転生赤毛バは凱旋門の夢を見る (てんぞー)
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1話 ヒトカスは絶対に信用するな

 かんかんかん、と音を立ててアスファルトを蹄鉄で蹴る。

 

 履いている編み上げブーツの底に蹄鉄がしっかりとくっついている事を確認する。その間も頭の上でぴくぴくと動く耳が、聞きたくもない声を拾い続ける。

 

『おうおうおう、今夜は揃ったなヒトカス共ウマカス共! ベットタイム終了まで残り10分! さあ、誰に賭けるかはもう決めたか? 手元のバ券が紙屑になる覚悟は決まったか? 泣いても笑っても一発勝負だ! 財布の中を軽くして行け!』

 

「プラグヘッドの奴今夜は調子が良さそうだな」

 

 蹄鉄の確認を終えた所で正面から声がかかる。視線を持ち上げれば頭にバンダナを巻いた青年が缶ビールを片手に調子良さげに近づいてくる。ウマ娘としての敏感な鼻が、アルコールの匂いを察知して思わず顔を顰める。

 

「あの糞は何時だって調子が良いだろう。後酒飲んでる時に寄るなカス」

 

「おぉ、ヒデェヒデェ。今回のレースを紹介してやったのは俺なんだぜ? 少しぐらいは良いだろう?」

 

「単純にくせぇし調子崩れるんだよボケ、こっちは鼻が良いんだよ」

 

「おぉ、そりゃあ悪い事をしたな」

 

 そう言いながら青年は缶の中身を一気に飲み干した。こいつ、たぶん未成年な気がするんだよなあ―――まあ、態々それを口にして聞き出す必要もない。こいつの名前も、素性も、大して興味はない。重要なのはこの夜、俺はこのレースで走り、勝ち、そして賞金を頂いて帰るという事だけだ。

 

 座っていたスツールから立ち上がり、軽くアスファルトを蹴って最後の確認を終え、背筋を伸ばす。夜の峠、レースの開始地点付近では何台もの車が光を提供し、空にはレースを中継する為のドローンが飛んでいる。

 

 ようやるわ、としか言葉が出てこない。

 

『3番人気はラスティドリーム、大逃げをかますスタイルは誰が見ても面白れぇ! この夜の峠を果たして逃げ切れるのか気になるよなぁ!』

 

 ダメージジーンズのポケットに手を突っ込んで髪紐を取り出す。口に咥え、両手を使って軽くぼさっとした長いこの赤毛を後ろへと流し、首の後ろでローポニーに纏めて縛り上げる。レースに向けて身なりを整える度に自分の精神が落ち着いて行き、高揚感を残して集中力が増すのを感じる。

 

「ははぁん、調子は良さそうだな」

 

「走って、勝つ。それだけだろ」

 

「まさしく、まさしく王者の言葉だぜブラザー……あ、いや、ウマ娘だしシスターか?」

 

「どっちでもいいだろヒトカス」

 

「おぉ、それもそうだなウマカス」

 

 ゆらり、ゆらりと酔う様にバンダナが去って行く。その姿を追う事もなく白線へと向かって歩き出す。周囲には楽しそうに酒を飲み、半裸でボンネットの上に座り込む馬鹿や、野次を飛ばしてくるボケカスが見える。だがそう言う連中の情報も集中力が高まるにつれてシャットアウトされて行く。

 

『2番人気はレイニーデイ! 先行の安定した走りは見ごたえがない? おぉっと、そりゃあこいつの事を良く解ってないから言えてる事なんだろうなあ。当然! このレースにラフプレーの禁止ルールなんてねえ! 今日も血を見せてくれるかレイニーデイ!』

 

「カスしかいねぇ」

 

 走る俺も同類か。

 

 ゲートなんて上等なものは当然、存在しない。だから今夜揃った8人のウマ娘は全員道路に描かれた白線に並ぶ。横へと視線を向ければ欲に目をギラつかせている。きっと、俺も同じように欲望に目を滾らせているのだろう。

 

『そして1番人気は当然のクリムゾンフィアー!』

 

 車の上でテレビの被り物をした男がマイクを片手に俺の名前を呼んだ。それに応えるように中指をオーディエンスに突き返す。

 

『賭けレース出場回数8回にして入着率100%! その半数も1着という驚異のレコードホルダー! 今日も咲かせてくれるか彼岸花! 要注目だ!』

 

「相変わらず煽り文句が頭悪いよな、アイツ」

 

 もうちょいセンスを磨いてくれと呟きつつ体をほぐす。当然、こんな野良の賭けレースにゲートなんてものはない。ファンファーレもなければまともなオーディエンスも存在しない。

 

 だがここに、勝利の栄光と金だけはある。

 

 本能を満たすのはそれだけで十分だ。地方のトレセンにすら入る事の出来ないウマ娘がその欲望を満たすには、野良レースで走るしかない―――結果、こういう所に行きつく。

 

 走り出す為の姿勢を整え集中力を最適な状態へと持ち込む。雑念が脳内から消え去り、どう走れば良いのかというプランが脳内で完結する。ただスタートを静かに待つように踏み込む足の用意をし、

 

『―――スタート!』

 

 ぱぁん、という音が夜空に響きスタートラインを超えた。出遅れる事無く一瞬で前へと加速して飛び出して風を切る。僅かな明かりにのみ照らされた夜の峠、車道の上を蹄鉄で踏みしめるように全力疾走する。

 

「邪魔だ、退けっ!」

 

 早速、横から顔面目掛けて肘が飛んでくる。行儀が悪いなあ、という言葉を口にすることなく速度を落とす事で後ろに流れ肘を回避する。その間に誰だったか―――まあ、モブを記憶する必要もないか、と、名前を忘れた相手が前へと進んで行く姿を見送る。

 

 先頭に立つのはスタートと同時に飛び出し大逃げをかまそうとする姿、夜の闇に溶けそうな黒毛のウマ娘。2番手は先ほど肘を叩き込もうとしてきた栗毛のウマ娘。先頭から2番手まで凡そ4バ身、距離としてはそこそこあると言えるだろう。

 

 本格化前という事もありレース自体は短く、短距離で見る様な1000M級しかない。だが俺達本格化を迎える前のウマ娘にとってこれはそこそこスタミナを必要とする距離だ―――とはいえ、限界を攻める程の距離でもない。

 

 その為、レースそのものはハイペースに進んでいる。ちらりと視線を後ろへと流せば後方にある程度団子になるようにウマ娘の姿が続いている。油断するか隙を見せれば抜きにかかってくるだろう。

 

「勝負はコーナーで」

 

 小さく息を消費しすぎないように口にする。頭の中で解っていても口に出す事で強く意識する事が出来る。

 

 夜の峠をウマ娘たちが疾走して行く―――蹄鉄が強くアスファルトを蹴りつけ、音が反響する。芝やダートとは違った環境故、走る負担は強く足首に返される。それも走るたびに力の方向性に気を使わなければ勢いのまま滑って転びかねない。

 

 その上で緩やかな下り坂がゴールまで、続いている。加速しすぎればそのまま事故が起こりやすいコースだ、そういう風に選ばれている。この腐った観客共からすれば事故を起こす事さえもショーの一環なのだから。寧ろ起こる事を祈っている。それに賭けている奴もいる。

 

 そういう意味じゃ大逃げはターフ以上の破滅逃げと言えるだろう。減速し辛く、事故りやすい走り方でもある。あの先頭を走っている奴もそれを理解した上でそういう走りを選んでいるのだ、到底正気ではないだろう。

 

「チッ……邪魔だなお前」

 

 正面、走る栗毛に風よけとして使っている事がバレた。スリップストリームを使ってスタミナを温存していたが、それを嫌がるように後ろへと蹴るように走る。少し距離を開けて回避し、再び距離を詰めて、スリップストリームに利用させて貰う。

 

 舌打ちは聞こえてくるが、蹴りは来ない。体力の無駄だと悟ったのだろう。

 

 その代わりに栗毛が加速し始める。コーナーの前に加速して平気か? 一瞬だけ疑問が脳を満たすが、それを排除する。少なくとも他人の心配をする余裕なんてものは俺にはない。走るなら、自分の事だけを考えろ。

 

 横を走っていた林の姿は消え、満月の浮かぶ夜空を魅せる崖が広がる。

 

 ガードレールの向こう側へと滑り落ちればそのまま谷底まで真っ逆さま。肝が冷える考えだというのに正面、100M先では傾斜がきつくなったカーブが待ち構えている。事前にバンダナから知らされていたこのコース、最大最悪の難所だ。

 

 先頭を行く二人がコーナーに備えて速度を殺し始めた。当然だろう、トップスピードに入ったままここを曲がろうとすれば蹄鉄とアスファルトの相性の悪さも相まって体が飛ぶだろう、なんならそのまま来世までフライアウェイ出来てしまう。当然命あってのレースだ、ここは速度を殺して曲がり切るのが賢い。

 

 誰だって事故を起こすのが怖い。

 

 足が折れれば最悪、そのまま引退だ。骨折したウマ娘の末路を見るのは決して珍しいものではない。その悲惨さは語らずとも誰もが理解する。本能的に走る事を求める者が走れなくなるのだ、生きている時間全てが地獄とも言えるだろう。

 

 ―――が、ここが相手を抜くチャンスでもある。

 

 速度を落とす2人とは逆に、此方は加速する。

 

「は?」

 

 呆ける様な声がし、次の瞬間には怒声が響いた。

 

「イカレてんのかお前!?」

 

 相手の言葉には答えない。狂気が感情を支配する。ガードレールギリギリ―――いや、レースなら言葉を変えよう、内ラチギリギリを陣取るように疾走する。

 

 笑い声を響かせながらカーブに合わせて膝を限界まで折り曲げ、体を斜めに倒し、カーブに合わせて体を滑らせる―――そう、ドリフトだ。ウマ娘の体でドリフトをする。車が峠のコーナー、そのギリギリを狙う様に俺もまた掠るか掠らないかのギリギリを攻める。

 

 目の前に迫るガードレール、アスファルトを滑る事で火花を散らしながら削れる蹄鉄、吐く息には熱が籠って風が体を削るようにさえ感じる。

 

 だが体は倒れない。転ばないギリギリを攻めるように下り坂のコーナーを曲がり切る。速度を落とさない対価としてギリギリを攻めた所で僅かに内側が膨らむ。だが速度は死んではいない。僅かに外側へと流された体を一瞬で立たせ、コーナーを抜けて一気に直線に入る。

 

「恐怖はねぇのかテメェ!?」

 

「一度死ねば大抵のもんは怖くなくなるよ」

 

 そこから転生できるかは、まあ、運次第だが。来世ガチャに挑戦するなら頑張ってくれ。俺はもう二度としたくはない。

 

 言葉を吐き、息を整え、足を一切止める事無く飛び出した。コーナーを抜けてからゴールまでは直線しかない。逆に言えばここからはスパートのタイミングだ。当然のようにスパートに合わせて走り方を切り替える……だが逃げ切れるか?

 

 コーナーで一気に抜いて先頭には立った、コース自体は短距離クラスの短さにない、ここでスタミナを全て切らすのはいかに本格化前とはいえ難しいだろう。大逃げだろうが逃げだろうが先行だろうが足を残しているだろう。

 

 なら追いつかれるのかもしれない、この直線は小細工無しの純粋なスペック勝負に入る。それで絶対に勝てると思う程に自分の事を信じてはいない。

 

 だからこそ最後のスパート、切り札を切るならここだ。

 

 踏み込むのと同時にレースを通してのルーティーンが完遂される。手順を踏んだ事により意識がより研ぎ澄まされ、強固に意識が具現化する。

 

 即ち、踏んだ大地に彼岸花が咲く。

 

 彼岸花―――即ち死のイメージ。踏んだ大地に咲き誇る彼岸花が想起させるのは死とその後の記憶。踏んだ大地から現れる彼岸花は一瞬で車道を覆いつくし、ゴールまでの道を埋め尽くす。薄暗い夜闇に火の粉が舞う。踏み出す度に散る彼岸花の花弁が宙に浮かび上がる度に燃え尽きては散る。

 

 ―――領域。

 

 空間を飲み込むオカルトとしか表現できないイメージが展開される。誰もが出来る技能ではなく、上澄みにしか使用の出来ない奥義にも似た異能が展開される。

 

「は、―――ふぅ―――」

 

 呼吸を入れ替え最後の300メートルを疾走する。限界まで加速した体がトップスピードに乗り、後続を引き離すように一気に距離を空ける。その距離を態々カウントする必要もない。トップスピードに乗った時点で追いつかれない事を確信した。

 

 見据えるのは車道に描かれた白線のゴールただ一つ。ゴール付近ではスタートのように車のライトが周囲を照らし、ゴールの瞬間を求めて集うヒトカス共の姿がある。既に俺が先頭に立ってゴールしそうな事に嘆いてバ券を投げ捨ててる奴もいる。

 

 だがそんな光景に欠片も心を動かされる事もなく一直線に駆け抜け、ゴール。

 

 少しずつ速度を落としながらゴールから数十メートルを抜けた所で足を止めて拳を握る。

 

『そして今! ゴール! 1着は1番人気クリムゾンフィアー! 2着はラスティドリーム! 3着はレイニーデイ! 有象無象との才能の差を見せしめる様なクリムゾンフィアーの走り! このウマカスに勝てる奴はいるのか!? 次のレースが楽しみだ!』

 

「煽るな煽るな」

 

 撮影をしているドローンへと向けて中指を突き立てると歓声が巻き起こる。URAが運営するトゥインクルシリーズやドリームシリーズの様なグッズ販売が存在しない代わりに、この野良レースでは当然のように金銭が賭けられている。

 

 そこに妙な親近感と懐かしさを覚えてしまうのは前世を覚えているからか。或いは、アプリで見る様な優しい世界ばかりではないという事実に安心感を覚えるからか。

 

 どちらにしろ、このレースは俺の勝利だ。賞金もまた、俺のもんだ。軽くクールダウンするように熱気を吐き出していると、主催者の一人がこっちに寄って来た。

 

「おめでとうクリムゾンフィアー、これが今回の賞金の30万だ」

 

「1……10……15……25……うい、確かに30万な」

 

 受け取った封筒の中身をちゃんとチェックし、そこから3万抜いて主催者に渡す。

 

「これで適当にふるまってくれ」

 

「お、解ってるな。まあ、次回開催の連絡は入れておいてやるよ」

 

 けけけ、と不気味な笑い声を零しながら主催者が去って行く。こういう事をしなければハブられる、というのは中々めんどくさい話だ。とはいえ、3万で満足してくれるなら安い話だろう。

 

「おい、フィア! どうしてくれるんだ俺の5万がぱぁだぞ!」

 

「俺に賭けないのが悪い」

 

「くそぉ、今日はラスティが調子良さそうだと思ったんだけどなあ……」

 

 ここら辺、前世の競馬おじさん達とまるで何も変わらないなあ、と思いながらガードレールに腰を下ろす。レースでの勝利と賞金を獲得した事で少なくない高揚感と自尊心が満たされる。手元の封筒の中身を見て、しめしめと笑みを浮かべているとおい、と声をかけられる。

 

「次は負けないからな、覚えておけよ」

 

「忘れてなかったら」

 

「チッ」

 

 舌打ちした去って行くウマ娘と入れ替わるようにバンダナがやって来た。片手に握っているペットボトルをこっちに投げ渡してくるのを受け取り、賞金の入った封筒を投げ渡す。ボトルのキャップを指で弾いて取り、頭から冷水を浴びて火照った体を覚ます。

 

「おう、お疲れさんフィア。今日も強い走りだったな」

 

「慢心する訳じゃないがここらで負ける気はしないな」

 

「言うじゃねぇか。いや、まあ……確かに領域を出せる奴が野良のレースで走ってるなんて滅多に聞かないしな。そういう連中は大体トレセンに入るから当然っちゃあ当然だが」

 

「それもそうだな」

 

 空になったペットボトルを握りつぶして後ろに投げ捨てる。トレセン学園という言葉を舌の上で転がすと、バンダナがお、と声を零した。

 

「なんだ、トレセン学園に行く気でもあるのか?」

 

「馬鹿いえ、俺の家にそんな金があるかよ。知ってるか? 中央のトレセン学園に通ってるのはお嬢様とかそんなんばかりだぞ? 宝石商の娘とか、空軍の将校の娘とか、そういう連中ばかりだよ。貧乏人はあそこに入学する事すら出来ねぇわ」

 

「じゃあ地方はどうなんだよ」

 

「地方トレセンに通う為に引っ越ししろって話? 嫌だよめんどくせぇ」

 

 手をひらひらと振る。

 

 まあ、トレセン学園に興味ないのか? と言われたら当然ながら興味はある。()()トレセン学園だぞ? シンボリルドルフが、マルゼンスキーが、ミスターシービーが通っている学園だぞ? 興味がないと言ったら嘘になる。

 

 日本国内で求められる最高の環境があそこにある。ウマ娘として走る事に興味があり、本気になった事があるのであれば一度はあそこに通う事を夢見るだろう―――が、まあ、現実は非常に残酷だ。学費は馬鹿高いし、入学の審査も結構厳しい。一般家庭からの入学を目指そうとすると相当難しい話だ。

 

「ま、スカウトでもされれば話は別だろうけど、スカウトマンなんて見た事もないしな。こんな場末の野良レースを見に来ることもないだろう。まあ? スカウトされたのなら? 行かないでもないけど? ほら、俺速いし強いし凄いし」

 

「興味津々じゃねぇかこの野郎」

 

 それはそう。とはいえ。

 

「現実は厳しい。スカウトマンが都合よく目の前に現れる事はないし、それで中央に通う事なんてない。一生をこの底辺のレースで満足して終わるんだよ」

 

「おい! 人が主催してるレースを底辺って言うな」

 

 主催者からの文句を悪い悪いと手を振って応える。だけど、まあ、人生そんなもんだろう。そう都合よく事が運ぶ方がレアだ。来世は赤毛のウマ娘という幸運を得たのだ、もう既に一生分の運は使い切っている気もする。だからこれ以上を望む事は出来ない。

 

「ま、俺は程々に満足して走るわ」

 

「ほーん、程々にねぇ……」

 

 ―――俺はこの時、そう言って怪しげな笑みを浮かべる腐れバンダナ野郎の事をもっと良く注意しておくべきだった。

 

 この腐れバンダナヒトカスとの出会いは数年前にまで遡る。

 

 お小遣いと全力で走れる場所を求めた俺は野良レースの存在を見出し、このバンダナとはその時の出会いだ。人格の信用はしていないが、レースを見つけて俺を走らせてくれるという一点においては、これまで一度も裏切ったことがなかった。

 

 だからきっと、俺は油断していたのだろう。信用していないと口にしても、心のどこかでガードが外れていたのだろう。

 

 故に、この時このバンダナ野郎が浮かべていた笑みの意味を、俺は一切理解していなかった。

 

 ―――春。

 

 出会いと別れの季節。

 

 桜が咲き、その花びらが風に乗って景色を彩る。

 

 校門の横では爆笑しながら腹を抱えるバンダナヒトカス野郎の姿があり、俺はトレセン学園の指定の制服を着用していた。人を指さして笑っているこのカスをどうやってぶち殺してやろうかと考えながらも。

 

 この春、俺は入学の為に中央トレセン学園の前に立っていた。




クリムゾンフィアー
 意味は深紅の恐怖。女のする名前じゃねぇだろ三女神は馬鹿か? と言って三女神の像に向かって中指を突き立てた実績がある。悪い事は大体三女神のせいにしてる。

バンダナ
 その日の気分でバンダナの色を変えてくるおしゃれさん。フィアの賞金で酒を飲んで三女神の像に吐いた実績がある。その日の気分でバンダナの色を変えてくる。お気に入りはゲーミング発光バンダナ。


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2話 三女神を信じるな

「ぶ―――ぶーっはっはっはっは! に、似合わねぇ! お、お嬢様してる! 滅茶苦茶お嬢様な恰好だわ、ぎゃっはっはっはっは!」

 

 バンダナを頭につけたヒトカスが腹を抱えながら爆笑している。

 

「ひひひひ、ひっひっひ、スカート、お前がスカートって……ぶははは、くくく、やっぱ似合わねぇ! ぎゃっはっはっはっはは!」

 

 腕を組みながら静かに首を傾げる。もしやこいつ、死にたいのでは? 周りに視線を向ければ何事かと視線を向けるウマ娘たちがバンダナと俺を見ているが、それに威嚇するように中指を突き立てて追い返す。流石トレセン学園のお嬢様たちだ、少し威嚇すれば直ぐに逃げて行く。

 

 それはそれとして、目の前のヒトカスだ。どうすっか。殺すか。とりあえず軽い蹴りを足に叩き込むとそのまま崩れ落ちるが、笑いのツボに入っているのか腹を抱えたまま笑っている。その姿に呆れて溜息を吐く。

 

「全く、お前だろ俺をここに入学するように手配をしたのは……」

 

 そう言ってげらげら笑っているバンダナに視線が集まる。いや、別にこいつに視線が集まるのは良い。トレセン学園の校門で警備を担当しているばんえいバが首を傾げながら睨んでくるだけだし、そこに俺の過失はない。

 

 問題はこのヒトカスが、俺をトレセン学園へと入学させる為の手回しをした事実だ。

 

 ―――このバンダナのヒトカスとの出会いは数年前にまで遡る。

 

 転生者である俺は他のウマカス共と比べればスタート地点が違う。無論、知能指数という意味でだ。当然ながら有象無象よりも遥かに人生経験豊富な身では小学校の勉強なんて退屈なもので、他の学生が勉強に充てる時間を自由に過ごしていた。

 

 その時に気づいたのが走る事の楽しさであり、本能に従う事の面白さだった。

 

 そう、走る事は楽しい。その事実に気づいてしまったのだ。

 

 それからすっかりと走る事に魅了された自分が野良レースを探し、走り出す事に時間はそうかからなかった。学校や行事で用意されるレースはぬるかった。ぬる過ぎた。おてて繋いで皆でゴールみたいなお遊戯会レベルのレースでは満足できない体だったのだ。

 

 本気を出させる為に中指突き立てたりヒトカスウマカス問わず煽っていたら知らないうちに不良のレッテルを張られ、学校でも友人もなくなっていた。

 

 そして始まる、どっぷりと浸かる野良レースライフ。

 

 野良レースは最高だった。何と言ってもルール無用で、ラフプレーも煽りも許可されていた。その上で偶に領域を使う様な奴まで出てくるから非常に見ごたえがあった。

 

 何よりも学校にいるお遊戯会のレースとは違い、ここに集まる様な連中は大体本能に身を任せて破滅的な刹那を求める連中ばかりだった。本気で走り、殺す気で抜き去り、そして勝利に酔う。それを良しとする連中ばかりが集まるのだから、楽しいに決まっている。

 

 バンダナと出会ったのはそんな野良レースに初めて参加したばかりの頃だった。本名を知らなければ、普段は何をしているのかさえも知らない。だが妙にウマが合った。

 

 どこに行けば野良レースに参加できるのか、そういう知識がなかった俺にレースを提供し、基本的な知識や道具の揃え方を教えてくれたのがこのヒトカスだった。本能をむき出しにして本気で走るウマ娘を見るのが好きだという典型的なカスで、頼れる悪友でもあった。

 

 だけどこれまでカスである事以外の個人情報を晒さなかった男が、いきなりトレセン学園に入学する為のコネを引っ張ってきたのだ、そりゃあ誰だってビビるだろう。

 

「ひひひひ……はあ、笑った笑った。まだ腹が痛ぇわ、これだけでも見に来た価値はあるわな」

 

「お前さあ……いや、俺も似合わないのは自覚してるけどよ」

 

 トレセン学園の制服はどっちかというと可愛い系とかに似合うタイプの服装だ。俺はどっちかというもっとシャープな格好の方が似合うと思っている。そりゃあスカートも下着も女性用ウマ用ので慣れているが、だからと言って似合うかどうかは別だ。

 

 まだ小さく笑うバンダナは呼吸を落ち着かせようと軽く胸を叩き、咳をしてから呼吸を落ち着かせる。

 

「ま、慣れろ。これから末永く付き合って行く制服になるんだからな」

 

「いや、そうだけどよ」

 

 頭を掻く。

 

「お前は……いや、いいや。今更だわ」

 

「そうそう、俺の事なんて気にするな。お前のファン1号ってだけだから」

 

 こいつ、本当にどうやってこんなコネを持ってきたのか。いきなりトレセン学園のスカウトマンが家を訪ねて来た時は何事かと思ったわ。更にスカウトマンがバンダナに紹介されたと言った時はもっとビビった。

 

 ただ、まあ、そんな事もあり俺は条件付きでトレセン学園に入学する事が出来た。今、こうやって制服に袖を通して校門の前に立つまで実感というものはまるでなかったが。

 

 ……それとも、三女神からすればこれは予定調和になるのだろうか?

 

 転生ウマ娘がトレセン学園に通う―――まあまあ、テンプレだわな。

 

 今の所神様やそういう類の存在とは出会った記憶は何もない。或いは俺が忘れているだけなのかもしれない。ただどっちにしろ自分の行動が何らかの見えない力によって動かされているという可能性はありえなくもない。そうじゃなければトレセン学園なんて入学できたとは思えないし。

 

 何にせよ、

 

「世話になったな、ヒトカス」

 

「おう、世話をしたわウマカス。精々頑張れ、稼がせて貰うからよ」

 

 感謝と別れを告げ、バンダナは去って行った。ウマホで連絡は取り合えるとはいえ、会う事はしばらくはないだろう。そこにちょっとした寂しさは感じるものの、同時に自分がこれまでいた狭い世界から出て行く感じはした。

 

 軽く髪を掻き乱し、視線をバンダナの居た方角から外して校門へと向けた。

 

「ま、何にせよ入学か。確か理事長に挨拶しなくちゃならないんだっけな」

 

 めんどくせぇなあ、と思いながらトレセン学園の校門を抜けた。

 

 

 

 

「えーと、栗東栗東……ここか」

 

 入学式もまだ先の話ながら、今日は入寮と手続きの為に来ている。その為、まずは自分の部屋と送った荷物の確認をしなくてはならない。あらかじめ送られた案内では入寮するのは栗東寮だと伝えられていた為、この広大すぎるトレセン学園の敷地を数十分歩き回って漸く見つけ出した。

 

「無駄に広いんだよこの学園」

 

 美浦に栗東という寮を構え、ウマ娘の為の最高の環境を用意し、その上で学園としての主要施設も全て備えた超大型学園―――トレセン学園。

 

 いくら何でもやりすぎだろうというレベルで設備が揃った結果、あほみたいな広さがこの学園にはある。まさか寮一つ見つけるのにこんなに苦労するとは思いもしなかったが。家から送った荷物は既に寮に運び込まれていると聞いている。だからおっかなびっくり寮の中に入り、辺りを見渡す。

 

 広々としたエントランスには何人かのウマ娘の姿が見える。その内1人が此方を見つけあ、と声を零す。

 

「もしかして君がクリムゾンフィアーさんかな?」

 

 テレビで見た事のあるウマ娘の姿に、頷きを返した。短い黒髪のウマ娘は俺同様にトレセン学園の制服を着ていることがその身分を証明している。

 

「うっす、今日から栗東に入寮する事になるクリムゾンフィアーっす」

 

 ぺこりと軽く頭を下げるとやっぱり、と返される。軽く胸に手を当て、解りやすいように身振りを取るのは自分が見られているという事を意識しているから。或いは、自分の意識させる為のポーズだ。それが無意識に出てくるのはそう言う環境に慣れているから。

 

 はきはきとした聞きやすい声で目の前のウマ娘が喋ってくる。

 

「初めましてクリムゾンフィアーさん。私はフジキセキ、このトレセン学園栗東寮で寮母を務めさせてもらってるよ。赤毛の子が入寮してくると聞いて楽しみにしていたんだ」

 

「どもっす。フジキセキさんにそう言われると光栄っす」

 

「そうかい? ふふふ」

 

 ごめんよ、フジキセキ。俺、野良レースの連中とアンタのレースで賭けしてたんだわ……。しっかりと儲けさせて貰っただけに妙な罪悪感が残る。

 

「それではこれが部屋の鍵で、君の荷物は既に部屋に運び込まれているよ。君の部屋は3階の305号室、階段を上がれば直ぐに見える筈だけど案内は必要かな?」

 

「いや、大丈夫っすわ。なんとなく解りそうだし」

 

 流石にフジキセキに案内させるのは気が引けるというか何というか。スターウマ娘の時間を俺が占領してしまうのはちょっと恐れ多いものがある。とはいえ、そんな事を気にしていないフジキセキはそうかい、と首を傾げるばかりだった。

 

「後は……そうそう、先に君の同室の子が来ているよ。既に荷解きの最中だから」

 

「うっす」

 

「それじゃあ良い一日を」

 

 フジキセキから鍵を受け取り、頭をガシガシと掻く。寮での生活には同室の子がつく。部屋数が限られているのだから当然と言えば当然の話ではある。

 

 正直、少し不安のある部分だ。

 

 とはいえ、1人暮らしするだけの金なんてものはない。奨学金を頂いて通う事になったのだ、寮生活に馴染まないとならない。1度だけ心に気合を注入してから階段の方へと向かう。

 

 そのまま階段を上がって行き3階へ。廊下の先へと視線を向ければ、一番奥に305号室と書かれた扉が見えた。成程、解りやすいと思いながら扉の前まで進み、一旦足を止める。

 

「ふぅ……今更だ、今更。何を緊張してんだ……入るぜ」

 

 バカバカしい。そう呟いて鍵を入れて回し、扉を開ける。

 

「え? あ、は、ひゃい!」

 

 扉を開けるのと同時に聞こえてきたのはそんな声で、何かが飛びあがる様な足音と共にたたた、と走り回る音がした。扉を開けた向こう側、寮の部屋は思ってたよりも広かった。ベッドが二つ、2人分の机、そして棚やクローゼットと学生寮にしては結構な広さをした部屋だった。

 

 その中央でせわしなく動いている黒毛のウマ娘がいる。長い黒髪のウマ娘は両手を所在なさげにあっちこっちに動かしてはあー、と声を零して視線を此方へと向けては外してくる。

 

 一言で言えば、全力でテンパってた。

 

「ひ、あ、あ、あの、その、そ、そそ、その! こんにちは!」

 

 俺は静かに手で顔を覆った。ここまでコミュ力が壊滅的だった生物に、今までエンカウントした事がなかった。確かに喋るのが苦手な人はいる。だがここまで酷い生物が実在するとは思わなかった。

 

「あ、あぁ、こんにちは……同室の子って君の事で良いんだよな?」

 

 俺の言葉に黒毛の子はぶんぶんと頭を振ると、左右を見渡しササッと後ろへと下がった。

 

「ど、ど、どうぞ!」

 

「……お、おう」

 

 なんか、可愛く見えてきたなこいつ。

 

 ともあれ、促されるようにこれから数年間過ごすであろう部屋に入る。部屋の隅には俺が家から送った幾つかの荷物がある……と言っても着替えや私物の類でスーツケース2個分で収まっている。元々あまり洋服とかには興味のないタイプなので、余り持ち込むものが多くないのだ。

 

 その代わりと言うべきか、部屋の反対側には積み重なった大量のスーツケースなどが見える。恐らくは同室の子の荷物だろう。

 

「あ、ご、ごごご、ごめんなさい! 荷物が多くてごめんなさい! 部屋がこんなに小さいとは思わなくて……!」

 

「そっかぁ」

 

 この娘、間違いなく名門出身のお嬢様だなぁ、と俺の中で好感度が下がった瞬間だった。まあ、表面上は仲良くしてやるか……脳内で格付けを完了させた所でこのウマカスを便利なパシリに育ててやろうという計画を立ち上げ始める。そうすれば少しはここでの生活も楽になるだろう。

 

 自分の荷物が全部ちゃんと届いているのを確認してから振り返り、笑みを浮かべて手を差し出す。内心でこいつをどうやってパシリにしてやろうかと計画しつつ。

 

「これから長い付き合いになるし、挨拶しとくか。俺はクリムゾンフィアー。一般家庭出身な」

 

「は、はい! す、素敵な赤毛ですね。わ、私の黒毛とかありふれた色ですからクリムゾンフィアーさんの赤毛は羨ましいです」

 

 つんつんと両手の指を突く姿には小動物染みた可愛らしさがある。が、直ぐに慌てるように顔を持ち上げる。

 

「あ、あぁ、そ、そでした! 名前! 自己紹介するなら私の名前も言わなきゃ駄目ですよね。えへへ……」

 

 にこり、と笑って黒毛のウマ娘が名乗る。

 

「でぃ―――ディープインパクト。ディープインパクトです。宜しくお願いしますクリムゾンフィアーさん」

 

 ……?

 

「く、クリムゾンフィアーさん?」

 

 腕を組んで首を傾げる。人差し指を上げてもう一度自己紹介を頼む。

 

「……? ディープインパクトです! でぃ、ディープでもディーでも好きにど、どうぞ」

 

「そっかぁ」

 

 俺は静かに天井を見上げながら三女神を呪った。あれは特級呪物だ。今すぐ破壊しなければならないのかもしれない……恐らく奴は邪悪だ、このような仕打ちをする様な運命の女神に慈悲なんてある訳がない。心の中で聖戦を誓う。奴は敵だ。必ず滅ぼしてやる。

 

「え、えっと、クリムゾンフィアーさん……?」

 

「フィアでいいよ」

 

「わ、わあ、ありがとうございます! えへへ」

 

 俺は静かに仏の心を持ってそう伝え、静かに口から赤い花びらを吐いた。

 

「ごふっ」

 

 そのまま床に崩れ落ちる。

 

「う、うわあああ!? フィアさん!? 喀血したぁ!? え、な、ななな、なんで!? あ、これ血じゃなくて花びらだぁ……花びら!? なんで!?」

 

 床に倒れ込んだ俺の姿をディープインパクトが駆け寄って抱き上げる。混乱からその目がぐるぐると回っている様にさえ見える。そんなディープインパクトの姿を視界にとらえつつ、血の代わりに彼岸花の花びらを吐いて窓の外を見る。

 

 もう何もかもおしまいだよこれ……。




クリムゾンフィアー
 いっちょ転生オリ主ムーブすっかあ! とテンション高く入学した瞬間に現実をわからされたウマ。無事にブロリーを前にしたベジータ状態になった。

ディープインパクト
 みんな大好き英雄。自分の事をチワワだと信じているケルベロス。


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3話 常時デッキアウト状態

「―――彼女には才能があります。それも前代未聞の才能です」

 

 我が家に来た男はそう言った。

 

 我が家の居間、テーブルを挟んで座る男は目の前に名刺を置いていた。そこにはURAのスカウトマンという身分と、吉田浩二という名前が書かれていた。URAが発行しているエンブレムと問い合わせれば身分が判明する以上、詐欺という訳ではないだろう。

 

 スカウトマン、吉田はテーブルを挟んで座る俺とマミーを相手に説明していた。

 

「ウマ娘の誰もが“領域”を使える訳ではありません。領域は一種の到達点です。まずジュニアで見る事はありません。あのシンボリルドルフでさえクラシック後期まで使う事は出来ませんでした。それほど強力で、習得するのが難しい能力です」

 

「はあ……」

 

 我がマミーはスカウトマンの言う事が良く理解できずに首を傾げている。

 

「領域/固有/ゾーンと呼ばれる能力は、今でも科学的に解明できていない神秘です。シニアまで走りG1に出場し、何度も他のウマ娘たちとしのぎを削ったウマ娘が覚醒する超能力の様なものです……経験と、闘争心、そしてそれに見合う能力を備えて漸く形が出来上がるものです」

 

 ですが、と吉田は言葉を区切る。

 

「お子さん……クリムゾンフィアーさんはその領域が使えています。はっきりと言いますが、これは異常な事です。一流の選手にのみ備わった能力をお子さんは最初から使えるのです。これを天賦の才と言わなければ何を才能だと言えるのでしょうか?」

 

 その言葉にマミーはやはり良く理解できずに首を傾げている。マミーは余りレースの事が詳しくはない。テレビでトゥインクルシリーズやドリームシリーズを見てもまあ、速いわねぐらいの感想しか抱いていない。つまり競バを良く理解していない層の人間なのだ。

 

 まあ、それも当然だろう。ウチは名門でもなければマミーはウマ娘でもない、一般ヒューマンだ。ヒトは走らないし、走る事にそこまで興味を抱かない。ヒトオスなら割とトゥインクルシリーズに興味を持つのはアイドルを追いかける様なもんだからだ。

 

 成人ヒト女性でレースの興味を持つのは割と珍しい事なのだ。

 

「つまり、ウチの娘はその……走る才能がある、という事でしょうか?」

 

「その通りです。クリムゾンフィアーさんのレース映像を見せて頂きました」

 

 野良レースでの走りの事だろう。吉田は俺のスカウトに対してかなり熱心だった。

 

「この歳で非常に計算された、強い走りをします。赤毛という特徴も話題を呼ぶだけの力があります。彼女を見て思いました、トゥインクルシリーズで彼女はもっと輝けると……今年か、或いは来年のトゥインクルの台風の目となる才能が有ります」

 

「はあ……うちの娘がねぇ……」

 

 疑う様な視線をマミーは向けてくる。俺はそれに対して肩を揺らして対応する。

 

「この子は昔から変な子だったわ。歩けば足元から彼岸花を生やして、偶には部屋を氷漬けにして。不思議と悪影響はなかったしまあ、別にいっかぁ……の精神で流してたけどウマ娘の才能だったのね」

 

 マミーはだいぶおおらかな性格をしている。俺がベビーだった頃から領域を暴発させまくってたのに“そっかぁ”程度ですませられるメンタルの持ち主だった。俺のマミーは非常にストロングな女性だった。そうでもなきゃ俺みたいな個性の暴力を一人で育てる事も出来なかっただろう。

 

 彼岸花は俺にとっての死のイメージ、具現でしかない。転生者の俺にとって死とは隣人であり、すぐそばにある存在である。メメントモリ、何故死んだのにその存在を忘れられるのだろうか? 俺は常に死という存在を想っている。

 

 だから領域が発生した。強すぎるイメージ、強すぎる死への想い。それが領域という形で常に発現しているのだ。俺が歩く度に足元に彼岸花を咲かすのは決してアマ公をリスペクトしての事ではない、別に大神ごっこをしている訳じゃないのだ。

 

 嘘だ、実はアマ公ごっこして滅茶苦茶学校ではしゃいでた。出来るなら誰だってやるだろ。

 

 俺はテーブルの上に指先でとんとん、と叩いて彼岸花をそこに生やした。それを見て驚く様に吉田は目を見開き、頭を下げた。

 

「お願いします、どうかURAで……中央トレセン学園で預からせてください。上の方には私から説得し、必ず奨学金を約束します。クリムゾンフィアーさんは輝くものを持っています。それはレースという舞台で輝けるものですから……!」

 

 スカウトの吉田はこの時頭を下げまくった。土下座までして説得した。マミーはトゥインクルで走る事の凄さを良く理解してなかったので終始首を傾げていたが、吉田マンの頭の下げ方を見て大舞台である事を理解したので、最終的にはオッケーが出た。

 

 俺も勿論、中央のトレセン学園には隠し切れない憧憬がある。そういう意味では入学する事に反対する筈もない。

 

 吉田は言った、俺は世代のトップになれる。それだけの才能を俺は秘めていると。だからトレセン学園に入学する俺は有頂天になっていた。三冠を夢見たし、凱旋門でも狙うかぁ? なんて超調子に乗っていた。

 

 そしてあの伝説、ディープインパクトと同室になった。

 

 よし、あの吉田とかいうヒトカスを殺してやろう。

 

 俺は密かに殺害予定リストに吉田の名前を追加した。

 

 

 

 

 ディープインパクトと同室になった。無敗で三冠を達成した日本競馬界のレジェンド、ディープインパクトだ。俺はウマ娘のアプリを知っていてもリアル競馬をあまり良く知らない。それでもディープインパクトの名前は知っている。連日テレビで放送され、持ち上げられた伝説の名馬だ。

 

 それほどまでにディープインパクトは強く、日本競馬界にその名を刻んだ。

 

 俺の自信やテンプレチートオリ主計画はディープインパクトを知った瞬間崩壊した。未来の無敗三冠馬に勝てる訳がねぇだろボケカス吉田よ。

 

 ただ我がルームメイトのディーちゃんはそんな未来性を欠片も見せないチワワだった。滅茶苦茶吃音が酷いし、生活力が皆無と言うべきか、箱入りチワワだった。部屋に積み上げられたトランクの処理にも困っているし、普段から世話をされている人間の姿だった。

 

 流石の俺も慈悲はある。この哀れなチワワの面倒をなぜか見る事になった。

 

 部屋を片付け、寝る場所を整え、クローゼットの中身を整理して……恐らくこの手の事を一度もやった事はないんだろうなあ、というのがチワワの姿を見ていれば良く解った。ただその手のお嬢様はこのトレセン学園はそれなりに多い。

 

 家族から離れた共同生活を送るのは一般的な社会生活に慣らす部分もあるのだろう。

 

 そんな訳でチワワとの栗東寮での共同生活がスタートし、入学式を終え、

 

 俺はチワワに懐かれた。

 

「ふ、フィアさん! い、いい、一緒にお昼食べませんか!」

 

「良いぞぉ」

 

「やったぁ」

 

 当然のように入学式をサボった俺は滅茶苦茶フジキセキに怒られた為、この時点で栗東寮全体からしてアイツ不良だぁ……みたいなレッテルが貼られている。実際、それは正しい。入学前の俺は当然のように野良レースで走り、ギャンブルをし、そして三女神の像を先日復讐とばかりにカラースプレーでデコってきた。今度は理事長に怒られた。次は誰に怒られようかなあ。

 

 だが俺はチワワに優しかった。そしてチワワは俺に懐いた。俺は真剣にチワワに脳の診断を勧めた。そして周りのウマ娘たちはそんな俺達を見て疑っている。

 

「ディープインパクトさんがまた……」

 

「やっぱりクリムゾンフィアーに脅されてるのよ」

 

「ディープさん程の名家の方が寒門と一緒だなんて」

 

 俺は遠巻きに見てくるウマカスお嬢様方に中指を突き立てて威嚇しながらチワワと食堂へと向かった。この学園の食堂は学生である限りおかわり自由で、しかも無料で提供されるのだ。良く財政破綻しないなここ、とは何度も思っている。

 

 食堂のおばちゃんから今日の定食セットを貰った所で2人で並んで席に座る。同室同期同クラスという作為すら感じる俺とチワワのコンビはすっかりどこに行っても一緒というコンビになっていた。

 

「お、お昼美味しいですね」

 

「せやな」

 

 チワワは悲しい生き物だった。一緒に飯を食べる度に同じことを言っている。チワワの会話デッキは余りにも薄かった。デッキ内容は40枚どころか通常モンスター3体で構築される10枚デッキだった。あまりにも悲しすぎる生き物故に俺の母性本能が刺激され、このチワワを守らなくてはならないと思っていた。

 

「あ、あああ、あの、フィアさん。フィアさんは、ど、どど、どの距離を走ろうかとか、考えてたりしますか……?」

 

 驚く事に今日のチワワはEXデッキを用意出来ていたらしい。まさかいきなりこんな高度なスキルを……! と内心戦慄しつつも、チワワの言葉を真面目に考えてみる。

 

 ウマ娘がトゥインクルシリーズで走る以上、距離は大きな問題だ。走りたい距離と適性が一致しない事は多々ある。そして短距離、長距離は圧倒的に不人気だ。クラシックディスタンスとさえ呼ばれる中距離こそが王道で最も人気の高い距離である以上、皆中距離を走りたがる。

 

「どうすっか実は悩んでる所があるわ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「おう、適性的にはマイルから中距離っぽいんだけど」

 

 ここに長距離に対する適性があれば完璧だったのだろう。だが後天的に距離適性を変える事は難しい。少なくともトレーニングを通してこの適性を変える事は長い時間と代償を要する。三女神因子ビームを喰らえばデメリットも代償もなしに一瞬で肉体改造が終わるからズルい。

 

「そ、そうなんだ」

 

 そう言うとチワワは嬉しそうにはにかんだ。

 

「わ、私は長距離適性があるけど……中距離は一緒だね。え、えへ、一緒に走れるかも」

 

 ―――じょ、冗談じゃねぇ……!

 

 俺は泣いた。心の中で泣いた。ディープインパクトと同世代と言う事実に泣いた。こいつと同じ世代は皆泣いて良い。何を嬉しそうに笑ってるんだこいつは、こっちはこれからの競走バ人生がお通夜になった事実に泣いてるんやぞ。

 

 もしかしてこのチワワは可愛い顔をして同世代を皆殺しにする特殊性癖を持っているのかもしれない……。俺はその可能性に至り、心の底からチワワに対する恐怖を覚えた。

 

「く、クラシックの三冠……一緒に走れたらい、良いですね」

 

 言外にクラシック三冠は自分のもの宣言だろうか? もうこうなったら出走回避してマイル路線以外に行くしか生きる道はないのかもしれない。そうだ、ティアラ三冠だ。ティアラ三冠を目指そう。まだ心まではメス堕ちしていないつもりだったが、この際メス堕ちしても良いからディープインパクトと同じ路線で走らない事にしよう。

 

 いや……待てよ……?

 

「なあ、ディーちゃんよ」

 

「な、何かなフィアさん」

 

「ディーちゃんってよぉ、最後にレースしたの何時だ?」

 

 俺のそんな質問にチワワは考えるように首を傾げた。

 

「え、えっと、……そこそこ……前? ご、ごごご、ごめんなさい! あまり良く覚えてないです」

 

「あー、いやいや、覚えがないならそれで良いんだよ、気になっただけだし。ほら、併走でもしないとどれぐらい走れるか解からないだろう?」

 

「な、成程」

 

 俺の言葉に頷くチワワの言葉に俺はほくそ笑んだ。もしかして……もしかしてこのチワワは俺が恐れる程強くはないのかもしれない。もしかしてケルベロスの皮を被ったチワワなのかもしれない。

 

 俺は素早く、そして冷静に考えた。ウマ娘は闘争心の強い種族だ。それでいてここにいる娘たちは若く、そして未熟だ。口車に乗せれば容易く模擬レースを開催するだろう。そうだ……名目はトレーナーへのアピールとか、同期の実力を探るとかで。

 

 口八丁で俺だけ参加せずに他のウマカスどもを走らせる事等容易い。これでこのチワワが真にケルベロスか否かを判断する事が出来るだろう。

 

 俺は自分の天才的な発想に自画自賛しつつ小さく笑った。

 

「これからの生活が楽しみだな」

 

「う、うん」

 

 何も知らぬディープインパクトが幸せそうに食事している姿を眺めつつ食べていると、通りすがりのウマ娘が俺達の背後で止まった。

 

「マヤ、オチが解っちゃった」

 

 うるさい黙れ。希望ぐらい持たせろ。お願いします。




クリムゾンフィアー
 トレセン学園最短叱られ記録を更新し見事気性難認定を受けた。

ディープインパクト
 最初にドローした時点でデッキアウトが確定するレベルの会話デッキ。

マヤノトップガン
 マヤノじゃなくてもオチは見えてる。


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4話 仲間は生贄にする為にある

 俺の口八丁に乗せられターフに集ったウマ娘は合計で12人になる。模擬レースを開催するのであれば丁度いい人数だと思う。元々はディープインパクトの実力を測る為に集めた模擬レースだったが、考えてみれば模擬レースは選抜レースの前にウマ娘たちがアピールする為の恰好の催しだ。

 

 さて、ここで少しウマ娘とトレーナーの契約の話になる。

 

 ウマ娘とトレーナー、双方の合意があるのであればいつでも契約し、チーム活動などを行う事が出来る。ただ普通に学園生活を楽しんではスカウトされる事はないだろう。その為、トレセン学園では選抜レースというレースをデビュー前のウマ娘たちに提供し、トレーナーたちにスカウトされる機会を提供するのだ。

 

 ただ選抜レースはレース本番に合わせて大分レギュレーションがキツイ。本番さながらのシチュエーション、距離とは言うものの一々開催するのにある程度の準備と金がかかる。その為、ウマ娘たちは同期を集めて模擬レースを開催するのだ。

 

 日時、場所を指定して練習用のトラックでレースを行う。ゲートを使わないから簡易的なレースになってしまうが、ウマ娘の能力を確認するには丁度良い場所でもある。ウマ娘たちは模擬レースを通して自分をアピールし、トレーナーはそれを判断材料にする。

 

 今回の模擬レース、音頭を取ったのは俺だ。転生している分、そこら辺の人生経験はちょっとだけ小娘共よりは多い。だからこの手の仕切りは割と雑にこなせる。

 

 ……まあ、社会経験の薄い小娘たちを丸めこむのは割と容易かった。

 

 そんな訳でターフには12人のウマ娘たちが、そしてレースを眺められる柵の外側には俺を含めた他の同期が、そして興味を持ったウマ娘たち、そして最後にスカウトの判断材料にしようと足を運ぶトレーナーたち。

 

「ほほー、いるなぁ」

 

 ちらり、と少し離れた所に視線を向ければスーツに眼鏡の女性トレーナー、東条ハナトレーナーの姿が見える。確か最強チームリギルのトレーナーだった筈だ。今年にスカウトするだけの逸材がいるのかどうかを確かめに来たのだろうか?

 

 いや、でもリギルってトライアルやってるしな……。

 

 そのほかにもちらほらと有名トレーナーが視察に来ている。やはり一番早いタイミングで開かれた模擬レースには興味が出るか。まあ、なるべく素質と才能のあるウマ娘は契約しておきたいだろう。

 

 と、思案に耽っていると横に一人のウマ娘がやって来た。ニット帽を被ったウマ娘は静かに横に立つと、棒付きキャンディー飴を舐めながら口を開く。

 

「一口」

 

「1000円」

 

「6番に10口だ……!」

 

「毎度あり」

 

 俺はササッとバ券をナカヤマフェスタに渡した。6番はどこぞの名門のウマ娘か、まあ、ディープインパクトじゃないなら外れだろう。

 

 俺はこっそりと自分の中でのナカヤマフェスタの評価をギャンブル中毒者からレジェンドカモへと変えておいた。

 

「おーい、そろそろ準備は良いかー?」

 

「オッケーよ」

 

「行けまーす!」

 

「は、ひゃい!」

 

 12人分の返答に頷く。

 

「んじゃ位置につけー」

 

 レースの開始を告げる為の旗を手に取る。それに合わせて白線に並ぶウマ娘たちがスタートの態勢に入る。

 

 その中でも目を引くのはディープインパクトだろう。

 

 あれ程開始前まではおどおどし、周りを怖がりながら助けを求める視線を此方へとずっと送ってきていたのに、いざレースが始まるとなるとその全てが消え去り、集中力で満たされた自分だけの世界に入り込んだ。

 

「おっかねぇ」

 

 思わず零した言葉を舌の上で転がしつつ、旗を持ち上げる。周囲でがやがやと声を上げていた観客たちが黙り込み、視線がターフに集まる。数秒、緊張感を保つように旗を掲げた状態から―――、

 

「GO!」

 

 一気に振り下ろした。同時に、飛び出すようにウマ娘たちがスタートを切った。先頭を行くのはあー……誰だっけ、忘れた。ぶっちゃけあまり興味のない相手を覚えるのは得意じゃない。ただディープインパクトは出遅れる事なく前に出てから、するりとすり抜けるように後ろへと下がった。

 

「差し……いや、追込みか?」

 

「綺麗に下がったな。動きが明らかに慣れてるものだ。学園に来る前から走り方の勉強をしていたみたいだな、あれは……」

 

 聞こえてくるトレーナーたちの声は今のディープインパクトの動きを評価しているらしい。やはりトレーナー、一目でディープインパクトが普通じゃないというのが解るらしい。最後方に控えたディープインパクトが備えるようにバ群の背後に控える。

 

 その間に逃げのハナ争いは終着し、逃げが2人リードを作ってレースを引っ張る。中団は先行が多めでやや団子になりつつあり、差しは少ない。距離は1600メートル、選抜レースやメイクデビューで良く見る距離だ。この距離はあっという間に駆け抜けられる距離だ。レースの展開は早く進むだろう。

 

 中盤、後ろに控えるディープインパクトが終盤を見据えて位置取りを調整し始める。その動きを見て悟った。

 

 この中盤戦、ここから抜け出さなければ追いつかれる、と。

 

「へぇ、中々ヤバいのが今年は出てきたな」

 

「あー、やっぱナカヤマパイセンでもそう思うんすか」

 

「ククク……ありゃあ見れば解るだろ。他の連中はもう手遅れだな」

 

「ナカヤマパイセンのバ券もな」

 

「……」

 

 ナカヤマフェスタが悲し気に手元のバ券を見た。最終コーナーを回って来て大外から一気に捲り始めるのと同時にナカヤマフェスタの握るバ券は紙くずと化した。これでも凱旋門2着という経歴を持つレジェンドなのに……どうして、こうも外れる勝負ばかりするのだろうか。今度もまた稼がせて貰おう。

 

「やはり次元が違う―――」

 

 どこからともなく、そんな声が聞こえてきた。大外から捲ったディープインパクトはそのまま先頭に立つと4バ身程の距離を保ったままゴールを切った。最後の4バ身という距離を残してゴールしたのは、彼女が全力ではなく余力を持ってレースを残したことの証拠だろう。

 

 これでいて、マイルは彼女の適性外。ただその暴力的なスペックと才覚で、ディープインパクトはレースを捻じ伏せた。恐らくやろうと思えばもっとスマートにレースを運べただろう。だけどその必要性がなかった。それだけの話だ。

 

「あーあーあー、さっすが世代の顔だ。まるで次元違いの走りだわ。やってらんね」

 

 柵に寄りかかりながら溜息を吐く。名前を聞いてまさか、まさかと思っていた。ディープインパクトはたとえ、競馬を知らなくても知る程のレジェンドホースだ。俺はアプリからコンテンツに入った人間だった。競馬は良く知らなかった。

 

 それでもアプリに触れる前からディープインパクトという馬と、その強さを知っていた。煩い程に連日テレビで取り上げられていた事実を知っている。だから彼女が、伝説を刻むという事も良く知っている。ただその事実を目の前で突きつけられると、やるせない。

 

「今からティアラ路線に行くか悩むなぁ」

 

 溜息と共に言葉を口にすれば、横からナカヤマフェスタの忍び笑いが聞こえてくる。横に視線を向ければおいおい、とナカヤマフェスタが笑う。

 

「そんな心にもない言葉を口にするなよ。あてられてるぞ、お前」

 

 ナカヤマフェスタは視線を足元へと向け、それに釣られるように足元へと視線を向ければそこには彼岸花が咲いている。

 

 我が死のイメージ、象徴、闘争心の現れ―――領域。ウマ娘が持つ神秘のイメージ、それが闘争心に触発されて零れ落ちている。ふと、自分の顔に触れてみれば頬が歪んでいる事に気づく。

 

「ククク、それが答えだ。論ずる必要すらねぇ、お前の心は騙せねぇからな」

 

 レジェンドカモの評価は訂正しておこう。この人、思ってた数段厄介かもしれない。感情を抑え込む様にたっぷりと深呼吸をし、衝撃の表情を浮かべるウマ娘たちを後ろに笑顔で手を振るディープインパクトに軽く手を振り返す。

 

「アイツの三冠超阻みてぇ」

 

「そう来なくちゃな」

 

 けらけらと笑いながらナカヤマフェスタがポケットから賭け金を取り出す。臨時収入だやったぁ。ナカヤマフェスタから回収した賭け金をいそいそとスカートのポケットの中に突っ込み、自分の感情を自覚する。

 

 勝ちたい。負けたくない。ぶち倒したい。主人公に負けたくない。あの無敗三冠の伝説を粉砕してやりたい。

 

 無謀だろうか? まあ、無謀だろう。あのチワワは恐ろしく強い。才能で溢れ、環境にも恵まれている。だからこそアレだけの実力を本格化前に発揮できているのだろう。それを倒すとなると、生半可な覚悟では太刀打ちできないだろう。

 

 だけど、それで良いのかもしれない。

 

 そうでなければ面白くはない。

 

 思い出せ、そもそも俺はスリルと楽しさを求めて野良レースを走っていた筈だ。ディープインパクトなんて伝説が前にあるから諦めて違う道を探すのか? それこそ戯言だろう。

 

「は、お前のこれからの活躍を期待させて貰うさ、後輩」

 

 そう言うとナカヤマフェスタは少し寂しくなった懐を温める為にも新たな勝負を探して旅だとうとする―――が、駄目! 横から皇帝のインターセプト!

 

「やあ、ナカヤマフェスタ。私の勘違いじゃなければ今、後輩とギャンブルをしていなかったかな? それも金銭を絡めた。もう知っているかもしれないが校内で金銭を絡めた賭け事は禁止だよ」

 

「チィ! 皇帝様のご登場か! おい、後輩、お前はとっとと―――ってお前!?」

 

 皇帝、シンボリルドルフが出現した瞬間に俺はナカヤマフェスタを見捨てて逃げ出していた。俺には他の敗北者共から賭け金を回収するという崇高な使命があるのだ、決してここで生徒会の権力に屈する訳にはいかなかった。

 

 さよなら、ナカヤマフェスタ。

 

 フォーエバー、ナカヤマフェスタ……!




クリムゾンフィアー
 この後10秒後に掴まった。

ナカヤマフェスタ
 以降、定期的にPopしてはカモられる。

シンボリルドルフ
 実は割と楽しんでる。


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5話 賄賂ゲットだぜ!

 さて、俺にとっては散々な終わり方を迎えた模擬レースだったが周りの評価は悪くはなかった。少なくともあの後、数組の担当契約が結ばれたらしい。

 

 ただその目玉と言うべき我がルームメイト、ディープインパクトは誰とも担当契約を結ぶ事はなかった。いや、正確にはその手のアプローチを受ける事がなかったのだ。

 

 当然の話だが、担当契約は早く結べば結ぶほどアドが取れる。何故ならトレセン学園の施設は基本的に担当のいるチームが優先的に使用する事が出来て、まだ未契約のウマ娘は基本的な施設しか利用する事が出来ない。

 

 また、トレーナーは育成においてのプロフェッショナルだ。どうやってウマ娘を育て、導くかという事に対する厳しい勉強と資格を乗り越えてこのトレセン学園に就職しているのだ。ネットで聞きかじった知識でトレーニングするのとはまるで次元違いの効率になる。

 

 たとえ本格化していなくとも、トレーナーによる指導を受ければ本格化前の時期から備える事が出来るだろう。これはトレーナーの居ないウマ娘に対する大きなアドバンテージになりうる。少なくともトレーナーはそれまでの期間の間に相方を理解し、最適なプランを立てる時間が作れる。

 

 これだけ述べれば担当契約を早い段階で結んでおくことの利点が見えるだろう。

 

 だがディープインパクトは担当契約を持ちかけられる事がなかった。

 

 何故か?

 

 それはとても簡単な事で、トレーナー間で密約があったのだ。

 

 つまり選抜レースが終わるまでトレーナー側から行動を起こすのは止めましょう! という密約だ。誰が見てもディープインパクトは才能のあるウマ娘だ。恐らくは現世代、国内最強クラスの才能の保有者だ。

 

 もし、ディープインパクトのスカウトに成功すれば、そのチームは多くの栄光と勝利が約束された3年間が得られるだろう。そう考えれば誰もがディープインパクトの契約に飛びつくだろう。

 

 だがここに、待ったをかけた人がいる。チーム・リギルのトレーナー、東条ハナ氏だ。彼女はトレーナー側からのアクションを封じ、選抜レースまでスカウト禁止の密約を他のトレーナーたちと結んだ。密約と言っても、ディープインパクトにも自分で考え、判断する時間を与えたいという話だ。

 

 それを受けてトレーナー側からのアプローチは禁止された。選抜レースが行われる来月までどのトレーナーもディープインパクトのスカウトに乗り出す事は出来ないだろう。

 

 ちなみに俺の場合、意図的に模擬レースを走らずにいるので判断しかねている状態になっている。俺は俺で、個人的にこのチームが良いなあ、と言うのがあるのでスカウトを回避するように動いているという訳だ。

 

 俺は机に向かって勉強中のおチワワ様を見た。学生らしくちゃんと勉学に励む姿を俺は偉いと思う。少なくとも前世の俺はそれほど真面目に勉強しなかった。この大事さを理解するのはマジで卒業後なんだなあ、というのは就職する時に感じる。

 

 ともあれ、俺は手元のスマホに視線を落とす。ウマ娘用のウマホ等という奇妙なタイプのスマホも世の中には存在するが、俺個人はヒトカス用のモデルの方が使いやすく感じているのでこっちを愛用している。

 

 スマホでメッセージをチェックし、先方からトレセンの施設の優先利用券が納品されているのを確認した。良し、賄賂ゲットだぜ。

 

 ―――さて。

 

 ディープインパクトのスカウトは選抜レースまで禁止されている。それは公平性とディープインパクトの意思を尊重する為だ。

 

 だけど、まあ、大人というのは汚いし基本的に話の裏をかく。そう、ディープインパクトへのスカウトは禁止されている。だけどディープインパクトからのアプローチは話が別である。そうだね、ディープインパクトの意思ならしょうがないよね。

 

 おや? 同室でとても懐かれているウマ娘がいるんだって? そっかぁ……。

 

「ディー、アポ取れたから有名チームの見学に行こうぜぇー」

 

「え、あ、う、うん! 行くます、行きます!」

 

 おチワワ様の表情がぱぁ、っと輝く姿を見てもう一度思う―――大人って汚いよなぁ。

 

 

 

 

「―――まあ、そう言う訳で選抜レース以降は一切容赦のない勧誘ラッシュが始まるだろうけど、チワ―――ディーは別にどこのチームとかイメージがある訳じゃないでしょ?」

 

「う、うん」

 

 ディープインパクトは頷きながら指先をちょんちょんと突く。

 

「あ、あまり、良くち、チームとか解らなくて……て……」

 

「まあ、調べなきゃそんなもんだよな」

 

 歩きながら説明する。実績のあるトレーナーやチームはコースや施設をある程度優先的に利用する事が出来るし、チームとしての予算もトレセン学園から多く割り振って貰える。その為、なるべく大きく強いチームに入るのがトレセン学園で楽しく生きて行くコツだ。

 

「後割と所属チームによるマウント勝負は起きる。大きい所に入ってるとカースト上位になる」

 

「ふぇぇぇ……」

 

 女子はそういう所がある。中学校でも割とそういうマウンティング行為は露骨だった。俺はそういうマウンティング行為が嫌いだったので彼岸花を生やして良く威嚇していた。お前らが何でマウント取ろうが俺は領域持ちやぞ雑魚共が!

 

 これが割とウマカス共には効く。マウントを取られたらマウントを取り返せ。そんな訳でカスたちの頂点を決めるべく、俺達は常に良い居場所を探さなくてはならない。そんな訳で俺達が最初にやってきたのはとあるチームの部室の前だ。

 

「ここが、最初のと、所?」

 

「うむ、トレセン学園でも有名なチームだわ。ういーっす、クリムゾンフィアーとディープインパクトでーす」

 

「どうぞ、お待ちしてました」

 

 扉の向こうから聞こえてくる声に扉を開けて部室の中に入れば、二名のウマ娘と、1人のトレーナーが部室内にいる。奥のホワイトボードには大きく“打倒スピカ!”と書かれている。そう、トレセン学園でも屈指のチームの一つ、チーム・カノープスの部室だ。

 

 部室内にいるウマ娘も有名な娘たちで、ナイスネイチャとイクノディクタス、カノープスの看板とも呼べるウマ娘の2人だ。

 

「初めまして、チーム・カノープスの担当トレーナーである南坂です。今日は足を運んでいただきありがとうございます」

 

「い、いいいいい、いえ、いや、あの、その、そ、そそ、そんな事はななな、ないんですよ……?」

 

「おぉ、これは聞きしに勝るどもりっぷり……いやあ、落ち着きなさりなって」

 

「ひゃい」

 

 南坂トレーナーの言葉に完全にあっぷあっぷ状態になっているチワワをナイスネイチャが宥めようとするが全く意味がない程に限界化している。根本的に喋る事が得意ではないチワワにとって狭い空間で注目を浴びるというのは相当辛い事なのだろう。

 

「ほれ、落ち着けディー」

 

「うぅぅ、は、はい……その、ご、ごめんなさい」

 

「いえいえ、お気になさらず」

 

 そんなディープインパクトの姿に南坂は気にすることなく微笑む。顔も良ければ仕事も出来て性格も良い、相当のハイスペックなトレーナーがこの南坂という男だ。これでいてG2G3では担当を何度も勝たせてるんだから恐ろしいもんだ。

 

 G1未勝利という事で馬鹿にされがちだが、そもそもG2やG3で勝たせているという時点で相当ヤバイ。そんなウマ娘を複数抱えているチーム・カノープスは間違いなく一流のチームだろう。

 

 ほれ、座れと椅子を引っ張ってそこにチワワを座らせる。俺もその横に椅子を引っ張って座る。ちょっとふてぶてしいぐらいがコンビとして丁度良いバランスになるだろう。そんな俺達のコンビを見てイクノディクタスが小さく笑みを零している。

 

「改めてようこそ、カノープスへ。ディープインパクトさんとは一度会って話してみたかったので、こうやって機会を得られて嬉しいです」

 

「あ、あ、ありがとうございます」

 

 ぺこぺこと頭を下げるディープインパクトの姿に、たぶんカノープスとの相性はそんな良くないな、と思った。自己主張の薄いディープインパクトはどちらかと言うと引っ張って貰えるトレーナーの方で輝くだろう。

 

「カノープスではG1での1位獲得を最大の目標としています。御覧の通り、G2とG3であれば皆さんが勝ってくるのですがG1は未だに勝てていません」

 

「じ、G1ですか」

 

「G1は国内最高峰のレースです。出場できるウマ娘も今出られるウマ娘の中でトップレベルの方々ばかりです。その中で1位を取る、という事は並大抵の事ではありません。惜しくもカノープスはその機会を逃してきましたが、諦める事はありません」

 

 キリッ、とイクノディクタスが眼鏡を輝かせながら口にするが、後ろのホワイトボードにある文字がどうやらチワワには気になるらしい。その視線を察した南坂トレーナーが苦笑する。

 

「スピカはまた別のチームで、複数のG1優勝バを抱えているトレセン学園のトップチームです……カノープスでは個人的にライバル視しているチームでして」

 

 成程、とディープインパクトは頷く。それで、と南坂トレーナーは言葉を続ける。

 

「ディープインパクトさんは何か、目標とかありますか? カノープスではウマ娘の持つ夢や目標を支援する事を目的としているので……」

 

「も、目標、ですか」

 

 チワワは首をひねるように考え、口を開いた。

 

「な、ないです。お、お母さんに走れって言われたから……」

 

 

 

 

「クリムゾンフィアーさん、宜しいでしょうか」

 

 カノープスの説明会が終わり、部室を出ようとした所で南坂トレーナーに呼び掛けられる。チワワも足を止めるが、先に外で待っててくれとハンドサインを出す。それに頷いたチワワが部室の外に出る。

 

「なんでしょ」

 

「ディープインパクトさんの気風は恐らくカノープスとは合致しません。入部するならリギルが適任でしょう。東条さんならディープインパクトの目標を設定し、導く事が出来るように思えます」

 

「……」

 

 南坂トレーナーのストレートな言葉に、ちょっと驚いた。

 

「南坂トレーナーは、ディーの確保に動く予定じゃなかったんですか?」

 

 その言葉に南坂トレーナーが苦笑する。

 

「えぇ、最初はディープインパクトさんの才能を見て是非カノープスに、とは思いました。ですが我々トレーナーは勝利以上にウマ娘の幸福を願うものです。私ではたぶん、優しすぎますしスピカでは自由すぎて目標が設定できないでしょう」

 

 その言葉に俺は頷く。ディープインパクトは自己主張が薄い。或いは自分の目標と言うものを持たない。走れば勝てるだけの才能を持っている―――だがそこに中身がない。名門故に走るだけの義務を持っている。だが走れば勝ててしまう。だから目標なんて必要ないのだ。

 

 目標がなくても、その才能の暴力でG1を総ナメ出来てしまうのだから。

 

 恐らく自分の才能を自覚してはいる。だが走る事そのものに情熱はない。ウマ娘の目標を応援するカノープスというチームとは相性が悪いだろう。

 

「もし、ディープインパクトさんとの対決を目指すのであればスピカか、カノープスですよ」

 

 にこり、と笑みを浮かべてそんな事を言うトレーナーの姿にあぁ、と納得した。

 

 このイケメン、最初からチワワじゃなくて俺狙いじゃん。

 

 大人って怖い。そう思った。




クリムゾンフィアー
 チワワをダシに自分の所属チーム探しをしている。ただチワワの事を想っているのは本当。

ディープインパクト
 お母さんが走れって言うから走ってるけど、最近は赤毛といるのが楽しい。

イクノディクタス
 お前の出走回数おかしいよ。

ツインターボ
 この後廊下でエンカウントされ、たぼぼと謎の言語を向けられ胴上げされて逃げられるとという謎の儀式を受けた。


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6話 バイバイゴルシ

 ツインターボフェスを10秒だけ開催して解散してから今度はスピカの部室へと向かう。

 

「大正義リギルと正面からやり合えるチームがあるとすれば間違いなくスピカだろうな」

 

「スピカ」

 

 スピカの部室へと向かう足でチワワに説明する。今日もチワワは無知無知の無知っ! である。世間に対する興味や情報収集という概念が欠如している。恐らくは家で大事にされてきたのだろうというのが良く解る。いや、大事にされ過ぎた結果なのかもしれない。

 

「リギルは最強のチームだ、クラシック三冠解る? アレを獲得している名バが数名所属してる。解るか? 数名もいるんだ。三冠の取得ってのは狂ってやがる。コースの状態、状況、距離、適性、その全てを捻じ伏せて勝利するだけの力がある連中が揃ってるんだ」

 

 だからリギルは何時も掲示板で叩かれてる。

 

 はいはいリギル。またリギルですかぁ?? もうリギルだけでいいんじゃねーの。掲示板でいつも言われてる事だ。東条トレーナーはAAにさえなっている。正直可哀そうだと思ってる。でも、まあ、リギルが強いのは事実なんだよなぁ……。

 

「シンボリルドルフだろ、マルゼンスキーだろ、ナリタブライアン……エアグルーヴもいるからマイル戦線でも強いし。正直全距離で隙が無いんだよな。どの距離でも強い層を揃えてるの厨パか? Wiki見て最強のレートパでもレンタルしてきた? って感じの揃いっぷりなんだよな」

 

「そう、なんだ」

 

「あんまり興味ない?」

 

「う、うん。走れれば、良いから」

 

 どうやらチワワは悲しきランニングモンスターだった。チワワに知名度の概念は通じない。知名度が高くても走れるかどうかには関わらないからだ。俺は再び泣いた。思っていたよりもチワワの闇が深かったからだ。俺はこの悲しきウマ型神話生物を必ずやいっぱしの社会人にしなくてはならない……それが俺のママとしての使命なのだろう!

 

 まあ、それはさておき、リギルが最強チームなのは疑いようがない。

 

 これに対抗出来ているのが現状、

 

「す、スピカというチームなんですよね、い、今行く」

 

「そうそう、チーム・スピカ。自由すぎるやべー奴らのチーム」

 

「やべーやつら」

 

 この世界はアニメもアプリもスピンオフも原案要素もある不思議な世界だ。だからだろうか、カノープスにもスピカにも本来は存在しなかったウマ娘が所属していたりする。今回訪問するスピカには、個人的にリスペクトするウマ娘が所属していたりする。

 

 それはさておき、

 

 トレセン学園には数多くのチームが存在し、大きなチーム程良い場所を貰っている。近年目覚ましい成果を上げているとはいえチーム・スピカは学園の一角に存在するプレハブ小屋がその部室となっている。

 

 つまり校舎を出て学園の敷地内を歩かないと辿り着かないという事になる。

 

 既にアポは入れてあるため、余計な心配をする必要もない。スピカの説明をしながら部室へと向かっていた所―――ソイツは現れた。

 

 圧倒的恵体。恵まれた肉体に長い芦毛のウマ娘。腕を組み立つ姿はまさしく宝塚120億事件を思い出させるストロングスタイル。その姿を見て間違える事等ありえない。ゴールドシップ、その人がいた。

 

「くっくっく……」

 

 腕を組んで立つゴールドシップの笑い声にチワワが怯えて一瞬で俺の背後に隠れる。それに対抗するように俺もゴールドシップの前に腕を組んで立つ。完全に何かをやる気満々のゴールドシップを前に俺は困った。こいつを放置すると何をするか解ったもんじゃない。

 

 故に必要なのは先制攻撃……!

 

「俺は―――」

 

 一瞬だけ迷い、言葉を続ける。

 

「ポケモンSV、バイオレットを予約したぜ……!」

 

「ッ!」

 

 俺の言葉にゴールドシップが息を呑んだ。どうしてだろうか、ゴールドシップは小さく笑みを零して、

 

「アタシはスカーレットを予約したぜ……!」

 

 その言葉に俺達はぐっと手を握り友情を確かめ合った。バージョン違いを身近な人物と確保しておくのはポケモンを遊ぶ上で非常に重要な事なのだ。俺達は既に脳内でバージョン限定のポケモンを交換する事を考えていた。

 

「え? え? え?」

 

 困惑するチワワを他所に、俺達はダッシュでスピカの部室まで向かい、扉を勢い良く開け放つ。その向こう側で待っていたのは2人のヒトと、1人のウマ娘の姿だ。どちらのヒトも見覚えがある。スピカの沖野トレーナーと、その補佐をするサブトレーナーの西村トレーナーだ。

 

 そして部室の奥、壁に背を預けるように座っているウマ娘は、白い帽子をかぶったウマ娘だった。

 

 ミスターシービー、クラシック三冠という偉業を達成したウマ娘だった。

 

「トレーナー! 赤毛の姉御はバイオレットを予約したらしいぜ!」

 

「なんだと、そいつは本当かゴルシ!」

 

「バイオレットは人気だし誰か予約するだろ……で何故か全員スカーレット予約してしまったからな……」

 

 ゴールドシップに続いて俺は部室の中に入り込む。

 

「スカーレットは正直乗り物がダサい。あのコライドンのバイク状態が想像を超えてダサい。俺は単純にずっと見るならミライドンの方がスタイリッシュで良いと思うからバイオレットを選んだ。バージョン違いは交換すれば解決するしな……」

 

「それはそうだけど……やっぱり厳選するなら自分で確保できる環境が欲しくないか? 剣盾の時みたいに連戦でVが上昇して行くみたいなシステムあるだろ。なんだかんだでポケモンはシリーズ毎にここら辺の厳選環境を遊びやすくしてくれてるだろ」

 

 どうだろう、とミスターシービーが呟く。

 

「そもそも対戦環境は大きなお友達向けなんだ、厳選を楽にしてしまうとライト層が流入してしまうんじゃないかな?」

 

「僕はそれはそれで良いと思う。対戦沼にハマるユーザーは是非とも増えるべきだ。ポケモンのメインコンテンツは対戦なんだから、厳選を楽にして対戦をしやすくするべきだと思う」

 

 ミスターシービーの言葉に西村トレーナーが否定を入れる。だが沖野トレーナーが腕を組んで唸る。唸りながら入部届を取り出し、テーブルの上に置く。

 

「だけど、レートに潜ってポケモンを止めるってユーザーは結構多いぞ? ぶっちゃけた話、ライト層が求めているのは爽快感であって沼じゃないんだよ。対戦に潜るのは確かにポケモンのメインコンテンツかもしれない……だけど必ずしも勝てる訳じゃない。そこにストレスを感じる奴は多いだろうよ」

 

 ううむ、と部室内にいる人全員で唸る。チワワは会話に混ざれず宇宙猫状態になっている。

 

 俺は入部届を受け取りながらドン、と部室内のテーブルを叩く。

 

「確かに対戦は沼だし、ユーザー離れの多いコンテンツだ。だけど今作の楽しみはそれだけじゃないだろう!? 明らかに増えた着替えやキャラパーツ、ピクニックに自撮り……今回のSVは新しくモダナイズドされた要素が剣盾以上に多い!」

 

「ああ! 剣盾の時はキバナがSNS中毒になってたけど、バーチャル配信者なんてもんをまさか公式で出してくるなんてな……」

 

「なんだかんだでポケモンは今も昔も最新のトレンドを取り込んで展開してきたんだ。一時期はキャラデザインに不安の声もあったけど、そういう所への修正は動きは素早く流石ゲーフリって感じだったね」

 

「何にせよ、ポケモンSVは既に傑作の予感がしている。配信日はじっくりと遊びこみたいもんだぜ……」

 

 沖野トレーナーの言葉に満足して頷いた俺はじゃ、と片手を上げて別れの挨拶をする。ポケモンを満足するまで語り終えたスピカのメンツも手を振って別れを告げる。充実した時間を過ごす事に成功した俺達は部室を出て行き、次の目的地へと向かって去って行く。

 

「えっ」

 

 チワワが足を止めて振り返る。

 

「えっ?」

 

 チワワがこっちを見て追いついてくる。だけど途中でもう一度足を止め、振り返ってスピカの部室を見る。

 

「え?」

 

「いやあ、充実した時間だったわ……」

 

 呟きながらスマホを取り出して確認する。今のリギルは練習中らしいからターフの方へと向かえば会えるだろう。全力で困惑しているディープインパクトを引き連れながら心の底から思う。

 

 スピカやべぇ……自由にもほどがあるだろ……。




クリムゾンフィアー
 正直スピカ滅茶苦茶良いなって思った。

沖野T
 お前の自由さを受け入れる事が出来るのはスピカだけだぞ、と言うのを一切言語にすることなく表現しきった男。

西村サブT
 偶に「これはトレーニングに活かせるかもしれない!」と叫ぶ癖を持つ狂人。

ミスターCB
 スピカ以外に所属出来るイメージがない。

ゴルシ
 この後タイトルのオチを付ける為にボックスからバタフリーを逃がした。


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7話 沖野T、死す

 シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアン、ヒシアマゾン、マルゼンスキー、フジキセキ、タイキシャトル、テイエムオペラオー―――あまりにも多くの名バ達がそのチームには揃っていた。トレセン学園最強、その名を誰もが疑わない。

 

 チーム・リギル、東条ハナが率いるそのチームは数名のサブトレーナーと共に存在する。かつてはサイレンススズカ、ミスターシービーも擁していたそのチームはたとえ数名引き抜かれようともその玉座を絶対に他のチームには許さない。

 

 だから東条ハナは晒しスレの常連入りしていた。誰かあの厨パトレーナーを出禁にしろと良く言われる。というかURA会長から既に1度“トロフィー独占するの止めない?”とか苦言を呈されている。まあ、そらそうなるわな。

 

 逆に言えばそれだけチーム・リギルは強い。所属しているウマ娘がレジェンドばかりなのだから当然だ。

 

 だからリギルはトレセン学園で最も人気のチームだ。誰もがリギルへの入部を目指し、そして毎年1人しかトライアルを通して勧誘しないという事実に心折れる。つまり、リギルは世代のトップ以外をスカウトする気がないのだ。

 

 そんなリギルは現在、春のドリームトロフィーへと向けて準備を進めている。今度の春のドリームトロフィーは天皇賞・春がモデルの為、長距離適性のあるウマ娘たちがこぞって練習に熱を入れている。芝に覆われたグラウンドではリギルが練習している姿が見える。

 

 ストップウォッチを片手に走るウマ娘たちのフォームやタイムを確認し、サブトレーナーがそれを書き込んで行く。リギル程大きなチームとなればサブトレーナーは複数いる。

 

 その中で、柵の外側に立つリギルのトレーナー、東条ハナを見つける。邪魔しても良いものかと思ったが、東条トレーナーの方が声をかけるよりも早くこちらを見つける。

 

「来たか、待っていたぞ」

 

 軽く数個指示を出してから東条トレーナーが手招きしてくる。ディープインパクトに軽く視線を向けてみれば、軽く魅入るようにターフを走る姿へと視線が固定されている。

 

「ディー、行くぞ」

 

「あ、う、うん」

 

 呼びかければすぐに視線は戻される。少しだけ緊張するかのようにぎくしゃくしながら歩き出す姿に小さく笑い声を零す。そんな闘争心に溢れたチワワを連れながら東条トレーナーの下まで移動する。

 

 東条ハナ、リギルのメイントレーナー。樫本理子サブトレーナーと桐生院葵サブトレーナーを率いるリギルの天才トレーナー。デキる女と呼べるべき雰囲気を纏った女は俺とチワワの姿を見比べ、そして頷く。

 

「単刀直入に言おう。リギルは2人を受け入れる準備が出来ている」

 

「スレで“またリギルかよ……”って言われますよ」

 

「……」

 

 東条トレーナーが眼鏡を押さえた。やっぱ自覚があるらしい。ちょっとだけ傷ついている。

 

「こほん……だがクリムゾンフィアー、ディープインパクト。お前たちのポテンシャルを完全に引き出して発揮できるのはリギルの他にない。悪い事は言わない、リギルに入ると良い」

 

 萎縮するチワワはともかく、俺は東条ハナと言う人物の強気の姿勢と自信に驚かされた。確かにリギルというチームは凄まじいまでの実績を保有している。だからといって、一切驕ってはいない。東条ハナは事実として、自分が俺達の力を一番引き出せると信じているのだろう。

 

 実際の所、リギルが運用する完全管理主義はアプリトレーナーであれば誰もが納得する理屈だ。スケジューリングされたトレーニング、休養、レースの出場……多くのアプリトレーナーが理想の動きを追求し、ウマ娘の成長を管理しようとした。

 

 最終的には愛嬌切れ者友情運ゲーだが。あのライトハローとかいう卑しい女、ポイントをもうちょっとさあ……。

 

 いや、まあ、いい。この話はマジで良い。サポートイベント系の話の怨嗟は無限に溢れ出してくるからこの話は忘れよう。ともあれ、リギルの勧誘だ。東条ハナの言う通りリギルに所属するのが一番強くなる秘訣なのかもしれない。

 

 だけど、まあ。

 

「お断りします」

 

「え?」

 

 チワワが驚いたような表情で、俺を見た。その代わりに俺はチワワの脇に手を差し込んで持ち上げて、東条トレーナーの横に置いた。やはりか、という表情の東条トレーナーはしかし、絶対にチワワを逃がす気はないらしくその手がチワワの肩を掴んでいた。

 

「一応聞かせてほしい……どうして断る? チームの方針か?」

 

「いえ、正直リギルの育成メソッドは理想的だと思いますよ。従ったら結果が出るってこれまでが証明していますし」

 

 ただ、まあ。

 

「俺は最終的にディーと勝負したいんであってマイル路線で無双したい訳じゃないんすよ」

 

 図星か、東条トレーナーが黙り込む。

 

「……」

 

「東条トレーナー、俺とディーが同時に所属したら潰し合わせる様な事絶対しませんよね。ディーにクラシック三冠路線取らせて俺をトリプルティアラからのマイラー路線って所っすかね」

 

 タイキシャトルに続く海外まで羽ばたけるマイラー路線はまだない。リギルとしてはタイキシャトルに続くマイラーが欲しいだろうし、三冠路線はディープインパクトさえいれば確実に取れるだろう。だというのに態々潰し合わせる必要はない、というか無駄だ。

 

 俺がスカウトを受けて入学している以上、バンダナを通して俺が野良レースで走った映像は既に出回っているのだろう。沖野トレーナーや東条トレーナー程の熟練のトレーナーであれば、大体足を見るか触れるかで走れる距離というものが見えてくるだろう。

 

 その上で俺はスカウトされるうえで、野良レースの映像を出している。学園に来てからは情報を隠すために一度もレースを走っていないのだが、スカウトの際に必須だったので提出している。そしてそれをこのトレーナーが見ていない筈がないだろう。

 

「という訳で、別のチームに行かないと戦えそうにないので」

 

「そういう事か……夢の為の判断だ、だったら引き留める様な事はしない」

 

 ただ、と東条トレーナーが続ける。

 

「スピカには行くな」

 

 真剣な表情でそう告げてくる東条に首を傾げ。

 

「どうしてっすか」

 

「シービーもスズカもあっちに行った上にお前まで行かれるとそろそろ沖野を殺しに行かないとならない」

 

 それはしゃーない、と東条トレーナーの言葉に頷く。だがディープインパクトは納得していないようで。

 

「え、え、あ、あの、フィアさん、その、一緒に、チームに……入って、そ、その、欲しい……です!」

 

 どもりながらも必死に同じチームに入ろう、とディープインパクトが誘ってくる。言葉がやや飛び飛びだがやや必死なのが伝わる。必死な表情なのは理解できるが、何故そうも必死なのかは解からない。

 

 寂しいのか、或いは敵対したくないのか。彼女は自分の走りに無頓着なようで……自分の走りが相手を壊せるものだと理解しているのかもしれない。だけどそれは違うのだ。俺はどうしようもなく刺激されたのだ、ディープインパクトの強さに。

 

 その圧倒的な強さに、伝説を見た。だからこそそれを越えたい。ディープインパクトを打倒したいのだ。だから俺はディープインパクトの言葉に頭を横に振った。

 

「ど、どうして、ですか?」

 

「俺は元々今日、お前をリギルに送るつもりでついてきたんだよな」

 

 南坂トレーナーの言う通りだ、ディープインパクトは自己主張が薄いからそこら辺を補佐し、しっかりと道筋を付けられるリギルが適任だろう。そしてそれに対抗するならスピカかカノープス……或いはミホノブルボンを育てた黒沼トレーナー辺りに売り込もうかと考えていた。

 

「俺はお前に勝ちたい」

 

「……!」

 

「お前のその走りを、同じステージに立って超えたい。お前の走りを見てそう思ったんだ。だからお前と同じチームには入れないんだ」

 

「わ、私……は……」

 

 最初の一言だけ声が大きく、しかし胸元で拳を作り、必死に言葉を作り上げようとしている。何時の間にか先ほどまで練習中だったリギルのメンバーが練習するのを止めてアオハルしている俺らを眺め始めている。そこです、頑張ってくださいじゃねーぞ桐生院。理子ちゃんも拳握って応援するなボケ。

 

 シンボリルドルフがギリギリ見える所で腕を組みながら頷いてる姿が地味にムカつく。東条トレーナーも一歩だけ下がってる辺りが気遣いが見える。あ、テイエムオペラオーがバラの花びらを持ってきた。エアグルーヴに引きずられてった。リギル、楽しそうだなあ……。

 

「ふ、フィアさんと、一緒が、良いです……!」

 

「そっか」

 

 勇気を出して言い切ったディープインパクトの言葉におぉ、という声が外野から上がる。ただそれで俺の心が変わる様な事はない。最初から計画していた通りだ、俺は別のチームへと行く。それがきっと、俺の為でありディープインパクトの為にもなる。

 

 ただそれを言葉にして説明する事は難しい。プライド、事情、ディープインパクトの成長の為……言葉を尽くす必要がある。だけどその全てを説明した所で理解されるのは難しいだろう。

 

 ただ、嬉しかった。ディープインパクトが思ってたよりも俺に懐いてたことに。だけど過度な馴れ合いは、毒だ。

 

 特に競技の世界では。

 

 俺はディープインパクトではなく、東条トレーナーを見た。

 

「東条トレーナー、ディープインパクトを宜しくお願いします」

 

「元よりそのつもりだが……クリムゾンフィアー、お前は?」

 

 俺はサムズアップを浮かべた。

 

「スピカ行っきまーす!!!」

 

 俺はリギルとスピカの対立構造を全力で支持するぜ……!




クリムゾンフィアー
 対戦宜しくお願いします

ディープインパクト
 今生の別れみたいな空気だったがこの後一緒に寮に帰って風呂に入る。

東条T
 沖野に鬼電した

シンボリルドルフ
 SVダブル+本体パックを予約した


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8話 職人の朝は早い

 チワワ職人の朝は早い。授業の事を考慮して朝早く起きなくてはならない。

 

 朝早く起きたらチワワの登校の為にチワワをベッドから引きずり出さないとならない。チワワは朝が弱い生き物である。普通に起こそうとしてもベッドに縋りつく我が儘な生き物でもある。その為、強制執行と称してチワワを持ち上げて洗面所へと運ぶ必要がある。

 

 持ち上げて洗面所へと運んだ所でチワワは目覚めない。学園外に遠征に行くときこいつは大丈夫なのだろうかという不安が胸を満たすが、チワワ職人はプロフェッショナルだ。もう既にチワワの扱いに慣れてしまった。

 

 洗面所で歯ブラシを手に取りチワワの口に突っ込み、それをチワワに握らせる。半分寝ているチワワは本能だけで歯を磨き始める。チワワはそこはかとない闇の見える生き物だ、実家にいる間身の回りの生活はどうやら全てお手伝いさんにさせていたらしい。

 

 チワワは割と良い所のお嬢様だった。

 

 普通の生活よりも、生活のほとんどをレースの為に捧げられていたっぽい。

 

 チワワ職人は歯磨きを終えるとそのまま着替えを持ち、チワワを寮のシャワー室へと連れて行く。

 

 廊下を歩けば一般尊死デジタルが床を転がっている。今日もデジタルはウマ娘の尊さに耐えられずに死んでいる。

 

 道中、栗東寮の他のウマ娘に見つかるがもはや栗東寮では見慣れた光景だった。未だに目を覚まさないチワワを突いたり一緒に持ち上げて運んだりで朝のシャワー室はチワワのフォロワーで満ちる。

 

 チワワは人気であった。その強さと私生活のギャップが母性を刺激するらしい。ただチワワと併走してしまったウマ娘は大体その強さに絶望する。チワワのフォロワーは大体先に本格化を迎えたウマ娘か、或いは未だに彼女と走っていないウマ娘であった。

 

 シャワーに放り込んでも未だにねむねむしているチワワの丸洗いを完了すると自室へと引きずり、制服に着替え、着替えさせてから朝ごはんの為に食堂へと連れて行く。ここで漸くチワワの朝がやってくる。これまで自分がどうやってケアされているか良く覚えてないチワワはきりっとした顔をする。

 

「ら、ら、ライバル、です!」

 

「ああ!」

 

 私生活をライバルにケアされるチワワがいるらしい。ダイワスカーレットとウオッカを少しは見習ってほしいという気持ちをぐっと抑え、朝食へと向かう姿をフジキセキはずっと眺めていた。

 

「……いやあ、リギルとスピカで別れちゃったから少しは拗れるかと思ったけどそんな事はなかったかな。うんうん、良い事だ」

 

 栗東寮の朝は今日も平和です。

 

 

 

 

「そんじゃ紹介するぞ、新しくスピカに入部した期待の新人のクリムゾンフィアーだ」

 

「うっす、宜しくお願いしゃっす。フィアでもフィアーでもクリムでも好きな呼び方でどぞ。あんま畏まられるのは好きじゃないんで」

 

 頭に8Bitサングラスを装着した俺をスピカが、沖野Tが迎えてくれた。スピカの部室はシービーを始めとする名バ達が実績を稼いだおかげでプレハブ小屋の中でもそこそこ大きくなっており、人数が増えたスピカの部員たちを収容するだけの広さがあった。

 

 ぺこりと頭を下げた俺に対しておぉ、と声を零したのはポニーテールのウマ娘だ。

 

「赤毛! うわ、本物だ! すごーい! ボク赤毛を見るの初めてだよ!」

 

「失礼ですよ、テイオー。初めましてフィアーさん、メジロマックイーンですわ」

 

「ボクはトウカイテイオー! 宜しくね、フィア!」

 

 メジロマックイーン、国内最強のステイヤー。トウカイテイオー、無敗で二冠を獲得し菊花賞で惜しくも距離適性に泣いた名バ。どうやらこの世界だと怪我を克服する事に成功したらしい。だが克服した所で距離適性には勝てなかった。無敗三冠の夢はそうして終わった。

 

「スペシャルウィークです! 宜しくお願いしますね、フィアさん!」

 

『サイレンススズカよ。宜しくね』

 

 スペシャルウィーク、ダービーウマ娘でありウマ娘というコンテンツの顔役という事で誰よりも知名度のある娘だ。サイレンススズカ、大逃げという異次元の走りはもはや多くの人間の魂に焼き付いている。アメリカへと遠征中のご本人はスマホの通話を通しての挨拶だ。

 

「ダイワスカーレットです、宜しくお願いします先輩」

 

「ウオッカだ、宜しく頼むぜ先輩」

 

 ダイワスカーレットとウオッカ、世代的には後の世代になるしまだデビュー前、学年的にも俺よりも下になってしまう。だがライバルでありながら同室、そしてそれを許容するというスピカのチームの自由さはもはや語る必要すらない。

 

 ディープインパクト世代は2005年、ウォッカとダイワスカーレットは2007年世代だと考えるとこのトレセン学園、片足サザエさん時空に突っ込んでるのかもしれねぇ。

 

 三女神、不思議な事は大体三女神で片付けよう。ウマソウルと三女神で解決だ。おのれ三女神ィ……!

 

「沖野先輩、シービーとゴルシがいないですけど」

 

「あの2人がいないって事は散歩してるかどっかに旅立ったって事だ。気にするだけ無駄だ。まあ、顔を合わせてるから問題はないだろ」

 

 自由人二名、学外逃亡する。イメージ通りの二名だった。

 

「どもども」

 

「クリムゾンフィアーは今年度デビュー予定の期待の新人だ。既に本格化の兆候も見えるし、デビューは近いうちを計画してる関係でどうしてもこいつのトレーニングに割く時間が増えると思う。それでフィアー、出来たらお前の夢や目標みたいなもんを口にして欲しい」

 

「スピカは基本的にウマ娘個人が持つ夢や目標と呼べるものを支持、支援する方針を取っているからね。例え適性外でも走らせて勝たせるのが僕たちの仕事なんだ」

 

「ほほう」

 

 顎に手を当てながら感心の声を零す。流石スピカ、リギルでは絶対にこうはいかないだろう。実際の所、リギルはトップチームという事実に縛られている部分もある。トップである以上、結果を出す事を強いられているのだ。

 

 適性外を走らせてはい、負けました……というのは許されない。走るなら勝つ、それがトップの責任だ。

 

「俺の目標は大きく分けて二つある!」

 

 人差し指を掲げる。

 

「一つ、リギルに育てられ極限まで強くなったディープインパクトに正面から勝利する事」

 

 中指を持ち上げる。

 

「二つ、凱旋門賞を制覇し、日本史上初の凱旋門勝利バとなる事。この二つだ」

 

「凱旋門賞かぁ、大きく出たなあ」

 

 俺の目標にトウカイテイオーが腕を組みながら唸る。数多くの日本バが挑み、しかし凱旋門に弾かれてきた。ディープインパクト、オルフェーヴルでさえ凱旋門を超える事は出来なかった。ここで勝てば芝における世界最強さえ名乗れるだろう。

 

 だからこそ、目指すだけの価値がある。

 

「目指すなら世界最強ぐらいがちょうど良くない?」

 

「か、かっけぇ……!」

 

 拳を握って目を輝かせるウオッカに、やや呆れた表情のダイワスカーレット、だがメジロマックイーンはディープインパクトという名前を舌の上で転がしているようだった。

 

「ディープ、インパクトですか……聞いた事がありますわね。確かノーザン一族の最高傑作という話は聞いたことがありましたわね。本家筋の子で相当期待されているとか」

 

「それはメジロの方で聞いた話?」

 

「えぇ、まあ、名家は名家どうしの繋がりがあるので」

 

 ノーザン一族……ノーザンファームだからノーザン一族? メジロはメジロだしなあ……いや、深く考えるのは止そう。考えた所でしょうもないだろこれ。俺はともかく、掲げる目標を口にした。

 

「ディー……ディープインパクトは間違いなく世代最強だ。アイツは強い。自分の強さを自覚していて、それに頓着していない。走れば勝ってしまうレベルで強い。だけどまだ成長出来る。これからもっと強く成長するだろうし、アイツを一番強く出来るのは絶対リギルだ」

 

 拳をぐっと握る。

 

「そんな最強の状態にまで成長したディープインパクトを同じレースで捻じ伏せる―――それでこそ、最強の証明が出来る。そうじゃなきゃ面白くないだろ。その為にディーをリギルに押し付けてきたし、俺は対立を煽る為にスピカに来た!」

 

「ゴルシ級に無法だなこいつ……」

 

「まるで反省してないよね」

 

「ですけど、ここまでやりたいことに一直線なのは凄いですよ」

 

 スペシャルウィークの言葉にピスピスとピースサインをする。窓の外から持ちネタをパクるんじゃねぇ、とゴルシからの電波が送られてくるのを尻尾で叩き落とす。

 

「うっし、これでフィアーの目標も解ったな。目標はスピカでもこれまでになかった凱旋門賞だ。厳しい戦いにはなるだろうがトレーナーとして、そしてスピカとして全力を尽くすぞ」

 

 声が揃って返される。活きの良い返事と楽しそうなスピカの面々の表情に、ここが自分が知識として知る所よりも遥かに良い場所だと思った。

 

 まず、最初はメイクデビューが目標だ。掲げた夢を目指し、俺のスピカでの日々が始まる。




クリムゾンフィアー
 元が雄雌で耳の飾りの場所が変わるのは理解しているが、殿下同様どっちもという事で頭の上にサングラスを付けてる。地味に8Bitサングラスを気に入ってる。

スピカ
 自由人はゴルシとCBで慣れ切っている。

ダイワスカーレット
 皆がスカーレットを予約したのを地味に喜んでる。やっぱりスカーレットが一番よね。

栗東寮
 ちょくちょくお嬢様や社会経験の薄い娘が入寮する事もしばしばあるのでこういう介護される姿は別に珍しくない。デジタルが死んでる姿も別に珍しくない。


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9話 コミュ力検定一級

 スピカでのトレーニングが始まり自分がどれだけ走れるかの測定が始まる。トラックを何周も走らせられながら記録される俺のデータ―――俺がこれまで模擬レースに参加しなかったのは、余計なデータをライバルに与えない為だ。

 

 世代のトップはディープインパクトだ、間違いない。

 

 だがアドマイヤジャパンやシックスセンスと影に隠れた実力者は確かに存在する世代でもあったのだ。俺は真面目な話、ライバルたちに余り自分の走りを見せたくはなかった。特にデビュー前、戦術等が固まる前の時期の走りはジュニア期での大きな情報源になる。

 

 つまりそのウマ娘の戦術、その根幹とも呼べるものが今は露出している時期なのだ。たとえば我が家のチワワは凄まじい末脚を見せる追込み脚質だ。余計な技術(スキル)を持たない分、素の部分が今は露出している。これが見られるのが、俺は嫌なのだ。

 

 特に実力にあまり差が出てこないこの時期に対策を練られるのが一番嫌だ。だから選抜レースを回避し、自分から契約を申し込んでさっさとメイクデビューを走る。そうすれば余計な情報を与えずに済むだろうという俺の魂胆だ。

 

 まあ、プロから言わせれば小細工らしい。そこまで警戒する必要もない。

 

 俺のメイクデビューは、蹂躙になるだろう。

 

「短DマA中A長C芝AダC……かな」

 

「なんかの呪文詠唱?」

 

 走り終えた所で西村Tは俺のデータをまとめたタブレットを片手にそんな事を口にした。無論、何を言っているのかは理解している。理解しているのだが早口で言われると何らかの呪文詠唱にしか聞こえない。

 

 見た事もない聞いた事もないモブウマ娘が馬鹿ねぇ、と言ってくる。

 

「これは距離適性の話よ。Bが走れるラインだと思えば良いわ。Cは苦手、Dからは適性なし。Aあれば才能があるってレベルね。その上にSがあるけどそれはもう天性の才能があるってレベルね……そう、ディープインパクトみたいな」

 

 知らないモブウマ娘が西村Tの呪文詠唱を説明してくれた。いや、言ってる事は解るけどお前誰? もしかして俺の知らないスピカの部員なのかもしれない。俺はまるで知っている人を相手するように頷いた。

 

「ディープインパクト……あの子は凄いね。この間ゴルシファンネルにリギルの練習風景を盗撮させて来たけど見た感じ中S芝Sはあるよあの子。ターフに愛されたと言われても納得できるレベルで天性の資質を備えている」

 

「やはりディープインパクト……ターフに愛された天性の怪物……」

 

 知らないモブウマ娘が増えた。訳知り顔で頷いている。

 

「それに比べてクリムゾンフィアーは適性は高くてもA……もし肉体の調教具合が同じレベルだとしたら、ターフに愛されているか否かでハナ差の変化がゴールに出るだろう……これは根性で乗り越えられるように見えて絶望的な差になる」

 

「つまり貴女の出せるトップスピードが100だとしたらディープインパクトは同じ環境で102出せるって事よ」

 

 モブウマ娘が俺とディープインパクトの間にある才能の差を説明してくる。

 

「でもそこまで絶望的な差じゃないよ。西村トレーナーがボクの長距離適性をBって説明してたけどギリギリ長距離の有マはボク勝てたしね。ただフィアの場合、その適性で菊花賞は難しいんじゃないかなぁ」

 

 トウカイテイオーが集まるモブウマ娘を見て首を傾げている。アレ!? もしかしてご存じない!? スピカの部員じゃないの!? 誰!?

 

「やっぱりディープインパクトを仮想敵とするなら中距離と長距離適性の強化が必須だね……いや、中距離をコレ以上伸ばすのは本当に才覚の領域だから難しいけど、長距離はまだなんとかなるかな」

 

「幸いここにはメジロマックイーンという国内最強のステイヤーが存在する。彼女の走りを参考にすれば菊花は走り切れる様になるとは思う。だがそれはまだ先の話だ、まずクリムゾンフィアーが見るべきなのはジュニア期のレースだろう」

 

 モブウマ娘Bが当然のように俺の方針の話に割り込んできている。スペシャルウィークの方に視線を向けるが、スペシャルウィークは頭を横に振ってる。どうやら知らない奴らしい。もうここまで図々しいといっそ清々しくさえ感じるんだが。

 

 西村Tはタブレットを叩く。

 

「沖野さんに任されてる以上、僕は全力でフィアーの夢を叶える事に努めるつもりだ。ただ、最強の名と凱旋門という夢は無謀と言える程難しいよ。それこそ最強と名乗れるのは生涯無敗だったパーフェクトみたいなウマ娘で―――」

 

 皆で視線を逸らすと、グラウンドを緑色の悪魔が爆走している。その先には針を持った白衣姿が見える。今でも現役に見えるんだけどなあ……トキノげふんげふんじゃなくてたづなさん。

 

「だけど目標は大きい程燃える、そうだろ?」

 

 モブウマ娘ABCを見ると頷きが返される。お前らなんなの。偵察にでも来たんですか……? 偵察にしては……その……あまりにも堂々としてない? 大丈夫? ダイワスカーレットとウオッカが遠巻きにひそひそと何時の間にかトリオになっているモブウマ娘たちを指さしてる。

 

「ここはやはり、クリムゾンフィアーが持つ武器を使う必要があると思う」

 

「これか?」

 

 彼岸花を足元に生やすと、西村Tは頭を横に振った。

 

「確かに領域を自在にコントロールできるのは凄い強みだ。恐らくドリームシリーズに行ったウマ娘たちでもそこまで細かいコントロールをする事は出来ないと思うよ。だけど、それはレースの決め手にはならないんだ。……テイオー、君にならフィアーの強みが解るんじゃないかな」

 

 西村Tの言葉にテイオーはピン、と指を立てた。

 

「ズバリッ、レース運びと技術(スキル)でしょ」

 

「正解」

 

 西村Tの言葉にえへへ、とテイオーが笑う。

 

「フィアが走ってるのを見てボク、まるでカイチョーみたいだって思ったもん。内ラチのギリギリを攻めたり、領域を決めたタイミングで発動させられる事、呼吸のコントロールや視線の動かし方……そういうレースをコントロールする能力が凄く高いと思うんだよね」

 

 テイオーの言葉を補足するようにモブCが言葉を付け足す。

 

「かの皇帝は視線の一つで数人のウマ娘の脚を乱し、体の揺らしで心を乱すという。現状シンボリルドルフに似たスタイルで走るのはナイスネイチャとビワハヤヒデぐらいだろう……バフかデバフ、どっちでレースをコントロールするかという違いはあるが」

 

「だけどぉ、皇帝様はぁ、その両方が出来ちゃうのよねぇ」

 

 またモブ増えたじゃん。どういう事なのぉ? 気にする俺が悪いのぉ? スピカにいると定期的にランダムで自由なウマ娘が召喚される仕組みでもあるのか? ありそうだな……。

 

「フィアーがこれからトゥインクルシリーズを走る上で、重要なのはレースコントロールとそれを可能にする為の技術を学ぶ事にあると思う」

 

 西村Tはタブレットを脇に抱える。

 

「だけどこれは単純な併走で学べるものじゃない……それこそG2やG1といった舞台に出て経験して身につく技術だ。幸い、マイルと中距離に高い適性があるからシニアまで走れるレースには困る事はないだろうね」

 

「なら最初の目標は朝日FSかな」

 

「一番早い段階で走れるG1はそれになるだろうね」

 

 ふ、とモブBが笑いながら背を見せる。

 

「ジュニア期に他のレースに出ずにいきなりG1に出たいなら、メイクデビューで圧倒的な強さを見せなければならないぞ」

 

 モブAが他のモブたちと一緒に去り始める。

 

「クリムゾンフィアー……貴女がどういう時代を齎すのか、楽しみにしてるわ」

 

 その言葉と共に去って行くウマ娘たちの背を見送り。

 

「アレ、誰だったんだ」

 

「解からない……」

 

「知らない娘たちだなぁ……」

 

 こうして、俺のメイクデビューは来週に決まった。

 

 謎のウマ娘を謎のままにして。




クリムゾンフィアー
 アレ誰?

西村T
 アレどこのチームの娘なんだろ?

トウカイテイオー
 誰だったんだろ……。

スペシャルウィーク
 誰だったんでしょう……。

ゴールドシップ
 月刊トゥインクルの新人記者と一緒にマグロ漁に出た。


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10話 虐殺! メイクデビュー!

 ブルーアーカイブ

 

 控室にクソデカ音量が響く。スマホからブルーアーカイブのタイトルコールが響く。俺と西村Tはお互いの顔なんかじゃなくて手元のスマホに視線を向けていた。

 

「体操服ユウカやばすぎでしょ……」

 

「キヴォトスの風紀が乱れすぎてる……」

 

 ガチャガチャ。俺達は無言でガチャを回す。そこに太腿があるから。太腿がそこにあるのなら回すしかない。所詮俺達は哀れな消費者。推しがPUされたらガチャを回す事しかできないソシャゲ中毒者。トレーナーであろうとウマ娘であろうとガチャの呪縛からは逃れられない。

 

「あ、すり抜け社長」

 

「100連回しても出ないんだけど。天井コースかこれ??」

 

 メイクデビュー当日、パドックに上がる前の暇な時間。本来であれば緊張を解したり、最後の作戦を確認する貴重な時間なのだろう。だけど俺は暇だった。西村Tも再確認は必要ないだろうなあ、というのが解っていた。

 

 結果、俺達は待ち時間の間にキヴォトスを満喫する事にした。体育祭が始まったから仕方がないね。現代に転生して良かったわ、スマホとソシャゲのない世界に転生なんて絶対したくないわ。

 

「そういえば聖蹄祭だっけ? そんなのがトレセン学園にあったっけ」

 

「あるよ。春はファン感謝祭で秋はハロウィン文化祭という感じのが。運動会は……まあ……普段からそういう感じだし」

 

「ファン感謝祭かあ……クラシック期のウマ娘にでもならないと関係なさそうだなぁ」

 

「そうだね」

 

 ガチャガチャガチャ。150連すり抜け社長。社長、どうしてそうも出てくるんだ。出番が欲しいのか? 便利屋スピンオフ化おめでとうございます。次話が楽しみだわ。いやあ、やっぱブルアカは神コンテンツだわ。でもガチャはクソ。

 

 結局170連まで回して新キャラはなし。レースの前にガチャの敗北者となる。椅子に座った状態で放心しながら天井を見上げているとこんこん、というノックが室内に響く。

 

「クリムゾンフィアーさんそろそろパドックの方へ……ってうわっ、大丈夫ですか!? レース前から負けたって顔してますけど!?」

 

 パドック入場を伝える為にやって来たスタッフはガチャで爆死している俺達コンビを見て慄く。俺はへへ、と笑いながらサムズアップをスタッフへと向ける。

 

「ガチャ……爆死しちまった……」

 

「賞金で天井すれば良いんじゃないですか?」

 

 スタッフはヒトカスだった。だが正しい事を言うゴミだった。俺はゴミの言う事に頷き、西村Tと視線を交わし合った。同じ意見に至った俺の全身には活力が漲り始めた。

 

「天井へ……!」

 

 俺達の晄輪大祭を始める為に、俺は立ち上がりパドックへと向かった。

 

 

 

 

『集まった皆様にご紹介しましょう、4枠4番、本日の1番人気クリムゾンフィアーです』

 

『今年度のスカウト生です。赤毛がバ体に映えますねぇ。スピカに所属している以上その実力に疑いはないでしょうが、未だに学内でレースを走った姿が目撃されていません。実力は未知数ですがこの仕上がり……期待できますねぇ!』

 

『担当の西村トレーナーはコンディション調整に関してはトレセン学園でもトップクラスの腕前を持っています。クリムゾンフィアーがスカウト組として実力を示せるか要注目ですね』

 

 パドックに立ち観客を前に体操着姿を晒している。これ、案外恥ずかしいものがあるな……というのを今更感じている。この恥ずかしさを紛らわせるように中指を観客へと向けて突き立ててアピールすれば、驚きの声が返ってくる。

 

 この大衆に向けて挑発する心地よさよ。

 

『おぉっと、中指を突き立てていますね』

 

『ヒール路線かもしれませんね。日本では珍しいですが、海外ではそれなりに見ますね』

 

「プロだなぁ」

 

 ヒール路線という言葉を即座に入れて俺のアクションを合法化する辺り、実況の人たちはこういうのに慣れているのかもしれない。今更ながら自分がテレビで見ていたレースの一つに出る事実に、驚きを感じる。

 

 野良で走れればそれだけで満足だったのに―――思えば遠くへと来たもんだ。

 

 それからパドックでのお披露目を終え、地下のバ道へと入る。コースへと向かう道すがら、地下バ道を他のウマ娘たちと歩くが、どいつもこいつもピリピリしている上に此方に視線を向けてきている。

 

 何も喋りはしないが、警戒していますというサインを全身で出している。

 

 可愛らしいなぁ、というのが率直な意見だ。ストリートの連中はもっとギラついた殺気みたいなのを飛ばしてくるし、併走してくれたスピカの面々は気負いみたいなものを一切見せなかった。そういうこれまでの経験の積み重ねが俺の心の余裕となっている。

 

 それに今、俺の心を満たす想いは一つ。

 

 ―――体操ユウカ……あわよくばマリーも天井したい……!

 

 周りからのプレッシャーをガン無視してバ道を抜け―――ターフへと出る。

 

 コースは芝、1600メートル、右回り。トレセン学園が保有するメイクデビュー用のコースだ。府中競馬場と比べれば圧倒的に小さいのはメイクデビューはそう集客を求める様なステージではないからだ。

 

 それでもターフの上に立てば優に数百を超える観客がスタンドに集まっているのが見える。配信サービスを通してネット配信していることを考えれば数千人がこのレースをリアルタイムで鑑賞しているのだろう。

 

「ここでやらかしたら絶対に楽しいだろうなぁ……」

 

 いや、成程。納得した。これがゴルシ120億事件の真相だ。絶対にやらかしてはならない所でやらかすの、絶対に楽しいだろそりゃ。俺は1人変な視線を向けられるのを無視してうんうんと頷く。

 

 その間にもターフに揃った俺達は少しずつ、用意されたゲートの中へと進んで行く。

 

 ウマソウルの影響か、それとも本能からか。一部のウマ娘はゲートに入るのを少しだけ嫌がる様な姿さえ見せる。だがウマソウルのない俺にそんなものは関係がない。すっとゲートに入り、そのまま収まる。

 

「ふぅ―――」

 

 軽く息を吐き、集中力を上げて行く。ゲートに入った瞬間からスイッチが切り替わる。雑音は全て消え去り、脳内がクリアになって行く。どれだけ普段が愉快であってもレース前になればそうあるべき状態へと自分の意識がスイッチする。

 

 耳に実況と観客の声が聞こえる―――カット、思考から外す。

 

 そわそわするウマ娘たちの雑音―――カット。

 

 隣から来るウマ娘の視線―――カット。

 

 カット、カット、カット、カット―――コンセントレーション。意識して集中力を高める技術(スキル)を発動させる。高められた集中力によって余計な雑念が追いやられ、意識がゲートにのみ向けられる。

 

 姿勢は自然とスタートのフォームを取っている。無言。無音。慣れた世界。意識の全てを走る事にだけ凝縮させ―――ゲートが開く。

 

 出遅れる事無く一気にゲートから飛び出し、先頭に立つ。抜いて前に立とうとする姿を前に進ませ、更に前に出ようとする姿を通す。逃げが2、先行が2、差しが3。俺を含めて8人のウマ娘が位置取り争いを始める。

 

 その中で最初からプランしていた通り4番手に収まる。中央から前から後ろも知覚できる距離を自分の位置取りとして認識する。

 

「ふぅ―――」

 

 最初の直線を抜けてコーナーへ。コーナーに合わせて内ラチに寄せていたウマ娘たちの体が僅かに内ラチから外れるように浮かぶ。それに逆らう様に速度を維持したまま内ラチに張り付く。1ミリも体を内ラチの横からブレさせずに内ラチから離れた逃げの姿を視界にとらえる。

 

「っ……!」

 

 後ろを確認しようとした逃げと視線が合う。その瞬間に威圧を込めて睨めば、逃げの脚が揺らぐ。それで即座に速度が落ちる事がないのは流石トレセン学園の生徒というべきだろうが、最終直線で垂れさせる仕込みは終えた。

 

 そうしている間にも背後から追ってくる差し共を軽く体を動かす事で牽制し、取ろうとするコースが潰れる事を意識させる。前を走る先行を利用してスリップストリームを形成して体力を温存する―――良し、レースがプラン通り進んでいる。

 

 こいつらにスピカ程のレース能力はない。ぶっちぎれる。

 

「この、離れろ……!」

 

 雑音が聞こえる。スリップストリームを外そうと体を無理矢理外側に外し、前に出ようとする。スタミナを自分から削ってありがとう、と息を吐いて次のウマ娘を風よけ代わりにする。前に行ったウマ娘が最終コーナー以降で垂れてくるのを脳内で計算に入れつつ、向こう正面から最終コーナーに入り始める。

 

 レースの展開が早い? いいや、1600メートルが短いだけだ。中距離2400でもなければレースはあっという間に進む。最終直線に入る為の準備に入り始める。

 

 走法をストライドからピッチへ。

 

「……ちっ」

 

 思ったほどスムーズに切り替えられない。ここは要練習だ、ディープインパクトであれば何の躊躇もなく切り替えられただろう。最低限同じことが出来なければ勝負にはならない。それを意識し、自分に対する怒りを燃料に最終コーナーで火をつける。

 

 最終直線に向けてウマ娘たちが加速し始める。だが加速すれば加速するだけ内側から体が離れ始める。それに合わせ内側から一気に捲り始める。外側へとよれた姿を横に一気に前へと上がって行く。速度が落ち始める逃げと先ほどの先行が垂れてきて上がろうとする他の姿を邪魔する。

 

 その姿を全て置き去りにし領域を形成する。

 

「さあ、覚えろ。覚えて帰れ。俺という存在を。嫌でも忘れさせはしないぞ、ステージ全て飲み込んでやる俺の庭で―――」

 

 彼岸花が咲き乱れる。領域が一瞬で空間を飲み込んで形成される。緑色だったターフは彼岸花が咲き乱れる深紅に染まる。空は月光の色を濃く彩る夜空に、そしてその全てを焼き払う様に火の粉が舞う。

 

 踏み出す度に脚が彼岸花を踏みつけて花びらが舞う。

 

 蝶の様に舞い上がりひらひらと空を漂う。濃密な死の気配とイメージが心を蝕み、そして俺の背中を追う。

 

 だが届かない―――そう、届きやしない。

 

 転生した俺には、死すら追いつけない。

 

 死ですら、俺を止める事は出来なかった!!

 

 領域でターフを飲み込み、全てを置き去りに。誰も並ぶ事無く一直線に最終直線を抜けてゴールを抜ける。赤い花びらと蝶を回しながらゴールの向こう側、徐々に速度を落とし集中力が霧散する。

 

 漸く聞こえてくる爆発する様な歓声と実況の声に、中指を突き立てて応える。

 

「ユウカ天井確定」




クリムゾンフィアー
 この後めでたく2天井して揃えた

西村T
 同じく2天井した

解説
 1天上で両方揃えた

実況
 10連でツモった


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掲示板・メイクデビュー

【目指せ】メイクデビュー新人発掘スレ【一等星】

 

18:名無しのファン

 今年最初のメイクデビュー楽しみだわ

 

 

21:名無しのファン

 まだ初々しい新バばかり……たまらねぇぜ!

 

 

23:名無しのファン

 もしもし? URA?

 

 

26:名無しのファン

 いうて新バの初々しさはこの時期しか味わえん

 

 

28:名無しのファン

 クラシックやシニアにはない楽しさがこの時期にはある

 

 

29:名無しのファン

 今日のメイクデビューは8人出走……名家からは誰か出てる?

 

 

31:名無しのファン

 >>29 ジャラジャラがそこそこ良い家の出

 

 

33:名無しのファン

 今年はそこそこ期待できる娘が出走予定らしいわね

 アドマイヤとか、サンデー一族とかから

 

 

35:名無しのファン

 ノーザンの秘蔵っ子がまたリギルに奪われたってマ?

 リギルのファン止めます

 

 

37:名無しのファン

 強いチームに強い娘が入るのは当然なんだよなぁ

 

 

40:名無しのファン

 いや……まあ、ほら……リギルだし……

 

 

42:名無しのファン

 援護射撃になってないが

 で、リギルの子は今回出るの?

 

 

45:名無しのファン

 出ないべ。その代わりにスピカの子が今回は出走やな

 

 

46:名無しのファン

 スピカ最近新人出してなかったけど大丈夫なんか?

 

 

49:名無しのファン

 新人なしでも層厚いしなあそこ

 是非ともリギルに対抗してほしい

 

 

51:名無しのファン

 カノ……カノ……

 

 

52:名無しのファン

 か、カノープスはGⅡGⅢでは安定して強いから(震え声

 

 

55:名無しのファン

 カノ……カノ……カノカノしてる?

 

 

58:名無しのファン

 そのカノカノするのを止めなさい! 普通に応援せーや

 

 

60:名無しのファン

 キンイロリョテイなら、それでもキンイロリョテイならやってくれる

 

 

63:名無しのファン

 お前らそろそろスレチやぞ

 

 

64:名無しのファン

 パドックでのお披露目始まるぞー

 

 

66:名無しのファン

 へへ、トレセン学園公式のチャンネルはやっぱええな

 このためだけに契約してるわ

 

 

69:名無しのファン

 メイクデビューはURAじゃなくてトレセン学園が放映権握ってるんよな

 

 

72:名無しのファン

 お蔭で契約しなきゃいけないチャンネルバラけるんだよなぁ

 頼むから一本化してくれ

 

 

73:名無しのファン

 (収入が凄いから)駄目です

 

 

75:名無しのファン

 ですよね

 

 

76:名無しのファン

 1枠の3番人気ミニカクタスちゃん!

 

 

78:名無しのファン

 うーん、この脚の太さはスプリンター

 

 

81:名無しのファン

 短距離マイル路線を盛り上げてくれたらええんやけどなぁ

 

 

82:名無しのファン

 いうて最近はマイルも盛り上がり良いだろ

 

 

85:名無しのファン

 タイキみたいに海外展開をだな

 

 

88:名無しのファン

 お、またリギルの話か?

 

 

90:名無しのファン

 活躍の話をしようとすると毎回出てくるリギルほんまノイズになる

 リギルの履歴調べた方が早いのは笑うんだよな

 

 

91:名無しのファン

 草。いや、ほんと名バ独占しすぎだろリギル

 それはそれとして2番人気ジャラジャラちゃん

 

 

93:名無しのファン

 うーん、良い仕上がり。闘志が見えますねえ

 

 

96:名無しのファン

 中央入学時点でそこそこ高いレベルあるからな

 弱いウマ娘はいないんだよなぁ

 

 

97:名無しのファン

 足きりラインあるしな

 おかげでメイクデビューでも割とハイレベルな争いを見れるわね

 

 

98:名無しのファン

 なんだかんだで名家のウマ娘たちは幼い頃からレースを勉強してるしな

 やっぱ寒門とは環境違うし

 

 

100:名無しのファン

 名門はそこら辺知識もトレーニングも仕込んでから中央に投げ込むからな

 スタート地点が違うから名家のウマ娘が強いのはそれはそう

 

 

103:名無しのファン

 それでも1番人気ではない、と

 

 

105:名無しのファン

 スピカってブランドがヤバイからな……という訳で着ました1番人気

 

 

107:名無しのファン

 うお太っ……でかっ……

 

 

108:名無しのファン

 体操着パンパンじゃん。それがマイラーの体付きか?

 

 

110:名無しのファン

 マイラーか?(タイキシャトルの体を見る

 マイラーだな(クリムゾンフィアーを見る

 

 

112:名無しのファン

 そこで判断するのは違うだろうが!!!

 

 

113:名無しのファン

 だが絶対にステイヤーじゃないぜ!

 比べてみなよ! メジロマックイーンとよ! マンハッタンカフェでもいいぜ!

 

 

116:名無しのファン

 お前殺されても知らんぞ

 

 

119:名無しのファン

 赤毛とピカピカのバ体相まって滅茶苦茶調子良さそうやな

 

 

120:名無しのファン

 スピカなら西村おるしな

 アイツはその手コンディション調整に関しては神よ

 

 

121:名無しのファン

 赤毛滅茶苦茶綺麗で良いなあ

 

 

122:名無しのファン

 中々見られるもんじゃないしな

 それにしてもスピカ所属かあ

 

 

124:名無しのファン

 中指突き立てて草

 

 

126:名無しのファン

 スピカ(確信)

 

 

128:名無しのファン

 スピカやろなあ(納得)

 

 

129:名無しのファン

 これはリギル無理ですわ

 

 

132:名無しのファン

 笑顔で中指突き立ててるのは芝生やすわ

 

 

133:名無しのファン

 ただそれ抜きにしても1番人気は納得の仕上がり具合だな

 

 

134:名無しのファン

 ワイ、現地組。

 東条トレーナーとシンボリルドルフに新人っぽいウマ娘の姿を発見する

 偵察の模様

 

 

137:名無しのファン

 リギルが偵察に来るとなると期待できるな

 

 

139:名無しのファン

 リギルの出ないレースでリギルが出てくるなんて……!

 

 

141:名無しのファン

 リギルから逃げられない……って事!?

 

 

143:名無しのファン

 笑うから止めろ

 

 

146:名無しのファン

 とか言っている間にお披露目終了からコースへ移動

 何人かかかり気味なご様子

 

 

148:名無しのファン

 ジャラジャラとクリムゾンフィアーは緊張してなさそうだな

 

 

150:名無しのファン

 言っちゃアレだが名家が相手でもスピカ所属なら普通に勝つ気はするんだよな

 

 

152:名無しのファン

 スピカ所属に外れはないしな

 

 

154:名無しのファン

 今年はリギル対スピカの対決見れるかぁ?

 

 

157:名無しのファン

 スぺ対グラスは凄い見応えあったしな

 またああいう勝負をやって欲しい

 

 

160:名無しのファン

 おぉっと、パルフェちゃんちょっとゲート入りをぐずってる

 

 

161:名無しのファン

 ヒトカスには解らんがウマカスにゲートは辛い

 

 

162:名無しのファン

 何度も言われてる話やな

 我らには解からない感覚

 

 

165:名無しのファン

 とか言っている間にゲートイン完了

 

 

166:名無しのファン

 差しが多めで追込みなしか

 

 

169:名無しのファン

 先行組が唯一の逃げをどう対処するかで勝負決まりそうだな

 

 

171:名無しのファン

 やっぱゲート内ではちょっと落ち着きがなくなるのがちらほら

 

 

172:名無しのファン

 お、飛び出した

 

 

175:名無しのファン

 逃げが出る出る

 

 

176:名無しのファン

 フィアーちゃんが3番手? いや、4番手に収まった

 

 

177:名無しのファン

 飛び出して下がった辺りはポジションコントロールした感じかな

 

 

178:名無しのファン

 現地組、ワイ。皇帝様が解説するのを勝手に聞く

 フィアーちゃんは前と後ろに干渉しやすい位置取りをしている模様

 

 

180:名無しのファン

 ほえー、皇帝様がそう言うなら走り方は皇帝様に近いんかな

 

 

182:名無しのファン

 ライオン時代ならともかく今の皇帝様の走りは無理でしょ

 ハヤヒデかネイチャの走り辺り参考にしてるのでは

 

 

184:名無しのファン

 あ、カクタスちゃんよれた

 

 

186:名無しのファン

 皇帝曰く威圧でスタミナ削られた模様

 

 

189:名無しのファン

 異能バトルかよ

 

 

190:名無しのファン

 ネイチャが良くやってるだろ!!!

 

 

193:名無しのファン

 あー、駄目だこれ

 フィアーが完全にレース支配してる奴だわ

 ハヤヒデとかネイチャのレースでよく見る奴だわ

 

 

195:名無しのファン

 威圧! 進路を揺らす! スリップストリーム! 威圧!

 

 

197:名無しのファン

 見てる側は何やってるかマジでわかんないんだよなぁ、アレ

 解説されるまで解らねえ

 

 

199:名無しのファン

 向こう正面に入って前も後もだいぶ削られてる感じがあるな

 

 

200:名無しのファン

 ギャー! ジャラジャラちゃん! 名家! 名家の意地を見せろ!

 

 

203:名無しのファン

 が、駄目! 最終コーナーに入って上がろうとし始める! 垂れてくる先行組!

 

 

205:名無しのファン

 ネイチャが良くやってた垂れミサイルや

 

 

206:名無しのファン

 前の連中疲れさせて差しや追込みの妨害に使うの邪悪でしかないよな

 

 

208:名無しのファン

 ワイ、現地組

 皇帝が滅茶苦茶良い笑顔でレースを眺めてるのが怖い

 

 

209:名無しのファン

 もう、皇帝様は直ぐにそういう顔をするー

 

 

212:名無しのファン

 最終コーナーから上がってきて赤毛が一気にトップに上がってー……加速した?

 

 

213:名無しのファン

 回りが一気に減速し始めた

 

 

216:名無しのファン

 は? え、全員垂れてきた?

 

 

218:名無しのファン

 いや、この流れ領域か? 領域出てる?

 

 

221:名無しのファン

 映像だと解らねええええ

 

 

223:名無しのファン

 ワイ、現地組

 恐怖に震える

 

 

226:名無しのファン

 凡その予想通り1着でゴールイン

 また中指突き立ててますね……

 

 

227:名無しのファン

 は、反省してない……!

 

 

229:名無しのファン

 いや、待って領域使った今?

 

 

231:名無しのファン

 日本は割とお上品というかヒール路線少ないから珍しいよな

 ライスぐらいか?

 

 

233:名無しのファン

 お米はヒールちゃうやろ!

 ワイらの民度が悪かっただけや!!

 

 

236:名無しのファン

 そうかな……そうかも……

 

 

239:名無しのファン

 昼間からバ券握って酒飲みながら美少女を眺めてる連中の民度が何だって?

 

 

240:名無しのファン

 困ったなぁ、否定する要素がない

 

 

242:名無しのファン

 ウィニングランで中指突き立てながら観客を威嚇するウマ娘はほんと芝

 

 

244:名無しのファン

 実況が赤毛の暴君って呼んでるのこれ以上なく納得する

 

 

247:名無しのファン

 スピカだぁ……

 

 

250:名無しのファン

 スピカだ! 俺達のスピカが帰って来た!

 

 

253:名無しのファン

 いやあ、今年のマイル路線が楽しみだわ

 

 

254:名無しのファン

 滅茶苦茶強い走りだったな

 6バ身差で勝利? メイクデビューでこれはやべぇな

 

 

256:名無しのファン

 インタビューの時間やでー

 

 

259:名無しのファン

 トレセン学園報道部!

 

 

260:名無しのファン

 「メイクデビュー1着おめでとうございます。賞金の使い道はどうしますか?」

 「最初の質問がそれ? ブルアカで天井したら原神の天井資金に回す」

 「ありがとうございました。以上でインタビュー終わります!」

 

 

263:名無しのファン

 インタビューしろ定期

 

 

264:名無しのファン

 何時ものリポーター交代ッッ!

 

 

266:名無しのファン

 メイクデビューはテレビ局は入れないから報道部が代わりにインタビューしてくれるけど

 まあ……なんというか……無法だよね

 

 

268:名無しのファン

 学生だしな

 「強い走りでしたね。レース展開はどうでしたか?」

 「最初から最後まで計画した通りに進められた。人数も少ないしコントロールしやすかった」

 

 

269:名無しのファン

 皇帝様の言う通りか

 

 

271:名無しのファン

 皇帝の言う事やぞ

 疑うな

 

 

272:名無しのファン

 はい……

 

 

273:名無しのファン

 我々ヒトカスよりはるかに優れた存在である皇帝様を疑いません……

 

 

274:名無しのファン

 「レース終盤、領域を使われましたね?」

 「勿論、使った。入学前から使えるからスカウトされた」

 

 

275:名無しのファン

 マジで? つっよ

 

 

277:名無しのファン

 それはもう才能の暴力じゃん

 

 

280:名無しのファン

 入学前から領域が使えるならそりゃあスカウトされるわ

 よう見つけられたなこんな怪物

 

 

283:名無しのファン

 「領域がレース場全体を飲み込んだように見えましたが?」

 「実際飲み込んだ。その方が俺の事を忘れられないだろ?」

 

 

285:名無しのファン

 は? レース場全体?

 

 

286:名無しのファン

 今なんつった?

 

 

288:名無しのファン

 現地組、ワイ

 しっかりとフィア様の領域に飲まれた

 皇帝様と新人ちゃんが闘争本能むき出しの顔して怖かった

 

 

290:名無しのファン

 いやいやいや、レース場そのものを飲み込む領域ってなんだよ

 そこまで来たらもう異次元だぞ? ドリームにもそんな奴いるか?

 

 

292:名無しのファン

 つ 皇帝

 つ 魔術師

 

 

294:名無しのファン

 一番長くドリームに在籍してる怪物の話をするな

 

 

297:名無しのファン

 スーパーカーは内側向けの領域だしな……

 

 

299:名無しのファン

 外側向けの領域で最大規模は皇帝か魔術師だったけどそれに並ぶ形か

 

 

300:名無しのファン

 最終コーナー以降の加速と減速はそういうことか?

 耐性も経験もなく叩きつけられたらそら虐殺になるわ

 

 

303:名無しのファン

 「領域の由来を教えて貰っても宜しいでしょうか?」

 「秘密。当ててみろ」

 

 

305:名無しのファン

 その目が俺を狂わせる

 

 

307:名無しのファン

 挑発するな、惚れるぞ

 

 

308:名無しのファン

 自分の魅力が解っている目線の使い方

 

 

310:名無しのファン

 「ありがとうございます。それでは最後に何かメッセージを」

 「俺の目標は日本史上初の凱旋門の勝者になる事。その為には国内最強のライバルが必要になる。だから最強といえる所まで自分を高めてやり合おうぜ。次は朝日FSだ」

 

 

311:名無しのファン

 カメラにキスして退場

 ファンになります

 

 

312:名無しのファン

 ファンサ滅茶苦茶するなこいつ……クソ……クソ……

 推すしかねぇ……

 

 

313:名無しのファン

 これだけ強い走りが出来てマイル路線を外すか

 ちょっと不安を覚えるかな

 

 

316:名無しのファン

 まあ、凱旋門目指すつってマイル路線外して走らせてくれるのはスピカやろな

 

 

319:名無しのファン

 いやあ、良い走りだった

 

 

322:名無しのファン

 しばらくしてからライブじゃー!

 

 

323:名無しのファン

 他の子達は純粋に相手が悪かったな今回

 

 

324:名無しのファン

 レベルが一段階違う走りだったしな

 いやあ、この先が楽しみだな

 

 

325:名無しのファン

 中距離走れるかは疑問残るけどな

 

 

327:名無しのファン

 それは後で解るやろ

 問題があったら沖野が切腹や

 

 

329:名無しのファン

 沖野の切腹ショー

 

 

331:名無しのファン

 切腹した所で人類辞めた耐久力の沖野が死ぬとは思えないんだよなあ

 

 

332:名無しのファン

 それはそう

 

 

335:名無しのファン

 後はライブで終わりかあ、次のレースが楽しみだわ

 

 

338:名無しのファン

 ワイ、現地組

 新人ちゃんがこの上なく怖い笑顔してて漏らしそう

 腰抜けて動けない

 助けて




シンボリルドルフ
 結構赤毛を気に入っている。最近はディスコでやり取りしてる。

ディープインパクト
 闘争心に火が付いた

現地民
 その後、ライブ会場まで担がれて無事に見れた。


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11話 炎上確定話題ガチャ

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・3時間

 

ウマカスとヒトカスの皆~

スピカ所属期待の新人クリムゾンフィアーです、宜しくお願いしろ

pic.twitter.com/nannkatekitounaurl

 

4896件のリツイート102件の引用リツイート9600件のいいね

 

 

「うおっ、滅茶クソバズってる」

 

「何この写真……」

 

 スマホを覗き込んでくるテイオーが俺のバズりツイートを指さしてくる。そこに添付されている写真は“ルドルフもうちょっと生徒と接しやすくしよう計画!”の為に撮られた写真だ。つまり俺と一緒に8Bitサングラスをかけながら肩を組んでサムズアップしている写真だ。

 

 案の定ルドルフがリツイートした結果、あほみたいにバズってる。ついでに同志デジタルもリツイートしているからその方面でもバズってる。トレセン学園報道部のアカウントもリツイートしてやがる。いやあ、有名人にリツイートして貰うとバズるなあ。

 

「いや、そりゃバズるでしょ。カイチョーのファンが何人いると思ってるの……? というかカイチョー何してるの」

 

「なにぃ、テイオーも混ざりたかった?」

 

「うん」

 

「じゃあ次は呼ぶよ」

 

 ルドルフとテイオーと俺でなんか踊ってみたでもやれば死ぬほどバズりそうだな。いや、実際バズるか。ガチャピンチャレンジみたいな会長チャレンジとか企画してみたらルドルフ会長もっと親しみやすくなるんじゃないか? 今度企画書でも組んで生徒会に持ち込んでみるか。

 

 

マンハッタンカフェ @coffee_lover・今

 

@crimson_fear

なにやってるんですか

 

126件のリツイート154件のいいね

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

@coffee_lover

会長のイメージアップ戦略

 

95件のリツイート101件のいいね

 

 

マンハッタンカフェ @coffee_lover・今

 

@crimson_fear

なってますか……?

 

89件のリツイート122件のいいね

 

 

「なってるでしょ」

 

「そうかなぁ……そうかなぁ……?」

 

 首を傾げるテイオーに俺は満足げな息を吐く。ツイートがバズっている事で今は大変気分が良いのだ。スピカの部室でウマッターアカウントの開設を行っている。ぶっちゃけ、これまで特に友達らしい友達もいなかったのでウマッターはやってなかった。

 

 だけどトゥインクルシリーズを走る上でファンと交流する為のアカウントがあった方が良いという事らしいので、新しくウマッターのアカウントを作った。既にトゥインクルを走っている連中や、ドリームに移籍したウマ娘たちもウマッターアカウントを取得している。

 

 まあ、宣伝だ。重賞を優勝するとそのウマ娘にちなんだグッズが作られるようになる。ギャンブルが禁止で、レースでのバ券はライブの時の席の抽選となるシステムが展開されている以上、金稼ぎはグッズをベースに行うしかないのだ。

 

 それでも凄い金額を稼げているらしいが、ウマ娘はちゃんとウマッターでも宣伝して貰いたいという話だった。別にウマスタの方でも問題はないらしいのだが、あっちはキラキラしすぎていて闇の住人である俺にとっては少々辛い。

 

 でもカレンチャンのウマスタは追う。俺はこれを全人類の義務だと思っている。だってカレンチャンだぜ? カレンチャンのウマスタとかキラキラしまくってるんだもん。キラキラの中心だよあんなのは。ウマスタの光はあそこから生まれたんだ。

 

「というかフィアがカフェと仲良さそうなのは知らなかったなぁ」

 

「カフェと? 俺達割と近しい属性だから直ぐに意気投合したよ」

 

「それは嘘だって解る」

 

 そんな事ないぞ。カフェは幽霊属性、俺は転生属性。一回死んでいるから、昔から俺も色々と見えて困ったもんだった。だが俺はある日気づいてしまった。

 

 転生した俺と、成仏できずに彷徨っているクソ雑魚カス幽霊共。格は俺の方が上では……?

 

 それ以来俺はゴーストバスター(物理)にジョブチェンジした。試しに殴ってみれば殴れたのだ。考えてみればそもそも死属性の領域展開してるんだしそらそうだわ、と納得してからはほぼこの手の怪異には無敵になってた。

 

 レースとは全く関係のないスキルだった。ただトレセン学園にはちょくちょくレースの怨念とか憎しみとかが溜まる影響でその手の怪異が出現する。

 

 そう、対幽霊特別チームカフェ&クリムゾンの結成である。完全にレースとは関係のない話なのでこれが本編で語られることは永遠にないだろう。

 

「フィアの意外な交友関係を見た感じがするなあ……それでフォロワーの方はどう? 増えてる?」

 

「なんかぎゅんぎゅん数値増えてる。リツイートのてっぺんにブルアカとポケモンSVの宣伝ツイートも貼っておいた」

 

「業者と思われてウマッターに凍結喰らうよそれ」

 

 じゃああまり宣伝するのは止めておくか……皆もユウカの太腿を気に入ってくれれば良いんだが。

 

 まあ、太腿はさておきウマッターはどっちかというと見る専だったので、こうやってSNSの使い方に精通したテイオーにサポートを頼んでいるのだ。無論、前世でSNSを扱うことは扱っていた。だが数千というフォロワーを得た場合の事は何も解らない。

 

 その点、根っからの現代っ子で十数万以上のファンを持つテイオーは指南役として最適だった。何をやっていいのか、いけないのか、それがちゃんと説明できる良い先生だった。

 

「まず絶対やっちゃいけないのが政治系のツイートね。当然のように燃えるから。後トレーナー以外との男性とのツーショットも炎上しやすいから気を付けた方が良いよ。ここら辺は常識と言えば常識なんだけど、場合によってはURAに飛び火するからね」

 

「流石に俺もURAに飛び火する様な事はしないしない」

 

 そっかぁ、炎上を注意しなきゃいけないのかあ。

 

 ぽちぽち入力する。

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

人生で最初に遊んだエロゲは恋姫夢双、推しは恋ちゃん

いつかコスプレしてみたいね

 

12件のリツイート36件のいいね

 

 

「こらー! 秒で燃やそうとするな! こらー!!」

 

「げらげらげらげら」

 

シンボリルドルフ @emperor・今

 

@crimson_fear

クリムゾンフィアーへ

話があります

生徒会室へ来てください

 

309件のリツイート506件のいいね

 

 

お前船降りろ @gold_ship・今

 

@crimson_fear

お前ウマッター芸人の才能あるよ

 

6件のリツイート3件のいいね

 

 

「ゴルシでさえ絶賛する俺の才能……ふふ、ウマッターは始めて正解だったな」

 

「ボクはそのスマホ今すぐ取り上げた方がいいと思うけど」

 

 よっこいしょ、と声を出しながら窓を開ける。計算が正しければそろそろ生徒会からエアグルーヴ辺りが刺客として送り込まれてくる筈だ。見つかる前に逃げなくては。窓の外からスピカの部室を脱出しようとすると、遠くから狂人の“トレーニングに活かせるかもしれない!!”という叫び声が聞こえてくる。金得ヒントだと良いなぁ。

 

「そんじゃ、逃げ回ってくるわ」

 

「頑張ってー。ボクははちみーでも飲みに行こうかなあ」

 

 入口から出て行こうとするテイオーよりも早く窓の外に出て、そのまま木々の合間を抜けるように逃亡を開始する。後ろを振り返れば猛ダッシュでスピカ部室へと向かうエアグルーヴの姿が見れる。いやあ、割と危なかったかもしれない。

 

 どうせだしカフェの所へとお邪魔して珈琲でもごちそうになろう。ついでにタキオンの研究を見て行くのも楽しいかもしれない。

 

「……次走は朝日FSか」

 

 朝日フューチュリティーステークス、グレードは1、つまりG1のレースになる。国内最高峰のレースグレードとなる以上、出場するウマ娘はその時期、許される範囲で最も強いウマ娘たちになるだろう。ジュニア期年末の大レースと言えば朝日FS、阪神JF、そしてホープフルステークスだろう。

 

 そしてG1のレースでは体操着ではなく、ウマ娘が大舞台で走る為の専用の衣装―――勝負服を纏う事が許される。

 

 つまり次走が朝日FS予定である俺も、勝負服を着る事になる。とはいえ、一着数百万もするアレをオーダーメイドする金が俺にはない。メイクデビューの賞金だけでは少々心許ない。その為、スピカの方からいくらか金を出してくれることになっている。

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

お前ら、次走は朝日FS予定だけど俺の勝負服に関するアイデアなんかある?

特に何も思いつかんのだが

 

132件のリツイート290件のいいね

 

 

 ウマッターに自分の勝負服のアイデアを軽く募集する事を呟き、スマホをスカートのポケットに入れる。

 

 良し、へへへ……生徒会との地獄の鬼ごっこ開幕だぁ……!




クリムゾンフィアー
 勝負服のイメージと言われても良く解ってない

シンボリルドルフ
 この後逃げ場に先回りして捕獲した

トウカイテイオー
 《太り気味》を取得した!


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12話 スタ6パワ12三国無双因子

「勝負服ねぇ……よっこらせ」

 

 三女神の像、その根元の噴水に腰かける。今日は少し真面目に考えたいという気持ちもあってうろうろしてたら三女神の所へとやってきてしまった。不思議と周りに人の気配はないが、ここの空気は澄んでいて落ち着く。

 

 アプリでも何度もトレーナーを救ってきた最強の強化スポットだ、或いは何らかの力がここには存在するのかもしれない。まあ、今重要なのはここが落ち着ける場所という事だ。スカートのポケットに手を突っ込んでスティックケースを取り出す。

 

 その中から一本アロマスティックを取り出す。見た目は煙草に近いが、とあるブランドが開発した吸うタイプのアロマだ。見た目は悪いが、息も頭もすっきりさせてくれるおしゃれアイテムという奴なのだ。無論、ちゃんと合法であるとリサーチ済みだ。

 

 まあ、生徒会とかに見られたら絶対に怒られる奴なのだが。合法だけど見た目が風紀乱しすぎだからしょうがないね。

 

 実はナカヤマフェスタ共々最近これにハマってる。俺達アウトローはまず形から入るのだ。少なくともココアシガレット咥えてるよりはワルっぽい。

 

 咥えた状態で火を付けるとアロマからラベンダーの匂いが立ち上る。

 

「ウマ娘は想いを継げる生き物だ。ヒトよりももっと。だから勝負服はウマ娘の想いの結晶とも言えるもの……か。ぶっちゃけ、そこまで深い考えないんだよなあ、俺」

 

 さて、ここで少し俺という人物の人生を振り返ろう。

 

 俺は転生者である。神様と出会った事はない。トラックに轢かれたとか、誰かを助けて死んだとかそういうドラマティックな展開もない。普通に流行り病で合併症を起こしてころりと逝っただけだ。逝っただけと書くのも非常にアレなのだが、人は死ぬとき割とあっさりと死ぬ。

 

 そう、俺は死んだ。男としての一生を生き、そして死んだ。そこまでは良い。だが俺はそのまま死んだままではいられなかった。転生という概念を経て再び現世に舞い戻ってしまった。ウマ娘とかいう種族への転生だ、こんな事になるとは思いもしなかった。

 

「こういうのは神様に放り込まれるとかそういうのがテンプレじゃないのかなあ」

 

 振り返って三女神の像を見るが、今日も瓶から水を流す作業を頑張っている。一日中水を流してるだけで生きて行ける仕事楽……楽そうじゃないな全く。羨ましくともなんともねぇ。ふぅ、と口からアロマの煙を吐き出して頭を掻く。

 

 一度死んだからこそ思う。

 

「なるべく自分の欲望に素直に生きようって思えたんだよな」

 

 死ぬときは死ぬ。だから生きている間はなるべく好きに生きるべきなのだ。飲んで、食べて、遊んで、ふざけて……その果てに死ぬのなら、なるべく楽しく死にたい。

 

 アストンマーチャンは言っていた、命は流れるものだと。どのような命でさえ何時かは朽ちるのだと、だからこそ忘れられたくないのだと。

 

 それには同意するしかない。俺の命は、俺達の命は奇跡的な存在なのだ。だからこそ目指すなら最強、絶対に忘れられない人生を全力で駆け抜けたい。この一瞬、この時間の全てを全力で味わい続けたい。

 

 だから凱旋門を目指す。だから打倒ディープインパクトを目指す。

 

 全力で生きるとは、そういうことだろうと思っている。

 

「全力か……いや、それをモチーフにするのは難しいなぁ」

 

 レースに懸ける想い。ウマ娘の勝負服とはそういうものなのだ。確かに俺は死を想っているけど、あくまでも俺の思想であって、想いではないのだ。レースそのものに対しては格好良くありたいとそう思っているだけだ。

 

「カッコよくかぁ……ウオッカ思い出すな」

 

 いや、案外一番ウオッカが似ているのかもしれない。カッコいい事を追求するウオッカ、ライバルを意識し、自分の道を突き進む姿……やっぱり似ているのかもしれない。結局の所、俺がレースで全力を出すのは楽しむ為と、ダサい姿をターフで見せたくはないという部分がある。

 

「全力、己を魅せるように……って所かな」

 

 折角ならこの赤毛が映える衣装が良いな。赤が映える色と言えばやっぱり黒だろう。赤と黒のシックな組み合わせは何時見ても良いよな。スマホを取り出してぽちぽちと画像検索を始める。服装のモデルはどうしようか……。

 

「ってツイッターの意見に集まってるのコスプレばかりじゃねーか。いや、まあ、あのノリだとそうなっちまうか」

 

 でも正直コスプレで勝負服はなあ……芸がなくね? 流石に他の連中と肩を並べる時に申し訳なさが勝っちまう。和服もなあ……お正月のバリエーションとかだったらまだ解るが、アレ絶対走りづらいだろう。いくら走りに配慮してるからって限度があるだろう。

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

コスプレ意見ばかりだけどおめぇら発想力貧弱か?

