斥候TS娘さんの異世界スパイ暮らし (ぜぜ)
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1

生まれて初めて文を書いた原始人です。
対戦よろしくお願いします。


 まずったかな、こんな依頼受けてなきゃ……。いや、もっと前に、あんなやつと出会ってなけりゃ……。

 

 そう思うオレの背中に、鈍い痛みが走る。

 オレは今、質の良い調度品が並ぶ高級宿屋の一室で、剣を抜いた男に押し倒されていた。……床に。

 

 髪を縫い留めるように床へ突き立てられた西洋風の剣が、男の警戒を示すように、より深くねじ込まれた。

 

「お前は何者だ、誰に忠誠を誓っている?」

 

 感情のない無機質な声が、オレに刺さる。

 あぁ、どうしてこんな貧乏くじを引いてしまったんだろうか……。

 

 ──

 

 オレはいわゆる異世界に転移した、元日本人である。

 こちらに来る前は男子高校生、それもこれから初登校という、まさに新しい人生を始める記念すべき日を迎えていた。

 

 が、一転。気が付けば森の中である。

 別にトラックにはねられたり、通り魔に襲われたり、はたまた自称神との邂逅があったわけでもない。そして、ドアを開けたら森だったとか、そういうわけでもない。

 自宅から高校まで歩いていたところ、行き着いた先は見知らぬ森で、自分の姿がまるきり変わっていたというだけの話だ。そばを歩いていたはずの家族の姿は消えていた。

 

 気づけば森、まぶしい木漏れ日、ここはどこ。オレは混乱を通り越して無我の境地に至り、苔むした岩に腰かけた。

 

 結論から言えば、テンプレ異世界に転移してた。

 ──女になって。

 

 森から出たのはその日のうちに、返り血を浴びて真っ赤の鎧を来たガチムチたちに発見されてドナドナされた。

 ガチムチたちが話していたのは日本語ではなかったけど、何故か聞き取れて話せた。すわ、言語チートか!? と思ったら、後日この言語とは別の言語を聞くと聞けも話せもしなかったので、ただオレの日本語力がこの言語のパワーにすり替わっただけらしい。

 

 ドナドナされてたどり着いたのは、まだローマだフランクだと言っている時代のような、欧風城郭都市だった。年季の入った石造りの門を抜け、ダチョウのような大きな鳥が荷車を引く街道へ進んだ。薄汚いぼろを着た人から、白地の生地でできた貫頭衣を着た人、はたまたドでかい長剣を背負って鎧を着こんだ人もいる、さらにはケモなお耳やワニ頭のお方まで様々に入り乱れていた。露店には見たこともない野菜やら魚が並んでおり、完全に映画の中に入ってしまった気分である。

 

 マントを着ていて気付かなかったが、オレを助けてくれたガチムチたちは、街に入る前にやり取りをした門番的な人と着ている鎧が同じであったので、この町の兵士ポジの人たちらしい。

 

「兵士さんなんですか?」

 

 と聞けば、血まみれのガチムチが笑顔で「ええ。今日は山賊狩り帰りに、あなたのようなお嬢さんも助けられてよかったです」と返された。返り血が誰のものかわかってしまい、その場で吐いた。吐いたものには今朝方食べた目玉焼きの姿があった。女になっても、一応オレはオレらしい。

 

 さて、それからオレは名前やら身元やらを兵隊の事務所的なところで確認されたが、素直に話すこともできなかった。

 だってめちゃくちゃ真面目な空気だったんだもん。「あのぉ、実は異世界からきてぇ」とか、ゲボの世話までしてもらった人たちに話せる気がなかった。だから適当にお茶を濁すべく、オレは自分を「遠いところから山賊に連れ去られた黒髪の女で、名前はクゥ」ということにした。

 山賊は咄嗟に言ったが、みんな「あいつら流れ者だと思ったが、人身売買まで!」「手を出されたりしてないか!?」と義憤に震え、オレの良心はコテンパンにされた。

 名前は本名から一部を拝借した。兵士さんたちが互いを呼ぶときの名前が「ジーン」だったり「エドワルド」だったり、すこぶるファンタジーっぽいからだ。多分こちらのほうが怪しまれない、そんな思考でクゥと名乗った。

 いい名前だとにっこりされた。そりゃもう、お袋謹製の名前だからな。

 

 結局その日は詰所(オレが事務所と呼んだ場所はそう呼ばれてたらしい)のベッドを拝借し、次の日からはその日暮らしのフリーター生活が始まった。兵隊で掃除係とかねえの? と思ったけど、もう既に派遣会社的なところと契約してて無理と言われた。アフターケアはしてくれないらしい。

 で、そこからはめちゃくちゃ頑張った。居酒屋の店員をやったり教会の掃除をやったりベビーシッター的なことをやったり……。

 居酒屋はセクハラされ放題で辞め、教会は給料が低く何なら寄付を求められるので辞め、ベビーシッターは子守なんてしたこともないのに引き受けたもんだから一発で辞めた。その裏で、この世界について色々勉強した。

 

 

 そんな風に色々やっていたオレがたどり着いたのが、冒険者──その中でも斥候という職だった。

 冒険者は、名前から想像したとおり、剣や魔術で魔物というモンスターを狩ったり狩られたりする仕事だ。流れ者でもすぐになれるが、帰ってこないやつも多い、そんなブラックな仕事である。

