言葉を紡ぐ。上手く舌が回らないかのように。

「お前が……あの女を……引き込んだ……のか?」

 

「にゅ〜? あの女? ナミが言ってた、ベアトリーゼって女のことか? それは……」

「ナミ。だと? ハチ。お前。俺達。裏切った。な?」

 チュウが片言で言葉を編み、ハチに恨みのこもった目を注ぐ。

 

「ち、違うっ! 俺は皆を裏切ってねェ!! あの日、俺は海でスゲェ衝撃を受けて気を失ってたんだっ! 意識を取り戻した時には……」

 ハチは慌てて言葉を重ね、不意に言葉を断つ。大きく頭を振り、

「いや。そうだ。俺は“お前ら”を裏切るっ! 俺は間違えたっ! タイの大兄貴が俺達へ伝えようとした“最期の思い”を分かってなかったっ! 取り返しがつかねェことをしちまったっ! 詫びも償いも出来ねえような間違いをしちまったっ! だから……!」

 アーロン達へ宣告した。

「俺がここで、“お前ら”を止めるっ! これ以上、お前らに間違いを犯させねえっ!」

 

「ハチ……この裏切り者メ……っ!」

 アーロンが隻眼を殺意で染め上げ、クロオビとチュウも憤怒の怨嗟をこぼす。

 

 と、その時――

「俺はお前らの事情なんか知らねェし、どーでも良いんだ。ただよ」

 麦わら小僧が口を挟み、右肩をグルグルと回してから――右拳を放つ。

「お前が居ると……俺の航海士が安心して、夢に向かって進めねェんだっ!」

 

 腕がゴムのように伸びるという……想定どころか想像外の現象を伴って放たれた拳に、アーロンは完全に虚を突かれてまともに喰らい、ふっ飛ばされては屯所の残骸に叩きつけられた。

 

「そこは“俺達の”航海士って言えよ」黒布を頭に巻いた少年が、腰から三本の刀を抜いていく。

「まったくだ」金髪グル眉少年が煙草をくわえて火を点ける。

「お前ら、頑張れよ、しっかり援護するからな!」長っ鼻が腰を引かせながら言った。膝ががくがくと震えている。それでも、間違いなく踏みとどまっている。

 

「テメェら、ナミの仲間…カ」

 何事もなかったように身を起こし、アーロンは瓦礫の中に立ち上がる。

「丁度良イ……テメェらヲブち殺すついデニ、あのクソアマがどコニイるか、聞クトシよう」

 

「そんなこと出来ねェよ」

 麦わら小僧は拳を握り固め、不敵に笑う。

「お前らは、ここで俺達にぶっ飛ばされるんだからな」

 

     〇

 

 東の海で大一番を迎えようとしている頃、芋ジャージに身を包んだ蛮族女は『酔いどれ水夫』の口笛を奏でながら、しみったれた町の大通りから外れていく。

 

 既に見聞色の覇気で捕捉している。後は獲物を狩り、目標を確保し、奇妙な付き合いを続けている政府の貴婦人へ預けるだけ。獲物を仕留めることで、“金獅子”を向こうに回すかもしれないが……。

 

 襲ってくるなら、戦うだけ。

 勝てないなら、逃げるだけ。

 あくまで殺しに掛かってくるなら、奴の首を獲る。

 仮に自分より強かろうと、殺す方法は必ずあるのだから。

 

 ベアトリーゼは煤けた石造りの建物へ向かって歩みを進めつつ、食事処の壁に貼られた手配書を思い返す。

 

 あのイケメンが2億ベリーの賞金首だったとはね。それにしても“死の外科医”、ねえ……ヤブ医者ってこと?

 

 そんなことを考えているうちに、ベアトリーゼは目的の建物の前に到着した。

 見聞色の覇気で探った限り、4階建ての安宿の中……10人前後の海賊共が目標を探して部屋を巡り歩き、宿泊客と揉め事を重ねている。目標が見つかり、囚われるか殺されるまでもう数分……といったところか。

 

 ベアトリーゼは、サングラスを額に押し上げて思案した。

 さて……どうやってエントリーしようかしらん。




Tips

アーロン
 おいたわしやアーロンさん。

チュウ
 原作では、数日前までただの悪戯小僧だったウソップに負けてしまうという、あるまじき失態を犯した人。

クロオビ
 魚人空手家。ただし、後に登場する魚人空手使い達が凄すぎてパッとしない。

ベアトリーゼ。
 狩りの時間だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

85:ココヤシ・レイジング

佐藤東沙さん、金木犀さん、俊矢200000925さん、掟破りさん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 三刀を握りしめながら、ゾロは隻眼のノコギリザメを睨み、ルフィに問う。

「こいつにゃ、2人掛かりでいった方が良さそうだ。構わねェか?」

 ゾロは経験と観察眼から察していた。三人の魚人達はいずれも恐ろしく強い。特に身体が異常なほど頑健だと。事実、ルフィの一撃を受けて微塵もダメージを受けていないことが、ゾロの推察の正しさを証明している。

 

「ああ。これは決闘じゃねェからな」

 ルフィもノコギリザメを見据えつつ、ゾロの提案に合意する。

 先ほど、アーロンの巨躯に打ち込んだ拳の感触とその反応から、自分の攻撃――ゴムゴムの実の力を使った伸縮加速攻撃がほとんど通じなかったことを、きちんと理解していた。

 

 硬ェ。いや、ただ硬ェわけじゃねェ。“俺と同じ”……いや、俺より硬ェゴムの塊みてェな感じだ。

 このノコギリが俺と同じなら、ハンパな攻撃は効かねェ。

 だから……

 

 めいっぱい全力でぶん殴らねェとなっ! 

 

 しっかり考えたうえで、ルフィは正面突破を図る。それは祖父の仕込みか、義兄弟の影響か。あるいは、本人が本能的に理解しているのかもしれない。

 真正面からぶっ倒すことこそ、相手に完全な敗北を与えるということを。

 

「先に謝っとく。間違ってぶん殴ったら、ごめんな」

「おう。俺も間違ってぶった切ったら、悪ィな」

 なんとも不安なやり取りを交わすルフィとゾロだが、2人の顔は戦意と闘志に満ちていた。

 

「下等種族のクソガキ共メ。テメェら如キガ束になッテ掛かッテキたとこロデ、相手ジャねェんダ。このカス共と同ジデなっ!」

 アーロンが近場に転がる海兵の亡骸を踏みつけ、嘲笑う。

 

 ルフィは斃れた海兵達を一瞥し、顎紐で麦わら帽子を背に下げた。

「お前、ここの海兵達に勝ったとでも思ってんのか?」

 

「ア?」

 訝るアーロンに、

「ここの海兵達は、お前に殺されちまったけど、俺達が来るまで、お前らに誰一人殺させなかった。死んでも守り抜いたんだ」

 ルフィは吐き捨てるように怒鳴る。

「お前はここの海兵達に負けたんだ、ノコギリ!」

 

「八つ当たりで無人の村を壊すような奴にゃ分からねェさ」

 ゾロは三刀流の構えを取った。その双眸は獰猛にぎらついている。

「ガタイは大したもんだが、こいつらの中身はみみっちぃ」

 

「ぶち殺ス……っ!」

 アーロンはこめかみに青筋を浮かべ、2人へ襲い掛かった。

 

 

 

「こりゃ、骨が折れそうな奴らだな」

 サンジは紫煙を燻らせながら、クロオビとチュウを見据えつつ、隣に立つハチへ尋ねる。

「ハチ。たしかクロオビってのはお前の幼馴染だって言ってたよな」

 

「そうだ。ガキの頃、よく2人で一緒にたこ焼きの屋台を追っかけて、小銭を出し合って……俺がいつかたこ焼き屋になるって言ったら、あいつは常連客になってやるって笑って……」

 ハチは憎悪の目を向けてくるクロオビと対峙しながら、決意を固めた。

「あいつは俺に任せてくれ。俺が必ず止めてみせる」

 

「分かった。任せるぜ、ハチ」

 サンジは目線をハチからウソップへ移す。

「ウソップ。援護を頼む。もしも俺らが倒れたら……お前が奴らを止めろ。絶対にナミさん達のところへ行かせるな。そのためならお前は死んでもいい」

 

 真顔で薄ら恐ろしいことをいうコックに、狙撃手は思わずツッコミを返す。

「おぃいっ! 言い方っ! もうちょっと言い方を選べっ!?」

 

「……聞くところによると、故郷じゃ可愛い御嬢様と良い仲だったらしいじゃねェか」

 サンジはマジの嫉妬を滲ませる。

 俺がむさ苦しい野郎共に囲まれてクソジジイに蹴り飛ばされていた時、この長鼻野郎は見目麗しい御令嬢とイチャついていたのだ。許せねェ。許せねェぞ、長っ鼻。

 

「良い仲とか、俺とカヤはそんな」頬を朱に染めて照れるウソップ。満更でもなさそう。

「雰囲気出してんじゃねェッ!! ぶち殺すぞっ!!」

 自分から話を振っておいてブチギレるサンジ。隣で呆れるハチ。

 

「いつまで……ゴチャゴチャと……」

「さっさと。死。ね」

 サンジの三文芝居に付き合えぬとばかりに、クロオビとチュウが攻撃へ移ろうとした刹那。

 

受付(レセプション)ッ!」

 口元の煙草から紫煙を引きながら跳躍したサンジが、2人をまとめて蹴り飛ばす。

「こりゃ硬ェな。相当ぶっ叩いて柔らかくしねェと、客に出せたもんじゃねェ」

 

「貴様……人間風情が……」

「殺。す」

 蹴り飛ばされて怒りを露わにする2人へ、

 

「こっちのセリフだ、クソヤロー共」

 サンジは短くなった煙草を投げ捨て、言った。

「ナミさんを悲しませた罪。三枚下ろし程度じゃ済まさねェぞ」

 

      〇

 

 ココヤシ村の郊外。林の奥。海軍や周辺町村にも秘匿されている避難所。

「ナミっ!? あんた、どうして」

 小銃を肩に下げたノジコは妹の訪問に目を丸くする。が、ナミは答えずに姉を強く抱きしめた。

「無事でよかった」

 

「……あんたもね」

 ノジコは安堵している妹の頭を慈しむように撫でながら笑みをこぼし、本題を進める。

「どうやって、村のことを知ったの?」

 

「色々あったの」ナミは事の経緯を省き「そっちこそ、なんで連絡が通じなかったのよ」

「駐在所の電伝虫のこと? あれは寿命で死んじゃったの。それで、新しい電伝虫を手配してる最中なのよ」

 あまりにもあんまりな理由に、ナミは大きく肩を落として溜息を吐く。

「私、てっきり村の皆が……」

 

「ベアトリーゼが作った哨戒線に、賊が掛かった時点で避難してるから」

 ノジコはナミの頭を撫でながら続けた。

「ちなみに、あんたが海に出てから海賊の襲来が三回あった。今回と同じように、避難所へ逃げ込んでやり過ごしたよ」

 

「海軍の屯所が出来てからは、襲来も絶えていたんだが……」

 ゲンさんが姿を見せ、戦闘騒音が聞こえてくる方角へ顔を向けた。

「今回の海賊共は屯所にすら襲い掛かる手合いだったようだ。早々に避難して正解だったな」

 

「――知らないの?」

 ナミは橙色の瞳を真ん丸にし、怪訝そうにする姉と父同然の駐在へ言った。

「村と屯所を襲ってるのは、アーロン達よ。私や皆に復讐するつもりなのよ」

 

 ギョッとするノジコとゲンさん。いや、様子を見ていた周囲の村人達もナミの言葉が耳に届き、慄然と身を強張らせた。

 

「アーロン達が、戻ってきた……」

 ノジコや村人達が、顔を蒼白に染める。

 

「復讐だと……? 己の所業を棚に上げ、我々を恨むというのか」

 ゲンさんや村人達が、恐れ以上の怒りで顔を真っ赤に染める。

 

「今、私の仲間が戦ってるわ。私の故郷と大事な皆を護るために戦ってくれてる。だから……」

 このままここに身を隠していて……そうナミが続けようとした時、ゲンさんが憤怒の吐息をこぼす。

「不甲斐ない。あまりにも不甲斐ない……っ!」

 

「え」

 呆気に取られるナミに、ゲンさんは血が滲むほど強く拳を握り込む。

「まだ幼かったお前に村を救う戦いをさせてしまい……心優しかったお前に殺し屋を雇わせてしまい……! 挙句は、夢を叶えるため海に出たお前に……またしても、こうして私達のために戦わせてしまっている……っ!」

 

 駐在の言葉に、村人達も激情に染まっていく。恐怖に青くなっていた者達も、徐々に怯えが薄れ……怒気を湛え始めた。

 

「げ、ゲンさん? ノジコ? 皆?」

 皆の変化に戸惑う。ナミは気づいていなかった。自分の思いやりが、自分の献身が、ゲンさんや村の皆の矜持を、尊厳を、誇りを静かに傷つけていたことを。

 

 そもそも、ココヤシ村の住民達は老いも若きも男も女も、命を捨てて戦える覚悟を持っているのだ。

 8年前にアーロン達が襲来してきた時、ココヤシ村の住民達は死を恐れることなくベルメールを助けるため、連れ去られようとするナミを取り返すため、敢然と戦い血を流した。決定的な敗北を喫した後ですら、『子供を見捨てて生きながらえるより、意地を見せて死ぬ方がマシ』と本気で考えていたほどなのだ。

 

 ゆえに。ナミの思いは皮肉にも、

「アーロン達が私達へ復讐しに来たというならば、私達が受けて立つっ!」「おおっ!! そうだっ!!」「復讐だと!? 返り討ちにしたるぁっ!!」

 ココヤシ村の衆に火を点けてしまった。

 

「そんな、海軍だってやられたのよっ!?」

 ナミが血相を変えて皆を止めに掛かるが、

 

「……だとしても、だとしてもだっ!」

 ゲンさんはナミの肩に手を置き、言った。父親のように優しい顔で。

「私達はナミの御荷物であってはならんのだ。私達がきちんとナミの帰る場所を護れることを示さねば、お前は安心して夢を叶えられんだろう」

 

 村の男衆も女衆も長老達も若者達も、ナミへ優しく、笑いかける。

「ナミ。ワシらを侮るなよ」「ナッちゃん。そう心配するなって」「そうよ。私達だって戦えるわ」

 

 ナミは震え上がる。自分が良かれと思ってしたことで、村の皆を死地に向かわせようとしている現実に、橙色の瞳を濡らしながら、取り乱して叫ぶ。

「だめ……だめよっ! 皆、死んじゃうっ! もう嫌なのっ! 私の大事な人達が死ぬなんて、そんなこと、絶対に――」

 

「ナミの“姉御”」「そこまででさあ」

 黙って成り行きを見守っていた、ヨサクとジョニーが口を開く。

「この人達ぁ腹を括っちまった。もう言葉じゃあ止まらねェ」

「だから、ナミの“姉御”も決めるしかねェ」

 

 ナミは目を瞑り、歯を食いしばって―――自分の左肩を掴む。かつてアーロン一味の刺青が入れられていた左肩は、刺青の除去手術の傷痕が残っていた。

 

 あの日、ベアトリーゼに叩き潰させたのに、生き汚く舞い戻ってきて……っ! 私の大事な人を奪っておいて、私の大事な人達を傷つけておいて、私の人生を奪っておいて、また同じことをしようとして……っ!

 

 左肩を掴む手に力がこもり、爪がきめ細かな肌に深く食い込んでいく。

 アーロン……ッ! アーロン、アーロン、アーロン、アーロンッ!!!

 

 許さないっ!

 

 赦さないっ!

 

 私の人生から、私の世界から、今度こそ消してやる……っ!

 

「……もう止めない。だから」

 ナミは血が滲み始めた左肩から手を放し、村の面々を見回す。

「私も皆と一緒に征く」

 決意に染まった橙色の双眸がぎらめいていた。

 

     〇

 

「にゅ……クロオビ……」

 地に伏せたハチが呻く。

 強化された体躯を持つクロオビによって、ハチは血達磨にされていた。

 

 それは両者の肉体的強度の差であり、魚人空手の使い手であるクロオビに素手で挑んだハチの不利であり、心の奥底で幼馴染を傷つけたくないというハチの甘さ――優しさによる結果であり。

 

「裏切り者……裏切り者……殺す……殺す……殺す……」

 それは、制止の言葉を重ねる幼馴染を、本気で撲殺しようとしているクロオビの冷酷さの勝利だった。

 

 チュウと戦っていたサンジも傷だらけだ。金髪も一張羅も血と泥に塗れている。

 隻腕のチュウがアウトレンジの水弾射撃に徹し、サンジの間合い外から一方的に痛めつけていたためだ。

「小賢しい魚野郎め……大人しくオロされやがれ」

 

「鬱陶。人間。貴様“も”。さっさ。死ね」

 サンジの悪態にチュウも罵倒を返し、ちらりと瓦礫の中に転がるウソップを一瞥した。

 パチンコなんて玩具でナメた真似をしくさった長っ鼻は、返礼の水大砲を叩きこんで“ぶち殺した”。

 

 ……というのはチュウの誤解だ。大の字に倒れているウソップは、もちろん生きている。チュウの水大砲の至近弾によって、瓦礫の雨を浴びてズタボロになったが、一味の中では一番傷が浅い。

 しかし、心の折れ具合は深刻だった。

 

 この戦いは無我夢中で戦った黒猫海賊団の時とは違う。この戦いは麦わら一味の一員として船と仲間と自身の誇りと命を懸けた殺し合いだ。

 

 相手はシケたクソッカス共だった黒猫海賊団とは違う。相手は種族的に優れた魚人で、片腕になりながらも冷徹に殺しを遂行する本物の戦士だ。

 

 恐怖が大きすぎて、ウソップはサンジのように立てない。

 怯懦が大きすぎて、ウソップはルフィ達のように笑えない。

『このまま死んだ振りをしてやり過ごせ』と認めたくない自分がしつこく囁き続け、その声に抗えない。

 

 そんな惨めさに、自分自身への失望に、ウソップは涙を滲ませながら、必死に克己を試みる。

 立て! 起ち上がれっ! 動けっ! もう楽しいだけの海賊ごっこは終わりにしたんだ! ここで命を張れなきゃあ、ここで戦わなきゃあ、全力で戦わなきゃあ……! 俺はあいつらと同じように、めェいっぱい笑えなくなっちまうんだ!

 

 しかし、ウソップの意思に反して、怯え竦んだ身体は動かない。ウソップの決意に反し、恐れ慄いた身体は応えない。

 ちくしょう。ウソップの双眸から滴が溢れた刹那。

 

 クロオビがハチに歩み寄り、右拳を高々と振り上げる。

「死ね……裏切り者……ッ!」

「クロオビ……」自分を本気で殺そうとする幼馴染を見つめ、諦念の涙を滲ませるハチ。

 

「!? させるか、テメェッ!!」

 サンジがハチを救うべく駆ける。当然、冷徹無比なチュウはその隙を見逃さない。

「百発。水。鉄砲」

 徹甲弾並みの初速と貫徹力を誇る水弾の嵐が掃射され、サンジの身体を捉える。

 

「ぐっ!! ぅおおおおおっ!!」

 身体のあちこちから血飛沫が飛び、削がれた着衣と肉が舞う。それでも、サンジは止まらずに駆け抜け、クロオビの振り下ろした拳を蹴り除ける。

 蹴り上げられた右腕のびりびりと痺れる感覚に警戒を抱き、クロオビは一旦距離を取った。

 

「……すまねえ、すまねえ、サンジ」

 ハチは一対の両手で顔を覆う。指の隙間から、血に混じって涙が流れていく。

「クロオビはまるで別人だ……俺の言葉がまったく届かねえ。だけど、俺にはあいつを……すまねえ、本当にすまねえ」

 

 サンジはふらつきながら傍らのハチを一瞥し、

「良いんだ、ハチ。後は俺に任せとけ」

 懐から取り出した煙草を血塗れの手で摘まみ、血塗れの口にくわえた。煙草は血を吸って真っ赤に濡れていたが、無理やり火を点す。

 

 血でシケった煙草を燻らせ、サンジは双眸を限界まで吊り上げ、クロオビを睨む。

「俺はハチほど優しくねェぞ。幼馴染を平然と殺そうとする奴に手加減なんてしねェ。俺のダチを血達磨にしやがって……ミンチにしてやるぜ、クソヤロー」

 

「二対一。俺達。勝つ?」せせら笑うチュウ。

「二対二だ、サカナヤロー」

 サンジは大きく煙を吐き出し、にやり。

「立てよ、キャプテン・ウソップ。休憩は充分だろ」

 

 ウソップの心に火が点った。

 信頼のこもった声に。立つと信じて一切疑わない声に。仲間と認めている声に。

 今まで自分の意思に一切応えなかった情けない身体へ、心の熱が巡る。背骨に力が入る。指先が動く。手が動く。爪先が動く。膝が動く。腕が動いて。足が動いて。

 

 ウソップは立ち上がり、目元を乱暴に擦って、サンジに強張った笑みを向けて怒鳴る。

「……待たせたな、サンジッ! 二日酔いがようやく抜けたぜッ!! キャプテン・ウソップ、リフレッシュ完了だッ!!」

「まったく、難儀な野郎だ」サンジは楽しげに笑う。

 

「死に損ない……共が……」

「忌々。長鼻。殺す」

 クロオビとチュウがそれぞれ相手を変え、戦いは第二ラウンドへ。

 

 

 

「あっちは盛り上がってんな。こっちも負けてられねェや」

 ルフィは片膝をつき、肩で息をついていた。

 体のあちこちに出来た傷から、ぽたぽたと幾粒も血が垂れ落ちている。こめかみを伝う血を拭いながら、隣で刀を杖代わりにしているゾロを見て笑う。

「ははは。ヒッデェな、ゾロ。ボロボロじゃねーか」

 

「そっちこそ。ボロタイヤみてーだぞ、ゴム人間」

 鷹の目に斬られた傷口が開き、胸元を真っ赤に染めたゾロが笑い返す。

 

「下等生物ガ……シブてェな」

 アーロンは潰れた左目から血を流しつつ、劣勢にあっても笑顔を浮かべる若造2人に激しく苛立つ。

 

 ルフィ達は2人掛かりでもアーロンに圧倒されていた。

 2人の連携はお世辞にも巧みとは言えなかったが、そんなことを差し引いても、アーロンの改造された身体は凄まじかった。ルフィの打撃にビクともせず、ゾロの斬撃を容易く避ける。打ち身一つ出来ることなく、薄皮一枚裂かれていない。

 

 その一方で、アーロンもまたルフィ達を仕留めきれない。

 どれだけ攻撃を食らわせても、痛めつけても、傷を負わせても、命を奪いきれない。どれほど力の差を味わわせても心を折れない。まさに不撓不屈。

 

「どーする? ルフィ。この鮫野郎は思ってた以上に頑丈だぞ」

 ゾロの問いかけに、ルフィは立ち上がって太陽のように笑う。

「全力で思いっきりぶっ飛ばす」

 

「それが通じなくてズタボロにされてんだろーが。でもまあ、このままやっても先が知れてるか」

 ゾロは凶猛に口端を歪め、三刀を構えた。

「残りの体力、全部絞り出して大技を出す。後のことは知らねェ。任せる」

「おう」ルフィは拳を打ち合わせる。「任された」

 

「テメェら劣等生物が何ヲシようと無駄だ……っ! 至高の種族タる魚人の俺ニ通じヤシねェッ! テメェらはこコデ無意味にくタバルんだっ!」

 アーロンは隻眼で心底忌々しげにルフィとゾロを睨み据え、体躯を疾駆させる。

「いい加減、死にやガれッ! 下等種族ッ!!」

 

      〇

 

 コヨミは狙撃兵のように瓦礫の山に身を隠し、死闘を撮影し続けていた。

 あの魚人達、ミホークさんに殺されないだけのことはありますね。相当なもんです。

 

 でも、とコヨミは手早くカメラのフィルムを交換しながら思う。

 あの子達はそんな魚人達を相手に、苦戦しながらも食らいついてる。昨日今日海に出たばかりの超ド新米海賊達が。

 

 や、ただのド新米じゃないか。

 能力者で“英雄”ガープの孫で“赤髪”シャンクスとウタさんの縁者。

 世界最強の剣士が認めた青年剣士。

 赫足ゼフの弟子である戦う少年コック。

 赤髪海賊団幹部の息子。

 この場に居ない美少女航海士にしても、あの“血浴”が手を貸す価値を見出していた。

 粒ぞろいだ。

 

「……彼らにとって、これは試金石ですね」

 この戦いに勝利することが出来たなら、彼らはグランドライン入りするだけの力を持つ証明になるだろう。逆に言えば、あの魚人達を倒せないようなら、グランドライン入りしたところで、他者の餌になるだけだ。

 

「新たな萌芽を目撃するか、若者達の夢が破れる様を目にするか……ゾクゾクしてきましたよ」

 コヨミは狐のような笑みを浮かべ、カメラを構え直す。

 

 

 戦いはいよいよ佳境を迎えようとしていた。




Tips

多キャラの戦闘描写。
 字数が膨らんでしまう。今後は描写を絞るか、それとも、書くだけ書いてしまうか。悩みどころ。

ルフィ・ゾロVSアーロン
タイマン決闘はせず。

ハチ
根がお人好しの彼には、狂気に堕ちたとはいえ幼馴染をツブせないと思う。

サンジ。
なんか美味しい役どころになってる。

ウソップ。
無我夢中だった故郷の戦いと違い、今回こそ”本当の”初陣。なのに、相手はガチ勢。
戦い慣れしてない彼がビビっても仕方ないという解釈。

ナミ。
善意の行動がとんでもない事態を招いてしまい、巡り巡ってアーロンにブチギレ。

ゲンさん、ノジコ、ココヤシ村の皆さん。
原作でも意外と血の気が多い人達。
ナミの無自覚な曇り行為が過ぎて、ついに爆発した。

コヨミ。
平常運転。


ベアトリーゼ。
彼女が何をしているか、もとい、何をやらかしたかは次回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

86:ココヤシ・コンフリクト

アーロン編を巻くため、文字数多めです。

佐藤東沙さん、金木犀さん、Nullpointさん、NoSTRa!さん、トリアエーズBRT2さん、誤字報告ありがとうございます。


 ナミとココヤシ村の面々が旧アーロンパーク跡地・現海軍コノミ諸島屯所に到着した時、麦わら一味達は使い古しの靴下みたくボロボロだった。

 ルフィは血塗れ。ゾロは胸の傷が開き、胸元はおろかズボンまで血に濡らしていた。サンジは金髪や着衣が血と泥で赤黒くなっており、ウソップは両膝をついて血反吐をぶちまけていた。ハチは血達磨で倒れ伏して嗚咽をこぼしている。

 

 対して、アーロン達は並々ならぬ怪我を負いながらも、平然と麦わら一味を圧倒していた。

 

 だが、ナミ達を何よりも驚愕させ、慄かせたのは、その変貌振りだ。

 左目を失くしたアーロンも、右腕がないチュウも、背中に大きな怪我を負うクロオビも、肌に不気味なシダ状紋様が走り、首の付け根などに異様な瘤が出来ている。そして、真っ赤に血走った目が憎悪と殺意にぎらぎらと輝いていた。

 

 怪物。

 その一語が、ココヤシ村の人々の脳裏に浮かぶ。

 

 ナミは傷ついたルフィ達に下唇を噛みつつ、仇敵を睨み据え、吠える。

「アーロンッ!!」

 

 戦場に響く凛とした美声。

 男達の戦いが静止し、目線がナミに注がれる。

 

「ナミィ……ッ!!」

 血走った隻眼がナミを捉えた。

 アーロンは元より恐ろしい男だったが、今のアーロンはナミの記憶にある姿よりはるかに恐ろしく、おぞましい。

「裏切リ者め……クソガキめ、思い知らセテヤるッ! お前ノ家族も大事ナ村人も故郷も、全テブち壊シテヤるッ!」

 

 憎悪と復讐心に塗れた怒号を上げるアーロンに、ナミは絶対零度の眼差しを返す。

「裏切り? 笑わせないで。私はあんた達の仲間だったなんて思ったこともない。そもそも、私があんたを何度殺そうとしたと思ってんの? あんたはその度、私を打ち据え、嘲り嗤い、殺さずに捨て置いた。要はあんたのマヌケさが一年前のあの日と今日を招いただけ」

 

「―――ッ!」

 牙をギリギリと軋ませ鳴らすノコギリザメへ、ナミは長棍を構えた。

「今日こそ、あんたから私の故郷を取り戻すっ! 今日こそ、あんたとの因縁を終わらせるっ! 私の、私達の手でっ!」

 

 ノジコ達が銃を構え、ゲンさん達が刀剣類を構える。

 ここでアーロン達を倒し、本当の平和を取り戻すため。

 ここでアーロン達を破り、本当の自由を取り返すため。

 たとえ、幾人斃れようとも。

 

「俺達を斃スダと……? 貧弱で愚カな下等種族が……調子に乗ルナっ!!」

 アーロンがナミ達に向かって跳躍する。強化されたノコギリ鼻を切っ先とした突撃体当たり技『鮫・ON・DARTS』だ。元より常人を容易く轢殺し得る技だったが、身体強化を施された今は大口径の火砲並みの破壊力を誇る。文字通り一撃で村人達を虐殺しえるだろう。

 

 ルフィとゾロが咄嗟に邀撃を試みるが、アーロンの動きが早すぎて間に合わない。ヨサク&ジョニーが村人達の前に立つが、この二人では肉壁にもなるまい。

 

「――させねェッ!!」

 倒れていたはずのハチが立ち上がり、大きな体を飛び込ませてアーロンの突撃を妨げる。ノコギリ鼻がハチのどてっぱらを易々と突き破り、突撃の運動エネルギーと衝撃力がハチの体躯を破壊すべく、傷口を大きく広げていく。

 

「にゅ――――――――――――――――――――――ッ!!」

 ハチは血反吐をぶちまけながらも精魂の全てを絞り出し、六本の腕と体でアーロンの突撃を止め切り、ナミ達を守り抜く。

 

「ハチッ!?」「ハチの兄貴ッ!!」

 ナミとヨサク&ジョニーの悲鳴が上がり、

「ハチだと!? なぜお前が――」

 ナミから事情を聞いていなかったゲンさん達が驚愕する中、アーロンは心底冷めきった目でハチの腹から血肉塗れのノコギリ鼻を引き抜き、崩れ落ちたハチを足蹴にした。

「テメェにハ心底失望しタゼ、ハチ。魚人の面汚シメ」

 

「アーロンさん。もうやめてくれ……タイの大兄貴は、こんなこと、望んじゃいねェよ……」

「“タイの兄貴なんザドウでも良イ”っ!」

 アーロンはハチの血に塗れた顔で咆哮した。

「フィッシャー・タイガーは、復讐すル気概モ報復スる度胸モナカった負け犬ダッ! 奴隷ニサレた屈辱を忘レて人間共に甘ェ顔ヲシて、その結果殺さレチマったマヌケ野郎だっ! 泣き寝入リノ末に死ンダ……臆病者だっ!」

 

「アーロンさん……どうして……」

 英雄フィッシャー・タイガーすら蔑むアーロンに、ハチは悲哀に顔を歪めながら意識を手放した。

 

「俺は違ウっ! 俺は泣キ寝入りなンザシねェっ!! 俺の野望を台無シニシた、あのクソ女に必ズ復讐すルっ! 俺ヲコンな目ニ遭わセタ奴らに、必ず報復スるっ!! 俺の邪魔ヲスる奴ラハ一人残らズ! 全員殺すっ!」

 アーロンは血走った眼をナミに向け、

「まずハオ前だっ! ナミッ! お前の大事ナモのを一ツ残らズブち殺し、ぶち壊シテから、八つ裂キニシてヤるっ!!」

 足元に倒れ伏しているハチを冷酷に見下ろし、

「……同胞だロウと、容赦ハシねェっ!」

 首元を踏みつけようとした。

 

 刹那。

 

「ゴムゴムのぉ~~~ロケットハンマーッ!!」

 ルフィが体ごと叩きつけるようなジョルトパンチをアーロンの横っ面へぶち込み、

「虎っ、狩りっ!!」

 飛び込んできたゾロが、大技でアーロンの頑健な体躯をふっ飛ばした。

 

 ルフィとゾロはハチとナミ達を背に置くように立ち、

「これは俺達の喧嘩だっ!! 手を出すんじゃねェッ!!」

 ルフィは肩越しにココヤシ村の人々を怒鳴りつけ、倒れているハチに微笑みかけた。

「ハチ。ナミ達を守ってくれてありがとな」

「根性見せすぎた。おかげで体力を使っちまったぞ」ゾロもハチへ、敬意交じりの微苦笑を向ける。

 

「ルフィ」

 不安と期待といろんな感情がこもった眼差しを向けてくるナミに、

「ナミ、ハチを手当てしてやってくれ。このままじゃ死んじまうからな」

 ルフィはいつも通りの不敵な微笑みを返し、

「それと、預かっててくれ」

 麦わら帽子をナミに預けた。

 

 ――俺の宝物なんだ。

 ルフィが大切にしている麦わら帽子を委ねられ、ナミはその覚悟の重さを悟り、息を呑む。

 

 だから、ナミは麦わら帽子を大事に抱きかかえながら言った。ルフィに。ゾロに。サンジに。ウソップに。

 ……最高の仲間達へ向かって。

「勝ってっ!!」

 

「任せとけ」船長は白い歯を見せ、

「おう」副船長は短く応じ、

「ナミすわぁんッ!! 声援のおかげで元気百倍だよっ!!」

 コックが目をハートマークにして答え、

「キャプテン・ウソップの勝利を待ってろっ!」

 狙撃手が足をガクブルさせながら吠えた。

 

 戦いはクライマックスを迎える。

 

      〇

 

 蛮姫は窓から突入した。

 ぶち破られた窓ガラスの欠片が入射光を乱反射し、水晶片のように煌めき散る中……室内に飛び込んだ蛮姫が身をしなやかに躍らせる。

 

 天井スレスレを横宙返りしながら武装色の覇気をまとった蹴撃を放ち、マヌケAの首をへし折るようにふっ飛ばす。着地寸前に体をスピンさせて両腕のダマスカスブレードを振るい、マヌケBとCを真っ二つに斬り飛ばす。2人分の鮮血が室内だけでなく、目標(HVP)まで真っ赤に濡らした。

 

 着地でバネを溜め込みつつ、瞬間的に周囲の状況を把握。

 HVP周囲に敵は無し。残る脅威は部屋の入口方面に3。室外――廊下に4。

 

 突然の事態にマヌケ共が対応しきれない中、蛮姫はバネを解放して再跳躍。右のカランビットでマヌケDの首を切り裂いた。返り血を浴びながら余勢を駆り、覇気をまとう後ろ回し蹴りでマヌケEの胸部を蹴り潰し、壁をぶち抜いて隣の部屋へシーンアウト。

 

 蹴りの慣性のままさらに回転。遠心力をたっぷり乗せた漆黒の回し膝蹴りをマヌケFの顔面へズドン! ぐしゃりと顔面を破砕されたマヌケFがドアごと吹っ飛んで廊下へリタイヤ。

 

 室内に侵入していたマヌケ6匹を仕留め終え、ベアトリーゼは茫然としているHVPを横目に捉えつつ、廊下に残っている脅威の排除に向かう。

 

「な、なんだてめぇわっ!?」「うわああああっ!?」「ク、クライヴの兄ィが、頭ぁ潰れちまってるぅううっ!?」「て、てめ、俺達が金獅子のシキの傘下だと知ってんのくわぁっ!?」

 慌てふためくマヌケ4匹へ、ベアトリーゼは無言で襲い掛かった。

 

 マヌケGを、カランビットで肋骨ごと心臓を貫き抉り。

 マヌケHを、ダマスカスブレードで頭からヘソまでずんばらりん。

 マヌケIを、蹴り上げて顎から頭蓋まで叩き割り、天井に突き刺して。

 

 最後のマヌケJが咄嗟に身を捻って漆黒の蹴りを避けるも、かすめた衝撃に顔面を削ぎ剥がされた。

「ぎぃっやぁあああああああああっ!?」

 

 皮どころか骨が見え隠れするほど顔の肉を失ったマヌケJは顔を押さえながら逃げ惑い、廊下の窓へ突っ込んで外へ飛び降り――

 表から肉塊が地面に衝突する独特な音が響く。

 

「殺し損ねたか。ま、あの傷じゃもうダメだろ。突入から制圧まで19秒。確認殺害9の無力化1。ちっと遅いな」

 ベアトリーゼは返り血を浴びて真っ赤に濡れた自身を見回し、

「やっぱ芋ジャージで正解だった」

 そんなことを呟きながら、室内に戻れば。

 

 返り血を浴びた甘色髪の妙齢女性、重要情報提供者(HVP)のチレンが部屋の隅でガタガタと震えながら、追手の死体から奪った拳銃を向けてきた。

「ち、近づかないでっ!!」

「あらら。助けに来たってのに随分な対応だこと」

 ……むしろ、妥当な反応なのであろう。

 

 ともあれ、ベアトリーゼはチレンを余所にカランビットとダマスカスブレードの刃をベッドシーツで拭い、それぞれを鞘に収める。

「私はベアトリーゼ。あんたを保護しに来た」

 

「ベアトリーゼ? まさか“血浴”の? なんで賞金首が私を保護するのよっ!? 私をどこかの組織に売る気っ!?」

 恐慌して叫ぶチレン。

 

「依頼人は御上の筋だよ。あんたが海軍からも逃げちまったんで、蛇の道は蛇ってわけ」

 猜疑と警戒を一層強くしたチレンへあしらうように答えつつ、ベアトリーゼは両腕のブレード用装具と腰の装具ベルトを外した。血で濡れそぼったジャージを脱ぎ捨てていく。卵の殻を剥くように下着姿になり、小麦肌を晒す。

 

「ふ、服なんか脱いで、どういうつもりっ!? ……ま、まさか“そういう趣味”なのっ!?」

 凶悪犯が大量殺人現場で突如ストリップを始めたことに、アレな想像をしてガチビビりするチレン。

 

「着替えるだけだって」

 ベアトリーゼは装具ベルトの雑嚢から替えの着衣を用意しつつ、

「軽く水浴びしてくるから、その間に荷造りしときな。逃げても良いけど、次に追いついた時は今回ほど優しくしないよ」

 それじゃよろしく、とシャワールームに入っていった。

 

 チレンは化け物を見るような目でベアトリーゼを見送り、銃を握っていた手をへなへなと降ろす。もっともな疑問を口にした。

「な、なんなのよ、いったい……何がどうなってるのよぉ……」

 

 隣の部屋で乳繰り合っていた不倫カップルも同様の疑問を嘆いている。

 

      〇

 

 下手な銃よりも強力な水弾の弾幕に晒され、ウソップは瓦礫の陰を逃げ回る。

 

「お前。人間。じゃなくて。ネズミ」

 チュウの嘲りは正鵠を射ていた。

 逃げ回るウソップの姿はさながら猫に狩り立てられるネズミのようで、クチでどれだけ勇ましいことを並べようとも、無様この上ない。

 

 だが、ウソップは屈辱を感じていない。命懸けの殺し合いなのだ。格好なんて気にしていられない。まして、ウソップの得物は強化パチンコ。弓のように構え、スリングを引き、狙い、打つの四段階の手順が必要で、即応性に乏しい。挙句、鉛玉も火薬の弾も、チュウの頑強な肉体にはまったく効かない。事実、チュウは既に回避すらせず、ウソップの健気な反撃を平然と受けている。

 

「無駄。無駄。無駄。お前。雑魚。ネズミ以下」

 嘲り笑い、水弾を放つチュウ。

 

 どれほど侮辱されても、ウソップは怒らない。

 なぜなら、ウソップの()()()()、チュウは意識をウソップに注いで()()()()()()()から。

 ウソップがネズミのように瓦礫の間を這い回り、水弾に身を削られ、至近弾で跳ねる飛礫を浴びながら“位置取り”を試みていることに気づいていないから。

 

 そして、ウソップは絶好の位置に辿り着くや、迷うことなく物陰から飛び出し、パチンコを構えた。

「必殺、鋼芯鉛星っ!!」

 

「無駄。雑魚。死ね」

 チュウがウソップへ向け、ひときわ絞り込んで初速を高めた水弾を放つ。

 

 もはや実包以上の貫徹力を持つ水弾がウソップの胸を貫通した。左肺に穴が空き、ウソップは着弾衝撃と激痛に意識が飛びかける、も。

「これは、一対一の決闘じゃねえ……っ! 海賊団同士の潰し合いだっ!」

 

 ウソップは構えを崩すことなく、狙い撃つ。

 ガチで危険なので、シロップ村では封印していた鋼芯入りの鉛玉……それが、チュウを大きく外して。

 これまた()()()()、チュウの後方でサンジを打ちのめしていたクロオビの背中――ミホークとの戦闘で酷く傷ついた背中に着弾した。

 

「ぐがぁ……っ!!」

 脳の処置で痛覚を鈍化されてなお耐え難い激痛に、クロオビが苦悶と共に動きを停めた。

 

「ナイス援護だ、ウソップ」

 サンジはにやりと笑う。

 頼もしい狙撃手は反撃の機会を作ってくれただけ“ではない”。教えてくれたのだ。サンジの蹴りすら通じない頑健無比な肉体の弱点を。

 

背肉(コートレット)ッ!!」

 赫足のゼフ譲りの強力無比な蹴撃が、クロオビの歪んだ背中に突き刺さる。パチンコの鉛玉など比較にならない痛撃にクロオビは悲鳴すら上げられず、軋む背骨の発した激痛に全身の神経が痺れた。

 意識も神経も巡らなければ、頑丈な皮膚も頑強な筋肉も、ただの硬い肉に過ぎず。

 

首肉(コリエ)ッ! 肩肉(エポール)ッ! 鞍下肉(セル)ッ! 胸肉(ポワトリーヌ)ッ! 腿肉(ジゴー)ッ!」

 先ほどまで効かなかった蹴りが、次々とクロオビを打ちのめしていく。

 

「ぐ、がぁあああああああああっ!!」

 ダメージの蓄積に意識が飛びかけ、クロオビは取り乱して魚人空手の構えを取る。しかして、それはサンジにとって、仕上げをぶち込む絶好の隙を見せたに過ぎない。

 

羊肉(ムートン)ショットッ!!!!」

 全身のバネを用いて繰り出し、全体重と速度と遠心力を乗せた大技が、クロオビの顎を捉える。靴を通じてクロオビの顎が割れる触感が伝わってきたが、サンジは躊躇も容赦もなく全力で蹴り抜く。肉を潰し、骨を砕き、頸をしならせ、頸椎を軋ませ、クロオビの巨躯を轟音と共に吹き飛ばした。

 

「満腹になったみてェだな、クソヤロー」

 手応えから意識を刈り取ったことを確信し、サンジは口端を歪めて呟く。

「お前も決めろよ、ウソップ」

 

「!? クロオビッ!?」

 チュウは驚愕しつつ、ふっ飛ばされてきたクロオビを受け止める。

 仲間意識の行動。だが、右腕を喪っているチュウに、失神したクロオビを受け止めることは簡単ではない。否応なく生じる大きな隙。

 

「必殺、タバスコ星ッ!!」

 その隙を、ウソップは逃さない。

 

「鬱陶ッ!!」

 チュウは左腕一本でクロオビを受け止め抱えたまま、崩れた姿勢から水弾を放ち、迎撃。高初速の水弾は見事にウソップの弾へ命中する。が、砕けた弾から飛散した激辛タバスコ液は慣性の法則に従ってチュウに降り注ぎ、数滴が両目を捉えた。

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 知覚野を強化されているがために、刺激物に対する反応は激烈だった。脳を弄って痛覚系を鈍くしていても、耐えきれない激痛にチュウがのたうち回る。

 

 ウソップはパチンコを投げ捨て、バッグからハンマーを取り出しながら、チュウに向かって駆け出す。水弾に撃たれた左肺がいうことを聞かず、一歩踏み出すごとに発する痛みによって意識が薄れていく。

 それでも、ウソップはチュウに飛び掛かり、馬乗りしてハンマーを振るう。

「ウソップハンマーッ! ウソップハンマーッ! ウソップハンマーッ! ウソップハンマーッ! ウソップハンマーッ! ウソ……ゲェホッ! ヴゾップバンマーッ! ヴゾップバンバーッ! ヴゾッブバンバーッ! ヴゾッブバン、ア゛ッ!?」

 

 無我夢中で振るい続けたためか、柄がへし折れ、ハンマーがすっぽ抜ける。ウソップは半狂乱になってバッグをひっくり返し、新たな得物を探す。

 残っていた物は輪ゴムだけ。

「ウソップ輪ゴ――――――――ムッ!」

 

 ぺちん! チュウの頬に輪ゴムが当たる。

 

 チュウは反応を返さない。ハンマーで滅多打ちにされて意識を失い、痙攣を起こしていた。

 ウソップは呆気に取られた後、チュウの隣に寝転がり、血反吐を吐きながら勝鬨を上げる。

「なめンじゃねェぞ、このやろ―――――――――――――――――――――っ!!」

 

「格好良いぜ、キャプテン・ウソップ」

 苦笑いするサンジも疲労感に抗えず、その場に座り込む。くしゃくしゃに潰れた煙草を口にくわえ、火を点す。血でシケった煙草の紫煙は勝利の味がした。

 

 

 

「使エネェ奴らダ」

 斃れた仲間に悪罵を吐き捨てるアーロン。

 

 ルフィのこめかみに青筋が浮かび、ゾロは眉目をより鋭く吊り上げた。

「……あいつらはお前の仲間だろ。ハチだって、前はお前の仲間だったんじゃねえのか」

 怒気を込めた声で、ルフィが質す。

 

「仲間? 馬鹿馬鹿しイ」

 アーロンは血走った隻眼で、少年達を睥睨する。

「俺は地獄デ学んダ。邪悪トは何カヲ知った。力とハ何カを知ッタ。仲間? 同胞? そンナもの、クソの役にも立ちャアシねェ。役ニ立つ奴は従エ、役に立タネェ奴は使イ潰す。俺は今度コソ帝国ヲ築く。俺ノタメの、俺の帝国ヲなっ!!」

 

「下らねェ」

 ルフィは心底倦厭した顔で呟く。

「俺は何も出来ねェ。剣を使えねェ。航海術が出来ねェ。美味い飯を作れねェ。上手いウソもつけねェ。仲間が居なきゃ、俺は海にも出られねェ……!」

 

「……ツまリ、テメェは役立タズッテことダ」

 嗤うアーロンに、

「かもな。でも、俺は」

 ルフィは拳を向けて気負いもなく、極自然体で言った。

「仲間を悲しませる奴をぶっ飛ばせる」

「充分だ」ゾロはにやりとして「俺も副船長として、手ェ貸さねェとな」

 

「劣等種族のクソガキ共ガ」

 アーロンは隻眼を海王類のように細め、跳躍した。

 

(シャーク)・オン・歯車(トゥース)ッ!!」

 ノコギリ鼻を鏃とした高速体当たりではなく、その強靭無比な牙を剥き、螺旋回転を加えたより殺傷力の高い残虐な突撃技。

 

「かわすか。受けるか」

「正面からぶっ潰す」

「同感だ。俺がさっき言ったこと覚えてるか?」

「ああ。後は任せろ」

 麦わら一味の副船長と船長は、迫る死線を前に笑い合う。

 

 ゾロは破砕機のように突っ込んでくる怪物へ立ち向かう。

 流血が多すぎて視界がブレ始めている。失血が多すぎて意識がボヤけ始めている。しかし、刀を握ることに不足はない。和道一文字を噛んで支える顎は微動だにしない。

 

 ゆったりとした構えから、

「三刀流……奥義」

 精魂全てを賭し、ゾロは世界最強の剣士に冷や汗を流させた鬼札を切る。

「三千世界ッ!!!!!」

 頂を目指す剣士の全身全霊の一撃が、250センチ超の質量を持つ高速運動体と激突する。

 

 落雷染みた轟音が旧アーロンパークに響き渡り、衝撃波が吹き荒れた。熾烈な斬撃に耐えきれなかった無銘の二刀が砕け折れる。が、ゾロの一撃はアーロンの凶悪な歯列もまた破砕し、その大柄な体躯を上空へ吹き飛ばしていた。

 

「ぐガァアアアああっ! くソガァあっ!」

 宙高く飛ばされたアーロンは剛剣によって幾筋も裂かれた口腔からダバダバと大出血しつつ、鮫系魚人の特性――多生歯性を活かし、砕かれた歯列を引き抜き、即座に新たな歯列を生やす。

 

 アーロンは大技で精魂尽き果てたゾロが崩れ落ちる様を睨みながら、

「死に損なイガッ! 噛み殺シテ――」

 

「ゴムゴムのぉ~」

 潰れた左目の陰から声が聞こえ、ハッとして顔を向ければ。

 

 いつの間にかルフィが自分の頭上に飛んでおり、両腕を高々と天に伸ばしていた。

 アーロンは即座に理解する。ゾロの真の狙いが自分を打ち上げることだったと。

「下劣な生物風情があああアアあああああアアアアアアアアっ!!」

 

 人間も魚人も本質的に飛ぶ生物ではないから。じたばたと足掻いたところで、自由落下運動以外に出来ることはない。そう特異な術や能力を持たぬ限りは何もできない。

 そして、アーロンは持たぬ者であり。

 

「バズーカァアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 超加速度の双掌打がアーロンの真芯を直撃する。その間際、強固な信念と壮烈な意思を宿した両手が一瞬だけ漆黒に染まり、打撃の破壊力がアーロンの頑強な体躯の奥底まで貫徹した。

 無自覚に武装色の覇気をまとった一撃に加え、アーロンは隕石の如き勢いで地面に叩きつけられ、断末魔を上げることなく意識を消し飛ばされた。

 

 ルフィは大の字に倒れたゾロの隣に着地し、シシシと無邪気に笑う。

「やったぞ、副船長」

「当然だ船長」

 

 ヘロヘロのゾロと拳を合わせた後、ルフィは戦いを見守っていたナミへ拳を翳す。

「ナミ。約束、守ったぞ」

 

「――――うんっ!!!!」

 麦わら帽子を大事に抱きしめていたナミが、涙を滲ませながら大きく頷く。

 

「勝った……」

「アーロン達が倒れた」

「ああ、今度こそ……」

 ココヤシ村の人々は目の前の現実を認識し……

「アーロンが倒れたぞ―――――――――――――ッ!!」

 蛮姫の時と違い、歓喜の大喝采を上げた。

 

 

 

 

 

 

 コヨミは撮影を終えたカメラを下げ、瓦礫の上に立って呟く。

「アレらを相手に、犠牲者を出すことなく勝ったか。これは……本物だね」




Tips

ルフィとゾロ。
『三千世界』からの打ち上げ→ゴムゴムのバズーカ(一瞬だけ武装色の覇気が仮発現)の連携攻撃。

サンジとウソップ。
それぞれがタイマンしているようで、互いにきちんと援護しあった。
鋼芯鉛星はオリ技。

クロオビ
背中の傷が敗因。

チュウ
慢心……環境の違い……

アーロン
憎しみと恨みと怒りで滅茶苦茶になった彼は、最後に何を見たのか。

ハチ
ちょっと悲惨過ぎだったか。

ナミ
100巻以上続く原作の中で、麦わら帽子を託されたことがある唯一人の女。やはりルナミなのか。

ベアトリーゼ。
オリ主。
突然現れた大量殺人犯がいきなり服を脱ぎ出したら、性的に襲われると思うわな。


クライヴ
マヌケF
元ネタは銃夢の賞金稼ぎクライヴ・リー。名前だけ借りた。




チレン
オリキャラ。金獅子シキに追われている情報提供者。

元ネタは銃夢OVAに出てくる元ザレム人の美人科学者。

ザレムに復帰するため暗黒街の顔役に体を売ったり、イドへの対抗心から凶悪なサイボーグを生み出したり、と自分の目的と感情に正直で、手段を択ばない性質。

もっとも、その自制心の乏しさが命取り。
自身の行いから暗黒街の顔役の怒りを買い、生体標本されてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

87:ココヤシ・デパーチャー

ココヤシ村編のエピローグ的な。

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 月光が優しく注ぐ穏やかな夜。怪物の襲撃を受けた傷痕が生々しいココヤシ村は、随分と明るく賑々しい。

 

 戦いの後、村人達は海兵達の亡骸を丁重に埋葬し、重傷のアーロン達に最低限の手当てをし、海軍屯所にあった海楼石製の頑丈な鎖で縛り上げた。まぁ、いっそ殺してしまえという声も少なくなかったが。

 

 そうして、破壊の後片付けやらなんやらをひとまず脇に追いやり、広場で祝いの宴を催している。

 

 一方、宴の喧騒を余所に、村の医院では、老医者が複雑な面持ちで重傷のハチを治療していた。

「ハチの奴がそんなことを……」

 ゲンさんはサンジからハチの事情を聴き、なんとも言えない表情を作った。

 

「和解しろとか、仲良くしろなんて言うつもりはねェ。ただ、あいつはあいつなりに自分のやったことを悔いていて、ケジメをつけるために命を懸けた。その事実だけは認めてやって欲しい」

 サンジが頭を下げた。

 

「認めるさ」ゲンさんは帽子のツバを下げつつ「あいつは私達のために命を懸けた。完治するまで、村できちんと面倒を見てやるつもりだ」

「感謝するよ」

「礼には及ばん」

 ゲンさんは空いたベッドを一瞥し、別ベクトルの何とも言えぬ顔を作る。

「それより、君の仲間達はどうなってるんだ?」

 

 ズタボロだったルフィは、簡単な手当てだけでケロッとしており、今は宴で肉を食いまくっている。

 

 傷口が開き、大出血で死にかけていたゾロはドクターに傷を縫い直された後、酒を飲みに行ってしまった。失った血の量を考えると、点滴に繋がれてしばらくは動けないはずなのだけれども。

 

 ウソップはウソップで左肺を撃ち抜かれるという重傷なのだが、傷口を縫い、化膿止めを塗り終えたら、しれっとゾロと一緒に医院を出ていき、宴に参加している。

 

 訳が分からん……と、ドクターが頭を抱えても無理はない。

 

「ウチの連中は体の作りが普通より頑丈なんでね」

 サンジは小さく肩を竦めた。自分のことを棚に上げた言い草だった。

 

 ルフィはがつがつと料理を平らげ、ゾロはぐびぐびと酒を呷り、ウソップは村人達に尾ひれ背ひれをつけた武勇伝を聞かせていた。ヨサク&ジョニーが村人達と踊りまくり、コヨミが村人達にいろいろ話を聞いて回っている。

 

 その頃――

「今度こそ終わったのね」

「うん。終わったわ」

 ココヤシ村の郊外。穏やかな夜の海に臨む岬。母ベルメールの小さな墓の前に腰を下ろし、姉妹はチビチビと蜜柑酒を舐めていた。

 

「でも、今回のことで、故郷が別の意味で危なっかしいことが分かったけどね。ゲンさん達はともかく、ノジコまで銃を持ち出すなんて」

 ジト目をした妹の指摘に、姉はバツが悪そうに目を逸らし、蜜柑酒を呷る。

 

「……あいつら、良い仲間ね」

「うん。“最高の仲間”になると思う」

 ノジコの優しい言葉に、ナミは面映ゆそうに答え、

「そだ。村を出る前に、この上に刺青を入れようと思ってるの」

 アーロン一味の墨を取り除いた、傷跡が残る左肩を示した。

 

「へぇ。どんな図柄?」

「それはね―――」

 興味を示したノジコへ、ナミは悪戯っぽく微笑んで腹案を打ち明ける。

 母の墓前で、娘達は楽しげに酒杯を傾け、語り合った。

 

       〇

 

 時計の針を少し戻す。

 グランドライン前半、“楽園”にある負け犬の町にて……。

 

 夕陽の照らす汚い港の一角で、ハートの海賊団船長のトラファルガー・ローは不機嫌面を浮かべていた。

「水の補給に失敗したなら、素直にそう言えば良いだろう。なんで誤魔化した」

 

「キャプテンに怒られたくありませんでしたっ!」

「キャプテンに叱られたくありませんでしたっ!」

 双子みたいにそっくりな二人組ペンギン&シャチが正座して、反省してるんだかしてないんだか分からない言上を返した。

 

「お前らはまったく……水の補給に失敗したとなると、航海の予定が狂っちまうな」

 ローは溜息交じりにぼやく。

 

 ハートの海賊団は、船舶技術がファジー極まるワンピース世界においても珍しい潜水艦を使用しており、また船内医療設備を充実させている関係からも、真水の貯蔵が非常に重要だった。

 

 どうする。ローが渋面で思案し始めたところで――

 

「クライヴ達が殺られたぞっ!!」「ザパンの奴が死にかけてるっ!!」「得物を用意しろっ! すぐに追うぞっ!」「急げ愚図共っ!!」

 近くに停泊していた海賊船が俄かに殺気立っていた。

 

「? また抗争でも起きたか?」

 団員の一人が小首を傾げる。

 

 海軍が放置している関係上、モックタウンは海賊共が集まり易い。そして、面を突き合わせた海賊共は、些細なことから個々人の殺し合いや団同士の潰し合いまで起こす。

 

「重傷者がいるみたいだ。キャプテン、治療してやる? 水を得る取っ掛かりになるかも」

 正座させられている古参幹部のシャチが提案するも、隣で正座している同じく古参幹部のペンギンが首を横に振る。

「いや。関わらねェ方が良い。あの舵輪とタテガミ髑髏の旗。ありゃたしか“金獅子”の海賊旗だ。あいつら、評判がよくねェんだ」

 

「……“金獅子”か」

 ローは騒々しい海賊船と、その旗を鋭い目で観察する。

 

 ロジャー世代の大海賊“金獅子”シキ。地獄の大監獄インペルダウンから脱獄した唯一人の海賊で、以来消息が定かではない。

 ただし、それはシキが死んだり、引退したといった話にはつながらない。

 なぜなら、金獅子傘下の海賊船があちこちで略奪や誘拐を繰り広げているからだ。明らかに物資を調達し、人材や労働力を確保している。

 

 ――頭目本人は姿を見せず尻尾を出さず、手足に働かせる……か。

 気に入らねェな。

 恩讐の記憶が疼き、ローは鼻息をつく。

 

 ローには計画がある。幼かった頃に必ず果たすと誓った計画が。

 そのためには海賊として名を上げる必要があった。金獅子シキを討ち取ったなら、大いに名が上がり、計画が前進するだろう。

 

 しかし、グランドライン入りした今、もっと力をつける必要を感じていた。自分自身も団も、もっと強くならなければ。

 

 金獅子はまたとない獲物だが……今回は見送るべきか。

 ローが理性的に思考を巡らせていると、

 

「キャプテーンッ!」

「キャップテーンッ!」

 買い出しに出ていたハートの海賊団の紅一点イッカクと、荷物持ち兼護衛として同行していた航海士の白熊――ミンク族のベポが荷物を抱えながら走ってきた。

 

 幅広のヘアバンドを巻き、もしゃもしゃの長髪を垂らしたイッカクの手には、手配書が握られている。

「キャプテンっ! これ見て、これっ!!」

 イッカクが手配書をローへ差し出す。

 

 ローは怪訝そうに受け取った手配書へ目線を移す。他の面々もローの手元に握られた手配書を覗き込み――

 

「キャプテンを逆ナンした美人のお姉さんじゃねーかっ!」

「服の趣味はアレだけど美人のお姉さんだっ!!」

「懸賞金はえーとゼロがひぃふぅみぃよぉ……3億8千万。さんおくはっせんまん!?」

 

 吃驚を上げる団員達を余所に、ローは眉根を寄せ、手配書に掲載されたアンニュイ顔の美女を見つめた。

 

 血浴のベアトリーゼ。

 覚えがある。報道が伝えるところによれば、筋金入りの凶悪犯だ。かつては『悪魔の子』ニコ・ロビンと組んでいたらしいが、ここ数年の情報では単独で活動しているようだ。

 

 一匹狼のお尋ね者か。名を上げるには金獅子よりも“手ごろ”だな。

 そんな考えがよぎるも、武器を手に繰り出していく金獅子シキ傘下の海賊達を一瞥し、連中と噛み合うことは得策ではない、と思い直す。

 

 それに、とローは思考を続ける。

 先立って遭遇した時の様子を考慮すると、血浴屋はかなりヤバい。

 

 あの時の暗紫色の瞳。

 ローをからかいながらも、冷徹にローと仲間達の脅威度を“査定”していた。

 

 世界の残酷さに打ちのめされた経験を持つローには、分かる。

 あれは『クソ地獄の中で生き延びるための観察眼』だ。無自覚に他者を『こいつは敵か無害か獲物か、敵や獲物ならどうすれば殺せるか、殺せないならどうやって対処するか』を思考する怪物の目だ。

 

 あれは、鼠のように臆病で慎重で、狐のように冷徹で狡猾で、狼のように冷酷で凶悪、そういう女だ。

 

 自分なら……勝てる。ローは客観的に分析して判断する。

 だが、勝利の代償は安くは済まないだろう。少なからず仲間達が犠牲になる。

 

 ローは手配書を手にあーだこーだと騒ぐ仲間達を横目にし、即断した。

 “計画”のために名声は欲しいが……こいつらを犠牲にするのは絶対にナシだ。

 

 ”死の外科医”が決断した、直後。

 港の出入り口で、悲鳴と怒号と断末魔の合唱が起きる。

 

「なんだぁっ!?」

 ベポが目を真ん丸にして吃驚を上げ、団員達も慌てて港の出入り口の方へ顔を向ければ。

 

 つい先ほど出撃した“金獅子”傘下の海賊達の一部が惨殺され、鮮血と肉塊をぶちまけている。

 そして、パーカーと短パンと草履という干物女子染みた格好の小麦肌美女が、癖の強い夜色のショートヘアを潮風に揺らしながら、酷薄な笑みを湛えていた。

 

「HVPを確保したし、さっさとズラかろうと思ったんだけど……」

 両腕に装着した木目紋様の肘剣に蒼いプラズマ光を走らせ、美女は嗤う。

「ここでお前らを皆殺しにしておけば、追手を気にせず伸び伸びと移動できると思ってさ。……というわけで、ちゃきちゃき死んでくださいな」

 

 無茶苦茶なことを宣う美女は、手配書の女賞金首と同じアンニュイな美貌をしていた。

「“血浴”屋」

 ローが険しい顔で呟いた傍らでは、

 

「あんなヤバい美人のお姉さんに逆ナンされるとか、キャプテン凄くない?」

「ああ。激ヤバ美人に逆ナンされるなんて……流石は俺達のキャプテン!」

「俺達のキャプテンは激ヤバ美人も魅了しちまうぜっ!」

 ペンギンとシャチがベポに続き、他の面々もやんややんやと囃し立てる。

 

 ローは帽子のツバを深く下げて唸った。

 こいつらは力を強くする前に、賢くした方が良いかもしれない。

 

 

 

 で。

 

 

 

 東の海。ココヤシ村で祝いの宴会が催されている夜。

 グランドライン前半にある負け犬の町は、いつにも増して喧騒に包まれていた。

 原因はこの日の午後、高額賞金首“血浴”のベアトリーゼが大立ち回りを繰り広げ、金獅子傘下の海賊達を血祭りに上げたためだ。

 

 結論から言えば、生存者は重傷者4名。他は全員が惨殺された。

 彼らの所持品は金歯や血に汚れた下着まで街の乞食達に強奪され、周囲の海賊達によって乗り手を喪った船やオタカラや物資の奪い合いが発生した。

 

 モックタウンの喧騒は、そんな降って湧いた“祭り”の余韻だ。

 そして、“祭り”を起こした張本人はしれっと姿を消していた。

 

「血浴屋め。鬱陶しいことに巻き込みやがって」

 ローは潜水艦ポーラータング号の甲板で仏頂面を浮かべている。

 

“血浴”のベアトリーゼは“金獅子”傘下の海賊達を瞬く間に殲滅した後、遠目に様子を窺っていたロー達に気付くと、

「あら、格好良いお兄さんと愉快な仲間の皆さん。これから出港? 気をつけてねー」

 ベポ達に返り血塗れの手を振り、ローには艶めかしい投げキッスを送って寄越した。

 

 心底迷惑そうに顔をしかめるローを余所に、暢気なハートの海賊団の面々はベアトリーゼに手を振り返したり、エッロぃ投げキッスを送られたローを囃し立てたり。

 

 そうしてベアトリーゼが悠々と去った後、ロー達は全滅した金獅子傘下の海賊船の略奪競争に巻き込まれ、街に居た賞金稼ぎや海賊達から『オメェら、血浴の仲間かぁ!!』と誤解著しい因縁をつけられ……結局、水の補給もままならぬまま、騒ぎから退避せざるを得なかった。

 

「気の良いお姉さんだったね、キャプテンッ!」

「……ベポは誰の話をしてるんだ?」

 隣でニコニコしているベポに、ローは思わず皮肉も返すも、ベポは気にした様子を見せずに続けた。

「あのお姉さん、戦ってる最中にずっと嫌な音を出してて困ったよ」

 

「……嫌な音?」ローは片眉を上げて「そんなもの聞こえなかったが……」

「人間には聞こえない音域の超音波って奴。俺、ミンク族だから聞こえたんだ」

 ベポがプリチーなクマ耳を摘まむ。

 

 ローは顎先に指を添えながら、考え込んだ。

 海賊共が戦闘中、不意に調子を崩したように見えたが……血浴屋が不可聴域の超音波を発していたせいか。それで三半規管や自律神経を乱した? 技? いや悪魔の実の能力か? だとしたら、何の能力だ?

 

 沈思黙考を始めたローへ、ベポが名案を思いついたとばかりに明るい顔で言った。

「そだ、今度あのお姉さんに会ったら、クルーに誘おうよ、キャプテ――え、何その顔っ!? すっごい嫌そうっ!!」

 

      〇

 

 優しい月光の注ぐ宵の口。

 嘲りの町、郊外にて。

 ベアトリーゼが握る子電伝虫から、馴染みのある貴婦人の声が届く。

『御苦労様。ベアトリーゼ。首尾はどう?』

 

「HVPの確保成功。とりあえずの追手は殲滅したわ」

 ベアトリーゼがさらっと報告すると、電伝虫の向こうで貴婦人が悩ましげな溜息をこぼした。

『……やりすぎ。まぁ良いわ。配達先はサイファー・ポール(ウチ)秘密拠点(ブラックサイト)よ。そこで受取人にHVPを渡して』

 

「ブラックサイトはどこ?」

『貴女の行きたい場所のすぐ傍よ』

 ステューシーは、どこかからかうように告げた。

『ロッキー島。砂だらけのサンディ島の傍にある、岩石だらけの島よ。貴方に渡したアラバスタ行きのエターナルポースを使って近海まで行けば、後は“玩具”の念波誘導で辿り着けるわ』

 

「そいつはいいね」

 ベアトリーゼが声を弾ませると、電伝虫の先から寂寥感が伝わってくる。

『……ニコ・ロビンと再会したら、もう会えなくなるわね』

 

 「どうかな?」ベアトリーゼは子電伝虫相手に肩を竦め「私はロビンと一緒にいたいけれど……それが叶うとも限らない」

『? それはどういう――』

「また連絡するよ」

 訝るステューシーを放りだすように通話を切り、ベアトリーゼは子電伝虫を装具ベルトのパウチへ収めた。

 

 そう。ロビンが麦わら一味に入るとしても、自分も入れるとは限らない。

 入団の是非はこちらではなく、向こうが決めるのだから。むしろ、現状の悪名と立ち振る舞いを考えると、拒否されてもおかしくないんだよなぁ……。

 ま、その時はつかず離れずの距離を保って、彼らの活躍を見物させてもらおう。

 なんにせよ、アラバスタでロビンと再会し、主人公様としっかり知己を得ておきたい。

 

「ねえ……これから、どうするの?」

 ほったらかしにされていたHVPことチレンが、おずおずと声を掛けてきた。

 

 妙齢……とはいえ、30前後の成熟した美女。目鼻立ちの整った顔貌。亜麻色髪のセミショート。メリハリのある体つきをハイネックのサマーニットと膝丈スカートで包み、船旅用のコートを羽織っていた。荷物はギュウギュウに詰め込まれたボストンバッグ一つだけ。

 

「あんたをサイファー・ポールに届ける」

「サイファー・ポール? 貴方、賞金首よね?」

 疑念の目を向けてくるチレンへ、ベアトリーゼは物憂げな微笑を返す。

「言ったろ。蛇の道は蛇さ」

 

「……信用はしない。でも、付いていくわ」

 チレンは猜疑と警戒を解かない。だが、大海賊に追われる身として背に腹は代えられない。

 

「それで良い。物わかりの良い荷物は歓迎だ」

 くすりと喉を鳴らした後、ベアトリーゼはチレンの格好を見回して、言った。

「とりあえず……その恰好は駄目だな。濡れても大丈夫な服を調達しないと」

 

 チレンは目を瞬かせた。

 

      〇

 

 麦わら一味はココヤシ村の後片付けを手伝いつつ、船旅に備えて支度を進めていた。

 

 ルフィはハチを見舞ったり、村人と後片付けしたり(余計に仕事を増やして困られたり)、村の子供達と船着き場でコヨミの愛鯱チャベスと遊んだり(乗せてもらおうとして溺れたり)。

 

 重傷のゾロは、寝て食って酒飲んでを繰り返し。

 

 ナミはノジコと共に実家を直しつつ、一味の資金を基に旅の計画と航路を計算し。

 

 サンジはナミの航海案を基に、近隣の町へ食料の買い出しに赴き。

 

『蜜柑の木をメリーに何本か積みたい』というナミの無茶振りに、ウソップが村の船大工と共に知恵を捻り。

 

 ヨサク&ジョニーは村人達に交じって後片付けと再建作業に従事し、爺ちゃん婆ちゃんから孫の婿にと誘われて困り顔。

 

 コヨミは村民達への聞き込み――特にアーロン達の手当てを行った、村医者の話を丹念に聞き込んでいた。

 

 そうして二日の休養と準備を終え、麦わら一味は出立の時を迎え――

「ここに居たのか。そろそろ出発するぞ、ナミ」

「ルフィ」

 左肩に蜜柑と風車のタトゥーを入れたナミの元に、ルフィがやってきた。

 

 ルフィはナミの背後――海へ臨む岬に建つ簡素な、だけど綺麗に整えられ、風車と真新しい花が供えられた墓を捉え、言った。

「墓か……えーと、ごしゅー……ごしゅーちょ、いや違うな。そうだ! ごしゅーぎさまです」

「御愁傷様?」

「それだ!」ルフィはナミと墓に向かって「御愁傷様です」

 

「ありがと」

 ナミは微苦笑してから、右手の人差し指と中指に口づけし、墓にそっと触れる。

 行ってくるね、ベルメールさん。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 ナミが柔らかな笑顔で促せば、

「おうっ!」

 ルフィは太陽のような笑顔を浮かべた。

 

 2人は肩を並べて船着き場へ向かって歩き始め、

「ヨサク達とコヨミは、一緒に来ねェんだってよ。俺、まだチャベスに乗ってねェのに」

 唇を尖らせるルフィ。割と本気でチャベスに乗りたいらしい。

 

「能力者は海に嫌われるんでしょ。潜水服でも着ない限り無理よ」

 ナミは、化け物トビウオを駆る蛮族女を脳裏に浮かべた。

 

「潜水服……っ! そういうのもあるのか!」

 ルフィは名案を知ったと言わんばかりに、目を輝かせる。

 こいつはホントに……。ナミはルフィの笑みに釣られて、その美貌を綻ばせた。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

「おせーぞ、お前ら」

 甲板上からルフィとナミへ乗船を急かすゾロ。

 

「ルフィっ! テメェ、ナミさんと二人きりでお散歩デートとか、そんな羨ましいこと……許さねェぞっ!!」

 ゾロの隣でサンジが激しく憤慨しており、

「迎えに行っただけだろ。てか、ジャンケンで負けたお前が悪い」

 そんなサンジの隣で、ウソップがツッコミを入れた。

 どいつもこいつも、二日でけろりと治ってやがる。急速再生(リジェネ)能力持ちかもしれない。

 

「楽しんでこい」ノジコが告げ、

「ナミを泣かせたら許さんぞ」ゲンさんが父親顔で睨み、

「いろいろお世話になりやした」「また会える日を楽しみにしてやす」

 別れを告げるヨサク&ジョニー。

「またいずれお会いしましょう」

 手を振るコヨミ。海面に顔を出すチャベス。

 

「出発だ―――――――――――――っ!」

「じゃあね、みんなっ!! いってくる!!」

 ルフィが号令し、ナミの笑顔を振りまいて。

 帆にいっぱい風を受け、ゴーイングメリー号が進みだした。

 

      〇

 

 麦わら一味と入れ替わるように、海軍の軍船がココヤシ村へ到着した。

 彼らは重傷で口の利けないアーロン達の身柄を確保。破壊し尽くされた屯所に絶句し、村民達に埋葬された海兵達の真新しい墓へ敬礼し、葬礼と弔砲を行う。

 

 軍船の指揮官であるプリンプリン准将は兵士達に屯所の再建を命じ、ゲンさんを始めとする村の要職にある者達や、”偶然”居合わせたという世界経済新聞の記者コヨミから事情聴取を行った。

 

 そして、プリンプリン准将から海軍屯所玉砕の緊急報告を受けた東の海総司令部は、海軍本部に連絡。

 

 東の海にて――

 賞金1500万の“道化”バギー、

 賞金1700万の“首領”クリーク、

 何より、海軍屯所を壊滅させた賞金2000万の“ノコギリ”アーロン。

 

 これらを打ち破った事実から、この新米海賊を危険視し、賞金を懸けることを決定。

 全世界に手配書が発布された。

 

『麦わらのルフィ。賞金3000万ベリー』

 




Tips
オリ主の影が薄かったココヤシ編終了。

ハートの海賊団
原作キャラ。
ローを除く面々はおそろいのジャンパースーツを着ている。

 トラファルガー・”D”・ワーテル・ロー
 船長。
 冷静沈着キャラ……と思わせておいて、プライドが高く、煽り耐性がかなり低い。
 ルフィやキッドのような唯我独尊タイプに振り回され易いようだ。

 ベポ。
 白熊のミンク族。航海士。彼のツナギだけオレンジ。

 ペンギン&シャチ
 双子みたいにそっくりだけど、双子じゃないらしい。実はハートの海賊団最古参組。

 イッカク
 もしゃもしゃした髪の美人。ハートの海賊団唯一の女子船員。

 ポーラータング号。
 なんと潜水艦。ワンピ世界は本当に何でもアリやな。

プリンプリン准将。
 原作キャラ。
 本来なら、魚人海賊団の強さを示す演出でリタイヤさせられるワンポイントキャラだったが、本作では蛮族女による改変で生き延びた。


ザパン
 前話で顔面を削ぎ剥がされたマヌケJ。
 元ネタは銃夢に出てくる賞金稼ぎ。
 ガリィに因縁を吹っ掛け、転落人生を送った。最期はマッドサイエンティストによって……


ベアトリーゼ
 オリ主。
 弱い連中ばかり相手にしてきて、調子に乗り気味。
 そろそろ強敵と当たって慢心を思い知るかもしれない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

88:手配書。

クローセルさん、佐藤東沙さん、かにしゅりんぷさん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


「これで海賊らしく“お尋ね者”だなっ!」

 自身が写る手配書を手に、ルフィは無邪気に笑う。

 

「新人海賊に3000万? しかも、全世界指名手配なんて……この額だと、海軍本部や腕利きの賞金稼ぎが動くわよ」

 ナミが事態の深刻さに美貌を歪める。

 

 頭を抱えるナミを余所に、ウソップはルフィの手配書に自身の後頭部が写っていることを喜び、そんなウソップがちょっと羨ましいサンジ。

 無知の余裕か、楽天家揃いの暢気さか……。

 賞金首になっても、一味は気楽な調子でグランドラインを目指す。

 

 

 

 グランドラインのとある島にて。

 この日、“鷹の目”ミホークが真新しい手配書を持って、赤髪海賊団を訪ねた。

 二日酔いで潰れていたシャンクスと大幹部達は、手配書に写る懐かしい顔に大喜びし、

「飲むぞっ! 宴だっ!! お前も飲んでけ、鷹の目! な!!」

 ミホークを巻き込んで、迎え酒の宴をおっぱじめた。

 

 

 

 グランドラインのとある海域。“赤髪”シャンクスが宴会を始めていた頃……。

 娘のウタは海賊船のへし折れたメインマストに腰かけ、()()()()()()がガチャガチャにぶっ壊した海賊船から、オタカラその他を根こそぎ没収していく作業を眺めている。

 

 エレジア島を離れた後、ウタはシャンクスの縄張り内で歌手活動を行っていた。今年に入ってからはシャンクスの元を離れ――愛娘を案じるシャンクスの説得は実に大変だった――、自分でコンサートやライブの手続きや会場確保、諸々の運営を試みている。

 紅白の長髪をウサミミのように結ったウタは、今年19歳。独り立ちを試みるお年頃という訳だ。

 

 ちなみに、船員達は赤髪海賊団傘下の面々で、ウタ直属の護衛達はシャンクスが自ら選び抜いた精鋭達だ(護衛は全員が女性だ。曰く『ウタは年頃の女の子だぞ! 男を傍付きに出来るかっ!!』)。

 

 ……で、ウタの傍に控えた年長の護衛頭以外は、ボッコボコにした海賊達をイジメていた。

 

「シャバ僧共がお嬢を狙いやがってェッ! ぶち殺すぞゴルァッ!」

「見せしめに全員の両手を切り落としちゃおーぜ、ウヒヒヒヒ」

 ヤンキー然とした女護衛が海賊の頭目を乱暴に張り飛ばし、埒外な見た目の女護衛が刀の刀身を舐めながら怪しく笑う。

 

 捕縛された海賊達は震え上がり、めそめそ泣きながら『勘弁してくだちぃ』『許して許して……』『ワ……ァ……』。

 

 ウタは護衛達を止めない。

『この御時世、女が海を渡って生きていくなら、決してナメられちゃダメ。ナメられたら、必ず思い知らせろ。ウタちゃんに手を出せば、どうなるか。周囲にはっきり示せ』

 野蛮人の薫陶。この話をしたら護衛頭も大きく同意していた。

 もっとも、渡世の摂理として正しくても、やっぱりウタは暴力が好きじゃないけれど。

 

「あ、ニュース・クー」

 ウタは頭上を飛ぶ新聞売りの大きな鳥に気付き、ポケットから小銭を取り出し、空へ放った。

「一部くださーいっ!」

 

 ニュース・クーは放られた小銭をくわえ獲ると、代わりに抱えていた鞄から新聞を一部抜き取り、ウタの手元へぴたりと投下し、去っていった。

 

 受け取った世界経済新聞を開けば、新たに発布された手配書がバサバサと落ちる。

「もう! 毎回、手配書が多すぎ!」

 ぷくっと頬を膨らませつつ、ウタは手配書を拾い集め――新たな賞金首の手配書を手にして固まった。

 

 見覚えのある麦わら帽子を被り、太陽のように笑う少年。

 幼い日の記憶が、大切な想い出が、大事な思い出が、色鮮やかに脳裏を巡る。

 

「……ルフィ」

 口からこぼれた声は親しみと愛おしさに満ちていて……ウタは紫色の瞳を真ん丸に剥き、ウサミミ髪をぴーんと起立させ、感情を爆発させた。

「ルフィッ! ルフィッ! ルフィッ!! 初手配で3000万だって! 凄い凄いっ!」

 

 めでたい紅白頭のウサミミ髪娘が黄色い歓声を上げ、大はしゃぎする様に、

「何事ですか、お嬢」「御機嫌スね、お嬢」「どしたの、お嬢」「なんかあったンスか?」

 護衛達や船員達が小首を傾げる。

 

 そんな周囲を余所に、ウタは手配書を見つめながら満面の笑みを湛え、懐かしそうに呟く。

「ルフィも夢に向かって走り始めたんだね」

 

 幼友達が自分と同じように、幼い頃に誓った夢へ向かって動き出したことに、喜びと感動が溢れ、ぶるりと身体が震えた。

 ……私も、世界最高の歌姫を目指して走らなきゃっ!!

 

 ウタは手配書を丁寧に折り畳んでポケットへ収め、勢いよく立ち上がり、美声を張った。

「皆、出発するよっ! 今すぐっ!!」

 

 なんだかよく分からないが、護衛達と船員にとってウタの意思は最優先事項である。

 年長の護衛頭がウタへ大きく頷き、周囲に号令を発した。

「了解しました、お嬢。総員、引き上げだ。(レッド・ディーバ)へ戻れっ!!」

 

 おうっ! と船員達は素直に応じて船に引き上げていき、

「これで勘弁してやる! お嬢の優しさに感謝しろ、三下ァッ!」

「次に見かけたら剥製にしてやっからな、ウヒヒヒ」

 ヤンキーな護衛と埒外な護衛が海賊達を痛烈に蹴り飛ばして、いそいそと船に戻っていく。

 

「お嬢ぉ、お歌を聞かせて下さい♥」

「私も私も! お歌が聞きたいですぅ♥」

 ウタの猛烈なファンである護衛達が、猫撫で声のリクエスト。

 

「良いよ! 丁度すっごく歌いたい気分なんだ!」

 リクエストに気前良く応じ、ウタは進発した甲板で美声を響かせる。

「曲は『新時代』っ!!」

 

       〇

 

 ワンピースの世界は地球世界の物理法則や自然摂理、生態系的常識を覆す事柄に溢れている。

 たとえば、お菓子で出来た島や海域とか。雲の上に人が住んでいるとか。御伽噺を地で行く世界である。

 

 だから、決して小さくない規模の島が空高く浮いていて、風に流されていても、おかしいことはない。はずである。

 

“空島”メルヴィユ。

 精確には複数の島嶼から成るため、メルヴィユ諸島というべきか。

 大海賊、“金獅子”シキのフワフワの実の力によって……空高くに浮かべられたこの島々が、シキの拠点であり、縄張りであり、“海賊船”である。

 

 さて、シキがこのメルヴィユを征服してからおよそ20年経つが、島の全てをシキが掌握しているわけではない。

 

 というのも、メルヴィユという島はI・Qと名付けられた固有花卉の成分により、動物も植物も独特な進化を遂げており、シキに隷従している原住民達すら、腕に羽が生えていた。

 

 オマケに、この驚異的進化を遂げたケダモノ達はシキの側近ドクター・インディゴに薬物を投与されており、どいつもこいつもバチクソ凶暴になっていた。シキ達自身が持てあますほどに。

 

 実にストロングな弱肉強食の生態系を持つ空島メルヴィユの、ひときわ大きな“本島”に築かれた豪華絢爛な大御殿。その一室にて……。

 

 メルヴィユを支配する男……“金獅子”シキは、まさに容貌“怪異”だ。

 二つ名の由来となった、獅子のタテガミみたいな黄色い長髪。長く生きた悪党特有の厳めしい面構え。体躯は老境とは思えぬほど依然として筋骨たくましく、金と黒の上等な和装をまとっている。

 

 で。胡坐を組む両足がどういう訳か刀だ。そう、失われた両足の膝から下に、剥き身の刀身を装着していた。

 

 その物騒な“義足”より目を引く特徴がある。

 

 年相応に禿げ上がった頭頂部に、鶏冠みたく舵輪が生えていた。

 舵輪の大きさを考えれば、刺さった時点で脳ミソが圧潰しているはずなのだが……この男、どういう訳か死んでない。生命の神秘か、人体が凄いのか……。

 

 そんな容貌“怪異”な金獅子シキは御殿の一室で、赤ん坊の腕ほど太い葉巻をプカプカと吹かし、透き通った清酒をチビチビと舐めている。

 

 シキの機嫌は悪い。

 組織の内情奥深くまで知っている人間が裏切ったからだ。

 くわえて、差し向けた追手達から吉報が届かないからだ。

 

 シキの機嫌は悪い。

 若い酌婦――腕に羽を生やした原住民の娘は、シキの漂わせる不機嫌な威圧感に怯え切っており、御猪口へ酒を注ぐ手が震えている。幸い、御猪口から酒がこぼれることはなかった。

 

 シキは鬱陶しそうに酌婦を一瞥し、幼子が見たらひきつけを起こしそうな笑みを浮かべた。

「ベイビーちゃん。そうビビるな。俺はお前さんへ、八つ当たりなんかしねェよ」

 

「は、はい。シキ様」

 酌婦が泣きそうな顔になってしまい、シキは苦い顔を浮かべ、チビチビと酒を呷る。内心で毒づいた。

 せっかくの良い酒が台無しだ。これもチレンのせいだ。あの裏切り者め。女郎め。女狐め。

 シキの機嫌は悪い。

 

 人間は大なり小なり多面的な複雑性を持つものだが、シキという男のペルソナは実にややこしい。

 冷酷非情だが、陽気で愉快。

 強暴で凶悪だが、ひょうきんで人懐こく。

 強烈な野心家で根っからの支配者気質のくせに、“最凶最悪”のロックスの傘下に入ったり。

 海賊王ゴールド・ロジャーに異様な執着心を示し、従属させようと幾度も襲撃したり。

 

 目的を果たすために長く雌伏するだけの忍耐力と我慢強さを持つ一方で、ロジャーが自首したと知るや、諸々の計画を放りだし、部下達を連れず単身で海軍本部を襲撃する愚挙に出たり。

 

 今のシキにはそうした難解で厄介な気質に、老境特有の独特な焦燥――人生の残り時間を意識する感覚が加わっている。

 

 フワフワの実の力はあくまで浮揚能力であり、飛行能力ではない。空中大要塞であるメルヴィユを思い通り航行させるためには、有能な気象学者や流体力学者などが欠かせず、20年掛かりで人材を搔き集めたが、なお足りない。そのことへの焦り。

 

 人生の大部分を海賊として生きてきただけに、世界政府と海軍の強大さを肌身で知っているから、この20年、決定的武力を手に入れるべく活動してきた。力と利潤で大勢の悪党共を従え、金と暴力で様々な武器や兵器を搔き集め、腹心の科学者ドクター・インディゴに手立てを研究開発させている。

 

 ……が、それでも完璧とは言えない(この程度で十分なら、ロックスが世界を征したであろう)。

 だからこそ、金獅子海賊団にとってチレンは重要な人材だった。

 

 チレン。有能な科学者にして技術者。

 インディゴが“強化薬”を開発する一方、チレンは非常に強力な兵器を開発していた。立場的にはインディゴに次ぐ科学開発部門の実質的ナンバー2となるほどに。

 

 権限も資金もたっぷり与えてやった。

 だというのに。

 

「裏切りやがって、あのアマァッ!!」

 シキが御猪口を握り砕き、胡坐を組む刀の義足が金属摩擦音を奏でた。

「ピィッ!?」酌婦が悲鳴を上げる。

「オゥ、すまねぇベイビーちゃん。お前に怒ったわけじゃあねェんだぜ」

 

 シキが酌婦を宥めているところへ、「シキの大親分」と若い衆がふすまを開け、平伏してした。

「今、チレン先生の件で連絡がありやした」

 

「とっ捕まえたか」

 ぎろりとシキが三白眼を向ける。

 

 憤怒の暴圧に晒され、若い衆は冷汗を流し、ごくりと生唾を呑み込んでから言上を続ける。

「残念ながら……我が方の手勢、ベクター一家は数名の重傷者を残し、全滅したと……」

 

「全滅だぁ……っ!?」

 金獅子の額に青筋がいくつも浮かび、舵輪を生やした禿頭が怒気に赤く染まっていく。

「相手は海軍か」

 

 チレンの身柄が海軍に保護されたなら、手を変える必要があった。一度は襲撃に打って出たが、同じ手は使えない。情報が漏れることを前提にした対処が要る。

 

「いえ、高額賞金首の介入があったそうです。詳細は分かっていませんが、おそらくチレン先生が護衛として雇ったと」

「……賞金首? 何もんだ、そいつぁ」

 若い衆は懐から手配書を取り出し、丁寧な所作でシキへ差し渡す。

 

 癖の強い夜色の髪と暗紫色の瞳、小麦色の肌が印象的な、アンニュイな面差しの美女。

『“血浴”のベアトリーゼ。懸賞金3億8千万ベリー』

 

「おうおう、えらく別嬪なベイビーちゃんじゃねェか。このベイビーちゃんに、ベクター達が全滅させられたってのか」

「はい。大親分。ベクター船長以下、クライヴ甲板長など腕自慢の兄さん方は皆、殺されちまいました。生き残りは、重傷を負ったザパンなど4名だけです」

 

「ほぉ……面白れェ」

 シキは強者が好きだ。強者を従えることはもっと好きだ。

 

 獰猛な支配欲を露わにし、シキは吠えた。

「決めた。チレンだけでなく、このベイビーちゃんもとっ捕まえるぞっ!」

 

 金獅子はにたにたと笑い、手配書の美女を睥睨する。

 まあ、従わねェ時はベクター達のケジメを取らせてもらうぜ、ベイビーちゃん。

 

       〇

 

 ドクター・インディゴ。

 ピエロ染みた容貌の年齢不詳男。靴にブーブークッションを仕込み、歩く度に屁みたいな音を発する。パントマイムに強い思い入れがあるらしく身振り手振りで言いたいことを伝えようとしてくるが、付き合いの古いシキすら読み解けない程度の実力のため、結局は言葉にする。

 

 アホだ。

 

 ただし、頭の出来栄えが桁外れに良いアホだ。

 ベガパンク系統――MADS筋にも、マリージョア系統――フランマリオン筋にも属さぬ科学者ながら、微生物研究においては世界屈指の研究者だった。

 

 メルヴィユ固有花卉I・Qの性質を見抜き、その成分を抽出し、人為的加工を施すことで生物の進化促進を図るだけでなく、その方向性を戦闘特化に誘導する薬剤S・I・Qを開発している。

 紛れもなく超一級。間違いなく超一流。その頭脳は正しく英明にして英邁。

 

 三流ピエロモドキのアホだが。

 

 超人類を志向してバイオテクノロジーに強い関心を持つ天竜人フランマリオン家、世界のパラダイムシフトを企てる“抗う者達”、MADS系統のクローン技術を基に国土奪還と北の海制覇を目論むジェルマ王国など、ドクター・インディゴの卓越した頭脳を狙う者達は少なくない。

 もっとも、当の本人はシキ以外に従う気は無いが。

 

 いつも通り誰にも読み解けないパントマイムを披露した後、インディゴは普通に語る。

「ザパン君。安心したまえ。私がきっちり治療してやるからな」

 

 メルヴィユへ移送されてきたベクター一家の生き残りザパン。ベアトリーゼによって顔全体を削り剥がされ、骨が露出する有様になっていた。

 

 治療台に寝かされたザパンを横目にしつつ、インディゴはカルテに記されたある項目……ザパンの極めて高い薬品耐性値とS・I・Qの適合値を一瞥し、ピエロ化粧が施された顔を大きく奇怪に歪めて嗤う。

 

「ピーロピロピロ……ザパン君。君は実に幸運だ。いや、幸運なのは私かな。ピーロピロピロッ!」

 インディゴのザパンを見る目は、実験動物を前にした狂科学者そのものだった。

 

      〇

 

 赤黒のヨシムラカラーに塗られたフルサイボーグ・トビウオライダーが、嵐の中をかっ飛んでいく。

 

 トビウオライダーと揃いの赤黒ツートンのタイトな潜水服を着こみ、なんとも宇宙人チックな多眼式ヘルメットを被ったベアトリーゼは、化物トビウオの後頭部に生えるハンドルを握りしめ、前傾姿勢で荒れ狂う水面を睨み据えていた。

 

 時速300キロ以上で荒波を飛び越え、高潮を掻い潜り、激流を掻き分け、蛮姫の駆る化け物トビウオはひたすらに飛び、ひたすらに泳ぎ、ひたすらに突き進む。

 

 トイレ休憩も、食事も、睡眠も全て海上で済ませる。島が見えても立ち寄ることなく、砲弾の如くサイファー・ポールのブラックサイトがあるロッキー島を目指し、激走し続ける。

 

 後部シートでベアトリーゼにしがみ付く重要情報提供者のチレンは、強行軍の疲労と無茶な機動の恐怖で半ば失神しかけている。大人の色香が漂う美貌が台無しになっていたが、幸か不幸か、その憐れな有様を目にする者はいない。

 

「鬱陶しい嵐めっ!」

 ヘルメットの中で、ベアトリーゼは毒づいた。

 アンニュイな細面には、焦燥がはっきりと浮かんでいる。

 

 理由はジャヤ島を発つ間際、目にした一枚の手配書だ。

『麦わらのルフィ。賞金3000万ベリー』

 

 ついに主人公様が表舞台に出た。

 ベアトリーゼは手配書を手に思考した。

 アーロン編は自分がぶっ潰してしまったから、何か別のことをやらかしたのだろう。いずれにせよ、ローグタウン前の筈。

 

 大穴が空いてる原作知識を引っ張り出し、これからの麦わら一味達の航程を思い出す。

 たしか……ローグタウンで煙の奴と因縁が出来て。

 

 リヴァースマウンテンでビビ様と遭遇。

 

 サボテンみたいな島でロビンと遭遇し、ビビ様の素性が明らかに。

 

 巨人たちのいる島に行き、バロックワークスの奴らと一戦交え。

 

 ナミが病気になって、ドラム王国へ行って、チョッパーが仲間入り。

 

 で、アラバスタへ。

 

 常識で考えれば、月単位の航海になりそうだが、主人公御一行の生き急ぎ振りは半端ない。良くて週単位。悪くて日単位でやりやがる。

 だから、もう時間がない。アラバスタで会えないと……色々面倒なことになってしまう。

 

 ジャヤで待つとなると、ベラミーと黒ひげとかち合うかもしれない。

 ウォーターセブンだと、政府の犬ッコロ共が鬱陶しい。

 シャボンディは論外だ。天竜人と出くわしたら殺さないでいる自信がない。海軍大将とやり合う経験なんて一度で十分だ。

 

 アラバスタで何としても、ロビンと麦わら一味に会う。

 

 かくして、ベアトリーゼは嵐の海をかっ飛んでいる。後席でチレンが『もう許して』と泣きを入れていたが、無視。委細、無視。徹頭徹尾、無視。

「ノンストップでアラバスタまで行く!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無理でした。

 自然には勝てなかったよ。

 

 ベアトリーゼは嵐を避け、最寄りの島へ避難せざるを得なかった。




TIPS

ウタ
 劇場版キャラ。
 赤髪海賊団の縄張りを中心に、自身の船で歌手活動中。
 幼馴染が夢に向かって走り出したことを知り、テンションMAX!!

  船:レッド・ディーバ号。
  父シャンクスの船がレッド・フォース号だから、作者が安直に考えた。

  護衛達。オリキャラ。
  シャンクスが用意したウタの護衛達。全員が赤髪海賊団の女海賊。
  名前付けすると、キャラ立ちしすぎるため、現状はあくまでモブに留める予定。

”金獅子”シキ。
 劇場版キャラ。
 CVはベテラン俳優の竹中直人氏。実は声優としてもベテラン。
 同氏がNHK大河で豊臣秀吉を演じた関係か、作者はシキがなんとなく老境の秀吉っぽく感じた。異論は認める。

ドクター・インディゴ
 劇場版キャラ。
 CVは大御所声優の中尾隆聖氏。実は俳優としても出演作が多い。
 代表キャラはバイキンマンかフリーザか。作者はバイキンマン派。はーひふーへほー!


ベアトリーゼ。
 急いては事を仕損じる、急がば回れ、といった諺の意味を体験した。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

89:誰しも事情を抱えてる

佐藤東沙さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 グラスに注がれたホットラムが、甘い香りの湯気を燻らせている。

 

 ジャヤ島からリヴァースマウンテン方面へ二日ほど進んだ海域に浮かぶ冬島ゴッカン。

 ドラム王国は豪雪の冬島だったが、このゴッカン島は真冬の道北やアラスカを思わせる氷の冬島だ。降り注ぐ雪はたちまち白い氷塊に化け、港町は建物も港に避難中の船舶も氷塗れ。軒先には氷柱と呼ぶにはあまりにも長大な氷が張りついている。

 

 海域には所狭しと流氷が浮かび、波に揺られる度、薄ら恐ろしい衝突音や不気味な摩擦音を奏でていた。

 そして、街は白く煙っていた。

 

 ほぼ全ての建物に備えられた煙突から暖房の煙が立ち上り、インフラの氷結防止に張り巡らされた高熱蒸気管が濃密な湯気を周囲に広げている。

 

 ゴッカンは非加盟国ながらクズ共による人攫いや奴隷狩り、世界政府や加盟国による収奪、などの外からの襲撃が少ない島だ。

 なんせ生半な船では島の海域を漂う流氷に衝突して沈むのがオチだ。ちなみに、冬の北極海並みに水温が低いゴッカン島海域で落水したら、一分持たずに心停止する。

 

 それに……この氷の島の嵐は、ヤバい。桁外れにヤバい。

 

「バレーボール大の雹とか、もう絨毯爆撃じゃねーか」

 酒場のカウンター席。タイトな潜水服の上にジャンパージャケットを羽織ったベアトリーゼが、苦い顔でホットラムを舐めている。

 

 ベアトリーゼがチレンをサイファー・ポールのブラックサイトへ送るべく、アラバスタに近いロッキー島へ向けて化け物トビウオをぶっ飛ばしていたところ、ゴッカン島の海域に差し掛かったところで嵐に遭遇した。

 その嵐はバレーボール大のデカい雹が降り注ぐ地獄絵図であり、ベアトリーゼは慌てて海中に退避し、この港町に避難していた。

 

 なお、化け物トビウオの後席でベアトリーゼにしがみ付いていたチレンは、港町に到着した際、白目を剥いて失神していた。気の毒すぎる。

 

「この嵐の時期に来訪者は珍しいが……あんなケッタイな代物で来航してきた人は初めてだよ」

 呑み屋のオヤジが、ホットラムを提供しながら苦笑い。

 

「新手の拷問かと思ったわ……」

 モコモコした防寒着姿のチレンが、ホットラムのグラスを両手で包み持ちながら、ガタガタと震えている。この島の寒さのせいではない。ベアトリーゼのキャノンボールによる疲弊と恐怖の後遺症だ。

 

「嵐は何日くらいで明けるの?」

「それはなんとも。三日くらいで明けた時もあれば、一月も続いた時もある。ま、神様の気分次第だな」

 ベアトリーゼの問いかけに、オヤジは小さく肩を竦めた。

 

「嵐が明けるまで待ちましょう? お願いだから、本当にお願いだから」

 チレンの哀願は切羽詰まった憐れなものだった。

 

 大人の女性が外聞なく半ベソで懇願する様に、ベアトリーゼも流石に少しばかり心が痛んだのか、首肯した。

「この町に宿は?」

「二軒隣のところなら。ウチの紹介と言えば、すぐに部屋を用意してくれるよ」と呑み屋のオヤジ。

「というわけだ。二、三日泊まって様子見しよう」

 

 ベアトリーゼの言葉に、チレンは仰々しいほど大きな安堵の息をこぼし、ホットラムを口に運ぶ。

 血浴のベアトリーゼがこれほど無茶苦茶な女だと分かっていたら、間違っても保護を了承しなかった。まさしく、後悔先に立たず。

 震える手で懐から銀製のシガーケースを取り出し、細身のシガリロを抜き取って口にくわえる。瀟洒なオイルライターで点火。

 

『チレンへ。愛を込めて』

 ライターの横っ面に刻印された愛の言葉。

 

 ベアトリーゼはふと思い出し、懐から写真を取り出す。ステューシーから預かったターゲット確認用の写真だ。

 少しばかり若い頃のチレンが旦那らしい男性と幼い子供と共に笑顔を浮かべている、写真。

「これ。渡しておくよ」

 

 写真を前にし、チレンの持つ煙草が震えた。

「これを、どこで……?」

 

「政府の関係者。あんたを保護して移送するよう、依頼してきた奴から預かった」

「そう」

 チレンは愛情と哀切を込めた眼差しで写真を見つめた後、至高の宝物を扱うように懐へ収めた。物思いに耽りながらシガリロを半分ほど灰にした後、ぽつりと言葉をこぼす。

「……何も聞かないのね」

 

「聞いて欲しければ話せばいい」

 チレンの探るような眼差しへ、ベアトリーゼは物憂げ顔で素っ気なく応じる。しかし、声色の響きはどこか優しい。

 

 ベアトリーゼは前世日本人時代の人格を棄て去ることで、蛮地の残酷さとこの世界の理不尽に対して適応していた。

 ただ、まだ確かに日本人だった頃の良識と善性の残滓が存在していた。『どんな人間であろうとも、土足で踏み込んではいけない心の領域がある』という事実への謙譲と尊重が。チレンへ見せた気遣いは、そうした日本人的善性の滴だ。

 

 チレンは科学者特有の観察眼をベアトリーゼへ注ぎ、琥珀色の液面へ目線を落とす。

「……貴女も喪ったことがあるのね。御家族? 恋人?」

 

 ベアトリーゼは答えない。

 前世で己自身が命を落とし、何の因果かこの世界で新たな生を受け。

 今生は前世の価値観や自己同一性を叩き壊し、磨り潰すような地獄の底で始まった。

 

 不意に、日頃は固く閉ざしている記憶のページがめくられ、心に鋭い痛みが走る。

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 今生の故郷。あの乾いた地獄で、親の姿形も知らぬベアトリーゼが物心つくまで生きていられた理由。

 

 それは保護者が居たからに他ならない。

 

 人の皮を被った鬼畜共や人を食らうケダモノ共から幼いベアトリーゼを護り、泥水一滴すら貴重な地獄の底で飲食物を与え、養い育てた者。

 

 そのいくつか年上の少女は名前すらなく、ただ『621』と呼ばれていた。腕に鍵のマークと数字『621』の焼き印が押されていたために。

 氏素性ははっきりしないが、おそらく逃亡奴隷だったのだろう。

 

『621』がなぜ幼いベアトリーゼを護り、養い、育てたのか。

 理由は分からない。

 ベアトリーゼが事情を知る前に『621』が命を落としてしまったから。

 

 そして、保護者を喪った幼いベアトリーゼは、餓え、渇き、『621』の――地獄の底で唯一の家族といえるような少女の、腐り始めていた骸を齧った。

 

 渇きを癒すために。飢えを満たすために。生き延びるため。生き抜くため。

 たった一人の家族同然の人間の骸を食い千切り、腐臭を放つ血肉を嚥下しながら、ベアトリーゼはこの世界がどれほど残酷で冷酷で、如何に無情で非情で、どこまでも理不尽で不条理な世界であることを魂で理解し――

 無慈悲という言葉の本当の意味を、知った。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

 強い痛みを伴う自分だけの物語を閉じ、ベアトリーゼはすっかり冷めてしまったホットラムを一息で飲み干した。カウンターに金を置いて腰を上げ、足元に置いていた荷物を担ぐ。

「私は先に宿へ向かって部屋を取っておく。あんたはもう少し体を温めてから来ると良い」

 

「不躾に聞き過ぎたかしら? 気分を害したなら謝るわ」

 同族憐憫の眼差しを向けてきたチレンに、ベアトリーゼはアンニュイ顔で応じる。

「いや。酒が入ったらなんか急に眠くなってきた。疲れてる時の酒は回りが早い」

 

「やっぱり、貴女自身もキツかったんじゃないっ!」

 チレンは思わずツッコミを入れた。苦情申し立てともいう。

 

       〇

 

 グランドライン前半“楽園”。“マーケット”。

 とある商社の皮を被った、世界政府の諜報機関のオフィスにて……。

 

「……君は些か、”血浴”に肩入れしすぎだ」

 サイファー・ポールの“マーケット”担当工作管理官“ジョージ”は、煙草を燻らせながら言った。

 

「犯罪者を大勢飼っている貴方が言うこと?」

 サイファー・ポールの最上位部署CP0のエージェントであるステューシーはさらりと応じ、上品に紅茶を嗜む。

 

 執務席と応接テーブルの間を鋭い眼差しが交差した。

 

「私は首輪をつけ、猟犬として飼い馴らしてある。だが、君は野良犬のまま放し飼いだ。昨今、いくら成果主義に偏重しているとはいえ、手法の正否は問われる」

「貴方がそれを言うの? 政府と組織に面従腹背のへそ曲がりで有名な貴方が?」

 追及とも取れる“ジョージ”の指摘に、ステューシーはのらりくらりと切り返す。

 

「……友人が無茶をしていれば、苦言を呈したくもなる」

 “ジョージ”が舌鋒をいくらか和らげてみるも、

「小言の間違いじゃない? 老いたわね、ジョージ」

 ステューシーの返答は辛い。

 

 イラッとした“ジョージ”が、毒舌で切り返す。

「君の“オリジン”は私以上に老いてるがね。それこそ、往年の美貌が見る影もないほど」

 

 瞬間、“ジョージ”の手にあった煙草の先が消し飛ぶ。ステューシー得意の六式上位奥義、飛ぶ指銃だ。

「“アレ”の話はやめて」

 貴婦人の蒼い瞳に強い不快感と冷たい怒気が浮かぶ。

 

「悪かった」

 煙草の残骸を灰皿に棄て、“ジョージ”は降参の両手を挙げつつ、言葉を続けた。

「……話を戻すが、今回の案件は金獅子絡み。単騎で海軍本部を強襲するような危険人物を相手取る以上、慎重に進めるべきだ」

 

 応接ソファにたおやかな体を預け、ステューシーはカップを口に運ぶ。浮世離れした麗貌と気品ある一つ一つの所作が相成り、まるで銀幕の一場面のようだ。

「海軍や政府はそう考えているでしょうね」

 

 旧友の返答に、“ジョージ”は眉をひそめた。

「君の考えは違うと?」

 

 カップを応接卓に置き、ステューシーは眉目秀麗な細面に優美な微笑を浮かべる。慣れた“ジョージ”すら怖気を覚えるほど恐ろしい微笑みを。

「シキは“昔”から手に入らないものほど欲しがる。あの子はさぞや魅力的に見えることでしょうね。間違いなく掌中に収めようとするわ。そして、間違いなくあの子の逆鱗に触れる」

 

「……金獅子を殺す気なのか」

 旧友の指摘に、世界最高峰の女諜報員は艶やかな唇の端を、悪意を込めて和らげた。

「私、彼が嫌いなの。“昔”からね」

 この記憶と感情が自分のものか、オリジンから複製されたものに過ぎないのか、分からない。ただ、この殺意はたしかに自分のものだ。

 

 冷徹な策謀を語った歓楽街の女王へ、“ジョージ”は気圧され気味に質す。

「……情報提供者はどうする? 巻き添えになる可能性は低くない」

 

「シキの眼鏡に適う人材よ。政府の手に入るならば良し。策の最中に命を落とすとしても、危険な知識と技術を持つ脅威が一つこの世から消える。どちらに転んでも損はないわ」

「申し分ないな」

 ”ジョージ”は眉間に皺を刻み、澄まし顔でさらりと語るステューシーを睨む。

「君の策に利用され、”血浴”が気分を害するだろうこと以外は」

 

 ステューシーは丈の短いスカートの裾から伸びる生足を組み替え、

「その点も抜かりはないわ。あの子の機嫌を取ってくれる人間がいるもの」

 老いとは無縁の、若々しい顔貌に微かな嫉妬を滲ませた。

 

「?」

 さしもの“ジョージ”もステューシーの胸中を察せられず訝る。

 

 と、電伝虫が『ぷるぷるぷる』と鳴きだし、接続された部品から紙を吐き出した。

 

“ジョージ”は紙を手に取り、なんとも表し難い渋面をこさえる。

「新しい面倒事?」

 

「かもな」

 旧友に応じ、名うての工作管理官は疎ましげに語った。

「東の海に現れた新米海賊が、海賊王の処刑台を壊して逃亡したそうだ」

 

「あらあら」ステューシーは面白い冗談を聞いたように喉を鳴らし「今度の新人は随分と破天荒ね」

「ローグタウンには、たしか能力者の本部大佐が配属されていたはずだが……捕縛されずに逃げ切るとはな。東の海で3000万の懸賞金が科されるだけあって、油断ならんらしい」

 執務卓に紙を放り、“ジョージ”は小さく頭を振る。

「もっとも、一番の大事は同日のローグタウンで、ドラゴンが確認されたことだ」

 

「あらあら」

 ステューシーは笑う。上品に、優雅に、それと心から楽しそうに。

「まるで……“大きな物語”が動いているみたいね」

 

「? どういう意味だ?」

 怪訝顔を浮かべる“ジョージ”に答えず、ステューシーは紅茶のお代わりを求めた。

 

        〇

 

 赤き土の大陸とカームベルトに隔てられた四海とグランドライン。これらを繋ぐリヴァースマウンテンの麓に、一頭の超巨大な鯨が住んでいる。

 

 この超巨大鯨の名前は、ラブーン。

 ラブーンはリヴァースマウンテンの麓で、50年もの間、友人達を待ち続けている。空に向かって吠え、赤い土の大陸に頭を叩きつけながら。

 友人達はまだ現れない。

 

 

 

 麦わらの一味はローグタウンで大騒ぎを起こして逃亡し、リヴァースマウンテンを越えてグランドライン入りした直後。ラブーンにメリー号ごと呑み込まれ、胃の中に居た。

 

 ラブーンの体内はサイボーグのように人の手が大きく加えられており、巨大な胃袋の中に至っては、体外に通じる大きな扉が据えられ、胃壁は空色に塗られ、ワンマンリゾートが整えられている始末。

 

 ナミは常識のはるか斜め上を行く光景に、唖然としながら呟く。

「鯨の胃の中が、どうしてこんな」

 

「遊び心だ」

 ラブーンの胃袋を、ワンマンリゾートに整えた張本人であるドクター・クロッカス。リヴァースマウンテンの双子岬で灯台守をやっている双子座の71歳は、ラブーンに呑み込まれた小さな海賊船の若者達にしれっと宣う。

 

 と、ラブーンがいつものように赤き土の大陸へ頭をぶつけ始め、その強烈な振動は当然ながら胃の中にも伝わる。

 激しく揺さぶられる状況に、当然ながら麦わら一味の面々は危機感を抱く。

 

「ともかく、外へ出ようぜ。このままじゃ胃液に融かされちまう」

「ああ。早くしねェと。ルフィもヤバい」

 サンジの意見にゾロが同意する。

「メリーが飲まれる時、あいつだけ口の外に弾き飛ばされるのを見た。海に落ちてたら事だ」

 

「あいつ、カナヅチだからな。急ごう!」

 ウソップがメリー号に備えられたバカデカいオールを抱えてくる。

 

 野郎共がオールを漕ぎ始めたところへ、

「待って! あれっ!」

 ナミの綺麗な人差し指が示す先。

 

 巨大な扉の傍らにある連絡用らしき小型扉が蹴破られ、三つの人影がたかだかと宙を舞っていた。

「「「ああああああああああああああああああああああ!?」」」

 三つの人影は悲鳴を上げながら、メリー号の至近に落着。高々と胃液の水柱を昇らせた。

 

「ルフィと……誰だ?」

「なんだか分からねェが、ルフィと一緒に引き上げちまおう」

 ウソップの疑問に答えられる者はおらず、ゾロがいそいそとロープを用意し始める。

 

 

 

 そんでもって……

 

 

 

 メリー号の甲板で、

「すっげーなぁ。ここ、あのデカ鯨の腹ン中なのかぁ」

 皆と合流したルフィは、興味津々の顔で鯨の胃袋内を見回す。

「胃袋ン中とか臭そうなもんだけど……全然、臭わねェんだな」

 

「あの爺さんの仕業だ、多分。換気かなんかしてんじゃねーか?」

 三刀の柄に手を置いたまま、ゾロがルフィに問う。

「それより、こいつらは何だ?」

 

 ゾロの視線の先には、ルフィと一緒に引き上げられた青年と美少女。

 青年はチープな王冠を被り、安っぽいスーツを着こみ、両頬に9の字を並べている。

 美少女は長い水色髪をポニーテールに結い、ギャルっぽいというか尻軽っぽいというか、露出の目立つ格好をしていた。

 

「鯨ン中に通路があってよ。迷ってるうちに出くわした。誰だか知らねェ」

 ルフィは要領を得ない回答を返すのみだ。まあ、実際、言葉通りなのだが。

 

「鯨の胃袋の中で、こんな素敵なレディと出会えるとは……」

 サンジはルフィと共に引き上げられた、水色髪の美少女を熱烈に見つめ、

 

「こりゃバズーカか? 随分と物騒な得物を持ってんなぁ」

 ウソップは青年と美少女の得物を窺う。

 

 で、9の字が、小声で隣の水色髪の美少女へ話しかける。

ま、不味いぞミス・ウェンズデー。こいつら海賊だ。ん? どうしたんだ、ミス・ウェンズデー? ミス・ウェンズデー?」

 

 水色髪の美少女は答えない。というか、物っ凄く冷汗を流しながら大きく俯いていた。

 眼前に立つナミの鋭い眼差しから顔を隠すように。

 

 そして、美少女の前に立つナミの顔ときたら。

 悪戯した我が子を捕獲した母親のようであり。バカをやらかした妹を踏んじばった姉のようであり。『おら、気の利いた言い訳をしてみィ』と言いたげなジト目を美少女へ注いでいる。

「こんなところで、なにやってんの?」

 

 水色髪の美少女に問うナミの声色はあまりにも冷たく、あまりにも厳しく、野郎共は(麦わら一味も9の字も)本能的にぎくりとした顔になり、思わず背筋を伸ばした。

 

「ミ、ミス・ウェンズデー? こ、こちらの方とお知り合い?」

 9の字がナミにビビりながら水色髪の美少女に尋ね、

「ナ、ナミ? こいつのこと知ってんのか?」

 ルフィがナミの威圧感に腰を引かせながら聞く。

 

「そ、それはその、大変答え難いというか、なんというか」

 冷汗ダラダラでしどろもどろの水色髪の美少女に、ナミはずいっと顔を寄せ、低い声でもう一度繰り返す。

 

「な に や っ て ん の ?」

 

 水色髪の美少女……ミス・ウェンズデーことウェンズ・ディことネフェルタリ・ビビは即座に土下座した。

「あ、あとで! あとで必ず説明しますからっ! 今は平に、平に御容赦をっ!!」

 

 ゴーイングメリー号の甲板を実に居た堪れない空気と猛烈に気まずい雰囲気が支配する中。

 

「……な、なぁナミ?」

 ウソップがおずおずとナミへ切り出す。

「なんだかよく分からねェが、こちらさんにも深い事情がありそうだし、言葉通り、後にしてやっちゃあどうだ? 今はほら、外に出ねぇと、な? な?」

 

 野郎共は『こいつ、勇者かよ』と目を剥きつつ、ゾロとサンジがすかさず便乗する。

「お、おう。とにかく外へ出ようぜ」

「そ、そうだな。ナミさん。ひとまず外に出よう。ここに居ちゃあ胃液に融かされちまう」

 

 ルフィと9の字も慌てて続く。

「こ、こまけーことは外に出てからにしよーぜ、ナミ」

「へ、弊社の者と何か御縁がおありのようですが、まずはお連れ様方の御提案通りにしていただけますと……」

 

 ナミは男共をじろりと睥睨した。男達がどきりと身を仰け反らせる。小さく鼻息をつき、告げた。

「……良いわ。船を出して」

 

「「「「「「アイアイ・マムッ!!」」」」」」

 野郎共と9の字と水色髪の美少女は弾かれたように動き、躍起になってオールを漕ぎ始めた。

 




Tips
ゴッカン島。
 オリ設定。名前の由来は極寒。そのまんま。

ベアトリーゼの記憶。
 彼女の小さな物語。 

 『621』
  オリキャラ。故人。
  幼い頃のベアトリーゼを護り、養っていた少女。素性は不明。
  名前の由来はアーマードコア6の主人公から。
  他にも番号候補はあったけれど、流行に乗ってしまった……。

”ジョージ”
 オリキャラ。久し振りに登場。
 由来はスパイ小説の大家ル・カレのキャラクター『ジョージ・スマイリー』

ステューシー
 原作キャラ。
 可愛がって目を掛けている相手でも容赦なく利用する。プロだから。
 なお、原作で素性のネタバレが残っているため、本作のキャラ造形はほとんどオリ設定です。

麦わら一味
 ローグタウンのあれこれは端折った。

ラブーン。
 でっかい鯨。

クロッカス。
 灯台守を称する海賊王の専属医だった老人。

ミスタ―・9とミス・ウェンズデー。
 ラブーンを獲りにやってきたバロックワークスの2人組。
 ミス・ウェンズデーはいろいろ秘密があるようだ。いったいどんな秘密なのか……(しらじらしい)

ナミ。
 そりゃこうなるわな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

90:あちらは進んで、こちらは進まず

なんか閑話回みたくなっちゃった……

佐藤東沙さん、烏瑠さん、uytrewqさん、金木犀さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 リヴァースマウンテンの双子岬。麦わら一味とおまけ2人はクロッカスの言葉に甘え、灯台の足元で休息を取ることにした。

 その際、ドクター兼灯台守のクロッカスから孤独な超巨大鯨ラブーンの事情を聞かされると、何を思ったのかルフィがラブーンと大喧嘩を始める。

 

 身長170ちょいのゴム人間と、ちょっとした小島並みにデカい鯨がぶつかり合う様に、うーむとサンジが煙草を吹かしながら呟く。

「俺もココヤシ村に向かってる時にデケェ海獣を蹴り飛ばしたが……あの鯨は無理だな。デカすぎる」

 隣でゾロが腕組みして唸る。

「今の俺に斬れるか試してみてェな……ルフィが負けたら俺が挑むか」

 

「しみじみ言ってる場合っ!?」

「おィいっ!? メリーのメインマストを折るんじゃねええっ!!」

「やめんか小僧っ! ラブーンもおちつけぇっ!!」

 ラブーンの咆哮とルフィと雄叫びに掻き消され、ナミとウソップとクロッカスの悲鳴は誰の耳にも届かない。

 

「ぎゃああ、無茶はよせェっ!?」

「な、何なのよ、この人達っ!?」

 ミスター9とミス・ウェンズデーも狼狽する。当然だよなあ。

 

 で。

 

 大騒ぎの末、ルフィはラブーンと“友達”になり、傷だらけの頭にヘタクソな麦わら一味のシンボル――麦わら帽子を被った髑髏を描いた。

「約束の印だっ!! 俺達がグランドラインを一周して戻ってくるまで、頭をぶつけてこのマークを消すんじゃねーぞっ!!」

「ブォオオオオ!!」

 賢いラブーンが歓喜の咆哮をあげる。

 

「優しさの示し方が不器用、いえ、傍迷惑すぎる」

 ナミは溜息を吐き、クロッカスに言った。

「クロッカスさん。灯台のトイレを貸して貰えるかしら」

「構わんよ」と快諾するクロッカス。

 

「ありがと」ナミはひっじょーに怖い微笑みをビビに向けた。「ちょっと付き合って貰おうかしら。ミス・ウェンズデー」

「ハイ、ヨロコンデー」

 ビビは即答した。他にどう答えろというのか。

 

 ルフィが塗料の後始末を始め、サンジがエレファントホンマグロを使った料理を作り、ウソップがミスター・9を動員してメインマストの修理を進め、ゾロがイビキを掻く中。

 灯台の裏で女子2人が対峙する。といっても、絵面はヤンキー娘が校舎裏で気弱な娘っ子をカツアゲしている現場と大差がないけれど。

 

「ミス・ウェンズデー……ねえ? 名前だけでなく、前に会った時と服の趣味が随分と変わったわね、ウェンズ・ディ。その名前も偽名なんでしょうけど」

 橙色の瞳に酷く冷たい光を宿し、ナミは完全に委縮している水色髪の美少女を睥睨する。

「あんたが詐欺師やロクデナシとは思ってないわ。あのベアトリーゼがそんな奴を信用するわけないからね。大方、あの時は私に言えなかった事情があるんでしょ」

 

 水色髪の美少女を見据える橙色の瞳に、怖いものが宿る。

「一つだけ答えて。あんたに預けたあの子達や彼女達。ちゃんと無事なんでしょうね? もしも――」

 

「もちろん無事です!!」

 それまで黙って俯いていたビビは、ナミの言葉を遮った。

「皆はアラバスタの信用できる施設に預けました。そのことは誓って、嘘はありませんっ!」

 アラバスタ王女として宣誓した約束だ。反故にしたりしない。まして、大恩あるベアトリーゼに誓った約束を破ったりしない。

 

「……素性を偽ってた奴が、誓ってもね……」ナミはシビアに応じ「で? 話す気はあるの?」

「……明かせません。これは私にとって、とても大事なことなんです。それに、とても危険なことにナミさん達を巻き込むことになります。だから、ナミさんも以前のことは黙っていてください。お願いします」

 ビビは慎重に言葉を編み、大きく頭を下げた。

 

 嘘は言ってない……みたいね。

 ナミは本当の名前も知らぬ水色髪の美少女を注意深く見つめながら、思案する。

 ベアトリーゼがあれほど丁寧に接していた辺り、信用できる人間ってことに間違いはない。大事な目的があって素性を隠してることも、危険なことに巻き込まれることも、多分本当。

 

 問題はどの程度の危険か。

 欲を言えば、放り出したい。ベアトリーゼにとって恩人でも、ナミにとっては一度顔を合わせただけの相手に過ぎない。赤の他人の面倒事に関わるなんて御免だ。

 

 でも――

 水色髪の美少女の切羽詰まった面差しは、“とても”覚えのある表情だ。ココヤシ村を護ろうと、大事な皆を救おうと必死だった頃の自分と重なる。

 

 過酷な渡世でも損なわれなかったナミの高貴な美質が、『放っておけない』と告げている。

 非情な渡世で培われたナミのシビアで計算高い部分が、『放っておけ』と言っている。

 

 ナミは少し沈思黙考した後、小さく息を吐く。

 自分には決められない。それに、進路を決めるのは、船長のルフィだ。

「……分かった。話を合わせてあげる」

 

「本当ですか!? ありがとうっ!」

 ぱぁあと表情を明るくするビビ。無邪気に生来の美貌を輝かせる美少女に、ナミは照れ臭くなった。

「……あの子達を助けて貰ったからね。これで貸し借りはチャラよ」

 

「はい!」

「それにしても」

 ナミは水色髪の美少女の頭のてっぺんから爪先までしげしげと見回し、眉を大きく下げた。

「その恰好ってどうなの? 特にその胸のところがグルグル模様のシャツ」

 

 ビビはバツが悪そうに目を逸らす。

「……聞かないで」

 

 

 そして――

 

 

 船番としてメリー号に残ってイビキを掻くゾロ以外の面々は、サンジの料理したエレファントホンマグロ尽くしに舌鼓を打つ。

 赤身の炙りカルパッチョ。ツノトロとアボガドのタルタル。大トロのステーキ。頭の豪快煮込み。カマの唐揚げ。そして、エレファントホンマグロ最大の特徴である長鼻は、素材の味を活かした塩コショウのみのグリル。

 

「うンめ――ェッ!!」ルフィがガツガツとかっ食らい。

「うっまーいぃッ!!」ミスター・9も負けじとバクバク掻き込み。

「メインマストの修理にくたくただよ、俺は……」ウソップは疲れのせいかスローペース。

 

「マドモアゼル。ワインをどうぞ」

「あ、ありがとう。ミスター」

 サンジはナミとビビの専属ウェイターと化し、給仕に勤しんでいる。仕事は見事だが、下心丸見えの様子にビビはちょっと引き気味だ。

 

 まあ、ナミはクロッカスにグランドラインの航海についてあれこれ質問し、いろいろ教わっていて食事を後回しにしていたが。

 

「この山より7本の航路が始まり、最後にとある島へ辿り着く」

 クロッカスは言った。

「グランドライン最後の島ラフテル。歴史上、ラフテルに辿り着いた者は海賊王ロジャーの一団だけだ。伝説の島といっても良かろう」

 

「そこにひと繋ぎの秘宝(ワンピース)があんのか!?」と疲れを忘れて目を輝かせるウソップ。

 

「ラフテルもワンピースも御伽噺さ」ミスター・9が横から口を挟む。「海賊王ゴールド・ロジャーが政府の目の敵にされた理由は、ラフテルやワンピースを発見したからではなく、グランドライン一周をやり遂げたこと。転じて、政府の知らない秘密航路を知っちまったから、というのが近年の通説だ」

 クロッカスは反論せず黙ってコップの酒を傾けた。

 

 ルフィはシシシと悪戯小僧のように笑い、事も無げに告げる。

「そんなもん、行ってみりゃあ分かるさっ!!」

 

      〇

 

 双子岬を出港した麦わら一味は拾った『オマケ達』の要望を請け負い、進路をウィスキーピークへ向け――

 グランドラインの洗礼を受けていた。

 

「どうなってんのよ、この海は」

 厚手の防寒着を着こんだナミが呻く。

 

 先ほどまで暑いほどだった日差しはどこかに消え去り、雲が広がったかと思ったら、ぼた雪がこんこんと降り注ぎ始めた。

 今や甲板に雪が積もり、ルフィとウソップが半袖姿のまま雪遊びに興じている。……昭和の小学生かな?

 

「さっきまで穏やかな初夏の潮だったのに、なんでいきなり真冬の時化に変わるのよ!? デタラメにも程がある……っ!」

 独学で積み重ねてきた海洋気象学の常識が崩壊しそうで、ナミは苦悶染みた唸り声をこぼす。

 

「四海から来た連中は大概、そう言う」毛布をひっ被った9の字……ミスター・9が苦笑い。

「さっきからずっと舵を取ってないけど……大丈夫?」と相方同様に、毛布を羽織った水色髪の美少女……ミス・ウェンズデーが指摘する。

 

「舵? 方角ならさっき確認して……」

 ナミは手首に巻いたログポースを確認して、目を剥いた。

「!! なんでっ!? 180度回頭してるっ!?」

 

「波に遊ばれてるな。いいかい? グランドラインではログポースの示す方角以外、何一つ信用しちゃあいけないぜ」

「まして、リヴァースマウンテン近海は7航路が始まる関係で、気象や海流に落ち着きがない。気を抜いてると本当に遭難するわよ」

 ミスター・9とミス・ウェンズデーがしたり顔で語る。

 

「偉そうにクッチャべってないで手伝えっ!!」

 ナミは2人を蹴り飛ばした。

 

 そして、激闘が始まる。

 急変する風向き。激変する潮。突発的に襲い掛かる高浪。予告なく生じる霧。波間に潜む氷塊。汗だくになるほど暑くなったり、骨まで凍てつきそうなほど寒くなったり。時折、水面に顔を出す海洋生物が好奇心の強いルフィを惑わせる。

 

 目が回るような忙しさだった。

 なんたって麦わら一味はオマケ込みで船員がたったの7人。絶望的に人手が足りず、航海術――航法やらなんやらを修めているのはナミだけで、甲板作業は誰一人習熟していない。

 

 言ってみれば、致命的なほど少人数のド素人達だ。ナミが航海技能の天才でも、ルフィ達が人外染みた体力や膂力の持ち主でも、対応がまるで間に合わないし、追いつかない。

 トドメにゴーイングメリー号は資産家の遊覧船。間違っても外洋で冒険航海するための船じゃない。

 

 風の変化の早さに対応しきれず、帆が裂け。

 波の変化の激しさを対処しきれず、船のあちこちから浸水し。

 索具が絡まり、荷物が転げまわり、船体が不気味に軋む。

 腰を下ろして食事する暇など無く、サンジが急ぎ拵えた握り飯を口に押し込みながら、操船作業を続ける。

 人手が無いから交代で休むことさえできない。仮眠を取るどころかトイレや着替えにも満足に行けない有様。

 

 そうして一昼夜の悪戦苦闘の末、ようやっとメリー号は好天の穏やかな海域に踏み込めた。

 

 誰も彼も――体力お化けのルフィを除く全員が疲労困憊で突っ伏す中、周囲の怒号を浴びても全く起きずに眠り続けていたゾロが起床する。

「んんん――――――くぁ……っ。よく寝たな。スッキリ爽快だ」

 

 ゾロは体を慣らしながら、甲板に突っ伏した面々を見回す。

「なんだぁ? いくら天気が良くて波が穏やかっつっても、全員揃って寝っ転がってる奴があるかよ。だらけ過ぎだぞ」

 

 この野郎……っ!! 甲板に倒れ伏している全員が激しくイラッとするが、疲労困憊すぎて誰も言い返せない。

 

「で? 船は今、どの辺りなんだ? こいつらの街に向かってんだろ?」

 ゾロは揃って倒れているミスター・9とミス・ウェンズデーを一瞥。

「それにしても……ミスター・9にミス・ウェンズデー、だっけ? お前らの名前、どっかで聞いた覚えがあるような」

 ぎくりと身を強張らせる2人。

 

「たしか」

 ゾロが小首を傾げて記憶のページをめくったところで、ゴンッと思いきり拳骨を落とされる。

「いてェっ!? なにしやが―――!?」

 

「あんた、よくも今までのんびり寝てたわね……何度起こそうとしてもぐーぐーと……」

 振り返れば、そこに怒れる鬼女がいて。問答無用の鉄拳制裁が下される。

 

「? ? ? ? ? お、俺がいったい何をしたってんだ……?」

「何もしなかった。それがお前の罪さ……」

 タンコブが出来た頭を抱えて困惑するゾロに、ウソップが実にダンディな面持ちで嘯く。

 

 麦わら一味がそんな調子のやり取りを交わし、グランドライン航海の困難さを噛みしめていたところで、水平線の先にサボテンの塊みたいな島が見えてきた。

 一本目の航海を乗り越えたのだ。

 

    〇

 

 ルフィ達がグランドライン入りの洗礼を受けていた頃。

「動きたくても動けないんだよなあ」

 嵐が続く表を一瞥し、ベアトリーゼは何年も密やかに続けている趣味――スケッチブックにペンを進める。

 

 ゴッカン島に足止めを食らって二日。本日のベアトリーゼは、身体の線を隠すゆったりしたセーターと変哲の無いデニムパンツをまとい、地味系美人に化けている。

 

 宿のフリースペースは、箱型薪ストーブのおかげで暖かい。ストーブの天板に載せられた大きめの薬缶が、蒸気を昇らせている。

 ベアトリーゼの向かい側では、チレンがノートを広げ、難しい顔で暗号文染みた数式を検証していた。

 

 昨日、暇なベアトリーゼがチレンに『どんな研究してたの?』と尋ね、チレンは野蛮人に理解できるわけないと言いたげな顔をしつつも、自身の専門分野や研究について語ったところ、

「……へえ。専門は流体力学か。じゃ、金獅子ンとこでやらされてたのは、ナビエ‐ストークス……や、二階非線型偏微分方程式を用いた気象予測かな? それとも、乱流を数学的に解析して空中航法の開発? あるいは、流体力学と物理学を用いた兵器造り?」

「は?」

 さらっと返され、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を作ってしまった。

 

 今まで誰もが驚かされたベアトリーゼの学識の深さに、チレンもまた例外なく驚いた。それどころか……。

「ああ、そりゃ間違いだ。そこで渦度を求めるなら、右辺の第三項の外力項は重力や浮力なんかを当てないと。まあ、右辺第一項の圧力と第二項の流速は未知数だから、別途に方程式を用意しないと決定できないけどね。で? その数値を出すための連続方程式は何を使うの? 質量? 電荷? 論拠はきちんと取ってる?」

 チレンですら返答に詰まる諮問でぶっ飛ばされた。

 

 ……というわけで、チレンは諸々そっちのけで自身の研究内容を改めて精査していた。無理もなかろう。学識で野蛮人に劣るなど、科学者として技術者として到底許容できやしない。

 

 期せずして交流が深まったというべきか。

 無論、ベアトリーゼはアラバスタに一刻も早く行きたい。一方で、チレンとの交流を楽しんでもいる。

 なんせ学術的な会話が出来る相手は、ドクトル・リベット以来だ。ま、生命学に偏っていたけれど。

 

“マーケット”にも識者は少なくないものの、あそこで関わった相手はもっぱら、トビウオライダーの部品を調達する密輸屋と加工を委託した職人といった現場の人間で、研究畑の人間とは無縁だった。

 この世界に適応しすぎてすっかり蛮族化してしまったが、ベアトリーゼの前世はアカデミックな人間だったのだ。学術的口喧嘩や知識のマウント合戦、どこでも青空学会は嗜みである。

 

「そんなに根を詰めると休息にならないぞ」

 ベアトリーゼがペンを置き、チレンに言った。

 

 シガリロを吹かしながら頭を捻り回していたチレンは、凶暴な目つきでベアトリーゼを睨み返す。

「今、集中してるの。邪魔しないで」

 

「明らかに苛ついてるじゃないか。少しは気分転換しなよ」

 ベアトリーゼは癖の強い夜色のショートヘアに手櫛を通し、アンニュイな細面に悪戯チックな微笑を浮かべた。

「XをYで12に割れば12余り。14に割ると6足らず。このケースを成立させるXとYの数値を求めよ。ただし、連立二次方程式を用いてはならない」

 

 唐突な問題提起に、チレンは目を瞬かせる。も、受けて立つことにしたらしい。煙草をひと吹かし後。

「Xは120。Yは9」

 

「流石に早いね」ベアトリーゼがくすくすと喉を鳴らせば。

「バカにし過ぎよ」チレンは唇を尖らせて応じる。

 

「じゃあ、そうだね」ベアトリーゼは珈琲を口にしてから「友愛数については?」

「自分自身を除いた数の約数の和が、他方の約数の和と等しくなる組み合わせの数字。220と284や1184と1210がそう」

 チレンが即答し、「6の次の完全数は?」と切り返す。

 

「28。496。8128」ベアトリーゼも即答し「純正律の周波数比は?」

 

「3対2の純正度5。1オクターブに7音。ただし、7オクターブ目に“狼の唸り”が生じる。解決法として12平均律が考案された。比率は?」

「約1・49。転調し易いけれど、純正律ほど和音が美しくない。やるね」

「音楽やスポーツは研究者の嗜みよ」

 

 美女2人が数学トリビアでマウントし合う様に、他の宿泊客や従業員はポカンとしている。

 

 学術的ジャレ合いにひと段落がつき、チレンは新たなシガリロをくわえ、愛用のライターで火を点す。霞のように紫煙を漂わせた。

「どこで学問を? 失礼を承知で言わせてもらうけれど、貴女は学校へ通っていたように見えないわ」

 

「内緒」ベアトリーゼは従業員にコーヒーのお代わりを注文し「学ぶことは好きだよ。親友は考古学者だ」

 

「それも意外ね」とチレンが微笑む。「絵を描く趣味。トビウオライダーをフルサイボーグ化できる技術。専門的で高等な学識。友人は学者。これだけ聞いたら、高額賞金を懸けられた凶悪犯とは思えない」

 

「中々の文化教養人だろ?」

 ベアトリーゼは得意げに口端を和らげ、小さく肩を竦めた。

「ま、誰も信じちゃくれないけどね」

 

 外の嵐はまだ収まらない。




Tips
ナミ
 原作キャラ。
 一味内において、平時と航海における裏ボス的存在へなりつつある。
 そして、その流れを誰も止められない。

ラブーン。
 原作キャラ。
 新しい友達が出来た。えがったえがった。

ナヴィエ・ストークスの方程式。
 流体力学の超高度方程式で、気象予測などにも用いられている。なお、作者はまったく理解してない。

数学トリビアとマウント合戦のネタ。
 手元にあった数学本やウィキからの出展。間違いがあったら御指摘ください。

ベアトリーゼ。
 オリ主。
 意外と学問的なやり取りが好きな自称文化教養人。

チレン。
 オリキャラ。
 奇妙な友情が芽生えつつある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

91:彼女の友達と友達と友達と。

原作をなぞると文字数が膨らんじゃう……

佐藤東沙さん、金木犀さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 ウィスキーピークを目前に、ミスター・9とミス・ウェンズデーが忽然と姿を消していたが……麦わら一味は特に気にすることなく島へ向かい、日暮れの迫る港へ船を入れた。

 と、住民がわらわらと港へ集結して熱烈な大歓迎。果ては町長自ら挨拶にやってくる。

 

 しかし――

「あんたもか」

 ナミは町長を名乗るカール髪の大柄な中年男へ、底冷えする目線を浴びせた。

 

「マッ!?」

 まったく予期していなかった再会に直面し、ウィスキーピーク町長イガラッポイ――かつてナミに対して旅の学者イガラッポイを名乗ったイガラムは、冷汗をだらだら流し始めた。

 

「……そっちの事情に首を突っ込む気は無いから、安心して良いわよ。“町長さん”」

「お、お気遣い痛み入ります」

 ナミの冷ややかな眼差しを浴び、イガラムはごくりと生唾を呑み込む。怪訝顔のルフィ達へ引きつり気味の笑顔を向けた。

「ま……ま~♪ マ~♪ ゴホンッ! ここウィスキーピークは海の冒険者達を歓迎し、もてなすことが伝統なのです。今宵はあなた方の冒険の話を肴に、宴の席を儲けさせていただけませんかな?」

 

「「「喜んで――――ッ!!」」」

 ルフィとウソップとサンジが肩を組んで快諾した。

「三バカめ」とナミが目を覆い、「ちっとは警戒しろよ」とゾロが至極真っ当なツッコミを入れるが、浮かれる三人の耳には届かない。

 

 そして、街をあげての大歓迎会が始まった。

 麦わら一味は散々に飲み食いし、散々に騒ぎ、航海の疲れも手伝って寝入ってしまう。

“住民達の狙い通りに”。

 

 ウィスキーピーク。

 グランドライン入りした新米海賊共を狙い撃ちする賞金稼ぎ達の街であり、今は秘密犯罪会社バロックワークスの縄張りの一つである。

 

 ビビもイガラムもナミの扱い――ベアトリーゼの縁者に不義理な真似はしたくないという心情と、祖国を救うため非情にならねばならない――という現実に頭を悩ませつつも、バロックワークスの一員として、周囲と足並みを揃えて一味の捕縛に動く。

 

 賞金稼ぎ達が寝入ってしまった麦わら一味を踏んじばろうとした矢先、ウィスキーピーク入り前にたらふく睡眠を取っていたゾロが、元気いっぱいで現れた。

 

「仲間は航海で疲れてンだ。寝させておいてやってくれ。なに、俺が相手してやるから、がっかりするこたぁねェぜ」

 ゾロは牙を剥くように笑う。

「“バロックワークス”」

 

「なぜ我が社の名をっ!?」

 驚愕する住民達へ、

「昔、お前らの仲間に勧誘されたことがあってな。まあ、その野郎は俺が斬っちまったが」

 ゾロは獰猛に口端を吊り上げつつ、腰から刀を抜いていく。ローグタウンで入手した妖刀の三代鬼徹と良業物の雪走。最後に愛刀和道一文字。

 

 アラワサゴ紛争に参加したビビとイガラムは、ゾロが先代のミスター・7を斃した“海賊狩り”だと気付き、顔を大きく引きつらせる。しかし、ここで引くわけにはいかない。

 

 三刀を構え、ゾロが挑発的に嘯く。

「タダ酒とタダ飯の礼だ。命は取らねェでやるよ」

 

「戯言をっ! 者ども、社の秘密を知るものだっ! 必ず殺せィッ!!」

『おおっ!!』

 町長イガラッポイことバロックワークス下級幹部ミスター・8を演じるイガラムは、賞金稼ぎ達に大音声で命じた。

 

 

 宴の二次会が始まる。

 

 

 とはいうものの……有象無象の木っ端共に、現時点で既に世界最強の剣士から一目置かれる剣士を、どうこうできるはずもなく。

 ゾロにしてみれば、平々凡々な賞金稼ぎ達の相手など、晩飯後の腹ごなし程度のことに過ぎない。

 言葉通り、誰一人命は取ることなく、あっさり賞金稼ぎ達を叩き潰してしまった。

 

 ただ、ゾロが殺しを避けた本当の理由は、もちろん飯の礼のためではない。賞金稼ぎ達の命を奪えば、バロックワークスも本気で麦わらの一味を殺しにかかる。相手の規模と手の内が分からぬまま、一線を越えることは不味い。という判断だった。

 

 それに、確認したいこともあった。

「お前とお前。ウチの航海士と顔見知りらしいが、どういう縁だ?」

 ゾロは階段に腰を下ろして酒瓶を傾けながら、ぶちのめした町長イガラッポイとミス・ウェンズデーに問う。

 

 細かいことは気にしないというか、大雑把というか……ともかくそんな船長を担いでいる以上、副船長である自分が目を光らせておくべきだ。それがゾロの考える役割の在り方だった。

 

「察するに」ゾロは顎先を撫でながら思案顔を作り「ナミが泥棒稼業をしてた頃に縁を持ったか、あるいは……」

 ゾロは鋭い目つきで推理を披露した。

「血浴のベアトリーゼ。奴絡みだ。そうだろ?」

 

 ビビとイガラムの強張った表情が、推理の正解を告げていた。

 

       〇

 

『ミス・オールサンデー。ボスはミスター・8とミス・ウェンズデーが我が社に潜入したスパイという報告を受け、両者の抹殺にミスター・5とミス・バレンタインを派遣しました。既にウィスキーピーク入りしています』

 

 ニコ・ロビンは電伝虫から届く直属の部下による報告を聞きながら、水陸両用亀のバンチでウィスキーピークに向かっていた。

 

 ミスター・8とミス・ウェンズデー……アラバスタ王国護衛隊長とアラバスタ王女にはまだ死なれては都合が悪い。特に後者はベアトリーゼが目を掛けているのだから。

 

 それにしても……とロビンは眉をひそめる。正体を知られたからといって、迷わず殺そうとするとは。クロコダイルはアラバスタ王家の血脈を断っても良いという判断なのか。それとも、他に何か考えがあるのか。

 

「報告、御苦労様」

 電伝虫の通話を切り、ロビンは新たな番号を打ち込む。

「ミス・オールサンデーよ。そちらの状況は?」

 

『ああ、ミス・オールサンデー。こちらから報告するところでした』

 ウィスキーピークに潜伏しているロビン直属の部下が、慌てた調子で報告を始めた。

『こちらは今、大騒ぎです。新人海賊を罠に掛けようとしたんですが、返り討ちにされちまって……おまけに、ミスター・5とミス・バレンタインが、ミスター・8とミス・ウェンズデーをスパイとして抹殺しようとしたところ、その海賊達にあっさりやられちまいました』

 

「へえ……」

 能力者であるミスター・5とミス・バレンタインを容易く撃破できるとなれば、その新人海賊達の実力は相当なものだろう。

 

「海賊達の詳細は?」

『麦わらの一味という東の海の新人海賊です。船長のモンキー・D・ルフィは先頃、全世界指名手配されました。懸賞金額は3000万ベリー』

「D……」

 失われた100年同様、謎に包まれた一族。

 

 ロビンは思わず口端を緩める。

 聖地に移り住まなかった王の末裔が、Dの名を持つ海賊と関わりを持つかもしれない……か。よくよく数奇な運命を背負っているようね、御姫様。

 

「御苦労様。状況に変化があり次第、連絡して」

 通話を切り、ロビンは冷徹に思案する。

 

 まずは件の一味と接触してみましょうか。御姫様を託せるなら良し。そうでないなら、こちらで確保しなくては。

 御姫様に死なれてはいろいろ都合が悪い。それに……始まりの20王家に属するネフェルタリ家はポーネグリフ以外にも、情報を持っている可能性がある。カードとして押さえておくべきだろう。

 

「バンチ。速度を上げてちょうだい」

『ウィ』

 テンガロンハットを被り、葉巻をくわえたカメは大きく頷き、亀とは思えぬ快速を発揮し始めた。

 

       〇

 

「事情持ちだとは思っていたけど、まさか一国の御姫様と護衛隊長様が自ら潜入捜査してたとはね。なるほど、そりゃ素性を隠すわ」

 夜も更け、未明を迎えたウィスキーピークの一角。

 

 ボムボムの実の能力者である爆弾人間ミスター・5、自身と触れたものの軽重を操るキロキロの実の能力者ミス・バレンタイン、バロックワークスの上級幹部ペアを撃破した後、ナミとルフィとゾロは、同ペアの襲撃から保護したミス・ウェンズデーことアラバスタ王女ネフェルタリ・ビビから話を聞いていた。

 

 月光の注ぐ街角で、ナミは小癪な胸を抱えるように腕組みし、呆れ顔をビビへ向ける。

「しかし、無茶するわね。普通は密偵とかにやらせるもんでしょうに」

 

「ベアトリーゼさんにも言われたわ」

 懐かしそうに微笑み、ミス・ウェンズデーことネフェルタリ・ビビは表情を引き締め直し、麦わらの一味へ語る。

「恩賞の話だけど、無理よ」

 ナミが保護の謝礼として10億ベリーの恩賞を要求した件に、ビビは首を横に振った。

「今のアラバスタには余裕がないの」

 

「? 金がねェのか?」ゾロが片眉を上げ「グランドラインでも上から数えた方が早い大国なんだろ?」

「アラバスタはバロックワークスによる王国乗っ取り工作によって国土を酷く荒らされ、地方では内乱が始まってるわ。仮にバロックワークスを倒しても、国民の救済と国土の復興に大金がかかる。いくらあっても足りないのよ」

「予想以上に切羽詰まってるのね」目論見が崩れたナミが、口元をへの字に曲げる。

 

「そんで、その黒幕ってのは誰なんだ?」とルフィが軽い調子で尋ねる。

「ボスの正体!? ダメ、ダメダメッ! それは聞かない方が良いわっ! それだけは言えないっ! 知ってしまったら、貴方達も命を狙われることになるもの」

 血相を変えて首を横に振るビビに、ナミもうんうんと首を縦に振る。

「一国を乗っ取ろうなんて奴だもんね。間違いなくヤバい奴に決まってるわ」

 

「ええ。貴方達がいくら強くても、王下七武海の一人、クロコダイルには敵わないわ。知らない方が……あ」

「言ってるじゃねーか」

 凍りつくビビとナミ。しかめ面のゾロ。あーあと言いたげに微苦笑するルフィ。

 

 それと、やりとりをじっとりと見守っていたラッコがさらさらと一同の似顔絵を描き、ハゲワシに乗って飛んでいった。

「すっごく絵が上手なラッコさんねー……」ナミはハッとして「ちょっと、今のラッコとハゲワシは何ッ! あんたが私達に秘密を喋ったこと、報告しに行ったんじゃないでしょうねっ!?」

「ごめんなさいごめんなさい。つい、口が滑っちゃって……」

 胸倉を掴まれたビビが、肯定の謝罪を口にする。が、怒り心頭のナミはがっくんがっくんと、ビビを揺さぶり続ける。

「“つい”で済む問題かぁっ!! グランドライン入りした途端、七武海に狙われるなんて冗談じゃないわよっ!!」

 

「七武海が相手か。盛り上がってきたな」

「ああ、面白くなってきた!」

「黙ってろ、人外共っ!!」

 ナミが暢気に笑うゾロとルフィへ、罵倒を浴びせていると、

 

「皆様方は追手が掛かる前に脱出を。自分がビビ様に扮した囮として時間を稼ぎますっ!」

 イガラムがやってきた。 

 どういうわけか女装して。

 

「……いや、無理があるだろ」妥当なツッコミを入れるゾロ。

「なっはっはっはっ! おっもしれーおっさんだなっ!」爆笑するルフィ。

「どいつもこいつもバカばっかり……」膝を抱えてイジケ始めたナミ。

 

 麦わら一味の反応を無視し、イガラムは策の説明を始め、

「私がエターナルポースで一直線にアラバスタを目指し、追手の目を引きます。その間に、皆さんはビビ様を連れ、通常航路でアラバスタへ向かってください。島を二つ三つ越せば、着くはずです」

 不安顔のビビを落ち着かせるように歯を見せた。

「祖国で会いましょう」

 

 それは命を懸ける意味を知っている漢の笑顔だった。

 女装していたけれど。

 

 

 

 

 そして、ビビ達が見送る中、イガラムが帆船で出航し――

 港を出た直後に爆沈した。

 

 

 

 

 

 夜の海を焼くように沈んでいく帆船を、少年少女達は唖然と見つめることしかできない。

 ルフィとゾロは踵を返し、強く踏み出す。

「おっさんは立派だった! 行くぞっ!」

「ルフィはウソップとサンジを頼んだ。俺は船を出す準備を進めておく」

「おし、任せろ。ナミ、ビビ、急げっ!!」

 

「! 分かったっ! ビビッ! 行くわよっ!」

 ルフィの指示で我に返り、ナミは燃え盛る帆船を凝視し続けるビビの肩を掴み、ビビが血をこぼすほど唇を噛み、眼前の事態に耐えていることに気付く。

 

 この娘、強い……っ!

 ナミは母性本能のままにビビを強く、そして優しく抱擁する。

「大丈夫、大丈夫よっ! 私達が必ずアラバスタに送り届けるから!」

 

       〇

 

 サンジとウソップは酒に酔って気持ちよく寝ていたところを、ルフィにゴミ袋の如く引きずられながらメリー号まで連行された。右も左もどころか訳も分からぬまま『今すぐ出港する』といわれ、当然ながらブー垂れた。

 が、ゴツンゴツンッ! とナミの拳骨で”説得”された。憐れである。

 

「カルーが居ないわっ!? ここに置いていくわけにはいかないのに……っ!」

 愛馬ならぬ、愛鴨が見つからないことに慌てるビビ。

「おい、どうした?」

 何事かと質すゾロへ、ナミが説明する。

「カルガモが居ないんだって。口笛で呼べばすぐに来るらしいんだけど」

 

「こいつのことか? 俺より先に乗り込んでたぞ」

 ゾロの隣に、騎乗カルガモのカルーが現れ『クエッ!』と翼を振る。

「「どういうことよっ?!」」

 ビビとナミのツッコミがシンクロした。

 

 正しくドタバタしながら、ゴーイングメリー号は出港。空が白み始め、朝靄が立ち込める湾を進み始めた。

 直後。

 

「いい船ね」

 テンガロンハットを被り、レザーの上下を着た黒髪碧眼の美女が、いつの間にか後部船楼の手すりに腰かけていた。

 

 麦わら一味の面々が驚愕する中、

「なんで……あんたがこんなところにいるのよっ!」

 ビビが刃鞭を収めた両腰のホルスターに手を伸ばしながら、怒気を発する。

 

「だ、誰!? あいつ、バロックワークスの追手!?」

 おっかなびっくり状態のナミに、ビビはいつでも刃鞭を抜ける体勢のまま説明した。

「ボスのパートナーよ。バロックワークスでボスの正体を知っている唯一の人間。私とイガラムはあの女を探ることで、ボスの正体を知ったの」

 

「精確に言えば、探らせてあげたのよ」

 優美に微笑む美女を睨み、

「そんなこと知ってたわっ! そのくせ、ボスに私達の正体を告げたのも、あんたでしょっ! いったい何が狙いなのっ!? 目的は何ッ!? 答えなさいっ!」

 ビビは獅子のように吠えた。

「ミス・オールサンデーッ! いえ、ニコ・ロビンッ!」

 

「ニコ・ロビン!? あの女がっ!?」

 予期せず“血浴”のベアトリーゼの親友である”悪魔の子”ニコ・ロビンを前にし、ナミは驚愕に目を剥く。

「? 誰だ?」「知らねェ」「美人なオネェ様だ」「ヤバい雰囲気ビンビン感じる」

 一方、無知な野郎共は気楽に構えていた。いや、ウソップだけは正しい反応をしているか。

 

「目的、ね」

 綺麗な右手人差し指で顎先を撫で、ロビンはからかうように口端を緩める。

「滅びる国のために頑張る御姫様に御褒美をあげたの。健気でイジらしくて可愛いから」

 

「バカにして……っ!」

 激昂したビビに向け、ロビンが危険な冷笑を浮かべた、その刹那。

 

 ルフィを除いたクルー達が、ロビンの気配に“動かされる”。ウソップがパチンコを構え、サンジが慣れぬ手つきながら拳銃を構え、ゾロが和道一文字を抜き、ナミが素早く長棍を組み立てて構えた。

 

「物騒ね」

 ロビンが疎ましげに眉を下げた瞬間、クルー達の身体からたおやかな腕が生え、全員の武器を取り上げ、その場に組み伏せた。

「なんだこりゃあっ!?」「う、腕っ?! 腕が生えてる!?」「悪魔の実かっ!?」

 

 取り押さえられて狼狽する面々を見回し、ルフィがロビンを睨みつけた。

「おい……俺の仲間に手を出すなっ!」

 

「争うつもりはないわ」

 ロビンが微笑むと、同時に腕が花弁のように消散して面々が解放され、神秘的な美貌に似合う碧眼をルフィへ向けた。

「貴方が船長さん?」

 

「そうだ! 俺はモンキー・D・ルフィッ! 海賊王になる男だ!」

 ルフィが清々しいほど堂々と名乗る。

 

「素敵な夢ね」

 ロビンは柔らかく目を細め、

「でも、このままだとその夢は叶わないわ。貴方達のログポースが示す先はリトルガーデン。とても危険な島よ。今の貴方達では命を落としてしまうでしょうね」

 懐からエターナルポースを出し、ビビへ投げ渡す。

「その指針を使えば、アラバスタの近くにある島に行けるわ。航路もウチの社員が知らないものだから、追手も来ない」

 

「なんでこんなものを」と戸惑うビビやナミ達を余所に、ルフィがビビの手にあるエターナルポースを握り潰し、ロビンへ啖呵を切った。

「お前が俺達の進路を決めるなよっ!」

 

「ふふ……威勢のいい子は好きよ」

 ロビンは微苦笑をこぼし、コツコツとブーツを鳴らして舷側へ向かい、

「生きていたらまた逢いましょう」

 海へ飛び降りた。

 

「マジか!? 能力者なのにっ!?」

 面々が急いで舷側に駆け寄ってみれば、ロビンはドデカいカメの背に組まれた座席に座り、メリー号の許から離れていた。

 

「亀の乗り物だ! 俺も乗ってみてェ!!」「あんなのもあるのか」「グランドラインってスゲー……」「美人だったなぁ」

 ロビンを見送る野郎共は緊張感が続かない。

 

「あれが“悪魔の子”ニコ・ロビンか……ベアトリーゼから聞いてた話と全然違うじゃない。アレのどこが『優しくて知的なお姉さん』よ。危険な能力者じゃないの!」

「初めてあの女の素性を知った時、私もそう思ったわ」

 ぷりぷりと憤慨するナミに、ビビは表情を和らげた。

 

 かくて、麦わらの一味はビビを保護したことで、王下七武海サー・クロコダイルが率いる秘密犯罪会社バロックワークスと決定的に敵対したのだが……ビビとナミ以外に危機感を抱くものは、一人もいなかった。

 

    〇

 

 麦わらの一味が次の島リトルガーデンへ向かって航海を始めた頃。

 絨毯爆撃みたいな雹の嵐が続くゴッカン島では、趣の異なる美女2人が航海計画を練っていた。

 

 亜麻色髪の毛先を弄りつつ、チレンが情報を提供する。

「シキは気象学者や流体力学者なんかを大勢集め、いろいろな道具や機材を揃えていたけれど、結局のところ、メルヴィユは風や大気の影響をダイレクトに受けるわ。乱流や悪天候に対して非常に脆弱なの」

 

 ベアトリーゼは癖の強い夜色のショートヘアを描き上げ、アンニュイ顔をしかめさせた。

「もっと早く言ってよ。そうすれば、ここの嵐に捕まらないルートが採れたのに」

「貴女は私の話をまったく聞かなかったじゃないっ!」チレンはご立腹。

 

「さて、向こうの事情を踏まえたうえで、どのルートが良いかな?」

 お叱りを聞き流し、ベアトリーゼはしれっと宣う。

 チレンは腹の虫が収まらぬと言いたげな顔つきのまま、海図へ目線を落として案を挙げる。

「私が覚えている限りだと、この南西方面へ回っていけば、シキの追跡を振り切れると思う」

 

「いや、そっちは時間が掛かり過ぎる」

 ベアトリーゼは麦わら一味の動向を考慮しつつ、海図を指先でなぞる。

「回るなら、この北西ルートだ。こっちなら南西ルートの半分の日程で行ける」

 

「本気?」チレンは目を瞬かせて「そこの海域がなんて呼ばれているか、知らないの?」

「知ってるよ」

 暗紫色の瞳を楽しげに細め、ベアトリーゼは事も無げに応じる。

「白骨海域だろ」

 

『白骨海域』

 魔の三角海域フロリアン・トライアングルに並ぶ、グランドライン前半の危険海域である。




Tips
ナミ
 オリ主との絡みによるバタフライエフェクトを発揮し、アラバスタ主従を困らせている。

ビビ
 ゾロ戦でメマーイダンスをしたかどうか? 今は神のみぞ知る。

ロビン
 原作通り、麦わら一味と接触に成功。ルフィの屈託ない様子に初期好感度が高め。

ベアトリーゼ。
 懲りない。

チレン。
 振り回され続ける人。


リトルガーデン&ドラム王国編はオリ主の影響が乏しいため、ほぼ原作通り。
地の文でざっくり流す予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

92:白骨海域

文字数が膨らんじゃうなぁ……

トリアーエズBRT2さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 少し語ろう。

 

 グランドライン前半にある魔の三角海域フロリアン・トライアングルと同様、グランドライン前半にある遭難多発海域、通称『白骨海域』。

 

 海軍の調査と研究によれば、同海域はカームベルトと深層海流で繋がっており、その海流は同海域にある巨大な岩礁『ビッグ・タジンポット』に激突するそうな。

 

 で、何が起きるかというと、カームベルト内で死んだ海王類や大海獣、あるいはカームベルト内で垂れ流された海生生物のフンなどが、ビッグ・タジンポットに流れ着き、漂着する。

 

 結果、ビッグ・タジンポットの周辺は海王類や大海獣の骨が石塔のように積み重なり、海藻が死肉や糞を養分に(おびただ)しく繁茂する海域となった。

 

 つまり、海生生物にとって、白骨海域は骨の礁や海藻の密林という隠れ家と、食べ物が豊富な暮らし易い海域だ。おかげで被捕食者も捕食者も――人間をスナック感覚で食っちまうような奴まで、ぎょうさん住んでいる。

 

 また、深層海流が衝突する関係か、白骨海域の天候は非常に不安定で、『骨洗い』と呼ばれる突発性局所暴風雨が生じる。

 

 トドメに、この海域が危険海域たる最大の要因。

 それはビッグ・タジンポットが“島ではない”こと。

 

 ログポースはビッグ・タジンポットに無反応なため、無警戒に進んでいると、この白骨海域に迷い込んでしまう。

 そうして迷い込んだら最後、舵を海藻の密林に絡めとられ、そこかしこに潜む巨大な骨と衝突し、突発性局所暴風雨に襲われて、憐れ海の藻屑となるわけだ。

 

 実際、白骨海域には難破座礁した帆船がそこかしこに沈んでいたり、残骸が波に洗われていたりする。

 

 そして……この海域で遭難したもののしぶとく生き延びた連中は、新たな遭難者達を取り込みながら世代を重ね……今や白骨海域に根差した部族となっていた。

 どんな部族か。ご覧いただこう。

 

     〇

 

 麦わらの一味がリトルガーデンを目指している頃。

 有象無象のとある海賊船が、ここ白骨海域に迷い込んでいた。

 

 彼らは巨岩ビッグ・タジンポットを中心に広がる白骨の森に気を取られ、海面下に繁茂する海藻の密林に舵を絡めとられた。舵が利かず右往左往している間に、波間に潜む骨の礁に接触。喫水下を損傷して座礁してしまう。

 海賊達がなんとか浸水を食い止め、舵に絡まった海藻を除去し始めた矢先。

 

「ヒィ――――――ハ――――――ッ!!」

 突如、海域に乱立する白骨や残骸の陰から雄叫びが響き、海獣の皮で作られた太鼓が打ち鳴らされ、海獣の腸で作られたガットギターが掻き鳴らされた。

 

 本能的な危機感を強く煽る野蛮な雄叫びとトライバル・ロックが、徐々に近づいてくる。

 海賊達は不安に駆られて戦う準備を始め――

 

 そして、彼らは現れた。

 

 太鼓を幾つも積み、舳先でガットギターを演奏している騒々しい平底船を中心に、ケダモノの骨と皮と流木で作られた小型の快速ボートの群れ。いずれも穂先に円筒物をつけた長竿を何本も立てている。

 

 続いて、海面に乱立する白骨の間をロープで飛び移る者達が、群れを成して迫ってくる。

 どいつもこいつも、ぼろっちいズボンを穿き、上半身が裸で剃り上げた頭からヘソまで真っ白に塗りたくっていた。得物は使い込まれた刀剣や錆の浮いた銃や得体のしれないクロスボウに原始的な骨製鈍器、それとやはり穂先に円筒物をつけた長竿。

 

 見るからにヤバい連中が、野蛮な雄叫びとトライバルロックを轟かせながら、一直線に迫ってくる様に、

 

「な、なんだこいつらぁ!?」

「知るかっ! 何でも良いっ! 向こうはやる気だっ! 撃て撃てっ! 撃ち殺せっ!」

 船長は慄く部下を叱咤し、海戦の号令を下した。

 

 砲弾の暴風がボートを吹き飛ばし、乗っていた白塗り蛮族を肉塊に変えていく。

 小銃弾の嵐が迫りくる蛮族達を次々と捉え、海へ撃ち落としていく。

 

 しかし、白塗り蛮族達は止まらない。むしろ戦闘騒音で一層興奮し、死傷する仲間の血を浴びて激しく猛り狂う。

 

「こいつら、イカレてんのかっ!? 死を恐れねェっ!?」

「かまいやしねェっ! 望み通りぶっ殺してやれっ!!」

 海賊達はグランドラインを航海してきただけあって、異様な敵に対して驚愕しつつも挫けない。必死に戦い続ける。

 

 ボートの群れはそんな海賊達の防御砲火に怯むことなく水面を激走し、海賊船に肉薄。白塗り蛮族達が船体に立てていた円筒物付き長竿を抜き、海賊船へ一斉に投げつけた。

 

 放たれた長竿の群れは放物線を描き、次々と海賊船の船体や甲板に降り注ぎ、爆音と共に鮮烈な紅蓮の華を咲かせる。

 

 海賊達が衝撃波に吹き飛ばされ、爆炎に巻かれ、激痛の悲鳴を上げた。

 予期せぬ爆発物攻撃に防御砲火が弱まったところへ、白塗り蛮族達が船上へ乗り込んでいく。

 白兵戦においても、白塗り蛮族達は異常な狂猛さを発揮した。自身が傷つこうが、仲間が死のうがお構いなし。トライバル・ロックに煽られ、奇怪な雄叫びを挙げながらトチ狂ったように得物を振り回し、海賊達を斃していく。

 

「がぁあああっ!! 舐めんじゃあねェ、野蛮人共がぁっ!」

 船長が得物のウォークラブに武装色の覇気をまとわせ、白塗り蛮族達を手当たり次第に撲殺し、船外に叩き落としていく。

「おぉっらぁああああっ!!」

 ひときわ大柄な蛮族野郎の右横っ面をぶち抜く、

 

 蛮族野郎の右眼窩が陥没骨折し、目からも鼻からも耳からも口からも大出血。損傷は脳にも及んでいるだろう。致命傷だ。

 それでも、蛮族野郎は斃れない。ふらつきながらもポケットから銀色の粉を取り出し、血塗れの口元に塗りたくった。

 瞬間、他の蛮族達が動きを止め、蛮族野郎の動きを注視する。何かを期待するような、熱狂的な眼差しを注ぐ。

 

「ウィットネス・ミーッ!!」

 蛮族野郎が血反吐を巻きながら雄叫びを挙げ、

『ウィットネースッ!!』

 周囲の蛮族共が大歓声を上げた。

 

「な、なんなんだ。テメェらはいったいなんなんだよぉっ!?」

 異様な事態に船長が怯んだ、その瞬間。

「ウィットネ―――――――スッ!!!!」

 蛮族野郎が船長に組み付き、嬉々として腰の爆発物を点火させた。

 

 船長の断末魔と爆発音が海域につんざき、肉片がまき散らされる中、

『ウィットネースッ!!』

 白塗り蛮族共が諸手を挙げて歓喜と熱狂の絶叫を轟かせる。

 

 海賊達は船長の凄惨な死に様と蛮族達の異常性に心折れ、抵抗を止めて膝を折った。戦いの勝利と略奪の成功に白塗り蛮族達が再び雄叫びを響かせ、狂騒的なトライバル・ロックがひときわ激しく掻き鳴らされた。

 

 

 

「なんだありゃ……たまげたなぁ」

 見聞色の覇気で一部始終を覗き見ていたベアトリーゼは、唖然として呟く。

「難所とは聞いてたけど、あんなのが住んでるとは聞いてないぞ」

 

「それ、報告出来る生還者が居なかったってことじゃない……」

 双眼鏡を下げ、端正な顔を真っ青にしたチレンが、化物トビウオライダーの前席に座るベアトリーゼへ提案する。

「迂回しましょ? ね? あそこは避けていきましょ?」

 

 ベアトリーゼは暗紫色の双眸を細め、小首を傾げた。

「あの爆炎の広がり方。火薬じゃないな。何だと思う?」

 

「多分、燃焼性の液体かガスの類だと思う」とチレンは白骨海域へ蒼い顔を向け「あそこで火薬の調達は難しそうだもの。動物性の油脂か腐敗物のメタンで焼夷弾を作ったんじゃないかしら」

 

「出来栄えはともかく量産品って感じだった。ボートや連中の着衣も規格化された趣がある。焼夷剤や衣類、小型船を製造、量産する技術と組織を備えてるんだ」

 ベアトリーゼはどこか研究者然とした目つきで白骨海域を見つめながら、物憂げに言葉を重ねていく。

「見た目ほど原始的じゃない。戦闘にも何らかの思想、いや信仰染みた教義が見受けられた。戦いで死ぬことを歓喜として受け入れるような、奴らの背景にはそういう社会教義がある」

 

「狂気に満ちた閉鎖社会ということね。ゾッとするわ」チレンが実に真っ当な感想をこぼす。

「文化人類学的には垂涎の調査対象だな。私は調べたいとは思わないけど」

 アンニュイな微苦笑をこぼし、ベアトリーゼは多眼式ヘルメットを被り直す。

「日が沈むまで待とう」

 

「迂回しないの?」

 チレンが咎めるように尋ねれば。

 

「連中は略奪に成功した。今夜は宴会を開くはず。その隙を突く」

 ベアトリーゼはこつこつとヘルメットの多眼を突いた。

「それに、暗視装備もある。夜はこっちが有利だよ」

 

 チレンは仰々しいほど大きく慨嘆を吐く。

「蛇穴に飛び込む気分だわ……」

 

     〇

 気流に乗って空を征く群島メルヴィユ。

 本島に築かれた“金獅子”シキの大御殿、その研究棟の一角。

 青色のモサモサパーマ頭にピエロ化粧を施したドクター・インディゴが、隔離室の分厚い防護ガラスの前で、主君たるシキへ身振り手振り――パントマイムを繰り広げている。

 

 帯同していた部下達はインディゴの意図が何一つ分からずポカンとしており、ピンクの毛並みとスーツを着こんだゴリラことシキの側近スカーレット隊長は、インディゴにアホを見るような目を向けている。

 

 で、肝心のシキは重厚な雰囲気を醸しつつ大きく口端を吊り上げ、

「なるほど……ぎっくり腰が治ってよかったねっ!!」

「全然伝わってねェし、俺ぁぎっくり腰じゃねェよっ!」

 インディゴが叫ぶ。

 

『結局しゃべったーっ!?』と部下達がお約束の反応を返し、スカーレット隊長が主と同僚にアホを見る目を向けていたが、シキとインディゴはどこか満足げ。

 

「で? ザパンは?」

「目の前にいますよ。シキの親分」

 インディゴは得意げに防護ガラスの向こう、隔離室の処置台に横たわる“それ”を指差した。

 部下達は“それ”をザパンと言われて呆気に取られ、理解が追いつくと、ぎょぎょっと目を剥いた。

 

「随分と見違えたじゃあねェか」

 シキは口髭を弄りながら、“それ”をじっくりと観察する。

 

 ザパンの容貌は中肉中背の平凡(メディコア)な男だった。

 だが、処置台に横たわる“それ”は、上背だけでも3メートルを超えるほど大柄で、筋肉がモリモリに積み重ねられていた。膂力の塊。そんな印象を抱かせる。

 全身が鈍色の光沢を放っており、よく見れば、細かな硬鱗が体表面を覆い尽くしている。まるで全ての皮膚を鎧にしたように。

 

 極めつけは顔だ。

 ザパンの顔は一枚板のようにのっぺりしており、顔というより安易な仮面みたいだった。

 

「どうなってやがる? S・I・Qをぶち込んだとは聞いてるが……」

「ええ。ええ。耐薬性と適性の高いザパン君には、通常のものに比べ、10倍に濃縮した特別なS・I・Qを投与可能なだけぶち込んでみました」

 主の疑問に答え、インディゴは凶暴な喜悦で顔を満たした。双眸を爛々と輝かせる。

 

「彼の“進化”は実に興味深い。あの体躯は外敵に対する物質的強度の優性確保から獲得したもの。あの皮膚は重傷を負ったことによる危機感と恐怖が堅い守りを欲求したと思われる。ここまでは珍しくもない進化形態ですが……あの顔っ!!」

 ピーロピロピロと喉を鳴らし、インディゴは言葉を編み続ける。子供が玩具を自慢するように。

 

「ザパン君の体を覆う鱗がガノイン鱗に対し、顔を覆っているものは一枚のコズミン鱗。非常に稠密なラメラ骨層を形成しており……しかも、しかもっ! この仮面状コズミン鱗の下には、分厚い脂肪層と筋肉層が高密度で積み上げられ、そこにザパン君本来の顔面構造は一切存在しないっ!!」

「つまり?」シキはインディゴの説明を面倒臭そうに聞き流し、要約を求める。

 

「ザパン君は自分の顔を取り戻せなかったのです、シキの親分。S・I・Qによる進化的治癒を用いてもっ! 代わりに、あの仮面が作り出された。分かりますかっ!? 顔を奪われたというトラウマが、顔を護りたい、顔を二度と奪われたくないという心理が、あの無貌を生んだのですっ!! ピーロピロピロッ!」

 饒舌に言葉を重ね続けるインディゴは、さながらピエロ顔の悪魔のようで。

 

「進化は本能的な必要性、環境適応、外敵への対抗手段などによって生じるっ! それが定説だったっ! しかし、ザパン君の無貌は、心理的要因が進化にも影響することを明確に示唆しているっ!! 実に興味深いっ!!」

 インディゴは防護ガラスに貼りつき、処置台上のザパンに熱烈な視線を注ぐ。

「まったくS・I・Qは素晴らしいっ!! どれほど研究しても、どれだけ実験しても、新たな発見があるっ!!」

 

 シキは顎髭を弄りながらザパンを見つめ、興奮の収まらぬインディゴへ淡白に問う。

「それで、こいつは使えンのか?」

 

「もちろんですともっ!」

 インディゴは表情筋の限界に挑むような笑みを浮かべた。子供が見たら、トラウマになっただろう。

「今のザパン君はエキサイティングなほどストロングですよ、シキの親分っ!!」

 

「ほぅ。そいつぁ面白れェじゃねェの」

 老いた大海賊は唇の両端を吊り上げ、

「出るぞっ! 島船を支度させろっ! ザパンの積み込みを急げっ!」

 獅子の二つ名に相応しい凶暴な目を隔離室内の怪物へ向け、悪党笑いを高々と響かせる。

「ベイビーちゃん達、驚くぞぉ……っ!!」

 

     〇

 

 月光が注ぐ夜の白骨海域。

 タジン鍋みたいな巨岩の麓に築かれている集落の広場では、巨大な焚火が煌々と夜空を焦がしていた。焚火の燃焼を促すようにトライバルロックが轟き、酒が入った男女の狂騒が響き渡る。

 

 男達も女達も老いも若きも幼きも、魚介を食らい、海獣の肉を食らい、海藻を食らい、自家造酒を呷り、狂乱的な音色に合わせて舞い踊っていた。勢いに任せて情交を始める男女も少なくない。

 

「どうしようもねえなあ、本当に……」

 ビッグ・タジンポットの中腹に築かれた洞窟城砦――彼らの言葉で言うところの“(チタデレ)”。その主である老人が私室のバルコニーから盛大に催されている狂宴を眺めて嘆く。

 逞しい上背と貫禄ある腹回り。荒々しく伸びた白髪。無数に走る傷痕と厳めしい皺。さながら老いたプロレスラーのようだ。

 

 老人の名はヒューマンガス・ジョー。

 誰が言ったか、白骨海域の偉大なる(ウォーロード)にして白塗り蛮族達のカリスマである。

 

「こんなはずじゃあなかったのになぁ……」

 ジョーは蚊の鳴き声のような小声でぼやく。

 

 若き日のジョーを乗せた貨客船が白骨海域で難破し、ジョーは生き延びた遭難者達と共に避難キャンプを作り、海域からの脱出と帰還を志していた。

 

 だが、過酷な気象と自然環境、閉鎖的な生活環境、限られた物資、人間関係の不和……こうした条件が重なった結果、遭難者の間で殺し合いが発生してしまい、如何なる星の巡り合わせか、ジョーが済し崩し的に『蝿の王』へ収まってしまったのだ。

 

 そして……今やジョーは蛮族集団の暴君にしてカルト宗教の教祖で、閉鎖的コミュニティのせせこましい経営者だ。

 

 イカレた野蛮人達(自分がテキトーに作ったインチキ宗教を妄信している憐れな者達)を従え、危険な海獣や海王類を狩り、時折迷い込む海賊船や商船を襲い、ハーレム(このイカレたコミュニティで生まれた女達と遭難してきた女達)を持ち、大勢の奴隷達(遭難者達だ)を働かせている。

 

 故郷に帰りたかっただけなのになー……ジョーは内心でぼやく。

 

 嘘である。

 せせこましい猿山であれ、ボス猿暮らしは楽しい。初老を迎えて勃起の塩梅が頼りなくなっていても、ハーレムの妾を更新していることがその証拠。

 

 つまるところ、ヒューマンガス・ジョーという人間は、性根が腐っていた奴が機会を得て地金を晒しただけだ。

 

 ジョーは倦み疲れた顔で眼下の光景を眺める。

 白骨海域は海産物が豊富な海だが、無制限にコミュニティを養えるほどではない。

 大海賊時代の到来で迷い込む“獲物”は増えていたが、コミュニティを豊かにするほどではない。

 乱交した結果、妊娠した者が急増しても、安全な出産も育児も確約されていないし、コミュニティは急激な人口増に対応できない。

 

 ジョーは私室に戻り、従卒に命じる。

「スプレンディドを呼べ」

 指導者として施政者として経営者として頭を悩ませることに面倒臭くなり、ジョーはお気に入りの若い妾の股に顔を埋め、溶けることにした。

 

 指導者は孫娘みたいな若い妾相手に腰振りエクササイズ中で、コミュニティはサバト染みた乱痴気騒ぎ。こんな状況で見張りが真面目に仕事するわけがない。

 どこの見張りも持ち場で酒盛りしていて、女を連れ込んで生ケツを晒している者も少なくなかった。

 

 ジョーの十数人いる倅達の末息子(ローティーンエイジャー)からして、お気に入りの娘を連れてビッグタジンポットの外れにしけこんでいた。月明りの下、娘と御飯事みたいな乳繰り合いをしている。

 

 

 乳繰り合いで陰部を怒張させた末息子が、娘に“おねだり”。

「口でしてくれ」

 娘は蠱惑な笑みを返し、末息子の股間に顔を埋める。

 

 股間から生じる肉悦に気を溶かしながら、末息子は月光を浴びる海を眺めた。

 

 猥雑に立ち並ぶ海王類や大海獣の骨の林。絡み合うように積み重なった骨で出来た礁。絶え間なく波に洗われる骨は磁器のように白く、月の光を浴びて輝いている。水面下に生い茂る海藻の密林内で、夜光虫達が艶めかしく蠢いていた。

 

 静かな海嘯と潮騒。広場から届く野蛮な喧騒と激しいトライバル・ロック。宴の騒ぎに混じった男女の獣染みた喘ぎと嬌声。

 そんなBGMを聞きながら、末息子はどこか超然とした美を持つ夜の白骨海域を眺めていると、水面から伸びる海王類の巨大な肋骨の陰で、何かが動いているような気がした。

 

 夜行性の海獣か魚だろうか。海面付近で飯でも探しているのか。あるいは、自分達と同じように子作りでもしてるのか。

 股間の芯で高まりを覚え、末息子が“発射”を意識した、刹那。

 

 全身の感覚が消失した。噴火寸前まで高まっていた熱と興奮と快感が一瞬で消え去り、幻想的な海は見えず、潮騒も喧噪も音曲も聞こえないし、何も臭わず、何も感じない。

 

 何が起きたのか何も分からぬまま、ジョーの末息子は意識を完全に失った。

 ジョーの末息子の股間に顔を埋めたまま、娘もまた意識を失っている。

 

 2人とも延髄を精確に貫かれ、自覚する暇もなく命を落としていた。

 

 ベアトリーゼは一瞬で2人の命を刈り取ったカランビットを鞘に戻し、多眼式ヘルメットの夜間暗視で周囲を窺う。覇気は気取られるかもしれないから、見聞色の覇気を使わない。

 

 歳若い少年少女を無慈悲に殺害しても、ベアトリーゼは全く動じない。呼吸も心拍も完全にフラット。顕微鏡を覗くような目つきで周囲の安全を確認後、歳若い二人の死体へ冷ややかに言った。

「せっかく良いとこに”見張り”を置いても、こう弛んでちゃあな」

 

 夜宴の騒ぎに乗じ、ベアトリーゼは白骨海域へ侵入。慎重に、静穏に、チレンを乗せた化物トビウオを進めていた。

 

 海域内の危険は骨の林や礁、海藻の密林だけでなく、捕食性の大型魚類や海獣の脅威に加え、白塗り蛮族共の監視網もあった。骨の林に築かれた監視塔。骨の礁に紛れた哨戒拠点。海藻の密林内に張られた鳴子や防潜網。

 幸い、見張り共は酔っ払っているか、“ハメて”いる最中で、掻い潜ることは難しくなかった。

 

 そうして、ベアトリーゼがビッグタジンポット傍を抜けようとした時、ここの“見張り”に足を止めざるを得なくなった。

 この“見張り”は監視網の絶妙な位置におり、発覚せずに突破は難しい。

 というわけで、排除した。

 

 ベアトリーゼは少年少女の死体を静かに海中へ捨て、海上で待機するチレンと化け物トビウオの許へ戻っていく。

 殺した少年が、この白骨海域の王の子だと知らずに。

 




Tips
白骨海域。
 オリ設定。元ネタは『砂ぼうず』に登場する『白骨都市』。
 資源採掘が終わった都市遺跡は『白骨都市』と呼ばれており、大半の白骨都市は居住に適さないため無人状態にあるが、一部は盗賊や無法者の拠点になっている。

白骨海域の蛮族。
 オリ設定。
 元ネタは『マッドマックス・怒りのデスロード』に出てくるヴィラン達。

  ヒューマンガス・ジョー
  オリキャラ。
  元ネタの由来はマッドマックス2の敵首領ヒューマンガスと、怒りのデスロードの敵首領イモータン・ジョー。

  白塗り蛮族
  オリキャラ。
  元ネタはイモータン・ジョーの信徒兼戦闘員『ウォーボーイズ』
  「ウィットネス」は彼らの死に際の合言葉。

やり過ぎた気がしないでもない。

ドクター・インディゴ。
 劇場版キャラ
 原作よりマッド具合が深刻になってしまった気がする。

 S・I・Q
 インディゴがI・Qなる植物から精製した恣意的進化促進薬。

スカーレット隊長
 劇場版キャラ。
 女好きのゴリラ。

ザパン
 オリキャラ。
 元ネタは銃夢の賞金稼ぎザパン。拙作でも悲惨な予感。


ベアトリーゼ。
 オリ主。
 白骨海域の野蛮人達が故郷の群盗山賊よりぶっ飛んでいることに呆れ気味。
 ただし、ヤバさは故郷の方が上。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

93:海底逃避行。

相馬小次郎さん、佐藤東沙さん、蜂蜜梅さん、黒狼@紅蓮団さん、NoSTRa!さん、末蔵 薄荷さん、ミックスさん、ほうかさん、誤字報告ありがとうございます。

久し振りにたくさんの誤字報告をいただきましたので、久し振りに記しておきますが、本文中の誤字脱字、誤用や誤謬は時に文章上の演出等を兼ねた意図的な場合もありますし、作中表現の作者なりの意図や考えがありますので、いただいた誤字報告を必ずしも適用しません。

ただ誤字報告自体はいつでも歓迎しております。お気軽に御指摘ください。


 朝日を浴びた波が銀光を煌めかせ、海鳥が一日の始まりを歌う。

 麦わらの一味がリトルガーデン島へ辿り着き、ルフィが冒険の匂いを嗅ぎ取って武者震いしている頃。

 

 白骨海域は相応に広い。

 慎重かつ隠密に歩みを進めれば、一夜で踏破することは難しい。

 

 そのため、白骨海域の海底。海藻の林床に化物トビウオが身を潜めていた。

 トビウオの傍らに完全密閉式のテントが据えられ、フルサイボーグ化トビウオの人造鰓に接続された循環機材が海中の溶存酸素を取り込み、テント内に高気圧かつ高酸素濃度の環境を作っていた。エッグヘッド印のハイテク機材だ。

 

 ベアトリーゼは保存食の味気ない朝飯を胃袋に詰め込み終え、不安顔のチレンを宥めるように言葉を紡いでいく。

「大丈夫だって。ここの海藻は複層樹冠(トリプルキャノピー)みたいなもんだ。海上から海底を見通すことは出来ないよ。それに、連中の集落の規模からみて、海域全体に目と手を配せるほど頭数は居ない。軍役適齢者はさらに少ないだろうし、いちいち潜水夫を出して海中捜索までしてられないさ」

 

「だといいけど……」

 チレンは渋面でエナジーバーを齧った。高負荷環境用の“燃料”が美味いはずもなく、オトナな美貌がしょぼくれる。

「……海底に居て、海獣とかに襲われない?」

 

「前にカームベルトで懲りてね。海楼石をトビウオの要所に配してある。海王類や海獣は気づかないと思う。問題があるとすれば……」

「すれば?」

 チレンの合いの手に、ベアトリーゼは小さく肩を竦めた。

「白骨海域を突破するまで、日中はこの閉鎖空間で飲み食いから排泄までしなきゃいけない。当然、風呂には入れないし、髪も顔も歯もろくに洗えない」

 

「……臭くなるのね」げんなり顔のチレン。

「前に地下の穴倉で長く過ごした時は、死人のケツより臭いって言われたよ」

 軽口に対し、心底嫌厭した顔を返したチレンに、ベアトリーゼはくすくすと笑う。

「ま、日が沈むまでのんびり待とう」

 

 

 ベアトリーゼが暢気に笑っていた頃。

 ビッグ・タジンポットの岸辺に年若い男女の骸が打ち上げられ、

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 老いた暴君の慟哭が轟いていた。

 

 頸椎を刺し抉られ、海水を吸って膨らんだ遺体に生前の面影はない。それでも、末息子の亡骸を抱きしめ、ヒューマンガス・ジョーが悲憤の慟哭を響かせ続ける。

 ジョーの子供達もまた父の慟哭に応え、非業の死を遂げた弟のために悲憤の怒号を挙げている。ジョーを現人神のように崇める住民達も怒り狂い、若くして命を落とした王の子のために涙する。

 奴隷達だけが密かに暗い愉悦を浮かべ、ざまあみろと嗜虐的な含み笑いをこぼしていた。

 

「誰だ……っ! 誰の仕業だっ!!」

 血走った眼でジョーは叫ぶ。

 

 医者……ではなく“生体整備士”が末息子の亡骸を機械でも弄るように調べ、言った。

「死亡時間は昨夜の……10時かそこらかな。海中に捨てられたのは死後。殺しの得物はカランビットだ。鉤爪みたいな形状の奴で、えらく切れ味が良い。それに下手人の腕も抜群だ。頭蓋骨と頸椎の接合点を真っ直ぐ貫いて、脊髄神経を完全に破断させてる。本人は殺されたことどころか、刺されたことにも気づかなかっただろーよ」

 

「ここにカランビットを使う奴は居ねェ」ジョーは充血した目で息子の亡骸を見下ろし「これほどの暗殺術を使える奴も」

「外から入った奴の仕業ってことか」長男が青筋を浮かべ「見張り共は何をしてやがった」

 

「俺の縄張りに侵入して、俺の息子を殺しやがった。許さねェ……っ!!」

 ジョーは大きな拳を握りしめ、

「そいつらの仲間がまだ居るのかもしれねェっ! 何をしても構わねェから情報を吐かせろっ!」

 奴隷達の一角――昨日、捕らえたばかりの海賊達を睨み据えてから、ヒグマのように咆哮した。

「総員出撃だっ!! 海域中をひっくり返してでも下手人を見つけ出せィッ!!」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』

 白塗り蛮族共が雄叫びで応え、慌ただしく捜索の準備が始められる。

 否。その様は捜索というよりも……

 狩りと呼ぶ方が正しかった。

 

       〇

 

 麦わら一味がリトルガーデン島に上陸し、冒険を始めた頃。

“金獅子”シキの自慢の島船――メルヴィユ島嶼群の小島に手を加え、帆や船楼等と獅子頭の船首飾りを施して仕立てられた船――が、風に乗って空を征く。

 

 操舵室では気象学者らが気流や天候をリアルタイムで調査し、精査し、安定した航路を選出している。

 なんたってグランドラインの天候は気まぐれ。シキの能力はあくまで浮揚であって、飛行ではない。風向と天候には過敏なほど気を使わねばならない。

 

 ただし、高速気流を捉えた時の島船は、恐るべき快速を誇る。

 

 旧日本軍の風船爆弾は理想的条件でジェット気流に乗った場合、凡そ5~60時間で太平洋約8000キロを横断し、アメリカ大陸西海岸に落着したという。

 この日の島船は、そんな風船爆弾に負けぬ速度を記録していた。

 

 3000メートル超の高度(富士山の山頂付近並みだ)と強烈な気流から、体感温度は低体温症に掛かりかねないほどだ。島船の甲板員達はもこもこした耐寒服を着こんで操船作業をしている。

 

「良い風だ」

 しかし、シキはいつも通りの豪奢な着物姿で船首に仁王立ちし、太い葉巻を燻らせていた。

 まぁ、激しい対気流のために葉巻の燃焼が進んでいたり、冷たい気流に晒されているため鳥肌が浮いていたり、身体が冷え込んできてトイレに行きたくなってきたりしていたが。

 伊達姿はやせ我慢で成り立つ。

 

「ベイビーちゃん達の位置は?」

「コイツが示すにゃあ……今はジャヤの北西……どうやら白骨海域の辺りでさぁ」

 傍らの船員が、抱えているウォードの箱みたいなガラス製運搬機の中を示す。

 

 いくらか精密な海図の上を、真っ赤な紙片が蠢いている。

 採血済みだったチレンの血液を含ませた、チレンのビブルカード片。そいつに魔女の婆さん染みた占い師がまじないを施せば、あらびっくり捜索追跡システムへ早変わり。

 海は広しと言えど、一部の者だけが知るメソッド。

 

「白骨海域か。厄介な所へ逃げ込みやがる」

 シキは短くなった葉巻を船外へ放り捨て、唇と口髭を大きく歪めた。

 白骨海域には若い頃に一度だけ踏み込んだことがあった。不安定な天候と難儀な地形にえらく苦労した覚えがある。

 

「チレン先生の入れ知恵でしょうな。島船やメルヴィユの長所短所を心得てらっしゃいますから。サイクロンやスーパーセルと出くわしちゃあ、ちと不味いですぜ」

 船員の上申を受け、シキは口元をへの字に曲げた。

「手前の能力のことは承知だ。オメェに言われるまでもねェ。それより計算としちゃあ、どれくらいの塩梅で追いつく?」

 

「今の船足なら、順調に行きゃあ……日暮れ頃じゃねェスかね」

「日暮れか……」

 シキはうーむと大きく唸る。

「何か問題がありますかい?」と船員。

 

「日暮れ時じゃあ、登場の仕方に気を使わねェといけねェだろ」

「なる、ほど?」

 船員は大親分の美学をさっぱり理解できなかったが、水を差すようなことも言わなかった。

 

 シキはぶるりと身を震わせ、くしゃみを一発。

「冷えちまったな。格好良い登場の仕方は熱燗をやりながら考えるとするか」

 

      〇

 

 リトルガーデンの密林で猛獣やら恐竜やらに出くわして興奮したり(主に武闘派の面々)怖がったり(主に非戦闘員系の面々)していた麦わら一味は、島の名の由来となった2人の巨人と出会い、100年に及ぶ壮大な決闘の話を聞き、感銘を受けていた。

 

 ウソップに至っては、巨人”赤鬼”ブロギーを師匠と呼ぶほど懐き、いつか巨人の国エルバフへ行くことを誓うほどだった。

 

 一方。白骨海域では……

海上(うえ)が随分と騒々しいな」

 睡眠を取っていたベアトリーゼはぱちりと目を開け、テントの屋根を仰いだ。

 水中は陸上より音が強く大きく伝播するため、海上の物々しい騒ぎがよく分かる。

 

「……また船が迷い込んで騒いでるとか?」釣られて目覚めたチレンも屋根の先――海上を想像しながら言った。

「ふむ」

 ベアトリーゼは細心の注意を払って見聞色の覇気を展開。同時に荷物の中から念波通信の傍聴能力を持つ黒電伝虫を取り出し、起動させた。

 

 見聞色の覇気で捉えた海上は……武装した白塗り蛮族達が小型ボートのツーマンセルで海域内を走り回り、フォーマンセルを組んだ蛮族共が骨の森の間を飛び回っていた。しかも、個々がデタラメに動いているのではなく、組織的に展開している。自分の知っているものと違うが……これは“山狩り”だ。

 

 ベアトリーゼは物憂げに眉をひそめた。

 侵入がバレた? 死体が見つかっちまったかな? だとしても、たかがガキ2人殺しただけで全軍挙げての大捜索? 反応が過剰すぎない?