もうちっとオリジナリティのある奴出せよ

 

12件のリツイート29件のいいね

 

 

「……良し!」

 

 俺はフォロワーとの絡みを忘れない良いツイッター芸人の鑑だ。軽く燃料をウマッターに投下して満足した所でスマホをしまい、背筋を伸ばす。アロマでもくもくしてたらだいぶ気分がすっきりしてきた。

 

 他のウマ娘に絡んであーだこーだやっているのも割と好きだが、1人の時間というのも大事だ。ここ最近は常におチワワ様に絡んでいるかスピカで色々とやっているかで常に誰かと一緒にいたぶん、こうやって1人になるのは割と久しぶりなのかもしれない。

 

「しっかし、相変わらず人気がねぇなぁ、ここ」

 

 周りを見渡しても人の気配はない。まるでこの空間だけが周囲から隔離されているようだった。

 

「そう言えばふらっと三女神像に立ち寄るイベントがあった筈だな……あぁ、そうそう、因子継承だ」

 

 育成開始前と、クラシックとシニアで1回ずつ。貴重な適性を伸ばすチャンスだから割と真面目に大事なイベントだったはずだ。俺の場合、親に当たる因縁のあるウマ娘なんて存在しないから因子継承のイベントなんて発生しないだろう。そもそもデビュー前の継承イベントさえなかったのだ。

 

「長距離適性伸びねぇかなぁ……ついでにマS中Sにも……」

 

 西村Tが既に俺の長距離適性を改善する為のトレーニングを始めている。その為毎日坂路を走ったり、プールで全身の筋肉を整えたり、体質や脚質改善に色々と俺では理解できない事を要求してくる。

 

 そういうトレーニングを重ねても結局はC適性をBにあげるだけで限界らしいので、BからA―――つまり走れる、から得意といえる才能の領域への改善は酷く難しい。天性のセンスが要求される領域の話になってくる。

 

 そこでどうしても俺とディープインパクトの間に差が出来る。

 

 それをどう埋めるかが俺の勝負所だ。特に最近のおチワワ様が割とやる気だ。精力的にリギルで走っているし、何時の間にかストライドからピッチの切り替えをマスターしていた。ずるいぞ。

 

 完全にレースで見せたのを覚えられた奴だ。

 

「ま、嘆いていた所でしゃーない。シチーみたいな現代服ベースの勝負服を考えて……ん?」

 

 ちょんちょん、と肩に何かが叩くような気配を感じる。人の気配はないのに何事だろうか。そう思い振り返ってみれば、周りの空間は暗くなっており、遠くに光が見えた。

 

 まるで領域に飲み込まれた様な空間の変化に一瞬だけ息を呑むが、それが見覚えのある変化で察した。因子継承だ、まさかここへふらっと立ち寄った事が継承フラグだとは思いもしなかった。

 

「いや、まて、俺の親はヒト―――」

 

 一体誰が俺に因子なんてもんを継承するんだ? そう思ったものの、既に因子を継承する気満々のウマ娘の幻影がそこには立っていた。

 

 布地が薄く、腹筋を晒すような2パーツに別れた中華風衣装。

 

 短く切りそろえられた赤毛。触角のように後ろへと長く伸びるアンテナの様な毛に右側だけ千切れた様な跡のあるウマ耳。

 

 そしてその右手には方天画戟が握られていた。

 

「呂布だこれ」

 

 無言のサムズアップを向けてくる呂布は奥の光の方へと親指でクイッとついてこいというサインを見せてくる。成程、因子継承してくれるんすか。成程ね。

 

 迷わず背を向けて光から逃げ出した。

 

「冗談じゃねぇ……!」

 

 全力で逃げ出そうとする俺の背後からぶおんぶおんという音が響いてくる。一瞬だけ振り返れば方天画戟を振り上げながら楽しそうに追いかけて来る赤兎馬呂布の姿が。

 

「さ、三邪神め! クソ、三邪神めぇ……!」

 

 だが抵抗は無駄であった。人類は神話生物に勝てるようにできていないのだ。

 

 直ぐに追いついた呂布っぽい赤兎馬は俺の足を掴むとそのまま引きずるように光へと向かって行った……。




クリムゾンフィアー
 その後微妙にぼろくなった姿で発見された。

呂布
 最近は終末のワルキューレにハマってる。


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13話 カイチョーチャレンジっ!

「ピスピスー! パカチューブの時間だぜ野郎どもォ!! トゥインクルにもドリームシリーズにも興味津々な全人類元気にやってるかぁ! ゴルシ様だぞ」

 

「よお、ヒトカスウマカス共。クリムゾンフィアー様だぞ」

 

 ゴルシが撮影用の大型カメラを肩に担いでる。本当であればもっと小さなカメラでも全然問題ないのだが、単純にゴルシの趣味としてこのテレビ局で使う様な大型カメラが使用されている。ゴルシの趣味ならしゃーない。それはともあれ、俺はまず台本通りに話を進める。

 

「おい、ゴルシよ。お前は今までトレセン学園の自称広報担当としてトレセン学園のアピールをたくさんしてきたじゃねぇかよ」

 

「おう、アタシとしては割と真面目にアピールしてきたつもりだぜ。勿論、これでもまだ母校への愛を示しきれてるとは言えねぇがよ!」

 

「お前のその愛校精神がどこから来るかはともかくさ……なーんか忘れてねぇか?」

 

 既にカメラの端、ギリギリの範囲ではアストンマーチャンがマーちゃん人形を手にゆらゆらと見切れてる。パカチューブの撮影を校内でし始める度に出現するんだけど、あの子実はティンダロスだったりしない? 種族違う? そう……。

 

「おいおいおい、このアタシ様が何を忘れてるって言ってるんだ?」

 

 くっくっく、と笑いながらアロマスティックを口に咥える。

 

「ゴルシよぉ、確かにお前はトレセン学園のアピールをたくさんしてきた。だけど俺は他にも魅力があると思う。一つの側面じゃなく、人にはもう一つの側面がある。その側面には間違いなく伝えきれねぇ魅力がある筈なんだよ」

 

「ほう、言うじゃねぇか……」

 

 ゴルシとちらりと本日のゲストへと視線を向ける。ゲストたちはにこりとした。俺達は合わせてさっと視線を外した。マジでやるのこれ? ゴルシ大丈夫? ゴルシも不安? 俺も不安だから一緒だね。うふふふ……いや、マジでやるのかこれ。もう始まっちゃったし無理? そっかぁ。

 

「ゴルシよぉ……俺はさあ、学園には普段はとっつき辛くでも本当はもっと面白い奴がいると思うんだよ。そういう人達の素顔を見せてこそのパカチューブなんじゃねぇかなぁ……」

 

「言うじゃねぇかよ……それじゃあ今日のゲストを紹介すっぞお前らぁ!」

 

 ででん、とSEが鳴ってカメラがぐわんとゲストへと向けられる。そこには俺達の見慣れた生徒会長の姿がある。ただし、その顔は8Bitサングラスを装着する事で隠されている。

 

「ゲストその1ぃ!」

 

「やあ、皆。私はシンボリルドルフとは全く関係のない―――そう、謎のカイチョーだ。今の私はそれ以上でもそれ以下でもない」

 

「あ、はい」

 

 俺達にはそうとしか言えなかった。パカチューブでの企画登場に我らがルドルフ会長は滅茶苦茶乗り気だった。私物に8Bitサングラスを用意するぐらいにはノリノリだった。この会長、実は割と面白い人物なのではって思えるレベルで既に絵が面白い。

 

 が、面白いだけだったら俺もゴルシもここまで苦しんでない。

 

「ゲストその2ぃ!」

 

「やあ、通りすがりのCBだよ。ミスターシービーじゃないよ。ただのCBだ。そこら辺宜しくね」

 

 そう言っているのは我らがスピカの大先輩、ミスターシービー。ルドルフと同じように8Bitサングラスを装着しているシービーは当然と言わんばかりにパカチューブに出現している。貴女の事今回誘ってませんよね?

 

 そしてカメラの端では8Bitサングラスを装着したアストンマーチャンが見切れてる。

 

 そう、この時点でだいぶやべぇなって気がしてる。ルドルフもシービーもだいぶ楽しそうな表情でカメラの前に立っている。

 

「いや、ほらね? 普通に出演すると本家が何かと煩くてね」

 

「ウケる」

 

「こ、コメントし辛ぇ……!」

 

 ふふふ、と笑うルドルフを前に俺とゴルシはこの企画、本当にこのまま通して良いのか? そう思って助けを求めて視線を巡らせる。だが視線の先では“許可!”の扇子を広げた理事長しかいない。アイツ何時もウマ娘肯定してるな。

 

「そんじゃあゲストが揃った所で今日の企画を説明するぜ!」

 

「今日の企画は―――」

 

「あぁ、ちょっと待ってくれないかな。実はこの手の番組にサプライズは必須だとシリウスに言われてね。私の方でちょっとした人をゲストに呼んでみたんだ」

 

「その話アタシ聞いてないんだけど」

 

 俺も当然聞いていない。だというのにルドルフという名から解放された謎のサングラスウマ娘、カイチョーは良い空気を吸った勢いで俺達の知らない第3のゲストを手招きする。校舎の陰に隠れていたスーツ姿のウマ娘がカメラの前に立ってくる。

 

 ルドルフと同じ8Bitサングラスをかけた、鹿毛のウマ娘。

 

「シンザ―――こほん、謎の元カイチョーだ」

 

「おい、ちょっとカメラ止めろ」

 

 理事長が“困惑ッ!”とか掲げてるじゃん。おかしいでしょ。既にドリーム卒業してる人じゃん。レジェンドの中のレジェンドじゃん。元カイチョーとか言っている場合じゃないだろこれ。なのにレジェンド3人衆は楽しそうにお揃いのサングラスをかけて並んでいる。

 

 その姿を見て俺とゴルシは視線を合わせて頷いた。

 

 じゃあ、はい、皆でタイミングを合わせて―――……。

 

「カイチョーチャレンジっ!」

 

 ぴょんっ。

 

 そして俺達は考える事を止めた。

 

 

 

 

「カイチョぉぉ~チャレンジっ! 俺達はもっとカイチョーの魅力を引き出せるはず……その理念を元に作られたコーナー。そう、この人はシンボリルドルフとは全く関係ないけど。うん、本家の方々が煩そうなので謎のカイチョー名義でお願いします」

 

「天下布武……あらゆる難題を踏破し私があらゆる分野における頂点である事を証明しよう」

 

「急に頭の悪い事言いだしたなこの人。所でCBパイセンは?」

 

「シービーなら先ほど蝶々を見つけて散歩に出かけて行ったぞ」

 

「あ、そうですか? ありがとうございますシン……元カイチョー」

 

「気にするな……OGとして生徒達の動向を把握するのは当然の事だ」

 

「すげえ……アタシでも突っ込み切れねぇ……!」

 

 もうこれ放送事故しか起こしてないぞぉ。このまま企画を押し通しちゃうのぉ? 通しちゃうかぁ……。

 

「カイチョーチャレンジっ」

 

 俺達は謎の企画ものっぽく全員でぴょんっと跳ねた。

 

 場所はトレセン学園から変わり府中にあるゲームセンターへと移っている。ゲームセンターの前に何時の間にか合流した撮影クルーであるスペシャルウィークがゴルシの代わりにカメラを担いでサムズアップを向けている。真面目な子だけどこういう所を見ると純度100%のスピカなんだなあ、って思う。

 

「まあ、まだ第1回だからね。まずはカイチョー達が若者の娯楽についてこられるかどうかを見てみたくはないかな?」

 

「お、それじゃあ最初のカイチョーチャレンジはもう決まったようなもんじゃねぇか」

 

 せーのっ、ででん。

 

 俺達は同時にクレーンゲームを示した。そう、記念すべき第1回カイチョーチャレンジはクレーンゲームへの挑戦である。ゲームセンターにはあまりというかほぼ来ないカイチョー達からすればそれなりに珍しい光景だろう、先ほどから色んなゲーム筐体を眺めている。

 

「まあ、俺達ウマ娘と言やぁ、クレーンゲームだよな。一般発売されてねぇぱかプチだってURAと提携してるゲームセンターに置いてあるぜ」

 

「ゴルシよ、俺気になったんだけどなんで普通にグッズストアでぱかプチを販売してないんだ?」

 

「いや、販売しているとも。ただし限定やレアなバリエーションが景品という形になっている」

 

「転売対策だな。URAストアに置いている形だと転売屋があの手この手で購入しようとするからな。逆に景品オンリーにすると一気に転売数が減るんだ」

 

「関係者からの貴重な話が聞けちまったな……」

 

 得意げに8Bitサングラスを輝かせながらカイチョーと元カイチョーが事情を語る。テレビのワイドショーでも見る事の出来ない光景をこのクッソくだらないチャンネルが独占しているのは罪に当たらないだろうか? まあ、カイチョー達が楽しそうなのでいっかぁ。

 

「URAは自分のぱかプチは作った時に送ってくれるんだが、他の娘のは送ってくれないからな……」

 

「確か今年度のぱかプチ第一候補はクリムゾンフィアー君だったね? G1を制覇すれば間違いなく生産されるようになるから」

 

「うっす」

 

 うっす。やっぱりゲスト間違えてない? スぺはサムズアップでしか答えてくれない。

 

 いい加減企画へと軌道を戻す為にもクレーンゲームの筐体に近づき、その中身を確認する。見慣れたぱかプチが積み重なっている中に、第二勝負服に身を包んだテイオーのぱかプチが埋もれている。目敏くそれを発見したカイチョーがほう、と呟く。

 

「私の前に出てくるかテイオー」

 

「やるのかカイチョー」

 

「無論だとも元カイチョー」

 

「これだけで面白くなるからずるいよなあ」

 

 ゴルシの言葉に頷く。とりあえず撮影用に用意した予算としての100円コインを投入口の横に重ねておく。丁寧に感謝を告げられてからカイチョーがコインを投入、クレーンゲームを稼働させる。それを俺達が後ろから眺める。

 

「一意専心……集中すれば何事も成し遂げられるという事を証明しよう」

 

「ふ、私の後を継いだその実力を見せて貰おうカイチョー」

 

 カイチョーの操作するクレーンはそのままテイオーのぱかプチへと向かいぱかプチの山の中へとツッコミ、見事に何も引っかけることなく浮かび上がる。その姿を見て数秒、カイチョーは腕を組みながら首を傾げる。

 

「おかしいな……」

 

「ふ、この程度かカイチョー……私が真の実力というものをみせよう」

 

 カイチョーと代わり、今度は元カイチョーが筐体の前に立つ。コインを投入し、クレーンが動き出す―――しかしテイオーのぱかプチを持ち上げる事無く、山の中で転がすだけで終わった。

 

 その結果を見届けた元カイチョーがカイチョーの横に並んで腕を組み、首を傾げている。

 

「おかしいな……」

 

 かこん、直ぐ隣の筐体からクレーンの動き出す音がする。其方へと視線を向ければアストンマーチャンがコインを投入し、クレーンを動かしている所だった。そのまま無言でぱかプチの山からシービーのぱかプチを掘り出すと、一発でそれをゲットする。

 

「マーちゃんでした」

 

 シービー人形を俺に預けると、マーちゃん人形をカメラに映してマーチャンは去って行った。

 

 俺は静かにシービーぱかプチの顔に“お散歩中”の札を張った。

 

 かこん、ばたん、がこん、ごとん、ごろごろ……一瞬で用意した10連コインの消費が終わり、カイチョーと元カイチョーが筐体の前で凍り付く。それを俺達スピカは無言で眺めていると、静かにカイチョーがポケットからカードを取り出した。

 

「すまないがちょっと下ろしてきてくれないか?」

 

「はい! 終わり! 今回のカイチョーチャレンジはここまで!!」

 

「これ以上はURAに怒られそうだからアタシたちはとんずらするぜ! また次回もパカチューブを宜しくな!」

 

 コーナーを締めるように俺とゴルシはぴょんっと跳ねた。

 

「カイチョーチャレンジっ!」

 

 もう二度とやるかこんなん。




クリムゾンフィアー
 定期的にパカチューブに準レギュラーとして顔を出してる。

ゴールドシップ
 チャンネル登録よろしくな!

謎のカイチョー
 次回の企画を楽しみにしてる

謎の元カイチョー
 レギュラーの座を狙ってる

謎のCB
 その頃CBは築地で海鮮丼を食べていた


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14話 チワワ出走

 ―――春の終わり、夏の始まりにメイクデビューが開催された。

 

 府中トレセン学園コース、2000メートル芝。中距離のスタンダードな距離であり、ジュニア後期からクラシック戦線ではメインともなってくる距離だ。この距離が走れなければ中距離適性を持っているとは言えないだろう。そんな、ウマ娘にとって重要な距離で行われたレースだった。

 

 実際の所、中距離をデビューにしようとするウマ娘は多い。

 

 だが多くのウマ娘は適性という壁の前に泣く。マイルと中距離の壁は意外と大きい。これはスタミナの差なのか? という話をすると違う。走り方、呼吸のタイミング、体力の残し方、スピードの出し方……細かい複数の要素が絡み合いそれが適性という言葉になる。

 

 つまりマイルと中距離の壁というものは走り方の差なのだ。走りに対するセンスだと言っても良い。それ故にその壁を越えられずに最も人気のある距離を走れないウマ娘は多い。だが逆に言えば、その壁を乗り越えた者にこそステージの上に立つ権利が与えられる。

 

 だがその日、行われたレースは純粋な才能と暴力によって蹂躙された。

 

 後方に控えた漆黒のバ体は終盤に入るのと同時に加速を始め、ぐんぐん前へと向かって加速し続ける。それを止めようと、それを抑え込もうとする姿もあった。だがその圧倒的な末脚を相手に努力をするだけ無駄だった。

 

 多少進路が妨害されようとも関係なくすり抜けるように前に出た黒毛は一瞬で先頭に降り立ち、2番手に圧倒的な差を付けてゴールラインを切った。

 

 その距離、8バ身。

 

 闘争心を煽られ、自覚し、しかし未だに己の才能に無頓着な怪物は無自覚ながら自分の力を見せつけ圧倒する事を選んだ。

 

 この日、日本は英雄の名を知った。

 

 ―――という話は割と真面目にどうでもいい。

 

 そもそもディープインパクトが圧勝するのは規定路線だし強い勝ち方をした所で“ふーん? まあ、知ってたし……”で済む話だ。そもそもウマッターで日頃から奴の可愛さはアピールしている。日本競バの民はそのギャップに脳破壊されてくれ。

 

 ディープインパクトが日本人の脳味噌を粉砕してから始まる夏。

 

 それはウマ娘にとって特別な時期だ。

 

 何故なら、

 

「―――海だぁー!」

 

「海だおらっしゃあ―――!!」

 

 夏は、大きく飛躍するのに必須の時期だからだ。

 

 長く揺られていたバスからゴルシ共々飛び出し、砂浜へと向かって駆けだす。それを横からスズカが追い抜いて先に砂浜に到着する―――私の方が速いですよ? みたいな顔をしている辺り、単純に自分抜きで走りだしたのが本能的に許せなかった模様。

 

 まあ、許そう。海の前では些細な事だ。

 

 走りながら靴を脱ぎ捨てた俺とゴルシはそのまま砂浜で足を止める事無く、全速力で砂浜から海の方へと向かい―――そのまま海の上を走る。

 

「うおおおおお! 烈海王!! 見てるか烈海王! 俺が烈海王だぁー!」

 

「救命阿! 救命阿! うわああああ―――!!」

 

 ひとしきり海の上を全速力で走ってからそのまま海の中へと沈む。ざばーんと数秒後には砂浜に打ち上げられた所をトレーナーたちによって回収される。

 

「全く、海を見てテンションを上げるとか子供かよ……いや、子供だったわ」

 

「まあ、仕方がありませんよ。海ですから。今回は春のドリームでマックイーンが勝ってくれたおかげで良いホテルに泊まれますしね」

 

 バスから降りてきたマックイーンがドヤ顔で胸を張るのをテイオーが後ろから膝カックンで崩そうとする。

 

「テイオー!」

 

「次は負けないもんねー!」

 

「待ちなさい長距離適性B!! 微妙に勝ちきれない適性B!!」

 

「あ、言っちゃいけない事言ったな!?」

 

 バスから降りた瞬間消え去る様な全力ダッシュでマックイーンとテイオーがホテルの方へと消える。それを追う様に荷物を担いだスカーレットとウオッカがやってきて、バスの横から歩いてきましたと言わんばかりのシービーがぬるりと現れる。貴女、昨日散歩に出たっきり行方不明でしたよね。

 

 西村Tに引きずられるようにホテルに連行されつつシービーへと視線を向けると。

 

「うん、昨日から歩いてきたんだ」

 

 そっかぁ。

 

 そんな訳でスピカ、夏のビーチ合宿始まります。

 

 

 

 

 アプリでは1年目から合宿に出る事は出来なかったが、アプリではないこの世界においてトレセン学園が保有するビーチでの合宿はある程度の実績を持つトレーナーか、或いはチームが金を出す事で許可されるものとなっている。

 

 まあ、スピカはざっと見て実績しか作ってないウマ娘しか所属していないので、当然断れる筈もない。そういう訳で幻の1年目の合宿イベントがここに発生している。

 

 チェックインを済ませてトレセン学園指定の水着に着替えたら早速砂浜に出る。トレセン学園が管理している事もあり、パラソルやビーチチェアは置いてあっても全て関係者用のものであって、一般客は一切存在していない。

 

 その為、砂浜や海を自由に使ってトレーニングを行う事が出来る。水着になってホテルを出次第、俺とゴルシは再び海に突撃して砂浜に打ち上げられるのを三度ほど楽しんでからトレーナーの前へと戻ってくる。

 

「楽しかった?」

 

「ああ!」

 

「全力で満喫したって顔してるなこいつら……」

 

 一通り海を満喫した所で沖野Tと西村Tの前で膝を抱えて体育座りをする。直ぐ横にテイオーとマックイーン、スぺにスズカと集まる。冬のドリームシリーズへと向けての調整というものも存在する為、彼女達もトレーナーの真面目な話を聞く必要がある。

 

「そんじゃあウィンタードリームトロフィー参加者たちは何時も通りの合宿トレーニングって形になるけど……注意事項が1つ。理事長から来年からはドリームシリーズもレース数を増やすって事で色々と走れるレースが増える。便宜上、チャンピオンズミーティングって名称になっているらしいから各自スマホに送ったデータを一度確認しておいてくれ」

 

 クリオグリゲー……始まるか……!

 

 この世界もついにチャンミ育成に侵食されてしまった。もうおしまいだよ……。

 

 そんな絶望感を表情に見せる事無く浸っているとさて、と西村Tが言葉を続ける。

 

「年末には朝日杯FSとホープフルステークスが待っている。フィアーは()()()()()()()()なんだよね?」

 

「うむ」

 

 ぶっちゃけ、現時点で皐月賞でディープインパクトとぶつかった場合、絶対に負けるだろうと思っている。ダービーも割と怪しい。だからその前に勝てるであろうG1に出て勝つぞって話だ。メイクデビューを走った所で大した疲労もなかったし、この調子なら朝日杯FSからホープフルステークスへの連戦コースを通っても別に問題はないだろう。

 

 メイクラでも良くやったし。何時もやってたし。良く考えなくても狂ってるなアレ。

 

「ならディープインパクトと戦う上で絶対に克服しなくてはいけない点、そして伸ばさなきゃいけない能力があるからその説明をしよう」

 

「うす」

 

 膝を抱えてスピカ一同、西村Tの話に耳を傾ける。

 

「まずフィアー、君の最大武器はその領域のコントロール能力と強度だけじゃない。レースのコントロール能力、プランニング、レースを自分の思った通りに動かして相手を妨害する能力が凄く高い。これはつまり他人よりもずば抜けた戦略眼を備えているという事になるんだ」

 

 褒められたぞぉ、やったぁ。

 

「ネイチャだぁ」

 

「テイオーさんはドリームの時に真っ先に威圧叩きつけられてますもんね」

 

「偶にカイチョーと一緒に叩きつけてくるの死ぬほどしんどいから止めて欲しいんだよね、アレ。デバフ弾いても弾かなくてもどっちでもいい様にレースコントロールしてるから滅茶苦茶めんどくさいし」

 

「……と、概ね被害者からはこんな意見が出てくる。あまりやれているウマ娘がいない様に、レースをコントロールする能力は希少なんだ。それにはずば抜けた集中力と計算高さ、そしてレース中に自分の感情をコントロールできる冷徹さが必要なんだけど……フィアーは本質的に、どことなく俯瞰して物事を見てるよね?」

 

 頷く。まあ、1度死んでいる結果身についた技能みたいなものだ。自分の心と体をカットしてコントロールする技術。魂が、心が肉体を離れていた結果だろうと思っている。

 

「次にパワーだ。フィアー、君は凄くパワーのあるウマ娘だ。それこそディープインパクトでも君ほどのパワーを持てないだろうね。ただその力の大半が大地を蹴る時に無駄に消費されている。さっき砂浜を走る時砂がたくさん飛んでいたよね? それだけ無駄に力が逃げてるって事なんだ」

 

 口を半開きにしてよだれを垂らす様な表情で首を傾げる。

 

 それ見て沖野Tが頷いた。

 

「西村、三行」

 

「合宿中に走り方改善ッ!」

 

「合宿開始ッ!!!」

 

 そんな訳で、水着美少女がきゃっきゃうふふふオラァする季節がやって来た。




クリムゾンフィアー
 転生してから初の海でテンションが上がった

スーパークリーク
 フィアに自分がいない間のチワワの世話を頼まれた

ディープインパクト
 ばぶぅ


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15話 賢さG

 ぷかぁー。

 

「うわ、完全に力尽きてる……」

 

「いや、あのしごきは仕方がないだろ……」

 

 スカーレットとウオッカがヒイロばりの水死体のように浮かんでいる俺の姿にビビっている。本日のトレーニングは体の調子を考えて早めに終わった分、凝縮されたものがあって物凄い疲れた。普通1年目にここまでハードワークやらせるもんじゃねぇだろ、とは思うが体が頑丈だからその分詰め込めるらしい。

 

 ひんひん。俺は泣いた。鬼畜トレーナー西村の本気っぷりに泣いた。あの男マジでトレーニングの間は人格変わったってレベルで容赦しねぇ。

 

 辛いには辛いのだが……西村Tはちゃんと何故トレーニングするのか、どうしてこういう内容なのか、どういう結果に繋がるのかというのを全部説明してくれる。お陰で自分がやっている事に間違いはないと思える。

 

 例えば砂浜のダッシュ。俺は元々野良レース、つまりはストリートレースを良く走っていた影響で力の出し方が他のウマ娘とは結構違う。芝とアスファルトでは環境が違いすぎる。ダートにはダートの、芝には芝の走り方があるように俺はアスファルトに適応した走り方をしている。

 

 それを修正する為に砂の上で力の逃し方を確認しながら何度もダッシュさせられている。

 

 またウマ娘のレースを決めるのは最終的にトップスピードの差だ。ディープインパクトと比べると俺のトップスピードは低いらしい。その代わりにパワーが圧倒的に勝っている。その差を埋める為のスピードを伸ばすトレーニングとパワーをコントロールするトレーニング。

 

 西村Tが教えてくれる他、そういう足の動きの先生として最適なのはテイオーなので、何度も併走をしながら砂に沈められている。実際テイオーステップはコピーできなくても走り方の切り替え方や距離適性の都合上、テイオーの走りは見本として最上級のものがあった。

 

 そんな訳で、マイボディは完全に疲れ切っていた。疲労と回復の時間さえも把握されている為、どれだけ休めばいいのかも理解されている。その上で本日は残りを休みの時間とされた以上、それなりに疲労が蓄積されているという事なのだろう。

 

 だから体を労う様にぷかぁ、と海に浮かんでいた。直ぐ近くの砂浜では沖野Tがゴルシによって埋められており、スズカとシービーは砂浜で楽しそうにダッシュしている。テイオーとマックイーンはどうやら砂の城を作っているようだ。

 

 自由時間はトレセン学園の水着に縛られる必要もなく、残りはフリータイムという事もあって皆思い思いの水着姿でビーチを楽しんでいる。

 

 俺も、実はこの合宿に備えておニューの水着を用意してたりする。

 

 黒の上に赤を重ねた二重構造に見えるタイプの水着でホルターネック型、つまりは首から吊り下げるタイプのビキニだ。

 

 自分を着飾るのはアバターやキャラのDLCで衣装を変えるのと同じような感覚で。自キャラはなるべく好みの性癖を反映しておきたいというのは全ゲーマー共通の認識だと思う。俺が俺自身を磨いて着飾るのも似たような感じが近い。

 

 しかし。

 

「まるで遊ぶ気にならねぇ……」

 

「まあ、とてもじゃないけど遊べるだけの体力は残ってなさそうよね」

 

「ほら、流されちまうぜー」

 

「ぷえー」

 

 波に攫われそうになった俺の姿をウオッカが掴んで岸の近くまで引っ張ってくる。お前、スカーレットとさえぶつからなければ滅茶苦茶優しい子だよな。

 

「あんまり派手に遊ぶ気力もないしテイオーたちに混ざって万里の長城でも作ろうかなぁ」

 

「そこは城じゃないのかよ」

 

 ほら、因子元の呂布さんに忖度しないといけないから……。

 

 そんな事を考えながらドリンクでも貰いに行こうかと浜辺へと上がると、此方へと向かって手を振る白衣姿が見えた。当然、知っている顔だ。地平線の向こう側からゆっさゆっさ独特のリズム感で向かってくる白衣姿に浜辺でもその恰好かあ、と思っていたが。

 

 白衣姿―――アグネスタキオンは決して、歩いても走ってもいなかった。

 

 タキオンが乗っている者を見た瞬間、俺は神速の極意を以ってスカーレットの背面に回り込み、スカーレットの抱いている幻想を守るために手刀を首の裏に叩き込んで一瞬で意識を奪った。結果だけを認識したウオッカがいきなり倒れ込むスカーレットを支える。

 

「うおおお!? おい、一体何やってんだよ先輩!?」

 

「ヒュー、恐ろしく速い手刀。アタシでなきゃ見逃しちゃうね」

 

 ゴルシがしっかりとネタ振りをする中、俺はしっかりと視線を地平線のタキオンへと向けていた。彼女は地に足を付けていなかった―――そう、乗っている。彼女は乗っているのだ。

 

 彼女のトレーナーに。

 

 モルモットトレーナー、通称モルトレ。トレセン学園名物光る男。気が付けば光ってるから停電しても助かる男。取り敢えず光ってみた男。光ってる姿に慣れて誰にも突っ込まれなくなった男、モルトレ。タキオンに対する感情が限界化した結果限界モルモット化した狂人トレーナー。

 

 そんなモルトレにタキオンは肩車されていた。しかも海パン姿で顔を発光させて。もうここまで来ればお分かりですね?

 

「アレ絶対徹夜のし過ぎで賢さG化してるな……」

 

 目の下に隈を浮かべたタキオンと顔を発光させたモルトレが手を振りながらやってくる。正気に戻ったら自殺しそうだなぁ、とか思っているとついにタキオン組がスピカに合流してしまった。ばばん、とタキオンはポーズをとるように手を広げる。

 

「やあ! フィア! 見てごらん! モルカーだよ!」

 

「Pui pui」

 

 良い顔で当然のようにモルトレが鳴いた。その瞳は完全に正気を失っていた。このモルトレは心の底から自分がモルカーだと思い込んでいる。タキオンを肩車しているのもドライブのつもりなのだろう。

 

「pui pui……」

 

 鳴いた。俺達は揃ってぷいぷいと鳴いた。賢さGの惨状が余りにも酷過ぎた。

 

「いやあ、苦労したよ今回の薬は……はい! 右折!」

 

 モルトレの右目だけがフラッシュした。そのまま右折したモルトレとタキオンはぷいぷい声を鳴らしながら砂浜から去って行った。

 

 俺達はぷいぷい鳴きながらその背中を見送った。それ以外の選択肢が俺達にはなかった。というか今のタキオンに全力で関わりたくなかった。

 

「アレ……絶対に5徹とかそういう領域じゃないでしょ」

 

「す、スカーレットの奴が起きてなくて良かったぁ……」

 

「7徹ぐらい行ってるんじゃないかなあ、アレ」

 

 賢さGが限界化しているチーム・モルカーはそのままカノープスの練習場所まで突っ込んで行くらしい。本能的にリギルを回避する辺り実はまだ僅かながら理性が残っているのかもしれない。遠くからぷいぷいと鳴くモルトレとカノープスの声が聞こえてくる。

 

 あぁ……またモルカーの犠牲者が増えて行く……。許しておくれ、ぷいぷいとしか鳴けない俺達の事を。

 

 静かにモルショックを受ける他のチームの冥福を祈り、俺はビーチサイドに置いておいた自分のスマホを手に取り、電話をかける。

 

「もしもしカッフェ? Dr.タキオン回収してくれない?」

 

『自分で賢さGの処理してください』

 

 Pui Puiモルカー、2期絶賛放送中……!




クリムゾンフィアー
 当然放置した。浜辺はモルカーショックに沈んで行った。

ディープインパクト
 合宿所へと来る荷物の中に新品の哺乳瓶が

オトモダチ
 最終的に賢さGの回収業務を実行した


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16話 転換期

「もしもし? マミー? うん、俺。元気だよ。合宿中はメールで済ませちゃってごめん。流石にチームメイトの居る所で電話するのは恥ずかしくてさ」

 

「うん……うん。スピカの皆は良い連中ばかりだよ。ちょっとエキセントリックな所もあるけど、皆夢に向かって本気で走ってる娘達ばかりだからさ、ウマが合うというのかなぁ。まあ、なんというか居心地の良い場所だよ。俺も割とエキセントリックな方だし」

 

「そういやマミー、新バ戦の獲得賞金8割ぐらいマミーの口座にぶち込んだはずなのに俺の口座に戻ってるのどういう事? 口座を確認したら増えててびっくりしたわ。え、いや、家に金入れるのは割と常識じゃね? いや、するでしょ」

 

「転生前も含めたら……ってさあ、あんま好きじゃないんだよな。今は今、昔は昔。今を生きてるのに転生前の事を考慮して何が楽しいのって話よ。俺はマミーのプリチーな一人娘だからさ。……うん、解ってるって」

 

「マミー。今のルームメイトなんだけどアイツすげーんだわ。片っ端から技術を吸収して化け物みたいに成長するんだ。アイツが最強って呼ばれるようになるのにそう時間は必要ないだろうぜ」

 

「うん……うん、楽しみにしてる。一緒に走ったらたぶん負けるだろうけど、最後に勝つのは俺だから。勝つためにまずは負け続けてみるよ。たぶんぶつかるのは皐月賞になると思う。うん……俺の次走は朝日杯。見に来る? マジで? 沖野トレーナーに言っておくわ」

 

「マミー、俺偶に思うんだよ。最高のライバル用意して最高のレースを走って、走って、走り切って……そうやって出せるものを全て出し尽くして燃え尽きたらきっと―――最後にはちゃんと成仏できるんじゃないかな、って」

 

 

 

 

 タキオンモルカー事件。邪神復活事件。突発性カイチョーチャレンジ。理事長迷子事件。月刊ターフ砂埋め処刑祭り。夏の合宿は数多くの事件とトラウマを生み出しながら終わった。

 

 そして夏が終わればついに秋シーズンが始まる。合宿が終わり、スプリンターズステークスを超えれば季節はもう秋になる。天皇賞秋、菊花賞、ジャパンカップ、数多くのドラマを生み出すレースと共に秋というシーズンはやってくる。

 

 そして秋はそれ以外にも楽しい意味をトレセン学園に運んでくる。

 

 そう、聖蹄祭である。

 

「流石一般人が見学に来れるだけあって人が多いなぁ」

 

「う、うん、多いです、ね」

 

 聖蹄祭はウマ娘と一般入場客との交流イベントでもある。流石にある程度の入場制限があるから完全に無制限に人が入ってくるという訳ではないが、それでも普段トレセン学園に入ってくる事の出来ない人たちがトレセン学園の敷地内に入り、自由に見て回る事が出来るのは非常に貴重な機会だ。

 

 別名、秋のファン感謝祭である。

 

 俺とディープインパクトはまだジュニア期、トゥインクルに上がってメイクデビューを勝ち抜いた程度の新バだ。その為スピカやリギルでのイベントを免除され、2人で聖蹄祭を楽しめる事になった。俺もディープインパクトもどちらも軽い仮装を楽しんでおり、俺は吸血鬼を、ディープインパクトは魔女の恰好に扮している。

 

 ここら辺のコスプレ道具、毎年利用者がいるのかトレセン学園の方で普通にレンタルしてた。

 

 パンプキンタルトを片手に、2人で並んで敷地内を歩く。

 

「最近はずっと忙しかったからこうやってゆっくり遊びに回る時間もなかったな」

 

「と、特にフィアさんは……朝日杯とホープフルの準備で忙しい……ですもんね」

 

「俺もディーともっと遊びたいけどもっと自分の事追い込みたいしな」

 

 むしゃむしゃとタルトをほおばる。ウマ娘になったせいか、甘いものには目がなくなった気がする。気づけば栗羊羹まるごと一本購買部で買ってきて齧ってたりするし。お金に余裕があると余計な買い物をしちゃう所はちょっと反省。

 

「すいません、クリムゾンフィアーさん……ですよね? 写真良いですか?」

 

 ディープインパクトと歩いていると、知らないヒトカスが話しかけてきた。無言で中指を突き立てると、勢いよく頭を下げられた。

 

「ありがとうございます!! 尊い時間を邪魔した罪で出頭してきます!!」

 

 ヒトカスはそういうと急いで門の外へと向かって走って行った。俺とディープインパクトは無言で唐突に現れた狂人の姿を見送った。数秒後、互いに顔を見合わせて今の事をなかったことにして再び歩き出した。

 

「あ、お、オグリ先輩」

 

「また出禁喰らってるなあの人」

 

 屋台で何かを買おうとして屋台のウマ娘から“No Oguri”ポスターを指さされている。

 

「こう見ると結構食べ物系が多いな」

 

「う、ウマ娘は良くた、食べますから」

 

「それもあるか」

 

 食べ物系って意外とやりやすいからなあ。それにファンとの交流のしやすさもある。確か今年のリギルは執事喫茶で、スピカはSwitchをプレハブ小屋に設置してSplatoon3大会だっけ。完全にファンとの交流という概念を舐め切ってるなスピカ。

 

 ふらふらーと当てもなく二人で聖蹄祭を楽しむ。

 

 パンプキンタルトを食べて、今度はビターグラッセの作ったうどん屋台に挑戦してみたり。ハッピーミークが趣味全開のカメさんレースをしているもんだからそれを鑑賞したり、リギルの執事喫茶を冷かしてみたりした。

 

 スピカで過ごしている騒がしい日々とは別の、穏やかな時間を過ごしていた。

 

 一通り歩いた所で休む為にベンチに座る。買って来たハロウィン用はちみーを手に人の流れを見ながらずぞぞぞぞと啜る。

 

「うーん、固め濃い目やばいな……テイオーこれを何時も飲んでるのか」

 

「ちょ、ちょっと飲んでみても良い……?」

 

「どうぞどうぞ」

 

 咥えていたストローをディープインパクトへと向ければ、それをあんむっと咥える。ちゅーちゅーと飲もうとするも失敗し、軽くずぞぞぞとして失敗し、ずごごごという音と共に漸くはちみーを飲み始める。

 

「……肺活トレーニングかなぁ」

 

「テイオーは日常的に糖尿病と引き換えに肺活トレーニングしてるのかぁ……すげぇなぁ……」

 

 テイオーが糖尿病になる日は近い。これはそれぐらいヤバイ。今まで飲まなかったが、もう二度と飲む気にもなれない。そういうレベルのヤバイブツだった。

 

「ふ、フィアさんこっち飲む?」

 

「飲む飲む」

 

 ディープインパクトの差し出してくるストローに噛みつき、薄めの方を飲んでみる……やっぱり、こっちのが数倍飲みやすい。ぷはぁ、と声を零しながら笑い声を零す。

 

「もうそろそろ年末だなぁ」

 

「そ、そうですね」

 

 はぁ、と息を吐いて人混みを眺める。遠巻きに此方を見る人達もいるが、話しかけてこない辺りは昼の狂人と違ってマナーを弁えているのだろう。偶に中指を突き立ててファンサしてやるのはまあ、単純に俺の気分の話だ。

 

「も、もうすぐG1ですね」

 

「そうだなぁ」

 

 年末が近づくに連れ、大分冷え込んできた。後1か月もすれば吐く息も白くなるだろう。そんな寒い季節に俺は朝日杯FSからホープフルステークスという地獄みたいなローテーションを走る。

 

 10日だ。

 

 朝日杯FSからホープフルステークスまでの時間は、たったの10日だ。

 

 それでも俺は走る。それだけの価値と意味が、レースにあるからだ。

 

「フィアさん」

 

「おう」

 

 ディープインパクトの声は震えていない。

 

「皐月賞、楽しみ……ですね」

 

「おう、楽しみだな」

 

 他は前座だ、自分だけを見ろ。

 

 ジュニア期、1年目の暮れ。これまでは新バとしか呼べなかった俺達は1年間のトレーニングを通じて、少しずつ成長していた。

 

 少しずつ……少しずつ、少女から成長して行く俺達は今。

 

 今年の成果を証明する時期にあった。

 

 ディープインパクトはその胸を焦がす衝動をリギルに入った事で自覚するようになり、俺は自らの欲望へと向けて身を削りだした。

 

 俺達のこの関係は、変わらないようで―――変わりつつあった。

 

 G1の冬が来る。




クリムゾンフィアー
 テイオーに糖類カット系の食品を幾つか送った

ディープインパクト
 早く走りたい

モブ狂人
 私は推しCPの会話を邪魔した罪を犯したので逮捕してください

警察
 まあ……逮捕されたいなら……


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17話 これから毎日教令院を焼こうぜ

「結局よ、西村トレーナー」

 

「うん」

 

「ナヒーダの最適聖遺物編成って熟知x3なのか? それとも熟知草バフ会心なのか? どっちなんだアレ?」

 

 控室のラップトップを前に、俺は腕を組んで首を捻っている。俺の言葉に西村Tは腕を組みながら唸る。

 

「……難しい話だと思うよフィアー。ナヒーダはメインアタッカーでもサブアタッカーでも運用できるキャラだ。草雷編成となると前に出すのは八重神子辺りだろうから熟知で良いとは思う。だけど水編成となるとナヒーダがメインだから」

 

「バフが必要? まあ、熟知盛りだとバフ枠足りないのはキツイよな」

 

 俺の言葉にレースのスタッフが頷く。

 

「火力的にメインを張るならバフ欲しいですよね。でも結局は熟知盛りにSOP厳選でいいんじゃないでしょうか。付け替えるのは面倒ですし、天賦で会心会心ダメが上がるならもうそれで良いと思います」

 

 スタッフの言葉に俺と西村Tは頷いた。原神Impact……面白いけど武器ガチャ沼なのはマジで止めて欲しい。朝日杯で勝った賞金はナヒーダ完凸とモチーフ武器の完凸に回して残りは家かなぁ、という感じで。いや、マミーの事なのでまた口座に送り返してきそうなんだけど。

 

 親孝行したいんだけどなぁ。

 

 まあ、えっか。物にして実家に送れば拒否出来んやろ。

 

「あぁ、そうでした。忘れそうでしたがパドックの時間が近づいてきたので、そろそろ勝負服の方にお着換えください」

 

「一番大事な事を言い忘れるなヒトカス」

 

 サムズアップで去って行くスタッフほんといい根性してるなアイツ。そう思いながら姿を見送ると、西村Tも立ち上がった。

 

「それじゃあ僕も行くね。本当ならギリギリまで残るかどうか考えたけど……フィアーは最後まで付き添いが必要ってメンタルでもなさそうだしね」

 

「まあな」

 

 割と出走直前のウマ娘はナーバスになりやすいらしい。俺は中身が中身だけに、精神性が異様だ。普段であれば全く解からない事だろうが、追い詰められるような状況であれ常に普段通りの精神性で過ごせる。

 

 ―――死を見聞きして、その一部だったのだ。精神力に関しては人類という種の頂点にあるだろうと自負している。

 

 だから根本的な部分で俺にプレッシャーというものは存在しない。存在するのは心地よい高揚感と湧き上がる闘争心だけだ。

 

 そう、闘争心。

 

 今の俺の心は、闘争心で満たされていた。

 

 ―――教令院ぶっ壊してぇ……!

 

 

 

 

「おーおーおー、調子良さそうじゃねぇか!」

 

「マイネルレコルトね、今日は調子良さそうだよね。フィアみたいな先行策のウマ娘だからどうぶつかるのかボクは楽しみだなぁ」

 

「ストーミーカフェさんも走りそうな感じがしますね。良い感じに落ち着いてますよ!」

 

 スピカの面々が集まってパドックの様子を眺めている。楽しそうにクリムゾンフィアーがパドックに出てくるまでの時間を、他のウマ娘達が上がってくる姿を見て待っている。そんな担当ウマ娘達の姿を見て軽く沖野は楽し気な声を零す。

 

「ま、G1だからな。マイネルレコルト、ストーミーカフェ、ペールギュント……どれもG2、G3を勝っているウマ娘だ。うちのフィアは未だにメイクデビューしか出走してないから、レース勘でいえば劣る所があるかもしれないかもな」

 

 自分で言っておいて、それはなさそうだな……と考えた。クリムゾンフィアーは入学前から野良レースで経験を積んでいる。名家と比べれば環境やトレーニングの質に差は出てくるものの、レースの経験だけは劣らないだろう。それに彼女の精神性は、こういう大舞台にこそ向いている。

 

「当然だけどG1の舞台だ、出てくるウマ娘で弱い、遅いなんて事はあり得ない。誰が勝っても負けてもおかしくはないんだぜ?」

 

「とか言いつつもトレーナーはフィアさんが勝つと信じてらっしゃるのでしょう?」

 

「おう」

 

 当然、うちのウマ娘が勝つ。それを信じるのはトレーナーとして当然の事でしかない。それにそれは信じているのではなく、単純な事実として認識しているだけだ。

 

「アイツは既にクラシックでもある程度戦える程度には鍛えられてる。元々あった勝負強さに押し負けない度胸、そして既に領域(ゾーン)を自在に操れるという絶対性。並大抵のウマ娘じゃ相手にならないさ」

 

 ただ、ディープインパクトという対抗バさえいなければ一強の時代だっただろうと思う。

 

 あのウマ娘は出来が違う。恐らくは入学前から一流のトレーナーを呼んでトレーニングを積み重ねてきているのだろう、入学時点である程度体が出来上がっていた。その上で天性の資質と才能を揃えている。

 

 ある意味、既に完成された姿が見えているウマ娘だ。後はその究極形に向かって磨き上げれば良いだけだ。そういう育てられ方と下準備が施されているウマ娘だ。何がどう育つかが見えてこないクリムゾンフィアーの対極にある様なウマ娘だ。

 

「……まあ、アイツがどれだけやれるかというのは今日見えてくる。ライバルとの勝負も、この先も。まずは目の前のレースに勝ってから……っと、出てきたな」

 

 パドックにクリムゾンフィアーの姿が上がってくる。スカーレットとウオッカが勝負服に袖を通した先輩の姿に待望の視線を送る……彼女達の出走は来年だ。きっと同じように勝負服に袖を通して立つ姿を幻視しているのだろう。

 

『本日3番人気、8枠16番のクリムゾンフィアーです』

 

『メイクデビュー以降は一切レースに出ていませんが、スピカ所属という事の期待を込めてこの人気でしょう。私の一押しのウマ娘です』

 

 パドックに上がって来たクリムゾンフィアーの姿でまず目に映るのはその黒と赤の色合いだろう。

 

 その象徴とも言える赤毛が映える黒をベースとした勝負服はインナーが白いノースリーブのブラウスに裾が二股に分かれている黒いコート、そしてチェック柄のスカート。足元は茶色の編み上げブーツに、タイツを履いている。

 

 コートの内側は髪色のように赤く、首元には金色の鎖が垂れさがるチョーカーを装着している。

 

 カジュアルをベースとしたスタイリッシュな勝負服だった。動きやすさ、そして見栄えの良さを重視したクリムゾンフィアーらしいと言えばらしい勝負服。

 

 黒に赤の色合いはまるで彼女自身が一本の彼岸花を思わせるようであるのは、彼女の領域に触れた事のある者の感想なのかもしれない。

 

 パドックに立ち、大胆不敵に、或いは自信満々に自分へと視線を集中させ、たっぷりと数秒間反応する事無く立ち尽くす。自分へと視線を集中させてから中指を突き出す。挑発するように、悪役のロールを楽しむように。

 

『担当は西村トレーナー、見事な仕上がり具合ですね』

 

『普段からウマッターでグラブルの救援を流してばかりとは思えない仕上がりですね、これは期待出来ますよ』

 

 あの実況だいぶ頭にキてるな。そう思いながらも何時も通りのクリムゾンフィアーの様子に息を吐く。

 

「あの様子なら大丈夫そうだな」

 

「だけど今日は16人仕立てのレースだよ。この大人数では今まで走った事がない事だけが不安かなぁ」

 

「ま、走りだせば結果は解るだろ」

 

 ゴルシの言葉に頷く。

 

 泣いても笑っても結果は変わりはしない。

 

 G1,朝日杯フューチュリティステークスが、始まる。




クリムゾンフィアー
 赤は彼岸花。黒はあの世。金は現世。カジュアルコーデは今を象徴してる。

スピカ
 まあ、勝つやろなという確信がある

マミー
 お手製の応援グッズ持参してきた


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18話 赤い暴君

「―――よ、クリムゾンフィアー」

 

「ん?」

 

 ゲートに入る前に、声をかけられた。横に視線を向ければマイネルレコルトがいる。俺と同じように自分の思いを込めた勝負服に身を包んだバ体の調子は良さそうだ。こいつは走る、と思わせる気迫が体に宿っている―――強敵だろう。

 

 無条件に自分が勝てるとは、決して思わない方が良い。

 

 と、そこでマイネルレコルトが手を差し出してきている。

 

「走る前に、握手良いか?」

 

「おう?」

 

 まあ、応じない理由もない。ウマ娘って顔は良いし友情ごっこはファンサになるのかなあ……なんて考えながら握手をすると、マイネルレコルトが身を寄せてきた。アメリカ式の握手からのハグだ、身を寄せてきたマイネルレコルトが呟く。

 

「貴女とは走ってみたかったんだ……良い勝負をしよう」

 

「自信満々だな?」

 

「そうじゃなきゃGⅠなんて舞台にはでないだろうさ」

 

 そう言って身を放し、ゲートへとマイネルレコルトが向かう。ありゃあ強敵になりそうだな、と軽く頭を掻く。

 

「クリムゾンフィアーさん、ゲートへお願いします」

 

「あいあい」

 

 腕を伸ばし体を捻る―――男の時にはなかった、胸を避けて腕を横に引っ張るという感覚はここ十数年の人生で馴染んだ所作だ。そして今、思いもしなかったレースを走ることになる。

 

 ゆっくりとゲートの中に進んで行き、後ろでスタッフがゲートを閉ざす。腕を回し、手を振り、此方へと向けられるカメラに中指を突き出す。ヒールとしてのパフォーマンスは忘れない。海外はともかく、日本はこの手のパフォーマンスをあまりやらない。

 

 だからちょくちょくツイッターでは“ご意見”が噴出してたりする。めんどくさいなぁ、日本人。文句あるならお前が走れ。

 

『さあ、各ウマ娘がゲートに収まりました……』

 

 ―――コンセントレイト。

 

 一瞬で集中力が引き上げられる。自分がゲートに収まりながらも他のゲートの様子を察知する。一部、落ち着きのないウマ娘がいるのはGⅠという舞台故だろう。出遅れるか、或いは掛かるか。どちらにせよ、メンタルコンディションの調整を間違えている相手は考慮に値しない。

 

 ぐぐっと拳を握る。脚を揺らし蹄鉄の感触を芝に馴染ませる。

 

 呼吸を整える。

 

 ―――先行コツ◎。

 

 先行の理想的な走り方はテイオーとマックイーンで覚えた。合宿中、砂で蹴りの力の余分な部分を削ぎ落とし、体形に合わせて走り方を調整する。体の方は能力を伸ばさなくても十分なほどあるから、夏は徹底してフォームと走り方の矯正に費やした。

 

 走りだしを意識してスターティングを整える。クラウチングスタートはしない、不思議とウマ娘がアレをやっても人間ほどの速度が出ないのだ。だから走りだしを意識して大地を踏み込む様に右足を前に出し。

 

 静かに待つ。

 

『さあ、第X回朝日杯フューチュリティステークス……今、始まりました!』

 

 がこん、ゲートが開ききる前に体は既に飛び出していた。

 

 ギリギリ、体がぶつかる事無く通る程度にまで開いた瞬間に体がゲートの外へと飛び出す。足元の芝を蹄鉄で抉りながら前へ、前へ飛び出す。一瞬でハナを奪えば、後ろから猛追してくるウマ娘の姿が見えてくる―――ストーミーカフェだ。

 

「……っ!」

 

 逃げの脚質であるストーミーカフェがハナを奪おうと加速してくる。当然、ハナを奪う事に価値はない。加速して前に出てくるカフェに前を譲る。その姿が横を抜ける時に小さく呟く。

 

「ここで急加速しちゃって、後で体力が残ると良いな」

 

「この……っ!」

 

 ささやきを放って軽く心を乱しつつ後ろへと少しずつ下がる。他にも前に出たがるウマ娘はスルーしておく。逃げでも先行も問題はないが、レースをコントロールする以上は先団から中団で控える辺りが最もやりやすい。

 

 だから2,3人と前を走らせるがそれ以上前に出てくるような事はない。ちらり、と後ろへと視線を向ければマイネルレコルトが俺の直ぐ後ろに控えているのが見える。俺をスリップストリームに使っている? 成程、メイクデビューの時の真似をされたか。

 

 まあ、問題はない。寧ろ問題は前を走る2人は此方へと視線を軽く向けて意識している事だろう。アレはどうやら俺を最大の障害として認識しているようだ。何らかのアクションを取って来てもおかしくはないのかもしれない。恐らくはデバフの類か……俺が良くやる様な手を使ってくるかもしれない。

 

 ―――だが、だ。それを跳ねのけられる様な力が無ければGⅠで勝つ様な資格もないだろう。

 

 抜くにはまだ早い。

 

 序盤の直線を抜けて中盤最初のコーナーが見えてくる。コーナーに合わせて間延びする隊列は加速すれば抜き去るチャンスでもある。後ろから上がろうとしてくるウマ娘達が前目に付けようとしている。僅かに膨らむ内側、それに合わせて内ラチにぴったりと張り付く。

 

 きぃん、金属音が響く。

 

 ぺたん、と音を嫌がるように一部のウマ娘の耳が倒れる。やったことは簡単だ、着ているコートの袖の金具を軽く内ラチにぶつけただけだ。響く金属音が他者の集中力を阻害し、加速力を妨害する。

 

 それに合わせ前を走る姿に威圧を叩きつける。脚を引っ張るように、心臓を掴む様に睨んで殺意にも似た感情を叩きつける。それに気づいた姿が軽く視線を送ってくる。

 

「くっ、これが……!」

 

 コーナーに合わせて息を整え、スタミナを軽く回復させる。中盤を抜ければもう既に最終コーナーに入り、そっからゴールまでは直線だ。

 

 俺を潰しに来るなら最終コーナー辺りになるだろう。

 

「それじゃ……!」

 

 マイネルレコルトが上がり始める。視線がストーミーカフェを捉えている。それに合わせ前のウマ娘が減速し始めている。垂れている? いや、抜け出しを牽制しているのか。大外から上がり始める姿が此方を横から抜け出すのを阻止しつつ前に上がろうとする姿が見える。

 

 ―――しゃらくせぇ。

 

 抜け出し準備に入る。上がってくる姿を視界にとらえながら大きく外へと向かって上がる。相手が此方の動きを封じ込めるよりも早く加速し、スピードを上げる。最終コーナーから終盤に入り溜めていた脚を解放し始める。

 

 ターフを踏む足元に彼岸花が生える。

 

「来た……領域(ゾーン)!」

 

「惑わされるもんか!」

 

「攻略してやるッ!」

 

 ハッ。攻略する? 惑わされる? そんな事を言っているなら。

 

「絶対に乗り越えられないな―――」

 

 抜け出し―――抜け出した。正面にいる二人を交わし、競り合うストーミーカフェとマイネルレコルトを視界にとらえる。最終コーナーを抜けて直線に、直ぐに下り坂に入る。だが溜めていた脚を解放した事でスパートに入っている。

 

「来たか!」

 

「クソ、逃げ切る……!」

 

 呼吸の合間に漏れてくる声に闘争心が宿っている。そう、そうだ、そう来なくちゃ。そうじゃなきゃ走ってても面白くはない。

 

「真っ向勝負、行くぞ」

 

「ッ!」

 

 彼岸花が咲き誇る。ターフを深紅の恐怖が満たす。そう、彼岸場は死の象徴、俺の死という存在に対するイメージの具現。咲き誇るのは死の形、敏感に物事を感じ取れてしまうウマ娘は無意識的に死の存在を感じてしまう―――人類が最も強くストレスを感じる概念に触れてしまう。

 

 そう、死を人は忌避する。ヒトであれ、ウマであれ、どれだけ心が渇いていても死という存在は無意識にストレスを呼び起こす。それが脚の鈍り、体力の浪費という形で出現する。

 

 そして俺は……寧ろ落ち着く。慣れた死だ、今更抱擁する以外に感情はない。

 

 だから彼岸花の領域が咲き始めると同時にレースが動き出す。

 

 3番手で控える。競り合う先頭の2人―――マイネルレコルトが競り勝ち、前に出始める。

 

 下り坂から上り坂。レース最後の難所が1600mを走るウマ娘達に襲い掛かる。ギリギリの競り合いで体力を削り合う中で、彼岸花に心を蝕まれ体力が限界まで削られている。徐々に、意識しないレベルで速度が落ちてきている。

 

 それを前に、疾走する。

 

「おぉぉ―――」

 

 上り坂に蹄鉄を叩き込んでマイネルレコルトの姿が駆けあがる。最後の体力を燃やしきるように、ゴールへの最後のストレッチを走り切らんと全てを吐き出し始める。

 

 それに、息を飲み、姿勢を更に低く、レース会場の全てを領域に飲み込んで―――ラストスパートに入る。

 

「負けるか、GⅠ、渡すものか……っ!」

 

 上がる。上がって行く。垂れてくるストーミーカフェを回避し更に加速する。

 

 環境はなかった。一般家庭に生まれて、走る為の設備なんてなかった。だからネットで調べた知識で坂路を走ったりプールで泳いだりしてトレーニングをしてきた。

 

 だがそれ以上に、記憶にある技術をずっと磨いてきた。野良レースで何回も何回も走る事で実戦の中で己という存在を磨き上げてきた。強敵とぶつかれば、本気で走れば走るだけ技術(スキル)が身についた。

 

 だから、今もそうだ。全力で走るウマ娘達。全力で削り合う俺。

 

 楽しい。面白い。心地よい。

 

 余分なものがそぎ落とされて行く。必要な形へと技術が研磨されて行く。

 

 末脚が、全力全開の走りへと昇華される。歯を食いしばるように笑みを浮かべながら彼岸花のカーペットで敷かれた道を行く。マイネルレコルトの存在を捉える。先頭を行く姿に並ぶ。

 

「負け、ない……!」

 

 食いしばって吠える言葉に応えるように更に強く踏み込む。既にゴールは見えている。だがスタミナはまだ切れない。パワーは衰えない―――まだ速度が出る。

 

「―――っ!」

 

 悲鳴にも似た息が聞こえるのを置き去りにして前へ、前へ出る。一歩、二歩、三歩。誰よりも前に出て、抜き去り、置き去り。

 

 ―――そのままゴールラインを切る。

 

『そして今! 先頭でゴールイン! 1着はクリムゾンフィアー! 2着マイネルレコルト! 3着はストーミーカフェ! クリムゾンフィアー! 素晴らしい末脚! 着差以上の強さを感じさせてくれました!』

 

『力強い走りでした! 終始レースをコントロールし、ギリギリまで脚を溜めてから一気に末脚で差し切ったレース運びはまさしく見事以外の言葉が見つかりません!』

 

「ははは」

 

 笑い声を零しながら徐々に速度を落とし、中指を突き立てながらウィニングランに入る。観客席に視線を向ければ中指を突き返している観客がいる。これ、そういう挨拶じゃないんだけどなぁ、まあいっかぁ。

 

 ゆっくりと、速度を落として足を止めてから、息を整えるように深呼吸。胸を満たす高揚感の心地よさに感じ入るように目を閉じ。

 

「うっし、まずは1冠目」

 

 聞こえてくる歓声と舞うバ券に祝福され、GⅠの栄光を手にした。

 

「掴んだぜ、スキルのコツを」

 

 まだだ、まだ強くなれる―――勝利しても、さらなる激闘と勝利に俺の心はまだ、飢えていた。




クリムゾンフィアー
 ウマ版サイヤ人。GⅡ以下のレースに出ると白ヒントを得る。GⅠに出ると金ヒントを得る。

バンダナ
 ゲーミングバンダナを付けて応援に来てた。ついでに単勝100万のバ券を用意してた。


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掲示板 ホープフルステークス

【年末のGⅠ】ホープフルステークス【ジュニアの星】

 

 

504:名無しのファン

 1番人気6番 スリヴァッサ 

 先日GⅡで勝利しており中距離適性は証明済み

 直線の粘り強さが特徴でスパートに入ってからが強い

 

 2番人気3番 マイトリート

 GⅢ1着1回GⅡ2着2回で結果を出せている娘

 これといった強い特徴がないけど勝ててるので恐らくは要領のいいタイプ

 モブって言った奴表に出ろ

 

 3番人気 1番 クリムゾンフィアー

 朝日杯FS優勝バ チーム・スピカ所属

 メイクデビューで既に領域を使っているスピカからの刺客

 皇帝からして私と同じタイプのプレイヤーと言わせる才能の持ち主

 

 注目株はこんな所やろ

 

 

507:名無しのファン

 >>504 まとめ乙

 

 

510:名無しのファン

 >504 乙。こう見るとフィアちゃん3番人気なんやな

 

 

511:名無しのファン

 距離適性おじさん「フィアちゃんは距離適性がない」

 

 

512:名無しのファン

 そうかなあ……そうかなぁ……

 

 

513:名無しのファン

 >>504 乙乙

 GⅠ1勝でも3番人気かあ

 

 

515:名無しのファン

 ワイはスリヴァッサちゃんのバ券を握ったで

 

 

518:名無しのファン

 1番人気はまあ、手堅いけど当たってもライブ席の抽選がな

 

 

520:名無しのファン

 >>511 スピカにはシービーがいるでしょ!

 

 

521:名無しのファン

 本質マイラーとか言われて三冠取ってきた娘

 

 

524:名無しのファン

 それを出されると弱い

 

 

525:名無しのファン

 せやけど10日前やぞ朝日FS

 10日でレースの疲れ抜けるか?

 

 

528:名無しのファン

 ついに言えば距離延長もあるしな

 400mって割と辛い延長だぞ

 

 

530:名無しのファン

 まあ、今までマイルしか走ってる所見せてないしな

 これで中距離が走れる事が判明したら地獄みたいな事になるんだが

 

 

533:名無しのファン

 中距離長距離路線ディープインパクト!

 マイル中距離路線クリムゾンフィアー!

 ファイっ!!

 

 

534:名無しのファン

 た、短距離に逃げるしかねえ!

 

 

536:名無しのファン

 >>533 割と見えてる未来なのが怖いんだよなそれ

 

 

537:名無しのファン

 リギルとスピカの冬が来るかあ(錯乱

 

 

538:名無しのファン

 リギル一強じゃないだけマシやろ!!

 

 

541:名無しのファン

 (静かにマイトリートちゃんのバ券を握りしめる)

 

 

544:名無しのファン

 (静かにオイシイパルフェのバ券を握る)

 

 

547:名無しのファン

 じゅ、10番人気

 

 

549:名無しのファン

 >>547 推しに貢ぐチケットなんだよこれは!!

 

 

550:名無しのファン

 推しに貢ぐならしゃーないな……

 

 

551:名無しのファン

 存分に貢げよ……

 

 

553:名無しのファン

 ワイはフィアちゃんのライブバ券に50万叩き込みました(真顔

 

 

556:名無しのファン

 >>553 馬鹿野郎

 

 

558:名無しのファン

 >>553 もしや通りすがりの石油王で

 

 

561:名無しのファン

 ホープフルでその値段叩き込む奴久しぶりに見たな

 

 

562:名無しのファン

 ちゃうねん

 ワイは悪ぶってる娘がライブの時に見せるキラキラした姿に弱いだけなんだ

 

 

564:名無しのファン

 仕方がない……仕方がないかなぁ

 

 

566:名無しのファン

 どうだろ……まあ、ポケットマネーなら

 

 

567:名無しのファン

 パドック開始

 クリムゾンフィアー、何時も通りの仕上がり

 

 

569:名無しのファン

 うーん、流石の西村

 元々メンタル強いウマ娘だしコンディション調整楽そう

 

 

571:名無しのファン

 今日も掲げる中指輝いてるねぇ!

 俺もテレビに向かって中指向けるか

 

 

572:名無しのファン

 そういうサインじゃねぇから!

 

 

573:名無しのファン

 いや、でも彼岸花の間では中指で返すのは礼儀って事になってるから

 

 

576:名無しのファン

 独特なファン層だなぁ

 

 

578:名無しのファン

 実況の人も中指掲げてて草

 

 

581:名無しのファン

 実況おい!!!

 

 

582:名無しのファン

 草

 なんで実況の人がソシャカスなのか判明したな

 

 

584:名無しのファン

 ああ! それはそれとして勝負服いいなぁ

 

 

585:名無しのファン

 タイツ履いてる辺り脚を隠してるんかなあ、とは思うが

 

 

588:名無しのファン

 >>585 なにそれ

 

 

589:名無しのファン

 >>588 ウマやトレーナーは脚見れば調子が解るので脚は隠せるほうがアド

 

 

590:名無しのファン

 こっわ

 

 

593:名無しのファン

 勝負服にそういう所まで考えるのか

 

 

596:名無しのファン

 一部はやる

 マジでやる

 

 

597:名無しのファン

 うーん、流石GⅠになるとどこもコンディション調整万全だなあ

 

 

598:名無しのファン

 ホープフルはジュニア期唯一の中距離GⅠだしな

 中距離適性の一番早い時期の大舞台だわ

 

 

600:名無しのファン

 まあ、そう考えればそうか

 

 

602:名無しのファン

 うえーん、抽選倍率やばいよお

 

 

603:名無しのファン

 スタンドも埋まってるしな、倍率やばそ~

 

 

606:名無しのファン

 場合によっちゃジュニアGⅠの2冠ウマ娘が生まれるしな

 

 

609:名無しのファン

 そう簡単になれるなら苦労しねぇんだわ

 

 

610:名無しのファン

 それはそう

 

 

611:名無しのファン

 まあ、レースが始まれば結果は解るもんよ

 

 

613:名無しのファン

 せやな

 

・・

・・・

・・・・

 

 

 

715:名無しのファン

 そろそろゲートインか

 

 

716:名無しのファン

 ゲートを嫌がる子いるよな

 

 

719:名無しのファン

 ウマ娘は本能的に狭い場所が苦手らしいぞ

 

 

720:名無しのファン

 閃いた

 

 

722:名無しのファン

 おさわりまん此方です

 

 

724:名無しのファン

 なんてものを呼びやがる

 

 

727:名無しのファン

 ウマ娘は見た目はほぼヒトカスと一緒だけど部分的にね?

 

 

729:名無しのファン

 まあ、不思議な部分あるよな

 領域とか

 

 

731:名無しのファン

 完全に上位互換なんだよなぁ~~~

 

 

733:名無しのファン

 やめろやめろ

 

 

736:名無しのファン

 んな事言っている間にゲートに収まったぞ

 

 

738:名無しのファン

 流石にゲート入り渋らないか

 

 

741:名無しのファン

 気性難がちょくちょく脱走企てるのは面白いが

 

 

744:名無しのファン

 フィアちゃん気性難なのにすっと収まるの面白いよな

 

 

747:名無しのファン

 あれはメンタル相当業の者だぞ

 

 

750:名無しのファン

 パカチューブの準レギュラーの座は伊達じゃない(確信

 

 

753:名無しのファン

 ゴルシ……お前……いつ出走するんだ……

 

 

756:名無しのファン

 ほんそれ

 

 

759:名無しのファン

 はい、キレイに飛び出してすーっと……中団に入るフィアちゃん

 

 

762:名無しのファン

 ハナはウェイクウェイク、1~3人気は全員先行か

 

 

764:名無しのファン

 フィアちゃん露骨にマークされてて草

 

 

766:名無しのファン

 この場の唯一のGⅠウマ娘だしな

 

 

769:名無しのファン

 露骨に後ろに迫ってるなあ

 

 

770:名無しのファン

 プレッシャーやな

 真後ろにつけて圧力を与える事で相手のスタミナを削る技術やな

 

 

772:名無しのファン

 まあ、圧迫感感じると走り辛そうだわな

 

 

773:名無しのファン

 そうかなぁ……そうかなぁ?

 全く関係なく走ってそうだけど

 

 

775:名無しのファン

 あ、マイトリートよれた

 

 

778:名無しのファン

 流石に映像だとどうなってるか解らんなあ

 

 

780:名無しのファン

 一気にバ群崩れた?

 

 

782:名無しのファン

 フィアーが八方睨んで全員怯ませてたわ

 

 

783:名無しのファン

 近くの人が音と睨みと威圧を混ぜてスタミナ削ってるって

 

 

784:名無しのファン

 音?

 

 

786:名無しのファン

 >>784 勝負服の金属部分を擦ったり、足音とか、内ラチに金属ぶつけたり

 そういう音で集中力を乱したりかからせたりするらしい

 

 

788:名無しのファン

 いつもの(ネイチャ

 

 

789:名無しのファン

 いつもの(ハヤヒデ

 

 

791:名無しのファン

 いつもの(ルドルフ

 

 

794:名無しのファン

 賢い系ウマ娘の動きまるで解らん……

 

 

796:名無しのファン

 俺達に理解出来てない、それが賢さの証明よ

 

 

799:名無しのファン

 あああああパルフェがああああああ

 

 

800:名無しのファン

 抜けた! 最終コーナーから抜けた!! 行け! 行け!!

 

 

803:名無しのファン

 ハナ取って2バ身リード! キープしてる!

 

 

805:名無しのファン

 差せさせさえええええ

 

 

807:名無しのファン

 あああああああああ

 

 

808:名無しのファン

 とまれ赤カスうううう

 

 

809:名無しのファン

 とまりませーん♡

 

 

810:名無しのファン

 ファッキュー赤兎馬、ファッキュー赤兎馬

 

 

812:名無しのファン

 今日も敗者の怨嗟で飯がうめえ

 

 

814:名無しのファン

 勝ちバ券でライブ席抽選じゃああああ

 

 

815:名無しのファン

 ヒャッホゥ!

 

 

817:名無しのファン

 くそぅ……くそぅ……

 

 

819:名無しのファン

 あの赤毛まだまだ余裕って感じの表情だな……もしかして中距離余裕?

 

 

821:名無しのファン

 マイルも中距離も問題なく走れるか

 いや、芝2000mは短いほうだしなあ

 

 

824:名無しのファン

 だけどこれで皐月は走れるって判明したな

 

 

826:名無しのファン

 皐月に来るのかルドルフ2世……

 

 

828:名無しのファン

 テイオー並みにルドルフと仲良しで面白いんだよなこいつ

 

 

830:名無しのファン

 糞ぉ、今日はスリヴァッサが来ると思ったんだけど

 

 

831:名無しのファン

 この世代だとフィアちゃんが頭一つ抜けてるのが判明したな

 

 

832:名無しのファン

 こりゃ年度ジュニア代表バは確定かな

 

 

835:名無しのファン

 リギルのディープインパクトがヤバそうだけど今年はメイク以外走ってないしな

 

 

838:名無しのファン

 ジュニアでGⅠ2冠とか過去にあったか?

 

 

840:名無しのファン

 これで代表にならなきゃ嘘だろ

 

 

843:名無しのファン

 はい、インタビューのお時間よー

 今回は西村も一緒

 

 

846:名無しのファン

 レポ「ホープフルステークス1着おめでとうございます。今回の走りはどうでしたか?」

 赤毛「(満面の笑みで中指)」

 

 

848:名無しのファン

 滅茶苦茶嬉しそう

 

 

850:名無しのファン

 嬉しくないわけがないんだよな

 

 

852:名無しのファン

 西村「クラシック三冠を目指す以上、2000mを本番で確かめる必要がありました。ホープフルはそういう意味では丁度良いレースでした」

 レポ「三冠路線を取ると?」

 西村「はい、クリムゾンフィアーは三冠を取るつもりです。無論、トリプルティアラの方が良いという意見も聞きますが」

 赤毛「強敵と戦ってこそのウマ娘だろう。三冠で燃え尽きるようなレースをしようぜ」

 

 

853:名無しのファン

 三冠路線、と

 

 

854:名無しのファン

 マイルだけじゃなく中距離も走れるなら夢ではなさそうだな

 

 

855:名無しのファン

 ミホノブルボン「せやろか」

 

 

858:名無しのファン

 シービー「せやろ」

 

 

860:名無しのファン

 お前ほどのウマ娘が言うなら……

 

 

863:名無しのファン

 スピカはシービーいるしマジでやれそうなんだよなあ

 ライスみたいなのさえ湧かなきゃ

 

 

865:名無しのファン

 普段からウマッタ―で絡みを公開してるディープ氏がね……

 

 

867:名無しのファン

 聞こえてくる噂が全部やばいというアイツ

 

 

868:名無しのファン

 早くレースで走る姿見せてくれねぇかな……

 

 

871:名無しのファン

 リギルぅ……!

 

 

872:名無しのファン

 レポ「最後の一言、何か」

 赤毛「(口紅を塗ってからキスマークをカメラに付ける)次は皐月で会おうぜ」

 

 

873:名無しのファン

 えっっっ!!

 

 

876:名無しのファン

 なんだぁ、てめぇ? 惚れるぞ

 

 

879:名無しのファン

 過剰ファンサ

 

 

880:名無しのファン

 こういう所凄いアメリカンだよな

 

 

882:名無しのファン

 えちちちちち

 

 

883:名無しのファン

 えっろ

 

 

886:名無しのファン

 その為の口紅なのかぁ?????

 

 

887:名無しのファン

 えっ!!

 

 

888:名無しのファン

 カメラマン滅茶苦茶困ってて草

 

 

891:名無しのファン

 そら拭けないもんなw

 

 

894:名無しのファン

 キスマーク残して撮影続行か

 

 

896:名無しのファン

 会場爆笑で草

 

 

899:名無しのファン

 現地はライブ席抽選発表へ

 

 

902:名無しのファン

 うおー! 最前列こいこい!!!

 

 

905:名無しのファン

 はあ、楽しかった

 ライブはいいや

 

 

907:名無しのファン

 は? ここからが本番だろ……?

 

 

909:名無しのファン

 散れ散れ

 

 

912:名無しのファン

 わざと対立すんなボケ

 

 

915:名無しのファン

 いやあ、今年もアツいレースが見れたわ

 

 

916:名無しのファン

 後は有マで〆だわ

 

 

917:名無しのファン

 この強さなら来年は無敗三冠あるかもな

 

 

918:名無しのファン

 いやあ、来年も楽しみだわ




クリムゾンフィアー
 前々からやりたかったファンサもやれて満足

カメラマン
 キスマークの付いたカメラをテレビ会社から買い取った


 トゥインクルシリーズで発行するバ券=購入したバ券が当たったらライブ席の抽選権になる。入れた金額が大きい程抽選範囲が広がるイメージ。ライブで推しの前に座りたかったら金を出せ。

 悪い大人のバ券=非公式ではあるが非合法ではない。お金を賭けてる。URAが保証してない。


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19話 あなたを犯人です

「ほほー、立食式かあ。こういうパーティー経験がまるでないからちょっと新鮮だな」

 

 年末年始はマミーに寂しい思いをさせないために実家で過ごす予定だったのだが、今年は活躍してしまった為に仕事が出来てしまった。

 

 そんな訳で俺はタキシード姿でURAが開催する年末のパーティに来ている。無論、普通に女性用のドレスの貸し出しもあったが偶には男物も着てみたい気持ちが強かったからタキシードを借りた―――まあ、なんだかんだで背は高い方なのでサイズはあっていた。

 

 ただ胸の所が割とキツイという所だけか。こういうどうでもいい所で性差を感じる。

 

「全く、君という奴はパーティー一つまともに出る事も出来ないのか」

 

「いやあ、すんません」

 

 呆れた声で苦笑するのは我らが生徒会長、シンボリルドルフ様。青色のドレス姿はどうも着慣れている様に見える。シンボリ家のお嬢様だと考えれば実際に慣れているのだろう。

 

「ですが似合っていますよ、クリムゾンフィアーさんのタキシード姿」

 

「お、そう言われると嬉しいなあ」

 

 そう言って褒めてくれるのは眼鏡姿のウマ娘、ゼンノロブロイ。今年の最優秀シニアウマ娘として認定されたウマ娘だ。URAは毎年、年末になると最優秀ジュニア、クラシック、そしてシニアウマ娘を他の細々としたタイトルと共に決めている。

 

 簡単に言ってしまえばその年に誰が活躍したか、という賞だ。

 

 最優秀シニアウマ娘にはゼンノロブロイ。

 

 最優秀クラシックウマ娘にはキングカメハメハ。

 

 最優秀ジュニアウマ娘にはこの俺、クリムゾンフィアーが。

 

 カメハメハはダービーウマ娘、俺はジュニア2冠ウマ娘、そしてゼンノロブロイは今年天皇賞秋、ジャパンカップ、そして先日の有マ記念で1着を取るという化け物染みた走りを見せている。これで最優秀シニア取れないならどうすりゃあ良いんだよという戦績だ。

 

 そういう訳で慣れないパーティーにルドルフを引率としてやって来ていた。

 

「所でキングカメハメハは?」

 

「到着するなり消えた」

 

「一瞬テーブルでご飯を食べている姿を見ましたけどそれ以降は……」

 

 三人で揃って失踪したかあ、と呟く。窓の外へと視線を向ければきらん、と夜空に輝くキンカメの姿が見えた気がする。たぶん幻覚だろ。もしくはここにきてそのまま帰ったか。

 

 はあ、と溜息を吐くルドルフは今日は真面目モードらしい。胡乱な姿を見ているせいか割と新鮮に感じるのはちょっと間違ってると思う。

 

「さて、私は挨拶回りに行って来よう。2人はここで待っていると良い、URAのお偉い方に話しかけられても困るだろう?」

 

 ルドルフの言葉にこくこくと頷くゼンノロブロイ。眼鏡系美少女もドレス姿となると中々美しいものがある。ルドルフと合わせて周囲の視線をそれなりに引いている。それを威圧するようにルドルフが軽く視線と気配を巡らせている。

 

 ……気配り、出来るなあ。

 

 笑みを浮かべて挨拶回りに出るルドルフを見送り、ロブロイと共に壁の花となる。

 

「ロブロイさん、最優秀シニアウマ娘おめでとう」

 

「クリムゾンフィアーさんもおめでとうございます。ジュニア2冠、凄いですね」

 

「ロブロイさんこそ秋3冠獲得とか化け物染みたスコアでしょ。俺も早くクラシック戦線やシニア戦線を走りたいよ」

 

「あはは……」

 

 困った様に笑うロブロイは余り強そうなウマ娘には見えない……が、そうやって彼女を舐める事は出来ない。間違いなく彼女は俺よりも格上だ。どれだけ頑張った所で勝てない相手なのだ。世の中、本当に不思議な事もあるもんだ。

 

「そこの、君たち」

 

 ロブロイと共に何を話そうかと話題を探っていると、此方を見かけた知らない男が片手を上げながら近づいてくる。知らない存在にロブロイの体が強張る。

 

「やあ、クリムゾンフィアーさん、ゼンノロブロイさん。今、誰とも喋ってないなら―――」

 

「ふんっ!」

 

 彼岸花を取り出してそのまま頭に突き刺すと白目を剥きながら痙攣しつつ男が倒れ込んでくる。それを素早く俺とロブロイで抱きとめる。

 

「く、クリムゾンフィアーさん!?」

 

「フィアーでもフィアでもいいよ、長い名前だし」

 

「え? あ、ありがとうございます……ではなくて、何をしてるんですか」

 

「え、いや、ナンパぽかったし……」

 

「こ、この人URA会長のお孫さんですよ……?」

 

「えっ」

 

 えっ、と声を零しながら白目を剥いてる男を見て、頭に刺した彼岸花を引っこ抜いた。一瞬びくんと痙攣する姿を見て、ロブロイを見て、もう一度白目の会長孫を見た。

 

 すすす、とロブロイから回収した孫を窓際まで運び、窓を開けたらそのまま外へと投げ捨てる。どさり、と音がして外に落ちてった姿を見送る……良し、びくんびくんしてるなら問題ないな。

 

「良し」

 

「良しじゃありませんけど」

 

「死んでないならギャグで済むでしょ。寧ろ免疫がつくよ」

 

「それ、スピカだけですよ」

 

 嘘だあ。ロブロイがしきりに窓の外を不安げに眺めているが大丈夫だ、人間がこの程度ではどうって事がない事は既に沖野トレーナーによって証明されている。人間、毎日ゴルシキック喰らってれば人体が限界突破するんだ。きっと会長孫だって耐性の一つや二つ生やすよ。

 

「フィアー、ゼンノロブロイ、ここら辺で本田さんを見なかったかな? URA会長のお孫さんでトレセン学園に毎年多額の寄付をしてくれてる方なんだけど」

 

 俺とロブロイの顔が一気に青くなる。無言で顔を横に振ると、そうか……とルドルフが呟く。

 

「お手洗いにでも離れてしまったのかな? 後で挨拶するとしようか」

 

「それが良いと思います。我はそれが一番だと思います」

 

「わ、私もそれが良いと思います……!」

 

 ぶんぶんと頭を振ってルドルフに賛同していると、きゃーという声が会場内から響く。視線の主は会場のベランダの方だ。視線を其方へと向ければゲストの女性が慌てて会場に戻り、震える声でベランダの外を指さす。

 

「ほ、本田さんがそ、外で死んでる……!」

 

 さぁっ、と血の気が引いて行く音がする。ルドルフは俺とロブロイを見て、何か言いたそうな顔をしている。というか主に俺の顔を見ている。はは、バレてるかな? バレてるというか最初から疑ってたなこれ? はは、正解ですよ。

 

 ふっ、とルドルフが笑みを零す。

 

 やったな? という視線をしてる。

 

 はい……やりました……。

 

 だがそれは絶対に認めない。認めてなるものか。俺は自分の服の胸元を軽く開けてそこに手を突っ込むと、どこでもシャーロックホームズセットを取り出した。その帽子を無理矢理ロブロイに被せ、パイプを口に突っ込んだ。

 

「皆ぁ! 大量のミステリーを読んでいるゼンノロブロイ先生がこの難事件を解決してくれるそうだァ!」

 

「えっ」

 

「成程……確かにゼンノロブロイなら適任だな……」

 

「えっ」

 

 何時の間にか8Bitサングラスを装着したルナちゃんがノリノリだった。いや、それを見て解りやすくこれが何らかの余興だと周りが判断できるようになったのだろう。周りのURAのお偉い方も腕を組みながらロブロイならと頷いている。虐めか?

 

「えっ? え? あ、あの、え」

 

「ロブロイ・ホームズ……この事件を解決するんだ……!」

 

 力強く解決を訴えるとロブロイが空気に流されて頷いた。

 

「わ、私にお任せください!」

 

 うおー、と会場に歓声が響く。URA関係者にノリの解る人間が多すぎる。後はそう。

 

 ―――俺がワトソンとして全力で妨害すればこの夜は乗り切れる……!

 

 壮大な計画を胸に、URAの夜が始まる。




クリムゾンフィアー
 当然バレた

ゼンノロブロイ
 秒で赤毛を売った

シンボリルドルフ
 秒で察した。マヤノトップガンじゃなくても解ると断言した

本田さん
 ファンサだと思って楽しんだ。豪の者


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20話 新年あけましておめでとうございます(煽り

 もっちゃもちゃ。

 

「あ゛ー……落ち着く……」

 

「もう、そんなにものぐさしてると太るわよー」

 

「トレーナーからカロリー計算のあれこれ貰ってるからへーきへーき」

 

 炬燵に半身を突っ込んでみかんを剥いて食べる。新年、というか冬はこれに限る。流石に栗東寮に炬燵を持ち込むわけにもいかないし、この良さを味わえるのは実家にいる間だけだろう。緑茶にみかんを並べて、テレビはお正月特番をかける。

 

 新年1月1日、正月の朝とはこうあるべきなのだ。

 

 URA忘年会で見事に公開処刑を受けてから実家に帰りゆっくりとした時間を過ごさせて貰っている。流石に学生身分なので3年間1度も家に帰らないというのは色々と問題があるし、俺自身割とマミーの存在が恋しい。

 

 そういう訳で新年早々、俺は堕落という概念を極めていた。

 

 寮生活では掃除も洗濯も自分でやらなきゃいけない部分が大きいけど、実家にいれば料理も洗濯も掃除も全部親がやってくれる……当たり前の様でそうじゃないのだ。このありがたみを実家に帰ってくると感じる。

 

「あー、実家サイコー」

 

「全くこの子ったら」

 

 そう言いながら声がどことなく弾んでいる我がマミー。やっぱ俺がいる事が嬉しいんだなぁ。まあ、なんだかんだで実家が一番落ち着くのは事実だ。俺もこれを機に、長期の休みはちょくちょく実家に顔を出すべきなのかもしれない。

 

 でも夏とか合宿で海に行くからなあ。実家に帰れるタイミングって短期の休みか年末年始ぐらいなんだよな。

 

「くーちゃん。折角だし初詣にでも行って来たら?」

 

「うーん」

 

 そういや新年の初詣イベント、体力を回復するかステータス上げるかで割とお得なイベントだったな……。アレ、明らかに三女神のご加護か何かが働いてるし、初詣行くのは割とありかもしれない。バステもなぜか神社で解除できるし。しゃーない、行くかぁ。

 

「そうだ、ついでにお友達でも誘ったら?」

 

「うーん……ディーの奴予定あいてるかなあ」

 

 ちょっくら連絡を入れてみるか……と、スマホで電話をかけてみるが反応はなし。ディスコに連絡を入れても反応はない。普段なら直ぐに反応するんだが……タイミングが悪かったんだろうか?

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

うちのチワワがメッセ無視して既読すら付かんのだが?

 

578件のリツイート793件のいいね

 

 

 ウマッターにぽちぽちと入力していると、

 

 

秋川やよい @Northern_Taste・今

 

@crimson_fear

ディープインパクトであれば恐らく本家の方に拘束されている

悪い意味ではなく

単純に自由が少なく、トレーニング漬けの可能性が高いッ!

 

1287件のリツイート1456件のいいね

 

 

 なんか理事長からリプが来たけどそっか、理事長はそこら辺の事情が解るか。

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

@northern_taste

うちの子と初詣したいんですけど……

 

459件のリツイート653件のいいね

 

 

秋川やよい @Northern_Taste・今

 

@crimson_fear

本家の者達は凝り固まった価値観を持つ

立場上あまり悪い事は云いたくはないが

青春やそういう類に対するいい印象を持たない

 

1114件のリツイート1273件のいいね

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

@northern_taste

襲撃、いっすか

 

1812件のリツイート2047件のいいね

 

 

 DMでノーザン本家の地図が送られてきた。これ、理事長からゴーサインが出てるって事なんだよね? そうだよね? 良いって事だよな……?

 

「マミー、新学期まで友達をウチで囲いたいんだけど」

 

「ちゃんと面倒見るのよー? 途中で飽きたとかは駄目よ?」

 

「最後まで面倒見るから大丈夫大丈夫」

 

 

 

 

「いえーい、ピスピス! URA会長孫殺害事件から久しぶりー! 俺だよ、俺俺、俺! 新年から動画1発目はゴルシじゃねぇ! この俺だ! クリムゾンフィアーだ、今日はちょっとうちのディープインパクトが実家に拘束されてるらしいから拉致しに行くぞ」

 

 ウマッターのライブ機能を使って配信を開始すると早速大量の視聴者が流れ込んでくる。服の胸ポケットにスマホを捻じ込んでディープインパクトの実家、ノーザン本家の門前に立つ。当然ノーアポ、門が開く訳はない。ベルを押した所で門前払い。

 

「しゃーねぇ、潜入するかぁ」

 

それでいいのかぁ? いっかぁ

当然のように潜入行動に入るウマ娘

これがジュニア代表バの姿か?

ああー! お前お前お前お前! アタシのチャンネルを乗っ取ってやがる……!

 

 胸ポケットに入れたスマホをちらりと確認すると、ウマッターに俺に対する大量のコメントが流れ出す。こういうのを眺めてるだけでも割と楽しいんだが、今はそういう時ではない。知り合いにバイクでここまで運んでもらったとはいえ、それなりに時間はかかっている。さっさと侵入して終わらせてしまおう。

 

 ウマ娘の身体能力を以ってすれば塀を越える事なんて難しくもない。軽く壁を蹴るように脚を引っかけて上に飛び、塀の上に着地したらそのまま敷地内に不法侵入する。よっと、と軽く声を零しながら乗り込めばウマッターのライブが良い感じに燃えだす。

 

「やっちまったなぁ!」

 

 げらげら笑いながら軽くディープインパクトの気配を探る……ふむふむ、それなりに多くウマ娘の気配を感じられる。だが普段から一緒のチワワの気配は良く解っている。3階ぐらいから彼女の気配がする。敷地の庭から回り込んだ方が見つからずに行けるかもしれない。

 

 そう判断して向かおうとした所、

 

「ぐるるるるぅ……」

 

「おやおやおやおやおや」

 

 敷地内に放たれた番犬が俺のフローラルな匂いを感知してか、一瞬で走り寄ってくる。吠えようとする姿を視界にとらえ、割かし本気で睨んだ瞬間。

 

「くぅん……くぅんくぅーん……」

 

「良し良し、誰が上なのか良く解ってるな?」

 

 途端に地面に転がって腹を見せる犬たちが完全に服従の姿勢に入る。これで庭を隠れ進む俺を邪魔する生き物はもういない。新たに増えた子分を放置して茂みの中に身を隠しつつ庭を進み……ディープインパクトの居る部屋、その窓の下までやってくる。

 

「部屋の中に気配は1人……ディーだけだ。なら問題はないか」

 

 よっこいしょ、と壁に脚を掛けて一気に壁を蹴って上に向かう。窓の縁を掴んでするすると登りながら3階まで上がれば我らがチワワのいる部屋の中が見れる。窓からぶら下がるように頭をちょこん、と出して中を窺えばチワワが私服姿でベッドの縁に座り俯いて虚無ってる姿が見えた。

 

「これが花の女学生の姿か……? うわあ……部屋の中もやばっ」

 

 装飾品と呼べるようなものは少ない、殺風景な部屋だった。レースに関する本、トレーニング器具、机、勉強道具……娯楽と呼べるようなグッズが一切置かれていない部屋だった。目立つものは大きなベッド一つで、それ以外は部屋らしい特徴の薄い部屋だった。

 

「こんな所にいたらそりゃコミュ障にも育つわ。よっこらせ」

 

 べき、と音を立てて窓を無理矢理開けた。

 

「べき? え? えっ? えっ?? ふ、フィアさん……?」

 

 窓をぶっ壊してしまったが、まあ俺は可愛いので許されるだろう。窓枠に座りながら挨拶をする様に気軽に手を上げる。

 

「俺はラフメイカー! お前に笑顔を届けに来たぜディー」

 

「ら、ラフメイカー……? え、いや、フィアさんじゃ……」

 

「……もしかしてネタが通じない? バンプ知らない? マジで? ジェネレーションギャップを感じるわ」

 

 スマホで自撮りをする。感動的なディー拉致シーンだ。ウマッターの皆は泣きながらこのシーンを鑑賞すべきだ。

 

「まあいいや。ディー、こっちこっち」

 

「え、いや、あの、な、何をしてるんですか?」

 

「ほら、あんまり時間はないからこっちこっち」

 

「あ、はい」

 

 手招きするとディーがこっちにやってくる。こういう疑いもせずに近寄ってくる辺り、やっぱり世間知らずだよなあ、と思いつつディーを抱える。

 

「え?」

 

「じゃ、行くぞ」

 

 窓からディーを抱えたまま飛び降りる。そのままダッシュで庭を横切り、くぅんと鳴いている犬の頭を撫でて塀を飛び越えて脱走する。途端、屋敷の方が騒がしくなってくる。気づかれたらしい。まあ、ウマッターで配信しながら拉致してるから当然か。

 

「ふ、フィアさん、お母さまに、お、怒られちゃう」

 

「いいじゃん怒られるくらい別に。俺だって毎日1回は生徒会に怒られてるぞ」

 

 ウマッター見てなくても解るぞぉ。怒られるなって言ってるだろ?

 

「え、いや、で、でも」

 

「おーし、来たなウマカス共。早く乗れ乗れ」

 

 きぃ、とブレーキの音を鳴らしながら泊まるのは一台のバイクだ。それに乗っているのは知っている顔―――バンダナだ。

 

「おら、詰めろ詰めろ。美少女2人乗せるんだから」

 

「自分で言うかこのウマカス」

 

「え、いや、あの」

 

 バンダナとディーを挟み込むようにバイクに3ケツする。バイクのリアを軽く両手で掴んで体を支えつつ、ノーヘル3ケツでバイクが走り出す。後ろから大声で叫んでくる姿が一瞬だけ目に入る。だがそれすらも置き去りにしてバイクが走る。

 

「はっはっはっは! 見ろよあの間抜け顔!」

 

「くくくく、久しぶりに連絡入れたと思ったらこれだからなお前! ほんと飽きないわ!」

 

「ええええぇぇぇ―――」

 

 ディーの悲鳴をBGMにバイクが走る。やってる事の馬鹿さ加減にバンダナと共に笑っていると、やがてディーも堪えきれないとばかりに笑いだす。

 

「もう、本当にフィアさんったら……ふふ」

 

「ははは、あんな狭苦しい所にいてもいい事なんぞ何もねぇさ! ほら、初詣行こうぜ初詣! ヒトカス、いっちょ神社まで頼むわ!」

 

「任せろ、法定速度ぶっちぎりで飛ばしてやるからよ!」

 

「ふふふふ、ははははは……本当に、もうっ」

 

 笑い声を響かせながら俺達の新年が幕を開ける。

 

「新年あけましておめでとうカス共!!」

 

「おめでとー!」

 

 周りの迷惑なんて考えずに叫びながら爆走する、俺達の青春。

 

 ―――クラシック、激動の1年が……トゥインクルシリーズの本番が、いよいよ始まる。




クリムゾンフィアー
 スピードが20上がった。パワーが20上がった。賢さが20上がった。
 アンストッパブルのヒントを獲得した!

ディープインパクト
 やる気が上がった。パワーが20上がった。賢さが20上がった。
 強攻策のヒントを獲得した!

バンダナ
 免許をはく奪された。


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21話 若駒ステークス

 結局、我が家は穏やかな新年を過ごす事が出来た。

 

 というのもノーザン本家から当然のようにやってくるはずの抗議を俺が裏技を使って封じ込めたからである。理事長ルート? シンボリ家ルート? いやあ、動いてくれそうな方々ではあるが正直、頼むのは申し訳ない。マックイーンが電話で助けが必要かどうかを聞いてきたが断っておいた。

 

 実はトレセン学園で学生として過ごしている間に、仲良くなったウマ娘がいるのである。

 

 トレーニングのない日とかちょくちょく街にディーを連れて脱走する他、深夜に間食をする俺はトレセン学園の問題児筆頭だったりするのだが、夜遅くまでゲームを遊んでいた俺はある日夜食を作る為に栗東寮のキッチンにお邪魔していた。

 

 この時、ちょっとしたアレンジカップ麺を食べたい気分だった俺は買い置きしておいたカップ麺にごま油をちょんちょん……として用意しておいたオプションを投入。これで完璧でご機嫌な夜食を完成させた訳だった。

 

『いやあ、深夜に作るカップ麺は最高だなぁ』

 

『何食べてるの? 今食べるの? 私も食べるよ』

 

『ファ院』

 

 俺と殿下の出会いであった。ここまで来ればお分かりであろう。

 

 国家権力を盾にした。ちょっと家系ラーメンを実家で食べないかと誘えば警戒心皆無の王女殿下は釣れてしまう。SP達が憤死しそうな表情をしているが、知った事ではない。俺は殿下と家でラーメンを食べているだけである。

 

 それだけ。俺達はラーメンフレンズなのだ。解るかな? ノーザン本家君。無論、殿下が何かをしてくれるという訳ではないが……今、うちに殿下が遊びに来てるんだよなぁ! なあ! ノーザン本家クゥン! 何かうちに用事あるの?

 

 という邪悪な手段を取ったおかげで新年は穏やかにラーメンを食べながら過ごせた。持つべきはコネだなぁ、というのを強く実感させる年始だった。アイルランドと喧嘩するつもりがあればかかってこいよ。

 

 炬燵で丸くなって、お雑煮を食べて、おせちを食べて、初詣に行って……そんな穏やかな正月が過ぎ去り、

 

 1月某日―――京都競バ場に来ていた。

 

 

 

 

「沖野トレーナー、車出してくれてありがと」

 

「気にすんな。偵察も必要な事だしな。特にお前にとっては大事な事だろ?」

 

 アロマスティックを口に咥えて制服姿。すっかり慣れた格好で京都競バ場へと来ていた。車を出してくれた沖野Tを伴いバ券を買って入場する。

 

「リギルとはどうする?」

 

「まあ、偵察に来てるし流石に合流したくはないかな……」

 

 この状況でどうやってリギルと顔を合わせれば良いんだよ。

 

「了解了解。じゃあ適当な場所を確保するか」

 

 何度も来慣れているだけあってか、沖野Tが進む姿には迷いはない。そんな背中を追って選手としてではなく、1人の観客として客席の方に進む。周りからは俺の赤毛を察してか、視線とスマホが偶に向けられてくるが、全体的にマナーは良く話しかけてくるような奴はいない。

 

 パドックに到着するが、まだウマ娘の姿はない。反対側へと視線を向ければリギル―――東条トレーナーの姿が見える。向こうも、此方の姿を捉えている所だろう。

 

「若駒ステークス、グレードはオープン。ディープインパクトの実力を考えれば控えめな所から始めたな、おハナさんは」

 

「ディー、囲まれたり紛れるのが嫌いだから慣らしてるのかもなぁ」

 

「ふーむ、おハナさんの事だし大事に育ててるのかもな。ジュニアで走らせなかったのは脚を温存する為かもしれないし」

 

 まあ、良くされている事は確かだ。リギルに所属しているウマ娘達を見れば解るし、この善性の男である沖野Tと仲が良いというのを知っていれば納得する。それにちょくちょくリギルの様子を偵察しに行けば楽しくやれているのを見ている。

 

 チワワはチワワで、リギルで楽しくやっているのだ。彼女の世界はあの狭苦しい家と部屋の中だけではない。ちゃんと、その世界は外側へと広がっている。

 

 ……とはいえ。

 

「お、こっちに手を振ってるぞ」

 

「見えてる見えてる」

 

 パドックに立ったディープインパクトは、リギルよりも先に此方を見つけると全力の笑顔で手を振ってくる―――そういう所がお前、チワワなんだよなぁ……。

 

 とりあえずチワワのライブバ券にGⅠの賞金と年度ジュニアウマ娘で貰ったお金……500万ぐらいぶち込んでおくか……。

 

 

 

 

「これだから皇帝に人の心はないとか言われるんだよ」

 

「おや、随分な言葉だねフィアー」

 

 パドックを終えてコースの方へと移動する頃にはなぜかリギル―――というか東条ハナトレーナーとルドルフが合流していた。俺は全く合流する気なんてなかったのに当然のように向こう側からやって来た。そのせいでくーちゃん、ちょっとご機嫌斜め。

 

「すまないわね」

 

「気にしないでくれ。ウチのおかしなのが悪い」

 

「人の事をおかしなの扱いするの止めませんかぁ!?」

 

 半ギレで沖野Tを睨めば苦笑が返ってくる。ほんとーにもー。ぶすーっ、としながら柵に寄りかかってコースへと視線を向ける。パドックを終え、地下馬道を抜けてターフに出てきたウマ娘達が順次ゲートへと収まって行く。

 

「そんで」

 

「うん?」

 

「ディーの様子や調子は?」

 

「それは私より君の方が良く知っているんじゃないかな」

 

 ルドルフの揶揄う様な声にぶすーっとした表情を返す。人の心が解らねぇ皇帝がよぉ……。これだからポケモンのWパック予約してる奴は駄目なんだよ。最初から保身の精神が生きてるんだわ。困ったらどっちでも対応できるとか温い事を言う奴はやっぱ駄目だな。

 

 人の心を持たぬ皇帝の話はともあれ、ディーは正月以降絶好調という様子を見せている。実家にいる頃にはどうやらそうでもなかったらしいが、拉致ってからは毎日調子が良さそうに過ごしている。

 

 そしてその調子のままオープン戦に来ているのだ―――虐殺になるだろう、これは。

 

「次走は弥生から皐月っすかね」

 

 東条トレーナーに向けて言えば、無言が返されるがそれが答えの様なものだ。トライアルを踏んで皐月賞へ、そこからダービーと菊花と無駄のないコースを取る予定だろう。実際の所、無駄なレースは走らなくていいなら走らない方が良い。

 

 スピカには西村Tとかいう変態極まってテイオーの骨折を回避し、マックイーンの屈腱炎すら蹴り飛ばしたコンディション調整の怪物がいる為、多少多めにレースに出た所でどうということもない。だがリギルはそういう変態がいない。その代わり純粋にウマ娘の能力をガチガチに高められる化け物みたいなサブトレーナーが存在している。

 

 神様はどうしてアプリのライバル枠を1チームにぶち込んだの? 馬鹿なの? リギル馬鹿強くなってるじゃん。

 

『1番ディープインパクト……私のイチオシのウマ娘ですね。普段の可愛らしい姿と打って変わり静かな気配の中にはどう猛さすら感じられます。メイクデビューでも見せた圧巻の走りを見せてくれると良いですねぇ』

 

 ゲートに収まるディープインパクトの様子は落ち着いている……集中力を高め、雑音を排除して綺麗なスタートに備える姿は俺が得意とするコンセントレイトと同じものだ。やはり、俺を見て幾つか技術を盗んでいる。一緒に走れば走るほどこっちの技術を盗んで行くな、アレ。

 

 ファンファーレが鳴り響き、レースの開始にウマ娘達が備える。

 

「フィアー」

 

「んだよカイチョー」

 

 がこん、音を立ててゲートが開く。ウマ娘達が飛び出し、ターフの上を進む。綺麗に飛び出したディープインパクトがするすると最後方へ、何時も通り追い込める場所へと下がって行く。彼女の動きにはまるでミスと呼べるものがない。

 

「彼女は確かに才能も環境も揃えられている―――だが最も、重要なものに恵まれている。それが何か解るかな」

 

 レース序盤、ディープインパクトを止めるのであればここしかない。まずは出鼻を挫いて彼女の調子を狂わせるしかないだろう。俺だったら3回は威圧を叩き込んで、コースを無理矢理変えさせる。スタミナを削らないと終盤で全力のスパートに入るだろう。

 

 だが誰も彼女の歩みを止めない、止められない。ディープインパクトという脅威をまだ誰も理解していないのだ、本当の意味では。それを正しく認識しているのは恐らく俺とリギルの東条トレーナーだけだろう。

 

「俺、だろ」

 

「……ふっ」

 

 俺の返答にルドルフが小さく笑みを零した。

 

 中盤に入り、誰もがポジションを取ろうと躍起になる。だが中盤も半ばを過ぎてからディープインパクトが上がり出す。

 

『おぉっと、ディープインパクト前に出始めた……かかってしまったか!?』

 

 いや、違う。ディープインパクトは欠片もかかってはいない。早すぎてもいない。彼女は自分のスタミナに合わせて出せる速度を完全にコントロールしている―――単純に、周りが遅いだけだ。彼女のスピードとパワーが高すぎて、抑えていても前に出てしまう。

 

 誰も彼女を序盤の間に削ろうとさえしなかったのだから、当然の結果だった。

 

 中盤戦が後半に入り、終盤戦に差し掛かる頃には既にハナを進んでいる。そうなればもはや漆黒のバ体を止める事の出来る存在なんていない。

 

「フィアー、好敵手の存在は限界を超えてウマ娘を磨き上げる。倒すべき相手、達成すべき目標はその魂を磨き上げる行いだ」

 

「カイチョー、ディーを贔屓してない? もっと俺の事を贔屓しても良いよ?」

 

「ふふ、チームメイトを応援するのは当然の事だろう?」

 

「はー、この皇帝様ったら他のウマ娘へと向ける博愛精神を全く俺に向けてくれねぇなぁ」

 

 英雄の凱旋を誰も止めることは出来ない。当然のように一人旅になった姿がゴールを切って一着が確定する。教本のような理想的な追込みの走り……抑えて抑えて差し切るということをディープインパクトは自分の能力で体現した。

 

 ただし、それについてこれるウマ娘がいなかっただけで。

 

 ウィニングランに入るディープインパクトは観客の声援に応えるように控えめに手を振り、こちらを見つけると少し大きく手を振ってくる。それに手を振り返しながら笑う。

 

「今年のクラシックが楽しみだ」

 

「ほんとにな」

 

 けらけらと笑いながら若駒ステークスの結果を見届けた。4月、皐月賞に向けて俺もそろそろ準備と追込みに入らなくてはならないだろう。

 

 目標は当然、ディープインパクトの打倒。

 

 これから全てのレースで、魂を燃やし尽くすつもりで走る。




クリムゾンフィアー
 ライブ最前列当たったので自作グッズで応援した。

沖野T
 ちゃんと応援用サイリウムを用意してきた

東条T
 サイリウムを用意してこなかった大人

ルドルフ
 サイリウムをちゃんと用意してきたウマ娘

ファ院
 ラーメンの話をすると何時の間にか横にいる

SP
 お疲れ様です


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22話 カフェ&クリムゾン! 幽霊殲滅大作戦!

「あ゛ー……カッフェのコーヒー落ち着くわ」

 

 カップに注がれたコーヒーの匂いを堪能し、口を付ける。カッフェ―――即ちマンハッタンカフェはコーヒーを飲む事も淹れる事も趣味にしているちょっとお洒落なウマ娘だ。高等部でコーヒーを趣味にする娘なんて中々見かけないし、俺はハイセンスだと思う。

 

 こうやって偶にカッフェのコーヒーに世話になるのは、密かな楽しみだったりする。

 

「それは良かったです。私も淹れたかいがありました」

 

「すみませんね、クリムゾンフィアーさん……」

 

 ただこうやってカッフェの世話になる時は、逆に俺にちょっとしたお仕事が回ってくる時だったりする。博士―――即ちアグネスタキオンの事になるのだが、彼女と半々でカッフェが使っている空き教室には現在俺とカッフェと、カッフェのトレーナーの姿がある。

 

 まあ、定期イベントだ。カッフェのトレーナーは幽霊を引き寄せやすい誘因体質というちょっと面白い体質をしている。そのせいでカッフェとカフェトレのコンビはちょくちょくトレセン学園内では怪異にエンカウントしたり、不思議な出来事に遭いやすい。

 

 トレセン学園の警備はかなりのハイレベルセキュリティが敷かれている。通っている学生たちの多くはお嬢様だったり上級家庭だったり、成績の良さで入学してきた娘で女の子が多い。その上で数百万から数億まで走れば稼げ、アイドルとしての活動もできる娘達ばかりだ。

 

 そんな女の子だらけの環境なのだから、セキュリティがガチガチになるのは当然の話だ。

 

 当然の話なのだが……幽霊やら怪異にそういう理屈は通じない。

 

 ずずず、とコーヒーに口を付けて飲む。俺はブラックよりちょっとミルクと砂糖を入れる方が好みだったりする。別に、ブラックで飲めない訳じゃないのだが。ラテとかマキアートとかカフェラテとか、飲み方はまあ人それぞれ自由だ。

 

「いやあ、気にしなくてもいいっすよ。カッフェのコーヒー飲みに来てるだけなんで」

 

 手をひらひらと振ると申し訳なさそうにカフェトレが頭を軽く下げてきた。ぶっちゃけ、この誘因体質というものに対して俺はちょっと同情的だ。だって明らかに人生大変そうじゃん、この兄さん。流石にそういうのを見てると……って部分が大きい。

 

 と、とんとんと扉が叩かれる。

 

「すまない、カフェちょっと扉を開けてくれないかな? 手が塞がってるんだ」

 

 博士の声が扉の向こう側からしてくる。俺はそっと飲んでいたコーヒーを近くのテーブルに置く。カフェトレがカッフェが立ち上がらないのを見て、扉の方へと視線を向ける。

 

「えっと、もしかして……?」

 

「はい、扉を開けると入り込んでくるから駄目です」

 

「前はたづなさんだったけど、今回はタキオンさんか……」

 

 カフェトレが疲れたような声を吐く間にも、座っていた椅子から立ち上がって軽くストレッチを始める。いっちにーさんしっ、にーに、さんしっ、と。今日も赤毛ドライブは絶好調。方天画戟出せるかなぁ? 出せたぁ。やっぱ呂布因子凄いよこれ。レースとは関係ない能力生えてるもん。

 

 取り出した方天画戟はグラスワンダーの薙刀と同じジャンルだ。物質的には影響がない、見た目だけ楽しめる領域の塊みたいなものだ。それを頭上に掲げてぶんぶん振り回す。今日は調子良いぞぉ。きゃっきゃっ。

 

「カフェ? 開けてくれないのかい? カフェ? 開けてくれよ、カフェ、カフェカフェカフェカフェカフェカフェカフェあけてあけてあけてあけてあけて」

 

 ずずずず……扉の外から扉をガンガンと叩く音が聞こえてくる。それをガン無視してカッフェがコーヒーを飲んでいる。カフェトレはちょっとだけ怖いのかカフェに近づいている。それにカッフェが機嫌よさげに尻尾を揺らしている。

 

 がたがたラップ音が鳴りだす。うるせぇ。窓の外も何も見えないけどがたがたしだした。

 

「フィアーさん」

 

「うい」

 

「それでは、宜しくお願いします」

 

「ういうい」

 

 どっこらしょっと方天画戟を掲げて―――。

 

「おんどりゃっ!!」

 

「っ!?」

 

 扉を貫通するように全力投擲した。無論、領域の産物なので物質的な干渉力はない。だから必殺呂布ストライクは見事に扉を破壊する事無く貫通し、その向こう側のオカルトを消し飛ばした。その勢いのまま扉を蹴り開け、手身近なホラーっぽいのを殴り飛ばす。良し、成仏したな!

 

「R.I.P.! 今夜のカフェ&クリムゾンは年始の大掃除タイム! お年玉代わりに成仏させてやるぜぇ! 皆ぁ! 出ておいでぇ! オイコラ、逃げるんじゃねぇぇぇぇ!!!」

 

 校舎に、怪異共の悲鳴が今夜も響く。

 

 

 

 

「一晩無双ゲーしたら割とすっきりしたな。これでしばらくはカッフェもカフェトレも平和に過ごせるだろ」

 

 カッフェ、俺を無双系武将キャラか何かと勘違いしてないかなぁ。対霊対怪異だけなら無敵である自信はあるけど。でも無双ゲー、どれだけやっても上がるのは武力ステータスでレース関係ないんだわ。

 

「カッフェとの絆もそろそろ80超えた感じかなぁ。トレーニングに呼び出したら友情トレしてくれそうな感じはあるわ」

 

 そう考えると俺達の付き合いもそれなりになって来たという事か。いや、既に1年ぐらいはトレセン学園にいるんだ、そりゃあそれなりの付き合いにもなるだろう。

 

「楽しくて忘れがちだけど、もう既にクラシック級になったんだよなぁ……」

 

 テレビで見ていた所に今、自分が立っているというのは感慨深いものがある……とはいえ、このまま普通に走っていたら間違いなくディープインパクトに負けてしまう訳だが。

 

「皐月でワンチャン……ワンチャンあるか?」

 

 うーん、判断が難しい。奇跡的な噛み合いをすれば初見殺しが刺さるかもしれない。だが所詮は1度しか通じない戦法だ、東条トレーナーが見越してデバフ対策でもして来たら地獄になるだろうし……難しい。

 

「何にせよ、1回寮に戻って寝るかぁ」

 

 欠伸を漏らしながら栗東寮へと向かおうと歩き出すと、美浦寮の方から歩いてくる見覚えのある姿があった。

 

 我が家のチワワである。校舎の方から欠伸を漏らしながら歩いてくる姿を見かけると、とたたたたとチワワが駆け寄ってくる。うーむ、今日も元気に尻尾が振られているのにそれが表情に出てこないもんだ。

 

「フィアさん、お、おはようございます」

 

「おはよディー。美浦寮から来てたけど、どしたん?」

 

「えっと、その、フィアさんが昨晩、泊まってくると言いました、よね」

 

「うん」

 

「その話をリギルで、したら、その、タイキさんが泊まろう、って」

 

 どことなく必死に手を振りながら説明しようとするチワワの姿に朝から俺は和んでしまう。しかしそうか、タイキシャトルのお世話になったのか。確かにパジャマパーティーとか滅茶苦茶楽しむタイプだろうなあ、というのは予測がつく。

 

「楽しかった?」

 

「は、はい。ど、ドーベルさんともいっぱいお話できましたっ」

 

「ディーは偉いなぁ」

 

「えへへ……」

 

 だけど俺は眠い。これから寮に戻って寝るのだ。

 

 嬉しそうなチワワをわきに抱えると俺はそのまま栗東寮へと帰って行く。今朝は授業サボってチワワを抱き枕に惰眠を貪るぞ!

 

 

 

 

「はうわっ」

 

「デジタルさん!?」

 

 その時、窓の外から感じる濃いウマ娘ちゃんの気配に思わずアグネスデジタルは視線を窓の外へと向けてしまった。そこで目撃したのは朝一から繰り広げられる濃密なカプの絡み合い―――ウマちゃんの素敵すぎる姿にデジタルの情緒は一瞬でレッドゾーンを越えた。

 

「かふっ」

 

「吐血!? デジタルさん!?」

 

 一瞬で尊みが限界を迎えたデジタルは崩れ落ち、血まみれになりながら階段を滑り落ちて行く。デジタルの学友が直ぐに階段の下に流れ着いたデジタルの姿を抱き上げる。

 

「デジタルさん、デジタルさ―――あ、いや割と何時もの事だったわ」

 

 学友はデジタルを階段の下に捨てて授業へと向かった。

 

 今日もトレセン学園は平和だった。




クリムゾンフィアー
 C&Cの暴力担当。無敵の剥がれた幽霊とか怪異を殴り殺す

マンハッタンカフェ
 C&Cの謎解き担当。相手を解明して殴れる状態にする

カフェトレ
 C&Cの主人公枠。定期的に良くないものを引き寄せる

アグネスタキオン
 C&Cの博士枠。定期的に謎オカルトグッズを生み出す

デジタル殿
 教師たちもまた死んでる……扱い。慣れちゃった


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23話 【公開】ぱかライブ! バレンタインスペシャル【処刑】

「……はあ」

 

「どうしたんだよ、フィア。生理痛か?」

 

「馬鹿野郎、ゴルシ。俺の生理痛はついこの前よ。いや、そうじゃなくてよ……俺、デアリングタクトに全つっぱしてたんだわ……」

 

「あっ……全て察したわ」

 

いつもの

何時もの茶番

また存在しないウマ娘の話してるぅ……

待ってたんだこの茶番を

 

「トリプルティアラ達成の牝馬……ティアラ達成以来の勝利見たい……見たいじゃん!? 早熟で終わるなんて残酷な事言わせたくねぇよ……」

 

「いや、気持ちは解るけどよ……ただジェラルディーナは見事だったな」

 

「あぁ、それは間違いない。エリ女1着おめでとう、ジェラルディーナ」

 

おめ……おめでとう?

めでたいのかもしれない

めでたいのかなぁ……かなぁ?

めでたいのやろ!

 

 ゴルシと揃ってぱちぱちと拍手する。エリザベス女王杯……そこには波乱が潜んでいる。波乱が潜んでいた。そして馬券は紙くずとなる。終わり。ゴルシは顔を見合わせ、3……2……1……はい。

 

「ぱかラ~イブッ! 全国の皆待たせたな……ゴルシ様だぜ!」

 

「そして俺、何時の間にかレギュラーになってる年度代表ジュニアウマ娘のクリムゾンフィアーだ」

 

化け物の皮を被った化け物

去年の年末は盛り上がりましたねぇ

朝日杯からホープフルの距離延長ようやった

今年も期待しとるで

 

 温かい声援に対して中指を突き立てて黙らせる。俺達の前にはコメントを確認する為のノートパソコンが置いてある。それを通してライブのコメントを抽出しているのだ。

 

「さてさて、という訳でハッピーバレンタインだ大きなお友達の皆」

 

なんでや! 小さなお友達だっているかもしれんやろ!

そうかなぁ……そうかなぁ?

このチャンネルを小さい子に見せられますか(小声

ムリだと思う

 

「良く解ってるじゃねぇか! そんなバレンタインをぱかライブなんぞ見て過ごしてる悲しいお前らに朗報だ……その寂しいバレンタインをアタシらってコンテンツで盛り上げてやっぞ!」

 

 反逆のコメントが大量に流れてくる。そんなノートパソコンの画面を確認し、のっしのっしと隠していた首から下を出現させた途端、ノートパソコンに流れるコメントが肯定的なものに変化する。それもそうだ、バレンタインという事もあって今日の俺はメイド服なのだ。

 

 まるで関係ない? それはそう。着たい気分だっただけだ。

 

「折角雑魚共の為にチョコでも作ってやろうかと思ったのになぁ! 視聴者サービスで手作りチョコを作ろうって企画だったんだけどなぁ! まあ、お前らがそうも俺らの事を気に入らないならなあ……ゴルシ?」

 

「そうだな、アタシらだけでチョコ作って喰うか」

 

待って、待ってください

負けを認めよう!!!

チョコください!!!

ちゃんと食べられる奴なのかぁ???

プレゼントってマ?

 

 盛り上がってくるコメント欄によしよしと声が零れる。ゴルシは何時も通り、トレセン学園の制服だが俺は態々今日の為にヴィクトリアンメイド服を用意してきた。やっぱ素というか見た目が良いとコスプレしたり着飾るのも結構楽しい所がある。

 

 それはさておき、我らがぱかライブの場所は栗東寮のキッチンだ。学生たちが食堂を使わずに料理やおやつを楽しむ為に置いてあるもので、大体の場合では活用されない場所でもある。何せ、無料で食べ放題の食堂があるのだから皆そっちに行く。

 

 とはいえ、こういうイベントの時はそこそこ人気の出る場所でもある。バレンタイン。割とトレーナーに手作りを送ろうとするウマ娘は多いもんだ。

 

「よしよし、イイ感じに盛り上がってきたなお前ら」

 

「それじゃあバレンタインライブだし、今日もスペシャルゲストを呼んでいるぜ! カモン!!」

 

 ゴルシの合図とともに今まで隠れていた姿が出てくる。ちなみに俺達の後ろではアストンマーチャンが既にチョコづくりに励んでいる。キミ、何時からフレームインしてた?

 

「どもどもー。セイウンスカイですよー」

 

皐月と菊花のクラシック2冠ウマ娘!

大物出てくるじゃん

雑にドリーム連中をしょうもないコーナーに引っ張りだすな

 

「いやいや、セイちゃんはまあ、凄いかもしれませんけど緩い雰囲気でやってく方が性に合ってますからねー」

 

「という訳で今日はセイウンスカイとチョコ作ってくぞー」

 

「おー」

 

 パカチューブのコンテンツとしては今日は非常に珍しい、まともな企画ものだ。寮のキッチンの外からは時折フジキセキも覗き込んでいるものの、俺達の割とまともな企画にうんうんと満足げに頷いている。

 

 俺達だって何時もカイチョーチャレンジみたいな不発弾を連鎖爆破する企画してる訳じゃねぇんだ。あれは9割カイチョーが悪いんだわ。

 

 事前にどうやってチョコを作るのか、その材料も全部用意してある。てきぱきとチョコを作る準備を進める。その間にもアストンマーチャンはデフォルメマーちゃんチョコを作っていた。無駄にクオリティたけぇなおい。

 

 ともあれ、気を取られていると作業が遅れてしまう。収録前に何度も練習した通りにチョコを溶かし、混ぜ、そして成形して行く。折角作るのだから普通のものを作るのはつまらない。ちらり、とウンス(セイウンスカイ)の方を見れば、やけに手慣れた様子でチョコを作っているのが見える。

 

「お、ウンスは手慣れているなぁ」

 

「その呼ばれ方は初めて聞いたかなあ……いや、ほら、セイちゃんは何かと凝り性なので」

 

「あたし知ってるぜ、毎年チョコを作ってトレーナーに送ろうとして渡せずに技術だけ上がって行く悲しき姿を」

 

 ゴルシの暴露にウンスの作業の手が止まる。じとっと、ウンスに視線が集まる中、俺がカメラへと視線を向ける。

 

「皆解ってるな? バレンタインと言えば恋愛……ここで恋愛強者を連れてくるのは単純に面白くない……無論、バレンタイン衣装持ちのバレボンやバレフラッシュを連れてくるのもありっちゃありだ。だけどそれじゃあ面白さが足りないよなあ?」

 

この赤毛人の心ないんか?

ウマやしな

元から心無いだろ

プイの前でしか心を取り戻さないゾ

 

 そんな事ないよぉ。とてもはーとふるだよぉ。

 

「だから恋愛糞雑魚ウマ娘に出演オファーしたんだわ」

 

「恋愛糞雑魚じゃないです」

 

 神速の返答がウンスから返って来た。ゴルシへと視線を向け、カメラへと向け、アストンマーチャンへと向けた。

 

「告白……」

 

「機を窺ってるだけ」

 

「既にドリーム……」

 

「風水的に良くないってコパノリッキーが言ってたので」

 

「本命チョコ」

 

「は? 渡してるけど? ……渡してるけど?」

 

か、悲しき恋愛弱者

ウマ娘って大体恋愛に一直線だと思ってたんだけどなあ

ファル子(小声

ファン1号の魂は焼かれてるから(震え声

 

 ウンスは悲しき恋愛糞雑魚ウマ娘だった。それとなくウンスへと疑いの視線を向けてもウンスは静かに視線をそらして事実を認めようとはしない。ゴルシがその姿を見て仕方がねぇなあ、と声を張る。

 

「そんな頑ななセイちゃんの為にスペシャルゲストを今日は用意してるぜ!! 入って来てくれ!!」

 

「え?」

 

 キッチンの入り口へと視線を向ければ、三角頭巾とエプロンを装備した小さなウマ娘―――ニシノフラワーの姿があった。

 

「と、トレーナーさんに本命チョコを送るんですよね? お手伝いします!」

 

「……!? っ!?」

 

 何かを言いたいウンスの視線が俺とゴルシへと向けられるが、俺達はそれをガン無視して手元のバレンタインチョコレートへと情熱を注いだ。

 

「よっし、彼岸花チョコ大体出来てきたな」

 

「アタシの押し寿司も出来て来たぜ」

 

待って♡ ちょっと待って♡

茎はピスタチオで花弁はクランベリーか(横から目を逸らす

バレンタインチョコ……? 寿司が……?

ただの寿司だが……

セイちゃんがぁ

 

「さ、手伝いますよ」

 

「あ、いや、ちょ、ちょっと待って……待ってください」

 

 押しの強いニシノフラワーがウンスに絡んで行く姿を俺達パカチューブチームは生暖かい視線で見守って行く。今年こそ、ウンスはちゃんとトレーナーに本命チョコをあげられるかもしれない。その場合、俺達がキューピッドになるのか……へへ、胸の温まる想いだぜ。

 

「パカチューブをご覧のそこのお前! 俺達のバレンタインチョコは抽選でそれぞれ10名様にプレゼントだ!」

 

 彼岸花チョコを置く。横に鯖寿司が置かれる。その横にマーちゃんチョコが置かれる。奥でウンスがフラワーに押される。

 

なんか異物が混じってるなぁ

気のせいじゃない?

何時もの事やし

というか何時からいたんだあの子

わぁい、チョコだあ

 

「まあ、届くころにはもうバレンタイン終わってるだろうけどな」

 

「結局バレンタインには何も貰えなかった事実は変わらないんだよなぁ」

 

 余計な一言でしっかりとパカチューブを炎上させつつ、俺達は残りの放送時間を葛藤の中で苦しむウンスを眺める事で消化する事にした。

 

 これが最高の生放送枠の使い方だぜ。チャンネル登録よろしくな!




クリムゾンフィアー
 割とお洒落を楽しむタイプの転生者

ゴールドシップ
 寿司のネタは新人記者が海から送ってくれた

アストンマーチャン
 ノルマ達成

ニシノフラワー
 善意100%

セイウンスカイ
 チョコを渡せた

スペシャルウィーク
 セイウンスカイをぱかライブに売り渡した諸悪の根源


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24話 隙を生じぬ二段構え

 ―――バレンタインが終われば2月も過ぎ去って行く。

 

 3月に入れば4月の皐月賞はもう目前まで来ている。

 

 流石にこの時期になればクラシックシリーズに参戦するウマ娘達が全体的にピリピリとしだす。皐月賞、ダービー、菊花賞……これらのレースは人生で一度しか出走する事の出来ない、俺達ウマ娘にとっては大事なレースになるのだから。

 

 クラシックシリーズを走る事が出来るウマ娘達は、たとえ誰が相手だろうが出走を選ぶ。たった1度の勝利、GⅠの中でも特別とされるクラシックの冠を求めて。だからこの時期になれば最終調整と出走に向けた追い込みが始まる。

 

 無論、俺もそれに関しては例外ではない。

 

 全力でトレセン学園のターフを走る。スパートに入る為に歯を食いしばれば後方からシービーの姿が上がってくる。スピカ所属で唯一出走済みの追込み脚質のウマ娘。対ディープインパクトを想定するのであれば、最も適した併走相手だろう。

 

 何せ、ミスターシービーというウマ娘はクラシック三冠を達成した追込み脚質のウマ娘だ。現時点で彼女の能力は全てにおいてディープインパクトを上回っている。絶対に勝てない相手だ、だからこそ自分の全力をぶつける事が出来る。

 

 ―――コーナーからシービーの姿が上がってくる。

 

 シービーが抜きにかかってくる。内ラチに沿うように走る姿は最小限のスタミナ消費で抜きにかかる事を理解させられる。それに合わせて温存していたデバフを叩き込む。足音、体の動かし方、そして視線。プレッシャーを与えるようにシービーの姿に叩きつける。

 

 だがどこ吹く風で、デバフを受けた所で平然とした表情で上がってくる。抜かれる―――そう判断した瞬間には領域を発動させる。

 

 ステップ1、超集中状態に自分を落とす。ゲート内で構築するコンセントレーションのように雑音を排する程の超集中状態を作り上げる。

 

 ステップ2、闘争心、願望、願い、想い、それを自覚する。最強である自分をイメージする。レースに懸ける自分を理解する。

 

 ステップ3、それを外側へと放つ。

 

 踏み込むターフが()()()()()()()

 

「へぇ」

 

 面白そうに笑みを歪ませるシービーも一瞬で集中状態を構築する。一瞬でゾーンを構築したシービーもまた領域に対して領域をカウンターで放つ。凍り始めるターフに対して、豪雨と暴風のイメージが拮抗する。

 

 肌で感じられるほどのリアリティ、実際に濡れている様にさえ感じる程の深度。シービーが構築する領域は、彼女が好む―――楽しむ為のレース状況を構築する為のものだ。まさしく彼女を後押しする為の領域。それが俺の2番目の領域とぶつかり合い、拮抗する。

 

 全てにおいて俺を上回ると断言出来るシービー、だが領域というジャンルにおいては唯一拮抗する事が出来る。領域の展開によって得られる筈の加速力は領域のぶつかり合いによって相殺され、互いに効果を殺し合う。

 

 シービーがスパートで見せる領域の強さが今、此方の領域によって潰された。それに追い打ちをかけるように彼岸花を足元に咲かせ、己の呼吸しやすい環境を作る。息を入れ、ゴールラインまでのスパートに入ろうとして―――呼吸の瞬間を狙われる。

 

「まだ甘いよ」

 

「っ」

 

 呼吸の瞬間、息を入れて無防備になった僅かな合間にシービーの威圧が刺さった。一瞬だけ呼吸が乱れ、それが加速力と速度に影響する。しまった、と思った瞬間には領域を破られる。ぼろぼろと崩れる集中状態を引き締めて再構築する。

 

 だがその間にシービーは既に抜いていた。本格化を迎えシニアを駆け抜けた優駿とクラシックを迎えたばかりでは根本的なスペックが違う。スピ400でスピ1600とかには勝てないのだ。抜いてからトップスピードに乗ったシービーは一瞬でゴールラインへと向かって行き、此方を置き去りにゴールラインを切る。

 

 それに遅れてゴールラインを切りながらごろん、とターフに転がる。

 

「ムリ―――! 勝てねえ―――!」

 

「はははは」

 

 ターフにごろごろと転がりつつじたばたする。勝てない勝てない勝てない。能力の差があるのは解っているけど、それはそれとして負けるのは悔しい。

 

 クリムゾンフィアーは大体闘争心だけで走っているウマ娘なのである。なので負けると滅茶苦茶悔しい。うおー、悔しいと駄々をこねる姿をシービーが笑いながら見下ろしている。だが勉強になるのは事実だ。シービーと併走する度に対追込みの戦術が自分の中で固まって行く。

 

 シービーにデバフが刺さるなら十中八九ディーにも刺さるだろう。どれだけの才能の怪物であっても、現時点で彼女がシービーに勝てる点は存在しないのだ。

 

「やれやれ、しかし本当に2個目の領域を持ってるんだな」

 

「そう簡単にできる筈がないんですけどね」

 

 沖野Tと西村Tがストップウォッチを片手に寄ってくる。併走を見守っていたスピカ所属のウマ娘達もやってくる。スポドリを片手に近づいてくるウオッカからボトルを受け取り喉を潤す。全力で走った後に飲むスポドリはどうしてこうも美味しく感じるのだろうか。

 

「いうて、皆も領域2個目大体構築できるっしょ。テイオーもマックイーンも勝負服に合わせたバリエーションがあるし、スぺちゃんだってあるし」

 

「それは勝負服に合わせた想いや経験、願いやこれまでの積み重ねがあるからだよ。ボク達だってそうほいほいと領域を展開できる訳じゃないよ。そもそもレース1回でゾーン状態まで集中力を高めるのだって難しいのに」

 

 アプリをやっていればウマ娘が勝負服に合わせてその願いや込める想いが変わってくる事は解る。それがまた、彼女達の固有/領域に影響するという事実も解る。だから彼女達からすれば、勝負服ですらない体操服姿で複数の領域を切り替えて展開できる俺の姿にバリバリの違和感を抱いているのだろうが、

 

 そこでシービーが違うでしょと声を放つ。

 

「フィア、持ってる領域3個でしょ」

 

「……」

 

 ごろりとターフを転がっていた体を起き上がらせ、座り込んで視線を逸らす。

 

「えっ、3個? 流石に嘘でしょ? 盛り過ぎじゃない?」

 

 テイオーの言葉にぷい、と視線を逸らす。引き攣った笑みをスピカの面々が浮かべる中で、シービーに視線を向ける。

 

「……パイセン、何で解ったん?」

 

「さっき、領域が割れかけたでしょ? その時ちょっと仕込みが見えたよ」

 

 シービーの言葉にそっかぁ、と答える。そういやシービーやルドルフは現役最強クラスの領域の持ち主だ。だったら見た所で俺の領域が表層的なものでブラフを含んでいるものだって解ってしまうのも仕方がないのだろう。失敗したなあ、と呟く。

 

「菊花賞まで誰にもバラすつもりはなかったんだけどなぁ」

 

 スポドリをじゅるるるるる……て飲み干しながら立ちあがる。一息入れると心地よい疲労感が体を満たす。

 

「で?」

 

「いや、確かに3枚目のカードはあるべよ。ただ奥の手というか……切り札の裏に隠した切り札というか。ぶっちゃけこれ、ディーが覚醒した時に対するカウンターとして用意した最終札みたいなもんなんで」

 

「ふむ」

 

 つまるところ、ディーの覚醒と進化、俺と競い合う事で強くなって行く事を想定して用意してある切り札だ。だからこれを出来る事なら見せたくはないし、見せるつもりはない。最初から最後まで隠し通して、俺が想定するように……想定以上の成長をディーが果たした時。

 

 その瞬間、彼女を殺す為の一撃として振るう事の出来る決着札になるのだ。だから皐月でもダービーでも使えない。彼女が夏を越えて成長してくる菊花賞というタイミングが唯一使えるタイミングだ。使えば最後、以降は警戒されて条件を満たせなくなるだろう。

 

「という訳で、何も聞かず使えるもんは領域2個ってだけにしておいてくだせぇ。彼岸花と氷の方は見せ札なんで」

 

「ま、俺はそれで構わないけどな」

 

「クラシックだと驚く事だけどドリームに行けば時々見るからね」

 

「逆に言えばこれは現時点での唯一無二の武器ですよ」

 

 スぺの言葉に頷く。俺の領域に特化した才能は俺の精神性が深く絡んでいる。死を乗り越えた影響で、俺の精神性、精神力というものは人類の範疇を逸脱していることを自覚している。つまり一般的にゾーンと呼ばれる様な集中状態は俺にとって平時における状態でもあるのだ。

 

 精神のタガ、リミッターと呼ばれる上限部分が吹っ飛んでいるのだ。

 

 生まれる前、生と死が混ざった状態を経験し、覚えているから。それがそのまま俺の中にある価値観、その世界観を強固にしている。つまり人類を超越した精神性が俺の領域に関する才能を限界まで押し上げているのだ。

 

 だからこそこの時点で、領域を2種使い分けられる。

 

 とはいえ見ての通り、熟した相手だとそこまでの強みにはならない。

 

 武器は磨かなければ意味はない。領域が使えるからと驕っていると負けるのは目に見える。だからもっと、もっとこの技術を、強みを磨かないとならない。俺だけが持つ強みを、誰にも真似できない強さを備えないとならない。

 

「うっし、もう1本お願いしますっ!」

 

「うん、良いよ」

 

「あ、ボクも混ぜて混ぜて! 見てたら走りたくなってきちゃった」

 

「私も走ります!」

 

 スタートラインにスピカの面々が並ぶ。ストップウォッチを手にタイムの計測を始めるトレーナー、そして再び走りだす俺達。

 

 3月、4月に向けて追い込みの始まる季節。

 

 クラシックを飾るレース、皐月賞はもう、目前まで来ている。ふざけていられる時間はもう終わりが来た。

 

 ―――魂を燃やしつくしても走る時が来た。




クリムゾンフィアー
 “ぼくのかんがえたさいきょうの領域”をずっと昔から作り上げてた。ずっと用意してた。漸く使える相手を見つけた。実はチワワへの感情が激重

ミスターシービー
 サイゲに忠誠を誓うので早く実装してくださいアニバ辺りで……

 次回、皐月賞開幕。


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25話 皐月賞 Ⅰ

「―――中山競バ場、か」

 

 競バ場前、両手をポケットに突っ込んだ状態で外から姿を眺める。皐月賞、それはクラシック3冠とも呼ばれるレースの最初に走るもの。皐月賞、ダービー、そして菊花賞の3レースはクラシックでしか走る事の出来ないレースだ。

 

 ……一生、名誉に残るレースだ。

 

「テレビで見ていたレースに、まさかこうやって出られるようになるなんてなあ……って前も言ってたな」

 

 そこらへんどうよ、三女神。

 

 アロマスティックを口に咥えて火を付ける。アロマの匂いを漂わせながら心を落ち着ける。気づけば足元に彼岸花が咲き乱れている。高揚する精神を抑えきれていない証拠だ。抑えろ、抑えろと自分に言い聞かせても花が咲いてしまう。

 

 それを落ち着かせる意味でもアロマスティックは重要なアイテムだ。これ、見つけておいて良かったなあ……と思う。

 

「―――よう、抑えきれないって感じだな」

 

「お」

 

 知っている声に振り返れば、バンダナ姿が片手を上げながら近寄ってくるのが見えた。此方からも手を上げて返答を返す。俺の横に並んできたバンダナが一緒に中山競バ場を見上げる。思えばこいつがコネを持ってたからこそ入学が出来たんだった。

 

「お前、トレセン学園の関係者?」

 

「いんや? スカウト連中は野良レースやフリー・スタイル競技場とかを把握してるんだよ。お前みたいな怪物がたまーに紛れてるからな。だからそういうレースを良く知る人間とは繋がりを作っとくんだよ」

 

「成程な、そういう繋がりだったのか」

 

「ま、俺もこんなコネを使う日が来るとは思いもしなかったけどな」

 

 俺もトレセン学園の制服に馴染むような日が来るとは思えなかった……だが今では違和感もなくこの制服に袖を通している。入学前はあれ程似合わないと思ってたのに。時間とは不思議なものだ、徐々に色んなものが変わって行く。

 

「だけど変わらないものもある」

 

「はっ」

 

 ひらひらと手を振ってバンダナが去って行く。

 

「レース、期待してるぜウマカス」

 

「退屈させねぇからしっかり見てろヒトカス」

 

 は、と声を放って息を吐く。久しぶりに顔を出したと思ったら発破かけてそのまま去って行くとは暇な野郎だ。だけど考えてみれば、アイツが俺のファン1号なんだろう。となるとその期待には応えなくてはなるまい。

 

 拳を掌に叩きつける。

 

「うっし、控室に行くか」

 

 

 

 

 控室に入ったら早速勝負服に着替える。流石に皐月賞となると緊張……とはいかないが、昂りが抑えられないせいでソシャゲを遊ぶ気にはなれなかった。自他共に認めるソシャカスウマ娘だが、流石に骨の髄までソシャカスではなかったらしいのを今知った。

 

 勝負服に着替え終わったタイミングを見計らって、西村Tが控室にやってくる。ソシャゲにも手を出さず、アロマスティックを口に咥えてもくもくしている俺の姿を見てから、足元を見て苦笑を零す。アロマでも抑えきれないぐらいに零れる闘争心が彼岸花を足元に咲かせている。

 

「堪えきれない、って様子だね」

 

「おう」

 

 抑えきれない。俺は漸く、本気で戦える場所を、相手を見つけられた。

 

「最初な」

 

「うん」

 

「ディーを見た時、こいつと同世代ってのは運がねぇなあ、って思ったよ」

 

 だって、あのディープインパクトだぜ? 競馬をロクに知らない人だって知ってる伝説の名馬だぜ? そりゃあ最初見た時はビビるさ。だけど、アイツの走りは本能に訴えてきた。

 

「見た瞬間こいつと競り合いたいって思えた。こいつと本気で走りたいって思った。あの才能の暴力の様な奴に一生消えない傷を残したいと思ったんだ」

 

 ぐ、っと拳を握る。

 

「本気で走りたい。燃え尽きる程熱狂できるレースがしたい。自覚したら次から次に胸の奥底から闘争本能が湧き上がってくるんだ。アイツが、アイツがそれを俺に自覚させたんだ。アイツの走りが俺を狂わせた」

 

 燃え尽きる程のレースがしたい。魂を燃やし尽くして今度こそ成仏できるようなレースが。そうすれば最高に満足して逝けるかもしれない。明確にそれを自覚させたのがあの漆黒の英雄なのだ。いや、未だ英雄と呼ばれる風格はないだろう。

 

 だが彼女の走りにその可能性を見た。それに魂を焦がされた。元々強さへの憧憬はあった。だがそれを明確に出力する為の形に変えたのはアイツだ。

 

「勝ちたい。走りたい」

 

「あぁ……行っておいで、フィアー。君が満足して燃え尽きる程のレースを、日本人の目に焼き付けておいで」

 

「おう」

 

 こんこん、と扉のノック音がパドックのお披露目を告げる。西村Tとの言葉はそれ以上は必要ない。口からアロマスティックを抜き、灰皿で潰して部屋を出て行く。迎えに来たスタッフは俺を見て、

 

「それではパドックへとお願いします」

 

 と言いながら風古戦場を走ってた。

 

 スタッフのヒトカスは皐月賞でもヒトカスだった。安心するなぁ……。

 

「Skyleap?」

 

「Skyleap導入済みです」

 

 もしかしてプロ騎空士なのかもしれない。いや、プロだったら有給取って古戦場を回るだろう、こいつはプロではない。プロではない事実に安心を覚えヒトカススタッフに案内され、パドックへと向かう。

 

 既に3度目のGⅠ出場、パドックへと出るのにも慣れた。パドックには既に他のウマ娘達の姿が揃っている。彼女達に遅れる形でパドックへと上がり、自分の身を衆目に晒す。

 

『そして出てきました最優秀ジュニアウマ娘クリムゾンフィアー、1番人気です』

 

『見事な仕上がり具合ですね……西村トレーナーが担当すると毎度毎度素晴らしいコンディション調整を見せてくれますが、今日は特にバ体のキレもハリも良いですよ。これは素晴らしいレースを見せてくれそうです』

 

 パドックに立ち、辺りを見渡し―――見つける。黒い勝負服。後ろにはマント、何層も重ねたように見えるスカート、施された装束……漆黒の英雄が纏うべき衣装。GⅠの舞台でのみ着る事が許される勝負服姿の、ディープインパクトがそこにいる。

 

「ディー」

 

「フィアさん」

 

 視線を向け合い、名を呼び合って黙る。それ以上語る言葉はなかった。俺達にそれ以上何かを言い合う必要はなかった。それだけで互いを理解しあえた。全力で走って殺す。友情も、親愛もある。

 

 だが走って殺す。今、この場の俺達にあるのはそれだけだった。胸から脳味噌の中まで全部が闘争心に満たされていた。極上の好敵手を前に、走って潰す事以外の何物も考えられない。

 

「―――寂しいわね、蚊帳の外にされるのは」

 

 声に視線を向ければ勝負服に身を包んだアドマイヤジャパンの姿がある。その横にはシックスセンスの姿もある。

 

「まるで自分達以外は全て脇役の様なその視線、気に入らない……!」

 

「ま、そういう事なので。カノープスを紹介してくれたのは感謝してるけど皐月賞は貰うよ」

 

 それに、と別方向から声がする。視線を向ければ朝日杯FSで戦った、マイネルレコルトの姿がある。

 

「こっちは朝日杯のリベンジをしなきゃならないからね―――今度は負けないよ」

 

 熱気、熱狂、狂気、覇気。掛かり気味にむき出しにされた闘争本能を滾らせているのは何も自分だけではない。初めてGⅠの舞台に立つウマ娘、そしてそれを倒さんとするウマ娘もここには揃っている。

 

 アドマイヤジャパン、マイネルレコルト、シックスセンス―――本来、歴史でディープインパクトと競り合い敗北した馬……その魂を継いだウマ娘達がここに揃っていた。果たして彼女達が歴史と同じ道を辿るのかどうか、それとも……この俺がその全てをぐちゃぐちゃにしてしまうのか。

 

 解るのは今、ディーは、俺以外の全てを見ていなかった。

 

 彼女の瞳には最初から最後まで、俺の姿しか映っていない。

 

 そしてそれは、恐らくは俺も。

 

 俺達は欲している。本気で走る瞬間を。本気で戦える瞬間を。魂を焼きつくす程のレースを。

 

 ……その始まりが、目前に来ていた。

 

 俺達の皐月賞がいよいよ始まる。




クリムゾンフィアー
 お前の走りに脳を焼かれた。漸く本気で走れる

ディープインパクト
 貴女の存在に救われた。漸く全力で走れる

バンダナ
 んー、ディープ1フィアー2でバ単かなぁ……


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26話 皐月賞 Ⅱ

 ゆっくりと、ゲートに収まって行く。静かに、足音を立てず全ての気配を殺してゲートに収まりつつ両手を合わせて目を閉じる。精神を統一し、落ち着かせながら走りだしに備えて自分のメンタルを完全に制御する。

 

 闘争心、掛かり気味のそれをレースへと向ける為に、爆発させる瞬間の為に堪える。堪えて堪えて堪えて―――押し込んで飲み込む。自分の意志の、自分の体の完全なコントロールを得る。何度もやって来た事だ、何時も通りやるだけだ。

 

「ふぅ―――」

 

 闘志が溢れる。本気で、全力で走れるだろうか? 全てを出し尽くせるだろうか? 疑問は尽きない。だが自分の強さを一番理解しているのは自分自身だ―――それを信じて走るしかない。

 

 コンディション―――良し。

 

 メンタル―――良し。

 

 覚悟―――良し。

 

 この場における準備は整えられた。閉ざしていた目を開き、光を受け入れながら走りだす為のフォームに入り、その瞬間を待つ。限界まで極まった集中力は一瞬で意識をゾーン状態まで引き込む。ピリピリとした緊張感が肌を撫でる。それでもたった一人の存在感を常に感じられる。

 

 ……来る。

 

 ゲートが開く。その予兆を開く前に感じ取る。風の揺らめき、音の始まり、緊張感の波。その全てを読み取ってゾーンの中で判断する。

 

 その瞬間、吐く息は白く染まる。想起するのは煉獄の思い出。生まれる前の景色を幻視する。何もない、熱の存在しない世界―――生ある者が存在する事が出来ない、命の終着点。熱量は全て零となって永遠の静止へと至る。

 

 ゲートが開くのと同時にパキッ、と音が鳴った。足元のターフが凍り付き、割れる音。体が前に飛び出すのと同時に吐息を凍らせるほどの寒気で染め上げる。

 

 全てのゲートがその瞬間、凍り付いて覆われた。否、そういうイメージだ。現実に変化はない。ただそういうイメージを見ている者の間で共有され、認識しただけだ。だがそれで十分すぎる。起こる筈だった最初の加速、スタートダッシュは加速力を殺す第二領域によって死滅した。

 

 唯一、俺を抜きにして。

 

『一斉に出遅れてしまったぁ!?』

 

『ポンと一人飛び出したこれはクリムゾンフィアーですね! 間違いなくこのイメージの強固な構築力は彼女の仕業です! 開幕に領域を使う事でライバルたちを出遅れさせたのでしょう!』

 

 は、笑い声が零れる。

 

「元が俺のやり方なんだ、崩し方も解ってんだよ……!」

 

 声が聞こえる筈もないが、言葉を喉から吐き出して前に飛び出す。だが直ぐに落としてあらかじめ自分の中で刻むタイムへと速度を調整する。開幕の爆撃によって一気に出遅れたウマ娘達が初期加速を取り戻すようにスタミナを燃焼して追いかけて来る。

 

 逃げを走るはずだった子は前に飛び出し、位置取り争いが勃発する。本来よりも遅れて始まった争いは無駄にウマ娘達のスタミナを削り、そしてレースプランを崩す。その合間にもディー1人へと威圧を向ける。

 

 向けられる対抗リソースは、全てディーへと向ける。他のウマ娘がどう認識しているかは解らないが、最初から最後まで潰す為のリソースは1人へと注ぎ続かなければ、間に合わない。

 

「ふぅ―――」

 

 序盤の直線を抜けて中盤に入り、最初のコーナーに入る。ぴったりと内ラチに張り付くようにコーナーを速度を落とさずに走る。やや外側へと膨らむ姿を抜かして前に出ようとする姿を牽制しつつ追込みへのデバフを送り続ける。コーナーの反りを利用して視線の睨み、威圧、そして好むコースを先に踏んで芝を荒れさせる。

 

 出来る手は先に打つ。これが後々響けば、勝機へと変わるだろう。

 

 ―――クソ、チャンミで追込みクリオグリ相手してるような感じだ。止められる気配がしねぇ。

 

 速度系は駄目だ。殺しきれない。最終直線までにどれだけスタミナを殺し、最後の加速を抑えられるか。それが勝負の決め手だろう。振るうリソースを絞って息を整える。自分のスタミナを枯らさないように意識しつつ走りを調整する。

 

 最終直線までは体力を温存できるストライド走法で、自分の立ち位置を調整しつつコーナーを抜ける―――という所で後ろ髪に引っかかる感覚がある。

 

「……」

 

「クリムゾン、フィアーッ……!」

 

 睨むような視線と共に対先行へと向けられた威圧が此方へと放たれる。マイネルレコルトが前回の走りを反省し、此方に対策を振ってきている。が、まだ拙い技術だ。弾ける範囲だ。自分へと来る分を振り払い、そのまま他へと通す。

 

 自分へと向けられる悪意を他者へと振り分ける。

 

 あぁ、そうだ、悪意だ。殺してやるって殺意。それが野良レースで走ってた時にはあった。そしてこれまでのレースには欠けていた。それが漸くやって来た。実家の様な安心感だ。これでこそ生きた心地がする。

 

「は、は、は、は―――」

 

 楽しい。まだだ、まだ走れる。息を吐く様に威圧を飛ばして他のウマ娘の速度を殺し、それで別のウマ娘が上がってくる事を阻止する。中盤の直線から終盤のコーナーへと向けて準備が始まるタイミングで他のウマ娘の動きを阻害し、後ろへと向かって、速度を落とさせる。

 

 ディーが抜く為に必要とするコースを此方から狭めて動きを固定させる。これでディーの動きを鈍らせる為の仕込みは全て終えた。

 

「あとは俺の限界を攻めるのみ……!」

 

 先団を抜き始めながらハナに立つ。息を入れてスタミナはゴールを切るまで絶対に切れないラインまで確保している。その全てを燃焼するようにソムリエの名に相応しいコーナリングで限界まで加速する。

 

 そして、彼岸花を咲かせる。

 

 スパート。

 

 振り返る事無く全力で加速する。加速、加速し、そしてトップスピードに乗る。スパートに入ってフォームをストライドからピッチ走法へと切り替える。自分が出しえる速度の限界を攻めながら振り返る事無く前だけを見る。

 

 叩きつけた、放った、妨害もした。

 

「あ、あ、あぁ、ぁ、ぁッ―――ッッ!!」

 

 それでも、漆黒の英雄が上がって来た。やはり上がって来た、それでも上がってくる……!