 

 ナイフやブーツ、それに革の胸当てを装備として、オレは冒険者業を始めた。

 森や林に立ち入っては植生や魔物の痕跡など、自然の状態を調べ、その情報を冒険者の元締め的なところ(いわゆるギルド)や、直接同業者に売る。それがこの世界の冒険者における斥候だった。

 

「──今月はこれっぽちか」

 

「……利子分も入れて、今月分はちゃんとあるだろ」

 

 冒険者業の対価は、オレのところに入らなかったが。

 

 町の歓楽街の外れにある高級宿の一室で、オレは定期的にブ男と会わなければならなかった。

 名をボーサ、オレがドナドナされて行き着いた町「ナパル」にて出会った恩人であり、最も憎むべき男だった。

 

「困るね、クゥ。最近は魔物の活性もあってか物が入らんでね、何でもかんでも高くなっちまって、利子も高くせにゃならんのよ」

 

 ボーサは大部屋の真ん中に据えた立派な机に腰掛けつつ、ため息をついた。

 金ぴかの指輪をいくつも付けた指が、オレの渡した金を数える。が、最後まで数えることなく、それを机にばらまいた。

 

「足りんね、今月返す分1000ゼニーの利子5分1、あわせて1200ゼニー。耳そろえて持ってきな」

 

「はぁ!? 1200!? 約束は1050だ、こっちは生活もギリギリでやってんだ、今から150も作れるかよ!」

 

 かったるい計算をするが、1ゼニー100円くらいの感覚でオレは金をやりくりしている。

 つまるところ、今月は12万も借金の返済がある。

 情報の相場は大体一つ200ゼニー。しかしそれも新しいうちにつく額でしかないし、他の斥候に先を越されることもある。実入りは良くない。オークの討伐依頼なんて、一回で1万ゼニーだ。斥候職は割に合わない。だが、そんな中でも貯めてきているのである。

 

「恩知らずな女だ、金がなくて苦心していた時に助けてやったのを忘れたか」

 

 ボーサはわざとらしいため息をついた。その顔が憎くて仕方がない。

 こいつに初めて会ったのは、異世界に来て三か月ほど経った頃だった。魔物が増えたとかで物流が途絶え、仕事がなくなった。状況が変わるまで食いつなごうにも金がなく、当てもないので絶望しながら道端でボーっとする以外なかったオレに、手を差し伸べてきたのがこの男だ。

 

「やつれているね、大変だ。僕はボーサという者だ。冒険者の支援をしていてね、冒険者をやるってんなら、この不景気でも生活の面倒を見てあげるけど。お茶でもどうだい?」

 

「マジすか!?」

 

 こんな次第でオレに斥候職を教え、勉強のためにと魔術や斥候の知識の本を貸し与えたり、生活費やらの金の面倒を見てくれたのが、このボーサという男だった。なんでも、商会を営んでいるが、魔物による荷物への被害は改善されない。なら自分で冒険者を育てて護衛にすれば万事解決するじゃないかと決意し、育成事業を始めたらしい。

 そんな怪しい話を聞いて二つ返事で了承した、浮かれポンチのオレを殴ってやりたい。

 

 だまされたと気づいたのは、冒険者として働きだしてしばらく経ったとある日、世話になった礼にと提供していた、町周辺の魔物の動向の情報を持って行った時のことだ。

 

「ぐっ!?」

 

「──動くな」

 

 やつの拠点の高級宿の部屋に入るなり、いつもはやつの後ろに控えていた金属鎧のボディーガードが、オレを背後から拘束した。魔術で筋力でも底上げしているのか、石像のようにびくともしない。

 拘束から逃れるのを諦めると、いつものようにボーサが微笑みながらこちらを見ていた。

 

「やぁ、ご苦労だねクゥ」

 

「……何のつもりだよ」

 

 そう返せば、ボーサはゆったりと立ち上がると、オレの目の前までやってきた。

 

「そろそろ金、返してもらおうかと思ってね」

 

「は?」

 

 混乱するオレにボーサは説明した。

 

 曰く、ちょっと前から物流も戻って、景気が良くなってきた。今までは仕方なく返済を猶予してたけど、オレが冒険者として稼ぐようになってきた。中々腕も良く、自立できそうだからもう返せるよね? とのことだ。

 

「……借金とか聞いてないぞ!?」

 

 そう抗議すれば、ボーサは実にいい笑顔を浮かべていった。

 

「言ってないから仕方がない。さて、では契約をしようか」

 

 そう言ってボーサは指輪のうちの一つの向きを変える。装飾品が指の背側を向いていたのが、腹側に回された。いくつかの呪文を唱えると、指輪の装飾の赤い宝石が怪しく光る。そのままボーサはオレの胸を揉んだ。ぶち殺してやろうか。

 

「我、ボーサ・ラル・クェンティは、汝、クゥに義務の履行を求める。応えるか?」

 

 ボーサがそう言えば、今まで沈黙していたボディーガードがさらに首を締めあげた。胸からはぞわりとした不快感が走る。魔術的な契約を結ぼうとしているらしい。

 

「”応える”と言え」

 

