シン/機動戦士ガンダム (すしさむらい)
しおりを挟む

シン少尉の一年戦争
第一話 ソロモンに慈悲はない


はい、このお話について注意事項ですよ。

〇シン・マツナガが主役だと思った人
→ちがうお話をどうぞ。いっぱい面白いのありますよ

〇シン・アスカが主役だと思った人
→ちがうお話をどうぞ。いっぱい面白いのありますよ

〇飛信隊の信が主役だと思った人
→僕も読みたいです。書いて。やくめでしょ。キングダム×ガンダムって大変すぎる。

◎シン少尉って、ククルスドアンの冒頭で死んだんじゃ……という人
→顔の雰囲気似てましたね。ようこそ。


 例えばの話、である。

 目の前にビグザムがいて、こちらはジム。

 こういう状況でどう戦うかを訓練されたガノタ老若男女ならば考えたことがあるはずだ。

 各々それぞれに素晴らしい宝物のような解答を持っているだろうが、今、その回答が正しいのかを試さなければならぬ状況に追い込まれそうな男がいた。

 

 シン少尉――厳密にいえばシン少尉の中の人である。彼の憑依先たるシン少尉は、いわゆるファーストガンダムで、ビグザムに殺された哀れな男である。

 

 宇宙世紀0079年某日、シン少尉はチェンバロ作戦の大綱に基づきソロモン内部へと突入する梯団に放り込まれていた。ソロモン内部の進路啓開を主たる任務として放り込まれた兵士たちの一人であり、文字通り損耗を前提とする寄せ集め連中の一人だ。

 

 迷宮のような要塞内通路での遭遇戦の連続。

 敵の強固な火力陣地とMSの連携により、突入部隊は無情に削り取られていく。シン少尉もまた、突入時に敵のドムに蹴り飛ばされ、そのまま意識を失っていた。

 いっそ死んだほうが楽な現実。

折れてしまった本来のシン少尉は絶望的な状況に生きる気力を失い、心のほうが先に死んでしまったのだ。

 

 ここに、一つの奇跡が起きる。

 

 とある世界線で自衛官をやっていた一人の男――どういう理由かわからないが、死んでしまったガノタ男の魂が乗り移ったのだ。

 

「ふぁっ!?」

 

 新たなるシン少尉となった彼は、困惑した。意識をもったときのイデよりも、混乱した。

 

『こちら、B202。おい、死んだふりしてんじゃねぇ。返事をしろ、そこのジム! 搭乗しているS909、バイタルデータと意識レベルは見えてんだぞ!』

 

 数機のボールがディスプレイに表示されている。

 ノーマルスーツのHUDに映し出されている作戦状況図やMAPの類は、シン少尉の内なる魂に入り込んだ彼がよく知る、フルダイブVRゲーム『ガンダムワールド』と同じものだった。

 

「はっ、えー、こちらS909、あの、状況を教示いただきたい、送れ」

 

 混乱しつつも、彼は状況に対応する。

 こちらの機体データと搭乗者情報は、近接INS(Info Network System)によって伝達されているようだ。誰がどの機体や車両に乗っているかなど21世紀の米軍でもできていたことであるから、宇宙世紀ならもはや当たり前である。

 

『――こちらB202。よし、意識レベルは可が出ている。ついてこい。第三混成任務旅団は現在ソロモン内部に浸透中だ。俺たちの任務は内部にあるMS自動工廠と格納庫を奪取し、その機能を保全すること。いいな?』

 

 HUDにガイドラインが表示される。行動順路の共有は極めてシンプルかつ合理的であった。大規模な集団戦闘を意識した連邦のMSは、このような情報共有の共通規格によって連携を容易にしているようだ。

 

「こちら、えー、S909、了解」

 

 シン少尉は「一体何がどうなっているんだ?」と困惑しながらも、己のサービスタグ情報をHUDに表示しながら応答する。

 

 幸か不幸か、シン少尉の体に違和感はなく、意識もしっかりしている。ただし、急速に何かが失われている気がする――そうだ、自分が何者であるかという大事な何かが……。

 

「S909、何ぼさっとしてる、さっさとついてこい!」

 

 先行するB202率いるボールとジムの混成部隊にせかされたため、とりあえず随伴する。

 

 しかし、シン少尉は内心大変に困惑していた。

 ここはなんだ? ガンダムワールドからログアウトできなくなったのか? などと自分が死んでしまったことなど忘れたかのように、慌てふためいていた。

 

 いや、今は考えても仕方ない。まずは今の状況を――いや、待てよ。

 

 シン少尉の中の人は気づいてしまった。

 これは何度見たか覚えていないくらい見た、ガンダムのソロモン戦じゃないか、と。

 

 そうなるとオールドタイプ系ガノタ特有の連想記憶に脳のメモリを持っていかれる。

 拙者→シン少尉、搭乗機→ジム、状況→ソロモン内部、結末→アビャァァァ! である。

 この思考時間、わずかコンマ数秒。そして原作でシン少尉が登場してから死ぬまでの時間も数秒だったこともまざまざと思い出す。

 

 やばい! このままこのB202が率いる突入部隊に随行したら……この角を曲がった先でビグザムと出会ってしまう! しかも、発進中のビグザムの主砲はなかなか都合よくこちらを向いているはずだ。

 

「あの、こちらS909、B202、応答願います――」

 

 B202に対して警告をしようとしたその矢先である。

 巨大な通路の先に、発進途中のビグザムの姿が目に入った。

 しかも、こちらにすでに主砲が向いている。

 

「注意しろ! 新型だ、デカイぞ!」

 

 慌てふためいてしまい、シン少尉は正しい情報を何一つ伝えられなかった。

 ビグザムの主砲がすでにこちらを向いていること。

Iフィールド発生装置搭載型のビグザムにビームは無力であることなど、言わなければいけないことはたくさんあるはずだった。

 

『新型は一機だけのようだ。あとはドムとザクしかない。やるぞ!』

「ま、待て! 相手の戦力を……!」

 

 今から伝達するから、と言おうとした矢先に、B202以下の突入部隊のボールとジムが乱数機動でビグザムに散開攻撃を仕掛ける。

 いくら数的優位があるからといって、これは、ナンセンスだ。

 

「〇ァック!!!」

 

 シン少尉は己のジムを側道に滑り込ませる。

 直後、極太のメガ粒子砲の光が真横を突き抜けていった。

 コックピット内に映る戦術状況MAPの友軍機が数多消し飛んでいく。

 

「あぁぁ……」

 

 B202の残骸が流れていくのを目にして、シン少尉は覚悟を決めた。

 

「くそ、やるしかない」

 

 生き残るために、オールドタイプの頭脳がフル回転する。

 このまま隠れていたところで、ビグザムの火力によって友軍を一方的に削られる→数的不利になり、反転攻勢されて死ぬ。

 

 逃走も無理だ。機体のログの消去方法や戦術システムリンクの切断方法もがわからない以上、逃げ切れない。敵前逃亡→逮捕→懲罰部隊→最前線の捨駒で死去、となるのもナンセンス。

 

 ならば――進めば二つ、とかいう水星のレディの気構えしかない。

 今ならまだ突入部隊側の数的優位は崩れていない。

 もう2,3射されるとそれも崩れるだろうが、今は、まだ数の利はある。

 

 できるできないではない、やるんだ。

 

 シン少尉のジムがちらりとビグザムの様子を探る。

 もう一度、撃たせるしかない。

 ビグザムの主砲は連射が利かない。劇中ではそうだったし、原理上も間違いないはずだ。

 数秒レベルでの間隔があるはず……。

 

 閃光。ビグザムの第2射。

 ビグザムは散開して奇襲をかけんとしていたボールの一群を焼いた。

 

 シン少尉は第1射撃と第2射撃の戦闘ログのゼロ秒以下でチェックする。

 約、3秒、ある!

 

 そこからシン少尉の動きは速かった。

 いや、ジムの動きが早いというべきか。

 もとよりジムの推力/全備重量は944。RX78-2ガンダムは925である。

 なんとびっくり、無重力下であればジムはガンダムより速いのだ(数値上は)。

 

「神様仏様! 南無三! うおあああああぁぁぁぁ!」

 

 祈りとも絶叫ともつかぬ喚き声をコックピット内で叫ぶ。

 

 シン少尉のジムが側道から飛び出し、スラスターを最大出力でふかす。

 全身のアポジモーターも推進に回し、機体制御はでたらめだ。

 ただ、ひたすらに速度を求めたがむしゃらなジムの戦闘機動。

 

 目指すは、ビグザムの股座である。

 ガノタならばわかるであろう。

 スレッガー戦法である。

 

 味方への誤射を避けるべく、ビグザムが周りからザクやドムを引き離していた結果生じた、わずかな戦場の間隙をシン少尉のジムは突き進む。

 

『むぅ! 対空防御!』

 

 混線したのか、相手の声がシン少尉のジムのコックピットに混ざる。

 だが、シン少尉は知っていた。

 ビグザムの対空防御機構は、あのくだらない足の爪ミサイルのようなものしかないことを。

 そして、この発進途上の格納庫という狭い戦場では、それが何の機能も果たさないことを。

 案の定、ビグザムの足から放たれた爪は楕円軌道を描く前に格納庫の壁に激突しただけだった。

対空防御システムを設計したエンジニアは責任を問われるだろう。

 

「その股座にぃぃぃ、ビィィィムゥ! サァァァベル!」

 

 かつて見た、かの黄金の秋を迎える名作のワンシーン、冷凍刑男の死に様の如く、シン少尉のジムが手にしたビームサーベルが、ビグザムの股座を貫く。

 

「グゥゥレィィト!」

 

 シン少尉は奇声を発しながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったままの顔でレバーをガチャガチャと動かす。レバガチャ入力に呼応してAIに登録してある斬撃パターンがいくつか発動する。

 

 シン少尉は、無我夢中であった。

 

 ビグザムの股間の装甲を無残に斬り裂いたシン少尉のジムは、リミッター解除の高負荷に耐えられなくなって機能消失したビームサーベルを廃棄。

 

 構えるは、ビームスプレーガンである。

 

 斬り裂いた装甲の隙間に、ビームスプレーガンを連射する。

 きわめて至近距離からのビームスプレーガンの直撃、しかも装甲から露出した機械部品群に対する直接攻撃は、さすがのビグザムでも耐えかねた。

 

 連射したビームの一発が動力部、機関部を破壊したらしく、ビグザムがぐずぐずと火炎を巻き上げながら崩れていく。

 

『閣下! 脱出するしかありません!』

『ぐぅ、おのれ連邦め! やらせはせん、やらせはせんぞ! 俺のジオンを、やらせはせ……』

 

 きわめて接近していたせいで、相手方の通信が混線する。

 この声は、間違いなくドズル中将だ。

 しかし、シン少尉の中の人が知っているような、あのおどろおどろしい雰囲気は出ていない。

 

 状況が違いすぎるからだ。いまだ全体の戦況が決定的といえる状況ではない。

 ジオン側もまだ予備戦力を抱えた状況なのだ。

 ビグザムの危機を察知したらしいザクとドムの部隊が、ビグザムの司令ユニットらしい部分を引き抜いて、そのまま離脱していく。

 

 そして、無茶な接近をしていたシン少尉のジムは、これから大爆発するビグザムの股座付近を漂っていた。

 無茶な機動による推進剤切れである。

 

「うそだろ……」

 

 シン少尉は富野大僧正! ご加護を! とコックピットで叫ぶ。

 そして、ビグザムの爆発。

 シールドを構えていたシン少尉のジムが、崩壊しつつあるビグザム発進口の一角に吹き飛ばされていく。

 

 しかるのち、崩落。

 シン少尉はビグザムを撃墜したが、自らもまた撃墜されたのであった。

 

 遠のく意識の中で、ガノタとしてやらかしてしまったかもしれないことがよぎる。

 あれ? このままだとドズル中将が生き残ってしまうし、スレッガー中尉とブライトによるミライさん関係もややこしくなるんじゃないか……え、ハサウェイ生まれない? うーん、ガンダムUCや逆襲のシャア、閃光のハサウェイあたりに深い影響が――

 

 

 

 




俺(シン)は止まんねぇからよ、お前ら(ガノタ)が止まんねぇかぎり、その先に俺はいるぞ! だからよ、止まるんじゃねぇぞ…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 ア・バオア・クーに救いはない

あえて言おう、カスであると!


~ギレン・ザビ氏の演説より~


 知らない天井でござる、というのが負傷後のワンシーンテンプレだが、そうはいかないのがガノタである。

 研鑽を積んだガノタならば当然だが、寝ていようとも宇宙世紀の歴史に思いをはせてしまうものだ。

 朦朧とした意識の中で、シン少尉はソロモンで歴史改変を巻き起こしたこと、そしてそれの影響をシミュレートしてしまう。

 

(うう、歴史が、やばい……)

 

 情報量の洪水。

 宇宙世紀のマクロ経済学が行動経済学と絡み合い、数式のタペストリーになってしまう。

 いやこれは生体脳じゃ演算しきれないぞ。

 いかん――オーバーフローするっ……。

 

 でも、大丈夫。

 ガノタならだれでも、危険な思考迷路にとらわれたときに脱出するための思考護身術を身に着けている。

 狂いかけたとき、特定の作品を自動再生し、精神のセルフチェックと自己同一性保持及びメンタルクレンジングを行うのだ。

 8歳と9歳と、12歳と13歳とのころに、クリスマスプレゼントがもらえなかったことをブチ切れている光景――ママン……オルファン=サン……。

 

 そして、一筋の涙とともにガノタは目を覚ます。

 

 目覚めたシン少尉が収まっているのは明らかに遺体袋。

 これはもうキリコ・キュービィさんとほとんど同じ状況ですな、などとシン少尉はうんざりする。

 

 ここでまたしてもオールドタイプのフラッシュバックが起きる。

 戦場→遺体袋→集団火葬→サンダーボルトの集団火葬する船!→アビャァァァ!である。

 

「いかん、危ない危ない危ない……」

 

 じたばたと暴れながらも、ノーマルスーツのブーツに仕込んであるナイフを引っ張り出して遺体袋を斬り裂いた。

 あっと驚き桃ノ木である。

 オーラロードが突然開いても驚かないどころかワクワクするタイプのシン少尉の中の人だが、さすがにこれはドン引きである。

 

 鳴り響くラウドフルな読経のパーリィピーポー、集団火葬の真っ最中であった。

 某サンダーボルト宙域うんぬんの劇中で描写される、遺体回収と集団葬儀を専門とするコロンブス級に放り込まれてしまったらしく、ビグザム戦以上にピンチであった。

 

「ゲホッ、ゲホッ! おい、俺、生きてます! 頼まれなくたって、生きてやる!」

 

 幸い、なんらかのオーガニック的な力が働いたらしく、葬儀場で火葬作業に従事していた僧侶が気づいてくれて、シン少尉は無事保護された。

 むむ、これは南洋同盟との接触フラグ→ニュータイプへの開眼ルート? などと淡い期待を抱いたシン少尉だったが、そうは問屋が卸さなかった。

 いたって事務的に、シン少尉は超高速シャトルで病院船に移送された。

 

 

 移送先の病院船に運び込まれるシン少尉。

 集団病室ながら、誰もいない。

 どういうことだ? とシン少尉は医療機器の点検をしていた医療技師曹長に訊ねた。

 

「すまない、曹長。目が覚めたら、なぜかここに寝かされていたんだが」

「あ、シン少尉殿。お疲れ様です。本艦は星一号作戦に従事中です。いまさっさとスキャンしますからねー」

「え? 星一号作戦?」

 

 なんでだよ。どんだけパイロット枯渇してるんだよ前線は。

 休ませて……。

 

 そんなことを思っているうちに、あれよあれよと機械検査が行われた。

 さすが宇宙世紀。戦場医療のシステム化が進んでいて、機器操作を専門とする技師が一次トリアージをするらしい。

 

 さて、技師の連絡を受けてやってきた軍医と衛生兵が、医療技師からの報告を受けている。

 軍医が、メディカルデータを参照しつつ、携帯している謎の医療器具を使って検査をする。

 シンは黙ってそれを受け入れるほかなかった。

 

「あの~……」

「よし、異常なし。なかなか頑丈な体をしているな。前線送りで問題ない」

「健康なのはうれしいのですが、その、なぜ自分はここに?」

 

 軍医が「あー、そんなことか」と衛生兵に携帯情報端末を持ってこさせた。

 

「ほれ、自分で確認したまえ。退院手続きを済ませ、薬を受け取ったら、割り当てられた士官居室で待機休養すること。以上」

 

 軍医と衛生兵が「お大事に~」と決まりきった挨拶をして去っていった。

 

『シン少尉を、コロンブス級空母『フゲン』に新編される10902小隊長に命ずる』

 

 第1連合艦隊第9MS大隊所属、第2小隊長、略して10902小隊である。

 もちろん、原作を知っているガノタならわかっているだろう。

 第1連合艦隊、そう、照準『ゲル・ドルバ』で甚大な被害を受ける、あの艦隊である。

 

 

 

 どうやったらこの状況から逃げ出せる? などと病院船の中でうんうん思案しているうちに、あっさりと第一連合艦隊と合流してしまった。

 UC0079年12月27日。あと二日で第一艦隊はソロモンを出立する。

 

 ――あれ!? ああ、もぉう、最悪だよぉ!

 病院船に放り込まれたせいで、重大な失策をしでかした、とシン少尉は天井を仰いだ。

 

 クリスとバーニィ、アルの悲劇を間違いなく阻止できなかった。

 頭を壁に叩きつけたくなる。

 ガノタなら、あの悲劇を何とかしなければならないという使命にかられるものなのだが――不幸にも、シン少尉に憑依してしまっているため打つ手がなかった。

 さすがにトンボ返りでサイド6に行って悲劇を止めてア・バオア・クーへ戻る、などという無理筋を実現する術を、一介の現場士官に過ぎないシン少尉が持ち合わせているわけもなかった。

 

 さて、すまない、すまない、などと贖罪の念に駆られながら、シン少尉は病院船から追い出されるように連絡艇に乗り、そのまま赴任先のコロンブス級空母『フゲン』にランディングする。

 

 出迎えに来ていた一等兵に案内されて、そのまま艦橋へと移動する。

 行きかう兵たちはとてもあわただしい。どうやらダメージコントロール演習をしているらしく、いざというときの消火や応急修理、最悪の場合における隔壁閉鎖やブロック分離について、ベテランの下士官らにどやされながら忙しくしている。

 

「戦時の船だな」

「当然ですよ、少尉殿。星一号作戦はデカいヤマになるらしいですから」

 

 そんなことを言いながら、どこかから脱走できそうな何かがないだろうかとキョロキョロあたりを見る。ゲル・ドルバ照準とやらで焼かれる前に脱出したい……が、もうこれ覚悟キメるしかないんじゃないか?

 

「少尉殿、こちらです」

「ご苦労」

 

 案内されるがままに艦橋の気密ドアをくぐると『10902小隊長、ブリッジ・イン』と機械音声が流れる。

 艦内統合情報システムと幕僚部の人事基幹システムの連携は完ぺきなようだ。

 

 つまり、艦のセンサー群がくたばらない限り、シン少尉の脱走など不可能ということである。いや、原作のアムロ君よろしくはジム盗んで大脱走……こんな大艦隊のど真ん中で?  撃墜される未来しか見えない。

 

「シン少尉です。ただいま着任いたしました」

 

 不動の姿勢から艦長に敬礼。

 

「ご苦労。楽にしたまえ」と艦長。

 

 事前に頭に叩き込んできたレク情報によると、この艦長はテッド・アヤチ大佐。

 

「シン少尉、だったか。君には10902小隊を任せる。本艦は10901~10910までの10個小隊を運用するが、ほとんどのパイロットは操縦学校や予科練を出たばかりの新人だ。ゆえに、大隊長を補佐し、任務を遂行したまえ」

「はっ。では、大隊長のもとに出頭いたします」

 

 敬礼すると、艦長はどこか疲れた様子で答礼。

 戦時昇任で二階級かさ上げされて大佐の仕事をさせられているのが大変なのだろう。なお、このテッドさん、ガノタナレッジによれば後々アレキサンドリア級のハリオ艦長になる人でもある(しかも戦後の階級調整で少佐に戻されている……)。

 

 その後、第1MS大隊長に挨拶に伺ったが、不在だった。というかMS部隊自体が船外演習に出ているそうだ。

 否応なく待機である。

 

 仕方ないのでシン少尉は与えられたクソ狭い個室に移動して、ベッドに寝転んで(とはいえ無重力なので、浮いているだけだが)情報端末を開き、情報収集とメモを取る。

 

 まず超国家同士の総力戦となっている現在の戦力事情を調べた。

結論から言えば、シン少尉が知っているガンダムのデータが役に立たないことを突き付けられた。

 そもそも、MSの生産台数が違う。

 いわゆるファーストガンダムのアニメについて、シン少尉が生前所持していた資料によると、ジムの生産台数は300機~4000機前後とされる。

 

 仮に地球を196の戦区(シン少尉がいたころの地球の国家数)に分けると、1戦区あたり1.5機~20機ということになる(より詳細に計算するならば、そもそも宇宙の戦区を考慮したうえで、地上におけるコロニー落としによる人口集中地域の偏重等、複数の変数を考慮すべきではあるが、シン少尉はそれを省くことにした)。

 この設定は、どちらかといえば出版にまつわる商業的理由によって生まれたものだ。MSを希少性ある兵器として設定することで何かしらのフレーバーを醸し出す意図もあったのかもしれない。

 

 だが、シン少尉がいる世界は、ガチの世界である。

 

 ゆえに設定ではなく、OR(オペレーションズリサーチ)が優先される。

 戦争の数理研究が戦略の基底となるのだ。

 現実はロマンもクソもなく、最大限の殺傷効率を求めた果てに、かのテム・レイ博士が断言したように『歩兵の延長』としてMS戦闘ドクトリンが練り上げられている。

 

 もはやMSは希少性のあるエースの乗り物ではない。

 100万機体制で運用される、むせる世界になってしまっていたのだ。

 

(設定熟知系無双は不可能だ。すべて学びなおすしかない)

 

 シン少尉は思考を切り替える。

 知らぬものを考えても無駄だからだ。

 

 いま知っている知見をもとに思考を洗練させる。

 ドズル中将が生き延びた→ア・バオア・クー戦の局面が変わるだろう。

 ギレンとキシリアの政争で崩壊するア・バオア・クーの防衛体制――このシナリオはもうありえないとシン少尉は切り捨てた。

 

 ギレンは他人に任せることのできる政治家だ。

 軍事専門領域を委ねられる、しかも手練れの男が手元にいるならば、自ら指揮を執るなどということはしないはずだ。

 むしろ、より高次の局面――大戦略レベルの問題に向き合うことを選択するのが、ギレンという男だと、シン少尉は分析する。

 ギレンは自らが高次の局面にあたるべく、『些事』を『完璧に処理』するためにドズルに指揮権を集約するはず。

 自らの親衛隊や、ドロス、ドロワなどの巨大空母及びキシリアの手勢を統制下に置かせ、連邦軍の相手をさせておくだろう。

 

(ゲル・ドルバ照準のコロニーレーザーを使用せず、純粋に軍事作戦で連邦軍を拘束。そしてコロニーレーザーを脅迫材料とする停戦交渉成立、あたりがギレンの狙い……か?)