 

「負け、ない……!」

 

 大外から放たれた妨害を全て避けながら殺人的加速力と末脚で後方の全てを撫で切る。後ろへと流れて行くウマ娘達の姿を一瞥する事もなく漆黒の姿がターフを切り裂きながら切り込んでくる。その蹄鉄で彼岸花を踏みつぶし、汗を額に垂らしながら、

 

 横に並び、

 

 ―――抜かれた。

 

「おおおぉぉぉぉぉ―――ッ!!」

 

 吠える。スタミナを急速に燃焼させる。根性を費やして更にスピードを捻りだす。化け物としか表現できない末脚でディーの姿が前に出た。1バ身、2バ身、3バ身。圧倒的なスピードで突き離そうとディーの姿が前へ、前へ伸びる。

 

 ゴールラインまで残り目測50メートルもない距離。

 

 彼我の差、3バ身。

 

 ゴールライン直前―――ディーの姿が、垂れた。

 

「おおおおおおおおお―――!!」

 

「あああああああ―――!」

 

 恥も外観もなく叫ぶ。脚が折れようとも前に出るという意思で体を前へと押し出す。

 

 1歩―――1バ身距離を縮める。

 

 2歩―――更に1バ身縮む。

 

「こなくそっ」

 

「―――っ!」

 

 限界まで歯を食いしばった姿がゴール目前に迫る。最後の全てを注ぎ込んでスタミナを切らしたディーへと追いつこうとする。だが足りない。距離が足りない。

 

 後100メートル、後100メートルだけ長ければ垂れていた……!

 

 だが、その100メートルは来ない。

 

 ゴールラインを抜ける。

 

 その差、半バ身。

 

 全速力で駆け抜けたディーの姿がゴールラインを抜けて、少し進んでから尽きた体力を表すようにターフに転がる。半バ身、その姿に遅れるようにゴールラインを切る。ゆっくりと速度を落としながらディーの横に立った。

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

「よう」

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

「喋るのが辛い?」

 

 見上げてくるディーは息も絶え絶えという様子で頷いた。その姿にはあ、と溜息を吐いた。

 

 皐月じゃなくて同じ戦術でダービーに仕掛けてれば勝てたかもしれない。ディーのデバフに対する耐性が見積もってたよりも低かった……というより良く刺さった。或いはその手の対策訓練を施していなかったのかもしれない。

 

 ダービーの距離であれば、勝てた。だがこれが現実だ。そして手札を見せた以上、次回はこのデバフラッシュを対策されるだろう。

 

 結果から言えば、皐月賞の距離で言えばディーはスタミナを削られても走り切ったのだから。

 

「ほら、手を貸せよ。ファンに応えてみせろよチャンピオン」

 

「うん……!」

 

 手を出せば、それをディーが掴む。引っ張り上げて起き上がらせる姿を腰に手を回して支えれば、ディーが手を観客の方へと掲げる。瞬間、歓声が爆発しバ券が宙に舞い上がる。初のGⅠ勝利をターフと歴史に刻んだディーの表情には達成感と喜びが満ちていた。

 

 あーあ、負けちまった……これならちゃんと因子継承しに行けばよかったわ。

 

 言葉を口に出す事無く苦笑すると、ディーの視線が俺へと見上げるように向けられた。見上げるディーの表情には笑顔がある。

 

「ありがとう、フィアさん」

 

「気にすんな」

 

 それに俺達のクラシックは―――まだ、始まったばかりだ。

 

 これはまだクラシック3冠、その始まりでしかないのだから。




クリムゾンフィアー
 悔しい

ディープインパクト
 嬉しい

ファン
 腰に手を回した辺りで脳を焼かれてる

デジタル殿
 また死んでる


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27話 Q.因子継承だぁーれだっ!

 窓の外を見てみたらデジタル殿がまた死んでいた。目撃すると死亡率100%の女、デジタル。死んでるのを見ると今日もトレセン学園は平和だと思える。今日は何で死んだんだろう? もしかして時報かもしれない。

 

「皐月賞……負けちゃったっ」

 

「可愛く言っても事実は変わらないぞー」

 

「反省しろ反省をー」

 

「皐月賞の映像準備出来ましたよー」

 

「おーし、それじゃあフィアの皐月賞反省会やるぞー」

 

 スピカの部室、何時ものプレハブ小屋。俺達は先日の皐月賞の反省会をする為に映像をノートに入れて集まっていた。スマホでアークナイツを起動し、イベント周回を開始しながら皐月賞の反省会を始める。とりあえず最初に言わせてくれ。

 

「アレで止められないなら何をしてもムリでしょ」

 

 心の底からの感想だった。いや、だって躊躇、焦り、駆け引き、独占、布陣、攪乱、まなざし……自分がこれまでの人生、野良レースで磨いてきた対人スキルを全て注ぎ込んで妨害したのだ。それを喰らいながらあの末脚を見せてゴールされたんだ。もうどうしようもないだろ。

 

「俺、使える限りの妨害とデバフ全部注ぎ込んだぞ」

 

「寧ろアレはそれだけリソース切ったからアレで済んだって感じだよね」

 

「そうですわね、多分あそこまで妨害札を用意できなければ最終的には2バ身ぐらいの距離を空けてのゴールでしたでしょう」

 

 解ってはいたが、あのレースに愛されたとでもいうべき末脚と能力はまるで勝てる気がしない。スタミナとパワーだけなら絶対に勝てるだけの自信があるのだが。レースってのは結局トップスピードが勝負の肝だ。加速力と最高速度、そこで勝負が決まる。

 

 あの皐月賞、ディーのスタミナは数値にすると大体350から400ぐらいだった。それをデバフでゴール前に全部削り取ったのを、根性だけでゴールされた敗北だった。改めて考えてみると悔しい。リギルはデバフを喰らっても走りきれるだけのスタミナをディーに備えたのだ。

 

 それでも……それでも後100m長ければ、俺が勝てただろう。

 

「あー、悔しい……」

 

「ここ、良く見てると他の子も駆け引きしにいってるね」

 

「プレッシャーを与えにいってますよね。この数はちょっと……」

 

「うーん、でもほとんど通ってないんじゃないかな? 大半の妨害に対してほぼ無関心というか……眼中に入ってない感じがあるね。多分最後方からずっとフィアの事をマークし続けてたんじゃないかな、彼女」

 

 シービーがそう言ってレースの映像を切り替えると、ディーの視線が常に俺の背中へと向けられているのが見える。文字通り、他のウマ娘が眼中にない。最初から最後まで俺の事しか見えていない―――これは将来が不安視されますよ。

 

 将来大丈夫かなぁ、なんて腕を組みながらソシャゲをぽちぽちしているとうーん、という声が漏れてしまう。正直、俺の頭でこの状況での勝ち筋が見えない。手札を切った上でこの結果なのだから。それに、問題は別にある。

 

「次回、100%対策されるよな、これ」

 

「まあ、おハナさんだしな。するだろう」

 

「東条さんならするでしょうね」

 

 

 

 

「それではディープインパクト、これから私が君をマークし続けながら可能な限りありとあらゆる技術(スキル)を駆使して君の精神力を削ぐ(デバフする)。それを耐えられるようになればダービーにおいて圧倒的な有利を得られる……いや、恐らくフィアーであればこの程度見越して策を練ってくるだろう」

 

「うんうん」

 

「行くぞ、ディープインパクト。まずはささやき戦術に慣れる事からだ」

 

「は、い……!」

 

「―――あぁ、そうそう。そう言えばフィアーが部屋の変更申請してきたよ」

 

「ごふっ」

 

「あぁ!? プイちゃんが笑顔で吐血した!?」

 

「ルドルフッッ!!」

 

「え、いや、私はこれでジャブのつもりだったんだが……」

 

「これだから皇帝は人の心が解らないとか言われるんだよ」

 

 

 

 

 どこかでウマ娘の倒れる音がしたが、無視だ。無視無視。それよりも大事なのはどうやってダービーを攻略するか、という話だ。

 

「ダービーを走り切るスタミナをつけてデバフ対策もする……ダービーでは皐月同様デバフ祭りで体力を削って垂れさせるって手は使えないとなると、もう地力を磨きあげる以外の手段なくない? ぶっちゃけあの末脚を磨り潰す以外に手段があると思えないんだけど……」

 

 俺の言葉にそうだね、と西村Tが声を置く。

 

「正直、フィアーの走りは凄く巧いよ。巧みというか、走りが賢い。どうすれば効率よく走れるか、というのを限界まで詰めて自分の体で出来る事をしているって感じの走りなんだよね。それをこれ以上良くするには、結局フィアーの地力を伸ばす以外の手段がないんだよね」

 

「後は戦う為の手札を補充するとか……奇策に頼るか」

 

 奇策―――奇策か。難しい話だ、奇抜な事をやれば良いという訳じゃない。ちゃんと活用し、勝てるレベルの作戦でなければならない。そういう意味では初手で見せたデバフ祭りは相当強い札だと言えるだろう。

 

 スタミナを削りに削れば走り切れる距離でさえまともな速度が出せなくなる。経験した事のない事であれば猶更良く刺さる。そういう意味で今回は特別強くディーに刺さった。だがそれすら乗り越えてきたのだ。デバフ祭り以上に強い札を出さなきゃ意味がないのだ。

 

 それを考えると、レース映像を見ながら全員黙り込んでしまった。

 

 その沈黙を、マックイーンが破った。

 

「私、思ったんです。確かにディープインパクトさんは強いウマ娘ですわ。ですがフィアーさんも強いウマ娘ですわ。それも特にスタミナとパワーが圧倒的に強いウマ娘……かのビッグ・レッドを思わせる力強さと恵体は競バ会であれば期待しかねないスペックですわ」

 

 マックイーンの言葉に俺は頷き、視線が集中する。

 

「―――スタミナが持つなら最初から最後まで逃げ切れば良いのでは? 末脚が刺さる前に逃げ切れば良いのですわ!」

 

「マックEーン」

 

 スイーツ不足かこいつ? 頭が賢さGになってるぞ。

 

『私も逃げるのが一番楽しいと思うわ』

 

 スぺがいつの間に取り出したタブレットからはスズカの大賛成が飛んでくる。お前単純に逃げ以外走れないだけだろ。俺は周りを見渡しながら頷いた。

 

「NHKマイルで逃げて通じたらダービーは大逃げで」

 

「じゃあそういう事で」

 

 俺達は賢さGで行くことにした。俺達は困ったときは大体ノリで乗り越える。深く悩んだ所で割と無駄だからと人生を理解しているからである。

 

 

 

 

 ディープインパクト攻略会議が終わった所で俺の前には新たな問題が発生していた。

 

 

三女神 @three_goddess・紀元前

 

@crimson_fear

くーちゃんへ

そろそろ因子受け取りに来てください

扱いに困っています

 三女神ちゃんより

 

件のリツイート件のいいね

 

 

 ついに三女神、ウマッターへの進出に成功する。恐ろしい事にIPを調べようとしてもどこにも辿り着かないのだ。三女神、間違いなく現代に進出に成功してしまっている。ホラー寄りの存在の癖に妙にギャグっぽい。というか扱いに困る因子ってなんだよ。

 

「い、行きたくねぇ……!」

 

 だがウマッターのDMを見ると鬼のように三女神から通知が来てる。はよ来いコールの連打である。仕返しにお勧めのソシャゲのURLを纏めて爆撃してから空を見上げる。

 

「行くか、因子継承……」

 

 俺は一瞬で死ぬ覚悟を決めた。初手で呂布因子を持ってきた頭マックEーンの三女神だ。次は神話シリーズに手を出した所で驚きはないだろう。SNSに進出した時点でアイツらは何でもやるという認識で俺は因子継承に挑む事にした。

 

 そうだ、因子継承だ。ディープインパクトとの勝負はタッチの差での敗北だ。もし何がいけなかったのか、という話をするなら俺が脚を折る覚悟がなかったとか、奥の奥の手を確実にする為に温存したとか……本当に細かく、どうしようもない領域の話だ。

 

 その僅かな差を、因子継承していれば埋められていたかもしれない。三女神の意図は不明だが、それでも因子継承を行えるのであれば……変なプライドを持ち出さずに受けておくべきだったのかもしれない。

 

 ともあれ、過ぎ去った後悔だ。今は三女神の像がある広場へと向かう。

 

 正直、あまり立ち寄る場所ではなく、こっちに来るのも久しぶりだ。特に最近は皐月賞の準備やら追込みで忙しかった。

 

 そんな事を考えながら三女神の像がある広場へとやってくる。噴水と一体化した石像の根元には見覚えのない姿があり、アレが今日の因子継承相手なのかなあ……とか考えてたら違うと気づかされる。

 

「……うん? 生身?」

 

 そう、生身だ。生身のウマ娘がいる。黒鹿毛―――或いは青鹿毛と呼ばれる深く落ち着いた色合いの髪はどことなくマンハッタンカフェを思い出させる色をしている。長く、しかし乱雑に切りそろえられた髪型にチューブトップとダメージジーンズというラフな格好はトレセン指定の制服からは程遠い恰好だ。

 

 何よりも鼻につく強い臭いは煙草のものだ。チンピラがつける様な小さなサングラスに煙草を咥え、女神の足元に腰かけているウマ娘はどこからどう見ても不良か、不審者の類だ。

 

 ……どことなく、オトモダチの存在を想起させる雰囲気をしてる。

 

 俺がそんな姿に心の底から嫌な予感を滾らせていると不審バは、

 

「お、マジで来やがった」

 

 とか明らかに俺をロックオンした様子で言ってくる。いや、マジで嫌な予感しかしないわ。静かに冷や汗を垂らしていると、急に辺りが薄暗くなり、女神像の後方に光が集まるのが見えた。

 

 因子継承の予兆だ。いきなり予告もなく因子継承に入ろうとする三女神の像へ、

 

「うるせぇ、邪魔だ」

 

「えぇぇ……」

 

 謎の不審バが蹴りを三女神の像へと叩き込んで因子キャンセルした。マジで? とか思いながら像の方を見ると蹴りを叩き込まれてるところが明らかに欠けてる。この人、三女神の像ぶっ壊してる……。

 

 お、俺のパワーアップイベントぉ……。

 

 呆然と俺を超える暴君の姿に動けずにいると黒鹿毛の暴君が俺の前まで来て、肩を叩く。

 

「よう、赤いの。お前、赤毛の癖して負けたんだって? クソ面白いな」

 

 HAHAHAHAとどことなくアメリカンな笑いをしだす姿に嫌な予感しかしない。笑いながら肩を叩き、人の髪を指先で突いて笑ってる。逃げ出す算段を頭の中でくみ上げているが、肩に指が食い込んで絶対に逃がさないという鋼の意志を感じる。

 

「お前さ」

 

「はい」

 

「赤毛でそんだけ目立ってよ」

 

「うす」

 

「負けるって意味、解ってやってんのか?」

 

「……うす」

 

 目が笑ってない。怖い怖い怖い。助けて三女神。視線を三女神の像へと向けるが、神聖な気配は全力で逃げ出した後だった。駄目かぁー。

 

「解ってて負けたのか? あぁ?」

 

「い、いえ、勝つ気でした。うす」

 

「へぇ、ほぉ、ふーん……へぇ」

 

 とても良い笑顔を浮かべたウマ娘は俺の肩に手を回すと、そのまま半分引きずるように歩き出す。

 

「最近なあ、ノーザンの連中がイキっててうぜぇんだよ」

 

「あ、はい」

 

「だからお前、次勝て」

 

「うす」

 

「という訳で勝たせてやるから。来い」

 

「え、いや、俺これから因子継承」

 

「来い」

 

「うす」

 

 ずるずるずる。

 

 ずるずるずる……。

 

 抵抗なんてものはムリだった。謎の黒鹿毛に引きずられ、ハンカチを振って別れを告げるオトモダチの姿を視界に抑えつつトレセン学園の外へと運ばれて行く。敷地の外で待っているのは黒塗りの高級車。

 

 その中に放り込まれて思う。

 

 俺、死ぬかもしれねぇ……!




A.因子キャンセルっ!

クリムゾンフィアー
 どなどなられる

ディープインパクト
 やる気が下がった。練習下手になった。ルドルフへの絆が10下がった

謎の黒鹿毛
 サンデーサイレンス、一体何者なんだ……!


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28話 From Crimson Fear

 チーム・スピカの部室は沈黙に包まれていた。

 

 それは今を時めく最強最高のサイカワアイドル武将ホースクリムゾンフィアーが失踪したから―――ではなく、ポケモンSVが配信されたから全員ポケモンSVを遊び始めた事にあった。

 

 メイクデビューを走り、ジュニア級として走り始めたウオッカとダイワスカーレットもポケモンSVを遊んでいた。なんとなく無事だろ……ソシャゲのアカウントも動いているみたいだし……ログボ回収してるし……みたいなノリで本人の無事を理解していたからだ。

 

「今作3シナリオから自由に遊べるのやばいよなぁ」

 

「ねー。遊びつくすのにどれだけ時間がいるんだろ」

 

「立つなニャオハ立つな立つな立つな……」

 

 もはや呪詛染みた声さえ部室の中には響く。誰もがポケモンSVを遊ぶのに忙しかった。ポケモンSVの前ではクリムゾンフィアーの生存確認なんて必要のない作業だった。今日はとりあえずトレーニングを全てキャンセルして、スピカはポケモンSVを楽しむ事にしていた。

 

 そしてこの時、リギルは必死にコンディションが底にまで落ちたディープインパクトのケアで奔走していた。

 

 ある意味で何時も通りの光景。何時もの平和なトレセン学園の風景。

 

 そんなスピカのプレハブ小屋の扉が開いた。

 

「皆さん、揃ってますわね。交流のある方から是非見て欲しいってビデオを頂きましたの。ちょっとポケモンの手を止めてみませんか?」

 

 マックイーンがビデオを手に部室にやって来た。それを見てテイオーが首を傾げる。

 

「……ビデオ? ブルーレイとかじゃなくて?」

 

「いや、一応VHSあるけどよ……ビデオ?」

 

「こういうのは様式美が大切だ……って本人は仰ってましたけど。とりあえずVHSあるなら用意しません?」

 

「イマドキの子にVHSって通じるかなあ……」

 

 中古のビデオデッキが取り出され、セットされる。ポケモンSVを遊んでいた連中はそれを一旦スリープモードにして遊ぶ手を止め、テレビの前に集まりだす。マックイーンからビデオを受け取った沖野がビデオをデッキの中に入れると、テレビが映像を映し出す。

 

「ん? 何でしょうここ……ダート?」

 

 スぺの疑問が映像と共に上がる。彼女の言う通り、テレビはダートコースの背景が上がって来た。とはいえ、ダートのコースなんて覚えが多すぎる。どこのダート、かというと首を傾げてしまう。だがダートコースの違いが判る男がいた。

 

「あのダート……たぶんアメリカですね」

 

「だな」

 

 日本とアメリカのダートの違いを見て即座に映像の場所がどこなのかを察する。というか映像内の競技場を見て大体どの競技場なのかを察する。それが出来るだけの知識と経験が2人のトレーナーには存在していた。だがそれを見て首を傾げる。

 

 はて、どうしてアメリカからスピカ宛にビデオレターが来ているのだろうか? そんな疑問が脳裏をよぎる。だが目の前の映像はどうやらレース直後の映像のようで、競バ場には歓声と怒号が溢れ、バ券が宙を舞っている。

 

 日本と比べれば聊か乱暴に見えるのはお国柄だろうか。海外のレースをあまり見ないスピカとしては少し新鮮な光景でもあった。

 

「なあ、西村これ……」

 

「7日に行われたたぶんケンタッキーダービーですね……チャーチルでこの時期のレースと言ったら十中八九これです」

 

「だよな。流石本場のダートは盛り上がりが凄いよなぁ」

 

「あぁ、アメリカクラシック三冠だっけ?」

 

 シービーの言葉にそうそう、と沖野が答える。

 

「アメリカじゃ芝よりもダートのが人気が高いんだよ。だからアメリカのクラシック三冠路線ってのは芝じゃなくてダートなんだ。あっちのダートの盛り上がりは凄いぞ? 日本じゃあまり人気ないから日本のダート専門バはアメリカに挑戦するのも悪くはないかもな」

 

「へー……あ、ライブしてますね! あっちでもライブするんですね」

 

 どうやらケンタッキーダービーのライブ映像の様で、ライブの様子にカメラが向けられている。そのライブの様子を見て、スピカ一同が一斉に首を傾げる。

 

 ……うん?

 

 あれ?

 

「なんか……なんかおかしくないか?」

 

「いや……うん……なんだろう……」

 

 全員揃ってライブ映像を良く見る。センターを……1着の位置で踊って歌っているウマ娘に凄い見覚えがある。なんか、つい最近失踪した筈のウマ娘に凄い似ている。おっかしいなぁ……そんな疑問がトレーナーにもウマ娘達にも湧き上がる。

 

 だが間違いない。

 

 センターでやややけくそ気味にファンサしているのは奴だ。

 

「フィアー!??!? なんでそこにいるの!?」

 

「いや、マテ、それケンタッキーダービーの映像だろ!? なんでアイツがセンター獲ってるんだ!?」

 

「トレーナー! 今ネットを調べたら今年のケンタッキーダービーの1着がCrimson Fearになってますわよ!!!」

 

「嘘だろ!? アイツアメリカクラシック1冠ウマ娘になってるじゃねぇか! 皐月落としてケンタッキー取るなよ!!!」

 

 てんやわんやてんやわんや。当然のごとくスピカ部室が混沌とした状況に陥る。いや、まさか……と呟くマックイーンが更にダービー周りの情報を調べる。

 

「と、トレーナーがサンデーサイレンスで登録されてる……!」

 

「えっ……えっ?」

 

「や、やった! やりやがった! やりやがったぞアイツ!!」

 

 ゴルシが爆笑しながらテーブルを叩き始め、スぺがスズカに連絡を入れ始める。そしてスカーレットがライブ映像で見切れるアストンマーチャンの姿を見つけて校舎へとアストンマーチャンを探しに飛び出して行く。ウオッカが混沌とする部室とスカーレットを交互に見て、スカーレットを追いかけ出す。

 

 やけくそライブの映像が終わり、シーンが切り替わる。変わったシーンでは赤毛のウマ娘が恵体のアメリカ赤毛ウマ娘と黒鹿毛のウマ娘に無理矢理肩を組まされる形で挟まれている。

 

『よお、クソジャップ共。楽しく芝の上でよちよちしてるかぁ?』

 

『お前たちの大事な大事なCrimsonがあんまりにも可哀そうだからさ……こっちでダートデビューさせちまったわ! ははは、悪いな。欠片も悪いとは思ってないけど。意外とトレーナーの真似事も楽しいよねサイレンス』

 

『お前資格取ってねぇんだから言われた事だけやるんだぞ』

 

『解ってる解ってるって。私達超仲良しだもんなぁ、Crimson?』

 

『だ、ダート楽しいよぉ……えへへへ……えへ……へ……』

 

『HAHAHAHA! ほら、Crimsonちゃんもダートで走るの楽しいって言ってるじゃねぇか……ま、そういう事で、次はプリークネスステークスで走らせるからあー……トーキョーユーシュン? 出す気ねぇから。じゃあな』

 

『へ、へへへ……ダートたのしー……』

 

『あ、ゴアが来た』

 

『Fuck! 逃げるぞ!』

 

『コラ―――! 馬鹿2人―――!! 大きすぎる悪ガキ共―――! その子を解放しなさーい!』

 

 ぶちっ、という音を立ててビデオが途切れる。スピカの部室が無言に染まる。動きも消え、そして言葉を探そうとする。その沈黙を破ろうと、シービーが口を開く。

 

「ねえ、これNTRビデオ―――」

 

「ナリタトップロードビデオな! 成程ね!」

 

「何が成程なんだよ。完全にNTRビデオレターじゃん」

 

「サンデーさん、意外と細かい所に凝りましたわね……」

 

 なんでマックイーンがそんな様式に詳しいとかいう疑問を投げ捨てる。問題はいつの間にかアメリカに飛ばされた上でアメリカ3冠に挑戦させられているスピカの赤毛の方である。自他共に認められる自由の象徴であるスピカだが、それにも限度がある。

 

 そしてこれは許容出来る範囲を超えていた。担当を乗っ取られるなんてあってはならない事だ。良くURAが許したな。

 

「沖野さん、今すぐチケットを予約してアメリカに行ってきます。プリークネスの出走を許したらタイミング的にダービーは走れませんよ」

 

「クッパ姫を助けに行くぞ!!」

 

 スピカの意気が高まる。アメリカ旅行のしおりをスぺが作り始め、ゴルシがビデオを回収する。

 

「……リギルにもこれ送っておこ」

 

 リギルにテロを残し、スピカアメリカへ……!




クリムゾンフィアー
 逆らえなかった

ディープインパクト
 調子が下がった。寝不足になった

東条トレーナー
 頭痛になった

秋川やよい
 頭痛になった

イージーゴア
 頭痛になった


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29話 特攻野郎Uチーム

「ここが、アメリカ……!」

 

 そう言って国際空港に降り立ったのは漆黒のウマ娘―――ディープインパクトだった。その背後には西村トレーナー、桐生院トレーナー、そしてマックイーンの姿があった。空港に降り立った者達は日本とは違うアメリカの空気を堪能しながら空港を出た。

 

「お、来たな」

 

「サブトレーナーさん、こっち」

 

 そう言って日本トレセンチームに手を振るのはサイレンススズカで、その横に立つのはアメリカに遍在していたゴルシだ。もはやゴルシが同時間軸に複数存在している事実はトレセン学園では常識ですらあり、彼女が既にアメリカにいる事は驚きではない。

 

 トレセン学園チームは温かく2人を迎えた。

 

「こうやって会うのは久しぶりだねスズカ」

 

「夏合宿以来ですね。桐生院トレーナーも久しぶりです」

 

「久しぶりですスズカさん。此方こそ宜しくお願いします」

 

「まーまー、気楽にいこうぜ。ガチガチになってもどうにもならねぇしな」

 

「ゴールドシップさんはもう少し気を引き締めた方が良いですわよ。ほら、ディープインパクトをごらんなさい」

 

 ざ、ざ、ざ、と更衣室で着替え終わったディープインパクトはタクティカルベストにショットガンを装備した戦闘仕様となっていた。一同、無言で殺気に満ちるディープインパクトの姿を見て直ぐにその惨状から視線を逸らした。

 

「あのよ……ぶっちゃけトレセン学園で拘束してた方が良くないアレ?」

 

「貴女がナリタビデオを不用意にテロるからでしょう!! どうしてパカチューブにアップしたんですの!? URA会長が心臓発作で倒れました事よ!?」

 

「日本URAにすら未通達で拉致ったのは流石としか言いようがないよな……サンデーサイレンス姉御……」

 

 サンデーサイレンス、気性難という言葉を形にした存在。気性難を語れば現代ウマ娘で間違いなく出てくる一角だ。恐らくアメリカのURAですら頭を抱えている案件だろう。大事になる前にトレセンチームは何とかディープインパクトを宥めて日本にサイカワアイドル呂布系ホースを連れて帰らなくてはならなかった。

 

「安心してください、軍バまでならなんとかなります」

 

 URAシナリオアップデートによって更にストロングになった女、桐生院葵お嬢様の発言に全トレセンが感動した。最悪、サンデーサイレンスを抑え込む事に関してはこのストロング葵に全てを任せるしかなかった。ついでにディープインパクトを抑え込む事も。

 

 彼女が今回、リギル側の代表としてやって来た最大の理由でもあった。

 

 なおテイオーはパスポートが発行切れ。スペシャルウィークはパスポート未所持。沖野トレーナーはジュニアが始まったばかりのウオッカとスカーレットの面倒を見る必要がある為、そしてシービーは散歩に出かけて以来行方不明となってしまった為にスピカのアメリカ行きメンバーは西村トレーナーとマックイーンだけとなっていた。

 

「とりあえず、まずはサンデーサイレンスさんの所へと行きませんと。フィアーさんも其方でしたわよね?」

 

 マックイーンの言葉にスズカが頷いた。

 

「えぇ、こっちのトレセン学園ではなくてサンデーさんの家の方でトレーニングを行ってるわ。私も呼び出されて参加してるから案内できるわ」

 

「なにやってなさるの??」

 

 でも……走れるし……とかいう表情を浮かべるスズカの存在はまるで頼りにならなかった。だからと、西村がパンパンと手を叩いた。

 

「さ、立ち話してないでそろそろ現場へと向かおうか。サンデーサイレンスにはどうしてこんな事をしたのかを聞き出さないと……ダービーも近いしね」

 

 西村の言葉に全員が頷いた所でゴルシがそれでよ、と口を開く。

 

「アレ、放置してていいのか?」

 

 ゴルシが指さす先―――そこで不審バとして警備員に両腕を掴まれ引きずられるディープインパクトの姿があった。思わず悲鳴を上げた西村と桐生院の姿が警備員へと向かう。その姿を見送りながらスピカの面々は頷く。

 

 ―――日本もアメリカもあんまり変わらないな……。

 

 

 

 

 空港からタクシーに乗って街の外れへ。

 

 広大な土地を有するのは名家出身であれば当然の事―――ではなく、サンデーサイレンスは成り上がりのウマ娘だ。

 

 元はスラム生まれの父も母も知らぬ悪ガキだった者がステージに立ってアメリカ有数の名バとなった姿は、記憶に新しいアメリカンドリームの一角だ。薬物検査でしょっ引かれたりしても、サンデーサイレンスの走りが翳る事はない。彼女は依然として多くの恐怖と畏怖を集める。

 

 そんなサンデーサイレンスも、都会での生活が煩わしく賞金をつぎ込んで有り余るアメリカの土地の一部を有し、そこで気ままな生活を送っている。普通であれば近づく事さえできない私有地だが、そこはマックイーンがなぜかサンデーサイレンスからフリーパスを貰っている為問題なく入る事が出来た。

 

「何故だか解りませんが、昔メジロ家に挨拶に来られた時にいつでも来てくれと誘われたのですのよね」

 

「マックイーン妙な奴に人気あるからなー」

 

「フィアさんの気配、こっち……!」

 

「あ、ディープさん待って!」

 

 到着した直後、どこにいるのかが解るかのように一直線にディープインパクトが走りだす。その姿を即座に桐生院と西村が追いかける。だが速力が違いすぎる。スズカとマックイーンが即座にその姿を追い―――スズカが追い越す。

 

「……」

 

「……!?」

 

 追い抜かした事で満足したスズカがそのままどこかへと向かって走り去って行く。

 

 ―――サイレンススズカ、離脱。

 

「スズカさん! 待ってくださいスズカさん! 走るのが楽しくて目的を忘れちゃうのは解りますけども、スズカさんッッ!! 駄目、全力で逃げてますわ……!」

 

 先頭民族に走る事以外を要求したことが間違いだったとトレーナー達が理解した所でディープインパクトがそこに辿り着いた。

 

 そこはサンデーサイレンスが家に用意したトラックだった。

 

 ダートのトラック、アメリカにおいて最もメジャーなコース。元々は貴族の遊びだったレースがアメリカという開拓地によって文化が変わり、ダートがアメリカでは主流となった。故にアメリカでは芝ではなくダート、それも土が主流となっている。

 

 そのトラックに集まる姿は少ない。

 

 全ての元凶、サンデーサイレンスはストップウォッチを片手に腕を組み、トラックを走る姿を無言で眺めている。

 

 ―――トラックを走る姿は二つだ。

 

 赤毛が2人。

 

 どちらも恵体で、燃えるような赤毛をしている。前を走る赤毛のウマ娘をもう一人の赤毛のウマ娘がマークするかのように追っている。腕の振り、脚運び、体の揺れ、呼吸のズレ……その全てを吸収し、自分の血肉へと変えようとする為の走りをしている。

 

 それを見てディープインパクトは直感的に、先頭を走る赤毛のウマ娘の走りが、肉体的に再現不可能なものである事を察した。真似も、それをデチューンした走りも絶対にムリだろう。根本的な体の作りが違って出来ない。そういう走りをしている。

 

 だがそれを追う赤毛は違う。目の前にいる赤毛の全てを喰らうように走る。感じられる情報の全てを吸収するように走る。一瞬も、欠片も逃がさないように走る姿が見える。ビデオを見た時は頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったディープインパクトも、その景色を見れば何が真実なのかは解る。

 

「フィアさん」

 

 ウマ娘は想いを受け継ぐ生き物だ。ヒトよりも、もっと色濃く想いに触れる生き物だ。因子継承、スキルの習得、そして相性。ウマ娘が想いを継ぐ生き物である事は多くの事柄が証明している。本能的に、或いは直感的に真実を理解する事もある。

 

 だから直に見れば、解る。

 

 ―――あのナリタトップロードビデオは、本人がかなりノリノリで出演したという事実に……!

 

「フィアさん……!」

 

 ディープインパクトは割とおこだった。




クリムゾンフィアー
 不幸なことを含めて人生を全部楽しんでる

ディープインパクト
 喜怒哀楽が良く出るように、人に見せるようになってきた

桐生院葵
 ミークが最後までゴネた

サイレンススズカ
 その内満足して勝手に帰ってくる


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30話 今年は皆の脳味噌破壊しようぜ

 ―――ウマ娘が特に優れている点は感受性の豊かさだ。

 

 領域、と呼ばれる能力がある。それは特別ファンタジーなものではないのだ。実際は感受性の高いウマ娘が、相手の放つ暴力的なまでのイメージを受信しているのに近い。領域とは自分が持つゾーン、超集中状態、それによって引き出された安定されたメンタルのイメージ、そういうものに近い。

 

 だからウマ娘はターフの上で幻視する、他人が得意とする領域をイメージとして。そして特に優れたウマ娘はそのイメージで周りを染め上げる。領域とはそういうものであり、発動には超集中状態を要する。だからトッププレイヤーのみが領域というものを習得できる。

 

 だから、クリムゾンフィアーというウマ娘がこの世で最も優れた感受性の持ち主だと言える。誰よりも他人の機微を察し、そして自分の持つ世界を表現する事に長けている。相手に感じさせる能力と、相手を感じ取る能力がずば抜けていると言える。

 

 その事実をセクレタリアトは見抜いた。彼女は自分の走法、等速ストライドと呼ばれるそれを継承する相手を求めていた。だがアメリカには彼女の走法を継承できるウマ娘がいなかった。天才的なセンス、無尽蔵のスタミナ、そして独特な脚運び。

 

 それはセンス、先天的資質、そして才能という奇跡に奇跡を重ね合わせた産物ともいえるものだった。だから真似しようとして真似できるものではない。自分の走法を伝授しようとしたセクレタリアトはその壁にぶつかり、そしてアメリカ国内で誰にも伝える事が出来ずにいた。

 

 そして知った、クリムゾンフィアーというウマ娘を。

 

 話を纏めてしまえばそれだけの話だ。もしかして彼女なら……と思ったセクレタリアトは繋がりを探ろうとして、日本に縁のあるアメリカのウマ娘としてサンデーサイレンスに助けを求めた。そしてどんな気性難であれ、このアメリカにセクレタリアトの願いを断るウマ娘なんて存在しない。

 

 だからサンデーサイレンスは俺を探しにトレセン学園まで来て、そのままアメリカへと連れ帰った。

 

 だから全部サンデーサイレンスが悪い。アイツが俺を連れ出さなければ俺もここまで暴れずに済んだのだ。

 

 俺は懇切丁寧に全ての責任はサンデーサイレンスにあると説明した所で、サンデーサイレンスが口を挟んできた。

 

「でもお前ケンタッキーダービーで等速ストライド試そうぜって言い出したよな」

 

「日本のウマ娘が等速ストライドで乗り込んで米クラシック1冠取ってくの最高に脳破壊って感じで楽しくなかった?」

 

「最高に楽しかったぜSis」

 

 YEAH! とサンデーサイレンスとハイタッチを決めると恐るべき生き物を見る様な視線が皆から向けられた。俺はちょっとアメリカ人と日本人の脳味噌を破壊したかっただけなんだ。芸術的だったろ? ケンタッキーもNTRビデオレターも。一体どれだけの人間が苦しんだのか帰国してからが楽しみだぜ。

 

「悪魔かよこいつ」

 

「完全に愉快犯ですわねこれ」

 

 サムズアップを向けると西村Tが無言で俺の親指を掴んでへし折ろうとしてくる。それを必死に抑えて耐える。悪い、悪かった。俺が悪かったのは認めよう。だけどな、俺の気性難としての本能がな、最近は大きく暴れてないから国際問題の一つでも起こせって事を言いだしてきてるんだ。仕方がなかったんだ。

 

「セクレタリアト、貴女は……」

 

「私? 教えられるなら教えたいってスタンスだよ。誰も覚えられなかった私の走りを、誰かに継いで欲しいしね」

 

 セクレタリアトの言葉には黙るしかない。伝説と言われる等速ストライドは誰も習得出来た事がない。そしてそれが習得できる可能性があるなら飛びつくのも当然の話だ……問題はその方法が問題だらけな事で。

 

「はあ……だからと言っていきなり米ダートに挑むのは肝が冷えるよ。いきなりケンタッキーダービーに出て勝ったなんて話をされてみて欲しいよ。日本で報告を聞いた私達の気持ちにもなって欲しい」

 

「そうですよ、フィアーさん。それに元々の予定のローテはどうなるんですか?」

 

 西村Tと桐生院Tの言葉がちょっと痛い。実際の所、元々のローテは不可能だと言えるだろう。こっちで走った時点で予定していたNHKマイルは走れない。そしてプリークネスステークスに出るなら日本でダービーに出る事はムリがあるだろう。

 

 いや、俺の頑丈さならワンチャンいけそうだが。

 

「日本で御大から学べるならまあ、俺も日本に直ぐに帰るけどさ」

 

「私がステイツの外に出るのを大統領が嫌がるからなぁ」

 

 伝説が言うと本当にしか聞こえない。或いは冗談ではなく本当なのかもしれない。サンデーサイレンスにアメリカに連れてこられたのは事故に近い出来事だったが、今はアメリカに残る事に意義を感じている。ここに来たことには意味があると思っている。

 

「西村トレーナー」

 

「その目は考えがあるって事だね?」

 

 その言葉に頷いた。

 

「トレーナー、俺の等速ストライドの完成度は2割って所だ。俺の特技を知ってるだろ? ()()()()()()()()()()()()()()2()()()()()()()()()()()って事よ」

 

「ちなみにこれは偉業だって考えて良いよ。他の子では1割すら真似する事も出来なかったからね」

 

「……」

 

 セクレタリアトの言葉に西村Tが黙り込んだ。俺がレースを通して技術(スキル)を盗む、或いは習得してくるのは良く理解している事だった。それは俺のずば抜けた感受性の高さ―――感じ取る能力でスキルの発動に必要なピースをレースの間に取得、理解、そして実践する事で習得するからだ。

 

 領域が異様に得意な俺はつまり、この世で最も感受性とそれを発信する能力が高いウマ娘だ。技術をレース中に引っ張ってきて覚えるのはその副産物みたいなものだ。

 

 その俺が、ケンタッキーダービーという最高の舞台で走って習得出来たのが2割だ。

 

 等速ストライドという技術はそれだけセクレタリアト専用のものだと言える。

 

「……日本では不可能なんだね?」

 

「ぶっちゃけ走法がアメリカのダート向け。まずはこっちで完成させてからじゃないと日本の芝には適応させられない。覚えた後ならどうとでもなると思うけど」

 

 俺の返答に西村Tが再び黙り込む。桐生院Tはこの件についてこれ以上口出しするつもりはないらしく、だんまりを決め込む。ゴルシとマックイーンも珍しく何も言わない。俺が等速ストライドを習得する為にアメリカに残ろうとする事に意義を感じているのだろう。

 

「Crimsonはアファームド以来の三冠を取れる逸材だ。私の走りを三冠を通して習得すれば、BCクラシックでも勝てるだろう……私の時代になかったレースだ。私が現役を退いて生まれた、世界最強のダートウマ娘を決めるレース。この娘にはそれを取れるだけの才能と素質がある」

 

 サンデーサイレンスから切り落とされたビール瓶を受け取ると、足を組みながら口を付けて話を続ける。

 

「見たくはないか? この偉大なるステイツの大地に新たな伝説が生まれる瞬間を。歴史が塗り替えられる瞬間を。私の脚を継いだ娘が、この大地に立ち再び赤い伝説を生み出す瞬間を」

 

 セクレタリアトの言葉は殺し文句だ。そんなものを見たくない奴なんて存在しない。BCクラシックは未だにアメリカが独占しているレースで、海外の優勝者は過去に1度のみ。ケンタッキーダービーでさえ過去に日本出身のウマ娘の優勝者は存在しない。米クラシックのダート路線は、日本では未だに攻略の兆しさえ見せない魔境だ。

 

 それを取れるとこの伝説は言っているんだ。

 

 興味がないホースマンは存在しない。俺もまさかダート路線でウマおじさんの脳味噌粉砕するとは思わなかった。マジで。ディーを倒すか凱旋門辺りで人類の脳味噌ぶっ壊せねぇかなぁー! とか考えてたけど。

 

「フィアー、君は……アメリカに残って走りたいんだね?」

 

「まあ、御大への恩返しが終わるまでは」

 

「となると三冠走ってBCクラシックか……スピカにはダート路線のウマ娘がいないから色々と確認する必要があるかな……」

 

「止めないのか、トレーナー」

 

「スピカは個人の目標を応援するチームだよ。そりゃ無言で失踪された上にビデオレター送られたら困るけど、理由と道筋がはっきりしてるなら止める理由はないよ」

 

 西村Tの言葉にゴルシとマックイーンが溜息を吐いた。

 

「しばらくの間トレセン学園が静かになりますわね」

 

「平和になるの間違いだろ」

 

「話はついたみたいだな。Crimsonの事はBig Red共々俺ん所で預かっておいてやるから、お前はどうする」

 

「流石にここに住み込むわけにもいかないから、近くのホテルを探すよ。フィアーのおかげで予算はかなりあるし」

 

 ほ、と息を吐く。話はまとまった。等速ストライドの完成には少なくともアメリカ三冠を走る必要があるだろう。それだけの激闘を乗り越えなければ習得出来ない走法だ。だけどこの展開、実に転生者してるなあ……とは思わなくもない。

 

 和やかな空気が流れ出す中、これで話はお開きになるという所で、

 

 ―――彼女が、口を開いた。

 

「フィアさんは―――私と、走ってくれないんですか? 去って、行くんですか……?」

 

 ディープインパクトがゆっくりと、重い言葉を浮かべた。彼女のその姿を見て頭を掻いて、扉の外に親指を向ける。

 

「ちょっと外で話そうぜディー。2人きりで」

 

 俺達の関係を、ちょっと見直そうぜ。




サイレンススズカ
 この話の間もずっと爆走している


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31話 実はバイ

 サンデーサイレンスが土地を買い取ってまで田舎で暮らすのは9割方マスコミの連中が問題だ。連中は昔からサンデーサイレンスを嫌って、ゴシップにする為に良く叩いていた。薬物検査をしろと叫んだり、家に押しかけたり……プライバシーという概念を一切理解しない馬鹿ばかりだった。

 

 だからサンデーサイレンスは土地を買い取って警備を置いた。ここから入ったら不法侵入者だから射殺する、と警告を入れて。実際の所、日本ではありえない事だがアメリカでは正当防衛として通る。

 

 実際、夫婦喧嘩が煩いという理由だけで過去、裁判で訴えが通った事もある。アメリカという国は日本の価値観からするとズレている部分がある。

 

 だがサンデーサイレンスには金があった。土地を購入するだけの金が。だから土地を買って、物理的にパパラッチ共が入って来れない自分の楽園を作った。カメラを使っても家が映らないぐらいの広さのある土地を。そうする事で面倒な連中を追い出したのだ。

 

 だから家を出ると静かな田舎の風景が続いている。家の横にあるのは走る為のコースと、そして街へと続く道ぐらいだろう。そのほかには細々とサンデーサイレンスの趣味で建てられた建築物ばかりだ。だが元々彼女以外は同じようにマスコミを嫌う昔の仲間のウマ娘達ぐらいしか来ない。

 

 そんな場所に、他の誰にも邪魔されないようにディーと一緒に出てきた。

 

 家の中とは違い、外に出れば人の気配も何もない―――見渡す限り田舎の自然だけだ。

 

 ディーとそこへと出てきてからしばらくは無言で過ごす。その間にも時間は過ぎ去って行き、段々と景色は夕日の色に染まって行く。地平線の向こう側では夜が待っている……今、日本ではどの時間だったのだろうか、時差とか考えた事なかったな。

 

「フィアさん……もう、走ってくれないの?」

 

 ディーの問いに答えるのは簡単だ。そもそも俺はアメリカで走り続けるつもりはない。競バ後進国とか馬鹿にされまくってるが、俺は日本で走るのが好きだ。日本には面白い奴がいるし、日本のレースで走る事に意味を感じている。ただその中に、世界で走るという事も選択肢にあるだけで。

 

 ただ、それをストレートに言葉にしてしまうのは……ちょっと、違う。

 

 だから、言葉を変えた。

 

「俺はよ、走る事に興味を持ったのは小学校に入ってからなんだわ」

 

「……?」

 

 まあ、聴けよとディーを片手で制する。

 

「まあ、それまでがそれどころじゃなかったのは事実なんだけどな。今じゃ当然な顔をしてコントロール出来てるんだけど、当時は全くコレがコントロールできなくってよ」

 

 彼岸花を生やして足元から摘む―――実際に生えている訳じゃない。俺が持っているイメージ、感覚を感受性に対する干渉で共有しているのにこれは近い。簡単に言ってしまえば究極のごっこ遊びだ。究極の空想を作ってそれに浸っている。領域とはそういうもんだ。

 

 だけど、俺はその起源が違った。

 

「ディーは、生まれる前の事を覚えてる?」

 

「いえ……覚えてないです」

 

「俺は覚えている。感触を、匂いを、時間を。強烈すぎる程のイメージ、脳に刻み込むというより自分がその一部であるようにさえ感じられた。俺はね、ディー。領域を使おうとして使っている訳じゃなかったんだ、その頃は。ただ知っている事が()()()()()()()()()()()()だっただけにすぎないんだ」

 

 生と死の意味を語るほど無駄なものはないだろう。だが端的に語れば、俺は命というものの答えを理解していた。だから自然と俺の認識を通して、領域という形で中身が溢れていた。

 

「部屋が凍ったり、花が咲き乱れたりで大変だったよあの頃は。これがあまり人に見せられない物だって解ってからは必死に蓋をする様に頑張って……それで幼稚園は回避してたんだわ」

 

 苦笑する。結局、幼稚園には通えなかった。自分の扱っているものが危険だったからだ。死のイメージの花なんて人に到底見せられないだろう? 今は割とコントロールできるのでそう恐ろしくもないが。結局幼稚園には通えなかった。

 

「小学校に入って、初めて走ったよ。クラスの徒競走だったけど。楽しかったなあ、全力で走るのは。何も考えず頭を空っぽにして、ただただ前に出る為に走ってゴールする。自分の中にあった何かが満たされる様な気持ちを初めて感じたよ」

 

 目を閉じて思い出す。初めて全力で走った時を。それから俺は、変わったと思う。ウマ娘という種族を受け入れたのだろう。

 

「それからはもっと強い相手を求めて野良レースで走ったり、フリースタイルの競技場を探したりで結構走ったよ。勝つ事もあれば当然のように負ける事もあった」

 

「フィアさんが、負けたんですか?」

 

「本格化前だったしなー。当然負ける事もあったよ。それはそれで楽しい経験だったけどな。割と満足の毎日だったよ。非合法のレースに出て金を稼いで……つっても今ほど稼げないけどな? 今の稼ぎと比べるとクソみてぇなもんだよ。今もドルを稼いだばっかだしな」

 

 いやあ、やべぇわケンタッキーダービー。馬鹿みたいにドル入ったもん。

 

「でも結局は本気で走っても上を目指そうとは思わなかったんだよな」

 

「……どうしてですか? だって、フィアさんは何時ももっと上を目指して走ってるじゃないですか」

 

 笑う。

 

「俺は寒門出身だよ。そもそもトレセン学園に入るコネさえ無かったんだよ。俺が入学できたのはどっかの馬鹿なファン1号が俺を走らせたかったからだよ。アイツ、ご丁寧にケンタッキーの時の万バ券の写真送って来やがった。アイツ本当に馬鹿だよなぁ」

 

 けらけらと声を零し、はあ、と溜息を吐く。

 

「トレセン学園に入っても最初はやるだけやろうって程度に思って―――そして、お前に逢ったんだ」

 

 俺はこれを運命の出会いだと思った。

 

「ディー、俺が今限界を超えてまで走ろうと思ったのはさ」

 

「うん」

 

「お前に逢ったからなんだ」

 

「……」

 

「お前の走りを見た瞬間魂を焼かれると思ったよ」

 

 きっと、俺の存在を焼き尽くしてくれる奴がいるなら―――それはこいつに違い無いだろう。直感的に、或いは本能的にそう感じた。だから焦がれた、本気で戦う事に。こいつと戦うには俺自身を限界の更に先へと練り上げる必要があると思えた。

 

「ディー。俺が三冠を走ろうと思えたのはお前がいたからなんだ。お前のいないトゥインクルに、価値はないんだ」

 

 愛の告白にも近い言葉を受けて、ディーは俺を見上げるように視線を向ける。彼女は気づいているだろうか、あれ程酷かった吃音が今ではもうほとんどない事が。彼女が他人の目を見て話せるようになっている事が。

 

「私は―――ずっと、ノーザンの家で、栄光を掴むためにトレーニングを受けて走らされてきた」

 

 走るのは、特別好きでもなかった。

 

「でも走るのが義務だったから。ノーザンの家の子として私は走らなきゃいけなかったから。走れって言われたら走らなきゃいけなかった。栄光を、掴むべきものを家に齎さないとならないの。それが、ディープインパクトの使命で―――」

 

 でも、それでも、

 

「フィアさんと出会って、変わった」

 

 きゅっ、と拳を作る。

 

「走る事が、初めて楽しいと思えた。初めて、戦いたいと思える人が出来た。初めて、この人と一緒に居たいと思えた―――」

 

 史実―――或いは本来の世界における、ディープインパクトは恐らく日本で最も愛された馬だっただろう。だがあちらで幸せだったことが、此方の境遇へと繋がるという訳では決してない。

 

 同じファーム所属の馬だったのにウマ娘になると名門と寒門で分かれたりと、境遇や背景は世界を越えた事で大きく変わる。ディープインパクトを取り巻く過去の出来事、そして家の事情もその内の一つなのだろう。史実がどうであれ、彼女の家は彼女を栄光を掴むための道具として見ていたのかもしれない。

 

 だが今、有り余る感情をディープインパクトはその体に込めていた。

 

 抑圧されていたものを吐き出す事が出来るだけ、彼女はこの1年で変わって来たのだ。

 

「ディー、入学の頃と同じ質問をしよう」

 

 ディープインパクト、君は―――。

 

「―――どうして、何故、走るんだ」

 

 俺の問いに、ディープインパクトが答える。

 

「全力の貴女に勝ちたい」

 

 覇気すら感じる程の声。揺るがない意思。貴女しか見えないという視線。これが愛なら俺達はきっと、相思相愛だったのだろう。だけど……この感情を、想いを、愛という言葉で片付けるのは嫌だった。そんな簡単な枠組みに拘りたくなかった。

 

「ディー、俺はこの地で限界まで俺自身を練り上げる。ムリならまた別の国で限界を超える方法を見つけてくる」

 

「うん……なら私は国内で最強の名を、取ってくる。他の誰にも負けない」

 

 その果てで、俺達の最高のレースをしよう。それは有馬でも良いし、或いは凱旋門なんて場所でも良い。だけどこれは約束だ。俺達は限界まで互いを鍛え上げ……これまで以上に自分達を追い込み。

 

 そして強くなる。

 

 強くなって、同じターフの上で対峙する。

 

 このクラシックはその為の時期。

 

 言葉は語りつくした。想いは伝え合った。同じ願い、同じ意思を持つ者同士、これ以上の言葉は必要なかった。

 

 徐々に暗くなって行く夜空、俺はディーの腰に手を回して軽く持ち上げると嬉しくなってくるくるとその場でディーを振り回す。

 

「も、もう……フィアさん」

 

「ははは」

 

「も、もう」

 

 笑って誤魔化すようにディーを振り回す。それをディーも面白がって笑う。くるくるくると回りながら笑い声を零していると、ふと、気づいた。

 

 ゴルシとマックイーンがカメラを構え、桐生院Tと西村Tが大型マイクを構えてるのが。

 

 抱えるディーが腕の中で一気に顔を赤く染めて行く。

 

「いやあ、良い絵が取れたわ」

 

「遺言はそれで良いらしいな」

 

 逃げ出そうとするゴルシ、ゴルシを一瞬での判断で盾にしてから逃げ出すマックイーンを全力で追いかけ出す。こうやって最後はちょっと茶化して貰えた事に感謝しつつ。

 

 俺の、アメリカ遠征が始まる。




クリムゾンフィアー
 リコリコで見た百合ゴーランドが1度で良いからやってみたかった。やった

ディープインパクト
 国内を蹂躙する勢いで走り切る事を決めた

ゼンノロブロイ
 ぱかライブ【AMERICA】を見て秋、ドリームに行かずディープインパクトを迎え撃つ事を決める


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32話 プリークネスステークス Ⅰ

 ―――実の所、マンハッタンカフェはケンタッキーダービーの事を知っていた。

 

 彼女の“オトモダチ”がそれを知らせたからだ。普段からクリムゾンフィアーとの付き合いのある彼女は本人の性格を良く理解し、また妙な事をやってる……という感想を抱いていたが、それはそれとして歴史的偉業を成した事を素直に称賛していた。

 

 だから、今夜のカフェは夜更かしを是とした。普段であれば深夜まで起きていればトレーナーの事と合わせ、良くないモノが出現するであろうが、今夜は特別な事もあって“オトモダチ”が知り合いと校内を見回ってくれるという話だった。

 

 昔は話す事さえも出来なかった“オトモダチ”の存在ではあったが、C&Cという妙なグループを結成してからは解りやすくなったとカフェは思った。

 

 夜、何時もの空き教室。彼女のスペースには夜を楽しむ為の大きなソファとテレビが用意されている。元々はなかった物を最近買って来たもので、アドマイヤベガとアドマイヤジャパンのふわふわもふもふ大好きコンビが推奨するタイプのソファだ。

 

 そのソファに身を沈め、用意したコーヒーを手に、テレビを付ける。

 

『―――ピムリコ競バ場には現在多くの観客が詰めかけています! 見てください、あちらにはクリムゾンフィアーを応援する横断幕が張られています! 同じ日本人として恥ずかしいですね!』

 

 早速テレビから胡乱な言動が聞こえてくる。カフェはそれを聞いて冷静に世の中狂ってきたな、とコーヒーに口を付けて考える。とはいえ、今日の主役はテレビではしゃぐキャスターではない。キャスターの直ぐ横で全裸のおじさんがビールを飲みながら歩いていようと些事だ、些事。

 

 重要なのは日本時間の深夜、アメリカの日中で行われるレースだ。

 

「―――カフェ、またまた私を置いて1人で楽しむなんてズルいじゃないか」

 

「はぁ」

 

 がらり、と扉を開けてアグネスタキオンが彼女の聖域に侵入してくる。さよなら、静かな深夜。こんにちは騒がしい深夜。1人で楽しもうと思っていた深夜の時間を邪魔された事に少しだけむっとしつつも、タキオンがこんな時間に来ている事に少しだけ驚いた。

 

「タキオンさん、どうして」

 

「おやおやおや、寂しい事を言うねえ。私だって君たちに対しては多少なりとも友情を感じているという事だよ。友人が海外で偉業に挑むというのだ、それをリアルタイムで応援しようとするのは別段不思議な事ではないだろう? 特に彼女に関してはウマ娘が持つ未知の神秘が大いに関わるからねぇ」

 

 そう言うと図々しくもタキオンはソファの隣に座ってくる。一言文句を言ってやろうとカフェは一瞬だけ考えるも、タキオンが素直に友人を応援するという事らしいのでその感情を抑え込む事にした。

 

 それに、とタキオンが続ける。

 

「今夜夜更かしをするのは私達だけではないだろうからねぇ」

 

「……? そうなんですか?」

 

「ちょっと見て回って来たけどあちこち電気がついてたからねえ……意外と、彼女を応援している者は多いみたいだよ」

 

 タキオンは楽しそうに声を零すと、ソファに沈み込んでテレビへと視線を向けた。純粋に応援するように、その活躍を楽しみにするように。それを見て何かを口にする事をカフェは止めた。

 

 今夜ばかりは、少し仲良くしてやろう……と。

 

 

 

 

「―――楽しみで眠れマセーン!」

 

「こらこら、余り騒がしくしない事だよ。一応は夜だからね」

 

「くく、皇帝様が堂々と夜更かしとはね」

 

 その部屋に集まっていたのはエルコンドルパサー、シンボリルドルフ、シリウスシンボリ、そしてアロマスティックを口に咥えたナカヤマフェスタだった。ある一点で共通点のあるウマ娘達はテレビの中に映るピムリコ競バ場の姿をカフェとタキオンのように眺めていた。

 

 彼女達もまた、海を越えた活躍を見守っていた。

 

「パドックの様子を見る限り、調子は良さそうだな」

 

 ナカヤマフェスタがテレビを眺めながら言うと、ルドルフが嬉しそうに頷いた。

 

「西村トレーナーがあちらで調整しているようだからね。映像を見る限り、ケンタッキーの時はアレで調子が一段落ちていたようだからね。やはりあの人によるコンディションの調整が入ると全然違う様に見える」

 

「怪我の回避や健康管理、コンディション調整とモチベーションの維持……そういう部分では絶対的な天才だからな、アイツ」

 

 シリウスですら認めなくてはならない才能、それが補佐に入ればコンディションの翳りは存在しない。テレビの中、輝くとさえ称せるバ体を勝負服に包むフィアーの姿に油断や慢心は存在しない。もし、どこか注目するべき所があるのなら彼女の勝負服だろう。

 

 日本で着ていたものとは違った姿にどうやら現地の人々の声が阿鼻叫喚へと変わっていようだった。それをルドルフは相変わらずのエンターテイナーだなぁ、と苦笑しながら見ている。

 

 彼女達が見守る中、ピムリコ競バ場はかつてない賑わいと混沌を見せていた。日本のウマ娘がケンタッキーを取った時点で既にアメリカのプライドは刺激されていた。絶対に、絶対にプリークネスまでは取られてはならないという気迫がテレビの画面越しに彼女達にさえ届いていた。

 

 ダート主流のアメリカにおいて、後進国とさえ蔑んでいる日本のウマ娘に負けるのだけはあり得てはならない。その覚悟と怒りがウマ娘達を過去に例を見ない程に闘争心で満たしていた。そしてそれは無論、それを観戦する者達にさえも伝播する。

 

【Preakness】頑張れステイツの星達【Stakes】

 

780:名無しのファン

 フロックだ、Crimson Fearだけはありえない

 

 

781:名無しのファン

 カスジャップのウマ娘が勝てる訳はない

 クスリを使っているに違いない

 

 

783:名無しのファン

 糞が、フロックでステイツのウマ娘が負けたというのか?

 本当に本気で言ってるのか?

 

 

784:名無しのファン

 頼む、Afleet

 お前だけが頼みの綱だ

 

 

786:名無しのファン

>>781 ケンタッキーで走ったウマ娘達は何かをされたに違いない

 

 

788:名無しのファン

 検査があるんだから無実だろう

 Crimsonは純粋に強いウマ娘だ

 

 

789:名無しのファン

>>788 ありえない

 ジャップが強いのはあり得ない

 

 

790:名無しのファン

 そうだ、あの競バ後進国のウマ娘が勝てるはずがない

 

 

792:名無しのファン

 現実を見ろ、俺達は負けてる

 

 

793:名無しのファン

 だからフロックって話だろ

 

 

794:名無しのファン

>>793 GⅠがフロックで勝てるって言ってるのかお前???

 死ぬか???

 

 

795:名無しのファン

 Afleet Alexを信じろ

 彼女は走る

 

 

797:名無しのファン

 だがCrimsonは伝説の後継者だぞ

 

 

799:名無しのファン

 ただの真似だ

 出来る筈がない

 

 

801:名無しのファン

 だがケンタッキーで強さを証明しただろう?

 

 

802:名無しのファン

>>801 フロックだって言ってるだろ

 

 

803:名無しのファン

 フロックおじさん「絶対にフロック」

 

 

804:名無しのファン

 距離適性おじさんの親戚かな

 

 

805:名無しのファン

 俺はCrimsonを信じる

 彼女は偉大なる赤に選ばれたのだ生まれはジャップでも魂はステイツだ

 

 

807:名無しのファン

 おじさんの脳味噌壊れすぎて変な事言いだしてきたな

 

 

808:名無しのファン

 Secretariatはアメリカの英雄である→わかる

 Secretariatの後継者はステイツの魂を持つものである→わかる

 Secretariatの選んだ後継者はジャップだから彼女はアメリカ人だ→?????

 

 

810:名無しのファン

 脳味噌ぼろぼろすぎでしょ……

 

 

812:名無しのファン

 だがSecretariatが選んだんだ……間違いない……彼女はアメリカ人だ

 

 

813:名無しのファン

 おじさん現実を見て

 現実を見てAfleet Alexのバ券買おう?

 

 

815:名無しのファン

 ツイッターで大統領がCrimsonのバ券買ったとか言ってますが……

 

 

817:名無しのファン

 WTF

 

 

819:名無しのファン

 おい

 大統領

 おい

 

 

820:名無しのファン

 そういう所だぞ

 

 

821:名無しのファン

 でも大統領SecretariatとDiscordで雑談してるらしいしな……

 

 

822:名無しのファン

 アイツはそういう所ある

 

 

824:名無しのファン

 どちらにせよレースが始まれば結果が見れる

 バ券はどっちも買っておくのが賢い

 

 

826:名無しのファン

 賢い

 

 

827:名無しのファン

 Crimsonで買うかAfleetで買うか……

 

 

828:名無しのファン

 Crimsonは止めておけ

 1回目は調子が良くても2回目は続かないぞ

 日本とステイツではダートの種類が違うからな

 

 

830:名無しのファン

 それに飛行機からケンタッキーでプリークネスだろ?

 数か月前から準備していたんじゃないなら時間がなさすぎる

 

 

832:名無しのファン

 ケンタッキーはやはり奇跡かもしれないな

 

 

833:名無しのファン

 皐月賞見てるとそんな事は絶対ないと思うんだよな

 

 

834:名無しのファン

 ジャパンの芝のレースが何の参考になるんだ

 

 

836:名無しのファン

 日本で勝てなかったからアメリカに逃げて来たしな

 

 

837:名無しのファン

 うーん、米のウマおじさん否定が強い

 

 

838:名無しのファン

 お、出走始まる

 

 

839:名無しのファン

 頼むぞ、Afleet……ステイツの魂を証明してくれ

 

 

841:名無しのファン

 ステイツの土は決して穢せるものじゃないと証明するんだ!

 

 

842:名無しのファン

 糞ジャップを本土に叩き返してやれ

 

 

843:名無しのファン

 レースが……始まるぞー

 

 

844:名無しのファン

 1000ならCrimsonが勝つ

 

 

846:名無しのファン

>>844 やる気なさすぎだろお前……




クリムゾンフィアー
 アメリカのウマおじさんを煽る為だけに御大の昔の勝負服に似せた勝負服を着てきた。懐古厨ウマおじさんの脳にこうかばつぐんだ!!

ディープインパクト
 帰国後ダービーの後で宝塚に出るとか言い出した。日本のウマおじさんの脳味噌を壊し始めた。


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33話 プリークネスステークス Ⅱ

「Crimson Fearは最後まで走り切れるだろう……だけどそれが勝利する事には決して繋がらないと思う」

 

「どうした急に」

 

 横でテイザーガンに鎮圧される暴徒の存在を無視して男は眼鏡をくいっ、と位置を調節しながら訳知り顔で語る。

 

「アメリカンクラシック……ケンタッキーは唐突に現れたSecretariatの後継者によって奪われた。彼女が10ハロンを走り切れる事はそれで既に証明されている。だけどそれとは別に、ステイツのウマ娘も馬鹿じゃない……全員があの乱入者を警戒している」

 

「成程、つまり彼女の走りは既に研究されているって事だね?」

 

「あぁ……」

 

 ゲートへと全てのウマ娘達が収まって行く。日本の芝とは違う、砂とも違う土のダートコース。それ故に日本のウマ娘にとってアメリカの土は鬼門だとされている。日本にはない環境なのだから、適応が難しいのだ。

 

「彼女のJpGⅠレースの映像を見たよ……とても強い走りをしていた。多くのアメリカ人は彼女を馬鹿にするが、彼女とDeep Impactの走りは凄く強かった。それこそステイツでも通用するレベルの走りだったよ。だけど……今度のアメリカは本気だ」

 

 男は本気で勝つのではなく、日本を潰そうとしていると言う。

 

「まさか……チーミングかい?」

 

「まさか、そんな露骨な事はしないだろう。だけどCrimsonは悪目立ちしすぎた……そんな彼女を面白く思わないウマ娘は多いだろう。必ず、自分のレースを掻き乱しに来た異物を排除したいと彼女達は思うはずだ……」

 

 男の言葉に話を聞いている男が頷いた。後ろでテイザーガンが放たれる音をBGMに視線をゲートへと戻す。

 

「僕たちが出来るのは彼女達がベストを尽くす事を祈るだけか……」

 

「ああ! どちらにせよプリークネスステークスは人生に1度だけだ! 彼女達のクラシックが最高のレースである事を祈ろう」

 

 ―――そんな観客の祈りを受け、ウマ娘達がゲートインを終えて開始の瞬間をゲート内で待ち受けていた。

 

 ゲートインしつつもその意識や視線はクリムゾンフィアー一人に集中していると言っても良い。アメリカ側の本命であるウマ娘であるAfleet Alexは既にケンタッキーダービーで1回、この日本のウマ娘に敗北している。

 

 故に、その心中は決して穏やかではなかった。

 

 殺してやると言いたげな程の殺気と闘争心が渦巻くピムリコ競バ場、それを赤毛のウマ娘が心地よく感じていた。

 

 そもそもの話―――殺意や闘争心というものはフィアーにとって友人であり、隣人でしかない。死というものを理解し、そして経験した者にとって殺意や殺気というものはあまりにもその原液からかけ離れたもので、欠伸が出る様な肌を撫でる感触しかないのだ。

 

 言ってしまえば、治安の悪さは彼女の本能を満たす一部でしかなく、アメリカの競バ場は大いに肌に合う環境だった。だがその余裕な態度が他のウマ娘をいらだたせる。

 

「その余裕面を歪ませてやる……!」

 

 Afleet Alexの言葉を微笑で受け流しながら静かにフィアーが両手を合わせ、一瞬で集中力をゾーン状態へと持ち込む。たったそれだけでフィアーの周囲から雑音が消え去る。既に領域を形成するだけの集中力も揃った。

 

 コンセントレーション、コツ◎、既に脚質に対して必須とも呼べる技術は備えた。周りからのノイズを排除した集中力の中でゲートが開く瞬間を待つ。ダメージジーンズに交差するように二重に巻かれたベルト、体に張り付くようなインナーに半袖のジャケット、そして首元で括られる赤毛。

 

 レースの前に集中力を高める姿は否が応でも伝説の赤毛バを思い起こさせる。

 

 させない、絶対に勝たせない。ステイツのレースはアメリカのウマ娘が取る。

 

 その想いが交差する中―――ゲートが開いた。

 

 当然のように遅れる事無く飛び出すフィアー、それに続くアメリカのウマ娘達。その視線はフィアーの姿を捉え、そして放さない。

 

「ッ! バ群に沈める気だ!」

 

「やっぱり……!」

 

 絶対に勝たせないという意思は加速させないという選択肢を生み出す。つまり、抜け出せない状況を生み出すという事だ。バ群に沈めれば嫌でも抜け出せなくなる。勝てなくなる。そして強い相手を沈めるのは或いは当然の手でもあった。

 

「―――ま、当然そう来るよね」

 

 解っていた、と言わんばかりに西村が笑う。予測されていた想定の範囲内だ。どれだけセクレタリアトの走法が、等速ストライドが凄かろうがその足を発揮できない状況を作れば発揮できる事無くレースは終わる。ある意味で究極の戦術でもあるだろう。

 

「だけど残念だね―――その対策はもうしてあるんだ」

 

「ッ……!?」

 

 Afleet Alexはケンタッキーで敗北してからしっかりと、フィアーを研究した。朝日杯、ホープフル、皐月賞―――全てのレースを見てきた。その上で芝という環境で行った走りを、このアメリカのダートでも同じように実行できる強いウマ娘だと判断した。

 

 だからAfleet Alexは油断や慢心の様な事をしないように心掛けていた。相手を沈めようとするバ群の動きを利用しつつ自分の最高の走りをしようと計画していた。

 

 だがその計画はレースの序盤から狂う。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先行策。それがこれまでクリムゾンフィアーというウマ娘が取って来た戦術だった。だが今度は違った。フィアーが前に出る動きを止めない。止めないのに加速している。先行ではない。レースコントロールを行わない。レースをコントロールする意思を排除して前に出ている。

 

 ハナを奪い更に前へ、前へ―――加速し続けながら更に前へ。

 

 その走りをAfleet Alexは疾走する中で怒りをにじませながら口にした。

 

「大逃げ……!?」

 

 Afleet Alexの声は競バ場に響く恐怖と驚愕の声に掻き消された。全てのウマ娘がその策もクソもない選択肢に恐れた。そしてサイレンススズカが西村の横でドヤ顔を浮かべた。

 

「本当に無尽蔵のスタミナを兼ね備え、無限に加速し続けられるなら―――これが、一番強く速いんだよね。等速ストライドを習得する上で、追われる立場で走るというのは非常に有用なんだ。フィアー、このレースで加速し続ける感覚を掴むんだ」

 

 レースコントロールを捨てて走るフィアーをその他全てのウマ娘が追いかける。ほぼ10ハロンという距離に大逃げが出現した結果、序盤から全力で追いかけるレースが始まった。垂れない、この赤毛の怪物は絶対に垂れない。垂れる筈がない。

 

 あの赤毛の伝説が選んだ後継者なのだ。アメリカのウマ娘はまだクリムゾンフィアーの強さは半信半疑でも、セクレタリアトが選んだ後継者という事実に対する疑いはない―――それだけ赤毛に対する信仰心が存在していた。

 

 故にレースは中盤に入った時点でスタミナを燃焼させながら追いかける地獄を見せる。向けられる殺意や威圧が全てフィアーを削る為に放たれる。だがそれを涼し気に受け流しながら土を蹴って加速する。

 

 止められないのなら抜き去るしかない。

 

「待てCrimson……!」

 

 Afleet Alexが加速する。史実においてプリークネスを取ったウマ娘がその冠を己のものとする為に走る。その怒りが、力が一線を越える。具現するのは怒りを表す鉄槌、己の夢を阻む障害を叩き伏せる力―――日本バにだけは冠をもう取らせない。

 

 その意思が領域となって具現する。ダートを走る有刺鉄線。イバラのように伸び、しなる姿が一直線に物理法則を無視してフィアーへと殺到する。その足を、加速を、輝きを抑え込む領域がフィアーへと放たれる。

 

 迫る領域。クラシックの中でも最上級のウマ娘でしか発揮できない戦いが始まる。限界まで練り上げた相手のイメージを跳ねのけられるのは、同じく限界まで練り上げられたイメージのみ。領域には同じ領域で対抗するしか手段はない。

 

 故に、フィアーもまた領域で対抗するのは必然だった。

 

 その足に絡みつこうとする有刺鉄線を弾いたのは―――一発の銃弾だった。

 

 瓦礫の廃墟。

 

 寂れた路地。

 

 道路に散らばる銃弾。

 

 その先にある寂れた教会、半壊した三女神の像の根元に黒鹿毛のウマ娘が銃を構えて立っている。その苛烈すぎる領域をアメリカの国民であれば当然のごとく知っている。ダートの上におらずとも、フィアーから放たれる本来の領域の主―――継承された領域の主に怒りを叩きつけるように、その名前が吠えられた。

 

「Sunday Silenceッッ!!」

 

 叫ばれる名前に客席からサンデーサイレンスの嘲笑が響く。怒りを原動力に変えて走るウマ娘達が土のコースを走る。だが継承された固有で向けられる威圧も領域も、全て切って捨てて暴君のままに駆け抜ける。

 

 もはや抜け出したそのスタミナを削る方法も、その足を止める方法もない。

 

 ―――それこそ、異次元の末脚でもなければ追いつけない。

 

 ゴールラインを切った赤毛の暴君の影を、誰も踏む事は出来なかった。伝説の通り、赤毛は圧倒的なスタミナと暴力的な加速で後続のウマ娘を全て突き放して加速し続けてゴールした。

 

 その日、アメリカという国は改めて理解した。ケンタッキーが決してフロックではない事を。伝説の継承者の名が偽りではない事を。

 

 Crimson Fear、恐怖を刻む名前がアメリカの全土を揺らしに来たのだと。

 

 その脳と臓腑に、しっかりと刻み込まれた。




クリムゾンフィアー
 サイレンススズカを相手にひたすら走って練習してた

アフリートアレックス
 この時期に領域が使える、非常の優秀

サンデーサイレンス
 滅茶苦茶楽しそう

懐古厨おじさん
 息をしてない


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【日2冠】赤毛ウマ娘クリムゾンフィアーについて語るスレ【米2冠】

戦績

 メイクデビュー 1着

 朝日杯FS(GⅠ) 1着

 ホープフルステークス(GⅠ) 1着

 皐月賞(GⅠ) 2着

 ケンタッキーダービー(GⅠ) 1着

 プリークネスステークス(GⅠ) 1着

 

 中央日本トレセン学園チーム・スピカ所属

 現在アメリカ遠征中

 

 

 

124:名無しのファン

 こいつの戦績何度見ても頭おかしいな

 

 

126:名無しのファン

 朝日杯→わかる

 ホープフル→前代未聞凄い!

 皐月→ディープTUEEEE

 ケンタッキー→ん????

 プリークネス→おっあっ(白目

 

 

129:名無しのファン

 アメリカに逃げた女

 

 

132:名無しのファン

>>129 逃げた……逃げたのかなぁ……

 

 

134:名無しのファン

 そうかなぁ……そうかも……

 

 

135:名無しのファン

 アメリカに逃げた女とかいうパワーワード

 逃げた先で偉業達成してるんじゃねぇぞ!!

 

 

137:名無しのファン

 芝からダートに転向はまだ解るけど

 アメリカの土で走るとは思わないじゃん

 

 

138:名無しのファン

 何度確認しても異次元なんだよなあ……

 プリークネス勝利で情緒ぼろぼろだよお

 

 

140:名無しのファン

 当たり前のように勝つのおかしいだろアレ……

 

 

142:名無しのファン

 まあ、セクレタリアトの後継者とか言われているしね?

 

 

144:名無しのファン

 いきなり姿を消したらポケモンやらずにアメリカだもんな

 

 

145:名無しのファン

 今見たらウマッターで星6レイド募集してたぞ

 

 

147:名無しのファン

 草

 

 

149:名無しのファン

 しっかりミライドンコライドン揃えてる辺りオモロ

 お前ポケモンやる時間があるのかよ……

 

 

152:名無しのファン

>>149 寧ろトップアスリートは休める時は徹底的に休む

 疲労の抜き方が上手な奴が長持ちする

 

 

153:名無しのファン

 まあ、レース選手って脚をすり減らして走るもんだしな

 

 

156:名無しのファン

 これだけ強いんだから長く走って欲しいわ

 

 

158:名無しのファン

 長く……(米ウマ娘を見る

 長く走れるかなあ……(2冠3冠ウマ娘を見る

 

 

159:名無しのファン

 やめろやめろ!

 

 

160:名無しのファン

 朝日杯からホープフルを走った足を信じろ

 

 

163:名無しのファン

 俺の赤毛銀行は皐月以外で裏切った事がない

 

 

165:名無しのファン

 銀行扱いするな

 

 

168:名無しのファン

 でもよお、手堅いんだよ……

 

 

169:名無しのファン

 それはそう

 

 

172:名無しのファン

 お、ウマッターが更新されてる

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

ご帰宅ご帰宅

ライブも踊ったし走るのも楽しかったしいやー、良い一日だったわ

これからサンデーネキの家で祝勝会や!

そしてこれは見知らぬおっさん

pic.umatter.com/nannkatekitounaurl

 

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175:名無しのファン

 おかしいなあ、見知らぬ顔のおっさん政治系のニュースで見た事があるぞお

 

 

177:名無しのファン

 相変わらずツッコミどころ豊富なウマッターだなぁ(目逸らし

 

 

180:名無しのファン

 あの、赤毛2人に挟まれて幸せそうにしてるおっさん、アメリカで一番偉い人では?

 

 

181:名無しのファン

 もしかしなくても:大統領

 

 

183:名無しのファン

 節子ー! それ大統領ー! はよ気づけ!!!

 

 

185:名無しのファン

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

今日は俺が勝って偉いからおっさんにジンジャーエールお酌させてる

pic.umatter.com/nannkatekitounaurl

 

2399件のリツイート2813件のいいね

 

 

187:名無しのファン

 大統領に飲み物を貰う女

 

 

188:名無しのファン

 赤毛ー! 馬鹿赤毛ー! 気づけえええええ!!

 

 

191:名無しのファン

 駄目みたいですね……

 

 

193:名無しのファン

 おしまいだよ

 

 

196:名無しのファン

 おもしれー女(真)

 

 

199:名無しのファン

 

秋川やよい @Northern_Taste・今

 

@crimson_fear

気づけッッ!!

 

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202:名無しのファン

 理事長、必死の声

 

 

203:名無しのファン

 なお本人は生放送を開始した模様

 

 

206:名無しのファン

 そう言えばアメリカのトレセン学園じゃなくてSSネキの家にいるんだっけ?

 

 

207:名無しのファン

 トレーナー共々お世話になってるらしいね

 何でもマスコミ対策だとか

 

 

210:名無しのファン

 ああ、SSネキの有名な話やな

 マスコミの民度塵すぎるから土地かって入れない所に住んでるって

 

 

213:名無しのファン

 家が見えないぐらい土地が広ければ突撃出来ないって奴だな

 

 

216:名無しのファン

 それでも偶にドローンとか無断侵入があるから銃で追い払ってるとか

 

 

219:名無しのファン

 アメリカこえー……

 

 

222:名無しのファン

 怖いのはSSネキなんだよなあ

 

 

223:名無しのファン

 怖いけどカッコいい系なんだよな

 ワイは好きやで

 

 

226:名無しのファン

 配信始まったな

 

 

227:名無しのファン

 お

 

 

230:名無しのファン

 待ってました

 

 

232:名無しのファン

 マスコミのインタビュー避けてるしな

 

 

235:名無しのファン

 パパラッチの民度もゴミだしマスコミもカス

 ストレスは回避するのに限る

 

 

237:名無しのファン

 とはいえどっかで取材受けてないとネガキャンされるしなあ

 

 

239:名無しのファン

 されてないとお思いですか(小声

 

 

242:名無しのファン

>>237 (静かにアメリカの雑誌を出す

 

 

244:名無しのファン

 まあ、フィアちゃんの事は侵略者って感じの認識よな

 大体のウマ雑誌が叩いてるわ

 

 

246:名無しのファン

 今インタビュー受けた所でひたすらネガキャン記事と捏造やろな

 

 

249:名無しのファン

 

赤毛『ジンジャーエールでかんぱーい!』

SS『最高のレースだったぜ』

伝説『だけどまだまだだな』

大統領『ほらほら、もっと飲め』

赤毛『ありがとおっさん』

 

 

250:名無しのファン

 どうして大統領が混ざってるんですか……?

 

 

251:名無しのファン

 

赤毛『いやあ、アメリカのダートも楽しいね。本命は芝なんだけど』

大統領『こっちにはどうして来たんだい?』

赤毛『SSネキに連れてこられたから……』

SS『あぁ? セクレタリアトが逢いたいとか言うからだろ』

伝説『まあ、私が悪い。とはいえ悪くないだろう?』

赤毛『それはそう』

 

 

254:名無しのファン

 楽しそうだなぁ

 

 

256:名無しのファン

 仲が良いよね、チーム脳破壊

 

 

258:名無しのファン

 変なチーム名つけるな

 

 

259:名無しのファン

 チームに大統領が混ざってるの納得いかないんだけど

 

 

260:名無しのファン

赤毛『おっさんものめのめ』

大統領『お、悪いなぁ』

 

 

262:名無しのファン

 ウマッターがトレセン学生の悲鳴で満ちてる

 

 

263:名無しのファン

 それはそう

 

 

266:名無しのファン

 でも赤毛、王女殿下とラーメン食いに出かけてるしな

 実は意外と耐性があるのかもしれん

 

 

267:名無しのファン

 そうかな……そうかなぁ……?

 

 

268:名無しのファン

赤毛『とりあえずプリークネス勝利でブイ! 今回は見事に策が刺さった感じだった』

SS『正直運が良かったな。お前の走りはまだまだ荒い。全員で潰しに来てたら沈んでた』

大統領『そうなのかい?』

赤毛『結託されると大体どうしようもない』

伝説『そうかなぁ』

 

 

270:名無しのファン

 そうだよ(迫真

 

 

271:名無しのファン

 普通はムリです

 あくまでも普通は

 

 

274:名無しのファン

 唯一無二の例外がよお……!

 

 

275:名無しのファン

赤毛『ベルモントはどうなんだろうなあ』

伝説『あの結果だと何人か領域に目覚めてそうだな。次走は一番きつい戦いになるぞ』

SS『一度見せた以上大逃げも対策されるだろうしな。3冠目が最大の勝負だ』

赤毛『それはそれで楽しみっすわ』

 

 

278:名無しのファン

大統領『そういえば気になるんだけど……クラシック3冠の後は何を走るか決めてる?』

伝説『トラヴァース』

SS『トラヴァース』

赤毛『はい……』

 

 

279:名無しのファン

 トラヴァース(強制

 

 

282:名無しのファン

 いや、でも3冠からトラヴァース走らせたいのは解る

 

 

284:名無しのファン

 スケジュール的にも足的にも大丈夫かこれ?

 かなりタイトなスケジュールだろこれ

 

 

286:名無しのファン

 赤毛もトレーナーに確認しとる

 

 

287:名無しのファン

西村『何とかします』

赤毛『だって』

 

 

290:名無しのファン

 に、西村神!

 

 

293:名無しのファン

赤毛『正直あまりアメリカのダートの歴史よう知らんの』

伝説『三冠からトラヴァース、BCクラシック取れればレジェンドだと思えば良い』

赤毛『成程なぁ』

 

 赤毛! 騙されてるぞ赤毛! おい!! 赤毛!!!

 

 

296:名無しのファン

 草

 

 

299:名無しのファン

 まあ、日本のウマ娘がアメリカの事情に詳しくないのはしゃーないよ

 とはいえその程度の認識で走るな

 

 

302:名無しのファン

 勝ってるんだよなあ……

 

 

305:名無しのファン

 とりあえず走って勝ってから考えるってスタンスだあ

 

 

308:名無しのファン

赤毛『アレ、お客さん?』

伝説『呼んでいたゲ友人だよ。聞き覚えはあるんじゃないか?』

SS『お、来るのが遅ぇぞカス』

??『無駄にマスコミが入口に群がってんだよ、掃除しとけよ』

SS『あぁ? 塵掃除の連絡入れるか……』

 

 あの……見覚えのあるウマ娘が増えてるんですけど……

 

 

311:名無しのファン

赤毛『あ、どうも』

??『お前がBig Redの後継者か? Tiznowだ、宜しくなJr。お前に逢いたがってる奴は多い、覚えておけ』

 

 

313:名無しのファン

 画面内の顔面偏差値に死にそうなんだが

 

 

316:名無しのファン

 デジたん死亡時報がトレセン学園のウマッターに流れてるで

 

 

317:名無しのファン

 今日もよう死んどる

 

 

319:名無しのファン

 まあ、伝説の後継者と言ったら皆興味持つか

 

 

320:名無しのファン

 SSネキの家がオールスター会場になりそうな件について

 

 

323:名無しのファン

 俺らが知らないだけで偶に来てるんやろな

 

 

325:名無しのファン

赤毛『そろそろ飯食って遊びたいし配信切るか』

伝説『祝いと言ったらピザとコーラ!』

大統領『チップスも必須だ』

 

 

328:名無しのファン

 本当にそのまま祝勝会するの君ら??????

 

 

330:名無しのファン

 うっそだろ

 

 

333:名無しのファン

 窓の外を見たらスズカ走ってて芝

 

 

334:名無しのファン

 三度の飯より走る女スズカ

 

 

337:名無しのファン

 スピカのウマ娘は皆生態が面白すぎる

 

 

338:名無しのファン

赤毛『ここで視聴者プレゼントたーいむ! こいつを見てくれ』

 

 

340:名無しのファン

 ブーツ? 勝負服のだアレ

 

 

342:名無しのファン

 へぇ、底の方ってそうなってるんだ

 

 

343:名無しのファン

 蹄鉄付けてるだけかと思ったら意外と装飾されてるんだな

 

 

344:名無しのファン

 靴の裏のデザインも凝ってるお洒落さんはまあ、そこそこ

 勝負服そのものがGⅠ出れる激つよウマ娘専用だしな

 拘る奴はとことん拘る

 

 

347:名無しのファン

 靴の裏に彼岸花モチーフの装飾あったんだなあ……そこまで見る余裕普段ないわ

 

 

348:名無しのファン

赤毛『えい……と言う事で朝日杯以来使ってきたこの蹄鉄を視聴者プレゼントに』

 

 おいばかやめろ

 

 

350:名無しのファン

 唐突な過剰ファンサが始まる

 

 

353:名無しのファン

 お前嘘だろ!?

 

 

354:名無しのファン

赤毛『前キスマーク付けたカメラ、今どうなってんだろ』

西村『資産価値凄い事になってそうだね』

 

 アメリカ2冠取ったウマ娘のキスマークがついたカメラ……

 

 

355:名無しのファン

 ヤバイ値段がついてそうだなアレ

 

 

357:名無しのファン

赤毛『まあ、いいや。これプレゼントするからウマッターで宜しくな!』

大統領『応募方法はどうやるんだい? 今からできるのかな?』

 

 おい大統領

 

 

360:名無しのファン

 ガチで草

 

 

362:名無しのファン

 めっちゃ食い気味

 

 

363:名無しのファン

 流石赤毛ウマ娘に魂を強火に焼かれてる男

 

 

365:名無しのファン

 全米で一番伝説に脳を焼かれてると噂の男

 そして大統領だと4代目に一切気づかれない男

 はよ気づけ

 

 

367:名無しのファン

 だめみたいですね……

 

 

368:名無しのファン

赤毛『そんじゃ次走ベルモントまでばいばーい』

SS『Tiznowも来たし飲むぞオイ!』

Tiz『Sakheeも呼べば良かったな』

大統領『彼女まで呼ばれるとそろそろ私がいづらくなるな』

 

 

370:名無しのファン

 そもそも何で最初からいるんだよって話なんだよな

 

 

373:名無しのファン

 D4Cで割り込んだんじゃないかなぁ

 

 

374:名無しのファン

 マジであの勢いのまま放送終わらせやがった……w

 

 

376:名無しのファン

 えんえん、ウマッターが阿鼻叫喚だよお

 

 

379:名無しのファン

 そらそうやろな……

 

 

380:名無しのファン

 祭りだ祭りだ! 蹄鉄欲しいわ!!!

 

 

382:名無しのファン

 まあ、消耗品だし買い替えるなら昔のはいらんのか

 

 

385:名無しのファン

 はよ応募させてくれ

 

 

386:名無しのファン

 赤毛のこれからの活躍が楽しみになる一日だったわ




クリムゾンフィアー
 翌朝床で腹を出しながら寝てるところを発見される

セクレタリアト
 翌朝空の風呂の中で眠っている所を発見される

サンデーサイレンス
 翌朝トイレで吐いてる所を発見される

大統領
 翌朝カピバラを抱きながら屋根の上で寝ている所を救助される

ティズナウ
 上の連中を全員発見した


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34話 叩いて被ってじゃんけん死ねぇ!!

 ―――俺と良く知らんおっさんは争った。

 

 無論、カピ君……カピバラの親権についてだ。おっさんはカピ君を抱いて寝たから自分が連れ帰ると主張したが、サンデーハウスで発見されたのだからカピ君はここで飼われるべきだと俺が言い争った。

 

 サンデーサイレンスは焼いて食おうぜって主張したが俺達はこの瞬間だけ結託して反対した。結果、俺とおっさんは叩いて被ってじゃんけんぽんで決着をつける事となったので秒で氷漬けにして凍ってる所をハンマーで叩いて抹殺した。

 

 ヒトがウマ娘に勝てる訳がねぇだろ!! 解らされてぇのか!!!!

 

 そんな素晴らしい1日だった。

 

 

 

 

 ―――凡そ2~3週間後。

 

 それがプリークネスステークスからベルモントステークスまでの時間だ。6月初めに開催されるこのレースはアメリカのクラシック戦線、3冠レースの最後を飾るレースであり、多くのウマ娘の脚の寿命を縮めてきた原因でもある。

 

 ケンタッキー、プリークネス、ベルモント。間隔が短く脚を酷使するレースが立て続けに開催される故にこのクラシック戦線を抜けたウマ娘は多大な名声を得るのと同時に、その足の寿命を大いに削られるという話だ。

 

 それでもウマ娘達は走る―――名誉のために、栄誉の為に、或いは自己満足の為に。そして俺もベルモントステークスが迫る中、等速ストライドの完成を目指してベルモントステークスへと出走する準備をしなくてはならない。

 

 その為に今日もBig Red、セクレタリアトというレジェンドと併走する。

 

 無限に加速し続ける脚。速度の上限を突破して疾走する姿。伝説はその本格化を終えて現役を退いても決して色褪せた姿を見せない。それこそ本気でレースをすれば勝つ事は出来るだろう。だがその現役時代の走りを、今の姿からも幻視する事は出来る。

 

 そしてそれを見て、誰もが思う。

 

 ―――これには勝てない、と。

 

 目の前を走る赤い影を追いかけるように走る。目の前では赤い尻尾が走るのに合わせてゆらゆらと揺れている。尻尾の揺らぎだけでウマ娘の感情は大体読める。今のセクレタリアトは自分の後継者になりうる存在に走りを伝授できる事に喜んでいる。

 

 それが走りにも見える。

 

 走り、そう、等速ストライドだ。

 

 一切遠慮のない加速、そしてスタミナによるごり押し。無限に加速してスタミナが持つなら最強だろう。そう、誰だってそれを考えるがスタミナという限界が存在する以上、それは不可能に近い。だが等速ストライドはそれを可能にする。

 

 問題はそれが、セクレタリアト本人でさえ言語化不可能な、センスと才能100%によって構築された伝授不可能な走法である事。だから誰も等速ストライドを継ぐ事は出来なかった。

 

 俺という存在を除いて。

 

 あの、ディーに負けた皐月賞でさえ、俺のスタミナは途切れる事が出来なかった。最終的にはトップスピードの差で負けた。だが限界まで振り絞った所でスタミナを消費しきる事はなかった。俺がこれより上の世界で戦う為には、必要なのだ。等速ストライドという走法が。

 

 パワーとスタミナに恵まれた反面、スピードに欠ける。それが俺のスピカトレーナーからの評価だった。俺がそれを誤魔化せているのはあくまでも領域とレースコントロールによる賜物であり、トップスピードを技術で誤魔化している状態なのだ。

 

 これでシニア期、他の連中が走り切るだけのスタミナを付けてくると俺の優位は大きく落ちる。だからこそ俺は俺だけの武器を磨き、他の連中が追い付いてくる前に更に強くなる必要がある。等速ストライドはその全てを解決する鍵だ。

 

 とはいえ、その習得が異様に難しい。

 

「フィアー! フォームが乱れてる! 余計な事を考えるなッ!」

 

「はい!」

 

 コースの外から西村Tの叱咤が飛んでくる。西村Tの言う通りだ、余計な思考をまずは排除して走る事だけを考えなくてはならない。

 

 セクレタリアトの等速ストライドによるストライド幅の微調整は全て勘とセンスによって行われている。天性の才覚に経験をミックスして限界まで練り上げて煮詰めたのが等速ストライドの正体だ。つまりそれを言語化する手段は恐らくは無い。説明した所で理解できる範疇を超えている。

 

 だから、ひたすらセクレタリアトという伝説の走りを体に刻むしかない。

 

 無限に併走を繰り返して、そのセンスを理解しなくてはならない。幸い、俺は感じとり、継承するという行いに関してはこの星で一番得意だと自負している―――領域のスペシャリストとは、そういう能力がずば抜けているのだから。

 

 だけど逆に言えばそんな俺でも、最も集中力を高められるGⅠのレースという環境下で等速ストライドを発展させられるのは僅か1~2割程度なのだ。

 

「ふぅ、ふぅ、ふぅ―――」

 

「歩幅が違うぞ!」

 

「はいっ!」

 

 叱咤を受けて集中し直す。意識してゾーンに入る。等速ストライドを完全に継承する為にセクレタリアトの歩幅、体の揺れ、体重の動かし方、そのセンスと思考力を全て読み取って行く。そして感じ取る全てを自分の体に張り付ける。

 

 だがそれだけでは駄目だ。セクレタリアトの等速ストライドのままでは、駄目だ。セクレタリアトのものから俺のものへとコンバートしなければならない。

 

 俺の体格、癖、趣向、体の揺れなどに合わせて全ての細かい所を調節して変えないとならない。その上で歩法本来の効果を残す―――これを全て脳で管理し、コントロールする。セクレタリアトのセンスというものを脳内でエミュレートしてから自分の体用にコンバートして運用してるのだ。

 

 脳がフットーしそうだよぉ。

 

「邪念!」

 

「うす……」

 

 西村Tの頭の上でカピ君が頑張れの欠伸をしてる。それに癒されながらも楽しそうに前を走る赤い伝説の姿を追いかけ続ける。どれだけ走っても衰える事のない輝きは確かに、人の魂を焼く程に眩いだろう。

 

 俺が得意とするレースコントロールも、領域の展開も、等速ストライドを使おうとすれば明らかに脳の処理が追い付かないから、諦める必要がある。だがそれはまだ完成されていないからだ。

 

 この伝説の走りを覚え、そして完全な形で再現できるようになった時、漸く俺は全ての力を使ってレースを走る事が出来るようになる。

 

「Hey,ついてこれてるかシスター」

 

「まだまだ、全然余裕だよ御大」

 

「はは、ならまだまだ走っても良さそうだな」

 

 楽しそうに笑って更に加速する。引退してるなら少しは脚を労れよと心の中で叫びながら背中を追って行く。加速する際の脚の動きを脳裏に刻み付けて走って。

 

 走って。

 

 今日もまた走って。

 

 走り続ける―――ディーがダービーを勝ったという知らせを聞いてから体は火照り続けていた。

 

 

 

 

「ん-、やっぱり凄いなフィアーの脚は。あれだけ走ったのに異常もなければ過度な疲れもない……」

 

「むおー」

 

 練習後、脚の疲れを抜く為にトレーナーにマッサージを受ける。カピ君を枕代わりに顎の下において顔を埋めつつ脚をトレーナーに任せる。そんな俺達の光景をサンデーサイレンスは不思議そうに見てる。

 

「お前ら、デキてんのか?」

 

「趣味じゃない」

 

「そういう対象には見れないかなぁ」

 

 苦笑する西村Tの姿を見てサンデーサイレンスが成程、と頷いた。

 

「ゲイか」

 

「年下が対象外ってだけですよ!?」

 

「姉御、姉御。ウチのトレーナー実は職場から数人から狙われている訳でして」

 

「へぇ」

 

「日本のトレセン学園は職場恋愛ありなんだ」

 

 セクレタリアトがシャワーを終えた下着姿で部屋に出てくる。見られる事に一切の恥じらいという概念を持たないレジェンドは、もう少し慎みという概念を覚えるべきだと思う。

 

「アメリカは違うの?」

 

「こっちは下半身も銃を抜くのも早い」

 

「地獄じゃん」

 

「だから女性トレーナーが推奨されてるぜ、こっちは。そっちはどうなんだ?」

 

 日本のトレセン学園はそう考えると割とモラルが高い。まず学園長がロリって時点で凄い。次に秘書が正体を隠してるウマ娘って事で更に凄い。そしてトレーナーが担当とくっついても卒業までお手付きしてない辺りがもっと凄い。

 

 凄いぞ、日本トレセン学園! それで良いのかは解らない。

 

「あ、でもヤバイトレ担当コンビならいるよ日本」

 

「どんなのだ?」

 

「トレーナーで人体実験する奴」

 

「警察呼べよ」

 

 仰る通りです……。

 

 もみもみもみ。トレーナーに脚を揉まれ極楽気分を味わいながら6月が始まる。6月、ベルモントステークスがついに始まる。そこで勝てば俺は日本バでありながらアメリカのクラシック三冠を獲得した唯一無二のウマ娘になる。

 

 ちょっと、ずるをしているような気もするが……勝つべきレースは勝たせて貰う。

 

 とはいえ、俺の目標は凱旋門だ。なんか凱旋門よりもヤバイとか言われてるが無視だ、無視。俺は凱旋門でチワワと雌雄を決したいのだ。だがベルモントの次はトラヴァース、それからBCクラシックと予定は詰まっている。

 

「どっかでヨーロッパのGⅠに出ておきたいなあ」

 

 洋芝、どういう環境なのかちょっと興味がある。

 

「ふむ」

 

 俺の呟きを聞いて西村Tが唸る。何か考えてくれるみたいだ。あー、と声を零してカピ君の腹に顔を埋める。

 

 次走、ベルモントステークス……、まあ、絶対に出走者全員で俺を潰しに来るだろうなあ。

 

 対策が、必要だ。




クリムゾンフィアー
 まだ大統領だと気づいてない

サンデーサイレンス
 大統領だって知ってる

セクレタリアト
 大統領だと知ってる

西村トレーナー
 大統領だと知らないフリをしてる

アグネスタキオン
 通報された事がある


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35話 ヒトカスvsカピバラ

「今日はちょっとマイケルさんと温泉旅館に行ってくるね」

 

「いってらー」

 

 どうやら我がトレーナーはよう知らんおっさんとの絆を5段階まで結んだらしい。いつの間に仲良くなったんだ……ヒロインなのか? あのおっさん……俺には何も解らない……だが俺の調子が上がる未来は確定したので、これを機にちょっと街に出る事にした。

 

 ぶっちゃけ、レース以外の時は大体姉御の家に引きこもっている。というのもこの土地を出るとパパラッチのクソボケカスカスクソカス共が煩いからだ。店の中に入るとそこからカメラを構えて待っているという低能さとモラルの欠如具合はもはや有名だ。伊達にハリウッドスターの精神を病ませていない。

 

 だから俺もそれを経験しようと思う。

 

 そう言う訳で俺はカピ君にリードを付けて街へとお散歩に来た。途中まで一緒だった姉御は新しく庭に解き放つペットを求めてペットショップへと向かった。知ってるか? 侵入者対策に土地に点在する池にはワニが棲んでるんだぜあそこ。殺意高いよな。

 

 そんな訳で比較的に近い街にやってきたのだが……まあ、パパラッチがいるわいるわでうざかった。

 

「Hey! ちょっとこっちを見てくれよ」

 

 中指を突き立てると写真を撮られる。適度なファンサをしているが、30人ぐらいのパパラッチが俺を包囲してカメラを向けているのだから非常にうざい。そりゃあ姉御も引きこもるようになるわ。これはちょっと、お買い物に出かけるとかそういう領域を超えている。

 

 そりゃあ日本のマスコミのがマナーが良いとか言われるわ。いや、五十歩百歩かもしれない。公園のベンチに座っているだけなのに俺にはずっとカメラが向けられている。これ、何かスキャンダルかスクープを待ち望んでいるんだろうなあ。

 

「Crimson! ちょっとインタビューを良いかな? それじゃ―――」

 

「おい、こっちが先だぞ!」

 

「どうしてアメリカに来たんだい? ちょっと話してくれないかな?」

 

「おい、ジャップ! 本気で3冠を取れると思ってるのか?」

 

「……」

 

 あぁ、折角のお散歩なのにカピ君の機嫌が悪くなってきている。ご近所さんとのカピバラ交流さえできなかったせいでストレスが溜まってきているのだ。可哀そうに……ヒトカスという種がカスな所を見せているせいでカピ君の心が汚れてしまう。

 

 これは早急に対処すべき事態だ。俺は一瞬スマホを取り出してカンペを確認する。良し。

 

 片手で周りの喧騒を牽制する。まだ何か喋ろうとする奴は領域で凍らせて強制的に黙らせる。それで集まっているパパラッチたちが全員黙ったのを確認し、俺は足元で欠伸をするカピ君を持ち上げた。

 

「いいか、地球にこびり付く塵芥共。お前らが騒がしいせいでカピ君がご機嫌斜めだ」

 

「Ah……俺の目には眠そうにしている様にしか見えないんだが?」

 

 それがそのパパラッチの最期の言葉だった。男は全身から彼岸花を生やしたオブジェになった。残されたパパラッチたちは自分達の口にしっかりとチャックした。偉いぞお。俺は賢い人は好きだよ?

 

「だが俺の心はこのアメリカの大地よりも寛大だ。ここにいるカピ君の散歩に来ているが、貴様ら塵のせいでそれが台無しになってしまった。だが一流のウマ娘は常に慈悲を持ち合わせている。解るなヒューマン? 俺はお前らにチャンスを与えようというのだ」

 

 俺の言葉にパパラッチ共が頷いた。

 

「良いか―――今、この場でカピ君を満足させる事が出来た奴が今日、俺との独占インタビューの契約を取れる。それ以外の奴らはこの場を去る。去らなければお前もフラワーアートだ。良いな?」

 

 パパラッチ達が頷いた。どちらかというと今提案したこの勝負をショーにして記事にしようとする奴らの方が多い。だが中にはやはり、独占インタビューを求めて前に出てくる奴がいる。

 

「Ha、なら俺に任せて貰おうか。こう見えて家では犬を三頭飼ってるんだ」

 

「ほう」

 

 ベンチに座った状態で足を組み、腕を組む。袖を捲って前に出てきたパパラッチの青年の姿を見てからカピ君へと視線を向ける。俺の視線を受けてカピ君はのそのそと立ち上がった。遊んでいい? 遊んでいいの? とカピ君は首を傾げている。可愛い奴だなぁ。

 

「良ーし、よしよしおいでおいでー」

 

 人のよさそうな笑みを浮かべたパパラッチがカピ君を誘う様に大きく腕を広げ、俺はカピ君に指示を出した。

 

「レッツゴー!」

 

「きゅるるるる……きゅっ!」

 

 パパラッチの青年を見たカピ君が地を蹴って加速し、パパラッチの胸元に食らいつくとそのまま地面に引き倒して池のワニ直伝のデスロールを始める。

 

「がああああ!! がああああ! があ―――!!!」

 

「きゅるるるるるる」

 

 可愛らしく鳴きながら覚えたばかりの必殺技をパパラッチに披露する。可愛らしい姿から殺人的な奥義が展開された絵面に全パパラッチが凍り付いた。10秒間、たっぷりとデスロールを披露するとゴミとなった元パパラッチを投げ捨てて欠伸を零した。

 

「うーん、どうやらカピ君を満足させられなかったようだねぇ。使えねぇヒューマンだ」

 

「……」

 

 ぼろ雑巾になった物体はぼろぼろだが生きているし無傷だ。ロールした時の勢いと速度だけでヒトカスをブラックアウトさせたらしい。流石池のワニから教わっただけはある。欠伸を漏らしながら帰ってくるカピ君の頭を撫でる。

 

「で、次はどのゴミが挑戦する?」

 

 その言葉に一斉にパパラッチが後ろへと下がった。なんだよぉ、カピ君の魅力が解らないのかこのカス共。がっかりした。露骨に溜息を吐いて、ベンチから立ち上がる。カピ君のリードを握ってちょっと引っ張る。

 

「帰ろうぜカピ君……ここにお前の遊び相手はいなかったみたいだ……」

 

「きゅる」

 

 カピ君も心なしかどこか寂しそうだ。だがしゃーない、ヒトカスはカピバラ以下の下等種族なのだ、連中に期待する方が間違っているのかもしれない。そう思って去ろうとした所。

 

「―――お待ちなさい、私がその子のお相手をしましょう」

 

 そう言ってパパラッチの間から出てきたのは一人の老紳士風の男だった。白髪をオールバックに流しサングラスを付けたちょい悪おやじ……な雰囲気のあるイケおじだった。割と俺のカッコいいという心をくすぐるのがポイントだ。

 

「あんたは?」

 

「番組Uma Americaのプロデューサー兼ディレクター兼光の戦士兼キヴォトスの教師だ。私は普段は周りに対して勝気な子が先生の前でだけでは色々と気にして少し大人しくするところが性癖だ……!」

 

「ネルッ……!」

 

 俺達は解り合えるかもしれねぇ。そんな期待がある中、老紳士は上着を脱ぎ、シャツを脱いで上半身裸になった。そのまま上半身に力を込めてバルクアップをしてからファイティングポーズを取る。

 

「来なさい……全霊でお相手いたしましょう」

 

「カピ君……レッツゴー!」

 

「きゅるるる!」

 

 一瞬の加速からカピ君が老紳士に食らいついた。

 

「ふんっ!」

 

 くらいついかれた老紳士は自分から地面へと倒れ込み、そのまま回転を開始する―――そう! デスロールに対する先行ロールでロールのコントロールに入ったのだ! カピ君は習得したはずの殺人奥義を一瞬で攻略され、驚きながらも楽しそうに地面を跳ねながらデスロールを続行する。

 

「ふんっ……はぁっ、はあ!」

 

 大地を蹴り上げた老紳士とカピ君の姿が跳ねあがり、空中で回転しながら再び落ちてくる。

 

 回転しながら地面に打ち付けられる姿が受け身を取りつつ衝撃を受け流す。疾風の如き速さで地面を転がりながら老紳士vsカピバラの決戦が幕を開ける。

 

「こ、これが一流のジャーナリズム……なのか……」

 

「俺達が目指すべき頂点」

 

 その日、その場にいたパパラッチ達に正しいジャーナリズムの姿が刻まれた……!

 

 調子が上がった!

 

 体力が回復した!

 

 パワーが上がった!

 

 賢さが上がった!

 

 キラーチューンのヒントを獲得した!




クリムゾンフィアー
 満足して帰った

カピ君
 楽しかった

老紳士
 独占インタビューをゲットした

パパラッチ
 冷静になって何かがおかしいと気づいた


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36話 乱数固定バグ発生中、対戦回避推奨

 流石にベルモントステークスが近くなると偵察も露骨になってくる。

 

 開始まで1週間となると敷地内にドローンを放ったり、中に入って来ようとする連中が出てくるようになってくる。それに対して金を出して警備を雇い、中に入らないようにする事で対処するが……それでもドローンや出待ちするパパラッチの類は減らない。

 

 もし、ベルモントステークスでこれまで2冠獲得しているウマ娘の秘密や次の戦術を探る様な事が出来れば……それだけで大金になるだろう。ベルモント1着の賞金は60万ドル、日本円で8000万円だ。リスクを背負っても探るだけの価値がある。

 

 だから違法スレスレの行いでも偵察しようとする奴は出てくる。

 

 それでも未だに偵察を受けずにいられるのは徹底した情報に対するガードと、先日独占インタビューでテレビ出演した事による効果だろう。完全秘匿するとどうしてもスクープが欲しくて飛び込んでくる奴がいるが、一度でもテレビ出演すれば適度なガス抜きになるのだ。

 

 まあ、それでもウマ娘のチャンネルなのにずっとブルアカの話しかしなかったが。

 

 適度にメディアの要望に応える事で向こう側のガス抜きを行いつつも、ベルモントへと向けた最終調整に入る。もはやレースまで数日となるとあまり派手なトレーニングも出来ずに、コンディション調整が主な内容に変わってくる。

 

 そしてレース開催数日前ともなれば、怪我を避けるためにもほとんどのトレーニングが削られる。これまではずっとセクレタリアトとの併走がメインだったが、残り数日となると勉強やレース中の動きを話し合う事になる。

 

 ベルモントステークスの最終的な確認を行う為にポケモンSVを手元で遊びながらレースの話をリビングでする。今日もテレビは野球中継を行っており、テーブルの上にはコーラとチップスが置いてある。ポケモンをしながらポテチを食べるブリーフィングは最高の時間だと思う。

 

「―――さて、ベルモントステークスで一番気を付けなければならないのは総員で潰しに来られた場合の事だと思う」

 

 アメリカクラシック三冠レース、最後の一戦。ここには三冠を走ったクラシック級ウマ娘達の青春、そのほぼ全てが詰め込まれると言っても良いだろう。故に、このレースに注ぎ込まれる熱量はこれまでの比ではない。

 

「現状、等速ストライドの完成度は5割だ。フィアーが再現できているのはその加速力とバ場をものともしない走法だ……正直、この時点で色々とおかしな領域にあると言っていいけどまだ、まだまだオリジナルに比べると拙いって言えるレベルだ」

 

 西村Tの言葉に本日の星6レイドを消化しつつ頷く。こっちはニャイキング出してニャイキング艦隊による暴力で攻略しようとしているのに、デカヌチャンを出そうとしている愚か者がいる。お前、レイドの必勝パターン調べてないだろ? いやなおと、応援、てだすけでホストがアイヘだぞ。

 

「等速ストライドの制御で脳味噌酷使してるから、正直加速中は領域を使ってる余裕ないんだよなぁ。後は細かいレースコントロールとかもやってる余裕がない。相手に仕掛けられたら加速して逃げるか、それとも応じて加速を止めるか……の選択肢になっちゃうな」

 

「実際、プリークネスじゃ領域のぶつけ合いになったしな。ベルモントでも確実にあるだろう」

 

 Afleet Alex、俺を止める為に領域を使ってきたウマ娘だ。アメリカの三冠路線はかなり過酷なルートだ。その為、走り切ったウマ娘達はその足を潰すと言われるレベルですり減らす。西村Tが言うには俺の足は異次元レベルで頑丈なため、疲労はしても怪我の気配はないとの事だ。

 

 それでも、過酷なレースはウマ娘を限界まで削る。余分なものを、不要なものを、削って削って削って、そしてそれを美しいマスターピースへと磨き上げる。限界を超えるレース、圧倒的な力を持つウマ娘……もし、心折れる事なく戦う事が出来れば、強すぎる相手に本気で立ち向かう事は大きな成長へと繋がるだろう。

 

 俺がセクレタリアトとレースしているのもそうだし、日本のウマ娘がディープインパクトに磨り潰されているのもそうだ。何か聞いた話、俺をリスペクトして海外への挑戦を視野に入れるウマ娘が日本では増えているらしい……ちょっと恥ずかしいな。

 

「Afleet Alexは領域を使ってきた。そしてこれまでのレース、Crimsonも領域で応えてきた。もう既に十分な経験値は溜まっているだろう。他のウマ娘が……多くて3人か4人は領域に目覚めてベルモントで使ってくるだろうな」

 

 ティズナウがチップスを咥えながらそう言う。

 

()()()()()()()()()()()()()。単純な話、強固な精神力やら何やらだけでは侵食する程の強固なイメージには勝てねぇ。相手が領域を使ってきた時は、必然的にCrimsonも領域で迎撃する必要がある―――その間は等速ストライドを使う事は出来ないだろう」

 

「或いは、その場で殻を破って成長する、とかね」

 

「……ありえない話ではないかな。僕が知る限りクリムゾンフィアーというウマ娘はレース中が最も集中力が高まり成長する瞬間だからね。彼女がレース中に技術を習得して帰ってくるのは、限界を超えた集中力を通して直感的に、或いは本能レベルで必要な技術を脳と体に刻み込んでるから……みたいなんだよね」

 

 へぇ、そうなのか。

 

「むぅ……今期はサーフゴーがアホ強いな。変化技無効の特性とか何を考えてるんだゲーフリ」

 

「Crimson、ちょっとエースハッサム作りたいから通信交換してくれないかな」

 

「御大、赤色パ?」

 

「うん。赤統一するの楽しいよ」

 

 俺は負けるの嫌だから普通に環境ポケ使っちゃうんだよなあ。殿堂入りした時もサザンバンギ採用したし。サザンバンギにブラッキー採用で大体悪ポケ愛用してしまう。性根がやっぱ好みにも出ちゃうのかなぁ……。

 

「領域に対抗するには領域、か。実際の所フィアーはどれだけ領域を使えるんだい? 今まで見せてきた以上の弾丸はあるんだろう?」

 

 西村Tの言葉にちらり、と視線を画面から外して顔を見る。西村Tの視線ににこり、と笑みだけを返して視線を画面に戻す。俺の固有/領域は元々は一つだ―――今使っている彼岸花と凍結は()()()()()()()()()()()()()()()ものだ。

 

 だから性質からすれば普通の領域よりは少し弱い。それを俺のセンスと性質でブーストしているだけだ。そしてそれを補うために他所から領域をレンタルしたり継承したりで誤魔化している。だから彼岸花と無間地獄はあくまでも魅せ札だ。

 

 本命は、俺の領域が破られた時にのみ発動できる、本来の姿だ。

 

 クラシック三冠、その最後のレース。或いは、ここまで鎬を削って来たライバルたちであれば俺の本来の領域を発揮できるようになるかもしれない。だがその場合、俺は等速ストライドを駆使して走ることは出来ないだろう。

 

 ……それに個人的にこの領域を披露する相手はディーであって欲しいという気持ちがある。他の奴に使わされたくねぇ。

 

「加速さえ乗り切ればスタミナのごり押しで逃げ切れる気はするんだけどなぁ」

 

 ぴこぴこ。

 

 サーフゴー、オーロンゲは今作のパーティー構築における必須枠かもしれない。特にすてゼリフを貰っているオーロンゲは悪環境においてフェアリー技を打てる強いポケモンだ。見た目がカスだが採用する価値はある。

 

「問題は序盤から中盤だな。連中がお前を倒すとすればそこら辺だろうな」

 

 序盤から中盤で徹底してデバフ祭りを開催し、俺の加速力を封じて伸びるのを阻止する。アメリカのウマ娘達が俺に対して取る戦術で一番現実的なラインだろう。

 

 一番現実的なラインなのだが……まあ……これ、皐月賞で既に1度やっている事なのだ。対ディープインパクトで。それがそっくりこっちに向けられるという状況は中々面白いものがある。

 

 アイツが超えられたのだ、俺が負ける訳にもいかない。

 

「テツノブジンかっけぇなぁ。採用してえ」

 

「メインウェポン不足で採用厳しいよ」

 

「S高いから上から殴って圧力かけて最後はみちづれで相手のエースと一緒に死ぬんだこいつは。武士道とは死ぬ事とみたり」

 

「武士道の化身みたいなポケモンだなぁ……」

 

 ベルモントステークスまで残り数日。

 

 アメリカの歴史に消えない偉業が刻まれる日は……すぐそこまで迫っていた。




クリムゾンフィアー
 テツノブジンを気に入った

セクレタリアト
 エース型ハッサムの使い手

ティズナウ
 環境ポケモンを使うタイプ

サンデーサイレンス
 対戦で負けると相手の頭に銃を突きつける


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37話 ベルモントステークス Ⅰ

 ―――明晰夢。

 

 つまり夢を見ている事を自覚している夢。大抵の人は夢を自覚せずに夢を見る。そして起きた頃にそれを夢だと知る。それが普通だ。夢とは脳の整理、脳がそれまであった情報を整理している出来事なのだから。夢を見る事に意味などない。科学がそれを証明している。

 

 だが、俺にはちょっとした自慢にならない特技がある。

 

 明晰夢。

 

 俺が夢を見る時は、決まって明晰夢となる。

 

 いや、正確には違う。俺が見る夢は固定されていて、それを見る時が絶対に明晰夢になるというだけの話だ。

 

 つまり死。

 

 死んでいる時を思い出す。生まれる前の状態を、死んでいる間の出来事を。この世ではない場所での体験を思い出す……まあ、体なんてものは存在しないのだが。

 

 俺は転生者だ。或いは転生バとでも言うべきか。俺は命の輪廻を超えてきた存在だ。だが神様と出会う事はなかった。閻魔様もいなかった。天獄も地獄もなく、あるのは死という概念に満ちた世界だけだった。或いはそれすら、世界と呼べるものではないのかもしれない。

 

 あの世というものは非常に不思議なもので、特定の形や姿を持たない。初めてあの世にいる事を自覚した時は一面に彼岸花と鳥居が咲き乱れる空間だった。川が流れ、無限へと向かって流れ出していた。だがそれは日本的宗教観というフィルターを通して見た世界だった。

 

 視点が変われば見える世界の形も変わってくる。考え方が変われば捉え方も変わってくる。俺は何をどう見ているのかは決して重要ではないという事を気づかされた。人によって、その時の意思によって揺らいでしまうものに果たしてどれだけの価値があるのだろうか?

 

 命の答えが、死というものの理解がこんなものなら考える事に意味はあるのか? 俺はダンテのように彼岸を旅した。だが終ぞ、ベアトリーチェと出会う事等なかった。導きもなければ答えを与えられる事もなかった。ただただ、そのまま自分で考える事のみが全てだった。

 

 そしてふと、気づくのだ。考えれば考える程物事は本質から外れて行く。

 

 故に、ありのままを受け入れるしかないのだと。

 

 物事はそのありのままを受け入れるのが最も美しく、形として正しい。

 

 そしてウマ娘に転生した俺は、己のありのままを受け入れる事にした。他人から与えられる想いを、領域を、走法を、期待を、そして事実を受け入れる。

 

 そうして、クリムゾンフィアーは恐怖の意味を知る赤毛のウマ娘になった。

 

「―――フィアー、ベルモント競バ場についたよ」

 

 浅い眠り、明晰夢はトレーナーの声によって遮られて消える。口を開けば欠伸が漏れる。

 

「ふぁぁ……ぁ……もう? 早いなぁ」

 

「結構ぐっすり眠ってたからね、早く感じたんじゃないかな」

 

 車の中で、後部座席で背筋を伸ばして夢の旅から帰還する。明晰夢を見るとどうしてもアンニュイな気持ちが先行してしまう。だけど同時に自分という存在を再認識できる。本当は俺みたいなやつは存在しない方が良いんだろうなあ……なんて思えてしまう。

 

 だけど、まあ、生まれてしまったのならしょうがない。あるがままを受け入れるだけの話だ。

 

 走るのも、ふざけるのも、全部その延長線上の出来事だ。

 

 それで本来得られる筈の栄光を俺が掻っ攫っているなら―――まあ、生まれた時代が悪かったって事で。俺だってここまで走れるとは思わなかったし。この際、燃え尽きるまで行ける所まで行ってみよう。

 

「んっんー、生憎の曇りだけど風は気持ち良いな」

 

「季節柄、からっとしていて気持ちが良いよね」

 

 車の扉を開けて外に出る。もう一度背筋を伸ばして空へと向かって手を伸ばす。今日も調子は絶好調、コンディション調整も完璧でレート用のパーティーも完成した。後はどれだけレートで勝てるかというだけの話だ。ちなみに自慢じゃないが俺はレートがへたくそだからあんまり勝率は良くない。

 

 と、そこでカシャという音がした。折角気持ち良く車から降りて競バ場に入場しようと思ったのに、既にパパラッチの姿がそこにはあった。カメラを向けてはカシャカシャカシャと目障りな音とフラッシュを焚いている。

 

「下がれ下がれ! フラッシュは禁止だ!」

 

 警備のウマ娘が直ぐに出てくるが、それを気にすることなく距離を取ってフラッシュを焚いてカメラを回してくる。こいつら、恐れを知らないのか? そう想いながらパパラッチ達から視線を外すように競バ場、スタッフ用の入口へと向かう。

 

「Crimson! 是非コメントを!」

 

「日本バが三冠を取る意義を教えてください! どうしてアメリカへ来たんですか!?」

 

 煩い声が背中にぶつけられてくる。何度もアメリカで走っているうちにこういう声にもだいぶ慣れてきた。それでもナイーブなウマ娘はこれで調子を落としたりするらしいが、

 

 俺は素直に中指を突き立てて返答する。

 

「クソみたいな給料の為に人間性捨て去るのお疲れ様ー。俺はお前の塵みたいな収入とは違って今日60万ドル掴むからな。あばよ」

 

「フィアー、君さあ……」

 

 トレーナーの呆れた声を聴きながら後ろに聞こえてくる声を全部無視して早歩きに入場する。中に入ってしまえばこっちのもんだ、邪魔をする様な奴はいない。中に入った所でふぅ、と息を吐くとスタッフがやってくる。

 

「Crimsonさん、控室は此方です」

 

「おう、お疲れ様」

 

 ぺこりと会釈するスタッフに先導されて控室へとやってくる。車から勝負服を持ってきてくれたトレーナーも控室に入り、それをテーブルの上に乗せる。セクレタリアト御大の勝負服に似せて作ったアメリカ遠征用の勝負服、日本のウマ娘がこれを着るのは最高に皮肉っていると思う。

 

 まあ御大本人は滅茶苦茶嬉しそうだが。相当自分の後継者を待ち望んでいた様だ。

 

「それじゃ、外で待ってるから早く着替えてね」

 

「あいあい」

 

「ってまだ外に出る前に服を脱ぎ始めない!!」

 

 シャツのボタンに手をかけると凄い勢いでトレーナーが控室を飛び出す。その焦る姿にげらげらと笑い声を零しながらシャツを脱ぎ捨てて、ズボンを脱ぐ。下着姿になった所でさっさと勝負服を手に取って着替える。

 

 勝負服に袖を通す度に意識が鋭さを増し、覚醒して行く。

 

 勝負服とはそれだけウマ娘にとって特別なものだ。

 

「フィアー、着替え終わったかい?」

 

「今全裸」

 

「嘘を言うな。……嘘だよね?」

 

「着替え終わったよ」

 

 笑っていると扉を開けて西村Tが中に戻って来た。俺が勝負服に着替え終わった姿を見て、ほっとしている様子だった。椅子に座ってまだ履いていないブーツを手に取ると、ひっくり返して蹄鉄の調子を確かめる。こればかりはレースを走る直前まで調整しなくてはならない事だ。

 

 かんかんかん、と蹄鉄を叩いてく確認する作業も既に慣れ親しんだものだ。レースだけじゃなくて日常的にも繰り返しているが、今回使う蹄鉄は新しいものだ。しっかりと確認しておきたい。

 

「はい、フィアー。これ」

 

「ん?」

 

 そうやって蹄鉄を確認しているとタブレットをずい、っと差し出された。その中身を確認するとスピカの部室が映し出されていた。

 

『おーい! フィアー! 元気ー?』

 

『フィアさーん! 応援してますよー! 三冠最後もけっぱるべー!』

 

『聞こえてるこれ? 聞こえてる?』

 

『マーチャン!』

 

『はい、マーちゃんです』

 

『ただでさえ狭い部室が狭いですわ……!』

 

『まあ、ぎゅうぎゅう詰めだしなぁ』

 

「おぉぅ」

 

 タブレットにはスピカの面々に応援してくれるウマ娘達の姿が見えた。日本の時間的に今は深夜だろうに、起きてリアルタイムで応援してくれるらしい。日本でも何時も通りらしい皆の姿に笑みがこぼれる。

 

「夜更かししてていいのかよ」

 

『こっちはお前の事で盛り上がってるぞ?』

 

『そうそう、日本中が熱狂中なんだからな、恥ずかしい姿を見せるなよー!』

 

『カッコいい所を見せてくれよ先輩!』

 

 タブレットの向こう側から応援してくる皆の姿にサムズアップを返しつつ、

 

 アメリカクラシック三冠、最後のレースが始まる。




クリムゾンフィアー
 今の人間性の高さはマミーの功績が大きい

サンデーサイレンス
 赤毛が去った後にやって来てパパラッチにカピ君を放った

カピ君
 天狼抜刀牙


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38話 ベルモントステークス Ⅱ

 日本の皆からエールは貰った。心も体も力と充足感で溢れている。

 

 俺のように反則的な存在がどれだけ許されているのかは解からない―――だが本能が走る事を求めるのであれば、あるがままを受け入れるだけだ。細かい事を考えるのは今更ない。ただ走り、勝つだけ。自分が行ける所まで行きつくまで、走り続けるだけだ。

 

 パドックを出て地下バ道へと入ると、俺を待ち受けるようにAfleet Alexの姿がある。

 

「Crimson」

 

 悪意や嫌悪の類は感じない。その視線は真っすぐ此方を捉えている。

 

「よう」

 

「Crimson……日本から来やがった怪物め。お前さえいなければプリークネスは私が取れていた筈なんだ。ステイツの冠はステイツのウマ娘が取るべきだ」

 

 ぐっと、拳を握り此方を睨む。

 

「そう思っていた。だけどお前と走る度に心が熱くなる。圧倒的な壁を見て血が沸騰するように燃え滾る―――お前と、走れて良かった。それだけだ」

 

 そう言うと先にゲートへと向かう為にコースへと向かった。その背中姿を眺め、苦笑を零す。

 

「気持ちのいい奴じゃんか」

 

 敵意はあるが闘争心の産物だ。悪意や嫌悪感はなく、ただ勝ちたいという気持ちがそこにはあった。結局、強さの質や方向性が違うだけでウマ娘はウマ娘……スポコン世界の法則らしくその根底にあるのは善良なものなのかもしれない。

 

 Alexに挑戦状を叩きつけられゆっくりと地下バ道を出る。

 

 陽の光と共に歓声が爆発する。蹄鉄が踏みしめるのはターフではなく土のダート。思えば日本からだいぶ離れた場所へとやって来てしまった。手を翳して観客の声に応えながらゆっくりとゲートへと向かって歩く―――その間も、ずっと他のウマ娘の視線が突き刺さる。

 

 もうわかる、全員で俺をマークしているという事実に。

 

 確実に俺を潰しに来る。それがこのベルモントステークスで勝つ為の最低限の条件なのだろうから。だから全員、総力を挙げて俺を潰して、その後で主導権争いを始めるだろう。それは既に事前のミーティングで認知していた事でもある。

 

 問題はどこまで、相手がその手を駆使できるかという点についてだろう。

 

 そして俺がこのレース中に、どこまで成長できるか。

 

 次走のトラヴァースステークスはクラシック限定のレースだ。だがBCクラシックはシニア込みのレースになる。シニアとクラシックの間の能力的な差は非常に大きく、クラシック級のウマ娘がシニア級のウマ娘に勝つ例は稀だ。

 

 故に、それまでに俺の走りを限界まで仕上げなきゃならない。より強い相手、より激戦を制して限界まで己の力を高める必要がある。このベルモントステークスは3冠を締めくくるレースであり、そして全てのウマ娘が勝利に食らいついてくる戦いだ。

 

 俺も、ここでまた一つ上を目指さなくてはならない。

 

『威風堂々と1番人気はこの娘、Crimson Fear!』

 

『Big Red唯一無二の後継者! 彼女はその才能と実力は国籍等関係ないという事実を証明した! 既にクラシック2冠を獲得した深紅の恐怖は今日もレースに消えない傷跡を残して行くのか! 彼女が真に等速ストライドを継承できたのか、彼女の走りで証明して貰いましょう!』

 

 何時も通りの煽り。しかしそこにヘイトはなく、純粋にレースを盛り上げようとする意志を感じる。

 

『さあ、真剣な表情を浮かべた各員ゲートに収まって行きます……』

 

『ベルモントステークス、いよいよ始まります』

 

「ふぅー……」

 

 息を吐いて集中力を高めながらゲートの中に入る。ゲートに入るだけで既に周りからプレッシャーを掛けられているのを感じる。何人かが領域展開を行う準備に入っている。そういう精神の高ぶりを肌で感じ取られる。

 

 そうなると、勝負は序盤から中盤にかけてだ。

 

 終盤までに抜け出す事が出来なければそのままバ群に沈められると考えるべきだろう。相手の妨害を交わし、等速ストライドで無限加速状態に入る―――そうすれば誰も俺を止める事が出来なくなるだろう。

 

 そう、それこそ異次元の末脚を持つウマ娘でもいない限り。

 

「……」

 

 両手を合わせて、口元で合掌するように目を瞑り精神を統一する。恐らく今、日本でこのレースの中継を見ているライバルの存在を思い出す。彼女なら―――彼女なら……果たして、俺に勝てるのだろうか? いや、勝つだろう。あれだけ手を尽くしても皐月賞で負けたのだ、彼女は絶対に勝ってくる。

 

 だから俺も、彼女に勝てる俺になりたい。

 

 彼女がライバルとして誇れる俺でありたい。

 

 すぅ……と目を開けて走りだす為のフォームを取る。直感が、感覚がゲートは間もなく開くと訴えてくる。それに備えて態勢を整え、走りだす準備を追える。騒がしい歓声も、吠えてくるような声も、実況の茶々も全ては遠くに置き去りにする。

 

 拡大した感覚で他のウマ娘達の存在を捉え、視線を向けずその動きを把握するのに努める。威圧が、プレッシャーがガンガンと突き刺さってくるのを精神性で受け流す。開始前から出遅れさせる為の戦術は既に動き出している。

 

 だからそれを認知しながら静かに呼吸を整え―――今、ゲートが開いた。

 

 コンセントレーション。出遅れる事はあり得ない。開ききる前に体は飛び出している。僅かな隙間に接触しない様に前へと向かって滑りだす。一瞬でギアを入れ替え、先手必勝の心得で足元の地を固めて加速する。

 

「さ、させるかあ―――!!」

 

 瞬間、デバフの嵐が叩き込まれる。

 

 威圧、精神性で受け流す。

 

 熱いまなざし、精神をコントロールして緊張感を抑え込む。

 

 悩殺術、惚れた相手以外に見惚れるかボケが。

 

 独占力、精神力のみでは抗い切れない。技術的に得た加速力と速度を一瞬だけ潰される。リスタート、先頭を取る事へのプライドで後ろへと引き戻される感覚を振り切る。それを狙う様に眼光が突き刺さるのを気合で弾く。

 

「止まれ、止まれ、止まれ―――」

 

 暴風の領域が発生する。抜き去る為に追い風を受けて後ろから加速してくる姿がそれを利用し、向かい風を生み出す。領域に対抗する為にまず一手、領域を切る。踏みしめたダートからパキリ、と氷が砕ける音がする。

 

 瞬間、暴風が凍って拮抗する。領域によるデバフ効果を領域を瞬間的にぶつけ合う事で相殺し、影響力を脱する。

 

 だが次の領域が一瞬で迫る。響く轟音、大地の躍動する気配。山に木霊する様な足音は脳と感覚を揺さぶってくる。誰の領域であるかを確認する暇なんてない。サンデーサイレンスから継承した領域を展開し、弾丸を打ち込む。三発、叩き込まれた弾丸が領域に突き刺さり罅を生む。

 

「こいつ、クソ!」

 

「だが止める、ここで止めなきゃ勝てない……!」

 

「は」

 

 序盤戦を抜けたばかりという段階で既に地獄の様な領域とデバフによる乱戦が展開されている。焦り、駆け引きを生み出そうと仕掛けてくるのを弾きながら新たな領域が展開される。頭上に星空の宇宙が展開され、発動したウマ娘の精神性を強固に補強し、己の領域の展開により加速力が向上する。

 

「借りるぜ」

 

 豪雨と暴風が打ち付けるように星空の宇宙に叩きつけられる。本物であると錯覚する様な雨、その中でも楽し気に歌って走るウマ娘の姿が幻視される。ターフの魔術師とさえ呼ばれたウマ娘の領域が展開され、イメージがぶつかり合い、喰らい合う。

 

「っ、ぅ―――くっ―――!!」

 

 

 その合間を、Afleet Alexが抜けて前に出た。中盤もその半ばに差し掛かった所で殺人的な加速力を出して前に出る。前に出なければ勝てない、それを彼女は最初から理解していた。脚を引くのではなく、その争いを利用して前に出る。

 

 そして後はスタミナを全て注ぎ込んで最後まで全力で走り抜ける―――それが彼女の戦略だ。

 

「は」

 

 面白れぇ……! 顔が笑みで歪むのを自覚しながら降りかかる領域を気合で振りほどく。自分に襲い掛かるデバフの類を受けた上で脳味噌を加速させる為に余分な情報をカットする。脚が重く感じる。呼吸が荒くなる。だからどうした。

 

 今、今日、この場で、最強は……この俺だ。

 

 加速する。

 

 等速ストライド。伝説と呼ばれるその走りで加速する。自分に降りかかる妨害札、それを受けた上で強引にスタミナを犠牲に加速する。自分の体にかかる負荷を、想いを振りほどくような加速力をぶち込む。加速する肉体がトップスピードに立ってハナを走るAfleet Alexの姿を捉える。

 

 その視線が最終コーナーに差し掛かる所で、ちらりと俺の姿を確認した。

 

「来い、Crimson……決着をつけてやる」

 

「言われなくとも、先頭(そこ)は俺の場所だ」

 

 ハナを走るAfleet Alexが後の事は知るかという速度で走る。そのスタミナが最後まで持つとは思えない。或いはそれすらも無視して加速しているのかもしれない。じりじりと追い詰める中でAfleet Alexが領域を展開する。

 

 己の空間、己の世界観、己の居場所―――自分が勝つために構築するイメージ。

 

 それがAfleet Alexから放たれる。此方へと這い寄る様なデバフ型の領域。それが俺の加速力と足を止めに来る。領域で対抗するのは簡単だ、だが領域で対抗すればその瞬間に等速ストライドは崩れるだろう。

 

 だから集中する。

 

 レース中にしか構築できない極限集中状態。精神の高ぶりとレースという環境でしか構築できない意思で脳を、考えをコントロールする。

 

 セクレタリアトが天賦の才能とセンスで構築する走り、それをエミュレートしながらクリムゾンフィアーとしての形へとコンバートし、センスを感覚と論理的に解釈する。それを己の体に反映しながら―――領域を展開する。

 

 足元に彼岸花が咲き乱れる。頭が痛い。無駄がまだあるからだ。息を入れながら加速する。蹄鉄が足元の彼岸花を踏みしめて進む。迫る影を彼岸花の花弁が弾いて散らしてくれる。そうすれば残されるのは純粋なスペックによる勝負。

 

 舞い上がる花弁が燃え盛って消えて行く中で加速が速度の上限を超える。肉体強度が許す所まで加速が速度へと変換されて行く。前を進んでいたAfleet Alexの姿が横に並び、限界を超えようと吠える姿が見える。

 

 その熱情、決意、覚悟―――全てが美しいものだろう。

 

 幼いころからクラシックの夢を見たに違いない。アメリカのウマ娘として、クラシックのGⅠレースで勝利する事は多くが見る夢だろう。その為にこれまで走ってきたに違いない。

 

 だが、だが……だ。

 

 ―――決して、想いの重さが強さへと繋がる訳ではない。

 

 想いが強ければ勝てるという訳ではない。

 

 より強く、そして才能を磨き上げた者が勝つ。それがレースの理。

 

 最終直線、Afleet Alexは垂れる事はなかった。だがその横を外側から抜いて行く。内ラチ横を確保して最小限の動きで突き進む姿を躱して前に出る。速度はまだ上がる。足元の彼岸花は咲き乱れている。ゴールまでのラインは既に敷かれている。

 

 赤い死のカーペットの上を疾走する。

 

 もはや邪魔できる存在はいない。

 

 1バ身、2バ身……3バ身。

 

 止められる者がいなくなれば等速ストライドはその本領を発揮し、限界を超えた速度を見せる。だがその全てが発揮される前にゴールラインは切られた。

 

 歓声に祝福される中、玉の様な汗を零しながらゴールラインを切り、拳を掲げる。

 

 勝利を祝福するように放たれる声の中、アメリカのクラシック3冠レース、その最後の冠を強奪した。




クリムゾンフィアー
 ワートリの推しはオッサム

Afleet Alex
 この後ワートリを布教される

パパラッチ
 カピ君の牙によって全滅した


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39話 Crash!