「い、嫌だ」

 

 だって詐欺だもの。絶対払わないもんね! てか、人材育成してそれから借金背負わせるって、金の調達方法としてコスパ悪すぎだろ! もっと幸せのツボとかを売りつける方向でやれんのですか? あ、そういや宗教的なやつって、こっちだと即火あぶりでしたね。

 じゃあそういう性癖なのか……? あ、胸揉んでるし割とそっち寄りなんすかね? もぞもぞ動いてるし。キモすぎるが。

 

 オレが拒否したら、ボディーガードがまた力を入れた。首が外れるかと思うくらいだ。だが、意識が落ちないギリギリで手は止まる。足はつま先立ちになり、一瞬でも力を抜けばお陀仏だろう。

 こいつ、分かってやってやがる。

 

「言え。さもなくば……殺す」

 

「……っ……!」

 

 演技かとも思うだろ? だけどこいつ、本気だ。さっきからよだれがダラダラ流れてるが、一向に力は緩まない。そういや、カツラとか臓器とか、色々人体は高値になるって聞いたことあるなぁ……。

 目の前のボーサは笑顔を崩さない。それどころがより一層深く笑いやがった。まじかこいつ、演技とかジョークとかフェイクなんてねぇじゃねえか。

 ここで、オレはぽっきり折れた。

 

「こ……こぁ……こたぇる」

 

 そう言えば、胸に焼けるような感覚が走ると同時に、拘束が解かれた。ぼとりと床に崩れて息をするオレに、ボーサは続けた。

 

「では、100万ゼニーの返済を求める。利子は……とりあえず半ブで構わん。契約を履行するつもりが無いと判断した時点で、契約紋を通じて肺を焼き切ってやる」

 

 これが、オレが日本円換算で1億円の借金を背負ったあらましである。

 

 

「──払えないというなら、取引といこう」

 

「あ?」

 

 いきなり返済金が足りないと抜かしたこのクソドブ男が、風向きの違う話を始めた。

 オレは思わず振り返る。

 

「君は斥候職……より正しく言えば、隠密行動に長けた冒険者だ。当然そのように鍛えたし、相応に知識は持っているだろう」

 

「……あぁ。それが?」

 

 不本意ながらこいつによって仕込まれた知識や技は多い。知識は本貸してきただけだったけど。いや、技などはこいつが直接仕込んだというより、こいつ馴染みの冒険者が手ほどきをしてくれたわけだが。……あぁ、ここでも金はかかるのか。

 

「一つ頼まれごとをしてほしい。報酬は今月の不足分の帳消しだ」

 

「……受けないと言ったら?」

 

 足りないも何も、お前が言い出した分だろうに。その言葉を抑えて返事を絞り出せば、ボーサは歯を見せて言った。

 

「おや、金を返す気がないのかね?」

 

 クソ男め。オレの答えは決まっていた。




でえじょうぶだ、テイエス娘は大抵男にコロリといくもんだ。


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2

 不幸にも異世界に迷いこんだパンピーたるオレは、これまた不幸にも億単位で借金を抱え込んでしまった。極めつけに、オレに借金をしょい込ませたクソデブによく分からん魔法で従属させられた模様。

 

 ……ハードモードすぎる。リセットを要求したい。無理?ああ、そう。

 

 そしてこの度、忍者よろしくとある高級宿に潜入し、その一室で執り行われているという会合の内容を盗み聞ぎに来た次第で候。やってることだけ見たら斥候職っぽいね。

 

 割と明るいテンションねって?オレは人生お気楽派の人間です、最近上手くいってないだけで。

 

 そんなこんなで、頑強で丁寧に切り出された石造りの壁を登っている。指先に魔力を集中し、ブロックとブロックの間に指を差し込んで、目的の階まで登っております。魔力というのは指向性を持たせれば引っ付けることも可能です。たいてい石材を作るときは魔術で切り出してるもんで、その境目には魔力が残存してることが多いのね。そいつに引っ掛けりゃあら不思議、体内魔力が残存魔力に吸い付いて、スパイ映画も真っ青のスタントが可能ってわけ!

 こんなことして目立たないか?大丈夫だ、オレの背後は景観目的の湖だから。夜の湖なんて暗いわ魔物は出るわで、誰も宿の方なんて見ないから大丈夫。

 

 そんなことを暢気に考えていたら、目的の階に到達した。

 ボーサ曰く、奴の商会に盾突く犯罪組織の関係者が宿泊しており、その会話の情報を持ち帰れとのことらしい。

 まあ、簡単だ。魔物と隣り合わせで気配を消して、一晩中魔物の捕食シーンを眺めるのに比べれば、難易度も精神衛生上も大変問題ない。

 

 だが……やはりこの先もこんな風に働く機会は増えるんだろうか。契約紋という、契約者の親側が子側に好きな内容を約束させる魔術は、裁判所などで使われるものだ。まさかボーサがこんなものを持っているとは、いったい何者だというのか。

 てかコスパ悪くない?こういう駒が欲しいなら金で雇えよな。……あ、オレ借金してるわ。

 

 そんなことを気にしつつ、窓の下に張り付くように止まったオレは、盗聴を始めた。

 

「”聞こえよ(アウ ディジェンタ)”」

 