 

 いくら練磨したガノタとはいえ、ギレンの考えていることなど正確には読み切れない。

 人類の数をバンバン減らして管理しなきゃ(使命感)、という思想を実際にやってのけてしまう男の思考をトレースするのは、容易ではない。

 

 だが、ギレンは狂気じみているが合理的な男。

 

 連邦政府を排除しての新たな統一政体(それがジオン公国なのか、ザビ政府なのかはさておいて)による地球圏統治――という戦略目標はもう実現不可能なことくらい理解しているはず。

 

 やつは不可能なことを追い求めるような夢想家ではない。

となると、地球連邦政府と地球圏統治をシェアするシナリオは次点のゴールになりうる。

 そして、それが実現した場合――

 

(やらかしたな。いわゆる原作知識無双ができない状況だ)

 

 シン少尉はメモを書き込んでいた端末を放り投げて、頭を抱えてしまった。

 

 

 

 

 大隊長からの呼び出しに応じて、MSハンガーに集合。

 居並ぶ数十のMSに見降ろされながら、新任小隊長紹介の挨拶をすませた。

 そしてあっさりと部下を三人紹介されたシン少尉は、そのドライさになにやら懐かしさを覚えた。確か、北韓内戦の平和維持活動に従事した時も、こんな感じだったような気がする。

 

 いきなり隊長になり、よく知らない部下を預かり、そして死なせる。

 そんな理不尽さに適応する方法は、心のスイッチを切るくらいしかない。

 

 シン少尉は部下たちに自分を知ってもらうため、そして部下たちを知るために機体搭乗命令を出し、シミュレータを準備させる。

 新人の部下たちがもたもたと準備している間に、シン少尉はオーラ力(ぢから)を込めながら集中する。

 

 よく調教されたガノタならば誰でも持っている、ファーストガンダム(テレビ版、劇場版、小説版)の超高速脳内再生機能を発動するには一定程度のオーラ力(ぢから)が必要なのだ(ラーメン屋に10分並ぶ程度の忍耐力のこと)。

 

 ガノタであればトミノ文体を目にしただけで映像に変換できる上に、その変換した映像を脳内に蓄えておくことなど造作もないことである。

 さて、シン少尉の中の人も当然ながらそのスキルを使い、未来を占っていた。

 

(よし。アムロ、シャア、ララァの精神的三角関係+死亡事故を引き起こすのは12月30日だったのか。忘れてるもんだな)

 

 そして、ララァ事故死ののち、わちゃわちゃしてる時にソーラレイが発射されて、第一連合艦隊が消し飛ぶ、と。

 

(うーん、ギレンよ、頼むからソーラレイはナシで……)

 

 無事第一連合艦隊第9MS大隊第2小隊長を拝命しているシン少尉は、ジムTB仕様のコックピット内で頭を抱える。

 

 なんとかワンチャンスないか? → いや、何一つないわ。

 というループを繰り返しているばかり。

 

 ダメだ、いっそ無心になろう、と思い、部下たちと交流(演習)することにする。

 

 

 

 コクピット内に疑似的な宇宙空間が現れる。

 そして、コクピットに至る衝撃をコントロールするための制震ダンパやアクティブサーボが仮想の戦闘衝撃を演出してくれる。

 

「とりあえず、各機自分を落としてみろ」

 

 シン少尉はそういって、シミュレータ上で模擬戦闘を開始する。

 ジム同士をネットワークでつないで、サクッと戦闘訓練ができるというシステムは、パイロットを速成しなければならない連邦軍の体制を下支えしている優れものだ。

 

(さて、どう攻めてくるやら)

 

 セオリー通り、というべきか。

 シュヴァイツァー伍長とチェン=リェン曹長の機体が2マンセルで突っ込んできた。

 ジムTB仕様のセオリーであるダブルビームガン連射突撃である。

 

 基本、これがなかなかに強い。

 

 実弾武器の数倍と言われる弾速を持つ、重金属粒子の塊を発射するビーム兵器が弱いなんてことはなく……事実、シミュレータ上で再現された輝くビーム粒子は、超音速で飛来する。

 見てよける、などというのは到底不可能であるのは誰だってわかることだ。

 

 しかし、である。

 

 シン少尉は何食わぬ顔で回避してしまう。

 これはシン少尉がニュータイプだからではなく、中の人がフルダイブVRガンダムワールドをやりこみすぎて、だいたいこの辺でビームをぶっぱなすだろうというのがわかってしまうからだ。

 タイミングさえ合えば、宇宙空間における三次元機動でさらりと回避できてしまう。

 ガノタたるもの、いつでも転生、憑依できるよう備えておくのも嗜みといえよう。

 

『はぁ? よけた?』

 

 シュヴァイツァー伍長の驚きが聞こえるが、こんなことで驚かれても困る。

 ガノタにとって、ビーム回避などテーブルマナー同様、身に着けておくべき作法でしかない。

 

「おいおい、乱数機動くらいしよう」

 

 シン少尉のジムは、左右に保持しているビームスプレーガンとダブルビームガンをマルチロックで数発、連射。

 

 回避されるだろうと思い、予想される位置に弾を撒いておいただけなのだがなんてことはない。

 普通に初弾で二機を撃墜してしまった。

 

『うそっ!』とチェン=リェン曹長。

 

 ウソも何も、そんな相手に直線で仕掛けたらダメだろう。予科練とかで絶対戦場機動の訓練をしているはずなのに、なんてことだ。

 

『とる!』

 

 頭上からビームサーベルをうならせるジムが近づいてくる。

 シャニーナ伍長のジムだ。

 いい動きだ。三次元戦闘の何たるかを理解している部下がいて、シン少尉は少し安心する。

 

「いい判断だ。だが、相手との鍔競り合いは避けろ」

 

 シン少尉のジムTB仕様はさっとサーベルを展開してシャニーナ機の近接攻撃をいなした。

 ここ数日、というよりもこちらの世界に来てからずっと作りこんできたMSの動作パターンの一つであった。

 MS操縦の本質はパターン呼び出しとその応用なので(人間の身振り手振りをMSがトレースしているわけではない……それはモビルファイターじゃねぇか)、事前準備と使い方がものをいう(※0083のコウ・ウラキさんのGP01宇宙飛び出し失敗事例からガノタは学ぶ)。

 

「そう、その通りだ。やばいと思ったら距離をとれ。だが、もっと素早くないとな」

 

 シン少尉のジムTB仕様は、サブアームに保持していたシールドでシャニーナ伍長の機体を殴りつける。

 

『くっ。ただのモヤシ少尉じゃない!』

「今のは聞かなかったことにする。ほら、どんどん攻めてこい」

 

 結局、一時間の連続戦闘演習でシン少尉を誰も落とせなかった。

 これは決してシン少尉が無双しているわけではなく、単に部下一同のレベルが残念だっただけである。

 唯一、シャニーナ伍長だけがシン少尉のシールドを叩き切る戦果を挙げたことくらいが特記すべきことであった。

 

「よし、これより講評と指導を行う……と言いたいところだが、その前に小休止を入れる。一度シャワーでも浴びてこい。15分後に現在位置に再集合。かかれ」

「かかります……」

 

 元気のない部下たちの頼りない後ろ姿を見送る。

 シン少尉は今のシミュレータ演習でコクピット環境があまり自分にフィットしていないことを感じていたので、この隙間時間のうちに調整してしまうことにした。

 

「おーい、フジオカ軍曹、コックピット内の調整をするから手伝ってくれ」

 

 機付整備士のフジオカ軍曹が熱心に携帯端末でゲームをしていたので声をかける。

 

「えー、後じゃダメっすか? あたし、ガチャチケットもらえるイベントで忙しいんすけど」

「何言ってるんだ、勤務中だろうが。ほら、手伝え」

「少尉、モテないっしょ? そういうところっす」

「うるさい。手伝え。まず制振ダンパからいじりたいんだが」

「めんどくさっ! サーボモータ調整じゃダメっすか? 機械いじるよりパラメータいじるほうが楽だし」

 

 コクピット内でぎゃーぎゃーとフジオカ軍曹と軽口をたたきあいながら調整作業をしていたら、大隊長のブランドン大尉がやってきた。

 

「狭い空間に若い男女……これはなにかはじまるアレか?」

「大隊長のセクハラ行為をシン少尉どのに告発するっす」

「確かに受理した。確実に処分が下るよう対処する」

「おいおい、勘弁してくれよ。おっさんをいじめるのも立派なハラスメントだぞ」

 

 コックピットハッチに手をかけてフワフワと浮いているブランドン大尉が苦笑する。

 

「それで、大尉、ご用件は?」

 

 シン少尉は作業中なので失礼、といいつつ対応する。

 

「お前の部下に対する模擬戦闘をみた」

「あー」

「シン少尉、寒気を感じないか」

「ええ、全くその通りですよ」

「あたしは暑苦しくって仕方ないっすね。ジムのコックピットって狭いから嫌いなんすよ」

 

 フジオカ軍曹のボヤキはさておく。

 

「あんな子たちを前に出せませんよ。無駄死にさせるだけです」

 

 部下たちのことを深く知っているわけではないが、知り合うのも何かの縁。

縁あるものが無残に死んでいくのを見過ごせるような図太さなど、シン少尉にはない。

 

「どうせ戦争はもうすぐ終わりだ。無駄死にさせるな。援護役にでも使って、被弾したらすぐに後退させろ」

「いいんですか? 大隊担当戦区を保持でなくなりますよ」

「バカ野郎、なに生意気言ってるんだ。俺と、貴様で何とかするんだよ」

「あっ(察し)」

「大隊士官や下士官の使えそうな連中で戦区を支えるのが『現実的』な対応ってやつだ。本当にヤバかったら、名誉の負傷で後退させろ。これは艦長との暗黙の了解だ」

 

 ブランドン大尉の考えはわかった。

 それを伝えるために、わざわざ口頭伝達に来たわけだ。こんな内容、ログが残るようなやり取りでは伝えられないだろう。

 

「大尉の方針ってやつは掌握しました。やってみせますよ。無駄死にさせたら寝覚めが悪いですしね」

「そう――」

 

 ブランドン大尉が返事をしたその時だった。

 一条のビームが格納庫に突き刺ささった。

 シン少尉は反射的にフジオカ軍曹をコックピットの奥に押しやりながら、ブランドン大尉に手を伸ばす。

 

「大尉!」

 

 だが、遅かった。

 ビームはそのまま格納下の弾薬庫にまで貫通。

 誘爆によって床下が吹きとび、ブランドン大尉が破片に巻き込まれて視界から消えた。

 コックピットハッチがオートで閉鎖される。

 眼前のディスプレイパネルとシン少尉の手にはブランドン大尉の血痕がはっきりと残っていた。

 

「ウソだろ……」

 

 シン少尉は着用していたノーマルスーツの気密を確認。ヘルメットのバイザーを閉じる。

 

 とんでもない圧量に押し負けて破裂した床。

 どうやら風穴が空いてしまったらしく、気圧差で格納庫の中にいた人間やモノが吸い出されていく。

 

「……少尉、マジやばなんじゃ、これ」

 

 泣き言を垂れているフジオカ軍曹をメインシート背面にあるエマージェンシーシート側に押し込んでおく。

 そしてシン少尉はメインシートに座り、淡々と機体を起動させる。

 シン少尉のジムTB仕様が起動した時点で、どうやら空気の流出が止まった。

格納庫は真空状態。火災も当然ない。

 

『艦長よりBCPへ。聞こえるか』

「こちらBCP」

 

 シン少尉は躊躇を覚えつつ答える。

 本来のBCP(大隊コマンドポスト)を務めるべきブランドン大尉はKIA。

 その他士官で上番しているのはシン少尉だけだ。

 であれば、BCPを引き継ぐことになるというのが軍隊のルールだ。

 

『S909か。V018はダメそうか?』

「眼前で、消失しました」

 

 ブランドン大尉がKIAである旨を伝える。

 

『……直ちに大隊を掌握し、船外救助に当たれ』

「了解――大隊各員、点呼後ただちに救助にかかる。ダメージコントロールマップを開け」

 

 シン少尉は部隊人員を掌握しながら、DCマップを参照して捜索救難要員を配置していく。

 

『シン隊長! アインスとリェンが大変なんです! どうしたらいいですか?』

 

 突然、シャニーナ伍長のノーマルスーツ備付きヘッドカメラ映像が割り込んできた。

 そこには首があらぬ方向に曲がっているチェン=リェン曹長、そして瓦礫に押しつぶされたアインス・シュヴァイツァー伍長の姿。

 

「シャニーナ伍長、二人のバイタルは正常か?」

『わかりません! 反応がありません! センサーが壊れたのかもしれません……』

  

 初めて持った部下は、死んでしまったらしい。

 二人のことを何も知らない。

 そして何もしてやれなかった。

 あと数日で戦争は終わるというのに。

 

「シャニーナ伍長、遺体回収ビーコンを残し、4番デッキに移動だ。使えるジムが一機あるから割り当てておく。速やかに船外救難にあたるぞ」

「だって、隊長、あの……」

 

 シャニーナ伍長の主観視点ゆえに表情は見えない。

 映っているのは、ただ死んだ部下の姿だ。

 

「命令だ、シャニーナ伍長。復唱はどうした?」

 

 しばしの沈黙。

 

「――シャニーナ伍長は、4番デッキに向かいジムを受領し、船外救難任務に就きます」

「そうだ。かかれ」

「……かかります」

 

 シャニーナ伍長のビーコンが4番デッキに向かうのをモニタで確認しながら、シン少尉はゆっくりと深呼吸をした。

 

 誰がこれをやったのか。

 

 わかりきっている。

 連合艦隊の電子防護網を潜り抜けての対艦攻撃――サイコミュ攻撃を仕掛けるなんて所業をやらかせるのは、この時点では奴らしかいないからだ。

 

 シャアとララァ、あるいはシャリア・ブル。

 

 恐るべき、ニュータイプたちである。

 




ここで止めたら、自分が自分(ガノタ)でなくなっちまう!

の精神で、まだまだ続きますのよ。

登り始めちまったよ。あの長く険しいア・バオア・クー坂をよ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 ア・バオア・クーに王冠を掲げよ

変転する状況のただ中で、ひとりの人間が終始一貫性を保つただひとつの可能性は、すべてを支配する不変の目標に忠実でありながら、状況に応じて変化することにある。

~ウィンストン・チャーチル氏~


 さて、ガノタというものはガンダム世界における様々な不幸や残酷な運命に対して、常日頃から備えているものだ。

 そして、シン少尉の中の人も、そうである。

 

 彼は、フル装備のジムTB仕様のコクピットの中で、小さなスイッチをイメージする。

 そう、ご家庭の蛍光灯を操作するあのスイッチだ。

 パチン、とシン少尉が心象風景の中でスイッチを切る。

 第四次限定戦争、北韓内戦、本土内戦など、シン少尉の中の人が経験したひどい世界に適応すべく編み出した自分の心を保つためのスキル。

 

 たったこれだけで、シン少尉は敵を殺すことだけに最適化された兵士に切り替わる。

 

『大隊長代理、方針をお願いします』

 

 シン少尉の周りに集結しているジムは十機。本来の大隊戦力の3分の2を損耗している状態だ。

 恐るべきサイコミュ兵器による奇襲。

 コロンブス級MS空母や戦時標準輸送艦艇ばかりが狙われたせいで、他の艦所属のMS大隊も深刻な打撃を受けたようだ。

 

 さて、船外救難活動を終えて、整備型ボールからの補給を受けているシン少尉の大隊には、臨戦待機命令が出ていた。

 いつでも出撃できるよう、そこで待て、という死刑の執行猶予のごとき命令である。

 補給を受けている間に、大隊長向けの戦況レクを振り返る。

 レビル将軍隷下の第一連合艦隊、ティアンム提督隷下の第二連合艦隊、そしてワイアット中将隷下の予備戦力たる第三連合艦隊。

 連邦が供出できるすべての宇宙船力を振り出したといってもいい。

 艦艇規模は数えるのも馬鹿らしく、運用されるMSの量は第一次大戦の西部戦線に動員された戦力数かと思うほどだ。

 

 確かに、大筋はガンダムの原作に極めて近いかもしれない。

 しかし、そのスケールとディティールは完全に別物だ。

 ゆえに、シン少尉は考えるのを一時やめて、いま生き残ることを最優先にする。

 

「――シャニーナ伍長、君が先任下士官だ」

『は、はい』

 

 ビットによる奇襲攻撃で、コロンブス級空母フゲンは大打撃を受けた。

 主力たる歴戦の士官、下士官も失ってしまった。

 生き残った悪運には感謝だが、生きのこっているものには常に責任が生まれる。

 

「皆に告げる。いいか、大丈夫だ。俺を援護していればいい――ほかの皆も聞こえているな。君たちはとても未熟。ゆえに、俺を援護することに集中しろ。互いにカバーしあい、単独行動を厳に慎め」

 

 盾構えてビーム撃つことしかできない連中を前に出すなんて気の狂った判断はしない。

 シン少尉は部下たちに自分のビーコンを追うように命じ、常に多対1の状況に持ち込めるように動くよう念を押す。

 

『――シン少尉、艦隊司令部から命令アセットが届いた。開封し担当戦区に前進せよ』

 

 MSハンガーと発着口を派手にやられた母艦のオペレーターから指示が入る。

 

「了解。これより109大隊は目標宙域に前進する」

 

 シン少尉の機体がスラスタを輝かせながら前進する。

 随行するジムたちの列は、さながらカルガモの親子である。

 

 

 

 担当戦区の宙域では、すでに前哨戦が始まっていた。

 シン少尉は不用意に前に出るなよ、といきり立つ新米たちを宥めすかしながら、戦場の気配を読んでいた。

 もとよりシン少尉の中の人は、最大同時交戦人数数万人とかいうクレイジーなフルダイブVRガンダムワールドを平和が続く限り毎日、課業後から就寝するまでひたすらやり続けたガノタの鑑である。数千機が入り乱れる総力戦など毎日のようにこなしてきた。

 とはいえ、今回はケタが違うが。

 

(この景色、この戦況……間違いない、劇場版ガンダムⅢのララァが死ぬ戦闘だ。第一連合艦隊担当戦区なのに、だ。自分の介入でバタフライエフェクト的に歴史が変わり始めているのか? うーん……)

 

『大隊長、ほかの大隊も突撃しています! 我々も……』

「シャニーナ伍長、ここでいい。すり抜けてきた連中を仕留める」

『ですが、前線を押していかないと』

「そういうのはエース部隊がやればいい。俺たちはここで傷ついた獅子を狩る。俺たちが受けた命令は、担当戦区の優勢を確保することであって、突撃することじゃない」

 

 それだけ説明すると、随伴している兵たちから不満が漏れる。

 しかし、シン少尉は自身の考えを曲げない。

 最前線のエースとベテランが入り乱れる状況で戦うくらいなら、傷つきながらもすり抜けてきた猛者を多人数で叩いたほうがマシだ。

 

「――ほれみろ。来たぞ。各機傾聴。俺に続け」

 

 最前線の数多の閃光をくぐりぬけて、ツノ付きのザクⅡ高機動型と随伴機らしきドムが二機。

 どんな意図で飛び出してきたのかはわからないが、数で押すならいいターゲットだろう。

 

(合計三機)

 

 シン少尉はジムTB仕様のシールドを構えて、目標に向けて突貫する。

 

 

 敵、三機ともこちらの十機に気付き、ドムがバズーカを構えている。

 一方、ザクⅡ高機動型は応戦の構えを見せることもなくそのまま加速してこちらの背後を突く軌道をとっている。

 

(ザクⅡ高機動型指揮官仕様――間違いなくエースだな。王冠のパーソナルマークに、肩スパイクも4本――クソ! わからん! 自分が知らないエースか?)

 

 シン少尉の中の人は、あのザク一機に背後のヒヨコたちが狩られてしまう姿を想像した。

 間違いない、この予感は的中する。

 それにしても、王冠のマークに4本の肩スパイク……何かが引っかかる。

 

「シャニーナ伍長、このまま突っ込んでスカート付(ドム)を袋叩きにしてやれ。俺はツノ付きのザクを仕留める。気取りやがって、4本スパイク野郎」

『了解』

 

 シャニーナたちのジムがドムを包囲すべく戦闘機動に入る。

 ドムも包囲されまいと乱数機動をとり始める。

 

 シン少尉はシャニーナたちに意識をとられながらも、敵のザクを追いかけていた。

 間違いなく、ここで取りこぼしてはいけない相手だとわかっていながらも、心のスイッチにガタが来ていたのか、ついつい味方を気にしすぎていた。

 

『――戦場で子守か? 連邦のパイロット』

 

 半ば意識をシャニーナたちのほうにむけていたのを見透かされたのか、ツノ付きのザクがダイナミックな軌道でシン少尉に突っ込んできた。

 交錯する可視光通信。

 凄みのある戦士の声。

 ザクが両手に構えたあれは――MMP-80!

 

「戦後はカリスマベビーシッターで食ってくつもりだからな!」

『減らず口を……』

 

 相手と戦口上を交わしていざ、尋常に勝負。

 

 先手はあちらのザクⅡ高機動型。

 二丁持ちのMMPを遠慮なくバラまいてくる思いっきりの良さに、シン少尉は辟易する。

 これをシールドで受けたら最後、視界から消えていてハイ、サヨナラ。側面から容赦なく射殺なり斬殺されるコースである。

 

 シン少尉のジムは遠慮なくスラスターを最大推力でふかしてMMPの弾幕を回避して、携行していたジムTB仕様のダブルビームライフルとスプレーガンをぶっ放す。

 無論、ロックオンしていたのだが、ツノ付きのザクはなんてことはなくビーム光を回避して見せた。

 

「よけやがるのかよ! これだからエースは!」

 

 コクピット内で愚痴をこぼしながら、シン少尉は頭部バルカンを連射する。

 なぜなら、すでに相手のザクは懐に飛び込んできていたからだ。

 

『豆鉄砲などでっ!』

 

 当然ひるんでくれることもなく、相手のザクはバルカンの弾丸を受け流しながら飛び込んできた。

 そして、見事な蹴りを叩き込んできた。

 

「ですよねー」

 

 シン少尉は即座に機体前面のアポジモータから火を噴かせて、後退。

 蹴りの運動エネルギーをしっかりと殺していく。

 

 とはいえ、衝撃はかなりのものだ。

 コクピット内の各種耐震ダンパが機能するとともに、装着しているノーマルスーツの対G機能が働く。

 腕や足、首元が圧迫され、全身の血流が機械的に調整される。

 正直、吐きそうになる。

 

『外したか!』

「避けたんだよ!」

 

 そして、これで死んでくれないか、という淡い期待をかけながらダブルビームライフルを連射する。

 

 しかし、期待は裏切られる。

 蹴り飛ばす態勢から瞬時に回避機動に転じたザクが、あっさりとこちらの光弾を避けてしまう。

 

(……マズい! 滅茶苦茶強いじゃないかこのザク!)

 

 当然、ザクⅡ高機動型とジムTB仕様では差がある。ジムのほうが不利だ。

 とはいえ何か手はないか、とガノタのライブラリを光速で検索したが、どれもザクが簡単にやられていくデータしかなく、クッソ強いザクに悪戦苦闘する話なんぞどこにも……

 ――いや、ある!

 

(サイコザク戦だ! あれを参考にできないか?)

 

 ガノタたるもの、戦闘中に一瞬で単行本および映像化資料を参照するなど屁をひり出すより簡単だ。

 そして、コクピットの中でニヤリと不敵に笑うシン少尉。

 

(……全然参考にならねぇや。割り切って後先考えずに、全力で行くしかない)

 

 サンダーボルトの速読、速視聴から導き出される結論はそれだけだった。

 このザクを仕留めた後の継戦についてあれこれ配慮しているのがそもそもの間違いだ。

 

 ダリルも、イオも、目の前の強敵を倒すために全力だったではないか。

 何か出し惜しみしたか?

 何かを気にかけて気が散っていたか?

 

 否である。

 

 持ちうる武装と戦術をすべて出し切って、最後は運の勝負にまで持ち込む。

 これしかない。

 

 シン少尉は長期継戦モードで節約していた推進系の供給ラインをフル解放する。

 本来、ジムというものはガンダムよりもカタログスペック上『速い』のだ。

 ましてやTB仕様。でかいバックパックは伊達じゃない。

 

「見せてやるよ。連邦の主力MSの実力ってやつを」

 

 シン少尉のジムが急加速する。

 対G機能が機能し、全身が圧迫される。

 本来のジムの性能をすべて吐き出したその速度、その応答性、その旋回性能は、パイロットの肉体を徹底的に使い潰す代物だ。

 

 そして、ほぼ一瞬のことだった。

 ジムが、すれ違いざまにザクを斬り裂いたのだ。

 

『やはり子守は似合わんな、連邦のパイロット』

「バケモンかよ!」

 

 だが、致命傷ではなかった。

 瞬時の判断なのだろう。必殺の一撃を察したツノ付きのザクがその性能一杯でできる回避を行った。

 

 結果、シン少尉ができたことは相手の腕一本を奪っただけだった。

 そして、残った腕一本で、ザクがMMP-80を構えて速射。

 すり抜ける形になってしまったシン少尉のジムのバックパックに直撃する。

 

「くそったれ!」

 

 シン少尉はコンソールを叩いてバックパックを強制的にパージする。

 分離されたバックパックとサブアーム付き兵装は派手に吹き飛んだ。

 

 いわゆる素ジムになってしまったシン少尉は、潔く左腕にマウントしていたダブルビームライフルもパージする。

 素ジムの推力と主機関だけでは、重量物兼エネルギー消耗率がでかいモノを運用することはできない。

 

『南無三!』

「ふざけんな! てめぇが成仏しろ!」

 

 ビームサーベルを抜きはらい、相手の追撃たるヒートホークの一撃と切り結ぶ。

 サイエンスの合理に基づき、ジムのビームサーベルが容赦なくザクのヒートホークを溶かす。

 

 だが、ザクは一枚上手だった。

 

 切り結んだかに見せかけて、ヒートホークを即放棄。

 武器を素早く持ち替えていたのだ。

 シン少尉の視界には、ザクが構えるMMP-80の銃口が映っている。

 

「物騒なもん向けんじゃねぇ!」

 

 シン少尉のジムの右足のアポジモータ―が火を噴いて、ザクが向けていたマシンガンを蹴り飛ばす。

 無論、ザクⅡ高機動型も格闘戦に対応してくる。

 もはや互いに取っ組み合い状態である。

 

『くそっ! いい加減にくたばれ!』

「貴様がくたばりやがれ!」

 

 ザクが腕をこちらに向ける。

 シン少尉が息をのんだ。

 ザクの腕部にはしっかりと機関砲が埋め込まれているではないか。

 

(オリジン仕様かよ!)