 歓声が爆発している。アメリカ全土が俺の偉業と現代に打ち立てられた伝説を祝福している。見る者全てが俺の走りに魅了され、そして認めた―――俺が、セクレタリアトの後継者であると。実情はまだ、走りは完璧ではない。だがそれでも、俺は走り切った。

 

 アメリカ三冠、未だに成しえぬ日本バでの伝説を。

 

 ライブを踊り切り玉の様な汗が体に張り付く。だがその感触でさえ愛おしい。アメリカのウマ娘をバックダンサーに俺はセンターとしての役割を果たしきり、ステージの上で今回訪れた全ての人たちに自分の勝利する姿を刻み付けた。吐き出す息は熱く、熱が籠っている。だがその火照りでさえ今は心地が良い。

 

「ありがとう! ありがとう」

 

 素直に祝福を受け入れるように手を振って、名残惜しまれながらステージを去る。舞台裏に出た所で背中を勢いよく叩かれた。

 

「Crimson……お前は凄い奴だよ。日本バとか関係なく、な」

 

 そう言って1人、悔しそうに涙をこらえながら去って行く。

 

「お前はアメリカンドリームを体現してみせたんだ……生半可な走りを見せるんじゃねぇぞ」

 

「おめでとうCrimson……ムカつくけど、クラシック最強はお前だ」

 

 唇をかみしめながら、闘争心を燃やしながら、或いは涙を零して。クラシック三冠の戦いはこの二か月の間に終了した。もう二度と、終わった時間は戻ってこない。その悔しさに胸を焦がしながらライブを終えたウマ娘達は去って行く、次のレースへと向けて。

 

 クラシック三冠は確かに終わった。だけど俺達のレースはまだ続く。このレースは、まだ長く続くレース人生の始まりでしかないのだから。

 

「Crimson」

 

「Alex」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、アメリカのライブ衣装に身を包んだAfleet Alexの姿がある。手を前に、真っすぐ差し出してくる。それに迷わず応えた。

 

「Crimson、お前は強かった。強すぎるぐらいに強かった。本音を言えばずっと羨ましくて腹立たしかった。どうして日本のウマ娘が……私達じゃなくて、日本なんて競バ後進国のウマ娘があのお方の後継者だなんて」

 

 歯を食いしばりながら言葉を口にする。手を握り締める力が強い。だが次第に、力が抜けて行く。

 

「だけど……納得したよ。お前は勝った。アメリカの三冠を。そこにはもう、日本もステイツも関係がない。お前がお前だから勝ったんだ。悔しいけど……悔しいけど此処までやって負けたなら完敗だ。お前が、今のアメリカクラシックの……ナンバーワンだ」

 

 とん、と胸を叩かれる。

 

「誇れよ、ライバル」

 

 そう告げてAlexも去って行く。その背中姿には嫌にもクラシック戦線、その最大の祭典が終わってしまった事を物語っていた。全てのウマ娘が舞台裏から消えるのを待ってから、ゆっくりとステージ衣装に包まれたまま控室に行く。

 

 体を巡る熱狂、その感覚を味わう様に一歩、また一歩進んで控室へと漸く戻って来た。未だにステージの方から熱狂冷めやらない観客たちの声が響いている。控室に戻れば西村Tの姿がそこにある。タオルとスポーツドリンクを片手に、微笑む姿が見える。

 

「お疲れ様、フィアー」

 

「おう」

 

 タオルを受け取って汗を拭い取り、スポドリを飲んで失った水分を補う。体の中に流れ込む感触に生き返った気分になる。なんだかんだでライブもレース程ではないがハードだ。というかレースの後でライブをするというのが中々ハードな事だ。

 

「凄い取材の申し込みがあるけどどうする?」

 

「めんどくさいけど1回大きなメディアに出ておいた方があとくされないよね」

 

「じゃあこっちで何個かマイケルさんと相談して見繕っておくよ」

 

 知らないおっさんとどうして相談するんだ? もしかしてあのおっさんメディア関係のお仕事でもしてるのか? この前カピ君と戯れながらなんか色々と教えてたけど。動物調教師じゃなくてメディアの方だったのか……もしかして乙名氏と同類のおっさんなのかもしれない。

 

「はあ……未だに信じられねぇわ。アメリカ三冠をなんで取ってるんだ俺……」

 

「僕が一番言いたい事なんだよなあ、それ」

 

 そう言って西村Tは苦笑する。

 

「まあ、でも、初めて担当させて貰った娘がこんなとんでもない奴だったんだ。以降の生活ではもう驚く事はなさそうだね」

 

「ははは、次はトラヴァース、そしてBCクラシックだ。越えれば今が目じゃないレベルで忙しくなるぜ」

 

「はは、そうだね。君なら問題なく超えられそうで楽しみだよ。次はどんな景色が見られるのか、って」

 

「任せろよ、トレーナー。俺がアンタを見た事のない景色まで連れてってやるからよ」

 

「期待してるよ。さ、帰ったら祝勝会だ」

 

「うわ、皆はしゃぎそう」

 

 笑いながらトレーナーが控室から出て行く。1人残された所で服を脱ぎ、下着姿になった所で汗を拭いながらステージ衣装から私服に着替える。漸く身が軽く感じられる服に着替えられ、気が抜けた感じがする。ふぅ、と息を吐いて前髪を軽く弄る。

 

「ほんと、遠くに来たんだな。ここまで来たらどこまで行けるのか試すのも楽しそうだわ」

 

 にひり、と笑みを浮かべる。走るのが最近は楽しくて楽しくてしょうがない。着替え終わって控室を出るとサングラスを装着する―――まあ、赤毛のせいでまるで変装にはならないのだが。待っていたトレーナーと合流し、そのまま競バ場の外へと向かう。

 

 またマスコミやら何やら待ち受けているんだろうなあ……とちょっと憂鬱になっていると、競馬場の外、関係者口の外で待機している筈のマスコミパパラッチ連中が全員ぼろぼろの状態で地に伏していた。

 

「なんで全滅してるんだこいつら……」

 

「猛獣とでも戦ったんじゃないかな」

 

 アメリカだしまあ、あり得るやろ。お蔭でマスコミ共に邪魔されずに車に乗り込める。倒れ伏すマスコミ共を避けながら車まで移動すると、西村Tのスマホからうまぴょい伝説が鳴りだす。

 

「おっとごめん、ちょっと電話に出るね」

 

「あいあい。先に乗ってるな」

 

 車の扉を開けて乗り込み、俺は良い子なのでちゃんとシートベルトを締める。助手席に座った所で背をシートに預けて息を吐く。これで等速ストライドも良い感じに完成度が高まって来た。後は年内にどれだけ完成度を上げられるか、という話だ。

 

 BCクラシックまでは見据えているが、その後のレースをどうするかという話もある。年末は日本に帰って有マを走るか、それともディーとの対戦を回避する為にアメリカに残るか。アメリカで走るのも楽しいけど、伝統と歴史の欧州のレース場を荒して回るのも楽しそうだ。

 

 等速ストライドが未だに踏んだ事のない、ヨーロッパの芝を走るのはきっと、誰もが楽しみにしている事に違いない。

 

 そして何時かは凱旋門を……日本のウマ娘が夢見る舞台に挑戦したい。人はアメリカ三冠もまた偉業と言っているが、正直ダートの凄さというものは未だに伝わってこない。解りやすく凄い、という話になるとやはり凱旋門になる。

 

「まあ、この先も思うがままに走るかな。健康で頑丈な体があるんだし」

 

 神様は知らないけど、それでも生まれた来た事に意味があるのなら前人未到に挑み続けるしかない。その全てを走り終えた果てにきっと、俺だけのゴールが待っている筈なのだから。

 

「……って、トレーナー遅いなあ。電話長引いてるのか?」

 

 窓から車の外に視線を向けると少し離れた所で忙しそうに電話対応している西村Tの姿が見える。まあ、アメリカ三冠を獲ってしまったんだ、アメリカだけではなく日本からも連絡が凄い事になっているのだろう。忙しそうな姿を見て微笑む。

 

「走らせてくれてありがとよ相棒」

 

 

 

 

『なんとか、そこをなんとか。年末は日本で―――』

 

「いえ、要望は解りますがそこは本当にフィアーの都合次第なので。彼女が年末をアメリカのレースに出たいと言ったら私はそれに尽き従う予定ですので」

 

『クリムゾンフィアーは今では日本の英雄なんです。前代未聞の大偉業を達せいした彼女を是非日本で過ごさせて欲しいんです』

 

「解ってはいるんですが、彼女の走りは自由であって欲しいんです。要望や誰かの思想でレースを縛ったら彼女の魅力が損なわれるんです。誰にも囚われないからこそ今の彼女の輝きがあるんです。そこで無理矢理日本への都合を付けたらそれはもう、彼女ではないんです」

 

『解ります、解りますけど彼女を待っている日本人は多いんです』

 

「はあ」

 

 溜息を聞こえないように零す。アメリカのメディアからだけではなく、日本のURAからも凄い催促の電話がかかってくる。当然だ、今では彼女は日本とアメリカの英雄だ、誰もが認める新時代のスターだ。そんな彼女の存在を国を挙げて盛り上げたいに決まっているのだろう。

 

 声が聞こえないように少し離れた車に視線を向ける。車の中で待つフィアーは両足をダッシュボードに乗せ、此方に気づいて手を振り返してくる。投げやりにも見える姿に苦笑を零し、やる気が湧いてくる。

 

 彼女の走る果てが見たい。その想いが自分の中にある。きっと、彼女ならアメリカも、ドバイも、欧州も走れる。その先伝説となった彼女の走りの終着点が見たい。その為であれば多少の苦労なんてものは厭わない。自分も、相当脳を焼かれてしまっていると自覚してしまう。

 

 もう一度フィアーを見て、気合を入れようとして、

 

 ―――次の瞬間、高速で突っ込んできたトラックがフィアーの乗っていた車を粉砕した。

 

「……は?」

 

 道路から明らかに狙って突っ込んできたトラックが周りのもの全てを薙ぎ払って粉砕しながら一直線にフィアーの乗る車に突っ込んで破壊した。フロントがひしゃぎ、折れ、横転し、砕けた車のボディが転がる。それでも勢いの止まらないトラックは衝突したフィアーの車の横を抜けて競バ場にそのまま衝突して停止する。

 

「え、あ、あぁ……」

 

『西村さん? どうしたんですか西村さん? 今の音はなんですか?』

 

「ふ、フィアー?」

 

 呆然とした声しか出ない。集まりだす人と警備、何事かとカメラを回し始めるマスコミ。

 

 ―――クリムゾンフィアー、襲われる。

 

 その事実が漸く、脳が理解した瞬間には全てが手遅れだった。




クリムゾンフィアー
 意識不明



 数日程更新休みますね。


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貴女の居ない日々

「―――では最後に2500メートルを意識して走ってください」

 

「はい」

 

 促されるままにターフのスタートラインに立った。走りだす為のポーズを取り、視線を横へと向ける事なく前へと向ける。集中力を高め、雑音を排除する。必要な音だけを拾う様に意識をコントロールし……。

 

「始め!」

 

 声に前へと飛び出す。

 

 目の前に15人のウマ娘が走っているのを想定し、幻視し、後ろへと控えるように速度を落とす。加速力を溜める為に呼吸と足を残し、序盤戦を潜伏するように過ごす。そこから中盤戦に入り逃げで距離を稼ごうとするウマ娘の姿を窺い、自分の速力をコントロールする。

 

 俯瞰……俯瞰する。余計な情報はカット。今の速度、知っている末脚、そこから相手がどれだけの距離を稼げるのかを脳内でシミュレートする。必要な情報は全てターフの上に転がっている。だがそこから必要な情報のみを吸い出し、完全にコントロールする様な技術は自分にはない。

 

 だから集中する。自分の走りだけに。

 

 私が走れる最高の走りを常に走り続けるだけ。

 

 中盤半ば―――先頭を行くのが世代トップの実力者であれば後続と距離を空け始めるだろう。中盤には加速力と速力の向上が必要とされる。だから自分も前に出る。ムリなんかしていない、自分のペースで前に出る。それが早すぎると言われる事もあった、だがその全ては走りで黙らせてきた。

 

 だから同じように前に出る。

 

 1人、2人、3人。有マを見据えてデータを頭に叩き込んできたウマ娘達の幻影が後ろに流れて行く。残されるのは同じ考えを持つゼンノロブロイのみ……彼女は強い、強くなった。8月のインターナショナルステークスも勝てた彼女ならば、間違いなく自分に対応してくるだろう。

 

 だが上がってくる彼女に合わせて先頭に立ち、中盤終わりから終盤にかけてハナ争いに入る。いや、都合の良い妄想だ。本物のロブロイはもっと強いだろう。簡単に勝てるとは思ってはならない。だから加速する。影となって一気に迫って上がる。疾風怒濤の如き勢いで一気に最終直線を見据える。

 

 ロブロイの幻影が後方へと流れて行く。ゴールラインまで阻むものはなにもない。このまま前へ―――。

 

 赤い影が上がってくる。

 

「―――」

 

 悠々と、自由に、地上の法則から解放されたような軽やかで楽しそうな走りで抜き去って行く。他の幻影とは違った強さは私の心の弱さなのだと思う。どれだけ足に力を込めても、どれだけ加速しても赤い幻影が先にゴールラインを切って抜けた。

 

 それに続く様に二番手でゴールラインを切る。

 

 少しずつ足を緩め、速度を落として行く。軽く瞬きをしている間に赤い幻影はその姿を消していた。コーナーの向こう側から視線を逸らしストップウォッチを手に握る樫本理子サブトレーナーに視線を向ける。

 

「流石です、上がり辺りのタイムも文句なし―――これなら有マでも良い結果を出せると思います」

 

「いえ、まだ、です。まだ、足りない」

 

 勝てない。彼女の幻に。何度走って強くなっても勝てない。皐月賞では勝っている筈なのに、ずっと勝てない。

 

「まだ、足りません」

 

「ですが有マが近い今、貴女に調整以上の走りをさせるつもりはありません―――今日はこれまでです、ディープインパクト」

 

 理子サブトレーナーにそう言われるともはや黙るしかなかった。リギルは徹底した管理主義。トレーニングの内容と時間は厳密に計算され、そして管理されている。言葉にすれば息苦しい様に思えるが、実際の所は少々の悪ふざけは許される、自由時間だって普通に存在している。

 

 リギルと管理主義という言葉が独り歩きした結果、恐れられているというのは2年近くチームに所属して理解した事だった。

 

「解りました、今日は……上がります」

 

「えぇ、お疲れ様です。しっかりと休んで疲れを抜いてください」

 

 こくり、と頷いてからまだ練習に精を出すチームメイトたちを見た。シンボリルドルフは東条トレーナーと何かを相談中、ナリタブライアンを始めとする一部のドリーム組は怪我をしない程度に流す程度に併走中、テイエムオペラオーはターフの真ん中でポージング、エルコンドルパサーは薙刀を振り回すグラスワンダーに追われていた。

 

 その姿を眺めてから軽くぺこりと頭を下げる。

 

「プイちゃんお疲れ様ー」

 

「お疲れ様ですー」

 

「グラス!! 挨拶する時ぐらいぃぃぃ―――!」

 

「お、お疲れ様、です」

 

 ぺこぺこと頭を下げてから足早にターフを去る。リギルの皆は優しく、良い人達ばかりだ。色々と付き合ってくれるし、遊びに誘ってくれるし、心配もしてくれるし。ただ、心の中にぽっかりと開いた穴を埋める事は出来なかった。

 

 その場所だけは、特別なものだったから。

 

「……着替えて、シャワー浴びてから、行こうっと」

 

 練習で沢山汗を掻いたから。シャワールームで着替えてから向かおう。まずは汗を流す為にシャワールームへと向かった。

 

 

 

 

 汗を流したらもう時刻は放課後になる。校内にいる時は基本的に制服の着用義務があるが、放課後までその規則が及ぶ訳ではない。というより、ストレスというものにウマ娘という種族は基本的に弱いらしい。

 

 放課後まで制服を着ていなきゃいけないとなるとちょっとめんどくさいという子がいたり、それをストレスに感じる子がいるらしい。だから放課後は制服以外に着替えても良し、というのがトレセン学園のルールだったりする。

 

 一部、寮長のようにしっかりしたウマ娘とかは放課後でも人前に出る時は制服なんて人もいるのだが、私はちょっとずっと制服である事に息苦しさを覚える。そう思えるようになったのもここに通ってからの話だが。以前、家に住んでいたころは自分の着るものなんて与えられるものだけでいいと思っていた。

 

 汗を流して着替え終わったら一旦購買部に寄る。そろそろ花瓶の花を変えなきゃな、と思い出して購買部で花束を買う。それを手に向かう先は他でもない、トレセン学園にある保健室だ。

 

 何せ、トレセン学園の医療技術やセキュリティは下手すれば病院なんかよりも凄い。特にウマ娘の治療と健康管理に関しては国内最高クラスの施設だと認知されている。どんな肌荒れや病気、精神的な問題だろうと直ぐに解決出来てしまう魔法の様な場所。

 

 ―――だから、彼女はトレセン学園で預かる事になった。

 

 花束を手に、保健室の扉をノックする。

 

「失礼、します」

 

「あら、ディープインパクトさんね? どうぞー」

 

 人の心を落ち着かせるような優しい声が保健室の扉からする。扉を開けて中に入ればスツールに座って仕事をする保健医のウマ娘の姿がある。タキオン等という胡乱な生物とは違い、ちゃんとした意味を持って白衣に袖を通すウマ娘だ。

 

「先生」

 

「お見舞いね? それじゃあ私はしばらく席を外しているから仲良くねー」

 

 とんとん、と書類を纏めると保健医が立ち上がって保健室を出て行く。軽く頭を下げてから見送り、保健室の奥へと視線を向ける。そこには一台のベッドがカーテンによって隠されており、その足元には黒いウマ娘の姿がある。

 

「こんばんは、ディープインパクトさん」

 

「マンハッタンカフェさん」

 

 保健室に入った直後には気づかなかった。闇に溶け込むような黒毛は自分と似たような深い色合いをしている……白が多いこの保健室では間違いなく目立つはずなのに、存在感すら気づく事が出来なかった。その事実に少し驚きつつも、視線を合わせる。

 

「お見舞い、ですか」

 

「えぇ、少し様子でも見ようかと」

 

 そう言ってカフェは手元のコップからコーヒーを飲む。保健室に心を落ち着かせるような心地よい匂いがしている。コップに口を付けるカフェが、小さく何かを囁いている。

 

やっぱり―――してない? となる―――に―――必要が―――

 

「あの……」

 

「……? あぁ、すみません。私はもう帰る所ですので」

 

 カフェは何もない空間をじっと見つめると、小さく溜息を吐いた。その後此方を見て、

 

「ディープインパクトさんも、あまり長居されないように。逢魔が時……あまり良くない者が出やすいですから。それでは」

 

 そう言ってカフェは横を抜けて保健室を出て行く。その姿を見送ってから保健室の一番奥にあるベッドに向かう。カーテンによって遮られ、入口の方から見えないようになっている一角がある。そのベッドの足元まで向かえば漸くそこで眠る姿が見える。

 

「こんばんわ、フィアさん……また、来ちゃいました」

 

 クリムゾンフィアー、日本もアメリカも沸かせた希代のウマ娘の姿が静かに眠り続けていた。花瓶を見て、少し萎びて来た花と綺麗に咲き誇る彼岸花の姿を見て。その中身を捨て、持ってきた花束と交換する。

 

「もう12月も、末が近い……ね」

 

 クリムゾンフィアー、アメリカダートでの圧倒的な力強さを証明し日本にアメリカクラシック三冠という前代未聞の記録を持ち帰る筈だったウマ娘。同室で、ライバルで……恐らく、私の人生で最も重要な存在だった。

 

 だけど彼女は起きない。

 

 6月、トラック事故―――ではなく、殺されかけてから。

 

 酷い事件だった。ドライバーはアルコール中毒者でギャンブラー、非公式のブックメーカーで金をかけている、言ってしまえばそう珍しくもないヒト。今の時代、トゥインクル公式がサポートしていなくても非公式のブックメーカーの類は多く存在する。勝負というものは何時だってギャンブルの対象になってきた。

 

 だがこのアル中の悪い所は、負けた事で自暴自棄になった事だった。どうやらドライバーの知り合いの証言によればアメリカで日本のウマ娘が勝つはずないと未だに現実を見ない発言をし、財産のほとんどを賭け、そして外した。

 

 その結果男は破滅した。だが自分一人では破滅したくなかった。

 

 だから憎きあのウマ娘諸共―――という、救いもどうしようもない顛末だった。

 

 日本は怒った。アメリカも怒った。大統領もキレた。だが問題を起こしたドライバーはフィアーの乗っている車を潰した後競バ場に衝突、そのまま爆破炎上して死んでしまった。責任を取るべき男はテロという形で死亡し、財産さえも残さなかった。

 

 行き場のない怒りだけが残り、自然と何が悪かったのかという話にすり替えられた。

 

 結果、今回の件で一番割を食うのは非公式のブックメーカーになった。法のメスが色んな所から突き刺さる。トゥインクル公式がギャンブルを禁止しているのに非公式を許すのはどうか、とか。だがそれぐらいしか怒りの行き場はなかった。誰もが認める偉業を果たしたウマ娘、その仇を取りたかった。

 

「フィアさんは、そういうのくだらないとか、言いそうだよね」

 

 くすり、と笑う。復讐に燃えるシーザリオの米オークス遠征。ロブロイの証明の為のインターナショナルステークス。海外へと挑戦したウマ娘達は日本を出てその強さを証明した。赤い暴君は決してフロックではなく、日本のウマ娘には戦う力があるのだと証明するように。

 

 ただ、その先陣を切ったウマ娘は今日も起きる事無く眠り続けている。

 

「ねえ、部屋が、広く感じるの」

 

 もう、12月だ。貴女は目覚めなくなってから半年が過ぎている。

 

「トラヴァースも、BCも終わっちゃったよ」

 

 この話をするのも何度目だろうか。

 

「暮れの中山、一緒に走りたかった。フィアさんが、我慢するって言うなら私も我慢したよ。もっと、大きな舞台で……凄い場所で、決着を付けようって」

 

 でも起きない。宝塚も菊花も勝った。ジャパンカップにリベンジしに来たアメリカのウマ娘達も撃退された。今年のトゥインクルの盛り上がりは凄い、日本全土が競バブームに飲み込まれている。誰もが注目し、熱狂している。

 

 ただ、そこに、貴女がいない。

 

「まだ、起きないんだ……ね」

 

 眠っているフィアーを見て、俯く。

 

「……なんで、走ってるんだろ」

 

 12月、暮れの中山が見える頃。

 

 クリムゾンフィアーは未だに起きず、しかしクラシックはその終わりを迎える時期になった。




ディープインパクト
 生活で人に頼らなくなった

マンハッタンカフェ
 何かを調べてる

大統領
 アメリカの裏社会に根付いた闇のブックメーカー組織と戦ってる


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色褪せて行く風景

【年末】今年を振り返るスレ【特番】

 

105:名無しのファン

 年度代表バはディープで決定な

 

 

107:名無しのファン

 フィアたん(小声

 

 

110:名無しのファン

>>107 正直活躍が海外だから国内での評価難しいんだよな

 

 

113:名無しのファン

 結局今年の勝ち鞍国内だとないしな

 

 

115:名無しのファン

 米クラシック3冠取って表彰されないのはありえないだろ

 

 

117:名無しのファン

 プイだって無敗三冠+宝塚だからな?

 

 

119:名無しのファン

 国内のレースに限定するならまあ、プイよな

 

 

120:名無しのファン

>>117 フィアは日本史上初だぞ

 

 

123:名無しのファン

 そもフィアー死んだじゃん。表彰は無理だろ

 

 

126:名無しのファン

>>123 ぶち殺すぞヒトカス

 

 

128:名無しのファン

>>123 トラック突っ込まれてぇみてえだな……?

 

 

130:名無しのファン

>>128 マジでシャレにならんから止めろ

 

 

132:名無しのファン

 結局クラシックは国内で言えばプイか

 

 

134:名無しのファン

 文句のつけようのない戦績だしな

 

 

135:名無しのファン

 残念だけどまあ、フィアは国内成績今年は振るわないしな

 

 

136:名無しのファン

 ただシーザリオとゼンノロブロイは表彰されると思うんだよな

 

 

138:名無しのファン

>>135 米でエクリプス賞出すとか話がありますが(小声

 

 

141:名無しのファン

 それこそ海外の賞だからまあ……

 

 

143:名無しのファン

 国内の話をしろヒトカス

 

 

145:名無しのファン

 まあ、プイは外さんわな

 

 

147:名無しのファン

 ルドルフ以来の無敗三冠だからな

 

 

150:名無しのファン

 三冠どころか宝塚経由の四冠だからな

 

 

152:名無しのファン

 本当に同じウマ娘なのか? 強さがおかしいだろ

 

 

153:名無しのファン

 強すぎるんだよなあ

 

 

154:名無しのファン

 プイにもライバルさえいてくれればなあ

 

 

155:名無しのファン

 有マではロブロイが対抗してくれるから楽しみだわ

 

 

156:名無しのファン

 宝塚はロブロイ側が調子落として回避したしな

 

 

158:名無しのファン

 まあ、しゃーないべ

 あの後でインターナショナルステークス勝ってくれたし

 

 

160:名無しのファン

 エレクトロとの一騎打ちはヤバかったな

 

 

163:名無しのファン

 ロブロイもフィアとの交流あったウマ娘だしな

 海外挑戦したのはそういう所もあるのかもな

 

 

166:名無しのファン

 おんおん、帰って来てくれ赤毛

 そして今度は国内を走れ(強欲

 

 

168:名無しのファン

 でもよお……大統領がよお……

 大統領「全ての面倒と費用は私のポケットマニーで持とう」

 

 

169:名無しのファン

 魂を赤毛に焼かれてる人! 魂を赤毛に焼かれてる人じゃないか!

 

 

172:名無しのファン

 大統領ただのファンなのほんとおもろ

 

 

174:名無しのファン

 話を戻すけどロブロイとプイ、どっちだと思う?

 

 

177:名無しのファン

 プイじゃね? 菊花の走りはやばかったぞ

 

 

180:名無しのファン

 いうてロブロイもヤバかっただろ

 

 

181:名無しのファン

 ハーツクライ(小声

 

 

182:名無しのファン

 割と走りそうな所なんだよな

 

 

184:名無しのファン

 ほんとか? あのプイを見てそう思うか?

 

 

187:名無しのファン

 (目逸らし

 

 

189:名無しのファン

>>184 まあ、今のプイヤバイもんな

 

 

190:名無しのファン

 炬燵に入って酒飲みながら有マを見て漸く一年終わるって感じなんだよなあ……

 

 

 溜息を吐いてそっと見ていたスレを閉じる。解ってはいた、解ってはいた話だ。だけど結局、皆の中ではもう、フィアーは“走る”ウマ娘ではなくなりつつあった。誰かが言っていた話だ、走らなくなったウマ娘は忘れられるだけだって。

 

「……」

 

 見ていたスマホの画面を閉じて壁に寄りかかる。視線を前へと向ければデコレーションの施された部屋でクリスマスパーティーが開催されている―――いや、正確にはクリスマスイブパーティーだが。25日のクリスマスには有マ記念という大事なレースがあるから、当日のパーティーは当然ながらムリだ。

 

 だから前日にこうやって集まって祝う。毎年の事ながら実家に帰れない人の為に生徒会主導でクリスマスパーティーが開催されている。去年もそうだったし、今年もそうだ。クリスマスツリーの仮装をしているルドルフが会場の中央ではしゃいでエアグルーヴの調子を三段階ぐらい落としている。

 

 そんな景色を外側から眺めるように静かに壁を背に立つ。

 

「ゴルシちゃん登場ォォォォ! 盛り上げに来てやったぜええええ―――!」

 

「糞! アイツパイ投げする気だぞ!」

 

「安心すると良い、対策済みだ―――おや、両手が動かないね」

 

「会長ッッ!!」

 

 ぐしゃあ、とパイがルドルフの顔に叩きつけられた。うわあ、きゃあという悲鳴が上がってクリスマス会場が大いに盛り上がる。混沌とする会場に混ざる気にもなれず遠巻きに眺めていると、ゴルシがこっちに気づいた。にんまり、と笑みを浮かべるとパイを持ち上げ―――それを一瞬でオグリキャップが吸い込んだ。

 

「な、何っ……!?」

 

「流石オグリキャップ先輩!」

 

「まだまだいけるぞ」

 

 異次元のフードファイトが始まる中、会場の騒がしさに混ざる気になれずにそっと、誰にも気づかれないように会場を出て屋上へと向かう。12月も末となれば寒く、肌を蝕んでくる。会場から離れても聞こえてくる喧騒はどこまでも愉快で、何時も通りのトレセン学園のものだ。

 

 それがどうしようもなく虚しく感じてしまうのは、私の世界が色を失ってしまったからだろうか。

 

「家の為に走って……でも、それは違うって思って……」

 

 きゅ、っと胸の前で拳を作る。

 

 自分がどれだけおかしな環境で育てられたのかは、ここで勉強するようになってから漸く理解出来た。普通の家庭というものの暖かさを教えて貰った。全力を出し尽くしてそれでもなお焦がれるというものがどういうものかを教えて貰った。

 

 灰色だった人生のキャンバスに、色を加えてくれたのは彼女だった。

 

 その赤い絵の具が、今はもうない。

 

「戻って、来る。きっとフィアさんは、帰ってくる……帰って……くる」

 

 自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。信じないといけない。信じるのを止めた瞬間、心が折れてしまうから。あんなにも楽しかった日常が今ではどこか色褪せて見える。自分は結局、本当の意味では決して自立していなかったんだろうと思う。

 

「……強く、ならないと」

 

 勝たないと、有マ記念に。

 

「勝って、フィアさんに証明するんだ」

 

 夜空を見上げ、月を眺める。満天の星空に願いを託すように。

 

「私は、大丈夫だって」

 

 走って、どこまでも走って、それを証明しなくてはならない。それがディープインパクトというウマ娘が出来る、唯一無二の証明だろうから。

 

 

 

 

 ―――そして同時刻。

 

 多くのウマ娘が実家に帰るか、或いはクリスマスパーティーに参列し校舎から姿を消しているこの時間帯。翌日に有マ記念というビッグレースを控えた状態で参戦するウマ娘も観戦する側も年の瀬を感じてどことなく浮足立つ所に、

 

 二つの影があった。

 

 黒い影と白い影、それが校舎内を進むと誰にも邪魔される事無く保健室の中へと滑り込んで行く。日本の中でも最高峰のセキュリティを誇るトレセン学園といえども、そこに所属する学生からの侵入には弱いと言わざるを得ない。

 

 故にそのセキュリティホールを利用して2人のウマ娘は見事に保健室へと潜入を果たした。

 

 カーテンに遮られた保健室の主、赤い彼岸花のウマ娘の足元に立つ。視線を合わせて頷いた2人は準備を進めるように持ち込んできた道具を並べる。

 

「薬の効果は大丈夫ですね?」

 

「勿論さ、私がこういう所で間違えた所があるかい?」

 

「では光り輝くトレーナーさんは一体」

 

「偉大なる者とは常に輝いて見えるものさ」

 

「物理的に輝いて欲しくないんですが。ちなみに今日はどこに」

 

「クリスマスパーティーでライトになる仕事をしてるよ」

 

「そうですか……」

 

 どことないどたばた感を思わせるコンビは他のウマ娘達の邪魔が入らない間に、その準備を終えた。月明りが保健室に差し込む。闇に閉ざされていたシルエットが照らされる。有マ記念前日、残されたタイムリミットは僅か。だがギリギリ間に合ったとウマ娘は呟く。

 

 月明かりに照らされるウマ娘―――マンハッタンカフェが宣言する。

 

「それでは、これよりフィアーさん救出作戦を開始します」




ディープインパクト
 偶に赤毛の布団で眠ってる

マンハッタンカフェ
 どうして起きないのか一番理解してる

アグネスタキオン
 楽しそうだから混ぜて貰った

モルトレ
 クリスマスツリーのてっぺんに飾られてるけど誰も気にしてない


 ウマ娘二次創作ガイドラインがちょっと怖いので前話の一部を変更(
ヤク中→アル中)。また流血表現や欠損表現とかを行わないのはガイドラインを守る為です。


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C&C年末スペシャル フィアー救出作戦!

「カフェ、コンセンサスを取る為にまず私が何をするのかを再確認したいんだけど良いかな」

 

「そう、ですね」

 

 勝負服に身を包んだウマ娘達が保健室の中で語り合う。その衣装は特別なもの―――ドリームシリーズへと移籍してからもなおその衣服の価値は変わらない。つまり、それだけ気合を入れているという事を証明している。

 

「フィアーさんは半年前ベルモントステークスの直後、襲撃を受けて意識不明に陥りました」

 

「世界的に有名なニュースになったねぇ。怪我はほぼなし、しかし頭を打ったのが原因で意識不明……だったっけね」

 

 アグネスタキオンの言葉にマンハッタンカフェが頷いた。

 

「そうです。それ以来ずっと寝たきりの状態になっているのが彼女、クリムゾンフィアーです。医学的には健常、しかし目を覚まさない……病院に置いておくわけにもいかずトレセン学園での預かりになって……今」

 

「まあ、セキュリティもしっかりしてるからねえ。マスコミとか学園内に一切入って来れないし」

 

 トレセン学園のセキュリティ意識は非常に高い。それこそ今までその手の被害を一度も受けた事がないレベルで。ただ今はそこが重要ではない、とカフェが言葉を続ける。

 

「原因……果たして原因は何でしょうか? 何故フィアーさんは眠り続けているのか、何故起きないのか……その原因は果たして何なのか? 医学的には健常であると証明されています。なら、その原因は精神的なものが由来だと思われます」

 

 ふむ、とタキオンは腕を組んで呟く。

 

「私が知る限りフィアー君はウマ娘の中でも最も神秘的なウマ娘だったね。なんというか……他の誰よりもウマ娘という生物の根源に近い感じがある。ディープ君が生物方面で特化したウマ娘なら、フィアー君はその真逆で神秘方面に性質が特化したウマ娘だね」

 

 タキオンの言葉を肯定するようにカフェが頷く。

 

「私達ウマ娘はヒトとほぼ同じ姿をしていながら医学的には答えられない多数の神秘をこの身に抱えてます。……恐らくその答えに一番近いのが彼女でしょう」

 

 クリムゾンフィアーとは、かなり不思議なウマ娘だ。妙にオカルト方面に強く、そして異様に詳しかったりする。その事実に助けられたのは1度や2度の事ではないし、カフェは何度もオカルト関連で助けられているのを知っている。

 

 だからこそ、思考する―――果たして、本当にクリムゾンフィアーは起きられないのか、と。

 

「結論から入りましょう。私はフィアーさんが起きられないのではなく、わざと起きないのではないかと思ってます」

 

 その仮説も、カフェがこの半年間で集めてきた証言などを元に構築されている。普段そうするように、カフェは理解を得る為にその足跡を追う事にした。つまりフィアーを起こそうと決めてからの数か月間、彼女の辿って来た足跡を辿った。

 

 そして行きつくのが彼女の生家。つまり彼女の実家であり、彼女の母親の存在。恐らくは地上で最も娘の事を理解している人物でもある。当然訪れたカフェはフィアーの話を聞いてきた。彼女が起きない理由、根拠を求めて。

 

「ちなみに母親の反応は?」

 

「腹が減ったら起きるだろう、と」

 

「大物だなぁ」

 

 どっとはらい、話が戻される。

 

「フィアーさんのお母さんと話していて解ったのは、彼女が普段から見せる彼岸花と凍結の領域は彼女が本来有する領域に蓋をする為のものだったそうです。つまり彼女が持っている領域は元々一つ、そのイメージを分割する事で本命を封じているらしいです」

 

 驚くべき事実だが、それをフィアーの母は断言した。そして同時に彼女なら確かにできそうだという不思議な納得感があった。

 

「さらっととんでもない事実が暴露されるねぇ」

 

 窓の外を見る。パーティー会場の方から七色の光が見えてくる。今日もモルトレは元気に輝いている。Pui Pui。

 

 カフェの視線は飾られている花瓶へと向けられる。花瓶には新鮮な花と共に一輪の彼岸花が活けられている。無論、彼岸花は本物ではない。本物だと思わされる程のリアリティのあるイメージだ、それも眠っているフィアーから発せられている。その事実をカフェは指摘する。

 

「この人は眠っている間も常に領域をコントロールしている、という事です」

 

「実に興味深い。こうして改めて彼女の異常さを見ると、彼女がどれだけ他のウマ娘から外れているのかが見えて来るね。領域、認知、認識、理解……そう、彼女はきっと私達の知らない何かを良く知っているんだろうね」

 

 楽しそうに語るタキオンを見て、カフェが溜息を吐く。まあ、役に立つし良いか、の溜息だ。

 

「……さて」

 

 花瓶から彼岸花を抜き取る。

 

「これはフィアーさんのイメージでありながら心です。特別強い領域とは特別強い意志が宿っているものです」

 

 領域から溢れ出す彼岸花はクリムゾンフィアーの心の断片と言えるだろう。特に今、彼岸花が勝手に咲いているというのは制御しきれていないという事の証明だ。それでもまだ彼岸花程度で収まるのは、根本的な部分では手綱を握れているからだろう。

 

「この彼岸花を通して、直接フィアーさんの心に語り掛けます。これが彼女の意識的なイメージから生み出されている以上、彼女もまたここから私達の声を受信する筈です」

 

「それが私達の計画だね」

 

 カフェは恩があるから。生活でオカルトを相手に不便をする事は何度もあった。だがその問題の多くをフィアーは物理的に解決してきた。それが本人が楽しんでいた事も、ある程度ふざけていた事も理解している。

 

 だがそれでも、助けられた事を忘れるカフェではなかった。

 

 そしてタキオンもまた、自分の様な変なウマ娘を恐れずに関わり、偶にはふざけ、協力し、遊び、そして楽しそうにする友人が目覚めないのは単純に認められなかった。友人が―――カフェが何かをすると見た瞬間飛びついたのは必然だった。

 

 いい加減待っているのは飽きた―――待って、待って、待って……それで心で泣いている子もいる。それを待たせてまで眠り続ける必要があるのだろうか? それがカフェにはあるようには思えなかった。だから恩と私怨をちょっと込めて、

 

「今から叩き起こします」

 

 カフェの言葉にタキオンがポケットから薬の入った瓶を取り出す。

 

「それじゃあトランス状態へと導入しやすくするお薬だよ。なぁに、安全性は保証されているとも。モルモット君が日ごろから体を張って検証してくれたからねえ!」

 

「そろそろトレーナーさんに謝っておくべきか責任を取るべきだと思いますよ。本当に」

 

 タキオンが持ってきた薬に嫌そうな顔をしてカフェが口を付ける。当然のように美味しいとは言い難い味が口の中に広がり嫌そうな表情を浮かべる。この怒りもフィアーへとぶつけてやろう。そう怒りを燃やすカフェが彼岸花を握り締め。

 

「では、始めます」

 

「吉報を期待してるよ」

 

 タキオンが白衣のすそをひらひらと振り、カフェが握る彼岸花に意識を集中させる―――領域とはイメージ、それは心の奥底から湧き上がる意思、願い、想いを投影するものでしかない。だがレースに出るウマ娘の見せるそれは空間を飲み込むほどの迫力がある。

 

 空間を、意識を支配するとさえ称される程のシンボリルドルフとミスターシービー、彼女達に匹敵或いは超える領域のプロフェッショナルこそがクリムゾンフィアー。

 

 より強い領域の主はより強く、想いを受け取りもする。それを利用してマンハッタンカフェは自分の特異な体質を活用し、逆に彼岸花を……領域を通したハッキングを行う。

 

 心へのハッキングを。

 

 か細い線を、これまで紡いできた縁で繋げて接続する。起きろ、戻ってきてほしい、待っている人たちがたくさんいる―――今度は一緒に走ろう。

 

 込めた想いをそのまま叩きつけるように送り込もうとし、カフェの体が揺れる。

 

「うっ……」

 

 一瞬の立ち眩み、眩暈がして視界が明滅する。だがそれも一瞬の事で、気づけば手の中から彼岸花が消えている。軽く頭を押さえながら溜息を吐く。

 

「どうですか、タキオンさん……何か様子に変化はありますか?」

 

 返事がない。

 

 軽く頭を振って持ち上げれば、そこにタキオンの姿はない。それどころか景色が一変している。先ほどまではトレセン学園の保健室に居た筈なのに、目に見える保健室の景色は……全て、凍り付いていた。

 

「一体、何が……」

 

 ベッドへと視線を向けるが、そこには大量の彼岸花があるだけでフィアーの姿はない。タキオンの姿はどこにも見えず、きょろきょろと視線を巡らせれば―――。

 

「あっ」

 

「……」

 

 普段見るよりも、遥かに色付いたオトモダチの姿があった。思わず声を零し、しかしその姿を見て、誰かに似ているとカフェが考えようとした所で、その姿が保健室の外へと向かって消えて行く。消えたオトモダチの姿を数秒程眺め、

 

「ついてこい、という事でしょうか」

 

 ゆっくりと歩き出し、保健室を出る。

 

 そこでも広がるのは凍り付いた廊下。凍り付いたトレセン学園。どこもかしこも凍り付いて固定されている。現実ではない風景に気が狂ったのか、と一瞬だけ考えて否定する。

 

「成程、()ですか」

 

 気づく、ここがどこなのか。氷結と彼岸花は文字通り蓋、ならばここはその一つ目の場所。フィアーの心へとたどり着くには二つの壁を乗り越えてなお、という事なのだろう。オトモダチの姿を求めて廊下を見渡し、その姿が見つからない事に溜息を吐く。

 

「これは少々、骨が折れそうですね……」

 

 C&C救出作戦開始―――有マ記念まで残り、12時間。




クリムゾンフィアー
 すやあ

マンハッタンカフェ
 霊能探偵カフェちゃん

アグネスタキオン
 有能博士枠

モルトレ
 清めの発光で戦える

 これは本筋とはほぼ関係がない情報ですがC&Cネタは個人的に凄い気に入っててこれだけでスピンオフ書きたいぐらいには気に入ってます。ただがっつりいれるとアメリカの霊能ドラマ系統に話が完全にシフトしてしまうのでなるべく封印してます。

 でもカフェとタキオンとチーム組んで公式ではふんわりしているウマ娘の神秘方面に切り込んで行く話は絶対に面白いと思うので何時か誰かやってくれる事を祈ってます。


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心の迷路

 ―――1時間程凍った校舎を歩き回って解ったのはこの校舎が現実のトレセン学園の校舎とほぼその姿かたちが変わらないという点だった。

 

 試しに校舎を出てグラウンドへと向かえば、普通に外へと出る事が出来た。だが校門の外は闇で覆われており、とてもだが踏み出して良い様な気配をしていなかった。つまりトレセン学園という場所が完全な形で再現されていた。それをマンハッタンカフェはまず最初に確認した。

 

 次に人。校舎には人の気配はあるのに誰も存在しなかった。人影すらない。だが気配だけは存在する。まるで薄いフィルターの一枚向こう側に存在しているような感触だった。何か、そこを知る為のピースが足りないという事を霊能探偵カフェちゃんは感じ取っていた。

 

「凍り付いた校舎は……間違いなくフィアーさんの領域によるものです。いえ、ここが心の中だと仮定するなら領域ではなく心の表現である筈です。つまり心の中で彼女は何かを凍らせている……という事でしょう」

 

 再び保健室に戻って来たカフェは自分の得た情報を整理するように呟く。こういう時、茶々を入れるがアグネスタキオンは良くヒントを出してくる。それを元にカフェは推理を構築している。今日は2人のバディが両方揃っていない事実が、少しだけ心寂しい。

 

 保健室のベッドを見る。クリムゾンフィアーの居た所には、代わりに大量の彼岸花が咲いている―――まるで彼女を供養するように。だが、アグネスタキオンの居場所にはなにもない。つまり彼岸花は彼女自身の事を示しているのだろうか、と首を傾げる。

 

「いえ、そんな安易なものではない筈です……もう少し深く考えてみましょう」

 

 どうして―――どうして校舎が凍っているのか。それは領域以前に、フィアーの心の問題でもあるのだからそれを理解しないことには前へと進む事は出来ないだろう。とはいえ、ヒントはそう多くは無い。今しがた校舎を歩き回った程度では何も―――。

 

「いえ」

 

 カフェは言葉を口から発して否定する。今しがた校舎を歩いて気づいた事があった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ベッドには彼岸花が彼女自身と入れ替わるように。恐らくはそれが最大のヒントだ。調べる為にも保健室を出て、次はスピカの部室へと向かおうとするも、

 

 ―――かしゃん。

 

 鉄が擦れるような音が響いた。

 

 視線を廊下の奥へと向ける。何かがかしゃん、かしゃんと鉄が……いや、鎧が擦れるような音を響かせながら近づいてくる。

 

「セキュリティだ、追いつかれると面倒だぞ」

 

「っ!」

 

 素早く横へと視線を向けるがもう、オトモダチの姿はそこにはなかった。その代わりにカフェは見る、廊下の奥から歩いてくる姿を。

 

 それは動物だった。四足で歩行し、少々長い首をしている、そんな動物だった。顔も長く己に良く似た耳と尻尾を生やした動物だ―――ただし、その全身が鎧に覆われている。

 

 知るものがそれを見ればその生き物をこう答えるだろう―――騎馬、と。

 

「成程、一筋縄ではいかないようですね」

 

 言葉を発すのと同時に背を向けて全力でカフェが走り出す。その後を騎馬が追う。凍り付いた校舎の中、深層に近づこうとするものを追い払おうとするようにありえないレースが開幕された。

 

 

 

 

「おはよう、ディープちゃん!」

 

「……おはようございます」

 

「うーん、ディープちゃん微妙にお眠って感じだね」

 

 朝、マヤノトップガンに早々捕まってしまった。歯を磨いて顔を洗って軽くシャワーを浴びて……それでも未だに眠気が抜けきれずに頭が微妙にぼーっとしてる。それでも朝の支度を全部一人で出来るようになったのは大いなる進歩だと誇っている。うん、1人で出来る。

 

「こっちこっち、早くしないと朝ごはん終わっちゃうよ」

 

「……うん」

 

「あ、頭がこっくりこっくりしてる」

 

 マヤノに頬を突かれるが眠気のせいでうまく反応できない。それでも足は半年で慣れたルーティーンに従う様に食堂へ。マヤノに引っ張られるがままに食堂へと到着すると、テイオーが盆を手にこっちに手を振っている。

 

「こっちこっち。ディープは何時ものでいいよね」

 

 こくりこくりと頷くとテイオーが食堂のおばちゃんから何時もの朝食セットを取って来てくれる。それを受け取り席へと座りもっしゃもっしゃと朝ごはんを食べていると、何時の間にか周りが騒がしくなっている。

 

「プイちゃん今日は有マでしょ? 応援してるよ」

 

「ありがとうございますぅ……」

 

「現地で応援してるから、負けちゃ駄目よ」

 

「うん……」

 

「ちゃんと野菜も食べなきゃ駄目よー」

 

「ばぶぅ……」

 

「あ、クリークの波動にやられてる」

 

 味噌汁を飲んでいると段々と意識が覚醒してくる。そうだ、今日は有マ記念だ、のそのそと朝を過ごしている訳にはいかない。ずぞぞぞぞ……と朝食を食べ進めているとおぉ、という声が聞こえてくる。

 

「起きた! プイちゃんが起きた!」

 

「もう大丈夫そうだね」

 

「ねー」

 

 心なしか自分の表情もきりっとしだした気がする。今日はまた凄いエネルギーを消費するレースに出るのだ、しっかりと朝ごはんを食べておかないとならない。ちらり、と別の席を見るとスペシャルウィークとオグリキャップが腹を出した状態で朝食を食べている。

 

「パーティーがあるとついついお腹が出ちゃいますよねー」

 

「とても良く解るぞ」

 

「少しは加減しいや」

 

 ぽん、とタマモクロスの叩く音が食堂に響く。今日は有マ記念があるという事で多くのウマ娘がトレセン学園にその姿を見せていた。年末になれば実家に帰省するというウマ娘も、一年を締めくくるこのレースをライバルや同室の仲と一緒に見る為に集まっている。

 

 自然と、その有マ記念で事前調査の人気一位を獲得している自分には、視線と期待が集中する。

 

 クラシック5冠の記録、それを獲得する事を。

 

「今日は、勝つ……!」

 

「あ、やる気の顔だ」

 

「ちょっと眉に力はいってるの可愛いよね」

 

 むんむん。拳に力を込めて気合アピール……している暇はない。朝食を食べてついでにおかわりも食べれば朝の支度は全部終わる。食べ終わったらお盆を返してマヤノとテイオーに軽く頭下げてから食堂を出る。

 

 リギルの部室に向かおうとすると、横にエアグルーヴが並んできた。

 

「おはよう、ディープ。良く眠れたか?」

 

「うん、ぐっすり、眠れました」

 

 嘘だ。ずっと浅い眠りだった。深くは眠れない。あまり、夢見が良くないから。眠ってしまったらもっと全てが悪くなりそうな気がして、深い眠りにつくのが怖い。だがそれを表情に出す事もなくエアグルーヴにやる気の表情を見せて答えると、

 

「そうか……ディープインパクト」

 

「はい?」

 

 エアグルーヴに名前を呼ばれて思わず足を止める。エアグルーヴも足を止め、此方を見る。

 

「走るなら、己の根幹をしっかりと認識しておけ―――あやふやのままではどれだけ才能を持とうと、暮れの中山には通じないぞ」

 

 厳しい言葉を告げてエアグルーヴが先に向かう。心無しか少しだけ足の速いエアグルーヴの背中を見送って考える。私の根幹―――どうして、走るのか。

 

「解らないです、そんなの、もう」

 

 解らないけど走るしかない。ディープインパクトは望まれて走ったウマ娘だ。走る為に育てられ、走る為に育てられ、そして走る事を望んで走って来た。

 

 だが今、己の根幹が揺らいでいる。どうして走るのか、その理由が見えない。

 

「解らないです、エアグルーヴさん」

 

 もう有マ記念当日だというのに依然として頭の中はぐちゃぐちゃだった。心もぐちゃぐちゃで、肌だって見えない所は荒れているだろう。調子は最悪だし、コンディションだって上手く調整できていない。

 

 それでも走るしかない。走るしかなかった。

 

 ディープインパクトは―――これ以外にできる事を、知らないから。




マンハッタンカフェ
 何時もの奴かー、という顔をしてる

ディープインパクト
 朝が得意(自称

マヤノトップガン
 赤毛がいない時はちょくちょく面倒を見ている

エアグルーヴ
 この後傷ついていないかどうか不安で角の先でこっそり様子を見てる


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手向けの花

 怪異から逃げ切って辿り着いた先はスピカの部室。息を整えながら部室内部を見渡すが―――やはり、凍り付いている。見える範囲の全てが薄い氷と霜に覆われている。そこでカフェは腕を組みながら部室内を見渡す。

 

「ここがスピカの部室……流石に訪れた事がないから変化が解りません……ん?」

 

 カフェの視界が、色のある物体を捉える。凍り付いていないそれは彼岸花の花束だった。近づき、それに触れて感触があるのを理解し、置いてあったテーブルの上に戻す。

 

「ここにも彼岸花……自分の痕跡、という事でしょうか」

 

 ポケットの中に手を突っ込んで考える仕草を取る。ここでも彼岸花……クリムゾンフィアーとの縁の濃い場所に。

 

「ヒント……花束? いえ、それ自体はそう関係ない様な気もしますね」

 

 ふむ、とつぶやき部室内を見渡す。よく見てみればウマ娘達の私物が置いてあるのが見える。スピカメンバー全員分のSwitchや、スピカで遊ぶためのPS5が置いてあるのはまさにスピカとしか言いようのない部室だ。偶にトレーニングを放り出してゲームに没頭するチームなんてスピカぐらいだろう。

 

「トウカイテイオー、ミスターシービー、メジロマックイーン……」

 

 開かれた名簿を確かめる。スピカに所属しているウマ娘の名前が書かれている。

 

「スペシャルウィーク、サイレンススズカ、ダイワスカーレット……ウオッカ……これは読みづらいですが、ゴールドシップでしょうか?」

 

 妙に掠れているというか後付けで書かれたというか妙な書かれ方だがゴールドシップの名前が名簿には書かれている。だがそこにクリムゾンフィアーの名前は無い、彼女の存在が消されたように。その代わりに部室には彼岸花の花束が置かれている。

 

「不吉な暗示のようにも思えますが」

 

 コーヒーが欲しい、とカフェが思う。ここではコーヒーを口にできないのが残念だ。

 

「……成程、確かにフィアーさんの痕跡が消されて彼岸花に置換されていますね。この部室では少なくともフィアーさんは存在しない事になっているようですね」

 

 少しずつ、朧気にだがこの階の構造が見えたと呟く。

 

「次は……そう言えばトレセン学園にいる間は良く三女神像前にいるという話でしたね。そこと教室を回って、最後に栗東寮の自室でしょうか」

 

 考えが正しければ自室がゴールだろうと思う。だからスピカ部室の外を伺い、チェイサーが存在しないのを確認してから素早く三女神の像へと向かう。凍った校舎の姿は思いのほか静寂感に満ちており、心細さを感じてしまう。

 

 それを振り払うように急いで三女神の像がある広場へと向かう。

 

 歩きなれたトレセン学園の敷地、道を間違える事も邪魔される事もなく三女神の像の前まで到着する。だがその姿は現実のものから変化していた。水瓶から絶え間なく溢れ出す水は凍り付いて止まり、そして三女神の像、その顔が黒く塗りつぶされている。

 

 そしてその足元には彼岸花が咲いている。

 

 それを確認したカフェはポケットに手を入れて考え込む。

 

「無神論……ではなく不神論、という所でしょうか」

 

 顔を塗りつぶされた女神像からはどことない否定性を感じる。存在を拒否している? 否、これはどちらかと言えば……不信に近いだろう。存在を信じてはいるが、行いを信じてはいない。成程、確かにクリムゾンフィアーらしいとカフェは思えた。

 

「そう言えばフィアーさんは怪異やオカルトは信じても、神に関しては常に懐疑的でしたね」

 

 触れられる者は信用に値する。だが触れられず届かないものはどれだけ信じても中身がない。或いはそういう風に三女神を捉えているのかもしれない。

 

「……ん? これは」

 

 跪いて彼岸花の中をかき分ければ、そこに数発の銃弾が落ちているのを見つける。掲げて確かめればどことなく見覚え……否、聞き覚えのあるものだ。確か、と思い出す。サンデーサイレンスの領域が銃撃のイメージを構築したものだった筈だ。

 

 与えられた運命に反逆し神聖を否定したウマ娘と不神論を持つウマ娘、相性は良かったのかもしれない。

 

「神を信じないウマ娘……そう言えば、宗教のモチーフは何時だって救済に通ずるものがありましたね」

 

 腕を組みふむ、と呟いた。宗教の根本にあるのは不理解への理解と恐怖を乗り越える為の祈りだろう。人は理解の出来ない事、答えの欲しいものに対して宗教という答えを出した。信心は恐怖に対する明確な答えだ。

 

「恐怖の名を持つウマ娘が信心を否定する……彼女には神を必要とする答えが必要なかった」

 

 クリムゾンフィアーに、不理解無理解から来る恐怖への返答は必要なかった。彼女は恐れていなかったからだ……或いは、他の人が到達していない答えそのものを知っていたのかもしれない。そもそも彼女の領域そのものが死のイメージから構築されているという話だ。

 

 クリムゾンフィアーは、死の意味を理解しているウマ娘である。

 

 つまりはそういう事なのだろう。

 

「あ……時間切れですか」

 

 銃弾をポケットの中に入れたカフェが足早に去ろうとする。その耳は少し離れた位置からかしゃん、かしゃん、ぱから、ぱからとチェイサーの蹄が近づいてくる音を拾っていた。追いつかれたらロクな事にならないと理解したカフェはすぐさま三女神の像から離れ、次の目的地である教室へと向かう。

 

 ジョギング程度の速度で広場を出ると、慣れた校舎の中へと戻りフィアーの所属していたクラスへと向かう。確か高等部2年だった筈だ、と。記憶の片隅にある情報を引っ張りだし、階段があのチェイサーの追跡を緩めてくれる事を祈って階段を上がった。

 

 そして到着する教室にも、彼岸花が咲いている。

 

「やっぱり……」

 

 ここでも彼岸花が咲いている。恐らくはフィアーの席なのだろう、椅子から机までが彼岸花に覆われている。

 

「花言葉は情熱、諦め、独立、悲しい思い出……毒を持ち墓地に咲く手向けの花」

 

 本質的に考えれば彼岸花とは死者へと送る花だ。どうしてその意味を誰も今まで考えなかったのだろうか? カフェは教室内を見て、視線を外して。答えはもう出た。振り返り、教室を出る。

 

 向かう先は最後の場所、栗東寮のクリムゾンフィアーの部屋だ。追い立てるように聞こえてくる床を蹴る蹄の音に素早く教室から身を翻して栗東寮へと向かう。

 

 普段であれば行儀が悪いと言われるだろうが、ここでは咎める者もいない。

 

 窓を開けて飛び出すとそのままグラウンドを横切って栗東寮までダッシュで向かう。聞こえてくる蹄の音は前よりも大きくなっている。距離を詰められている。それを理解しながらも落ち着いて走る―――この手の怪異に追われるシチュエーション自体は、そもそも人生で何十回も経験している。

 

 今更、カフェの中に焦燥感と呼ばれるものはない。

 

 栗東寮へと駆け込んでも振り返らない。そのまま階段を駆け上がって一気に部屋の前までくる。逃げ込む様に扉を開けて中に体を滑り込ませる。

 

 ふぅ―――と息を吐いて整えて向ける視線の先、目の前に広がる景色は暴力的な程の赤色に染められていた。床が、壁が、机が、ベッドが彼岸花に覆われて赤色に染まっている。

 

「……入っては来れないみたいですね」

 

 一瞬だけカフェが後ろに視線を向けてチェイサーが部屋に入れないのを確認する。それから再び視線を前に戻し、部屋を観察する。

 

 彼岸花は狂う様に咲き乱れている―――部屋の半分、フィアーが生活する点を中心に広がっており、残り半分には触れないように咲いている。恐らくそれがディープインパクトとの部屋の境目なのだろう。

 

「脅かしたくない、触れたくはない……神聖視している、という感じですね」

 

 靴で彼岸花を踏みしめてかき分けながら前に進む。やはり、と呟く。フィアーの私物は全て彼岸花に隠されるように咲き乱されている。ここまで来てもはや間違える事も出来ないだろう。

 

「彼岸花は手向けの花、それは自分へと向けたものだったんですね……フィアーさん」

 

 恐らく、クリムゾンフィアーは己という存在そのものを許容していないのか、或いは嫌っているかどちらかだろう。

 

「潜在的に自分に対する自己嫌悪か異物感を感じている。この心の学園で自分の居場所を塗りつぶそうとしているのはその心理が現れた結果でしょう」

 

 だけど、消せない。クリムゾンフィアーの生きた痕跡は強く残されている。アメリカ3冠の記録は前代未聞で、この先日本のウマ娘にそれに並ぶ事が出来る者が現れるかどうかさえ怪しい。それほどまでにクリムゾンフィアーというウマ娘は強く、素晴らしい。

 

「フィアーさん、貴女は―――きっと、どこかずっと消えたいと考えてたんでしょうね」

 

 彼岸花をかき分けてベッドの根元までやってくる。彼岸花に覆われてシーツが良く見えない。が、そんな物は関係ないとベッドに手をかけてそれを横に倒す。そうすると、ベッドの下に隠れている大穴が見える。これが恐らく彼女の心、更に奥への入り口だろう。

 

「時間はかかりましたが、これで1層目はクリア……有マまでに間に合うと良いんですが」

 

 そうでなければ、報われない。ディープインパクトが。そして救われない、クリムゾンフィアー本人が。あのウマ娘達は互いに向き合っているようでどことなくすれ違っている部分がある。その原因は人慣れしていないディープインパクトではなく、クリムゾンフィアーの方にある。

 

 故にマンハッタンカフェは小さく溜息を吐き、

 

「行きますか」

 

 ぴょん、と穴の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 どんどんどん、と保健室の扉が叩かれる。ベッドではフィアーが、横のベッドではカフェが眠っている。その姿を椅子に座って眺めるタキオンはもさもさと持ち込んだバナナを食べながら眺めてから溜息を吐く。

 

「タキオンさん? アグネスタキオンさん! 保健室には病人がいます! ふざけていないで開けてください!」

 

「いやあ、悪いねえ。今乳首だけを発光させる薬品をここで零してしまって人に見せられない状況になってるんだよ! あっはっはっはっは!」

 

「乳首を!?」

 

 無論、そんなものでっち上げの嘘だ。モルトレであれば既に薬漬けなのでその程度可能だろうが、そんなバイオハザードタキオンだって早々にやらかさない。やるとすれば5徹越えた辺りの時期からだろう。とりあえず1徹迎えたタキオンにはまだ人間らしい判断能力が残されている。

 

「うーん、しかしこれは少し参ったね」

 

 タキオンが保健室の窓の外へと視線を向ける。未だにどんどんと叩かれる扉を無視して向ける視線の先、1台の車がトレセン学園を出て行くのが見える。先ほどディープインパクトがアレに乗ったのを確認もした。つまりレース会場へと向けて彼女が移動を開始したという事だ。

 

 有マ記念開始の時間が迫っている。

 

「急がないとこれは間に合わないぞぉ」

 

 と、ガンガンと扉を叩く音が強まった。

 

「アグネスタキオンさん? ここを開けないと扉を壊す事になりますよ」

 

「おぉっと、たづなさんまで出てきちゃったかぁ。うーむ、困ったなぁ」

 

 バナナを食べながらタキオンも思案する―――さて、この状況をどう乗り越えたものか、と。




クリムゾンフィアー
 過去貯水タンクにタキオン印の光る薬を流し込んだ前科がある

学園総発光事件
 容疑者黒幕実行者が秒でバレた

マンハッタンカフェ
 普段から警戒してミネラルウォーターを使ってる

モルトレ
 責任取って薬の混ざった水を全部飲んだ


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異種生物頂上決戦

 ―――駿川たづなが対峙する。

 

 保健室へと続く廊下の前に立つのは発光する物体……否、モルトレと呼ばれ親しまれるアグネスタキオンのトレーナーであった。普段から自由自在に発光するトレーナーの存在は既にトレセン学園では常識のように認知されている。それだけモルトレは常識を逸脱した状態が普通となっていた。

 

 そのモルトレが保健室への道を塞いでいた。

 

「PuiPui……」

 

「トレーナーさん……流石にこれはやり過ぎだと思います。アグネスタキオンさんとマンハッタンカフェさんが友人の為に何か行動を起こそうとしているのは理解しています。ですが保健室は重要な場所で、そこで眠っている彼女も大人の監督が必要な未成年の少女です」

 

 たづなの言葉にモルトレが頭を横に振る。

 

「PuiPui……」

 

「トレーナーさん……」

 

 否定のPuiPui。通りすがりのエアシャカールが欠伸を漏らしながら呟く。

 

「誰も突っ込まねぇ……」

 

 モルトレが言語能力を失っている? 今更の事だ。そもそも今年の新入生はモルトレが発光している姿とモルカーごっこしている姿しか目撃していない。最初からそういう生物であるとさえ認知されている状況で、ツッコミもクソもない。

 

「仕方がありません―――拘束させて頂きます」

 

 瞬間、たづなの姿が緑色の残像となって消えた。それを見物する通りすがりのウマ娘が声を零した。

 

「あ、あれは!」

 

「知っているのか!?」

 

「いや……良く知らないけど滅茶苦茶速い」

 

「うん」

 

「私も良く捕まりマース!」

 

 捕まる様な事をするなというツッコミが響く中、残像となったたづながモルトレを確保する為に動いた。人間の反射をはるかに超えた速度、絶対に捕捉したという事を確信させるたづなの動き。しかしたづなの手はその瞬間、無を掴んで通り過ぎた。

 

「なっ」

 

「Pui……」

 

 スライドする様な動きで、実像すらその場に残す様な美しく流れる動きでモルトレが回避していた。きゅ、とヒールが床を踏む。直ぐに姿を翻すようにモルトレ拘束にたづなが動き出す。だが捕まらない。最初からその場にいないようにたづなの手が空を切る。

 

 それを見ていたゴルシが成程、と声を零した。

 

「ありゃあ実体のある分身だな……普段から良く光ってると思ってたけど、ついに光る方向性をコントロールして視覚のトリックにまで取り込んでやがるっ! その上で汗を使う事で残像に重みを乗せて誤認させてやがる……!」

 

「人の体でF91みてぇな事するな」

 

「モルトレに……食券20枚だ……!」

 

 朝から保健室周辺が騒がしくなってくるが、実体のある分身を駆使するモルトレをたづなが掴み切れず、数メートルほど距離を空けて対峙する。

 

「成程……生半可な覚悟でそこに立っている訳ではないという事ですね」

 

「Pui……Pui……」

 

「解りました。なら私もトレセン学園の職員として、本気でお相手致しましょう」

 

 エアシャカールが欠伸を零した。そろそろ二度寝しようかな。たづなが帽子を脱いだ。その下に隠れているウマ耳を晒すと、被っていた帽子を廊下に落とし―――ごす、という音が響いた。良く見れば帽子が廊下にめり込んでいる。

 

「た、たづなさんが戒めを解いた……!」

 

「いや、モルトレを見ろ! あっちも本気だ!」

 

 静かにバルクアップする事で上半身の衣服を全て弾き飛ばしたモルトレが静かに両腕を広げ、円を描く様に動かしてから……構える。本気になるモルトレとたづなを前に、廊下は嫌でも緊張感に満ち始める。

 

 それを見てエアシャカールが頷いた。

 

「二度寝すっか」

 

 背後で始まる究極の戦いをガン無視して、エアシャカールは今日の授業をサボる事にした。

 

 

 

 

「んっ……到着しましたか」

 

 トレセン学園不思議生物頂上決戦が繰り広げられている頃、カフェは大穴の底に到達していた。僅かな眩暈と視界の暗転が層の切り替えを示していた。未だに自分が起きていないのはタキオンが上手く学園側を誤魔化してくれているからだろう。

 

「タキオンさんが誤魔化せている間に……間に……いや、またどうせバイオテロでも使って時間稼ぎでもしているんでしょ」

 

 そう言いながらカフェは漸く自分の目が周囲の状況を飲み込めるまでに慣れてきたのを知覚する。視界内の光景は一変していた。

 

 赤。

 

 赤赤赤赤赤―――赤い。赤い色で満ちている。血のように赤い彼岸花が視界の限りを埋め尽くしている。赤い花が狂ったように咲き乱れている。見える範囲で彼岸花の咲いていない場所が存在しない。それほどまでに暴力的な赤色が視界を満たしている。

 

「二つの領域の片割れ、彼岸花の方の蓋、ですね」

 

 凍結と彼岸花、その内本質に近い片方がここでは蓋としての役割を果たしていた。目の前に広がるのはトレセン学園ではなく、街の姿だ。どことなく素朴な雰囲気のある、普通の住宅街。カフェにはその場所に見覚えがあった。

 

「ここは確か……フィアーさんの故郷ですね」

 

 クリムゾンフィアーは名門ではなく寒門の出身。一般家庭で生まれ育ち、そしてスカウトされたウマ娘だ。スカウトされた結果トレセン学園の門を叩き、スピカに入部し、そしてアメリカで三冠を成し遂げるという偉業を成した―――何度考えても、勝ち鞍のおかしい女というのが誰もが思う事だった。

 

「骨を埋めるなら故郷が良い……って事でしょうか」

 

 腕を組み、思案する。先ほどはトレセン学園で今度は故郷、その意味はなんだろうか、と。クリムゾンフィアーというウマ娘が普段見せている悪ふざけとは別に、思慮深い一面を持っているのはそのレース運びを見れば良く解る。

 

 寧ろ走れるウマ娘程、フィアーの気性難が表面的なものだと解るだろう。本当の意味で気性難として振舞うには、フィアーのレーススタイルは賢すぎた。少なくともルドルフ、ハヤヒデ、ネイチャクラスのずば抜けた頭脳と状況認識能力がなければコントロールタイプのプレイヤーは務まらない。

 

 無論、ルドルフのようにギャグ方面が完全に天然さんという可能性も億が一、あり得るかもしれない。だが天然と呼ぶにはフィアーの行動には規則性が強く、そしてカイチョーチャレンジで無様を晒し続けている。彼女の性根は寧ろもっと、真面目なものだろう。

 

「まあ、それを口に出して本人に言うのは無粋が過ぎるでしょうけど」

 

 カフェが振り返る。背後には闇が広がっている。此方に進む事は出来ない。

 

 正面へと視線を戻せば、絨毯のように敷き詰められた彼岸花が住宅街にどこまでも広がっている。フィアーに関する調査の為にその生家を訪れたため、カフェは本来の姿と今の差異が見えてきている。だから彼岸花以外の変化は無いように思える。

 

「あ」

 

 と、そこで正面にオトモダチの姿が揺らぐ様に現れた。

 

「やっぱり―――サンデーサイレンスさん、ですよね」

 

 見覚えのあるウマ娘だと思った。割と最近テレビで見た姿でもあると。オトモダチと呼んでいた彼女の姿はここではもっとはっきりとした姿かたちを以ってサンデーサイレンスの姿を取っていた。それもアメリカでクラシック時期を走っていたころの勝負服を纏って。

 

 だがサンデーサイレンスの姿をしたオトモダチは正面、十数メートル離れた先で言葉を発する事なく足を止めて此方を眺め、振り返って姿を消す。

 

「ついて来い、という事でしょうか」

 

 歩き出しながらカフェは溜息を吐く。

 

「とはいえ、ここまで来て向かう先なんて一つでしょうが」

 

 足元を見れば、踏みつけられた彼岸花の跡がある。恐らくはオトモダチが残してくれた正しい道筋だろう。それを間違えないように彼女の足跡を追って不思議な住宅街を抜けて行く。どことなく現実に則していながらも、細かい所で違和感を覚える世界。

 

 或いはそれも、フィアーの記憶の底から作られた景色だからかもしれない。

 

「……後どれくらい時間が残されているかは解りませんが」

 

 足が止まる。彼岸花の敷き詰められた道を進み、到着する。一か所だけ、咲くのを避けるようにぽっかりと空間に穴が開いている。そこには一軒の家が建っていた。

 

「ゴールももう、近いでしょう」

 

 クリムゾンフィアーの生家、そこにだけは彼岸花が生えていなかった。




モルトレ
 自分の生き様に後悔はない

駿川たづな
 後悔して欲しい


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待たせたな

「―――確かに、貴方が凄い事に間違いはありません。ですが生まれ持った種族の差は覆せないんです……」

 

「P,pui……」

 

 ゆっくりと崩れ落ちるモルトレに悲鳴が上がる。だがモルトレは倒れない。膝を床につかず、倒れる寸前で体を止め、そのまま大きく飛びのくと保健室の前に立ち、拳を掲げるように気絶した―――モルトレ、意識を失ってもなお誰も通さないという漢立ちである。

 

 その姿に誰もが涙を流さずにはいられなかった―――否、約数名欠伸で涙を流しているが結果としては同じである。カワカミプリンセスなんて唐突にトレセン学園に降って湧いたバトル設定に興奮して自分もと立候補しかけている。これ、そういうもんじゃねぇから。キングヘイローが必死にカワカミプリンセスを抑え込んでいる間にたづなが前に出る。

 

「では保健室を―――」

 

「―――そこは、少し待ってもらいましょうか」

 

 は、と声を零して視線が廊下の先へと向けられる。そこに立っているのは霊障で何度も被害を受けていたマンハッタンカフェのトレーナー、通称カフェトレだった。ここしばらくは謎の赤いウマ武将のおかげでめっきり平和なカフェトレであったが、その様子は少しだけくたびれた様にも見える。

 

「トレーナーさんももしかして……」

 

「えぇ……僕はカフェのすることを信じていますから」

 

 苦笑しながらカフェトレはたづなと視線を合わせる。トレーナーの中に何人か人類を超越しているとしか考えられない連中が存在する。耐久力が異様に高い沖野トレーナー、忍耐力が限界突破している気性難の駆け込み寺と呼ばれているスイープ担当、もはやみんな知っている発光物体モルトレ……カフェトレも霊障関係で非常に有名なトレーナーの1人だ。

 

 だが、

 

「貴方では正直、その……」

 

「えぇ、まあ、僕ではどう足掻いてもたづなさんの相手にはなりませんね」

 

 カフェトレはそれを自覚していた。だからこそ横の窓を開けた。

 

「だから僕は今日、この場に間に合わせるべく最強の助っ人を呼びにアメリカへ行ってました」

 

 カフェトレの言葉にたづなが驚き、視線を窓の外へと向ける。

 

「ま、まさか―――」

 

「見るが良い! 貴女の相対者は今、空からやってくる!」

 

 誰もが外を見た。誰もが空を見上げた。遠い黒点だったものが徐々に近づいてくる―――そして近づくにつれ、それが何であるのかを気が付いたウマ娘が声を上げた。

 

「あ、アレはマンボデェェェス! マンボ!? マンボナンデ!?」

 

 1羽の大鳥が空を飛翔している―――その下には何かを掴んでいるようで、トレセン学園へと向かって高速で飛翔してくる。一瞬、アメリカ勢の誰かが来るのかと思ったたづなが首を捻った。だが次の瞬間にはマンボから射出された姿が窓を通り抜けて廊下へと着地する。

 

 その姿は茶色の毛で覆われた人と比べれば余りにも小さな姿だった。

 

 だがソレはワニに打ち勝った。

 

 だがソレはパパラッチを滅ぼした。

 

 そしてアメリカの大地で、誰よりも悠々と育った。

 

「か、カピバラッッッ!!」

 

 ―――カピ君、海を越えて今トレセン学園に登場……!

 

 

 

 

 ウマ娘vsカピバラ、世紀の決戦が行われる裏でカフェは漸く辿り着いたフィアーの生家の前で足を止めていた。ここだけ、不自然に彼岸花が途切れるように咲いていない。まるでこの場所だけは避けようとしているような意思さえ感じられる程に。

 

「……入らない限りは進みようがありませんか」

 

 この住宅街で妨害らしい妨害はなかった。或いはもう、妨害の類は必要がなかったのかもしれない。そもそも凍結トレセン学園も隠されているようで、実際の所ほぼ隠れていないのに等しい。それはクリムゾンフィアーの、大事なところは隠すつもりがないというスタンスの表れなのかもしれない。

 

 ともあれ、カフェは進む事を選択する。

 

 門を抜けると空気の感触が変わった様に錯覚する。前よりも軽く、そして薄い。体が少しだけ動きやすくなったような、そんな気さえする。ゆっくりと足元を確かめるように前に出て、扉を手を付ける。カフェの記憶の中にある通りの一軒家……現実でフィアーの事を調べる時に訪れたのと変わりはない。

 

「鍵は……かかってないですね」

 

 今更ここで罠という可能性はないだろう。扉を開けて中に入れば普通の玄関が広がっている。きょろきょろと辺りを見渡し、それから上へと繋がる階段を見つける。

 

 その前に軽く中を探索しようと、リビングへと向かう。

 

 リビングではテレビが付けっぱなしだ―――あれは年始の特番か。テレビに有名なウマドルグループが出演している。その前に半透明な幻影のようにディープインパクトと、フィアーの母親の姿がある。

 

「……そう言えば去年の年始にはディープさんを預かっていたんでしたっけ」

 

 ついでにファインモーション殿下も何度か出没していた事実も思い出し、このウマ娘の謎のコネクションの豊富さを思い出す。アメリカはアメリカで妙なコネクションを築いてきたらしいし、目覚めたら話したい事がたくさんある。

 

 改めて叩き起こす為の覚悟を決めて、視線をリビングから外し、キッチンへと向ける。フィアーの母がキッチンで料理をして、その姿が霞む様に消える。

 

 或いはこれはどこかで見た記憶、経験、それがリフレインのように繰り返されているだけなのかもしれない。ある意味では閉じた、悲しい世界だろう。だが同時に……どれだけ日常と呼べるものを愛していたのかを理解できるものでもある。

 

「好きだったんですね、自分を取り巻く日常が」

 

 テーブルを見ればファインモーションがラーメンを啜っている。キッチンを見ればディープインパクトが洗い物をしている。玄関に向かえばSP隊長がこっそりリビングを伺っている。入口に視線を向ければ西村トレーナーの姿が見えた。

 

 シンボリルドルフが新年の挨拶に来ている。バンダナの男が悪そうな笑みを浮かべて何かを持ち込んでいる。トレセン学園のスカウトが神妙な表情で居間に上がる。彼女が経験した過去の記憶、それがここでは垂れ流しになっている。

 

 ある意味では、ここが……彼女にとっての楽園で天国なのかもしれない。

 

「もう、すぐそこですね」

 

 階段を上がって二階へ。そして目の前には扉が。“Fear‘s Room”と書かれた扉はクリムゾンフィアーの部屋へと繋がる扉だろう。ここがゴールだろうと、そう確信してマンハッタンカフェがノブに手をかけ、躊躇する事無く一息に扉を開け放った。

 

 瞬間、景色が一変する。

 

 鼻腔を擽るのは花の匂い。

 

 どこまでも広がる晴天、足元は色取り取りの草花で満ちている。まるでこの世の楽園を謳う様な美しい景色に誰であれ一瞬は目が奪われる。先ほどまでそこに存在していた筈の入り口は存在せず、マンハッタンカフェは花畑に立ち尽くしていた。

 

 頬を撫でるような優しい風に花びらが舞い上がる。どこまでも広がる美しい景色は未知の興奮を呼び起こしながらどことないノスタルジーを感じさせる。それをカフェは魂の奥底で危険な光景だと感じていた。

 

 だがそんなマンハッタンカフェを待ち構えるように、花畑に1人佇む姿がある。

 

 揺れる尾の様に首元で赤毛を束ねるウマ娘の背中姿。トレセンの制服ではなく、着慣れたジーンズの私服姿で立つ姿を間違える筈もない。

 

「フィアーさん」

 

 後ろへと軽く首を動かして視線を向け、横顔でにやり、と笑みを浮かべる。

 

「よう」

 

 友人に挨拶する様な気安さで半年間沈黙を守り続けたウマ娘は口を開き、苦笑した。

 

「良くも、まあ、こんな所まで来たもんだわ」

 

「来ますよ、友達なんですから」

 

 恥ずかしがる事もなく言い切ったカフェの姿にフィアーが頭を掻いて視線を逸らす。そして溜息を吐く。それからカフェへと向き合うようにポケットに手を入れた。

 

「そんじゃ、答え合わせをしよっか」

 

 ―――どうして、クリムゾンフィアーは半年間眠り続けたのか。

 

 そのどうしようもなくくだらない話をしよう。




カピ君
 待たせたな(CV大塚明夫


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ありがとう

「―――生まれた日の事を覚えているか? 医師の手によって抱き上げられた瞬間を。母の手に抱かれた瞬間を。生まれた時の孤独感を。世界の一部が個という形に切り分けられた瞬間を。カフェ、俺は全部覚えている。全てを経験し、覚えている」

 

「現代風に言えば転生者、でしたね。フィアーさんは」

 

 マンハッタンカフェの言葉に然りとフィアーが答える。

 

「俺には生まれる前の記憶―――前世とも呼ばれるものがあるし、生まれる前の死んでいる間の記憶もある。俺がオカルト関係に圧倒的に強いのは結局、そこら辺の経験の差の話なんだよ。まあ、そんな誇れるもんでもないと思ってるが」

 

 うーん、とフィアーが唸る。違うな、そういう話じゃないな、と。

 

「余計な話をしたわ。カフェ、俺このまま去ろうと思うんだけど」

 

「それを止める為に来たんですよ。馬鹿ですか。あまり言いたくはないですけど、タキオンさんを潔白だと信じるダイワスカーレットさん並みですよ」

 

「ダスカちゃん可哀そう」

 

 けらけらと笑う姿は平時と何ら変わりがない。精神を病んでいる様にさえ見えない。だからこそ1人、このまま世を去ろうと言ったフィアーの言葉の異常性が際立つ。女は恐らくそれを理解している。理解した上で言葉を口にしている。だから言葉をカフェが吟味する。

 

「これは……常々考えていた事、なんですね」

 

「うん、まあ、そういう事になるのかなぁ?」

 

 苦笑する。

 

「別に、人生がつまらねぇって言ってる訳じゃないぜ? 寧ろ楽しい事ばかりで申し訳ない限りだよ……だって面白い連中が周りにはいるし、本気で走っても勝てるか解らない奴だって世にはいるしさ。そんなのに囲まれてて楽しくないわけがないだろ?」

 

「なら、どうして半年間も眠っていたんですか。……起きようと思えば貴女なら起きられたのでしょう?」

 

 うん、まあ、とフィアーは視線をそらして呟き、それから頬を掻いた。

 

「ほら」

 

「?」

 

「生きるのって、努力義務だろ?」

 

「……?」

 

 急に難しい事をフィアーが言い出すのに、カフェが首を傾げた。腕を組むフィアーは解らねぇかなぁ、と呟く。

 

「人は生きるからこそ思考できる生き物だ。我思う故に我あり。自分の存在は自分でしか観測できないから自分の存在しか究極的に肯定できない―――だから死を恐れる。どうなるか、どうなってしまうのか解らないから。死の先を、その後を知らないから」

 

「ですが貴女はその先を知るから恐れない」

 

 頷きが返される。

 

「だから、生きる事って義務だと思うんだよね。面倒になったら努力するのを止めるってそれで良いんじゃないか?」

 

 暴論としか言えない言葉に、カフェは頭を横に振る。

 

「馬鹿な事を言わないでください。貴女はそこまで無責任な人ではないでしょう。それっぽい言葉を口にして誤魔化すのは止めてください」

 

「……」

 

 溜息を吐いてフィアーが向き合う。景色は僅かにだが揺れている様に見える。花の咲き乱れる花畑の花々はフィアーの精神を反映するように淡い青色に染まる。美しい景色だ、だがここはヒトが踏み入って良い場所ではない様な予感がカフェにはあった。

 

「貴女が優しい人物である事は理解しています。ディープインパクトさんを守った時も、学園でさりげなく困っている人を助けている事も、私とトレーナーさんが霊障で困っている時も……見過ごせばいいのに、それが出来ずに助けに来るような人です」

 

 そんな人物が、身勝手な理由で半年も眠り続けるなんて思えない。カフェが言葉を口にすればフィアーの溜息が盛れる。

 

「マイネルレコルト」

 

「……?」

 

「マイネルレコルト、アドマイヤジャパン、Giacomo、Afleet Alex……」

 

 カフェには聞き覚えのある名前ばかりだ。どれも今のトゥインクルで走るウマ娘の名前だ。それもただ走るのではなく、特別強く重賞を制覇していたり2着で敗れたウマ娘達の名前だ……或いは、クリムゾンフィアーにその栄冠を奪われた娘達だ。

 

「もしや自分がいなければトロフィーは彼女達の手に渡っていた……とでも言いたいのですか? それは彼女達への侮辱ですよ」

 

「そうかもしれない。そうではないかもしれない。神様は何も答えてくれなかった。俺に導きも、指示も、そしてヒントさえくれなかった。生まれ変わる事にどれほどの意味があるんだカフェ? これはそんなに特別な事なのか? そんな意味のある行いなのか?」

 

 ふと、眠って思い出したとフィアーは言う。

 

「トラックが目前にまで迫った時、ふと思ったんだ―――もう悩まなくていいかもな、って。体は反射的に回避と防御を取ったのにな。でもこれであれこれ悩むのから解放されるかもしれないって考えた」

 

 はぁ……という溜息の音がやけに重く響く。

 

「マミーには感謝してるんだ。生まれてからずっと全てが虚しく思えて。生きる意味にそこまで重みを見出せなくて。それでも何も楽しめないならいっそ、全部忘れられなくても馬鹿になればそれだけで人生は楽しめるんだって教えられて」

 

 けらけらけら、と笑い声が響く。顔を抱えるように笑う姿はどことなく痛々しさを感じる。そしてふと、冷静になった。

 

「なんか自分語りしてるの恥ずかしくなってきたな……ちょっとタイム取らない?」

 

「良いから帰りますよ」

 

 近づこうとするカフェから逃げるようにフィアーが全力疾走する。それを追いかけるようにカフェが全力で走る。しばらくの間全力疾走が続いてから2人して息を切らして花畑に転がる。こいつ駄目だ、無理矢理に連れて帰ろうと決心するカフェの横で、フィアーがまあ、待てと手を出す。

 

「落ち着こうカフェ! 実力行使は良くない! 暴力ダメ!」

 

「言い訳は現実の方で聞きます」

 

「あ、この女マジで躊躇しねえな! あ! こら! 手を掴むな! うおー!」

 

 両手で手を掴まれたフィアーがそのまま出口を目指して引っ張られるが必死に抵抗し、花畑に転がる。それを見下ろすカフェが呆れた視線を向ける。

 

「私も皆に一緒に謝りますからね? 帰りましょう?」

 

「何で優しく諭されてるんだよ。く、クッソ! 俺舐められてるなこれ!」

 

 カフェから逃れたフィアーが両手を掲げて威嚇のポーズを取り、カフェが対応するようにファイティングポーズで威嚇する。それを見ていて呆れたオトモダチがどこからともなくやってくると一発、フィアーに蹴りを入れる。

 

「迎えが来たんだ、とっとと帰れ」

 

「……」

 

 花畑に転がされたフィアーは横を向いたまま倒れ込んで黙り込む。

 

「また、ハーツクライが勝つぞ」

 

「それが運命って奴だろ。抗う程のもんでもない。それにハーツクライがディープに勝ったあの有馬は伝説的な勝利だ……無理に変える必要はねぇんじゃねぇかなぁ」

 

 ごろり。

 

「無理に物事を変える必要がどこにある? 別段、変わる事を悪しと言う訳じゃない。だが元々そこにあったものはどうなるんだ? その時の高揚感に全てを任せて走って……終わった後に何時も微妙な後悔を抱いて。いない方がはるかにマシなんじゃねぇかなぁ」

 

「それが根本にあるものでしたか」

 

 クリムゾンフィアーの根本にあるのは負い目だ。自分という異物が存在する事に対する負い目。だが親への感謝がある、友人への愛がある、走る事への熱量がある……本人の気質が、手を抜いて生きるという事を許さない。

 

 それこそ手抜きで走る事こそが冒涜でしかないだろう。

 

 それをフィアーは理解している。

 

 母の為にも虚無のまま生きる事なんてできなかった。

 

 息をひそめて生きるなんて息苦しい事も出来ない。

 

 だから本能に任せていける所までを目指した―――その結果がこれだ。走って、笑って、人生も悪くないと思えた所で殺されかけた。別に堪えた、苦しかった、怖かった……と言う訳ではない。そういう所は既に通り越している。

 

 ただ、楽しんでいる所に冷や水をぶっかけられた様な気分だったのは事実だ。

 

 クリムゾンフィアーに命に対する執着はあまりない。

 

 それは彼女が生きているのも、死んでいるのも、そう違いはないという考えからくるものだ。それでもまだ、生きている方が良いと思えるのは母親からの教育と愛によって生きている事に価値を見出せているからだ。

 

 それでもどこか、エンディングを常に求めている娘だった。

 

 理由を。

 

 何時だって理由を求めている。

 

 死んでも良い―――終わらせても良い理由を。

 

 そうすれば納得して逝けるのだと思っている。

 

「そもそもさ、死者が生きて走っている方が違和感があるんだよ。気持ち悪くないか? 一度死んでいる癖に図々しくも栄光が欲しいって言ってるのは」

 

「さあ、どうでしょうか。私達ウマ娘は異界で走り抜いた魂を継いでこの世界で走り続けています。貴女がそういうのであれば、魂を継いだ私達でさえ全員卑しいという話になりますが」

 

「その話の持って行き方は卑怯だろうよ」

 

 溜息を吐き、起き上がりながら頭を掻く。

 

「無理か」

 

「無理ですよ。貴女が起きなくて泣いている子だっているんですから」

 

「出会いは一瞬、別れは永劫……痛みも悲しみも、その内慣れてしまうものなのに」

 

「ですが、慣れないのであればそれに越したことはありませんよ、フィアーさん」

 

 私はですね、とカフェが近づきながら続ける。

 

「楽しかったですよ。貴女と幽霊退治するのも、レース観戦するのも、応援するのも。そしてそれは私に限っての事ではありません。タキオンさんも、他に貴女に関わった人々もそう思っている筈です。だというのに、いきなりこの世を去ろうだなんて、なんて事をしてるんですか」

 

「本当になんだろうなぁ」

 

 空を見上げ、呟く赤毛のウマ娘の姿。或いは、彼女でさえ自分の心を完全にコントロールする事が出来ていないのかもしれない。衝動的なものと言えば衝動的なのかもしれない。結局の所、クリムゾンフィアーというウマ娘が本当に求めているものが何なのかは、本人にさえ理解できていない。

 

 ただ、そこには想いだけがある。

 

 自分がレースを走っていいのか。

 

 史実の勝ち鞍を変えていいのか。

 

 反則じゃないだろうか、自分の存在は。

 

 こんな卑怯な事が許されるのか。

 

 走って、勝って、笑って―――それで自分を排除しようとする悪意に気づく。周りが優しいから、認めてくれたら……それで居ても良いんだ、存在してても良いんだ。

 

 そういう意思とは真逆の意見を言う奴だってこの世の中には腐るほどいるという事に。当たり前の事だが、ウマ娘……それも競技者は大事にされている。そういう悪意に触れないように注意されていた。だからこそ忘れていてしまった。

 

 それを知って、思い出して―――それでふと、我に返ってしまった。

 

 ―――あぁ、何やってんだろうな、俺は。

 

 そうしてクリムゾンフィアーは自閉していた。気づけば命の根源を思い出し、そこに沈む様に虚無の様な時間を過ごした。考えは纏まらず、心はちぐはぐ、しかし言葉にできない想いは大量に積もって行く。

 

 彼女でさえ、自分の心を完全に理解していなかった。

 

 ―――或いは、フィアーさんはずっと誰かが来てくれるのを待っていたのかもしれません。

 

 カフェはふと脳裏に過ったその答えに確信を抱いた。きっと、この人も未だに道半ば。迷っているのだろう。オトモダチへと視線を向ければ、視線がそらされる。それが恐らくこのオトモダチには解っていたのかもしれない。

 

「フィアーさん、帰りましょう。今日は有マですよ」

 

 その言葉にしばし無言を作ってから、ゆっくりと口を開いた。

 

「……ディー、調子悪そう?」

 

「ずっと絶不調ですよ。菊花と宝塚では勝ちましたが、今日は負けるかもしれませんね」

 

「……でもアイツ、強いし」

 

「ですが無敵ではありません。誰だって負ける時は負けます。貴女も、ディープインパクトさんもそうではありませんか? ……言いたい事、あるんじゃないですか? 何も言わずに去るのは卑怯ですよ」

 

「……」

 

 もう一押し、もう一押しでこのボケカスは起きる。それをマンハッタンカフェは確信し、必殺のアイテムを取り出す事にした。

 

 それは西村トレーナーがミッション遂行前にカフェへと渡した一枚の紙片だった。対クリムゾンフィアー必殺兵器。もしも夢の中で彼女と会う事があれば、これを見せれば一発で夢の世界から引き戻す事が出来るだろう……と手渡されたものだ。

 

 西村トレーナーの取り出した秘密兵器だ、カフェはこここそがそれを使う場面だと認識し、取り出し、内容を確認した。

 

 内容に疎いカフェは中身を確認してから首を傾げるが―――メモに書かれたとおりに行動する事にした。静かにフィアーに近づいてカフェは、その肩をポン、と叩く。

 

「良いですか、フィアーさん落ち着いて聞いてください」

 

「うん……?」

 

「貴女が寝ている間にフロムソフトウェアからアーマードコア6の発売が決定されました」

 

 その言葉にフィアーの表情が停止した。無言のまま涙を流し、

 

「“真剣”かよカフェ!? “幻想”じゃねえよな……!?」

 

 劇画チックな表情に変貌したフィアーがカフェの肩を掴み揺らしてくる。それにカフェはあーうーと声を漏らすように揺らされ、フィアーが立ち上がる。

 

「還ってくる……オレ達の“黄金時代”が還ってくる!!」

 

 立ち上がり、拳を握ると一瞬で心の世界の出口を生み出し、振り返りながらカフェを見て、頷いた。

 

「今すぐ“帰国”する……ッ!!」

 

 迷わず心の迷路から飛び出して行くフィアーの姿を眺め、カフェが溜息を吐く。なんてくだらない茶番だろうか―――だけど、これこそ普段の私達らしいとも。

 

 ありがとう、フロムソフトウェア。

 

 お帰り、フロムソフトウェア。

 

 そして体は闘争を求める。

 

 アーマードコア6、発売決定―――!!




クリムゾンフィアー
 秒で起きた

マンハッタンカフェ
 釈然としない

西村トレーナー
 伊達に担当している訳じゃない

フロムソフトウェア
 ありがとう、ただただその言葉しかない。ありがとう


 この二次は元々60~70話ぐらいでの完結を目標として、どんなに長くても80話前後で終ると思ってます。そしてアーマードコアは素晴らしいゲームです。


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40話 おはよう

 体が重い。

 

 肉の重みだ。

 

 絡みつくような重み、空気が肺にしみる感触、生きている事の重み……そう、生きているという事は常に何かしらのしがらみを生んで行く事でもある。誰かに関わらない、何物にも関わらないというのは不可能な事なのだ。

 

 だからレースで走る事はエゴイズムの極みだ。忘れられたくない。傷を残したい。だけど迷惑はかけたくない。相反する心と感情、思惑と思想。死にたいけど死にたくない。その意志はたった一つの事実で全てを乗り越える。

 

「こ、ここたま―――!」

 

「おや、おはようフィア君」

 

「ここたまぁ!!」

 

 勢いよく布団を蹴り飛ばして起き上がる。アーマードコア6、発売決定。その事実が体の中に炎を灯す。勢いよく立ち上がっても半年間の怠惰のツケが体を揺さぶる。崩れ落ちそうになる体を支えながら手をぷるぷると震わせると、ベッドの横に座っていたタキオンからスマホを受け取る。

 

「はい」

 

「おぉ……おぉ……!」

 

 タキオンから受け取ったスマホにはAC6の発表と、そして最新インタビュー記事が表示されていた。その事実におんおん涙を流していると、帰って来たカフェが腕を組みながら首を傾げる。

 

「釈然としませんね……」

 

「まあまあ、良いじゃないかカフェ。こうやって起きたんだし」

 

 死ねない……10年ぶりの新作、絶対に死ねないぞ。生きる活力が体に満ちるのを感じる。今なら無敵モードになれるかもしれない。そんな想いと共にベッドから飛び降りるとそのまま崩れ落ちそうになる。一瞬でカフェとタキオンに体を支えられる。

 

「無理しないでください」

 

「起き上がったばかりだからねぇ、余り無茶は出来ないよ」

 

「いやあ、はははは……」

 

 支えられてから自分の両足で立とうとするが、やはり覚束ない。拳を作ってみるがだいぶ力が弱い。それでも体が動くのは寝ている間も体のケアを施されていたからだろう……この仕事、恐らく西村T辺りが仕事しててくれたのだろう。感謝しかない。

 

 ともあれ、

 

「有マに行くか」

 

 着替え、着替え―――直ぐ横に置いてあった。それを手に取りささっとパジャマからトレセン学園の制服へと着替える。いや、ささっとは嘘だ。ちょっともたもたしている。その間にもなぜか保健室の外からはきゅいー! だとかカピバラの鳴き声が聞こえてくるし、ずがんずがん爆音が響いている。絶対に近づきたくねえ。

 

「有マ、向かうんですね」

 

「その為に起こしたんだろ」

 

 ブラジャーを付けてパンツを履いて、上を着て……やっぱり冬だからか寒い。なるべく早く着替えたいところだ。おぉ、靴下靴下。素晴らしき発明よ、お前を早く履かせておくれ。そしてAC6を早く発売してくれ。俺の体はもう闘争を求めて止まらねぇんだ。早く俺のアクアビットマンを復活させてくれよ。俺はコジマ浴がしたいんだ。PS3また引っ張りだすか。

 

「行く気、あるんですね」

 

「おう」

 

 ここに関して、あまり語る事はない。必要な言葉は本人に言うし、別段俺が何もしなくてもあの娘なら勝手に立ち直ると俺は思っている。まあ、有マは負けるかもしれないが―――いや、或いは、ここまでの苦境こそが彼女を成長させるかもしれない。

 

 もし彼女が化けるのであれば、今日、このレースだ。起きてしまったのならしょうがない。まだ心の整理がついた訳じゃないが、顔を拝みに行くとしよう。

 

 と、そこでずがんずがんと廊下の方から音が響く。何かが廊下の方で激しくやりあっているらしい。こうなると廊下から出て行く事は出来ないだろう。窓へと視線を向ければ、タキオンが窓を開けてくれる。

 

「さ、行くのだろう? 私はトレーナー君を回収しなければいけないからね、後は頼んだよカフェ」

 

「それでは失礼します」

 

「お? おぉ?」

 

 カフェに横抱きにされると、そのまま窓枠に脚を掛け―――一気に外へと向かって跳躍する。浮遊感、身を誰かに任せてアクションを取るというのは初めての経験だが中々に面白いものがある。カフェもカフェで、こんな派手な行動をとるんだな、というちょっとした発見も感じている。

 

「っと、大丈夫ですか?」

 

「へーき、へーき。花畑でごろごろやった時の方が凄かった」

 

「アレは貴女が悪いです」

 

「せやろな」

 

 けらけら笑っているとそのままカフェに校舎から離れるように運ばれて行く。歩かせて貰えないので手と足をぶらぶらしていると、カフェが溜息を吐く。

 

「まだ、死にたいですか」

 

「どうだろ。自分でも自分の事はよく解らんねぇ。衝動的なもんだと言えばそうだし、考えた末の行動だと言えばそうでもある。自分でも割と色んな部分でバグってるんだなぁ……ってのは感じてるよ」

 

 ただ、まあ、

 

「迎えに来てくれるのを待ってたのかもな」

 

「悪かったですね、遅くなって」

 

「おう、もうちょっと早く迎えに来てくれよ。寂しかったかもな」

 

「覚えておきます。もう次はないと思いますけど」

 

 カフェが此方に視線を向け、ふっと笑う。そういう笑顔を見て裏切れるほど神経太くは無いんだよなあ、と口の中で呟きながら運ばれて行く。向かう先は校門へ、この学園の敷地の出口へと向かって一直線に。途中、振り返るウマ娘達が驚いたような視線を向けて来るので手を振ってみる。きゃー、なんて声が返ってくる。大変気分が良い。

 

「ファンサしてる場合じゃないんですが」

 

「いや、まあ、俺運ばれて暇だしね?」

 

「投げ捨てますよ……!」

 

「それは困る」

 

「ちょっとふわふわしてませんか貴女!?」

 

 キレ気味なカフェの声にけらけら笑う。いや、まあ、寝起きでちょっと頭がぱぁになってるのは認めよう。なんかちょっと気分が良い感じなのも認めよう。

 

「メリークリスマス皆ぁ!!」

 

「大丈夫ですかこれ? 大丈夫じゃないですね」

 

 きゃーという声に手を振り返しつつ視線を校門へと向けるとゴールはもう目前にまで迫っていた。到着するとカフェは俺を降ろしたので、そのまま校門に寄りかかる。きょろきょろとカフェは辺りを見渡す。

 

「……たづなさんはまだ来ていないみたいですね」

 

「扱いがターミネーター染みて来たなあの人」

 

「なぜか本格化過ぎ去っても現役のウマ娘でも勝てないんですよあの人。タキオンさんが何時も捕まって説教されてますよ」

 

 見慣れた景色だ。全速力で逃げ出そうとするタキオンを捕獲し、何の実験をしていたのかを吐かせてそのまま説教部屋へと連行される姿はトレセン学園ではあまりにも一般的な光景、珍しさの欠片もない。

 

 はあ、と冬の空気を吸い込む。肺を満たす冷たい空気が少しずつ意識を鮮明にしてくれる。少しだけ酔っぱらってるようなふわふわ感が抜けて行く。あぁ、現実に帰って来たんだな、と思うと少しだけ憂鬱になる……だけどそれとは別に、探しに来てくれた事も嬉しく思う。

 

「カフェ」

 

「なんですか」

 

「結婚しよう」

 

 真面目な顔をカフェに向けて言うと、カフェが溜息を吐いて視線を外へと向けた。

 

「貴女、その内刺されますよ」

 

「えー」

 

「それよりも有マに行くんでしょう。貴女を待っている人がいますよ……相手をするならそっちにしてあげてください。少なくとも責任は取ってあげてくださいね」

 

 焚きつけた者の責任という奴か。ま、しゃーないと言えばそうだろう。意図してディーを焚きつけていた部分はある。とはいえ、俺だってこんな風になるなんて思いもしなかったのだからちょっとは言い訳してもいいだろう? いや、やっぱ擁護できる要素何もないわ。この件に関しては俺が完全にクソだったわ。フィア、反省。

 

 それで、外を眺めて何かを待つような表情のカフェに言葉を向ける。

 

「何を待ってるんだ?」

 

 俺の疑問に、カフェは校門の外を見ていた顔を戻し、答える。

 

「クリスマスですよ? プレゼントを運ぶのはサンタの仕事ですから」

 

 その言葉と共に一台のバイクが校門の前に乗り付けてきた。見覚えのある姿に思わず笑い声が零れてしまう。それが解っているから相手もドヤ顔を浮かべている。

 

 バイクに跨る男はクリスマスカラーのバンダナを装着し、トナカイの角をバイクのフロントに突き刺していた。それをどう足掻いてもソリか、或いはトナカイとして主張したい意思を感じる。だがそれには乗っているサンタさんの人相が悪すぎた。できるなら来世からやり直してこい。

 

「お前……」

 

 俺の言葉にバンダナが頷いた。

 

「俺は通りすがりの無免ライダーだ―――クリスマスプレゼントを運びに来た、な!」

 

 流石にそれは怒られるべきでは?




クリムゾンフィアー
 結婚発言は割とマジだった

マンハッタンカフェ
 トレーナーがいるので

無免ライダー・バンダナ
 免停のまま


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41話 有マ記念 Ⅰ

 ―――街中をクリスマスキャロルが流れて行く。

 

 過ぎ去って行く景色、流れるオーナメント、耳に残るクリスマスキャロル、笑い声……そして溢れる笑顔。クリスマスの日は社畜以外には特別な日だ。家族で、或いは友人で過ごす日だ。誰もが笑顔になってこの日を祝う……社畜以外は。社畜に休日の概念は無い。

 

 そんな景色をマルゼンスキーの相棒は、カウンタックの助手席から眺めている。

 

「いやあ、マルゼンがいてくれて助かったわ」

 

「これぐらい全然問題ないわ。これで諸々の問題も片付きそうだしばっちぐーよ」

 

 マルゼンスキーの言葉に苦笑を零してクリスマスの空を見上げる。

 

 ―――さよなら、無免ライダー……!

 

 心の中でそっと愚か者の死を嘆く。奴はアウトローだ。そもそも賭けレースの仲介と斡旋をしてるし、グレーゾーンを平気な顔をして歩いている。そもそも免停喰らっても免許取り消しであっても“それ、バレなきゃ問題なくね?”を当然のように思考するアウトローだ。俺もかつてはそっち側だった。

 

 だがトレセン学園には何時も警備員がいる。直ぐ近くには警察も変態と変質者と発狂者を取り締まる為に待機している。

 

 無免ライダー宣言の直後、奴はおなじみの部屋へと連れていかれてしまった―――さようなら、無免ライダー、感動をありがとう無免ライダー。出所出来たら会おうぜ。良く解らんが。そんな無能ライダーの代わりに中山まで俺を届けてくれるのがこのスーパーカーだ。

 

 こう考えると、色んな人が解決する為に動いて協力してくれてるのだ。俺も、自分嫌いをどうにかした方が良いのかもしれない。

 

「俺が」

 

「うん?」

 

「いない間のディーはどうだった?」

 

「そうねぇ」

 

 ハンドルを握るマルゼンスキーが限界ギリギリの速度を維持しながら一切事故る事もなくカウンタックを走らせる。こんな事にランボルギーニを走らせている事実にちょっとだけ申し訳なさを感じるが、この先輩はそういう事に関しては一切面倒さを感じさせない。

 

「見ててこっちが可愛そうになる感じだったかしら。段々と調子を落として行くのに合わせて慣れない事を頑張ろうとして失敗して、また調子を落とすけどパフォーマンスだけは維持しようと頑張ってる感じ」

 

「んむー」

 

 そもそも我が家のチワワは割と俺にずぶずぶに依存気味な所があった。俺は正直そういう属性は持ってないので依存されても困る部分はあった。いや、境遇を考えればしょうがないと言えばしょうがない。正直タイプで言えば大人しくて同じ空間で過ごしてもべたべたしなくても良い様なタイプの方が好きというか―――いや、この話は止そう。

 

「ディーには才能があるんだ。最高の走りが出来る才能が」

 

「そうね、私も彼女には才能があると思うわ。実際、ルドルフ以来の無敗3冠を達成したばかりか、クラシックで宝塚にも勝っているしね」

 

「だけどこのまま彼女を依存させてたら絶対にその才能が腐ると思う。誰かの為に走る奴は結局の所、他人の為にしか走れない。そしてソイツが消えたら走れなくなるんだ。正直な話、ディーにはそういう風になって欲しくなかった」

 

「……だから眠ってたの?」

 

「それとこれとは別かなあ。俺もうまく言い訳出来ない。ただ、まあ……」

 

 まあ……なんだろう、言葉にできない。ディーには自立して欲しかった部分があるのかもしれない。俺が消えれば自立する……なんて考えは甘いのだろう。実際、今回の件は悪い方向ばかりに転がってしまった。

 

「けどなぁ」

 

 俺なぁ、割と信じてるよ。チワワの事を。そんな心の弱い奴じゃないって。きっと立ち上がってくれるって。誰かに依存しない、走る理由を見つけてくれるって。だってディープインパクトだぜ? あの伝説の名馬の魂を継いでるんだぜ?

 

 そして俺のライバルだぜ?

 

「生きるのって難しいなあ」

 

「そうねぇ。だからこそ楽しいんじゃないかしら。やれる事がたくさんあって、悩める事もたくさんあって。そういうのを含めて生きるって事なんじゃないかしら」

 

「深いなぁ」

 

「深いのかしら」

 

 きゅぃぃぃ、と音を立ててカウンタックがドリフトした。今マジでドリフトした? カウンタックで? 嘘だろう?

 

 シートベルトを付けていて良かったと冷や汗をかいている間にもアクセル全開でマルゼンスキーがカウンタックを飛ばす。普段からこんな調子でドライブしているけどどうしてこの人今まで一度もチケット切られた事がないんだ?

 

「よーし、調子が出てきたわね! これならレースが始まる前に到着できるかもしれないわね!」

 

「あの、少し遅れても良いんで安全運転を―――」

 

「アクセル全開ね!」

 

 最終コーナーでアンxスキ入るの止めてくれません? そんなレベルの加速力を見せてカウンタックが爆走する。爆風を顔面に浴びながらスマホを取り出し、自撮りしてからぽちぽちする。

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

AC6発表マジ? 思わず目覚めたわ

pic.twitter.com/ac6

 

1万4千件のリツイート1665件の引用リツイート3万8千件のいいね

 

 

 

 

 ふぅ―――と息を吐く。これで勝負服を着るのは5度目。今年で5度目。三冠を走った時と宝塚で4回、そして有マ記念で5度目。自分がG1という大舞台で走る為に用意された衣装、私の願いと思いの込められた衣装。でもこうやって袖を通して着替える度に思う。

 

 私の願いって、何?

 

「ディープインパクト、実家からまた連絡が来てるぞ」

 

「新しい番号、ですか。なら、何時も通りブロックしてください」

 

「取り合うつもりはないか」

 

「はい」

 

 実家との縁はもう切りたかった。ここまで育てて貰えた事には感謝する―――だがこれまでの教育費を全て賞金で賄ったら、それを手切れ金に実家との縁を切るつもりだった。今まで言われるがままに生きてきた。それが楽で、他には何もなかったから。言われるがままに走って来た。

 

 その結果、ここまでたどり着いた。

 

 シンボリルドルフの継承者、唯一無二、国内最強、歴代最強候補。

 

 様々な名前が私を飾る。栄光へと押し上げようとする。そしてそれに群がるように人が増えた。その中で信じられるのはもう、トレセン学園の知り合い達ぐらいで、実家の人達は何一つもう信用できるとは思っていなかった。

 

 でもこうやって有マに来て、心は停止する。

 

 ―――私の、この勝負服に込めた想いって……何?

 

 どうして走るの。誰の為に走るの。それがすっぽ抜けている。心の中が、想いの根幹ががらんどうになっている。詰め込むべきものが見つからない。東条トレーナーはスマホに何かの連絡を入れて溜息をついている。

 

「実家の対応、ごめんなさい」

 

「良いの、気にしないで。これもトレーナーとしての必要な業務の一環よ。貴女が健やかに、心穏やかにレースを走れるように、ね」

 

「ありがとうございます」

 

 ぺこり、と東条トレーナーに頭を下げて感謝を告げる。本当に東条トレーナーには感謝しかない。こんな自分を受け入れて、走らせてくれている事を。私がトレーナーだったらこんな面倒なウマ娘は投げ捨てているだろう。

 

 ……自覚はある。

 

 私は依存して走って来た。

 

 最初は実家に。言われた事に従って走るのは楽だった。走る事に興味がなくても勝てれば褒められるからそれで良かった。

 

 次はフィアに。彼女と走るのが楽しかったから。初めて私を見てくれる人だったから。私から本気を引き出して、それでもなお走ろうと言ってくれる唯一の人だったから嬉しくて、楽しくて、この人と一緒なら何でもできると思って。

 

 ……それが依存なのだと、最近気づかされる。

 

 自分でものを考えて走っていなかった。自分の理由なんて最初から存在しなかった。だから走りに込める想いが軽い。足の中に何も詰まっていないように感じる―――どれだけ私より遅くても、他の皆の方がかける願いが重く、美しく、素敵だ。

 

 そしてそれを踏みつぶせてしまう才能が嫌いだ。

 

 嫌いだ。

 

 私は自分自身が嫌いだ。

 

 変わりたい―――変わりたかった。

 

 なのに大して変わる事も出来ずに有マにまで来てしまった。

 

 こんこん、ノック音が響く。

 

「ディープインパクトさん、パドックまで移動お願いします」

 

「はい」

 

 東条トレーナーの方に視線を向けると、スマホの画面を見てトレーナーが頭を抱えている。

 

「あの、トレーナー……?」

 

「ん? あ、うむ……気にするな。あぁ、パドックへと移動しておいてくれ。此方は客席から応援してる」

 

「うん、ありがとうございます」

 

 ぺこり、と頭を下げて控室を出る。

 

 暖房が暖かった控室から冬の空気を感じさせる通路へ。追ってくる姿はなく、パドックへと向かう道も1人だけ。

 

 私の有マ記念が、まもなく始まる。




クリムゾンフィアー
 生存報告ヨシ!

警察
 せめて堂々としないでさあ……

バンダナ
 この後脱獄した

駿川たづな
 足にカピ君、右腕にモルトレ、左手にカフェトレ、首にタキオンぶら下げた状態でカウンタック乗り込む直前まで追いかけてきた。


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42話 有マ記念 Ⅱ

『―――さあ、待ちかねました! 漆黒の英雄! 世代を代表するウマ娘! XX年のクラシックを語るのであればまずこのウマ娘は外せない!』

 

『クラシック三冠無敗にして宝塚に勝利、彼女の快挙を語ろうとすると時間が足りませんね! 5枠10番ディープインパクトです!』

 

 歓声のシャワーの中、パドックでのお披露目が始まる。漆黒のバ体がパドックへと上がり、観客達の声が轟いている。ウマ耳にはこういう大きな音が余計にうるさく感じられる。パドック内そのものにはある程度の遮音対策が施されているものの、此方側はそういう類のものはない。

 

「頭が痛ぇ……」

 

「大丈夫フィアちゃん? 後ろの方で休もうかしら?」

 

「いんや、大丈夫。それよりも見つからないようにパドックを見たい」

 

 マルゼンスキーに支えられながら大量の人混みでごった返すパドックを見に来た。当然だが有マ記念は年末最高のレースであり、日本中の人達が見に集まってくる。中に入るのだって一苦労する所を、関係者のごり押しで中に入っている状態だ。そもそもの収容人数がヤバイ状態なので、中々前に進めない。

 

 マルゼンに手を回して貰って体を支えて貰っているが、そもそもの人が多すぎて中々進めないし、なんなら人が多すぎてパドックの様子が良く見えない。困った、人が多いのがそもそもそんなに好きじゃないんだよなあ。コロニーとか落ちてこないかなぁ。

 

「おうおう、退け退け! スピカ様のお通りじゃあ!」

 

「道を開けろー!」

 

「お」

 

 どうすれば効率的に人類を絶滅させられるかを考えていると、人混みを割ってゴールドシップとトウカイテイオーの姿が見えてきた。此方を見ると笑顔で手を振ってくる。

 

「やーっと起きたかよ。意識を火星辺りまで飛ばしてるんじゃないかと思ったぜ」

 

「まあ、この大一番で眠ったままでいるとはボクは思わなかったけどね」

 

 本当かなぁ。テイオー実は何度か泣いてるんじゃない? 泣かせた? だったらごめんな。そういう意図はなかったんだわ。まあ、それはそれとしてゴルシとテイオーが揃った事はちょっと心強い。2人が揃ったおかげでちょいスペースが確保しやすくなっている。

 

 それはともかく、姿を隠すものが欲しい。横に丁度良いコートを着ている男がいる。とんとん、と肩を叩く。

 

「おい、アンタちょっと良いか?」

 

「ん? なんだ……はわっ!?」

 

 肩を叩かれた男が両手で口を塞いでいるのに、俺はしーっとジェスチャーを取る。

 

「ちょっとバレずにレースを見たいんだ、コート借りて良いか?」

 

「あ、あっ、あっ、ど、ど、どうぞ、これをどうぞ」

 

「おう、サンキュ……これで良し、悪いな」

 

「い、いえ! そ、その! お帰りなさいませぇ―――!」

 

 手を振って感謝を告げてから借りたコートに袖を通し、フードを被って頭を隠す。特徴的な赤毛が見えなければまあ、多少はマシだろう。トレセン学園の冬服を着ているとはいえ、流石にコート抜きはちょっと厳しい寒さだったかもしれない。うむ、ヨシ。

 

 常備している口紅でシャツにサインしてやってリリース。応援ありがとな。

 

 レース場に発狂者を生み出しながら助けられてパドックの見える所まで行けば、他のスピカが揃っているのが見える。フードを被っていても近づけば俺の事が解るだろう、近づくと笑みを浮かべて沖野Tと西村Tが挨拶してくる。

 

「よう、寝坊助」

 

「遅かったね、フィアー」

 

「やっと起きましたわね」

 

「席は確保してますよ」

 

「やあ、やあ、やあ」

 

 我が所業に関してはノーコメント。起きるだろ、と信じてたのかスピカ面々は割とノリが緩い。そこにちょっとだけ救いを感じつつスピカで確保されたスペースからパドックの様子を見る。バ道を抜けて出てきたディーが勝負服姿で皆に見える所に立つ。

 

 輝くバ体、ハリのある肌、艶やかな黒毛……表面上は仕上がっているディーの姿がそこに見えた。

 

「トレーナー、調整手伝ったでしょ」

 

「東条トレーナーに頭を下げられちゃってね。それでも下がり調子な所は止められなかったかな」

 

 そう、表面上は完全に調整されたコンディションであるように思えるだろう。少なくとも肉体的には完璧なラインまで仕上がっている。だが一目見れば解る、彼女の中身はぼろぼろだ。今にも崩れ落ちそうな程に脆くなっている。それだけ彼女のメンタルがぼこぼこにやられているという事の証拠だろう。

 

 ウケる。

 

 いや、欠片も面白くないが……。

 

「で、どうするんだい? 声をかけてあげるのかな」

 

 シービーの声に、俺はちょっとだけ姿が皆の陰に隠れるように立って、頭を横に振った。

 

「今姿を現したり声を出せば多分一気に精神的に持ち直すだろうけど……あんまり、良くないと思うんだよな」

 

 結局、それって走る理由の全てを依存させてるって事だろうし。こうなってしまった手前、偉そうなことはあまり言いたくはないし、言うべきでもない。だが勝負の世界は非情で、ウマ―――馬の命が暗殺や事故、薬で失われ、レースが走れなくなるというケースは歴史上そう珍しい事でもなかった。

 

 だから、俺が走れないケースだって別段、ありえなくもない話だ。

 

 その度に調子を落とすのか? 俺は思う、ディーは今が一番苦しい時期だと。俺も、割と肉体も精神的にもキツイ部分がある。何も答えは見つけられていないし、解らない事は多い。だけど悩む事はそう珍しい事ではないし、特別な事でもない。

 

 俺たちはそうやって迷って、苦しんで、考えて成長する―――俺もそうやって成長している最中なのだ。

 

「信じて見てる事にするよ」

 

 語り掛けるべきではないと思う。

 

 結局―――ターフに立つ時は常に1人なのだから。

 

 

 

 

「ディープインパクトさん」

 

「……ゼンノロブロイ、さん」

 

「ロブロイで大丈夫ですよ」

 

 ゼンノロブロイ、昨年クラシック戦線で誰よりも活躍したウマ娘だった。その勢いはシニアに入っても衰えず、今年のシニア戦線で最も活躍した1人だと言われている。それが今日、自分と同じ有マに出場している。恐らくは誰よりも得難い強敵として。その姿にぺこり、と頭を下げる。

 

「実はディープさんとは前から会って、話してみたかったんです。中々機会が得られず、スケジュールが合わずでこのような場になってしまいましたけど」

 

「そう、なんですか……?」

 

 初めて聞く事に首を傾げるのを、面白がるようにロブロイが苦笑する。

 

「はい……これは少し、唐突な自分語りになってしまいますが、実は私、ロブ・ロイの英雄譚に憧れてまして」

 

「……?」

 

 微笑む様に、ロブロイが話を続ける。

 

「英雄譚に憧れた私はトゥインクルでデビューするのにあたって、誇れるような英雄になりたいと思ったんです。レースで走って、勝って、控えめな自分を変えて―――誰もが認めるような英雄に、そんな私になりたい。そう呼ばれるようになりたい、と」

 

 ですが、と言葉は続く。

 

「私のクラシック期、その年末に英雄と呼ばれたのはディープさん、貴女でした。その走り、風格、全てが人を引き付けて魅了していました……少しずつ、地味でも走れば、勝てば理解される……そんな考えはただの甘えで、幻想でした」

 

 そして、ロブロイは打ち立てた。オペラオー以来誰も達成しなかった秋の三冠達成を。オペラオー、そしてゼンノロブロイ、彼女達のみが秋の三冠レース制覇という偉業を成し遂げたのだ。そんなシニアのウマ娘から、プレッシャーとも言える威圧を感じる。

 

「……ディープさん、楽しみです。今日、貴女と走れる事が」

 

 振り返り、離れて行く。

 

「出来れば……本調子の貴女と走りたかったです」

 

 少し離れた場所で観客に手を振るロブロイの背中姿を見て、自分の手に視線を落とす。

 

「借り物の剣を握った英雄だなんて……」

 

 そんな名声、相応しくない。握る剣も、目指すゴールも全て借り物なのに。自分のものだと言えるものは何一つとしてないのに。

 

 それでも、レースの開幕は近づく。

 

「私は―――」

 

 何故、走るんだろう。客席を見て、観戦に来ているスピカやリギルの姿を見つけ出す。そこから逃げるように視線を逸らし、目を瞑る。

 

 答えが出なくても、レースは始まる。

 

 未だ暗雲、晴れず。




ゼンノロブロイ
 英雄になりたかった。名を先に取られた

ディープインパクト
 英雄になろうとも思わなかった。相応しいとは思ってない

コートくん
 サインされたシャツを脱いで保管した。半裸で有マを観戦する英雄


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43話 有マ記念 Ⅲ

『―――ディープ、生まれてきてくれてありがとう。そして産んでしまってごめんなさい』

 

『愛しているわ、ディープ。貴女を心の底から。でもね、同時に貴女は生まれなかった方が良かったのかもしれないと思うの』

 

『サラブレッドとして生まれたら、走る事でしか貴女の心は満たされないわ』

 

『途中で諦めがつくか、それとも走り切るのか……どちらにせよ、サラブレッドとして生まれた以上、背負う運命は一緒だわ。私達は走るのよ、ディープ』

 

『ふふ……言っている意味は解らないわよね。えぇ、そうね、今はそれで良いのよ愛しい子……出来る事なら才能がなく、諦めの付く子であって欲しいわ……才能を持って名家に生まれた者の末なんてそう楽しいものでもないのだから』

 

『ディープ……ディープ、私の子……貴女は才能に満ち溢れた子なのね……あぁ、なんて事……競バの世界は残酷よ。どれだけ頑張った所で人は忘れる生き物なのよ。楽しい事も、辛い事も、時の前に風化する生き物なのよ……』

 

『どれだけ頑張ろうが、どれだけ輝こうが……現代という導から離れれば離れる程人は過去の栄光として語るだけよ。その視線は常に現在しか見ていられないのよ』

 

『それはとてもとても残酷な事なの。私達は忘れられる生き物なのよ』

 

『だから、ディープ。貴女だけの星を見つけなさい』

 

『走る時、貴女を導いてくれる星に……貴女だけの星に―――』

 

 ―――ふと、母の言葉を思い出した。

 

 最後に会ったのは何時か。最後にまともに話したのは何時だったか。母の印象は薄い。愛の形を全く覚えていない。記憶にあるのは本家の人たちにひたすらトレーニングを課せられ、義務のように走り続けた記憶だけだ。家に良い思い出は無い。

 

 だけど何か……何かあった気がする。思い出せない程遠い昔に。まだ幸福だった記憶が。

 

『さあ、各ウマ娘ゲートイン……流石に有マともなると手間取る事もありませんねえ』

 

『良い集中力です。これは好走が期待できますよ』

 

 ゲートの中で意識を高める。集中力を高める。散ってしまいそうな頭の中身を整えてレースに切り替える。余計な事は考えない―――考えちゃいけない。今日の相手は余計なタスクを抱えた状態で勝てるような相手ではない。

 

 有マ、1年の終わり、年末の大一番。暮れの中山に憧れるウマ娘は多い。それは彼女達が、今年を代表するウマ娘であると認められたが故だろう。だから私も、この一年を代表するウマ娘になれたという事だ。

 

 ―――そこに、彼女はいないのに。

 

 ゲートが開く。

 

『今! 有マ記念開始です!』

 

「っ」

 

『おぉっと、ディープインパクト遅れたか!?』

 

『彼女は追込み脚質ですからねえ、わざと遅れた可能性もありますよ。事実、何時も通り飛び出て下がる方向性だった場合は威圧の嵐を受けていたでしょう』

 

 集中力が途切れて出遅れた―――酷いスタートだ、こんな走りを見られたら笑われてしまう。だけどそれが功を奏して威圧やデバフを避ける事が出来た。スタート直後の混戦に捕まる事無く後ろへと下がって行く、前の方で控えるゼンノロブロイを見る……そこに並ぶのはハーツクライか? 東条トレーナーからあの2人は要注意と言われているのを思い出す。

 

「……良い、何時も通り走る、だけ」

 

 何時も通り―――何時も通り走って差すだけ。

 

 マークしようにも私は最後方で控えている。マークしたくても後ろには下がって来れない。必然的に前の方で走るしかないウマ娘達は此方を意識しながらも自分のペースを保って序盤戦を抜けて行く。

 

「……」

 

 足が重い。

 

 体が鈍い。

 

 向けられる威圧を呼吸で受け流して行く。向けられる視線を無視する。それでもちくり、ちくりと心に突き刺さるものを感じる。前方を見れば堂々と走るシニア期のウマ娘の姿が見える。堂々と、夢を追いかけて走る姿は嫉妬さえ覚える。

 

 どうして、私にはないのか。

 

 ―――乱されるな。

 

 心を無にしろ。

 

 余計な事を考えるな。レースに必要な事だけを考えろ。

 

「……」

 

 思考がばらばらだ。まともに集中できていない。レースなのに、レース中の筈なのに。私は、レースだけは完璧なのに。それ以外が壊滅的なのはレースさえ走れれば良いからなのに。

 

 余計な事を考えるな。

 

 黙れ。

 

 煩い心。

 

 走れ―――走れ、ディープインパクト。お前の価値はそこだけにある。

 

 呪いの様な言葉が絡みつく。家で言われた事だったか? 自分自身の言葉か? 走りだしてから頭が重い……いつも以上に気が滅入る。前を走る姿を見ても考える事は何時加速するか、どういうコースを取るかという程度で細かい事を考える必要はない。

 

 末脚で全部踏みつぶして前に出るだけで良い。

 

 そのタイミングを間違えなければ良い。内は駄目だ、コースを塞がれてる。大外から捲って勝てば良い……良くあるパターンだ、下手な事を考えずに全部踏みつぶせ、ディープインパクト。私はそこだけは誰にも負けない最強だろうが。

 

 解っているのに……解っているはずなのに。

 

 中盤に入っても、足が加速しない。そろそろ前に出るべきだ。中盤で加速し、速度を乗せて終盤へと向かう。そこからはもはやミサイルのように全てを抜き去ってゴールを切れば良い。ゼンノロブロイは強敵だが、勝てない相手ではない筈だ。私にはそれだけの能力が存在している筈だ。

 

「はぁ―――はぁ―――」

 

 息が苦しい。加速するべきタイミングで加速できていない。速度が乗らない、誰かの領域が重く圧し掛かっている? いや、確かに領域の展開は感じている。だがそれ以上に自分の心と頭がぼろぼろだ。ちゃんと走ろうと思って心が走れていない。

 

「うる、さい……!」

 

 考えが煩い。振り払いたい雑念。だけど走っていると自然と余計な事ばかり思考に浮かび上がってくる。どうして、どうして、どうして―――!

 

 大事なレース、1年を締めくくるレース。ここで勝てないようであれば国内世代最強を名乗る資格なんてない。私は負けない、負けてはならない、そういう風に走って来た筈だ、そういう者を背負ってきたはずなのに。

 

「―――っ」

 

 段々と視界が黒く塗りつぶされて行く。

 

 心が闇に閉ざされて行く。

 

 走る事から力が抜けて行く。

 

「何のために、走ってるんだろ……」

 

 原因はクリムゾンフィアーの事―――ではない。

 

 彼女は自覚の一因でしかない。そう、ディープインパクトは元から気づいていた筈だ。全てを他人任せにしていた人生を。走る理由も、学園に通う理由も、将来も、全部他人任せにしていた。そのツケがここでついに牙を剥いた。

 

 徐々に、徐々に首に食い込む毒牙が今この瞬間完全に喉に食らいついた感覚。これまで誤魔化して逃げてきた難題へとぶち当たる。レース中に考える事ではないだろう。だが前へと踏み出そうとするディープインパクトの意識は今この瞬間、闇へと落ちる事を自覚した。

 

 どうして、走るのか。考えて考えて考えて、だけど答えは出ない。

 

 それもそうだ、理由なんてなかった。言われて走った。言われたから走った。そしてそれだけで良かった。それに何かが付随するようになったのは最近の事で、それまでの中身は無かった。いや、誰かに依存してただけでそこからも中身は何もなかった。

 

 それは悪い事なのか? 他人を理由にして走る事は?

 

 例えば褒められたい。例えば誰かに認められたい。例えば誰かに並びたい。確かに、フィアーと並びたい、一緒に走りたいという想いは確かに熱を生み出した。それはディープインパクトの人生において最も熱量の灯った瞬間だった。

 

 だが、足りない。信仰心が足りない。

 

 祈りが足りない。

 

 足は重く、泥沼に引きずり込まれる様な感触さえする。

 

 まだ前には10を超えるウマ娘の姿。中盤も中盤、終盤へと備えるウマ娘の姿も見えてきた。だというのに未だに闇は濃く、前が見えない。ゼンノロブロイは既にゴールへの道筋を捉えて走り出し始めた。アレを止めるのは至難の業。

 

「な、のに―――!」

 

 加速しない。加速したいのに体が前へと動かない。どうした、足。どうして走らない。やはり足りないからか、熱量が、胸を焦がす様な領域(いのり)が。

 

 ディープインパクトには領域がない。それはそうだ、まだ自分の願いも何もない奴が領域を発現させられる筈もない。つまりこの場で、一番劣っているのは己に他ならない。当然の始末だ、これまでずっと他人の祈りを借りて走って来た代償だ。

 

 何たる無様。何たる不快。何たる悪行。

 

 愚鈍、愚鈍に過ぎる。

 

「私は―――」

 

 風を切る声が漏れる。熱が見つからない。力が入らない。失速しそうだ。あぁ、そうだ、だったらもう……諦めても良いんじゃないだろうか。走る事を、勝つ事を……求めた結末には程遠く、欲しかったものは届く前に倒れて。

 

 復帰だってもう、絶望的だって解っているだろうに。

 

 彼女が起きたって、また本来の様な走りが出来るかどうか不明だ。

 

 だったら私ももう……走る意味なんて、ないんじゃないだろうか?

 

 ―――それはどうかしら。

 

 ちらり、光るものが闇に見えた気がする。

 

 スーパーカーと呼ばれたウマ娘の姿を幻視する。それはどうかしら、と一言を付け加えて。本当に走る意味なんてないのだろうか? だったら私は今も何故こんなに苦しみながら走る理由を求めているのだろうか? 苦しんで、足を止めたくてもまだ走っている。練習だって重ねてきた。諦めず、折れずに、そして今も走っている。

 

 心はぼろぼろで、メンタルも笑っちゃうほどに最悪だ。今にも闘志は折れてしまいそうで、足を止めたくなる。自分の心の弱さに嫌気がさしてくる。優柔不断で、誰かに頼らないとちゃんとした意見さえ口に出来ない……己の醜さが。

 

 ―――それでも君は走り続けている。

 

 皇帝と呼ばれているウマ娘の姿を幻視する。誰だって最初から完璧ではない、とそう教えてくれた。だって皇帝でさえ、最初はその考えを誤った。道を間違える所だった。それでも支えてくれる人たちが存在してくれたおかげで己の道を進む事が出来た。何も、悩む事は悪い事ではないと、何時も教えてくれていた。

 

 闇に沈みそうな意識。

 

 走る事を諦めそうになる。

 

 それでも走る―――走っている。走り続けている。諦めたくはないから。テイエムオペラオーが、エルコンドルパサーが、グラスワンダーが、ヒシアマゾンが、ナリタブライアンが―――そう、チームの皆は何時だって気をかけていてくれた。今更心が折れそうになってそんな事を思い出す。

 

 練習中でも、私生活でもさりげなくフォローしたり、面倒を見たり、励ましてくれたり……そんな小さな事の積み重ねを今更、本当に今更ふと思い出す。

 

 そういう小さな積み重ねによって自分は今支えられ、走っている。

 

「―――」

 

 息を呑む。中盤の終わりが見えた。加速しなくてはならない。熱を、熱を探さなくてはならない。

 

 我が胸を焦がす熱量。暗闇に浮かぶ光を、私だけの星を。私は何を導に走っている? 私はどうして走りたがっている? 今は横にいない、そこにいない星で何を求める?

 

「ち、がう―――」

 

 帰ってくる。

 

 必ず、彼女は帰ってくる。

 

 赤毛の暴君は必ず帰ってくる。

 

 それを誰よりも自分が、ディープインパクトが信じなくてどうする。何を弱音を吐いている。走る理由なんて結局そんなもんだろう。私は最強のライバルと最高のレースがしたいんだ。持って生まれた才能、環境、継承したもの、その全てを燃やし尽くして尽くせるような全力を出し尽くしても勝てない様な敵が、運命が欲しい。

 

 そう、運命。私を亡ぼすほど強い運命に出会いたい。走りたい。潰し合いたい。

 

 ―――それが貴女であって欲しい。

 

 かちん、と弾丸が装填される。

 

 意思を弾丸に、決意をトリガーに、そして熱量を火薬に。

 

 ここに至り、苦しみの底で苦しみ続けて漸くディープインパクトは己の祈りを見出す。

 

 即ち、最強。

 

 己こそが最強であるべき。最強でならなくてはならない。そうしなくては釣り合いが取れない。彼女に対して。誰よりも強く、自由に輝く星である彼女と並ぶ為には―――己の命を、覚悟を全て燃やしてでも走らないといけない。

 

 足が重い? 余計な思考がノイズになっている? 何を甘えているんだディープインパクト。

 

 その程度全て踏みつぶしてこその己だろうが。

 

 ―――最終コーナーが見えた。

 

 息を吸い込む。上がる。足の重さは消えた。頭の整理は終えた。敗北の予兆は殺した。1人、2人、3人、撫で切ってから引きずりだした。

 

「《汝、皇帝の神威を見よ》」

 

「あっ?」

 

 呆けた声が聞こえるのを無視して抜き去る。まだだ、まだ遅い。もっと速度が必要だ。加速力が足りない。コーナーが見えた。固有を引きずりだす。

 

「《紅炎ギア/LP1211-M》」

 

 限界を超えた加速力が一気に体をトップスピードまで運んで行く。有象無象を撫で切りながら最終コーナーから一気に先頭集団に紛れ込む。その一瞬で全てを置き去りにしながら追いつく―――前を走るのはゼンノロブロイ、そして追い比べするハーツクライ。

 

 ちらり、と視線が向けられる。

 

 凶悪としか呼べない笑み。人の良さからは感じられない本能全開の表情。

 

 だがそれは此方も同じだ。遠慮は無い。躊躇もない。

 

 英雄の剣が振るわれる。有マというコースにおいて大きな力を発揮するロブロイの固有が困難を断ち切るように放たれる。それに対して此方も漆黒の風を纏う、暴風となってターフの上を駆け抜ける事で正面から対峙する。

 

「っ、負けるか……!」

 

「―――」

 

 過ぎ去る姿を見ない。前を見る。祈りとは熱狂。信仰心とは狂気―――信じるのはただ一つ、最強である己の事を。己が最強であるとの証を。そうすれば絶対に、彼女は並んでくるから。確実に、それを許さないから。己こそが最強だとその声を轟かせたいのはきっと彼女もそうだから。

 

 だから矜持を……そう、まだ浅く価値もないプライドを両足に込めてターフを砕くような思いで走る。目の前にはゼンノロブロイの領域たる剣が振るわれる。それを形成したばかりの領域で拮抗させ、ぶつけ合い、精神の削り合いに入る―――可愛い顔をしている癖に精神性は強固だ、見た目通りじゃない。

 

 領域のしのぎ合いは不利、なら単純な暴力で誤魔化す。

 

「っ、ぅぅぅぅぁ―――!」

 

「負、け、ま、せん―――!」

 

 歯が砕けそうになる程食いしばる。瞳孔が開くほど強く前方を睨んで走る。横を見ない。引きずりだした継承領域の効果なんぞとっくに切れている。それでも自分の心を燃焼させて走る。

 

 1歩。

 

 2歩。

 

 3歩。

 

 抜いた。ハナ差。抜けた。差した。差し返された。

 

 ターフの上で咆哮する。序盤の怠慢が足を引っ張っている。いや、アレがあったからこそ今の己があるんだと自覚し、軋む足を意思で補って踏み込んだ。既に意識は肉体を凌駕している。レースの後にぽっきり折れても不思議ではない程の加速力と速力。

 

 でも折れない。

 

 心は何よりも熱く滾り、熱を体に回す。それが今、ディープインパクトが出来る唯一の証明だから。結局、それは走る理由は他人に投げっぱなしかもしれないけど。

 

「それで良いっ……!」

 

 開き直った。正しいか、間違っているかなんて解らない。それでもそうと決まったらもう、負けない。

 

 抜け出す。ラスト50メートル。スタミナはまだある。全てを燃やし尽くして更に加速する。距離が空く、それを確認せずにそのまま一気に―――捉えられる事なくゴールラインを切る。

 

 10数メートル減速しながら駆け抜けた所で立ち尽くし、空を仰ぐ。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ―――」

 

 爆発する歓声の中、大粒の汗を垂らしながら荒く息を吐く。整えようと必死に胸を押さえる。だけど生きている事を主張するように心臓は高鳴り続ける。それが何かを主張している様に思えて、視線を観客席の方へと向けた。

 

 そこで、リギルとスピカの集まりを見た。

 

 見慣れたチームメイトたちの姿と、ライバルのチームの姿に。

 

 そこに交じる赤毛の姿を見て、涙が流れる。

 

「フィアさん―――ううん……くーちゃん、私、解ったよ」

 

 祈りを、祈る意味を、やりたい事を。

 

 焚きつけられたのでも、与えられたのでもなく、自分で捧げられる熱量を。人はそれを見て結局何も変わってないと言うかもしれない。だけど私にとっては答えだった。人生で初めて自分で考えて出した答え。

 

 だから熱量を胸に、息を吐く。

 

「最強は、私だ」

 

 年末の覇者ディープインパクト―――ここに、覚醒を果たす。




ディープインパクト
 覚醒完了

クリムゾンフィアー
 ちゃんと責任取れと周りから蹴りを入れられてる最中

シンボリルドルフ
 継承させたら強そうだったし……と供述しており

マルゼンスキー
 あまりにも可愛くて……と供述しており


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44話 これからうまぴょいします

 ……ちらっ、と控室の前で足を止めて中を伺えないか確認してみる。小窓があるが中は見えないタイプのガラスだ、当然どうなっているかは解らない。ならしゃーねーわ。帰るか。おっほっほっほ、と踏み込みから動作の全てを気配遮断しつつ音を殺して完了させると、

 

「良いからはよ向き合え」

 

「ごぁっ」

 

 ゴルシの低空ドロップキックに蹴り飛ばされ、床を転がる。思わず乙女らしからぬ鈍い声が漏れるが、そんな事を気にせずにスぺが俺の足を掴み、控室の扉をあけると一気に俺の姿を投げ入れた。

 

「あげます!!」

 

「あげません! じゃないのかよ……」

 

 その変化球は欲しくなかったなあ……なんて事を控室の床に転がされながら思う。あぁ、床ぺろよ……ネトゲやってると割と慣れてしまう概念な辺りアレだ。床から視線を持ち上げると東条トレーナーとディーの姿がある。にこり、と笑みを浮かべると東条トレーナーが視線を逸らした。

 

「……ライブまで席を外すわね」

 

「Oh……」

 

 まさかの人にまで逃げられた。マジで? 東条さんまで逃げるの? マジかぁ……。ちょっと怖くなって来たぜ、へへへ。

 

 そう考えている間にも室内にはノームーヴメント、即ち動きはなし。怖いなぁ、怖いなあ……なんて考えながらよろり、と立ち上がる。クリムゾンフィアーは本能的に卑怯タイプなのでここで軽くよろめく事で病弱アピールをしておくのだ。

 

「はは」

 

 立ち上がった所で、目の前にはディープインパクトの姿があった。勝負服を着てびしっと決まった姿はまあ、カッコいい。いや、うん、言い直そう。実はかなりカッコいい。そんなカッコいい漆黒の英雄は真っすぐ感情の読めない視線を俺へと向けてきている。

 

 うむぅ……どんな面して話せば良いのだろうか。

 

 1回死んで生き返ろうが、未熟なのは未熟。

 

 人間、1回死んだ程度では別に全てを悟れるという訳じゃない。精々、命の意味と世の無常さを理解できる程度の事だ。それだって生きる上では無駄でしかない知識だ。必要すらない―――だから、俺はマミーの言葉に真理を見た。

 

 世の中、馬鹿になって生きた方が絶対に楽しい、って。

 

 だから悟ったような仮面を剥ぎ棄てた。こんなもんいらないだろ、って。結局の所超人になったって幸せになれる訳じゃない。迷い、苦しみ、間違える事があるのは今の俺が証明している。だから、まあ……なんというか。

 

「ごめん。遅くなったわ」

 

 誤魔化すように申し訳なさの笑みを浮かべると、ディーが堪えきれないと言わんばかりに涙を流して突撃してくる。それを甘んじて胸で受け入れ―――あ、駄目だ。踏ん張りが利かない。扉まで押し戻されて潰される。

 

「くーちゃん、くーちゃん、くーちゃんっ、くーちゃん……!」

 

「あぁ、うん、そうだよ。俺だよ。ここにいるよ」

 

 がすっ、がすっ、がすっと音が響く。地味に叩き込まれるブローが痛い。お前、この半年で大分筋力付いたな―――いや、俺が寝てて衰えたのもあるのだろう。正しく本格化で成長しているのだ、ディーは今は国内最強クラスの能力を持っているだろう。

 

 そしてそれは今夜、この有マで証明された。

 

「早く、起きて欲しかったっ!」

 

「迷ったんだよ、己の価値に」

 

 死を願うものがいるなら、まあ、死んでもいっか……程度の考えだった。まあ、こうしてみれば間違った選択肢だったのだろうが。そもそもそこまで自分の命に頓着しないのが悪いと言われたらはい、ごめんなさい。私が全面的に悪いですとしか言えない。

 

「不安だった、心配したの、寂しかった……!」

 

「あぁ、全部俺が悪い。ごめんな」

 

 ぽんぽん、と頭を撫でる。ぎゅう、と抱きしめてくるディーの尻尾が俺の足に絡みついて離れない。俺も尻尾をディーに回して抱きしめる。本当に申し訳ないし、こうやって抱きしめて人の体温を感じるのは落ち着きを覚える。

 

「どうして、こんな事を、したの?」

 

「俺、あんまり自分の価値を信じてないんだ。どれだけ活躍して、どれだけ頑張った所で……結局、別の誰かが出来る事なんだ。もはやこの世に唯一無二なんて物はない……だったらそこに存在する意味はあるのか?」

 

 結論から言えばそれだ。俺は俺の価値を信じてはいないだけ。だけどあると、そう言ってくれる奴がいる。それだけで少し救われた気持ちになる。俺にも、価値はあるんだと思える。

 

「もう、どこにもいかないで」

 

「国外に行っちゃだめ?」

 

「そういう意味じゃ、ない」

 

「解ってるって。冗談だよ、冗談」

 

 そう言うとディーが見上げるように顔を持ち上げ、ぷくーと頬を膨らませた。それを笑いながら見下ろす。段々といつもの調子を取り戻してきた気がする。俺も存外馬鹿な事をするもんだわ、と思える程度には。

 

 と、そこで、

 

『ディープインパクトさん、そろそろライブの時間です』

 

「あ。はい」

 

 レース後のライブの時間となってしまった。名残惜しいが、一旦解散だ。

 

「よいしょ」

 

 離れようとしたらそのままディーに担がれた。

 

「今、行きます」

 

「待って♡」

 

 片手で俺を肩に担ぎ、もう片手で扉を出て廊下に出ると、スピカとリギルの面々が揃っている。抱えられている俺を見て、そしてディーを見て、静かに皆が道を開けた。

 

「お前ら少しは止めろよ」

 

「止めたくないし……」

 

「あげますッッ!!」

 

「スぺちゃん新しいネタをアピールしたいのぉ?」

 

 手を振って見送ってくれるマルゼンスキーに俺も手を振り返す。これがドナドナされる気持ちなんだろうか。というかスタッフまで見て見ぬふりをしている。いい加減にしろよ、俺は部外者だぞ。じたばたしてみるが全くディーが解放してくれるような気配はない。

 

 その間にいよいよ舞台裏にまでやってくる。そこには今年、有マで走った優駿たちの姿が揃っていた。ディーの肩に抱えられたまま視線を前に向ければ、そこにはロブロイとハーツクライの姿がある。片手を上げて懇願する。

 

「助けて」

 

 俺の言葉に対して無言でロブロイがスマホを取り出し、俺の復帰早々のウマッターの呟きを表示する。

 

「少しは反省するべきだと思います」

 

「おのれロブロイ・ホームズ」

 

 うおおお、俺を解放しろー。じたばたじたばたしてみるが、俺を床に下ろしたディーの代わりに今度は両側からロブロイとハーツクライに確保される。駄目でしょこれ。絶対にダメだろこのパターンは。助けを求めて視線を巡らせると、有マ記念に参加した連中が良い顔をしている。

 

 と、舞台裏に潜む8Bitサングラス姿の謎の元カイチョーの姿を発見した。

 

「も、元カイチョー! いたんすね!」

 

「実益を兼ねた趣味だ」

 

 そう言いながら理事長が持つような扇子を取り出し―――ば、と広げてGOのサインを出す。ついには舞台の方からはBGMが流れ出す。年末、有マ記念、ここで流れるBGMなんて決まっている。伝説的な程の電波ソング……!

 

「さ、行くぞクリムゾンフィアー。腹をくくれ」

 

「年末を楽しく締めくくりましょうか」

 

「逝こう、くーちゃん。ファンに、挨拶しなきゃ」

 

「なんでお前ら結託して―――あ、この流れ事前に相談したな!? 俺がいない間に事前に相談したなこれ!? 何時!? 何時相談してたの!? あ、話を聞かねえうっそだろマジでやるのこれ!?」

 

 うおー、と叫んでももう遅い。既に舞台の幕は上がる。有マに募った皆の前に引きずりだされる。当てられるスポットライト、一部では死体蹴りライブとまで言われるこの文化は俺を殺しに来ていた。羞恥心で今にも爆発しそうな気持ちの中、マイクに向かって叫ぶ。

 

う、うまぴょい!




クリムゾンフィアー
 振りつけ完璧だったが後半体力が尽きて床に倒れたままライブは終わった

ディープインパクト
 最後は担いでライブ終わらせて持ち帰った

良く知らないアメリカ人のおっさん
 最前列で号泣しながらサイリウム振ってた


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45話 1年の終わり

 冬の空気は寒く、肌を刺す。

 

 そもそも冬が苦手な俺は割と厚着する。コート、手袋は基本装備だ。そこにマフラーを付けても良い。今日は変装の意を込めて8Bitサングラスを装着している。髪の毛はまあ……変に弄りたくないしローポニーで纏めてある。なんだかんだで何時も通りの恰好かもしれない。

 

 そんな俺の横には同じように私服にコート姿のディーが。そして正面には年末の聖地―――そう、すなわちは東京ビッグサイトの姿がある。有マ記念が終わった。なら次の聖戦はなんだ? そう! コミケである!