 

 疑問の答えは黒電伝虫の盗聴内容が教えてくれた。

 蛮族共の通信内容をまとめると、蛮族共の首領ヒューマンガス・ジョーの末息子が恋人と共に殺害されたことで、部族総出の大捜索をしているという。昨日の襲撃した海賊の逃亡者だと思われているようで、捕らえられた海賊達はとばっちりで拷問されたらしい。まあ、そっちはどうでも良いが。

 

「あの子供達……見張りじゃなかったのでは? 恋人と逢瀬を楽しんでただけとか」

 チレンの指摘に、ベアトリーゼは目をパチクリさせて、しれっと宣う。

「紛らわしい場所にいたあいつらが悪い」

 

「誤解で子供を2人も殺したのよ?」チレンがベアトリーゼを睨む。

「未来のロクデナシが減っただけさ」

 ブラックすぎるユーモアで返し、ベアトリーゼはぼさぼさの髪を掻く。

「いっそ連中を全滅させちまっても良いけど……それはそれで、シキ達の耳目に引っ掛かりそうだしなぁ」

 

 天候が不安定な海域だ。積極的に襲ってくるかは向こう次第だが、捕捉されると面倒だ。

 やはりこのまま隠密裏に動いた方が良いだろう。強行突破を図って荷物(チレン)に被害が及んだら本末転倒だし。

 海域の面積と移動可能距離を凡そに暗算。それでも南西ルートより数日分は早い。

 

「予定通り、このまま夜を待つ。夜闇に乗じて移動。夜が明けたら潜伏。そうやってこの海域を出る。想定より時間は掛かるけど、それが最も安全かつ確実だね」

「……向こうは子供を殺されたのよ? 絶対に諦めないわ。海域を出ても追いかけてくる」

 チレンが険しい顔で非難するように言った。

 

「やけに噛みついてくるね」

 ベアトリーゼは暗紫色の瞳の温度を大きく下げ、チレンを見つめ返す。

「ジャヤでシキの手下共を皆殺しにした時は気にしなかったのに。連中だって誰かの息子で、誰かの親兄弟だったと思うけど?」

 

「それは」チレンは端正な顔をくしゃりと歪める。

 言葉に詰まるチレンから視線を切り、ベアトリーゼは再び横になった。

「いずれにせよ、今更だ。夜になるまでしっかり休んどきな。今夜の移動は昨日より神経を使うよ」

 

「……」

 チレンは胸元を撫で、大きく息を吐く。そこには家族の写真が収められていた。

 

 海上から伝わる喧噪はより激しくなっていく。

 今は息を潜めて夜を待つことしかできない。

 

     〇

 

 白骨海域で命懸けのかくれんぼが催されている頃。

 昼光が燦々と注ぐリトルガーデン島では、麦わら一味とバロックワークスの上級幹部(オフィサー・エージェント)達が激突していた。

 

 巨人“赤鬼”ブロギーと“青鬼”ドリーの気高い決闘を穢したバロックワークスに、男気を重んじるルフィとウソップがブチギレ。

 

 不意を突かれて捕らえられてしまったナミとゾロ……特にゾロは飄々と事態を窺いながらも、腹の底でブチギレ(最強に至ることを命懸けで志すゾロにとって、姑息な小悪党の不意打ちを許した自分に我慢ならない)。

 

 後に、上級幹部ミス・ゴールデンウィークこと写実画家マリアンヌは語る。

「全部ミスター3がわるい」

 

 全てはマリアンヌのパートナー、自称知的犯罪者であるドルドルの実の能力者ミスター・3ことギャルディーノが、“いつも通り”に慢心したことに起因する。

 具体的には、姑息な手法で麦わら一味と巨人を捕らえた後、さっさと始末すれば良いものを『作品作りを始めるガネ!』と言い出した。

 これが圧倒的優勢から逆転サヨナラ負けする始まりだった。

 

 捕らえたゾロ達を蝋で固めるという悪趣味な作品作りをしているところへ、撃破したはずのルフィとウソップとカルーが乱入。暴れまくる2人と1匹に散々してやられ、ついには――

 

「三刀流……焼、鬼、斬りっ!!」

 ゾロが爆弾男ミスター・5ことジェムをぶった切り、

 

「クジャッキー・スラッシャーッ!!」「御返しよっ!!」

 ビビの刃鞭とナミの長棍が、キロキロの実の能力者ミス・バレンタインことミキータをぶっ飛ばし、

 

「ゴムゴムのぉ~スタンプッ!!」

 ルフィがキャンドル人間のギャルディーノをぶちのめし、

 

「クェエエエエエエエエエエッ!!」

 怒れる超カルガモのカルーがミス・ゴールデンウィークことマリアンヌをド突き回してノックアウト。

 

 試合終了。

 

 そして、独り事態を与り知らぬサンジは、密林内でミスター・3の隠れ家を見つけ、偶然かかってきた電伝虫の通信を良い塩梅に誤魔化しつつ、怪しげなラッコとトリをぶちのめした。

 

「ルフィ達は殺しても死なねェだろうが……ナミさんとビビちゃんは何としても俺がお守りせねばっ!! 待っててねェ、ナミすわぁん、ビビちゃあんっ!!」

 通信を切り、サンジは不埒な決意を胸に隠れ家から密林内へ飛び出す。出掛けに見つけた永久指針をポケットへ突っ込むことも忘れない。

 

 事態が既に終わったことを、サンジはまだ知らなかった。

 戦いが終わったリトルガーデンを、優しい夕日が包む。

 

      〇

 

 日没に合わせてベアトリーゼが行動を起こそうとした矢先のこと。

 白骨海域の天候が崩れだした。

 

 ぼちゃんぼちゃんと大粒の雨滴が水面を叩き始めたと思えば、あっという間にバケツをひっくり返したような大雨に化けた。

 海域内の波も荒れだし、海中も水面近くは大きく揺さぶられる、が深くなればなるほど、雨や荒波の影響を受けない。

 ただし、ビッグ・タジンポット付近は雨で土砂が海へ流れ込み、水中が濁り始めている。

 

 ベアトリーゼは思案する。

 この荒天なら捜索の目は大きく鈍る。夜闇と嵐に紛れて一気に海上を駆けるか。でも、海王類の骨やらなんやら障害物だらけの海域だ。時化の具合によっては、思ったより速度を出せないかも。

「穏やかな海底を進んだ方が良いかな。速度は出せないけど、確実に距離を稼げる」

 

「私の装備で大丈夫なの?」と不安げなチレン。

 水中呼吸器を装着したベアトリーゼの近未来的な潜水服と異なり、チレンの潜水装備はジャヤの盗品市場で調達したバッタもんの潜水具だ。ベアトリーゼが臨機応変と創意工夫で化物トビウオの鰓を通じて溶存酸素を供給できるよう改造してあるが、いろいろ問題が多い。

 

 諸々の問題の中で最大の問題は、ベアトリーゼの近未来チックな装備と違い、チレンの装備は呼吸用空気の窒素が体内溶解する問題――いわゆる潜水病のリスクを解決できていないことだ。

 長時間の海中行動はチレンの体に危険を及ぼす。であるからこそ、初日のように夜闇に紛れて海上移動を予定していたのだが。

 

「移動後にテント内の気圧と酸素濃度を高くすれば、症状を緩和できる。大丈夫。無理はしないよ」

「今まさに無理してる真っ最中でしょ」

 チレンのシニカルな正論パンチに肩を竦め、ベアトリーゼは支度を整える。

 

 海中で器用にテントと荷物を撤収し、チレンと荷物を小型鯨ほどもあるトビウオライダーに乗せ、自身が先導する形で進発。

 

 海底潜航の始まり。

 

 風雨で荒れる海上に反比例し、海底は静謐で静穏だ。海棲生物達が海藻や礁などの陰で身を休めている。昼行性のものは寝息を立て、夜行性のものは海上の荒天に気を揉んでいるようだ。

 

 ベアトリーゼは見聞色の覇気を駆使し、慎重に真っ暗な海底を進む。ハミを握った厩務員が馬を連れ歩くようにトビウオライダーを誘導していく。

 

 自身と化け物トビウオが繁茂する海藻に絡めとられないよう注意しながら。

 

 海藻に紛れて仕掛けられている鳴子のロープや防潜網に注意しながら。

 

 カオス論的に並ぶ骨の林や礁による難解な流れに注意しながら。

 

 時折やってくる捕食性の海棲生物に注意しながら。

 

 神経をすり減らすような隠密移動。ヘルメットの中もライダースーツ染みたタイトな潜水服の中も、たちまち汗塗れ。熱を持った自分の呼気と発汗の蒸気に不快な暑さを覚えるも、我慢。渇きを訴える身体の声を無視。黙々と海底を進む。

 

 海上は騒々しい。降り注ぐ雨。荒れる波。それに、荒天の中でも捜索を継続する野蛮人共の喧噪。

 

 ちらりと頭上を仰ぎ見て、ベアトリーゼは嘲るように鼻を鳴らす。

 昼夜ぶっ通しで悪天候でもお構いなし。遭難の可能性を完全に無視か。こりゃ恨まれたもんだ。そして、暴君の無茶振りに不満もなく応える兵隊共。調教が行き届いているな。

 

 海上の騒音を聞きながら、ベアトリーゼは赤黒ヨシムラカラーのサイボーグトビウオと共に少しずつ、だが、着実に海底を進み続け――

 時計の短針が日をまたいだ頃。

 

 

 どかぁああんっ!!

 

 

 唐突に轟音――海中を高速伝播した音の高圧力波と称すべき衝撃が襲ってきた。

 

 予期せぬ轟音の一撃に、チレンが悲鳴を上げて頭を抱え込み、ベアトリーゼはいきなり聴覚を痛めつけられて眉目を吊り上げた。

「クソっ! 今のはなんだっ!?」

 

 見聞色の覇気の展開外からだった。ベアトリーゼが警戒心を全開にしつつ展開域を広げ、知覚した光景に息を呑む。

「―――っ!」

 

 嵐の夜空に浮かぶ奇怪な帆船。

 その船首飾りは厳めしい獅子頭。海賊旗は舵輪とタテガミの髑髏。

 

 金獅子のシキ、推参。




Tips
リトルガーデン。
 原作設定。
 2人の巨人が100年に渡って決闘を続けている小島。
 時の流れが隔絶したような島で、恐竜やらアンモナイトやら他の地域や海域では絶滅した生態系が今も生きている。

バロックワークスの皆さん。
 原作キャラ。
 ウイスキーピークに続いてナレーションで退場。
 特に触れる理由もないし……

巨人のお二人。
 原作キャラ。
 特に触れられることもなく……

シキ
 劇場版キャラ。
 追いついた。

 血を含ませたビブルカードによる捜索追跡。
 オリ設定。
 居所を特定できた理由を忘れていたため、苦肉の設定。
 テキトーで申し訳ない。

ベアトリーゼ
 オリ主。
 追いつかれた。 

チレン
 敵とはいえ子供の死に思うところがある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

94:金獅子は嵐夜に嗤う

すぷりんぐさん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 少しだけ時計の針を戻す。

 嵐が吹き荒れる深夜の白骨海域。

「時化に巻かれた時はちっと焦っちまったが……風に乗っちまえば嵐だろうと関係ねェ。ジハハハハッ!!」

 暴風雨の夜空に傲然と浮かぶ島船。その船首に立った金獅子のシキが高笑いを響かせる。暴風雨に晒された長い金髪が濡れそぼりながらも乱れ、鶏冠のように頭へ刺さっている舵輪に絡まっていたが、誰も指摘しない。

 

「それで――」

 シキは荒れ狂う真夜中の海に展開する白塗り蛮族達を睥睨し、片眉を上げた。

「あのイカした連中はなんだ?」

 

「この辺りの原住民みてェですが……情報はありません」と船員も首を傾げる。

「昔、ここへ来た時ゃあ、あんな連中は居なかったが……まぁいい。チレンとベイビーちゃんはここに居る。奴らが知って……」

 シキが『――るなら聞き出すか』と続けようとした矢先。

 

 眼下の白塗り蛮族共がボートや林立する白骨の上から、錆びた銃や怪しげな弩などを撃ち始めた。攻撃は島船に届かず、仮に届いても無意味だったが、その小賢しい敵意はシキの不興を買う。

 

「おうおう……元気が有り余ってるみてェだな」

 乱れた金髪を撫でつけながら、シキは船員達へ冷徹に告げた。

「挨拶を返してやれ」

 

『アイアイサーッ!』

 船員達が獰猛に応じ、島船の両舷砲列が慌ただしく準備を進めていく。各砲の班長達が音頭を取り、砲兵達が艦砲のケツにある砲尾開閉器を開け、弾頭と炸薬を装填して固く締める。照準手がハンドルをグルグル回して最大俯角を取り、砲口を眼下の蛮族共へ向けた。

「全砲、斉射ぁっ!!」

 砲術長の号令が下り、全砲の激発縄が引かれ、獅子頭の船首飾りを持つ島船が咆哮を轟かせた。

 

      〇

 

 シキは意図していなかったが……島船の斉射砲撃は、海底を密やかに進んでいたベアトリーゼ達に効果絶大だった。

 なんせ水中爆発の衝撃波と音波の伝播は強く激しい。

 

 海底に忍んでいたベアトリーゼ達は、強烈な衝撃と音の圧力波に内臓と感覚器官を打ちのめされた。さながら、ダイナマイト漁に晒された魚のように。

 

 ベアトリーゼは多眼式ヘルメット内で高圧力波のダメージに顔をしかめながら、頭上を見上げた。

「あの野郎、どうやって私達のルートを特定しやがった? チレンのビブルカードか?」

「多分」高圧力波に目を回しながら、チレンが呻く。「ど、どうするの? あんなの耐えられないわ」

 

 ベアトリーゼは返答に詰まる。

 爆撃を避けて海上に出れば、シキとこの海域の蛮族に捕捉され、嵐の中を鬼ごっこ。

 このまま海中に潜めば、爆撃で圧し潰されかねない。少なくとも、チレンがもたない。

 

 どちらが正解かは分からない。それでも、ベアトリーゼは即断する。

「探りを入れている間はまだ大丈夫。それに、この状況なら多少雑に動いても、海中なら海獣や魚と区別がつかない。奴らがじゃれ合っている今のうちにズラかろう」

 

 スパルタンにサイボーグ化されたトビウオライダーに乗り、ベアトリーゼはチレンに言った。

「行くぞ。しっかり掴まってろよ」

 

      〇

 

 船楼やマストなどが施された岩塊が嵐の空に浮かんでいる。

 

 想定外の闖入者に、ヒューマンガス・ジョーは戸惑いを隠せない。

 むろん、長年に渡って『蝿の王』を演じてきただけあって、衆目の前で取り乱したりはしなかったが、それでも思わず目元を擦って二度見するくらいには、驚愕と困惑を覚えていた。

 

 そして、嵐の夜空に浮かぶ岩船から砲撃を受けた今、こちらが圧倒的に不利という事態を理解しており、強烈な危機感を抱いている。

 どうする。退くか。しかし、王としてのメンツが……

 

 ジョーが判断に苦心しているところへ、

「ジハハハハッ!」

 空に浮かぶ奇怪な船が高度を下げてきて、獅子頭像が飾られた船首から豪快な笑い声が注ぐ。ジョーが久しく聞くことのなかった嘲りの嗤い声が。

 

 容貌”怪奇”な老人が船首に立つ。

 老いを感じない立派な体躯を黒と金のゆったりした着物で包み、両足に剥き身の刃という物騒な義足を装着している。それにどういう訳か、禿頭に舵輪が生えていた。

 

「俺は金獅子のシキッ! じきにこの海を支配する海賊だっ!」

 金獅子と称する男は風雨の騒音を蹴り飛ばすような堂々たる名乗りを上げ、ジョー達を睥睨する。口元に嘲笑を湛えながら。

「でェ……? そちらさんはどこのどちらさんだ?」

 

「控えろ、下郎っ!!」ジョーの部下が叫ぶ。「こちらにおわすは、この白き骸の海に君臨する最強の王、無灯の世を照らすアヤトラ、ヒューマンガス・ジョー様ぞっ!!」

 ででんと紹介され、ジョーは反射的に威厳たっぷりの仁王立ちを披露する。骨身に染み付いた演技力である。

 

「随分と立派な肩書を持ってやがるじゃねェかっ! ええ、おいっ!」

 シキはげらげらと嘲り笑う。海賊として長く生きてきた男にしてみれば、ジョー程度の存在など猿山のボス猿に過ぎず、メッキの重ね貼り具合に失笑を禁じ得ない。

 

 しかし、白塗り蛮族達は王と仰ぐジョーを侮られて即座に激昂し、殺意をぶちまけた。額に青筋を浮かべ、眉目を吊り上げ、得物を握る手に力がこもる。

 

「ほぅ、良く仕込んでるじゃねェの」シキはジョーをねめつけて「そういきり立つんじゃねェよ。テメェらに用はねェんだ」

「……ならば、如何なる目的で我が海を侵したのだ、海賊」

 ジョーが厳格な調子で質せば、シキはニヤニヤと顎先を撫でながら応じる。

「俺が探してるベイビーちゃん達がテメェらの縄張りにお邪魔してるようでな。何か知ってるなら、教えてくれっと助かるぜ」

 

「我が海に侵入者が……っ!?」

 ハッとジョーは気づく。悲憤のあまり鼻血を吹き出しながら怨嗟を吐く。

「そいつらか。そいつらが息子を。俺の息子をぉ……っ!!」

 

「あーん? テメェらもベイビーちゃん達に用事か? どんな事情があるか知らねェが、ベイビーちゃん達のガラはこっちのもんだ。テメェらは手を引け……っ!」

 シキは威圧するべく覇王色の覇気を発する。

 

 が、なんと白塗り蛮族共は誰一人として昏倒しない。

 当然と言えば当然だ。白塗り蛮族達は死を恐れない。死に怯まない。むしろ戦いの中で死ぬことはこれ以上ない誉であり、歓びである。そんな連中が覇王色の覇気を浴びたところで、強敵と認識し、栄光の死を予感して悦に入るだけだ。

 

 そして、唯一昏倒しそうな人物だったジョーにしても、覇王色の覇気に屈しないほどブチギレていた。

「失せろ、海賊……っ! いつもならば狩り殺すところだが、此度は見逃してやる」

 

「歌うじゃねェか」

 シキは笑みを消し、獲物を前にした獅子のような殺気を放つ。

「俺とテメェ、どっちが強ェか分からねェわけじゃあるまい?」

 

「貴様こそ、此処が誰の海か分かっておらんな」

 ジョーが大きく手を振るや否や、ビッグ・タジンポットの中腹から強烈な閃光が放たれ、一拍遅れて落雷染みた轟音が海に響き渡る。

 

「! チィッ!!」

 シキは即座にフワフワの能力を強め、島船を急上昇させた。直後、船体の下を巨大な質量が通過し、海に着水。

 

 夜闇を吹き飛ばすような爆炎の大輪が咲き、巨大な水柱が嵐の空高くに立ち昇る。

 爆発の衝撃波で島船が激しく揺さぶられる中、シキは舌打ちした。

 

 砲弾と爆発の規模から察して、かなり大口径の重砲。しかも、一門だけじゃねェ。俺自身だけならどうってこたぁねェが、島船にゃあ厳しい。

 なるほど。奥の手はあるってわけだ。猿じゃなく古狸だったか。

 

「この嵐の中、その“風船モドキ”で我らに勝てると思うなっ!」

 ジョーもまた、島船の回避運動から察した。見た目ほどに機動性は高くなく、挙動が気象条件にかなり影響されるようだ、と。これなら、やりようはある。

 

「ジハハハハハッ!!!!」

 シキは獰猛に哄笑した。

「面白れェっ! ジョーとか言ったか。ベイビーちゃん達を捕らえるのは俺が先か、テメェが先か、ゲームといこうじゃねェか」

 

「死にたいなら望みを叶えてやるぞ、海賊。侵入者共々、生皮を剥いで敷物にしてやる」

 ジョーは受けて立った。

 

 

 

 

 刹那。

 

 

 

 

 水面から半ば突き出している海王類の頭蓋骨の傍らから、怪魚が勢いよく浮上した。

 怪魚の背に乗っていた二人組の女が、もがくようにヘルメットのバイザーを開け、風雨の叫び声を掻き消すように、

「「おええええええええええっ!!」」

 盛大に吐いた。

 

 シキとジョーと島船の船員達と白塗り蛮族共が、思わず目を瞬かせた。

 

 ビッグ・タジンポットの重砲から放たれた大口径榴弾は、結果として海底に潜んでいたベアトリーゼ達を激烈な高圧力波と猛烈な突発性激流で散々に痛めつけていた。そのダメージたるや、チレンはもちろんベアトリーゼすら嘔吐してしまったほどである。

 

 シキが腹を抱えて爆笑する。

「ジハハハハハハハッ!! 予想外の展開が続きやがるっ!」

 

 ジョーが顔貌を憤怒に染めて絶叫した。

「奴らか。奴らが、俺の息子をっ! 俺の息子をぉ殺しやがったクソ侵入者かぁああっ!」

 

 空で嗤う爺様と水面で怒れる爺様に気付き、ベアトリーゼはヨレた頭を振って無理やり意識をクリアにし、胃液臭い唾を吐き捨てる。

「夜中にボカスカ撃ちまくりやがって……っ! お魚さん達と私達に迷惑なんだよっ!!」

 

 ズレた啖呵に耳朶を打たれ、意識が飛びかけていたチレンが遅れて周囲の状況に気付く。

 島船の船首で金獅子のシキが残響を引くほど高笑いしており、白塗り蛮族達の首領らしき老人が貧血を起こしかけるほど激昂していた。

「? ? ? なんなのこの混沌とした状況はっ!?」

 

 そんな困惑と混乱に目を回すチレンへ、

「チレン。俺の下に戻れ。今なら諸々を不問にしてやる」

 シキが冷酷な眼差しを注ぎ、次いで、ベアトリーゼに通告する。

「それと、小麦肌が魅力的なベイビーちゃんよ。俺の配下になれ。それなら、俺の手下達を手に掛けた件を大目に見てやろう」

 

 ベアトリーゼは片眉を上げ、肩越しに背後のチレンと目を合わせる。

 2人の美女は大きく頷き、揃ってシキへ向かって中指を立てた。

「おとといきやがれ」「地獄に落ちろ」

 

「こりゃこっぴどくフラれちまったなぁっ!!」

 シキはゲラゲラと笑い、獰猛に眉目を吊り上げた。

「まあ、お前らの意向なんかハナからどうでも良い。欲しいもんは力づくで分捕るのが海賊の流儀。美女なら尚のこったっ!」

 

 と、立ち眩みから回復したジョーが絶叫した。

「今すぐ奴らを殺せえっ!! 皆殺しだああああああっ!!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』

 嵐の音色を蹴飛ばすように吠え、白塗り蛮族共がベアトリーゼ達へ向かって襲い掛かり、

 

「めんどくせーなっ!!」

 ベアトリーゼは即座にフルサイボーグ・スーパートビウオライダーを発進させ、

 

「ゲームスタートだッ!」

 シキが島船を動かし始めた。

 

 かくて嵐の夜に狩猟遊戯(ハンティングパーティ)、開始。

 

       〇

 

 この夜、リトルガーデン島は賑やかだった。

 原作考察において、リトルガーデンの出来事は半日足らずのこと。麦わら一味は事件が片付いたら、てきぱきと発っている。

 しかし、この世界線においては、事の決着がついた時分、日が沈み始めていた。よって、戦闘後の休息も兼ね、リトルガーデンで一泊して翌朝に発つことになった。

 

 となれば、麦わら一味に宴を開かぬ道理無し。

 赤鬼ブロギーと奇跡的に命があったドリーを交えての大宴会である。

 

「オラァッ! たらふく食いやがれっ!!」

 大食らいのルフィに加えて、巨人が2人。鉄火場に参加できなかった鬱憤晴らしを兼ね、サンジが思う存分腕を振るう。

 

「肉だ――――ッ!!」

 恐竜の肉塊に被りつくルフィ。

「ガバババッ! 食いっぷりは俺達並みだな、チビ人間ッ!!」

「ゲギャギャギャッ! 今度の酒は爆発しねェだろうなッ!?」

 ブロギーとドリーは上機嫌で饗応され、冒険の話をねだるルフィとウソップに語って聞かせる。

 

「……食材はともかく、お酒は底を突きそうね」

「酒が無くなるのは困るな……」

 物資の在庫を思い溜息を吐くナミ。酒瓶を傾けながら唸るゾロ。

 

「足をざっくり切ったのに、何で平気で食事できるの?」

 そんなゾロに呆れ顔のビビ。隣でカルーが一心不乱に餌を食っている。

 

 夜が更け、戦いの傷と疲れからか、野郎共とカルーがぐーすかと寝入り、ナミとビビはサンジが淹れた紅茶を嗜む。

「アラバスタではミルクで煮出したものと、ミントと混ぜたものが主流なの。王宮では前者がよく飲まれていたけれど、私は後者も好きよ」

 カップを両手で包み持つビビが懐かしそうに語る。

「ビビちゃんの国の喫茶文化か。面白そうだ」と料理人らしい興味を示すサンジ。

 

 2人のやり取りを、特にビビの様子を窺い、ナミは瞑目して少し考え込み、決断する。

「……見せたいものがあるの。二日前のものよ」

 ナミは懐から取り出した新聞をビビに渡す。

「船の速度は変えられない。不安にさせるよりはと思っていたけれど……知っておくべきよね」

 

 ビビは受け取った紙面に目を通し、端正な顔から血の気を引かせた。

「――!? アラバスタの地方都市で本格交戦!? そんな、これじゃ国中で……」

 

「そうよ。アラバスタのあちこちでアラワサゴ紛争と同じことが、いえ、もっと酷いことが起きるわ」

「!!」戦慄するビビ。

 

「アラワサゴ? ……いつだったかそんな名前が新聞に載っていたような」

 グルグル眉毛を挙げて訝るサンジへ、ナミが言葉少なに語る。

「イーストで戦争が起きた島よ。規模は小さかったけど……両軍が捕虜殺しをしたり、近隣の島で虐殺が起きたり、酷いものだったわ」

 

「それはまた……そのアラワサゴよりヒデェとなると……」

 顔を強張らせつつ、サンジがビビの様子を窺えば。

 

「何としても阻止しなきゃ……クロコダイルに国を乗っ取られるどころじゃない。一刻も早く帰らなきゃ、間に合わなかったら、100万人の国民同士が殺し合う大惨劇が起きちゃう」

 ビビは新聞をぐしゃりと握り潰し、恐ろしい未来への不安と苦悩と使命感の重圧に、今にも泣きそうだった。

 

「大丈夫。大丈夫よ、ビビ」

 ナミがビビの肩を抱く。かつて母が自分にしてくれたように優しく。自分を支え続けてくれた姉のように力強く。頼もしい野蛮人がいつもそうだったように自信をたっぷり込めて。

「サンジ君が手に入れたアラバスタ行きの永久指針があるもの。私が絶対に間に合わせてみせるわ」

 

 緊張の糸が切れたのか、ビビは無言でナミに強く抱きつく。ナミがその背をあやすように撫でる。

 

 しんみりした雰囲気の中、サンジは腰を上げた。いつもの軽佻浮薄振りが欠片もない爽やかな微笑みを添えて。

「茶請けを用意するよ。元気が出るような甘いやつをね」

 

「あいつらには内緒で」

 ナミはぐーすかとイビキを掻く野郎共と一匹に向け、悪戯っぽく口端を和らげた。

 2人のいたわりに釣られ、ビビも笑みを浮かべる。

 

 リトルガーデンの夜は優しく更けていく。

 

      〇

 

 白骨海域の深夜。横殴りの暴風雨に加え、砲煙弾雨が吹き荒れる。

 ベアトリーゼとチレンの尻を追い、上空から金獅子の島船が銃砲を撃ち、殺気立った白塗り蛮族達が荒波を駆けていた。

 

 無数の障害物と荒れ狂う波に加え、砲弾と爆弾槍の爆発が水柱を乱立させる。頭上と背後から銃弾と矢箭の群れが絶え間なく降り注ぐ。爆炎の華が咲き乱れ、曳光弾と火矢が波間を跳ね踊る。

 危険は海上障害物と荒波と銃砲弾だけではない。暴れる海面下には骨の礁や海藻の密林が潜んでいる。

 

 ベアトリーゼは化物トビウオの背にしがみ付くような深い前傾姿勢を取り、雨と波と水飛沫に視界を遮られながら、障害物だらけの海を能う限りの速度で駆け抜けていく。

 

 降り注ぐ銃砲弾と矢玉を避けるため、乱立する白骨の林間を縫うように走り、荒々しく波打つ水面を滑るように飛び、鞍上で姿勢を動かして荷重を制御し、爆薬の炸裂によって生じる衝撃波と水柱をいなす。

 

 GPライダーさながらにトビウオを深く傾斜させ、膝だけでなく肘まで海面に擦らせて急旋回し。

 

 モトクロスライダーさながらにトビウオを跳躍させ、水飛沫を曳きながら障害物を飛び越え。

 

 対艦攻撃に臨む雷撃機のように水面スレスレを飛翔し、トビウオを横滑りさせて銃砲弾の群れを避け。

 

 防御弾幕へ飛び込む急降下爆撃機のようにトビウオをロール運動させ、銃砲弾の群れを掻い潜り。

 

 大胆にして豪快な疾走疾駆に対し、操縦――スロットルワークと重心移動の荷重制御は緻密にして繊細。限界まで集中しているため、暗紫色の瞳が瞬きを忘れて久しい。

 後席でベアトリーゼにしがみ付くチレンは、怖すぎて涙も出なかったし、悲鳴も上げられなかった。

 

 舞うように駆け、踊るように飛ぶ赤黒トビウオライダー。

「逃がしゃあしねェぜ、ベイビーちゃんっ!!」

 空から砲声に混じって金獅子の高笑いが降ってくる。

 

「殺せぃ殺せぃっ! 奴ばら共を皆殺せぃっ!!」

『おおおぉおおおおおおっ!!』

 背後から爆発音に混じってジョーの怒号と白塗り蛮族の咆哮が届いてくる。

 

「”荷物”が無けりゃ返り討ちにしてやるのに」

 ベアトリーゼが毒づいた直後。

 

 ビッグ・タジンポットの中腹でキラキラと鋭い閃光がいくつか煌めいた。

 

“城”の砲列群が放った大型砲弾が嵐を掻き分け、砲撃標定区画D9――ベアトリーゼが飛び込んだ辺りへ降り注ぐ。

「!? 誘いこまれた!?」

 ベアトリーゼが咄嗟に退避運動を試みるより早く、嵐の夜空と水面に爆発の大輪が咲き乱れる。

 

 重砲の大口径砲弾の至近爆発により、ベアトリーゼとチレンを乗せたトビウオライダーは軽々とふっ飛ばされ、荒れ狂う波に飲まれた。

 

「やってくれるじゃねえか、古狸ッ!」

 シキを乗せた島船もまた、衝撃波と爆風に煽られて大きく傾ぐ。

 そこへ嵐の暴風が襲い掛かり、姿勢を崩した島船はたちまち高度を失って海面間近まで降下。船底が着水し、大きな水飛沫を巻き上げる。

 

 好機とばかりに白塗り蛮族達が鉤縄を投げ、島船に取りついていく。敵の敵は別の敵というわけだ。

 

 海賊と蛮族が繰り広げる死闘。

 そこに蛮姫の姿は、無い。




Tips

金獅子のシキ
 劇場版キャラ。
 久々の鉄火場と深夜のテンションで笑いまくりのレジェンド海賊。

ヒューマンガス・ジョー
 オリキャラ。
 海賊界のレジェンド相手にも一歩も引かない蛮族の大首領。

麦わら一味。
 原作では数時間だけ滞在だったが、拙作ではリトルガーデンに一泊した。当然、宴会も開く。

ベアトリーゼ
 オリ主。
 ゲロ吐きヒロイン(25歳:独身)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

95:誰も彼も予定通りにいかない。

しゅうこつさん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 夜が明けた白骨海域は夜の嵐が嘘のように穏やかで静かだった。

 

 島船の船首から海を眺めるシキへ、部下が報告する。

「人的被害は思ったほどじゃあねェです。死亡4、負傷15。うち9人はすぐに復帰可能でさぁ。ただ、船体の損傷が不味いっスね。応急修理を進めてますが、操舵翼がかなりやられちまってるんで、今度デカい嵐に出くわすと……」

 

「対応できねェか。やってくれるぜ、あの古狸野郎」

 ジハハハとシキは喉を鳴らし、白骨海域内にそびえ立つタジン鍋染みた大岩塊を窺う。

 

 狂乱的な昨夜。白塗り蛮族達は高度を下げた島船に乗り込んできて、シキの部下達と交戦した。

 死を恐れるどころか、むしろ嬉々として死を受け容れる白塗り蛮族達に、部下達は動揺。結果的にシキ自らが乗り込んできた白塗り蛮族達を一蹴したが……その際、少なくない数の蛮族達が『ウィットネースッ!』と気勢を上げ、自爆した。

 おかげで自慢の島船はあちこち損傷している。

 

 シキは太い葉巻をくわえ、紫煙と共にぼやきをこぼす。

「野蛮人の群れじゃなく、狂信者の群れだったとはな。よくまあ、あそこまで仕込めたもんだ」

 

「向こうの頭数はそれなりに減ったでしょーから、根城の制圧は難しくないかと。やりますかい?」

 部下が溜息交じりに提案するも、シキは葉巻を吹かしながら首を横に振る。

「しねェよ。狂信者共の巣窟だぞ。最悪、あの大岩ごと自爆しかねねェ。やるなら制圧じゃなく殲滅。それから金目のもんの回収だが……それもそれで面倒臭ェぞ、絶対」

 

「たしかに」部下は素直に頷く。何事も命あっての物種だ。

「ともかく船体の修理を急げ。天気が荒れだす前に動くぞ」

 大親分の言葉に、部下は目をパチクリさせた。

「チレン先生達がまだ生きてるとお考えで?」

 ビッグ・タジンポットの重砲群の斉射で、あの化け物トビウオがふっ飛ばされる様を目撃した者は少なくない。あれで死んじまったのではないか?

 

 しかし、シキは部下の懸念を鼻で笑い飛ばした。

「あのベイビーちゃんは、あれくれェで死ぬような可愛いタマじゃねェよ」

 

「はぁ……そういうもんですかね」

 部下はぽりぽりとこめかみを掻き、話を進めた。

「それで、大親分。ザパンのやつぁどうしますかい?」

 

「ふむ……連れてきたは良いが、存外に投入の機会がねェな。狂信者共相手に試しても良いが……チレンとベイビーちゃんをびっくり仰天させたい気もする……」

 シキは工場の煙突みたいに大量の紫煙を吐き、頷く。

「様子見だな。それに」

 

「それに?」

 部下が先を促すように相槌を打てば、シキは心底楽しそうな笑みを浮かべる。

「ベイビーちゃんの出方次第じゃあ、このゲームはまだまだ盛り上がりそうだ」

 

 

 

 朝日が注ぐ白骨海域の外れ。

 骨の礁の陰で、ベアトリーゼは大きく損傷したトビウオライダーの応急処置をしていた。

 それも下着姿で。

 

 しかも、下着が濡れそぼっているため、乳房や尻の形がくっきり浮かび上がってしまっている。大胆に晒された小麦肌が眩しい……

 淑女にあるまじき恰好をしている理由は、ビッグ・タジンポットの重砲群の斉射により、潜水服がズタボロになってしまったから。

 

 そのため、ベアトリーゼは下着姿のまま、メスやら鉗子やら糸やらパッチやらを使い、トビウオライダーに出来た傷口を縫ったり焼灼したりして塞ぎ、修理不能な部分を切除し、人工血管を再接続させ、パッチで癒着させている。修理というより手術のようだ。

 

 そんなベアトリーゼの傍らで、チレンが潜水服の破けた部分や穴をせっせと補修していた。

「あの砲撃を生き延びて、まずやることが針仕事とは……」とぼやくチレン。

 

「奴らが立て直すまでが勝負だ。それまでにトビウオと潜水服を直さないと、この骨の山で袋叩きにされちまう」

 その言葉通り、ベアトリーゼはトビウオの修理を急ぎ、身体のあちこちに出来た細かい切り傷、刺し傷、火傷に打ち身と打撲、全て放置していた。

 なお、チレンはベアトリーゼが庇ったおかげで無事だ。

 

「こんなところで本当に直せるの?」

「直せるかどうかじゃない。直すんだよ」

 チレンの疑問を蹴り飛ばし、ベアトリーゼは青い人造血液で汚れた手で額の汗を拭う。

「この海域さえ出ちまえば反撃する機会も……」

 

「反撃? シキと戦う気なの、て……どうしたのよ?」

 チレンは驚き、次いで、何やら考え込み始めたベアトリーゼの様子に訝る。

 

 ベアトリーゼは生ぬるい水を呷り、暗紫色の瞳をギラつかせた。

「そもそも、ここであの鶏冠ジジイをぶっ殺しちまえば、一番手っ取り早いじゃん」

 

「本気で……言ってるの?」

 チレンが気狂いを見るような目を向けてくるが、ベアトリーゼは鼻で笑うだけ。

「あいつも私がこう考えると想定して、話を持ってきたんだろーさ。若作りババアめ。相変わらず食えない奴だ」

 

「? ? ? わ、若作りババア?」何とも言えない面持ちになるチレン。

「あんたを保護するよう、私に話を持ってきたこの件の担当官(フィクサー)だ」

 

 ベアトリーゼは困惑するチレンへ投げやりに応じ、獰猛に犬歯を剥く。

「や。ぶっ殺すならあのイカレポンチ共もだ。私の愛機をこんなにしやがって。こいつを作るためにどれだけ時間と労力を注ぎこんだと……あいつら殺す。絶対殺す」

 

 強烈な殺意をどろどろと漂わせるベアトリーゼに、チレンは呆れて閉口する。

 伝説的な大海賊である金獅子シキと危険な狂信者集団と戦う理由が、愛機を壊されたから。“そんなこと”のために、平然と強敵達と戦うことを望む神経が、チレンにはまったく理解できない。

 

 人並外れて学も教養も備えているけれど、とチレンはベアトリーゼをジト目で見つめる。この女、やっぱり“あっち側”の人間ね。

「私を無事に送り届けるのが、貴女の仕事でしょう。私の安全を優先して欲しいんだけど」

 

「問題を根本から解決できる妙手だろ。とはいえ、状況が良くないのも確かだね」

 ベアトリーゼは殺気を解き、アンニュイ顔をしかめた。

 

 シキと白塗りイカレポンチ共。どちらか一方だけならやりようもあるが、こちらを数的に圧倒している二勢力を同時に相手取る現状では、チレンの安全確保が難しい。

 奴らはぶっ殺したい。が、優先すべきはあくまでチレンの身の安全。そこは間違えない。

「……しゃあない。連中をぶち殺すことは次の機会に回そう」

 

「提案を呑んで貰えて嬉しいわ」とチレンが皮肉っぽく応じる。

「でもまあ……」

 ベアトリーゼは作業を再開し、化物トビウオのハラワタを弄繰り回しながら、気だるげな調子で言った。

「一戦、交える可能性は低くないんだよなぁ」

 

「ちょっと……怖いこと言わないでよ」

 蛮姫の不穏な発言に女性科学者が心底嫌そうに美貌を歪める。

 

「トビウオライダーがこの調子じゃ、海底を隠密に潜行するのは無理だ。海上を行くしかない。となりゃ当然、連中に見つかる。で、シキはともかく、私らを見つけた白塗りイカレポンチ共は、何が何でも殺しに掛かる。振り切れるか怪しい」

 淡々と説明し、ベアトリーゼはビッグ・タジンポットがある方角へ、暗紫色の瞳を向けた。

「振り切れないなら……返り討ちにするしかないだろ」

 

       〇

 

 夜が明け、麦わらの一味はリトルガーデンを後にする。

 ブロギーとドリーが巨人の奥義を放ち、”島食い”なる化物金魚を退治する様を目の当たりにし、ルフィは感嘆をこぼし、ウソップは巨人とエルバフへの憧憬を新たにし、ゾロはふつふつと対抗心を沸かせていた。

 

 さて、バロックワークスの面々から奪取した永久指針を頼りに、アラバスタを目指そうとした矢先。

「ナミさん!?」

 原因不明の高熱を発し、ナミが倒れてしまう。

 

 慌ててナミをカルーの背に乗せ、女性部屋のベッドへ担ぎこみ、容体を診てみれば。

「凄い熱……この船に医療の心得が少しでもある人はっ?」

 ビビの問いかけに、ルフィはナミを見た。ウソップはナミを指差した。サンジは『ナミさん!』と嘆く。

 

 唖然とするビビとカルーへ、ウソップが慨嘆する。

「ナミは航海士で船医で金庫番で交渉人だからな……」

「兼任させすぎっ!?」ビビのもっともなツッコミが切ない。

 

「大抵のことは肉食えば治るぞ。な、サンジ!」

 ルフィから水を向けられたサンジは難しい面持ちを返す。

「病人食は作れるけどよ。ナミさんの症状に合わせて、具体的にどんなもんを作れば良いかがわからねェ。少なくとも、今のナミさんはテメェらみたく何でもバクバク食えねェだろ」

 

「!? 飯が食えねェなんてあるのかっ!?」ルフィは目を真ん丸にして驚き「病気ってそんな辛いのか……?」

「「いや、罹ったことねェから分からねェ」」

 首を傾げる超健康優良児のコックと狙撃手。

 

 素っ頓狂な野郎共を放置し、ビビはナミの体温検査の結果に顔を引きつらせた。

「体温が40度!? 不味いわ。サンジさん、ぬるま湯に砂糖と塩とレモン……ナミさんの蜜柑でも良いから、果汁を少し加えたものを用意してっ!」

 

「すぐに!」サンジが即座に女性部屋を飛び出していく。

「ビビ、治せるのかっ!?」

 期待を込めた眼差しを向けてくるルフィに、ビビは申し訳なさそうに首を横に振る。

「私が知ってるのは簡単な処置の仕方だけ。治し方までは……」

 

「アラバスタに行きゃあ医者くらい居るだろ? あとどれくらい掛かる?」

「この航路だとあと一週間はかかるわ。これほどの高熱を招く病気なら、すぐにでも医者に診せないと……最悪、命に関わるかも」

 ビビがウソップに答えると、

 

「「ええええええええええええっ!?」」

 ようやくナミの病状が深刻であることを理解し、ルフィとウソップが驚愕する。

 

「ナ、ナミが死んじまうのかっ!?」あわわと狼狽するルフィ。

「お医者様っ! お医者さまーっ! 本船の中にお医者様は居ませんかーっ!?」取り乱すウソップ。

「くえええええええっ!?」悲鳴を上げるカルー。

 

「静かにっ! ナミさんの容体に障るでしょっ!!」

 ぎゃーぎゃーと慌てふためく2人と1匹を叱り、ビビが案を挙げる。

「ともかく近くの島に立ち寄って――」

 

「ダメよ。そんな余裕はないわ」

 ナミが目を開け、ふらつきながら上体を起こす。

「約束したでしょ。必ず間に合わせるって」

 

「お、ナミッ!? 治ったのかっ!?」

「治るかっ!! 強がりだっ! 無理してんだっ!」

 表情を綻ばせるルフィへ、ウソップがすかさずツッコむ。

 

 2人のやり取りを余所に、ナミはベッドから降りる。体に力が入らなかったのか、崩れ落ちかけた。ビビが慌ててナミを支える。

「! ナミさん、今は寝てた方が――」

「……雲の動きが変わった」ナミが窓の外を見つめながらポツリと呟く。

「え?」

 戸惑うビビに目もくれず、ナミは真剣な面持ちをルフィとウソップへ向ける。

「真正面から大きな風が来る。今すぐに南へ舵を切って。左舷から風を受けるの」

 

 困惑して目をパチクリさせる2人へ、ナミは高熱に息を切らしながら吠えた。

「早くっ!」

 

「お、おうっ!」「すぐに行きますっ!」

 ルフィとウソップは弾かれたようにカルーを連れて駆けだし、道中にドリンクを用意していたサンジを捕まえ、甲板で見張りをしていたゾロも巻き込んで操船作業を始める。

 

 ビビに支えられながら甲板に出たナミは、船の針路が完全に変わったことを確認し、

「これで、大丈夫……」

 大きく息を吐き、意識を失った。

 

「ナミさんっ!!」ビビがナミを抱き抱え、

「ぎゃああああっ!? ナミが死んだあっ!?」ルフィが悲鳴を上げ、

「気を失っただけだっ! 滅多なこと言うな、バカヤローッ!」サンジが怒声を飛ばし、

 

 直後。

 何の予兆もなく巨大なサイクロンが発生する。針路を変えていなかったら、メリー号ではたちまち海の藻屑になってしまっていただろう。

 

 ……ナミさん、凄い。まるで五感だけじゃなくて霊感でも天候を感じ取ってるみたい……

 ナミを抱えるビビは、確信する。この船が最速でアラバスタに行くためにどうすればいいかを。

「皆っ!」

 

 野郎共の目がビビに注がれる。

「今、私の国は大変な事態になっていて、最高速度でアラバスタに向かって欲しいの」

 ビビは言葉を編む。高熱に苛まれるナミを抱きかかえながら。

「だから、これからすぐに医者のいる島を探しましょう。一刻も早くナミさんを治して、アラバスタに向かう。それが、この船の最高速度だから!」

 

 アラバスタ王女が示した“覚悟”に、ルフィは満面の笑みを浮かべ。サンジとゾロも白い歯を見せて納得し、ウソップが善意から質す。

「本当に良いのか? お前は王女として自分の国と国民を優先してもいいんだぞ?」

 

「ええ。だからこそ、ナミさんの病気を早く治さなきゃ」

 ビビの美しい瞳に迷いはない。

 

 ルフィは大きく頷く。

「そのとーりだ。ナミが元気じゃねェとメリーは思う存分走れねェ。ヤロー共!! このまま南へ医者を探しに行くぞっ!」

「「「おうっ!」」」「くえーっ!」

 船長の号令に三人と一匹が応えて吠えた。

 

 医者を求め、メリー号は南へ向かって駆けていく。

 

      〇

 

 一晩中暴れ回ったことで頭が冷えたのか、ヒューマンガス・ジョーは妥協を検討し始めていた。

 末息子の仇は討ちたい。そりゃもう必ず討ちたい。

 しかし、昨夜の戦いで少なくない“戦士達”を損耗してしまった。“戦士達”はジョーの権力基盤だ。むやみやたらに失っては都合が悪い。

 

 ところがぎっちょん。

 この“狩り”を、後継者選抜レースの大一番と考え始めている倅達や、ジョーを妄信し盲従する白骨海域の住民達は、戦いを求めている。強く強く求めている。

 偉大なる王の子を殺した女狐共、白骨海域を侵して崇敬なる指導者を愚弄した海賊共、そんな奴らを生かしておいてなるものか、と誰も彼もがいきり立っている。

 

 ここで気弱な振る舞いをしては、ジョーの立場と面子が大きく損なわれてしまう。

 もはやジョーは退くに退けない。やるしかない。女狐共を狩り殺し、海賊共をこの海から叩き出す以外の選択肢はない。

 

 戦力の再編成を終え、戦士達に簡単な食事と共に錠剤が配布される。

 白骨海域で獲れる毒魚とビッグタジンポットの岩肌に自生する毒草を調合し、精製して作り出した興奮剤で、疲労と苦痛をぶっ飛ばし、昂揚と興奮をもたらすナチュラルなケミカルだ。

 

 かくして、ジョーの本心とは裏腹に、狂信とお薬で元気いっぱいになった白塗りイカレポンチ達が出撃した。

 

 太鼓とガットギターを載せた平船が物騒なトライバルロックを掻き鳴らし、爆弾槍を立てた小型快速ボートの群れが水面を走りだす。

 

 続いて、ジョーの倅達を乗せた喫水の浅い戦闘艇が出陣していき、最後にジョーを乗せた厳めしい大型ボートが進発。鯨の鳴き声に似たクラクションを轟かせる。

 

 水飛沫を挙げながら、白塗り蛮族の軍団が進撃していく。

 

 

 イカレポンチ共の騒々しい進軍はシキの耳にも、ベアトリーゼの耳にもしっかり届いた。

 

 

「おっ! 先に動かれたか。まぁいい。先手は譲ってやるぜ、古狸」

 白骨海域に滞空する島船上で、シキは葉巻を吹かしながら白骨の森を駆けていく狂信者共を見下ろし。

 

 同じ頃、白骨海域の外れで。

「動いたな」

 チレンが補修したタイトな潜水服を着こみ、ベアトリーゼは応急処置を施した傷だらけのトビウオライダーに跨る。後席に乗ったチレンが不安げに蛮姫を窺う。

 

「そんな顔すんなよ。大丈夫、なんとかなるさ」

 アンニュイ顔に不敵な笑みを浮かべ、フルサイボーグ化トビウオライダーを起動。確認する限り体液の滲みはなく、各鰭の動きに問題はない。鰓も心臓もタコメーター上の数値は問題ナシで、尾の筋肉は多少突っ張り気味。

 最高速度は出ないだろう。高負荷機動も厳しいだろう。走行中に不具合が生じるかもしれない。

 だが、突っ走るしかない。

 

 いっそ今度は完全な機械化を図るか。もしも空島に行く機会があったら。ベアトリーゼは思う。こいつに転用できる“(ダイヤル)”を買い溜めしよう。なんなら、ロビンかナミに頼んでも良いかも。

 

 ふふ、とベアトリーゼの魅力的な唇から忍び笑いがこぼれた。

「? 何? どうしたの?」

 怪訝そうに問うチレンへ、ベアトリーゼは微苦笑を返して多眼式ヘルメットを被る。

 

 これから死地へ望むのに“先”のことを考えている自分がおかしかった。つまりなんだ。私はちっとも死ぬ気がしてないんだな。良い傾向だ。

「出発だ。今日中にこの肥溜めから出ていこう」

 

 美女2人を乗せたパッチワークなトビウオライダーが水面を駆けだした。

 が。愛機は出力が本来の半分も出ない。速度の伸びも鈍い。操縦の応答性も鈍い。機動性も運動性も目を覆うばかり。

 

 ベアトリーゼはヘルメットの中で仰々しいほど顔を歪め、毒づく。

「やっぱ、応急処置じゃダメか。こりゃ本格的にオーバーホールしないと……あぁああああ、ムカつくっ! “マーケット”のガレージにはもう戻れねェってのにっ!」

 

「そんな言ってる場合っ!? 貴女ね、もっと状況に対して真摯になりなさい!」

 背後からチレンの叱声が飛んできて、ベアトリーゼは首を小さく竦めた。

 

 

 

 白骨海域デスゲ-ムはクライマックスを迎える。

 




Tips

金獅子のシキ
 思いの外、損害を被ったものの、”ゲーム”を楽しみ中。
 白骨海域を縄張りにする気はないし、狂信者共の蓄えを奪う気もない。面倒臭いから。

ヒューマンガス・ジョー。
 自分が煽り立てたとはいえ、退くに退けない状況に内心困りまくり。

麦わら一味。
 原作通りにナミちゃんが寝込んでしまいました。

 ビビが経口補水液モドキを知っていたのは、熱砂の土地の出身だから(雑)

ベアトリーゼ。
 次回、いよいよ大暴れ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

96:蛮姫は舞い、金獅子は翔ぶ。

しゅうこつさん、nullpointさん、NoSTRa!さん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 麦わらの一味が医者を探して海を行く頃。

 雲一つない青空の広がる白骨海域では―――

 

 猥雑に立ち並ぶ白骨の森と波間に潜む骨の礁の間を、縫うように激走するトビウオライダー。

 

 乱雑な隊形を組んで化け物トビウオを追い立てる小型快速ボート。暴音でイカレポンチ共を煽り立てる太鼓とガットギターを載せた平船。その背に続く仰々しい武装艇に厳めしい大型ボート。

 

 水面に描かれる幾筋もの白い航跡を辿るように、海上の様子を傲岸に眺めながら傲然と空を進む島船。

 

 意味不明な光景だが、当事者達は真剣で本気で真摯だ。馬鹿馬鹿しいほどに。

 白骨海域の外までおよそ一時間強。

 命が懸かった約一時間だ。

 

「! このままだと追いつかれるわっ! もっと飛ばしてっ!」

「これでめいっぱいだよっ!」

 悲鳴染みた怒声を挙げるチレンへ、ベアトリーゼは苛立ちを込めて怒鳴り返す。

 

 応急処置でツギハギなトビウオライダーは、何もかも不十分だ。出力も。速力も。機動性も運動性も、飛翔能力も、操縦の反応と応答性も。何より、安定性も。

 高出力域までスロットルを開けたら、振動が激しくなって創傷部のあちこちから青い人造体液が滲み始め、呼吸器系に喘鳴が始まる始末だ。

 

 まともに走れないトビウオライダーに向け、武装艇や大型ボート、その後方上空を進む島船から銃撃と砲撃が始まった。

 炸裂する砲弾が高々と水柱を昇らせ、飛翔する銃弾が波間を跳ね回る。鉄と炸薬が荒れ狂う中、ベアトリーゼは集中力を極限まで発揮し、操縦技術の全てを駆使してトビウオライダーを激走させる。

 

 水飛沫を掻き分け、爆煙を突き抜け、銃弾の嵐をかわし、砲弾を浴びて砕けて飛散する礁の骨片の嵐を掻い潜り、砲弾を浴びて倒壊する巨骨をぎりぎりで飛び越える。

 

 クソッ! 野犬の群れに追われる兎になったような有様に、ベアトリーゼは苛立ちが募っていく。

 

 徹夜の疲労。体中の痛み。思い通り走れない愛機。背後から迫る野蛮人共の鬱陶しい雄叫びと喧しいトライバルロック。傲然とこちらを見下ろす金獅子の島船。一方的に叩きこまれ続ける銃砲弾。神経をすり減らす逃避行。怯え切って邪魔臭いほど引っ付いてくるチレン。

 神経をおろし金で削られているような錯覚。集中力が澱んでいく実感。

 

 ベアトリーゼが臍を嚙んだ直後。

 島船の艦砲斉射がトビウオライダーを交叉。四方八方から襲い掛かる轟音と衝撃波。背骨の芯まで痺れそうな圧に肺が震え、背後でチレンが声にならない悲鳴を上げた。

 

 大量の水飛沫が豪雨のように注ぐ中、トビウオライダーの速度が急激に落ちていく。

 出力が3割以上伸びず、水を蹴りつける尾の動きにキレがない。よくよく見れば、あちこちの創傷部に加え、鰓の隙間から青い人造血液が出血していた。砲撃の衝撃で損傷したらしい。

 

 ベアトリーゼは舌打ちし、

「予想通りか、ここで一戦やるしかないな」

 切り替えた。

 情動が凍てつき、暗紫色の瞳が冷たく鋭くなる。

「……チレン」ベアトリーゼは肩越しにチレンを窺い「代われ」

 

「は?」

 この野蛮人は何を言ってるのだろう? チレンは状況を忘れて素で小首を傾げる。

 

「操縦を、代われ。今すぐ」

 戦闘騒音の中でも鮮明に届く、絶対零度の殺意を伴った声色に、チレンが『ヒェ』と悲鳴をこぼす。

「か、代われって……こんなのの操縦なんて」

 

「スロットル開けて、障害物をかわしながら進むだけだ。やれ」

 有無を言わせぬ冷たい暴圧を放ちながら、ベアトリーゼは腰を上げて身を捻り、チレンの襟首を掴んで軽々と持ち上げた。

 

「ひぃっ!?」

 細腕から想像もつかぬ膂力に恐れ慄くチレンを前席へ押し込み、代わってベアトリーゼが後席に立つ。

 後ろ腰に下げたダマスカスブレードを抜き、両腕の装具にセット。腰の装具ベルトに挿したカランビットに手を伸ばし、柄頭のリングに指を通してくるくると回転させながら抜き放ち、逆手に握った。

 

 ベアトリーゼは無情動な思考を巡らせ、無機質に状況をまとめていく。

 

 チレンに影響が及ぶ可能性があるため、得意の不可聴域催眠音波は展開しない。

 海水で通電する可能性があるため、静電気の発生は慎重を要する。潜水服の背中にある水中呼吸器が壊れたら不味い。それに、万が一にもトビウオライダーに通電したらどうなるか分からない。

 

 使える得物は、覇気。接触時に絞っての能力発動。我流の機甲術(パンツァークンスト)。両腕のダマスカスブレードと両手のカランビット。

 

 敵は眼前に白塗り蛮族の軍団。その後方上空に空征く大海賊の海賊船。さらには重砲群の砲撃。敵の武器は刀剣類に弩弓に銃砲に爆発物。

 

 味方ナシ。応援の到来ナシ。

 

 背に重要証人を護り、傷ついた愛機が足場。海王類や大海獣の大きな骨が乱立し、骨の礁が波間に見え隠れする。

 

 状況は最悪。圧倒的劣勢で圧倒的不利。

 されど空は晴天。風浪穏やか。

 死ぬには良い日だ。

 

 ()()()()()にはもったいないほどに。

 

 宇宙人染みたヘルメットの多眼が、ぎらりと冷酷に光る。

 蛮姫は宣言した。

「魚の餌にしてやる」

 

 

「殺る気になったか、ベイビーちゃん」

 特等席――島船の船首に立って“ゲーム”を観戦していたシキは、凍てついた殺意を嗅ぎ取り、短くなった葉巻を宙へ投げ捨てて嗤う。戦いに臨む獅子のように雄々しく。

「腕前を見せてもらおうか」

 

 

「――むぅ」

 厳めしい大型ボートの舵を取りながら、ヒューマンガス・ジョーは熱量が一切ない殺気を感じ取り、密かに顔を引きつらせた。だが、相手の逃げ足が鈍った以上、今ここで口にすべきことは決まっている。

 

 ジョーは吠えた。『蝿の王』に相応しく。自身の作った虚像通りに。

「掛かれ掛かれ掛かれェいっ! あの女郎共を殺せィっ!!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』

 白塗り蛮族共は雄叫びで水面を振るわせ、小型快速ボートの群れが化物トビウオへ迫り――

 

 彼らはベアトリーゼの二つ名の意味を知り、3億8千万ベリーという懸賞金の理由を知る。

 

     〇

 

 白塗り蛮族達が飛び道具を雨霰と打ちかけ、投げかけたならば。

 蛮姫は舞う。

 

 武装色の覇気をまとい、漆黒に染まった両手両腕の四刀を振るい、愛機に乗る自分と護衛対象を捉えた矢玉を全て斬り払う。武装色の覇気をまとい、漆黒に染まった爪先で投げ込まれる投槍や爆弾槍の穂先口をひっかけ、投手や他の砲弾に向かって蹴り返す。

 

 血を流しながら駆ける怪魚の小さな鞍上で、蛮姫はプリマドンナのように軽やかに舞い続け、愛機と護衛対象に決して攻撃を許さない。

 しなやかな長身の体の線をまったく隠さないタイトな潜水服も手伝って、蛮姫の舞う姿はどこまでも鮮烈に美しい。

 

 白塗り蛮族達の小型快速ボートが直接攻撃を目論んで肉薄してくれば。

 蛮姫は躍る。

 

 素人が操縦する不安定な足場にも関わらず、新体操選手のように激しく躍り、逆手に握った鉤爪状の刃を振るい、腕に装着した肘剣を走らせる。白塗り蛮族達を斬り。裂き。貫き。抉り。断つ。

 

 悪魔の実を食して宿した異能を発揮する。新体操的躍動のあらゆる姿勢から殺人的高周波を宿した拳打足蹴が放たれ、白塗り蛮族達を殴り潰し。叩き砕き。蹴り千切り。小舟ごと吹き飛ばす。

 

 時に愛機から高く飛翔し、宙返りしたまま乱立する死した巨獣の骨を殴り砕き、落石代わりに蛮族共へ叩きつけ。

 時に水面を横転しながら、積み上げられた骨の礁へ高周波振動の強打を撃ち込み、破砕した骨片を散弾の如く蛮族共へ浴びせる。

 たおやかに鍛えられた肢体を強調するタイトな潜水服も手伝って、蛮姫の踊る姿はどこまでも苛烈に麗しい。

 

 縦横無尽。舞うように剣林弾雨を避け、かわし、受け流し、いなし、防ぎ、払う。

 縦横自在。踊るように斬り。突き。返し。殴り。打ち。蹴る。

 あらゆる姿勢で守り、あらゆる体勢から攻め、指一本触れさせず、毛ほどの傷も許さない。

 まあ、それでも矢玉が傍を駆け抜け、蛮族達が迫る度、チレンが涙声の悲鳴を上げていたけれど。

 

 蛮姫は演義みたくいちいち御託を並べない。戯画的に必殺技の名を叫んだりしない。

 ただ滑らかに躍動し、ただ激しく駆動し、ただ流麗に守り、ただ華麗に殺す。

 

 愛機の航跡は死者の血で紅く染まり、朱く染まった航跡に点々と肉塊と屍が浮かぶ。波飛沫が幾度も蛮姫を洗うも、絶え間なく浴びる返り血が雪がれることはなく。

 血に塗れた多眼式フルフェイスヘルメットの顔貌が、正しく怪物に見える。

 

 

 死を恐れぬ狂信の蛮族達すら、その圧倒的な暴威とその妖美艶麗な暴力を前に、気圧され始めていた。

 しかし、死を恐れるという価値観を持たぬ彼らは、恐怖を前にして怯え竦むという本能を拒絶し、歓喜する。

「サイコーの敵だっ!」「俺達は生きて、死んで、甦るっ!」「なんて日だっ! 最高だっ!」

 

 白塗り蛮族達が喜悦の絶叫を挙げた。

「ウィットネ―――――――スッ!!」「ヴァルハーラ―――――――――ッ!!」

 

 狂猛な雄叫びを上げる戦士達や倅達に囲まれるヒューマンガス・ジョーは、密やかに嘆く。

 退きてぇ。

 

 

 一方。

 後方上空から文字通り高みの見物をしていた金獅子は、

「最高じゃねェか、ベイビーちゃん……っ!」

 支配者気質らしい人材収集欲に駆られ、強者の自尊心が強く刺激されていた。

 

「気に入った。なんとしてもお前を配下に収めてやるぜ」

 にたりとシキが口端を歪めた、刹那。

 

 蛮姫が狭い鞍上で後方宙返りしながら野蛮人達の首を刎ね、そのまま空中でくるりと身を捻り込み、野蛮人達が持っていたサーベルや槍をサッカーボールのように蹴り飛ばす。しかも、御丁寧に武装色の覇気でコーティングして。

 

 蹴り放たれたサーベルは、ミサイルの如く飛翔して白塗り蛮族の戦闘艇を一艇撃沈。ジョーの倅達を海へ叩き落す。

 

 蹴り飛ばされた槍が島船へ向かって疾駆激走、船首砲座へ飛び込み、船首砲座の誘爆を引き起こす。

 船首の一部が吹き飛ぶほどの爆発衝撃に、島船の巨体が激しく揺さぶられ、船体のあちこちから黒煙と悲鳴と怒号が広がっていく。

「船首砲座、人員全滅っ! 船体への被害甚大っ!」「船体内各部に火災発生、燃料や砲弾が誘爆するぞっ!」「負傷者なんて後回しだっ! 消火を急げっ! 船が吹っ飛ぶぞっ!!」

 

「味な真似してくれるじゃあねェの」

 シキは大騒ぎする配下達を余所にげらげらと嗤い、表情を引き締める。

「贈り物には礼を返すのが礼儀ってもんだよなぁ」

 

 フワフワの実の力を使い、両足の義足……と呼ぶには剣呑すぎる剥き身の名刀“桜十”と“木枯し”を浮かせることで自身も宙に浮かびあがり、

「! 大親分、出ますっ! 大親分、御出撃っ!!」

 甲板長の号令を背に受け、風に乗って島船から眼下の戦場へ向かって飛行していく。

 獅子の二つ名を持つ大海賊が、ついに自らゲームへ参じた。

 

       〇

 

 金獅子のシキは海賊らしく暴力性の強い男だが、戦いを愛する気質は乏しい。

 

 そも、シキにとって暴力とは支配するための手段であり、戦闘は支配を確立するための手法の一つに過ぎない。

 

 だから、戦うなら確実に勝つ手法を好む。戦うなら確実に勝つ策を練り、計画を立て、準備を整え、諸々を揃える。そのためなら、何年だって待てるし、耐えられるし、堪えられる。

 

 そして、戦うならば。

 勝つために手段など問わない。勝って相手を屈服させ、支配することがシキの悦びなのだから。

 

 ゆえに、シキは基本的に空高く留まり、相手のアウトレンジから一方的に大威力の技を叩き込む。もしくは触れた無機物を能力で武器に変え、やはり遠間から一方的に攻撃する。

 フェールセーフが高く、確実性に富んだ手堅い戦術こそ、シキのやり口だ。

 

「こっからは俺とベイビーちゃんのデートタイムだっ!! テメェらは沈んじまいなっ!」

 潮風に乗ったシキはスポーツカイトのように海上を飛びながら、両足に装着した名刀を振るい、海が深々と切り裂かれるほど強力な斬撃を飛ばす。

斬波(ざんば)ッ!!」

 

 ずんばらりん、と白塗り蛮族達が小型ボードはおろか海ごと両断されていく。

「ウィットネースッ!」「ウィットネス・ミーッ!!」「ヒィイイハ―――――ッ!!」

 それでも、死を歓喜と狂信する蛮族は怯むことも恐れることもなく大海賊へ挑んでいく。錆びた銃を撃ち、奇怪な弩弓を放ち、銛や爆弾槍を投げつけ、後先考えずにシキへ襲い掛かる。

 

「その気概は嫌いじゃねェが……今は邪魔くせェだけだなっ!!」

 シキは一気に高度を下げ、波打つ水面に手を浸しながら飛翔し、

「獅子威し“打天巻(だてま)き”ッ!!」

 技の名を叫べば、海面が大きく隆起して巨大な獅子頭に化け、白塗り蛮族の小型快速ボートや戦闘艇を次々と呑み込み、圧し潰して海底へ引きずり込んでいく。

 

「戦士達っ! 息子達っ! おのーれぇえ―――――っ!!」

 ヒューマンガス・ジョーが、超常現象的攻撃によって戦士や息子達を乗せた舟艇が沈められていく様に、プロレスラー染みた体躯を震わせて慟哭する。

「もぉ―――――勘弁ならねェっ!」

 

 ジョーは舵輪傍に置かれた革製の小型トランクケースを開く。

 瀟洒な彫刻が施されたライフルド・ピストル。蛋型弾頭は口径30ミリの弾頭重量1600グレイン、総薬量は一般的な小銃弾の5倍を用いる。バカのための銃だ。

 弾薬を銃口から薬室へ詰め込み、撃鉄を起こす。

「死にゃあがれ、鶏頭野郎ッ!!」

 

 銃声というより砲声に近い轟音がつんざき、馬鹿馬鹿しいほどの初速と銃口エネルギーを持った大口径弾が放たれる。

 

「下らねェ」

 が。シキは冷めきった顔で吐き捨て、武装色の覇気をまとった漆黒の拳で容易く大口径弾を殴り払った。唖然とするジョーや側近達へ、冷酷な声音を浴びせる。

「誤解させちまったようだな、古狸。お前の大砲は俺の船にとって脅威であって、俺自身にゃあ屁でもねェ。もちろん鉛玉もな」

 

 獅子が虫けらを見るような目付きをジョーへ向け、

「ま。お前とのゲームはそれなりに楽しめた。あばよ、古狸」

 両足の刃を激しく振るう。

「獅子・千切谷(せんじんだに)ッ!!」

 

「海賊如きがああああああっ!!」

 ジョーの怒号を掻き消すように、強烈無比な剣閃が荒れ狂う。

 

 瞬間的に切り刻まれた海が大量の水滴群にまで粉砕され、ジョーを乗せた厳めしい大型ボートが文字通り細かく寸断された。物理学の法則に従って海が元の姿を取り戻す際、生じた波濤がジョー達と大型ボートの破砕片を波間に吹き飛ばす。

 

 赤黒く染まった水面を一顧にせず、シキは一直線にベアトリーゼへ向かって飛ぶ。

「さぁ踊ろうぜ、ベイビーちゃんっ!」

 

      〇

 

 白骨海域の現人神に等しい教祖が死んでも、信者達は戦いを止めない。むしろ、信者達は現人神の”帰天”に続かんと一層激しく猛り狂う。

 

 そんな信者達を血祭りに挙げながら、半ベソのチレンが操縦するトビウオの鞍上に立つベアトリーゼは白骨海域からの脱出を目指し、老境の大海賊“金獅子”シキがベアトリーゼに追い迫る。

 

「邪魔臭い奴」

 心底うざったそうに吐き捨てる蛮姫。

 

 ベアトリーゼは右手にソフトボール大の高熱プラズマ球を作り、海面に投げつける。海水を操れるからと言って、海水そのものを浴びて平気とはいくまい。

 

 海面に触れた熱プラズマ球が相転移反応を招じ、強烈な気化爆発を起こす。白塗り蛮族諸共に海面を大きく吹き飛ばし、莫大な海水を空高くまで巻き上げた。

 

 高圧衝撃波に骨の礁がいくつも砕け飛び、巨骨の林が次々と倒壊していき、巻き上げられた膨大な海水が金獅子を呑み込もうと迫る。

「味な真似をしゃあがるっ!」

 シキは強烈な爆風に体勢を大きく崩しながらも、両腕を振るって周囲の水飛沫に異能を放つ。

 

「獅子威し“海千天巻(かいせんてま)き”ッ!!」

 水飛沫から生み出された獅子達が、シキを呑み込まんとする大量の海水を逆に平らげて巨大化し、そのままベアトリーゼに向かって襲い掛かる。

 

「しゃらくさい真似をっ!」

 ベアトリーゼは忌々しげに吐き捨て、再び超高熱プラズマ球を作り出して投擲。海水で生み出された巨大獅子を爆散蒸発させた。

 

 衝撃波に強く煽られるシキ。激しく波打つ水面に舵を取られた蛮族達が次々と転覆したり、座礁したりしていく。

 そして、パッチワークな化物トビウオもまた、二度の強烈な爆発衝撃によって、さらなる不調へ陥っていた。

 

「ダメッ! また速度が落ちたわっ!」

 チレンの泣き声がベアトリーゼの背を叩く。

 

 もうシキを振り切ることはできない。

 このままでは拿捕を免れない。かといって、抗い続ければ、第二次大戦の記録映像――米軍機が日本軍の貨物船や通報船(戦争に駆り出された民間漁船)を空から一方的に嬲り殺す映像――と同じことになるだろう。自分はともかくチレンは確実に死ぬ。

 

 仕方ない。

 

「海中へ逃げろ」

 ベアトリーゼは振り向かずに淡々と言葉を編んでいく。

「この海域外までもうすぐだ。今ならまだトビウオの人造鰓で空気を取り込みながら進めば、脱出できる。その後は海域外の岩礁なり島なりで待て。一日待って私が現れなかったら、電伝虫で担当官(フィクサー)に連絡しろ」

 

「貴女、まさか―――っ!?」

「さっさと行け」

 ベアトリーゼは言い募ろうとするチレンを無視し、化け物トビウオの背から高々と跳躍。付近に屹立していた海王類の骨の上へ立つ。

 

「昨日今日知己を得たばかりの奴のために、命を懸けるか。そこまで絆されたか。よほど報酬が良いか。それとも、政府に首根っこ押さえられてるのか」

 シキは宙で仁王立ちし、海中へ潜っていくチレンとトビウオライダーから視線を切り、巨骨の上に立つ蛮姫を睥睨した。

 

「ま、何でも構わねェ。俺の下に就くならな。そうすりゃ命だけは取らねェでやるよ、ベイビーちゃん」

「しつこいんだよ、くたばり損ないの老いぼれめ」ベアトリーゼは金獅子へ罵倒を返す。

「敬老精神が足りねェベイビーちゃんだ。確かに歳は食ったが、あっちの方は未だに現役ビンビンよ」

 

 下ネタで高笑いを飛ばし、シキは古豪の大海賊らしい威圧を放つ。

「配下に迎えるなら、しっかり教えておかねェとな。これから従う男がどれほど強くておっかねェかを骨身によ」

 

「もうハンデは無しだ。お前のくだらない人生にトドメを刺してやるよ、雄鶏ジジイ」

 悪罵を吐き捨て、ベアトリーゼは両腕のダマスカスブレードに青白いプラズマを走らせる。

 

 生き残った白塗り蛮族達と、太鼓とガットギターを積んだ平船が巨骨の足元に集まり、金獅子と蛮姫の決闘を彩るように、チャントとトライバルロックを奏で始めた。

 




Tips

ベアトリーゼ
 オリ主。
 殺る気満々で大暴れ。最初からやれよ、とか言ってはいけない。チレンが泣いちゃう。

シキ
 劇場版キャラ。
 ついに暴れ出した。
 キャラ考察は異論を認める。

ヒューマンガス・ジョー
 オリキャラ。今回で退場。
 そりゃ覇気も異能もなきゃあね……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

97:雷鳴が轟く時。

スネイルさん、しゅうこつさん、NoSTRa!さん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 それは、もはや人に非ざる者達の戦いだった。

 

 容貌“怪奇”な老海賊は、金髪を躍らせながら鳥の如く空を自在に飛び続け、海すら切り裂く剣閃を振るい、海上に屹立する巨骨や海水を獅子に変えて放つ。

 

 怪物染みた頭部装具を被った女戦士は、プラズマ光を引きながら乱立する巨骨の間を飛び回り、老海賊の繰り出すアウトレンジ攻撃を軽やかにかわし、時折、高々と跳躍して奇襲を試みたり、巨骨を破砕して散弾のように放つ。

 

「色々見せてくれるじゃねェか、いったい何の悪魔の実を食いやがったっ!?」

「お前に教えてやる義理はねぇよ、鶏ジジイッ!」

 

 老海賊と女戦士が躍動する度に、斬撃が飛び、海水や骨が獅子に化け、骨片の弾幕が吹き荒れる。蒼穹の果てまで届きそうな戦いの調べ。海域の端から端までつんざく破壊の音色。

 

 およそ人間の所業とは思えない光景に、ある種の純朴さを持つ白塗り蛮族達は神々の戦いを見出す。

 

 もっとも、戦っている当人――少なくともベアトリーゼはそんなロマンティシズムを欠片も抱いていない。

 ベアトリーゼは戦い始めてすぐ、シキの強さを認めていた。

 能力や覇気や戦技が、ではない。徹底的に主導権を握り続け、自分の戦術を相手に強制するシキの練達な戦い方が、だ。

 

 現にベアトリーゼは、シキの術中へ完全に引きずり込まれている。

 自身の跳躍で肉薄困難な高度から大技で一方的に叩かれており、奇襲や足場を砕いての飛礫攻撃はまるで通じない。

 

 だから。

 どこまでも純粋に金獅子のシキを殺すことだけを考え、冷静に観察し、冷徹に洞察し、冷酷に策謀していた。

 

 肉体的な理由か覇気の強度か、不可聴域催眠音波は効果がないらしい。

 しかし、シキが衝撃波に大きく体勢を崩した際、「おっと、危ねェ危ねェ! ジハハハッ!」と軽口を叩いて笑っていたが、あれこそ奴の弱点だと把握していた。

 

 シキは空中を自在に飛び回っていても凧と大差なく、気流や気圧の影響を強く受ける。ただし、一方向からの衝撃波では対処されてしまう。突発性乱気流のようなものでなければ、奴を引きずり落とせまい。

 

 熱プラズマで複数の気化爆発を同時に起こすか?

 いや、大気成分や電磁気を振動させて周辺気象そのものを弄る方が確実か。プルプルの実の性質上、マクロ規模の環境操作はかなり厳しいが……気象が不安定な白骨海域は電位差が大きいようだ。この辺りに小規模な乱気流を生むことは可能だろう。

 

 策は決まった。

 

 ゆえに、ベアトリーゼは派手に骨の林間を飛び回ってシキの大技を回避し、時に乱立する巨骨を砕いて散弾のように飛ばし、時に電磁加速で高々と飛翔して奇襲を試みる。

 全て見せ札。局所的乱気流を生み出すまでの時間稼ぎと偽装工作。

 

 どれほど強くなろうとも、ベアトリーゼの本質は荒野を這いずり回っていた鼠だ。

 鼠は小さな爪牙で喉笛を確実に引き裂くため、狡知を働かせ、密やかに罠を張り、血を流しながら、着実に機を図る。

 

 獅子殺しの機を。

 

      〇

 

 シキは気づかない。

 主導権を握り、圧倒的優位を確保したまま、一貫してアウトレンジから危なげなく技を繰り返し、削り減らすようにベアトリーゼを消耗させているから。

 

 シキは気づかない。

 大海賊ゆえの慢心。古豪ゆえの油断。何より20年に及ぶブランクは、シキの勝負勘を大きく鈍らせている。

 

 シキは気づかない。

 支配者ゆえの傲慢。圧倒的強者故の増上慢。弱者を慮らぬゆえに、弱者を顧みぬゆえに、シキは弱者の恐ろしさを失念している。

 

 弱者はその弱さゆえに、姑息で卑劣で卑怯で狡猾に抗うということを。

 

 ヒューマンガス・ジョーという現人神が斃れ、後継者候補たる王子達の多くが海に消え、大勢の戦士達を失った。

 結果、白骨海域の蛮族――特に彼らの本陣たるビッグ・タジンポットに残るジョーや息子達の妻妾や内向き担当の幹部達が恐慌状態に陥っている、などとシキもシキの配下も想像すらしていなかった。

 

 妻妾と幹部達は指導者亡き後の混乱と混沌を想像し、戦慄していた。

 

 妻妾と幹部達はジョーと戦士達を殺戮した侵略者達が、自分達をどのように扱うかを想像し、恐怖していた。

 

 妻妾と幹部達は潮風に乗って届く激烈な戦闘騒音と、生き残った戦士達の野蛮なチャントとトライバルロックに、不安と憂慮と怯懦を掻き立てられていた。

 

 支配層に属すれど、武力を持たぬ妻妾と幹部達はその弱さから、駆り立てられる。

 侵略者達を殺さねば、と。

 

 戦場の舞台は海域の外れ。頼みの綱である重砲群の射程外だ。しかも、この一昼夜で砲弾を消耗しきっている。

 

 そんな中、最年長の老婆――ジョーの本妻が命じる。

「今こそ奥の手を使うべし」

 たった一発だけ試作された特殊砲弾(スペシャルヘッド)の使用を。

 

      〇

 

 天性の気象読み(フォーキャスター)であるナミなら、気付いたかもしれない。

 

 戦闘領域の大気が原子や分子のレベルで振動し、摩擦で生じた電磁気が少しずつ少しずつ蒸気を集めていることに。

 きわめてミクロな領域で大気成分が振動――運動することで、戦闘領域の大気中熱分布と大気成分の密度が乱雑になり、少しずつ不安定化が進んでいたことに。

 

 誤算もあった。

 熱プラズマで海王類の骨などが焼け崩れたことで、灰燼が靄のように漂い、微細粒子が大気状態の変化を促進させている。一方で、粉塵の動きが大気の流動を可視化させてしまってもいた。

 

 しかし、空を駆る金獅子はベアトリーゼの悪意を捉えられない。

 シキとて数十年に及ぶフワフワの実の力を使い続けてきた経験と感覚から、大気状態の変化には鋭敏であったけれど、20年のブランクはあまりにも大きい。

 

 感覚の鈍化に勘の狂い。戦闘による脳内麻薬物質の増加は集中力を高める一方、痛覚に通じる触感などを鈍らせてしまう(いわゆる興奮で痛みを感じないという奴だ)。

 加えて、ベアトリーゼのプラズマ炎を使った派手な高速機動と、機甲術の流麗かつ危険な攻防に幻惑されてもいた。

 

 そうして、ベアトリーゼが張り巡らせた悪意の糸に、シキは気づかぬまま少しずつ、確実に絡めとられている。

 

 むろん、策を仕掛けるベアトリーゼとて、薄氷を踏むような危険を冒し続けていた。

 勇名を馳せる古豪“金獅子”から絶え間なく攻撃を浴び、能力のマクロ的行使と覇気の駆使で体力と気力が加速度的に失われ。動きのキレが確実に落ちている。

 

 タイトな潜水服はあちこち裂けたり破けたりで、露出した小麦肌を汗と血が伝い、粉塵が貼りついて傷ついた肌にまだら模様を描く。疲労も濃い。ダマスカスブレードを装着した両腕が酷く重い。体の過熱で熱中症の手前だ。集中力と緊張感は保っているが、いつ切れてもおかしくない。

 

 策が成るのが先か。心身が限界を迎えるのが先か。

 ベアトリーゼは後方三回転半ひねりして骨の礁の頭に降り立ち、バイザーを開けて大きく息を吐く。汗塗れの細面が潮騒に撫でられ、涼を感じる。礁の隙間――何かの頭蓋骨の鉢に溜まっていた濁り水を見つけ、迷わず口に運ぶ。

 

 磯臭い濁り水は案の定、塩辛く腐っていたものの、ベアトリーゼは気にせず飲み続ける。後々、喉を塩分に焼かれて渇きが強くなるだろうが、今は水分が欲しい。

 

 と、シキが巨骨の林冠に降り立つ。余裕の笑みを張りつかせているが、長時間の戦闘で少なからず消耗していた。老いた顔に浮かぶ疲労と上等な着物に広がる汗染みは、隠しきれない。

 

「歳は取りたかねェなあ。昔はどんな元気なベイビーちゃんが相手でも、朝まで余裕だったもんだが」

 ジハハハと自嘲的に嗤いながら、シキは袖口から太い葉巻を取り出してマッチを擦る。もくもくと紫煙を燻らせながら、粉塵と水蒸気が漂う荒れ果てた周囲を見回した。

 

 人智の及ばぬ激戦に巻き込まれた魚や海獣の骸が漂い、海面は血と灰燼で赤黒く濁っていた。周囲から死闘を観戦する白塗り蛮族達のチャントとトライバルロックが届く。

 

「ロックスの下に居た頃ぁ、こういう光景をよく見かけたもんだ。もっとも、浮かんでたのぁ海兵と仲間の死体だったけどな」

 シキは遠い目をしながら言葉を紡ぐ。

「今やロックスを知る奴はほとんどいねェ。敗れた海賊の末路は大なり小なり惨めなもんだが……あれだけ暴れ回った怪物ヤローが名すら残せねェとはな」

 

「そんなこと“当たり前”だろ」

 ベアトリーゼは磯臭い唾を吐き捨て、冷めた目でシキを見上げた。とはいえ、無駄話は歓迎だ。仕込みを成す時間を稼げる。

「世界政府と海軍。それに、お前ら海賊。クズ共が殺し合って残せる物なんてあるわけない。精々は想い出くらいだが、それもいずれ消える」

 

「ヒデェこと言いやがる」

 くつくつと喉を鳴らし、シキは葉巻を吹かす。

「俺も老いた。世界を支配したところで、その時間はそう長くねェだろうな。俺の亡き後に世界を握った奴は、ロックスのように俺の存在をなかったことにするかもしれねェ」

 

「なんだ。自分の行いが無意味で無価値だって、今頃になって認識したか」

「本当に口の悪いベイビーちゃんだな。だが、俺の野望が無意味で無価値ってのは……大間違いだ」

 シキは両腕を高々と伸ばし、凶猛に嗤う。

「たとえわずかな間だろうが、たとえ後に無かったことにされようが、関係ねェ。俺の魂が渇望して叫びやがるんだっ! この世界を手に入れろと! 支配しろと! 俺の血肉が求めやがるんだっ! この世界を奪えと! 全てを征服しろと! これは俺自身の全存在を懸けた挑戦だっ! 俺という男を完成させるための勝負なんだっ! 分かるか、小娘っ!」

 爛々と目をぎらつかせ、猛々しく吠える威容は獅子の二つ名に相応しい。

 

「さっぱり」

 しかし、ベアトリーゼは子犬を蹴り飛ばすように言い放つ。

「女に漢の浪漫は分からねェか」とがっくりする金獅子。

「ボケ老人の誇大妄想を理解しろなんて無理難題を言うな」

 

 ベアトリーゼはヘルメットのバイザーを下げて構えを取る。

「いい加減うんざりだ。そろそろおっ()ね、ジジイ」

 仕込みは済んだ。チャンスは一度。策を練り直す余力はない。金獅子も仕切り直す機会を許すまい。確実に機を捉え、確実に殺す。

 

「諦めの悪いベイビーちゃんだ。ま、俺もくたびれた。そろそろ幕にしよう」

 シキは葉巻を投げ捨てて宙に浮かび上がり、

「とっておきを食らわせてやるっ! 死ぬんじゃねェぞ、ベイビーちゃんっ!!」

 周囲に漂う灰燼を獅子の群れに変え、自らもまた、獅子が飛び掛かるように舵輪の生えた頭から高速急降下を始めた。

 

 ここだ!

 ベアトリーゼはプルプルの実を全力で全周展開。臨界に達する手前の大気を思いっきり蹴り飛ばした。

 

 振動が原子と分子のカオス論的複雑運動をもたらし、突発的な気流の乱れを生み。

 振動が原子と分子の不規則な結合と分離が招き、気圧の歪みを作り。

 

 四方八方から強弱でたらめの突風が荒れ狂い、戦場の空に静電気が暴れ回る積乱雲を形作っていく。

 

「獅子威し“打尽巻(だしま)――”なんじゃああああああっ!?」

 突然生じた暴風の乱舞により、凧同然のシキの体勢を強く大きく崩させた。

 

 刹那。

 蛮姫の足元で熱プラズマが炸裂し、しなやかな体躯をロケットのように射出した。

 

 音の壁を突き破りそうなほどの勢いで急上昇し、ベアトリーゼは未だ体勢を立て直しきれていないシキへ肉薄。

()った」

 ベアトリーゼは蒼い炎雷をまとう右のダマスカスブレードを走らせた。

 

「舐めるんじゃねェ、小娘っ!!」

 シキは激昂して獅子の如く咆哮し、その身を赤黒い稲妻に包む。

 

 物理現象すら凌駕する濃密な覇王色の覇気に阻まれ、必殺の一撃は防がれた。が、ベアトリーゼは斬撃を弾かれた反動を利用し、くるりと宙返り。長い脚を太陽に向けたまま身を捻り込んで、左のダマスカスブレードを振るう。

 武装色の覇気をまとい、蒼い炎雷を引き、さらには高周波の極超振動を持った刃が再びシキを襲う。

 

 シキは額に青筋を浮かべながら真紅の覇気をより強く放ち、絶死の刃を防ぐ。

 しかし、止まらない。蛮姫の刃が獅子の覇気を削り裂くように進み、迫っていく。

 

「ぐぅ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 覇気を絞り出すように雄叫びを上げる金獅子に、蛮姫は冷酷無比に告げる。

「死ね」

 蒼穹を覆い隠す積乱雲の暴風の中で、蛮姫が空駆ける獅子の心臓目掛けて刃を押し込もうとした、間際――

 

       〇

 

 ビッグ・タジンポットの重砲から一発の特殊砲弾が白骨海域の空を駆け抜ける。

 弾殻に数枚の安定翼を持ち、砲弾のケツに燃焼剤が仕込まれたロケットモーター付き弾頭は、通常弾の倍近い射程を誇る。もちろん超長距離射程砲撃は気象条件と星の自転の影響を強く受けてしまい、命中精度は大きく減退する。

 

 そして、低い命中精度を補う手段は一つしかない。

 砲弾自体の効力圏を大きくする。簡単に言えば……

 

 破壊力をとにかく強く大きくすることだ。

 

 ゼンマイ仕掛けみたいな時限信管が標定座標上空で作動。

 信管の爆発で弾殻内に沸騰液体蒸散爆発現象が生じ、手作業で調合された特別製の液体燃焼剤が秒速数千メートルで広範囲に爆鳴気を拡散させ――信管の起爆から0.3秒後。

 

 どっっっかぁああああああああああああんんんんっ!!

 

      〇

 

 戦術核の爆発と誤認しそうなほど特大の相転移反応が、空中で白兵戦をしていた蛮姫と金獅子を思いきり殴りつける。

 爆心地から大きく離れていてなお、10を超える気圧と数百度に達する高熱圧波を叩きつけられ、蛮姫と金獅子が悲鳴を上げるが、両者の悲鳴は核爆発と誤認するほど強烈な爆発音に呑まれ、自分達すら耳に出来ない。

 

 頭の芯から骨の髄まで貫き通す激烈な衝撃波に、ベアトリーゼもシキも三半規管を麻痺させられてしまい、平衡感覚を完全に喪失。意識も飛びかけており、2人は揃って重力に体を掴まれ、水面へ真っ逆さまに落ちていく。

 

 その最中、シキは耳鼻目から血をこぼしながら、

「予期せぬ展開どころじゃあねェぞ、クソッタレがっ!」

 悪態を吐きながら能力を再起動。体を宙に浮かべる。が、

 

「ぐぅううっ!?」

 ベアトリーゼが作り出した乱流に翻弄されてしまう。

 

 挙句、人為的に作られた積乱雲と高熱圧波が呼び水となったのか、白骨海域全体の気象が瞬く間に荒れ始めていく。

 

『シキの大親分っ!! サイクロンですっ! サイクロンが出来始めてますっ! すぐにお引きをっ!』

 島船が拡声器で緊急退避を呼び掛けてきた。シキも幾筋もの雷光を煌めかせる巨大なサイクロンが生じ始めている様を己の目で確認する。

「こんなどんでん返しが起きるとはな……驚かせやがる」

 

 数分前まで勝ち確定状態だったというのに、今やかなり切迫した状況に陥っていた。シキは出血で紅く歪んだ視界の端で、落ちていく蛮姫を捉える。

 

 サイクロンに呑まれてはさしものシキも無事では済まない。蛮族との戦いで損傷している島船は言わずもがな。ここは退くしかない。だが――

 

 ベイビーちゃんはズタボロだ。俺が今ここで確保しなけりゃ落ちて溺死待ったなし。

 

 どうする。シキは思案する。

 

 今の身体状態とこの乱流の中でベイビーちゃんを確保するこたぁ簡単じゃねェ。それに確保後、島船まで運ぶこともかなりキツい。

 

 むう。とシキは唸る。

 

 ベイビーちゃんは欲しい。この俺を殺しかけるほどの力だ。武力として配下に欲しい。来たる戦いの時、こいつの力がありゃあ……

 

 シキは一秒にも満たぬ時間でリスクと損得の算盤を弾き、決断した。

「感謝しろよ、ベイビーちゃんっ!!」

 能力を駆使し、シキは落ちていくベアトリーゼの許へ乱流を掻き分けるように急行し、身体を掴もうと手を伸ばした。

 

 瞬間。

 

 濃密な殺意を嗅ぎ取り、シキは反射的に身を仰け反らせた。

 直後、顎先をカランビットがかすめ、幾つかのレンズが破損した多眼がぎらりとシキを捉える。

 

「善意に仇で応えやがって、このガキャアっ!! まったく育ちの悪いドラ猫だぜっ!」

 顎髭を血に染めながら激憤するシキへ、ベアトリーゼは無情動に告げる。

「死ね」

 

 殺意に純化されたベアトリーゼはこのラストチャンスに、オール・イン。精根を残らず使い果たすように駆動した。

 

 シキの両足から繰り出された飛ぶ斬撃をかわすべく、肩口と背中と足元でプラズマを爆発させクイックブースト。超高速の右向け左回りをしながらシキの側面へ。

 制動を掛けるために逆方向へプラズマ爆発。

 あまりに高い加速度と荷重に感覚が置き去りにされ、血が片寄り、内臓が軋む。視界がレッドアウトし、ブラックアウトする。

 

 シキの側面へ肉薄後、脳の放つ思考信号より速く反射神経系の電気信号が随意筋を強制稼働。自動的に最速の左拳が放たれる。

 

 が、シキはベアトリーゼの左拳を避けてニヤリと笑った。しかして、勝利を確信した笑みはすぐに引きつる。

 

 蛮姫は爪を立てるように鉤爪状の刃をシキの着衣へ引っかけていた。

「捕まえた」

 ゾッとするほど冷たい悪意が放たれる。

 

「この、ガキャアッ!!」

 シキは反射的に振り落とそうとするも、白兵戦技術はベアトリーゼの方が上だ。振り落とすどころか、武装色の硬化で右腕や両脚の攻撃を防ぐだけで精いっぱい。

 

 ベアトリーゼはシキの押さえ込みに成功すると同時に、即座に体力を最後の一滴まで掻き出し、悪魔の実の能力を発動。

 自身とシキの周囲の大気へ干渉し、電子と原子を脅して賺して喧嘩させてイオン化。

 トドメに積乱雲の中で蠢く莫大な静電気を誘惑して、放電させれば。

「くらいやがれ」

 

 通電性の高いイオンの道を、雷がシキ目掛けて一直線に駆けてくる。さながらレーザーのように。

 

「なぁっ!?」

 驚愕するシキ。だが、さしもの大海賊も雷光より速くは動けない。

 被雷の寸前、ベアトリーゼは気力を底まで浚って武装色の覇気で全身を覆う。

 

 直後、レーザー染みた稲妻が獅子と蛮姫を直撃した。

 シキの頭の舵輪や両足の刀から、ベアトリーゼの各部装具から、峻烈な火花が飛び散り、着衣の一部が焼け爆ぜ、2人の体に凄まじい電熱傷が走る。

 

 次いで、稲妻の超高熱圧で膨張した大気が音速を突き破り、衝撃波となって2人を吹き飛ばした。

 

 雷鳴が白骨海域の端々まで轟き、二匹の悪魔が落ちていく。




Tips
 
シキ
 浮遊ミサイラー戦術と大火力引き撃ちマン戦法で一方的にボコるも、一瞬のスキを突かれてどんでん返しを食らう。

べアトリーゼ
 ブレオン状態でミサイラーの相手はキツかった。最後は捨て身の自爆戦法。実質的な敗北。

特殊弾頭。
 早い話、サーモバリック・ロケットモーター砲弾。完全にオーバーテクノロジーだけど……細かいことを気にしてはいけない(お願い)。



ロビンと再会まで毎日投稿で突っ走ろうとしたけど、限界っぽい。次回はちょっとお待ちを。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

98:悔しくても腹は減る。

しゅうこつさん、佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。



 金獅子海賊団の旗艦たる島船は、今や幽霊船のような有様だった。

 白骨海域内で生じた突発性サイクロンを完全には避けきれず、船体のあちこちがヨレている。

 

 船がサイクロンを避けきれなかった最大の原因は、岩塊を宙に浮かべている原動力――フワフワの実の能力者シキの力が鈍っていたからだ。

「大親分。メルヴィユの方は高度が落ちたそうですが、問題ナシとのことです」

 多数の電伝虫を扱う通信士が、船長席で猛烈な不機嫌面を浮かべているシキへ報告した。

 

 落雷の直撃を浴びたシキは、全身のあちこち――特に舵輪の刺さっている禿頭と剥き出しの刀を義足代わりにしている両足の接続部に酷い熱傷が出来ており、顔の右半分から右胸に掛けてシダ紋様の電熱傷が走っていた。

 

「そりゃ何よりだ。島船がこの様じゃあメルヴィユに帰るまで時間が掛かる」

 仏頂面のままシキは盃を口に運ぶ。高価な美酒なのだが、体中の痛みと不愉快な気分のせいで味わいもいまいちよろしくない。

 ……あんな小娘にしてやられるとは。思った以上に実戦の勘が鈍ってやがる。

 

 血浴のベアトリーゼとの戦い自体はシキの辛勝といえる結果だったが、戦略目標であるチレンの確保は失敗に終わった。試合に勝って勝負に負けた。そんな結末に苛立ちが募る。

 ベアトリーゼはズタボロの有様で海に落ちた。能力者であの重傷。潜水装備も酷く損傷していたから、助けが無ければ確実に溺死しているだろう。

 しかし、シキはあの小娘が死んでいると思えない。ああいう手合いは確実に息の根を止めない限り、死なないというのがこの海の通り相場だ。

 

「勇んで出馬してこの様じゃあ、下のモンに示しがつかねェな」

 金獅子海賊団。中枢と直属の人員はともかく傘下の海賊共は、打算の関係に過ぎない。

“たかが”3億8千万程度の一匹狼、それも小娘にしてやられたとあっては、連中が『金獅子のシキも焼きが回った。今じゃ小娘一人始末できねェ』などと見做し、下剋上や裏切りを目論みかねない。

 適当な海賊なり海軍部隊なりを血祭りにあげ、手綱を締め直しておく必要がある。

 

 シキが酒を呷りながら思案していると、通信士が報告してきた。

「大親分。ドクター・インディゴ様から通信です」

「スピーカーにつなぎやがれ」

 

『シキの親分。能力者の小娘にしてやられて、ドクター・チレンの確保に失敗したとか』

 スピーカーの向こうからのズバッと遠慮のない物言いに、船員達がギョッと目を剥く。

 

「ジハハハハ。耳に痛ェこと言うじゃねェか」

 が、シキ自身は苦笑いを返す。自身の右腕と認めるインディゴだからこそ許される毒舌。

『聞いたところでは、ザパン君を戦いに投入していないそうですね』

 

「おう。上手い機会が無くてよぉ……チレンにゃ逃げられちまったし。ビブルカードで追跡は可能だが、一旦戻って立て直さねェと無理だな。今回は出番ナシだ」

 シキがデカい絆創膏を貼った顎を撫でながら応じれば、ピロピロピロと笑う声が返ってくる。

『親分。提案させていただきたいことがあります』

 

 片眉を上げつつ、シキは盃を傾けてから、インディゴに先を促す。

「言ってみやがれ」

 

      〇

 

 海鳥の優しい歌に誘われ、ベアトリーゼは目を覚ます。

 

「つぅ……っ!」

 全身の痛みが酷く、思わず苦悶がこぼれた。意識がぼやけたまま目を動かし、周囲を見回す。

 

 テントの中? 揺れていないから陸地らしいが……なぜ? ここはどこ?

 不鮮明な記憶のページをめくって最終記述を探す。白骨海域の外れで鶏冠ジジイと戦い、積乱雲と乱気流を作り出して、野郎諸共に雷を浴びて……

 

 ダメだ。そっから思い出せん。まぁ……まだ死んでなければ、牢にぶち込まれても拘束もされてない辺り、金獅子に捕えられたり、イカレポンチ共に囚われたりしているわけでもないようだし、陸地ということは白骨海域内ということでも無かろう。

 

 マジでどこだよ。

 ベアトリーゼは掛けられていた防水布を下げて上体を起こし、体を見回す。潜水服は脱がされており、Tシャツとボクサーショーツに着替えさせられていた。

 

 ……ブラをつけてない。

 もぞもぞと確認。ん。意識が飛んでる間にレイプされたわけではないようだ。純粋に着替えさせられただけらしい。

 

 両腕は指先から肘の辺りまで包帯が巻かれており、体のあちこちにガーゼや絆創膏が貼られ、軟膏が塗りたくられていた。

 ベアトリーゼは痛む右手で左腕の包帯を少しめくる。酷い電熱傷で肌が爛れていた。おそらく右腕も似たようなものだろう。カランビットとダマスカスブレードが通電触媒になってしまったらしい。おかげで感電が重傷化してしまった。

 

 両手を握ったり開いたり。腕を伸ばしたり、畳んだり。肩を回したり。ズキズキと痛みが酷いし、肌が突っ張る感じもするが、とりあえず指は動く。力も籠められる。見た目は酷いものの、熱傷深度は深くなかった。

 

 枕元にはダマスカスブレードと装具ベルト。カランビットは無く鞘だけ。逸失したか。

 

 次いで、ベアトリーゼは見聞色の覇気を展開する。

 テントの外は緩やかな波が揺れる白い砂浜。テントが立つ周りは海岸に臨む木立で、木々に紅葉が混じっている。燦々と煌めく太陽の位置はオヤツ時手前くらいで、陽気はどこか涼しく潮風が仄かに冷たい。

 

 秋島……? アラバスタ‐ジャヤ間の航路にそんなもんなかったはず。ということは隣接する別の航路? それとも航路と航路の間にある島か? 分からん。

 

 そして、砂浜に接する岸壁に赤黒のトビウオライダーが見え隠れしていて、テントの前。石で作られた簡易かまどで、亜麻色髪の美女が薬缶でお湯を沸かしていた。

 チレン? なんで? 逃げろって言ったよな? どゆこと?

 

 ベアトリーゼはふらつきながら立ち上がり、Tシャツにボクサーショーツのまま、テントを出る。

「目が覚めたのね」

 チレンが安堵の溜息をこぼす。

 

「私はどれだけ意識を失ってた?」

 薬缶を手に取り、チレンはカップにお茶を淹れてベアトリーゼに差し出した。

「まだ24時間経ってない。それと、貴女の潜水服と装備だけど、ぼっろぼろよ。直るかどうかは私には分からないわ。あと、ここは小さな無人島みたい。貴方が寝てる間に少し散策してみたけれど、二日三日あれば、海岸線を一周できる程度しかないわ」

 

「ここへの経緯は?」

 カップを受け取りつつ、ベアトリーゼは問いを重ねる。

「海中から逃げろって言われたけどね。あんな海藻だらけの海域、私が抜けられるわけないでしょ。海底でずっと様子を窺ってたら、貴女が沈んできたの。慌てて貴女を回収して、なんとか溺れないようにして、夜まで待ってから海上を進んで、白骨海域を出たわ。まあ、出たら出たで高速海流に捕まっちゃってね。後は流されるままにこの島よ」

 

 ベアトリーゼはチレンの説明を聞き、大きく溜息を吐く。

「最後。あの鶏冠ジジイは?」

 

「生きてる」チレンは憎々しげに「重傷を負ったみたいだけど、自力で島船に戻っていった。向こうも損害が大きかったようね。少なくとも今のところは追ってこないわ」

 

「そっか」

 ベアトリーゼはカップを置き、痛む腕を組んでしばらく瞑目した後、

「あああああっ!! くそっ! 負けたっ! 殺せなかったっ! 悔しいいいっ!!」

 怒号を挙げながら地団太を踏む。

 

 チレンは呆れ顔を作り、小さく肩を竦めた。

「元気そうで良かったわ」

 

 ひとしきり怒鳴り喚き散らしてスッキリし、ベアトリーゼはお茶を口に運ぶ。と。引き締まった腹から、下水管が詰まったような音がした。

「……腹減った」

 

「空腹を知らせるにしてはひっどい音ね」

 チレンが苦笑いを寄こした。

 

      〇

 

 保存食で当座の“燃料”を補給後、ベアトリーゼは体調の確認がてら小さな島を散策し、ついでに飲料水や食い物を確保する。

「山菜はともかく……」チレンはベアトリーゼの手元を凝視し「それは何?」

 

「トカゲ」

 ベアトリーゼは30センチくらいある太ったトカゲをチレンに見せ、にっこり。

「美味そうだろ?」

「……私は砂浜で獲れた魚介でいいわ」とチレンがそっと目を逸らした。

 

 

 

 で。

 

 

 

 麦わらの一味が海上で元ドラム国王ワポルをぶっ飛ばし、ナミを治療するためドラム王国を目指していた頃。

 無人島の砂浜で美女2人がサバイバル飯を囲む。

 

 トカゲは鱗と皮を引っぺがし、内臓を引っこ抜き、ハーブと塩コショウして串焼きに。野営用鍋で魚介と山菜の磯汁が湯気を昇らせていた。

 焼き物と汁物が完成するまで、直火焼きした大きなドングリの皮を剝いて齧る。

 ホクホクして焼き栗みたいだけれど、渋みが酷くて不味い。それでも、貴重な炭水化物だ。食べておく必要がある。

 

 しかめ面をしながら焼きドングリをポリポリと齧るチレン。

 平気な顔して焼きドングリをボリボリ食べるベアトリーゼ。

 

「ホントにトカゲ食わないの? 美味いのに? 鶏みたいなもんだよ?」

「お気遣いだけで」チレンは迂遠に、だが、断固として拒否する。

 

「そう? じゃ遠慮なく」

 ベアトリーゼはトカゲを手に取って頭から丸齧り。

「焼いた脳ミソがトロフワで美味いんだ」

「そう……良かったわね……」チレンは生暖かい目を返した。

 

 野趣溢れる食事が済み、食後の御茶を嗜んでいるうちに日が傾き始めた。

 

 ベアトリーゼが高周波を発動した指でダマスカスブレードの刃を研いでいると、チレンがおもむろに問う。

「……奴を殺せそうだった?」

 

「クソイカレポンチの邪魔が無けりゃあ、心臓を真っ二つにしてやれたよ」

 ベアトリーゼはダマスカスブレードの刃を指でなぞっていく。木目紋様を宿す鋼刃が夕陽を浴びて艶めかしく輝いた。

 

「もしも……もう一度シキと戦う機会があったら」

 チレンは煙草を取り出し、火を点して紫煙を吐く。紫煙越しにベアトリーゼを見た。

「今度こそシキを殺して」

 

 酷薄な眼差しを向けてくるチレンを一瞥し、ベアトリーゼは整備を終えたダマスカスブレードを鞘に戻す。

「この仕事に殺しの依頼は入ってない。白骨海域のドンパチはあくまであんたを配達するための手段だ。鶏冠ジジイはムカつくし、邪魔臭いし、殺せるもんなら殺したいくらいだけど、殺し自体が目的じゃない」

 

「大立ち回りをする前と言ってることが違うようだけど? それとも敗けたことで考えを改めたのかしら」

 煽るような物言いをするチレンに、

「言いくるめようとするな」

 ベアトリーゼは疎ましげに鼻息をつく。アンニュイな面差しで気だるげに切り返す。

 

「あんたにはくたばりかけたところを助けられた借りがある。でも、それはそれ、これはこれ。私にあの鶏冠ジジイを殺してほしいなら、きちんと別途に交渉しなよ。相応の対価を用意するか、私を説得して絆すか、諦めて政府の奴らに情報を売って、奴らに金獅子を殺して貰え」

 道理と筋の問題だ。

 

「……」

 チレンは苦々しい面持ちで紫煙を吐き捨て、大きくゆっくりと息を整えてから、上着の懐から写真を取り出した。

 写真の中で柔らかく微笑むチレンと同年代の男性と幼子。

 

 愛おしげに、切なげに、悲しげに写真を撫でて、チレンはポツリと言った。

「奴らは私の夫と子供を殺した」

 

      〇

 

 それは“赤髪”シャンクスが四皇と呼ばれ始め、ベアトリーゼがガレーラカンパニーを退職し、プリティ海運の許に身を寄せていた頃のことだ。

 

 グランドライン後半“新世界”。某世界政府加盟国。

 チレンは俊英の流体力学研究者として、惑星環境力学的観点から摩訶不思議なグランドラインの海流や気象を科学的に解明しようという試みに参加していた。

 

 当時のチレンは20代半ばながら、既婚者で幼い子供もいた。

 夫とは学生結婚で、出産も学生のうちに経験。研究者と母親の二足の草鞋は大変な苦労の連続だったけれど、その苦労を大きく上回る幸福と充実を抱いていた。

 研究者として、妻として、母親として、チレンは順風満帆の生活を送っていた。

 

 少なくとも、あの日まで。

 

 当時、“新世界”は荒れていた。

 新たな皇帝の登場で皇帝達や大海賊達の抗争が激化しており、ビッグマム海賊団をして主力を担う年長者組が前線に出ずっぱりだった(その最中に“お使い”を命じられたガレットとモスカートが蛮姫と出くわした)。

 

 チレンを襲った凶事は、そうした“新世界”の時勢によって起きた。

 百獣海賊団の旗を掲げた海賊船団がチレンの国を襲撃し、蹂躙した。大勢が殺されるか、誘拐された。金穀から資源まであらゆるものが奪われ、あらゆるものが壊され、焼き払われた。

 チレンは他の女性研究者と共に捕まり、強姦された。殺されたり連れ去られたりせずに済んだのは、ケダモノ共の気まぐれに過ぎない。

 

 心身をこれ以上ないほど傷つけられ、チレンが苦痛と恥辱の涙と血を流しながらも自宅に帰りつけば、半ば破壊された家屋の中で、血溜まりに夫と幼い我が子が斃れていた。

 喧嘩もしたことがない夫は激しく抵抗したのだろう。骸はずたずただった。

 幼い我が子の小さな屍は頭を踏み潰されていた。

 

 その場に崩れ落ち、チレンは喉が張り裂けんばかりに慟哭した。

 この日、チレンの魂は修復不可能なほど決定的に張り裂けたのだ。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

 煙草を燻らせながら、チレンは論文の内容を読み上げるように我が身に起きた惨事を淡々と語った。

 ベアトリーゼは黙って話を聞く。

 悲惨な話だと思う。同時にありふれたことだとも思う。ベアトリーゼはこの手の出来事の被害者だったこともある。加害者だったこともある。傍観者だったこともある。

 

「それから、役立たずの国軍とのろまな海軍がやってきて、私を医療キャンプに放り込んだ。医者が言うには、私は狂乱して兵隊達に叫んでいたそうよ。奴らを殺して。奴らを殺して。奴らを殺してって」

 チレンは短くなった細巻を焚火に放り込み、感情が抜け落ちた瞳で燃えていく吸殻を見つめる。

「国軍はもちろん、海軍も動かなかった。あの無駄飯くらいの駄犬共、新世界の情勢が荒れてて、動く余裕がなかったんですって」

 

「ま、連中は今だって手が足りてないしな」とベアトリーゼが物憂げに合いの手を入れる。

「あれは襲撃から少し経った頃だった」

 チレンは新しい煙草を取り出しながら話を続ける。

「首を吊ろうとしてた時よ」

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 起きていれば、夫と息子を失った喪失感と我が身を襲った不幸の大きさに押し潰されそうだった。

 眠ろうとすれば、自分をぐちゃぐちゃに壊した暴力と、焼け焦げた夫と我が子の姿が鮮明に浮かび上がり、恐怖と絶望に打ちのめされる。

 荒れ果てた自宅を片付けることも出来ず、日々の生活もままならず。

 

 チレンは耐えられなかった。もう堪えられなかった。現実の残酷さと無慈悲さに。

 

 床に残る夫と我が子の血痕の前で、細首に縄をかけようとした刹那、チレンの許を“客”が訪ねてきた。

 上等で高価な着衣の紳士――の振りをした『悪党』だ。チレンは即座に分かった。自分を凌辱して嘲笑っていたケダモノ達と同じ目をしていたから。

 

 紳士気取りのケダモノは、投資を打診する銀行員のように礼儀正しく語った。御丁寧にお悔やみの言葉を最初に並べ、隠すことなく自身が金獅子海賊団の者だと名乗る。

「チレン先生。医者や司祭は貴女を救えません。薬や酒をどれほど飲もうとも貴女の痛みは和らがない。今、貴女に必要なのは目的だ。この世界の非情さに立ち向かう強い動機と言ってもいい。私達は貴女に生きる目的と動機を提供できます」

 

「あのクズ共と同じ海賊が私に何を出せるというの?」チレンが罵倒するように言えば。

「御家族の復讐。貴方自身の報復」と紳士気取りのケダモノは答えた。

 

 チレンは咄嗟に言葉を紡げなかった。その言葉ががらんどうになっていた心に深く浸み込んでいく実感に脳が痺れ、体が震えていた。

 そんなチレンへ、紳士気取りのケダモノは悪魔のように微笑んだ。

「貴女がどれほど訴えようと、海軍は動きません。連中は大海賊に手を出さない。戦力が足りないとか、時勢が悪いとかいろいろ理屈を並べますがね。結局のところは『負ける』というリスクを冒す勇気が無いんですよ、あいつらには」

 

「貴方達ならあると?」

「ええ。貴女のような才能ある人が手助けしてくれるなら。シキの大親分は貴女が才能を発揮するために必要なものを、能う限り用意する準備があります」

 握手を求めるように、紳士気取りのケダモノは手を差し伸べた。

 

 チレンは迷うことなく、その手を取った。

 既に復讐と報復のこと以外、何も考えられなくなっていた。空っぽの心は怨恨の炎で燃え上がり、憎悪が全身に活力を与えていた。

 

 誰も仇を取ってくれないなら。

 誰もこの恨みと憎しみを晴らしてくれないなら。

 私が自分で成し遂げる。

 

 悪魔と手を組んででも。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

「だけど、あんたはシキを裏切った」

「私の国を襲った百獣海賊団は、シキと取引していた」

 ベアトリーゼの指摘に、チレンは吐き捨てる。ありったけの敵愾心を込めて。

 

 シキの下で復讐と報復の研究に取り憑かれていたチレンは、ふとした機会に知る。

 百獣海賊団が襲わずとも、チレンの国は元々シキが襲う予定だったことを。

 

 狙いはチレンを含めた科学者達とその研究資料。シキは浮揚能力をより効果的に運用するため、惑星環境学を扱っていた科学者達と研究資料を欲していたのだ。

 シキは大量の武器調達のため、ロックス時代の縁から百獣海賊団とワノ国製武器を取引しており、その代価としてチレンの国を共同襲撃する計画を持ち掛けた。

 

 金穀やその他を百獣海賊団に譲るが、科学者達や資料は無傷でシキが手に入れる――そういう話。もっとも、先走った百獣海賊団のアホ共が科学者達を害し、資料も少なからず破損させてしまい、以降、両者の取引は途絶えた。今、シキの武器調達は“ジョーカー”経由で行われている。

 

 真実を知った時、チレンの胸中に生じた感情の爆発は、如何なる言葉でも表現できない……

 

 復讐に心を焼き尽くされたチレンが、メルヴィユの拠点内で弾薬や燃料を爆発させたり、インディゴの危険な微生物や化学剤を散布させるといったテロ的手法を取らず、シキの許を出奔して海軍に情報を密告しようとした理由は、その方法では化物染みたシキを殺しきれない可能性が高いから。

 復讐に理性以外の全てを削ぎ落とされていたからこその冷徹な判断。

 

 同時に、クズ共に何もかも奪われ、何もかも壊され、挙句は仇に騙されていた女の復讐心は、もはやシキを殺すだけでは収まらない。全てが憎い。

 自分を騙し操っていたシキが。全てを奪った百獣海賊団が。民を守れなかった国が。海賊共をのさばらせる海軍が。全てが憎く、恨めしく、許せない。

 

「それで。まずはシキと海軍をぶつけ合わせて、双方を滅茶苦茶にしてやろうとしたわけだ」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔でシニカルに笑う。

「学者先生らしい小賢しい悪企みだね。しかも海より深く暗い情念たっぷりだ」

 

 くつくつと嘲る蛮姫にチレンは不快を隠さない。

「子供を勘違いで殺しても気にしない貴女には、理解できないかもね」

 

 悪罵を浴びせられても、ベアトリーゼは鈴のように喉を鳴らす。

「“気に入った”よ。チレン先生。その渇望を叶えられるかは確約できないけれど、一つ約束してあげる」

 

 宵の帳が落ち始めた空から注ぐ夕陽の残照と淡い月光を浴び、暗紫色の瞳が妖しく煌めいた。

「あの鶏ジジイともう一度戦う機会があったら、私が殺す」

 




Tips
シキ
 辛勝。後始末を考えると頭が痛い。

ベアトリーゼ。
 惜敗。悔しいいいいいいいいいい!

チレン。
 悲惨な過去が明らかになった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

99:粘着気質ジジイの手は長い。

トリアーエズBRT2さん、佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、茶柱五徳乃夢さん、ふーんさん、誤字報告ありがとうございます。


 “元”医療大国ドラム王国へ到着した麦わらの一味は、高熱を発したナミを治療すべく、魔女がいるという巨大な雪山『ドラムロック(標高5000メートル)』を登ったり、その道中に凶暴な人食い大兎達と戦ったり、巨大雪崩に出くわしたり。

 

 元王国守備隊長ドルトンや住民達と交流し、ドラム王国の事情――“黒ひげ”海賊団に襲われた際に国王と重臣その他が逃げ出したことや、現在はドルトンが済し崩し的に国の仮代表を務めていること、医療大国にも関わらず医者がほとんどいない理由などを聞いていたりしていた。

 

 なお、船番としてメリー号に残っていたゾロは何を血迷ったのか、『寒中水泳をしよう』と凍てつく川へ飛び込んで帰ってこない。カルーはいつまで経っても戻らぬゾロを案じ、渋々ながら極寒の川へ飛び込み、漫画のようにカチンコチンに凍った……。

 

 ともあれ、ナミは魔女と人に化けられる青鼻トナカイの治療で回復し、ルフィが青鼻トナカイを気に入って仲間にすべく追い回していたところ。

 ドラム王国へ『国を見捨てて逃げ出した、バカでアホでカスでクソで非の打ち所がないほどの暗君』なワポル君が帰国する。

 

 案の定というか当然の帰結というか、麦わら一味は済し崩し的にバクバクの実の能力者ワポル君一味を完膚なきまでにぶちのめし、ついにはワポル君を文字通り空の彼方にふっ飛ばし――

 今。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 小柄な青鼻トナカイが夜空を見上げて泣いている。

 悪魔の実ヒトヒトの実を食ってしまった“バケモノ”が、ドラム王国の夜空に咲く“桜”を見上げて泣いている。

 

 化学剤で桜色に染められた雪雲と粉雪が、さながら満開の桜が花吹雪を舞わせているような絶景。

 トナカイでバケモノで、卓越した医者であるトニートニー・チョッパーは涙を流し続ける。

 

 偉大なヤブ医者の夢が叶ったことに、歓喜の号泣をあげている。

 夜空に咲き乱れる桜を、”父”と共に見られぬことに哀切の慟哭をあげている。

 

 医術の師匠であり、今や母と変わらぬ魔女の心遣いと思いやりに、感謝の嗚咽をあげている。

 ドクター・ヒルルクの想いとドクター・くれはの思いを受け取り、大声を上げて泣いている。

 

 暗君の暴政によって病み衰えたドラム王国は、麦わらの一味によって病巣を切除され、偉大な男の遺志が花咲いたこの夜、見事に治療された。

 そして、雪夜に満開する桜に見送られ、2人の医師達から最高の心と最高の腕を継いだ弟子が、海へ旅立つ。

 

 新たに船医を迎え入れ、天才航海士が絶好調になった麦わら一味は、最高速度でアラバスタへ向かっていく。

 

      〇

 

 アラバスタに向かう航海中。

 燦々と注ぐ太陽の下。ナミはビビと一緒に後甲板に並ぶ蜜柑の木をお手入れ。

 

「そういやぁ、ナミとビビは知り合いだったんだな。どこで知り合ったんだ?」

 蜜柑の木の傍でチョッパーとじゃれていたルフィが、ふと思い出したようにナミへ尋ねた。

 

「んー? そうねえ……」

 ナミは作業を止め、ちらりとビビを窺う。ビビが首肯を返し、ルフィへ事情を話し始めた。

「私はバロックワークスに潜入していて、東の海のアラワサゴ島紛争に関わることになったの。それで、戦いに負けて島から脱出した後、ベアトリーゼさんにナミさんを紹介されたわ」

 

「私の方も似たようなもん。当時、潜り込んでた海賊船がアラワサゴ紛争のとばっちりで沈められて、遭難してるところをベアトリーゼに拾われて……まあ、色々あってビビと知り合ったわ」

 ハサミと手袋をエプロンのポケットへ収め、ナミは三白眼でビビをじろり。

「その時のビビは旅の学生の振りをしてたのよ? それも育ちが良さそうなお嬢さんの。ところがリヴァースマウンテンで再会してみれば、どうよ。あんな場末の娼婦みたいな恰好で……」

 

「あれは潜入するために変装っ! 好き好んであんな恰好してたわけじゃないわ!」

 ビビが力を込めて釈明する。ミス・ウェンズデーの装いを趣味だと思われたくない。

 

 チョッパーがつぶらな瞳をぱちくりさせ、美少女達へ尋ねる。

「2人ともベアトリーゼってのが共通してるんだな。誰だ?」

 

「賞金4億弱の大悪人よ」ナミは言った「凄く頼もしいけど、いろいろ滅茶苦茶だし、いろいろ雑だし」

「? なんで俺を見るんだ?」

 ナミにジトッとした眼差しを向けられたルフィが小首を傾げる。

 

「すごく良い人よ」ビビは微苦笑しつつ「礼儀正しくて義理堅くて、優しくて、面白くて、凄く頼りになるわ」

「ホントに同じ人物か?」

 説明を聞いて困惑するチョッパーに微苦笑を返し、ビビは胸元に下げたペンダントを見せる。

「それとね、御守りを作ってくれたわ」

 

「綺麗な青色だな」チョッパーはしげしげとペンダントを見つめ、気づく。「ん? これ鉄か? ……すげーなっ! こんな高純度の鉄、見たことねーっ!」

「ナミは貰ってねェの?」無自覚に爆弾を投げるようなことを言うルフィ。

 

「……貰ってない。でもまあ、私は故郷を取り返してもらったし、それで十分」

 ナミは張り合うつもりはないけれど、ペンダントの贈り物に張り合うつもりはないけれど、すまし顔で応じて、美貌を少し翳らせた。

「でもまあ……ベアトリーゼと言えば、ニコ・ロビンよね」

 

「……ええ」とビビも麗貌を曇らせる。

「ニコ・ロビン?」ルフィは思い出して「サボテンの島で会ったイジワル女か」

 

「『悪魔の子』ニコ・ロビン。ベアトリーゼさんは彼女と組んで、西の海からグランドラインに乗り込んできたの」

 ビビの説明にナミが接ぎ穂を足す。

「西の海を牛耳る5大ファミリーを始め、数々の悪党相手に強盗殺人を重ねてね。殺した相手の返り血塗れになるから、ついた二つ名が“血浴”」

 

「こえーよ!! ちょー物騒じゃねーかっ!! ほんとに良い奴なのか、ビビ!?」

「あ、あははは……」

 チョッパーが悲鳴を上げ、ビビは誤魔化すように笑うしかなかった。

 

 ある意味で期待通りの反応を楽しみつつ、ナミが説明を続ける。

「そんなベアトリーゼが無二の親友と認める存在がニコ・ロビンよ。海軍の精鋭部隊に追われた時、ベアトリーゼはロビンを逃がすため、たった一人で立ち向かった」

 

「友達のためか。良い奴だな」とルフィがしみじみと頷く。

「まぁ、ね」ナミは悩み顔を作り「辛辣なことも言ったけれど、ビビのベアトリーゼ評も間違いじゃないの。ただ……あいつは敵やどうでも良い人間と見做した相手には、恐ろしく冷酷非情になれる。何十人、何百人殺したって平気なくらい」

 

 オウィ島の海賊殲滅。アラワサゴ島の海岸線爆撃。アーロン一味の暗殺。ナミが知るだけでも相当な人間を殺傷している。

 ビビも無言で同意した。ベアトリーゼが護送船の海兵達と囚人達を皆殺しにして脱走したことを知っている。

 

「もしも……」

 ナミは密やかに抱いていた危惧を口にする。バロックワークスにニコ・ロビンがいると分かってから漠然と抱いていた不安を。

「私達がニコ・ロビンと事を構えることになったら、ベアトリーゼが敵に回るかもしれない」

 同じ憂慮を抱いていたのだろう。ビビも眉を大きく下げ、密やかに手を握る。

 

 美少女2人が沈鬱な面差しを作り、チョッパーがおろおろし始めた矢先、ルフィがあっけらかんと言い放つ。

「敵になるなら、戦うしかねェな」

 

 こいつってホントに踏ん切りが良いというか、即座に覚悟を完了できるというか……ナミは呆れと感心を抱きつつ、出来の悪い弟を諭すように“優しい”顔を作る。

「私はルフィが強いと思ってるわ。ゾロもサンジ君も、ウソップとチョッパー……はまあ、ともかく頼りにしてる。でも、ベアトリーゼは海岸線を吹っ飛ばすのよ? ルフィみたく地味じゃないのよ? 軽く考えてると危ないわよ?」

 

 ルフィは自尊心を引っぱたかれた気分になり、唇を尖らせてナミに厳重抗議する。

「地味言うなっ! だいたいチョッパーの方が地味だろっ! バケモンになるだけだ!」

 

「そうだぞ。俺はバケモンになるだけ……誰がバケモンだコノヤローッ!!」

「いてぇーっ!?」

 見事なノリツッコミでルフィに噛みつくチョッパー。

 

 ナミが溜息をこぼし、ビビが楽しげにしていると、船楼のドアが開き、

 

「皆、聞いてくれっ!!」

 サンジが全員へ聞こえるように声を張る。

「食料について話があるっ!」

 

 瞬間、ルフィとチョッパーとウソップとカルーが逃げ出した。

 コックと航海士による鉄拳制裁が下るまで、あと少し。

 

      〇

 

 麦わら一味が食糧難で困窮したり、オカマを釣り上げたりしていた頃。

 ベアトリーゼが操縦するツギハギ化物トビウオがふらつきながら、ロッキー島を目指して進んでいた。

 

 道中の雰囲気は悪くない。

「惑星流体力学の観点から言えば、海流が不規則な複雑性を持つことは本来あり得ない」

 ベアトリーゼはトビウオライダーを操縦しながら合いの手を返す。

「まあね。海流は惑星流体だから、星の自転が一方向である以上、回転軸に並行して揃わないとおかしい。それに重力が働いて、地表に対して垂直方向の運動や変化が混ざり合わないはずだ」

 

「ええ。でも、グランドラインに限らず四海も惑星流体力学の理論に反した海流や気象をしてるわ。本来、大気現象や海洋現象は二次元で完結するはずなのに」

「つまり、この星には星の自転や重力にくわえた、第三の要素があると」

 チレンの言いたいことを察し、ベアトリーゼが先を促せば。

 

「ええ。私はレッドラインに第三の要素があると思う。四海の潮流が衝突するリヴァースマウンテン。グランドラインを挟むように広がるカームベルト。一般的なコンパスを無力化するほど強力な磁気を発している島嶼群。これらはレッドラインに由来する『何か』が影響しているとね」

 うーむ、とベアトリーゼはチレンの指摘に唸る。

「万国みたく、御伽噺が顕現したような海域や土地の存在はどう説明する? 菓子で出来た島に、清涼飲料水の海。どういう理屈?」

「その辺りは地質学者達や土壌研究者達へ投げるわ」とチレンは苦笑い。

 

 こんな調子で海上学会をしながら、2人を乗せたパッチワークなトビウオが進んでいく。間違っても本調子ではないから、移動速度は本来の最高速度の三分の一程度だ(それでも時速100キロ以上は出ているけれど)。

 

「ロッキー島まであと三時間ちょいか。この休憩が最後だな」

 ぷかぷかと波に揺られながら、トビウオライダーの背で小休止。ベアトリーゼは長時間の前傾姿勢で首や肩や腰が痛かった。鞍上に立ってヨガ紛いの体操を始める。トビウオ同様につぎはぎだらけのタイトな潜水服がミチミチと悲鳴をこぼす。

「あんまり無理な体勢を取ると破けるわよ」

「ヘルメットもボロボロだしなぁ……」

 ベアトリーゼは多眼式ヘルメットを脱ぎ、まじまじと見つめる。

 多眼のいくつかは割れ、暗視機能などは破損。ハイテクが台無しだ。しかもなまじ未来チックな技術と部品が使われているから、修理も覚束ない。

 

「今の格好は仕方ないけれど、ジャヤに現れた時の格好は確かに酷かったわね」とチレンが意地悪く微笑む。

「どうせ血塗れになるから捨てても良い服で赴いただけだよ」

「それでも、あの芋ジャージはないわ。女を捨て過ぎ」

「捨てた覚えは無いんだけどなあ」

 小休止中にベアトリーゼとチレンは他愛ない会話を交わし、目的の地ロッキー島へ向かって再び進み始めた。

 

       〇

 

 アラバスタ王国があるサンディ島の北側に、ロッキー島という小さな島がある。

 同国の領土であるこの島は、地質学的にあり得ないほど多種多様な岩石に満ちている反面、水源や農耕地に適した土地が乏しい。

 いきおいロッキー島の人口は少ない。というか、島にいる人間のほとんどがアラバスタからやってきた出稼ぎ労働者で、島の主要産業たる石材採掘に従事しているか、石材採掘業の関連者と彼ら相手に商売する者達ばかり。

 旱魃を機に国情が荒れる本土と違い、ロッキー島は平穏のままだ。明かしてしまえば、クロコダイルが無視する程度の島といって良い。

 

 そんなロッキー島に小さな土産物店がある。

 商売っ気のない店で、石材で作られたキーホルダーやら小さな飾り物やらを棚に並べているだけ。販売員もスレた婆様とその甥と称する男の2人のみで、愛想も悪い。小物を製作しているという工房の方は酷く閉鎖的で、周囲から作業の様子を窺うことは出来ない。

 

 さらに言っておくと、婆様が座りっぱなしのレジカウンターには、手元に散弾銃が隠してあり、甥は甥で身のこなしが素人を演じる武芸者のそれだ。

 怪しい。あからさまに怪しい。怪しすぎて周囲は『労働者相手に覚醒剤でも売ってんじゃねぇか?』『いやいや、きっと会員制の闇賭博だ』とか噂している。

 

 そんな怪しげな土産屋に、2人の美女が訪れた。

 一人は亜麻色のショートヘアが映える、三十路絡みの艶然とした美女。

 一人は癖が強い夜色のショートヘアに暗紫色の瞳が印象的な、小麦肌の若い美女。

 

 小麦肌の若い美女……ベアトリーゼが愛想の悪いババアへ言った。

「取引先の貴婦人に贈り物をしたいんだけど、お勧めはあるかな」

 

「ヨルグ! お客様を工房へご案内しな!」

「そげな大声出さんちゅうと聞ごえどるよ、伯母さん。どんぞこつらへ」

 ババアが言えば、甥が美女2人を店の奥にある工房へ案内していく。

 

 案内されながら、ベアトリーゼはこの施設を探る。

 店舗+住居と工房。店舗の方は普通だけれど……店舗から工房へ通じる通路は物が一つも置かれておらず、身を隠すところも一切ない。

 それと、肝心な工房は一見、煉瓦造りの小ぢんまりした建物にしか見えないが……煉瓦が分厚く、全ての窓とドアに銃眼付き鋼板シャッターが備えられている。

 これ、トーチカじゃん。

 

 大型掩体壕染みた工房に入り、作業場の奥にある事務所へ進む。

 いつぞやオイコット王国のレストランで出会った黒人紳士が、上品にお茶を嗜んでいた。

 

 黒人紳士はカップを置き、立ち上がりながら三つ揃えのボタンを締め直し、チレンへ丁寧に一礼する。

「ドクター・チレンですな?」

 

「ええ」

「無事の御到着をお祝い申し上げる。ここからは彼女に代わり、我々が貴女を保護します」

「確実なの?」チレンは不安と疑念を隠さない。

 

「そちらの彼女ほど荒事に長けてはおりませんが」黒人紳士は微笑む。「貴女を密やかに保護する分には釣りが来ます。御心配なく」

「老婆心から忠告しておくけど」ベアトリーゼが横から口を挟み「くたばり損ないの鶏ジジイが襲ってくる可能性は低くないよ。奴らは追跡の精度がやけに高いんだ」

「心得ている。対策済みだ」黒人紳士は小さく頷く。

 

「だと良いけど」チレンは猜疑を隠さない。

「まあともかく、私の仕事は完了だな」

 ベアトリーゼはチレンに向き直り、

「私の仕事はここまでだ。今後の幸運とあんたの復讐が達成されることを祈るよ、チレン先生」

「散々死にかけたけれど、ここまでありがとう、血浴のベアトリーゼ」

 チレンが差し出した手を握り返した。

 

     〇

 

 ロッキー島の夜更け。

『お仕事、御苦労様』

 

 チレンと別れた後、ベアトリーゼは石材のバイヤーなどが利用する宿に泊まり、数日振りに文化的な休息を取っていた。

 ベアトリーゼは宿で美味い飯をたらふく食い、部屋で温かい風呂とシャワーを思う存分に堪能し、薬局でたらふく購入してきた包帯やら痛み止めやら抗生剤やらであちこちの傷や痣の手当てをし終え、下着姿で清潔なシーツのベッドに寝転がりながら、白電伝虫を添えて、“依頼人”と連絡を取っていた。

 

 電伝虫の向こうにいる金髪碧眼の貴婦人へ、ベアトリーゼは嫌みを返す。

「私にシキを殺させるつもりだったんだろーけど、失敗したよ。残念だったね」

 

『あら。何のことかしら』

 間違いなくすまし顔でしれっとすっとぼけているだろうCP0の女諜報員に、ベアトリーゼは悪態を浴びせた。

「食えない若作りババアめ」

 

『まぁ酷い』

 蛮姫の悪口を上品に笑い飛ばし、ステューシーが話を進める。

『玩具と装備一式を酷く損傷したようだけれど、どうする気? 流石に諸々の機材や部品を貴女の許へ届けることは出来ないわよ。直すなら一度“マーケット”に戻ってきてもらわないと』

 

「さてね」ベアトリーゼは天井を眺めながら「とりあえずはロビンと会ってから考える。あんたとの付き合いをどう説明したもんか、頭が痛いよ」

『……私との縁を切らないのね』

 どこか嬉しそうに、どこか切なげに、歓楽街の女王が応じる。

 

 引き締まった腹をぼりぼりと掻きつつ、ベアトリーゼは鼻息をつく。

「政府も海軍も大嫌いだし……故あれば、騙すし、偽るし、裏切りもするけどね。世話になった相手を然う然う無下にする気も無いさ」

 

『利用できるうちは、でしょう?』

「そこはお互い様だろーが」

 高額賞金を科されたお尋ね者が毒づけば、政府の猟犬が麗しく喉を鳴らした。

 

       〇

 

 時計の針を少し戻す。

 空中島嶼群メルヴィユに撤収する際、島船から大きな“棺桶(コフィン)”が投下されていた。

 シキのフワフワの実の力によって少しばかりの浮揚力を得た“棺桶”は、流星のようにグランドラインの空を弾道飛行して着水。

 

 着水衝撃で砕けた棺桶の中からリリースされた、怪人が怒涛の勢いで泳ぎ出す。

 

 チレンの血を浸み込ませたビブルカードを食わされた怪人は、2500万分の1まで希釈された血の臭いを辿る鮫のように、チレンの許へ向かって泳ぎ進む。ガノイン鱗で覆われた皮膚が水の抵抗を滑らかに切り裂き、さながら対艦ミサイルみたいな勢いで。

 

「べあとぉりぃいぜえええ」

 怪人は怨敵の名をこぼしながら夜の波を掻き分け、ロッキー島へ真っ直ぐに突き進んでいく。




Tips

麦わらの一味
 原作チャート通りに進行。
 ナミの治療のためにドラム王国へ赴き、暗君ワポルと大立ち回りを繰り広げ、面白トナカイを仲間にした。

トニートニー・チョッパー
 原作主要キャラ。CVは大谷育江(臨時に伊倉一恵)
 青鼻の小柄なトナカイ。ヒトヒトの実を食ったため、人間化できる。
 マスコット化が進むにつれ、狸と間違われるほど容貌が可愛くなっていく。
 
”万能薬”を志す小さな医者様。なお、その実力は既に超一流の模様。

海上学会
 いんたーねっつ上の情報を参考にしました。誤りがあったら御指摘ください。

ロッキー島
 オリ設定。
 サンディ島の近くにある岩だらけの小さな島で、グランドラインらしく地質学的法則性を無視し、様々な石材が採掘できる。

ブラックサイト
 諜報機関サイファーポールの秘密施設。ガワは土産物屋。実態はトーチカ。

怪人
『べあとぉりぃぜえええ』の発音は、某ゲームの生物兵器が繰り返す『すたぁああず』という発音に似てる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

100:もっとスマートに

金木犀さん、MAXIMさん、ヲールさん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。



 

 怪物と化したザパンは魂に刻み込まれた恐怖と怯懦に駆り立てられ、本能の命じるままにチレンを追いかける。

 あの女を捕まえれば、あの女を殺せば、きっと奴が現れる。俺の顔、俺の顔を奪った、奴が現れる。ベアトリーゼ。ベアトリーゼ。ベアトリーゼッ!!

 殺さなきゃ。殺さなきゃ殺さなきゃあ、ベアトリーゼを殺さなきゃあ俺は顔を取り戻せねェっ!! 俺は、俺は俺を取り戻せねぇッ!!!! 

 

「べああとりぃぜええっええええっ!」

 ザパンは叫ぶ。まるで泣いているように。

 

    〇

 

 月光に照らされるロッキー島。酒盛りしていた者達も就寝し始めた深夜。

 土産物屋の皮を被った世界政府諜報機関(サイファー・ポール)秘密拠点(ブラックサイト)が強襲された。

 

 夜更けの静寂を引き裂く騒音。店舗の正面玄関がぶっ壊される音色に、店舗家屋と工房宿泊室に詰めていた工作員達が即応する。

 店主と従業員に化けた老婆と中年男が迎撃に向かい、他の者達は工房へ集結。窓や出入り口を銃眼付き鋼板シャッターで閉ざした。隠匿していた武器弾薬を引っ張り出し、手早く戦支度を整えつつ、指揮官の黒人紳士がセーフルームに保護している最重要情報提供者(パッケージ)の許へ。

 

「な、何事なの!?」

「落ち着いてください。我々が対処します」

 黒人紳士が動揺するチレンを叱るように低い声で言った。

 

 直後、店舗の方から銃声が聞こえてきた。数秒ほど激しい銃声が奏でられ、次いで、老婆と中年男の断末魔が響く。

「!」黒人紳士の顔が強張る。老婆と中年男もベテラン工作員だ。不測の事態にも突発戦闘にも慣れている。それがこんなあっさり―――

 

 工房正面ドアの銃眼に据えられた多銃身機関砲(ガトリングガン)。その銃把を握る工作員が覗き窓から大柄な人影を確認し、即座に発砲した。

 連続する銃声は怪物の咆哮のよう。排莢口からカートリッジが次々に吐き捨てられていく。

 

 人間など容易く挽肉に変えてしまう弾幕射撃が大柄な人影を捉え、

「嘘だろっ!?」

 甲高い金属音と共に全て弾かれた。

 

 大柄な人影は弾幕を掻き分けるように、火花を散らしながら傲然と工房へ近づいてくる。

 別の工作員が銃眼から小銃の銃口に装着した擲弾を放つ。炸薬の塊が大柄な人影に命中し、爆発。爆発衝撃波と轟音が頑健な工房をびりびりと震わせる。

 

 たしかな手応えがあった。しかし、大柄な人影が爆煙の中から平然と姿を現す。

「あれは、なんだ……?」

 爆炎に照らされた襲撃者の姿に、工作員達が絶句した。

 

 三メートルを超える上背は筋肉で肥大しており、全身の体表面を鈍色の硬鱗が覆っている。そして、仮面のようなもので覆われた顔に覗く双眸は、真っ赤に充血していた。

 

「べっ……べぇえあっとりぃいいいぜえええっ!!!」

 無貌の怪人が雄叫びを上げ、工房の正面扉に向かって突っ込む。

 大質量の直撃で正面扉の鋼板シャッターが大きくたわみ、工房が軋み震える。誰もが確信した。あのバケモノ相手では長く持たない。

 

 黒人紳士は即座に踵を返し、工作員達へ命じる。

「現時刻を以てこのサイトを放棄する! プロトコル3を発動っ! 港からこの島を脱出するぞっ! 急げっ!」

 

「なんなのっ!? 何が起きてるのっ!?」

「話は後だ、先生っ! 今は脱出が先だっ!」

 黒人紳士がチレンを伴い、床にある隠し通路の扉を開けた。

 

「プロトコル3、発動っ! 爆発まで40秒っ!」

 中年女性の工作員の言葉に、チレンが顔を引きつらせる。

「爆発っ?! 爆発ですってっ!?」

 

「そうだ、先生。ここは爆発する。死にたくなければ急げっ!」

「貴方達に保護されても、ちっとも安全じゃないっ!」

 当然の文句を吐き、チレンが手荷物を抱えながら隠し通路に駆け込んでいく。

 

 黒人紳士が工作員達共に隠し通路に入り、扉を閉ざす。

 分厚い鋼板の正面扉がぶち破られた轟音がつんざく。怪人が工房内に侵入し、目につくものをしっちゃかめっちゃかに壊しながら暴れ回る。

「べあっとおおりぃぃいぜええええっ!!」

 怪人が再び絶叫した、刹那。

 

 プロトコル3……拠点の隠滅用燃料が爆発。工房内を炉のように炎で満たした。

 

    〇

 

「おいおいおい……」

 戦闘騒音が聞こえてきたかと思えば、宿の窓から夜の闇を焼き焦がす炎が見えた。見聞色の覇気で探れば、自分の名前を叫びながら暴れるウロコ怪人がいると来た。

 

「粘着ジジイめ。送り狼を寄こしやがったな」

 ベアトリーゼは鼻息をつきつつ、この島で買ったばかりのキャミソールとストレッチデニムを身に着けた。腰に装具ベルトを巻き、ダマスカスブレードの鞘を後腰のホルスターに差し込む。多眼式潜水ヘルメットとタイトな潜水服をバックパックに収めていく。

 

 ドクトル・リベットなら見殺しにしても良かったが、チレンをこのまま見捨てては些か後味がよろしくない。それに――先方はこちらを御指名みたいだし。

 両腕にダマスカスブレード用の装具を取り付け、ベアトリーゼは癖の強い夜色のショートヘアを気だるげに掻き上げた。

「まだ本調子じゃないってのに……モテる女はツラいね」

 

     〇

 

「素晴らしい」

 ドクター・インディゴは電伝虫に取り付けられたファックスが吐き続けるデータログを読み取り、薄笑いを浮かべた。

 

 今やウロコ怪人と化したザパンの体内には、電伝虫を移植してあって活動情報を送信してくる。

 データログを読み取る限り、今のザパンは一般的な銃弾や炸薬に対して無敵だ。高温の炎にすら耐えきった。挙句に熱損したガノイン鱗を瞬時に生え替わらせている。

 

「ピロピロピロ……今後は適正値と耐性値の高い被験者を集めよう。そうすれば、シキの親分は無敵の軍団を手に入れられ、私はS・I・Qをより発展させられる。まさにウィン・ウィンッ!」

 高笑いするインディゴは、ザパンの精神状態のデータログを気に留めていなかった。

 インディゴが注目する点はあくまでハード……肉体面の変化と性能であり、ソフト……精神面の変容と状態は関心がない。

 

 言ってしまえば……ザパンが狂っていることなど、どうでも良いのだ。

 

    〇

 

 チレンは手荷物を抱えながら、港を目指して路地をひた駆けていく。

 アレが何か分からないが……製作者には心当たりがあった。というか、他におるまい。あのアホピエロだ。それと、

「べあとおおりぃぃいぜえええええええええええっ!!」

 無貌の怪人が繰り返し怒鳴る蛮姫の名。

「どういう知り合いか知らないけど、私を巻き込まないでよっ!」

 

「ヴォオオオオオオッ!!」

 雄叫びと共に怪人は巨大な肉弾と化した。

 

 進行上のあらゆる無機物の障害物を破壊して。塀も建物も。街路樹も。石畳も踏み砕き。

 進行上のあらゆる有機物を撃砕して。逃げ惑う無辜の人々も。討伐しようと立ち向かう人々も、怯え竦む子犬さえも踏み潰し。

 怪人は一直線に突き進む。後に残されるは粉塵を昇らせる瓦礫と紅い肉塊。

 

 チレンと工作員達は港を目前に追いつかれ、

「逃げろっ! どこでも良い、逃げろっ!」

 黒人紳士と工作員達が怪物の足止め、否、わずかでも時間稼ぎを試みて踵を返した。彼らの給料には死ぬことも含まれるから。

 

 チレンは指示通り、振り返らずに駆ける。背後で銃声と工作員達の断末魔が重なった。怪物は止まらない。

 具体的な死が迫る中、チレンは恐怖より怒りを覚える。こんなところで死ねない。まだシキに思い知らせていない。まだ百獣海賊団に夫と我が子の報いを味わわせていない。まだこの忌々しい世界に意趣返しをしていない。

 まだ、何も成し遂げてないっ!!

 

「べあとりぃいいぜええええっ!」

「真夜中に大声でひとの名前連呼してんじゃねーよ、バカヤロー」

 

 怪人の咆哮に混じり、チレンが物憂げな声色を聞いた直後。衝撃波を伴う轟音がつんざき、怪人が幾つかの建物を巻き込んで吹っ飛ぶ。

 

 怪物の横っ面を蹴り飛ばし、ベアトリーゼは粉塵を手で払いながら小首を傾げる。

「ありゃ? 殺すつもりで叩き込んだんだけどな」

 

「べ、ベアトリーゼ」チレンは安堵の息を吐くと眉目を釣り上げ「あれ、貴女の名前をずっと口にしてるけど、どういう知り合いよっ!?」

「や。そんなこと言われても」

 ベアトリーゼは、瓦礫を払いのけながらやってくる怪人を窺う。

「方々に恨みを買ってる自覚はあるけど、あんな特徴的な奴は覚えがないなあ……」

 

「元の容姿とは全然違うわ。あれはバカピエロにS・I・Qを打たれてる」とチレン。

「えす……なに?」

 訝るベアトリーゼへ、チレンは怪人を睨み据えながら口早に説明した。

「生物の戦闘的進化を促す薬物を投与されてる。あれは戦うためだけに存在する化け物よ」

「進化、ねえ」ベアトリーゼは半目で怪人を見据え「進化というより、適応変態してるだけの気もするけど」

 

「ヴォオオオオオオオオッ!! べあとりぃいいぜえええええええええっ!!」

 怪人が無貌の血走った両眼に、ベアトリーゼを捉えながら怒号を挙げる。その恐ろしい容貌と相まって、まるで悪魔の咆哮だ。

 

「だから、人の名前を叫ぶなって」

 ベアトリーゼは苛立たしげに鼻息をつく。

「面倒臭ェ奴」ベアトリーゼはチレンに自分のバックパックを投げ渡し「チレン。港へ行け。トビウオライダーんとこで待ってろ」

 

「トビウオライダー? でも、潜水服が」チレンが困惑を浮かべる。

「細かいことはいいから。早くお行き」

 ベアトリーゼはチレンの背中を押して強引に行かせ、後腰からダマスカスブレードを抜いて両腕に装着。

「じゃ、死んでもらおーか」

 

「べああああとりぃいいぜえええええええええっ!!」

 怪人が雄叫びを上げながらベアトリーゼ目掛けて突進し、巨腕を振り回す。

 

 丸太よりも太い剛腕が風切り音を牽いて迫るも、ベアトリーゼにしてみれば欠伸が出る拳速に過ぎない。容易く大きな拳を潜り、螺旋極(ハーエストラバント)で腕伝いに旋回して懐の内側に潜り込み、その勢いのまま弧を描くように身を捻り、ダマスカスブレードを一閃。

 しかし、刃が鱗面を滑るように跳ね、峻烈な火花が躍る。

 

「ヴォオオオオオオオオッ!」

 宙を踊るベアトリーゼに向け、大柄な怪人が反撃の拳打を放つ。

 

 触れずにかわすことは容易い。が、ベアトリーゼはあえて怪人の打撃を邀撃。くるりと木の葉のように拳の直撃を避けつつ、高周波を乗せた漆黒の拳を手首へ打ち込む。

 大きく弾かれる巨拳と体勢を崩す怪人。そして、周波衝拳(ヘルツェアハオエン)を食らった手首からガノイン鱗が砕け散るも、それ以上のダメージはない。

 

「ギミックが盛り沢山だな」

 ベアトリーゼは後方捻り宙返りで着地し、小さく呟く。

 

 かなり硬質な鱗だ。おまけに分泌物で表面を潤滑させているらしい。それに、許容を超えた衝撃に対してはガラスのように自壊し、表面分泌物が蒸散することで、衝撃や熱の体内浸透を大きく緩和してるっぽい。

 

 フィジカルも単純にタフだ。皮膚は頑丈。脂肪と筋肉も厚く高密度。

 

 ベアトリーゼは手の平をちらりと一瞥する。

 手の平がひりひりするな。肌が糜爛しないところを見ると、分泌物は浸透性の毒物か。いずれにせよ直接触れてこの程度なら、体内注入されない限り即応性はない。

 

 熱プラズマを発し、ベアトリーゼは手のひらを消毒した。

 斬撃、振動衝撃、打撃に対して高い防御力を持ち、接触(グラップリング)を拒絶するように毒を分泌する身体……なるほど。私に対抗した適応変態か。

 指向性掛けて催眠音波を仕掛けてるけど、効果は出てない。とっくに頭のネジが外れているようだし、三半規管に影響が及んでいる様子もない。よほど頑丈なのか、対抗器官があるのか……

 なんにせよ、こいつは私を知ってる。どっかで殺し損ねた奴かな? 心当たりがあり過ぎてわっかんねェわ。

 

 まぁ、それはそれとして。

 

「べあとりぃいぜええええええっ!」

 無貌の怪人が巨躯を激しく躍動させ、巨拳をうならせる中、

「あのな。何度も言ってるだろ」

 ベアトリーゼは矢のように踏み込む。瞬く間に岩の塊みたいな怪人の間合い内へ入り、右拳を深く強く握って漆黒に染め上げた。

「ひとの名前を気安く叫ぶなボケッ!!」

 電磁加速された拳が、静電気を引きながら怪人の鳩尾に突き刺さる。

 

 落雷染みた衝突音がつんざく。

 音速を超えた打撃は怪人の腹部から胸部に掛けて鱗を破砕し、突き抜けた衝撃によって背中の鱗も吹き飛び、衝撃で生じた熱が全身の分泌物を蒸発させた。挙句、衝撃の余波と轟音によって半径数十メートル圏内の窓ガラスが砕け散り、家屋がたわみ軋む。

 

「ヴォエアアアアアッ!?」

 仮面じみた無貌から激しく吐血しながら、怪人が大きな体躯をくの字に折り曲げた。蛮姫は怪人の顔面に向かって跳躍し、高速三回転半捻りの運動エネルギーを乗せた漆黒の膝をぶち込む。

 

 砲弾が装甲板へ着弾したような衝突音が轟き、怪人の顔を覆うコズミン鱗が砕け割れ、鮮血が勢いよく噴き出した。

 ベアトリーゼの攻撃は終わらない。筋肉で盛り上がった怪人の肩口を掴み、駒のようにくるりと身を回し、砕け割れた顔面目掛けて肘剣の刺突を放つ。

 

「がぉ、おぉおれのがぉ、がをおおおおおおををををっ!!」

 確殺の鋼刃が迫る中、怪人の恐れと怯えに体内のS・I・Qが応えた。細胞の一部が瞬間的に発電細胞へ変態し――放電。

 

 鋭い閃光が走り、周辺の空気が爆ぜ、衝撃がベアトリーゼの全身を打ちのめす。仕上げに衝撃波がベアトリーゼのしなやかな体をふっ飛ばした。おろしたてのキャミソールとスキニーデニムがたちまち台無しに。

 怪人の周りを仄かに蒼い光が漂う。あまりにも強力な電撃によって、イオン化した大気が発光しているのだ。

 

「また感電かよ」

 完全に想定外だったため、ベアトリーゼは激烈な電撃をまともに食らっていた。

 繊細な毛細血管が弾け、両目と鼻腔と耳孔から鮮血が伝う。肌のあちこちにシダ状の電撃傷が広がっていた。手先や足が痺れていて力が入らない。視界は酷く歪み、強烈な耳鳴りが平衡感覚を惑わせている。

 

 端正な細面を血に染め、蛮姫が身を起こそうとしてふらついた刹那。

 

 顔面を覆う一枚鱗を生え変わらせた怪人が、ベアトリーゼに向かって吶喊した。

「べぇあああとぉりぃいいいぜええっ!」

 

「なに勝ち誇ってんだ、お前」

 ベアトリーゼはワイドスタンスで腰を落とし、身を捻り込んで右腕を大きく振りかぶる。瞬間、右腕が肩から指先まで漆黒に染まり、ダマスカスブレードがプラズマ光を煌めかせた。

 

 怪人が馬鹿馬鹿しいほど山盛りの筋肉を全力で動員し、跳躍しながらベアトリーゼに向かって巨大な拳を振り下ろす。

 

 岩塊染みた拳骨が直撃する寸前。蛮姫は全身のバネをリリース。さらに異能を用いてプラズマジェットをぶっ放す。音を置き去りにする瞬間的超高加速の跳躍。脳が発する電気信号では間に合わないから、脊髄の反射信号が木目紋様の肘剣を振るわせる。

 

 一条の雷閃が疾駆した。

 ベアトリーゼが怪人の脇を通り抜けて着地した直後、遅まきながら衝撃波が生じ、強烈な音圧が追いかける。

 

 ずどんっ!

 

 斬撃とは思えぬ轟音と共に街角が弾ける。怪人の巨躯が腰の辺りでずるりと上下に分かたれ、瓦礫と粉塵の中に崩れ落ちた。焼き斬られた断面から赤黒い血が滲み溢れていく。

 

 全身の汗腺からドッと大量の汗を拭き出し、ベアトリーゼは疲労感を抱きながら怪人の頭を強く蹴りつける。

 反応なし。

 

「面倒臭ェ奴」

 戦った相手に敬意を払うどころか悪罵を浴びせ、ベアトリーゼは港へ向かって駆けだした。

 

       〇

 

 少し前までは静かな夜を迎えていたロッキー島の町は、今やどこもかしこも大騒ぎだ。町中の照明が点り、誰も彼もが表に出て少しでも情報を集めようと御近所さん達と話し合い、粉塵を立ち昇らせている辺りを不安げに窺っている。

 

 そんな人込みを掻き分け、チレンはひた走る。粉塵に汚れた亜麻色のショートヘアを振り乱し、一心不乱に港の一角へ向かっていく。自身とベアトリーゼの荷物を後生大事に抱え、一目散に駆けていく。

 

 そうしてやっとこさ港に辿り着いた。チレンは額を流れる滝のような大汗を手の甲で拭い、息を整えようと足を止めた。

 ところへ、夜空からベアトリーゼが飛び降りてきた。

 

 小さな吃驚を上げ、チレンは噛みつくようにベアトリーゼを睨む。

「驚かさないで」

 

「遅刻するよりゃ良いでしょ」

 ベアトリーゼは億劫そうに応じ、癖の強い夜色のショートヘアを掻きまわす。砂利やら塵やらがボロボロと落ちていく。ずたずたに裂けたキャミソールを苛立たしげに千切り捨て、Fカップを包むXバックのスポブラと小麦肌を露わにした。電撃傷が痛々しい。

 

「今すぐこの島を出るよ。この騒ぎの被害に遭った住人が怒り狂ってるからな。捕まったら吊るされちまう」

「どこに向かうの?」チレンが不安顔を向ければ。

 

「すぐ傍にある内乱中で身を隠し易い国にさ」

 ベアトリーゼは物憂げ顔を向け、ぼやく。

「こんなカタチで会いに行くことになるとは。もっとスマートに再会したかったのになあ……」

 

 暗紫色の瞳が見つめる先にあるものは、サンディ島アラバスタ王国。

 そして、親愛なるニコ・ロビン。

 

     〇

 

 ベアトリーゼとチレンが着の身着のまま、夜陰に紛れてロッキー島を離れた。

 トビウオライダーの操縦はチレンだ。海上航行でも半身が海水に浸かるため、普段着のベアトリーゼは能力者の業――海に拒絶されて脱力してしまう。後席にヘロヘロの役立たずと化したベアトリーゼを積み、チレンはペーパードライバーのような操縦でツギハギトビウオを進ませていく。

 

 2人がサンディ島へ向かっていた頃、ロッキー島ではいまだ煌々と燃え盛る土産物屋(ブラックサイト)と延焼した周辺家屋の消火活動に追われ、怪人の凶行と戦闘による被災者の捜索と救助に奔走している。

 

 怪物達の争いに巻き込まれた人々が後始末を進める中、島の官憲達が瓦礫の中に横たわる大柄な怪人の屍を突いていた。

「こっだらぁいったいなんぞぉ? 魚人かなぁ?」

「やあ。鰓がねェず。魚人じゃあんめェ」

「なんでもええべ。こっだらアホンダラのせいで大勢が惨いめさ遭った。死体さ晒しものにしてやらにゃおさまンねェ」

 官憲達が長柄や小銃の先で死体を突きながらぶつくさ言っていた、その時。

 

 カッと怪人の目が大きく開かれ、血走った眼がぎょろりと動く。

 

 ひえええ!? と官憲達が恐れ逃げ惑う中、怪人は呪詛を吐き捨てる。

「べあとぉおりいいいいいぜえええええ」

 




Tips
ザパン
 銃夢由来のオリキャラ
 S・I・Qをぶち込まれ過ぎてビックリドッキリなナマモノに。
 なお、ベアトリーゼは彼の名前すら知らない。

ドクター・インディゴ
 ピーロピロピロ。

チレン
 災難続きの薄幸な女科学者。

ベアトリーゼ。
 またしても感電。
 ザパンのことをまったく与り知らないので、『誰だよお前』状態。

 大人のレディらしくロビンとスマートな再会がしたかったのに、ドタバタな再会になりそうでイラッとしている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

101:マイン・フロイント

らの二型さん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、しゅうこつさん、誤字報告ありがとうございます。


「腹減ったなぁ……」「お前らのせいでな」

 狙撃手が嘆き、コックが毒づく。

 

「……肉」「食い物を見るような目を向けんなっ!」「くえーっ!」

 涎を垂らしながら熱視線を向けてくる船長に、トナカイとカルガモが悲鳴を上げた。

 

「酒が飲みてェ……」「偶の禁酒は健康に良いらしいわよ」

 副船長がぼやき、航海士が皮肉を吐く。

 

「あと少し、あと少しで着くから」

 空腹でギスギスしている麦わらの一味を、王女が励ます。

 

 アラバスタまであと少し。

 

      〇

 

 サンディ島某所。

 砂より岩が多い海岸にテントを立てて夜を明かし、ベアトリーゼとチレンは電伝虫を相手に、今後の身の振り方を相談していた。

 

『ドクター・チレン。いろいろ言いたいことがあるだろうけれど、こちらとしても貴女を保護したその日のうちに、ブラックサイトが襲撃されるなんて想定外なの』

 電伝虫から優美な調子の玲瓏な声が届く。

 その美声に、チレンは直感的に思う。胡散臭い女。

 

 本件の担当者(フィクサー)である秘密諜報員(イージス・ゼロ)のステューシーは、溜息を洩らしつつ話を続けた。

『それにしても……進化促進剤を投与された怪物、ね。確認するけれど、ベアトリーゼ。ロッキー島でその怪物を殺した。これは間違いない?』

「真っ二つにしたよ」ベアトリーゼがさらりと応じる。

 

『そう……』

 電伝虫の向こうで紙面が幾枚かめくられる音が聞こえた後、貴婦人が告げた。

『でも、当局の通信を傍受した内容によれば、死体は発見されてないわ。大量の血痕が残っていただけ。それと、得体のしれない怪物が海へ這っていく姿を目撃した、という証言がいくつかあるわね』

 

「死んでなかったのか。面倒臭ェ奴」ベアトリーゼがアンニュイ顔をげんなりさせ。

「……あの怪物はまだ私達を追ってると?」チレンが細面を青くした。

 

『そう考えるべきね』

 ステューシーは他人事のようにあっさりと言い放ち、言葉を編んでいく。

『海軍を迎えにやるわ。幸いアラバスタ近海には優秀な部隊がいるし、勝手に動いている猟犬もいるようだから』

 

「その海軍部隊はシキと戦えるの?」チレンが不安げに尋ねれば。

『白骨海域でベアトリーゼが散々痛めつけたから大丈夫よ。シキは慎重で用心深い男だもの。傷が癒えるまで、島船の修理が終わるまで、自身が動くことはないわ。傘下の海賊達なら、海軍で十分対処できる』

 淡々と語り、ステューシーはベアトリーゼに水を向ける。

『もちろん、この案はベアトリーゼが怪物を始末することが前提だけれど。どうかしら?』

 

 ベアトリーゼはあのビックリドッキリ生物(ナマモノ)をぶち殺すことに否やはない。

 とはいえ、政府と海軍のためにタダ働きなんぞ絶対に嫌だ。

「トビウオライダーの修理。事が済んだら預けるから直して。あと潜水装備も壊れたから、またちょうだい」

 

『欲張りさんね』

 ステューシーは“おねだり”を了承するように、艶めかしく喉を鳴らした。

『ドクター・チレン。苦労を掛けると思うけれど、仔細は彼女に任せて。それが貴女のためよ』

 

「分かった……けど」チレンは疲れ顔で了承し「私の“値段”はトビウオライダーの修理費と潜水装備一式分なの?」

 ベアトリーゼは暗紫色の目をパチクリさせ、電伝虫の向こうでステューシーも碧眼を瞬かせ、2人は揃って笑った。

 

 ベアトリーゼは体を伸ばして、艶っぽい呻き声をこぼす。

「話はまとまったね。とりあえず海岸沿いに南下して、サンドラ大河の河口辺りにあるっていう港町へ向かおう。物資の補給が必要だし、いろいろ情報も仕入れたい」

 

 それに、とベアトリーゼは胸中で続ける。

 アラバスタ最大の港町なら、ロビンに情報が伝われば接触があるはず。主人公様御一行とも接近遭遇できるかもしれない。化物のオマケ付きになる可能性もあるが……

「ま、その時はその時だ」

 

     〇

 

 秘密犯罪会社バロックワークスの実務トップであるミス・オールサンデーが組織した情報網は、アラバスタ王国の諜報機関より深く潜み、耳目と手が遠くまで届く。ましてや、現在はクロコダイル肝入りの国盗り計画が佳境に入っている。情報網の活動に抜かりはない。

 当然、昨夜未明に起きたロッキー島の騒ぎとて、しっかり把握している。

 

 怪物と怪しげな女の2人組の情報も。

 その女の2人組が、トビウオライダーで港町ナノハナへ向かっていることも。

 

 報告を受け取ったミス・オールサンデーは大賭博場レイン・ディナーズの支配人室から余人を下がらせ、秘密犯罪会社最高幹部の仮面を外し、ニコ・ロビンとして大きく、とても大きく深呼吸した。

「ようやく来たのね、ビーゼ」

 

 万感の思いが込められた吐露だった。

 今すぐにでも会いに行きたい。クロコダイルの陰謀も、アラバスタ王家に秘められた歴史も、何もかも放り出して、親友の許へ駆けつけたい。

 

 しかし、ロビンの卓越した知性と卓抜した理性が浅慮な振る舞いを制す。

 ビーゼの情報は間違いなくクロコダイルも手に入れている。あのワニの人間不信はある意味で病的だ。私の行動を監視しているに違いない。それに私とビーゼの友人関係は広く知られているから、私がビーゼの情報を得て動かなければ、不審を抱くだろう。

 今この瞬間も、ビーゼの情報を入手した私がどう動くかジッと窺っているはず。

 

「これまで通り正直が一番ね」

 ロビンは即断した。

 

 クロコダイルは計画立案者(ジャグマーカー)としても、黒幕(フィクサー)としても、荒っぽい。わずかでも猜疑や不信を抱いたら排除を決める。リトルガーデンで下手を打ったミスター・3の抹殺を即断したように。

 であるから、クロコダイルに対して最善の護身は正直であること。そして、彼の下す判断に従順であること。異を訴えるならば、利得ある対案を出すこと。

 

 ロビンは素早く『物語』を作り始める。

 自身がビーゼと直接顔を合わせる必要性、それによってクロコダイルが(バロックワークスが、ではない)得られる利益等々。クロコダイルを納得させる材料を揃え、抜けや穴が無いようしっかりあつらえる。

 

 自己暗示を掛けるように作り上げた物語を口腔内で幾度か繰り返した後、ロビンは電伝虫へたおやかな手を伸ばし、番号を入力した。

「ミスター・ゼロ。時間を少しいいかしら。提案したいことがあるの」

『悪魔の子』は、絶対に成功させなければならない交渉を始めた。

 

     〇

 

 グランドライン内有数の大国アラバスタ王国の玄関口だけあって、港町ナノハナは大きく、また大いに栄え、賑わっていた。

 港には多くの船が泊まっており、大勢の水夫や港湾労働者が行き交い、大量の物資が取り扱われている。内戦中の国の港とは思えぬ盛況振りだ。

 

 港から離れた海岸に上陸し、ベアトリーゼとチレンはツギハギトビウオを隠してから、港町ナノハナへ足を踏み入れた。

 2人はまず服飾店に赴いてアラバスタの気候や環境に合った着衣を買い、次いで、あれこれと雑貨を調達し、宿に部屋を取って荷物を置いた後、大衆食堂へ。

 

 ベアトリーゼは三人前の飯を注文し、チレンは呆れ顔を浮かべる。

「本当によく食べるわよね。それって能力者だから?」

 

「私は生まれ育ちがろくでもなくてね。美味いものを食べる機会に我慢しないことにしてる」

 二枚目のラムステーキをパクつきながら語り、ベアトリーゼは自嘲的に語る。

 

「たしか西の海の出、だったわね」

「そ。乾ききった荒野ばかりの土地でね。住んでる連中は白骨海域のイカレポンチ共より酷い」

「どんな地獄よ……」

 チレンはげんなりしつつ、かつてドクトル・リベットが抱いた疑問を覚える。

「そんな酷いところで生まれ育って、どうやって高等学問を修めたの?」

 

「内緒」

 ベアトリーゼは悪戯っぽく嘯き、三枚目のステーキに手を伸ばした。

 

 食事を終え、食後の御茶とデザートを楽しんでいるところへ、ウェイターがやってきた。

「御歓談中失礼します。お客様にこちらをお渡しするよう頼まれました」

 

 盆に載せられた簡素な封筒を受け取りつつ、ベアトリーゼは尋ねる。差出人は既に確信しているけれど、確認しておく必要があった。

「封筒を持ってきた相手は?」

 

「遣いの子供でした」

「そう。ありがとう。御苦労様」

 一礼して去っていくウェイターから視線を切り、ベアトリーゼは封筒を開く。

「例の担当者から?」チレンが関心を向けてくる。当然だろう。

 

「いや、違う」

 ベアトリーゼは封筒に収まっていた手紙を開く。手紙はタイプライターで時間と場所が記載され、手書きで『私はまだ諦めてないわ』。懐かしい筆跡にアンニュイ顔が和らぐ。

「親友からさ」

 流石はロビン。手際と段取りがスマートだ。

 

       〇

 

 夜を迎え、繁華街や主要通りは昼間とは方向性の異なる賑わいを見せていた。住宅地の辺りは穏やかで夕餉の香りが漂う。日中の暑気が嘘のように消えており、肌寒さすら覚える。

 ベアトリーゼは宿にチレンを残し、手紙に記載されていた場所へ向かっていく。

 

 すらりとした長身を砂漠用の着衣……首にシュマグを巻き、長袖シャツとワークパンツを着こみ、足元は膝下まである脚絆付きブーツで包んでいた。

 

 足取りは、どこか逸っている。

“マーケット”で別れた時、ベアトリーゼは18歳で、ロビンは21歳だった。あれから7年。一緒に旅した時間より、別れていた時間の方が長い。

 私の大事な友達。話したいことがたくさんある。聞いて欲しいことがたくさんある。

 

 ベアトリーゼは足早に夜の街路を進んで、ちんまりしたバーに着く。周囲にこちらを窺う影はない。見聞色の覇気に掛かるのは、店内に待つたった一人だけ。

 

 扉を開き、店内へ。

 カウンターのスツールに腰かける親友は、記憶の中の姿――十代の面影があった21の頃に比べ、一層美しくなっていた。繊細で神秘的な細面に肩口で整えられた黒髪。彫像のように整った長身。幼さの抜けた成熟した大人の艶気。そして、おっぱいが大きくなってる。

 

 振り返った親友は記憶にあるどんな笑顔よりも嬉しそうで、早くも青い瞳を潤ませていた。

 

「久し振り」

 ベアトリーゼがどこか照れ臭そうに言えば、親友はスツールから降り立って万感を噛みしめるようにゆっくりと歩み寄り、

「会いたかった。ずっと会いたかったわ。ビーゼ」

 ニコ・ロビンはベアトリーゼを強く強く抱擁した。声なき嗚咽がこぼれる。

 

「遅くなってごめんね」ベアトリーゼもロビンを抱き返す。

 2人の美女はしばしの間、言葉を交わすことも惜しむように抱きしめ合った。

 

 

 そして――

 

 

 2人は肩を寄せ合うようにカウンターに付き、祝い酒がロビンの手でグラスに注がれる。琥珀色の酒に浸る球形の氷がパキパキと鳴いた。

「再会を祝して」

 乾杯。ロビンとベアトリーゼは揃ってグラスを口に運ぶ。蒸留酒の酒精を味わい、2人揃ってフッと息を吐き、互いの顔を見合わせ、くすりと笑い合う。

 

 ロビンはベアトリーゼに妹を慈しむような眼差しを向け、ほっそりとした手を伸ばして小麦肌の頬を撫で、癖の強い夜色の髪に手櫛を入れた。

 ベアトリーゼは懐かしさを覚えつつ、猫が主人へ甘えるようにロビンへ身を任す。

 

「少し荒れてるわね」ロビンは眉を下げ「貴女は肌も髪も綺麗なんだから、ケアをサボっちゃダメよ」

「ここ数日、色々あってね」死にかけたりとか。

 

「いろいろあったのはここ数日だけじゃないでしょう?」

 蒸留酒で唇を湿らせ、ロビンは親友の暗紫色の瞳を見つめる。

「貴女の7年を聞かせて、ビーゼ」

 

 ロビンのリクエストに、ベアトリーゼは微苦笑した。

「一晩で話しきれるかなぁ」

 

「時間ならこれからいくらでも取れるわ」

 もう何処へも行かせないとも聞こえる台詞。碧い瞳が微かに鋭さを宿す。

「それとも、宿に残してきたあの女性の方が優先?」

 

「彼女は請負仕事だよ。鬱陶しい鶏冠ジジイと揉めててね」

「? 鶏冠……なに?」目を瞬かせるロビン。

「後で説明するよ」ベアトリーゼは口端を和らげ、ロビンの青い目を覗き込む。「ロビンも今は“忙しい”でしょ?」

 

 暗紫色の瞳に見つめられ、ロビンは小さく息を吐く。

「やっぱり知ってるのね。私が今何をしているか」

 

「まぁね」

 ベアトリーゼはグラスを半分ほど空け、言った。誰も知らないはずの秘密を。

「バロックワークス。クロコダイルと組んで、平和だったこの国に随分と阿漕なことしたみたいだね」

 

「……軽蔑する?」どこか怯えるように問うロビン。

「まさか」

 蛮姫は罪深き考古学者へあっけらかんと言い放つ。

「約束したじゃないか。世界が否定しても、私はロビンを肯定する。ロビン自身が自分のことを恥じても、行いに悔いても、私は全てを容れる。全てを赦す。ロビンが諦めない限り、私は常にロビンの味方だよ」

 

 ロビンは嬉しそうに、悲しそうにも見える切なげな表情を作った。

「複雑な気分。ビーゼに受け入れられて安心した一方で、否定して欲しかった気もしてる。こんな酷いことはやめろって止めて欲しかった気もするの」

 

 ベアトリーゼはロビンを抱き寄せ、艶やかな黒髪をゆっくり撫でる。

「世間や周りがどう見ようと、ロビンは悲願を叶えるために罪を犯す覚悟があるだけで、根っこは高貴で美しい心を持った善人だもの。良心が痛まない訳ない。私はそんなロビンの友達であることが誇らしいよ」

 

 親友の思いやりと優しさに、ロビンは目頭が熱くなった。目元を擦って微笑む。

「まったく……悪い女ね、ビーゼ」

 

「それは佳い女ってことだね」

 ふふんと得意げに応じ、ベアトリーゼはぼやく。

「とはいえ、厄介なことになったもんだね。身の振り方が難しい」

 

「……アラバスタ王女のことね」ベアトリーゼから身を放し、ロビンは不安そうに尋ねる。「ビーゼは、どうするの?」

 

「そうだねぇ……」

 ベアトリーゼはグラスを干し、お代わりを注ぎながら思案顔を作った。

「ビビ様には恩がある。とても大きな恩だ。私は故あれば、裏切りもするけれど、ビビ様の御恩に仇を返すような真似はしたくない」

 

 作ったお代わりをごくりと飲み、

「でも、ロビンとした約束にも背きたくないんだよなぁ。私はロビンの番犬だ。7年もお勤めを放棄しちゃったけど、約束を反故にする気は一切ない」

 どうしよう。と小首を傾げた後、ベアトリーゼは不安顔のロビンに提案した。

 

「そうだね。こういうのはどう? 私がビビ様に協力してバロックワークスをぶっ潰して、褒美にアラバスタ王家の隠すポーネグリフを転写させてもらう。その写しを持ってロビンとトンズラする。ロビンだってポーネグリフの記述さえ分かれば、ワニ野郎にもこの国にも用はないでしょ?」

 

 ロビンは難しい顔つきで検討する。ベアトリーゼの提案は自分と王女の願いが両立する。この国は救われるし、自分も目的が叶う。クロコダイル? 検討に値しない。元より信義も仁義も成立していないのだから。

 

 しかし……

「いくら貴女でも、この国の状況は手遅れじゃない?」

「うん。無理だね」ベアトリーゼはあっさり認めた。

 

 アラバスタ王国は既に燃えている。生半な方法では消火も鎮火も出来ない。

 ベアトリーゼがクロコダイルやバロックワークスの主要幹部を倒しても、単に悪党が悪党を潰したに過ぎないし、悪名高き『悪魔の子』がバロックワークスの内情を暴露しても情報の信頼性に疑念が付きまとう。

 

「この状況を覆すほどの大きな物語がないとね。私にそんな物語は紡げない」

 グラスを両手で包み持ち、ベアトリーゼは蒸留酒の中に浸かる氷を見つめながら呟き、

「? ビーゼ?」

 物憂げな顔を上げ、訝っているロビンへ尋ねた。

「私の“遺言”を覚えてる?」

 

「……忘れるわけがないわ」

 ロビンは一日だって忘れたことはない。

 

 スケッチブックに書かれたメッセージ。必ず心から信じられる人達と出会えると告げていた。だから夢と願いと信念を決して諦めるなと。必ず希望が訪れると。

 師の生き様。母の祈りと願い。大きな親友の激励と応援。大切な想い出と同じく、ロビンはベアトリーゼの言葉を胸に抱いてきた。

 

「残念ながら、まだ心から信じられる人達には出会えてないけれど」

 クロコダイルは信じるという言葉から最も遠い相手だ。

 

「大丈夫。ロビンなら、必ず出会える。いや」

 ベアトリーゼは真摯な面持ちで告げる。大きな物語の主演者の一人であるニコ・ロビンに。

「案外、もう出会ってるかもね」

 

「? それはどういう」

 予言染みた物言いに戸惑うロビンを余所に、ベアトリーゼは言葉を編み続ける。静かに淡々と。

「私はロビンを決して裏切らないと誓っているけれど、これから話すことは、ロビンが判断して欲しい。私をこれからも友とするか。ここで縁を断つか」

 

「な」ロビンは大きく狼狽え「待って。待って、ビーゼ。何を言ってるの?」

「ロビン」

 動揺と困惑に染まった碧眼を真っ直ぐ見つめ、ベアトリーゼは告解した。

「私は今、世界政府の秘密工作員と手を組んでる」

 

 ニコ・ロビンは凍りついた。

 心がベアトリーゼの言葉を認めることを拒絶している。

 魂がベアトリーゼの発言を容れることを拒否している。

 

 この無慈悲な世界で、唯一手放しで信じられる親友が、自分の仇敵の走狗と手を組んだという告白を、感情が受け入れられない。

 明晰な頭脳が痺れ、思考がなぜどうしてと疑問で埋め尽くされる。

 

 それでも、理性がロビンを奮い立たせ、声を絞り出させた。

「……お願い。説明して」

 

「もちろん」

 ベアトリーゼは懐から一冊の古い手帳を取り出した。

「全てはこれから始まった」

 

 かくて蛮姫は歴史の探索者に語らん。

 

 自らを竜と驕る者達が西の海に築いた残酷な箱庭と、憐れなる実験動物達の物語を。

 この世界の詠われぬ者達の歴史を。




Tips
麦わらの一味。
 空きっ腹は心が荒む。

ニコ・ロビン
 原作主要キャラ。
 ついに親友と再会するも、爆弾をぶっ込まれる。

ベアトリーゼ。
 オリ主。
 親友に隠し事をしたくないので、爆弾をぶっ込んだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

102:彼女と彼女は旧交を温め直す。

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 ウーパールーパーの名で知られるアホロートル種は、異様に高い肉体再生能力を持つ。実験では尾や四肢だけでなく眼球や脊髄、心臓すらも再生してみせたという。

 

 さて。

 濃縮されたS・I・Qは被投与者の大脳辺縁系のシナプスを拾い、細胞レベルで肉体を再構成し、適応変態させる。

 

 ドクター・インディゴの精製と調合により、適応変態は恣意的に戦闘方面へ誘導されているが、継戦能力の向上という形で生存性にも強く作用する。

 

 ベアトリーゼに上下半身に両断されたザパンは、下半身をくわえながら這って海へ逃げ込んだ。

 S・I・Qによって魚人のように鰓を獲得し、海底に潜みながら切断された下半身を“取り込み”、肉体を再生させる養分に転換させた。足りない養分は海中の魚介類を食い漁って補っている。

 

 ザパンは、暗く冷たい夜の水底でゴボゴボと呪詛を吐き続けた。

「べあと……りぃいいいぜえええ……」

 怪人の肉体の再生と再構築は、今少し時間を必要とした。

 

       〇

 

 ロビンは絶句していた。

 無理もない。7年振りに再会した親友から、とんでもない爆弾を投げつけられたのだから。

 

 サイファー・ポールと手を組んだと聞かされた時は、世界が足元から崩れていくような恐怖を覚えていたが、ベアトリーゼが話を始めると、“それどころではなくなった”。

 

 天竜人フランマリオン家に脈々と伝えられる……狂気の思想と実践。

 

 西の海屈指の蛮地が実はフランマリオン家の実験場で、ベアトリーゼが実験体の現地交雑種の子孫だったという事実。

 

 歴史の闇に潜み続ける危険思想の反政府秘密結社“抗う者達”。彼らが人造人間兵器を生産し始めているという事実。

 

 CP0の女諜報員がベアトリーゼと同じく“造られた者”で、それゆえにベアトリーゼに奇妙な同族意識を抱いており、互いの立場を超越したつながりを持つようになった……という話(ロビンは昼メロのように『図々しい泥棒猫ね』と内心で毒づいた)。

 

 これらだけでも受け止めきれないほどだが、仕舞いには今も泥棒猫の依頼で動いており、大海賊“金獅子”シキと渡り合い、追手として送り込まれた化物――先日、ロッキー島を襲った怪物だ――に狙われているという。

 

 つまり、クロコダイル肝煎りの国盗り計画が仕上げに入ったこの大事な時期に、アラバスタ国内でベアトリーゼと怪物の大立ち回りが起きるかもしれない。

 

 ……ああ。ビーゼ。ビーゼ。そうだったわ。貴女は熟慮してしっかり準備して、そのうえでとんでもないことをやらかすのよね。ええ。貴女と別れてからの7年が“平穏”過ぎてすっかり失念してたわ。

 

 あ。ロビンは気づく。ベアトリーゼと怪物という不確定要素に加え、これからビビ王女が麦わらの一味を連れて帰国する。こちらもクロコダイルの企てを止めようと大暴れするだろう。

 

 自分で招いたことだが、何もかもしっちゃかめっちゃかになってしまいそうな、そんな予感がしてきた。

 まあ、一種の現実逃避だが。

 

 ロビンは混乱と困惑の極地にあった。

 鋭敏で聡明な頭脳と冷徹な理性がベアトリーゼの語った“物語”を理解したが、気持ちがまったく追いつかない。唯一心許せる親友がよりによって怨敵に等しい政府の諜報員とつながりを持っていたなんて……どう消化すれば良いか、感情が答えを出せない。

 

 同時に、世界を敵に回した考古学者達の遺児らしく、秘められた歴史に対して好奇心と探求心を強烈に刺激されている。もっと知りたいという、この獰猛な感覚は『欲』と言い換えても良いかもしれない。我ながら業が深い。

 

 ロビンは様々な感情が荒れ狂う頭を冷やすべく、氷が小さくなったグラスを額に当てた。グラスから伝わる冷気が心地良い。

 大きな深呼吸を二度繰り返し、ロビンは物憂げ顔でグラスを傾けている親友を恨みがましく睨む。

「私はどうすれば良いの? サイファー・ポールの泥棒猫に誑かされた親友を説教すべき? それとも、私の親友を誑かした泥棒猫を始末するべき? それにね。酷いわよ、ビーゼ」

 

 様々な感情を込めた大きな溜息をこぼし、ロビンはグラスを置いて続ける。

「私はね、失われた100年の謎を解くために人生を懸けてきたのよ。なのに、こんな……秘匿されてきた歴史と事実を聞かされて……どうしてくれるの。私、もっと知りたくて仕方ないわ」

 

「私、ロビンのそういうとこ大好き」

 ベアトリーゼはくすくすとアンニュイ顔で上品に笑い、カウンターに置いた黒い手帳を突く。ロビンの神秘的な麗貌を見つめた。

「どう思う?」

 

「そう、ね。まず言わせてもらうなら」

 ロビンは手を伸ばし、ベアトリーゼの頬を慈しむように撫でる。

「貴女の出自がなんであれ、私の大事な親友。この事実は決して揺らがないわ、ビーゼ」

 

 その言葉に込められた感情は強く深く……重い。

 無理もないと言えば無理もない。ロビンはオハラが壊滅する以前からずっと孤独と寂寥を抱えていた。母は自分を遠ざけ、周囲とは打ち解けられず、いつも寂しい思いをしていた。

 そして、オハラ壊滅後の過酷な逃亡生活。猜疑と不信に心が軋み歪む日々を何年も何年も過ごして、ようやく出会えたのだ。

 心から信じられる相手を。手放しで心を許せる存在を。 

 

「嬉しいよ」

 もっとも、当のベアトリーゼは照れ臭そうにはにかむだけだ。暢気であろう。

 

 釣られて表情を和らげた後、ロビンは蒸留酒で唇を湿らせた。

「精査したわけじゃないから、はっきりしたことは言えないけれど、いくつか納得がいく事柄もあったわね」

 

 オハラは、いや、クローバー博士を中心とする主流派は失われた100年の解明に血道を上げていたけれど、オハラは何も失われた100年だけを追っていたわけではない。というか、そもそもオハラの全考古学者がクローバーに追従するなどありえない。

 

 実際、失われた100年と無縁の研究や調査をしていた者も多かった。

 彼らの中には世界政府によって消されてきた非加盟国を調べていた者や、世界政府に叛旗を翻した抵抗者達について書き残した者、天竜人について研究した者も居る。ある意味で、失われた100年以上に危険な調査、研究だろう。

 

 わずか8歳でオハラの博士号を取得した才媛ロビンは、そうした非主流派の書籍や論文、資料にも目を通しており、その内容を今もはっきりと覚えている。

 ただまあ、流石にオハラに収蔵されていた膨大な書籍や論文を全て把握しているわけではないし、学者達の個人的な調査資料、研究ノートの内容までは分からないが。

 

「ビーゼが話してくれた内容……この手帳の記述だけれど、天竜人フランマリオン家の超人思想。“抗う者達”という秘密結社の暗躍。これはそうした非主流派だった人達の論文や著作で指摘されていた、疑問や謎の答えにつながるかも」

「たとえば?」

「海上軍閥ウールヴヘジンを知ってる?」

 ベアトリーゼの合いの手にロビンは反問を返す。

 

 問われた蛮姫は摘まみのナッツをカリッと齧り、回答する。

「かつて数世紀にわたって北の海で勢力を誇った海上軍閥だっけ? ウールヴヘジン討伐のために北の海の有力国が弱体化したことが、後のジェルマの台頭と暴挙を招く遠因になったらしいね」

 

「ええ。ウールヴヘジンが海軍と諸国連合軍を向こうに回して数世紀も存続できた理由は、諸説あるけれど、どれも決定打に欠いていた。でも、この秘密結社が強力に支援していたが故……ということなら、いろいろ解決するわ。他にも歴史上の謎が明らかになるかもしれない」

 ロビンは額を押さえて再び大きな、とても大きな溜息を吐いた。

「ああ……研究したい。馬鹿馬鹿しいことを放り出して、ビーゼの持ってきた情報と私の知識のすり合わせをしたい。調べたい。研究したい」

 

 ベアトリーゼが柔らかく微苦笑していると、ロビンが碧眼を向けた。

「ビーゼ。サイファー・ポールの泥棒猫は私とクロコダイルのことをどこまで掴んでるの?」

 

「泥棒猫?」ベアトリーゼは目を瞬かせつつ「ステューシーはロビンがアラバスタに居ることを把握してるけど、私との仁義を優先してる。クロコダイルの悪企みは完全にノーマーク」

 

「ロッキー島に秘密拠点(ブラックサイト)を置いてたのに?」

「あくまでサイトだよ。対アラバスタ用のネストじゃない」

 納得いかなそうな顔のロビンへ、ベアトリーゼは物憂げ顔でさらりと言い切った。

「まあ、仮にステューシーがロビンに手を出すなら、後悔してもらうだけだ」

 

 言外にロビンを何より優先する。と言われ、ロビンはどこか嬉しそうに表情を和らげ、悪戯っぽく指摘した。

「今は別の女性をエスコート中じゃなかった?」

 

「あっちも守るさ。約束と受けた仕事は完遂したいからね」

 見聞色の覇気で今もきっちり見守ってるよ、とベアトリーゼはフッと息を吐く。

「まあ、その前に鶏冠ジジイが送り込んできたバケモンを、ぶっ殺さないといけないけど」

 

「……そんなに危険なの?」

 最精鋭の海軍大将や歴戦の古参中将達と渡り合えるベアトリーゼが、警戒心を露わにする怪物。ロビンはちょっと想像がつかない。

「危険というか……鬱陶しい相手だね。すっごく邪魔臭い」

 癖の強い夜色の髪を弄りながら、ベアトリーゼは渋面を作る。

「ちょっとばかり派手な立ち回りが必要になりそう」

 

「この町ではやめて? いろいろ大変なことになるから」ロビンが溜息をこぼす。

「前向きに検討して善処を図るよ」

 官僚的答弁を返し、ベアトリーゼはグラスを傾けた。

「話が遡るけれど、どうする?」

 

 ベアトリーゼはロビンを質す。

 簡素ながら、ロビンにとっては極めて重大な質問だ。

 