 

 あああ! と絶叫しながら、シン少尉はバルカンでザクの頭をハチの巣にする。

 照準さえ狂ってくれれば、ワンチャンスあるはずだという賭博だった。

 ――コクピットが強烈に揺すられる。

 間違いなく至近距離でザクの腕部機関砲を叩き込まれているせいだ。

 

「死ぬかよぉおおおお!」

 

 イデの力を言葉に乗せんがごとく喚き散らして、グリップを握りトリガーを引き続ける。

 兵装選択されているバルカンの残弾数が溶けるように減っていく。

 

 同時に、素早く格闘レバガチャを仕掛ける。

 バルカン連射のみならず、カーヒルアタックだ。

 ガノタなら必ず自機に仕込んでおく、あの姫様もろとも殴り殺しかねない連続パンチである。

 

 互いに衝撃の連続。

 次第に衝撃のリズムが遅くなっていく。

 そして、静寂。

 加えて暗転。

 

 無論、シン少尉が意識を失ったわけではない。

 動力を喪失しただけである。

 

 とはいえ、MS同士の殴り合い――中身のパイロットはその衝撃でボロボロだった。

 あいまいな意識のなかで、生きることをあきらめないシン少尉は直ちに脱出すべくエマージェンシーバーを全力で引っ張る。

 

 しかし、うんともすんとも言わない。

 ジムTB仕様の素晴らしき脱出用ブロックシステムはどうやらダメそうだ。

 

(究極の二択だな)

 

 コクピットを開けて脱出する→トンデモな量のスペースデブリが飛び交う空間に身をさらすのは、ほぼ自殺と同義である。

 このまま救援が来るまで待機する→流れ弾で死ぬ、あるいはバニング大尉の如くダメコンエラーで爆死。緩慢な自殺ともいえる。

 

「んんんっ!! ホワイトドールのご加護のもとに!」

 

 髭の石像に祈りを捧げながら、強制的にコクピットハッチを吹き飛ばす。

 拳銃を抜いてそのまま宇宙空間へ。

 

「!!」

 

 シン少尉は息をのんだ。

 相手のザクからも同じくパイロットが飛び出してきたのだ。

 この構図は……0083のガトーとウラキが機体を絡ませた状態で脱出せざるを得なくなるあのシーンそのものだ。

 

 シン少尉はジオンのパイロットに銃を向ける。

 だが、実際に人を見ると――引き金を引けなかった。

 そのまま敵のパイロットがシン少尉のもとにたどり着いてしまった。

 ヘルメットとヘルメットを合わせ、お肌のふれあい通信状態になる。

 

「……貴様、シン少尉か!?」

「!? お前、クラウン!?」

 

 ガノタならばガンダムの登場人物など自分の誕生日のごとく記憶しているもの。

 当然、シン少尉は相手がだれか一目で判断できた。

 

 そして、それが意味することも察した。

 

 クラウン――本来はホワイトベースの地球降下時に大気圏突入で焼け死んでしまうザクのパイロット。

 すまん、ザクに大気圏突入能力はない、とシャアに説明させるためだけに殺されたあの男。

 それが、生きている。

 

 しかも、ヤツは、クラウンはシン少尉を知っている。

 その意味するところは、オールドタイプたるシン少尉ですら察することができる。

 

「――自分は、ガノタだ。シン少尉に憑依して……」

「俺も同じくガノタだ。今はクラウン少尉をやっている」

 

 互いに見つめあう二人。

 察するに余りあるものが、互いの胸中に飛来する。

 

「――シン少尉、俺は、何としてもハマーン様をお救いする」

 

 クラウンが絞り出すように言った。

 いつ死ぬかわからぬ戦場で伝えなければならない最小限の言葉にして最大の想い。

 シン少尉は、クラウンの想いをしっかりと受け止めた。

 

「すべて相分かった。また戦場であったら――存分に殺しあおう。武運を祈る」

「ああ、貴様もな、シン少尉」

 

 二人は、先ほどまで殺しあったことなど忘れてしまった。

 二人の胸中に飛来するは、理解者との出会い、そして、敵対せざるを得ない状況へのやるせなさだった。

 

 そして、擱座している二人の機体のもとに、ドムとジムが向かってくる。

 互いに隊長を救うべく、停戦信号を互いに発しあっている。

 

「成し遂げろよ」とシン少尉。

「ああ」

 

 シン少尉とクラウンは互いに敬礼をして別れた。

 シン少尉はシャニーナ伍長のジムに。

 クラウン少尉はドムに回収される。

 

『隊長、仕留めますか?』

「やめておけ、シャニーナ伍長。いけ、と伝えろ」

『了解しました』

 

 シャニーナ伍長が南極条約に基づく一時停戦受諾信号を発する。

 ドムも同意し、互いに離れていく。

 

『隊長、いったん戻りましょう。補給を受けないと』

「ああ。自分も機体が要る。すまないが、連れて行ってくれ」

『了解』

 

 シャニーナ機以下、大隊の残存ジムたちが後方へと下がっていく。

 シン少尉は、ノーマルスーツのHUDに映っている日時をチェックする。

 ダメだ。

 シャア、ララァ、アムロのややこしい関係をどうにかするタイミングは逸してしまったようだ。

 とはいえ、エルメスのビットを回避する方法を何一つ思いついていないので、介入する前に殺される可能性のほうが高かったのだが。

 ――それでも、ガノタとして、また一つ取りこぼしてしまったと、忸怩たる思いにさいなまれるだけであった。

 

「いや、違う!?」

 

 シン少尉は真空の宇宙で叫ぶ。

 もしかしてクラウンのやつ、シャア、アムロ、ララァ問題を何とかするために突出してきてたのか?

 だとすれば、邪魔したのは自分だ。

 未来を変えようとしていた男を、俺が……?

 

 その日、シン少尉は初めて泣いた。

 許してくれ、と泣いて虚空に詫びるしか、彼にはできなかった。

 

 




この作品、シン/ガンダム無双じゃないんで、ごめんやで。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 ア・バオア・クーは砕けない

生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。
生死の中に仏あれば生死なし。
ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭ふべきもなく、涅槃として欣ふべきもなし。
是時初めて生死を離るる分あり。
唯一大事因縁と究尽すべし。

-修証義-




 戦場から一時離脱したシン少尉たちは、1stサプライエリアまで後退した。

 ありがたいことに、母艦たるフゲンは応急修理を済ませたらしく、レディ・サプライの信号を出してくれていた。

 自律型吸放熱デバイス(Reversible thermal panel:RTP)にエラーが起きていない機体から順次着艦挙動に入る。

 熱を一定以下にしてから着艦するのは、ガノタの常識である。

 

 わずかな整備兵と、彼ら、彼女らが制御する整備用ドローンが飛び交うハンガー。

 シン少尉はどこかマイホームにでも戻ったかのような安心感をおぼえた。

 

 さて、空母フゲンに着艦したMS大隊のパイロットたちは小休止に入った。

 機付整備士たちが忙しく担当機体の修繕にあたる中、シン少尉はフジオカ軍曹に代替機の案内を受けていた。

 

「まったく、機体がないから死んだと思ったっすよ。心配させんなっての、シン少尉」

 

 フジオカ軍曹に肘で小突かれたシン少尉は苦笑する。

 

「すまん、普通に敵が強かった」

 

 シン少尉が反省の意を示す。

 フジオカ軍曹は少々いらだっているようだが、なんとか怒りを収めてくれたらしい。

 

「ま、このあたしが整備してたジムのおかげってとこっすね」

「心底同意するよ。ありがとう、ノエミィ・フジオカ技術軍曹は最高だ」

「もっと褒めてもいいっすよ。ってことで、こいつが次の少尉さんの機体っすわ」

 

 案内された先にあったのは、RGM-79Cであった。

 つまり、ジム後期生産型である。この後期生産型をベースにあれこれマイナーチェンジしたのが0083スターダストメモリーに出てくるジム改になる代物――どっちも型式が同じなのはなぜなんだろうか、などとシン少尉はガノタの迷宮入り事件の推理を始めようとして、即中断する。

 

「なにぼーっとしてんすか!」

「す、すまない!」

「で、推力/重量のスコアは977.5。素ジムが944くらいなんで、ちょいと速いんすかね。以上」

「え、他には?」

「別にねぇっすよ。わずかに速いジムでしかないんで。新人ならともかく、シン少尉なら問題ないっすね」

「えぇ……」

「あたしは武器出して、コクピットを少尉好みに仕上げなくちゃいけないんで、ほら、さっさと休憩に入ってくださいよ。邪魔っすよ、邪魔邪魔」

 

 シン少尉はフジオカ軍曹に追い出されてしまった。

 

 

 

 パイロット待機室に行くと、耳栓をして無重力空間で仮眠をしているもの、スレッガーさんのようにハンバーガーを食べているものや、サンダーボルトよろしく互いにキスしたりしているものがいた。

 敬礼をしようとしてくるものがいたが、シン少尉は手振りで静止する。

 しっかり休んでろ、という意図はすぐに伝わった。

 

「隊長、超時空おしるこ、いかがですか?」

 

 シャニーナ伍長が温かいおしるこパックを差し出してきた。

 

「お、おう」

 

 どういうチョイスなんだ? と思わないでもなかったが、好意は素直に受けておく。

 

「――ゴップシステムってすごいです。こんな最前線でも、甘いものが飲めるし、飢えたりもしないなんて」

 

 シャニーナ伍長が戦闘の話題をあえて回避しているのを察した。

 ガノタたるもの、紳士的気遣いはマナーであるので、それを受け止める。

 

「ゴップ提督は優秀なんだろうな――シャニーナ伍長、君は戦争が終わったら何がしたい? たぶん、この戦争は長くないぞ」

「終戦――本当に終わるんですか?」

「終わるよ。紛争の時代は続くかもしれないけれど、こんな総力戦はもうないだろう。互いに傷つきすぎたんだ」

 

 希望的観測を多分に含んだ言葉だった。

 本当はシン少尉もわかっている。

 停戦は次の大戦のための準備期間に過ぎないだろう、と。

 

「そう、ですか……わたし、MSに乗るのが好きなんです。そういう仕事、ないですかね?」

「おー、奇遇だな。自分も同じことを考えていた。整備のノエミィ・フジオカ技術軍曹が除隊したら事業をやるらしい。作業用MSのパイロットを絶賛募集中だとさ」

 

 シン少尉はフジオカ軍曹からもらっていた事業プランと求人案内を、シャニーナ伍長と共有する。

 

「へー、寮もあるんですね。給料やっす……。でも、わたし、帰る場所もないし、こういうのがいいかもしれませんね。少尉もいるし」

 

 サンダーボルト宙域から転属してきた少女としかいえない年頃の彼女。

 戦争が青春で、地獄が故郷。

 そんな彼女が望む、ほんのささやかな幸せ。

 シン少尉は目頭が熱くなった。

 心のキルスイッチを操作するが、ダメだった。

 

「絶対に、お前らみんな生きのこらせてやるからな。おじさん、頑張るから……」

「うわ、なんで泣いてるんですか隊長?」

「泣いてない! 目が汗かいてるだけだ!」

 

 ズズっと鼻水をすすりながらも、シン少尉は超時空おしるこパックを飲み干した。

 

『ブリッジより大隊CPへ。出撃命令です』

 

 簡潔な秘匿通信とともに、指揮統制本部からの伝送データが届いた。

 任務は、残存大隊を率いてのア・バオア・クーWフィールドを突破。要塞に上陸するとともに、要塞内ジオニック社の工場及び研究センターを無傷で確保することだった。

 

「よーし、皆、再出撃だ。10分で支度しろ!」

 

 シン少尉は待機室の連中に声をかけるとともに、指揮下にある兵たちにメッセージを送付した。

 

「了解、先に行きます」とシャニーナ伍長。

 

 待機室から続々と兵たちが飛び出していく。

 最後に残ったシン少尉は、一人天井を仰ぐ。

 

「Wフィールド?」

 

 ガノタならア・バオア・クー攻略戦の戦区情報など九九のように諳んじられる。

 Nフィールドはキマイラ隊やらドロスがいる、鬼畜エース空間。行ったら死ぬ。

 EフィールドはIGLOOでおなじみ、カスペン大佐以下、ヨーツンヘイムやビグラングがいる、ジオンにとっての撤退路にあたるエリア。

 Sフィールドは、アムロとシャアがバチバチにやりあっている危ういところだ。ここもオールレンジ攻撃を使うシャアに殺される。

 

 だが、Wフィールドはあらゆる作品で描写がないのだ。

 事前情報なし。

 ましてや原作ガンダムと似て非なる状況。

シン少尉の情報優位による無双プロジェクトは前提が崩れ去っているのだ。

 

 

 

 

 担当宙域に続々とMSが集結する。大隊長向けHUDには各大隊の進路マーカーや到達目標時間などの任務情報が表示される。

 さまざな3D矢印が表示されているが――

 

(結局、突撃にすぎない。攻撃のベクトルがいろいろあるとはいえ、分進合撃をやるだけだ)

 

 シン少尉はある種の諦観の念を抱きつつ、大隊の先頭に立つ。

 Wフィールドに向かうMSの数は、万単位であり、原作の規模をはるかに凌駕している。

 残念だ。このクソ世界はMSが文字通り大量生産品であり、パイロットは歩兵のごとき消耗品である。

 

『隊長、味方がいっぱいいますね』とシャニーナ伍長。

「その通りだ。シャニーナ伍長以下、大隊各員へ。戦いは数だ。友軍と連携して面制圧で押し切るぞ」

『了解』

 

 シン少尉は部下全員に戦闘展開図を共有しながら、各大隊長同士の指揮通信ネットワーク経由でWフィールド突破作戦の仔細を確認する。

 熟練兵が多い大隊が敵主力をひきつけ、シン少尉が率いるような寄せ集め大隊をまとめて敵中に放り投げる、訂正、強行突破させ、上陸するクソ作戦であった。

 

 ジオンとて先鋒は戦慣れしたベテランどもだろうから、こちらがベテランをぶつけるのもセオリー通りともいえる。

 

 とはいえ、そもそもジオン側の火力がやばい。

 要塞からの火力支援は言うに及ばず、要塞近傍に展開するジオン艦隊の皆さんが砲口を熱くしていた。

 

『戦域司令部より各大隊長へ。敵、衛星ミサイルを確認。回避しつつ突入せよ』

 

 ミノフスキー粒子の影響でレーダーがまともに動かないこの状況で、衛星ミサイルを回避しろって? そんなのは熟練兵にしかできない。

 しかも、それを潜り抜けたら、敵MS部隊とのダンスパーティだろ?

 

「大隊各員へ。衛星ミサイルが来るぞ。計器戦になる。レーザー探知を起動し、ベクトル解析を怠るな。石っころくらいよけて見せろ」

『了解!』

 

 石の塊にロケットをつけてぶつけてくるだけの単純な質量兵器。

 安価で、効率よく殺しができるクソ兵器である。

 

「……くそ、モビルスーツを動かせたって、生き残れる保証があるわけじゃないんだぞ」

 

 一人愚痴をこぼしてから、シン少尉はまた心のスイッチを切る。

絶対に、部下が死ぬことがわかっているからだ。

いよいよ、本物のア・バオア・クー攻略作戦が始まる。

 

 

 

 

 Wフィールド、中央最前線。

 

『隊長、助け――』

 

 部下のジムがゲルググに斬り裂かれてしまう。

 シン少尉は、眼前に迫っていたドムを撃ち抜き、振り返りざまに部下をやったゲルググを片づけた。

 漂っているジムの残骸から目が離せなかった。

 

 現時点でWフィールドは、連邦側劣勢であった。

 ザクレロやビグロが超高速で暴れまわり、名もなきエースたちが乗り回すMSV系の派生機体が跋扈する最悪の戦場である。

 豪雨のように降りかかる大量の火力を勘だけで回避し続ける無理筋な戦い。

 

 シャニーナ伍長のジムTB仕様他、数機のジムがムサイの残骸の影に隠れて、砲火をしのいでいるのがみえる。

 

『隊長! 動けませんっ! 隊長!』

 

 シャニーナ伍長の叫び声がシン少尉の耳にこびりつく。

 

「そのままだ! そこに隠れてろ! こちらS909BCP109、DFo883に要求! 突撃支援射撃を求む!」

『了解、座標データを確認した。デリバリーピザを送る』

 

 古式ゆかしき間接照準射撃のために、前進観測士官をやってくれているどこかのエースが駆るジムスナイパーカスタムに叫んでおく。

 

 さすがエースのジムスナ。

 戦いながら観測データを送ってくれたようだ。

 HUDに要請射撃の射線とカウントダウンが表示される。

 

「大隊各機、友軍射線から離脱するか、障害物に退避せよ」

 

 シン少尉は先ほどから味方のジムを粉砕しまくっていたガッシャを撃ち殺し、射線から離れた。

 数秒ののち、後方の友軍艦隊――要請射撃担当のマゼランやサラミスから無誘導ロケット弾やメガ粒子の輝きが届いた。

 

 だが……信じられないほどに要請射撃の火力が薄い。

 

「DFo883、ピザが薄すぎないか?」

『S909、友軍艦隊が散開しすぎているようだ。作戦統制がクサってるのかもしれん』

 

 DFo883からもらった戦況図を見ると、密な火力支援をよこすはずの艦隊がかなりバラけて散開しており、全く火力集中ができない状況になっていた。

 

(なんで艦隊がバラけているんだ? レビル将軍は狂ったのか?)

 

 シン少尉はサーベルでまとわりついてきていたザクを始末しながら、理解しがたい艦隊運動に疑義を抱く。

 どう考えても、艦隊を集結させての火力集中は要塞攻略のセオリーだからだ。

 ところがどうだ。

 艦隊は散開しており、うがった見方をすれば、とても及び腰だ。

 

『艦砲は頼れん。MS隊だけでやるしかないようだ』

「そんな無茶な……」 

 

 シン少尉はぼやきつつ、自らに迫るビームを回避した。

 

 こちらを狙っているのは――ゲルググJだ。

恐ろしく正確かつ執拗に狙撃してくるが、勘で回避する。

 

「あのクソ野郎!」

 

 このWフィールドにおける最悪の敵は、今のところあのエースが乗っているゲルググJであると、シン少尉は判断した(もっと言えば戦況そのものが最悪だが)。

 

『おい、誰かあのゲルググJをやれ! ただでさえ足りない火力が削られるぞ!』

 

 近接火力発揮点を形成している量産型ガンキャノン部隊から要請が入る。

 ゲルググJは正確かつ無慈悲にこちらの近接火力支援機(量産型ガンキャノンや、ボール、ジムキャノン等)を潰しやがるのだ。

 

 あいつのせいで、まともに前に出られない。

 シン少尉のようにあいつの狙撃を回避している連中はむしろ例外で、ほとんどは無残に狙撃されて爆散するしかないのが現状だ。

 

 奴の弾切れや推進剤切れを狙いたいのだが、腹の立つことにWフィールドにはモスグリーンのビグ・ラングが複数配備されている。

 ビグ・ラングからの補給のせいで、ゲルググJの手数が止まらないのである。

 

(くそっ、近づけない! あいつの疲労待ちしかないのかよ)

 

 味方のパブリクが爆散しながらも送り届けてくれた補給コンテナから90㎜マシンガンの弾倉とショートバレルのビームライフルを回収する。

 

(仇はとるぞ)

 

 砕け散ったパブリクの残骸を見送りながら、シン少尉はハラスメントを仕掛けてくるゲルググJをどう殺すか思案する。

 

(突っ込むか?)

 

 試しに前に出てみるが、前衛を買って出ているらしいリックドム・ツヴァイに絡みつかれて抜くに抜けない状態だ。

 

「くそッ、戦術レベルで負けてるんじゃないか?!」

 

 シン少尉は敵の苦々しいまでの連携に業を煮やしていた。

 数と数のぶつかり合い。

 それでありながら、極めて高度な戦術的連携と兵站戦。

 しかも、その実、ジオン側の機体は性能でこちらを上回っており、ゲルググJやゲルググM相手にこちらの主力たる素ジムやジムTBでは全く歯が立たない。

 

(あのクソゲルググJを潰さないと、Wフィールドを抜けない!)