 

「今年は2人でコミケに来れたなあ」

 

「去年は、家にいたから、ね」

 

 頷く。去年の暮れは忙しかったのもあるが、ディーは実家に幽閉されていた事もあり一緒に遊びに出る事は出来なかった。だが今年は最初からウチで年末年始を過ごす予定だし、何よりもノーザン本家も、

 

 “へ、へへへ……赤毛のダンナとなら何も問題ありゃせんぜ……へへへ”みたいなノリなので問題は一切なかったりする。まあ、アメリカ三冠ウマ娘と一緒に居たら堕落するぞ、だなんて言葉がこの世で誰が言えるのかって話だが。

 

 そう言う訳でディーとは年末年始、ずっと遊ぶ予定だ。その一環で今日は年末のビッグサイトに来ている。というのも俺はコミケ自体は割と行っている方だし、今年も知り合いのサークルに顔を出す予定だ。だがディーは夏も冬も未経験、となるとこの古戦場の様子は大いに驚きだろう。

 

 ビッグサイト入場の列に並びつつ、動き出すのを待っている。並んでいる人は多いが、トレセン学園等の勧めから実はこっそりとここにSPが数人紛れ込んでいる。ファイモ殿下に紹介して貰った王家御用達のスペシャルな連中だ。金はクラシック三冠で余らせているから正直困ってはいないし、雇わせて貰っている。そう言う訳で俺のお出かけはもはや誰にも止められない。

 

「列長いね」

 

「まあ、毎年こんなもんだよ。徹夜組とか元々はいたけど最近は見つけ次第嘘の列に並ばせて排除する方向になってるからな」

 

「そんなのが」

 

 うん、徹夜組は割と迷惑って話だからね。まあ、欲しいもんの為に長く並ぶのは解るけど。

 

「お、前の方が動き出したな」

 

「私達の、所までどれぐらい、かな」

 

「まあ、10分20分って所じゃないだろうな……」

 

 コミケ入場の列、待たされるときはマジで待たされるからなあ……とぼやきながらディーと二人で並んで入場を待つ。こういう時、ソシャゲとか遊んで時間を潰せるのが楽だ。中には持ち運びできる小型の椅子を持ち込んでいる人の姿まで見える。

 

 それなりに並ぶのにも慣れたもので、スマホを取り出してディーと雑談しながら時間を潰す。まあ、話の内容なんてあってない様なものだ。日常的な重大な話が飛び出してくる事なんてないし。未だにちょっと体が不安定なので杖ではなくディーに体を支えて貰いつつ和気あいあいと列に並んでいれば、やがて入場できる所までやってくる。

 

「おぉー、人が、多いね」

 

「まあ、コミケやしな。ほれ、はぐれるぞー」

 

「ん」

 

 手を出すとディーが繋いでくるのでそのまままずは知り合いのサークルの所へと向かう。ウマ娘系健全オンリー本の島へと向かえば、ちょっと大きめのスペースを与えられたピンク髪のウマ娘の姿が直ぐに見つかる。どうやらそれなりに盛況らしい。客を捌いた所で片手を上げて挨拶をする。

 

「デジタル殿ちっすちっす」

 

「こんにちは、デジタルさん」

 

「はわっ、こ、これはフィアーさんにディープさん! もしやもしや私なんかの為に此方へ……? うっ、申し訳なくなってきた、滅します!!」

 

 そう言うとアグネスデジタルは体の端から塵になって消滅し始めた。それをディーと二人で抑え込んで元に戻して行く。リアルな後藤ひとりってこういう事なんだろうなあ、なんて事を勝手に思ってしまう。ぼざろ、良いよね。

 

「身内知り合いのサークルはちょっと回って来ようかなって。デジタル殿、これ差し入れ。ウチで焼いて来たものだからクオリティは保証しないけど」

 

「美味しいです、よ」

 

「て、手作り……!」

 

 差し入れ用に持ってきたマドレーヌをデジタルに渡す。感動の様子で受け取ったマドレーヌを大事そうにしまう―――いや、飾ったりしないでちゃんと食べてくれるよな? デジタルは確か寮住まいだったし後でタキオンにでも確認しておくか。

 

 マドレーヌを目を輝かせながら見てるデジタルを無視し、ディーはデジタルの出してる本を確認している。ジャンルはオリウマ娘の日常系ゆるギャグ本らしく、緩いウマ娘達の日常的なやり取りが彩られている。

 

「デジタル殿こう、改めて見ると絵が上手だよなあ」

 

「きょ、恐縮でしゅ……」

 

 作画崩壊してるデジタルが羞恥心に悶えながら肉体を変形させている。お前、その作画崩壊どうやってるんだろうなあ……本よりもそっちの方が気になるわ。ともあれ、最初の目標はクリア。デジタルの本を1部購入して次のサークルへ。いや、しかしクオリティ高いし安定して面白いなデジタル殿の本は。

 

 今度は島を移動する。デジタルの所はまあ、そこそこ大きなサークルというか知名度がある為に人の集まりは多かった。だが此方のサークルはどちらかと言うと無名の方だ。とはいえ、売り子が売り子なので人はやはり集まる。

 

「お、あったあった」

 

「あ」

 

 サークルスペースにいる姿は眼鏡をかけて軽い変装をしているつもりだろうが、そもそも容姿が良いのでまるで正体を隠せていない。その横にいる売り子のウマ娘もまあ、知ってる奴からすると変装出来ていないと言えるだろう。相手を見つけるとディーが軽く手を上げる。

 

「ドーベルさん」

 

「ディープ来たのね。それにフィアーさんも」

 

「おっす。マックイーンもおっすおっす」

 

「手持ちのスイーツを全部置いて行けば1冊ぐらいは売ってあげますわよ」

 

「そこまでにしておけよマックイーン」

 

 テーブルの向こう側にいるマックイーンとハイタッチを決める。いえーい。少し離れた場所にはメジロライアンの姿もある為、視線を向けて軽く頭を下げる。向こうも手を振って挨拶してくる。

 

 そう、ここはメジロドーベルのスペースだ。それも少女漫画系の奴。その売り子にマックイーンとライアンが来ているのが豪華という概念を超越している気がする。国内でメジロ一族を知らない人間おらんよな?

 

 ともあれ、差し入れをマックイーンではなくドーベルに渡しておく。この女に渡すとその場で消えそうな気がするからだ。

 

「売れ行きどんな感じ?」

 

「まあ、ぼちぼちですわ。これなら用意した部数は全部はけそうですわ」

 

「それは重畳。100部刷って80部余るとか割とある話だからな」

 

「う゛っ」

 

「ど、ドーベルさん」

 

 ドーベルが急に胸を押さえて苦しみだした。その表情に俺とマックイーンとライアンがあぁ……と理解を得た表情になる。ネームブランドもなし、宣伝もなしで100部売るのはちょっとね……誰にだって苦い記憶はある。俺たちはドーベルの苦々しい思い出をそっとしておく事にした。

 

 とりあえず身内の好で此方も1部購入。ドーベルにはちょくちょくディーがお泊りしたりで世話になっていた件があるので感謝している。というかリギル所属の大型犬(タイキシャトル)がお持ち帰りしてたとか。ドーベルは寧ろ被害者では?

 

 だが見た感じ、ドーベルとディーの仲は悪くないように思えた。ディーの交友関係がちょっと見えたのを報酬に次の島へ。

 

 島を移動する。今度はR18関係の所だ。ウマ娘は天の理的にR18は禁止なのでウマ娘のえっちなものは存在しないぞ! やったあ! なのである。だから当然R18関係はヒトカス共がモデルの創作物に限る。そんなヒトカス共がえっちな絵を掲げる島の一つに、見慣れたバンダナ姿がある。

 

「よ」

 

「よ。そっちの嬢ちゃんもよう」

 

 バンダナヒトカスの姿にディーがぺこりと頭を下げて俺の手を握る。それをみてバンダナが手を口に当ててあらあらまあまあと笑う。解ってて笑ってるだろオメー。ディーが威嚇するようにしゃーってしてる。

 

 カスの出してる本を手に取ってぱららー、と流す。

 

「ナマモノはあかんやろ。常識ないんかお前?」

 

 バンダナは静かにサムズアップを浮かべて気にしてない事をアピールしている。お前もう1回警察のお世話になってこい。ついでに余罪の類もばらされて来い。こいつとは必要以上の会話はない。マドレーヌをおいてさっさと去る。

 

 次の島。ウマ娘健全オンリー島。こっちに戻ってくると安心感覚えるよなぁ、なんて話をしながらやってくる。今度のサークルはなんとウマ娘アンソロ本だ。見覚えのあるアメリカ人のおっさんと、いかつい顔の日本人のおっさんが店番をしている。

 

「おっさん、これ差し入れな」

 

「Hi Crimson、差し入れ悪いねえ。今年の本は自信作なんだ」

 

「マイケルが今年はどうしても本を出したいというから私も張り切ってしまったよ」

 

 HAHAHAと日米おっさんコンビが笑っている。日本の方のおっさんはどっか見た気がするんだけどなあ……と首を傾げながらマドレーヌを置いて行く。日米おっさんずの本は思い入れのあるウマ娘達を主役にしたアンソロ漫画だった。とりあえず1部貰っておこう。

 

 とりあえず身内のサークルは回り終わった。軽く歩いたので休息をとる為にもベンチのある所に移動し、座って休憩を入れる。

 

「くーちゃん、大丈夫?」

 

「疲れはしないけど……まあ、ちょっと辛いな」

 

「……」

 

 じー、と見つめてくるディーに苦笑を零す。有マ記念以来、西村Tに頼んでリハビリを始めて貰っている。針を打ったり、運動したり、マッサージして貰ったりするのは当然として湯治も計画のうちに入っている。とりあえず固まった体を解す事と、体力の回復、そして肉体の強化を行わないとならない。

 

 現状、どこを復帰のレースにするかという話で割と揉めている。

 

 GⅡかGⅢあたりで一度慣らしておきたい……みたいな方向性にはなっている。ただアメリカの方から凄まじいラブコールがあるので復帰戦はあっちでやるのもアリかもしれない。まあ、何にせよ未来の事は未定だ。

 

「今日は、クーちゃんの事を、ママさんに任されてるから、任せて」

 

 ふんすふんす、と意気込み十分のディーの姿に苦笑を零す。

 

「そこまで意気込まなくてもいいと思うけどなあ」

 

「病み上がりだから、駄目」

 

「ふふ、しゃーないなあ」

 

 あのまともに会話さえできなかったディーが、今では他人の心配をして率先して面倒を引き受けようとするのだ。本当に、2年という時間は彼女を大きく成長させたものだ。それに見合うだけの成長を俺が出来ているのであれば良いのだが。

 

 ま、そういう物事は結果が教えてくれる。出来るのは今を頑張る事だ。

 

「うーし! 企業ブースを回るかあ!」

 

「おー!」

 

 よ、っと立ち上がってディーと手を繋ぐ。再び人混みをかき分けるようにコミケに身を紛れさせる。

 

 激動のクラシック戦線は―――こうやって、何でもない穏やかさの中に終わった。




クリムゾンフィアー
 家事洗濯料理全部◎で実はお嫁さん適性が馬鹿高い

ディープインパクト
 家事料理洗濯全部壊滅的で今教わっている

アメリカ人のおっさん
 アンソロ本の発案者。秘書と副大統領も巻き込んだ

日本人のおっさん
 もしかしなくても滅茶苦茶偉い人


 これは完全に私の不覚でしたが、前話でうまぴょいまでの流れですが普通に有マでうまぴょいという勘違いをしてましたが、そもそもURAファイナルズ開催しない世界だとあの電波ソングが流れない世界になってしまうので暮れの中山では電波ソングが流れる事になりました。うまぴょい。


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46話 あけましておめでとうございますMK-Ⅱ

「おぉ、似合う似合う」

 

「そ、そうかな、えへへ」

 

 そう言って居間でくるり、とディーが一回転する。着た経験がないのか、藍色の振袖姿に着替えたディーは恥ずかしがるようにはにかみながら自分の姿がおかしくないかしきりに確認している。俺はそういう仕草含めて滅茶苦茶可愛いと思うが、この娘はそう言う所を信じられないらしい。

 

「あら、やっぱり似合うわね。素材が良いと何を着せても様になるわ」

 

「でしょでしょ?」

 

 キッチンから覗き込んでくるマミーの言葉にディーはちょっとだけ自信を持ったのかぐっと拳を握る。これで全日本の競バおじさんの脳味噌を順調に破壊しているのだから面白い。ルドルフ以来の無敗三冠、グランプリ2種制覇のクラシック覇権ウマ娘―――それがディープインパクトだ。

 

 そう、2大グランプリ覇者だ。あの宝塚と有マを両方とも勝ってしまうのだから凄い。それだけの才能があるのは解るが、それと達成できるかどうかはまた別の話だ。ぶっちゃけた話、モチベーションが無ければ達成できるものではない。

 

 クラシック5冠で無敗、怪物的としか表現できない記録はほぼ年末の話題を奪ったと言っていいだろう。実際の所、海外ですらディーの話をし始めている……彼女がもう少し国内で活躍すれば、明確な脅威として彼女を認識しだすだろう。

 

 ただでさえ俺、シーザリオ、ロブロイが去年は大いに活躍したのだ。もはや日本をガラパゴス環境の競バ後進国と侮る事は出来ない……いや、まあ、余り日本のウマ娘が海外向けではない事実は認めよう。その中から海外に挑戦できるレベルの連中が出てきたという風に見ておこう。

 

 いずれ、オルフェーヴルとかいう怪物も生まれてくるのだ。日本の競バ界は明るい。いや、年齢的に既に中等部辺りには通ってるかもな。今度探してスピカに連れて行くのも面白いかもしれない。

 

 そんな事を考えながら座っていた椅子から立ち上がる。俺もディー同様―――こちらは紅色だが―――振袖に着替えてある。年始の神社への参拝を一緒にやろう、という話だ。折角平和に年始を迎えられたのだ、一緒に思い出を作ろうという事で。

 

 まだちょっと恥ずかしがっているディーの手を引き、家の外へ。

 

 トレセン学園のウマ娘御用達のちょっと大きな神社へ。

 

 

 

 

「人が、いっぱい、だね」

 

「まあ、トレセン学園御用達の神社だしな。近くには出店もあるし。軽く参拝済ませたら甘酒でも飲むか……つっても俺、あんまり甘酒好きじゃないんだけどね」

 

「そうなの?」

 

「おう。甘いものはまあ、それなりに好きだけどキツイ甘さは駄目だわ。甘酒の甘さは駄目なタイプの甘さだな。……それでも飲むのが新年迎えた時ぐらいって話をすると飲みたくなっちゃうのが不思議だな」

 

「ふふ、私は好き、かな」

 

「というか大体のウマ娘は甘いもん好きだよね」

 

「うん」

 

 本能かなあ。本能だろうなぁ。馬は知らない癖に馬とどこかで似てる部分を感じさせるのは面白い話だ、ウマ娘という種は。でもエアグルーヴ、絶対にベロちゃんと呼ばれる様な姿見せないんだよなあ……。定期的にルナちゃんは目撃している気がするんだが。いや、あれはカイチョーか。

 

「とりあえず一発参拝決めておくか」

 

「ちょっと、並んでるね」

 

「まあ、直ぐはけるだろ。参拝すると言っても大して時間かからないし」

 

 細かい礼儀? 作法? まあ、めんどくさいし別に細かい所には拘らない。そういう小難しい部分はその道のプロを自称する自尊心の高い方々にお任せすれば良い。俺たちが参拝するのは単純にそういうイベントを楽しむ心の為だ―――そう、つまりは心の栄養補給という奴だ。

 

 こういうイベントを楽しめなくなると人生終わりだ。だから楽しめるもんは楽しんでおかなければならない。本殿で参拝する為に列に並ぼうとすると、見覚えのある姿が既に並んでいるのが見えて思わずお、と声を零してしまう。

 

「おや」

 

 向こうも此方を見つけ、声を零す。列に並んでいるのはタキオンとモルトレの姿だった。

 

「あけましておめでとう、フィア君にディープ君じゃないか。その後の調子はどうだい」

 

「あけおめドクター。悪くないよ、一番キツイリハビリコースを西村に頼んだから血尿は覚悟しろってさ」

 

「ははは、それぐらいは受けて然るべきだねぇ。所でカフェとはもう逢ったかい? カフェのトレーナー君がおみくじを何度引いても大凶しか引かないから顔を合わせて首を捻っていたよ」

 

「呪われてるのかなぁ……」

 

 ディーの言葉に俺とタキオンは腕を組んで俯く。まあ、カフェトレの運の悪さというか、こう……明確にこいつ呪われてるなあ……って感じ察せる所は言葉で表現のしようのない部分がある。なんというか、あの人物語の主人公並みに霊障や運の悪さがあるんだ。

 

 だというのに主人公補正は特になし。死ぬときは死ぬってタイプだ。そりゃあ、まあ、一緒に居て心配もするし見てて不安になるわ。カフェトレとカフェは一生大変だろうな。ま、2人には後で挨拶をするとしよう。

 

 周りを見ればちらほらと見覚えのある顔に、警備のウマ娘がちょいちょい。トレセン学園から近く、学生が利用しそうな場所には基本的に警備の連中がいる。というのもテロ対策が必要なのは俺の身で証明されてしまったからだろう。

 

 前よりもセキュリティ関連での出費が増えたというのは誰の嘆きだったか。まあ、安全が約束されるのは良い事だ。

 

 と、並んで雑談をしていると神社の社務所の方からカフェたちがやってくるのが見えた。此方はタキオン同様私服姿での登場だ。態々振袖に着替えてきているウマ娘はどうやら少数派らしい。片手を上げてカフェに挨拶をすれば、カフェも軽い目配せで挨拶を返す。

 

「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いしますクリムゾンフィアーさん」

 

 きっちり頭を下げて新年の挨拶をしてくるカフェトレに此方も同じように新年の挨拶を返す。

 

「今年も俺の出番は多そうだしなぁ……そう言えば俺がいない間は大丈夫だった?」

 

「えぇ、なんか妙に平和でした」

 

「あけましておめでとうございます、フィアーさん……貴女の手回しでしたね、そう言えば」

 

「うむ」

 

 腕を組み頷く―――俺がいない間、カフェやカフェトレが大丈夫なように実はアメリカに渡る前に暇してる因子呂布さんにちょっとしたゴーストバスティングのバイトを頼んでいたのだ。因子呂布さんも死後は暇しているそうなので快く引き受けて無双ゲーを楽しんでいたらしい。

 

 冷静になって考えると脳が狂うなこの事実。真面目に考えるの止めておこう。

 

 と、カフェと話しているとぺしぺしと足に尻尾が叩きつけられてくる。視線を横に向ければディーがそっぽを向きながら尻尾を此方に当ててきている。距離も一歩分詰めている。言葉には出さないが態度で小さな嫉妬心というか、なんというか、独占力を見せているらしい。

 

 可愛らしい態度に思わず笑い声を零す。そんなディーはむすーっ、とカフェを睨んでいる。

 

 カフェの対応も慣れたもので、素知らぬ表情で甘酒のカップに口を付けている。カフェ側からすれば良い迷惑なのかもしれないな、これ。とはいえそれはそれ、ディーのこういう態度は俺からすれば微笑ましく面白い。

 

 タキオンも面白がっているようで、モルトレの胸筋を叩いてリズミカルに顔を発光させている。

 

「仲は良好の様だねぇ。苦労した側としてはなんともまあ、報われる光景だよ……それで、年内はどう動くつもりなんだい?」

 

「ん-、そうだなあ」

 

 カフェを睨むディーと、それを受け流すカフェを無視して話をする。

 

「一応西村とは話して復帰は国内GⅡかGⅢ辺りから入るのが良いんじゃねぇか……って感じの話になってるわ」

 

 いきなりGⅠでかっ飛ばすのは肉体的にきつすぎるという話だ。そもそも今の俺は固有/領域さえ使えない状態だ。ちょっと深層に潜り過ぎた影響でリミッターが吹っ飛んでいる。それこそ領域を展開しようものなら脳にダメージが残るレベルのショックイメージになるだろう。

 

 俺の領域は元々十数年かけて俺が悟った真理を領域という形にデグレードさせたもんだ。

 

 元々は一つの形だったものを二つに割って、それを領域にして本物の蓋にする。そうする事でレースや遊びで使えるレベルの代物にまでデグレードしていたのだが……それが件の出来事で完全に粉砕されてしまった。

 

 つまりPCからOSを削除してしまった状態の様なもんだ。もう1度最初から設定のし直しだ。とはいえ、今回は前と比べればどこまでのラインを目指せばいいのかは解っている分、楽な作業だ。それでも一週間や二週間で終わるもんじゃないが。

 

「ま、1月と2月は絶対に復帰できないな。3月も怪しい。地獄を見て4月復帰がギリギリ……って所かなぁ。いや、絞りに絞って限界の向こう側見れば3月は行けるかも」

 

「3月となると大阪杯か。アレを復帰戦に出来たら相当面白い事になりそうだがねぇ」

 

「どうだろうなぁ。落ちた筋力と体力をどれだけ取り戻せるか次第、って所かな。本当にいるならいっちょ神様にでも解決して貰いたい問題だわ」

 

 ま、自分が原因なんだけどな。流石に反省してるのでどうにかならないだろうか……?

 

 そんな事を考え今年の予定を話している間に賽銭箱の前までやってくる。奮発する……と言ってしまうのは庶民感覚が抜けないからか。500円玉を用意してディーと並び、賽銭箱に放り込む。

 

 えーと、なんだっけ、2拍1礼だったか? 正しい作法なんてもんは当然覚えてないので、直前の人がやっていた動きを真似してぱんぱん、と手を叩く。

 

 ―――早く回復して、今年も楽しく全力で走れますように。

 

 手を合わせて祈ると本殿の奥がぽぅ……っと僅かに光ったような気がした。

 

「いや、まさかな。そう都合よくはないだろ」

 

 いくらおでかけイベントでバステまで除去してくれるハイスペック神社であるとはいえ、そんな都合の良い事は起きないだろう。心の中で笑い飛ばしながら参拝を終えて背筋を伸ばす。

 

「そんじゃ、お餅食べたり甘酒飲むか!」

 

「うん」

 

 参拝を終えたタキオン組と交流し、このまま知り合いでつるんで新年の空気を味わう。

 

 こうやって、俺たちのシニア戦線が始まる。




クリムゾンフィアー
 体力上限が30から50まで回復した

ディープインパクト
 カフェをじっと睨んでる

マンハッタンカフェ
 トレーナーがいるので

アグネスタキオン
 チワワにバラした犯人。ウマ耳は感度抜群


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47話 美少女じゃなきゃ許されない図だぜ!

 ゆるゆるーっとしたお正月が抜けると新学期が始まり―――地獄のリハビリが始まる。

 

 そもそも食生活から寝る時間まで全てを管理したリハビリは休みの間でも実行していた。筋トレ、栄養、睡眠による回復力を計算した上で体を最速で治すプランを西村Tは構築していた。その為私生活を含めて時間の全てはリハビリへと向けられていた。

 

「ほい、ロイヤルストレート満点。これで補講はなしって事で」

 

「……むう」

 

 寝ている間の逃した単位の分をテストという形で突破する。寝ている間の範囲を全て満点で回答すれば流石の教師連中も何も言い返せない。そもそも俺は中学の間に高校の範囲は全部勉強し終わっている為、今更高校の授業で習う様な事はない。

 

 これで晴れて補講も補習も回避し、生活の100%をリハビリへと向けられる。

 

 寝ている事で落ちた体力、そして筋力の全てを取り戻す為の地獄のトレーニング、それこそ普通のウマ娘であれば体を壊すと言われるレベルのトレーニングが俺を待っていた。

 

「体力と言うのは基本的に全体の筋肉とそのバランスから来るもんだ。ただ単に肺活量を伸ばせばよいという訳じゃない。理想的な筋力のバランス、そして質。その両方を取り戻す為にもまずは肉を付ける。そしてそこから無駄を削ぎ落す。弱音を吐いてる時間は無いよ」

 

「はいッ!」

 

 答えながらも体に紐を繋ぎ超大型タイヤを全力で引っ張る。時代錯誤のトレーニングにしか見えないだろうが、それこそなぜかウマ娘には効果的というトレーニングは多い。根本的にヒトとウマでは法則性が違う、みたいなものは存在している。

 

 その為、全力でタイヤを引く。

 

 引き終わったら坂路の時間になる。何時の間にかブルボンとライスが合流しているので坂路ダッシュを繰り返す。その後で体のチェック。怪我をしていないか、疲労が溜まりすぎていないか、そういう所をチェックして何も無ければプールへ。

 

 まんべんなく全身を鍛える事が出来る為、実はプールトレーニングは効率が最高に良い。俺たち寒門出身はここら辺の知識が全くないが、ちゃんと資格を取っているトレーナー達はここら辺を理解し、温水プールは取り合いになりやすかったりする。

 

 プールが終われば流石に体力が尽きて動けなくなる。マッサージを受けて体力を回復したら―――再び坂路へ。体力が尽きたら回復してトレーニング続行。ある意味では通常のトレーニングよりもタイトなメニューを組んでいる。

 

 その無茶が出来るのも俺というウマ娘が他の誰よりも頑丈で怪我し辛いという背景があり、そのギリギリのラインを西村Tが見極めているからだ。日常的にこのプランを通そうとすれば、レースを前に肉体的にも精神的にもぼろぼろになるからコンディション最悪の状態で挑まなければいけなくなる為、決して取らないコースだ。

 

 だが数か月で復帰戦を目指す場合、どうしても強行軍になる。お正月以来妙に体の調子が良いのは悪くない事なのだが、それだけではどうしようもなく復帰には足りない。新年から学園へと復帰して早々、俺は自分の意思で地獄を見ていた。

 

 全てはレースへと復帰する為に。

 

 

 

 

「お疲れ、様」

 

「ば、ばたんきゅーだわ」

 

 ベッドに突っ伏す。1日のリハビリを終えたら自分の部屋に戻ってベッドに倒れ込む。タイヤ引き、ランニング、坂路、プール。キツイと言われるトレーニングを奇跡的なバランスで回しながら全身の筋肉を刺激し、成長をコントロールするのはもう異次元の手腕としか言いようがない。

 

 まるでウマ娘の能力を数値で目視している様にさえ思えるのが、西村Tのトレーニングだ。思想で言えばリギルの管理主義に近いが、そこに流動性を持たせているのが西村式だ。ただ数値で全部管理できる分、本当にギリギリのギリを理解して突いてくる。

 

 この細かい塩梅が本当に憎らしいぐらいだ。

 

 顔面からベッドの枕に倒れ込んですぅー……っと息を吸い込む。全身の疲労がやばくて一歩も動ける気がしない。それでも今、こうなっているのは全部自分のせいなのだから文句の言いようがない。やるべき事はただ全力でリハビリに取り組む事だけだ。

 

「くーちゃん、復帰はどんな、感じ? んしょ」

 

「お゛ー……」

 

 ベッドにうつ伏せで倒れていると腰に乗ったディーが背中を押してくれる。絶妙な力加減で押してくれるもんだから気持ち良くて声が漏れる。えーと、なんだっけ、復帰か。

 

「相当詰め込んでやってるからなぁ……どうだろ、元通りに戻せるのは4月ごろって感じかも」

 

「早い、のかな?」

 

「滅茶苦茶」

 

 半年間眠っていた遅れを4か月で戻そうって話なんだからそりゃあ無茶やってる。それでも西村Tはやれるかもしれないとか、やろう、じゃなくて出来ると断言したのだ。あの男はこの手の約束や予測を裏切った事がない。

 

 だからあの男が4月に間に合わせると言ったら絶対に間に合う。ただし、4月まで常にぼろぼろのぼろってレベルになっているだろう。最近、後輩連中が俺と西村Tをビビッて一切近寄ってこないのが非常にアレだ。

 

 逆にブルボンとかライスはこれまで以上に寄ってくるようになったけど。君たちドリームに移行してもそんな調子だったんだな……。

 

「あっ、あっ、あっ、気持ちいい~……」

 

 ディーのマッサージの心地よさに思わず眠ってしまいそうな意識を繋ぎとめる。流石にこのまま眠ると色々と差し障る。満足した所でごろり、と転がるとそのまま横にディーが倒れ込んでくる。俺たちの部屋は二つのベッドを繋げる事で大きな一つのベッドにしている為、2人で転がるぐらいのスペースはある。

 

 他の部屋ではあんまりやらないらしいが、俺たちはまあ、非常に仲が良いのでこういう事も出来てしまう。こうやってベッドを繋げて一緒に寝るのは結構楽しい。

 

 きゃっきゃっ。

 

 ちょっとベッドの上で掴み合ってごろごろと転がる。余り制服に皺がつかない内に止めておく。ベッドから起き上がってばっばと服を払ったらクローゼットから着替えを取り出す。トレーニングも終わったし汗を流す為にシャワーを一度浴びておきたい。

 

 背筋を伸ばしてん-、と声を零す。なんだかんだで今、人生が充実しているのを感じる。友達と遊んで、全力で打ち込むものがあって、その為に本気になれる。実に充実した人生だ。問題は自分が一体どこまで行けるかが解らないという事だが。

 

「んー、次走どうすっかなぁ」

 

 シャワーへと向かう為に準備をしていると、ディーもシャワーへと一緒に向かう為に着替えを取りにいく。その間にスマホが僅かに震えて新しい通知が来たのを告げる。ディーが服を取っている間に確認するか、とスマホを取って確認する。

 

「西村からか」

 

 西村からのメールで、添付したファイルを確認して欲しいという内容だった。添付されているファイルを開く―――英語だ。眉をひそめてふぅむ、と呟き添付ファイルを読み進める。着替えを取って来たディーが横に立って、背伸びしてスマホを覗き込もうとしてくる。

 

「どう、したの?」

 

「んー、困ったな」

 

 スマホの中身をディーに見せると、ディーが首を傾げる。

 

「招待、状?」

 

「おう」

 

 西村Tから送られてきたメールは、クリムゾンフィアーというウマ娘宛に送られてきた国際競走への招待状だった。俺が今リハビリ中であるのを知って誘ったのか、それとも俺がそれまでには完全な形で復活すると信じて送って来たのか。

 

 或いは、ダートに立った新しい伝説を潰せる時に潰す為に送ったのか。

 

「……ドバイ?」

 

 おう、とディーの言葉に応える。

 

「ドバイミーティングのお誘いだ」

 

 どうしたもんかなー、これ。




クリムゾンフィアー
 抵抗力ゼロ

ディープインパクト
 体をくっつけて寝る

フジキセキ
 あの部屋大丈夫? って偶に様子を見に来てる


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【エンタメ】赤毛の暴君について語るスレXX目【初主演】

194:名無しのファン

 エンタメに出演するのは初めてだっけ?

 

 

195:名無しのファン

>>194 ぱかライブ見てると脳がバグるけどそう

 

 

197:名無しのファン

 常にエンタメしてる女にしか見えないんだよなあ

 

 

200:名無しのファン

 推しが再びテレビで見れるという事実に泣いてる

 大統領も泣いてる

 

 

202:名無しのファン

 大統領の話はするな

 するな

 

 

205:名無しのファン

 副大統領……

 

 

208:名無しのファン

 頻繁に日本に行こうとする大統領をコブラツイストで止める男が何だって??

 

 

211:名無しのファン

 アメリカのトップ仲が良いよなあ……

 

 

212:名無しのファン

 もうちょっと……いや、政治はスレチだわ

 それよりも地上波よ地上波

 

 

214:名無しのファン

 赤毛のマスコミ嫌いからテレビ嫌いは割と酷いと思ってたんだけどなあ

 

 

215:名無しのファン

 単純に面倒だったんじゃない?

 

 

218:名無しのファン

 ぱかライブとウマッターさえあれば情報発信には事足りるしな

 態々テレビに出る必要ってのが薄いよな、昨今

 

 

219:名無しのファン

 若者のテレビ離れの理由よ

 見る必要がない

 

 

222:名無しのファン

 ただやっぱ視聴率考えるとメッセージ性はテレビのが強いやろ

 

 

225:名無しのファン

 それで出る事にしたのかなあ……

 

 

227:名無しのファン

 何にせよ1ファンとして有マ以降の様子を見せてくれるのは非常に助かる

 

 

230:名無しのファン

 寝起きで暮れの中山にうまぴょい流した女だからな

 一生擦っていける

 

 

231:名無しのファン

 途中から力尽きて床に突っ伏してる姿が最高に推せる

 

 

233:名無しのファン

 そら(寝起き直後で体力落ちてるのにうまぴょいの振付を完璧に踊れば)そうよ

 

 

236:名無しのファン

 寧ろなんで振りつけ完璧だったんだあの女

 

 

238:名無しのファン

 ゴルシ並みに才能マルチだしな……

 

 

239:名無しのファン

 ゴルシの出走は何時ですか(小声

 

 

240:名無しのファン

 アイツシンザン時代からスピカにいなかった???

 

 

243:名無しのファン

>>240 その話はするな

 

 

244:名無しのファン

 スピカ創設前からスピカに所属する謎のウマ娘

 

 

247:名無しのファン

 古いトレセン学園のアルバムを手に取るじゃろ?

 中身を見るじゃろ?

 ゴルシがいる

 

 

249:野生のゴルシ

>>247 知り過ぎちまったなぁ……

 

 

251:名無しのファン

 ひぇ

 

 

253:名無しのファン

 !?

 

 

255:名無しのファン

 えっ!?

 

 

256:名無しのファン

 ゴルシ=サン!?

 

 

259:名無しのファン

 ゴルシ=サン!? ゴルシ=サンナンデ!?

 

 

261:名無しのファン

 おーい、豚共番組始まったぞー

 

 

264:名無しのファン

 茶番してないでテレビ前に集合よー

 

 

266:名無しのファン

 ぶひー

 

 

268:名無しのファン

 ぶひぶひ

 

 

269:名無しのファン

 お、はじまたはじまた

 

 

270:名無しのファン

 待ってたぜぇ! この時をよお!

 

 

278:名無しのファン

 本日の特別ゲストで出てくる赤毛!

 

 

280:名無しのファン

 サングラスーツに赤シャツと黒ネクタイのマフィアファッションクッソ似合う

 その胸元開けるのは犯罪じゃありませんか……?

 

 

282:名無しのファン

 テレビに出る姿かそれが……?

 

 

283:名無しのファン

 でもちゃんと頭下げて挨拶出来る辺り基本は出来てるよな

 

 

284:名無しのファン

司会「クリムゾンフィアーさん、ようこそひるウマへ! いやあ、オファーを受けてくださるとは思いませんでしたよ」

赤毛「どうもよろしくお願いします。実は凄い悩みましたけど、ここらで近況報告ついでにここからどう動くのかをなるべく多くの人に届ける事を考えたら1度は……という話をトレーナーとしまして」

 

 全部書き出すの面倒だからちょいはしょるわ。

 

 

287:名無しのファン

 実況サンクス

 

 

290:名無しのファン

 助かる

 

 

291:名無しのファン

 大統領も感謝しておられる

 

 

294:名無しのファン

 あの人は勝手に日本語覚えてるだろ!!!

 

 

296:名無しのファン

司会「マスコミ嫌いと聞いてますが」

赤毛「嫌いと言うより面倒。取材受ける時間にトレしたい遊びたい。後ゲタ君がウザい」

 

 

297:名無しのファン

 ゲタ君またヘイト貰ってる……

 

 

298:名無しのファン

 まあ、せやろな

 

 

301:名無しのファン

 名指しで出禁になってるのは伊達じゃないゲタ君

 

 

304:名無しのファン

 赤毛はトゥインクルが割と気に入ってるからインタビューの類はこれまでトゥインクル独占だったよな?

 

 

306:名無しのファン

 せやで

 

 

308:名無しのファン

 素晴らしい!! に爆笑して気に入ったとか

 

 

309:名無しのファン

 まあ、面白いもん好きだもんな俺らの赤毛

 

 

312:名無しのファン

司会「最初に少し質問宜しいでしょうか?」

赤毛「かもんかもん」

司会「アメリカ三冠に感動しました、どうしてアメリカへ?」

赤毛「アレはガチでSSに拉致られた。その後で面白そうだから便乗した」

 

 愉快犯がよお……!

 

 

314:名無しのファン

 面白そうだからで競バおじさんの情緒破壊するの止めない?

 

 

316:名無しのファン

 距離適性おじさん「マイルから中距離は難しい」

 適性おじさん「日本と米じゃ環境が違う」

 無のおじさん「んほおおおおおおお」

 

 

317:名無しのファン

 朝日杯! ホープフル! 皐月で負けてアメリカ3冠!

 なんで?

 

 

318:名無しのファン

 一番ショッキングな顔をしてたのはプイちゃんだと思われる

 

 

319:名無しのファン

 それな、その後を含めてだけど

 

 

320:名無しのファン

司会「アメリカダートでは圧巻の走りを見せてくれましたが、日本のダートは?」

赤毛「機会があれば走りたい。でも本当は俺、凱旋門目指してて芝に行きたいんだけど」

 

 

321:名無しのファン

 はよ芝に戻ってこい

 

 

323:名無しのファン

 お前が芝で走る姿をもう一度見せてくれ

 

 

326:名無しのファン

 芝に戻れる……?

 (大統領を見る)

 芝に戻れるかなあ

 

 

327:名無しのファン

 本人の自由だろ!

 

 

328:名無しのファン

 Crimsonはアメリカの魂を持つ偉大なるウマ娘だ

 彼女はあの事件さえ無ければまさしく偉業を成す器だった

 今年のBCが楽しみだよ

 

 

330:名無しのファン

>>328 国の掲示板へとお帰り

 

 

333:名無しのファン

  アメリカでは赤毛が実はアメリカ生まれで日本で育ったという過去改変が人気らしい

 

 

335:名無しのファン

 脳味噌ぼろぼろすぎるでしょ

 

 

336:名無しのファン

 気持ちは解らなくもないけどよ……w

 

 

338:名無しのファン

司会「半年間の昏睡からの復活、生活の方はどうでしょう?」

赤毛「吐いて倒れるレベルのリハビリで何とか5割ぐらいまでは筋力を戻してきた。西村がド鬼畜みたいなメニュー組んで少し体が戻る度に最適化された地獄を用意してくる。ちょっと楽しい」

 

 

340:名無しのファン

 なんでもう5割まで戻せてるんだあの赤毛……?

 

 

341:名無しのファン

 西村やべーな

 

 

344:名無しのファン

 となると年内に走るのが見えてるのか?

 

 

347:名無しのファン

司会「おぉ、凄いですね! 実はここにスタッフが用意したリンゴが」

赤毛「(苦笑)」

赤毛「(握りつぶす)」

赤毛「まあ、こんなもんで」

 

 

349:名無しのファン

 本当に筋力落ちてるのそれ!?

 

 

350:名無しのファン

 寧ろ元のスペックどんなに高かったんだアイツ

 

 

352:名無しのファン

 ベルモントで見たでしょお爺ちゃん!

 

 

353:名無しのファン

 まあ、半年前のレースやしな……

 今は皆有マのプイが焼き付いてるやろ

 

 

354:名無しのファン

赤毛「本格化がまだ続くのでまだまだ成長途中なので、回復しつつ成長って感じで」

司会「凄いですねぇ。それで……回復は何時頃とか?」

芸人「超気になる」

赤毛「あー」

 

 

357:名無しのファン

 (察し

 

 

360:名無しのファン

 赤毛がやらかす時の顔

 

 

363:名無しのファン

 死ぬ程見慣れた奴

 

 

366:名無しのファン

赤毛「実は次走決めてる」

司会「なんと」

芸人「!?」

赤毛「てろっぷぅー」

召喚されるテロップ ばばん!

 

 

368:名無しのファン

 ドバイミーティング?

 

 

369:名無しのファン

 国際競走招待されたんかこいつ!!

 

 

371:名無しのファン

 今の状態で!? マジで!? ゴドルフィンも正気か!?

 

 

372:名無しのファン

赤毛「と言う訳で3月末のドバイミーティング、トリのドバイWCに招待されました」

 

 

374:名無しのファン

 ???????

 

 

376:名無しのファン

 ???????

 

 

378:名無しのファン

 赤毛……お前、その体で走るのか?

 

 

379:名無しのファン

赤毛「不安を覚える所も解るし、何をどう足掻いても完全回復は無理」

赤毛「それでも挑戦された以上応えるのがクリムゾンフィアー」

赤毛「ドバイシーマにハーツクライも出る予定なので一緒に応援してほしい」

 

 

381:名無しのファン

 滅茶苦茶な事を言うなこいつ?

 

 

383:名無しのファン

 えぇ……負ける所見たくない

 

 

384:名無しのファン

 これ走る許可出したの西村だろ? 無能

 

 

387:名無しのファン

 無理無理、競技場の質が違う

 

 

390:名無しのファン

 環境適性おじさん「アメリカは無理無理」

 

 

393:名無しのファン

 そのおじさんはもう死んだでしょ!!

 

 

395:名無しのファン

 うわああ、すげえ爆弾落としてったなあ

 

 

397:名無しのファン

 えぇ、どうなんだこれ……

 

 

400:名無しのファン

 アメリカのおじさんのアカウントが発狂してる

 

 

401:名無しのファン

 ウマッター阿鼻叫喚でほんと駄目w

 

 

403:名無しのファン

 やっぱやらかすなぁ!

 

 

404:名無しのファン

 スタジオも大荒れで楽しそうだな赤毛

 

 

406:名無しのファン

 そのまま番組進行か

 

 

407:名無しのファン

 エンタメで企画参加する赤毛はちょっと見てみたいな……残りも見るかな……

 

 

410:名無しのファン

 うーん、ドバイWCかあ……無理じゃねぇかなぁ

 

 

413:名無しのファン

 流石に時間が足りないだろ

 

 

415:名無しのファン

 負ける所見たくないし出走止めてくれないかなあ

 

 

417:名無しのファン

 あの赤毛はこれまで何度も不可能と言われた事を覆したんだぞ?

 またやってくれるに違いない

 

 

420:名無しのファン

 皇帝もテレビに出て来たんだが

 

 

423:名無しのファン

 赤毛が露骨に怯えてて草

 

 

426:名無しのファン

 いかん! サングラスのカイチョーモードだ!

 

 

427:名無しのファン

 完全おふざけモードじゃん

 

 

429:名無しのファン

 ぱかライブをテレビでやるんじゃねぇ!!!




クリムゾンフィアー
 競バチャンネル以外は初出演。やりたい放題やった

シンボリルドルフ
 実はお目付け役でスタジオにいた。カンペを持ち出したりやりたい放題

副大統領
 大統領を庭に埋めて止めた


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48話 Operation Cacao Ⅰ

 1月が終わるとチョコレート戦線がやってくる。

 

 そう、バレンタインである。2月の前期は戦争の時間なのだ。

 

 昨年はまだそこまで知名度がなかったから問題がなかったが、今年からは俺の知名度の問題でバレンタインがヤバイ事になる。バレンタインはファンが推しに貢ぎものを押し付ける絶好の機会で、普段交流する事の出来ない推しに対してアピールするチャンスだ。

 

 特に俺はパカチューブに良く出るがゴルシ共々毎度スパチャオフにしているので、グッズ購入でしか俺に貢ぐ事は出来ない。その為、バレンタインでこの手の欲を爆発させることは目に見えていた。だから俺は一計を案じた。

 

 俺は事前にファンにチョコなどのプレゼントを贈らないように周知、そのままとあるサイトを用意したのである。

 

 バレンタイン、プレゼント用ページ。そう、グラブルの推しへのバレンタインチョコを送るシステムをパクったのだ。プラン別の料金を払う事で俺に仮想チョコを送る事が出来、それで得た金は全て寄付へ……という形にした。

 

 こうする事で俺はファンからのプレゼント爆撃を回避する事に成功した―――なんて、思っていた時期が俺にもあった。

 

「フィアー先輩! 受け取ってください!」

 

「私からも!」

 

「おう、ありがとな」

 

「は、はい!」

 

「きゃー! 渡せたー!」

 

 顔も知らない……恐らくは中等部の後輩たちから今、栗東寮のロビーでチョコを受け取った。これで部屋を出て受け取ったチョコは全部で6個だ。まさか朝のシャワーを浴びる前にチョコを受け取る事になるなんて思いもしなかった。しかも昨晩から出待ちしている感じの子が一番乗りというのが恐ろしい。

 

 俺にチョコを渡した後輩たちはそのままきゃーきゃー言いながら逃げて行った。その背中姿を眺めていると横から尻尾のぺちぺちという感触を足に感じる―――冬場は寒いからタイツを履いているが、それでも感じる尻尾による無言の抗議ははて、誰のものだろうか。

 

「ははは、早速バレンタインの洗礼を貰ったようだねフィアー」

 

「おっと、これは既にヤバそうな寮長じゃん」

 

 未だに続く無言の抗議を無視して視線を声の方へと向けると、既にチョコが両手で抱える量になっているフジキセキの姿があった。頼りになる寮長でヅカ系、この基本が女子高というトレセン学園の環境下でTier1を誇る夢女子製造機は今年も大人気だった。

 

「ファンや慕う子達からのプレゼントは無下に出来ないからね……それよりもフィアーこそ気を付けた方が良いよ。君、下の子達からはかなり人気だからね」

 

 そうかなぁ、と首を傾げると足に尻尾が巻き付いてくる。

 

「割と奇行を晒してるつもりなんだけど」

 

 その答えにフジが苦笑を零した。

 

「圧倒的な強さとカリスマ性の前では可愛いものさ。逆にその手のエピソードは人間味を与えるって事で加点要素になるんだよ。君は、国内では見下されがちなダート路線を、それも超王道を勝ち進んだ英雄だよ? ダートにしか進めなかった子には、君という赤に憧れる子は結構多いんだ」

 

「ふむ」

 

 言われてみれば忘れがちだがダートの人気は国内では低い。芝が王道と言われ、ダートは芝の二軍とさえ蔑む奴だっている。いや、これマキバオーだわ。ともあれ、芝は王道中の王道で、誰だって芝でクラシックを走る事を夢見る。

 

 だが芝にも適性がある。適正に泣いて芝を走れずダートに転向する娘はそれなりにいる。そしてダートで日本を揺るがす事は難しい……だから最終的な目標は国外のダートレースという形になるだろう。その中でもアメリカクラシック3冠路線は前代未聞の挑戦、そして偉業だった。

 

 1冠取るだけでも奇跡、3冠はもはや歴史に残るレベルの出来事だ。国内にダートの話題を走らせ、そして環境に目を向けさせる起爆剤になった……なんて話も聞いた覚えがある。正直、ダートとか芝とかあまり拘りは無い。強い奴と走れたらええねんな。

 

「君が色々とバレンタイン対策をしていたのは理解するけど……さて、今日はどれだけ持つかなあ」

 

「不吉な事を言うじゃん」

 

 フジの不吉な言動に首を傾げている間にもフジにチョコを渡す子がPopする。まるでモンスターが出現する瞬間のように後輩が出現しチョコタワーがフジの腕の中で出来上がって行く。大変そうだなあ、と他人事で構えていると数名がそのままこっちに来て、

 

「手作りです! 受け取ってください!」

 

「ドバイWC応援してます! 勝ってください!」

 

「フィアー先輩なら絶対に勝てます! 日本の強さを見せてください!」

 

 チョコカウントが+3されちゃった。既にチョコの裏に顔が隠れたフジの姿にひょえーと声を零しながら貰ったチョコを胸の谷間の四次元ポケットにしまい込む。原理は聞くな、巨乳にのみ許されたチートスキルなんだ。

 

 なお胸ポケットを利用した瞬間、本日最大風速の尻尾ビンタが放たれた。

 

「ディー、尻尾が痛むから止めなさい」

 

「むぅ」

 

 俺は口に出さない言葉を察してやるほど優しくないぞ。

 

 

 

 

「フィアー先輩! 受け取ってください!」「応援してます!」「これ、チョコです!」「手作りの媚薬混ぜました!」「胃腸に優しいもの用意しました!」「手作りグッズです!」「受け取ってください!」「ハッピーバレンタイン!」「パクパクして良いものありませんか!?」「チョコです!」「私をチョコでコーティングしました! 食べてください!」「バレンタインチョコレートです!」「応援してます! 受け取ってください!」

 

「く、くーちゃん……!」

 

 教室にたどり着くころには見事なレイプ目になっていた。歩くだけで凄まじい量のチョコレートとチョコらしき物体が集まって行く。俺はあんまり警戒する必要もねえよなあ……と思ってたのが甘かった。ファンは学内にもちゃんといたんだ。その事を完全に失念していた。

 

 はあ、と頭を抱えて教室の前で足を止める。

 

「俺、こんなに人気あったんだな」

 

「た、たぶん、他の人と一緒に……って感じで、作られてるけど。それでも狙われてる」

 

 何を? 女子として転生してはや十数年。女の子としては立派な意識を育ててきたつもりだったが、未だに本物への理解は及ばない。俺はまだ二流TS転生者なのかもしれねえ。一流はたぶん最初のシーンでメス堕ちしてる。いや、もうエロゲだわそれ。

 

「ホームルームも近いしちゃっちゃと入るか」

 

「うん、教室に居れば、入っては―――」

 

 ディーが教室の扉を開けると、俺の席がチョコとラッピングに埋もれてた。

 

「……」

 

 数秒見つめるとごろごろろとチョコの山が崩れて俺の机が見えるようになった。首を傾げて教室の扉を閉めてからもう一度開ける―――俺の席は埋もれたままだった。目頭を揉んで溜息を吐いて、もう一度見ても景色に変わりはない。

 

「嘘でしょ」

 

「ところがどっこい、これが現実!」

 

「いやあ、当クラスの2大アイドルは流石だねえ」

 

 2大アイドル。チワワの席を見ると、本人へと渡しに来る人がいない代わりに俺の席以上のタワーが出来上がっていた。俺たちの席だけ完全にチョコとバレンタインによって居場所を奪われていた。抗議の鳴き声を一緒に放つが現実は変わらない。俺たちの席はそのままだった。

 

 そして廊下を見渡せば、そこにはチョコを渡す為に牽制し合う学生たちの姿が見える。教室に入るその瞬間まで狙ってチョコを渡そうとするその意思はどこから来るんだ。いや、嬉しいけど此処までくると迷惑でもあるんだわ。

 

 マジで? この調子で1日続くの?

 

 そう思っていると横から肩を抱く腕の感触がある。

 

 右側にはカイチョーが。

 

「Welcome」

 

 その反対側にはシリウスが。

 

「此方側へ」

 

 2大イケメンが揃った影響で廊下の女子女子密度が一気に上昇したし此方のグループを見つめる熱度が上がった気がする―――ははーん、成程? こっちにヘイト擦り付けに来たなこいつら??

 

 だが解った。バレンタインという魔物に対する遠慮も容赦も必要ないという事に。

 

 俺は授業をサボってバレンタインと戦う事にした。勝負だ、チョコの魔物よ……!




クリムゾンフィアー
 胸の谷間が四次元ポケットになってる

ディープインパクト
 四次元ポケットがない

シンボリルドルフ
 四次元ポケットがある

シリウスシンボリ
 四次元ポケットがある


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49話 Operation Cacao Ⅱ

 バレンタインの勢いを俺は舐めていたかもしれない。授業を受けながらもそんな事を考える。ホームルーム前からこんな状態だし、そもそもこの大量のチョコの消費方法も考えなくてはならないだろう。全部食べると完全に栄養バランスを崩すコースだし、どうにか消費する目途をたてたい。というか甘いものは好きでも、こんな沢山食べるのは正直そうでもない。

 

 授業を受けながらどうしたもんか、と思って頬杖を突いているとちょんちょん、と肩に感触がある。横に視線を向ければクラスメートが小声で耳打ちしてくる。

 

「フィアちゃん、授業終わったら早めにどこかへと逃げた方が良いよ。たぶん今日一日追われるから」

 

「アドバイスサンキュ、参考にしておくわ」

 

 バレンタインは戦争……その意味の重さを俺は良く理解していなかったのかもしれない。

 

 授業が終わって休み時間になった途端、廊下の方が騒がしくなる。教室の窓から乗り出しそうな勢いでチョコを持ったウマ娘達が集まっている。

 

「フィアさん! チョコをどうぞ、受け取ってください!」「手作りです!」「受け取ってください!」「私も!」「抜け駆けはズルい!!」「私のを先に受け取ってください!」「好きです! 付き合ってください!」「あ、こいつ!」「ギルティ! ギルティ!」「処せ!!!」

 

 いきなり廊下で処刑が開始される。チョコの十字架にウマ娘が1人磔にされ口の中に失敗作が押し込まれ始めている。そこに何故か処刑人側で参加しているディーがいた。お前、そこで何をやってるんだ……? まあ、向こうは向こうで楽しそうなので無視するとして。

 

 俺は連中が忙しそうにしている間に窓枠に脚をかける。

 

「じゃあな!」

 

 エスケープ!!

 

 

 

 

 それから逃げ回っては再びエンカウント、授業に戻ってエンカウント。どこもかしこもバレンタインに浮かれていてチョコの匂いばかりしている。女子高なのにこういうテンションで良いのか? いや、女子高だからこういうノリなのかもしれない。

 

 ともあれ、朝からずっとこんなペースで物事が進むもんだから本当に疲れる。デジタルなんてファンの子に捕まってチョコを渡される事実に昇天しそうになったら魂を掴まれてそのまま体の中に戻されていた。デジタルのファン、ついにサクリファイスエスケープ封じを習得する。

 

 そんなこんなでバレンタイン狂騒曲はウマ娘達をどこまでもかからせて続く。その喧騒が終わりを告げるのは漸く1日が終わるという頃だった。トレーニングはまともに出来ないし、授業もまともに集中できない本当に酷い日だった。

 

 授業を終えて寮の部屋に到着する頃にはもう、尻尾も髪もしょもしょものしょんもり状態だった。

 

「はあ、本当に酷い一日だった」

 

 鞄を放り捨ててベッドにダイブすると、ディーも同じようにベッドにダイブする。無敗の三冠馬とダート路線希望の三冠馬。奇しくも同じクラシック戦線で比較できない記録を打ち立てた者同士、俺たちは後輩や先輩から大人気だった。

 

 どこに行ってもチョコ。チョコを気遣ってのプレゼント。どこをどうしても回避できる事なんてなく、どんどんプレゼントが増えて行く事態には困ったとしか言えなかった。だがそれも授業が終わった所では止まらず、放課後になると更にエスカレートする。

 

 トレーナーやたづなさんが最終的には出動する事で事態は沈静化したが、とてもじゃないがネタに出来ないレベルで凄い一日だった。フジも言っていたダートの希望と言う言葉の意味を今になって良く理解するようになった。

 

「ぶえー」

 

「むえー」

 

 一緒になって妙な鳴き声を零しながらしばらくベッドに突っ伏してから、笑い声を零して仰向けになる。

 

「去年の今頃はこんなになるなんて思いもしなかったな」

 

「それを言うなら、半年眠ってたのも」

 

「ごめんて」

 

 ディーの未だに根に持っているような言動に苦笑しながら天井を見上げ、息を吐く。ふと、冷静に―――いや、素面になってものを考えてみると恐ろしいぐらい遠くに来たように感じる。最近は3月に向けた調整も始まってコンディションを整え始めた。

 

 それでもドバイミーティングの時には全力の7~8割ぐらいまでしか回復出来ないというのが西村の判断だった。まあ、それでも8割まで持っていけるアレがだいぶおかしいのだが。トレセン学園でも調整神と呼ばれている担当トレーナーの名声は伊達じゃない。

 

 それでも、勝てるかどうか今回は怪しい。何よりあのエレクトロキューショニストが出走してくる。インターナショナルステークスでは僅差でロブロイに負けたが、その実力を疑う余地はない。間違いなく最大の敵になるだろう。

 

 それ以外にも恐ろしい相手は多い……アメリカからもAfleet Alexが俺の参戦を聞いて出走を表明してる。懐かしさを覚える反面、決して甘い相手ではない事は理解できる。だが同時に、難敵を迎える状況はどうしようもなく俺の本能と魂を高揚させる。

 

「よっこらしょっと」

 

 ベッドから起き上がって背筋を伸ばす。息を吐いて肺の中の空気を入れ替え、部屋に置いてある小型冷蔵庫を開ける―――その中から取り出すのは事前にラッピングして用意しておいたチョコレートだ。まだベッドに倒れ込んでいるチワワの姿を見て、笑みを零す。

 

「ディー、ハッピーバレンタイン」

 

 俺の言葉に視線を向けて反応するディーは、もそりと起き上がるとベッドの上を這って移動し、目の前までやってくると嬉しそうにバレンタインをチョコを手に取った。

 

「ありがとう、くーちゃん。でもラッピングしてあるしこれ、カフェさん用だと思ってた」

 

「唐突にバックスタブするの止めない? 今の相当心臓に悪かったぞ。カフェはカフェでちゃんと別のを用意した」

 

「したんだ……」

 

 まあ、後日ね。デキる女はちゃんとタイミングをずらしてプレゼントするもんだ。バレンタインの日に纏めてやると印象が薄れるし、何より食傷気味だろうし。あっちにはチョコじゃなくてコーヒーに合いそうなものを用意しておいた。

 

「くーちゃん、カフェさんには割と、本気だよ、ね」

 

「本気というかカフェは割と俺のストライクゾーン突いてるよ。大人しくて、同じ空間に居て苦じゃなくて、落ち着く雰囲気があって、頼れるし芯が強い部分。普段は大人しいけど困ったときは手を引っ張ってくれるところとか素敵」

 

 べた褒めするとチワワの頬が膨れてしまった。だって性癖なんだもん。しゃーないだろ。膨らんだチワワのほっぺをつんつんしてしばらく遊んでから、ごめんごめんと謝る。

 

「まあ、カフェはカフェトレ君と相思相愛だし心配しなくても大丈夫だよ。滅茶苦茶悔しいけど。流石に割って入る様な趣味は無い。DLSiteの検索最上位がNTRジャンルらしいけど俺、そういう所の趣味ないから……寧ろ性癖の乱れっぷりに恐怖感じてるから」

 

「増えなくて良い知識が、また増えた」

 

 増えちゃったねえ。苦笑しながらコーヒーメイカーの用意をする。ここに丁度カフェお勧めのチョコに合うコーヒーがあるのだ。折角チョコをプレゼントしたのだから、美味しく食べて貰いたい。お前用に作ったそれは割と時間かけて作ったもんだし。

 

「じゃあ、私、からも」

 

 そう言ってディーはクローゼットの方から綺麗にラッピングされた菓子を取り出した。どうやらディーが作ったクッキーらしい。互いに視線を見合わせ、軽く笑い声を零してからテーブルの準備をする。

 

 皿を出して、コーヒーを用意して、そこに互いに作ったものを並べる。

 

 ちょっとしたアフタヌーンブレイクの始まりだ。

 

「お、うまく焼けてる。だけどチョコじゃないな」

 

「チョコは、食べ飽きちゃうかな、って」

 

「あー、まあ、うん……そう考えるとちょっと俺は芸がなかったかな」

 

「ううん、凄く、美味しいよ」

 

「そう言われると嬉しいな」

 

 微笑みながらコーヒーに口を付けて、菓子を口にする。散々な一日で騒がしいバレンタインだったが……そんな一日をこういう風に穏やかに終わらせる事が出来るのであれば……まあ、悪くはない日だったと言えるだろう。

 

 だが時は残酷だ、こうやって穏やかに過ごす間も過ぎ去って行く。

 

 俺が遅れを取り戻そうとする間に他の者は前へと進む。

 

 そしてその歩みを止めない強者たちが集まる祭典が既に、来月にまで迫っていた。

 

 いよいよ、ドバイミーティングは開催目前にまで迫っていた。




クリムゾンフィアー
 解ってて虐めてる

ディープインパクト
 解ってて弄ってる

マンハッタンカフェ
 解ってて対応してる

アグネスデジタル
 死ぬことが出来ずにそのうち考える事を止めた


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50話 マスボ報酬クッソしょぼっ!

 バレンタインという狂ったイベントが終われば2月は瞬く間に過ぎ去って行く。

 

 そして3月に入れば―――もう、ドバイ現地入りの時期だ。ドバイのダートは日本やアメリカのそれとも違う。走りなれたアメリカのダートとは違う環境であるという話もあるし、慣れる為の時間が必要だ。そういう意味を込めて早めに現地入りしておく必要がある。

 

 無論、また海外に向かうという話になると滅茶苦茶ディーが嫌がって引っ付いて離れなくなったり自分も帯同するとか言い出して三女神像に磔にして置く必要があったり、ターミネイターの如く全てを破壊してついてくついてくし始めたりラノベ一冊分の騒動があったりしたのだが……まあ、本筋とは関係のない話だ。

 

 日本チームは全員トレセン学園所属なので同じバスに乗って現地入りする為に空港へと向かう事になる。俺が招待されてドバイWCに乗り込むという事になった結果、国内はこれまでにないレベルでダートが注目され、そして盛り上がる事になった。

 

 空港に到着したバスから降りればアホみたいな数の記者がカメラを手に待ち構えており、マイクを此方へと向けてくる。それを警備員や雇っているSPがテロを警戒しながら抑え込んでいる。それを解っているのか記者たちも絶対に一定のライン以上は近づこうとはせず、フラッシュも焚かない。

 

 それにファンサービスするようにサングラスを下に少しだけずらし、ウィンクする。

 

「お前、本当にその手のサービスに躊躇ないな……」

 

「俺、自分の見た目が良い事に自覚があるからな」

 

 空港に入りながら手を振り、記者たちをちょっと楽しませる。とはいえ、質問に答えたりはしないのだが。そこまでやると流石に調子に乗られる。引率のトレーナー達に従って空港内を進み、早めにチェックインする為の出国ゲートへと向かう為に手荷物検査が始まる。

 

 持ち込んだ大型トランクをコンベアの上に載せて、スキャンして貰いながら金属探知機を抜けて、

 

「―――あ、ちょっと待ってね。待ってくださいそこのお嬢さん。あー、クリムゾンフィアーさん」

 

 スキャンチェックされているトランクを前に空港のスタッフに止められる。俺は努めて何事もないかのように無実な表情を浮かべて対峙する。

 

「何かな」

 

「このトランク、あけて貰っても良いかな?」

 

 警備員の言葉に可愛く笑みを浮かべてみるが騙されてくれなかった。溜息を吐いて横の台に置かれたトランクまで移動し、その中身を晒すように開ける。その中身を見て、警備員が頭を掻く。

 

「あー……これは、何かな」

 

 トランクケースの中にあるものを両手で抱えて持ち上げる。それは小さく、愛くるしく、しかし暖かい毛に包まれた茶色のもじゃもじゃ―――即ち、カピ君だった。挨拶するように前足をカピ君が上げた。

 

「きゅっ」

 

「……ダメ?」

 

「駄目、かなぁ……」

 

「仕方がねえなあ……」

 

 しゃがんでカピ君をリリースすると、カピ君がそのまま寂しそうにのっしのっしと空港の出口へと向かい、入口からカメラを構えていた報道陣を薙ぎ払ってジャンプする。その姿を飛んできたマンボが掴んでそのまま飛び去って行った。

 

「ドバイでなカピ君ー!」

 

 きゅー、という鳴き声を響かせてカピ君が空へと消えて行く。

 

 エルコンドルパサーのやる気が下がった!

 

 

 

 

 特に問題もなく飛行機に乗れた。当然、ファーストクラスだ。アメリカに拉致された時もファーストクラスだったが、ウマ娘にとってエコノミー症候群は割とシャレにならないものなので当然と言えば当然の話だ。海外経験のない娘達は割とキョロキョロと慣れない視線を回りに向けているが、俺は慣れたもんだ。

 

 ファーストクラス特有のデカい椅子に座り込み、事前の長いフライト時間を潰す為に持ち込んできたSwitchを取り出す。やっぱポケモンよ、ポケモン。今の時期にSwitchでやるソフトなんてポケモンに決まっている。ランクマ、レイド回り、厳選だけで余裕で時間が吹っ飛ぶ。

 

 ポケモンを起動するとお、という声が聞こえた。

 

「フィアーさんはポケモン遊んでるんだ」

 

「俺は皆大好きソシャカスで糞ゲーマーだよ」

 

「人格がカスって意味の糞ゲーマーか」

 

 ユートピアが前の席から振り返り、横からハーツクライの声がする。きらりーん、と目元を輝かせて2人がSwitchを取り出す。どうやら俺たちの考えている事は一緒らしい。

 

「パルデアの冒険終わった?」

 

「終わった終わった。ペパー君良いよね」

 

「アイツ良いよな。滅茶苦茶良い子だし、今作の相棒枠だと思う」

 

「ネモ……」

 

「俺たちは旅を通して2人の親友とヒソカを作った。それがポケモンSV」

 

「ヒソカ止めろ」

 

 ウマッターを見るとネモがヒソカ顔してるイラストばかりなんだよなあ。いや、まあ、納得のヒソカなんだが。だけどぶっちゃけ、あの見かけたらバトルでごっ倒すってのは完全にリアルトレーナーのメタファー的なもんを感じるんだよね。

 

 ぶっちゃけ、一番俺らしてるのネモだよな。客観視するとドン引きだわ。

 

「しかしパルデアはスペインモチーフで、ガラルはイギリスか。ライブ感に関してはマジでガラルの方が強かったね」

 

「ガラルはなんというか……バトルそのものを興業化させる事で地域全体の活性と経済回してるって感じ強かったよね。私はガラルの方が地域としては好きかなあ」

 

 ユートピアの言葉にあー、とハーツクライ共々声を零す。良くも悪くもパルデアはそこら辺、盛り上がりが少なかったな……とは思う。ただ3ルートクリアしたら最終ルートが出現するというシナリオ設計は好きだが。

 

 それでもジム周りの話はガラルの方が好きだったなあ、というのは感じる。ヨシ、ポケモン起動。ランクマ用のパーティを呼び出す。

 

「とりあえず目と目が合ったしバトルすっか」

 

「ここにもネモがまた1人。相手をしよう」

 

「見せて見せて」

 

 ユートピアが此方側へとやってくるのでちょっと場所を空けて、ハーツクライとポーズを取る。

 

「デュエルッ!!」

 

 ゲームが違うとかいうツッコミは無い。我らは学生、その場のノリで割と馬鹿な事をやる。通信をオンにして繋いだらバトルをハーツクライに申し込む。

 

「くっくっく、俺はまだハイパーボールだぜ……!」

 

「えっ、マスター行ってないのか? 割とゲームやってるからマスター行ってると思ってたけど」

 

「ここ最近は眠ってた間の積みゲー崩しで忙しくてな……」

 

「あー」

 

 ハーツとユートピアが声を揃えて納得する。俺もまあ、試行回数増やせばマスターボール到達できるとは思うんだけど。だけどそれはそれとして、やる事が多い多いであまりやり込む暇がない。ぶっちゃけリハビリに時間の大半を取られてゲームやる程の気力が残らないのが事実だ。

 

「お、ハーツはラッシャ構築か」

 

「ロンゲコノヨとか見たくないもんが見えたな……」

 

 キョジオーン、ヘイラッシャとかいう2大害悪を揃えてなんて事を言うんだこいつは。てんねん持ちに超耐久ポケモン、有利を取れるポケモンを絶対に裏に編成しないと出された時点で詰みかねないという最悪の組み合わせだ。

 

 専用対策必須だから必然的に対策ポケモンを選出しないといけないのが嫌らしい点だ。マスター構築って大体そういうのを強制して読みを縛る所あるよな。

 

「アレ、二人ともサーフゴー入れてないんだ」

 

「A0厳選終わってない」

 

「単純に趣味じゃない」

 

 サーフゴー、パルデア屈指のぶっ壊れポケモン。まさかの変化技無効に加えて鋼版りゅうせいぐんを習得してくるカスみたいなポケモン。ミミッキュ然り、こいつ然りぶっ壊れ特性をゴーストになんで与えた? お蔭でパルデアが地面悪環境に染まってしまった。

 

 サーフゴー、強いよなあ……。

 

 いや、でも今期はコノヨザル推してます。コノヨザルカッコいいし強いよ。これはマジ。おんみつマントでもたべのこし型でもHBかHD振りで死ぬほど場に居座るし。ふんどのこぶしでてんねん相手にも強く出れる。

 

 ラッシャ、塩、ガッサ相手にそのまま突っ張れるのはやっぱ死ぬほど強いのだ。ロンゲで壁張ってすてゼリフで引いてコノヨザルに回すだけで物凄い活躍が出来る。これで最後の1匹をマリルリやハッサム辺りにしておくとそのまま綺麗に掃除できる。

 

「出たなカバカス」

 

「永遠に出番のカバのカス……はい、挑発!」

 

「だよなぁ」

 

 カバに挑発を打って機能停止させたらそのままビルド体操開始。来世があるならポケモントレーナーになって害悪ポケモンを狩り続けるだけの人生にしてえ……!

 

 ハーツクライと対戦し、それからユートピアとも対戦する。他のウマ娘達とも持ち込んだSwitchでポケモン大会を開く。

 

 やっぱりポケモンって最高だぜ!!

 

 ポケモンSV発売中!




クリムゾンフィアー
 ポケモンは趣味として好き。趣味ポケで戦うタイプ

ハーツクライ
 ガチガチのガチパで戦うタイプ。勝つのが好き

ユートピア
 変態ダブルバトル勢。トリプルの復活を待ち望んでる


 昨日の夜は仕事終わってから家でシャンパン飲んで酔いつぶれてたので更新できませんでした。今日は昼からシャンパンを飲んで酔いつぶれてるので更新出来ました。


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51話 炎上チャンスだ! 燃えろッ!!

「んっん―――! ドバイだぁ―――!」

 

 飛行機のタラップを降りて大きく背筋を伸ばしながらわっほいとジャンプをする。スマホの機内モードを切ればFGOの自動更新が始まる―――そう! メリークリスマス! 黄金樹海の開始である! アプデを楽しみにスマホをポケットに戻して空港まで運んでくれるバスを待つ。

 

 その間に他のメンツも降りて来る。

 

「ガモスのs100はやっぱ犯罪だよ。サザンで上が取れねぇ……」

 

「サザンで上を取ろうとしてもワンパン難しいよね」

 

「塩もラッシャも滅ぶべき」

 

「いや、それは対策取れてないのが悪い」

 

 飛行機内でのポケモン大会は大いに盛り上がった。日本からドバイまでのフライトはそれなりに長いものだったし、乗り換える必要もあったがそれでも飽きることなくここまでやってくるのに到着した。

 

 しかし、考えてみるとこの距離を馬を運んでゆくのが彼方での事だ、この長旅を良くもまあ、馬たちは越えて走れるもんだ。俺たちウマ娘は普通に人間と同じ空間で過ごせるしなんならファーストクラスで飛んできたから楽だったが。この長旅の後で走れるのはやっぱ凄いわ。

 

「んー、少し暑さを感じるけど結構過ごしやすいな」

 

「よっと……ドバイは3月までは観光シーズンとして過ごしやすい気候らしいからね。4月からは段々と気温も上がってきて辛くなってくるみたいだけど」

 

「へぇ、レースが終わったらさっさと日本に帰るか」

 

 飛行機から降りてきた西村に返答しつつ、やって来たバスに乗って空港へ。海外遠征に恐らく一番慣れているであろう俺が率先して動けば他の連中も一緒に来る。ドバイの日本とはまた違う空気の味を舌に感じつつも、空港に入る。

 

 何時も通りの入国検査、手荷物の回収、そこから空港のロビーへと向かおうとすれば―――やっぱり、大量の報道陣が待ち構えている。一斉に向けられるカメラとマイク、フラッシュを焚かないのはマナーを弁えた報道陣のみがここに来るのを許されているからだろう。

 

『Crimsonさん! 是非答えてください!』

 

『調子はどうでしょうか!? 幻のダート三冠バと呼ばれた貴女は今、最も注目されている選手の1人です!』

 

『ダンジョンスクワッド面白いですよ! 買い切りソシャゲだから楽しく遊べますよ!!』

 

 1人だけ趣旨違う奴交ざってない? まあ、何時もの事か。そう思いながらホテルへと向かう為の道を塞ぐ連中をどかす為にもスマホを取り出し、FGOを起動する。

 

「オラ! 全国放送でFGO2部7章のネタバレを放送したくないやつは下がれ下がれ! 炎上するぞ!! ネタバレは炎上だぞ!!」

 

『う、うわぁ!』

 

 悲鳴を上げながら報道陣が下がって行く。此方へとカメラを向ける奴にスマホの画面を突きつけると転げ落ちながら下がって行く。威嚇するようにスマホを突きつけながら空港を出ると、ホテルへと向かう為のリムジンが止まっている。

 

 その景色の全てを見て、ハーツクライが呟く。

 

「海外だからちょっと不安だったけど、何時ものノリが通じるなら大丈夫か」

 

 真理に到達したようだな、ハーツよ……。

 

 

 

 

「うわあ……すっごっ」

 

「流石ドバイ、選手用に用意したホテルもやべえな」

 

 今回の遠征費用、出せる所は自分で出す予定だったが、先方―――ゴドルフィンに招待を受けると返答した所、日本チーム纏めての遠征費用をぽんと出してくれたのだ。いやあ、マジで驚いたし金回りがやべえとビビった。ホテルも練習できる場所も全部ゴドルフィン側で提供し、他に何かあるなら何時でも伝えて欲しいとの事だった。

 

 ゴドルフィンは是非とも、米ダ三冠バには出せる全力を以てレースに挑んで欲しいとの事だ。それが今年のレースを、ひいてはこのドバイという地そのものを活性化させるから。恐らく連中には既に投資分の金額を回収する目算が立っているのだろう。

 

 ホテルの前には銃を握ったウマ娘の警備員がにこりと俺達を歓迎する。見上げれば綺麗で新しいホテルの姿が見え、正面にはアホみたいに広いロビーが見える。流石に俺もここまで高そうなホテルには来た事がねえや、とちょっと緊張していると見覚えのある姿がロビーにいるのが見えた。

 

 思わず駆け足になりつつロビーの中に入れば、軽く手を振って近寄ってくる。

 

「Crimson」

 

「ティズナウ! はは! 久しぶり!」

 

「馬鹿が、さっさとアメリカに顔出しに来いよ」

 

「悪い悪い、ずっとリハビリで忙しかったんだよ」

 

 ロビーの中でティズナウと抱き合い、背中を叩いて再会を歓迎する。まさかドバイの地でアメリカ組屈指の苦労人と会えるとは思えなかっただけに、かなり嬉しさがある。あの後アメリカ勢と連絡は取り合っていたが、それでもこうやって会えるのが一番だ。

 

 抱擁を解いて下がると、ティズナウの横にアラブ風のウマ娘がいるのが見えた。俺の視線に気づいたティズナウがあぁ、と声を零す。

 

「紹介するよ、友人のSakheeだ」

 

「初めまして、Crimsonさん。貴女の事はTizから聞いてます。こうやって貴女に会えた事に感謝を」

 

「Sakhee……サキー!? いや、あえて光栄っすわ」

 

 両手でサキーと握手する。サキーは凱旋門勝利バだ、アラブの方に縁のあるウマ娘で―――えーと、細かいパーソナルは忘れた。だがティズナウとはBCクラシックで競い合ったライバルだったという話は聞いている。うわ、仲が良いんだなこの2人。

 

「まさかドバイで会えるなんて思いもしなかったよ」

 

 俺の言葉にティズナウがにやり、と笑みを浮かべる。

 

「実はAlexの帯同と教導でこっちに来てるんだよ。アイツはやる気だぜ。お前とBCで競えなかった分、こっちで決着付けるつもりだ。サキーと一緒に仕込んでる最中だからな―――日和った走りをすれば負けるぞ」

 

 ティズナウの言葉にサキーが頷いた。

 

「ドバイWC、三冠の名に恥じぬ走りを期待しています」

 

 ぽんぽん、と肩を叩いたティズナウが去って行く。サキーもぺこりと一礼し去って行く。手を広げて肩を竦めながら去って行く二人の背中を眺め、溜息を吐く。追いついてきた日本組が首をかしげている。

 

「……なんて言ってたんだ?」

 

「“刺客を用意したから全力で抗ってね♡”だってよ」

 

 たぶんBCを走らなかった事、走れなかった事を根に持ってるのか……或いは単純に根性を確かめに来たのか、それとも……という所か。どちらにせよティズナウとサキーに鍛えられた……或いは因子継承したAfleet Alexがここ、ドバイに来ているという事か。

 

 良く気配を探ってみれば割とヤバめの気配をホテル内部にも感じるし……今年のドバイ、実は割と魔境になっているのではないだろうか?

 

「ま、相手が何であろうと全力で走るだけか」

 

 ぱん、と背中を叩いてチェックインの為にカウンターへと向かうチームメイトに心強さを感じる。しかし凱旋門賞バとBC2連覇バの薫陶を受けたウマ娘ってちょっと豪華すぎやしませんかねぇ……?

 

「人の事を言えた義理は君にはないと思うよ」

 

「そりゃそうだ」

 

 やってきた西村の言葉に頷いて笑う。落ち着いた雰囲気のロビーに、報道陣の姿はなく、見えるのはウマ娘やそれに類する関係者のみ……相当の金をかけてここら辺の準備をしているらしい、金のある事で実に羨ましい話だ。

 

「復帰戦のライバルはAlexが最有力か」

 

 もはやこうなっては史実なんてガイドライン程度にもなりゃあしないだろう。切り札を切るか、残すか……或いは切らざるを得ないか。勝ちを狙うか、復帰する事だけを考えるか。

 

 このドバイの地で今後の俺の進退が決まる様な気がする。

 

 そんな予感を胸に―――スマホを取り出してFGOを遊ぶ。

 

 何よりもまずは、ウマッターを見れるようになるために2部7章をクリアしなくては……!




クリムゾンフィアー
 負けるつもりで走るつもりはない

ティズナウ
 無事な姿を見れて一安心

サキー
 ティズナウとはプライベートな友人

アフリートアレックス
 BCで出来なかった事をやろうぜ


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52話 またしても何も知らないチワワ氏

「―――ドバイやべぇ」

 

「金がある所には金があるんだな、って話だよな」

 

 用意されたホテルは最高級ホテル、部屋は広くトレーニングルームも完備、ダートも芝もコースがホテル内で用意されていて好きに調整する事だって出来る。遠征中の費用を出すと言っただけに流石のクオリティだった。ドバイやべぇ、とは豪華さに慣れてない日本人のお言葉だった。

 

 まあ、所謂VIP待遇という奴だ。今の日本バは去年国際競走で何度か勝っている事もあって上がり調子だと判断されているのだろう。その期待の分投資というのが待遇という形で見えている。実際の所、俺にはもう本来の歴史はどうだったかという知識はほぼない。後はもう実力で出来る事をするだけだ。

 

 と言うか一々細かいレースの勝敗なんて覚えられるわけがないだろ。

 

「とりあえず相部屋だけど宜しくなハーツ」

 

「お前となら問題ないだろ」

 

 拳をこつん、と叩きつけて挨拶を終えたらホテルボーイに荷物を運びこんでもらって部屋に広げる。とりあえずは落ち着ける環境を作っておきたい。ウマ娘は割とメンタルに響く性質のある種だ、自分のホームグラウンドを作り上げるのはメンタルコントロール上、非常に重要な事だ。

 

 と言う訳で、

 

「はい、こっち俺のベッドー!」

 

「あ、ズルいぞお前!」

 

 ひゃっはー、と叫びながらベッドにダイブする。当然のようにふかふかで体が沈み込むような柔らかさに思わず夢見心地になってしまう。ファーストクラスの快適さは本当に半端ないのだが、それとはやはり別次元の良さがここにある。と言うか比べ物にならない。

 

 ここまでの高級ホテルは流石に初めてだ―――アメリカにいる間も基本的にはずっと、サンデーハウスで暮らしていたし。ホームステイしている間は家事もローテーション組んで役割分担したりで結構楽しかったんだけどね。

 

 意外とサンデーサイレンスが料理上手だったのは面白かった。お前上手なのかよ! って思ったが、考えてみればほとんど他人を信じず頼らず生きてきた女なのだから、そこら辺のスキルが高いのは当然の話だった。ちなみに今の生活にはだいぶ満足してるらしい。

 

 と、クローゼットに服を吊るしたり下着を入れる場所を吟味していると、西村からメッセージが来る。今日はトレーニングなし、時差を抜く為に9時ぴったしに眠って明日に備えて欲しい、それ以外は基本自由だとの事だった。

 

 トレーナー組はトレーナー組でどうやら色々と忙しいらしい。其方の方にお疲れ様のメッセージを送る。あっちは此方を走らせるまでが戦いで、俺たちは走る事が戦いだ。しっかりと休み、遊び、トレーニングして調子を整えよう。

 

 ともあれ、

 

「まずはシャワーを浴びるかあ」

 

「飛行機の中はなんだかんだで辛かったしな……先に入るか?」

 

 タオルと着替えを取り出しつつあるハーツの姿を見て、首を傾げる。

 

「一緒に入らんのか」

 

 俺の言動に動きを止めたハーツは手元のタオルを見て、俺を見て、腕を組みながら真顔になった。

 

「お前、1回同室との関係性を見直したほうが良いぞ」

 

 解せぬ。

 

 

 

 

 ハーツに一緒にシャワー入るのを拒否られ1人寂しくシャワーを浴びてきた俺はちょっとした探検に出る事にした。やはり、パンフレットを見るだけではどうにも満足できない。こういう大型ホテルは探検してなんぼだ。自分用のカードキーを片手に、ルンルン気分で廊下に出てホテルを探索する。

 

 まずエレベーターがカードキー無しでは動かないタイプなのが割と興奮する。カードを読み込ませてまずはホテルのレストランフロアへと移動する。

 

「朝食も複数のレストランから選べるって話だしなあ」

 

 複数のレストランがホテルに入っており、食事用のチケットさえ提示すればどのレストランで食事する事も可能だ。そうじゃなくてもホテルに連絡を入れればルームサービスだってしてくれるというなんとも豪勢な構いっぷりだ。

 

「まあ、食事周りはトレーナー達が色々と考えてくれるか」

 

 栄養バランスとか、変な薬が混ぜられていないかのチェックとか。ここにモルトレがいれば匂いだけで薬が盛られているか否かを判断できるのになぁ。犬よりもやべーよあの嗅覚。

 

「晩飯が楽しみだなぁ」

 

 当然一流のシェフが厨房には勤めている……ここを利用する客にとってはそこまで珍しい話でもないのかもしれないが、未だに小市民感覚が抜けない俺からすればどこもかしこも目を輝かせるような景色だ。そもそも普段は学生で通ってるしな。

 

「ファイモ殿下とかこういう場慣れてそうだなぁ」

 

 こういう時、いてくれたら助かるんだけどなあ。次、行くか。

 

 レストランを見て回ったら今度はトレーニング施設を見学する―――プロフェッショナルのウマ娘が使う為の一流の施設がちゃんと揃えられている。トレーニング施設はレベルの話をするなら全部レベル5と言えるクオリティのものばかりだ、ここで機材を原因に調整ミスを行うなんて言えないだろう。

 

 それからプール! 屋内プール! 屋外プール! ホテルの天井の一角がプールになっていて、街を見下ろしながらプールに浸かる事が出来るとかいう凄い作りになっている。日差しから逃れるようにプールに浮かぶヒトやウマ娘の姿がいくつも見える。

 

「……ま、ここはレースが終わったらだな」

 

 流石に今は遊んでいる暇はない。そう思ってプールに背中を向けて去ろうとすると、

 

「Wow……Beautiful……」

 

 噛みしめるように呟くウマ娘の声がした。それに思わず振り返る。俺を見ながらつぶやくのはサングラスを頭に載せ、赤いビキニ姿のウマ娘だった。魅入られるように呟くウマ娘の視線は真っすぐ、俺の姿を捉えている。はて、どこかで見た事のある奴だなこいつ……なんて事を考えていると、駆け足で近づいてくる。

 

「君!」

 

「お、おう」

 

「素晴らしい、素敵だ、なんて美しいんだ……!」

 

「……は?」

 

 勢いよく俺の両手を取ったウマ娘は真っすぐ俺に視線を合わせる。どことなく頬が紅潮している様に見える姿は、キラキラと輝くような視線でロックオンしてきている。

 

「まさか、こんな美しいウマ娘に逢えるなんて思いもしなかった……あぁ、神よこの出会いに感謝します!」

 

「お、おぉ?」

 

 すい、っと流れるような動作でそのまま腰に手を回してくると、体を密着させてくる。

 

「君、どこのウマ娘? とてもきれいな赤毛だね……まるで燃え上がる炎の様な……いや、そう、太陽だ。太陽の様な煌めきをしている! その煌めき、君の奥底にあるパッションを表しているかのようで本当に綺麗だ。ここまで魅了される様な娘と出会うのは初めてだよ!」

 

「え、あ、ありがとう」

 

 何時の間にかプールサイドの椅子にまで誘導されてる……。

 

「赤毛の君、名前を伺っても良いかな? 絶対に逢った事があると思うんだ。記憶の中に君の姿が引っかかり続けるんだけどどうにも思い出せなくて……!」

 

「え、あー……クリムゾンフィアーって言うんだけど」

 

「Oh……Crimson Fear……!」

 

 喜ぶように身を離し、腕を広げ、楽しそうに拳を握ってから再び近づいて手を握ってくる。

 

「これは運命だ。一目惚れした人がまさかあのCrimsonだったなんて……!」

 

「今なんつった?」

 

「一目惚れだ! まさしく一目惚れだよ! 君の輝きに目が奪われてしまった! あぁ……」

 

 溜息を吐き、額を抑える所作や喋り方からどことないイタリア訛りを感じる―――いや、それで思い出した。こいつ、要注意人物の1人じゃないか。

 

「お前、エレクトロキューショニストか」

 

「El、気軽にElって呼んでくれよハニー。君にそう呼んでもらいたいんだ」

 

 万人を魅了する様な笑みを浮かべながらそんな事を言うエレクトロキューショニストの姿に、天を見上げて溜息を吐いた―――またキャラの濃い奴が増えたな。




クリムゾンフィアー
 実は告白された経験がない

ハーツクライ
 お前の距離感おかしいよ

エレクトロキューショニスト
 背中姿を見て顔を見て胸を見て惚れた


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53話 またもや脳を破壊されるチワワ氏

「ふぅ―――」

 

 額から垂れてくる汗を拭いディープインパクトが一息つく。最近は調子が戻ってきた事もあり成長を感じているディープは、練習やトレーニングが楽しく感じられている。義務ではなく、責務ではなく、純粋に走りたいから……そんな気持ちで今は走れている事が何よりも楽しい。

 

 そう、楽しい。走る事を楽しいと思えるようになったのがディープ自身が知覚している成長だった。恐らく、それまで一切領域の発現や予兆がなかったのはずっと、精神的なブロックがあったからなのだろうとディープは今更思う。それを乗り越えた今、精神的に無敵な部分があった。

 

「……」

 

 満足感の息を吐く。トレーニングの合間、体を軽く休ませるためにトラックから外れて芝生の上に座り込む。持ってきたスマホを手に取り、新着を確認しようとすると、ディープの姿を見てナリタブライアンが近づいてくる。

 

「休憩かディープ」

 

「うん、ちょっと体を、休めるだけ」

 

 息の入れ方、休み方は教わっている。ただただずっと練習しているだけがトレーニングではない。リギルはなぜ、どうやってトレーニングするのかをしっかりと説明するタイプだ。そこからトレーニングの意味、その合間に必要な休息や栄養補給の話を聞いて理解しているディープはちゃんとトレーナーの言いつけを守っていた。

 

「それで、それは?」

 

「くーちゃんから、お便りを」

 

「あぁ、成程」

 

 相変わらずべったりだなぁ、とナリタブライアンは口に出さずに思った。ディープインパクトがクリムゾンフィアーに対して依存的なのは少々問題だとブライアン自身は思っていた。だが同時に、一概にそれが悪いとは言えない。

 

 何故ならリギルにもテイエムオペラオーが、そして彼女をモチベーションとして走っているメイショウドトウというウマ娘が存在している。オペラオーがドリームへと移籍した時には迷わずドトウも移籍した……恐らく引退する時も一緒だろうとブライアンは思っていた。

 

 ウマ娘のモチベーションは人それぞれだ、それが個人を強くするのであれば別段口を挟む事でもないだろう。それにブライアンも魂を焦がす様なライバルを持ち、走る事の意味をよく理解している。ディープにとってのフィアーがそうなのだろう、それならば仕方がない話だ。

 

「そろそろ、ドバイで落ち着いたころかな、って」

 

「ドバイミーティングか……世界の強豪を相手にレースをするというのはあんまり考えた事がなかったな。トゥインクル時代にもっと挑んでおくべきだったか」

 

 今は遠征中の日本チームにちょっとだけ嫉妬心を感じつつも、ブライアンも興味を抱いてディープのスマホを確認する。ディープはまず最初にディスコードではなくSNSの方を確認する。大体の場合SNSで何かしらのツイートをしているのを知っているのだ。

 

 すると丁度無能ウマッター社員の手によってぐちゃぐちゃにされたタイムラインが出てくる。そこからフィアーの最新のツイートを確認すれば、

 

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・1時間前

 

同じWCに出場予定のエレちゃんと仲良くなったぜ!

pic.twitter.com/electro_bikini

 

5万9千件のリツイート1022件の引用リツイート6万2千件のいいね

 

「―――」

 

「……」

 

 フィアーのSNSには、ウマッターには一つの写真が上がっていた。赤いビキニ姿のウマ娘―――エレクトロキューショニストとのツーショットだった。これだけなら何も問題がないだろう。

 

 問題はこの女、滅茶苦茶フィアーと密着している事だ。腰に回されたエレクトロの手、頬に近寄るエレクトロの唇、足に巻き付く尻尾……まるで見せつけるように独占欲を晒しているSNSの写真に今日もウマッターは見事に燃えていた。

 

 あっぱれフィアー号! 今日もようウマッターを燃やしおった!

 

 第二次フィアーNTRショック開幕の瞬間でもあった。

 

 ウマッターを見てから横のディープを見て、静かにブライアンは目を閉じた。

 

 ―――ダメな奴だな、これは。

 

 ぴき、と音を立ててディープの手の中でスマホの画面に亀裂が走った。それを見てブライアンが迷わずに叫ぶ。

 

「桐生院トレーナー! 出番だ!!」

 

「くーちゃんがまた新しい女を誑かしてる……!」

 

 画面が割れ始めようと関係なくドバイ行きのチケットを取り始めるディープの背後に気配を消して桐生院が回り込み、一瞬で首にホールドを仕掛けると1秒もかからずディープの意識を落とした。ふぅ、と額の汗を拭いながらディープをターフに転がす。

 

「ここ1時間ぐらいの記憶を消しておきますね」

 

「消せるのか……」

 

 流石桐生院家! 凄いぞ桐生院家! こんな事が出来るのは葵だけで他の兄弟は皆見てビビってるぞ桐生院家! ウマ娘への愛は時にヒトの限界を容易く超える力となる。桐生院葵の限界は一体どこにある! ジャンル的にはもしやモルトレと一緒かもしれない。同期だし。

 

 ブライアンはターフに転がる不発弾を眺めてから空を見上げて息を吐いた。

 

「……練習に戻るか」

 

 不発弾の責任は何時だって持ち主の責任だ。ドバイから帰ってきたら炸裂させて欲しい。それだけを胸にターフへと戻って行く。今夜も焼肉だ……!

 

 

 

 

「しっかしナンパなウマ娘って案外初めてエンカウントしたかもな」

 

 これぐらいは挨拶だからとか言って頬にキスされたのはちょっと驚いたけど。まあ、同性だしいっか……という結論に至った。ウマッターも何時も通り炎上しているのを見ると心がぽかぽかしてくる。やっぱりウマッターは炎上してサーバーに負荷をかけてなんぼだと思う。炎上してないとウマッターって気がしないというか。

 

 まあ、それはともあれエレクトロキューショニスト、名前が長いのでエレちゃんとはそこそこ仲良くなった。イタリア育ちが原因なのか距離感が近いというか、スキンシップが強めなのは気になったけどまあ、考えてみれば割と何時もの事だった。

 

 連絡先を交換した事でこのホテルにはゴドルフィン所属のウマ娘もいる事に気づく。

 

「最強のカモメさんもどっかにいるのかなあ……」

 

 シーバード、逢えるのであれば一度はあってみたい。20世紀最強のウマ娘と呼ばれた人物に。出来たら調子が完全に戻ったころに非公式で良いから勝負もしてみたい。まあ、無理だろうなとは思うけど。

 

 エレちゃんと別れた所でそこそこ時間がたっているので大人しく部屋へと戻る事にした。部屋に戻ってみればハーツクライの姿はなく、どうやらどっかに出掛けているようだった。後でトラックの様子を見に行かないとな……なんて思いつつ、ソファに深々と座り込む。

 

「アレが電気処刑人か……ヤバイなぁ」

 

 アレにロブロイが勝てたってマジ? スマホを取り出して経歴をざっと調べる。

 

 エレクトロキューショニスト、ミラノ大賞で1着、前走であるダートのマクトゥームチャレンジⅢでなんと7バ身差という圧倒的な勝利を見せている。芝でもダートでも走れる強いウマ娘だ。ロブロイが彼女に勝てたのは恐らく“想い”の力の影響なのだろう。

 

 なんでも俺がすやあしている時期のウマ娘の勢いは鬼気迫るものがあったとか。ロブロイもそういう想いの後押しがハナ差の勝利へと繋がったのかもしれない。

 

 ただ、先ほど見たエレちゃんは恐ろしく強いと感じられた。

 

 ソファに身を投げ出して、はあ、と息を吐く。

 

「アレ、勝てねぇな」

 

 少なくとも8割の状態では。領域の方はギリギリ遠征に合わせて使える所まで調整している。だから領域は再び使用可能な段階まで来ている。だが筋力8割という状態で等速ストライドを万全に運用する事は不可能だ。少なくともアレは底なしのスタミナがあって初めて成立する走りだ。

 

 つまりあのノってる処刑人を相手に、制限された肉体で勝たないとならないという話で。

 

「ん-」

 

 どうすっかなぁ、と呟く。

 

「勝ち筋……勝ち筋ねえ」

 

 相手は世界を舞台に走るウマ娘。ついでに言えばAlexも馬鹿みたいなパワーアップして控えている。それに対して俺は制限プレイを余儀なくされている―――多分、アメリカにいる御大らはマジで俺がこの大舞台で魅せるのを期待してるんだろう。

 

「やるか、否か」

 

 領域を、解禁するか否か。

 

 最後の領域―――或いは最初の、原風景の領域。今使っているデコイではない。本物、俺の奥底に真実から生み出される最も恐ろしく美しい領域。

 

 それを使うか、否か。

 

「どうすっかなぁ……」

 

 ソファに倒れ込んで沈みながら目を閉じて呟く。

 

 ―――このドバイが、俺の転換点だ。




クリムゾンフィアー
 距離感が基本バグの人

ディープインパクト
 カウンセラーと会う事をお勧めされてる

ナリタブライアン
 毎日焼肉にしようとして阻止されてる

桐生院葵
 桐生院のトレーナーとして当然の嗜み

桐生院家
 なにそれ……知らん……こわ……


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54話 この話は実は特に読む必要がない

 軽く走る。

 

 足元を確かめるように、しっかりとダートの大地を踏みしめて感触を確かめる。足元が沈み込むような感触に少しだけ顔を顰め、だけどそれを体で覚えるように緩いペースで前へと向かって走る。パワーを、スタミナを消費しない走りは既に慣れているものだ。

 

「フィアー、どうだい」

 

「日本の砂に近いなぁ、これ」

 

 アメリカの様な硬い土の感触ではない。トレセン学園で踏んでいたような深めのクッションの利いた砂のコースだ。いや、それでも日本のダートと比べると此方の方がまだ硬さを感じる。歴史的にドバイのダートはアメリカを参考にしてから砂に変化したという話だったか? だとすればまだ部分的に硬さを残している文化なのだろう。

 

 アメリカ由来のダートコースは米三冠で走り慣れている。毎日のように御大と併走して、そして走りを覚える為に体の隅々までその走りを飲み込んできた。だからあの走れば響くような硬さ、スピードの出る環境には慣れていたのだが……ここ、ドバイのダートはまたそれとは違う。

 

 このクッションの利いた足元ではアメリカ程の速度は出ないだろう。だがダートへの転換には既に慣れている。ここも1週間ほど走り続ければ普通に慣れるだろう。少なくとも自分にはそれが出来るだけの理解力とセンスがある。少なくともその事は自覚している。自己評価は正確にしないとならない。

 

「走れそう?」

 

「問題なく走れる」

 

 トラックの外でタブレットを手に此方を見ている西村の言葉に応える。

 

「競バ場のコツというか走り方の理解の仕方はそう難しくないよ」

 

 蹄鉄を通して砂を踏みしめる感触に、ここを走った者達の想いを感じ取る。そういう残された想いから記憶を読み込めば良い―――等速ストライドを習得する事の1000倍簡単だ。等速ストライドマジでわからん。アレを言語化するのは人類には無理だろ。

 

「まあ、一度ナド・アルシバ競バ場を見ておきたいけど」

 

「スケジュールに既に組み込んであるよ」

 

「さっすが西村」

 

「もう3年目だからね、君の考えてる事はある程度察せるよ」

 

 はは、と笑いながら足を止める。もう一度足元のダートを踏み、足の感触から太腿、下半身と感覚を巡らせて息を吐く。

 

 ドバイ到着翌日、早速ダートコースを借りて練習させて貰っている。バ場の状態や感じ方で走り方は細かく変化させなくてはならない。その為、現地に早めに入って調整を施すのは非常に重要な事だ。水や食べ物が合わず本番までに身を崩す娘というのもまあ、珍しくはない。

 

 しかしそこは西村Tがいる。こいつがいる限りその手の不調が起きる事はない。

 

 ならば問題は、純粋なスペック勝負で勝ちに持ち込めるか否か……という話だ。力はだいぶ戻っている。走り方も完全に戻っている。足りないのは残り2割の筋力と体力だけだ。それだけが足りない。そしてそれは時間制約上どうしようもない事でもある。

 

「後は小手先の技術でどうにかするか……或いは」

 

 出せるもんを全て吐き出すか。

 

 トラックを一周して西村の前に戻ってくる。今も同じトラックでは他のダート組が練習している。隣の芝のコースでは芝に挑戦するハーツが脚を馴染ませようとしている。皆、本気でドバイへと勝ちに来ている。当然俺も負けるつもりで参加した訳ではない。

 

「それで」

 

 タブレットを持って立つ西村は俺を見て言う。

 

「どうするんだい、フィアー。僕は君の判断に従うよ」

 

「諫めたりしないんだな」

 

「自由に―――方針も何もかも、ウマ娘が心赴くままに。負ける為に走ると言うならそれも支えるのがスピカの方針だよ。僕は最初から最後まで、君の心のままに走らせる事しか考えてないよ」

 

 真顔で言い切る西村の言葉にひゅー、と口笛を吹かせる。俺が普通の乙女だったら今の顔と言動にやられていた所だろう。しかしだ、残念ながらこの心は既に売約済みだ。今更カッコいい顔をされた所で笑顔のサービスぐらいしか返せるものはない。

 

 そう、そうだ。思えばこいつとも長い付き合いになって来た。半年間眠っていた事実を抜けば、ほぼ3年間毎日顔を合わせているのだ。そりゃあ互いに呼吸も解ってくるだろう。は、と声を零す。こいつにも割と迷惑をかけてきた。そう考えるとちょっと申し訳なく感じるな。

 

「なあ、マゾ野郎」

 

「今、僕の事マゾ野郎って呼んだ?」

 

「口が滑った、許せ。ストロング葵よりはマシだから」

 

「マシかなぁ……? マシかなぁ……」

 

 調整神西村、ストロング葵、要介護理子、ヒト型実験生物モルトレ。トレセン学園の同期四天王トレーナーである。トレセンきっての名物トレーナー達であり同時に要注意人物たちでもある。ちなみにこの中で一番まともなのが西村なのは確定的に明らか。

 

「覚悟とかよ、決意とかさ」

 

「うん」

 

「結局言葉で吐くだけ吐いても、それが本当に定まってるかどうか……ってのは結局、その時にならなきゃ解らないもんだと思うんだわ。どれだけ言葉を口にしたって中身が無きゃ風船と変わりはしない。それが覚悟であるのは行動で示して初めて判明する事なんだ」

 

「うん……それで」

 

 自信がない、と言うだけの話だ。だけど西村は違う。

 

「フィアー、僕には君が才能のあるウマ娘である事を信じている。恐らくは出会ってきた誰よりも……そして今の君に才覚だけで匹敵する事が出来るであろう相手はディープインパクトぐらいだろうと思っている」

 

「……」

 

「きっと、君が本気を出す事が出来れば……君はどこでも戦えるだろう。どこでも勝つ事が出来るだろう。だから怖いんだろう、勝ててしまう事が。走って勝ててしまう事に、その意味と熱量を理解しているから」

 

 西村が的中する俺の内心に、溜息を吐いて笑みを浮かべる。肯定するように頷く。

 

「俺がこの世で最も不要と考えるものは俺自身なんだよなぁ」

 

 生まれて来なければ、こんな事に悩む必要もなかった―――けど、まあ、もうちょっと自分の事は好きになっておこうと思う。こんな俺の事を好きな連中もいるし。そういう奴らの為に、自分を卑下し続ける訳にもいかない。

 

 だから走る。走って勝つ。本能が求めるままに。だけどそれ以上の夢と呼べるものが存在しなかった。ある意味で、俺はディーに良く似ている。あの娘は目標も目的も熱量もなく走れていた。走る事が義務だったから。

 

 俺はその逆だ。義務はなく、走る事以外なんでもできた。だけど走りたいから走った。それでも根本となる理由が空っぽでがらんどうなのはどうしようもなく同じだった。俺がディーに惹かれ、彼女が俺に惹かれるのはそういう部分が根本にあるからだろう。

 

 俺たちは違っていて似ている。だからこそどうしようもなく惹き寄せられるのだ。

 

「実はね、このドバイワールドカップを勝った後のローテーションってのを僕は考えてあるんだ」

 

「へぇ」

 

 そう言ってトラックを分け隔てる柵に寄りかかりながら西村が言葉を続ける。

 

「KGVI&QEステークス、凱旋門賞、BCクラシック」

 

「それって……現在最も価値のあるGⅠの3大タイトルだよな?」

 

「あぁ、君が眠っている間……というかアメリカにいる間に考えてたんだよ」

 

 悪戯を咎められるような表情で笑う。

 

「君はこの先もきっと走る。信じられない記録を打ち立てられるだけの力がある……なら歴史上初の、絶対的な偉業を成し遂げてやろうって。やるならとことん、徹底的に。それが君となら絶対に出来るだろうって」

 

 ま、とそこまで言った所で西村が話を切る。

 

「君にやる気がないなら話は別なんだけどね」

 

「言うなこいつ」

 

 手をひらひらと振った西村は寄りかかっていた柵から身を離すと、背筋を伸ばして体を捻った。

 

「ま、僕は何時だって君次第だって事を忘れないでいて貰えればそれで良いよ。それが僕の仕事で、夢で、そしてやりたい事だ」

 

 だから緩くね、と言ってくる西村の姿に俺もお手上げのポーズを取って降参の意思を見せるしかない。なんつー出来た人間だ。これで本当にあの人外魔境世代の同期だってことが悔やまれる。

 

 まあ、何はともあれ。

 

 答えはそろそろ出さないとな。




調整神西村
 育成はまず絶好調にする所から始めるアプリトレ

ストロング葵
 桐生院家は永遠に首を傾げている

要介護理子
 グラッセとココンが何時もこっそり見守っている

ヒト型実験生物モルトレ
 キラキラピカピカの時代もあった。今は物理的に光る


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55話 人生、結局の所見た目で生物としてのTierが決まる

 片足だけを露出するジーンズって正直どうなんだ? とは思ったけどこれ、穿いてみると意外とお洒落だよね。生足に自信のある人間にしか穿けない選ばれし衣装って感じはあるが。幸い、俺は顔も体も自信満々のグッドルッキングホースなので履いちゃう。

 

 上もまあ、適当に良い感じのを着てはい、お着換え完了。窓の外から見た空は既に暗くなってきている。普通であればこんな時間帯に外に出るのはあまり、褒められたもんじゃない。特に学生であればなおの事だろう。

 

 だけどここはドバイ、治安に関する事は心配する程でもない。大きく背筋を伸ばすと、ソファでだらけていたハーツが此方に視線を向けてくる。

 

「んお、どっか行くのか?」

 

「ちょっと散歩。折角ドバイに来たってのに観光もしないのはどうかと思うし」

 

「こんな時間にか?」

 

「こんな時間だからだよ」

 

 ハーツに手をひらひらと振ってから部屋を出る。エレベーターに乗って、ホテルを出る頃には何時の間にかSPウマ娘の姿があり、俺が視界に姿を捉えようとすると直ぐに姿を消した。視界に入らない所で護衛してくれてるらしい……流石殿下紹介のSP、滅茶苦茶有能。

 

「んー、どこに行くかな……適当に歩くか」

 

 まあ、観光とはいえ特に目的がある訳じゃない。したい買い物がある訳でもない。言い換えればちょっとした気分転換が欲しかっただけだ。俺が割と抱え込みやすい性格をしているのは自覚のある事だ。だから定期的に思ってる事、感じている事を吐き出す必要がある。

 

 割と何時もの奇行で吐き出している部分もあるが……流石に海外で女神像テロなんてするわけにもいかないからな。

 

 そう思ってホテルから離れるように歩いていると、近場に公園を見つける。比較的に海辺が近いホテルには心地よい風が吹いていて、それを公園でも感じる事が出来る。ビーチに行けばもっと風を感じられるかもしれない。そっちに行くのも良いかもしれない。

 

 と、思ったところで、

 

「ここにもあるかぁ……宗教的にどうなんだろうな」

 

 三女神の像が、公園に建っているのを見つけた。本当にどこにでもあるもんだ。この地上、ウマ娘に最も信仰されていると言われる神話である事に間違いはない……お国柄、こういうもんは存在しないと思っていたのだが。今はオープンな時代という事なのだろうか。

 

 と、女神像周囲の光が薄れて翳るのが見えた。

 

「やめろ。1度は……あまり良くないけど終わってしまった事だから良い。だけど2度目は駄目だ。そんな勝ち方、したくはない」

 

 女神像の向こう側の気配に否定する言葉を投げ、公園を去る。俺ばかり神様の手を借りて勝っても、そりゃあ俺の実力じゃなくて神様の助力があったからこその勝利になってしまう。戦いの、熱意の、そして意義がその度に薄れて行く。だから借りられない、神様の力は。

 

 最初の因子継承には感謝している。そのおかげでここまで来られた。だけど今はいらない。この苦境も、俺自身が越えなきゃいけない事だ。

 

 だから女神像に背を向けて歩き出す。気持ちの良い風が吹いてくる方向へと向けて。

 

 

 

 

 ドバイの夜は明るい。注ぎ込まれた大量の金、観光地として栄える企業の努力、ドバイミーティングのシーズンという事で増えた人の姿……夜でありながら大量のライトによって都市部の姿はライトアップされていて、夜という感じが薄れている。

 

 アメリカに居た頃はどちらかと言うと田舎の方に居たため、こういう眠らない街の様子は日本の景色に似ていると思う。ただそれもビーチの方へと向かえば収まってくる。そしてビーチに出れば待っているのは静かな海の様子と、波の音ばかりだ。

 

「漸く落ち着けるな」

 

 ふぅ、と息を吐いて適当なビーチチェアに腰かける。辺りに人の気配はなく、どこかで俺を見守っているSPだけがいるのだろう。お蔭で静かに海を眺める事が出来る。ビーチチェアに腰かけたまま、静かに波の音にだけ耳を傾けていると、頭の中にこれまでの事が思い浮かんで行く。

 

 生まれたばかりの時期の事。

 

 学校がどうしようもなく退屈だったこと。

 

 初めて学校の競走を走った時の思い出。

 

 バンダナに野良レースを紹介された時の事。

 

「アコギでも持って来ればよかったな」

 

 暗い海は近づけばそのまま飲み込まれて帰って来られなそうな程闇が深く見える。ただその闇も静けさも、自分にとっては身近な色でしかなかった。日頃から死を認知し、隣り合わせで生きる事を考え続ける程奇特なウマ娘も俺ぐらいだろう。

 

「んー、良い風。これならエアコンなんていらないな」

 

 ガンガン冷房をかけまくっているホテル内を思い出し、はあ、と溜息を吐く。俺は実はあの冷房をガンガン効かせた感じ、あんまり好きじゃない。この自然観の方が好みだ。靴じゃなくてビーチサンダル履いてくるべきだったかなあ、あっちのが砂の感触が解って気持ち良かったかも。

 

「Alexはどこにいるのかなぁ。レース前に1度あっておきたいなぁ……」

 

 俺抜きのBCの話もしたいし。今年はどうかな……ドバイで勝てたらBCに向かう感じで良いとは思うけど、開催時期的に凱旋門の後になるんだよな。それまで自分がどうなっているのかは、ちょっと想像がつかない。たった半年前にはあんな事になっていただけに。

 

 口を閉ざし、夜空を見上げる。開発が進んだ都市部では田舎の様な透き通った空は見れない。それが少し寂しく、そして遠く感じる。俺は、街に出てくるべきではなかったのかもしれない。そんな事を考えて、否定する。トゥインクルという舞台に出たからこそ出会えたものも多かった。

 

 その出会いまで否定したくはない。

 

「―――あら、素敵な色のお嬢さん」

 

「ん?」

 

 波の音しかしなかった砂浜に、女の声が増えていた。視線を横に向けると、幅の広い帽子にワンピースという、どことなく貴婦人の様な雰囲気をした栗毛のウマ娘がいた。片手には脱いだハイヒールを持ち、素足で砂の感触を楽しんでいる様に見える。

 

 俺が視線を向けた事に口元を隠し、微笑を浮かべる。

 

「ごめんなさい、あまりにも綺麗な色をしてたからつい」

 

「そうやってナンパされるのはここに来てから二度目だなぁ」

 

「そうなの? ふふ、やっぱり綺麗な色をしているって解る人には解るのね」

 

 栗毛のウマ娘の雰囲気はともかく、その肌や顔はまだまだ若々しさが見えるのに、所作はどことない深い落ち着きと貫禄がある。彼女を見てから、尻尾が少しだけ緊張するようにぴーん、と張っている。くーちゃんレーダーに何らかの反応アリだ。

 

「横、座っても良いかしら?」

 

「どーぞ、どーぞ」

 

 俺が止める権利がある訳でもない。横にどうぞ、とするとゆっくりと近づいた女性が便利に腰を下ろす。風になびく髪を片手で抑え、帽子を脱いでウマ耳をぴこぴこと揺らす。

 

「良い夜風ね」

 

「そっすね。エアコンを付けて部屋に閉じこもってるのが勿体ないぐらいの」

 

「えぇ、本当にそう。こういう夜は眠くなるまで歩き回るのが楽しいと思うの」

 

 でも、と女性は言葉を続ける。

 

「あまり、歩くのに適していないわね、ここは」

 

 ビルが多く、観光用施設や商業施設が多い。観光として歩き回るのであればまあ、楽しめるだろう。だけど落ち着きを求めて静かな夜を純粋に楽しみたいのであれば……発展と開発と共にそういうものは姿を消してしまっている。

 

 それらを求めるならもっと遠くへと行かないとならないだろう。まあ、流石にそんな遠くにはいけないのだが。だからこのビーチは悪くない。人の姿がなく、静かで、暗く、波の音しか聞こえてこない。心の淀みを波が洗い流してくれるようだった。

 

「綺麗な色をしているのに……どことなく窮屈そうね」

 

 波を眺めていると、そんな声を聴いた。

 

「窮屈?」

 

「えぇ、凄く綺麗な色をしているのに……誰にも見せないように、必死に抑え込んでいる様に見えるわ。きっと、貴女はそれを出す事が出来れば誰もを魅了できる輝きを持っているのに」

 

「アンタ……」

 

 最初は毛色の事を言われているのかと思った。だけど違う、このウマ娘はもっと深い部分を見て指している。心の色、そういうべきものを見て言っているのだろう……純粋に、その並外れた感覚に驚いた。

 

「解るんだ」

 

「うーん、長年この業界に居ればなんとなく? 今まで見てきた色の中で一番綺麗な色をしているわ」

 

「一番綺麗な色か。姐さん、良い事を言うな」

 

 名も知らぬウマ娘の言葉に小さく笑う。心の色を褒められるなんて経験、滅多にないもんだからちょっとだけ気分が良い。とはいえ、良い事ばかりじゃない。

 

「綺麗に見えるのは多分その形だけだよ。本当に美しいものってさ、実は危険なんだ。危険で、醜悪で、そして邪悪だと思う。触れてはならないものほど綺麗に飾られてて触りたくなっちゃうんだ。だから俺はこれが嫌いなんだよね」

 

 知らなきゃ良かった。忘れれば良かった。だが生まれ変わった事実も、今を生きる現実も変わりはしない。魂に焼き付いた原色は消える事がない。俺がなんであり、なんであり続けるかという事実は決して覆らないんだ。

 

「だから押し込んでるのね」

 

「おう、それが多分一番正しい」

 

 だけど、同時にこれを晒したいという自分もいる。見せつけたい、派手にやりたい、褒められたい、認められたい教えたい―――そんな気持ちを抑圧している。だけどこれはそんな早々に見せても良いものでもないだろう。そんな、綺麗さではないんだ。

 

 人の魂を焼くような、そんな色彩を、俺の本当の領域は抱えている。

 

 だから使ってはならない。使うべきではないのだ。それでも、それに反していつ使うのか、どうやって使おうか……そんな事を考えている自分がいる。結局覚悟とか決意とか、その程度のものだって話なんだろうけど。

 

「良いんじゃないかしら」

 

「良いんじゃないか、って。何が?」

 

「矛盾してて」

 

 言葉にしない感情と想いを、汲み取るように栗毛のウマ娘は呟く。

 

「間違っていても、矛盾してても、それで何か問題があるのかしら?」

 

「いや、それは人としていけないでしょ」

 

 人に、跡が残る様な事はしてはいけない。当然の倫理だ。魂を焼きつくす様な行いを、当然のモラルを踏まえて行ってはいけない。ブレーキを外せば最後、残るのは止まらない暴走特急だけだ。それを外してはならないというのは当然の認知だろう。

 

 だけど、乙女は頭を横に振る。

 

「そうね……悪い事をしてはいけないわ。だけどね、私達ウマ娘の脚は結局、使えば使う程すり減って行くものよ。走ればそれだけ死が近づいていく世界に身を置いているのが競技者としての人生よ。そもそものスタートラインが違うの」

 

 トゥインクルも、ドリームも、その行いは結局デッドエンドへと向かった暴走特急。

 

「なら、今更遠慮する事って何かあるのかしら?」

 

「そりゃ……色々とあるだろ」

 

「えぇ、あるでしょう―――だけどそれを考慮する必要なんてあるのかしら」

 

 ふふ、と乙女が笑って立ち上がる。

 

「とても綺麗な色の娘。貴女は間違いなく此方側よ」

 

 脱いだ帽子を被り、視線が真っすぐに俺を捉える。

 

「燃え尽きるような一瞬を。焼けつくような全てを。自分の全てを出し切ってでも燃え尽きる瞬間を求めて焦がれている。最強で最高のレースの為であれば人生の全てを薪としてくべても構わない……貴女は私と同じ、そういうウマ娘よ。その本質を自覚しているけど否定したいのよね?」

 

「それは……そうだろう」

 

 肯定する言葉に白い乙女が頷く。

 

「でもね、それは貴女の本質を否定しているだけだわ……貴女の中では既に答えが出ているはずよ。それから目をそらさないであげて。殺し続けているのは貴女の為にもならないわ」

 

 ふふ、と笑みを零して背を向けた。

 

「でもきっと、貴女は使うわ。そのとても綺麗な色の心を。今年のドバイは、そういうレースになるわ。きっと、我慢が出来なくなる。そういう素敵な熱が既にあるもの……それでは、良い夜を」

 

 そう言って白いカモメは去って行った。化け物め。背筋に冷や汗が伝う感覚を拭い去るように倒れ込み、夜風に身を任せる。

 

「ありゃ勝てる気がしないな」

 

 本格化を終えて、既に引退しているのに。勝てる景色が思い浮かばない。だというのに熱を灯されたように体が火照ってしょうがない。

 

「こえーなぁー」

 

 ざあ、ざあ、と波の音に身を任せながら息を吐く。どうするか、という言葉はもう口から出てこない。




クリムゾンフィアー
 ナニカサレタヨウダ

白いワンピースのウマ娘
 一体どこのカモメ姐さんなんだ……

カピ君
 ヒマラヤ山脈登頂


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56話 つまりこれまで人生舐めプだった……って事!?

 ホテルが正面に見える。

 

 俺が泊まっている所とは別のホテルだ。運転を頼んだSPさんに手を振って感謝を告げたらそのままホテルの中へと進む。

 

「ようこそ、宿泊でしょうか?」

 

 すかさずやってくるホテルボーイを片手で払いながらホテルの奥へと進む―――事前に調べてあるだけに迷う事はなかった。ホテルの中を抜けてその中央へ、俺たちが泊っているホテル同様中には走る為のコースが用意されているホテルだ。

 

 というのも、ドバイは競バを盛り上げたいという声に合わせて宿泊できるホテルにはウマ娘用のコースが用意されている。ドバイは近年のウマ娘ブーム、レースブームに合わせて更に盛り上げる為に資金の投資を行っている。ホテルにコースが用意されているのもそういう都合故だ。

 

 何より、関係者のみを中に入れたホテルのコースは、外の練習場とは違って限られた空間だ。余計な偵察などを心配せずにトレーニングができるのは最大の魅力だ。基本的に報道関係者はこの手の施設から締め出されているから安心してトレーニングができるという訳だ。

 

「……」

 

 ホテル内のコースにまでやってくると、アメリカチームが練習している姿が見えた。途中、ここに来るまで当然ホテルの関係者が俺の足を止めようとしてくるのを全員威圧して完全停止させてきたから誰も俺を止める事は出来ない。その調子のままコースの端に立ち、アメリカチームを無言で眺める。

 

 アメリカはダート大国だ、お国柄とその歴史の関係上土でのレースが主流となりそのまま発展してきた。その結果アメリカという環境は世界で最も優れたダート大国へと化した。シガーが走り、優勝した事でドバイのダートはある種のステータスを得る事に成功した。

 

 その為、アメリカからは毎年一定数の参加者がドバイダートには出てくる。そして今年も、ドバイのダートトロフィーを持ち帰る為に来ている姿が多数ある。

 

 その中には、当然Afleet Alexの姿があった。コースのサイドではティズナウとサキーがトレーニングを見守り、アメリカ組の全体の監督もしていた。だが俺がコースの端に出てくるのを見ると、視線を向けて来る。

 

 それに気づき他のウマ娘達も足を止める。

 

「Crimson……」

 

 呟くような声がする。それに応える事もなく、不動のまま待つ。俺の放つ気配を理解してか、前に出てくるのはAlex1人だけだった。俺の前に柵越しに足を止めると、トレーニングで流れた汗を拭いながらよう、と挨拶してくる。

 

「元気みたいだな」

 

「―――1本」

 

「……?」

 

「ダート2000領域抜き以外は本気で1本」

 

 人差し指を持ち上げての提案に、Alexは一瞬黙り込む。だがその後ろからやって来たティズナウが言葉を挟み込む。

 

「止めておけAlex。その提案を絶対に受けるな」

 

 警告するティズナウの言葉にAlexは頭を横に振る。

 

「殻を破るか否かの瀬戸際……って所だろ? 見れば解るよ。だからこそ受けなきゃならない、そうだろう?」

 

 そう言うとAlexはタオルを受け取って汗を拭い、息を吐いて一瞬でコンディションを整えてから視線だけで“来い”と示してくる。それに従いコースに入り、スタートラインに向かう。その様子にティズナウがはあ、とため息を吐いてコースの横に出る。逆にサキーはどこか楽しそうに眺めながらスタートラインの横に立った。

 

「合図と判定は私が取ります―――皆さん、コースを空けて」

 

 サキーの言葉に合わせてコースから他のウマ娘達が一瞬で消える。それを受けながらスタートラインに立ち、大きく背筋を伸ばして体を捻る。手を足を振って体を軽く慣らしたら準備は完了する。何時も通りのスターティングポジションを取り、構える。

 

 俺とAlexの間に言葉は必要ない。ここに来た意味もぶつける必要はない。これは、俺自身に対する一つの確認だ。確認であり確信だ。俺がこれから、何をするべきか。どうしなくてはならないのか。それを知って理解する為にも本気で走らなきゃならない。

 

 走ればわかる。熱は既にある。カモメはそう鳴いた。

 

 ならその熱を確かめるしかないだろう。

 

「……」

 

「……」

 

「はぁ……馬鹿な奴だ。ほら、サキー」

 

 ティズナウの呆れの溜息を聞き流し、レースにのみ集中する。サキーの出すスタートの合図だけに全神経を集中させ―――。

 

「―――開始」

 

 腕が振り下ろされるのと同時に前へと飛び出した。一切出遅れる事無く2人同時に飛び出し、前へと向かってポジションを取る。前に出たがるAlexに先頭を譲り、その直ぐ後ろにマークするように位置を付ける。

 

「っ、そう来なくちゃな」

 

「は」

 

 Alexを直ぐ後ろから加速させるように威圧する。いや、実際に加速する。等速ストライドと言う武器を使わない理由はない。マークして威圧し、そのまま相手を押し出すように加速する。少しずつ、少しずつ加速を累積させる。

 

 段々とハイペースで展開するダートの一騎打ちがほぼ全力疾走染みた速度へと変貌し始める。

 

 直線で呼吸を入れ、コーナーで呼吸を整える。

 

 互いにスタミナの温存手段、スタミナの回復技術は備えている。最初から最後までスタミナをコントロールして走っても途切れる事はないと理解している。

 

 だから序盤を抜け、中盤に差し掛かった所で一気に加速が始まる。後ろからの圧を増大させ、崩しに来るAlexの動きを牽制しながら1000mのロングスパートに入る。Alexも此方を良く理解しており、同様のペースで加速しだす。

 

 結局500m地点で互いに全力のスパートに入り始める。領域抜きの一騎打ちは純粋な肉体スペックの勝負になる。どちらがよりパワーを持ち、どちらがより多くのスタミナを備えているのか。たったそれだけの勝負になる。

 

 細かい技術、レースコントロール、そんな物は2人での戦いの間に入る余地もない。存在するのはどちらがより優れているか、という種としての戦いのみ。

 

 そしてその点において―――どうしようもない遅れを俺は取っていた。300m地点までは横並びに全力でスパートが出来ていた。だが段々と息が上がり始める。肉体にのしかかってくる疲労はこれまでのレースでは感じられなかった重みだ。

 

 ―――ブランクだ。

 

 半年間のブランク。それが純粋なスペックの比べあいという舞台において明確に俺の劣勢を示していた。

 

 だからスパートを補助するように姿勢を整える。息を入れて加速する―――だが足が重い。体が重い。煩わしい程の重みが体にのしかかってくる。自由に走れない事へのイラつきと、勝利への渇望が重みが増えると同時に肥大化する。

 

 ハナ差。

 

 アタマ差。

 

 1バ身。

 

 2バ身。

 

 怠惰と迷いのツケは俺に対する負債として縛鎖となる。引き剥がされる。それを理解していても前にAlexが出る。強い―――お前は本当に強い。走りを見れば解る。俺が寝ている間も一切手を抜く事なくトレーニングをしていたのだろう。

 

 俺がいないレースで勝った。俺がいないから勝てた。そんな誹謗中傷に負ける事無く、腐る事無く走り続けてきたんだろう。走る姿を見ればお前がここまで一切手を抜く事無く走り続けた姿が思い浮かぶ……本当に凄いと思うし、尊敬する。

 

 4バ身。

 

 等速ストライドは結局、底なしのスタミナとそれを支えるパワーが存在して初めて成立する走りなのだ。それが欠けようものなら普通に走っているのと何も変わりはしない。最後まで失速する事なくとも、トップスピードが出せる事はなくAlexが前を走って先にゴールラインを切った。

 

 それがAlexとの領域抜き、本気の勝負の結末だった。

 

 息を切らし、汗を流し、胸を押さえながら呼吸を整えて息を吐く。

 

「満足したかCrimson?」

 

 振り返ったAlexの言葉に頷く。

 

「ありがと、帰るわ」

 

「もうトラックに轢かれる事無く帰れよ」

 

 Alexの言葉にひらひらと手を振ってからコースを去って行く。

 

 

 

 

 真っすぐ自分のホテルに戻り、今度は自分が借りているコースへと戻ってくる。日本のウマ娘達は今日も環境に慣れようと悪戦苦闘し、自分のトレーニングに励んでいる。その姿を眺めながら暇そうにしている西村の姿を見つける。その姿に向かって軽く手を振ると、

 

「おはよう、フィアー。せめてサボるなら一言ぐらい書置きを残してくれても良いんじゃないかな」

 

「西村……ずっと、何のために走り続けているのかを考えてたんだ」

 

 少しだけ優しく、冗談を咎めるような口調で言葉を口にした西村が俺の返答を前に黙り、真剣な眼差しを向けた。先を促すように無言のまま、次の言葉を待つ。

 

「結局の所俺が走り続けてきたのは、ウマ娘としての本能を満たす為だったんだよな……走りたい。走り続けたい。負けたくない。もっと前に出たい。その欲望が俺を突き動かす原動力だったんだ。それが枯渇した事はなかったけど、一瞬でも満たされた事があった」

 

「皐月賞か」

 

 初めて全力を出して負けた舞台。楽しかった、自分の全てを出して考えて戦い、そして負けられる事は。或いは俺は、無意識ながら走る事に満足していた部分があるのかもしれない。それが眠り続ける事への選択に続いたのかもしれない。

 

 何のために走る? どうして走る? 何が俺を走らせる?

 

 告白しよう―――俺は根が凄い真面目だ。びっくりするほど真面目だ。だから糞真面目にここら辺の事を考え、悩み、迷ってしまう。存在の是非を。

 

「だけどさ」

 

「……」

 

「やっぱ、負けるのって悔しいわ」

 

 胸を焦がす熱量を自覚する。あぁ、あったよ。俺にも、意地とかプライドとか、闘争本能とかそういうもん全部ひっくるめた熱量がそこに。願いのない奴が走ったらいけないのか。特別な想いのない奴が走ったらいけないのか。勝つのは何時だって運命に愛された奴なのか。

 

 否、否、そして否―――勝つのは運命ではなく、強い奴だ。そこに想いの熱量なんて一切関係がない。

 

 純粋な才能が、修練の量が、桁を超えた努力が夢やそれ以下の努力を否定するのだ。

 

 俺はそれが嫌いだった。報われる奴はいるんじゃないかと思ってた。だけど結局、俺は彼方側の存在だった。才能に愛され、そして神に愛された暴力の化身だったのだ。それがどうしようもなく吐き気がした。だから三女神が嫌いだった。お前らに愛されたくなんてないと思っている。

 

 それでもはっきり自覚する。

 

 負けたくない。

 

 勝ちたい。

 

 たとえそれが運命の果ての勝利だったとしても、それを捻じ伏せて蹂躙してでも喰らいたい。

 

 我こそが最強であるという事の証明を立てたい。

 

 唯一抜きんでて並ぶものなし―――その名は俺にこそ相応しい。

 

 究極のエゴイズム。自分勝手の主張。だがそれでこそ世界を相手にする相応しい気概。あぁ、そうだ。熱量は常にそこにあった。カモメの鳴いた通りだ。あの女、三女神なんかよりも遥かに邪悪にすぎる。だがおかげで目を逸らす事も逃げる事も出来なくなった。

 

 急所を突くという意味ではよくやったとしか言えないだろう。

 

 俺は、あのカモメは嫌いだがその一点においては感謝しよう。

 

「西村、俺を追い込んでくれ。限界まで。壊れるぐらいに。調整とか、コンディションとか。そういうの全部忘れて。血反吐吐いても良いから。壊すほどに追い込んで。倒れても無理矢理引き上げて走らせて」

 

「―――」

 

 俺の言葉に西村は黙り込み、腕を組む。目を瞑って数秒間、己の中にある考えを巡るように沈黙を保ち……ゆっくりと目を開けた。

 

「良いんだね? 最悪のコンディションでワールドカップを迎える事になるよ」

 

「それでも俺を戻せるでしょ、身体的に負けないラインへ」

 

 西村の中には見えている。明確に俺が回復できるというラインまで引き上げるプランが―――だがそれはコンディションの調整を全て投げ捨てた先にある行いだ。とてもレースを走れるだけの状態ではないだろう。

 

 だがそれで構わない。コンディションなんて所詮は精神的な部分だ。その点においては人類最強を自負している。精神的なリミッターが解かれた今、もはや崩れるものなんて何もない。真っすぐに西村の目を見て、訴える。

 

 それに負けた西村が目を閉じた。

 

「はあ……これで負けたら世界中から無能トレーナーとして地位を獲得できるかな」

 

「安心してくれよ、トレーナー」

 

 もう、負ける事はないから。その言葉を口に出す事なく答えとしてコースの上に立つ。




クリムゾンフィアー
 おや、クリムゾンフィアーの様子が……?

Afleet Alex
 ライバルの覚醒ににっこり

ティズナウ
 言わんこっちゃない

サキー
 ライバルは強ければ強い程楽しい派

ハーツクライ
 急に同室のチームメイトが毎日ぼろぼろになり出した恐怖


 明けましておめでとうございます。今年もまた宜しくお願いします。


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57話 ドバイワールドカップ Ⅰ

 ドバイミーティングの朝。

 

 報道陣を避けるように軽い変装込みで競バ場入りする。ドバイワールドカップは7R目、ドバイミーティングという1日におけるオオトリを飾るレースになる。その為、朝早くやって来ても待ち時間は長くなる。

 

 それでもその待ち時間を俺は厭わなかった。必要な準備と追い込みの全ては前日のうちに終わらせていた。だから朝早く競バ場に到着したら後は勝負服に着替える準備をしておくだけ。部屋のハンガーにクリーニングに出して綺麗に整えられた勝負服を吊るし、椅子に座って静かに出番を待つ。

 

 1R目、アラブバオンリーのレース。これは俺たちには関係がない。関係があるのは2R目のゴドルフィンマイルからだ。これにはユートピアが出走する。同じ日本出身のウマ娘、チームという意識は正直あまり強くない。

 

 だが同じ、他国を相手にするウマ娘でありダートという領域で走る同胞だ。一緒に遊んで仲良くなった部分もあるし、アドバイスしたりされた所もある。静かに心を落ち着けるように言葉を発する事もなく控室で待っていれば、何時の間にか西村が最初の勝負の結末を教えてくれる。

 

「ユートピア、勝ったよ」

 

「そっか」

 

「日本にとっては最高の始まり方かな」

 

「どうだろうな……チーム戦と言ってもレース中は何時も1人だ。他人の勝敗は、究極的にはパフォーマンスへと影響しない」

 

「そうだろうね。だけどその想いは継がれるだろう?」

 

 西村の言葉に小さく笑みを零し、アロマスティックを口に咥えて椅子に背を預ける。感情を、精神を抑え込む事に四苦八苦している。ここ数日間でコンディション調整を放棄した追込みは体をどこまでもぼろぼろにして追い詰めた。その反動で精神が昂っている。それをどうにか抑えて、抑えて、抑え込もうとして―――失敗している。

 

 足を組んで、心を落ち着ける為にアロマスティックを吸っているのに足元には花が咲いている。抑えきれない感情がこうやって溢れ出している光景を見るのは久しぶりだ。此方に入学してからはだいぶコントロールが利く様になった影響で、こうなるのも珍しいものになっていたのに。

 

 気分転換をする為にスマホに手を出す。ソシャゲにでも手を出そうとして、どれを遊ぼうにも気分じゃないから再びスマホをテーブルの上に投げてしまう。

 

「あー、駄目だ。落ち着かない。西村、なんか面白い話して」

 

「宴会部長の無茶ぶりか何か? 仕方がないなあ……」

 

 出来るのぉ……?

 

 期待を込めて視線を西村へと向けると、西村が胸を張る。

 

「こう見えて理子さん、葵ちゃん、洋介とは同期だからね」

 

「洋介……?」

 

「モルトレって呼ばれてる彼の事だよ」

 

 初めて本名を聞いたかもしれない。というか西村、やべぇ奴らと纏めて同期なのはちょっとヤバイでしょ。組んでいた足を解いて少し前のめりに姿勢を直す。話を求めるような視線を西村に向ければそうだねえ、と声を放つ。

 

「昔の洋介は割と人間だったんだよね」

 

「割と人間って表現おかしくないか? まるで今が人間じゃないみたいな……いや、そっか、今モルカーになってんもんな」

 

「どうしてあそこまで生命として道を踏み外しちゃったんだろうね。まあ、あの頃の洋介も僕もだいぶまともな側の人間だったんだけど、同期に葵ちゃんと理子さんがいて、あの頃は色々と楽しくやってたよ。今も楽しくやってるけど」

 

 ほうほう。

 

「あの頃から理子さんは貧弱でね、トレーナーとして多少は体力を付けないと! とか言いながら階段を上り下りするだけで死体になっている姿が発見されて……良く葵ちゃんが理子さんを運んでいる姿を見かけたよ。片手で」

 

「あの人良く今まで生きていられたな」

 

 流石だな、ストロング葵。その頃からストロングだったんだな。

 

「葵ちゃんも思い込んだらこう、って部分が少なからずあってその結果全員ウマ娘を制圧する為に武道を習いましょう! って話をしたり……OBの皇帝の杖を捕まえて女装させてからリリースした事件もあったなぁ」

 

「なにやってんの」

 

「やあ、僕も学生時代はやんちゃだったし。あぁ、沖野さんと東条さんの話も面白いのあるよ。あの人たち昔からあんな感じだったから沖野さん何時も怒られてたし」

 

「へぇ」

 

 

 

 

 それからしばらく昼食やら着替えを挟んで馬鹿話を続けていると、ノック音が部屋に響いた。

 

「Crimson Fearさん、パドックへの移動準備をお願いします」

 

 扉の向こう側から聞こえてくる声に西村が間髪入れずに返答する。

 

「はい、解りました―――と、言う訳で君と話している時間も名残惜しいけど、ここら辺で終りかな」

 

「ん-、そっかぁ。割と楽しかったんだけどなあ」

 

 まあ、レースじゃしゃーないか。座ってた椅子から立ち上がってアロマスティックを灰皿に捨てる。背筋を伸ばして勝負服の着心地を確かめる―――改めて着るのは日本を走っている時の勝負服、俺のありったけの想いを込めて作った彼岸の衣。これがやっぱり、一番体に馴染む。

 

 尻尾をゆらりゆらりと揺らしながら部屋を出る。既に待機していた外国人のスタッフは、俺を見て言葉を失う。

 

「パドック、どっち」

 

「っ、あ、そ、そうでした。先導します、此方です」

 

 駆け足で去って行くスタッフの姿を軽く見てから、部屋の前で立ち止まる西村に視線を戻す。よ、と片手を上げて挨拶しておく。

 

「んじゃ、勝ってくるわ」

 

 俺の言葉に西村は小さく笑った。

 

「行ってらっしゃい、フィアー。今日の君は間違いなく最強だ、好きに走っておいで」

 

 脚質の相談も、戦術の相談もない。俺が俺らしく走ればそれで勝てると断言し、信じている者の目だった。そもそも、西村はこうなる前にちゃんとした戦術を、プランを用意していた。俺が8割の力だけを発揮できる状態でどうやって勝つか、というのを限界まで考えて突き詰めたプランだ。

 

 失った体力を補うために最後方から開始し、ディーやシービーを真似るような追い込みで勝負に出るというプランだ。何度もシービーとは併走しているし、ディーの走りは俺が一番良く知っている……だから普段はそう走らずとも絶対に走れるという信頼から出たプランだ。

 

 実際の所、俺に走りの好き嫌いはあっても得意不得意は特にない。走ろうと思えば大逃げから追い込みまで全脚質を走る事が出来る。それでも俺が先行と逃げを選んで走るのは単純に対策されづらく、レースコントロールをする上で勝ちやすい脚質だったからだ。

 

 つまり得意だから先行で走ってたのではなく、勝てるから先行で走ってたのだ。

 

「Crimsonさん」

 

「ん?」

 

「Belmont Stakes、見てました……応援してます」

 

 先導するスタッフがパドックの入場口まで俺を案内すると、横に退いて頭を下げてきた。それに無言の笑みで答えながら手をひらひらと振った。正面を横切るようにパドックの入場口に立ち、もう一度背筋を伸ばす。

 

「そんじゃ、行きますか」

 

 たん、と蹄鉄が床を踏む音が響く。

 

 たん、たん、たん、と音が響く。外から聞こえてくる歓声に足音が打ち消される。外へと続く通路から光が差し込んでくる。既に他の出走バは揃っている。オオトリを飾るようにゆっくりと日陰からアラブの太陽が差し込むパドックへと上がる。

 

『そして、私達は待っていた! 貴女の帰還を! 去年のアメリカダート界に出現し、伝説を継承し三冠を達成した赤毛の暴君! 一時期幻の三冠とさえ呼ばれたウマ娘は今日、この場で復活の雄たけびを―――っ!?』

 

 海外らしいショーっぽさを演出する為の入場を盛り上げる実況か、或いは解説のトークがその瞬間止まった。パドックに出た瞬間あらゆる音が停止し、そして視線が集中する。誰もが俺を見て、言葉を失い、そして次に零すべき言葉を探す。

 

 その状況を言葉にするべき人物でさえ口を開いたまま次の言葉を発せない中、唯一言葉を放てる奴がいた。

 

「―――よお、Crimson。遅かったな」

 

 Alexだ。真っすぐ視線を此方へと向け、闘志に満ちた眼差しを突き刺してくる。その中には戸惑いも無ければ驚きもない。単純な事実として俺の存在を認め、受け入れている。あぁ、そう言えば一緒にGⅠレースで対戦した回数はお前が一番だったな。

 

「待たせたな、俺抜きでBCをやらせて悪かった」

 

「気にしてない……と言ったらウソになる。ただ、今年は走れるだろうからな」

 

 それにしても、とAlexが苦笑する。

 

「なんだ、その姿は」

 

「なんだって……見ての通り、準備万端なだけだが」

 

 勝負服に身を包んだ姿を手を広げて見せつける。髪の毛はぼさぼさ、肌は大荒れ、どことなく体全体がぼろぼろに見える。限界の限界まで追い込んでコンディション調整を放棄し、ひたすら限界まで自分の体を虐め抜いた姿がここにある。

 

 まさしく―――まさしく、鬼が宿った状態だと言えるだろう。

 

 完璧な調整から程遠いみすぼらしい姿かもしれない。

 

 だがこれで良い。今は、かつてない程に最高の気分なんだ。気力が、精神が、明確に肉体を凌駕する段階にあると断言できる程心と頭が熱く、冴えている。俺にとっては二度とないこれ以上ない最高の仕上がりだろう。

 

「楽しませてくれるよな、Alex」

 

「先日みたいなしみったれた走りをしないならな」

 

 互いに睨み合う中で、動き出す姿がある。その姿は迷う事無く近寄ってくると、俺の両手を握った。

 

「改めて、惚れたよ」

 

「エレちゃん……」

 

 エレクトロキューショニストが俺の両手を取って、あのプールで見せた姿と何の変わりもない態度で接してくる。だが雷を思わせるような勝負服に身を包んでいる彼女の今の気配には、闘争心を掻き立てるものがある。

 

「君ほど美しい者を未だかつて見た事がない。こうやって改めて対峙して解る―――君は最高のウマ娘だ。心も、体も、全てがこの場で揃った。君という存在の全てに……恋焦がれるのが今、解るよ」

 

 或いは、土も芝も走れる天才肌のこの電気処刑人はカモメ同様、俺の見た目ではない所を感じ取っているのかもしれない。

 

「だが残念だ、今日は君の表情を曇らせて帰らないとならない」

 

 欠片も戦意を濁らせる事はなく、それよりも寧ろ闘争心を研ぎ澄ませるように電気処刑人が情熱的な視線を向けてくる。ゆっくりと解かれる手の抱擁から離れては、と声を零す。

 

「面白い事を言う」

 

 本当に。

 

「俺を敗北させられる(ころせる)のは1人だけだ」

 

 だから負けない。負けられない。

 

 ―――自分の在り方に開き直ってしまえば、後は勝つだけだ。




クリムゾンフィアー
 領域が本来の形を取り戻した

Afleet Alex
 この時を待っていた

Electrocutionist
 視点がカモメに似ている。君の色に恋をした

西村トレーナー
 スマホが震えっぱなしで通知が止まらない


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58話 ドバイワールドカップ Ⅱ

「―――結局、引退する時にカナダで走った以外では外で走る事はなかった」

 

 ナド・アルシバ競バ場、観客席に一角には異様な雰囲気が漂っていた。凄まじい数の観客が集まっている競バ場だというのに、その一角を避けるように観客たちは距離を空けていた。ちょっと……あの雰囲気は無理……という思いが観客たちの中にはあった。

 

 セクレタリアトは観客たちが重圧と感じる雰囲気の中、感慨深げにつぶやき視線をダートへと向けていた。パドックでのお披露目を終えてレース場へと舞台は変わり、ドバイワールドカップに出場するウマ娘達はゲート入りする前の僅かな時間を過ごしていた。

 

 赤い伝説の横に座るサンデーサイレンスが腕を組んだまま視線をじっと、ダートの上の赤毛へと向ける。視線に気づいた赤毛が軽く手を振った姿に、僅かながらの笑みを浮かべてしまう事に気づけるのは果たしてどれぐらいだろうか。

 

「となると、悲願なんですね。貴女の走りが、外で通用するかどうかを見るのは」

 

「そうかもしれない。自分の後継者が本当に唯一無二であるか否かを知りたがるのはウマ娘としての性だ……違うか?」

 

「気持ちは解るっすよ」

 

 シーバード、ラムタラが言葉に混じる。世界最高峰のウマ娘達が数名、ゴドルフィンの招待により一般客に交じってレース観戦をしていた―――無論、ゴドルフィンは貴賓席を用意していた。だが彼女達はそれを拒否して一般客に交じってレースを観戦する事にした。

 

 いい迷惑だった。全員解っていてやってる辺りが悪質だった。

 

「ふふ……楽しいレースになりそうね」

 

 シーバードが微笑みながらたった1人にロックオンするように視線を向ける。ずば抜けた感性、圧倒的な戦績、そして比類なき才能で20世紀最強のウマ娘と呼ばれた者は楽しそうに今、覚醒を迎えた赤毛の姿を見ていた。その視線をラムタラはこの女趣味悪いな……というのを言葉に出す事無く思っていた。

 

「あ、悪い悪い。トイレ混んでて戻ってくるの遅れたわ」

 

「もうゲートインだぞブレーヴ」

 

「マジか、危ねぇー。そういやあシアトルは?」

 

「30分前に酒買いに行って帰って来てない」

 

「マジかぁ」

 

 近くに座っている観客たちがもうちょっと距離を空けようと詰める中、レジェンドと呼ばれても差し支えないウマ娘達が最終ラウンドを見る為に集まり出す。ゴドルフィンによって招待されても普段であればスルーする様な連中ばかりだ。

 

 だがただ一つ、赤いウマ娘の継承者という一点が彼女らをこの地へと引き寄せた。本来であれば現れない継承者、アメリカの地で消える筈だった伝説が掘り起こされて今、世界を舞台にその真実を晒す時が来た。

 

 元競走者として、或いは未だに闘志を失わぬ者として―――己の目で見極める為に、各地から招待を受けて集まっていた。

 

 そんな彼女達の視界の中で徐々に……徐々に、ゲートに姿が収まりつつあった。

 

 ドバイワールドミーティング最終ラウンド、ドバイWCが始まる。

 

 

 

 

 足元の砂を軽く蹴って感触を蹄鉄で確かめながらゆっくりとゲートインする。さっきから足元で彼岸花が生えるのを止められない。心が高鳴ってしょうがない。こんな気持ちでレースに挑むのなんて何時ぶりだろうか。昂って昂って、心が全く抑えられない。体の負荷は寧ろ丁度良いぐらいだ。

 

 これで体のコンディションを落とさなかったら自分が抑えられなかっただろう。

 

 それだけ俺の心は弾んでいた。これまで自分を縛っていた鎖の全てを解き放った状態、その反動でややふわふわしている部分もある……が、それで良い。もう抑えるのはやめた。本能に、想いに、そしてレースに対して正直であろう。俺は俺の才能の全てを駆使して戦いたい。勝ちたい。そしてターフの上で死にたい。

 

 俺を殺しに来てくれる英雄を待っている。

 

 だから俺は―――誰も殺せない様な、怪物にならないといけない。

 

 息を吐き、アラブの熱い空気を肺いっぱいに送り込み、祈るように両手を合わせて俯き、己の心に祈った。神に祈る様な敬虔さは無い。だから祈るのは何時だって自分自身にだけだ。短い祈りを終えて顔を上げ、静かにレースを走る為のフォームに切り替える。

 

 それだけで準備は整った。ゲートインしたウマ娘は誰も口を開かず、集中力を高めている。俺も同様に、一瞬でコンセントレーションを引っ張りだす。心は熱いまま、脳は冷える。視線は真っすぐ、ダートのみを捉える。

 

 ゆっくり、ゆっくりと時が過ぎ去って行く様に感じる。極限の集中力だけが認識を歪ませる。

 

 そして感覚にゲートが開く瞬間を察知する。ゲートはまだ開いてない。だがこれから開く。それを理解しゲートが開き出す前に動き始め―――飛び出した瞬間にゲートが開いた。

 

 0秒のスタートが開始する。

 

 一瞬で前に飛び出す。ハナを息を吸うように奪い、等速ストライドによる加速に入る。瞬間、前に出ようとする姿を全て止めるように足元を凍らせる。足元を起点に領域を展開させてダートを凍結させる事で加速力を停止させる。

 

「させるか、ってーの!」

 

 領域に領域をぶつけられ破壊される。

 

「―――3」

 

 粉砕された領域の結晶が舞い上がり……それが暴風と混ざり合って嵐へと変貌する。叩きつけるような雨がコースを襲い足を削ぎに来る。ハナを維持し更に距離を空ける為に加速する。それに遅れる事無く追従してくるのはAlexの姿だ―――俺との対戦経験が一番豊富だから理解しているのだろう、今日の俺は絶対に垂れない。

 

「チ、誘ってるなテメェ」

 

 舌打ちをする割にはAlexの声は楽しそうだった。俺が既に仕掛けてきているのを理解して足を溜めながら加速するという器用な行いをしている。或いは、此方のスタミナに対抗する為に息を挟む技術を徹底して磨いてきたのかもしれない。

 

 そう思考する間もなく、雷鳴が嵐を裂いた。

 

「―――2」

 

「ハニー、そのベールを剥いた先に何を隠しているのか、見せてくれないかな……!」

 

 エレクトロキューショニスト、追走。二つ目の領域、シービーの継承領域はエレクトロキューショニストが小手先の技で崩してきた。流石に継承した領域は本体と比べれば強度が弱い。継承している以上は自分のものではない故仕方がない事でもある。

 

 序盤の終わりが見え始める。俺、Alex、エレクトロキューショニストを先頭集団に他が追随する形でレースが中盤に入ろうとする。それに合わせて此方めがけた領域の発動を感知する。大地が隆起し、足元を裂いて飲み込まんとする脅威を感じる。

 

 実際の出来事ではない。だが迫ったプレッシャーは本物であるかのように感じられる程重く、強い―――Magna Graduateのものか、と感じ取るプレッシャーから主を察する。迷う事無く大逃げでレースを進めようとする此方に対する対抗か。

 

 銃弾を装填する。

 

 サンデーサイレンスの継承領域を呼び出す。崩れた教会、役割を果たさない女神像、装填された弾丸を一直線に対抗する領域へと向ける。

 

「自らの運命は自らの手で勝ち取る―――神様はクソして寝てろ」

 

 領域と領域が衝突し合う。イメージがイメージを妨害する事でその本領を発揮する事を阻止する。息遣いを乱そうとする動きを此方から牽制する事で相殺し、イメージを崩す。

 

「―――1」

 

 そして、崩れ去った中から彼岸花が咲き出す。踏みしめる大地を赤く染め上げ、血の色のカーペットを敷き詰める。ハイペースで引っ張るレースが序盤を超えて中盤戦に入る。実況が何か興奮して大声で言葉を口にしている。だがそれを無視し、笑みを浮かべてちらりと振り返る。

 

「―――は」

 

 踏まない、Alexは此方の動きを理解し、何のトリガーを仕込んでいるのかを理解して踏まない。だがエレクトロキューショニストはその真逆だった。求めるように、或いは引き出すように、最高のパフォーマンスを互いに見せつけ合って戦いを求めた。

 

 だから彼女が絶対に、そうすると思っていた。

 

「痺れる程に魅せてくれ」

 

 Spark!