 そう唱えれば、耳はより多くの音を拾い始める。何でも聞けば頭がやられるので、窓の中の部屋だけに集中した。

 

「……で、ボ…サの商会は……に、関与を?」

 

「―…あ、まち…いない」

 

 おぉ、聞こえる聞こえる。しゃがれた年かさの男っぽい声と、若く張りのある男の声が聞こえてきた。口ぶりから、若いほうが身分が上らしい。

 流石に石とガラス越しでは聞こえづらいが、断片的には理解できそうな内容が聞こえてきた。

 ……てか、あいつの商会を営んでいる設定って、マジだったんだ。

 

「では……めて、今回の件について整理を……」

 

「いや、待て」

 

 何やら中の男のうちの一人が話を中断させる。

 そしてしばらく沈黙が訪れた。

 

 ――あ、やばい。

 

「――間者か、ちょうどいい。お前の飼い主を吐いてもらおう」

 

「げえっ!?」

 

 ど派手な爆発音とともに窓がガラスごと吹き飛び、オレの首根っこがつかまれる。

 ちょうど蝉のような体勢で盗み聞きをしていたオレは、強引に部屋に引き込まれると、背中側から床に叩きつけられた。

 

「お前は何者だ、誰に忠誠を誓っている?」

 

 首の真横に剣を叩きつけられると同時に、オレは若い男と目が合った。

 

 金髪碧眼、ザ☆ファンタジーキャラの短髪イケメソ君が、警戒の色濃い表情を浮かべながらオレの目を覗き込んでいる。

 フム、ずいぶんおモテになりそうな優男である。

 

「どうも、債務者です」

 

「……死にたいのか?」

 

 やだ、血気盛ん。

 オレは腹にめり込まされた男の膝の感触にゾッとしながら、「オレは冒険者のクゥだ」と名乗り直した。

 

 

 

「――さて。冒険者と来たか」

 

「傭兵崩れですか」

 

「うん?しかし、冒険者連中はそう呼ばれると素直にならないと聞いたことがあるが?」

 

「安いプライドです」

 

 時は少し経ち、部屋の中。

 オレは地面の上からフッカフカの椅子に移され、下着一枚にされた上、腕も足も縄で雁字搦めにされてます。

 

 いやあ、怖かったね。少なからずこういうシチュエーションだと、「くっ……殺せ!」みたいな雰囲気になるかと思ったら、まじで機械的に脱がされて縛られるのね。スパイ映画ってやっぱ映画なんだなあ……。流れ作業すぎて逆に怖かったもの。まあ、女として見られてても嫌だから別にいいけど。

 恥ずかしくもないしねっ!ないったらないわよ。

 

 すこし遠い目をしていたら、年かさの男――長身で白髪の執事みたいな人が、オレに短剣を向けた。

 

「では、女。これからする質問に偽りなく答えよ。さもなくば、一枚一枚こいつで爪を剝ぐ」

 

「えっ」

 

 そんなことすんの?

 オレは驚いて、風通しの良くなった窓から外を眺める若い男を見る。

 彼はにっこりと笑った。

 

「僕に女性をいたぶる趣味はないが……残念ながら君は今、間者だからね。申し訳ないが、お付き合い願うよ」

 

「全然申し訳なさそうじゃねえ……」

 

 これはマジで気を付けないと、オレの指が魚肉ソーセージにされてしまう。オレは気を引き締めた。

 

「まず問おう。お前は何者だ」

 

 若い男が聞いてくる。オレは素直に従うことにする。

 

「冒険者のクゥ、斥候をやっている」

 

 答えれば、若い男が執事に目をやる。執事が頷くと、若い男は続けた。

 

 何か魔術で読んでやがるな。噓発見器付きというわけだ。

 

「では、窓の外で何をしていた」

 

「ちょっと観光に――っっつぅ!?!?」

 

 執事はオレの指に短剣を抉りこませた。

 爪を剥がれることはなかったが、目の前に短剣の先を近づけられる。

 

「……この部屋で行われている会合の内容を聞いていた」

 

 執事は頷いた。オレは脂汗がにじむのを感じる。どうやら爪を剝がれるってのは、ポーズでも何でもないらしい。

 くそ、こいつら本気でヤバイ犯罪者じゃないのか?

 

「では、君の雇い主は?」

 

 若い男の声に力が入る。

 

「……答えられない」

 

「……ほう、では、分かるな?」

 

 執事は無言で、オレの小指に短剣を近づける。

 ちびりそうなくらいビビってるが、オレが話せることには限度がある。ボーサから、失敗しても決して自分の関与を仄めかしてはならないし、もしばれたと判断した時点で契約紋を起動すると言われているのだ。

 仮にこの場をやり過ごしても、いずれ肺が焼かれてしまう。なら、爪で我慢するほうが良い。

 

 オレはぐっと目をつむった。

 

「優秀だな。やれ」

 

「はっ」

 

 ぐち、という音と共に、オレの爪は飛んだ。悲鳴は、嚙まされた布に吸い込まれる。

 感覚的に、指はついている。この執事、やりなれてるんだろうな。

 生理的な涙が溢れて、体はガタガタ震えだした。

 

「ふむ。優秀と思ったが、さてはこういうの、されなれてないね?」

 