 

 分かってはいるのだ。

 あいつを落とせばここの趨勢が変わるというのは。

 だが、後方から狙撃してくるエースのゲルググJを仕留めるのはかなり厳しい。

 それだけにとどまらず、他にも要注意なエース機がぶっころブンブン丸状態で襲い掛かってくるのがWフィールドだ。

 生き地獄ぶりにめまいがしてくる。

 

 

 

 しばし、時間が経つ。

 シン少尉の呼吸は荒くなり、疲労は蓄積される一方である。

 相も変わらず、消耗をしいられていた。

 

 魑魅魍魎の如く湧いて出てくるガッシャ(ハンマーを撃ってくる狂った設計のMS)やガルバルディαなどのペズン計画系の連中が、奇々怪々の攻撃でストレスを与えてくるため、近づくに近づけない。

 

 ベテランが乗っているであろうザクやドムの嫌がらせは極めて巧みであるし、学徒兵として動員されたゲルググどもをうまくカバーしている。

 

(どう考えても、アクシズの戦力や小惑星ペズンの戦力がここに集められているじゃないか。ジオンは本気で勝負を決するつもりだな)

 

『――繰り返す、繰り返す、Wフィールドを突破できない。増援を求む!』

 

 最前線に設営されたJTFCP(Joint Task Force Command Post)の最先任大隊長の少佐が、ジムコマンドを巧みに操りながら第一艦隊司令部に打診を続けている。

 少なくとも彼一人で10機以上は落としているはずだ。

 

 戦域にいる各大隊を統制するのが主任務たる彼が、最前線で撃ち合いに参加せざるを得ない激烈な戦況という現実に、あるいは疲労ゆえか、シン少尉は本格的な頭痛を覚える。

 

 さて、いよいよやばい。

 激烈な状況のWフィールドは、連邦側のベテランやエースが粘り腰で戦線を下支えしつつ、パブリク突撃艇が運んできてくれる補給コンテナ及び、ボール部隊の火力支援で何とか崩壊を防いでいるというありさまだ。

 

 もうすでにジムキャノンは全部消えた。

 近接火力支援は、ベテランの量産型ガンキャノン乗りと、クレイジーな腕前のボール使いに託された状況だ。

 

 統合司令部がAI自動音声で送りつけてくる『早急に上陸せよ』という言葉もまた、シン少尉をイラつかせる。

 掛け声ではなく、あの少佐殿の声にこたえて増援を出せよ、と心中で罵る。

 

「っ!!」

 

 シン少尉は息をのんだ。

 JTFCPで指揮を執っていた少佐のジムコマンドが撃ち抜かれてしまった。

 やったのはあのクソゲルググJだ。

 突っ込んでアレを落とすか? と覚悟を決めようとした矢先、通信が割り込んでくる。

 

『隊長! 助けてください! 助けてください!』

 

 シャニーナ機がゲルググ数機に囲まれて、満身創痍になりながら逃げまどっている。ゲルググが学徒兵なりの知恵で、1対多の状況を作り、彼女を殺すつもりらしい。

 助けて、助けて、と悲痛に訴えかけてくる彼女の声が、シン少尉の決断を変える。

 ゲルググJは――後回しだ。

 

「シャニーナ伍長っ! 止まるな! 絶対に止まるな! いま助けに行くからな!」

 

 シン少尉のジム後期生産型が加速する。

 進路を邪魔しようとするザクをすれ違いざまに始末して、危機的状況に追い込まれているシャニーナ伍長のもとへ飛ぶ。

 

『隊長っ! たいっ――』

「!?」

 

 シャニーナ伍長のジムがゲルググに撃ち抜かれた。

 だが、ガノタたるもの、鉄のハートで冷静に動揺を抑え込む。

 きりもみしながら流れていくシャニーナ伍長のジム。

 

「まだだ! まだ可能性は――あっていいだろ! あきらめるな、シャニーナ伍長!」

 

 シン少尉は歯を食いしばりながら前進する。

 が、飛び出してくるドムに邪魔される。

 

 このままだと、シャニーナの機体がゲルググどもにトドメをさされてしまう。

 

『貴様のところのヒヨコか? 援護してやる。後でおごれよ』

 

 前進観測士官兼、エースのDFo883が操るジムスナイパーカスタムが、ロングバレルのビームライフルで、シャニーナ伍長にまとわりついていたゲルググをいくつか始末してくれた。

 ホンモノのエースとしての見事な動きだった。

 

「DFo883、恩に着るぞ!」

 

 進路を邪魔するドムをハチの巣にする。

 そして、ジムスナイパーカスタムが作ってくれた間隙をくぐりぬけ、シャニーナ機に接触する。

 しつこくまとわりついてきたゲルググは、切り殺しておいた。

 そしてボロボロの胴体を回収する。

 外部から強制的にリンクし、余計なパーツをパージしてコックピットブロックを回収する。

 

「シャニーナ伍長、しっかりしろ!」

『……助けてください、隊長……ママ……』

 

 近接INS経由でシャニーナ伍長のバイタルを確認する。

 意識レベルは極めて低いうえに、重傷だ。

 彼女のノーマルスーツにコマンドを送り、止血点を圧迫しつつ脳に血液を送るよう応急処置を施す。

 そして、シン少尉は周囲を見渡す。

 

(赤十字、赤十字……)

 

 戦域を駆け回ってコクピットブロックや脱出した兵士を回収する衛生兵ボールを探す。

 すると、デカイ赤十字のマークを身に着けた、真っ白なボールがいた。

 見事な操縦で敵の火線を潜り抜けてくる様は、本当に天使だった。

 

「いたっ! こちらS909、負傷兵がいる!」

 

 救護チャンネルで呼びかけると、サンタクロースのようにコクピットブロックをネットにぶちこんで運んでいるボールがやってきた。

 ボールおなじみのデカイ砲塔はないが、代わりにすべてを推力に振ったかの如く、大型ブースタを増強装備している。

 

『OKボーイ、あーしの投網に放り込みなっ! タイミングは一瞬だよ!』

 

 衛生兵ボールから交差ベクトルが送られてきて、HUDに進路として表示される。

 

『3、2、1――』

「今っ!」

 

 一瞬の交錯。

 シャニーナ伍長のコックピットブロックをしっかりと衛生兵ボールのネットに差し入れた。

 

『いいね、優しい手つきだったよっ! あとは任せな!』

 

 そのまま弾幕を回避しながら衛生兵ボールが高速で後方へと飛び去った。

 

(頼む、生きてくれ)

 

 あのボールなら大丈夫そうだ。

 何とか後方へと送り出せたという安心感が、シン少尉に隙を作らせた。

 

 一条のビーム。

 

 反応が遅れたシン少尉はシールドで受ける。

 派手にシールドが砕けた。

 

 容赦のない、エース様ご搭乗のゲルググJの狙撃だ。

 シン少尉は即座にターゲットをズームする。

 確実に殺しに行くためだ。

 

 そしてようやく気づく。

 あのゲルググJの肩に刻まれた四本トゲの王冠マークを。

 

「クラウンのクソ野郎が!!」

 

 ガノタたるもの、互いの信念ゆえに殺しあわざるを得ないときもあるのだ。

 敵の注意をひきつけるべく、シン少尉は無理やり突貫する。

 

 敵の弾幕のカーテンを奇跡に頼りながらすり抜け、進路妨害を企てるドムを数機始末する。

 だが、飛び出してきたゲルググM型のマシンガンの弾幕に辟易させられて、やはりゲルググJのいるエリアには近づけない。

 

『我に続け』

 

 突然の光信号変換通信。

 

 何者だと思いきや、蒼く塗られたジムコマンドがビームガンで、シン少尉の前を邪魔していたゲルググMを屠りながら駆け抜けていった。

 バチバチのエースの動き。

 ブルーのジムコマンドのパイロットをガノタたるシン少尉が見誤るはずがない。

 

「くそ、ついていくのがやっとだ。さすがはユウ・カジマ」

 

 シン少尉のジム後期生産型の他、狙撃ハラスメントを回避し続けていた周辺のガンキャノンやジムスナイパーカスタムなどが一斉に動く。

 蒼いジムコマンドが切り開いた一点をさらに広げんと突入していく。

 強引に戦域に穴をあけるという、完全に力業であった。

 

 幸いなるかな、量産型ガンキャノンとボールの混成大隊が後方から面制圧火力を集中してくれるおかげで、一周の間隙を拡大することに成功しつつある。

 

 だが、好都合なことはそう続くものではない。

 敵とて自らの戦形に崩れが生じたことを悟ったのだろう。

 動きのいい機体たちが率先して穴埋めに向かってきたのだ。

 

 そして、恐るべき速度で先陣を駆けるユウのジムコマンドに追いすがるゲルググがいた。

 凄腕の蒼いジムコマンドの足を止めるべく、そのゲルググが立ちふさがる。

 手足が青く塗られたゲルググを見て、シン少尉は察する。

 

「アナベル・ガトー……」

 

 史実ではSフィールドにいたはずのガトーがWフィールドに回されているということは、もう歴史がどんどん変わっているのだろうと察する。

 

 ガノタとしてガトーVSユウというドリームマッチを見ていたい気持ちもないわけでもないが、まずはゲルググJを仕留めないと死んでしまう。

 いや、本当はガトーとやりあって勝てる自信がないからでもあるが――

 

 任せたぞ、とガトー対応を蒼いジムコマンドに託し(押しつけ)、シン少尉はゲルググJに接近する。

 こいつを殺さないと、味方が前に進めないからだ。

 

「もらった! 成仏しろよ、クラウン!」

 

 シン少尉のジム後期生産型がショートバレルのビームライフルを速射。

 正確に撃ち抜いた――はずだったが、ゲルググJは華麗に回避してみせた。

 

『――その射撃の手癖、シン少尉か!』

 

 ゲルググJからの光通信音声ファイルは、クラウンの声だった。

 そして奴は今まで以上のプレッシャーでシン少尉のジム後期生産型に立ち向かってきた。

 

 シン少尉はヒリヒリと迫るゲルググJのプレッシャーに負けまいと、機動射撃戦を展開する。

 

 回避と射撃の輪舞。

 一呼吸でも遅れれば即死する、最悪のダンスである。

 

「残弾なしっ!」

 

 Eパック方式を採用していないショートバレルビームライフルを潔く捨てる。

 素早く腰にマウントしてあった90㎜マシンガンをつかみ、射撃戦を継続する。

 

『――すべてはハマーン様の笑顔のため! 友よ、死ね!』

「そう簡単に死ねるかよ! アニメじゃねぇんだぞ!」

 

 シン少尉の耳にザブングル~♪ という幻聴がはしる。

 間違いない。

 いまシン少尉は超集中(ゾーン)に入っているのだ。

 

 仕留めるなら今しかない――バースト射撃を繰り返しながら、じりじりとゲルググJに近づいていく。

 

 そして、いよいよゲルググJがビームマシンガンを捨てる。

 丸腰!

 ビームサーベルを抜くまでのコンマ数秒の隙が、やつに出来た!

 

 分かり合えるであろうクラウン。

 友になれるであろうガノタたる彼を、生きるために、殺す。

 

「隙を見せたな、強敵(とも)よ!」

 

 90mmマシンガンの弾幕で回避機動を制限して、サーベルで仕留める――という算段を実行に移そうとしたのだが、体が勝手に動き、あえて後退した。

 

 決して同情ゆえに手を引いたわけではない。

 むしろガノタの真の友情とは殺し合いである可能性すらあるからだ。

 

 すぐにシン少尉はなぜ自分が引き下がったのか理解した。

 

 ゲルググJ型は両腕に仕込み銃を装備していることを、脊椎と神経及び筋肉が覚えていたのだ。

 ゆえに脊椎反射で、危険を察した。

 隙ありと不用意に近づけば、速射砲なりビーム砲なりでハチの巣にされる――!

 

『仕留め損ねたか』

「てめぇ! ガチで殺しに来やがって!」

『ああ。お前は強い。だから、死ね』

「……!!」

 

 シン少尉は突然の衝撃に、一瞬視界が真っ白になる。

 パイロットスーツがファーストエイドプログラムを起動し、無理やり首筋を圧迫して意識を取り戻させる。

 ぼんやりとした視界を取り戻したシン少尉は驚愕する。

 

 ビグロにつかまれていたのだ。

 

 ゲルググJに気を取られすぎて、超高速で戦場を荒らしていたビグロの接近に気づけなかったらしい。

 

「畜生! やりやがったな!」

『いま楽にしてやる』

「言ってろ!」

 

 クソっ! ケリィ・レズナーじゃないか!

 そのままクローで握りつぶされそうになるが、シン少尉のジム後期生産型は頭部バルカンをビグロのアーム関節に連射した。

 

 伝達系を破壊されたアームが緩み、ジム後期生産型が放り出される。

 ミキサーにかけられた哀れなリンゴのようになりながら、シン少尉は機体の安定制御を取り戻すべく、コックピットで奮闘する。

 

「ユニバァァァァス!」

 

 コクピット内で大声で気合を入れながら、エラーと警告音しか出さない無能な操縦システムを宥めて、機体を安定させる。

 

(失態だ! ガトーのゲルググがいるなら、ケリィのビグロがいるに決まってるじゃないか)

 

 自分の失態にウンザリしつつも、シン少尉は索敵を怠らない。

 ケリィが容赦なくとどめを刺しに来るかもしれないからだ。

 だが、強運に恵まれているらしい。

 ケリィのビグロは別のやつとやりあっているようだ。

 あれは――DFo883のジムスナイパーカスタムだ。彼ならケリィとやりあっても何とかなるかもしれない、とシン少尉は自らの強運に感謝した。

 

(どうする? ビグロのせいで機体がやばい。武器もどっかに落としてサーベルしかないが……)

 

 教範通りなら後退して補給を受ける、となる。

 しかし、いまは敵陣深くに突入してしまっており、引くに引けない状況だ。

 

 正史だとア・バオア・クーの戦いで連邦側はMSの8割近くを失うという壊滅状態に追い込まれる。そんな状況で、たまたまジオンの内輪もめで奇跡の停戦が実現する、というのが筋だ。

 

 だが、現在ザビ家指導部はみな健在としか思えない。

 このあり得ないほど重厚な防衛線、そして反転攻勢を視野に入れているとしか思えない十分な敵補給システム(ビグラングの配備等)に恐れを抱くほかない。

 ドズルが指揮しているであろうア・バオア・クーは、鉄壁の要塞そのものだった。

 

(圧倒的ではないか、わが軍は、か)

 

 ギレンの勝利を確信した表情が脳裏に浮かぶ。

 

「畜生、もうここまでか……?」

 

 シン少尉のジム後期生産型がビームサーベルを抜いた。

 かすむ視界の先には試作型ビームバズーカを持ったドムが数機。

 どうやら生き残るための、最後の悪あがきをするタイミングが来たらしい。

 




シンは、生き延びることができるか(震え声)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 ア・バオア・クーに花束を

さつじんイベント【殺人イベント】
人を殺すこと。読者の興味を失わせないために、唐突に発生する物語上のイベント。
生死を判別しにくくするために、各種レトリックによって修飾される。

~民明書房『超辞苑』より~


『全将兵に告げる。戦闘を停止せよ。繰り返す。戦闘を停止せよ』

 

 今まさにリックドム・ツヴァイにとどめを刺そうとしていたシン少尉のジムが、ビームサーベルの刃を消失させた。

 

『マッシュ、オルテガを牽引して後退だ』

(黒い三連星だったのか……)

 

 

 殺されかけたドムたちから距離をとり、停戦信号を発光する。

 相手のドムも、重大な損傷を追っている味方を回収して、後退する。

 

「停戦、成立なのか?」

 

 コクピットの中で、シン少尉はバイザーの割れたヘルメットを脱ぎ、予備のヘルメットに交換する。

 いまだわずかに交戦の光が見えるが、全体として互いに武器を収め、さっさと後退するスラスタ光ばかりだ。

 

 先ほどまでやりあっていたらしいほぼ半壊のガトー機と、満身創痍のユウのジムコマンドも停戦信号を光らせながら互いに距離をとっている。

 

(戦場にもルールがあるってのは、こういうことだよな)

 

 イグルーのアニメでは、下衆化した連邦軍が停戦命令を無視して、オッゴやビグラングをいたぶっていたが――いま、それはあり得ない。

 あれは一方的な戦況で発生するものだ。

 現状、ことシン少尉が目にしているWフィールドで、あの手の事態はあり得ない。

 

 予断を許さない戦力均衡。

 もしこの一時停戦のタイミングを逃したら、互いに無駄に犠牲を出す。

 戦力の均衡こそ、最良の停戦タイミングなのだ。

 

 さて、シン少尉は味方の後退する波に乗り遅れまいとするが、どうにも機体の調子が良くなく、少々遅れ気味である。

 黒い三連星にボコボコにされていたため、バグにやられたビルギットさん、とまではいかないが、近いくらいの損傷だ。

 結局、通りすがりのボールにワイヤーでけん引してもらう形で、なんとか後方の集結エリアにたどり着いた。

 

(やっと一息つけるな)

 

 シン少尉はコックピットでレーションのパックを開封し、ばくばくと食べ進める。

 友軍空母がぞろぞろと集結地点に集まり、整備員が操縦する野外整備ボールが続々と宙域に展開する。

 

 もちろん、シン少尉の母艦たるコロンブス級空母フゲンも来ていた。

 ただし、すぐに着艦整備というわけにはいかない。

 整備用ボールたちによる機体トリアージが行われ、損傷が大きすぎる機体や、融合炉に問題を抱えている機体は強制停止の上投棄が始まる。

 

『少尉、今回は機体を持って帰ってきたんすね』

 

 フジオカ軍曹が乗っているらしい整備用ボールが接近してきて、消火剤をシン少尉の機体に噴霧している。

 

「機付整備士にお叱りを受けるからな。で、なんで停戦なんだ?」

『あー、応急修理で忙しいんで、ご自分でどうぞ。大体、将校のほうが高位情報にアクセスできるっしょ』

「つれないな、軍曹」

『あたしはイイ女なんで、無駄口は叩かないんすよ』

「なるほどな」

 

 シン少尉は通信をやめて、機体間相互通信によって確立されたメッシュネットワークを介して、事情を調べ始める。

 大隊長代理が参照できるソースによると、デギン公王によって全権委任されたガルマ・ザビとジャブローのゴップ統合参謀本部議長が実務級会談を決行。

ひと悶着あったものの、停戦合意とあった。

 

「ガルマ!?」

 

 ガルマが生きている……!?

 率直に言って驚いた。

 おそらく、クラウンに憑依しているガノタの工作の結果なのだろうが……これはなかなか難易度の高いことを成し遂げたものだと感心する。

 

 そして、一介の現場将校の立場で大戦略レベルに影響を及ぼし、大勢を決するところまでもっていったと考えると、同じガノタとして、最上級の敬意を払うほかない。

 

 次に戦場であったときは、最大限の敬意を払って殺してやろうと決めた。

 ガノタにとって、ガンダムWに搭乗するヒイロとリリーナの言葉は、アイサツであり、アイコトバなのだ。

 お前を殺す→早く殺しにこい、である。

 

 さて、シン少尉が食事を終え、ゴミをシート下のガベッジコンテナに放り込んでいると、通信が入った。

 いつでも爆発したらぁ、と喚いていたコックピット内の各種警告が消えている。

 

『少尉、機体を母艦におねがいしゃす。じゃ、あたしは部下の手伝いがあるんで』

「ありがとうフジオカ軍曹。あとで一杯おごらせてくれ」

『高いやつでよろしくっす。じゃ』

 

 フジオカ軍曹のボールがほかの機体の支援に向かった。

 シン少尉は先ほどよりましになった機体をなんとか制御して、空母フゲンの緊急着艦甲板に張られた牽引ロープにジム後期生産型をひっかける。

 そして、パイロット回収のために飛んできた連絡艇に乗り移り、艦内へと戻った。

 

 

 

 MSがほぼ空になってしまった格納庫が、臨時の野戦病院になっていた。

 360度、天井と壁面に簡易ベッドが展開され、負傷した兵士たちが治療を受けている。

 ゴップシステム最大の恩恵ともいえる、十分な野外衛生資材のおかげで、生存率は極めて高いらしいと聞き知ってはいたが。

 

「シャニーナ伍長……」

 

 集中治療キットをつけられたシャニーナ伍長の意識は戻っていない。

 シン少尉はベッド脇で、ただ絶句した。

 明らかに予断を許さない状況だからだ。

 

「おい、邪魔だよ」

「あ、あぁ」

 

 衛生兵の曹長が呆然としているシン少尉をどかして、シャニーナ伍長に取り付けられていたキットのパラメータを確認している。

 シン少尉も、微弱な心電図を食い入るようにみた。

 衛生兵が首を振った。

 

「そう長くないな。少尉さんよ、こいつの面倒は任せた。看取ってやってくれ」

 

 それだけ言って、衛生兵の軍曹は次の患者のところへと飛び去ってしまった。

 あまりにも酷なセリフを受けて、シン少尉はガノタであるにも関わらず、ただ無為に、シャニーナ伍長の手を取ることしかできなかった。

 

 彼女の手を握り、頼む、頼むから生きてくれ、とイデの集合無意識に祈る。

 だが、第六文明人の集合無意識は極めて無慈悲であった。

 シャニーナ伍長の自発呼吸は浅くなり、そして――心電図がフラットになる。

 

「……あきらめるなよ、おい」

 

 集中治療キットを操作して、AEDを実行する。

 何度かショックがあり、シャニーナ伍長の体がビクリと跳ねた。

 だが、それだけだ。

 心電図は、極めてフラットである。

 

 シン少尉はノーマルスーツからベルトアンカーを引っ張り出し、ベッドを固定する金具に装着した。反動で飛んでいかないためだ。

 そして、なりふり構わず、古式ゆかしき心肺蘇生を試みる。

 肋骨が折れてもかまわない。

 

「1、2、3、4、5――」

 

 正確に1分間に110のテンポで圧迫し、時折、気道確保をして人工呼吸を行う。

 

「1、2、3、4,5――」

 

 必死の形相で、何度も何度もシン少尉は胸骨圧迫と人工呼吸を繰り返した

 5分、10分とひたすらに続ける。

 

 何度でもだ。

 

 シン少尉はあきらめない。

 ガノタはあきらめたらそこでガノタ終了なのである。

 

「1、2、3――」

 

 長期戦による体力の消耗など忘れたかのように、鬼気迫る様子で心肺蘇生を試み続けるシン少尉にいたたまれなくなったのか、兵たちが集まってきた。

 

「少尉さん、その子、もう休ませてやれよ」

 

 ヘロヘロになりながら心肺蘇生を続けていたシン少尉を、兵たちが引き離した。

 それでも、じたばたと力なく抵抗するシン少尉。

 

「まだ……雪みたいに冷たくなってないんだ。唇だって、まだこんなに赤いじゃないか」

 

 シン少尉が兵士たちを振り払い、心肺蘇生を続ける。

 彼女とシン少尉を囲む兵たちは、ただ目を伏せるばかりだった。

 

 宇宙世紀0080年1月1日、未曽有の戦争は巨大な犠牲と深刻な疲弊を人類に与える形で終結した。

 勝利者などいない、戦いに疲れ果てた人類による『戦後』が、いま始まる。

 

 

 

 

 ア・バオア・クーの決戦から数日。

 サイド3首都、ズムシティ。

 上流階級の屋敷が並び立つ閑静な住宅街――のはずだが、騒々しい屋敷が一つあった。

 

「クラウン! クラウンはいないの?」

 

 寒緋桜を思わせる麗しい髪をドリル巻きにした少女が、フンスと鼻息を荒くしながら屋敷内で声を荒げている。

 お付の女中たちが「お嬢様、はしたないのでおやめください……」とたしなめているが、鼻息の荒い少女は「クラウーン?」と呼びかけながら廊下をずんずん進んでいく。

 

「ハマーン、やめないか!」

 

 書斎から飛び出してきた当主たるマハラジャ・カーンが、愛娘を叱責する。

 

「だってお父様……クラウンがいけないんですわ」

「……何がいけないんだい?」

 

 マハラジャ・カーンがうーんと額に手をやりながらおずおずと尋ねる。

 思春期の娘の気持ちがいまいち読み取れず、困惑しているのだ。

 

「お父様、今日は何の日かご存じですの?」

「なんの……」

 

 休戦記念日……は、まだ制定していない。まだ事務レベルで休戦協定と終戦宣言までのプログラム策定を進めている段階だ。

 デギン公王の側近として様々な職務をこなしてきたマハラジャ・カーンはプロパガンダとして策定した様々な祝祭日のカレンダーを頭の中でめくる。

 

「ショーガツ・デイ?」

「さすがですわお父様。そう、1月3日! サンガニチofオショーガツといえば、ハツモウデ! 殿方がこれと思うレディをお誘いし、神前に誓約を立てに向かう厳かで特別な日。にもかかわらず、あの方は軍務が公務がと言って、全くこちらに顔をお出しになりませんの! あの方はわたくしのセイン(従士)ですのに……」

 

 マハラジャは愛娘のハマーンがぷりぷりと怒るさまにどこか愛らしさを覚えながらも、父親として娘に男が現れたことに何とも言えぬ気持がわいてくる。

 

「ハマーンや」

「なんですの、お父様」

「クラウン少尉は当家のセイン(従士)であるから、私やそなたに仕える義務があるだろう。だが、勲功十字章を持つ身でもある。慮ってやりなさい」

 

 シャア少佐とともに連邦軍のV作戦のカギを握る木馬――ホワイトベースを前例なき大気圏突入フェイズで拿捕した功績により、勲功十字章を授与されている彼のことを知らぬものはジオンにいないだろう。

 

 だが、マハラジャ・カーンにとってはそんなことはどうでもいいことであった。

 かつてマハラジャがアクシズにいる間に、キシリア機関の手のものによって、娘を得体のしれぬニュータイプ研究所に送り出さねばならぬ状況に陥っていた――その苦境を救ってくれた恩人、というのが彼にとってのクラウン少尉であった。

 

「でも、お父様、クラウンは約束したのですわ。必ずオショーガツには帰ってきくる、と」

「ううーむ」

 

 そう約束したのなら、彼ならば帰ってくるような気もする。

 少なくとも、クラウンのカーン家に対する忠誠を疑ったことはない。

 

 そもそも彼とは利益共同体なのだ。

 カーン家は名門であるが、すでに権門ではない。

 

 クラウンによるハマーンの窮地のリークを受けたマハラジャは激怒した。

 アクシズ総督の地位を利用して、アクシズもろとも本国に強引に帰還してしまうというクーデターまがいの荒業……。

 ハマーンこそ救えたが、ザビ家に相応の代償を支払うことになったのだ。すでに政界、軍部に対しての影響力は形骸化してしまっている。

 元ダイクン派に属していた経由もあり、長女たるマレーネをドズルの側室、事実上の人質として供しなければならないなど、カーン家は苦慮していた。

 

 しかし、カーン家にはクラウンがいる。

 ジオン勲功十字章を持つクラウンをセイン(従士)として召し抱えているのであれば、カーン家に名誉ある武門を打ち立てることができる。

 クラウンをカーン家として後押ししていくことは、主家の名誉と実権を増大させる最善手ではあるのだ。

 ゆえに、彼が主家の次代当主たるハマーンにウソをつく必然性などない――。

 