 

 エレクトロキューショニストの放ったショックイメージが彼岸花を散らす。花弁が舞い上がり風に攫われて行く。風に乗って漂う花弁がゆらり、ゆらり……儚く散って行く夢や命のようにその姿を崩され、散らされて行く。

 

「カウント、0」

 

 意図して条件を踏みに来たエレクトロキューショニストの行いに対してAlexは顔を顰めつつもしっかりと領域を使わないのは本命に対する対抗策だろう。それを俺は受け入れながら準備を完了させた。

 

 先頭から殿まで距離は20バ身。まだ加速は止まらない。妨害は続いている。少しでもスタミナを削ろうとしている奴がいる。それを理解しながらも領域を形成する。

 

 本命を。

 

 本当の領域を。

 

 これまでの誤魔化しや半端なものではない。

 

 本物の領域というものを、漸く使える。

 

 

「―――チェリーブロッサム?」

 

 観客たちが一番最初に目撃したのは舞う桜の花びらだった。ひらひらと舞う桜の花びら、いかにも日本人らしい演出の領域だろうと観客は思った。ダートがまるでターフに上書きされたような景色、桜の木が生えた景色はコースそのものが上書きされたような景色だ。

 

 美しい、そうと認められる領域だった。

 

 だが同時に期待外れだ。肥えた観客の目にはそれがそう特別なものには見えなかった。特別な場所を再生するという領域の形式は、そう珍しいものではない。自分のパフォーマンスが最も高まるイメージを展開する事で走りを安定、強化するスタイルはメジャーだ。

 

 世間を賑わせたCrimson Fearにしては何とも大人しいものだ。そう思うものも無理ではない。

 

 だがその全てを否定するように、シーバードは笑った。

 

「ふ、ふふふ、―――ふふふふふ……!」

 

 楽しそうに、美しい宝石を見るように、触れてはならぬものを見つけたように―――怯えるような笑い声だった。深紅の恐怖、その名の意味をその瞬間完全に理解したシーバードは、何故これまでの間ずっとその領域が使われなかったのかを理解していた。

 

 そして景色は切り替わる―――ドバイには存在しない春から冬へと。

 

 雪に沈んだダートコース。真冬の寒さを肌で感じられる程のリアルで深い雪の景色。山の中に迷い込んでしまったと錯覚してしまう程に白く染まった世界。吐く息でさえ白く染まってしまう程の強烈なイメージは、脳をバグらせるほどに強く、強くフィアーから放たれる。

 

 そして切り替わる、秋へと。

 

 黄金の稲穂の海。広がる長閑な景色、実りを感じさせる秋の景色に紅葉した葉が静かに散って降り注ぐ。ドバイに存在しない景色に見ている人たちが混乱しそうになるも、度を越えたリアリティと領域の強度に一気に引き込まれる。

 

 そして夏。青々とした葉が満ちる灼熱の季節。最も身近で最も遠い景色。どこかの長閑な景色はそのまま、ダートはその姿を取り戻しつつも夏の色を濃く反映した景色へと変貌している。四季は逆行するように巡り、それに合わせて天体もぐるりと巡る。

 

 ―――その景色を、恐らく一番良く理解しているのは体験したマンハッタンカフェだけだろう。そして現時点で領域を現地で見る事が出来るのなら、馬鹿が止めろと叫んでいた所だろう。

 

 季節は逆行する。時は遡るように切り替わって行く。最初はゆっくりと、今度は加速するように。空も朝、昼、黄昏、夜、曙光―――目まぐるしく景色が切り替わって行く。その一つ一つが心に刻み込まれる様な美しい景色、それが切り替わるごとに混ざって行く。

 

 夏と秋が、冬と春が―――そして全てがごちゃごちゃに混ざり込んで一つの景色へと変わった。

 

 それは無限に広がる花畑だった。青々とした空には星が浮かび上がり、星座を描いている。無限に咲き誇る花々はこの世には存在しない架空の花。見る者によってその形を変え、そしてその色を変える―――世界で一つだけの花が咲き誇っている。

 

 或いはそれは、己を映す鏡だったのかもしれない。

 

 命の答え、旅路の果て、巡る命の色。

 

 その答えがそこにあった。人が理解してはならない境地、それを今までずっとフィアーは抑え込んでいた。

 

 それを解き放った姿―――彼岸の果て。それこそが本当の領域だった。

 

「この時を待っていた」

 

 領域が完成した瞬間、Alexが領域を展開する。この中で一番フィアーの領域を、能力を信じていたのはAlexだ。故に領域の展開と同時に潰しに行く。どういう形の領域かは()()()()()()()()()。だからAlexは理解せずに、自分の領域を叩きつけた。

 

「命は流れ、巡り、そして再び辿り着く」

 

 ―――すり抜ける。

 

「は?」

 

 領域が衝突する事無くすり抜ける。花畑に受け入れられるようにAlexの領域が展開される。決して阻害せず、しかし共存を許すように領域のイメージが穢されない。だがそれはAlexに限定された事ではなく、エレクトロキューショニストも、他のウマ娘にも同じことが発生している。

 

 全ての領域が共存し、同時に展開されることを許されていた。

 

「条件緩和、矛盾許容の領域だね―――!?」

 

 最も早く環境の変化に対して理解し、受け入れたのは電気処刑人だった。異形としか形容出来ないフィアーの領域に対する反応速度は彼女が元々出会った時点でフィアーという存在に輝きに目を奪われていたからに他ならない。

 

 その恐ろしさ、美しさ全てをひっくるめて愛すると己の心に宣告していた処刑人の言葉に偽りはない。迷わず継承した領域の全てを展開する。ラムタラ、カイフタラ、ファンタスティックライト―――ゴドルフィン所属の名バ達、この戦いの為に頭を下げてまで領域を借りてきた先達の力を解放する。

 

 その光景は圧巻の一言に尽きる。1人1人が歴史に名を遺した名バ、その固有/領域だって決して簡単に使えるものではない。癖が強く、そして発動の為のルーティーンだって元の主に最適化されているものだ。他者がそう簡単に使用する事は出来ない。

 

 ―――だがされた、一瞬で、全て展開された。領域は食い合う事も邪魔する事も互いに共存するように全て展開された。

 

 その使用に関する前提条件、その全てが撤廃されたように。

 

「死でさえ大いなる旅路の途中。永遠でさえ終わりを迎える事はなく、命は流れどまた、新たな形として戻ってくる―――」

 

 汝は汝、我は我―――その境界線は果たしてどこだろうか? ない、そんなもの彼岸の世にはないのだ。我は汝であり、汝はまた我でもある。大いなる流れの一部でしかない存在に個体での認識など意味はない。

 

 だから、継承した領域を万全に使用できる。

 

 己と他者の境界線を緩める領域。そんなもの、暴挙以外の何物でもない。

 

「この、馬鹿が……!」

 

 楽しそうに吐きながらAlexもまたティズナウとサキーから継承した領域を発動させた。爆発的な加速力と速力はその身に宿る。ここからはもはや温存などという概念が通じる事はないという理解からの行動だ。最高の速度を出し続けた破滅的なレース、それを超えられた者のみが勝てる。

 

 そう、とてもシンプルな話だ。

 

 領域の展開は難しい。それこそレースによっては条件を満たせず発動すらできない場合だってある。だがフィアーの領域中は、その前提条件が無視される。誰もが己の最高のスペックを発揮する事が出来る。誰だって最高のパフォーマンスを追求できる。

 

 誰もが最強の己となって戦う事が出来る事、それがフィアーの領域。

 

 大逃げを発揮して先頭を走る姿にAlexとエレクトロキューショニストが迫る。爆発的な加速力は一瞬で自身の最高スペックを更新し続ける。勝つ、その為には最高の自分を維持し続けないとならない。その為の領域を展開し、

 

 フィアーが微笑んだ。

 

「U=ma2」

 

 アグネスタキオンの領域が発動した。加速しながらスタミナが回復される。

 

「アナタヲ・オイカケテ」

 

 マンハッタンカフェの領域が発動する。速度を喰らいながら更に加速する。

 

「オペレーション・Cacao、ピュリティオブハート―――」

 

 ミホノブルボン、スーパークリークの領域がスタミナを補充する。失われた筋力、体力を領域で補う。既にレース中に発動された領域の数は6を超えている。ウマ娘が継承を含めて個人で保有できる上限を超えてもなお発動している。その意図を理解し、Wilkoが声を放った。

 

「イカサマ野郎……!」

 

 Fairy Tale/不沈艦、抜錨ォッ!/Shadow Break/最強の名を懸けて/先頭の景色は譲らない/剣ヶ峰より、狂気に嗤え/威風堂々、夢錦!

 

「ざけんなっ! なんだそれ! なんだよそれ、反則だろうがッッッ!!!」

 

 クリムゾンフィアーの根底にあるのは自分への祈り。自分への不信感、命の答え―――そして愛への渇望だ。救われたからこそ繋がりを求める。それが領域、継承特化型という異形の形態を生み出した。クリムゾンフィアーはその根底では肯定される事を求めている。

 

 大真面目だからこそ馬鹿のように振る舞い、そして他人の記憶に残るように演じてきた。

 

 だからこそ、これこそが究極。彼岸の怪バが行きつく果ての果て。覚醒直後のちょっとしたズルいサービスを込めての究極の走り。

 

 自分に誇れるものがないからこそ他者にそれを求めたなんとも恐ろしい究極の形―――!

 

 だが、それさえも突き抜けてしまえば、唯一無二。

 

 ―――Queen‘s Lumination/Into High Gear!

 

 ダイワスカーレットとウオッカの後押しを受けて中盤戦から終盤戦に入る。後続のウマ娘と徐々に距離が開き始める。万全のスタミナ、限界まで乗った加速、上限を超えて上がり続ける速度、そして幻の等速ストライド……全てがかみ合わさった姿は見る者全てを魅了し、魂を焼き尽くす程の強さをダートの大地に叩き込む。

 

「あぁ……そうだ。お前こそ私の後継者だ。良くやった、良くやってくれたCrimson……!」

 

 加速する。加速し続ける。もはや勝負の法則が変わったようなレース。突き抜けて前に出る恐怖の赤い影。もはや抜き出て誰もが届かない距離に出たとしてもその足は衰えない。油断しない、慢心しない。

 

 ―――絶対は、ボクだ/汝、皇帝の神威を見よ。

 

 最後の領域による加速が成される。エクリプス、その名を体現する様な走りが影を踏ませる事もなく完全な一人旅を成してゴールラインを切る。

 

 ゴールラインを切った所で領域がその形を崩す。1人1人の為に咲いた花はその形を崩し風に流され消え去って行く。夢から覚めるように領域は跡形もなく消え去って元のドバイのダートが帰ってくる。

 

 その地、唯一ゴールラインを越えた者に対して観客は一瞬だけ歓声を忘れ、それから声を爆発させた。

 

 ドバイワールドカップ勝者、クリムゾンフィアー。




クリムゾンフィアー
 領域の原型は輪廻の業から作られた。込めた願いは他者との繋がり。本質的には愛されたがりで寂しがり屋。別名、この世で最も恐ろしく美しい領域。


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59話 ドバイワールドカップ Ⅲ

 息が苦しい。胸が辛い。頭がぼーっとする。無理矢理スタミナを補充しても苦しいもんは苦しい。今にも足が爆発しそうだ。だけど楽しい。楽しかった。最高のレースだった。恐らくこれ以上出せない最高のパフォーマンス、人生でこれ以上は出せないだろうという走りだった。

 

 領域の入りも、等速ストライドも完璧、ミス一つ存在しない走りだった。毛先から滴る汗でさえ愛おしい。酸素を求めて荒く息を求めると、遅れて体力を使い果たした他のウマ娘達がもつれ込む様にゴールし、同じように酸素を求めて大きく息を吸い込む。

 

 誰もが凄まじい疲労を感じて、誰もが言葉を発せない程に消耗している―――俺の領域とはそういうもんだ。

 

 誰にだってレースには調子の波が存在する。だが調子が良ければ良い程、速度が乗れば乗る程消耗は激しくなる。最高の走りというのはそれ以外の全てを削ぎ落として到達する境地だ―――それを任意でとはいえ、確定で呼び出す事の出来る領域の中で全力を出せばどうなる?

 

 最悪潰れる。そうじゃなくても限界まで消耗する。

 

 最高の代償は決して安いものではない。

 

 だがそれでも全力で走る。それがウマ娘という生き物で、それが俺達が選んだ生きる道なのだから。もはや躊躇も遠慮もない。この領域を使う事を完全に解禁する。今回は1回目だから無駄もあった、次回はレベル4ぐらい……そう、もっと最適化して使う事も出来るだろう。

 

 とはいえ、ここまで無法に領域を重ねられる事はないだろうが。スピカや身近な友人はともかく、クリークやルドルフを始めとした他のチーム連中の領域は今回が対海外シフトだからこそ引っ張って来れたようなもんだ。国内でやる分には間違いなくレンタル不可だろう。

 

「はあ……はあ……はあ―――」

 

 細かい反省や自己分析は後回し。

 

 勝負服の上着を脱ぎ去って、丸めて観客席へと投げ込んで中指を突き立てる。

 

「俺が! ナンバー! ワンだっ!!」

 

 咆哮するように声を放てば客席から爆発する様な歓声が返される。手を振って笑顔で返していると、Alexがよろよろとした足取りでやってきた。

 

「ふざけろこいつ、こいつっ」

 

「痛い痛い、蹴るな蹴るな」

 

 足に優しくローキックをAlexが叩き込んでくる。負けてはいるが、その表情はどことなく晴ればれとしたものだった。笑いながらローキックを入れてくる辺りが満足感の見える表情をしている。

 

「どうよ、俺は幻で終わったか?」

 

「いんや、今も昔もお前は俺達のクラシック戦線の顔で代表だよ。すっきりしたわ」

 

 楽しそうにそう言うAlexを押しのけて、エレちゃんがやってくる。

 

「好きだ、フィアー。結婚して欲しい。君の全てに恋をした」

 

「悪いけど、俺の心は売約済みなんだ。欲しかったらお前の走りで惚れさせてくれ」

 

 俺の言葉にエレちゃんは楽しそうに、レースが終わった直後だというのにもう1レース全力で走れそうな程の獰猛な笑みを浮かべている。あぁ、こいつ、根本的に俺の事を諦める気一切ないなというのが見て解る。こいつとは今年、あと何度か走る事になるだろう。

 

 さて。

 

 ウィニングランを緩く実行し、トロフィー授与の表彰式を終えたら観客に中指を突き立ててスタート地点へと戻る。そこから地下バ道へと潜れば、そこには俺の事を待っている西村の姿がある。レースが終わった直後に走って来たのだろう、少しだけ汗の臭いがする。

 

「お疲れ、フィアー。最高の走りだったよ」

 

「サンキュ、これまで絡みついてきた重りを全て振り払った気分だわ」

 

 お蔭で体が軽い。もはや俺を押さえつける者は何も存在しない。どこまでも飛翔できそうな気分だった。

 

「で、この後報道陣がライブが始まる前にコメントを求めて集まっているけど……どうする?」

 

 肺と脳味噌を酸素で満たしてから口を離し、息をたっぷりと吐いてから心を落ち着ける。ドバイWCで勝利する事は出来た。国際競走の中でもグレードが高いレースだ、GⅠなだけではなく世界的に見て評価の高いGⅠである事が重要だ。だが単純な価値で言えばベルモントステークスの方が上だろう。

 

 だけど国際競走で勝ったことには大きな意味がある。

 

 それは発言力だ。

 

 アメリカ、そしてドバイのダートで勝った俺は現在、現役トゥインクルのウマ娘としてダート最強の称号を手にしたと言える。だから今、全てのメディアは俺に対して注目を向けているだろう。今、この瞬間にしかできない事が存在する。

 

 だから俺は西村を見て、頷く。事前にどうするかは決めていた。だから覚悟と了承の意を込めて西村に頷きを返せば、西村も短く解ったと答えた。

 

「全く……最初に個人で担当させられたウマ娘がこんな破天荒な奴だったなんて。他の娘では満足できなくなっちゃいそうだよ」

 

「俺の走りを最前線で見て、支えるって大役を担ったんだ。俺が燃え尽きる瞬間まで一緒に居て貰うぜトレーナー」

 

 けらけらと笑って地下バ道を抜け、控室ではなく報道陣が待っている部屋へと移動する。これからウィニングライブの準備をしなくてはならないが、丁度俺も報道陣に対して言わなくちゃいけない事がある。

 

 だからレースの後のインタビューの為に報道陣が待機する部屋へと向かった。受け取ったトロフィーは一旦スタッフの人に預けて控室に運んでもらい、そのまま報道陣の待つ部屋へ。俺が諸々の事をしている間に既に報道陣は行儀よく待機していた。

 

 俺の姿が見えるのと同時にマイクを向け、しかし大きな音もフラッシュもない訓練された対ウマ娘用マニュアルに沿った動きで声を飛ばしてくる。

 

「フィアーさん! 優勝おめでとうございます! 是非コメントを!」

 

「一言で良いからお願いします! あの、あの領域についてのコメントを!」

 

「うおおおお、おめでとうございます、うおおおおん、また走るのが見れたよぉ、おぉぉん」

 

 一部、アメリカからやって来て号泣している記者がいるのが面白い。号泣する姿に苦笑しながら報道陣の正面で足を止める。室内を見渡し、報道陣の中に見覚えのある記者が数人紛れ込んでいるのを見て笑い声を零し、手を前に差し出した。

 

「マイク」

 

「え、あ、はい、どうぞ」

 

 呆ける記者からマイクを受けとり、

 

「次走は既に決めてる」

 

「ッ!!!」

 

 俺の一言に報道陣がどよめき、一瞬で音を殺して俺の一挙一動を逃すまいと食い入る様な視線を向けてくる。無駄な質問をせずにただ、俺の動きを待つように控える姿に俺は室内をもう一度だけ見渡し、頷いた。

 

「今回のレースを見て皆解っただろう、俺が復活した事を。完全によみがえった事を。赤毛の怪バは彼岸の彼方から帰ってくる事を。そうだ、ウマカス共ヒトカス共。良く聞け、俺は帰って来た。そして遠慮も躊躇もしない。走る以上、誰だって何時かは夢見るだろう?」

 

 人差し指を突き出す。

 

「最強の名を」

 

 最強、それは現役を走るウマ娘にのみ許された称号だ。

 

「どうすれば最強を名乗れるか……考えた事はないか? 20世紀最強のウマ娘はシーバードだ。誰だって彼女を最強として名を上げるだろう。だけどよお……もう引退してるぜ? ロートルがいつまでも最強って呼ばれる事に違和感はないか?」

 

 なあ、おい、と言葉を続ける。

 

「今は俺達の時代だぜ。最強と呼ばれるべきなのあんなロートルじゃなくて、俺達の誰かであるべきじゃないか?」

 

 だから、最強が誰であるかを決めよう。

 

「俺の次走はキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスだ」

 

 おぉ、という声が響く。

 

「ついに渡欧か……」

 

「芝への挑戦……いや、海外の芝への初挑戦か」

 

 どよめく報道陣を無視し、

 

「その次の凱旋門」

 

「え?」

 

 報道陣のどよめきが止まらないが、言葉を続ける。

 

「その次にBCクラシックで俺が取り忘れたトロフィーを取りに行く」

 

 報道陣に凄まじい困惑が走る。こいつは何を言っているのだろうか、という言葉さえ漏れかけている。とてもじゃないが現実的なプランではないと言いたいのだろう。だが否定できない。誰も俺の走りを否定できない。だって今日、大差をつけて勝利という化け物を目撃してしまったのだから。

 

 彼岸の暴君が全てを踏みつぶす姿を目撃した以上、最強の前提が見えてしまったのだから。

 

 あぁ、そうだ。俺は西村が冗談で言ったかもしれない事を本気にする。

 

「解るか? この世で最も価値の高いGⅠレースだ。どれも歴史が深く、そしてそれぞれにおいて最強を決めるレースだ。だったらよ―――その三つに勝ったら史上最強のウマ娘を名乗って良いんじゃないか? なあ? お前らそう思わないか?」

 

 カメラを指さす。

 

「ドバイには出てこなかったお前だよ、お前。自分抜きで最強名乗るんじゃねぇ! って思ってるんじゃないか? ほら! 挑戦状は投げてやったぜ。スケジュールも出してやった! じゃあ後は出走するだけだぜ?」

 

 他のカメラを指さす。

 

「それともお前、そこでバ鹿面して見てるだけか? 自分抜きで最強の名をかけて争う事を認めるのか? それでも本当にウマ娘か? おいおい、勘弁してくれよ」

 

 煽るように声を放つ。

 

「とりあえず、俺が世界最強の前提取って来てやっからよ、誰が今の時代、地上最強のウマ娘なのか勝負して決めようぜ」

 

 ただし、

 

「今年、一敗も出来ずに俺が勝ち続けて年を終えたら―――ドリームに行かず、競走人生引退するぜ。そんで最強の名前は永遠に俺のもんだ」

 

 言いたい事は言い終わった。マイクを呆ける報道陣に投げ返して部屋から笑いながら出て行く。

 

 さあ! 始めようぜ!

 

 全世界のウマ娘諸君!

 

 狭い土地に引きこもってないで!

 

 本気で潰し合う戦国時代をよォ―――!




クリムゾンフィアー
 祝、ラスボス化

トゥインクルシリーズ
 最強の名を懸けて戦国時代が始まる

ドリームシリーズ
 ちょっとだけ! トゥインクルいかせて! 今年だけ! な! いいでしょ!? 先っぽだけ!! いかせろ!!!


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60話 保健体育の授業は受けてる

 全世界に対する挑戦状は当然荒れた。大荒れだった。だけどそれはウマ娘の闘争心に火を付けた。

 

 最強とはなんだ? 最強とは誰だ? どうやって基準を決める?

 

 バ場、競バ場、環境適性……様々な要因が原因で本気で走れないウマ娘は存在する。だからこそレーティングが存在し、それで強さを測る。だがそれで戦ってもいない相手より格下と評価されて本当に満足できるのか? 納得できるのか?

 

 当然、納得できる筈もない。

 

 だったら戦うしかない。

 

 明確に強いと解るウマ娘の出場するレースに出場し、バチバチにターフの上で殺し合うしかないのだ。それだけが強さを証明する行いになりうる。そして俺の領域は最高のスペックを発揮して戦う事を許す異形の領域。全てのウマ娘が自分の限界を超えて走る事が出来る。

 

 無論、こんな領域が常に続けられる訳じゃない。

 

 ウマ娘の足とは消耗品だ。走れば走るほどデッドエンドに向けて燃え尽きて行くだろう。俺達ウマ娘は見えている破滅へと向かって走り続ける自殺者集団だ。それがサラブレッドの宿命だろう。それが解っていても走るしかないのは、もはや走るという行為に魅せられているからだ。

 

 だからこの挑戦状は最高に盛り上がった。誰もが最高のレースに最高の仕上がりで挑む事を求める。それが可能とする領域、そしてレースがあるなら飛び込むに決まっている。既に次走として指名したKGVI&QEステークスは誰が参戦するかで大盛り上がりを見せている。

 

 ドバイミーティング翌日は流石に誰も観光をする気にさえなれず、マッサージやエステを受けて全身の疲労を抜くのに数日掛けたらもう帰国の日程となっていた。

 

 当然のように押し掛ける大量の報道陣を受け流し、観戦に来ていた身内に別れを告げて日本へ。海外で走る方が多いが、あくまでもホームは日本なのだ。これからの遠征の為、そしてその後の為にも日本でやらなくてはならない事は多い。

 

 全世界最強宣言をしてしまった以上、忙しいのはここからだ。

 

 

 

 

「おいすー、ただいま。これドバイ土産のゴドルフィンペナント」

 

「ペナント海外でも売ってるんだなぁ」

 

 スピカの部室にようやく戻って来れた。思ってた数倍長く感じる帰国にお土産で買ってきたゴドルフィンペナントを部屋に飾る。これ、帰る前にカモメ姐さんに押し付けられた特級呪物なんだよね。持ってるとあの女に呪われそうだから早く手放したかった。だってあの女、凄い湿度の高い視線をずっと送ってくるだもん。流石に怖いよ。

 

「というか2人揃ってそろそろ蹴り続けるの止めない?」

 

「は? 止めねぇけど?」

 

「えいえい、えいえい。ワガハイら抜きで楽しそうな事してズルいぞ!」

 

 ゴルシとテイオーが部室に顔を出し次第両側から俺にローキックを叩き込んでくる。テイオーはまだしも、ゴルシはお前未デビューなだけだろ。さっさとデビューしろよボケが。いや、世代的にまだ何年も先の話なんだろうけどよ。ゴルシとテイオーに対抗してゴッドシャドーを披露していると、西村と沖野が顔を合わせていた。

 

「よ、大変そうだな西村。愛バの面倒を見るのは」

 

「大変も大変ですよ。取材申し込みが殺到していてスマホの通知止まらないですし。それだけじゃなくて各国の代表的名バもコンタクトとって来ようとしてますし……理事長からもちょっと会えないかと言われてますし」

 

「はっはっは、大変そうだなこいつ。ま、楽しそうな顔してるし苦しくないなら問題はなさそうだな」

 

「えぇ、大変ですけどこれ以上なく楽しいですよ。トレーナー冥利に尽きますよ、全く」

 

 西村の言葉の背後でダブルピースを浮かべているとローキックにマックイーンまで合流してきやがった。我慢してたけど我慢がならなくなったようだ。がははは、許せ!

 

「所詮ドリーム組は俺抜きでシニアを終わらせた敗北者じゃけんのぅ……」

 

「はあ、はあ……敗北者ぁ!?」

 

「取り消せよその言葉ッッ!」

 

「もうお前スピカ降りろ」

 

「急にガチ目の改変来るじゃん」

 

 わーわーきゃーきゃーしながら久しぶりにスピカでふざけ倒していると、こんこんというノックが部室の扉に響く。遠巻きに恨めし気な視線を向けていたスぺがはーい、と声を放って部室の扉を開けに行き、

 

「失礼、します」

 

「はい、なんの―――」

 

 言葉の途中でスぺが言葉を失い、視線が部室の入り口に集中する。ゆっくりと黒毛のウマ娘の姿が現れる。

 

「くーちゃんを、回収しに、来ました」

 

 物凄い感情を溜め込んだ気配のするディーの姿があった。見た瞬間絶対に逃げなくてはならないと本能で悟り、一瞬で窓へと向かって逃亡しようとするのを、ゴルシとマックイーンが両側から一瞬で取り押さえてきた。全力で腕を振るって逃げようとしても体が動かない。

 

「は、放せ! 放せよお!」

 

「まあまあまあまあ」

 

「最近調子に乗ってるし一発叩き込まれた方が良いだろお前」

 

「ゴルシテメェ!!」

 

 両側から抑え込まれずるずると引きずられディーの前までやってくると、当然のようにディーが俺を掴んで持ち上げ、担ぐ。

 

「では、貰って、帰ります」

 

「どうぞどうぞ」

 

「ごゆっくり」

 

「まだ完全に疲れが抜けきった訳じゃないからなるべく運動はさせないように」

 

 こくりと頷くディーとドナドナと歌う俺。良い笑顔で送り出してくれるスピカにファッキューと中指を突き立てながらスピカの部室から連れ攫われる。そうやってディーに運ばれていると、様々な視線が俺達に突き刺さってくる。

 

「お帰り赤毛。相変わらず問題しか起こさないなお前」

 

「ただいまー。でもレースで走る以上は最強の名、欲しいだろ? 1人で名乗って気持ち良くなるのも恥ずかしいし、全世界のウマカスしばいて最強名乗ることにしたんだわ。応援してクレメンス」

 

「おーい、お帰りフィアー。お土産ないのかー?」

 

「俺の無事」

 

「これから無事じゃなくなりそうだけどね」

 

「HAHAHAHA」

 

 担いでるディーにめっちゃ揺らされた。うす、黙ります。途中カイチョーともエンカウントするが、静かに俺の姿を笑顔で見送ってくれた。薄情な皇帝め、覚えてろよ……心の中で静かに復讐を誓っていると、そのまま栗東寮にまで戻って来てしまった。

 

 ロビーにいるフジキセキが俺達の姿を見て、頷いた。

 

「隣の部屋に迷惑にならないようにね」

 

「この遺伝子女、その脳味噌の中身はピンク色か? 大丈夫だよ、寮長。意外とヘタレだからこいつ」

 

「成程、それは安心だね」

 

 滅茶苦茶揺らされた。笑って手を振って見送るフジキセキに中指を突き立てながら部屋まで戻ると、ベッドの上に放り捨てられる。俺はここらへん、滅茶苦茶器用なので投げ捨てられている最中に靴を脱いで部屋の入口まで蹴り飛ばせる。

 

 人生でまるで役立たないスキルである。でもベッドが汚れずに済むのは良いよね。

 

 ぼふん、と沈み込むベッドには久しぶりのディーの匂いが沁みついている。ここしばらくずっとホテル暮らしだったし、昨晩に至っては飛行機の中で眠っていただけに寮のベッドは非常に心地よく感じる。なんだかんだで3年も使ってるベッドだし当然か。

 

 あっ、荷物スピカの部室に置いてきたまま。

 

 空港から真っすぐ部室に来ちゃったしなあ。

 

「くーちゃん」

 

 ベッドに体を投げ出す俺の上にディーが乗ってくる。腰の上に乗ってマウントポジションを取り、尻尾を激しく動かしている辺り絶対に逃がすつもりがないのが見える。そんな親友の姿を見上げる。

 

「なんだよ、言いたい事は口にしなよ」

 

「……」

 

 押し倒したまま、言葉を探るように沈黙し、ゆっくりと口を開いた。

 

「私、の……私の、くーちゃんなの」

 

「ディーより強い奴いたら浮気しちゃうかもなぁ、俺」

 

「……」

 

 両肩を押さえられる。ベッドに押さえつけられるように力を込めてくる。ただそれ以上のアクションがないのは、本人が自分の感情をどうやって処理すれば良いのかを解っていないからだろうとは思う。そこら辺の情緒が、幼少期の出来事が原因で育ち切ってない。

 

 良かった……育ってたら寮を追い出されてると思う、間違いなく。

 

「凱旋門」

 

 頭の中を整理したディーが零すように名前を口にする。

 

「私も、出る」

 

「KGVI&QEじゃなくて?」

 

「うん、凱旋門なら、リギルにノウハウが、あるから」

 

「成程」

 

 確かに、リギルには凱旋門に挑戦したウマ娘がいる。なら彼女達を通して洋芝の走り方や欧州での対策を積んでくるという事だろう。プランを決めたのは東条T、勝つ為に次走に合わせようとするのを理性でディーが抑え込んだという形だろう。

 

 直ぐに次のレースに合わせず、勝てるように最大限の努力と調整をしてから挑みに来る―――あぁ、とても素敵な話だ。

 

「3大タイトル取ったら有マをラストランにしようって話を西村としてたんだ」

 

「させない。絶対に、させない」

 

「倒せるのか? お前に俺を」

 

「1度勝った。また勝つだけ」

 

「あの頃とは何もかも違うぜ」

 

 俺のレースに対する姿勢も、想いも、強さも。あの頃とは全く違う。女神からの因子継承を拒否している事以外は全てにおいて本気だ。俺の足が今年だけ持てば良いと思って走っている。そういう走りで世界に挑む事を決めているのだから、皐月賞の時とは何もかもが違う。

 

 だけど、

 

「違わない」

 

 ディーは否定する。

 

「走って、勝つ。それだけ」

 

 息に乗る熱、手に籠る力、心に宿す焔。あの頃とは比べ物にならない熱をその身に宿したディーが覚悟を持って俺を見る。育っている、未だに成長している。あの時、まだまだ未熟だった少女は本物の怪物へと変貌した。それでもまだ、足りないと貪欲に力を求めている。

 

 ―――やっぱり、本気で走る俺に勝てるのはこの娘だけなのかもしれない。

 

 不思議とそんな予感がした。決戦の地は凱旋門、そこが俺達の夢見る最終ラウンドになるかもしれない。

 

 或いは、俺が勝ち越して有マがラストランとなるかもしれない。

 

 未来は誰にも解らない。

 

 ただ、今解る事は―――ぴくぴく、と互いにウマ耳を動かし、視線を音もなく扉へと向ける。音を殺してベッドから起き上がり、2人揃ってそろーりと扉まで行き……勢いよく扉を開ける。

 

「うわぁ!?」

 

「うおっ!」

 

「おっと、危なっ!」

 

「おーもーいー!」

 

「あっ」

 

 扉に張り付くように聞き耳を立てていた大量のウマ娘達が一瞬で逃げ出す姿を見送り、ディーと視線を合わせて笑う。戦国モードにトゥインクルシリーズが突入しようが、女子学生の姦しさには何の変わりもない。

 

「ただいま、ディー」

 

「お帰り、くーちゃん」

 

 一生に一度しかできないレースをしよう。そのほか全てを燃やし尽くしてでしかできないレースをしよう。

 

 きっと、それが、俺達の求める最強という形に最も相応しいから。




クリムゾンフィアー
 解ってて煽ってる

ディープインパクト
 最近はフジキセキに教わってる

マヤノトップガン
 一緒に教わってる

ナイスネイチャ
 情操教育に悪い事止めろとカットに入る

隣室のウマ娘
 壁が一番薄いポイントを押さえてある。私はとても良いと思います


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61話 渡る世間は炎上ばかり

「―――クリムゾンフィアーさんのメディア嫌いは知っていますが、どうか受けてくれないでしょうか?」

 

「うーん」

 

 理事長室、たづなさんと秋川理事長を前に俺は腕を組んで唸っていた。理事長のデスクの上には何枚もの書類が乗せられており、それは理事長とたづなさんが忙しい時間の合間を縫って選別してくれた複数の案件書類だった。

 

 無論、誰の案件かと言うと俺のだ。つまり、複数の企業やメディアから是非番組のレギュラーや宣伝、もしくはコラボ商品を作って欲しいという依頼が殺到しているのだ。恐らく今年最も有名なウマ娘として知名度は日本に留まらず、海外にも轟いている。

 

 日本国内でもディープ・クリムゾン競バブームが発生しており、俺やディーの話は連日新聞やテレビで何度も報道されている。飽きないなあ、お前らというのが正直なところの感想だった。俺だったら同じ話題ばかりのテレビとか直ぐに飽きるぞ。

 

「トレセン学園は私の寄付ももちろんだが、毎年URAやスポンサー企業からの大量の寄付があって成り立っているのだッ! 非常に申し訳ない話だがクリムゾンフィアーには幾つか企業案件を受けて貰いたいッッ!」

 

 理事長が“申し訳ないッ!”と書かれた扇子を広げる。

 

「心苦しい話ですが、トレセン学園は善意だけで運営できないので……」

 

「あぁ、いや、うっす。たづなさんも理事長もそういうのは全然悪くないっすよ。俺が根本的にメディア嫌いなのは偏向報道とか変な煽りを入れてくるテレビが嫌いなわけで。企業案件を受けざるを得ないならふつーに受けますよ自分」

 

 まあ、世の中が意外と世知辛いのは知っている訳で。名家のウマ娘程ではないが俺も世の中の仕組みという奴には理解がある。結局俺達はエンタメ側の存在なんだよなあ、というのも重々承知だ。だからこの手の話はまあ、その内来るだろうなあ……とは思ってた。

 

「忙しい時期に申し訳ありませんね」

 

「感謝ッ! 用意された案件はどれもガイドライン神によりちゃんと健全だと判断された案件ばかりであるッ! 是非是非検討してほしいッ!」

 

「ガイドライン神が認めた案件なら安心だあ」

 

 ガイドライン神ッッ! 究極にウマ娘ハピエン厨のご加護を持つ最強の存在! 全てのウマ娘が不幸になり過ぎないのや、えっちな方面に行かないのはこのガイドライン神という謎の加護を放つ神様のお蔭らしい。どれだけ曇ろうとも最後は晴れて終わるのも全部ガイドライン神のおかげだ。

 

 ありがとう、ウマ娘ガイドライン神。

 

 そしてありがとう、サイゲ。

 

 ミカエル出ませんでした。

 

 ファッキュー、グラブル。もう引退するわこんなクソゲー。

 

「聖蹄祭も近い中、ご苦労様です。今年はスピカで何かをやるか、とか話はありますか?」

 

「あー」

 

 纏められた案件に関する資料を受け取りながらたづなさんの言葉に少しだけ声を零す。俺が所属しているんだから領域使ってドリーム対トゥインクルやろうぜ! とかドリーム連中が連合して持ちかけてくるので最近は逃げるのに忙しい。お前、アレマジで足の寿命削るからほいほい使いたくねぇんだわ。

 

「……バニー喫茶とか?」

 

「兎年ですからね」

 

 適当な事を言ってごまかしておく。誰が祭りの日に殺し合う様なガチレースをするんだクソボケ共。カイチョーまでノリノリなのが本当に手に負えない。いや、だが、まあ、走る事を本能に刻み込まれているウマ娘としては当然の反応なのかもしれない。ともあれ、受け取った資料を抱え、

 

「それでは明日までにはサクッと決めてきます」

 

「1週間は待てますので」

 

「まあ、この手の決断は早い方が印象も対応も良いと思いますし」

 

 感謝ッ! の扇子を浮かべた理事長の姿を背後に、軽く頭を下げてから理事長室を出る。どうしたもんかなぁ、と呟きながらどこか落ち着ける場所を求めて歩き出す。

 

 

 

 

 で、結局栗東寮の談話室に来てしまった。なんだかんだで栗東寮が尻の据わりが良い、というか落ち着く。通り過ぎるウマ娘の姿を見るのも、他愛のない会話に耳を傾けるのもそれはそれで良いものだと思う。さて、と声を零してテーブルに資料を広げて確認する。

 

 流石理事長側とガイドライン神の力によって際どいものは全部弾かれているだけあって、普通の案件ばかりが並んでいる。

 

「まあ、コマーシャルは良いけどエンタメの準レギュラーとかは別に良いかな」

 

「なんや、テレビはあんま興味ないんか」

 

 バッサリとテレビ系の仕事を切り捨てると、何時の間にかテーブルの反対側にタマモクロスの姿があった。おっす、と軽く頭の動きだけで挨拶しながら答える。

 

「めんどくさいの感情が大きい。他人のご機嫌伺いながら仕事するってだけでストレスフルだわ」

 

「せやろな、ストレスとは無縁って感じの人生送ってそうやもんな」

 

 俺は根本的な部分で溜め込みやすいタイプの性格だと理解しているので、そこら辺溜め込まないようにしている。だから自分にとって何がストレスになるのかそれをちゃんと理解して回避している。そういう意味ではテレビ出演はなしだ。コマーシャルは1回で終わるから良いけど。

 

 それに俺、コマーシャルになったんだぜ? ってのはちょっと自慢にならない?

 

「清涼飲料のコマーシャル出演かあ」

 

「あ、それウチとオグリもやった奴やな」

 

「あー、見た見た。モクロスとオグリで汗流してから飲んでた奴」

 

「アレなぁ、オグリが一瞬でボトルの中身べこぉっ! て飲み干しちゃうからリテイク何度もやったんよな」

 

「面白ぇ女……」

 

 容易に想像できる光景にくすりと笑って、保留の方にコマーシャル出演の書類を置く。ドリームの先達が既に経験している道ならまあ、俺がやっても良いだろうって感じはする。アポカリスエットのコマーシャル……俺が出演したらどういう形になるのだろうか?

 

 俺に青春ってイメージはつかないからなあ。

 

「というか常にウマッターで燃えてるような炎上芸人に案件持ち込むの正気か? って思う。明らかに清純とかそういうイメージはつかないでしょ」

 

「どっちかと言うとマフィア系やな」

 

「そうかなぁ、私はそう言うのは似合うと思うよ」

 

 新たな声に視線を向ければ、遺伝子寮長がいた。フジも近くの席に腰を下ろすと案件資料に目を通し始め、苦笑を零す。

 

「これとか良いんじゃないかな? 女子高生向けファッション誌のモデル。スタイル良いし、見栄えも良いから凄く似合うと思うよ。それに撮影がスムーズにいけば1日で終るから拘束期間も短いしね、あまりストレスにならないよ」

 

「ほー」

 

 フジに言われたファッションモデルの案件を確認する……いや、でも俺、ファッションモデルとかやってゴールドシチーにそこで勝てるとは思えないというか。シチーに対抗意識感じちゃうからちょっと嫌だなぁ。

 

「え、フィアーモデルやんの?」

 

「やらない、絶対にやらないから。キャラじゃないって」

 

 廊下の方からやって来たシチーが少し楽しそうに近寄ってくる。

 

「いいじゃん、フィアーは何時も飾り気のない服ばかりだけどもっとフリル系に合わせて髪を広げたりするのもアリだと思ってたんだよね」

 

「マジで勘弁してくれよ」

 

「あはは、世界に喧嘩を売る赤毛の暴君も可愛い洋服は苦手か」

 

「気持ちは解らんでもないけどなぁ」

 

 うんうんと頷くモクロスは俺の同類だった。いや、別にスカートとかに抵抗感は感じないし、何ならネタでバニースーツ姿にだってなる事に躊躇は無い。だってもう心も体も完全にメス種族だし、躊躇を覚えていたら生活なんてできる筈もない。

 

 だがそれはそれとして大真面目に自分を可愛く見せるというのは恥ずかしさが勝つ。俺はどっちかと言うとカッコいい系で居たいとは思う。ほら、おっぱいのあるイケメンとか。そういうジャンルのが良い。

 

「お、何時もお世話になってるアロマスティックの案件じゃん。これ絶対に受けよ」

 

「結構匂い強めだけど好きなの、アレ?」

 

「好き。余計な匂いを感じなくて済むところも便利」

 

「あー」

 

 揃ってあー、という声が上がる。我らウマ娘、ヒトカスの数倍鼻の出来が良い。そのせいで拾いたくない匂いや音まで拾ってしまう関係で、偶に困る時がある。車の中とか、電車の中とか、トイレの近くを通る時とか。

 

 そういう時にちょっとだけ強めの匂いで鼻を惑わせておくと気分的に凄い助かる。そういう意味では格好つける以上の意味があるのだ、あのアロマスティック。

 

「香り付けかあ……参考にしようかなあ」

 

「アリではあるよね」

 

 これは絶対やる、と分けて次に手に取ったのは布団の案件だった。

 

「布団の案件ってなんだよ! ふわふわレビューかよ」

 

「私は絶対にやるべきだと思うわ。一般論だけど。やるべきだと思うわ」

 

 アドマイヤベガが横に立って力説してる。君、さっきまで影も気配もなかったよな? もしかしてふわふわとかいう単語だけで出現した? 資料をぱららら……と捲ってカップ麺の案件を見つけると何時の間にか室内にファインモーション殿下が出現している気がする。資料を静かに隠すと姿が消えた。成程。深く考えるのはやめておこう。

 

「とりあえず満足させる為に3~4ぐらいは選ばなきゃなぁ……」

 

 久しぶりにリハビリも何もない、普通の一日を過ごした気がする。




クリムゾンフィアー
 コラボ商品は割とグラっと来る

タマモクロス
 良くオグリを制御する為にセットで呼ばれる

フジキセキ
 そこそこ仕事を貰っている

ゴールドシチー
 ダントツで案件を抱えていた一番忙しいまである

アドマイヤベガ
 ふわふわ

ファインモーション
 ラーメンの気配を感じると阿修羅閃空で迫ってくる


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62話 発案者は赤毛、乗ったのはCB、実行者は全員

「ホラーハウスゥ―――!! 超絶地獄最悪のホラーハウスやってるよぉ―――!!」

 

 結局、領域の悪用は危険すぎるという理由でレジェンドレース開催は阻止させて貰った。ドリーム組が滅茶苦茶寂しそうな表情していたが、当然の事だ。そんな訳で俺達スピカの聖蹄祭は後数人助っ人に呼んでホラーハウスを開催する事にした。

 

 折角だしバニースーツで接客しようとしたら怒られたので普通に制服で接客だが、今日という日を無事に迎えられた事を割と真面目に神に感謝している。今日までのレジェンド組の攻勢はそりゃあもう文字では語り切れない程のプレッシャーばかりだった。まあ、その攻勢も一旦終わりだ。

 

 春の聖蹄祭が終われば桜花賞に皐月賞、それからダービーにオークスから夏の前に宝塚記念がある。春の天皇賞にはディーが出るし、イベント目白押しでとてもだが暴れまわるだけの余裕はない。宝塚が終わればもう7月だ、俺もKGⅥ&QEステークスが待っている。

 

 一連のレースの流れを考えると、俺が遊んでふざけていられるのもここら辺が最後だろう。

 

 7月、KGⅥ&QEステークス。

 

 10月、凱旋門賞。

 

 11月、BCクラシック。

 

 7月までに渡欧の準備を整えて洋芝に慣れ、凱旋門が終わったらアメリカに渡って土に適応したらそのまま最後のグランドスラムを完了させるという地獄のハードスケジュールだ。特に10月から11月に余裕はなく、全てを無敗で終えたら12月でラストランの有マ記念だ。

 

「―――ま、湿っぽい事を考える事は止めにしようか」

 

 肩に担いだ看板を横に突き刺すように立てる。ばばん、と口で音を出しながら客を呼び込む。聖蹄祭、近年の事情を顧みて時間別に入場制限がかかっているとはいえ、やはり入場客は多い。周囲を見渡せば腐るほど人が存在している。

 

 それでもここ、スピカの部室前まで人が中々集まらないのは単純にスピカの部室そのものが割と端の方にあるからだろう。実績がやばくなってきたから新しい所を貰えば良いのになー。

 

「お、く、クリムゾンフィアーさんだ!」

 

「あ! ファンです! 何時も走りを応援してます!」

 

「おーおー、応援ありがとよ。どう? 一周回って行かない? 今のシフトなら俺以外の皆が入ってるぜ」

 

 寄って来た幸運なファンに看板とスピカの部室を指差せば、ファンが顔を見合わせて部室を見る。無論、そう大きなプレハブ小屋ではない。ホラーハウスと言われてもそうしっくりくるものではないだろう。

 

「なあに、この日の為にこの世の地獄の様なホラーハウスを用意した。何なら俺がガイドとして案内してもいいぐらいだ。どうだ、1周楽しんで行かないか?」

 

 眼鏡とぽっちゃりの2人組は視線を合わせると頷いた。

 

「そ、それじゃあ……お願いします」

 

「お二人さんご案内ー!」

 

 コールにプレハブ小屋が少し揺れた。どうやら中の連中も調子が良いらしい。看板を地面に突き刺したら扉を開ける。中からぶわ……と冷気が外へと溢れだし、眼鏡が寒気に自分の体を軽く抱いた。

 

「お、おぉ……なんか、涼しいですね」

 

「意外と……本格的?」

 

 俺は2人の言葉にサムズアップを向けて、中に入る事を促す。俺の姿を見て視線を合わせた二人は覚悟を決めると頷き、プレハブ小屋の中へと入り込む。

 

 そこに広がっているのは闇だ。辺り一面の闇―――そして広い空間だ。まるで無限に広がるようにさえ見える闇の中、直ぐ横の台からランタンを手に取り、それに光を付けて掲げる。

 

「あ、なるべく俺から離れないでね。離れすぎて迷ったら戻って来れないかもしれないから」

 

「ははは、そういう設定なんですね」

 

「……」

 

「え、何ですかその沈黙」

 

 ランタンをゆらゆらと揺らしながら闇の中へと進む姿を2人が追いかけて来る。それを意識してゆっくりと歩きながら、物語を語るように声色を整える。

 

「さてさて、ウマ娘は神々に見守られた幸せな種って話を知っているかいお二人さん? 我々ウマ娘は三女神とガイドライン神によって見守られているおかげで多くの被害や悲劇が起きなくなっている……知ってるか? 俺達ウマ娘は異世界の馬って呼ばれる生き物の魂を継いでいる、って話を……」

 

「……ごくり」

 

 息を呑む前にゆらゆらとランタンを掲げて正面を照らす。闇の中に人の姿が見えてくる。その先には燃える建造物が。その前に縮こまるようにうずくまる姿はスペシャルウィークの姿だ。絶望した表情で両手を床に付け、

 

「そ、そんな……おかあちゃんの牧場が……厩舎が……」

 

「ほ、ホラーハウス……!」

 

「こう来たかぁ」

 

 絶望に崩れるスぺの姿に2人が戦慄している。うん、下手なホラーよりもホラーしてるでしょ?

 

 ランタンを揺らすと横の方からゴルシが走ってくる。そして崩れ落ちているスぺの姿を見て、拳を握って唸る。

 

「く、糞……またこの運命を変えられなかったッ! 今度こそ、今度こそゴルシ様が未来を変えてみせるからな! ばっきゃろー!!」

 

「おや、ゴルシちゃんがどうやら再び時を遡って絶望の未来を変えようとしているみたいだね? 俺達もゴルシの後を辿って彼女の軌跡を追いかけよう……女神の居ない世界がどんな世界なのか、俺達の目で確かめようじゃないか……」

 

 走り去って闇に消えて行くゴルシの方に光が生まれ、空間に新たな道が生まれる。ランタンを掲げて此方だと2人に示そうとすると、もう既に顔が青くなり始めている様子で質問してくる。

 

「あの……明らかに奥行きが外観と一致しないんですけど……」

 

「あぁ、うん。ちょっとトレセン学園で暇してた怨霊捕まえてほら、呪いに来るとき無限回廊とかやるじゃん? 成仏したくなかったらやれって命令してるから」

 

なるほど(思考放棄)

 

 思考放棄してついてくる2人を誘導するように光へと向かって進む―――ここはスピカ全員で悪ふざけ100%で挑んだ地獄のホラーハウスだ。メインコンセプトは女神の救いがない世界。つまり幸せ補正とでも言うべきものが一切存在しない世界だ。

 

 この世は三女神の加護によって最低限、悲劇で終わらない事がある程度約束されている。骨折しても死なないとか、病気にかかっても死なないとか、史実における悲劇が完全な形では再現されないようになっている。そうじゃなきゃライスシャワー既に死んでいるし。

 

 だから逆に考えよう! こういうバッドエンドIFってすっげぇ怖くない? 下手な肝試しよりも肝が冷えない? じゃあやるかぁ! のノリで俺達スピカはこの世の地獄を作ることに決定した。ファン感謝祭で絶対やる事じゃないんだよな、これ。

 

 という訳で哀れなヒューマン2人、地獄巡りにご案内。

 

 スペシャルウィーク故郷炎上から始まるこのホラーハウス、続く先も地獄で次に待っているのはシービーだ。ここでは三冠を取れず負けてしまい、走る事に楽しさを覚えなくなったシービーが虚無顔で突っ立っているのが見れる。

 

 その次はテイオー。奇跡の復活を成し遂げる筈だったが……上手く行くこともなく、マックイーンとの約束を果たす事無く負けてそのまま引退してしまうテイオーが。そしてそれに合わせて調子を崩し、屈腱炎を発症し引退に追い込まれるマックイーン、

 

 ライバルに出会う事がなかったウオダス。

 

 そして何度巡っても結末を変えられないゴルシ。段々とゴルシが調子を落として行き、最後には足を止めてしまう……そんなホラーハウス。

 

 全てを巡り終わった所で憤死しそうな表情の2人組がプレハブ小屋を後にし、その背中姿に手を振っていると横からたづなさんがやって来た。

 

「営業停止です。ただちに別の催しに変えてくださいね?」

 

「やっぱりかあ」

 

 この後死ぬほど怒られたので普通にポケモン大会開催した。

 

 去年同様、死ぬほどぐだぐだした聖蹄祭だった。




クリムゾンフィアー
 朝のシフトの時はベッドで寝たまま目覚めないIFを披露してた

ディープインパクト
 朝一に来て号泣して帰った

アメリカ人のおっさん
 朝一に来て心臓発作を起こして帰国搬送された

秋川やよい
 説教した

スピカ
 秋はどうやらかすかを相談中


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63話 どこまで行っても国際問題になる女

 気づけばウオッカが“そっちの方がかっけぇ気がしたから”とか言って皐月賞に突撃した事以外は大体平和な4月が過ぎ去った。あのウマ娘、桜花賞に突撃してから皐月賞にばちこんかました常識破りの女帝ムーブをしたが、それ以外は本当に平和だった。

 

 いや、桜花賞のライバル対決は負けたけど皐月賞で勝ったって何? このままダービーに行くわとか言っているしスピカの今年のクラシック戦線は明るい。どんどんスピカ入部のハードルは上がって行く。

 

 桜花賞、皐月賞、天皇賞春と大暴れする春の季節、聖蹄祭を終えれば5月が見えてくる。KGVI&QEステークスまで残り2か月となると流石に渡欧の準備に入らなくてはならない。そうなると渡欧中の滞在先を用意しなくてはならない。

 

 無論、トレセン学園にもコネはある。長年経営されている学園だし、イギリスにだってトレセン学園は存在している。頼めば理事長が直ぐに連絡を入れて滞在の都合を付けてくれるだろう。とはいえ、素直にニューマーケットトレセン学園に向かうかどうかは別の話だった。

 

 ニューマーケットトレセン学園―――略してNMトレセン学園はその規模と伝統を考えれば滞在先として最高クラスの場所だろう。だが別の問題として既に大量のウマ娘がNMトレセン学園には在学しており、全てに喧嘩を売っている俺はいうなれば敵地に乗り込んでいる状態だ。

 

 ぶっちゃけ、妨害は無くても嫌がらせぐらいは覚悟できる環境だろう。少なくとも完全に居心地の良い状態とは言えない。見えない所で虐めなんてされた日には俺も大人げなく必殺彼岸アタックを披露してしまうかもしれない。相手は来世に飛ぶ。

 

 そういう事もあり、イギリスの滞在先はなるべくであればアメリカの時のように、誰かの個人宅が理想だった。周囲の土地を所有しているのであればメディアからの、妨害や嫌がらせの可能性を考慮しなくてすむ。考えてみればサンデーサイレンスでのホームステイは理想的な環境だった。

 

 それと全く同じ環境を用意するというのは正直難しい話だろうが、渡欧中、KGVI&QEステークスとその後フランスで走る凱旋門に向けてなるべく環境の整った場所に滞在したかった。

 

「うん? フィアーって確かイギリスの滞在先を探してるんだよね? 紹介しよっか?」

 

「え、マジで?」

 

 その問題を解決してくれたのは、ファイモ殿下だった。えっへん、と胸を張るファイモは話を続ける。

 

「私は色々としがらみがあるし国王陛下に絶対にやるなよ、って釘を刺されてますから。せめて応援の意を込めて滞在先ぐらい紹介させて貰えないかな、って」

 

 拙者、ファイモ殿下に仏を見た。アイルランドのお姫様の紹介だ、まず間違いなく安心できるコネであるという事はそれだけで解った。自分が求める条件を口にしてファイモ殿下は大丈夫だと太鼓判を押してくれた。ファイモ殿下の紹介に飛びつき感謝し。

 

 5月、洋芝へと慣れる時間を確保し、ゆっくりと体を欧州の環境へと慣らす為に早めに日本を去ることにした。

 

 成田国際空港から直行便でイギリスへと向かう事にする。無論、ファーストクラスに乗って行くだけの金銭的余裕はある。今度はチームでもなく個人での挑戦の為、一緒に来るのは西村だけの寂しい旅になってしまう。毎度恒例コアラのように両手足でしがみついてくるチワワを引き剥がす儀式を行って飛行機に乗り12時間。

 

 イギリス、ヒースロー空港へと到着する。

 

 

 

 

「んっあっ―――! やっぱ12時間は長いなぁ」

 

「流石に飛行機に12時間も乗ってるのはねぇ。おっと、荷物が来たよ」

 

「取ってくるわ」

 

 流れてくる荷物をコンベアの上から回収して下ろす。こういう時、ヒトカスよりも頑強で力のあるウマ娘の体は便利だなぁ、なんて事を考えながら荷物をほいほいと重ねてしまう。俺も西村も割と渡航経験が増えてきた影響で、荷物もだいぶ圧縮されている。

 

 勝負服を始めとする大事なものは別ルートで手配済みだし、手持ちの荷物は結局の所、着替えぐらいだ。荷物を回収したら今度はちゃんとカピ君を荷物に仕込んでない事を税関で証明し、空港の外に出る。

 

 本来であれば大々的に渡欧の事をメディアに伝えたりするのだが、俺はここら辺の動きを一切メディアに伝えるつもりはない為、出迎えにBBCの記者の姿なんてものはない。平和な空港のロビーが広がっている。

 

「ヒースロー空港も綺麗だねぇ」

 

「国によって空港も結構変わってくるよね」

 

 がらがらがらと荷物を引っ張りながらロビーに出ると、待ち構えていたように黒服が前に出てくる。

 

「失礼、Crimson Fear様とMr.西村ですね? 迎えに参りました、此方へとどうぞ」

 

 綺麗な礼を見せて黒服が空港の外まで案内してくれる。その間に別の黒服が数名現れ、淀みのない動きで此方の荷物を取ると外へと向かって行く。西村と少しだけ呆然とプロフェッショナルの動きを眺め、慌てて黒服を追いかけて空港を出る。

 

 すると高そうな黒い車が三台並んでいた。

 

 中央の車に荷物を積み込み始める黒服達、その中で1人中央の車の扉を開ける姿があった。ゆっくりと開く扉の中からは老婆の姿が見え、人の良さそうな笑みを浮かべている。

 

 んんっ? おばあちゃんどっかで見た事がある気がするな……気のせいか!

 

 気のせいにして車に近づく。黒服を見ると何もリアクションを取らないが、車の中からは手招きする老婆の姿が見える。

 

「ほら、おいでおいで。Fineちゃんから話を聞いて是非逢って話したいと思ってたの!」

 

「マー? 俺様人気で困っちゃうなぁ」

 

「マー、よマー。ふふ、さ、早く乗っちゃって」

 

 おばあちゃんに促されるまま車に乗り込むと、滅茶苦茶顔の青い西村の姿が見えるから、腕を掴んで車の中に引きずり込む。おばあちゃんの横に座って握手する。なんかもう西村は凄い震えてるし汗が凄い。風邪かなあ。

 

「俺、クリムゾンフィアー。宜しくね、おばあちゃん」

 

「あ、に、に、西村智樹です……ヨロシクオネガイシマス……」

 

「あら、これは失礼。名乗り忘れていたわ。私はエリザベスよ。宜しくね、Crimsonちゃん、Mr.西村」

 

 スマホを取り出してとりあえず許可を貰い写真を一枚。おばあちゃんとのツーショットを眺めながらウマッターを開き、軽く写真をデコってからツイートする。

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・今

 

イギリスのホームステイ先の家主のおばあちゃん!

とても優しい顔をしてる素敵なおばあちゃんです

pic.twitter.com/queen

 

1万件のリツイート378件の引用リツイート1万5千件のいいね

 

「うおっ、凄い勢いで身内からレス付いた」

 

「お友達は元気なのねぇ」

 

「うん、元気すぎるぐらい元気だよ。確認は後でいっか。滞在先に困っていた所をファイモから紹介して貰ったんだけど……良かったのおばあちゃん?」

 

「ふふ、寂しい生活をしてるから全然構わないわ。Crimsonちゃんみたいな子がいてくれると若さを感じられて良いわねぇ」

 

 馴染めるかどうか、ちょっとだけ不安だったが軽く話しているだけでもかなり優しそうな老婆だというのが解る。エリザベスおばあちゃん、これならイギリス滞在中は普通に仲良くなれそうで一安心だ。いや、ファイモ殿下に紹介された以上は人格やら背景やらは絶対に確かな相手なのだろうが。

 

「こっちに来たら観光もしてみたかったんだよね。ストーンサークルとか、ティンタジェルとか」

 

「あら、アーサー王伝説がお好きなの?」

 

「日本人で嫌いな人はいませんとも」

 

 主にFateの影響だと思われますが。この世界線のアーサー王ってウマ娘なのか? そうじゃないのか? ウマ王アーサーだったらリアルでアルトリア状態が見られるのか……ちょっとというか、滅茶苦茶興味あるな。

 

 窓の外へと視線を向ければヒースロー空港から景色は変わりつつある。そう言えば、と声を零す。

 

「ファイモから何も聞いてなかったんだけど、おばあちゃんってどこ住みなの?」

 

「ん? あ、何も聞いてなかったのね」

 

 ふふ、とエリザベスおばあちゃんは笑った。その笑みに俺の耳がぴくぴくと揺れた。ハンドルを握るドライバーから同情の溜息が聞こえた。そしてたっぷり数秒間、堪えるように言葉を溜めてから答えを口にした。

 

「ウィンザー城よ」

 

「……ん?」

 

 ヴーン、と音を立てて車が空港からウィンザー城への道を進んで行く。

 

「うーん……?」

 

 VIPを護衛するように車は進んで行く。

 

「……?」

 

 首を傾げても車は止まらない。西村は今にも死にそうな表情をしている。

 

 ―――あ、殿下にハメられたなこれ……。

 

 窓の外の空に悪戯が成功しててへぺろしている殿下の顔が思い浮かぶ。はは、こやつめ―――こやつめ。嘘でしょ。




クリムゾンフィアー
 でも王族とマブだしいっか! で解決する精神性

ファインモーション
 ちょっとした仕返しを込めて詳細を言わなかった

西村
 一瞬心臓が止まった

大きなお城に住んでるおばあちゃん
 とても偉いらしい。凄く可愛いおばあちゃん


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64話 微妙にエネルギッシュで対応に困る時がある

クリムゾンフィアー @crimson_fear・さっき

 

おしろしゅみってしゅごいのおおおお

pic.twitter.com/maid&castle

 

2万3千件のリツイート1218件の引用リツイート3万1千件のいいね

 

 思わずこんなものをウマッターに投げてしまうレベルでちょっと驚いてる。いやあ、ウィンザー城って広いですね……広いだけじゃなくて当然のようにメイドとかいるからびっくりしちゃった。お城で住んでるおばあちゃんって凄い。

 

 まあ、セキュリティに関しては英国最強だし、マスコミの手がかからないようにしてあげる、なんて言われるとそれに甘えるしかない。最初は胃を痛めるような表情をしていた西村も、でもお前ゴドルフィンの殿下とも友達になれてたよな? って指摘すると復活した。

 

 競馬―――いや、競バだけども、ウマ娘のチームオーナーで王族だったりするのは外国ではそう珍しい話じゃない。そもそも馬の所有って貴族のステータスだったし。その関係性はこの世界ではちょっとだけ違うが、ウマ娘のチームを保有する事が古からの貴族のステータスである事に違いはない。

 

 そんな訳でメイドさんに世話をされながらイギリス遠征生活が始まる。

 

 

 

 

「おぉ……これが洋芝か」

 

 流石競バ大国イギリスのとても偉いおばあちゃんが住んでいるお城の庭、ウマ娘用のコースが置いてあるのは凄いとしか言いようがない。おばあちゃん自身とてもウマ娘が好きで、気に入った娘はお茶会に誘ったりしているらしい。そんな事実はさておき。

 

 俺は今、人生で初めて洋芝と呼ばれるもんを体験している。

 

 足を上げて、落とす。軽い運動込みで膝を大きく上げて足を降ろして芝を踏む感触を蹄鉄の裏で感じる。トレーニングする時はやっぱり、蹄鉄を付けた前提でやるのが一番感覚に馴染みやすい。なるべくトレーニングする時は本番と同じ環境でやるのが理想だ。

 

 そういう意味では洋芝、それも競バ場と同じ環境で走れるこの庭は願ってもない環境だ。ニーアップで軽く体を温めたらジョギング程度のペースで庭を往復し始める―――いや、庭と呼ぶにはやっぱちょっと広すぎないここ?

 

「フィアー、洋芝の調子はどうだい?」

 

「日本の芝よりもクッション性が高いってのは聞いてたけど、確かにこりゃあ日本と比べたら重いわな」

 

 クッション性が高く、力を良く吸収するのが洋芝……欧州を主に使用されている芝生の種類だ。日本だけ独自環境で使用している芝が違う為、日本のウマ娘が海外に挑戦して初めてぶち当たる壁がこの芝生の違いだ。

 

「んー」

 

 洋芝は一般的に日本で使われている野芝よりもパワーが必要とされている。その理由は明確で、洋芝と野芝では根の太さやクッション性の違いから来ている。洋芝はその性質から速度を出しづらく、日本で走る時よりも力を必要とする。

 

 日本の芝が高速環境だと言われる理由だ……と思う。そこら辺の細かい蘊蓄は西村の担当であって俺の役割ではないから細かい話は忘れた。俺にとって重要なのは、日本で走る芝よりもパワーを必要とするという事だろう。

 

 つまりこれまで以上に脚に力を込めて走らないと速度が出ないという点だ。日本のウマ娘が過去に渡欧してレースに挑んだ時、この芝生の違いから来る適性の違いに苦しめられたそうだ。とはいえ、ふむと声を零して足を止める。

 

「砂程面倒じゃねーわな」

 

「君はなぜか今ではダートのが主流になってしまってるからね。アメリカのダートは土をベースとした高速環境だったけど、ここしばらく慣らしていたドバイは砂によらせた環境だったしね」

 

「日本の砂も走ってみたけど、あっちのがめんどくさく感じたな。こっちは良い感じに走れそう」

 

「君は元々パワーとずば抜けたスタミナで走るウマ娘だからね。洋芝への適応はそんなに苦労しないとは思う。KGⅥ&QEステークス、凱旋門を見越して芝生に慣らすまで時間かけて1か月、そこから更に1か月かけて細かい所を調整しつつ……って感じになるからな」

 

「プランは任せた。そこら辺で西村を疑った事はないしな」

 

 背筋を伸ばして空へと向かって腕を伸ばす。これまでずっと、俺のわがままに付き合ってくれたトレーナーだ、今更その能力を疑う事なんてするものか。お前が作ったプランを信じて走る、それが俺が証明できる最大の信頼だ。

 

「んで、KGⅥ&QEステークス、どんな感じになると思う?」

 

 腕を組んで西村を見ると、西村はそうだね、と声を零した。

 

「ハリケーンラン」

 

「去年の凱旋門賞ウマ娘か」

 

 俺の言葉に頷いた。

 

「既に彼女が出場するって宣言してる。知っている中ではエレクトロキューショニスト、後ハーツクライも出るって既に宣言してるね」

 

「ははーん、ドバイ組が参戦してくるか。そりゃあ何とも楽しみになって来たな」

 

 エレちゃんもハーツも、どっちも強いウマ娘だ。あのドバイからの4か月間でどれだけ成長したのかを確かめる良い機会でもある。なにも変化がないのであれば、そのまま俺がぶっちぎって蹂躙するだけの話だ。悪い笑みを浮かべていると西村がだけど、と声を置く。

 

「警戒すべき相手は他にもいる」

 

「と、言うと?」

 

 西村がタブレットPCを持ち上げ、その中に表示されているニュースを見せてくる。駆け寄ってニュースの中身を確認してみれば、そこには一人のウマ娘が再び復帰してトゥインクルで最後のレースに挑む事が書かれていた。

 

「―――ダラカニ? 数年前の凱旋門優勝バだよな? ドリームに行ったんじゃないのか?」

 

「まだ本格化が終わってなくてトゥインクルでも通用する能力を残したままだから、ドリームからトゥインクルで特例に持ち込んできたみたいだよ。URAとどういう取引をしてきたのかは知らないけどね」

 

「ははは、マジで無茶通すじゃん。まともな手を使ったとは思えないなこれ」

 

 溜息を吐きながらタブレットを戻す。

 

「恐らくダラカニが最後の出走者じゃないよ。僕の予想が正しければ後2人か3人、怪物クラスのウマ娘が参戦してくる筈だ」

 

「イイね、イイね」

 

 ぱん、と音を立てて拳を掌に叩きつける。参戦してくる連中がどいつもこいつも化け物みたいな経歴を持った現代のレジェンドだ。引退していない、まだターフで伝説を残そうとする連中。今、俺はそう言う連中を相手の王者の祭典(チャンピオンズミーティング)を開こうとしている。

 

 限界まで詰め込まれた能力。通さねばならない勝利へのプラン。ただただ勝利へと向かって食らいつく精神性―――誰もが相手を殺す気で、そして自分の未来を壊すつもりで出走する最強最悪のレースだ。

 

 それでも最強という称号がそこにあるから、ウマ娘としては挑まなくてはならない。

 

 本来であれば10人にも出走者が届かないであろうレースは、その枠を更に増やして参戦者を受け入れていた。

 

 ただ、最強の名を手にする為に。

 

 と、そこで西村に渡していた俺のスマホが揺れる。

 

「お、メッセージだよフィアー」

 

「うい、サンキュ」

 

 西村からスマホを受け取り、メッセージを確認する。トレセン学園内で使っている交流用のアプリからのメッセージで、知り合いからKGⅥ&QEステークスに出走するという意思を伝えるものだった。それを受けて俺は笑みを零す。

 

「ロブロイ、出走するってよ」

 

「あの時ドリームにまだ移籍しないって選択したからなあ、あの子は……」

 

 あり得る話ではあった。インターナショナルステークスで勝利しているから海外の芝生にも対応できるという事は証明されている。レースの経験だけを考えれば、あっちの方が俺よりも上だろう。だけどそれに関しては他のウマ娘も同様に言える。

 

 強敵がまた1人、増えた。

 

 その事にただただ喜びを感じ、息を零す。まだ強さの最果てには出会えていない。だが、今年中に出会えそうな予感はしている。ぐっと力を込めて拳を握る。断然次走が楽しみになってくる。強敵に次ぐ強敵、その全てを薙ぎ倒した果てに―――俺だけのエンディングが待っている筈だ。

 

「後で陛下にお茶会に誘われてるんだから、あまりハードなトレーニングは今日は無しだよ」

 

「えぇ、折角精神的にノってるのにぃ」

 

「そう言う時ほど君は良くやらかすからね。流石に学習したよ」

 

「良く解ってらっしゃる」

 

 まあ、そう言われちゃあしょうがない。おばあちゃんとのお茶会はなんだかんだで楽しいし。あのおばあちゃん、競バの知識豊富でお話ししているだけで時間が過ぎ去って行くのだ。過去のレースの話とか、前ここに泊まっていたゲストの話とか。それだけでもだいぶ楽しい。

 

 相変わらず俺のウマッターは炎上してるが、それ以外は平和な良い場所だ。

 

 何時になったら鎮火するんだ? 俺のウマッター。




クリムゾンフィアー
 流石に自重してるけどウマッターは燃え続ける

西村トレーナー
 あれ……お出かけできる……?

可愛らしいおばあちゃん
 たぶん同姓同名でお城に住んでるだけ

良くいる黒服さん
 MI6から来てるらしい


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65話 ばーかばーか! 滅べ妖精国!!

 イギリスの水が合わなかったのかちょっと頭痛を覚えて調子が落ちた。つまりはコンディション調整の時間である。だから西村はおばあちゃんとお出かけする事になった。

 

 今なんて???

 

 まあ、前々から良く見られてた現象なので今更と言えば今更な話でもある。あの男ちょいちょい誰かと出かけては俺に暇をくれてたし。その間に観光やら遊びに出かけて俺が調子を戻すというのはよくある事である。俺がガチ恋系ウマ娘じゃなくて良かったな。

 

 普通に考えたらガチ恋勢のウマ娘の前でこれからデートしてくるから発言って殺意にも等しいと思う。

 

 そんな訳で、良い機会なので観光する事にした。

 

 ドライバー及び護衛は英国から派遣されたMI6のお兄さん、非常に顔の良いイケメンさんで仕事もトップに出来るエリートさんらしい。出掛けるにあたって俺も少しだけ変装をする為に猫耳タイプの帽子でウマ耳を隠し、たづなさん直伝尻尾隠し術でズボンの中に尻尾を巻きつけるように隠す。

 

 赤毛も普段よりはちょっとアップ目に纏める事で印象をずらせば……ハイ、顔の良い赤毛。ついでにサングラでもかけて顔面積を減らしておけば気づかれづらいだろう。まあ、気づく奴は気づくかもしれないが対マスコミ用必殺凍結アタックを解禁すれば良いだけの話だ。

 

 折角海外に来たのに観光もなしとは流石にごめん被る。

 

 そういう訳でロストベルト6章で聖地化? されたかもしれないティンタジェルへと来ていた。コーンウォール州にあるティンタジェルは一部古い街並みを残している観光地だ。MI6のイケメンに車からリードされるように降ろされて目の前に広がるのは石造りのヴィレッジ、つまりは村落の姿だ。

 

「おぉ……昔っぽい風景だ」

 

 スマホを取り出して、ティンタジェルの事を検索しながら街並み……と呼ぶには少々古めかしいつくりの村を歩く。古くからアーサー王伝説の聖地として有名なティンタジェルはイギリスでも人気の観光地の一つとして栄えている。

 

 これはFateシリーズでアーサー王が女体化して型月のドル箱が日本に降臨する前からの話でもある。いや、何やら日本人観光客は増えているらしいが。俺と同じような思考をしている人は他にもいるという事だ。

 

 ただ俺はそこら辺のオタクとは違って情緒が凄い……こう……凄い……凄い!! タイプなので、普通にこの古めかしい村の様子を眺めているだけでも割と楽しい。季節は春から夏に移り変わろうとする短い季節。

 

 花は咲き誇り、葉は青々とした色を見せて育っている。

 

「ティンタジェルの全てがこういう光景じゃない……んだよな?」

 

「えぇ、そうですともミス」

 

 英国紳士風に装うMI6の兄さんに話しかければ、当然のように答えてくれる。

 

「ティンタジェル全体がこういう景色ではなく、観光向けのエリアが主に昔の街並みを継承している感じになりますよ。景観の維持はまあ、それなりに大変ですので」

 

「生活とか不便そうだよなぁ」

 

 けらけらと笑ってスマホでちょい撮影。オールド・ポストオフィスとかの基本的な観光名所を押さえる。Fateスキーとしてはやはり、青王の起源となる場所は一度来ておくべきだと思うし。いや、今なら寧ろキャストリアの聖地だろうか? しかしほんとロクでもなかったな、妖精国。

 

 流石観光地だけあって人の姿はそこそこある。生活している人だけじゃなくて観光に来ている人、そしてその観光客を相手に商売している人でそこそこ賑わっている。とはいえ、密集している感じでも本当に人気という訳でもないレベルだ。

 

 普通の観光地と言える程度の賑わいだ。

 

 まあ、歴史を感じて景色を楽しむというのは情緒と教養を求められる行為だ。俺自身、騒がしい人混みをそこまで好んでいる訳でもないのでこういう静かな場所は割と好みだったりする。ただ生活は不便だろうなあ……と思う所はある。

 

 しばらく村を歩き回って写真を撮り満足したら、ティンタジェル最大の名所へと向かう為に再び車に乗って移動する。撮った写真をウマッターに投げるとマスコミに居場所をかぎつけられるから流石に身内に送るだけで満足しておく。

 

 ……マミーからサムズアップのスタンプが返って来た。やったぜ。

 

 それから車は海に面した道路をしばらく走って次の目的地へと向かう。窓を開ければ気持ちの良い風が入ってくる。閉め切った空間があまり好きじゃないからどうしても車の窓は開けたくなってしまう……警備上、余り開けて欲しくないとは良く言われるのだが。

 

 そうやってやってくる場所は海に面した岩肌が剥き出しのティンタジェル最大の観光名所。

 

「ここがティンタジェル城跡かぁ」

 

「アーサー王生誕の地とも言われているマニアの聖地ですよ」

 

「アレがみたいんだよな、アーサー王の銅像。イイよね、あの銅像。作った人はセンスがあると思う」

 

 ぼろぼろの石造りの道。直ぐ横は海。僅かに残された城壁。観光名所として知られるティンタジェル城跡は既に何百もの観光客を受け入れてきた古い場所だ。果たして、本当にアーサー王が存在したかどうかは定かではないが……今もなお、多くの人々に愛されている事実だけは確かだろう。

 

 ブーツの裏から感じる石造りの道には何度も何度も通って来た人々の想いと感動が刻み込まれている。その感情を味わう様にこの古い城壁を歩いて堪能する。

 

 ここに来る前に買っておいたおやつ用のフィッシュ&チップスをぱくり―――イギリス料理はクソまずいとの話だったが、それは店選びが悪いからだろう。普通に美味い所に行けば美味いというのが俺の感想だった。

 

 ただ油をずっと替えない店があるとか、伝統と称してまずい飯を作る所はあるらしい。

 

 商売する気あるんか?

 

「はー、楽しい」

 

 異国情緒に触れるというか、純粋な観光目的でゆっくりとするという日は良く考えるとこれまであんまりしてこなかった事だ。アメリカにいる間の息抜きはマジで体を休める為だし、ドバイでは休む暇なんてなかった。

 

 普通に観光しているのは今回が初めてなんじゃないか? そう考えると俺も、今までの人生割と余裕なく生きてきたのかもしれないと思える。漸く心に余裕が見えてくるのがシニアが半分が終わる頃とかウケる。

 

「ま、引退したら時間なんて腐る程できるか」

 

 俺に勝てるとすればディーぐらいだろうが、当然ながら負けるつもりもなかった。走りで俺を殺せるのはきっと、アイツだけだ。

 

「―――どうでしょうか、我が主の生誕の地は」

 

「感想求」

 

 聞き覚えのない声に振り返ってみれば、白いドレス姿の白毛のウマ娘と、黒いドレスの黒毛のウマ娘が身を寄せ合っていた。彼女達から感じられる美しさと気配はこの世のものとは思えない。寧ろ……因子呂布さんとかと同じ域にあるものを感じ、正体を即座に看破する。

 

「因子継承は受けないぞ」

 

「三女神の方も既に諦めております、それが貴女の幸福であるならそうせよ、との事です」

 

「心配不要」

 

 丁寧に話しかける白毛に対して黒毛はちょっとだけドヤ顔で省略した言葉を使ってくる。中々面白いコンビだが、場所が場所だ……いったいどのウマ娘なのかはちょっとだけ察せられる。とはいえ、その名前を軽々しく口にするわけでもない。

 

 睨むように組んでいた腕を解いて、はあ、と溜息を吐く。

 

「それじゃあ何の用だよ」

 

「いえ、純粋にご挨拶を」

 

「待たされた。放置された」

 

 黒毛の言葉に片手で頭を抱えた。

 

「なるべく因子とか受け取りたくなかったんだよ」

 

「それは……ズルいから、という判断だからでしょうか?」

 

 白毛の言葉に頷く。

 

「本気で走る以上は自分の力で走りたかった。自分の力でどこまで熱を燃やせるのかを見たかった。俺という存在が一体どこまで走れるのかを知りたかった。そして同じように、全てを燃やして走る様なライバルと対等でありたかった」

 

 だから三女神からの施しは不要。俺は俺だけで十分すぎる程強いし、

 

「施される程哀れじゃない。俺が勝った時に、女神の力を受けていたらそりゃあ女神のおかげってなっちまう。俺はそれが嫌なんだよ」

 

 俺のレースは、純粋に俺自身の力であって欲しいんだ。そうしなければ俺が走った意味がない。三女神の力で距離や適性、能力を改造できるなら……なんか、もう、誰が走っても一緒じゃないか、それ? 俺が走る意味あるのそれ?

 

 まあ、そんな理由がある。それだけの話だ。

 

「成程、強者の言葉ですね」

 

「傲慢。驕り。勝てる者の主張」

 

「俺、才能あるんで」

 

 残念だけど走る才能だけは兼ね備えている赤毛だから、特に継承無しでも困らない。

 

「まあ……一度は受け取っちゃったんだけどね」

 

 不覚だ、と言わんばかりに片手で頭を抱えるが、それは心配に及びませんと言葉が返される。

 

「貴女に根付いた筈の因子は既に燃え尽きています」

 

「……え?」

 

「貴女が最初に与えられた因子、貴女があまりにも酷使するように走り、拒否するのでとっくの昔に燃え尽きています。ケンタッキー以降、貴女はずっと己の才能と力の暴力のみで走ってきましたよ。そして貴女が女神に力を求めない限りは継ぐ事もないでしょう」

 

「女神、推しは静かに見守れる」

 

 そっかぁ、デジたんみたいなスタンスも取れるんだなあの善意の塊の女神。まあ、こうやって直接女神の使者とでも呼べるウマ娘から話を聞けたのは良かった。もう三女神邪神説を唱え続けなくても済む。

 

「―――それで、本題に入りましょうか」

 

「傾聴」

 

 雰囲気を変える白毛のウマ娘を前に、姿勢を少しだけ正して視線を向ける。俺の視線を受け、集中する為の数秒間を作ってからゆっくりと続きの言葉が出てきた。

 

「クリムゾンフィアーさん―――貴女が何故この世界に生まれて来たのかを、知りたくはありませんか?」




クリムゾンフィアー
 執念だけで継承因子焼ききった女

三女神
 でもそういう所が可愛いと思ってる

白毛&黒毛
 Fateで知名度がちょっと上がってほっこりしてる

MI6のお兄さん
 英国を何度か救ってる


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66話 TSか否か……それが重要だ

「興味ねえわ」

 

 あっけらかんと答えると、白毛がくすりと笑った。

 

「えぇ、そうでしょうね……本当に、強くなりましたね」

 

 白毛の答えに眉を顰める。上から目線の言い方にちょっとだけむっとなったのは事実だ。だけど同時に目の前の怪バが自分よりもずっと長く存在している事―――伝承通りであれば未だに死なずに生きている神話クラスの生物だというのを思い出す。

 

 そういえばこの世界、時折ウマ仙人やら胡乱だけど人類クラスを踏み出してる生物がちょくちょくいるな。もしかしてマジで伝承通りに生き続けてるのかもしれない。

 

 ……俺がつんけんした対応を取ってしまうのもほぼ反射的なものだ。はあ、とため息を吐いて目頭を揉む。もうちょっとだけ自分の態度を反省しておこう。意識して自分の中にある敵意を抑え込む。そう、三女神そのものはまるで悪くないのだ。

 

「悪い、睨んだ」

 

「いえ、気にしておりません」

 

「疑問」

 

 白毛に続く様に黒毛が疑問を投げかけてくる。

 

「三女神、嫌悪?」

 

「あー」

 

 黒毛の言葉に俺は短く声を零す。三女神を嫌いかどうか、という話に対する感情はまあ、色々と複雑だ。ぶっちゃけた話、俺は三女神の事を別に嫌いではないというのが答えにはなるだろう。だけどそれだけではない。

 

「三女神の存在そのものは好ましいよ。ウマ娘の幸福を願って、そして悲劇を迎えないように見守ってくれてるの。ただそこに見守っている存在があると解っているだけでも、心は大いに救われるもんだって知ってるしな」

 

 人生とは明かりのない闇の道を行くものだろう。三女神はその中で手を引いて歩いてくれる存在だ。テンポイントの悲劇、テイオーの奇跡の復活、ライスシャワーの終わり、有名なものだけでも競走()が迎えた悲劇は多い。

 

 そしてウマ娘は彼らの魂を受け継いでいる。ウマソウルという形で。まあ、物凄い胡乱なものだし信じられないとは思うが確かにそこにある。そして根本が同じだから同じ運命を歩みそうになっている……それを回避する為にそっと手を回しているのが三女神だ。

 

 あの女神に悪意はない。ただ純粋にウマ娘を想っているのだろう。そして実際、多くのウマ娘が救われている。サラブレッドの悲劇、その宿命は知らずのうちに回避されている。それは性質が改善されるという形かもしれないし、

 

 ……或いは西村のように、それを回避できるトレーナーと出会うという形かもしれない。

 

 何にせよ、三女神は純粋にウマ娘の味方だ。そこを疑う余地はない。だけど、まあ、

 

「無駄にお節介だよな」

 

「お節介」

 

 俺の三女神に対する感情は結論から言うとそんな感じなのだ。

 

「猫ちゃん猫ちゃーん、ってすっげえ構ってくる飼い主いるだろ? 猫ちゃん可愛いからお洋服着ましょうねー、餌はいっぱい上げましょうねーって。親戚のおばさんかよお前! 干渉がすぎるんだよ! もうちょっと……こう、放置してくれないかなぁ! そこまで干渉されると若干鬱陶しいんだわお前!!」

 

 普通のウマ娘ならともかく、見えてる側からすれば鬱陶しい事この上ない。因子継承とかお節介も不要なんだわ。

 

 頭を軽く掻いて溜息を吐くと、納得するように黒毛が頷いて、白毛が苦笑した。

 

「そう仰らずに。三女神は特殊な出自である貴女を大層心配されてました。馴染めるか、ちゃんと生きていられるか。貴女のありようは見ていて非常に歪で、不安でしたから」

 

 白毛のその言葉に両手をポケットに突っ込んで、微笑む。

 

「で、今は不安に覚えるもんはあるように見えるか?」

 

 俺の返答に黒毛が頷く。

 

「心配不要」

 

「はい、もう何も心配する必要はないと思います」

 

 微笑み返す白黒のコンビに安堵を覚える。これで俺も漸くお節介な神様の干渉から逃れられるのか。通知で震えるスマホを取り出して画面を見てみれば、ウマッター経由で謝罪ツイートが届いている。溜息を吐いてスマホをポケットに突っ込むと白黒に笑われてしまった。

 

「世界3大グランプリ制覇、貴女なら恐らく達成できます」

 

「さて、どうだろうな」

 

 俺は運命には存在しない特異な存在だ。だから史実や歴史に縛られない。だがそれはもう、決して俺だけの事ではない。ロブロイはインターナショナルステークスに勝ったし、ウオッカも皐月賞を連ちゃんして勝利している。ロブロイはまだいいとしてウオッカはほんとなんなんだ。

 

「もはや史実やウマソウルの結末が関係がないのは俺だけじゃないだろ、ダラカニなんてまで出てくるんだし」

 

「えぇ、そういう意味では三女神はお喜びですよ。ある意味、この地上はウマソウルが持つ運命に縛られていますから」

 

 視線を城壁の外の海辺へと向ける。岸壁の向こう側には青い海が広がっている。荒々しく風に揺れる波の様子がここからは良く見れる。そういえばイギリスも日本も島国だったよな、なんて事を今更思い出す。

 

「生まれた意味なんて誰かに与えられるもんでも教えられるもんでもないし、別に必要でもない」

 

 転生する理由なんて今更、知る必要はないと思う。それは別にどうしようもなくしょーもない理由でもいいし。物語の主人公が課せられる重大な秘密が存在していても良い。だけどその全てはどうでもいい事実なのだと思う。

 

 本当に重要なのは―――自分が、何をしたいのかという事だけだ。

 

 クリムゾンフィアーは一体、何を成したいのか。

 

 その一点だけがこの世において最も重要な真実なのだ。

 

 だから何故転生したのか、何故生きているのか、何故俺がターフを走ろうとしているのか……そんな話も事実も本当に今更な話だ。だけどもし、俺が自分の命に役割を与えるとするのであれば……それはとてもシンプルな役割だ。

 

「この、クリムゾンフィアーは、運命を破壊する為に生まれてきた」

 

 全てのウマ娘は運命に縛られていると言っても良い。ウマソウルに刻まれた歴史、その道筋、そして結末に縛られている。俺に出来る事があるとすれば、その全てを踏みにじって磨り潰す事だろう事だけだ。

 

 走る、走って走って走って―――そして走り抜ける。

 

「俺を見る全ての心の中に赤い影を残してやる。誰もが忘れられない程に鮮烈な赤を残してやる。俺を見る度に恐怖する程鮮烈で強烈なレースを。魂が焼けつくすほどの恐怖を。そして思い出させる―――決してその魂に縛られる必要はないんだと」

 

 夢はどこまでも無限に広がって行く。小さく魂なんかに縛られる必要はない。俺達はどこまでも自由であっていいし、自由で居られるのだと。それを言葉ではなく俺の走りで臓腑の奥まで刻み込んでやる。

 

 やるべき事があるとすれば、それだけだろう。だがそれすら俺の自由意志だ。生まれた理由も元も関係ない。あるのはクリムゾンフィアーという、史実には存在しない架空バの意志と決断だけだ。だから俺はそういう存在でいい。そう決めたし、そう結論している。

 

「見事」

 

 称賛する様な黒毛の声に、白毛が頷く。

 

「もはや心配する必要もない程に成長されましたね……と、また上から目線で」

 

「良いよ、実際におばあちゃんだろアンタら」

 

 俺の言葉に三人で小さく笑い声を零してから背筋を伸ばす。

 

「さーて、と。俺は観光に戻るか。崖の方にアーサー王の銅像があるんだっけ? ネットで画像を見た事がないからどういう姿をしてるか楽しみなんだよな……そう言えばこっちの世界のアーサー王ってどうなってるの?」

 

「主がウマ娘であるか否か、という話ですか?」

 

「そうそう、リアルアルトリア状態なのか否かって奴」

 

 歩き出すとそれに白黒が並んでついてくる。どうやらこのまま帰らないらしい。だったら観光ガイドぐらいはしてくれても良いんじゃないかなぁ。

 

「ふふ、それは実際に銅像を見てみれば解りますよ」

 

「必見」

 

「えー、少しぐらいネタバレしても良いんじゃない? 駄目?」

 

「見た時の驚きが薄れるから駄目です」

 

「楽しみにする」

 

 ぶーぶー、と声を放ってから笑い声を零す。夏の空に声が吸い込まれるように消えて行く。そう、俺にはもはや運命とか宿命とか、そういうものは存在しないし通じない。あるのは己の意志で決めた進む道だけだ。それを再確認できた。

 

 そして俺と走る以上、そういう余計なデッドウェイトに縛られる事もないだろう。

 

 この先、起こるレースは全て純粋な殺し合いだ。

 

 史実では存在しない顔ぶれ、ありえない並び、そして見た事のない結末になるだろう。

 

 だがレースとは本来そうであるべきだ。そういう自由であってこそのレースだろう。

 

 そんな事を考えながら白黒を観光ガイド代わりに、ティンタジェル観光を続ける。今日一日はまあ、そんな悪い日にはならなかった事を記しておく。




クリムゾンフィアー
 精神的に完成された

白&黒
 この後観光ガイドを引き受けた

黒服のイケメン
 アレ……なんか人数増えて帰って来た……?


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67話 正直現地妻の1人や2人は作っても顔の良さで許されるんじゃないかと思ってる

 日本で宝塚記念が終わればもう夏の7月になる。

 

 世界における最大の娯楽はそう、URA開催のトゥインクルとドリームシリーズだ。公認のブックメーカーは存在しないものの、グッズ関連の売り上げで世界1位に輝いているのだから、この世界におけるウマ娘とそのレースの価値が見えてくる。

 

 故に、イギリスで開催される世界でも有数のグランプリには大きな注目と期待が集まる。最強の戦いを始める為の第一歩、最初のレース。世代最強のウマ娘を決める為の戦いのスタート地点。ここで負けるようであれば未来なんてものは存在しない。

 

 誰もが、全てのレースファンが、クリムゾンフィアーというウマ娘に注目していた。

 

 だから、7月に入ってKGⅥ&QEステークス用の記者会見を開くのは必然だった。

 

 目の前には大量の報道陣、イギリスの中でも最も格式のあるレースだと言われるだけあってドバイの時を超える報道陣が記者会見には集まっている。そしてそれに見合うだけの参加者がここには揃っている。

 

 話題の中心であり世界の中心でもある俺、クリムゾンフィアーに日本からやって来たロブロイとハーツ、ドバイぶりとなるエレクトロキューショニスト、ドリームから限定的な復帰が許可されたダラカニ、前年度凱旋門バのハリケーンラン、そのほかにもイギリスの強豪ウマ娘がその場には揃っていた。

 

 私服姿で、報道陣の前で大胆不敵に、或いは行儀良く言葉もなく座っている。それをフラッシュを焚く事もなく静かに、マナーを守って記者会見の開始を待っている。彼、或いは彼女達は誰もかれもが厳しいチェックを通り抜けてここに参加する事を許されたメディアの人間だ。

 

 KGⅥ&QEステークス、その重みは史実世界よりも遥かに意味がある。その為、メディアの選別には政府からのチェックすら入る程厳しい。だから誰も粗相を起こさないように必死になって行儀良く会見の開始を待っている。

 

 そんな空気の中で、

 

「やあ、ハニー! ドバイぶりだねぇ! 君の事を想わない日なんて1日たりともなかったよ」

 

 ハートマークを飛ばしまくってくるナンパウマ娘が直ぐ横に居た。というか居る。今も椅子を直ぐ横まで引っ張り肩を寄せて腰に手を回してきて密着してくる。そのまま耳をこっちに向けて倒して物凄い密着してくる。一部の記者が凄い笑顔で映像を取ってる。アイツ、鼻血流してない? 百合好き? 良い趣味してるね君。

 

 まあ、俺も感性的にはバイに近いので美女に迫られている図は決して嫌いではないのでエレちゃんにこうやって迫られて嬉しい事は否定しない。ただエレちゃんの目のガチっぷりは偶に見てて怖い。だから君とはライン交換しなかったんだよ。

 

 これは転生者だから断言したい事だ。

 

 イケメンもイケメスも美女も美少女も慣れればイケる。どっちもイケる。どっちも楽しめる方が人生豊かになる。以上、一生共感されない内心。

 

「相変わらず人気ですね、フィアーさん……」

 

「まあ、世界の愛するぐっどるっきんほーすだしね? この顔の良さとプロポーションの良さで落ちない奴は中々いない」

 

「自覚しているのが性質悪いですよね」

 

「ロブロイちゃん辛辣だなぁ」

 

 ロブロイとは最初の出会いが出会いだからか、割と言動に容赦がない。割とというかかなり容赦がない。流石だぜロブロイホームズ、炎上界のナポレオンと呼ばれたこの俺に対してそんな態度に出られる奴は中々いないぞ。

 

 記者たちにはひそひそ程度にしか聞こえない声で喋っていると、URAのスタッフがマイクを手に取って軽く咳ばらいをする―――どうやら記者会見が本格的に始まるらしい。ひそひそ話を止めて、少しだけ真面目にやろうかなあ……とか思ったが、エレちゃんが離れない。マジかこいつ?

 

「記者会見が始まるけど」

 

「それより君といる時間の方が大切さ」

 

 マジかこいつ? 無敵か? 仕方がないので放置する事にした。URAの人が滅茶苦茶渋い顔をしてるが、注意する程の事でもないので顔が渋いままMCを開始する。正気か? 少しは注意する素振りだけでもしろよ。

 

「大丈夫か、お前……?」

 

 見かねたハリケーンランが俺に小さく声を送ってくるので、俺は静かに頷いて言葉を返した。

 

「密着してるけど絶妙にいやらしいラインを踏まないんだよこいつ、凄い手慣れてる」

 

「今はもう、君にだけだよ、ハニー」

 

「そっかぁ」

 

 そっかぁ。俺もハリケーンランも考える事を止めた。お前ほどのウマ娘がそう言うなら……まあ……それで良いんじゃないか?

 

 

 

 

「桐生院トレーナー、またですー」

 

「はいはい、またディープインパクトさんですね? 鎮圧しますね」

 

「よろしくおねがいしまーす」

 

 

 

 

 誰もが密着エレちゃんの事を無視して伝統と格式あるKGⅥ&QEステークスの記者会見が始まる。お茶の間の皆様もまさかこのレースの記者会見で開幕チャラウマ娘によるナンパを目撃する事になるなんて思いもしなかっただろう。一部は既に開始前から察してた。

 

「それではこれよりKGⅥ&QEステークスのコース説明、及び参加ウマ娘の紹介を行います」

 

 出身、勝ち鞍、所属、1人1人それが紹介されて行き、ここに集ったウマ娘達の格が露になる。その中でも輝くのが凱旋門という現在最も評価されているG1で勝利した二人のウマ娘、ハリケーンランとダラカニだ。

 

 特にダラカニに関してはその戦績が異次元クラスで強い。凱旋門に勝利し、そしてそれ以外での勝利も強い。この中で最も格が高いウマ娘は間違いなくドリームに居た筈の彼女だ。だが彼女は現実としてトゥインクルに帰って来た。

 

 MCによる基本的な説明が終わり、質問タイムに入る。そして質問の矛先は当然のようにダラカニへと向けられた。

 

「ダラカニさん、質問宜しいでしょうか?」

 

 記者の言葉に、ダラカニはURAの職員からマイクを受け取り、声を放つ。

 

「質問しなくても良い。どうせ、なぜトゥインクルに戻ってくるような恥知らずを行ったかを聞きたいのだろう?」

 

「え、あ……その、はい」

 

 ダラカニの言葉にやや威圧されるように記者が頷くと、ダラカニは数秒目を瞑るように黙り込み、視線が自分に集中するのを待った。それからゆっくりと目を開き、

 

「無論、一度ドリームに行った癖にどの面をしてトゥインクルへと来たと言いたいのは解る。だが、同時に疑問を覚える」

 

 言葉を区切り、ダラカニが質問する。

 

「何故、応えない? 当然の話だ。私達はアスリートだ。走る為に生まれてきた。走る為に生きている。一生の不名誉? 恥? くだらない、ただただ最強を目指して走って来た現役時代? 落ち着いたドリーム時代? 糞みたいな評価は止めてくれ」

 

 威圧するような声で、言葉が続く。

 

「トゥインクルだとか、ドリームとか関係ない―――最強という言葉は、その線引きを超越した重みがある。あぁ、そうだろう。このレースが終わったら二度とドリームで走らせてくれないかもしれない。だが……」

 

 ダラカニは俺に視線を向ける。

 

「ビッグ・レッドの再来にはそれだけの価値がある。二度とURAに走らせて貰えなくなろうとも、走るだけの意味がある。そう思っただけだ」

 

 そこまで言い切るとマイクを置いた。ダラカニが既にこの後完全に引退するだけの決意を抱いている事態に、ただただ呆然とする記者と興奮する記者の姿で報道陣は割れていた。だがその中から1人、質問の為に手を上げる者がいた。

 

「失礼! クリムゾンフィアーさん、此方月刊イングリッシュホースです。話題の中心人物であるクリムゾンフィアーさんに質問を宜しいでしょうか!」

 

 マイクを受け取り、どうぞ、と応える。

 

「ぶっちゃけエレクトロキューショニストとディープインパクト、どちらが本命なのでしょうか!? あ、こら、待って! まだ私の質問は終わっていないぞ!! 最近目撃される白と黒のウマ娘は何者ですか! クリムゾンフィアーさん! 本命は! 本命は誰ですかぁ―――!! 現地妻ですか!? 現地妻ですかぁ―――!!」

 

 この空気で主題と全く関係のない話に走り始めた記者が警備のウマ娘に両サイドを押さえられ引きずられていった。そんなこんなで流れる妙な空気の中で。

 

「勿論、私だよねハニー」

 

「ノーコメントで」

 

やっぱり、フィアーさん絶対に刺されると思います……

 

「ロブロイちゃん、聞こえてる聞こえてる」

 

 7月、激闘を予感させる珍妙な記者会見が開かれた。

 

 3大グランプリ、その最初となるレースがいよいよ……始まる。




クリムゾンフィアー
 精神的に無敵になってしまったのでそろそろ浮気の三つや四つしてみるか~とか口にして西村に怒られた

ゼンノロブロイ
 名探偵なので絶対に上手く行かないと名推理を披露した

ダラカニ
 再び走る代償は以降URA主催のレースで走れない事


 一応、今月~来月初め辺りの完結を目指してます。残りももう20話ぐらいですかね。それとUA100万を超えました、皆さんのおかげです。ありがとうございます。


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【避難所】赤毛に魂を焼かれるスレ【109冠目】

117:名無しのファン

 いやあ、スレの消費の早い事

 

119:名無しのファン

 それだけ盛り上がってくる事やろな

 本スレはちょい荒れ気味だけど

 

 

122:名無しのファン

 赤毛が荒れる事しかしねぇからだよ

 

 

123:名無しのファン

>>122 仰る通りです……

 

 

126:名無しのファン

>>122 困ったなあ、反論できない

 

 

127:名無しのファン

 優勝候補纏め

 ダラカニ 凱旋門勝利バ

 ハリケーンラン 前年度凱旋門バ

 エレクトロ略 ミラノ大賞他

 ハーツクライ ドバイシーマ

 ゼンノロブロイ インターナショナルステークス、日本秋三冠

 クリムゾン略 日Jr2冠、米クラシック三冠、ドバイWC

 

 

128:名無しのファン

 赤毛だけなんか経歴おかしくないか?

 

 

129:名無しのファン

 なんで日本から急にアメリカになってるんだろうなぁ……

 

 

130:名無しのファン

>>129 彼女はケンタッキー州生まれのアメリカウマ娘だ

 彼女がアメリカで走る事に特に疑問は覚えないが

 

 

132:名無しのファン

>>130 正気に戻れ

 

 

134:名無しのファン

>>130 大統領! そろそろ仕事へとお戻りください!

 

 

137:名無しのファン

>>130 副大統領を呼ぶぞ

 

 

138:名無しのファン

 英国のとてもすごく偉いおばあちゃんも大層お気に入りのようで……

 

 

140:名無しのファン

>>138 本スレみたいに荒れるからその話題は止めるんだ、イイね?

 

 

141:名無しのファン

 こう見るとハリケーンとダラカニ、赤毛が圧倒的だな

 

 

143:名無しのファン

 勝率を見ると1敗しかしてない赤毛とダラカニよなあ

 

 

145:名無しのファン

 ハリケーンも凱旋門と愛ダービーで勝ってるから油断できないで

 

 

148:名無しのファン

>>148 ハリケーンは以降の出走がね……

 

 

150:名無しのファン

 ぶっちゃけ怖いのはダラカニぐらいだと思うんだよなぁ

 いや、他のメンツも凄い豪華だし強いウマ娘ばかりだけど

 

 

153:名無しのファン

 圧倒的な勝率と連対率を誇ってるのはこの2人だからな

 

 

156:名無しのファン

 電気処刑人はロブロイにも負けてるしな

 ドバイWCで格付け完了してる感じはある

 

 

157:名無しのファン

 おじちゃん! そうやって何度バ券外した?

 

 

159:名無しのファン

 いっぱい!

 

 

160:名無しのファン

 おじさんの脳味噌はぼろぼろよー

 いや、まあ、1番人気が成立するパターンの方が珍しいんですが……

 

 

163:名無しのファン

 なんだかんだで赤毛って1番人気にあんまなってないからな

 前評判が悪いというかなんというか

 

 

165:名無しのファン

 前評判というか行いが悪いのでは?

 

 

167:名無しのファン

 それはそう

 

 

168:名無しのファン

 まあ、今回に関しては間違いなく1番人気やろうな

 流石にもうその強さを疑う様な奴はいないだろ

 

 

169:名無しのファン

 なんかとてもすごく偉くて可愛いおばあちゃんのお墨付きだぞ!!

 

 

170:名無しのファン

>>169 名前を言ってはいけないおばあ様、マジで業界の有識者だからな……

 

 

172:名無しのファン

 無論、ステイツの魂を宿しているCrimsonの力を我ら国民が疑うはずがないだろう?

 

 

174:名無しのファン

>>172 ホワイトハウスへお帰りー

 

 

176:名無しのファン

 そんなぁー

 

 

179:名無しのファン

 大統領とおばあちゃん、一体どこでこれほどの差が

 

 

181:名無しのファン

 普段の行いじゃないかなあ……

 

 

182:名無しのファン

 当初はプイと三冠路線で戦ってくれると期待してたのになあ

 まさか勝負の場所が凱旋門になるとはだれも思いもしないよな……

 

 

185:名無しのファン

 あれ、プイの次走は本営発表されてた?

 

 

188:名無しのファン

 リギル広報のウマッターアカウントでされてる

 宝塚→フォワ賞→凱旋門だってよ

 

 

189:名無しのファン

 皐月でつけられた土を返せるかどうか

 

 

191:名無しのファン

 ぶっちゃけ読めねぇ

 砂か土なら間違いなく赤毛なんだが

 赤毛は芝での実績が薄すぎるんだよ

 

 

192:名無しのファン

 赤毛「芝か……じゃあ洋芝行くな!」

 俺ら「ファ!?」

 確かに芝に戻ってきてほしいとは言ってたけどよ……!

 

 

195:名無しのファン

 そうじゃねぇだろ!!!

 日本の芝で走ってくれ!!!

 

 

196:名無しのファン

 

クリムゾンフィアー @crimson_fear・さっき

 

西村と色々と話し合った

KGⅥ&QE→凱旋門→BCって最強ローテの後の話

全部勝ったら引退つったけど、その前にラストランを有マにしようって話

つまり最後に止める権利があるのは日本バのみって事だ! わははは!

まあ! 3大タイトル取った俺を止められる奴が現役にいるとは思えないが??

 

5万8千件のリツイート6899件の引用リツイート7万件のいいね

 

 

198:名無しのファン

 うおおお! 燃える! ウマッターが燃える!!!

 

 

201:名無しのファン

 や っ た ぜ

 

 

204:名無しのファン

 うおぉ……暖かいよこのツイート……

 

 

207:名無しのファン

 良く燃えるウマッターだなぁ

 

 

209:名無しのファン

 はい、トレンド制圧完了

 

 

212:名無しのファン

 今世の中で最も有名なウマ娘だなぁ

 

 

214:名無しのファン

 SNSインフルエンサーもびっくりの炎上売名

 

 

217:名無しのファン

 売名なのかなぁ……してるかなぁ……?

 

 

220:名無しのファン

 アレで本人楽しそうにしてるのメンタルが異次元すぎて凄い

 

 

222:名無しのファン

 まあ、燃えてるのを眺めるのは楽しそうだよな

 

 

223:名無しのファン

 対岸の火事を眺めるのは最高の娯楽だえ

 

 

224:名無しのファン

 お、続いて新しい勝負服公開してるじゃん

 

 

227:名無しのファン

 デザインの一部を公開かあ……グランプリ連戦用の勝負服か

 

 

229:名無しのファン

 このタイミングで勝負服の更新って決戦に向けた最終衣装への衣替え感あってすこ

 

 

232:名無しのファン

 前よりもフォーマルな感じの衣装になるんかな?

 

 

233:名無しのファン

 なんだかんだでこれまで結構カジュアルな格好だったしな

 赤毛のフォーマルな格好にはかなり期待してる

 出来たらその、ドレス姿も……

 

 

236:名無しのファン

 アイツ基本男装好んでるしな……

 

 

239:名無しのファン

 いやあ、何にせよグランプリ連戦、最初の一戦が楽しみだわ




クリムゾンフィアー
 おばあちゃんと相談しながら作った最後の勝負服

大統領
 スレ内で錯乱しているアメリカウマおじさんの事をそう呼ぶ


 次回、KGⅥ&QEステークス。後短距離チャンミ魔境すぎて泣いた。


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68話 KGⅥ&QEステークス Ⅰ

 ―――当然のようにアスコット競バ場に収容できる上限まで観客は来るという見通しが立っていた。歴史上、最も注目されるKGⅥ&QEステークスが開催される。

 

 その為、競バ場のすぐ外には大量のメディアが、競バ場に入る為に歩こうとする道をマスコミが邪魔になって、その道を開ける為に銃を構えたSP達が銃をちらつかせながら道を作る。1度テロを経験しているだけあって警備の方も厳重で、銃を見せる事に躊躇がない。

 

 そんなSPの壁に囲まれる形で朝からアスコット競バ場に入るのは、ちょっとだけ滅入る。

 

 それでテンションが下がるとか、調子を落とすとかはあり得ない事だが。

 

「おはようございます、Ms.Crimson、Mr.西村。控室は此方となります」

 

 競バ場に入ると直ぐに関係者用のエリアに入り、そこからスタッフに案内されて控室へと向かう。スタッフの動きや質も非常に高い。今日はおばあちゃん―――そう、英国のとてもとても偉い人が観戦に来るレースでもある。スタッフの気合の入りようもまるで違う。

 

「それでは何時でもお呼びください」

 

 控室に俺と西村を残してスタッフが去って行く。よく見ればメニューなどが置いてあって、レースの前に軽食を頼む事も出来るようだ。ドバイの時も相当サービスの質が良かったが、こっちはこっちで別方向にプロフェッショナルさを感じる。

 

 洗練されたプロフェッショナル意識というか、徹底された仕事への姿勢みたいなものだ。日本ではソシャカススタッフがいたのになあ、こっちではそういうタイプのヒトカスの気配がない。遊びがないとでも言うべきか。或いは余裕のなさはおばあちゃんが来るからかもしれない。

 

 何にせよ、この空気に流れるピリッとした緊張感は丁度良いスパイスに思えた。控室に到着したところでソファにどかり、と座り込んで腕と足を延ばす。そんな俺のくつろぎ姿を西村は苦笑してみていた。

 

「相変わらずメンタル調整不要だなあ、君は……」

 

「神経の太さとずぶとさで生きてる女だからな」

 

 もはや精神的に無敵なのは自覚があった。レース中の精神的な揺さぶりでさえ効果を発揮しないだろう。そんな俺を相手にスタミナを削る戦術はまあ……通じないだろう。つまりこのレースも、加速力とスピードの勝負になる。

 

 ……しかし、リギルの領域を今回は使えそうにない。恐らくディーの方に本継承されてしまったのだろう。ドバイの時は状況が状況だけに引っ張って来れたが、今回はそうもいかないだろう。純粋なコンディションは今の方が上だが、出力に関してはドバイの方がはるかに上回っている。

 

 ドバイの時ほどの無茶は出来ないだろう。

 

 その代わりに、固有/領域はこの四か月間でブラッシュアップされた。後はどれだけ巧く俺がこのアスコットというターフを走るかにかかっているだろう。基本的に等速ストライドの暴力でごり押しする予定なのはそうだろう。

 

「だけど簡単なレースにはならないだろうなぁ」

 

「まあ、だろうね。君の領域をどう利用するか……という話を他の陣営も密に話し合っているはずだ。知り合い、或いはチームメイトから選りすぐりの領域を継承して挑んで来るというのは別に不思議な事じゃない」

 

 領域の前提条件緩和、同時発動の可能化。領域はウマ娘を強化する未知数の技術だ。未だにその深淵にウマ娘は迫れていない。いや、俺はその本質を理解してるけど。マジマジ。言葉にする程の事でもないけど。マジだってば。フリじゃねーから。

 

 ともあれ、領域は必殺技の様なものだ。その制限を撤廃すれば必殺技を連打できる状態になる。皆がチャンミでクリオグリにスリーセブンを積んで走らせるのは固有を発動させるタイミングをコントロールする為だ。結局最終直線で最高速度に乗せられる固有が一番強いという話だ。

 

 じゃあ、最強の領域コンボを用意して戦うね! 最高速度をマークして俺の足を消し飛ばすぜ!!

 

 ……冗談でもなんでもなく、これはそういう領域なのだ。

 

 自分の終わりを認め、そしてそれでもなお先へと進む事を選ぶ―――即ち転生の領域なのだ。

 

 だからこんなもん、絶対に出すわけにはいかなかった。全部カモメ姐さんが悪い。あの女マジで邪悪だから。三女神邪神説とか訴えてる場合じゃない。本当にやばいのはアイツだって全人類と陰謀論者には伝えたい。あの女マジでヤバイよ……。

 

「個人的に警戒しているのはエレちゃんだっけ?」

 

 俺の言葉に西村が頷く。

 

「あぁ……確かにダラカニはヤバイ。彼女はドリームに移行した所で未だに全盛期が終わっていない。トゥインクルを去った事を未だに嘆かれる程にだ。だけど……ダラカニはまだ、君の領域を経験していない。確かに情報収集で容易く判明する事実だろう」

 

 だけど、まだ経験した事がない。

 

「それに対してエレクトロキューショニストは君の領域を一度経験している。恐らく適応度に関してはこのレース、彼女が一番上だ。ダラカニよりも常に君を見続けていたあの電気処刑人の方が僕は怖いと思うよ」

 

「成程な……」

 

 俺はどっちかというと、ロブロイが一番怖い気がする。たぶん白黒も気づいてるだろうが、ロブロイと白黒って滅茶苦茶相性良いんだよね。白黒ちょくちょく消えたり現れたりしてるが、たぶん俺に渡さなかった因子をロブロイ辺りに継承してると思うんだよな。

 

 まあ、これは言葉にして伝えても意味がない。マジで継承してたら泣きながらキレるしかない。でも絶対に楽しいレースになるわ。

 

 と、そこでこんこんと扉のノック音が響く。

 

「失礼しますMs.Crimson、Mr.西村。ご学友が会いに来られ―――あ、お待ちください!」

 

 スタッフが言葉を終える前に扉が開き、知っている姿が現れる。

 

「やっほフィアー! 応援に来たよ!」

 

「ったく、少しは落ち着けよ……」

 

「ファ院」

 

 ファインモーションと子守り担当のエアシャカールが控室にやって来た。日本から応援に来てくれたらしいのか、思わず尻尾をぶんぶんと振りながら座っていたソファから立ち上がってファインと抱き合う。

 

「日本から来てくれたんだ?」

 

「うん、女王陛下にも一緒に観ないかって誘われたしね。我が国の英雄(ダラカニ)も出走するし、私が見に来る大義名分は立っているのです」

 

「オレはそのお付きだよ。テメェの領域は未知数な所が多いからデータが欲しい所だしな」

 

「シャカクゥンのそういう素直な所俺好きだよ。ねー?」

 

「ねー」

 

 声を合わせる俺とファイモの様子にシャカールが頭を痛そうに押さえる。だけどまさかこのイギリスの地で応援に来てくれる知り合いがいるとは思わなかった。一歩下がって距離をあけて微笑む。

 

「理由はなんであれ、来てくれて嬉しいよ」

 

「ま、お前に心配なんていらねェだろうがよ。勝てるのか?」

 

 挑発する様なシャカールの言葉に俺は笑って答える。

 

「最初のレースで俺が躓く? 冗談はよしてくれよシャカクゥン。寧ろ俺が聞きたいぐらいだ―――今日、この場で俺に勝てる奴がいるとでも?」

 

 真面目な返答をシャカールに返せば、チッとシャカールが吐き捨てて視線を逸らす。それをファイモが見てくすりと笑う。

 

「こう見えてシャカール、結構キミの事心配してたんだよ」

 

「おい!」

 

「限界を超えて走る事を可能とする領域……その理想は凄まじいけど、辿る結末はただ一つだって事、理解してるよね?」

 

「おう」

 

 お姫様の言葉に腕を組んで頷く。限界を超えて理想の走りをする事の代償。一戦一戦で確実に足の寿命は削れて行くのだ。それもこれまでの比ではなく、凄まじい勢いで。10年走れる筈の怪我知らずのウマ娘が1回のレースで5年分の寿命を削る様なもんだ。

 

 俺だって相当頑丈なウマ娘だ。

 

 今まで怪我もその予兆もない。

 

 だが限界を超えるというのは体を壊すという事でもある。

 

 それを今から3戦、半年以内という短いスパンで繰り返すのだ。ファイモやシャカールのように最前線で走っていたウマ娘なら解るだろう。これは決して賢い選択ではない事を。結末は絶対的な死であるという事を。自殺紛いのラストランを始めたのだろうと。

 

 果たして、今日のレースに出て、終わった後で無事に次のレースが出られる娘はどれぐらい残るのだろうか? ウマ娘は本能で走る生き物だ―――その生き物から足を奪う恐ろしさを、ヒトは理解していない。

 

「この1年、走り抜いて最強を証明する。夢ではない事を、その他全ての屍の上に立つ事で。見ていてくれ」

 

 全てのヒトに、ウマ娘の魂を焼きつくす、深紅の恐怖の姿を。

 

 今日、この日、これから、忘れられない程に刻み込む。




クリムゾンフィアー
 無論、全て磨り潰してでも勝つつもりでいる

ファインモーション
 誘われたし、純粋に心配で見に来た

エアシャカール
 データを取りに来たという名目で様子を見に来た

ゼンノロブロイ
 英雄の光輝発動


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69話 KGⅥ&QEステークス Ⅱ

 ヒトカス共は余りここら辺気にしないと思うが、勝負服は単純にウマ娘の競走者にアイドルとしての華やかさを与える以上の意味を持っていたりする。まあ、確かにURAからするとアイドル的な部分を強調する事でグッズの売れ行きを上げるという部分は確かに存在するのだが。

 

 服を脱いで下着姿になる。まずは下着を着替える。下着まで着替えるのか? という質問にはハイ、としか答えようがない。何故ならウマ娘の走行速度はヒトカスのそれを優に超える。ちゃんとした下着を付けないと、走っている時に擦れて色々と痛いのだ。

 

 だから勝負服に合わせて発注する特注の下着がある。ちなみにこれは勝負服を作るメーカーだったり職人とはまた別の所に注文している。この手の業者はトゥインクルやドリームシリーズが盛り上がった頃から爆発的に数を増やした。

 

 まあ、需要が増えてるんだから当然と言えば当然の話かもしれない。

 

 だが俺がまず装着する下着も黒にちょっとしたレースをあしらったもので―――まあ、見えない所で少しだけお洒落をするのが乙女の嗜みみたいなものだ。だがデザイン性は損なっていないのに全速力で走ってもパイポジをずらさず、それでいて姿勢や体形を崩さないように補正してくれる下着は凄く大事な事だ。

 

 この選び方で恥ずかしがるウマ娘はまあ、そこそこいる。俺も最初はちょっと恥ずかしかった。だけどレースで走っていればこの選び方がどれだけ重要なのかは解る。普通のスポーツウェアで野良レースに出た所、胸や股間周りが擦れて痛かった時期とかあるし。あれはほんと酷い。

 

 一流の騎手が一流の馬具を求めるように、一流のウマ娘はそれに見合ったバ具を求めるのだ。

 

 ブラを装着して下着を穿いたら軽く体を捻り動かし、フィット感を確かめる。レース中に違和感を感じればそれだけ脳のリソースを消費する。だからフィッティングはちゃんとする。苦手な人はそれ専用のスタッフがいるのでちゃんと声をかける事。ちなみに俺は自分で出来る。

 

 1人で出来るもんっ!

 

 下着を付けたらいよいよ勝負服の着替えに入る。いや、下着も間違いなくその一部なのだが。9割がたヒトにとって勝負服とか着ている外側のアウターの事を示すだろう。実際、勝負服のメインと言えばそっちだろう。下着に思い入れのあるデザインしてる奴とかこえーよ。

 

 ともあれ、まずは控室に丁寧に持ち込まれた勝負服を手に取る。最初に手に取るのは長袖のフォーマルシャツ。所謂ワイシャツ、レディース用なので胸の所にちょっとだけ余裕がある奴。ここを工夫しないと自分みたいに胸の大きな女性はデブに見えるからね、ちょっとした工夫がシャツに求められる。

 

 カフス付きのタイプで極めてフォーマルなシャツだ。それに袖を通し、袖のボタンを留める。首元も開けずにちゃんとボタンを締める。普段であれば首も開けて胸元もボタンも苦しいから1段ぐらいあけちゃうのだが、今回はそうならないように工夫が施されているから気にしなくても良い。

 

 そもそも全力疾走した所で息苦しくならないように設計されているのだから助かる。

 

 流石おばあちゃん紹介の御用達店だぜ! どれだけ金を積んでも仕事を引き受けない様な職人の手によって作られた王家御用達の一品、その技量には感嘆の声しか零れなかった。

 

 次にソックス、これはかなり長い奴を履く。ズボンとこの後履くブーツに隠れて欠片も見えないだろうが、ウマ娘の脚は消耗品だ。だからタイツやソックスに似た形状のサポーターを使った補強というのは珍しくもない話だ。俺もこれからのレースを考えると、これが必須装備になる。でも皆好きでしょ? ニーソ。

 

 ソックスを履いた所で今度はズボンだ。そう、スカートではなくズボンだ。フォーマリティを押し出した勝負服なのでズボンを穿く。調整の施されたズボンは走っている間に引っかかりを覚える事もなく、しかし腰から足までのラインを一切崩す事無く俺の体の魅力を引き立ててくれる。

 

 ……ロングパンツ系統で全力疾走に耐えてくれるって相当凄いんだぜ? はい、穿いた。

 

 ズボンを穿き終わったらベルトを通し、ベルトにアクセサリーを装着する。デッドウェイトに思えるアクセサリー類はアスリートであれば回避する様なパーツだろう。だがウマ娘にとって想いの込められたアイテムは重量があってもそれがウェイトとして足を引っ張る事はない。フルアーマーフクキタルとかその最たる例だろう。いや、それでもあれは頭おかしいわ。ちなみに噂によると全身段ボールの戦士が存在するらしい。

 

 ハリボテエレジー……一体何者なんだ……。

 

 金の鎖の懐中時計。短剣と鞘。ベルトのバックルは品を崩さない程度に装飾が施されている。これでブーツさえ履けば下半身は完成。ね、簡単でしょ?