 若い男は訝しむように聞いた。オレは滲む視界越しに男をにらんだ。

 

「慣れてたまるかよ、大事な爪だ」

 

「それもそうだ。しかし、うん」

 

 若い男はそれだけ言うと、居住まいを正した。

 ……何だかばつが悪そうな顔はしているけれど。

 

「君の雇い主は、自分の正体を隠したな?」

 

「言えない」

 

 次の質問に答えると、すぐさま執事が短剣を構えて身がすくんだが、なぜか若い男は手で制した。

 

「なるほど、この町で、スパイを寄越した挙句に僕に正体を隠す人種なんて1種類しかいないけどねえ……。馬鹿なのか、利口なのか……」

 

 ふっと漏れ出たような笑い声をあげて、若い男はソファへもたれた。急に緊張感が無くなり、あっけにとられる。

 

「いや、オレは別に……」

 

 否定も肯定もしてないんですけど!

 だが、若い男はオレの言葉すら手で制してしまう。

 

「気にしないでくれて構わない。尋問への答えも、プロを雇う思考もツテもない雑な悪人の思考なんて、想像だけでも十分だ。……いや、一応君は、プロということになるのか?」

 

 そう言って楽しそうに笑うと、彼はオレのことをしげしげ眺めた。

 

「君は僕たちを悪人と……そうだな、マフィアのボスだとか、ともかく犯罪を犯すようなものの構成員と言われているね?」

 

「…………うん」

 

 うなずくと、優男は「なんって雑な……どういうつもりだ」と言って、部屋の隅の荷物から何かを取り出した。

 そして、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 

「良い隠密だった。音もなかったし、魔術も……まあ、僕は気づくが良い精度。最近頭角を現した黒髪の女冒険者は、ただの冒険者であったわけだ」

 

「はぁ?」

 

 急にオレの話を始めた優男は、申し訳なさそうにオレの前に立つ。執事はいつの間にか短剣をしまっていた。

 

「仕事上、それなりに調べ物はする方でね。町の簡単な勢力図や備蓄、それに居着いた冒険者の情報も頭に入れてある」

 

「それが?」

 

「まあ、なんだ。素性も何もかも分かってるってことさ。おまけに利用価値の品評も済んだところだ」

 

 突拍子もないことの連続に、思わず首をかしげる。

 目の前の犯罪組織の関係者らしい男は、荷物から取り出したものをオレに見せた。

 

「お初にお目にかかる、冒険者のクゥ殿。私は突撃機動軍第3師団所属のダレスト少尉だ。もう一人は退役補佐官のロルゴ曹長。軍令を受け、この町の不正調査に来ている」

 

「は?」

 

 目の前に掲げられた短剣の鞘には、バッチリこの国の王家の紋章が彫られている。こんなもの持てる奴は、軍隊の中でも一定の地位にいる軍人だけだ。

 

「さしあたって、君の雇い主は良い情報源になりそうなので、協力いただこうか?」

 

「…………え、いや、その」

 

 あれだ。例えボーサが犯罪者と言った奴らが軍人で、逆にボーサが不正に関わってそうだとしても、オレの胸には契約紋がある。

 裁判にも使われる強力な魔道具なものだから、これはボーサにしか解除できない。

 色んな面で詰んでる日雇い冒険者のオレにとって、軍から協力を頼まれても答えることはできない。

 

「なるほど、では契約紋の中身を見るか…………罰金100万ゼニーか。そんな額の罰金刑、相当な犯罪者だと思うが」

 

 おもむろに縄の隙からチラリズムしてるオレの契約紋に触れる優男――ダレストは、しげしげと浮かび上がった魔術様式を観察しながら執事――ロルゴに目を向ける。

 ……なんだろう、イケメソに拘束されながら胸元を見られている構図、一人だけポカンとしてる今、めちゃくちゃやるせないです。

 

「それほどの罰金刑であれば、ある程度記憶に残っているものもございますが……少なくとも、女冒険者が課せられた記録は無いように思います」

 

「ふむ。では、この契約紋自体も違法だな。すまないが、少し痛むかもしれない。我慢してくれ」

 

「は?え?……――痛っっったい!?!?」

 

 電気でも流されたような痛みが胸に走る。ふと胸を見れば、変わらず紋はそこにあった。

 あん?そういう趣味?

 

「証拠として形は残したが、紋を失効させた。とりあえず、もう契約者が紋を発動させることはできない」

 

「は?あ、え?」

 

 紋を失効とな?裁判用に作られたような、いわゆる国家ご謹製の魔道具を?あ、でもこいつ国家権力の化身みたいなやつでしたね……。社会勉強を異世界でしたオレでもわかりますよ。

 いや、でもおかしくない?国家指定の魔術師が作ったやつよ?そんな気軽に解除できるもんか?