「まったく、クラウンはわたくしのことをどう思っているのかしら」

「どうって……」

 

 マハラジャは当家にセインとして滞在しているときの彼の姿を思い出す。

 端正な士官の礼装をまとうクラウンは、いつも穏やかであった。当家に与えてある一室でいつも書物を手にしている印象しかない。

 

 いや、それだけでもない。

 ハマーンが無理筋のわがままを女中に申し付けたりすると、レディのふるまいではありませんな、と静かに嗜めるような、礼儀正しく厳格な男だった。

 

「手のかかるおてんば娘だと思っているのではないか?」

「ちょっとお父様!? 宇宙世紀にもなって、レディがどうこうと口うるさいジオンの社交界がオカシイだけですわ、まったく……。そもそもクラウンは、わたくしのやることなすこと、大抵は笑って許してくれる度量をもっていてよ」

 

 ハマーンが目を丸くしてマハラジャに食って掛かる。

 そういうところですよお嬢様、と女中たちがあわわとハマーンの怒りを鎮めんとする。

 

「――旦那様! お嬢様! クラウンが戻りましたっ!」

 

 筆頭女中がぱたぱたと廊下を走ってきた。いつもは静々と歩む彼女を走らせるとは、当家におけるクラウンの重要性がわかるというものだ。

 

「うむ、応接室へ通せ。ハマーン、お前も身支度があるのではないか?」

「そ、そうですわ! クラウンに次期当主としての威厳をお見せしなくては!」

 

 どすどすと私室へと戻っていくハマーンの後ろ姿を見ていると、日ごろの政務による精神的疲労がすっと消えていくように思える。

 

「旦那様、いま使用人たちがクラウンを応接室に」

「うむ。すぐに向かおう」

 

 マハラジャは書斎のハンガーにかけていたジャケットをとり、袖を通す。

 女中頭がネクタイを直し、よろしゅうございます、と告げた。

 

 

 

 マハラジャ・カーンが応接室に入ると、傷跡が目立つ歴戦の将校から敬礼される。

 

「楽にしなさい。よく帰ってきてくれた」とマハラジャ。

「はっ」

 

 クラウンが促されるままに応接室の椅子に腰を下ろした。

 マハラジャも上座につき、女中頭に茶をだすように指示する。

 

「――また勲章が増えたな。昇進もしたのか?」

 

 マハラジャはクラウンの胸元を飾る勲章が増えていることに気づく。

 そして、階級章の星も増えているようだ。

 

「本日付で中尉です。ア・バオア・クーは酷いところでしたが、戦功をあげるには都合がよかったので――撃墜殊勲章と、戦傷章をもらってきました」

「そうか。苦労を掛けた。戦場はつらかろう」

「本当に苦労しました。ジム後期生産型にまとわりつかれて肝を冷やしましたよ。カーン家のご支援たるゲルググJがなければ……やられていたかもしれません」

「お役に立てて光栄だよ、クラウン」

 

 カーン家は弱く、クラウンに頼るところが大きい。

 モノを送り、ねぎらうことくらいしかできない己の身が恨めしいとマハラジャは思う。

 

「マハラジャ様、キシリア様のアレがまたきな臭い動きをしていますのでご注意を。シャア大佐からも気を付けるようそれとなく指示されました」

 

 そして、クラウン中尉の軍内での現在の立場や、これからの方針について報告を受けた。

 

「彼は……シャア・アズナブルはどうするつもりかね?」

 

 クラウンから受けた報告の中で最も重大なことは、ダイクンの忘れ形見であるキャスバルことシャア・アズナブルの動きであった。もとより優れたリーダーの素質とカリスマ性を持つ男だ。十分な戦場での功績も持っていることから、いつ政治の舞台に進出してもおかしくないだろうことは、政界に長く身を置くマハラジャなりに理解できる。

 

「私には何とも。大佐は純粋すぎる方ですから。今は穏やかにお過ごしですが、あの純粋さがいずれ人々を巻き込むやもしれません」

「彼は難しい生い立ち故、まだ何をなすにも時間がかかるだろう。むしろ、ザビ家のほうが君にはわかりやすいかもな」

 

 マハラジャはクラウンにコーヒーをすすめる。

 マ・クベ中将からの贈答品であり、希少な天然ものだ。

 二人でカップを傾けてから、話を進める。

 

「ええ。デギン公王は此度の終戦工作をガルマ様にお任せし――そして、ガルマ様はやり遂げなさった。名実ともにジオン公国の後継者として着々と世論固めを行っていくでしょう」

「うむ。ア・バオア・クー防衛の英雄たるドズル中将――いや、大将がガルマ様を支えることは政界でも既定路線として扱われておる。あとはガルマ様が月のキシリア様と協調することができれば、軍の支持は手堅くなろう」

「ええ、しかしギレン総帥閣下がどう動くか――私には読めないのです。終戦工作において、ガルマ様に総帥閣下が全面的に協力なさったらしいのですが、意図が読めません」

 

 クラウン中尉について、先見の妙に秀で、かつジオンの政界・軍部のパワーゲームに習熟していると評価しているマハラジャだったが、この男にも読めぬことがあるのだなと妙な安心感を覚えた。

 

 確かにギレン閣下は読めない。これは政界に身を置く者ならだれでも身に染みていることだ。

 

 利益供与

 脅迫

 そしてカリスマによる支配。

 

 あの男は政治家の三大武器を巧みに使いこなす。

 キシリア機関にハマーンが奪われかけたこと、そしてそれを阻止せんとアクシズを率いて本国にマハラジャが戻ってしまうこと、この動きにクラウンが深く関与すること――すべて実はギレン閣下に踊らされただけなのかもしれない、と言われればそうかもしれぬのだ。

 結果として、アクシズの本国合流はア・バオア・クー戦における戦力集中の効果を生み、『時間稼ぎ』を果たすことに大きく寄与した。

 

 かの決戦兵器、ソーラ・レイの使い方も一流だ。一発しか撃てぬ事情はひた隠し、さも連射できる体でア・バオア・クー宙域に照準を定め、連邦艦隊にその情報をリークすることで、ティアンム艦隊とレビル艦隊の集中を阻止。

 しかるに、有力な艦砲射撃の支援を得られない連邦のMS部隊は大苦戦。

 ア・バオア・クーを陥落させるための前提たる、艦砲火力の集中を『一発も撃たずに』見事に破砕してみせたのだ。

 

 いくらMSの数をそろえようとも、戦場の大勢を決するは火力である。

 ア・バオア・クーの要塞火力陣地の支援と強固な補給線を保持する精鋭MS軍を、まともな火力支援のないMS集団だけで攻略するなどどんな名将をもってしても不可能だ。

 せいぜい、出血を強いる持久戦の体になるだけだ。

 

 そして、からめ手による恫喝。

 ア・バオア・クー及びグラナダの防衛ラインを抜けない連邦は、それでもなお休戦判断を先延ばし続けた。

 そこで、ガルマ様は手を打った――ということになっているが、どう考えてもギレン総帥のお膳立てであろう。

 サハリン家に開発させていたアプサラスを用いたジャブローの政治屋どもを恫喝する離れ業。

 それだけにとどまらず、月社会に戦後の利益供与を約すことで、ルナリアンが使用するマスドライバを武器に変えてしまった。

 月は無慈悲な夜の女王と化し、ジャブローに月面から重質量物をいつでも叩き込めるというメッセージがジャブローのモグラどもを戦慄させた。

 

 ゆえに、見事な休戦。

 

 一方的な無条件降伏を回避し、様々な条件交渉を行いながらジオン優位に持ち込む政治ゲームを、ギレン閣下はこれから手抜かりなく遂行するつもりだろう。

 

「ギレン閣下はあまりにも恐ろしい方だ。しばらく――」

 

 しばらく動向を探るしかない、と言わんとしたとき、ドアがバンっと開いた。

 

「ハマーン様!?」とクラウンが慌てて立ち上がる。

「クラウン! まずはお父様ではなくわたくしに会いに来るのが筋ではなくて?」

 

 いや、どう考えても現当主では? とマハラジャは口から滑らせそうになるが、娘の思春期特有の怒りに火を注ぐのもあれなので黙っておく。

 

「それは……その……大変申し訳ございません」

 

 ちらりとクラウンがマハラジャをみるが、いいから娘の相手をしていろと返しておく。

 

「ハマーン、次期当主としてクラウンの報告を受けておけ。後ほど、私に報告するのだぞ」

 

 威厳を正してマハラジャがハマーンに命じる。

 親子といえども、ジオン上流階級の形式というものがあるのだ。

 

「はいっ、お父様。さぁ、クラウン、ハツモウデの準備よ!」

 

 ハマーンに手を引かれてクラウンが拉致されていく。

 お嬢様、殿方をそのように扱ってはなりません、と女中たちがぞろぞろと追いかけていく。

 

 0080年1月3日、ジオン公国はいまだ健在。戦後の新たなパワーゲームを始めるべく、魑魅魍魎たちが、静かに準備を始めていた。

 




一年戦争編、終わり。
いろいろ書いたけど、シン少尉の中の人があっちの世界にいって10日も経ってないという。
やっぱ一年戦争は密度おかしいっすわ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

0080 シン中尉、政略の季節に巻き込まれる
第六話 0080 ジャブローのモグラたち


ガノタの皆さま、ありがとうございます。
これからもガノタのみなさまに「いや、そうじゃない」と喧々諤々に議論いただけるよう旬(※ガンダムは40年以上前から続く伝統芸能だけど、いつも今が旬なんだよ)のネタをお届けしてまいります。

―お気に入り数100超えてうれC記念文―

はい、0080~はじまりますよ。


 

 宇宙艦隊寄せ集めニューイヤーパーティもそこそこに、ジャブローにこいと呼び出されたシン少尉は、二日酔いの頭痛を抱えながら連絡機にのってジャブローに降り立った。

 地下空港に降り立った旅客(そのほとんどは事務官たちだった)は、ぞろぞろと公務ゲートに向かっていく。

 だが、シン少尉は連絡機のタラップを降りた後、待機するように命じられていた。

 

 1月の南半球熱帯雨林は容赦なく暑いが、地下要塞内に入ってしまえばそれなりに過ごしやすく――もなかった。

 ジャブロー防衛戦の影響で、あれこれとインフラ系にダメージを受けているらしく、地下要塞の環境は完ぺきからは程遠かった。

 地表に比べれば多少冷涼ではあるが、蒸し暑さが消えるほどではなかった。

 

 しばらくすると、1台のジープがやってきた。

 迎えの兵士がこちらを確認する。

 

「シン少尉ですね。お迎えに上がりました」

 

 シン少尉は息をのんだ。相手は、アムロ・レイであった。

 もとより明るさとは程遠い少年だった彼だが、どこか暗い影を感じさせる。

 

「――ご苦労、少尉候補生たる曹長」

 

 さっとアムロの身なりを見て判断する。MSパイロット徽章に加えて、様々な作戦の従軍章と撃墜殊勲賞があった。曹長の階級章に加えて、短期将校課程の徽章があることから、今現在、士官昇任のための教育を受けていることもわかる。

 とはいえ連邦軍の人事制度だと、やはり大尉までしか行けないキャリアである。アムロ君がそれを理解しているのかどうかは定かではない。

 

「どうぞ」

 

 シン少尉はジープの助手席に乗り込む。

 アムロが運転席に乗り込み、電源ボタンを押した。

 電気自動車特有のモーター音を鳴らしながらジープがジャブローの巨大要塞内を疾走する。

 

「少尉は、ア・バオア・クーの戦いに参加を?」

「あぁ、曹長は?」

「僕はグラナダ方面ですよ」

「それはホワイトベースで?」

 

 何気なく質問しただけだったが、どうやらよくない問いだったようだ。

 運転席のアムロの表情は険しい。

 

「少尉殿は、煽ってるんですか?」

「いや、気に障ったならすまない。ずっと戦場にいたせいで、いろんな事情をキャッチアップしていないんだ」

「……僕はもともと、サイド7の避難民だったんです。だけど、ジオンの奇襲を受けて――逃げ出すために乗ったホワイトベースは、あっさりと拿捕されたんです。大気圏突入時を狙われて――今でも覚えてますよ。赤いザクと四本スパイクのザクにボコボコにされて……本当にひどかった」

 

 シン少尉は目を見開いた。

 まさかホワイトベースが拿捕されていたなんて想像もしていなかったのだ。

 となれば、ガルマが生存している理由も筋が通る。

 ア・バオア・クーで黒い三連星と取っ組み合いをやらされたことも、だ。

 ホワイトベースが地球に降りるかどうかで、ジオンの名高きエースたちの生き死にが大きく変わってしまうことを、シン少尉の中の人は当然把握していた。

 あの大気圏突入時の戦いこそが、歴史介入の大きな結節点なのだ。

 

「ホワイトベースとMSは鹵獲されました。ジオンの連中は僕らみたいな素人たちには興味がなくて、そのままランチを与えられて放置です。漂流していたところをサラミスに拾われなかったら、死んでいましたよ」

「そうか。すまない、つらいことを思い出させた」

「本当にそうですよ――セイラさんだけがジオンに連れていかれたんです。一番きれいだったから、ひどい目に合ってるんじゃないかって心配で」

 

 アムロの表情が暗い理由がわかった。どうやらセイラさんだけが拉致同然に連れ去られてしまったことに責任感を覚えているらしい。

 

 それは明らかにキャスバル(シャア)が手を回したことだろうが、それをアムロ君に告げたところで彼の気持ちが明るくなるかどうか、さすがにガノタでも確信をもてなかった。

 

「僕が……僕が、ガンダムをもっとうまく使えたら、セイラさんは無事だったんだ」

 

 アムロが自分を責める様子に、シン少尉は投げかけるべき言葉を探す。

 

「――アムロ君は、いまもガンダムという機体に乗っているのかい?」

 

 当然そうだろうよ、とガノタマインドで決めつけるわけにはいかない。

 

「そうです。だって、僕がガンダムを一番うまく扱えるんだから」

 

 おぉ、やっぱり! とはいかない。

 むしろシン少尉は困惑する。このアムロ君は――まだ明らかに未熟。

 ランバ・ラルとの死闘の他、原作にある心折れる体験を重ねていないせいで、明らかにただMS操縦がうまい子どものままだ。

 

「君は、いまいくつなんだい?」

 

 シン少尉はついガノタとしての質問をしてしまった。

 アムロは1年戦争当時15歳で、11月4日が誕生日、という設定がある。

が、それは一年戦争終結時に15歳だったのか、そもそも15歳で、1年戦争中に16歳になってしまったのか、よくわかっていないからだ。

 当の本人から聞けるなどというのは、ガノタ冥利に尽きるではないかという焦りと高まりで、話の流れをぶった切る質問をしてしまった。

 

「え? あ、16になりました」

「そうか」

 

 何とかガンダムらしい会話にせねばならぬ、とシン少尉は頭をひねる。

 

「若いな。自分が運命にあらがえると信じている年頃だよ」

「……わるい、ですか?」

 

 不愉快そうに尋ねてくるアムロ君に、シン少尉は大人として答える。

 

「信じきってみせろよ、少年。大人はすぐに自分と他人をあきらめる」

 

 ガンダムUCを光速再生し、それらしき応答を練りだした。大人がバナージ君に説教をし続ける物語構造の部分をお借りすることにしたのだ。ガノタたるもの、作品の構造解析はお手の物である。

 

「――シン少尉は、MSパイロットなんですよね?」とアムロ。

「ん?」

 

 あまりに唐突な問いにどう答えたか迷っていると、アムロがさらに続ける。

 

「僕は、強くなりたいんです。後で、手合わせお願いできませんか」

「言っておくが、自分はただのジム乗りだぞ」

「だからです。普通のパイロットのレベル感を知っておきたいんです」

(――ウソだろ? これもしかして自分が『アムロわからせ』をやれってことなのか? ランバ・ラルのかわりに?)

 

 

 ガノタたるもの、原作のメインを張る人物に軽く扱われた場合の身の処し方というものを日ごろから用意しているものだ。

 シン少尉は、月の繭がBGMとして流れる中「わーっ!」と金魚のオモチャを投げ捨てるソシエお嬢様のシーンを複数回再生し、冷静さを取り戻す。

 

「アムロ君、シミュレータと実機、どちらをお望みだ?」

「もちろん実機ですよ、シン少尉。あ、でも普通のパイロットだと、MSを用意するのも大変ですよね――シン少尉の用意ができたら、連絡してください」

 

 アムロ君はすっかり煽りキャラになってしまったらしい。やはり成長には経験が必要なのだな、とシン少尉は改めて学んだ。

 

 それからしばらくアムロと元ホワイトベース乗組員たちの話をしてもらった。

 皆まだ軍籍にあるらしく、これからの身の振り方はまだ決まっていないらしい。

 ただ、もともと職業軍人だったブライトとリュウ・ホセイは今後も勤務を続けるらしい。

 そして、当然アムロも短期将校教育を受けて軍に残るようだ。

 

「僕は、たぶんMSに乗るくらいでしか役に立てないんですよ」

「そう卑下するなよ、曹長。ついでに自分は除隊する気満々だ」

 

 せっかくの終戦。自分のしらないガンダム世界がこれから出来上がっていく。

 こんな絶好の機会なのに軍に身を置くなんて馬鹿げている。

 日雇いの仕事でもしながら世界を放浪して、この原作から離れていく未知のガンダムの世界を連邦やジオンという枠組みではなく、生活者として体験したかったのだ。

 

「……普通のパイロットは、気楽でいいですね」

「お、そうだな」

 

 感情的な怒りの突沸を避けるべく、初めてのルーブルはなんてこたぁなかった♪ 的な鼻歌を鳴らす。TV版シンジ君並みにアムロ君が煽ってくるが、シン少尉は耐えた。

 

 そしてアムロが運転するジープが、やたらと警備が厳重なゲートを通過した。

 シン少尉もアムロも網膜及び静脈認証で身分を調べられた。

 

「ここは一体……自分は除隊申請について答申をもらいに来ただけなんだが」

「あ、すみません。お伝えするのが遅くなりました。シン少尉はこれからゴップ大将閣下と面談していただきます」

 

 いや、それ先に言おうよ、とシン少尉はコミュニケーションがへたくそなアムロ曹長にあきれ返った。

 

 

 

 統合参謀本部から離れた、どこか得体のしれないビルに入る。

 

「僕はここまでです」とアムロ。

 

 シン少尉は、アムロと別れた。

 統合参謀本部から離れた、どこか得体のしれないビルに入る。

 引率の警備兵とゴップ大将の付将校であろう少佐に長い廊下をぐるぐると連れられて、簡素な応接室に案内された。

 

「ここで待て。あと、これを腕につけろ」

「はっ」

 

 シン少尉はスマートウォッチらしき何かを身につけさせられた。

 これが何なのかは全く見当もつかない。

 

 付将校の少佐に命じられて、待合室で待機する。

 無論、警備兵たちは室内でこちらを見張るように立っているので、シン少尉は起立のまま待つことにした。

 

「いやぁ、ご苦労、ご苦労。お待たせした」

 

 ふくよかな中年男性がよっこらしょと言わんばかりに入室してきた。

 警備兵たちが執銃の敬礼。

 シン少尉も挙手の敬礼で迎える。

 

「はい、はい、どうもどうも」

 

 ゴップ大将は適当に答礼すると、どっこいしょとソファに腰かけた。

 これが連邦軍の軍政と兵站をすべてになうシステムを作り上げた傑物……にしては、どこかこう、愛嬌があるおじさんなのが、ゴップであった。

 

「さて、シン少尉どうして私が君をここに呼び出したか、わかるかね?」

「はい、いいえ、わかりません」とシン少尉。

「そっかぁ。じゃ、不都合なことからだね。まず、君の除隊申請は無理。却下」

 

 あまりに無体な回答に、シン少尉は固まってしまう。

 

「さて、君たちも、もういい」

「はっ」

 

 警備についていた兵士たちも退出した。

 部屋にはシン少尉とゴップ大将の二人だけだ。

 

「腕のそれは、ちゃんと緑の光がついておるかね?」

 

 ゴップ大将に確認されたのは、先ほど渡されたスマートウォッチのようなものについてだった。

 有無を言わさずつけるほかない状況だったので、もちろんグリーンランプOKである。

 

「はい、問題なさそうです」

「よしよし。さて、これをみてほしい。こいつをどう思うかね?」

 

 捕虜取り扱い記録がモニターに映し出される。

 日付まさに今現在のものだ。

 モニタには、クリス中尉と談笑するバーニィの姿。もちろん、アルも面会を許されているらしく、二人と楽しそうにバーニィ釈放後の話をしている。

 

「!!」

「結構。実に結構だ」

 

 そして、ゴップ大将は通信を入れた。

 しばらくするとサンドイッチと白ワインが応接室のテーブルに並べられた。

 配膳を終えると、兵たちは一礼して下がっていった。

 

「すまないねぇ。ランチがまだだったのだよ。君の分もあるから、遠慮しなくていい」

「はぁ」

 

 二人で黙々とサンドイッチを食べ、白ワインを互いに注ぎあった。

 

「それ、もう外していいよ。さて、君と私の認識をすり合わせしよう」

 

 ゴップ大将がシン少尉にスマートウォッチもどきを外すように指示した。

シン少尉は言われた通りにそれを机の上に置く。

 

 そしてゴップ大将による尋問が始まった。

 彼はシン少尉に矢継ぎ早に質問していく。

 まるで百人一首の如く、ゴップの問いに素早くこたえて手札を見せていかねばならないものであった。

 結論から言おう。

 ゴップ大将は宇宙世紀だけにとどまらず、すべてのガンダムに通じる研磨されたガノタであった。

 

「すでに正史から大きくずれているのは共通認識のようだねぇ」

「はっ」

「結構。私も年だ。おそらくはF91の舞台となるUC123までは生きられまい。ゆえに、だ」

 

 モニタに見知らぬ年若い少女のプロフィールが表示される。

 

「私は電脳化し、脳殻をこちらの義体に移すことになるだろうねぇ」

「は? いや、他意はないのですが、その、なぜ性別も変更するのですか? いえ、それ以前に神経素子にマシニングする技術の実装などは……」

「少尉、私はね、元々は女なのだよ。ガノタ系アイドルをやっていたのさ」

 

 え、おっさんの中身は女の子ってことですか、たまげたなぁ、などとシン少尉は混乱した。

 

「まったく売れなくてね。最後は自暴自棄になって自殺さ」

「失礼しました」

「いや、いい。私はこれから鬼畜の所業を行うだろう。電脳化技術の確立と義体開発のために、ジオンからNT研究の技術情報を何としてでも確保し、リユースサイコデバイスをも確保するだろう」

「はっ」

 

 ただ、シン少尉としてはゴップ大将がなぜそこまで延命と保身にこだわるのか、そこが気になって仕方なかった。

 

「驚かないのかね」

「これだけ手の内を明かされたのです。もう逃げられないし、あなたの味方にならねば消されるだけです」

「話が早くて助かるよ。君が気にかけているあの子を使わないで済む」

 

 ゴップ大将が満足そうにうなずく。

 

「閣下っ! お願いです、どうか、どうか彼女だけは……」

 

 ゴップ大将から、笑みが消える。

 

「シン少尉、私に忠誠を誓え。そうでなければ、あの『奇跡の子』をコリニーやジャミトフに渡す」

「――選択肢は、ないじゃないですか」

 

 シン少尉は黙るしかなかった。

 あの時、必死に心肺蘇生を施した結果か、イデの意志なのかは不明だが、シャニーナ伍長は意識を取り戻してくれた。

 当然ながら、さらなる集中治療が必要とのことで、後方に送られることとなった。

 しかし、後日、お見舞いに向かうべく調べてみるとジャブローの病院にいることがわかった。

 サイド6などの戦傷病療養エリアではなく、なぜ連邦軍の本部――?