 

 しっかりとシャツをズボンの中にちゃんと差し込んだらシャツの上からジレ―――つまりフォーマルタイプのベストを着る。黒いズボンに白いシャツ、そして黒いベスト。全体的に暗い色が目立ち始める格好になって来た。ベストを装着したら次は鮮烈な赤色のネクタイを装着する。これで黒の中に赤色が目立つようになる。

 

 ちなみにベストの裾、その端には彼岸花の刺繍が施されているのがちょっとしたチャームポイントだ。まあ、走っている間はそんなもん見えないだろうが。乙女は見えない所にワンポイントの拘りを加えるものだ。

 

 次は右手首に彼岸花モチーフのチャームを巻く。それからシルバーのネクタイピンでネクタイを胸元に留める。最後にコートを手に取り、袖を通すのではなく肩から掛ける―――何故か全力疾走しても落ちる気配もしない、接着されてるのかというレベルで安定するコートだ。無駄に謎な技術がこのコートの作成には注ぎ込まれている。

 

 フォーマリティを考えれば袖を通すのだろうが、こうした方がどことないらしさがあるでしょ? 完全にはスタイルに染まらないアウトローらしさを求めた結果、西村からは“着こなし方が完全にマフィアのヤバい奴”って評価された事を俺は未だに恨んでる。

 

 これにて勝負服のお着換えは完了した。

 

「終わったよ」

 

「失礼します」

 

 控室の外で待機していたスタイリストが入ってくる。ササっと立っている俺の後ろに回り込んでくると櫛とブラシを取り出して髪型の細かい調整に入る。元々が癖毛ばかりで結構無法になっている俺の髪を整えるのは至難の業だ。その結果、無理にストレートにする必要はないというのが長年の結論だったりする。

 

 だからスタイリストも派手に弄る様な事はせず、見栄えが良くなるように髪の毛の流し方や映える方に整えてくれる。なんでもその日の風向きや光の当たり方まで計算して髪を整えてくれるのだから凄いもんだ。

 

 だがそれも十分ほどで終る。俺の髪の艶はなんでも、手を入れない方が映えるらしい。

 

 そうやってアレンジされたフォーマルスタイルによる勝負服への着替えは完了され、レースを走る為の準備が終わる。軽く頭を下げてスタイリストが下がれば代わりに西村が控室の前で足を止める。その姿を微笑を浮かべて迎える。

 

「どうよ、俺の姿は」

 

「うん、綺麗だ。他の誰よりも」

 

「あんがとよ相棒……俺を走らせてくれたのがアンタで良かったよ」

 

 控室の出口へと向かえば西村が道を空けてくれる。同時に此方へと向かってきているスタッフが背筋を伸ばして口を開こうとし、それを片手で制する。

 

「パドックの時間、だろう? 今行く」

 

「は、はい……此方へどうぞ」

 

 スタッフの後を追う前に最後に西村を見る。だがもう、西村からの言葉は無い。尽くすべき事は全て尽くした後だと言わんばかりに腕を組んで微笑んでいる。俺も、かけるべき言葉は既に終わっている。後はレースの後に、優勝を祝ってもらうだけだ。

 

 かつん、かつん―――蹄鉄が床を踏む音が響く。

 

 遠くからは歓声の声が聞こえてくる。パドックに近づく度に少しずつ聞こえてくる音が広がって行く。

 

『―――番、ゼンノロブロイ。Japanで秋のG1シリーズで一気に三冠を上げた名バですね。ここ、イギリスでの評価はインターナショナルステークスでの優勝バの方が解りやすいかもしれません』

 

『調子はまさしく絶好調といった様子。思わず目を惹く程の輝きで満ちた様子、今日の主役は他の誰でもない、英雄の名を継ぐ彼女なのかもしれませんね』

 

 ひしひしとパドックの方から威圧感を感じる。誰もが最高の状態で仕上がっているのを感じる。頬を撫でる緊張感が心地よい。闘争心が体に沁み込んで燃え上がる感覚は何時味わっても心を躍らせる。

 

『さあ、そしてお待たせしました! 大外という枠に不運にも選ばれたウマ娘!』

 

 解説の興奮した声が響く。スタッフの脚が止まる。パドックへと続く道が光で満ちている。言葉もなく、パドックへと出る道を進む。

 

『だが、彼女であれば走る! まだこのイギリスのターフで走った事はないのに、それが可能である事を彼女の姿が、声が信じさせてくれる! 私も今日というレースを迎えられる事実に抑えられない程の興奮を覚えています』

 

『今日のレース、誰が実況解説をするかで軽い取り合いになりましたからね。私もしっかりと今日のレースを焼きつけて伝えたいと思います。それでは出て来て貰いましょう。全てのウマ娘に火を付けた張本人に』

 

 実況と解説による枠順と番号が伝えられ、バ道から出て身を光に晒す。

 

 アスコット競バ場に集まった観衆の声とテンションが一気に最高のボルテージにまで引き上げられる。それに応えるように右手を持ち上げて軽く横に向かって視線を向ける事無く手を振れば更に歓声が爆発する。

 

 光と歓声のシャワーの中、パドックの中心に立って見上げる。貴賓席にはファイモとおばあちゃんが座っている。それにウィンクを送る。

 

『Crimson Fear! 日本2冠、アメリカ3冠、ドバイ1冠の異例のウマ娘! G1でしか走らず、そして敗北も1度ながら絶対に入着を外さないその次元違いの強さ!』

 

『日本の芝、土、そして砂と既に強さは証明されています。これで欧州の芝にも適応すればまさしく彼岸の怪物の名に相応しいウマ娘と言えるでしょう。彼女が掲げた3大グランプリ制覇の野望、その展望がまさにこの1戦にかかってますよ』

 

『無謀……だが、この娘なら。このウマ娘ならやってくれるかもしれない……前人未踏、エクリプスの真の体現者として君臨するかもしれない彼女の夢の果て……目が離せません!』

 

 既にパドックでお披露目を終えた他のウマ娘達からの視線を受ける。話す事の出来る距離に居ながら言葉を交わさないのは、もはやそういう段階を過ぎ去っているからだ。既にこの場にいる全員がかかり気味と言えるだけの闘志を燃やしている。

 

 言葉にしてしまえばそれが無駄に口から零れてしまいそうで……必死に自制する為に誰もが黙り込んで視線だけを向け合う。

 

 そんな居心地の良い空気の中―――漸く、レースが始まる。

 

 3大グランプリの最初のレース、KGⅥ&QEステークス。まもなく出走。




クリムゾンフィアー
 耳のアクセがないのは牝馬でも牡馬でもないから

バンダナ
 まるでテーマパークに来たみたいだぜテンション上がるなぁ~


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70話 KGⅥ&QEステークス Ⅲ

 ゲートインまで言葉は一つもなかった。観客の熱狂に対し、不思議と誰も言葉を口にする事はなかった。ただ感じるのは早く、早く始めろという意思だけだった。それを感じてか観客の方もそわそわとし始める。

 

 恐ろしい程静かなゲートイン。ゲートインしてからも誰も喋らない。俺も限界まで集中力を高める為に言葉を発する事無く、ルーティーンのように呼吸を繰り返す。観客の熱狂とボルテージだけが上昇して行く中で、西村の言葉を思い出す。

 

 ―――勝負は序盤から中盤だよ、フィアー。君を止めるのはそこしかない。だからそこで潰そうとするだろうね。

 

 西村は分析していた。既にドバイで1度領域と等速ストライドの組み合わせを見せている以上、絶対に対策してくるだろうと。対策を行わない事はまずありえないだろう、だから等速ストライドによる超加速を得る前に減速させ、前に出さない。

 

 限界まで加速力を上げなければ俺の素のスピードは飛びぬけて高い訳ではないから、終盤で速度が出しきれずに差し切れる。だから序盤から中盤、加速し始めたタイミングをどう攻略するかが他の皆にとっては重要なのだ。

 

 無論、俺もそれを理解している。理解しているからこそ想定された対策に対するメタを用意してきている。勝負とは常にそういうものだ、メタに対するメタ、メタ読み、そうやって何に対して勝つのかを想定して戦術を練るのだ。

 

 それはこのターフでも変わらない。

 

「―――うっし、やるか」

 

 軽く頬を叩いて気合を入れる。自分の中で既に戦術は出来上がっている。後はどれだけそれが環境と噛み合うか、というだけの話だ。だから息を潜めて、踏み出すようにスターティングポーズを取り、そして静かに空気を読む。

 

 コンセントレーション―――バ場適応―――競バ場適応良し。

 

 数秒先の世界を直感的に捉える。雑音を排除する。踏み出す。

 

 ―――ゲートが開いた。

 

「落ちろッッッ!!」

 

 飛び出すのと同時にがくり、と体に負荷が襲い掛かる。ゲートを飛び出す前から用意されていた威圧が突き刺さってくる。流石世界最高クラスの技術力を以て差し込まれてくる威圧、たとえ精神的に無敵だったとしても生理反応は隠しようがない。飛び出した瞬間の集中状態を狙われてスタミナを削られ、前に誰かが出る。

 

 進路を塞ぐ―――いや、コースを取られる。大外を進んでいようと関係なく此方が脅威としてロックオンされている。或いは全員からロックオンされている。開始早々キツイなあ、と思いながらも唇の端が弧を描く。

 

 そう来なくては面白くない。

 

 ガンガンと前に出るダラカニ、逃げの一手は恐らくまともに競り合った時点で負けが見えるとの判断か。前にエレクトロキューショニストとゼンノロブロイが見えないのは後ろに控えたからか。どちらでも良い。

 

 開幕の流れは想定した通りだ―――継承領域を引っ張り出す。態々日本で本人に頼んで継承してきた領域だ。ターフを踏み、加速する為のストライドに入りながら領域を最初に展開する。

 

「させるかッ!」

 

 領域を展開しようとする意識の感覚に威圧を差し込まれる―――領域崩しと呼ばれるテクニックは領域を展開する瞬間を見極めて心理的な()()を差し込む技術だ。

 

 ルドルフであれば視線の一つで相手に領域を発動させることをためらわせるか、領域を使う事を考え直させるだろう。一流のプレイヤーはその動作、所作の一つ一つが戦略として練り込まれている。この段階にある崩しは必殺の域、ほぼ確実に領域の発動を阻止できるだろう。

 

 ―――それが俺でなければ。

 

 心理的な崩しを受け流す。そもそもこの精神は彼岸を歩いた者。心理的、或いは精神的な崩しに関してはどれだけの技術であろうと意味を成さない。物理的なミスディレクションの類であればともかく、

 

「それじゃあ止められないぞ―――」

 

 引っ張りだす領域の影響により砂浜が具現する。遠くから潮騒が聞こえてくる。継承された領域がその効力を発揮しようとして、後出しで領域が放たれる。轟くような落雷が迷う事無く領域に衝突してくる。此方が展開しようとするモノを砕き、阻止しようとするように。

 

 間違いない、後方にいるエレクトロキューショニストの仕業だ。放つ領域を即座に破壊して本命を引きずり出そうとしている。

 

 が―――なぜか領域は砕けない。

 

 その代わりに何時の間にか出来上がっていた砂浜にUMA共が打ち上げられた。

 

『があああ―――人が気持ち良く登場しようとしたら感電させやがってよぉ! 泳いでいる人がいる時に落雷落とすなって教わらなかったのかよオメー!』

 

『ひひーん!!』

 

「!?」

 

「!?」

 

「!?!?」

 

 領域内のゴールドシップとゴールドシップ号が当然のように喋り出した。騎乗した。走り出した。会場の観客も走っているウマ娘も誰もが困惑を覚える中、バズーカから水鉄砲を笑いながら放つゴールドシップが笑い声を響かせる。

 

『さあ、今日発動する金スキルはぁ? どぅるるるるるるる―――』

 

『ひひん!』

 

『はい、これ!』

 

 星天が交差する。季節が逆行を始める。ターフが四季に染まり狂い始める。命の答えへと向かって時は逆行を始める。空が黄昏色に染まり曙光が眩く全てを染め上げる。この世で最もおぞましく美しい景色が顕現し始める。

 

『まあ、固有も金スキルも似たようなもんだろ! じゃあな!』

 

「ふっっっざけんなボケっ……!!」

 

 誰かの怒号が響き渡る。それもそうだ。継承領域で条件を無視した領域の展開なんてウルトラCな展開、普通やろうとしてもできるもんではない。ゴールドシップ号に乗って去って行くゴルシの継承領域と入れ替わるように俺の領域がアスコット競バ場を覆った。

 

 レースのルールが書き換わる。己の脚の限界を比べあうデスレースが始まる。

 

 踏み出しと同時に氷がターフを覆う。突風が後ろから吹き出し一気に加速しだすウマ娘が出現する。加速力をデバフと共に相殺し、相手を抑え込みながら一気に体を前へと向かって押し出す。

 

 目指す姿はハナで走るダラカニ。当然のように状況を察して加速するダラカニはドリームへと移籍したというのにその走りに陰りを見せない―――いや、寧ろ更に強くなっている。初めて経験するルールの中でありながらその法則性を見出して自分の限界を超えるように走る。

 

 それを追いかけるように加速する。内を取るつもりはない。インコースを取った所でバ群に突っ込むだけだ。ハナを取るまでは、

 

「大外のみを走る、だろっ……!」

 

 歯を食いしばり継承領域を引き出す。引きずり出す。ドバイの時程の展開は出来ないが、今回はゴルシの継承領域からショートカットした影響で丸々と自前の領域が残されている。だから蓋として活用していた二種の領域を同時に発動させる。

 

 走るのは花びらのカーペット、宙には氷の粒子が舞い、走るウマ娘の風に煽られ舞い狂う。

 

「来たか、Crimson Fear」

 

「―――!」

 

 大外から一気に先団にまで上がり、そこからダラカニに追いつく。そのまま抜き去ろうとすればその横を併走するようにダラカニが加速する。アイルランド方面から相当ヤバイ領域を継承してきたのか、ダラカニの加速力が止まらない。

 

 横並びになりながらハナ争いをする。

 

 互いに向ける視線は一瞬、その一瞬でスタミナではなく速度に関する威圧(デバフ)を向ける辺り、互いに絶対に走り切るであろうという信頼が存在していた。だからほぼ肩が接触しそうな距離まで互いの身を寄せ合い―――走る。

 

 隣にいる存在に対する威圧を常に向けながら先に前に出る為のハナ争いをする。食らいつく様に前へ、前へと踏み出しながらも威圧する。だが速度は落ちない。加速し続けている。それだけのスタミナと想いを継承してきている。

 

 そう―――領域の継承とは想いの継承だ。積み重ねられた願い、祈り、想い。元々は自分の奥底にある願いを自覚し、凄まじい集中力と共にイメージに変えたものが領域の正体だ。それを振るうという事は想いを背負って走っているという事に他ならない。

 

 つまり、この満天の星と花畑の領域の中では。

 

 より、想いを背負っている方が強い。背負っている想いと己の体を燃焼させて走る。想いの重さに体が耐えきれなかった方が負ける。

 

「だから、俺のが強い……!」

 

「ほ、ざ、けっ」

 

 歯を食いしばるようにデッドヒートする。ダラカニの背負うそれはアイルランドという国の期待と重さだ。全てを捨て去ってターフへと戻って来た、その想像を絶する覚悟を軽いとさえ言えるのは単に最強という称号への想いが成し遂げている。

 

 そう、全てを燃やし尽くす最後の戦いを挑むつもりでアイルランドを背負ってきたのだ。

 

 その名に恥じるような走りは絶対に出来ない。だからこそ足が悲鳴を上げたとしても減速する事はない。普通のストライド走法だろうがピッチ走法だろうが、それでも限界まで食らいついて速度を出して行く。

 

 それが、ターフで許される唯一の行い。

 

「っ―――!」

 

 中盤を、何時の間にか抜けている。ペースが速い、速すぎる。コースレコードは当然としか言えない速度で走り続けている。コーナーに合わせて視線を背後へと掠らせれば既に3番手とは20バ身程の距離が空いている。追いつけるかどうかはもはや解らない程の距離、それでも減速せずにハナ争いを続ける。

 

 見えてくる終盤戦。感じられるホームストレッチの気配。踏み出す足を相手よりも強く、前へと出す。更に加速するように前へと踏み出せばダラカニよりも前に出られる。

 

「―――」

 

 声もなく、音を吐き出す事もなく対抗する為に踏み出された。だがそれよりも前に出る。前へ、前へ―――酷使できる体は、こっちのがより頑丈だ。そうだ、ダラカニはある一点において全てのウマ娘に対して不利を背負っている。

 

 ()()()()()()()()()()()()事だ。

 

 トゥインクルシリーズを走り終えた。それはつまり損耗の果てにあるという事だ。ドリームシリーズに行くと極端にレース数が減るのはこれ以上ウマ娘の体を酷使しない為でもある。既にトゥインクルの激闘で大いにその脚は削られている。多くのドリーム組は脚の限界を迎えている。

 

 だから、想いの比べあいと体の潰し合いに入ると自然と、限界を超えて潰れ始める。

 

「まだ、だ」

 

 それでも、声が零れる。

 

「まだだ、まだ走れる―――」

 

 それでもなお踏み出し、加速する。もはや気力が肉体を凌駕している。その状態で全盛期以上の力を振るって走っている。体を壊しながら前へと進んで行く。だがそれを超える加速力を身に着けたこの体は、

 

 無情にも、ハナ争いを奪って前に立つ。

 

 ―――そしてそれをずっと待っていた影が迫って来た。

 

 最後方に控え、この瞬間までずっと後方で窺いながら待っていた姿は限界までスタミナを温存し、その全てをラストスパートへと捧げて加速してくる。ターフを、風を、アスコットの空気を急加速と限界突破した速度で一気に流星の如く駆けあがってくる。届く、その姿は絶対に届くと感じていた。

 

 そう、そうだ。この2人は俺の事を良く知っていた。片方は既に1度走っている。もう片方は密な交流があった。だからこそ良く知っている、最速で先端を走る姿に追いつくには、究極の末脚で差し切る以外の選択肢はないという事を。ダラカニが間違えたのはその一点のみ。

 

 この領域に対する無経験から来る致命的なミス。

 

 だからこそ、誰よりも理解する2人はその選択肢を絶対に外さなかった。

 

「騎士達の王、勇気を胸に、私の道を―――切り開いてッ!」

 

 黄金を纏った英雄の剣が振るわれる。暗雲が切り払われ、領域そのものが切断される程の衝撃が走る。ターフを走っていたウマ娘達は本能的にその一振りを恐れ、道を開けるように左右に別れる。本当に一瞬の出来事だった。即座に正気に戻るよりも早く。

 

 英雄の名を持つウマ娘と電気処刑人の姿が上がって来た。黄金の斬撃が生み出した軌跡を、相乗りする形で上がって来た電気処刑人は極限まで賢く、そして正しい選択肢を取った。

 

 何故ならこの瞬間、ゼンノロブロイの軌跡は無敵に等しかった。その瞬間、抜け出したスピードスターの存在を捉えられる姿は存在しなかった。継承された因子を燃焼させ、英雄としての光輝を纏い一直線に最短のコースを駆け抜けてくる。

 

 上がってくる。追われている。追ってくる。

 

「はは―――」

 

 それがどうしようもなく楽しく命を燃やすように脚を酷使する。限界はまだまだ先だ。まだ体が壊れそうな感触はしない。引きずり出し、継承した領域を。スピカの部員たちは全員話を付けて納得し、協力してくれている。だから問答無用で彼女達の領域なら使用出来る。

 

 それを全て使ってスピードを限界まで引き上げる。走法の妙で速度の上限を超えて更に加速する。それでも決戦を迎えて限界を踏み越えたゼンノロブロイの姿が上がってくる。

 

 上がって―――抜いて―――並びに来る。

 

 ダラカニを抜いて、ゼンノロブロイが迫ってくる。狂おしい程に楽しそうな表情を浮かべ、それでも脇役にはなりたくはないというエゴイズムを掲げて再び、領域による騎士王の剣が振るわれる。領域という形での王権の行使だ、このイギリスの地で最も恐ろしい領域だと言えるだろう。

 

 それが俺の領域の影響によって防ぐことも出来ずに振るわれて、直撃する。スタミナと速度をごりっと削られるのを感じながらも、持っているスタミナを全て燃焼して脚力へと注ぎ込む。

 

 ドバイの時は走っていた。ただ加速しているだけで前に出て自由に走っていた。

 

 だがここでは違う。対策、覚悟、限界突破。全ての手段で差しに来ている。

 

 そう―――俺は今、全力で追われ、逃げている。

 

 全力を駆使してもなお食らいついてくる姿に笑い声が零れそうになる。いや、実際に笑い声が零れているのだろう。後ろから上がってくるゼンノロブロイが怖い。怖いから楽しい。今日最強のウマ娘は間違いなく彼女だ。継承された因子、調子、そして競バ場との相性、その全てが完全にかみ合っている。白黒のカス共め、最高の仕事をしてくれるじゃないか。

 

 見えてくるゴールライン。ホームストレッチに入って限界を超えて速度は出ている。だが追い込んでくるゼンノロブロイの姿が直ぐ背後にまで上がってくる。5バ身―――4バ身―――3バ身―――。

 

「それ、でも」

 

 息を吐く。テイオーの領域を引っ張りだす。奇跡を象徴する不死鳥の羽が舞い降り命を体に巡らせる。踏み込む力を一段と強くする。嫌な感触を足首に感じる。それを無視して真似が不可能とさえ言われたその独特なステップを再現した。

 

「絶対とは、この俺の事だ」

 

「ああああああああああぁぁぁぁぁぁ―――!!!」

 

 1バ身。

 

 距離は縮まない。

 

 互いに速度は最高をマークする。それでも距離は縮まない。

 

 ―――そのまま、差は縮まる事無くゴールラインを切った。




クリムゾンフィアー
 勝負服のコンセプトは喪服

ゴールドシップ
 この後ゴールドシップ号に乗ってスピカ部室に帰った

ゴールドシップ号
 ふふ、来ちゃった


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71話 KGⅥ&QEステークス Ⅳ

 ―――足首の一瞬の違和感は本当に一瞬だけで消えた。

 

 蹄鉄の裏でターフを踏む感覚で軽く探りを入れる。だがゴールの直前に感じた感触はもう、なかった。小さく誰にも見えないように息を吐き、垂れてきた汗が目に入りそうになるのを払う。気づけば汗だくになっていた。着こんでいる様に見えて実際の所は風通し良く設計されているだけにこれだけの汗を掻くのはそれだけのパフォーマンスをしたという事の証明だ。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ―――」

 

 ドバイの時の余裕は一切ない。全力で走り切った。それでいてここまで迫られた。俺が不甲斐ない? いいや、違う。誰もが本気だった。そして俺に匹敵するだけの才能と実力を備えていただけだ。それが最高の状態で発揮できれば、当然このような結果に行きつく、それだけの話だった。

 

「ふぅ―――勝ったわ」

 

 息を吐き、呼吸を整えながら呟く言葉に、

 

「はい、負けました」

 

 ロブロイが応えた。視線を向ければ眼鏡が少しずれて息を荒らげているロブロイの姿が見える。大きく酸素を求めて息を呑み込み、目を瞑って堪える。悔しそうな表情を浮かべ、だけどそれを言葉にしないように必死に抑え込んでいるのが見える。

 

「ぅぅ……やっぱり悔しいですっ!!」

 

「はっはっはっはっは! 俺の勝ちだかんな!」

 

 でも最後に堪えきれず思いっきり言葉にしてしまう辺りが可愛い。拳を握ってぎゅ、っと抑え込みながら言葉を口にするロブロイの表情には悔しさがありありと見えている。そうやって悔しがってくれると俺も最高に楽しいからありがたい。遠慮なく自分の勝ちを祝えるというもんだ。

 

「作戦は完璧だった……付いてこれなかったのは自分自身の能力、か」

 

 それに反してエレクトロキューショニストは片手で真面目な表情を浮かべる自分の顔を押さえ、ぼそりと先ほどのレースの反省を行っていた。冷静に何が悪かったのかを洗い出し静かに考える姿には普段のおちゃらけた態度が一切見えない。彼女には或いは、次のレースが既に見えているのかもしれない。

 

「Crimson Fear」

 

 名を呼ばれて、振り返る。ダラカニが此方に向かって歩いてくる。すぐ前にまでくると、ダラカニは此方の手を取った。

 

「―――ありがとう。ここまで悔しく、そして爽快な気分で走れたレースは今までになかった」

 

 目の端から僅かに涙を流すダラカニはそれを笑みを浮かべて言ってくる。トゥインクルを去った筈のレジェンド、これから先の全てを捨て去ってでも走ろうとしたレース。それを走り抜いた先で彼女が何を見たのかを俺が理解する事はないだろう。

 

 ただ、それでも最後まで全力で走り抜いたその強さに、敬意を抱く。両手でダラカニの手を握り返す。

 

「此方こそ、楽しいレースでした。今度はストリートや裏レースで勝負しましょ」

 

 俺の言葉にダラカニは驚いたような表情を浮かべてから頷いた。

 

「ああ、次はまた別の舞台で」

 

 そう言ってダラカニは握った俺の拳を観客に見えるように高く掲げた。それに合わせて観客からの声が爆発する。祝福する声が咆哮に混じって何を言っているのかがまるで聞こえない。だがこのイギリスの地で、最も価値のあるレースを制したという事実だけは確かだった。

 

「はは、勝った……勝ったぜ、おい」

 

 未だに夢を見ているような気分だ。だが体に感じる疲労感も、そして胸を確かに満たす達成感も全て現実だ。そう、俺は今、歴史を塗り替えている。この世界の中心に立って自分という存在を決して忘れられぬ傷跡として残している。それが歴史を作るという事だからだ。

 

「俺の……勝ちだッッッ!!!」

 

 吠えるように観客へと向かって勝利宣言を行えば祝福するようにバ券が空を舞う。花弁のように舞い上がって降り注いでくる景色に満面の笑みを以て応えた。

 

 

 

 

「―――さ、足首を見せて」

 

「Moo……」

 

「ラオウみたいな顔をしてもダメ。はい、座って。足首見せて」

 

 表彰とライブに向けた準備と休憩の為に一旦休憩室に戻ると、有無を言わさず西村に椅子に座らせられる。

 

「最後、速度を維持するのにテイオーステップを使ったでしょ?」

 

「使った。あの場面では一番有効な手段だったから」

 

「少しは申し訳なさそうな顔をしてね? 前にも言ったけど君とテイオーでは体のつくりが違っていて、ステップは事実上再現不可なんだ。ムリにやろうとすればその分体を壊す事になるんだから……良し、軽く負荷はかかっているけど抜ける範囲だね」

 

「いやあ、悪い悪い」

 

 げらげらと笑っていると少しだけ怒った表情の西村に視線を向けられる。少しだけ……本当に少しだけ申し訳なさを感じるので、視線をそらして口笛を吹く。そんな俺の様子に呆れて西村が溜息を吐く。

 

「フィアー、これで君が領域を使って走るのは2回目だ。順調……と言うのもおかしな話だけど、君の脚はこれまでで一番削れている。そしてまだ凱旋門とBC、有マが残ってる。本気で走って勝つつもりなら余計な負荷を脚に与えてる場合じゃないんだ。解るよね?」

 

「……おう」

 

「このことに関しては余り小言を言わないよ。これだけだ。既に君がその領域を使って走る事を認めたんだ。これ以上君を止める事が僕にはできない。君と同じ夢を見る事を選んだ共犯者だからだ―――だけど選んだ以上は最後まで走り抜け、クリムゾンフィアー。僕が君に言うのはそれだけだ」

 

「解ってる、解ってる」

 

 西村の言葉に頷いて、軽く息を零す。靴を脱いで靴下も脱いで晒す脚を西村に任せてマッサージして貰う。特に酷使したばかりの足首を重点的に。テイオーのアレはテイオーの体だからこそ成立する奇跡なのだ、同じことを俺のパワー重視の体でやろうとすれば足首が月まで吹っ飛んでしまうだろう。

 

 まあ、今回は幸い最後のストレッチで少し使う程度だったから反動はほぼなかったが。咄嗟の判断としては最悪な部類だった。ここは反省しなくてはならない点だろう。

 

「反省会が必要だなぁ」

 

「流石にそれは翌日にね。今日はこの後ライブが待ってるし、女王陛下直々に授与されるし」

 

「おばあちゃん、一緒に居すぎてなんか授与されるって感覚がよお……」

 

「言いたい事は解るけど……解るけど凄く名誉なことなんだからね? 数える程度しか授与された人はいないんだからね? ある意味で君の勝負服そのものがそういうグレードのものなんだけどね……」

 

 いや、まあ、うん。解ってはいるけど愉快なおばあちゃんというイメージが抜けきらない。あの人、ウィンザー城にいる時は中々お転婆だったし。勝負服のデザインを相談している時も凄いノリノリであーだこーだ言ってたし。話していると凄い面白いおばあちゃんなんだよね……引退したらウチに所属しない? とか滅茶苦茶誘ってくるし。

 

 引退後はどこかのトレセン学園で後輩に指導かあ、ちょっと想像がつかねえわ。今はまだ引退した後の事を考えるのは早いし。

 

 それにこの次は凱旋門だ。ついに皐月以来のディーとの対決。心が躍らないわけがない。とはいえ、同じ手段に頼って走っていては二流だ。戦術はそのまま、武器を新しくする必要があるだろう。

 

「……良し、応急処置終わり。これでライブも大丈夫だろう。新曲、ちゃんと頭の中に入ってる?」

 

「大丈夫。ソロ曲を貰えるとは思わなかったけど。振り付けも完璧よ」

 

 立ち上がってたたーん、とステップターンとポーズを決める。それに満足げに西村が頷いた。

 

「良し、それじゃあ先に授賞式だからそっちに向かおう」

 

「それが終わったら打ち上げして反省会だ」

 

 心地良い疲労感を感じつつ靴下と靴を履いて背筋を伸ばす。

 

 まずは―――1冠。




クリムゾンフィアー
 活躍しまくったのでソロ曲を貰った。ライトハローがちょくちょく訪れては指導してた

ライトハロー
 当然のごとく西村を狙ってる

おばあちゃん
 割と本気で勧誘してる

エレクトロキューショニスト
 まだ、まだ終われない。正史のその向こう側へ


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72話 もう終わりだよ……

 それからすぐにイギリスを出るという事はなかった。

 

 おばあちゃんに滅茶苦茶惜しまれたというのも事実の一つだが、それ以上に徹底してKGⅥ&QEステークスの疲れを抜く必要があったという点がある。ムリなレースではないが、無茶な走りはした。その影響で大きく負荷が脚にかかっていた。

 

 何度もやっている話だが、ウマ娘の脚は消耗品だ。トップレースで走るウマ娘の脚は1レース走る度に目に見えるレベルで削られて行く。限界を超えた走りで寿命を使い切る事だって。それほどにレース中にかかる負荷は練習でかかるものの比ではないのだ。

 

 そういうことで脚のケアを優先して更に半月程イギリスに滞在した。そこで色々とレースを走った娘達と交流してから別れ、飛行機に乗ってイギリスからフランスへと向かう事になった。

 

 イギリスの滞在はファイモ殿下のコネを使ってウィンザー城になぜか寝泊まりする事になったが、フランスの方は普通にトレセン学園に留学する形で逗留する事になった。諸々の準備はMI6の兄さんがやってくれたらしく、特に困る事もなくイギリスを出る日が決まった。

 

 白黒に軽いローキックを叩き込んで名残を惜しみ、イギリスを去る。

 

 ここ数年で慣れてしまったファーストクラスでのフライトを楽しみ数時間。

 

「―――ここがシャンティイトレセン学園かぁ」

 

 ウィンザー城での生活が数か月間も続くとヤバイグレードの生活に慣れ切ってしまったかと思ったが、空港でリムジンタクシー拾ってシャンティイトレセン学園へと向かう事に寧ろ安心感を覚える感じ、庶民の感性が抜けてない事に安心感を覚えた。やっぱ王宮暮らしは駄目だよ。

 

「流石フランス最大規模のトレセン学園……府中よりも大きいね」

 

「だなぁ」

 

 リムジンタクシーから降りると護衛していたSPの人たちがタクシーから荷物を降ろして運んでくれる。流石にイギリスを出ても護衛が必要であるという立場に一切変わりはない。寧ろ世界的なグランプリを一つ達成した事で俺のウマ娘としての価値は更に上がっている。

 

 何せ、芝とダートの両方で世界的なG1を制したのだ、世界的な評価も中々ヤバい部類に入ってきている。実はSPの数も前よりも増えていたりする。そんなSP達を連れてシャンティイトレセン学園の校門をくぐると、白いワンピース姿のウマ娘が待っていた。

 

「待ってたわよ、フィアーちゃん」

 

 俺は歓迎するように微笑む大邪神シーバードに向けて中指を突き立てた。秒で人の中指を掴んでそれを折り曲げてこようとする西村に意地で対抗しながらぐぬぬと敵意たっぷりの視線をシーバードへと向けるが、それすら楽しそうに受け止めている。

 

「ふふ、私今はここで理事をしてるのよ? だから迎えに来て上げたの」

 

「チェンジで」

 

「さ、此方よ。トレーナー用の部屋と貴女の部屋はちゃんと用意したから荷物を運んでもらいましょう? 細かい話は一旦腰を落ち着けてからの方が良いでしょうし」

 

「ありがとうございます……それじゃあフィアー、迷惑をかけないようにね?」

 

「善処する」

 

 手配に従い西村が自分の部屋へと向かい、俺が大邪神と残される。

 

 ……にこりと微笑む大邪神の言動に違和感はない。

 

 まあ、フランスURA……フランスギャロって呼ぶんだったか? 詳しい話は良く知らないが、そこでトレセン学園の理事長をやってるなら流石におかしな事をしてはこないか。ドバイの夜、この女が俺の心を抉って来たことは絶対に忘れない。マジで忘れないからな。この領域は一生封印するつもりでいたのに。

 

 ジトリ、と睨んでいる間にもシーバードの指示の下、SP達が荷物を宿泊先へと運び込んで行く。何時までも睨んでいてもしょうがない、と溜息を吐いて大人しくシーバードの案内に従う。シャンティイ学園内には日本中央トレセン同様学生寮が幾つか存在している。

 

「当然、シャンティイでは複数の留学生を抱えているわ。アメリカからも、イギリスやイタリアからも……いろんな国のウマ娘がフランスでのレースを目指して走るわ。だからそれに合わせて留学生用の寮も用意してあるの」

 

「無駄な軋轢を生まない為に?」

 

「えぇ……だってほら、ウマ娘って基本的には繊細でしょ?」

 

 考えてみればシーズンになると色んな国から色んな国籍のウマ娘がやってくるのだ。それに対応する為にも留学生を隔離する為の寮は必要なのかもしれない。特に凱旋門のシーズンとか敵意とか殺意が飛び交っているだろうし。

 

 そういう意味では留学生用の寮というのは合理的な作りなのかもしれない。案内されている間、通り過ぎるウマ娘達から嫌に熱のこもった視線が向けられている気がする。ちょっとだけそれが嫌でサングラスをかけて目元を隠す。赤毛で誰かは直ぐにバレるんだけど。

 

「あら、注目されるのは嫌い?」

 

「嫌いって程じゃないけど好きでもない。レースで勝った時に目立つのは好きだけど」

 

 あの時は最高に気持ち良くて脳内麻薬どばどばどばぁ―――!! って感じで最高にハイになってるから特に気にならないんだけど。やっぱ最高に俺がカッコいいと思う姿になってレースを走るのはちょっとだけ恥ずかしさがある事だと思う。ちょっとだけ。今では慣れた。

 

「ふふ……でも貴女は増々注目されるようになると思うわよ。既に滞在中に貴女の取材を申し込みたいってフランスメディアから申し込みもあったし」

 

「全部断りてぇ」

 

「良いわよ、別に。私が断ってあげる」

 

 にこり、と微笑んでカモメが微笑む。加齢を一切感じさせない美しさは全盛期を迎えたまま時が止まってしまったのじゃないかと思う姿をしている。その笑みに魅入られる者は決して少なくないだろう。表面上は美しいだけなのだろうから。

 

 だがその目、だ。目がまともに生き物を見ていない。その強さのみを瞳で捉えている。そしてそれでしか他者を区別できていない。この女にとって強さを持たぬ存在はまさしく名前というタグのついた有象無象でしかないのだろう。

 

「取材とか、邪魔でしょ? 私も解るわ。そんな時間があるなら自由でありたいものね」

 

「理事がそれで良いのか」

 

「良いのよ。ここで一番偉いのは私なんだから。干せるものなら干してみなさい。それで職を失うのはどちらかしら?」

 

「やっぱこのカモメ邪悪だよ」

 

 俺がこの女を苦手とする理由の大半は、俺が必死に取り繕い、人間らしく振舞う為に纏っている全ての装飾を無駄だと切り捨てている事だ。この女は根っこの部分で俺と似たような生き物だ。ただし、俺は取り繕う。この女は一切取り繕わない。その点だけが違う。

 

 だからこのカモメに対しては嫌悪感の方が強い。その強さに対する尊敬はするが、嫌いだ。

 

「見えて来たわよ、寮。こっちよ」

 

 ふわふわとした足取りで先導するシーバードに付き添って寮に入って行く……流石フランス最大のトレセン学園だけあって土地も建物も大きい。日本の奴も相当大きかったが、此方の方がもっと大きいのは単純に需要の違いから来るのだろうか。

 

 シーバードが寮のロビーを抜けてエレベーターに乗るのを追いかけ、そのまま上の階へ。

 

 エレベーターのある寮って中々凄いな……と思いながら廊下を抜けた所の扉の前で立ち止まる。ポケットからカードキーを取り出し、それを手渡してくる。

 

「はい、これが貴女のルームキーよ。学食の利用にもこれが必要だから無くさないようにね。無くした場合は……そうね、私の個人的な楽しみに付き合ってくれたら再発行してあげようかしら?」

 

「命に代えてでも絶対に無くさないようにするわ」

 

 ルームキーを受け取り寮の扉を確認する。ドバイのホテル同様、カードキータイプのロックだ。鍵を近づけてぴっ、と電子音を鳴らすと鍵が外れて扉が開けられるようになる。

 

 がちゃり、ノブを握ると音が鳴って扉が開く。

 

「―――あれ、誰、ですか……?」

 

 と、扉が開くのと同時に部屋の奥から人の声がした。止めるまでもなく扉が開ききり、その奥にいるウマ娘の姿が見えてきた。ベッドに腰かけているウマ娘は漆黒の毛を持った、背が低めの少女の姿で……良く、見覚えのある娘だった。

 

 その姿は数秒程俺の姿を目撃するとフリーズし、次の瞬間にはわなわなと震えだす。

 

「あー……そっか、フォワ賞に向けて入寮かぁ」

 

「―――くーちゃんっっ!」

 

 飛び出すようにベッドの上からはじけ飛ぶディープインパクトの姿が俺に抱き着いてくる。ずがん、という音を寮内に響かせるの衝撃を巻き起こしながらその姿を受け止める。ごふっ、と血反吐を吐き出しながら静かに視線をシーバードへと向ければ、微笑みが返って来た。

 

「この方が貴女もこの子もやる気が出るでしょう? ……それが嫌なら私の部屋でも良いのよ? この学園で一番豪華で過ごしやすい部屋になってるし」

 

「ご配慮くださりありがとうございますッッ!!!!」

 

 キレ気味に叫びながら尻尾をぶんぶん振り回して胸に顔をぐりぐりと押し付ける相方の頭をどうどうと撫でた。

 

 シャンティイでの生活、大丈夫かなぁ……これ……。




クリムゾンフィアー
 カモメの視線が湿度高すぎて危機感を覚えてる

ディープインパクト
 やる気が上がった。スピードが20上がった。パワーが20上がった。

シーバード
 自分の部屋に連れ込めなくて残念って顔をしてる

西村
 最近ハニトラが露骨になって来たなあ、って顔をしてる


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73話 やっぱりもう終わりじゃん……

「おはようございます、Crimsonさん」

 

 ぺしぺしぺし。

 

「おはおは。今朝は重めに?」

 

「えぇ、今日はレースに向けて追い込みをするので少し重めに」

 

 ぺしぺしぺし。

 

 ちょくちょく朝食で会う娘の前には山盛りのパンが見える。パンというかサンドイッチだろうか。普通のフランス人は朝食は軽めにしてパンを食べるのが習慣だと聞いているが、ウマ娘は体が資本だ。朝食をパンのみで済ませるという事は出来ない。

 

 だから色々と栄養に考慮したサンドイッチと、サラダと、スープ。おかわり自由。それを凄い勢いで吸い込んで食べるのはまあ、どの国もウマ娘は変わんないんだなあ……ってのを思わせる。俺も実際、割と喰う方なので気持ちは解らなくもない。

 

「Crimsonさんも10月は凱旋門賞でしたでしょう? 応援していますわ」

 

 ぺしぺしぺし。

 

「サンキュー。昔から走りたいと思ってたレースだけに今から楽しみだよ。んじゃ朝飯を食うか……」

 

 のっそのっそと俺は歩く。左半身を両手脚でコアラのように引っ付いて離れないディーを引き連れながら。奇怪に見えるこの光景を見て何のリアクションも取らない辺り、世界有数のトレセン学園であるシャンティイではこの程度の光景は珍しいものでもなんでもないらしい。

 

 ふふ、怖くなって来たぜ……。馴染めるかなあ……。

 

 とか悩んでたけど実は秒で馴染んだ。

 

 

 

 

「お久しぶりっす、東条トレーナー」

 

「久しぶりね、クリムゾンフィアー。今の貴女を見ているとやっぱりあの時アイツをターフに埋めてリギルに入れた方が良かったと後悔してるわ」

 

「ターフに埋めた所で沖野トレがダメージを受けるとは思わないんですけどね」

 

 ちなみに数日前にアップロードされたパカチューブの動画ではゴールドシップ号と戯れるスピカの姿がアップロードされていた。ゴールドシップ&ゴールドシップ号によるダブルライダーキックを受けて爆散したはずなのに無傷で起き上がってくる不死身の姿にはもはや恐怖しか覚えない。というかゴールドシップ号そろそろ正史世界に帰りませんか? どうして生身でこっちにいるの? ねえ……。

 

 というか動画配信される馬の姿って旧支配者を生放送で世界配信してるのと同じような行いだと思うんだけどそこら辺どーなんだろ。まあ、いいや。

 

 シャンティイ学園の練習用に確保しているターフの一角に日本組で集まる。シャンティイ学園の保有する敷地面積は非常に広く、練習用に使えるグラウンドやターフの類も複数存在している。俺がVIP扱いなのかこれが遠征組に対する配慮なのかどうかは解らないが、割とあっさりとターフを丸ごと一つ使わせて貰えている。

 

 割とありがたい話だが、あのカモメの事だから普通に贔屓してそうなんだよな。

 

 久々に着る日本トレセン学園の体操服姿でディーと組んで柔軟する。フォワ賞までは基本的に俺とディーで組んでトレーニングする事になるだろう。戦術や思想は別として、すでにお互いに隠せるような情報は存在しないのだからバラバラにトレーニングするだけの意味がない。

 

「ぐにゃあ」

 

「よいしょ」

 

 開脚して芝に倒れ込むと、背中をディーが押してくる。たっぷり数秒間開脚したら脚を閉じて、今度はディーの開脚を手伝う。当然ながらこれで苦労する様な事はない。何年もかけてここら辺の柔らかさは当然のように手にしている。ぐにゃりぐにゃり。

 

「くーちゃん、重いー」

 

「そんな事ないよー。重くないよ。尻の軽い女だよー」

 

「それはそれでどうかと思うよ僕は」

 

「学生がそういう言い方をしない。特に貴女は海外メディアも凄く注目しているのだから、失言一つで日本の品位まで疑われる立場なんだから」

 

「うす」

 

 東条トレに怒られた。イイ感じに体がほぐれてきたので柔軟を止めて立ち上がる。

 

「でもよお、東条トレーナー。俺のウマッターついに特に何もしてなくても自称有識者とか自称知り合いとかが勝手に燃やしに来るから面白い事になってるんだけど」

 

「有名税よ。ルドルフだってぱかライブに出る度に炎上してるわ。もう貴女ぐらいの知名度になると正しくてもそうでなくても勝手に炎上するものよ。諦めなさい。表向きの広報用のアカウントと、身内で使う為のアカウントで分けるべきね」

 

「やっぱそうなっちゃうか……」

 

 まあ、なんだかんだでウマッターって宣伝や交流以外では不便だから、身内でチャットするならディスコードになっちゃうんだけどね。アレだと画面共有とかで一緒にゲーム遊びやすいし、外の連中がサバに勝手に入って来れないし。身内だけでやる分ならディスコードで良い感じはある。

 

「ディー、芝慣れたー?」

 

「まだー」

 

「そっかー」

 

 ちょっと下がってから軽くステップを取ってディーから距離を取る。何をしたいのかを察したディーが真っすぐにこっちに向かってくるので横に跳んで回避する。上手く速度を殺したディーがそのまま鋭角に曲がって此方へと向かってくるのを両手でぱんぱんと叩きながら誘導して回転、回避する。

 

「へいへーい! こっちだへーい!」

 

「くーちゃん、待ってー」

 

「待たなーい」

 

 リズミカルにステップを取りながらなるべく走らないように逃げる。それを追いかけるように瞬間的なスプリントを繰り返してディーが追いかけてくる。洋芝の上でちょっとした鬼ごっこだ。普通にトレーニングするのも良いのだが、人数ある時にやるこれ、割と楽しいんだよね。

 

「えい」

 

「たぼぼ」

 

「むん」

 

「ふんぎゃろ」

 

 手を叩いて誘導しながら追いかけて来るディーの動きに少しずつ熱が籠り始める。最初は緩めにやっていた鬼ごっこも追いつけないと段々と表情が真剣に、視線が鋭くなって行く。変わって行く気配に俺も少しずつ笑みを深めるように滲ませて行く。段々と加速するスプリント、加速し始めるターン、そしてその間にも感じるターフの感触、

 

「熱を入れ過ぎないように」

 

「ういー」

 

「はーい」

 

 と、熱が入り切る瞬間に西村の声が熱を断ち切った。乗り切る瞬間を狙ってやったのだとしたら、良くやったとしか言えないタイミングだった。逃げていた脚を止めると、ディーがとん、とぶつかる。

 

「捕まえた」

 

 両手を回してくるディーから視線を外して西村と東条トレーナーへと視線を向ける。

 

「別にプライベートの関係にまで口を挟む気はないわよ。貴女たちはそれとレースを切り離して走れるタイプだし」

 

 出来たらもうちょっと強めな言葉が欲しかったなあ、と思いながら西村のコメントを待っていると、真面目な顔をしてタブレットを眺めている西村の姿が見えた。滅茶苦茶眉間に皺を寄せている姿に何かやばいもんを感じる。

 

「どうしたの?」

 

「いえ……東条さん、これ……」

 

「……」

 

 西村に促されてタブレットを覗き込む東条トレーナーまでが黙り込む。ディーと視線を合わせて首を傾げ、回り込む様にタブレットの中を覗き込む。

 

 ―――そこにはレジェンドレース開催と書かれていた。




URA
 ドリーム組があまりにも煩いから合法化した


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74話 百合の間に挟まろうとする者を全自動で抹殺するSPさん

 そもそも前々からトゥインクルvsドリームという構図を見たいという意見は多かった。ドリームトロフィーへと進出する条件は決して簡単ではない。それなりの人気か、或いは功績を上げたウマ娘だけが走る事を許されたリーグなのだ……一種のレジェンドの集いとも言えるだろう。

 

 だからこそ挑みたくなるというのがウマ娘だ。ただドリーム組の多くは本格化を終えた者が自分の肉体を維持するのに専心してたり、或いは緩やかに能力を落としている時期に入ってたりする。無論、ちょっとしたミラクルを起こせば全盛期ぐらいのスペックには戻せるだろう。ダラカニがそうだったように。

 

 だが基本的にフィジカルという点においてドリーム組はシニア期に入ったトゥインクル組にはやや劣り、回復や調整の事を考えてマッチするのは難しいとしていた。まあ、半卒業組なのでレース数は当然絞るしその後の進路を考える時期でもあるのだから。

 

 だが、新しく開催されるレジェンドレースはそのドリームとの対決を許すシステムだった。

 

 URAに指定されたレースに投票されたドリーム組が参戦権を得られるというシステム。つまり、ダラカニの様な無茶をせずとも投票次第ではレジェンドと対決できるというシステムをURAが打ち出してきたのだ。恐らくはドリーム組の圧力に屈したのと……二度とダラカニのように全てを捨ててでも走るという覚悟を持ったウマ娘を出さない為に。

 

 アレは裏話、アイルランドから圧力があったとか。

 

 そういうことでURAは幾つかの国のレースをレジェンドレースとして指定してきた。それで当然ながら俺にも関わりのあるレースがピックアップされた。

 

 BCクラシックと有マ記念。俺が走る事を公表し、そして多くのウマ娘が殺し合う為に出場を求めるレース。

 

 ―――王者の祭典に、堂々と伝説が凱旋する。

 

 なお凱旋門は駄目だったらしい。世界最高の舞台に既に現役を降りた連中が出て来るんじゃない、とか一部からキレられたのが原因だとか。まあ、そりゃそうだ。ただ少なくとも目標となるレースにドリーム組の参戦が決まった。

 

 俺の号令に、世界が徐々に変わり始めていた。

 

 

 

 

 まあ、そんな世間をガン無視して俺はディーとデートに出ていた。レースに出てくるなら全力で叩き潰すというだけの話なので、ロートル共がえっちらおっちらターフに戻って来てもお婆ちゃん大丈夫? 負けていく? そっかぁ……ってなるだけの話だ。相方とデートする方が100倍大事。

 

「ルーブル美術館やばかったな」

 

「う、うん。ウマ・リザ、本物を初めて……見ちゃった」

 

 ディーが興奮にちょっと拳を握っている。解る。超解る。こう……絵から感じるエネルギーというものがまるで違っていた。展示されている美術品の一つ一つから言葉に出来ない様なエネルギーを感じ、感性を刺激された。

 

「美術鑑賞とか趣味じゃないなあ……とか思ってたけど実際に見てみると凄かったな」

 

「うん……!」

 

 2人でルーブル美術館を前にきゃっきゃ喜ぶ。イギリスでもティンタジェルを観光してきたので、当然フランスではパリ観光だ。今も少し離れた所で見守るようにSPがいる。流石にSPを放置して外に出かけるという事は不可能なのでまあ、仕方がない。ただこうやってディーと2人で出かけられるのは本当に久しぶりの事だ。

 

 お蔭でさっきからギュイーンと音を立ててディーのやる気と体力と体力上限が上がり続けている気がする。まあ、俺も久しく摂取できなかったディー分を摂取できているのでお相子という事で。

 

 ルーブル美術館を出た俺達は特にプランらしいプランを持つ事もなく、ぶらりとパリの街並みを歩く事にした。ルーブル美術館にまず行ったのは寮の娘に人生で一度は訪れて欲しいから、と言われたから。お勧めされるがままに行ってみたがアレはマジで後悔する事のない経験だった。

 

「建物、どれも古そうで、雰囲気あるね」

 

「この手の観光都市って景観維持を頑張ってるらしいからなあ……あ、ケバブ屋なんてあるぞ!?」

 

「あ、ほんとだ……良い匂い」

 

 朝ごはんもそれなりに食ってきているのに匂いを嗅ぐだけでお腹が空いてくる。さっきはベーカリーによって焼きたてのカリカリふわふわクロワッサンを食べたばかりだというのに。匂いに釣られるように一瞬でケバブ屋に乗り込み、目の前で生地と肉を焼くところを見て、両手にケバブを持って店を出る。

 

 口の中に溢れだす異国の味に舌を喜ばせながらパリをディーと共に歩く。今更な話だけど、

 

「俺、最初の頃はディーを見てもう無理だ……って思ってたんだよなぁ」

 

「えー?」

 

 ケバブをはむはむと食べながら疑わし気な目をディーは俺に向けてくる。その視線を受けて俺は苦笑する。笑みを浮かべた青年が此方の注意を引こうと手を上げて近づこうとした瞬間陰からSPが出現し、一瞬で青年の意識を落として路地裏の中へと引きずり込んだ。見なかった事にしておこう。

 

「いや、だってあの時からディーはやばいくらいに強かったし、走るって解ってたからな」

 

 未来知識で、とは言わない。史実とか、現実とか、そういう話は誰かにする様なもんでもないし、気にする必要のない事でもある。ここまで競バの歴史を粉砕している以上、もはや導も糞もないだろうし。世の中、それぐらい自由で良いんだろうと思っている。

 

「私も、くーちゃんと最初逢った時……この人は、どこか違うな、って思ったよ」

 

「ほんとかよこいつ」

 

「ほんとだよー」

 

 ふふふ、と視線を合わせて笑いあいながらパリを堪能する。パリには多くの観光名所が存在する。ルーブル美術館以外にも大聖堂やエッフェル塔もある。街そのものが歩いていて楽しい所だし、劇場を覗くのも決して悪くはない。やっぱり好きな子と一緒に回ると趣味じゃない場所でも割と楽しく思えてしまうものなのだろう。

 

 何時にも増して笑っている気がする。

 

「くーちゃん、ジェラート」

 

「え、もう甘いもの食べるの?」

 

「何個でも入る」

 

「えぇ……俺も喰うけどさ」

 

 ケバブ食べ終わって丁度手元が寂しかったし。ジェラート屋に突撃して二人で違うフレーバーを購入する。ジェラートつったらイタリアってイメージだけど実際はどうなんだろ? とか思ってたらジェラートの上にマカロンが飾られてる。

 

「クッソばえる奴じゃんこれ」

 

「撮る?」

 

「ウマッターに上げたらまた炎上しそうだからいいや」

 

 さっきからSPさんがパパラッチを闇に葬り去ってるし。デートってこんなに犠牲者出すんだな……俺初めて知ったよ。口に溶けるラベンダーの味わいが中々面白い。ラベンダーなのに普通に美味しい……流石フランス、食文化の国。

 

「ディーは何味にした?」

 

「はちみつ」

 

「ほほう」

 

「あっ!」

 

 美味しそうにはちみつ味のジェラートを食べているのでぺろり、と軽く舐めてしまった。うむ、普通に美味しい。ディーが削れたジェラートの部分と、俺の手元のラベンダージェラートを交互に見ているので、手元を少しだけディーの方につき出すと、数秒程考えてから舌を伸ばして舐めてきた。

 

「……美味しいけど、はちみつの方が好き」

 

「俺もそっちのが好きだからもう一口……」

 

「駄目」

 

 駄目、と言ってジェラートを引かれた。くぅんくぅん泣いてもだめらしい。ちぇ、と舌打ちしながらジェラートをもう一度舐めていると、ディーの視線が此方に向けられている。

 

「食べる?」

 

「ううん」

 

 再びジェラートを食べるのに戻る姿に微笑んだ、歩き出す。マカロン乗ってる辺りが凄いお洒落だよね。

 

 ジェラートが段々と減って行く。特に歩く目的地とかある訳でもないが、自然と俺達は相談する事もなくそこへと向かっていた。地図は頭に叩き込んでいるだけあって迷う事もない。

 

 手元に食べるものがなくなったころに到着する前には巨大な門の姿があった。

 

 凱旋門。パリ有数の観光名所の一つであり、凱旋門賞の名前の元となったもの。

 

「俺よぉ」

 

「うん」

 

「凱旋門賞って最初は名前しか知らなくてよ」

 

「うん」

 

「この門潜って走るレースなのか……? とか思ってた」

 

「ぷふ」

 

 ディーが顔を思いっきり逸らして必死に口元を押さえながら笑いをこらえようとしている。それを覗き込むようにぐぐぐぐ、と身を寄せるとひーひー息を整えたディーがなんとか声を絞り出す。

 

「が、凱旋門賞は、う、ウマ娘にとっては、常識……だよ」

 

「そうだな、何度も価値として、格として世界最高のレースとして評価されてるからな。今年も最も格のあるG1レースとして評価されてるらしいからな。でも、まあ、そういうのにマジで最初は興味なかったんだよ、俺」

 

 ここら辺はマジの話だ。凱旋門を見上げながらぽつりと言葉を零して行く。

 

「本当に最初は走れれば良かったんだ。本気で、全力で。その先で気持ち良く死ねるなら最高だって思ってたんだよ、俺は」

 

 走った果てに燃え尽きたい。本能に任せて走り去りたい。その欲望と願望と後悔だけが体を突き動かしていた。だからG1とか評価とか、あんま気にしてなかった。

 

「私も、ね」

 

「おう」

 

「最初はレースとか、全然興味なかった。家の人たちに言われて……それが義務で、それだけで走ってた」

 

 だけど―――だけど。

 

お前(貴女)に逢えた」

 

 言葉は同時、声が重なる。それが俺達の世界を変えた。お前との、俺との出会いが全てを変えてしまった。多分俺達はあの時、あの寮の同室になった瞬間……気づく事もなく一目惚れしていたのかもしれない。お互いがお互いの才能を見抜いていたから知らずに互いを求めていた。

 

 それを自覚し、受け入れ―――そしてついに夢の舞台までやって来た。

 

「フォワ賞、勝ってくるね」

 

「凱旋門賞で待ってる」

 

 拳を作り互いにごっつんこ。それ以上の言葉は必要ない。

 

 フォワ賞……ディープインパクトは必ず最高のレースを見せてくれるだろう。

 

 必ず。




クリムゾンフィアー
 デート用に普段は着ないガーリッシュなスカートブラウスコーデで着ていた

ディープインパクト
 西村にコンディション調整されてるので風邪をひく気配がない

百合の間に挟まろうとする者を全自動で抹殺するSPさん
 にっこり


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75話 超世紀末チワワ伝説

 フォワ賞。

 

 凱旋門賞同様芝2400mで開催されるこのレースは凱旋門賞の前哨戦とされている。コースの距離がそのまま凱旋門賞と同じなのだから、ここで良い結果を出せればそのまま凱旋門賞でも同様の走りができるだろう……という話だ。

 

 その為、海外からやって来たウマ娘は一度フォワ賞で己の状態やどれぐらい走れるのかを確かめる事が多い。特に日本のウマ娘はそうだ。野芝と洋芝ではあまりにも環境が違いすぎる。日本でクラシック三冠を取れたとしても欧州で走れるとは限らない。

 

 それを知る為のフォワ賞だ。フォワ賞で好走すればそれだけ凱旋門賞での期待が高まる。だから自分が凱旋門を走れる事を証明する為に、まずはフォワ賞を走るというのが普通らしい。

 

「まあ、KGⅥ&QEステークスを走った俺にはフォワ賞は不要だよなぁ」

 

「まあ、そうだね。コース適性は別にあるかもしれないけど、フィアーは別に重バ場も問題ないし、何故かコースが濡れていても関係なく走れるだろうね」

 

「前々から水撒きの話は聞いてるけど実際はどうなの? 本当に水撒かれてるのアレ?」

 

「さあ?僕も聞いただけの話だしね。でも実際のところ、凱旋門賞はフランスのみならず、ヨーロッパ全体にとってもっとも特別なレースだよ。ヨーロッパの威信がかかっているとも言える。世界で最も評価されているG1という看板はね、その想像以上に重く大きなものなんだよ」

 

 ほーんと呟きながらパドックにウマ娘達が出てくるのを待つ。ロンシャン競バ場は他の競バ場とは違い、格式の高いレースが行われる競バ場だ。その関係でドレスコードもある程度必要とされている。だから西村はスーツ姿だし、俺もロングスカートにブラウスという大人しい恰好で来ている。

 

 流石に場が場なだけにアロマスティックも買い食いもなしだ。ロンシャン競バ場は日本の競バ場と比べればもっとフォーマルな形式に近い競バ場だ。ロイヤルアスコットもそうだったが、欧州の格式の高いレースは観戦側にもそれなりに品を求められる部分がある。

 

 まあ、一応パドック付近にレストランやラウンジもあるので小腹が空いたら補給は出来るのだが。それでも競バ場グルメみたいな日本っぽさは存在しない。欧州に渡って来てから競バ文化の違いだなあ……というのを良く感じる。

 

「J・URAも今まで凱旋門が取れてないから今回取りに行くディープインパクトとフィアーの事が希望なんだよね。今、日本では二人を後押しする特集が凄い流れてるみたいだよ」

 

「あぁ、ウマッター見てると嫌でも宣伝とか特集とかニュースとか俺の炎上が映ってくるのそういう」

 

「炎上はもう少し反省しようね?」

 

「そんなぁ」

 

 もはや炎上するのが趣味なまである。俺の反応にブチぎれて燃え上がるヒトカス醜くて見るの楽しいなあ……って感情さえ芽生えてる。

 

「実際の所フォワから凱旋門で好成績を残してるのはエルコンだけだっけ?」

 

「そうだね、リギル所属のエルコンドルパサーだけだったと思うよ。ロンシャンを走るノウハウはそのままディープインパクトに受け継がれてると考えても良いだろうね」

 

「だろうなぁ」

 

 そこら辺の抜かりは間違いなくない。東条トレーナーにとって凱旋門はルドルフで行く機会を逃し、そしてエルコンの敗北した地だ。何としても取りたいだろう。普段はリギルアンチの存在するネットですらディーのフランス遠征には肯定的だ。

 

 何せこれまで日本バで凱旋門賞を勝ったことはない。世界最高、本場ヨーロッパのレースだ。これで勝つことは即ち世界最高のウマ娘である事を証明する事に他ならない。日本URAの悲願でもあるのだ。

 

「っと、出てきたな」

 

「Pride,Divine Story,NearHonor, Hurricane Run……Rail LinkにShirocco,BagoにOuija Boardまで出て来てる」

 

「すげぇ、欧州オールスターじゃん」

 

 見覚えのある顔がチラホラといる。この2年前後活躍しているウマ娘や、フランスやアイルランドダービーの勝ち馬が揃っている。メンツを見ると相当豪華な顔ぶれになっているが、これでさえまだ本番ではない、前哨戦だ。

 

「お、ディーも出てきた。しかしフォワ賞、出るかどうか悩ましい時期だよなあ」

 

「そうだね。フォワ賞から凱旋門賞までは約3週間、ここで全力で走ったら本番までに回復するかどうかって所ではあるんだよね。ただ遠征組は芝とコースに慣れる為に必要な前走ではあると思うよ。コースに慣れているか否かはトップスピードに関わってくるし」

 

 実際に走ってみないと解らないラインの取り方とかが存在するのは確かだ。チャンミ育成では何時も競バ場と回りスキルは取るし。その差で勝てるかどうかが決まってくるのが上限レベルのレースだ……というのはアプリの話だが、あながちこっちのトップ環境もそう変わりはない。

 

 パドックに出てきた勝負服姿のディーが此方を見て、手を振ってくるので此方も微笑を浮かべて手を振り返す。緊張はせず、自然体でいられるようだ。こりゃあメンタルの心配は一切しなくて良いな、かかってる様子もないので何時も通りの走りができる筈だ。

 

「うっし、パドックも見れたし行くか。VIP席を取ってるんだっけ」

 

「コース全体が見れるのを、だね」

 

 大邪神カモメが用意してくれた奴だ。関係者だけにこの手のチケットを手に入れるのは凄い楽らしい……コネって素晴らしいけど、あのカモメに仲良くされるのは割と複雑な心境なんだよなあ。まあ、それはともあれパドックから客席の方へと移動する。

 

 途中で売っているオペラグラスはまあ、流石に要らない。ウマ娘の視力は滅茶苦茶良いので必要としない。西村もマイグラスを既に所持している……トレーナーは普通にこの手の道具を観戦用に持っているらしい。

 

 それから指定席の方へと向かえば、すでに東条トレーナーの姿があった。近づいてくる此方を見ると、軽く頷いた。

 

「調整、助かってるわ西村」

 

「いえいえ、此方こそリギルのやり方勉強させて貰っています。それに愛バの目標が最強である事ですから……唯一フィアーを下した最高の状態のディープインパクトに勝てなければこの凱旋門には意味がありません」

 

「ふ、一人前の顔になって来たな」

 

 東条トレーナーと西村が視線でバチバチにやり合っている。日本人からすると歴代最強の戦力で凱旋門賞に挑む形だが、この2人からするとリギルvsスピカという構図になっているのは滅茶苦茶面白い事実なんだよな。バチバチに盛り上がっている二人を無視して席に座り込み、腰を落ち着ける。

 

 流石高い金のかかるエリアだけあって座り心地も景色も悪くはない。これならラウンジで飲み物でも取って来ればよかったかもなあ、と考えてしまう。凱旋門賞の前哨戦だけあって、よく見るとロンシャンにはそれなりのメディアが競バ場入りしているのが見える。注目株はやはり前年度凱旋門賞バか、或いは日本から渡って来た無敗のウマ娘か。

 

 ―――いや、でも勝つのはディーだなこれ。

 

 パドックでウマ娘を見た評価だが、ディーに勝てる奴がいるとは思えなかった。少なくとも何か特殊な作戦でもない限りディーが勝つだろう。そしてこれまで日本というガラパゴス環境でのみ走って来たディーの評価はあまり安定しない。

 

 ただ1点、皐月時点で俺に勝利している点で海外からはそれなりに評価されているが、それ以降の対決がないのが評価に響いている。強いが、海外という環境で強いかどうかはまた別の話なのだ。

 

 厳しい話だが、海外で飛びぬけた活躍をしたウマ娘はあまりいないのだ。それが全体的に日本のウマ娘が舐められる理由でもある。俺という超特異型ウマ娘の出現でその評価も結構変わってきているが、日本の芝は野芝で、洋芝ではない。

 

 閉じこもった環境で走っているのだという評価は、どうしても出て来てしまう。

 

 まあ、野芝と洋芝の関係は気候の問題なのでしょうがないのだが。札幌をメインにして走れって言うのはちょっと酷かなあ……ってのはあるし。

 

「日本バがこれからも世界で通用するかどうかは洋芝への適正、か」

 

「どうした急に?」

 

「いや……俺やディーがどれだけ活躍しても、それじゃあ俺達が特異だったって話になるから、日本競バが評価される訳じゃないんだろうなって考えただけ」

 

「妙な事を考えるわね。でもそれを選手が考える必要はないわ。それとも日本競バの地位向上が目標なの?」

 

「いや、別にそういう訳じゃないんすけど……ちょっと、考えただけで」

 

 まあ、意味のない考えだよなぁー。というのをちょっとだけ考えた。結局の所、俺もディーも出来るのは勝つ事ぐらいだ。だったらとことんそこを突き詰めるだけだ。発走の時間が来るのをコースを眺めながら、トレーナー達の牽制を横に楽しみに待つ。

 

 いよいよ、或いは久しぶりにディーの走る姿が見れる。

 

 なんだかんだで俺はそれが楽しみだった。




パリロンシャン競バ場
 今から深き衝撃に脳をやられる


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76話 世紀末……ミカ実装!? マジで!?

 パドックも終わりそれぞれのウマ娘がロンシャンのターフへと移動を始める頃、俺はトレトークに勤しむ2人を無視してスマホでウマッターを眺めていた。相変わらず我がウマッターは良く炎上しているが、ウマスタグラムへと移ろうという気持ちは皆無だった。

 

 あのウマスタのキラキラしている感じがマジで無理。気持ち悪い。俺、意識高い系ですってやってるのがマジ無理。カレンチャンはほんと良くやるもんだわ、滅茶苦茶尊敬するわ。尊敬しても絶対に真似はしないが。

 

 そんな事で暇つぶしには最適な最近アプリそのものが炎上気味のウマッターを漁っていると、昨日のブルアカ生放送まとめが流れてきた。

 

「お、そう言えば昨日は夜遅くまでチワワの世話をしてたから見忘れてたな」

 

 ネタバレ回避用にウマッターを封印してたし、まあ、もうブルアカも周年だしいっか……の気持ちで生放送まとめを見る。

 

 見てしまう。

 

 ふふ、見ちゃった。

 

 俺は生放送まとめを見て、静かに韓国へと向けて祈りのポーズをとる。おぉ、偉大なるキム・〇ンハ統括よ、これほど俺は貴方を偉大だと思った事はなかった……今ならなぜあの清渓川はそこまで澄みきっているのかを魂で理解できる。

 

「フィアー? フィアー!? 泣いてるのか!? どうして!?」

 

「偉大なるキム・ヨ〇ハ統括Pの優しさと慈悲を感じていた所なんだ」

 

「まるで意味が解らんぞ」

 

 引きこもり期に俺のソシャゲを回していてくれた西村は俺のその発言で大体の事を察してあぁ、成程……なんて顔をしているが、東条トレーナーはまるで何も理解できない様な表情をしている。成程……可哀そうに……この眼鏡、これまでブルーアーカイブと出会った事がなかったのか。

 

 まあ、落ち着けと東条トレーナーに仕草を取る。

 

「落ち着くべきなのは貴女の方だと思うんだけれど……」

 

「まあ、まあ。ブルーアーカイブの素晴らしさはまず統括Pの慧眼にある。ダークで重めのシナリオが流行り出した頃に“皆重めのシナリオに食傷気味になってもっと透明度があってポップでライトな雰囲気を求め始める”という意見を切り出したらしいのだ」

 

「突然どうした」

 

 統括だったっけなあ、これ。誰だったっけ。ブルアカの始まりの話ってここら辺だったよね。

 

「俺もミカゼミだっただけに今心と頭の中が歓喜で満ちているから是非言わせて欲しい。エデン条約編は本当にやばかった。確かにアビドスの対策委員会編でそこそこ重めの話が出てきたのは事実だけど、それをはるかに超えるシナリオの厚みで殴られたね、アレは」

 

「本当に何を言い出してるんだ」

 

『それぞれのウマ娘がゲートイン……今、フォワ賞が始まります!』

 

 エデン条約編は本当にブルアカ屈指のシナリオだ。アレなしではブルーアーカイブというゲームを語る事が出来ない。だけどその前提として対策委員会編とアリス編は是非とも読んでおくべきなのだ。まず最初に変態イケメンスパダリである先生という存在を理解する必要があるのだ。

 

「まず頼れる大人が存在しない都市で頼れる大人として一貫したスタンスを貫く姿勢、姿。自分以外の全て、戦う少女達よりも遥かに弱くても大人の矜持で立ち続ける姿……そっと寄り添って道を示す教師としての姿。いやあ、ほんと面白いよね……かっこいいよね、先生」

 

「わかる」

 

「西村?」

 

『最後方に控えるDeep Impact……かかり気味か? どんどん前に上がり始めている―――』

 

 いやあ、先生のスタンスが本当に一貫して崩れないのが美しい。今確認したPVで先生がいないとどこもバッドエンドになるの、責任を取ってくれる、背中を押してくれる大人がいなかった少女達の破滅する姿なんだよね……でもこれを全て乗り越えた上で最終章がやってくる。

 

 これまでの物語を全て踏まえた上での最終章なのだ……もうそりゃあ楽しみですよ統括!!

 

『これは……かかっているのですか?』

 

『いえ、違います……これは……大逃げに対する追い込みです! 彼女は既に凱旋門を想定して走っています! これはかかっているのではなく、予行演習ですよ!』

 

「でもやっぱり一番叫びたいのはミカだ。ミカ実装だ。ミカが実装されるんだよ……!」

 

 拳を握ってバシバシと西村の胸板を叩くとミシミシと肋骨が軋む音がする。西村吐血してない? 大丈夫? 大丈夫そうだな……良し! もうちょっとこの感情を吐き出す為にも西村の胸を叩こう……良し! 満足した!

 

「ミカはね、推せるんだ……」

 

「レースを見ないのか……?」

 

「ミカがついに実装されたんですよ!? するんですよ!?」

 

 東条トレーナーが解らないって顔をしてる。そうか、ミカの良さが解らないか。可哀そうに……もはや清渓川に沈めるべきなのかもしれない。いや、諦めてはならない。こういう時の為にちゃんとした備えはある。スマホから事前に用意したスライドを表示する。

 

 ミカ布教用スライドである。無理矢理東条トレーナーのスマホに布教用のスライドを送信する。迷惑そうな表情をしているが、俺は確実にやり切った……この徳の高さであれば間違いなくミカガチャを10連でツモれるだろう。

 

「駄目だ、この短時間じゃブルアカの魅力を伝えきれねぇ!! クッソ! 東条トレーナーにもぜひ遊んでほしいけど強制的にインストールするのは流石にやりすぎだ……!」

 

「されたら流石にキレるわよ」

 

 西村は静かにブルアカインスコ済みのスマホを見せてきた。今では西村でさえブルアカの透明度に屈している。割と美少女美少女しているのはハードルとして高めかもしれないけど、シナリオはマジで面白いんだ……本当に……。

 

 と、苦悩しているとトントンと肩を叩かれた。知らないフランス人の人がスマホを見せてきた。

 

Blue Archaive

 

「友よ……!」

 

 知らないフランス人は同志だった。ハグを交わして握手し、友達となる。異形の生き物を見るような視線が東条トレーナーから向けられ、首を傾げられ、そして頷かれた。

 

「考えてみればスピカも大体こんな感じか……」

 

 納得のご様子。フランスの人と握手を交わし、

 

「ミカ」

 

「Mika!」

 

 やはりミカゼミは国境を超える。フランス人と話してみるとどうやらミカ貯金をちゃんと準備していたらしい。天井分を用意してミカの実装を信じ貯蓄を続けている姿……拙者、その姿に勇を見たでござるよ。俺? KGⅥ&QEステークスの賞金で天井する。札束の暴力は最強なんだわ。

 

『今! 1着でゴール! Deep Impact圧倒的! 圧倒的すぎる! 最後は距離を一切詰めさせる事無くセーフティリードを維持したままゴール! 何だこのウマ娘は! 何だこの強さは! 強い! 今年の日本のウマ娘は強すぎる!』

 

『完全にCrimsonを仮想敵として捉えた走りでしたね。どうすれば等速ストライドを持つウマ娘を捉えるか、その一点に絞った見事な追込みでした。これは凱旋門賞での直接対決が楽しみになりますね』

 

「フランスの人推しは? 誰推してる?」

 

「Mika!」

 

「イエー! ミカー! イエー!」

 

 手を叩き合って声出して喜び合いながら、しれっと西村に耳打ちする。

 

「この人フランス語がネイティブすぎてミカ以外言ってる事がまるで解らないんだけど」

 

「とりあえず解ったフリしてれば問題ないと思うよ」

 

「成程。ミカYeahー!!」

 

「Mika! Yeah!」

 

「……帰るか」

 

 どっかに行く東条トレーナーの背中に手を振ると別のフランス人がブルアカを起動したスマホを持って近づいてくる。ターフの方を見るとチワワがこっちに向かって手を振ってる。これからゲートインかな? 集中してなさそうだけど大丈夫かなぁ……もうちょっとブルアカで盛り上がっても良さそうだな! チワワの事だから勝手に勝つだろうし。

 

 それよりもこの生放送の情報を、幸せな気持ちを分け合わなくてはならない。

 

 ブルーアーカイブ! 周年イベント開催開始ッッ!!!




クリムゾンフィアー
 この後滅茶苦茶推しの話で盛り上がった

西村
 良いのかなあ……とか言いながら眺めてた

東条トレーナー
 死ぬほど見慣れたスピカ

フランス人
 Mika!

ディープインパクト
 この後滅茶苦茶拗ねた


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77話 ソシャカス彼氏とDV彼氏は似てる

「―――それは何をしているんですか、Crimsonさん……?」

 

 そこそこ仲の良いモブ娘が俺の姿を見て話しかけてくる。何をしているのかと言えば瞑想中だ。シャンティイ学園のジムで床にマットを敷いてそこに座っている。座る、と言っても普通に座るのではなく脚を組んで座っているのだが。

 

 そんな組んでいる脚の合間にディーが座り込んでいる。尻尾を俺の胴体に巻いている。デジタル殿であればうっひょー! と叫びながらそのまま塵になりそうな密着度だ。デジタル殿また死んでおられるな……。

 

「瞑想中」

 

「それで?」

 

「これで」

 

 むすーっとしているディーは1週間が経った今でもフォワ賞の事を引きずっていてこの態度だ。この態度なのにスキンシップが変わらないのは軽く好感度がバグか何かでインフレしてないか? とは思わなくもない。まあ、好感度バグに関してはヒトの事を言えないので黙っておく。

 

「没入しようとすれば出来るしね。これぐらい妨害にはならないよ」

 

「本当に……?」

 

 俺のほっぺをディーのウマ耳がぺしぺしと叩いてくる。無視するなという合図なので無視すると更に顔面をぺしぺしと叩かれる。ウマッターで流れてくる漫画でこのアピール見たけど考え付いた奴は天才だと思うよ。現実として存在すると更にやばいと思うね。

 

「Crimson様は領域の調整をなさっているらしいわ」

 

 ちょっとキャラ濃い目のモブ生徒がふんすふんすと鼻を鳴らしながらそんな事を言うと、胡乱げなモノを見るような視線が俺へと向けられる。

 

「領域の調整なんて可能なんですか?」

 

「他は知らないけど、俺はまあ……そこそこ集中すれば? 領域に関しては人類で一番詳しいと思ってるし。凱旋門賞に向けてブラッシュアップやら条件変更やらでちょっと忙しい感じかなぁ」

 

 そもそも今の条件が重すぎるんだよ。継承含めた領域4回展開とか本家アプリでもゲロ重すぎて話にならねぇんだよ!! いや、ゴルシ経由で引っ張りだしてKGⅥ&QEステークスは乗り切ったけど、あんな裏技2度目は通用しないし。

 

 やるなら根本的な部分で調整というかアプデが必要だわ。

 

「そもそも領域というものがどういうものか良く解ってないんですのよね。アレ、なんなんですの?」

 

「難しい話だなぁ」

 

 領域。ウマ娘が持つ神秘。三女神の方に視線を向けなければ最もオカルトな部分だと言えるだろう。

 

「科学的な部分を加えて話すなら、領域ってのはウマ娘が持つ情景や理想、そういうイメージを共感能力を通じて周りへと投影するイメージだって言われてるんだよな。ウマカスはヒトカスよりも身体能力も容姿も優れてるしなんなら神に愛されてるから酷い事にならない事が約束されてる圧倒的上位種族だって事はご存じの通りだけど」

 

「並べてみると酷いですね」

 

 サイゲに愛された種族だから仕方がないね。サイゲというか馬主を怒らせると滅ぶ世界なのでしょうがないね。ガイドライン神はいつも本当にありがとうございます。ただ海外系は規約破りに躊躇しないのがほんと恐ろしいわ。モラルってもんがないんか? もうあそこら辺観測できねぇけど。

 

「だけどずば抜けて高いのが感受性だってな。発信する能力と受け取る能力は高いから多少の事でメンタルがぼろぼろになるし、領域という形で俺達が奥底で抱えるイメージが形になる。結局の所は妄想を叩きつけてるみたいなもんなんだよね」

 

 ただし。

 

「恐ろしく強いイメージ……心の底から信じる事の出来るとか、そういうレベルでの認知が求められるけど。一部のウマ娘が領域の作成やくみ上げにスタジオを借りて撮影するのは、客観的なイメージ構築の為だよ」

 

「あぁ、学園のスタジオってそういう……」

 

「つっても、領域を2個3個作るのは相当難しい話なんだけどな。自分の心の表現だからな、領域ってのは。慣れないうちはその手のカテゴリーの得意な奴を頼ったり、実際にレースで経験したりすると良いよ。俺は……まあ、凄い特殊だから参考にするな。瞑想で領域調節できるのはこの世で俺だけだから」

 

 俺の言葉に質問するモブ子が首を傾げる。

 

「可能なんですか」

 

「自分の心を組み替えるような事だけど慣れれば簡単簡単」

 

「今恐ろしい事を言いませんでした???」

 

 だからこんな事この世で出来るのは俺だけって主張してるんだ。人類にこんな心を組み替えて領域を調整する様な事が出来る筈がないだろ。ディーの頭をよしよしと撫でる。

 

「まあ、真面目な話をすると領域の発動ってルーティンワークなんだよね。自分の精神を没入させる為の手順というか。差す瞬間、ゴールラインが見えた時、或いは抜いて前に出た瞬間……そういう瞬間が領域の発動条件になりやすいのはそういう状況で最も集中力が高まるからだ」

 

 強いウマ娘はこの領域の発動条件―――つまりゾーンに入る条件をある程度コントロールできるのだ。領域に入る条件だって結局は想いの自覚、そしてゾーンの呼び出しだ。一流のアスリートであれば意識して引き出す事もまあ、難しくはない。

 

「ルーティーンを意識して設定して、それをゾーンを呼び出すトリガーにする。領域の調整って結局そこら辺なんだよね。俺は特殊な例だから参考にするな。今やってるのは調整とか改造とかそこら辺だから」

 

「やろうとしても多分できませんわ」

 

 せやろな。やらんでいいし、やれない方が良いと思う。まあ、それはそれとして、凱旋門に向けて領域の調整は必要な事だ。ゴルシ召喚ルートをやったらなんか対策されそうな気もするし。根本的な部分で俺は領域抜きだとスピード不足で差されるし。

 

 どれだけ複数の領域を発動させられるかが俺の最終的なトップスピードになる。

 

 西村が言っていたが俺のスピードは数値化すると1550ぐらい。

 

 チワワは数値化すると1700ちょいらしい。

 

 つまり素のスペックだと負けているのだ。そしてこの段階に来ると肉体的なスペックも上限を叩いていてこれ以上体を伸ばす余地があるかどうか……って段階になる。自分のトップスピードを更新するには技術に持ち込むか、肉体の限界を超えるか……という所だろう。

 

 今も人の股の間に座り込んでいる小さい体で俺よりも速度を出して走れるのだ……そう考えると理不尽としか言いようがない。とはいえ、その強さを打ち破ってこその最強だ。相手が強ければ強い程燃えるのがレースというもの。自分より強いのは単純に燃える要素でしかない。

 

「まあ……何をしているかは解りましたけど」

 

「けど?」

 

「凱旋門賞を共に走るライバルなのに、その様子で大丈夫なのですか?」

 

 モブ子の言葉にディーに視線を向ければ、ディーが視線を向け返す。お互いに首を傾げる。

 

「それはそれ」

 

「これは、これ……ですのです」

 

 仲良かろうが、友達だろうが、親友だろうが、恋人だろうが、夫婦だろうが―――ターフの上に立てば敵で、ライバルで、そして潰し合う存在だ。そこに好きや嫌いという感情が入り込む方がおかしい。

 

「相手がどれだけ好きであれ、ターフに立てば競走する相手でしかない。全力を以て叩き潰すのは当然の礼儀だろう?」

 

「どれだけ、憎くて、嫌いでも……ターフでは、対等ですから。全力を出して、走って、倒すのが己に対する礼儀です」

 

 ねー、とディーと視線を合わせて声を揃えるとモブ子が呆れた表情で溜息を吐く。

 

「成程……良く解らない事が解りました」

 

「何時かは解るよ、何時かは。走っていればそのうち解るよ……えーと……ビヨンドちゃん」

 

「誰ですかそれ!?」

 

 モブ子が再び溜息を吐いた。

 

「Treve、ですCrimsonさん。これで今世界で一番注目されているウマ娘だなんて、信じたくない……」

 

 Treveの言葉にわはははと笑い声を零す。変な奴ほど強かったりするのがウマ娘の常だ。そういうどっかぶっ飛んでるからこそ領域やレースにおける精神性が定まるのだ。だから、まあ、俺もディーも凱旋門の日まではこんな調子だろう。

 

 前日まで同じベッドで寝てるだろうし、それでコンディションの揺らぎはないだろう。

 

 呆れたTreveちゃんを前に談笑し、どうでも良い日を過ごす。

 

 そして……凱旋門賞、その日がやってくる。




クリムゾンフィアー
 自分の心をパズルかなにかと勘違いしてる女

ディープインパクト
 ソシャカスである事に関しては諦めてる

Treve
 未デビューの可愛いポニーちゃん

シャンティイのウマオタク
 デジたんと同ジャンルのオタク


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78話 凱旋門賞 Ⅰ

 普通……と言うべきかどうかは解らないが、朝競バ場へと向かおうとするとメディアに阻まれることは多々ある。誰だってスクープが欲しい。誰だって取材したい。当然抜け駆けをするだろう。だから競バ場へと向かうのは一種の勝負だ。どれだけメディアに捉まらず向かえるか、という。

 

 ただこの凱旋門賞においては心配はいらない。この欧州で最も価値のあるレースであり、事実上の芝の最強ウマ娘決定戦でもある。このレースに走るウマ娘に粗相をしてみろ、一生界隈から干されるだろう。というかフランス・ギャロが干す。それだけ凱旋門賞は格が違う。

 

 歴史も、格式も、そしてそれに出場する実力も。

 

 ドバイミーティングもかなりハイレベルで多くの著名人が招待された。KGⅥ&QEステークスもイギリスにおける最高ランクのレースであり、凱旋門賞は評価を見ればこれらを超える地球で最も価値のあるレースだと評価されているのだ……そんなレース前に粗相を犯す人間を生かしておくか? 無理でしょ。

 

 ただでさえレースの価値、重みは前世のレースよりも重くなっている世の中で、凱旋門賞が持つその重みは計り知れない。

 

 そういう訳でシャンティイトレセン学園を車に乗って出て、パリロンシャン競バ場に到着するもメディアが待ち構えているなんて事はなかった。アメリカでは死ぬほど見た光景だったのに一切メディアが存在せず、大人しくパドック側で待っているのには感動すら覚える。

 

「マジでメディアとか来てないんだなぁ」

 

 きょろきょろと車から降りた所で辺りを見渡す俺の姿を見て、西村が苦笑を零す。

 

「まあ、ここでバ鹿をする様なメディアは入って来れないってことだね」

 

「そうね、流石凱旋門賞って所かしら。関われるメディアも厳選されていて一流のメディアのみが今日、この場に来ることを許されているわ」

 

 続いて東条トレーナーとディーが車から降りて来る。ドーピング検査、体調ともに問題無し。完璧な調整が行われている俺達のバ体は理想的なコンディションにあると言えるだろう。無理な減量や制限もなくフルスペックで走れる状態で調整されている。

 

 今日は気分よく走れる。そんな予感を胸にロンシャン競バ場に入る。騒がしさはやや薄目、雰囲気はアスコット競バ場の時に似ている。遠巻きに此方へと視線を向けてくるスタッフ達に軽く手を振って挨拶しながら関係者通路に進む。

 

 ここまでくると控室まで行くのは何時も通りの流れだ。スタッフに案内され、控室に向かい、控室に入る。椅子に座る。横の椅子にディーが座る。

 

「待て、ディープインパクトお前はこっちだ」

 

「あっ、あっ、あっ」

 

 当然のように同じ控室に吸い込まれてきたディーがそのまま東条トレーナーに連れ攫われようとしている。

 

「と、東条トレーナー」

 

 ディーが脚を止めて東条トレーナーを見上げる。

 

「……」

 

「控室一緒でも……特に問題、ありませんよね」

 

 東条トレーナーがその言葉に両手で頭を抱えた。西村は申し訳なさそうな表情を浮かべ、俺は知らんぷりした。窺う様な視線を向けるディーを無視して、東条トレーナーはディーと俺を交互に見て、それからたっぷりと溜息を吐いた。

 

「これもメンタル調整かぁ」

 

「東条トレ! それ自分に言い聞かせてませんかっ!」

 

「これがレース前じゃなければ説教してる所だぞ貴様」

 

 メンタル的にこれが一番安定するからしゃーないと諦める表情の東条トレーナーは西村と共に調整の為に控室を出る。その間にそそくさと横に戻って来たディーは椅子を引っ張ってきてぴったりとくっつく様に座ってくる。

 

「さて、AP消化でもするか……」

 

「またソシャゲ?」

 

「だってこの時間割と暇だしな。何をどうするかなんて既に決まってるし、土壇場でやらなきゃいけない事とか特にないからなぁ」

 

「構って」

 

「仕方がないなぁ……」

 

 取り出そうとしたスマホをしまう。そうストレートに構って欲しいと言われてしまうと従わざるを得ない。

 

 まあ、このパドックと出走までの時間はトレーナーによるウマ娘へのメンタルコンディションの調整時間だったり、戦術の再確認の為の時間だ。とはいえ凱旋門賞に出る程のウマ娘であればそのような調整今更だという話でもある。

 

 そもそも俺もディーも既にやるべき事は定まっているから、この時間は余計な時間だとも言える。とはいえ、構ってと言われたら全力で構うのが赤毛流。ディーの前に立ち、しゅばばば、とポーズを決めて構える。

 

「―――覚悟は、良いか」

 

「……!」

 

 ごくり、と唾を飲み込んでからディーが頷く。それを見て俺は考える……ここからはノープランだ。一体どうやって構えば良いのだろうか? いや、だがディーは基本的にスキンシップ好きだ。ちょっとしたスキンシップをすれば満足して調子が上限突破するに違いない。いや、それはそれでまずくないか?

 

 強くなる分にはまあ、ええか!

 

「よーしよしよしよし」

 

 とりあえず両手で頬を包んで、顔をわしゃわしゃとしてみる。扱いが完全に人に向けるそれじゃなくてペットとかイッヌにやるそれだが、なんか嬉しそうにディーは目を細めてくる。もしかしてこんな扱いでいいのか? 本当にそれで良いのか? 安すぎないかお前?

 

 もう少し優しくすっかぁ……。

 

「……君たち、それは新手のプレイか何か、かな」

 

「え?」

 

「あ」

 

 チワワをわしゃわしゃしてたら何時の間にか控室の扉が開いており、ルドルフを伴って東条トレーナーと西村が戻って来ていた。その後ろには小さい理事長までいる辺り、顔ぶれとしては相当ガチな応援だ。

 

「カイチョーもリジチョーもお久しぶりでーす」

 

「です」

 

「とりあえずその手の動きを止めなさい」

 

「相変わらず君たちは仲が良いね」

 

「安心ッッ!」

 

 ば、と広げられる理事長の扇子には“節度ッ!”と書かれている。仰る通りです。でもこれぐらいのスキンシップは普通だと思うんですよ。割と自室だともっと密着してるし―――いや、待て、もしかしてこの距離感は普通ではないのか?

 

 ちょっと待って、と手を出して目を瞑り、テレパシーを送る。そこら辺どう思われますか女神様。

 

『ウマ娘はウマ娘で、ヒトはヒトで恋愛すべきだと思います』

 

「流石三女神だ、やべぇ事を言ってくれるぜ」

 

「レース前に毒電波を受信するのは止めなさい」

 

 東条トレーナーはそう言うが、こういう時西村は微笑むだけで絶対に止めないんだよな。俺、西村のそういう所割と好きだよ。ともあれ、日本から応援に来てくれた二人がいるのだ。退屈な待機時間を面白く過ごす為にチワワを解放し、自分の椅子に座る。

 

 それを見ていたルドルフがくすり、と声を零す。

 

「どこに居ようと君たちは君たちらしくいられているようで安心したよ」

 

「うむ! 陣中見舞いであるッ!」

 

「ありがとう、ございます」

 

「理事長たちが来てくれるとは思わなかったけど……日本は今、どんな感じで?」

 

 いえーい、とルドルフと拳をごっつんこ、と久しぶりの再会を楽しんでいると、理事長が答えてくれる。

 

「日本は今年は凱旋門賞を取れるのではないかと国を挙げて応援している状態になっている」

 

「実際の所、私達がこっちにスムーズに来れたのは日本URA側が送り出してくれたからなんだ。日本URAも今年はついに悲願を達成できるのではないかと大いに期待を寄せているけど……君たちには関係がなさそうだね?」

 

 ルドルフの言葉にディーと視線を合わせて微笑む。

 

「まあ、俺達は互いに勝負する事しか考えてないので」

 

「2勝目、貰います」

 

「今回で1勝1敗にしてやるわ」

 

 皐月以来のディーとの勝負、俺としては漸く借りを返すチャンスでもあるのだ。これで漸く俺とディーは戦績的にイーブンに持ち込める。

 

 無論、俺達のレースには多くの思惑が絡んでいる。日本URAの悲願、海外の評価、歴史と伝統を守ろうとするフランスギャロの意地、大邪神カモメ姐さんの湿度100%の視線、そして三女神の恋愛発言。

 

 だが結局の所、一番重要なのは俺とディーが勝負するという事実のみだ。

 

 それだけが、俺達にとって最も重要な事実だ。

 

 なあ、そうだろ、ディープインパクト。

 

 その為に俺は生まれて来たんだと思うんだ。




クリムゾンフィアー
 毒電波は一生封印しようと思った

ディープインパクト
 距離感に関して違和感を覚えない。これぐらいふつーふつー

シンボリルドルフ
 ちゃんと8Bitサングラスを持参してる

理事長
 実はURAとギャロ両方から色々と言われてて現時点で一番疲れてる


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79話 凱旋門賞 Ⅱ

 パリロンシャン競バ場のパドックは一つ大きな特徴がある。それはパドックがそう大きくはなく、そして非常に観客との距離が近い事にある。勝負服に着替えてからパドックへと出ればそこには大量のヒト、ヒト、ヒト、後ついでにウマ。

 

 一年に一度、欧州最強のウマ娘を決める為のレースとも言える凱旋門賞を見る為に集まった人たちがパドックへと足を運んでいた。無論、警備員も大量に動員されて整備されているが、それでもパドックから観客までの距離は近い。

 

 勝負服に身を包んでディー共々パドックへと上がれば悲鳴にも近い歓声が周りから上がる。フラッシュを焚かずカメラを向けるメディアが静かに撮影を開始する。既にパドックで身を晒す今日のライバルたちが思い思いにアピールしている姿を見る。

 

 ここまでくると今日、凱旋門賞を走るのだという実感が湧いてくる。

 

「夢のレースか……」

 

「……?」

 

 一緒にパドックに上がって来たディーが俺の言葉に首を傾げる。

 

「漠然と凱旋門賞を走る事を考えて来たけど、考えてみれば世界最高のレースなんだよな。賭けロードレースを走っていたころが嘘みたいだわ」

 

「ふふ、変な、の」

 

 誰もがこの舞台を走る事を夢に見る。そして誰もが走れるという訳ではない、それだけ凱旋門の審査は重く、面倒が多い。それでも今年はほぼフルゲート分にウマ娘が集まっているだけすさまじい熱狂が籠っている。

 

 誰もが最強という座を目指してこの場に来ている。Rail Link、Prode、Hurricane Run……見覚えのある欧州の今世代のスターたちに、見覚えのないウマ娘がちほらと。西村がこいつは危ない、こいつは警戒、こいつは強いみたいな話をしていたのはある。だが大半は頭からすっぽ抜けている。

 

 俺にとって重要なのは今横にいる、ただ一人だけだからだ。

 

「Crimson Fearさん! コメントを貰っても宜しいでしょうか!」

 

 中指を突き立てる。

 

「ありがとうございます!」

 

 満足されてしまった。最近のメディア陣は強いなあ。こいつらどんな反応をしても喜ぶような気がするから反逆し甲斐がないというかなんというか。まあ、悪いメディアが出てこないのは決して悪い事ではないので文句はないのだが。

 

 そう考えるとアメリカや日本のメディアは偉くレベルが低いと思える……欧州の方が競バの歴史が深いから、そこら辺のメディアも洗練されてるのかもしれない。イギリスの時もメディア対応は理想的なものだったし。

 

 と、パドックでファンサービスに軽く手を振っていると、柵の向こう側に見覚えのある姿が立っている。此方に笑顔で大きく手を振っている姿に思わず笑顔になる。

 

「くーちゃんー、頑張ってー」

 

「マミー!!」

 

 尻尾をぶんぶん振りながらマミーに手を振る。良く見ればマミーの直ぐ横にはガタイの良いウマ娘がガードに入っている……URAが護衛でもつけてくれたのだろうか? 来るとは聞いてなかったのでサプライズとしては滅茶苦茶嬉しいもんだった。

 

「ディーちゃんも頑張ってー!」

 

 日本から駆け付けたマミーの声援にディーも手を大きく振って応える。まさかのサプライズだが、レースを前に良い気合が入る。パスポートなんてめんどくさいから海外には行かない様な人なのに……もしかしてURAから応援に行って欲しいと頼まれでもしたのだろうか?

 

 良く見ればガードに入るようにガタイの良いウマ娘が母の横にいる。やっぱりURA辺りに頼まれたのか、或いはお勧めされてきたのかもしれない。どちらにせよ、来てくれた事実は嬉しいのだが。未だに獲得賞金の9割を母の口座にぶち込んでるのに一切触られてないんだよなぁ。

 

 まあ、庶民が億単位の金を手に入れてもどう使うんだ? となるのはそう。俺も実際にこれだけの金どう使うんだって未だに悩んでる部分あるし。

 

「Hey, Crimson」

 

「ん?」

 

 名を呼ばれて振り返れば、Hurricane Runの姿が見える。

 

「This game, my turn」

 

「You wish」

 

 中指を向けると中指を返される。カメラが此方に注目するのを感じながら他のウマ娘達も軽く伺う……今挑発してきたHurricane Runも調子は良さそうだが、フォワ賞で見た連中も中々良い感じに仕上がっている。

 

 そもそも欧州の最強決定戦だ、調子を崩す様なウマ娘は早々出てこないだろう。だが脅威に感じられるのはやはり、隣でファンサービスに軽く手を振っているディーの存在だけだった。既にフォワ賞で現地のウマ娘との格付けは終わっている。

 

 故に、警戒すべきはただ一人―――その慢心が俺の致命傷になるかもしれないと西村が言っていたのを思い出す。

 

 ただ、それも悪くはないかもしれないと思っている。慢心して負けるなら所詮その程度のウマ娘だったというだけの話だ。

 

「Crimsonさん目線くださーい!」

 

「こっち向いてー!」

 

「きゃー! 中指を向けられたー!」

 

「違うだろ! あれは俺に向けたもんなんだよ!」

 

 観客のリアクションを見て溜息をつく。

 

「なんか……普通に喜ばれるようになっちゃったなぁ」

 

 もう止めようかなぁ、中指突き立てるの。ただのツンデレパフォーマンスになってるじゃん。

 

 

 

 

 パドックでのお披露目が終わり、ウマ娘達がレース場への移動を開始する。その合間に別れていたグループが合流し、トレーナー組と日本からの応援組が合流する。そこにシャンティイから観戦に来たシーバードも加わり、それなりに大きなグループがVIP席を占領する事となった。

 

 秋川やよいはシーバードと改めて握手を交わしていた。

 

「席の確保に感謝ッッ! 今年は倍率が凄く関係者でも取るのは至難だったと聞いている」

 

「えぇ、気にしないで。私も今年の凱旋門賞はとても楽しみにしてたし、あの子の関係者となると是非一等席で見て貰いたくて」

 

「まあ、良くして頂いてありがとうございます」

 

 ぺこり、とフィアーの母が頭を下げ、それにシーバードが微笑む。そんな様子を横目に西村、東条、ルドルフがターフに集まりゲートイン前のウマ娘達を見下ろしながら話を進める。

 

「西村、お前はどう思う」

 

「今年も流石凱旋門賞……としか言いようがないですね。事実上の格付けはフォワ賞で完了してます。ディープインパクトが心理的なリードを既に取っていると言えますが、見ている感じそこでメンタルを崩している子はいないようです」

 

「私の見立てではRail Linkが一番厄介そうな相手ではあるが……」

 

「やはり、フィアーには敵わない、って感じかな東条トレーナー」

 

 東条トレーナーの横からターフを覗くルドルフの言葉に登場が頷く。

 

「やはりウマ娘単体で見た時の完成度が段違いね。よくもまあ、あそこまで育て上げたものね西村」

 

「育てた、というのはちょっと違うかもしれませんね。フィアーは元々完成した図の見えるウマ娘でした。伸ばすべき才能、補うべき短所、そして適応させるべき適正というのがはっきりしてました。だから彼女に関しては育てる……というよりは完成された図にするという形が近かったですね」

 

 独特の感性と育成論を展開する西村の言葉を少なくとも部分的に東条は理解する。クリムゾンフィアーと言うウマ娘は特異な才能の持ち主であり、恐らくその自由さはスピカでないと伸ばす事が出来なかっただろう。故に東条は惜しく思い、西村を称賛する。

 

 西村という特殊なウマ娘に対する高い適性を持つトレーナーでなければ、恐らくここまで彼女が飛躍する事はなかっただろうからだ。リギルでは、その才能を存分に伸ばす事は出来ない。

 

 そんな特異なウマ娘と、ライバルにある2人をルドルフは隠す事のない羨ましそうな視線を向けていた。現役時代にこれほど削り合えるライバルがいれば自分もまた違った運命を辿れたのだろうか? それともこのターフに立つ事が出来たのだろうか?

 

 あの時、己にも西村の様なトレーナーがいれば―――とまで考え、それがリギルに対する裏切りと判断して考えを切り捨てる。

 

『さあ、ウマ娘各員ゲートインが終わりました』

 

『静かに闘志を燃やして発走に備える姿……誰もがこのレースに夢を、そして魂を燃やしています。今年は一体誰が世界最高の栄誉を得られるのか目が離せません』

 

「あら、もう始まりそうね」

 

「あ、本当ね。えーと……あの子は……赤毛が目立つから解りやすくて助かるわ」

 

 理事長たちも話を切り上げターフへと視線を向ける。言葉を止めずに流し続ける実況と解説とは裏腹に、観客たちは次第に言葉を切り上げてウマ娘達が放つ雰囲気にのまれて行く。ロンシャン競バ場に集まる誰もが熱気を抱えながら始まるレースの前にそれを抑え込む。

 

 今か、今かとゲートが開く瞬間を待ち、ウマ娘達がスタートに備える。

 

 ゲートインが完了し、静かな時間が過ぎ去り―――今、ゲートが開く。

 

 レースの開始と同時に前へと向かってハナを奪う為の戦いが始まる、先頭を行く姿にハナを奪われない為に後続のウマ娘達が前に飛び出そうとし、しかし次の瞬間には前に走る姿を見て異常性を悟る。

 

「やられた……!」

 

 東条が乗り出すように欄干に拳を叩きつけて、レースの最後方を見る。

 

 追い込み、最後方に備えるウマ娘の中には当然のようにそれを最も得意とするディープインパクトが存在し、そしてその真横に付けるように、後方で走るクリムゾンフィアーの姿がある。

 

 追い込み―――それが赤毛の暴君の選択だった。




クリムゾンフィアー
 脚質の苦手は心と脳を弄れば改善できるのでは? を自分で実行した女

ディープインパクト
 数年前の夏の反動でバブみ接種すると秒でオギャる永続デバフを受けてる

マミー
 URAに招待されて現地観戦に来た。秒で二人をオギャらせられる


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80話 凱旋門賞 Ⅲ

「ディーの弱点は何だと思う?」

 

「追い込みしか走れない事だと思う」

 

 ディープインパクトはスタートが弱いから追い込みしか走れない。だがそのスタートの弱さはクリムゾンフィアーからコンセントレーションの技術を学ぶことで克服した。それも早期に。それでもディープインパクトは追い込みで走った。

 

「ディープインパクトは小柄ながら圧倒的なセンスとフィジカルを持つウマ娘だ。彼女に勝つのは並大抵の事では無理だ。だけど付け入る隙そのものは存在する……彼女が追い込みしか走らないというのが一つの回答でもあると考えているけど」

 

 西村は何度も国内で走っているディープインパクトのレース映像を入手してはその走りを分析していた。スピカにミスターシービーというレジェンドが存在するからこそ比較する事が出来ていた。ディープインパクトはスタートの下手さをラーニングした技術で誤魔化している、と。

 

「あぁ、あれはディー本人の気質の問題でもある。たぶん精神的な問題がそのまま走りに沁みついたんだと思う。改善したとしても走りを変える事はもう無理だと思う」

 

 クリムゾンフィアーは恐らく、最もディープインパクトの内面を理解しているウマ娘だった。だからこそディープインパクトが追い込みで走るのは、彼女がそれ以外の走りが出来ないためだという事実をしっかりと理解していた。だからこそ対策するのであれば、その走りに対してではだめだと理解していた。

 

 リギルは王者のチームだ。日本トレセン学園ではリギルが最強だと言われている。スピカも近年の活躍でそれに匹敵するだけの強さと名声を稼いでいる。だがリギルは三冠ウマ娘を何人も輩出している。単純にそれだけの強さ、経験、知識、そしてノウハウが蓄積されている。

 

 故に追い込みに対する対策と、そして克服する為のデータも揃っている。

 

「普通に考えれば先行策か逃げ……大逃げ辺りを採用するのが常道だ。追い込まれる前に逃げ切ったり前に出たりすれば良い。それで逃げ切るのが理想だろう」

 

「そうだね。だけどフォワ賞の映像を見る限り早い段階から前に出る事でそれに対して対策をしてきているみたいだね」

 

 ブルアカの話で流れてしまったが、フォワ賞の走り自体は後から映像で確認した。近代日本競バの結晶とも言えるものがディープインパクトの走りにはあった。

 

「彼女の走りは近代日本競バの完成形だ。リギルが送り出せる理想とも呼べる強さを持っている。ディープインパクトに乗せられている期待は凄いものだし、それを実現できるだけの能力がある……言ってしまえば彼女は正統派ウマ娘の究極だ」

 

 圧倒的なスペックと走りで他を凌駕する。圧倒的なスペックの前では他の全てが陳腐となる―――西村の調整によってディープインパクトのコンディションは完璧な状態でキープされている。史実であれば“調子が悪くて飛ぶように走らなかった”という事がない様に、完璧な調整が行われている。

 

 つまり100%中の100%を発揮できる状態にまで練り上げられている。既にその強さは世界で戦えるレベルにある。それでも彼女が国内で走り続けたのは単純に彼女自身が走るステージに対する興味を一切持たなかったからだろう。

 

 だがその怪物が漸く日本という檻から解き放たれた―――結果は既にフォワ賞が示している。

 

 絶望だ。

 

 圧倒的な絶望だ。他者の介在を許さない絶望的な末脚、そしてクリムゾンフィアーという唯一無二へと対抗する為に徹底されたスタミナの増強。東条ハナという人物は決して油断もしなければ慢心もしない。リギルらしくディープインパクトのスペックを限界まで伸ばしながらその長所を更に伸ばし、弱点である前に出るような走りに対する対策を作った。

 

 全ては赤毛の暴君に勝利する為に。対策に対策を重ね、想定する。

 

「恐らく大逃げで来るでしょうね。追い込みに対抗するにはそれしかないでしょうし」

 

 東条ハナはそう想定した。実際、究極の追い込みに対して究極の大逃げで対抗するのは戦術的に間違ってはいない。末脚を発揮される前にゴールする、それ以外にディープインパクトの走りに勝てる手段はないと考えた。

 

 ―――だが、違った。

 

「そもそもの話、走りという領域でディーに勝とうと考える事自体が間違いだと思う」

 

「その心は?」

 

「アイツは間違いなく現日本最強のウマ娘だよ。走りに関しては上限叩いてると思う。これ以上劇的に成長するのは難しいと思う。だから走りで対抗するのは難しいと思う。俺も既に身体上のスペックは上限を叩いてると思うし」

 

 だからだ、と言葉を口にする。

 

「勝負するなら脚じゃなくて頭と心だな」

 

「成程、本来のスタイルに戻して勝負するって事なんだね?」

 

 西村の言葉にクリムゾンフィアーは頷いた。簡単な話だった。赤毛の継承者、伝説の後継者、等速ストライドを唯一継承する事に成功したウマ娘―――KGⅥ&QEステークスを見た以上、誰もが同じように走ると考えている。

 

 だからその思考の裏を掻く。

 

 元々クリムゾンフィアーというウマ娘は頭の良さで勝負するタイプのウマ娘だった。等速ストライドを活用していたのは単純にそれが強いから。先行策で走っていたのはそれが環境的に強いから、でしかない。

 

 そもそも、この女に走りの苦手とか得意とかは存在しない。生まれが特異であれば育ちも特異、その精神性は既に人類を逸脱している。

 

 自分の苦手意識を改造する事で得意な脚質を切り替える事自体、難なくやってのける。

 

 だからこそ―――だからこそ、赤毛の暴君はターフにおいて最も理不尽に輝く魔法使いになる。

 

 感じ取る事、感じさせる事、その共感性に恐ろしい程に秀でたウマ娘は他人の心にさえも潜り込む。集団の中で自然と一緒に居る事に苦を覚えないのはなんとなく相手の好きな事が解るから。他人といて自然と好かれるのは嫌がる様な事が解るから。

 

 クリムゾンフィアーの瞳にはその人が個人で抱える悩みや長所、短所と言えるものがくっきりと映っている。そんなもの、自分の心を改造して領域を改良するよりも遥かに容易い事でしかない。

 

 だが、それは同時にレース中にどう相手を崩せば良いのか解っているという事でもある。

 

 ゲートインする寸前まで全てを飲み込む様に観察していた赤毛はゲートに入った直後には既に作戦を決めていた。事前に用意された10のプラン、その内一つを周りの欠点と状態に合わせて構築する。そして走り出しと共に下がった時に東条は唸った。

 

「やられた……!」

 

 狙った、狙われた、()()()()()()()()()()()()を。

 

 本来は前に出て走る筈の姿が後ろに下がった事で、先行・逃げに通じる筈の妨害手段は潰える。ターゲットが後ろへと下がった事で走りは衰えるのか? そんな事はない、そんな事で沈むような雑魚がこの大舞台に上がれるはずがない。

 

「ち―――!」

 

 誰かの舌打ちの声がターフに響く。スタンドから響く声は出遅れたと思ったものか。だがその歓声さえもここでは武器になる。苛立った誰かの神経をクリムゾンフィアーが刺激する。連鎖的にそれが他のウマ娘の邪魔になる。

 

 たった一つ、一手差し込んだだけで複数人を連鎖的に巻き込んでデバフの連鎖を起こす。

 

「ふふ、やはり私に一番近いのは君だったねフィアー」

 

 くすりと笑うルドルフの視線の先でロンシャンのターフをウマ娘達が走る。衝撃を吸い込むような重い芝生の上を圧倒的なパワーで蹴りつけながら前へ、前へと向かって上がって行く。

 

 体の揺れや息遣い、ペースを意識してズラす事でトリックを起こし、相手をかからせたり疲れさせる技術は確かに存在する。だが精神的な制約からドバイで解き放たれたクリムゾンフィアーにその手のブラフはそもそも通じない。

 

 二つに分かたれた領域も、本来の形へと戻す為に統合された。

 

 元来の走りを再び引っ張り出し、自分のスタイルで走る。

 

 無論、継承された等速ストライドという技術は恐ろしく強い。だがここに至って対ディープインパクトという一面において、等速ストライドを使用した走りはイチかバチかという領域にまで引き下げられているのは単純にリギルと東条ハナ、ディープインパクトの積み重ねてきた努力の賜物だ。

 

 絶対を崩す為の戦術は、その前提を放棄する事で崩壊する。

 

 即ち―――今、この場において、等速ストライドを捨てた素のままの状態こそが、最強の証明だった。

 

 序盤を抜ける頃には観客達が待ち望んだ領域が展開される。満天の星と見覚えのない花畑。その中を必死にウマ娘達が駆け抜けて行く―――先行策有利と思えたロンシャンの走りはたった一人のウマ娘が前提を崩壊させることによって決壊していた。

 

 レースはその事前の宣告の通り、赤対黒の一騎打ちになりつつあると既に見ている一部の者達は理解していた。

 

「そう、それでいいのよ……引退したロートルも、ターフを去った敗北者もいらない。今、ここに立つ若人たちがその未来を燃やしてまで走る事にこの場は意味があるの。貴方達の走りを、凱旋門をレジェンドだなんてつまらないもので穢すなんて……あんまりにもつまらないわ」

 

 鳴くカモメの視線の先で黒の姿が上がり始める。中盤加速の技術と継承領域を駆使した加速で一気に前に出るのを、当然のように邪魔しない距離を空けて赤毛が並んで上がって行く。

 

「っ……!」

 

 剥がせない。それをディープインパクトは理解していた。加速しながらも無意識的に速度を調整してしまう。前に出たいのに出られない。先行策によって後ろからロケットの様な飛び出しを封じられているのも一つ、だがそれ以上に完全にディープインパクトの性格を知り尽くしたクリムゾンフィアーの走りが邪魔していた。

 

 並び、走り、そして合わせてしまう。

 

 元来他人を苦手としているウマ娘だ。パーソナルスペースに誰かが踏み込む事を嫌がるタイプのウマ娘でもある。それが走りとして出ている結果が追い込みという脚質。他人とふれあい、精神的な成長をしても根本の性質に変化はない。

 

 その弱点をクリムゾンフィアーは良く理解している。良く理解しているからこそ、利用して加速していた。

 

 中盤、加速するべきタイミングでディープインパクトと同じタイミングで出る事でその加速を不発させつつ、自分だけ領域の後押しを受けて前に出る。一拍遅れてディープインパクトも再加速に入る。残弾はある、そしてこのタイミングで前に出なければ絶対に追いつけなくなるのを本能で直感している。

 

 それでも、先に前に出たのはクリムゾンフィアーだった。

 

「そうだ、そこで加速力を不発させれば最終的な速度勝負は、加速を乗せて速度上限を伸ばせる此方が勝負で有利になる。中盤戦は終盤への要、ここで下手を打つと最後に響く」

 

 拳を強く握りしめながら祈りつつ西村が見守る。

 

 ディープインパクトが歯を食いしばる。本来であればもっと前に出てからスパートに入るべきなのだろう。だが現時点でスパートに入らなければ絶対に間に合わないというのを理解し、スタミナを燃焼させるように前に出る。

 

「こい、つっ」

 

 前を走るRail LinkとPridewを交わし、最終コーナーでクリムゾンフィアーの姿がハナに立つ。後ろから凄まじい速度でディープインパクトが上がってくるのを継承領域による最終加速に入る事で自分を更に追い込む―――潤沢なスタミナも、ここまで来れば全て燃焼するのに回せる。

 

 フォルスストレートも抜け、最後のコーナーも終わりを告げた。

 

 残された最終直線。それまで見せてきたクリムゾンフィアーの強さを全て囮に使った走りは、警戒に警戒を重ねた全てのウマ娘に悉く突き刺さった。差し込むべき妨害手(デバフ)も、追い込みから入られたという一点によって崩壊した。

 

 故に、最後に残されたのは速度勝負。

 

 最後の直線―――ハナを行くのはクリムゾンフィアー。

 

 3バ身後ろにディープインパクト。

 

「行け! 行け! 行け! そのまま逃げ切れフィアー!!」

 

 熱狂が支配するステージの中で、どこまでも冷え切った脳でターフの上をクリムゾンフィアーが思考を回し続ける。最終直線500m少し、その半分以上を駆け抜けてディープインパクトの姿は1バ身半までに迫っている。

 

 ―――このままだとハナ差で差し切られるな。

 

 冷静に自分のトップスピードに乗ったクリムゾンフィアーが判断する。事実として、ディープインパクトは単純な完成度として、己を凌駕している。まともに勝負したら勝てない。戦うのであればまともじゃなければ勝てない。

 

 皐月賞がそうだった。まともに相手しようとしたから負けた。

 

 だからこそ皐月賞と同じスタイルを持ってきた意味がある。

 

「差し、切るっ」

 

 鬼の形相と気迫を放つディープインパクトが上がってくる。どのような領域を以て加速し、速度を上げようがギリギリのラインで差し切る。そのイメージを己の中で構築し、実行する。他の有象無象が放つ妨害手も何も、もはや届かない。二人だけの世界しか見えていない。

 

 一手。

 

 差し込める詰めの手は一手のみ。二手目の猶予はない。ただの一手だけでディープインパクトの追撃を止める必要がある。その手段が存在するか否か。

 

 その問いに、クリムゾンフィアーは酸欠に喘ぎながら笑った。

 

「最強とは、俺の事だ」

 

 言葉にもならない吐息。だが詰みの一手は確かに放たれた。

 

 競バ場に響くのはガラスが砕け散る様な音―――領域の崩れる音。クリムゾンフィアーの支配する領域内では起きない筈の現象、ならば誰がその引き金を引いた? 無論、その主以外にはありえない。

 

 即ち、音を立ててクリムゾンフィアーの領域が自壊した。

 

「―――」

 

 神の一手、詰めの一手、詰みの一手。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という奇襲。一度限りしか成功しないそれはライバルを確実に倒す為だけに用意された攻略手段。即ち相手が全力で自分に挑み、解析し、それで利用して挑んでくるという想定で行われる奇襲。

 

 クリムゾンフィアーの領域を知るウマ娘は誰もが背負う領域、つまりは想いの量が勝敗に転ずると考えるだろう。だから誰もがそういう準備をしてくる。

 

 だから土壇場で、その梯子を外す。一度やれば対策される簡単な奇襲戦法だ。

 

 だが経験したことが無ければ絶対に刺さる。この場に展開される領域は複数。クリムゾンフィアーの領域が解除された事で条件を満たされぬ領域は強制解除され、そして同時展開されていた領域はイメージの衝突により相殺し合う。

 

「っ―――ぉぉおおおおおおお―――」

 

 崩れる自分の領域を補う様に咆哮するディープインパクトが鬼の末脚を見せる。

 

 ほぼ赤の姿と並ぶように黒い姿が出てくる。ハナ差、ハナ差だけが残される。既にゴールラインは見えている。一歩、二歩、三歩―――前に出るだけ。それだけで差し切れる。

 

 差し―――切れない。

 

 距離が変わらない。ハナ差で距離が固定される。ゴールラインはもはや一歩先。

 

 そして同時に、もつれあう様にゴールラインが切られた。




クリムゾンフィアー
 皐月賞のリベンジのつもりなので最初からこう走ると決めてた


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81話 凱旋門賞 Ⅳ

 審議中のランプが出ている。だけど横で並んで走ったからこそ解る。ハナ差―――それも数センチ差で俺の方が前に出ていた。ゴールラインを抜けて少しずつ速度を落としてゆっくりと脚を止める。限界まで酷使した肺が酸素を求めている。大きく息を吸い込み、吐き出す。

 

「ふぅ―――」

 

 吸い込む空気の味が美味い。

 

「これが勝利の味かぁぁぁああ―――!!」

 

「負けたああああー! ああああー! 負けた―――!!」

 

「がーっはーっはーっは!」

 

 ギャン泣きするディーがターフに転がって手足をバタバタする姿に横からスライドインしながら顔を寄せる。

 

「お前のその表情を見たかった……!」

 

「うううう……うぅぅぅぅ―――!!」

 

 げらげら笑いながら立ち上がり、満面の笑みでスタンドに向かって中指を突き立てる。興奮する観客を煽るように持ち上げるようにジェスチャーを取れば呼応するように観客席からコールが返ってくる。そしてついに電光掲示板に、一着の表記が出る。

 

 ―――無論、俺の番号で。

 

 歓声に包まれるロンシャン、絶叫と怒号に喜びの悲鳴。推しの負けに泣き、推しの勝利に泣く。今ここに、凱旋門賞の勝者が決定した。グランプリ2冠目、その事を証明するように指を二本立ててステップを取るようにターフの上でウィニングランを決める。

 

 俺、今大変気分が良いです。最高に気分が良いです。ふはははは、もしや我ってば……最強なのでは? いや、これで欧州最強なのは確定だろう。カルティエ賞もこれは絶対に貰ったわ。後はエクリプス賞取ってしまえば世界は俺という存在を歴史に刻むしかないだろう。がっはっはっは、やっぱり大変気分が良い。

 

 ウィニングランを止めて、祝福するように舞うバ券のシャワーを前に息を吐く。

 

「……これで、グランプリ二冠。次はアメリカだな」

 

 楽しい楽しいレースだった。これ以上なく完璧に策のハマったレースだった。領域でのごり押しでもスペックでのごり押しでもない、賢さUG級の完璧な作戦だった。それが綺麗に刺さった瞬間は言葉にもならない心地よさと楽しさで満ちてる。

 

 悔しそうにターフに転がっているディーを見て、ゴールして悔しそうにしている他のウマ娘達を見る。

 

「最高に気分が良い……!」

 

 こういう敗者を見下すの、悪い事だとは思うけど最高に気分が良いよ。バーン様もそう言ってる。

 

 

 

 

「おめでとう、フィアー。これで名実ともに欧州最強バだよ」

 

「俺は今、サイコーに気分が良いわ」

 

 控室に戻った所で笑いながら置いてある椅子に座り込む。流石にレース直後の事もあってディーとは別れている。今頃控室で反省会か何かをしている所だろう、これで終わるとはどうしても思えないし。国内無敗が海外でライバルに敗北ッ! いやあ、最高に気分良いわ。

 

 未だに体の中にレースの熱がある。強制的に択を与え、それを外す。相手にも考える事を強要させるレース、それをその上でコントロールして勝利する。これまでで一番自分らしいレースが出来た気がする。毎度毎度こういうレースが出来れば良いのだろうが、ウマ娘の勝利への執念はすさまじいものだ。

 

 次回までには当然ビデオ研究から心理研究でどういうレースを好み、どういう走りを取るのか金をかけてまで研究してくるだろう。力のごり押しは戦術で対応できる分、戦術的な勝負はその分析で対応できる。理想は二つを合わせた戦い方で勝利する事だ。

 

 そういう意味じゃディーの追い込みと、スズカみたいな大逃げは対処が難しい部類だろう。まあ、それでも今回は俺の勝ちだ。タッチの差勝利でも、その差は読みの差による圧倒的な差だ。次回この差をどう覆すのか、それを考えるだけでも楽しい。

 

「次は来月にBCクラシック、それが終わったら日本で有マを走って引退だ」

 

「はい、靴を脱いで足首を見せて。ライブ前に軽く検診するから」

 

「おう、宜しく……ズボン脱ぐか?」

 

「慎みを持って」

 

 西村の言葉に笑い声を零して靴を脱いで足を持ち上げる。その前に跪く西村が足首をチェックをする。冷却用のスプレーを近くに置いてあるのはもしもの場合に備えてだろうが、今期はそこまで酷使する走りをしていないから熱はそこまでない。

 

「しかしディープインパクトが並ばれるのを嫌がるとはよく解ったものだね」

 

「日常生活を一緒にしてるからね。ディーはね、並ばれると相手にペースを合わせちゃう所があるんだよ。追い込みという走りが得意なんじゃなくて、アイツは追い込みしか走れないんだよ。バ群が根本的に苦手なんだよ」

 

 だから差しも先行も無理。だいぶコミュ能力も上がってきたが根本的な気質は変えられない。ディーはアレでまだまだ人見知りな部分が大きい。だから追い込みでしか走れない。逃げで走ろうとすると後ろを気にしすぎてまともに走れなくなるだろうし。

 

 だからディーだけをマークして走るなら同じ追い込み、速度を合わせて中盤まで加速力を封じ込めつつペースを乱して、そこから1人で前に出るのが一番勝ちの目がある。今回はそれが完璧にハマったパターンだ。

 

 勝つとすればそれに加えて先に前に出るぐらいだけだろう。あの末脚を完璧な形で発揮させないのが最大の勝機だと思う。

 

「うん、これならライブも問題なさそうだね。汗で軽く乱れた化粧を直す為にスタイリストを呼ぶよ?」

 

「おう、頼む」

 

 謎技術によってつくられている勝負服、ズボンを軽くまくって靴下を履き直した程度では皺にならないのは相変わらず凄いなあ、と思う。靴下と靴を履き直して軽く立ち上がる。ヨーロッパはヨーロッパで日本とは違うライブ曲を採用している。中には無論、凱旋門賞専用の曲もある。

 

 つまりこれからのライブで歌って踊るのもそういうのだ。実はこのクリムゾンフィアー、何と言ってもこの手の覚えて実践するだけの事は得意なのだ。ダンストレーナーが伝えたい意図を感じ取って実践するだけだから、割と簡単に覚えられる。

 

 ハローとかいう卑しい女も凄い優秀って褒めてくれる。よっしゃ、西村襲って良いぞ。俺は事あるごとに西村をリリースしようと思う。アイツの女性関係滅茶苦茶になってくれねぇかなぁ。もう既に滅茶苦茶か。

 

「しかし、引退かあ……」

 

 西村がそんな事を呟くのを、俺は自分の右膝を抱く様に椅子に座って見る。

 

「なんだよ、俺が引退するのが不満か?」

 

「まあ、不満と言えばそうだし、そうじゃないと言えばそうかな。究極的に僕は君の味方で、君がやりたい事を全力で成し遂げる事を仕事だと思っているし。トゥインクル最初の3年間はウマ娘にとって最も大切な時期だ……それを走り抜けたら引退するも、ドリームに行くのも自由だと思うよ」

 

「じゃあ、なんだよ」

 

 西村は俺の言葉にうーんと唸る。先ほどから部屋に置いてある俺と西村のスマホが絶えず震えてる。恐らく日本初の凱旋門賞制覇に色々と連絡を取りたい奴で溢れているのだろうが、この勝った直後の余韻を関係のない奴に崩されたくなくて放置してる。

 

「まあ、勝手な話だけど」

 

「勝手な話だけど?」

 

 西村は苦笑する。

 

「大いに迷惑はかけられたけど、それだけ楽しい3年間だったよ。そうだね、もうそろそろ君と駆け抜けた3年が終わりを告げると思うと寂しいと思ってるんだ。騒がしくて、馬鹿々々しくて、それでも終わるのが惜しく思うぐらい……楽しかったよ」

 

 西村の言葉ににへら、と笑みを零す。

 

「人生のエンディングは既に見えてるんだ。走れば走るだけ俺達の脚は使い減りするんだ。だったらな、どこまで行けるかじゃなくて……大事なのはどういう風にエンディングを飾るか、って事なんだと思う」

 

 終わりを選べない奴なんて世の中腐る程いる。不慮の事故でその後の人生が狂う奴だっている―――俺だって突然の流行病に合併症でころりと逝っちまった。誰が世界規模でパンデミックが起こるなんて事を予測できた?

 

 人は死ぬときは死ぬんだ。

 

 それが何であれ、終わりは絶対にやってくる。人生とはそのゴールを目指して走り続けるレースだ。

 

 だから、どこをゴールにするかを常に忘れちゃならないんだ。確かに、三大グランプリを取って有マを勝って俺のレース人生に終わりを付けるというのは挑発であり、煽りでもある。だけど俺は別段、それで人生の全てが終わりだとは思わない。

 

 他にもやれることはたくさんあるし、見てないものは多い。ターフで走るだけが人生じゃないんだ。名実ともに最強の名を手にしたら、それを一つの区切りとしてもっと広い世界に踏み出すのも決して悪いもんじゃないと思う。

 

 ま、それも全部終わってからの話だ。

 

「別段引退した所で縁が切れる訳でもないんだし、気楽にやっていこうぜ西村。死力尽くして走って楽しむだけだ」

 

「また気楽に言うもんだ」

 

 こんこん、と扉のノック音が響く。どうやらスタイリストが来てくれたらしい。レース中に乱れた髪や化粧を直してライブに備える為にさっさと鏡の前の椅子に移動する。

 

 しかし―――あぁ、これで二大グランプリ制覇だ。

 

 史上最強まで、あと一つ。




クリムゾンフィアー
 西村の休みの日をストロング葵などに横流ししてる

西村
 なぜか休日に良く同僚とエンカウントする


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【目指せ】炎上する赤毛を応援するスレ【三大制覇】

 このスレは日本トレセン学園出身のウマ娘クリムゾンフィアーに関するスレです。

 クリムゾンフィアーは日本中央トレセン学園所属、日本出身のウマ娘です。

 決してアメリカ出身のウマ娘ではありません。

 また、決してイギリス王室所属のウマ娘でもありません。

 また、シャンティイ出身のウマ娘でもありません

 umatter.com/Crimson_Fear 赤いウマカスの炎上アカ

 umatter.com/SocialFear 赤いウマカスソシャゲ連携用アカ

戦績

 朝日杯FS 1着

 ホープフルS 1着

 皐月賞 2着

 ケンタッキーダービー 1着

 プリークネスS 1着

 ベルモントS 1着

 ドバイWC 1着

 KGⅥ&QEステークス 1着

 凱旋門賞 1着

 

 

 

 

555:名無しのファン

 流石に日本を走らないウマ娘が凱旋門走るなは酷くないか?

 

 

557:名無しのファン

 また変な燃え方してる……

 

 

560:名無しのファン

 赤いのは何時だって燃えてるからな

 今日も勝手に燃える

 

 

562:名無しのファン

 まあ、国内ほぼ走ってないのに日本バと言われても……ってのは解る

 

 

564:名無しのファン

 >>562 おいばかよせ

 

 

567:名無しのファン

 >>562 Crimsonはとても良いウマ娘だ

 強く、早く、そして何よりもステイツに栄光を取り戻してくれた

 同じステイツ出身の者としてとても彼女の活躍が嬉しい

 

 

570:名無しのファン

 ここまでテンプレ

 

 

573:名無しのファン

 なにやってんだよ! 大統領!!!

 

 

574:名無しのファン

 言いたい事は解るけど完全に大統領の召喚詠唱になってんだよな

 

 

576:名無しのファン

 大統領何をしても湧いてくるのは面白いけどな

 

 

577:名無しのファン

 まあ、順調に人の脳味噌を焼いてくからなあの赤毛

 

 

579:名無しのファン

 日本初米三冠←ファ!?

 テロで昏睡状態←ファ!?!?!?

 復活のドバイ←おひょおおおおおわああ!?

 

 脳味噌壊れるでほんま

 

 

581:名無しのファン

 赤毛「ヒトカスの脳味噌壊すの大好き^^」

 

 

583:名無しのファン

 マジで言いそうな辺りがアレ

 

 

584:名無しのファン

 実際赤毛が凱旋門勝利で日本のウマファンの脳味噌全焼してるからな

 

 

585:名無しのファン

 赤毛鹿毛CPでワンツーフィニッシュのロンシャンデートじゃ!

 

 

587:名無しのファン

 心はぴょいぴょいするけどそれはそれとしてお前らおかしいよ

 

 

589:名無しのファン

 それはそう

 日本バそんなに強かったっけ……とはなる

 

 

591:名無しのファン

 まあ、実際勝ってるし今の日本のレベルも上がって来たという事なんだろ

 問題は赤毛がまだ海外から帰ってこないという事なんだが

 

 

593:名無しのファン

 アイツ本当に日本のウマ娘なのかなあ……

 

 

594:名無しのファン

 トゥインクルシリーズ海外活動期間の方が長い気がしてきた

 

 

596:名無しのファン

 ジュニアはずっと日本だったし日本のが長いでしょ!

 それはそれとしてそろそろ国内で走りませんか?

 ジャパンカップとか……余裕ない? はい……

 

 

598:名無しのファン

 >>596 BCからJC走れは鬼畜の所業なんだよ

 

 

601:名無しのファン

 >>598 いいですか、落ち着いて聞いてください

 朝日杯FSからホープフルも大して変わらない

 

 

604:名無しのファン

 う、うん……

 

 

605:名無しのファン

 それを言われると困る

 

 

606:名無しのファン

 朝日杯~ホープフル皐月はまだ解るわ

 純粋にすげー! 今年のクラシックは燃え上がるぜ! ってなったよ?

 

 

607:名無しのファン

 そこからケンタッキー優勝NTRビデオレター!

 プリークネス! ベルモント! はい! 史上初日本バで米三冠!

 はい

 

 

608:名無しのファン

 はい、じゃないが……?

 

 

610:名無しのファン

 >>608 はいとしか言いようがねぇんだよ!!

 

 

611:名無しのファン

 それはそうなんですが

 

 

612:名無しのファン

 アレはもうウマというかUMAを見てる感覚で見てる

 見てる(スピカに住み着いた四本脚の生き物を見る

 

 

615:名無しのファン

 学者発狂、ウマの起源らしき生物

 

 

616:名無しのファン

 唐突にトレセン学園に住みだす神話生物

 

 

619:名無しのファン

 今年のトゥインクルも盛り上がったなあ(目逸らし

 

 

620:名無しのファン

 まだまだ盛り上がるんだよなあ……BCクラシックと有マが残ってるし

 

 

622:名無しのファン

 どうだろ

 赤毛が飛びぬけて優秀なのは証明されたしな

 ぶっちゃけこれ以上走られてもなあ……って気はする

 

 

623:名無しのファン

 それがファンの発言か???

 まあ、でもリベンジも達成したしな

 

 

625:名無しのファン

 ぶっちゃけKGⅥ&QEと凱旋門で世代に対する格付けは終わってるんだよな

 芝で赤毛に勝てるウマ娘はいない

 

 

628:名無しのファン

 なんなら土でも勝てない事はクラシックとドバイで証明してるからな

 

 

631:名無しのファン

 活躍を見たい反面圧勝してる姿が見たいわけじゃないんだよなあ

 最近勝ち続けてるのがちょっとつまらない

 

 

632:名無しのファン

 ひ、酷い事を言う

 勝てないまま引退するウマ娘なんて腐る程おるんやぞ

 

 

633:名無しのファン

 ただ勝って勝ち続けるウマ娘が退屈なのはそう

 

 

636:名無しのファン

 こういう連中がいるから赤毛もSNS交流止めたんだろうな、って

 

 

637:名無しのファン

 割と最近まではSNSでレスバしてたのにな

 

 

639:名無しのファン

 まあ、凱旋門に勝ってテレビもSNSも勝手に盛り上がってればな

 日本ウマ娘なら日本で走れとかなんとか勝手に外野が叫んでるのはいい気しない

 

 

641:名無しのファン

 日本のメディアは質がね……

 

 

642:名無しのファン

 海外のメディアの質が良いみたいな話をするじゃん

 

 

643:名無しのファン

 パパラッチ(小声

 

 

645:名無しのファン

 カピバラに殲滅されるメディアがなんだって????

 

 

647:名無しのファン

 最近は自動巡回する四本足のゴルシがメディアを蹴散らしてるらしいな

 

 

650:名無しのファン

 つえーな野生組

 

 

651:名無しのファン

 ナチュラルに狂いそうな会話するの止めない?

 

 

653:名無しのファン

 え、あ、マジで?

 

 

655:名無しのファン

 あ

 

 

658:名無しのファン

 ん? なんかあった?

 

 

661:名無しのファン

 ニュース見ろニュース

 

 

663:名無しのファン

 エレクトロ心臓発作で入院だとよ

 

 

666:名無しのファン

 エレちゃん心臓発作マジで!?

 

 

667:名無しのファン

 赤毛の対抗が1人減ったなあ

 

 

668:名無しのファン

 うへえ、ゴドルフィンからの公式声明出てるじゃん

 練習中に心臓発作で倒れて搬送、BCは見送り

 

 

670:名無しのファン

 マジかよ

 

 

672:名無しのファン

 命に別条がないのが救いだな

 相当詰めてたらしいからそれが原因かもな

 

 

674:名無しのファン

 赤毛がウマッターで荒れておられる

 

 

676:名無しのファン

 静まれ! 静まりたまえ!

 

 

679:名無しのファン

 さぞや名のあるウマ娘と見受けたがなぜそのように荒ぶるのか!

 

 

682:名無しのファン

 荒ぶる理由しかねえよ!!

 対決、楽しみにしてたのにな……

 

 

684:名無しのファン

 エレちゃん妙に高評価なんだよな

 GⅠ大体日本バに負けて取られてるイメージしかない

 

 

685:名無しのファン

 アレガチもんの天才で負ける度に学習してるタイプだよ

 次辺りヤバイ事になって勝てるかどうかって前インタビューで言ってた

 

 

686:名無しのファン

 プイがライバルじゃないんか?

 

 

688:名無しのファン

 プイは1回限りなら勝率ほぼ9割持ち込めるつってたでしょ

 実際凱旋門で勝ってたし

 

 

689:名無しのファン

 その9割とかヤバイとかの理屈が解らん

 あの赤いのヤバイ強いじゃん

 領域と等速してるだけで充分勝てるでしょ

 

 

691:名無しのファン

 現代競バは昔と違って映像分析やデータ解析あるからな

 脚質とかじゃなくて呼吸のタイミングとか歩幅とか数字で見て対策練れるんだよ

 だから昔ほど絶対って概念が通らなくなってるんだわ

 

 

693:名無しのファン

 赤毛はそこら辺良く理解してる

 最近は暴力的な走りをしてたけど凱旋門で見たでしょ

 元々すっごい頭の良い走りをする奴だって

 

 

695:名無しのファン

 そうか? 普通に差して逃げただけじゃない?

 

 

696:名無しのファン

 たぶんドバイとKGQEで作った等速ストライドと領域のイメージを隠れ蓑にしてたよ赤毛

 

 

698:名無しのファン

 >>696 解説の元カイチョーが言ってたね

 アレ、見える範囲で暴れたりしてるのは7割ぐらいパフォーマンスで印象作ってるって

 

 

699:名無しのファン

 ほんとかぁ? ただのソシャカスじゃない?

 

 

700:名無しのファン

 ソシャカスなのは素だろ!!!!

 あそこまでソシャカスなウマ娘も中々珍しいよ

 

 

702:名無しのファン

 プイ「これ……今月の天井代だ……よ」

 

 

703:名無しのファン

 赤毛は自分で天井するから

 

 

704:名無しのファン

 プイ「ガチャを回さないで……私を、回して?」

 

 

705:名無しのファン

 絶妙に意味不明で言いそうなライン突いてきたな……

 

 

707:名無しのファン

 これは解像度が高い

 

 

708:名無しのファン

 解像度が高いって何が????

 

 

710:名無しのファン

 ガチャに嫉妬するか? 湿度高いししそうだな

 

 

713:名無しのファン

 ガチャに嫉妬するウマ娘中々いないよ

 

 

716:名無しのファン

 お、BC出走表公開か

 

 

718:名無しのファン

 ん??

 

 

720:名無しのファン

 見覚えのある名前だなぁ(震え声

 

 

721:名無しのファン

 レジェンド枠そこかぁ

 

 

722:名無しのファン

 BCクラシックヤバいぞこれ

 

 

725:名無しのファン

 だ、大統領! 息をしてない……!

 

 

727:名無しのファン

 それはそう

 

 

729:名無しのファン

 大統領だって死ぬときは死ぬ

 

 

730:名無しのファン

 BCクラシックが赤毛最強決定戦になるってマジ?

 

 

733:名無しのファン

 新旧赤毛対決じゃああああ!

 

 

735:名無しのファン

 セクレタリアト出走! セクレタリアト出走!!

 

 

736:名無しのファン

 出走許されるの!? 許されたの!?

 

 

739:名無しのファン

 引退じゃなかったっけ? え? マジ? ガセじゃなく? マジかぁ




エレクトロキューショニスト
 ガイドライン神のご加護による命が助かった

セクレタリアト
 お願い大統領♡

大統領
 はぁい♡


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82話 今こそ貴女を超える時……!

 ほぼ1年ぶりのアメリカ訪問である。

 

 去年のテロの影響もあって警備は厳重、なんと政府から交通規制まで敷いてお迎えして貰った。ここまでやる必要あるのか? とは思ったが実際の所1回テロで昏睡してしまったのは事実だし、ダート方面における競バ大国であるアメリカの名に傷をつけるような行いはしたくはないのだろう。

 

 ここは政府からのエスコートに甘えて、そのまま見慣れたケンタッキー州のド田舎へと移動した。

 

 向かう先は一つ、当然サンデーサイレンスの家だ。アメリカ滞在中はここに泊まる事にしているのは前回の縁もあっての事だ。サンデーサイレンスからもOKは貰っているし、遠慮なく利用させて貰う事にする。それに今年のBCクラシックに関して、聞きたい事もあった。

 

 そんな訳で前よりも警備のグレードが上がっているサンデーサイレンスの私有地に入り、そこから広い土地を抜けて彼女の家の前まで車でやってくる。降りた所で、扉の前で四本足で立って迎える姿が見える。

 

「―――キュ」

 

 そう、カピ君である。

 

「カピ君……強く、なったな……」

 

 え? そういうノリなの今回? みたいな視線を西村が向けてくるが、無視だ無視。彼我の距離は10メートルほど。そこまでくると後ろ脚で立ち上がったカピ君はアリクイの威嚇のポーズを取ってくる。この先を通りたくば自分を倒してみせろ、という意思表示だった。

 

 その目を見れば解る、長い旅路の果てに様々な出会い、別れを経てカピ君は強くなった。まずはゴミカスの様なマスゴミを薙ぎ倒し、ヒマラヤでカピバラ仙人と出会い、そしてそこから世界を巡り多くのライバルたちと競い合った。その果てにカピ君はこの始まりの地へと戻って来た。少し離れた場所ではワニが唾を飲み込んで緊張の中見守っていた。

 

「キュ」

 

「そうか、ついに下克上を果たしに来たか」

 

「フィアー、あんまり異能バトルし始めないようにね。ジャンル変わっちゃうから」

 

 西村の言葉に俺は頷く。俺はスポコンモノの住人、超アニマルバトルの世界へと踏み込み過ぎたらジャンルが変わってしまう……故に、あまり深入りは出来ないのだ……!

 

 故に相手出来るのは一瞬のみ。それで決着をつける。覚悟を決めたカピ君を前に、俺も静かに構える。それを見たカピ君は少しだけ呼吸を整えて踏み込む後ろ脚に力を籠め―――弾丸のように体を発進させた。

 

 コークスクリュー! 回転しながら放たれたカピ君の前歯が煌めくッ!

 

 新たに覚えた必殺技で今! 下克上を成し遂げようとしているッッ!

 

 それを片手でキャッチし、カピ君を胴上げするように持ち上げた。

 

「はははは、可愛いなあ、カピ君は。うん?」

 

 無残にも必殺技を粉砕されたカピ君が持ち上げられながら呆然とする。そんなカピ君を抱き寄せながらサンデー邸に向かう。

 

「愛玩畜生がウマ様に敵う訳がないだろ」

 

「お前、えげつない事してんな」

 

 扉を開けたサンデーサイレンスが呆れたような表情を浮かべている。懐かしさに笑い声を零し、片手を上げて挨拶する。

 

「ども、姉御。またお世話になりまっす」

 

「サンデーサイレンスさん、また場所を提供してくれてありがとうございます」

 

「あー、そう畏まらなくても良い、めんどくせぇ。ほら、上がれ。特に何か用意してる訳じゃないけどな」

 

「お邪魔になりまーす」

 

 腕の中で絶望顔のカピ君を抱えたままお邪魔する。去年は何か月も過ごしていた場所だけに、こうやって中に入ると帰って来た感じがして実に居心地が良い。ただ玄関を抜けてリビングに行っても、赤毛の姿が見当たらない。それに関してはまあ、予測通りって所だろう。

 

「大将ならいねぇぞ」

 

「やっぱ別の所に?」

 

「おう、弟子にリハビリと調整見られたくないってよ」

 

 まあ、人望も金もある人だ。アメリカのトレセンでも、どっかの個人所有の厩舎でも適当にやれるだろう。寧ろ既に本格化を終えて引退をしているウマ娘なのにこのタイミングで1戦限りの現役復帰に対して体がついてくるのかどうかが不安だ。

 

 車の方から荷物が運ばれてくる。日本とは違ってここでチップを払わなきゃいけないのがアメリカ文化だったりする。ちょくちょく日本人観光客でチップ文化を知らずに何も払わない人が出てくるの、中々面白い話だと思う。きっちり仕事分のチップを支払って荷物を入れて貰い、リビングに腰を下ろす。

 

 空港からここまでそれなりの長旅だ。疲れた、とは言わないが漸く窮屈さからは解放された気分だ。

 

 リビングのソファに腰を下ろしてカピ君の頭を撫でる。無残な敗北にショックなのか全く反応がない。可愛いね。

 

「んで、姉御」

 

「あん?」

 

「御大、走れるの?」

 

 サンデーが俺の疑問にコーラ瓶を投げてよこしてくる。それをキャッチし、手刀で瓶の蓋を切りおとしながら切り口に口を付ける。ついでに西村の分も手刀で開けておく。これが出来ると栓抜きが不要の人生が始まるから人間は皆覚えるべきだと思う。

 

「お前、練習の時1度でも勝てたか?」

 

「勝てなかった」

 

「それが答えだ。あの人は今日まで1度も体を崩す事はなかった。現役を引退してからずっと理想的な絞り具合を維持してる。引退しても走れるように、な」

 

「やっぱり、か」

 

 西村が腕を組んで溜息を吐いている。BCクラシックに御大―――Secretariatが出場するというニュースには度肝を抜かれたし、色んな意味でそれが大丈夫かどうかを不安に思った。あのダラカニでさえ永久追放というペナルティを受けてターフの上に戻ったのだ。御大だってただじゃすまないだろう。

 

 それでも再び、レースの世界に現役復帰した。どういう伝手があるのかは不明だが……赤毛の信者というものは、意外と色んな所に潜んでいるというだけの話かもしれないが。それでも彼女は再びレースの世界に戻って来た。伝説の走法と共に。

 

 史実では果たされる事のなかった等速ストライド対等速ストライド、それを実現する為に。

 

 史実のファンが見たら馬鹿がよ、とでも罵りそうなシチュエーションだ。それとも驚きと共に喜ぶだろうか? 何にせよ、既に死んでいる筈の馬だ、それがウマ娘として生きながら最後の現役復帰を行う事には驚異的なものがある。

 

「良いか、走らなくなったウマ娘なんざ腐って消えて行くしかねぇ。俺達のまぶしいもんは全部過去にある。それをいつまでもメダルのようにぶら下げて掲げている事に一体どれだけのカッコ良さがある? だせぇだろ、自慢話は何時までも昔の事でよ」

 

「……」

 

 サンデーサイレンスもまさしく歴史に名を遺す名バだ。クラシックを走り、伝説を残し、そして現役を退いた。それでも輝かしき物は全て過去にあると言えるだろう。それが競走バの宿命だ。走り終わったら忘れられるだけだ。

 

 スポットライトが今を生きる者に与えられるのは当然の事だ。

 

「引退しても走る場所を、輝ける場所を探してる。忘れられないんだよ、昔浴びたスポットライトが。今の自分を昔の自分に見せてみろ、たぶん罵倒ばかり飛んでくるだろうな」

 

 だから。

 

「燃え尽きる事の出来るステージが欲しいんだよ。……それとも言い訳出来ない程無様な敗北をな。納得したいんだよ、もう二度と走れないって事を」

 

 競馬だったら……そんなに悩む事もないだろう。人間が考えて、馬を走らせるのだから。だけどこっちの俺達には自分の意志がある。レースが終わった後もずっと人生は続くだろう。走って浴びるスポットライトは一種の麻薬だ。それから何時かは抜け出さなきゃならない。

 

 だけどテレビを見れば今の時代のウマ娘が走っている。

 

 そこに自分の過去を重ねてしまうのは、仕方がないのかもしれない。

 

「ま、細々とした話はレースの本題からは外れる。お前にできる事があるとすれば、そりゃ全力で走る事だけだ……少なくとも去年は1度も勝ててないだろ?」

 

「そりゃそうだ」

 

「等速ストライド対策、か。何度も考えてきた策を実行に移せる日が来るなんてなぁ」

 

 ホースマンとしてはそこら辺、やっぱり一度は考えてしまう事なのだろうか。ぐったりしているカピ君をなでなでして敗北者を可愛がりつつ久しぶりに落ち着く場所へと来た事に安堵の息を吐く。

 

 今日は休んで、明日からは対Secretariatの徹底調整だ。




クリムゾンフィアー
 強い相手と走れる事を楽しみにしてる

サンデーサイレンス
 どいつもこいつもめんどくさいなぁ、って思ってる

ディープインパクト
 空港で別れる時数十分全身で引っ付いて剥がれなかった

カピ君
 新たな奥義を習得したがそれが全く通じない事に絶望感を覚えたカピ君。無駄だった……これまでの努力射全て無駄だった! 絶望、虚無、そして無力感……あらゆる感情がカピ君の中で渦巻いていた。これまでの旅も時間も全て無駄……もはや愛玩動物として生きるしかない。そんな後ろ向きの考えを抱くカピ君の前に一匹のシルエットが出現する。再び登場する姿を前にカピ君は立ち上がる事を決意する。次回、旅立ち再び。


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83話 ナーフ案件では?

「ぶっちゃけ、最初から最後までフルスパートの大逃げ以外に本場本家の等速ストライドに対処する方法ある?」

 

「まあ、大逃げだろうね」

 

「それ以外にはねぇだろうな」

 

 発熱にもコンディションの悪化にも期待できないだろうし。コンディションが完全な状態の赤い伝説をどうにかしろって事自体が相当無理ゲーだと思うんだけど神様、そこら辺はどう思いますか? 管轄外? 生きてる以上はどうしようもない? そっかぁ。

 

 リビングでぐだぐだしながら作戦会議をする。

 

 スペック的には既に肉体的な天井に届きつつある。この状態でトレーニングを重ねた所であまり能力は伸びない。必要なのは細かい調整と肉体を天井付近で維持し続ける努力だ。だからこれまでの様なトレーニングばかりの日常ではなくなった。

 

 その代わり、戦術等を考え、レースを研究する時間が増えた。どう走るのか、というのがシニア後期に入ったウマ娘の最も重要な要素の一つだ。これまではどれだけ力を引き出せるか、というステージだった。だがここからはコースや環境に合わせて発揮できるか、という領域になるのだ。

 

 そういう意味ではコースも環境も選ばない等速ストライドという走法をマスターしているセクレタリアトは最強のランナーだ。俺の等速ストライドがLevel3なら本家の等速ストライドはLevel5とか6あるだろう。単純な習熟差がここで響いてくる。だけど問題はそこじゃない。

 

 セクレタリアトは現役を退いた今でも肉体の維持を怠らず、走れるだけのスペックを残し続けている事だろう。あの化け物、マジで現役クラスの能力を残したままなのだ。引退して何年たってると思ってるんだ? ファンタジーなのも大概にしろよ。

 

「最初から最後まで全速力で逃げ続ける大逃げ……誰が先に脚を潰すかのレースって感じだな……」

 

「だけど実際、これ以外に勝ち目は見えないんだよね。いや、老いてスペック落ちてるって線も十分にあるよ? あるかも……あったらいいなぁ」

 

「自信」

 

 逃げるように視線を窓の外へと向ける。実際の所、対セクレタリアトメタを考えると大逃げで加速しきる前に逃げ切る以外の選択肢がないように思える。それであっても現役時代の頃のスペックであれば追いつかれるかもしれない。ぶっちゃけ、解からない。ここまで読み切れない相手も早々いないだろう。

 

 どうしてレースに戻って来たの???

 

 俺が煽ったからだよ!!!

 

 Fuck。やらかすと何時も苦しむのは俺ばかりだ。世の中の生き物はもっと苦しむべきだと思う。いや……でも……ディーには勝てたし±で0って事にしておくか。

 

 はあ、とため息を吐く。セクレタリアト対策……対策なんてどうするんだ? これまでの様な戦術というものはほぼ通じないだろう。あの赤いのは暴力の化身とでも呼ぶべきスペックと走法で勝負してくる。その脚質を追い込み……と呼ぶのも難しい。何時の間にか前に出て一番前を走ってるのだから。

 

 根本的に走りの質が違う。ディーと同じ手段で勝とうとしても無駄だろう。

 

「やっぱりフルスパートで殺し合うしかないかなぁ……」

 

「まだフィアーは手はあるよ。君の領域を使ってスタミナを回復し続ける事が勝機に繋がると思う」

 

 領域でスタミナが回復する理屈は全く分からないけど、とか西村は付け加えるが。なんか、こう……回復するのだ。細かい事を気にしてはならない。サイゲに聞きに行く必要が出てくるから。だからそう言う細かい理屈は蹴り飛ばして頷いておく。まあ、それしかないだろう。

 

 開始直後からスタミナを補充し続けながらトップスピードで走り続ける。脚への負担がヤバイ事になるだろうが、そもそもそう言う負担を話題に出す事自体もう止めてる。俺達の間では走る為に脚が削れるならしゃーないね! という結論が出てる。走れるところまで走るのが俺達コンビの方針なのだ。ドリーム行ける程の脚が残ってると良いね皆!

 

 俺? 残るかどうか疑わしいよ。まあ、好き勝手やってる代償を受けるだけの覚悟はあるよ。走り切ったら死ぬとか割と良くあるサラブレッドの宿命だし。まあ、加護がある限り死にはしないと思うけど。それでも脚は使えば減ってくものだし、今年~来年辺りが俺の山じゃね? 感はある。

 

「あァ、そうか……お前ら知らないのか」

 

 サンデーサイレンスがソファに寄りかかりながらロックでウィスキーを飲んでいる。なんか滅茶苦茶情報の爆弾が投げられそうな気配に、俺は無言でウマ耳を両手で押さえた。

 

「何も……聞きたくねぇ……」

 

「Secretariatに対して領域で勝負しようとしたバカはたくさん居た。当然だろう? 同じステージで戦って勝てる筈がないってのは誰が見ても解る事だったからな。だからあの人が負けたのは発熱した時やアクシデントがあった時ぐらいだ。それ以外のレースでの強さは良く知っている」

 

 だから皆、妨害する手を考えた。

 

「領域、イメージ、理想……当然それには妨害する様なもんもある。強烈なショックイメージを叩き込んで相手の心を折ったり、脚を止めさせるのなんてそう珍しい事でもない。日本の競バでも見るだろう? 武器を使って切り込むようなイメージとか。こっちはもっとラフだ。ぶち殺す勢いで殺意を叩きつけてやる事なんて珍しくもねぇ」

 

 デバフ地獄。そりゃあそうだ、相手の加速をずっと抑える事が出来れば速度は出なくなる。速度デバフを叩き込んでトップスピードが出せないようにすればそれだけ勝率は上がる。結局ウマ娘のレースというのはどこまでトップスピードを出し、維持できるかという点に集約されるのだから。

 

 だから妨害手を用意するのも立派な戦術だ。アメリカはそこら辺の崩しや技術がもっとラフなだけで、世界的に見て珍しい行いではない。

 

「だが、それでも調子を崩してない時のBig Redは全てのレースで勝ってきた。何故か解るか?」

 

 ウマ耳を畳んでる。聞きたくないよーアピールをする。でもやっぱり気になるからちらちらと姉御の方を見ると、嗜虐的な笑みを浮かべてサンデーサイレンスが告げた。

 

「俺らの大将はな、Eclipseの領域を継承してんだよ」

 

 頭を抱えてそのままころりん、と横に転がる。原初のウマ娘、歴史のやばい奴筆頭、伝説のウマ娘。エクリプス。今でもその名を様々な所に残すウマ娘だ。その領域を継承している? なんで?

 

「なんでぇ?」

 

「ある日三女神の像を磨いてたら急に降りてきたらしい」

 

 無言で三女神に対する呪詛を心の中で無限に繰り返して送り続ける―――本日の営業時間が終了しているから受付不可だった。ふぁっきゅー女神、ふぁっきゅー! 窓から腕を突き出して空へと中指を突き立てる。遠い空の向こうで三女神がサムズアップと共に笑顔を浮かべてる気がする。

 

「え、そんなにヤバイの?」

 

 何も解っていない西村が確認してくるのに対して、サンデーサイレンスがグラスから酒を呷る。

 

「領域使用禁止」

 

「良かったね、フィアー。敗北を知れるよ」

 

「知りとうない!! 敗北など知りとうない!!」

 

 駄々を捏ねる様に床を転がって腕をぶんぶんと回しながらおぎゃあと泣く。Eclipseの領域は他の領域の発生、使用不可―――つまり己の肉体の全てのみでかかってこい! という究極の脳筋領域になるのだ。

 

 これに等速ストライド、そしてBig Redのスペックというコンボが発生するのだ。

 

 勝てるかよバカ野郎……!

 

「う、うーん……これ、どうしよっか」

 

「どうにかできるなら見てみてぇな」

 

 げらげらと笑うサンデーサイレンスと首を傾げる西村を前に、ごろごろと床を転がって現実逃避する。いや、何をどう考えても戦術とか戦略とかそういう領域にない奴じゃんこれ。与えちゃいけない組み合わせでしょ。俺1人で勝つとか絶対に無理無理。

 

「―――いや、マジでどうすんのこれ」

 

 詰みかなあ? 詰みかも……。




クリムゾンフィアー
 無事長所を封じられた上で走る事が確定した

セクレタリアト
 上位互換ユニット


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84話 大逃げ三銃士を連れて来たよ!

 ―――クリムゾンフィアーは直情的に見えて計算高いウマ娘だ。

 

 おちゃらけた態度も、直ぐに感情的になるのも、そしてバカの様な事を実行に移すのも結局の所自覚している生来の気質をカバーするものでしかない。実際の所はその芯は冷めていて、そしてリアリストだ。出来る、と思った事は実行し、出来ないと思った事は極力避けている。

 

 死を乗り越えたという現実が彼女の精神性を唯一無二とした。誰もが得られるわけではない経験が彼女を特別にした。もはやその事実は彼女にとってどうでもいい事となった。彼女にとって重要なのは今、レースを走る事であり、好きな人と好きな未来を築く事にある。そこら辺を誤魔化す様な乙女心はこの女にはない。

 

 だからクリムゾンフィアーは自分の前に立ちはだかった壁を前にして、初めての経験をしていた。絶望的なレースは前にもあった、それでも勝率は五分にまで持ち込めると計算出来た。異次元とも表現できるその精神性からレースをプランニングし、それを遂行する。

 

 クリムゾンフィアーのレースとは、感情や環境、コンディションの揺れ等を計算に入れての走りでもあるのだから。皐月賞で負けたのはディープインパクトに伸びしろがあったから。凱旋門賞で勝てたのはディープインパクトの成長が天井に近かったから。

 

 皐月賞での伸びは予想の範囲を超えるが、凱旋門での伸びは予想できる範囲だ。その僅かな差異がクリムゾンフィアーのプランを完璧なものにした。だがここでBCクラシックの走りを計算に入れ、そして予測し、クリムゾンフィアーは大きな問題に直面していた。

 

「―――勝てねぇなぁ」

 

 走る訳でもなく、サンデーサイレンスの家のコースの前、走る訳でもなくコースを少し引いた位置から全体を見渡すように眺めながら呟いた。その視線は存在しない筈の赤い伝説と、それと走る赤い暴君の姿を捉えている。

 

 筋肉の動き、質、性格、コンディション、それを100%の再現度で完全に再現したイメージがダートを走っている。脳内では完璧なレースのエミュレーションが行われており、現実と変わらない状態でレースが行われている。

 

 だが23レース目。

 

「終盤、最終コーナーで抜かれてそのまま前に出られて……」

 

 指で走る軌跡をなぞるようにレースを眺める。

 

「ここでまだ加速している。加速上限と速度上限を抜けて更にスピードを出して前に出てる。抜かれない様に―――」

 

 理想的なスキル発動タイミングを行う。レース中にそこら辺の判断を間違えるとは欠片も思っていない。だから相手の走法に対抗するようにスキルを発動し、有効加速を得る。これで加速力は並んだ。だが加速力には持続時間があり、そして己の走法と本家のものでは熟練度が違う。

 

 つまり、相手の方が末脚では此方を上回っているという事だ。

 

「……23敗目。このルートもダメ、っと」

 

 1からレースのイメージを構築し直す。切り札が機能しない以上、出来る事は自分の全ての能力を引き出した最高の走りをする事だけだ。スキル、デバフの付け替えに関しては慣れたもんだ、脚質に合わせて調整するのは難しくはない。

 

 だが自分の戦術、その根幹にあるのは領域、それを駆使して限界を超えた速度を出すという事だ。これ前提で多くのレースを走って来た以上、その前提が崩れるのが非常に辛い。自分の走りがその根元から通じないという話なのだから、苦しくないわけがない。

 

 だがそれはそれとして、不可能に挑むという話は何とも冒険心を擽られるものでもある―――正直言って、勝ち筋を探し続ける作業は物凄く面白い。

 

 ゲームで言えば耐性とスキルの組み合わせ、それをパズルのように組み替えながらたった一つの正解を探り当てるような作業だ。

 

「ん-、勝ち筋見えないなぁ」

 

 西村は西村で、勝ち筋を見つける為に色々と連絡してからどっかに行ってしまった。自分のトレーナーは何か思いついたようだし、それを信じる事にして自分は自分で集中し続けるしかない……たった一つの答えを探して。

 

 だがシミュレート26周目。

 

 勝ち筋は未だに見えない。

 

「弱点があるとすれば追い込みって所か」

 

 追い込みバを封殺するというのは別段難しい話じゃない。日本だと永遠にレースから追放されるが、欧州やアメリカであればちょくちょくチーミングする所が見られる。まあ、公にはやってないだろうが、アングラのレースとかはそこら辺露骨にやるけど。

 

 追い込みは後方脚質、そこにはバ群に埋もれるという永遠の弱点が付随する。BCクラシックがフルゲート開催で人数が揃ってればワンチャン全員が警戒して御大を沈めるなんて可能性も出てくる。まあ、パワー的に無理だろうなぁとは思うけど。

 

 御大とのレースは根本的にフィジカルの勝負に持ち込まれる。どれだけ素のスペックが高いのか、というのが重要だ。そういう意味では名家出身のウマ娘が一番強い。連中は血筋のサラブレッドだ、領域や技術抜きの話であれば一番フィジカルが恵まれている。

 

 ディーが俺よりもスピードで優れているのはそこら辺が理由だ。走るのに適した体で生まれてきているからだ。俺は突然変異だからスタミナとパワーがずば抜けているが、種族的な特徴以上に走る体をしていない。今、スピードを出せているのは西村主導の肉体改造と走り方による影響だ。

 

「34周目、7バ身付けられてゴールされる。大逃げ以外を取ると詰むなこれ」

 

 シミュレートから大逃げ以外の脚質を除外する。御大が最高速度を出す前にゴールするのが唯一の勝機だろう。

 

 問題はそれが困難という事だろう。

 

 相手が予想よりも弱いという想定はしない。間違いなく想像以上で来るだろう。だからそれをイメージして走らないとならない。だけどイメージを走らせれば走らせるほど負けが重なって行く。自分が勝つというイメージを構築する事が中々できない。

 

 ディーはまだ癖があった。悪癖は明確な弱点だ。普段から距離が近いからこそわかる走りの癖だった。それがあるからあの最後の距離は覆せないものだった。

 

 だがこいつはどうだ? 御大には弱点らしい弱点がない。古バ最大の弱点はそのスペックが全盛期から遠のいて行く事であり、それと引き換えに圧倒的なメンタルの強さと経験の多さを抱えている。現役のスペックのまま引退してたのならそりゃあもうチートでしかない。

 

「―――んじゃ、本命をシミュレートすっか」

 

 脚を壊す事前提で走るのをシミュレートする。スタート直後からスタミナの燃焼を開始する。限界まで加速し、脚の耐えられる上限を超えて更に加速し続ける。壊れるラインと壊れないラインを明確に見極めてそのギリギリを踏み出して走る。

 

 そうやってBCクラシックを走った場合、レースの結末は―――。

 

「フィアー」

 

「お、西村。戻ったんだ」

 

 名を呼ばれて外へと視線を向ければ車から降りて来る西村の姿が見えた。どうやら秘策アリと言った様子の西村は車の前に来ると腕を組み、

 

「日本トレセン大逃げ三銃士を連れて来たよ」

 

 唐突にネタを振って来た。なのでとりあえず乗っておく事にした。

 

「えっ、トレセン大逃げ三銃士!?」

 

 扉が開き、ウマ娘達が下りてくる。

 

「芝のサイレンススズカ……サイレンススズカ!」

 

「走ってきます」

 

 車から降りたスズカ、早速放バ。

 

「皆大好きツインターボ!」

 

「ターボに任せろ!」

 

 ドン、と胸を叩いて自慢げな表情をするツインターボ。それからきょろきょろと辺りを見渡している。そういや国内から君、出た事なかったね。南坂トレーナーが良く許可だしたもんだよ。

 

「オタクに優しいギャル! ダイタクヘリオス!」

 

「ウェーイ!」

 

 実在するオタクに優しいギャル。でもヘリオス、パーマールビーケイエス周りの人間関係考えるとドン引きというかなんというか……実は密かに湿度高いのに囲まれてない? 大丈夫? まあ、太陽だし大丈夫か……。除湿器(アヤベ)判定オーケーらしいです。

 

「幻の4人目! カブラヤオー!」

 

「よ、宜しくお、おおおおお、お願いしますっ! やっぱりムリ!」

 

 三銃士じゃねぇじゃん。4人目いるじゃん。秒で車の中へと消えるじゃん。ツッコミが追い付かない。というか1人だけ引退バじゃん。いや、チョイスは解るけども。全員、大逃げでその名を通すウマ娘だ。

 

「ヤオーさん……もう現地に到着してしまいましたしね? もう諦めましょうよ」

 

「ムリ! ムリムリムリムリ! ムリだって! 私なんかがあんな世界的スターとなんてムリ! 心臓破裂しちゃう!」

 

 車の奥からメジロパーマーがカブラヤオーを抱えて出てきた。じたばたしてるカブラヤオーは間違いなくこの中では一番年上の筈なのだが、それを一切見せる事無く暴れている。生来の臆病気質と言われているのが良く見える。ほんと良く走れたなアンタ。というか三銃士なのに5人いるじゃん。

 

「フィアー、実際の所僕も明確な答えは出せていないんだ。正直な話、アメリカ畜生めって思ってる所は大いにあるよ」

 

「ウケる」

 

 ヘリオスが皆の心境を代弁してくれた。

 

「だけどね、勝ち筋があるとすればそれは大逃げで徹底して詰められる前に逃げ切ってしまう事なんだろうと思う。究極の追い込みに勝てるのは究極の大逃げだけ……なら君の中の勝率を上げる為に出来る事は一つだけ、なんじゃないかと思うんだ」

 

 西村の言葉に頷く。

 

「熟練度上げ」

 

 大逃げという走りに対する理解を上げる事。徹底して馴染ませる事。そして自分が持つ全ての武器をこの走りに対して適応させる事。僅かでもいい、勝率を上げる為には自分よりも格が上の大逃げウマ娘と走る必要があるだろう。

 

 それを知って西村は手本となるウマ娘達を連れてきた。

 

 狂気の逃げウマ娘。

 

 限界を走ったウマ娘。

 

 逃げる事を諦める事を見せなかったウマ娘。

 

 逃げる事を愛し続けたウマ娘。

 

 逃げる事に希望を見出したウマ娘。

 

 誰もが尊敬に値するウマ娘達だ。大逃げを参考にする上では最上の教科書。約一名既にこの場から消えて、もう一名車の中へと大逃げをかましてるが……まあ、誤差だ誤差。うん、誤差だと思いたい。本当にこの人選大丈夫?