 

「……言っておくが、これが通常と思うな、冒険者。このダレスト少尉がずば抜けて魔術の扱いに長けているということだ」

 

 ベッドに腰かけて短剣を拭っていたロルゴが言う。

 

「国軍史上三指に入る魔道の天才、練魔のダレストと呼ばれ…――」

 

「やめてくれよ、それめちゃくちゃ恥ずかしいんだから」

 

 二つ名付きの異名をロルゴが言えば、ダレストくんは顔をしかめてそれを中断させた。

 恥ずかしいよね、うんうん。部屋の掃除して引き出しから秘密の設定資料集が出てきた時とか嫌だもん。

 異世界に来てから知ったけど、二つ名って王様から直接付けられるから、言わば形のない勲章みたいなものって理解してたけど。なるほど、ダレストは奥ゆかしい性格らしい。

 

 いや、というか、こいつが天才だからって理由、あんまり納得はいってないですけどね。

 

「お前が不満そうにしても、これ以上の説明はない」

 

 そうでっか。

 

「さて、話はそれたが。協力いただけるかな、クゥ殿?」

 

 オレの手を取り、目線を重ねてくるダレスト。少し微笑んだその顔は正しくイケメン。ナイスヤングである。やだ、あたし男色のケはございませんでしてよ?

 

 そう思っていたら、指の痛みがなくなった。見れば、真新しい爪が生えている。おまけに抉られたとこも元通りだ。

 感心して指を見ていたら、ダレストが拘束を解くなり囁いてきた。

 

「悪かったね。さて、魔術による治療はそれなりに費用が掛かるんだが……。手持ちはあるかい?」

 

「……えっ」

 

 答えられずに見返せば、ダレストは「では依頼をしよう。対価は治療費で」と笑ってきた。

 

 オレが「卑怯だぞ」と言うと、「逮捕してもいいんだぞ」と言われたので、言い返すことなくうなずいた。

 

 ボーサといいダレストといい、オレはまともな取引ができないらしい。




すみません、書き貯めしてたんですけど繫忙に膝を刺し貫かれてしまってな。
あと、爪を飛ばしたのは趣味です、石を投げないでください。


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3

「そうか、やはり俺の商会に殴り込みが」

 

「あぁ、そう言ってたよ」

 

ところ変わってボーサの拠点にて、オレはボーサに依頼の報告をしていた。報告内容は、ダレストの依頼の通りの内容。

大規模な盗賊団が、近々ボーサ商会の本拠地への殴り込みを計画しているというものだった。

 

どうやらダレスト達は、ボーサから本当に盗賊団と思われているらしい。流石にプロは、オレがどうこうする以上に上手くやっているようだ。

ボーサは少し考えこむと、「もういいぞ」と言ってオレを部屋から追い出した。

 

……さて、仕事の時間だ。

 

「”消えよ(フロウロア)”」

 

オレは魔術を使い、宿の窓から屋根に上った。

物音はしない。足音や布ずれの音を消すこの魔術は、斥候職の必須技能だ。

ボーサは歓楽街近くの宿の、最上階に拠点を持っている。おかげで、こちらとしてもやりやすい。

 

「”聞こえよ(アウ ディジェンタ)”」

 

盗聴用の魔術を使い、ボーサとボディーガードの話を聞く。ダレストの見立てではボディーガードは秘書の役割も担っているとのことだったので、その会話を聞いてきてくれとのことだった。

 

 

「……うちにちょっかいをかけるようなとこだと、どこのどいつの盗賊団だ」

 

ボーサが忌々し気に言う。

 

「この辺りででかいとこだと、邪蛇やトンプル盗賊団やらが……」

 

ボディーガードがそう言えば、ボーサは機嫌が悪そうに唸った。

……ボーサ、ダレストたちの動向は掴んでいても、正体まではわかってなかったらしい。こいつが阿保なのか、はたまたダレストが有能なのか。……どっちもな気がしてきた。

 

「面倒な、どいつもこいつもウチの足を引っ張りやがる。魔族との取引だ、下手なヘマはできんぞ」

 

「……最近はウチをコソコソ嗅ぎまわる連中も目立ちます。官吏に金は握らせてはいますが」

 

「当たり前だ!貴族なんぞに見つかってみろ、俺の計画が……ッパア!だ!!」

 

ファッ!?魔族!?聞いてませんよそんなこと。

ボーサはサラッと魔族と言い、忌々し気に吠えたが、オレはじっとりと汗をかいた。

 

魔族とは、そのものずばりあの魔族だ。ドラゴ○ボールでいうところのピ○コロ大魔王、ドラ○エでいうところのバラ○ス、○ドー、デ○タムーアetc...ともかくそんな風な、人の領域を侵そうとする種族である。

こちらではもう日本でいうお化けや悪魔や閻魔様、その辺の概念がすべて魔族に置き換わっている。

 

オレもこの世界にきて初めて魔族と聞いた時には「うはwwwテンプレ異世界wwwww」と草をはやしたものだが、実際にこの世界で生きてみれば、皆がRPGの魔王並みに魔族を恐れるのにも納得した。

はっきり言って、魔族には勝てない。

 

生き物としてのレベルが違うのだ。人が必死こいて魔術で火の玉を出す間に、魔族はため息で火炎放射器のような炎を吐きながら空を飛び剣を振り回してくる。

魔族殺しの英雄なんて伝説があるが、それも何人もの英傑がハメにハメて搦手で勝ったような内容だった。もちろん、最後は英雄譚らしく一騎打ちだったが。

 

基本的に、人間のどんな英雄でも魔族には手も足も出ないのが常識だ。

 

まあ、とりあえず絶対アンタッチャブルな存在よね。そんな奴らと手を組んだのか、ボーサは……。

 