 そして、その疑問はガノタ変換により動揺に変じた。ガノタは陰謀に敏感になるよう調教されているものだからだ。

 

「いいですよ、あなたにこの命、差し出して見せますよ」

 

 シン少尉が吐き捨てるように言うと、ゴップ大将が満足げにうなずく。

 

「ですがね、自分はあなたが権力と長寿に固執する理由くらい、知る権利があると思うんです」

 

 シン少尉が睨むようにいうと、ゴップ大将が口角を上げる。

 

「私はね、人類に地球から巣立ってもらいたいのだよ」

 

 ゴップ提督は、スペースコロニーの開発や小惑星改造技術、生産規模を年次で拡大更新している自動化工場と生産管理AI群について語った。

 結論だけをまとめるならば、人類はすでに恒星間航行すら可能な技術水準に片足を突っ込んでいるのだから、地球というゆりかごを踏み出して進むべきだというのが彼の主張だった。

 シン少尉は、まさかゴップ大将がそんなジオニストのようなことを考えているなどとは思っていなかったため、ため息をついた。

 

「だからですか。あなたは……あなたは戦争を一方的な勝利で終わらせるわけにはいかなかった」

 

 原作のような終わり方をすれば、究極的に行き着く先は連邦政府の緩慢なる腐敗死と、宇宙戦国時代の誕生だ。

 人類は前進するのではなく、細分化されて衰退するだけの未来。

 クロスボーンガンダムDUSTで描かれた、錆びた歴史の果てに到達するだけだ。

 

「実に、クラウン君はよく踊ってくれたよ」

 

 ゴップ大将は諜報部が監視しているというクラウンの資料をシン少尉に手わたした。

 ジオン勲功十字章に輝く彼のきらびやかな経歴は、ゴップ、ギレン、キシリアによるパワーゲームのコマとして使われただけの悲しい履歴でしかないことを思い知らされる。

 

「彼の、ハマーン様への想いは本物ですよ。まるで、それを踏みにじるような……」

「それが彼の愛なのだろう? 私にはわたしの愛がある」

 

 ガノタ同士は殺しあうのがアイサツ。

 だまし、だまされるのもまた、ガノタのアイサツなのだ。

 

「クラウンはザビ家を相手取るつもりだろう。だが、まだ青い。純情なカーン家などいずれすぐ潰されるな」

 

 今すぐにでもクラウンに知らせてやりたいが、目の前の古豪たる政治狸が何かのネタに使うことなのかもしれないと考えると、うかつな行動はできそうにない。

 

「さて、シン少尉、趨勢をどう見るかね?」

「ジオンの辛勝、連邦の敗北といった感じでしょうか」

「結構。実に結構。人々には連邦が負け、ジオンが辛勝したかのように見えるだろう」

 

 ゴップ大将が、白ワインを再度すすめてきたので、シン少尉がグラスで受ける。

 天然物の白ワインの、颯爽とした甘みに心を溶かされる。

 

「だが、本当に勝利したのは人類の未来だよ。逼塞するだけのガンダム世界の歴史を変えること。人々が次のステージへと移行できる手助けをすること――それが、ガノタとしての私の祈りであり、願いだ」

 

 そして、ゴップ大将が熱く語る。

 いつかガンダム00劇場版のように、人類以外の知的生命体と接触する機会もあるだろう。その際、我々は戦いというコミュニケーション手段を確保したうえで、さらに別の手段でコミュニケーションをとらねばならんのだと畳みかけてくる。

 

 壮大な話であった。だが理解はできた。

ガノタとして修練を積んでいなければ詰んでいたな、とシン少尉は一人うなずく。

 

「君は、愛というものが、どういうものかわかるかね?」

 

 ゴップ大将が白ワインのグラスを傾ける。

 ただのおっさんのはずなのに、どこか色気がにじみ出ている気がして、シン少尉は動揺した。

 

「許しだよ。私は、人類を許すためにガノタをやっている」

 

 そこからのゴップのガノタ語りは、シン少尉も面白く感じた。

 人々の集合無意識をニュータイプと高度に発展しているAI、そして電脳の力で政策に反映するという民主主義そのもののアップグレードプラン。

 いわば、集合無意識による投票不要の直接民主制の実現をゴップ大将は狙っているようだ。

 

 そして、ゴップはそれをやり遂げる鉄の意志があるらしい。

 

「私はね、人が人々を統治する代表民主主義よりも、人々が人々を統治する新たなるメッシュ民主主義を作り、ジオンの統治とは違うアルゴリズムを人類社会に実装したいのさ」

「――仮にですが、原典原理主義のガノタがいたら、ゴップ大将の思惑には乗らないと思うのですが」

 

 シン少尉はゴップ大将ほどの構想力を持たない。元々の世界でも任務を与えられ、それを完遂することに最適化した人生だったからだ。自ら任務を生み出す思考法というものはとうに放棄していた。

 しかし、ガノタとしてガンダム世界の歴史に関する嗅覚くらいは持ち合わせていた。

 ゴップ大将の考えは、どこかのガノタには到底受け入れられない話だろうこともわかる。

 ガノタはガノタであり、ニュータイプではないのだ。

 

「構わんよ。生きているガノタは、例外なくガンダムを語り、行動する権利がある」

 

 ゴップの生々しいまでのガンダム世界への愛を、どうとらえたらいいのかシン少尉にはわからなかった。

 本物のパワーゲームを遂行するガノタというものが、妖怪にしか思えないのだ。

 

「さて、私の忠実なる部下、シン中尉よ」

 

 すぐに電子辞令が交付され、階級が上がった。

 

「君はジャブローに残り、中級幹部課程を履修したまえ。大尉までしか上がれん予科練上がりのままでは、私の私兵として使えんからな。キャリアコースを修正する」

 

 そうか、シン少尉は予科練上がりだったのかといまさらながら経歴を把握する。

 そこからのキャリアレーンのチェンジは、将来的に佐官の道が約束されたことを意味している。

 将官になれるかは、まだわからない。将来、指揮幕僚課程を履修できるかに依存するからだ。

 

「最悪ですね。いかにも官僚主義的だ」

「悪党で結構。シャニーナ君のことはどうするかね?」

「この通りです」

 

 シン少尉はプライドも何もかもかなぐり捨てて、頭を下げる。

 本来、かのユキチ・フクザワが述べたように『ガノタは、ガノタの上にガノタを作らず』のはずであるが、ここは軍隊だ。

 階級章がものをいう。

 

「ふん、頭を上げたまえ。君が私に従う限り、私はお前の願いを聞こう」

 

 露悪的にことを進めるゴップ大将に、シン中尉は苦笑する。

 まったく、理想に燃えた現実主義者ほど恐ろしいものはない。手段は択ばず、権力の行使をためらわないからだ。

 

「――正規の士官学校にねじ込んでください」

「よかろう。回復次第、ジャブロー軍官学校で遊ばせておこうじゃないか。以後、私からの呼び出しがあれば最優先で対応しろ。さもなければ、消すだけだ――以上」

 

 ゴップ大将が立ち上がったので、シン中尉が敬礼して見送る。

 大将と入れ替わるように、付将校の少佐と警備兵がやってきた。

 

「シャニーナ伍長のところに案内する。ついてこい」

 

 彼らに付き従う形でついていくと、ジャブローの中にこんな施設があったのかと思える優雅な内装の建物に案内された。

 付将校に訊ねると「ゴップ閣下の迎賓館だ」とのこと。

 軍の所有物ですらなく、ゴップ大将の私的な物件がジャブロー内にあり、しかもそれが政治的パワーゲームに使用されているとは……。

 まったく、ヤバい奴の私兵になってしまったものだとシン中尉は頭を抱え――いや、そうじゃない!

 

 たしかに、シャニーナ伍長との再会もうれしい。

 でも、そうではないのだ。

 最大の課題――『アムロわからせ』をどうするのか、ゴップ大将に相談するのを忘れていたのだ。

 

 病室に入る前に、シン中尉は申し訳ないなぁと思いつつ、ゴップ大将から渡された秘密通信端末でコールする。

 

『――何かね』

「すみません、あの、アムロ君わからせの件なんですが」

 

 さんざん嫌味は言われたが、機体を借りられることで決着がついた。 

 




これは、ガノタの、ガノタによる、ガノタのための歴史改変チャレンジである(※あらすじより)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 0080 ガンダム開発計画準備委員会

ガノタの皆様に支えられて、各種お数字が良くなったようです。
この場を借りてお礼申し上げます。
皆様から頂くガノタ力(ぢから)ってのは、半端ねぇっすよ。

―寝て起きたら300お気に入り超えてた記念―

追記 誤字報告、本当にありがとうございました!


 

 UC0080年、いまだ連邦とジオンとの平和条約はなく、休戦協定状態が続いている。

 しかし、人々は少しずつ日常から戦争を忘れつつあった。

 

 さて、3月も半ばを過ぎてくると、南米特有の暑さが少しだけ和らいできたように思える。

 いや、もしかしたら単に不安感から解放されたからかもしれない。

 シン中尉は、教場の電子掲示板に自分の名前が載っていることをみて安心していた。

 もう教場には誰も残っていない。

 いや、シン中尉以外に一人残っていたか。

 

「シン中尉、三度目の追試でようやく合格か?」

 

 ブライト中尉がやれやれといった様子で、シン中尉に話しかけてきた。

 

「ブライト中尉と違って、自分は座学が苦手でね」

 

 シン中尉の中の人はガノタであるため、座学はガンダム世界の設定を深堀するメシウマ展開であり、学習意欲的には問題がなかった。

 しかし、である。

 シン中尉の中の人が知る世界よりも高度に発展しているのがガンダム世界。

 ゆえに、軍の中級幹部課程を履修するに求められる基礎的な学力の要求水準がかなり高く、苦戦したのだ。

 そもそも、シン中尉の中の人が知るミノフスキー物理学はあくまで『設定』であった。

 一方、ここで求められるのは、学会の学術的批判に耐えうる『ミノフスキー物理学』一般理論を理解して試験に解答できるレベルである。

 優秀な頭脳を持つガノタであれば1日で習得できるのかもしれないが、シン中尉の中の人はそれなりの時間を要してしまい、結構な頻度で座学試験に落ちていた。

 

「いや、シン中尉の経歴は聞いている。むしろよく努力しているほうだと俺は感心している」

 

 中級幹部課程で同期になったブライト中尉とシン中尉は、それなりに良好な関係を構築できていた。

 親友、とまではいかないが、年が近く、ともに一年戦争の最前線を生き抜いた士官ということで、課業後に呑みに行ける程度の関係にはなった。

 中級幹部課程の主流を占める、事務方出身や司令部勤務出身者とは二人とも馬が合わないだけでもあり、はぐれ者どうしの慰めあいでしかないのかもしれないが。

 

「これでようやく指揮演習に集中できるよ」

 

 中級幹部課程では、大尉になるために把握しておくべき最低限の戦術・戦技のみならず、将来を見据えた佐官級の基礎素養を養うことも含まれている。

 特にシン中尉はゴップから厳しく言われていた。

 MS大隊指揮だけでなく、師団・旅団のMSコマンドポストに将来就く可能性がある以上、成績はさておいて、徹底的に頭を鍛えておけと言われている。

 

「シン中尉はMS大隊のBCP代行を星一号作戦でやり遂げたのだろう? ならここでの指揮演習は――息抜きだな」とブライト中尉。

 

 確かにブライト中尉のいうことは一理ある。

 彼もまた臨時飛行長としてワッケイン中佐が指揮を執るトロイホースに搭乗し、元WBパイロットたちを運用していたと聞いている。

 酒の席で聞いたが、あのアムロと揉めに揉めたらしい。

 間に立ってくれるリュウ・ホセイがいなかったらどうなっていたことやら。

 

「あぁ、そういえば明日か? アムロとケンカするらしいじゃないか」

 

 ブライトがにやにやしながら問いかけてくる。

 いったいどこからリークされたのかと思いきや、普通に明日の出欠予定データに『シン中尉、MS教導のため一日欠席』と記載されていた。

 誰を教導するとは書いていないが、ブライトのことだ――アムロから相談されたリュウ経由で知ったのかもしれない。

 

「俺も何度アムロのやつをガンダムから降ろそうと考えたか――だが、やつは調子に乗ってはいるが、腕はある。もしかしたらエスパーかもしれんと思わされる時もある」

 

 そして、ブライトがシン中尉の肩にぽんっ、と手を置く。

 

「シン中尉、貴様ならアムロにいい反省の機会を与えてやれるかもしれんな」

「ブライト中尉、まだあの件を根に持ってるのか」

 

 原作の迷シーンである、ブライトによるアムロ二度殴り事件である。

 酒の席で聞いた話だが、案の定アムロが搭乗を拒否。ブライトがぶん殴って出撃させることがあったらしい(原作では乗るもんか! となっていたが)。

 

「あいつはもう一皮むけるはずなんだ。いやな奴だが――期待はしている」

 

 コミュニケーションをとってみてわかったのだが、ブライトは本当に自分の部下を大事にする気質を持っている。もとより性格が真面目で繊細なのだろう。

 その繊細さがアムロとの対立を生んでいるような気もするが、シン中尉は何も言わないことにしておく。

 

「ブライト中尉、それを口に出してやれよ、アムロ君に。彼はまだ若いんだ。期待していると心を込めて言ってやれば、それだけで自信を持ってくれるぞ」

「――俺たちだってまだ若いよな?」

 

 そうだった。

 すっかりガノタおじさんのようなコメントをしてしまったシン中尉は焦る。

 

「うーん、若いかどうかは、この後にわかるんじゃないか? うまいスコッチをゴップ大将からもらったんだ。一緒にどうだ?」

 

 シン中尉のもとには、ゴップからあれこれと社交グッズが送られてくる。

 いくら軍隊とは言えども、人との関係の円滑さがなければ真の友好関係も忠誠も得られないことをゴップが熟知しているが故の、社交支援である。

 

「いいのか? よろこんでご相伴させていただく」

 

 その夜、ミライさんが妊娠したので結婚することになったとブライトに打ち明けられ、歓喜したシン中尉は高級スコッチを飲み干してしまった。

 

 

 

 南米の太陽がちょうど真上に来た頃、二体のMSが演習場に相対していた。

 一つは、グレー塗装のG3ガンダム。RX-78の三号機である。

 そしてもう一つは、ジム後期生産型である。ジャブローの自動工廠に在庫として積み上げられていたそれを、ゴップが回してくれたものである。

 

 足元には二人のパイロットが、演習前の顔合わせをしていた。

 演習の緊張感――いや、むしろ険悪感が出ていた。

 

 二人がこれから腕を競い合う演習地域は文字通り、密林の古戦場である。

 戦闘によって無残に切り倒された熱帯雨林と、踏み荒らされた泥濘地。

 そこらにザクやズゴックの残骸が転がっており、かつてジオンによるジャブロー襲撃が行われたことがわかる。

 

 戦場の雰囲気がシン中尉とアムロ少尉(昇進した)を飲み込んでいるのであろうか。

 否である。

 

 シン中尉の顔は青白く、あきらかに調子が悪そうだ。 

 強烈な頭痛と、吐き気に襲われていて、もはや生きる屍である。

 

「シン中尉、見損ないましたよ」

 

 アムロ・レイがシン中尉の様子をみて、吐き捨てるかのように言った。

 

「いや、これには事情が……」

 

 ガノタにとって、リアルにブライトからミライさん御懐妊の連絡を受けるなど、孫の誕生を喜ぶジジ様ババ様以上のアレである。

 祝杯が止まることがあろうか。

 

「もういいですよ。よく考えたら、お酒が入ってるくらいが本当に普通のパイロットなのかもしれませんし」

 

 普通かどうかは知らないが、シン中尉は不意に酒飲みながらMSに乗っていたミハイル・カミンスキー氏を思い出した。彼の最後はNT-1に撃たれてハチの巣だったが、この世界ではたのしく酒を飲みながら生き残っているのだろうか。

 

「ほら、そのジムに乗って下さい。ワンパンで仕留めますから」

「うぅ、すまない、すまない」

 

 そうして二人は互いにMSに乗り込んだ。

 演習計画通りの互いに後方にジャンプし、距離をとる。

 

『カウントダウンをしますよ。30秒で』

 

 アムロからの通信と同時に、シン中尉のコックピットにカウントダウンが表示される。

 想定は近接遭遇戦。

 ミノフスキー粒子下の地上戦で頻発する一般戦況である。

 

「うぅ……」

 

 シン中尉は、すでにヘルメットの中で吐いていた。

 戦う前から敗北しているようなものだ。

 

 3,2,1とカウントダウンが0になる。

 

 ジム後期生産型が申し訳程度にサイドステップを踏み、演習用に調整されたG3ガンダムのビームライフル照射を回避する。

 

『へぇ、よけるのか』

 

 シン中尉の筋肉と脊椎が勝手に回避動作を実行しただけであり、本人はほぼ意識を失っている状態だ。

 

 G3ガンダムは即座にジム後期生産型の動きに合わせて射線を変更する

 しかし、二射、三射ともにジムに回避される。

 そしてジム後期生産型の90㎜マシンガンからペイント弾がバースト射撃される(無論、これもシン中尉の体が勝手にやっているだけであり、いわば無意識のガノタの基礎力といえよう)。

 G3ガンダムはジムが嫌がらせのように正確にばらまいてくる弾丸から身をそらす。

 

『意外と精密じゃないか。すこしだけ見直したな。けど』

 

 G3ガンダムがジムの射撃を回避するために、素早く反復斜行を繰り返しながら接近。

 ジムが演習用に制限された出力のビームサーベルを抜こうとしたのを腕で抑え込む。

 そしてジムのコックピットにビームライフルを突き付けて――演習終了である。

 

『シン中尉、なかなかいい腕でしたよ。普通のパイロットがどの程度なのか、肌感覚で理解できました』

 

 アムロの満足げな声がシン中尉のコックピットに届く。

 が、シン中尉の返事はない。

 バイタルこそ正常だが、意識はないのだ。

 これもすべて、ブライトが悪い。

 

『あれ、中尉? そっか、気絶させちゃったのか』

 

 アムロの申し訳なさそうな声が響いた。

 

 その日以来、シン中尉のMS操縦技術は大したことはない、という噂がジャブロー内に広まった。

 もちろん後日、シン中尉はゴップ大将に呼びだされた。

気合の入った平手打ちを食らったシン中尉は、すっかり意気消沈してしまった。

 

 

 

 

 

 UC0080、8月末、シン中尉は中級幹部課程を下から数えたほうが早い成績で修了し、同時に大尉に昇進した。

 式典を終え、さてゴップ大将に報告に行くかと駐車場を歩いていると、ブライトに呼び止められた。

 

「おいおい、挨拶もなしか? シン大尉」

「――あのな、ブライト大尉。あんたはエリートなんだから、自分なんかと一緒にいるところを見られるとよくないぞ」

 

 いわゆる修了席次は雲泥の差だ。ブライトは首席とはいかないが、両手で数えられる順位ではある。

 一方のシン大尉は、墜落寸前の順位だ。

 

「下らん連中のことは気にするな。貴様が本物の兵士だということは、俺が一番知っているつもりだ。アムロにやられたがな」

 

 すっかり飲み友達と化したブライトが冷やかしてくる。

 彼の襟元をみると、大尉の真新しい階級章がきらりと光っている。

 

「お前のせいだろうが……あ、そういえばお子さん、もうすぐなんだって?」

「ああ。俺はしばらく産前産後休暇を取ることにしたよ。落ち着いたら、結婚式をするんだが――貴様も来てくれるか?」

「喜んで。会場でアムロ君に絡まれながら祝杯を挙げてやるよ」

「いやぁ、あの件は正直すまなかった」

 

 ははは、と二人で笑っていると、駐車場に一台のジープがやってきた。

 武装した兵士が二名。よく見知った、ゴップの子飼いたちだ。

 ブライトが察してくれたらしく、シン大尉に別れの言葉をかける。

 

「……結婚式、必ず来いよ」

「ああ。結婚式、楽しみにしているよ」

 

 別れをつげて、シン大尉は、ゴップ大将によって差し向けられたジープにおとなしく拉致された。

 

 

 

 シン大尉はゴップ大将が勤務する統合参謀本部中央庁舎に降ろされ、警備兵に案内されるまま執務室へと通された。

 

「シン大尉、入ります」と入室する。

 

 ゴップ大将が端末に何かを打ち込んでいる作業をしながら、そこの書類を読め、と指示してきた。

 シン大尉は言われるままにソファに腰を下ろし、書類を手にする。

 

「……ラプラスの箱か」

 

 書類には、ビスト財団が保有するラプラスの箱にまつわる金周りの詳細な記録と、関連団体がいかほどあるかの調査報告が記載されていた。

 

 初代地球連邦政府首相が希望を込めて作った、本物の連邦憲章。

 それをダシにして連邦政府やアナハイム・エレクトロニクスとずぶずぶの関係を作り出してたビスト財団だが、財団の本当の狙いは時期を見計らった箱の解放だ――というのがガノタ界隈での常識である。

 この辺りはガノタにおける義務教育レベルの知見なので、シン大尉はすぐに書類の重要性を認識した。

 

「目を通したかね」

 

 執務を中断したらしいゴップ大将が、シン大尉の向かいのソファに腰を下ろす。

 

「はい。現時点ではかわいいものですね」

 

 復興事業まわりの土建業利権や物資納入利権に食い込んで小銭をためているだけで、いまだ箱の解放を企図した動きを読み取れるような金の動きはなかった。

 

「理解はしているようだねぇ。さて、本題だ。政治状況が正史と異なり、ザビ家が存続し、連邦政府と対立しうる双頭の権力構造になっているのが今の人類だ。この状況でラプラスの箱はどう使われるかね?」

 

 政治センスを持ち合わせるガノタならピンとくる質問なのだろう。

 しかし、シン大尉はもとより政治とは縁遠い。むしろ政治にこき使われる側の人間として経験を積んでしまっていた。

 

「ビスト財団がジオン公国に大義ありと判断して、早期にラプラスの箱を移譲してしまう可能性を思慮します。そうなればジオンはラプラスの箱を大義に掲げ、再度連邦政府に挑戦する名分を得ます」

 

 シン大尉の、いかにも杓子定規な解答に、ゴップ大将はまだまだだな、と首を振る。

 

「シン大尉、君はつくづく政治家に向かんな。いいかね、君が考える方向でのラプラスの箱の価値は『すでに失われた』のだよ」

「は?」

「ラプラスの箱がパワーゲーム上で価値を発揮するのは、地球連邦政府のみが統治機構として人類を支配した時だけだ。現在の人類がジオンと連邦、双頭の権力を奉戴している以上、人類は『選択』できるのだよ」

「たしかに」

「ジオン公国が掲げる宇宙移民とニュータイプによる新たなる統治機構と、地球連邦政府が掲げる民主主義に基づく公正な統治のいずれかをね。まぁ、両勢力ともに一枚岩とはいえんが。いずれにせよ、ラプラスの箱の開示は連邦政府の首相が交代する程度のスキャンダルに終わる程度の代物に成り下がる。歴史的にみれば、もはや無価値だ」

 

 ゴップ大将に諭されて、ようやくシン大尉はラプラスの箱のポジションを理解した。

 

「選ぶ選択肢がない時に、選択肢を提示することは権力の新たな脈動を生むが、いまはそうではない。こういう状況にもかかわらず、なぜビスト財団が連邦政府の各事業に根を巡らすことができるか、わかるかね?」

「――さっぱりですね。降参です」

 

 まったく、とゴップ大将があきれかえる。

 

「いいかね、レビルが動いている。本来の連邦憲章を大義名分とした、連邦政府そのものの改革を狙ってね」

「は?」

 

 素っ頓狂な声しか出せないシン大尉。

 

「レビルが、先の大戦を招いたにもかかわらず変わろうとしない連邦政府を内側から改めよう、などと考えているのだよ。バカな考えはやめろと説得したが、奴は聞く耳を持たん。優秀な奴が下手な理想に燃えるとこうなる」

 

 シン大尉はしばし考えこむ。

 

「閣下、その、レビル大将のお考え自体は、悪い考えには思えないのですが?」

「彼はその秘密結社をエゥーゴと名付けたそうだ――」

 

 ティターンズの誕生に対するアンチテーゼとしてエゥーゴが生まれると原作知識を持っていたシン大尉だが、まさかレビル将軍首魁でエゥーゴが生まれるなど予想もしていなかった。

 

「エゥーゴですか。穏やかではないですね」

「完全に傍観者のような口ぶりだな。仕方ないやつだ……」

 

 と言いながらも、ゴップ大将が政治状況を解説をしてくれた。

 

 曰く、レビル派エゥーゴは、いまの連邦軍や連邦政府に不満を持っている官僚や軍人、財界関係者や学識経験者を集めているところらしい。

 そして、自らの派閥に文字通りの『力』を持たせるべく、一つのプランを連邦政府に提出したらしい。

 

 ゴップ大将から資料が放り投げられる。

 あわてて拾いあげてそれを確認する。

 内容は――ガンダム開発計画準備委員会設立であった。

 