 先に言った通り、ベアトリーゼは親友と恩人を秤に掛ける気はない。どちらを選べと言われたら、どちらも手に入れるために選択肢自体をひっくり返す。

 すなわち、バロックワークスそのものをぶっ潰し、自身とビビの伝手を用いて、ロビンの本命たるポーネグリフの内容を確保する。チレンというオマケが傍に引っ付いているが、あのバケモノをぶっ殺した後に“白猟”スモーカー大佐の部隊に預ければ済む。

 

 ロビンはベアトリーゼから目を背け、手元のグラスへ目線を落とす。琥珀色の酒に浸かる氷は随分と小さくなっていた。

 グラスを口に運び、一息で飲み干す。ロビンは酒精の熱を頼りに告げた。

「クロコダイルの野望にもアラバスタの命運にも興味はないわ。ただ……私も時間と労力をかけてきた以上、ネフェルタリ家が秘匿するポーネグリフを読みたい。それに……恩義は抱いてないし、借りとも思ってないけれど、クロコダイルのおかげで政府や海軍に煩わされずに済んだことも事実。相応の筋を通さないと後味が悪いわね」

 

 手を引かない。

 ロビンの決断にベアトリーゼは渋面を作りつつも、否やを訴えない。翻意を促すことも、説得を試みることもしない。ただ受け入れた。

「そっか。じゃ、仕方ないな」

 

「いいの?」ロビンが憂いを抱いた碧眼を向ける。

「ロビンに諦めるなと約束を求めたのは、私だからね。それに……ワニ公の計画が成功したとして、ロビンは“その後”に付き合う気は無いんだろ?」

「無いわね」ロビンは即答した。「彼の王国を支える女宰相なんてゴメンよ」

 

「新王のお妃様って線もあるんじゃない?」

「それこそ、お断りよ。人間不信の王の妻なんてろくな結末を迎えないもの」

 にやりと笑うベアトリーゼに微苦笑を返すロビン。

 

 くすくすと笑い合う大人の女二人。

 ロビンは小さく息を吐き、話を再開する。

「今、王女サマは少人数の海賊達と行動を共にしてるわ。リトルガーデンで倒れていなければ、彼らを連れてこの国に帰ってくるでしょうね。クロコダイルの野望を止めるために」

 

「それはまた……ビビ様らしいというかなんというか……とはいえ、私以外にもイレギュラーがあるわけか。ワニ公の対応次第じゃ愉快なことになりそうだ」

 表面上は初耳を装いつつも、ベアトリーゼは内心で『よしよし原作チャート通りに進んでるゾ。結構結構』と親指を立てる。

 

「これは決まりかな?」

「そうね」

 ベアトリーゼとロビンは互いに頷く。

 

「私はビビ様とその御家族と身近な人達を守るように動く。ロビンはバロックワークスの計画通りに動く。計画が成就した場合はロビンが、失敗した場合は私が、ポーネグリフの内容を確認して、この国から消える」

「第三のケースもあるわね。王女サマが自分の手でこの国を救う」

 

「御姫様の努力と献身が報われ、善が勝って悪が破れ、皆が笑ってハッピーエンド。美しい結末だね」

 

「たしかに。私は悪役の一人だけれど」

 ロビンはくすりと控えめな笑みをこぼし、時計を一瞥する。

「ごめんなさい、ビーゼ。もっと一緒に過ごしたいのだけど、そろそろ上がらないと不味いわ」

 

「私もそろそろ帰らないと不味いから丁度良い。それに、この騒ぎが終われば、幾らでも時間が取れるさ」

 ベアトリーゼとロビンは最後にグラスを打ち合わせた。

 

「私達もハッピーエンドを迎えられるように」

「ハッピーエンドに」

 

        〇

 

 一夜が明け、ロビンはバロックワークスの根拠地があるレインベース市に戻り、大カジノ『レインディナーズ』に出勤していた。 

 ミス・オールサンデーの仮面を被っていたが、ロビンはどこか上の空だ。

 

 昨晩、7年振りに再会した親友から、とんでもない爆弾を投げつけられたのだから、当然と言えば当然だが。

「実は結婚して子供がいる、とでも言われる方がマシだったわ……」

 ロビンは深々と溜息をこぼしつつも、小さく顔を綻ばせた。

 

 不安感と期待感が混ざり合ったこの感覚。なんとも懐かしい。

 

 ビーゼと西の海を旅していた頃も、そうだった。

 情報や道具を入念に準備し、きっちり計画を練って挑んだのに、土壇場で想定外が起きて、結局は創意工夫と臨機応変とベアトリーゼの強引さで潜り抜ける。そんなことが幾度あっただろう。

 

 危機一髪、間一髪で生き延びて、ビーゼがあっけらかんと笑い、釣られて自分も笑ってしまう。そんなことが何度もあっただろう。

 

 故郷を追われ、常に猜疑と不信を抱いて人を恐れながら、孤独に生きていた中で、ビーゼと過ごした4年間は本当に楽しくて……心救われた日々だった。

 

 そして、再会したベアトリーゼは変わらず自分を尊重してくれた。迷うことなく自分を優先してくれた。まあ、アラバスタ王女へ心を砕いているところに少しだけモニョッとしたけれど。

 

 ロビンが昨晩のことと思い出を振り返っていると、デスク上の電伝虫が鳴いた。

 秘密犯罪会社の社長様からだ。ロビンが通話器を手に取る。

 

『旧友との再会はどうだった、ミス・オールサンデー』

 猜疑が見え隠れする冷たい声が耳朶を打つ。

「おかげ様で楽しい時間を過ごせたわ。残念ながら、私へ会いに来てくれたわけじゃないみたいけれどね。今はフリーの請負人稼業をしているそうで、この国には補給に立ち寄っただけみたい。私がこの国に居ること自体、凄く驚いていたわ」

 

『ほう?』こちらを心根を覗き込むような声色。『ロッキー島の化け物騒ぎと関係は?』

「御想像通りよ。彼女が追手と交戦したの。アラバスタに寄ったのはロッキー島で追いつかれて補給できなかったから。つまり偶然よ。繰り返すけれど、私がこの国に居ることを知らなかったわ。凄く驚いてた」

『そうか』こちらをまったく信じてない声。

 

「そう心配しなくても、彼女と一緒に去ったりしないわよ。契約通り、事が終わるまでは貴方に付き合うわ」

 ロビンがからかうように言えば、王下七武海が鼻で嗤う。

『心配なんざしちゃあいねェさ。裏切るなら始末するだけだ……作戦の手配を進めろ』

 

「分かったわ、ボス」

 通話が切られる。ロビンは通話器を置き、窓辺に向かい、レインベースの街並みを見つめた。

「最後に笑うのは誰かしら」

 

       〇

 

「護衛対象をほったらかして深酒するとか、勘弁してよ」

「七年ぶりの再会だったんだ。大目に見てよ。それにほったらかしてたわけじゃない。見聞色の覇気でちゃんとカバーしてたさ」

「なら良いけど……」

 不満を露わにするチレンを宥めつつ、ベアトリーゼは甘い煮出し紅茶を口に運ぶ。

 

 港町ナノハナの船着き場にほど近いカフェテリアの店外席で、ベアトリーゼとチレンは朝食を摂っていた。

 パプリカと玉ねぎのトマトソースにチーズと卵を落とした炒め物。大きな薄焼きパン。そら豆のスープ。濃厚なミルクティー。

 薄焼きパンを千切って、炒め物を挟んでぱくり。スープに浸してぱくり。

 

 チレンは船着き場の方を窺いながら、健啖を披露するベアトリーゼに尋ねた。

「海軍の船が入港してるようだけど、あれが私の迎え?」

 

「正確には迎えになるかも、てところだね。追手の化け物を始末しないと話が進められない」

 ベアトリーゼは食事の手を止め、

「追ってきてることが分かってるんだから、待ち伏せの一択だ。この国は今、荒れに荒れていて、人がいなくなった町がいくつかあるらしい。そこなら巻き添え被害を気にせず仕掛けられる。今度こそ確実に仕留めるよ」

 悪戯っぽく微笑んだ。

「だから、今はたっぷり食べておいた方が良い」

 

「美味しいものを食べられるのは今のうち、ってことね」

 チレンが大きな慨嘆をこぼした。直後。

 

『メシ――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!』

 

 何やら少年の叫び声が聞こえ、大通りの方から湧き上がる砂埃が見えた。

「……今の、何?」

「さてね」

 怪訝そうに目を瞬かせるチレンを余所に、ベアトリーゼはくすくすと楽しげに喉を鳴らした。

 ここでの大きな物語が始まったと確信して。

 




Tips
ニコ・ロビン
原作キャラ。
 何年も何年も誰一人信じることが出来ない日々を過ごしていたところへ、自分のために命を懸けてくれる友人が出来たら、そりゃあねって。
 でも、そこで依存にまで発展しないところが、ロビンの精神的強さかな、と。

ベアトリーゼ。
オリ主。
 まあ、自分がどう動いても麦わらの一味が居りゃあ大丈夫だろ、と雑に考えている。

クロコダイル。
 原作キャラ。
 数年掛かりで進めてきた計画が土壇場でワチャワチャにされちゃう気の毒な悪党。

ザパン
 オリキャラ
 元ネタは銃夢。
 現在、再襲撃の準備中。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

103:火の玉小僧

nullpointさん、しゅうこつさん、サキクさん、マナハヤさん、死人に口無しさん、佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、天乃 楓さん、誤字報告ありがとうございます。


 ビビを伴った麦わらの一味はバロックワークスの目を避けるため、ナノハナに入港せず郊外の海岸に上陸した。

 上陸した直後、腹を空かせたルフィがゴーイングメリー号からナノハナ市街へ飛び出して行き、残された麦わらの一味とビビは溜息をこぼす。

 

「あいつはまったく……」と常識的な溜息をこぼすナミ。

「放っとけ。ルフィならどうにでもなる。とにかく俺達も飯を食おう」とゾロ。

 

「賛成。俺、腹ペコで倒れそうだ」「くえ~……」

 チョッパーとカルーがゾロの意見に大賛成。

 

「ちょっと待った。なあ、俺達はボンちゃん経由で敵に顔バレしてるよな? ぞろぞろと街に繰り出したら不味いんじゃねえか?」

 ウソップの指摘に、皆の視線がサンジに集まる。

 

 サンジは一味の中でバロックワークス上級幹部、“ミスター・2”ボン・クレーと接触していない……敵に顔がバレていない唯一無二のクルーだ。

「俺が買い出し役か」サンジは煙草を燻らせつつ「オーケー。必要なものは?」

 

「まず水と食料ね」とナミ。「次の町まで行く分も」

「酒」とゾロ。

「あと服をお願い」ビビが説明する「敵の目を避けるために目立たない服が居るわ。それに、砂漠を歩くことになるかもしれないし」

 

「数日分の水に食い物と酒、それと人数分の服か。大飯食らい共のことを考えると大荷物だな。ビビちゃん。カルーを借りて良いかい?」

「ええ」ビビは快諾し、愛鴨の頭を撫でて「カルー。サンジさんを手伝ってあげてね」

「くえっ!」

 カルーは元気いっぱいに応じた。

 

 

 サンジが買い物に赴いている間、麦わらの一味は町外れに移っていた。

 そこでビビは目にする。街の外周に出来た難民キャンプを。

 大勢の人々が粗末なテントやバラックで困窮している様は凄まじく、ビビは慄然と震えあがり、麦わらの一味の面々も唖然として言葉が出ない。

 

「ちょっくら覗いてきたんだが……」

 難民キャンプに出向いてきたウソップが戻ってきて、一行に説明する。その顔は憐憫と同情に染まっていた。

「旱魃で干上がったオアシスや地方の町が次々放棄されてて、雨の降る首都や水が得られる町とかは、どこも難民が集まってこんな状態らしい」

 

「人口1000万の国で旱魃が続けば、こうもなるか……」

 ナミは難民キャンプから目が離せない。

「反乱軍が70万に膨れ上がった理由が分かったわね。もう耐えられないのよ」

 

「体調が悪そうな人が多いな。俺、診てきて良いか?」医者たるチョッパーが提案するも。

「やめとけ、チョッパー」ゾロが首を横に振る「この状況で下手に何人か診てやったら騒ぎになる。動きが取れなくなっちまうぞ」

 ゾロはどこか悔しそうな顔を浮かべた。

「ここの連中に俺達が出来ることはねェよ……」

 ビビは歯を食いしばって強く拳を握り込み、全員が大きく頷いた。

 

 

 そして――

 

 

 ナノハナ市内で買い出しを済ませ、サンジとカルーは大量の物資を抱え、ナノハナ外れの待ち合わせ場所へ向かっていく。

「これだけ買い込んでも、次の町まで持つか不安が拭えねェ……」

 船長を筆頭に大飯食らい達が脳裏をよぎり、サンジがぼやく。

「まぁ……非常食もあるから何とかなるか」

 

 意地悪な視線を向けられ、カルーが抗議の突っつき。

「イテテテッ! 冗談だ冗談」

 

 カルーに突かれ、サンジは苦笑いを返し、「お!」と目をハートにした。

「すげェ美人! しかも2人も!」

 

 サンジの視線の先には、カフェテリアの店外席で食後の御茶を嗜んでいる大人の美女2人。砂漠用の装いをまとっているが、雰囲気や佇まいが住民と異なるから外国人かもしれない。

 

 癖の強い夜色のショートヘアに小麦肌のアンニュイ系美女がサンジの視線に気づき、暗紫色の瞳を向け、蠱惑的に微笑んで小さく手を振った。

「うぉおお! これはお誘いっ!? 是非もねぇッ! 御姉様、今行きますっ!」

 今にも荷物を放りだして駆けだしそうなエロコックに、カルーは呆れながらそのケツを思いきり突く。

 

「イッテェッ!? 分かった分かった。我慢するよ。突くな。クッ! 美女とお近づきになるチャンスを諦めなければならないとは……胸が張り裂けそうだっ!」

 悲劇の主人公を気取るサンジに、カルーは下等生命体を見るような目を向けていた。

 

 そんなこんなで待ち合わせ場所に到着し、サンジとカルーは廃墟に身を隠していた面々と合流。

 

「なるほどなぁ」

 サンジはウソップから事情を聴き、難民キャンプを窺いながら渋面を浮かべた。空腹に苛まれている難民達に炊き出しをしてやりたくなっていた。

 

「冷たいようだけど、今の私達にはあの人達にしてあげられることは無いわ。ルフィが戻り次第出発できるよう、食事と支度を済ませましょ」

 ナミが義憤を湛える面々を促し、船長を除く麦わらの一味は調達してきた衣服に着替え、数日振りの飯をかっ食らう。

 

「素敵。私、こういうの好きよ」

「お使いを頼んでなんだけど、これ、踊り子の衣装……」

「2人ともすっごく似合ってるよぉっ!!」

 胸元や腹部の露出が激しい新品の踊り子衣装を着こんだ美少女2人に、サンジが鼻の穴を広げて大喜びしている。ちなみに野郎共の着衣は安い古着であり、ビンボーな群盗山賊の類にしか見えない。

 

「ん? 何やってんだ、チョッパー」

 ウソップが鼻を押さえてひっくり返っているチョッパーに気付く。

「鼻が曲がりそう……」

 

「トニー君は鼻が利きすぎるのね。ナノハナは香水で有名な街なの。中には刺激の強いものもあるから」

 ビビの説明に、サンジが鼻の下を伸ばして食いつく。

「フォ~~~~素敵な香りだよォ! 奈落の底までメロリンラブっ!」

 

「暑さでヤラレたか。いや、元からか」「チョッパー、診てやれよ。手遅れだろーけどな」

 ゾロとウソップが混ぜっ返し、サンジはグル眉を吊り上げた。

 

「ンだとぉ!? テメェらに餌を食わせるために、俺は美女のお誘いを断ったんだぞっ!」

「腹の減り過ぎで幻でも見たんだろ」「サンジ、これ食えよ。うめェぞ」

 にべもないゾロ。優しくなったウソップ。

 

「オロすぞコノヤローッ! 幻でも嘘でもねェよっ! 夜色の髪に小麦肌のアンニュイ系美人だっ! なあ、カルーッ!」

 喚くサンジに、ナミとビビの端正な細面が瞬間的に強張った。

「サンジ君。それ、本当なの?」「サンジさん」

 

 美少女2人から鋭い眼差しを浴び、サンジはたじろぎつつ、

「う、浮気じゃないよ、ナミさん、ビビちゃんっ! 俺はいつでもナミさんとビビちゃんに」

「そんなことはいいから。その女の見た目を言ってみて」

「? ? ? ああ。癖の強い夜色のショートヘアでアンニュイ系の顔立ち、小麦肌の長身。あと瞳が暗紫色だったかな」

 市内で出会った美女の特徴を語った。

 

「……腰に大きな鞘を下げてなかった?」とナミが問いを重ねれば。

「カルーが後ろ腰に交差するように二つ下げてたって……どうしたんだ?」

 動物の言葉を翻訳できるチョッパーがカルーの目撃証言を伝えると、ナミはビビと顔を見合わせた。

 

「……十中八九、あいつね」

「ええ」ビビは胸元に下げた“御守り”をぎゅっと握りしめ「ベアトリーゼさんよ」

 

「モモンガ女か」2人のやり取りを聞き、ゾロはかつてベアトリーゼにへし折られた左腕を撫でた。

「ただでさえ王下七武海が率いる犯罪会社を相手にしてるのに、4億手前の賞金首まで参戦とかどうなっちまうんだよ……」

 早くも胃痛を覚え、ウソップは腹をさすりながら嘆く。

 

「恩人のビビに味方するためか、親友のニコ・ロビンに味方するためか、それとも別の目的か」

 真剣な顔で考え込むナミに、サンジが言葉を続ける。

「そういや、ツレがいたな。亜麻色髪のショートヘアで三十路前後くらいの綺麗なレディと一緒だった」

 

「……覚えは無いわ。ビビは?」

 ナミに水を向けられ、ビビは首を横に振り、

「私、ベアトリーゼさんに会ってくるわ。なぜこの国に来たのか、問いただしてみる」

「おい、待て待て。街ン中はバロックワークスの奴らが見張ってる。のこのこ出向いたら面倒なことになるぞ」

 ゾロが市内へ向かって駆けだしそうなビビを押さえた。

 

 その時、突如として街がえらく騒がしくなった。よくよく見れば、海軍が得物を手に駆け回っている。

 

「捕り物みたいだな。海賊でも現れたか……?」

 ウソップが単眼鏡を使って様子を探り、他の面々も物陰から街の様子を窺えば。

 

「あああああああああああああああああああああああ!!」

 海兵の一団に追われる野郎は、我らが船長だった。

 

      〇

 

 麦わらの一味は白ひげ海賊団二番隊隊長“火拳”ポートガス・D・エースの助けを借りてスモーカーの追跡を振り切り、大河から反乱軍の拠点ユバを目指す。

 そして……

 

「エ~~~~~~~~ス~~~~~~っ!!!」

「よぉ、ルフィ。久し振りだな」

 ルフィがエースとメリー号の船上で“兄弟”の再会を遂げていた。

 

 ナミは船長の兄を称する青年をしげしげと観察する。

 黒髪は共通しているけれど、顔立ちはルフィとベクトルが異なって勇ましく、ソバカスが印象的だ。鍛えられた上半身を晒し、着衣は黒いハーフパンツとブーツだけ。弟の麦わら帽子に対し、兄はテンガロンハット。

 ……顔立ちはあんまり似てないわね。

 

 そんな感想を抱くナミを余所に、非常識の権化ガープが孫と認める2人は、3年振りの再会を大きく喜び合っていた。エースは自分が白ひげ海賊団二番隊隊長を務めていると言い、ルフィに麦わらの一味の白ひげ海賊団入りを提案するが、ルフィは言下に拒否する。

 

 ルフィは“海賊王”を目指すことは譲れない。たとえ、エースと拳を交えることになっても、夢を諦める気も、妥協する気もない。

 

「まあ、そうだろうな。俺も言ってみただけだ」

 弟分の変わらぬ気概にエースは懐かしそうに、眩しそうに、嬉しそうに微笑む。次いで、ズボンのポケットからビブルカードを取り出し、ルフィへ渡す。決して失くすなと念を押して。

「その紙切れが俺とお前をまた引き合わせてくれる。ずっと持ってろよ」

 

「ふーん」

 気のない返事を寄こすルフィに、エースは控えめな苦笑をこぼし、

「出来の悪い弟を持つとよ……兄貴は心配なんだ。オメェらもこいつにゃ手を焼くだろうが……よろしく頼むよ」

 麦わらの一味の面々に向かって頭を下げた。

 

 白ひげ海賊団の二番隊隊長――四皇の大幹部が、グランドライン入りしたばかりの木っ端海賊団の船員達に頭を下げる。その意味が分からぬ者はいない。海賊になったばかりのチョッパーでさえ、ドえらいことだと察した。

 

 ルフィへビブルカードを渡すという目的を果たすと、エースは長居せずにゴーイングメリー号を発つ。メラメラの実の力で推進航行する個人用小型舟艇ストライカーを発進させた。

「次会う時は、海賊の高みだ」

 

「……おうっ!! またな――――――――っ!!!」

 去っていくエースへ名残惜しそうに手を振るルフィ。

 

 その背後でクルー達が驚愕を露わにしていた。

 

「ウソよ……っ! あんな常識のある人が、ルフィのお兄さんな訳ないっ!」

「俺はてっきりルフィに輪を掛けて身勝手野郎かと」

 見たものを信じられないナミとウソップ。

 

「弟想いのイイ奴だ……っ!」

「兄弟って素晴らしいんだな」

 ゾロとチョッパーが兄弟愛に感嘆し、サンジがしみじみと呟く。

「わからねェもんだなぁ……海は不思議だ」

 

「ちょっと、みんな……」

 そんな面々をたしなめるビビ。

 

 弟分の船を発ったエースは、自身の勇名と懸けられた賞金を狙うバカ共の船団に出くわし、

「“火拳”!」

 メラメラの実の能力による強烈な炎撃を放ち、50名のバロックワークス上級社員を乗せた5隻の船団を一撃で轟沈させた。

 

 “今の”エースは無駄な殺傷や過剰な暴力は好まない。しかし、自分の首を狙うバカ共の生死にまで気にしない。いろいろ未熟なエースだけれど、わずか一年ちょいで“新世界”まで到達し、四皇の大幹部を務めているだけあって、命のやり取りには冷厳だ。

 

「来いよ、高みへ。ルフィ!!」

 エースがテンガロンハットを被り直しながらクールに決めたところへ、

 

「お兄さん。そこのお兄さん。困るよ、こんなことされちゃ」

 背後から叱声を投げつけられた。

 

 エースは目を瞬かせながら振り返れば、スパルタンな体格のツギハギトビウオライダーが近づいてきていた。その大きな背には、ガチャガチャのタイトな潜水服を着た女性と、ぼろっちい潜水服を着た女性が二人乗りしている。

 

 ハンドルを握る女性が多眼式ヘルメットのバイザーを上げ、端正な顔をしかめさせながら周囲を指差した。

「こんな有様にしたら航行の迷惑でしょ。賊を潰すならもっとスマートに潰してよ」

 

 既視感のある美女からどこかズレた苦情を受け、エースは片眉を上げた。周囲を見回す。5隻分の残骸が漂って海面に炎が躍る有様は、なるほどこれは世間様に御迷惑だ。

「こりゃあ失礼しました」

 エースはストライカーの上に立ち、ぺこりと丁寧に頭を下げる。

 

「分かってくれればいいよ。お兄さんも良い一日を」

 女性はひらひらと手を振り、水面に広がる残骸と炎の間を縫うように大河を上っていく。

 後席の女性がエースと運転手のやり取りに小さく頭を振り「何か激しく間違ってる気がするわ」とぼやいていた。

 

「あ」エースは既視感の理由が分かった。手配書で見た顔だ。「ちょっと待った」

 エースは去りかけていたトビウオライダーを呼び止める。

「あんた、賞金首だろ。4億ベリー手前の。たしか……ベアトリーゼだ。血浴のベアトリーゼ。だろ?」

 

「だとしたら、何か用事? ”火拳”のエース」

 肩越しにエースを窺うベアトリーゼの目は、からかうように細められていた。

 

 こっちの素性を知ってて、か。油断ならねェな。

 世経の怪しげな報道ではあるが、“血浴”は海軍本部中将“英雄”ガープと渡り合って逃げ延びた、と言われている。エースはガープの化物ぶりをよく知っているだけに、ベアトリーゼへ警戒心を隠さない。

「あんたの用向き次第だな。何しここに来た」

 

「物資の補給と追手を返り討ちにするためだよ。“金獅子”と揉めててね」

 さらっと返ってきた予想外の回答に、エースは再び目を瞬かせる。

「金獅子? 金獅子のシキか? そりゃまた……」

 

「面倒臭いよねー」ベアトリーゼはくすくすと笑い「ともかく、お兄さんにもこの国にも用は無いよ。補給と追手を潰すために寄っただけ」

 

 大事な弟分へ害が及びそうにないと分かり、エースは鼻先を掻いた。

「……そうか。呼び止めて悪かったな」

 

「いいよいいよ」

 再び手をひらひらと降り、ベアトリーゼはバイザーを閉じ、

「さようなら、”火拳”」

 別れの挨拶と共にトビウオライダーを進めていく。

 

 エースは別れの言葉に込められた意味の深さに気付くことはなく、去っていくトビウオライダーを見送った。

 

     〇

 ツギハギトビウオがサンドラ大河を上っていく。

 じきに汽水域を抜けるが、もはや生物の枠から外れているツギハギトビウオは海水でなくともへっちゃらだ。まあ、ハイオクガソリン専用車両がレギュラーガソリンだと調子を崩すように、川の水ではいろいろ不具合も生じるけれど。

 

 ベアトリーゼはトビウオライダーを進めながら内心で冷淡に呟く。

 エースと関わっても仕方ないんだよね。

 

 どうせ死ぬし。

 

 原作知識が穴だらけのベアトリーゼも、流石にエースが頂上戦争で命を落とすことは知っている。

 しかし、エースの助命にまったく興味なかった。

 

 好悪ではない。単にエースと縁もゆかりもないからだ。仮にこれまでの足跡の中でエースと関わり、友誼なり愛情なりを育んでいたならば助けるために奔走しただろうが……ベアトリーゼとエースの間に縁は生まれなかった。

 

 赤の他人のために命を懸けるほど、ベアトリーゼは利他的でも博愛的でもない。であれば、原作の展開通りに命を落としても、それはエース自身の生きざまというだけだ。

 

「さっきの男の子のこと、知ってるの?」とチレンが後席から声を掛けてきた。

「ああ」ベアトリーゼは軽い調子で応じ「“火拳”ポートガス・D・エース。白ひげ海賊団の大幹部だよ」

 

「四皇の大幹部? あんな若いのに?」疑わしげに眉根を寄せるチレン。

「優秀なんだろーね。ま、私らには関係ない人さ」

 内心の冷淡さをおくびも出さず、ベアトリーゼはツギハギトビウオの速度を上げた。




Tips
難民。
 オリ設定。原作では触れられていないけれど、ユバやエルマルの住民のように干上がった故郷から離れた国内難民が相当数いるはずで、彼らが身を寄せられる場所は限られてるだろうなあって。

麦わらの一味。
 ヤベー女が居ることに気付く。

ポートガス・D・エース
 原作キャラ。20歳。
 海賊王の遺児にして白ひげ海賊団の二番隊隊長。メラメラの実の能力者。

 頂上戦争で命を落とすことになるが、二次創作ではコラソンと並んで助命される展開が多い。

ベアトリーゼ
 エースのことは、縁もゆかりもないためか『大きな物語に必要な犠牲』程度の認識。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

104:ビビと海賊達と悪い魔女。

トリアーエズBRT2さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます


 麦わらの一味が放棄された町エルマルに上陸した頃、ベアトリーゼはさらに上流の沿岸集落に上陸した。サンドラ大河の水で辛うじて維持されているこの集落にも難民が押し寄せ、四苦八苦していた。

 

「数日の間、このトビウオちゃんと荷物を預かってちょうだいな」

 ベアトリーゼは集落の人間に札束を三つばかり渡し、更に二つ札束を見せて言った。

「それと馬かラクダを売ってくれない? 二頭ね」

 

 こうして調達した馬二頭に砂漠越え用の水と糧食、野営道具を積んでいく。

「ここで待ち伏せするんじゃないの?」

 戸惑い顔のチレンに、ベアトリーゼはにやりと口端を吊り上げた。

「ここから少し内陸へ行ったところに、砂に呑まれて放棄されたオアシスがある。待ち伏せするにも水の調達し易い方が良いだろ」

 

「? 砂に呑まれてるんでしょ?」戸惑いを強くするチレン。

「枯れたわけじゃないさ」

 ベアトリーゼはほっかむりするようにシュマグを巻きながら、からからと笑う。

「それにまあ、面白い出会いがあるかもしれない」

 

     〇

 

 かつて緑の町と呼ばれたエルマルに上陸後、ビビと麦わらの一味は反乱軍の根拠地になっているというオアシス都市ユバを目指すべく、灼熱の砂漠を進む。

 

 その頃――

「ダンスパウダー……世界政府が製造も保有も禁じてる降雨剤ね」

「エグいもん使われたなぁ」

 砂に呑まれ、放棄されたオアシス都市ユバに到着していたベアトリーゼとチレンは、ユバに唯一残っていたトトなるおっさんから、諸々の事情を聞いていた。

 

「2年前、国内に持ち込まれていることが偶然発覚されてな。調査したところ、王宮からも大量に発見された」

 トトはベアトリーゼから貰った水を口にし、大きく溜息を吐く。

「当時、既に首都アルバーナ以外で雨が一切降らぬという異常な旱魃が起きていた。浅慮な者達は騒いだよ。王が雨を奪っていると」

 

 ふぅんとベアトリーゼは相槌を打つ。原作知識として真実を知っているが、そんな素振りは微塵も見せない。

「王が自分の国を干上がらせて、衰退させたい理由でもあったの?」

「そんな理由など無いっ! 国王様が民を虐げるなど絶対に!」

 トトは大きく深呼吸し、頭を振った。

「声を荒げてすまない……しかし、この町にいったい何の用だい?」

 

 チレンが答え難そうに目を逸らすも、ベアトリーゼはあっけらかんと笑う。

「や。この町でバケモノを待伏せしようと思ってね。ここはちょっと大立ち回りするのに丁度良いから」

 

「……は?」

 トトは目を点にして固まった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。化物? 待ち伏せ? 大立ち回り? 何を言って」

 

 ベアトリーゼは狼狽えるトトへ、悪びれることなく続ける。

「代わりに埋まっちゃった水を出してあげるから、大目に見てよ」

 

「はあっ!?」

 トトは目を剥いて吃驚する。思考が追いつかない。

「み、水を出す!? ど、どういうことなんだ!?」

 

 で。

 

 ベアトリーゼはチレンとトトを連れて砂に呑まれたユバの町を歩いて回り、歩きながら振動波を放ち、反響から地中の水源を探る。

 そして、オアシスの貯水池だった場所に立ち、ベアトリーゼは頷く。

「ん。やっぱり水は無事だわ。砂に埋もれてるだけだ」

 

「分かるのかね?」トトが怪訝顔を浮かべる。

「ま、いっちょやってみますか」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で嘯き、その場に屈みこんで両手を地面に添え、高周波の衝撃波を叩き込んだ。

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)双掌打(ドッベルト)ッ!!」

 ずどんっ! と強烈な衝撃波を地面に打ち込み、大量の砂を吹き飛ばした。

 

「のわーっ!?」「きゃあああああっ!?」

 衝撃波の余波と大量の砂塵を浴び、トトとチレンも吹っ飛ぶ。

 

「な、なんなんだっ!?」「やる前にひとこと言いなさいよっ!!」

 びっくり仰天のおっさんと拳を振り上げて抗議する女科学者。

 

「んー……完璧」

 地面に大穴を作ったベアトリーゼは、穴の底を見下ろして満足げに白い歯を見せる。

 

「な、な、な、な」

 身を起こして大穴の底を窺い、トトは目を丸くする。

 深々と掘削された大穴の底は湿っており、早くも水を滲ませていた。

 

「お、お嬢さんはいったい……」

 唖然としながら凝視してくるおっさんに、蛮姫は人差し指を艶やかな唇に添えた。

「内緒」

 

        〇

 

 麦わらの一味が砂漠を征く。

 

 狡賢い鳥畜生に荷物を盗まれたり。

 山のようにデカいサンドラ大トカゲを仕留めて食ったり。

 通りすがりのエロラクダを拾ったり。

 ルフィが幻覚サボテンを食ってラリッたり。

 ウソップが暑さに倒れたり。

 ドデカい蛙に襲われたり。

 

 そんな冒険をしながら彷徨するように進んで進んで進んで、酷暑の日中が終わり、酷寒の夜を迎えた。

 頭上には満天の星が煌めき、月が爛々と輝く絶景が広がっていたけれど、完全に疲弊しきった一味は夜空を楽しむ余裕などない。

 

 砂漠用マントをすっぽりと被ったビビとナミは、ラクダ(ナミの命名『マツゲ』)の背から周囲を見回す。

 ラクダの手綱を握るビビが、疲れ切った顔できょろきょろ。

「そろそろ見えてくるはずなんだけれど……」

「サンジ君が手に入れてくれた地図だと、そうね。もう見えてもおかしくないわ」

 ナミはナノハナで調達した地図を確認し、辺りを窺う。

 

「砂が舞っててよくわっかんねェな」枯れ木の杖を突くルフィが眉根を寄せ。

「あれじゃねェか? 明かりが見えるぞ」

 ぶっ倒れたウソップを肩に担ぐゾロが、背の低い砂丘の先を指差す。

 ゴールが見え、少年少女が表情を和らげたその時。

 

「……なんだ、ありゃあ」へばっていたサンジが絶句する。

「すっげェ……」雪の国の出身であるチョッパーは初めて見た。

 視界に収まりきらぬほど巨大な砂嵐を。

 

「そんな、ユバの町が―――」

 ビビが口元を押さえて戦慄した、刹那。

 

 

 ずっがああああああんんんん!!!!

 

 

 夜が消し飛ぶような鮮烈極まる白光が走り、ビビ達が悲鳴と吃驚を上げた直後、天地をひっくり返すような轟音と衝撃の大瀑布が砂漠に激走し、ビビ達をひっくり返した。

 

 唖然茫然している麦わらの一味の中で、ラクダの背から転げ落ちたナミが身を起こし、夜闇の中をキラキラと煌めく仄蒼い粒子や赤い粒子を見つめていた。

「大気がイオン化して、砂粒が焼けてる……雷が生じて、いえ、砂嵐そのものが雷になって爆ぜたんだ……こんなのあり得ない」

 

 そして――

 ビビと麦わらの一味が恐る恐るユバに足を踏み入れてみれば。

 ユバは砂に呑まれ、無人になっていた。

 

「そんな……ユバが放棄されてるなんて」ショックに身を震わせるビビ。

「こりゃひでェな。エルマルって町と変わらねェぞ」眉をひそめるゾロ。

「水はっ!?」ルフィが泣きそうな顔で叫ぶ。

「この有様じゃ水なんてねェだろ……」肩を落とすサンジ。

 

「あるよ」

 

 不意に声を掛けられ、全員がビクッと身を震わせる。弾かれたように声が聞こえた方へ顔を向ければ。

 

 夜色のショートヘア。暗紫色の瞳。小麦肌。砂漠用着衣に身を包んだ美女がアンニュイ顔で微笑んでいた。

「水。あるよ」

 

「誰だ?」「さあ?」

 小首を傾げるルフィとチョッパー。

 

「ああっ!? ナノハナの町で出会った素敵なレディッ!」

「っ! あの女は――ッ!」

 喜色を浮かべるサンジと対照的に、顔を強張らせるゾロ。

 

「ベアトリーゼさんっ!?」「ベアトリーゼッ!?」

 目を真ん丸にして吃驚を上げるビビとナミ。

 

 3億8000万ベリーの女賞金首は呆気に取られているビビへ丁寧に一礼し、

「お久しぶりです。ビビ様」

 びっくりしたまんまのナミへ悪戯っぽく笑いかける。

「ナミちゃんも元気そうだね」

 

 かくして、原作主人公一行と異物は出会った。

 月が笑っている。

 

      〇

 

「込み入った話は一服入れてからにしよっか」

 ベアトリーゼは麦わらの一行を街の貯水池の辺りへ案内していく。

 貯水池の傍で、チレンとトトが焚火を囲み、ユバの水で淹れたお茶を呑んでいる。

 

「「水だ――ッ!!」」

 ルフィとチョッパーが大穴にじわじわと広がっている水溜まりへ顔を突っ込み、ごくごくと喉をうねらせる。

「「うめ――――――――――ッ!!」」

 

「お茶にする? 飛び込む?」

「お茶で」

 ナミが代表して答え、ベアトリーゼは無人となっている宿へ入っていき、勝手にカップを持ち出してきて、焚火に掛けていた薬缶を傾けて御茶を淹れた。

 

 サンジとゾロは温かい御茶をじっくりと味わいつつ、先客の美女2人を窺う。前者は若干鼻の下を伸ばして。後者は警戒心を露わにして。

 ナミはビビに付き添い、唯一ユバの町に残っていた住民――トトから話を聞いていた。

 なお、ウソップは倒れたままだ。

 

「……っ」

 ビビはトトと再会し、息を呑んだ。記憶にあるトトは恰幅の良い男性だった。それが今や骨と皮のような有様で……

 

 トトも驚いていた。

 なんせ一般には王女ビビは難病を患い、ここ数年宮廷の奥で療養中と報じられていたからだ。そのために立太子も先延ばしされていたのだから。

「ああ。よかった……長く病気を患っていると聞いて心配していたんだ」

 

「あの」ナミが口を挟む。「この町に反乱軍が居ると聞いていたんですけど」

 ナミは離れたところに控えるベアトリーゼを横目にしつつ、トトに問う。

「御覧の通りだ」トトは嘆息し「反乱軍はもういない。ここが砂に呑まれて放棄された後、あの反乱軍(バカ共)はカトレアに根拠地を移したよ」

 

『なにぃっ!?』麦わらの一味はトトの言葉に吃驚を上げ、

 

「おい、ビビッ! カトレアってどこだ!?」

 ルフィが穴から飛び出してきて問い質し、ビビは狼狽えながら答えた。

「カトレアは……ナノハナの隣にあるオアシス都市よ」

 

「はあっ!? ナノハナって……それじゃ俺達は何のためにここまで……っ!」

 思わずゾロが不満に近い感情を吐き出す。他の面々も口に出さないものの、似たような気持ちを抱いていた。無理もない。丸一日を費やした過酷な砂漠越えが、全て無駄だったのだから。

 

「ナノハナを出立する前に、反乱軍の情報を集めなかったの?」

 ベアトリーゼが微苦笑と共に指摘するも、麦わらの一味は誰一人答えられない。ただただ徒労感に項垂れている。

 

「……3年、雨が降らず多くの開拓村や地方都市が放棄された。しかし、国民の大半は国王様を信じてる。だから、何度も何度も止めたんだ。だが、若い連中は何を言っても聞かん。反乱軍はどんどん規模を大きくしている」

 トトは話を続け、

「だが、奴らももう限界だ。反乱は起こしたものの、水が手に入るわけでもないし……王国の鎮圧作戦で物資もろくに得られない。追い詰められて、首都へ総攻撃に出るつもりだ」

 カップを放りだしてビビの手を握り、涙ながらに頭を下げて懇願する。

「ビビちゃん。いえ、ビビ様。お願いです。あのバカ共を止めてください……っ! どうか、どうか……っ!」

 

 痩せ衰えた身体から絞り出された哀願に、ビビはトトの手を強く握り返した。

「大丈夫。大丈夫よ、トトおじさん。反乱はきっと止めるから」

 気丈に優しい笑みを湛え、ビビはトトを慰める。

 

 麦わらの一味はただ黙してその様子を見守っていた。

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

「食料を分けて貰って助かったよ。俺達の荷物は……まあ、色々あって失くしちまって」

 サンジはトトとベアトリーゼから食料を分けて貰い、ホッとする。なんたって全ての荷物を鳥畜生に奪われていたのだから。

「水も食料も移動のアシも無しに砂漠越えを図るとは……砂漠の遊牧民達だってしないぞ」

 トトが呆れ顔を返す。サンジはまったく反論できない。

 

 そして、適当に選んだ無人の宿を借り上げてサンジの料理を食べ、麦わらの一味とオマケは宿の食堂でなんとなく一緒にいる。

 一味の視線は主に夜色の髪の美女へ注がれていた。

 

 懸賞金3億8千万ベリーの凶悪犯。“血浴”のベアトリーゼ。連れの美女が何者か分からないが、ベアトリーゼの立ち位置は重要だ。

 なんせベアトリーゼはビビを恩人と尊崇する一方で、敵であるバロックワークスの最高幹部ニコ・ロビンの親友。

 アラバスタに居る理由次第では……

 

 ナミが代表して切り出す。

「この国で何してるの?」

 

 心中の複雑さが滲み出ている声音だった。

 一年振りに会えた嬉しさ。『次はグランドラインで』という約束が叶った歓び。

 仕留めると言っていたくせに、アーロン達を仕留めていなかった件に対する不満と鬱憤。

 争乱真っ只中のアラバスタに、この危険極まる野蛮人が居るという不吉極まりない現実。

 おかげでナミは感情と気持ちがまとまらない。

 

 それはビビも同じことで、不安と期待――親友のロビンのためアラバスタに来たのか、手助けに参じてくれたのか、で気持ちがぐちゃぐちゃしている。

 

 ルフィは世経記者のコヨミから色々聞いていたため単純な好奇心を、ゾロはかつてアラワサゴ島で一蹴された過去から警戒心を、それぞれベアトリーゼに向けていた。ちなみにチョッパーとウソップは懸賞金4億ベリー手前の凶悪犯を前に腰が引けている。

 

「私は今、依頼仕事でこちらのチレン女史を護衛してる」

 ベアトリーゼの説明に少年少女の視線が注がれるも、チレンは目礼を返すだけだ。

「それでまぁ、ちょっと鬱陶しい追手に狙われててね。アラバスタに逃げ込んできたの。この町には追手を返り討ちにするために来た。放棄されて無人。元がオアシスだから水の調達も易い。大立ち回りするのに丁度良いかなって」

 

「相変わらず無茶苦茶ね……」ナミは目元を覆う。

「この町で暴れるのか?」ルフィがしかめ面で「……あのおっさん、水が出たって喜んでたぞ」

 トトは再び湧き出し始めた水を守るべく、今も休まず穴を掘り広げている。

 

「あの水は迷惑料の先渡しで、私が掘削して出してあげたんだよ」

 さらっと応じたベアトリーゼへ、

「……ベアトリーゼさん。知ってるんでしょう?」

 ビビは真っ直ぐにベアトリーゼの目を見つめながら質す。

「バロックワークスの最高幹部が、貴方の親友ニコ・ロビンだということを」

 

「はい。ビビ様。存じ上げています」

 ベアトリーゼはあっさりと認め、

「蛇の道は蛇、ではありませんけれどね。私の親友が大恩あるビビ様に仇なしていることはまことに心苦しい限り。ですが」

 これまたあっさりと宣う。

「私がロビンを止めることはありません」

 

「―――」

 ビビが息を呑み、ナミは眉目を吊り上げて噛みついた。

「なんでよっ! あんた、ビビのことが大切なんでしょう? あんたがニコ・ロビンを説得すれば」

 

「それは私とロビンの約束を破ることだし、ロビンの選んだ決定に違える。それは絶対に出来ない」

 ベアトリーゼはナミを宥めるように、しかし、そこには決して翻意しないという明確な意思が込められていた。

 

 ナミは歯噛みし、挑むようにベアトリーゼを睨み据える。

「……なら、取引よ」

 

「取引」ベアトリーゼは面白そうに「具体的には?」

「私はあんたに貸しがあるのよ。それを返して貰うわ」

 はて? と小首を傾げるベアトリーゼを、ナミは声高に糾弾する。

 

「アーロン達の件よ! あんた、海の果てまで追いかけて狩るって言っておいて、仕留めてなかったじゃない! おかげでココヤシ村が大変なことになったんだから! 私達が間に合ったからいいものの……これはデカい貸しよ。そうでしょう」

 

「ああ。そうだった」ベアトリーゼはバツが悪そうに「アレね。あの女のせいで追跡に失敗しちゃったんだよなあ……そっか。あのノコギリザメ達は結局、ナミちゃん達が倒したのかぁ」

 夜色の髪を弄りながら、ベアトリーゼはナミへ尋ねる。

「確かにそれは貸しだ。どう返して欲しい?」

 

「ビビを助けて」

「まぁ……そう来るよね」

 ナミの要求に、ベアトリーゼは渋面を浮かべる。

「その要求に応じる場合、チレン女史の安全確保が絶対条件だ。私が追手を始末するまで待ってもらう」

 

 ベアトリーゼの条件提示に、ナミは追手に狙われるリスクやベアトリーゼの滅茶苦茶さを考慮しても、同行してもらうメリットは大きいと判断し、チレン女史を横目にしつ対案を挙げた。

「私達もその人を守るから一緒に来られない?」

 

 しかし、ベアトリーゼの反応は渋い。

「追手なんだけどね。身長は3メートル以上で、肉体は打撃、斬撃、衝撃に対する防御能力が異様に高い。体表面から毒性分泌物と電撃を発生させられる。しかも生命力が凄まじい。私が胴体を真っ二つにしたけれど、死ななかった。そういうバケモンなんだよ」

 

 蛮姫の説明を聞き、麦わらの一味は呆気にとられた。

「そりゃバケモンだ……チョッパーみたいなパチモンじゃねえ、マジのバケモンだ……っ!」

「誰がパチモンだ、コノヤローッ!」

 

 ウソップとチョッパーのやり取りを脇に置き、ベアトリーゼは説明を続ける。

「ちなみにそいつと事を構えると、自動的に金獅子っていう海賊界のレジェンドを敵に回すかもしれない」

 

「レジェンド?」「ほぅ?」

 海賊王を目指す少年と、世界最強の剣士を目指す少年がそわそわと反応する。

 血の気の多い野郎共を無視し、ナミはベアトリーゼに確認を取る。

「その化物はいつ頃現れるの?」

 

「そこまでは分からない」ベアトリーゼは小さく肩を竦め「だから、ここを待ち伏せ場所に選んだんだ。長丁場になっても水を調達できるし、巻き添え被害が出ないからね」

 

「私達には時間が無いわ……反乱軍がいつ動いてもおかしくないもの……」

 ビビが表情を曇らせた。今は一分一秒でも惜しい。

 

「あくまで私達を同道させるなら、巻き添え被害は覚悟はしてほしい。先頃に襲われた時は、住民が巻き込まれてかなりの被害が出た」

 ベアトリーゼの説明に、今まで黙っていたチレンが追補を加えた。

「事実よ。少なくない人達が死傷したわ。私達を連れて行くことにはそういう危険を伴う」

 

「ま、明日の朝までしっかり考えて決めると良いよ」

 労わりがこもった優しい声音だったが、少年少女の表情は晴れない。

 

 

 ビビと海賊達は朝までに決断しなくてはならない。




Tips
ベアトリーゼ。
 ついに麦わら一味と出会った。
 お姉さんぶってるけど、内心は芸能人に出会ったファンみたいなもん。
 チョッパーをモフりたい欲求を堪えてる。

チレン。
 本編では触れてないが、蛮族女が珍しくオトナぶっていることに凄く怪しんでいる。

麦わらの一味の皆さん。
 原作の主役達。
 賞金3億8千万の凶悪犯と出くわした。

ビビ。
 いろいろあり過ぎて余裕が全然ないけど、それでも気丈に振る舞い、冷静を装う。
 健気な王女様。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

105:ビビと苦悩の夜と決断の朝

佐藤東沙さん、秋人さん、初野素直さん、NoSTRa!さん、ナナジンさん、真夜中トトロさん、誤字報告ありがとうございます。


「今日はお疲れさんってことでよ、とりあえずさっさと寝ちまって体力を回復させよーじゃねーか!」

 

 なんとも重い雰囲気が漂う中、ウソップが努めて明るく切り出せば、

「オメェは昼に倒れてから寝っぱなしだったじゃねーかっ!」

 ゾロが苛立ちを込めてウソップに枕を投げつけ……

 修学旅行の夜みたいな枕投げ合戦が勃発した。

 

 もっとも、この手の騒ぎで一番大騒ぎしそうな奴の姿はない。

 

「おっさん、もう水が出てるだろ。休んだ方が良いんじゃねえか?」

 ルフィは元貯水池に掘削された大穴の縁に座り込み、穴を少しでも拡張しようとスコップを振るうトトを気遣う。

 

 が、トトは脇目も振らずスコップを振るい続ける。

「またいつ砂嵐が襲うか分からないからね……ここは私が国王様から預かった大切な土地なんだ」

 

「……そうか」ルフィは砂が掘り出される音色を聞きながら「おっさん、この国が好きなんだな」

「この国はね、良い国なんだ」

 トトは手を止め、かさかさに荒れた額を拭う。

「王家は民を慈しみ守り、民はそんな王家を敬い……尊んできた。これまでずっと皆で助け合い、平和に幸せを求めることが出来たんだ。そうやって歴史を重ねてきた国なんだ」

 

「良い国だな」

 ルフィが何の衒いもなく素直に評せば、トトは胸を張って誇らしげに笑った。

「ああ。そうだろう。だから、私達はアラバスタが大好きなんだ」

 

 

 美女達はまだ眠らずにいた。大人の時間とばかりに酒をチビチビと嗜む。

「アラバスタ王女と知り合いだったとは……貴女ってホントに意外なことだらけね」

 チレンが煙草を燻らせながら、鋭い眼差しを向けてくる。

 

「奇縁って奴さ。昔、くたばりかけていたところを、世界会議へ向かうアラバスタ御召船に助けて貰った」

 ベアトリーゼはラムを注いだカップを口に運ぶ。

「佳い娘だよ。些か御転婆すぎるけれど」

 

「御転婆? 命知らずと言うべきね」

 チレンの吐き出す煙には、多分に溜息が込められていた。灰皿に煙草の灰を落とし、好奇心から問う。

「王女様だけでなく、あの子供達にも随分と気を遣っていたわね。あんなオトナぶったところ初めて見たわ」

 

「オトナぶったって……」ベアトリーゼが不満顔をこさえ「私はれっきとした大人だよ。自立した素敵なレディだよ」

「貴女と付き合ったこの数日間、自立した素敵なレディなんて見たこと無いわ。血に飢えた野蛮人ならうんざりするほど目にしたけど」

 女科学者は蛮姫の抗議をバッサリと切り捨てた。

 

「ひどい言いよう」ベアトリーゼが大きな苦笑いをこぼす。

 と、チレンはカップのラムを一口嗜んでから、何気なく尋ねた。

「貴女が動けば、この国をどうにかできるの?」

 

 ベアトリーゼは思案顔――底が抜けた鍋みたいな原作知識を絞り、アラバスタ編の流れをなんとか思い出しながら、言った。

「まだギリギリ間に合うかな」

 

「間に合うの?」

 

 気づけば、寝室の扉が開き、ビビが顔を覗かせていた。傍らにはナミが寄り添っている。

 神経が極太な野郎共は砂漠越えの疲労も相成ってグースカとイビキを掻いていたが、不安と焦燥に駆られているビビは寝付けず、そんなビビを気遣うナミも起きていた。

 

 ベアトリーゼは眉を下げつつ、隣へ座るよう手招きした。チレンが気を遣ってお茶を用意する。

 

「本当に、まだ間に合うの? 反乱を止められるの? ベアトリーゼさん……っ!」

 ビビが縋りつくように問い、隣のナミが『正直に言えよ』と睨んでくる。

 

 美少女2人の眼差しに眉を下げつつ、ベアトリーゼは横髪を弄りながら言葉を編み始めた。

「まず明言しましょう。ビビ様が反乱軍の首魁に会ったところで、反乱軍は止まりません」

 

 息を呑むビビへ、ベアトリーゼは右手の人差し指を立てて続ける。

「第一の理由。反乱軍は敬愛する王を討ち取ってでも、水を得ようと覚悟を決めているのです。そんなところへ赴けば、囚われて王と軍に対する人質にされかねません」

 

「そんなことは――」脳裏にコーザを思い浮かべながら、ビビが否定を試みる。

 

 も、ベアトリーゼは人差し指に続けて中指を起こす。

「第二の理由。アラバスタ政府と反乱軍。どちらにも確実にバロックワークスの工作員が潜り込んでいます。事ここに至って決戦を中止させようとすれば、工作員達があの手この手で妨害を図るでしょう。加えて言えば……反乱軍の首魁が決戦中止を決断しても、反乱軍全体が承服する可能性は低い。彼らの実態は渇き餓えた70万の暴徒です。水を手に入れるまで止まりません。そして、三つめ……」

 

「まだあるの?」心底嫌そうに美貌を歪めるナミ。

 

 親指を立てたベアトリーゼは言葉を紡ぐ。

「クロコダイルが王国と反乱軍の決戦を望んでいる。崩壊した国に英雄が君臨して新たな王朝を起こす……古典的だけに実現性が高いシナリオです。そして、この手のシナリオなら王朝唯一の正統後継者である王女を娶ることが王道ですが、どうも奴は王家を断絶させるつもりらしい」

 

 クロコダイルの妻にと言われ、ビビがすっごく嫌そうに顔を歪め、次いで王家を絶やす――父と自分を殺すと聞かされ、顔から血の気を引かせた。

「そんなの、世界政府が認める訳ないわっ! 世界政府加盟国の資格が剥奪され、非加盟国に落ちるに決まってる。そうなったら――」

「この国は終わりね」チレンは煙草を吹かし「非加盟国の扱いは虫けら以下だもの」

 

「……まだ間に合うって言ったわよね? どうすれば良いの?」

 ナミはビビを抱くように支えながら、蛮姫を詰問する。

 

 ベアトリーゼは右手を降ろし、冷厳に告げた。

「反乱軍の説得など時間の無駄だ。クロコダイルを討ち、バロックワークスの暗躍を証明する形で国中へ公表するしかない。もちろん、簡単じゃない。相手は一流の海賊で、歴戦の能力者だ。戦えば犠牲が出るだろう。それでも、100万人の武力衝突よりはマシだ」

 

「大を助けるために小を犠牲にしろっていうの?」

「私に出せる案はこれだけだよ」

 険しい顔のナミと苦悩を隠さないビビに見つめられ、ベアトリーゼはカップのラムを口にしてから、物憂げ顔で言った。

「判断は君らに委ねる。これは君達の戦いだからね」

 

 助言の皮を被った難題を与えられ、ビビとナミは苦悩をさらに強くした。

 犠牲者を出したなくないと願っている少女達に、犠牲を覚悟しろと助言するベアトリーゼに、チレンが見咎めるような視線を向けていると、

 

「お? なんだ? 夜食か?」

 食堂の出入り口からルフィがひょいっと顔を出した。

 

「ルフィ!? あんた、起きてたの!?」

 驚くナミを余所に、ルフィは空いていた席に座り、皆の手元を覗く。夜食じゃねェのかとぼやいた。

「おっさんと話してたんだ。言ってたぞ。この国は良い国で、大好きなんだってよ」

 

 瞬間、ビビは目頭が熱くなった。

 ルフィはそんなビビから目線を切り、ナミに問う。

「どしたナミ? 怖い顔してよ」

 

「ナミちゃん達へ、反乱軍を止めに行くよりクロコダイルを討った方が良い、と提案したんだよ」

 ベアトリーゼが代わって答えれば、ルフィはニカッと笑う。

「そりゃ名案だな。俺もクロコダイルをぶっ飛ばしてぇし」

 

 ルフィの快活な笑みに、ベアトリーゼは楽しげに目を細めた。

「クロコダイルは大海賊だ。賞金こそ1億にも届かない“低額”だけれど、それは奴が若くして王下七武海に就き、賞金が増額されなかったから。能力と危険性を考えれば、本来は私より高額だよ」

「あんたより……?!」ナミは絶句し、ビビも唖然とする。

 

「上級幹部も能力者揃いで腕が立つ。彼らを潰すのも命懸けだ」

「海賊同士の潰し合いだ。当然だろ」

 さらっと軽く応じるルフィ。ウソップやチョッパーが聞いたら『当然じゃねえよ! 死にたくねえよーっ!』と抗議したかもしれない。

 

「君やあの剣士君はともかく、ナミちゃんや長っ鼻君は荒事に長けているとは言えない。もしかしたら、命を落とすかもしれないよ?」

「死なせねェよ。仲間は俺が守る。誰一人死なせたりしねェ」

 ルフィは、ベアトリーゼの意地悪な問いを即座に蹴り飛ばす。

 

 それは確固たる決意であり、断固たる覚悟であり、大切な人を失うことへの恐怖の裏返し。当人も自覚しているがゆえに、愛する者を失くさないためなら笑顔で命を懸けられ、たとえ命を落とすことになっても後悔もしない。

 

 なるほど。大きな物語を紡ぐ主人公とはこういう奴か。

 ベアトリーゼは小さく頷き、ナミに微笑みかける。

「佳い男を見つけたじゃない」

 

「……当然よ。この私が仲間になってあげたんだから」

 ナミが笑った。嬉しそうな、誇らしそうな……心からの美しい笑み。

 

「俺がナミを仲間にしたんだぞ」ルフィが誤謬を指摘する。

「いーえ。私が仲間になってあげたの」ナミは澄まし顔で応じるが、口端は緩みっぱなしだ。

 ビビも気分がほぐれたのか、表情が和らいでいる。

 

「さて。もう夜も遅い。子供はさっさと寝なさい」

 ベアトリーゼがあからさまに子供扱いすると、三人は揃って不満顔を返す。それが面白くて、チレンも相好を崩して笑ってしまう。

 

 寝室へ向かう三人を見送り、チレンはベアトリーゼに鋭い眼差しを向けた。

「随分と厳しいこと言ってたじゃない。王女様も可哀想に。きっと今夜は眠れないわよ」

 

 ベアトリーゼは涼しい顔でカップのラムを口に運び、

「あの子達は私を信頼しすぎだよ。私は敵ではないけど、味方でもないのにさ。私の言うことを鵜呑みにして、ロビンの調略を、いや敵のナンバー2を切り崩すことを早々に諦めてしまった。まだまだお子様だね」

 冷ややかに鼻で笑う。

 

「気づかせなかったくせに、よく言うわ」チレンは見透かしたような目つきで「それで? どうするつもり?」

「そうだね。王女様を惑わせる“悪い魔女”としては……」

 夜色の髪を弄りながら、ベアトリーゼは物憂げ顔で口端を歪めた。

「協力を求められたら、気張らないといけないなぁ」

 

        〇

 

 バロックワークスの総本山たる大カジノ『レインディナーズ』にて、クロコダイルの許にバロックワークス上級幹部が勢揃いし、アラバスタ王国簒奪計画の総決算『ユートピア作戦』の説明が行われていた。

 

 ミスター・4&ミス・メリークリスマスのペアが首都の王宮からコブラ王を誘拐。

 マネマネの実の能力でコブラ王に化けたミスター2が、王国軍に扮したバロックワークスの兵士達を連れ、港湾都市ナノハナを襲撃。

 ミスター・1&ミス・ダブルフィンガーのペアが武器を満載した大型貨物船をナノハナに突入させ、反乱軍に武器を供給。 

 反乱軍の首都総攻撃に乗じ、クロコダイルとミス・オールサンデーが王家の秘匿するポーネグリフの許へ向かい、古代兵器の情報を奪取。

 国体が崩壊して混乱する様を余所に古代兵器を確保し、クロコダイルが救国の英雄としてアラバスタを乗っ取る。

 そして、古代兵器の力を背景に世界政府へ国家承認させ、クロコダイルの理想郷が生まれる訳だ。

 

 説明にひと段落付いたところで、逃げ戻ってきたミスター3から、王女ビビが麦わらの一味を引きつれて帰国していることが判明。

 

 クロコダイルは即座にミスター3を粛清し、降って湧いた不測の事態に思案する。

「ビビと反乱軍首魁のコーザは幼馴染。そして、ビビは我々バロックワークスの情報を少なからず持っている。両者が顔を合わせたくらいで、餓え渇いた70万人が今更止まるとは思わねェが……」

 

「風向きを変えられるかもしれないわ」

 ミス・オールサンデー……ニコ・ロビンが他人事のように言った。

「風向きが変わる、というのは?」ミス・ダブルフィンガーが眉をひそめる。

 

「御姫様の持つ情報次第では反乱軍70万人、いえ王国軍と合わせて100万人の大軍勢が私達バロックワークスへ襲いかかる、ということよ。言うまでもなく、私達は彼らの故郷を荒廃させ、多くの犠牲者を生み出した。幹部の私達は楽に殺して貰えないでしょうね」

 この計画が失敗に終わっても同じことだけど、とニコ・ロビンは微笑む。

 

 上級幹部の面々は少なからず顔を強張らせた。

 如何に能力者であろうと、強力な戦闘能力を持とうと、100万人という物量と殺意を前に出来ることはない。

 

「だからこそ、ビビとコーザを会わせちゃならねェ」

 クロコダイルは葉巻を吹かし、幹部達へ命じた。

「ビビとコーザを絶対に会わせるな。その前に必ずビビを始末しろ」

 

 ロビンが出発していく幹部達を見送っていると、クロコダイルが告げた。

「もしもお前の親友が首を突っ込んで来たら……分かってるな、ミス・オールサンデー」

 

「御心配なく。必ず止めるわ。私もこの計画が成功しないと困るもの」

 本心だった。但し書きを言わないだけで。

 仮にこの計画が失敗に終わっても、生き延びさえすれば、ビーゼが必ず助けてくれるし、ネフェルタリ家が秘匿するポーネグリフの情報も確保してくれる。

 

 私だけは事態がどう転んでも、目的を果たせる。

 ロビンは本心を完璧に隠し、いつものようにミステリアスな微笑を湛えた。

 

       〇

 

 朝食が並ぶ。

 食料が限られているから、いつものように大食いは出来ないけれど。

 野郎共が互いの飯を奪い合うようにガツガツと食らい、少女二人もしっかり食べる。賑やかな食事風景にトトが懐かしそうに目を細めた。

 

 朝食後、麦わらの一味が出立の支度を進めているところへ、トトがやってきて水筒を渡していく。

「砂嵐にも負けない強い土地の水だ。砂漠越えの足しにしてくれ」

「ありがとう、おっさんっ!」

 

 そして――

 

「皆。聞いて欲しいの」

 一晩かけて悩みに悩み抜いて考えに考え抜き、ビビは一味の面々をゆっくりと見回し、両手で着衣の裾を握りしめながら言葉を紡ぎ始める。

 

「反乱軍を止めるために、ここまで来たけれど、残念ながら反乱軍はもうここに居ない。彼らは今、ナノハナの隣にあるカトレアにいるわ」

 

 チョッパーは医者として超一流でも、いろいろ世間知らずで幼いところがある。ビビが王女として背負う重責や使命感を完全には理解できていない。

 だけど、チョッパーがビビのために戦うには何の問題もない。

 ビビは大事な仲間で友達だから。

 

「ここユバからカトレアを目指すには、また一日掛かりで砂漠を越えて、エルマルに泊めた船に乗ってナノハナに戻り、そこから砂漠を渡ることになる。反乱軍が動き出すまでに、とても間に合うとは思えない」

 

 ウソップは小心者でお世辞にも強くないことを自覚しているし、自認している。それでも、根性と気合を振り絞ってビビのために戦う覚悟を決めていた。

 勇敢なる海の戦士は仲間を決して見捨てないからだ。

 

「だから――」ビビは言葉に詰まる。

 

 サンジは周囲が思っている以上に利発かつ利口だ。ビビが何を語るつもりなのか、自分達に何を求めるつもりなのか、とっくに察しがついている。

 まぁ、何を聞かされたところで、サンジは気にしない。

 元よりビビに味方する以外の選択肢など、持ち合わせていないのだから。

 

「だから」ビビは大きく深呼吸して「だから、レインベースに向かおうと思うの」

 

 ナミはもう決意を固めていた。

 自分が仲間達に救われたように、ビビを救ってみせる。自分が味わったような悲哀と喪失感と絶望を、ビビには絶対に味わわせたりしない。

 ビビは大切な仲間で友達で、妹分だから。

 

「レインベースに居るクロコダイルを討ちとって、アラバスタを襲い続けてきた旱魃がバロックワークスによるものだったと国中に伝える。もう、それしか悲劇を止められない」

 

 ゾロは日頃、冷静沈着に振る舞っているが、その実は情に厚い。そもそも亡き幼馴染との約束を果たすために世界最強へ決闘を挑むような奴だ。

 一方で、筋を通すことも重視する。だから、個人としてはビビのために剣を振るうつもりながら……副船長として、ビビが筋を通すまで一味が手を貸すことは認められないと思っている。面倒臭い奴だ。

 早く筋を通せ、と内心で焦れつつ、ゾロはビビの言葉を待つ。

 

「クロコダイルを倒すために、皆の力を貸してほしい。危険なのは分かってる。相手は強大で、奴の部下も手練れぞろいで、もしかしたら、皆も無事では済まないかもしれない。だけど」

 ビビは微かに身を震わせながら皆を見回し、頭を大きく下げて最敬礼した。

「皆の力が必要なのっ! この国を救うために、力を貸してくださいっ! 私と一緒に命を……皆の命を賭けてくださいっ!」

 

 ルフィは大きく頷き、深呼吸して身体を風船のように膨らませ、大量の空気を吐き出しながら雄叫びを上げた。

「行くぞ、野郎共ッ!! ビビと一緒にワニ退治だっ!!」

『おうっ!!』

 麦わらの一味は獅子のように吠え、船長に応えた。

 

 

 少し離れたところで、美女2人は少年少女達の決起を眺めていた。

「あんな純粋な子供達を振り回して……貴女は恥を知るべきね」

「辛辣ゥ」

 チレンから毒を浴びせられ、ベアトリーゼはくすくすと笑う。まったく良い性格をしている。

 

「ベアトリーゼッ!!」

 ナミに呼ばれ、ベアトリーゼは麦わらの一味の許へ歩み寄った。

 ビビは目元を拭い、水色の瞳を真っ直ぐに蛮姫へ向けた。重圧に潰されそうなか弱い少女ではなく、非情の覚悟を抱いた王女として。

 

「血浴のベアトリーゼ。アラバスタ王国王女ネフェルタリ・ビビとして求めます」

 凛とした佇まいの美麗さに、誰もが気圧されて言葉を失う。

 

「伺いましょう、王女殿下。卑賎な我が身に何をお求めか」

 ベアトリーゼもまた確かな礼節に則って応えた。その様は野蛮人どころか洗練された女騎士を思わせ、誰もが、特にナミが驚愕を露わにする。

 

 王女は蛮姫へ厳かに命じた。

「卑劣なる悪漢の邪悪な企てを防ぐため、愛する我が民と国を救うため、我が恩義に報いよ」

「御意のままに」

 ベアトリーゼは恭しく一礼して受け入れた。

 

 砂に呑まれた廃墟の中、薄汚れた砂漠用マントに身を包んだ姫と砂漠装備を着こんだ女賞金首の“儀礼”は、どこか一枚絵のようで。

 海賊の少年少女達は自分達が本物の御姫様と旅してきたことを、ようやく自覚した。




Tips

ビビ。
 原作ではルフィと喧嘩して感情を吐き出し、仲間に頼る決断をした。
 本作では悪い魔女に促され、仲間に支えられながら、大を救うために小を危険に挑ませる覚悟に目覚めた。
 どちらが彼女にとって最善だったかは分からない。

麦わらの一味
 戦意と士気はマックス。やってやるぜ!

ベアトリーゼ
 純粋な若者を翻弄する悪い大人。

チレン
 上記の野蛮人に呆れている。

ロビン
 ユートピア作戦がビーゼに引っ掻き回されるだろうな、と確信している。

クロコダイル。
 アラバスタ国民が英雄として信頼しているといっても、バロックワークスのつながりや諸々の悪行を証拠付きで暴露されたら、一巻の終わりではなかろうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

106:悪い魔女の悪企み。

嵐の前の閑話回。

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


「ベアトリーゼさん、貴方の予想を聞かせて」

 ビビに諮問され、ベアトリーゼはアンニュイ顔で予想というカタチの原作知識を披露する。

「反乱軍に最後のテコ入れをするでしょう。変身野郎にコブラ王を偽らせ、何かデカい悪さをさせる。合わせて連中に得物を供給するはず。怒り狂ったところへ武器を手に入れた反乱軍は、間違いなく激発しますから」

 

 どいつもこいつもクロコダイルの思い通りに踊らされてるし。と心の中で容赦なくこき下ろしつつ、ベアトリーゼは続けた。

「問題はこのテコ入れがいつ行われるか。既に行動へ移っていた場合、止めることは距離と移動時間の関係から困難です。よって、殿下の御意を叶えるとしたら、私は反乱軍の激発に備えてサンドラ大河上に待機。反乱軍が首都アルバーナへ行軍中のところを邀撃し、威嚇攻撃で足止めを図ることになるかと」

 

「その場合、クロコダイル討伐は私達の手で、ということね」

 ベアトリーゼはほっそりした顎先に右手を添えて思案顔を作るビビから目線をルフィへ移し、

「私がクロコダイルを討っても構いませんが」

「ダメだ! クロコダイルは俺がぶっ飛ばす!」とルフィが口をへの字に曲げる。

「――ということなので」と微苦笑した。

 

「あんたには化物の追手が来るんでしょう? それはどうするの?」

「大河で待機中に襲ってくるなら、カトレア-アルバーナ間の砂漠に引き込んで始末する。上手くいけば、行軍中の反乱軍とかち合わせて総攻撃そのものをめちゃくちゃに出来るかもしれない」

 ナミの指摘に応じるベアトリーゼの面差しは、実に楽しげで。

 

「あんたってホントに悪企みが得意よね」

 ナミが顔をしかめてツッコミを入れるも、ベアトリーゼは相手にせず話を進める。

「レインベースに着いたら、クロコダイルへ仕掛ける前にまず電伝虫を確保して。私の子電伝虫の番号を預けるから確保次第、連絡をよこしてちょうだい」

 

「電伝虫なんて簡単に手に入るもんじゃねえぞ?」

 ゾロの指摘に、

「そんなのバロックワークスの連中を何人か拷問すれば――」

 とても嫌そうに渋面を浮かべたり、ドン引き顔を作る少年少女に嘆息を吐きつつ、ベアトリーゼは言った。

「適当に締め上げれば、電伝虫の在処を吐くでしょ。とにかく電伝虫を調達すること。良いわね?」

 

 若き海賊達の首肯を確認し、ベアトリーゼは話を進める。

「クロコダイル討伐と並行して陰謀の証拠を確保して」

 

 どういうこったい? と言いたげな若造達へ、荒事のベテランが説明する。

「アラバスタ国民のクロコダイルに対する信用や信頼は低くない。何の証拠もなくクロコダイルを元凶と言っても、国王がクロコダイルに自身の悪事の罪をなすりつけたと見られかねない。それに確たる証拠があれば、反乱軍の説得も易い」

 

 なるほど、と頷く若人達。ビビが一歩踏み込む。

「具体的にはどういうものが?」

 

「クロコダイルとバロックワークスの明確なつながり。ダンスパウダーを調達した記録や帳簿。王国軍と反乱軍に潜伏している工作員のリスト。その他諸々の悪事絡みの記録。クロコダイル本人か、ナンバー2のロビンが持っているでしょう。どうにかしてそれらを手に入れてください」

 ベアトリーゼは言葉を編み続ける。

「証拠を入手したら、あるいは、クロコダイルを討伐したら。私が反乱軍を止めた際、ビビ様が直接お越しになるか、電伝虫を用いて彼らに真相を説明してください。アラバスタ王女である貴女が証拠を公開し説明すれば、彼らも耳を貸します。説得に成功すれば、彼らを止められるでしょう」

 

 100万人の軍事衝突を防げる。その希望にビビの表情が明るくなる。も、

 

「ただし、この作戦は反乱軍と王国軍が衝突する前までしか通用しない。衝突後に証拠が手に入っても流血を止められません。誰も耳を貸しませんから」

 ベアトリーゼは釘を刺すように告げ、瞬間、ビビと麦わらの一味が反射的に身を強張らせるほどの冷酷さを漂わせた。

「良いか、ガキ共。念を押しておくぞ」

 

 肝の太いルフィやゾロ、サンジすら冷汗を滲ませて身構えるほどの圧力。ビビとナミは息を呑んで身を強張らせ、ウソップとチョッパーは震えあがった。

 

 ベアトリーゼはビビと麦わらの一味へ冷厳に語り掛けた。

「お前らが失敗したら人が死ぬ。王国軍も反乱軍も大勢死ぬ。首都周辺に展開している難民だって無事では済まない。百単位、千単位、なんなら万単位の人間が死んだり手足や耳目を失くしたりする。お前らが下手を打ったら、大惨劇が起きる。そのことを忘れるな」

 

 ふ、と艶めかしく息を吐いて威容を解くと、ベアトリーゼは別人のように気だるい微笑を湛える。

「まぁ、レインベースに着くまでにしっかり話し合うといいよ。じゃ、私は行くから頑張ってちょーだいな」

 

 

 美女2人が馬に乗って去っていく。

“簡単な話し合い”が終わり、ビビと麦わらの一味は揃って大きく深呼吸。

 

「あの女、怖すぎだろっ!」

「俺、チビるとこだった……」

 ウソップとチョッパーが泣き言をこぼし、

 

「俺達が失敗したら大惨劇が起きる、か。責任重大だな」

 サンジは煙草に火を点け、大きく紫煙を吐いた。

 

「なに、上手くやりゃあ良いだけだ。問題ねェ。なあ、ルフィ」

 不敵に笑うゾロがルフィに水を向ければ、ルフィは拳を打ち合わせて鼻息を荒く吠えた。

「おぅっ! クロコダイルをぶっ飛ばせばいいんだろ? 俺がやるぞっ!」

 

 そんな武闘派二人組を見て、眉間を押さえるナミ。

「この脳筋共を織り込んで作戦を立てろ、ってことね……」

 

「皆。レインベースに向かって出発しましょう」

 ビビは麦わらの一味を促し、砂漠へ向かって踏み出す。その歩みに迷いはない。

 

       〇

 

 ビビ達がレインベースに向かって砂漠を進んでいる頃。

 反乱軍本隊が駐留するオアシス都市カトレアでは……

 

「70万か。兵力は国王軍を優越したが、実態はお寒い限りだな」

 サングラスをかけた向こう傷の青年――反乱軍の首魁コーザはどこか倦み疲れた顔で呟く。

「刀剣類はともかく、銃は絶対数が足りず。砲は数えるほどしかない。弾薬は1丁当たり10発もねェ。おまけにどいつもこいつも渇きと飢えでぶっ倒れる寸前ときた。近頃じゃ王国軍との小競り合いより、強盗働きするバカ共の処罰や粛清で頭数が減る始末だ」

 

 反乱軍と威勢よく名乗っても、つまりは渇き餓えた暴徒の集団だ。今はまだ各地の顔役達や派閥の頭目達が協力してくれているが……もはや限界だ。早晩、反乱軍は瓦解し、それぞれが軍閥として限られた水資源の奪い合いを始めかねない。

「これで首都に攻め込んだらどうなる?」

 

 傍らに控えていた軍隊上がりの男が頭を振る。

「賭けてもいいが、首都に辿り着く前に三分の一が砂漠の酷暑でぶっ倒れるだろうな。で、そこから半分が首都の防御砲火で死ぬか逃げ出すだろうよ。なんせ大半が素人に過ぎないからな。この段階で残りはだいたい20万ちょい。30万の王国軍とやり合ったら負ける」

 

 冷徹な軍事的現実。今、動いても負ける。しかし……

「だが、動かなければどの道終わりだ。これ以上は俺達ももたない」

 コーザは溜息を吐き、幹部達へ命じる。

「どこからでも良い。なんなら手作りだって構わない。とにかく、武器を搔き集めろ」

 

「……やるのか?」

 幹部達の顔に緊張が走る。誰の顔にも決戦へ臨む歓びなど無い。

 

 当然だ。誰一人として、戦いたくて戦っているわけではない。戦うしかないから、戦っているのだ。

 王国軍を倒し、国王を討ち、ダンスパウダーを使ってでも、雨を取り戻して砂に呑まれた各地を再建する。干からびていくアラバスタを救うには、もう他に手はない。

 それが対症療法でしかなくとも。

 

 コーザだって、幹部達だって分かっている。いや、反乱軍という寄せ集めの首魁や幹部となって理解してしまった。

 たとえ水を得ても国王を倒してしまったら、アラバスタ王国はもう元には戻れないということを。

 

 過酷な環境にあるこの国が平和と安寧を享受できていた理由は、ひとえに民衆が王家の下に結集し、手を携えてきたからだ。

 アラバスタ国民にとって、王家は指導者であり、国の象徴であり、結束と連帯の要なのだ。

 その王家が倒れたら……この国は各地の派閥や部族が軍閥化し、同胞同士が相争う猖獗の地になってしまうかもしれない。

 

 それでも、もはや他に選択肢はない。

 前へ進まなければ、渇き餓えて死ぬしかないから。

 

 コーザは()の重さと暗澹たる未来に苛まれながら、決意を告げた。

「武器が揃い次第、首都へ総攻撃だ」

 

 

 コーザが幹部達へ決意を告げていた頃。

 ナノハナで別れたカルーは単独で砂漠を踏破し、首都アルバーナに帰還。ビビに預けられていた書簡を国王コブラへ届けることに成功。

 ビビの書簡から、内偵捜査によってバロックワークスの暗躍と全ての黒幕がクロコダイルであることが判明、また捜査の最中にイガラムが殉職したと知らされ、コブラは思わず顔を覆った。

「私の手落ちだ。クロコダイルがこの国の乗っ取りを図っていたとは……政府に飼われようと、いやそれすらも奴は偽装にしていたのか。完全に油断させられた」

 

 イガラム不在のため護衛隊隊長代理を務めるチャカは、忸怩たる思いを込めて唸る。

「まさか、ここまでしてやられていたとは……っ!」

「イガラムさんが……っ」

 護衛隊副長にしてアラバスタ最強の戦士ペルが、敬慕しているイガラムの訃報に膝をつき、拳を握りしめて激しく憤る。

「おのれ、よくも……っ!」

 

 アラバスタ王国軍の両翼たる2人の様子を一瞥し、コブラは大きく深呼吸し決断する。

「チャカ。全軍に出撃命令だ。レインベースに向かい、クロコダイルを討つっ!」

 

 王の命令に護衛隊の2人は驚愕し、チャカは王の判断を尊重しつつも、意見を上申した。

「それは……危険です。反乱軍70万が機を窺っている今、首都を空けては――」

 

「構わん」

 チャカの言葉を遮り、コブラは明確に言い放つ。

「首都や王宮が反乱軍に押さえられたからなんだ。たとえ我ら全てが斃れようとも、クロコダイルを討ち果たし、奴の悪事を日の下に晒したならば、国民は再び手を取り合ってこの国を立て直せよう。だが、我らと反乱軍と相討つことになれば、クロコダイルを笑わせるだけだ。それだけは絶対にさせんっ!」

 

 コブラは険しい顔つきで、壮烈な決意を言葉にしていく。

「スナスナの実の能力者であるクロコダイルは、この砂漠の国では強大無比。我が軍の精兵30万をもってしても、多大な犠牲を出すだろう……だが、やり遂げねばならん。我らことごとく砂塵に屍を晒そうとも、この邪悪を討ち果たさねば、アラバスタに未来はないっ!」

 

 仁君と名高いコブラ王が、これほど冷徹な覚悟と冷厳な威容を見せたことはない。チャカもペルも王の気迫に呑まれ、圧倒されていた。

 

「軍議を開く。チャカ。今すぐ士官を集めよ。ペル。先行してレインベースを偵察せよ。出陣は明朝。それまでに全てを整えよ。私自ら率いレインベースへ親征する……ッ!!」

 コブラ王の治世始まって以来、初となる親征軍発足の勅命に、チャカとペルは自然と片膝をつき、応と叫んだ。

 

 

 反乱軍と国王軍が決戦の準備を始める中、麦わらの一味は砂漠を進む。

「しっかり話し合えっつってたけどよ。具体的にはどーすりゃ良いんだ?」

 ルフィの言葉を端緒に、ビビと麦わらの面々がうんうんと唸り始める。

 

「電伝虫を調達して、証拠を手に入れろ、か。前者はともかく、後者はどーしろと」

「クロコダイルを討ち取って、奴のアジトをガサ入れして証拠を見つけ出す。そんなところじゃねーか?」

 ウソップのぼやきにゾロが見解を披露する。

 

「あるいは、あんたらがクロコダイル達と戦っている間に、アジトに潜り込んで証拠を盗み出すとかね」

 エロラクダ(ナミ命名:マツゲ)の背からナミが言った。

「時間の余裕がないことを考えれば、二手に分かれる方が良いと思う」

「たしかに……相手は総仕上げに動いてる可能性があるもの。少しでも早く証拠を掴んでおきたいわ」とビビ。

 

「ともかく、現地に着いたらまず、電伝虫を確保だな。連絡がつかねェとベアトリーゼさんと連携が取れねェ」

 サンジの意見に全員が頷く。

 

「そういえば、あいつ俺達が自分の親友と戦うかもしれないのに、全然気にしてなかった」チョッパーが感じた違和感を口にする。「海軍から逃がすために一人で戦ったくらい大事な友達なのに、なんかおかしくないか?」

 

「何かしら思惑があるんだろうよ」ゾロは厳しい顔つきで「ありゃ存外に女狐だ。ナミより腹黒だ」

「誰が腹黒よっ!」とナミが眉目を吊り上げ。

「ナミは腹黒じゃねえよ。悪賢いだけだ」「抜け目ねェよな」「聡明で素敵だ」「頼もしいぞ」

 野郎共がフォローにならないフォローを入れる。

 

「電伝虫を手に入れる必要があるのは分かったけどよォ、下手に暴れると向こうに警戒されねェか?」

 狙撃手が不安顔で言えば、今度は副船長が不敵に口端を歪めた。

「そこは織り込んでやるしかねぇよ。幸い、絶好の“餌”がある」

 

「餌だぁ? そりゃビビちゃんをあぶねェ目に遭わせる気じゃねェだろうなぁっ!?」

「バーカ。もっと良い餌があるだろうが」

 サンジがグル眉を吊り上げて噛みつくも、ゾロは軽くいなして目線をルフィへ向けた。

「ん? なんだ?」とルフィは無邪気に目を瞬かせた。

 

 ウソップは合点がいったように大きく頷く。

「あー……たしかに絶好の餌だな。放っておいても騒ぎを起こすだろうし、止めても滅茶苦茶やるだろうし」

 全員がウソップの発言に同意し、しみじみとルフィを見つめた。

 

「なんだなんだ? なんで皆、そんな生暖かい目で俺を見るんだ?」

 居心地の悪さを覚えて顔をしかめるルフィを余所に、ゾロは顎先に手を当てて思案顔を作る。

「問題はこいつを餌にすると、一人でクロコダイルのとこに行っちまいかねねェことだ。少なくとも、電伝虫を確保するまでは、“お預け”させねェと」

 

「手綱取りがいるな……」コックが副船長の懸念を汲み取り「よし。ウソップ。お前、ルフィ係な。今からキャプテン・ウソップ改めハンドラー・ウソップだ」

「俺かよっ!?」

 突如、重大かつ困難な役割を押しつけられ、目を剥いて驚愕する長っ鼻。

 

「任せたわ、ウソップ。しっかり手綱を握りなさいよ」

「しっかりやれよ。ハンドラー・ウソップ」

「頑張って、ウソップさん」

 航海士とコックと王女に退路を塞がれ、狙撃手はヤケクソ気味に熱砂へ雄々しく叫ぶ。

「く……っ! 分かったよ! 引き受けてやるよっ! だけどなあ、言っておくぞっ! こいつをクロコダイルへ突っ込ませない以上のことは期待するなっ!」

 

「ウソップ、かっけぇっ!」

「チョッパー。勢いに騙されてるぞ。ウソップの言ってることは全然格好よくねェ」

 男らしく宣言するウソップの雄姿にチョッパーが喝采を挙げるが、ゾロがツッコミを入れる。

 

 そんな周囲のやり取りに、ルフィは唇を尖らせて遺憾の意を表明する。

「……お前ら、俺は船長だぞ? なんか扱いがおかしくねえか?」

 ……が、誰も船長の抗議を相手にしない。クルー達の不遜さに船長は拗ねた。

 

 ゾロは水筒を傾けて喉を湿らせ、話を進める。

「ルフィとウソップを追いかけるバロックワークスの兵隊共を、俺達が潰して電伝虫を手に入れる。それからクロコダイルのアジトに突入。クロコダイル潰しと証拠集めに分かれるかってとこか?」

 

「俺はクロコダイルをぶっ飛ばす方だぞ!」

「お前はそっち以外にあり得ねーよ」

 意気軒高なルフィへ苦笑を送るサンジ。

 

「大勢の命が俺達に懸かってるもんな」

 チョッパーはぶるりと大きく身を震わせ、尊敬の念を込めてビビを見る。

「ビビはずっとこんな重圧を抱えて頑張ってきたんだろ? すげーなっ!」

 

「これまではイガラムが、今は皆が支えてくれているから」

 ビビは控えめにはにかむ。可愛い。

 レインベースへ向かう一行の足取りは力強かった。

 

       〇

 

 トビウオライダーを預けていたサンドラ大河沿岸の集落に戻り、

「子供達を焚きつけた当人は魚釣り?」

 チレンは煙草を吹かしながら、釣り糸を垂らすベアトリーゼに冷ややかな目線を注ぐ。

 

「あの子達が成し遂げないことには、何もやること無いしね」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で欠伸をこぼし、ぷかぷかと水面で揺れるウキを見つめる。

 

「バケモノが来るかもしれないわ。ここに居たら、この集落の人達を巻き込むかも」

 真っ当な懸念。チレンは復讐と報復を果たすため、自身の生存を第一に考えているけれど、そのために無辜の人々を犠牲にしたいわけではない。

 

 大丈夫だよ、とベアトリーゼは安請け合いするように応じ、説明する。

「見聞色の覇気を広げてる。網に掛かり次第、動くさ。ここの人らは巻き込まないよ。あのバケモノにしても、私に食いつけば、チレンのことは無視するだろうから。チレンはそのままトビウオライダーで退避すれば良い」

 

「全部織り込み済みで、想定済みなのね」チレンは短くなった煙草を足元に棄てて「だけど、貴女の場合はちっとも安心出来ないのよね」

 

「酷いな」

 くすくすと笑い、ベアトリーゼは沈み込むウキに合わせて釣り竿を引いた。小ぶりな魚がぴちぴちと暴れている。

「出直してこい」

 針を外した小魚を河へ投げ込み、ベアトリーゼは釣り針に餌を付け直しながら、思案する。

 

 異物の私が干渉したことで、この“物語”にどんな影響が出るかな。ま、麦わらの一味ならどんな困難もドタバタしながら乗り越えるでしょ。運命力ハンパ無いし。

 

 ベアトリーゼは釣り竿を振るい、渋い顔つきのチレンへニヤリ。

「果報は寝て待てっていうじゃない? 今は彼らの活躍をのんびり待とうよ」

「悪い女ね」

 チレンは溜息を吐き、新しい煙草を取り出した。

 

 ユートピア作戦開始まで、あと少し。




Tips
ベアトリーゼ
 オリ主
 麦わらの一味ならダイジョーブでしょ、と無責任に引っ掻き回している悪い大人。

チレン
 オリキャラ。元ネタはOVA銃夢のキャラ。
 上記の様子を間近で窺い、『こいつ、悪い奴だなぁ』と呆れている。

麦わらの一味。
 原作主人公の皆さん。
 女蛮族の助言がなまじ正解っぽいから、振り回されてしまう。
 無知な少年少女は悪い大人に付け込まれるんだなぁ。

反乱軍。
 作者の独自解釈。
 仮に王国軍と国王を倒して水を獲得しても、空白化した権力を巡って内ゲバが始まり、各勢力の軍閥化による戦国時代が到来するのではなかろうか。

国王軍。
 物語上仕方ないことかもしれないが、当局の防諜体制と捜査能力がザルすぎる。王宮内にダンスパウダーを大量持ち込まれた挙句、犯人が分からないとかいかんでしょ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

107:麦わらの一味のレインベース襲撃作戦

佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、金木犀さん、ちくわぶさん、七號さん、誤字報告ありがとうございます。


 砂漠に朝焼けはない。

 地平線から太陽が顔を覗かせると、瞬く間に夜が駆逐され、鮮やかな蒼穹が広がっていく。

 アラバスタ標準時間・午前6時。

 ユートピア作戦開始まであと1時間と迫る中、麦わらの一味がレインベース市郊外に到達した。

 

 麦わらの一味が王国最大の観光都市を見つめているところへ、

「作戦を確認するぞ」

 ゾロがルフィの隣に立ち、副船長として切り出す。

「まずルフィとウソップが街に乗り込み、バロックワークスの兵隊共の注意を集める。で、釣り上げた兵隊共を俺達で仕留める。仕留めた連中が電伝虫を持ってりゃそれで良し。持ってなくても、電伝虫を持っている奴や保管されている場所を聞き出して確保する」

 

「そして、アジトに討ち入りだな」とチョッパーが緊張気味に言う。

「ビビ。クロコダイルのアジトは分かってるのか?」

 ウソップが水を向けると、ビビは首肯を返す。2人とも顔が強張っている。

「町の中心にある大賭博場レインディナーズよ。クロコダイルが経営者(オーナー)で、ニコ・ロビンが総支配人を担ってるわ。ただ、建物内の情報までは無くて……」

 

「常識的に考えりゃあ、証拠になるような重要書類は経営者か総支配人の執務室にありそうだが……犯罪組織のアジトとなると、隠し部屋の一つや二つあってもおかしくないんじゃないか?」

 海上レストランの副料理長として経営面も齧っていたサンジが意見を述べ、ナミが思案顔で頷く。

「やっぱり、クロコダイルと戦うチームと建物内を調べて証拠を確保するチームに分かれた方が良さそうね。面子の振り分けが重要になるわ」

 

 皆の真剣なやり取りを聞いていたルフィが、しかめ面で言った。

「焦れってェなあ……さっさとクロコダイルをぶっ飛ばしに行こうぜっ!!」

 

『……』

 麦わらの面々は難渋顔で瞑目、あるいは黒々とした蒼穹を見上げる。

 

 コックが狙撃手の肩に手を置いた。

「ハンドラー・ウソップ。しっかりやれよ」

 ウソップは長鼻を天に向け、慨嘆した。

「荷が重てェ……俺には荷が重てェよ……」

 

 皆の反応に『あれ? 俺、おかしなこと言ったか?』とルフィが訝しんだ、刹那。

 

 ビビがずいっとルフィへ迫り、

「……ルフィさん。いえ、麦わらの一味船長モンキー・D・ルフィ殿。この作戦にはアラバスタ王国民1000万人の命と未来が懸かっております。重ねてお願いします。どうか、どうか、作戦通りに」

 端正な美貌に鬼気を(ほとばし)らせ、恐ろしく他人行儀かつ礼節に則った嘆願を突きつける。

 

 その静かな怒気と威圧感は怖いもの知らずのルフィをして、本能的に危機感を刺激されるほど強烈かつ熾烈で。

「お、おう。分かったっ! 分かったからっ! 落ち着けっ! 落ち着いてくれっ! な? な? な?」

 ルフィは冷汗をだらだら流しながら、必死にビビを宥めた。

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 麦わらの一味は防砂マントのフードを深く被り、顔を隠してレインベース市の外周部に潜り込んでいく。

 一方、ルフィとウソップだけ堂々と顔を晒し、市内へ入っていった。

 

 ナミは屋台で飲み物を買い込み、渇きを癒しながら船長と狙撃手を見送り、呟く。

「上手くやれるかしら」

「……トラブルに備えておくか」

 これまでの旅を振り返ったゾロの提案に、誰も異論を口にしなかった。

 

「早速だが、不測の事態だ」朝飯の軽食を調達してきたサンジが凶報を届ける。「海兵の一団が居やがった」

 全員が目を覆う。トラブルの発生を確信した瞬間だった。

 

「俺、ナノハナみたいなことになりそうな気がしてきた」

「……言わないで、トニー君」

 チョッパーの不吉な予言に、ビビはちょっぴり泣きたくなった。

 

 

 

 そんな仲間達の不安と危機感を知らぬまま、ルフィとウソップは大通りを進んでいく。王国随一の観光都市は朝から活気に溢れている。賑やかな往来に混じり……

 

「なーんか嫌な目で見てくる奴がそこら中に居るな。ありゃクロコダイルの手下か」

 ルフィは胡乱な連中を横目に捉えつつ、ウソップに問う。

「で? 俺はどーすりゃ良いんだ?」

 

「そーだな……」

 ウソップは腕を組んで思案した。

 俺達は囮だ。ルフィをクロコダイルんとこに突っ込ませなきゃあ、ある程度好きに動いても問題ねェ、はず。

「てきとーに目立って、バロックワークスの奴らを仕留め易い場所へおびき出せばいい、と思うぜ」

 

 ウソップの説明にルフィは眉根を寄せ、提案する。

「俺達で潰しちゃダメなのか?」

 

「え? ……電伝虫を手に入れられるなら、それもアリ、なのか? いやいや迂闊な真似は……」

 悲観主義的なウソップがあれこれと考え込み始めた矢先、ルフィは酒場を見つけ、パァッと表情を明るくした。

「ウソップッ! とりあえず水飲もうぜ、水っ! こまけぇことは水飲みながら考えよーぜっ! それと飯っ! 朝飯食おうっ!」

 

 砂漠越えしてきたばかりのウソップに、その提案はあまりにも魅力的過ぎた。

「……そーだな。うん、注目を集めりゃいいんだから、良いよな! よし、行こうぜ、ルフィッ! 水だっ! 朝飯だっ!」

「おう、水だーっ!」

(ミド)ゥ――ッ!!」

 ルフィとウソップは酒場に向かって突撃していく。

 

 観光都市であるレインベースには酒場がたくさんあるのに、よりによって海軍大佐“白猟”スモーカーが朝食を摂っている酒場へ突入してしまうのは、なぜなのだろうか。

 

 当然ながら、こうなる。

 

「「ああああああああああああああああっ!!」」

「今度こそ捕まえろ――――――――っ!!」

 悲鳴を上げながら逃げるルフィとウソップを、海兵達が追い回す。

 

 

 

「……“予想通り”だな」「じゃ、“予定通り”にやるか」

 朝の市内から届く船長達の悲鳴を聞き、一味の武闘派が顔を見合わせ、

「行くわよ、ビビ、チョッパー」「ええ!」「俺、頑張る!」

 美少女2人とトナカイが頷き合う。

 超トラブルメーカーの船長に抜群の信頼を寄せていた面々は、迷わず動き出した。

 

 

 

 実に頼もしい仲間達の動向を知らぬルフィとウソップは、殺気立った海兵達に追われながら目を剥く。

「あれっ!? ゾロ達が居ねェっ!?」

 

「マジかよっ!? どうすんだ!?」

 蒼褪めるウソップに、ルフィは即断して吠えた。

「仕方ねえっ! ケムリンは俺が引き受けっから、ウソップはゾロ達を見つけて合流しろっ!」

 

「それしかねェか……っ! 分かったッ! でもルフィ、絶対捕まんなよっ!? 一人でクロコダイルんとこに突っ込むなよっ!! それから」

「長ェよっ!? じゃあ、後でなっ!!」

 ルフィはニカッと笑い、勢いよく飛び上がった。

 

 周囲の建物を高々と飛び越えるルフィに、モクモクの実の能力者スモーカーは挑戦と受け取った。

「いい度胸だッ!!」

 スモーカーは自身の身体を即座に白煙へ変え、宙を飛ぶルフィを追って空を飛ぶ。

 

 当然、部下達は置き去りにされるも、そこは慣れたもので、戸惑うことなく上官の後を追う。

 が。

 

「ルフィの奴、分かってやがるぜ。あのケムリ野郎さえいなきゃ何も問題ねェ」

 物陰から煙草を吹かす金髪グル眉青年が現れ、海兵達の前に立ち塞がる。

「御愁傷。お前らはここで行き止まりだ」

 

 

 

「止まりなさいっ!!」

「海兵に止まれと言われて、止まる海賊が居るかっ!」

 スモーカー大佐の副官、眼鏡っ娘たしぎの部隊に追われ、ウソップは町中をひた走る。屋台や露天商の商品を投げつけ、路肩の荷物を蹴倒し、猫も通れないような細道を器用に駆け抜け、海兵達を翻弄し続ける。

 

 もちろん、ウソップは意図していない。ただがむしゃらに逃げ回っているだけだ。しかしてその様は、さながら香港アクション映画の逃走劇の如し。今にも中国語の歌が聞こえてきそうだ。

 

 アクロバティックかつコミカルなウソップの走りに、たしぎ達はどうにも追いつけない。

「くっ! なんて逃げ足っ!」

「しつこすぎるぞっ!! たーすけてくれーっ!」

 ウソップはベソを掻きながら逃げ回る。

 頼りになる仲間達とはまだ出会えない。

 

 

 

 市内のとある建物の屋上。

「な、なあ? ウソップが助けを求めて絶叫してるけど……」

「やっぱり助けにいった方が……」

 心優しいチョッパーとビビがウソップを心配してそわそわしていたが、

 

「あいつはやる時はやる男だ。ほっとけ」

「叫んでるうちは大丈夫。余裕がある証拠よ」

 東の海から付き合いがあるゾロとナミは、ばっさりと切り捨てた。容赦なし。

 

「それより、見ろよ」

 ゾロは眼下を窺い、獰猛に笑う。

「釣れたぞ」

 

 手配書と得物を持ったならず者(バロックワークス)共が海兵達の目を盗み、ウソップを追っていた。

「見て! あいつ、あの趣味の悪いコート来てる奴! 子電伝虫を持ってるわ!」

 ナミがウソップを追うバロックワークスの社員の一人を指差す。

 

「よし、行くぞっ!」

 腰から三本の得物を抜いたゾロが屋上の縁から飛び降り、眼下で駆けていたバロックワークスの社員達へ襲い掛かった。

 ナミはウソップ謹製の新型長棍クリマタクトを握りしめ、ビビは刃鞭を抜き、チョッパーは大男に変化して、ゾロに続いて悪党共を強襲する。

 

「なんじゃああああああああっ!?」

 三下悪党の断末魔が路地に響くも、町中に響き渡っている喧噪に飲まれ、誰にも届かない。

 

 

 

 市内のあちこちで大騒ぎが起きている頃、大賭博場レインディナーズのオーナー室で、

「報告が次々に届いてるわ」

 ロビンはクロコダイルへ報告していた。

「御姫様と海賊達が来ていて、海兵達を巻き込んで大きな騒ぎを起こしてるそうよ。ミリオンズ達では手に負えないみたい。多少腕が立つビリオンズ達は作戦の方に回してしまっているし……どうします? ミスター・ゼロ」

 

 クロコダイルは紫煙を燻らせ、見事な悪人笑いと共にロビンへ命じる。

「ミス・オールサンデー。マヌケな鼠共を迎えてやれ」

 

 

 

「ちっくしょー、振り切れねェっ!!」

「逃がしゃしねェぞ、麦わらッ!!」

 ルフィは食らいついて離れないスモーカーに難儀し、どうにかして振り切れないかと辺りを見回し、町の中央にそびえるドデカい建物を見つめた。

「! あの城みてェなのの中ならっ!」

 

 未来の海賊王が双眸に捉えた建物は大賭博場レインディナーズ。仲間達が口を酸っぱくして『一人で突っ込むな』と言っていた大海賊クロコダイルの“居城”だが……スモーカーとの熾烈な追いかけっこで頭から抜け落ちてしまったらしい。

 レインディナーズを目指し、ルフィは一直線にかっ飛んでいく。

 

 

 

「ふざけやがって、長っ鼻ぁっ!」「撃て撃てっ!」「頭ぁ狙え、頭っ!」

「殺意高すぎっだろっ!?」

 ウソップのアクション映画染みた逃走に付き合った結果、散々な目に遭った海兵達は完全にブチギレており、既に発砲を始めていた。もはや捕縛する気は皆無。殺害一択だ。

 

 なんでこんな目にっ!? 遁走しながらウソップが涙のちょちょぎれる顔を上げれば。

 

 我らの船長がバッタの如く建物の屋上を飛び回っており、能力者の海軍大佐が白煙を曳きながら追いかけていく。

 2人の行き先は湖に浮かぶ巨大な建物レインディナーズ。

 秘密結社バロックワークスの大首領クロコダイルのアジトではないか。

 

「おいおいおいおいおい……ルフィ、そこは不味い。そこは不味いってェっ!?」

 ウソップは顔を青くし、大慌てでルフィの後を追い、レインディナーズへ向かって駆けていく。

 

「待てーっ!! ルフィーッ! そこはダメェだああああっ!!」

 ハンドラー・ウソップが悲鳴染みた声を張り上げる。

 しかし、海兵達の銃声と罵声と住民達の悲鳴と怒号に搔き消され、船長の耳に届かない。

 

 

 

 ぶちのめしたバロックワークスの社員達から身ぐるみを剥ぎ、子電伝虫の奪取に成功。

「子電伝虫は2つか。丁度良い。チョッパー、サンジんとこへ1つ届けてこい」

 ゾロが番号を確認してから子電伝虫をチョッパーに預け、

「分かったっ! 皆、気をつけろよっ!」

 チョッパーは四足獣形態で勢いよく駆けていく。

 

 サンジの許へ向かうチョッパーの背中を見送り、ゾロがフッと息を吐く。

「こっからが本番だな」

「そうね」ナミは頷き「とりあえず連絡手段を手に入れたことをベアトリーゼに伝えましょ」

 

「まさか、そんな」

 ナミが連絡を取ろうとした矢先。ビビが顔を青くして呻いた。

「どうした?」「どうしたの、ビビ?」

 訝るゾロとナミへ、ビビが宙を飛んでいく人影を指差し、悲鳴を上げる。

「不味いわっ! ルフィさん、レインディナーズに向かってるっ!」

 

「「なに――――――っ!?」」

 ゾロとナミの叫び声は街の喧騒に飲まれて消えていく。

 

     〇

 

 雄大なサンドラ大河の水面をぷかぷかと佇むツギハギ・トビウオライダー。

 ベアトリーゼは巨大トビウオの背に座り、黒電伝虫を使ってレインベース市方面の念波通信を盗聴していた。

 

 数時間分の距離があるためか、雑音や途切れも目立つものの、バロックワークスの下っ端達や王国当局が交わす通信内容から、何が起きているか把握できた。

 

「随分と派手に暴れているみたいね」とチレンが眉をひそめた。

「こーなるような気がしてたよ」ベアトリーゼはアンニュイ顔を和らげる。

 

 ベアトリーゼなら原作知識を活かし、レインディナーズの地下に隠れ潜むクロコダイルを建物ごと湖に沈めただろう。そのまま溺死してくれれば良し。しくじっても、湖の水を使って仕留められる。従業員や客から相当数の犠牲を出すだろうが、強力な能力者を確実に仕留める必要コストだ。

 

 蛮姫は腕時計を確認する。午前7時までもう少し。

 バロックワークスの最終工作が始まる頃か。ナノハナ方面の通信量が激増するはず。

 原作通りなら、麦わらの一味がそろそろワニ公に捕まった頃だろうか。

 

 ベアトリーゼがあれこれと考えを巡らせているところへ、子電伝虫が鳴いた。

「もしもし?」

 

『ベアトリーゼ!? ナミよ! 子電伝虫を入手したわ。それと、サンジ君にも別途に子電伝虫を渡してある。番号を伝えるわね』

 何やらえらく切羽詰まった声色と調子だ。ベアトリーゼが面白味を覚えつつ、問う。

「こっちはまだ動きはないけど、そっちは計画通りに行ってない感じ?」

 

『ルフィが海軍に追われたまま、クロコダイルのアジトに突入しちゃったの! 私達もすぐに続くつもり! 証拠はまだ確保してないけど、こうなったらクロコダイルを倒してから探すしかないわ!』

 

 流れは多少違うけれど、結果として原作と同じになりそうな感じか。苦笑いしながら、ベアトリーゼはナミに助言する。

「いや、ルフィ君と海軍がクロコダイルと三つ巴になるなら、好都合だ。ナミちゃん達は証拠確保に向かった方が良い。ロビンは総支配人を務めていたから、証拠は総支配人室にあるはずだ」

 

『でも、確実に証拠があるとは限らないでしょう? クロコダイル一人が全てを掌握しているかもしれないじゃない』

「ロビンなら必ず持っている」ベアトリーゼは断言した。「私の親友は聡明だ。ああいう手合いを絶対に信用しない。身を守るために必ず決定的な証拠を握ってる」

『……分かった。信じるわよ、ベアトリーゼ』

「ありがとう、ナミ。健闘を祈るよ」

 

 通信を終え、ベアトリーゼは微笑む。

「向こうも頑張ってるし、こっちも化物退治と反乱軍の邀撃に頑張ろうか」

「あの化物の動きがこの争乱と重なるとは限らないんじゃない?」

 

 チレンがどこか期待を込めて指摘するも、ベアトリーゼは確信を持って語った。

「私達の小さな物語は大きな物語に組み込まれた。であれば、あのバケモノは今や舞台装置だ。今日、必ず現れる。確実に。間違いなく」 

 

 チレンは辟易して頭を振る。

 小さな物語。大きな物語。ベアトリーゼは時々こういう理解不能な言上を並べる。何かの隠喩か寓意のようだけれど、一方でそのままの意味でもあるように感じる。説明を求めてもはぐらかされるだけ。

 

 となれば、チレンとしては溜息をこぼすしかできない。

「この国の人々はクロコダイルの手に踊らされて、あの子達は貴女の手に踊らされているわけね」

 

「それは酷い誤解だな。彼らは私如きに踊らされるタマじゃないよ」

 ベアトリーゼは物憂げ顔を控えめに和らげ、吐き気を催すほど黒々とした蒼穹を見上げる。

「これは彼らの物語だからね」

 

      〇

 

「……俺は悪くねえ。しつこく追ってきたケムリンが悪い」

 ルフィが不貞腐れた顔で言えば、スモーカーが仏頂面で紫煙を燻らせる。

「俺は海兵だぞ。海賊を追って何が悪い」

 

「やべえよ、やべえよ……」

 ウソップは掛かる状況の重大さに頭を抱え、ゾロは腕を組んでしかめ面を返す。

「うだうだ言うな。捕まっちまったもんは仕方ねェだろ」

 

「仕方ないじゃ済まないわよっ! どーすんのよっ!」

 ナミが苛立ちを込めてゾロの頭をスパーンと引っぱたく。

 

 麦わらの一味四人とスモーカー大佐は今、レインディナーズ地下の大きな部屋で牢に閉じ込められていた。

 

 まず、レインディナーズへ飛び込んだルフィとスモーカーが仲良く落とし穴に引っ掛かり。

 

 ウソップは海軍を振り切って同施設に進入するも、警備員(バロックワークスの社員)に取っ捕まって落とし穴に投げ込まれ。

 

 船長と狙撃手に続き、ナミ達がレインディナーズに突入。ベアトリーゼの提案通りに証拠を押さえようと支配人室へ向かったところ、道中にゾロが方向音痴の発作。見当違いな方向へ駆けだしたゾロをナミが止めようとするも、落とし穴が起動。“2人”揃って地下牢へようこそ。

 

 で。現在に至る。

 

「クソ、こんな檻いぃぃ……」

 漆黒の格子を掴んだ瞬間、ルフィがへなへなと脱力していく。その様にナミが吃驚を上げる。

「ルフィ!? どうしたのっ!?」

 

「海楼石だ」スモーカーが溜息交じりに「海そのものが固形化したような鉱物だ。コイツに触れた能力者は力を出せなくなる」

 

「それでルフィは弱っちまうし、煙になれるあんたが出られねェ訳か」

 ゾロの指摘にスモーカーは鋭く舌打ちし、檻の外へ目を向ける。

「随分と悪趣味なもん作ってるじゃねェか。クロコダイル」

 

「!?」

 麦わらの一味は弾かれたように牢の外へ顔を向け、見た。

 瀟洒な長卓でシャンパンと葉巻を嗜んでいる男を。

 

 冷酷さの滲む精悍な顔立ちに、鼻頭を横断するように向こう傷が走っている。オールバックに撫でつけられた黒髪。二メートルを超える体躯を上等な着衣で包み、黒毛皮のコートをマントのように羽織っていた。そして、左腕に装着されたフック状の厳めしい義手が目を惹く。

 

 王下七武海の一角。秘密犯罪結社バロックワークスの社長。アラバスタ王国をここまで荒廃させ、争乱に駆り立てた元凶。

“サー”・クロコダイル。

 

 ルフィと麦わらの一味はついに倒すべき”敵”と対面を果たした。




Tips

麦わらの一味。
 ルフィ:ある意味で原作通りに捕まる。
 ウソップ:ジャッキー・チ〇ンばりの逃亡劇を披露するも、最終的に捕まる。
 ゾロ&ナミ:途中までは順調だった。土壇場でゾロが迷子病の発作が。捕まる。
 サンジ:顔が割れてないため、遊撃に回った。
 チョッパー:サンジの許へ急行中。

スモーカー。
 この段階ではアラバスタで起きている事態をなーんも知らない。

ベアトリーゼ。
 アラバスタの物語は彼女の物語ではない。が、引っ掻き回す用意は整っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

108:あるいは王国の終わりの始まり

佐藤東沙さん、かにしゅりんぷさん、N2さん、マキシタさん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 レインディナーズの秘密地下室の扉が開かれた。

 黒髪碧眼の神秘的な美貌を持つ秘密犯罪会社副社長ミス・オールサンデーことニコ・ロビンは、艶然と微笑む。

 

「遅くなったわね。主賓をお連れしたわ」

 ロビンは傍らの青髪碧眼の美少女を示す。

 

「ビビッ!」

 麦わらの一味がビビの無事に安堵しつつも、捕まったことを案じる。

 

 クロコダイルがくつくつと嗤い、ビビを歓迎した。

「ようこそ。アラバスタ王女ビビ。いや、ミス・ウェンズデー。二年に渡る潜入の末、ようやく俺の前に来られたな。おめでとう」

 

「そうやって笑っていればいい……っ! 最後に倒れるのはあなたよ、クロコダイルッ!」

 気丈に吠えるビビへ、クロコダイルは嘲りの笑みを崩さない。

「くたばるのは、この下らねぇ国さ。ミス・ウェンズデー」

 

「――お前がッ! この国にさえ来なければっ!」

 激情に駆られ、ビビは階段から跳躍。左右両腰のパウチから刃鞭を抜き放ちながらクロコダイルへ襲い掛かる。しかし、ロビンは何もせず静観し、クロコダイルも動かない。

 刃鞭が駆け、クロコダイルの頭を消し飛ばす。

 

 否。クロコダイルの肉体全てが砂塵となって消え去り、砂塵はビビの背後で再びクロコダイルを形作る。

 容易くビビを押さえ込んだクロコダイルが、鼻で嗤う。

「気が済んだか?」

 

「なんじゃありゃあ!?」ウソップが目ん玉をひん剥いて驚愕し。

「砂の能力者か」ゾロは砂に化ける男をどうぶった切るか思案し。

 大事な仲間の危機に、ナミとルフィが青筋を浮かべて激昂する。

「あんた、ビビを放しなさいよっ! ぶん殴るわよっ! ルフィがっ!」

「コラァお前ェッ!! ビビから離れろっ!! ぶっ飛ばすぞッ!!」

 

「そう騒ぐな。丁度良い頃合いだ」

 クロコダイルは檻の中で喚き騒ぐ麦わらの一味を嘲笑い、

「ええ。七時を回ったわ」

 ロビンは腕時計を確認し、淡々と告げた。

 

「パーティーの始まる時間ね」

 

       〇

 

 午前7時。

 クロコダイルが描いた国盗り計画の総仕上げユートピア作戦開始。

 

 作戦に先駆け、ミスター・4とミス・クリスマスが密やかに国王コブラを誘拐し、王の不在で首都と国王軍が機能不全に陥る。

 

 その間、マネマネの実の力で完璧にコブラ王へ化けたミスター・2が、国王軍に扮した部下達共にナノハナへ。駆けつけた革命軍の首魁コーザの眼前で、ナノハナを焼き討ちした。

 

 焼き討ちの大混乱に紛れ、ミスター・2が撤退した直後。

 ミスター・1とミス・ダブルフィンガーの工作により、巨大貨物船が市街地へ乗り上げるように座礁、横転。積んでいた大量の武器弾薬を反乱軍の鼻先へぶちまけた。

 

 期せずして武器の調達に成功した反乱軍は、偽コブラ王の暴虐に対する憤怒と相まって済し崩し的に首都総攻撃を開始。これに怒り狂っていたナノハナの住民や難民が同道。

 200万にまで膨れ上がった叛徒が、首都へ向かって一心不乱に駆けていく。

 

     〇

 

「各ペア、任務成功。反乱軍はナノハナを始めとする近隣市民や難民を取り込んで、200万まで急増。アルバーナに向かって進撃を開始したわ」

 ロビンが懐から子電伝虫を取り出し、情報を確認。クロコダイルへ告げた。

「砂漠越えで脱落者が生じることを考えても、100万人以上が首都に襲い掛かるわね」

 

 100万人以上。把握していた反乱軍70万を大きく超える事態に、ビビは顔から血の気を引かせた。

 

 クロコダイルは嗜虐的な冷笑を湛え、

「ミス・ウェンズデー。君も中程に参加していた作戦が今、花開いた……どうだ? 耳を澄ませば聞こえてきそうじゃねえか。どいつもこいつも繰り言を重ねているぞ」

 ビビを嬲るように演技がかった台詞を編んでいく。

「俺達がアラバスタを守るんだ。アラバスタを守るんだ! アラバスタを守るんだっ!!」

 

「やめてっ!」

 堪えきれずビビが悲鳴を上げれば、クロコダイルは追い打ちを加えるように悪意を浮かべる。

「泣かせるじゃねェか。国を想う奴らが共食いして国を亡ぼすんだ」

 

「あの、野郎ォッ!!」

 憤慨した者はルフィだけではない。麦わらの一味は皆基本的に善良であり、若者らしい純粋な正義感と義侠心に通じる心意気の持ち主だ。ナミもウソップもゾロも仇敵のようにクロコダイルを睨み据えている。

 

 と、椅子に拘束されていたビビが椅子ごと体を倒し、もがき足掻く。

「おいおい。どうした。何をする気だ? ミス・ウェンズデー」

 

「止めるのよっ! まだ間に合うっ!」

 ビビが必死に叫ぶ。

「ベアトリーゼさんと合流すれば、まだ……っ!」

 

「? ベアトリーゼ? ……ああ。お前の旧友だったか、ミス・オールサンデー」

 クロコダイルが爬虫類のような冷たい眼差しをロビンへ向ける。そこには信用や信頼といったものが欠片も存在しない。

「友人は首を突っ込まないと聞いていたが?」

 

「ええ。ビーゼはそう明言していたわ。請負仕事をしている最中だから、余計なことには首を突っ込まないとはっきりね。でも」

 ロビンはどこかからかうように言葉を紡ぐ。

「これも言っておいたはずよ、ミスター・ゼロ。ビーゼの行動は予測がつかないと。そのうえで放置することを決めたのは、他ならぬ貴方自身よ」

 

「ふん。別に責めやしねェさ」

 ロビンの揚げ足取りに鼻を鳴らし、クロコダイルは自信たっぷりに嘯く。

「野良犬が一匹首を突っ込んで来ようが、100万人の大津波は止められやしねェ」

 

「あいつを甘く見ないことねっ!」

 ナミが懐から子電伝虫を取り出す。ゾロの刀やスモーカーの大型十手を取り上げていないように、一味を収監する際、身体検査なんてしていない。

 クロコダイルが舌打ちする中、ナミは子電伝虫に素早く番号を打ち込み「さっさと出なさいよ!」と毒づけば。

 

『もしもし』と物憂げな声が返ってきた。

 

「ベアトリーゼッ!」「ベアトリーゼさん!」

 ナミの切迫した呼びかけとビビの縋るような悲鳴が重なる。

『あー……作戦は失敗な感じ?』

 

「俺達、クロコダイルに捕まっちまったんだっ!」「俺らもヤベーけど、アルバーナとナノハナがもっとヤベーことになっちまってるっ!! 」「クロコダイル達の作戦で反乱軍が動き出しちゃったのっ!」「ベアトリーゼさん、お願いっ! 反乱軍を止めてっ!」

 ルフィとウソップとナミとビビが怒鳴るように叫び、通信器の向こうで沈黙が生じた。

 

「この件に首を突っ込む気か、血浴。テメェの親友を敵に回すことになるぞ」

 クロコダイルが煩わしげに告げた。

 

『今の誰? や。まぁ誰でもいいや……よく聞け、マヌケ。私とロビンの絆は敵味方に別れたくらいで壊れたりしねーよ』

 子電伝虫の向こうから気だるげな調子で罵られ、クロコダイルがピキッと苛立ち、ロビンが微苦笑をこぼす。

 

 ベアトリーゼはアンニュイな調子で話を戻す。

『ナノハナを発った反乱軍の主力が首都アルバーナに到着するまで、約8時間くらいか。流石の私もだだっ広い砂漠で100万人を抑え続けることは難しい。せいぜい1時間かそこらだろう。レインディナーズからアルバーナまでの距離を考えると……ギリギリだな。である以上、私はビビ様に問わねばなりません』

 

 冷血。そう評するしかない声色で、”血浴”は王女へ告げる。

『最悪の場合、如何いたしますか?』

 ビビにとって絶望の口頭試問を。

 

『王家と国王軍将兵30万人を救えというなら、アルバーナ前面の砂漠に反乱軍の屍山血河を築きましょう。叛徒100万余を守れというならば、首都アルバーナを国王軍の血で彩り、骸で飾りましょう。手を出すなとおっしゃるなら、両軍が激突するに任せます。ビビ様。御決断ください』

 

 ビビは戦慄し、麦わらの一味が凍りつき、スモーカーも息を呑む。

 この問いの答え如何で、100万人以上の生死が左右されるのだ。

 

 クロコダイルがクハハハと大笑いし、慄然としているビビへ加虐的な目線を注ぐ。

「おもしれェ。どちらを選ぶんだ? ミス・ウェンズデー」

 

 王国の首都と国を守らんとする忠勇な30万将兵。彼らを犠牲にして4000年の歴史を持つ王国に終焉をもたらすのか。王宮と王家はビビの自我と自己同一性を育んだもので、軍にも宮殿にも家族のように親しんだ者達がたくさんいる。

 

 王を倒してでも国を救わんとする勇敢な反乱軍100万余。本来なら被害者である彼ら民衆を戮殺し、国体を守るのか。民と慣れ親しむ王女は敬愛され、市井に大勢の知己と“友”がいる。

 

 父。イガラム。チャカ。ペル。テラコッタ。トト。コーザ……脳裏に浮かぶ無数の顔。

 大切な彼らのどちらか一方を選んでビビが救い、大事な彼らのどちらか一方を選んでビビが殺す。

 

 無慈悲な選択の恐怖と絶望、決断の重圧と重責に圧倒され、ビビは視界が真っ暗になった。恐怖が全身の汗腺から冷たい汗となって流れ、鼓動が急かされ早くなり、呼吸も酸素を取り込めないほど浅く早くなっている。

 

 選べない。

 ビビは選べない。

 

 善良で心優しい王女は王国と民衆のためなら自ら犯罪結社に潜り込み、凄惨な戦場にさえ赴く勇気がある。一方で、王族――統治者として求められる冷徹で合理的な判断力を大きく欠いている。

 その証拠に、ビビは王家唯一の正統後継者にも関わらず、自ら犯罪組織に潜入した。自分の身に何かあれば、王家が断絶するというのに。

 

 ビビが採るべき選択肢は信頼できる臣下に死んで来いと命じることだった。優秀な将兵を必要な犠牲として救国の供物にすることだった。

 しかし、ビビには出来ない。国を救うために命の優先順位を付けられない。非情な、されど必要な決断を下せない。ビビの優しさは人として正しいが、次代の王としては惰弱でしかない。

 

 されど……そんなビビだからこそ。

 ”彼ら”は共に命を懸けている。

 

「反乱軍を抑えてくれっ!!」

 

 怖気に呑まれたビビが涙すら流せず真っ青な顔で震える中、ルフィがナミの手にある子電伝虫へ必死の形相で怒鳴り叫ぶ。

「俺達が行くまで反乱軍を抑えててくれっ!! 必ず間に合わせっからっ!!」

 

『私は間に合わなかったらと聞いてるんだけど』

 冷淡な応答を、ルフィは無視した。

「間に合わせるっ! ワニも悪い奴らもぶっ飛ばして絶対に間に合わせるっ! 約束する! だから、この国の奴を殺すなっ!」

 

 ルフィの雄叫びに一味も続く。

「俺達がビビを送り届けてみせるっ!」「ああ。必ず間に合わせるっ!」「ベアトリーゼ、私達を信じてっ! お願いっ!」

 

 わずかな航海の間に無二の絆を育んだ仲間達の言葉と気迫に、ビビの心は奮い立ち、熱い涙が溢れる。様々な感情がこもった涙を拭い、ビビはナミの手にある子電伝虫へ向かって告げた。王女として。

「ベアトリーゼさん、私が行くまで反乱軍を抑えてっ! 絶対に行くから!」

 

 数秒の沈黙。ビビと麦わらの一味が固唾を呑んで回答を待つ。スモーカーやクロコダイルすら、ベアトリーゼの返答を待った。ロビンだけは面白そうに微笑みをこぼしていた。

 

『……無茶振りをしてくれる』

 苦笑いと共に奏でられる、幼子達のわがままに手を焼くような甘い声色。

『良いよ。君らの要望を叶えてあげようじゃないか。お姉さんに任せなさい』

 

 安堵と歓喜を浮かべる少年少女達とは真逆に、クロコダイルは茶番を見せられたように冷めた面持ちをこさえていた。

「おいおい……“血浴”。こいつらは今、俺の手中にある。テメェの許に行ける訳ねェだろう」

 

『知らねーよ、そんなこと。私はビビ様と麦わらの一味を信じて、やるべきをやるだけだ』

 クロコダイルの表情が一層冷淡になるが、ベアトリーゼは気にもかけない。

『ロビン。そこにいる?』

 打って変わって、親愛のこもった声色でニコ・ロビンに語り掛ける。

 

「ええ。居るわ、ビーゼ。すっかり引っ掻き回してくれたわね。おかげで彼は私のことを睨みっぱなしよ」

 ロビンはくすくすと上品に喉を鳴らしながら応じれば、電伝虫の向こうからバツが悪そうな声が返ってくる。

『ごめんね。こういう訳だからさ。ま、埋め合わせはするよ』

 

「ビーゼ」ロビンは告げる。「私は諦めないわ。決して」

 その決意の言葉を正しく理解できた者は”2人”だけ。 

 

『流石は私のロビン』

 ベアトリーゼは嬉しそうに誇らしそうに小さく笑い、

『ビビ様と麦わらの諸君。信じてるよ』

 通信を切った。

 

      〇

 

 子電伝虫を切り、ベアトリーゼは心底楽しそうに笑う。

「いやぁ、ビビ様も麦わらの一味もロビンも、皆最高だね」

 大きな物語に触れることがこんなに楽しいとは。本気で仲間に入れて欲しくなってきた。

 

「王女様は貴女を慕ってるのに、よくまぁ、あそこまでイジめられるわね」

 チレンが非難の眼差しを注ぐが、面の皮が厚いベアトリーゼは気にも留めない。子電伝虫や黒電伝虫をしまってツギハギトビウオを起動させる。

「出発するよ。アルバーナに最短距離になる辺りまで河を遡る」

 

「化物はまだ来ないけど、良いの?」

 片眉を上げて訝るチレンへ、ベアトリーゼはにんまりと口端を歪める。

「言ったろ。奴はもうこの物語の舞台装置だ。必ず来る。後はクライマックスを盛り上げるデウス・エクス・マキナとしてド派手にぶち殺すだけだよ」

 

 ベアトリーゼはスロットルを開け、トビウオを走らせ始めた。

「楽しくなってきたっ! いっちょ張り切っちゃおっかなあっ!!」

「嫌な予感しかしない」

 チレンは顔を覆って嘆いた。

 

      〇

 

 ベアトリーゼの干渉が終わると、レインディナーズの地下は“予定調和”を迎える。

 

「さて……俺達も忙しい。国王に尋ねることがあるんでな。アルバーナまで出向かなきゃならねェ。ついでに血浴の無駄な努力を見物するかな」

 クロコダイルはビビと麦わらの一味を嬲るように、牢の鍵をバナナワニの檻へ放り込む。

「“血浴”の大言壮語を信じてるようだが、100万人以上の大暴走だ。奴1人がどう足掻いたところで止められやしねェよ。それでも、あの女の許へ駆けつけるなら、そいつらを見捨てて“今すぐ”ここを発つことだ。むろん、こいつらを助けるのも構わねェ。牢の鍵は“うっかり”落としちまったがな」

 

 憔悴している王女を強く嘲り、隻腕の大海賊は出入り口へ向かって歩き出し、

「ああ。そうだ。この部屋はこれから一時間後、レインベースの湖に沈む。国民か仲間か。好きな方を選ぶと良い……」

喉を鳴らして悪意をこぼす。

「まったく、この国はマヌケ揃いだ。どいつもこいつも簡単に手のひらで踊りやがる。国王然り。反乱軍然り。笑わせてもらったぜ。ああ。ユバの穴掘りジジイもな……」

 

「ユバ!? あのおっさんのことかっ!」

 ルフィが聞き咎めて噛みつけば、クロコダイルは足を止めて振り返り、

「なんだ。知ってるのか。度重なる砂嵐にもめげず、毎日穴を穿り続ける気狂いジジイだ。憐れすぎて笑っちまうだろう?」

「なんだとお前ッ!」

「ユバに限った話じゃあねェが……砂嵐が何度も何度も街を直撃する、なんてことがあると思うか?」

 薄笑いと共に右手の掌で砂を踊らせる。渦を巻く砂はまるで小さな砂嵐だ。

 

「お前……お前がやったのかっ!!」

 ルフィは奥歯が割れんばかりに歯噛みし、牢の外にいるビビへ吠えた。

「ビビッ! 何とかしろっ! 俺達をここから出せっ!! あいつとも約束しただろっ! あのヤローをぶっ飛ばして、この国を救うんだっ!!」

 

 諦め悪く喚き散らし、ビビを叱咤激励するルフィ達を嘲笑うように、室内へ浸水が始まり、大型恐竜染みた巨大鰐(バナナワニ)達が地下室に進入し始めた。

 ビビと麦わらの一味を嘲り蔑み、クロコダイルはロビンを伴って部屋を出ていく。

 

 その間際。

 ロビンの子電伝虫が鳴き――

『え~こちら。クソレストラン』

 

        〇

 

 傷つきながらも虎口を脱したビビを見送った今、海楼石の牢に囚われた麦わら一味に出来ることは、ビビがサンジと合流して助けに戻ると信じて待つことだけ。

 

 今や室内は巨大鰐共が闊歩し、浸水の轟音と不気味な軋み音に満ちている。膝下まで満ちてきた湖水にルフィとウソップが慌てふためき、ゾロは腕組みしてどうにかして牢を斬れないか思案している。その隣でナミが不安げに子電伝虫を抱え持ち、ビビの無事を祈っている。

 

「おい、お前ら」

 不意にスモーカーが口を開き、麦わらの一味を見回して問う。

「王女とつるんでいったい何してやがる。クロコダイルの狙いは何だ?」

 

「狙いも何も、あいつが自慢してたじゃない。あいつの狙いはこの国そのものよ」

 ナミが八つ当たりするように応じれば。

 

「“そこ”だ。なぜアラバスタを狙う? クロコダイルなら大抵の国を短期間で乗っ取れる。忌々しいがそれだけの力と知恵がある男だ。なのにグランドラインでも有数の大国を、それも稀有なほど安定した国をわざわざ的にした。時間と金と人手を費やしてまで。なぜだ?」

 誰も答えられない。彼らは『なぜ』を考えもしなかったから。

 

 スモーカーは葉巻を燻らせて続けた。

「クロコダイルの傍らにいた女はニコ・ロビン。世界政府が20年も追い続けてる賞金首だ。あの2人が手を組んでいるだけでも、こいつがただの国盗りじゃねェのは間違いねェ。おまけに“血浴”のベアトリーゼだと? お前らはともかく、なんで王女があんな凶悪犯と親しいんだ?」

 

 スモーカーは再び麦わらの一味を見回し、質す。どこか自問するように。

「いったい何がどうなってやがる?」

 

「うるせーなっ!! あのワニをぶっ飛ばして、この国を救う! 他のことは知らねェよっ!」

 焦燥に駆られていたルフィが煩わしげに怒鳴った。

 

 直後。

 轟音と共にドアが蹴破られ、ビビと共にサンジが現れた。

「よぉ。待たせたな」




Tips

クロコダイル。
 絶賛、慢心中。調子こいて逆転サヨナラ負けを喫したミスター・3とやってることが大差ない。

ビビ。
 ゾロ達と行動を共にしていたのに、なぜ彼女一人だけでロビンに囚われたのか?

ベアトリーゼ。
 楽しくなってきた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

109:ビビと頼もしい彼とミステリアスな彼女。

ちょっと文字数多め。これ以上削れなかった。

茶柱五徳乃夢さん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、マキシタさん、たろう8888さん、あああいさん、NoSTRa!さん、マイムマイマイさん、水澤七海さん、誤字報告ありがとうございます。


 サンジの活躍によって牢から解放され、麦わらの一味は崩落して湖中へ沈む地下室を命からがらに脱出。湖の岸辺に這い上がる。

 

「まったく……お前の船に乗ってから退屈しねェよ、ルフィ」

 サンジは脱力したルフィを引き上げ。溺れかけたルフィが口から噴水のように水を吹き出す。

 

「ウソップさん、しっかりっ!」「あんた、何やってんのよっ!!」

 脱出の際に頭を打ったウソップは完全に伸びている。ビビがウソップの長鼻を地引綱のように握りしめ、ナミがウソップの襟首を掴み、釣り上げた魚のように岸へ引き上げた。

 

「………くっ!」

 最後にゾロが姿を見せ、やはりルフィ同様に溺れかけた能力者のスモーカーを引き揚げる。

 

 危うく死にかけた面々は安堵の息をこぼしたり、水を吐き出したり。

「急いで出発しないと。ベアトリーゼはああ言ったけど、そう長くは抑えられないはずよ」

 ナミの指摘にルフィが力強く頷く。

「おう! すぐに出るぞっ! 絶対間に合わせるって約束したからなっ!」

 

 麦わらの一味がずぶ濡れのまま先を急ごうとした矢先。

「テメェら……どういうつもりだ。なぜ敵の俺を救った」

 スモーカーが苛立たしげに大型十手を抜く。誇り高いスモーカーにとって、海賊なんぞに助けられるなど恥辱に等しい。

 

「ほっといたら溺れちまうだろっ! 俺とお前はカナヅチなんだからよ! なんだ、やんのかっ!! ケムリンッ! 俺達は急いでんだっ! 手加減しねーぞっ!」

 拳を握って構えるルフィ。言っていることが無茶苦茶でスモーカーは戸惑いを覚える。

「……本気で反乱軍を抑える気なのか。ここからアルバーナまで半日は掛かるぞ」

 

「関係ねえっ! 間に合わせるって約束したんだっ! だから、絶対に間に合わせるっ!」

 ルフィの瞳に偽りや騙りなど微塵も存在しない。本気で。真剣で。全身全力で。

 

「なぜだ」スモーカーは困惑を隠せず「なぜ海賊のテメェらがそこまで必死になって、この国を救おうとする」

「あーもうっ! ごちゃごちゃうっせえなぁっ! 仲間がこの国を救おうとしてんだよっ! 他に理由なんかねえっ!!」

 苛立たしげに吠えるルフィ。麦わらの一味の面々もビビもルフィとまったく同じ目をしている。純粋で真剣で、命を懸けている。

 

 スモーカーは濡れた髪を掻き、十手を下げて告げた。

「……行け。今回だけは見逃してやる。さっさと行きやがれっ!」

 肩越しに海軍本部大佐を窺ったビビは、その苦渋に歪んだ顔が酷く印象に残った。

 

 

 濡れた着衣がたちまち乾いていくほどの酷暑の中、市外へ向かって遁走する麦わらの一味。

 早くも息を切らせ始めたウソップが喚く。

「まさかこのまま走ってアルバーナまで行くなんてことねェよなっ!? とてももたねェぞっ! 特に俺がッ!!」

 

「そうだ、マツゲ!」ナミは拾ったラクダを思い出して「マツゲはどこ行ったのっ!?」

「馬借があったぞ! 馬を調達するかっ?」とゾロが提案する。

 ぎゃーぎゃーと喚きだした一行に、サンジが不敵に笑う。

「心配ねェ。チョッパーが手配済みだ」

 

「チョッパーッ!? そういやあいつ、今どこに――」

 ルフィが怪訝顔をこさえた直後。

 

「みんなーッ!」

 一味がチョッパーの声が聞こえてきた方へ顔を向けてみれば。

 

 超大型ダンプトラック並みにドデカい蟹が、笑顔を湛えながらド派手にやってきた。砂塵を舞わせる巨大な蟹の上に、小さな影が二つ。

「チョッパーッ!?」「マツゲッ!?」「なんだこのデケェ蟹はッ!?」「まさか、ヒッコシクラブッ!?」「美味そうっ!!」

 

 目ん玉をひん剥いてびっくり仰天する面々に、チョッパーは小さな手を振った。チビトナカイの隣で睫毛フサフサのラクダが得意顔を作っている。

「マツゲの友達だ! こいつ、ここらの生まれでこの辺に友達がたくさんいるんだよっ!」

 

「でかした、チョッパーっ!」

「早く乗り込めっ!」

 一味の面々は大急ぎで巨大蟹の背に乗り込む。ルフィが女性陣を荷物のように両脇へ抱えてビヨーンと飛び(『てめぇルフィずるいぞ!』とサンジがガチギレした)、ゾロとサンジが化物フィジカルを発揮して蟹の背へひとっ跳び。ウソップが巨大蟹の足や甲羅をゴキブリのように登攀し、背中に辿り着く。

 

「皆乗ったなっ! しゅっぱーつっ!!」

 チョッパーの掛け声と共に巨大蟹が発進した。わきわきと動き出す8本の足。大量の砂埃を巻き上げながら一息にトップスピードへ達する。

 

 その間際。

 砂埃を切り裂き、大蛇のように蠢く一条の砂。その先端に煌めくフック状の義手がビビの華奢な体を捉えた。

 

「え」「あ」「!?」

 誰もが虚を突かれて呆気にとられ、ビビすら事態を把握できず悲鳴を上げられない中。

 

「させるかぁあっ!!」

 ルフィだけが動いていた。宙を踊るフック状義手に飛び掛かり、ビビを巨大蟹の背に投げ落とす。

 

 ただし、ビビの救助には代価が伴った。フックに腕を取られ、ルフィ自身は落ちていく。

 

「ルフィッ!」「ルフィさんっ!」「早く手を伸ばせっ!」「急げ、ルフィッ!」

 悲鳴を上げる女性陣。ルフィを引き揚げようとする野郎共。

 

 動揺する仲間に向かって、ルフィは雄々しく叫ぶ。

「先に行けっ! 絶対に間に合わせろっ!! ビビをあいつんとこまで、ちゃんと送り届けろよっ!!」

 

 瞬間、誰もが船長の命令と覚悟に即応した。

「止まるな、チョッパーッ! 最速で突っ走れっ!」ウソップがチョッパーに吠え。

「大丈夫よっ! ルフィはどんな奴にも勝ってきたんだからっ!」

「ビビ。何が何でも生き延びろ。この先、俺達の誰がどうなっても、だ」

「君がベアトリーゼさんを信じて託したように、俺達や“あいつ”を信じりゃあ良い」

 顔から血の気を引かせて狼狽えているビビに、ナミが姉貴然として励まし、ゾロが厳しい言葉を掛け、サンジが気の利いた台詞を送る。

 

 ビビはぎゅっと拳を握りしめ、視界の中で小さくなっていくルフィへ向かって叫んだ。

「ルフィさん! アルバーナで待ってるからっ!!」

 

 麦わら帽子の頼れる船長は、いつものように太陽のような笑顔を返した。

 

 

 

「イラつくぜ」

 クロコダイルは猛烈な速度で去っていく巨大蟹を睨みながら、心底忌々しげに吐き捨てた。

「あの惰弱な王女にも。テメェら小物共にも。首を突っ込んできた野良犬にもな」

 

「そうか。俺は今機嫌が良いぞ」

 ルフィはゆっくりと身を起こし、麦わら帽子と防砂服を脱ぎ捨てた。

「よーやくお前をぶっ飛ばせるからな」

 

 拳をパキパキと鳴らしながら意気軒高に笑うルフィに、嘲弄されたと感じたクロコダイルは額に青筋を走らせる。

 

「あらあら……」

 闘争の雰囲気を漂わせ始めた2人に、ロビンは微苦笑をこぼして踵を返す。

「私は先にアルバーナに向かってるわ。もしもビーゼと戦うことになったら、他のエージェント達では相手にもならないでしょうから」

 

「ほう……? 親友を殺せるってのか?」

 クロコダイルから猜疑を隠そうともしない眼差しを注がれても、ロビンは微笑を崩さない。

「ビーゼが言っていたでしょう? 私達の絆は敵味方に別れたくらいで壊れたりしないわ。それに……ビーゼを殺そうとするのはこれが初めてじゃないの」

 ごゆっくり。とひらひらと手を振って市内へ戻っていく。

 

「……つかめねェ女だ」

 クロコダイルはどこか苦い顔で鼻息をつき、葉巻を投げ捨ててルフィを睥睨する。

「まぁいい。ぼつぼつ死ぬか、麦わら」

 

「死なねェよ」

 ルフィは拳を固く握り込み、クロコダイルへ挑む。

「俺がお前をぶっ飛ばすんだ」

 

      〇

 

 ゾロがマツゲを乗せた刀をダンベルのように振るい、ウソップがチョッパーに与太話を聞かせ、サンジはびしょびしょに濡れてしまった煙草を乾かしている。

 

 そして、ビビは後ろ腰に下げていた雑嚢から、分厚いファイルを取り出してナミと共に中身を改めていた。

「大量の銀を集めたことや、“マーケット”とかいうところでダンスパウダーを仕入れたこと、ここアラバスタで行った作戦のこと、全部書いてあるわ……っ!」

「こっちはリストよ……信じられないっ! 軍や政府にこれほどバロックワークスの工作員が潜んでいたなんて……っ! 反乱軍にまでこんな……っ! 私が見てきたものはほんの一部、いえ、計画の外側だったんだ……っ!」

 クロコダイルとバロックワークスのつながり。アラバスタ王国を転覆させるための様々な工作活動。その資金の流れ。組織構成員の名簿。ファイルに全て納められていた。

 

「証拠は手に入ったんだなっ! どうやったんだっ!?」

 チョッパーが称賛と共に尋ねれば、ビビが端正な顔を大きく歪めた。

「あの女から接触してきたのよ」

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 ルフィとウソップのレインディナーズ突入に続く形で、ビビはナミとゾロと共にクロコダイルの“城”へ侵入。三人はベアトリーゼの助言に従い、クロコダイルの悪事の証拠を確保すべく、ニコ・ロビンの総支配人室を目指した。

 その際、ゾロが謎の方向音痴振りを発揮し、止めようとしたナミ共々、落とし穴にボッシュート。

 

 一瞬で仲間とはぐれてしまい、ビビが唖然としているところへ、

「ようこそ、レインディナーズへ。でも、ここは関係者以外立ち入り禁止よ、御姫様」

 ニコ・ロビンが現れた。

 

 白いテンガロンハットとファー付きコート。露出の激しいウェスタンスタイルの上下とロングブーツ。それに何か手荷物。神秘的な美貌に艶やかな衣装がよく映える。

 もっとも、ロビンを前にしたビビが抱いた感情は、敵意と警戒心だけだ。

 

「……っ!?」

 ――なぜニコ・ロビン自ら……っ!? まさか作戦を読まれていた? 

 ビビの動揺を見透かしたように、ロビンは言葉を紡ぎ始める。

「私とビーゼは西の海でマフィアや海賊を襲っていた時、お金や物資より優先して奪い取ってきたものがあるの。分かるかしら?」

 

 ロビンは睨み据えたまま応えないビビに小さく肩を竦め、

「帳簿や航海日誌よ。言い換えるなら、彼らの活動記録。彼らが歩んできた足跡。彼らの全てが詰まった情報。これさえ手に入れれば、彼らの全てが分かる。彼ら自身が気づいてないことすらも。そうして集めた情報を基に、私達は彼らを一方的に襲い、奪ってきた。お金も物も、命もね」

 

 まるで教師が不出来な生徒に説くように言葉を編んでいく。

「ビーゼが肩入れしていると分かった時点で、貴方達の狙いは読めた。まぁ、麦わらの船長さんが海軍将校と一緒に乗り込んできた時は戸惑ったけれどね。貴女達は……あの剣士さんが全然関係ない方へ駆け出したこと以外、概ね私の手のひらの上だったわ」

 

 碧眼を細め、ロビンはくすくすと小気味よく喉を鳴らした。

 下唇を噛みつつ、ビビは眼前の強敵を睨みすえ、両腰のパウチに収めた刃鞭に意識を注ぐ。事ここに及んでは押し通る外ない。たとえ勝ち目が薄かろうと、諦めたりしない。

 

 ビビの心中を察したのか、ロビンは控えめな嘆息をこぼし――

「どうぞ、御姫様」

 手荷物をビビへ向かって放り投げた。ビビがギョッとしながら荷物を受け止めれば。

「貴女達が狙っていた物よ」

「!?」ビビは双眸を真ん丸にして驚愕し「どういう、つもりっ!?」

 

「ビーゼがここまで肩入れしているなら、彼の計画は間違いなく狂う。私は“私の目的”を果たすため、より確実な手を打つ。これもその一つよ」

 ロビンは訥々と言葉を並べ、かすかな苛立ちを浮かべる。

「貴女は何も分かってない。目の前の出来事にただ右往左往しているだけで、根本的な謎に気づいてすらいない。いえ、それは貴女だけでなく、貴女の父親も同じね。この国が如何に特異な歴史を持つか、正しく理解してない。だからクロコダイルに目を付けられ、こんな事態に遭うのよ」

 

「いったい何を――」

 ビビは困惑する。ロビンが向けてきたかすかな苛立ち。それは自分と父、いやアラバスタ王族ネフェルタリ家の者に向けた憤りのようで。何よりこれまで一貫して冷笑的な態度を保ってきたロビンが不意に“素顔”を見せたようで。

 

 ロビンはゆっくりと深呼吸し、仮面を被り直す。

「話は終わり。そろそろ行きましょうか。彼が待ってるわ」

 恭しく付いてくるように促し、

「忠告しておくわよ、御姫様。何があっても“それ”のことは彼に明かさないこと。もし、彼にバレたら……貴女も貴女の仲間も確実に死ぬわ。まあ、私も道連れに出来るかもしれないけれど」

 くすくすと笑い、ロビンはビビに微笑みかける。

 

「王国軍と反乱軍の衝突を避けられる唯一のカードを無下にはしないわよね? だって、貴女は私と同じだもの」

「同じですって!? 誰があんたなんかとっ!!」

 カッと頭に血が昇ったビビが噛みつくように吠えるも、ロビンは癇癪を起こした幼子をあやすように、そして、

「私は決して諦めない。貴女も同じでしょう? 御姫様」

 なぜか酷く優しい眼差しでビビを見つめた。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

「あの女、本当に何を考えてるのか、さっぱり分からない」

 ビビが頭痛を堪えるように額を押さえて呻く。

 

「……あの海軍大佐も言ってたけど……なぜ、なのかしらね」

 ナミが独りごちるように言った。

「なぜクロコダイルはこの国を狙ったの? もっと簡単に奪える国がいくらでもあるのに。何がクロコダイルの関心を引いた? どうしてクロコダイルに目をつけられた?」

 

 探偵のような顔つきで疑問を並べ、

「それに、ニコ・ロビンも国盗りに興味があるとは思えない」

 ナミはベアトリーゼとロビンの2人を知るビビへ言った。

「ベアトリーゼが言ってたことだけど、ニコ・ロビンは考古学者なんだって。西の海では強盗働きで資金や物資を調達しながら、各地を旅して色々調査してたそうよ」

 

 ビビは幼き日、御召船でベアトリーゼから聞いた話を思い出し、大きく頷く。

「……それは私もベアトリーゼさんから聞いたことがある。親友と一緒に歴史を調べる旅をしてきたって」

 

「なんで考古学者が犯罪組織のナンバー2をやってて国盗りに協力してんだ?」

「そりゃ……考古学者なら、アラバスタの歴史が関係してるんじゃねェか?」

 チョッパーが首を傾げ、ウソップが相槌を打ち、ナミがビビへ尋ねる。

「アラバスタの歴史、か。どうなの、ビビ? この国の歴史に国盗りしてまで欲しがられそうなものってある?」

 

「アラバスタは4000年の歴史があるわ。その何が対象かと言われても……」

 戸惑うビビへ、サンジが助け舟を出すように口を挟む。

「一般的に知ることが出来ねェもんだろう。王族にしか伝えられない秘史とか、表に出せない歴史上の機密とかな」

 

「おお……サンジ、すげーな。どーなんだ、ビビ?」

 妙に鋭い指摘をしたサンジを称賛しつつ、ウソップがビビへ促すも、ビビは端正な顔を横に振るだけだ。

「ごめんなさい。やっぱり分からないわ。私はまだ立太子されていないから、そういう王家や宮廷の深いところまで知らされてないの」

 

 答えが見つからぬ難問に面々が頭を悩ませているところへ、

「反乱軍の首都到達までにビビを送り届けること、今はそのことに集中しとけ」

 ゾロが口を開いたその時。

 

 レインベースの方角で砂塵の大きな竜巻が蠢いていた。

 

        〇

 

 王下七武海“サー”・クロコダイルは、ルフィが初めて相手取る“未知”だった。

 そして――

 

 ルフィは未知の前に敗れた。

 

 どれだけ拳を叩き込もうと、どれだけ蹴りを打ち込もうと。果ては噛みつこうとも、ゴムゴムの実の力を駆使して常識外の攻撃をいくつ繰り出そうとも。決して怯まぬ胆力も壮烈な覚悟も。クロコダイルを倒すどころか、傷つけることすらできなかった。

 

 自然系悪魔の実スナスナの実の力を高度に使いこなすクロコダイルに翻弄され、弄ばれ、手のひらで転がされるように打ち倒され。

 最後に、首から下げた水筒ごとフック状の義手に腹を貫かれた。

 

 クロコダイルは自らが作り上げた流砂の渦へルフィを投げ捨て、侮辱の高笑いを残して去っていく。

 ぐうの音も出ぬほどの完全敗北だった。

 

 流砂に呑まれていく中、ルフィはクロコダイルを強く掴んだ自身の左手を見た。

 トトに託されたユバの水に、濡れていた。

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 大量の出血によって薄れていく意識を気合と根性で奮い立たせ、ルフィは流砂に抗い抜く。

 なんとか地表へ頭を出すことに成功するが、そこまでだ。どう足掻いてもこれ以上は動けない。苦痛と出血と脱水でまともに動けない。

 

 それでも、ルフィは諦めない。力の入らぬ身を蠢かせ、ミミズが地表へ這い出るように流砂から脱出を試みる。

 

 ――と。声が聞こえた。ルフィがふやけたような視界を巡らせば。

「どういうつもりだ。貴様はクロコダイルの仲間ではないのか」

 鎖で捕縛された精悍な男性と、クロコダイルの傍らにいた長身の美女――ニコ・ロビンがやってくる。

 

「彼はただの共同事業者よ、隼の騎士様」

 ロビンは忌々しげに睨みつけてくる護衛隊副長“隼”のペルを連れ、ルフィの許へ向かって歩いていく。

 

 国王軍や宮殿にしのばせた工作員からペル――動物系飛行種の能力者が、単独で航空偵察にやってくることを知り、ロビンは飛来したペルを密やかに捕縛して拘束。情報工作に用いようとしていたのだが……

 

「この土壇場で色々と想定外の事態が重なってる。貴方を見つけた時は手札にしようと思ったのだけれど……ああ、居た。まだ生きてるわね」

 どこか演技がかった仕草で微苦笑し、砂漠にぽこっと頭を出している少年を見つけた。

 

「彼は……?」

 事態が呑み込まないペルが困惑するが、ロビンは無視してルフィの許へ歩み寄る。

「負けちゃったわね、麦わらの船長さん」

 

 涼やかな声がルフィの鼓膜をくすぐった直後、周囲にたおやかな腕が無数に咲き乱れ、ルフィを流砂から引きずり上げた。

 

 ルフィの傍らに立つニコ・ロビンは身を屈め、懐から取り出したハンカチを腹部の創傷に詰め込む。ベアトリーゼに教わった銃創や刺し傷の野戦応急措置だ。後方でまともな治療を受けられるための時間稼ぎ、ともいう。

 

 ぼやけた視界に映る美女へ、ルフィは喘鳴しながら告げた。

「あり、がどう」

 

 敵である自分へ素直に礼を述べるルフィに眉を下げつつ、ロビンは尋ねる。

「D。貴方達は何者なの?」

 

「?」

 きょとんとした眼差しを返すルフィに、ロビンは小さな失望をこぼす。

「……貴方“も”知らないのね」

 

 ルフィは苦悶をこぼしながら身を起こそうと藻掻く。

「動かない方が良いわ。主要臓器や動脈こそ無事みたいだけど、傷は軽くないもの」

 

「関係、ねェ……っ! 仲間が待ってる……っ! それに、俺はビビとベアトリーゼに約束したんだ……っ! ワニをぶっ飛ばすって、絶対に間に合わせるって、そう約束したんだっ!」

 ルフィは血を吐きながら吠えた。

 

「ビビだと? ビビ様のことか!? 彼は何者なんだっ!?」

 狼狽えたペルがロビンへ怒鳴るが、ロビンは相手にしない。

 

 敗北して重傷を負いながらもなお、仲間と約束のために戦うことを諦めないルフィの姿に、ロビンは思い出していた。

 心優しい大きな親友を。彼の献身と思いやりを忘れたことはない。

 痛快で頼もしい親友を。彼女が傍にいてくれたことでどれほど救われたことか。

 

 ロビンは落ちていた麦わら帽子を拾い上げてルフィへ渡し、ペルを置いて高速移動生物F-ワニの許へ向かう。

「騎士様。その子は貴方達の大切な御姫様をこの国まで送り届けた、勇敢な海賊(ナイト)よ。それと、ビビ王女のことは心配ないわ。今はその子の仲間が守っているし、ビーゼもいるから」

 

 F-ワニに乗り込み、

「もっとも……この国がどうなるかは分からないけれどね」

 ロビンは超高速鰐を発進させると同時に、能力を使ってペルの拘束を解いた。

 

「くっ!」

 解放されたペルは砂埃を挙げて走り去るF-ワニの背を睨み、急いで倒れている少年の容態を診る。

「酷い傷だ……っ! すぐに医者の許へ――」

 

 刹那。ルフィはペルを力強く掴み、今の自分に最も必要なものを求めた。

(にぐっ)!!」

 




Tips

ニコ・ロビン
 原作主要キャラ。
 親友が計画を破綻させるだろうことを予測し、いろいろ動いていた。
 元より古代兵器にもアラバスタにも興味はなく。クロコダイルと心中する気も毛頭ない。
 目的はあくまで『失われた100年』であり、そのためにポーネグリフを追っている。
 ロビンは決して諦めない。

ペル
 原作キャラ。
 本作では登場の見せ場を省かれた。

ルフィ。
 原作通りに負けた。が、諦めない。肉を寄こせ。俺はまだ戦える。

クロコダイル。
 詰めが甘い男。

ベアトリーゼ。
 サンドラ大河を移動中。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

110:それはサンドラ大河より来たれり

佐藤東沙さん、XMSさん、マキシタさん、すぷりんぐさん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、木ノ本慈久さん、マイムマイマイさん、誤字報告ありがとうございます。

誤字指摘が多かった二つの文章について。
・前話における『心優しい大きな親友』という表現はサウロを指しています。
・『ぼつぼつ死ぬか』という表現は誤字ではなく、『北斗の拳』のネタです。


 アラバスタ王国の首都アルバーナは周囲より随分と高い台地に築かれた大都市で、その姿は砂の海に浮かぶ島のようであり、熱砂の中にそびえ立つ大要塞のようでもある。

 

 実際、反乱軍の決戦攻勢が判明した今、アルバーナは要塞と化していた。

 幸か不幸か、親征軍の用意は首都防衛に転じられており、失踪中の国王コブラに代わって全軍の指揮統率を担う護衛隊隊長代理のチャカは徹底抗戦の準備を進めている。

 

 首都住民や宮殿の非戦闘員、首都近郊の難民をアルバーナから避難させ(避難を拒否して協力を申し出る者は少なくなかったが)、ナノハナ市方面の南門側に砲兵部隊を展開させ、銃兵部隊を配置してあった。また市外内のあちこちに即席のバリケードを据え、反乱軍が市内へ突入した場合、キルゾーンに設定した宮殿前広場へ誘導する予定だ。

 

 火砲の阻止砲撃と銃兵の弾幕斉射で能う限り敵を漸減し、敵の兵力展開を限定して押し潰す。

 数的にはかなりの劣勢だが、敵は絶対多数が単なる暴徒に過ぎず、補給がない。隘路に誘い込まれた大軍が、身動きを封じられて寡兵に敗れた事例が珍しいものではないことを考えれば、充分に勝機はあるだろう。

 

 つまり、王国軍はガチで100万の叛徒をぶち殺す気だった。

 

「腰抜けの王に率いられる半端な二流軍隊が、ようやく本気になったか」

 ミスター・1こと“殺し屋”ダズ・ボーネズが坊主頭の厳めしい顔に冷笑を湛えた。

 

「私達が仕掛けたことだけど……後始末が大変そうね」

 ミス・ダブルフィンガーこと“毒蜘蛛”ザラがちっとも同情してない顔で嘯く。

「ま、その辺りのことはボスが考えてあるんでしょうけど」

 

「そ~んなことよりィ~~“新たな指令”のことよぉ~ぅ!」とミスター・2ボン・クレーこと“荒野”のベンサムがくるくると回りながら言った。

 

「回んじゃねーよ、オカマッ!」ミス・メリークリスマスこと“町落とし”ドロフィーがカッカしながらボン・クレーに罵声を浴びせる。

 

「ふぉーふぉーふぉー」とミス・メリークリスマスの相棒ミスター・4こと“キャッチャー殺し”ベーブが巨躯を揺らしながらゆっくりと笑う。

 

 バロックワークス上級幹部達は西門付近のガレ場に潜み、ボスから届いた“新たな指令”に備えていた。

「王女ビビを始末しろ、か。我が社のナンバー・エージェントを6人潰した海賊団の護衛がいるそうよ」

「雑魚共が小物に負けたってだけだろ。問題はもう一件の方だ」

 ミス・ダブルフィンガーが細長い煙管を燻らせながら言えば、相棒のミスター・1が眉間に深い縦皺を刻む。

「この件に介入を目論む“血浴”のベアトリーゼを排除しろ、か。気軽に言ってくれる」

 

 ダズ・ボーネズは西の海出身で、バロックワークスに加わる前は名の知れた賞金稼ぎだった。西の海で活動していた“悪魔の子”と“血浴”のコンビのことも当然知っている。その悪名の実態も。会合でニコ・ロビンと初めて顔を合わせた時は、内心で強く警戒したものだ。

 

 なにせ、ニコ・ロビンとベアトリーゼは西の海を牛耳る5大ファミリーや数々の海賊達を鴨か七面鳥でも狩るように襲いまくった。返り討ちに遭った殺し屋や賞金稼ぎは数知れず。

 同じくマフィア達を向こうに回していたカポネ・“ギャング”・ベッジですら『イカレてやがる』と2人を忌避したという。

 

 自信家の相棒が珍しく懸念を隠さないことに、ミス・ダブルフィンガーは密やかに驚き、慎重な方針を提案する。

「相手は3億8千万の大賞金首……用心するに越したことはないわね。ミス・オールサンデーは自分が行くまで手出しするな、と言っていたし、血浴の相手は彼女にして貰えば良いんじゃない?」

 

「はっ! 何ヌルィこと抜かしてんだい、このバッ!! ビビッてんならすっこんでな! 王女も血浴もアタシらで片付けてやるさっ! そうだろミスター・4ッ!!」

「う――」

「ノロいんだよオメーはよっ!! あ腰痛っ!!」

 怒涛の勢いでまくし立てるミス・メリークリスマス。返事が間に合わないミスター・4。

 

 ダズ・ボーネズは冷たい目つきで淡々と言った。

「好きにすりゃあいい……くたばりてェならな」

 

“殺し屋”の二つ名を持つほど荒事に長けた男の冷厳な言葉に、誰もが息を呑む。

 凶暴な暑気が遠く感じるような雰囲気の中、ボン・クレーがいつもの調子で口を開く。

「ねぇ、あちしはちょっと気になることがあるんだけドゥー?」

 

「い、いちいち踊るんじゃねぇよっ! 鬱陶しいっ! あっ!? 腰ィっ!!」

 どこかホッとした様子でツッコミを入れてくるミス・メリークリスマスを無視し、ボン・クレーはくるくると踊りながら、疑問を呈す。

「王女や血浴が現れる前に反乱軍と国王軍の戦闘が始まったら、あちし達はドゥーすんの?」

「ドゥーもしなくていいんじゃなくて?」ミス・ダブルフィンガーは煙管を吹かし「交戦が始まったら、もう誰にも止められやしないんだから」

 

「な~~~」ミスター4が口を開くが、誰も気にしない。

 

「問題は一番面倒臭ェ事態が起きた場合だ。ここアルバーナで王女、血浴、反乱軍。全てが同時にかち合ったら鬱陶しいことになる」

「国王軍にも反乱軍にもウチの社員が潜り込んでるわ。いざという時は彼らが“テコ入れ”する手筈になってるから、大丈夫ではなくて?」

「それ、ミリオンズやビリオンズでしょーォ? 当てになるのぅー?」

「だから口を開く度に踊ンじゃ、腰ィッ!? ミスター・4、ちっとマッサージを」

 

 相談を進めている中、ミス・メリークリスマスが相棒へ水を向ければ。

「にィ~かぁ~~きぃ~~てぇ~~るぅ~~ぞぉ~~~~~」

 ミスター・4が南の地平線を指差す。

 

「そーいうことはさっさと言わんかい、このウスノロダルマッ!!」

 ミス・メリークリスマスが双眼鏡を取り出して南の地平線を窺う。

 陽炎の蠢く南の地平線に巨大な砂塵が立ち上っている。100万を超す叛徒の大津波だ。

 

「反乱軍だ。王女達は間に合わなかったみたいだねェ」

 ファンキーな面構えのおばはんがにたりと口端を歪めた。そんなミス・メリークリスマスの愉悦へ水を差すように、ミスター・4が今度は西を指差す。

「あっ~~~ちぃ~~~~~~かぁ~~~らぁ~~~もぉ~~~~」

 

「ああ? あっちだぁ?」

 ミス・メリークリスマスが西へ双眼鏡を向けると。

 

「――なんだい、ありゃあ」困惑した声をこぼすおばはん。

「? どうしたの? ミス・メリークリスマス?」

 ミス・ダブルフィンガーが怪訝顔を向けると、おばはんは手前の目で確認しやがれと言わんばかりに双眼鏡を投げ渡す。

 

 双眼鏡を受け取ったミス・ダブルフィンガーは訝りつつ、西の地平線を見た。

「なに、あれ」

 

       〇

 

 時計の針を少し戻そう。

 

 昼時の太陽が暴力的に照りつけるサンドラ大河沿岸。

 ベアトリーゼは岸辺で戦支度を始めていた。

 潜水服を脱いで砂漠装束に着替え直し、両腕にダマスカスブレードを装着。両腰に柄頭が湾曲したアラビアンナイフならぬアラバスタンナイフを差している。シキとの戦いで失ったカランビットの代わりだ。

 最後に、シュマグをフードを被るように巻いた。

 

「―――来た。すげー勢いで川を上ってる。接敵まで一時間ってとこか」

 広域展開させていた見聞色の覇気が脅威を捕捉し、ベアトリーゼは暗紫色の双眸を楽しげに輝かせる。左手首に巻いた腕時計を確認。

「奴がここまで来て、私がアルバーナ前面まで誘導して……時間的に良い感じだな」

 

 口端を悪戯っぽく緩め、ベアトリーゼは実に軽い調子で呟く。

「これは盛り上がるぞぉ」

 

「悪い女」

 岸に上がらず、ツギハギトビウオの背に乗っていたチレンが、げんなり顔で慨嘆した。

「それで、私はどうしたら?」

 

「前に説明した通りだよ。私が奴を誘導して上陸したら、トビウオちゃんでさっきの沿岸の村で待ってて。事が片付き次第、迎えに行く」

「貴方が遊んでる間に私が襲われたら?」チレンは仏頂面で「シキの追手があの化物だけとは限らないわ。あのバケモノが陽動で、別口の殺し屋がいたらどうするのよ?」

 

 あの粘着ジジイならあり得るかも、とベアトリーゼは思案顔を作り、

「じゃあ一緒に来る?」

「はぁ?」

 眉をひそめるチレンへ、面白そうに対案を語る。

「チレンを担いでも移動に差し障りはないしね。そだ。サービスで御姫様抱っこにしてあげるよ」

 

「この歳で抱きかかえられながら飛び回るなんて、絶対に嫌。そもそも鉄火場に行きたくないわよ」

 遠慮でも冗談でもなく、ガチで嫌そうに美貌を歪めるチレン。

 

 乗ってこないチレンに微苦笑しつつ、ベアトリーゼは見聞色の覇気を操作した。精度を落とす代わりに効力圏を広げ、うっすらとした影を捕捉した。

「ふむ……丁度良い人がいるね。海軍の“白猟”スモーカーが沿岸部に向かって移動中だ。彼に保護してもらうと良い」

 

「“白猟”スモーカー?」聞き覚えのない名前に片眉をあげるチレン。

「能力者の大佐だよ。気難し屋で優秀で、真っ当な軍人だ。コードを伝えて依頼人に身元を保証して貰えば、問題なく保護して貰えるはずだよ」

「……その場合、このトビウオや荷物は押収されちゃうと思うけど?」

 

 ベアトリーゼが化物を誘導して上陸した後、このツギハギ・トビウオを扱うのはチレンだ。スモーカーと合流できても、お尋ね者と行動を共にしたと分かれば、情報を得るためにトビウオと荷物はまるっと押収されるだろう。

 

「問題ないよ」

 ベアトリーゼはチレンの指摘に冷ややかな笑みを返す。

「後で取り返しに行くから」

 チレンは目元を押えて大きな溜息をこぼした。

「問題大アリじゃない」

 

 

 

 魔女が悪企みをしているとは露知らず。

 船長を除く麦わらの一味は陸棲巨大ガニ“ヒッコシクラブ”(ナミ命名:ハサミ)の背に乗り、サンドラ大河に近づいていた。

 

「ぬぁにぃ――っ!? この蟹じゃ河を渡れねえのかっ!?」

 ビビの説明を聞き、ウソップが驚愕に目ん玉をひん剥く。

「ヒッコシクラブは砂漠の生き物だから……」

 

「あのだだっ広い河を暢気に泳いでたら日が暮れちまう。それに、河を越えたらまた長い長い砂漠だ。この蟹が向こう岸に行けなきゃあ、アシが無くなっちまうぞ!?」

 ビビが宥めるように説明を続けるも、ウソップの狼狽は止まらない。シロップ村に居た頃は小心的ながら楽観的なところのある青年だったのだが、命知らずな船長や無茶苦茶な仲間達に振り回されるようになって、どうにも悲観論に染まりつつある。

 

 サンジは煙草を吹かしながら、ビビに対案を出す。

「ビビちゃん。俺らの子電伝虫で王宮と連絡取れないか? それで迎えの足を寄こしてもらうとか」

 

「ごめんなさい……連絡先が分からないわ」

 王宮や王国軍は当然ながら電伝虫を保有している。“亡き”イガラムなら知っていただろうが、ビビには分からない。

 

「泣き言垂れてても仕方ねェだろ。何とかするしかねェよ」

「何ともならんから困ってんだるるォ!」

 ゾロが冷徹に言うも、ウソップの不安はちっとも解決しない。むしろ動揺が酷すぎて巻き舌になり始めた。

 

「ンなことはねェ。気合と根性がありゃ、大抵のことはなんとかなる」ゾロは真顔だった。

「そうなのか!」チョッパーが新発見を聞かされたように驚き「じゃあ、ハサミに気合と根性を出して貰えば良いんだな!」

 

「トニー君?」「何か案があるのか、チョッパー?」

 訝るビビと興味を示したサンジに頷き、チョッパーは元気いっぱいに言った。

「ハサミは踊り子が大好きだっ! ナミ、踊り子姿を見せてやってくれっ!!」

 

「……」「そんなん効くのぁそこのエロコックだけだっ!」「トニー君……」

 ゾロが眉間に深い皺を刻み、ウソップがツッコミを入れ、ビビが肩をカクンと落とす中、

「大した手間じゃないし、構わないけど……」

 何とも形容しがたい表情のナミが防砂マントを脱ぎ、サンジが調達した踊り子衣装を披露すれば。

 

「!! ……♥」「ナミすわぁ~ん♥」「ヴォ~~ン♥」

 昂奮した巨大ガニが超加速し、エロコックとエロラクダが歓声を上げた。

 

 で。巨大ガニは超加速のままサンドラ大河に突っ込み―――案の定沈んだ。

 

「期待させておいてこのオチッ!? 見せた分くらいは働きなさいよっ!」

 ナミが岸辺へ上がって見送りをしている巨大ガニに怒声を浴びせた。

 

「仕方ねえ。泳げ!」能力者のため泳げないチョッパーを頭に乗せたゾロが一同を一喝し。

「ビビちゃん、向こう岸までは?」

「この辺りだと……50キロくらい」

 サンジとビビのやり取りにウソップが喚く。

「泳げるくわぁああっ!!」

 

 と。

 一味の騒々しさに誘われたのか、海王類並みにドデカいナマズがこんにちは。

 

「サンドラマレナマズッ!!」「ぎゃああああああっ!?」「この国の生態系はどーなってんだっ!!」

 グレートにビッグなナマズがスナック感覚で麦わら一味を食おうと迫ったところへ、

「クォ―――――――――っ!」

 水面を揺るがすチャーミングなシャウト。ノックアウトされるタイタンサイズのキャットフィッシュ。立ち昇る大水柱。舞い散る水飛沫がレインボー。ゴウランガッ! 立ち昇る巨大な水柱と降り注ぐ水飛沫が落ち着き、推参者達の姿が明らかになった。エルマル沿岸でルフィが弟子にしたクンフージュゴン達だッ!

 

「兄弟弟子たちのピンチは見逃せないっス! だって!」

 チョッパーの翻訳に、一同はなんとも言えない面持ちを浮かべた。

 

 ともあれ。

 

 親切なクンフージュゴン達は麦わらの一味を失神した巨大ナマズに乗せ、愛らしい掛け声と共に対岸へ向かって曳航していく。

「意外と速いな。これなら一時間もありゃあ渡れるぞ」

「ベアトリーゼの予想だとナノハナからアルバーナまで8時間。レインベースからこの川まで3時間前後、渡河に1時間。ベアトリーゼが稼ぐ時間を込みで考えたら……あと5時間」

「間に合うか?」

「向こう岸に渡った後、アシを調達できれば……?」

 

 クンフージュゴン達が動きを止め、どこか怯えたような顔つきで下流を見つめている。チョッパーも不安顔でジュゴン達と同様に下流を凝視していた。

 

「なに? どうしたの?」「また危険生物か?」

 警戒するようにアニマル達の視線を追うナミ。心底嫌そうに顔を歪めるウソップ。

 

「……凄く嫌な感じがする」

 チョッパーは草食動物的鋭敏さで脅威を感じ取っていた。

 何か恐ろしいものが河を上ってきていると。

 そして、その感覚の正否はすぐに判明した。

 

 ずどぉん! 

 

 下流の方で巨大な水柱が立ち昇り、轟音が大河に響き渡る。自分達が乗っているデカナマズよりも巨大な“何か”が現れた。

「なんだありゃあっ!?」「おい、ビビ!? ありゃあなんだっ!?」「し、知らないわ、私もあんなの見たこと無いっ!」「この国は化物の巣窟かよっ!?」

 目をひん剥いて驚愕する中、“何か”の叫び声が大河の水面を震わせた。

 

「べああとぉおりいいいいいいいいぜえええええっ!!」

 数キロ上流のまで届く、底知れぬ恨み辛みと濃密な憎悪と焼きつきそうな憤怒。クンフージュゴン達やチョッパーが本能的に竦み上がり、ウソップが涙目になる中、ビビとナミが反応する。

 

「! ベアトリーゼって……まさか、あれが話に出てた化物!?」

「聞いてた話と全然違うじゃないっ! あいつは本当にもぉっ!!」

 ビビが愕然とし、ナミは蛮族女のいい加減さに憤慨した矢先。

 何かが煌めき、巨大な化物の横っ面が弾け――大気が炸裂した衝撃音が響き渡った。

 

「ウソップッ! 単眼鏡を寄こしてっ! 早くっ!」

「お、おう」

 鬼気迫るナミに圧倒されたウソップが慌ててバッグから単眼鏡を取り出し、ナミはウソップの手から単眼鏡を分捕って覗き込む。

 

 単眼鏡を通して目にした光景は、ナミの想像した通りだった。

 巨大な黒い化物の傍らを、シュマグをフードのように巻いた蛮姫が飛んでいた。悪魔の実の力でプラズマジェットを間欠放射し、フィギュアスケーターみたく空中を舞いながら、化物を内陸へと誘っていく。

 美しくも恐ろしい笑みを湛えながら。それはもう楽しそうに。

 

「――あのスットコドッコイッ! なんてことをっ!」

 単眼鏡を下げ、ナミは歯噛みして唸る。

 

「おい、ナミ。どういうことだ?」得物に手を伸ばしていたゾロが問う。

「ベアトリーゼが言ってたこと忘れたのっ!? あいつは反乱軍の進撃を止めるために、あの化物を反乱軍にぶつける気なのよっ!」

 美貌を怒らせてまくしたてるナミ。

 

「―――マジかよ」ドン引きするウソップ。

「そりゃあんな化物が現れたら、止まるかもしれないが……」同じく引き気味のサンジ。

「無茶苦茶だ。そんなことしたら反乱軍があの化物に襲われちゃうぞ」怯え顔のチョッパー。

 

 端正な顔を蒼白にしたビビが子電伝虫を取り出してベアトリーゼに連絡を試みる。

 子電伝虫が呼び出し音を囀るが、ベアトリーゼは通話に出ない。

 当然と言えば当然だ。ベアトリーゼは今、化物と対峙している真っ最中なのだから。

「ダメ、出ないっ!」ビビはチョッパーへ叫んだ。「トニー君っ! ジュゴン達に対岸へ急ぐよう伝えてっ!!」

 

 ビビは胸元に下げた魔女謹製の御守りを握りしめる。

「ベアトリーゼさん、お願い……っ! 誰も傷つけないで……っ!」

 

 

 

「べあとりいいいいいぜえええええええええええ!!」

 ザパンが怨嗟に吠えながら砂漠を駆ける。

 

 その姿はもはや人の範疇にない。その体躯は巨人もかくやという大きさに達していた。下半身は海老か蝦蛄を思わせる有様で4対の節足が激しく蠢き、砂上を高速爆進している。上半身はもはや筋肉と硬鱗の塊だ。肩口や肘、背中から生えた突起物の間を静電気が迸る。発電細胞がいきり立っているらしい。

 

 体格的絶対優位性――如何にピラニアの牙が恐ろしくとも、巨大な鯨を食い殺すことは出来ない。危険な脅威から己の身を守るための自己防衛本能は、分厚く頑丈な硬鱗に毒液分泌器官と発電器官をもたらし、小賢しく動き回る獲物をしとめる術となった。

 のっぺりとした一枚鱗に覆われた感情のない無貌にあって、双眸だけが憎悪と憤怒に燃え上がっている。

「べああああとぉおおおりいいぜえええええええええっ!!」

 

「おーにさ~んこ~ちら~手の鳴~るほ~へ~」

 そんな恨みと憎しみに狂い果てた怪物を、ベアトリーゼはプラズマジェットを用いて宙を舞い駆けながら、アルバーナ前面へ向けて誘っていく。

 

「いーぐあいの化物になってくれちゃって……皆驚くぞー」

 

      〇

 

 時計の針を戻す。

 短針が午後3時へ迫る中、王国の首都に全ての勢力が集まりつつあった。

 

 南からは反乱軍の大津波。

 

 西からは蛮姫が誘う狂気の巨獣。その背を追う麦わらの一味。

 

 アルバーナで徹底抗戦の構えを取る王国軍。

 

 戦いに紛れて王女を仕留めんと企てる犯罪会社の刺客達。

 

 全てを企てた悪漢と密やかに謀る美女。

 

 そして、隼の背に乗ってアルバーナを目指す未来の海賊王。

 

 

 アラバスタの運命を決する激突まで、あとわずか。

 




Tips

チャカ
 国王不在時、なんで護衛隊副長の彼が王国軍の統帥権を持っているのか……軍に将官はいないのか? 大臣達に権限はないのか? 
 アラバスタ編は大変面白いが、重箱の隅を楊枝でほじくるとこういう疑問が出てくる。

バロックワークス
 ミスター1:殺し屋ダズ・ボーネズ。
 坊主頭のごつい人。西の海出身。他の面々に比べてキャラが薄い。

 ミス・ダブルフィンガー:毒蜘蛛ザラ。
 もしゃもしゃパーマのエロ衣装美女。動きに腰が入ってる。

 ミスター・2かつボン・クレー:荒野のベンサム。
 キャラが立ち過ぎのオカマ。東の海出身らしい。

 ミスター・4:キャッチャー殺しのベーブ。
 トロい人。だけど超一流バッター。コイツも地味。

 ミス・メリークリスマス:町落としドロフィー。
 せっかちおばはん。読み返すまではミスター・4と夫婦だと思っていた。

クンフージュゴン
 アニオリ回でまさかの再登場を果たす不思議ナマモノ。


ベアトリーゼ。
 うひひひ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

111:午後3時。伝説の始まり。

かにしゅりんぷさん、佐藤東沙さん、相馬小次郎さん、マイムマイマイさん、誤字報告ありがとうございます。


 突き抜けるほど晴れ渡った蒼穹。殺人的な陽光を注ぐ太陽。陽炎が揺らぐ砂漠。

 ベアトリーゼはティンカーベルがピーターパンを導くように、狂気の巨獣を熱砂の奥へ奥へと誘っていく。

 

 プルプルの実の力でプラズマジェットを間欠放出し、暑気を引き裂くように宙を駆け、

「べああああとぉおおおりいいぜえええええええええっ!!!!」

 時折繰り出される狂獣の攻撃を舞うようにかわしては、

「おーにさーんこーちらー、てーのなーるほーうへー」

 怪物を嘲り煽り、名も知らぬ無貌の狂獣をアラバスタ王都の前面へ誘う。

 

 太陽の位置と自身の速度と移動距離から現在地を概算し、そろそろかと見聞色の覇気を展開。

 徹底抗戦の構えを整えた首都アルバーナ。首都南方から猛進してくる反乱軍。首都西方のガレ場に潜むバロックワークスの刺客達。自身と怪物のずっと後方から超カルガモに乗って追いかけてくる麦わら一味。クズ共に囚われた王。アルバーナへ向かっている怪人砂男。愛おしい我が親友。

 隼人間に運ばれてくる未来の海賊王はまだ見えないが……時間の問題だろう。

 

 自身の尻に食らいついて離れない怪物を肩越しに一瞥し、ベアトリーゼは思案する。

 こいつを反乱軍にぶつけることは容易い。

 

 しかし、そうすれば反乱軍に死者が出てしまう。ベアトリーゼ自身は大恩あるビビとネフェルタリ家その他に仇なす叛徒など、皆殺しにしても構わない。が、ビビが不殺を求めた以上、殺すわけにはいかない。大雑把で滅茶苦茶な所が多分にあるけれど、“凄腕美人”としては約束の履行に努めるのみ。

 

 そんなわけで、ベアトリーゼは思案を継続する。

 このバケモノを誘導する最適位置はどこかしら、と。

 

 原作だと反乱軍は首都南門の一点突破を行った。となれば、このバケモノを使って反乱軍を押し留める場所はアルバーナ南門側。加えて国王軍の火砲の射程外であること。この前提条件の下、反乱軍がバケモノを認識して一時的でも踏みとどまらせられる最適位置。100万以上の強行軍だ。制動距離もかなりに長大になるはず。

 そうなると……と頭の中で計算を走らせ、見聞色の覇気で知覚している首都周辺の地勢と重ねる。ついでに、自身と化物と叛徒共の移動速度を加味し、“最適位置”到着までの時間もはじき出す。

 

 軽やかに移動と回避をしつつ、自覚無き“異質”なマルチタスクを瞬く間に完了。ベアトリーゼはにんまり。

「皆、驚くぞぉ」

 

     〇

 

悪魔(シャイターン)……」

 首都に立てこもる国王軍に動揺が走った。

 南の地平にうっすらと見え始めた巨大な砂塵――100万を超す反乱軍がついにやってきたから、ではない。

 西の地平に、まるで御伽噺に出てくる砂漠の悪魔(シャイターン)みたいな異形の怪物が現れたからだ。

 

 もうもう砂塵を立ち昇らせながら首都へ向かって西進するバケモノを見とめ、

「なんなのだ、あれは」

 チャカは双眼鏡を下げて呻く。

 間もなく叛徒の大軍勢相手に決死の籠城戦が始まろうというのに、加えて怪物の襲来だと? これもクロコダイルの仕業か?

 

「どう、しますか?」

 若い将校が不安をありありと浮かべながら問う。周囲の軍人達もこの異常な状況に動揺していた。

 

 チャカは密やかに肚へ力をこめ、意識して泰然と告げた。

「皆の者、動じるなっ!! 相手が謀反人の大群だろうと、巨大な怪物だろうと、やることは何も変わらぬっ! 我ら国王軍は最後の一兵に至るまでただこの国を守り抜くのみっ!」

 

 チャカは決死の防衛指揮官として吠える。

「全軍、戦闘用意っ!! 国を守れっ!」

 

 

 

「しゃ、悪魔(シャイターン)……」

 南から王都を目指して前進を続ける反乱軍も、西に立ち昇る砂塵に気付き、そして、一部の者達が砂塵の発生源を目の当たりにしてしまい、絶句していた。

 

 さざ波のように広がる動揺は反乱軍中枢部隊――首魁のコーザにも届く。

「西から化物? サンドラ大トカゲか何かか?」

 コーザは馬の足を止めることなく報告を聞き、疎ましげに伝令を睨む。

 

「トカゲならトカゲというさっ! とにかく海王類並みにデカい化物が西からやってきてるんだよっ!」

 蒼い顔をした伝令がまくし立てる。

「本当に御伽噺の悪魔みたいなバケモンなんだっ! しかも、奴の進路的にこのままだと首都に着く直前でカチ合っちまうっ!」

 

 コーザは舌打ちし、苛立ちを堪えるように手綱を強く握りしめる。

「無視だ。このまま進め」

 

「へ」予想外の回答に伝令が目を瞬かせた。

 コーザは裂帛の意志を込めて叫ぶ。

「全軍、前進を続けろっ! 化物だろうがなんだろうが、無視だっ! このまま進めっ!」

 

「それは……コーザ、いくらなんでも無茶だ」と側近の一人が注進するも、

「首都前面で足を止めれば、防御砲火に打ちのめされる。それに、俺達を含めた大多数が武器を持っただけの素人だ。気の利いた戦略運動なんてできない。それなら」

 サングラスの奥で双眸を冷徹に吊り上げ、

「悪魔とやらとぶつかって“多少”犠牲が出ようと、このまま突っ込んだ方がマシだ」

 

 コーザは非情な野戦指揮官として怒号を放つ。

「進めっ!! この国を救うんだっ!!」

 

 

 

「べあとりぃいいぜえええええええっ!!」

 狂気の巨獣と化したザパンは、頭蓋内を満たす憎悪と怨恨に従って体躯を駆動させ、殺意を垂れ流し続ける。

 

 実のところ、ザパンは眼前で妖精のように舞い飛ぶ女をどうして憎み恨んでいるのか、もう分からない。この女を殺さなければならないという絶対的な衝動の理由も、もう思い出せない。

 

 思い出せない。

 自分が何者であったかも。何も分からない。

 ただただ、抑えきれぬ怒りがこの大きな大きな体を内から焼き焦がし続けている。破壊衝動と暴力願望が理性を削ぎ落としている。

 もう何も考えられない。

 眼前の女を引き裂き、叩き潰すこと以外、何も。

 

「べあとりぃいいぜええええええええええっ!」

 それは殺意の怨嗟であり、同時に惑い彷徨う泣き声のようであり。

 

 

 

 王国最速の超カルガモ部隊と合流した麦わらの一味は、彼らに騎乗して砂漠を激走していた。

 ベアトリーゼが企てているだろうプラン――怪物と反乱軍の激突を防ぐため。

 事前に企図していたクロコダイルの謀を暴露して両軍の激突を止めるため。

 今なおこの国を掌中に収めんと企む巨悪とその一味を討つため。

 王女と麦わらの一味はひたすらに駆ける。

 

 ビビは胸元に下げた御守りを――悪い魔女が作ってくれた御守りを強く固く握りしめて、祈るように呟く。

「お願い……っ! ベアトリーゼさん……っ!」

 

 

 

 ベアトリーゼは南の砂漠から迫る反乱軍の大津波を窺い、北の円状台地にそびえ立つ首都を一瞥。肩越しに背後の狂獣を見切り、

「頃合いだな」

 ひときわ強くプラズマジェットを放ち、疾風の如く熱砂の上を飛翔した。

 

 追いすがる怪物を一瞬で置き去りにし、機動方向を垂直へ変更。高度数百メートルまで一息で昇り、プラズマジェットを切る。ふわりとした一瞬の無重力感を覚えた直後、重力に体を掴まれ、頭から真っ逆さまに落ちていく。強烈な相対気流と風圧に着衣が激しく震え、両腕のダマスカスブレードや腰の雑嚢が強く揺れる。頭を包むように巻かれたシュマグが今にも剥がれそう。

 

 迫る墜落死の危機を無視し、ベアトリーゼはプルプルの実の能力行使に全身全霊を注ぐ。

 大気中の電子、原子、分子を。太陽の放つ光の波長を。この地域に満ちる熱を。この地域に蠢く気流を。目に見えない様々な粒子を。

 無量大数に匹敵するそれら一つ一つを余すことなく、ぷるぷると振動させていく。

 

 時間にしてわずか数秒。

 その数秒にて脳が焼き切れんばかりの超作業を完了させ、微細血管が裂けて耳鼻目から血が滲む中、蛮姫は嗤う。

「ぶったまげろ」

 そして、“魔法”が放たれた。

 

        〇

 

 国を想う者達が王国の存亡を賭けて決戦へ挑まんとする、まさにその直前。

 雷雲など影も形も無い蒼穹に、突如として巨大な光球が生じた。

 さながら新たな太陽が生まれたかのように。

 

 あらゆる色彩を白く塗り潰すように激しく強く閃き輝き、一拍遅れて轟音を響き渡らせる。

 蒼天から注ぐ光と音の暴圧が首都周辺を支配し、あらゆる生命を平伏させた。

 

 首都にこもる王国軍将兵を打ちのめし。津波の如く迫る人馬の群れを打ち崩し。異形の巨獣を自失させ。周辺台地に避難していた難民達を茫然とさせ。

 

 超広域閃光プラズマを放った蛮姫は四回転後方捻りで着地し、腰が抜けたようにへたり込む。全身から滝のように流れる汗。疲労で痙攣する唇や四肢や指。体力はすっからかん。

 

 蛮姫は肩で大きく息をしながら、思う。

 シキん時もそうだったけど、やっぱりマクロレベルは無理だな。バケモンと反乱軍の巻き上げた砂塵を触媒にしてこれだもん。でもまぁ……

 

 ベアトリーゼは光と音の残滓が溶けていく静謐な砂漠を見回し、アンニュイ顔で気だるげに呟く。

「上出来かな」

 

       〇

 

 突如、首都周辺を襲った異常現象に、王下七武海“サー”クロコダイルは不快な記憶を呼び起こされていた。

“新世界”へ乗り込み、挑んだ“皇帝”の姿が脳裏をよぎり、右手で左腕の義手を撫でる。

「小娘め……っ」

 

 

「やりすぎよ、ビーゼ」

 ニコ・ロビンは光と音が溶けていく空へ微苦笑をこぼし、顔を引き締める。

 

 これでクロコダイルの計画は完全に狂った。

 でも、彼は引くまい。予定していたような国体の簒奪が叶わなくても、古代兵器を手中に収められれば武力で押し獲れる。そう海賊らしく考えるはずだ。

 

 ロビンとしても作戦続行は望むところだ。

 始まりの20王家の一つ、ネフェルタリ家が秘匿するポーネグリフを読み解く機会。危険を冒す価値がある。

「問題はその内容ね」

 

       〇

 

 蒼天を引き裂く光と音の暴威に、さしものカルガモ部隊も思わず足を止めた。

 ゾロとサンジがいなければ、全員が失神昏倒していただろう。

 

 極太の肝っ玉を持つゾロは、白目を剥いて超カルガモから落ちそうになったチョッパーとウソップを即座に引っつかんだ(ウソップは鼻を掴まれた)。

 女性尊重の騎士道精神を持つサンジは、危うく超カルガモから転落しかけたナミとビビをスマートに支えていた。

 

「皆、頑張ってっ! 今がチャンスよ!」

 サンジに支えられながら、ビビが皆に発破をかけた。

 今、全てが動きを止めている。反乱軍も、怪物も、おそらくバロックワークスの刺客達も。この好機を活かさなければ。

 

「あいつは本当に毎回毎回……っ!」

 ナミが蛮姫を思い浮かべながら毒づき、未だ白目を剥いているウソップを張り倒す。

「いつまで寝てんのっ! さっさと起きろっ!!」

「ブボォオッ?! な、なんだあぁっ!?」

 頬に真っ赤な紅葉をこさえたウソップが目を覚ます。超カルガモ達がチョッパーとエロラクダを小突き回して起こした。

 

「急ぐぞっ! 反乱軍と化物がヨレてる間に――」

 ゾロが出発を促す中、

「べああああとぉおおおりいいぜえええええええええっ!!」

 再起動を終えた怪物の雄叫びが砂漠に轟く。

 

「くそっ! もう立ち直りやがった! 急げっ!!」

 麦わらの一味は再び走り出す。

 

      〇

 

 強烈無比な光と音の暴虐を浴びた反乱軍は大惨事だった。

 失神した騎馬達が倒れ、そこに後続が突っ込み、多重玉突き事故が発生。如何なる幸運かワンピース世界特有の人間的頑丈さか、死者は出ていない。出ていないだけともいうが。

 

 濃霧のように立ち込める砂塵の中では、前衛が雷轟と負傷の衝撃で茫然自失状態。前衛と玉突き事故を起こした中衛は大混乱。後衛は事態が呑み込めず戸惑うことしかできない。

 

 壊乱状態の反乱軍にあって、首魁コーザはいまだ意気軒昂だった。

「すぐに立て直して前進を再開するぞっ!」

 

「無理だっ! 前衛と中衛の数十万人が滅茶苦茶になってるんだぞっ!? 立て直しに数時間はかかるっ!!」

 参謀役が額の傷を押さえながら告げるも、コーザは今にも噛みつきそうな顔で唸った。

「なら動ける奴を集めて―――」

 

 べあとりぃいいぜえええええええええええええええっ!!