「しかし、この2年でクゥは良い駒になった。使える斥候がいるのは、良い」

 

「それに見てくれも悪くない。最後は魔族に売れば、それなりにはなりそうですね」

 

「カハハ、それだ。適当に金をかっぱらったら、そうするか。良い商品ができたもんだ」

 

 

「――ゾッとするぜ」

 

オレは思わず呟いた。そんなの真っ平ごめん被るぜ。

第一、オレは、男ですからね、心は。

 

「……で、次の指定はなんだ?」

 

ボーサがボディーガードに聞く。

 

「三日後の夜。南の湖のほとりで、魔術の扱いに長けた人間を20人とのこと」

 

「また、人か……。それもその辺で攫うこともできんとは。いい加減、契約で縛った魔術師も少ないのだがな。代案などは?」

 

「1人でも足りなければ、見せしめに商会の人間を皆殺しにするとのこと」

 

「……ったく。これで高値が付くのだから良いが、取引とは言えんなあ」

 

「魔族が王都を落とすまでの辛抱です」

 

「おぉ!そうだったな」

 

……あれ、やばいこと聞いてない?

 

ーーー

 

 

ボーサから盗み聞いた情報を持ち帰ると、ダレストとロルゴは顔をしかめた。

 

「魔族か……。面倒なものが出てきたな」

 

ダレストはカチカチと爪を噛んだ。

 

「規模にもよります。奴らは根っからの戦闘民族。自分の力を誇示するのに腐心し、組織的に動くことは稀有です」

 

ロルゴが言う。ダレストは「そうだが……」と呟いた。

 

「ボーサは王都が落ちることを期待しているのだろう?それなりに勝算がなければ、そんな大それたことが言えるものか」

 

「短絡的な魔族が、力にものを言わせて脅しているだけかもしれません」

 

「しかし、いや、しかし」

 

「ともかく。3日後に現場を押さえるべきかと」

 

「敵の規模がわからん。それに何族かもな。初見で魔族の相手は骨が折れるぞ」

 

――目の前で繰り広げられる議論においてかれてるオレ氏です。

 

やばいっぺ!ボーサは魔族と手さ組んどったべや!と報告したら、あっという間に二人だけの空間ができてしまっていた。

ちなみに、王都はこの町から馬車でひと月はかかります。都会です。

距離は正確な地図なんてないから分からないけど……日本横断とかできんじゃね?まだ行ったことはないけど、ドでかい城とシャレオーツなお店が並ぶと聞いてます。

誰に聞いたって?オレにだってよくつるむ冒険者仲間くらいいるわ。その子は女子だしな。羨ましかろう。

 

閑話休題。そんな王都陥落の情報を持つボーサは、どうやら要注意人物から超危険人物に繰り上げられたようです。

 

「クゥさん、ありがとう。これからも協力してもらうから、よろしく。今回はとりあえず依頼終了です」

 

ダレストはそう言ってソファから立ち上がった。今回の報告をもとに、改めて街中の情報を探るらしい。ご熱心なことだ。

 

「じゃあ、オレはとりあえず帰っていい?」

 

「いいけれど……また頼みたいことがあるから、2日後の昼にはまた、ここに来てほしい」

 

「わかった」

 

犯罪者一歩手前のオレに選択肢はない。ダレストは軍人、ひいては貴族だ、恐らく。そんな権力の代名詞のような奴に逆らえばどうなるか……。うん、串刺しだね。

ダレストが提示した日時に了解して、さっさと家に帰ることにする。

 

ボーサからも何も言われていないし、久々に羽が伸びた気分だ。拘束されてたのは1日だけど。

時間が濃かった。もうしばらくは寝て過ごしたい。

 

「ふぁ……」

 

そう思ったらあくびが出た。

オレは瞼が重くなっているのを感じながら、宿屋から自分の借家へと歩みを進めた。

 

 

 

「――ずいぶん腕を買っておられるのですね」

 

ロルゴが言う。彼が窓から見つめているのは、昨晩その窓の下に潜伏していた冒険者、クゥだった。

珍しい真っ黒な直毛の、猫を思わせる顔つきの女は、彼が長年培ってきた警戒の網を容易に潜り抜けてみせた。目の前の上官――ダレストがいなければ、まんまと情報がボーサの手に渡っていただろう。

 

「うん。なかなか見込みのある隠密だったし、手は多いほうがいい」

 

だから、ダレストがこう返すのも予想できたことだ。

 

「……気に入りましたか?」

 

「生意気な部下になりそうだろ?」

 

抱きこむつもりか……。

ロルゴは上官の笑みに肩をすくめると、出かける準備をし始めた。

 

この町の魔族との繋がりをあぶりだすために。

 

ーーー

 

ぬおおぉん、疲れたぞよ。

ブーツも革鎧も上着も雑に脱ぎ捨て、自宅のベッドに倒れこみながらオレは呻いた。

 

「なんでこんなスパイみたいなことしないといけないんだ……」

 

借金に塗れたのが悪いのかもしれない……でも仕方ないじゃん、気づいたら背負ってたんだから……あ。

 

「オレ、もう借金ないんだ」

 