「これは……」

 

 コーウェン中将が指揮をとるガンダム開発計画の根回しプロジェクトであった。このガンダム開発計画準備委員会が、アナハイム・エレクトロニクス社のクラブ・ワークスとタッグを組み、GPシリーズを開発。

 これがのちに0083におけるデラーズ紛争とつながっていくのが正史の話だ。

 ただ、現状アナハイムはジオニックを吸収できていないので、どんなMSが仕上がるのかガノタとしては気になった。

 

 プランのドキュメントを斜め読みしてみると、原作通り、最強のガンダムというのを作り上げるプランであった。

 

 アムロ・レイがグラナダ方面で戦果を挙げたG3ガンダムの直系コンセプトとしてのGP01、戦略レベルの影響をMS一機で実現することを志向したGP02、そしてMSと火力コンテナの有機的連携による戦場支配についての概念実証機たるGP03及びオーキス。

 

 これらを開発し、レビル派エゥーゴはMSの運用ドクトリンと開発技術の両方を次世代へと更新する腹積もりらしい。

 

「困ったものだ。レビルもコーウェンも都合のいい話に振り回されおって。ガンダム開発計画の外部委託は試算上、政府直轄事業よりコストパフォーマンスに優れるなどと議会の予算委員会でほざいて、議員どもを煽る姿はまさに道化だったよ。ダシに使われる私の気持ちはわかるかね?」

 

 ゴップ大将がシン大尉にぼやいた。

 ゴップ大将が苦労して作り上げてきた、ジム系MSの大量生産を可能とする自動工廠及びそのサプライチェーンを、レビルたちは猛然と批判したそうだ。

 

 信じられないほど安価に量産できるジムというコンセプトを真っ向から否定。

 この大量生産/大量損耗の物量戦略が原因で数多の連邦兵が死んだのだ、と。

 連邦軍のMS戦略そのものが誤っていたがゆえに、此度の敗戦を迎えたのだと猛烈に批判演説をかまされてしまったらしい。

 

 そして、本来のV作戦通りの性能を発揮する高性能MSであればどうなるのか、と。

 壮大なファンファーレとともに、それなりの演出が入った動画が予算委員会の巨大スクリーンに映し出されたらしい。

 G3ガンダムの性能証明ムービーはなかなかの出来で、ゴップ大将もガノタとして大変感銘を受けたらしい。

 そして、そのムービーの主役を張っていたのがグラナダ方面でのアムロ・レイが行ったガンダム無双だったそうだ。

 

 しかも、である。

 とどめに、先ごろのシンとの戦いのデータを提出してきたそうだ。

 

「連邦の最前線を支えたエースを、16歳の少年がこのように易々と打ち破れるのです! とコーウェン少将の勝ち誇った顔を、貴様に見せてやりたかったよ」

 

 ゴップ大将はストレスのせいか、わなわなと震えている。

 

「さすが元ガノタアイドル、コーウェン少将の形態模写が完璧すぎますね」

 

 ブチ切れたゴップ大将からインク瓶が飛んできたので、慌ててキャッチしておく。

 よけたら瓶が割れて、掃除の兵士がかわいそうだからだ。

 手が、すごく、いたいです……。

 

 しかし、さすがはゴップ大将。

 ゆっくりと深呼吸をして、怒りをお鎮めになられた。

 

「レビルも、コーウェンも政治におけるマネーゲームを全く理解していない――ビスト財団が巡らせた政府系復興事業の裏資金源、MS開発/生産利権を独占獲得したいアナハイム社と月面経済界による政治工作資金が突っ込まれているからこそ、ガンダム開発計画の外部委託がこの予算となることをわかっていないのだ。もし分かっていてプランをぶち上げようとしているのであれば、奴らは文字通り連邦政府に対する反逆者だ」

 

 ゴップ大将が深いため息をついた。

 そして、じろりとシン大尉をみる。

 

「シン大尉、君の仕事はこのガンダム開発計画を頓挫させることだ」

「それは……もしかしてガンダムのテストパイロットをやって、意図的に性能評価を貶めたりすればいいのですか?」

 

 ついにガンダムに乗れるかもしれない、とシン大尉はワクワクしてしまう。

ガノタという生き物は『ガンダム』という機体に執着しているのだ。

 

「……違う、バカ者、逆だ、逆。君はアグレッサー側だよ。手を加えたジムを渡す。ガンダム開発計画準備委員会が概念実証機として提出するGP00を沈めたまえ。ジムに勝てないガンダムを作り出してしまった形にして、計画を終わらせる」

 

 シン大尉はしばし天井をみつめる。

 そして、テーブルにおいてあるコーヒーのマグをとり、合成コーヒーをすする。

 ふいに立ち上がり、何度かその場でスクワットを行い始めた。

 挙句には逆立ちをして部屋を腕で歩き回る(?)奇行までやらかした。

 

「君は、何をしておるのかね?」

 

 ゴップ大将が怪訝なまなざしでシン大尉の奇行を見ていた。

 

「――はい、受け入れました。ガンダムに乗れない、という事実を、なんとか受け入れました」

 

 シン大尉はふぅ、と大きく息を吸って、吐いた。

 いかんせん、ガンダムに乗れないとなると少々冷静さを欠いてしまうからだ。

 

「まったく……とにかく、必ず仕留めろ」

 

 ゴップ大将がはぁ、とため息をついた。

 

「はい。あ、ですが、こう、たまたまなんかガンダムに乗り込まざるを得ないような感じのシチュエーションの時は――」

 

 ガンダム伝統の、緊急事態ゆえに成り行き上ガンダム乗るシナリオを想起する。

 異世界転生なり憑依に備えているガノタならば一万と二千回以上妄想ないしシミュレートしているシナリオである。

 

「ならん。もし一瞬でもガンダムに乗ってみろ。シャニーナ君は死に、貴様も海に沈める」

「そんなご無体な……」

「あたしだってガンダムに乗れてないのに、なんであんただけ乗れんのよ?」

 

 ゴップ大将の中の人が、ゴップを演じ切るのを忘れて、笑顔で最悪のアンサーをかましてきた。ガノタの嫉妬ほど恐ろしいものはない。

シン大尉は絶対に乗らないでおこうと心に決めた。

 

 

 

 

 ゴップ大将と胃が痛くなる会談を終えたシン大尉は、偵察用バイクを拝借してジャブロー軍官学校に向かった。

 士官候補生たちの課業はすでに終わっており、明日の課業に向けた準備時間であった。

 シン大尉は受付でシャニーナ士官候補生を呼び出してもらう。

 

「隊長! わざわざ来ていただいてありがとうございます」

 

 シャニーナ士官候補生は、シン大尉同様の士官服をまとっていた。ただし、階級章だけは士官候補生のそれだ。

 

「シャニーナ士官候補生、今の自分は君の隊長ではないよ」

「隊長は隊長ですよ。あ、幹部中級課程の修了おめでとうございます」

「ありがとう。学校はどうだ?」

 

 ロビーに座りながら話を聞く。

 彼女がMS競技会で優勝した動画や、徒歩行軍演習でくたばっている記録を見せてもらった。

 

「なんとか溶け込んでいるようだな。同期とはうまくやっているか?」

「あんまり……ですね。みんな幼い感じがします。ムーア同胞団でも、隊長の下にいたときも、いつだって殺し合いでした。でもここでは、戦争をお勉強してる感じがするんです。おままごとっていうのは言い過ぎかもしれませんけれど。あ、でも一般教養は好きです。自然科学一般とか、人文科学一般みたいなのです」

 

 文学作品でこれが面白かっただとか、ミノフスキー理論の実験に驚いたとか、そういった話をしていると、シャニーナが日々いろいろな知識を学び、成長しているのだと感心した。

 

「それで、隊長はどうなんですか?」

「ちょっとした任務がある。しばらくは会いに来れないな」

「そう、ですか」

 

 シャニーナがうつむいてしまう。

 

「しばらく、ってどれくらいですか?」

「今みたいに月一で来るのは無理だ」

「夏休暇は――帰ってこられるのですよね?」

 

 ジャブローの夏は11月から始まる。軍官学校の長期休暇は12月半ばから1月半ばというのが慣例だ。

 

「その頃には一度休暇をとって戻ってくるよ。MS戦の指導もしてやりたいし。閣下に頼めば演習機と場所くらい用意していただけるだろう」

「はい、ぜひお願いします。わたし、お会いできるその日まで我慢しますから」

 

 そんなにMS戦の指導を受けたいのかと思うと、胸が熱くなった。

 シャニーナには自分のもっているすべての操縦技術を伝えねばなるまい、とシン大尉は勝手に心に誓った。

 




政治の季節はあと数話で終わらせて、0083にいきたいでござる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 0080 俺が、お前を、倒す

 我らもただの人間だが……
 人は、ただの人間であることに異議を唱え、そこから抜けようとあがく瞬間からただの人間であることをやめるのだ。

 私は、随分前に「ただの人間」をやめたぞ。

 泣き言も、自分が小さい事を悲しむのもやめた。それよりは隠れて努力することにした。

 努力は恥だが、悲しむよりはいい。
 ただの人間である事を悲しむよりも、世界を敵に回して戦うための実力を磨くほうがいい。
 どんな人間よりも、我らは恥をしのんでいる。
 必要なら我らの信じる事を、万難を排して行うためだ。
 そこで既存の勢力と戦いが起きるなら…、
 その結果、世界は、我ら(ガノタ)に征服されるのだ。

~ガノタについて 芝村 舞~


 

 シン大尉はシャトルの窓から月面都市の輝きをみつめていた。

 月面都市と聞いただけでシン大尉の中の人は大興奮である。中の人の故郷では、月面というのは地球から逃れた富裕層が住まうゲーテッドコミュニティであったからだ。

 ゆえに、どうしても月というものに憧れをもってしまう。

 

 企業都市、フォン・ブラウン。

 先鋭化した資本主義の到達点ともいうべき経済都市に、シン大尉のシャトルが降り立つ。

 

 さて、アナハイム社指定の私設宇宙港に降り立ったシン大尉は、田舎からのお上りさんと同じく、月面構造物の洗練されすぎたデザインの内装をきゃっきゃと楽しみながら、携帯ナビの案内に従ってすすむ。

 

「お、この先だな」

 

 めざすは、ガンダム開発計画準備委員会の拠点となっている、先進技術開発棟である。

 夢にまで見た、アナハイム・エレクトロニクス社のオフィス。

 ワクワクがとまらねぇぜ。

 

「はーい、そこまでっす」

 

 ナビのガイドを無視して進んではならぬ通路にむかったシン大尉を止める者がいた。

ガンダムを、未来オフィスをみたいんだよぉというガノタの悲願成就を妨げるのは、かつて戦場をともにしたノエミィ・フジオカ軍曹改め、少尉である。

 

「どこ行くつもりっすか。大尉はこっちすよ」

「いや、ちょっとトイレを」

「トイレならそこっす」

 

 ノエミィ・フジオカ技術少尉が、指さした先には、男女その他のユニバーサルトイレットゾーンがあった。

 

 地球を出発する際、今回の技術支援リーダーだとノエミィ・フジオカ技術少尉を紹介されたときは驚いた。

 なんでも、シンが中級幹部課程を履修しているあいだ、彼女も技術幹部課程を履修し、大学院にも通っていたらしい。

 フォン・ブラウンに向かうまでのシャトル機内であれこれと彼女の話を聞くと、なんど除隊申請出してもダメだったそうだ。あ(察し)となったので、軍隊ってのは理不尽なものだよと諭しておいた。

 

 さて、ノエミィ・フジオカ技術少尉に引っ張られるようにしてたどり着いたのは『ガンダム開発計画準備員会 連邦宇宙軍月面方面戦技教導隊分遣隊派出所』という、廃材利用の看板が立てかけてある元物置であった。

 

「これじゃ、ない……」

「ちょっと、大尉、何グダグダいってるんすか、早く荷ほどきするんすよ」

 

 元物置部屋の中にはダンボールが積み上げられていた。

 0083で描写されていた、あのアナハイムのおしゃれで近未来的なオフィスは、ない。

 

「あ、大尉、中古のエアコンおいてあるっす。吸排気口は……いけそうっすね」

 

 物置の壁面を調べて、うんうんとフジオカ技術少尉が何かを調べている。

 

「フィルタ替えたら使えそうっすね。じゃ、あーしは需品科にいって機材とエアコンの部品とってくるんで。戻ってくるまでに机の組み立てとかロッカーづくりよろしくっす」

 

 じゃーねー、とノエミィ・フジオカ技術少尉が去っていった。

 取り残されたシン大尉は、しぶしぶ、説明書を読みながらデスクや電子ロッカーの組み立てを始めた。

 

 

 二台のデスクとガンロッカー(フォン・ブラウン市役所の封印つき)。そして偉い人に繋がる特別な通信端末。それだけでミチミチの状態になってしまうのが『ガンダム開発計画準備員会 連邦宇宙軍月面方面戦技教導隊分遣隊派出所』である。

 

「エアコンが動いてよかったよ。ありがとう、フジオカ技術少尉」

 

 

 空気の流れの悪い部屋で黙々と組み立て作業に従事していたシン大尉は、フジオカ技術少尉のおかげで、空気を循環させることの重要さを再認識していた。

 

「はぁ。それよりも腹減ったっすね」

 

 ノエミィ・フジオカ技術少尉曰く、先ほどアナハイム・エレクトロニクス社のガンダム開発チームが、素敵な社員食堂でディナー・ミーティングをしているのを目撃したらしい。

 腕の立つシェフが料理を提供してくれるらしく、残業を頑張る社員たちをしっかりサポートしてくれるそうだ。

 もちろん、シン大尉たちに利用権はないが。

 

「レーションならあるぞ。タンドリーチキンと、テリヤキチキン、どっちがいい?」

「チキンしかないんすか」

 

 二人は大して味の違いが判らないチキンを半分こにして分け合った。ぼそぼそのパンをかじり、得体のしれない合成コーヒーで乾杯する。

 

「あー、もう、最悪っすよ。せっかく月に来たのに遊びに行けないなんて」

「制服での外出は禁止、だぞ。べつに私服でうろつく分には問題ない」

 

 月面中立都市宣言の効果で、月面にある各都市はいずれも連邦、ジオンいずれの将兵も出入り自由だ(武装の封印措置はあるが)。ただし、0083のアルビオン隊のように、制服でうろつくと揉めることになるので禁じられている。

 

「――マジっすか?」

「ああ」

「なんで早く言ってくんないんすか! ゴップチキン食べちゃったじゃん!」

 

 突然怒り出すフジオカ技術少尉に、シン大尉は困惑した。

 

「えぇ……」

「ほらっ! 大尉も着替えるんすよっ! 時計見てください、もう課業終了! はい、ガン所長、訓示っ!」

 

 ガンダム開発計画準備員会 連邦宇宙軍月面方面戦技教導隊分遣隊派出所、略してガン所だそうだ。

 

「えー、明日から実機調整と対抗シミュレーションやるので、協力を頼む、以上。分かれ」

「分かれます!」

 

 シン大尉とフジオカ技術少尉が敬礼をして課業終了の儀式を終える。

 

「じゃ、準備したら、空港のロビー集合。30分後っすよ、いいっすね?」

「あ、ああ」

 

 フジオカ技術少尉があっという間にいなくなった。

 月面滞在中の宿舎は、ここアナハイムの私設空港に併設されているビジネスホテルの一室となっている。すでにそれぞれの私物は運び込まれていることだろう。

 

 

 

 さて、私室でカジュアルスーツに着替えたシン大尉は、フジオカ技術少尉に言われた通り、アナハイム私設空港の待合ロビーのベンチに腰掛けて待機した。

 ついたぞ、と位置情報とメッセージを送っておく。

 そして、しばらくガラスの天井の向こうに広がっている宇宙を見ていた。

 地球と違って、本当に星がきれいに瞬いている。

 

「お待たせっす!」

 

 Tシャツにオーバーサイズのネルシャツを着たフジオカ技術少尉が声をかけてきた。

 グランジファッションの申し子となったようだ。

 長らく娑婆の空気というものに触れていなかったシン大尉はまじまじと見てしまう。

 

「な、なにじろじろみてるんすか……」

「いや、センスあるなと」

「大尉がコンサバすぎるだけっしょ」

 

 実は年が近い二人なのだが、ならんで歩いてみると、いかにもおっさんと女子学生といった感じになってしまう。

 そんな様を互いにわいわいと話しながら、空港前で無人タクシーを拾い、フォンブラウン市内へと向かった。

 

 

 無人タクシーの検索AIにシックな宇宙世紀JAZZバーを提案してもらい、現在混み合っていないところに送ってもらった。

 タクシーを降りると、そこは歓楽街から一本奥に入ったエリアとなっていた。静かに飲む連中に向けた店舗が多いらしく、ネオンサインやMRサインは控えめなものが多い。

 行き交う人々も、勤め人やカップル、そしておそらく軍人ばかり。

 

「へーっ、月の飲み通りってきれいなんすね」

 

 月面の不動産会社があの手この手で再開発を繰り返しているらしく、0083でウラキがボコられていたような通りはもっと奥まったところか、下層にあるらしい。

 

「じゃー、まず一件目っすよ!」

 

 フジオカ技術少尉につれられるままに、ちょうどJAZZバンドが交代作業をしているタイミングのバーに入った。

 テーブル席に二人で座り、パネルでサラダとナッツを頼む。

 

「何にするんだ?」

「あーしはホワイトエールで」

「自分はスタウトにするよ」

 

 注文してしばらくすると、シャープなスタイルのお姉さんが二つのジョッキをテーブルに配膳してくれた。

 

「かんぱーいっ!」とフジオカ技術少尉。

 

 二人でグラスを軽く合わせて、さっそくジョッキを半分ほど空にする。

 

「うまっ! これガチのやつじゃないっすか!」

「停戦のおかげで地球や各コロニーからの物流が正常化したんだろう。戦争ってやつは、市場から戦場へと物とサービスを移動させてしまうからな」

「そうじゃねぇっすよ。うまいなっ! って相槌打つところっすよ。そんなんだから大尉はモテないんすよ」

「す、すまん……」

 

 なんだか同じようなことをゴップ大将に言われていたような気もするが、どうだったか思い出せない。平手打ちされたときに記憶が飛んだのかもしれない。

 

「お、新しいバンドっすね。2ピースじゃん」

 

 ジャズステージを見ると、ガノタならば押さえておくべき人物がいた。

 

(イオ・フレミングとタトゥーのビアンカ……)

 

 ペガサス級強襲揚陸艦スパルタンのパイロット連中である。

 ゴップ大将は、何が何でもジオンのサイコミュ技術とリユースサイコデバイスを手に入れると言ってたが、もしかして月面で何か陰謀ゲームをやってるのか?

 

「いいじゃん」

 

 イオとビアンカ、ドラムスとピアノのセッションが始まった。

 まずはクラシックだがモダナイズアレンジされた『キャラバンの到着』だ。

 ミシェル・ルグラン特有の、リズミカルなエスプリをキメている原曲。

 イオとビアンカのセッションは完ぺきなグルーヴであり、音響に色彩が満ちていた。

 

「ちょ、何泣いてるんすか……」

「うぅ――生まれてきて、よかった……」

 

 ガノタにとって、イオとビアンカのセッションを生で聞けることは、父なる何かから啓示を受けたイエス・キリストと同じレベルの感銘である。

 つまり、シン大尉はいま、祝福を受けているといっていい。

 

「大げさな……二曲目は最近の曲っすね」

 

 サンダーボルトのサントラでおなじみのアレがかかり、ますますシン大尉は涙を流しながら追加のスタウトをオーダーする。

 本当はバーボンウイスキーに手を出したいのだが、深酒での失敗は二度とできないので、ビール系統でがまんしておく。

 

「――よぉ。そこのカップル。そんなにオレらのセッションに打たれたかい?」

 

 イオ・フレミングが、3曲目を終えたマイクパフォーマンスでシン大尉のテーブルに声をかける。

 

「最高のグルーヴだよ。ハートがブルった」

 

 涙と鼻水を流すシン大尉が、率直に答えた。

 

「ありがとな。なんか希望の曲はあるかい?」

「なら、Moanin’を」

「――サックスが足りねぇなぁ?」

 

 イオが来いよ、とスティックを振る。

 シン大尉はすっと立ち上がり、スーツの襟を正す。

 月面都市フォン・ブラウンシティで、イオとビアンカとセッション。

 シン大尉の中の人は、幸せとは何かを、いま理解した。

 

「え? 大尉、楽器できるんすか?」

 

 フジオカ技術少尉が驚いたのか、まちがってシン大尉のスタウトを一気飲みしてしまう。

 

「ちょっと、遊んでくるよ」

 

 ガノタたるもの、いつイオのJAZZセッションに呼ばれてもいいように、楽器一式は嗜んでおくものである。

 無論、シン大尉の中の人は電子サックスを鬼練済みである。

 

 ステージに向かう途中、店のオーナーらしき方からエレキサックスを預かる。

 そして、シン大尉はステージの端に立つ。あくまでゲストであり、メインは2ピースプレイヤーだからだ。

 マウスピースとプラリードの調子を合わせて、軽く音合わせ。

 そして、三人でMoanin’。

 今、ガノタの魂が、解放される。

 

 

 

 客席からの拍手にこたえて、ステージから降りる。

 イオとビアンカとはもう言葉を交わすことはないだろう。互いにギグで伝えきったからだ。互いがMSパイロットであること、やむに已まれぬ任務があること。

 すべて、理解した。

 ガノタならば当然のことである。

 

「――大尉って、かっこいいときもあるんすね」

 

 酔いが回っているらしいフジオカ技術少尉は、少々顔が赤い。

 一応、水のはいったグラスを注文しておく。

 

「いらねぇっすよ! ったく!」

 

 なぜか顔をしかめられた。わからぬ。

 

 その後、二人はイオとビアンカの演奏をすべて聴いてから退店した。

 二件目に行くかどうか話し合ったが、明日から搭乗訓練と整備調整が本格化するからということで、二人でホテルに戻った。

 

 もちろん、部屋は別々である。

 

 

 

 

 月面に急遽造成された秘密演習場にて、シン大尉はゴップから回されてきた機体の慣熟訓練に励んでいた。

 

 ジムコマンド・ライトアーマーである。

 

 これは絶対にジムスナイパーⅡが来るっ! と確信していたシン大尉は、ハンガーに出向いてみたら股間オレンジのジムがドンと収まっていて、慄くことしかできなかった。

 

「股間、オレンジじゃん。アピールしすぎっしょ」とフジオカ技術少尉が汚いものでもみるような目を、シン大尉にむけてくる。

「違うんだ……決して、自分のパーソナルカラーじゃないからな」

「ほんとにぃ? JAZZの時はかっこよかったけど、こりゃないっすわ」

 

 さて、期待したブツではなかったものの、さっそく慣熟訓練を始める。

 いざ乗り回してみると、これが傑作。

 月面宙返りも何のその。

 ジムコマンドLAはシン大尉が思い描くすべての動作を予備動作0で実行してくれる優れものであった。

 ジムコマンド宇宙仕様の装甲をモリモリ削り、推力もわずかに盛られているおかげで、今まで乗ってきたジム系統が歩く戦車に思えるほどである。

 

 これぞ、モビルスーツ。

 

 着て動かしているようなダイレクトな反応に、ジム本来の可能性を見た。

 今は文字通りバレリーナの如く、しなやかかつ華麗に舞っているつもりである。

 

『大尉、そのゴキブリみたいな動きやめてもっていいっすか? ピョンピョンカサカサ動き回って、見てるこっちが酔いそうっす』

 

 フジオカ技術少尉からの通信が入る。

 どうも股間オレンジのせいで評価が低い……気がする。

 

「ゴキブリ!? 失敬な。蝶のように舞い、蜂のように刺す、を実践中だ」

『どう見ても部屋飛び回るゴキブリっすよ。人間様の手を煩わせるアレっす』

 

 言い方というものは大事なんだな、とシン大尉は学んだ。

 もしフジオカ技術少尉が『速い! 通常の三倍っす!』とでも言ってくれれば、調子が出てきてガンダム試作0号機をワンパンできるかもしれないのに、などとくだらないことを考えていると――

 

「!!」

 

 派手に頭から月面に突っ込み、クラッシュするジムコマンドLA。

 

『あちゃーっ! 大尉、無事っすか?』

「鼻血でた……」

『はぁ。とりあえず機体チェックするんで一回戻りで』

 