 

 少しだけ……本当に少しだけ不安を覚えたが、伝説に相対する為の作戦はほぼない。

 

 ならばレースまで、出来る事を詰め込む。今はそれしか、なかった。




サイレンススズカ
 サポカ枠

ツインターボ
 サポカ枠

ダイタクヘリオス
 サポカ枠

メジロパーマー
 サポカ枠

カブラヤオー
 友人枠

アドマイヤベガ
 ふかふかおふとんを守るために高まりすぎた湿度を定期的に滅ぼしに行く

クリムゾンフィアー
 対策? ないよ……ないよ……


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85話 完全究極体ジェネシックカブラヤオー

 Q.大逃げが6人揃ったらどうなる?

 

 A.チキチキ! 限界加速体力尽きるのは誰だ! チキンレース!!

 

「いやだあああああ―――! 来ないでぇぇえええ―――!!」

 

「先頭の景色は譲りません……!」

 

 カブラヤオーの悲鳴が響き、ハナを取られるのを嫌がるスズカが前に出て、大逃げだからターボとヘリオスとパーマーも前に上がってくる。大逃げという性質上、ハナを取られると一気に走りが弱くなるので必然、ハナを取り続けないとならない。

 

 つまり大逃げウマ娘が限界まで前を取ろうと前に出続ける地獄みたいなレースが始まる。ダートという環境だから速度の乗らないウマ娘だって存在している。それでも先頭を走り続けるトップランナーの矜持が後ろへと垂れる事を許さない。

 

 約一名、別次元の生物が存在しているが大逃げ同士の競り合いなんて地獄でしかない。

 

 それが解っていても大逃げで走り続けるのは彼女がその走りに魅せられたからなのだろうか。併走を1回頼むだけでもう体力がぼろぼろだ。走り終わった所で全員でグラウンドに突っ伏す。本番想定で走るとなると当然ながら固有抜きになる。

 

 え!? 領域によるスタミナ回復加速無しで大逃げを!?

 

 やれらぁ!!

 

 その結果が死屍累々とした今の光景だった。全員揃って突っ伏して必死に呼吸している。酸素を求めて手をじたばたさせながら唸るのはもうゾンビ集団としか思えない酷い景色だろう。そう言う俺も俺で大逃げに付き合っているからスタミナ枯渇で呻く事しかできない。

 

「なんつー情けねぇ光景だよ」

 

 そんな俺らをサンデーサイレンスが笑いながら眺めている。その横では西村がタブレットPCを手に、何時も通りデータの整理と確認を行っている。すぅーはぁ、と大きく息を吸い込んで体を持ち上げて大地に座り直す。漸く息が戻って来た。

 

「大逃げのみで走ろうって考え、やっぱりバカの極みでしょこれ。ただの殺し合いだよこれ!!」

 

「言いたい事は解るけどやってるのは私達なんだよね」

 

「でも爆逃げパーティーなんてこんな事でもなきゃ出来ないからね! やるしかないっしょ!」

 

 パーマーとヘリオスの言葉に笑い声を零していると、ばしゃばしゃと水を弾く音がする。視線を音の方へと向ければ、ターボが水溜まりに手をちょんちょんと付けて遊んでいた。いや、水溜まりに見えるのはカブラヤオーだ。どうやら溶けてしまったようだ。可愛いね。お前、デジ族か?

 

「お姉ちゃん溶けちゃった」

 

「大丈夫よ。こういうのは小麦粉を混ぜれば固まるってゴルシが言ってたわ」

 

「スピカ式は止めた方がいいんじゃねぇかあぁ……」

 

 アレで元に戻るのはデジたん専用みたいな部分あるし……。とか考えている間にカピ君が小麦粉の袋を持ってきた。それをターボがどぼぼぼぼと解けたヤオーに注ぎ込んでヤオーの元を作ったら捏ねてカブラヤオーを作り始めた。なんだ、ただのデジ族だったかぁー! 見なかった事にしよ。

 

「しかしフィアーさんは強いね。これで領域アリで走ってたらちょっと勝ち目が見えないかな」

 

「いやあ、特化された大逃げの脚質と俺の猿真似じゃ全然話にならないわ。スキルの差し込みタイミングとか、呼吸の仕方とか凄い参考になるわ」

 

 それはほんと。併走しているだけで勉強になる部分が多い。これまで別段大逃げという脚質をしっかりと勉強した訳でもないし、走った訳でもない。だがこうやってその道のスペシャリストと走ると見えてくるものがある。彼女達は大逃げという浪漫溢れる走りに特化しているからだ。

 

 脚質、スキル、領域、彼女達の走りはそれに特化するように自然と先鋭化されている。それはそれ以外の可能性を切り落としてまで追求する事で至れるプロフェッショナルの境地だ。俺にはできない事なので、そこは素直に尊敬を覚える。

 

「あ、変な感じになっちゃった」

 

 ターボの方に視線を向けたらモナ・リザヤオーが生まれてた。罅が入った崩れたヤオーだった物体を再びターボが必死に固め直す。スズカも地味に手伝っているつもりで担当箇所がピカソってる。アレはもうだめかもしれない。

 

 ふぅ、と肺の中の空気を入れ替えるように深呼吸をする。全力疾走直後でまた走るには少しだけ休む必要がある。次の一本に向けて少しだけ休む。

 

「しっかしフィアっちょマジつよつよのつよじゃん? 得意な走りとかあんの?」

 

「え、俺? 得意な走りは―――」

 

 得意な走りとは……なんだろうか? ヘリオスから投げられた質問に腕を組んで首を傾げてしまう。得意な走りの話をされてしまうと、実に困った事だが答えが出てこない。そんな俺の様子を見てパーマーが苦笑を零す。

 

「君は見てる限り得意不得意ではなく“勝てる走り”をするタイプだよね」

 

「うん、まあ、得意な走りは? って言われて直ぐに答えが出ないのが答えだよな」

 

 苦笑に苦笑を返す。自覚している事だが、俺に明確な得意や不得意な走りはない。等速ストライドだって強いから使っているだけで、凱旋門の時のように戦術的にそぐわない場合は容赦なく外す。俺のスタイルはデータ的に強いもんに媚びるスタイルだ。

 

 数字は裏切らない。これは事実だ。だから数値上の保証があるものは強い。バ群が苦手という訳でもないし、別段泥だらけになるのを嫌がる訳でもない。だから前でも後ろでも走れる。俺はそういうウマ娘だ。特定の方向性というものが存在しない。

 

 だから継承したもので自分の中身を満たす……だけだと思ってたのだが。まあ、俺にも俺っていう色があるのを色々と最近思い知っている。

 

「これまでずっと勝てるだけの走りをしてきてた。それが確実だし、強く出れる事でもあった」

 

「……けど?」

 

 促されるように言葉を続ける。

 

「特定の走りに対して信仰を抱いて走るのにはちょっと憧れる」

 

 それは俺にはない熱量だった。大逃げ、爆逃げ、パーマーやヘリオス、ターボにスズカとヤオー。彼女達が見せる大逃げという走りは信仰によって満たされている。彼女達には他の走りを選ぶ権利があった。だけどこの走りに行きついた。俺はそれを信仰心だと思っている。

 

 その走りで勝つという祈りが、彼女達の走りには込められている。それがどうにも俺には羨ましく、そして眩しく感じられた。彼女達と併走していれば、確かに俺の大逃げとしての技術力は上がって行くだろう。

 

 フォーム、呼吸のタイミング、脚運び、スパートの入れ方―――大逃げのランナーとしての彼女達は超一流だ。あのカブラヤオーも臆病で本能的に逃げている様に見えて実はその走りは合理性によって固められている……たぶん彼女のトレーナーの手腕によるものだろう。

 

 マジで良く頑張ったな。ちらっとヤオーを確認する。

 

「やっぱり耳は四つあった方が良いんじゃないかしら」

 

「角! 角を生やすぞ! そっちの方がカッコいい!」

 

 溶けヤオーが新しい形を貰っている。ちゃんと走れる体で作り直してくれよ。その内勝手に復活するとは思うけど。

 

「そっか、御大が等速ストライドに向ける感情も一種の信仰心なのか」

 

 現役時代、万全だったときは一度も敗れる事がなかった最強の走法。その走りに対する信仰心は一度も翳る事がなかった。継承者が現れ、それが現代のターフを走る姿を見てその祈りに可能性を見た―――自分の走りが、信仰が、その果てが一体どこにあるのかを知りたくなったのかもしれない。

 

 だとすれば、それを終わらせる事こそが俺の仕事なのだろう。

 

「信仰の在処……俺だけの信仰―――」

 

 果たして、そんなものを一度でも抱いた事があっただろうか? いや、ある筈だ。少なくともこの闘争心は本物だ。勝ちたい、負けたくない、走りたい……それだけの想いでこれまで走って来たのだ。だとしたら、このどこまでもシンプルな欲求こそが俺の本質なのかもしれない。

 

「もうそろそろ休むのを切り上げて次のを始めるぞー」

 

「ういー」

 

 西村の声にどろどろに溶けていたカブラヤオーが鳴きながら復活し、それに合わせて俺達も立ち上がる。大逃げという走りに魅せられたスペシャリストたちの姿を見ていると、これしか勝ち目がないと解っていても、果たして本当にこのままでいいのかという疑問が思い浮かぶ。

 

 俺だけ―――俺がどうしてその走りに拘るのかというものはないのだろうか。

 

 走れど走れど、答えは出ない。

 

 それでも求めるのは勝利のみ。俺にできることはやはり、走る事だけだった。




ツインターボ
 角は基本!

サイレンススズカ
 足を増やせば早くなりそう

ダイタクヘリオス
 バランスを取って腕も増やそう!

メジロパーマー
 止めた方がいいんじゃないかなぁ……

クリムゾンフィアー
 そこら辺で拾ったGストーンを入れる

カブラヤオー
 六本の腕にケンタウロス型の下半身に緑色のオーラを纏ってこの後逃げた

 ウマ娘2周年おめでとうございます。進化スキルはその娘だけのスキルって感じがして素敵ですね。ウマ娘個人の特色がテキストに出てて大変よろしいと思います。


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86話 BCクラシック Ⅰ

 ケンタッキー州チャーチルダウンズ競バ場に到着した俺は既に待機していたスタッフや護衛の方々に迎えられた。一度テロに遭った事がある為、アメリカとしても絶対に二度目はやらせないという意志からか、交通規制まで敷いて対応してくれている。

 

 そんな到着した俺の耳に、少し離れた所からアメリカの国歌が迎えるように聞こえてくる。

 

「なんか朝から歌ってるのが聞こえるんだけど……アメリカの競バってそういう文化でもあるの?」

 

「いや、アレは俺がアメリカ出身バだと思い込んでる精神異常者の集団。ステイツの誇りを胸に今日は最高の走りを見せてくれ! って意志を込めた歌だよ」

 

「ヤバ」

 

 ヘリオスが普通に草を枯らすレベルの精神異常者がファンとして連なっている国……それがアメリカだ。連中は脳味噌が強火で焼かれている。正直ここまで焼けてしまうとは思いもしなかった。まあ、実害はないし別に良いんだが。

 

「それじゃ、私達は客席の方へ回るから」

 

「ターボが教えたんだから頑張るんだぞ!」

 

「応援してるよフィアー。君なら絶対に勝てるって」

 

「世界を相手に爆逃げでかましちょれ! うぇーい!」

 

「うぇーい」

 

 ヘリオスとハイタッチをキメ、ターボを無駄に胴上げして、パーマーとスズカに感謝を告げると、カブラヤオーがおずおずと前に出てくる。

 

「あ、あああ、あの、あのあのあの」

 

「はい」

 

「そ、その、私みたいなウマが何を言ってるのかと思ったりしちゃったりするかもしれないですけど。そ、その……に、逃げる事は決して悪い事じゃないんです」

 

 あの、その、と言葉を区切りながら挙動不審になる姿はどことなくディーを思い出す。いや、でもヤオーは年上なんだよなあ……良くこれまでこれでレース走れてきたなあ、とは思う。でも実際の所、カブラヤオーは日本国内でも有数の名バだ。彼女は決して小心者のウマ娘なだけではないのだ。

 

「し、信じてあげてください。フィアーさんの……走りに信仰を持つという考え、決して間違いじゃないと思いますちにゃぁ」

 

「あ、限界迎えた」

 

「バケツに入れて持っていきましょ」

 

 ついに会話の限界に達したヤオーが溶けた。その姿を持ってきたバケツの中にせっせとスズカが回収し、手を振ってから客席の方へと向かった。残された俺と西村はしばらく去って行く友人たちの姿を眺めてから、控室へと向かう事にした。

 

 流石に警備はしっかりとしたもので、所々銃を持った軍人が警備に当たっているのが見える。ちょっと手を振ってみると笑顔で小さく手を振り返してくる。その軍人が同僚から軽く肘で小突かれているのを見るのはちょっと面白い。

 

「Ms.Crimson、此方が控室になります」

 

「サンキュサンキュ」

 

 スタッフに案内されて控室に入り、既に勝負服が届けられているのを確認してからリラックスする為に用意された椅子に座り込む。部屋に到着次第、西村はタブレットを取り出して作業に取り掛かる。アレには今日出場する選手やバ場の状態、天候などレースに必要な情報が全て揃っている。

 

 まあ、今年のBCクラシックにはInvasorが出るし、本当はそっちが主役だったんだろうなあ……とは思わんくもない。だがその話題性も赤毛対決によって埋もれてしまった。申し訳なさはどうなんだろうなあ。正直、あんまり他所を気にしている余裕はない。

 

 今日走る俺も、Invasorも、Afleet Alexも、ドバイWC以来の集まりだがそれよりもヤバイラスボスが出走している事実が脳内を占めている。レベル60ぐらいの集団にレベル99が参戦しているみたいな感じだ、これ。

 

 ―――あー、うん。皆と別れた途端に口数が少なくなっている辺り、俺も割と緊張してるなこれ。

 

「ふぅー……どうしたもんかなぁ」

 

「はは、流石のフィアーも今回ばかりは参ってるかな」

 

「そりゃ、そうさ。レース前に勝ち筋を見据えてそこにハメるのが俺の走りなのに、今回ばかりはルートが見えないんだから困ったもんだよ」

 

 クリムゾンフィアーというウマ娘は勝敗をレースの前に決めるものだ。レースをプランニングし、それに合わせて勝利する。そういう走りを今までしてきて、成功してきた。それを可能にしてきたのは数々の武器を切り替える器用さがあるからだ。

 

 一部のウマ評論家はそれをパーフェクトオールラウンダーと評価する。このウマ娘に苦手な脚質はなく、どんなレース運びも出来るウマ娘だと。俺もそれを認めよう。そこそこ練習さえすれば大体なんでもできるだろう。短距離だけは勘弁してほしいが。短距離だけは無理だ。ムリなもんはムリ!

 

「勝率は高く見積もっても2割ぐらいなんだよね。領域封じられて走るとなると後はもうどれだけ加速して速度を出せるか、って戦いだから」

 

「そうだね、そうなったら君とSecretariatでスタミナの消耗合戦だ。どっちが先に力尽きるかという戦いになってしまう。そしてスタミナに関してはSecretariatは底なしだって現役時代に証明している」

 

 そう、そこだ。領域抜きでの戦いとなるともはや純粋なスペックの勝負になってしまう。そしてそれで勝てるかどうかは解らない。だが現役の御大と今の俺を比べた場合、純粋なスペックにおいては完敗しているとしか評価できない。

 

 俺のスペックの足りなさは領域で補っているのだから、それが使えないとなると純粋な能力が足りない状態で戦う事になる。

 

 だから、Secretariatとの戦いにおいて祈るべき点は一点のみ。

 

「―――()()()()()()()()()()()()

 

 俺の言葉に西村が頷いた。

 

「あの人は現役引退後もずっと体を維持してきた。だけど引退したのはもう何十年も前の話だ。73年に引退して既に本格化も終わりを迎えた。本格化の終わったウマ娘は緩やかにその能力が下降して行く……少なくとも20年もすれば普通のヒトと変わらないぐらいまでスペックは落ちてる筈なんだ」

 

「でも去年俺とガンガン併走して勝ってたんだよね」

 

「本当にウマなのかなあ……エンジン積んでないかなあ、あの体……」

 

 西村の言葉に腕を組んで頷く。もう既にヒトと同じレベルまでスペックが落ちててもおかしくない筈なのに、衰える様子の一切ない怪バにはもう、恐怖しかない。敵対して初めて解る、チートという言葉はああいうのにこそふさわしい。まだ勝ち筋がある分俺の方が可愛い。

 

 当時のウマ娘の絶望感ヤバそうだなぁ。全員レイプ目で先に走る姿を見てそう。今からそれに俺らが加わるんやで。

 

 この場に至って、俺も西村もあの伝説の赤毛に対する明確な勝ち筋と言えるものを見いだせていなかった。あるとすれば神頼み。あの赤毛が現役のころよりも衰えていますように……と祈る事だ。もし勝てるラインがあるとすればそこしかないだろう。

 

 レースは既に見えている。俺達が走るのは全力の大逃げ、それもツインターボスタイルの破滅逃げだ。最初から最後までトップスピードを維持して走り続ける。スタミナの事はこの際無視して走り続ける。その上で追いつけない距離を稼いでゴールする。

 

 これ以外、手段がない。御大がかかれば……かかっても……かかっても平然としてそうなイメージしかないなぁ。やっぱスタミナ削れないよなあ。

 

「御大の卑怯な所って古バだから経験豊富で単純なトリックや焦りが通じない事だよなぁ。単純に経験の総量が違うから此方の読みを回避してくるところが嫌らしい」

 

「君の倍近く生きてるからね。やっぱり勝てるラインはスタミナの勝負に持ち込む事だけだと思う。彼女が衰えてる事を祈って肺と脚の潰し合いだね」

 

「やっぱそうなるかぁ」

 

 あー、嫌だ嫌だ。なんでこんなレースになってしまったのだろうか。これも全部大統領って奴が悪いんだろう。まあ、Goサイン出した大統領が邪悪なのはまず間違いがないのだろうが……それはそれとして、越えられるか解らない壁が目の前に立ちはだかるという状況は、燃える。

 

 悲しいけどこれ、本能なのよね。自分より強い奴に食らいつきたいという。

 

 こういう本能を刺激する様なレースがあるから走るのは止められない。

 

「神頼みかぁ……やだなぁ」

 

「君は前々から祈る事を嫌っているよね」

 

「そーだね。神様に力を借りたらそりゃあ俺の力じゃなくて、神様の力で勝ったって事になる……って考えちゃうんだよね。まあ、他の人はどう思うか解らないけど。己の才覚のみで戦いたいんだよね」

 

 めんどくせぇウマ娘だよこいつ。自覚はあるけど、これで勝てるんだ。だったらこれで良いんだわ。俺は、何も間違っちゃいない。負けない限りはこの傲慢さを貫いて生きていくつもりだ。

 

「……」

 

「……」

 

 しばし、2人で無言の時間を過ごしてから両手を祈りのポーズで揃える。

 

「衰えてろ衰えてろ衰えてろ……!」

 

「スタミナが切れますようにスタミナが切れますようにスタミナが切れますように―――!!」

 

 悪ぃ、やっぱ祈るわ!




クリムゾンフィアー
 弱低下してる事を祈る以外出来る事がない


 この話でついに100話めです。最近寒くて更新速度が落ちてますが、エンディングはもう目前まで迫ってるので後少しだけお付き合いください。


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87話 BCクラシック Ⅱ

 パドックに上がって見る御大のバ体はやはり素晴らしいものだった。年を感じさせないほどの輝き、ハリで満ちている。チャーチルダウンズ競バ場が熱気に包まれているのも当然の事だ。これが、今からダートを走るのだ。その事実に興奮しない奴なんていないだろう。

 

 弱体……弱体化……して、してる……? してないかなあ、アレ。してなさそうだなぁ……。

 

 うーん、クソゲー。

 

 チャーチルダウンズに溢れる歓声を浴びながらも脳味噌は冷静にどうやって勝利するかを未だに考えていた。逆に言えばそこまで自分を追い詰めて考え続ける必要の相手でもある。本来であれば静かに牽制しているこのパドックも、今は誰もが一人のウマ娘を観察していた。

 

「よ、Crimson。リベンジのつもりだったんだがそんな余裕もなくなっちまったな」

 

「せやな……」

 

 横に並んでAlexと肩を並べてSecretariatを見る。なんかもう……オーラが違う。ステージの主役とかそういう領域のオーラを纏ってる。腕を組んだ状態でじぃっ、と弱点ねぇかなぁ、アレ……という感じで眺めているが、一向に弱みが見えてこない。参ったなぁ、ちょっと勝てないかも。

 

「対策練られた?」

 

「大逃げ以外あるか?」

 

「だ~よ~なぁ~」

 

 Alexと並んで溜息を吐く。スキルツリー的にありったけのデバフスキルを詰め込んでいるのだろう、俺もこいつも。やれる事はそれを全部戻って来た伝説に叩き込んで逃げ続ける、それだけだ。恐らくそれだけが勝ち筋だとこの場にいるウマ娘全員が把握している。Invasorも何時の間にか横に並んで頷いている。

 

「ウマ型ランニングマシーンをレースに出すのはレギュレーション違反だろ」

 

「同意だね。いい加減生物とロボットの区別をURAは付けるべきだよ。ランニングマシーンをレースに出して幸せになる奴なんていないんだからな。まだ勝ち筋が見えるラインは可愛いけど、勝ち筋の見えない相手は何も可愛くないんだ」

 

「超言えてる」

 

 AlexとInvasorと手を叩き合う。俺達は間違いなくライバルで、ここでも鎬を削り合う仲だが―――まあ、チーミングしてるって言われてもしょうがない状況だった。魔王が勇者の村に突撃してくるのは反則だろう。

 

 だけど、まあ、結局の所このレースはどれだけSecretariatを抑え込めるかによって決すると言っても良いだろう。俺達の勝ち筋はそこだけだ。あのウマ娘のスタミナを削り切って本領を発揮させない、加速させない。完全に走法を許してしまえばその時点でデッドエンドだろう。

 

 見た事はないがEclipseの領域というのが厄介だ。継承している時点で本家よりは弱いのだろうが、それでも領域メタと呼ばれる能力は突き刺さりまくる。

 

 領域はレースにおける変数だ。その変数を封じるという事は意外性も、予想外も発生しなくなるという事だ。それはつまり、強い奴が順当に勝利するだけのレースになるという事だ。ここに至り、俺はあの姿にまだビビっているらしい。情けない、これからレースだというのに何時までビビってるのだろうか。

 

「ふぅ……挨拶してくっか」

 

「骨は拾うぜ」

 

「心を折られるなよ」

 

「ひでぇ」

 

 手をひらひらと振りながら御大の方へと向かって進む。これまで他人と関わる事なく堂々とした姿を見せていた御大は俺が近づくのに気づいて、にやりと笑みを浮かべた……これでも俺よりも遥かに年上のくせして、いまだに二十代にしか見えない程若々しいのはどんな魔法を使ってるのやら。

 

「Fear、待っていたぞ。何時挨拶してくれるのかと思ってずっと寂しい思いをしていたんだ。ハグの一つでもしてくれないのか?」

 

「御大、アンタもうそういう年齢でもないだろ……少しは自重してくれよ……」

 

「自重? 自重とはなんだ? お前が言う様な言葉ではないだろう、私の後継者。お前という存在そのものが三女神の自重のしなさの象徴みたいなものだろう」

 

「ぐう正論」

 

 言い返す事が出来ない。曖昧に笑って頬を掻くと、しかし御大は楽しそうに笑い声を零した。

 

「Fear、私は純粋に嬉しく楽しいんだ。解るか? 私の魂は―――Secretariatは蹄葉炎で死去した。なんて情けない結末だ。その運命が回避され、こうして生き残った今……私は、私達の魂はそれでもレースで散る事を望んでいるんだ」

 

 語る御大の視線は今、この場ではなくその向こう側を見ている。時折、女神と近しい存在や或いはオカルトに触れるウマ娘がその魂がどこから来ているのかを気づく。その中でも、Secretariatは特別理解に近い。或いは完全な理解に至っているのかもしれない。

 

「Fear、一目見た時から解っていたよ。お前は私達のレールに縛られた魂を唯一解放できるウマ娘だって、或いは―――」

 

「御大、それ以上は駄目だ。俺が走る理由も、生きる意味も、生まれてきた事実も。女神でもアンタでもなく、俺自身が決める事だよ」

 

 ウマ娘。

 

 そう、ウマ娘は根本的な部分で不自由だ。

 

 人間よりも強く、美しく、神に愛されていて……それでいて不思議な存在だ。人間とほぼ同じ姿形をしているのにその力は軽く人を凌駕する。その中には御大みたいにピークを過ぎても未だに伝説を終えられない奴だって存在している。

 

 彼女達は縛られているのだ。前世、或いは魂に、ウマ娘という形に。本来彼女達の運命はもっと自由であるべきなのだ。自由に走って、決めて、そしてそういう風に生きるべきなのだろう。だが知らず知らずその運命をなぞって生きている。

 

 Secretariatの視線が俺の背後、Afleet Alexに向けられる―――そこには憧れの様な視線があった。運命を越えて、定められた道を外れて自由に走る姿はきっと、このアメリカにいるどのウマ娘よりも彼女には特別に見えるだろう。もしくは、それがこの人の目指したい場所だったのかもしれない。

 

 だからこうやって、あらゆるムリと無茶を通して彼女はレース場に戻って来た。

 

 熱気は異様だ。誰も彼女がここに立つ事に違和感を覚えない。ルール違反、掟破り、常識外……そんな事を気にする人間はどこにもいなかった。或いはそれこそ、三女神の手による応援なのかもしれない。俺はあんまり連中と関わらんから適当なイメージだが。

 

 いい迷惑だ。

 

 だけど同時に、これが俺の仕事だとも思う。

 

「ならしっかりと墓に埋めてやるのが俺の仕事かぁ」

 

 俺の言葉に御大が笑って肩を揺らす。

 

「しっかりと息の根を止めてくれないと這い出てくるから―――しっかりと、もう二度と走れなくなる程私を念入りに殺してくれよ、Fear。彼岸から這い出た私の可愛い後継者。しっかりと、きっちりと私を殺してくれ。じゃないといつまでも死ねないからな」

 

 語り合うべき内容は終わった。背を向け、離れる。軽く距離を開けた所で溜息を吐く。

 

「どいつもこいつも感情が重すぎるだろ」

 

 アヤベさん! その布団火炎放射器で湿度の奴を滅ぼしてくださいよ! 無理? 無理かぁ、そっかぁー。アヤベさんが割と湿度高いタイプだしなぁ。他人の湿度にキレる前に自分の湿度に関してどうにかしろよ。

 

「まあ、でも、解ったよ」

 

 手は抜けない。本気は出す。全力も出す。元々勝つつもりだったし、手を抜く予定なんてなかった。使える自分の全てを使って打ち倒すつもりなのはそうだった―――だけどそれでは甘いのだろう、多分。必要なのは……そう、全てを燃やし尽くす覚悟。

 

 伝説の後に伝説と呼ばれる程に鮮烈な赤を見せつける事を。

 

 二度と墓場から這い上がろうとする気さえ起こさない程の決定的な敗北を。

 

「やるか、伝説殺し」

 

 柔軟する様に軽く体を動かし背筋を伸ばす。

 

 土壇場だが、プランは決めた。今決まった。俺がやるべき事は一つ。

 

 真っ向から、恐怖を刻む事だ。




クリムゾンフィアー
 本当はドロップキックキメてキレたい

Afleet Alex
 本当はメガトンパンチキメてキレたい

Invasor
 本当はバックドロップキメてキレたい


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88話 BCクラシック Ⅲ

 燃え尽きる覚悟。

 

 走りに対する信仰心。

 

 勝利への狂気。

 

 肌に感じる熱気と熱狂はダートの大地に立つとより一層感じられた。ゲートインする僅かな時間、体を解すように軽く両手足を動かす。西村は今日という日に向けて完璧な調整を施してくれた。Secretariatと戦うために限界まで体を仕上げてくれた。

 

 俺という肉体のスペックが出せる限界、それを追求してくれた。

 

 それでも最高点という意味ではドバイWCが最高だっただろう。あのレベルはもう望めない、奇跡の一瞬だった。それでも、その点を目指して限界まで仕上がった。つまり、後は走る俺次第という所に来ている。

 

「―――さて」

 

 熱気を追い出すように息を吐いて、肺の中に新しい酸素を送り込む。既に意識はレース用に切り替わっている。1人、また1人とゲートの中へ収まって行く姿を見て静かに祈るように目を閉じた。

 

「Ms.Crimson、ゲートへ」

 

「あいよ」

 

 短く答えてゲートの中に納まる。後ろでゲートの閉じる気配がし、いよいよレースが始まる。溜息を吐き、天井を見上げ、それから視線を戻す。絶望的なレースになるだろう。あまりにも勝機の見えないレースだ。それでも絶対に勝たなくてはならない。単純な話、時代の終わった連中が何時までもこの場にこびりついているのがあまりにも醜くて、宜しくないからだ。

 

 俺達の時代に、伝説はいらないんだ。

 

 ゲートの中に入り、いよいよレースが始まる。巡り巡った俺のウマとしての人生もだいぶ妙な事になって来た気がする。

 

 それでも、こういう道筋を辿った事に後悔はない。そう、後悔はないんだ。

 

「そうだろ、西村。走るなら後悔なく燃え尽きなきゃなッッ!!」

 

 吠えると同時にゲートが開き、飛び出す―――あの頃はマイナスの意味で燃え尽きようとしていた。事実だ、俺は死に場所を求めて走っていたようにも思える。だが今は違う。違うと信じたい。この胸を焦がす様な熱狂と衝動を本能のままに解き放って走りたい。

 

 だから、常に全力を。自分が出せる全てを吐き出して勝利を。

 

「―――ッッッ!!!」

 

 誰も声を上げずに叫んでいる。音のない悲鳴がダートに響き渡っている。ゲートから飛び出すのと同時にフルゲート、一人を除いた全てのウマ娘が破滅逃げに入る。当然だ、最強の末脚を前に取れる対策なんてそれしかない。互いへの妨害はなし、無駄な動きも無し、出来る事は全力で前へと向かって飛び出す事、それだけ。

 

「は―――は―――は」

 

 それでもその脚音はダートへと響いて行く。領域、展開をしようとしてもイメージが練れない。その代わりに背後から襲い掛かってくる恐怖のイメージが迫ってくる。恐怖? 否、畏怖だ。根源に刻まれた原初のウマ娘、その気配を領域という形を通して感じ取っている。

 

 その圧倒的すぎるイメージが、他のイメージを踏みつぶしている。

 

 ゾーン? 入りたければ入れば良い―――ただし、出来るものなら。

 

「始めよう、盛大な生前葬をな」

 

 空が翳る。太陽が月に隠れる。僅かな光の環のみが空に上がり闇が世界を支配する。圧倒的なまでのイメージが精神を、脳を抑圧してウマ娘のウマ娘たる所以を殺しにかかる。その中で唯一信じられるのは生まれ持った肉体、そして鍛え上げた才覚。

 

 それのみが許される決戦場へとレース場が変貌した。

 

 序盤から既にスパートに入る様な速度、そして緊張感に威圧感。本来であればデバフを後方の赤毛へと向かって放つべきなのだろう。だがこの場に至ってそれを行えるウマ娘は皆無だった。当然だ、それを思考するだけの余裕がない。あるのは逃げなくてはならないという本能だけだ。

 

 その本能だけが今、俺達を前へと踏み出させている。油断すれば追いつかれる、油断しなくても追いつかれる。相手はそういう奴だ、常識で考えるな、いや思考するな……走れ!

 

 既にバ身差は10バ身を超えて更に開いて行く。ハナを奪って狂ったように走って息を入れている―――枯渇しそうなスタミナを走る傍から回復しているが、それでも追いつかれる気がする。いや、錯覚ではないだろう。このままでは絶対に負ける。本気になったSecretariatとのレースは初めてだからこれまでは解らなかったが、完全なオーバースペックだ。

 

 このままでは勝ち筋がない。

 

「はぁ―――はぁ―――」

 

 Invasorが横を抜け前に出る。加速された? 違う、こっちが減速した。前を譲って3番手につく。前のウマ娘を利用してスリップストリームを起こしながら数秒、思考する余裕を考える。勝ち筋……勝ち筋はなんだ、何かを見落としている? いや、恐らくは違う。見落としではなく考えてすらいなかっただけだ。

 

 ―――勝ち筋は、ある。

 

 一瞬だけ後方を見やって、赤い姿が迫ってくるのを見た。既に加速し始めている。最後方のウマ娘が抜かれかかっている。時間はもうないのかもしれない。だけどこのまま全力で逃げ切ろうとしても負けるのが見えてきている。

 

 だったら、やるだけだ。

 

「お」

 

 心を、本能を抑圧する日食に対抗する。練り上げろ、集中力を。緊張感を、プレッシャーを喰らえ。脳を限界まで酷使しろ。走るのをやめるな。集中力を高めながらペースを崩すな。走りながらもどうコースをとるかしっかりと意識しろ。

 

「ぉ」

 

 歯がカチ、カチ、カチ、と鳴って噛みつく。本能を理性で捻じ伏せる。そして湧き上がる衝動で本能を燃え上がらせる。やれるだろ、できるだろ、原初のウマ娘が、最強の起源にして原典がなんだ。こっちは彼岸を超えて来たんだぞ、舐めるな。

 

 己の中でイメージを構築する。塗りつぶされるイメージを己の中の強固な信念で抵抗する。それは或いは、勝利に対する信仰心だとも言えるかもしれない。

 

 イメージするのは彼岸の果て、歩んできた道。全てが混ざり合う死の道の果てにあった場所。日食の空に亀裂を生む。頭がずきずきと痛み、鼻から何かが垂れるのを感じ取る。酷使する脳味噌が熱を上げて止めろと叫んでいる気がする。

 

 それでも、肉体なんてものは容易く凌駕できると、サイレンススズカが証明してくれたから……その後を追う。

 

「舐、め―――」

 

 んな、と最後まで言葉は口に出ない。その代わりに花が咲き乱れ、日食を割る。競バ場を飲み込んでいた古い理を無理矢理出力の差で覆して粉砕する。そう、日食は崩れた。最強の領域はこの瞬間初めて敗れ去った。

 

 威圧感から解放されたウマ娘が、驚愕せずに、そう来ると信じていたように己の最高を果たす為の領域に入る。

 

 そうだ、彼女達は信じていた。赤毛に対抗できるのは赤毛のみ。もう一人の赤毛であれば最悪の領域を踏破してくれると、そこに絶対に勝機がある筈だと。絶対なんてものは、レースには存在しない。

 

 だからこそ勝つ、勝つつもりで走っている。一瞬でゾーンに入ったウマ娘達がこのまま逃げ切る為に加速に入る。誰よりも早く、なによりも早く、追いつかれる前にゴールへと目指してスパートする。

 

 だが、その全てを嘲笑う様に、5人が一瞬で抜かれた。

 

「良いぞ、それでこそだ」

 

 加速する。加速している。加速し続けている。

 

 上がってきている。影が、赤い影が後方から蹂躙するように上がってきている

 

「そうでなければ走る意味がない」

 

 無論―――彼女も信じていた。自分の後継者が決して劣化コピーではない事を。受け取るだけ受け取ってその程度の駄バではない事を。受け取り、飲み込み、そして自分の形へと昇華させる事の出来る唯一無二である事を最初からずっと信じていた。

 

 だから、ここが本番だ。

 

 ここ、Eclipseが破れてからこそ、今年のBCクラシックはスタートになる。

 

 日食による虚飾は払われた。

 

 過去の栄華は既に散って久しい。

 

 引退という名の墓場からそれは這い上がって来た。

 

 忘れられているのであれば衝撃と共に思い出させよう。

 

 もはや他の領域なんて必要はない、己の唯一無二以外は飾りでしかない。

 

 

 

 赤い影が上がってくる

 

 その領域はシンプル、この一戦の為だけに数多くのライバルの手を煩わせ調整されたもの。ただ、全力で走る事を許すというだけの領域。それだけの領域。シンプルであり、最も無意味な領域だと言えるだろう。

 

 特殊性は皆無。

 

 だが、それで十分すぎた。

 

伝説が帰って来た




Secretariat
 私か、或いは時代か


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89話 BCクラシック Ⅳ

 ―――納得(はいぼく)したい。

 

 私の時代は終わったのだと。私の栄光は過ぎ去ったのだと。私はもう、走れないのだ、と。そう納得したい。燻り続けていた。栄誉を、名誉を、欲しいものを手にして引退したレース。それで残ったものはなんだ? 金か、名声か。

 

『良いじゃねぇか、Secretariat。世の中満足に走れない奴は腐る程いるし、満足な体で引退する方が珍しい時だってある。アンタは最高のアガリを迎えたんだ。それ以上に望むものがあるのか? お前のその願望は贅沢だろうよ』

 

 本当にそう思うか?

 

『姉御。アンタの気持ちは解るよ。だけどな、姉御の時代はもう終わったんだ。本格化、終わって来たんだろう? 直に解るさ。走りたくても走れなくなるって事の意味が。私らは結局、運命に縛られるがままに生きてるのさ』

 

 本当に、そう思うか?

 

『馬鹿な女だよ、アンタは。けど嫌いじゃない。足掻きたいなら足掻けば良いじゃねぇか。どんだけ見苦しくても、それを選ぶのはアンタの自由だろ』

 

『全く、貴女は何時も勝手ばかりですわね、Sunday……Secretariat様? この馬鹿の言う事は話半分で結構ですわよ』

 

 結局、私の想いを肯定したのはSunday Silence、お前だけだったな。その愚かさが好ましかったのだ。その愚かさが嬉しかった。馬鹿なのは私だけじゃないと言ってくれたお前が、嫌いじゃなかった。そして自然と似たような馬鹿が集まるのも嫌いではなかった。

 

 そうさ、きっと私達の時代はもう既に終わってしまったのだ。最高のアガリを迎えたのは事実で、何も間違っちゃいない。だけどこうやって五体満足で、走ろうと思えばまだ走れる。体も、心も、まだまだ若く全力に耐える。なのになぜ終わらなければいけないのだろうか? 運命に縛られているから? それがルールだからか?

 

 ―――納得だ、納得(はいぼく)が欲しい。

 

 言い逃れ出来ない程の終わりを。私の時代が終わったという事の証明を。

 

 一度は引退した身。墓場に身を沈めた事もあった。だが終わらせられなかった。まだ心も体も走れると叫んでいる。なのにどうして眠らないといけないのだろうか?

 

 あぁ、Fear―――愛しい後継者よ。お前という奇跡が現れた事に感謝している。ウマソウルなんてふざけたものを呪った事さえあった。だが、お前の存在がその全てを否定した。魂に縛られる必要はないという証明を行った。闇の中で輝く赤い星になったんだ、お前は。

 

 だから焼き尽くせ。

 

 この道を疾走して駆け抜ける。

 

 肌も肉も命の全てをこの身に受ける風で削ぎ落とすように。

 

 ただただ全力で、感謝の祈りだけを込めて―――伝説と謳われた全てを完全に発揮して。

 

 

「―――いやあ、参ったね。アレはもう化け物という言葉しか見つからないよ」

 

 Eclipseの領域が粉砕された瞬間、覚醒するSecretariatの姿を見てパーマーが声を零した。チャーチルダウンズ競バ場の歓声は死んでいた。恐怖からでも驚きでもなく、純粋な畏怖が競バ場を支配していた。声を上げる事を躊躇わせる迫力、本気になった、なってしまった赤い伝説が駆けだす姿にはもはや歓声を上げる事すらできなかった。

 

 現役時代に最強の名を手にし、そのまま伝説として引退した姿がターフを駆ける姿に浮かぶ勝利のイメージはない。

 

「マジやばたにえん。え、アレマジでエンジンとか積んでないの? ウケる~。ジェットタービンならついてそう」

 

 真顔で言い切るヘリオスの言葉に誰も否定の言葉を上げられなかった。カブラヤオーなんて本能的にその強さを、恐ろしさを感じ取ってしまった結果競バ場から逃げ出そうとさえしていた。それほどまでに2代目と呼ばれる赤毛の王は格が違った。

 

 限界まで肉体を追い込み、たった1度のレースの為に調整した領域。多くの屍の上に立つ理想は彼女を全盛期のスペックにまで押し上げる。そう、Eclipseの領域など所詮蛇足でしかない。彼女にそんなものは最初から不要だった。

 

 領域、使われて結構。

 

 使われた上で基礎スペックの暴力で殴り殺す。

 

 それがSecretariatという暴力の化身だった。

 

 憧れ、畏怖、恐怖。見る者全てを魅了する赤い影が上がってくる。上がり続ける―――抜き去って行く。

 

 Secretariatの前にあった最後尾まで10バ身以上の差は一瞬で消し飛んだ。そこから減速もせず、撫で切るように一気に半数を抜き去って先団を覗く。その瞳は先頭を走るInvasorを捉え、その背後のAfleet Alexを盗み見、そして二人を風除けに使う愛弟子の姿を捉えた。

 

 誰もがその表情に、笑みが浮かぶのを見た。

 

「は―――」

 

 短い音、短い声。しかし良く競バ場に響く。極限までのスタミナ消費と限界突破の加速、それは現役時代に誰もが見た姿。それが完全な形で蘇ってチャーチルダウンズを襲う。抉れるダート、拭き跳ぶ足元、だが赤い影が加速し続ける。

 

 全てが雑兵だと切り捨てるようにその姿は抜き去る相手を意識すらせずに追い抜く。

 

 それでも速度は上がり続ける。ワールドレコードなんて踏破して当然の事実でしかないと言わんばかりのトップスピードはもはや現役時代すらも超える。それほどの迫力と悪夢を背負った姿が上がってくる。

 

「―――」

 

 玉のような汗を散らせながらクリムゾンフィアーが歯を食いしばる。持ち出す領域はこの場では他の誰でもない、ツインターボの領域だ。スタミナを犠牲にする事で限界を超えて加速し、速度を許すツインターボの領域が状況と環境に一番マッチして凶悪だ。

 

 逆に言えば、これだけ強引な加速をしなければ話にならない。他の2人をスリップストリームに利用した事で限界まで大逃げを見せながら足を溜めていたフィアーがスズカの如く溜めて差すように前へと飛び出す。他の2人を抜き去ろうと前に出て、更に残りの2人が前に出る。

 

 限界まで加速し続ける3人の背後に、赤い影が迫る。

 

 食いしばり、噛みしめる歯をむき出しに、人を殺す様な表情はもはやレースではなく殺し合いをしていると言わんばかりの表情をしている。

 

 速い―――速すぎる。

 

 敵はいないのか? あの赤い影を墓場に叩き戻す事の出来る猛者は存在しないのか? 一瞬で最後尾から先頭に立つ赤い影の姿を前に、誰もがレースにおける絶望という理解を得ようとした所、走る4人の中にある考えは違っていた。

 

 ―――()()()()

 

 テンポが、ペースが、レースが。レースは確かに競い合いだが、同時にただ速ければ良いだけという訳ではない。ツインターボの破滅逃げは異端の中の異端だ。それが許されるのはまだ垂れるからであり、スタミナには限界が存在するからだ。

 

 当然、加速すればするだけスタミナはもっと要求され、燃焼される。

 

 限界まで加速し全てを撫で切って先頭に立つSecretariatのスタミナはこの一瞬で凄まじい勢いで消費された。だがその想定は彼女の想像以上であり、同時にその速度は3人の予想よりも遥かに速い。

 

 即ち、この先頭争いに入る4人の間の意識は共通として、速すぎるという認識であっていた。

 

 フィアーが日食を割った事でレースは更なる加速の下地を得た。それがレースを更に加速させた原因であり、それを絶対に成し遂げると信じていたInbasorとAlexがそれを利用して息を整え、序盤に手札を温存していたのもまたその理由だった。

 

 細い、か細いが勝機がレース場に見えた。

 

 限界を超えたチキンレースを行ったからこそ生まれた唯一無二の可能性。もはや4人の間に脚をへし折って吹き飛ばすかもしれないという認知は当然あり、それを飲み込んだ上で走る事を選択していた。

 

 この一瞬、この刹那に全ての感謝と意志を。

 

 ただただ、伝説を踏破する為に命の全てを込めて走る。

 

 ハナに立つSecretariatの姿が加速する。前に出る赤い影が1バ身、2バ身と距離を作る。だがそれ以上作る事を拒否するように脚に走る痛みを無視して加速が追いかけて来る。思考に言葉を作る余裕さえもない。ただ本能的に唯一の勝機を理解し、走る。

 

 それだけが許された行いだった。

 

 だから3人の挑戦者は更に加速し、圧をかける。枯渇するスタミナは継承領域と技術を駆使して補充し、脚に走る痛みを無視する。そしてその加速をプレッシャーに、もっと速度を出すように赤い影に催促する。

 

「―――」

 

 笑う様な気配に赤い影が応え加速する。

 

 3バ身。

 

 4バ身。

 

 5バ身。

 

 走っているのは間違いなく世界最高峰のウマ娘達。クリムゾンフィアーは間違いなく世界最強クラスの1人、Afleet Alexは何度も敗北しながらもその背中姿を見て再戦を誓う不屈のウマ娘、そしてInvasorは今年の最高傑作とも呼べるだけの実力を備えている。

 

 だがそれでも、赤い影が前に出る。

 

 5バ身。

 

 最終コーナーを抜けてホームストレッチの見える距離で絶望的に見えるリードが生まれ始める。

 

 だが誰一人として、その事実に心を折られるウマ娘はいなかった。信じていた。全力は尽くした。祈る必要はない。必然の結果とは努力に人事を尽くして成し遂げるものだ。現役時代ですら出したことのない速度、それはSecretariatからスタミナを急速に奪う。

 

 もし、彼女が欠片でも速度を抑えてゴール前で差す事を選んでいれば。

 

 破滅逃げなんてものに馬鹿正直に付き合わなければ。

 

 彼女は当然のように勝利していたかもしれない。その結末を観測する事はもはや不可能だろう。だが現役時代ですら出したことのないスピードに、その老いた体は完全にはついてこられなかった。

 

 ゴール、26メートル前。

 

 赤い影が、垂れ始める。

 

 スタミナは燃焼し終わる。後はもはや気力のみ。

 

 加速は消え去る。しかし最強のプライドがその体を前へと運ぶ。食いしばる身から汗が弾け飛ぶ。本格化が終わり、肉体は劣化し、諦めずに体を維持して―――それでも、それでも衰えて行くスタミナだけはどうしようもない。

 

 それでもその現実を否定する。

 

 今、この場で、そんな些細な事実を敗北の理由にするわけにはいかない。強者としての傲慢と矜持がSecretariat自身が垂れる事を許さない。それでも5バ身、その距離を一瞬で3人が詰めてくる。最後の直線にもはや咆哮するだけの酸素は残されていない。

 

 残り10メートル、半バ身差。

 

 横並びになる4人。

 

 誰が抜け出すかなんてものはもはや解らない、混沌の時。

 

 もつれあう様に4つの姿がゴールラインを切った。




Secretariat
 楽しかっただろ?


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90話 BCクラシック Ⅴ

「―――良いか、良く聞け。私が全盛期だったら6バ身は付けてゴールしていた。無論、この馬鹿みたいな破滅逃げに付き合っての話だ」

 

 そう言ってSecretariatは力尽きて倒れた。それにクリムゾンフィアーが鼻血で真っ赤な顔のまま、中指を突き立てた。

 

「はい、負け惜しみー。審議中のランプが消えたら俺が1位って証明出るから悔しがって墓の中に戻ってください。次回までになんで負けたかしっかりと考えて来てね」

 

 そう言って今度はフィアーが力尽きて倒れ、

 

「いや……もう二度とこんなレースしたくねぇよ……」

 

 Alexが次に倒れ、腕を組んだままInvasorが頷いた。

 

「楽しかった」

 

 そして全員倒れた。

 

 BCクラシック、決着。

 

 

 

 

 意識が僅かに朦朧としている。浅い眠りから起き上がる様な意識の覚醒。頭の中でゴルシがダンスを踊っているような感覚、それでも泥のように体が重い。これまで経験した事がない程の負荷と疲れが体にかかっており、頭がぼーっとする。頭も体も限界を超えて酷使した反動だと理解できるのは、それから数秒後の事だった。

 

 ゆっくり、ゆっくりと目が開く。

 

 体が重い。だが充足感がある。脚の感覚もある。どうやら脚は吹っ飛ばなかったらしい。サンキュー、ガイドライン神、サンキューサイゲームス、サンキュー馬主。

 

「で、俺勝った? 勝ったよな? 流石に勝つ流れだったよなアレ?」

 

「起きるのが早いね、フィアー」

 

 漸く目が光に慣れてきて目が開けられる。天井から照らされる光に目を細めながら体を持ち上げる。体が依然重く感じるも、限界を超えて走った反動であるのは良く理解している。お蔭で体の節々が痛い。

 

 軽く辺りを見渡せば、いくつものベッドとそこに転がるウマ娘、横につくトレーナーの姿が見える。視線を向ければ笑顔と軽いウィンクなどの挨拶が送られてくる。流石アメリカ人、こういう所は物怖じしねぇな。

 

「頭が重ぇ……」

 

「医者が言うには脳の酷使が原因だから、しばらくは安静にして欲しいってさ。それと脚には何も問題がなかったよ。疲労は残るから抜くのに少し苦労がかかりそうだけど、後遺症はなし。それは今回走った全てのウマ娘に言える事だけどね」

 

「神様が素敵なレースにプレゼントをくれたのかもな……よ、と」

 

 声と共にAlexが体を持ち上げる。軽く手を振って挨拶してくる姿に手を振り返す。壁にかかった時計を見れば、レースから既に30分ほど経過している。どうやらそこそこ眠っていたらしい。この疲れは相当抜くのに苦労するだろう……12月中は無理かもしれない。

 

 まあ、何で裏ボス戦をこんなところでやってんだ、って話なんだが。

 

「楽しかった」

 

 がたり、とベッドから起き上がったInvasorが満足げな表情を浮かべている。割と面白い性格してるなお前……と、思いつつも俺達の意識は雑談よりももっと重要なものへと向けられている。じぃ、とトレーナーを見つめていると、医務室の扉が開いた。

 

「やっと起きたかポニー共」

 

「御大、アレだけ走ってもう普通に起き上がってるのバグでしょ」

 

「もうちょっと生物らしさ見せろ」

 

「生命に対する申し訳なさないの?」

 

「ぼろくそ言うなお前ら」

 

 扉の向こう側から呆れたような表情を浮かべるSecretariatは軽く髪を掻き、それからにへら、と表情を崩した。

 

「伝説も今日までだな」

 

 ひらひらと手を振ってSecretariatが去って行く。その言葉に視線が各々のトレーナーへと向けられ、静かに、しかし同時に結果が発表される。

 

 4着Secretariat。

 

 3着Invasor。

 

 2着Afleet Alex。

 

 1着Crimson Fear。

 

「っしゃあああああ―――!!!」

 

 ベッドから飛び降りて医務室を飛び出す。そのまま走って御大の所まで行き、煽るように顔をどアップしてから顎を突き出すように顔芸で煽る。

 

「はい、俺の勝ちー! 俺の勝ち! はい、俺が人類最強!!」

 

 御大の額に青筋が浮かぶのを無視して廊下を走って、転び、転がり、スタッフが爆速で走って助けに来るのを払いのけて床に転がったまま腕を広げる。ぴすぴす。俺最強。俺最強でーす。もうこの記録人類には乗り越えられませーん。俺最強でーす。

 

「俺最強ォぉ―――!!!」

 

「馬鹿みたいなテンションになってるな……」

 

 床に転がっている姿を御大に俵担ぎされてそのまま医務室へと戻される。医務室の中では呆れたような表情のAlexと、悔しそうな顔のInvasorがいるのでWピースを向けて煽り芸を披露しておく。もう無敵だ。こうなってしまえば精神的に無敵だ。今後人類ではどうしようもない記録が出たので俺の勝ちです。

 

「これから俺の人生何が起きてもまあ……俺、世界3大グランプリ踏破したウマ娘代表だしな……で永遠にマウント取れるってマジ? マジだな。いやあ、ウマ娘代表で悪いね。これからちびっこが俺に憧れてレースを走る事になるんだぜ? ヤバくね?」

 

「うっぜぇ……!」

 

「ピース! ピース!」

 

 わはー、と声に出しながら担がれたままじたばたする。尻尾をぶんぶん振り回してテンションの高さを見せつけると軽く揺らされる。ぐでぇ、と体から力を抜いて担がれたままにされていると、ほら、と御大が口を開く。

 

「ウィニングライブを皆が待っているぞ。最後に起きたのはお前らだ……新しい時代の、勝者としての姿を全員に披露する為にとっとと準備してこい」

 

 自分の時代が終わった。伝説は終わりだ。完全燃焼した姿の御大はどことなくすっきりして、それ以上に気力に満ちている。或いはレース前よりも人生を前向きに生きていけるだけの気力に溢れていた。そんな御大の言葉と様子を見て、秒で医務室から飛び出す。

 

「そこのスタッフ、控室にメイクさん呼んできて。10分でステージに出る準備整える。お前ら、また後でな!」

 

「ライブで!」

 

「See you」

 

 他のウマ娘達に別れを告げて早歩きで控室へと戻ろうとして―――道が解らない。首を傾げていると走って追いついてきた西村が苦笑交じりに控室まで連れて行ってくれる。

 

 それから控室に到着し、椅子に座って、むふーと息を吐く。そんな俺のご機嫌な姿を見て西村が腕を組んだ。

 

「これでついに、君は当初の目的を果たす事に成功したんだ……文字通り、前人未踏、ウマ娘という種の歴史に残す大偉業だ。恐らくこの後に同じことが出来るウマ娘が生まれてくるかどうかなんて解りもしないけど……きっと、来ないだろうね」

 

「そーだろな。俺みたいな彼岸越えが出たらあり得るかもな。いや、まあ、俺はレアケースだからありえないか」

 

 そもそも俺が彼岸を彷徨っていたのは神様とか女神の手引きではない。俺が超低乱数を引いてしまった為の出来事だ。それがまあ、どうやって異世界転生なんてものになったのかはマジでようわからん。

 

 でも、まあ、続く奴はいないだろう。早々俺みたいな怪物が湧いてたまるか。俺の存在は50年もすれば3代目の伝説として静かに埋もれて行くだろう……アレは本当だったのか、アレはもしかして誇張じゃないのか、なんて話と共に。

 

「でも、まあ、それで良いよ俺は。俺さ、結局色々とごちゃごちゃ考えて来たけどやりたい事はシンプルに一貫してるんだよね」

 

「―――誰よりも速く走る事、でしょ?」

 

 Yes、と西村に指差して笑う。結局俺の性根は本当にそれだけなんだ。最強のライバルを相手にして全力で走りたいだけ。今日も御大を煽れたので最高に気分が良いし、一生このレースの事を忘れる事もないだろう。

 

「それでもラストランはやってくる」

 

「そーだな。挑戦状叩きつけても叩きつけなくても、ラストランからは逃れられないからな」

 

 俺達ウマ娘のレースとは結局、そのアガリをどうやって迎えるかという点に集約されるのかもしれない。無論、ドリームシリーズに移籍して最後を後に回す事も全然ありだろう。トゥインクルで真っ赤に燃え尽きるのも悪くはないだろう。

 

 だが俺がそれを考えるのはまだ少し先―――有マを走ってからだ。

 

 考えてみれば、俺は未だに1度も有マ記念を走った事がなかった。

 

 日本人のくせして面白い奴だわ、全く。

 

 こんこん、と扉にノック音が響くメイクが到着したらしい。とりあえず、話はこれまでだ。今は勝者の義務として死体蹴りライブを行う時間だ。メイクを控室に迎え入れて大人しく化粧直しを受ける。

 

 ―――これで、全ての海外遠征は終わり。

 

 俺の、最後になるかもしれない戦いがいよいよ始まる。




BCクラシック出走組
 この後全員でサンデーハウスに雪崩れ込んでパーティーした

サンデーサイレンス
 当然キレた


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91話 さあ、無に帰ろう

「カフェー! ただいまー! 結婚しよ」

 

「お友達で。いえ、というか帰って来たんですね」

 

「おう。はい、これお土産。ドクターもちわわ」

 

「やあやあ、お土産楽しみにしてたよ」

 

 トレセン学園に戻ってきてまず向かったのはタキカフェコンビの居る空き教室だ。まあ、何時も通りに寛いでるなあ、なんて事を部屋の隅で発光しながら荒ぶる神のポーズで浮かんでいるモルトレを見ながら思う。ついに物理法則から解放されちゃったかぁ。

 

 いや、でもこの外国では絶対に見る事の出来ない怪奇現象を見ているとあぁ……トレセン学園に、日本に帰って来たんだな……感がヤバイ。とりあえず土産物の入った袋を纏めて渡す。どうも、とカフェとタキオンが受け取る。

 

 早速開けて確認される土産物。こういう土産物に関しては形の残るものよりは、サクッと消費できるものの方が重くなくて良い。プレゼントに小物とか置物を用意すると逆に与えるプレッシャーが大きすぎるんだよな。

 

 そういう訳で、タキオン用に用意したのはアメリカの方で作られたばかりの完全栄養食。スナックバーみたいな形で1本で1日に必要な栄養を全部摂取できるという奴。研究とかで良く徹夜したり引きこもるタキオン向けの土産って奴だ。

 

 カフェ用のはコーヒーに合うお菓子で結構お高めの奴。フランスのちょっとした有名店のパティシエが作った奴だ。まあ、土産物と言えば食えるもんが基本だよなという俺の考えだ。

 

「しかし見てる限りトレセン学園はあんまり変化ないっぽいな」

 

「そうだねぇ、UMAが住み着いた事以外に大きな変化はないよ」

 

 全員で窓の外へと視線を向ければゴルシ号が数人のウマ娘と一緒にターフを走っていた。ゴルシvsゴルシ号、ワープvsワープ。互いにワープしようとしてコースを邪魔し合った結果ワープできずに他のウマ娘が前に出ている。なにやってんだよお前ら。

 

「ところでそれ、重くありませんか」

 

「慣れてるからへーきへーき」

 

 カフェはずっと俺にセミの如く張り付いているディーの事を指しているが、これは完全に無視で良い。相手にするとちょっと時間が足りなくなるし。

 

「その状態でカフェに求婚する辺り、偶に尊敬を覚えるよ。真似したいとは思わないけど」

 

「尻尾と耳で叩かれてますよ」

 

「慣れてるからへーき」

 

 何時もの事、何時もの事。

 

 まあ、それはともかく、トレセン学園は比較的に平和らしい。

 

 BCクラシックが終わって1週間ほど休養に当てた。それから帰国して実家で数日過ごしてこうやって今、トレセン学園に来ている。12月末の有マ記念までは完全に休養に当てる事が確定している―――いや、まあ、ここまで激戦続きなので、休まないわけにはいかない。

 

 そういう訳でジャパンカップはスルー。俺は出る予定はない。流石に体が持たない。

 

「しかし来年度は入学希望者が増えそうですね。既にたづなさんが大変そうにしてました」

 

「そりゃあ勿論世界最強と言われるウマ娘が日本から出ちゃったからねぇ。アレで闘争本能を刺激されない娘は中々いないよ。かくいう私も機会があるなら有マを走って勝負してみたいもんだけどねぇ……フィアー君、そこら辺君で口添えできないかな?」

 

「やろうと思えばやれるけどフェアじゃないしな」

 

「ま、そう言うと思ったよ」

 

「今年の有マは倍率が凄い事になりそうですね」

 

 肯定を示すようにモルトレが光って横に小刻みにホバー移動する。動きが人間のそれじゃねぇな。外国ですらお前に匹敵する生き物はいなかったぞ。

 

「まあ、その前にジャパンカップでしょうが」

 

「今年のJCは凄そうだなぁ。リベンジ表明してる連中の影響でなんか倍率凄いって話だけど」

 

「盛り上がるだろうねぇ」

 

 ディープ蝉インパクトが得意げな表情をしている。そういやこいつがJC出場予定だったか? 長らく日本に乗り込んできた海外バはいないが、今年はディーが走る事を考えるとなおさら無理そうだ。それでも打倒日本の空気が出来上がっているのは悪くはない。

 

 何せ、日本と言えばガラパゴス環境で有名だ。日本のダート、芝は海外とは環境が違いすぎる。気候が原因なのは確かだが、その影響で日本の競バで必要とされる能力は違ってくる。

 

 世界とスタンダードが違うのはそれだけでデバフだ。世界に挑みづらくなるし、世界からも挑戦されづらくなる。一応天皇賞・秋が世界レベルで見てもかなり高い地位にあるGⅠレースになるが……やっぱり、ガラパゴス環境というのが尾を引く。

 

 だから海外バが日本に明確な目標を持って挑戦しに来るというのは決して悪い事ではない。日本の芝への適応にはまあ、苦労するだろうがその分国内のレースが活発化する。

 

 やっぱり競バの本場は海外なのだ。大きなレースは海外にあって、何時までも国内に留まるだけでは環境や強さが行き止まりに当たるのだ。

 

 ……だからこそ凱旋門等のビッグタイトルを求めて外に飛び出す人が多いのだが。

 

 別段国内が悪いって訳じゃない。ただ国内だけだと限界があるという話だ。

 

 俺のハチャメチャな旅路はきっと、小さな火種をそれぞれの心の中に灯すだろう。これからはもっと海外に目を向けるウマ娘も増えるだろう。それが俺の無茶苦茶な旅路から生まれたものだとすれば……まあ、嬉しいかもしれない。

 

「とはいえ、来年からトレセン学園も変化を余儀なくされるだろうねぇ。恐らく来年から海外をメインに走りたいと考える娘も出てくる筈だ。そうなるとこれまでの様な国内を想定した練習ではなく、海外の芝を想定して練習をしなくてはならない」

 

「施設とかどうするんでしょうね」

 

「あー、海外の芝を植える訳にもいかないしな」

 

「難しい話ですね。日本が今の環境にあるのは気候の問題ですしね……屋内施設で環境を維持して、なんて話をすると維持費の問題で非現実的ですし」

 

「そう言えばサトノグループが超高度VRシステムの開発に成功したという話を聞いたねぇ。将来的にはVR空間内で海外環境で走って練習する事も可能かもしれないよ?」

 

 それ、筋肉とかはどうするんだよ。だがタキオンの言う事は夢がある。サトノグループがVRマシンの開発に成功すればリアルSAOが出来るという事だ。デスゲームを楽しむ事も8人全員キリトごっこする事だって出来るんだ。

 

 キリト専用ギルドとかVRでやったら絶対面白いと思うんだ。語録のみで会話するとか。夢あるじゃんVR。サトノグループ頑張ってデスゲーム開催してくれ。俺はちょっと参加してみたい。頭チンぐらいならガイドライン神のご加護で突破できるし。

 

 ウマ娘がその程度の事でダメージを受けると思うなよヒューマン。俺達は種族上毒麻痺を無効化するのだ、ちょっと頑張れば火傷も無効化できるだろ。

 

「まあ、でも……VRで練習できるようになったら皆VRポッド? の中に入った状態で練習するのかな」

 

「マシンで負荷を与えて筋トレするのもアリかもしれないねぇ!」

 

「嫌ですよ、そんな環境。想像してみてくださいよ、この学園に通う数百というウマ娘が全員VRにダイブしてる光景を」

 

 カフェの言葉に皆で目を瞑り、VRマシンだらけの体育館の姿を想像する。数百を超えるマシンの中にウマ娘がいて、全員VRダイブしながらトレーニング……絵面としてはこの上なく最悪だろう。なんというか……最先端なのは解るけど現実としては実現したくない光景だ。

 

「まあ、やっぱ屋内施設で芝を維持するのが現実的なのかねえ」

 

「或いは欧州トラックを季節限定で維持するとかね。いや、張り替えの費用が馬鹿にならないかねぇ。何にせよ、日本国内で海外を目標とした長期トレーニングは難しいかもしれない」

 

「それだけに偉業ですよ、フィアさんの行いは」

 

「それほどでもない」

 

 得意げな表情を―――いや、誤魔化さない。盛大なドヤ顔を浮かべる。

 

 あぁ、しかしなんだろうか。こうやってグダグダしていると、シニア期ももうそろそろ終わりだというのに日常に帰って来た感がする。

 

 ただいま、日本。長い旅路の終わりを飾らないとなぁ。




クリムゾンフィアー
 なんだかんだで日本が一番好き

マンハッタンカフェ
 突然の求婚にももう慣れた

アグネスタキオン
 最近はトレーナーをウマ娘に転生させる薬を作ってる

モルトレ
 荒ぶる神のポーズ


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【赤毛】純日本製ウマ娘クリムゾンフィアーを語り合うスレ【最強】

 ここは世界最強3大グランプリ制覇ウマ娘クリムゾンフィアーについて語り合うスレです。

 彼女は決してアメリカ人ではありません。

 英国王室所属のウマ娘でもありません。

 シャンティイ出身ではありません。

 Secretariatとの血縁関係はありません。

 ゴドルフィン所属ではありません。

 彼女は中央トレセン学園所属のウマ娘です。

 

 umatter.com/Crimson_Fear 赤いウマカスの炎上アカ

 umatter.com/SocialFear 赤いウマカスソシャゲ連携用アカ

戦績

 朝日杯FS 1着

 ホープフルS 1着

 皐月賞 2着

 ケンタッキーダービー 1着

 プリークネスS 1着

 ベルモントS 1着

 ドバイWC 1着

 KGⅥ&QEステークス 1着

 凱旋門賞 1着

 BCクラシック 1着

 

 

 

107:名無しのファン

 エクリプス賞とカルティエ賞は確定やろな

 

 

109:名無しのファン

 >>107 取れない理由がないからな

 

 

111:名無しのファン

 >>107 前人未踏の3大グランプリ制覇……

 

 

112:名無しのファン

 >>107 どこをどう見ても化け物

 

 

113:名無しのファン

 お前で賞取れなきゃ何で取れって話なんだよ

 

 

114:名無しのファン

 まあ、国内の年度代表馬は判断難しそうだけど

 

 

115:名無しのファン

 >>114 選考基準がちょっと難しいでしょ

 URA君がんばってもろて

 

 

116:名無しのファン

 国内戦績を評価するか、国内生まれを評価するかって所よな

 

 

118:名無しのファン

 >>114 有マに勝てば国内最強名乗れるから……

 

 

120:名無しのファン

 有マ勝っても名乗れるかあ?

 国内ではプイがぶっちぎりだから

 

 

122:名無しのファン

 >>120 (凱旋門でもう)勝負ついたから

 

 

124:名無しのファン

 >>122 勝ったと思うなよ……

 

 

126:名無しのファン

 プイvsフィアは凱旋門で決着ついてるとはいえ芝が違うからな

 国内戦績見る限りプイのが野芝に適応してるからその差はあると思う

 

 

127:名無しのファン

 赤毛が洋芝特化してると言いたいのか?

 いや、まあ、皐月で負けてるからな……

 

 

128:名無しのファン

 去年の話だろ!!

 いや、何で負けたんだお前ってレベルの話だけども

 

 

129:名無しのファン

 皐月の映像見直すと脚質以外はほぼ今回のBCトレースで面白いんだよな

 

 

130:名無しのファン

 セクレタリアトが垂れるとはなあ……

 見たかったような見たくなかったような

 

 

132:名無しのファン

 間違いなく競バ界に新たな伝説が始まった瞬間だとは思うよ

 

 

133:名無しのファン

 インヴァアレックスも勝てた事で殿堂入り間違いなしよ

 

 

134:名無しのファン

 赤毛さえいなきゃな

 

 

136:名無しのファン

 赤毛が怪物すぎる

 

 

137:名無しのファン

 有マ勝てばラストランだろ? ドリーム行かずに卒業とかマジかよ

 

 

139:名無しのファン

 >>137 赤毛はそういう所嘘をつかんからな

 

 

141:名無しのファン

 >>139 ドリームでバチバチにやり合って欲しいなあ……

 最近レジェンド達が容赦せずに飛び出してきてるけど

 

 

142:名無しのファン

 もうちょっと現役の子に忖度とかさあ……

 

 

143:名無しのファン

 >>142 あんまりルール整備されてないから無法地帯になってるけど、制度自体は好き

 正直ドリームに行ったから見れなくなったレースはあるんだよね

 今のレジェンドレース式はそれが見られるから超助かる

 

 

145:名無しのファン

 それで現役が勝てなくなったらしょうもないんだわ

 

 

147:名無しのファン

 それはそう

 

 

148:名無しのファン

 いや、でも見たいしなあ……ドリームマッチみたいな感じで

 

 

149:名無しのファン

 そこら辺はURAが上手く調整してくれるやろ!

 直近のJCは海外vs国内ってだけだが赤毛は無しだっけか

 

 

151:名無しのファン

 >>149 出走しない。ウマッターで呟いてたけどBCクラシックの疲労抜けてないって

 

 

152:名無しのファン

 それはそう

 

 

153:名無しのファン

 そもそも3大グランプリ制覇に休むほどの時間がなく開催されてないのを走り切ったからな

 

 

154:名無しのファン

 脚大丈夫か?? 走りたい所は見たいけど怪我は見たくねぇんだ!

 

 

156:名無しのファン

 >>154 それな。無事でいてくれるのが一番だよ……

 

 

158:名無しのファン

 >>154 アレだけ走ってまだ走れるのは凄いんだけどな

 正直足が限界を迎えて引退ってのが早そうで怖い

 

 

160:名無しのファン

 お前らぱかちゅーぶの時間ですわよー

 

 

162:名無しのファン

 >>160 わあい!

 

 

163:名無しのファン

 >>160 やったぁ!

 

 

165:名無しのファン

 >>160 待ってたぜ、この時をよ!!

 

 

167:名無しのファン

 今日のぱかライブは赤毛がゲストだっけ

 

 

168:名無しのファン

 もう11月も半ばだけど帰国してからメディア露出無しだからな

 

 

169:名無しのファン

 相当疲れてんだろうな、ってのは解るけど音沙汰がないのは不安を覚える

 

 

171:名無しのファン

 >>169 ほんとぉ?(救援を出しまくる赤毛のグラブル垢を見る

 

 

172:名無しのファン

 >>171 どうしてソシャゲの稼働率で無事を確かめないとならないんだよ!!

 

 

174:名無しのファン

 ぱかライブ始まるぞー

 

 

176:名無しのファン

 (服を脱ぐ

 

 

178:名無しのファン

 服を脱ぐな

 

 

179:名無しのファン

 ぱかライブはじまった

 

 

181:名無しのファン

 ゴルシぃ! お前何時出走するんだよ!

 

 

182:名無しのファン

 ほんとにな

 

 

183:名無しのファン

 ゴルシはアレでまだ本格化来てないらしいからな

 

 

184:名無しのファン

 本格化来てないのにスピカ最古参

 何者

 

 

185:名無しのファン

 ゴ『ゴルシちゃんだぞ☆』

 フ『フィア様だぞ☆』

 ?『Secretariatだぞ☆』

 

 ……おや?

 

 

187:名無しのファン

 おやおやおや?

 

 

188:名無しのファン

 >>185 おや? じゃないが……

 

 

190:名無しのファン

 なんか見慣れない赤毛が増えて……増えてない!?

 

 

191:名無しのファン

 増えてますねえ! なんで?

 

 

192:名無しのファン

 ゴ『という訳で今日はこの赤毛トリオを迎えてやっていくぜ!』

 フ『まあ、俺は準レギュラーだけどな』

 S『学生で宣伝配信してるのか……ステイツでは見ない形式だな』

 ?『日本トレセンは世界的に見てもユニークだよ』

 

 

194:名無しのファン

 赤毛多くない? 多くないか????

 

 

196:名無しのファン

 多い……っすねぇ……

 

 

198:名無しのファン

 脅威の赤毛率

 

 

200:名無しのファン

 もしかして赤毛はコモンだった……!?(錯乱

 

 

202:名無しのファン

 そうかなぁ……そうかも……

 

 

204:名無しのファン

 いや、誰だよ

 

 

205:名無しのファン

 当然のように増えてる赤毛

 

 

206:名無しのファン

 フ『あ、ダーレー。女神像から出てくるなよ。引っ込め引っ込め』

 ダ『相変わらず塩対応で可愛いねぇ』

 フ『こっちくんな、しっしっ』

 

 

207:名無しのファン

 ……ダーレーアラビアン?

 

 

208:名無しのファン

 人間界に出てきちゃいけない者が出て来てますねぇ

 

 

210:名無しのファン

 ゴ『じゃ、今日は特別ゲストが揃った事だし軽く名物コーナー、ウマさんぽでもすっかぁ』

 フ『初耳だけど』

 ゴ『アプリ版だと大人気イベントだし、逆輸入しなきゃ駄目だろ』

 S『散歩』

 ダ『悪くないね』

 

 

212:名無しのファン

 散歩という名のテロ

 

 

214:名無しのファン

 後ろの方でサンデーサイレンスが歩いているのが見えるんだけど

 

 

216:名無しのファン

 違うぞ、あれはマックイーンを口説いているんだぞ

 

 

217:名無しのファン

 口説くな

 

 

218:名無しのファン

 フ『ゴルシがvsサンデーサイレンスを始めたから俺達でさんぽするか』

 S『近所のたい焼き? とか言うのが美味しいと聞いた』

 ダ『食べにいこう』

 

 URA憤死コンボ達成

 

 

219:名無しのファン

 URA憤死どころだとは思えないんだけど

 

 

220:名無しのファン

 ワァ……ァ……

 

 

221:名無しのファン

 もうちょっと近況の話とかさあ!!

 

 

222:名無しのファン

 赤毛がそんな事するわけないだろ!!

 

 

223:名無しのファン

 アイツ、マジで有マとかJCとかの話する気皆無だ

 

 

225:名無しのファン

 赤毛組にファイン(王族)合流ッッ!!

 

 

226:名無しのファン

 日本で最もヤバイ並びが生まれたな

 

 

228:名無しのファン

 現在のぱかライブ出演者

 赤毛(伝説)

 赤毛(伝説)

 赤毛(神話)

 殿下(王族)

 

 

229:名無しのファン

 理事長の首が飛ぶぅ!!

 

 

231:名無しのファン

 なにかあったら飛ぶのは首相の首だよ

 

 

232:名無しのファン

 何かあったら職を失う者が多すぎる

 

 

234:名無しのファン

 見てる分にはおもしろいんだけどなー

 

 

235:名無しのファン

 現場は悲鳴が上がってるでしょこれ

 

 

237:名無しのファン

 いや、でも……赤毛が元気そうでよかったわ

 

 

239:名無しのファン

 良いのか? 良いのかなぁ……




クリムゾンフィアー
 メディアが嫌いというよりめんどい

ゴールドシップ
 この後サンデーサイレンスにボロ負けした

Secretariat
 観光しに来た

サンデーサイレンス
 意外と面倒見るのが楽しかったから赤毛のコネで就職しに来た

ダーレーアラビアン
 ウマ世界のPIXIVで自分の絵が増えたから実体化した


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92話 汝はマゾ、特に罪は無き!

 まあ、相方の感情が割と湿度が高いのは承知してる。脳味噌狂わせたのは俺だからしょうがないんだけど。圧倒的な才能を持つディープインパクトにはライバルがいなかった。そのライバルが現れ、互角にレースが出来るようになったんだ。そりゃあ執着もするだろう。

 

 実際、俺も互角に走るディーの存在にはだいぶ脳を焼かれている。あの強さ、そして格好良さは言葉にできない程美しさを感じる。現代競バの結晶と呼ばれるのもしょうがないだろう。俺もディーの事は率直な言葉にすれば好きだろう。

 

 だけどディーに関して俺は一つの真理に至った。

 

かかり気味になって嫉妬している姿が一番かわいいかもしれん……

 

「最悪だよ」

 

「自重しなさって??」

 

 素直な気持ちをテイオーとマックイーンに告白したら白い目で見られた。それをえー、という声を零しながら手を前に出す。まあ、マテのポーズだ。その奥では沖野Tがジト目で俺を見ている。諸君らの言いたい事は良く解る。

 

「だがな、アスリートってのは基本的に全員潜在的なマゾヒストだ。自分を追い込み、そこから解放する事に快感を覚える。少なくとも軽度のマゾヒズムを楽しめないとレースやトレーニングには到底耐えられないと思う。だから俺も潜在的なマゾヒストなんだ」

 

「言いたい事は解るが、言っている事が相当酷いぞ」

 

 そもそも体力の限界まで走って、何度も走り直して、フォームの修正や改良を何時間もかけて繰り返し続けるのをマゾ以外がどうやって楽しめるって話なんだよ。才能と書いてマゾって読むんだよきっと。俺達は皆マゾなんだよマゾ! マゾ系ウマ娘なんだよ! 規制されそうだなこれ……。

 

「だから俺さ、気づいたんだ。過酷だったフィアーローテと呼ばれるようになったこのクソローテを走るの、苦しかったけど滅茶苦茶楽しかった。そういう意味じゃ俺も立派なマゾウマ娘だったんだな、って……」

 

「それで、フィアーちゃんは何が言いたいの?」

 

 窓の外からゴドルフィンバルブが顔を出してくる。唐突なリアリティウマショックにアイエー! となるウマ娘もトレーナーもいなかった! この程度の事ではもはや驚くようなトレセン学園ではないからだ。既に各国から特異点、魔境、あそこだけ世界観が違うと呼ばれている日本トレセン学園ではコールゴッドが発動していても別に何時もの事である!

 

 そもそも発光するトレーナーがいる時点で外国のトレセン学園は留学に出す事を恐れてる!

 

 大丈夫、そのモルモット空気感染しないよ。

 

 与太特化型スピカと通りすがりのゴッドを見てから頷く。ここ最近、ここ数年間を振り返って気づいた事実があったのだ。俺はそれをどうしても確かめる為に共有したい。だから一拍間を置いて、俺に視線が集中するのを待ってから続けた。

 

「俺……誘い受けかもしれねぇ……!」

 

「とんでもない事を言いやがりましたわね」

 

 性癖の告白を行うと戦慄の表情でマックイーンがツッコむ。何時の間にかマックイーンの横に居たサンデーサイレンスがお前そういう所あるよな、と頷いてる。ゴルシがいないって事はまた負けたのかアイツ……。それはそれとして就職おめでとう。

 

 トレーナーではなく教官としてトレセンに就職するらしい。まあ、この業界常に人手不足だしね。

 

「この際フィアが誘い受けなのは別にいいんだけど……それをボク達に告白してどうするの……?」

 

「ああ、正直チームのトレーナーとして性癖を告げられた所で滅茶苦茶困惑してる。この情報を俺はどう処理すれば良いんだ」

 

 ウマちゃんが幸せなら性癖はそれでオッケーですというサムズアップのゴドルフィン某。ありがとう、青女神……もっと序盤から青欠片x2よこしてくれれば完璧なのに……。デビュー前~ジュニアに叡智4詰め込むの地獄すぎて出来る気がしないのはお前らが悪いって事で良いんだよな?

 

「無論、俺がディーの事がしゅきしゅきしゅきぴしてる事はもはや周知の事実だ」

 

「真顔で言い切ったな」

 

「欠片も恥ずかしがることがないですわね……」

 

「ヒトもウマも“癖”にはもっと素直になるべきだと思う。そして俺は改めて自分の癖を理解したから素直になろうと思うんだ。つまり、もっとディーを嫉妬させてかかり気味にさせるって事だ」

 

「走りは一流、性格はドブカス」

 

「こんなのが世界的スターで恥ずかしくないの?」

 

 人格と能力は必ずしも比例しねぇんだよぉ―――!!

 

 だがここで皆思い出す。もうそろそろジャパンカップだ。今年は特に海外参戦が多く、そして激戦が予想されている。その中でディープインパクトは日本筆頭として海外バを撃退する事を非常に期待されている事を。

 

 実際、ジャパンカップ参戦を名乗り上げているウマ娘はどこも一流ばかりだ。中には今年の凱旋門を走った奴の姿もある。日本という国の競バ界は俺というウマ娘を輩出した事で一つのブランドを得たのだ。もはやガラパゴスと馬鹿には出来ないものがここにはあるのだ、と。

 

 そんなディープインパクトの活躍の舞台を前に。こんなトンチキな事を実行しようとしている俺がいる。そして一緒にこの悪戯やらんか? とこの場にいる連中に持ちかけている。それを見て、テイオーとマックイーンが溜息を吐き、ゴルシが沖野Tを縄で縛った。

 

「何時やります? 何をすればいいのでしょうか? 私もやりますわ」

 

「マック院」

 

「フィアって確かカフェが性癖にヒットするんだっけ。となると黒毛系を呼んだ方が良いのかな……うーん、リギル所属は間違いなく手を貸してくれないだろうし誰をヘルプに呼ぼうか」

 

「すまん、おハナさん……俺は……無力だ……!」

 

「びっくりするぐらい抵抗しないぞ」

 

「待て、俺がオレ(オトモダチ)にカフェの体を乗っ取るように頼んでくる。それでイケるだろ」

 

 サンデーサイレンスの提案に無言でサムズアップを返す。最高の仕事だぜサンデーサイレンス。カフェには今度詫びでカフェトレと一緒に行けるお食事券でもプレゼントしておこうか。俺はデキるウマ娘、ちゃんとアフターケアはする。

 

 窓の外を見るとゴドルフィンバルブは満足げな表情を浮かべてそのままカスミのように消えていった。お前それで良いのか……まあ、ええか! バイアリータークに見つかる前に実行しておこう!

 

 沖野Tにお札を貼って封印する事に成功した俺達はそのまま、ただただディーをかからせる為だけの計画を実行する事にした……!

 

 

 

 

「……?」

 

「東条トレーナー?」

 

 その時、グラウンドでリギルのトレーニングを見ていた東条ハナは唐突に動きを止めて周囲に対する警戒を始めた。その様子にルドルフは首を傾げたが、経験上東条トレーナーがこうやって警戒モードに入る時は間違いなくスピカが仕掛けてきた時になる。

 

 成程、と頷いたルドルフは東条トレーナーを見捨ててトレーニングに戻った。経験上、こうなった以上はもう手遅れだ。スピカの魔の手は既に忍び寄っている状態だろう。諦めた方が早い。

 

「東条トレーナー、大丈夫ですか?」

 

 樫本トレーナーが東条の確認をするが、東条は軽く手を振って気にしない様に示す―――樫本理子も、桐生院葵も、既にリギルのサブトレーナーとして働いて実績を積んでいる。そろそろ独立したチームを持たせたい頃だ。

 

 その為にもディープインパクトという巨星を走り切らせる。その為にも今年のジャパンカップ、有マは勝たなくてはならない。そんな思いが彼女の中にはあった。だがこのパターン、スピカがまたトンチキな事を仕掛けてくるパターンだ。

 

 ―――今度は、今度は何で来る……!?

 

 警戒する東条の視界の端、ターフの外、校舎近くの道に一瞬赤い姿が見えた。トラブルメーカーの気配に迷わずそこか、と視線が向けられる。

 

 そこに居たのはマンハッタンカフェとクリムゾンフィアーのコンビの姿だった。特別珍しい組み合わせではない。寧ろアグネスタキオンを含めて良く見るメンツでもある。学園のオカルト関係で度々奔走している姿はそれなりに目撃されている。

 

 問題があるとすれば腕を絡めて指を絡めるように手を繋ぎ、尻尾をちょっと触れる程度にタッチしながら歩いている事だろうか。

 

「いかんっ! 見るなディープインパクト……!」

 

 東条の叫びは遅すぎる程に遅かった。秒でかかったディープインパクトがターフから射出されて道の方へと走り出した。

 

「よっしゃかかった!」

 

「逃げるぞ!!」

 

 ぶちギレる東条ハナ。

 

 かかって暴走特急となるディープインパクト。

 

 ガン無視でトレーニングを進めるリギル。

 

 今日もトレセン学園は平和だった。




クリムゾンフィアー
 チワワに襲われる瞬間が楽しいらしい

マンハッタンカフェ
 とんだとばっちり

東条トレーナー
 本日の筆頭被害者

サンデーサイレンス
 若年組から人気が高い

ゴドルフィンバルブ
 ウマ娘xウマ娘はアリ


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93話 はい、キンクリでーす

 ジャパンカップ。

 

 かつては海外バが勝利した事もあったが、近年ではすっかり日本バばかりが勝っている。日本側からすれば勝って当然のホームグラウンドでの戦いであり、世界で戦うウマ娘を相手にイキれる数少ない機会だ。

 

 だがガラパゴス環境だと言われてきた日本で走る事の意味は海外バにとっては小さい。世界的なGⅠレースは日本国内だと天皇賞・秋がトップに来るだろうが、別段そっちを走らなくても洋芝には凱旋門賞がある。

 

 名誉が欲しく、世界で走るという意味であればフランスやイギリスで走った方が大きな意味があるのだ。だからこれまで遠征してきたウマ娘達はどちらかというと招待されてやって来たという意味合いが大きい。

 

 勝つには日本の芝に慣れなきゃならないし、日本の芝に適応した所で同じように走れる環境は海外にはない。だったら日本で走る意味ってあるのか? 別に走らなくて良くね? そこまでして走るだけの価値ってないだろう?

 

 それがこれまでのウマ娘にあった考え方だ。近年は海外のレース出場回数も増えて割とオープンになって来た日本の環境だが、それでも海外とは切り離されていると言えただろう。

 

 だがその環境が激変する事態が起きる。

 

 そう、俺、クリムゾンフィアーが3大グランプリを制覇した事だ。

 

 ウマ娘のアイコン―――つまり象徴となった俺は日本出身、ラストランになるかもしれないレースは有マ記念。ホームグラウンドで走るという話をすれば嫌でも注目は上がる。俺の出身というだけで誰もが憧れる。

 

 有名人が食べた名店! とテレビで紹介されたら誰だって一度は試したくなる。

 

 俺が走る国、という話をすれば夢を持つウマ娘はその足跡を追いかけようとする。

 

 シンボリルドルフが無敗三冠を達成した背中にトウカイテイオーが憧れたように。

 

 俺が制覇した三大グランプリから故郷で走ろうとする姿に世界が憧れを抱いて、追いかけて来る。それは当然の事であり、俺が世界的に最強だと評価されているから起きる事でもある。だから今年のジャパンカップは違った。

 

 海外バの出走枠限度まで海外からのウマ娘が参加を表明し、抽選も行った。その抽選でさえかなりの高倍率だった。それほどまでにジャパンカップの出走枠が激戦と言われる程に人気だった。これまでの日本の競バとしての地位、人気を考えると恐ろしい程の変化である。

 

 そんな事で。

 

 ディープインパクトは日本の英雄として迎え撃つ事を期待され、その期待通りに見事打ち勝った。

 

 

 

 

「くーちゃんは、私とデートするべき」

 

「遠出は出来ないから近場になるけど良いよな?」

 

「ん」

 

 そんな訳でジャパンカップを圧勝した日本の英雄はデートをご所望だった。最近ますますぐいぐい来るようになった変化を面白いと見るか、それとも成長したとみるべきか。なんだかんだで俺達がここに入学してから3年目になるのだ、3年分歳を取ったと考えるとそれなりに大人になったのだろう。

 

 という訳でデートだから外出するという外出届を寮長に提出。お泊りは駄目だよというお小言を念入りに貰う。まあ、立場上そう言われるのもしゃーないとは思っているのでちゃんと夜には帰ってくると約束してディーと2人で出かける。

 

 赤毛は目立ちに目立ちまくるのでもはや隠す事は諦めている。

 

 というかトレセン学園周辺地域はかなり警備とかの目が入っているので簡単にメディアが突撃してくる事が出来なくなってる――まあ、ここら辺は俺でもなくトレセン学園の生徒が買い物だったりなんだりで良く出歩くエリアなのでしっかり警備されていないと困るのだが。

 

 そういう訳で、近場であれば割と普通に安全に外出が出来たりするのだ。

 

 特に今、色々とVIPが通っている中央のトレセン学園のセキュリティが凄い。だからこうやって俺とディーが2人で出かけた所で大きな問題が起きる訳でもない。

 

 俺は何時も通りのジーパンに《最強赤毛》と書かれたクソダサTにジャケットという格好、ディーは全体的に暗めの色のスカートにブラウスというお嬢様らしい恰好で街の方に出る。

 

 別段、外に出た所でプランがあるという訳でもない。だからぶらぶらと2人で商店街の方へと向かった。

 

 まずは本屋さんに向かって本を漁ってみて、ちょっとBLモノを手に取ってみたり……まあ、どっちも適性がなかったので買う事はなかった。それからコミックの新刊をちょっと買ってみたり。

 

 商店街ではバイトしているアイネスフウジンを見つけた。おやつはまだだったし呼びこまれたらしょうがない、と熱意に負けて早めのおやつにしてみたり。

 

 公園に向かうとちびっこ達がかけっこしている姿が見られる。トレセン学園が近い事もあってちびっ子たちは割と本気で走る事を勉強してたり、勝負している。それを遠巻きにディーと眺めていると何時の間にかちびっこの集団に巻き込まれ、真ん中に引っ張り出されている。

 

 サインが欲しい、走り方教えて、領域よこせとかいろいろと言ってくるちびっこどもを苦笑交じりにディーと一緒に遊んであしらい、そこそこ堪能した所で通りすがりのライスシャワーをスケープゴートに脱出する。

 

 ちょっと疲れたなあ、とか考えながら落ち着ける場所を探そうと思うとオペラオー、ドトウ、トプロ、アヤベの集団とエンカウントする。相変わらず騒がしいオペラオーに引っ張られる形で商店街を歩いている連中はどうやら新しい枕を買いに出かけるらしい。

 

 ふわふわソムリエのアヤベがいるのだからまあ、枕選びに失敗する事もないだろう。なんて思っていると、小走りで合流してきたカレンチャンがグループに加わった。カレンチャンのウマスタ用に軽くポーズ取ってツーショットを撮って別れる。

 

 なんか騒がしいなあ、と店の中を覗き込んでみるとオグリと商店街の飲食店の人たちが集まって大食い勝負をしていた。大食い勝負といっても限界まで料理を作って提供する店側と、それを限界まで食べ続けるオグリとの勝負だ。また妙な事をしているなあ、と笑っているとクリークがガラガラを手に出現した。

 

 近くにいたタマを生贄に逃げる。

 

 今日はオフが重なるのか、割と皆外に出ているらしい。そう思うとウマ娘の世界も決してトレセン学園の敷地内で終わるもんじゃないんだと思わせられる。

 

 そうやってちょっと外で遊んでいる学友たちの姿を見たりして。

 

 1日の時間は徐々に過ぎ去って行く。楽しく歩いて、食べて、遊んで、それで日が暮れ始める頃には階段を上がった先の神社にまで来ていた。

 

 境内にあるベンチに二人並んで腰を下ろしながら、夕日に沈んで行く街の様子を一望する。しばらく無言のまま、2人で並んで夕日色の街を眺める。

 

「俺さ」

 

「うん」

 

「別段夢なんてなかったんだよな」

 

 最初に凱旋門を目指したのは、それが最も解りやすい指針で目標だったからだ。才能はあるし、能力もある。だから努力すれば決して非現実的ではないラインだと思った。事実、俺は凱旋門を砕いた。日本出身のウマ娘で唯一無二を成してきた。

 

「生きる指針が欲しかったんだよなぁ。どうすれば良いのか、どうしたらよかったのか。そういうのが解らなくてとりあえず……って形でさ」

 

「うん」

 

「でも、気づけば凱旋門を目指すって生き方そのものが俺の夢になってたんだ。凱旋門を目指すってのは、そういう生き方を目指すっていう俺の夢そのものだったんだ」

 

 難しいなぁ。もっと解りやすく言うならどう言えば良いのだろうか。

 

「ううん、言いたい事は解るよ。私も夢はなかったから」

 

 ディーは小さく息を吐く。寒くなって来たこの季節、息は白く染まり、マフラーや手袋が徐々に愛用されるようになってきた。それでも手袋を付けないのは、手と手で触れる体温を感じる為……だったりして。

 

「走ってた、義務として。それがディープインパクトに与えられた使命だったから。そして、この魂が求めるものだったから。だけどね、私ね、くーちゃんと何度も走っていて解ったよ。走る事に夢は見れるんだ、って。行こうと思えばどこにでも行けるんだって」

 

 きゅ、と胸を押さえる。

 

「くーちゃんだけじゃない、よ。リギルの皆も、寮の皆も、沢山話して仲良くなったよ。色んな夢があって、それを踏み越えて走ってる。何も夢を持っていない様に見えて……私は、走る度に新しい夢を背負ってターフの上を、走ってたんだ」

 

 夢を駆ける。

 

 それは決して俺達だけの夢じゃない。走ると選んだ以上、何千、何万という人の夢をこの背に乗せて走っているのだ。最初は解らなかったその重み、今ではしっかりと感じられる。俺達の一歩先の所に夢があるのだ。

 

 3年間。長かった、本当に。

 

 それでも色々とあったこの3年間で漸く大人への一歩を踏み出せたような気もする。見えるものが増えて、感じられるものが増えて、そして今も夢を駆ける。

 

「くーちゃん、私ね。有マが終わったら一度実家に戻ろうと思うの」

 

「ノーザン本家に?」

 

「うん。怯えたり怯えさせたりで、ちゃんと話したことがなかった。だからちゃんと正面から向き合って話し合おうと思うの」

 

「そっか……そりゃあいいな」

 

 何時までも子供のままではいられない。俺達は駆ける度に大人に近づいて行く。少しずつ、ラストランへと向かってその脚を進めているんだ。その運命からは絶対に逃れられない。だから全てのフィナーレへと向けて、全力を尽くして走る。

 

 それが、俺達のやりたい事なんだろう。

 

 日が暮れて行く。

 

 年もまた暮れて行く。

 

 日本の誰もが待ち望むレースがやってくる。その1年の総決算、観客が選ぶその年の代表の戦い。

 

 有マ記念。

 

 3年間を締めくくるレースが、近づいてきた。




クリムゾンフィアー
 週2~3ぐらいのペースでデートしてる

ディープインパクト
 向き合う勇気と受け入れる勇気を手に入れた

オグリキャップ
 敗北が知りたい


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94話 有マ記念 Ⅰ

 今日は有マ記念だというのに相変わらずディーは俺に引っ付いて寝ていた。まあ、もう慣れたもんだが。

 

 布団を剥がして寒気を受け入れるとベッドの中で人に引っ付いて寝ていたディーが尻尾をベッドに叩きつけて無言の抗議を示してくる。これでもまだ眠っているのだからこの女、本当に起きるのが極限までへたくそだ。

 

「あぁ、さむさむっ。流石に冬になると寒いなぁ」

 

 ベッドに引っぺがしたディーを叩きつけて起き上がると、のそのそとゾンビのようにベッドを這う姿がこっちに向かってくる。背中に引っ付くのを尻尾でびたんびたんと叩いて起きろと無言の抗議を送るが、ガン無視ですやすや眠りやがる。今日、俺ら対戦すんねんぞ!!

 

 エアコンを付けて温風を寮の部屋に送る。窓際まで行ってカーテンを思いっきり開ければ新鮮な朝日が室内に入り込んでくる。綺麗な冬の空を窓の中から見上げ、息を吐く。思えばこれまで大体海外ばかりで走って来たもんだ。

 

 だけどどれも楽しいレースだった。俺なりに本気で走って、本気で勝つことを目指して来た。

 

 それももう今日で終わりかもしれない。

 

「悔いのない一日にしようぜ……な?」

 

「……むにゃ……」

 

 肝心の相方は俺の耳をはむはむするのにご執心だった。

 

 

 

 

「フィアーさん! 応援してます! 純国産ウマ娘としてアメカス共にヤマト魂を見せてやってください! ついでにブリカス共にも日本人だという証明を見せてやってくださいよ!」

 

「凄いヘイト稼いでるなあ、おい。もしかして掲示板の民か? スレの民度やネタはなるべくリアルに持ち込まない方がいいぞ、大体の場合で滑るから」

 

「はい!」

 

 食堂で朝飯を食ってるとファンの後輩に応援される。俺だけじゃなく膝の上でうとうとしながら朝食を食べさせているディーにも来ているが、今朝は寮の部屋を出た辺りから割と押しが強いというか、ファンの圧が凄い。

 

「盛り上がってるなぁ」

 

「そりゃあそうでしょ。だって貴女、今世界で一番有名なウマ娘でしょ」

 

 正面の席にメジロドーベルが座ってくる。遠慮しているのか良く解らんが周囲の席はそこそこ空いている。挨拶するのはいいけど、一緒に朝食を食べるのは畏れ多いというのが大多数の意見らしい。ヘイトワード連発する癖にそういう所では妙に奥手だよな……。

 

「というか最近トレセン学園のお嬢様たちの治安悪化酷くないか?」

 

「元凶が何を言ってるの……」

 

 トーストをディーの口元に持ってゆくとむしゃむしゃと半目のまま食べている。兎を餌付けしているような気分だ。まあ、今日は大事なレースだしギリギリまでエネルギーチャージさせておいてやろう。

 

「しかし、貴女がここまでとんでもない事になるなんてね」

 

「俺も割とやれる気はしたけど、ここまでやれるとは思わなかったわ」

 

 ゴルシが【ディープインパクト餌やり体験会】とかいうホワイトボードを横に置いたので俺もディーを横に向けて餌やりしやすいように構える。誰かこねぇかなあ……とか思ってたらハンバーグを片手にタイキシャトルがやって来た。反射的に口をもぐもぐしてこいつほんと可愛いな。

 

「同じアメリカ人として誇らしいデース!」

 

「幻覚を見るな見るな」

 

「貴女がソレを言い出すと割とシャレにならないのよ」

 

「ちょっとしたジョークデース。でもフィアーはグリーンカード貰ってたはずデスよね」

 

「いや、まあ、うん。でも俺国籍変えるつもりないからね? ネトゲもソシャゲも生活環境も日本が一番良いし。というかエゴサするとウマッターでもスレでもウマスタでもすげぇ引くんだわ! なんだよお前らのその重すぎる感情!!」

 

 ドーベルとタイキが顔を見合わせる。

 

「いや、悪いのはそっちでしょ」

 

「You burned too much souls of horsemen, you knew that this was coming, but you enjoyed it」

 

「タイキは真顔で淡々と言うの止めない? 何時もの似非英語日本語はどうしたんだよ!!」

 

 まあ、海外で暴れまわったしそれもしゃーないか。これでいて国内勝利数がまだ2勝なの面白すぎるだろこのクリムゾンフィアーってウマ娘。引退したらトレーナーでも教官でも引っ張りだこだろうなぁ、余生をどうして過ごすかも追々考えておく必要があるかもしれない。

 

「んむ……起きた……」

 

 ドーベルとタイキが俺を見る。

 

「良いか―――この発言が出た場合覚醒率3割だ。まだほぼ眠ってる。多分リギルに送り届けるまでは眠り続けるぞこいつ」

 

「今日大事なレースなのに本当にそれで大丈夫……?」

 

 不思議とこれまでこれで問題なかったんだよなぁ。というかこいつ、いまだに敗北は凱旋門の一敗だけだから有マで負けてないんだよな。凱旋門も出走取り消しにならなかったし。国内無敗コースを未だに維持してるのは驚異的の一言に尽きるのだが。

 

 コレ、なんだよなぁ……。

 

 未だに膝の上でうとうと尻尾ゆらゆらしている姿を見る。今、眠そうにのほほんとしているウマ娘が国内最強クラスの現役選手だと言われても信じ難いのは仕方のない話だと思う。

 

 まあ、そも今の知名度からして国内で俺らを知らない奴の方がいないかもしれない。俺もディーも何時の間にか国民的なアイドルになってしまった。歌って踊るのもやってるし、持ち歌の配信だって行ってる。

 

 自分がまさかアイドル方面でもそれなりに世間を騒がせるようになるとは、ストリートで無法なレースをしてる頃には想像もできなかっただろう。

 

 視線をちょっと離れたテーブルへと向ける。ダーレー、ゴドルフィン、タークの3名が敬われながら朝飯を食ってる姿が見える。ついでに言えば三女神がトレセン学園で朝飯食ってる姿を目撃する様な日が来るとは思いもしなかった。いや、飯食うなよ。元の世界に帰れ。

 

「あ、甘いの……」

 

「フルーツヨーグルトな。朝はそれ以外の甘味は駄目だぞ」

 

「私、絶対にディープさんがそうなったの貴女が原因だと思うわ」

 

 そうかなぁ……そうかなぁ? 俺、そこまでお前を甘やかしてるか? 膝に座るディーを見て首を傾げる。口をあけて餌付けを待っている姿を見てデザートを食べさせてやる。よしよし、良く食べられたな。偉いぞ。

 

「前よりも悪化してマース」

 

「なあに、その気になれば俺抜きで生活もできるだろ。今日は有マだしな。その前になるべく甘やかして精神的デバフを重ねていきたい」

 

「こ、姑息……!」

 

 デバフになるかな……ならないっぽいな! まあ、推しを甘やかすのは相方の特権なので、これぐらいは許してくれドーベル。お前がトレに対してツンツンしているけどトレxドベ本を自炊しているぐらいには落ちてる事実を俺は黙っておいてやるから。

 

 しかし最近はAIのべりすと等を使って推し小説や性癖小説の自炊も可能になって来た。ここに通っているウマ娘達ももしかして自分xトレの小説を自炊している可能性は十分にあり得る。いや、でもニッチな性癖に対応してくれるAI小説は凄く良いと思うよ。世の中に出せない性癖の人はそれで満足できるし。

 

 のんびりと朝食を食べてる時間は取っている。それで満足するまで食べたらドベタイキに別れを告げて一旦部屋に戻る。本当なら授業なりジャージに着替えてグラウンドに集合するなりするべき事があるのだが、今日はレースの日だ。

 

 基本的にオフの日以外は制服の着用義務があるので制服姿になって、スマホから勝負服が現地にちゃんと到着しているかどうかをチェックする―――クリーニングアイロンなどを含めて前日の内に現地に送る準備は整えられているのだが、それでもアプリでその行方を追うのは大事だ。

 

 ガチで数百万では済ませられないレベルの価値がアレにはある。驕る訳じゃないけど億単位行くんじゃない? とか思ってる。

 

 そしてこの時間帯になるとディーもようやくおねむワンダーランドから目覚める。半分眠ってる状態でも朧気に何をしているのかは理解している為、特に説明とかは必要ない。ディーもレース前のあれこれには慣れたもんでせかせかと準備を進める。

 

「そういやオメー、新しい勝負服は作らないよな」

 

「うん、今のが、割と好きだから」

 

「なんか言われなかった?」

 

「水着かクリスマス用は作らないか、って聞かれた事もあったよ。でも断った。くーちゃんは断らなさそう」

 

「俺? 正直今の勝負服に代わる新しい勝負服作るのが怖いわ。季節限定とかならアリだけど」

 

 お婆ちゃんにっこりと頷いて新しいもん用意しそうで怖いんだよ。そうじゃなくても色々と押しが強いし。そうじゃなくてもスポンサーするとか言い出す企業や富豪のなんて多いことか。一々相手するのが面倒なのでスポンサー系はNGにしたいが、学園的にはちょっとそうもいかない。

 

 まあ、今考える事でもないだろう。

 

「うっし、準備終わり! そっちは?」

 

「こっちも、終わり」

 

 制服姿のディーがサムズアップを向けてくる。欲しいもんは現地のスタッフが事前に用意するか調達してくれるので足りないものを心配する必要はない。細かい趣味趣向はトレーナーが把握しているから、大体の場合欲しいと思ったもんは既にトレーナーが用意してくれていたりする。

 

 だから着替えて整えさえすれば準備は完了だ。

 

「んじゃ、いこっか」

 

「うん」

 

 中山競バ場へ。

 

 今年最後のレースの為に。




クリムゾンフィアー
 勝負服気に入ってるから着たいけどレース以外で着るのが恐れ多い

ディープインパクト
 相方が帰って来たので堕落生活に戻った

三女神
 今度西村Tと温泉に行くことになる


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95話 有マ記念 Ⅱ

 一旦スピカとリギルで分かれたりもするが、トレセン学園から中山競バ場へと向かうのは一緒に向かう。というのも警備上の理由で、同じ場所から目的地に向かうなら一緒に移動して貰った方が大変警護しやすいのである。

 

 特にクリムゾンフィアーとか言うウマ娘はテロ一敗しているので警察の方々も、特殊部隊の方々も割とピリピリしている部分がある。その結果アメリカでは移動する時は交通規制まで敷いていたのだが、流石に日本ではそこまで無法な事はしない。

 

 というか大統領がオーバーアクションなのだ。赤毛に脳を焼かれ過ぎた男、そろそろ国民から怒られない? 国民も大体そんな感じ? そっかぁ。アメリカやべぇな。

 

 まあ、日本の治安は他国と比べると滅法宜しい上に今はリアルゴッドが降臨しているので事故率驚異の0%タイム突入中、ご都合主義フィーバーが発生しているので警察たちも安心して俺達が乗ることになるバスを警護する事が出来る。

 

 それとはまた別にURAの職員はリアルゴッド降臨タイムで常に胃を痛めてるが。先日ゴルシがぱかライブで女神とコラボしてたのでそろそろ全世界的にゴッドリアリティショックが発生しているだろう。いい加減に帰ってくれ。

 

 そんな訳でスピカに寄ってさっさと西村と合流したら正門前で待機している大型バスへと向かい、乗り込む。日本でのレースは大体これか、それとも自分で車で向かうか―――最近はどっちかというとテロ警戒などでバスに乗るのが増えてるらしい。しょうがないね。

 

「はい、窓際ー! 窓開けるー! 風入れるー! アロマスティック咥えるー!」

 

「車内禁止だよー」

 

「箱に戻すー!」

 

 口に咥えたアロマスティックをケースに戻してふかふかの椅子に座り込む。車とかバスは正直あんまり匂いというか空気が好きじゃない。だから乗る時は毎度窓を開けて乗っている。さっさと到着してくれねぇかなあ、なんて事を考えながら椅子に座り込んでいると、通路側から手を上げながらルドルフがやって来た。

 

「や、おはようフィアー」

 

「おー、カイチョー。今日はよろよろ」

 

「あの時悪戯して私から逃げ出す君が今となっては……だね。今日は存分に相手をさせて貰おう」

 

 最後に一瞬だけシングレ顔を見せてルドルフが奥の方の席に向かって行き、駆け足で乗車したディーが隣の席に座ってくる。今日有マを走る他のウマ娘達も続々とバスに乗り込み、前の方ではトレーナー達が集まって座っている。あっちはあっちで割と和やかというか楽しそうだ。トレーナー達ってアレで結構仲が良いんだよなぁ。

 

「お、ハーツパイセン」

 

「よ、後輩。今日は楽しく走ろうな」

 

「おっすおっす」

 

 もう誰が何を走るのかという史実の知識は当てにならないなぁ、というのをハーツクライがバスに乗っているのを見て思う。元々競バ知識なんて曖昧だから大して役に立った事はないが。それでも、まあ、出たいレースに自由に出て好きに走れる人生ってのは、悪くないもんだ。

 

「くーちゃん……なんか真面目な事を考えてる?」

 

「DLsiteで次に購入するR18同人ゲーの事考えてた」

 

「フィアー? 聞こえてるぞ」

 

「ういーっす」

 

 後ろからカイチョーの警告が飛んでくる。そう言えばまだ未成年でしたね、俺。

 

 

 

 

 いよいよ中山競バ場に到着。バスから降りると待ち構えていた報道陣がカメラやマイクを向けてくる。それでもフラッシュを焚かないのは流石にやったら永久追放されると理解しているからだろう。

 

「フィアーさん! コメントをお願いします! 今日のレースはどうお思いでしょうか!?」

 

「フィアーさん! ブルアカ最終章の感想をお願いします!」

 

「フィアーさん! ディープさんとはぶっちゃけデキてるんですか!?」

 

「連れて行け」

 

 手を振ると数人の警備員によって最後の記者だけが闇へと連れて行かれる。闇に葬られた記者の事を一瞬も気に掛ける事もなく、報道陣は必死に少しでもコメントを貰おうと呼びかけてくるが、それを無視してさっさと競バ場内へと入る。

 

 何時も通りスタッフ通路から控室の方へと向かい、西村と共に控室の中へ。勝負服が到着しているのを確認し、控室の椅子に座ると膝の上にディーが座ってくる。そこにすかさずルドルフがやってきてディーを片手で掴んで持ち上げる。

 

「邪魔したね」

 

「お達者でー」

 

「ヴぁー」

 

 片手で持ち上げられるディーが手足をぶらんぶらんと振って抵抗をアピールするも、それを無視してルドルフがリギル用の控室へと連れ去って行く。別にそこまで気にしないんだけどなぁ、とルドルフの生真面目な性根に苦笑を零してから視線を西村へと向ける。

 

「俺が今日勝ったら、どうする?」

 

「再びスピカのサブトレーナーとして働くだけだよ―――フィアー、君が僕に対して心配する必要な事は一切ない。安心して思うままに走ってくれ」

 

「西村の貞操の心配もしなくて良い?」

 

「……」

 

 俺の発言に西村が腕を組んでしばらく俯き、それから天井を見上げる。十数秒、無言に口を閉ざしてから視線を俺へと戻す。

 

「最近、割と自分が人気があるのかもしれないと思えてきた」

 

「クソボケか?」

 

「待ってほしい! 普通自分が複数の女性から言い寄られているとは思わないと思うんだ! 複数の女性から好意を向けられて維持できるのなんてハーレム系アニメか漫画でしか見た事がない状況だよ? 自分が欠片も当てはまるとは思えないじゃないか」

 

「それはそう」

 

 パドックまでの時間、大いにある。作戦会議? 数日前から終わっている。準備? 今する必要はない。となるとこの時間はだいぶ暇になる。出来る事と言えばソシャゲか雑談ぐらい。こうやって切り出した話題に即座に乗ってくれる辺り、西村は付き合いが良い。

 

 まあ、モテる理由が解るよね。

 

「で、本命は? やっぱダーレー? それともゴドルフィン?」

 

「そこでどうして女神の名前が出てくるの……?」

 

 そのうち温泉に行くんでしょ、俺知ってるよ。一緒に温泉に行ってないのもう理事長ぐらいでしょ。

 

「逆に聞くけどさ。西村って誰が本命な訳? やっぱ同期のストロング葵?」

 

「ウマ娘よりもストロングな方はちょっと……」

 

「お前、襲われても俺は庇わないからな」

 

 ストロング葵に賭けるのは止めておこう、と心の中で静かに呟いておく。だがストロング葵がダメとなるとやはり、相手は限られてくる。

 

「ハロー?」

 

「彼女は同僚……」

 

「りこりん?」

 

「頼りになる同期だよ」

 

「ダーレー」

 

「だからそこで神を選択肢に出さないでよ。というかダーレーアラビアン、フィアー的には射程範囲内なの?」

 

「どこからどう見ても射程範囲内だろ、アレ」

 

「えぇ……」

 

 赤毛褐色! 王道的な組み合わせだろ、どう見ても。スタイル良し、顔良し、性格も良し! 非の打ち所のないウマ娘じゃん。まあ、女神という時点でマイナス100ウマポインツッ! って感じなので絶対にナンパしないのだが。

 

 いや、少し待て。腕を組んで首を傾げる。

 

「考えてみると女神落としてみるのも割と面白いかもしれない」

 

「雑誌、腹に仕込んでおく奴用意してあるけど使う?」

 

 どうしてそれを持ち歩いてるの、とか使ってるの、とか言いたい言葉は色々とあった。だが結論から言えば隣の部屋からガンガン壁を叩く音がしてきたからとりあえず勝負服に着替えるまでは腹の所にこの雑誌仕込んでおくか、と決めた。多分俺の腹筋の方が硬い。

 

「ちなみにフィアー的にバイアリータークは」

 

「なし」

 

「あ、可愛い系とか綺麗系が好きなんだ」

 

「カッコいい系は俺で間に合ってるし」

 

 それはそれとして西村の本命は気になる。案外サンデーの姉御辺りだったりして。

 

 そんなレースとは全く関係のない話をしながら、パドックが始まるまで適当に時間を潰した。




クリムゾンフィアー
 西村からそのナンパテクを習いたい

西村
 そんな事してないと被告は主張しており

ディープインパクト
 迫真の壁ドン


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96話 有マ記念 Ⅲ

 パドックに出てきた瞬間発生する歓声の爆発に関してはもはや耳が痛くなるレベルだ。頭の上のウマ耳にも慣れたが、こうやって大きな音が鳴り響く瞬間だけは痛みに近いものを感じて好きになれない。耳をペタン、と髪に落として音を回避する。これがまあ、賢い。

 

 ちなみにこれはすごくどうでもいい話になるが、ウマ娘は馬がベースとなっているので耳も鼻もヒトカスよりも遥かに有能だったりする。その何がキツイの? って話をするとトイレとか電車とか臭いの籠りやすい環境だったりする。

 

 後ヒトカスと違って尻尾の事に気を使わないといけないからトイレの形がちょっと違ってたりする。具体的に言うと尻尾乗せる所がある所とか。有マで考える話じゃねぇなこれ。

 

「カイチョー」

 

 パドックに出て真っ先にルドルフを見つけるのでそのままラリアットを仕掛けに行く。当然のように残像を残して回避するルドルフ。そう、ウマ娘は無駄に戦闘力が高いのだ。特にこの3年間カイチョーチャレンジで持ち技を増やしたルドルフの化け物っぷりは多方面で発揮されるようになっていた。

 

「駄目だよフィアー、レース前の攻撃は」

 

「ういーっす」

 

 パドックでの茶番を終えたのでルドルフとハイタッチをする。最近というか近年のカイチョーはゴルシ系に対しても高い対応能力を持っていてこういう事をしても普通に対応して怒らないでくれるから好き。ルドルフ、強くなったな……そっち方面であんまり強くなってほしくなかったな……。

 

「へい、ハーツ!」

 

「ん? おう」

 

 呼んでハイタッチ。次のウマ娘にもハイタッチ。ヘイヘイヘイとハイタッチ決めて観客に向かって中指を突き立てる。クリムゾンフィアーはエンターテイナーである。そこそこ楽しいパフォーマンスを観客に提供するのは義務である。それはそれとして今日は割とテンションが高め。

 

 やっぱり、大きなレース前となるとテンションが上がるのはしょうがない事か。

 

「それでも基本的に緊張や気負いとは無縁だね、フィアーは」

 

「あぁ、良い意味でも悪い意味でもいつも通りって感じだな」

 

 ルドルフとハーツの言葉に腕を組んでまあ、と声を零す。

 

「全力で走って勝つのを目指すのは当然として、勝って引退するのも負けて継続するのもぶっちゃけ、俺はどっちでも良いんだ」

 

 勝ってアガリを迎えるのはそれはそれで楽しいレースだった、と満足して引退できるし。負けたら負けたで笑ってもっと満足できるレースを続けられるというだけの話だ。クリムゾンフィアーは既に精神的に完成されたウマ娘なのだ。勝っても負けても精神性が揺らぐ事はない。

 

「大事なのは勝敗ではなく、その中身。全力を尽くし、そして本気で走る事が出来たか否か。俺というウマ娘はそこに尽きるんだ」

 

「ま、タイトル的にもうこれ以上は存在しないから言える事だろうな、それは。GⅠ未勝利バの前で言ったらキレられそうだわ」

 

「だってぇ、俺ぇ、世界最強だしぃ?」

 

 慢心は強者にして王者の特権だ。そして俺は俺の強さを世界に対して証明した。だから全てのウマ娘を―――今、パドックに上がって来たディーを含めて全員を見る。そう、全員だ。この場において明確に強いのは俺だ。

 

 国内負けなしの漆黒の英雄でもなく。

 

 無敗7冠のレジェンドとなった皇帝でもない。

 

「今、この場において最強は俺で、その他はチャレンジャーだ。だから緊張する必要も、気負う必要なんてどこにもない。頂点にして唯一無二とは俺の事を示すんだからな。俺がその事実にドヤるのは当然の事実でしかない」

 

 言い切るとピリッとした空気がパドックに走る。誰もが視線を俺へと集中させ、そして獰猛な笑みを隠そうとする。いや、一部それを隠そうともしない奴もいる。だがこの場にいる全てのウマ娘が、明確に俺を格上として認識して食らいつきに来ている。

 

 ……味わった事のない感覚だ。

 

 アメリカ三冠はライバルと環境との戦いだった。常に新しい事に挑戦し、そして挑み続ける戦いだった。ドバイは復活の為に限界まで自分を追い込んだ。新しい境地への挑戦であり、自分の殻を破る為に必要なレースだった。

 

 KGⅥ&QEステークスは世界への挑戦状だった。ダラカニ、色褪せない強さを見せつけてくれたその姿は永遠に忘れる事はないだろう。凱旋門賞は歴史との戦いだった、これまで成し遂げた事のない勝利をライバルと共に駆け抜けた。

 

 そしてBCクラシック、それはこれまでの自分と全てに打ち勝つためのレースだった。伝説を終わらせて新しい伝説へとなり替わる為のレース。絶対的な強さに挑む為のレースだった。

 

 これまでの俺の人生は考えてみれば常に挑戦してみる側だった。新しい事、伝説に、自分自身に挑んできた。だがここでその立場は逆転する。頂点に立って見下ろし、そこで這い上がってくる存在が良く見える。

 

 誰もが求める、強さの頂点と呼ぶべきものを。今、その場に解りやすいタイトルでそれを握る俺を倒す為に集まっている。

 

 自分が今、切望される立場にある事を、なによりも楽しく思う。

 

「かかってこい、有象無象共。俺が相手してやる」

 

 一度は言ってみたかった言葉を口にする。競バ場に集う観客の声が少し落ちる程の闘志がパドックに満ちる。その全てが自分へと向けられる心地よさを覚える……やはり、レースは良いものだと思う。この心地よさが生を感じさせてくれる。

 

「皆さん、そろそろレース場への移動をお願いします」

 

 やがてスタッフから声がかかり、パドックからの移動が始まる。パドックを出て地下バ道へと入り、そのまま中山競バ場のレース場へと向かう道に入る。そこで一旦息を吐き、肺の中に新鮮な酸素を送り込む。それが活力となって体を前に進ませる。

 

 もはやこのバ道で言葉を口にする者はいない。言葉で語りつくす時間は終わったのだ。これ以上は無粋でしかない。

 

 地下バ道を抜ければ今度は本レース場へ。パドック以上の観客と輝きがターフを満たす。ブーツの裏から感じる野芝の感触に日本のターフに帰って来たんだと漸く実感する。思えば長く、日本から離れて走って来た。サンデーサイレンスも滅茶苦茶な事をしてくれる。

 

 ……だけど運命が大きく変わったのも、サンデーサイレンスのおかげだろう。彼女がいなければとてもではないがアメリカで走るという発想はなかった。今使っている幽世の領域も、元々は菊花賞で披露予定だったし。これで奇襲してディープインパクトを撃破し、その三冠を阻むのがオリジナルの計画だった。

 

 まあ、その計画も今となっては無意味なものだ。もっと楽しいレースを走って来たと思うし、勝っても負けてもあの頃以上の満足感がここにはあると実感できている。

 

 ふと、惹かれるものを感じて視線をゲートから客席へと向ける。その視線の先で立っているマミーの姿を発見した。そのすぐ傍にはバンダナの姿があって、その周囲には昔ストリートレースで走った連中が集まっていた。

 

 思えば俺のレースデビューはあの走りづらいアスファルトの上だった。お小遣い欲しさの賭けレースで走っていた、フリースタイルレース場よりも遥かに劣悪で最悪なレースと環境だった。だがあそこで走り始めたからこそ、今俺はここで走れている。

 

 そしてあのヒトカスバンダナが俺にトレセン学園への道筋を付けてくれたからこそ、今この場に居る。

 

「そういう意味じゃ、なによりもお前に感謝してるぜヒトカス」

 

 間違いなく、走る楽しさという色彩を俺の人生に与えたのはお前だった。お前が始まりだったんだ。だからそこで見ていろ、

 

「クリムゾンフィアーさん、ゲートインをお願いします」

 

 ―――今この世で最も最強に近いウマ娘の走りを。




クリムゾンフィアー
 感謝はしてる、恋愛感情は一切ない

マミー
 今日は現地応援

バンダナ
 ルドルフのバ券握って笑顔で手を振ってる


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97話 ラストラン

「―――しかし読みづらいレースになったなぁ」

 

 そうぼやくバンダナの横で、フィアーの母が首を傾げた。フィアーの母は今の世には珍しくそこまでレースには興味のないヒトだった。レースを見るのも、競バ場に足を運ぶのも娘が走っているから、という理由が大きい。だから彼女は明確にレースの環境に対して疎い人間だった。

 

「そうなんですか? 世間では娘が一番強いって言ってますけど」

 

「あー、そっすねぇ……」

 

 フィア母の言葉にどう答えるか、バンダナは軽く頭を掻いた。その間にもアナウンスが進み、ゲートの中にウマ娘が進んで行く。1人、また1人とゲートに収まり始まる出走に向けて最後の準備を進める。言葉に詰まるバンダナの代わりに、フィアーの昔のレース相手が言葉を継いだ。

 

「あー、フィアママさん。レースには強い弱いってのはまあ、あるんすよ。だけど明確な最強という存在は絶対にないんです」

 

「そうなの?」

 

「そっすそっす。俺らはあの赤毛のファンやってるけど、そこら辺は絶対に間違えちゃいけないんすよ。環境に対して最適最優ってのはあるんですけど、絶対だけはあり得ないんすわ。だからあの赤カスが一番強いのは確かなんすけど、勝てるかどうかはまた別の話なんすよ」

 

 そーっすね、とバンダナが言葉を続ける。

 

「じゃんけん、ってあるじゃないっすか」

 

「えぇ、そうね」

 

「皆グーを出すからパーが勝ちやすいって感じの話……或いは別の奴で似たような話、聞いた事ないっすか?」

 

 学生時代では良くある小賢しい話だ。じゃんけんで勝ちたいけど、必ず勝てる訳じゃない。だけど大体皆グーを出してくるからパーを出せば勝てる。

 

「つまり大体グーを出してくる奴がいるんだから、パーを多めに出してる奴が強いのは当然なんすよ。レースにおける環境ってのはそういう部分が大きいんすよ。加速環境、スタミナ環境、速度環境、コーナリング環境……そんな風に時代や状況でどれが重要視されるのかってのは変わってくる訳っしてね」

 

「成程、ウチの娘はパーを握ってるって訳ね?」

 

 その言葉にバンダナが頷いた。

 

「今は明確に技術(スキル)領域(ゾーン)の強さがレースにおける強さへと繋がる時代なんですよフィアママさん。体は天性のモノを抜きにしたら上限がある、そしてそれは現代スポーツ科学とゴッドパワーによって上限を叩ける状態なんですよ」

 

「ごっどぱわー。スピリチュアルねぇ……」

 

「あの赤毛がスピリチュアル筆頭なんだよなぁ……」

 

 不思議な世界ねぇ、レースって。そう呟く赤毛の母は頬を押さえて首を傾げる。最後に走ったのは新年に集まった時だろうが、それでも彼ら、彼女達は良くフィアーを理解していた。一番長く走っていたのが彼女達なのだから。

 

 今、世界全体を通した領域、技術を重視した空気はクリムゾンフィアーというウマ娘が世界3大タイトルをそれで勝利したから生まれたものであり、領域の強さでレースに勝利しているからだ。だからそれがレースにおいて重要視される環境の中で、その能力が最も秀でているクリムゾンフィアーが一番強いと言われるのは当然の話だ。

 

「逆にフィジカル重視の環境であれば最強はディープインパクトっすね。あれは限界まで鍛えられた上に天性のものを備えてるんすよね。どれだけ鍛えても超えられない生まれの差ってのは絶対にあるんです。それを倒す為に別の武器を取ったのが赤カスって話で」

 

 自分が勝てる環境を作る。それがフィアーがこれまでのレースで行ってきた事だと言えるだろう。アメリカ3冠を走る時にフィアーの対抗馬たちはデバフスキルを用意する事でフィアーを削り切る選択肢を選んだ。

 

 これはつまり、フィアーと同じステージで戦うという発想だ。彼女達が負けるのは必然だとも言える。スキルの習得、ゾーンコントロール、このステージにおいて最強なのは間違いなくクリムゾンフィアーだろう、彼女の転生したという特異性は既存のウマ娘で乗り越える事が出来ない例外だ。

 

「でも、今日はシンボリルドルフがいる」

 

 ひらひらとバンダナがバ券を振る。

 

「彼女は天才なんすよ。環境を作って乗るのが赤カス。環境をぶち壊して行く破壊力がディープインパクト。ならシンボリルドルフの強さは、というとやっぱそのコントロール能力なんすよね」

 

 全てのウマ娘がゲートに揃った。

 

『さあ、誰もがこの地を踏んでくれることを待っていた! 1番人気は当然この娘、クリムゾンフィアー、3大タイトル制覇のウマ娘です』

 

『世界を魅了した至高のランナーが今日は我々をどう魅せてくれるのか注目ですよ』

 

『さあ、全てのウマ娘がゲートイン完了……まもなく出走です』

 

 熱狂に満ちる中山競バ場に静寂が訪れる。特別席に座るSeabirdとSecretariatの2人は言葉もなくレースが始まるのを待っている。応援に来ているスピカのウマ娘達は勝手な事を言いながらも楽しむ様にターフを眺め、リギルは勝利を疑わず出走する2人を見た。

 

 そして南坂トレーナーは微笑んだ。

 

「貴女になら出来ますよ」

 

 直後、ゲートが開いた―――真っ先に飛び出し先頭に立ったのはハーツクライ。先行策ではない。その姿はハナに立ったウマ娘を置いて更に前へと飛び出した。中山2500m、良バ場のこの環境で走り切るのに必要なスタミナは京都3200mと比べればそう多くはない。

 

 それでも、大逃げとは走り切るのに多くのスタミナを要求する走り―――それをハーツクライは勝つ為に迷う事無く実行した。

 

「ほう」

 

 息の下で言葉にならない音をルドルフが漏らした。

 

「は」

 

 楽しそうに相手を認識してフィアーが息を吐く。

 

「……」

 

 無言、見据えるべき相手のみを見据えてディープインパクトが走る。

 

 その間にもハナを奪ったハーツクライが更に前に出る。大逃げ、明らかにスタミナを残さない破滅逃げスタイルのそれはツインターボに良く似ている走りだ。それを見て秘策があると判断しフィアーが速度を上げて逃げに移行する。

 

 それを先行策で走るルドルフが追従し、削る。

 

 迷う事無く自分に対する牽制と削りに入ったルドルフに対してフィアーの口はやはりか、と走りながらも言葉を作る。中山2500mを走るには過剰すぎる程のスタミナを備えるフィアーを削るのが最も重要な一手―――その上でディープの加速を止めなくてはならない。

 

 フィアーが環境を作り、ディープが環境を壊すほどの末脚を持つ。

 

 ならルドルフの武器は?

 

「ルドルフはな、巧いんだよ。コントロールするのが」

 

 フィアーは領域の形成、コントロールに意識の一部を常に割いてないとならない。その為、繊細なレースコントロールは失われている。だがルドルフは経験を通してその二つを両立するに至っている。フィアー程の出力の高さはなくとも、そのレースコントロール能力はあらゆるウマ娘を置き去る程のものがある。

 

 それを活用し、一手目からえげつないと評価できるほどの妨害が始まった。

 

 前に出たフィアーの脚を削り、集中力を高めるディープの集中力を嫌でも霧散させる。普通であれば現役最強候補とも呼べる2人を同時に妨害するなど不可能に近いだろうが、ルドルフにはそれが出来る。

 

 それが卓越したコントロール能力を持つルドルフの武器だ。

 

「うっわ、今の見た? 前のウマ娘を使ってプレッシャーを与えさせてる……」

 

「カイチョーは相変わらずボクでも何をやっているのか解らないレベルでばんばん色々飛ばすよね。ささやいた瞬間にはなぜか他のウマ娘から眼差しを飛ばさせてるし。他の出場者を自分のファンネルと勘違いしてないかな、アレ」

 

 フィアーとディープにはなく、ルドルフにはあるもの―――それはカリスマだ。

 

 先天性のカリスマ、そしてシンボリ家で育てられた事で与えられた帝王学。それらを複合させる事で生み出した彼女のカリスマはそれこそ他人の動きを先に察知させ、自分の意志を加える事で方向性と通しやすさをコントロールする事を許した。

 

 例えば根性や賢さによって弾ける筈の焦りも、ルドルフが威圧をそこに上乗せする事で疑似的な合わせ技として通すようにする。他人にここで使うしかない、と思わせればデバフスキルの使用タイミングを強制する事が出来る。

 

 事前に全ての出走ウマ娘の技術を確認し、読み込み、そして把握するルドルフはリアルタイムで知識をアップデートしながら発動するスキルを自在にコントロールしている―――それがトレセン学園におけるレースコントロールのトップ技術だった。

 

「っ―――」

 

 特に追い込みで走るしかないディープには辛い相手だ。最後尾を走るという制約上、常に視界に入ってしまうルドルフの存在は目障りだった。意識を外したくても外せない、その為にルドルフの行う仕掛けが全て目に入ってしまう。

 

 その全てを外せるのは唯一、大逃げで走るハーツクライだけだった。その意図は明確、BCクラシックでフィアーがSecretariatへと行った対策をそのまま返しているに過ぎない。加速され切る前に逃げ切る。それがハーツの選択だった。

 

 だがそれを相手に焦りは薄い。大逃げは走れるだけのスタミナと速度があって初めて成立する戦術だ。ハーツのスタミナとトップスピードを相手に、末脚で差し切れるというのが三者の判断だった。だがこうやって大逃げに出た以上、切り札はある。

 

 その思考を頭の中に残したまま、序盤戦をルドルフに破壊されながら中盤戦が始まる。

 

 それまで誰もが領域に入らず力を残しておいた―――が、足元に花が咲き始めた事でレースが本番を迎える事を悟った。中盤から距離を空けて加速しだす。終盤へと向けた動きが始まる事でフィアーがその実力を発揮しようとするのを感知した。

 

 星空が巡り、花にレース場が覆われる。何時か見た彼岸の果ての景色が領域として心と世界を染め上げる中、全ての領域の前提条件が取り払われた。

 

 ルールを、環境を作る力。それが最も強いのがクリムゾンフィアーというウマ娘。

 

 本番が始まり、加速しだすのはフィアーだけではなくディープとルドルフも同様。このタイミングから加速しなければ終盤までは加速力が持たない。レース場の形状、感触、そして有効となる加速は事前に脳に叩き込んである。一流か否かは走る時、それを理解できるかどうかによって決まる。

 

 そして彼女達は一流だった。対策を施し、その上で勝ちに行く。

 

「は、やっぱり使えないか……!」

 

 漏れ出す声、フィアーが引っ張りだそうとする領域の多くが利用不可になっている。その代わりにリギルから継承した領域をルドルフとディープが活用して素早く上がり始める。対抗してチームメイトからの領域を借りてフィアーが加速しだす。

 

 フィアーの領域の借用には条件がある。

 

 一つ、それは誰かに継承されていない事。

 

 二つ、利用されることを本人が了承している事。

 

 そのルールをフィアーは一度も口にしたことがなく、明言した事もない。だが彼女が密かに守って来たルールであり、あらゆるレースでフィアーがリギル所属の強力なウマ娘達の領域をレンタルできなかった事に対する答えでもある。

 

 だからスピカ由来の領域を使って加速を得ようとする。

 

 まず超えるべきはハーツクライ。

 

 大逃げで常に先頭にいるプレッシャーを受けている以上、誰よりもその脚は削られる。故に中盤も終わりへと差し掛かる頃には―――垂れない。

 

「っ」

 

 垂れてこない。

 

 ハーツクライが落ちてこない。それはかつて、どこかで先行策によって英雄を打ち破ったかのように、ハーツクライだけが前に出ている。そして落ちてこない。彼女を支えているのは、誰かの領域だった。見覚えのない、弱く、小さな領域だった。

 

 だがそれが数個、数十個と重ねられていた。

 

 細かく継ぎ足されるスタミナ、細かく付け足される加速。リギルのでもスピカでもなく、大きなチームに所属しているウマ娘のものでもない。いや、中には見知った領域もあった。そのほとんどが大した力もないと切り捨てる領域ばかりだ。

 

 だがそれが大量に積み重なり、そしてハーツクライを支えていた。

 

 瞬間、不利を察した三人の怪物がスパートに入った。ロングスパートではない、限界加速を叩き込んだ一気の加速だ。環境を利用した領域によるブーストを経たトップウマ娘の加速が三人を支え、一気に押し上げる。

 

 だが負けじとハーツクライも逃げる。逃げ続ける。逃げ切ろうと更に速度を上げる。

 

 ―――そう、確かにお前たちが今の競バ界の中心かもしれない。

 

 ハーツクライの息が荒れる。苦しむほどに体力が奪われる。ルドルフの視線、威圧、その全てがハーツクライに対して向けられる。それでも無数の想いが彼女を支えた。

 

 ―――だけど。

 

 最終コーナーを抜けた中山の短い直線、依然ハナを進むのはハーツクライ。響く怒号と興奮の歓声の中、逃げ切る為にハーツクライが持ち込んだ全ての力を使って前に踏み出す。ラストスパート、最後の直線、最も速度を乗せられる瞬間。

 

 日食が昇った。

 

 フィアーの領域が機能不全を起こし、一瞬崩れる。だが練度と完成度が違う。Secretariatの使う日食が化け物級に強かったのは、Secretariat自身が自分に対して誇る信念と信仰心から来る強さが故だった。

 

 最近頭を下げ、協力を求めて継承してきた日食の領域にそこまでの強度はない。

 

 せめて出来るのは最後のスパートを不発させる事ぐらいだろう。

 

 だが、それで十分だった。策は成った。

 

 ドバイWCに見たフィアーの領域。同じ時期にトゥインクルを走りながらも後ろから追い越していった怪物。一度は勝ちたいと願う様な神話の化け物に対してあの日以来、ハーツクライはずっと悩んでいた。どうすれば勝てるのか、どうすれば同じステージに立てるのか。

 

 これが、ハーツクライの出した答えだった。

 

 一番最初にフィアーが領域に覚醒したトップメンタルの瞬間に彼女は立ち会っていた。だから本質にも触れて、理解していた。誰よりも長く準備する時間があった。

 

 だからハーツクライは一人一人、それこそ重賞で勝てないウマ娘にさえ声をかけた。

 

 最強を倒したくないか。星に手を届かせたくはないのか、と。フィアーの領域、そのルール無用さが自分ではなく他の誰かにも適用できるなら……やるべき事は、より多くの仲間を集め、そして味方を作る事。

 

 シンボリルドルフはレースをコントロールする事で出し抜くことを考えた。

 

 ディープインパクトは作られたレースを破壊して踏破する事を考えた。

 

 クリムゾンフィアーは自分がルールを作る事で最も有利である事を考えた。

 

 ハーツクライは、ルールに乗った上で真正面から上回る事を考えた。

 

 そしてそれが、対クリムゾンフィアーにおいては何よりも正しい選択肢だった。味方がいなければ領域は増やせない。増やせないならそもそもの身体能力はディープインパクトを抜ききれない。心から信頼できる仲間の領域を使った所で、最も大事なタイミングが不発させられた。

 

 半年だ、半年を超えたハーツクライの戦略がその瞬間、三人のウマ娘に刺さった。

 

 背後から迫る怪物たちの姿に、先行するハーツクライの姿がゴールラインに届いた。

 

「―――私の、勝ちだ……!」

 

 1着、ハーツクライ。

 

 それは、1年遅れで達成された最強のウマ娘撃破という伝説だった。




 次回、エピローグ


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最終話 特別な事は何もない

『やあ、ポニー達! 部屋割りの確認かい? ようこそ栗東寮へ!』

 

 テレビの中ではトレセン学園の制服姿のガキ使メンバーを歓迎する遺伝子寮長の姿が見える。そう、年末恒例の笑ってはいけない企画だ。何と今年は笑ってはいけないトレセン学園24時、俺も参加したかったがスケジュールの都合上参加できなかった奴だ。

 

 悔しい。俺だって出演したかったわ!

 

 現役、ドリーム組フル協力のトレセン24時はカオスもカオス、背景でオトモダチが一般通過してたり、ゴルシ号の背の上で直立不動のゴルシが映ってたりで笑いのテロがやばい。

 

 そんな年末の光景を炬燵にダーレー、ゴドルフィン、タークに俺の4人で分け合いながら見ている。みかんを剥いたゴドルフィンがそれを炬燵の上に置いて、俺とダーレーが遠慮なくそれを摘まんでいた。

 

 普通の冬の景色だ……本当にぃ……?

 

 秒でセルフツッコミが入ってしまった。いや、まあ、こんな冬の一般風景あってたまるかよって話だが。三女神と過ごす年末ってマジで何だよって話。それはともあれ、スピーカーモードで炬燵の上に置いてあるスマホからディーの声がする。

 

『うん……こっちは大丈夫だよ。理事長が一緒に来てくれたから、話し合えてる』

 

「そっか、良かったよ。いきなり年末に実家に帰るって言い出すから驚いたもんだけど」

 

『良い機会かな、って。一緒にくーちゃんの家に世話になろうかと思ったけど……このままだと、ずっと甘えちゃいそうだから』

 

「うん、まあ、辛かったり逢いたくなったら何時でも来て良いから。こっちは部屋あけてあるし。そんで……実際の所はどう?」

 

『お父さんとお母さんは味方してくれてる。おじい様も味方だけどおばあ様と一部の一族が……その、ちょっとめんどくさい』

 

「そっかぁ。まあ……心行くまで話し合うと良いよ。結局のところ、これは当人の問題でしかないんだから」

 

『うん、頑張る』

 

 通話が切れる。上手くやっているようで安心した。新学期になったら理事長に菓子折りでも持って行くべきか? あの人なら何を受け取っても喜んでくれそうでちょっと選出に困るよなぁ。

 

『ホーセー、カワカミプリンセス』

 

『カワプリ? タイキックじゃ……待って! 死ぬ! それ死んじゃう!!!』

 

『与えられた役割を果たしますわよ―――!!』

 

 テレビの中が凄い事になってる。マジで出演したかったなあ、これ。だけど撮影時期は海外に居てそっちのレースで忙しかっただけにどうしてもタイミングは合わなかった。優先すべきものが他にあったからしょうがないね。

 

「はーい、鍋出来たわよ」

 

「む、お持ちします」

 

「あらあら、助かるわ。ありがとうね」

 

 神が相手であろうと平常運転のマイマミー、流石だぜ。タークがキッチンに鍋を受け取りに行って、それを炬燵の上にまで運んでくる。三女神と鍋食いながら新年を迎えようとしているウマ娘なんて異世界平行世界を探しても恐らく俺ぐらいだろう。

 

 マミーが俺の横の所に座ったので鍋の前に全員揃う。カワカミ(隠語)されたホーセーがテレビ内から消えた所で全員で手を合わせる。

 

「いただきます」

 

「いやあ、人の子の家で鍋を食べる日が来るなんてねぇ……」

 

「助かるわぁ」

 

「妙な気分ではあるな」

 

「どうせトレと温泉に行くんだろ、俺知ってるからな」

 

 鍋から自分の器に具と汁をよそってご飯と一緒に食べる。テレビを見てるが地味にケツバットしてるのマックイーンじゃん。フォームが恐ろしく綺麗なの何度見ても笑っちゃうんだよな。アイツ、レースに出なかったら今頃リーグに挑戦してたのかもしれない。サンキュー、メジロアサマ。

 

「実際、ウマソウル抜きだったら野球選手になってたよ、彼女」

 

「紙一重すぎる」

 

 もぐもぐ、うまうま。冬休みの間三女神を学園に放置するわけにもいかないので一旦ウチで引き取ったという形になっている。うちのマミーは神とかヒトとかウマとか一切気にしないし、俺も神とかヒトとかウマとか平等に煽り散らかすので関係がないから丁度良かった……丁度良いのかこれ?

 

「今年も色々とあったなぁ。偉業達成したり、大統領の脳味噌焼いたり、英国のお婆ちゃんの脳味噌焼いたり、ドバイの富豪の脳味噌焼いたり」

 

「ヒトの脳味噌を焼く為に転生してきたのか貴様?」

 

「もう少しヒトの脳味噌を労われ」

 

「女神にボロクソ言われる状況is何」

 

 女神とも付き合いが長くなってきたし、言動には遠慮がない。そもそも最初から欠片も遠慮がなかったし当然かもしれない。別段こいつらの手で転生した訳じゃないから敬う必要もないしなあ。ガイドライン神とサイゲにだけは忠誠誓ってるけど。嘘だ、YostarとmiHoYoにも忠誠誓ってる。

 

「それでくーちゃん、今年は海外ばかりだったけど来年はどうするつもり?」

 

「もうそろそろ去年で今年の話になるけど……まあ、実はあんま考えてない」

 

 箸を口に咥えてん-、と唸る。有マ記念、楽しかったなぁ。負けてしまったけどああも正面から正しい手段で勝たれると文句の一つも出てこない。マジで完璧だったよハーツクライ、最高に楽しかった。それだけにアレをラストランにドリームにすら行かず引退すると言ったのはショックだが。

 

「あ、ダーレー肉取って肉」

 

「自分で取りなよ」

 

「赤毛仲間だろぉ? あ、ありがとうございます」

 

「そこで素になるの……?」

 

 むしゃむしゃもぐもぐ。鍋を食べる時、大体に人は大人しくなる。それはウマ娘も三女神も一緒だった。ただテレビの中では画面外に消し飛ばされたホーセーが理事長のコスプレをして復活し、他の参加者たちを虐殺していた。全員揃ってケツバット。

 

 来年も笑ってはいけない24時の企画あるなら誘ってくれないかなぁ……。

 

「来年か、来年かあ……どうすっかなぁ」

 

「完全に勝って引退コースで考えてたわよねー?」

 

 ゴドルフィンの言葉にまあ、と答える。そもそも俺は負けるつもりで走ったレースなんて一つもない。全てのレースで勝つつもりで走っていた。今回も当然勝つつもりだった。だがハーツクライがその上を行っただけだ。それだけの話だが、やっぱ悔しいもんは悔しい。

 

「で、くーちゃんはまた海外で走るの?」

 

「どーだろ。国内も国内で楽しそうだしなぁ」

 

 海外でまた新しいスコアを稼ぐのも面白そうだし、国内のレースを全く走ってないからそっちで走るのも悪くはない。何せ、現状俺の国内GⅠは2勝で朝日FS杯とホープフルしか勝ち鞍がないのだから。もうちょっと中長距離GⅠのトロフィーが欲しい。

 

 でも国内で走るとなると絶対にディーがぶつかってくるだろう。走るのは楽しいんだけど、毎回タイマン始めると足が月まで吹っ飛んで突き刺さってしまう。そういう意味で海外で走るのも悪くはない。

 

「んー、悩ましい」

 

「こら、箸で鍋を突かない」

 

「突いた奴は自分で食べるんだよ」

 

「うへぇ」

 

 器に鍋の具を注がれそれをちまちまと食べ進める。夜のトレセン学園探索とかいう恒例のホラータイムが開始していた。笑ってもセーフな代わりに色々とホラー体験が襲い掛かってくる時間だ、ガチもんが出没しているので芸人たちのリアクションも本物だ。企画で本物を出演させるな。方天画戟持って追いかけるな。はよあの世に帰れ。

 

「んーん、どうすっかなぁ」

 

 悩ましい。それはやりたい事があって、やれる事があるから生まれる贅沢だ。だけど最初の頃の俺にはなかったものでもある。この3年間、わき目もふらずにずっとトップで走って来た、そしてここまでやって来た……だけどこの3年間で全てが終わるという訳ではない。

 

 この3年間は、ウマ娘として俺が走り出したばかりの3年間だった。

 

 出会って、走って、戦って―――そして最後に負けた。

 

 良い負けだったと思う。予想外の所から真正面をぶち抜かれた感じだった。負けるとは思わなかっただけに楽しかった。まあ、勝てる事が理想なのだが負けたもんはしょうがない。それでも、こういうレースだって存在するんだ。

 

「これだから走るのは止められねぇ」

 

 ―――楽しい、3年間だった。




 これにて完結、これまでお付き合いありがとうございました。

 
【挿絵表示】


 碑文つかささんから完結記念に赤毛のお絵かきを貰いました。改めて素敵な絵をありがとうございます。


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