 

 狂獣の恐ろしげな絶叫が砂漠に響き渡り、ただでさえ恐慌状態の人馬が狼狽えだし、混乱に拍車がかかる。

「! そうだ、あの化物っ!」

 この壊乱状態で襲われたら目も当てられない。

 

 コーザが近くの動ける者達を引きつれ、立ち込める砂塵を掻き分けて最前列へ出れば。

 シュマグをフードのように被った砂漠装束の女が、巨人並みに大きな漆黒の怪物と戦っていた。それも自由自在に宙を舞い飛んで。

 

 誰かが呟く。

「――魔女(サーヘラ)

 巨大な悪魔と宙を舞い飛ぶ魔女。誰もが唖然として御伽噺のような光景を見つめていた。

 

「なんだ、あれは」コーザも眼前の光景を理解できず「いったい、何が起きてるんだ」

 答えられるものは誰もいない。

 

 

 

 無貌の巨獣が暴れ狂う。

 鎧同然の硬鱗に覆われた巨躯を躍らせ、筋骨で盛り上がった剛腕を振るい、巨岩染みた拳を振るう。豪快な風切り音を曳く巨拳はさながら隕石のようだ。

 

 かすめるだけでも常人の肉体を破砕しえる拳打の暴風に対し、蛮姫は往年のプログレ曲『ホーカス・ポーカス』を口ずさみながら悠々と回避、いや空中舞踏を行う。曲調に合わせて手拍子代わりにプラズマジェットを放射したり、巨獣の横っ面を蹴り飛ばしたり、ブレードで斬りつけたりする余裕振り。

 

 そのあまりにも酷い煽り(舐めプ)に、無貌の双眸が憤怒に燃え上がる。

「があああああああべあとぉりいいぜえええええええええっ!!!」

 狂獣が怒号を挙げた。分泌物のせいで砂が貼りついた漆黒の硬鱗がぎちぎちと軋む。

 まさしく激昂である。

 

 ベアトリーゼもかなり機嫌が悪い。なんせ体力気力が空になる寸前。デカくて堅くてタフな化物の相手なんて、面倒臭ェし、かったるいし、と気分がダレている。そりゃ厭味ったらしく鼻歌を口ずさむ。

 

 ただし、どれだけ気分がダレていても、ベアトリーゼはプロだ。鼻歌交じりに宙を舞い飛び、あしらうように攻撃を加えつつ、冷酷非情な目つきで黒い巨獣を注意深く観察していた。

 

 前回戦った時より単純にデカくなった分だけ頑丈かつ頑強になっている。鱗、皮、脂肪、筋肉、骨。いずれも厚みと密度が前回と桁違いだ。武装色の覇気をまとっても周波数を乗せても鱗一枚砕けない。ダマスカスブレードの斬撃も通じない。覇気も高周波振動も体内深層まで貫徹しない。体表面に分泌される毒液は砂塵がこびりついており、潤滑効果が失われているものの、毒自体はより強くなっているようだ。

 

「なんて面倒臭ェ……」

 ベアトリーゼは迫る巨拳を蹴ってひときわ高く跳び、気だるげに呟く。

 

 と、狂獣が発電細胞を活性化させて放電した。ベアトリーゼは十重二十重の雷電を軽妙に避け、かわし切れないものはプルプルの実で大気密度を操作して稲妻の動きを逸らす。

 カミナリ怪人エネル並みの広域攻撃ならともかく、自身の周囲に無差別放射する程度のこと。タネが割れれば、どうってことない。

 

 高圧電流に焼かれた大気と微細な塵が焼けてイオン臭が漂う中、ベアトリーゼは頭から落下しつつ思案する。

 どーっすかなぁ。

 超高熱プラズマを叩き込むと、反乱軍に被害が及ぶかもしれないしー。そもそも体力も気力も底をついてて、ド派手なのは無理だしー。

 仕方ない。ブレードが傷むかもしれないから避けたかったけど……

 

 ベアトリーゼは右腕を突き出すように伸ばして左腕を添え、木目紋様の肘剣を武装色の覇気で覆い、微細振動させ始める。

 

 俗にいう振動剣。

 出力のデカい高周波振動はブレード自体にも多大な負荷をもたらす。あのデカブツの分厚く頑強な硬鱗を斬り、頑丈で頑健な肉を裂き、骨を断つほどの高出力の振動に、愛刀は耐えられるか。

 プラズマ熱には耐えられるだけの強度があるし、武装色の覇気を用いればなんとかなるはず。多分、きっと。

 

 ダマスカスブレードに極超音波振動をまとわせる。武装色の覇気で染められていてもなお、刀身が赤熱化し、周辺大気に影響をもたらしてバチバチと静電気が躍る。

 両足の裏で強烈なプラズマ爆発を起こし、ベアトリーゼは自身を飛翔体として発射した。

 プラズマ爆発と空気の壁を突き破る轟音を置き去りにし、ベイパーを曳きながら狂気の巨獣へ一直線に突き進む。

 かつて異界にて魔王すら屠った一撃。

「死ね」

 

「べあとぉおりいいいいいいぜえええええええええっ!!」

 巨獣が雄叫びを上げて放電しながら右の拳を放つ。電熱をまとい稲光を曳きながら駆ける巨拳は天を穿ち、空を裂くことさえ能うかもしれない。

 そして――

 

 

 

 反乱軍は見た。

 国王軍は見た。

 避難民達も見た。

 自らを矢に変えた魔女(サーヘラ)悪魔(シャイターン)の巨拳が激突する様を。

 

 戦場傍に身を潜めるバロックワークスの刺客達は見た。

 女能力者が狂獣の巨腕を断ち斬る様を。

 

 アルバーナへ向かう道中、王下七武海の大海賊は見た。

 切断時に高熱と高出力振動が伝播したことで、巨腕の血肉が沸騰して爆散する様を。

 

 首都へ向かう道すがら、蛮姫の親友である悪魔の子は見た。

 爆発の衝撃波や飛散する硬鱗片や骨片の嵐が、巨獣の鎧を砕き割る様を。

 

 戦場の焦点へ猛進していた麦わらの一味は見た。

 巨腕を切り落とした蛮姫が物理学と重力へ喧嘩を売るように、プラズマジェットを用いて空中で急旋回。怪物の胸部ド真ん中――経穴十二正經の天突へ向かって飛翔する様を。

 

 世界最強を目指す若き剣士は見た。

 両腕にブレードを装着したモモンガ女が、巨獣の身体を貫通する様を。

 

 王女は見た。

 怪物の貫通創が沸騰爆発して鱗と血肉がまき散らされる中、鮮血に染まった魔女が宙を舞い躍る様を。

 

 

 体幹の急所を穿ち貫かれた巨獣が崩れ倒れた。大量の砂塵が立ち昇り、一陣の暴風が吹き荒れ、戦場が砂色に覆われる。

 

 人々は伝説を見た。

 しかし、伝説はまだ始まったばかりだ。




Tips
ベアトリーゼ
 オリ主。
 後先考えず体力気力を完全に使い切る大暴れ。
 麦わらの一味がいるし、ダイジョーブでしょへーきへーき。

悪魔
 アラブ語でシャイターン。砂の国だからこの方が雰囲気が出るかなって。

魔女
 アラブ語でサーヘラ。砂の国だからこの方が雰囲気が出るかなって。

ホーカス・ポーカス(邦題は『悪魔の呪文』)。
 往年のプログレ・バンド『フォーカス』の曲。
 バチバチのプログレ・ロックにヨーデルを組み合わせた名曲。数年前、映画『ベイビー・ドライバー』の劇中に用いられた。
 同曲が流れるシーンは一見の価値あり。

振動剣
 創作物に頻出する『とてもよく斬れる剣』。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

112:王女ビビと砂の魔人。

佐藤東沙さん、nullpointさん、烏瑠さん、ちくわぶさん、誤字報告ありがとうございます。


 右腕を失い、胸部を貫かれた巨獣の骸から流れ続ける大量の鮮血が、砂漠を赤く染めていく。

 全身に血を浴びた魔女は前方抱え込み三回転半捻りの末、巨獣の屍に降り立った。

 

「あー……すっからかんだわ」

 大技二発で体力も気力も底をついた。ベアトリーゼはその場に腰を下ろし、大きく肩で息をする。むせかえるような血の臭いはさして気にならない。それより、太陽に焼かれた砂が貼りついて熱い。

 後ろ腰の雑嚢から水筒を取り出して一気飲みし、干し果物を押し固めたエナジーバーを胃袋へ詰め込むように嚥下する。消耗しきった体を回復させるには全然足りない。

 

 深々と息を吐き、ベアトリーゼはフードのように巻いたシュマグの奥から、暗紫色の双眸をゆっくりと巡らせる。

 混乱が収まらない反乱軍は当分動けない。国王軍も王と王女が揃って不在の現状では下手に動けない。

 首都西方のガレ場に潜むバロックワークスの刺客達はこちらを窺っているようだが、どうやらこっちの大立ち回りを目の当たりにして腰が引けたらしい。まあ、正しい判断でもある。たとえ覇気や能力を使えないほど疲弊していても、ベアトリーゼは“あの程度”の連中なら苦も無く殺せる。

 王の救出とクロコダイル討伐だが、そっちは主人公様御一行が何とかするはず。

 

 となれば。

 ベアトリーゼは西へ顔を向けた。

 

 こちら向かって一直線に駆けてくるカルガモ軍団。

 麦わらの一味と王女ビビだ。

 

 ベアトリーゼは空になった水筒を放り捨て、億劫そうに立ち上がる。足腰に力が入らず体が傾ぎ、血を吸って赤黒くなった砂の塊が体中からばらばらと落ちた。

 カルーに跨るビビを窺い、シュマグの奥で呟く。

「クライマックス前にもう一仕事、と」

 

    〇

 

 巨獣から流れ出た大量の血液は早くも渇き始め、鉄錆に似た悪臭を伴う蒸気を燻らせている。血で煮えた赤黒い砂を踏み越え、超カルガモ達が巨獣の骸に近づく。

 小山染みた巨獣の骸の上で、全身を赤黒く染めた魔女が待っている。

 

 たった一人で、隊列の長さが数十キロに及ぶ反乱軍を大閃光と大音響で押し留め、巨人並みに大きな異形の怪物を討伐した、恐るべき魔女の佇まいは酷く気だるげ。フードを目深に被るようにシュマグを巻いているため、(かんばせ)は窺えないが、かすかに覗く口元にはいつもの物憂げな微笑がこぼれていた。

 

「ベアトリーゼさん」

 カルーの背から魔女を見上げるビビの声は、どこか震えていた。

 

 親しみを抱いていた“悪い魔女”が、破格の力を持つバケモノであることを、本当の意味で理解したから。ではない。

 ビビが求めた通り、100万を大きく超える大軍勢を本当に押し留めてくれたからだ。“多少”手荒でも、国民同士が相討つ惨劇を土壇場で防いでくれたからだ。

 

 魔女が恭しく誘う。

「アラバスタ王女ネフェルタリ・ビビ殿下。ここからが貴女の本当の勝負です。貴女の語る言葉が彼らの生死を分かち、この国の未来を決める」

 

 ビビは息を呑む。

 これまで国を救おうとがむしゃらに突き進んできた。民を救おうと必死に戦ってきた。苦悩する父を助けようと一心不乱に足掻いてきた。忠臣や頼もしい仲間達に支えられ、決して諦めることなく。

 しかし、視界に収まらぬほどの大群衆と故郷アルバーナを目の当たりにし、国と民の命運がかかっているという重責を実感として抱き、思わず怯みかける。

 

 と。

 ナミがビビの両肩に手を置いた。

「ビビなら出来るわ」

 この二つばかり年上の少女は、お金にがめつくて利害と打算にとてもシビアで、だけど、いつでも姉のように自分を思いやってくれて。

 

「お前の大一番だ。気張れよ」「俺がついてるぞ、ビビちゃん」

 ゾロが不敵に口角を吊り上げ、サンジがニヒルな笑みを贈る。

 

「がつんとキメたれっ!」「頑張れ、ビビっ!」

 ウソップとチョッパーが揃って握り拳を掲げて応援し、エロラクダとカルガモ達が強い頷きを寄こす。

 

 頼もしい仲間達が揃って腕に巻いた絆の印を示した。

 

「―――行ってきますっ!」

 怯懦を掃われ、ビビは仲間達に大きく頷く。

 カルーが跳躍して巨獣の骸の上に降り立ち、ビビは愛鴨の背から降りる。その立ち居振る舞いは犯罪組織へ潜入した御転婆姫様でも、重責に怯んだ少女でもない。

 4000年の歴史を持つ貴き血の系譜に相応しい、気高く勇敢な王女だった。

 

 ビビは胸に下げた“御守り”を握りしめて頷き、告げる。

「始めましょう」

 

「御意。では、まずは聴衆の意識を集めましょうか」

 ベアトリーゼはなけなしの体力を絞り出し、自身の声の伝播率を高めて、大音声を発した。

「喝ッ!」

 その声は凪いだ水面に広がる波紋のように、首都アルバーナ一帯に伝わっていく。

 

「国を守らんとする防人達よ、傾聴せよっ!

 国を救わんと願う烈士達よ、拝聴せよっ!

 こちらにおわすはアラバスタ王国正統後継者たる王女殿下、ネフェルタリ・ビビ様であるっ!

 王女殿下は国難の極みに惑う貴様らを見ておられぬと貴き御身を危険に晒し、貴様らを苛み苦しめた旱魃の“真実”を手に入れられたっ!

 これより王女殿下が“真実”を語られるっ!

 貴様らの知るべき“真実”を聞けっ!」

 

 演劇染みた前口上を終え、魔女は王女へ一歩前に出るよう促し、王女の背後に立つ。そして、両腕を王女の両側に回し、悪魔の実の力を駆使する。

 王女の声の伝播率を上げると同時に、周囲の大気と光を操作して巨獣の上方に、大きな王女の幻影を映し出した。

 

 国王軍も反乱軍も避難民も、宙に描かれた少女の姿を凝視する。

 水色の髪と瞳。可憐な美貌。薄汚れた砂漠装束を着こんでいても、見間違えようが無い。

 ここ数年、病を経て王宮の奥で療養していると語られていた王女の登場に、誰もが戸惑いを抱く。同時に、誰もが王家尊崇と敬愛の情が篤いアラバスタ王国人として、王女の健やかな姿と佇まいに、怒りを脇において安堵と喜びの念を抱いてしまう。

 

「私はアラバスタ王国、国王ネフェルタリ・コブラの娘、王女ネフェルタリ・ビビ」

 王女は強い信念が込められた言葉を静かに紡ぎ始める。

「この国を救うため、私の言葉に耳を傾けてください」

 

      〇

 

 如何なる術か王女の声が鮮明にアルバーナ近郊に広がっている。

 誰の耳にも聞き取り易い発声と口調で“真実”が語り明かされていく。

 

 三年に渡る旱魃。旱魃を機に始まった国王軍と民衆の諍い。水利を狙い撃ちにするような砂嵐。王宮で発見された大量のダンスパウダー。今朝方に起きた国王の失踪。王によるナノハナの襲撃。武器を満載した大型貨物船の座礁。

 全てが、バロックワークスと呼ばれる秘密犯罪会社による陰謀であると。

 遠くからも目に出来る王女の幻影が分厚いファイルを開き、告発を続ける。

 

 

 

 ガレ場に潜むバロックワークスの刺客達は、為す術がない。

 王女の周囲は海賊共が守りを固めているし、モノノケ女が傍に控えている。襲撃を掛けても成功の見込みは薄い。それどころか、王女の言葉を裏付けるだけだ。

 つい数時間前まで国盗りを成したと嗤っていたというのに、今や追い詰められている。

 刻一刻と悪化していく状況を前に、彼らは出来ることが何もなかった。

 

 

 

 王女が淡々と証拠を上げていく。

 バロックワークスが数々の犯罪行為で調達した資金で大量のダンスパウダーを入手した記録を。ダンスパウダーを使用した日時の記録を。バロックワークスの工作員が王国当局や市井で擾乱行為を行った記録を。作戦で利用する王国政府や市井要人の買収記録を。陰謀行為を偶然目にしてしまった者や作戦遂行上の邪魔になる者達の暗殺命令を。

 国王を誘拐した能力者達のことを。国王に扮してナノハナを襲った能力者達のことを。大型貨物船を座礁させて反乱軍へ武器を与えた能力者達のことを。

 

 そして、王女は告げる。

 アラバスタ王国を傷つけ、王家を貶め、民衆を苦しめ、この国難を引き起こした本当の“敵”の名を。

「全ての陰謀を企てた黒幕。国と人々を苦しめたバロックワークスの首魁。この国から雨を奪い、この争いを引き起こした元凶っ!! その名はクロコダイルッ! 王下七武海“サー”・クロコダイルッ!!」

 

 

 

「ククク……」

 王下七武海“サー”・クロコダイルは、堪えきれず笑いだす。

 

 もはや怒りを通り越して清々しい気分だった。

 5年の歳月と莫大な金と多くの人手を費やしてきた計画が、本当に完了直前で全て台無しにされた。

 惰弱な王女と取るに足らぬ小物海賊団と、首を突っ込んできた野良犬によって。

 

「クハハハッ!」

 それは自棄になった捨て鉢の笑いではない。

 冷酷非道な捕食者が獲物を食い殺すと決めた嗤い声だ。

 海賊が海賊らしく暴力で奪い取ると決めた嗤い声だ。

 

 

 

 国王軍も反乱軍も避難民も動揺を隠せない。

 5年に渡ってこの国を海賊などから守ってきた“英雄”が、実はこの国や自分達を苦しめてきた元凶であり、この内戦を引き起こした黒幕だと聞かされても、受け止められない。如何に王女が具体的な証拠を語っても、信じきれない。

 特に、反乱軍の動揺と狼狽は酷かった。なにせ彼らは完全に踊らされ、大人達の説得と制止を無視し、信じるべき王へ剣を向けてしまったのだから。

 

 意気消沈。茫然自失。

 しかし、それも王女が名前を挙げていくまでだった。

 バロックワークスの工作員達の名前を。

 

 王国軍も反乱軍も名を上げられた者へ目を向け、じりじりと滲み寄り―

 その者が逃げ出したり、得物に手を伸ばした瞬間。餓えた狼のように襲い掛かった。

「逃がすなっ! 捕まえろっ!」「この裏切り者が――っ!!」「何をしても構わんっ! 今すぐ仲間を吐かせろっ!」「俺の息子は旱魃で死んだっ! 報いを味わわせてやるッ!」「俺の故郷は砂に呑まれたっ! 楽に死ねッと思うなよ、テメーっ!!」

 

 怒り狂った国王軍や反乱軍の兵士達が名指しされた裏切り者へ慈悲も容赦もなく、暴力を叩きつける。それは凄惨極まる報復と復讐であり、圧倒的大勢による無勢の駆逐掃討だった。

 かくて王下七武海の企てた計画は完全に水泡へ帰す。

 だが……

 

 クロコダイルの国盗りはまだ終わっていない。

 

       〇

 

 不意に、嘲りの響きを持つ拍手が奏でられ、王女の言葉が止まった。

 ビビが驚いて振り返れば。

「クロコダイル……っ!」

 

 黒髪を撫でつけた精悍な大海賊が、右手と義手で器用に拍手を続ける。

「やってくれたな、ミス・ウェンズデー。おかげで全部ご破算だ」

 大国を翻弄し続けた悪漢は、どこか他人事のように語る。麦わらの一味達が戦う構えを見せても、視界に入れもせずに葉巻を燻らせた。

 

「まったく……最後の最後でこんなどんでん返しが起きるとはな……」

 奇妙なほど淡々と語り、クロコダイルが紫煙交じりの深い嘆息を吐く。

 

「そんな……あいつがここにいるならルフィは――」

 口元に手を当てて驚愕するナミを一瞥し、クロコダイルは今気づいたと言いたげに鼻息をつく。

「ぁあ……テメェらは麦わらの手下だったな。テメェらの船長ならレインベースでぶち殺した。この俺が手ずからな」

 

「―――そんなの」信じない、とナミは続けられない。だって現にクロコダイルがここにいて、ルフィがいつまで経ってもやってこない。

 ゾロが刀を抜き、サンジが煙草を強く踏み消した。ウソップがパチンコを構え、チョッパーが人獣姿で拳を握り固める。

 野郎共は戦意と闘志で語っていた。

 テメーをぶっ潰す。と。

 

「船長が船長なら手下共も手下共だな」

 疎まし気にクロコダイルがぼやいた。刹那。

 

「クロコダイルゥッ!!」

 憤怒に染まり切った怒号が轟き、殺気立った叛徒達が姿を見せる。その先頭には力がこもり過ぎて切っ先を震えさせているコーザが居た。

「貴様が……貴様がこの国の雨を奪ったのかっ!!」

 

「やぁ、コーザ君」

 クロコダイルは悪意をたっぷり込めて冷笑する。

「君は実に良い“協力者”だった。いつも俺が期待する以上に踊ってくれた。穴掘りに狂った親父共々、よく嗤わせてくれたぜ」

 

「―――ッ!」

 コーザはただ殺意のままにクロコダイルへ襲い掛かる。ゾロとサンジの制止も、ビビの悲鳴染みた呼びかけも届かない。この瞬間、コーザはもう国とか水とかどうでも良かった。コイツを殺す以外はどうでも良いし、どうなっても良かった。コイツをぶっ殺して、一番深くて最悪の地獄に叩き落としたい。その一念に染まり満ちていた。

 

「本当によく嗤わせやがる」

 クロコダイルは避ける素振りも見せなかった。コーザの刃を身に浴びるも、砂と化してあっさりと受け流す。そして、左の義手でコーザの胸を深々と貫いた。

 ビビの悲鳴が上がり、麦わらの一味と反乱軍の兵士達が怒声を発する。

 

「俺が怒ってないと思うか? お前ら虫けら共に全てを台無しにされて。とっくにハラワタが煮えくり返ってんだ、こっちぁ……っ!」

 吐血するコーザを投げ捨て、クロコダイルはベアトリーゼを睨み据えた。双眸が憤怒に燃え上がっている。

「特にテメェだ。野良犬……っ! 舐めた真似し腐りやがってっ!!」

 

「だったら?」

 今まで黙って様子を見守っていたベアトリーゼが、場違い極まるアンニュイな調子で嗤い、ふっと暗紫色の双眸を冷たくし、

「たとえ体力がすっからかんでも、テメーみたいな能力頼りのロギア野郎、相手じゃねーよ」

 左腕のダマスカスブレードを漆黒に染める。

 

「覇気か。くだらねェ」

 クロコダイルは葉巻を足元へ落とし、上等なブーツで踏み潰す。

「覇気なんざ所詮は小手先芸だ。殴り合い頼りのアホ共が重宝してるに過ぎねェ。それに、テメーは何か勘違いしてねェか?」

 

 自然系悪魔の実スナスナの実の能力者はにたりと冷笑し、

「ロギア系能力の本質は、自然現象や自然物に変化することや攻防の技にすることじゃねえ」

 右手を地面に押し付けた。

 

「自然現象や環境そのものを支配し、恣に扱う。これこそロギアの真価だ……っ!」

 

 瞬間、クロコダイルを中心に砂漠がほとんど垂直に隆起した。巨獣の骸を薙ぎ払い、ベアトリーゼやビビ、麦わら一味に反乱軍の将兵達が凄まじい勢いで隆起していく砂山から転げ落ちていく。

 瞬く間に全高100メートルを優に超える砂の巨塔が生じた、刹那。

 

砂巨塔(グランデ・バベル)……崩壊(フォール)

 

 巨塔が崩落し、数十億トンに達する莫大な砂が轟音と共にアルバーナ前面へ降り注ぐ。

 天を覆い尽くす砂の大瀑布を前に、反乱軍はたちまち恐慌状態に陥り、重傷を負ったコーザを保護した叛徒達も右往左往。

 

「ぎゃあああああ死ぬぅうううううっ!!」

「うわぁああああ助けてえええええっ!!」

 ウソップとチョッパーは阿鼻叫喚。

 

 ゾロは両手の刀を握りしめた。この砂の大洪水を切り払う力があれば、と自分の非力さに憤慨する。

 サンジは歯噛みして唸る。この砂の大津波を蹴り払う力があれば、と自身の無力さに腹が立つ。

 

「このままじゃ、皆がっ!」

 圧倒的危機の最中にあってもなお、ビビは自身より仲間と民の安危を想う。

 

 そんなビビを抱き支えるナミが叫んだ。

「ベアトリーゼッ!!」

 

 水を向けられたベアトリーゼが、シュマグの奥で微苦笑を返す。

「私、もう体力も気力もすっからかんなんだけど」

「やらなきゃ皆死んじゃうのよっ! やんなさいっ!!」橙色の双眸を吊り上げて吠えるナミ。

「ベアトリーゼさんっ! お願いっ! 皆を助けてっ!!」水色の瞳を潤ませて縋るビビ。

 

「仕方ないなぁ」

 ベアトリーゼは空を覆い尽くす砂の大瀑布を見上げて笑い、

「正真正銘これが最後だ。後は君らで何とかしなさいな」

 体力気力を絞り捻りだし、能力を発動させる。

 

「――おい、本当に何とかなるのかっ!?」

「何とかするしかないのよっ!!」

 数十億トンの砂が奏でる轟音に負けじと怒鳴るゾロへ、ナミが噛みつくように怒鳴り返す。

「今、大気は強く不安定化してるっ! それこそ”嵐”が起きる前みたくっ! だから、ベアトリーゼがきっかけを与えさえすれば――」

 

 天性の気象読みナミの言葉を遮るように、“それ”は生じる。

 ベアトリーゼによってきっかけを与えられた磁気と静電気が瞬く間に収斂し、誘導された暑気と反乱軍100万余の熱気が収束し――

 

 ずっどぉおおおおおおおおおんんんんっ!!

 

     〇

 

 全てを呑み込み、押し潰すはずだった。

 誰一人生き残れないはずだった。

 

 だが、数十億トンの砂の大瀑布は爆発的な帯電乱気流によって、跡形もなく吹き飛ばされた。

 空高く巻き上げられた大量の砂塵がアルバーナ周辺の空を覆い、宙を舞う莫大な砂埃が濃霧のように首都一帯を包んでいる。

 

「野良犬がぁ……っ!」

 黄昏時のような仄暗い薄闇の中、クロコダイルは額に青筋を浮かべていた。

 

 首魁が披露した強大無比な異能と凄まじい憤怒振りに、合流したバロックワークス上級幹部の面々が密やかに恐れ慄く。が、

「だからビーゼは私が対処すると言ったのよ」

 ロビンは口元をハンカチで押さえながら微苦笑をこぼしていた。

 

「――黙れ。ミス・オールサンデー」と殺気を隠さないクロコダイル。

「私に当たらないで」ロビンはいなすように肩を小さく竦める。「まあ、ビーゼはもう放っておいて大丈夫。今頃は能力の酷使で目を回してるわ」

 本当に? と言いたげに幹部達が振り返り、ビビ達が居るであろう辺りを窺う。

 

 クロコダイルは苛立たしげに舌打ちし、

「俺は王宮を制圧に向かう。ミス・オールサンデー。国王を王宮に連れてこい。アレの在処について尋問する」

 ロビンに命じ、他の幹部達を見回した。

「あの野良犬とビビを始末してこい」

 

「待って」ロビンは横から口を挟む。「御姫様は攫ってはどう? 王様を”説得”し易くなると思うの」

 クロコダイルはロビンを睨み据え、小さく首肯した。

「……良いだろう。行け」

 上級幹部達は弾かれたように駆け出した。

 が、ロビンは変わらぬ調子で歩いていく。まるでそう急ぐ必要はないと言いたげに。

 

 不快そうに鼻を鳴らし、クロコダイルは自身も王宮へ向かって歩き始める。

 魔人の野望はまだ終わっていなかった。




Tips

ビビ
 原作では最後の最後まで叶わなかった”説得”に成功。
 結果として、国王軍と反乱軍による凄惨なバロックワークス狩りが勃発するが、流石に連中の安危は気にしない。

クロコダイル
 怒りが一周して冷静になっちゃった。
 本作では、覇気が使えないのではなく、覇気を使わないスタイルということにした。
 まあ、覇気が使えないウソップやナミも”新世界”の強敵を倒してるし。

 砂巨塔-崩壊
 オリ技。大量の砂を隆起させてから崩落させ、効力圏内を圧殺する大質量攻撃。

コーザ
 ものの見事に踊らされまくった人。そりゃ怒る。

ベアトリーゼ
 ワニを煽り、危うく大惨事を招くところだった。
 そういうとこやぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

113:しつこい奴は嫌われる

ガオーさん=サン、烏瑠=サン、さとー=サン、サトーノ♢金剛石♢=サン、mnsk=サン、NoSTRa!=サン、誤字報告アリガト!!

※前話の『楽に死ねッと思うなよ』という台詞に多くの誤字指摘がございましたが、これは『〇〇すると~』という言葉の『〇〇すっと~』という言い回しです。方言なのかチンピラ言葉なのかは筆者もよく分かってません。


 正真正銘これが最後。

 その言葉通り、ベアトリーゼは白目を剥いてぶっ倒れた。麦わらの一味の面々は、とりあえず彼女をカルーの背に預ける。

 

 ビビが半ば白目を剥いているベアトリーゼの手を握りながら、周囲を見回す。

 仄暗い砂色の闇の中。誰も彼も砂塗れ。危うく生き埋めになるところだった反乱軍は多くが唖然茫然としており、統率が取れず混乱したままだ。重傷を負ったコーザの行方も分からない。カルガモ隊やエロラクダともはぐれてしまった。

 

「トニー君。ベアトリーゼさんは大丈夫なの?」

 ビビは皆を案じつつ、ベアトリーゼの容態を診ている麦わら一味の船医に問う。

 

「完全に疲労困憊(グロッキー)だけど、命に危険はないぞ! しっかり休めば大丈夫だ!」

 チョッパーがビビを安心させるように溌溂と答える。

 

 ベアトリーゼが白目を剥いたまま呻く。

「おいしゃさん。おくすりちょーだい。かくせーざいとかすぐにげんきがでるやつ」

「そんなもん処方できるかぁっ!」チョッパーがツッコミを入れた。

 

「疲れすぎてアホになってるわね。チョッパーの言う通り、休ませておきましょ」

 シビアな言い草とは裏腹に、ベアトリーゼを見る橙色の瞳は優しい。

 

「うん。ゆっくり休んでて、ベアトリーゼさん」

 ビビが泣きそうな顔で魔女に微笑みかける。

 

「気ィ抜くのは早ェぞ」

 そこへ、ゾロが険しい声色を発した。鋭い目つきで薄闇を睨んでいる。

「まだ肝心のクロコダイルを倒してねェ。それに」

 

「ああ。厄介そうな連中の気配があるな」

 サンジはゾロの視線の先を追って頷く。

「狙いはベアトリーゼさんか、ビビちゃんか」

 

「どっちでも構わねェだろ。返り討ちにするだけなんだからよ」

 ウソップがパチンコの玉受けに鉛玉を装填。

「「違いねェ」」ゾロとサンジは獰猛に同意した。

 

 野郎共はレインベースからずっと焦れていた。加えて、砂の大瀑布に対して何も出来ず、忸怩たる思いを抱えていた。

 戦闘は望むところだ。

 

「上級幹部は俺達でぶっ飛ばすとして、ワニ野郎はどーする?」

 サンジが誰へともなく問う。

「ルフィが間に合わなきゃ俺達でやっちまおう」ゾロはにやりと「後でブー垂れるだろうが、遅刻するあいつが悪い」

 

「まったくだ」ウソップも悪戯っぽく笑い「たっぷり揶揄ってやろーぜ」

「あんまり弄ると拗ねるわよ。ルフィって意外と繊細なとこあるもの」

 ナミが微苦笑しながら長棍を組み立てていく。ウソップがあつらえた新武器“クリマタクト”だ。

 

「ルフィが繊細? ……繊細かなぁ?」

 付き合いがまだ浅いチョッパーは小首を傾げた。

 

 死んだ、と聞かされた船長をネタに軽口を叩くのは、誰一人としてクロコダイルの言葉――ルフィが死んだなどという戯言を信じていないからだ。

 我らの船長があんな奴にやられたりするものか。

 

 チョッパーはベアトリーゼの腕に栄養剤を注射し、点滴の針を打つ。生理食塩水バッグをカルーの首元に下げた。

「これで良し! 安静にしてろよ!」

「もふもふさせてもふもふ」と、白目を剥いたままベアトリーゼが宣う。

 

 小さな名医は患者の戯言を無視した。付き合ってられない。

 なんせ彼の優れた感覚野が、薄闇の向こうから迫る脅威を捉えていた。

「来るぞっ!」

 

「ビビ、このヨレヨレを連れて下がってっ!」

 ナミの指示に従い、ビビがベアトリーゼを乗せたカルーの手綱を取って下がっていく。

「皆、気を付けて!」

 

「「「「おうっ!!」」」」

 麦わらの一味は猛々しく応じ、薄闇から迫る敵を迎え撃つ。

 そんな勇敢な気勢を逸らすかのように、

 

「お前らっ! 無事だったかっ!」

 聞き慣れた声が響き、見慣れた笑顔を浮かべる少年が姿を現した。

 

「ルフィッ!」「無事だったんだなっ!」

 砂漠衣装に身を包んだルフィの登場に、ウソップとチョッパーが表情を綻ばせたところへ。

「遅刻よ。ルフィ」ナミが()()()()に「ねえ、麦わら帽子はどうしたの?」

「レインベースに落っことしてきちまったみてーだ。まぁ“あんな帽子”失くしても――」

 ルフィの言葉を遮るように、サンジが即座に跳躍してルフィへ飛び回し蹴りを浴びせる。

 

 も、ルフィは十字受けでサンジの襲撃を見事に防ぎ、素早くバックステップで距離をとる。

「―――あちしの変身を見抜くとはァや~るじゃなーいのよぅ!」

 ニヤリと笑い、ルフィが左手で顔に触れれば。顔はおろか骨格がまるごと変わり、ミスター・2ボン・クレーに変わった。

 

「「ボンちゃんっ!?」」ウソップとチョッパーが目を剥く。

「ルフィがあの麦わら帽子を“あんな”呼ばわりするわけねーンだよっ!」

 サンジが吐き捨てた。

 

 騙し討ちを企てたボン・クレーに意識を向けた麦わらの一味。その隙を狙いすましたように、二つの影が薄闇を切り裂いて襲い掛かる。

 

 金属が激突するような轟音が砂上に響き渡った。

 

 ゾロが両手と口で構えた三刀で、女の一本貫手からナミを護り、チョッパーを襲った大男の正拳突きを防いでいた。

「ぉおおおおおおっ!!」

 航海士から人外と評される膂力で2人の襲撃者を払い退け、ゾロは大きく息を吐く。

「棘の指に刃の拳か。お前らは何番目だ?」

 

「ミスター・1」と、坊主頭の精悍な男がうっそりと告げた。

「ミス・ダブルフィンガー」と、パーマ髪と煽情的な衣装の美女が妖しく微笑む。

「1のペアか。上等だ」

 ゾロが獰猛に唇の両端を吊り上げ、牙を剥くように犬歯を覗かせた。

 

 ミスター・1はゾロから注意を外さずにボン・クレーを一瞥し、ふんと鼻を鳴らす。

「あっさり見抜かれやがって。使えねェオカマだな」

「ディティールが甘かったわね」と、ミス・ダブルフィンガーもちくりと嫌みを吐く。

「あんた達だって、不意打ちにしくじってるじゃないのよぉーうっ!!」ボン・クレーが憤慨する。

 

「敵を前に雑談とは余裕があるじゃねーかっ!」「隙アリだっ!!」

 血の気が多いゾロとサンジが飛び出す、間際。

 

 イッキシッ! ヘクシッ! ヘクシヘクシヘクシッ!

 砂塵の奥からクシャミが繰り返され、重たい打擲音が続き、恐ろしく速い“何か”が群れを成して飛来してきた。

 

「野球のボールッ!?」

 卓越した視力を持つ狙撃手が飛来物の正体を捉える、と同時に。

 

 どかん!

 

 白球の群れが爆炎の華に化け、麦わらの一味を呑みこむ。

 爆発音と混ざる麦わらの一味の吃驚と怒号と悲鳴。爆風と衝撃波に巻き上げられる大量の砂。砂色の闇に混じる黒い爆煙。

 

 麦わらの一味が至近爆発から立ち直ろうとしているところへ、水面が爆ぜるように砂が立ち昇り、地面から小柄な影が飛び出した。その姿はまるで――

 

「地面からペンギンがっ!?」

「モグラだ、このバッ!! 食らいやがれ、モグラ・バナーナッ!!」

 自称モグラのペンギンおばさんが憤慨し、ナミに大きな爪を振るう。

 

 ナミがとっさに長棍をかざして防ぐも、短躯からは想像もできない膂力に薙ぎ払われる。

「きゃああっ!?」

 砂上を跳ね転がって薄闇に消えていくナミ。

 

「ナミッ!」「ナミさんッ!」

 狙撃手とコックが航海士を案じて思わず意識を逸らしてしまい、

「ウソップッ! サンジッ! 前だっ!」

 慌てた船医の警告が飛ぶ。

 

 が、間に合わない。

「オカマケンポーッ! ケリ・ポアントッ!」「フォ~~!!」

 2人が失態を自覚するより早くボン・クレーがウソップを蹴り飛ばし、巨漢が金属バットのフルスイングでサンジをふっ飛ばした。

 ナミに続いて砂色の闇に消えていく狙撃手とコック。

 

「ゾロッ! 皆がっ!」

 悲鳴を上げたチョッパー自身も、

「うわぁあああっ!?」

 ペンギンおばさんに地中へ引きずり込まれていった。

 

「ここは任せるわよーぅ!!」「まぁ~かぁ~せぇ~~たぁ~~」

 仲間達が一人残らずシーンアウトし、ボン・クレーと胴長の奇怪な犬を抱えた巨漢が後方のビビとベアトリーゼの許へ駆けていく。が、ゾロは微塵も集中力を乱すことなく、一人で全身刃物男のナンバー・1と全身棘女のミス・ダブルフィンガーを相手取り続ける。

 

「良い集中力だ」「少しは仲間の心配をした方がいいのではなくて?」

 冷笑する全身刃物男。軽口を叩く全身棘女。

 

 ゾロは答えない。隙を見せない。

 陽光すら遮るほど濃密に漂う砂塵の中に在って、ゾロは瞬きを忘れるほど集中していた。

 

 全身刃物男は全ての拳打足蹴が恐るべき斬撃であり、その肉体は鋼鉄の如し。ゾロの豪剣を食らっても痣一つ出来ない。

 相方の全身棘女は全身刃物男ほど頑健ではないらしいが、身体を変化させた棘は下手な銃弾より強力な貫通力を持ち、ゾロの剣戟を受けとめるだけの強度を持っていた。

 

 何より、全身刃物男も全身棘女も戦い慣れている。刃物男が鋼鉄染みた防御力を武器にごり押しで迫り、棘女がゾロの間隙を逃さず必殺の刺突を重ねてくる。

 共に間違いなく強敵。ゾロの剣は2人を斬れず、2人の攻撃はゾロを確実に傷つけている。戦いの優劣は誰の目にも明らか。

 

 しかし、ゾロは微塵も退かない。

 馬手で受け、弓手でいなし、くわえた一刀で流す。右の刃を振るい、左の刃を走らせる。

 砂色の闇を裂くように剣閃を駆けらせ、砂塵を払うように火花を躍らせる。血飛沫が舞い、汗が伝う。砂埃が体のそこかしこに貼りつく。肌に斑紋様が描かれ、視界が少しずつ歪み、呼吸系が焼き付いたような痛みを発している。

 それでも、ゾロは止まらない。剣戟と立ち回りで全身刃物男を押し留め、全身棘女を捉えて逃がさない。

 

「やるな……っ!」ダズ・ボーネズも認めざるを得ない。この剣士は手強い。

「強い……っ!」ザラも認める。この青年は手練れだ。

 仕留められないとは言わない。だが、容易く始末できる相手ではない。

「オカマ野郎達が頼りか」ダズは苦々しく舌打ちする。

 

 そして、頼られたボン・クレーとミスター・4&ミス・メリークリスマス、それと銃混じりの犬ラッスーの三人と一匹は――

 ビビとベアトリーゼを乗せたカルーを追いかけ回していた。

 

「止まりやがれ、このバッ!!」「とーまりなさいよぉーうっ!」「とぉ~まぁ~れぇ~」

 もちろん、悪党共に止まれと言われて止まる奴なんていない。

 

 右手で手綱を握り、左手でベアトリーゼを支えながら、ビビはカルーを走らせ続ける。仲間達も心配だったが、今は戦えないベアトリーゼを何としても守らなくてはならない。幸い、カルーは王国最速の超カルガモ。徒歩のボン・クレー達には追いつかれないはず。

 

 イッキシッ!

 その時、クシャミと重い打擲音がビビの鼓膜に届く。

 何が、とビビが振り向くと同時に、風切り音を引く白球の弾丸ライナーがカルーの足元に着弾。

 

 爆発。

 ビビとカルーの悲鳴は爆発音に掻き消され、誰の耳にも届かない。ビビは勢いよく地面に叩きつけられた。離れたところに倒れている蛮姫と愛鴨の姿を目にし、

「ベアトリーゼさん、カルー……」

 一人と一羽を案じながら意識を暗転させた。

 

「手間ぁ取らせやがって、このバッ!」

 額の汗を拭いながらミス・メリークリスマスは相方の四番バッターへ言った。

「とっととビビを担ぎなっ! ボスの許へ連れていくよっ!」

 ミスター・4がビビを軽々と肩に担ぐ様を確認し、ミス・メリークリスマスはボン・クレーに噛みつく。

「オカマッ! さっさと血浴をぶち殺しなっ! ああ、腰が痛ェ!!」

 

「わーかってるわよォっ!」ボン・クレーは白目を剥いたままのベアトリーゼへ歩み寄り「動けないところわーるいけドゥー、お命、ちょードゥいっ!!」

 右足を高々と掲げてベアトリーゼの首へ踵落としを――

 

「ウゴォオオオオオオッ!?」

 落とせない。

 

 ボン・クレーは、ロケットのようにかっ飛んできた二羽の超カルガモのダブルライダーキックを浴び、ぶっ飛んでいった。着地した超カルガモ達はカルーとベアトリーゼを護るように立つ。

 

「なっ!?」

 ミス・メリークリスマスの吃驚を掻き消すように、

「ビビィッ!!」

 超カルガモ達が呼んだらしい、コーザが重傷を押して反乱軍の仲間と共に駆けつけてきた。

 

「チィッ! 反乱軍かッ! 腰が痛ェってのにっ!」

 鬱陶しい横入りに、ミス・メリークリスマスは額に青筋を浮かべる。

 コーザ達は一般人の小勢。能力者であるミス・メリークリスマスと常人離れした膂力を持つ殺し屋ミスター・4の敵ではないし、銃犬ラッスーも居る。ならば。

「奴らをチャキチャキぶっ殺して、血浴を始末するよっ! ミスター・4、ラッスーッ!!」

「わ~~か~~~った~~~」

 

“町落とし”と“キャッチャー殺し”がコーザ達をぶっ殺すと構え、コーザ達がビビを救おうと迷わず突撃していく。

 両者が干戈を交える、その直前。

 

 大地が水泡のように大きく隆起し、爆ぜた。

 

 誰もが砂怪人の再来を想像したが、真実は違う。

「ええあああああああおおいいいいいいいえええああああああああっ!!」

 大量の砂塵が躍る中、無貌の怪物が絶叫した。

 死んだはずの悪魔が再び甦る。

 

 しつこい。

 

        〇

 

 10倍濃縮S・I・Qを非常識なほど注入されているザパンは、死ぬことも許されない。

 否。人間の定義が自我や人格といった独自の意志を確立している存在とするなら、ザパンという“人間”は既に死んだというべきだろう。

 

 その生物は、ザパンという人間が発した狂気とあらゆる生命が先天的に持つ生存本能がS・I・Qによって肥大し、暴走した生命体に過ぎない。その生命体のどこにも、ザパンという人間を構成していた人格情報や、確立された自我や自由意思といったものは存在しない。

 かつてザパンだった生命が持つ意志は、今や概念化した殺意だけだ。

 

 そして、規格化された憎悪と怨恨で動く肉の自動人形たる無貌の怪物は、三度姿を大きく変えていた。生存本能と防衛本能から大破損壊した肉体を修復し、狂気に促されて新たな変態を遂げている。

 

 かくて、三度の再生を経たその姿はもはや生物学的説明がつかない。

 のっぺりとした無貌を除き、全てが生理的不快感を誘うように歪んで非対称な奇形だ。ウジ虫じみた体躯も。針金のような手足も。ある部分は膨張し、ある部分は縮退し、ある部分は曲がり、ある部分は捻じれ。全てが歪で、異常で、支離滅裂で、破綻している。

 その姿はただただ醜悪であり、生命の尊厳を冒涜し侮辱していた。

 

 アラバスタより遠く離れた空島のラボで、青髪のピエロが嗤っている。

 

「えあああとおおおおいいいいええええええええっ!」

 醜悪なる無貌が母音しか発音できなくなった器官で吠える。その叫びは喊声と呼ぶにはあまりにも悲愴で、怨嗟と表するにはあまりにも寒々しく、慟哭と聞くにはあまりにおぞましかった。

 

「なんなんだよ……あれはいったいなんなんだっ!? 本物の悪魔なのかっ!?」

 誰かが恐慌に駆られて喚く。

 その場にいる全ての者の気持ちを代弁した叫喚だった。

 

 そんな周囲を無視し、醜悪な無貌の怪物はベアトリーゼを認めるや否や襲い掛かった。ぬちぬちと気味の悪い音色を奏でる体躯。うじゅうじゅと不快に蠢く四肢。指が二本しかない腕が肘からばくりと避け、無数の触手が伸びた。その触手の全てに不必要であろう指――それも足の指が不規則に生えている。意味が分からない。

 

「く、えええええええっ!!」

 血塗れのカルーが咄嗟に立ち上がり、嘴で白目を剥いたままのベアトリーゼを背に乗せ、触手から逃れる。

 

「退くよ、ミスター・4ッ!! こんなイカレたバッに付き合ってられっかぃッ!」

「ふぉ、ふぉ~~~~~っ!」

 ミス・メリークリスマスは水中へ飛び込むように地中へ潜り、ビビとラッスーを担いだミスター・4が彼女の掘った穴へ続く。

 

「ビビッ!! クソォッ!!」

 コーザの焦燥と憤慨は、醜悪な怪物の叫喚に掻き消された。

 

 仲間の超カルガモ達に援護されながら、カルーは背に乗せたベアトリーゼを護るべく、手負いの体に鞭打つように逃げ回る。恐怖心を強く刺激する醜悪な無貌に追い回されても、攫われたビビを案じている。

 

「えあああとおおおおいいいいええええええええっ!!」

 恐ろしい。背後の化物が恐ろしい。だが、カルーは背の野蛮人を守り切れず、主を悲しませる方が怖い。追いかけてくる怪物が恐ろしい。だが、カルーは攫われた主が危害を加えられるかもしれない方が、ずっとずっと怖い。

 

 と。首筋を撫でられた。

 チョッパー印の栄養剤と点滴を受けたベアトリーゼが多少回復し、意識を取り戻していた。カルーの背に乗せられたまま、

「王宮へ向かえ、カルー」

 ベアトリーゼは血の気が足りない唇を不敵に歪めた。

「ビビ様を取り戻しに行こう」

 

「くえええええええええええええええっ!!」

 応、とカルーは吠え、王宮へ向かって一直線に駆けていく。

 

 道中にぶっ飛ばされた不甲斐ない航海士や、コックや狙撃者が何か喚いていたが……カルーは無視した。主の救出は全てに優先する。

 

 道中に“じゃれ合っている”ミスター・ブシドーと男女がいたが……カルーはやはり無視した。かまってなどいられない。主の救出以外は、全て些事だ。

 

「カルー!? ってっ!? ぎゃああ、なんだあのバケモンはぁっ?!」

 なぜか首だけ出して、地面に埋まっている人獣姿のトナカイ。

 

「くえ―――っ!!」

 意訳:ビビ様が攫われたっ! お助けするため王宮へいくっ!!

 カルーはトナカイに叫び、王宮を目指して一心不乱に駆けていく。

 

「いいぞ、カルー。全速前進だ。突っ走れ」

 蛮姫の応援を受け、カルーはいっそう速度を上げた。

 醜悪な無貌の怪物に追われていることも無視して。




Tips
ベアトリーゼ。
 白目を剥いてグロッキー状態。

バロックワークスの皆さん。
 社長の無茶振りに従ってビビの誘拐とベアトリーゼの抹殺を企てる。

麦わら一味の皆さん。
 バロックワークスの面々と交戦。

ザパン。
 元ネタは銃夢。ガリィと関わったことで悲劇的な転落人生を歩む。

 本作では、『すたあああず』と叫びながら某警察特殊部隊関係者を追跡する怪人みたいにされた挙句、ブラッドボーン辺りに登場しそうな怪奇生物に成り果てた。
 憐れ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

114:アルバーナ決戦~魔人の逆襲~

佐藤東沙さん、ちくわぶさん、シャバノフさん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。

なんとか年内にアラバスタ編を終わらせたい……


 バロックワークスの上級幹部達と麦わらの一味がわちゃわちゃやっている頃、砂の魔人は悠然と首都の大通りを進んでいく。

 

 国王軍は潜入したバロックワークス工作員の狩り出しを行いながらも、クロコダイルの侵入を迎え撃っていた。

 怒れる国王軍将兵が十重二十重に襲い掛かるも、砂の魔人は羽虫を払うように打ち倒し、薙ぎ払っていく。

 

 周辺被害を無視した火砲の直射も、銃身が焼き付くほどの弾幕射撃も、必死の切り込み突撃も、スナスナの実の能力者“サー”・クロコダイルにかすり傷一つ付けられない。

 築き上げたバリケードは魔人の歩みを妨げられず、決死の守備兵達は魔人の進みを止められない。

 

 砂塵が天を覆って作り出した薄闇の中、クロコダイルは葉巻を燻らせる。

 どいつもこいつも国のため国のためと喚き、絶対に勝てねェ相手へ遮二無二に挑んでくる。愛国心という病に冒された発狂者共。

 

「くだらねえ」

 クロコダイルは吐き捨てる。

 

 この世界において、国家の正統性など世界政府に金を納められるかどうかに過ぎない。歴史がある? だからどうした。天上金を払えず世界政府に加盟できなければ、どれほど長い歴史を持っていようとも、何の権利も認められない。非加盟国の国民は家畜以下の存在でしかない。

 

 世界政府加盟国で在り続けるために戦うなら、悲惨な非加盟国に落ちぶれないために抗うなら、何かしらの利害や打算や損得勘定に基づくなら、クロコダイルはまだ理解できる。合理的だし、論理的だから。

 

 しかし、アラバスタ王国人達は違う。歴史あるアラバスタ王国の国体を守ろうと、脈々と血を繋いできた自分達の王家を護ろうと血を流している。

 軍人も民も、愛国心と忠誠心のために、命を差し出している。

 

「くだらねえ」

 葉巻の灰を落とし、クロコダイルは王宮前広場に到達する。

 

 魔人が通り抜けてきた大通りは、王国兵達の死傷者で埋め尽くされていた。

 それでも、王国軍は諦めない。国を荒らし、王家を貶めた巨悪を討ち取るべく続々と集結してくる。

 

「俺が引き起こしたことではあるが……面倒極まるな」

 自嘲気味に喉を鳴らし、クロコダイルは広大な王宮前広場を進んでいく。

 国王軍の将兵を蹴散らしながら。将兵の死傷者を踏み越えながら。海を割るように広場の国王軍を真っ二つに割り、広場をまっすぐに渡っていく。

 

 これほどまでに圧倒的な力の差を見せられては、さしもの王国兵も二の足を踏む。

 何より、

「者ども、下がれっ!!」

 指揮官がこれ以上の犠牲に耐えられなかった。

 

 王宮正面。正門に通じる長階段の下。

 護衛隊隊長代理を担うチャカと国王軍護衛隊の最精鋭ツメゲリ部隊の四人が、魔人に立ち塞がる。

 

「我が国に仇なす邪悪め」

 チャカは佩刀を抜き、ツメゲリ部隊の勇士達も武器を構えた。

「一つだけ答えよ。国王様をどうしたっ!!」

 

 クロコダイルは葉巻を吹かし、せせら笑う。

「もう殺した、と言ったら?」

 

 瞬間、国王軍が沸騰する。将兵の顔から恐れや怯みが払拭され、再び戦意と闘志に満ちる。ツメゲリ部隊の四人は噛みしめた歯が今にも砕けそうだ。

「……我、アラバスタの守護神ジャッカル! 王家の敵を討ち滅ぼす者なり……ッ!!」

 チャカは名乗りを口にしながら、ゾオン系悪魔の実イヌイヌの実モデル・ジャッカルの力を発動。犬頭の獣人と化す。

「貴様の首をねじ切ってくれるっ!!」

 

 チャカが吶喊し、雄叫びと共にツメゲリ部隊が続く。

「くだらねェ」

 クロコダイルは葉巻を投げ捨て、スナスナの実の力を発動させる。

「畜生風情が、人間如きが、自然に勝てる訳ねェだろう」

 

      〇

 

 海軍本部曹長の眼鏡っ娘剣士たしぎは困惑していた。

 

 麦わらの一味を追って首都アルバーナ近郊に達した時、どこからともなく女の声が聞こえ、地平線の先に王女を映した蜃気楼が揺らいでいた。

 いったい何がと困惑しているところへ、王女が語りだす。

 それはアラバスタを襲った国難の真実であり、アラバスタを狙った陰謀の告発だった。

 

「王下七武海のクロコダイルが……っ!?」

 たしぎは驚愕する。

 

 世界政府に従う王下七武海が世界政府加盟国のアラバスタを謀り、簒奪を企てていた。想像すらしていなかった大事態に、たしぎは頭を抱えたくなった。

 部隊の完全指揮権すら手に余るというのに、加えてこの事態だ。このままアルバーナに赴いたなら、木っ端海賊の捕縛どころではない。“海軍として”世界政府を欺き、加盟国を害したクロコダイルとその手下共を逮捕ないし討伐しなくてはならない。

 

 無理だ。

 たしぎは剣の腕を評価され、歳若くして下士官の最上位階級に抜擢されている。だが、その実は親方付きの見習い同然。海軍体術“六式”すらまだ修得していない。当然、覇気も使えない。ロギア系能力者のクロコダイルと戦っても、手傷すら与えられず命を落とすだろう。

 しかも、部隊全員を巻き込んで。

 

 今、たしぎはスモーカー隷下全将兵の命を預かっている。彼らも生かすも死なせるもたしぎの考えと決定次第。

 スモーカーが全責任を負うと言ったから兵を死傷させても自分に非はない、なんて言い張れるほど、たしぎは図々しくも太々しくもない。

 

 でも、どうすれば良いの? ここでどう立ち回ることが正解なの? 預かった将兵を死傷させず……それでいて海軍の、私自身の正義に恥じない行動は何?

 

 まるで分らない。

 たしぎは戦闘力という評価項目を除けば、あらゆる点で経験も軍人教育も足りてない。海賊や悪漢相手の殺し合いは経験している。率いた部下が戦いの中に斃れたこともある。死していく戦友を看取り、戦傷で志半ばに軍を去る戦友の背を見送ったこともある。

 

 だけど……勝てぬ相手と分かっていて、戦えば死ぬと分かっていて、挑めと命じることが軍人として正しい決断なのか。

 経験も教育も不足しているたしぎには分からない。

 

 だから、気の利く古参軍曹達が目配せし合い、最先任の軍曹がたしぎに“助言”した。

「曹長。征くしかありません」

 

 たしぎが眼鏡の奥で思わず目を見開く。

「それは……わかってるんですか? 相手は――」

 

「曹長。アラバスタ王国の内戦なら、内政不干渉を理由に手を出さない選択肢もありました。あるいは、世界政府に加盟しているということで国王軍に加わることも出来たでしょう。ですが、今我々が耳にしたアラバスタ王女の告発が事実ならば、今まさに海賊が“事件”を起こしています。しかも、政府に服する王下七武海が、です」

 軍曹はたしぎを諭すように語る。否。精確には周囲の兵士達に語り掛けている。

 

 自分達は王下七武海という化物と戦うしかないのだと。ロギア系能力者という魔人に挑まねばならないのだと。

「我々は海兵です、曹長。正義の二文字を背負っている以上、眼前の悪を野放しにすることは出来ません。御決断ください」

 

 たしぎは『退路を断たれた』とは感じなかった。ただ背中を押してくれた、と感謝する。

 居住まいを正し、たしぎは姿勢を正した全員を見回し、声を張った。

「総員傾注ッ! 我々はこれより背信の王下七武海クロコダイルを逮捕、あるいは討伐に向かいますっ!」

 

 海兵達は敬礼で応じる。一糸乱れぬ所作だった。

 たしぎは頷き、命令を下す。

「私が先頭に立ちますっ! 総員、続いてくださいっ!!」

 

      〇

 

「お早いお着きで」

 ミス・オールサンデーことニコ・ロビンが、王宮の正門庭園でクロコダイルを迎えた。

 猿轡を嚙まされたアラバスタ王コブラが、傍らに座らされている。

 

 クロコダイルはロビンが自分より先に到着していたことに片眉を上げつつ、顎を小さく振って猿轡を外すよう命じる。

 ロビンは首肯し、コブラの猿轡を外した。

 

「――クロコダイル」

 軽傷と渇きで体力を失っていたものの、コブラの眼光に衰えはない。

「チャカ達に……私の将兵達に何をした」

 

「お前の兵隊共は昼寝中だ。半数くらいは永遠に目を覚まさねェがな。まぁ……それでも、俺が想定していたよりは犠牲が少ねェ。お前の娘にしてやられたからな」

 クロコダイルは固く閉ざされた正門を一瞥し、自嘲的な冷笑を返す。

「惰弱な小娘と侮っていたらこのざまだ。土壇場も土壇場で全部ひっくり返されちまった。まったく、おかげでこんな品のねェ真似をしなきゃならねェ」

 

「今の貴様に出来ることはこの国から逃げ出すことくらいだろう。己の愚かさを噛みしめながらな。私を人質にとろうと、腹いせに私の首を獲ろうと、貴様の敗北は覆らん」

 仇敵に生死を握られているにもかかわらず、コブラは微塵も臆することなく毒舌を吐いてのける。

 

 国王に罵られたクロコダイルは小気味よさそうに喉を鳴らし、

「嗤える冗談だ。思っていたよりユーモアのある男だな、ミスター・コブラ。だが、俺が聞きたいのはユーモアじゃねェ」

 じろりと王を睨み据え、問う。

「プルトンはどこにある?」

 

「!!」コブラは目を見開き、慄然として「貴様……ッ! なぜその名を……ッ!!」

 王の反応にクロコダイルは追い求める古代兵器の実在を確信し、満足げに頷いた。

 

「ボス」

 ロビンが口を開き、庭園の一角を指差す。

 と、地面が盛り上がり、ミス・メリークリスマスとミスター・4のペアが穴から出てきて、気を失っているビビを地面に置いた。

 

「ビビッ! 貴様ら、娘に何をしたっ!!」

 沸騰したように吠えるコブラに、ミス・メリークリスマスが苛立って怒鳴り返す。

「デケェ声出すんじゃねえよ、腰に響くんだよっ! 気ィ失ってるだけだっ!」

 

「王女の確保と連行、御苦労。野良犬も始末したのか?」

 心が欠片もこもってない労いを口にし、クロコダイルは質す。横目にロビンの様子を窺えば、ロビンはポーカーフェイスを微塵も崩していない。

 

「血浴の始末どころじゃねェよ、ボスっ! バケモンが生き返ってまっすぐこっちに向かってるっ! 麦わらの一味のガキ共もおっつけ、ここにやってくる。もうめちゃくちゃだよっ!」

 怒涛の勢いでまくし立てるミス・メリークリスマスに、クロコダイルは眉間に皺を刻む。

「……ミスター・1とミス・ダブルフィンガー、ボン・クレーは?」

 

「あのバケモンが暴れて滅茶苦茶んなってはぐれちまったよっ! 多分、ここへ向かってるだろうさっ!」

「……テメェらは本当に失望させてくれるな。ビビを始末しろと命じりゃしくじり、野良犬を始末しろと命じりゃ、化物がどうのこうのと逃げてくる」

 クロコダイルは殺意がこもった眼光をミスター・4とミス・メリークリスマスへ放ち、命じる。

「ミスター・4、ミス・メリークリスマス。他の役立たず共と合流して、今度こそ野良犬を始末してこい。それと、麦わらの一味の残党共もな。これが最後のチャンスだ。これにしくじったら、テメェら全員を生きたまま干物にしてやる」

 

 爬虫類のような目で睨み据えられ、ミスター・4とミス・メリークリスマスは震えあがることしか出来ない。もし了承以外の回答をしようものなら、眼前の隻腕海賊は今すぐ自分達を抹殺するだろうという確信ゆえに。

 

「わ、分かったよ。ボス」生唾を呑み込み、ミス・メリークリスマスがおずおずと「ただ、バケモンはどうすんだい? このままだとアレが来ちまう」

「国王軍を始末してくれる分には問題ねェ。それに……手はある。お前らはさっさと行け」

 話は終わりだというように、クロコダイルはミスター・4とミス・メリークリスマスから目線を切り、ニコ・ロビンへ告げる。

「ミス・ウェンズデーを起こせ。父子最後の面会だ。言葉くらいは交わさせてやらねェとな」

 

 悪趣味ね、と呟いてロビンは気を失っているビビを目覚めさせた。

「ン……」

「おはよう、御姫様」

 

「え……」ビビは目をぱちくりさせ、眼前の女がロビンだと認識した瞬間。驚いた猫のように身を弾ませて後ずさる。次いで、クロコダイルの姿に気づいて身を強張らせ、目覚めた場所が王宮であることに驚き、そして――

「パパッ!?」

 囚われた父の姿を認め、悲鳴を上げた。

 

 コブラは娘の無事に刹那だけ表情を緩め、すぐさま慙愧に耐えぬと表情を曇らせた。

「すまん、ビビ。お前が命懸けで反乱軍を止めたというのに……っ!」

 

「パパ……」

 ビビは詫びる父の姿に下唇を噛み、クロコダイルへ殺意を露わにする。

「よくも父をっ!」

 

 クロコダイルは煩わしげに小さく溜息を吐き、コブラへ向き直った。

「繰り返すぞ、王よ。プルトンはどこだ?」

 

「ぷるとん?」

 怪訝顔を作るビビへ聞かせるように、クロコダイルは言葉を編む。

「一発放てば、島一つを跡形なく消し飛ばす。世界最悪の古代兵器。この国のどこかに眠っているはずだ。そいつがあれば、この地に最高の軍事国家を築くことが出来る。世界政府すら手出しの出来ない理想郷をな」

 

「古代、兵器……? そんなものがこの国に……?」

 戸惑いを覚えた王女が真偽を求めるように父へ目を向けるも、父は苦い顔をしたままだ。

「どこでその名を聞いたか知らんが……その在処は私にも分からんし、この国のどこかにそんなものが実在するかどうかすら、定かではない」

 

「その可能性もあるとは思っていた。確かに……存在すら疑わしい代物であることは、俺も承知済みだ」

 アラバスタ王の見解に微苦笑を返し、大海賊は正門へ顔を向けた。

「ところで、今、再び国王軍が群がり始めている王宮前広場だがな。本来の計画だと国王軍と反乱軍が衝突しているところへ、砲弾を撃ち込む予定だった」

 

「な――」「正気か、貴様っ!!」

 王女が顔から血の気を引かせ、国王が眉目を吊り上げる。父子の反応をせせら笑い、悪漢は楽しげに言葉を続ける。

「直径5キロ圏を更地に変えられる砲弾だ。出来れば、国王軍と反乱軍をまとめて一掃したかったが……とりあえず国王軍さえ消しちまえば、あとは素人に毛が生えた烏合の衆だ。やりようはいくらでもある」

 

「どうして……っ!」

 ビビの握りしめた拳から血が滲み始めていた。

「この国が、この国の人達があんたに何をしたっていうのっ!」

 血を吐くようなビビの訴えも、クロコダイルは歯牙にもかけず、王へ尋ねる。

「質問を変えよう、ミスター・コブラ。王家が秘匿するポーネグリフはどこだ?」

 ロビンの目が鋭く細められた。

 

      〇

 

 勤め人は辛い。

 それは御上であろうと、ブラック企業であろうと、裏社会の犯罪組織であろうと変わらない。

 醜悪な無貌の怪物が首都南門前で、国王軍南ブロック担当部隊の銃砲弾幕射撃を浴びている中、

 

「よーやく見つけたぜ。全身刃物野郎」

「テメェに構ってる暇はねェんだがな」

 首都のとある通り。餓えた狼みたいな目つきのゾロと遭遇してしまい、“殺し屋”ダズ・ボーネズは溜息を吐く。

 

「俺を“ひっぱたいた”デカブツじゃねェが……代わりにボコらせてもらうぜ、オカマ野郎」

「あんたと遊んでる場合じゃなーいのよぉーう!」

 首都の別の街区。怒り狂った猟犬みたいな顔つきのサンジと出くわしてしまい、“荒野”のベンサムは苛立たしげに怒鳴る。

 

「こっちもお仕事なの。恨まないでちょうだいね」

 首都の裏道。“毒蜘蛛”ザラはこの小娘相手に時間を潰し、“血浴”の始末は他の面々に任せようと考えた、が。

「舐めんじゃないわよ、“地味”能力者っ!」

 長棍を構える生意気な小娘をきっちり始末することにした。

 

“町落とし”ドロフィーと“キャッチャー殺し”ベーブは実のところ、ズラかろうとしていた。

 もう付き合いきれない。

 

 冷静に考えれば、事は既に露見しているのだ。世界政府はクロコダイル討伐に動くだろう。砂漠の国でスナスナの実の能力者を倒せるほどの戦力を投入するはずだ。

それに、古代兵器とやらを確保したところで、それは何百年も秘匿されていたもの。新品のようにすぐさま稼働するのか怪しい。整備やらなんやらしている間に攻め込まれたらおしまいではないか。

 

 というわけで、暗澹たる未来から逃れるべく、ドロフィーとベーブは逃亡を図ったのだが。

「見つけたぞ、ペンギンババアにデカブツバッターッ!」

「お前ら、今度はきっちりぶっ飛ばすからなっ!」

 首都西門付近の工事現場。長っ鼻小僧と毛深大男が意気軒昂に吠える。

 

「ペンギンじゃねェっ! モグラだ、このバッ! バッ!!」

「ふぉ~~ふぉ~~ふぉ~~」

「何笑ってんだ、このウスノロッ!!」

 ドロフィーは相棒を引っぱたきながら決意した。ズラかるにせよ、なんにせよ、このクソガキ共はここでぶち殺すと。

 

 かくして麦わらの一味とバロックワークス上級幹部達の個別マッチが始まった。

 

       〇

 

 ベアトリーゼはチョッパーの栄養剤と点滴のおかげで、見聞色の覇気を広げるくらいには回復できていた。

 首都南門付近でバケモノと国王軍将兵が交戦中で、アルバーナ前面ではコーザが重傷を押して反乱軍の一部を率い、首都へ進入を試みている。どうやら国王軍に助力しようとしているらしい。首都内では麦わらの一味とバロックワークスが原作同様の個別戦をしているようだ。そして、王宮では王家父子とワニ公とロビンがやり取りしている、と。

 

「……ふむ。となると、異物の私は同じく異物を排除するとしますか」

 カルーの背で揺られながら、ベアトリーゼは王宮前広場に臨む大時計塔を見上げた。

「あれを利用させてもらおうかな」

 




Tips

ワニさんの野望。
 原作では、砂漠の国という地の利と、プルトンという超兵器を背景に、政府の干渉を許さない独立勢力を築くことが目的。と語っていた。
 なぜ軍事国家の建設を目指したのか、は不明。

ベアトリーゼ。
 点滴で軽く復活は砂ぼうずオマージュ。

麦わらの一味とバロックワークス上級幹部の皆さん。
 原作通りに個別対戦展開へ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

115:アルバーナ決戦~麦わらの帰還~

セネットさん、佐藤東沙さん、NoSTRa!さん、nullpointさん、誤字報告ありがとうございます。


 砂塵の渦巻く薄闇に覆われた首都は、混乱と流血が続いている。

 

 首都内各所の国王軍は工作員狩りとクロコダイルの侵入と醜悪な無貌の怪物の襲来で、大混乱に陥っていた。

 南門周辺と中央大通りに展開していた部隊はクロコダイルによって壊滅させられたが、南ブロックの残存部隊が怪物の首都内侵入を防ごうと健気に戦い続けている。

 

 首都東ブロックの部隊は砂嵐に連絡が遮断されたため、工作員狩りに血道を上げていた。

 西ブロックの部隊は南北の部隊が発した応援要請が届いたために移動しており、手薄になっている。

 北ブロックでは王女の命令に従い、王宮前広場から死傷者の後送と退避が始まっていた。

 

 そして、人知れず首都の各所で麦わらの一味とバロックワークス上級幹部達が死闘を繰り広げている。

 

「クソ。頑丈な野郎だ」傷だらけのゾロが口腔内の血を吐き捨てた。

「テメェがそれを言うのか?」

 肉体を自在に刃へ変えられるスパスパの実の能力者ダズ・ボーネズは呆れ顔を返す。幾度刻んでも眼前の剣士は倒れない。己の剣が通じぬというのに心折れることなく戦い続けている。

 ダズ・ボーネズは確実にゾロを殺すべく、両腕を回転ドリルのように変化させた。

 

 

「こんなオカマ野郎に俺の蹴りが……っ!」血を拭いながらサンジが毒づく。

「こんなガキにあちしのオカマケンポーが……っ!」

 他者と瓜二つに化けられるマネマネの実の能力者、ボン・クレーが額の血を拭う。両者の実力は伯仲しており、互いに尋常ならざる痛撃を浴びている。

 ボン・クレーはマネマネの実の力を使い始めた。

 眼前のグル眉小僧が女に手を出せないと分かるまで、あと二分。

 

 

「ウソップ――――ッ!! あの鼻のやつ!! 鼻のやつっ!!」

 ナミは激怒していた。あの長っ鼻タダではおかぬと憤慨していた。新武器クリマタクトがパーティグッズ染みていたことに激昂していた。

「あなた、大丈夫……?」

 体を自在に棘へ変えられるトゲトゲの実の能力者ザラは、蜜柑色の髪の少女の取り乱し振りに同情を覚えたものの、手を抜くことも休めることもしなかった。

 絶体絶命の危機の中、ナミがクリマタクトの“真価”に気付くまで、あと少し。

 

 

「このクソガキ共があっ!」

「ふぉ~~~~~~~っ!」

 小賢しく立ち回る長っ鼻小僧と毛深大男に、モグモグの実の能力者ドロフィーと怪力四番バッターのベーブは焦燥に駆られていた。とっととズラかりたいのにっ!

 

「ペンギンババアとウスノロヤローに、ビックリ犬めっ!!」

「個々ならなんとなりそうだけど……連携を取られると隙が無い……っ!」

 傷だらけになったウソップとチョッパーも、強い焦燥を抱いていた。連れ去られたビビがどんな目に遭わされているか……一刻も早く助けにいかねば!

 

       〇

 

「ポーネグリフ……それがあんたの目的だったのね、ニコ・ロビン!」

 ビビは犯人の動機を突き止めた刑事のように、ロビンを睨む。

「正解よ。御姫様」とロビンが冷ややかな微笑を返す。一周遅れと言いたげに。

 

「ニコ・ロビン。その名には覚えがある」

 コブラがロビンをまっすぐ見つめ、呟くように口を開く。

「数年前に”血浴”を保護した時、彼女から聞いていた。まさかこんなカタチで我が国を訪ねていたとはな……」

「パパ?」ビビは目を瞬かせた。父がベアトリーゼと面会していたなんて、初耳だった。

 

 が、クロコダイルが話の方向がズレたことに機嫌を崩し、口を挟む。

「思い出話に用はねェ。ポーネグリフ。その在処を言え」

 

「ビビを解放しろ。でなければ、何も言わん」

 コブラが時間稼ぎの交渉を試みる。国王軍の増援が整うまで。あるいは娘に強い恩義を抱いているという“血浴”や、ビビをここまで送り届けた海賊達が駆けつけてくるまで。

 

 忠良なる将兵がさらに血を流すだろう。血浴や海賊達も倒れるかもしれない。

 それでも、たった一人の我が子を、ネフェルタリ家唯一の後継者を守り抜かねばならない。

 父であり、王である男が決断した“命の優先順位”。

 

 しかし、

「王よ。俺がなぜお前の娘を攫ってこさせたと思う?」

 クロコダイルはさらりと砂風に身を変え、ビビへ肉薄して王女の胸倉を掴み、手荒に吊るし上げた。

 

「きゃあっ!」「ビビッ!」

 悲鳴を上げる娘。叫ぶ父。

 冷酷非情な砂の魔人が狼狽する王をせせら笑う。

「交渉できる立場だと思ってるのか? まずお前の娘が干からびていく様を見せてやっても良いんだぞ?」

 

「やめろっ! やめてくれっ!」

 父親として叫ぶコブラを無視し、クロコダイルはビビを締め上げる。

「ミス・ウェンズデー。お前は自分が反乱軍を止めたと思っているようだが、あれは“たまたま”小物海賊と野良犬が首を突っ込んできた結果だ。何より……反乱を止めたところで、この国の滅びそのものは止まりゃしねェ」

 

「負け惜しみをっ! 何度だってこの国を守ってみせるわっ!!」

「可愛げのねェ女だ」

 クロコダイルは舌打ちし、ビビを吊るし持ったまま王宮の胸壁の上へ移り、

「見ろ、御姫様」

 眼下の光景を王女へ見せつけた。

「お前と同じようにこの国を守る、お前ら親子を守るとほざいていた連中はあのざまだ」

 

 砂塵の躍る薄闇の下。王宮前広場と南門から王宮へ続く中央大通りは、砂の魔人に蹂躙され……国王軍将兵の屍山血河が築かれていた。血に塗れた者達の中には、見知った顔が幾人も居る。

 増援として到着した将兵が生存者を捜索し、救護し、そして、クロコダイルを討つべく王宮正門を開けようと悪戦苦闘していた。

 

「――チャカ! みんな……っ!」

 あまりの惨状に、反射的にビビの涙腺が決壊しかける。

 

 王女の悲嘆が聞こえたのか。国王軍将兵は胸壁に立つ仇敵と、仇敵に吊るし上げられた姫君の姿に気付き、血相を変えた。

「ビビ様だっ!」「ビビ様っ!」「ビビ様が人質に!!」「おのれ、奸賊めっ!!」「門をこじ開けろっ! 急げっ! ビビ様をお救いしろっ!!」「増援を呼んでこいっ! 今すぐだっ!」

 

 騒ぎ始めた国王軍部隊を見下ろし、クロコダイルは嘲り笑い、

「見ろ。お前のために国王軍がぞろぞろ集まってくるぞ。吹き飛ばされるとも知らずにな。言い換えるなら――」

 ビビの心を抉るように、告げた。

「お前のせいで奴らは死ぬ」

 

「―――――っ!!」

 ビビは囚われの身となった己の非力が恨めしく、忠勇な将兵を侮蔑する眼前の男が憎くて仕方ない。

 

 そんなビビに追い打ちを加えるように、クロコダイルは目線を動かし、砂塵の舞う薄闇の先。南門の付近を顎で示す。

「それに……見ろ。アレを」

 ビビが悔し涙が溢れかけた碧眼を向ければ。

 

 南門の辺りで激しい戦闘交響曲が奏でられ、戦士達と怪物の合唱が響いてくる。銃砲の発射炎がいくつも煌めき、爆炎がいくつも咲き、稲妻が幾筋も走り、新たな粉塵と爆煙が砂色の闇を濃くしている。

 

「砲撃でふっ飛ばす予定とはいえ、“俺の”街を気前よくぶっ壊してくれやがる……聞けば、あの化物は“血浴”を追っていたそうじゃねェか。お前が野良犬を引っ張り込まなきゃあ、あの化物が首都(ここ)を襲うことは無かったろうよ」

 クロコダイルは爬虫類染みた笑みを浮かべ、

「分かるか? お前が兵隊共を犬死させ、お前がこの街をぶち壊した。守る守るとほざくお前こそが、この死と破壊を生んだんだ」

 ビビの心を食いちぎっていくように、言葉を重ねていく。

 

「まったく、この国の奴らは良かれ良かれと善意で最悪へ突っ走るマヌケばかりだな。いくら笑えるつっても、流石に食傷気味だぜ」

 ついにビビの碧眼から一筋の涙が流れ、

「お前は何一つ成し遂げちゃいねェ」

 魔人は残酷に宣告し、無言で悔し涙を流す王女をぶら下げるように胸壁の外へ突き出し、

「そして、何一つ成し遂げられねェまま、くたばる絶望を噛みしめろ」

 

「やめろ―――――――――――――っ!」

 父親の絶叫を背に聞きながら、手を放した。

 

 ビビの華奢な体が数十メートル下の地面へ向かって落ちていく。

 空を飛べぬビビに重力へ抗う術はなく。それでも、16歳の少女は仇敵に悲鳴を聞かせるものかと迫る死の恐怖に耐え、固く食いしばる。

 その健気な勇気と悲愴な覚悟を、魔人が嘲笑する。

 

 刹那。

 首都の空を覆い尽くす砂塵が穿ち貫かれ、天から注ぐ一条の光が首都を満たす砂色の闇を切り裂いた。

 薄闇の中に架けられた細い天使の梯子。その光の中を一つの影が疾風のように駆け下りてきて――

 

「クロコダイル―――――――――――――――――――――――ッ!!」

 隼の背に乗った麦わらの少年が雄叫びを轟かせた。

 

「ルフィさん……っ!」王女は歓喜を溢れさせ。

「麦わらっ!?」魔人は驚愕に顔貌を強張らせ。

 

 大きな隼はたちまち落下中のビビに追いつき、ルフィはビビをしっかりと抱き止めた。

「間に合ったっ!!」

 

 着衣を血に染めたルフィにしがみ付きながら、ビビは息も忘れて矢継ぎ早に言葉を並べていく。

「ルフィさん……っ! ペル……ッ! パパがクロコダイルに捕まってて、それに広場が砲撃されるって、あと、あと、あの怪物が街を襲ってて、このままじゃ」

 

「もう大丈夫だ」

 半狂乱になっていたビビを、ルフィは一言で落ち着かせた。

 

「演説。聞いてたぞ。反乱軍を止められたんだな」

 ニカッといつものように笑い、ルフィは言った。優しく慈しむように、誇らしい仲間を褒め讃えるように。

「頑張ったな、ビビ」

 

 碧眼から先ほどまでとはまるで違う感情によって涙が溢れ、ビビはただルフィに強く強く抱きついた。そんなビビをあやすように抱きしめ返し、ルフィは王宮の胸壁に立つ“敵”を睨み据えた。

「今度は俺の番だ」

 

       〇

 

 王宮正門前の長階段の麓へビビが降り立つと、将兵の群れがすぐさま駆け寄ってくる。

 大きな隼が精悍な男性――護衛隊副長ペルの姿に戻り、兵士達が安堵の息を吐く。

「ビビ様、御無事でよかった……ペル。よくビビ様をお救いしてくれたな……」

 そこへ、兵士達の肩を借りたチャカがやってくる。大量の血を失ったせいか、勇壮な顔が土気色に染まっていた。

 

「チャカっ! 無理しないでっ!」

「――チャカッ! すまない、遅くなったっ!」

 護衛隊隊長代理を案じる王女と、盟友に詫びる隼の騎士。

 

「ビビ様は今すぐ避難を。あの邪悪は我らが命に代えても討ち果たして――」

 チャカがビビに安全な場所へ移るよう進言したところへ、

「ワニは俺がぶっとばすっ!」

 空気を読まない男モンキー・D・ルフィが朗々と叫ぶ。

 

 ルフィのことを知らないチャカは反応に困る。ペルと共に現れ、ビビ様を救ったあたり、敵ではないようだが……武器は持っていないし、なぜ背中に樽を背負っている?

 他の兵士達も困惑を浮かべ、説明を求めるような視線をペルへ向ける中、ビビが能う限りの大声を張り上げた。

「聞いてっ! ここが、皆が強力な砲弾で狙われてるのっ! それに、怪物が街を襲ってるっ! だから」

 

「超カルガモ、一騎来ますっ! カルーですっ!!」

 兵の報告と前後するように、傷だらけのカルーが人垣の合間を通ってビビの許へやってきた。体を赤黒く染め、シュマグを目深に被った長身の女性を背に乗せて。

 

「ベアトリーゼさんっ! カルーっ!」

 破顔するビビに対し、

「騎乗より失礼します。ビビ様」

 ベアトリーゼは騎士のように礼儀正しく一礼し、ビビの傍らに立つルフィをからかう。

「酷い様だね。ワニ公の相手、代わろうか?」

 

「代わらねェよっ! ワニは俺が絶対にぶっ飛ばすっ!」とルフィが挑むように切り返す。

 

「任せるよ」

 くすりと柔らかく微笑み、ベアトリーゼはビビへ告げた。

「ビビ様。あの腐れ化物を討滅すべくアラバスタ軍とビビ様の御力を拝借したくあります」

 

「ベアトリーゼさん、クロコダイルと怪物だけじゃないのっ! すごく危険な砲弾でこの広場が狙われて」

「ああ。それは問題ありません。これから制圧しに向かいますし、あの化物を仕留めるために利用しますから」

 ビビの言葉を遮り、ベアトリーゼはしれっと言った。

 

「え?」とビビは目を点にした。理解が追いつかない。「え?」

「既に我が軍があの怪物とは交戦中だが」と戦闘騒音が絶えない南門へ目線を向けるチャカ。

 

「アレは真っ二つに両断しても、心臓をぶち抜いても死なない面倒臭い奴だ。通常の銃砲では殺しきれない。

 だから、ワニ公の砲弾を利用する。

 その際、そちらのゾオン系の能力者殿にはこの王宮前広場から人払いを。飛行種の能力者殿は人払いが終わるまで化物を留めた後、この王宮前広場へ誘導を願います。その後は私が始末をつける」

 チャカとペルを一瞥し、ベアトリーゼはビビへ目線を移す。

「それから、ビビ様。反乱軍の一部が君らに助太刀しようとしています。今、“余計な”手が入ると厄介なことになります。ビビ様なら彼らを留めることが出来るでしょう。説得をお願いします」

 

 ベアトリーゼはどこかおどろおどろしい雰囲気をまといながら、淡々と言葉を編み終えると、

「行こう、カルー」

「くえっ!!」

 返事も待たずにカルーの手綱を握って走り出した。

 

 呆気にとられるビビ。事態が呑み込めないチャカとペル、国王軍の皆さんが困惑する中。

「なっはっはっは! あいつ、ほんとーに悪いこと考えるの得意だなっ!」

 ルフィが太陽のような高笑いを響かせ、ビビへ悪ガキの笑顔を向けた。

「いーじゃねーか。俺はワニをぶっ飛ばして、あいつはバケモンをやっつけて、ビビは反乱軍を守ってよ。て……て……テキザイテキショー? って奴だ!」

 

 笑顔を引き締め、どこかバツが悪そうに鼻先を掻きながら言葉を編み、

「悪ィな。ビビ。約束したのに、ワニにいっぺん負けちまったんだ。だけど、いっぱい肉食ったし、血もモリモリだし、もう負けねェ。今度こそワニをぶっ飛ばしてくるからよ。ビビも任せたぞ」

 麦わら帽子を被った未来の海賊王は、未来の女王を真っ直ぐに見つめた。

 

「――うんっ! 任せてっ!」

 ビビは熱いものが込み上げた目元を拭い、周囲へぐるりと見回してから、声を張り上げる。

「皆にも王女として命じますッ!」

 

 その凛とした佇まいと一喝は全将兵の背筋を伸ばさせた。

「皆の戦いはもはやこの場に非ずっ! 今日を生き抜き、明日より始まる祖国再建の戦いに備えよっ! ……もう誰も、誰も死なないでっ!!」

 この場に参集したアラバスタ王国全将兵が心を打たれ、身を震わせ、確信を抱く。我らが命を懸けて守らんとしたものは、やはりこの国で最も尊きものだったのだと。

 

 シシシ、とルフィは笑う。友達の晴れ舞台を見たように心から嬉しそうに。

「よしっ! 俺は行くぞっ! じゃあ、“また後で”な!」

 ビビが見送りの言葉を掛けるより早く、ルフィはゴムゴムの実の力を使い、王宮へ向かって勢いよく飛翔した。

「ワ~~~~~~ア~~~~~~~ニ~~~~~イ~~~~~~~っ!!」

 

「学ばねェ野郎だ……っ!」

 胸壁に立つクロコダイルは眼下からロケットのように突っ込んでくるルフィを睥睨し、心底腹立たしげに顔を歪め、その身をさらさらと砂に変えていく。

 

 が――

 物理的に捉えられぬはずの砂の魔人の横っ面を、ゴム人間の鉄拳が打ち抜いた。

 

「な―――っ!?」

 久しく味わっていなかった痛みは、クロコダイルにダメージよりも驚愕を与えていた。

 

 人間如きと嘲笑った砂の魔人は、失念していた。

 純粋な生物としては犬にすら勝てない人類が、なぜ強大な獣達や過酷な自然に屈さずに霊長の座へ至れたか。

 

 それは経験から、あるいは学習から、対抗策を生み出す知恵を持っていたからだ。

 

 如何なる獣よりも。過酷な自然よりも。

 人間の方がよほど恐ろしいことを、砂の魔人は思い知る。

 

     〇

 

「御苦労さん、カルー。ここはもう良いから、ビビ様と合流しに行け」

 ベアトリーゼは王宮前広場に臨む大時計塔の前で降り、

「くえ?」

 小首を傾げるカルーの頭を優しく撫でる。

 

「一人で大丈夫かって? 問題ないよ。気遣いありがとな。ほれ。もうお行き」

 カルーを見送り、ベアトリーゼは時計塔の固く閉ざされた扉を蹴破り、億劫そうに階段を上っていく。

 

 疲労と消耗と渇きと空腹で足取りが重い。というか、まっすぐ歩けない。体がふらつくし、酔っ払いみたいな千鳥足。階段の段差に殺意が湧く。体力が消耗しきっているためか、眠気が酷く視界がぐにょんと歪んでる。

 

 疲れたし、だるいし、喉が渇いたし、腹が減ったし、眠てェし……ほんとーならビール片手に主人公様御一行の活躍を見物してるはずだったのにっ! 全部、あのクソ化物のせいだ。二回もぶっ殺したのに。しつこいわ、邪魔臭ェわ、面倒臭ェわ。マジでムカつくっ!

 

 ベアトリーゼは心が荒み過ぎて目つきがヤバい。

 ぶっ殺してやる。今度こそ確実にぶっ殺してやる。念入りにぶっ殺してやる。

 

 怨霊染みた気配を漂わせながら最上階まで昇り切り、ベアトリーゼはドアを開けた。

 直後。

 二つの銃声が響き、ベアトリーゼは大の字に倒れる。

 

「ゲーロゲロゲロ。気配駄々洩れで待ち伏せし易いったらなかったわね、ミスター・7。ゲーロゲロゲロ」

「オホホホ、そのトーリだね、簡単な待ち伏せってスンポーだったね、ミス・ファーザーズデー。オホホホ!」

 蛙コスプレ女と垂れ目垂れ眉男が笑う。

 砲弾をぶち込む役目を仰せつかった現ミス・ファーザーズデーとミスター・7の狙撃手ペアだ。

 

「いってーな」

 武装色の覇気で漆黒に染まったデコから被弾の煙を昇らせつつ、ベアトリーゼはむくりと立ち上がり、冷酷の極地に達した眼差しで色物男女を見据えた。

 

「ゲロッ!?」「オホッ!?」

 2人が吃驚を上げ、慌てて銃を向ける。

 が。如何に衰弱しているとはいえ、虫けらが獅子に勝てる道理もなく。

 

 ベアトリーゼはコスプレ女の首を野菜のように斬り飛ばし、垂れ目垂れ眉男の頭を西瓜みたく殴り砕いた。

 一瞬で2人を抹殺し、苛立たしげに毒づく。

「邪魔臭ェんだよ」

 

 火砲に触れ、見聞色の覇気で構造と砲弾を調べる。

 最上階には馬鹿馬鹿しいほど巨大な大砲が据えられていた。導火線を用いて発射薬に直接着発するらしい。

 

 特大の砲弾は火道式信管式。中身の爆薬は低感度でえらく化学的安定性が高いようだ。アホ共が扱って事故が起きないよう気を遣ったのか。まあ、何でもいいが。

 

 原作ではビビに絶望を与えた時限式起爆機構にしても、単なるゼンマイ仕掛けだ。ベアトリーゼには稚拙な玩具に等しい。あっさり解除完了して信管を引っこ抜く。

 

「よーし。待ってろよ、クソヤロー」

 ベアトリーゼは口端を大きく歪めた。

「跡形もなく消し飛ばしてやる」




Tips
ワニさんのビビ虐め。
 原作と違って国王軍と反乱軍が激突していないから、ちょっと違う感じに。

クリマタクト。
 ウソップ驚異の技術力。本人が無自覚な所がなお恐ろしい。

ベアトリーゼ。
 ヨレヨレだけどブチギレまくり。
 ちなみに、追いかけてきてる化物の素性は一切知らない。

時計塔の特大砲と砲弾
 どーやって持ち込んだんや、という疑問は野暮。
 作中描写から察するに、構造は前時代的っぽいから、砲弾の時限装置とやらも大したことなさそう。

低感度で高安定性。
 たとえば、プラスチック爆薬がこれ。ハンマーで殴っても、銃で撃っても、燃やしても爆発しないゾ。起爆薬か通電させてやっと爆発するゾ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

116:アルバーナ決戦~蛮姫の攻撃~

佐藤東沙さん、神無月 刹羅さん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、掟破りさん、誤字報告ありがとうございます。



 首都アルバーナの各地で死闘が繰り広げられていた。

 国王軍は化物相手に時間を稼ぎつつ、王宮前広場から退避を急ぐ。

 カルーと合流したビビは、コーザが率いる反乱軍と話し合っていた。

 

 

 ゾロは斬撃の通じない全身刃物男に苦戦しながらも、幼き日の師の教えを思い出していた。鋼鉄を斬る、その術を。

「先生は何年も前に教えてくれてたってのに……不出来な弟子だな、俺は」

 そう苦笑する顔は、新たにした戦意に満ち溢れている。

 

 

 サンジはオカマの完全模倣能力に翻弄されながらも、打開策と反撃の機を探っている。

「面だけじゃなく体までナミさんに変わってるなら、あの威力の攻撃を出せるはずがねえ。何かカラクリがあるはず……そいつを突き止めれば……!」

 戦うコックは調理の方法を検討するような目つきで、“(素材)”を観察していた。

 

 

 ナミは全身棘女に圧倒されながらも、パーティグッズ染みた新武器に秘められた“真価”に気付きつつあった。

「そうか……熱気泡、冷気泡、電気泡……そういうことなのね。ウソップのやつ、凄いわ」

 天性の気象読み(フォーキャスター)であるナミにとって、クリマタクトはまさにうってつけの武器だった。

 たとえ、制作者が宴会芸用に仕込んだギミックだとしても。

 ここから逆襲(ペイバック・タイム)だ。

 

 

 ウソップとチョッパーの戦いはもう何が何やら。

 勇敢と怯懦が複雑怪奇に入り混じった長っ鼻小僧がボロッボロに傷つきながら、場を引っ掻き回し、モグラおばさんとウスノロバッターだけでなくチョッパーまで振り回している。

 

 実際、モグラおばさんとウスノロバッターは戦いを優勢に進めているのに消耗が激しい。長っ鼻小僧のギャグ補正染みた行動に意識を引っ張られ、そこを健気に頑張るチョッパーに突かれてダメージを負ってしまっている。もう何が何だか分からない。なぜ命のやり取りをしているのに、こんな悪質な理不尽と不条理に襲われるのか。

 

 モグラおばさんは激怒した。

「このクソガキャアッ!! ちっとは真剣に殺し合え、このバッ!!」

 

 ウソップは激怒した。

「ざっけんな、モグラババアッ! これ以上ないほど真剣にやっとるわっ!!」

 

 ウスノロバッターとチョッパーは内心で思う。

 本当かなぁ。

 

 

 そして王宮では―――

 ルフィがクロコダイルに鉄拳をぶち込み、頭突きを思いきり叩き込んでいた。

 

「レインベースで気づいた。水に触れると、お前は砂になれなくなる」

 背中に担いだ樽から水を被り、ルフィはクロコダイルへ啖呵を切った。

「今度こそぶっ飛ばしてやるっ!」

 

 クロコダイルは右手で鼻血を拭い、

「なるほどな。バカではあるが、頭の回転は悪くねェらしい。だがな、麦わら。テメェの“浅知恵”如きで俺に敵うと思ってるなら」

 ぎろりと双眸を吊り上げた。

「俺を舐め過ぎだ。クソガキが」

 

 ゴムの超人と、砂の魔人が激突する。

 常識の及ばない異様な戦いは依然、砂の魔人に分がある。しかし、レインベースの砂漠での戦いとは決定的に異なる点があった。

 水を用いたルフィの攻撃が、クロコダイルに通じる。

 

 クロコダイルも認めざるを得ない。

 水の樽という荷物を抱えてなお、キレのある体術と動き。自在に伸縮する身体から繰り出される読み難い攻撃。

 そして何より、どこまで本気なのか分からない麦わら小僧の思考だ。

 

「クソッ! これじゃだめだっ!」

 水樽のせいで思い通り動けないことに苛立ったルフィは、樽の水を一気飲みしていく。常人ならとても胃袋に収まらない水量も、伸縮するゴムの肉体は風船のように膨らむことで樽いっぱいの水を収めきった。

「ゲプ……これで、いいッ! 水ルフィだっ!!」

 

 水で何倍にも膨れ上がった胴体をぶよんぶよんと揺らし、レインベースでクロコダイルが貫いた創傷部から“水漏れ”する始末。

 死闘の最中にユーモラスな姿へ化けたルフィに、コブラが絶句し、ロビンが思わず失笑をこぼす。

 

「――正気か、テメェ」

 クロコダイルは久方振りに自身へ手傷を負わせた相手が、水風船野郎という現実に理解が追いつかない。こいつは本気なのか? 俺をオチョくってるのか? 

「このクソガキ、ふざけやがってっ!」

 

 額に青筋を浮かべ、クロコダイルが怒りに任せてルフィへ強襲を仕掛ける。

「ふざけてねェよっ!!」

 ルフィは怒鳴り返し、腹に溜め込んだ水を砲弾のように吐き出した。

 

「なっ!?」

 水風船化に続いて想像の斜め上を行かれ、クロコダイルは水弾の直撃を浴び、スナスナの実の力が封じられた。魔人の顔が無意識にひきつる。

 ――しまっ

 

「ゴムゴムのぉバズーカッ!!」

 

 思考が遮られるほど強力な双掌打。衝撃が骨まで届き、吹き飛ばされたクロコダイルは王宮の外壁に叩きつけられた。

 歯で口腔内を切ったらしく、魔人の口から勢いよく血が溢れる。

 

 全身の痛みと吐血に屈辱を覚えながらも、クロコダイルは理解した。

 このガキは言動と振舞いこそ人を舐め腐っているが、その発想と判断はゾッとするほど理に適っている。水風船と化しても動きに衰えはなく、自在に水を吐き出せるなら……なるほど。水樽を抱えたままより合理的だ。

 だが、戦いの真っ最中に、最適解を導き出し、迷うことなく実行できるか? 

 イカレたクソガキめ。

 

 立ち上がって血反吐を吐き捨て、クロコダイルはロビンへ告げた。

「ミス・オールサンデー。コブラを連れて先にポーネグリフの許へ向かえ。俺はこのガキを始末してから後を追う」

 

「了解」

 ロビンはハナハナの実の力でコブラを拘束しつつ、裏門へ向かって強引に歩かせていく。

 

 2人が離れたことを確認し、クロコダイルは乱れた髪を撫でつけ直し、ルフィへ向き直る。

「砂とは……地表に存在する全てのものが行きつく果てだ。どんな岩石も金属も風化の果てに“砂”を構成する一成分へ成り果てる」

 

「?」怪訝顔を作ったルフィに、クロコダイルは狂猛に口端を歪めた。

「喜べ、麦わら。スナスナの実の真髄を味わわせてやる」

 

      〇

 

「盛り上がってるねえ」

 見聞色の覇気で大きな物語の主演達が活躍している様を覗き見し、ベアトリーゼは満足げに頷きつつ、王宮前広場に面する大時計を蹴り落とす。

 

 吹き込んできた埃っぽい風を受けつつ、砂色の薄闇の先を見た。

 化物が慟哭のような、喊声のような叫喚をあげながら身を捩るようにして、こちらへ向かってくる。建物を破壊しながら。国王軍の銃砲を浴びながら。バリケードを破壊しながら。

 

 王宮前広場の避難はまだ完了していない。動ける者だけならとっくに終わっていただろうに、国王軍は負傷者はもちろん、死者達一人残らず連れていくつもりらしい。

 好きにさせよう。時間が掛かって苦労するのは足止めしてる連中だ。

 

 ベアトリーゼは葬祭殿へ向かうロビンとコブラ王を見つける。

 隠密行動に長けたロビンは王宮前の避難で混乱する国王軍部隊の目を盗み、順調に進んでいく。まあ、発見されたところで国王軍の兵士達などロビンの相手にもならないが。

 

「運の悪い連中がいるな」

 王宮を目指していた海兵部隊が、ロビンと遭遇しそうだった。

「いや、運が良いというべきか」

 ロビンは優しい。あの連中は死なずに済むだろう。

 まあ、五体無事には済むまいが。

 

       〇

 

「アラバスタ国王を今すぐ解放し、投降しなさいっ!」

 刀を構える歳若い眼鏡娘と、銃や刀剣類を構える海兵約一個中隊弱。

 

 ロビンは疎ましげに鼻息をつき、道を譲れともそこを退けとも言わなかった。代わりに、

百花繚乱(シエンフルール)、クラッチッ!」

 即座にハナハナの実の力を発動させ、

「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!?」

 海兵達の手足の関節や背骨や腰椎をへし折り、一瞬で一個中隊を無力化した。

 

「ぅああああああっ!」

 眼鏡娘も利き腕をへし折られ、刀を落として苦悶しながら地に伏せる。

 

「邪魔よ」

 冷厳な目つきで眼鏡娘へ告げ、コブラを伴って無力化された海兵達の間を進んでいく。

 

「待ち、なさいッ! 行かせませんっ!」

 眼鏡娘がロビンの背に向かって吠えた。利き腕を折られた激痛と敗北感に涙をこぼしながらも立ち上がり、左手で刀を構える。幾人かの海兵達が眼鏡娘に倣って痛みを堪えて立ち上がり、武器を取った。

 

 ロビンは相手にせず進み続ける。が、

「止まりなさいッ! 正義を背負う者として、貴女のような悪は断じて逃しませんっ!!」

 その発言にぴたりと足を止め、肩越しに眼鏡娘へ双眸を向ける。

 美しい碧眼は、眼鏡娘や海兵達が思わずゾッとするほど、冷たい怒りに染まっていた。

 

「貴女達のような正義に与するくらいなら、私は喜んで悪を選ぶ」

「何を言って」

 強い怒りと侮蔑が込められた言葉を投げられ、眼鏡娘が戸惑ったその一瞬。

 

「百花繚乱。トランプル」

 ロビンは容赦も慈悲もなく、全ての海兵達の骨折部位を強く捩じり上げ、大きくへし曲げた。

 筆舌に尽くしがたい激痛に阿鼻叫喚が生じ、次いで、静寂が訪れる。

 

 海兵達を蹂躙したロビンは、コブラを連れて葬祭殿へ向けて歩みを再開した。

 立ち塞がる者はもういない。

 

      〇

 

 砂の魔人が地面に右手を押し付けた直後、王宮正面玄関前の庭が激変した。

 綺麗に整えられていた芝も。正門から玄関扉まで通じる石畳も。玄関脇に建てられていた精緻な石像も。庭全体の土すらも。全てが風化したかのように砂となっている。

 同時に、魔人が起こした塵旋風(ダストデビル)によって視界が利かない。

 

「ヤベェな、あいつの右手……」

 本能的に王宮正面玄関前のエントランス屋根に飛び退き、ルフィは魔人の恐るべき攻撃を避けていた。ルフィはきょろきょろと周囲を見回すが、塵旋風が邪魔でよく見えない。

「クソ。見失っちまった。ワニの奴どこに――」

 

「手間取らせやがって……」

「っ!?」

 眼前から発せられた声に反応するより早く、砂塵から伸びる右手がルフィを捉えた。

 ルフィが咄嗟に吐き出した特大の水弾も外れて虚しく真上に飛んでいく。

 

「この――」

 ルフィの言葉は最後まで続けられない。言い終わるより早く、砂の魔人に全身の水分を奪われて意識が飛ぶ。

 

「またお前の敗けだな。麦わら」

 クロコダイルは脱水しきったボロ雑巾みたくなったルフィをしげしげと窺い、

「普通の人間なら体が崩れるほど搾り取ったはずだが……ゴム人間はこうなるのか?」

 どうでも良いか、と小さな砂漠と化した庭へ落とし捨てる。

 

「ここから西の葬祭殿と言ったか……」

 ルフィを始末し終え、クロコダイルは自らの塵旋風に変えて葬祭殿を目指し、王宮を去った。

 

 魔人が去った直後。

 目標を外して高々と打ち上げられていた特大の水弾が、自由落下運動によって落ちてくる。さながら因果に導かれるように、砂上へ棄てられたルフィ目掛けて真っ直ぐに。

 

 水弾はルフィに落着し、

 ごくん!

 嚥下する音色が王宮正面玄関前に響き渡る。

 

「あぶねえっ!? 死ぬとこだったぁっ!!」

 一瞬で体いっぱいに水分を巡らせるというデタラメ振りを発揮し、ルフィは復活する。悪魔の実の能力者という点を考慮しても、破格の生命力。ナミの言う通り、本当に人外かもしれない。

 

「ちきしょー……っ! ワニめ~~~~~っ!」

 ルフィは肩で息をしながら、西を睨みつけた。

「逃がさねェぞ、ワニッ!!」

 

      〇

 

 葬祭殿の中庭。

「隠し階段……」

 石像の下に隠されていた階段を見下ろし、ロビンはどこか無邪気な好奇心を浮かべる。

 隠し階段は陽光が最奥まで届くよう角度まで精確に計算されており、照明を必要としないほどだった。

 

「ポーネグリフはこの地下深くに秘匿してある」

 コブラ王は淡々と語り、ロビンへ言った。

「……オハラの生き残りなら、古代文字が読めるか」

 

「ビーゼから私のことを聞いていたそうね」

 階段を降りながら応じるロビンに、

「君の素性は聞いていない。護送船から逃亡した血浴のベアトリーゼを保護し、その素性を調べた際、彼女と共に活動していた君の情報も目にしただけだ。政府が禁じた研究に手を出したオハラの悪魔。その生き残り、悪魔の子ニコ・ロビン」

 コブラは前を歩く美女から殺気に近い感情が発せられたことを感じ取りつつ、言葉を続ける。

 

「血浴のベアトリーゼが君について語ったことは別だ。親友は好奇心旺盛な考古学者だから、4000年の歴史を持つアラバスタを気に入るだろう、いつかこっそり2人で訪ねたい。そう言っていた」

「……そう」ロビンは微苦笑をこぼす。「ビーゼらしいわ」

 

 ロビンの雰囲気が和らいだことを察しつつ、コブラは小さく溜息を吐いた。

「不思議な娘だ。本当の人柄を掴みきれん。ビビは随分と懐いていたが……」

 

「ビーゼは人間の複雑性を示す好例よ」

 くすりと控えめに笑い、ロビンは話を本題に戻す。

「この国にあるポーネグリフは、おそらくプルトンの在処を記している。違うかしら?」

 

「分からん……アラバスタ王家は代々このポーネグリフを守ることが義務付けられてきた。我々にはそれだけのものだ」

「守る……ね」

 コブラの発言に含みのある反応を返しつつ、ロビンは階段を降りていく。

 

 長い階段を降りきれば、荘厳な地下廟が広がっていた。

 おそらく葬祭殿から鏡か何かで光を巡らせているのだろう。隠し階段同様に照明が不要なほど明るい。

 地下廟は天井が高く、緻密に配置された大理石の柱で支えられている。柱や壁、天井や床に至るまで宗教的な意匠の彫刻が施されており、奥の扉へ通じる廊下には神聖獣の海猫の石像が置かれていた。

 

 なるほど。ここは不可侵の“聖域”だ。アラバスタ王家が営々と守り続けてきたという話は間違いないらしい。

 ロビンがコブラの説明に従い、奥の扉を押し開けたならば。

 アラバスタのポーネグリフが、そこに鎮座していた。

 

       〇

 

 大きな隼が先導するように、醜悪な無貌の怪物を王宮前広場へ誘っていく。

「来たな」

 ベアトリーゼは唇を三日月に歪め、疲労しきった頭で怪物の未来位置を予測した後。

 

 巨砲の砲口に手を突っ込み、漆黒に染まった指を埋めるようにして特大の砲弾を引っ掴んだ。

 

 常識で考えれば、とても人の力で動かせそうにないサイズであるが、原作においてペルが掴み上げて天高くへ持ち去ったのだ。覇気使いのベアトリーゼに出来ぬ道理はない(強弁)。

 とはいえ、体力気力の限界を絞り出している状態だ。大重量物を掴んで持ち上げようとするベアトリーゼの顔は、見目麗しい女性がしちゃダメな表情の一線を越えていた。

 

「ふんぬらばっ!!」

 信管も起爆装置も外され、巨大な鈍器と化した砲弾を巨砲の砲口から引っこ抜き、ベアトリーゼは真っ赤に染めた顔をいっそう酷く歪め、砲弾を担ぎ上げ――

「おんどりゃあああああああああああああああっ!!」

 王宮前広場へと進入してきた醜悪な無貌の怪物目掛け、思いっきりぶん投げた。

 

 砂色の闇の中で放物線を描く特大砲弾。

 広場の外側に展開していた国王軍将兵と広場上空を旋回待機中のペルが唖然となった。カルーの背に乗って駆けつけてきたビビが、弧を描いて飛来する特大砲弾に目をひん剥く。

「ええええっ!?」

 

 砲弾をぶん投げた女蛮族を除く全ての人々が大爆発を想像し、大慌てで反射的に物陰に向かって飛びこんでいく。

 

 そして――

 特大の質量が醜悪な無貌の怪物を“撥ねる”激突音と、特大の砲弾が広場の石畳を砕き半ば地面に埋まる轟音がつんざき、地面が揺られた。

 

 女蛮族を除く全ての人々の想像した爆発は起きず、代わりに、砲弾に撥ねられた怪物の阿鼻叫喚と、

「はっはーっ! じゃっすとみーとぉおおっ!!」

 蛮姫の高らかな喝采が広場に響き渡る。

 

 誰も彼もが絶句し、唖然茫然とする中、ベアトリーゼはプラズマジェットを用いて大時計塔から王宮前広場にひとっ跳び。

 前方四回転捻りで着地、するもがくんと崩れ落ちる。点滴効果が切れ始めたらしい。

 

 ひいこら言いつつ立ち上がり、地面に半ば埋まった砲弾と撥ねられて血塗れになった怪物を交互に窺い、一言。

「第一段階かんりょー」

 

 赤黒く染まったシュマグの奥で薄く笑い、暗紫色の双眸を歪め。

「続いて第二段階かいしー」

 

 アンニュイな呟きとは裏腹に、放たれた矢の如く駆け、苦痛と混乱に叫喚する醜い化物へ襲い掛かる。

「っ!?」

 砂色の薄闇を切り裂くように突撃してくる影に気付き、怪物が咄嗟に触手を躍らせる、も。

 

 ずんばらりん。

 

 一筋の剣閃が走り、全ての触手が切り払われた。

 怪物が驚愕に慄いた刹那。影は肉薄を済ませ、跳躍しながら再び肘剣を走らせる。

 

 巨体に無貌を据える太い首が裂かれ、動脈が斬られ、頑強な頸椎が断たれ、皮で辛うじてつながっている頭部が、ずるりと垂れ下がった。

 首の刃傷から大量の鮮血が噴出する一方。着地に失敗したベアトリーゼが転げる。

 

「くっそ。体が思うよーに動かない。とってもビューティフルでとってもストロングな私でも流石に疲れすぎてるわ」

 ふらふらしながら立ち上がり、ベアトリーゼは国王軍の誰かさんが落としていった長柄を器用に蹴り上げて、拾い。

 首を斬られた化物へ思いきり投げつける。

 

 ぐさり、と長柄が化物の体に突き刺さった。直後。

 化物の身体の中で何かが蠢き、皮膚がぐにぐにと波打った。さながら羽化直前の蛹みたいに。

 

「やっぱりなぁ」

 ベアトリーゼが冷笑を浮かべ、

「二度目にぶっ殺した後、再生した体はちっさくなってたもんなぁ。外部からリソースを取り込めない以上、手持ちのリソースでやり繰りするしかないよなぁ」

 べりべりと背中が裂けていく化物の体躯を眺めながら、

「跡形もなく消し飛ばせるサイズになるまで」

 宣言した。

 

「殺し続けてやる」

 




Tips
麦わらの一味の皆さん。
 勝利の兆しが見えてきました。

ルフィ。
 戦闘中でもギャグっぽい言動と行動が多いけれど、実は合理的な最適解だったりする。
 戦いの申し子かな?

ロビン
 原作より海兵達に対して容赦がない。野蛮人の悪影響。

たしぎ。
 無茶振りする上司と覚悟ガンギマリの部下の板挟みに遭い、強敵に挑んでボコられた。

ベアトリーゼ。
 化物が放電能力を持つことを失念し、爆弾を投げつけるという大失態。
 放電で迎撃されたら爆発してた。やらかしである。

ザパン。
 再生する度に小型化していく、というギミックは銃夢:LOに出てくるマシン細胞を持つ巨大ロボット『サチュモド』のオマージュ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

117:アルバーナ決戦~最後の解読者~

ミックスさん、NoSTRa!さん、烏瑠さん、ちくわぶさん、誤字報告ありがとうございます。


 全身刃物男の一撃は、勢い余って近場の建物までぶった切った。

 積み木が崩れるように倒壊する建物。がらがらと降り注いでくる大量の瓦礫。刃物男にぶった切られたゾロは避けられない。

 

 否。ゾロは避けない。

 自身でも説明がつかないが……ゾロは“見えて”いた。下手に動かなければ、瓦礫の方が自分を避けていくと。普段なら気の迷いと鼻で笑うところだ。

 

 しかし、師の教えを思い出し、その意味をようやっと解した今は違う。

 感覚を信じた通り、全ての瓦礫がそれこそ微細な石片までもが、ゾロをかすめることすらなく、落着した。

 

 師が語った“何も斬らぬ剣”。その極意はいまだ掴みかねる。ただ、ゾロは巻き上がった粉塵に眉をひそめつつ、小さく頷く。

 なるほど。“そういうこと”なのか。

 

 ゾロは驚愕している全身刃物男へ向き直った。刃物男がどうやってかわした? と問い詰めてくる。

 

 再び小さく頷く。こいつは分かってねェ訳か。

 この全身刃物男は剣士ではなく拳士。剣と格闘では術理も全く異なろう。だが、同じく武の術。差異は大きくとも根底は似通うはず。であるなら――

 

 胸中に湧きあがった確信に、ゾロは自然と口端を吊り上げた。肉食獣が相手を威嚇するような猛々しい笑み。

 瓦礫に呑まれた雪走と三代鬼徹の回収は後回しで良い。今は相棒――親友の形見たる愛刀、和道一文字だけで釣りがくる。

 愛刀を腰の鞘に収め、ゾロは抜刀術の構えを取った。

「来いよ、刃物男。これで終いだ」

 

「ほざけっ!」

 全身刃物男がゾロを仕留めに迫りくる。

 いつかと同じ状況。あの時の相手はモモンガ女だった。本能が死を警告するほどの圧力だった。歯牙にもかけられなかった。全力の抜き打ちを容易く防がれ、左腕をへし折られた。

 さて、此度は?

 

「今度こそ死ね、小僧っ!」

 全身刃物男が剛腕を刃に変え、振りかぶる。

「一刀流『居合』――」

 ゾロは放つ。

獅子(しし)歌歌(ソンソン)

 

 その一閃はあらゆる挙動が極限まで鋭く研ぎ澄まされていた。

 抜刀して鋼鉄と化した全身刃物男を斬り、太刀傷から血が噴き出すより早く納刀されるほどに。

 袈裟に斬られた全身刃物男が崩れ落ちる中、ゾロが抱いた感慨は勝利の達成感や成長の実感ではなく。

「……今なら、あのモモンガ女に一泡吹かせられるか?」

 そんな疑問だった。

 

 

 

 砂漠衣装は脱ぎ捨てて、踊り子衣装はあちこち裂けたり破けたり。

 たおやかな体はあちこち埃塗れで砂塗れで、珠のお肌は細かな傷だらけで痣だらけ。刺された右肩と貫かれた右足、瓦礫に噛まれた左脛の痛みは酷くなる一方。

 

 だけど、ナミの美貌はまったく損なわれていない。

 長棍を振るいながら全身棘女と渡り合う姿のなんと凛々しく、美しいことか。

 

 ベアトリーゼ仕込みの長棍術はしょせん素人に毛が生えた程度。しかし、全身棘女の攻撃から致命傷を防ぐには十分。

 そして、クリマタクトの真価を理解し、使いこなし始めたナミにとって、防御が叶えば十分。

 自分の身を守りつつ、天性の感覚と精妙な計算に基づいてクリマタクトを振るい、“それ”を育てていく。

 

 もっとも、全身棘女にしてみれば、ナミがパーティグッズを振り回して宴会芸を繰り返しているようにしか見えず。

「宴もたけなわ。そろそろ覚悟を決めなさい」

 

「確かにそろそろ良い頃合いね」

 ナミは不敵に微笑む。虚勢ではない。自然と生じた勇猛な笑みだ。

「ねえ」ナミは尋ねる「あんた、能力者よね。海岸線をふっ飛ばしたり、砂の大巨塔を作ったり、みたいなこと出来るの?」

 

「あなたね、悪魔の実の能力者を怪獣か何かと思ってない? 社長や血浴みたいなのは、本当に例外なの。あれを基準にしては駄目。悪魔の実の能力者だって傷つくんだから」

 全身棘女が幼い子を諭すように答えた。

 

「そ、そう……覚えておくわ」

 なんとなく悪いこと言ってしまった気分になった。気を取り直して、ナミは告げる。

「ベアトリーゼやクロコダイルみたいなことが出来ないなら……あんたの負けよ!」

 

「あの二人と一緒にされても困るけれど、私を宴会芸で倒せると思うのは、舐め過ぎではなくってっ!」

 憤慨した全身棘女がボンキュッボンな体をウニのように棘で覆い尽くし、ナミへ襲い掛かる。

 

 が。

「!?」

 全身棘女は驚愕する。ナミを捉えたはずの一撃は空を切り、貫いたはずのナミの姿が消失してしまったことに。

 まるで蜃気楼でも見せられたような感覚に全身棘女が戸惑い、一瞬の停滞が生じる。

 

 育て上げた“それ”に、ナミが電気泡を加えるに十分な隙。

「完成ッ!」

 長棍を構え、ナミは全身棘女に向かって“それ”を解き放つ。

「トルネード・テンポッ!!」

 

 熱気と冷気と電気で作り上げられた超限定空間的な帯電乱気流。東洋に暮らす古の人々が“龍”と呼び恐れた気象の暴威が、全身棘女を呑み込み吹き飛ばした。

 荒れ狂う大気のうねりと静電気の炸裂音が棘女の悲鳴を掻き消し、乱流と圧力の衝撃と電撃の暴虐が棘女の体と精神を打ちのめし、意識を刈り取った。

 

 想定していた以上の威力にナミは目を瞬かせつつ、クリマタクトの中から落っこちたヒヨコの人形を見つめ、うん、と小さく頷いた。

「ウソップの奴、とっちめてやる」

 

 

 

「ウソップ。その有様でよく生きてるな。ホントに人間か? 実は魚人とかじゃねえのか? 隠さなくても良いんだぞ?」

 マネマネの実の能力者のオカマ拳法家を倒し、戦利品に小さな友情を入手したコックが、砂と血に汚れたジャケットから煙草を取り出しながら、狙撃手に問いかける。しかも優しい口調で。

 

「人間だよバカヤローッ! だいたいオメーだって 人のこと言える様かっ! ボッロボロじゃねーかっ!」

 エロラクダの背に乗せられたウソップが憤る。

 

 モグラおばさんとウスノロバッターと面白ワン公との戦いを制した長っ鼻は、サンジの指摘通り、ギッタンギッタンのケッチョンケッチョンのズタボロだった。

 

 モグラおばさんに散々ぶっ飛ばされ、ウスノロバッターのフルスイングを叩き込まれ、面白ワン公に何発も爆弾を食らわされた。顔面は内出血で腫れ上がり、シンボリックな長っ鼻がひん曲がり、体中が傷だらけ。チョッパーの応急手当で巻かれた包帯でミイラ男と化している。

 

 ちなみに頭蓋骨にもヒビが入ってる。しかも一番堅い額部分に。普通なら、急性クモ膜下出血で重体待ったなしだが、タンコブが出来ただけだ。本当に人間かな?

 

「サンジ! ウソップは凄かったぞッ! なんかもういろいろ凄かったっ!」

 エロラクダの頭に乗っかった小柄なトナカイが、目をキラキラさせながら言った。

 

 ウソップと共に、モグラとバッターとワン公を倒したチョッパーも傷だらけだ。自慢の毛皮は血と砂と爆煙で真っ黒に汚れ、ところどころ焦げている。トリミングしたい。

 それでも、攻撃がモグラおばさんのヘイトを稼ぎまくったウソップに集中した関係で、チョッパーはウソップほどボロ雑巾じゃない。

 

「俺は感動したぞ! ウソップに人間の生命力の神秘を見たっ!」

「活躍に、じゃねえんだな」

 チョッパーが感銘を受けたベクトルにサンジが思わず笑い、イテテと顔をしかめた。

 

 余裕ぶっこいて煙草を吹かしているけれど、サンジも中々にボロ雑巾だ。

 オカマ拳法家は色物の極地みたいなナリとは裏腹に、赫足ゼフ譲りの蹴り技を使うサンジと互角の実力を持っていた。おまけにサンジが女へ手を出さないと分かるや、マネマネの実でナミに化けるという小細工まで仕掛けてきた。おかげで、ドラム王国で治療した背骨やらなんやらが再びガッタガタ。

 癪に障る話だが、手強かった。純粋な格闘でここまでボコられたことは初めてだ。

 

「怪我を診ようか?」船医が案じる。

「ありがとうよ。でも、今は良い。ことが終わってから頼むぜ」

 サンジはチョッパーの頭を撫でて、煙草を吹かす。体が軋んで激痛が走るが、表には出さない。伊達の本質は我慢だ。

「ァイッダァッ! オィ、マツゲェッ! もっと優しく運んでくれっ!」

 我慢する気が欠片もない長っ鼻が、涙目でラクダにクレームを訴えた。

 

 

 

 かくして、バロックワークスの上級幹部達をぶっとばした麦わらの一味は、王宮を目指して進んでいく。

 道中。コックと狙撃手と船医に、副船長と航海士が合流する。ゾロがナミをおぶっていたことにサンジが嫉妬を爆発させたり、ナミがクリマタクトの件でウソップをツメたり、と賑々しい。

 誰一人として、クロコダイルの言葉――船長の死を信じてないし、引きずってもいない。

 

 ……だって、ほら。

「逃がさねェぞ、ワニ――――ッ!!」

 砂色の薄闇から聞こえてくる。

 我らの船長の雄叫びが。

 

      〇

 

「なるほどな。こりゃ探しても早々見つかりそうにねェ」

 葬祭殿の地下廟を見回しながら、クロコダイルは嫌みっぽく感嘆を告げる。

 荘厳な一室の中央に鎮座する巨大な立方体――ポーネグリフの前に立つロビンへ問う。

「俺にゃあ奇妙な模様にしか見えねェが……読めるな?」

 

「ええ」ロビンは首肯し「もう解読も済んだ」

「読んでみせろ」

 クロコダイルの命令に、ロビンは首肯して読み上げる。

「アラバスタを統べていく後の王達へ告ぐ」

「――」クロコダイルは眉をひそめる。

「……」コブラが片眉を上げた。

 

「プルトンを求めてはならない。斯くも恐るべき兵器はアラバスタに必ずや不幸と災厄をもたらすであろう。国を守り、栄えさせ、幸福をもたらすものは兵器ではなく、王の治世、民の結束である」

「待て待て待てっ! なんだそりゃ」クロコダイルは眉間に皺を刻み「そんな与太話はいい、プルトンの在処は?! 古代兵器はどこにあるっ!」

 

「在処どころか手がかりすら、一切書かれてない」

 ロビンは無慈悲ですらある声色で告げた。内心にある共同事業者への“気配り”を一切見せずに。

「これはアラバスタ王国の先祖から子々孫々への遺訓ね。珍しいことじゃないわ。ポーネグリフには個人への私信みたいなものすらあるの。これはまだマシな方よ」

 

「ふざけるなっ!」

 クロコダイルは額に青筋を浮かべ、激昂した。

「この石ッコロのために、どれだけ時間と金と労力を注ぎこんだと思ってやがるっ!」

 

「……ねえ」

 ロビンは半ば取り乱している魔人へ、静かに問いかける。

「このポーネグリフの存在はアラバスタ王家のみ、それも王と後継者の間だけで伝承されてきた。そうそう外部に漏れるはずがない。ずっとポーネグリフを追ってきた私でさえ、知らなかった。貴方はどうやってアラバスタのポーネグリフの存在を知ったの? いえ」

 

 5年前。キューカ島の喫茶店。クロコダイルが接触してきた時から、抱いてきた疑問。

「“誰”から聞いたの?」

 

 クロコダイルはハッとした。

 大海賊白ひげに敗れて左腕を失い……新世界を去るまでの日々と、王下七武海となって政府に与するようになってから、クロコダイルは多くを知った。

 政府によって、秘められた歴史や消された真実、隠蔽された出来事や事件、そして。

 歴史の闇に潜む者達。

「――“奴ら”、俺をハメやがったのか」

 

     〇

 

 たしぎはジャケットの襟を強く噛みしめ、へし折られた腕を強引に伸ばす。

 筆舌にし難い激痛が全身を突き抜けた。視界が明滅し、涙が溢れ、胃がひっくり返る。根性でせり上がった反吐を呑み込み、震える左手で骨折部に添え木を当て、拾ったボロ布を不格好に巻いていく。

 

 痛みを堪えながらなんとか応急措置を終え、深呼吸を繰り返す。周囲の部下達はいまだ失神昏倒したままだ。

 砂色の薄闇が支配する首都内はいくらか静けさを取り戻し、王宮前広場と東ブロックの辺り以外からは戦闘騒音が聞こえてこない。

 事態は動いているようだ。自分達など視野に収めずに。

 

 悔しすぎて、涙も出ない。

 ニコ・ロビンに容易く一蹴され、続いて現れたクロコダイルに『テメェら雑魚は基地で正義の“話し合い”でもやってろ』と嘲われ。

 

 最大の悔しさは、先ほどやってきた麦わらのルフィに、ニコ・ロビンとクロコダイルの行き先を教えてしまったこと。

 海賊を利用したと言い訳することも出来るだろう。重傷を理由にすることも出来るだろう。

 しかし、たしぎの矜持と尊厳がそんな自己欺瞞を許さない。

 海賊を頼らねばならないほど自分が弱いことが、力がないことが悔しくて悔しすぎて、死にたくなるほど自己嫌悪に襲われている。

 

 だが、自己嫌悪に甘えてなどいられない。

 たしぎは腰を上げ、部下達の手当てを始める。

 どれだけ情けなくても、悔しくても、やるべきをやらねばならない。

 

       〇

 

 ベアトリーゼにとって大概の戦闘行為は目的を達成するための作業に過ぎない。

 作業である以上、効率重視。最適で最速で最善で最良の手段を選ぶ。

 理想は一方的な狩り。一方的な処刑。一方的な駆逐掃討。一方的な虐殺だ。初見殺しこそ大正義。相手に合わせてドンパチチャンバラなんて面倒臭ェだけ。

 

 よって、王宮前広場で繰り広げられた戦闘を正しく表現するなら。

 解体作業だ。

 

 しなやかな肢体が華麗に舞う度、荒々しく拳打足蹴が放たれ、怪物の肉が潰れ、砕け、千切れる。

 たおやかな身体が美麗に躍る度、猛々しく刃が振るわれ、怪物の肉が裂かれ、貫かれ、抉られる。

 疲れきり、渇き餓えても、蛮姫の動きは翳らない。むしろ肉体的限界が一挙手一投足を研ぎ澄ましてさえいる。

 

 醜い怪物は悲鳴を上げながら苦痛に身を悶えさせ、怒号を発しながら四肢や触手を振り回す。しかし、叫喚と共に繰り出す攻撃は蛮姫をかすめることすら能わず。

 限界を迎える度、傷ついた肉体を棄てて新たな身体の再構築を繰り返す。が、その体は徐々に小さく貧相になっていく。現れた時は巨人ほどもあった体躯も、再構築を重ねた今では、半分ほどにまで小さくなっていた。

 

 砂色の薄闇の下、広場には砂塵と怪物の血肉が混じった赤黒い泥が広がっている。脱皮のように放棄された肉体が転がり、血肉や四肢が散乱する様は、悪夢そのものだ。

 魔女と悪魔の凄惨な戦いに、ビビや国王軍将兵達はもはや言葉もない。

 

 全身を再び血で染めたベアトリーゼは、真っ赤に濡れたシュマグの奥で鼻息をつく。

「10メートルくらい? そろそろ良いか? いや、確実にぶっ殺したいしなぁ……もうちょい小さくした方が良いか? ああ、面倒臭ェ」

 

 ダマスカスブレードを装着した腕が重くてだるい。体に付着した返り血と砂塵が混じり合って気持ち悪い。シャワー浴びたい。風呂入りたい。酒飲んで飯食って、綺麗なシーツのベッドで寝たい。

 

 そんな気だるい心境を逆撫でするように、醜悪な無貌の怪物が血と共に怨嗟を吐く。

「えぁとりぃいいいえええええええ……っ!」

 

「まったく……お前、どこの負け犬だよ。ここまで恨みを買う覚えは……まぁ、あるけどさぁ。お前みたいな化物に心当たりなんてねーよ」

 ベアトリーゼが疎ましそうに悪態を吐けば。怪物は無貌の双眸を憤怒に血走らせる。

「おぁえ、おえがあえあか、あああぃおああ……っ?」

 

「何言ってんだかわっかんねーよ。てめーの母親だって、その面みたら首を傾げるだろーよ」

「あぉ……」

 何気なく吐いたベアトリーゼの悪態に、怪物は歪み曲がった両手で自らの無貌をねちゃねちゃと撫で回し、ぶるぶるとウジ虫めいた体躯を震わせる。

「お……おれのかお……」

 

 ようやっと声帯がまともに機能し、怪物が最初に口にした言葉は。

「おれのかおが、かおがおもいだせなぁいいいいいいいいっ!」

 悲憤に満ちた慟哭だった。

 

「知らねーよ。そんなこと」

 怪物の悲愴な叫喚を蹴飛ばし、ベアトリーゼはアンニュイ顔で吐き捨てる。

「ほんと、邪魔臭い奴」

 

      〇

 

 クロコダイルは大きく深呼吸し、気を鎮める。

 ニコ・ロビンの解読が事実なら、プルトンはこの国にはない。コブラの反応は、ポーネグリフの内容からプルトンの存在と危険性は知っていた、ということに過ぎないのか。

 

 天井を見上げ、クロコダイルはもう一度ゆっくりと深く静かに息をする。

 まったくもって散々な一日だ。

 数年掛かりの大謀略を最後の最後で小物海賊と野良犬に引っ掻き回され、小娘にひっくり返された。それでも、と足掻いてようやっと本懐に手が届いたと思えば、このざまだ。

 この数年は何だったのか。全く無意味だったのか。全くの無駄だったのか。

 

 いや。違う。

 自分は証明した。世界政府加盟国有数の大国であろうと奪い取れる、と。

 ノウハウは手に入れた。“次”はもっと上手くやれる。

 そう。次だ。ここでの仕事はしくじったが、なんてことはない。役立たず共と王下七武海という下らない肩書を失くしただけだ。

 新世界で左腕を失った時に比べれば、屁でもない。

 いち海賊に立ち戻って、金も物も手下も力で得れば良い。自分にはそれが出来る。

 

「と、なれば……お前ら二人にはここで死んでもらうか」

 大きくゆっくりと息を吐き、クロコダイルは冷めきった目でコブラとロビンを睥睨した。

 

「……っ!」コブラ王は眉間に皺を刻む。

「そう来ると思ったわ」

 ロビンは特に驚きもしない。元より信用も信頼もない打算と利害の協力関係だ。

 

「それなりに感謝してるぜ、ミス・オールサンデー。お前は実に有能で有益な共同事業者だったからな。お前を殺す理由は別にプルトンが見つからなかったからじゃねェ」

 クロコダイルは淡々と告げた。

「俺がこの国を脱し、身代を立て直す時間稼ぎに、お前らの死が好都合だからだ。大国アラバスタの王と政府が20年に渡って追い続けるオハラの生き残りが、揃って“行方不明”になりゃあ、政府と海軍はそっちに注力しなきゃならねェからな」

 

「奇遇ね」ロビンは柔らかく微笑む。「同じこと考えてたの」

「俺に勝てるとでも?」クロコダイルが目を細め、殺気を放ち始める。

 

「あら。麦わらの彼が証明したじゃない」

 両手を胸元で交差させ、ロビンは自身の背中と両肩から腕を生やし、それぞれの腕がコートの内側や腰に巻かれたベルトのパウチから、ナイフと小さな水筒を抜き取る。

「濡らせば、貴方を殺せるって」

 

「可愛げのねえ女だ」

 小さく頭を振り、クロコダイルは控えめに嘆息した。




Tips
麦わらの一味のサンジとウソップとチョッパー。
 文字量の関係から見せ場をカット。すまんな。

ロビン。
 原作ではアラバスタ王国の年表を口にして誤魔化したが、本作では遺訓をでっち上げた。
 クロコダイルとの間に信頼関係は築けなかったけれど、数年の間、世界政府の追手から守られたことも事実。だから、アラバスタにプルトンは無いことをボカして伝えた。
 もっとも、その優しさはクロコダイルにとって侮辱だろうが。

クロコダイル。
 なんもかんも滅茶苦茶。どうして……どうして……

ベアトリーゼ。
 余程の相手でない限り、この女は敵に敬意や同情なんて抱かない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

118:アルバーナ決戦~新たなるアラバスタ~

NoSTRa!さん、ちくわぶさん、誤字報告ありがとうございます。

アラバスタ編が長引きすぎなので、巻きのため文字数多めです。御容赦を。


 背と肩から多腕を生やし、それぞれの手にナイフと水筒を握らせたロビンは、水筒を傾けてナイフを濡らす。

 

「腕を増やしたところで、俺を捉えられると思うな」

 クロコダイルは自らの体をさらさらと砂に崩し、地下廟内を塵旋風で満たす。

 

「広大な砂漠では手も足も出なかったでしょうね。でも、この狭い閉鎖空間なら」

 ロビンはコブラ王を引っ掴んで部屋の中央にあるポーネグリフの上へ飛び乗り、

八十輪咲(オチエンタフルール)ッ! 四本樹(クワトロマーノ)ッ!」

 部屋の左右両壁に生やした腕を束ね、巨大な腕を形成。その巨大な手の指先は天井に届きそうだ。

 

「フラーテンッ!!」

 多腕の持つ数本の水筒を宙に投げると同時に、ロビンは部屋の中央――自身の立つポーネグリフ目掛け、二本の巨腕による平手を一気に放つ。

 巨大な手のひらが部屋を満たす塵旋風も宙にあった水筒もまとめて押し潰す。

 砂塵と水飛沫が派手に飛び散る中、ロビンは舞うように振り返り、多腕の握る濡れたナイフを振るう。

 

 部屋を満たすほどの平手から逃れられる場所は、ポーネグリフの上だけ。そして、クロコダイルの性格なら、間違いなく背後に位置取り、回避と同時に攻撃を仕掛けてくる。

 

 読みは正しかった。

 多腕の握る濡れたナイフ達が、身体を形作り始めているクロコダイルを捉え。

 

 硬い金属音が響き、鮮やかな火花が躍った。

 

「手口と読みは悪くなかったぜ、ミス・オールサンデー」

 魔人の冷笑がロビンの耳朶を打つ。

 切っ先の狙いを胴体部に集中させすぎたために、クロコダイルは金属製の義手一本で複数の刃を防ぐことに成功していた。

「―――くっ」千載一遇の機を逃し、端正な美貌を歪めるロビン。

 

 クロコダイルは膂力で強引に多腕を弾き飛ばし、体勢を崩したロビンをどすり。

 

 部屋を満たす巨腕とロビンから伸びる多腕が花吹雪のように散り、ロビンは悲鳴の代わりに大量の血を吐いた。握られていたナイフ達がポーネグリフ上に落ちる。

 

「狙いを散らすべきだったな。首、胴、手足の動脈、同時に狙われたら流石の俺も防ぎきれなかった」

 嘲りながらクロコダイルは義手を振るい、ロビンをポーネグリフの上から床へ投げ捨てた。

 

 刹那。

 大きく重たい音が轟き、地下廟全体が強く震動し始めた。軋みたわむ不吉な音色が徐々に強くなり、部屋の全て――天井、壁、柱、床に亀裂が走り、ぱらぱらと目地が剥がれ落ちてくる。

 

 気づけば、コブラがポーネグリフ上から降り、壁際にへたり込んでいた。傍らには小さな石柱が転がっている。

「――何をした」

 

「大したことはしていない。この地下廟は小さな柱を一本抜くだけで、崩壊させられるだけだ」

 コブラは諦念ではなく信念で死を覚悟した人間特有の凄みを湛え、告げた。

「ネフェルタリ家第12代国王の名において、貴様のような邪悪はここで断つ」

 

「つくづくマヌケな王だな、テメェはよ」

 クロコダイルはコブラの覚悟をせせら笑う。

「俺の砂の能力を忘れたか? テメェのしたことは何の意味もねェ。いや、莫大な砂がお前とミス・オールサンデーを呑み込んで始末してくれるな」

 地下廟崩壊の唸りに嘲笑を重ねていたところへ、

 

「ワ~~~~~~~~~~~~ニィ~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 

 麦わらのルフィが飛び込んできた。

 魔人と王が驚愕して闖入者を見据える。

 

「……何度殺されりゃあ気が済むんだ、テメェはッ!?」

 クロコダイルの怒号を聞きつつ、ルフィは崩壊が進む地下廟と“ビビの父ちゃん”を一瞥し、巨大な石ころの傍らに倒れる“意地悪女”を見てから、答える。

「お前から取り返すまでだ」

 

「あ?」クロコダイルは怪訝そうに「取り返す? 俺がお前から何を奪った?」

「国だよ。この国だ」

 ルフィが無情動に応えれば、クロコダイルはカチンと来て眉目を吊り上げる。

「ふざけてんのか? 俺の国盗りを台無しにしたのはテメェらだろうがっ!」

 

「俺達がこの島に来た時には、もうとっくになかったぞ……っ! あいつの国なんてっ!」

 罵声を浴びたルフィは水色髪の少女が涙を流す元凶へ怒鳴り返した。

「ここが本当にあいつの国って言うなら、もっと、もっと笑ってられるはずだっ!!」

 

「意味の分からねェことを……っ! 水を持たねェテメェに何が出来――」

 クロコダイルの言葉を遮るように、ルフィの拳が魔人の腹を痛打し、苦痛と驚愕に歪む横っ面を殴り飛ばす。

 

 覇気っ!? いや違う。砂塵化を妨げられた。このガキ、まさか。

 ルフィはクロコダイルの推察を肯定するように、血塗れの拳を掲げる。

「血でも砂は固まるだろ」

 

 よくよく見れば、ルフィは全身傷だらけでそこかしこから血が流れ、ぽたりぽたりと滴っている。

 

 このクソガキ。

 大いに不本意だが。認めざるを得ない。

 クロコダイルは左の義手を操作し、鉤の覆いを外す。新たに顔を見せた鉤は禍々しい液体に濡れていた。

「毒針だ」

 

「そうか」ルフィは全く動じずに受け入れる。

 だろうな、とクロコダイルは内心で舌打ちする。このガキは海賊の決闘の流儀を分かっている。卑怯もへったくれもない。生き残った方が勝者だと。

「ここはじきに崩壊する。わざわざ相手をしなくてもテメェは死ぬが、気が変わった。認めよう。テメェは目障りな“敵”だ。ここで決着(ケリ)をつけてやる」

 

 死闘が始まった。

 

 血塗れの超人と傷だらけの魔人が崩壊していく地下廟で激闘を繰り広げる。

 長時間の拘束で衰弱したコブラと、重傷を負ったロビンは、戦いを傍観することしか出来ない。

 

 クロコダイルは毒鉤の左義手を振るい、全てを飲み干す右手を繰り出すが、ルフィを捉えられない。

 ゴムの伸縮と弾性を用い、崩落中の地下廟を自在に機動し、予測不能の攻撃と回避をやってのける。

 何より、クロコダイルの砂塵化を妨げるほどの出血を、武器として利用する精神性。

 覚悟や決意なんて言葉では、とても説明がつかない。

 

 イカレたガキだ。本気で死を恐れてねェ。

 忌々しさを覚えるクロコダイルは、自身が薄く笑っていることに気付かない。

 

 王下七武海でも秘密犯罪結社の首領でもなく、ただ一人の海賊として決闘を行うなど、いつ以来か。

 血が沸き立つほどの昂揚。体が燃え上がりそうなほどの昂奮。それでいて集中力と思考力は冷たく冴え渡っている。

 眼前の敵を倒す。そのことだけに心身が収斂されている感覚に、クロコダイルの口端が無意識に歪む。獰猛に。狂猛に。

 

 地下廟の崩壊が進むに比例し、超人と魔人の死闘も激しさを増していく。

 ルフィの変則かつ不可解な動きに慣れてきたのか、クロコダイルの攻撃がルフィに迫り始める。

 右手に捉えられれば、干殺し。左義手に捉えられたら、毒殺。ルフィは紙一重で必殺をかわし、一撃、一撃とクロコダイルへ叩き込む。

 しかし、倒れない。王下七武海の肩書は、“サー”の尊号は伊達ではない。

 

 左義手の毒鉤がルフィの肩口を削ぎ、ルフィの右踵がクロコダイルの顔を蹴り抜く。

 両者の間に距離が生まれる。クロコダイルが身を起こしながら薄く笑った。

「三度目の負けだ、麦わら。テメェがどれほどしぶとくても、この毒は耐えきれねェ」

 

「お前は分かってねェ」

 毒に冒されたと知っても、ルフィは平然と戦い続ける。その動きに、拳に、死への恐怖も動揺も一切ない。負傷も消耗も疲労も全てを無視し、全力を絞り出して戦い続ける。

 

 むしろ、勝利を確信したせいか、クロコダイルの方にこそ動きに陰りが見えた。

「分かってねェのはテメェだ。麦わら。テメェはもうじき毒で死ぬ。そもそも、万が一にもテメェが勝ったところで、この地下廟の下敷きだ。もう詰んでんだよ、お前は」

 

 クロコダイルの言葉を証明するように、サソリの神経毒が超人の肉体を蝕み始めた。ルフィの動きが急速に鈍くなっていく。

 だが、毒によって体が鈍く重くなろうとも、ルフィの戦意と闘志は微塵も衰えない。

 

「理解に苦しむぜ、麦わら」

 本心から出た言葉だった。クロコダイルは血達磨のルフィをまじまじと見つめる。

「テメェにゃテメェの目的があるんだろう? そのためにグランドラインに来たんだろう? それをたかだか数日つるんだ小娘のために投げ出すってのか? テメェだけでなく手下の命まで懸けるってのか?」

 

 肩で大きく息をしながら、ルフィはポーネグリフの傍らに倒れる“意地悪女”を一瞥し、

「……そこの意地悪女。お前がやったんだろ。自分の仲間を……お前は分かってねえ。だからそんなことが出来るんだ」

 これまで共に過ごしてきた仲間を思い浮かべながら言葉を編む。

「ビビはよ……弱っちぃから、人のためにまず自分の命を懸けちまうんだよ……“あいつ”に厳しいこと言われて腹を括っても、変わらねェ……放っておいたら、お前らに殺されちまう……っ!」

 

「そこまで分かってて、マヌケな小娘のために命を張るってのか」

 呆れ果てた魔人へ、超人が一喝する。

「それが仲間だろうがっ!!」

 

 猛々しく啖呵を切り、ゴムの超人は再び拳を振るう。

 しかし、ルフィが壮烈な覚悟や信念を備えようとも、出血が止まるわけではない。毒を無効化できるわけではない。

 ルフィが地下廟の床へ崩れ落ちる。

 

 崩落の轟音を掻き消すように、魔人が勝利の哄笑を響かせた。

 

     〇

 

 砂色の薄闇の中で繰り広げられた恐怖劇(グラン・ギニョル)が、ついに終幕を迎える。

 

 ビビ。麦わらの一味。チャカやペルを含めた国王軍。コーザが引きつれてきた反乱軍(彼らは武器を収め、白旗を何本も掲げている)。それに、たしぎの海兵部隊。

 王宮前広場に集まった全員が、残酷な見世物に唖然慄然愕然としている。

 

 血泥に彩られ、肉片と肉塊が飾られた広場の中心。返り血で真っ赤に濡れた主演の蛮姫が大きく息を吐き、疲れ顔で助演者を見つめた。

 醜悪な無貌の怪物は一方的に幾度も幾度も肉体を損壊され、致命傷を与えられ、身体の再構成を強制された結果。その体躯は今や三メートルほどまでに小さく貧相に衰弱しており、もはや憐れですらある。

 

「まったく惨めなナマモノだな。お前の気色悪さに観客の皆さんがドン引きしちゃってるよ」

 お前の所業にドン引きしてんだよっ!

 広場に居る全員が声なきツッコミを入れる。

 

 そんな周囲の無言のツッコミに気付くことなく、ベアトリーゼはもう抵抗することも出来ない怪物を容赦なく蹴り飛ばし、半ば広場に埋まっている特大砲弾へ叩きつけると、落ちていた国王軍の長柄や刀剣類を投げつけ、弾殻へ縫い付けるように串刺しにしていく。

 

「さてと……これから消し飛ばす、わけですが」

 ベアトリーゼは磔になった無貌の怪物へ歩み寄り、一枚のコズミン鱗で出来た無貌を引っ掴み、無理やり引き剥がした。あまりの激痛に阿鼻叫喚する怪物をしげしげと見つめ、『ここかな』と呟くや否や口腔へ右手を突っ込み、強引に奥へ押し込んでいく。

 

 よもやの蛮行にドン引きの周囲。流石にもう見ていられないと思ったのか、ナミとビビが意を決して止めに入ろうと広場へ踏み出した。

 その矢先。ベアトリーゼが口腔の奥から細長い奇妙な電伝虫を引きずり出す。S・I・Qと血統因子操作で人為的に造られた寄生型の変種電伝虫だ。

 

「どこの誰だか知らねーが……延々と覗き見してんじゃねーぞ、クソヤロー」

 ベアトリーゼは奇怪な電伝虫へ向かって吐き捨てる。

『ピロピロピロ……気づいていたか』と笑う相手。

 

 直感的に悟る。この野郎が化物の製造責任者だ。

「シキんトコの奴か。邪魔臭いナマモノを送り込んできやがって」

 

『こちらとしては実に素晴らしい知見とデータを得られたよ。特に君だ』

 既に腹を立てているベアトリーゼを、更に苛立たせるように語る相手。

 

「あ?」

『交戦中、君の血統因子情報を得られた……いや。実に興味深い』

 ピロピロと笑う相手が、感に堪えぬというように呟く。

『標本でしか見たことがなかったよ。ヒューロンの血統因子なんてね』

 

「……ヒューロン?」

 聞き慣れぬ言葉に訝るベアトリーゼ。そんな蛮姫をからかうように、相手は言った。

『知らないのか。ピーロピロピロ……君がシキの大親分の傘下に加わるなら、教えてやってもいいぞ』

 

「もっと良い方法がある」

 ベアトリーゼは宿主から剥がされ、急速に衰弱していく変種の電伝虫へ告げる。

「お前んとこに乗り込んで、洗いざらい吐かせてやる。楽しみに待ってろ」

 

『ナイスジョーク』

 通話が切れると同時に電伝虫は息絶え、ぐずぐずと身を崩していく。

 電伝虫の死体を血泥に投げ捨て、ベアトリーゼはシュマグの奥で暗紫色の眉目を吊り上げた。

 

「舐め腐りやがって……私のマシンをぶっ壊して、クソ邪魔臭い奴を寄こした挙句、意味深な謎ネタだぁ? 鶏ジジイ、とことん舐め腐りやがって……っ!」

 広場の全ての者が思わず仰け反るほどおどろおどろしい殺気を漂わせ、疲労限界で血走った眼を無貌の怪物へ向けた。

 

 額に青筋を浮かべ、ベアトリーゼは両手で特大砲弾を掴み、武装色の覇気を絞り出して肩口まで漆黒に塗り潰す。

 

「ふん、がぁああああああああああああああっ!!!」

 女性として許されない表情を浮かべて特大砲弾を持ちあげ、砲丸投げの要領でぐるんぐるんと回り始め。自身の膂力に回転の遠心力を加え、運動エネルギーが限界値に達した瞬間、直上に向かって投擲。

「おんどりゃあ――――――――――――――――っ!!」

 

 磔にされた無貌の怪物が相対風圧でひしゃげるほどの速度で、特大砲弾は天高く上昇していく。

 そして、ベアトリーゼが磔のために突き刺した刀剣類と、砲弾内に浸透させた振動波が衝突。炸薬内にバチッと高電圧静電気を発生させ。

 大爆発(デス・スター)

 

     〇

 

 崩落とは異なる強い振動が地下廟を揺さぶり、クロコダイルは時計塔から砲撃が行われたと認識する。

 役立たず共もようやくまともに仕事をしたか。国王軍30万全てが死んだわけじゃあるまいが、数千数万でも十分だ。崩壊した首都と大量の死傷者。これに国王とニコ・ロビンの消息不明が加われば、この国と世界政府と海軍は対応に追われ、自分の追跡に手が回らないはずだ。

 再起までの時間を稼げる。

 

 クロコダイルは倒れ伏している麦わらのルフィに向き直り、

「テメェのしぶとさは折り紙付きだからな。今回はきっちり心臓を抉りだしてやる」

 トドメを刺すべく踏み出した、瞬間。

 

 ルフィが立ち上がった。出血と疲労と毒で顔は土気色。四肢はおろか体全体が震えている。それでも、双眸は闘志に満ち溢れ、太陽のように強く激しく輝いていた。

 

 クロコダイルをして戦慄を抑えられない。

 なんで立てる。その出血で。毒が回った体で。

 なんなんだ、このガキは。

 

「毒なんかで死んだりしねえ。お前なんかに……負けたりしねぇッ!」

 ルフィは血塗れの拳を強く固く握りしめ、咆哮をあげる。

「俺は海賊王になる男だっ!」

 

「――昨日今日、グランドラインに入ったガキが……この海のレベルも知らねェで、ほざきやがる」

 クロコダイルは決意する。このガキはここで殺す。絶対に。

「くだらねェ夢を見ながら、くたばりやがれっ!」

 

 砂の魔人が残る全ての体力と気力を注ぎこみ、無数の砂刃を放つ。

砂漠の金剛宝刀(デザート・ラ・スパーダ)ッ!」

 

「ゴムゴムのぉ、ストームッ!!」

 対するルフィも全身全霊を込めた鉄拳の嵐を繰り出す。後のことなんか何一つ考えていない。精魂全てを絞り出して鋼鉄すら両断する砂刃を殴り砕き、魔人へ拳を叩きつける。雄叫びを上げながら、心肺が悲鳴を上げ、筋肉が焼きつきそうになっても、限界を迎えるその瞬間まで全力で殴り続ける。

 

「うおおおおおおおおおあああああああああああああっ!!」

 繰り出された最後の拳は漆黒に染まり、クロコダイルの意識を完全に断った。挙句、衝撃が地下廟の天井から地表まで打ち貫き、失神した魔人を瓦礫諸共に空高くへふっ飛ばす。

 崩れゆく地下廟の天井から覗く空は、砂色の闇が払われていた。

 

「――信じられん」

 コブラは感嘆を漏らし、限界を迎えて大の字に倒れたルフィの下へ歩み寄り、告げる。

「感謝する」

 

「いいよ」

 ルフィはニカッと無邪気に笑った。まるで太陽みたいに。

 

        〇

 

 大爆発の衝撃波に誰も彼もが地に伏して、音圧の暴虐に苦悶しつつ顔を挙げれば。

 砂色の闇は消え去り、仄かに雲がかかった青灰色の空が広がっていて。

 

 ぽたり。

 

 ビビの頬を何かが触れた。

「え?」

 頬に手を触れ、確認したビビは一瞬、“それ”が何か理解できなかった。

 

「……雨だ」

 ペルが、チャカが、周囲の将兵達が、コーザが、反乱軍の兵士達が、広場の全ての人々が、首都の内外に居る全ての者が、アラバスタ王国の全民衆が、茫然と空を見上げる。

 三年振りの雨。王国を二分し、同胞同士で相討つほどに求めた雨が、今、降り注ぐ。

 

 アラバスタのあらゆる人々が表に飛び出し、歓喜の声を上げながら雨を浴びる。これまで雨を奪っていた元凶を知る将兵と、自らの過ちを知る反乱軍を除いて。

 彼らはこの雨を素直に喜べない。まだ戦いは終わっていないから。取り返しがつかない罪を犯してしまったから。

 

 砂混じりの雨を浴びながら、ビビは広場を見回す。

 怪物の血肉と大量の血泥が雨に洗われつつある広場に、蛮姫の姿はない。

「……ベアトリーゼさんは、どこ?」

 

「何か落ちてくるぞ」

 いち早く立ち直ったゾロとサンジ、ペルがごく自然にビビとナミを守るように一歩前へ出る。

 

 そして、広場の真ん中に落ちてきた影は、アラバスタを苦しめた元凶。

 完全に意識を失った重傷の“サー”・クロコダイル。

 

「……勝ったんだ」

 ウソップの呟きが起爆剤となった。

 

「あいつが勝ったんだっ!」

 麦わらの一味が喝采を上げ、彼らの喝采に勝利を認識した国王軍と反乱軍も大歓声を上げる。

 ようやっと歓喜の声が首都を震わせる中、ビビは胸元の御守りを握りしめながら、周囲を見回して探し続ける。

 御守りの加護をもたらしてくれた悪い魔女の姿を。

 

 しかし、その姿はどこにもなく。

 それに、気づけば。

 麦わらの一味もまた、姿を消していた。

 

     〇

 

 雨が降り注ぐ王宮前広場。

 首都内の国王軍と首都外から駆けつけた反乱軍でごった返している。

 そして、歓喜の時は終わり、憤怒と復讐心の怒号に満ちていた。

 

 彼らの怒りが向いている先は、負傷兵だらけの海兵部隊で、彼らが捕縛したクロコダイルを始めとするバロックワークス幹部達だ。

 

「そいつらを引き渡せっ!!」「今頃、しゃしゃり出てきてどういうつもりだっ!」「旱魃で死んだ奴らの仇だっ!」「吊るせっ!」「首を刎ねろっ!!」「なまぬるいっ! 焼き殺せっ!」

 

 海賊の逮捕権は海軍が優先される。だから、海軍は世界政府加盟国に乗り込んで海賊を捕えることが出来る。常ならば、民衆は文句など言わない。

 

 だが、此度の件は事が大きすぎた。クロコダイル率いるバロックワークスの陰謀により、アラバスタ王国1000万人全てが、直接的間接的な被害を負った。経済損失はもちろん人的被害も凄まじい。

 

 その元凶と一味を前にして、怒りを爆発させない奴は、聖人か人格異常者くらいだろう。

 

「落ち着いてくださいッ! お願いですっ! 落ち着いてくださいッ!」

 たしぎも部下達も怪我を押して、喉が張り裂けんばかりに叫び続ける。

 正義を背負う彼らは、被害者達から加害者を守るため、罵声を浴びせられても、殴られても、汚物を投げつけられても、耐え堪え、言葉で訴え続ける。

 

 ビビやペル、チャカ、コーザも冷静になるよう呼び掛けるが、一度燃え上がった復讐と報復の炎はそう易々と消えない。

 

「鎮まれぃっ!」

 

 広場の端から端まで届く大喝が轟き、誰もが何事かと振り返り――

「……国王様だ」「コブラ様だ」「陛下っ!」「国王様だっ!!」

 

 死んだはずの護衛隊長イガラムを伴い、傷だらけの国王が広場に姿を現した。

 

 全てのアラバスタ人が即座に王のため、道を開けた。

 王の無事に、国王軍の将兵は歓喜と達成感を覚え。傷ついた王の姿に、反乱軍の将兵は罪悪感と後ろめたさを抱き。

 

「パパッ!!」

 ビビは父の許へ駆け寄り、抱きついた。

 王女ではなく娘として、無事に戻ってきた父を抱擁し、安堵と歓喜の涙を滲ませる。

 

 コブラは父として娘を抱きしめ返した後、王として周りを見回す。可能な限り、一人一人と目を合わせていく。

 

 チャカ。ペル。コーザ。国王軍の将兵。反乱軍の将兵。駆けつけてきた首都の民や難民達。

 

「怒りは当然。悔やみも当然。悲しみもやり切りぬ思いも当然。最悪は避けられても、失ったものはあまりに大きく、得たものはない」

 

 王の言葉は静かだった。雨音に紛れてしまいそうなほどに。

 広場に集まった者達は誰もが呼吸すら忘れ、王の言葉に意識を集中させる。

 

「だが、これは前進である。今日今この時に至るまで、各々が何を想い、どう決断し、何をしたか。過去を無きものになど誰にもできはしない。この争いと災いの上に立て。そのうえで」

 

 王は再び民を見回し、大声で叫ぶ。

「生きてみせよっ! アラバスタ王国よっ!!」

 




Tips
ロビンVSクロコダイル
 ロビンさん:砂に化けられたら手足も出ない……
       せや、部屋いっぱいの手を作って水ごと押し潰したろ!
 女野蛮人の悪影響。
巨腕形成からの平手潰し:フラーテン以外は原作技。フラーテンは英語で『ぺしゃんこにする』の意。
 
ルフィVSクロコダイル。
 決着。原作と違いを入れたかったけど、無理だった。

ベアトリーゼ。
 オリ主。
 野蛮人振りを発揮し、周囲をドン引きさせる。いつも通り。

ザパン。
 元ネタは銃夢。
 最後の最後までベアトリーゼに名前も素性も知られることなく、人間として扱われることすらなく、木っ端微塵に吹き飛ばされた。
 元ネタの最期より悲惨かもしれない。

ピロピロおじさん。
 劇場版キャラのドクター・インディゴ。
 口調が難しすぎる。再現に失敗している。済まない。本当に済まない。

ヒューロン。
 元ネタは『砂ぼうず』の世界観要素。元々は『ハルク病』と呼ばれていたが……
 詳細は後々。

王の演説
 内容は独自のものにしようと思ったけど、後のロビンとの会話や世界会議編を考えると、原作伏線っぽいので、ほぼそのまま。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

119:我ら麦わらの一味なり。

昨日は間に合わんかった。流石に力尽きた。
アラバスタ編のラストのため詰め込んでしまい、文字数多め。
これでも1万字から切り詰めたんや。勘弁したって。


「いやぁ~~~~~~よく寝た~~~~~~っ!」

 日暮れ時。ルフィが三日ぶりに目を覚まし、野武士のように高笑いを響かせ。

「腹減ったぁ~~~~~~あああっ!? 帽子ッ!! 俺の麦わら帽子はぁッ!?」

 

「目ェ覚ました途端、元気全開だな」

 サンジは紫煙を吹かしながら、微苦笑をこぼす。

「帽子ならそこだ。王宮傍に落ちてたのを兵士が拾ってくれてたぞ」とウソップがサイドボードを示す。

 

「はい、ルフィさん」

 ベッドの傍らに座るビビが、柔らかな笑顔と共に麦わら帽子を差し出す。

「おお、ビビ。ありがとう」礼と共に麦わら帽子を被り、ルフィは安堵する。

「よかった。ルフィさんが元気になって」ビビも胸をなでおろす。

 

「? 俺は元気だぞ?」と小首を傾げるルフィ。

「あんた、怪我とか熱とか凄かったのよ。チョッパーとビビが付きっきりで看病してたんだから!」

 ナミがルフィにツッコミを入れる。ちなみに、ナミも看病を手伝ったが、そんなことはわざわざ言わない。さらに言っておくと、美少女達に看病されるルフィにサンジがガチで嫉妬した。

 

 コブラ王の厚意で譲ってもらった気象学やグランドライン関係の書籍を整理しながら、ナミはチョッパーとビビに改めて礼を言うルフィへ、続けた。

「人外染みたあんたが三日も起きなくて、流石に少し心配したわ」

 

「三日っ!? 俺、三日も寝てたのか……」ルフィは目を真ん丸にし、額を押さえて「なんてこった……っ! 15食も食い損ねたっ!!」

「珍しく計算が早え。しかも1日5食計算だ」狙撃手は呆れ顔を禁じ得ない。

「たしかにそれぐらい食うな」一味の胃袋を預かるコックが頷いた。

 

「おぅ、ルフィ。目ェ覚めたか」

 一味に貸与された大部屋に、ゾロが帰ってきた。

「あっ! ゾロっ! 包帯はどーしたんだよっ!? さてはお前、またトレーニングしてきたなっ!? 傷がきちんと塞がるまで運動は控えろって言ってんだろっ!」

 小さな船医が小言を並べるも、

「大丈夫だ、チョッパー。傷は開かなかったからよ。もう治ったんじゃねーか?」副船長はしれっと答えた。

 

「全然治ってねェよコノヤローッ! 医者の言うこと聞けよっ!」

 チョッパーが喚き、ルフィは用意されていた果物を一瞬で平らげ。

「全然足りねえ……っ! 15食分を取り返さねえと……っ!」

「ああっ!? ルフィ、果物全部食うなよっ! 俺も食おうと思ってたのにっ!」

「テメェ、ルフィッ! ナミさんとビビちゃんに、フルーツ盛り合わせを出せなくなっただろうがっ!」

「暴れんなバカ共ッ!!」

 ウソップとサンジがルフィに食って掛かり、ナミの怒声が響く。

 

 そんな騒々しい一味を、ビビが心から嬉しそうに眺めていると、

「ん? ”あいつ”はいねェのか?」

 狙撃手とコックにとっちめられながら、ルフィが尋ねる。

 

 ”あいつ”が誰を指しているか察したナミは、小さく肩を竦めた。

「ベアトリーゼなら、戦いの後に姿を消したわ」

 争乱後に姿を消した女野蛮人に、ナミはしかめ面を作り、ビビは表情を曇らせる。

 

 今日の午前中、ナミは時間を見つけてビビと共に、アラワサゴ紛争で保護した女子供達へ会いに行っていた。

 

 かつてナミが保護し、ビビに託した戦災難民の子供達は、首都アルバーナの王立孤児院に預けられ、娘達も孤児院の職員として雇われていた。幸い、此度の争乱で過去のトラウマに苦しんでいるということもなく、子供達も娘達もナミとビビを笑顔で歓迎した。

 

 そして、彼ら彼女らから聞いた。

 先頃にベアトリーゼが密やかに訪れたらしく、どうやって調達したのか大金が寄付され、不格好なガラス細工が贈られていたという。ガラス細工はアラバスタ守護神の隼とジャッカルとあったけれど、どう見ても太ったハトと不細工なパグ犬だった。

 

 私達のとこにも顔を出せっつの。と内心で不満を覚えつつ、ナミは言った。

「今頃は、ニコ・ロビンを連れてこの国を離れてるわよ」

 

「そっか~……シャンクスのこととかウタのこととか、いろいろ聞きたかったんだけどなぁ」

 ルフィは残念そうに眉を下げた。ユバで会った時は状況が状況だったから、話を聞く機会が無かった。

「私、お礼もしてないのに……」とビビも切なげに嘆息をこぼす。

 

「またどっかで逢えるだろ。俺がエースに逢えたみたいによ」

 太陽のように笑うルフィにつられ、ナミとビビも釣られて笑顔を作る。

 

「まったく楽観的なんだから……でも、そうね。私もアラバスタで逢えると思ってなかったし。またどこかで逢えるかも」

「そうね。きっとまた逢える」

 ナミの言葉に全面的同意をして、ビビは胸元に下げた“御守り”を愛おしそうに撫でた。

 

        ○

 

 この夜、王宮の大食堂で催された宴は、後々まで語り草になるほど騒がしく賑やかで……誰も彼もが涙をこぼすほど大笑いした。

 

 この夜、宮殿大浴場で大国アラバスタの王が歳若き海賊達へ深々と頭を下げ、深甚の感謝を述べたことは、王国護衛隊長しか知らない。

 

 この夜。麦わらの一味は静かに王宮から立ち去った。

 

 王女は私室ではなく、あえて一味の去った大部屋のベッドを使い、夜の静謐さを噛みしめていた。

 麦わらの一味と過ごした時間はたった数日のことだったけれど、こんな静かな夜は随分と久し振りに感じる。

 

 盗み食いを企てる船長と狙撃手と船医。彼らを容赦なく蹴り飛ばすコック。夜な夜な鍛錬を始める剣士。寝ぼけて枕を投げたりする航海士。

 ……もう、誰もいない。

 

 ビビは静寂の中で数刻前のことを振り返る。

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 一味が抜け出す算段をしているところへ掛かってきた、電伝虫の念話通信。

 誰だと出てみれば、捕縛を逃れて捜索追跡されているボン・クレーだ。

 

 曰く――海軍によってアラバスタ王国の全港は監視され、この島の全体が海域封鎖されているという。メリー号が海軍に押収されそうだったから『友達』として、『善意で』移動させたそうな。だから、一緒に協力してこの島から脱出しましょ。サンドラ大河上流で待ってるわん。

 まとめれば、そんな内容だ。

 

 王と国軍に化けてナノハナを襲ったボン・クレーとその部下達は、逃亡中の最高幹部ニコ・ロビン同様に王国中から強烈に憎悪されている。ある意味、麦わらの一味よりはるかに厳しい状況にあった。麦わらの一味と協力して脱出というのは、理に適っているというか、他に手がないというか。

 

「……信用できるか?」と不安顔のウソップ。

「この場合は信じる信じないは関係ねェさ。船を取られてる以上、行くしかねェ。罠ならブチのめすだけだ」とサンジ。

 

「ボンちゃんは友達だ」ルフィは腕を組んで「ハチだって信じるもんのために昔の仲間と戦ったし、“あいつ”も友達と敵味方に分かれたこと気にしてなかったぞ。ボンちゃんを信じて良いだろ」

 

「ハチもベアトリーゼも、特殊な例だと思うけど……サンジ君の言う通り、行くしかないわね」とナミ。

「決まりだな。さっさと支度しよう」ゾロが皆に支度を促す。

 

 一味が準備を始める中、ビビは御守りを撫でながら、誰へともなく。

「私はどうしたら……」

 

 全員が顔を見合わせ、ナミが真っ先に口を開く。妹を気遣う姉のような顔つきで。

「12時間の猶予を上げる。もしも……私達と旅を続けたいなら、明日の昼、東海岸に来なさい。海賊として歓迎するわ」

「ビビちゃん。君はこの国の王女で、この国のために頑張ってきた。だから、俺達は勧誘までだ。決断はビビちゃんに委ねるよ」

 サンジがビビの胸中を(おもんぱか)って、優しく語り掛ける。

「来いよビビッ! 絶対来いよっ! やっぱ今、一緒に来いっ!」

「ナミとサンジの気遣いがパァじゃねェかっ!」「もう行くぞ、ルフィッ!」

 ウソップとチョッパーが喚くルフィを連行していく。

「なんでだよっ! ビビに来てほしくねえのかよっ!」

「そういうことじゃねえ。ビビが決めることだ。いいからさっさと来い!」

 ギャーギャー喚くルフィの連行にゾロが加わり、一味は王宮を去っていった。

 ・・・

 ・・

 ・

 去り際まで騒々しく賑々しい一行を見送り、ビビは思案する。

 

 全てを棄て、彼らと共に旅をするか。それはきっと想像できないほど楽しい。

 

 今や紐帯で結ばれた彼らと別れるか。それはきっとすごく寂しい。

 だけど、王女として務めを果たしていくなら……彼らと道を分かつしかない。

 

 ビビは答えを出せないまま、目を閉じた。

 御守りを握りしめながら。

 

      ○

 

 急遽、ビビの立志式を催す理由は偏に政治である。

 アラバスタを襲った国難が去ったとはいえ、傷はとても深い。であるからこそ、再起と復興の嚆矢として、ビビの立志式を催すことになった。

 

 本来は14歳の時に行うはずだったし、何より、今や王国におけるビビの人気は絶大の一言だ。

 100万余の反乱軍を止め、英雄を演じてこの国を滅ぼそうとした巨悪を告発し、内戦の危機から国を救った。また、紅い魔女(サーヘラ)を従えて、何処から現れたおぞましき悪魔(シャイターン)を討伐したとも語られている。

 

 アラバスタ国民は、この荒唐無稽な話を信じた。

 我ら自慢の姫様だ。偉業と逸話は多くても困らない。今や国を挙げて『砂漠の聖女』と謳うほどだ。

 

 そんな我らが姫の立志式である。

 早朝から、王国中の人々が首都に集まっていた。

 

 国の東西南北から老いも若きも、男も女も。誰も彼もが王家と姫様に敬意を示すべく式典に相応しく着飾り、窮乏に喘ぐ難民達すら能う限りの一張羅に身を包んでいる。

 王国中に報せるべく、ありったけの電伝虫と拡声器が用意されており、広場に据えられた放送機材の前で人だかりが出来ていた。

 

 そして、太陽が昼の高さに昇り――

 

       ○

 

 サンドラ大河河口部。ナノハナ沖。

 海賊の駆る“羊船”と犯罪者の乗る“あひる船”は、8隻の軍艦に包囲され、ボッコボコにされていた。

 

 2隻を包囲する艦隊の指揮官、海軍本部大佐“黒檻”ヒナは自身が能力者であるが故、能力者の限界を正しく理解している。

 能力者は総じて近接戦に長け、白兵戦で猛威を振るう。しかし、海上では? 海上でまともに戦える能力者はさほど多くない。であるなら、海軍が海軍たる長所を以て戦えばよい。

 

 全周包囲しながらも付かず離れずの完璧な艦隊運動。各艦の完璧な同時斉射による飽和攻撃。通常砲撃が能力者や強者に防がれると分かるや否や、砲弾の信管を時限信管に切り替えて目標上空で炸裂させたり、迎撃の難しい海面反跳砲撃に切り替えたりして殴り続ける。

 

 こうなると、麦わらの一味は手も足も出ない。なんたって船は武装した遊覧船に過ぎず、最低限を割るほど人数不足で、しかも海戦のド素人だから。

 能力者としての力を発揮できず、ルフィが歯噛みして吠えた。

「ちくしょーっ!! 白兵戦なら負けねぇのに! かかってこいよコノヤローッ!」

 

 怒声を聞いたヒナは全艦へ告げる。

「まだ余裕があるようね。もっと痛めつけて弱らせなさい」

 

 四方八方から砲弾が降り注ぎ、“羊船”と“あひる船”が肉を削ぎ落されるように損傷していく。

 ウソップが水飛沫を浴びながら必死に直した舷側が、即座に再び破壊される。飛散した木片を浴び、あちこち傷だらけ。

 

 ブチッ! ウソップは頭の中で何かが切れる音を聞いた。

「……これ以上、メリーを壊すんじゃねぇ――っ!」

 

 愛船をボッコボコにされ、小心者の狙撃手が恐怖と怯懦を忘れるほど激昂。照準合わせも装薬調整も、そもそも狙いすら合わせず、怒りに任せて闇雲に艦載砲――遊覧船の護身用の旧式砲をぶっ放す。

 

 天文学的確率の出来事――一言でいうと、奇跡が起きた。

 包囲南側の一隻に砲弾が命中。予備弾薬が大誘爆を起こして横倒しになり、僚船を巻き込んで転覆していく。

 

「すっげぇッ!! やったな、ウソップッ!!」「鼻ちゃん、やーるじゃないのよーぅ!!」

 まさかの結果に唖然とする狙撃手を、船長とオカマが手放しで称賛した。

「ウソップはヤベェ」「ルフィとは別方向に何を“起こす”か分からねェよな」

 ゾロが呟き、サンジがしみじみと頷く。

 

 包囲に穴が開いた。常識で言えば、即座にその穴から脱出すべきだ。

 しかし、傷だらけの“羊船”は東へ向かって進み続ける。

 

 戸惑うオカマ拳法家へ、麦わらの小僧が太陽のように笑いながら言った。

「仲間を迎えに行くんだ」

 

「ダチの……ため……ッ!?」

 その時、ベンサムに電流走る。

 

「……ここで逃げるは、オカマに非ずっ!!」

 ボン・クレーは大喝を放ち、部下達へ熱情を込めて言葉を刻む。

「命賭けてダチを迎えにいくダチを……見捨てて、オメェら……明日食う飯がウメェかよっ!!」

 

 ボン・クレーも部下もバロックワークスに身を置き、ナノハナを襲った実行犯。紛れもなく悪党である。同時に、彼らは悪党の世界に生きるがゆえに、友情と義理人情へ背を向けぬ矜持を掲げていた。愚かである。愚かであるが……だからこそ、他人様に後ろ指を差される生き方をしながらも、胸を張って死んで行けるのだ。

 

 頭目の熱情に染まった部下達と、呆気にとられる麦わらの一味に、ボン・クレーは滂沱の涙を流しながら、語りかけた。

「野郎ども、および麦ちゃんチーム。よぉーくお聞きっ!」

 

 

 

 麾下の2隻を沈められ、ヒナは美貌を強く歪めていた。無理もない。戦力の4分の1を失ったのだ。大損害と言っていい。

「“あひる船”が南進を開始っ!」と観測員が叫ぶ。「羊船は進路そのままっ!」

 

 ヒナは自身の双眼鏡を使って確認する。

 大佐へ至るまでに武装色の覇気をいくらか修得していたが、見聞色の覇気はあまり身についていない。本人の向き不向きもあるし、艦隊指揮官は多忙な役職だ。練度維持はともかく修行の時間なんて中々捻出できない。

 

 双眼鏡で見る限り、“羊船”は空っぽで、麦わらの一味も“あひる船”に移乗しているようだ。なるほど。足の遅いキャラックを棄て、あの下品なパドルシップに集合した、ということか。

 

 ヒナは美声を張った。

「全艦、“あひる船”を追跡っ! 各艦は本艦の強襲接舷戦闘を援護せよっ!」

 

 そして――ヒナの艦隊が“あひる船”を取り囲んで接舷すると、麦わら一味に変装したオカマ軍団が完全武装で待ち構えていた。

 やられた、とヒナが振り返れば。“羊船”が風と潮の流れを完璧に掴み、常識離れした速度で離脱していく。

 

 ヒナが屈辱に美貌を強張らせているところへ、

「まーぁ、あちし達に騙されても恥ずかしく思う必要は無いわよーぅ。なーんたって、あちし達は変装のエキスパートだものーっ!」

 ボン・クレーがくるくると独楽のように回りながら、ヘラヘラと笑う。

 

「――――」

 ヒナは眉目を吊り上げながらコートを脱ぎ棄て、両手に黒い皮手袋を装着する。ヒナだけではない。全ての海兵が静かに激憤しながら武器を構える。

 

 それは、ボン・クレーとて同じこと。煽りをやめてオカマ拳法の構えを取り、部下達も一斉に武器を構えた。

「あちし達のダチを追わせはしねェ……かかって、こいやっ!!」

「総員突撃っ!」

 ボン・クレーとヒナの激突が始まる。

 

「ありがとぉ~~~~~~っ!! ボンちゃん達のこと、忘れねぇからな――――っ!!」

 去っていく“羊船”から、麦わらの一味が力いっぱい感謝の言葉を叫んだ。

 

          ○

 

 太陽が真上に昇り、立志式が始まった。

 王宮のバルコニーに瀟洒な白と桃のドレスに身を包んだ影が姿を見せる。

 首都が揺れるほどの大歓声の中、我らの姫が語り始めた。

『少しだけ……冒険をしました』

 

 

 

『それは暗い海を渡る“絶望”を探す旅でした』

 麦わらの一味が哨戒中の海軍監視船と出くわすが、強引に突撃。砲弾を掻い潜りながら距離を詰めたなら。

 人外三匹が即座に軍船へ飛び移り、海兵達を千切っては投げ千切っては投げ。

 しまいにゃ勢い余って監視船を沈めてしまった。

 ルフィが叫ぶ。

「急げっ! 約束の時間に遅れちまうぞっ!」

『国を離れて見る海はとても大きく。そこにあるのは信じ難く力強い島々。見たこともない生物。夢と違わぬ風景。伝聞でしか知らない異なる文化』

 

 

 

 王女は、幼子へ読み聞かせをするように語り掛けてくる。

『波の奏でる音色は、時に静かに。小さな悩みを包み込むように優しく流れ。時に激しく。弱い気持ちを引き裂くように笑います』

 設置されたスピーカーの前で、人々は王女が見聞きしたであろう旅の光景を想像する。

 

 

 

『暗い暗い嵐の中。私は魔女さんに出会いました』

 ユバの町。トトはスピーカーから流れる王女の言葉を聞き、皆に言う。私も魔女に会ったと。

『悪い魔女だと名乗っていたけれど……魔女さんは私に魔法を掛け、導いてくれました』

 周りは冗談だと思って笑った。

 

 

 

『魔女さんが導いてくれた先で、一隻の小さな船に出会いました』

 コブラは愛娘の声に耳を預けながら、カップを口に運ぶ。その顔は柔らかな笑みを湛えていた。

『闇の中で惑う私に、船はこう言います。「お前にあの光が見えないのか?」』

 

 

 

『闇にあって決して進路を失わないその不思議な船は、踊るように大きな波も強い逆風も越えて……指を差して私に教えてくれる。『みろ、光があった』と』

 黒髪碧眼の美女が、子電伝虫から流れる王女の言葉を聞いていた。

『魔法を掛けてくれた魔女さん。光を教えてくれた小さな船』

 おめでとう。御姫様。私に出来なかったことを、貴女は成し遂げた。

『歴史はやがて、これを幻と呼ぶけれど、私にはそれだけが真実。そして――』

 不意に放送が途絶えた。

 

 

 

 式典会場だけでなく、首都は大騒ぎだった。

 王女を遠くからでも一目見ようと首都へ参じたというのに、バルコニーに現れたのが、女装した護衛隊長だったのだから。

 ビビ様はどこだーっ! 本物の王女様を見せろーっ! ザッケンナコラーッ! スッゾコラーッ!

 サツバツとした空気になり始めた式典会場に、冷汗を流しつつ、イガラムはこの場に居ない王女の心中を想う。

 

 

 

 アラバスタ王国東海岸を緩やかに進むボッロボロのメリー号。

 船長と船医が舷側に立ち、迎えを待つ友達を探して目を皿のようにしている。

 

「……ビビ、いねぇな」寂しげな船医。

「絶対にいるっ!」唇を尖らせて船長が叫ぶ。

 

「気持ちは分かるが……諦めろ」

「放送はアルバーナの式典会場からだろ? ビビちゃんは来ねェと決めたんだ」

 ゾロもサンジも、ビビの背負うものの大きさを理解している。この結末も予想していた。

 

「そんなことねぇっ!」だが、ルフィは認めない。「降りて探しに行こうっ! 絶対に来てるからっ!」

 やけに頑ななルフィに、ゾロとサンジもどう説得したものかと困り顔。

 

「おいっ! 海軍の追手が来たぞっ!」と後甲板からウソップが叫ぶ。

「ここまでよ、ルフィ」

 美貌を曇らせたナミが、ルフィの肩に手を置いて諭す。

「約束の時間は過ぎたわ。これ以上は待てない。あのオカマ達の献身も無駄になる……もう行きましょう」

 

「むぎぎぎぎ……」

 ルフィが歯噛みして唸ったその時。

『みんなぁっ!!』

 再びアラバスタ全土に王女の声が届く。

 

 

 

「ビビだぁっ!」「おい! メリーを海岸に寄せろっ! 早くっ!!」「ウソップッ! 舵をお願いっ! チョッパー、サンジくんっ! 操帆急いでっ!!」「おうっ!!」「海軍が来てんぞっ!?」「邪魔するならぶっ潰すだけだっ!! それよりビビだっ! 迎えに行くぞっ!」

 海岸に現れたドレス姿のビビに、麦わらの一味は大興奮してギャーギャーと大騒ぎ。

 

 そんな彼らの様子を瞬きする間も惜しむように見つめながら、ビビはカルーの背に乗せた電伝虫を使って、気持ちを告げる。

『お別れを言いに来ました!』

 冷や水をぶっかけられたように、唖然と固まる麦わら一味。

 

 

 

『私……皆と一緒には行けません。今まで本当にありがとう。冒険はまだしたいけど、私はやっぱり……この国を愛してるから!!』

 ビビは込み上がってくる様々な感情を堪えきれず涙を溢れさせながら、かけがえのない仲間達へ別れの言葉を告げる。

『だから、行けません!!』

 

 

 

『私はここに残るけれど……いつかまた、会えたらっ!』

 たった数日、共に旅をしただけ。けれど、一生変わらない絆を結んだ仲間達へ、ビビは大粒の涙をぼろぼろと流しながら、叫ぶ。

『もう一度仲間と呼んでくれますかっ!?!』

 

 

 

 追手の海軍が近いから、麦わらの一味は返事が出来なかった。海軍に王女が海賊とつながっているなんて知られたら、不幸しか生まない。

 だから。

 

 麦わらの一味は全員が後甲板に並び立ち、一斉に左腕を掲げた。

 アラバスタに入国する直前、ボン・クレーの変装能力への対策手段として、一味の全員が左腕に記した印をビビへ示す。

 これから何があっても、仲間である証を。

 

 

 

「出航~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 船長の号令と共に、麦わら髑髏の旗が強く大きくはためく。

 ビビは涙に濡れた顔に、16年の人生で最も美しい笑みを浮かべ、ゴーイングメリー号が水平線に姿を消すまで見送り続ける。

 

 愛おしい仲間達が海の彼方へ姿を消し、ビビが故郷へ帰ろうとしたその時。白い小さな影がビビの手元へ真っ直ぐ飛んできた。

 鳥かと思ったそれは紙飛行機で。翼には『Dear Princess Vivi』。

 ビビが目をパチクリさせながら周囲を見回す。紙飛行機が届けられそうなところに人影はない。困惑しながら紙飛行機を開く。ビビと麦わら一味の集合絵。短い手紙。差出人の名は―――

 

「ベアトリーゼさん……っ!」

 驚いて再び周囲を見回すも、やはり人影は見つからない。小さな落胆を覚えながらも手紙に目を通す。

 

 立志式の祝いの言葉に始まり。謝罪の言葉が並ぶ。挨拶もせず去ること。数々の”無礼”。アラバスタに仇なした親友を引き渡さぬこと。そして……。

『私の”魔法”に些少でも満足いただけたなら、幸いです。 貴女の友の悪い魔女より』

 

 ああ……。ビビは手紙と絵を大切に大事に抱きしめた。止んでいた涙が再び溢れ出す。

「ありがとう、ベアトリーゼさん……っ!」




Tips
ヒナの黒檻艦隊。
 原作では得体のしれない巨大槍をぶっ放してたけど、本作では通常砲弾。
 純粋な海戦の技量で麦わら一味を追い詰めた。

別れ。
 原作アラバスタ編の終わり方は本当に美しいから、本作主人公を噛ませなかった。
 噛ませなかった分、裏でわちゃわちゃやってる。

全面カット。
 事件後の描写は全てカット。
 王国の防諜体制と司直の捜査能力が大幅に強化されて、御上も民衆も血眼になってバロックワークス残党狩りをした。
 コブラの恩赦が下るまで、コーザを始めとする反乱軍主要幹部は拘留。
 残党狩りで捕まったバロックワークス関係者が悲惨な目に遭った。
 ウィスキーピークの連中が元バロックワークスだった事実を全力で隠蔽した。
 ――という内容。


長かったアラバスタ編、終了。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

120:感動シーンの裏側で。A面

前回、誤字報告の記載を失念しておりました。申し訳ありません。
118話の誤字報告:佐藤東沙さん、俊矢20000925さん、NoSTRa!さん、金木犀さん、しゅうこつさん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございました。
119話の誤字報告:佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 首都アルバーナの大決戦と三年振りの雨が降った翌日のことだ。

 

 アラバスタ東海岸。海軍本部大佐“黒檻”ヒナの戦隊が停泊している港町タマリスクに、ボロッボロになった本部曹長たしぎの部隊が到着。

 たしぎが自身の非力さと無力さと敗北感やら挫折感やらの失意に悔し涙をダバダバ流し、スモーカーに叱咤激励されていた頃……。

 

「知らない天井ね」

 ベッドに横たわるロビンが目覚めた。

 下手に動かず目だけ動かして探る。どうやら病室らしい。胸に走る鋭い痛みに顔をしかめながら上体を起こし、自分の身体を確認した。

 身体は綺麗に拭われ、清潔な患者着を着せられている。胸には包帯が巻かれ、左腕は点滴の管がつながれていた。それだけだ。手錠や何やらの類は無し。

 窓に目を向ければ、カーテン越しでも分かる快晴。

 

 ……と。ドアの外に足音が近づいてくる。状況と習慣から警戒心が生じ、いつでも能力が発動できるよう備えた。

 ノックも無しにドアが開かれ、現れたるは、

「お、目覚めたね。ロビン」

 緑のカットソーとデニムのホットパンツを着たベアトリーゼが、人懐っこい笑みを浮かべる。目の下にうっすらとクマが浮かんでいるけれど、ロビンのように仰々しく包帯などは巻いていない。

 

「ビーゼ」

 ロビンは親友へ控えめな笑みを返し、再び病室内を見回して尋ねた。

「ここは?」

 

「砂漠の診療所。遊牧民とか旅商人とか……盗賊とかを相手に商売してるワルい医者だよ」

 首都アルバーナから些か離れた砂漠。原作において特大砲弾から首都を守った隼の騎士が治療を受けた、小さな診療所。

 

 治療と口止め料でたっぷり毟られたと語りながら、ベアトリーゼはベッドの端に座ってロビンの顔を覗き込み、微苦笑をこぼした。

「胸をがっつり刺されてたのに、翌日には目が覚めて、血色もそう悪くないとか……ロビンも大概だね」

 

「ビーゼ」

 ロビンはベアトリーゼへ淡白に告げた。

「……アラバスタのポーネグリフは外れだったわ」

 

「具体的には?」

「プルトンは“新世界”のワノ国に封印されてるそうよ」

 つまらなそうに続け、ロビンは小さな、だが、失望を宿した嘆息をこぼす。

「“次”のポーネグリフの在処の情報は、このワノ国しかないわ」

 

「そっか」ベアトリーゼはあっさりと「新世界に行くには、いろいろ準備がいるね」

 ロビンは碧眼を瞬かせ、思わず大きく笑い、次いで胸に走った痛みに顔をしかめた。

「新世界は四皇と大海賊達が鎬を削る無法の海よ?」

 

「これまでと変わらないじゃん。なんも問題ないでしょ」

「ビーゼの楽観を聞くのは久しぶりね」

 くすくすと上品に喉を鳴らすロビンに、もう失意や落胆はない。

 

 同時に、今後について考え始める。

 ビーゼとまたリオ・ポーネグリフを探す旅をする。これは“決定事項”。

 

 問題はアラバスタからどうやって脱出するか。国軍と当局はバロックワークス最高幹部の自分を血眼で探しているだろうし、クロコダイルに赤っ恥を掻かされた海軍も躍起になっているだろう。それに数年振りに居場所が政府にバレた。サイファー・ポール辺りが緊急派遣されてくるはず。

 私もビーゼも昔より強くなった。だけど、2人で脱出を試みて、マーケットの時みたいな事態は絶対に嫌。

 

 となると――

 ロビンの脳裏に、太陽のように笑う少年が浮かんだ。

 

     ○

 

 時計の針を少し戻す。

 

 麦わらのルフィがクロコダイルを打破した後、地下廟の崩落がいよいよ深刻な状況になる中。

 ロビンは貫かれた傷口に布を押し込み、なんとか出血を止めることに成功すると、吐血で紅く濡れた歯を食いしばって立ち上がる。

 

 限界を迎えて意識を失ったルフィの許へ向かう。傍らのコブラが警戒心を見せるが、ロビンは気にせず懐から解毒薬を取り出し、ルフィの口へ流し込む。

 

「なぜだ?」

 コブラが問う。

「ゴムなら、瓦礫に埋もれても助かるかもしれない」

 ロビンの回答に眉根を寄せ、王は再度問う。

「違う。なぜ“嘘”をついたのだ」

 

 コブラはポーネグリフの内容を知っていた。そのうえで、完璧に知らぬ存ぜぬを通したのだ。自身はもちろん、一人娘の命が危ぶまれた時でさえも。最初から自分が死ぬつもりで、この地下廟の“罠”へ誘い込むために。

 

「……イジワルな王様ね」

 絶賛に近い皮肉を返し、ロビンは体力を振り絞ってハナハナの実の能力を駆使し、ルフィとコブラを立たせて支え、出口を目指し始める。

「正気か?」コブラは驚き「その傷で我々も連れていくなど無理だ。逃れるなら一人で」

 

「私は諦めない。絶対に」

 ロビンは口から血をこぼしながら、一歩一歩進んでいく。その歩みは亀より遅い。しかし、進んでいく。出口へ向かって。生へ向かって。

「さっきの話だけれど……どのみち、この国にプルトンは無いのだから、彼に真実を教えても意味は無いわ。それに、元々彼にあれを渡す気なんてなかった。私、プルトンが嫌いなの」

 

 血の気に乏しい顔に悪戯っぽい笑みを湛えるロビンに、コブラは言葉を失う。

「……分からんな。ならば、この国を亡ぼす手助けをしてまで、ここに来た理由はなんだ?」

 

「期待したの」

 ロビンは前を向いて歩き続ける。崩落の揺れにバランスを崩しながらも、一歩。一歩。

「プルトンに関わる内容なら、真の歴史を記したリオ・ポーネグリフのヒントもあるのではないか……とね」

 

「真の歴史?」

 コブラもまた残り少ない体力を絞り出し、自ら歩き出す。

「どういう意味だ?」

 

「そのために……ただ歴史を知るために……夢を叶えるために、私は世界の敵になる覚悟を決めたの」

 意識が薄れかけているのか、ロビンはコブラの問いに答えず自分へ言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。

「私は絶対に諦めない。約束した相手はビーゼだったけれど……そう。あの日、私はビーゼを通して母と皆にそう誓ったのよ。真実の歴史を知るまで、私は絶対に諦めない」

 

「……!」

 ニコ・ロビンはオハラの生き残り。政府を転覆させる研究をしていたとして焼かれたオハラ。だが、政府が焼く以前のオハラは? 考古学者達が集う学究の島ではなかったか。遠い日の記憶が蘇る。4000年の歴史を持つアラバスタだ。考古学とは縁が深い。歳若き日のコブラも、西の海からはるばるやってきた研究者達を見た覚えがある。彼らの純粋さと学究の熱意は、政府の言い分ととても一致しない。

 であるなら。

「そういう……ことなのか……っ? オハラが焼かれた真の理由は、語られぬ歴史を紡いだから……」

 

 アラバスタ王としてコブラは顔を蒼白にした。

「なんてことだ。ならばなぜ我々は――」

 自問は続かない。ロビンが力尽きたように姿勢を崩し、コブラも引きずられるように倒れ込む。

 

 が。床にぶつかる衝撃は訪れない。

「休んで元気になった。帰るぞ」

 いつの間にか目を覚ましたルフィが、ロビンとコブラを支えていた。ルフィはロビンを左肩に担ぎ上げ、コブラを右脇に抱え込み、ずんずんと歩き始める。

 

「あら。連れていってくれるの?」

 ロビンが蒼い顔で微笑めば。ルフィは大したことでもなさそうに反問する。

「叶えてえ夢があるんだろ? 絶対に諦めたくねえんだろ?」

 

「ええ」と頷くロビン。

「“あいつ”の友達なんだろ?」

「親友よ」と誇らしげに答えるロビン。

「俺の仲間の友達でもあるんだ。仲間の友達なら、お前も俺の友達みてえなもんだ」

「そうなの?」

 

 世間知らずな箱入り娘のように碧眼を瞬かせ、

「麦わら」

「おう」

 ロビンは素直にルフィへ言った。

「ありがとう」

 

「気にすんな」

 ルフィは屈託なく太陽のように笑った。

 

「君らが分からんよ」

 荷物のように抱えられたコブラが思わず苦笑をこぼすと、ロビンも釣られて微笑み、ルフィはいたずらっ子のようにシシシと喉を鳴らす。

 と、ひときわ大きな瓦礫が頭上からやってくる。ルフィが蹴り除けようと、ロビンがハナハナの実を使おうとした矢先。

 

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!」

 瓦礫が一瞬で木っ端微塵になった。粉塵の向こうで、全身を赤黒く染めた小麦肌の美女がアンニュイに微笑んでいる。

「やあ、御三方。迎えに来たよ」

 

       〇

 

 時計の針を戻す。

「そだ。ロビンが目を覚ましたら、聞きたいことがあったんだ」

 考え込んでいたロビンへ、ベアトリーゼが思い出したように言った。

 

 意識を内から戻し、ロビンは頷く。

「何かしら?」

 

「ヒューロンって知ってる?」

 ベアトリーゼは質問に接ぎ穂を加える。

「鶏ジジイんトコの奴が言ってたんだよ。私とヒューロンがどうのこうのってさ。でも、そんな単語、黒い手帳に載ってなかったし、心当たりもないし」

 

 親友の質問に答えるべく、ロビンは意識を内に注ぐ。記憶術で内的世界に築かれた全知の樹大図書館を巡り、書架にある一冊――記憶を見つけてページを開いた。

「ハッチャー日誌に記述があったわ」

 

「おお。流石はロビン大先生」と感嘆を上げておだてる親友。「で、ヒューロンって何?」

「……ごめんなさい、ビーゼ。具体的には分からないわ。文脈から察するに、何かしらの特定集団を表すようだったけれど」

 

「むぅ」ベアトリーゼは眉を大きく下げて唸り、気を取り直して「そっか。まぁいいや。急ぎじゃないし。それより今は身の振り方だ」

「この国を離れる。問題はどうやって、ね」

 ロビンは既に腹案を抱いていたが、まだ提案するには至らない。海賊王を目指す少年の船云々以前に、手元に小銭すらない。この島を出る以前の状況だった。

 まあ、その辺は実に頼もしい相棒がいるから、さほど心配はしてないけれど。

 

「金、物、高飛びの手段」

 ベアトリーゼの意見に、ロビンは懐かしさを覚えながら頷く。西の海でよくこのやりとりをした。

「レインベースの隠れ家(スキップアウト)に逃走用キットと資金が用意してある。クロコダイルも知らないものだから、司直の捜査にも見つかってないはず。ただ、レインディナーズのオフィスに、貴女のスケッチブックが置きっぱなしだった。今頃は司直に押収されてしまったかもしれないけれど……あれは絶対に回収したいわ」

 

「私のヘタクソな絵を?」と片眉を上げるベアトリーゼ。

「ええ。あれは私の“宝物”だから」

 ヘッタクソな絵を宝物などと言われ、ベアトリーゼは嬉しさと恥ずかしさに身悶えし、渋々了承する。

「ん~~……分かったよ。何とかする。それから、私の荷物だね。今頃はマシンともども海軍に押さえられてるだろうから、取り返しに行かないと」

 

「海軍に乗り込む気?」ロビンが神秘的な美貌を険しくする。

「大丈夫。ここまで護衛してきたお客さんの預け先だから。それにまあ、いつかの時みたく海軍大将と本部中将が出張ってきているわけでもないし、へーきへーき」

 あっけらかんと語る親友に、ロビンは深く深く溜息を吐き、神秘的な美貌に冷やっとする眼差しを浮かべた。

 

「えっ。なんでお説教モードになったの?」

 ギョッとするベアトリーゼを余所に、ロビンはお小言を始めた。

「貴方、もう20代半ばなのよ? 少し無鉄砲な真似は控えたら?」

「それを言ったら、ロビンはもう三十路手前……」

 口にしてからベアトリーゼはやらかしを悟る。

 

 ロビンがとてもとても優しい微笑をしていた。ただし、美しい碧眼はまったく笑ってない。ベアトリーゼは逃げ出す前に頬を掴まれ、

「ビーゼ?」

 ぎゅぅうっ!