胸の契約紋を見る。今までのようにそこにあるが、こいつはダレストが無効化してくれた。もうボーサはオレの行動を縛れないってことだ。

……正確には借金を返さなくても死ななくなったということだが。

 

つまり、オレはもう好きに生きられるのだ。

 

「好きに、好きにかぁ……」

 

寝返りを打って、天井を見る。見慣れた木目がオレを見下ろした。

生活費も出してもらえるってんで冒険者になったけど、そうかあ、もうしなくていいんだなぁ。

 

朝早くに起きて、魔物だらけの森や洞窟で、動物のフンを観察することもしなくていいわけだ。

楽だぜ、とても楽……。明日からテキトーに、ウェイトレスでもやって生きてこうかな……死ぬ心配はないし……。

 

うぅん、気楽……zzz……。

 

 

「――でも、やっぱ来ちゃうよなあ」

 

いつの間にか寝落ちていて、翌日の夜明け前。

いつものように目覚めたオレは、簡単に身だしなみを整えると、皮鎧に小手を装備し、それからナイフを腰に差し、いつものように外へ繰り出した。

 

「よう、精が出るな」

 

「おはようございます」

 

いつか出迎えてくれた門番の兵士といつものように挨拶をして、オレは街道を進んだ。

 

「”消えよ(フロウロア)”」

 

しばらく行ったところで魔術を行使すると、いつものように森に入った。

仕事の時間だ。

 

 

 

――森を見渡せば、様々なことが起こっている。とある花が咲き始めていたり、珍しいキノコが生えていたり、動物が餌を求めて堀った穴があったりだ。

植物の食われ方で何が繁殖しているかもわかるし、動物のフンの状態から水不足や食生の変化を読むこともできる。そんなことができるオレ氏、やるじゃん。と、自賛することもしばしばある。

 

「……イノシシか」

 

正確にはドルドボアという、こちら独特のイノシシが一心不乱に土を掘り返しているのを見つけた。優れた脚力を活かした超速の突進ができるイノシシで、筋張った肉があごに優しくない動物である。魔物ではない。

 

というか、こちらには魔素なる便利要素が水のように当たり前に存在しているが、それを利用する動物は少ない。利用するというよりも、魔素の存在によって、ない場合と比べて力強く成長していく特徴があるようだ。一方魔物とは、取り込んだ魔素を貯めたり増幅し、魔術として利用できる器官をもった生き物をいう。

オレたち人間やチャージボアなどの動物は、そういう器官を持ってない。持っていたら、人は魔族、動物は魔物と呼ばれる。

 

まあ、例外はあるのだが。

木の上から一心不乱に餌を食べるイノシシを見下ろしつつ、オレは人差し指を奴に向けた。

 

「一応見ておくか……”麻痺せよ(レイマグ)”」

 

稲妻のような光線が指先から迸り、イノシシに当たる。しばらくイノシシはもがいていたが、次第に動きを鈍らせた。

 

これが第一の例外、人間の扱う魔術である。

魔素はあらゆるものに宿っており、息を吸い込むだけで、少しずつ体に取り込んでいる。人間にそれを貯めておく器官はないと言われているが、血の中には一時的に魔素は宿り、全身を巡っている。

その魔素を練り上げ、指示を出して放出するのが魔術であり、異世界でファンタジックな世界を構成するに至った理由だ。

 

もう一つの例外が、今からする調査である。

 

オレは腰に差したナイフを抜き、横たわるチャージボアの蹄を削った。

 

「……魔力の反応がある。やっぱり。変化の兆候があるな」

 

第二の例外、動物の魔物化である。

フグが餌を食べれば食べるほど毒を体に蓄えるように、動物も極端に魔素を取り込めば、相応の器官が作られ魔物となる。

なら人間も……と思うが、人間は魔術を使うのでさほど魔素が溜まらない。だからいまだにその例はないらしい。

 

大昔、魔術が使われる前はどうなんだと思ったが、どうにもこの世界で支持されている神話で、人は全能の神から魔術によって生まれたことになっている。それを承知の上で話す気はなかった。

火あぶりはごめんである。

 

「さて、こんなになるまで魔素を取り込むなんて、どこにそんな餌場があるんだ?」

 

動物の魔物化は滅多なことでは起こらない。人為的に魔素を与え続けるか、それとも余程潤沢に魔素が含まれたものを食ったのか……。

 

「ワクワクしてきたな」

 

生活苦になって始めたこの仕事だが、自然の中でマイペースに出来るところは気に入っている。

とにかく、これは新鮮な情報だ。

 

オレは蹄の欠片やら珍しいキノコを腰のバッグに詰めると、森を散策しながら街へと戻った。

ギルドにこいつらを売って、馴染みの客にも情報を提供したら、ひとまず仕事完了だ。この時点で、午後の4時くらいだ。案外一日とは短いもんである。社会人は辛いね。

 

後は買い出しやら散策時に見つけたものを売ったりして一日を過ごす。キツイ臭い汚いがそれなりに揃う仕事だが、オレは不思議と穏やかな気持ちだった。

 

割と、この職が好きな仕事なのかもしれない。借金にまみれて余裕を失っていた昨日までのオレとは違い、ぼんやりとそう思った。

……風呂に入りたい。オレが泊まる常宿に風呂はない。




週末なので投稿。


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