「いたたたっ!!」

 ベアトリーゼが悲鳴を上げているところへ、ポケットの子電伝虫が鳴いた。

 

      ○

 

 ロビンに目配せしてしてから、ベアトリーゼは通話器を取る。

「どちらさま?」

『ステューシーよ』

 貴婦人然とした優美な声色とどこか親密そうな口調。

 この女ね。ロビンは電伝虫を見つめつつ思う。図々しい泥棒猫は。

 

『貴女が動くと騒ぎが起きることは承知してるけれど、今回はいくら何でも大きすぎない? チレン女史を海軍へ保護させるやり方も雑だったし……少しは自重して』

 溜息交じりの先方に、ロビンは密かに『分かる』と同意した。

 

「今回の件はあくまでクロコダイルと麦わらの一味が主役だよ。文句はあっちに言って」

『ああ。身の程を弁えないおバカさんね。王様ごっこがしたいなら適当な非加盟国を標的にすればいいのに。よりによって加盟国でも大国のアラバスタを選ぶなんて』

 ステューシーは苦りきった声で吐き捨てる。

『おかげで政府も軍も蜂の巣をつついたような騒ぎよ。冗談抜きで何人か死ぬわね』

 

「そりゃいい。笑える」

 せせら笑うベアトリーゼに怒ることなく、ステューシーは気品ある微苦笑を返し、

『そうそう、遅ればせながら挨拶させていただくわ。ニコ・ロビン』

 こちらが見えているかのように斬り込んでくる。

 

 ベアトリーゼは『任せる』と言いたげに肩を小さく竦め、ロビンは頷いて電伝虫へ冷ややかに応えた。

「私のビーゼがいろいろお世話になったそうね。イージス・ゼロにして闇社会の女帝さん」

 

 お前とよろしくする気なんて欠片もねェ、と言いたげな挨拶に、電伝虫の向こうから怯える子猫をあやすような微笑が返ってきた。

『貴女が政府関係者を嫌うことは仕方ないと思うから、その失礼な口調は見逃してあげるわ、“お嬢さん”。私個人は貴女に何の興味もないから、貴女のことを政府や組織に報告はしない。貴女の親友に誓っても良いわ』

 

 政府や組織の事情が直接絡めば話は別、と。ロビンは冷徹に計算する。ビーゼに対する好意への“ついで”としては充分か。

「……貴女を信じる気は欠片もないわ。でも、その言葉だけは信じることにする」

 

『結構』ステューシーは柔らかな調子で『それで連絡した理由なのだけれど、海軍はサンディ島の周辺海域を封鎖する気よ。包囲の環が締まる前に出た方が良いわ』

「今、その話をしてたところだよ。チレンに預けたトビウオライダーと私の荷物、今何処か分かる?」

 

『スモーカー大佐のところ。アラバスタ東岸の港町タマリスクに居るわ』

「へえ。まだアラバスタにいるんだ?」

『貴女の親友が彼の部下の大半を壊しちゃったから。あれじゃ操船作業が出来ない。動きようが無いわよ』

 ベアトリーゼに一瞥されると、ロビンは悪戯が見つかった幼子みたく微笑む。

 

『取り戻すことは構わないけれど、大佐と彼の部下を殺さないようにね。彼らにはチレン女史を本部まで届けてもらう必要があるんだから』

「了解、マダム」

 ベアトリーゼは大雑把な返事をしつつ、ふと思い出したように。

「そだ。一つ聞きたいことがあるんだけど」

 

『何? 約束の新しい潜水装備は、まだ用意できてないわよ?』

「マジかよ。や。聞きたいことは別件」

 追加報酬であるトビウオライダーの修理と新しい潜水装備一式をひとまず脇に置き、ベアトリーゼは告げた。

「ヒューロンって知ってる?」

 

『―――』

 電伝虫の向こうから息を呑む様子がありありと伝わってきて、

「……厄ネタだったか」「厄ネタみたいね」

 2人の長身美女は揃って確信した。

 

『どこでそれを?』

 貴婦人の声は心底苦々しそうで。

「シキんトコの奴から。エス……S・I・Qとかいう薬を開発した奴っぽい。私の血統因子と、ヒューロンの標本の血統因子がどーたらこーたら」

 

『……いくつか確認が必要ね』

 ベアトリーゼのいい加減な説明に溜息をこぼした後、この世界の闇に通暁する謎多き女スパイは慎重に言葉を選びながら、

『私の勘が悪い方に合っていたら、酷く不快な話になる。それから……』

 少し間を置いてから言った。

『おそらく、機密非合法作戦に関わってもらうことになると思う』

 

「拒否権は?」とどこか面白そうに目を細める蛮姫。

『貴女のルーツに関わることを知る機会を、永遠に捨てて良いなら』

 

「おやおや……」蛮姫は薄く笑い「回答はそっちの確認作業が済んでからでいい?」

『良いわ。二、三日ちょうだい。確認が終わり次第、また連絡する』

 通話が切られ、電伝虫が目を瞑る。病室に些か気まずい沈黙が降りた。

 

「ビーゼ」

 機先を制するように、ロビンの碧眼がベアトリーゼの暗紫色の瞳を真っ直ぐ捉える。

「私を置いて行くのは無しよ」

 

 へにょりとベアトリーゼの端正な顔が歪む。

「サイファー・ポールとの絡みだよ? 奴らが裏切ってロビンをとっ捕まえるかもしれない。少なくとも、今回の件で連れていくのは無理だ」

 

「嫌よ。絶対に嫌」

 不撓不屈の意志を向けられ、ベアトリーゼは返事に窮する。

 

 ここでロビンを連れていけば、原作の麦わらの一味入りが崩壊しかねない。かといって、麦わらの一味へ加えた後に政府の機密作戦へ従事する?

 ムリだろ。

 

 前世の原作知識が穴あきチーズでニワカなファンだったベアトリーゼは、ワンピース劇場版なんて見たこと無い。なんたって200億円近い興行収入を上げた『RED』すら見てない奴なのだ。シキが登場するストロング・ワールドなんか存在すら知らない。

 だから、この世界線において、麦わらの一味と金獅子海賊団が衝突する可能性を、最初っから考慮しない。先入観――漫画版原作チャートを知るがゆえの弊害と陥穽。

 

 悶々と思案するベアトリーゼに、ロビンは拗ねたように麗貌をしかめ、繰り返す。

「マーケットの時みたく置き去りにするようなことをしたら、“怒る”わよ」

「あの時はあれが最善だったって……」叱られた子犬みたいな顔になる凶悪犯。

 

「でも最高でも最良でもなかった」

 ロビンは伸ばした手をベアトリーゼの顔を添え、どこか寂しげに言った。

「もう離れ離れは嫌よ、ビーゼ」

 

 ベアトリーゼは何も答えない。答えられない。

 その沈黙に、ロビンは何を感じ、何を覚え、何を抱き、何を考えたか。

 ベアトリーゼは察することさえできなかった。

 




Tips
地下廟からの脱出。
 原作だと、ロビンは失意と絶望から死を望んだけれど、本作のロビンは決して諦めない。
 野蛮人のせい。

砂漠の診療所。
 原作でも登場したが、設定はオリ。
 なぜか診療所だけ砂漠にぽつんと立っている。

ステューシー
 原作キャラだけど、ほとんど本作オリ設定状態。
 本作を書き始めた時は素性が明らかになってなかったんや。許してクレメンス。
 なんだかんだ、ベアトリーゼに振り回されている人。だけど、ベアトリーゼに甘い。
『バカな子ほど可愛い』の心理か。

ベアトリーゼ。
 シキの本拠地へ乗り込む気になっている。
 ただし、ロビンを麦わら一味入りさせたいから、連れていく気はない。

ロビン。
 ベアトリーゼと離れる気はない。
 マーケットでの悲愴な別離が、少しばかりトラウマ気味なのだ。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

121:感動シーンの裏側で。B面

佐藤東沙さん、金木犀さん、烏瑠さん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 ベアトリーゼとロビンの行動は、ルフィが王宮で爆睡している間に進められていた。

 

 まずベアトリーゼがレインベースに赴き、ロビンの逃走用キットを始めとする荷物を回収。

 この時、司直の手を逃れようとするバロックワークスの下っ端グループを見つけたので、強盗働き。案の定、組織の金を持ち逃げしようとしていた。

 診療所へ戻る道すがら、首都に立ち寄ってアラワサゴ紛争の難民達が保護された施設に寄付と贈り物をした。出来る女はアフターケアの機会を逃さない。

 

 でもって、ルフィが目覚める日の午前中。

「麦わらの船に密航しろ、ですって?」

 砂漠の診療所の病室。ロビンはベッド脇で着替えを進めながら片眉を上げた。

「どういうこと?」

 

 ベアトリーゼはサイドボードの傍らに座り、ナイフでマンゴーの皮を剥きながら説明を始める。

「バロックワークスにオカマが居たじゃん? マネマネの実の」

 

「ボン・クレーね。まだ逮捕されてないの?」

 ロビンの問いに首肯を返し、ベアトリーゼは皮を剥いたマンゴーを切り分け、皿の上に並べていく。

「あいつ、部下を連れて島を脱出しようとしたんだけど、海軍の封鎖で立ち往生してるみたい。麦わら一味の船を回収して、サンドラ大河を昇ったから、多分麦わら一味と一緒に封鎖を破る気だ。ロビンはこの麦わらの船に密航して、アラバスタを脱出してよ」

 

「ビーゼはどうするの? まさか」

 マーケットでの別れを思い出し、ロビンが顔を強張らせると、

 

「囮役なんかしないよ。トビウオライダーを回収次第、ロビンが乗った麦わらの船へ合流するよ。潜水服は一着しかないから、ロビンを乗せられないってだけ」

 ベアトリーゼは親友の早合点に微苦笑を返す。デニムのポケットから子電伝虫を取り出し、サイドボードの上に置いた。

「この電伝虫を持ってて。私のトビウオライダーは念波を追跡して追いかけられるし、連絡も取り合える」

 

「……分かった」

 どこか不安そうにしながらも、ロビンは子電伝虫を受け取る。

 

 そんなロビンの胸中を察しているのかしていないのか。ベアトリーゼは切り分けたマンゴーを摘まみ、果肉の甘みに口端を和ませつつ、あっけらかんと言った。

「ロビンはそのまま麦わらの一味に参加しても良いかも」

 

「え?」

 予期せぬ提案に碧眼を瞬かせるロビン。

 

「心惹かれたでしょ?」ベアトリーゼはメスを振るうように「あれだけ仲間を大事にする一味。あの子達はビビ様のために命を張った。仲間と認めて貰えたなら、ロビンのためにも命を張ってくれるかもしれない」

 

 ロビンは思わず返答に詰まる。

 

 心から信じられる仲間。それは『失われた100年』と並ぶ、ロビンが求めてやまないものだ。

 今は亡き大きな親友サウロが告げた『いつか必ず仲間に出会える』という言葉が、色褪せることなくロビンの心に残っているから。

 

 麦わらの一味を……仲間のために平然と命を懸ける麦わらのルフィや彼の仲間達を見た時、かつて自分を守るために一人で海軍へ挑んだベアトリーゼの姿を強く思い出した。

 

 紐帯で結ばれた彼らに羨望を抱いた。全員が強い信頼で固く結束した在り方に憧憬を覚えた。

 彼らなら、サウロの告げたような“仲間”になれるかもしれない。彼らなら、ベアトリーゼと築いたような関係になれるかもしれない。そんな期待を抱いた。

 

「……否定はしないわ。彼らの在り方は美しいし、面白い子達だし……船長は“D”だもの」

 確かに麦わらの一味に惹かれている。でも彼らの輪に加わるにしても……

「もしも、よ? 私があの子達の仲間に加わったら、ビーゼも加わるのよね?」

 親友が共に、という絶対条件があってこそ。

 

「んー……どうかな」

 が、当人はどこか投げやりに応じる。

「ほら。あの子達って善人じゃん? 私みたいなワルはちょっとお呼びじゃなくない?」

 

「ビーゼが加わらないなら、私も入らない」

 ほとんど条件反射みたいな速度で、ロビンは言った。やっと再会できた親友と別れてまで、新たな仲間なんて欲しくない。

 

 その回答はベアトリーゼを内心で物凄く困らせていたが、ロビンが気づくわけもなく。

「まぁ……その辺りは先方の意向もあるし、今は脇に置いて、高飛びの話に戻ろうか」

 

 ベアトリーゼは問題を先送りした。

 怪我の影響でメンタルが不安定気味なのかも、と感じたし、メリー号に放り込んじまえば上手くいくだろ、程度の雑な考えがあった。

 いつも通りである。

 

 ともかく、ベアトリーゼは高飛びの段取りを話し始める。マンゴーを摘まみながら。

「まずは……ロビンをサンドラ大河の麦わらの船へ密航させる。それから私は東海岸の港町に居る海軍部隊のところへ出向いて、荷物とトビウオライダーを回収。海軍の封鎖を突破後、海上で合流する」

 

 自信たっぷりね……。ロビンは何とも言えない面持ちで、まじまじと親友のアンニュイ顔を見つめる。何かやらかしそう。

「……不安になってきたわ」

 

「大丈夫だって。上手くいくよ」

 にんまりと笑いながらマンゴーを摘まむベアトリーゼに、ロビンは神秘的な美貌を大きく大きく曇らせた。

「増々不安になってきたわ……」

 

        ○

 

 というわけで。

 やってきました、港町タマリスク。

 

 住民達が放送機材の前で、立志式の始まりを今か今かと待つ昼前。

 ベアトリーゼは港へ向かって進んでいく。

 

 港には海軍の船が一隻だけ停泊していた。どうやら“黒檻”ヒナ大佐の戦隊は既に封鎖作戦の準備に出たようだ。スモーカーの船が残っていた理由は乗員――海兵達のほとんどが骨折という重傷を負った負傷兵達だから。気象変化が激しいグランドライン内で、操船要員が全滅状態では動きようがない。

 

 海軍船に近づき、ベアトリーゼは不可聴域催眠音波を展開。人間と異なる可聴域を持つ犬猫や鳥達が仰天して一斉に逃げ出していく。

 船外に居た者達が次々と催眠音波の餌食となった。幻聴幻覚に囚われる者。茫然自失状態に陥る者。極度の鬱を発症してうずくまる者。金縛りに罹って身動きが取れない者。

 

 ベアトリーゼはタラップを昇って乗船。

 催眠音波を切って、甲板から艦橋へ向かって声を張った。

「こーんにちはー。スモーカーさんとチレンさんはいますかー?」

 

 すぐさま大型十手を握りしめた憤怒顔のスモーカーが現れた。強面に加えて青筋を浮かべる様は子供が見たら泣きだしそう。

「イカレてんのか、テメェ」

 

「イカレてるのよ」

 続いて現れたるは亜麻色髪の美女チレン女史。仰々しいほど仏頂面だ。

 

 右腕にギプスをした眼鏡っ子曹長たしぎも姿を見せる。あまりの困惑振りに、いがらしみきお作品のシマリスみたいな面持ちになっていた。

「貴女、正気ですか……?」

 

 全員から異常者のお墨付きを貰ったベアトリーゼは、男前な顔で答える。

「立ち話はなんだから、士官食堂辺りに案内してくれない? 飲み物は珈琲ね」

 

「――――――」

 この日、スモーカーは自分の自制心が思っていたより強いことを発見した。

 

 

 で。

 

 

 士官食堂のテーブルに、たしぎが4人分の珈琲が用意する。

 しれっと自分の分も用意して同席する気満々のたしぎをぎろりと睨み、スモーカーは早くもカップを口につけているベアトリーゼへ詰問する。

「テメェはニコ・ロビンを連れて、とっくに島を出てると思ったぜ。いったい何しに来やがった?」

 

 が。小麦肌の美女は出された珈琲に気を取られていた。

「わ。すっごく美味しい。官給の珈琲は苦い泥水ってのが通り相場なんだけど。ひょっとしてお姉さんの私物?」

 

 突然水を向けられ、たしぎは相手が凶悪犯であることを忘れて素直に答える。

「あ、はい。この街で良い豆が手に入ったので」

「和んでんじゃねえぞ、たしぎっ!!」スモーカーが眉目を吊り上げた。

 エクトプラズムのように紫煙を吐くチレン。

 

「用件は二つ」

 ベアトリーゼはカップを置き、続けた。

「君らが押収した私の私物の奪回。荷物とトビウオライダーを返してもらう。断るなら力づくで取り返すつもり」

 

 ピキッと青筋を走らせるスモーカーと緊張するたしぎ。そんな2人を無視して、ベアトリーゼは二つ目の用件を告げる。

「それと。そこのチレン女史に聞きたいことがあったから」

 

「私?」怪訝そうに眉をひそめるチレン。

「鶏冠ジジイの情報を頂戴。奴のいる浮遊島メルヴィユの大まかな位置。島内の地理。内部施設。特にピロピロ嗤うクソヤローがいる施設のネタね」

「え?」想像よりヤバい要求に戸惑うチレン「ちょっと。どういうこと? なんでそんな情報が必要なの?」

 

「簡単に言うと」ベアトリーゼは暗紫色の双眸を肉食獣のように鋭くし「あの鶏冠ジジイをぶっ潰してやろうと思ってさ」

 

「「「は?」」」

 海軍大佐と海軍曹長と科学者が完璧なシンクロで呆けた声を上げる。

 

 その様子に思わず苦笑しつつ、ベアトリーゼは追補を話す。

「やる時は私の単騎駆けじゃないよ。スパイの“お友達”も一緒だと思う」

 

「例のCP0か」

 スモーカーは苦りきった顔を浮かべた。

 

 レインベースから同期のヒナに協力を求めるべく沿岸付近を移動していたところ、ツギハギのトビウオライダーに乗ったチレンがやってきて、保護を求めてきたのだ。

 

 最初はアラバスタの難民か海賊被害者かと思ったのだが……金獅子のシキから脱走してきたことや政府筋の秘密作戦として凶悪犯:血浴のベアトリーゼに護送されてきた等々の事情を聞かされ、とんでもない厄ネタを拾ったと溜息をこぼした。

 

 が。甘かった。身分証明としてCP0エージェントへ直通の秘匿回線まで披露され、しかも件のCP0エージェントから『万難を排して本部へ護送するように』と命令されてしまい、もはや溜息も出なかった。

 

 トドメに。ニコ・ロビンに部下達を壊されてしまい、身動きとれないところに、これだ。

 スモーカーは灰皿に葉巻の灰を落とし、

「……解せねェな。凶悪犯のテメェがCP0とこそこそつるんでることは、まぁいい。諜報屋が犯罪者やゴロツキを使うのは珍しくねェし、そもそも政府が海賊を飼ってるしな。シキを狙うのも構わねェ。海のクズ共が潰し合う分には万々歳だ。だがな」

 ベアトリーゼを睨み据える。

「なぜ、このタイミングだ。何を企んでやがる」

 

「知りたがりは長生き出来ないよ、大佐」

 射るような眼光に晒されても、ベアトリーゼはしれっとしたままだ。戦闘能力の差を考えれば、当然かもしれない。

 しかし、スモーカーは微塵も臆さず踏み込んでいく。

「余計なお世話だ。さっさと答えろ」

 

 珈琲を口に運んだ後、ベアトリーゼは切り返す。

「交換条件。素直に荷物とトビウオライダーを返してくれるなら」

 

「良いだろう。持ってけ」スモーカーは即断即答。

「スモーカーさんっ!? 重要証拠をそんな簡単に――」

 たしぎが思わず目を剥くも、スモーカーはひと睨みして黙らせた。チレンが溜息をたっぷり混ぜた紫煙を吐く。

 

 取引成立だ。とベアトリーゼは頷き、話し始める。

「これは予定だけど……私は近いうちに空島へ行く。その際、空島経由でメルヴィユへ行けるかもしれない」

 

「え」たしぎは目を瞬かせ「空島は御伽噺じゃ」

「……空島はあるわ。(ダイアル)を知ってるでしょう? あれの出所よ」

 チレンが自身とスモーカーの紫煙が漂う天井辺りを見つめながら説明する。

「空島へ行く手段が恐ろしく危険なの。だから、地上と空島の交流は非常に限られている。空島の存在が御伽噺と言われるほどにね」

 

「疑問が増えたぞ、血浴。テメェ、空島へ何しに行く気だ?」

「今、チレンが言った(ダイアル)の調達だよ。トビウオライダーを弄り直したいんだ。ベースをエッグヘッド由来の人造生体部品から貝にするつもり。ついでにシキをぶっ殺そうってわけ」

 

 噓は言ってない。空島に行ったら貝を買えるだけ調達するつもりだ。ただし、どうやって行くか、“誰と”行くかを言わないだけ。

 

 ついで、で大海賊に挑むと宣う女に、スモーカーとたしぎは狂人を見るような目を向ける。チレンは遠い目をしながら珈琲を飲んだ。

 そんな三人の反応を無視し、ベアトリーゼは言った。

「というわけだから、メルヴィユの情報をくださいな」

 

「ダメだ」

 スモーカーは堂々と拒否した。

「コイツの情報は軍と政府の管理下だ。テメェの都合で渡せるもんじゃねェ。欲しけりゃCP0の担当を通せ」

「えっ!?」たしぎが驚愕し「スモーカーさんが手続きを求めるなんて」

「要らねェこと言うな、たしぎ……っ!」

 イラッとしつつ、スモーカーはベアトリーゼを睥睨する。険しい目つきが譲歩も妥協もしない、と雄弁に語っている。

 

「分かったよ。トビウオライダーと荷物だけで我慢しとく。揉めてまで欲しい情報でもないからね。ここで退散するよ」

 降参するように手を挙げて交渉を打ち切り、ベアトリーゼは珈琲を飲み干して腰を上げた。

 

「ああ。そうだ、スモーカー大佐。たしぎ曹長」

 ドアへ向かう足を不意に止め、ベアトリーゼは大佐と曹長を順に窺い、からかうように言った。

「受勲と昇進、おめでとう」

 

 “白猟”本部大佐は額に青筋を浮かべ、副官の曹長に命じた。

「たしぎ、荷物とトビウオを渡してさっさと追い出せ!」

 

      ○

 

 かくて、ベアトリーゼは荷物とトビウオライダーを大過なく取り返した。

 なお、軍艦の甲板上でたしぎと兵士達に監視されながら、ベアトリーゼは荷物の確認を済ませ、その場で潜水服に着替えようと服を脱ぎ出し、たしぎと海兵達を慌てさせる。

「!? ちょ、なんで服を脱ぎ始めるんですかっ!?」

 

「潜水服に着替えなきゃ、トビウオライダーに乗って出ていけないじゃん」

 共感羞恥で顔を紅くするたしぎに構わず、ベアトリーゼはスポブラ&スポーツショーツ姿になっていく。

 

 忘れがちだが、ベアトリーゼは美女である。

 アンニュイな面差し。身長180センチのすらりとした長身。小癪な胸と生意気なお尻。引き締まった腰回り。瑞々しい小麦肌。しなやかな健康美とたおやかな艶美。

 そんな美女が突然ストリップを始めりゃ、男ならガン見せずにいられない。

 

 もっとも、邪な視線を一身に浴びる当人は、犬猫に見られている程度の感覚だが。

 顔を真っ赤にしたたしぎは、ベアトリーゼへ宇宙人を見るような目を向ける。

「だからって、だからって……こんな衆人環視の中で脱がなくても……」

 

「ん? 言われてみりゃそうか。おい、人の裸をタダ見してんじゃねーぞっ! 見物料出せっ!」

 ベアトリーゼは周囲の兵士達へ声を張ると、たしぎが眉目を吊り上げて出来の悪い後輩を叱るように吠えた。

「違う! 違いますっ! 私が言いたいことはそうじゃありませんっ!!」

 

 そんなこんながあった後、ベアトリーゼは適当な岸の陰に身を潜め、スケッチブックに絵を描きながら待つ。

 太陽が南の空を過ぎた頃、町の拡声器から王女の声が聞こえてきた。

 同時に海上から戦闘騒音も届いてくる。

 ベアトリーゼは見聞色の覇気を展開する。

 

 そして。

 見た。

 

 大きな物語の一つの章が美しい終わりを迎える様を。

 

      ○

 

「「「「さみしー……」」」」

 海軍の追跡を振り切り、アラバスタ海域を脱した麦わらの一味は、寂寥感に打ちのめされていた。

 副船長を除いた全員が、後船楼のポーチの手すりに並んでメソメソとベソを掻いている。

 

「いつまでメソメソしてんだ。そんなに別れたくなきゃあ力づくで連れてくりゃあよかったじゃねえか」

 ゾロが鬱陶しそうに苦言を呈せば。

 

「うわぁ……野蛮人」トナカイがドン引きし。

「最低……っ!」蜜柑色のショートヘア娘が抗議し。

「マリモ……」金髪グル眉少年が悪態を吐き。

「三刀流……」麦わら小僧がズレたことを言い。

「おい。そりゃ悪口になってねえよ」長っ鼻が思わずツッコミを入れる。

 

「分かった。分かったよ。好きなだけ泣いてろ」

 ゾロが匙を投げた。直後。がちゃりと後船楼の出入り口が開く。

 船員はこの場に全員揃っているのに。

 

 え? と全員が目を点にして混乱しているところへ、密航者が陽光を浴びて眩し気に目を細めた。

「やっと落ち着いたわね。御苦労さま」

 

 肩口まで伸びた艶やかな黒髪。碧玉のような青い瞳。繊細な造作の美貌。180センチ台のすらりとした長身と長い手足。はっきりと主張する胸元と臀部。絞られた腰回り。シンプルな服装が素の美しさを艶めかしいほど表現している。

「日差しが強いわね。サングラスも用意しておけばよかったかしら」

 ニコ・ロビンは柔らかく微笑んだ。

 

 ええええええええええええええええええええっ!!?

 麦わらの一味は混乱しているっ!

 

「に、ニコ・ロビン!? なんでっ!?」動揺するナミ。

「組織の報復か? 受けて立つぜ」腰の刀に手を伸ばすゾロ。

「いつぞやの美しい御姉様ッ!」サンジは色ボケし。

「敵襲じゃあっ! 出合え出合えっ!」ウソップは錯乱し。

 唯一ニコ・ロビンと会ったことがないチョッパーは周りにつられて驚くも、ふと気づく。

「? 誰だ?」

 

 我に返ったナミが噛みつくように睨む。恩人(ベアトリーゼ)の親友でも、ナミには仲間(ビビ)の敵だった相手だ。気遣いなんてしない。

「あんた、どういうつもりよっ!」

 

 ロビンは勝手を知っているらしく、物置の扉を開けて折り畳み椅子を用意し、腰を下ろす。

「そうね。簡単に言うと」

「言うと?」

 困惑顔のルフィが鸚鵡返しして問い返す。

 

 ロビンはくすりと小さく微笑んで、言った。

「しばらくこの船に置いて」

 

 ええええええええええええええええええええっ!!?

 麦わらの一味は混乱しているっ!!

 

 




Tips
ロビン。
 友達の少ない女子中学生が引っ越しすることなり、仲良しと別れたくないと駄々を捏ねている心理に近いかもしれない。

スモーカー。
 チレンと遭遇やステューシーと通話などのシーンは文字量の都合からカット。
 なお、前者はヒナから『戦場でナンパとは、スモーカーくんも変わったわね』とからかわれた模様。

たしぎ。
 国王軍と反乱軍の激突が回避されたため、大きな見せ場は無し。気の毒。

チレン。
 本来はザパンに殺される予定だった……のだけれど、どういうわけか作者の手を逃れて生き延びた。

ベアトリーゼ。
 ロビンの麦わらの一味入りが思うより難しそうで、『なんで?』と首を傾げてる。
 お前が理由やぞ。



本年の御笑読ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

122:彼女のお願いごと。

佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます

新年ゾロ目投稿の誘惑には勝てなかった。


 アラバスタ王国の海域を出て数時間。

 オヤツ時を過ぎた洋上の空はまだまだ明るいものの、太陽は着実に傾いている。

 

 驚愕顔の麦わらの一味へ、密航者のニコ・ロビンはどこかからかうように言った。

「貴方達の頑張りで居場所が無くなっちゃったし、今は行く当てもないの。だから、しばらく居候させて」

 

「そっか。じゃあ仕方ねえな。良いぞ」

 唖然とする面々を余所に、船長のルフィはあっさり承知し、ロビンの居候を認めた。

 

「ルフィッ!!」

 あまりに軽々しく容認するルフィを見かね、船員一同が揃って叱声を上げるも、

「だいじょーぶだってっ!」

 ルフィはニカッと太陽のように笑う。

「こいつ、良い奴だからなっ!!」

 

 見ている方も嬉しくなるような笑顔。ロビンは微笑みながら思う。太陽みたいな子ね。

 

 ……必要なことを確認しよう。その方が建設的だもん。と自分に言い聞かせ、ナミがロビンへ問う。

「あんた、ベアトリーゼと一緒に高飛びしたんじゃないの?」

 

「ビーゼのトビウオライダーに乗るには潜水服が必要なの。私の分が無かったから、一緒に発てなかったのよ」

 なるほど。能力者がアレで移動するなら潜水服は必須。かつてベアトリーゼのトビウオライダーに乗ったことがあるナミは小さく首肯し、質問を重ねる。

「じゃあ、あいつは今どこよ?」

 

「さあ?」ロビンは小首を傾げ「でも、この船を追いかけてきてると思うわ」

「なにィ? どうやってだ? ビブルカードって奴か?」

 ウソップはアラバスタでルフィとエースのやり取りを思い出しつつ、横から口を挟む。

 

「いえ。この子電伝虫。ビーゼのトビウオライダーは念波を辿って移動できるそうよ」

 ポケットから子電伝虫を取り出して説明するロビン。

「なんか、さらっととんでもないハイテクを聞かされた気がする……」

 ナミは大きく肩を下げ、疲労感を覚えつつ、問いを続ける。

「結局、あんたは何が目的だったのよ。クロコダイルと組んでアラバスタに酷いことしてたくせに、ルフィやビビを助けたり……何がしたかったの?」

 

「私は歴史が知りたかった。たとえアラバスタから平和を奪い、滅ぼすことになっても」

 静かに語るロビンから確固たる決意と覚悟が伝わり、“尋問”するナミとウソップはもちろん、聞き耳を立てていたゾロも密かに身を強張らせた。

 ちなみに、ルフィとチョッパーはまったく聞いてない。ロビンが能力で生やした腕とじゃれ合ってキャッキャッと笑ってる。

 

「……そこまでして知りたい歴史って何なの?」

 ごくりと生唾を呑み込み、ナミが踏み込む。

「航海士さん。そこから先は、私と一緒に世界を敵に回す覚悟が必要よ」

 神秘的な美貌から放たれる絶対零度の迫力。

 

 さしものナミも怯み、長っ鼻が即座にイモを引いた。

「違う話をしようっ! サメの話とかどうだっ!?」

 

「ああ」ふと思い出したように、ロビンは宝石の詰まった小袋を取り出し「居候するからには御代を出さないとね」

「!! 好きなだけ居ても良いわっ!」ナミも尋問を放棄した。危険な情報よりお金の方が良い。お金は噛みつかない。

 

 こいつら……とゾロがこめかみを押さえた直後。席を外していたサンジが後船楼からやってきた。盆には珈琲と見事なスウィーツ。

「オヤツです♥ ロビンさん♥」

「予想通り過ぎてがっかりもしねェ……」そう嘯きつつも、ゾロのこめかみはぴくぴく蠢く。

 

「ウソップーッ!! ゾローっ! 見ろ見ろっ!」

 ルフィが声を張って注目を集め、麦わら帽子の両横からロビンの手を生やし、言った。

「チョッパー」

 わっはっはっ!

 

 大爆笑するゴム野郎と長っ鼻とトナカイ。泥棒猫は目の色を変えて宝石の勘定中。エロコックはナミ用のオヤツを用意するために厨房へとんぼ返り。

「―――どいつもこいつも」

 思わずため息が出た。ゾロは一味の締め役を自覚しているが、しているが……うーむ。

 

「賑やかね。いつもこうなの?」

 と、いつの間にか傍らに来ていたロビンがゾロに問う。ゾロはどこかバツが悪そうに、頷く。認めざるを得ない。いつもこんな調子だ。

「まあな。だいたいは……」毎日、とは言わなかった。見栄である。

 

「そう……いいわね」

 ロビンは賑やかな一味の様子を眩しそうに見つめ、柔らかく微笑む。何の含みもない、純粋な笑顔。

 ゾロが自分の懸念が空回りしているような錯覚を抱いた、刹那。

 

 不意にメリー号に影が掛かり、皆が空を見上げる。

 

 えらくスパルタンな体形の、デカいツギハギトビウオが高々と空を飛んでいた。

 日が傾き始めた蒼穹を舞う摩訶不思議な魚に、好奇心の塊達が歓声を上げる中、ロビンがどこか安堵したように呟く。

「ビーゼが来たわ」

 

      ○

 

「こんにちは。私の親友がお世話になってます」

 巨大トビウオを船尾に曳航させた後、ベアトリーゼはヘルメットを外し、麦わらの一味にペコリと一礼。

 

 これは御丁寧に、と応じた後。ルフィが手を挙げて訴えた。

「あのでっけートビウオに乗せてくれっ!」

 

「よせよせ。カナヅチなんだからよ。ココヤシ村でチャベスに乗ろうとして溺れただろ」

 ウソップがはしゃぎまくるルフィを宥めると、ベアトリーゼが反応した。

「チャベス? 世経記者のコヨミのシャチの?」

 

「そうそう」ナミが首肯し「東の海で出会ったの。あんたの知り合いらしいわね」

「うん。久しく会ってないなぁ」

 懐かしさを覚えながら、ベアトリーゼは航海士へ尋ねた。

「ところで……ナミちゃん。進路はどこ向いてる?」

 

「西北西よ」とログポースを示して答えるナミ。

「んー……」ベアトリーゼは思案顔で「そっちなら大丈夫かな」

「どういうこと?」

 不穏なものを嗅ぎ取ったナミが嫌そうに、ベアトリーゼに尋ねれば。

 

「アラバスタの以東には厄介な海域があってね。そこに紛れ込むと」

「紛れ込むと?」

 ルフィが期待感を込めて先を促したなら。

「チョー激ヤバな蛮族の巣窟に入っちゃう」

 

「はあぁっ!?」

 とんでもなく剣呑な回答にビックリ仰天の麦わらの一味。その様が面白かったのか、ロビンは微苦笑をこぼしながら、親友の言葉に頷く。

「そういえば、アラバスタの東には”白骨海域”があったわね」

 

「知ってるのかい?」げんなり顔のサンジがロビンに水を向けた。

「ええ」ロビンは頷いて一味の面々へ「名うての危険海域よ。バロックワークスも一度、調査に人を送り込んだけど、誰も帰ってこなかった」

 

「おお……すっげぇ面白そうっ!」

「ざっけんなっ! やめろっ!! お願いだからやめろっ!!」

 大冒険の予感に目を輝かせる船長。大惨劇の予感に慄く狙撃手。

 

「その蛮族の巣窟は君らに不向きだと思う」

 ベアトリーゼの進言にゾロが片眉を上げて訝る。

「? そりゃどういう意味だ?」

 

「殴り合って互いを認めて仲良く……とか絶対にない連中だから。むしろ君らの強さを知ったら、喜んで殺そうとするし殺されようとするね。海域を脱出するまでマジで殺し合い続ける羽目になるよ。もしも負けようもんなら」

 白骨海域で戦った白塗り蛮族共を思い出しながら語り、ベアトリーゼは不安顔のチョッパーへにっこり。

「そこの小さな船医さんは丸焼きか煮込みかな」

 

「ぎゃあああっ!? ルフィッ! 行くなよ絶対に行くなよっ!!」

 期待通りの反応だった。ベアトリーゼは満足顔でルフィに告げる。

「船長さん次第だ。この船の進路は麦わら君のものだからね」

 

 ほぅ、とゾロは密かに感心する。この女、“分かって”やがる。

 下駄を預けられたルフィは腕を組み、うんうんと唸りながら考え込む。

「うーん……たしかに殺し合いなんかしたくねェなあ。でも、チョー激ヤバ蛮族だろ? 誰も帰ってこない謎の海域だろ? 捨て難ェなぁ……」

「捨てろっ!! 今すぐ捨てろっ! 全力で投げ捨てろっ! 頼むから捨ててくれっ!」

 ウソップがルフィの肩を掴んで翻意を促すが、船長の反応は鈍い。

 

「チレンとアラバスタを目指す時に調べた限りだと……たしかこの先の島は肉料理で有名だったかな」

 小麦肌の美女の言葉に、万年腹ペコ小僧が激烈な反応を示した。

「よぉしっ!! 進路このままっ! 最大船速で突っ走れっ!!」

 船長の号令に、麦わら一味のヘタレ組が即座に呼応する。

「急げチョッパーっ! ルフィの気が変わる前に船を進めるんだっ!」

「分かったッ!! 俺、頑張るっ!!」

 

 ぎゃあぎゃあ喚く2人と1匹の様子に、

「見事に手のひらで転がされてるな」サンジはしみじみと煙草を吹かす。

「前に言ったろ。ナミより腹黒だ」ゾロは眉間に深い皺を刻んで慨嘆する。

「私を比較対象にすんな」ナミが遺憾の意を表明。

 

 ロビンはそんな一味を見て、和やかな笑みを湛えていた。

「……まるで、陽だまりにいるみたい」

 

         ○

 

 日が沈み、夜の帳が降り立つ。

 美女が二人も居候するなら歓迎会を開かねばならぬ、とコックの猛烈な進言を船長が認めた結果、甲板で宴が催された。

 

「――それで、ウタちゃんは言ったんだ。私にはルフィって男の子の幼馴染がいるもんっ! ……て。私は頷いてこう答えた」

 ベアトリーゼは心底気の毒そうな顔で、気遣うように告げる。

「ああ……想像上の」

「ひでえっ!」

 がっはっはっ!

 

 大爆笑する面々の中で、サンジがどす黒い波動をまとっていた。

「ウソップだけじゃなく、ルフィにまで可愛い女の子の幼馴染だと……? それも、世経に載ってたあの“歌姫”ウタちゃんだと……っ!? 俺は今、自分の中の獣を抑えられそうにねえ」

 

 酒杯を傾けていたゾロが、チョッパーへ教える。

「よく見とけチョッパー。あれが男の嫉妬だ。最悪に醜い」

「ぶち殺すぞマリモッ!!」

「ぁあんっ!? やってみろグル眉っ!」

 麦わらの一味の武闘派二大巨塔が大喧嘩を始め、野郎共がやれやれと囃し立て、航海士がやめんかと拳骨を落とす。そんな一味の様子をロビンは眩しそうに見つめていた。

 

 

 そして――

 

 

 昼間の逃避行の疲れに宴の酒はよく効いた。ビビと別れた寂しさを紛らわせるためもあっただろう。大騒ぎした結果、まずチョッパーが。続いてウソップが寝落ち。間もなくルフィとサンジもイビキを掻き始める。病み上がりのロビンも今やベアトリーゼの膝を枕に寝息を立てていた。

 タフなゾロはペースを大きく落としてチビチビと吞み続け、意図的に酒量を控えていたナミもまだ起きている。

 

 ゾロはナミを横目に一瞥してから、慈しむようにロビンの髪を撫でるベアトリーゼを、質す。

「お前ら、何を企んでやがる」

 

 ベアトリーゼはゾロへ目線を返すことなく、ロビンの髪を撫で続ける。

「私はともかく、ロビンは何も企んじゃいないよ。今は迷っているだけ。だけど、宴を楽しんでいた様子を見る限り……大丈夫そうだ」

 

「? ? ? 何の話よ?」

 橙色の瞳が真っ直ぐに見つめてくるも、暗紫色の瞳は受け止めない。

「私の方はまあ、企んでることがあるけれど、君ら絡みじゃない。交わることもない、と思う」

 

 ベアトリーゼは顔に『?』マークを浮かべる少年少女へ柔らかな微苦笑を返し、膝の上で無防備に寝息を立てているロビンの頬を優しく撫でた。

 次いで、顔を上げて問う。

「君は海賊王になるんだろう? 麦わら君」

 

「おう」

 いつの間にか起きていたルフィが大きく頷く。

 

「あんた、起きてたの?」とナミが目をパチクリさせ。

「今起きた」応じながら残っていた料理をぱくぱくと食い始めるルフィ。

 

 呆れ顔のナミとゾロを余所に、ベアトリーゼは続ける。

「ロビンの夢はね……君の夢に負けないくらいスゴいんだ」

 

「おお?」

 ルフィは地下廟の出来事を思い返す。

 

 重傷を負い、血を吐きながらもビビの父親と自分を抱えて出口を目指すロビン。叶えたい夢があると言っていた。絶対に諦めないと言っていた。そう誓ったのだと。

 自分と同じように。

 

「ロビンの夢はスゴい。ただ、それだけに多くの困難と辛苦を伴う。一人ではとても叶えられないほどに。だから……もしもロビンが君達と一緒に旅をしたいと言ったら、連れていってあげてくれないかな。ロビンの夢を叶える手伝いをしてほしい」

 そう願い出るベアトリーゼの表情は、親友への愛情と謙譲と献身に満ちていた。

 

 アラバスタで見せた恐るべき女戦士の面影は欠片もなく、ただ親友の幸せを願い、ルフィ達へ恃む一人の女性が、そこにいた。

 

 ナミは思わず身を震わせた。ナミにとって、ベアトリーゼはどんな時も決して人に恃んだりしない強い人間だった。そんなベアトリーゼが無力な女性のように振る舞う様に、衝撃を受けていた。

 同時に、強い欲求が湧きあがる。

 知りたい。この二人のことがもっと知りたい。ベアトリーゼとロビン。かつてその活躍に憧れたナミは、強くそう思う。

 

「……お前は手伝ってやらねェのか?」ゾロが口を開く。アラバスタで少し見聞きしただけでも分かる。この二人は間違いなく心腹の友だ。

「ロビンはお前と一緒に旅がしてェんだと思うぞ?」

 食べる手を止め、ルフィも異口同音の問いかけをした。

 

「そうだね。私もロビンとまた一緒に旅したい。また一緒に冒険したい」

 でも、とベアトリーゼは続ける。ロビンの髪を撫でながら。

「ロビンの、君達の大きな物語と私の小さな物語が交わるとは限らない。アラバスタではビビ様とロビンが縁を繋いでくれたけれど、この先はどうかな」

 

「「「?」」」

 少年少女達が揃って小首を傾げ、説明を求めるも、ベアトリーゼはそれ以上語らなかった。ロビンを起こさぬよう膝枕を外し、丁寧に御姫様抱っこする。

「私も寝かせて貰うよ。おやすみ」

 

 後船楼の中へ入っていった美女2人を見送り、ナミは大きく息を吐く。

「……入れてあげるの?」

 

「この船に乗りてェならな」

 ルフィは再び食べながら言った。そして、どこか楽しそうに言葉を編んでいく。

「俺はさ、海賊王になる。絶対だ。でもよ、同じくらい、皆の夢が叶うところも見てーんだ。ゾロが最強の剣士になるところ。ナミが世界中の海図を描き上げるところ。ウソップが勇敢な海の戦士になるところも、チョッパーがばんのーやくになるところも見てェし、サンジの言ってたオール・ブルーも絶対に見つけてェ。ワンピースを見っけるのと同じくらい、いや、もっとすっげーに間違いねェからな!」

 

 自分達の夢が叶うに決まっていると語られた面映ゆさ。なんかプレッシャーを掛けられたような重み。ナミとゾロが何とも言えない顔になる。

 

「俺達の夢に負けねェくらいスゲーっていう、ロビンの夢が叶うところも見てみてェ」

 だけどなあ、とルフィはちょっぴりしかめ面を浮かべる。

「”あいつ”があの調子だと、見られるか分かんねーなぁ」

 

 ナミはふと気づいて、ルフィに問う。

「ねぇ、ルフィ。なんでベアトリーゼのこと、名前で呼ばないの? ひょっとして……嫌い?」

 

「? 全然嫌いじゃねえよ? 悪企みが上手ェし、話も面白ェし、ビビや俺達を信じて約束を守ってくれたし、厳しーことも言うけど、すっげー良い奴だ」

 思いの外好印象だわ。ナミは小さく驚いて目を瞬かせる。

「なら、どうしてだ?」とゾロも不思議そうに尋ねた。

 

「だってよ」

 ルフィは言った。どこか難しい顔をして。

 

「あいつ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「「?」」

 ナミとゾロはルフィの発言がさっぱり分からない。

「それ、どういう――」

 ナミが問い質そうとするより早く、ルフィは大欠伸してごろりと寝転がり、即座に高いびきを奏で始めた。

 

「? ? ? どういう意味だと思う?」

「さっぱりだ」

 ナミが助け舟を求めるも、ゾロは肩を竦めることしかできない。

 

 柔らかな月明かりの下、メリー号は静かに夜の海を進む。

 寝た子を起こさぬように優しく。

 

        ○

 

 翌日の朝食後。

 久し振りにちょっと乗りたい。ナミのその一言で始まったトビウオライダー試乗会。

 

「だめだぁ、俺にゃあとても乗りこなせねェ……っ! てか、なんでナミはあんな簡単そうに操縦できるんだ?」

 試しに乗ってみたウソップは息も絶え絶え。舷側から黄色い歓声を上げてトビウオライダーを走らせるナミを窺い、感嘆をこぼした。

 

「ナミちゃんは天性の気象読みだし、感覚が鋭敏なんだろうね。だから、直感的に操作できる乗り物に適性があるんじゃないかな」

 ベアトリーゼが自己見解を披露する傍ら。

 

「人造の臓器なんて初めて見た! すげーっ!」チョッパーはサイボーグ化されたトビウオを医者として観察。

「そうね。凄い先進技術ね」はしゃぐチョッパーを見てロビンは思う。可愛い。

 

「俺も乗りたいぃ……っ!」ルフィが半ベソで唇を尖らせていた。

「潜水服がねーんだから諦めろ。乗ってもすぐに溺れるだけだ」

「能力者になるのも善し悪しだな。水遊びがまったくできねェ」

 ダンベルを振りながらゾロが宥め、オヤツを持ってきたサンジが苦笑する。

 

 と。水面を駆け回っていたナミが不意に止まり、空を指差しながら何か喚いている。距離があるため、よく聞き取れない。

 

「なんだ? 何か言ってるぞ」

「嵐の予兆でも見つけたんじゃねーか?」

 そんな会話を交わしながら船上の面々がナミの示す先、空を見上げれば。

 

 

 

 青空から超巨大ガレオン船が真っ逆さまに落ちてきていた。

 

 

 

「は?」ゾロは理解が追いつかない。

「え」ルフィは限界まで目を見開いた。

「何で――」サンジはオヤツ皿を落としたことに気付かない。

「「……!?」」ウソップとチョッパーは揃って顎を落としている。

「これは……」ロビンは反射的に脳内知識庫を漁り、目の前の出来事を解析する。

 

 人智を越えた事態に驚愕する面々の中で、ベアトリーゼだけが空を見上げながら、密やかに口端を吊り上げていた。

 原作チャート通りだ。

 




Tips
ロビン。
 ベアトリーゼが一緒じゃなきゃ麦わらの一味には入らない! と言っていたけれど、陽だまりのような居心地の良さに、早くも心揺れ始めている。
 主人公が放つ運命力は凄まじい。

ルフィ。
 周りはアホだと思っているけれど、その洞察力の鋭さはガチ。

ゾロ。
 一味の締め役。空回りすることも多いが、めげない。

ベアトリーゼ。
 彼女はまだ一味に加われない。自分の小さな物語があるから。


連続投稿はひとまずここまで。
今年も拙作にお付き合いいただければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

123:はれときどき巨大船

金木犀さん、佐藤東沙さん、一ノ原曲利さん、マイムマイマイさん、NoSTRa!さん、誤字報告ありがとうございます。


 陽光を浴びて煌めく午前の海原。サンジは煙草を吹かしながらしみじみと呟く。

「デタラメにも程があるぜ……」

 

 グル眉少年の視線の先。空から降ってきた巨大船の残骸がぷかりぷかりと波に揺られている。

 ほんの数秒前まで、緊急回避の操船に大わらわだった一味は皆どこかくたびれ顔。

 

「なんで空から船が降ってくるんだ?」

「少なくとも、今は何にもねェなあ」

 ルフィとゾロが揃って空を見上げるも、青空には鳥の影すらない。

 

「あっ!!」ナミが吃驚を上げた。

「ひぃっ!?」「今度はなんだよぅっ?!」

 悄然としていたウソップとチョッパーが、悲鳴と共に飛び上がる。

 

「ログポースが壊れちゃったみたいっ! 上を向いたまま動かないわっ!」

 ナミがログポースを何度を振ってみたり、保護ガラスをツンツンついたりするも、磁針は天を指したまま微動にしない。

 

「壊れたんじゃないわ、航海士さん。より強い磁力を持つ島によって、新しいログに書き換えられたのよ。指針が空を指しているなら」

 ロビンが落ち着かせるように語り、ベアトリーゼが言葉尻を継ぐ。

「“空島”だね」

 

 

「空島っ!?」

 

 

 少年少女達と一匹が素っ頓狂な声を上げ、再び空を見上げる。

「で、でも見える範囲に島なんて浮かんでねェぞ?」

 ウソップが狼狽えながら長身美女2人へ問えば。

 

「違うわ、長鼻くん。浮いているのは島ではなく、“海”よ」

 ロビンは女教師のような調子で説明する。

「はるか高空。白海と呼ばれる雲の海が広がり、その白海にある島々の総称を空島というの。少なくとも……学術上はそう定義づけられているわね」

 

 それはつまり、とルフィは要点を把握し、目をキラッキラ輝かせた。

「空に海が広がって島があるのかよっ! すっげーっ! 行こうっ! すぐ行こうっ!!」

 

「ちょっと静かにしててっ!」

 ナミは眉目を吊り上げてルフィを叱り飛ばし、

「空島なんて、これまで一度も聞いたこと無いわっ!?」

 ロビンへ信じられないと訴える。

 

 も、ベアトリーゼが宥めるように説明した。

「交流がほとんどないんだよ。私も詳しくは“知らない”けど、空島の存在が一般認知されないくらいにね。世界政府がどう扱ってるのかも分からないな」

 

「……あんた達2人は、空島へ行ったことは?」

 蜜柑色の髪の少女が期待を込めて、黒髪の美女と夜色の髪の美女へ尋ねる。

「私は無いわね。書籍で読んだことがあるだけ」

「私も無い。ただ、空島産の文物は“マーケット”で取引されてる」

 しかし、返ってきた答えは無情で、ナミは美貌を曇らせた。

 

「“マーケット”ってなんだ?」とチョッパーがベアトリーゼの言葉を拾う。

 ベアトリーゼは好奇心を隠さないトナカイへ言った。

「この世界最大の完全自由市場だよ。あらゆるものが取引されてる。たとえば、今チョッパー君が思いつく薬やその原料、それに医学書や医術書。その全てが手に入る、と思って良い。お金があればね」

「すげーっ! そんなとこがあるのかっ!」

 チョッパーが鼻息を荒くした。そこに行けたらどれほどの医学と医術を学べるだろう。

 

 サンジは舷側の手すりに身を預け、しみじみと煙草を吹かした。

「空の上に海と島があると聞いたと思えば、何でも手に入る市場か。グランドラインってのは本当に途方もねェなあ……」

 

 ロビンはコックの言葉に初めてグランドライン入りした頃を思い出し、小さく微苦笑し、困惑の濃いナミへ語り掛ける。

「これだけは覚えておいて、航海士さん。何が起きるか分からないグランドラインで、確実なものはログポースの示す指針だけ。この海ではログポースを疑うのではなく、まず自分の常識を疑うの」

 

「私のトビウオライダーみたく、ログポースを頼らない航海法が無いわけじゃないけれど……それはそれでリスクが伴う。今、君らにある選択肢は二つ」

 親友の言葉に接ぎ穂を加え、ベアトリーゼは右手の指を二本立てた。

「ログポースが示すとおりに空島へ行くか。私のトビウオライダーの念波誘導に従って進むか、だよ」

 

「ウチの船長がどっちを選ぶかは考えるまでも……て、ルフィはどこ行った? ウソップも」

 ルフィとウソップの姿がないことに気付き、ゾロが甲板上を見回していると、サンジが煙草の灰を落としながら、水面を漂うガレオン船の残骸を指差した。その顔はどこか呆れ気味だ。

「探検しに行った。面白そうなものがないか探してみるとさ」

「私もちょっと行って来ようかな。潜水服に着替えてくる」

 着替えのため、後船楼内へ去っていくベアトリーゼ。

 

 舷側の手すりに身を預けていたサンジが、船の傍に流れてきた長方形の大きな箱に気付き、ゾロとチョッパーを呼ぶ。

「ちょっと手を貸してくれ」

「どうした?」

「デケェ箱が流れてきた。拾ってみようぜ。何か分かるかもしれねェ」

 

 麦わらの一味の武闘派二人と変身トナカイは、メリー号の傍をぷかぷかと浮かぶ長方形の大きな箱をロープを使って引き揚げ、釘で頑丈に封じられた蓋をこじ開ける。と。

「ぎゃあああっ!? 骨だあっ!」チョッパーがビックリ仰天。

 

「こりゃ棺桶だったのか。期待外れだったな」とサンジが眉を下げたところへ。

「そうでもないわ」

 ロビンが棺桶に傍らへ屈みこみ、慎重な手つきで収められている白骨死体や品々を調べ始めた。

「遺体が身に着けている衣服や装飾品、棺桶に入れられた副葬品などから、いろいろ分かる。もちろん、遺体自身からも」

 

 法医学者が検分するように死体を調べ、ロビンは分かったことを確認するように並べていく。

「骨盤の形状から、この遺体は男性。大腿骨の長さから身長は2メートル前後。いくつか骨折の修復箇所があり。いずれも完治済み。頭蓋骨の縫合は終わっておらず……上腕骨の骨髄腔が上腕骨端線に近い。30代前半ね。歯が綺麗に残っているのは……タールが塗り込まれているから。これは南の海の一部特定地域の風習」

 

 ロビンが手に取って調べている頭蓋骨を窺い、サンジは気づいたことを指摘する。

「この頭蓋骨、穴が開いてるな。そこを突かれて殺されたってことか」

 

 一見すると妥当な推理に思えるが、考古学者の分析結果は異なった。

「いえ。穴は慎重かつ丁寧に開けられているから、おそらく手術痕ね。船医さん。貴方の見解は?」

 水を向けられた船医はおずおずと頭蓋骨を見つめ、考古学者へ首肯を返す。

「たぶん、穿頭術だ。脳腫瘍の進行を抑えるために頭蓋骨へ穴を開けるんだよ。でも、大昔の医術だぞ。今じゃ完全に廃れてる」

 

「サウス出身で壮健な体格、脳腫瘍で病死した30代男性。古い術式が用いられたことと着衣、副葬品の類型、死亡しても現地埋葬や水葬されず棺に入れていたことから見て……おそらく200年ほど前に派遣された探検隊の要人ね。少し待っていて」

 棺桶の傍から離れて女部屋に赴き、ロビンは荷物から一冊の厚い書籍を持って戻ってきた。

「その本は?」とゾロが興味半分に尋ねれば。

「グランドライン内で消息を絶った探検船の総覧よ。世界政府加盟国から公式派遣されているなら、これに載っているわ」

 

 ロビンは素早くページをめくっていき、答えを見つける。

「――あった。サウスのブリス王国。探検船セントブリス号。208年前に消息不明。登録されている旗と船首飾が落ちてきた船と一致する」

 

 古い遺体から落ちてきた船の素性を特定した手腕に、ナミは思わず舌を巻いた。

「凄いわ……死体一つで船の正体が分かるなんて……」

 

 ナミの称賛に野郎共も同意の眼差しを寄こす。素直な少年少女達の反応に面映ゆいものを覚えつつ、ロビンは言った。

「探検隊なら色々な証拠や記録があると思うけれど」

 

 残念ながら水面を漂っていたガレオン船の残骸はほとんどが海中へ没していた。

「もう沈んじ……?」ナミは鼻の頭に皺を寄せ「? ルフィとウソップはどこ?」

 

「ナミちゃーんっ!」

 トビウオライダーの背に乗ったベアトリーゼが海上から呼びかけてきて、報告。

「麦わら君と長鼻君が沈んじゃったーっ!」

 

 瞬間、ナミはさながらバカ息子にブチギレる母親みたいな形相を浮かべた。

「何やってんのあいつらはっ! 早く拾ってきてっ!!」

 

「はーい」

 ベアトリーゼはトビウオライダーを潜航させ、海中からルフィとウソップを抱えてきた。

 甲板に引き上げられたルフィは大量の海水を呑んでフグのように膨れ、白目を剥いていた。隣に転がるウソップは余程の恐怖を味わったのか、土気色の顔でぶるぶると震えている。

 

「ルフィはともかく、何でウソップまで溺れてんだよ」とサンジが溜息をこぼす。

 ウソップはぶるぶると震えながら、チョッパーが大急ぎで水を吐かせているルフィを指差す。

「溺れたルフィを助けようとしたら、足に索具が絡まっちまって……危うく二人一緒に海底まで一直線だった……っ!」

 

 やいのやいのと騒ぐ野郎共とは対照的に、女性陣は淡々と情報の共有を進めていく。 

「収穫はあった?」

 ナミの問いかけに、ベアトリーゼは潜水服の上半分を脱ぎ、袖を腰回りで結びながら答える。

「船体の一部を回っただけだから何とも言えないけど、元々かなり経年劣化してたみたいだね。そこへ落下の衝撃と海水が加わって一気に崩れちゃってる。ああ、でも船名は確認したよ。セントブリスだ」

 

 自身の調査と分析が正解だったと証明され、ロビンは満足げに頷く。

「ええ。凡そ、200年前の探検船よ」

 ベアトリーゼは片眉を上げ、いつの間にか引き上げられていた棺桶を一瞥し、合点がいく。

「流石、考古学者。それと船内には戦闘と略奪の痕跡があったね。まだ船内全てを見てないけれど、めぼしい情報が得られるか怪しいな」

「それは……」ナミが渋面を浮かべた、直後。

 

 ルフィが噴水と化した。メインマストのてっぺんまで届きそうな勢いで大量の海水を吐き出し、意識を取り戻す。

「……っ! マジで死ぬかと思った……っ!!」

 普通人なら既に死んでいるところだが。ルフィは大きく深呼吸し、ヒマワリが咲いたように笑う。

「お前ら見ろっ! すっげえもんみっけたぞっ!!」

 

 じゃじゃーんとルフィが掲げたそれは、一枚の羊皮紙。なんだなんだと船上の全ての目が注がれた。

「島の地図だな」「スカイピアってのが名前か?」「ひょっとして空島の地図かしら」

 皆の目が地図から発言者のロビンへ移り、

「そんな、本当に空島があるっていうの……っ!?」

 自身の常識と手元の地図が仄めかす現実の齟齬に、ナミは混乱と動揺に襲われる。

 

 も、そんなナミを置き去りに、

「やったぞウソップ、チョッパーッ! 空島は本当にあるんだっ! 空だぞ空っ!」

「すっげーっ!」

「早く行こうぜーっ!」

 ヒャッホーッ! と能天気に騒ぎ出す陽気な2人と1匹。前向きな奴らだな、と煙草を吹かすコック。マジであるのか? と空を見上げる剣士。長身美女の2人ははしゃぐ少年達にオトナな微笑を送る。

 

 一人悶々としていたナミが、自身と周りの温度差にキレる。

「勝手に盛り上がってるけど、空島の行き方なんて分からないわよっ!」

 

 冷や水を叩きつけるような物言いに、浮かれていたルフィ達はピキリと固まり――

「なんでだよっ! 航海士だろっ! 何とかしろっ!」

 既に空島へ行くことを決めていたルフィが血相を変え、ナミへ吠える。無茶なわがままを言っているようにしか見えないが、その実は『ナミなら連れていってくれる』という無条件の信頼と甘えだったりする。

 

 やいやいと言い始めた船長と航海士を横目にしつつ、チョッパーが期待を込めて問う。

「ロビンとベアトリーゼは、行き方が分からないのか?」

「ごめんなさい。私にも分からないわ」と幼子を相手にするように詫びるロビン。

「右に同じ。マーケットまで行けば、知ってる奴もいるだろうけど、そこまで行く間に他の島のログに書き換えられちゃうね」

 

 耳聡くベアトリーゼの言葉を聞き止めたルフィが、即座に反応。

「ダメだぞ! 次に行くのは空島だかんなっ!」

 

 この野郎。ナミは今にも噛みつきそうな目でルフィを睨みつつ、深呼吸。深呼吸。深呼吸。

 ――上等じゃない。いいわよ。あんたを空島に連れていってやろうじゃないっ!

「あくまで空島を目指すっていうなら……先の船が鍵よ。あんなでっかい船が空高くにあったんだもの。私達のメリーが行く方法は必ずある。そのためにも、あの船から何かしら情報を見つけるしかないわっ!」

 

「でも、大方沈んじまったぞ」とウソップがわずかな残骸の漂う水面を指差す。

「私が潜って調べてこようか? 終わるまで君らはここで待機になるけど」

 

 ベアトリーゼが提案するも、ナミは『手ぬるいっ!』と言いたげに首を横に振った。

「いえ、引き揚げるっ! この船には能力者が四人もいるし、そうでなくても、私以外は人外染みてるんだから、沈んだ船を引き揚げるくらい余裕でしょっ!」

 

 全員が思わず互いの顔を見合わせた。代表してベアトリーゼが言う。

「引き揚げは流石に無理だよ。対象がデカすぎる」

 

 ナミは魅力の詰まった胸を押さえるように腕を組み、

「仕方ないわね……なら、潜って調べるしかないか。ベアトリーゼだけじゃ手が足りないし……ウソップッ!」

 橙色の瞳に射竦められ、ウソップが若干仰け反る。

「お、おう。なんだ?」

 

「船にある資材で潜水装備を作ってっ!」

 航海士は手先が器用すぎる狙撃手に厳命し、船長と副船長とコックを順に見回し、続けた。

「三着ね」

 

      ○

 

 ウソップが甲板でトンテントンテンと潜水装備を作っていく。

 

 ベアトリーゼは興味深そうに作業を見物していた。

 世界的高水準の潜水活動装備と技術を持つ海上自衛隊の潜水士が、成し遂げた深深度潜水記録が約450メートル強。十分な装備を用いて、だ。

 ところが、ウソップは樽とゴムシートと排水ホースとロープで手作りした装備で、何とかしてしまうわけだ。

 

 クリマ・タクトといい、この潜水具といい……ベアトリーゼは思う。この坊主が海賊なんてやってるのは、世界の損失だな。

 

 一方、ベアトリーゼから顕微鏡を覗き込むような目で見つめられているウソップは、酷くケツの収まりの悪い思いを抱きながらも、手を休めることなく作業を進める。

 

 ベアトリーゼは顎先でウソップの潜水装備を示し、隣のロビンへ「どう思う?」

 ロビンはウソップが製作中の潜水装備をじっと見つめ、うん、と小さく頷いた。

「私達もいろいろ無茶をしてきたけれど、彼らには負けそうね」

 

 

 

 で。

 

 

 

 サンジが作った美味なる昼食を済ませた後。いよいよ海底に沈んだガレオン船目指してダイビング。

 ウソップ製潜水装備を装着した麦わらの一味主戦力三人組を、一言でたとえるなら。

 樽だ。

 

 冗談抜きで樽だ。大きめの樽にガラスをはめ込んだ覗き窓とゴムシートを加工した作業手袋が生えており、頭の天辺から排水ホースを応用した給気ホースと命綱が伸びている。給気ホースの送風機は足踏み式の空気入れだった。

 なお、樽一つで保護できるのは上半身だけなので、海水に触れたらへばってしまう能力者のルフィは連結した二つの樽に体を突っ込んでいた。

 

 さしものルフィもこれには絶句。

「何とかしろって言ったのは俺だけどよ……流石にちょっと……無茶じゃねェか?」

「ナミさん♥ 俺が必ず手がかりを見つけてくるぜっ!」サンジはここぞとナミにアッピル。

「―――」ゾロは瞑目して言葉がない。

 

 そんな三人へ、タイトな潜水服姿のベアトリーゼがくすくす。

「手の込んだ自殺にならないと良いね」

「こら、そこっ! 不安を煽るようなこと言うなっ!」ウソップは自分にも言い聞かせるように「お前ら、大丈夫だっ! 俺の設計に不備はねえっ! 多分っ!」

 

「幸運を祈ってるわ」

 蜜柑色髪の女王陛下が号令を下し、三人は海へダイブ・イン。

 

 人獣形態になったチョッパーが命綱のロープが巻かれたドラムのハンドルを回し、三人をゆっくりと潜行させていく。

「死体を樽に詰めて沈めるみたいね」ロビンは淡々と呟き、

「こえーこと言うなっ!」ウソップが遺憾の意を表明。

 

「いざとなれば私が連れ帰るよ。じゃ、行ってくる」

 ベアトリーゼは舷側からバックロールエントリーで海面へ飛び込み、海中でトビウオライダーに搭乗。沈降していく少年達に付き添い、海底に横たわるガレオン船を目指す。

 

「大丈夫かなぁ」

 ドラムのハンドルを一定速度で回しながら、毛深大男チョッパーが心配そうに水面を窺う。

「殺しても死なないような連中が4人も揃ってるんだから、何とでもなるでしょ」

 ナミが舷側の転落防止柵に身を預けながら告げる傍ら、ウソップが足踏み式空気入れをペコペコと踏み続けていると。

 

 聴覚が潮騒に交じる何かを捉えた。

 ウソップは怪訝そうに眉根を寄せる。

「? なんか聞こえねェか?」

 

 ナミとチョッパーは顔を見合わせ、周囲をきょろきょろ。

「……気のせいじゃない?」

「いや、確かに聞こえる」ウソップは両耳の脇に手を当てながら「なんか妙にテンションの高い歌が」

「あれかしら?」

 2人と1匹が、ロビンの指差した方角へ目を向けてみれば。

 

「さーるべーじさるべーじっ! さーるべーじさるべーじっ!」

 

 賑やかなシンバルとホイッスルの音色と共にマーチ染みた歌を奏でる、モンキーな巨大帆船が水平線からやってきた。

 船首に立つ、ゴリラそっくりの大男がバリトンの美声でシャウト。

「沈んだ船はぁ全部俺のもんだ! ウッキッキーッ!」

『ウッキッキーッ!』とモンキーな格好の船員達が完璧なコーラス。

 

 バナナをキメたのか、えらく陽気でファンキーなモンキー軍団のエントリーに、ウソップとチョッパーが呆気にとられ、ロビンが新たなトラブルに上品な微苦笑をこぼす。

 

 ナミは思わずぼやいた。

「次から次へと……誰か祟られてるんじゃないでしょうね」

 




Tips
空島。
 原作でも未だ謎が多い。世界政府との関係も不明だし、なんかすげー秘密がありそう。

ウソップ。
 海賊より技術者や科学者になるべきだったのではないか。

ナミ
 常識が壊されていく。

ロビン
 空島の概略は知ってるけど、詳細は知らない。

ベアトリーゼ。
 ウソップ製樽式潜水装備に苦笑いしか出ない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

124:淑女と貴婦人。

閑話回
佐藤東沙さん、nullpointさん、金木犀さん、しゅうこつさん、NosTRa!さん、hmzさん、誤字報告ありがとうございます。


「デタラメにも程があるぜ……」

 海面を眺めながら、ウソップはしみじみと呟いた。

「空から落ちてくる巨大ガレオン船。夢の空島。サルベージの猿軍団。突然の夜と超大怪物。流石に盛りだくさん過ぎるだろ。どうなってんだ、今日は」

 

 空から200年前の超巨大ガレオン船が降ってきて。

 ログポースの指針を空島に奪われて。

 沈んだガレオン船から情報を得るべく決死の潜水調査をすれば、どこからともなくサルベージの猿軍団がやってきて。

 気づけばちょっとした島ほどある超巨大ウミガメに丸呑みされかけて。

 トドメに突然の夜と巨人の何十倍もデカい怪物の影。

 泡を食って逃げ出して、なぜかメリー号に乗り込んでいたゴリラを蹴り出し、今に至る。

 

 なんとまあ盛り沢山な一日だ。

 ウソップの隣で、チョッパーがくたびれたようにへたり込む。

「俺、驚きすぎて疲れたよ……」

 チョッパーは目線を動かし、呆れと感心を込めて呟く。

「ナミは元気だなぁ……」

 

 船医が指摘した通り、ナミは野郎三人と女野蛮人が海底のガレオン船から持ち帰ってきた品々を確認し、元気な叱声を張っていた。

 

「手掛かりを探してこいって言ったのに、ガラクタばっかりじゃないっ! サビた剣にひん曲がった燭台、崩れかけの食器、それに……蛸? 蛸っ!!」

 食器の上でうねうねと蠢く蛸に苛立ちを刺激され、ナミは一層ぷんすかぷんすか。

 

「ナミさん♥ 綺麗な貝殻もあるよ?」

 空気を読まずにサンジが桃色の美しい貝殻を捧げるも、ナミは怒声で一蹴。

「いらんわっ!! 航海日誌とか海図とか、そーいうのを持ってきなさいよっ!」

 

「そうは言うけどな。マジで何もなかったんだ」

ゾロが緑の短髪を掻きながら宥め、ベアトリーゼが夜色の髪を弄りながら続ける。

「潜る前にも言ったけど、船のあちこちに戦闘と略奪の跡があった。価値のあるものはとっくに持ち去られたんだろうね。“上”でさ」

 

 ベアトリーゼが指差した空を見上げ、ナミは柔らかな唇をへの字に曲げた後、先ほどからうろちょろしている甲冑男をぎろりと睨む。

「……ルフィ。あんた、さっきから何やってんの」

 

「鎧拾ったから着てみた」

 似合うか? と言いたげなルフィ。

 ナミの苛立ちが沸点を越え、衝撃のファースト・ブリットが走った。

 

 殴り砕かれた鎧と共に甲板に転がるルフィ。ナミのハードパンチャーぶりに驚愕するゾロ。サンジはナミが貝殻を受け取らなかったことを照れ隠しだと語り、ウソップから『前向き過ぎるだろ』と呆れられている。

 

 ぷんすかぷんすかしながら、ナミは気を落ち着けるために蜜柑の木を弄るべく、後甲板へ。

「まったくどいつもこいつも……っ!」

「どうぞ、航海士さん」

 階段に座っていたロビンがエターナルポースを差し出した。

 

「! これ、どうしたのっ!?」

 驚くナミに、ロビンが柔らかく微笑む。

「さっきのおサルさん達の船からね。一応」

 ナミは橙色の瞳を潤ませて「ありがとうありがとう……っ!」

「……苦労してるのね」ナミの過剰反応に色々察したロビン。

 

「ジャヤって書いてあるわ」

 エターナルポースに刻まれたラベルを確認して呟くナミ。

 頭の中で地図を広げたロビンがおおよその現在地を想像し、いつの間にかナミの背後に来ていたベアトリーゼが眉根を寄せる。

「あら。思ったよりアラバスタから進んでいたのね」

「んー。ちょっと不味いかも」

 

「2人とも知ってるの?」

 ナミが水を向けると、

「バロックワークスは賞金稼ぎのビジネスをしてたでしょう? その筋でよく耳にした島よ」

 先日まで秘密犯罪会社の元最高幹部は澄まし顔で応じ、高額賞金首はちょっとバツが悪そうに答える。

「数日前にそこでシキの追手達をぶっ殺した」

 

 沈黙の天使が踊り、全員の目線がベアトリーゼに注がれる。

 ナミは眉間を押さえながら「詳しく」

 

 ベアトリーゼはあっけらかんと語る。

「チレン女史の件だよ。アラバスタへ行く前にジャヤで保護したんだけど、ついでに追手達をぶっ殺した」

 

「ついで、で人殺しすんなよっ! 怖すぎだろっ!」

「忘れてた! こいつ、懸賞金3億8千万ベリーの凶悪犯だったっ!」

 喚くチョッパーとウソップ。ごもっとも。

「「3億8千万……っ!」」

 ルフィとゾロがむぅと唸り、ライバルを見るようにベアトリーゼを凝視する。

 

「そこ、対抗心を燃やすな」ナミは大きく溜息を吐き「どうする、ルフィ。入島したら、こいつの面倒に巻き込まれるかも」

 

「んー。そーだなぁ」

 航海士に判断を求められ、船長は腕組みして思案を始めた。そこへ、狙撃手が御注進。

「待て。ルフィ。ジャヤに行ったらログポースが書き換えられねェか? 空島に行けなくなるぞ」

 

「そうだった!」ルフィは血相を変えて「ジャヤ行き無しっ! ナミ、俺は空島行きてェんだ!」

「良いわよ」ナミはあっさり応じて「でも、どうやって? 手がかりは無いわよ」

 

「えっ!? そりゃ……誰かに聞くとか」

 予期せぬ返しに、ルフィは目を瞬かせながら打開策を口にするが、声は小さく、いつもの勢いがない。

 

 そんなルフィへ、航海士がオプションを提示する。

「私達が今行けるところは、行き方の分からない空島と、おサル達の本拠地があるジャヤだけよ」

 

「そっか。ならジャヤで誰かに聞くしかねェな。ジャヤ行くぞッ! 進路ジャヤ舵ッ!」

「だから、ジャヤに行ったら空島に行けなくなるといっとろーが!」

 ウソップがすかさずツッコむと、ルフィは目を見開いて驚き、姉に縋りつく弟のような顔をナミに向けた。

「ああっ!? おい、ナミィッ!!」

 

 一連のやり取りを見ていたロビンが別解を提示する。

「すぐにログが書き換えられるわけではないし、長居せずにすぐ島を出れば、大丈夫だと思うわ。多少の運も必要になるでしょうけれど」

 

「おお。そんなウラワザがっ!」

 ルフィはロビンに称賛の眼差しを送り、海に響き渡るほど元気いっぱいに進路を宣言する。

「よーし、ジャヤ舵だっ! しゅっぱーつっ!!」

 

      ○

 

 麦わらの一味がアラバスタ‐ジャヤ間の海で右往左往していた頃。

 グランドライン某海域。

 しとしとと降り注ぐ雨。大きくうねる水面。

 ロイヤル・クリッパー型豪華客船はさして揺れもせず、悠然と波濤を越えていく。

 

「アラバスタの案件は計画通りとは行きませんでしたな」

 豪華客船の中でも図抜けて豪勢な特等客室。上等なスーツを着込んだ中年男がカップを口に運ぶ。口調と仕草には部屋の主に対する畏怖の念が見え隠れしていた。

 

「ええ。枢密院も些か失望を抱いておられます」

 部屋の主であるフラウ・ビマは冷たい微笑で中年男へ応じた。

 

 結い上げられた黒髪。優しげな顔立ち。程よい肉付きの身体を黒い和風ワンピースで包み、黒のストールを羽織っている。三十路半ばの優艶な姥桜。

 一見、気弱そうな双眸。しかして、漆黒の瞳は黒曜石のように冷たい。

 

「数年に渡って期待通りに踊ってくれた点は評価しますが、まさかグランドライン入りしたばかりのルーキーの海賊に敗れるとは」

 800年に渡って世界政府へ抗い続ける秘密結社は、かつて左腕を失くして間もない海賊へ近づき、囁きかけたことがある。

 ――プルトンを知っているか?

 

 以降、折々の機を見て陰からクロコダイルの計画に手を貸してきた。アラバスタの情報を提供したり。ダンスパウダーを供給したり。当然ながら、クロコダイルにこちらの工作を気取られぬよう注意を払って。

 

 もちろん、プルトンはアラバスタには無い。が、クロコダイルがその事実を知った時には既に手遅れ。アラバスタを滅ぼした咎で海軍に討伐される。砂漠の国で砂の魔人を倒すことは難しかろう。相当量の戦力がアラバスタのために費やされるはずだった。

 他が随分と手薄になるほどに。

 

 白磁のカップを傾け、黒髪の淑女は小さく息を吐く。気を取り直したように男へ尋ねた。

「クロコダイル氏を打ち倒したルーキーの海賊と、血浴のベアトリーゼが介入してきた背景の調べは?」

 

 中年男は首肯し、話し始める。

「では、まず“血浴”のベアトリーゼから。金獅子シキの下を出奔した重要情報提供者の護送を請け負っていました。シキの放った追手がアラバスタ人のいう“悪魔”ということのようです」

 

 また血浴か、とフラウ・ビマは整った眉を微かにひそめた。

「“血浴”が王女に与した理由は? クロコダイル氏の元にニコ・ロビンが居たことを考えると、彼女はむしろクロコダイル氏の側に立ちそうなものですけれど」

 

「噂レベルの情報となりますが」中年男は前置きし「“血浴”と王女は個人的知己があったと」

「……面白い縁故ですね」

 フラウ・ビマの脳裏に『?』マークが浮かぶ。どうしたら凶悪犯と大国の姫君が個人的知己を得るのだろう。世界は不思議に満ちている。

「件の“悪魔”のサンプルは? あれはおそらくドクター・インディゴの“作品”。貴重なサンプルです」

 

「肉片と血液を回収に成功したと報告を受けております。数日以内にラボへ届くかと」

「それは重畳」満足げに頷き、フラウ・ビマはカップを口元へ。

 

「次に件のルーキーですが……本名、モンキー・D・ルフィ。17歳。イースト出身。最新の懸賞金額は1億ベリー」

 中年男が続けた言葉に、フラウ・ビマはぴたりと固まる。漆黒の瞳に困惑を滲ませながらカップを卓に置き、確認の言葉を紡ぐ。

「その姓はまさか……“英雄”ガープの孫で“革命家”ドラゴンの息子ですか?」

 

「おそらく」中年男は言い辛そうに「それと、収集した情報からの推測ですが……“ゴムゴム”の実の能力者です」

 

 フラウ・ビマは思わず呆気にとられた。

 800年に渡り、この世界の支配者へ抗い続けてきた組織の中枢幹部だけあって、“D”のこともゴムゴムの実のことも、英雄ガープのことも、革命家ドラゴンのことも、サイファー・ポール以上に情報を持っていた。

 

 眉間を押さえ、フラウ・ビマはため息をつく。

「……百歩譲って“D”とゴムゴムの実が結びついたことは良しとしましょう。しかし……」

 

 あの無茶苦茶な“英雄”に崇高な計画を何度台無しにされたことか。

 あの夢想家が始めた“お遊戯”のおかげで、高邁な計画にどれほど修正が生じたことか。

 あの傍迷惑な親子の血を継いだ孫。もう想像がつく。絶対に一筋縄でいかないタイプだ。

 

 前向きに考えれば、偽神から世界を取り戻す刃に丁度良いかもしれない。

 しかし……

 フラウ・ビマは漆黒の双眸を雨の海へ向けた。

「きっとそれは魔女の鍋の底みたいでしょうね」

 

         ○

 

 同じ頃。

 情報機関最上位部局CP0のエージェント、ステューシーは天竜人フランマリオン家の大屋敷――実質的に研究所――へ足を運んでいた。

 

 フランマリオン家は“特異な”出自を持つステューシーに目を掛け、何かと便宜を図り、様々な優遇を与えている。

 むろん、飴ばかりではない。

 

 ステューシーは診察台の上に一糸まとわぬ姿で寝かされている。

 端正な顔。ほっそりとした首元。美しい鎖骨。寝そべっても山を維持する胸。引き締まった腹部。優美な曲線を描く腰回りや長い手足。体のあちこちに様々な計測器が取り付けられており、身体情報を“いつも通り”事細かに調べられた。

 

 身体情報に加え、毛髪。血液。涙。汗。体液。皮膚の細胞片などサンプルを“いつも通り”採取された後、ステューシーは簡素ながら上等な絹製の患者着を与えられ、中庭へ案内された。

 

 中庭と呼ぶには広すぎる空間は色彩豊かな風景式庭園で、繁茂した枝葉の緑をキャンバスに様々な色の花が咲き乱れていた。花々に交じり、ステンドグラスみたいな翅を持つ蝶達が思い思いに過ごしている。

 

 奴隷の首輪をつけた若い執事に煉瓦敷きの通路を案内され、庭園の中央にある四阿(あずまや)に着けば、風船に手足を生やしたような大兵肥満の醜男が茶を呑んでいた。

 

 その醜男がいるだけで、優美な自然庭園が邪神の住まう暗い森に思えてきた。庭園の各所に目立たぬよう配された護衛達は、さしずめ森に潜む悪霊か。

 

「定期検査、御苦労だえ。掛けるえ」

 邪神然としたフランマリオン家現当主はステューシーに着席を促す。

 

「御言葉に甘えさせていただきます」

 ステューシーは丁寧に応じ、執事の引いた椅子に腰かける。奴隷の首輪をつけた美しい侍女が見事な手つきでポットから白磁製カップに紅茶を注いでいく。

 

 いただきます、と告げてカップを口に運び、ステューシーは小さく頷く。

「サウス。ロシュワン産の葉ですね」

 フランマリオン聖は満足げに頷き、蠅を払うような手振りをする。奴隷の侍女と執事が広場から去っていく。護衛達も距離を取っていく気配がした。

 

「これで話がし易くなったな」

 天竜人特有の口調と言葉遣いを止め、フランマリオン聖は肥えた体躯を背もたれに預ける。ミシミシと椅子が哭いた。

「先の報告に間違いないのかね?」

 

「はい、聖。金獅子シキの手元にヒューロンの標本がある、と重要情報提供者が証言しています。情報提供者はヒューロンを知らなかったため、重要性を理解していませんでしたが」

 

 フランマリオン聖はカップを手に取って丁寧に嗜んだ。

「ヒューロン……アレは芸術だ。種としての“性能”はルナーリアやバッカニア、巨人には及ばないものの、発展性と拡張性は大いに優れていた。製作者が悪魔の実の能力者という事実に、父祖は随分と悔しい思いを抱いたと聞く。理解できる。アレは……とても美しかった」

 どこか懐かしげな面差しに浮かぶ回顧には、憧憬と嫉妬が濃い。

 

「鹵獲に成功した個体はわずかだった。それもあの“5匹”によって廃棄させられてしまった。辛うじて手元に置けた完全標本と資料も、魚モドキの襲撃時に全て失われた。今や、ヒューロンは……些少な記録にしか存在せん」

 心底忌々しげにパンゲア城のある方角を睨む肥満男。その目に宿る感情は、昏い。

 

 ステューシーは気づかない振りをしつつ、話を先へ進める。

「不勉強で恐縮ですが……御一族が手掛けられた試験体には、ヒューロンの血統因子を含めたものが居たかと。それらの血統因子から再現が能うのではありませんか?」

 

 質問に込められた裏の意図に気付くことはなく、フランマリオン聖は紅茶でのどを潤す。

「確かに“5匹”に廃棄を強制されるまでの間、鹵獲個体を用いて“繁殖”を試みた。しかし、ヒューロンの混雑種はラバのように繁殖能力を持たなかった。工房(アトリエ)と箱庭で随分と試行錯誤したがね。ついぞヒューロンの血統因子を継がせることも再現することも出来なかった。それだけに、現存する純血のヒューロンのサンプルや資料は全てが値を付けられぬほど貴重だ」

 

 カップを卓に置き、フランマリオン聖は澱んだ双眸を患者着の美女へ向けた。

「ステューシー。金獅子シキの拠点を攻略し、ヒューロンに関わる全資料を奪取せよ。手段も犠牲も問わん。この命令は最優先事項であり、五老星を含めたあらゆる干渉を拒否して構わぬ」

 

 居住まいを正して命令を拝聴したステューシーは、明眸皓歯な顔に驚きを滲ませる。

「よろしいのですか?」

 

 五老星は世界最高権力。天竜人とはいえ、軽々に扱って良い存在ではない。が、フランマリオンはいつもの傲岸不遜な笑みを浮かべ、ぐふふふと喉を鳴らす。

「奴らは我々に手を出せん。少なくとも、我々が奴らにとって有用な内は」

 

「畏まりました」ステューシーは折り目正しく一礼し「ドクター・インディゴが開発したという進化促進薬については、如何いたしますか?」

「むろん、確保したまえ。だが、あくまでヒューロンの標本と資料が最優先だ」

 フランマリオン聖は卓の傍を舞う蝶達を一瞥し、ステューシーへ諮問する。

「必要なものは能う限り用意しよう。現段階で何かあるかね?」

 

「そうですね」

 イージス・ゼロの特級女エージェントは素早く思考し、具体的な作戦の絵図を描く。目標は空に浮かぶメルヴィユ。ならば……

「僭越ながら……聖様の権限で今作戦に王下七武海バーソロミュー・くまの動員。加えて御家の“アレ”をお貸しいただけましたら。後はこちらで手配させていただきます」

 

 邪神染みた肥満体男は首のない顎周りを揉みながら応じた。

「くまの動員はなんとかしよう。それと、“アレ”に関してだが……型落ちで良ければ連れていきたまえ。損失しても構わん。好きに扱うと良い」

 

「御高配に心から感謝します。甘えさせていただきます」

 ステューシーは再び丁寧に一礼する。

 

 醜男は大きく頷き、肥え太った体躯に難儀しながら立ち上がり、

「私は次の予定が入っているので先に席を立たせてもらおう。君は茶を楽しんでいきたまえ」

「はい、聖。お時間をいただきありがとうございました」

 同じ立ち上がって礼をしようとする貴婦人を手で制し、四阿からのたのたと去っていく。

 

 と。フランマリオン聖は足を止め、振り返らずに。

「ヴィンデの娘の件だが」

 

 密やかに不安を覚えた人造人間(クローン)を余所に、邪神は庭園内を気ままに飛び回る蝶達を眺めながら、愉悦を込めて言葉を編む。

「このまま放置する。箱庭の外へ飛び出した小さな怪物(クリーチャー)が、この世界にどんな影響をもたらすか、この世界に何を与え、何を奪うのか……運命に斃れ、業に潰されるまでに何を遺すのか。実に興味深い」

 

 ぐふふふと楽しげに嗤いながら、フランマリオン聖は中庭を去っていく。醜い邪神の移動に伴って周囲から護衛の気配も消えた。

 

 中庭に一人残され、ステューシーは疲労感を覚えつつも気を抜かない。ここは邪神の腹の中。どこに耳目が潜んでいるか分からなかった。

 貴婦人は美しい庭園と蝶達を眺めながら、勧められた通り茶を飲む。

 

 フランマリオンの言葉が正しいなら、純血のヒューロンは既に絶滅。混血は一代限りで血は継がれない。なら、どうしてベアトリーゼの血からヒューロンの因子が?

 

 あの子はヴィンデ・シリーズの血筋。それは間違いない。でも、ヴィンデにヒューロンの血が混ぜられたという記録はなかったし、あの子の父母どちらかがヒューロンだったということは時代的にあり得ない。

 東の海へ逃がした狂人から、話を聞く必要がある。

 貴女は思った以上に複雑な出自なのかもしれないわね、ベアトリーゼ。

 

 カップの茶を干しかけた頃。首に奴隷の輪を付けた侍女が手荷物を持ってやってくる。

「聖様より、ステューシー様へこちらの御衣裳が下賜されました」

 卓上に並べられる衣服。セクシーな下着とタイツ。裾丈の短いワンピースドレス。膝丈のロングブーツ。トレンチコート。指輪などの装飾品。そして、鼻から頭頂部まで覆う瀟洒なマスク。

 

「ありがとう。聖には重ねてお礼申し上げると伝えてちょうだい」

 いずれも高価な最高級品質だが、歓楽街の女王は極めて儀礼的に微笑むだけ。それどころか内心では――

 悪趣味ね。

 そんな感想を抱いた仮面の縁に、蝶が留まった。

 




Tips
ナミ
 苦労してる。

フラウ・ビマ
 オリキャラ。元ネタは銃夢:火星戦記のキョーコ・ビマ。
 秘密結社の大幹部で、三十路半ばの淑女。
 ガープやドラゴンのことをある程度知っている模様。

”抗う者達”
 オリ設定。
 クロコダイルにプルトンのネタを差し込んだ黒幕組織。

フランマリオン
 オリキャラの天竜人。名前の由来は銃夢:火星戦記。
 イカレポンチ一族の当主。

ヒューロン。
 かつて悪魔の実の能力者が作り出した人造人間兵器。
 フランマリオン家が数体を鹵獲したが、”五老星”の命令で破棄された。
 ルナーリアやバッカニアに匹敵する脅威を繁殖させる? 認められるわけねーだろ!
 更なる詳細は追々。

ステューシー。
 原作キャラ。ただしオリ要素多数。
 ヒューロンの件を報告。
 シキ潰しを命じられた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

125:夢を嘲る島で夢を追う男。

佐藤東沙さん。烏瑠さん。誤字報告ありがとうございます。


 太陽がオヤツ時を過ぎたジャヤ島西海岸。嘲りの町モックタウン。

 ルフィとゾロとナミが情報集めに町内へ赴く。ウソップとサンジとチョッパーがメリー号に残り、船の修理と手入れをしていた。

 

 麦わらの一味が原作チャートに沿って動く一方。ロビンは異物(ベアトリーゼ)を伴い、町で買い出しと情報集めをしている。

 町は賑々しい。喧嘩騒ぎ。銃声。怒号。悲鳴。嘲笑。低ベクトルの賑やかさ。

 

「“マーケット”のような町を想像していたけれど、全然違うわね」

 ロビンは購入したばかりのレザー系着衣をまとい、手には衣服と生活雑貨の詰まった紙袋を抱え、コツコツとブーツの踵を鳴らしながら進んでいく。

 

 政府の手が及ばないという点では“マーケット”もモックタウンも違いはない。が、前者は商人達の理でリゾーム式共同体が構築された完全自由市場都市。後者は行き場のない連中が流れ着いた掃き溜め。前者は政府も利用しているから黙認され、後者は価値がないから政府が無視している。

 そりゃ全然違うわな。

 

「マーケットの連中が聞いたら、気ィ悪くするよ。比較対象にするなって」

 軽口を叩くベアトリーゼはローライズカーゴにスリムなカットソー。小麦肌のおヘソがちらちら。ちなみに癖の強いショートヘアをマニッシュにアレンジし、大きめのサングラス。こんなもん変装にもならねェ……と思うが案外バレない。

 

「あそこは珍しいものが多くて楽しかったわね」ロビンは懐かしそうに目を細める。

「また行こう。一年ばかり住んだから、そこそこ詳しくなったんだ。色々案内するよ」

 懐かしそうに目を細めるロビンの腕を取り、ベアトリーゼは悪戯っぽく。

「買い物も済んだし、一服入れながら情報収集と行こうか」

 

 ルフィ達が期せずして“黒ひげ”ティーチと初顔合わせをしていた時、長身美女2人は安酒場に入り、

「モヒート2つ」

 カウンター席に並んで座る。ロビンはさりげなく店内を見回し、思う。場末ね。

 

 ありきたりな安酒場。カウンターに安い丸テーブル。壁や床、内装は荒っぽい客達のせいで傷だらけ。壁と天井は煙草のヤニで染まっている。客も客で負け犬臭がこびりついた海賊と小悪党。そんな連中の小銭を狙う安淫売。

 負け犬共はロビンとベアトリーゼを品定めするように窺ってくる。金や持ち物、それに体をどうやって手に入れてやろうか。そんな目つき。

 

 まさしく場末。

 

 ベアトリーゼは出されたモヒートに口をつけ、毒見。問題ナシ。ロビンと控えめな乾杯をした後、カウンター内でグラスを磨くオヤジに尋ねる。

「さっき港でラリッた奴が騒いでたんだけど、なんだいありゃあ?」

「そんなの、ここじゃあ珍しかぁないよ。姐さん」オヤジが苦笑して応じた。

 

「いや、私だってアル中ヤク中なんて見飽きてるけどさ」ベアトリーゼは仰々しく呆れ顔を作り「空を指差しながら、空島はあるんだ! 空島はあるんだ! て喚いてたんだ。他所の港であんなの見たこと無いよ」

 

「この町はそんな奴だらけだよ。この間はヤク中が全裸で『俺が海賊王だ』って叫びながら通りを走り回ってた」

 磨いていたグラスを置き、オヤジは肩を小さく竦める。

「ここらの海はどういうわけかログポースが壊れ易いんだ。指針が空を向いたまま動かなくなったりする。それに、ここらはノックアップストリームが度々起きるんだよ。それで右往左往したり、難破したり、遭難したりする。港で騒いでた奴ぁ、そんな目に遭った船の生き残りだろうな。怖い目に遭って壊れちまったのさ」

 

「なるほどね」ベアトリーゼは合いの手を入れてグラスを口に運ぶ。「じゃ、実際に空島へ行った奴は居ないのか。つまんねェの」

「空島なんざ御伽噺さ。おねえちゃん、可愛いこと言うじゃねェか」

 隣の客が下卑た笑みを湛えながら口を挟んでくる。

 

「あら。ここは不可思議なことが絶えない(グランドライン)よ? 御伽噺の一つや二つ、本当だとしても誰も困らないわ。貴方もこの島に来るまで御伽噺みたいなものを見聞きしなかった?」

 ロビンが悪戯っぽく微笑み、お通しのナッツを摘まむ。

 

「そりゃまあ……身に覚えがねえとは言わねェが」隣の客は毒気を抜かれて「しかし、いくらなんでも、空島は御伽噺に“過ぎる”ってもんさ。空の上に雲の海が広がってて島がある? いやいや……」

「確かに馬鹿げてるわな」とベアトリーゼが苦笑する。

 

「おおよ。空島云々に比べりゃあ、クリケットのジジイがいう、海に沈んだ黄金郷の方がまだ現実味があらぁな」

「クリケットか。昔は一廉の海賊の船長だったらしいがな。ああなっちゃあ憐れなもんだ」

 隣の客の発言に、オヤジが小さく鼻息をつく。

 

「誰? ここらの有名人?」ベアトリーゼが興味を引かれた体で問う。

「ああ」オヤジは微苦笑を湛えながら「モンブラン・クリケット。ここらの海に沈んだ黄金郷ってのを探してる変人でな。今じゃあ“大猿兄弟”ってサルベージ屋も一緒になって、海底調査を続けてるよ」

 

「面白いじゃない」ベアトリーゼがにっこり「見つかったの? 黄金郷」

「見つかるわけねェだろ。空島よりマシってだけで、黄金郷も御伽噺だよ、御伽噺。ありっこねえ」

 隣の客の物言いに頷き、オヤジはベアトリーゼとロビンへ言った。

「まあ、俺らはこうして笑い話にしてるが、連中は大マジさ。今じゃあ、この島とここらの海に一番詳しいくらいだ」

 

「決まりかな?」ベアトリーゼはロビンに問う。

「決まりね」ロビンは頷く。「そのクリケットという人の居場所。教えて貰える?」

 

「おいおい。姐さん方、どういうつもりだ?」と怪訝顔のオヤジ。

「ログが溜まるまで暇だからね」ベアトリーゼはナッツを摘まみ「観光がてら、お邪魔してみるよ。酒でも差し入れれば与太話の一つ二つ聞かせて貰えるかもしれない」

「物好きだねぇ」と隣の客が呆れ顔を浮かべたところへ。

 

「おい、姉ちゃん達! あんなアホタレジジイんとこに行くくらいなら、俺らと遊ぼうぜっ!」

 卓のチンピラ共がやってくる。

 揃いも揃って下卑たニヤケ面を湛えている辺り、何を考えているか察するまでもない。こういう手合いはあしらおうとするだけ無駄だ。自分の欲望を満たすことしか考えてないし、自分の意が通って当然だと思っている。

 

 となれば。

 ロビンとベアトリーゼは互いに顔を見合わせ、

「私が相手するわ」とスツールを降りるロビン。

「そう? じゃあ任せるよ」ベアトリーゼはモヒートを傾けた。

 

「姐さん方、何を――」

 オヤジの言葉は続かない。

 

 たおやかな腕が咲き乱れ、手足をへし折られたチンピラ達の悲鳴が店内を満たす。

 苦悶するチンピラ達。唖然茫然とするオヤジと酔客達。

 

 ベアトリーゼが空のグラスをカウンターに置く音色がやけに大きく響き、誰も彼もが思わず身を震わせた。

 慄然としているオヤジに、ベアトリーゼはアンニュイ顔で気だるげに問う。

「クリケットの居場所は?」

 

 

 

 で。

 

 

 

 ロビンとベアトリーゼが情報収集を終えてメリー号に戻ってみれば。

 原作通り、ルフィとゾロは傷だらけで、クソ共に侮辱されたナミが激昂していた。

 

「あんた達が空島とか言い出すからこんなことになったのよっ!!! もし在りもしなかったら海の藻屑にしてやるからねっ!!」

 ナミが眉目を吊り上げてロビンとベアトリーゼに怒声を浴びせる。

「今はそっとしていてやってくれ。というか、近づかねェ方が良い。噛みつかれる」

 戸惑うロビンとベアトリーゼにウソップが御忠告。

 

 ベアトリーゼがチョッパーに手当てされている船長と副船長へ問う。

「やんちゃしたの?」

「ちょっとな。もう済んだから良いんだ」「あぁ。たいしたこっちゃねェ」

 ルフィとゾロがさらっと流す。

 

「男の子だねぇ」

 ベアトリーゼはくすくすと笑いつつ、内心で思う。

 原作通りにベラミーと黒ひげに接触したか。順調ですな。

 

 気取られると面倒臭ェことになりそうだったので、見聞色を使えず覗き見できなかった。まあ、仮に件の連中と絡んだなら、ベラミーは潰す。黒ひげには勝てずとも、奴の仲間を血祭りにして手打ちに持ち込めばいい。原作? 些事だ。どうとでもなる。多分。

 

 ロビンが手当てを終えたルフィへ、調達したジャヤの地図を渡す。

「どうぞ、船長さん」

 

 宝の地図かと期待するルフィに微苦笑しつつ、ロビンは説明する。

「この島の地図よ。そこのバツ印の場所に、この島とこの辺りの海に一番詳しい人が住んでるらしいわ。その人なら、何か面白いことが聞けるんじゃないかしら」

 

     ○

 

 麦わらの一味はモックタウンを発ち、ジャヤ島東岸へ向かう。

 道中、ショウジョウとかいうオランウータンモドキが率いる大型サルベージ帆船と遭遇したりもしたが、まぁ大過なく目的地に到着した。

 

 岸壁傍の広場に小ぶりな家が建っていた。

 綺麗に半分だけ。もう半分はお城の絵が描かれた巨大なベニヤ板が張られている。

 見栄っ張りなのかケチなのか、と麦わらの一味の面々が訝る傍ら、ベアトリーゼは思う。なんかこーいうの見た覚えあるぞ。なんだっけ。んー……思い出せん。モヤモヤする。

 

 一味は岸辺に降り立ち、

「こんな辺鄙な所に一人暮らしとは……」周囲をしげしげと見回すサンジ。

「こんにちはーっ! おじゃましまーすっ!」挨拶しながら家屋へ入っていくルフィ。

「オメェはいきなりかよっ!」そんなルフィへツッコミを入れるウソップ。

 ナミが切り株に置かれた古い絵本を拾い上げる。

 

「絵本? 随分と年季が入ってるわね……題は『ウソつきノーランド』?」

 サンジが表情を和らげた。

「懐かしいな。ガキの頃よく読んだよ」

 

「知ってんの? サンジ君。でも、北の海(ノース)の発行って書いてあるけど」

「初耳だな。お前もイーストのもんだと思ってたよ」

 

「育ちはな。まぁどうでも良い話さ」

 ナミとウソップが意外そうな顔を作るが、サンジは笑顔のまま軽く流して話を続ける。

「この『ウソつきノーランド』は北で有名でな。童話とはいっても、ノーランドは大昔に実在したらしい」

 

 ふぅん、と応じ、ナミは絵本を開く。

「むかしむかしのものがたり……」

 ページをめくって音読を始めるナミと、周りに集まる一味とロビン。

 童話はさして長くない物語なので、青空読み聞かせ会はそう長くかからない。

 

 ――ノーランドはしぬときまでうそをつくことをやめなかったのです。

「あわれ、うそつきは死んでしまいました。勇敢なる海の戦士に、なれもせずに……」

 ナミはウソップを見つめながらこれみよがしな溜息を吐く。

「俺をそんな目で見るなァっ! 勝手に切ない文章を足すんじゃあないっ!!」

 ドドドドと擬音が聞こえてきそうな姿勢を取りながら、ウソップがナミへ抗議を申し立て。

 

 画風が変わったウソップを余所に、

「ん?」

 ルフィが何か気づいて海っ(ぺり)に屈みこんだ、直後。

「わっ?!」ざぶんっ! 

 

 吃驚と水音が重なり響き、一味がぎょっと目を剥く中、首が太く逆三角体形の逞しい四十路男が登場し、徒手空拳で構える。

「テメェら何モンだ? 人のウチで勝手におくつろぎとは、いい度胸だ」

 頭の天辺に栗の飾りを乗せた四十路男はちらりと停泊中のメリー号――麦わらの髑髏を一瞥。眼前の連中を海賊と判断。

「狙いは黄金か……なら、死ぬがいい」

 

 一味に向かって吶喊する四十路男をサンジが迎撃。

 唐突に始まるクロスレンジ・コンバット。肉と骨の激突音が重なり、サンジが姿勢を大きく崩した。その間隙をつき、四十路男の拳銃を抜く。

 

「やっべっ!?」サンジは咄嗟に銃撃を回避し、ゾロが加勢へ動いた、直後。

 四十路男は突如、銃を取り落とした。苦悶しながら倒れ伏す。

 

「なんだぁ?」

「どうしたんだ?」

 訝る一味の中、ウソップが海からルフィを引き揚げ、ベアトリーゼとロビンが手を貸して陸に上げる。チョッパーが衛生兵のように四十路男の許へ駆けていく。傍らに屈みこみ、小さな手で呼吸と脈を取った。

「この人を家のベッドへ、早く!」

 

 よくわからないまま船医の指示に従い、一味の野郎共が四十路男を担ぎ上げ、家の中へ。

 トニートニー医師はメリー号から診察道具と治療具を持ち込み、ベッドに寝かされた四十路男に診断を下す。

「潜水病だ。症状は軽度だけど、その割には血管や筋肉の痛みが酷い。慢性的に繰り返してるんだ。潜水病っていうのは海底から海上へ上がる時の減圧が原因で―――」

 

 聴診器を外し、ドクター・チョッパーが応急措置を進めながら病気について説明する。

「ぁあ。怪奇現象か」

 も、ルフィは揃って窓辺に立ち、遠い目で海を眺める。

 

「ん?」

「どした、ルフィ君?」ベアトリーゼが隣に立つ。

「なんか来た」

 ルフィの指した先には、モンキーなサルベージ船が2隻。

 

      ○

 

 四十路男はモンブラン・クリケットと名乗り、麦わらの一味に治療の礼と早合点の詫びを告げる。駆けつけてきたモンキーな連中――マシラとショウジョウの相手を済ませ、ルフィはクリケットへ元気いっぱいに言った。

「おっさんっ! 空島の行き方を教えてくれっ!!」

 

「空島? お前ら、空島を信じてるのかっ!?」

 クリケットは強面を崩し、げらげらと馬鹿笑い。イラッとしたナミが思わず拳骨を握りしめ、ウソップやチョッパーが慌てて宥める。病人! 病人だからっ! なっ? なっ?

 

 ひとしきり馬鹿笑いした後、クリケットは煙草を点し、

「あると言っていた奴を一人知ってるが、そいつは世間じゃ伝説的な大ウソつき。おかげで一族は永遠の笑いもんだ」

 ゆっくりと紫煙を吐く。

「うそつきノーランド。本名モンブラン・ノーランド。俺の遠い祖先だ」

 

 かくて紫煙と共に語られる。モンブラン一族の苦悩と悲劇。英雄の知られざる最期を。

 ベアトリーゼは話を聞きながら思う。

 自分が何者か分かってるだけ、あんたは幸せだよ。

 

 ウソップが何やら感動し、昂奮して叫ぶ。

「おっさんは一族の汚名返上と先祖の無念を晴らすために、海底の黄金郷を探してるんだなっ!」

 

「バカ抜かすんじゃねえっ!!」

 クリケットが激昂して銃をぶっ放す。ウソップが震えあがり、仲間へ発砲されたことにルフィが憤慨する。

 

「大昔の先祖が何もんだろうが知ったことかっ! 俺には関係ねェ! 子孫ってだけで見ず知らずの他人から罵声と嘲笑を浴びるガキの気持ちがテメェらに分かるかっ! 俺はな、そうやって育ってきたんだっ!」

 一廉の四十路男が出会ったばかりのガキ共に心情を吐露する。その意味を察せられないほど、ルフィ達は想像力が欠如していない。

「この400年。そこの小僧がいったように、一族の名誉のため、海へ乗り出した者は数知れねェ……そして、その全員が消息不明になった」

 

「まるで呪いだな」

 サンジが呟くと、クリケットはどこか自虐的な苦笑いをこぼす。

「まぁな。大して違いはねェ……俺はノーランドの名にも一族にも背を向け、海賊になった。ところが、10年前、偶然にこの島へ行き着いちまった。皮肉な話だ。一族に背を向け、ノーランドを最も嫌い続けたこの俺だけが、因縁のジャヤに辿り着けたんだからよ」

 

 煙草の灰を落とし、クリケットは窓の外に顔を向けた。

「おまけに……絵本の通り、黄金郷など欠片も見当たらねェこの島の岬に立った時、これも宿命と考えちまった。黄金郷があるならそれもよし。ねぇならそれもよし。俺は奴の無実を証明したいんじゃねェ。白黒はっきりさせてェだけだ」

 日に焼け、潮に焼け、慢性的な潜水病を患い、それでも微塵も覚悟と決意を揺らがせない男の顔。

 

 少年少女が言葉に詰まる中、どこまでも我が道を突っ走る麦わら小僧が物怖じせずに言った。

「……おっさん。黄金郷の話は分かった。じゃあ、空島は? 俺は空島に行きてェんだ!」

 

「せっかちなガキだ」

 クリケットは和らげた苦笑いをこぼし、棚から古い日誌を取り出してナミへ渡す。

「読んでみな。ノーランド本人の航海日誌だ」

 

 記述の中身は400年前、モンブラン・ノーランド自身が探検家仲間やグランドライン内で交流した人々から空島の産物を手に入れたり、見聞きしたことを鮮やかに語っている。

「やっぱりあるんだなっ!」

 ルフィ達が目を輝かせて騒ぎ始める中、ベアトリーゼはどこか拗ねたように呟く。

「だから、空島はあるって何度も言ってるじゃん」

 

 クリケットはぎゃーぎゃーと騒ぐ麦わら一味を置き、煙草を吹かしながら家を出た。表で喧嘩中のマシラとショウジョウに声を掛ける。

「あいつら、空島に行きてェんだとよ」

 

 喧嘩を中断して目を瞬かせるマシラとショウジョウへ、クリケットは悪戯小僧のような笑みを湛えた。

「どうだお前ら。“御伽噺”に挑むあいつらに、いっちょ手ェ貸してやろうじゃねェか」




Tips
モンブラン・クリケット
 CVは亡き谷口節氏。
 ちなみに、マシラは田原アルノ氏、ショウジョウは故田の中勇氏。
アニメは冗談抜きで主役級や大御所や超実力派がほいほい出てくる。

ベラミーと黒ひげ。
 本編未登場。原作通りにルフィと遭遇。

ベアトリーゼ。
 ベラミーと黒ひげの回避に成功。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

126:見てるこっちがいたたまれない。

なんか上手くまとまらなくて、気づけば一週間以上経ってた。

トリアーエズBRT2さん、相馬小次郎さん、佐藤東沙さん、nullpointさん、ダイダロスさん、俊矢20000925さん、クローセルさん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 夕陽が海をオレンジ色に染める中、クリケットは自身の知識を惜しみなく一味へ語って聞かせる。

 突然発生する夜が積帝雲である可能性が高いこと。ジャヤ近海で生じるノックアップストリームの原理と規模、周期に発生海域。マシラとショウジョウによるメリー号の強化と航行補助。

 

 ルフィはもうワクテカが止まらず目をキラキラ輝かせている。対照的にウソップは悲観論を喚きまくってる。ナミは積帝雲とノックアップストリームについて思考を巡らせている。

 

 そして、ベアトリーゼは思う。この世界はホントに物理学へ喧嘩売ってるよな。

「で、その積帝雲とノックアップストリームがいい感じに重なるのはいつ頃?」

 

「そうだな」クリケットは煙草を吹かし「明日の昼だ」

「なにぃっ!?」

 ウソップが目ん玉をひん剥き、クリケットへ食って掛かる。

「そんな都合のいい話があるかぁっ!!」

 

 悲観主義故かほら吹きの疑り深さか、ウソップはクリケットの言葉を否定する材料をまくし立てる。会ったばかりで話がうますぎる、と。挙句、止めに入ったルフィを押し退け、勢いで侮辱同然の罵倒まで吐いた。相手が相手なら命のやり取りになっただろう。

 

 しかし、クリケットは粋に煙草を吹かすと、ノックアップストリームが明日の昼に発生する理由を経験則と統計的裏付けから説明し、唖然とするウソップの脇を通り抜け、

「俺はオメェらみてェなバカに会えて嬉しいんだ。さあ、一緒に飯を食おう」

 言った。

「“同志”よ」

 

 敗北感と自己嫌悪にへたり込むウソップは、ナミに「謝ってきなさい」と尻を叩かれ、

「ごめんよぉおやっさぁんっ!」

 即座に泣きながらクリケットに引っ付き、

「鼻水くっつけんなっ!」

 ごちんと拳骨を貰った。

「オチがつく辺りが実に彼らしい」とベアトリーゼが和やかに笑う。

 

 

 で。

 

 

 夜が更ければ、お決まりの宴会である。

 麦わらの一味とその居候と、猿山連合軍がどんちゃん騒ぎ。家に入りきれない猿山連合軍の下っ端連中は家の外で大騒ぎ。

 

 宴が盛り上がる中、ロビンは輪から離れ、壁際でノーランドの航海日誌に目を通していた。

「ロビン。どうする?」

 サンジの素晴らしい料理をばくばく平らげていたベアトリーゼが問う。

「成り行きでここまで付いてきたけど、私らは居候だ。このまま彼らと空島を目指しても良いし、別れてモックタウンで別の船に乗り換えても良い。なんなら、潜水服を調達して私のトビウオライダーで移動しても良い」

 

 問われたロビンはワインをくぴりと呑み、微苦笑をこぼす。

「ビーゼはここで彼らと別れる気はないでしょ?」

 

「ないね」

 ベアトリーゼは即答した。

「再会してから最初の冒険としちゃあ最高だもの」

 

 それに、空島のポーネグリフは海賊王とも関わる重要なものだし、ロビンが麦わらの一味と絆を深める重要なストーリーだ。逃せない。

 自分の都合を言えば、トビウオライダーを改造するために(ダイアル)をたらふく調達しておきたい。改造に成功したら、もはやトビウオライダーというよりトビウオ型航海マシンになるだろうが。

 

 そんな調子で宴が進み、酒が入ったクリケットはすっかりご機嫌で、ノーランドの日誌内容を諳んじる。幾度も聞いているであろう大猿兄弟が喝采を上げた。

 

 髑髏の右目。森から聞こえる奇妙な鳥の声。黄金の大鐘の音色。

 そして、海底から見つかった金塊――鐘型のインゴットと大きな鳥の像が披露された。

 

 ナミが目の色を変え、麦わらの一味の小僧共も、オタカラを前にして大はしゃぎ。

 一方、ロビンは考古学者の顔つきで金塊と鳥の像を観察していた。

「度量衡が定められ、金塊で取引が行われていた。金を精製し、精微な造形を製造する技術もあった。高度な文明社会が存在した証拠ね。ノーランドの日誌にも古代都市の遺跡に暮らす部族が記録されていたわ」

 

 ベアトリーゼも相棒に合わせてアカデミックモードになる。

「でも、この島に文明や先住民の痕跡がない。遺跡も遺構もない。黄金を産出するような鉱脈もない。だからこそ、黄金郷の話が一切信じられなかったわけだからね。この事実とノーランドの航海日誌を合わせて考慮すると、このジャヤ島はクリケットのオヤジが言うように、地殻変動によって大きく姿を変えたとみて間違いない。それもノーランドが初めてジャヤ島を訪れ、再訪するまでのわずかな間に」

 

 ロビンが親友の推論を先取りした。

「海底空洞が大きく崩落し、ノーランドの語る黄金郷の遺跡や部族の集落があった地域を、短期間で海底へ沈めた可能性が高いわね」

 

「普通に考えればね。でも」ベアトリーゼはにやり。「ノックアップストリームの存在を考慮するとさ。別の可能性もあり得るかも」

 聡明なロビンは親友の仄めかした“可能性”をすぐに導き出し、美しい碧眼を瞬かせる。

「……まさか。それは流石に」

 

 と。ベアトリーゼのポケットから子電伝虫の鳴き声。

「ちょっと中座させてもらうよ」

 ベアトリーゼはロビンの肩を軽く叩き、酒瓶を一本持って外に出た。家の面でも猿山連合軍の手下達が宴会しているため、海岸沿いを歩いてクリケットの家から離れながら、子電伝虫に出る。

 

「もしもし」

『ベアトリーゼ、今どこ?』

 子電伝虫からステューシーのしとやかな声が届く。

 

「ジャヤだよ」

『そうなの? “空島を行くと言っていたそうだから、てっきりハイウェストへ向かったのかと』

「空島には行くよ。面白い連中と一緒にね」

 酒瓶を傾け、ベアトリーゼはステューシーに問う。

「“白猟”とチレンから話を聞いたなら、シキの件? それとも、ヒューロンの件?」

 

『両方よ』

 ステューシーはどこか物憂げに応じた。

『フランマリオン聖から任務を命じられて、シキの拠点を襲撃することになった。主目標は金獅子シキの討伐及びヒューロンの標本と資料の奪取』

 

「宮仕えは大変だね」

 ベアトリーゼの軽口を相手にせず、ステューシーは用向きを告げる。

『貴女にはシキの浮遊拠点メルヴィユに電伝虫を設置して欲しい。そうすれば、念波探知で位置を特定して部隊を送り込める』

 

「どうやって?」訝るベアトリーゼ。

『この作戦には王下七武海“暴君”バーソロミュー・くまが動員される。彼のニキュニキュの実を使えば、空中に浮かぶメルヴィユにも行けるわ』

 

 ステューシー曰く、くまのニキュニキュの実は触れたものを弾き飛ばすという。それこそ大気を弾いて空を飛ぶことも出来るし、知覚情報を弾き出して痛みを無くすことさえ出来るとか。

 そのくまの能力を用いて揚陸舟艇を飛ばし、部隊と装備をメルヴィユへ乗り込ませるらしい。

 

「そりゃまた無茶な……空島からメルヴィユに行ける確証はないってのに」

 ベアトリーゼは岸壁の岩に腰を下ろし、夜の海を眺めながら酒瓶を傾けた。

「チレンから大まかな位置は聞けたの? いくら私がナイスでスマートな凄腕美人でも手掛かり無しじゃ、メルヴィユは見つけられない」

 

『今、チレン女史が気象情報から位置を計算してるわ。完了次第、メルヴィユの情報と合わせて連絡する。空島にはいつ向かうの?』

 イージス・ゼロの女諜報員の問いかけに、高額賞金首はさらっと答える。

「明日の昼」

『えっ?』

「だから、明日の昼」

 困惑の沈黙が返ってきた。夜の密林から獣と虫の営みがよく聞こえる。

 

『……今、ジャヤに居るのよね? どうやって空島に行くか聞いても?』

「ノックアップストリームを使って」

『えっ?』

「災害クラスの強力なノックアップストリームを使って、空島まで行くんだよ」

 当惑の静寂が返ってくる。月明かりを浴びる夜の海がキラキラと輝いている。

 

『……それ、成功か死の二択よ? 本気なの?』

「麦わらの一味は本気だね。今、居候しててさ。面白そうだから一緒に行くつもり」

 ベアトリーゼは子電伝虫ににやりと笑い返し、酒瓶を呷る。クリケットの家の方が騒々しくなった。どうやら原作通りサウスバード探しと、メリー号の修理整備と強化改造が始まるらしい。

 

『麦わら……クロコダイルを倒したルーキーね。アラバスタで大冒険したばかりなのに、元気だこと』

 通話口で艶めかしい溜息をこぼす歓楽街の女王へ、女殺し屋が楽しそうに笑う。

「そりゃなんたって船長がガープの孫だから」

 

『……すごく納得したわ』

 電伝虫の向こうで顔を覆っているだろう様子が目に浮かぶ。

 

 静謐な夜の密林が賑やかになっていく。変な鳴き声。獣や虫達の喧噪。騒がしい麦わらの一味。楽しそう。参加すればよかった。

 酒瓶を傾け、ベアトリーゼは片眉を上げた。

「ん~?」

 

『どうしたの?』

「なーんか来客みたい」

 ベラミー達だろうけど。どーすっかな。本来は後でルフィ君の出張るとこだけど……ま、いっか。潰しちゃお。

 

「客の相手をしにいくよ。用件はそれだけ?」

『空島に到着したら連絡してちょうだい。失敗したとしてもね』

「失敗したら死んじゃうんじゃないの?」

 ベアトリーゼが指摘すると、ステューシーは鈴のように喉を鳴らした。

『貴女は殺しても死なないでしょ』

 

       ○

 

 カラーギャングか性悪なパーリーピーポーみたいなベラミー一味。

 船長の“ハイエナ”ベラミーと“ビッグナイフ”サーキースの2人が多少戦える程度で、他は雑魚である。合理的現実主義を気取った物言いで他者を嘲笑うものの、その実は享楽とスリルを求めて海に出たチンピラ共だ。

 

 生き方や自身の夢に命を懸けているルフィ達のような人間からすれば、視界に入れる価値すらない手合い。ベアトリーゼのようなガチ筋のワルからすれば、羽虫の如き相手。

 

 ベラミー達の不幸は半端に腕が立ったことだろう。痛い目に遭って更生する機会を得られなかった。おまけに、なまじ悪魔の実を食って超人化してしまったもんだから、“勘違い”に拍車が掛かってしまった。

 

 ベアトリーゼが戻ってきた時、猿山連合軍の手下達は蹴散らされ、マシラとショウジョウはボッコボコ。クリケットも血に塗れており、ベラミーとその一味がクリケット達を嘲り、蔑み、貶め、笑っていた。

 

 ベラミー一味は怪訝そうに眉根を寄せた。

「誰だ、テメェ。麦わらの一味か?」

 

 が、ベアトリーゼはベラミーを相手にせず、クリケット達を気遣う。

「オヤジさん達、大丈夫? 生きてる?」

 クリケットは血に塗れた指で煙草を取り出し、血を流す口元へ運び、火を点す。

「こんなガキ共の攻撃なんざ、蚊に刺されたようなもんだ」

「そりゃよかった。オヤジさん達抜きじゃ空島に行けないからね」と朗らかに笑うベアトリーゼ。

 

「テメェ、何モンだって聞いてんだろうがっ!」サーキースが大きなククリナイフを振り回しながら怒鳴る。

 ベアトリーゼは疎ましげにベラミー一味を見回してから、サングラスをポケットに収め、マニッシュにまとめていた髪を解きほぐす。

 

 陳腐な変装が解け、手配書にある通りの顔貌が月光に晒されると、ベラミー一味の数人が気づく。当然だ。なんたってベアトリーゼがモックタウンの港を血肉で染めたのは、たった数日前のこと。誰もがあの騒ぎで手配書を確認している。

 

「ち、“血浴”のベアトリーゼ……っ!?」

 ビビるベラミー一味の下っ端共。サーキースが息を飲み、さしものベラミーも薄笑いを引っ込めた。

 なんせ懸賞金3億8千万。つい数日前もここジャヤで金獅子傘下の海賊団を壊滅させている。

 

「なんだ、ねえちゃん。あの坊主達の一味じゃねェのか」クリケットが片眉を上げて煙草を吹かす。

「居候中だよ」

 ベアトリーゼはにっこりと微笑み、ベラミー一味へ向き直った。

「全員、殺されたくなけりゃ地面にデコ擦りつけて詫び入れろ。有り金全部置いて失せれば、見逃してやる」

 

 暴走族のガキ共をとっ捕まえた本職の極道みたいなことを言い出す。ちなみに、年齢的にはベアトリーゼとベラミー一味は同年代だったりする。

 

 木っ端共が慄きながらベラミーとサーキースを窺い、サーキースも不安げにベラミーをちらりと窺う。そして、ベラミーは密やかに深呼吸する。

 相手は賞金3億8千万。ベラミー達の領袖ドンキホーテ・ドフラミンゴが王下七武海入りする前の賞金より高い。

 

 それでも、ベラミーは吠える。怯えたハイエナがライオンを威嚇するように。

「俺達は王下七武海ドンキホーテ・ドフラミンゴ傘下のベラミー海賊団だっ! 土下座なんかするかっ!」

 

「あっそ。じゃあ」ベアトリーゼは暗紫色の瞳を鋭くし「死ねよ」

 

 絶対零度の殺気が暴風のように吹き荒れた。ベラミー一味はもちろん、倒れ伏している猿山連合軍の面々も怯え竦む。サーキースは完全に気圧されて震えあがり、ベラミーも顔を冷汗に塗れさせる。

 平然としている者はクリケット唯一人だけ。とっくの昔に死の覚悟を抱いている男は、どれほどおぞましい殺気を浴びようと動じない。

 

「若ェくせにろくでもねェ殺気出しやがる」クリケットは渋面を浮かべて紫煙を吐く。

「他人様の庭先をいきなり血塗れにするよりゃ良いでしょ」

 ベアトリーゼがからからと笑った。直後。

 

「う、ぅおぉおおおおおおっ!!」

 ベラミーが動く。勇気の発露ではなく、恐怖に取り乱した鼠が猫へ飛び掛かるように。

 

 バネバネの実の能力者であるベラミーは自身の両足をバネに変えて跳ね回る。大地を爆ぜさせて加速。クリケットの家を蹴り砕いて加速。メリー号を踏み砕いて加速。自身が制御不可能になる寸前の速度に達し、

「食らいやがれ、血浴ぅっ!!」

 ベラミーはさながら人間砲弾と化してベアトリーゼへ吶喊。その澄ましたアンニュイ顔へ体ごと叩きつけるようなジョルトパンチを放つ。

 

 

 ごん

 

 

 ベアトリーゼは回避どころか防御すらしなかった。拳が激突する瞬間、着弾部に最低限の武装色の覇気をまとうだけ。成人男性の一人分の質量と高い運動エネルギーを叩きつけられたというのに、クリケットの隣で棒立ちしたまま酒瓶を弄んでいる。

 

「――はぁ?」

 呆気にとられたベラミーの口からマヌケな声が漏れ、ベラミー一味も猿山連合軍も目ん玉をひん剥き、顎を落とし、眼前の出来事に驚愕していた。クリケットだけは煙草を吹かし『役者が違いすぎる』とベラミーに憐れみを抱く。

 

「なんだ、お前。パンチの打ち方も知らねーの?」

 鼻で笑い、ベアトリーゼは口元を三日月のように歪め、暗紫色の瞳を獰猛にぎらつかせた。まるで小鹿を前にした猛獣みたいに。

 

「ひ」ベラミーの口から勝手に恐怖が溢れた、刹那。

 

 ベアトリーゼの拳が一閃。ベラミーの鼻っ面を打ち抜く。

 鼻をへし折られたベラミーは吹っ飛ぶどころかその場でぐるんと体躯を一回転させ、びたんと顔から大地に落ちた。

 白目を剥いて痙攣するベラミーの姿に、サーキースはもはや言葉もなく、一味のチンピラ共の中には腰を抜かしてへたり込む者さえいた。

 

 ベアトリーゼは戦慄するベラミー一味へ向き直り、

「気が変わった。全員、今すぐ服を脱いで正座しろ」

 蛇に睨まれた蛙のように動けない彼らへ、残忍な笑みを向ける。

「逆らうなら、皆殺しにしちゃうぞぉ」

 

      ○

 

「何があったんだ、こりゃあ」

 麦わらの一味とロビンを代表し、ウソップが困惑の声を上げる。

 

 夜のジャングルで苦労しいしいサウスバードを捕らえて戻ってみれば。

 猿山連合軍の面々が傷だらけで手当て中。で、やはり傷だらけの大猿兄弟が困り顔で、クリケットのオヤジは仏頂面で煙草を吹かしていた。

 ベアトリーゼは切株に腰かけ、麦わらの一味とロビンに「お帰りー」とかアンニュイな笑顔を向けてくる。

 そして、彼女の前には、下着姿にひん剥かれた若い男女が一列に正座せられてベソを掻いており、傍らには大男とロン毛男がぶちのめされて昏倒している。

 

 状況が分からない。

 

「あいつら、昼間の」とナミがベラミー達の素性に気づき、ゾロも眉根を寄せた。

「いったい何がどうした?」ルフィが代表して問う。

 

「そこのクソガキ共がオヤッさんの黄金を狙って襲ってきやがったんだが」頭に包帯を巻いたマシラが言う。「あの姉ちゃんが船長のガキと抵抗したガキをぶちのめして、ああなった」

 

「あれでも俺らが間に入ってマシな状態にしたんだ。でなけりゃ、野郎も女も素っ裸にされてた」やはり包帯塗れのショウジョウが言う。「俺ぁもうハラハラしっぱなしだよ、馬鹿野郎」

 

「見てるこっちがいたたまれねェ」クリケットのオヤジは紫煙と共に嘆息をこぼす。

 

 で、当のベアトリーゼは酒瓶をチビチビ傾けながら、ベラミー一味から奪い取った財布や装飾品類、着衣や所持品を改めていた。そこへ、猿山連合軍の下っ端達がベラミーの船から没収してきたオタカラや資材や道具――船具から一味の私物、果ては雑巾まで一切合切を積み上げていく。マジで身柄と船以外の全てを奪うつもりらしい。

 

「めそめそうるせーぞ。クズ共」

 ベアトリーゼはすすり泣くベラミー一味を鬱陶しそうに一瞥し、殺気のこもった嘲罵を浴びせる。

「殺さねェでやってるだけありがたく思え。それとも、やっぱりそのナメクジよりくだらねェ命を今すぐ終わらせてやろうか、あ?」

 

「ひぃ」と悲鳴を上げて口元を押さえるベラミー一味。

 チョッパーとウソップは『うわぁ』とドン引きし、“あの”サンジも半裸の女達を前にして鼻の下を伸ばさないくらい引いている。ナミとゾロは大きく溜息をこぼし、ルフィもどうしたらいいか困っていた。

 

 ロビンはふっと小さく息を吐き、ベアトリーゼへ微笑む。ただし、目は一切笑ってない。

「ビーゼ。ちょっと話があるの。こっちに来て」

 

「……待って。なんでお説教モードなの?」

 及び腰になるベアトリーゼに、ロビンはぴしゃりと言った。

「早く来なさい」

 

「はい」

 ベアトリーゼは即座に立ちあがり、しょぼくれ顔でロビンと共にクリケットの家の裏へ去っていった。

 

 クリケットはわしわしと髪を掻き、

「全員に服を着せてとっとと帰らせろ。あの姉ちゃんが戻ってくる前にな」

 仰々しくぼやいた。

「良くも悪くも思い出深い夜になりそうだぜ、まったく」

 




Tips
ベラミー。
 本来ならルフィにぶっ飛ばされ、ドフラミンゴに粛清されて生き方を改めるが……本作では蛮族に蹴散らされた。
 CVは高木渉。主役から脇役、善人から極悪人まで巧みに演じ分けられる超実力派。

サーキス。
 ベラミー一味のナンバー2。絵に描いたようなチンピラ。ドフラミンゴに粛清後は登場しないので、生死不明。
 CVはうえだゆうじ。主役から脇役、シリアスからコメディ、歌までなんでもござれの超実力派。

ステューシー
 くまの能力を使ってシキの本拠地を強襲する計画を立てる。問題はメルヴィユの正確な場所が分からないこと。
 だから、この作戦は我らの女蛮族がメルヴィユの場所を見つけることが成否を分ける。
 CV金月真美。実はミス・メリークリスマスとシャーロット・コンポートも演じてる。

ベアトリーゼ。
 ドレスローザ編をほとんど知らないから、自分が何をしたのか分かってない。
 そういうところだぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

127:ノックアップストリーム・スクリーミング

いっちにっさん、佐藤東沙さん、金木犀さん、誤字報告ありがとうございます。


 未明の闇を払うように煌々と照明が焚かれ、猿山連合軍が総出でゴーイング・メリー号を修理しつつ、フライングモデル――さながら翼を広げた雄鶏のような姿へ改修していく。

 もちろん、手透きの麦わらの一味も手伝い、サンジが夜食の支度を進めている。

 

 ルフィとベアトリーゼはベラミー一味を追い出していた。

 クリケットの情けで服だけ返してもらったベラミー一味は、敗北感と屈辱に打ちのめされながら、身ぐるみ剥がされた船に向かっていく。なお、金目の物の返却はベアトリーゼが頑として認めなかった。曰く『殴っておしまい、で済ますわけねーだろ』。

 

 と、仲間に肩を担がれて運ばれていたベラミーが意識を取り戻す。仲間達を押し退け、力の入らぬ膝を押さえながらも一人で立ち、ベアトリーゼを睨み据える。

「ぐぅ……なんでだ……っ!?」

 ベラミーは苦悶しながら吠えた。

「テメェほど強ェ奴が、なんで、こんな奴らとつるんでる……っ! 在りもしねェ空島や黄金郷を探すバカ共と……なぜだっ!」

 

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で気だるげに言葉を編む。

「クリケットのオヤジさんや麦わらの一味とつるむ理由? その方が面白くて楽しいからだ。お前らみたいな雑魚をイジメて小銭を巻き上げるよりずっとな。自分より弱い奴にイキりたいだけなら、公園の砂場でチビッ子の相手でもしてろ。負け犬」

 

「ぅ……っ! 血浴ぅッ!!!」

 侮辱に激昂するも身体が言うことを聞かず、ベラミーは崩れ落ちる。一味の仲間達が慌てて支えるが、煩わしそうに振り払う。

「このままじゃあ……済まさねェ……っ! いつか、必ず……っ!」

 

 その台詞がどれほど間が抜けているか、ベラミーは理解していない。暴力稼業の渡世で『次』を考える自体が甘えた思考だと、ベラミーは気づかない。

 

 ベアトリーゼは鬱陶しそうに手を振り、氷塊より冷たい殺気を発する。

「とっとと失せろ。目障りだ」

 

 ひぃ、と一味の仲間達が悲鳴を上げ、暴れるベラミーを担ぎ上げて船へ逃げていく。

 ぎゃあぎゃあと喚き散らすベラミーに心底くだらない生き物を見るような目を向け、ベアトリーゼは鼻息をもらすと、ルフィに向き直って悪戯っぽく口端を曲げる。

「さてと……それじゃ楽しい準備に戻ろうか、ルフィ君」

 

「お前、切り替え早いなぁ」と呆れ顔のルフィ。

 ベアトリーゼはルフィの肩を軽く叩いて嘯く。

「佳い女は済んだことを気にしないもんさ」

 

 

 

 で。

 

 

 

 猿山連合軍総出でメリー号を修理しつつ、フライングモデルへ強化改修。

 羊船から翼を広げた鶏船に化けたメリー号に、ベアトリーゼは思う。

 あの翼……航空力学的にも船舶構造的にも、まったく意味が無いよな。むしろトップヘビーになって安定性を欠くだろ。

 でも、飛んじゃうんだよなあ。原作的に。飛んじゃうんだよなぁ。物理学を無視して。

 

 なぜか達観気味のベアトリーゼを余所に、作業を終えた猿山連合軍の船大工達が麦わらの一味達へ言った。

「お前ら、よくまぁこんな船でグランドラインに来られたな」

「まったくだ。命知らずと言うか怖いもの知らずというか……」

 

 船大工達の物言いに、メリー号へ思い入れが強いウソップが反射的に頭へ血を昇らせかけたが、同じく仏頂面をこさえたルフィが先んじて口を開く。

「メリーは俺らの大事な仲間だ。悪く言うなよ」

 

「別に貶したわけじゃあねえ」マシラの船の船大工が呆れ気味に「型遅れの小型キャラック。しかも造りからして沿岸遊覧船。この船で外洋へ挑むこと自体が無茶って言ってんだ」

「そりゃつまり、メリーがスゲェ船ってことだな!」と前向き過ぎる麦わら坊主。

 今の話はそういうことじゃねえだろ、と言いたげなゾロ。

 

「余程航海の仕方が良かったんだろうな」ショウジョウの船の船大工がしみじみと「でなけりゃ、この船の造りで外洋やグランドラインの風浪に耐えられるわけねェ」

 流石はナミさん♥ と言いたげなサンジ。

 

「まあ、頭の片隅にでも入れとけ」「こいつは船大工としての忠告だ」

 船大工達は鶏と化したメリー号を見回しながら言った。

「この船はそう遠くないうちに限界が来るだろう。それは航海の最中に突然来るかもしれねえし、嵐や海王類に襲われてる最中かもしれねェ。海賊や海軍とドンパチしてる最中かもしれねェ。その時、お前らが無事で済む保証は何一つねェ」

「この船に愛着を持つことやこの船を大事にすることと、この船に執着することを履き違えるなよ。死ぬぞ」

 

 感情的に反論しかけたウソップを制し、ルフィは真剣な顔で船大工達の“忠告”に耳を傾ける。

 ルフィは船大工達が言外に告げていることを間違えずに受け止めていた。船長として、そう遠くないうちにメリーと別れる決断を求められる、と。

 

「忠告はしたぜ」「よくよく考えるこった」

 麦わらの一味の面々は去っていく船大工達の背からメリー号へ視線を移した。なんとも言えない苦い雰囲気が漂う中、ゾロは大きく息を吐き、メリー号を見つめながらルフィへ提案する。

「あいつらの言葉はともかく、どっかの港で一度本格的に整備へ出した方が良いんじゃねェか?」

 

「確かになぁ」ルフィもゾロの提案に頷く。船大工達の話を聞いたうえで旅を続けていくほど、ルフィは無神経じゃない。なんたって仲間の命が懸かってるのだから。

 

「俺はメリーを見捨てたりしねェからなっ!」

「そういう事態にならねェよう、本格的に整備しようって話だろ」

 不機嫌顔を崩さないウソップにサンジは眉根を寄せつつ、ルフィへ提案した。

「あと船大工をそろそろ仲間に入れた方が良いんじゃねェか? 日頃からきちんと手入れができる人間が必要だろ」

 

「そうだなぁ」ルフィは大きく頷いて「空島から帰ったらメリーをがっつり整備して、おもしれー船大工を仲間にしようっ!」

 

 野郎共がそんな会話を交わしている頃、ナミとベアトリーゼはクリケットと大猿兄弟から、ノックアップストリームの説明を受けていた。

 ベアトリーゼはひとしきり話を聞いた後、手振りを加えながらモンキーな男達へ問う。

「つまり、ノックアップストリームによって空へ押し上げられると考えるより、ノックアップストリームの水流と気流に乗る、と解釈した方が良いのかな?」

 

「俺達もノックアップストリームを傍から観察したことがあるだけだが……そうだな。言われてみれば、その解釈が正しい」

 クリケットが煙草を吹かしながら頷く。

「ノックアップストリームによってふっ飛ばされる船舶は例外なく、空高く打ち上げられた後に宙へ投げ出され、何も出来ずに海面へ叩きつけられた。姉ちゃんの言う通り、ノックアップストリームという潮に乗ることが成功のカギと考えるべきだろうな」

 

「なるほど……」

 ベアトリーゼとクリケットのやりとりを聞き、ナミは航海士として思案を始める。

 

「しかし……姉ちゃんは本当にあのトビウオライダーで行くのか?」

「置いて行くわけにもいかないからね」

 クリケットに問われ、ベアトリーゼは小さく肩を竦めて月を見上げた。

「それに空島へ行けたら……別の用向きもあるからさ」

 

 金獅子をぶっ殺しに行くなら、一人で動けるトビウオライダーがあった方が好都合だ。

 シキのキャラの濃さと設定から考えて、ネームドに間違いないだろう。ただ……穴あき靴下みたいな原作知識に金獅子のシキもメルヴィユも存在しない。もちろん自分が知らないだけで登場しているのかもしれないけれど、まぁ、その時はその時だ。

 

 いつも通りのテキトーさで問題を先送りし、ベアトリーゼはナミとクリケット達へ提案する。

「出立時間まで少しある。多少なりとも仮眠を取って体を休めておこう。なんせ命懸けの大博奕が控えてるからね」

 

        ○

 

 早朝。

 クリケットに見送られながら、ゴーイング・メリー号とツギハギ・トビウオライダーが猿山連合軍のサルベージ船二隻を伴い、サウスバードが示す南へ真っ直ぐ向かっていく。

 

「南西に“夜”! 積帝雲を発見っ!」「まだ昼前だぞ、予定より早ェなっ!」「10時の方角に海流へ逆らう波を確認っ! 渦潮の可能性大っ!」「そいつだっ! 船首を10時の方向へ向けろっ! 逃がすんじゃねェぞっ!」

 猿山連合軍が慌てふためき騒々しくなるが、麦わらの一味に出来ることは何もない。ただ彼らを信じてついていくだけだ。

 

 巨雲に蓋をされて真っ暗になっていく空。荒れ始める海。乱れ始める大気。怪獣染みた海王類すら飲まれ溺れる超特大渦潮。暴力的な波の音色はさながら魔王の咆哮のようだ。

 

「聞いてないわよっ!? あんなのっ!?」ナミが目を剥く。

「はははっ! すっげーなあっ!!」ルフィが目をキラキラと輝かせて「最高じゃねーかっ!」

 

「こっからはお前らだけだっ! 渦の軌道に乗って中心まで行けっ!!」「後は自力だっ! 上手くやれよっ!!」

 マシラとショウジョウが叫び、猿山連合軍の助力で鶏船が渦潮の流れに乗っていく。

 

「おーっ! ここまでありがとなーっ!! 空島、行ってくるぞ――っ!!」

「ああああああああっ!? もう引き返せねえっ!? もう帰れねぇっ!!」

 猿山連合軍へぶんぶんと手を振るルフィの隣で、ウソップが頭を抱えてガタガタと震えていた。

 

 ぎゃあぎゃあと大騒ぎの麦わらの一味の面々とは裏腹に、ロビンはどこか楽しげな様子で状況に身を置いていた。

 親友と別れてからこの七年の間、ずっと犯罪秘密結社に身を置き、気の乗らない組織経営に勤しんできた。アラバスタのポーネグリフのため、とはいえ張り合いのない日々。

 

 それが今やどうだ。

 親友と再会し、麦わらの一味に居候してから、たった数日でこの大冒険。

「ふふっ」

 ロビンは思わず破顔し、少女のような屈託のない微笑がこぼれた。

 

 その美しい微笑を目にした者はチョッパーだけで、他者の機微にいまだ疎い青鼻トナカイ坊主は『この状況で笑ってられるなんて、ロビンはすげーっ!』と感嘆していた。

 

 そして、絶賛大騒ぎ中のメリー号の背に続くツギハギ・トビウオライダーを駆るベアトリーゼはハンドルを握り直しながら、肩越しに後背を一瞥。

 丸太筏を巨大化したような海賊船が追ってきていた。

「原作チャートは継続中か。よろしいよろしい大いによろしい」

 ベアトリーゼが冷笑し、わずかな凪が生じた後、それは来た。

 

 

 ノ ッ ク ア ッ プ ス ト リ ー ム。

 

 

 海底で生じた地熱と蒸気の超爆発が付近の海流を捻じ曲げ、無量大数的海水を天空へ向けて突き上げる。

 荒れ狂う水面にバベルの巨塔染みた超特大の垂直奔流を生み出し、メリー号とツギハギ・トビウオライダーを空へ向かって押し流していく。

 

 乱れ暴れる甲板から大猿兄弟と猿山連合軍の水兵達が水飛沫を浴びながら、物理法則に喧嘩を売る巨大奔流と空へ昇っていく鶏船と化物トビウオを、茫然と見送る。

 転覆した筏船にしがみ付きながら、黒ひげ達も超巨大水柱を昇っていくけったいな船と化物トビウオを眺めていた。

 

 ツギハギ・トビウオライダーはメリー号よりはるかに軽いため、ノックアップストリーム発生時にメリー号を飛び越してしまい、結果として先行していた。

 ベアトリーゼは魚体へしがみ付くように低姿勢でトビウオライダーを操縦し、巨大水柱の水面を駆けていく。

 

 トビウオライダーの後頭部に埋め込まれた計器盤の針や各種警告灯が、クリスマスツリーみたく暴れ『やべーぜ!』と搭乗者へ知らせていたが、当人は――

「あはははは、すっげーっ!」

 殺人的な相対気流と過重負荷に晒されながら昂奮と昂揚で大はしゃぎ。イカレてる。

 

 頭上から垂直奔流から押し出された海王類や海生生物、海底に眠っていた沈没船の残骸などが次々と降り注いでくる。も、胸鰭を翼のように展張させ、離水。海面ギリギリを駆ける雷撃機のようにローリングとヨーイングを繰り返し、降り注ぐ障害物を軽やかにかわしていく。

「やっばっ! これ楽しすぎっ!」

 

 多眼式ヘルメットの中で黄色い声を上げるベアトリーゼの背後では、

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああっ!」

「きゃあああああああああああああああああああああああああっ!」

「うわああああああああああああああああああああああああっ!」

 長っ鼻の小僧と蜜柑色の髪の美少女と青鼻トナカイの悲鳴が轟く。

 

 90度垂直になったメリー号の船上は大混乱だった。

 ウソップとサンジが前船楼の手すりにぶら下がり、チョッパーとナミはメインマストにしがみ付き、ゾロとロビンが後船楼の壁に立っている。

 

 誰も彼もが現実離れした状況を受け止めきれない中、

「はははは、おっもしれぇ――――っ! いけーメリーっ! 突っ走れーっ!」

 鶏冠を加えられた羊頭の船首飾にひっ付いたルフィが喝采を上げ、ナミへ太陽みたいな笑顔を向けた。

「これで空島まで行けるんだろ、ナミッ!」

 

「それは――」

 ナミは出発前にクリケット達との打ち合わせを思い出し、メリーに先んじて空を駆けるツギハギトビウオの姿を目の当たりにし、即座に今すべきことを理解する。

「帆を張ってっ! 今すぐっ! この海流と上昇気流を捕まえるのよっ!」

 

「おらぁ、ナミさんの指示だぞっ! お前らさっさと動きやがれっ!」

 サンジの怒声に誰も彼もが大慌てで動き出す。

 

「右舷から風を受けてっ! 取り舵っ! 船体を海流に合わせてっ!」

 テンポよくナミの指示が飛び、ゾロと人獣形態のチョッパーが腕っぷしに物を言わせて暴れる帆を制御し、ウソップとサンジが操舵桿を躍起になって操り、足りない手数をロビンが能力を発動させて補う。

 

 船首飾に引っ付いていたルフィがぎょっと目を剥く。

「やべえっ! 船体が水面から浮き始めたぞっ!? ナミッ! どーすんだ、ナミっ!? このままじゃ落ちちまうぞっ!?」

 

「大丈夫よ! 行けるわ!」

 慌てふためく船長やクルー達を揶揄うように、ナミはニッと白い歯を見せる。

 

 相手が風と海なら絶対に負けないという自負。風と潮さえ掴んでしまえば絶対に航海させられるという自信。何よりナミの判断が正しいことを証明するように、メリーの先を赤黒のトビウオライダーが軽やかに飛んでいる。

 

 そして、メリーもまた、トビウオを真似るようにふわりと離水し――

「翔んだ―――――――――――――――――――――――ッ!?」

 ルフィの大歓声が空に響き渡る。

 

 チョッパーが感動の吃驚を上げ、ウソップは超現実的事態に愕然。ロビンは楽しげに美貌を綻ばせ、ゾロはナミを讃えるように感嘆をこぼし、エロコックはナミの大活躍振りにメロリンキュー。

 

 船長は相対気流に飛ばされないよう麦わら帽子を押さえながら、成功にこっそり安堵していた航海士へ無邪気な笑顔を向けた。

「すっげーっ! 船が空を飛んでるぞッ! ナミは世界一の航海士だっ!」

 ナミは面映ゆそうに、嬉しそうに頬を染めつつ、自分が成し遂げた偉業に立派な胸を張る。

「当然っ! 私に掛かれば、空島だって連れていってあげるわよっ!」

 

「流石、ナミッ!」

 太陽のような笑顔と称賛を贈り、ルフィはぐんぐんと迫っていく巨大な雲塊を見上げ、好奇心に胸を高鳴らせる。

「あの雲の上にいったい何があるんだろうなっ!!」

 

 興奮と昂揚に心を弾ませながら、麦わらの一味とそのオマケが積帝雲の中へ飛び込んでいった。

 

     ○

 

 海中と紛うような雲中を突き抜けたなら。

 ずぶ濡れのベアトリーゼは多眼式ヘルメットを脱ぎ、周囲を見回す。

 頭上も雲なら眼下も雲。周りも全て雲。

 目が痛くなるような白い世界。

 水彩画のような色彩の絶景。

 

 景色を楽しみつつ、ベアトリーゼは呟く。

「はぐれたか」

 積帝雲中層の“白海”だろう。メリー号の姿がどこに見えない。どうやら積帝雲の下層を通り抜けている間にはぐれてしまったらしい。トビウオライダーとメリー号では重さも大きさも大分違うから、ノックアップストリームによって与えられた慣性のエネルギー量が異なる。この事態は起きうることだった。

 

 まぁ、今ははぐれたことより――

 鬱陶しい奴。

 不躾で不愉快な見聞色の覇気を感じる。おそらく神気取りのロギア野郎のものだろう。

 

 相手は戦略兵器レベルの雷をぶっ放す強キャラ。武装色でぶん殴れるし、プルプルの実で渡り合えないこともないが、出力差で押し切られるとかなりキツい。

 

 でも、原作だとシャンドラのチビッ子の見聞色を逆探してなかったようだから、見聞色の情報戦は心得が無いのかもしれない。

 

 んー……どーすっかな。

 空島の“戦争ごっこ”に関わる気はない。あれは麦わらの一味に任せておけばいい。こっちはあくまで貝(ダイアル)の調達とメルヴィユの捕捉が目的。他は知らん。

 

 ああ、でもロビンと遺跡探検したいな。

 たしか、この日の午後にゃあ、ドンパチ会場の島に乗り込むんだよな。で、夜には島でキャンプファイヤー。明日にはスカイピアの命運を賭けた大決戦に参加。

 生き急ぎ過ぎだろ。麦わらの一味。

 

 小さく溜息をこぼしたところへ、防水パウチの中で子電伝虫が鳴いた。

「もしもし?」

『――ゼ? 聞こえ――こっちは無――今――こ――?』

「ロビン? よく聞こえないよ。ロビン? もしもーし?」

 雑音交じりで途切れがちな念話通信はぶつりと切れてしまった。

 

「ありゃま」

 通信圏外なのか、環境の問題か。

 まあ、いざとなれば見聞色の覇気で捕捉すりゃ良いし、エンジェル島かアッパーヤードで合流できるだろう。

 

「とりあえず……“上”へ行くか」

 ベアトリーゼは頭上に広がる雲を見上げ、ヘルメットを被り直し、ツギハギ・トビウオライダーを発進させた。




Tips
ベラミー
 因縁の相手がルフィからベアトリーゼに変わっちゃったけど、まあ誤差やろ。

マーシャル・D・ティーチ
 現状、本作では登場シーン全カット中の不遇な男。
 CV大塚明夫の時点で強キャラが確定してるんだよなぁ。

ノックアップストリーム。
 実際、こんなもんが不定期に突然発生する海域とか恐ろしすぎる。

麦わらの一味
 まさしく大冒険。

ベアトリーゼ。
 麦わらの一味からはぐれた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

128:第1空島人、発見!

佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。

空の民とシャンドラの民の背中の羽は飾りじゃないとのことで、修正しました。
本編に変化はありません(2/26)


 麦わらの一味とロビンは大冒険の真っ只中だ。

 ウソップは危うく雲の底を抜けて落下死し掛けたり、雲海に潜む巨大海棲生物が襲ってきたり、ズボンの中へ“空魚”に入り込まれたり。そんな空魚を調べてみたり、食べてみたり。

 

 雲の上を駆ける謎の襲撃者が他所の海賊船を沈め、メリー号に襲い掛かってきたり。

 『空の騎士』を自称する甲冑姿の老人ガン・フォールとビミョーなペガサスになれる不思議鳥ピエールが助けてくれたり。

 

 空の騎士ガン・フォールは語る。

 雲下の青海と積帝雲中層の白海と積帝雲上層の白々海について。ゲリラと空魚の危険。1ホイッスル500万エクストルで護衛する。ただし、1ホイッスルは無料サービス。

 

 いろいろ謎が増えたが、ナミが聞き逃せなかったことはただ一つ。

 空島に至るルートは別にあること。

「やっぱりノックアップストリームは正規ルートじゃなかったんじゃないっ!」

 

 とはいえ、正規ルートも安全ではなく、犠牲無くして進めないものらしい。その意味では全員が辿り着くか死ぬかというノックアップストリームの方が、上手くいけば犠牲を出さずに済むとのこと。

 

 空の騎士ガンフォールはしみじみと語り、ビミョーなペガサスに跨って空へ去っていった。

 

「色々教えてはくれたけれど、肝心なことは何も分からずじまいね」

「だな。どうやって上へ行くのか分からねェままだ」

「とりあえず船を進めてみよう。何かしら見つかるかもしれねェ」

 ロビンが鼻息をつき、サンジがぼやき、ゾロがとりあえず行動を提案する。

 

「あそこ、なんか滝みたいな雲があるぞ」

 双眼鏡を覗いていたチョッパーが水平線の先に何やら見つけ、ルフィは頷いて皆へ言った。

「よーし、それじゃあ、あそこに行ってみっか」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 遮蔽物のない環境では、音や臭いは非常に遠くまで届く。

 エッグヘッド製多機能ヘルメットとツギハギ・トビウオライダーのセンサー系が微かな戦闘騒音――ゲリラ戦士ワイパーが海賊船を沈めた音色を拾う。

 

 ふむ。ベアトリーゼは思案する。

 ゲリラが入管ババアのいる正規ルートで白海に来ているわけがない。よって、白海と白々海を往来するルートがあると見ていいだろう。

 

 たしか、原作だと正規ルートで入国料を納めても、ハメられてアッパーヤード送りにされるはずだから、ゲリラの秘密ルートでスカイピアへ入っても大差あるまい。

 

 まあ、どんなルートを通っても、雷野郎の心網(マントラ)に捕捉されるけども。

 見聞色の覇気を掻い潜ることも出来なくはないけど、面倒臭ェし。

 使っちゃえ。

 

 というわけで、ベアトリーゼは見聞色の覇気を広域展開。白々海へ戻っていくワイパーを捕捉し、ゆっくりと追跡していく。

 

 目下のところ、今一番気にするべきは……いまいち調子の上がらないトビウオライダーだ。

「調子が良くないな。水質の違いかしら。それとも、ノックアップストリームの衝撃でイカレたか? 立往生は勘弁してよ、トビウオちゃん」

 

 マシンの動きは芳しくないものの、ぽかぽか陽気が心地良い。

 高度8000メートル強。エベレスト山頂より高いとは思えない好環境だ。雲が保温しているのかもしれない。酸素は薄いが……いや、酸素マスクを必要としない辺り十分な濃度だった。

 

 幻想的で美しい世界を堪能しつつ、ベアトリーゼは見聞色の覇気を用いてワイパーを追跡し、秘密ルートへ向けてトビウオライダーを進める。

 多眼式ヘルメットの中で『酔いどれ水夫』の口笛を吹きながら。

 

 完全に観光気分。

 急傾斜の雲塊の間を通る、山奥の渓流みたいなルートを見つけるまでは。

 

「哨戒無し、罠無し。物資不足か人手不足か。あるいは両方か」

 原作において、ワイパーがアッパーヤード奪還の決戦に動員した戦力は、たった数十名。

 民族の未来を賭けた決戦に投じられた戦力が、だ(まあ、エネルの側も100名足らずだが、選民思想のエネルは衆を用いることを好まない)。

 

 ワイパーが投入兵力を精鋭だけに絞ったという見方も出来るが、単純に常備戦力として保持しえる人的限界と見た場合、コミュニティ全体の人口はおそらく1000人に届かない。とっくに民族として純血性を保持できないレベルだ。

 

 極めて排他的で外部の人間を排除しているようだが、血が濃くなると滅ぶから、地上からやってきた連中やスカイピアの連中の血を取り込んでいるはず。

 

 当然ながら、物資不足が原因の餓死や病死も恒常的の可能性が高い。ひょっとしたら、アラバスタで見た難民達や白骨海域の蛮族共よりも生活が苦しい可能性まである。

 

 そんな困窮が400年に渡って続いてきた。加えてスカイピア側からの迫害や弾圧もあっただろう。故郷を暴力で奪われて以来、ずっと。

 

 スカイピアに対する恨みが概念化されるには十分な時間だ。ワンピースが冒険活劇物語でなければ、和解など絶対に不可能だっただろう。

 

 ベアトリーゼはトビウオライダーをトライアルバイクのように扱い、秘密ルートの急流を遡上していく。

 化物トビウオの大きな図体で渓流染みたルートを昇る苦行に難儀しつつ、タイトな潜水服の中を汗塗れにしながら急流を昇りきり、白々海に到達。

 

 へとへとに疲弊したフルサイボーグ化トビウオライダーの背でヘルメットを脱ぎ、水筒のぬるい水を呷って。

 

 ベアトリーゼは見た。

 地上より色味が濃く感じる蒼穹。手を伸ばせば届きそうな巨雲の山々。潮のように波打つ純白の海。

 そして、雄大で豊富な緑を湛えた島。

 

 空島スカイピア。

 失われし頭蓋骨(ジャヤ)の半分、伝説の黄金郷にして悲劇の舞台アッパーヤードだ。

 

 白海の光景を凌ぐ幻想的美景をしばし堪能した後、ベアトリーゼは行李からスケッチブックを取り出し、簡単な写景図と見聞色の覇気で捉えた鳥瞰図を描いていく。

 

「ふむ。エンジェル島が見えないな。ジャヤ島を挟んで反対側の辺りか?」

 一通りスケッチと現在地の推察を終えたところで、ぐぅ、と腹が鳴る。

「腹減ったな」

 

 ここ数日、超絶料理人サンジの飯ばかり喰っていた身としては、粗末な携帯口糧は避けたいところだ。

 

「ん?」

 見聞色の覇気がアッパーヤードの近海で立ち往生しているスクーターのような、ジェットスキーのような小型短艇(ウェイバー)を捕捉。

 

 原作でナミが現地人から借りたウェイバーを乗り回し、アッパーヤードに辿り着いていたが……乗っているのは、蜜柑色の髪の美少女ではなく粗末な恰好のチンチクリンだ。

 

「第一空島人、発見!」

 正確にはワイパーに続いて2人目だが、まあ、細かいことはどうでもよろしい。

 ベアトリーゼはスケッチブックを行李へ片付け、『These days are old』のイントロを口ずさみながらツギハギトビウオライダーを発進させた。

 

      ○

 

 9歳のシャンディア人少女アイサは、生得的に見聞色の覇気(スカイピア人は心網(マントラ)と呼ぶ)を使いこなせるので、危険な空の民や獣や空魚の目を避け、アッパーヤードに近づくことはそう難しいことではなかった。

 

 だから度々、シャンディア――空の民がゲリラを呼ぶ旧ジャヤ島部族が暮らす雲隠れ村の共有資産であるウェイバーを引っ張り出しては、アッパーヤード沿岸へ忍び寄り、空の世界ではどんな金品よりも価値がある『(ヴァース)』を盗んでいた。

 

 この日も、『土』を採りに行こうとして、村の共有資産であるウェイバーを勝手に乗り回していたのだが――

 

「なんでだよぉ。どうして動かないんだよぉ」

 危険なアッパーヤードの近海で立ち往生中のアイサは、半ベソ顔でうんともすんとも言わないウェイバーの機関部――風貝と舵が組み込まれた推進機関部をべちべちと叩く。

 

 9歳のアイサはウェイバーを乗り回すことが出来ても、メカニカルなことはさっぱり分からない。

 

 どうしよう。アイサは小さな手で涙が溢れだしそうな目元を拭う。

 このままじゃ村へ帰れない。アッパーヤードに行こうとしたことやウェイバーを壊したことがバレたら、お母さんや村の大人達に怒られちゃう。

 

 空の民や怖い空魚に襲われたりする可能性より、お母さんや大人に叱られることが不安なアイサちゃん。9歳だからね。仕方ないね。

 

「!」

 生得的に備えた心網(マントラ)がこちらに近づいてくる“変なの”を捉え、アイサは慌ててウェイバーの船底に伏せた。ウェイバー自体が隠れてないんだから、身を隠しても無意味だが、9歳児は真剣だ。

 

 そっとウェイバーの舷側から頭を出し、心網ではなく肉眼で“変なの”を見る。

 

 全身をぴったりと覆う赤黒の着衣に、目がいくつもある兜で頭をすっぽり覆った女が、ツギハギされたデカい魚に跨ってこっちにやってくる。背中に羽がないから、空の民ではないようだ。ひょっとしたら青海人だろうか。でも、船以外のものに乗った青海人なんて見たことも聞いたこともない。

 

 なんだあれ。

 得体のしれない手合いに、アイサが不安と好奇心が入り混じった眼差しを向けていると、“変なの”はアイサが隠れるウェイバーから数メートルほど離れたところで止まり、目がいくつもある兜のバイザーを開けて声を掛けてきた。

 

「やぁ。こんにちは」

 小麦肌と暗紫色の瞳が印象的なアンニュイ顔の若い女だ。腰の装具ベルトには二本のナイフ、後ろ腰には刀剣の鞘を二本下げている。武器を持った見知らぬ相手に気を許すほど、アイサは能天気ではない。

 

 怯える子供特有の警戒心を隠さず、アイサは恐る恐る返す。

「お前、何者だ。青海人か?」

 

「青海人ってのは何か知らないけど……まぁ、地上からやってきたモンだよ」

 女は飄々と答えながら、装具ベルトの防水パウチを開けた。包み紙を一つ開いて小粒の塊を口へ放る。もう一つ包み紙を取り出してアイサに示す。

「アメちゃん、食べる?」

 

「……あたいはそんなもので騙されないぞ!」アイサは包み紙を凝視しつつも警戒心を解かない。なかなかヒネた子供である。

 

「そっか」女はあっさり飴をパウチに戻す。

 あ、とアイサが思わず残念そうな声を漏らせば、女はにんまりと微笑み、再び飴を取り出してアイサへ放る。

 

 アイサはむぐぐと恥ずかしげに唸りつつ、受け取った飴を口に放る。甘い!

 自然と表情が緩むアイサに、女はアンニュイな微笑みを返す。

「私はベアトリーゼ。お嬢ちゃんのお名前は?」

「……アイサ」渋々名乗るアイサ。アメちゃんを楽しむ口元は緩んだままだが。

 

「私は(ダイアル)をいろいろ買付けに来た行商人みたいなもんでもあるんだけど、アイサちゃんは貝が購入できるところ知ってる?」

「アイサちゃんとか言うな」

 馴れ馴れしい呼び方に不満を表明しつつ、アイサはベアトリーゼを胡散臭そうに見据える。

「青海人が貝なんて手に入れてどうするのさ」

 

「そりゃ自分で使ったり、売ったりするんだよ。風貝と熱貝はこいつを改造するのに使うかな」

 ベアトリーゼは自身の跨る魚をぺちぺちと叩く。

 

「改造? 魚を? ? ? ?」意味が分からない。

「詳しい話をしても良いけど」

 きょとんとするアイサへ微苦笑を返しながら、ベアトリーゼは不意に顔を白い海原へ向けた。

 

 刹那。

 海面から飛び出した空魚が、ベアトリーゼとアイサへ襲い掛かる。

 

「うわぁああっ!?」

「昼飯確保っ!」

 波で激しく揺さぶられるウェイバーの上で、アイサが吃驚混じりの悲鳴を上げる中、ベアトリーゼは巨魚から軽やかに飛び上がり、巨大空魚の頭を“吹き飛ばし”た。

 

 空魚の巨躯が白い水面に叩きつけられ、水飛沫ならぬ雲飛沫を巻き上げる。横たわる巨大空魚の屍の上に降り立ったベアトリーゼが、唖然としているアイサへ提案した。

「落ち着いて話せるところに行かない? 出来れば、こいつを料理できるところが良い。どう?」

 

 驚愕に固まっているアイサは、こくこくと頷くことしかできない。

 

     ○

 

 麦わらの一味がエンジェル島に辿り着き、コニス・パガヤ父子と交流している頃(ナミはウェイバーで遊んでいるうちに禁断の聖地アッパーヤードへ接近していた)。

 

 ベアトリーゼはアイサのウェイバーと仕留めた空魚を牽引し、岩礁ならぬ雲礁に隠された小さな入り江へ進入。トビウオライダーを停め、仕留めた巨大空魚を担いでアイサと共に雲隠れの村へ向かい――

 

 西部劇のインディアン居留地染みた村の入り口で、武装した連中に囲まれていた。

 

「こりゃまた熱烈な歓迎だ」

 巨大空魚を脇に下ろし、ベアトリーゼは気だるげに両手を上げてぼやく。

 

「勝手にしゃべるなっ!」と槍を構える若い男が警告を発する。

「アイサッ! お前、また勝手にウェイバーを持ち出して……挙句、青海人を村に連れてくるなんてどういうつもりだっ!」

「うひぃっ!?」

 大人達に叱り飛ばされ、アイサは思わずベアトリーゼの陰へ逃げ込む。

 

「青海人を村に連れて来ただと……っ!?」

 顔に刺青を入れた強面の勇壮な男――戦士ワイパーがやってくると、場の空気が一気に緊迫したものになる。

 

「ひぃっ!? ワイパーッ!?」

 アイサが怯え、ベアトリーゼの背後で縮こまる。

 

「やれやれ。まるで怯えた猫の群れだな」

 ベアトリーゼは小さく溜息を吐き、パウチからモックタウンで仕入れた“取引”用の品の一つを取り出し、ワイパーへ放る。

「あんたらと争う気はない。証としてそれをやるよ」

 

 ワイパーは投げ渡されたものを開き、眉目を険しく歪めた。

 カボチャの種。

 英雄ノーランドがシャンディアへもたらした恵の一つ。

 

「――貴様。何者だ」

 ワイパーにドスの利いた低い声で質され、ベアトリーゼはアンニュイ顔で微笑むだけ。

 

     ○

 

 麦わらの一味とロビンがスカイピア警察ホワイトベレーなる変態集団と遭遇していた頃。

 

 ベアトリーゼは得物を装具ベルトごと女戦士(ラキという名前の美人さんだ)に預けさせられ、身体検査を受けた後に酋長のテントへ連行された。狼の頭みたいな被り物をした老人と対峙するように敷物へ座らされる。

 

 シャンディアの酋長と名乗る老人が問う。

「青海人の娘。お主は何者か」

 

 ベアトリーゼは酋長のテント内を物珍しそうに見回してから、薄く笑う。

「何者か……哲学的な問いだ。地上では荒事で生活(たっき)を立ててる。ワル相手にタタキをしたり、雇われでドンパチチャンバラをしたり」

 

「海賊ではないのか?」

「違うよ。ただまあ、白海には海賊と一緒に来たけど、はぐれちゃった。彼らは今頃空島を観光か冒険してるんじゃないかな」

「物見遊山で来た、と」酋長は眉根を寄せて皺を歪める。

 

「ああ。私は観光より(ダイアル)の調達が主だけどね」

 物憂げに答え、ベアトリーゼは説明する。

「貝は地上にも少なからず流通してるんだよ。それも結構な額でね。それとまぁ、入り江に停めたアレを改造するためにも必要なんだ」

 

 酋長は戦士達から、この青海人の娘が見たこともない怪魚に乗ってやってきたと聞いていた。魚に騎乗すること自体、理解に難いというのに、魚を改造するとはなんぞや。

 

 困惑顔の酋長へ、ベアトリーゼが微苦笑を返す。

「地上にはそういう技術があるんだよ」

 

 酋長はコホンと咳をし、気を取り直して「貝の調達ならば、空の民達に縁を求めるが常。なぜ、我らと縁を持った」

「漂流中の幼子を見つけたら、普通は助けるでしょ」ベアトリーゼは気だるげに「それとも、空じゃ見殺しにするのが常識なの?」

 

 毒を浴びせられ、酋長は眉間に深い皺を刻み、苦い顔で答えた。

「そんなことはない。だが……色々あるのだ。この空の世界にはな」

 

「だろうね」

 ベアトリーゼは酋長のテントの外でこちらを睨んでいるワイパー達を一瞥し、薄く口端を歪める。

「察しがつくよ。敵がいて、長いこと追い詰められてるんだろう? 恨み辛みが積もり過ぎてもう解決の術もない。そんなところか?」

 

「……青海人の娘。お主はこの空の世界についてどれほど知っておる?」

 正鵠を射られた酋長がわずかに動揺を滲ませるも、ベアトリーゼはつまらなそうに鼻を鳴らすだけ。

「何も知らないさ。空島のことはほとんど知られていないんだから。実際、世間一般では空島の存在は御伽噺だよ。せいぜい、貝の存在とハイウエスト航路くらいだ」

 

 穴だらけの原作知識からスカイピアやシャンディアのことは多少知っているが、知識を明かしても得することがないのだから、明かす必要はない。原作で明かされていない秘密が分かるなら話も変わるが……スカイピアもシャンディアも史観がさっぱり分からんので何とも。

 

「そうか」酋長はベアトリーゼを見つめた後、しばし考え込み「……少し長くなるが、我らとこのスカイピアの関わりについて、話しておこう」

 

「拝聴しよう。ただその前に」

 ベアトリーゼは眉を大きく下げて腹を撫でた。引き締まった腹がぐぅと鳴く。

「何か食べるものくれない? 腹ペコだ」

 

 酋長は目を瞬かせ、顔に刻まれた皺を和ませる。

「そうだな。長話の前に、我らの子を助けてもらった礼に昼食を馳走しよう」




Tips
麦わらの一味
 空島到達後、概ね原作通りに過ごしている。
 ロビンだけコニスの様子をじっと観察中。

These days are old
 スプーキー・ルーベンの曲。テレビ番組『笑ってこらえて』の『ダーツの旅』のテーマソングに用いられている。

ガン・フォール
 空の騎士。実は元スカイピアの王(神様)。シャンディアと和解を試みた融和派で、エネルに王の座を奪われた今も、空の民から慕われている。

コニス
 空の民。美少女。異邦の海賊にやたら親切。

ワイパー
 ゲリラの中でも最強硬派の超武闘派。それでも、『エンジェル島を焼き討ち』とか考えない辺り、一線を越えない良識を備えているのかもしれない。

アイサ
 生まれながらに見聞色の覇気を使う9歳児。2年後の新世界編では、髪を伸ばして美少女に激変している。

酋長
 シャンディアの酋長。強硬派ではないが、融和派でもないようで、立ち位置が見えない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

129:御伽噺の舞台は悲劇の舞台でした

お待たせしました。
佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 酋長のテントで俄かに会食というか懇親会というか、そんな昼食が催される。

 饗された料理は、ハーブや香辛料で煮込まれた具沢山の赤いスープ、豆の揚げ団子。

 

 白々海で採れる魚介と海藻に魚卵。空の海獣らしき肉。穀物は豆類やアブラナに似た植物で米や麦の類はない。野菜は葉菜類と果菜類ばかりで根菜類は無し。全体的に穀物と野菜より魚介が主。

 狩猟民族型の食事だな。伝統的なものか、こうせざるを得ないのか。窮乏具合は白骨海域の蛮族共より酷いかもな。

 

 年季の入った器に盛られた料理を口に運び、ベアトリーゼはアンニュイ顔を綻ばせた。

 ピリ辛の赤いスープは脂の乗った魚介と海獣肉らしきベーコン、キャベツとズッキーニに似た野菜。赤いからトマト味かと思ったら違った。香辛料とパプリカ粉みたいなものの赤みらしい。魚介とベーコンの出汁と野菜の甘みにハーブと香辛料が効いていて美味い。豆の揚げ団子には干した海藻が混ぜられており、外はカリカリ中はホクホクした団子にコリコリとした食感が楽しい。

 

「! 美味いっ! いくらでも食べられそう」

 ベアトリーゼは上機嫌で食事を進めていく。その健啖ぶりに料理を作った酋長の身内らしい女性達が嬉しそうに笑う。

 異邦人の監視役として昼食に参加した女戦士ラキの傍らで、アイサが得意げに宣う。

「当然だよ。シャンディアの料理は一番なんだから」

 

 かくして他愛ない話題で談笑しながらの昼食が済み――

 食後のお茶を嗜みながら、酋長は語り始めた。

 

 それはシャンディアの物語だ。大戦士カルガラと偉大な冒険家モンブラン・ノーランドの出会いと友情。天変地異の悲劇。

 400年に渡る苦難と戦い。

 そして、新たに現れたエネルという脅威。

 

 村を見守るように立つ大戦士の像を一瞥し、ベアトリーゼはほっそりとした顎先を撫でる。

 こんなちっぽけな世界で400年もまあ、よぉやるわ。私の故郷の連中だったら、とっくにどちらかが滅ぶか共倒れになっていただろうな。

「なるほど……理屈としては分かるけど、私は故郷を捨てて海に出た人間だから、心情的な理解が難しいかな」

 

「素直な感想だな」

 酋長は茶を口にし、ふっと小さく息を吐く。遠くを見つめる老いた瞳には、不撓の意志が宿っている。

「彼の地は我らの故郷。我らの聖地。そして、我らそのものである。必ず取り戻さねばならぬ。どれほど血を流してでも」

 

「気を悪くしたら謝るけれど」ベアトリーゼは居住まいを正して「武力闘争以外の解決を模索したことは?」

「もちろん、模索したとも。400年。あまりに長い時間だ。民族の使命と祖霊の悲願より、傷つき、餓えた同胞を救うことを優先した者達は少なくなかった。終わりも希望の見えぬ戦いや、餓えと病で死にゆく同胞を看取ることに疲れ、矛を置くことを考えても仕方ないことだ」

 酋長は超然とした悲しい微笑みを湛え、小さく息を吐く。

 

「だがな。この空の世界で大地はあまりにも、あまりにも価値があり過ぎた。空の民は一度手に入れた大地を決して、決して手放そうとしなかった。少なくとも……先代の神ガン・フォール以外は。そして、ガン・フォールの手を取るには、我々も恨みと憎しみを重ね過ぎた」

 酋長だけでなくテント内の誰もが苦しげな面持ちを作る。400年に渡る戦いと犠牲。千年紀の半分に届きそうなほど続いた艱難辛苦。

 

 部外者がそうそう立ち入って良い話ではなかった。ルフィや麦わらの一味の面々なら、自分の感情と信念に則って恐れず踏み込むだろう(そして、解決してしまうだろう)が、ベアトリーゼはそこまで関わる気はない。

 ベアトリーゼはバツが悪そうに癖の強い夜色の髪を弄り「不躾なことを聞いた。謝罪する」

「構わんとも」鷹揚に応じ、酋長は静かに茶を飲む。

 

「それにしても、島の半分がまるっと高度10000メートルまで吹き飛ばされるとはなぁ。しかもほぼ原形を留めたまま……途方もない話だ。実際に目にしなきゃ信じられない」

 ベアトリーゼは話の向きを変えるようにしみじみと呟く。

「ノーランドは海底に沈没したと考えたらしいけれど、流石に行き先が空とは想像できなかったか」

 

「お主、ノーランドを知っておるのかね?」

 関心を露わにした者は酋長だけではない。傍らのアイサや酋長の身内達もじっとベアトリーゼを窺う。

「地上の、北の海では有名な童話になってる。うそつきノーランド。在りもしない黄金郷の話で王を騙し、処刑された男ってね。彼の一族や子孫は随分と迫害されたそうだ。一族の汚名を払拭しようと黄金郷……シャンドラを探すために海へ出た者達も少なくなかったと聞いたよ。皆、志半ばにして消息を絶ったともね」

 

「昔、青海から訪れた者から聞いたことがある。英雄ノーランドと彼の子々孫々の悲劇を。不憫なことだ。あの天変地異さえなければ、彼らも我らも……」

 酋長はどこか沈痛な面持ちを湛えつつ、どこか切なげに告げる。

「ただな……父祖の想いを継ぎ、シャンドラを取り戻さんと戦い続けたように、英雄の一族もまた、英雄の想いを果たそうと戦い続けている。この事実に心慰められることも事実なのだ。400年に渡って空と海に隔てられても、大戦士カルガラと英雄ノーランドの絆は途絶えていないと」

 

 絆、ね。ベアトリーゼは顎先を撫でながら密やかに想う。

 ノーランド自身は意図していなかっただろうが……王がシャンドラを目指した理由は間違いなく金だ。少なくない数の兵士を率いていたらしいし、穏当な手段で金を得るつもりだったとも思えない。その場合、アラビアのロレンスが直面したような、悲劇的葛藤に苛まれたのではなかろうか。

 ま、考えたところで詮無いことだけども。

 

 しんみりした雰囲気を変えるように、酋長が話を再開する。

「して、青海人の娘よ。お主はこれからどうするのかね?」

「先に言った通り、(ダイアル)の調達に行くよ。貴方達と取引できるならここで済ませても良い」

 

「取引できるほど貝の備蓄に余裕はないが……そちらは代価に何を出す?」

 酋長の問いに、ベアトリーゼは女戦士ラキに預けていた装具ベルトの雑嚢から防水処理された包みを並べていく。

「青海の植物の種だ。食用から薬用、その他色々に利用できるもの。ついでに生育や管理のマニュアルを付けちゃう。どう?」

 

 土の存在しない空島世界において、青海の――大地の産物は非常に高い価値を持つ。その一方で鉱物資源が皆無に等しい関係から黄金や鉄などの価値を正しく分かっていないらしい。しかし、鉱物資源が得られないとするなら、エンジェル島の文明はいったい……?

 

 話を戻そう。

 酋長は難しい顔を作った。島雲でも生育できる青海の植物は金穀より価値がある。即効性に乏しいが、喉から手が出るほど欲しい。

 ベアトリーゼは並べた種の包みを指差し、にやり。

「さて、酋長さん。取引する気になったかな?」

 

 少女アイサが口端を曲げるベアトリーゼを見て、思う。

 わっるい笑い方する奴だなぁ。

 

 と。歳若い戦士が慌てた様子でテントへ駈け込んで来た。

「長! 大変だっ!」

 

「客人の前だぞ。何事だ」と酋長が戦士を宥める。

 礼儀上の苦言もあるだろうが、大事を部外者に聞かせるなという釘刺しも兼ねた注意だったが、歳若い戦士は気づかなかったらしい。

 

「ガン・フォールがアッパーヤードに侵入した!」

 歳若い戦士は説明する。青海人の船がアッパーヤードに連れ込まれてしばらく経った後、ガン・フォールが空からアッパーヤードへ入っていったという。

 

 テント内の面々が大なり小なり驚きを浮かべる中、ベアトリーゼは戸惑いを見せるだけ。もちろん、演技だ。内心では原作通りか、と薄笑いしている。

 

「酋長。あたしはここで」

 女戦士ラキはちらりとベアトリーゼを一瞥してから腰を上げ、歳若い戦士と共にテントを出ていく。気づけば、アイサも居なくなっていた。どうやら、ラキに付いて行ったらしい。

 

「あー……その青海人の船っていうのは、私の連れだね」

 ベアトリーゼはくすりと微苦笑をこぼし、ジト目を向けてくる酋長達へ説明した。

「連れ達はヤンチャな海賊でね。略奪とかそーいう悪いことはしないんだけど、冒険とかそういうのとびっきり大好きなの。大方、エンジェル島の方でアッパーヤードのことを聞いて、入り込んだんじゃないかな」

 

「いや、おそらく違うだろう」と酋長。

「違う、とは?」

「エネルの残忍な享楽だ」

 ベアトリーゼが小首を傾げると、酋長が説明する。

 

 神エネルは青海からやってきた者達をアッパーヤードへ攫い、神官と呼ばれる最精鋭達によって試練と称した処刑ゲームを行うらしい。

 

「いい趣味してんなぁ」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で茶をしばく。

「……仲間達が心配ではないのか? エネルも神官達も恐ろしい者達だぞ」と眉をひそめる酋長。

 

 原作を知ってるから心配する必要がない、とは言えない。ベアトリーゼはカップを置いて酋長を見据える。

「彼らは相当に強いからね。生半な相手なら片手間でやっつけちゃうよ。それに、余所者がアッパーヤードに入って欲しくないのは、貴方達も同じだろう?」

 

「若い戦士達はそう思う者が少なくない」酋長は顎髭を弄りながら「しかし、お主とその仲間は別にアッパーヤードを、我らの故郷を奪う気はないのだろう?」

「まあね。私は貝以外に興味ないし、彼らは旅の途中だ。観光が済めばさっさと出ていくと思うよ」

 黄金をいくらか頂いていくけど、とベアトリーゼは心の中で呟く。

 

「ん?」

 テントの外から物々しい喧噪が聞こえてきた。どうやら、戦士達が広場に集まり始めたようだ。ベアトリーゼだけでなく酋長も怪訝そうに眉をひそめたところで、ワイパーがやってきた。

 

 ワイパーはベアトリーゼを睨み据えてから、

「長。ガン・フォールによって神官の一人が倒された。この好機を逃さず、アッパーヤードへ総攻撃に出る」

 余りにも物騒極まる報告に、酋長を始めテント内の全員が顔を強張らせた。

 

「止めたところで聞くまいな」

 酋長の言葉に、ワイパーは闘志を込めた眼光で応え、踵を返して去っていく。

 

 勇壮な背中を見送り、ベアトリーゼは鼻息をついた。短絡的な奴だな。典型的な猪武者だ。

 同時に、ちらりと酋長を盗み見る。

 総攻撃が上手くいけば良し。しくじって戦士達が斃れても最強硬派が消えて部族をまとめ直せる、とか考えてるなら、食えない爺様だな。

 

「私もアッパーヤードへ行かせてもらうよ」

 ベアトリーゼは腰を上げた。

「放っておくと、仲間達まで狩られかねないからね」

 

「止めはしない」酋長は淡々と応じ「だが、用心することだ。先ほども言ったが、エネルと神官達は非常に危険だ」

「忠告を肝に銘じるよ」

 ひらひらと手を振り、ベアトリーゼはテントを出ていった。

 

       ○

 

 空島の夕暮れ。

 白い汽水湖の中心に建つ生贄の祭壇。その祭壇に載せられたメリー号に、船番として残っていたチョッパーが神官シュラとの戦いに傷ついた自身と空の騎士ガン・フォールと愛馬?ピエールの手当てをしていると、島の探索からロビンとゾロとナミが戻ってきた。次いで、連れ去られた仲間を救うべく、小型遊覧船カラス丸でアッパーヤードへ乗り込んだルフィとサンジとウソップが現れた。

 

 シュラに壊されたメリーの痛ましい姿に驚いたり、チョッパーが無事だったことを喜んだり、タダでくれた笛一つのために戦ってくれたガン・フォールに感謝したり。

 

 そして、一味が湖畔でキャンプの準備を始めたところで、空から何かが降ってきた。

 神官シュラの再襲撃かとチョッパーが悲鳴を上げ、ウソップが吃驚を上げる中、水柱を上げて着水したそいつは、

「やぁ。皆。半日振り」

 ツギハギの赤黒トビウオライダーに跨った、タイトな赤黒潜水服姿のベアトリーゼだ。

 

「ベアトリーゼ!? あんたって奴はホントにもう」ナミは驚きと安堵。

「ベアトリーゼさん♥ 御無事で何よりです♥」安定のエロコック。

「遅刻よ、ビーゼ」ロビンが微苦笑で親友を迎える。

 

 トビウオライダーを岸辺に停泊させ、ベアトリーゼは陸に上がって皆の許へ。

「今までどこに居たんだ?」

「君らとはぐれた後、白々海に上がったら空島人に出会ってね。さっきまで彼らの村に居たんだけど……君らはまたボロボロになってどーしたの?」

 ルフィに問われ、ベアトリーゼは小さく肩を竦めつつ答え、戦闘で傷ついた面々を見回して問い返す。

 

「俺達はどうもハメられたっぽいんだよ、ベアトリーゼさん」サンジが苦い顔で言った。

「ハメられた?」

 訝るベアトリーゼへウソップが説明しようとした矢先、

「待った。各々が情報を手に入れたみたいだし、腰を落ち着けて話し合いましょ」

 ナミが提案し、そういうことになった。

 

 生贄の祭壇がそびえる汽水湖のほとり。テントが張られ、煌々と火が焚かれてデカい空鮫が丸焼きにされており、焼けたものから順次、面々の胃袋に収まっていく(とはいっても、主にルフィとゾロの、だが)。

 

「おーし、お前らー! ちゅーもーくっ!」

 ウソップが焚火の傍に船の備品の小さな黒板が置き、皆に呼びかける。

「それじゃー、先生がまとめるからー、それぞれが掴んだ情報を発表しなさい!」

 

 まず別行動していたベアトリーゼのため、麦わらの一味が空島に到着してからの”冒険”が説明される。

 

 それから、神エネルの奸計によってメリー号がこの生贄の祭壇に運び込まれ、ルフィ達は救出に来たのだという。

 

 サンジがチョッパーの指示で負傷したガン・フォールのために生薬を煎じながら、迷いの森で神官サトリをぶっ飛ばしたことと、心網(マントラ)について報告。

 続いて、チョッパーが神官シュラと空の騎士を呼んだ経緯について報告。

 次に、ナミがこのアッパーヤードがジャヤ島の片割れであることを告げ、黄金郷が空にあったことを説明する。

 

 最後に、ベアトリーゼが空の民がゲリラと呼ぶ者達――シャンディアの民と接触したことを報告。ここスカイピアの歴史と、空の民とシャンディアの関係を語って聞かせる。

 

「なるほど……あのゲリラの野郎にはそういう事情があったのか」

 サンジが汽水湖へ向かう道中にワイパーと遭遇した時のことを思い出し、しみじみ。

 

「その心網(マントラ)ってのはなんだ?」

「よく分かんねェ。えらく当たる勘みたいなもんじゃねぇかな」

 ゾロの問いにサンジが小首を傾げながら応じたところへ、珈琲を口へ運んでいたロビンがふと呟く。

「……ビーゼの使う覇気に似てるわね」

 

 ありゃここで触れちゃうか。ロビンの隣で飴を舐めていたベアトリーゼは、アンニュイ顔で素早く思案する。

 原作だとたしか新世界編まで一味が覇気を習得しなかったよね。どーすっかな。はぐらかしても良いけど……ま、いいや。どーせそう簡単には習得できないし。

「多分、見聞色の覇気と同じだろうね。ただ、そのサトリってのが使ったものは、先読みに特化したクチだと思う」

 

「待て待て待て。なんだそりゃ」

 世界最強を目指す男が即座に食いつく。一味の武闘派サンジとルフィはもちろん、非戦闘員を自称するナミとウソップとチョッパーも興味を隠さない。

 

「覇気とは意志の力を顕在させる技能だ。知覚野に用いる覇気を見聞色。肉体や武具に用いる覇気を武装色。そして、ごく限られたものが覇王色と呼ばれる特異な覇気を扱えるが……私は使えないからよく分からない」

 ベアトリーゼは滔々と語り、

「覇気は練度や慣熟度、方向性によって大きく異なる。たとえば、見聞色の覇気。ある者は広域の捜索追跡が出来るし、サンジ君が出会った神官のように先読みに長けた使い方も出来る。高練度の使い手なら数秒先の未来視や他人の感覚野に同調させることも可能だ」

 足元の小石を拾い上げ、

「武装色の覇気は服や鎧をまとうように使うことで、強化する。たとえば」

 肘から先が漆黒に染まっていき、指先から手中にある小石まで漆黒に塗り潰されたところで、小石を大樹に向けて指で弾く。

 

 パンッ! と銃声のように空気が炸裂音が響き、漆黒の小石が大樹の太い幹に深々とめり込んでいた。

「す、すげえ……っ」

 唖然と呟くウソップを余所に、ゾロが飢えた狼のような顔でベアトリーゼに問う。

「――どうすりゃその技を使えるようになる?」

 

「実のところ、覇気の習得や開眼の仕方ははっきりしてない。生まれながらに扱える者がいる一方で、長く修行しても扱えない者もいる。体内の気の流れを掴むことが大事という話を聞いたこともあるし、私に訓練を施した教官は『危機的状況を重ねることで開花修得が促される』とか言ってたけど……おそらく個々人の適性に沿った正しい方法じゃないと、使えるようにならない」

 ベアトリーゼは武闘派の面々へ向け、にっこり。

「今はそういう技術がある、程度に覚えておけばいい。軽々に修得できるもんでもないからね。まぁ、私は君らの歳には使えてたけど。君らの歳には既に使えてたけど」

 

「わざわざ繰り返して言いやがった……っ」ゾロが眉目を吊り上げる。

「いつか強くなるゾロはともかく」とナミが口を挟み、

「その言い方はやめろ!」

 苦情を申し立てるゾロを無視して、ルフィに問う。

「これからどうするの? 船長」

 

「そんなん決まってるじゃねーか」

 ルフィはシシシと不敵に白い歯を見せ、太陽のような笑顔を皆に向けて宣言した。

「黄金探しの冒険だっ!!」




Tips
シャンディア料理
 インディアン料理を参考にしてみた。

アラビアのロレンス的葛藤
 第一次大戦の中東戦線で活躍したイギリス軍将校エドワード・ロレンスのこと。
 ロレンスの遺稿には、祖国とアラブ世界の板挟みとなった立場の葛藤や苦悩が数多く記されている。

ラキ
 シャンディア戦士の紅一点。アイサを可愛がっており、年の離れた姉妹みたいな関係。
 CV富沢美智恵。声優業だけでなく女優やスタントマン、歌唱などでも活躍する超実力派。
 代表作はセーラームーンのマーズやサクラ大戦の神崎すみれ、ブラクラのロベルタなど。

ワイパー
 シャンディア戦士の隊長というか頭目というか。アッパーヤード総攻撃の判断がちょっと短絡過ぎるように感じたのは、作者だけだろうか。
 CVは相沢正輝。アニメから吹替まで活躍する超実力派。特に、チョウ・ユンファの吹替といえばこの人。

覇気
 まあ、口頭で教えたくらいじゃ、使えるようにはならんわな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

130:黄金探しの前夜祭。

しゅうこつさん、烏瑠さん、ちくわぶさん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 話し合いを終えた後、晩飯に向けて準備に入る。

 サンジは晩飯の支度を始め、ゾロとチョッパーとロビンは付近を探索して食材探し。ウソップは損傷したメリー号の修理用資材を集め。ルフィは潮水を蒸留して飲料水作り。

 ナミは木箱を机に集めた情報と地図をあれこれまとめる。ベアトリーゼは髪をお下げにしたナミに捕まり、ゲリラ――シャンディアの民から得た情報の聴取を受けていた。

 

 ルフィが作業に飽き、ナミがノートをまとめ終えたところで、ゾロ達が日没時の暗い巨大樹の森を並んで歩き回って食材を持ち帰ってくる。チョッパーがアロエとニンニクとバナナとクルミ。ゾロがデカい蛙と鼠。ロビンが大きな塩の結晶。

 

 と、ベアトリーゼが不意に森の奥へ暗紫色の瞳を向ける。

「戦闘騒音が収まり始めた。向こうも日暮れに合わせて切り上げたみたい」

 ナミとルフィは耳に手を当てて音を探ってみるが、何も聞こえなかった。

「それ、覇気ってので分かったのか?」ルフィが興味深そうに尋ねる。

 

「や。これは大気から振動を感じ取っただけ。私はプルプルの実の振動人間だからね。こういうことも出来る」

 ベアトリーゼは拾い上げた小石に低周波を加え、ルフィに放る。

「おぉ~~っ! なんかプルプルするぞっ!」

 受け取った小石から振動を感じ、ルフィが楽しそうに感嘆を上げた。

 

「楽しそうね」

 塩の結晶をサンジに渡し、ロビンがベアトリーゼの隣に腰を下ろす。

「この島、不可思議なことだらけで凄く興味深いわ」

 

「だろうね。シャンディアの村で聞いた限りじゃ、例の遺跡都市は空白の100年以前から存在していたらしい。だから、おそらく在ると思うよ。”あれ”も」

「! 尚のこと、遺跡都市を見つけたくなってきたわね」

 親友の言葉に好奇心を強く刺激され、ロビンの碧眼が輝く。

 内心ではしゃぐロビン可愛い。ベアトリーゼはむふーと満足げに息を吐いた。

 

 そうこうしているうちに、サンジが特大鍋で焼石クリームシチューを完成させた。皿に盛られたシチューが各々に配られる。

「それじゃあ、皆、食べながらで良いからしっかり聞いて」とナミが声を張る。「まず情報の確認と共有から始めるわよ」

 

 まずはノーランドの絵本のおさらい――探検家モンブラン・ノーランドがジャヤの黄金遺跡を発見したのは400年前。その数年後、ノーランドがジャヤを再訪した時には、既に黄金遺跡は消えていた。つまり、その数年の間に黄金遺跡があったジャヤの片割れが、ノックアップストリームによって空高くへ運ばれた。

 

「ここがジャヤの片割れってのに異論はねェが……地上の方の森とあまりに違わねェか?」

「おそらく、この空島の環境が原因ね。動植物の成長に大きな影響を与えているのよ」

「俺達を助けてくれたサウスバード達も物凄くデカかったぞ」

 ゾロの疑問にロビンが答え、チョッパーも証言する。

 

「それだよ。なんでサウスバード達がチョッパー達を助けたんだ?」とサンジ。

「よく分からないけど……サウスバード達は空の騎士を神サマって」

 チョッパーの答えに、ルフィは目を丸くして。

「ええっ!? 神っ!? じゃあ、このおっさんをぶっ飛ばしたら良いのかっ!?」

 

「ピエッ!?」

「いい訳あるかぁっ! このスットンキョーがっ!」

 寝込んでいる主を守ろうと警戒する愛馬?ピエールとルフィにツッコミを入れるウソップ。

 

「この空島で言うところの『神』は、王様みたいなもんだ。その人は先代の『神』ガン・フォール。君らをここに攫って試練を仕掛けてきたのは、当代の『神』エネルって奴だよ」

 ベアトリーゼがシチューを食べながら言った。ロビンがベアトリーゼの口角についたシチューの雫を指で取り、口に運ぶ。誰も気に留めないほど自然極まりない所作だった。

 

 ナミが話を童話からノーランドの航海日誌へ移すと、ロビンが気づいたことを指摘する。

「そう言えば、ノーランドが遺した航海日誌の最後のページ。不可解だったわね。『髑髏の右目に黄金を見た』と」

 

「それよっ!」

 ナミはスカイピアの古地図と現ジャヤ島の地図を、裂けめに合わせて披露した。

「おそらく、これが400年前のジャヤの姿よっ!!」

 

 二枚の地図によって露わになるジャヤの“本当”の姿。それはまさしく髑髏の顔で。

 おおーっ! と麦わらの一味が感嘆を上げ、

「じゃあ、髑髏の右目ってのは――」

 驚愕するウソップへ、ナミは答えを示すように髑髏の“右目”を指した。

「ノーランドの言う髑髏は島の全景のこと。つまり、ここに黄金があるっ!」

 

「おおっ! お宝はそこにあるんだなっ!」

「お宝――っ!!」

 ルフィとチョッパーが喝采を上げ、ナミが男前な笑みを湛えて一味の面々を見回す。

「後はこのポイントへ真っ直ぐ向かうだけよっ! 莫大な黄金が私達を待ってるわっ!」

 

 おおーっ! と再び一味の面々が喝采を上げる中、オトナの2人が水を差す。

「この島はドンパチの真っ最中だけど、その辺はどーすんの?」

「黄金を求めれば、畢竟、両者の争いに巻き込まれそうね」

 

 ベアトリーゼとロビンの指摘に少年少女達はぴたりと固まり、互いの顔を見合わせ――

 

「邪魔する奴はぶっ飛ばす」

「邪魔する奴は斬る」

「邪魔する奴は蹴り飛ばす」

 武闘派三人が強硬策を即答。

 

「両者が争ってる隙に黄金を頂けばいいのよ」

「他人様の争いへわざわざ首を突っ込む必要はねェ」

「お、俺も避けられる戦いは避けた方が良いと思う」

 自称非戦闘員三人は戦闘回避策を提案。

 

「ロビンとベアトリーゼはどう考えてるんだ?」

 チョッパーに水を向けられ、

「私は黄金より遺跡を入念に調べたいわ。そのためなら武力行使も辞さない」

 決して諦めない女と化しているロビンは強硬策に一票。

 ベアトリーゼは隣に座るロビンと腕を組み、にっこり。

「私は久し振りにロビンと探検したいから、荒事でも問題ナシ」

 

「でしょーね」

 ナミは仰々しく嘆息し、全員を見回す。

「明日は、遺跡を目指して黄金を確保する探索チームとメリーを島外に運び出す移送チームの二手に分かれて動く。それでどう?」

 異論は出なかった。

 

「よーし、飯は食った! 明日の冒険も決まったっ! 夜も更けたっ! となりゃあ、やることは一つだなっ!」

 ルフィが元気いっぱいに告げれば、ロビンは小首を傾げる。

「何かあったかしら? 船の修理は明日の朝に回すのよね? 後は休むだけだと思うけど……」

 

「おいおい……聞いたか、ウソップ。ロビンは分からねェらしいぞ?」

「言ってやるな、ルフィ。ロビンはこれまで闇に生きてきた女。分からなくても無理はねェ……」

 やれやれと言いたげに溜息をこぼすルフィと、諭すように上から目線で語るウソップ。なんとなく察したベアトリーゼがくすくすと笑い始める。

 

「? ? ?」

 激しく困惑するロビンへ、ルフィとウソップは全力で訴える。

「キャンプファイヤーするだろっ!! キャンプファイヤーッ!!」

「キャンプの夜はたとえ命尽き果てようともキャンプファイヤーしたいんだぁっ!」

 

「おい、ルフィ!」

 横からゾロが口を挟んできて、戸惑うロビンが顔を向ければ、そこにはコックと共に積み上げた立派な組木がそびえていた。

「こんなもんで良いか?」

 

「あんた達までやる気満々かっ! ベアトリーゼっ! あんたも爆笑してんじゃないわよっ!」

 思わずナミがツッコミを入れるが、もはや止まるわけもなく。

 

 敵地のど真ん中でキャンプファイヤーが始まった。

 

     ○

 

 シャンディアの戦士達はアッパーヤードの傍らにある通称『落合いの離島』に撤退していた。

 戦士達は月光の注ぐ離島の中、傷の手当てと簡単な食事で休息を取っている。

 

 ワイパーは皆の様子を見て回り、密やかに強く歯噛みする。

 死者こそ出ていないが、負傷者は多い。仮に明日も仕掛けるとして、動けそうな者は20名ほどか。

 

 数十人の戦士達が総攻撃を仕掛けても、たった三人の神官を倒しきれない現実に、ワイパーは苛立ちを隠しきれなかった。

 何より、自分の力の至らなさに怒りが収まらない。大戦士カルガラの子孫たる自分が率先して神官を倒さなくてはならないというのに――

 

 そんな苛立ちもあってか、ワイパーはアイサのために(ヴァース)を持ち帰ろうとしていたラキとひと悶着起こしてしまう。

 負傷や疲労のせいか、怒れるワイパーを避けているのか、他の戦士達は騒動を窺うだけで動かない。そんな中、

「落ち着けよ、ワイパー」

 

 騒動の原因となった戦士カマキリが、怪我を押してワイパーを宥め、告げた。

「明日も総攻撃を続けよう。サトリがいない今がチャンスだ。今日、戦ってみて分かった。今なら、神官達を押し切れる……っ! 俺達ならやれる……っ!!」

 

 カマキリの言葉に、傷つき疲れ切っていた戦士達が次々と立ち上がり、集まってくる。

「エネルさえ倒してしまえば、バッグ一つのヴァースに憧れる必要なんてなくなる。俺達は今度こそ帰るんだ。400年前に奪われた、俺達の故郷に……っ! 俺達の手で再びシャンドラに火を燈すんだ。そうだろう、ワイパー……ッ!」

 

 シャンドラの火を燈せ。今や民族の保持神と化した大戦士カルガラの言葉に、戦士達の闘志と戦意が燃え上がり、熱を発する。

 ワイパーは血が滲むほど拳を固く握りしめ、戦士達へ決断を告げた。

「明日、再び攻撃に出る……っ!!」

 

       ○

 

 森の闇を払うほど煌々と燃え盛る組木。

 ウソップが持ち出した太鼓の音色がドンドットットと響き渡り、麦わらの一味の面々は雲狼と輪になって、歓声を上げながら火の周りを踊り回る。

 ぶつくさ言っていたナミもちゃっかり交じって狼達と一緒に踊っていた。キャンプファイヤーが初体験のチョッパーは大はしゃぎだ。

 

 狼が二足歩行で踊るという生物学的常識に喧嘩を売っている現実はともかく、まったくもって愉快な光景に、ロビンはベアトリーゼの隣で優しい笑みでお祭り騒ぎを眺め、ゾロは群の頭目狼と酒を飲み交わしている(それもまた非常識な話だが)。

 そして、ベアトリーゼもニコニコしながらスケッチブックに眼前の光景を描き写していた。

 

 と、

「聖地でこんなバカ騒ぎを目にしたことは初めてだ」

 楽しげな喧噪に誘われたのか、休んでいたガン・フォールがやってきて笑みをこぼす。

 

 早速ルフィを始めとする麦わらの一味が食事やら酒やら踊りへの参加やらを勧めるが、病み上がりのガン・フォールは微苦笑と共に謝絶し、賑やかな宴を和やかに眺める。

「……先ほどのお主達のやり取りを聞かせて貰っていた。そちらの娘はシャンディアの民からも話を聞いたそうだな」

 

 ガン・フォールは訥々と言葉を紡ぎ始めた。

「青海人にとって、大地とは当たり前に存在するものなのだろうが……空には元々存在し得ぬものなのだ。島雲は植物を育てはするが生みはしない。緑も土も、本来、空には無いのだよ」

 

 土を慈しむようにすくい取りながら、ガン・フォールは言葉を続ける。

「空に生きる者達にとって、大地は永遠の憧れそのものなのだ」

 

「だから、400年前にジャヤの片割れが運ばれてきた時、空の民はシャンディアの民からこの島を奪い取ったわけか」

 ベアトリーゼが淡々と指摘する。辛辣な物言いにゾロが眉間に皺を寄せた。ロビンは静かに会話の成り行きを見守る。

 

 ガン・フォールは目を伏せ、頷いた。

「……お主の言う通り、我々は彼らの故郷を奪い取った略奪者である。そして、400年に渡って故郷を取り戻さんと願う彼らを虐げた迫害者である」

 苦悩の濃い声色に、部外者の三人は言葉を返せない。

「しかし、手放せぬのだ。もはや聖地の(ヴァース)で生み出される恵み無くして空の民は生きていけぬ」

 

 400年。スカイピアはジャヤの片割れから得られる恵みを元に繁栄した。人口も増えた。内需経済も伸びた。もう大地の恵み無しでは生きていけない。

 

「ゆえに、吾輩は彼らと共存を図ったのだが……和解の道はあまりに険しかった」

 ガン・フォールは先祖の罪を、空の民の過ちを正すべく努めた。暴力の連鎖を終わらせようと努めてきた。粘り強く空の民を説き、根気強くシャンディアの民と語り合い。だが――

「6年前、エネルによって全てが水泡に帰してしまった。いや、状況は以前より酷くなったかもしれぬ」

 

「まぁ、そう悲観的になることもないさ」

 ベアトリーゼは描き終えたスケッチブックを置き、立ち上がる。悩ましげな声をこぼしながら身体を伸ばした。アンニュイ顔に悪戯っぽい笑みを湛える。

「内で変えられないことも、外からは変えられるもんだからね」

 

 ガン・フォールが戸惑いを覚えて言葉の続きを求めるも、ベアトリーゼは意に介さずロビンの腕を取った。

「せっかくだし、私達も踊ろ」

「ええっ?」

 困り顔を浮かべるロビンを引っ張り、ベアトリーゼは踊りの輪に加わった。ルフィとウソップが2人の参加を喜び、サンジとチョッパーが囃し立て、ナミが嬉々としてロビンを踊らせる。

 

 ベアトリーゼはロビンの手を握って踊り、チョッパーを抱えて踊り、ナミと腕を組んで踊り、ウソップと一緒に太鼓を叩いて、ルフィと一緒に舞い躍る。次は俺の番とサンジが鼻の下を伸ばしてベアトリーゼに近づくも、雲狼達に先を越されてしょぼーん。

 

 宴の笑い声が一層大きくなる中、

「……変わった娘だ。いや、それを言えば、お主達もだが」

「俺もそう思ってるよ」

 困惑顔のガン・フォールに、ゾロは微苦笑して酒瓶を傾けた。

 冒険の前夜祭は賑々しく続く。

 

       ○

 

 生贄の祭壇がある汽水湖のほとりでキャンプファイヤーが煌々と燃えている頃。

 

 神の社。

 アッパーヤードの一角に築かれた、スカイピアの“神”が暮らす御殿だ。

 6年前までガン・フォールを主としていたこの御殿は、今“神”エネルを座に迎えている。

 

 身長2メートル半ば過ぎの壮健な肉体。背中には他の空の民達と違い、羽ではなく雷神様のような小さな四連太鼓を付けている。眉の濃い顔立ちに下睫毛の長い双眸。何より胸元まで届く長い福耳。白い布キャップを被り、雷神様を想起させるもろ肌の着衣を愛用している。

 なんとも個性的な容貌であるが、エネルの最大の特徴はその目つきであろう。

 傲慢と増上慢に満ちた瞳は、自身以外の全てを蔑視している。

 

 エネルは玉座ならぬ神の座に横臥し、女官の手元から新鮮な果物を掴んで口へ運んでから、呼び出した三人の神官達へ明日の予定について語る。

「アッパーヤードに侵入した青海人達は黄金を求めて動くだろう。シャンディアの戦士達も再び攻め込んでくる。よって、明日はお前達の制約を全て解く。好きなように戦え」

 

 神官の一人ゲダツが訝りつつ、エネルへ問う。

「急に何故です?」

 

「ようやく完成したのだ。我らの方舟マクシムがな」

 エネルは不敵に口端を吊り上げ、神官達へ告げる。

「だからな。さっさとこの島のケリを付けて、旅立とうじゃないか。夢の世界に」

 

      ○

 

 楽しかった宴が終わって数時間後の未明。巨大樹達の林冠の隙間から注ぐ月光が美しい。

 

 ウソップは肌寒さに尿意を覚えて起きた。

 昼間はぽかぽか陽気で過ごし易かったのだが、深夜の今は酷く冷え込んでいる。空気の薄い高高度のせいか、霧の立ち込める湖畔傍のせいか。昼夜の温度差が激しい気候にアラバスタの砂漠を思い出す。

 

 寝ぼけ眼を擦り、ウソップは野営場所を見回した。

 雲狼達と共に地べたへ雑魚寝している野郎共も毛布にくるまっていた。サンジはチョッパーを湯たんぽのように抱えて寝息を立てており、ルフィは狼達の中に埋もれて高いびき。ゾロは火の消えた焚火の傍で船を漕いでいる。

 

 女衆が使っているテント内も、きっと似たようなものだろう(テント内では、ベアトリーゼがロビンに引っ付き、そのベアトリーゼにナミが引っ付いてスヤスヤ)。

 

 ウソップは皆を起こさぬよう小便をしに向かい、何気なく生贄の祭壇に載せられたメリー号へ顔を向けて……

 見た。

 

 霧の中に佇むメリー号に小さな人影が寄り添い、作業をする様を。それはまるで――

 

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 

 瞬間、ゾロは覚醒して“持病”の方向音痴も発症せず、悲鳴の発生源へ向けて一直線に駆けた。腰に差した三刀をいつでも抜けるよう備えも忘れていない。

 

 一方、テント内ではベアトリーゼがぱちりと目を開き、脊髄反射的に見聞色の覇気を展開。周囲に異常がないことを確認すると、寝息を立てるロビンに抱きつき直してさっさと二度寝。

 

 そして、ゾロは腰を抜かして大の字にひっくり返っているウソップを発見し、気を解いてぼやく。

「こいつ、こんなところで何やってんだ」

 

「お、おばけ……おばけ……」

「寝ぼけてんじゃねェよ、まったく」

 うなされるウソップに、ゾロはイラッとしつつも、人騒がせな長っ鼻を肩に担いで野営場所へ戻っていった。優しい。

 

 

 

 

 日が昇るまで、まだ数時間。

 麦わらの一味の大冒険まで、あと数時間。

 神エネルのゲームが始まるまで、あと数時間。




Tips

キャンプファイヤー
 アニメ版ではドンドットット音ではなく、キャラソンを流してしまった模様。

雲狼
 人間とコミュニケーションを取るわ、二足歩行で踊るわ、ジュースを作るわ、なんなんだこの生き物。

カマキリ
 シャンディアの戦士。
 CVけーすけ。元漫才師でタレントでプロレスラーという異色の声優さん。

エネル。
 皆大好きな雷男。尾田せん聖曰く『新世界の強者には通用しない人』
 CV森川智之。説明不要なくらい有名な大物声優の一人。
 ワンピースでは、蛸魚人のハチも演じている。

サンジ。
 ベアトリーゼと踊れたかどうかは、想像にお任せ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

131:スカイピア・フィールドワーク

お待たせいたしました。
すぷりんぐさん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、しゅうこつさん、誤字報告ありがとうございます。


 肌寒さの残る湖畔の早朝。

 麦わらの一味と居候2人は朝飯も忘れ、生贄の祭壇に乗せられているゴーイングメリー号を調べていた。

 

 なんせ如何なる不思議か、メリー号が一晩で修繕されていたのだ。神官の一人シュラによって破壊された船体はもちろん、湖に沈んだメインマストまでも。

 しかも、ノックアップストリームへ挑むために改修された鶏の姿ではなく、元の姿で。

 あまりに不思議過ぎて、皆反応に困っている。

 

「いったい誰が……? このアッパーヤードには俺達以外、敵しかいねェはずだろ」

 ゾロのもっともな疑問に答えを持っている者は居ない。

 

「良い奴がいるもんだなぁ」楽天家のルフィはニコニコ。

「直ってる分には良いじゃない」現金なナミはとりあえず損が無ければ問題ナシ。

 

「それにしても、なんというか……」サンジは修理部位を調べながら「下手だな。これ、ちゃんと直ってんのか?」

 メリー号の船体外皮や船底を調べていたベアトリーゼが、サンジの疑問に答える。

「最低限の応急処置だね」

 

 本日のベアトリーゼはユニフォーム同然の潜水服ではなく、暗色のトレイルランナー風の長袖Tシャツとホットパンツにトレイルシューズ。すらりと伸びる生足が眩しい。

 上甲板に居た面々が舷側から身を乗り出す。ウソップが代表してベアトリーゼを見下ろしながら問う。

「船に詳しいのか?」

 

「素人見解だけど」

 ベアトリーゼは船体外皮に触れてトントンと軽く叩く。振動波の反響具合で状態を探りながら言った。

「外殻は補修してあるけど内殻は手つかずだ。それに、肋骨と竜骨(キール)がかなり歪んでる。こりゃ下手したら、ノックアップストリームの衝撃でバラバラになってもおかしくなかったよ。お猿さん達の補強のおかげで持ち堪えられたんだろうね」

 

 自分達が本当に綱渡りの大冒険を成し遂げたのだと改めて言われ、麦わらの一味は喜色を浮かべたり、顔を青くしたり、げんなりしたり。

「サル達に感謝だな」とゾロが小さく溜息をこぼす。

「やっぱり地上に戻ったら、早めにメリーを本格的な整備に出そう。あと、船大工を仲間にしようぜ」

 ウソップが皆へ提案した直後、

 

「んー……それはどうかな。木造帆船は船底の竜骨を軸に肋骨を組んで船殻を作る。だから、竜骨が損傷してしまうと手の施しようがない。かといって、分解して竜骨を交換するくらいなら新調した方が早い。この状態だとこれ以上補修や補強をしても、そう長くはもたないだろうし、いっそ船を替えることも選択肢に入れた方が良いんじゃないかな」

 ベアトリーゼがアンニュイ顔で淡々と語っていると、ベアトリーゼは麦わらの一味の面々がしょぼくれていることに気付く。

「? なんで皆、そんな暗い顔してるの? ウソップ君なんか泣きそうじゃん。どした? お腹痛い?」

 

「オメーの話が原因だよっ!」

 的外れな心配を寄こす薄褐色肌美人へ、ウソップ怒りの苦情申し立て。

「? ? ?」ベアトリーゼは怒られる理由が分からず小首を傾げるのみだ。

 

「とりあえずメリーを祭壇から降ろしましょ」

 気分を変えるように柏手を打ち、ナミが武闘派と能力者の面々へ言った。

「あんたらでメリーを持ち上げちゃってよ。日頃のバカ力と人外能力でぱぱっと」

 

「雑な無茶振りはやめろ」と鍛錬が日課の剣士。

「出来ないことはないと思うけれど、船の無事はまったく保証できないわ」とハナハナの実の能力者。

 

 ベアトリーゼが跳躍して上甲板に登り、皆へ提案する。

「時間は掛かるけれど、階段にスロープを作って進水させるのが一番被害がないと思う」

 

「そんな大量の資材はねェぞ?」

 ウソップの指摘に、ベアトリーゼは周囲の大樹を見回してからゾロへ顔を向けた。

「そこらの大樹を一本ぶった切って調達しよう。ゾロ君。スパッとやっちゃって。出来ないなら私がやるけど」

「出来るわっ!」

 ふんすっ! と鼻を鳴らし、ゾロはメリー号から飛び降り、湖畔へ向かう。

 

 というわけで、メリー号を祭壇から降ろす作業が始まった。その間にサンジが朝食と弁当を作り、ナミが諸々の計画を詰め直す。

 ゾロが切り倒した大樹をさらに切り出し、生木の板材と棒材を大量に生産。それらをせっせと階段に並べ、組木処理で固定(釘が足りなかった)。俄作りのスロープが出来たら湖水を掛けて滑りを良くする。余った木材でメリー号の船底保護と横転防止に船体の両側へ盤木を組む。ちなみに盤木は進水後に船上からロープで外せるよう加工済み。

 

「ふぃ~~……意外と手早く出来たなぁ」

 準備作業が完了し、ルフィはどこか満足げに額の汗を拭う。

「で、こっからどうすんだ?」

 水を向けられたベアトリーゼは親友へ言った。

「ロビン。船首を階段に向けられる?」

 

「ええ。やってみるわ……百花繚乱(シエンフルール)ッ! 大樹(ビッグツリー)ッ!」

 ハナハナの実の力を使い、ロビンは祭壇に大木のような二本の巨腕を咲かせた。

 麦わらの一味が『おぉ~っ!』と感嘆を漏らす中、巨腕がメリー号をぐいぐいと押して船首をスロープ方向へ。

 

「おっけー。そのまま押せるようならスロープへ押し出しちゃって。ゆっくり慎重にね」

 親友の指示に従い、ロビンは巨腕でメリー号をスロープへ押し出す。

 

 麦わらの一味が固唾を飲んで見守る中、メリー号は祭壇上からスロープへ押し出され、滑り台を降りるように湖面へザブンッと進水。

『おお~~っ!!』と麦わらの一味が喝采を上げ、メリーの船上へ移り、ロープを使って盤木を外していく。

 

 メリー号の進水を終え、

「冒険に備えてしっかり食えよー」

 サンジが山盛りの握り飯とおかずと潮汁を並べるや否や、食欲旺盛な面々がピラニアのような勢いでかっ食らう。

 和食が普通に出てくるんだよなぁ。と思いつつ、ベアトリーゼもおにぎりをばくばく平らげた。

 

 食事を進めながら、探索チームと船の移動チームを決めていく。

 探索チームはルフィ。ゾロ。チョッパー。居候のロビンとベアトリーゼ。

 船の移動チームはナミ。ウソップ。サンジ。オブザーバーに空の騎士ガン・フォールと愛馬?ピエール。

 

「なんか戦闘力が探索チームに偏り過ぎな気が……」

 不安顔を浮かべるウソップに、サンジは力強く言った。

「大丈夫だ。ナミさんは俺が命に代えても守るから心配しなくていい」

「俺はっ!?」

 

 お約束のやり取りはともかく。

「探索チームは髑髏の右目、ここから南へ真っ直ぐ向かって。敵やらなんやらに気を付けて、とにかくありったけ黄金を持ってきて! いい? 手に入る限りありったけよ!」

 ナミが地図を示しながら探索チームへ発破をかける。

 

「軽く言ってくれるぜ」「遺跡調査、楽しみね」「欲深だ……ナミは欲深だ」

 潮汁のアラを齧りながらゾロがぼやき、ロビンが微笑み、チョッパーがナミの黄金に対する貪欲さに慄く。

 

「その間に船チームはメリーでこの島から抜ける。島外へ出たら遺跡に最寄りの海岸……東岸のこの辺りに向かうから、そこで合流しましょう。で、その後は空島から脱出っ!」

 地図を示しながらプランを語り、ナミは美貌いっぱいに野心と欲望を湛えた。

「これで、私達は大金持ち海賊団になれるわ! 好きなもの買い放題よっ!」

「ひゃっほーッ! 肉食い放題だっ!」「それ、普段と変わらなくねェか?」

 大歓声を上げるルフィと煙草を吹かしながら首を傾げるサンジ。

 

 賑やかな面々を眺めながら漬物を齧っていたベアトリーゼは、不意に巨木が連なる森へアンニュイ顔を向けた。

「シャンディアのゲリラが動いた。それと、今日は神官達だけじゃないな。なんか50人くらい増えた」

 

「ご、50ッ!?」ビックリ仰天でビビりまくりのウソップ。

「おそらく神兵だろう。エネルの兵達だ。普段は神の社を守っておるのだが……」ガン・フォールが渋面を作り「神官に加えて神兵まで動かすとは……シャンディアの者達を確実に潰すつもりか」

「狙ってんのはゲリラだけじゃねェと思うぜ」サンジが煙草の灰を落として「俺達は神官の一人をぶっ潰したんだ。当然、狙われるだろ」

 

「今更だ。ここでうだうだ言ってても始まらねェ。そろそろ動こうぜ」

「だなっ!」

 ゾロのまとめにルフィがあっけらかんと同意し、号令を掛ける。

「おーし、行くぞっ! 黄金探しの冒険だっ!」

 

 かくして麦わらの一味とオマケが二手に分かれ、動きだす。

 冒険に心を躍らせる少年少女達は知らない。

 既に自分達が“神”エネルのゲームの参加者にされていることを。

 

 もちろん、ベアトリーゼも教えなかった。

 報せたところで意味はないことを、わざわざ教えたりしない。

 

       ○

 

 巨大樹の森を歩く探索チーム。

 一年中雪に覆われた冬島育ちのチョッパーにとって、アラバスタの砂漠も珍しかったが、ジャヤの緑豊かな密林も空島の雲の上に広がる白い海も、この巨大樹の森も物珍しいものばかり。

 

 御機嫌なチョッパーがルフィに倣って枝木を振るっていると、ふと気づく。

「気のせいかな……あの根っこ、動いてないか?」

 

「何言ってんだ、チョッパー。根っこは動かねェだろ」「あー?」「?」

 ルフィが片眉を上げ、ゾロが訝り、ロビンが不思議そうに小首を傾げ、チョッパーが指差す“それ“を見た。

 

「……動いた」「動いてるな」「動いてるわね」「だ、だよな!? 動いてるよなっ!?」

 ルフィとゾロとロビンが動く“それ”に目を瞬かせ、チョッパーはあわあわと狼狽え始め、

「ああ。それね、蛇だよ。ちょー巨大サイズの蛇」

 キャップを被ったベアトリーゼがしれっと宣えば、説明を求める視線が集まった。既にチョッパーが泣きそうだ。

「こっちから何かしなければ、襲ってきたりしないって」

 

 そっかー、とチョッパーが安堵した直後。超巨大ウワバミさんがついに顔を見せた。

 ウワバミさんはルフィ達をじっと見つめる。

「よ、よぉ」チョッパーがおずおずとウワバミさんへ手を振れば。

『ジュララララララッ!』

 ウワバミさんは大樹すら震わせるほどの大咆哮を上げ、殺意全開で襲い掛かってきた。

 

「ベアトリーゼのうそつきいいいいいいいいいいいいいっ!」

 チョッパーの妥当な非難が巨大樹の森に響き渡った。

 あれれー? ベアトリーゼは小首を傾げる。コイツ、気の良い蛇じゃなかったっけ?

 

 いいかげんな原作知識によるやらかしを踏まえ、命懸けの鬼ごっこがスタート。

 ナマズみたいな一対の髭と体の側面に毛を生やした超巨大ウワバミは、巨体からは想像もつかないほどの敏捷さで探索チームの面々を追いかけ回し――

 

 探索チームは済し崩しに散り散りへ。

 ルフィは明後日の方向へ進んでしまい、チョッパーは神兵とゲリラの最激戦地へ迷い込み、ゾロは“持病(方向音痴)”を発症して迷走。

 ウワバミを振り切って順調に遺跡へ向かえたのは、ロビンとベアトリーゼだけだった。

 

「なんとなくこうなる予感はあったわ」

 白いテンガロンハットを脱ぎ、ロビンが汗ばんだ額をハンカチで拭う。

「目的地は分かってるんだし、彼らもそのうち遺跡へ来るさ。私らは先に向かおうよ」

 ベアトリーゼは水筒を呷ってロビンに渡す。

 ロビンは水筒を傾けてベアトリーゼに返し、テンガロンハットを被り直した。

「そうね。先に進みましょうか」

 

      ○

 

『傷ついた仲間は置いてゆけっ! 斃れた仲間を踏み越えてゆけっ! 今日、俺達はエネルの首を獲るっ!』

 決死の覚悟を固め、ワイパー率いるシャンディア戦士20名がアッパーヤードへ突入していく。

 

 迎え撃つは神官3人+1匹。加えて、神の社の守りから出撃した神兵50名。

 アラバスタ王国で起きた戦禍に比べれば、メダカの喧嘩みたいな小さな、とても小さな戦い。しかし、戦闘そのものは熾烈を極めている。

 

 特攻隊染みた不退転の決意で臨むシャンディア戦士達は、強大な神官達と斬撃貝(アックスダイヤル)と格闘術を駆使する神兵達へ果敢に挑み、ワイパーの言葉通りに仲間の犠牲を顧みずに戦っていた。

 

 天空に浮かぶ緑豊かな大地に戦争交響曲が響き続ける。シャンディア戦士が斃れ、神兵が息絶える。重傷を負って動けなくなった者達へ手を差し伸べる者は居ない。

 

 そこかしこから聞こえてくる戦闘騒音と怒号と断末魔。

 激戦地に迷い込んで逃げ惑うチョッパー。

 ワイパーが神官の一人シュラを排撃貝(リジェクトダイヤル)でぶっ潰し。

 ゾロが偶然出くわしたシャンディア戦士の一人ブラハムを飛ぶ斬撃でぶっ飛ばし。

 メリー号を訪問した”神”エネルがサンジとウソップを感電ノックアウトさせた。

 

 そんな様子を見聞色の覇気で捕捉しつつも、ベアトリーゼはまったく関心を向けず、ロビンと共に黄金遺跡を目指して南進していた。

 ロビンは頼もしい親友と数年振りに探検を楽しみつつ、年季の入りまくった廃墟を見つけては早速調べている。

 

 大樹達と苔と島雲に呑まれた廃墟と石畳は酷く歪み、ところどころ崩壊していた。

「都市遺跡の位置から見て、この辺りは郊外だったみたいね」

 書き写したスカイピアの地図と廃墟を見比べ、ロビンが見解を語る。

「これだけ浸食が激しいと遺跡の状態も不安だね、と」ベアトリーゼはロビンから目線を放し、上方へ顔を向けて「お客さんだ」

 

「めぇ~~~~っ!」

 功夫装束みたいな着衣を着こんだ禿頭の男が大樹から勢いよく飛び降りてきて、廃墟に着地。ブーツ型ウェイバーに踏みつけられた廃墟が衝撃で破損した。

 

 瞬間、ロビンの美貌が険しく歪む。

「……歴史的価値というものを分かってないわね」

 親友の不機嫌極まる声色を聞き、ベアトリーゼがくすくすと苦笑い。

「あーあ」

 

 神兵を名乗るハゲ羊男が構えながら口上を続けるも、ロビンは耳を貸すことなく、胸元で手を交叉させて能力を発動。

「セイスフルール、ツイストッ!」

 神兵は体のあちこちから生えた腕に拘束され、雑巾みたく絞り上げられる。べきばきと骨が砕ける音色と神兵の絶叫が大樹の間に響く。全身複雑骨折の激痛に泡を吹いて失神した禿頭を投げ捨て、ロビンは破損した廃墟を一瞥して呟く。

 

「酷いことするわ」

「いやまったく」

 全身の骨をぐしゃぐしゃにされた神兵を横目にしながら、ベアトリーゼは苦笑い。

 

 2人の美女は歩みを再開する。

 島雲と木々と苔の緑に呑まれた廃墟や石畳――数百年前に滅んだ都市の痕跡を辿り、都市遺跡を目指して進んでいく。

 黄金都市が近づいているのか、森と島雲の中に沈む古い廃墟や瓦礫、石畳が増えてくる。

 

 ロビンは遺跡や遺構を熱心に調べ、ノートに記録を取りながらベアトリーゼへ言った。

「この遺跡都市そのものが慰霊碑を兼ねているようね。古代都市が滅び、子孫がその遺跡の上に新たな都市を築いた」

 

「子孫ってのはゲリラ達……モンブラン・ノーランドが出会ったシャンディアの民の御先祖か」

「ええ。私達が目指す黄金遺跡の名前はシャンドラ。シャンディアという名は滅んだ古代都市にちなんでいるのかも」

 時折目に付く古代文字を解読し、ロビンはベアトリーゼの言葉に首肯を返しながら答える。知的で神秘的な美貌の端々にウキウキとした昂奮と高揚が滲んでいた。可愛い。

 

 調査と記録をしつつ、2人は黄金遺跡を目指す。

 そして、複数の廃墟と瓦礫が佇むところに、古代文字が彫刻された石柱碑(モノリス)を発見。

 

 ロビンは石柱碑へ足早に歩み寄り、恭しい手つきで触れながら古代文字の解読を始める。

「これは建物ではなく何かの記念碑だったみたいね……海元暦402年。今から1100年以上も前に古代都市シャンドラは栄え……約800年前に滅んだ……」

 

「空白の百年」とベアトリーゼが合いの手を入れれば。

「ひょっとしたら、この島は地上で語られぬ歴史を知っているのかも」

 ロビンはもう期待を隠さない。口元が綻んでいる。

 

 そんな親友を微笑ましく思いつつ、ベアトリーゼは石柱碑を回り、裏側からロビンへ言った。

「こっちの面を見て。何か地図っぽい」

 ベアトリーゼの言葉に誘われ、ロビンは石柱碑の裏側へ。一見、線形模様が描かれただけのように思えるが、模様が描かれた面の最上部に記された古代文字を読み解き、小さく首肯する。

「シャンドラの全図ね。古代都市の中心地まで行けば、もっといろいろなことが分かるかも」

 

 早速ノートへ地図を書き写し始める若き考古学者から視線を外し、ベアトリーゼは森の薄闇へ暗紫色の瞳を向けた。

「っと。またお客さんだ」

 

 身長3メートル半ば超のでっぷりと肥え太った巨漢が姿を現す。もじゃもじゃの長髪にギリシャ風着衣をまとう大男は美女2人へ不敵な笑みを浮かべた。

「これは可憐なお嬢さん達だ。青海からの侵入者か」

 

「そちらは神エネルに仕える神官かな?」

 巨漢はベアトリーゼの指摘に尊大な調子で応えた。

「その通り。私は神兵長ヤマ」

 

「で、その神兵長さんとやらが私らに何か用事?」とロビンが地図を描き写す手を止めずに問うたなら。

「問答無用。メェエエエエエエエエエエエエッ!」

 ヤマと名乗った巨漢が功夫みたいな構えを取り、戦意溢れる奇声を発した。

 

 スン! とした面持ちを作ったロビンはヤマから目線を切り、描き写し作業へ戻る。

「ビーゼ、私は地図を描き写しておくから、任せるわ。あと」

 

「遺跡は壊すな、”汚すな”でしょ? お任せあれ」

 ベアトリーゼは口端を大きく吊り上げ、ヤマへ向き直る。ダマスカスブレードもナイフも抜かない。

 

「この私を侮るとは……許さんっ!」

 ヤマが青海人の小娘共の不遜な態度に憤慨し、

「食らえっ! マウンテ――」

 

 跳躍しようとした刹那、既にベアトリーゼが眼前へ迫っていた。

「ほぁっ!?」

 

 相手の兆しを乱す遊撃律巧(アインザッツ・リュトメン)で虚を突かれて驚愕するヤマの大きな顔へ、ベアトリーゼは体重と速度を乗せた漆黒の後ろ回し蹴りを叩き込む。

 打撃と評するにはあまりにも破壊的な音色が轟き、ヤマの巨躯がピンボールのように木々の間を跳ね回り、森の奥へ消えていった。もちろん一撃で終わりだ。

 

「意外と頑丈な奴だった」

 頭を完全に蹴り潰してやろうとしたのだけど。あの調子だと顔面全体の複雑骨折程度か。失神昏倒で死んではいないだろう。

 

 ロビンはぱたんとノートを閉じ、万年筆をポケットへ収めた。

「こっちも描き終わったわ。行きましょう」

「おーらい。行こう」

 

 2人は何事もなかったように黄金遺跡へ向かって進んでいく。

 神が仕掛けたゲームはまだ始まったばかりだ。

 




Tips
ゴーイングメリー号
 原作よりソフトに進水。本作ではやたら船体が限界だと繰り返されている。

エネル君主催のサバイバルゲーム。
 個々の戦いは大幅にカット。アラバスタと違って変化もないし。

エネル君の愉快な部下達。
 神官君
  サトリ君:ナレーションすらなく敗退。
  シュラ君:ナレ負け
  ゲダツ君:敗退が確約されているので、書く予定無し
  オーム君:敗退が確定しているので、書く予定無し。
  ヤマ君:エネル君に仕える神兵長。原作では遺跡を壊しまくったが、本作では蛮族に一蹴された。
 
エネル君。
 ガン・フォールへ挨拶しに来る礼儀正しい37歳。
 攻撃してきたサンジを返り討ちにし、騒いでうるさいウソップをとりあえず潰した。気持ちは分からなくもない。

ベアトリーゼ。
 数年振りにロビンとフィールドワークが出来て御機嫌

チョッパー
 ベアトリーゼのうそつきぃいいい!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

132:人の罪。神の戯れ。惨事の予感。

佐藤東沙さん、サトーノ♢金剛石♢さん、誤字報告ありがとうございます。


 時計の針を“神”エネルがゴーイングメリー号を訪問する前まで戻す。

 

 島外を目指し、ゴーイングメリー号は雲の川(ミルキーロード)を進んでいく。アップダウンの激しい雲の川を航行するため、船尾に遊覧船型ウェイバー『烏丸号』を船外発動機代わりに据えており、また休眠状態のツギハギ・トビウオライダーを曳航していた。

 

 操舵も操帆もしなくて良いので、ナミもサンジもウソップも、オブザーバーのガン・フォールも愛馬?ピエールも手隙である。

 ビビりのウソップは森のあちこちから聞こえてくる戦闘騒音に怯えまくっていたが、武闘派のサンジは平然としていたし、ナミも開き直り気味で不安を見せない。

 

 というわけで、少年少女は島外に出るまでの暇潰しがてら、ガン・フォールに話を聞いていた。

 このスカイピアという空島の歴史について。

 

「概ねベアトリーゼから聞いた通りね。正確にはゲリラ達から聞いた話だけど」

 ナミの感想に、ガン・フォールは大きく頷く。

「そうだ。彼らの言葉は正しい。このアッパーヤードは400年前に青海からやってきた時、我らの父祖がシャンディアの民から奪い取ったものなのだ。私欲からな。それを天から与えられた恵みと騙り、自らの罪を正当化したのだ。今では疑問に思う者すらいない」

 

 ガン・フォールはチョッパーが用意していった薬を服用し、フッと息を吐いて言葉を続ける。

「昨晩、お主達の仲間に語ったが……この空島を成す島雲は作物を成長させても、生み出しはしない。ゆえに、この空島では(ヴァース)が何物にも代えがたい価値を持つ」

「空の民にとっちゃあ、この島そのものが巨大なオタカラなのか」

 ウソップが大樹と巨木が居並ぶ周囲の光景を眺めながら呟けば。

 

「少し違う。空島で生きる全ての者にとって、だ」

 かつてスカイピアの指導者だった老人は、懺悔するように言葉を編んでいく。

「空の民にとっても、シャンディアの民にとっても、大地は空で生きていくために不可欠なものなのだ……特に、シャンディアの先祖は空島の環境をろくに知らぬまま、故郷を追われて生きていかねばならなくなった。彼らの味わってきた艱難辛苦には言葉もない……」

 

「なるほどな」サンジは渋面を作り「ゲリラが400年も戦い続ける訳だ」

 どういうこと? と目で問いかけてきた航海士と狙撃手へ、コックは懐から煙草の箱を取り出しながら。

「土が無けりゃあ生み出さない。つまり作物を増やすことが難しい。食い物の穀物や野菜、医薬品になる薬草、植物由来の色々なもんの生産量に限りがあるってことは、常に飢餓や疫病、諸々の不足に悩まされてきたはずだ。故郷を奪われた屈辱に加えて困窮に苦しめられてんだ。400年前から今の今まで」

 

 くわえた煙草に火を点し、サンジは大きく紫煙を吐いた。煙草の味がやけに苦く感じる。

「しかも、自分達にそんな目に遭わせてる奴らが、すぐ傍でのうのうと豊かに暮らしてる。そりゃ武器を()()()()よ」

 

「先祖代々の恨みと今現在の憎しみ、か……」

 復讐と報復に覚えがあるナミは可憐な面持ちを悲しげに歪め、ゆっくりと深呼吸してから、空の騎士へ尋ねた。

「それで、今の神……エネルだっけ? そいつは何者なの?」

 

 エネル。その名を聞いたガン・フォールの顔つきが変わり、憤りが滲む。

「6年前、エネルはどこぞの空島から兵を率いてスカイピアに攻撃を仕掛け、アッパーヤードを奪取した。敗れた吾輩はスカイピアを追われ、神隊の部下達は囚われて何やら労働を強制されていると聞く」

 

 皮肉だな。サンジは口に出さず思う。ゲリラからこの島を奪い取った連中の子孫が、別の空島の奴らにこの島を奪われたのか。

 

「シャンディアの民にとっては、神が吾輩からエネルに代わっても状況は変わらぬ。いや、吾輩の時より戦いはより激しく厳しいものになった」

 ガン・フォールは長い白髭を撫でながら、眉間に皺を刻む。

「エネルは武に長けているだけではない。あやつは人心を支配し、操っておる」

 

「恐怖統治ってやつか」と不安顔のウソップ。

 

「ふむ……エネルのやり口は恐怖より性質が悪い」

 苦虫を山ほど噛み潰したような目つきで、ガン・フォールは少年少女へ語って聞かせる。

「お主達のように“外”からやってきた者達を犯罪者に仕立て上げ、裁きに至るまでをスカイピアの民によって導かせる。これによって民は罪の意識を抱く。己の行いに罪を覚え、悔いを抱く時。人は最も弱くなる。エネルは民を罪悪感で縛り、巧妙に支配しておるのだ」

 神の如くな。と締められた話に、ナミは蜜柑色の前髪を掻き上げて仰々しくぼやく。

 

「エンジェルビーチに着いたばかりの時は楽園に見えたのに……かつての黄金郷もとんでもないところへ来ちゃったもんね」

「おお……それだ」

 ナミのぼやきに空の騎士は食いつき、不思議そうに青海人達へ尋ねた。

「お主達が昨夜から延々口にしておる、そのオーゴンとはなんだ?」

 

 

 

 しかし、会話は続かない。突如として、先代の“神”ガン・フォールの許へ、当代の“神”エネルが現れたから。

 

 

 

「静かにしていろ、青海人。お前達に用はない」

 エネルは一瞬で生意気なサンジを雷撃で倒し、喚き散らすウソップを鬱陶しそうに感電させて黙らせた。

 

 ナミはエネルの不興を買わぬよう、震えながら口元を押さえた。エネルとガン・フォールの問答を聞きつつ、慄きながらも明晰な頭脳で眼前の“神”を分析する。

 

 なに、こいつ。今何をしたの?

 

 失神昏倒したサンジとウソップは酷い熱傷を負い、髪や肌が焦げた臭いを漂わせていた。ナミは2人がやられた時の鮮烈な閃光と、2人の熱傷にシダ状紋様があることに気付く。

 

 ……まさか、雷? 雷の能力者? ウソでしょ、雷なんて無敵じゃないっ!?

 

「さて、これで話ができるな。ガン・フォール」

 ヤハハハと嗤うエネル。

 

「エネル……ッ! 貴様、いったい何を考えている……っ!」

 敵意を隠さないガン・フォールへ、エネルはおどけるように肩を竦めた。

「この島での用が済んだのでな。別れを告げに来たのだよ」

 

 そう語るエネルの言葉で、当代の“神”と先代の“神”のやり取りが始まる。部外者のナミには会話の内容がほとんど分からない。

 ただ――

 

 こいつ、なんなの?

 

 ナミはエネルの異質さに気づき、不気味なものを覚える。

 大地がない空島では貴金属や希土類がほとんど手に入らない。たまにノックアップストリームで運び込まれる海底の土砂や沈没船の残骸、稀に訪れる青海人から入手するしかない(その割にウェイバーなどを構成する金属部品や金属製生活道具の製造技術があるようだが……)。そのため、空の民は金属の知識に疎い。事実、ガン・フォールは黄金の価値どころか金という金属自体を知らなかった。

 

 しかし、エネルは黄金を知っており、価値まで理解していた。しかも、黄金遺跡のことも歴史的概要を把握しているようだ。

 

 それに、よくよく見れば、空の民は皆、背中に小さな羽を生やしているのに、エネルにはない。羽の代わりに四連太鼓を生やしている。

 

 いったい……何者なの?

 

 ナミがエネルを気味悪がっている間に、ガン・フォールとエネルの問答に幕が引かれた。

「……貴様が去るというなら、吾輩の部下達は、神隊の皆は解放するのかっ!」

 ガン・フォールが吠えるように問えば、エネルはヤハハハと高笑いした後、

「さてな。それは神のみぞ知る、だ」

 己の身体を雷光と変え、一瞬で消え去った。

 

「待て、エネル……っ!」

 虚空に向かって怒鳴るガン・フォール。ナミはただただ圧倒されていた。

「あれが、スカイピアの“神”……っ!」

 

       ○

 

 ワイパーと大立ち回りを繰り広げていたルフィが、超巨大ウワバミ君に丸呑みされ。

 チョッパーに敗れた神官ゲダツが青海へ落ちていき(自爆ともいう)。

 ナミがクリマタクトと衝撃貝で丸っこい風船双子(神官サトリの弟達)をぶっ飛ばし。

 エネルが暇潰しがてらにシャンディア戦士達を狩り始めた。

 

 アッパーヤードを巡る戦いが激しさを増していく中、島外の白い海上で少女が立ち往生していた。

 

「どうしよう、どうしよう……」

 シャンディアの少女アイサは生まれながらに心網(見聞色の覇気)を扱える。ただ、幼さゆえか、心網を制する術を知らぬためか、アイサはただ一方的に知覚してしまっていた。

 

 アッパーヤードで行われている激戦を。

 シャンディアの戦士達が次々と斃れていく様を。よく知る者達から流される血を。よく知る者達が横たわる姿を。彼らの怒号を。彼らの断末魔を。彼らの怒りを。彼らの恐怖を。

 

 戦場の凄惨な光景と戦士達の生々しい感情を否応なしに知覚してしまったアイサは、『自分も何かしなくちゃ』という幼い義務感と使命感に突き動かされ、ウェイバーを持ち出して村を飛び出していた。

 

 そんなアイサの心情を嘲笑うかのように、あるいは、焦燥に駆られた憐れな幼子を危険から遠ざけるかのように、ウェイバーは故障して動かなくなってしまった。

 

「動いてっ! お願いだから、動いてっ!」

 アイサは躍起になってウェイバーの機関部を叩く。しかし、ウェイバーは応えない。

 

 どうしよう、このまま皆死んじゃう……っ! ラキも、ワイパーも、カマキリも、皆……っ!

 目頭が熱くなり、涙腺が飽和して大粒の雫が溢れ出そうになった、矢先。

 

 喧しいラッパの音色が聞こえてきた。

 

「え、なに……?」

 戸惑うアイサを余所に、水平線の先から悪趣味な外装の大型ウェイバーがラッパを掻き鳴らし、白い水飛沫を跳ね上げてかっ飛んでくる。

 

 場違いな騒々しさとあまりにけったいな姿に、アイサの涙も引っ込む。

「えぇ……ほんとに何あれ」

 

 かくて、アイサは出会う。

 自分と同じように、戦場(アッパーヤード)へ向かう勇敢な父子に。

 

       ○

 

 アッパーヤードのそこかしこで死闘と激戦が繰り広げられ、麦わらの一味と神官達が大暴れし、神を名乗る男が跳梁する中、美女2人はマイペースにフィールドワークを続けていた。

 

 遺跡――緑と島雲に食われたかつての街並みを見回しながら、ベアトリーゼはしみじみと呟く。

「こりゃ相当に大きな街だったんだな。都市外縁部でこれだけの遺跡や遺構があるんだから」

 

「興味深いわ。元々存在した遺跡を利用して建物が作られてる。それに……古い方の遺跡は空へ吹き飛ばされた時の衝撃や、風化や植物の浸食で壊れたわけじゃない。見て、ビーゼ」

 遺跡を丁寧に見分していたロビンは、荒事に長けた親友へ石造りの基礎部分を指差す。

「石材が変色してるわ。多分、高熱で焼かれた跡よ。例のシャンドラが滅んだ時のものでしょうね。黄金都市を築くほど繁栄した国家が滅ぶほど大きな戦いがあった。おそらく800年前に」

 

 ベアトリーゼはロビンの推論に同意の首肯を返し、

「……私も気になっていることがあるんだ」

 横髪を弄りながら言葉を続ける。

「空島の連中……空の民もシャンディアの民も背中に小さな羽が生えてるでしょ? 私は両者の混血化が原因かと思ったけど、話を聞く限りそうじゃない。シャンディアは空へ飛ばされる以前から羽があったようだ」

 

 ロビンはハッと碧眼を大きくした。

「何らかの理由から同一起源の民族が空と地上に分け隔てられた?」

 

「空島はスカイピア以外にもあるらしい。でも、ガン・フォール翁の話が事実なら、空島の環境は生命の起源足りえない。なら、どこかから移り住んだと考える方が妥当だ。問題はどこか、という話になるけれど……そこは謎だね」

 

 親友の指摘を聞き、ロビンは息を飲む。

 かつてオハラには世界中の書籍――情報や記録が集積されていた。しかし、空島と地上の交流が極めて乏しかったこともあり、空島に関わる書籍は皆無に等しかった。

 つまり、空島にまつわる多くのことが未調査、未検証、未確認のままなのだ。

 

 空の民は世界の外にある大きな謎なのかもしれない。もしかしたら、空白の100年に並ぶほどの。

 

「面白い。凄く面白いわ。こんな楽しいの、何年振りかしら」

 次々と現れる未知と謎。親友とアカデミックな会話をしながらの冒険。ロビンは神秘的な美貌を溌溂と輝かせていた。

 

      ○

 

 エネルを追い、ガン・フォールが愛馬?ピエールに跨って出撃していく。

 

 メリー号に残されたナミは途方に暮れる。

 なんたってドンパチ真っ只中のアッパーヤードを進む中、野郎2人がエネルによって重傷で失神しており、動ける者はナミだけ。さっきの色物兄弟みたく襲われたら……

 

 膝を抱えて泣きべそを掻きたい気分だが、ナミはここで悲嘆にくれたりしない。

 海賊専門の泥棒猫をやってきた根性とアーロン一味抹殺を実行したメンタル的タフネスは伊達じゃないのだ。

「とりあえず、こいつらの手当てをしないと……ああ、もう! チョッパーが居てくれたら」

 

 ナミが白目を剥いてるサンジとウソップを手当てしようとした、刹那。

 雲の川(ミルキーロード)の前方に何かが着水。派手な着水音と共に真っ白な水柱が立ち昇り、

「ひぃっ!? な、なに!? なになにっ!?」

 怯えた猫みたく飛び上がり、ナミは慌てて失神中の2人を盾にして身を隠す。と。

 

 ラッパを掻き鳴らしながら、悪趣味な大型ウェイバーがやってくる。ナミが警戒心全開でドキドキしているところへ、

「ナミさーん! へそーっ!」

 悪趣味な大型ウェイバーの後席で空の民の美少女が手を振っていた。

 

「え? コニス? パガヤさん? なんでここに……」

 ハンドルを握るジェットヘルの髭男はパガヤ。後席に座って手を振る金髪お下げの美少女はコニス。どういうわけか、パガヤは背中にバズーカらしき武器まで背負っている。

 

 事情が分からないナミがきょとんとしている間に、パガヤが180度スピンターンを決めてメリー号に接舷。コニスとパガヤ父子に加え、見慣れぬ小さい子がメリー号へ乗り込んできた。

 

「ちょっと、この子誰よ?」依然、困惑中のナミが問う。

「ああ、その子はアイサと言って――」

「近づくな、青海人っ! やっつけてやる! あたいはシャンディアの戦士だっ!」

 

 係留ロープを繋いでいたパガヤの説明を遮り、アイサとかいうゲリラの少女が何かのダイヤルを構えて威嚇してきた。

 シャンディアの戦士達と青海の海賊が戦う様を心網で知覚していたアイサは、青海人のナミを敵だと思っているらしい。

 

 が、アイサの素性もここにいる背景事情も知らぬナミは、小生意気な少女に意地悪心が刺激された。エネルと遭遇や色物双子と戦闘、仲間二人が重傷で、孤立状態だったから、余裕がなかったのかもしれない。

 

 ともかく、ナミはチビッ子ゲリラの前に屈みこみ、意地悪な顔で空の騎士に借りた衝撃貝仕込みの小手を装着した左手を翳す。

「だからなんなの? わたしとやんの? インパクトするわよ」

 

 ナミが9歳児相手に大人げない対応をしていると、

「まぁ、大変っ!? お二人が丸焦げっ!」コニスはサンジとウソップの有様にビックリ仰天。

 

「と、とにかく今は進路を変更してください」パガヤが雲の川を示しながら「雲貝(ミルキーダイヤル)で新たな(ミルキーロード)を作りました。それを使えば、直通で島外まで出られます」

 

 それから、とパガヤが自身の大型ウェイバーから小型ウェイバーを担いでメリー号に持ち込む。

「貴方達から預かったウェイバーです。修理が終わったのでお持ちしました」

 

 修理というより、リファインカスタムと言うべきか。

 一人乗り用の船体部はより流線型にスマートで。ハンドル部分は船首に移設し、島雲上でも走行できるよう前輪を装着。シンプルな小型丸目ライト。フロントフォークはスプリングショック付き。機関部も搭載した貝(ダイヤル)をより効率的に稼働できるよう新調されている。

 

「持ってきてくれたのっ?! ありがとうっ!」

 喜ぶナミへ、ウェイバー技術者のパガヤが興味深そうに船体後部へ搭載された機関部を見た。

「それにしても、このウェイバーは只物ではありませんでした」

 

「え?」

 橙色の瞳を瞬かせるナミに、パガヤは面白いものを見たと言いたげにニッコリ。

「とても強力な(ダイヤル)を積んでまして、パワーが桁違いです」

 再び目をパチクリさせるナミ。楽しげなパガヤ、警戒したままのアイサ。そんな三人にコニスがやや怒り気味に声を張る。

 

「皆さん、何をしてるんですかっ! 早く手を貸してくださいっ! お二人の手当てを急がないと!」

 叱声を浴び、三人は慌ててサンジとウソップの手当てを始めた。

 

      ○

 

 迷宮染みた大樹の森。その太い枝の上。

「ヤハハハ……時間切れだ、カマキリ」

 シャンドラの戦士カマキリを相手に“遊んで”いた神エネルは、飽きたと言わんばかりにその悪魔の実の力を発動させた。

「100万ボルト、放電(ヴァーリー)……っ!」

 

 ゴロゴロの実の力を用い、エネルはカマキリに向けて雷撃を放つ。

 高電圧高電流の雷電が放出され、鮮烈な雷光が木々の影を払拭し、空気が焼け爆ぜる音色が轟き、一瞬で全身が電撃傷で丸焦げになったカマキリが、枝から転がり落ちていく。

 

「……んん?」

 カマキリを嘲笑っていたエネルは、シャンディア戦士や神兵達が感電する様を心網で知覚。苦い顔で舌打ちする。

「いかん。電気が雲の川を伝ってしまったか。今の放電で20人ばかり斃れたな。マヌケ共めが」

 

 まぁ、いいか。とエネルは冷笑を浮かべる。このゲームは“選別”が目的。マヌケなど元より不要だ。それに、2時間が経過してまだ20人以上残っている。少しばかり選別のペースが遅いようだが……それも問題ない。

「ふむ。じっくりと追い込んでいくとするか」

 エネルは哄笑しながら自らの体を雷に変え、有言実行に移った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしよう。絶対、大変なことになる」

 メリー号の後甲板に立つナミは、端正な顔を真っ青にしている。

 

 ナミの視線の先。

 雲の川の白い水面に、感電したトビウオライダーが腹を見せるように浮いていた。




Tips
神エネル
 ゲームの主催者。参加者に天敵と強敵がいることをまだ知らない。

ナミ
 二年後の新世界編では『子供は絶対に守るウーマン』となっていたが、この頃は子供相手にも意外とシビア。

コニス・パガヤ父子
 ワンピースは二親が揃った家庭が少数派。
 
パガヤのウェイバー
 船体は紫。内装はワインレッド。日章旗モドキにラッパ。完全に珍走団仕様。

ベアトリーゼの推察。
 原作でも真実は不明らしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

133:衝撃! 伝説の黄金都市は天空にあった!

june10101さん、烏瑠さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 童話ジャックの豆の木を思わせる、ひときわ巨大な大樹へ向かって、ロビンとベアトリーゼは島雲の白い丘を登っていく。

 2人は度々歩みを止め、ロビンが廃墟や石像のような遺物を調べ、装飾や文字などをノートに描き写していく傍ら、ベアトリーゼもスケッチブックに遺跡の紋様や石像などを手早く写生する。

 

 手書きで記録を取りながら、博学の美女2人は都市について議論を交えた。

「妙ね……石碑から描き写した市街図だと、この辺りは既に都市内縁のはずだけど……広さも地形も不自然よ」

 ノートに描き写した地図と周囲の遺跡群を見比べながら、ロビンは首を傾げる。

「ビーゼ。何か分かる?」

 

「島雲に埋まったみたいだね」

 ベアトリーゼは即答した。原作知識は使っていない。この楽しい時間をそんな詰まらないもので台無しにするほど、野暮ではなかった。代わりに能力による地中ソナーと見聞色の覇気による捜索探査で判明したことを、親友の考古学者へ伝える。

「どうも、この辺りは島雲によって多層構造になってるみたいだ。地上から運ばれてきた時、この島は積帝雲の中を通り抜けてきただろ? その時に地表部分へ積み上がった島雲が、アレの成長で押し上げられ、複層化したんだと思う」

 

 小麦肌の指が示す先には、森の大樹達が苗木に思えるほど巨大な大樹がそびえていた。

「なるほど。この島は400年に渡って空島環境の浸食を受けてきたし、異常成長する植生と合わせて考えると、妥当な道理ね」

 ということは、と呟き、ロビンはひときわ大きな建物へ神秘的な美貌を向けた。

「階段ピラミッド様式。おそらく神殿ね。だけど、背丈が半端すぎるし、接地面の埋まり方が怪しい。アレの下には大きな空間が眠っているはず」

 

「行ってみよう」

 白いテンガロンハットを被った黒髪碧眼の美女とトレイルランナー風の装いをした小麦肌の美女が階段ピラミッドへ足を運び、苔生した階段を上っていく。

 階段を上りきり、出入り口から神殿内部へ。

 しかし、神殿内は島雲で充填されていて、下層部へ降り口が見つからない。

 

「内部にもかなり島雲が浸食してるわね……降りられないか」美貌を曇らせるロビン。

 ベアトリーゼは屈みこんで島雲に触れ、振動波(ピンガー)を放つ。

「いや、埋まり切ってない。この島雲の下には空間がある」

 

 右腕を漆黒に染め、ベアトリーゼは瓦割りをするように白い地面を殴りつけた。砲撃の如き打撃が分厚い島雲を一撃で掘削し――

 

「あ、やべ」

「ビーゼ?」

 ベアトリーゼとロビンの立つ足場まで崩落させた。千々に砕けた大量の島雲諸共に落ちていく美女2人。

 いつも通りである。

 

      ○

 

「なんなんだよ、この()()はよぉ~~~……全然出口に行きつかねェし、なんか臭ェし、水たまりの水はピリピリするし、どーなってんだぁ?」

 ルフィは暗闇の中を進んでいた。

 

 ぼやきの通り、この“洞窟”は奇妙だった。なぜか洞窟内のそこかしこに遺跡らしい瓦礫や腐り朽ちた木々が散乱しており、獣や人の骨に交じって黄金製の品物が無造作に転がっている。

 

 道中に拾った黄金の冠を麦わら帽子の上から被り、ルフィは首を傾げた。

 なんか妙なんだよなぁ。

 こんなところに人が住んでいたとは思えないし、住む理由もないはずだし、そもそも根っこがないのに木の幹や枝だけ転がっている道理が分からない。

 学も教養も他人様に誇れるほど修めてないけれど、幼い頃から大自然の中でサバイバル暮らしをしてきたのだ。この洞窟の不自然さに違和感を禁じ得ない。

 

 と。ぐぅ~~と腹が盛大に鳴き、ルフィの思考力が一瞬で霧散した。

「腹減ったなぁ……リュックは表に置いてきちまったし……木は腐ってて実も生ってねェし……サンジの弁当、楽しみにしてたのになぁ~……皆、もう黄金遺跡に着いたかなぁ……」

 

 嘆息しながら、ルフィはふと思ったことを呟く。

「いや、ゾロだけは迷ってそうだな」

 

 ルフィの推理は正しかった。

 ゾロは“持病”が発動し、森林の中を2時間以上も迷走し続けている。

「一向に着かねェな……地図で見た感じより遠かったのか……」

 自分が森に迷ったとは考えず、目的地の方が遠かった、と考える辺りが病根かもしれない。

 

「とりあえず、一服入れるか」

 倒木に腰を下ろしてリュックから大きな弁当箱と水筒を取り出す。ぬるい水で渇きを癒し、サンジが作ったスタミナ弁当を食べ始める。

 

「まあまあだな」

 ゾロがサンジと喧嘩友達みたいな関係性にあることを考えれば、ほぼ絶賛であろう。

 

「ん?」

 弁当を食べ進めていると、象並みにデカい鳥――おそらく空島環境で大型化したサウスバードがやってきて、ジョージョーと鳴きながら口を大きく開く。さながら『餌をくれ』と催促するように。

 

「飯はやらねーよっ! ほれ、斬っちまうぞっ! あっち行けっ!」

 ゾロが煩わしそうに手を振るが、どういうわけかサウスバードは人懐っこく、あるいは、図々しくゾロに身を寄せて『餌をくれ』と鳴き続ける。

「ああああうるせえっ!!」

 迷子中に遭遇した動物やら女子供やらに懐かれ易い、というゾロの特性が発揮されていた。

 

      ○

 

 崩落した大量の島雲に埋もれた美女2人は、クッション染みた白い雲の塊を掻き分けて脱出に成功。

「ビーゼ。後で話し合いましょう」

 帽子とリュックサックを拾い上げながら、ロビンが怖い微笑みと共にお説教を宣言。

「ごめんなさいでした」

 やらかしたベアトリーゼはしょんぼり顔で応じる。

 

 帽子をかぶり直し、ロビンは神殿内を見回した。

「想像以上に広く大きいわね。ビーゼの言う通り、上で見た遺跡群は都市の上層部だったみたい。外に出られたら……」

「そこが黄金都市かも、か。出口を探そう」

 気を取り直したベアトリーゼが、楽しげに口端を上げる。

 

 神殿内の捜索開始。

 数百年の時の流れに侵された神殿内は荘厳な雰囲気に満ちている。石造りの建物らしい冷たい空気にはカビの臭いが乏しい。代わりに、神殿内まで浸透した樹木の枝や根、そこかしこに()した苔が放つ緑の臭いが濃かった。樹木の根に絡みつかれた宗教的な石像。苔に覆われた壁の彫刻。色褪せてもなお美しい壁画。

 

「素晴らしいわ……」

 歴史の息吹を感じているロビンの隣で、ベアトリーゼは頭の中で『ゆけ! ゆけ! 川口浩!』を流していたりする。俗っぽい。

 

 そして、ベアトリーゼが廊下を塞ぐ島雲を周波衝拳(ヘルツェアハオエン)でぶち抜くと、廊下の先に光が見えた。

 

「! ビーゼっ!」

「うん! 行こう!!」

 2人は思わず光を目指して駆け出し――

 

 見た。

 

「あぁ……」ロビンは感動を吐露し、

「うわぁ……」ベアトリーゼは圧倒されて呻く。

 

 基壇に立った2人の視界いっぱいに広がる石造りの大都市。

 北の海の冒険家が発見したという伝説の黄金郷。

 シャンディアの民が守り続けたという伝説の都市遺跡。

 

 ロビンは眼前の街を茫然と見つめながら、熱に浮かされたように言葉を紡ぐ。

「800年前。突如滅びた古の都。とてもそんな風には思えない。今もまだこんなにも堂々と、こんなにも雄大。これが……シャンドラ」

「地上から消え、天空に佇む伝説の都市、か」

 親友の編んだ言葉に糸を加え、ベアトリーゼは参ったと言いたげに笑う。

「こりゃ凄いや」

 

 そして――

 ロビンとベアトリーゼは神殿の基壇に腰を下ろし、伝説の都市をしばし眺める。

 

 燦々と注ぐ高空の陽光に照らされ、緑に浸食されたその姿は、莫大な時間の中で色褪せてなお荘厳で神々しい。

 同時に、完全に無人化して人の営みが絶えた大都市は、酷く現実感が乏しい。鳥の声ひとつ聞こえてこない静寂が、この大都市が巨大な墓標であることを明言していた。

 

 ぐう。

 

 と厳かな雰囲気を台無しにするように、ベアトリーゼの腹が鳴った。さしものベアトリーゼもこれはこっぱずかしい。気恥ずかしげに頭を掻く。

「丁度良いわ。街を探索する前に休憩しましょう」

 微苦笑を湛えつつ、ロビンはリュックサックを降ろして水筒とサンジお手製の弁当を取り出す。ベアトリーゼも腰の雑嚢から水筒と弁当箱を出して膝の上に広げる。

 

 海鮮物主体のスタミナ弁当を突きつつ、ベアトリーゼは街を横目にして言った。

「滅ぼしたのは世界政府かな」

 

「可能性は否定しないわ。空白の100年をひた隠しにしているし、この街は世界政府を起こした勢力に敵対したのかもしれない」

 ロビンは水筒を傾けてから続けた。

「でも、彼らの所業だとしたら、都市がこうも残っていることに違和感がある。世界政府のやり口からしたら、この都市を完全破壊して更地にしていてもおかしくないもの」

 

「確かに。都合の悪いもんを隠すことにかけては念入りだからな、あいつらは」

 ベアトリーゼは空になった弁当箱を雑嚢に押し込み、改めて伝説の都を眺め、しみじみと呟く。

「ロビンと一緒にこれを見られて嬉しいよ」

 

「私もよ。ビーゼと一緒にシャンドラを見つけられて嬉しいわ」

 食べ終えた弁当箱に蓋をし、ロビンは悪戯っぽく微笑む。

「それじゃ、2人で伝説の黄金郷を調べましょう」

 

     ○

 

 豆の木を登るジャックよろしく、チョッパーは超々巨大樹を登攀し、これまでより立派な都市遺跡に到達。

「ここが黄金遺跡……かな?」

 小首を傾げたチョッパーへ、厳めしい声が降ってきた。

「今日、ここに到達したのは、お前で三人目だ」

 

 神官オームと巨大な愛犬ホーリーに遭遇。チョッパー、再び神官戦である。

「ぎゃあああ殺されるぅうううっ!?」

 

 チョッパーがベソを掻きながら遁走している頃。

 迷子界のファンタジスタ、ロロノア・ゾロは奇跡を起こしていた。

 二時間以上の徘徊の末にまさかの生贄の祭壇(スタートポイント)に帰還! そこへ加えて、付きまとっていた巨大サウスバードと悶着を起こし、空へ連れ去られる。

「のわああああああああっ!?」

 

 

 迷子のゾロが空へ飛びたった時。

“洞窟”で彷徨い疲れたルフィが癇癪を起していた。

 

「あああああもうっ! こうなりゃ掘り崩して出口を作ってやるッ! ゴムゴムのぉ~」

 空きっ腹を抱えて苛立つルフィは大きく深呼吸し、洞窟の壁面を思いっきり殴りつける。

「バズーカァッ!!」

 

 衝撃音が洞窟内につんざくも、壁面はヒビ一つ入らない。

「くそぉ! びくともしねェっ!! ―――ん?」

 ルフィがしかめ面を浮かべた、直後。

 

 洞窟が文字通り“ひっくり返った”。

 それも洞窟全体が縦横無尽に荒れ狂う。さながら撹拌機の中のように、ルフィは瓦礫や倒木もろとも“掻き回される”。

「うわああああああああああっ!? 本当になんなんだよ、この洞窟ぅううううっ?!」

 ルフィの悲鳴は洞窟の闇に呑まれ、誰にも届かない。

 

 麦わらの一味の船長が人知れず半ベソ掻いている頃。

 成り行きで一味の大事な船を守る羽目になっていたナミは、シャンドラ戦士を自称するチビッ子に手を焼いていた。

 

 生得的に心網(マントラ)が使えるらしいチビッ子アイサは、次々と仲間達が斃れていく様を知覚してパニックを起こしており、ナミやコニス・パガヤ父子がいくら落ち着かせようとしても、まったく言うことを聞かない。

 

 ついには――

「もういいっ! あたいは皆のところに行くっ!」

 アイサはナミの手を振り払い、雲の川へ飛び込んでしまった。

 

「ああ、もうっ!」

 ナミはTシャツを脱ぎ捨て、ビキニ・ブラに包まれた胸を披露しつつ、アイサを追って白い川面へダイブ。飛び込み姿勢が美しい。すいすいと泳いで瞬く間にアイサを捕獲。

 

「放せ、放せよっ! あんたには関係ないだろっ!!」

「関係ないけど、見殺しに出来ないじゃないっ! あんたみたいな子供をっ!」

 ナミは喚き暴れるアイサを、メリー号の傍らに係留された小型ウェイバーの許へ、強引に引っ張っていく。

 

「ほら、ウェイバーに上がってっ!」

「嫌だっ! 放せっ! あたいは皆を助けに行くんだっ! 放せよぉ!」

 なおも激しく暴れるアイサに、ナミも流石に怒声を上げる。

「あんたね、いい加減にしないとぶつわよっ!!」

 

 見知らぬ異邦人の剣幕に怯え、アイサが9歳児らしく涙を溢れさせるも、ナミは手を緩めない。ここが締め時とばかりに叱声を続けた。

「泣いたってダメッ! いい? うちの腕が立つクルーだって2人もやられてるのっ! 子供のあんたが同じような目に遭うのは、見過ごせないのよっ!!」

 

 ナミだっていっぱいいっぱいなのだ。

 重傷を負ったサンジとウソップは依然意識が戻らないし、探索チームからは音沙汰無し。エネルに散々ビビらされたし、島のあちこちから戦闘騒音は聞こえ続けているのに、非戦闘員の自分が船を守らなければいけない。おまけに、ベアトリーゼのトビウオライダーが感電してぴくりともしない。あの野蛮人が知ったら、絶対大変なことになる。このうえ、この幼い少女にまで何かあったら、もうナミの心が持たない。

 

 ナミが意地悪ではなく本気で案じていると察したのか、アイサは泣き顔のまま大人しくなり、ウェイバーの船体へ上がる。

 ほ、と小さく溜息をこぼし、ナミもアイサに続いてウェイバーへ上がった。

 

 その時。ふっと濃い影が差す。

 何かしら、とナミが顔を上げれば。

 

 メリー号を軽く一飲みに出来そうな超々巨大ウワバミが、げんなり顔を浮かべていた。

 

「――え?」

 脳が認識を拒絶したナミの口から、マヌケな声がこぼれる。メリー号の甲板上ではコニス・パガヤ父子が驚愕と戦慄のあまり声なき悲鳴を上げており、ウェイバーの上ではアイサが涙を引っ込めて白目を剥きかけていた。

 

 驚き慄く小動物達を余所に、超々巨大ウワバミは参っていた。

 突如として生じた激烈な腹痛。あまりの痛さにのたうち回ったほどだ。(雲の川)をごくごくとたらふく飲んでみたら落ち着いたが……これほどの腹痛はここ数百年覚えがない。何か変なものを食べてしまったのだろうか……

 

 げふぅ、とウワバミが突風染みたゲップを吐いた直後。

 自身の腹の中で麦わら小僧が突然生じた“洪水”に腹を立て、本気で“洞窟”を掘り進むもうと大暴れを始めた。

 

「!? !? じゅらああああああああああああああああああああっ!?」

 超々巨大ウワバミは再び腹の中から生じる凄まじき激痛に激しく大きくのたうち回り、

「「「「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!?」」」」

 コニス・パガヤ父子が乗るメリー号を勢いよく押し流し、ウェイバーに乗ったナミとアイサを島内へ吹っ飛ばした。

 

        ○

 

 麦わらの面々とその他が愉快な体験をしている頃。

 ベアトリーゼとロビンは神殿を出て、黄金郷の探索を始めていた。

 

「見事なもんだ。建物は経年劣化で石材の“つなぎ”が無くなっても、崩れるどころか石材同士がみっちり食い合って強度を増してる。それに整備されてる上下水道も、少し手直しすれば充分に使えるよ」

「大型建築物も見事ね……空へ打ち上げられた際の衝撃は凄まじかったでしょうに、ほとんどが無事に姿を保っているもの。1000年以上前にこれほどの文明が存在していたなんて……」

 

 人が完全に絶え、緑と島雲に侵された姿が神秘的な古の遺跡都市は、前世の高度産業社会を知るベアトリーゼすら圧倒されるものであり、博学博識のロビンもただただ讃嘆をこぼすことしかできなかった。

 

 ノートに記録を、スケッチブックに写生をしながら、美女2人はシャンドラの探索を続け、街の中を進みながら注意深く調査し、何一つ見逃さぬよう情報を集めていく。

 

「文献物が何もないな……文字を持つ文明が石碑以外の記録物を遺さないなんてあり得る? よしんば紙を開発できなかったとしても、布や木板、粘土板なんかに記録を取るだろ」

 地球の古代中東文明を脳裏に浮かべながらベアトリーゼが指摘すると、ロビンは難しい顔つきで考え込み、故郷オハラで起きたことを思い返していった。

「ひょっとしたら、滅亡した際に勝利者が焚書をしたのかもしれないわね」

「情報、知識……歴史の根絶か。世界政府(奴ら)のやり口っぽいな」

 

 そして、2人が大通りへ向かう大型の持送り型アーチへ踏み入れると、彫刻壁に囲まれた古代文字の石碑を発見。

「これはポーネグリフじゃないな。黒曜石に似た石に刻んである」

「でも……ポーネグリフと同じ古代語を用いているわ。でも、どうしてこんな無造作に……」唖然とするロビン。

「後から据え付けたみたいだね」ベアトリーゼは石碑の周りにある壁面を調べ「目地の劣化具合が周りと違う。石材を剥がしてここに設置したんだ」

 

「後世へ伝えるためね」

 碧眼を驚きと昂奮に輝かせながら、ロビンは即座に解読を始めて内容をノートに書き記していく。その姿はまさしく考古学者としかたとえようがない。

 

「真意を心に口を閉ざせ。我らは歴史を紡ぐもの。大鐘楼の響きと共に……」

 ロビンは古代文字を読み上げ、

「大鐘楼。ノーランドの日誌にあった、黄金の巨大な鐘ってやつかな」

「ええ。間違いないわ」

 ベアトリーゼの指摘に応じ、口端を大きく吊り上げた。

「ビーゼ。この石碑はおそらく、この街へポーネグリフが運び込まれた際に設置されたのよ。そして、ポーネグリフは四つの祭壇の中心に位置する大鐘楼へ置かれた」

 

「いよいよ本丸が見えて来たね」

 楽しげに笑い、ベアトリーゼは親友へ告げる。

「さあ、ロビン先生。歴史を見つけにいこう」




Tips
タイトル
 昭和後期に大ヒットしたテレビ番組『川口浩探検隊』にちなむ。
 今で言えば、陳腐な仕込みバラエティなのだが、当時の子供達はもちろん大人達も番組のシリアスな笑いを楽しんだ。

『ゆけ!ゆけ!川口浩探検隊』
 シンガーソングライターの嘉門達夫が上記番組をテーマに発表したコミックソング。内容は同番組に対するツッコミやブラックジョークに塗れている。
 何かのアニメで用いられたこともあるとかないとか。

黄金都市シャンドラ。
 原作では、ロビンが『ポーネグリフが運び込まれたから、敵対勢力に滅ぼされた』と推測していたが、それだと都市を滅ぼし、焚書までした連中が古代文字の石碑やポーネグリフを手つかずで遺したことに説明がつかない気がする。
 まあ、勝利者達が莫大な黄金を略奪しなかったことも謎だが。

ロロノア・ゾロ。
 自分を疑わない心を持つ迷子界のレジェンド。

ニコ・ロビン
 黄金都市を発見してクールに大興奮。可愛い。

ベアトリーゼ。
 トビウオライダーのことを彼女はまだ知らない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

134:黄金、もう無いってよ

お待たせ候
佐藤東沙さん、トリアーエズBRT2さん、烏瑠さん、そふとぼーるさん、kuzuchiさん、誤字報告ありがとうございます。


 ジャックと豆の木に出てくる巨大豆の木みたいな超々巨大樹“ジャイアント・ジャック”。

 このジャイアント・ジャックの頂上に、スカイピアの支配者が住まう神の社がある。

 

 しかし、神の社へ行くためには、ジャイアント・ジャックの中腹にある神官オームの島雲――上層遺跡を突破しなくてはならない。

 そんな素性を知らぬまま、オームの陣取る上層遺跡へ進入してしまったチョッパーは、憐れオームと巨大愛犬ホーリーの前に倒されてしまった。

 

 神官オームと巨大愛犬ホーリーが人語を話す不思議な“タヌキ”を倒し、鼻息をついた直後、シャンディアの戦士ワイパーが推参。

 オームはワイパーを一瞥し、ソリッドなサングラスの位置を修正しながら、フッと息を吐く。

「お前が神の社に行くことはない。この俺がいる限り」

 

「ほざけ、オーム……っ!」

 ワイパーは無傷ではない。ここまでくる間に神官シュラとの死闘、麦わらのルフィとの熱戦、神兵達の妨害を経てきた。疲労。渇き。それに傷も少なくない。特にシュラを倒す際、反動の強烈な排撃貝(リジェクトダイヤル)がもたらした身体ダメージは大きかった。エネルとの戦いを考えれば、オームとの戦いで消耗は避けたいところだ。

 

 しかし、不退転の壮烈な覚悟を据えたワイパーに、この場を退くという選択肢はない。

「俺は神の社に行き、エネルの首を獲る……っ!」

 

「神の社など目指しても無駄だ」

 頭上から声が降ってきて、ワイパーとオームが声の主へ顔を向ける。

 空の騎士ガン・フォールが愛馬ピエールの背から廃墟の一角に降り立つ。

「……今しがた、神の社を見てきたところだ」

 

 ガン・フォールは大きく息を吐き、

「エネルの姿はなく、神の社は壊滅していた。施設は焼け落ち、社に仕えていた者達は皆、こと切れていた……おそらくエネルの手によって“処分”されたのだろう」

 オームを睨み据えた。

「貴様ら、いったい何を企てておるっ!!」

 

「エネルが、神の社にいない……?」

 ワイパーが怪訝そうに呟いた、直後。

 

 

「おわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 

 巨大サウスバードに空中投棄された剣士が、オームの控える空島へ降ってきた。瓦礫に叩きつけられ、踏まれた蛙みたいな悲鳴を上げる未来の大剣豪。普通なら死んでるところだが、そこは人外並みの肉体を持つ男。鼻血が出ただけでピンピンしている。

 迷子界のミラクリスト、ロロノア・ゾロのエントリーだ。

 

 ゾロはむくりと身を起こして周囲を見回していく。

 1:空の騎士。

 2:シャンディアの戦士。

 3:見覚えのないツノグラサン野郎とデケェ犬。

 

 3を選び、ゾロは言った。

「おう! 黄金、寄越せ!」

 その言動、もはや押し込み強盗。

 

 そして――

「じゅらあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 超々巨大ウワバミが耐え難い腹の激痛にもだえ苦しむあまり、ベソを掻きながら上層遺跡に飛び込んできた。

 かくして、上層遺跡にて、神エネルの神官とその愛犬、シャンディア戦士、先代の神である空の騎士、海賊麦わらの一味の副船長、超々巨大ウワバミの五つ巴の戦いが始まった。

 

 

 激戦が開始された上層遺跡の下でも、戦いは続いている。

 

 

 いや、戦い以外の騒ぎも起きていた。

 ウワバミに島内へふっ飛ばされたナミはアイサとウェイバーに2ケツし、

「メェエエエエエッ!」「追え追えィッ!」「シャンディアを逃がすなぁっ!」

 功夫装束のおかしな連中に追われ、雲の川(ミルキーロード)を激走している。

 

「なんなのよ、あいつらぁっ!?」

「神兵だよっ! エネルの手先だっ!」

 ナミの腰に引っ付いたアイサが悲鳴を上げ、ナミの小癪なお尻をぺちぺち叩く。

「もっと速くっ! 捕まったら殺されちゃうっ!!」

 

「逃げろったって……そもそも私達、どこに向かってんのよっ!?」

 ウェイバー技師のパガヤ曰く『桁違いのパワー』を持つウェイバーをかっ飛ばしているが、雲の川(ミルキーロード)に従って進んでいるだけだ。ナミは自分達がどこへ向かっているのか、さっぱり分からない。

 

「ジャイアント・ジャックだっ! あたいら、神の社の方へ向かってるっ!!」

 アイサが桁外れに超巨大な大樹を指差して叫び、ナミは少女の言葉の意味を理解して顔を青くする。ヤバいっ! 敵の総本山に向かっちゃってるっ!!

 

 しかし、ナミに選択肢はない。逃げ道は他にないのだから。

 ナミとアイサは望まぬまま最激戦地と化した上層遺跡へまっしぐら。

 

 五つ巴が繰り広げられている上層遺跡へ向かう者は、ナミに限らない。

 死闘を生き残った少数のシャンディア戦士達も、彼らを追う神兵達もまた、上層遺跡へ向かって集結していく。

 神エネルの仕掛けたゲームはいよいよ佳境を迎えつつあった。

 

       ○

 

「足跡だ」

 ベアトリーゼが屈みこみ、石畳に繁茂する苔に残った足跡を見つける。苔が踏みつけられたことで周囲と成長差が生じて残った跡だ。

「成長速度がはっきりしないから時期は分からないけど、少なくても年単位で経過してるな。大人数でここら一帯を調べて……」

 腰からナイフを抜き、ベアトリーゼは石畳の継ぎ目を切っ先でなぞった。切っ先に付着した埃と島雲、それに、わずかな金箔。

「この辺りから黄金を片っ端から掻き集めたようだ。おそらく町のあちこちに似た痕跡があるだろうね」

 

「既に人の手が入ってる?」ロビンは眉をひそめ「でも、空の騎士はここの存在を知らないようだった」

「シャンディアの連中も違うね。400年前に島を追われてる」

 ベアトリーゼの追補に、ロビンは残る可能性を挙げた。

「金を回収したのは当代の“神”ね。神官達にこの島への侵入を断たせている間に、遺跡の金を集めさせた」

 

 ロビンは端正な顔で考え込み、自問するように言葉を編む。

「でも何のために? 空島では金は貨幣価値を持たない。ただの希少金属資源。極論すると資材にしかならないわ」

 

「つまり、黄金を資材にして何かを作ってるってことだ」

 ベアトリーゼは親友の疑問の答えを持っていたけれど、口にはしない。だって冒険の最中にネタバレしても興醒めするだけだから。

 

 ナイフをくるりと回して鞘に納め、ベアトリーゼは頭上を見上げた。

「上のドンパチもいよいよ佳境に入ったみたいだ」

 

 神の社へ通じる超々巨大樹ジャイアント・ジャック。その幹に付帯する上層遺跡では五つ巴の激戦が繰り広げられている。そこへシャンドラ戦士の残余3名と神兵5名、それにウェイバーに乗ったナミとアイサが加わって大騒ぎだ。

 

 あ。ナミちゃんとアイサが空の騎士共々ウワバミに呑み込まれた。うーん。命がいくつあっても足りない大冒険を楽しんでるね。善き哉善き哉。

 

「悪い顔してるわよ」ロビンはくすくすと苦笑いをこぼし「行きましょう。鐘楼を見つけないと」

 ロビンに促され、ベアトリーゼはシャンドラの中央部を目指して歩き始めた。

 

       ○

 

 

 光も通らぬウワバミの腹の中。

 意識を取り戻し、ナミはあちこちが痛む自身のことより真っ先にアイサの姿を探す。理屈ではなく、ナミの貴き人間性が発露した本能的行動だ。

 そして、遺跡の瓦礫と腐った木々と泥土に満ちた暗闇に目が慣れ、アイサを見つける。

 

 アイサは目を回している水玉模様の怪鳥?ピエールに抱えられていた。帽子を無くしていたが、ピエールに守られて大きな怪我はないらしい。

 

 よかった。極自然に蜜柑色髪の美少女の端正な顔が優しく和らぐ。

 その慈愛に満ちた微笑みを、もしもサンジが目にしていたら、幼き日に亡くした母を幻視して目頭を熱くしたかもしれない。

 

 傍らで金属が擦れる音色が響き、ナミが顔を向ければ空の騎士ガン・フォールが身を起こしていた。困惑気味に周囲を見回す。

「ここはいったい……?」

 

「蛇のお腹の中よ。私達、呑み込まれちゃったみたい」

「なんと。ここは空の主の……」

 唸るガン・フォールを余所に、ナミはアイサを介抱して起こす。

「ふあ? 臭い……ここ、なに? どこ?」と寝ぼけ調子のアイサ。

 

「あの蛇のお腹の中。寝ぼけてないでシャキッとしなさい」

「ええっ!? あたい達、食べられちゃったのっ!?」アイサは吃驚を挙げて真っ暗な周囲を見回し、気づく。「げげっ!? 空の騎士っ!?」

「む? その幼子はシャンディアではないか。娘、いったい何があった? なぜ船に居らぬ。それにシャンディアの子などどこで?」

 

「色々あったのよ」

 ナミが溜息をついた、刹那。

「や、やっつけてやるっ!」

 アイサが(ダイヤル)の武器を構えてトテトテとガン・フォールへ突撃。

 

「やめんか」

 も、ナミがアイサの後ろ襟を引っ掴んで突撃失敗。ガン・フォールもアイサの敵意に柔らかな笑みを返すだけ。アイサは拗ねてぶすくれた。

 

 ガン・フォールは汚れた長髭を指で梳きつつ、思案顔を作る。

「ふむ。この胃袋を裂いて外へ出るか……」

「バカ言わないでっ!! 刺激して暴れられたらどうすんのっ! 命棄てたいのっ!? もう少し考えてよっ!!」

 瞬間、ナミが美貌を台無しにするほどの憤慨顔でまくし立てる。胃袋内に反響するほどの怒声。あまりの剣幕にアイサとピエールが思わずビビり、ガン・フォールも身を仰け反らせた。

 

「じょ、冗談である。もちろん冗談であるぞ、娘」

「笑えないわよっ! 変な騎士は本当に変なんだからっ!」

 ぷりぷりと憤懣を露わにするナミ。

 と。

 

 ひた。ひた。ひた。

 

「―――今、何か……」「あたいも聞いた……」

 漆黒の闇から届く異音を捉え、ナミとアイサが不安顔を浮かべた。怪鳥?ピエールも器用に怯え顔を作る。

 

 ひた。ひた。ひた。

 

 漆黒の闇から音が近づいてくる。

 

 ひた。ひた。ひた。

 

「足音、であるな」

 ガン・フォールが少女達を守るように前へ出て騎士槍を構え、ナミがアイサを庇うように抱き寄せた。

 

 ひた。ひた。ひた。

 

 近づいてくる足音。三人と一羽? は不安を隠さず息を潜め、唾を飲み、身構える。

 闇の中に仄かな影が浮かび、ガン・フォールは誰何した。

「何者っ!?」

 

 影は答えずに瓦礫を乗り越えてきて、

「あああああああああああっ! ナミっ!! 変なおっさんっ!!」

 見慣れた麦わら小僧が登場。仲間と知己を発見した喜びと安堵からか半ベソを掻き始めた。

 

「ルフィッ?!」「お主はっ!?」「ひえっ!?」「ピェエエエエッ!?」

 驚愕の吃驚を上げる三人と一羽?

 

「あんた、こんなところで何やってんのよっ?!」

「この不思議洞窟から出られなくなっちまったんだよぉ」

 半ベソ顔で慨嘆するルフィに眉をひそめ、ナミは船長の誤認を指摘する。

「? 不思議洞窟? 何言ってんの、ここは蛇のお腹の中よ」

 

「ん? 蛇?」

「そうよ。私達、蛇に飲まれちゃったのよ」

「へえ~……そっかぁ。そりゃ大変だったなぁ」

 他人事のように宣うルフィへ、ナミが眉目を吊り上げて怒鳴った。

「あんたも飲み込まれてんのよっ!!」

 

 怒声を浴びたルフィは黒い瞳を瞬かせながらナミの言葉を咀嚼し、ぽくぽくちーん。

「……ええっ! そうだったんかっ!? じゃあ、ここはあのウワバミの腹の中なのかっ!?」

 

 何周か遅れた吃驚を上げる暢気な船長に、美少女航海士は疲れ顔で溜息をこぼす。

「気づきなさいよ。あんた、服とか消化され始めてるじゃないの」

 

 一張羅の赤いチョッキと青いハーフパンツの裾がボロッと崩れていることに気付き、ルフィが悲鳴を上げる中、アイサが呆れ顔を浮かべてナミに尋ねた。

「……飲まれたのに気づいてなかったとか……誰なの、このアホ」

 

「この流れで言うのもアレだけど……私達の船長」額を押さえながら答えるナミの姿は、ボンクラ息子を紹介する母親のそれに通じるものがあった。

 

「なんとっ! お主船長だったのか!」「ピエエエエエエッ!」

 先んじて知己を得ていたガン・フォールとピエールが驚愕する。甲板員くらいに思っていたのかもしれない。

 

「はぁ~~とんでもない目に遭っちまったなぁ」

 そんな周囲を無視し、ルフィは周囲をしげしげと見回してから、気を取り直して。

 

 麦わらの一味船長ルフィの提案。

「よし、それじゃすぐにこいつのケツの穴を探そう」

 麦わらの一味航海士ナミの回答:ビンタ(フルスイング)

「どっから出る気だっ!!」

 

 麦わらの一味船長ルフィの意見。

「ケツの穴からプリプリッと出りゃあ良いじゃねえか」

 麦わらの一味航海士ナミの回答:チョップ(全力)

「イヤよッ!! ウンコ塗れになるくらいなら溶けた方がマシッ!」

 

「ナミ、怖い」「青海の娘は凶暴であるな……」

 ドン引きする空島人の老若と怪鳥?

 

 ナミはビキニ・ブラに包まれた胸の前で腕組みし、ルフィへ説くように語る。

「いい、ルフィ。この蛇、凄く凶暴なのよ。虫の居所が悪いのか凄く暴れてて、それで私達は飲み込まれちゃったの。今は落ち着いてるみたいだけど、いつまた暴れ出すか。妙な真似は控えた方が良いわ」

「そーなのか? 俺が見かけた時はそんなでも無かったけどなぁ……なんでそんな機嫌が悪ィんだ?」

 

 その時、三人と一羽に電流走る。

「「「まさか」」」」

 

「? どした?」

 不思議そうにきょとんとするルフィへ、ナミが問う。

「ルフィ? ひょっとして、ここでずっと暴れてたの……?」

 

「おう。出口が全然見つからねーから、ぶっ壊して出ようと思ってよぉ。暴れすぎて腹ペコだよ。ナミ、なんか食いもん持ってねえか?」

 しれっと宣うルフィの能天気さが、ナミの逆鱗に触れた。

「この……この……この……」

 青筋を浮かべたナミは拳を硬く硬く、とても固く握りしめて。

「おバカぁっ!!」

 

 愛ある拳による撃滅のセカンドブリットが放たれ、轟音と共にルフィがピンボールのように胃袋内を跳ね回る。

 直後。

 

 ご ご ご ご ご ご ご ご ご ご ご ご ご ご ご !

 

 不気味に唸り、蠕動(ぜんどう)を始める不思議洞窟もとい超巨大ウワバミの胃袋。

「「「「あ」」」」

 強烈な胃痛を覚えた超々巨大ウワバミ“空の主”は激しく身悶えして暴れ始め、胃袋の中を撹拌機へと変えた。

 四人と一羽による悲鳴の五重奏が、ウワバミの体内に響き渡る。

 

       ○

 

「ありゃま」

 鐘楼があるべき場所は切り取られたように広大な島雲の一帯と化しており、桁違いに超巨大な大樹がそびえ立っている。

「このデカブツに丸ごと運ばれたか。それとも空島へ打ち上げられた時にどこかへ吹き飛ばされたか」

 

 超々巨大樹ジャイアント・ジャックを見上げながらしみじみと呟くベアトリーゼ。その隣で周囲を見回していたロビンが、見つけた。

「ビーゼ。あれを」

 

 2人の美女は発見した“それ”の許へ歩み寄り、ベアトリーゼが屈みこんで調べる。

 

「鉄路。軌間からして手押しトロッコかな。錆の具合からして、そう古くない」

 枕木は既に苔生しているけれど、レール自体の錆は多くない。この島の環境を考えるに敷設され、放置されてからあまり時間が経過していないようだ。

「増々不可解だな。鉱物資源がない空島でこの発明が生じるのか? エンジェル島で似たようなものは?」

 

「工事現場があったけれど……軌条輸送は見てないわね」首を横に振るロビン。

「まったく謎と不思議に満ちた世界だ」

 腰を上げ、ベアトリーゼが遺跡都市を見回しながらぼやいた直後。

 

 背後の遺跡の屋根からヤハハハと傲慢な高笑いが聞こえてきた。

 

 気配を察知していたベアトリーゼとロビンは驚くことなく振り返り、遺跡の屋根でリンゴを弄ぶ男を見上げた。

 耳たぶが異様に長い半裸男。鍛え上げられた上半身の背から四連太鼓が生えていた。彫りの深い顔に傲慢な笑みが貼りついている。

 

「見事だろう?」

 黄金の長棍を膝に置き、男はリンゴを弄りながらベアトリーゼとロビンへにたり。

「空へ打ち上げられようとも、かくも雄大に存在し続ける都市シャンドラ」

 

 金色の短髪に白い布帽子を被った半裸男は、周囲を手で示しながら語る。

「伝説の都も雲に覆われてはその姿の誇示すらままならない。私が見つけてやったのだ。先代までのバカ共はこの都に気づきもしなかった」

 

「貴方は?」

 ロビンの誰何に男は傲然と答える。

「神」

 

 傲岸不遜を音にしたような声音にベアトリーゼは肩を小さく竦め、ロビンはかすかに眉をひそめた。もっとも、自称神は美女2人の反応を気にせず、リンゴを齧り始める。

 

「大したものだ。青海の学者に冒険家といったところか……我々ですらこの遺跡の発見には数カ月を費やしたというのに、遺跡の文字を読めるとこうも容易く見つかるものなのだな」

 もしゃもしゃとリンゴを咀嚼しながら、自称神は口端を歪めた。

「だが、もう黄金はない。いささか遅かったな」

 

 繰り返される嘲りのこもった声音。ベアトリーゼは原作チャートを無視し、このイキッた自称神をぶちのめしてベソを掻かせようかと思案を始める。

 相棒が短慮へ走る前に、ロビンが尋ねた。

「この遺跡にあった黄金は貴方が?」

 

「良いものだ。あの輝く金属は私にこそ相応しい」と肯定する自称神。

「では、ここにあった黄金の鐘も?」

「黄金の鐘?」

 ロビンが問いを重ねると、自称神は眉根を寄せた。

 

 ふむと思案顔を作り、自称神はリンゴを食べ進めていく。果肉どころか芯まで綺麗に平らげ終えてから、ロビンへ反問する。

「……興味深いな。貴様ら。文字を読み、何を知った?」

 

 ベアトリーゼはロビンへ『任せる』というように目線を向け、ロビンは首肯して自称神へ答えた。

「いいえ。残念だけど貴方がここに来た時になかったのなら、もうそれは空に来ていないのよ。シャンドラの誇る巨大な黄金の鐘と、それを収める大鐘楼。私達は鐘楼に用があった」

 

「……いや、待て」

 自称神は小さな頷きを幾度か繰り返し、

「ある。あるぞ。黄金の鐘はある。空に来ている」

 ロビンとベアトリーゼへ順に目線を巡らせた。

 

「400年前、この島が空に吹き飛ばされてきた時。この国にアッパーヤードが生まれた日、大きな鐘の音が国中に響き渡ったという伝承がある。年寄り共が“島の歌声”と呼ぶものだ」

 何か琴線に触れたらしい。自称神は心底楽しげな調子で笑い始め、遺跡都市を見回しながら言葉を編んでいく。

 

「そうか……! その鐘は黄金で出来ていたのか。素晴らしい。じきにゲームも終わる。事のついでに国中を探してみようじゃあないか。黄金の鐘をな」

 ヤハハハと機嫌よく笑っていた、と思ったら、自称神は笑みを打ち消し、森の方角へ顔を向けた。

「……ウジ虫が一匹這い出したか」

 

「何を――」

 ロビンが訝った間際。

 神を自称する男が、神の如き力を発揮した。

 




Tips
トニートニー・チョッパー。
 見せ場がないまま退場してしまった。

オーム&ホリー
 ぶっちゃけ、こいつらも特に見せ場なし。

ロロノア・ゾロ。
 負けちゃったチョッパーの具合とウワバミに食べられちゃったナミちゃんが心配。
 彼は知らない。ウワバミに船長まで食べられちゃったことをまだ知らない。

ワイパー。
 仲間が全滅し、眼前で幼馴染のラキをエネルに潰され、激おこ。だけど、アイサを助けるためにウワバミを倒そうと必死になってる。
 実はまだ22歳。

ナミ
 新世界編ほど母性全開ではないけど、ふと見せる女性的優しさが尊い。

ロビン&ベアトリーゼ。
 フィールドワークを楽しんでいたら、半裸男に遭遇した美女2人。

エネル。
 半裸のカミナリ怪人。
 かつてはエミネムがモデルと言われたこともあったらしいが……似てるかなぁ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

135:戦いを嘆く神。戦いを煽る神。

佐藤東沙さん、読む専用さん、アローレインさん、kuzuchiさん、誤字報告ありがとうございます。


 完全な闇の中、大量の瓦礫と土砂と腐敗した木々と胃酸の奔流に攪拌されながら、四人と一羽?が垂直に押し流されていく。

 闇に眼を塞がれ、頭蓋を砕きそうな轟音に耳を塞がれ、為すすべなく抗う術なく。

 暗闇の底へ落ちていく。土石流に溺れていく。体が瓦礫に擦り削られていく。心が恐怖に圧し潰されていく。

 

 ナミは声ならぬ絶叫を上げ、アイサはもう怖すぎて涙すら出せない。怪鳥ピエールは既に白目を剥いていた。瓦礫に打ちのめされながらガン・フォールは己の身を盾として守るべくアイサを抱きかかえる。

 

「にゃあろぉっ!! ゴムゴムのぉ、風船っ!!」

 生き抜くという根源の力に満ち溢れたこの麦わら坊主は、悪臭と粉塵漂う大気を目いっぱい吸い込んで己の体躯を限界まで膨らませ、我が身を緩衝材として三人と一羽?を落下衝突死と埋没圧死の危機から救う。

 

「まったく、ヒッデェ不思議洞窟だ」

 半ば瓦礫に埋まったルフィがぼやきながら身を起こし、急いで皆の様子を確認する。

 

 ナミは茫然として体を震わせている。水玉模様の怪鳥ピエールは大の字になって失神中。変なおっさんと見知らぬチビも押し潰されていない。

 全員無事か、とルフィが胸を撫で下ろした、刹那。

 

 ガン・フォールに抱きかかえられて守られたアイサは意識を取り戻し、間近で老人の顔を目の当たりにした瞬間、沸騰する。

 

 途方もない恐怖に錯乱したのかもしれない。あるいは、生まれた頃から培われた空の民への憎悪と怨恨が、アイサを突き動かしたのかもしれない。

 

 アイサは老人の手を払いのけ、落ちていた騎士槍を拾い上げ、重さにふらつきながら切っ先を宿敵たる先代“神”ガン・フォールへ突きつけた。

「! 何やってんの、アイサッ!?」我に返ったナミが制止の声を張る。

 

「こいつは敵だっ! あたい達シャンディアから故郷を奪い取った敵なんだっ! ここで首を獲ってやるっ!」

 9歳の少女とは思えぬ猛々しい声色と殺気。切っ先を突きつけられたガン・フォールは身を護る素振りも見せず、自身へ怒りと憎しみを向ける少女をただただ真っ直ぐ見つめていた。

 

「それは400年前の話でしょう。この人がしたことじゃないわ」

 ナミは慎重に言葉を選ぶ。

 かつて復讐者だったナミには分かる。アイサの剣幕は子供の癇癪ではない。奪われた者の憎しみ。傷つけられた者の恨み。踏みつけられてきた者の怒り。迂闊な言葉は最後の一押しになりかねない。

 

「……吾輩の皺首一つでお主達の心が鎮まるなら、差し出そう」

 少女の目を見つめながら、かつて神と呼ばれていた老人が言葉を編み始めた。

「だが、もはや吾輩の命だけでシャンディアと空の民の争いは止められぬ。我々の先祖がシャンディアから故郷を奪い取り、400年に渡って苦しめてきたことは承知しておる。しかし、どう詫びてよいか、術が見つからぬ」

 

 齢70手前のガン・フォールには“領土(アッパーヤード)”を守るため、空の民を守るため、シャンディアと戦ってきた過去がある。

 

 若い頃は疑問に思わなかった。アッパーヤードは神が空の民へ与えた祝福。アッパーヤードの領有は空の民の“正当な権利”。シャンディアは単なる蛮族に過ぎぬ、と。

 

 しかし、ガン・フォールの心に少しずつ疑念が蓄積していく。

 ただ一途に故郷を取り戻そうと戦い続けるシャンディア戦士の姿に。どれほど渇き飢えても抗い続けるシャンディアの民の姿に。死にゆくシャンディア戦士から向けられる恨みと憎しみの強さに。

 

 そして、ある遭遇戦で、シャンディアの歳若い少女が投降を促したガン・フォールへ背を向け、迷うことなく白々海に身を投げる様を目の当たりにした時、その疑念は決定的になった。

 

 ガン・フォールはスカイピアの歴史を学び、知る。

 アッパーヤードを巡る真実を。この国が400年に渡って続けてきた“罪”を。

 この国の指導者――神の座を目指し、就いたのも、そのためだ。

 正さねばならないと決意したから。

 

 だが――

「わしは無力だ。何も変えられぬまま、ただ時は流れた。能うならば、一人一人に頭を下げて詫びたい。400年の間、故郷を求めて死んでいったシャンディアの民一人一人に」

 苦悩に満ちた老人は自身を睨み据える少女へ告解し、心から告げる。

 

「まことにあい済まぬ」

 

 誠心の謝罪。

 それでも、アイサの目から怒りが解けることはない。受け継がれてきた民族の恨みと憎しみは、謝罪の言葉くらいではほどけない。

 

 ナミがアイサの小さな背中へ声を掛ける。

「……変な騎士は空の皆が仲良く平和に暮らせるように、一生懸命頑張ってきたのよ」

 

「仲良くなんか暮らせるかっ! こいつらは悪い奴らなんだっ! こいつらのせいで、あたい達はずっと苦しんできたんだっ! 皆が死んじゃうのも、あたい達がいつも腹を空かせてるのも、全部こいつらのせいだっ!」

 涙を滲ませながらアイサは怒鳴る。

 その叫びはシャンディアの叫びだ。先祖代々受け継いできた恨みであり、今を生きる者達の怒りだ。

 

 ガン・フォールはただ瞑目し、アイサの決断に身を委ねた。

 ルフィは黙って成り行きを見守っている。

 

 ナミはアイサへ語り掛ける。慈しみがこもった声音で。

「……故郷を取り戻したい。アイサの気持ちは分かるわ。本当よ」

 母の仇。故郷の奪還。自身の夢と人生を取り戻すため、手を血に汚した。それが過ちだったなどと思ったことはない。だが、真に救われた瞬間は、間違いなく最高の仲間達が戦ってくれたあの日だった。

 

「でも、ここで変な騎士を殺したら、その願いが叶うの? シャンディアと空の民の争いを終わらせようと頑張ってきた人を殺すことが、本当に正しいことだと思うの?」

 ナミの言葉に、重たい槍を抱えるアイサの手が震えた。

 

 アイサだってガン・フォールが和解と共存に奔走してきたことを知っている。長老や大人達が、ガン・フォールだけがシャンディアの言葉に耳を傾けた、と言っていたから。

 

 だけど、9歳のアイサは納得なんてできない。

 故郷を取り戻せぬ自分達の不甲斐なさと弱さに怒り、苛立つ戦士達。食料と薬が足りないせいで命を落とす者達が出ることを受け入れる大人達。村はいつも怒りと悲しみと諦めに満ちている。空は泣きたくなるほど青く晴れ渡っているのに、シャンディアの民の間には、いつも暗鬱な空気が立ち込めている。

 全ては400年前に空の民がシャンディアの故郷を奪い取ったからだ。

 

 だから。

 アイサはプリミティブな衝動のままに、全ての感情をぶちまけるように叫びながら、槍を振り上げた。ナミが制止の声をあげるも、振るわれる槍はもう止まらない。

 

 しかし、槍の切っ先は元“神”の首に届かなかった。

 いつの間にかアイサとガン・フォールの間に立ったルフィが、騎士槍の先を掴んで押さえていた。

 

「なんで」

 涙に濡れた目でアイサはルフィを見る。背を向けて立つルフィの表情は分からない。でも、その背中はどこか寂しそうで、アイサの心を酷く揺さぶった。

 

 背を向けたまま、ルフィは言った。

「……謝ってんだからよ。命取ることねェだろ」

 

 いつもなら『余所者が勝手なことを言うな』とでも罵声を返せるはずなのに、ルフィのどこか切なげな声色にアイサは怯み、槍の柄を手放して崩れ落ちた。嗚咽を上げ、小さな顔の頬を大粒の涙が流れていく。

 

 そんなアイサを抱きかかえ、ナミはアイサの小豆色の短い髪を撫でた。

 神だった老人は、ただ少女へ頭を垂れることしかできない。

 ルフィは騎士槍を足元に置き、麦わら帽子を被り直した。まるで顔を見られないように。

 

        ○

 

 ゴロゴロの実の能力を実際に目の当たりにし、ロビンが息を飲む。

「いったい何を――」

「なに、惨めな虫けらを苦痛と苦悩から解放してやっただけだ。娘がまだ生き残っているが……宴の余興には丁度良い」

 

“神”エネルが増上慢のままに語る最中、ベアトリーゼは警戒顔のまま、冷徹に分析と検討を始めていた。

 なるほど、ロギアの中でも別格の能力だ。

 しかも、井の中の蛙のくせして能力の練度が高ェ。

 

 自身は一歩も動かずに長距離電撃が可能で、高練度の見聞色による観測と照準で精度も抜群。武装色の覇気は使えないらしいけど、覇気が使えないことなど問題にならない威力を出せる。しかも、稲妻と同速度で移動まで出来るときた。

 

 雷光速度の機動力で大火力の精密長距離攻撃に徹されたら、押し切られちまう。白兵はともかくアウトレンジの火力戦じゃ勝ち目はない。

 

 やるなら、初見殺し一択。おそらくチャンスは一度だけ。その機を逃したら、こいつは二度とクロスレンジに踏み込んでこないだろう。

 

 眼前の女が自身の殺害プランを練っていることに気付くことなく、神を自称するエネルは驕慢な哄笑を上げる。

「さて。ゲームも頃合いだ。幕引きを始めようか」

 エネルは立ち上がって左手を高々と掲げ、放電を始めた。左腕から鮮烈な光輝が放たれ、バチバチと空気が焼け弾ける音色が轟く。

 

「!?」

 強烈な雷光にロビンが思わず後ずさり、番犬たるベアトリーゼは逆に一歩前へ出てロビンを背に庇う。同時にモルモットを注視するように観察。プルプルの実の力を発動し、電子レベルで大気の変化を計測。

 

「我が前に集え、下々の者共よっ!」

 そして、エネルは顔に傲岸不遜な笑みを貼り付け、頭上へ向けて青白い大稲妻を放射した。

 

 莫大な電圧と電流が青白い奔流となって昇っていく。ジャイアント・ジャックに沿って疾駆する膨大なエネルギーは、黄金遺跡を覆う島雲の屋根を一瞬で蒸発させ、上層遺跡へ到達。戦い続けていたゾロ達の足場を吹き飛ばした。

 

「何をっ?!」

 大きく動揺するロビンへ、エネルが得意げに嗤う。

「ヤハハハハッ! 招待したのさ。お前達の仲間をこのシャンドラへっ!!」

 

       ○

 

 足元から鮮烈な青白光が発した、と知覚した次の瞬間。

 数秒に及ぶ大規模電撃によって上部遺跡の一部が完全に崩落。砕かれた遺跡が土砂と共に大小無数の瓦礫塊となって、黄金遺跡へ降り注ぐ。

 

 瓦礫の雨に交じり、ゾロやワイパー、超巨大ウワバミ、倒されたオームやホーリー、敗れた神兵達やシャンディア戦士達、それに意識がないチョッパーもまた、数百メートル下の黄金遺跡へ落ちていく。

 

「なんなんだっ!? 何が起きたっ!?」

 激変した状況を理解できず、さしものゾロも狼狽する。

 

「エネルだっ! こんなことをやるのは、奴しかいないっ!」

 同じく落下しながらワイパーが叫ぶ。

 

「このまま落ちたらヤベェ……って!? チョッパーッ!?」

 ゾロが意識がないまま落ちていく青鼻トナカイを発見。凄まじい相対気流を掻き分けるように、いや実際に空中を平泳ぎし、瓦礫にぶつかりながらもチョッパーの許へ到達。ぬいぐるみを抱えるようにチョッパーを確保した。

 

 青海人の剣士の奇行を余所に、ワイパーは落ちていく先――ジャイアント・ジャックの足元に見たこともない大穴が口を開けていることに気付く。

「なんだっ!? 下にまだ穴がっ!?」

 

 落下するゾロとワイパー同様、頭から真っ逆さまに落ちていく超々巨大ウワバミ“空の主”。その巨大な口から小さな影が飛び出し、

「出られた―――――ってええええええええええええええっ!? 何何何っ!? 落ちてる!? 何で落ちてるのぉっ!?」

 ウェイバーを駆るナミが美貌を台無しにする驚愕顔を浮かべる傍ら、

 

「ぴ、ピエールッ! 吾輩達はよいっ! 2人を頼むっ!」

「ピエ―――――ッ!」

 同じくウワバミの口から飛び出したガン・フォールが怪鳥?ピエールへ命じた。忠良なるピエールは主の命に応え、ウワバミの腹の中に取り残されたルフィとアイサを救うべく、ウワバミの口へ飛び込んでいく。

 

「うおぉおおおおおお!?」「うわぁあああああああっ!!」「いやああああああああっ!?」「のわあああああああっ!?」

 数百メートルを落ちていく4人の悲鳴は、大崩落の轟音に呑まれ、誰にも届かない。

 

     ○

 

 降り注いできた大量の瓦礫と土砂に粉塵が漂う中、ベアトリーゼとロビンはエネルの姿を探して周囲を見回す。も、見つからない。

 ロビンは首を横に振り、ベアトリーゼは眉をひそめつつ頷き、ジャイアント・ジャックに沿って開いた大穴を見上げた。

「マーケットの地下遺跡に潜った時のこと、思い出さない?」

「ええ。あの時“も”酷かったわね」

 

 埃塗れになった美女2人が思い出話を交わしていると、傍らの大きな瓦礫塊が起こされ、その下からぬいぐるみ、もといチョッパーを抱えたゾロが姿を見せる。

 

「おや、ゾロ君じゃないか」

「剣士さん。まさか……この瓦礫と一緒に落ちてきたの?」

 ベアトリーゼとロビンが声を掛けると、

 

「……チキショーッ! 死ぬとこだったぞ!」

 ゾロは八つ当たりするように瓦礫塊を押し退けた。

 

「……ええ。死ぬはずよ。普通はね」ロビンが引き気味に言った。

「私達の時も似たようなもんだったよね」ベアトリーゼは懐かしそうに微笑む。

 

「おう。お前らか」ゾロは周囲を見回して「ここはどこだ?」

「お探しの黄金郷よ」とロビン。

「! そうなのか」ゾロは2人の許へ歩みつつ「上にあった遺跡と変わらねェなぁ。で? 宝はあったのか?」

「無かったよ。残念ながらね」ベアトリーゼは小さく肩を竦め、ゾロの抱えるチョッパーへ目線を移し「ところで、チョッパー君はどしたの?」

「上でちょっとな。意識はねェが生きてる」

 

 ベアトリーゼ達がそんなやりとりを交わしてる間、ワイパーは茫然と黄金遺跡を見回していた。

 まさかここが、ここが、“そう”なのか? 俺達が目指し続けた、シャンディアの故郷……

「シャンドラ」

 

 様々な感情がワイパーの胸中に到来する。言葉にしきれない思いが胸中に湧きあがる。

 と、ワイパーは超巨大ウワバミが動き始めたことに気付き、感傷を打ち切った。

「ウワバミッ! そうだ、アイサを―――……?」

 

 バズーカを担ぎ直し、砲口を向けようとしたワイパーの手が止まる。

「? ウワバミが」ワイパーは怪訝そうに眉根を寄せて「泣いてる?」

 

 動物の言葉が分かるチョッパーなら、“空の主”が流す涙の訳が分かっただろう。黄金郷を見回しながら興奮する理由が分かっただろう。高々と上げる雄叫びの意味が分かっただろう。

 

 だが、“空の主”の心を慮れる者はこの場にいない。

「鬱陶しい畜生め。神の裁き(エル・トール)ッ!!」

 そして、“神”はそんな“空の主”を大雷で打った。

 

 遺跡一帯を閃光が覆い尽くし、大気の弾ける轟音が走る。バズーカを幾度撃ち込まれようと、斬撃を幾度叩き込まれようと、傷一つつかなかった超巨大ウワバミが黒焦げになってその巨躯を横たえた。

 

「あのウワバミを一撃、だと……クソッ! これじゃ中のアイサも……っ!」

 ワイパーが苦悶を浮かべた時、

 

「しまったっ! ナミがっ!? あれじゃあ助からねえっ!!」

 ゾロも思わず額を押さえて悲嘆を上げていた。

 

「え、ナミちゃん?」

 ベアトリーゼが目を瞬かせ、

「ナミちゃんなら」瓦礫の一つを指差すと同時に、

「あれ? ゾロ? ロビンにベアトリーゼも」ひょこっと瓦礫の陰からナミが顔を覗かせた。

 

「そこに居たのかよっ!」ゾロが眉目を吊り上げて「お前、いつの間に奴の腹から出たんだっ!?」

「あら、航海士さん。なぜこんなところに? 船で待っているはずじゃ?」

 ロビンが不思議そうに問えば、

 

「色々あったのよ……それはもう色々ね。それより、あの蛇の中に」

 ナミは頭を抱えながら深々と溜息を吐いて、告げた。

「ルフィが居るの……」

 

「はあっ!? なんであいつが……っ!?」

「しょうがないじゃない、居たんだもんっ!」

「ったく……っ! 面倒ばっか起こしやがってっ! なんであいつはいつもそーなんだよっ!」

「知らないわよっ!!」

 やいのやいのと言い合うゾロとナミに、ロビンは碧眼を細めて微苦笑する。

「私達が組み始めた頃を思い出すわね」

「懐かしいねえ」ははは~と笑うベアトリーゼ。

 ちなみに組み始めたばかりの2人(主にロビン)はもっと殺伐としていた。

 

 ――と。砲声が響く。近い。

 

「シャンディア戦士と自称神だね」

 ベアトリーゼが眉をひそめる。

 

「神か。俺はまだ会ってねェな。面を拝ませてもらおう」

 ゾロは気を失っているチョッパーをナミに預け、砲声の聞こえてきた方角へ歩き出す。

 

「避けては通れなそうね」

「邪魔なら潰そう」

 ロビンがゾロに続いて歩きだし、当然のようにベアトリーゼも続く。

 

「ま、待ってよっ!」

 チョッパーを抱えたナミが皆の背についていく。

 

 そして――

 

“ゲーム”の生き残り7人が一堂に会する。

“神”エネル。

 シャンディア戦士ワイパー。

 空の騎士ガン・フォール。

 麦わらの一味“海賊狩り”ロロノア・ゾロ。

 麦わらの一味居候“悪魔の子”ニコ・ロビン。

 麦わらの一味居候“血浴”ベアトリーゼ。

 麦わらの一味“泥棒猫”ナミ(ただし隠れ中)。

 

 宙に浮く玉雲に腰かけたエネルは、集った面々を傲慢な眼差しで見下ろし、嗤う。

「これまでのことはちょっとしたゲームだ。三時間の後、この私を含めて何人が立っているかという、他愛ないサバイバルゲームさ」

 

 エネルは仏頂面を浮かべる面々へ高慢な冷笑を向け、

「私の予想では生き残る者5人。しかし、この場には7人。ちと多すぎる」

 瓦礫の陰に身を隠しているナミが、口を押さえながらビクッと身を震わせた。勝手に私まで含めないでよっ!!

「神の予言は絶対だ。さて、誰が消えてくれる? そちらで消し合うか? それとも私が直接手を下そうか?」

 

 驕慢に満ちた問いを向けられた面々はエネルから目線を外すことなく、

「ロビン。どーする?」

 ベアトリーゼはロビンに尋ね、

「私は嫌よ」

「じゃ、私もお断りで」

 親友のツンとした澄まし顔に楽しげな微笑をこぼす。

 

「俺もだ」フンと鼻を鳴らすゾロ。

「俺もごめんだな」忌々しげに吐き捨てるワイパー。

「吾輩も断固拒否する」騎士槍を握りしめるガン・フォール。

「わ、私は」ナミが慌てて口出ししようとした、刹那。

 

 全員が構えながら、エネルへ告げた。

「「「「「お 前 だ け 消 え ろ」」」」」

 

 エネルの冷笑が引きつり、双眸から愉悦が消えた。

「不届き」




Tips
 アイサ
 原作キャラ。シャンディアの民。
 原作ではナミの正論は届かず、ルフィが止めなければ、ガチでガン・フォールを刺していた。悲しいなあ・・・

 ガン・フォール
 原作キャラ。空の民。元”神”。
 過去はオリ設定。空島の過去描写で登場した400年前の神とは、どう見ても血縁者に見えないし、スカイピアにおける指導者は選出制なのかな、と。

 コニス・パガヤ父子。
 原作キャラ。空の民。
 描写は書いたけど、文字数が膨らんじゃったのでカット。どうもこの2人は本作中に登場の機会に恵まれない。

 ワイパー
 原作キャラ。シャンディアの民。
 厳しい言葉や荒い言葉を繰り返しているが、空の主に食べられたアイサを救出しようと奔走したり、女戦士ラキを見逃すようエネルに訴えたり、実はすごく同胞愛が強い。
 まあ、ただ強いだけの人間じゃ人は付いてこないよね。

 空の主
 原作キャラ。
 超々巨大ウワバミ。アッパーヤード食物連鎖の頂点。
 400年前から生き続けている幻獣染みた存在。彼は彼なりに”故郷”を探し続けてきたのかもしれない。

 神エネル
 原作キャラ。空島編のボス敵。
 月への”還幸”を目論む空の民。自身が滅ぼした故郷ビルカで色々知ったゆえの行動のようだが、原作では書かれなかったので不明。

 ベアトリーゼ
 オリ主。野蛮人。
 分析中。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

136:彼の者は雷神なり

佐藤東沙さん、kuzuchiさん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


「誰に物を言っているか、分かっておらんようだな」

 当代の“神”エネルは宙に浮かぶ玉雲に腰かけたまま、辟易顔で一同を見回した。

「お前達はまだ神が何たるかを理解していないようだ。スカイピアの幸福を願う老いぼれに故郷を求め続ける戦士、黄金を狙う青海の盗賊共。まぁ、愚かな子羊達を正しく導くことが神の務めだが」

 

「戯言はもういいっ! 貴様、何を企てておるっ!?」

 先代の“神”ガン・フォールが怒気を込めて詰問する。

「還幸だよ、ガン・フォール。神は行幸を終えれば、あるべきところへ還るものだ」

 エネルはにたりと口端を歪め、おもむろに玉雲の上で立ち上がった。

 

「私の生まれた空島では、神はそこに存在するものとされていた」

 一同に背を向けて遺跡都市を見回しながら、

「限りなき大地(フェアリーヴァース)。見渡す限りの果てしない大地が広がる世界。私にこそ相応しい場所だ。アッパーヤードなど、こんな小さな土くれを奪い合うなど……くだらん。実にくだらん」

 侮蔑を吐き捨てて一同に向き直り、黄金の長棍で一人一人を示していく。

 

「お前達の争いの根はもっと深いところにあるのだ」

 争いの根? エネルの言葉にガン・フォールとワイパーが少しばかりの困惑を覚えた。

 

 エネルは蒙を啓くように空の民とシャンディアの民へ告げる。

「よく考えてみろ。雲でもないのに空に生まれ、鳥でもないのに空に生きる。空に根付くこの国そのものが土台、不自然かつ非自然的なのだ。土には土の、人には人の、神には神のあるべき場所というものがある」

 

「面白い」空気を読まずベアトリーゼが好奇心を浮かべ「空島とはなんだ? お前達、空の民とは? お前は何を知っている?」

 

「神に問うなど不敬の極みだぞ、青海人の女」

 質問をエネルに鼻で笑い飛ばされ、ベアトリーゼはイラッとするも、隣のロビンから目線で『今は黙って見てなさい』と叱られ、艶やかな唇を尖らせた。

 

 ふん、と鼻を鳴らし、エネルはガン・フォールへ向き直り、

「ガン・フォール。元“神”である貴様を尊重し、先ほどの問いに答えよう。私は神として自然の摂理に則り、正そうとしているだけだ」

 黄金の長棍をくるりくるりと振るい、先端で玉雲を勢いよく突く。瞬間、雷光が生じて玉雲が弾け消える。緩やかに降り立ったエネルは狂気的な冷笑と共に告げる。

「この国の全てをあるべき場所へ叩き落す。全ての人間、全ての(ヴァース)を青海にな」

 

 エネルの宣言は妄言と切って捨てるにはあまりにも生々しく、あまりにも確固たる意志が込められていた。何より、大量殺戮と大量破壊の実行を軽々に語るエネルの在り様に、一同は息を飲む。まあ、一人だけ平然としていたが。

 

 ガン・フォールは怖気と怒気を抱きながら、怒号を発した。

「思い上がるな、エネルっ! 神などと称しても、所詮はこの国の長の称号に過ぎんっ! この人の世に神などおらんのだっ!」

 

「今まではな」

 小言に辟易するように不遜な態度で老騎士の罵倒を聞き流し、エネルは悪意を浮かべる。

「ああ。そうだ。そういえば、かつての部下のことも気にしていたな。6年前、私の手勢に敗れ、服属させていたお前の部下約650名。今朝方、与えていた仕事を完了した。……さて、私は先ほど言ったよな、ガン・フォール。今、この島に立っている者はこの場の7人だけだと」

 

「まさか」

 老人が抱いた最悪の予想を肯定するように、雷神は嗤う。悪意を込めて高々と哄笑する。

「私の目的を聞かせてやったら、奴らは血相を変えて挑んできたのだよ。武器も持たぬというのに。いや、実に健気なものだ」

 

 650名。助け出そうとしていた部下達が一人残らず殺されたという事実がもたらした衝撃。それほど大勢の人間を戮殺した事実を冗談のように嗤うエネルの邪悪さ。老騎士は震撼し、思わず後ずさる。

 

 慄き震えるガン・フォールの様子に、エネルは期待通りと言いたげに笑みを大きくした。

「そう悲嘆することもあるまい。直ぐにエンジェル島の者達も後を追うのだから。むろん、せせこましく隠れ暮らすシャンディアの民もな」

 

 嘲り笑い続けるエネルに、ガン・フォールは騎士槍を強く強く握りしめる。

「……もう黙れ……エネルっ!」

 

 ガン・フォールは憤怒に染まった双眸を限界まで吊り上げ、

「このアッパーヤードは、この国は、この空に生きる者達は、貴様如き増上慢が嘲笑ってよいものではないのだっ!! 身の程をしれ、小僧っ!!」

 神を自称する暴虐の権化へ吶喊した。

 

「身の程を弁えるべきはお前だ。ガン・フォール。無知な老いぼれよ」

 ヤハハハと笑い、エネルは老騎士の刺突を身に受ける。切っ先がエネルの肌に触れた刹那。エネルの体が雷電と化して消え、瞬時に老騎士の側面へ遷移。そして――

放電(ヴァーリー)ッ!!」

 

 青白い雷光と大地を揺さぶるほどの雷鳴が辺りを舐め尽くし、電撃に体の内外を焼かれた老騎士が無念の呻きと共に崩れ落ちた。

 

「ジジイ……ッ!」息を飲むワイパー。

「おい」ゾロは顔を険しくして「野郎は何の能力者だ?」

 

「ロギア系のゴロゴロの実よ」

「電を自在に操り、雷光の速さで動き、体そのものも雷電と化す。つまりまあ、雷神みてーなもんだよ」

 ロビンとベアトリーゼが語り、航海士として気象学を修めているナミは雷の恐ろしさを誰よりも理解しているため、エネルの強大さに怯え竦む。

 

「そうだ。私こそ神だ」

 ヤハハハと傲慢に嗤う神。

 

「我らにとって神は保持神カルガラのみっ!! 貴様など絶対に認めんっ!」

 ワイパーも燃焼砲の砲口をエネルに向ける。

 

「お前ならあいつを倒せんのか?」ゾロはベアトリーゼに問う。

「相性的にかなりキツいけど、やりよう次第かな」

「なら、俺が先に挑ませてもらおう。神を斬る機会なんてそうねェからな」

 ベアトリーゼの回答を聞き、ゾロは獰猛に口端を歪めてから和道一文字をくわえ、両手の二刀を構えた。

 

「男の子だねぇ」

 くすくすと喉を鳴らし、ベアトリーゼは隣のロビンへ物憂げ顔を向けた。

「ロビンも相性的にきついでしょ。下がってても――」

 

「いいえ」ロビンは能力発動の構えを取り「彼、ここを消し去ると言ったのよ。人類の遺産に対してそんな暴挙、見逃せないわ」

「りょーかい。一緒に神殺しといきますか」

 キャップを脱ぎ捨てて装具ベルトを外し、ベアトリーゼはダマスカスブレードとナイフを背後のナミの下へ放った。

「預かってて。カミナリ相手にヤッパは邪魔だ」

 

 ナミは装具ベルトを拾い抱えて、橙色の瞳に強い憂慮を浮かべる。ゾロの強さ、ロビンの強さ、ベアトリーゼの強さは信用しているし、信頼もしている。しかし、相手は最強の自然現象。不安を抑えきれない。

 

 一同のやり取りを眺めていた雷神は口端を歪め、白い歯を覗かせる。

「あくまで神に抗うか。実に不敬だが……よかろう。私自らが選別してやる」

 

      ○

 

 雷神討伐戦は、ワイパーの燃焼砲(バーンバズーカ)で始まった。

 しかし、エネルは自らを雷電と化すだけで、バズーカの業火を容易く掻き消す。

「そんな玩具が神に通じると思うな」

「クソがッ!」得物が役に立たないと分かり、ワイパーが毒づく。

 

 代わってゾロが雷神へ向かって挑む。

「三刀流っ! 鬼斬りっ!!」

 東の海で数々の海賊達をぶった切った大技。されど、エネルは薄笑いと共に黄金の長棍で容易く受け止めた。驚愕に目を見開くゾロを嗤う。

「いい太刀筋だ。オームを斬っただけのことはある」

 

「コノヤロ……ッ!」

 青筋を浮かべたゾロは馬鹿力でエネルを押し退け、嵐のように三刀の剣閃を重ねる。

 今や鉄すら斬る剛剣に対し、エネルは柔軟な体術でひらりひらりとかわし、避ける。今や斬撃を飛ばしさえする豪剣に対し、雷神は黄金の長棍を巧みに操っていなし、流し、払う。

 

 絶え間なく響く剣戟の衝撃音と咲き乱れる火花。

 こいつ、能力頼りじゃねえっ! きっちり武を修めてやがる……っ!

 

 ゾロが馬手の逆薙ぎから弓手の突きへ移る、そのつなぎのわずかな間隙。

「どうした? 動きが雑になっているぞ」

 エネルは長棍の棍頭でゾロの右肩を鋭く突き、体幹を大きく崩す。

 

「しま――っ!?」

 不覚を取ったゾロが呻く中、稲妻と化したエネルの左足が未来の大剣豪の胸板を捉え、閃光が爆ぜる。電の足刀を受けたゾロが吹き飛ぶ。

「ぐああああっ!?」

 

「ゾロッ!?」

 ナミの悲鳴を聞きながら、「セイスフルールッ!」ロビンがハナハナの実の力を展開。

 しかし、相手の体に生やしても感電してしまうため、得意の関節技は出来ない。拾い上げたガン・フォールの騎士槍を投擲するのが精いっぱい。

 

「パラミシアか。鬱陶しい」

 雷神が不快そうに眉をひそめて騎士槍を避けるや、ロビンへ向けて放電。

 

 が、ベアトリーゼがプルプルの実の力で大気中の電子を操作。局地的電位差を作り出して稲妻を捻じ曲げる。

「む……っ?」意表を突かれたエネルが小さく驚く中、

「死ね」

 ベアトリーゼがプラズマジェットで跳躍してエネルへ急迫。瞬時に漆黒へ染めあげた右拳を振るう。

 

 見たこともない術。エネルは心網ではなく直感的に危険を察知し、雷と化して回避。も、黒い拳がかすめた左肩口に擦傷痕が生じ、腫れあがった。

 エネルは眉根を寄せつつ、肩に出来た一条の擦過傷を窺う。貼りついていた笑みが消えた。

「……雷電と化した私に打撃を当てた……? それに先ほどの跳躍は……貴様、何者だ」

 

「ロギア殺しの技なんざいくらでもあるんだよ」

 飄々と応じながらも、ベアトリーゼは内心、臍を噛んでいた。

 

 しくじった。この耳たぶヤロー、想定以上に出来やがる。おっかーしな。原作のこいつ、こんなに戦えたっけ?

 いや、今は原作なんかどーでも良いわ……雷電状態だと向こうのエネルギー放出量が高すぎて武装色を乗せた振動波すら呑まれちまう。こりゃ催眠音波系は無駄だな。プラズマ系は要らん面倒が起きそうだし……クソ、鶏ジジイより面倒くせェな。

 

 ――“邪魔臭い奴”。

 殺意がめらりと濃度を増した。

 

「なるほど、世界は広いというわけか。ヤハハハ、愉快」

 冷笑しながらもエネルのベアトリーゼへ注ぐ眼差しに油断はない。どうやら手強いと認識したらしい。

「是非とも手駒に加えたいところだが……従順ならざる女は好かん」

 

「こっちもお前なんか好みじゃねーよっ!!」

 ベアトリーゼは再びプラズマジェットで一気に肉薄し、エネルに近接高機動戦闘を強要する。

 

 エネルは心網で相手の動きを先読みできる。ベアトリーゼも見聞色の覇気の練熟者で先読みに不足はない。

 一撃で常人を感電死させられる雷神と、一撃で常人を破壊できる蛮姫は、互いの派手な動きの根っこで高度な思考戦を繰り広げる。

 

 双方が相手の手を先読みできるがゆえに、単発の手は通じない。数手先まで思考したうえで手を指していかねばならない。もちろん、相手の読みを外したり、狂わせたりするために無数の欺瞞と偽装と誘導と罠が混ぜ込まれる。

 

 秒に満たないほどの時間の中で、膨大かつ莫大な情報から正誤と正否を瞬間的に判断し、相手を制する一手を瞬時に思考して選択し、その一手から生じる無数の展開を予測し、戦略を組み上げる。

 

 虚実入り交じった熾烈な攻防。あまりの激しさに誰も手出しできない。

 ゾロは感電の痛みと痺れに苦悶しながら身を起こし、蛮姫と雷神の戦いを目の当たりにして、思わず痛みを忘れるほどの悔しさを覚えた。

 

 歯噛みして唸る未来の大剣豪を余所に、蛮姫は雷神相手に桁外れの集中力と人外染みた思考力を発揮していた。

 

 激しい高負荷運動に体が燃える。呼吸器官の酸素供給が肉体の需要に追っつかない。カロリーの燃焼で発熱する体を冷やそうと全身の汗腺から汗が溢れ流れる。暗紫色の瞳は瞬きを忘れていた。たっぷり効いてるアドレナリンのおかげで痛みは鈍いが、避けきれない電撃を浴びて末梢神経が痺れ、微細血管が損傷している。電熱に炙られて長袖シャツのあちこちに焦げ穴が生じ、剥き身の生足に電撃傷のシダ紋様がうっすらと生じ始めていた。

 

 体力的消耗と身体的被害に加え、悪魔の実の力を繊細かつ緻密に、大胆かつ豪快に操り、雷神の凶悪な電撃を電子や原子や分子のレベルから防ぎ、逸らし、避ける。

 白兵戦と頭脳戦と能力操作で、脳内データログは土石流みたいな有様。エンドルフィンを始めとする脳内麻薬をドバドバ大量分泌している脳ミソが、多並列思考の熱で今にも茹で上がりそう。

 

 クソが。ベアトリーゼは瞬きも許されない激烈な攻防の最中、密やかに毒づく。

 

 あと一投足を詰め切れない。こちらの間合い外に徹する点はシキと同じだが、プラズマ攻撃で牽制できたシキと違い、カミナリ人間エネルにはプラズマが通じない。そのせいで、踏み込み距離がどうしても詰められない。初手にプラズマジェットを見せたのは失策だった。

「面倒臭ェ奴ッ!!」

 

 悪態を吐くベアトリーゼに対するエネルの顔にも、余裕はない。

 エネルは肥大化したエゴの持ち主で、凶悪極まるゴロゴロの実の能力に驕り、自身を神と称して憚らない増上慢だ。が、ベラミーのような中身の薄いイキリ坊主とは違う。クロスレンジを避けているとはいえ、白兵戦の達人たるベアトリーゼと渡り合えるほどに体術と長棍術、武の戦術と戦略を備え、鍛え、練っている。

 

 だからこそ、エネルは分かる。

 この夜色髪の女の間合いへ踏み込んではならないと。銃砲刀剣の一切が通じぬはずなのに、女の漆黒の拳打足蹴はエネルの肌を裂いたり、腫れあがらせている。かすめただけで、この威力。直撃は危険すぎる。

 

 ゆえに、対処可能な距離的余裕を保つ必要がある。ただし、その距離的余裕はこの小麦肌女が電撃に対処する時間を与えてしまっていた。

 もちろん、電撃の速さは光と大差ない。本来は人間の知覚と反射で対応できるはずが無い。が、眼前の女は可能としている。

 

「不遜なり」

 エネルは苛立つ。頭では大きく距離を取り、大火力の面攻撃で圧殺すべきと分かっている。が、肥大化したエゴがその実行を許さない。

 戦略的に正解でも、大きく距離を取る――退くなど、神としてのプライドが許さない。

 

 明晰な頭脳を持つエネルは白兵戦を繰り広げながらも、着実にベアトリーゼの能力を観察して情報を集め、分析し、解析する。

 ――そうか。この女郎(めろう)は如何なる手か、大気を操っている。私の電が曲げられ、逸らされ、散らされていることも、人知を超えた高速高機動もその応用だろう。しかし、その異能を私への攻撃に使わないところを見ると、雷の化身たる私に通じない類の能力。

 

 ならば。

 

 雷神は放電を伴いながら全身を雷電化。音速を超えた放電が雷鳴――爆発的大音波を生む。

 至近距離からの大音圧衝撃に対し、ベアトリーゼは相殺音波を放って迎撃。

 

 その一手の間に、雷光と化したエネルが蛮姫に肉薄。先の先を取られたものの、ベアトリーゼはついに自身の間合いへ入ってきたことを機と捉える。

 

 後の先を取って黒い閃光の如き中段の左拳。これは誘い。

 下段から上段へ斬り上げるような右蹴り。これは崩し。

 蹴撃の慣性と身の捻じれを活かしてそのまま跳躍。エネルのすぐ頭上で後方宙返りし、上下逆転した姿勢から本命の右拳。

 雷を断ち切らんばかりの黒い拳閃が、頭蓋を打ち砕かんと雷神に迫り。

 

 雷神の頬をかすめ、空を切る。

 

 読み違えた。ベアトリーゼが内心で毒づく。コイツ、狙いは――

 頬を裂かれながら必殺の拳打を避けたエネルは、打撃直後のベアトリーゼへ全身を一条の稲妻として叩きつけた。

 

電光(カリ)ッ!!」

 

 その場から影を払拭するほどの雷光と強烈無比な雷鳴。大気の大炸裂と大音圧衝撃波にベアトリーゼのしなやかな身体が激しく吹っ飛び、島雲の上を跳ね転がった。

 密着接触した状態から高電圧高電流を直接体の内外へ流し込まれ、長袖Tシャツが焼尽してしまい、Xバックスポーツブラが剥き出しになっていた。電熱に蒸発した汗や唾液が白い蒸気を漂わせており、ベアトリーゼは白目を剥いたまま痙攣している。

 

「ビーゼッ!?」「ベアトリーゼッ!?」

 雷鳴の残響にロビンとナミの悲鳴が混じる。特にベアトリーゼの力に絶対的な信用を抱いていたナミが覚えた衝撃は大きい。

「ウソでしょ……ベアトリーゼが倒されるなんて――」

 

「神たる私に手傷を負わせたことは認めてやろう。だが、如何に鍛え上げようと所詮は人間。神には勝てぬのだ。ヤハハハハッ!」

 煽り文句とは裏腹に強敵を下した興奮と達成感にエネルが野武士のように高笑いを上げる中、愕然としているナミの耳朶が絶対零度の殺意を捉えた。

 

「よくもビーゼを――」

 ナミが動揺したまま顔を向けた先で、碧眼を殺気に染め抜いたロビンが雷神を圧殺しようと巨腕を生み出していた。感電覚悟の直接攻撃に出る気だ。

「ダメよ、ロビンッ!」

 

「貴様の友が多少健闘したから誤解したようだな」

 隕石のように振り下ろされる巨腕の拳骨に白い地面が大きく揺れ、不安定な瓦礫が崩れる。吹き飛んだ島雲が水飛沫のように飛散する中、

「お前達如きがどう足掻こうが、太刀打ちできない圧倒的な力。それが生み出す絶対的な絶望と恐怖」

 エネルは雷光の速度で易々と巨腕の打撃を掻い潜ってロビンの背後に立ち、ロビンが振り返るより速く、その背中に手を触れた。

 

「抗えぬ絶望と恐怖を前にした人は、ただ地に顔を埋め、慈悲を乞う」

 凄まじい閃光と激しい雷音がロビンの悲鳴を掻き消した。

「それが人の、生物の、神に対する正しき在り方なのだ」

 意識を失い、へたり込むように崩れ落ちるロビンを、エネルが嘲り笑う。

 

 その傲慢が生む、一瞬の間隙。

 400年、神に故郷を奪われた者達の末裔が、神殺しの一撃を狙う。

「切り札があるのは、貴様だけじゃない」




Tips

エネル。
 ゾロやルフィと格闘戦を演じていた辺りを拡大解釈して書いてみたら、なんか原作より強キャラ感が出てしまった。

ガン・フォール
 空の民とシャンディアの民の和解と共存、その先にある幸福な未来を実現すべく尽力してきた人。そりゃエネルにブチギレる。

ゾロ
 せめて覇気なり対抗手段なりが使えないと、ロギア相手はキツい。

ロビン。
 原作だと為す術なくエネルに倒されちゃう。相性が悪いやね。

ベアトリーゼ。
 ゼロ距離電撃は完全に裏を掻かれた。互いに一撃必殺の威力でやり合ってるから、ワンミスが命取り。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

137:彼の者は天敵なり。

トリアーエズBRT2さん、レンディアさん、金木犀さん、烏瑠さん、しゅうこつさん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。

前話は過去一番、感想と御意見をいただけました。皆さんの御指摘を活かせるよう精進していこうと思います。
今後も拙い本作にお付き合いいただければ、幸いです。


 心停止したエネルが大の字になって倒れている。

 油断。といえばそれまでだろう。

 

 練達の戦巧者を制し、女能力者を倒した油断。その間隙をついたワイパーはスケート型ウェイバーに秘匿していた海楼石で能力者のエネルを封じ、心臓の位置に重ねた排撃貝を放った。

 

 ワイパーは排撃貝の暴虐的反動に軋み痛む体を押して屹立し、倒れ伏す雷神を見下ろす。

 成し遂げたり神殺し。

 果たしたり先祖の悲願。

 叶えたり民族の宿願。

 

 否。

 

 否。否。否。

 雷神が起き上がる。排撃貝の衝撃で止まった心臓を自らの異能で再度動かし、雷神は傲然と起立する。

 

 戦慄の光景を前に、シャンディアの戦士ワイパーは両膝をつく。それは疲弊と負傷で肉体が限界を迎えたためか。切り札を用いた命懸けの一撃が無駄に終わったという現実に屈したのか。あるいは、眼前の“神”に心折られたか。

 

 吐血の反動にすら体が堪えられず、ワイパーは跪くように身を折った。

 そんなワイパーを見下ろし、エネルは嘲りを込めた冷たい微笑を浮かべる。

「哀れなものだな、戦士ワイパー」

 

「ぐぅ……っ! 俺の名を……っ! 気安く、呼ぶなっ!!」

 ワイパーは不撓不屈の闘志で苦痛と疲弊に弱った体を起こしていく。

「800年前、この街の存亡を賭して戦い抜いた誇り高き戦士達、俺達はその末裔だ……っ! ある日突然、故郷を奪われた大戦士カルガラと父祖達の無念を継ぎ、400年……っ! 先祖代々ただこの場所を目指してきた……っ! やっと……やっと辿り着いたんだっ!!」

 

 ふらつく体。痺れた腕。力のこもらぬ足。体中の傷口から血を流しながら、戦士はついに立ち上がる。

「後は貴様を倒すだけだ、エネル……っ!!」

 その裂帛の意地をゾロはただ見守り、ナミは気圧された。

 

 雷神は溜息を吐き、黄金の長棍を振るってワイパーの足を払う。海楼石入りのスケート型ウェイバーを砕かれて転倒したシャンディア戦士へ、告げた。

「海楼石。排撃貝。まったく小賢しいやら愚かしいやら……400年、だったか? それだけ戦い続け、辿り着いた者は結局、お前一人。そして、唯一のお前はその有様」

 

 冷淡にして酷薄。だが、その顔に嘲笑はなく。

「もう立つな。そのままこの宿願の地で、最期の時を待つが良い」

 

 されど、ワイパーは立つ。立ち上がる。神に抗うべく立ち上がる。食いしばった歯の隙間から血反吐を溢れさせ、限界超えた身体を振り絞り、立ち上がる。

 

「なぜ立つ」エネルは極めて平坦な声で問う「もはや腕を上げることも出来んというのに」

 

「先祖のため」拳を握りしめ「同胞のため」肚に力を籠め「誇りのため」体の震えを止め――

 ワイパーは毅然と“神”を睨み据えて吠えた。

「シャンドラの火を燈すまで、絶対に諦めんっ!!」

 

「度し難いな」

 エネルは辟易顔で息を吐き、黄金の長棍をくるりくるりと回し、背から生える小さな四連太鼓の一つを打つ。

雷鳥(ヒノ)ッ!」

 

 直後、莫大な放電が起き、雷電の塊が巨鳥となってワイパーへ襲い掛かる。

 ワイパーは微塵も恐れることなく、彼らも怯むことなく、毅然と雷撃を浴びた。

 

 瞼を硬く閉ざしてなお目を焼く激烈な閃光。音速で突破した音波衝撃波。

 電撃に全身を焼かれたワイパーが崩れ落ちていく最中。

 

 ゾロが矢のように駆けだした。海楼石入りスケート型ウェイバーの断片を拾い上げ、そのまま躊躇なくエネルへ吶喊していく。

 

「! ダメよ、ゾロッ!!」

 ナミの悲鳴が背に届くも、ゾロは振り払うように一層強く駆ける。

 

 もはや敵う敵わないなど論外だ。生き残るには、斬るしかないのだ。

 何より、居候とはいえ“仲間”の女を二人も倒されて、命懸けで船を守ってくれた老人を倒されて、本物の戦士が意地を貫き通す様を見せられて、ゾロは火が点いていた。

「うぉおおおおっ!!」

 

「愚か」

 エネルは鼻息をつき、再び四連太鼓の一つを打ち鳴らす。

雷獣(キテン)ッ!」

 

 直後、膨大な放電が生じ、雷電の塊が巨獣となってゾロに襲い掛かる。

 ゾロは止まらない。左手に海楼石を握りしめ、右手に刀を握りしめ、怯むことなく最短距離で駆け続ける。

 

 周辺一帯の影が掻き消されるほどの閃光。大気が爆ぜ飛ぶ轟音の衝撃が辺りを舐め尽くす。

 電撃に全身を焼かれながらも、ゾロはエネルを間合いに捉える。ゆっくりと刀を振り上げ。

 そのまま仰向けに倒れた。

 

 エネルは失神昏倒したゾロから目線を切り、倒れ伏した面々を見回して、

「やれやれ……見どころはあれど、物分かりの悪い者ばかりだったか」

 酷く冷めた目つきをナミへ向けた。

「残るはお前一人。どうする?」

 

「わ、私は」

 ナミは大きく慄きながら、即断する。

 戦闘力なんて護身術に毛が生えた程度の自分が、ベアトリーゼすら倒す相手に敵う訳もない。ならば、選択肢など一つだ。

「い、いきますっ! 御一緒に行かせてくださいっ!」

 今は従うしかない。本心を絶対に見抜かれないように気を付けて、こいつの隙を見て、逃げるっ!!

 

 なんだかんだナミも麦わらの一味。

 この状況下でもしぶとく図太い。

 

 そして――

 ナミが小型ウェイバーを押しながらエネルと共にその場を去ってから間もなく。

 

 

「出たァあ―――――――っ! 出られたぁ――――――――っ!!」

 

 

 この男が帰ってきた。ウワバミの腹の中から、ついに帰ってきた。

 麦わらのルフィが帰ってきた。

 

        ○

 

 エネルがナミを連れ、秘密造船場へ赴く。

 コニスがエンジェル島へ殴り込み、神の恐るべき大量破壊計画を告発し、全島避難を訴える。

 そして、仲間達を傷つけられて激怒するルフィが、天馬?ピエールにしがみ付いたアイサに導かれ、神をぶっ飛ばすべく激走する。

 空島を舞台に紡がれる大きな物語がいよいよクライマックスへ進んでいる頃―――

 

 

 歓楽街の女王ステューシーは、豪奢なコンドミニアムの窓辺に立ち、快楽と享楽の欲望に満ちた街並みを見下ろしながら、盗聴防止措置を施した念波通信を行っていた。

 

『人造種族ヒューロンは高い身体能力で極限状況に耐え、発展性と拡張性を活かして過酷な環境に適応したという。事実、灼熱の砂漠でも極寒の凍土でも細菌兵器に汚染された地獄の底みたいな戦場でも、ヒューロンは適応し、働き続け、戦い続けた』

 ドクトル・リベットは吃音を忘れるほど早口で言葉を並べていく。

『言い換えるなら、ヒューロンは認識した環境や状況に合わせ、肉体を最適化できるのだよ。机上の可能性を挙げるなら、ヒューロンは魚人族のように海中でも生存可能となれるし、“百獣”カイドウや“ビッグ・マム”シャーロット・リンリンのような突然変異的存在になることも可能ということだ。あくまで可能性であって、実現した例はないがね』

 

 カイドウやリンリンのような規格外人類が増えたらこの世の終わりね。とステューシーはため息をこぼす。

「あの子がヒューロンの血統因子を持っていることはありえない?」

 

『そ、そそ、そうだ』

 東の海のどこかに匿われているドクトル・リベットが電伝虫の向こうで言った。興奮が醒めたのか、吃音が復活した。

『わ、わ私が覚えている限り、ヴィンデ・シリーズをもも用いたヒューロン繁殖実験がお、行われたのは、あああの野蛮な娘っ子が生まれる数代も、ま、前だ。ヒューロンの純血種は既になく、混血種はは、はん繁殖能力を持たない以上、ヒューロンのけ、血統因子を持つなど、あ、ありえない』

 

「私達が把握していない純血の個体が今も生存していて、あの子の親である可能性は?」

『そんなことはありえ、な、ない』

 ドクトル・リベットは強く即答した。

『いい今この時代に、純血のヒューロンがげげ現存するはずが、ない。そ、ソナン兄妹の討伐作戦はて、徹底的に行われた。そちらは君のほ、方が詳しかろう』

 

 それはゴッドバレー事件よりも、ずっとずっと、ずっと前の大事件だ。

 ソナン兄妹――数代前のシクシクの実の能力者とオペオペの実の能力者の兄妹は、シクシクの実の能力が製造したウィルスと、オペオペの実の能力による外科的アプローチにより、人間を細胞単位で弄り尽くしてヒューロンを開発した。

 

 そうして量産したヒューロン一個大隊と、ソナン兄が作り出した多種多様なウィルス兵器を用い、ソナン兄妹は世界政府直轄領の一つを完全に滅亡させ、複数の加盟国に壊滅的な被害をもたらしたという。

 

 ソナン兄妹の討伐作戦は多大な犠牲を払いながら“徹底的”に行われた。

 兄妹は死体を確認され、ヒューロンの生産プラントも破壊され尽くした。フランマリオン家が鹵獲したもの以外に、生き残ったヒューロンは一体もいない。

 純血のヒューロンが存在する可能性は、無い。

 

「あの子が本当にヒューロンの血統因子を持っていた場合、どういうことが起きる? 貴方の予測は?」

『ヒューロンの血統因子の濃度や純度に因るだろうが……仮に、仮にだぞ? 純血のヒューロンに準じているならば、だ』

 リベットは吃音を放り投げるほど狂気的な興奮を込めて、

『あの娘は能力者で覇気使いであることを考慮すると……いつか、身体がその能力に対して最適化するかもしれない。覇気や異能を使える身体から、覇気や異能を使うための身体に』

 言った。

 

『それはフランマリオンが求め続ける超人類(ウーバーメンシュ)に、限りなく近い存在だ』

 

 ステューシーは全てを理解し、戦慄した。

 なぜ、フランマリオン聖がベアトリーゼが捕らえられた時、処刑だけは許さなかったのか。逃亡後に野放しを許しているのか。

 

 おそらく確信まではないが、ヒューロンの血統因子を持つ可能性を知っていたのだろう。

 だから、放置して見定めている。

 ベアトリーゼが超人類になるかどうかを。

 

 純血のヒューロンのサンプルを必要としている理由は、確信を得るためだろう。

 もしも……シキの下からヒューロンのサンプルを確保し、ベアトリーゼのサンプルと比較検証されて結論が出たなら。

 

 ステューシーは通信を切り、一般人の年収並みに高額なソファにへたり込むように座った。遅まきながら自分が置かれた状況を正しく把握し、思わず額を押さえる。

「不味い事態になったわね」

 

      ○

 

 傲慢な雷神が遊び抜きの本気で放った一撃は、上層遺跡を穿ち崩したものより遥かに強力な電圧と電流と電熱だった。確殺を図ったその電撃は然して、狙い通り蛮姫の武装色の覇気を貫いて体の芯まで徹っている。

 それでも、ベアトリーゼは生きていた。

 

 電撃傷は大きく全身に及び、接触部の肌が焼け爛れていた。末梢神経も麻痺したままで、意識が完全にトんでいる。

 だけど、蛮姫はしっかり生きている。

 

 貫徹されたとはいえ、武装色の覇気を巡らせたおかげか。熱損収縮してもおかしくなかった筋肉はほとんど無事で、血管と神経も末梢部以外は被害がない。煮立って破裂していたかもしれない眼球も損傷がない。何より、完全に止まっているべき心臓が稼働し、焼き切られているべき脳も脊髄も無事だった。

 荒野の鼠はしぶとい。

 

 ベアトリーゼにとって生命の危機は珍しくない。幼い頃から故郷で幾度も経験してきた。海に出てからも死にかけたことなど何度もある。

 

 それでも、雷神から受けた一撃必殺の雷電は、今生25年の中で最大級の生命の危機であり、無意識閾の原始的本能を強く刺激していた。濃密な死の気配に誘われ、最深層域の意志が動き出す。

 本能と意志に異質な血統因子が応え、血肉を蠢かせ始めた。

 

       ○

 

「お前かぁあああああああああああああああああああっ!! エネルって奴ぁあああああああああっ!!」

 エネルの秘密造船所に怒号が響き渡る。

 

 モンキー・D・ルフィは激怒していた。

 電撃に焼かれた仲間達の姿に血が沸騰し、頭に昇った血で視界が紅く染まりかけたほどだ。

 ゾロ。チョッパー。ロビン。バズーカの奴。変なおっさん。それに、ベアトリーゼ。

 皆、”神”に倒されていた。

 

 ウワバミの腹の中を巡り歩いていた時、アイサからグル眉(サンジ)長鼻(ウソップ)も、メリーで神に倒されていたという。

 皆、”神”にやられた。

 

 おまけに、”神”にナミを攫われた。

 

 ルフィははらわたが煮えくり返っている。仲間を倒され、あまつさえ奪われたことに、鼻血が出そうなくらいブチギレていた。

 

 民族紛争の渦中に首を突っ込み、黄金をかすめ取ろうというのだ。仲間が傷つくことも斃れることもあるだろう。その覚悟はルフィにだってある。

 だが、それを仕方ないことと受け入れる気なんて更々ない。

 

 なんたってルフィは海賊なのだ。世間一般の善良な皆さんが嫌悪し、忌避するワルモノなのだ。正論なんて知ったこっちゃない。自分達がワルくたって大事な仲間を傷つけられ、倒され、奪われたら、許せない。不条理だと罵られようと、わがままだとバカにされようと、関係ない。

 

 造船場に鎮座する巨大飛行船――気嚢がなく両舷に並ぶ複数のバカでかいプロペラと櫂の推力で飛ぶらしい。甲板上に安宅船みたく構造物があり、諸々の金属部分が全て黄金製ときた。ベアトリーゼが見たら『こんなの飛んでたまるかっ!! 物理学を舐めんじゃねえっ!』とブチギレ必至の代物――の舷側胸壁に立ったエネルは、連絡通路の出入り口に立つみすぼらしい恰好の小僧を見下ろし、しかめ顔を浮かべた。

 

 ……この小僧、どこから現れた? それにあの物陰に居る子供と馬……シャンディアとガン・フォールの飼っていた畜生ではないか。今までどこに隠れていた?

「実に不愉快だ」

 

 自身の心網とゴロゴロの実を用いた電波捜索に今まで掛かっていなかったという事実。自身の生存者予測がまたも外れた事実。何とも言えぬ不快感にエネルが顔をしかめている。

 

 そんなエネルの心境を無視し、ルフィが再び吠える。

「お前、何やってんだ……っ! 俺の仲間によ……っ!!」

「どのゴミのことかな?」苦々しい面持ちで吐き捨てるエネル。

 

 仲間達をゴミと侮辱され、ルフィはさらに憤慨して額に青筋を浮かべた。

「……っ!! お前、そこ動くなよっ! 今からぶっ飛ばしてやるからなっ!!」

 

「口を慎めよ、私は神だ」ぎゃあぎゃあと喚く様にエネルは不快感を一層募らせた。

 

「お前のどこが、神なんだっ!!!!」

 瞬間、ルフィは猛然と駆けだす。巨大飛行船の舷側から伸びる櫂を怒涛の勢いで駆けあがり、びょーんっと腕を勢いよく伸ばしてプロペラシャフトに巻き付け、収縮する運動エネルギーを駆って舷側通路へ乗り込む。

 

「パラミシアか? 話にならんな。貴様如きが私の眼前に立つ自体、烏滸がましい」

 エネルはルフィを侮辱的に睥睨し、右腕をかざして大雷撃を放つ。

「失せろ。神の裁き(エル・トール)ッ!!」

 

 秘密造船所を閃光が包み込み、ルフィを襲った大雷撃は余勢を駆って船体後方の壁面を焼き穿つ。

「?」が、大雷撃を浴びた当人は何が起きたのか分からず目を瞬かせている。

 

「えっ?」「ピェッ?」物陰からアイサとピエールが目を丸くして驚いた。ルフィが大雷電に呑まれるところをたしかに見た。なのになんで……?

「――まさか」ナミが可能性を脳裏に浮かべた矢先。

 

「上手く避けたようだな……雷龍(ジャムブウル)ッ!」

 鬱陶しそうに顔をしかめたエネルが背の四連太鼓の二つを打ち鳴らし、大雷電を放出。龍を形どった大雷撃が再びルフィを襲う。

 

「?」も、ルフィはケロッとしており、眩しそうに目元を擦っていた。

 

「回避だけは得意なようだな」エネルは舌打ちし、雷光速度でルフィへ肉薄して「一億ボルト……放電(ヴァーリー)ッ!!」

 

 ベアトリーゼを一撃で倒したものよりもさらに高出力の大電圧大電流だ。これほどの電気エネルギーを体内に直接流し込まれたら、即死どころではない。人体など完全に破壊されるだろう。血液や脳漿の沸騰圧力で体が破裂したり、脂肪が溶解引火しかねない。

 ところが、

 

「ぴかぴかぴかぴか……っ! いい加減しろっ!! 眩しいだろーがぁああっ!!」

 破格の大電撃を直接食らった本人が平然と暴れてエネルを振り払う。

 

「あああっ!!」「えええええええええっ!?」「ピエエエエエエッ!?」

 ナミが吃驚を上げ、アイサと天馬ピエールが驚愕した。

 

 

 エネルは顔面中の汗腺からドッと冷汗が噴き出し、両目は限界まで見開かれて眼球が海老のように飛び出しかけている。開いた口は顎が外れる寸前まで開かれて塞がらない。トドメに鼻水がぷらーんと垂れていた。

 顔面が表現しえる表情の限界へ至ったその驚愕振りは、もはや神々しい。

 

 エネルの思考と精神は眼前の事態を受け止めきれず、混乱の極地へ至っていた。

 な……なにが起きている。どういうことだ。なんだ、なんなのだこれは。あの練達の女戦士ですら、私の雷電の前に屈したのだぞ。なのに、なぜこの青海のサルは私の雷電を浴びて髪の毛一本焦げんのだ。なぜだ。何が一体どうなっているのだ。

 

「うぉおおおおおりゃああああああああああああああああああああっ!!」

「! くっ!」

 耳朶を打つ雄叫びに意識が内面の混乱から引き戻され、エネルは咄嗟に自身の肉体を雷電化させる。銃砲刀剣でも捉えることは叶わず、それどころか触れれば攻撃者が感電してダメージを負う、エネルの絶対防御。

 

 が、ルフィの飛び蹴りは雷電化したエネルの鳩尾に深々と突き刺さり、

「ぐっおおおおおおおっ?!」

 エネルを舷側通路から前方甲板へまで蹴っ飛ばした。

 

「や、やっぱり」

 ナミは自身の推測が確定したことに、ごくりと息を飲む。

 ルフィはゴムゴムの実のゴム人間。絶縁体のゴムに電気は一切通じない。ゾロやベアトリーゼ達すら倒したゴロゴロの実の力も、ルフィは完全に無力化できるんだ。

「ルフィはこの世界でたった一人の、エネルの天敵なんだ……っ!」




Tips
ヒューロン
 オリ設定。元ネタは砂ぼうず。
 砂ぼうずにおけるヒューロンは、文明崩壊した世界の過酷な環境下でも活動可能な労働力として開発された、生物学的人造人間。
 驚異的な身体能力と極限環境への高い適応能力を持ち、生殖による繁殖も可能だった。
 後に人類とヒューロンと混血化が始まり、関東大砂漠の人々は大なり小なりヒューロンの遺伝子を持っているらしい。

 本作のヒューロンも、上記の砂ぼうず世界の設定を概ね踏襲しているけれど、混血すると生殖能力を失うことや、環境や状況に最適化するなど特徴をいろいろ変更。詳しくは続きで。

ソナン兄妹
 オリ設定。元ネタは銃夢:火星戦記。
 ソナン兄妹は考古学者の父と共に、火星の秘宝を巡る陰謀に巻き込まれ、過酷な運命を辿った。
 ソナン兄――イタル・ソナンは人面種に罹患させられた後、脱走。バロン・ムスターと名乗る狂気の復讐鬼となり、数々のおぞましい凶行を繰り返す。
 ソナン妹――ノリン・ソナンは人面種に罹患させられた後、凌辱と拷問を受け、人格崩壊。見世物にされているところを兄に救出され、安楽死させられた。
 詳しくは原作を。かなりグロい。

 本作では、兄がシクシクの実の能力者、妹がオペオペの実の能力者として、世界政府に反旗を翻し、ヒューロンを開発した。既に死亡済み。

ルフィ
 野暮なことを言うと、ゴムの絶縁抵抗は一般的な電力にこそ無敵だが、落雷ほど強力な電力には絶縁破壊されてしまう。
 よって、ルフィに電撃が通じない理由は、ワンピ世界のゴムが地球のゴムと違って完全絶縁性能を持っているか、『ゴム以外の要因』が完全絶縁を実現していると思われる。

エネル。
 作者の文章力であの芸術的な表情を表すことは無理。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

138:神と天敵。それと破廉恥

ちょっと文字量多め。
マキシタさん、ミタさんさん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 驚愕し、動揺し、狼狽え、当惑し、混乱し、恐慌したがゆえに、雷神は良い一撃をまともに食らった。

 

 床に這いつくばらされた屈辱より、久しく忘れていた肉体の痛みがエネルに冷静さを取り戻させる。

 体躯の伸縮や膨脹などがあのパラミシアの能力のようだが……なぜ、私の雷が通じない?

「なんだ……? 貴様いったい、なんだというのだ?」

 

 詰問されたルフィはしれっと応じる。

「俺はルフィ。ゴム人間だ……っ!」

 

「……ゴム?」

 怪訝顔を作るエネル。まったく聞き覚えがない。どんな物なのか想像もできない。

 

「白々海にゴムは存在しないんだ。だから……」

 ナミがエネルの驚愕と動揺に納得している最中、ルフィが動く。 

「雷は俺に効かねェぞっ!!」

 

 エネルは心網(マントラ)で先読みしながら回避を重ね、ルフィをじっと観察する。

 

 戦い方に戦略性も戦術性も無し。反射神経と敏捷性に富み、勘の働きが異様に鋭く、臨機応変に長ける。が、武を修めた人間特有の“型”も見られない。おそらく、場数を積んで築いた我流の喧嘩殺法。

 

 勢いよく伸縮する拳打足蹴は雷電化で防げないにしても、雷光速度を捉えられるほどではなく、避けることは難しくない。威力はそれなりだが、一撃必殺の危険性はないだろう。

 あの青海の女戦士ほどの手練れではない。無手無腰という点を考慮すれば、ワイパーや青海の剣士よりも脅威度は低い。

 

 ならば。

 エネルが動く。黄金の長棍を振るってルフィの伸びる拳をいなし、雷光速度で拳が縮み戻るより早く眼前へ肉薄。

 

「いっ?!」

 吃驚を上げるルフィが反射的に繰り出した拳を容易く払い、流れるように突き三連。水月、秘中、廉泉。

 胸元から喉まで鋭く突かれたルフィが怯んだところへ、踏み込みながら石突で関元を強撃し、ふっ飛ばした。

 エネルの顔が訝しげに歪む。なんだ、この手応えは――

 

「こんにゃろっ!!」

 ルフィはあまり効いた様子も見せず、すぐさま立ち上がる。

 

 エネルは雷光速度で再び急迫。顔面の人中へ疾風の打突。続けて長棍を旋回させ、右肩口へ打ち下ろしから顎先の下昆を狙った回し蹴り。

 先読みしていたにもかかわらず、野生動物染みた反応速度で全て防がれ、避けられた。

 ――速い。まるで猿だな。

 

「このぉっ!!」

 ルフィが横薙ぎに左蹴りを放つも、エネルは雷光速度でルフィの頭上に遷移。棍頭で脳戸と亜門を鋭く突き、そのまま背後へ。後頭部を打突されたルフィが反応しきれぬうちに、脊髄に沿って早打、活殺、命門へ三連打から、フィニッシュに背面肝臓へ強烈な前突き。

 

 吹き飛ばされたルフィが巨大船楼の壁面に叩きつけられ、頭から甲板床に落ちる。

 残心を行いながら息を吐くエネル。

 

「つ、つよい」

 物陰から見守っていたナミが口元を覆うように呻く。電撃が完全無効化されたから、ルフィが圧倒的有利になったと思った。王下七武海のクロコダイルに勝ったルフィなら、エネルにも勝てると疑わなかった。だが、現実にはルフィが床を舐めさせられている。

 

 え? ナミは困惑する。ほぼ一方的にルフィを打ちのめしていたエネルが眉間に皺を刻み、顔を険しくしていた。なんであいつの方が苦い顔してんの?

 

「なぜ……死なない?」

 エネルは身を起こしているルフィへ質す。

 打擲した部位は全てが急所であり、いずれも撲殺できるだけの威力で打ち込んだ。常人なら頭蓋が砕け、咽頭が潰れ、胸骨が割れ、背骨が折れ、横隔膜が裂け、肝臓が破裂しているはずだ。死んでおくべきだろう、人として。

 

「俺に“その程度”の打撃は効かねェぞ。ゴムだからな」立ち上がりながら嘯くルフィ。

 

 エネルの目尻がピキッと引きつる。それでも、冷静さを保ちつつ自問する。

 ――雷は通じず、打撃は効き難い……ゴムとはいったい……? いや、待て。所詮はパラミシア。大概は原形をとどめる能力のはず。

「グローム・パドリングッ!!」

 電熱を発生させ、黄金の長棍を黄金の三叉槍へ錬成し直した。

 

「棒が、槍になった……っ!?」

 驚くナミを余所に、エネルはルフィへ襲い掛かり、鋭い刺突を放つ。

 

「やべっ!!」

 ルフィは先ほどまでと打って変わって大きく飛び退く。穂先がかすめた肌が裂け、血が垂れる。

 

 出血を目の当たりにし、エネルの口端が吊り上がった。

「ヤッハハハハッ!! やはり、弱点は斬撃かっ!!」

 

「ああ」素直に認めるルフィ。

「何で教えるのよっ!!」思わず怒声を発するナミ。

 

 ヤッハハハッ!! とエネルは高笑いしながら三叉槍を構え、ルフィへ襲い掛かる。

「くそぉっ!」

 繰り出される疾風怒濤の攻撃。雷光速度の超機動力。心網による先読み。ルフィの野生染みた反射速度と直感を活かしてもなお、紙一重の危機一髪。回避に精いっぱいで反撃の機を掴むことさえ出来ない。

 

「あっちぃっ!?」

 咄嗟に掴んだ棍の穂先を、ルフィは慌てて手放す。両手が酷い火傷を負っていた。

「なんだぁっ!?」

「そうか、電熱……っ!」ナミが気づいて叫ぶ「ルフィ、気を付けてっ! その槍は電熱、えと、めちゃくちゃ熱いからっ!!」

 

「斬撃に加え、熱も苦手か。弱点が多いな、小僧ッ!!」嘲り笑う雷神。

“武”に優るエネルの攻撃が波に乗った。ルフィは必死に回避を重ねるも、ざくりざくりと穂先が身体をかすめ、肌を裂かれ、肉を焦がされる。ボロ雑巾染みた赤チョッキがさらに酷くなっていく。

 

「あああっ!? 俺の一張羅っ!!」

「そんなの気にしてる場合っ!? 新しいの買ってあげるから真剣にやりなさいよっ!!」

「お、おおっ! 任せろっ!!」

 金に獰猛で財布の口が滅茶苦茶硬いナミがこの言いよう。ヤバい。

 

 ナミに活を入れられ、とっくに真剣だったルフィは気合を入れ直す。

「いっくぞぉおっ!!」

 脚部を伸縮動作させ、ロケットのように跳躍。一息でエネルに迫った。

 

「愚かな。格闘で私が圧倒していることを忘れたかっ!」

「ゴムゴムのぉ~~たこぉっ!!」

 瞬間、ルフィの全身から骨が消失したようにぐにゃりと軟化。そのくせ四肢や体の筋肉は平然と稼働するため、本当に蛸みたく動き続ける。

 

「真面目にやらんかあっ!!」思わずナミがツッコミを叫び、

「くだらん真似をっ!」

 エネルは心網でルフィの思考を先読みし、横避けする先へ穂先を突き出す。人体ならば胴を捉えたはずの刺突は、蛸のようにぐにゃりと波打つ体を外して空を切る。

 あまりにも型破りな動きによって齟齬が生じたことに、舌打ちが漏れる。

 

 エネルが咄嗟に返す刀で穂先を横薙ぎにする。も、ルフィの身体がにゅるりと孤を描いて斬撃を潜り抜けて――

 

「ゴムゴムのぉ~たこ槍ッ!!」

 弧を描きながら動く体に追随してきた足が鞭のようにしなり、エネルの意識外から横っ面へ蹴り抜く。跳ね上がる雷神の頭。仰け反る雷神の体躯。両手から落ちる黄金の三叉槍。

「ゴムゴムのぉ~ガトリングッ!!」

 ルフィが畳みかけるように連打を繰り出す。雨霰と放たれる拳の弾幕。

 

 しかし、エネルはあっさりとルフィの両拳を掴み取り、

「手が増えた訳でもあるまい」

 ルフィを甲板に思いっきり叩きつけた。

 

 砕け割れた甲板に埋まった不届き者を一瞥し、エネルは口元の血を拭った。黄金の三叉槍を拾い上げ、大きな船楼入口に据えられた玉座の許へ向かう。トドメを刺すべきだが、先にやらねばならないことがある。

 

「貴様の始末は後だ。このままでは青海へ落とすべき虫けら共が逃散してしまうからな」

 仰々しいほど豪奢に造られた玉座、その両脇にある黄金の突起物へ手を置き、雷神はその力を惜しまず注いだ。

「2億ボルト、放電(ヴァーリー)ッ!!」

 

 超大電圧と超大電流が船体の端から端まで駆け巡り、巨大飛行船を目覚めさせた。

 船楼内に組み上げられた巨大動力機関が稼働して船体各部のプロペラを回転させ、豪快な風切り音が秘密造船所内に響き渡る。

 

「さあ、征けっ! 私を限りなき大地(フェアリーヴァース)へ導く方舟、マクシムよッ!!」

 雷神の喝采に応えるように巨船が浮かび始め、プロペラで側壁や天井をガリゴリガリゴリと切削しながら空を目指していく。

 ベアトリーゼが見たら『ありえねぇ!!』と発狂しかねない圧倒的光景にアイサとピエールが驚愕の絶叫を上げ、状況の悪化にナミが頭を抱える。

「やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい……どうしよう、ルフィッ!! このままじゃ私達――」

 

 いつもの勝気さが鳴りを潜め、年相応のオンナノコになってしまったナミへ、甲板から這い出たルフィは麦わら帽子を預ける。

「未来の海賊王の仲間がよぉ……そう情けねェツラすんじゃねえ」

 

 ぶっきらぼうな物言いだったが、声音は優しく頼もしい。ナミは故郷の危機を救ってくれた時と同じ背中を見つめ、船長の“宝”を大事そうに抱きしめる。

 

 箱舟マクシムがついに天井を掘り崩し終え、頭上に青空が広がり、陽光に照らされる。ふんだんに用いられた黄金の部品や装飾物が豪奢に煌めく。

 さながら大地を引き裂くようにして姿を現した飛行船の威容と、動力機関とプロペラ群が奏でる豪壮な響きに、アッパーヤード中の鳥や動物達がパニックを起こして逃げ惑う。

 

 傲然と高度を上げていく巨船マクシム。その甲板上で雷神は満足げに口端を吊り上げていた。

「ヤッハハハハッ!! 見事なものだろうっ! 世界広しと言えど、このマクシムのような船は二つとあるまいっ!!」

 

 高慢なる神は青海の海賊2人に冷笑を向けた。

「せっかくだ。お前達にマクシムが持つ究極の機能を見せてやろう」

「究極の、機能……?」

 不安げに訝るナミと眉間に深い皺を刻むルフィ。

 

 エネルは再び突起物に触れ、大出力の雷電を注ぐ。

「機能の名はデスピア。絶望という名の、この世の救済だ」

 

 注がれた電流がマクシムに搭載された大型装置を稼働させ、船楼の屋根の一部が開く。日の目に晒されたそこには、黄金製の巨大な排気管がそびえ立っており、その基部には複数の液体貯蔵タンクと加熱装置が接続されていた。

 デスピアと名付けられたシステムが動き出し、液体が加熱装置で気化させられ、黒い気体となって排気管から勢いよく排出されていく。

 

 黒い気体は瞬く間に広がっていき、その姿はまるで――

「煙……いえ、雲っ!?」ナミの端正な顔立ちを蒼白に染め「まさか」

 

「察しの通り、あれは雷雲だ」

 エネルは得意顔で言葉を編んでいく。

「私のエネルギーによって稼働したデスピアは、極めて強力な乱気流を内包した雷雲を排出する。排出された雲はエネルギーを増幅させながら広がり、やがてこのスカイピア全てを闇と共に覆い尽くす」

 

 嗜虐的な冷笑を浮かべながら、エネルは冷酷な目つきでエンジェル島のある方角を見据え、

「それらは私の能力に呼応して無数の雷を放ち、この国の全てを破壊する。このようにな……っ!」

 真っ黒な雷雲へ向けて指先から細い一条の雷を放つ。

 直後、真っ黒な雷雲から峻烈な雷閃が走り、エンジェル島に着弾した。轟く雷鳴。響き渡る破壊の音色。立ち昇る噴煙。

「ヤッハハハッ! どうだ? 一緒に見物するか? この国が果てゆく姿を」

 

 轟音が空島いっぱいに響き渡る中、ルフィが拳を硬く握りしめて怒鳴った。

「……やめろ、お前ェっ!! なにやってんだっ!!」

「私は神だぞ。何事も意のままにする。私の思う世界を作るのだ」

 

 何の衒いもなく言い放つエネルに、ルフィが眉目を吊り上げる。

「神なら……なんでも奪って良いってのかっ!!」

 

「そうだ。命も、大地もな」

 怒れる海賊を嘲り笑い、雷神は表情を引き締め、

「青海からひょっこりやってきた訳も分からん賊徒に邪魔されてなるものか」

 黄金の三叉槍を構えた。

「さぁ……ケリをつけよう。この空でなッ!」

 

 ルフィも応じて構えを取る。

 軟体化の技は先読みを狂わせることが出来たが、あの状態だと腰の入った打撃ができない。単なる手数攻めだと先読みで見切られてしまう。速さも必要だ。今までの拳速度ではエネルの武術に対応されてしまう。

 つまり、先読みが対応できないやり方で、エネルの武術で対応不可能な速さの攻撃を繰り出す必要がある。

 どうすれば――

 

 最適解を模索している間に、エネルが先んじた。

 高電熱を宿した三叉槍が嵐のように振るわれる。先読みと合わせた槍術の攻撃は詰将棋のように、一手一手着実にルフィを追い詰めていく。

「こんにゃろっ!」

 

 肩口を焼かれながら苦し紛れにはなった伸長パンチは、エネルにあっさりとかわされた。が、慣性の法則に従う拳は止まることなく突き進み、船首部にある黄金製プロペラ基部に当たって跳ね返り、

「ぐっ!」

 エネルの背中にあっさりと当たる。

 

 瞬間、ルフィは霊感的に最適解を見出した。船楼へ向かって跳躍し、

「ゴムゴムのぉ~たこ花火っ!!」

 顔面を模した黄金壁面へ向けて乱打を開始する。

 速く! 強く! もっと速くっ! もっと強くっ! もっと力を込めろっ! ギアを上げてぶん回せっ!!

「うぉおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 放たれた乱打は黄金壁面に跳ね返され、四方八方不規則に跳ね踊る。それはまるで跳弾のようで――

「また手数勝負か? 無駄だっ! そんなもの当たるかっ!!」

 エネルは自らを一条の雷電に変えて拳の弾幕を易々と掻い潜り、ルフィの背に迫る。そして、間合いに入るや再び人の姿に戻って三叉槍を振り上げた、刹那。

 

 ゴッ。

 

 先読みに掛からぬ跳弾の拳がエネルのこめかみを捉えた。

「――ッ」

 三半規管を強く揺さぶられ、エネルの動きが一瞬、止まる。拳の弾幕の真っ只中、その一瞬の停滞は即座に無数の被弾を招いた。

「ぐぁああああああっ!!!」

 

 ゴロゴロの実を食して以来、エネルは初めてのタコ殴りを浴び、体験したことのない痛みに体が大きくヨレる。

 当然、ルフィはその間隙を逃さない。野生そのままに雷神へ襲い掛かり、

「ゴムゴムのぉ~バズーカァアアアアアッ!!」

 改造された魚人海賊を打ち倒し、大海賊の砂魔人を悶絶させた双掌打を雷神のどてっぱらへぶち込んだ。

 

「―――っ!?」

 体の深奥まで貫徹した大衝撃に意識が飛びかける。エネルは苦悶すらこぼせず崩れ落ちた。そこへ、ルフィが容赦なく追撃に躍り出る。

 

 朦朧とする意識の中、エネルは迫るルフィの姿を認識して顔から血の気を引かせた。回避を試みるが、身体は双掌打の衝撃に痺れており、能力による雷電化すら叶わない。

 恐怖。自身を恐怖の権化と語り、他者を侮り続けた男が、今、恐怖に顔を引きつらせる。

 

「ゴムゴムのぉ~」

 ルフィはありったけ力を込めた拳で、エネルの無防備な横っ面をぶん殴る。

「ライフルッ!!」

 全力のコークスクリュー・エクステンドパンチはエネルを見事に吹き飛ばし、船楼の黄金壁面へ叩きつけた。

 

 血反吐に塗れながら倒れ伏した雷神の姿に、ナミが勝利を確信するも、ルフィの顔は依然、険しいままだ。

 現に、能力者当人が倒れたにもかかわらず、巨船は飛翔し続け、雷雲を広げ続けている。

 

「……あの女戦士よりも数段劣る貴様に、こうもやられるとはな」

 そして、エネルは血反吐を垂らしながら身を起こす。驚愕するナミ。動じぬルフィ。

 

「認めよう。貴様は私の天敵だ」

 エネルは船楼の悪趣味な黄金壁面に背を預け、

「マクシムが発ち、スカイピアが滅ぶこの日に、天敵と巡り合うとは……世の不条理は神とて例外ではない、ということか」

 息を整えながら傲慢な冷笑を湛え、

「しかし、神たる私が定めた運命は変わらん。この島は絶望と共に終わりを迎え、天使達は死に絶える。貴様には止められん。決してな」

 右手に雷電を踊らせた。

 

「! やめろぉーッ!!」

 また雷を落とされると判断したルフィが右の伸長パンチを放つ。

 刹那、エネルが口元を悪意に歪めた。背後の黄金壁を電熱で瞬時に溶かし、飴細工のように操ってルフィの伸びた右腕を絡めとる。

 

「ギャ――――ッ!! あっちいぃいいいっ!!」

 雷神は右腕を巨大な真球状金塊に囚われたルフィが、腕を焼く電熱でもがき苦しむ様に愉悦を浮かべ、

「青海の天敵よ。貴様に関わるとろくなことにならんのはよく分かった。だから、貴様はただ消えろ」

 ルフィの許へ歩み寄り、巨大な真球状金塊をサッカーボールのように船外へ蹴り飛ばした。

「この金塊は貴様の健闘を称え、褒美にくれてやるっ!」

 

「うわぁああああああああああああっ!?」

 球状金塊の重量に引きずられ、ルフィは船外へ一直線に引きずられていく。咄嗟に舷側胸壁にしがみ付いて堪えるも、金塊が重すぎて身動きが取れない。

 

「天敵たる貴様さえ封じてしまえば、もはやこの世に私の敵はいない」

「なに言ってんだバーカッ! 下の海にはなぁ、お前なんかより強ェ奴がいくらでもいるんだっ!! お前なんか――」

「さっさと落ちろ……っ!」

 エネルは黄金の三叉槍でルフィの手元を砕き、船外へ突き落す。

 

「ルフィ―――――ッ!?」

「チキショーッ!! エネルーッ! 勝負しろぉ―――ッ!!」

 ナミの悲鳴とルフィの罵倒が響き渡る中、水玉天馬ピエールに跨ったアイサが落ちていくルフィを救助しようと駆けつける。その矢先。

 

「鬱陶しい羽虫め。消えろ……神の裁き(エル・トール)ッ!!」

 巨大な雷が落下中のルフィと水玉天馬とシャンディアの少女を呑み込んだ。

「そんな……ルフィ、アイサ、ピエール……」

 ナミが大雷によって穿たれた大穴を慄然と見下ろす中、

 

「ヤッハハハハハハハハハッ!!」

 雷神の哄笑がアッパーヤードの空に轟いた。

 

     ○

 

「ナミさん。可憐すぎる……っ!! ロビンちゃん。美麗すぎる……っ!! ベアトリーゼさん、綺麗すぎる……っ!! こ、ここは楽園なのか……っ!? 俺のオール・ブルーはここなのかっ!?」

 赫足ゼフが聞いたら、情けなくて泣いちゃうかもしれない寝言を垂れ流すサンジ。

 

 どうやら、エロコックは幸せ極まる夢を堪能しているようだ。

 スカイピア全土が神の暴虐で滅びの危機を迎え、コニスやホワイトベレーの面々が一人でも多くを救おうと奔走し、探索チームの面々が傷つき倒れ、ナミが神に攫われているというのに。

 破廉恥。まったく破廉恥である。

 

 寝返りを打つと手を握られた。エロコックは反射的に握り返す。と。

「やめろー……俺には一万人の部下がー……」

 握った手の主から男の声が聞こえ、サンジは即座に目を開き、見た。

 

 寝言を垂れている長っ鼻の横っ面を。

 

「ひぃっ!?」

 驚愕のあまり悲鳴が溢れ、サンジはタオルケットごと飛び退き、頭から被る。

「いやだっ! 戻してくれ……っ! 今すぐ俺をあの楽園に戻してくれ……っ! ナミさんとロビンちゃんとベアトリーゼさんが待つ、あの楽園にっ!」

 

 ガチ懇願だった。まだ寝ぼけているらしい。しかし、目覚めたことで全身に走る電撃症の痛みが、エロコックを妄想から現実世界へ無理やり引きずり起こす。

 

「ぐぉっ!? イテェッ!? くそ……何がどうなって……」

 習慣的に煙草を取り出そうとして、サンジは上着を脱がされて全身に手当てが施されていることに気付き、記憶が蘇ってきた。

 そうだ。突然船に現れた“神”とかいう耳たぶヤローに……

 

「! ナミさんっ! ナミさんは無事なのかっ!」

 サンジは包帯だらけにされているウソップを完全に無視し、部屋から飛び出す。甲板のどこにもナミの姿がない。同乗していた変な爺さんと水玉鳥もだ。

 

「ナミさんッ!!」

 泡食って周囲を見回していると、林冠の先からもうもうと黒煙が立ち昇り、アッパーヤードの上空を覆い始めていた。それに豪壮な風切り音も島の奥から聞こえてくる。

 

 何が起きてやがる?

 警戒心を強めた矢先、サンジは見た。

「なんだ、ありゃあ……っ!?」

 巨木が連なる密林の梢から浮かび上がる巨大な影を。

 




Tips
エネル
 空島編のラスボス。
 思うに、最大の弱点は慢心と油断。

ルフィ
 原作主人公。
 思考を先読みされても、対応させなきゃ良いんじゃね? と軟体化

箱舟マクシム
 エネルはあの巨船を一人で保守整備する気だったのだろうか……

アイサ
 気づけばピエールと仲良しになって『鳥馬ちゃん』呼びしてる。

ピエール
 CVはいったいどこの中○和哉なんだ……?

ナミ
 またしても麦わら帽子を預けられた。やはりルナミが正義なのか。

サンジ
 破廉恥。

ベアトリーゼ。
 再起動のため読み込み中。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

139:空飛ぶ巨船を見上げながら。

ミタさんさん、しゅうこつさん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 箱舟マクシムの甲板で、ナミが“神”と対峙していた。

 

 ナミは神様なんか信じない。

 神様はナミがどれほど祈り、乞おうと、応えてくれなかった。

 育ちの故郷がアーロン一味に襲われた時、愛おしい養母を助けてくれなかった。

 アーロンに支配されるココヤシ村やコノミ諸島を解放してくれなかった。

 ナミの人生を、夢を、取り返してくれなかった。

 

 ナミは神様なんか信じない。

 ナミを守ってくれたのは、養母。義姉。村人達。

 ナミを助けてくれたのは、自由気ままな女野蛮人。

 ナミを救ってくれたのは、最高の仲間達。

 

 だから、ナミは神様なんかに従わない。

 ましてや、最高の仲間達を傷つけた神様なんかには。

 

「これからもやりたいこと、ほしいもの。たくさんあるわ。でも」

 ナミはルフィに預けられた麦わら帽子を大切に持ちながら、“神”を睨み据えた。勇気を振り絞って宣言する。

「このままあいつらを捨てて、あんたと一緒に行くくらいなら、もう何もいらないっ!!」

 

“神”を睨み据える橙色の瞳に恐れも怯えも悔いもない。それどころか、後ろに回した手でクリマタクトを準備してさえいた。

 絶対生き延びてみせる……っ!! どうにかしてこの船から脱出するっ!!

 

「何もいらぬ、だと……? では、命もだな?」

 そんなナミの覚悟を嘲るように、エネルは唇の両端を大きく歪めた。

「行け……あの世へ」

 

     ○

 

 ナミが”神”に立ち向かっている頃、空の民の美少女コニスも神に抗っていた。

 

 コニスは父の大型ウェイバーをかっ飛ばしながら、アッパーヤードの空を泳ぐ異様な巨船を目の当たりにし、息を飲む。

「なんて大きさ……あれが神隊の方が言っていた箱舟……急がないとっ!!」

 

 ウェイバーを更に加速させ、コニスはアッパーヤード北東岸に停泊しているゴーイングメリー号を目指す。麦わらの一味を滅びゆくスカイピアから脱出させるために。

 

 そして、ゴーイングメリー号に辿り着けば。

「どういうことっ? ウソップさんとサンジさんはどこに行ったのっ!?」

 

 メリー号のどこにも重傷者のウソップとサンジの姿がなく、コニスは困惑しながら船番と看護に残していたペットの雲狐スーに尋ねると、スーは小さな体を駆使し、ボディランゲージで事情を説明する。わぁとっても賢い。

 

 コニスは愛狐のジェスチャーを正確に読み取り、驚きを露わにする。

「そんな……お二人があの船にっ!?」

 

      ○

 

 美少女コニスがメリー号の船内で困惑していた時。

 金髪グル眉と長っ鼻は航海士救出のため、既に箱舟マクシムへ投げ縄を引っかけ、乗り込む最中だった。

 2人とも重度の雷撃症を負っており、動けるはずがないのだけれど、麦わらの一味に常識を求めるだけ無駄である。

 

「神だろうが何だろうが、ナミさんに指一本触れてみやがれ……っ! 俺は青海の悪魔と化すぞっ! うぉおおおおおっ! ナミすわぁああああんっ!!」

 意気軒高なサンジ。こいつ、もう全快してないか?

 

「ぎゃああああっ!! 高い、高い、高ぁいいいいっ! 向かい風も強ェよっ! 怖い、怖い、怖ぁああああいっ!!」

 喚き散らすウソップ。こいつもすっかり平常運転だ。

 

 2人とも、ついさっきまで意識不明の重傷だったとは思えないほど元気に溢れており、

「うるせェっ! さっさと登らねェと俺が蹴り落とすぞっ!!」

「うるせェっ! この高さと風だぞっ! 叫ばずにいられるくわぁっ!!」

 相対気流の激しい風音とプロペラの豪壮な稼働音に負けじと、ぎゃあぎゃあ大騒ぎながら投げ縄をよじ登っていく。

 

「この船、絶対に“神”がいるぞっ!? それにこのデカさだ、敵が何百人乗ってるか……やっぱり、ルフィ達を呼んで出直そうぜっ!! お願いだからぁっ!!」

 ウソップが懸念と要望を表明するも、サンジは欠片も聞き入れない。

「泣き言を垂れてんじゃねえっ! だいたい、おあつらえ向きの道具ばっか用意しやがってっ! 滅茶苦茶やる気じゃねーかッ!」

 

 そう。我らがキャプテン・ウソップは吸着登攀シューズやらなんやらこの状況にぴったりなアイテムを用意済みで、泣き言とは裏腹にすいすいと船体側面を登っているのだ。

 

「備えあればって言うだろぉっ!! やる気があるんじゃねェよ! 不安なんだよっ!!」

「敵は心網(マントラ)を使うんだ、こっちのことはとっくにバレてるっ! 今さら心配したって無駄だッ!! 腹を括れっ!!」

 サンジは泣き言を続けるウソップを叱咤し、『作戦』を告げた。

「潜入したら二手に分かれて、甲板を目指すぞっ! ナミさんはそこに居るっ!!」

 

「はぁっ!?」ウソップは目ん玉をひん剥いて「分散すんのかっ!? 敵が何人いるかもわからねェのにっ?!」

 

「共倒れを防ぐためだっ! いいか、ウソップッ!」

 サンジは真剣な面持ちで固い決意を宣告する。

「俺はナミさんのためなら、お前が死んでも構わない……っ!!」

 

「それ、ココヤシ村ン時も言いやがったよなっ!? お前、俺の命をなんだと思ってんだっ!!」

 ウソップは激怒した。この件が終わったらエロコックを必ずや張り倒すと胸に誓った。

 

 ともかく、サンジとウソップはナミを救出すべく、絶望をもたらす箱舟マクシムへ侵入していった。

 

 心網で両者の侵入を捕捉したエネルは、容易く捻り潰した鼠が懲りずにやってきた、程度の認識だった。

 エネルは知らない。

 

 破廉恥コックが抜け目のない狡猾さを発揮する曲者であることを。

 長っ鼻小僧が戦場を引っ掻き回す理不尽と不条理の権化であることを。

 神は知らなかった。

 

      ○

 

 ロビンは痛む身体を押して、戦いに倒れた者達――ゾロ、チョッパー、ワイパー、ガン・フォール、それにベアトリーゼを黄金遺跡から中層島雲へ運んでいた。超々巨大樹ジャイアント・ジャックを伝い、ハナハナの実の力を使ってそれぞれを運ぶ作業は、体力以上に気力と神経を擦り減らす。

 

 苦労して中層島雲へ仲間達を運び終えたロビンの視界いっぱいに、非現実的な光景が広がる。

 青海でも稀有なほどの巨船が傲然と空を泳ぎながら、スカイピア全土を覆うようにどす黒い雷雲を広げている。空島の世界を少しずつ暗闇に染めていく雷雲の表面を、幾筋もの稲光が踊り暴れていた。時折、黒雲から溢れた雷がアッパーヤードやエンジェル島を襲っている。

 まるで無数の竜がこの空島を食らいつくそうと集まってきているようだ。

 

 誰の目にも終末を予感させる光景。現にエンジェル島の住民や雲隠れの村のシャンディア達は恐れ、怯え、慄いている。

 

 しかし、ロビンは然して気にした様子も見せず、ジャイアント・ジャックの麓に昏倒中の野郎共を並べ、丁寧に寝かせた親友の傍らに腰を下ろした。気を失っているチビトナカイをぬいぐるみのように膝の上に抱く。

 親友を膝枕するか、船医を膝に抱くかで凄く悩んだが、チビトナカイに軍配が上がった。だってちっちゃくてモフモフで可愛いんだもの。仕方ない。

 

 ロビンは傍らで眠り続ける親友の頬を撫で、碧眼でアッパーヤードの空を泳ぐ巨船を捉えた。

 スカイピアの全てを破壊し、地上へ落とす――そう語ったあの傲慢で冷酷な“神”は有言実行を図っている。

 

「このままだと不味いわね」

 ぽつりとこぼれた言葉は、ロビン自身が驚くほど危機感に乏しい。

 

 ロビンが最も信用し、信頼するベアトリーゼすら打ち負かした凶悪な能力者が、今まさに大量破壊と大量殺戮を始めようとしているのに。

 躊躇も逡巡も見せずに駆け出した麦わら小僧の背中を見送ったから、かもしれない。

「不思議な子ね……知り合ってから一週間も経っていないのに。私、もう彼を信じ始めてる」

 

 モンキー・D・ルフィ。

 彼なら、この危機も、この国が抱える難題も、全部何とかしてしまいそうな……そんな気がしてならない。

 

「ロビン」

 傍らからかすれた声が聞こえ、ハッとして碧眼を注ぐ。神秘的な美貌に自然と安堵の笑みが浮かぶ。

「ビーゼ! 意識が戻ったのね」

 

「あちこち痺れてるし、なんか凄い空腹感があるけど……」

 アンニュイ顔を大きくしかめながら、ベアトリーゼが暗紫色の瞳を巡らせ、身体状況を確認。

 

 全身がシダ状紋様の電撃傷だらけ。体が痺れていてまだ言うことをきかないけれど、意外なほど痛みが軽い。代わりにやたら喉が渇いているし、空腹感が半端ない。はて、これは一体……?

 

 !? モックタウンで買ったばかりの長袖Tシャツがボロ布と化してるっ! 買って翌日にこれかよ、チキショーっ!!

 

 ロビンはチョッパーを優しく脇に寝かせてから、ナミに代わって運んできたベアトリーゼの装具ベルトの雑嚢から水筒を取り出し、ベアトリーゼの上体を抱き起こして水を飲ませる。

「ありがと。私……どれくらい寝てた?」

 

「小一時間ほどね」自身も水筒を口にしてから、ロビンが答えた。

「そんなに……っ!?」ベアトリーゼはギョッと目を剥いた直後「ダサッ!! 私、ダサッ!! ダッサッ!! ナイスでスマートな凄腕美人と評判の私がたった一発で……ダサすぎるッ!!! 恥ずかしいぃぃっ!!」

 

 自由が利かない体で羞恥に悶絶する親友に、ロビンは『ビーゼ、可愛い』と温かく微笑む。

 ひとしきり芋虫みたく身悶えした後、ベアトリーゼは大きく溜息を吐いて問う。

「どうなってる?」

 

「良くない」ロビンは小さく頭を振り「ルフィ以外、全員やられてしまったわ。エネルは今、このスカイピアを完全に破壊して、全てを地上に落とそうとしてる」

「違う。“そんなことはどうでもいい”」

 ベアトリーゼは低い声で告げ、親友の綺麗な肌を損ねている電撃傷を注視していた。

「その怪我……あいつにやられたんでしょ? 具合は?」

 

「貴方に比べれば、軽傷よ」

 親友を安心させようとロビンが柔らかな微苦笑を返すも、

「―――あの耳たぶヤロー、ふざけた真似しやがって……っ!」

 ベアトリーゼはみるみるうちに怒りの炎を滾らせ始めた。ビキッと青筋を浮かべ、根性と憤怒の熱を駆り、言うことを聞かぬ身体を無理やり起こそうともがく。

 

「ビーゼ、無理しないで」

 ロビンの制止を振り切り、ベアトリーゼは立ち上がり、すってんころりん。大の字に転がった。残念。まだ体が思うように動かない。

「あああああっ! このクソ足っ!! 役立たずっ!」自分の足にキレる女蛮族。

 

「落ち着きなさい。私より貴女の方がずっと重傷なんだから安静にしてないと」

「ヤダ」ベアトリーゼは頬を膨らませ「私。あいつ。殺しに行く。今」

 怒りのあまり知能指数が下がり始めた親友にロビンが眉を大きく下げた、直後。

 

 頭上から大気の炸裂音と激しい閃光が降ってきた。

 2人が揃って顔を上げれば、空を泳ぐ巨船の甲板上で雷が暴れている。

 

 空を征く箱舟マクシムを目の当たりにし、ベアトリーゼは思わず怒りを忘れた。原作という予備知識があっても、やはり現物のインパクトは大きい。

 驚きが薄れると、再び沸々と怒りが沸いて来る。ベアトリーゼのアカデミックな部分が、マクシムの存在を容認できず猛烈な癇癪を起していた。

 

「……なんであんな構造であの巨体が空を飛べるんだよ……っ! 科学的にきちんと納得のいく説明があるんだろうなコノヤローッ!」

 箱舟マクシムに向かって中指を立てる蛮族ちゃん(25歳)。

 なお、痺れとハンガーノックで無理やり伸ばした右腕も拳も突き立てた中指もがくがくぶるぶる震えていて、なんとも締まらない。

 

「元気が出て来たみたいで良かったわ」

 ロビンは溜息をこぼしてから、箱舟に碧眼を向けて簡潔に説明する。

「エネルはあの空飛ぶ船を使ってスカイピアを破壊する気よ」

 

 ベアトリーゼは不満顔で雷が暴れ続ける巨船を睨み、ロビンへ問う。

「覇気がまだ使えなくて様子を探れないんだけど、あそこには誰が?」

 

「エネルに航海士さんが連れていかれて、ルフィが取り返しに向かったわ。戦っているのはルフィかしら」

「や、ゴム人間相手に電撃は使わないでしょ」

「なら、航海士さん……? でも、エネルの実力で、彼女相手にあれほど電撃を使うとは思えないわ」

 

 思案顔を作るロビンの隣で、ベアトリーゼは落丁だらけの原作知識のページをめくる。

 たしか、ナミちゃんを救いにサンジとウソップが乗り込んだはず。ありゃ、あの2人が起こした騒ぎだろう。

 と、不意にひときわ激しい雷光が走った。

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!」

「きゃあああああああああああああああああああああっ!」

 

 空を覆う黒雲のいななきに交じり、確かに届く悲鳴。

 目を凝らせば、巨船マキシムから小さな影が飛び出し、落ちていく様が見えた。

 

「誰か飛び降りたわね。墜落死してバラバラにならなければ良いけど」

「あの高さなら、破裂するだけじゃない?」

 ロビンとベアトリーゼが怖いことを言っていると、不意に巨船の航行速度が落ち、高度を下げ始めた。それに、どういう訳か雷雲の放出も止まる。

 

「破壊に成功した?」

「どうだろ。破壊というには地味だし……戦闘の巻き添えでなんか壊れたとか、そんなところじゃないかな」

 小首を傾げるロビンの隣で、ベアトリーゼはすっとぼけつつ思う。

 原作チャート通りなら、グル眉と長っ鼻が耳たぶヤローに吠え面を掻かせたあたりだったか。なら、さっき飛び降りたのは、ナミちゃんとウソップか? それとも、サンジも一緒? 細かいところはうろ覚えだからなぁ……

 

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 

 今度はジャイアント・ジャックの方から猛々しい雄叫びが聞こえてきた。

 ロビンとベアトリーゼが顔を向けてみれば、麦わらの一味の船長が背中にチビッ子と水玉怪鳥を担ぎ、球状の大きな金塊を引きずりながらジャイアント・ジャックを猛烈に駆け上っていた。

 

「ルフィ? なぜあんなところに……? じゃあ、あの船に居たのは誰……?」

 不思議そうに碧眼を瞬かせるロビンの傍ら、ベアトリーゼが大声で呼びかける。

「おーいっ! ルフィーくーんっ!!」

 

 声に気付いたらしいルフィが急ブレーキを掛け、

「あーっ!! お前ら、無事だったかぁっ!!」

 嬉しそうに太陽のような笑顔を浮かべた、刹那。

 

 引きずっていた金塊がずるりと滑り、

「「あ」」

 金塊の重さに引きずられ、ルフィは背中に担いだチビッ子と水玉怪鳥諸共に落ちた。

 

「うわぁああああああああああああああっ!?」

「きゃあああああああああああああああっ!?」

 途中、ルフィとチビッ子と水玉怪鳥、大きな球状金塊が超々巨大樹の幹にぶつかり、ばいんッ! と跳ねた。美女2人の許へ向かって真っ逆さま。

 

 チビッ子と水玉怪鳥はロビンがハナハナの実でキャッチ。

「ぎゃああああっ!? 手っ!? 手がたくさんっ!? なんでえええっ!?」

 無数に生えた手と、その手がはらりと消える様にアイサが驚愕の絶叫。

 

「ぐぇっ!!」

 ずぼっと島雲に刺さったルフィに金塊の大玉が直撃。頭だけ金塊の下敷きとなって埋まり、身体がわきわきともがき暴れる。

「うわーっ!? 埋まっちまったーっ! 出してくれェーっ!!」

「ルフィーっ!? また頭だけ埋まってるーっ!!」アイサちゃん驚きっぱなし。

 

 ベアトリーゼは痛みで引きつり気味の苦笑いをこぼし、よろよろと立ち上がって深呼吸。黄金の大玉を殴り砕くべく、放つ。

 

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!」

 込めた覇気は拳の先をちょっと固めただけだったし、振動波がほとんど放たれなかった。おかげで巨大金玉は砕けることなく、ごろりと転がるだけ。まぁルフィを解放したけれど。

 

 殴った反動でひっくり返ったベアトリーゼは、眉根を寄せて怪訝顔をこさえた。

「っかしーな。いくら本調子じゃなくても、これっぱかしの金玉がなんで砕けねーんだ?」

「子供の前よ。言葉遣いに気を付けて」

「えぇ……」

 アイサちゃん9歳は大人の美女2人にどこか呆れた眼差しを注ぐ。

 

「焦ったぁ。頭だけ煎餅になるとこだった」

 ルフィはふぃ~と安堵の息を吐くや否や箱舟マクシムを睨み、

「アイサと皆を頼むなっ! 俺は行くからっ!!」

 ジャイアント・ジャックへ駆け出――せない。ロビンの生やした手に襟首を捕まられてひっくり返った。

「おい、何だよっ!? ロビン、邪魔すんなっ!!」

 

「待って、ルフィ。どうする気なの? それに、その右手の金塊は何?」

「手ェ放せっ!! 急がねェと、エネルの奴が行っちまうっ!!」

 焦燥に駆られているルフィは質問に答えず、ロビンの生やした手を剥がそうとじたばたと暴れ。

 

 ごちんっ! 

 

 ルフィの頭に黒い拳骨が落とされた。

「イテェッ!? 何すんだよっ!?」

 左手で頭を押さえて食って掛かるルフィへ、いつの間にか立ち上がっていたベアトリーゼがアンニュイ顔に不敵な笑みを浮かべる。

「何をどうしたいのか、落ち着いて言ってごらん。お姉さん達が手伝ってあげるから」

 

「――――」

 気勢を削がれたルフィはきょとんとベアトリーゼを見つめ、次いでロビンへ目線を向ける。ロビンも小さく、だけど確かに頷いた。アイサが不安げな顔でルフィを注視している。

 

 急いていた気持ちが落ち着き、燃え過ぎていた闘志と戦意が冷静さを確保する。ルフィはからからに渇いた喉を慰めるように生唾を飲み、年上の女達へ願いを口にする。

「俺は――」

 そこへ猛々しい排気音が響いてきて、

「ルフィ――――――ッ!」「お―――――いっ!!」

 ナミと人間大ボロ雑巾もとい黒焦げサンジを担ぐウソップを乗せたウェイバーが猛然と駆けてきた。

 

「あいつらも無事だったのか……っ!」

 ホッと安堵の息をこぼすルフィに、ベアトリーゼがアンニュイな微笑を向け、編み直した言葉を掛けた。

「何かする気なら、君の自慢の仲間達にも手伝って貰いなよ。もちろん居候の私達だって手を貸す。さあ、麦わらの一味の船長モンキー・D・ルフィ。君は何をしたい? 私達にどうして欲しい?」

 

 ルフィは再び目を瞬かせた後、ぶるりと身を震わせた。

 歓喜と闘志の武者震いに釣られ、顔いっぱいに意気軒高な笑顔を作る。

 まるでぎらつく太陽みたいな笑顔を。




Tips

コニス。
 原作キャラ。
 神エネルの暴虐からエンジェル島の住民を救うべく奔走し、麦わらの一味を滅びゆくスカイピアから脱出させようと、危険を冒してメリー号の許へ向かうも、一味の奴らときたら、誰もいやしねぇ。

スー
 原作キャラ
 とっても賢い雲狐。CVは声優界でも数少ないジブリヒロイン経験者。

ナミ。
 原作主役の一人。
 気象の知識とクリマタクトで時間を稼ぎ、サンジとウソップのおかげで虎口を脱する。

サンジ。
 原作主役の一人。
 女性が絡んだ時のメリット・デメリットが極端な曲者コック。箱舟マクシムを故障させて時間稼ぎに成功。

ウソップ。
 原作主役の一人。
『冒険野郎マクガイバー』も真っ青の発想力と技術力で、戦場を引っ掻き回す理不尽と不条理の権化。

ピエール
 原作キャラ。
 アイサを庇って雷撃を食らい、失神昏倒中。

アイサ。
 すっかりルフィに懐いてる。失神したピエールを引きずって走るなど、意外と力持ちな9歳児。

ルフィ。
 原作ではひたすら突っ走ったが、本作では、ジャイアント・ジャックを登る前にベアトリーゼから諭される。

ロビン。
 原作でも本作でも、チョッパーを膝抱っこ。可愛いから仕方ない。

ベアトリーゼ。
 オリ主。
 再起動完了。体の様子がなんかおかしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

140:その時、歴史が動いた。

烏瑠さん、佐藤東沙さん、nullpointさん、誤字報告ありがとうございます。


 奇しくも集結した麦わらの一味と居候、それとオマケの面々は簡潔にそれぞれの情報を擦り合わせた後、ルフィが吠えた。

「俺はエネルをぶっ飛ばすッ!! だから、手伝ってくれっ!!」

 

 即座に航海士が船長へ異を訴える。

「無理よっ! あれはもう止められっこないっ!! メリーに戻ってこの国から脱出すべきよっ!! 今すぐっ!!」

 

 狙撃手が空を見上げ、再び雷雲を吐き始めた巨船を指差しながら、船長に翻意を促す。

「ルフィの気持ちはよく分かるっ! 俺だってコニスや変なおっさんにゃあ世話になったし、せっかく見つけた黄金郷からむざむざ逃げたかねェっ! でもよぉ、ゾロ達を見ろ、とても戦えねェよ……っ! ここは退くしかねェっ!」

 

 航海士と狙撃手は慎重派だ。こういう時、積極派のゾロと横車を押してくれるサンジのありがたみが分かる。ナミとウソップの2人をどうやって説得すれば良いか分からず、ルフィが焦燥に駆られた、その時。

 

「さっき簡単に言った通り、奴は黄金の鐘を目指してる」

 ベアトリーゼがぐうぐう腹を鳴らしながら装具ベルトの雑嚢を漁り、携行口糧を引っ張り出す。

「私とロビンが奴に出くわした時、黄金の鐘の話をしたら、あいつは場所に心当たりがあるようだった。おそらく、このバカでかい樹の頂上。それか、その先の島雲。そこへ向かってるんだ」

 

 携行口糧のフルーツバーをもしゃもしゃ食べ始めた親友を横目に、ロビンが説明を追補した。

「ええ。遺跡で確認した記録と地図を見る限り、黄金の鐘と鐘楼があるとすれば、この超巨大樹の上でしょうね。それ以外の場所にあったなら、とっくにエネルが発見しているはずだから」

 

 美女2人の説明を聞き、ルフィは一層強く眉目を吊り上げた。

「この樹の天辺に鐘があるんだなっ!? それをエネルが狙ってんだなっ!? なら、絶対にエネルにゃあ渡せねぇッ!!」

 

「お、おい、ルフィ? どうしたんだよ……っ?」ルフィの剣幕に戸惑うウソップ。

「黄金なんてもうどうでも良いじゃないっ! あんたの腕にある分だけで十分でしょうっ!?」

 

「どうでもよくねェッ!! どうでもよくねェんだっ!!」

 駄々を捏ねる弟を叱るように声を張ったナミへ、ルフィが大声で怒鳴り返す。

「エネルなんかに黄金の鐘は絶対に渡さねえっ!! それに、コニスとパガヤのおっさんには世話になったっ! 変なおっさんと変な馬にはメリーを守ってもらったっ! アイサにはここまで連れてきてもらったっ! こんな良い奴らの国をぶっ壊させたくねェんだっ! だから」

 

 ルフィは寝かされているゾロ達を見回し、ロビンとベアトリーゼを見て、ナミとウソップの目を真っ直ぐ見つめて、言った。

「俺にお前らの命を預けてくれっ!!」

 

 純粋な決意。不退転の覚悟。心から信頼する仲間へ必死の懇願。

 ルフィの真剣さと本気振りにウソップは思わず息を飲み、ナミはスッと可憐な顔立ちを冷たく引き締めた。

「――このままここに居たら、この空島ごと皆死ぬかもしれないのよ? それでも、私達をあんたに付き合わせるの? それが、あんたの、ルフィの船長としての決断なの?」

 

 ルフィの目を睨み据えながら、ナミは冷厳で冷徹な口頭試問を課す。ナミの迫力にウソップが気圧されて仰け反る中、ルフィは一歩前に出て、ナミへ向かって全力で答えた。

「誰も死んだりしねェっ! 俺が絶っ対にっ死なせねェっ! だから、力を貸してくれっ!!」

 

 ルフィとナミが睨み合う中、携行口糧を食べ終えたベアトリーゼが体の具合を確かめながら、軽い調子で親友に問う。

「どうする、ロビン」

 

「ここまで来たら一蓮托生よ。それに、ビーゼが言ったんでしょう。手伝ってあげるって」

 くすくすと上品に喉を鳴らすロビンに、ベアトリーゼは軽く肩を竦めた。

「それもそうだ。まぁいざって時は、私達だけならトビウオライダーで逃げられるか」

 

 その時、歴史が動く。

 麦わらの一味で事態を引っ掻き回す男はルフィだけではない。理不尽と不条理の権化は他にもいるのだ。

 たとえば、シロップ村のバンキーナと赤髪海賊団狙撃手ヤソップの息子にして、麦わらの一味の狙撃手であるウソップとか。

 

 ウソップは言った。メリーを離れる時に見たものを思い出した、くらいの調子であっさりと。歴史を動かす言葉を口にした。

 

 

「あ、お前のトビウオライダーなら、白目剥いて浮いてたぞ」

 

 

「!? ウソップッ!?」

 ナミの顔から血の気が引き、ルフィがナミの変化に訝った、瞬間。

 

「―――はぁ?」

 ベアトリーゼから凄まじい殺気が放たれ、大妖怪を思わせるおどろおどろしい気配が漂う。暗紫色の瞳が爛々とぎらつく様は、もはや人食いの怪物そのものである。

 

「ひょっ!?」ウソップは一瞬で恐怖に圧倒された。

「ひぃっ!」ナミは反射的にルフィの背へ隠れた。

「ひっ!」怖いもの知らずのルフィの口から、悲鳴が漏れた。

「あら、大変」ロビンは怯え竦んだアイサにしがみ付かれたまま、懐かしいものを見たと言いたげな調子で呟く。

 

 ベアトリーゼは双眸を血走らせながらウソップに歩み寄り、

「詳しく……」

 トライバル・タトゥーみたいな電撃傷が走る顔を長っ鼻に触れる寸前まで近づけ、

「説明しろ」

 告げた。

「私が冷静でいられるうちに」

 

「ひぃいいいいい―――ぃ」

 絶対的暴圧に迫られ、恐怖が臨界に達したウソップが白目を剥き、立ったまま失神した。小便は漏らさなかった。流石はキャプテン・ウソップ。

 

 ベアトリーゼは銃声のような舌打ちをこぼし、ぐるんと首を巡らせてナミを捉えた。

 ひえっと悲鳴を溢れさせた後、ナミはドン引き顔のルフィの背に隠れたまま、

「わ、私達も何が起きたのか分からないけど、この島でドンパチが起きてた時、雲の川に雷が流れたのよっ! それであんたのトビウオライダーも感電しちゃって、その、多分」

 生唾を呑み込んで、恐る恐る言った。

「……もう動かないと思う」

 

 場に沈黙の天使が舞う。頭上から降り注ぐ雷雲のいななきがやけに遠く感じる。ナミは怯え、ルフィは居心地悪そうに成り行きを見守り、ロビンは泣き出しそうなアイサの背中を優しく擦っている。ウソップはまだ意識を取り戻さない。

 

 そして、ベアトリーゼは、小さく首肯を繰り返した。ナミの説明を噛みしめ、理解するようにうんうんと何度も頷いた後――

 ふー。大きく深呼吸して、

 

「あのクソヤロォオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」

 

 殺意と敵意と害意が爆発。あまりにも激烈な気焔に周囲の大気がたわんだ。

 

 ロビン以外の全員が戦慄する中、ベアトリーゼは眉目が限界まで吊り上がり、額やこめかみが青筋で埋まっている。癖の強い夜色のショートヘアはまさに怒髪衝天。残骸と化した長袖Tシャツの切れ端を荒々しく千切り捨て、Xバックのスポブラと体中に走る雷撃症のリヒテンベルク図形を晒しながら、

「私に大恥掻かせて……ロビンを傷つけて……挙句、トビウオライダーまでぶっ壊しただぁ……? 耳たぶやろぉおっ!! ふざけやがってっ!! ふっざけやがってぇっ!! 許さん……許さん許さん絶対に許さんっ!」

 犬歯を剥いて喚き散らかした、刹那。

 

 ずどんっ!

 

 ベアトリーゼの足元の島雲が沸騰したように爆発。

 全員が悲鳴を上げながら衝撃波に転がされる最中、ベアトリーゼはプラズマブーストを用いて地対空ミサイルのような勢いで飛翔していく。

 

 誰もが唖然茫然としている中、

「っ!! 俺も行くぞっ!! エネルをぶっ飛ばすのは俺だっ!!」

 我に返ったルフィが大きな球状金塊を担ぎ上げ、ベアトリーゼを追ってジャイアント・ジャックに向かって駆けだす。

 

「待って、ルフィッ! こっちの方が速いっ!」

 ルフィの機先を制するようにナミが叫び、大急ぎでひっくり返った小型ウェイバーを引き起こす。

 

「ナミッ!? お前も行くのかっ!?」

 転がったまま復活したウソップが半ベソ顔のまま吠えれば、ナミも負けじと怒鳴り返す。

「止めなきゃ大変なことになるっ! ベアトリーゼをッ!!」

「そっちかよっ!」

 ツッコミを入れてきたウソップに、ナミがブチギレ顔で罵倒を浴びせる。

「あんたが余計なこと言うからでしょっ!! こうなりそうだったから黙ってたのにっ!!」

「俺ェっ!? 俺が悪いのかっ!?」責任を問われて驚愕するウソップ。

 

「急いだ方が良いわ」ロビンはアイサを抱きかかえたまま「あの調子じゃ鐘楼まで吹き飛ばしかねないもの」

「気にするの、そっちかよっ!!」律儀にツッコミを入れ続けるウソップ。

 

「今度こそしっかり掴まってなさいよっ!!」

 ナミはウェイバーを起動させ、左手をナミの引き締まった腰に巻き付けたルフィが発破を掛ける。

「いっけぇ――――ッ!! ナミィーッ!! ぶっ飛ばせ―――――っ!!」

 

 ルフィの号令を合図に、2人を乗せたウェイバーが猛然と走りだし、怒涛の勢いでジャイアント・ジャックを登っていく。

 

 ウソップは両手で顔を覆い、慨嘆をこぼした。

「……もう、めちゃくちゃだよ」

 

      ○

 

 神エネルは心網と悪魔の実の能力による電波操作で、スカイピア全土を掌握している。

 当然、ジャイアント・ジャックの麓から迫る爆発的殺意を捕捉していた。

「――あの女戦士か。何を猛り狂っているか知らんが……面倒な」

 同時に、忌まわしき“天敵”が不遜な小娘が駆るウェイバーに乗ってジャイアント・ジャックを駆けあがってくることも、掴んでいた。

「青海の賊徒め。あの重りを付けたまま登ってくるとは……諦めの悪い」

 エネルは玉座に座りながら身体の痛みに不快を隠さない。

 

 女は戦巧者。賊徒は天敵。両者を同時に相手取ることはかなり厳しい。不愉快な事実だが、事実は事実。否定しても仕方ない。

 しかし、小賢しい青海人達の小細工でマクシムの稼働に不備が生じたものの、既に対処も終えた。

 

 マクシムは黄金の鐘が眠るであろうジャイアント・ジャックの頂上を目指して昇り続け、デスピアは順調に雷雲を広げ続けている。

 じきに時が満ちる。そうなれば、もはや青海の女戦士も天敵も相手にする必要はない。

 

「貴様達は私に抗い、戦うつもりだろうが……そこが根本的な誤りなのだ」

 奴らと対峙したこと自体が遊興に過ぎなかった。

 そもそも、超越的存在たる神が下等な人如きと伍して戦う道理などない。

 神はただ一方的に、圧倒的に、絶対的に裁きを下すのみ。

 それが神たる存在の正しき在り方。神の力の正しき行使。

 

 エネルは冷酷に口端を吊り上げ、雷雲に覆われて暗闇に染まっていくスカイピアを睥睨する。

「貴様達はただただ私の裁きを受け容れるしかない、無力な羽虫であることを思い知らせてやろう。ヤッハハハハッ!!」

 神の傲慢な哄笑に応えるように、巨大な雷雲のいななきが大きく強くなっていく。

 

 時が満ちるまで、あとわずか。

 

      ○

 

 怒れる蛮姫はクソヤローが駆る非常識な巨大飛行船を睨みながらプラズマブーストで飛翔し、時折ジャイアント・ジャックの幹を足場に跳躍し、再加速して急上昇し続ける。

 

 頭の芯まで殺意と憤怒で煮え滾っている一方で、ベアトリーゼの最も戦士的で冷酷非情な部分が病質的冷静さを保っており、自身の体に対して困惑を覚えていた。

 

 おかしい。

 身体の内外に極大級の電撃を叩きこまれたのに、痛みがやけに軽い。いや、もはや痛みどころではなかった。大ダメージを負ったとは思えないほど身体の動きが軽い。“軽すぎ”る。認識と動きに齟齬が生じるほどだ。

 

 まるで新車に乗り換えた時のような……アクセル、ブレーキ、ハンドルといった操縦系の操作性が慣れ親しんだ感覚と異なる違和感。エンジンの出力や車体自体の応答性が自覚していたものと違う異質感。電子系の操作パネルが扱い慣れたものと違う時に抱く戸惑い感。

 何かがおかしい。

 

 それに、半端ない飢餓感。携行口糧一本ではとても追っつかない。

 今日はエネルとの一戦以外に能力も体力もさして使っていないはず。時間経過で昼飯が消化されたにしても、ハンガーノックを起こしかねないほどエネルギーが不足している理由にならない。

 何かがおかしい。

 

 このままかっ飛ばしていたら、エネルの許へ辿り着いても低血糖症を起こして何も出来ないかもしれない。ペースを落として体力を温存すべきか。

 

 知るか、クソッタレ。

 殺せ。今すぐ殺せ。私をここまで怒らせたあの耳たぶヤローを何としてもぶっ殺せ。

 

 頭と血肉を沸騰させている最も凶暴な部分ががなり吠えた。

 殺せ(Kill him)! 殺せ(Kill him)! 殺せ(Kill him)! 殺せ(Kill)っ! 殺せ(Kill)っ! 殺せ(Kill)っ!! 殺せ(Kill)っ!!

 ぶっ殺せ(Kill‛em)っ!!

 

「そうだ、ぶっ殺すっ!」

 冷徹を狂熱が焼き潰し、ベアトリーゼは体力残量を無視してジャイアント・ジャックに沿って急上昇し続ける。

 

 と、かっ飛ばし続けたおかげか、早くもジャイアント・ジャック高層島雲――神の社が見えてきた。箱舟マキシムの高度はまだ神の社より少し低い辺り。あの島雲を足場に飛び降りれば、届く。

「待ってろ、耳たぶヤローッ! 生きたまま背骨引っこ抜いたらぁッ!!!」

 

 

 

「それは恐ろしい」

 心網と電波操作で蛮姫の殺意を聞き取り、雷神はせせら笑う。広がり続ける漆黒の雷雲を見上げ、唇の両端を嗜虐的に吊り上げた。

「育ち具合は上々。まずはお前で試そうか、女戦士」

 

 エネルは玉座から腰を上げ、左手を高々と掲げ、一条の雷電を放った。

「真なる神の裁きを味わうがいいっ!!」

 

 空島を覆う雷雲が鳴動し、漆黒の雲間に大閃光が生じる。

 

 落雷。

 その現象を説明するなら、その一語で足りる。しかし、その在り様は万人が知る落雷とはまるで違った。膨大なエネルギーの暴流はさながら雷雲から降臨した龍神のようで。

 

 ベアトリーゼが着地すると同時に高層島雲を直撃した落雷は、島雲の一部を広域蒸散爆発させ、雷鳴と呼ぶにはあまりにも暴虐的な音圧力波と熱衝撃波を走らせた。

 

 神の社と呼ばれる島雲の一部が一瞬で、しかも豪快に消滅した様を目の当たりにし、

「ヤハハハハハハハッ! 快ッ! 実に快なりッ!!」

 雷神が喝采を上げ、

 

「なんてエネルギー……ッ! あんなのがこれからバカスカ降ってくるって言うのっ!?」

 天才気象読みの航海士が戦慄し、

 

「あのヤローッ! もっと飛ばせ、ナミッ!! 全速全開で突っ走れっ!!」

 慄く航海士に引っ付いている船長が大いに憤慨した。

 

 そして――

「あ、あの、クソッヤロォオ……ッ!」

 着地のタイミングで雷撃を浴び、ベアトリーゼは咄嗟に回避するも大火力面攻撃から逃れきれず、大衝撃波と大音圧波に吹き飛ばされ、神の社の廃墟に叩きつけられていた。

「そーか、そーくるか。遠距離から大火力の面攻撃で一方的に叩こうってか。最適解の最効率で片付けますってか」

 

 

 ざ け ん な

 

 

 ベアトリーゼはゆらりと立ち上がった。体は軽いのにエネルギー不足で倦怠感や震えが始まる、という不可思議な状態に難儀しつつ、神の社周辺を見回す。

 焼き払われた建物や施設。焼け焦げて散乱する調度品。雷撃死した侍従や侍女達の亡骸。

 

 それと、こと切れた侍女の傍らに転がる果物(エネルのオヤツ)

 

「……ぃひひひひ」

 ベアトリーゼは幼子が見たら泣きだしそうな薄笑いをこぼして果物の許へ向かい、邪魔な侍女の死体を蹴り除けて果物を貪り始める。かつて故郷で死体漁りをしていた頃のように。

 三つ子の魂百まで。どれほど強くなろうとも、彼女の根は荒野の鼠のまま。

 

「大気圏内で生じる雷のエネルギーは確か平均1億ボルト、3万アンペア辺りだったはず。さっきの一撃は明らかに平均より高かった。奴の落雷照射時間は200から300マイクロ秒程度。高めに見積もっても100億ジュールには届かねェだろ……全力一回分でも回復できれば……」

 

 電熱で痛んだ果物を餓鬼のように食い漁りながら、ぶつぶつと呟き続ける様は狂人のそれだ。垂れた果汁が艶めかしい喉を伝い、スポーツブラの胸元に濡れ染みを広げていく。

 

 果物を食べ終え、ベアトリーゼは手の甲で濡れた口元を拭いながら暗紫色の瞳を爛々とぎらつかせた。

「待ってろよ――」

 

 

「時、満ちたり」

 エネルは玉座から立ち上がり、甲板の中心へ向かう。

 今やスカイピア全土を覆い尽くす漆黒の雷雲を見上げ、両手を高々と広げて雷電を放つ。

 

 雷神の放った一条の稲妻を浴びた瞬間、空を覆い尽くす暗黒の巨雲が唸り声を轟かせ始めた。無数の雷が巨雲の底を駆け巡り、幾重もの雷鳴が空島の端から端まで響き渡る。

 さながら数多の竜神が猛り暴れているが如し。

 

 そして、始まる。

「降り注げ……万雷(ママラガン)ッ!!」

 雷神の号令と共に大小様々な龍達が空島各所へ襲い掛かった。

 

 幾筋もの連なる落雷の軌跡。幾重にも重なる雷鳴の残響。空島中から生じる破壊の音色。砕かれる島雲。倒壊する建築物。巨大な水柱を上げる雲の海。感電した空魚達が白い水面に横たわる。爆ぜる大地(ヴァース)。蒸発する雲の川(ミルキーロード)。燃え上がる巨木達。崩落する遺跡。衝撃波や電撃に打ちのめされた森の動物達が斃れていく。

 空の民も、シャンディアの民も、終末の光景に慄き震えあがり、滅亡の危機に逃げ惑う。

 

「ヤハハハハハハハッ!!」

 スカイピアの滅亡を始めた雷神が高笑いを響かせる。

「絶景っ!!」

 

 雷神が哄笑する中、

「テメェもテメェのバカ船も消し飛ばしてやる……ッ!」

「エネル、お前の思い通りにはさせねェ!!」

 蛮姫と麦わら小僧が闘志を剝き出しにしていた。




Tips

ルフィ
 原作と多少流れは違うが、やはりエネルをぶっ飛ばすことにこだわる。

ナミ
 恐れていた事態が発生し、頭を抱える。

ウソップ。
 歴史を動かした男。

エネル。
 身に覚えのないことで蛮族に殺意を向けられる人。
 
ベアトリーゼ。
 目が覚めたならなんか体がおかしい。
 それはそれとして、エネルは殺す。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

141:終末の雷。災厄の火。

佐藤東沙さん、烏瑠さん、マキシタさん、トリアーエズBRT2さん、水澤七海さん、ちくわぶさん、しゅうこつさん、ヲールさん、誤字報告ありがとうございます。


 暗闇の巨雲から大小様々な雷が雨のように降り注ぐ終末的光景。

 

 ジャイアント・ジャックの麓。ロビンはチョッパーをぬいぐるみのように抱えながら呟く。

「始まったわね」

 ロビンの七分丈パンツを掴みながら、アイサが泣きそうな顔でジャイアント・ジャックを見上げる。ロビンが生やした手でアイサの小豆色の髪を優しく撫でた。

 

 大きな雷が近くに落ち、強力な衝撃波と音圧波にウソップがひっくり返った。ロビンが咄嗟にチョッパーとアイサを庇う。

「ぅ……」「ぐ……っ」「むぅ」

 衝撃が誘い水となったのか、気を失っていたワイパーとゾロとガン・フォールが意識を取り戻した。それぞれが体中の痛みにしかめ面を浮かべながら、状況を把握しようと周囲を見回す。

 

「ワイパーッ!」

「アイサ? 無事だったのか」

 トテトテと駆け寄ってきた同胞の少女を認め、ワイパーは無意識に強面を和らぎかけるも、周囲の様相――落雷の荒れ狂う異常な光景に眉目を吊り上げた。

 

「何がどうなってやがる」

 ワイパーの発言を先取りするように、ゾロが身を起こしながら問う。

 

「エネルがこの空島全てを破壊しようとしている真っ最中よ」

 ロビンの説明を聞き、ガン・フォールが島雲を掻くように掴み、苦悶した。

「エネル……ッ! 本当に始めおったか……ッ!!」

 

「今、ルフィとナミがエネルとベアトリーゼを止めに行ってるっ! 俺達はメリーまで避難しようっ!」

 ウソップが喚くと、ゾロが怪訝そうに眉根を寄せた。

「……待て。なんで止める対象にベアトリーゼまで入ってんだ?」

 

「トビウオライダーを壊されてたことが分かって。ビーゼが本気で怒っちゃったのよ。ああなると、ビーゼは間違いなくやり過ぎるわ。後でお説教ね」

 ロビンはチョッパーを抱えたまま微笑む。

 

 呆れ顔をこさえるゾロに代わり、ガン・フォールがロビンに問う。

「青海の娘。この在り様を見てもなお、お主はエネルを止められると思っておるのか?」

 

「いえ。確信してるの」

 ロビンは花のように美しい微笑を湛え、告げた。

「ビーゼ達は、必ずエネルを倒すと」

 

 ロビンは心の中で密やかに接ぎ穂を呟く。

 事態が悪化する可能性も高いけど。

 

       ○

 

「ヤッハハハハハッ!! 人も木も土もあるべきところへ還るが良いっ! 全て青海へ降る雨となれっ!」

 エネルの残酷な狂笑に応えるが如く、黒雲は増々荒れ狂い、落雷が暴れ狂う。

 

 雷鳴と地響きが絶え間なく響き続け、住民の退去避難が続くエンジェル島はさながら絨毯爆撃を浴びているような有様だった。

 豪雨のように注ぐ落雷が島雲を吹き飛ばし、建物を砕き、逃げる住民達を薙ぎ払う。

 

 落雷は島雲やアッパーヤードだけでなく海にも次々と注がれており、巨大な水柱を何本も昇らせ、時に水蒸気爆発さえ起こしていた。命を落とした空魚達が水面に骸を浮かべていく。

 

 海へ脱出した空の民も、次々と命を落としていた。

 雷の直撃を浴び、満載した避難民ごと炎上轟沈したり、爆散したりする船は一隻や二隻ではなかった。落雷の至近着弾の衝撃で船が転覆し、白い水中へ没していく者が後を絶たない。海へ投げ出された者達を救おうにも、周囲の船は既に満員で猫の子一匹入れる余裕もなく、助けを求める同胞が溺れ死んでいく様を見守るしかなかった。

 空の民に出来ることは、船上から故郷エンジェル島が雷に焼かれていく様を眺めながら、恐怖と絶望と無力感に打ちのめされることだけだ。

 

 雲隠れの村を脱出したシャンディアの民もまた、自分達の村が稲妻に焼き払われていく様を見せつけられていた。

 

 シャンディアの民にとって、400年に渡って隠れ住んできた村は屈辱と困窮の牢獄。然れども、今を生きる彼らにとっては生まれ育ち、先祖が眠る、紛れも無き故郷だ。

 400年前に故郷を追われ、今再び故郷を捨てて逃げ去らねばならない。

 シャンディアの民は老いも若きも女も子供も、涙を流していた。

 悲憤の涙を。

 

 空島に住まう全ての者が恐怖と怯懦と、絶望と無力感と、悲憤と悲嘆に膝を折っている中、

「エネル……ッ!!」

 終末的光景を睨み据えながら、シャンディア戦士ワイパーが荒々しく怨嗟を吐く。

 

 意識を失っていた間、ワイパーは幼き日、酋長や大人達から聞かされた“歴史”を見ていた。

 誇り高きシャンドラを守護するシャンディアの民。シャンディアに啓蒙と恵みをもたらした英雄ノーランド。大戦士カルガラと英雄ノーランドの友情と果たされぬ約束。空の民に故郷を奪われて始まった屈辱と困窮。帰郷のために戦い散っていった英霊達。望郷の念を抱きながら死んでいった先祖達。

 全ては故郷を取り戻し、今一度シャンドラの火を燈すため。

 

 だが、今、エネルは全てを消し去ろうとしている。

 シャンディアの民が求め続けた故郷も、民族の誇りたる黄金都市も、民族の使命や願いさえも。

 

「貴様にこんなことをする権利があるとでもいうのかっ! 俺達から全てを奪う権利があるとでも言うのかっ!!」

 ワイパーが怒りにわななきながら、神を自称する男を糾弾する。

 

 誰も掛ける言葉を見つけられない。ロビンはチョッパーを抱きかかえながら漆黒の空を見上げた。

「……船の上昇が進んでる。もうじき、この巨大樹の頂上に届くわね」

 

「そこに……何がある。エネルは何を目指しておるのだ?」

 スカイピアを襲う大惨劇に憔悴したガン・フォールが問う。

 

「黄金の鐘よ」

 ロビンの言葉に、ワイパーが反応する。

「――黄金の鐘、だと? 青海人の貴様がなぜシャンドラの黄金の鐘を知っているんだ。いや、なぜ在処を知っている」

 

「……この巨大樹はここの下層にあるシャンドラの遺跡、その中心部から伸びているわ。遺跡で発見した地図や記述が確かなら、そこが黄金の大鐘楼があった位置なの」

 ウソップが何か喚いていたが、ロビンは美しいほど完璧に無視して説明を続ける。

「考えられる推論は二つ。このアッパーヤードが空へ打ち上げられた際、元々生えていたこの超巨大樹の上に落下し、鐘は巨大樹に突き上げられてさらに上空へ飛ばされた。あるいは、アッパーヤードが空島に落着後、この巨大樹が成長して鐘を上空へ押し上げていった」

 

「どっちにしろ、鐘はこのバカでけェ樹の天辺より上にあるのか」

「なんと……神の社の頭上に“島の歌声”が……」

 ジャイアント・ジャックをまじまじと見上げるウソップとガン・フォール。

 

 その時。突如として神の社の辺りから、スカイピア全土を覆う暗闇を切り裂くように峻烈な白光が生じた。

 あまりにも禍々しい輝きに、誰もが、蛮姫の無茶をよく知るロビンすら、息を飲む。

 

「な、なんだ、ありゃあ……」ウソップが唖然と呟き、

「太陽……?」咄嗟にワイパーの足を掴みながらアイサが慄く。

 

「ビーゼね」ロビンが難しい顔で「プルプルの実の力で超高熱プラズマ塊を作り出す技よ」

 ゾロはふと思い出し、顔から血の気を引かせた。

「それ、あいつがアラワサゴでやった技かっ!?」

 

「し、知ってるのか、ゾロ? ありゃいったいなんだっ!?」

 聞きたくないけど、聞かずにいられないウソップが問い質せば。

「かなりヤベェぞ。アラワサゴって島じゃ海岸線を変えちまった」

「なにをいってるんだいぞろくん?」

 あまりにも途方もないゾロの回答に、ウソップの知能が低下した。

 

「可哀想な子を見るような目をやめろ!!」ゾロは怒鳴ってから嘆息を吐き「海岸の一部が完全に消滅しちまって、砂浜は溶けてガラスになってた。本当だぞ」

「私が知っている頃より強力になっているわね」ロビンはしみじみと「もしもこの島に落ちたら、かなり大規模な被害を生むでしょうね」

 

 ウソップは半狂乱になって大騒ぎ。

「何やっとんだあいつはぁっ!! エネルを止めに行って、なんでこの島を吹き飛ばそうとしてるんだよっ!!!?? 勘弁してくれぇ! 滅茶苦茶をやるのはルフィとゾロとサンジだけで十分過ぎるんだよぉっ!!」

 

「ビーゼらしいわ」朗らかに微笑むロビンさん。

「笑っとる場合かぁっ!!」

 雷鳴が轟く中、ウソップの叱声が響き渡った。

 

 

 ジャイアント・ジャックの天辺を目指し、”大金玉”を牽引しながら激走する小型ウェイバー。

”小さな太陽”を見上げ、アラワサゴ島の一件の当事者だったナミは顔を大きく強張らせていた。

「あのバカッ! なんてことをっ!」

「ナ、ナミ?」余りの剣幕にルフィが驚く。

 

「あの船に使われた大量の黄金が融解して蒸散爆発したら、あの莫大な熱エネルギーが拡散して空島を形成する雲なんて蒸発しちゃうわっ!」

「……怪奇現象が起きるのか」

 きょとんと小首を傾げるルフィに、ナミは苛立たしげに吠え散らかす。

「このままだと私達もエネルも空島も黄金の鐘も、全て消し飛ぶって言ってんのっ!!」

 ルフィは驚愕顔を作り、ナミの耳元で喚き散らす。

「えぇええええ―――――っ!? やべえじゃねえかっ!!」

 ナミは頭上の太陽を睨み据え、憤懣をぶちまけた。

「あいつ、絶対にとっちめてやるっ!!」

 

       ○

 

 エネルの立つ巨大飛行船マクシムと、ベアトリーゼの立つ神の社の間に、超高熱プラズマ塊が浮かび、煌々と鮮烈な閃光を発していた。

 

 この事態の始まりは、エネルがベアトリーゼごと神の社を焼き払おうと落雷を打ち込んだ際、ベアトリーゼがプルプルの実の力を用い、落雷のエネルギーを用いて『プラズマ溶解炉』を発動したことによる。

 

 サイクロトロン運動を与えられて爆発的に温度を上昇させていくプラズマ塊を前にし、エネルの顔から余裕が失われていた。

「大気を操る能力者だと思っていたが……ここまでとはっ!」

 

 両腕をマクシムに向けて伸ばし、ベアトリーゼは悪魔の実の力を駆使してプラズマ塊をデカくしながら、眉をひそめていた。

 んー? っかしいなあ。っかしいなあ。耳たぶヤローの落雷を利用してプラズマ技を使うまでは良かったのに……なーんか能力と覇気の制御が利かねーぞ。

 ま、いっか。耳たぶヤローをぶっ殺せれば、細かいことはどうでもヨシッ!

 

「原子の欠片も残さず燃え尽きろっ!!」

 ベアトリーゼは肥大化した超高熱プラズマ塊へ強い振動波を叩き込み、エネルへ向かって浴びせる。

電磁流体衝撃波(プラズマ・ソリトン)ッ!!」

 

「ほざけっ! 我、雷電を自在に操る神なりっ!! 貴様の炎雷とて同じことっ!!」

 ロギア系最強格ゴロゴロの実を食したカミナリ人間だからこその直感か。

 

 迫る超高熱プラズマ衝撃波に対し、雷神は直感的に落雷ではなく、自らの放電を選ぶ。

 超高熱プラズマの大津波は大出力の電撃と相食むように干渉し合い、エネルとベアトリーゼの間で渦動を始め、超高熱プラズマの竜巻に姿を変えていった。

 

 ベアトリーゼは武装色の覇気で、エネルは自身を雷電化して暴力的な輻射熱に耐えているものの、島雲が徐々に蒸発していき、巨船マクシムの金属部品が歪んでいく。

 

「邪魔臭い奴っ!」

 ベアトリーゼがプラズマ竜巻の渦を広げ、エネルと巨船マクシムを呑み込ませようと荷電粒子や波動に強い振動を加えるべく、能力操作を行う。

 

 が、エネルを“焼”滅させることに執着していたベアトリーゼは失念していた。自分が今、身体も能力も覇気も精確に制御できていないことを。

 精密な超高度演算と緻密な多並行制御が不可欠な状況で、そのささやかな“やらかし”は極大に比例して発現する。

「あっ」

 

 拮抗状態にあった超高熱プラズマ渦巻が大きく大きくたわみ、大きく大きく歪み、大きく大きく乱れ、

「! 放電(ヴァーリー)ッ!!」

 エネルが改めて身を削るように繰り出した最大放電を超高熱プラズマ竜巻へ叩き込み、エネルギーを上方へ導く。

 

 超高熱プラズマ大竜巻が怒れる巨龍の如く暴れ躍り、ジャイアント・ジャックの天辺付近を一瞬で焼尽。そのまま空を覆い尽くす巨大雷雲へ飛び込み、巨大雷雲が内包する暴力的な高速乱気流と激甚な静電気と激突。

 下手をすればその瞬間、膨大なエネルギー同士の衝突による大暴発が生じ、この空島に存在する全てを消し飛ばしていたかもしれない。だがしかし。

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 エネルは気力と体力の全てを振り絞り、自らが広げた巨大雷雲に超高熱プラズマ大竜巻を呑み込ませていく。

 

 それは雷を支配し、意のまま恣に操り扱うカミナリのロギア能力者の精髄。

 終末の雷を用いて災厄の火へ挑むエネルの姿は、まさに雷神そのもの。

 そして――

 

 雷鳴。

 

 スカイピアを成す積帝雲そのものを震わせる大雷鳴が轟き響き渡り、スカイピア全土を覆う巨大黒雲に無数の稲妻が放射状に駆け抜けていく。さながら蜘蛛の巣紋様が描かれていくように。

 

 凄まじく体力気力を消耗したエネルは膝から崩れ落ち、滝のような勢い流れる汗を甲板に広げていく。

「ヤ……ヤハハハ……ッ! ヤッハハハハハハハハハハッ!!!!」

 

 自らの成し遂げた偉業に歓喜の大喝采を上げる雷神。

 達成感と充足感と自己肯定感に満たされながら、雷神は神の社へ叫ぶ。

「どうだっ!! 私は神だっ! 私こそがこの世界の絶対なる神なのだっ!! 思い知ったかっ!!」

 

 が、反応が返ってこない。

 訝るエネルが目を凝らしてみれば、大蛮行をやらかした女は体力枯渇で白目を剥いて倒れていた。

 

 さしものエネルも絶句。

「……なんと迷惑な女だ」

 

 大きく深呼吸し、エネルは桁違いにエネルギーを増した雷雲を見上げ、

「貴様のおかげで、より見事な終焉を描けそうだ」

 凶悪な微笑と共に左手を大きく振るった。

「雷迎」

 

      ○

 

 雷雲の一部が巨大球体に姿を変え、ぽっかりと開いた真円状の雲間から青空が覗き、陽光が注ぐ。そして、雷雲の巨大球は日の光が降り注ぐ中をゆっくりと落ちていき――その莫大なエネルギーを解き放つ。

 

 エンジェル島が一瞬で蒸発し、その下に広がる白海が貫かれ、積帝雲の底まで達していた。憐れにもその効力圏内に捉えられた空の民は、一分子もこの世に残らず焼き消された。

 絶望も諦念も許さないほどの絶対的な破壊を目の当たりにし、空の民もシャンディアの民も、もはや唖然茫然と現実を見つめるだけだ。

 

「なんという非道を……」

 大量破壊と大量殺戮を目撃したガン・フォールは頭を抱え、その場にうずくまる。たった今起きた大惨劇はこの老人の許容限界を超え、心を完全にへし折っていた。

 勇猛果敢な戦士ワイパーも、もはや現実を受け止めきれなかった。傍らのアイサはとっくに理解を放棄していた。

 

「この世の光景とは思えねェ……」

 小心者のウソップは一周して恐怖も怯懦も戦慄も忘れていた。

 

「アラバスタでクロコダイルも似たようなことやってたじゃねーか」

 ゾロがさらりと言ってのける。極太の肝っ玉を持つこの男は、平然と現実と対峙していた。

 同時に、ごく自然に思う。

“この件が終わったら”、あの女に覇気とやらを習おう。これからは能力者と戦うための力が要る。

 

「良かった。あれなら鐘楼は無事ね」

 不意にチョッパーを抱きかかえたロビンが呟く。

 

 思わず全員がロビンへ狂人を見るような目を向けた。この状況で何を言っているのだ、と。

 しかし、ロビンの神秘的な美貌にも麗しい碧眼にも、狂気など微塵も内在しない。

 

「言ったでしょう。私は確信しているの」

 ロビンは面々へ美しい微笑を向け、

「ビーゼはしくじったみたいだけれど、時間は充分稼いだ。間に合ったわよ」

 再びジャイアント・ジャックを見上げた。

「雷神の天敵が」

 

       ○

 

「エーネールゥ―――――――――――――――――ッ!!」

 黄金の鐘の許へ向かおうとしたエネルの背に、眼下から怒号が届く。

 

 心底うんざりした顔で、エネルは振り返った。

 小生意気な青海の小娘が運転する小型ウェイバーが高層島雲に辿り着いており、ウェイバーから降り立った“天敵”が大きな球形金塊を引きずりながら、こちらを睥睨していた。

 

「お前に、黄金の鐘は、絶対に、渡さねぇぞぉ――――――――――――ッ!!」

「勝手に喚いていろ」

 高度差は充分にある。もはや空でも飛べぬ限り、天敵が自身の許へ辿り着くことなど出来ない。

 

 エネルは鼻を鳴らし、興味を失ったように視線を切って巨船マクシムを上昇させていく。

 黄金の鐘の位置は既に把握していた。電波を用いた捜索をしたところ反射反応があったし、何より女戦士が放った災厄の火を雷雲へ飲み込ませた際、雷光を反射する物体が見えた。

 

 そう遠くはない。焼き消されたジャイアント・ジャックの天辺部分から数十メートルほど西上方に浮かぶ島雲。そこに黄金の鐘が、400年前にスカイピア全土へ響き渡った“歌声”がある。

 

「待て、エネルーっ!!」

 ルフィが吠えながらジャイアント・ジャックを登っていく。しかし、天辺部分は既に焼尽しており、今辿り着ける先端からではゴムの収縮運動を最大限に使っても、もはやマクシムの佇む高度まで届きそうにない。

 それでも、諦めることなくルフィは幾度も跳躍し、落下し、登り、跳躍し、落下し、また登る。

 

 ルフィがしつこく足掻き続ける中、ナミはウェイバーを放りだして大の字に倒れているベアトリーゼの下に駆け寄り、

「この野蛮人っ! 好き勝手暴れて事態を悪化させておいて、暢気に寝てんじゃないわよっ!」

 スポブラの胸元を引っ掴んでガックンガックン揺さぶる。が、起きない。低血糖で目を回してるからね。仕方ないね。

 

 と、騒ぎながら挑み続けるルフィが鬱陶しくなったのか、エネルが落雷を落としてきた。

 誰かさんの所為で一層強力になった落雷は、ルフィを高層島雲に叩き落すだけでなく、ナミにまで衝撃波を浴びせてくる。

 

「きゃあっ!!」

 鮮烈な衝撃波に薙ぎ払われたナミがベアトリーゼを掴んだまま高層島雲から落ちかけ、ルフィが咄嗟に左手を伸長させて引き戻す。

「大丈夫かッ!?」

 

「ええ……でも」ナミはベアトリーゼを、次いで、上空の巨船を窺う。「どうしよう……ベアトリーゼがこれじゃ、エネルの船まで行く手がないわ」

「なんとかするっ! エネルに黄金の鐘は絶対に渡さねえっ!!」

 顔を険しく歪めて吠えるルフィに違和感を抱き、ナミが怪訝そうに尋ねた。

「黄金の鐘って……さっきからずっと言ってるけど、なんなの? どうしてそんなにこだわってるのよ」

 

「ウソじゃなかった……っ!」

 ルフィの言葉にナミは戸惑う。何のことか分からない。

「ウソじゃなかったんだ。ナミも見ただろ。黄金郷はあったんだ。ここにっ! ひし形のおっさんの先祖はウソなんかついてなかったんだっ! だから、おっさん達に教えてやるんだっ! 黄金の鐘を鳴らしてっ! 黄金郷は空にあったって、教えてやるんだっ!」

 

 クリケットのことを言われ、ナミは唖然とした。同時に自身を強く恥じる。空島へ行くためにあれほど援助してもらったのに、今の今まですっかり失念していたなんて。

 

「エネルなんかに渡せねェっ! でっけぇ鐘の音はきっとどこまでも届くはずだからっ!」

 ルフィはマクシムを睨みながら、決意を猛々しく宣言する。

「俺は、絶対に、黄金の鐘を、鳴らすんだっ!!!!」

 

「その浪漫、乗った」

 ナミの腕に抱えられていたベアトリーゼが目を覚まし、いつも以上にアンニュイな面持ちで、にたり。




Tips

ワイパーが見た夢。
 空島編の過去ストーリーのこと。本作ではカット。気になる方は原作を読もう。

ロビン。
 ベアトリーゼに対する好感と信用と信頼がマックスのため、ベアトリーゼが絡むとズレちゃう。

プラズマ・ソリトン。
 銃夢:LOで主人公ガリィが使うプラズマ技。

 本作では作者の描写がプラズマ物理学と全然違うので、ツッコミどころが多いと思う。
 演出ということでご容赦頂きたい(切願)。

エネル
 ゴロゴロの実の能力を全力全開で行使し、ベアトリーゼのプラズマ技を破った。
 そりゃ勝ち煽りの一つもする。

ベアトリーゼ。
 本調子じゃないのに大技を使って大失敗。事態を悪化させた。
 いつも通りってこと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

142:黄金の鐘は高らかに歌う。

佐藤東沙さん、しゅうこつさん、誤字報告ありがとうございます。

空島編終わりまで突っ走るで。


 それは失われたジャイアント・ジャックの頂より、さらに高い位置に浮かぶ島雲に眠っていた。400年に渡って誰にも見つかることなく。

 巨大な黄金の鐘とやはり黄金で造られた鐘楼。いくらか蔦と苔に覆われていたものの、その輝きは微塵も損なわれていない。

 

 エネルは巨大飛行船マクシムを停泊させ、黄金の鐘を前に立ち、哄笑を挙げていた。

「なんと美しいっ! なんと荘厳かっ! この鐘は私にこそ相応しいっ!!」

 

 シャンディアの民から『シャンドラの灯』と呼ばれ、400年前にアッパーヤードの到来を告げる『島の歌声』を響かせた伝説の鐘。

 神の宝物(トロフィー)に相応しい。

 大いなる感動と興奮が、疲弊した体に力を蘇らせる。

 

「得るべきは全て得た。後は為すべきを終えるのみ」

 エネルは黄金の鐘を背にし、雷電の雨が降り注ぐスカイピア全土を傲然と見回し、頭上を覆い尽くす暗闇の雲へ向け、悠然と腕を掲げた。

 蛮姫が放った災厄の火を呑み込んだ雷雲は、エネルすら初めて見るほどに猛り狂っている。

 

「この空島、いや、積帝雲ごと消滅させてくれよう」

 エネルは起爆スイッチを押すように雷雲へ一条の雷電を放つ。

「スカイピアよ。消え去るがいい……っ!」

 

       ○

 

 空を覆い尽くしていた黒雲が雷鳴と稲光を溢れさせながら、蠢き始めた。

 黄金郷シャンドラの上空を中心にゆっくりと渦巻き始め、エンジェル島を消滅させたものより遥かに巨大な球状雷雲『雷迎』を形成していく。

 形成される雷迎の真下、ジャイアント・ジャックの麓から破滅的光景を見上げる麦わらの一味とその他の許へ、何かが落ちてきた。

 

 神の社で使われていたものらしい陣幕の一部。そこに血で十字方位と文章が書かれている。

 ロビンが手に取り、読み上げた。

「ビーゼの字ね。『ジャイアント・ジャックを西へ斬り倒せ。エネルを倒し、黄金の鐘を鳴らそう』とあるわ」

 

「黄金の鐘? なるほどな」

 ゾロが訳知り顔で頷く。ロビンも察しがついているらしく口元を綻ばせた。

「?」

 ウソップがつぶらな目つきで『お・し・え・て』と訴えてきたので、ゾロが痛みで引きつり気味な苦笑いを返した。

「探索を始めた時にな、ルフィが言ってたんだ。黄金の鐘を見つけたら目いっぱい鳴らそう。下のあいつらに鐘の音を届けようってよ」

 

 ルフィは最高の名案を思い付いたと言わんばかりに得意げで、太陽のような笑みを湛えながら。聞かされた時、チョッパーは目を輝かせ、ロビンとベアトリーゼは『素敵』と微笑み、ゾロも『お前にしちゃあ粋な案だな』と讃嘆をこぼした。

 

「そうか、クリケットのおやっさんに……」

 ウソップはぶるりと武者震いした。

 この小心者で悲観主義者なくせに勇敢な長っ鼻は、浪漫と男の美学と浪花節に恐ろしく弱い。ゾロの話を聞いた瞬間、逃げるという選択肢を放りだすほどに。

「何としても黄金の鐘を鳴らさねえと……っ!」

 

 ゾロ達のやり取りに空島の住人達が困惑する中、ワイパーが噛みつく。

「お前ら、何の話をしている。なぜ余所者のお前達が黄金の鐘を鳴らそうとしているんだ。あれは俺達、シャンディアの民が鳴らすべきシャンドラの灯だぞ……っ!」

 

 ゾロが疎ましげに眉をひそめた傍らで、ロビンが静かに言葉を紡ぎ始める。

「……400年前。青海の探検家が黄金郷を見たとウソをつき、処刑されたわ」

 

「!」ワイパーとアイサが息を飲み、心折れていたガン・フォールが顔を上げた。

 雷鳴轟く中、ロビンの編む言葉は不思議と皆によく届く。

 

「世間は探検家を嘲り笑ったけれど、彼の子孫達は彼の言葉を信じて、ずっと黄金郷を探し続けてきた。そして、その子孫の一人が私達をこの空島へ送り出してくれた。きっと、今もこの下の海で黄金郷を探しているでしょうね」

 

 ロビンは驚愕にわななくワイパーへ碧眼を向け、言葉を続ける。

「だから、黄金の鐘を鳴らせば、黄金郷は空にあったと彼らに伝えられる。麦わらの彼はそう考え、この状況にあっても、諦めてないのよ」

 

「……その、子孫の名は?」

 ワイパーが身を震わせながら声を搾り出すように問えば、ウソップが答えた。

「モンブラン・クリケットだ」

 

「ならば、先祖の名は、ノーランド……かっ!!」

 強面から流れる大粒の涙。アイサがワイパーの様子を見上げようとしたが、戦士は子供に涙を見られまいと歩き出した。

 ジャイアント・ジャックへ向かって。

「青海の剣士。お前は右の幹を斬れ。俺は左の幹を砕く」

 ゾロは不敵に犬歯を剥き、腰から刀を抜く。

「その様でやれんのか?」

「愚問だ」

 

 そして、青海の剣士とシャンドラ戦士が雷の降り注ぐ中を全力で駆け抜け、二本の幹が螺旋状に絡み合うジャイアント・ジャックへ向かって躍りかかった。

 

「うぉおおおおおっ!!」

 ゾロの二刀による一撃が右の巨大な幹を両断し。

 

排撃(リジェクト)ぉおおっ!!」

 ワイパーの排撃貝による一撃が左の巨大な幹を穿ち砕く。

 

 直後、落雷が2人を吹き飛ばし、ウソップとアイサが悲鳴を上げる中、幹の支えを失ったジャイアント・ジャックが不吉な軋みの音色を奏でながら傾いでいく。

“東”に向かって。

 

「ヤベェッ!! 向こう(西)じゃなくてこっち()に傾いちまってるっ!!」

「まぁ、単に幹を切るだけじゃ倒れる方向を定められないわよね」

 ウソップの悲鳴にロビンがしれっと呟く。

 

 大木の伐採は職人技だ。本来なら縄やワイヤーで倒す方向に強いテンションを掛けながら、切り口を作ってゆっくりへし折るように切っていかねば、望む方向に倒せない。

 そう、倒す方向へ向けて、強い力が要る。

 

「言うとる場合かっ! どうしたら――ん?」

 その時。奇跡が起きる。

『じゅらあああああああああああああああああああああああっ!!!!!!』

 超々巨大ウワバミが大ベソ掻きながら突っ込んできた。

 

「なんだ、あのバカでかい蛇はぁ―――っ!?」「ぎゃああああ出たぁあああ」

 初見のウソップが目ん玉を剥いて絶叫し、つい先ほど丸呑みにされたアイサが悲鳴を上げる。

「空の主っ!? なぜこんなところにっ?!」

 ガン・フォールも突然の巨蛇の登場に吃驚を上げる中、超々巨大ウワバミは錯乱したように暴走し、そのまま勢いよく――

 

 ごん。

 

 ワイパーの燃焼砲を幾度浴びようとも、ゾロの豪剣で幾度斬られようとも、かすり傷一つ負わない頑健無比なウワバミが失神昏倒するほどの激突衝撃が加えられ、ジャイアント・ジャックが西へ向かって緩やかに傾いていく。

 

「お、おおおおっ!? 倒れてくっ! 西へ倒れてくぞっ!!」

 ウソップが喝采を上げる中、その傾くジャイアント・ジャックの天辺付近。神の社があった高層島雲で、挑戦が始められていた。

 

 

「傾き始めたぞっ!」

 右手に“巨大金玉”をひっつけたルフィが叫び、ウェイバーの出力設定を最大に変更したナミが蛮姫を問い質す。

「ベアトリーゼッ! 本当にやれるんでしょうねっ!?」

 

 低血糖でへろんへろんのベアトリーゼは気だるげな笑みを湛えながら、さらりと言った。

「いくらなんだって、こんな”簡単”なことをしくじりゃしないよ。ナミちゃんとルフィ君こそ頑張ってね。なんせこの空島全ての命が懸かってるからさ」

 

 自分の双肩が背負うものの大きさに、ナミが息を飲む。と、その隣からルフィが噛みつく。

「俺とナミなら出来るに決まってんだろっ!」

 

 その手放しな信頼も重たいプレッシャーのはずだが、どういうわけかナミの心に強く大きな火を点けた。

「……ええっ! 私は麦わらの一味の航海士よっ! どんなところだろうと、扱う船が何だろうと、船長を望むところへ必ず到着させてみせるわっ!」

 

 自信と意気に満ち満ちた少年少女に、蛮姫は心底嬉しそうに頷き、ルフィの“巨大金玉”をこんこんと突く。

「そろそろ良い傾斜具合だ……いっちょやろうか」

 

「おうっ!!」「ええっ!!」

 2人は小型ウェイバーに乗り込み、後席のルフィがナミの腰に手を回し、前席のナミがウェイバーのハンドルをしっかり握る。

 

 ベアトリーゼはウェイバーの斜め前に立ち、カウントを始めた。

「3」

 

 ナミがウェイバーを起動させ、アイドリングを始めた。

「2」

 

 ルフィは島雲の傍らに停泊する巨船と球状を成していく雷雲を睨む。

「1」

 

 ベアトリーゼは足元がゆっくりと傾斜していく様を感じながら、

弾丸撃(ゲショスシュラーク)ッ!!」

 ジャイアント・ジャックの焼け落ちた天辺へ向けて衝撃波をぶっ放した。

 

 足腰から力が抜けたベアトリーゼが大の字にひっくり返る中、ルフィが叫ぶ。

「いっけえええ――――――――――――――ェっ!!」

 ベアトリーゼが放った衝撃波を追うように、ナミがウェイバーをフルパワーで発進させた。

 

 ウェイバー技師のパガヤが『大したもの』と称したその出力は軽量な船体と相まって、パワーウェイトレシオだけなら、なんとベアトリーゼのフルサイボーグトビウオライダーより高いというトンデモな代物。

 そんな超バチクソにパワフルなウェイバーを全力全開でぶっ飛ばし、凹凸激しいジャイアント・ジャックの幹の表面をかっ飛ばしていく。

 にも、関わらず、ナミにもルフィにもほとんど向かい風が届かない。限りなく空気抵抗を減じられたウェイバーはマシン性能を最大効率で発揮し、傾斜していくジャイアント・ジャックを怒涛の勢いで駆けあがっていく。

 その様はまるでスリップストリームに入ってバカ加速するレースマシンそのもの。

 

「すげえっ! 何が起きてんだっ!?」

「ベアトリーゼのぶっ放した衝撃波が見えない風除けになってるのよっ! しかも、私達の速度を見越した勢いに調整してっ!! こんなのデタラメよっ!」

 ナミの説明をルフィは一言で要約した。

「怪奇現象かっ!」

「それで良いわよっ!!」

 

 黄金の金塊球を引きずりながら、傾ぐジャイアント・ジャックを爆速で駆け上っていくウェイバーに気付き、エネルは心底不快そうに顔を歪めた。

「物分かりの悪い羽虫共め。大人しく終焉を受け入れれば良いものを……よかろう。雷迎に先駆けて逝くがいいっ!」

 雷神が黒雲に呼びかけ、ジャイアント・ジャックへ向けて幾筋幾条もの落雷を注ぐ。

 

 幾多の落雷がジャイアント・ジャックの幹を焼き、周囲の島雲を蒸発させ、森を焼き、遺跡を砕く。

 も、

「――なっ!?」

 

 ジャイアント・ジャックを駆けあがるウェイバーには、落雷はおろか静電気一つも当たらない。それどころか、ウェイバーを避けるように雷が逸れていく。

 

「なんだぁっ!? これもあいつの仕業かっ!?」

 ビックリ仰天するルフィに対し、ナミは悪戯を発見した悪ガキのように白い歯を見せる。

「多分ねっ! これなら行けるわっ!! ルフィッ! チャンスは一度っ! やり直しは無しっ! 覚悟はっ!?」

 

「行け、ナミっ!!」

「りょーかいっ!! 行くわよっ!」

 ナミがウェイバーを動かす風貝が内包した風力エネルギーを一気に噴出させた。引きずる大金玉の所為でただでさえ不安定な走破性が悪化しているところへ、この爆発的な超加速。頼りないフレームが軋み、小さな船体がたわみ、ハンドルが暴れる。

 それでも、ナミはウェイバーを真っ直ぐかっ飛ばし、臆することなく焼けただれた断端へ突っ込み、漆黒の空へ飛び立った。

 

 慣性の法則に従って空中を飛ぶウェイバー。

「ありがとう、ナミッ! 行ってくるっ!!」

 ルフィはナミへニカッと最高の笑みを向け、ウェイバーを足場にロケットの如く飛翔した。

 

 巨船マクシム。にではなく、巨大な球状を形成中の雷雲の中へ。

「ちょ、なんでそっちに向かっていくのよ――――――――っ!?」

 雷迎の中に飛び込むルフィを目の当たりに、ウェイバーもろとも落下中のナミが頭を抱える。

 

 一方、黄金の鐘が佇む島雲の縁に立つエネルはせせら笑う。

「愚かな。いくら貴様が電気を無効化できるといっても、雷迎の中は乱気流と静電気の地獄。荷電粒子に焼かれるがいいっ!!」

 

 

 

「――とでも思ってんだろうなぁ、あの耳たぶヤロー」

 大地に向かって倒れていくジャイアント・ジャック。傾斜を強める神の社に寝転がりながら、蛮姫は唇を三日月に歪めた。

「ルフィにはきちんと“おまじない”を掛けてあるんだよ」

 

 

「うぉおおおおおおおっ! ゴムぅゴムぅのぉ~はぁ~なぁ~びぃ~、黄金牡丹ッ!!」

 雷迎内に飛び込んだルフィは、右手の黄金球を上下左右四方八方あらゆる方向へぶん回していた。その凄まじさたるや、重力が仕事を忘れるほどだ。

「ゴロゴロピカピカ……せっかくの空島だってのに天気悪くしやがってっ!! カミナリバカっ!!」

 ルフィは憤慨の罵声を上げながら、巨大黄金球をぶん回し続け、それは始まった。

 

 

「なに、この異常な放電っ!? なんでこんなことが――」

 宙に浮く島雲の一つに落ちたナミは、突如放電を始めた雷迎を見上げ、吃驚を挙げた。気象学に長けるナミすら、もう何が起きているのか分からない。橙色の瞳を大きく広げ、まさしく理解が及ばない現実をただただ刮目して見守る。

 

 エネルもまた、度肝を抜かれていた。だが、雷神たるエネルはナミと違い、何が起きているのか、把握できていた。

「! そうかっ! 奴の右手には電気を伝導する黄金が……いや、無駄だっ! あの災厄の火によって帯電量は桁違い……落着までに放電しきることなど不可能っ!! くだらん悪あがきだっ!」

 自分に言い聞かせるようにルフィを罵るエネル。むろん、雷迎内のルフィには届かない。

 

 ルフィはただ自身の直感に従って、雷迎内で黄金球をひたすら愚直にぶん回し続ける。

 巨船マキシム内の戦いで、ルフィは見ていた。

 エネルの雷が黄金を伝う様を。黄金を伝って放電する様を。

 なら、この“大金玉”を雷雲内でぶん回したらっ!

 直感に基づく最適解。そこに、ルフィが知らぬまま蛮姫の悪企みが加わった時―――

 

 

 

「あのドデカ金玉に与えた複数の振動波は、一定量の荷電粒子と衝突した時に放散を始め、周辺の電磁気に伝播して方向性を与えていく」

 傾斜の加速でジャイアント・ジャックから投げ出されながら、ベアトリーゼは双眸を期待に輝かせて笑う。

「さぁ伝説を作れ、主人公っ!」

 

 

 

 倒壊したジャイアント・ジャックの足元で麦わらの一味達が、アッパーヤードの沿岸に停泊するメリー号でコニスが、海上に避難した空の民とシャンディアの民が、島雲の上でナミが、誰もが雷迎を見上げる中、

 

「はぁ――――――れぇ――――――ろぉ―――――――っ!!!!!!!!」

 ルフィが雄叫びと共に最後の一振りを天へ向けて放つ。

 

 刹那。

 雷迎が弾け、莫大な放電現象が周辺の雷雲を呑み込んで巨大な電磁流体となり、ジェット化して天へ向かって激烈に噴出していく。

 天高く昇っていく巨大ジェットは成層圏、中間圏、と高度を上げていくにつれ、色味を青から紫、赤へ変えていき、電離層へ到達すると、何かにぶつかったように水平方向へ円環状に広がった。

 

 正しく驚天動地の現象を前に、誰もが唖然茫然と空を凝視し、蒼穹の果てで大きく広がっていく真紅の円環に目を奪われている。

 

 雷神を除いて。

「おのれ……おのれ……おのれぇいっ!!」

 その時、エネルに生じた感情を言葉で表すことは難しい。

 

 ただひとつ言えることは、自ら封じる外無しと断じた天敵を、ここで必ず殺さねばならぬと宗旨替えするほどに、エネルは血を沸騰させていた。

 島雲から高々と跳躍し、巨船マキシムの背に飛び移ったエネルは、自らを雷電と化して膨張。巨人へと変化する。

「“雷神(アマル)”ッ!!」

 

 堂々たる魁偉な容貌と憤怒に歪む顔貌は、伝承に語られる雷神(カミナリサマ)そのもの。

 巨大な右手に握りしめた黄金三叉槍を構え、雷神は猛り吠えた。

「我、神なりッ!! 身の程を弁えろ、青海の猿めがぁっ!!」

 

 いまだ宙を舞うルフィは文字通り雷神へ化けたエネルを睨み据え、

「神だ神だとうるせぇなあっ!! 何一つ救わねェ神がどこにいるんだっ!!」

 ぶん回し続けて捻じれまくった右腕へ思いっきり力を籠め、全身全霊を込めて、放った。

「ゴムゴムのぉ―――黄金銃弾(ライフル)ッ!!!」

 

「消えろ、人間ッ!!」

 雷神もまた、黄金三叉槍を握りしめた右拳を繰り出す。

 

 大金塊球付コークスクリュー・エクステンドパンチと黄金三叉槍の刺突。

 超人(パラミシア)雷神(ロギア)。それぞれの一撃が激突する。

 

 瞬間。ルフィの右拳が黒曜石みたく漆黒に染まり、エネルの黄金三叉槍を破砕。そのままエネルの体躯を捉えた。

「ぐぁああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 雷光速度に負けぬ激烈な拳速。金塊の大質量。何より不撓不屈の絶対意志の力。

 全てが乗算した一撃はエネルを捉えてなおも止まることなく走り、巨船マクシムの背を引き裂きながら突進。そして、

「届けェっ!!」

 ルフィの雄叫びを連れて高空に佇む黄金の鐘を直撃した。

 

 激突の衝撃で砕け散る金塊球。

 

 黄金の鐘に叩きつけられ吹き飛ぶエネル。

 

 大きく大きく、強く強く打たれた黄金の鐘と鐘楼が島雲から宙へ投げ出され――

 真紅の円環が広がる蒼穹の下、鐘の音を高らかに晴れやかに鳴り響かせる。

 

 まるで歓喜を歌うように。

 まるで祝福を奏でるように。

 400年振りの歌声は大きく広くどこまで響き渡っていく。

 

 あまりにも美しい幻想的な光景。

 あまりにも麗しい幻想的な音色。

 誰もがその光景に息を飲み、誰もがその音色に心奪われる。

 

 ルフィは落下しながら荘厳で壮麗な鐘の音を浴び、太陽のように笑って腹の底から叫ぶ。

「聞こえてるか、ひし形のおっさんッ! 猿達っ!! 黄金郷はここにあったぞっ! 400年間ずっと……黄金郷は、空にあったんだぁあああああっ!!」




Tips

ルフィVSエネル。最終戦。
 雷迎を壊す時のルフィの滞空時間が長過ぎる気もするが、細かいことはどうでもよろしい。

超々巨大ウワバミ/ノラ
 原作でも作中人物達は超々巨大ウワバミの事情を知らない(チョニキが失神中で通訳者がいない)から、なんでウワバミがジャイアント・ジャックに頭突きしたのか、分からない。

ベアトリーゼ
 勝利をプロデュースした気分になってるけど、全ては自分が事態を悪化させたせいだということを無視している。なお、主人公達の大活躍を間近で観戦できて大満足。

 仕込みの下りは物理学的にまず不可能。雰囲気演出です。


雷迎の消滅時に起きたこと。
 超高層雷放電現象として、巨大ジェット現象も円環発光現象も実際に発生するが、連鎖発生はまずありえない。

 過大演出です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

143:さぁ、やるぞ。

空島編のもうちょっと続くで。
佐藤東沙さん、ミタさんさん、トリアーエズBRT2さん、誤字報告ありがとうございます。


「やりやがった……あんにゃろぉっ! やりやがったっ!」

「すげえ……なんだ? これ、なんだっ!?」

 ウソップが感涙しながら喝采を上げ、目覚めていたチョッパーは壮麗の天体現象と美麗な鐘の音に昂奮している。

 

「なんて美しい……」

「こりゃあ大したもんだ……」

 ロビンは静かに讃嘆をこぼし、意識を取り戻していたサンジも感嘆をあげている。

 心震わせている者は麦わらの一味に限らない。

 

 

「あの空……いったい何が起きたんだ……」「この音色は……まさか伝説の……」

 空の民はあまりにもたくさんのことが起こり過ぎて認識と感情が追いつかずにいた。が、シャンディアの民は違った。

 

「シャンドラの火が燈された。400年の時を越え、ついに叶えられた。先祖の悲願が、我らの大願がついに……っ!! 大戦士カルガラよ、聞こえますか……我らは、我らは……っ!」

 シャンディアの酋長が大粒の涙をこぼすと、シャンドラの民達が堰を切ったように嗚咽を奏で始めた。400年分の思いを込めて。

 

「おぉおお……おおおおお……ッ!!! おおおおおおおっ!」

 ガン・フォールは顔を覆い、むせび泣く。鳥馬ピエールも泣きながら主に寄り添う。

 空の傭兵に身をやつしていたかつての“神”は、伝説を知っていた。

 島の歌声が再び響く時、それは戦いの終わりを告げる報せだと。歴代の“神”達は『シャンディアを打ち倒した勝利の時、奏でられるであろう』と解釈していたが……ガン・フォールは今、“真実”を得た。この祝福の音色はそんなさもしいものではないと。

 

 

「……一杯()りたくなるな」

 重傷を負ったゾロは立ち上がることも出来ず、遺跡に背中を預けながら、空を眺め、知らず知らず微笑んでいた。なるほど。こいつは命を張る価値があった。

 

 と、近くで倒れていたシャンディア戦士が立ち上がり、鐘の音を降らせる空へ向けて言葉を紡ぐ。

「聞こえるか、大戦士カルガラ。聞こえるか、英雄ノーランド。400年掛かったが、あんた達の約束を叶えたぞ……ノーランドの子孫にも届くと良いが」

 言葉を編み終え、シャンディア戦士は気を失って倒れた。

 

 ゾロは大きく息を吐く。空の騎士やベアトリーゼから多少、事情を聞いていたが、きっと当事者のこいつには聞いた話以上に、抱えていたものがあるのだろう。

 成り行きで戦友となった男へ、一言贈る。

「お疲れ」

 

 

『じゅらあああああああああああああああああああああああああああああっ!』

 今や誰も彼の名を知らぬ超巨大ウワバミ“空の主”。

 かつてノラと呼ばれていたその蛇は、400年望み続けた鐘の音に、滂沱の涙を流しながら高々と吠える。もう二度と会えない友達を想い、400年探し続けた故郷でノラは泣き続ける。

 哀悼と歓喜を込めて。

 

 

 そして―――

 空島から遠く遠く離れた青海。ジャヤ島のモックタウン。

 夢を嘲り笑う負け犬達が通りへ、港へ、表に続々と出てきて、空を見上げる。

 はるか高空に広がっていく真紅の円環。そして、空から響き聞こえてる美しい鐘の音色。

 

「ありゃあ、何だ……?」

「鐘の音が……空から聞こえてくる……」

 負け犬達には何が起きたのか分からない。ただ、自分達が伝説的な何かを目撃し、耳にしている。そんな気がしていた。

 

 茫然と空を見上げ続ける負け犬達。その中には、つい昨日、屈辱の極地を味わったベラミーも居た。

「……そんなはずねェ……そんなはずはねェ……っ!!」

 

 

 何が何やら訳が分からぬ負け犬達と違い、その鐘の音の意味を知る者達も居た。

 

 空を茫然と見上げる猿山連合軍。

 真紅の円環を眺め、空から降り注ぐ壮麗な音色を味わいながら、モンブラン・クリケットは煙草を吹かし、口端を楽しげに持ち上げた。

「あの空で何が起きたか知らねェが……この鐘の音は間違いねェ。大きな黄金の鐘の音だ」

 

 呆気にとられているマシラとショウジョウに、クリケットは笑みを大きくした。

「これぞ浪漫じゃねェか」

 

 クリケットはうんうんと大きく首肯し、

「黄金郷は空に実在した。積帝雲の中に……っ! ノーランドは……俺の先祖はウソつきじゃあなかったっ!! あいつらはそれを空から教えてくれたんだろうよ」

 言ってしまえば、それだけのこと。

 

『黄金郷は空にあった』。

『先祖はウソつきじゃなかった』。

 たったそれだけのことを知るために、一族は400年に渡って多くの犠牲を払ってきた。クリケット自身も宿業を背負わされてきた。

 そして、今ついに一族は、自身は、400年の宿業から解放された。それも、美麗極まる絶景と祝福の音色と共に。

 

 クリケットは万感の思いを抱き、空へ向かって心から告げた。

「同志よ。ありがとう」

 

 感謝を口にした直後、クリケットは感情が抑えきれず、くわえ煙草を落とし、顔を覆って涙をこぼし始めた。驚き慌てふためく猿山連合軍達へ、心情を吐露した。

「あいつらぁ……無事でよかったぜ……俺ぁ心配で心配で……」

 瞬間、猿山連合軍は大喝采を上げる。マシラもショウジョウも船員達もクリケットへ群がり、祝いの言葉を掛けながら大騒ぎを始めた。

 

 

 宙に浮かぶ島雲の一つ。

 精魂尽き果てたルフィが大の字に寝転がっていて、傍らにはナミが体育座りしている。2人は真紅の円環を眺めながら、鐘の音に耳を傾けていた。

 ルフィは充足感と満足感を抱きながら、呟く。

「聞こえたかな……おっさん達に」

 

「ええ」

 ナミはルフィに麦わら帽子を被せて微笑む。

「きっとね」

 

       ○

 

 鐘の音の残響と真紅の円環が空に溶けていく。

 神エネルと巨船マクシムが白い海に落ちて沈んでいく。

 黄金の鐘もまた鐘楼ごと白々海へ落ちて沈んでいく。

 

 戦いは終わった。

 しかし、戦いの傷は勝手に癒えたりしない。

 

 消滅したエンジェル島や焼き払われたシャンディアの村が復活することはない。焼かれた森や砕かれた遺跡が元に戻ることはない。命を落とした者達が帰ってくることはない。

 それでも、人は生きていかねばならない。

 

 空の民もシャンディアの民もアッパーヤードに上陸し、負傷者を手当てし、死者を弔う。生活基盤の何もかも失って途方に暮れながらも、当座の居場所を繕い始める。

 

 シャンディアの戦士達は動ける者がまだ生きている者も死んだ者も、同胞の許へ連れて帰る。同時に、まだ息のある神官や神兵を捕らえ、密やかに追放刑――雲流しへしていく。

 

 ガン・フォールは覚悟を決めて秘密造船所へ向かった。

 作業所の奥に地獄があった。

 折り重なって息絶えた元部下達。誰もが雑多な道具を硬く握りしめて倒れている。エネルが嘲笑したように、彼らは武器もないまま強大無比な雷神へ立ち向かった。

 愛する者達を守るために。故郷エンジェル島を守るために。この国を守るために。斃れていく仲間を踏み越えて、神に挑んだのだ。

 

「すまぬ……救ってやれず、すまぬ……」

 勇敢と献身を示した者達を前に、元“神”は膝をついて慟哭を始めた、刹那。

 

 死体の中から呻き声が漏れる。微かに身を動かす者も。手を伸ばす者も。

 生存者がいることを認めるや、ガン・フォールは供をしていたピエールに叫ぶ。

「医者をっ! いや、医者でなくともよいっ! 人を呼び集めるのだっ! 急げピエールッ!!」

 

 

 医者のチョッパーは大忙しだ。

 自分を含めた一味の全員が、大なり小なり怪我していた。手先が器用なウソップの手伝いを得ても忙しい。アイサから「たぬきちゃん……ワイパー、治せる?」と問われた時、「狸じゃねーよっ!? トナカイだよっ!! ほら、角っ! な、角生えてるだろ!?」とにかく忙しい。

 

 重傷を負っていたサンジは休んでろという周囲の気遣いに甘え、紫煙を燻らせる。

「伝説の黄金郷に辿り着いたものの……黄金は一つも手に入らなかったなぁ」

「“神”に先を越されちまったからな。俺達の貧乏航海は続く、だ」

 同じく休息中のゾロが応じ、ウソップがチョッパーを手伝いながら言った。

「俺は黄金より(ダイヤル)が欲しいな。ありゃあいろいろ便利だ」

 

「おーいっ!!」

 ルフィが大荷物――それこそ貨物コンテナ並みにデカい袋を引きずりながら駆けてきた。ルフィの右隣にベアトリーゼを積んだウェイバーを手押しするナミが、左隣に愛狐スーを抱えたコニスが駆けてくる。

 

「ナミさん! ベアトリーゼさんっ! コニスちゃんもっ!!」

 サンジが目をハートにして女性陣を歓迎。

「皆さん……ご無事でよかった……っ!」とわんわん泣き出すコニス。

 

「この大荷物はどうした?」

「おう。森ン中で食糧庫みてーなの見っけたんだ。まだまだたくさんあったぞっ!!」

 ゾロへ応じながら、ハムの塊肉を齧るルフィ。

 

「ビーゼ。調子は?」

「倦怠感と疲労感が酷いけど、ま、たらふく食べれば大丈夫だと思う」

 ウェイバーの船体に寝かされたままベアトリーゼが応じれば、ロビンはにっこり微笑み、告げた。

「じゃ、話はその後ゆっくりしましょう」

「当然よ。今回の件はきっちり詰めるからねっ!」

「ヒェ……ッ!」

 お説教宣言にナミも乗っかり、美女と美少女に睥睨された蛮族女が震える。

 

 女衆のやり取りに野郎共が苦笑いしつつ、ルフィは大荷物を広げ、言った。

「とりあえず、食おうっ! 腹ペコだっ!!」

 異議は出なかった。

 

 麦わらの一味と居候2人と空の民の少女と雲狐は、遅すぎる昼飯を口にしながら、此度の大冒険を語り合う。

 ウソップは尾ひれ背ひれを付けまくった活躍譚を語って皆を笑わせ、チョッパーは自身の健闘を語って皆から褒められて照れまくり、ゾロは迷子が発覚して『やっぱり』と爆笑が起こり、揶揄したサンジと大喧嘩を始めた。

 

 ロビンとナミは宣言通りにベアトリーゼに説教を始め、戸惑うコニスが仲裁に入り、『ええ子や!』とベアトリーゼに抱擁されて困惑を深める。なお、説教後のロビンは雲狐スーを抱っこしたくてソワソワしていた模様。

 

 ルフィはそんな一同と楽しい時間を過ごし、太陽のように笑い続けた。

 

 そして、気づけば、日が沈んで夜の帳が落ちていた。全員で満天の星を見上げる中、ナミが言う。

「そろそろメリーに戻って休みましょ」

 

「おいおい、ウソップ。ナミの奴、あんなこと言ってるぞ」

「まったく困ったもんだな。ナミときたら、まるで分かってねェ」

 ルフィとウソップがこれ見よがしに仰々しく溜息を吐き、ナミが怪訝そうに眉をひそめた。

「? あんた達、なにを―――」

 

 困惑するナミを余所に、ルフィは野郎共を見回す。

「もちろん、やるだろ?」

「やらいでか」とウソップ。

「やらねェ道理がねェ」とゾロ。

「だな。やろう」とサンジ。

「? ? ?」チョッパーはきょとん顔からハッとして目を輝かせ「あれか? あれかぁっ?」

 

 訝る女性陣と笑い始めたベアトリーゼを余所に、ルフィは立ち上がり両腕を高々と伸ばし、叫ぶ。

「さあ、やるぞぉっ!!」

 そういうことになった。

 

       ○

 

 ドンドットット♪

 ドンドットット♪

 

 月光の下、太鼓が打ち鳴らされている。

 遺跡都市シャンドラの中央大広場。その真ん中に組み上げられた大木の櫓が、月夜を焦がさんばかりに煌々と燃え盛る。

 明日から先のことは何も分からないけれど。

 憂き世の悩みはひとまず忘れ、今は飲めや食え。歌えや踊れ。

 空の民も。シャンディアの民も。青海の海賊も。空の主も。森の獣も。

 皆一緒に、

 

「宴だぁ――――――――――――――――――――――――ッ!!」

 

 太陽のような笑顔を浮かべ、ルフィは大騒ぎ。

 ゾロはシャンディア戦士達と呑み勝負。

 サンジは空の民のレディ(熟女・独身)と踊り。

 ナミは入管ババアを抱えて踊り。

 ウソップはコニスやシャンディアの民や空の民と一緒に音曲を奏で。

 チョッパーはアイサや子供達に大人気。

 

 ベアトリーゼはパガヤとウェイバー談議に花を咲かせ。

 ガン・フォールも酋長も酒杯を傾け、大笑い。

 超々巨大ウワバミがその背に大勢を乗せてクネクネと大踊り。

 生きる喜びの乾杯も、命を落とした者達への献杯も、全部まとめて飲みこむ。

 

 目覚めたばかりのワイパーが大宴会に唖然としていると、ラキとカマキリに捕まり、宴の輪に連行されていく。

 昨日までの敵と酒を酌み交わし、肩を組み、手を握って、一緒に踊る。

 

 ドンドットット♪

 ドンドットット♪

 

 輪から一歩離れたところで酒杯を傾けながら、ロビンは柔らかな笑顔を浮かべている。

 昨夜のキャンプファイヤーも楽しかったけれど、今夜は桁外れだ。

 ベアトリーゼと二人で旅をしていた時ですら、こんな途方もなく賑やかな夜には覚えがない。

 こんなに大勢の人とこんなバカ騒ぎをするなんて、今まで経験がない。

 

 楽しくて、嬉しくて、温かくて、心地良くて、不意に目頭が熱くなった、刹那。

 ルフィが目の前にいて、にししと悪戯っぽく笑う。

「こんなとこでなーにやってんだ、ロビンッ! 昨日みたく一緒に踊ろうっ!!」

「ええっ?」

 連れ出されたロビンが踊りの輪に加えられていく。

 

 ドンドットット♪

 ドンドットット♪

 

 夜は更けていくが、宴の勢いはちっとも衰えず、盛り上がり続ける。

 いつの間にかベアトリーゼが姿を消しても、誰も気づかないほどに。

 

        ○

 

 電伝虫の念波通信が接続された。

 エネルの心網と電波制御が途絶えたからかもしれない。

『ようやくつながった。一日連絡が取れなかったから、心配したわ』

 電伝虫の通話器から、気品あふれる貴婦人の声が届く。

 

 アッパーヤードの沿岸。穏やかな海嘯を奏でる夜の海。

 ベアトリーゼは誰もいないメリー号の後甲板を独り占めし、酒瓶を傾けながら通話器に応じる。

「こっちも色々あってね」

 ホント色々あった。ガチで大変だった。主に自分のやらかしで。振り返るとマジで良いとこなし。ナイスでグッドな凄腕美人が形無しだ。そろそろナミちゃん辺りからはポンコツ扱いを受けるかもしれない。

 

『今、空島に居るのよね? どう? 素敵なところ?』

 世界の秘密に触れられる世界政府の秘密諜報員も空島に行ったことはないらしい。声を弾ませるイージス・ゼロの女スパイへ、ベアトリーゼは溜息交じりに答える。

「民族紛争の真っ只中で、暴君の討伐戦に巻き込まれた」

 

『それはまた……空の上も地上と大差ないのね』

「この憂き世に楽園はないのかもな」

 がっかりした声色にベアトリーゼは思わず苦笑いをこぼし、酒瓶を呷ってから話を進めた。

「この電伝虫の位置は測定できてるんだろう? メルヴィユの位置は掴めた?」

 

 ええ。と相槌を返してから、ステューシーは説明した。

『チレン女史の計算では、現在のメルヴィユはロングリングロングランドと、海上鉄道沿線の中間を西へ移動中。貴方の位置から一般帆船の速度でおおよそ二日の距離。貴女のトビウオライダーなら、滑走開始の高度次第で問題なくメルヴィユに辿り着ける。というのがチレン女史の判断よ』

 

 トビウオライダーの件を持ち出され、ベアトリーゼはアンニュイな美貌を見事なショボン顔へ変換し、これ以上ないほど落胆した調子で告げた。

「トビウオ、壊されちゃった」

 

『え?』

「トビウオ、壊されちゃったよ……」

 通話器の向こうから困惑の雰囲気が漂ってくる。

 

『直せないの?』

 おずおずと尋ねてきたステューシーへ、ベアトリーゼは思い返す。白目を剥いて腹を水面に向けたままぷかぷか浮かぶ愛機の姿を。

「脳が高圧電流で焼かれて、手の打ちようがない。一年掛かりで組んで、一月乗ったかどうかでおしゃかだ。たまんないよ……」

 しょんぼり顔で嘆くベアトリーゼ。

 

 もっとも、ステューシーの方はしょんぼりどころではない。気ままな個人事業主のベアトリーゼと違い、ステューシーは組織人なのだ。しかも、今回の案件は依頼人が厄介極まる非常にデリケートなものであり、既に上役を通して方々に話を通してしまっていた。

『……もう人と装備を整えちゃったのよ? やっぱり無理です、はもう通らないわ。どうにかできないの?』

 

 ステューシーは口調こそ上品だったが、声音はかなり切羽詰まっていた。ベアトリーゼは感電して痛んだ夜色の髪を弄りながら、応じる。

「電伝虫でこちらの位置を随時教えてくれれば、後はこっちで何とかするよ」

 炭化した髪の欠片やら、土汚れやら、煤やらが、パラパラ落ちてきた。お風呂入りたい……

 

『一応、聞いておくけど、どうする気?』

「推進は私の能力で賄えるから、後は揚力を生む飛翔体を作ればいい。それだけの話だよ。ま、そう難しいことじゃないし、任せて」

 不安そうなステューシーへ、ベアトリーゼはグライダーを脳裏に浮かべながら言った。

 

 プラズマジェットをぶっ放しながら、グライダーで飛べばいい。問題はメルヴィユ到着まで一切休憩不可能ということだ。飲食はおろかトイレすらできない。もよおしたら垂れ流すのみ。25歳の淑女としてそれは断固として避けたいところだ。

 

『無茶をする気なのはよく分かったわ』

 ステューシーは的確な感想を返し、話を終えに入る。

『出発する際、連絡を。こちらも準備を進めておくわ』

 

「了解。そだ、答えられないなら、それで良いんだけど、一つ質問」

 ベアトリーゼの問いかけに警戒しつつも、ステューシーは先を促した。

『怖いわね。何かしら』

 

 そして、ベアトリーゼは満月を見上げた。今頃、意識を取り戻したエネルが傷ついた飛行船マクシムを飛ばし、独りぼっちで向かっている頃だろうか。

「月には何がある?」

 

 数秒に及ぶ沈黙の末、ステューシーの静かな、だが、緊張した声が返ってきた。

『かつては神が住んでいた。そう言われてるわ。それ以上は私も分からない』

 

「この世界は謎が多くて飽きないね」

 くすくすと楽しげに笑うベアトリーゼに釣られたのか、ステューシーも困った子を相手にした時のような微苦笑をこぼす。

『知らない方が良いことばかり、とも言えるわね』

 

 通信を終えて通話器を電伝虫の背に戻し、ベアトリーゼは酒瓶を傾けた。

 遺跡都市の方から元気な太鼓囃子が聞こえてくる。

 

 ドンドットット♪

 ドンドットット♪




Tips

モンブラン・クリケット
 原作描写を見てると、ホントに海賊だったのか疑問に思えるほど気の良いオヤジ。

ベラミー他、モックタウン住人。
 クリケット達に鐘の音が届いたなら、彼らの耳にも届いたはず。
 黄金郷を幻想、妄想と嘲っていた彼らは鐘の音に何を思っただろうか。

ガン・フォール
 原作では部下達は皆生きていたけれど、異物が混じる本作では犠牲者多数に生存者が少数いた状態。
 希望と失意の両方を抱くことに。

シャンディア戦士
 ワイパーの他、主要人物は生き残ったが、命を落とした者も少なくない。
 戦争やってんだから、当然の話。

空を見上げるルフィとナミ
 サンジが知ったら、嫉妬で血の涙を流しそうなシチュエーション。

パガヤ
 コニスの父。落雷を浴びて死んだかに思われていたが、原作通りに生き延びた模様。
 本作では扱いが悪かった美少女コニスをこれ以上悲しませることは忍びなく……

ステューシー/ベアトリーゼ
 楽しい冒険の時間は終わった。ここからは金獅子狩りだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

144:賢いあの娘をだまくらかそう

閑話回。


 大宴会の翌日。

 神エネルが去った、新たなスカイピアが始まる。

 

 成り行きで空の民とシャンディアの民は、アッパーヤードで共に生きていくことになったわけだが、400年に渡って敵対してきたのだから、そう簡単にはまとまらない。

 たとえ、麦わらの一味による力技(大宴会)で互いの理解を深めたと言っても、今後の生活やらなんやらを決めることは容易くない。人が三人集まれば政治が生まれ、対立が起きるのだから。

 

 しかし、幸いなことに、新生スカイピアには空の民とシャンディアの民の双方が認める人物が居た。

 両者の和解のために尽力し続けた老雄が。

 

「吾輩のような老いぼれなど今更担がずとも……」

 ガン・フォールが渋面を浮かべるも、

 

「空に住まう者達の和解に尽力し続けたお主以外、この空の国を治められる者などおらぬ。再び神の座につき、傷痕深きこの国を支え、育んで欲しいのだ」

 シャンディアの酋長の意見にシャンディアの民も空の民も大きく同意し、口々にガン・フォールへ就任を要請する。思い思いの信用と信頼を込めて。

 

「……カボチャ栽培は先延ばしにするとしよう」

 ガン・フォールは観念した。大きく深呼吸し、施政者らしい面持ちを作る。

「色々と急ぎやらねばならぬことは山ほどあるが……まずは皆で共に始めよう」

 

 空の民、シャンディアの民、空に住む全ての者達をゆっくりと見回し、ガン・フォールは提案する。

「黄金の鐘を引き揚げるのだ。皆で力を合わせて。我らの和解、これからの希望の象徴に、あの鐘より相応しいものはあるまい」

 

       ○

 

 黄金の鐘の引き揚げ作業は、まず白々海に落ちた黄金の鐘の捜索から始められた。

 手伝いを買って出たルフィは白々海に落っこちて溺れ、協力を謝絶された後、しゃーなしに黄金郷の観光に出た。お供はまだ本調子じゃないゾロといまだ黄金を諦めきれないナミだ。

 

「黄金郷なのにどこにも黄金がないなんて……許せないわ、エネルの奴っ! 私の黄金をよくも!」

 伸びた蜜柑色のミディアムヘアに青色パーカー、七分丈のパンツとガーリーな装いのナミがぷりぷりと怒る。

 ちなみに、ルフィは一張羅の赤チョッキと青デニムのハーフパンツがボロボロになったため、空島の人達から譲ってもらった白シャツと紅いハーフパンツ姿だ。

 

「私のって……お前のもんじゃねェだろ……」

 ゾロが正論をぼやく中、

「確かに黄金は無かったけどよぉ。俺はすっげェ楽しかったぞ」

 ルフィはあっけらかんと言い放ち、ニシシと無邪気に白い歯を見せた。

「確かに悪くねェ冒険だったな」とゾロも釣られて笑う。

 

「あんた達は安上がりで良いわね。まあ、私もそう思うけど」

 そんな2人に微苦笑で同意しつつも、ナミは女性的シビアさを湛える。

「でも、このまま青海に戻っても素寒貧のままよ。今、私達の全財産たったの5万ベリーよ、5万ベリー。どーすんのよ。食費もままならないわ」

 

「まぁ何とかなるだろ。狩りとか釣りとか」ゾロが鼻で笑い飛ばす。

「狩りや釣りじゃ、お酒は一滴も手に入らないわよ」ナミが冷ややかに指摘すれば。

「早いとこ金策しねェとな」ゾロは即座に手のひらを返した。

 

「金かぁ」

 麦わら帽子のツバを弄りながら、ルフィは考えてみる。

 なんせ自分は麦わらの一味の船長であるからして。

 

     ○

 

 ルフィが頭を捻っている頃。

 チョッパーは空の民とシャンディアの民の医師や薬師に交じり、怪我人の治療に参加していた。2人の最高の医師から薫陶と教育を受けた小さな名医は、大勢の怪我人を前にして動かずにはいられない。

 空の医師や薬師達はチョッパーの見事な手際と豊富な知見に驚き、チョッパーも空島特有の薬草や治療技術を学ぶことができ、患者達も良い治療を受けられて、WIN-WIN-WIN。

 

 サンジは炊き出しに加わっていた。空島特有の食材や調味料、料理法に料理人としての好奇心と意欲を大いに刺激され、思う存分に腕前を振るっている。その立ち居振る舞いは男前の一言に尽き、周囲のレディ達から好意的な眼差しを注がれていた――のだけれども、本人は料理に集中し、調理を楽しんでいたから、まったく気づいてなかった。

 

 ウソップは船の資材や不要な道具やなんやらをありったけ持ち出し、物々交換に精を出す。(ダイヤル)や空島特産の面白そうなものなど、入手できる限り獲得するつもりらしい。

 

 そして、ベアトリーゼとロビンは倒れたジャイアント・ジャックの傍で、ホワイトベレー隊員らに交じり、神の社の残骸を調べていた。

 神の社に勤めていた者達の遺体回収も目的だが、最たる目的は公文書や保管記録などを回収することだ。

 

 国体が崩壊しても、行政文書や徴税記録、住民の戸籍記録などがあれば、国の再建が易い。それに、多くの歴史資料は当時の公文書や記録、報告書などだ。ロビンとベアトリーゼに回収した資料を調査/精査する時間はそう多くないが、それでもやらない理由はない。

 

 2人の美女は作業を進めながら、ちょっとばかり緊張した雰囲気を漂わせていた。理由は――

「残る? どういうこと?」

 神秘的な美貌を強張らせたロビンへ、ベアトリーゼが言い訳するように語る。

「イージス・ゼロのスパイが話してた件だよ」

 

「あの泥棒猫ね」スン! と碧眼を冷たくするロビン。

 泥棒猫? ベアトリーゼは若干当惑しつつ、話を進めた。

「ともかくステューシーの話だと、かなりデカい作戦になったみたい。天竜人の直接案件という体裁で、王下七武海も動員されるってさ」

 

「それ、例のヒューロンが絡んでるの?」

 ロビンの指摘に首肯し、

「その関係で話がデカくなったっぽい」

 ベアトリーゼは雷撃症の痕が目立つ小麦肌を見つめ、鼻息をつく。

「なーんでそんな厄ネタの血が私に混じってんだか」

 

「……大丈夫なの?」ロビンは険しくしていた面持ちを和らげ、親友を案じる。

「何が分かろうと私は私。海へ飛び出したら、素敵な親友を得られた幸運な荒野の鼠だよ」

 

 さらりと言ってのけるベアトリーゼに、

「嬉しいこと言ってくれるわね」

 ロビンは柔らかな微笑を返し、寂しげに美貌を曇らせる。

「でも、私を一緒に連れて行く気はない。そうね?」

 

「この件はロビンを連れていけない。連れていく手段もないし、この件にロビンが関わると不味い」

 ベアトリーゼは気まずそうに首肯し、説明を欲する黒髪碧眼の親友へ語って聞かせた。

「金獅子討伐は天竜人フランマリオンの直接案件だ。オハラの生き残りであるロビンを狙う奴らとは別筋だけど、この件は連中の耳に届くはず。私とロビンが行動を共にしていると知れば、マーケットの二の舞になりかねない」

 

「理屈は分かるけど……納得は出来ないわ」

「片が付けば、すぐに合流するよ」

「前回はそう言って7年離れ離れだった」

「それにつきましては申し開きのしようもございません」

 長期出張を命じられた亭主と不満を訴える妻みたいなやり取り。

 

 資料捜索の手を止めて木陰に移り、2人は水筒を傾けて一服。遺体と文書の回収を進めるホワイトベレー隊員達を眺めながら、ベアトリーゼはロビンへ問う。

「麦わらの一味はどう? 居候をやめて正式に加入しても良いと思うけど」

 

「……その提案は否定しない。凄く良い一味だもの」

 ロビンはスカイピアへ陽光を降らせる太陽を見上げた。

 行動を共にしてわずか数日、たった一度冒険を共にしただけで、ロビンは十分すぎるほどに絆されていた。陽だまりの中にいるような心地良さに魅了されていた。

 何より、ルフィはエネルに敗れて倒れていたロビンを、当然のように『仲間』として扱ってくれた。ルフィだけではない。ゾロも、ナミも、ウソップもサンジもチョッパーも、ロビンを居候とは見なしていない。仲間として分け隔てなく扱ってくれる。悪名高き『悪魔の子』であることなんて気にもしてない(それどころか、ナミは時折、凄く好奇心を示してくる)。

 

「でも……だからこそ、怖いわ。私のせいで彼らが世界政府に狙われたら……それでもしも」

 ロビンは世界政府が怖い。海軍が怖い。彼らは母を殺し、師を殺し、大きな親友を殺し、同胞と故郷を焼き、ロビンを独りぼっちにし、世界の悪意に晒した。

 ロビンは怖い。失うことが怖い。心許した人に裏切られることが怖い。心を通わせた相手に嫌われ、憎まれることが怖い。太陽のような彼らが自分のせいで傷つくことが怖い。そして、彼らにまで嫌悪され、忌避されることが怖い。

 

「ロビン」

 どんなことがあっても自分を守ってくれた小麦肌の親友が、背中を優しくさすってくれた。

「政府や海軍に対して後ろ向きな考えは逆効果だよ。西の海で学んだろ? 小娘二人と舐めてた時は笠に着て襲ってきたけれど、私達が逃げずに返り討ちにするようになってからは、襲撃の頻度が激減したじゃない」

 

 たしかに、このどこまでも痛快な“悪”たる親友は、あらゆる障害を暴力と悪企みと予想外のトラブルで蹴散らしてきた。

 ロビンは凍えかけた心が温まる感触を抱きつつ、友人へチクリと一刺し。

「代わりに襲ってくる時は、より大人数かつ精鋭が含まれるようになった気がするけど? マーケットに至っては本部大将と古参中将の精鋭部隊だったわ」

 

「何事にもメリットデメリットは付きものってことだね」

 しれっと嘯き、ベアトリーゼは暗紫色の瞳をロビンの碧眼へ向け、

「もしも、ロビンが彼らを気に入って仲間と認めるなら。守りたいと思ったなら。その時は戦うべきだ。そして、彼らに助けを求めれば良い。彼らはきっと応えてくれる」

 力強く、確信を込めて告げた。

「迷うことなく世界を敵に回して、ロビンを助けてくれるよ」

 

      ○

 

 日が沈み、再び宴会が催される。

 昨夜が祝勝会なら、今宵は新たな未来へ向けての激励会だ。

 

 そして、昨夜に続き、麦わらの一味は宴を満喫している。

 ルフィは踊りの輪に加わり、ゾロはホワイトベレー隊員達と呑み勝負。サンジはシャンディアのレディ(熟女・独身)と踊り、チョッパーは超々巨大ウワバミと何やら話しこんでおり、ウソップはチビッ子達相手に青海のことを尾ひれ背ひれを付けて語っている。ロビンはガン・フォールから改めてスカイピアの歴史について話を聞いていた。

 皆、楽しんでいる。

 

 例外はナミだ。

「私達と一緒にいかないの? どうして?」

 ナミが橙色の瞳をまん丸にして小さな吃驚を上げる。

 

「私はプラズマジェット出せるから。後は揚力を生む飛翔体をこさえれば、なんとかなる」

「や、そういうことじゃなくて」

 言い募るナミに、ベアトリーゼは傾けていた酒杯を置き、言葉を足す。

「ああ。私にはやることがあるんだよ。例のチレン女史の後始末的なことで」

 

「チレン? ……ああ、アラバスタで会った女学者ね。そういえば、あの女学者の護衛してたんだっけ。あれ? でも、あの女先生は海軍に預けたんでしょ? 後始末って何やるのよ?」

 ナミが可憐な(かんばせ)に疑問をいくつも浮かべると。

「金獅子シキの海賊団をぶっ潰しに行くんだよ。政府のこわーい連中と一緒に」

 蛮姫のさらっと答えた内容に、ナミは唖然とした。

「政府って……あんた、賞金首でしょ」

 

「珍しいことじゃないよ。政府が犯罪者や海賊を利用することはよくあるんだ。王下七武海みたくね。ま、公に出来ない裏の持ちつ持たれつってやつさ」

 ナミの指摘に説明を返し、

「それとまあ、金獅子にはちょーっと因縁が出来てるんでね。奴を潰すのはお仕事半分、私情半分ってとこ」

 ベアトリーゼは突き放すように言葉を編む。

「先に言っておくけど、この件に君ら一味は関わらせないよ。そもそも同道させる手段もないしね」

 

 数秒ほどかけて驚きを消化すると、ナミは持ち前の聡明さで気づく。気づいてしまう。

「……“いつから”よ。その話、昨日今日出てきた話じゃないでしょう? 私達が空島を目指すと決めてから、一週間も経ってないわ」

 

「そうは言うけど、数日あれば事は進むよ。ルフィ君とかさ、故郷を小舟で出て一週間で、ゾロ君、ナミちゃん、ウソップ君、サンジ君を仲間にして、メリー号を手に入れて、海賊団三つ潰したらしいじゃない?」

 ベアトリーゼの指摘に、ナミは改めて自分達が生き急ぎ過ぎてることを自覚させられたが、それはそれ、これはこれだ。

「わ、私達のことはどうでも良いでしょ! ちゃんと話して!」

 

 真摯な目つきで真っ直ぐ見据えられ、ベアトリーゼは癖の強い夜色の髪を掻く。

 この娘にこういう目をされると弱いんだよなぁ。

 

 といっても『この世界は前世で読んだ漫画の世界で、君らはその主人公一行で動向が描かれていたから』なんて馬鹿正直に言っても信じて貰えないだろうし、むしろ『ふざけんな!』ってビンタされそう。

 ふむ。ここはいっちょ、昔ロビンにした“あの話”を使ってみるかな。

 

 ベアトリーゼは酒杯を傾け、アンニュイ顔に妖しい趣を湛えて言葉を紡ぎ始めた。

「共に冒険した仲間として誠意を見せようか。実のところ、私は君達がアラバスタを発つ時点で、空島に行くと分かってた」

 

「は?」ナミは小さく驚き「そんなの、どうやって」

 人差し指を立ててナミの言葉を抑え、ベアトリーゼは問う。

「その前に“業子”という情報概念を聞いたことは?」

 

「? 何それ?」

 怪訝そうに眉をひそめるナミへ、ベアトリーゼは肴の串物を摘まんでから話を続けた。

「大雑把に言うと『この世に存在する全てのものは、存在するだけで業子を発し、相互に影響し合う』という理論だよ。

 そして、業子のポテンシャルは個々に異なる。当然だよね。たとえば、歴史上初めて最果ての島ラフテルへ至り、大海賊時代を生んだゴール・D・ロジャーがそこらのアル中の負け犬と同格の存在のはずがない」

 

「何が言いたいの?」

 期待通りに戸惑う橙色の瞳を見て、暗紫色の瞳が細められた。

「業子ポテンシャルが高い人間は、因果系の事象観測において確率論的蓋然や偶然ではなく、運命論的必然を起こす。例えるなら、ルフィ君だ。さっきの話だけど、故郷を小舟で出発して、一週間でキャラックを入手し、東の海最強の剣士と天才航海士、デタラメな結果を生み出す狙撃手、神業料理人を仲間に出来る確率は? この現実をどう説明付ける?」

 

「それは……」

「業子論なら出来る。業子ポテンシャルが高いルフィ君は同様に業子ポテンシャルが高い存在を引き付け、必然的に因果系イベントを引き起こすからだ。ダイナミックにね」

 ナミが回答に詰まると、ベアトリーゼは回答例を挙げ、どこか楽しそうに解説を並べていく。

「麦わらの一味という業子ポテンシャルが巨大な集団が、積帝雲の回遊するノックアップストリームの多発海域に赴けば、遭遇接触は必然的結果だよ。モンブラン・クリケットとの出会いも、空島へ行くに当たって最高のタイミングだったことも、私にしてみれば、奇跡でも何でもない。起こるべくして起きた業子論的因果イベントだ」

 

 ナミはベアトリーゼの話を噛みしめるように考え込んでから、問う。

「あんたが偶に口にする『大きな物語』ていうのも、そういうことなの? 私達がその、業子? とかいうものが大きいから、出くわす事や起こす事が大きくなるって。そんなの信じられないわ」

 

 だろうね、とベアトリーゼは教え子の優秀さに満足する教師のように頷く。

「でも、現にこうして私達は、私が見込んだ通り空島にいる。しかも、君達は”神”を倒し、スカイピアを滅亡から救って、400年に渡る紛争を終わらせた……まあ、信じる信じないはナミに任せるよ」

 

 高等学問の難解理論を聞かされた学生みたいな顔つきのナミを見て、ベアトリーゼはくすりと微笑み、軽口を叩く。

「昔、この話をロビンにした時は、星占いの方がよほどまともに聞こえると言われた。ぐうの音も出なかった」

「でしょうね」ナミは大きく頷き、じろりとベアトリーゼを見据えて「私も与太話ではぐらかされたとしか思えない」

 

 ベアトリーゼは乾いた微苦笑をこぼし、引きつりそうになった口元を酒杯で隠した。

 ナミは詐欺師を見るような目を向けつつ、追及の手を伸ばす。

「あんた、前に言ったわよね? 故郷は地獄より酷いところで、鼠同然の生まれ育ちだったって。どうやってそんな学や教養を得たの? あんた、本当に何者なの?」

 

「何者、か」ベアトリーゼは苦虫を噛み潰したような顔で「そこが問題なんだよ」

 誤魔化すようなら胸倉掴んで絞ってやろうと思っていたナミは、予期せぬ反応に当惑する。バツの悪いものを覚え、仕方なしに話を先へ進めた。

「……ロビンはどうするの? 連れて行くの?」

 

 ベアトリーゼはガン・フォールから話を聞いているロビンへ暗紫色の瞳を向ける。

「いや、ロビンは君らの船に残る。政府絡みの件にロビンは関わらせない。奴らは私にこそ大して興味を持ってないけど、ロビンには違う」

 

「それって、ロビンがアラバスタで知ろうとしたっていう歴史のこと? ひょっとして、ロビンが賞金首になったこととも関係があるの?」

 ああ、この娘は本当に聡くて可愛い。ベアトリーゼは大きく深呼吸し、ナミを真っ直ぐ見つめて言った。

「ロビンは私がこの仕事を片付けて合流するまでに、身の振り方を定めると思う。もしも、ロビンが君達の仲間として船に乗りたいと申し出たなら、受け入れてあげて欲しい。そして、その時、本人から話を聞くと良い。仲間としてね」

 

 ベアトリーゼは無自覚だったが、ロビンのことを語るその面差しは酷く感傷的で、日頃の飄々とした雰囲気がまったく見られなかった。

「あんたは?」ナミは妙な不安を覚えて「ベアトリーゼは私達の船に乗らないの?」

 

「君達の大きな物語に加わるには、私の小さな物語は少々事情が込み入っててね」

 ベアトリーゼは酒杯を干してから、ぼやいた。

「拳骨で解決できないことは面倒臭くていけない」

 そもそも、そのスタンスが問題なのでは、とナミは思ったが、口には出せなかった。

 

 宴会が盛り上がる。

 ベアトリーゼの憂いもナミの不安も置き去りにして。




Tips

時系列
 原作考察によると、麦わらの一味の空島滞在は4日間。
 初日:朝に空島へ到達~昼にアッパーヤード侵入。夜にキャンプファイヤー
 2日目:エネル討伐戦~大宴会。
 3日目:連日の宴。
 4日目:朝にお宝をいただいて空島を発つ。
 なお、午後にロングリングロングランドに到達。フォクシー海賊団とデービーバックファイト、海軍大将青雉と一戦交える模様。

『業子』
 元ネタは銃夢シリーズ。
 マッドな天才科学者ドクター・ノヴァが提唱した情報概念。
 ノヴァは業子力学によってナノマシンを制御して限りなく不死身の肉体を手に入れたり、主人公ガリィに超高性能サイボーグボディを提供したりしている。

 本作では、ベアトリーゼがナミの追及を誤魔化すために吹いた与太話。それっぽく聞こえる。

ベアトリーゼ
 金獅子狩りのために麦わらの一味から離脱するので、親友と居候先に筋を通すべく、事情を語った。
 冗長的かもしれないけど、ベアトリーゼと一味の関係性で『行ってくる』『行ってらっしゃい』はおかしいだろうと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

145:去る。残る。備える。

今話には単行本最新刊(108巻)のネタバレがあります。御存じない方はご注意ください。

佐藤東沙さん、しゅうこつさん、烏瑠さん、じぇいじぇいさん、誤字報告ありがとうございます。


 翌朝。

 ルフィ達は爆睡している“空の主”の腹の中へ潜り込み(堂々と口から入っていった)、空の主が腹の中に溜め込んだ黄金の品々を捜索/回収していた。

 

「な? ちゃんと黄金はあったろ?」

 ルフィがニシシと得意そうに白い歯を見せる。も、ナミはそれどころではない。

「黄金っ! 宝石っ! 金塊っ! 財宝っ! 真の黄金郷はここだったのねっ!」

 

「しっかりしろ、ナミ! ここは蛇の腹ン中だぞっ!」

 目をベリーマークに変えて狂喜するナミの様子に、チョッパーは軽く引いていた。

「それにしても、木々に土に遺跡……スゲェ悪食だな」

 財宝を袋に詰めながら、サンジが何とも言えない面持ちを浮かべた。料理人たるサンジは相手が蛇でも、まともなもんを食わせてやりたくなる。

 

「サンジ君ッ! 手が止まってるわよっ! ルフィもチョッパーも、もっと黄金を見つけてっ!」

「はいっ! ナミすわぁんっ! すぐに再開しまぁすっ!!」

「おう! 任せろっ!」

「俺、頑張るっ!」

 銭ゲバな航海士に命じられ、野郎共がちゃきちゃき黄金を拾い集めている頃、ロビンはベアトリーゼを伴い、黄金の鐘の引き揚げ現場を訪ねていた。

 

 黄金の鐘が海から引き揚げられると、自然にシャンディアの民が集まり始めた。先祖の悲願と民族の宿願であるシャンドラの灯を見るために。

 空の民達も集まり始めた。伝説の『島の歌声』を奏でた鐘を見るため。新たなスカイピアの希望の象徴を見るために。

 

 誰もが感無量の眼差しで大きな鐘を見つめる中、ロビンが不意に口を開く。

「真意を心に口を閉ざせ。我らは歴史を紡ぐ者。大鐘楼の響きと共に」

 

「なぜその言葉を」

「シャンドラの石碑に刻んであったわ。貴方達は黄金都市の守護者であり、このポーネグリフの番人だったのね」

 酋長が驚愕を浮かべるも、ロビンは澄まし顔で受け流して鐘楼にはめ込まれたポーネグリフの前に立つ。期待と興奮を抱いて読み始め、落胆と失望を覚えて読み終えた。

 

「読めるのか? まさか、その文字を」

 ごくりと息を飲むシャンディアの民。

 ロビンは酋長を横目にし、静かに内容の要約を告げる。

「神の名を持つ古代兵器ポセイドン。その在処」

 

「なぜそんなもののことを」と誰かが疑問を吐露した。

 困惑を抱く皆へ、一歩引いた場所に控えていたベアトリーゼが言う。

「黄金都市シャンドラが滅んだ時期とポーネグリフが世界各地に登場した時期は、おそらく重なる。強力な兵器の存在を後世に伝える必要があったんだろう。子々孫々の使命と考えるほどにね」

 

「おそらく。でも、私が知りたいことじゃないわ」

「待った。まだ“残り”があるよ」

 踵を返しかけたロビンを呼び止め、ベアトリーゼが鐘楼の支柱を指差した。

 

 ロビンは支柱に刻まれた短文に目を通し、

「ゴール・D・ロジャー……っ! 『我、ここに至り、この文を最果てへと導く』……なぜ、彼がこの文字を扱えるの?」

 完全に想像の外からの一撃。とんでもない情報を前に動揺を抑えきれない。

 

「少し違うんじゃない?」ベアトリーゼは思案顔で「公開情報の全てが事実とは思わないけれど、ロジャーが古代語を扱えた可能性はほぼ皆無だ。おそらく、クルーに古代文字を扱える人間がいた。オハラ以外に古代語の伝承者が居る可能性はゼロじゃない。私の故郷みたく周囲から隔絶した社会は多いからね」

 ベアトリーゼは原作ワノ国編なんてまったく知らないまま、オープンソースデータと一般論的推測から、正解に触れていた。もちろん、当人はあずかり知らないことだが。

 

「……たしかに、そうね」

 落ち着きを取り戻しつつも、ロビンは興奮の残滓に促されるように推論を編む。

「ポーネグリフには大まかに二種類のものがある。あまり意味を持たないもの。他の石の在処を示すもの……でも、もし他の石の在処を示すポーネグリフが一つの文としてつながりを持つならば……」

 

 ロビンの推論を継ぐように、ベアトリーゼはポーネグリフを見つめながら呟く。

「ああ。ロジャーは世界各地のポーネグリフを辿り、文章を完成させた。そして、グランドラインの最果て……ラフテルに到達したんだ」

 

 美女2人のやり取りに、愕然としていた酋長は我に返り、多くの皺が刻まれた顔に涙を伝わせていく。

「ならば、役目は果たされていたのだな……? 我々は先祖から託された使命を、果たしていたのだな……? 我々は、我々は……もう、戦わなくていいのだな……?」

 

 余人には計り知れない重責を背負ってきた老人へ、

「ええ。この文は確かに目的地へ届けられたわ」

「貴方達は故郷を取り戻し、使命も果たしていた。もう戦わなくていい」

 ロビンは優しさを込めて、ベアトリーゼは労わりを込めて、告げた。

「おおおお……」酋長はその場に膝をつき、泣き続ける。「良かった……良かった……」と繰り返しながら。

 

 

 

 それから――

 

 

 

「にっげろーっ!!」空の主の腹の中から拾い集めた財宝を担ぎ、脱兎の勢いで逃げていく麦わらの一味。

「待ってくれーっ!!」“謝礼”に黄金鐘楼の折れた側柱を担ぎながら、麦わらの一味を追いかける新生スカイピアの皆さん。

 

「あっはっは。すれ違いコントみたい」

 ベアトリーゼは楽しそうに逃げていく一味と親友、困惑しながら追いかける新生スカイピアの皆さんを見送り、けらけらと笑う。

「あんたは行かないのかい?」

 いつの間にか傍らにやってきていた女戦士ラキが不思議そうに問う。

 

「私は別口。明日か明後日くらいに発つつもり」ベアトリーゼは思い出したように「ああ、そうだ。私が持ち込んだ植物の種やその他不要なものは全部提供するよ」

「こっちとしてはありがたい申し出だけど、良いのか? (ダイヤル)と交換するはずだったんだろう?」

 女戦士ラキが案じるように問いを重ねれば。

 

「トビウオライダーを壊されちゃったから、貝の件は御破算だよ。それに、荷物は最低限まで絞る必要があるんでね」

 ベアトリーゼはあっけらかんと言い放つ。海に落ちた時に備えての潜水装備。武器と電伝虫。雑嚢に入るだけの私物と最低限の飲食物。これ以上は持てない。

「代わりにいくつか頼みごとをしたい。もちろん、無理なら断って貰ってかまわない」

 

「頼みごとの中身次第だけど……何をする気なんだい?」

 興味深そうに尋ねるラキへ、ベアトリーゼはさらっと答えた。

 

「空を飛ぶんだよ」

 

「は?」

 ラキが目を瞬かせるも、ベアトリーゼ本人は早速スケッチブックを開いて計算と設計をし始める。慣れた調子で難解な数式を書き連ねる様に、ラキは戸惑いを強くした。

「あんた、いったい何者なんだい? 荒事の請負屋じゃないの?」

 

「言ったことにウソはないよ。私は空島へ(ダイヤル)を調達に来た荒事の請負屋。それも、ナイスでスマートな凄腕美人のね」

 悪戯っぽく笑うベアトリーゼに対し、ラキは困惑に呆れをブレンドした。

 

      ○

 

 青海ジャヤ島のモックタウンで、王下七武海“天夜叉”ドンキホーテ・ドフラミンゴが傘下海賊団ベラミー一味の無様な敗北を知り、ベラミーからケジメを取っていた頃。

 同じくジャヤ島の外れで、モンブラン・クリケットと猿山連合軍が新たな浪漫を求め、海へ繰り出す支度を進めていた頃。

 そして、麦わらの一味がタコバルーンなる空島の不思議生物により、青海に帰還した頃。

 

 

 

 グランドライン前半“楽園”某島。

 羊雲が流れていく昼時。なんとも異質な海軍部隊があれこれと準備を進めていた。

 海兵達は全身つなぎみたいな衣服に諸々の装具を着けてカートリッジ式銃器を下げ、金魚鉢みたいな頭を完全に覆うヘルメットを抱えている。背中には海軍の誇りたる『正義』の二文字はなく、ただ海軍のカモメマークが描かれているだけだ。

 

 容貌が異様な海兵達は黙々と二隻のカーゴシップに機材を詰みこんでいく。

 異様な海兵達同様、カーゴシップも異様だ。なんせ帆もなければ、外輪(パドル)もない。

 やたら強固に補強されたその姿は、何かの(さや)みたいだ。

 

 そんな異様な兵達と異様な船を見下ろすように建つ宿の屋上階。

 完全に人払いされた屋上階。どこぞから持ち込まれた小さな卓に、白い貴婦人と隆々とした体躯の大男が着き、紅茶を嗜んでいた。

 

 大男は大海賊“暴君”バーソロミュー・くま。ただ一人政府に従順な王下七武海である。

 7メートルに達する容貌魁偉な男で、度がおそろしく強い眼鏡を掛けているためか、目を窺うことはできない。

 革手袋で包んだ手で聖書を持ち、ページをめくりながら、時折紙面に万年筆を走らせている。何も知らぬ者が見たら、信仰心が篤いのかと思うだろう。

 

 実際、バーソロミュー・くまは信仰心が篤い。亡き父は牧師であり、彼自身もかつては牧師だった。海賊となり、政府に飼われた今も、くまは信仰し続けている。

 ただ一柱の神を。

 

 くまが“聖書”へ記載を終えると、異質な海兵達の作業を眺めていた白い貴婦人が目線をくまへ向けた。

 

 たおやかな肢体にまとう白いミニドレス。優美な足を包む網タイツの先には白いハイヒール。肩に掛けた白いトレンチコートをマントのようになびかせて。顔の上半分を覆う白い仮面を被ったステューシーがくまへ問う。

「海軍特殊科学班隷下の評価戦隊60名。装備は“エッグヘッド”製。フランマリオン聖の『備品』8体。これらを強襲用カーゴ二隻に詰め、貴方の能力で飛ばす。問題は?」

 

「ない。分かっていると思うが……目的の精確な位置を把握していなければ、到着しない」

 うっそりと答え、くまは紅茶を口に運ぶ。常人用のカップが人形用に思える。

 

 仮面の端をこつこつと突きつつ、ステューシーは確信を込めて答えた。

「それはじきに分かるわ。あの子が現地に潜り込んで電伝虫を設置するから」

 

「“血浴”か。随分と肩入れしているようだが……」度の強い眼鏡の奥から興味を滲ませるくま。

「あの子は私と同じ。ある意味では貴方とも同じ」

「同じ、とは?」くまが起伏に欠く相槌で先を促す。

 

 紅茶を一口嗜み、ステューシーは言葉を紡ぐ。静かに冷たく。

「私は造られた存在で、貴方はバッカニアの血を引く稀な存在。あの子は造られた存在の末裔で、ヒューロンの血統因子が検出された謎の存在」

 

「ヒューロン……ベガパンクから聞いたことがある」

 くまは世界政府との“契約”により、近年、天才科学者ベガパンクから強化施術を受けていた。その施術中に交わした雑談で『ヒューロン』に触れたことがあった。

「昔、悪魔の実の能力者達が世界政府へ挑むために生み出した人造種族……だったか。ベガパンクも詳しくは知らないようだったな」

 

 ステューシーは小さく首肯し、どこか懐かしむような、どこか忌々しそうな、そんな声色で言葉を編む。

「ゴッドバレーと同じよ。歴史の闇に葬りさられた出来事。この世界はそんなことばかりね」

 

 幼い頃の記憶を刺激され、くまは度の強い眼鏡の奥で瞑目した。

 今は無きゴッドバレー島。恐怖と絶望の底で、くまは希望と出会った。決して忘れようのない顔の頼もしい友人と、今なお愛し続けている素晴らしい女性に。

 

 2人はしばし口を閉ざし、港から届く潮騒と海鳥達の歌に耳を傾けた。

 

 ふいにステューシーがおもむろに口を開き、くまへ尋ねる。

「……ねえ、くま。“物語”が動いてる気がしない?」

 

「物語?」

 ステューシーは訝るくまを碧眼に捉えながら、気品漂う美声で語った。

「海賊王ロジャーがこの世界に広げた、大海賊時代という大きな物語がいよいよ本格的に動き始めた。そして、その大きな物語に個々の小さな物語まで動かされている。私や貴方の物語もね」

 

「……意外だな」くまは表情を変えることなく「君がそういうメタファーを使うのは珍しい」

「受け売りよ」ステューシーは自嘲的に眉を下げて「似合わないかしら?」

 

「いや。そんなことはない」

 くまはゆっくりと首を横に振り、ステューシーの語った内容を咀嚼する。物語。物語か。

「その大きな物語はどんな内容だと思う?」

 

「さぁ。私には見当もつかない。でも」

 海賊王のことを知るクローン人間は仮面に覆われていない口元を楽しそうに和らげた。

「“あの”ロジャーが始めた物語だもの。きっと荒唐無稽で傍若無人で混乱と混沌に満ちた――“笑い話(ラフ・テイル)”じゃないかしら」

 

「“笑い話”……」

 くまは噛みしめるように繰り返した後、大きく強く頷く。

「……そうだな。“笑い話”がいい。誰もが大笑いできるような」

 ボニーがいつまでも笑顔で楽しく過ごせるような、そんな“物語”がいい。

 

 この世で何より大切で愛しい一人娘を想い、くまはこの場で初めて表情を作る。

 柔らかで慈愛に満ちた――彼自身の人間性を発露したような優しい微笑みだった。

 

        ○

 

 ロングリングロングランドに到着した麦わらの一味が、済し崩し的にフォクシー海賊団とデービーバックファイトを行っていた頃。

 空島では蛮姫がガツガツガンガン作業を進めていた。

 

 ベアトリーゼが製作を試みているグライダーは、構造が単純明快なハンググライダーだ。

 その誕生の原点はNASAの職員が竹とポリエステルシートで造った玩具だが、飛行性能は充分高い。ちょっとした小山から離陸しても、上昇気流をきちんと掴めば、高度1000メートル以上まで昇れるし、長距離長時間を飛び続けられる。

 

 ただ、単純で簡素な構造だからこそ製作上の誤魔化しが利かないし、操縦者の技量と自然環境の影響が飛行へダイレクトに反映される。好条件なら初級機に乗った初心者でも30分以上飛べる一方で、悪条件では高性能機に乗ったプロでも5分しか飛べず、しかも墜落したりする。

 

 ハンググライダーは構造的に空島のスカイピアでも製作可能ながら、素材的に空島のスカイピアでは中々難度が高い代物でもある。理由を上げよう。

 

 1:骨格(フレーム)は軽量で頑健なアルミ合金やカーボンなどが望ましいが、そんなもんはない。

 

 2:(セール)は軽量で風を良く捉えるポリエステルやダクロンの複層フィルムなどが良いが、そんなもんはない。

 

 3:ロープ類も頑丈なアラミドやケブラー製、金属ワイヤーもステンレス系が欲しいところだが、やっぱりそんなもんはない。

 

 4:加えて、プルプルの実の力でプラズマ推進を試みるなら、各素材に耐熱性能も不可欠。

 

 5:ここが人工空島ウェザリアなら移動可能な島雲を製作できたかもしれないけれど、やはりそんなもんはない。天然の島雲を使う案も検討したが、積帝雲の外へ出ても維持できるか怪しい以上、命は預けられない。あれこれ検証する時間もない。

 

 列挙したことを一言にまとめるなら、これは狂気の博奕である。

 

 しかも、(セール)となる帆布や空魚の皮をチクチクと縫ったり、ロープ類を編んだり、空島環境で育った堅木を削り出してフレーム材を製作しているのは、手透きの少女や老女達だったりする。

 

 映画『紅の豚』でポルコ・ロッソの機体をピッコロ一族の女衆が作り上げたように、ベアトリーゼは空島の女衆へ作業指導し、ハンググライダーの各種素材や部品を作らせていた。

 

 もちろん、出来栄えや仕上がりを厳しくチェックし、自身で手直しもしている。とはいえ、自分の命を預けるものをド素人達に作らせる辺り、どうかしている。

 

 まぁ、仕方ないことだった。なんせ時間が無い。さっさとハンググライダーを作って、メルヴィユに赴き、ステューシー達を引き込んで、金獅子をぶっ殺して、ルフィ達に合流したい。

 原作のウォーターセブン編が始まるまでに。

 

 政府の犬共に親友をさらわれるなど、ベアトリーゼは許容し難い。アラバスタ編のことはロビンが麦わらの一味入りするためと受け入れられた。しかし、ウォーターセブン編は無理だ。

 私の大事な親友が政府の犬共に利用され、ノータリンの薄らバカに侮辱され、貶められ、傷つけられる? 許せるか、そんなこと。

 ウォーターセブン編もエニエスロビー編もぶっ潰してやる。あの麦わらの一味のことだ。“代わり”のビッグトラブルなんざ、いくらでも起きるだろうさ。

 

 同時に、ベアトリーゼの狡猾な部分が悪意を働かせていた。

 エニエスロビーに対するバスターコールは原作通り起こしたい。

 

 世界政府の最大の司法拠点が丸焼けになるのだ。しかも、海軍の手で。こんな愉快で痛快で爽快な出来事を逃すことはもったいない。

 この事件でもたらされる損失と被害は数字だけでは収まらない。重要な公文書や法的資料、数々の証拠類や捜査資料、長年かけて蓄積された裁判記録、それに大勢の司法関係者。

 これらが丸焼きになったら、再建にどれほどの時間と労力が掛かることか。

 神様気取りの豚共と守護者気取りの犬共に、吠え面を掻かせられる、またとない機会だ。

 

 ロビンに傷一つつけたくない。しかし、エニエスロビーのバスターコールも起こしたい。

 ベアトリーゼはハンググライダーを製作しながら、思案し続ける。

 この二つの目的を叶える方法は無いものか、と。

 

 なお、ウォーターセブン‐エニエスロビー編は、ロビンが本当の意味で麦わらの一味の仲間になるエピソードであると同時に、麦わらの一味の船大工となる“鉄人(サイボーグ)”フランキーも仲間入りし、ゴーイングメリー号からサウザンドサニー号へ乗り換える超重要エピソードなのだが……

 

 ベアトリーゼはロビンとバスターコールのことしか考えてなかった。




Tips

ハンググライダー。
 元々はNASAの技術者が遊び用に作ったらしい。意外と歴史が浅いんだなぁ。
 現在は素材のハイテク化が進んでいる模様。

バーソロミュー・くま
 王下七武海で”暴君”の二つ名を持つ大海賊。
 最新章のエッグヘッド編で壮絶な過去と聖人然とした人柄が判明し、多くの読者に良くも悪くも衝撃を与えた。
 献身の人。

 ボニー(ジュエリー・ボニー)
 『最悪の世代』の女海賊。エッグヘッド編でくまの娘だと判明。

ステューシー
 海軍と天竜人から戦力を調達し、シキの本拠点メルヴィユ強襲に備えているところ。

 海軍特殊科学班隷下の評価戦隊。
 外見のモデルは『砂ぼうず』第二部に出てくる西軍部隊。素性の詳細は追々。

ベアトリーゼ。
 さっさとシキを潰してウォーター・セブン編へ間に合いたい。
 フランキー? サニー号? ルフィの業子ポテンシャルを信じろ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

146:目指すはメルヴィユ

烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


 愉快なフォクシー海賊団と楽しいレクリエーションで盛り上がった後、麦わらの一味は俳優松田優作似のだらけたおじさんと出くわした。

 この松田優作似のだらけたおじさんは海軍本部大将“青雉”クザン。海軍の誇る最強戦力の一角である。

 

 麦わらの一味はのらりくらりと接する“青雉”に翻弄された後、最終的に戦闘へ発展し……見事惨敗。ロビンとルフィは全身カチンコチンに凍結されて仮死状態に。ゾロとサンジはそれぞれ手足に凍傷を負った。

 ここまで快進撃を続けてきた一味にとって、初めてというべき完敗だった。

 

 幸い、スーパードクター・Cもとい小さな名医トニートニー・チョッパーのおかげで、ロビンとルフィは一命をとりとめ、ゾロもサンジも後遺症を負うことなく回復したものの、“格の違い”を思い知らされていた。

 

「流石に……くたびれたわね」

 ナミは甲板にオンナノコ座りし、疲れ切って寝落ちしたチョッパーに膝枕している。

「早朝から大騒ぎしながら空島を後にして、グランドラインの気象の相手をしながら、ロングリングロングランドへ辿り着いてみれば、色物集団(フォクシー海賊団)交流会(デービーバックファイト)。ようやく落ち着いたと思ったら、海軍本部大将と出くわしてこの有様」

 指を折りながら今日一日を振り返り、ナミが疲労の濃い溜息を吐けば。

 

「……俺ぁもうバタバタ騒ぎすぎて何がなんだか……」

 後船楼の壁に背中を預け、へたり込んでいたウソップもぼやく。

 

「ナミさん、どうぞ。ほら、お前ら飲め」

 サンジが出来立ての熱々ホットラムを配っていく。

 

 シナモンの香りと蜂蜜の優しい甘みが加えられたホットラムを口に運び、ゾロはゆっくりと深呼吸。

「あの2人……海軍本部の大将が警戒するほどの人間だったんだな」

 

 ゾロは戦闘を起こす前、“青雉”は語ったことを思い返す。

 自分がこの場にやってきたのは、アラバスタの事件後に姿を消したロビンが、“血浴”とコンビを再結成したという情報を掴んだから、だと。

 

 ――ニコ・ロビンとベアトリーゼはまだ小娘の年頃で、海軍と5大マフィアが築いていた西の海(ウェスト)の秩序をグッチャグッチャに掻き乱した。分かるか、イーストの若造共。その女と血浴が再び組むってのはな、十分な“脅威”なんだよ。

 

「ルフィが賞金1億になった、ゾロが賞金6000万になった、てはしゃいだけど、考えてみりゃあ、ロビンはたった8歳でゾロより高ェ賞金懸けられてたんだよな……いったい何をやらかしたんだ?」

 ホットラムで気力を取り戻したウソップが首を傾げる。

 

 フォクシー海賊団に絡まれた際、ルフィの賞金が跳ね上がり、ゾロにも高額賞金が懸けられたことが判明した。なお、ベアトリーゼの賞金は変動してない。政府はベアトリーゼがアラバスタに居なかったことにしたからだ。あれは正体不明の魔女(サーヘラ)。ベアトリーゼと別人。そういうことになっている。

 

「レディの過去を詮索するもんじゃねェ。ロビンちゃんはもう俺達の仲間だ。それで十分だろうが」

 サンジが苦い顔つきでウソップに釘刺しし、

「そりゃあまあ」ウソップが眉を大きく下げながら言い淀んだ矢先。

 

「あいつはまだ居候だ」

 ゾロがぴしゃりと言い放つ。

 

 場の空気がピリッと張り詰めた。

「ああ? 空島で一緒に冒険したし、一緒にデービーバックファイトやっただろうが。何が不満なんだテメェ」

「筋の問題だ。今回みてェに俺ら全員の生死に関わるってなら、なあなあに済ませて良いことじゃねェだろ」

 麦わらの一味の両翼が一触即発の睨み合いを始めた、刹那。

 

「やめて」ナミが額を押さえながら「今はやめて。お願いだから……」

 

 懇願する航海士を一瞥し、副船長とコックはバツが悪そうに揃って顔を背けた。衝突が回避されたことに狙撃手がそろそろと安堵の溜息を吐く。

「これからどうする? 正確にゃあルフィとロビンが目覚めるまで、だけど」

 

「ログは溜まってるわ」と航海士。

「食料はまあ、なんとかなる」とコック。

 

「なら、少なくてもルフィが……船長が回復するまで待つ。それまではここで待機だ」

 副船長は全員を見回して、不意に唇の端を悪戯っぽく吊り上げた。

「勝手に船を進めたら、あいつ絶対にすねるからな」

 

 航海士と狙撃手とコックの顔も和らぎ、

「頬っぺた膨らませてブーブー言うわね」「ああ。間違いねェ。大騒ぎだ」「やけ食い始めて冷蔵庫を空にしちまうだろうな」

 くつくつと小さく、だけど、楽しそうに笑う4人はそのまま、冗談めかして船長の短所を並べていく。

 

「んぁ……あ、俺寝ちゃってた……」

 ナミの膝枕で眠っていたチョッパーが身を起こし、目元を擦りながら皆を見回して小首を傾げた。

「? 皆、なんか楽しそう……どうしたんだ?」

 

「おう。聞け、チョッパー」

 ウソップはにやりと口元を曲げて笑いかける。

「俺達の船長は……バカだ!」

 

「……? 知ってるぞ?」

 何を今更と言いたげなチョッパーの反応に、四人は大笑いした。

 

      ○

 

 麦わらの一味が青海に帰った翌日の朝。

 空島スカイピアの終端――クラウドエンド。

 高層雲が見えない好天の下、ベアトリーゼはシャンディアの小型船で燃料――炭水化物と脂質系の朝飯をたっぷり摂っている。

 

 なんせ一度離陸したらメルヴィユまで一切着陸できない。睡眠無し、休息無し。飲食も最低限のみ。トイレ? 知らないの? 美女美少女はトイレに行かないんだよ?

 

 妄言はともかく、燃料供給を終えたら、下着姿になって念入りに暖機運転――柔軟体操(ストレッチ)を始めた。

 180を半ばも過ぎた長身はしなやかで柔軟で、練られた筋肉を適切な脂肪が覆う肢体はネコ科の猛獣のように艶と力を兼ね備えている。

 

 エネルの電撃を浴びてから、なーんか体が軽いんだよなぁ。能力と覇気も今までよりキレるし……どーにもなぁ。”慣らし”が欲しいなぁ。

 

 小麦肌が微かに汗ばむ程度に体を温めた後、手早く肌を拭い、赤黒のタイトな潜水服を着こんでいく。

 肌の露出は皆無なれど体の線を隠さないため、前述の肉体美と合わさってなんとも艶めかしい――はずなのだが、色気より健康美の主張が強いのは本人の気質のせいか。

 

 潜水服を着こんだ後、癖の強い夜色のショートヘアをインナーキャップで包む。腰に装具ベルトを巻き、防水処理した私物を雑嚢へ詰め、ブレードとナイフの鞘をしっかりロック。電伝虫は別途のポーチバッグを胸元に巻き、通話具部分を多眼式フルフェイスヘルメットに接続。なお、水筒は落下防止に紐でバッグにつないである。

 

 燃料供給と暖気運転と装備の取り付けを完了し、ベアトリーゼは甲板の中心に鎮座するハンググライダーへ向き直った。

 骨格(フレーム)は堅木の削り出し。接続部は鋼材の鍛造品。(セール)は帆布に植物性樹脂を塗りこんだもので、ロープ類も植物繊維の編み込み品。

 ずっしりと重たいけれど、軽量な金属資材も化学系素材もないからね。仕方ないね。

 

 トップとボトムのワイヤーのテンションをチェック(ここが不味いとフライト中に翼が折れる)。

 コントロールバーとグライダーをつなぐスイングラインをチェック(ここが不味いとフライト中に搭乗者だけ落ちる)。

 骨格と翼の接続や機体を安定させるためのラフラインなどを確認。

 

 ベアトリーゼは各部を指差し確認した後、うんと頷く。

「飛行準備完了、ヨシ!」

 

「そんなもので本当に青海へ降りるなんて……正気の沙汰とは思えないね」

 ベアトリーゼ送還の責任者である女戦士ラキがしみじみと呟き、この船へ勝手に忍び込んでいたアイサも心配そうに尋ねる。

「本当に大丈夫なの? 練習だって昨日の夕方に何度かしただけだろ?」

 

「なぁに。大丈夫さ。それにね」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔で嘯く。

「青海には『狂気の沙汰ほど面白い』って言葉もあるんだよ」

 

「イカレてる」

 ラキはぼやいた後、目尻を柔らかく下げた。

「種と育成法のこと、心から感謝するよ。いつかあんたとあの一味が再びこの地を訪ねてきたら、多くの実りで迎えよう。あんたの旅に幸があらんことを」

 

「こちらこそ世話になりました。いろいろありがとう。貴方達の歩みにも幸があらんことを」

 ベアトリーゼが別人のように上品な礼を返すと、ラキとアイサと船員達は虚を突かれたように目を瞬かせる。

 

 控えめに驚くラキ達を余所に、ベアトリーゼはヘルメットを被り、ハーネスを体に装着してハンググライダーに接続。コントロールバーを掴み、ズシリと重たい急造ハンググライダーを軽々と持ち上げて船首に立った。

 

 積帝雲の端から見渡す光景はまさに絶景。眼下をまばらな雲が泳ぎ、その下にはグランドラインの海が広がっており、ぽつぽつと島々が散らばっている。

 プルプルの実を発動して風向と風速、湿度と温度その他を観測。条件その他、確認完了。オールグリーン。

 

 ベアトリーゼは肩越しに背後を窺ってラキ達へ別れの言葉を送り、

「いつかまたっ!」

「幸運をっ!」「また来てねっ!!」

 ラキとアイサの声を背に受けながら一切躊躇せず足元からプラズマジェットを放射。真っ直ぐに蒼穹へ飛び込んだ。

 

      ○

 

『オルカ・グループ。こちらB1。予定通り進発した。現在高度95。降下角5。41ノットで方位045へ進行中』

 電伝虫から届く通信内容を聞き、ステューシーは小さく感嘆する。

 本当に空を飛んでる……ベアトリーゼ、恐ろしい子。

 

「こちらママ・オルカ、了解。これからそちらの念波を“釣る”わ。10秒間隔で発信をお願い」

『了解。一度通信を切る』

 

 通信が切られた後、10秒間隔で三度の念波発信が行われた。

 電伝虫と念波通信機材相手に睨めっこ中だったサイファー・ポールの通信士達が操作盤を扱い、ステューシーへ報告する。

「B1の念波を“釣り”ました。現在地を出します」

 

 サイボーグと帆船とバズーカ砲とマスケットが混在するワンピ世界だが、ステューシーが宿の一室に設けた通信室には流石に電子モニターの類は無い。卓上に広げた政府謹製グランドライン海図(第一級機密)にベアトリーゼの位置を示す駒が置かれるだけだ。

 

 ステューシーは海図を見下ろし、仮面で覆われていない柔らかな唇に人差し指を添えた。

 目標メルヴィユの位置とベアトリーゼの位置は、一般的な帆船の速度で二日の距離。“麦わら”のゴーイングメリー号や“赤髪”のレッド・フォース号みたいなデタラメな速度の船なら、半日かからないかもしれないが。

 

「チレン女史の計算と予測が正しければ、到着は明日の未明頃、か」

 ステューシーが独りごちると、航法計算盤と計算尺を手にした海軍航法士がおずおずと指摘する。

「お言葉ですが……グランドライン特有の突発的な気象変化を考慮しますと、到達できる公算はあまり高くないかと……」

 

「そこは心配してないわ」

 仮面の奥から碧眼が航法士を睥睨した。

「貴方達はB1をメルヴィユまで誘導し続ければ、それで良い」

 余計な口を出すな。と指摘され、海軍航法士は顔を蒼くしながら答礼し、慌てて作業に戻る。

 

 密やかに鼻息をつき、ステューシーは思う。メルヴィユはシキが浮かせているだけだから荒天に弱い。絶えず安定海域へ向けて移動せざるを得ないのだから、畢竟、メルヴィユへつながる進路にも嵐が起きる可能性も低くなる。それにまあ。

 あの子なら、嵐に遭遇しても何とかするでしょ。

 

 航法士がメルヴィユとベアトリーゼの駒を動かして「B1、進路を方位030へ修正」と告げる。

「了解」通信士は電伝虫を起こして「こちらオルカ・グループ。B1、進路を030へ修正」

 

『B1、進路030へ修正する』

 やり取りを聞きながら、チレンはソファに座って仮面の下で眉を下げる。

 ベアトリーゼがメルヴィユに到着するまでこの調子か……焦れるわね。

 

      ○

 

 ハンググライダーはその名の通り、操縦者が翼に吊り下がった状態で飛行する。

 両手でコントロールバーを握りしめているが、主要な操作はハーネスに繋がれた体全体の動きで行う。よって、ちょっと体を傾けたりしただけで、グライダーが大きく動いてしまう。

 

 安定した飛行を行うためには、大波に乗っている最中のサーファーのように常に最適な姿勢を保たねばならず、一方で射撃姿勢を保ち続ける狙撃手みたく無用な動きを一切してはならない。

 

 短時間なら『激しいスポーツ』で済むが、長距離となると……

「ああああああ……」

 昼飯時を迎えた辺りで、ベアトリーゼは多眼式ヘルメット内でぼやく。

 

 平均時速40ノットで約6時間。延べ飛行距離は400キロをはるかに超える。目標の“空島”メルヴィユはまだ見えてこない。

 

 体中汗だくで気持ち悪いし、腕がだるいし、首と背筋と腰が痛いっ! かといって小休止も取れねェッ! 腹減ったし、喉が渇いたっ! 景色も代わり映えしなくて見飽きたっ! どこを見ても空と雲と海しかねェ! ニュース・クーにすら出会わねェッ!! 誰だよ、空飛んでいこうとか考えた奴ッ! 私だよっ! クソがッ!

 

 疲労と退屈と飽きに襲われても、集中力を欠かせず気が抜けないという苦行。おまけにプルプルの実の能力と見聞色の覇気を絶え間なく使って、風向や風速や気流に気象状態を観測し続け、トドメに、絶え間なく通信が飛んでくる。電伝虫も疲れ気味だ。

 

『こちらオルカグループ。B1。方位075へ修正せよ』

「了解了解。方位075へ修正する。現在高度83。降下角4、38ノット」

 ベアトリーゼは辟易しながら体重移動で機体をわずかに旋回させ、報告する。

 

 辛い。もうね。首や背中や腰だけじゃない。ケツや裏腿まで疲れてる。辛い。

「クソクソクソクソクソクソ……全部あの鶏ジジイのせいだ。殺す。絶対殺すぶち殺す」

 鬱憤と不満の矛先を金獅子シキに向けて殺意に昇華する。シキにしてみれば、とばっちりであろう。

 

「ん?」

 ベアトリーゼは進路先にモコモコと入道雲が育っていく様を目の当たりにし、

「クソが」

 気流の乱れを知覚して思わず毒づく。グライダーの翼がカタカタと振動を始めていた。

 

「こちら、B1。前方に気象変動。入道雲が発生中」

『B1、突破可能か?』

「空中分解するかどうか博奕しろって? 万馬券買う方がマシだ」

『オルカグループ、了解。迂回せよ。迂回後、修正進路を指示する』

「B1、了解」

 

 ベアトリーゼは吐き捨てるように応じ、膝辺りと足裏でプラズマジェットの断続放射。ミシミシと不吉な鳴き声をこぼすフレーム。バタバタと暴れる翼の端。ブンブンと共振するワイヤー。空中分解の不安を押し殺しながらパルスジェットエンジンの要領で推力を確保し、グライダーを大きく旋回させて入道雲を迂回していく。

 

「くっそっ! これでまた到着が伸びるっ! ああああああああああっ!!!!!」

 苛立つベアトリーゼを無視し、入道雲はもこもこと綿飴のように大きくなっていった。

 

       ○

 

 少しメタい話をしよう。

 海賊王RTAとも評されるほど、麦わらの一味の航海は爆速で進められており、考察勢によれば、ルフィのフーシャ村出航から海賊休業までたった三か月のことである。

 

 一味の船が古臭い沿岸遊覧船であることを考えれば、異常過ぎて怖いほどだ。

 航海士ナミが如何に桁外れな存在か分かろう。下手な能力者よりよほど恐ろしい女。それがナミである。

 

 さて。少し先の未来。『最悪の世代』と称されるルーキー海賊達が奇しくもシャボンディ諸島に集合するわけだが、先述したようにナミを擁する麦わら一味は異常な航行速度を発揮する。ゆえに、他の『最悪の世代』達は麦わらの一味よりも先行しており、シャボンディ諸島でルフィ達に追いつかれた、と考えるべきだろう。

 

 そして、『最悪の世代』で予期せぬ事態に最も巻き込まれそうな奴は誰かと問えば、大体の人はこちらの方を思い浮かべるのではないか。

 

 

 

「何でこんな何もねェところに、艦隊が居やがるんだ」

 海中に潜むポーラータング号の発令所で、ハート海賊団船長トラファルガー・ローは渋面を浮かべて毒づく。

 入り込んだ海域には海軍一個戦隊が輪形陣を組んで留まっており、潜望鏡も上げられないほど強い哨戒態勢を取っていた。もしも発見されたら、袋叩きに遭うことは間違いない。

 

「キャプテン、パドル音が接近中」

 大きなヘッドホンをつけた船員が声を潜めて告げた。

「全員、音を出すな」

 ローの静かで強い口調に、幾人かの船員がわざわざ手で口を塞いだ。

 

 水を伝播して頭上から届く外輪の航行音につられ、全員が天井を仰ぎ見る。

 ポーラータング号に限らず、この世界には非常に稀有ながら、潜水艦や潜水艇が存在する。当然ながら海軍も対潜装備を有している。というか、潜水艦を攻撃し得るデタラメなクソッタレ共がいる。

 覇気と六式を修め、高度に練り上げた精鋭共だ。勇気に不足のないローでも、そんな連中相手に水中白兵戦など御免被る。

 

「パドル音が遠ざかっていく。バレなかった」

 安堵の息をこぼす面々。ローは航海士の白熊(ミンク族・20歳)に問う。

「ベポ。このまま潜航してこの海域を抜けるのに、どれくらいかかる?」

 

 オレンジのつなぎを着たベポは眉を下げつつ、考えを言った。

「海軍の連中に気付かれないよう慎重に進むとなると……かなり時間が掛かるよ、キャプテン」

 

「空気循環器の余裕は?」

「しばらくは大丈夫」ローに問われた船員は難しい顔で「でも、出来れば明日の昼までには一度浮上して、蓄積した二酸化炭素を排出した方がいい」

 

 ローは口元に手を当てて考え込んだ後、

「日が暮れるまで潜航、夜を迎えたら潜望鏡深度まで浮上。状況次第では海上航行で一気にここから離脱する」

 静かに了承する全員を見回してから、モコモコした帽子を被り直す。

「この辺りで何が起きてるんだ?」

 

 ローもハートの海賊団の面々も知らなかった。

 自分達が金獅子狩りの作戦海域へ入り込んでいたことを。




Tips

海軍本部大将”青雉”クザン
 原作キャラ。
 だらけた正義を背負う松田優作似の氷怪人。

ベアトリーゼ
 オリ主。
 急造ハンググライダーで本当に飛んだイカレ女。
 プランクや腕立て伏せの姿勢を一時間くらい続ければ、今話ベアトリーゼの心境が分かるかもしれない。

方位
 東西南北を円で示したもの。細かいことを言えば、真方位と磁方位の違いはあるが……雰囲気が伝われば十分なので、そこまで踏み込まない。

トラファルガー・ロー
 原作キャラ。
 パンクハザード~ドレスローザ編の間、ずっと麦わらの一味と行動していたことから、ファンに『名誉麦わらの一味』とか言われてしまっている人。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

147:翼よ! あれがメルヴィユの灯だ。

しゅうこつさん、nullpointさん、末蔵 薄荷さん、烏瑠さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。

※最新刊収録範囲のネタバレがあります。まだ買ってない人は気を付けてゾ。


 夜の闇と雲がベアトリーゼの視界を覆う。

 しかも雲は氷晶で形成される絹雲ときた。グライダーの翼、ヘルメットや潜水服、その他にうっすらと氷が張りつき始める。ヘルメットと潜水服はともかく、グライダーの翼が凍ると不味い。時折、プラズマジェットを放射して氷を融かすが、それはそれでグライダーの翼が水分を吸ってしまってよろしくない。

 

「――クソッ」

 くったくたに疲れ切り、ガンギマリの目つきになったベアトリーゼは小さく毒づく。

 

 休憩無しで同じ姿勢を半日以上取り続け、しかも悪魔の実の能力と見聞色の覇気も使い続けている。エネルの電撃を食らってから、身体や能力、覇気のキレが良いとはいえ、疲労は確実に蓄積していた。何より急造グライダーでの高高度超長距離移動のもたらす神経的な疲弊は、想像以上にキツい。

 

 ベアトリーゼは血走った眼で周囲を見回しながら、自身と同じく疲れきって元気がない電伝虫の通話具へ告げた。

「B1。高度75。42ノット。降下角6度。雲量8。視界不良」

 

『こちらオルカ・グループ。B1。間もなく目標が有視界内に入る』

「夜闇と雲で視界不良だ。見えない」

『既に目標が視認可能な空域内に入っている』と通信士が機械的に繰り返す。

 

 見えねェって言ってんだろクソッタレ。激しく苛立つも、ベアトリーゼはプロらしく感情を抑え、温度のない声で通話具へ吹き込んだ。

「繰り返す。夜闇と雲で視界不良。何も視認できない。目標の位置予測は本当に精確なのか?」

 

『ママ・オルカよりB1』

 通信士に代わり、ステューシーが通話口に出た。ベアトリーゼの苛立ちと不満を宥めようと気遣いを込めて告げる。

『疲れていることは分かるけれど、目標が現空域に居ることは極めて確度が高いの。周辺捜索をしてみて』

 

「――了解。目標高度は?」

『30から50。複数の島嶼からなる群島よ。本島は背の高い巨峰を有しているから、一目で分かるはず』

「了解。高度60まで下げてみる」

 

 ベアトリーゼは通信を切って大きく息を吐き、機首を下げながらプラズマジェットを逆放射。速度を抑えながら高度を落としていく。心身の疲労と苛立ちを感じさせない丁寧な操縦と能力制御。なぜこの自己制御がスカイピアの戦いで出来なかったのか。

 

「腹減ったし、熱い風呂に入りたいし、清潔なシーツで眠りたいし、ああああああ」

 ぼやきながら雲の下を目指すも、小賢しい氷晶雲は思ったより厚みがあるらしい。高度6000まで降りても雲の下に出られない。

 

 次から次へとッ! と多眼式ヘルメット内で悪態を吐き、ベアトリーゼは周囲を見回す。

 肉眼は暗闇と雲と氷晶に妨げられ、見聞色の覇気には何も掛からない。舌打ちが漏れる。ベアトリーゼは姿勢を崩さないよう注意深く周囲を見回し続ける。完全な闇の中で目を大きく動かしていると空間失調(バーディゴ)を引き起こす恐れもあるが、仕方ない。

 

「どこにも見えねェぞ。チレンの奴、テキトーな予測位置出しやがって」

 メルヴィユの航行ルートと予測位置を計算した女科学者を脳裏に浮かべ、ベアトリーゼは幾度目かとなる悪態をこぼした。

 

『B1、間もなく目標の予測位置と交差する。目視したか』

「見えない。上下左右のどこにも目標を捕捉できない」

 ベアトリーゼは多眼式ヘルメット内で暗紫色の目を猛禽のように鋭くし、周囲を見回し続けたけれど、まったく見つからない。

 

 が、プルプルの実による大気観測が変化を捉えた。

「――待て。不審な上昇気流がある。方位210。後方だ」

 

 さて、犯罪学の初歩にして原則。それはロカールの交換原理と呼ばれるもので『あらゆる接触は必ず痕跡を残す』という。

 しかし、この法則が当てはまることは何も犯罪に限らない。

 この世のあらゆる現象が接触とその結果で創造されるのだから。風がタンポポの種を遠くに飛ばすように。山がそこにあるだけで気流を変えるように。

 空中に異物が浮いていて、そこに空気の流れがぶつかれば、当然ながら変化が生じる。

 

「B1、方位210へ旋回する」

 ベアトリーゼは強張った全身の筋肉を注意深く動かし、グライダーを傾げて緩やかに旋回させていく。強い負荷のかかる急旋回など怖くてできない。

 

 じっくりと旋回を終え、ベアトリーゼは不審な上昇気流の発生源へ向かう。

 気流に煽られてかたかたと震え始めるグライダー。雲中を満たす氷晶も水分子も動きが活発になり始める。発生源へ近づくにつれ、雲が気流に裂かれたのか、暗闇に幾筋も亀裂が生じて月光が注がれ始めた。光を浴びた無数の氷晶がきらきらと輝く様はゾッとするほどに幻想的で、急激に現実味が薄れていく。

 

 美しくも不安を誘う景色の中を進み、暗紫色の瞳が眼下に光を捉えた。

 氷晶の反射光? いや、光の色味が違う。あれは……人工灯だ。

 

 腹の底から生じる昂奮を宥めつつ、ベアトリーゼは光へ向けて機首を修正。瞬きを忘れて発見した光源を注視し、グライダーを進める。

 そして――

 

 見つけた。

 空中に浮かぶ群島の影を。

 背の高い巨峰を生やした島を中心として、幾つかの島々が密集している様を。

 

 本島や幾つかの島には川や湖さえ存在し、島端から滝のように落水させている。それだけではない。島ごとにいくつか環境が異なるようだ。密林の島。荒野の島。草原の島。

 こんな局所的範囲でこれほど環境が異なるなど、環境学的に説明がつかない。まあ、そもそも島が浮いている時点で何をかいわんや。

 

 ベアトリーゼの双眸が本島の巨峰の麓に人工灯の塊を捉えた。和風建築物群からなる巨大施設だ。おそらく、あそこが金獅子のシキの本拠だろう。施設に接する湖にはなんと多数の帆船が停泊し、こちらもマストや船首に照明を提げている。別の小島にも小さな灯が見えたが、別施設か何かか。

 

「見つけたぞ、鶏ジジイ……っ!」

 多眼式ヘルメットの中で獰猛に犬歯を剥き、ベアトリーゼはヘロヘロの電伝虫を起こす。

「オルカ・グループへ。目標発見。繰り返す目標発見。高度45から50。方位210。12ノット」

 

『こちらママ・オルカ。B1。気づかれずに潜入できそう?』

 電伝虫から届くステューシーの声が弾んでいる。ベアトリーゼは笑みを大きくした。

「目標から如何なる探索波長も見聞色の覇気も発せられてない。歩哨がいる程度だろう。本島ではなく付随島嶼ならまず発見されないはずだ」

 

『では、付随島嶼へ向かって。こちらの本隊が到着するまで潜伏していてちょうだい』

「了解。着陸後に連絡する」

 ベアトリーゼは電伝虫の通信を切り、グライダーをメルヴィユへ向けて降下させた。歩哨に見つからぬようプラズマジェットのブレーキを使わないため、位置エネルギーが速度エネルギーに転換され、グライダーの勢いがぐんぐん上がっていく。

 

 メルヴィユから生じる気流と相まって、グライダーの全体から不吉な音色が奏でられる。ミシミシと鳴き始めるフレーム。ギチギチと軋み始めるワイヤー。バタバタと騒ぎ出すセール。

 しかし、ベアトリーゼは不安など一切抱かず、グライダーをメルヴィユへ向けて疾駆させる。

 

 早く降りたい。一分一秒でも早く降りたい。今すぐにでも着陸したい。もう空はうんざりだ。

 地上。地上。地上。ああ、今なら空の民が問答無用でシャンディアの民を襲った気持ちも分かる。大地のなんと愛おしいことか。

 

 スカイピアの住人が聞いたら『それは違う』と拒絶されそうな感慨を抱きつつ、ベアトリーゼは未明のメルヴィユへ向かっていった。

 

      ○

 

 グランドライン前半“楽園”の某島。

 朝日が注ぐ港の傍。宿の食堂に異様な装いの海兵達が集結していた。

 

 海軍特殊科学班隷下の評価戦隊の兵士達60名。

 彼らは全員が海軍刑務所からの“志願出向者”だった。敵前逃亡や抗命、脱走、略奪に婦女暴行……罪を犯して正義を背負うことも顔を晒すことも許されず、素性不明(アンノウン)として戦死し、ようやく名と階級を返される惨めな咎人達。評価戦隊とはつまるところ懲罰部隊そのものだ。

 

 兵士達へ向け、純白の装いと顔の上半分を覆い隠す仮面をまとった貴婦人が美声を発した。

「これより作戦説明を始める」

 

 全兵士の表情が引き締められる中、ステューシーは語る。

「本作戦は金獅子海賊団首領“金獅子”のシキ討伐及び同海賊団の壊滅。そして、同海賊団が所有する機密資料の奪取が目的よ」

 かつて単身で海軍本部マリンフォードを襲撃し、歴史上唯一人インペルダウンから脱獄に成功した大海賊が標的と聞かされても、兵士達は微塵も動揺しない。胆が据わっている、というより達観しているかのように。

 

 ステューシーは指揮棒で掲示板に貼られたメルヴィユの全島地図を示して、

「敵拠点メルヴィユは複数の島嶼からなり、シキの能力によって浮遊しているわ。目標本拠はここ本島にあり、本拠施設は巨大で湖に港も建設されている」

 小島の一つを指した。

「我々はこの島に上陸。本島へ向かい、本拠施設を制圧する。同地域は金獅子海賊団によって大型化、凶暴化された野生動物が跋扈しているけれど、本拠施設付近はダフトグリーンと呼ばれる毒性植物の花粉により、野生動物は出没しないわ。諸君らの装備は同花粉の感染を防ぐことができるから問題ない。ただし、装備を破損した場合はその限りではないわ」

 

「では、装備が損傷した場合はどういう対処を?」と兵士の一人が手を挙げて問う。

「必要ない。どうせ助からないもの」

 ステューシーは子猫を蹴り飛ばすように応じ、全島地図の隣に貼られた金獅子本部施設の地図を示す。

「本拠施設に突入後は三個小隊各自の作戦目標へ向かいなさい。

 

“アントン”は同施設本殿にある中央管制室の制圧。ここを落とすことで敵の組織的抵抗を崩すことが出来るはずよ。

 

“ベルタ”は同施設の南区画にある実験施設の制圧。同施設には開発中の超長距離砲と新型弾頭があるわ。確保が望ましいけれど、困難な場合は確実に破壊しなさい。

 

“カエサル”は研究棟の制圧よ。同施設には多くの機密情報と重要情報源足りえる科学者、技術者がいると予想される。可能な限り生け捕りにすること。ただし、困難な場合は確実に殺害するように。また、同施設においては資料損壊を防ぐため、爆発物の使用は厳禁よ。

 

 目標攻略に関しては全て指揮官に一任する。

 また、本作戦には特別協力者として“血浴”のベアトリーゼ、王下七武海バーソロミュー・くまが参加するわ」

 各小隊の指揮官と下士官達が熱心にメモを取る。

 

「同島の敵戦力は金獅子海賊団、隷下海賊団を合わせて最大約3000人。これに、隷従させられているメルヴィユ先住民が加わるけれど、彼らは非戦闘員だから気にしなくて良い」

 兵士達を見回し、部屋の隅に立つ巨漢――王下七武海“暴君”バーソロミュー・くまを一瞥して、ステューシーは冷厳に告げた。

「本作戦の討伐対象は首領シキから末端まで生死問わずよ。また、同島先住民は非加盟国人だから保護対象とならない。よって、本作戦における交戦規定において、人的目標に対する攻撃制限は先に述べた科学者と技術者のみ。他は一切制限なし。付帯損害は考慮しないわ」

 

 つまり、海賊共の奴隷にされ、強制労働や性的搾取を受けている先住民を救出せず、それどころか巻き添えにして殺しても構わない、ということだ。せいぜい、現場で先住民達を殺さないよう努めるしかできない。

 

「出撃は一時間後。くまの能力を用いてメルヴィユへ向かう。現地到着は日没後になるわ。夜間強襲戦で、混乱が予想される。各指揮官と下士官は統制に努めなさい」

 

 ステューシーは兵士達を見回して質問が無いことを確認し、

「ブリーフィングは以上。出撃の準備を進めなさい」

 食堂を出ていった。

 

 イージス・ゼロの女諜報員が退室し、兵士達は息を吐く。そして、30絡みの兵士が王下七武海“暴君”バーソロミュー・くまへ尋ねた。

「あんた、いつも聖書を持ち歩いてるけれど、祈祷は出来るのか?」

 

 くまは内心で戸惑いつつも、無情動に装いながら淡白に応じた。

「……出来る」

 

 くまはかつて故郷で牧師をしていた。止むを得ず残酷な闘争に身を投じ、過酷な宿命を生きることになってしまったが……本当は愛する者達と穏やかで幸せな暮らしがしたかった。それだけだった。

 

「なら、祈祷をしてくれないか?」

 兵士がどこか縋るように言った。他の兵士達も少なからず期待を込めた眼差しをくまへ注ぐ。

 

 くまは久しく遠のいていた牧師の務めを思い返し、頷く。

「俺でよければ……やろう」

 

「! そうか、ありがとう」

 くまの了承を聞くや、兵士達の過半数がくまの周りに集まり、そうでない者達も遠巻きに様子を窺うだけで、祈祷の邪魔をする素振りをまったく見せない。

 

 消耗品として扱われる兵士達のため、くまは聖書を開いて言葉を紡ぎ始めた。

「兄弟姉妹達よ。これより貴方達は大いなる試練に臨み、勇気と献身を体現することになろう――」

 

 言葉を紡ぎながら、くまは在りし日を思い出す。

 父が遺した小さな教会。採光窓から注ぐ優しい日差し。祭壇に立つ自分。席に並ぶ信徒達はミサの後の治療が目的の老人達とジニー目当ての男達ばかりだったが、皆いつも和やかにくまの説教を聞き、聖歌を楽しそうに合唱した。そして、ジニー。

 彼女はミサを行うくまを優しく見守ってくれた。

 

 ジニーとの出会いは、奪われ続けてきたくまの人生に訪れた福音そのものだった。くまが知る大勢の愛すべき人々の中でも、言葉を尽くせぬほど素晴らしい女性だった。

 

 在りし日の幸福な光景を瞼の裏に描き出しながら、くまはミサを続けた。静かに淡々と。しかし、誠意を込めて。

 

 そして、彼らは出撃する。

 バーソロミュー・くまのニキュニキュの実の力で弾き飛ばされ、兵士達を乗せたカーゴシップは砲弾のように宙を飛翔していく。

 

 大海賊の本拠点へ向かって。

 

      ○

 

 昼時近くを迎えたグランドライン某海域。天気晴朗なれど波高し。

 そんな水面に佇む黄色い潜水艦ポーラータング号では、揃いの白つなぎを着た船員達が船体のあちこちを修理していた。もちろん、船内でも同様の作業が行われている。

 

 ハート海賊団船長トラファルガー・ローは古参幹部のシャチとペンギンと共に、艦橋から周囲を警戒監視していた。

「周囲に船影無し」「天候も今んとこは安定」

 双眼鏡を覗くシャチとペンギンの報告に、ローは首肯しつつ大きく息を吐く。

「策自体は上手くいったんだがな」

 

 海軍の艦隊が活動する海域を脱するため、ローは夜闇に紛れて浮上航行を試みた。

 策は見事に当たり、無事に海域を抜けることは出来た――のだが、グランドライン名物の気象変化に出くわしてしまった。荒れ狂う海面。暴力的な波浪。絨毯爆撃のように降り注ぐドデカい雹。

 

 なまじ船足を速めようと帆を広げていたため(ポーラータング号には二本のマストがあり、帆走可能なのだ!)、緊急潜航が出来なかった。おかげで少なからず雹と波浪で損傷を被ってしまった。

 

「ごめんよ、キャプテン……おれが気象変化を読めてれば……」

 艦橋へ上がってきた、オレンジつなぎの白熊ベポがしょんぼり顔で詫びる。

 

「何が起きるか分からねェ海なんだ。こういうこともある」

 ローはベポを労わり、問う。

「現在地がどの辺りか分かったか?」

 

「計画してたルートから随分と流されちゃったみたいだ」

 ベポがログポースと些か精確性に欠く海図を挟んだクリップボードを見せ、説明する。

「もしかすると隣のラインの方が近いかも」

 

 リヴァースマウンテンから始まる七本の航路。選んだ航路を進み続けることも、別の航路へ移ることも自由だ。もちろん、多くの困難を伴うが。

 

「そうか」

 ローは少し考え込んでから、甲板上で作業している船員のクリオネに声を掛けた。

「クリオネ。進捗状況は?」

「この波で海中作業が遅れてるから、もう2、3時間は掛かりそうだよ」

 

 潜水して外殻を修理するという荒業は大変な危険を伴う。なんたって100トンをはるかに超える大質量が波で動いている。これに激突しようものなら、人間の骨なんて枯れ木のように折れてしまう。

 

 修理に掛かる時間を念頭に置き、ローは海図を見つめて思案する。

 予定ルートに復帰するか、いっそ隣のラインへ移ってしまうか。グランドラインの航海はログポース頼りだが、ログポースに必ずしも従う必要はない。ログポース通りに進めば確実に次の島へ辿り着けるというだけだ。

 

 いくつかの有名な島は座標が知られているし、六分儀などで自船の位置を把握することも出来るのだから。問題は――

「あの海軍の部隊がどこから来たか……だな」

 

 予定ルートか隣のラインか。何か大掛かりな作戦中だとしたら、向かった先で別の艦隊に出くわすかもしれない。

 潜水艦のポーラータング号なら潜航で大抵の面倒をやり過ごせるし、オペオペの実の能力者であるローは下手な海軍将官よりよほど強い。が、それでも油断ならぬ相手なのだ。

 海軍の艦隊という奴は。

 

 特に海戦、艦隊砲撃戦に長けた部隊は怖い。独航の海賊など移乗白兵戦をする機会も与えられず、一方的にボコられて水底まで一直線だ。

 

 ローが難しい顔つきで思案していると、

「キャプテン、なんかデカいもんが飛んどるぞっ!」

 双眼鏡を覗いていたペンギンが空を指差して叫ぶ。

 

 ローはすかさずペンギンが指す空へ双眼鏡を構え、見た。

 何かの莢みたいな形状のカーゴシップが二隻、並んで蒼穹を駆けていく様を。

 

「なんだ、あれは……っ!?」

「何あれっ!? 船っ!? 船が空飛んでるよ、キャプテンッ!」

「スゲェ……どうなってんだ、ありゃあっ!?」

 ローを始め、ベポやシャチもびっくり仰天。船外作業をしていた船員達も思わず手を止め、愕然と高空を飛んでいく船を凝視していた。

 

 と、ローの聡明な頭脳がこれまでの情報を基に素早く推論を組み上げた。

 ――昨日の艦隊はアレ絡みか。つまり、アレの向かう先で何か起きる。

 

 その”何か”は自分にとって、単なる危機か、それとも、予期せぬ好機か。

 

 新進気鋭のハート海賊団船長トラファルガー・ローは選択肢を前にし、眉間に深い深い皺を刻んだ。




Tips

翼よ~
 大西洋横断に成功したリンドバーグが発した言葉。実は後世の、しかも邦訳で生まれた創作らしい。同タイトルの伝記と映画もある。

評価戦隊
 オリ要素。
 外見のモデルは『砂ぼうず』第二部の西軍部隊。
 海のものとも山のものとも分からぬ新兵器の実戦評価試験を行うための部隊。
 実態は『データが取れたら死んでもいいゾ』という扱いを受けている懲罰部隊。

 現実の懲罰部隊は戦時下にのみ編成され、階級を剥奪されて敵の捕虜と共に戦場掃除や死体埋葬、重労働など名誉なき作業に従事する。
 ……のだが、ロシアでは消耗品扱いで最前線へぶっ込まれているようだ。コワイ。

ベアトリーゼ
 メルヴィユ発見に成功したゾ。

トラファルガー・ロー
 【緊急イベント発生!!】政府の秘密作戦を目撃しました。
   ・面白そうだ……行ってみるぞ!
   ・無用なリスクは避けるぞ。無視だ。
 ~という状態。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

148:メルヴィユ・ザ・ストロングワールド

佐藤東沙さん、かにしゅりんぷさん、しゅうこつさん、ミタさんさん、誤字報告ありがとうございます。


 メルヴィユ群島の野生生物がストロング過ぎる。

 

 グランドラインにあるメルヴィユ群島は島ごとに環境が大きく異なるというイカレた土地です。

 イカレた島に暮らす動物達も当然イカレており、I・Qという知能テストみたいな名前の植物の影響もあって、意味不明な独自進化を遂げた生物が数多く生息しています。

 

 そんな独特の生態系を持つメルヴィユですが、大海賊の“金獅子”シキが本拠地として選んだことで、空島でもないのに空中に浮かぶようになってしまいました。

 

 そして、金獅子シキの部下で三流ピエロモドキの一流微生物学者というややっこしい男ドクター・インディゴ。彼はI・Qを元に開発した進化促進薬S・I・Qをイカレたメルヴィユの野生動物達に与え、バチクソに大型化かつ凶暴化させています。

 

 今では危険になり過ぎた野生動物から身を守るため、金獅子海賊団は拠点の周囲に毒性植物ダフトグリーンの樹木帯を作って動物の接近を防ぐ有様です。

 イカレた生態系のバァチクソ凶暴な生物が支配する空中魔境。それがメルヴィユです。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

 密林の端、ハンググライダーを解体してこさえたテントの中で仮眠を取っていたベアトリーゼは目を覚まし、ぼさぼさの髪を掻く。なんかポワポワした背景音と共にナレーションが聞こえていたような気がする。

 

 樹冠の隙間から注ぐ木漏れ日。太陽が高い。昼飯時かちょい過ぎた辺りか。

 メルヴィユに到着後、電伝虫でステューシーに連絡を取ったところ、部隊の到着は日没後になるらしい。それまでは大人しく潜伏してろ、とのこと。

 一人で鶏ジジイのアジトへ乗り込む気など無いから、異論はない。それに、ハングライダーの長時間飛行はくたびれた。日没まで休めるなら休みたい。

 

 欠伸をした後、ベアトリーゼは強張った体をほぐし、引き締まった腹を撫でる。

「……腹減ったな。何かとっ捕まえて食うか」

 

 というわけで、蛮族スタイルの食事をすべく、森林浴でもするように密林内へ足を踏み入れれば。

 ドデカサイズのワニとタコとカマキリとクマの乱闘、という意味不明な光景に出くわした。

 

 学術的にツッコミたいところが山ほどある生物達を前に、

「まあ、考えても仕方ないか」

 ベアトリーゼが思考放棄してぼけらっとしている間に、大怪獣決戦は終わった。

 

 巨大ワニは巨大タコに殴り殺され、巨大タコは巨大カマキリにぶった切られ、巨大カマキリは巨大クマに叩き殺された。で、巨大クマは総取りというようにワニとタコとカマキリを“連れて”行こうとする。

 

 その背中を眺めながら、ベアトリーゼは双眸と唇を三日月形に大きく曲げた。

「……熊肉か」

 

 巨人族並みにデカいクマへ迷うことなくプラズマジェットで跳躍突撃。大気の炸裂音にクマが振り返った時には既に頭部へ漆黒の周波衝拳をぶち込んでいる。打撃衝撃と高周波振動が分厚い頭皮と頭蓋骨を貫通し、脳漿と血液を瞬間沸騰。打撃で破砕された頭蓋骨は沸騰圧に耐えきれず、クマの頭部が爆ぜて血肉の花が咲く。何が起きたのか知覚できぬまま頭を失ったクマがその場にへたり込む。巨躯が倒れる小さな地響きが密林内へ伝わる中、ベアトリーゼはタイトな赤黒潜水服に包まれた長身を三回転半捻りさせて着地し、首を傾げた。

 

「なんか今、すっごくキレてた。すっごくキレてた……っ!?」

 ベアトリーゼは体と技の冴え、覇気と能力の出力に驚愕する。

 

 白骨海域―アラバスタ―空島と全身全霊の全力を絞り出すように戦ったから、能力と覇気が成長したのかもしれない。でも、この身体と技の冴えはいったい……?

 ……強くなってる分にゃあ良いか。

 

 考えることがかったるくなり、ベアトリーゼは巨大クマの死体に向き直った。死体に両手を添えて振動波を叩き込み、体内血液を創傷部から一気に排出させ、血抜きする。

 

 巨大熊の毛皮を引っぺがし、ロース、ヒレ、バラ、モモ、リブの肉と脂肪をそれぞれ塊で切り出し、袋代わりにデカい葉っぱと蔦でまとめてテントへ戻る。

 バチクソ凶暴な獣達は『小さな怪物』が去ったことを確認し、巨大クマを始めとする死骸へ群がり、奪い合いを始める。ストロングな食物連鎖。

 

 帰路に拾い集めた香草や野草、果実と小汚い岩塩でクマ肉を下ごしらえ。焚火に掛けて熱した石に脂をひいて……お一人焼き肉開始。

 パチパチと脂が爆ぜ、お肉がジュウジュウと焼ける。食欲を刺激する匂いが立ち昇り、口腔内に涎が湧き出て止まらない。

 

 ベアトリーゼは野趣あふれるクマ肉を食い、思わず叫ぶ。

「……おビール様、おビール様が欲しいっ!」

 

      ○

 

 青いパーマ頭に白塗化粧、白衣と青い衣装、放屁音を奏でるデカ足靴で、ドヘタクソなパントマイムに情熱を注ぐ三流ピエロ。然してその正体は世界屈指の微生物学者にして、特異植物I・Q研究の第一人者。

 ドクター・インディゴはここ数日、寝食を忘れて研究に没頭していた。

 

 生物の進化促進効能を持つI・Qから精製した強制進化薬S・I・Q。これを10倍濃縮した試薬をたらふくぶち込んだ試験体“ザパン”のデータを用い、熱心に活動している。

 

 環境や状況――外的要素ではなく、自らの意志と認識――内的欲求に基づく肉体変化。

 この島の動物達には見られなかった試験結果に、青ピエロ科学者は昂りを抑えきれず、すぐにでも第二第三の人体実験へ取り掛かろうとしていた。

 

 が、これにシキが待ったを掛けた。重要な労働力たる先住民を使い潰すことに難色を示し、同様に隷下の海賊や先住民の児童を用いた実験も反乱が生じた場合の面倒臭さを厭い、許可を出さなかった(代わりに今後の略奪では実験用に人攫いも行われることが決定している)。

 根っからの“マッド”ではあるものの、奇妙なまでに律儀な忠誠心を持つインディゴはシキの決定を尊重し、人体実験を控えている。

 

 とはいえ、猛り迸る情熱と意欲を無駄にする気のないインディゴは、別ベクトルで実験を行うことにした。

「組織サンプルとS・I・Qの反応試験、開始。映像電伝虫で経過記録も問題ありません」

 部下の報告を聞き、インディゴは満足げに頷く。指の間でジャグリングボールを踊らせながら、研究室に並ぶ資料陳列棚へ顔を向けた。

 

 I・QとS・I・Qの実験標本が並ぶ一角に、特別な標本が飾られていた。

 不活性薬剤で満たされたガラスケースに浮かぶ“それ”は、歳若い娘の上半身。

 鋭利な刃でへその辺りから両断され、右腕を上腕部から落とされ、眉間を貫かれたその骸は、薄褐色の肌に夜色の髪。薄く開いた双眸の瞳は満月のような金色。

 人造種族ヒューロン。

 

 インディゴはジャグリングボールの一つをガラスケースへ向けて投げつけた。

 ぱいんっ! とボールがガラスケースに当たった刹那、屍の金色の目がぎょろりと蠢く。

 何も知らなければ生きていると誤解しそうだが、ヒューロンの娘は間違いなく死んでいる。外刺激に各種筋肉が反応しただけだ。より正確には、この命なき屍肉に残る意志が反応した、と表するべきか。

 

 一見すれば、ガラスケース内の屍はごく普通の人間にしか見えない。

 ただし、“中身”は別物だ。臓器の性能も耐久性も、骨と筋肉の密度や強度も、皮膚や脂肪の靭性や弾力性も、神経系の伝達効率も、常人をはるかにしのぐ。

 そして、肉体構成する細胞はI・Qに似た構造を内包していた。環境や状況、おそらくは自らの意思と認識に基づいた適応変態(バージョンアップ)を可能としており、高い発展性と拡張性を約束している。

 

 一流の微生物学者にして進化研究者のインディゴは分かる。悔しいほどによく分かる。

 こいつを作り上げたソナン兄妹は間違いなく天才で、ヒューロンはまさしく生命の芸術だと。

 

 これまで嫉妬に臍を噛み、羨望に溜息をこぼしてきたが、もう違う。試験体ザパンはS・I・Qの可能性を大いに示した。肉体的限界を迎えてもなお、生存本能と生への意志が肉体を再構築するという奇跡を実現したのだから。

「ヒューロンとS・I・Q。きっと楽しいことになる……ピーロピロピロッ!!」

 

 インディゴが哄笑を上げている頃、メルヴィユの支配者たるシキは本殿で療養に努めていた。

 老齢に見合わず壮健で頑健な男だが、傷の治りは若い頃に比べて鈍い。

 歳ぁ取りたかねぇなあ。赤ん坊の腕くらいありそうな太い葉巻を燻らせながら、シキは島船の修理報告書に目を通す。

 

 組織が大きくなっても、シキは海賊の船長である。

 海賊王ロジャーのように、組織経営にまつわるあれやこれやを部下に丸投げして自身は責任と決断を負うだけ、なんて輩も居るが、支配欲が強烈なシキは全てを自身が把握していないと落ち着かない。

 

「修理にゃあ半月掛かる、か」

 島船の修復には時間が掛かる。なんたって船体が岩だ。木や鉄のように扱い易くない。石工達が損傷形状に合わせて石材を加工する必要があった。

 ベイビーちゃんめ。やってくれるぜ。いや、ちぃっとはしゃぎ過ぎたか。

 

 自嘲的に喉を鳴らし、シキは別の報告書を手に取った。

 逃亡したチレンが手掛けていた超長距離砲に試射の目途がついたらしい。計画の中核を担っていたチレンがいなくなって開発が頓挫するかとも思ったが、残りのスタッフが踏ん張ったらしい。

 彼らの頑張りはシキの怒りを恐れてのこともあろうが、動機があるのだ。

 

 ――天竜人と政府を恨む連中は腐るほどいるからな。

 老海賊であるシキは絶大な権力を握る天竜人と政府の正体が、どれほど残忍で残虐なクズ共か、よく知っている。

 奴らに傷つけられ、貶められ、辱められ、奪われた者など掃いて捨てるほどおり、奴らに怒り、恨み、憎み、復讐と報復を望む人間の中には、力や知恵や技術を持つ人間も少なくないのだ。

 

 シキは嘲罵を込めて嗤う。

「試射の的はあそこ以外ねェよな。20年振りに表舞台へ上がるんだ。センゴクとガープの野郎にきっちり挨拶しておかねェとなぁ」

 気流に流されるメルヴィユが海軍本部マリンフォードを射程に捉えるまで、あと少し。

 

        ○

 

 沈んでいく太陽の残滓を夜が塗り潰していく。

 紫色の染まる昼と夜の狭間。夕焼けに輝く水平線。大自然が織りなす色彩変化。

 

 ベアトリーゼは目にしたメルヴィユの自然と動植物を描き終え、スケッチブックを閉じる。

 そろそろ金獅子狩りに投入された特攻隊(ヒンメルファールツコマンド)が到着する頃か。

 

 立ち上がり、ベアトリーゼは柔軟体操を始める。ラジオ体操モドキを行い、次いで、簡単な拳打足蹴とブレードとナイフの素振り。やはり体が軽い。動きが冴える。技がキレる。

 体調が万全であることを考慮しても、身体の出力と機動性と運動性、反応性と応答性が桁違い。

 

 片手で逆立ちしながら、ベアトリーゼは反対の手を顎先に沿えて小首を傾げた。

「何か変なもの食べたかしら?」

 

 ひょっとしてスーパー神業料理人サンジの食事効果か? いや、それならFカップから大きくならない胸が夢のGに届いてるはず。

 身長190センチ近くのベアトリーゼとしては最低でもGカップは欲しい。なんたって相棒のロビンがブリリアントダイナマイツなスタイルなのだ。並ぶとFカップなのに貧乳みたく見えてしまう。Fカップなのにっ!

 

 うーむと片手逆立ちしながら悶々とアホなことを思案していると、夜に呑まれていく夕闇の中に二つの影が見えた。何か莢のような形状のそれは視界の中でぐんぐんと大きくなっていき、ベアトリーゼの近くへ向かって迫ってくる。

 

「おや」

 片手で高々と跳躍し、前転から三回転半捻りして着地。

 

 二隻のカーゴシップが風切り音を引きながらベアトリーゼの頭上を越え、密林外れの平野に腹を擦りつけるようにして着陸。もうもうと立ち昇る粉塵に佇むカーゴシップ。どうやら無事らしい。

「無茶するわ」

 ベアトリーゼは装備をまとい、多眼式ヘルメットを抱えてカーゴシップの許へ向かった。

 

 で。

 

 評価戦隊は消耗品部隊らしく士気は高くないが、能力と練度は優秀(スパーブ)だ。

 着陸に成功したカーゴシップの後部ハッチが開かれ、完全装備の兵士達が機材を担いで速やかに降り立ち、点呼整列を始める。

 

 そして、天竜人フランマリオン聖が貸し与えた『備品』が船倉から姿を現す。

 七メートル越えの体躯を持つバーソロミュー・くまから一回りほど小さい者達。

 耐爆スーツ染みた分厚い全身装具で身を包み、頭を金魚鉢みたいな多眼式ヘルメットで覆い包んでいる。背中にはバカでかいバックパックを担ぎ、手に持つ機関砲と弾帯でつながれていた。腰にはトマホークを下げている。

 フランマリオンから『型落ち』と評されたそれらは、天竜人製の人造人間兵器モッズ達だ。

 

「もうちょっと丁寧に降りられなかったの?」

 真っ白な装いの女諜報員が立ち込める粉塵を手で払いながら、お気持ち表明。

 

「次があれば、考慮しよう」

 連れ添って降り立つ王下七武海がうっそりと応じ、密林の方角へ顔を向けた。

 

 夜色の長身美女が飄々と現れる。赤黒のタイトな潜水服で身を包み、肩に装具類を担いだ美女は“血浴”のベアトリーゼその人だ。

「ようこそ、メルヴィユへ」

 ベアトリーゼはアンニュイ顔に似合いの微笑を湛えてステューシーへ挨拶し、隣のくまへ暗紫色の目を向けた。

「王下七武海か。私はベアトリーゼ。よろしく」

 

「……くまだ。よろしく頼む」

 くまは無情動に頷きつつ、度の強い眼鏡の奥からジッとベアトリーゼを窺う。

 盟友ドラゴンが保護すべく探していた“悪魔の子”ニコ・ロビンと組んでいたという娘。

 この娘とニコ・ロビンが西の海で暴れ回っていると知った時、ドラゴンが酷い渋面を浮かべたことを覚えていた。

 

 ベアトリーゼも物憂げ顔でしげしげと王下七武海の大男を眺める。

 たしかニキュニキュの実の能力者だっけ? どういう理屈かよく分かんねェけど、ありとあらゆるもの……人間や大気とかの質量物から痛みとか他人の知覚まで弾き飛ばせる……だったよな。デタラメにも程があるだろ。まさに魔法じゃねーか。

 

 密やかに鼻息をつき、ベアトリーゼは仮面をつけた白づくめの貴婦人へ顔を向けた。

「今日はいつにも増してキメキメじゃん。仮面までつけちゃって……任務間違えてない? パーティへ潜入するんじゃないよ?」

「正式衣装よ。貴女はもう少し気を使いなさいな。服は仕方ないにしても、髪くらい整えたら? ぼさぼさじゃないの」

 

 ベアトリーゼとステューシーの気安いやり取りをする様に、くまは意外なものを覚える。

 話に聞いた限りでは、“血浴”は政府と海軍に強い嫌悪と敵意を抱いているということだったが、政府の人間であるステューシーへの態度は親しげで裏を感じさせない。

 それに、ステューシーの態度も、珍しい。万事に冷笑的な彼女がこれほど柔らかな顔を見せるとは。

 

 短い軽口を交わし終え、ベアトリーゼは言った。

「そだ。銃を貰える?」

「予備はあるけど……銃を使うの?」仮面の貴婦人が怪訝そうに碧眼を細める。

「あの鶏ジジイを相手にするには飛び道具がいるんだよ」

 

 ベアトリーゼは受け取ったエッグヘッド製小銃をしげしげと観察。

 

 未来島製の銃はSF染みたハイテク玩具ではなく、量産性と経済性を重視した平凡な代物だった。

 プレス加工の機関部。ベークライトに似た樹脂製の銃把と銃床。現代地球の軍隊みたくゴテゴテとしたアクセサリはない。機関部にある弾倉を外して確認。中口径のスチールコア。25発入り。最大射程はだいたい1500メートルか。ただし、銃身と機関部の工作精度からしてまともな有効射程は400かそこらぐらいだろう。

 

 銃床(ストック)は要らないので熱プラズマの放射で焼き切り、スリングで背中に下げた。予備弾倉をまとめて後ろ腰の雑嚢に突っ込む。

「作戦と交戦規定は?」

 

 ベアトリーゼの質問にステューシーは淡々と語る。

「強襲よ。突入後は三手に別れて中央管制室、長距離砲台、研究棟を押さえる。貴女には本殿を任せるわ。研究棟に被害が及ばない限りは好きにやってちょうだい。付帯損害も無視して良い」

 

「非加盟国人は死んでも問題ナシって? そういう差別よくないよ」

 ベアトリーゼは冷笑をこぼし、後ろ腰から抜いたダマスカスブレードを腕に装着する。インナーキャップを被ってから、いくつか目が潰れている多眼式ヘルメットを装着。

「始める?」

 

「ええ。朝までに終わらせましょう」

 ステューシーはくまへ仮面で覆った顔を向け、告げた。

「くま。お願い」

 

「分かった」

 くまは右手の革手袋を外し、肉球のある大きな手のひらをカーゴシップへ振るった。

 

 ぱん。

 

 空気が弾ける音がした瞬間、大きなカーゴシップが一瞬で消え去り。

 再び右手を振るい、くまはもう一隻のカーゴシップも眼前から消滅した。

 

 直後、無人のカーゴシップが砲弾の如くシキの宮殿へ激突し、メルヴィユ中に轟音を響き渡らせる。

 

「デタラメすぎ」

 ベアトリーゼはヘルメットの中から愉快そうな笑い声をこぼした。もっとも、暗紫色の瞳は既に戦闘モードでバーソロミュー・くまを解析し始めている。

 

 能力発動を肉眼で捉えられなかったし、カーゴシップの移動も見聞色の覇気を張ってなけりゃ見逃したかもしれない。空間跳躍移動? いや、大気が動いてる。だけど、あれだけの質量を一瞬で運動させるエネルギーが発生して衝撃波一つ生まないってどういう理屈だよ。

 というか、そもそも物理学を超越する肉球ってなんだよ? ホントに肉球か?

 

 ベアトリーゼがぐるぐると思考を巡らせているところへ、ステューシーがたおやかな腕を掲げ、大きく回す。

「総員、前進開始っ!」

 

 金獅子狩りの始まりだ。




Tips

冒頭のメルヴィユ紹介
 動物系雑学で人気のユーチューバー:オールマイティ・ラボのオマージュ。
 ポップなナレーションが癖になる。動画はどれも短いのでお試しあれ。

熊肉
 ジビエでも鹿や猪に比べるとお高い傾向にある。作者はわりと好きな味だった。

ドクター・インディゴ
 貴重なヒューロンのサンプルを持つマッドな微生物学者。強制進化薬『S・I・Q』を開発した人。

ヒューロン。
 オリ要素。元ネタは砂ぼうず。
 夜色の髪、薄褐色の肌、『金色の目』といった身体特徴は本作オリジナル。

フランマリオン聖の人造人間兵器。
 外見のモデルはコールオブデューティーシリーズの重装歩兵ジャガーノート。
 具体的な詳細は追々。

エッグヘッド製の銃。
 最初はビーム銃とか携帯式レールガンとか出そうとしたけど、ワンピ世界の一般的な脅威(海賊や反政府勢力)が刀剣類を振り回してるような有様なら、火薬式の自動小銃でもお釣りが来るよな、て。
 銃が通じないような奴らはそれこそ精鋭が相手をすれば良いし。

 ちなみに、アニメ描写だとジェルマの銃が自動連射可能で、空薬莢まで吐いてた。

バーソロミュー・くま
 ニキュニキュの実の能力が謎過ぎる。バラバラの実と同じくらい謎。

ベアトリーゼ。
 ようやく自分の体が『アップデート』されたことに気付き始めるけど、深くは気にしない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

149:バトル・オブ・メルヴィユ

ゾロ目投稿の誘惑……0と3が規則的に並んでとっても幸せ……

烏瑠さん、しゅうこつさん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます


 この日、浮遊群島メルヴィユに居た金獅子のシキの手勢は合計約1000名強。集会があったわけではないから、隷下海賊団の全てが揃っていなかった。

 それでも、この約1000人はグランドラインで活動し続けてきた海賊達だ。四海で粋がっているカッペでもなければ、海賊団と珍走団の区別もつかないジャリタレでもない。暴力で飯を食っている本職のワル共だ。

 

 宵の口を迎え、海賊達は吹き抜けの大食堂(メスホール)に集まり、いつものように飯と酒を楽しみ始めていた。町から強制徴集された先住民の若い女性達が食事を作り、各テーブルに料理と酒を配って回っていく。夜が更ければ、彼女達は褥に連れ込まれて弄ばれる……

 

 日が暮れた今、先住民の男達は強制労働キャンプの囚人のように拠点地下のタコ部屋に押し込まれ、不景気な顔で粗末な飯を摘まんでいる。

 

 海賊共と関わりを好まない研究棟の住人達――科学者や技術者達は同棟の食堂で夕餉を取り、自分達の居住棟へ向かう。

 本殿中央管制室では、早めに夕食を済ませた夜番の管制員と気象予測班が、操作盤と向き合っていた。

 

 いつも通りの夜だった。

 少なくとも、その時までは。

 

 

 

 轟音。

 

 

 

 名状しがたき圧倒的な音の暴力がメルヴィユ本島の端から端まで駆け抜け、壮烈な衝撃が巨城染みた本拠点全体を揺さぶる。

 吹き抜け四層の大食堂を支える幾重もの梁から埃が湧きあがり、天井から剝離した木片がぱらぱらと降り注ぐ。海賊達は何事かと驚き、給仕の先住民女性達は不安顔を浮かべた。

 轟音と衝撃はもちろん、シキの許にも届いていた。

 

「何事だぁっ!?」

 シキが眉目を吊り上げながら怒号を上げ、執務室から中央管制室へ向かおうと腰を上げた、直後。

 

 再びシキの拠点を激甚な轟音と衝撃が襲った。

 今度は爆炎を伴って。

 

       ○

 

 金獅子の根城から生じた激烈な轟音と衝撃は先住民の小さな小さな町にも届いていた。

 男衆と若い女達を連れ去られた町には老人と子供しかいない。両腕に羽を生やすメルヴィユ先住民の老人と子供達は、轟音と衝撃に誘われて表へ出ており、期せずして目撃した。

 

 金獅子シキの大拠点から大きな火球が生じ、衝撃波が町まで届く。老人と子供達は悲鳴と吃驚を上げてその場にうずくまり、愕然慄然しながら目にする。

 シキの本拠点から立ち昇る二つの真っ黒なキノコ雲を。

 

      ○

 

 もうもうと立ち昇る二つのキノコ雲と花吹雪のように飛散する莫大な量の火花。本殿と湖港から生じた火災が夜空を焼いている。

 

「ちょっと派手すぎない?」

 ベアトリーゼが多眼式ヘルメットのバイザーを開けてけらけらと笑う。兵士達も頭をすっぽり覆うヘルメットの下から感嘆をこぼす。耐爆スーツ染みた重装備の『備品』達は無情動のままだが。

 

「あれは予定にないけれど……」

 仮面の下で眉間に深い縦皺を刻み、ステューシーはカーゴシップをシキの本拠点に叩き込んだ張本人を詰問する。

「くま。カーゴシップをどこに打ち込んだの」

 

 ステューシーだけでなくベアトリーゼや兵士達からも注目されたくまは、うっそりと応じた。

「一つは本殿の武器庫。もう一つは湖港の弾薬庫だ」

 

 根が真面目な彼は任務にあたり、シキの本拠点地図をしっかり頭に叩き込んでおり、良心から囚われた先住民に最も被害が及ばないだろう場所を選んで、カーゴシップを叩き込んでいた。

 事実、武器庫と弾薬庫の大爆発による主な犠牲者はシキの手下達だ。

 

「なんにせよ、良い状況だ」

 ベアトリーゼはとても楽しげにアンニュイ顔を綻ばせ、次いで燃え盛る本拠を睨み、暗紫色の瞳を獰猛にぎらつかせた。

「先行する。連中が立ち直る前に蹴散らしたい」

「同行する。今なら抵抗も薄い」くまは無表情に告げた。

 

 ステューシーは小さく溜息をつき、頷く。

「研究棟は壊さないように」

 

 小言のお許しが出たところで、ベアトリーゼはバイザーを下げてくまを見上げる。

「私は本殿。そっちは?」

 

「港に停泊している海賊船を完全に潰しておく。それから本殿へ向かう」

 言い終えるが早いか、ぱん! と空気が爆ぜる音と共にくまが消える。

 

「便利だな、ニキュニキュの実!」

 ベアトリーゼは笑いながら背中と両脚からプラズマジェットを放出し、シキの本拠点へ向かって飛翔した。

 

 たちまち姿を消した2人の猛者に、ステューシーは小さく鼻息をつき、兵士達へ告げる。

「敵の頭数を減らしてくれるそうよ。総員、速歩前進」

 

     ○

 

 湖港は極めて被害甚大だった。

 弾薬庫いっぱいに詰まった艦砲用の砲弾や装薬が爆発したのだから、当然と言えば当然かもしれない。弾薬庫は跡形もなく消し飛び、周辺倉庫も爆心地に近いものは建物の骨組みを遺して吹き飛ばされていた。衝撃波と爆炎でいくつもの施設が破壊されて延焼し、港の揚降機はドミノ倒し。港に停泊していた海賊船は、一隻残らず転覆するか爆炎を浴びて松明のように燃え盛り、艦載砲の弾薬や燃料物が引火して誘爆していた。

 

 港の警備員達は爆心地に近かった者は即死。建物内に居た者は瓦礫に圧し潰されるか、閉じ込められて延焼の煙で窒息死するか焼け死んでいく。

 そこかしこから、死神の手を逃れた者達が苦痛の悲鳴を上げ、苦悶の呻きを漏らし、救助を求め、母や神の名を叫んでいる。

 無事だった者達も爆発の衝撃に茫然自失状態で、煌々と燃え盛る港を唖然慄然悄然と見守るだけだ。

 

 そんな地獄絵図の港に、聖書を左脇に抱えた巨漢が現れる。

 王下七武海“暴君”バーソロミュー・くまは自らが“爆撃”した湖港を見回し、聖書を大事そうに後ろ腰のポケットへしまい込むと、両手の革手袋を外した。両腕を大きく広げ、ゆっくりと両手を胸元へ近づけていく。

 

 そして、分厚い胸板の前で揃えられた両手の間には、目に見えるほど圧縮された大気の塊が生じていた。

熊の衝撃(ウルススショック)

 うっそりと呟き、くまは莫大な大気を圧縮した燃え盛る港区画へ放つ。

 

 ふわふわと宙を進んだ大気の塊が不意に圧力を解放した。さながら爆弾のように。

 世界が裂かれる音色がメルヴィユ全土に轟き響く。

 

 解放された大気は凄まじい破壊作用を発揮した。残存していた全ての建物と人間が圧し潰され、薙ぎ倒され、港を焼く炎までも吹き飛ばされる。全ての船舶は瞬く間に轟沈し、湖面が大きく波立った。極限圧縮大気の解放がもたらした衝撃の余波は延焼する本殿や研究棟、超々長距離砲台にも及び少なくない被害を与えている。

 

 覇気を使わずただ能力による一撃で湖港を完全に瓦礫へ変え、くまは泰然と本殿へ向き直った。

 夜闇を鋭く切り裂くプラズマ光が、本殿正門へ向かって一直線に飛翔していく。

 

 おそらく“血浴”だろう。

 真正面からシキの許へまで一気に駆け上がるつもりらしい。あの娘の気性なら非戦闘員の先住民達を手に掛けたりすまい。ならば――

 

「……まだ間に合うな」

 くまはぼそりと呟き、再び自らにニキュニキュの実の力を使い、本殿へ向かう。

 ステューシー達が本拠点へ到着するまでに囚われている先住民達を脱出させるのだ。

 

        ○

 

「あれが、王下七武海……“暴君”くま……なんて、力だ……」

 中央管制室は戦慄の沈黙に包まれていた。海嘯のように繰り返される警報が酷く遠く感じられる。

 港に配されていた映像電伝虫達が通信を途絶させる直前に寄越した、王下七武海の姿。

 管制室の管制員達は誰も彼もが愕然と震慄していた。武器庫周辺が爆発倒壊し、今まさに火災が広まっていることも忘れて。

 

「ニキュニキュの実……野郎まさか……」

 中央管制室に到着していたシキが片眉を上げる。湖港の映像電伝虫が最後に寄越した映像の大男。見覚えは無かったが、能力を見て古い記憶が甦る。

 

 30年以上前。ロックス海賊団最後の日。今は亡き島ゴッドバレーから脱出した際、若き日のシャーロット・リンリンが毒づいていた。

 奴隷のガキにニキュニキュの実を食われた、と。

 

「あの時、ゴッドバレーにいた奴隷のガキか……っ!!」

 天竜人に畜生以下の扱いを受けた元奴隷が悪魔の実の能力を得て、自分の本拠点に殴り込みするほどの力を持つ海賊になったというのに、世界政府の犬たる王下七武海を務めている。そこにいかなる事情があるのか、シキには分からない。いや、どうでも良い。

 

「あれだけの目に遭わされて、それだけの力を持つ海賊になってなお、狗なんぞやってんのかっ! 奴隷根性が染みついてやがるみてェだなあ、クソガキッ!!」

 舵輪が刺さった禿頭に青筋をいくつも浮かべ、シキは眉目を吊り上げた。

 

「火災の始末はテメェらで手配しろっ! 俺はあの奴隷上がりをぶち殺しに」

 シキが名刀を義足代わりにしている両足を鳴らした、直後。

 

 ディスプレイに本殿正面玄関が吹き飛ぶ映像が流れ、遅れて破砕音が管制室まで届く。

 

 すらりとした長身を赤黒のタイトな潜水服で包んだ女が、傷だらけの多眼式フルフェイスヘルメットを被った顔を映像電伝虫に向け、叫ぶ。

『鶏ジジイ―――――っ!! 今からぶっ殺しに行くから待っとけっ!!』

 

 スピーカーから響く宣戦布告に管制員達が再び絶句する中、シキは青筋だらけの禿頭を真っ赤に染め上げた。

「小娘がぁ~~~~~っ!! ちっと甘ェ顔してやりゃあつけあがりやがってっ!!」

 

 獅子のタテガミ染みた長髪が今にも逆立ちそうなほど激憤しながらも、シキの冷徹な部分が思考を働かせる。

 こいつら、どうやって空中を航行するこの島の場所を特定した? どうやってここへ来た?

 

 シキは既に激怒で歪んだ形相を新たな憤怒で上塗りする。

「あンの腐れ女郎っ!!」

 チレン。あの女が密告()したネタで動いているなら、これは凄腕2人の襲撃(カチコミ)ではない。

 “政府の”討伐作戦だ。

 

 シキは舵輪の刺さった頭を茹で蛸より真っ赤に染めあげ、マスクメロンのようにいくつも青筋が走った顔貌を更なる怒りでバッキバキに歪め、獅子のように管制員達へ吠えた。

「警報発令っ! 総員戦闘用意っ! 総力戦じゃあああああああっ!!」

 

       ○

 

 正門をぶち破り、蛮姫がしなやかな体躯を躍動させ、破壊現象と化す。

 覇気をまとう美麗な暴虐。周波振動を放つ華麗な蹂躙。

 

 疾風のように廊下を激走しながら、出会う海賊へ漆黒の拳打足蹴を放つ。

 旋風のように広間を跳躍しながら、遭遇した海賊にダマスカスブレードを振るう。

 暴風のように階段を駆け上がりながら、視界に捉えた金獅子配下の海賊達を片っ端から殴り壊し、斬り裂き、蹴り砕き、貫き抉る。

 

 流麗に舞い、無数の銃撃をかわす。艶麗に踊り、十重二十重の斬撃を避ける。

 床を滑り抜けながら拾い上げた拳銃を連射し、天井を激走しながら奪い取った刀剣を投擲する。引っ掴んだ死体を盾にして。蹴り飛ばした血肉と臓物を目くらましにして。前転宙返りしながら海賊達を斬殺し、側転しながら海賊達を殴殺する。

 

 新体操選手染みたアクロバティックな一挙手一投足から自在に確殺の攻撃が繰り出され、一挙動ごとに死が生まれ、血肉が壁や天井を染め、床に損壊した屍が飾られていく。

 

 無論、全ての者が一撃で命を奪われるような雑魚ではない。大海賊金獅子の眼鏡に適う強者や高額賞金を懸けられるだけの実力者も居る。少数ながら覇気使いや能力者も交じっている。

 

 だが、何者も蛮姫の進撃を止められない。何者も蛮姫の舞踏を止められない。

 ある覇気使い達は壁ごと上体を殴り砕かれ、襖や柱と一緒に両断された。ある能力者達は木っ端微塵に破砕され、畳の赤いシミとなり、肉片を壁や天井に貼りつかせる。

 高次元の機甲術者(キュンストラー)に”それなり”程度の強者など通じない。

 

 蛮姫はどこまでも無慈悲な暴力を駆使しながら、自らを調律する。

 身体の軽さに合わせて体術を。身体の速さに合わせて武術を。

 

 蛮姫はどこまでも冷酷な武力を行使しながら、自らを最適化する。

 集中力を高め、知覚と感覚を鋭敏に明敏に。思考力を強め、異能の操作を細微に精微に。

 

 返り血を浴びて全身を真っ赤に染めながら、ベアトリーゼはヘルメットの中で嗤う。

 万全の体調で思うがままに体を駆動させる快感。自身の持つ異能を思う存分に行使する昂揚感。多勢を一方的に駆逐していく爽快感。敵を恐怖と怯懦に凍らせる征服感。

 魂魄が奔り、下腹部が滾る。悪魔の実の力が迸り、武装色の覇気が漲る。

 

 昂奮に猛り、ベアトリーゼは電磁加速スピニングドロップキックをぶっ放す。

 軌道上に居た数人の海賊達を挽肉に変えながら、砲弾と化したベアトリーゼが廊下の突き当りにあった大扉を破砕する。

 

 余勢を駆って三回転半捻り宙返りし、着地した場所は大食堂のど真ん中。

 巨大ショッピングモールさながらに吹き抜け三層からなる大食堂には、大勢の海賊達が待ち構えていた。無数の銃口と切っ先が向けられ、上下左右四方八方から殺意と敵意と罵声と怒号が浴びせられる。

 

「おやおや」

 ベアトリーゼは大食堂を見回して残忍に口端を歪め、人間の耳では捉えられぬ不可聴域の催眠超音波を奏でる。

 大食堂に悪夢へ誘う無音の調べが響き渡り―――

 惨劇の幕が開かれた。

 

       ○

 

「いったい、何が起きてやがる」

 総力戦の指揮を執るべく中央管制室に留まっていたシキは、ディスプレイの映像に我が目を疑う。

 

 最多兵力が留まっていた大食堂を映すディスプレイの中で、惨劇が繰り広げられている。

 

 配下の海賊達が突如発狂したかのように殺し合いを始めていた。

 意味不明なことを喚きながら、周囲に向かって銃を乱射し、刀剣類を振り回し、酒瓶や皿を投げ、拳を振るい、誰彼構わず襲い掛かっている。

 

 よくよく見れば、強度鬱状態に陥ったようにうずくまっている者や自失状態に陥って棒立ちしている者、身体の自由が利かないのか倒れ込んで動けなくなった者も多い。そうして無力化してしまった者達を、発狂した連中が容赦なく攻撃し、傷つけ、命を奪っている。

 

 狂気の坩堝。

 そう表現する他ない光景に、歴戦の古強者たるシキも言葉がない。

 

 そんな悪夢的舞台と化した大食堂の真ん中で、返り血で真っ赤に染まった美女が、小休止と言いたげに多眼式ヘルメットのバイザーを上げて酒と料理を口に運び、海賊達の狂乱を眺めて嘲り笑っている。

 間違いねェ。どういう手管か分からねェが、あの小娘の仕業だ……っ!!

 

 別のモニターでは、奴隷上がりの肉球大男が海賊達を容易く掃討しながら、先住民達を本殿の裏手へ避難させている。まるで先住民達を救う方がシキ討伐よりも重要だと言わんばかりに。

 奴隷上がりのクソガキめ……っ! 

 

「シ、シキの大親分ッ!!」

 管制員の一人が顔を真っ青に染めて、叫ぶ。

「あ、新手ですっ! 新手の襲撃ですっ!!」

 

 シキは血走った眼を破壊された正門付近の映像へ向けた。

 

 ※  ※  ※

 

 “血浴”が海賊達を蹂躙し、“暴君”が先住民を救う。そんな金獅子海賊団本拠点に、新たな襲撃者達が牙を剥く。

 

 8体のフランマリオン製『備品』は大口径弾の機関砲を軽々と構え、弾幕をばら撒きながら傲然と本拠点敷地内を進んでいく。

 金獅子海賊団隷下の海賊達が反撃の銃弾を幾重にも浴びせるも、耐爆スーツ染みた防具は対人用銃弾を軽々と受け止め、大柄な体躯と相俟ってびくともしない。

 

 ドラムロールのような重たく硬い連射音を轟かせ、フランマリオン製モッズ達は海賊共を片っ端から薙ぎ倒していく。高初速で放たれる大口径弾に生半な遮蔽物など掩体として意味をなさない。擦過するだけで肌を裂くほどの威力が直撃すれば、人体など原形を留めない。海賊達はさながら肉切り包丁で叩き切られるように無惨な屍を晒していく。

 

 重装歩兵を盾に、評価戦隊の兵士60名が続く。ツーバイツーで射撃(ファイア)機動(ムーブ)を繰り返し、モッズが撃ち漏らした海賊達を狩り、モッズの側背を援護する。さながら装甲車の随伴歩兵だ。

 

 急造バリケードで立てこもるところにはバズーカ砲を叩き込み、手榴弾を投げ込む。

 負傷して動けなくなった海賊や戦意喪失して両手を上げて出てくる海賊へ、容赦なく銃弾を撃ち込み、銃剣でトドメを刺す。

 

 その様相は世間一般が思い描くような戦闘――人間同士が感情剥き出しにしてぶつかり合う闘いとは大きく異なり、原作で描かれがちな混戦乱闘とまったく違う。

 効率化と最適化が図られた部隊運用はまるで集団作業のようで、戦闘というより害獣の駆除を思わせる。

 

 仮面の貴婦人が率いる刺客達は警備の海賊達を速やかに一蹴し、完全に破壊された正門を潜って本殿内へ足を踏み入れ、蛮姫の“犯行現場”を目の当たりにした。

「また派手にやってるわね」

 ステューシーは仮面で覆われていない口元に苦笑を浮かべ、あまりにも無惨な光景にドン引きしている兵士達へ美声を張った。

「各隊、散開っ! それぞれの目標へ向かいなさいっ!」

 

 “備品”と兵士達は速やかに三個小隊に別れ、中央管制室、実験施設、研究棟へ向かっていく。

 ステューシーは廊下の梁の上で血に塗れた映像電伝虫へ顔を向け、色気溢れる唇を妖艶に歪め、飛ぶ指銃(シガン)で電伝虫を撃ち殺した。

 

「貴方の物語はここで終わりよ、シキ」

 マントのようにはおった白コートをなびかせ、シキと仲間だった女の記憶を持つ複製人間は研究棟へ向け、コツコツと軽やかな足音を奏でる。

 

 ※  ※  ※

 

 映像が絶えたディスプレイに映った女。世界政府諜報機関サイファー・ポールの中でも、天竜人直属のイージス・ゼロ。兵隊共は『正義』の二字を背負っていなかったが、練度と装備から見ておそらく海兵達だ。

 やはりこれは政府の討伐作戦だった。

 

 が、もはやシキの意識はそんなことに向いていない。

「……この俺の討伐に用意したヘータイが、これっぱかしだってのか……?」

 

 腕が立つとはいえ、たかが“殺し屋”2人。それと増強2個小隊程度の戦力で、金獅子海賊団の根城に殴り込みを掛け、この伝説的大海賊シキの首を獲る、と。

「“侮辱”したな、この俺を」

 

 瞬間。怒り狂っていたシキの顔貌から感情が抜け落ち、能面染みた無表情と化す。

「“嘲弄”したな、この金獅子を」

 

 刹那。シキの体躯から赤黒い覇気が溢れ出た。

「上等だ……思い出させてやる。この金獅子のシキが何者かをよぉ……ッ!!」

 




Tips

バーソロミュー・くま
 原作キャラ。滅茶苦茶強い人。
『熊の衝撃』は原作だとモリアのスリラーバーク全域を覆うほどの効力圏を発揮したが、本話では先住民を傷つけないよう規模を抑えている。
 港を潰した後は、強制徴集させられた先住民達の保護と避難誘導を実施中。

ステューシー
 原作キャラ。まだまだ数多くの謎を持つ人。
 フランマリオン製モッズと海兵60名を率いて殴り込み。

シキ
 劇場版キャラ。原作の過去描写でたまに顔を見せる人。
 良くも悪くも古い海賊ゆえに、顔に泥を塗られることが我慢ならない。

ベアトリーゼ
 オリ主。
 雑魚を虐殺しながら体と能力と技の調整を行った。舐めプより酷い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

150:獅子はメルヴィユの空に吠える。

あああいさん、掟破りさん、金木犀さん、佐藤東沙さん、Ala_missさん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。

誤謬が判明したので修正しました。内容に大きな変化はありません(04/04)


 月光注ぐ海面を浮上航行する潜水艦ポーラータング号。その甲板にハート海賊団のクルーが勢揃いし、ぽかぁんと口を開けて夜空を見上げていた。

「空に島が浮いてる……」

「マジかよ……空島は本当にあったんだ……」

「御伽噺じゃなかったのか……」

 

 ハートの海賊団の誰もが空島の御伽噺を知っていた。

 船長のトラファルガー・ローも月光を浴びながら夜空を泳ぐ島から目が離せない。

 

 不意に幼少期の思い出が脳裏をよぎる。愛すべき妹ラミは空島があると信じていた。だってお兄様。お空に島が浮いているのよ? 素敵じゃない?

 

 可憐な妹はもういない。この世界の不正義と不誠実に殺されたから。

 心を刺す痛みがローを現実に引き戻す。ローはいまだ茫然と空を泳ぐ島を見上げているクルーへ叱声を飛ばした。

「お前ら、いつまで感動してんだっ! しっかりしろっ! 聞こえるだろう」

 

 風に混じって届く戦闘騒音――それもかなり激しい銃声や爆発音は間違いなく、あの島から聞こえている。

 ローは精悍な顔立ちを険しく強張らせた。

「あそこは御伽噺に出てくるような島じゃねェ」

 今まさに人間が殺し合っている戦場だ。

 

       ○

 

 モッズと歩兵の群れは緊密に連携を保ち、海賊達を圧倒していく。

 

 耐爆スーツ染みた防護服と大口径機関砲を装備したモッズ達は、さながら二本足の装甲車であり、あらゆる脅威を大口径弾で破砕し、踏み潰す。

 

 強力なモッズ達を正面に据え、歩兵達はモッズの側背を援護しながら遮蔽物伝いに前進。チンピラ染みた木っ端海賊も多少腕の立つ海賊も統制射撃の弾幕で撃ち倒し、手榴弾や爆薬で吹き飛ばし、確認殺害の弾を叩き込み、銃剣で刺突。廊下や階段を確実に制圧し、虱潰しのように部屋を一つ一つ掃討していった。

 

 時に覇気使いが姿を現すも、兵士達は弾幕で押し切る。

 市井に出回っている銃(どう見てもフリントロックだが連射できる謎の連発銃)の球形鉛玉ならば武装色の覇気をまとうことで防ぐことも易い。

 だが、エッグヘッド製の自動小銃から繰り出される弾は高初速のスチールコア弾芯尖頭弾頭だ。貫徹力も命中時の着弾衝撃も桁が違う。生半な武装色の覇気では防ぎきれない。最初の数発を防げても、持続射撃で押し切られ、身体を撃ち抜かれてしまう。モッズの放つ大口径弾の弾幕なら言わずもがなだ。

 

 これは精鋭部隊が数に優る烏合の衆をシステマティックに屠っていく作業だ。

 彼らが通り過ぎた後に残るものは三つだけ。空薬莢と弾痕と海賊達の死体。

 

 中央管制室へ向かう“アントン”小隊も、実験施設へ向かう“ベルタ”小隊も、研究等へ向かう“カエサル”小隊も、澱みなく前進し続ける。

 

 順調。まさしく順調。

 フランマリオン製モッズが強力で評価戦隊の兵士達が優秀だったからであり、ベアトリーゼが大食堂で大量の海賊達を拘束したためでもあり、くまが初手に武器庫を吹き飛ばしたゆえでもある。

 

 もっとも――

 この世界は超越的個人の武が集団に優ることが可能な世界であり……

 大海賊“金獅子”シキは伝説に語られるほどの強者だった。

 

     ○

 

 中央管制室に通じる廊下は照明が落ち、煤煙に満ちて暗い。

 頭をすっぽりと覆う金魚鉢型のヘルメットを被った兵士達は、ヘルメットから伸びるコードの端末を操作し、暗視に切り替える。

 

 小隊長が手信号を行い、兵士達が二分して廊下の両脇に並び直し、自動小銃の弾倉を交換。その間に3体のモッズ達が正面に立ち、管制室へ突入態勢を整えた。

 準備良し。

 小隊長が前進の手信号を行おうとした、その矢先。

 

 周囲に満ちていた煤煙が渦を巻き、廊下の奥へ流れていく。モッズと兵士達は瞬時に射撃姿勢を取り、引き金に指を添えた。

 廊下の奥に向かって流れた煤煙は収斂し、廊下の間取り一杯の巨躯を持つ獅子を形作っていく。

 

 異常な光景を目の当たりにしても、兵士達は動じない。懲罰部隊として過酷な任務と扱いに慣れている彼らは、異常現象程度に狼狽えない。機関砲を構えるモッズはそもそもそんな“高度な感情”を持ち合わせていない。

 

 不意に、廊下の奥で小さな灯が点り、暗闇の中に人影が浮かぶ。

 奇怪な影だった。頭頂部に舵輪が鶏冠のように生えており、上背はゆったりとした和装と相まって大きく見える。やけに細く見える両脚はなんと刀だ。

 そして、太い葉巻に点るささやかな火が照らす顔。老人とは思えぬほど活力と精気に満ちた髭面は、憤怒に歪み曲がっていた。

 最重要目標。金獅子のシキ。

 

 シキは紫煙を燻らせ、煤煙で作り上げられた巨大獅子を撫でた。瞬間、巨大獅子が黒く染まっていく。

「犬ッコロ共。覚悟は出来てるだろうなぁ?」

 

斉射(オープンファイア)ッ!!」

 小隊長の号令一下に20丁の自動小銃と3門の機関砲が火を噴き、シキへ向かって弾幕を叩きつける。

 

 が。

 銃弾の嵐は、武装色の覇気で塗り固められた巨大な黒獅子に全て弾かれ、シキに届かない。

 

「モッズ、抜刀っ! 第二班、閃光弾用意っ!!」

 小隊長は射撃を継続させながら、即座に手札を切る。

 3体のモッズ達は機関砲と背中の大型弾倉を即座に遺棄し、腰から手斧(トマホーク)を抜く。その刃先には海楼石が埋められていた。

 第二班の兵士達がパウチから閃光弾を取り出して安全ピンを抜き、投げる。

 

「突撃っ!!」

 小隊長の号令と同時に激烈な閃光と轟音が廊下の闇を消し払い、重装歩兵達が駆けだす。

 

「獅子威し“褐破(かっぱ)巻き”ッ!!」

 金獅子の雄叫びの下、漆黒の巨大獅子が突進する。

 

 モッズ達が迫りくる巨大獅子へ海楼石入りのトマホークを振るう。悪魔の実の能力者を封じる海楼石も、能力者が放出した現象そのものを打ち消すには至らない。圧倒的大質量を誇る巨大な黒獅子に、モッズ達の攻撃はそれこそ窮鼠の牙、蟷螂の斧でしかなく。

 

 巨大な黒獅子にモッズの巨躯が撥ね飛ばされ、踏み潰され、

「退避ーッ!!」

 小隊長が絶叫し、部下達も即応して巨大黒獅子から逃れようとするも、時すでに遅し。

 海賊達を一方的に狩り殺してきた評価戦隊の兵士達は、一瞬で蹂躙された。

 

 絞られた雑巾のようにあり得ないほど身を捻じ曲げた者。身体中の関節が不可解に曲がった者。車に轢かれた蛙みたく体を弾けさせた者。身体が千切れてしまった者……圧倒的質量の激突に『体を強く打って死亡』した兵士達に交じり、生き長らえてしまった兵士達が苦痛の悲鳴を上げながらも、腰の拳銃を抜いてシキへ銃口を向ける。

 戦意からではない。忠誠心からではない。他に生き残る術がないことを、知っているからだ。

 

「犬ッコロにも意地があるってか。笑わせるんじゃあねェ」

 シキは紫煙を燻らせ、冷酷に手を振るう。兵士達を蹂躙して霧散しかけていた黒獅子がいくつもの小さな獅子頭に分裂し、まだ生きている者達へ襲い掛かって噛み殺していく。

 

 と。撥ね飛ばした重装歩兵達がむくりと立ち上がる。

 耐爆スーツ染みた防護服が裂け千切れたり、ヘルメットが脱げ落ちたり、片手がもげたり、背骨が折れて体が曲がったりしているが、三体のモッズは苦悶一つこぼさず手斧を握っていた。

 闘志や根性があるからではない。そういう風に”作られている”からだ。

 

「人形……いや虫けらか」

 シキは真実を見抜く。

 

 フランマリオン製旧世代型モッズは”量産”した素体を機械化したサイボーグだ。有機物と無機物を、肉と金属を無理やりに結合させ、改造で生じる精神破綻をロボトミー的精神外科手法で解決してある。

 つまりはこの旧世代型モッズ達はシキの指摘通り、兵隊蟻や働き蜂と同じだ。

 

 シキは義足代わりの業物を振るい、三体のモッズを瞬く間に撫で斬りにして始末する。兵士達の骸とモッズ達の残骸を一瞥し、忌々しげに吐き捨てた。

「犬ッコロに虫けら。本当にイラつかせやがる……っ!」

 

       ○

 

「“アントン”小隊、連絡途絶」

 研究棟を攻略中の”ベルタ”小隊。電伝虫を背中に担いだ兵士が報告し、

「おそらくシキと遭遇したのね」

 ステューシーは冷徹に状況を受け容れ、何事もなかったように歩みを再開する。

 

「まぁ良いわ。ベアトリーゼとくまがいる限り、シキがこちらに来ることはない。このまま予定通りに進める」

 淡々と言葉を紡ぎ、ステューシーは使用人へ命じるように“カエサル”小隊の面々へ指示を下す。

「班単位で散開。第一、第二班にそれぞれモッズを与える。研究棟の正面と裏手を確保して敵を防ぎなさい。私は単独で動く」

 

「危険では? 警護をつけた方が……」

 小隊長が提案するも、ステューシーは仮面で覆っていない口元を薄く歪めた。

「問題ないわ。何もね」

 

      ○

 

 狂気の坩堝と化した大食堂のど真ん中で、血浴の蛮姫は小休止がてら、酒と食い物を摘まみつつ海賊達を――悪夢に心砕かれてうずくまる者、悪夢に囚われて茫然自失状態で立ち竦む者、悪夢に体を蝕まれて動けぬ者、悪夢に正気を奪われて狂乱する者を眺め、悪意を込めて嘲っている。

 

 ベアトリーゼの海軍と世界政府に対する感情が敵意と嫌悪なら、海賊達に向ける感情は悪意と害意だ。そこに情けも容赦も一切存在しない。

 

 と、見聞色の覇気で“到来”を捉え、ベアトリーゼは手にしていた酒瓶を投げ捨てて腰を上げる。

 同時に大食堂の扉が開き、金獅子シキが姿を現す。

 

 白骨海域で見せていた陽気さは欠片もない。憤怒でバッキバキに歪む老獅子の面構えに、ベアトリーゼは酷薄に口端を吊り上げた。

「おやおやおや。先日と違って今日は良い顔してるじゃないか。人生の苦みがよく表れてるぞ、鶏ジジイ」

 

「こいつらに何をしやがった」

 シキが憎まれ口を無視して質せば。

 

「夢を見てるのさ。絶対に見たくない悪夢をね。想像し得る一番怖いものや恐ろしいもの。辛すぎて心の底に封印してしまった記憶。苦しすぎて忘れてしまおうとした思い出。単に感覚野がヨレて動けなくなる奴もいるが……まぁ、使い物にならなくなるって点じゃ大差はない」

 ベアトリーゼは周囲を見回しながら朗々と言葉を編み、怒れる金獅子を嘲った。

「あんたは悪夢を見なかった? いや、今まさにこの状態があんたの悪夢か。20年の間、シコシコシコシコ準備してきた野望が全部パァだもんなぁ」

 

 シキは大きく、とても大きく息を吐き、

「この俺を侮るんじゃねェ」

 双眸に殺意を、顔貌に憤怒を、体躯に暴威を湛えた。

「これからテメェも、あの奴隷上がりのガキも、政府の犬ッコロ共も、一人残らずぶち殺す。テメェらの首を島船の船首からぶら下げてやる」

 

 気の弱い者なら胆が潰れてしまいそうな殺気の暴圧。しかし――

「わ、怖ぁい」ベアトリーゼはおどけて笑い、ヘルメットのバイザーを閉じた。獲物を前にしたネコ科の猛獣みたく筋肉にテンションを掛けていく。

 

 金獅子は傲然と仁王立ちして蛮姫を睥睨し続ける。

 両者の意識から悪夢に食われた海賊達の存在が消える。酒場に立ち込める酒と料理と血の匂いが遠くなる。緊迫感で大食堂の空気が張り詰め――

 

 ベアトリーゼのしなやかな肢体がゆらりと揺らぐ、瞬間。

 遊撃巧律動(アインザッツリュトメン)で金獅子の意識が兆しを惑わされた。瞬きも追いつかぬわずかな間隙に、蛮姫が影すら置き去りにする疾風迅雷の電磁加速パンチを放つ。

 

 大食堂内に雷鳴の如き轟音と高圧力波が荒れ狂い、衝撃に調度品や酒や料理が吹き飛び、悪夢に呑まれた海賊達や屍が薙ぎ払われる。衝撃圧力で蒸発した血や酒や水が生臭い蒸気となって漂う中――

 

 眼前の古豪大海賊は仁王立ちしたまま微動にしていなかった。それどころか、新世界の強者達すらただでは済まぬだろう激甚の一撃が、赤黒い稲妻に阻まれて金獅子の体躯へ届いてすらいない。

 

「覇王色……っ!」

 傷だらけの多眼式ヘルメットの中からベアトリーゼの歯噛みが漏れる。

 

 シキの形相が大きく激しく歪み、

「今度は前回みてェな遊びじゃねェ……覚悟しろ、雌犬ッ!!」

「!」

 覇王色の覇気をまとった剛拳が放たれた。

 

      ○

 

 本殿の大食堂が大きく爆ぜ、壮絶な衝撃が研究棟や実験施設を強く揺さぶり、吹き飛ばされた本殿屋根の建材が雨のように降り注ぐ。粉塵が入道雲のように立ち昇る中、しなやかな影が本殿の屋根へ勢いよく降り立ち、瓦がばきゃりと踏み砕かれた。

 

 赤黒のタイトな潜水服に身を包む蛮姫は、大きく損傷した多眼式ヘルメットを脱ぎ捨てた。ぼさぼさの夜色ショートヘアが風を浴びて踊る。

 つうっと垂れてきた鼻血を拭うも止まらない。ベアトリーゼは舌打ちする。かすめただけで体の真芯まで響く。直撃していたら冗談抜きで死んでいたかもしれない。

 

 覇王色の覇気をまとった拳打の威力は、白骨海域で戦った時の比ではない。脅威度の認識を更新しつつ、同時に幾つかのタスクを並列処理し始めた。タスク処理を進めつつ、金獅子がこれほどの覇気をどこまで維持できるかと推察する。

 

 覇気の使用は体力気力を大きく消耗する。この世界の最上位層であっても無限に使い続けられるわけではない。シキの同世代であるガープ、センゴク、つる、ゼファー、レイリー、白ひげ、ビッグマム……彼らですら覇気の全力行使は戦いの要所に限っている。

 

 金獅子はベアトリーゼだけに全力を費やすわけにはいかない。王下七武海とイージス・ゼロを相手にする分の力も残しておかねばならない。たとえ、ベアトリーゼを倒してもそこでガス欠になったら、くまとステューシーにやられる。

 

 だから短期決戦で早期決着を図るべく、初手から覇王色の覇気というカードを切った。

 手早く片付けるために。

 

 ベアトリーゼはビキッと暗紫色の双眸を吊り上げる。

「舐めやがって」

 

 毒づいた直後。金獅子が屋根の上にふわりと舞い降りる。膝から下に装着された業物の切っ先が瓦に当たり、澄んだ音色が生じた。禿げ上がった頭頂部に生える舵輪を撫で、シキは冷笑をこぼす。

「ジハハハハハ。どうした? 可愛い面が固くなってるぜ、雌犬」

 

 ちっと覇王色が使えるからって調子に乗りやがってクソジジイ……っ!

 かぁっと頭に血が昇りかけるも、冷徹部分が感情を抑え込む。いや、落ち着け。この鶏ジジイはガープのジジイに比べりゃマシだ。

 

 ああ。そうだ。この鶏ジジイは侮れないが、ガープとやり合ったような理不尽も不条理も感じない。

 この鶏ジジイは強い。

 でも、それだけだ。

 

「昔、ガープとやり合ったことがあるけれど」

 ベアトリーゼは鼻血で紅く染まった口元を、にたりと歪める。

「お前よりよほど強かったぞ。海賊王ロジャーと鎬を削り合った“英雄”だけあってな」

 

「……口の減らねェ雌犬だ」

 シキの顔が大きく強張り、再び眉目がめきめきと吊り上がった。

 

 ゴール・D・ロジャー。この世界で海賊王へ至った唯一の男。大海賊時代という物語を遺した超大迷惑。そして、シキが何を措いても屈服させたかった相手。

 ロジャーのライバルはテメェじゃなくガープだと迂遠に嘲られ、シキは躊躇なく大技を始める。周囲の屋根瓦を大量に宙に浮かせ始めた。

「獅子威し“内裏地巻き”ッ!!」

 

 大量の屋根瓦がタイル画のように大きな獅子頭を形成して襲い掛かる中、ベアトリーゼはプルプルの実で干渉していた周辺大気に“着火”。

 

 くまの“爆撃”による火災で生じた熱流。シキの覇王色の覇気による拳打で激しく荒れ狂った大気の分子運動。屋根をぶち抜かれた大食堂という“地形”。そこへやたら強く冴える蛮姫の異能。全てを加味した結果。

 

 メルヴィユ全土に大気が張り裂ける鳴動が轟き渡った。

 金獅子海賊団本殿の一角――大食堂は自らを破壊しながら、ロケットストーブのように爆発的な上昇気流を生み出して何もかも、それこそ大食堂の柱も床板も壁の漆喰も屋根瓦も窓のガラス片も、料理や皿も酒や杯も、もう死んでいる奴もまだ生きている奴も、一切合切をノックアップストリームが突き上げるようにメルヴィユの夜空へ高々と吹き飛ばす。

 

 もちろん、蛮姫と金獅子だって例外じゃない。

 さながら土石流の中だ。おびただしい瓦礫と攪拌されるように上空へ押し流されながらも、ベアトリーゼは無数の瓦礫や建材を足場に乱流の中を跳躍し、無言でシキへ襲い掛かる。

 

 フワフワの実の能力者であるシキは、島一つどころか群島丸ごと天高く浮かべられるほどの力を持つ。浮力の強弱で水や土を獅子のように形作り、自在に駆け巡らせて覇気をまとわせて硬化することで銃弾を防ぎ、肉を食いちぎらせることさえ出来る。

 疑う余地もなく能力覚醒者であり、超一流の覇気使い。

 

 しかし、自ら推進力を生み出せず位置エネルギーと運動エネルギーを制御する以外に手がないシキに、この乱気流へ抗う術はない。

「侮るな、と言ったぞ」

 はずだった。

 

 シキは再び全身に赤黒い稲妻を帯び、両足に装着した名刀へ覇王色の覇気をまとわせ、

「獅子・千切谷ッ!!」

 飛ぶ斬撃の乱れ撃ちを繰り出す。

 

「!」

 ベアトリーゼは瞬間プラズマジェットを放射、空中で急ブレーキ。急制動の大荷重に血液と内臓が慣性に引きずられながら、近くに浮かぶ海賊を足場にしてプラズマジェットで急上昇(ズームアップ)。足場にされた海賊が真っ二つに千切れた直後。

 

 覇王色の覇気をまとった斬撃の嵐が暴虐的上昇乱流を斬り払い、周囲の瓦礫や有象無象を一瞬で消し飛ばし、金獅子は傲然と空中に佇む。

 

「―――この、クソジジイッ!」

 宙を舞う蛮姫が眼下の大海賊を睨んで額に青筋を浮かべて犬歯を剥く。

 

 宙を踊る金獅子が頭上の女凶徒を見据え、獰猛に吠えた。

「俺を誰だと思ってやがるっ! この世界を支配する男、金獅子のシキだっ!! テメェら犬ッコロで測れると思ってんじゃねえっ!!」

 

 メルヴィユ上空。輝く月と煌めく星々を背景に、蛮姫と金獅子の空戦が始まる。




Tips
トラファルガー・ロー
 原作キャラ。
 なんだかんだ来ちゃった。

 トラファルガー・ラミ
  原作キャラ。
  ローの妹。故人。珀鉛病に罹患した末、浄化作戦で殺害された。

フランマリオン製旧型モッズ
 オリキャラ。
 元ネタは『砂ぼうず』に登場した『白骨都市の番人』
 暗黒時代末期に生み出された機械の兵士で、曰く――何の疑いも抱かず死の恐怖に足を竦めることなく命令を実行し、後悔に苦しむこともない完璧な兵士。
 RPG7の直撃で撃破できる模様。

ステューシー
 原作キャラ。
 何やら暗躍を始める模様。

金獅子のシキ。
 劇場版キャラ。
 レジェンドは伊達じゃない。

ベアトリーゼ。
 レジェンドの本気にちょっとびっくりしている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

151:メルヴィユの空を血に濡らし。

切りの良いところが無かったので長めです。ごめんよ。

佐藤東沙さん、烏瑠さん、nullpointさん、誤字報告ありがとうございます。


 月と星々の輝く夜空で2人の超人が、命を削り合っていた。

 もはや言葉のやり取りはない。ただ互いに殺意と戦意で相手を駆逐すべく躍動する。

 

 蛮姫は振動を操ってプラズマジェットを放射し、いまだ宙に散乱するおびただしい瓦礫や建材、有象無象を足場に飛翔。

 金獅子は浮力を自在に駆使し、高高度の気流を読みながら空を縦横無尽に駆ける。

 

 シキは空を走りながら周囲の瓦礫やその他を能力で獅子に変え、誘導弾の如く放ち。

 ベアトリーゼは宙を舞いながらダマスカスブレードで獅子達を撃墜。背中に担いでいた自動小銃で返礼の掃射を放ち、高度を一気に下げて低層雲の迷宮へ飛び込む。

 

 小銃弾を左足の斬撃で斬り払い、シキも続いて雲中へ突入。

 夜闇に加えて雲が視界を遮る中、発砲光が輝いて中口径弾が精確に襲い掛かってくるが、これを武装色をまとった拳と周囲の雲を変じさせた獅子で迎撃。

 拳打で弾丸が撥ね除けられ、弾丸を浴びた獅子が爆ぜる。

 

 刹那、雲の陰からしなやかな肢体が猛獣のように迫った。

 二振りのダマスカスブレードと名刀桜十と木枯らしが激突し、鮮烈な火花が生じ、闇に慣れた両者の目を焼く。

 

 高速で落下し暴力的な相対気流に翻弄されながら、ベアトリーゼとシキは交叉を繰り返し、格闘剣戟を重ねる。削られた鎬が火花となって輝き闇に散る。

 

 蛮姫が上下左右あらゆる姿勢から致命の拳打足蹴を繰り出せば。

 金獅子は必殺の打撃と両足の名刀で老練の剣技を披露する。

 

 射撃と打撃と斬撃が幾合も交叉し、互いの覇気が幾度も激突を繰り返す。

 小銃弾と手榴弾がばら撒かれ、獅子の群れが躍り、肘剣と名刀が火花を散らし、拳打足蹴がぶつかり合う。

 

 破ける蛮姫の潜水服。千切れる金獅子の和装。斬り裂かれる小麦肌。打たれ腫れる老体。雲中に飛び散る超人達の血。

 

 ベアトリーゼはプラズマジェットを勢いよく放ち、水面から飛び出すように雲外へ脱し、月を背に優美な宙返りを打つ。

 

 視界を満たす夜空と雲の迷宮と夜の海。気づけば、戦場がメルヴィユから離れていた。気流に流されていたらしい。

 

 ――万全な状態で挑んでなお、仕留められねェ。クソジジイめ。伝説は伊達じゃねェってか。

 

 ざけんな。

 

 絶対零度の殺意で身体を満たし直す。

 鼻と口元から血を滴らせ、斬られ削られた身体の各所から血をこぼし、蛮姫は雲中の狭間を飛ぶ金獅子へ向け、頭から飛び込んでいく。

 

 今夜、この空で奴の伝説を必ず終わらせる。

 

     ○

 

 ここで時計の針を戻す。

 ベアトリーゼとシキが大食堂を吹き飛ばして空中戦を始める少し前。

 王下七武海“暴君”バーソロミュー・くまは自身の良心に基づき、強制徴集されていたメルヴィユ先住民を解放し、金獅子海賊団本拠点の裏手へ逃していた。

 

 囚われていた先住民達、特に女性陣は身長7メートルに達するくまに当初怯えていたものの、海賊共を鎧袖一触に蹴散らし、皆を護って安全な場所へ逃す勇姿に信用を抱いたようだ。

 本殿と研究棟と実験施設で戦争交響曲が奏でられる中、くまの目論見は順調に進んでいた。

 

 粗方の先住民達が拠点裏手の外へ逃れた時、メルヴィユ先住民の乙女は羽の生えた右腕で実験施設を指し示し、くまへ訴えた。

「実験施設の大砲を破壊しないと大変なことになっちゃう」

 

 ステューシーも事前ブリーフィングでたしかそんなことを話していたが……

「分かった。なんとかしよう。君達はこのまま裏手に避難して隠れていろ」

 くまは乙女に背を向け、ニキュニキュの実の力を使って実験施設へ向かって飛ぶ。

 

 空間跳躍のようだが、実際は超々高速の飛翔に過ぎない。遮蔽物があれば激突してしまう。そのため、長大なかまぼこみたいな実験施設の敷地外れに着陸。歩いて建物へ近づいていく。

 

 実験施設からは戦闘騒音が聞こえてこない。既に“ベルタ”小隊による制圧が済んだらしい。実験施設の正面玄関にはモッズが門番のように控えていた。モッズの傍らには焚火が熾されており、兵士達が運び出してきた資料や記録を火に投げ込んでいる。

 

 よくよく見れば、玄関脇の壁際に夜勤中だった警備と技術者の死体が乱雑に倒れていた。捕らえた者達を壁に並べ、一斉射を浴びせたようだった。

 

「ここはもう制圧済みだぞ。あんたらが派手に暴れたおかげか、随分と手薄だったからな」

 小隊長がくまに声をかけ、今爆破の準備中であることを説明して、頭をすっぽりと覆うヘルメットの中から苦笑いをこぼした。

「せっかく来たんだ。見物していけよ。凄いぞ」

 

 小隊長に促され、くまは施設の正面玄関を潜り、思わず呟く。

「これは……」

 

 その大砲はくまが知るどんな大砲よりも巨大で、どんな大砲とも形状が違った。

 かまぼこ型の長大な施設に鎮座する大砲はなんと口径600ミリ。砲身は全長120メートルに達する。しかも砲身にはムカデの足みたくいくつもの部品が生えていた。

 

 巨大ムカデ砲を目の当たりにし、くまは黒鉄の巨砲に思わず圧倒された。

 その巨大さや重厚感に、ではない。巨砲が発する濃密な憎悪と怨恨の気配に、だ。

 

「超長距離砲『獅子咆哮(ライオンシャウト)』。キチガイの仕事だよ」と小隊長が呆れた調子で言った。

 

 火砲の傍らに置かれている砲弾もデカい。弾頭重量10トンのクロームパラジウム鋼製完全実体弾。

 ただし、シキのフワフワの実の力で砲弾自体に浮力が与えられており、実体質量に対して計測重量が非常に軽い。

 

 この砲弾はムカデ砲による段階加速を与えられ、極超音速に達する砲口初速で射出され、自身の浮遊性と相まって極めて長大な距離を飛翔する。しかも、質量そのものが変化したわけではないので、着弾時の衝撃威力は10トンの質量に基づく。

 

 もちろん、軽量飛翔体の宿命として気流や大気状態の影響を受け易く、命中精度は目隠しして投げるようなもんだが、ここでチレン女史が登場する。

 惑星流体力学に通暁する才媛チレンは、環境と天候を要素に入れた照準システムを作成。理論値では弾道ミサイル並みの射程で命中誤差200メートルまで収まるという。砲弾の威力を考えれば、200メートル程度の誤差は無いに等しい。

 

 だが、開発した者達にとって最も重要なことは、高高度に到達可能なメルヴィユとこの火砲があれば、レッドラインの頂上にある聖地マリージョアを直接砲撃できるということだった。

 世界政府と天竜人に対する憎しみと恨みと怒りと復讐心。その顕現がこの『獅子咆哮(ライオンシャウト)』だ。

 

 その超々巨大な大砲の各所に、“ベルタ”小隊の兵士達が爆薬を取り付けていた。

「……可能なら確保しろという命令だったはずだ」

 くまの指摘に、小隊長はヘルメットの中で鼻を鳴らす。

「政府も軍ももう十分クソ塗れだ。このうえ新しいクソを与える必要はないだろ」

 

 軍と政府に対する嫌悪感のこもった回答を返され、くまは分厚い眼鏡の奥で密やかに目を丸くした。この将校は自身の良識から、この巨砲が政府や海軍の手に渡ることを認めず、独断で破壊しようとしているのだ。既に懲罰大隊にある身。処刑もあり得るだろうに。

 

 好奇心を刺激され、くまは尋ねてしまう。

「……なぜこの部隊に?」

 

「市民ごと海賊を殺そうとしたバカな上官を殴って止めたら、抗命罪と上官暴行罪だとよ」

 爆破準備が終わり、小隊長は部下とくまを伴って外へ出た。

 

 と、その時。

 空からピンク衣装の赤毛ゴリラ(喩えではなく本当に類人猿のゴリラだ)が襲い掛かってきた。

 金獅子海賊団幹部スカーレット隊長、推参。

 

        ○

 

 実験施設屋外でくまとゴリラが戦っている頃。

 ステューシーは単独で研究棟内を進んでいた。

 二丁拳銃使い(アキンボ)のように両手で飛ぶ指銃を繰り返し、完全無音の銃撃で次々と命を刈り取りながら、レッドカーペットを進むセレブリティのような足取りで研究棟の奥へ向かっていく。

 

 そして、目的の研究室前の廊下で、最も用向きがある人物と出くわした。

「テメェ、サイファー・ポールだな!? 何しに来やがったぁっ!!」

 怒れる青色ピエロは世界有数の微生物学者ドクター・インディゴ。本作戦における“ステューシーの”最重要目標。

 

 ステューシーは仮面の奥で碧眼を細めて告げた。

「ヒューロン」

 

「――フランマリオンかっ!」

 ピエロとしては三流でも科学者としては超一流のインディゴは、聡明な頭脳から即座に正解を弾き出す。なぜなら裏社会に身を置く超一流微生物学者は知っていた。

 天竜人フランマリオン家が如何にマッドな連中なのかを。

 

「俺の研究は奪わせねェぞ! ケミカル・ジャグリングッ!!」

 即座に戦闘を決断したインディゴは、掲げた手から蛍光色の球状液体をいくつも放出し、ステューシーへ向けて爆発性化学薬液の弾幕を放つ。

「くたばれ、売女ッ!!」

 

「紙絵・残身」

 海軍格闘術“六式”の上位奥義(オーバーアーツ)。自身の残像を囮に使い、ステューシーはケミカルな弾幕を易々と掻い潜ってインディゴへ肉薄し、愕然としているインディゴのどてっぱらに電光石火の左拳を叩き込む。

 

「うっっぎゃあああああっ!?」

 青色ピエロが悲鳴を上げてぶっ飛び、ゴムボールのように廊下を跳ね回った後、研究室のドアをぶち破った。

 

 瞬く間に三流道化を無力化せしめ、ステューシーは肩に掛けたコートをなびかせながらドアが砕けた研究室へ足を進め、見た。

 ガラスケース内に浮かぶヒューロンの乙女を。

 

「――どういうこと」

 仮面の奥で碧眼が揺れ、露わになっている口元が微かにわななく。万事に冷静なステューシーをして狼狽を抑えきれない理由。

 

 それはガラスケース内に浮かぶヒューロンの乙女が、ベアトリーゼに酷似していたからだ。いや、酷似という次元ではない。生き写しだ。

 満月みたいな金色の瞳を除けば、不活性液の中で揺蕩う夜色の髪も、小麦色の肌も、物憂げな顔立ちも、両断された上半身のしなやかな体つきも、全てがベアトリーゼと瓜二つ。

 しかも――ガラスケース内で不活性液に浸かる乙女は、未だ生きているかのように肉体の“鮮度”が保持されている。

 

 ステューシーは眉目を大きく吊り上げるや、研究室の床に大の字で伸びているインディゴの許へ歩み寄り、ハイヒールの鋭い踵で股間を思いっきり踏みつけた。

 

「ンッギャアァアアアアッ!?」

 ケツを蹴り飛ばされた豚みたいな悲鳴を上げ、インディゴが覚醒した。人によっては御褒美だが、インディゴにとっては違うらしい。おびただしい脂汗を流しながら激しく苦悶する。

 

「このヒューロンについて説明しなさい」

 ステューシーは覇気で漆黒に染めた右手人差し指を突きつけ、氷より温度の低い声でインディゴに命じる。

「今すぐ」

 インディゴに否と答える余裕はなかった。

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

 そして、青色ピエロが語った内容に、ステューシーは再び強く驚愕して仮面の奥で碧眼を見開く。

 

 貴婦人の動揺。その間隙をインディゴは見逃さない。

「食らいやがれっ!!」

 動揺するステューシーの不意を突き、身を大きく捻ねってハイヒールから逃れると即座に化学液体弾を炸裂させた。

 

「小賢しい真似を」

 咄嗟に六式体術“剃”を用いて爆炎から逃れ、苛立ちに駆られたステューシーが文字通り犬歯を伸ばして牙を剥く。白コートがばさりと脱げ落ち、大きく開かれたミニドレスの背中から蝙蝠の翼が広げられた。

 

 さながら女悪魔と化した白い貴婦人に、青色ピエロは怯むことなく化学液体弾を構える。

「能力者がナンボのもんじゃいっ! 掛かってきやが」

 ドクター・インディゴが気焔万丈の啖呵を切ろうとした、その一瞬。

 研究室の壁がぶち破られ、赤毛ゴリラが吹っ飛んできて――

「れええええええええええええええええええええっ!?」

 青色ピエロを巻き込みながら反対側の壁を突き破り、そのまま島外へ向かって吹き飛んでいった。ドップラー効果で置き去りにされた悲鳴が溶けていく。

 

「えぇ……」

 振り上げた拳の下ろし先が突然消えてしまい、さしものステューシーも困惑。

「大方、くまが吹き飛ばしたんでしょうけれど……確実に殺し損ねたじゃない」

 ぶつぶつと文句をこぼしながら牙と翼を引っ込めた。脱ぎ捨てた白コートを拾い上げて埃を払い、肩に掛け直す。

 

「まぁ……良いわ。小物の始末より重要なことがあるものね」

 大きく息を吐き、ステューシーはガラスケースに収められているヒューロンの乙女に向き直った。

「フランマリオンへ渡すにはあまりにもリスキーね……」

 口元に右手を添えながらステューシーが悩ましげに思案する、その時。

 

 夜空が白々と爆ぜ、壁に空いた大穴から強烈な閃光と轟音が襲ってきてステューシーは思わず手をかざす。

「もう! 今度は何?」

 思わずぼやきつつ、ステューシーは見聞色の覇気を広げて―――

 

 端正な顔から血の気を引かせた。

 

      ○

 

 相対気流に夜色の髪を振り乱されながら、ベアトリーゼはプラズマジェットを曳いて夜空を駆ける。

 

 自動小銃は既に弾切れで遺棄済み。貰った打撃は4つ。かすめた斬撃は7つ。体力気力は問題ないが、消耗は激しい。

 何より、仕留めきれない。

 金獅子の老獪な立ち回りと老練の戦術、覇王色の覇気で決定的な機を捉えられず、プラズマ系の大技を狙う間を得られない。

 

 対するシキの形相にも余裕はない。

 企図していた短期決着は水泡に帰していた。覇王色を駆使しての全力戦闘はシキを大きく消耗させている。

 体のあちこちに負った手傷が、シキが老いた獅子であり、20年余のブランクを未だ払拭できていないことを雄弁に語っていた。

 

 ゆえに、シキはもはやメルヴィユも王下七武海もイージス・ゼロも毛頭にない。

 眼前の雌狼を確実に殺す。たとえ何を失うことになろうとも、この女だけは殺さねば、金獅子たる尊厳と矜持が保てぬ。

 

 蛮姫と金獅子の空中戦が膠着的消耗戦の向きを見せ始めた、矢先。

 

「「ああああああああああああああああああああああああああああっ!!」」

 悲鳴を上げて吹っ飛んでいく青色道化と赤毛類人猿。

 

「お婆ちゃんッ!?」吃驚を上げるシキ。

「何でだよっ!!」ピエロがツッコミを吠えながらゴリラと共に夜の彼方へ消えていく。

 

「隙ありゃあっ!!」

 ベアトリーゼはここぞとばかりにシキへ襲い掛かり、三回転捻りの三連斬撃を浴びせる。

 

「漫才の最中を襲うんじゃねェよっ!!」

 咄嗟にバク転するように両足の名刀で三連斬撃を防ぎ、シキが姿勢を立て直す。

 

 その一手を制すように、ベアトリーゼは大気を高速振動させた。

 網膜を焼き潰さん限りの白光と鼓膜を突き破らんとする轟音。

 

 感覚どころか神経や脳機能すら麻痺させられるほど強烈な電磁プラズマを至近で浴び、シキが光と音の暴虐に動きが鈍る。

 

 その機を逃すことなく、蛮姫が急迫。高周波を孕んだ漆黒の右蹴撃。

 かすめただけでも頭蓋を弾けさせるほどの威力を孕んだ一撃は、しかして金獅子の頭を外して横髪を千切り飛ばすのみ。

 

「逃すかっ!!」

 右蹴りの余勢を駆り、ベアトリーゼは身を捻りこみながら追撃の左斬撃。雷閃の如き一刀を、シキは覇王色の覇気を込めた右拳で殴り払う。

 

 周囲の雲が弾け飛ぶほどの衝撃。プラズマジェットの噴射で堪えたベアトリーゼと違い、フワフワの実の性質からシキは姿勢を大きく崩した。

 

 殺った!

 ベアトリーゼが更なる追撃へ移る、その機先。

 

「がっつきすぎだぜ、雌犬」

 歴戦の古強者が老獪な悪意を剥き出しにした。

 シキの背――ベアトリーゼの完全な死角から、雲で形成された獅子の爪撃が繰り出され、虚を突かれたベアトリーゼは一拍対処が間に合わず。

 

 鋭爪が端正な顔を捉え、暗紫色の双眸を引き裂いた。

 

「ぃっぎっ!?」

 目は小さなゴミが入っただけでも熾烈な痛みを発する繊細な器官。そんな眼球が引き裂かれた痛みは例える言葉が無いほど凄まじい。

 

 それでも、蛮姫は視覚を不可逆的に奪われた激痛と本能的恐怖を、戦意と闘志でねじ伏せる。

「っっってぇなっ!! このクソジジイッ!!!」

 おまけに病的な冷徹さを発揮し、瞬時に失われた目の代わりに見聞色の覇気を駆使。金獅子の位置を捉え、眼窩から大量の鮮血を噴出させながら右拳・肘剣・左後ろ回し蹴りの三連コンボを繰り出す。

 

「目を潰されて、なおかっ! テメェ、イカレてるぞっ!」

 毒づきながら攻撃を避けて大きく距離を取り、

「見聞色の覇気で見てるようだが、目を失った代償は甘かねェ。これで詰みだ」

 シキは周囲の雲を獅子の大群に変え、さらに形成した大量の獅子へ武装色の覇気をまとわせていく。

 

 目を失った敵を遠間から高威力の物量で圧し潰すというわけだ。石橋を叩き壊して鉄橋を掛け直す如き執拗な冷徹さ。これこそ金獅子シキの強み。

 

 アンニュイ顔と髪を鮮血で真っ赤に濡らしながら、ベアトリーゼは絶叫した。

「くまぁっ!! “そいつ”を今すぐ寄越せェっ!!!!」

 

「何を言って――」

 怪訝そうにシキが強面を歪めた、直後。

 

 見聞色の覇気で蛮姫と金獅子の死闘を観測していたくまが、即座に求めに応じた。壁をぶち破りながら実験施設内へ飛び込み、巨大ラックに収まっていた“そいつ”のケツを思いきり引っぱたき、ニキュニキュの実の力で超高速射出する。

 

 そして、実験施設の天井が爆散し、口径600ミリ砲弾重量10トンのクロームパナジウム鋼製実体弾がベイパーと衝撃波を曳きながら一直線に飛翔してくる。

 

獅子咆哮(ライオンシャウト)の砲弾っ!? ニキュニキュの実のクソガキかっ!!」

 シキは咄嗟に急上昇して砲弾をかわす。衝撃波に大きく姿勢を崩されるも、それだけ。

 

 否。それは決定的な失策。砲弾をかわすのではなく、撃墜すべきだったのだ。

 

 砲弾の狙いは金獅子ではなく、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)ッ!!」

 蛮姫は“狙い通り”に迫りくる巨大砲弾へ神速の右正拳を叩き込む。

 

 高運動エネルギーを持つ大質量の硬質金属体に激突し、右腕は武装色の覇気を高密度でまとってなお、皮膚が裂け、肉が弾け、骨が砕ける。ダマスカスブレードが装具に引っ掛かって辛うじて落下を防ぐ。

 

 折れた橈骨と尺骨、上腕骨が皮膚も潜水服も突き破り、肘の関節が割れて歪むも、ベアトリーゼは千切れた筋肉で強引に拳を撃ち抜く。

 

 同時に最大出力の周波振動と砲弾を構成する金属原子そのものを振動させ、激突で生じた熱エネルギーと共鳴させることで、砲弾内に高熱と圧力波を生じさせる。

 

 さすれば。

 一瞬で融解した10トン分のクロームバナジウム鋼が飛散し、融解した鋼は秒速数千メートルで飛散する過程で冷やされて再硬化。散弾となってシキに襲い掛かる。

 

「この、くそがきゃあっ!!」

 10トン分の鋼鉄による超高速かつ高密度の大弾幕に、シキは迷うことなく形成した黒獅子の群れを飛び込ませる。が、とても打ち消しきれない。全力で覇王色と武装色の覇気をまとい、鋼の豪雨から身を護る。

 

「ぐぅおおおおおおおおおおおっ!!!」

 一瞬でも覇気を弱めれば、肉を削がれ、身を貫かれ、臓腑を抉られ、骨を砕かれ、命を擦り潰される。フワフワの実の浮力も弱められない。この鋼の雨はシキを数千メートル下の海へ叩き落すに十分な物量と威力がある。

 ひたすらに身を守り、耐え抜くしかない。

 

 その隙を見逃すほど、蛮姫は甘くない。両眼を失い、右腕が破壊されてなお、プラズマジェットを放射してシキへ向かって真っすぐ突撃。左拳を構える。

 

 金獅子へ急迫する一瞬。蛮姫は持てる最高速度で思考する。

 全力で殴るだけじゃダメだ。

 奴の覇王色と武装色の守りをぶち抜いて命を奪うだけの威力を。

 運動エネルギーと質量、筋肉の出力、覇気と異能。全てを乗算して最大効率で最大威力で発揮する一撃を。

 

 刹那、ベアトリーゼの肉体全てがこの一撃のために躍動する。

 武装色の覇気が全身を駆け巡りながら左拳へ収斂し、プルプルの実が生み出す振動が運動エネルギーを爆発的に加速させた。

 深淵の黒に染まった左拳は瞬間的に極超音速へ至り、周辺大気をイオン化させて青白い電磁光を曳きながら金獅子へ向かって駆け抜ける。

 

 大気が裂ける音色が夜空に轟き響く。

 

 神速の必殺拳は覇王色の覇気による護りを打ち破り、武装色の覇気による漆黒の護りを打ち貫き、シキの胸板を直撃してその莫大な破壊力を体内へ貫き徹す。

 

「ぐああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 血達磨になった金獅子が、断末魔を上げながら隕石のように彼方の海へ落ちていく。

 

 薄れゆく意識の中、シキは幻視する。

 誰も認めぬ己が唯一認めた男を。どうしても従えたかった男を。

 

 不敵に笑う男へ、シキは問う。問わずにいられない。

 

 なぜだ。

 

 なぜテメェは頂点に立たなかった。最後の島ラフテルに到達し、ひと繋ぎの大秘宝(ワンピース)を手に入れたのに、なぜだ。

 

 なぜ大海賊時代なんてくだらねェものを遺して逝きやがった。

 

 なぜなんだ。

 

 ロジャー。




Tips

バーソロミュー・くま
 原作キャラ
 原作では言及されてないけれど、本作では見聞色もそれなりに使えるということで。

獅子咆哮砲。
 オリ設定。
 元ネタはナチス・ドイツが開発した多薬室砲――ムカデ砲。
 砲身内を進む砲弾に合わせて、薬室の装薬を順次着火して加速させる仕組み。戦後の実験では砲弾を宇宙まで飛ばしたとかなんとか。
 『弾道ミサイルがあるからイラネ』と完全に廃れた。

 クロームパナジウム鋼砲弾。
  元ネタはナチス・ドイツの列車砲用徹甲弾。セヴァストポリ要塞をぶっ壊す際に利用された。

ステューシー
 原作キャラ。
 ドクター・インディゴから何を聞き出したかは次回。
 ステューシーのキャラからして武装色より見聞色の方が得意そうな印象。

ヒューロンの標本。
 ベアトリーゼと瓜二つの顔をしてる。
 どういうことかは次回。

ドクター・インディゴ
 劇場版キャラ。青色ピエロ。彼が語った内容は次回。

スカーレット隊長
 劇場版キャラ。女好きの赤毛ゴリラ。ウホウホ言うだけのキャラクターに名優銀河万丈を用いる豪華さよ。
 本作では見せ場が一切ない。不遇。

シキ
 劇場版キャラ。最後は野蛮人の捨て身の攻撃に敗れた。
 ロジャー大好きジジイ。

ベアトリーゼ。
 オリ主。
 金獅子を撃破するも、完全失明。右腕複雑骨折。他にも深刻な重傷。
 どうなるかは次回をお待ちになって。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

152:ポーラータング・ミート・メルヴィユ

佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


「何が起きてやがる」

 夜の海を浮上航行する潜水艦ポーラータング号の甲板で、ハート海賊団の船長トラファルガー・ローが歯噛みして唸る。

 

 夜空に浮かぶ空島とその空域からおびただしい量の瓦礫や人間が降り注ぎ、激しい閃光と轟音が生じたかと思えば、当の空島が落下を始めた。

 人の良いクルー達が落ちてきた連中の救助を試みたが、あの高度から落ちたら海面はコンクリートと大差ない。生存者は今のところ誰も居なかった。

 

 何かが起きている。だが、何も分からない。覗き見を試みて空島に近づいたものの、状況は依然さっぱり分からないままだった。

 

「うわぁ……どんどん落ちてくる……空島って落ちるんだぁ……」

 落下に連れて空島が徐々に大きく見える様子に、航海士のミンク族の白熊ベポが奇妙な感心をこぼす。

 悠長なことを言ってる場合か、と思うも、ローは口には出さず渋面を作った。

 と、その時――

 

「ああ!」

 ベポがハッとして素っ頓狂な吃驚を上げ、蒼い顔で進言する。

「キャプテンっ! あれだけ大きな島が着水したら相当な衝撃と津波が襲ってくるよっ!船首をあの島に正対させておかないと、大変なことになるっ!」

 

 船長のローはもちろん、甲板に出ていた全船員の顔が大きく引きつった。

「潜った方が良いんじゃねえかっ!?」古参幹部のシャチが慌てて問う。

「ダメだよっ! ポーラータングの足でも、あの質量の着水で生じる水中衝撃波の範囲からは逃げきれないっ! 津波を乗り越える方がいいっ!」

 

 白熊航海士の意見を容れ、ローは即断。船員達へ命じる。

「船内へ戻れっ! ベポの言う通りに船首をあの島へ正対させろっ! 船内各所の固定を急げっ!!」

 

 船員達が大慌てで船内へ戻っていく中、古参幹部のペンギンが空を指差して叫ぶ。

「キャプテンっ! 空からお姉さんがっ!」

 

 ペンギンが示す指の先を追ってみれば、血塗れの若い女が空から海へ真っ逆さまに落ちていた。

「あれ、ジャヤでキャプテンを逆ナンしたお姉さんじゃねっ?!」双眼鏡を覗いたシャチが叫ぶ。

 

「血浴屋だとっ!?」

 ローはシャチの双眼鏡をひったくって確認する。

 間違いない。ボロ雑巾みたいになっているが、血浴のベアトリーゼだ。

「あの女が絡んでるのか……猛烈に厄介なことになりそうな予感がしてきたぞ」

 

「今更じゃない?」

 ベポの無情な指摘に、ローはめりりと眉間に深い皺を刻む。

 

 そうこうしているうちに“血浴”のベアトリーゼらしき若い女がポーラータングからそう遠くない海面に落ち、大きな水柱が上がる。

 

 これまでの墜落者同様、助かるとは思えないが……

 ローは数瞬の逡巡後、舌打ちして叫ぶ。

「ベポッ! 船を血浴屋の許へ向かわせろっ! シャチ、ペンギンッ! 先行して血浴屋を拾えっ! 急げよ、時間がねえっ!」

 

「アイアイ、キャプテンッ! 取り舵四分の一、最大船速ッ!!」「了解っ! いくぞペンギンッ!」「おうっ! 任せとけ、キャプテンッ!!」

 ベポが船内に船長命令を伝え、シャチとペンギンが躊躇なく水面へ飛び込み、その名に恥じぬ快速で着水現場へ泳いでいく。

 

 先行する2人を追って黄色い潜水艦も荒波を掻き分けて進み、

「キャプテーンッ! お姉さん確保ーっ!」「やべーよっ! お姉さんチョー重傷っ!!」

 海面に姿を見せたシャチ&ペンギンが血浴のベアトリーゼを抱えながら手を振る。

 

「担架と救急バッグ! 船内に重傷者の受け入れ用意っ!」

「オペ室の用意はっ!?」白熊航海士が確認するように問う。

「本格的な治療は津波を越えてからだ」

 冷静に下した判断をベポへ語り、

「ROOMッ!」

 海賊にして外科医、そして悪魔の実オペオペの実を食した改造自在人間であるローは異能を行使、特異な蒼光のサークルを広げていく。

 

 サークル内にシャチ&ペンギン+血浴のベアトリーゼを捉えた瞬間、

「シャンブルズッ!」

 ポケットからボルトを三つ取り出して、三人と位置を交換。三人は瞬時に海面から甲板上へ移動した。

 

 ローは三人の許へ駆け寄り、いつも抱えている長刀鬼哭をシャチに預け、甲板に仰向けで寝かされた血浴のベアトリーゼを診る。

「酷ェな」

 

 意識無し。パッと見ただけで細面の目元に大きな傷。裂けた瞼から覗く眼球は全壊。右腕は指先から肩口あたりまで開放骨折。左腕も指先から肘辺りまで重度の熱傷。加えて体のあちこちに細かい傷。目と右腕から出血が続いている。

 

 異能を使ってスキャン。バイタルをチェック。呼吸器系と循環器系、共に微弱。頭部頸椎に損傷無し。血液は今のところ異常値無し。海水からの雑菌混入も確認できない。脊椎の一部と左肋骨の複数に損傷。心臓と左肺の動きがかなり鈍い。急性出血性ショックを起こしていないことが奇跡だ。

 死んでないことが不思議な有様。

 

「キャプテン、救急バッグと担架、持ってきたよっ!」

 ハート海賊団紅一点イッカクが救急バッグを、覆面男のウニが担架を持って駆け寄ってくる。

 

「運ぶ前に“時間を稼ぐ”。止血帯を寄こせ。先に腕の救命、次に目元の被覆圧迫」

 まず出血を止める。次に失われた血の補充。血液型はスキャンで分かっているが、この場に輸血液はないから点滴で当座をしのぐ。

 ローの指示に従い、イッカクが止血帯を渡す。腕の付け根を強く締め付けて止血し、次いで目元を圧迫止血帯で覆い、グルグルと頭に巻いて固定。

 

「次、点滴針を寄こせ。ウニ、点滴バッグを用意だ」

 右腕は開放骨折、左腕は熱傷で使えないため、ローは左鎖骨下にラインを取って点滴とつなぐ。海面に近づく空島のダウンバーストで波が強くなり、ポーラータングも大きく強く揺さぶられているが、ローの手元は微塵もブレない。

 

「キャプテンッ! 島がもうじき着水するよっ!」

 ベポが緊迫した叫び声を発するも、ローは手当てに集中して顔を上げすらしなかった。

「次、右腕の固定具だ。早くしろ。おい、イッカク! 聞いてるのかっ!」

 

 海面間近まで落ちてきた島に注意を削がれていたイッカクは、ローの叱声に慌てて固定具を取り出す。

「ご、ごめんキャプテンっ! はいっ!」

 受け取った固定具で開放性複雑骨折している右腕を手早く固定。

 

「処置完了。担架に移すぞ。いち、に、さんっ!」

 ローはイッカクとウニの手を借り、“血浴”を担架に移す。

「行こう、キャプテンっ! もう時間がねえっ!」ウニが迫りくる島を見ながら叫ぶ。

 

「――待て。くそっ! 心臓が止まりやがった! アドレナリン1ミリだっ!」

 心停止を起こしたベアトリーゼに異能で電気ショック。素早く気道を確保し、唇を重ねて人工呼吸。それから胸骨をへし折らんばかりの勢いで心臓マッサージを開始。

 

「キャプテンッ!! 中に! 急いでっ!」ベポが再び叫ぶ。もはや怒声だ。

「アドレナリンっ!」が、ローはベポの訴えを無視してイッカクに怒鳴った。

 

「はい、アドレナリンッ!」

 イッカクから受け取った注射器の針をベアトリーゼに刺し、ローが薬剤を注入しようとした間際。

 

 突然、白い影が空から甲板に降り立ち、

「今すぐその娘から離れなさい」

 仮面の白づくめ女は子熊を奪われた母熊のような殺気を放ち、漆黒に染まった右手人差し指をローの眉間に突きつけた。

 

 ――この女、強ェ。

 ローは背筋に冷たいものを覚える。

 女の碧眼はローを捉えてから瞬き一つしておらず、荒波に激しく揺さぶられる船上で体がまったく動じていない。ローが薬剤をわずかでも注入しようとしたり、あるいはこの女に抵抗しようとしたりすれば、即座に一本貫手でローの頭をぶち抜くだろう。

 

「キャプテンッ?!」「だ、だれっ?! だれっ!?」「どっから現れたっ!?」

 ワンテンポ遅れて慌てふためき出す船員達。

 

「うるさい」

 仮面の女はローから一切目線を離さぬまま、ぴしゃりと告げた。あまりにも冷たい威圧感にクルー達が呑まれて口を噤む。甲板に生じる重たい沈黙。ダウンバーストの猛々しい風音と荒れる水面の波音がやけに大きく聞こえる。

 

 碧眼に鬼気迫る殺意を滲ませながら、仮面の女がもう一度繰り返す。

「もう一度だけ言うわ。その娘から離れなさい」

 

 最後通牒。だが、ローは仮面の女の碧眼を挑むように見据え、

「血浴屋は見ての通り重傷で、今すぐ措置をしなければ確実に死ぬ」

 微かに関心を示した仮面の女へ、頑固な患者の身内を説くように告げる。

「俺は海賊だが、医者だ。俺に助けられねェ怪我人は死んでる奴だけだ」

 

 仮面の女は数瞬の沈思黙考の末、構えを解く。

「―――良いわ。ただし、その子が死んだら貴方達を一人残らず殺す」

 

「そっちこそ覚悟しろ。俺の治療は安くない」

 脅しではなく事実だろう。しかし、ローは持ち前の負けん気を発揮しながらアドレナリンを注入。蘇生を確認して船員達へ吠えたてる。

「船内に急げっ!!」

 

 イッカクとウニが担架を担いで船内へ駆け、ベポとシャチ&ペンギンが慌てながらローに急げと喚き散らす。

 そして、ローと仮面の女が船内に入り、扉が厳重にロックされた直後。

 空島が海面に落着した。

 

     ○

 

 空から落ちてきたメルヴィユは海面に接するまでの間に、暴力的なダウンバーストを発生させていたが、着水時に生みだした衝撃波は、そんな激烈なダウンバーストが微風に思えるほど破滅的なものだった。

 着水したメルヴィユの周囲に暴虐的衝撃波が走った直後、巨壁のような津波が全方位へ広がっていく。

 

 さて。大きな津波に遭遇した船はどう対処するか。

 答えは簡単。津波に正対して真っ直ぐ駆け登るだけ。

 

 例を挙げるなら、東日本大震災時、沖合にいた海上保安庁の巡視船が、あの破滅的な大津波を登り越えていく映像が残されている。

 

 黄色い潜水艦ポーラータングもまた大津波を登り越えるべく果敢に挑み、ほとんど垂直染みた津波の海面を駆け上っていく。

 

 船内は当然、大騒ぎだ。

 壁が床に、天井と床が壁になりそうな大傾斜。船体から響く不吉な軋み音。衝撃と負荷によってあちこちから噴き出す浸水。すっ転がっていく船員達の阿鼻叫喚。機関員達が叫び、白熊航海士と仮面操舵士が喚き、船長が吠える。

 

 まさしく大混乱。そんな中、仮面の貴婦人は床に根を張ったように平然と、それでいて優雅に佇み、寝かされたベアトリーゼに手を添えて易々と安置させている。

 立ち居振る舞いだけで船員達との圧倒的な実力差を見せつける白づくめ貴婦人に、ローは思わず歯噛みする。

 

 そうしてハートの海賊団はメルヴィユ落着の大騒ぎをなんとか乗り切った。

 いまだ荒れ続ける水面に浮かぶポーラータングは、中も外もしっちゃかめっちゃか。船員達はくったくたでへたり込んでいる者も多い。シャチ&ペンギンは互いに抱きついて生き延びたことを実感し、ベポは目を回している。

 

「休んでる暇はねェぞっ! 被害の確認だ。シャチ、ペンギン。3人連れて船外を見てこい。ベポ、船内の点検と片付けの指揮を執れ。クリオネ、イッカク、血浴屋を治療室へ運べ。俺は血浴屋の治療に取り掛かるが、何かあれば、すぐに報告しろ。掛かれっ!」

 ローは津波越えに疲れを見せることなく矢継ぎ早に指示を飛ばし、主計長を呼び止めて小声で告げる。

「皆に温かい飲み物と軽食を用意してやれ」ローは肩越しに貴婦人を一瞥し「客の分も忘れるな」

 

「了解、キャプテン」と主計長が頷き、調理場へ向かっていく。

 密やかに小さく深呼吸して気合を入れ直してから、ローは治療室へ足を進めた。仮面の貴婦人が当然のように付いてくる。

「オペの立ち合いは許可してねェ」

 

 仮面の貴婦人は無視して治療室の壁に背を預けて立ち、警戒心を隠すことなくローへ冷徹な眼差しを向けた。

 

「……邪魔はするなよ」

 冷厳な視線を背に受けながら長刀鬼哭を置き、ローは治療台に寝かされたベアトリーゼを見下ろす。イッカクが手術に必要な準備を整えていく間、再びオペオペの実の能力を発動。ベアトリーゼの容態を精確に検査する。

 

 その様子を眺めていた貴婦人がぽつりと呟く。

「オペオペの実……貴方、北の海の“死の外科医”トラファルガー・ローね。グランドライン入りしていたとは知らなかったわ」

 

 船長(ボス)が知られていることにイッカクが誇らしげにするものの、ロー本人はさして気にせず、診断を口にする。

「全身のこまけェ切り傷、擦り傷、打ち身は問題ねェ。右腕はヒデェ有様だが、元通りに出来る。アバラの骨折もな」

 

 だが、とローは言葉を続けた。

「両目は無理だ。眼球そのものが全壊してる。左腕、左肺、心臓、脊椎も損傷している。特に左腕だ。まるで腕の芯から燃えたみてェに神経や骨まで熱損してて、肘から先は切断するしかねェ。他も治しても元通りになるかどうか」

 

 説明を告げてから、ローは肩越しに背後の貴婦人へ尋ねた。

「いったい何が起きたら、懸賞金4億弱の凄腕がこんな様になる?」

 

「貴方が知る必要のないことよ、トラファルガー・ロー」

 貴婦人が冷たい殺気を漂わせるも、ローは臆することなく問いを重ねた。

「あんたは政府の、サイファー・ポールの人間だろう。政府の諜報屋が名うての凶悪犯とつるんで、あの島で何していた」

 

 質問と指摘を無視し、貴婦人は評価査定するようにローをじっと見つめた後、艶やかな唇を開く。

「オペオペの実の力はあらゆる生物、物体を自在に改造できる。たとえば、人間の体を獣や魚とつなげることもできる。それも一切の拒絶反応を起こすことなく。合っているかしら?」

 

 自身の問いを無視して反問されたことにイラッとしつつも、ローは首肯する。

「そうだ」

 

 貴婦人は小さく首肯し、仮面の奥から射るような目つきでローを見据えた。

「“丁度良い”献体がある。その献体を使ってこの娘を治療しなさい。この娘が無事に助かったら、この海域から無事に返してあげるわ」

 

「あぁ?」

 脅迫めいた物言いにローが貴婦人へ向き直った、直後。伝声菅からシャチの声が響く。

『キャプテンッ! 海軍だっ! 艦隊が近づいてくるっ!』

 続いてペンギンの声が届く。

『海軍船から共通発光信号っ! 直ちに停船せよ、さもなくば撃沈するって!』

 

 空島の着水へ合わせたように出現した海軍艦隊。ローも小さく驚き、イッカクが作業の手を止めて不安顔を寄こす。

「キャ、キャプテン」

 

「一つだけ教えてあげるわ」

 不意に仮面の貴婦人が薄く微笑み、

「私達は今夜、金獅子狩りをしたの。これからあの島で生き残っている金獅子海賊団の駆逐掃討を始める。紛れ込んだ海賊をついでに始末するか、見逃すかは」

 告げた。

「この娘が治るかどうかよ」

 

      ○

 

 夜明けを迎えた頃。

 黄色い潜水艦ポーラータング号は、海軍艦隊に包囲されながらメルヴィユ本島へ連行された。墜落と同時に海とつながり、汽水湖へと変化している最中の湖へ入り、更地同然に破壊され尽くした湖港へ接舷。

 

 接舷するや否や、やたら重装備で金魚鉢みたいなヘルメットを被った兵士達が乗り込んできて、ロー以外の全船員が甲板に並んで座らされ、監視下に置かれた。

 なお、温かい飲み物と軽食を口にすることは許された模様。

 

 仮面の貴婦人は海兵の将校達に命令を与え、手酷く損壊した巨大施設――曰く金獅子海賊団の本拠点――の完全占領とガサ入れを行わせる。もっとも、研究棟は件の金魚鉢頭達以外の立ち入りが許されないようだったが。

 

「レジェンド級大海賊が一晩で壊滅とかマジか」「あれ、王下七武海のバーソロミュー・くまじゃね?」「逆ナンお姉さんに加えて王下七武海まで? 海軍ガチじゃん」

 こそこそ、というにはあまりに大きな声でしゃべり倒すハートの海賊団へ、金魚鉢頭の兵士がぴしゃりと告げる。

「ああなりたくなけりゃあ、黙ってろ」

 

 金魚鉢頭が指差した方向へ、船員達が顔を向けてみれば。

 金獅子海賊団の捕虜達によって海賊の死体が港敷地の一角――大穴が開いている場所へ運ばれ、穴の中へ捨てられていく。御丁寧に死体は身ぐるみ剥がされ、全裸だった。指や耳がない死体も多い。ピアスや指輪を取るために切り落とされたのだろう。

 

 捕虜達にしても、既に金目のものを全て没収されているようだ。懸賞金が掛かっている者は別の場所に連行され、海楼石の錠で拘束されている。罪状に海兵殺しが発覚した者達は私刑に遭い、場合によってはそのまま殺害されていた。

 

 敗者を徹底的に辱め、嬲る光景に、ドン引きするハートの海賊団の面々へ金魚鉢頭が底意地悪くせせら笑う。

「よく見とけ。あれが海賊の末路ってやつだ」

 

 そんなやりとりが交わされているところへ、厳重に警備された荷物がポーラータングのオペ室に運び込まれる。分厚い帆布で覆われているため、荷物が何かは船員達にも海兵達にも分からない。

 

 少なくとも、荷物を目にすることが出来たのは、トラファルガー・ローとオペの助手を務めるイッカクだけ。

「なんだ、これは……」

「キャ、キャプテン」

 

 研究棟からポーラタングの治療室へ運び込まれたガラスケースを前に、ローが驚嘆をこぼし、イッカクが驚愕する。

「信じられねェ。完全に生命活動が停止してるのに、生体状態が万全に維持されてやがる。それに、このツラ……血浴屋とまったく一緒じゃねェか」

 

 説明を求めるように精悍な顔を向けてきたローへ、仮面の貴婦人はさらりと告げた。

「“これ”を使ってこの娘を治しなさい」

 

 ローは眉間に深い皺を刻み、血浴のベアトリーゼとガラスケース内の乙女を交互に凝視した後、仮面の貴婦人を睨みつけた。

「何も分からねェといっても、流石に察しがつくぞ。俺に何の片棒を担がせようとしてやがる」

「尋ねれば何でも教えて貰えると思わないことね。どんな事情があるにせよ、貴方にある選択は一つではなくて?」

 

 鋭く舌打ちし、ローは能力を発動する。

「ROOM」

 治療室が特異なサークルに満たされ、”死の外科医”は宣言した。

「オペを開始する」




Tips
トラファルガー・ロー
原作キャラ。ハートの海賊団の船長。オペオペの実の能力者。
医者の家に生まれ、医療の英才教育を受けている。
案の定、厄介事に巻き込まれた。硬骨な男だけれど、状況が状況だから下手に動けない。

ステューシー
原作キャラ。
目を掛けているベアトリーゼが重体になり、殺気立ってる。

ベポ
原作キャラ。ハートの海賊団の航海士。ミンク族の白熊。
医療知識はゼロ。

シャチ&ペンギン
原作キャラ。ハートの海賊団の最古参コンビ。双子みたいにそっくり。
医療知識はゼロ。

イッカク
原作キャラ。ハートの海賊団の紅一点。
原作だと医療知識がほぼゼロだったが、せっかくの紅一点なので、本作では救急救命士や看護師的な役回りを与えてみた。

ウニ
原作キャラ。ハートの海賊団の船員。
医療知識はゼロ。

ベアトリーゼ
オリ主。高額賞金首の凶悪犯。プルプルの実の能力者。
死にかけており、意識不明。
意識不明のまま治療兼改造手術を受けることに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

153:実験動物はメルヴィユで夢を見る。

烏瑠さん、ニコニコカービィさん、誤字報告ありがとうございます。


 二つの手術台にそれぞれ横たわる裸の乙女。

 患者(レシピエント)は両目と両腕が損壊しており、献体(ドナー)は右腕と下半身がないけれど、顔も髪も肌の色も同じ。睫毛の本数や乳房の曲線まで全て同じ。生き写しそのものだ。

 

 仮面の貴婦人から異様にウェットで異常に熱がこもった視線を覚えながらも、ローは悪魔の実オペオペの実の能力を用いた手術を進めていく。

 

 最初に循環器系と呼吸器系から手を付ける。生命維持系の修復は最優先だ。

 開胸してテキパキと患者の傷んだ左右の肺と心臓を摘出。周辺の臓器や血管、神経系に損傷が無いか注意深くチェックしてから、献体のものと交換。生命維持に直結する臓器だけにわずかな狂いも過誤も許されない。ローは瞬きを忘れて作業に集中する。

 

 交換した心肺が力強く稼働(ビート)する様を確認。異能でバイタルその他をチェック。問題ナシ。

 折れた左肋骨を骨片一つ一つまでつなぎ直し、閉胸。もちろん肌に傷痕は一切残さない。

 

 循環器系と呼吸器系が済んだら、次は背骨。患者を伏臥位に体位変更。

 背中を開き、損傷している背骨――精確には頸椎C7番から腰髄T12番を献体のものと交換。血管と神経、硬膜、周辺の関節や人体や筋肉などと完璧な精度でつなぐ。どういうわけか不足している骨髄液を補うため、取り出した患者の骨髄液を用いた。

 こちらの作業も絶対的な集中力を必要とする。汗が目に入らぬよう助手のイッカクが何度もローの汗を拭う。

 

 背骨の処置が終わり、再び仰臥位へ戻す。次は左腕。

 肘から先は皮膚や筋肉はおろか神経、血管、骨まで熱損している。ローは予定を変更して左腕全体を献体のものと交換。肩口で血管と腱と神経嚢を丁寧に接続する。

 

 ――まるで全身から左腕に向かって巨大なエネルギーが駆けぬけたみてェだな。

 ローは手術を進めながら、ベアトリーゼの顔をちらりと窺う。

 ――……こいつは”なんだ”?

 

 左腕が済んだら、酷く損壊した右腕に取り掛かる。神経、骨、血管、腱、筋肉、皮膚と丁寧につなぎ直して新品同然に修復(レストア)

 作業は大変な集中力と根気を必要としたが、生命維持系と脊髄の相手よりは気が楽だ。

 

 最後に患者の全壊した暗紫色の目を取り除き、眼窩を綺麗に洗浄。検体から取り出した金色の目を移植して接合。顔の傷も当然のように痕を一切残さず縫合して完了。

 

 能力の使用を切り、ローは目を瞑って肩を上下させるほど大きく深呼吸し、言った。

「……終わった。後は経過観察と意識の回復を待っての検査だけだ」

 

 夜明け頃から始まった手術は気づけば、夕方を迎えている。半日以上ぶっ続けの大手術。しかし、手術範囲と作業量は常識的に言って半日で終わったことすら、おかしい。普通なら右腕の修復手術だけでも数回に分けて行われる代物だ。

 

 仮面の貴婦人も讃嘆を禁じ得ない。

「貴方……海賊なんて辞めて開業すべきよ」

 

「褒めるなら素直に褒めてくれ」

 ローが疲れ顔で投げやりに応じ、壁際の椅子に腰かけた。

 

「キャプテン、パないッ! 凄すぎっ! スーパードクターッ!!」助手を務めたイッカクが大はしゃぎ。長丁場の疲労でハイになっているらしい。

「彼女と同じように言えと?」仮面の貴婦人が困った調子で返す。

 

「やっぱり何も言わなくていい……」

 ローは大きく息を吐き、イッカクを先に休ませる。

 

 四角巾(ドレープ)を掛けられたベアトリーゼを一瞥し、ローはモコモコ帽子を脱いで黒髪を掻く。

「手術そのものは完璧だが、予後不良の可能性は否定できねェ。なんたって訳の分からねェものとくっつけたんだからな。だが、死ぬことはねェ。オペオペの実の力で改造したもんは基本的に“完全一体化”する。人間と動物でも、人間と機械でも、拒絶反応や異常反応は起こらねェ」

 

 それに、とローは続けた。

「血浴屋の身体は“頑丈”だ。鍛えたって次元じゃねェ。なんというか、細胞単位で普通と出来が違う感じがする」

 

 仮面の女は何も答えない。ただローの見解を注意深く聞いている。

 フッと息を吐いてローは視線をもう一つの手術台に向け、“部品取り”された献体を見る。

「単純に医者としての興味だが……この献体の身体は俺でも分からねェ異常な変化が生じてる。それを外科的アプローチで正常な方向へ修整し、調整(チューニング)してある。極めて精密かつ精微に。通常の外科手術じゃ絶対に出来ねェ」

 

 モコモコ帽子を被り直し、ローは仮面の貴婦人へ鋭い眼差しを向けた。

「この献体はオペオペの実の力で造られた”芸術”だ」

 

「トラファルガー・ロー。忠告してあげる」

 仮面の貴婦人はおもむろに口を開く。冷ややかに、けれどどこか気遣うように。

「貴方は今、岐路に立っているわ。貴方自身がどんな目的があってグランドラインにやってきたかは知らないけれど、これ以上踏み込むなら、この“物語”から後戻りできない」

 

 学びと教養を修めているローは、“物語”が何を指しているかうっすらと察し、疲れた目を閉じて思案する。

 医者の部分が知的関心を強く訴えていた。知りたい、と。

 が、海賊の部分がより強く叫ぶ。お前には目的があるだろう。絶対に果たさねばならぬ目的が。

 

「……俺には俺の目的がある。あんたと血浴屋の物語とやらに付き合う気はねェ」

 ローは仮面の貴婦人を真っ直ぐ見つめ、

「血浴屋を治療した報酬として一つだけ聞きたい」

「聞くだけなら」

 頷く仮面の貴婦人へ問うた。

 

「Dとはなんだ」

 

 仮面の貴婦人は碧眼をわずかに揺らし、小さく首を横に振る。

「……私から言えることは何もない。本当に知りたいなら茨の道を歩むしかないわ」

 

「だが、道はあるんだな?」

 不敵に口端を曲げるロー。

 その在り方自体が既に“D”である証のようなものだが、仮面の貴婦人は呆れたように小さく息を吐くだけ。

 

      ○

 

 ベアトリーゼはシキの本殿にある医務室へ移され、評価戦隊とモッズの厳重警備の下に置かれた。オペオペの実の能力者による大手術を受けた蛮姫は、清潔なベッドで安らかな寝息を立てている。

 ステューシーはベアトリーゼの乱れた髪に手櫛を通し、ドクター・インディゴとのやり取りを振り返った。

 

 ※ ※ ※

 

 夜色の髪。小麦色の肌。アンニュイな細面。

 不活性剤で満たされたガラスケースの中で佇む人造人間の乙女は、金色の瞳以外全てが血浴のベアトリーゼと酷似している。

 

 股間を踏みつけられているインディゴが苦悶顔で語った。

「そのヒューロンは間違いなくソナン兄妹討伐作戦時に運用された“オリジナル”。それも、ソナン兄妹が世界政府加盟国クサンテから誘拐した姫君を母体とする逸品だ」

 

 クサンテ。ヴィンデ系統の混血子女を“降嫁”させ、加盟国入りさせた国だ。

 青色ピエロの言葉とヒューロンの容貌。間違いない。このヒューロンはフランマリオンが超人類研究に用いていたヴィンデ・シリーズが元になっている。

 

 つまり、天竜人の血を持つ人造人間。

 ただでさえ厄ネタのヒューロンが、超特級呪物の如き厄ネタにバージョンアップ。イラッとしたステューシーはインディゴの股間をさらに強く踏みつける。鋭いヒールが陰嚢にめり込んでいく。

「証拠は?」

「ギャアアア、潰れる潰れるっ! ひっ左の上腕を見ろっ! ソナン兄妹は製造ナンバーを入れていたっ! それが証拠だっ!!」

 

 ステューシーは油断なくガラスケース内に浮かぶベアトリーゼ似のヒューロンを窺う。

 確かに“鍵”のマークと数字が左腕に焼き印されている。諜報員ではなく歓楽街の女王として、見覚えがあった。

「これは……“ムスターの鍵”? なぜヒューロンにムスターの社章が……?」

 

 グランドライン後半“新世界”にある総合企業ムスター社。

 ステューシーも歓楽街の女王として幾度か取引したことがあるし、政府や海軍、加盟国の事業を請け負っている。政府の監査やサイファー・ポールの内部調査でも真っ当な企業と見做されている。

 

 ピロピロピロ、と股間を踏まれた道化が嘲笑をこぼした。

「そのマークは“鍵”じゃねェ。ソナン兄妹の兄イタルが愛用していた杖のマークだ。ムスターはソナン兄妹の残党が起こした企業で、ムスターの社章はソナン兄妹のマークを模してンだよ」

 

「……なんですって?」

 インディゴは股間の痛みに脂汗を流しながら、

「討伐作戦を生き延びた残党達は素性を隠して真っ当な商売を始めた。表向きはな。だが、裏じゃあ兄妹の“遺産”を研究していた。この“オリジナル”ヒューロンは遺産の一つだ」

 

 にたりと悪意を湛え、

「お前は真っ当な会社だと言ったが、違う。ムスターは“真っ当になった”んだ。シキの大親分がロジャーのクソとエッド・ウォーで戦った前の年。26年前。お前ら政府はムスターに内調を試みたそうだ。ところが、ムスターはマヌケな政府の動向を察して先手を打ち、代々抱えてきた“遺産”と遺産に関わる人間その他を、綺麗に切り捨てちまったんだとよ」

 

 ピロピロと喉を鳴らす。

「隠すンじゃなくて切り捨てるってところが、こんな世界で成功してる企業らしいよなぁ。もっとも、どんな組織にも意地汚ェ奴ぁ居るもんだ。処分すべきものを横流しして小遣い稼ぎを企てるような奴がな。おかげで俺は貴重な標本と資料を入手し、愉快な話を聞けたってわけだ」

 

 ひとしきり嗤った青色の道化は小さく息を吐き、ガラスケース内に浮かぶヒューロンの乙女を見つめる。

「ムスターの連中はヒューロンの複製と量産を試みていたらしい。だが、ベガパンクの血統因子ベースの培養複製技術が開発されたのは約20年前。血浴の存在が示す通り、ムスターの複製方法はクローニングじゃねェ」

 

 この先は悪魔の所業を聞くことになる。ステューシーは分かっていたが、踏み込んだ。

「ならどうやったの」

 

「骨髄を移植したンだとさ。骨髄を移植すると、被移植者(レシピエント)の血液は献体者(ドナー)の血液に置換変化される。つまり、血液単位では献体者と同一になる。俺が行った確認実験では最終的に血統因子も完全に置換変化することが判明してる。分かるか? 被移植者は自我や肉体に変化がなくとも、血統因子学的には献体者のコピーとなるわけだ。いやまったく、こんな方法をよく見つけたもんだ」

 インディゴはしみじみと呟き、言った。

「ムスターはそうして骨髄移植を行った試験体同士で交配させ、オリジンの複製を試みたようだ。もっとも、そのほとんどは失敗に終わったみてェだがな」

 

「失敗」ステューシーが相槌を打つように繰り返せば。

「血統因子学的にヒューロンと同一でも、被移植者本来の因子が強く現れることがほとんどだったそうだ。容貌的特徴がオリジンと同じでもヒューロンとして不完全だったり、ヒューロンとして特性が高くても先天性疾患を負っていたりと、とにかく上手くいかなかったらしい」

 

 失敗と見做された者達はどうなったか。幸せな人生を送った、というオチだけはあるまい。

「彼女も……血浴のベアトリーゼも実験で生み出された一人だと?」

 

「そこははっきりしねェ。俺が手に入れた資料にゃあ少なくとも、血浴と一致する年齢の実験体はいなかった。考え得る可能性は件の処分で廃棄された実験体が妊娠してたんだろう。その妊娠してた実験体は始末されず、手癖の悪い奴に人買い屋へ売り飛ばされた。で、出産。そんなところか」

 ふんと憎々しげに鼻を鳴らし、インディゴはこの場に居ないベアトリーゼを罵るように言葉を編み続ける。

「血浴とオリジンの外見的類似と差異、ヒューロン因子を持ちながらヒューロン特性が見られなかったあたり……血浴は“失敗作”だ」

 

 ――なんてこと。

 道化の語る“物語”に、万事冷静沈着なステューシーをして動揺を抑えきれなかった。

 

 ※ ※ ※

 

 手術を監視しながら、ステューシーはインディゴの推論の可否を検討する。

 

 新世界から人買い屋を通じ、西の海の箱庭へ。

 非常に難しいが、不可能ではない。西の海はグランドライン“新世界”と接していて、海楼石装備の自走船舶なら、カームベルトを越えることも易い。

 そして、フランマリオンの“箱庭”は確かに周囲と隔絶されているけれど、維持のため外と物資と“新しい血”のやり取りがある。

 

 ベアトリーゼは現25歳。母親が26年前に妊娠して箱庭で出産したなら、時間的辻褄も合う……

 全ての情報が事実だとするなら――

 

 ベアトリーゼは天竜人フランマリオンの実験動物ヴィンデ・シリーズの子孫であり、世界政府に挑んだ凶徒ソナン兄妹の残党が作り出したヒューロン複製実験の試験体。

 

 ――ああ。

 ゾクゾクッと背筋に走る電気を感じながら、ステューシーはベッドに横たわる小麦肌の娘をじっと見つめた。

 この子は本当に私と“同じ”なのね。

 

 男女の愛憎でも、なにかの目的や使命を果たすためでもなく、技術検証のためだけに造られた命。ジェルマの複製兵のような家畜共とも、フランマリオンや“抗う者達”の人形共とも違う。

 真の同胞。

 

 ステューシーは眠り姫のように穏やかに寝息を立てているベアトリーゼの頬を撫で、柔らかく碧眼を細めた。

 どこかウェットな熱を湛えて。

 

       ○

 

 墨汁をぶちまけたような星のない夜空。異様に大きな血の色の満月が照らす錆色の荒野。

 乾ききった砂は鉄の味がする。

 

 そんな夜の荒野を彷徨う小さな獣。

 何を飲んでも渇きは癒えず、何を食しても飢えは満たされず、みすぼらしい衣を引きずりながら、這いずり回る。

 孤独感に苛まれ、寂寥感に苦しみ、泣くことも忘れ、血の味がする砂埃に塗れながら、徘徊し続ける。

 

 残酷な荒涼の地を巡り、無慈悲な荒漠の野を惑い、無数の屍を踏み越え、無数の亡骸を登り越え、哀れで惨めな獣は影に出会う。

 

 闇色の戦闘装具をまとった夜色髪に金眼を持つ小麦肌の女。

 

 女は満月のような瞳に獣を映す。

 温もりも優しさもない氷のような眼差し。

 

 獣は女に近づき。

 そして――――

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

 ベアトリーゼは目を覚ます。

 なぜか目元が濡れており、生活習慣的に拭って気づく。

 潰されたはずの目玉が見慣れぬ木目天井をしっかり映している。砕けた右腕も無茶をやって熱損した左腕も傷一つないときた。

 

 これはいったい。

 

 ベッドの周囲はカーテンで覆われ、採光窓から陽が注ぐ。病室らしい。

 本能的に見聞色の覇気を巡らせ、周囲を探る。

 

 海に佇むメルヴィユ。半壊した金獅子海賊団の本拠点。くまが更地にした湖港には海軍船に挟まれるように黄色い潜水艦が接舷停泊している。

 室内には幾人かの負傷者。海軍の軍医と衛生兵。部屋の出入り口には金魚鉢頭の兵士とモッズが警備に当たっていた。

 

 採光窓に映る自分の顔を見て、遅まきながらに違和感を抱く。

 傷一つないアンニュイな細面にある双眸が、満月みたいな金色に変わっていた。

 

 どういうこったい。

 

 

 ベアトリーゼの疑問は、見舞いにやってきたステューシーが解いた。

 偶然、作戦海域に居合わせたオペオペの実の能力者に“協力”してもらい、失明した両目と酷く損壊した左腕、脊椎と一部臓器を移植治療したと。

 

「マジか。寝てる間に改造されたん? ヤベェ」

 まじまじと左腕を窺い、次いでペタペタと顔を撫で回すベアトリーゼ。反応が軽い。

「もう少し深刻に受け止めて?」ステューシー、困惑。

 

「いや、現実味が無さ過ぎてなんとも。ちょっと鏡貸して」ベアトリーゼはステューシーから手鏡を借りて「うわー……マジで目の色が全然違うんだけど。違和感半端ねェ。なんか心なしか前よりよく見えるような……」

 瞼を指で広げて瞳をじっくりねっとり見回しながら、問いを重ねる。

「で? 私を救ってくれたドナーはどこの誰さん?」

 

 ステューシーは大きく深呼吸し、どこか不安そうに教える。

「ヒューロンのサンプルよ」

 

 ベアトリーゼは金色の目をパチクリさせた後、手鏡を置いて小さく何度も頷き、天井を見上げてぼやいた。

「あー……そうきたかぁ。そうきましたかぁ」

「もっと真剣に受け止めて?」ステューシー、当惑。

 

「そー言われましても」ベアトリーゼはボサボサの夜色ショートヘアを掻きまわしながら自嘲的に「や、現実逃避してるわけじゃなくね、まぁなるようにしかならんなと」

 流石に呆れるステューシー。この子、鉄か何かで出来てるのかしら。

「……それと、貴女のルーツについて少しわかったことがあるの」

 

 先ほど以上にどこか緊張した様子で切り出したステューシーの様子を窺い、ベアトリーゼは、首を横に振る。

「その話は少し待って。私はどれくらい寝てた?」

「? 作戦当日から丸二日よ」

 

「二日」ベアトリーゼはどこか浮ついた気分のまま思案する。

 麦わらの一味は、ロビンはウォーターセブンに着いた頃か? クソ。間に合わねェっぽいな。

 自分の目や両腕やヒューロンとか、生活や戦闘に支障が無ければどうでも良い。親友の方が大事だ。

 どうしたもんか。

 

 ベアトリーゼが難しい顔をこさえた直後(ステューシーはようやく真面目に現状を認識したのだと誤解した)。

 不意に空っぽの腹が詰まった下水管みたいな音を奏でた。

「とりあえず……小難しい話の前にご飯食べさせてくれる?」

 

 しれっと要求するベアトリーゼに、ステューシーは思わず眉間を揉んだ。

「食事の前に主治医の診察を受けてもらうわ」




Tips
トラファルガー・ロー
 原作キャラ。オペオペの実の能力者。
 済し崩し的に瀕死のベアトリーゼを治療した。
 原作本編ではオペオペの実による具体的な治療シーンは少ない。

ステューシー
 原作キャラ。いまだ精確な素性が謎の人。
 ベガパンク&くまとの会話で、自分が人間ではないと認識している向きがある。

イッカク
 原作キャラ。ハートの海賊団の紅一点。
 本作では救急救命士や看護師的立ち位置にしてみた。

クサンテ
 オリ設定。
 元ネタは銃夢:火星戦記に登場する国。本作では世界政府加盟国。

ムスター社。
 オリ設定。
 元ネタは銃夢:火星戦記に登場するバロン・ムスター由来。
 バロン・ムスターは闇堕ちしたイタル・ソナンが名乗った偽名。事実上、個人でシドニア大公国を滅ぼした。
 ムスターの死後、側近がムスターに扮装して組織を維持していた。

骨髄移植
 骨髄移植によるクローン製造なんて出来ない。
 ただし、骨髄移植により、患者の血液型とDNAが提供者側の血液型とDNAへ置換変化することが、確かにある。
 よって、ワンピ世界で言う血統因子を置き換えることは、確かに可能。


『砂ぼうず』においても、『銃夢』においても、夢は自己の再認識を行う重大イベント。

ベアトリーゼ
 オリ主。
 改造手術を受けたが、実感がないので反応がいい加減。
 自分のことよりロビンの方が大事


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

154:バイバイ、メルヴィユ

佐藤東沙さん、ちくわぶさん、nullpointさん、烏瑠さん、ニコニコカービィさん、誤字報告ありがとうございます。


 トラファルガー・ローの機嫌は良くない。

 なんせ二日もメルヴィユに足止めを食らっている。海軍はハートの海賊団の面々を船上軟禁しており、上陸することもできない。

 というわけで、メルヴィユ落下時に負った潜水艦の損傷も修理を終え、ハートの海賊団の船員達はダレている。

 

「いつまでここに居なきゃいけねェんだ?」「言うて、こんだけがっつり囲まれとったら逃げられねーべ」「飯は向こう持ちだし、休養だと思えよ」「休養なら上陸してェ」「それな」

 愚痴をこぼし合うハートの海賊団の面々。

 

 そんな折、トラファルガー・ローは海軍から呼び出しを受けた。患者が目覚めたので主治医として診察しろというわけだ。

 ローは金魚鉢頭の兵士に前後を挟まれながら、金獅子海賊団の本拠点内を進む。傍目には連行以外の何物でもないが、拘束されていないし、兵士達は小銃を肩に担いで臨戦態勢を取っていない。

 

 そうしてローが医務室へ赴けば、担当患者はベッドの上で胡坐を掻き、新聞を読んでいた。

 ぺらんぺらんの患者着は陽光を浴びて透け、下着を着けていない身体の曲線をありありと浮かべている。うら若き乙女として羞恥心の一つも示すべきだろうに、患者は移植したばかりの金眼を細めて微笑し、「やぁ、ドクター」と手を振る始末。

 ベッドの傍らに座る仮面の白づくめ女が、バカ娘の振舞いを嘆く母親のようにこめかみを押さえた。

 

 ベアトリーゼは悪戯っぽく微笑み「意識のない私の唇を奪ったり、裸にしていろいろ悪戯したりしたんだって?」

「……検査させてもらうぞ」

 人聞き最悪の軽口を聞かされ、ローはこれ以上ない不機嫌面を浮かべた。

 

「脱いだ方がいい感じ?」

「必要ねェ……ROOM」

 ベアトリーゼの問いを否定し、ローは左手を掲げて悪魔の実オペオペの実の力を発動。特異なサークル内にベアトリーゼを収め、「スキャン」と検査を始めた。

 

「……悪魔の実ってさ。たまに魔法としか思えない類の能力があるよね」サークルをしげしげと窺うベアトリーゼ。

「確かに」「否定はしねェ」

 仮面の貴婦人と共に首肯し、ローは検査を進めながら手術の説明を行う。仮面の貴婦人が用意した献体(ドナー)から、両目、左腕、心臓と肺、脊椎を移植したこと。右腕の修復。

 

「それだけの手術を半日で? はー……すっごい」

 ベアトリーゼの称賛を受けつつ、ローは検査を終えて能力を切る。

「異常無しだ。身体機能に問題はまったくねェ。仮に何か問題が生じるとしたら、フィジカルではなくメンタル由来だろう」

 

「なるほど」

 ベアトリーゼは他人から移植された目で、同じく挿げ替えられた左腕を見つめる。左手を握ったり開いたり。武装色の覇気を巡らせてみたり。

「全力を出してみないと何とも言えないけれど、確かに問題なさそうだ」

 うん、と頷いてからアンニュイ顔に悪戯心を浮かべる。

「感謝のキスしようか? それよりもっと“熱い”方がいい?」

 

「こら、品のないこと言わないの」と仮面の貴婦人がすかさずお小言。

「ンなもんいらねェよ。お前が目を覚まさねェせいで身動きが取れなかった」

 ローがすっごく嫌そうに応じれば、

 

「あ? ンなもん……だと?」

 ベアトリーゼはピキリと眉根を寄せ、場末の酌婦みたいな悪態を吐き始める。

「こんなとってもビューティフルでセクシーな美人が誘ってんのにぴくりとも反応しねェとか、テメーさてはゲイだな? 男の方が好みだな?」

 

 ローは心底鬱陶しそうに顔をしかめ、

「術後の情緒不安定か」

「どうかしら。平常運転の気もするわ」

 仮面の貴婦人の見解にますます渋面を濃くする。

 

「悪かったよ。だから、その『仕事じゃなかったら絶対近づかねェのに』って目をやめよ?」

 そんなローの露骨な表情にベアトリーゼも反省。態度を改めて話の水先を変えた。

「で? お医者様はどこまで事情を知ってんの?」

 

「お前らが金獅子狩りをしたことだけだ。お前の氏素性も献体についても一切知らねェ。だが、知る気もねェ。お前らの面倒に巻き込まれるのはごめんだ」

「おやおや……」ベアトリーゼは金色の目を妖しく細めて「死の外科医様は慎重派だね」

 

「……あ?」

 臆病と聞こえるような言い方にあっさりと反応するトラファルガー・ロー。煽り耐性が意外と低いようだ。

 この子、立ち振る舞いほど冷静沈着じゃないのかしら、と仮面の貴婦人が内心で思う。

 

「まぁ、ドクトルが慎重に振る舞ったところで、面倒ごとの方が避けてくれるとは限らないけどね」

「どういう意味だ」

 見透かしたような言い草が癪に障り、ローは精悍な顔立ちを険しくした。が、当のベアトリーゼはローの剣呑な眼差しを楽しげに受け止めるのみ。

「一般論さ。海賊の渡世は理不尽と不条理が徒党を組んで襲ってくるもんだろ?」

 

 はぐらかされた。ローは直感的にそう感じたが、このアンニュイ女は問い詰めたところでまともに答えまい。目線を滑らせて仮面の貴婦人を窺うも、こちらはこちらでローとベアトリーゼのやり取りを面白そうに眺めているだけときた。

 やり難い女共だ。ローは苦々しく舌打ちした。

「診察はした。血浴屋の手術は成功で予後不良もない。約束通り、俺達を解放しろ」

 

「約束は守るわ」

 仮面の貴婦人は白コートの懐から子電伝虫を取り出し、海軍部隊へ連絡を回し始める。と、不意にベアトリーゼがベッドの上で居住まいを正した。

 

「ドクトル・トラファルガー」

 背筋をピンと伸ばしてローを見つめるベアトリーゼは、まるで礼儀作法をきちんと躾けられた良家の娘のようだった。

 あまりの変貌ぶりにローが思わず驚いたところへ、ベアトリーゼはベッド上で三つ指をつき、頭を下げる。完璧な所作だった。

「私の命を助けてくれてありがとうございました。この御恩にはいつか必ず報いさせていただきます」

 

 ローは驚きのあまりすぐには反応できなかった。内心の動揺と感情的な起伏を隠そうとモコモコ帽子のツバを大きく下げ、

「……礼はいらねェ。医者として務めを果たしただけだ」

 踵を返してベアトリーゼと仮面の貴婦人に背を向け、医務室を出ていった。

 

「イケメンは去り様もスマートだ」

 あっさりと元のアンニュイ女へ戻り、ベアトリーゼは興味深そうにこちらを見ているステューシーへ顔を向けた。

「それじゃ私のルーツの件を聞こうか。愉快な話じゃなさそうだけど」

 

「ええ。残念ながら」

 ステューシーはベッド脇の仕切りカーテンを広げた後、仮面をサイドボードに置く。ゆっくりと深呼吸し、ベアトリーゼを真っ直ぐに見つめて話し始めた。

 

 献体のヒューロンのサンプルの由来。

 

 新世界にあるムスター社と彼らが行っていた秘密実験。

 

 ベアトリーゼの出生に関する推論。

 

 ステューシーの紡ぐ言葉を終わりまで黙って聞き、ベアトリーゼは小さく頷き、感想を口にした。

「――そっか。思ったより私の生まれは煩雑なんだな」

 あまりにも淡白な反応と感想に、ステューシーは碧眼を瞬かせた。

「……平気なの?」

 

「はっきり言って、ウィーゼルの手記を読んだ時ほどの衝撃はないな」

 ベアトリーゼはおどけるように肩を竦め、眉を大きく下げた。

「実はどこぞの御姫様で王位継承権を持ってました、みたいな話ならともかく、要は生まれが実験動物の交雑種から実験動物のロストナンバーに変わっただけだろ? 私の生き方……私の自由意思をひっくり返すほどのことじゃない」

 

 なんとまあ、とステューシーはまじまじとベアトリーゼを見つめる。この子、本当に鉄か鋼で出来てるんじゃないかしら。

 

 呆れとも感心とも取れる眼差しを向けてくるステューシーを余所に、ベアトリーゼは交換された左手をにぎにぎと動かしながら、沈思黙考に耽る。

 

 本来なら私はそのムスター? とやらの研究施設で生まれて、実験動物として人生を終えるか、母親が廃棄された時に死んだはずだったわけだろ? だけど、どこぞのクソヤローのおかげで地獄の底とはいえ、私はこの世に生を受けて今があるわけだ。これ、感謝すべき? それとも、見つけ出してぶっ殺すべき?

 ま、“どうでも良い”ことだな。もっと重要なことがある。

 

 どこぞのクソヤローが分かれば、『621』の素性が分かるかもしれない。

 彼女の腕にあった鍵のマークと数字。あれがムスター社の社章と実験体登録番号だったなら……

 

 私のことはどうでも良い。出自が何であれ、私は私の自由意思で生きるだけだから。

 

 だが、『621』のことは別だ。まったく別の話だ。

 あの地獄の底で私に温もりを注いでくれた唯一の少女。

 名前すら知ることが出来なかった恩人。

 

 私を守り育んでくれたあの少女のために、必ず報復せねばならない。

 あの島で彼女を死に追いやった奴らを皆殺しにしたように、箱庭の外の奴らも全員殺す。ことごとく殺し尽くす。

 必ずだ。

 

「? どうしたの? 大丈夫?」

 ステューシーの案じる声に気付き、意識を内から戻す。ベアトリーゼは麗貌を不安そうに曇らせた貴婦人へ、柔らかく微笑んだ。

「ちょっと考え込んだだけ。それより、診察が終わったんだから飯にしよう」

 

 笑顔で完璧に隠蔽した心の中で、ベアトリーゼは誓いを立てた。

 報復の誓いを。

 

      ○

 

 金獅子海賊団壊滅。

 伝説的大海賊“金獅子”のシキが海軍によって討伐され、生死定かならぬ行方不明に至った、という報せが、ニュース・クーによって世界各地へ届けられていく。

 イージス・ゼロの秘密作戦は世に出ない。

 

 

 金獅子のシキ本人を知る古強者達の反応は分かれた。

 

 海軍本部元帥センゴクはシキに人間的好感も敬意も一切抱いていなかったが、妙な感傷を覚えていた。逆に元海軍大将の海軍遊撃隊司令ゼファーは船底のしぶといフジツボがようやく剥がれた程度の気分だった。

 

 海軍本部中将つるはどちらかといえば、ゼファーに近い感情を覚えていた。清廉たるを標榜するつるは、シキのような妄執と我欲に駆られた悪党へあまり同情しない。

 ロジャーと鎬を削り合い、かつてセンゴクと共にシキをインペルダウンにぶち込んだガープは『ようやく年貢の納め時を迎えたか』と鼻くそを飛ばしただけだった。

 

 

 では、かつて共にシキと同じ組織に属し、同じ釜の飯を食っていた者達はどうだろう。

 

 四皇“ビッグ・マム”シャーロット・リンリンはさして関心を示さなかった。

 万国の女帝は旧知の仲間の不幸を知り、『終わってた野郎が完全に終わっただけだ』と心底どうでもよさそうだった。

 むしろ、シキのニュースで盛り上がったのは、ビッグ・マムの子供達だ。長男ペロスペローを筆頭に年長組が思い出話で盛り上がった。

『シキのこと覚えてるか?』『あんまり覚えてない』『なんかいつも下品に笑ってたことはうっすらと』『意外とひょうきんだった』『白ひげの方が優しかった』 

 

 四皇の“白ひげ”エドワード・ニューゲートも“百獣”カイドウも、シキの報せにさほど関心を抱かなかった。

 前者はシキなんぞのことより船を飛び出した末息子を案じていたし、後者は一面を飾るシキのニュースより芸能文化欄の“歌姫”ウタのニュースに泣いていた。

『赤髪んとこのガキも、リンリンんとこのガキ達も、真っ当に育ってんのに、なんで俺のガキだけ……ウォロロロ~ン』

 

 四皇の“若手”である“赤髪”シャンクスは、一面に掲載されたシキの写真を見て思い出し笑いをしていた。訝る仲間達にシキの頭から生える舵輪の由来――エッド・ウォー海戦の物語を語って聞かせる。

 

 

 大海賊とはいえ、金獅子シキの現役時代を知らぬ者達の反応は淡白だ。

 たとえば、ユースタス・“キャプテン”・キッドは親友の“殺戮武人”キラーに『この海にしがみついてた老害が一匹減ったぞ』と嗤う。

“大食らい”ジュエリー・ボニーは『この鶏冠ジジイ、誰? 有名人?』と首を傾げる始末。

 

 そして、金獅子狩りの引き金を引いた女科学者チレンは、某政府施設に与えられた一室で哄笑を挙げていた。

「あはははははははっ! ざまぁみろっ! ざまぁみろっ!! 薄汚い海賊め、地獄の底で朽ち果ててしまえっ!」

 チレンの憎悪と憤怒はまだ消えない。心の傷は血を流し続け、怨恨の火はなおも激しく燃えている。

「次はお前だ、カイドウッ! 次はお前達だ、百獣海賊団っ! 殺してやる。絶対にっ! 絶対にっ!!」

 復讐者は悪意と殺意の情熱を新たにしていた。

 

 

 世界の影に身を潜める者達もまた、金獅子のシキが海賊として表舞台から転落した件に、さほど関心を抱かなかった。

 20年は雌伏の時としても長すぎた。

 世界は既に獅子の存在を忘れていたのだ。

 

       ○

 

 金獅子海賊団の本拠点に残されていた女物の衣服をいくつか拝借し、ベアトリーゼは鏡の前に立つ。

 腰から脚の滑らかなラインを強調する黒いスリムパンツとロングブーツ。インナーは胸の曲線を主張するタイトなカットソー。アウターは赤革のタイトジャケット。

 鏡に映る自身をひと通り見回して、頷く。

「こんなもんかな」

「もっと似合う服があるのに……」

 ステューシーはどこか不満げ。金髪碧眼の貴婦人はベアトリーゼにカジュアルフォーマルな衣装を着せたがっていた。というか、実際あれこれと試着させた。

 

「どうせなら、胸をGカップにして欲しかった……」

「貴女は丁度良いサイズじゃない。あまり大きくても重いだけよ」と上品に微笑むステューシー。白いミニドレスに包まれた胸元は、実にたわわであった。

「デカパイめ……」

 嫉妬を露わにしつつ、ベアトリーゼは支度を進める。

 

 装具ベルトを巻き、後ろ腰にダマスカスブレードの鞘を交叉させて下げ、腰の左右に新たに入手したカランビットを差し込む。

 雑嚢に詰めたスケッチブックと、インディゴの保有する資料から情報を書き写した黒い手帳は防水を完璧に。

 最後にサングラスをポケットに突っ込んで完了。

 

「それじゃ、行こう」

 ベアトリーゼは小さく肩を竦め、金と飲食物と替えの下着を突っ込んだリュックサックを肩に担ぐ。

 

 2人は本殿を出て再建工事が進められる港に向かう。

 黄色い潜水艦が出港準備を終え、離岸していくところだった。

 

「あ! 逆ナンお姉さんだっ!」「元気になってよかったなーっ!」

 気の良い船員達が甲板から笑顔で手を振ってくる。オレンジつなぎ姿の白熊が仏頂面のローの肩を揺さぶり、ベアトリーゼを指差していた。

 ローはこれ以上ないほど顔をしかめながら、ベアトリーゼ達へ向き直る。

 

 ベアトリーゼは船員達へ手を振り返した後、ローへ向かってセクソーな投げキッス。

 やんややんやと騒ぐ船員達とは真逆に、ローはとっても嫌そうに顔をしかめ、足早に船内へ入っていく。

「照れ屋さんめ」と悪戯成功に笑うベアトリーゼ。隣でステューシーが呆れ気味。

 

 メルヴィユを発つ黄色い潜水艦を見送り、ベアトリーゼはステューシーに問う。

「口封じに始末しなくていいの?」

「約束は守るわ。それに」ステューシーは冷ややかに「当代オペオペの実が“どこにあるか”分かっている方が好都合よ」

 

「コワい女」

「人のこと言える?」

 そんなやり取りを交わし、2人は王下七武海バーソロミュー・くまと合流する。

 ベアトリーゼが“移動”するためだ。

 

「王下七武海を運送屋扱いして悪いね」

「別に構わない」

 気安いベアトリーゼに対し、くまはうっそりと答えて少し考え込んでから、

「血浴。これからどうするつもりだ? 今後も政府と、いや、彼女とつかず離れずの関係を続けるのか?」

 ステューシーを横目にベアトリーゼへ尋ねた。

 

「質問の意図がよく分からないけれど」

 前置きしてから、ベアトリーゼは金色の瞳を覆い隠すようにサングラスを掛け、

「親しい知己のためなら骨を折るくらいはするさ。ま、私は私の物語を生きるだけだよ」

 唇の端を不敵に曲げた。

「そっちはどう? 王下七武海。あんたはちゃんと自分の物語を生きてる?」

 

「……」

 くまの沈黙にどれほど複雑な背景があるか知らない。ただベアトリーゼは小さく肩を竦め、サングラス越しに大男を見上げる。

「何を抱えてるか知らないけれど、あんたと同じように狗をやってた身として忠告しておく。狗は所詮、狗としてしか扱われないぞ」

 

「政府の秘密諜報員の前で、王下七武海に変な入れ知恵をしないでくれる?」ステューシーがさりげなく苦言を呈す。くまの背景事情を知る貴婦人としては、ベアトリーゼの助言は不穏に過ぎる。

 

「……覚えておこう」

 くまはうっそりと答え、右手の革手袋を外した。

「準備は?」

 

「いつでも」白い歯を見せるベアトリーゼ。

「また連絡するわ」ベアトリーゼへ微笑みかけるステューシー。

 

 くまが大きな右腕を振るった、刹那。ベアトリーゼがふと思い出して。

「そだ。代わりのトビウオライダーと潜水装備の件だけど」

 

 

 ぱ ん。

 

 

 空気が弾ける音色と共に一瞬でベアトリーゼが消失した。

「「あ」」

 ステューシーが碧眼を瞬かせ、くまも度の強い眼鏡の奥で困惑を湛える。

 

「もう! くまったら! まだ話の途中だったのに!」

「す、すまない」

 ステューシーに叱られ、思わず素の調子で詫びてしまうくま。

 

 小さく鼻息をつき、ステューシーは気を取り直して艶やかな唇を柔らかく曲げた。

「まぁ、電伝虫でいつでも連絡が取れるから良いわ。御茶に付き合ってくれたら、許してあげる」

 

「……分かった」

 くまは素直に了承した。

 お茶に付き合うだけで機嫌が直るなら、拒否すべきではない。

 




Tips
 トラファルガー・ロー
 原作キャラ。海賊で医者。
 ベアトリーゼに絡まれて面倒臭い。もっとも、麦わらのルフィと関わったら、こんなもんじゃ済まないことをまだ知らない。

 ステューシー
 原作キャラ。
 この後、フランマリオンへの報告という厄介が控えている。

 金獅子のシキ敗北に伴う皆さんの反応。
 海軍勢。
 センゴク以外はあんまり感傷的な気分にならないだろうな、と。
 そのセンゴクにしても、同時代を生きた同年代が表舞台から消えた事実に対する感傷に過ぎない印象。

 四皇勢。
 ビッグマムより年長組の子供達が反応しそう。
 カイドウ。二次創作ではお馴染みとなった『うちの子』ネタ。
 白ひげ。他の面々よりかは気にするだろうと思うが、時節が悪い。
 シャンクス。思い出話のネタにする程度じゃないかな。
 
 その他。
 若手からしたら、過去の人だよね。

ベアトリーゼ。
 神経が図太い蛮族は細かいことを気にしない。
 むしろ、自分のことより、幼い頃の恩人のことが分かる方が大事。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

155:コース・トゥ・W7

麦わらの一味回。

佐藤東沙さん、ミタさんさん、マキシタさん、木ノ本慈久さん、誤字報告ありがとうございます。


 海軍の氷おじさんにルフィとロビンがカチンコチンに凍らされ、チョッパーの奮闘でなんとか助かった翌日まで遡る。

 

 現在、麦わらの一味はルフィとロビンの回復待ち。

 とはいえ、遊んではいられない。

 やることはいくらでもある。なんせメリー号はあちこちボロボロだ。

 

 船底のあちこちを調べ終え、ウソップは酷い渋面を浮かべる。

「ダメだ。沁み込むように浸水し続けてる。船底は俺じゃ塞ぎきれねェ」

 

「空島から帰ってきた時、随分と派手な着水したからな……」

 ゾロが手動の排水ポンプを動かし、船底に溜まった水を排出していく。中々の重労働なので鍛錬代わりにもなる。

「本格的な整備、いや、もう修理か。次に向かう島でしっかり直せりゃ良いが……」

 

「船大工も探さねェとな」ウソップは腕組みして「お前らは忘れてるみてーだが、俺は狙撃手で船大工じゃねーぞ」

「ウソップ」

 ゾロは手を停めずにウソップを真っ直ぐ見据え、質す。

「“あの話”について考えてるか?」

 

 それは空島から帰還した直後のこと。

 

 ・

 

 ・・

 

 ・・・

 

 空島から持ち帰ったウェイバーの試運転や調達した(ダイヤル)の使用の可否を確認した後、全員で船楼内のダイニングへ移り、お待ちかねのお宝の分配だ。

 もちろん、取り仕切るのは一味の金庫番たるナミである。

 野郎共が欲しいものを口々に訴えたり、ナミが総額の八割をヘソクリにしようとしたり、お約束を挟んだうえで、本題に。

 

「メリーを整備に出しましょ」ナミが面々へ提案する。「あちこちボロボロだし、おサル達の船大工やベアトリーゼからも再三忠告を受けたし、着水した時の浸水具合はかなりヤバかったもの。一度本格的な整備をした方がいいわ」

 

「大賛成だ! 空島に行く前から考えてたんだけどよっ! ここらでメリーをしっかり直して、船大工を仲間に入れようっ!!」

 ルフィが皆を見回して高らかに宣言する。

「メリーは俺達の家で! “命”だ!! この船を守ってくれる“船大工”を探そう!!」

 

 船長の名言っぷりに皆が思わず呆気にとられ、ゾロは感心と呆れを複雑に混ぜ込んだ息を吐く。

「こいつはホントに……稀に突然、核心ををつくよな……まあ、異論はねェ。近頃はウソップも直しきれてねェしよ」

「ゾロくーん、お忘れですかー? ボクは『狙撃手』ですよー?」渋面を浮かべるウソップ。

 

 キッチンからサンジがサンドウィッチを満載した大皿を持ってきて、ダイニングの卓に置いた。健啖な少年少女と一匹の手が即座に伸び、大量のサンドウィッチが次々と胃袋へ消えていく。

 

 アツアツの御茶を注いだカップを皆の手元に並べなら、サンジは言った。

「俺もナミさんとルフィの案に異議はねェけどよ……乗り換えになるかもしれねェ可能性も考えといた方がよかねェか?」

 

 海上レストランで副料理長を務めていただけあって、サンジは予備案の重要性を心得ていた。食材が常に足りているとは限らないし、買い出し先で必要な食材が必ず手に入るとは限らない。臨機応変も大事だが、備えておくことも重要だ。

 

 が、正論より感情が先走るウソップは、不満を露わにする。

「サンジはメリーを直すより新しい船の方が良いってのか!?」

 

「まぁ聞けよ、ウソップ」

 サンジはシンクに腰を預けながら、煙草に火を点けて紫煙を吐く。

「メリーは良い船さ。乗り続けられるに越したことはねェ。でもよ、猿山連合軍の船大工達が言ってたろ? メリー号はナミさんの航海技術がなきゃ、とっくに沈んでてもおかしくねェって。実際、グランドライン入りしてからメリーの損傷は一気に酷くなってる」

 ナミも美貌を曇らせながら考え込む。

「ベアトリーゼも構造上、竜骨(キール)に損傷を負っていたら、諦めて新しい船を調達した方がいい、と言っていたわね……」

 

 うーむ、とゾロとチョッパーも唸って黙り込む。食べる手は止めなかったが。

 そんな面々の反応にウソップは不満を大いに強め、

「な……なんだよっ! お前ら、メリーを見捨てる気かっ! ルフィ、お前は“船長として”どう思ってんだっ!?」

 

「……」

 水を向けられたルフィは難しい顔で考え込む。なんと食べる手を止めて、だ。

 

 思い出すのは空島へ行く前、猿山連合軍の船大工達に言われたこと。

 ――この船はそう遠くないうちに限界が来るだろう。その時、お前らが無事で済む保証は何一つねェ。

 ――この船に愛着を持つことやこの船を大事にすることと、この船に執着することをはき違えるなよ。死ぬぞ。

 

 もちろん、ルフィはメリー号と離れたくない。なんたってメリー号を手に入れられたからこそ、ルフィは子供の頃から夢だった海賊になれたのだから。

 

 もしも、シロップ村でメリーを手に入れられなかったら、きっと全然違う旅を送っていたはずだ。サンジやチョッパー、ビビやロビン達と出会えなかったかもしれない。

 

 しかし、ルフィは船長だ。仲間の命に責任がある。仲間に安心して航海させる義務がある。

 メリーに乗り続けることで、大事な仲間の命を危険に晒してしまうなら……

 でも、メリーも大切な仲間だ。大好きな仲間だ。別れたくない。離れたくない。

 

 悶々と悩みだしたルフィと、即答しないルフィに苛立つウソップ。緊張感にハラハラし始めるチョッパー。他の面々もこの状況を解決する良いアプローチが見つからないらしい。

 

 ロビンはどこか興味深そうに一味の面々を窺う。

 ……なるほど。こういうことでは年相応なのね。

「居候の身で口を挟ませてもらうけれど、今すぐこの船をどうこうという話じゃないんでしょう? 次の島までに話し合いを重ねたらどうかしら」

 

 問題の先送りに過ぎないが、急ぎで決断を下す必要がないなら、悪い手ではない。時間を空けることで頭を冷やすこともできる。

 

 大人の仲裁的な意見に、少年少女達と一匹は緊張を解くように大きく息を吐いた。

「そう、ね。何もすぐに答えを出す必要はないわ。皆、それぞれでよく考えてから、改めて話し合いましょ。良いわね?」

 

 ナミの問いかけに野郎共が異議なしとばかりに頷く。ウソップはアツアツの御茶を一気飲みして腰を上げ、甲板へ出ていった。

「……少し頭を冷やしてくる」

 

 ロビンはウソップを見送り、誰へともなく呟いた。

「長鼻くんはこの船に思い入れが強いのね」

 

「メリーはあいつの故郷で手に入れた船だからな」ゾロが背もたれに体を預けながら言い。

「しかも、良い感じの仲の御令嬢からね」ナミがカップを口元へ運ぶ。

 

「あら。彼、女の子を泣かせて海へ出たの? 隅に置けないわね」

 ロビンが思わず表情を綻ばせた一方で、サンジが妬みの火を燃やしていた。

「許し難い。全く許し難い……っ!」

 

「あっ! それ、男の嫉妬だな! 醜いぞ、サンジッ!」以前教わったことを披露するチョッパー。

 

「なんだとコノヤローッ!」「事実じゃねえか」「うるせえマリモッ!」「ぁあんっ!?」「ああもう、騒ぐなっ!!」

 仲間達がぎゃあぎゃあと喚き始める中、ルフィは腕組みしたまま悩み続けていた。

「うーん……」

 

 ・・・

 

 ・・

 

 ・

 

 というわけで、麦わらの一味の愛船ゴーイングメリー号の処遇は非常に繊細な難題となっていた。

「……俺はメリーを見捨てたりしねえっ!」

 ウソップは一貫している。考えを改める気はない、いや。メリーと別れる可能性を考えること自体、拒絶していた。

 その感情はもはや思い入れというより、執着と言って良いかもしれない。

 

 そんなウソップに、ゾロはポンプを動かす手を止め、言った。

「だから考えろって言ってんだよ」

 ゾロは不満を隠さないウソップへ、こんなこと言うのは柄じゃないと言いたげな渋面で続ける。

「メリーを一番大事に思ってるお前だからこそ、メリーとの別れについて、一番真剣に考えるべきだ」

 

 そして、ウソップから目線を外し、ゾロは再びポンプを動かしながら、ぽつり。

「“その時”がいつ来るかなんて、誰にも分からねェからよ」

 脳裏に突然この世を去った親友がよぎっていた。そして、彼女の寂しげな笑顔も。

 

「……」

 むろん、過去を語らぬゾロのこと。ウソップはゾロの心中など分からない。ただ、ウソップが感情任せに否定の言葉を吐かぬくらいには、ゾロの言葉がきちんと届いていた。

 

 ウソップがしんみりとしながら考え込み、ゾロは気分を変えるようにマストを見上げた。

「それはそれとして、次はメインマストを頼む。きちんと直しとかねぇとナミが怖い」

 

 航海士のナミは航行を左右するマストと舵の状態に口うるさい(当然であろう)。

「だなぁ……」

 怒れるナミを想像し、げんなり顔のウソップが工具袋を担ぎ上げたところで、船楼のドアが開く。

 

 顔を見せたサンジが2人へ告げ、

「飯が出来たぞ」

 続けて、ごく自然にウソップへ頼む。

「ウソップ。シンクの排水がちょっとおかしいんだ。飯食ったら見てくれ」

 

「お前らホント、俺が狙撃手ってこと忘れてるよなっ?!」

 ウソップの苦情申し立てに対し、サンジは戸惑い、ゾロへ問う。

「? なに怒ってんだ?」

「? 分からねぇ」ゾロは心当たりがなさそうに首を傾げる。

 

 まったくっ! とウソップはプリプリと憤慨しながら船楼内へ入っていき、両翼は揃って肩を竦めた。

 

      ○

 

 目を覚ましたルフィの第一声は『肉っ!』だった。

 

 そんな騒々しいルフィに誘われたのか、ロビンも目を覚ます。ただ、目覚めて即全快状態のルフィと違い、ロビンは体力が戻らずまだ療養を必要としていた。

 

「ロビンだけじゃなくてルフィも病み上がりなんだから、出発はもう一日様子を見てからの方がいいぞ。それと、俺この島で薬草を集めておきたい」

 船医の進言にコックが便乗した。

「なら、ルフィの体調を見るついでに食料を集めてくれ。次の島までどれくらいかかるか分からねェし、お前らの食い意地を考えたら、食料はいくらあっても困らねェ」

 

 というわけで、ルフィとゾロとチョッパーが島の奥へ向かい、ウソップは船の修理を進める前に残飯を詰めた網カゴを舷側から海に放り込んだ。上手くいけば、魚介が手に入るだろう。

 サンジはウソップの作業を手伝い、ナミは療養中のロビンの看護係だ。

 

 ロビンは後甲板で日光浴しながら、蜜柑の木を手入れするナミと言葉を交わす。

「そう。ビーゼから業子論を聞いたのね」

「なんかはぐらかされたような気もするけど、その割に妙な生々しさがあって」

 

 剪定鋏をパチンパチンと奏でつつ、ナミはキャンプチェアに腰かけたロビンへ微苦笑を向けた。

「ロビンは『星占いの方がまとも』て言ったらしいわね」

 

「ええ」ロビンは懐かしそうに表情を和らげ「あとは大きな物語と小さな物語の話ね?」

「それっ! それよ!!」ナミが即座に食いつく「あいつがよく口にする大きな物語、小さな物語ってなんなの?」

 

「本来は哲学の言葉よ。ただビーゼは抽象的な表現として用いているわね」

「?」ナミは航海術と気象学を独学で修めていたが、哲学はちんぷんかんぷん。

 可憐な顔をキョトンとさせているナミに、ロビンは思う。可愛い。

 

「大きな物語という言葉そのものが多数の意味を内包する単語なの。一般に普及した価値観を正当化して保持する社会的、文化的基盤。例えるなら史観や宗教、伝統などね。対となる小さな物語は個人が体験などから育んだ価値観や道徳観に以来する主義主張、思想が主になる」

「分かるような、分からないような……」難題と対峙する学生みたく訝るナミ。

 

「ぼんやりとした理解で構わないわ。ビーゼが用いる意味とは異なるから」

 ロビンは女教師のように説明を続ける。

「ビーゼが語る大きな物語は歴史や時代と捉えてもいい。そして、小さな物語は個々人の人生、生き様を意味するの」

 

「でも、ベアトリーゼは私達のことを大きな物語って言ってたわ」

「さっきの業子論を合わせて考えると分かり易いかもね」

 生徒ナミの指摘に教師ロビンは小さく頷く。

「業子ポテンシャルの大きな人間は小さな物語――当人の生き様を大きな物語へ昇華させることがある。ゴールド・ロジャーが良い例ね。彼個人の小さな物語が大海賊時代という大きな物語になったわ」

 

 それってつまり、とナミは困惑を抱く。

「私達の旅がロジャーみたく大きな物語になるってこと、そんなの」

 

「あら。既に貴女達は大きな物語を紡いでいるじゃない」

「えっ!?」

 ロビンが軽い調子で指摘すると、ナミは橙色の瞳をまん丸にして驚く。

「ど、どういうことよ?」

 

 自覚してなかったのね、とロビンはくすくすと上品に喉を鳴らす。

「ドラム王国。アラバスタ。空島。貴方達はこれらの国の『歴史』を動かしたの。彼らは自国の歴史にきっと記すわ。麦わら帽子の船長と仲間達のことをね。それに、ルフィの夢は海賊王になることでしょう? 彼の夢が叶ったら、ロジャー以来の大きな物語になる。ビーゼが貴方達を大きな物語と評するのも、あながち間違ってないのよ」

 

「――」ナミが呆気にとられているところへ、

「ナミさん、ロビンちゃん。おやつを用意したよぉ♥」

「盛り上がってたみてェだけど、何の話をしてたんだ?」

 ポットと茶菓子を載せた盆を持ったコックと休憩に入った狙撃手がやってきた。

 

「貴方達が将来、大海賊になるかも、という話よ」

 ロビンが簡潔に説明すると、ウソップが機嫌をよくして長い鼻を高く掲げる。

「このキャプテン・ウソップは既に8000人の部下を持つ大海賊だけどなっ!」

 

「それ、よく言ってるが、その8000人はどっから引っ張ってきたんだ?」

 サンジがロビンとナミにカップを渡しながら問えば、

「お! 聞きたいか、サンジ! なら聞かせてやろう。キャプテン・ウソップの伝説をっ!!」

 かくしてウソップの講談(ホラ)が始まった。

 呆れ顔のサンジと楽しそうなロビンを横目に、ナミはふと思う。

 

 私達の旅が大きな物語になるなら、ベアトリーゼの物語はどうなのかしら?

 いえ、そもそもあいつはどういう物語を紡いでるの?

 

     ○

 

 三日間の休養を終え、ロングリングロングランドを発った夜。

 

「俺、決めた。俺は決めたぞ!」

 夕食後、ルフィは全員へ向けて宣言した。

「やっぱりメリーを直す! メリーは俺達の大事な仲間だ! 完璧に直してやって、これからも一緒に旅をするっ!!」

 

「それは船長として決めたのか?」

 ゾロが鋭い目つきでルフィを射るように捉え、問い質す。

 個人としての我儘ではなく、全員の命に対して責任と義務を負った判断か。他の面々もごくりと息を飲む。

 

 問われたルフィはゾロへ挑むように答える。

「ああ。金が掛かってもきっちり直して、おっもしれぇ船大工を仲間にすりゃあよ。メリーはこれからの航海も元気に走れるさ!」

 

 ルフィは全員を見回していく。異論は出ない。皆、賛意を示すように大きく頷いた。

 皆の同意を得られ、ルフィが太陽のようにニカッと白いを歯を見せた、刹那。

 

 感極まったウソップが飛び掛かるようにルフィへ抱きつき、涙と鼻水を垂れ流す。

「ルフィ……っ! ありがとうっ!! ありがとぉお―――――――――っ!」

 ぎゃあぎゃあ喚く長っ鼻。ノリでチョッパーも飛び入りする。

 

 釣られるように表情を和らげたサンジが、煙草を吹かして提案した。

「この際、ただ直すだけじゃなくて、航海の負担が軽くなるよう改造したらどうだ?」

 

「おぉ……そうしよう! メリーをパワーアップだっ!」歓声を上げるルフィ。

「ナイスッ! ナイスアイディーアだサンジッ!」喝采するウソップ。

「それ良いな! 凄く良いなっ!」とチョッパーも喜ぶも、賢い彼は気づく「あ、でもお金足りるのか?」

 

 全員の目が麦わらの一味の大金庫番へ注がれた。

 注目を浴びたナミは『そうねぇ』とわざとらしく考え込み、

「空島から持ってきた黄金を換金すれば、かなりの額になるだろうから、メリーを直して改造しても足りるはず。もしも足りない分は」

 続きの言葉を待つ面々へ力強く宣言した。

「私が値切ってみせるっ!!」

 

「頼もしいぞナミっ!」「流石はナミっ!」「ナミさん、素敵すぎるぜ!」「ナミ格好良いっ!」

 ナーミ! ナーミっ!! と大歓声を上げる三バカと青鼻トナカイ。

 讃えられてまんざらでもないナミ。

 大騒ぎを眺めて心底楽しそうに笑う緑頭と居候の美女。

 

 賑やかな一同を乗せ、メリー号は海を進んでいく。

 いつも以上に軽やかに。どこか嬉しそうに。

 ゴーイングメリー号は波を越えていく。

 

      ○

 

 ロングリングロングランドを発ち、ログポースの指針に従って航海し、二日目。

 朝食後のゴーイングメリー号キャビン内。

 

 ニュース・クーが届けた新聞を手に、ナミが難しい顔を作っていた。

「金獅子海賊団壊滅……これ、ベアトリーゼが関わってるのよね?」

「ええ。おそらくね」ロビンは首肯を返し「電伝虫もつながらないし、無事だと良いのだけれど……」

 

「そもそも、どうやって合流する気なんだ? トビウオももう無いだろ?」

 美女美少女へカップを配りながら、サンジが首を傾げたその時。

 

 突如、メリー号は船体が軋み音を奏でるほど急激に傾斜した。

 咄嗟にロビンがハナハナの実の力を発動させ、倒れかけたナミとサンジを支え、卓から落ちかけた盆とポットを押さえた。

 

「なんだあ?」目をパチクリさせるサンジ。

「なに、どうしたのっ!?」驚くナミ。

 

「船が進路を変えたようね」とロビンが指摘して。

「あいつら、何やってんのよっ!」ナミが眉目を吊り上げて甲板へ飛び出せば。

 船長と副船長と狙撃手と船医が勝手に帆を畳み、バカデカいオールを漕いでいた。

 

「はぁ?」

 予期せぬ状況に困惑するナミへ、ルフィが叫ぶ。

「あ、ナミッ! 聞いてくれっ! 体中怪我だらけのデッケェ蛙を見つけたんだっ!!」

 

「――はぁ?」

 ナミは困惑を深めた。

 

 

 

 かくして麦わらの一味はデカい蛙を追いかけ、造船都市ウォーターセブンへ続く航路(コース)を進む。




Tips
ゴーイングメリー号。
 原作ではウォーターセブンの時点で完全に限界を迎えていたが、本作ではぎりぎり持ち堪えてしまっている。

麦わらの一味。
 メリー号を巡って青春模様。

ニコ・ロビン
 現麦わらの一味で一番の大人で一番の教養人。
 メリー号を巡る一味のやり取りを見て、若いなぁと思ってる。

ベアトリーゼ。
 くまに飛ばされて、空中を移動中。
 物理学を完全に無視した状況に不貞腐れている。


W7-エニエスロビー編はちょっと手間取ってるので、次回投稿が遅れるかも。ごめんよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

156:世界最大の造船都市。あるいは策謀の網。

お待たせ候。
佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


 アラバスタ動乱が終結した直後のこと。

 海軍大将“青雉”クザンはスモーカー大佐やヒナ大佐の報告に目を通し終えるや否や、アイマスクを掛けて執務椅子の背もたれに体を預けた。

 そりゃ昼寝もしたくなる。

 

 王下七武海サー・クロコダイルがアラバスタ王国の国家転覆/政権奪取を図ったこの大事件に、オハラの遺児ニコ・ロビンがクロコダイルの右腕として加担していたり。

 ――マーケットから逃亡して以来、大人しくしてると思ったら……あのじゃじゃ馬と一緒に居た頃の方がマシだったかな。

 

 そのじゃじゃ馬こと血浴のベアトリーゼがサイファー・ポールの秘密任務に雇われ、アラバスタ動乱に首を突っ込んでロビンと再会したり。

 ――まさかイージス・ゼロとつながりを持つようになっていたとはねぇ……

 

 ロビンとベアトリーゼが再会し、揃ってアラバスタから姿を消したという事実だけでも不吉なのに、アラバスタ動乱の真の解決者である麦わらのルフィが、師匠のガープが言っていた『海賊になった孫』だったり。

 ――あんたの一家は本当にどーなってんスか、ガープさん。

 

 昼寝しながら溜息をこぼすという器用な真似をしつつ、クザンは嫌ぁな想像を巡らせた。

 

 ニコ・ロビンは今やこの世界で唯一かもしれない古代語解読者で、大国を転覆させかけたテロリスト。

 ベアトリーゼは今や政府の秘密諜報機関と怪しげな関わりを持つ戦巧者の凶悪犯。

 血筋から言って問題児に違いないガープの孫。

 そんな三人が一緒に活動するようになったら……

 

 クザンはアイマスクを外し、モサモサ髪を乱暴に掻き乱して立ち上がる。本部施設を出て愛用の自転車に跨り、能力で凍結させた海面を進んでいく。

 

 自分の目で確認しておきたかった。

 彼らが世界を引っ掻き回す前に。

 

 

 そうして、数日後。

 クザンはロングリングロングランドで麦わらの一味と邂逅を終え、海上を自転車で進んでいた。

 

 結論を言えば、此度の接触はクザンの憂慮をまったく解決しなかった。

 ニコ・ロビンはただの居候と称したが、麦わらの一味に対する感情は仲間に向けるものだった。

 麦わらの一味もロビンを完全に仲間と見做している。

 そして、ガープの孫”麦わら”のルフィはまだまだ未熟極まるけれど、気質や機転の良さはガープの血縁を強く感じさせた。

 

 ――私は絶対に諦めない!

 ――俺が相手だ!! 一騎打ちで勝負しろっ!

 

 2人の言葉を思い出し、クザンは深々と溜息を吐く。

「正義の味方はこっちだってのに……まるで悪役の扱いだもんなぁ。まいっちゃうよなぁ」

 

 しかし、とクザンはチャリンコのペダルを漕ぎながら気を取り直す。”血浴”が居なかったな。

 スモーカーの報告通り、あのじゃじゃ馬は本当にシキとやり合うために別行動中ってことか? イージス・ゼロと組んで? 俺は何も聞いてねェぞ。どうなってんだ? センゴクさんは知ってんのかな。知ってて教えてくれないのも困るけど、センゴクさんが知らないのは大問題だぞ。

 

 モヤモヤした気分を抱きつつ、クザンは思案する。

”血浴”が居ないうちに今一度、測っておく必要があるかもしれねェなあ。

 

 ニコ・ロビンの覚悟を。あの娘は本気でオハラの遺志を果たす気なのか。

 恩師の孫の覚悟を。あの坊主と仲間達は世界の敵となることの意味を理解しているのか。

 

 ……ログポース通りに進みゃあ、次はウォーターセブンか。たしか数年前からサイファー・ポールが何やらやってたな。

 

 ふむ……試金石にゃあ丁度良いか?

 いや、ウォーターセブンまでに”血浴”が間に合っちまうと、試金石にもならねェか。

 連中は海軍(身内)じゃねェが……どうするかな。

 

 クザンはハンドルを切って、目的地を変えた。

 目指す先は司法の島エニエス・ロビー。

 諜報機関サイファー・ポールの機密部署CP9の司令部がある島だ。

 

        ○

 

 麦わらの一味がロングリングロングランドで休養し、ベアトリーゼが落着したメルヴィユで療養していた頃。

 

 世界最大の造船都市ウォーターセブンの某所。

 同都市市長兼造船企業ガレーラカンパニー社長のアイスバーグ氏が所有するらしい、古代兵器の設計図を確保すべく、同市同社へ潜入している諜報員達が顔を突き合わせていた。

 

 司法の島エニエス・ロビーのCP9司令部から届いた情報に、彼らは難しい顔を作る。

「悪魔の子ニコ・ロビンと血浴のベアトリーゼが加わった新興海賊団が、ここウォーターセブンを目指している、と」

 電伝虫が吐いたファックス用紙に目を通し、牛の角みたいな髪型をしている大男ブルーノが顎先を撫でながら、他のメンツへ問う。

「この新興海賊団というのは?」

 

「アラバスタ動乱で王下七武海を討った海賊団よ。麦わらの一味。船長“麦わら”のルフィは懸賞金1億ベリー、副船長“海賊狩り”ロロノア・ゾロ。懸賞金6000万ベリー。他のメンツはまだ賞金が懸かってないわ。一味全員が二十歳未満の若い小グループね」

 CP9紅一点、金髪美女カリファが眼鏡の位置を修正しつつ答えた。

 

「グランドライン前半でその額は悪くないが……ベアトリーゼは懸賞金額約4億。ニコ・ロビンも約8000万。自分達より格下のガキ共の下についたりするかのう?」

 四角い長鼻の青年カクが疑問を呈すと、肩にハトを乗せた勇壮な青年ロブ・ルッチが口を開く。

「具体的な経緯は不明だが、起点はアラバスタ動乱のようだ。ニコ・ロビン。ベアトリーゼ。麦わらの一味。全員が動乱中のアラバスタで目撃され、海軍の包囲を破って同国から逃亡している」

 

 ルッチは無情動にファックス用紙の情報を補填していく。

「そして、ニコ・ロビンが麦わらの一味に帯同していることがロングリングロングランドという島で行確された。ベアトリーゼの姿は未確認だったようだが、両者が再びコンビを組んでアラバスタから逃亡したことは間違いない。この一味と共にいると想定して間違いないだろう」

 

 全員のコンセンサスが確立されたうえで、ルッチは傲然と仲間達を見回してから、

「これは好機だ」

 怪訝顔の三人へ案を開陳する。

「ニコ・ロビンと血浴。どちらも名うての反政府的凶悪犯だ。しかも、ニコ・ロビンは直近でクロコダイルと手を組み、アラバスタ王国転覆を図った。こいつらを利用すれば、説得力のある偽装(カバーストーリー)が用意できる」

 

「ニコ・ロビンとベアトリーゼを利用し、アイスバーグへ実力行使に出る、と?」カリファは整った顔をしかめて「些かハイリスクじゃない?」

「得られるリターンは大きい」ルッチはどこか辟易して「この任務を終わらせられる」

 ルッチの言葉に、全員の顔がなんとも言えない塩梅へ歪む。

 

 5年。古代兵器プルトンの設計図を狙ってガレーラカンパニーへ潜入し、5年。

 ルッチとカクは職長に出世したし、市井で酒場を商うブルーノは商売繁盛。カリファもアイスバーグの秘書として完全に馴染んでいる。

 

 ここまで時間が掛かった理由として、まずターゲットのアイスバーグが用心深く尻尾の毛先すら出さなかったこと。それ以上に、大造船会社ガレーラカンパニーが世界政府と海軍の御用会社であり、社長アイスバーグが政府と海軍に太いパイプを持つ要人となったことが、活動の大きな足枷になっていた。

 

 アイスバーグへ強硬策を取ろうとすれば、政府や海軍のどこかから強いストップが掛かる。それも、ボンクラとはいえCP9兼エニエスロビー司令長官(と政府高官のパパ)が逆らえないほどの筋から。特にルッチは明確に警告された。お前が昔やったような真似は絶対に許可しない、と。

 どれほど優秀でも指し手に従わない駒に価値はない。そこまで言われた。

 

 その結果――最高の諜報員を自認する者達は5年もこの街に留まっている。

「……なんだかんだ足掛け5年か。あの謎の女が言っていた通りだったな」

 ブルーノが往時を振り返り、カクは腕を組んで唸った。

「5年前の換金所強盗事件に合わせて、魚人空手家を送り込んできた奴か。結局、素性も狙いも分からんかったなぁ」

 

「話が逸れてるわよ」

 カリファが釘刺しし、ルッチへ鋭い眼差しを向けた。

「たしかにこの任務を終わらせられることは魅力だけれど、独断専行は固く禁じられてるわ。仮に長官が強硬策を認めても、実行前にまたストップが掛かるんじゃない?」

 

「勝算はある」

 ルッチは無表情のまま、しかし確信を滲ませながら、言った。

「ニコ・ロビンが絡めば、な」

 

      ○

 

 赤き土の大陸の頂に築かれた聖地マリージョア。その一角に佇むパンゲア城で、世界最高権力の老人達が今日も今日とて議論を交えている。

「CP9の現場工作員から上申があり、CP9司令長官からも申請が届いている」

「政府と海軍からも提案書が来たぞ。アイスバーグという男はよほど有能なようだな。随分と要路に食い込んでいる。これまではそちらの声を優先してきたが」

 

「此度は承認を与える。オハラの落ち穂を着実に排除できる機会だ」

「作戦実施は構わないが、ニコ・ロビンの番犬の対策が必要だ。扱い如何ではフランマリオンがまたぞろ余計な真似をしかねん」

 

「オハラの遺児と一緒に捕らえる、は難しいか?」

「7年前の時点で海軍本部大将と精鋭部隊を相手取った。今はより強くなっていると見做すべきだろう。CP9“如き”では肉壁にもなるまい」

 

「あれは鼻が利く。海軍を大きく動かせば、逃げられるぞ。CP0で隠密裏に対処しては?」

「今、手透きの要員がいない。王下七武海はどうだ?」

「プルトン絡みだぞ。関わらせるべきではない」

 

「なら……“ジョージ”に当たらせよう。奴が飼っている猟犬達なら退治は出来ずとも、抑え込めるはずだ」

「あれも素直に従うタマではないがな。良いだろう」

 

 老人達が決断を下して間もなく、世界最高権力の命令が“マーケット”の担当者の許へ届けられた。

 命令を受理し、現役古参組の諜報員“ジョージ”は電伝虫の通話器を置いて鼻息をつく。

 

 パンゲア城の老人達はどんな命令も絶対に実行されると思っている。こちらに距離と時間の壁を超える術はないというのに。

 そもそも。血浴と――四皇幹部級の戦巧者と渡り合えるような猟犬は持ち合わせていない。時間と距離的に間に合う狗達を送り込む以外、出来ることは何もないだろう。

 

 マリージョアにはうんざりだ。

 いつまでも死なない迷惑な老害共。無駄飯食らいの低能な豚共。騎士気取りの愚昧な駄犬共。

 こんな連中と関わりたくないから非主流派に属し、”マーケット”の番人を務めているというのに。

 

 心の中で悪態を吐きつつも、“ジョージ”は頭の中でリストをめくる。時間と距離の条件に合い、血浴と渡り合える程度に有能で、失っても痛くない狗を見繕う。

 いずれも死んだところで惜しくはないが……ただ死なせることは無駄だ。何かしら損失に見合う補填を得られるよう、手を打つべきだろう。

 

      ○

 

 その時、麦わらの一味は航海を楽しんでいた。

 少なくとも、皆がいつも通りに振る舞っていた。

 

 大カエルを追いかけて偶然辿り着いた“海列車”のシフト(ステーション)で、麦わらの一味は駅長ココロばあさんと孫のチムニーから色々教えて貰い、造船都市ウォーターセブンを目指して進んでいく。

 

「海列車かぁ。世の中にゃあ途方もねェもんを発明する人間がいるもんだなぁ」

 狙撃手にしてアマチュア発明家であるウソップは、水平線に消えていくシフト駅を眺めながらしみじみと呟く。

「そうね。あんなの初めて見た」とナミも興味深そうに同意した。

 

「たしか……ビーゼのスケッチブックにあったと思うわ」

 思い出したようにロビンが言えば、ナミが即座に反応する。

「え? あいつ、ウォーターセブンに来たことがあるってこと?」

 

「マーケットで別れてからの7年間、グランドラインのあちこちを巡っていたみたいだから」

 ちょっと待っていて、とロビンは言い、アラバスタに合流してからベアトリーゼに貰った二冊目のスケッチブックを開く。

 

 そこにはヘタウマな絵柄で海列車を始め、駅や駅員などが描かれており、中にはココロとチムニー、猫のゴンベの似顔絵もあった。

「旅のイラストエッセイみたいで面白いわね」

 ナミはロビンからスケッチブックを受け取ってぺらぺらとページをめくる。ココヤシ村のページを見つけ、故郷や義姉などの絵に自然と表情が綻ぶ。

 

 ベアトリーゼの絵は基本的にペン画で、偶に絵具と色鉛筆で色が塗られている。主題は風景画や情景画、人物画など様々。あと、赴いた飲食店と食った料理について細かく記録してあったりする。ちなみにスケッチブックの後半に向かうほど絵が上手くなっていく。

 

 ふと気づいた。

 時折、簡単な地図や建物の見取り図、街の写景、似顔絵があり、そこには『目標(HVT)』とか『突入口(ブリーチポイント)』とか『確認殺害(ボディカウント)の要有り』とか、印と共に物騒な単語が書かれていた。特に似顔絵には赤ペンでバツ印が重ね書きされている。

 

「……これって」

「ビーゼが請け負った“仕事”のメモや記録でしょうね」さらっと告げるロビン。

 

 つまり、犯行記録。楽しいイラストエッセイが殺人鬼の手記に化けたようで、怖くなったナミはそっとスケッチブックを閉じてロビンに返す。気分を変えるようにぼやいた。

「ベアトリーゼの奴。ウォーターセブンのこと教えてくれてたらよかったのに」

 

「それは結果論よ、航海士さん」

 ロビンがスケッチブックを大事そうに抱えて微苦笑し、

「仮の話として、空島から青海へ戻る際、風に流されてウォーターセブンに辿り着かない航路へ入っていた可能性もあるもの。それに」

 これから向かうウォーターセブンを心底楽しみにしているルフィを見た。

「ルフィは“ネタバレ”を嫌がるんじゃない?」

 

 否定できない。ナミはロビンの指摘に口元をへの字に曲げた。

 ルフィは幼児のように旺盛な好奇心の持ち主。そのくせ、ロマンティストなところも強いから興醒めするようなことを好まないし、拗ねたりヘソを曲げたりする。

 

 複雑なナミの女心を余所に、メリー号はウォーターセブンを目指して順風満帆。

 

 野郎共が造船都市で勧誘すべき船大工について議論を始めた。サンジは美女を熱烈に提案し、ルフィは奇怪なイメージ画付きで5メートルの大男を強く訴える。

 

 話はメリー号の修理に移り、メリー号の改造案について議論をぶつけ合い、続いてウォーターセブンに滞在中(ログが溜まるのに一週間かかるらしい)何をするかで盛り上がる。

 そんな一味の様子を、ロビンが優しい微笑みを浮かべて眺めている間に、島が見えてきた。

 

「わぁ」

 

 最初に感嘆を挙げたのは誰だっただろう。

 皆、目を奪われた。

 

“水の都”ウォーターセブンは、島の天辺に巨大噴水をいただく瀟洒な大都市だった。

 これまで訪れてきた町や島々――ローグタウン、リヴァースマウンテン、ウィスキーピーク、リトルガーデン、ドラム、アラバスタ、ジャヤ、スカイピア、ロングリングロングランド――とはベクトルが異なる大都市の威容に、誰もが息を飲む。

 

「こりゃあスゲェ! 島一つ丸ごと産業都市だ……っ!」

「海列車なんてもんが走るわけだな」

 ウソップとサンジが感服したように讃嘆を漏らし、船首飾に座っていたルフィが島の頂にそびえる超巨大噴水を見上げ、驚嘆をこぼす。

「でっっっけぇ噴水だ……っ!」

 

 驚きが冷めぬままゴーイングメリー号はウォーターセブンに近づく。

 と、釣り人に『海賊が堂々と正面にいちゃあ不味いぞ。裏町に回んな!』と忠告され、素直な一味は忠告に従い、都市外縁部の大水路に沿って裏町方面へ。

 

「いいな、ここっ! きれいな街だっ!」「すごい……っ! 水上都市ねっ!」

 沈んだ地盤の上に基礎を築き、煉瓦造りの建物が軒を連ねている。水上に建物が浮かぶような景観は瀟洒の一言。ルフィとナミがはしゃぎ、ロビンがチョッパーとサンジに街の構造を説明して聞かせる。

 

 と、今度は住民のおじさんが声を掛けてきた。

「おいおい、オメェら。ここらはダメだぞ! 海賊船はよぉ! 何しに来た? 略奪かぁ?」

 

「船の修理に来たんだ!」

 船首飾りの羊頭からルフィが応じると、おじさんが言った。

「そーだったか! 船は預け先のドックが決まってから入港させんだよっ! この先の外れに岬があっから、ひとまずそこに停泊()めなっ!」

 

「なんか街の外へ外へと追い出されてねぇか?」ウソップが思わずぼやけば。

「そりゃ海賊を街中に迎えたかねェだろ」ゾロが達観気味に言った。

 

 大都市の外れ、誰もが存在を忘れてしまったような寂しい岬に到着。水深と水面下に注意しつつ、メリー号を停めた。

「よっしゃあ行こうっ!」「おうっ! 街を探検だっ!!」

 すぐさま街へ繰り出そうとするルフィとウソップを、ナミが呼び止める。

「待って! あんた達は私についてきてよっ!」

 

 ナミは早く街に行きたくてうずうずしている麦わら坊主と長鼻坊主へ、タスクを説明する。

「まずココロさんの紹介状を持って、アイスバーグという人を探すの。その人を頼って船の修理と改良の手配をして……あと、黄金を換金してくれるところも探さないとね」

 

「分かった。アイスバーグと換金だな!」

 ルフィは大きく頷き、ニカッと笑顔を浮かべた。

「よーし、それじゃあ行こうっ! “水の都”っ!」

 

     ○

 

『羊頭のキャラックは裏町の岬に停泊したぞ。”麦わら”が大荷物を抱えて手下2名と共に下船した』

『こちらも目視しましたわ。ニコ・ロビンを甲板上に確認。でも、ベアトリーゼは確認できませんわね。見聞色で探っても?』

「ダメだ。ベアトリーゼは見聞色の情報戦に通じている可能性が高い。逆探されたら計画が破綻する。目視で行確し続けろ」

 ブルーノは電伝虫から届いた報告に応じ、あくまで慎重な観測と偵察を徹底させる。

 

 

 麦わらの一味は知らない。

 華やかなで賑やかなこの造船都市に、自分達を標的にした策謀の網が拡げられていることを。

 まだ知らない。




Tips

青雉クザン
 原作キャラ。CV:子安武人
 海軍の怪人氷男。ニコ・ロビン捕縛の青写真を描いたの、この人だと思う。

CP9の皆さん。
 原作キャラ達。
 クザンから麦わらの一味にニコ・ロビンが居ることを知らされ、原作のニコ・ロビンを利用した実力行使案を計画する。

五老星の皆さん。
 原作キャラ達。
 こいつら、イム様と他のこと(原作で明かされてない秘密の類)にしか意識がないから、あんなツッコミどころだらけの統治体制なんじゃないかなって。

”ジョージ”
 オリキャラ。元ネタはル・カレのジョージ・スマイリー。
 ニコ・ロビン捕縛と対ベアトリーゼのため、飼っている猟犬達を派遣した。

麦わらの一味。
 原作主役たち。
 策謀の網が張られていることも知らず、街へ頭から突っ込んでいく。

ベアトリーゼ。
 今回は未登場。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。