 シン大尉はジムコマンドLAを立ち上がらせて、格納庫に向かう。

 まずは粉じん処理エリアで派手にかぶっている月の砂礫を吹き飛ばす。

 同時に冷却噴霧を受けて機体を冷ます。

 そしてようやくハンガーエリア・イン。

 

『よーし、そのまま。後はオートで』

 

 ハンガーに機体をロックしたのを、事故防止を兼ねてフジオカ技術少尉とダブルチェック。

 

『ロックよし。搭乗員は降機せよ』

「了解」

 

 コックピットハッチを解放。

 可動式タラップが静止したのを確認して、そこに移る。

 タラップを動かして地上に降りて機体を見上げる。

 下から見ると、やはり股間がオレンジなのが気になる。

 

「大尉、整備ドローン展開するんで、どいてほしいっす」

「あ、すまん」

「ほら、休憩入って。あとはあーしの仕事っすから」

 

 フジオカ技術少尉に整備を任せ、シン大尉はハンガーエリアに増設されているパイロット待機室に入った。

 

 自販機で水を買い、ずずずとすすりながら先ほどまでの外録をチェックする。

 自分が意図している通りに動き回るジムコマンドLAの姿を見ていると、なんだかうれしくなった。

 素ジムやジム後期生産型も悪い機体ではない。

 多少のディレイはあるが、意図した通りには動いてくれる。

 ただ、どうしても『常に素早く、もっと速く』動けるわけではなかった。一瞬だけ早い、は可能だったが、俊敏に動き回る――フジオカ技術少尉の言う、ゴキブリマニューバは実現不可能だったのだ。

 

「お疲れっす」

 

 フジオカ技術少尉が待機室にやってきた。

 どうやらあとはドローン整備に任せるらしい。

 

「いい動きっすね、ジム股間オレンジ」

「ジムコマンド・ライトアーマーだ……。正直、驚かされた。思い通り動かせるだけで、こんなにMS操縦というのはストレスが消えるんだな」

「そんなもんなんすかね? あーしは技術屋なんでわかんないっすけど。ただ、整備しやすくていいっすよ」

 

 そして二人でいくつかの運用上のまずい点を洗い出すミーティングを始めた。

 まず、何よりも被弾厳禁であること。

 装甲が文字通り紙なので、バルカンで沈みかねない。

 むろん、先ほどのような転倒事故、接触事故もできる限り回避すべきことである。

 

「たぶん、すっ転ばないようにゴキブリ殺法を極めれば――ガンダム試作00号機でしたっけ? 迫れるかもしれないっすよ」

 

 いや、迫るんじゃなくて倒さなくちゃいけないんすけど、とシン大尉は口に出しそうになったが、止めた。

 もしかしたらゴップ大将が何らかの意図で伝えていないかもしれないからだ。

 呑みの席でも、フジオカ技術少尉は機体を完ぺきな状態に維持するのがあーしの仕事っす、と言っていたので、その目的までは知らされていない可能性がある。

 NeedToKnow、というやつかもしれない。

 

「よし、あと二か月でジムコマンドLAを自分の体のように使えるようにするよ」

「そっすか。じゃあまず大尉のアレをオレンジにどうぞ」

「うわぁ、下品だなぁ」

 

 二人でげらげらと野卑な話をしながら、また演習をしては整備、検討会をひたすら繰り返す。

 朝も。

 昼も。

 夜も。

 二人はひたすらに、ジムコマンドLAのシン大尉最適化作業を繰り返す。

 時には、ゴップ大将から送られてきたGP00の機体情報をもとにしたシミュレータに挑み、攻略法そのものを研究することもあった。

 

 最初のガンダムGP00は大したことがなく、二人で楽勝じゃないかなどと盛り上がっていた。

 しかし、日々更新データが届き、シミュレータアップデートを重ねるごとにGP00は強力になっていく。

 しかし、シン大尉とフジオカ技術少尉はあきらめない。

 ガンダムGP00が強力になっていくならば、二人も成長すればいいだけなのだ。

 

 シン大尉は戦技シミュレータにこもり、難易度上げてシバき、シバき倒され。

 フジオカ技術少尉は知識の海でダイビング。必要があれば月面の大学研究所などにも潜り込んで、使えそうな技術を拾い集めてくる。

 

 高難易度版、桃太郎のじいさんばあさんのような暮らしが二人をたくましく鍛え上げていく。

 

 

 

 

 

 そして、GP00との実機交戦トライアルまで残り三日となったころ。

 

 二人は完ぺきに仕上がっていた。

 

 演習場の管制室から、フジオカ技術少尉がシン大尉に通信を送る。

 

「最終調整テスト、始めるっす」

『はじめてくれ』

 

 カウントダウン0。

 演習場から複数の訓練用レーザーターレットが湧き出てくる。

 それらがメガ粒子砲に見立てた演習弾を発砲。

 文字通り、オールレンジ弾幕である。

 

 あまりにも弾幕が厚いために、管制室のフジオカ技術少尉はサングラスをかける。

 そして、拳を握りながら、仕上げたジムコマンドLAの動きを食い入るように見守る。

 

 砂塵を巻き上げながら演習場をピョンピョンカサカサと縦横無尽に駆け回るジム。

 四方八方から襲い掛かるビームを、ジムコマンドLAは移動、機動、ジャンプ、滑走、ステップ、遮蔽物利用など、ゴキブリが兼ね備えているすべてのマニューバで回避していく。

 時には開脚からのストレッチ匍匐など、ヨガを習得しているとしか思えないジムコマンドLA。

 

「すごい、マジでキモいっ……」

 

 手足をフル活用し、アシタカを追い詰めるタタリ神のように這いつくばったまま移動するジムコマンドLAをみて、フジオカ技術少尉は恍惚の笑みを浮かべる。

 

「これが、あーしの造り上げた、ジム・アソコオレンジ……」

『ジムコマンドLAだっ!』

 

 二人の息はぴったりだった。

 

 すべての対オールレンジ攻撃コースを終えたジムコマンドLAは被弾0。

 堂々と演習場に屹立するジムコマンドLA。

 フィジークの選手権に出場するかの如く鍛え抜かれたそのボディが太陽光に輝く。

 

「大尉、すべての工程完了っす。スコア、パーフェクトです」

 

 そして、管制マイクに万感の思いを乗せて、フジオカ技術少尉が述べる。

 

「ゴキブリマニューバ・コントロールMOD、完成っす」

『今更だけど名前変えてもらえないかそれ?』

 

 この日、地球連邦軍のジム系MSに新たなるマニューバを普及させうる新動作MODソフトウェアパッケージが完成した。

 つまり、二人はガンダム開発計画に対抗して、GM改良計画()を成し遂げてしまったのである。

 

 

 

 

 

 それから三日間、泥のように二人は眠りこけ、トライアル試験当日を迎えた。

 シン大尉の体調は万全。

 ジムコマンドLAの機体整備もばっちりである。

 

 予定されていた月面演習場に、ジムコマンドLAを乗せたMSトラックを二人で交代運転しながら出向く。

 

「いよいよっすね」

「ああ。やれることは全部やった。あとは相手次第だ」

 

 二人は互いに見つめあい、ふっ、と微笑みあう。

 思えばとんでもない苦労を重ねてきたものだ、と互いに思うところがあったのだ。

 なりふり構わぬジムコマンドLAの運用改善。

 時には対立し、とっくみあいのケンカもした……だが、いまはどうだ?

 二人の間には、まるで何も言わずに通じ合えるものがあるようにシン大尉には感じられた。

 

「このトライアルが終わったら、その――」

 

 シン大尉が慎重に言葉を選ぶ。

 何か、そう、伝えなければならない何かがあるはずだからだ。

 

「あ、そうだ。トライアル終わったら、あーしの結婚式きてくださいっ」

「え?」

「なんかぁ、こないだプロポーズされちゃって――いや、なんかただの幼馴染だと思ってたんすけど、アイツ、すんげーマジでさっ……」

 

 シン大尉は、嬉々として婚約者の話をするフジオカ技術少尉の話を、うんうんと仏の笑みを浮かべながら聞いていた。

 

「あーし、いまシン大尉のこと、マジの親友だと思ってるっす。こんなにあーしの全部、受け止めてくれる人いなかったっすよ。マジ感謝っす」

「そうか、とても――うれしいよ」

 

 シン大尉の頬に涙がこぼれた。

 

「うれし泣きしちゃってぇ。大尉ってそういうところカワイイっすね!」

 

 えいえいっ、とフジオカ技術少尉に肘で小突かれるシン大尉。

 すこし痛かったが黙って受け入れた。

 ガノタとは、たとえ何かに破れてしまったとしても菩提心を持ってすべてを受け入れるよう、日ごろから……日ごろから……鍛錬、して、しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 演習場に二体のMSが立ち並ぶ。

 一つは、かの高名なエースパイロット、アムロ・レイが搭乗するガンダム試作00号機、コード『ブロッサム』。

 アナハイム・エレクトロニクス社の現時点で保有する技術がすべて投入された、まさにアナハイムの魂が宿った姿をしたガンダムである。

 

 対するは、ジムコマンド・ライトアーマー。

 外見は、普通にジムである。

 ビームガンとシールド、そして腰に90㎜マシンガンを携帯している、普通のそれである。

 しいて言うなら、股間がオレンジ色で目立っている。

 

『お久しぶりです、シン大尉』

 

 アムロからの通信がシン大尉の乗るジムコマンドLAのコックピットに届く。

 

「……」

『見てください、このガンダム試作00号機。僕の操縦を全部受け止めてくれるんです。これが次のガンダム。本物のモビルスーツなんです』

 

 アムロ君の嬉々としたガンダム語りを、シン大尉は黙って聞き続けた。

 シン大尉の表情はノーマルスーツのミラー反射のせいでよく見えない。

 ただ、バイタルは極めてフラットである。

 

『聞いてますか、シン大尉?』

「聞こえている」

『あの、言いにくいんですけれど、これは出来レースだと思います。どう考えても、このガンダムと、そのジムだと、勝負になりませんよ。これは政治的に決まった話なんだって、アナハイムの人たちも言ってましたし』

 

 アムロなりの思いやりが、シン大尉に伝わってくる。

 おそらくアムロ君は、少尉になり、ガンダム開発計画に従事して大人たちと話し合うことで、少しは人として成長したのだろう。

 相手を思いやる気持ちも、不器用ながら出せるようになったようだ。

 

「そうかもな」

『ケガをさせたくないですし、適当なところで降参してくださいね』

 

 アムロの心配そうな声。

 それに対して、シン大尉は静かに答える。

 

「アムロ君」

『何ですか』

「今日の自分は、なんだかとてもリラックスしているんだ」

 

 シン大尉はフジオカ技術少尉と濃密に過ごした二か月を反芻する。

 すべてがキラキラと輝いていた。

 これほどに輝ける日々の積み重ねの果てにここに立っているのだと。

 フジオカ技術少尉……幸せにな。

 

『それはお酒飲んでないだけなんじゃ――』

 

 なにかを言いかけたが、アムロは言葉をつづけるのをやめた。

 なにやら得体のしれない雰囲気――今まで感じたことのない何か、とても黒い、恐ろしいものを感じたのだ。

 

「こいよ。ガンダム一つ、ジムでブチ壊してやる」

 

 そう宣言するジムコマンドLAは、F◎CKと、立派に黒光りしたぶっとい中指を突き立てていた。

 




逢ふことの

絶えてしなくはなかなかに

人をも身をも

恨みざらまし

~拾遺和歌集 中納言朝忠~
意訳『いやぁ、マジつれぇっす』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 0080 重力が衰えるとき

我々は永遠に、未知なるもののふちで足踏みしながら、理解できないもの(トミノ)を理解しようとしている。そこが、我々の人間(ガノタ)たる所以なんだ。

─アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』―


 月の荒野にて、二体のMSの決闘が行われていた。

 砂塵を巻き上げながら、両機ともに激しくマニューバを行い、互いに一歩も譲らずに射撃戦を展開している。

 

 ガンダム試作00号機による、頭部を狙った射撃。

 しかし、ジムコマンドLAは紙一重で回避する。

 ガンダム優勢――第三者目線から見るとガンダム試作00号機の勝利は堅そうだ。

 

「どうおもうかね、シャニーナ士官候補生」

 

 ジャブローの一室。ゴップ大将はダブルソファにゆったりと身を預け、モニタをみつつ賓客のシャニーナ士官候補生に語り掛ける。

 なんだろう、どことなく気だるい雰囲気を醸し出しているゴップ大将の姿に、シャニーナ伍長は女性を感じてしまい、首を振った。

 

 シャニーナ士官候補生は、与えられたシングルソファに座りスペック表片手に、モニタに映っているガンダム試作00号機とジムコマンドLAのトライアルをじっとみる。

 

「ジムコマンドLAが、押されているように見えます」

「勝てると思うかね?」

「――厳しいかと。このスペック表を見る限りだと、ほぼすべての性能でガンダム試作00号機のほうが上です」

 

 シャニーナにはゴップの意図がわからなかった。

 突然学校に特使がきて、特別任務があると連れてこられた。

 シン大尉が日ごろお世話になっているゴップ大将のところだと知って、失礼がないようにしなければ、くらいしか思考が回らない。

 

「だろうな。その性能差だとどのくらい持てばいいほうだと思う?」

「えーっ、彼我の性能差が極端に大きい場合、交戦開始後の平均キルタイムは6秒くらいだとか。数字で言うならば、MSベーシックスタッツ差が二倍以上の時です」

 

 一年戦争の膨大な交戦データから、連邦軍はデータマイニングをしていた。

 機種×機種のみならず、装備条件やパイロットの練成度や撃墜数、被撃墜数などの諸々の数字を組み合わせたものをMSベーシックスタッツという。

 これについて士官候補生、特にMS運用を専攻する生徒は頭に入れておくべき基礎知識である。

 

「ガンダム試作00号機に乗る、Aさんというパイロットのキルレシオは116だそうです。被撃墜は一度だけ。とんでもない数の敵を落としてますよこれ……ちょっと信じられませんね」

 

 シャニーナの言葉を聞いたゴップ大将が、そうかね、とだけ答える。

 

「ジムコマンドLAのパイロットについてはどうかね?」

「このSさんは、キルレシオは12.7ですから、キルレシオ12をエースとする今の基準だと、ギリギリエースってとこだと思います。これだとちょっとAさんに立ち向かうのも厳しいかな。一番単純な交戦スタッツスコアで考えると、416:142.7です」

 

 簡単な確率係数をかけて計算したが、ジムコマンドLAに勝ち目はないだろう。

 

「――残念ですが、ジムコマンドLAは負けると思料いたします」

「なるほど、な。それで?」

「それで? と言いますと?」

「言葉足らずだったようだね。明瞭に問おうか。今、何分経ったかな?」

 

 ゴップ大将に促されてモニターの右下に移る経過時間に目をやる。

 すでに、5分以上たっていた。

 5分――5分?

 

「交戦スタッツスコアが先ほどの通りだとすると、統計的にはどうなのかね?」

「えっと、遭遇してだいたい3.2秒くらいで落とされる計算です」

「では、これをどう説明する?」

 

 互いに積極的な射撃戦を繰り返していたガンダム試作00号機と、ジムコマンドLA。

 そもそも、それがオカシイのだ。

 このスタッツ差だと、試合にならないはずなのに。

 

「――パイロットが、両機とも異常ですよ。そもそも、なんでこの人たちはビームを回避できるんですか?」

 

 飛んでくるライフルの弾丸を人間が回避するなど至難の業だ。

 それがMSならばできるというのは理屈が通らない。

 確かにMSは高速で移動できるが、光速で移動するわけではない。敵のビームを目視してから回避するなど、ほぼ無理だ

 

 光が見えた次の瞬間には消し炭になっているというのが戦場だ。

 

 すくなくとも、シャニーナはア・バオア・クーでゲルググに追い詰められた恐怖の光景をしっかりと覚えているため、ビームライフルの光弾を回避しているということの難しさを十分に理解できる。

 

「あの、いまの見ました?」

 

 ジムコマンドLAが四方八方を飛び跳ねながらガンダム試作00号機にビームガンを浴びせかけたが、ガンダム試作00号機は最小限の動作で――まるで予期していたかのように回避してしまったのだ。

 

「あのジムコマンドLAの射撃は、とても精確なのに……」

「どれだけ緻密に火線を張ろうとも、ガンダムには通じんよ。あれのパイロットは、弾道を見ているからな」

「見てよけているんですか? そんなバカな」

「言葉足らずですまんな。正しくは、先に見えている、だな」

 

 先に? そんな超能力者みたいな話をされてもまったく意味が分からない。

 もしかしたら、あのガンダムにはそういう特殊な予測AIが積まれている、というはなしなのかと解釈した。

 

「そう、なんですね……あれ?」

 

 今度はガンダム試作00号機が小刻みにサイドステップを刻みながら、ビームライフルを連射する。

 シムコマンドLAがガンダム逆機動をとるようにステップを繰り返し、時には得体のしれない匍匐マニューバなどを行い、少々カスりつつも回避しきっている。

 被弾判定、はいまだどちらも出ていない。

 

「あのジム、なにか新型OSでも積んでいるんですか? 普通じゃないですよ」

「確かに付け焼刃のMODくらいは入っているだろうが、それ以外はノーマルだな」

 

 どう見ても普通ではないジムコマンドLAが、突然射撃戦を中断してスプリント――まるで短距離走で世界記録を狙うランナーの如くガンダムに突っ込んでいく。

 ガンダム試作00号機もその意外なジムの動きに呼応して、スラスター光を輝かせながらジムコマンドと交錯する。

 

 先に抜いたのはガンダムだった。

 ガンダムの素早い一振りがジムコマンドLAを襲う。

 

 そして、被弾判定。

 ジムコマンドが左肩部損傷、と出た。

 演習はじまって以来、初めての被弾。

 開始から10分近くが経過していた。

 

 しかし、である。

 シャニーナ士官候補生は目を見開いていた。

 

 少なくとも、シャニーナ士官候補生は背筋が凍り、心臓がはねたのだ。

 もしガンダムに自分が乗っていたら、自分が蒸発させられていたという明確な『イメージ』が突然、頭に走ったからだ。

 

 いま、何が起きた?

 脳に残る鮮明な『イメージ』を細かく見つめなおす。

 

 ガンダムがほんの一瞬振りかぶる。

 そのわずかな間隙。

 差し込まれるジムコマンドLAの手。

 そこに握られるはビームサーベル。

 踏み込んでいたジムコマンドLAが、その手に握りしめていたビームサーベル発振器をガンダムのコックピットにこつんと当てる。

 そして一瞬だけ刃を形成した。

 本当に一瞬だ。

 

 ビームサーベルはその性質上、わざわざ突き動作や斬撃動作など必要はない。

 下手に人間の動きでMSをとらえてしまうから、そういうことをしてしまうのだ。

 

 ここぞいう一瞬、ビーム刃を形成すれば、その刃が生成された先のすべてを焼き払う。

 それが本来のビームサーベルの使い方だ。

 となれば、もとより先ほどのガンダム試作00号機のように振り下ろす――切断動作を行う必要などないのだ。

 

 そう、シャニーナ士官候補生は見たのだ。

 すれ違いざま。

 ジムコマンドLAが一瞬、ガンダムのコックピットブロックに、ビームサーベルの発振口を当て、パイロットだけを焼き払う残酷な一撃を。

 本当なら――ガンダムのパイロットは遺体も残らない。

 

 シャニーナ士官候補生にはそう見えたのに――。

 

「閣下、あの……言いにくいのですが、このトライアルは誤判定の可能性を思慮されているのでしょうか?」

「どうかな。仮にだが、観測AIの速さを超えてしまったら――それは検出されず、なかったことになるだろう」

 

 ふっ、とゴップ大将がなにやら満足げな笑みを浮かべる。

 

「シャニーナ士官候補生は、何か見えたのかね?」

「え? い、いえ。たぶん疲れていたんだと思います」

「そうかね。人は疲れていると白昼夢をみるそうだからね、健康管理には気を付けたまえ」

 

 ゴップ大将はそれだけ言って、立ち上がった。

 

「閣下?」

「見るべきものはみた。君も帰って構わんよ。もし続きが気になるなら、しばらくこの部屋にいたまえ。そこの衛兵に言えば、送ってくれる」

 

 ゴップ大将が護衛らしき女性兵士に言伝をして、さっさと執務室から退出していった。

 シャニーナ士官候補生は、どうしてか勝負の続きが気になったので、最後まで試合を見ていこうと決めた。

 

 

 

 

 シン大尉はクソッと、モニターを殴りつけていた。

 確実にビーム刃を形成したつもりだったんだが、供給系か発振装置にディレイがあったのかもしれない。

 最初に中指挑発をかまして心理的動揺を誘い、そこからじわじわと疲弊させていく中で、ようやく見つけた隙を一撃する――という対若造アムロ用決戦プランを実行したのだが……。

 

(さすがはアムロ・レイ! 自分ごときが――思いあがっていた!)

 

 シン大尉はそう思いながらも、凶悪な笑みを浮かべている。

 ガノタとは、アムロ・レイと戦う場合どう倒すか、を数万回シミュレートしているものである。

 まだまだシン大尉には試してみたいプランが山ほどあった。

 だが、残念かな。

 すでに機体の左腕は使用不能。

 レギュレーションに基づき操作不能扱いとなり、シールドをぶら下げた、ただの無駄な質量物に成り下がった。

 

『大尉、まだやれることはあるっす。ゴキブリマニューバ、223番、どうっすか?』

 

 フジオカ技術少尉が力の入った声で提案してくれている。

 いま二人で積み上げた努力で、なんとかここまでやってきたのだ。

 せめて、一発くらいは相手に被弾判定を与えたい。

 このままパーフェクトゲームを決められてしまうのは――シン大尉にとって、素晴らしい思い出が汚れてしまうように思えて仕方ないのだ。

 

『Gマニューバを全部使い切る。左腕、パージだ』

「なに勝手に名前変えてんすか。ゴキブリマニューバっす」

 

 シン大尉はフジオカ技術少尉の訂正を無視して、左腕を肩からパージする。

 機体のバランスが変わり、Gマニューバに補正数値が――

 

「あっ!?」

『あっちゃーっ! パージパターンテスト、やってなくないっすか?』

 

 二か月間、汗と涙で作り上げてきたGマニューバは、『ほぼ』完成品であった。

 それは、被弾0を前提としたものであり――そうでないテストはしていない。

 

『あーあーあ、最悪じゃないっすか! もうそれ切って。無理無理。きりもみして地面に突っ込むだけっすよ』

 

 くそっ! 二人で作り上げたこれで勝利を決めて、きれいな思い出にしてからフジオカ技術少尉の結婚を祝おうと思っていたのに――などと、シン大尉は震えた。

 

「――カットした。ここから先は、フジオカ技術少尉が整備した機体そのものの力で戦う」

『大尉の腕もっす。これは、あーしらの、あーしらによる、あーしらのための、ガンダム討伐計画なんすから』

 

 その言葉を受けて、シン大尉はソウルが熱くなった。

 そう。

 いま、自分は歴史を変えるチャンスを与えられたのだと。

 ここでガンダムを倒せば、何かが変わる。

 ゴップ大将のようにはるか先の未来を予測はできないが、いまここがターニングポイントだというのは感じている。

 そうでなければ、あの閣下がわざわざ自分を放り込まないはずだ。

 

 一所懸命。

 いまこそ、ガノタたるもの、刀折れ、矢尽きようとも、ここに仁王立ちせねばならぬのだ。

 

『……』

 

 ガンダム試作00号機がゆっくりとこちらを向く。

 理由はわからないが、先ほどの痛恨のミス(ビーム刃が出なかった)ときからガンダム試作00号機の動きがにぶい。

 こちらのやらかしをしっかり拾い、サーベルの一撃でヒットを決めたのだから、アムロ君はもっとはしゃいでいいはずなのだが。

 

(いや、彼もいつまでも以前のままではないだろうな)

 

 たぶんだが、アナハイムの皆とガンダムを一緒に作り上げていくという過程で様々な学びと成長を得たのだろう。

 シン大尉ですら、とても素敵な思い出を手に入れられたのだから。

 成長した彼は、わざわざこちらに左腕をパージする時間をくれたのだろう。

 なるほど、アムロ君はずいぶんと紳士になったものだ。

 

(自分がわからせてやろうなどというのは、完全に思い上がりだったな)

 

 シン大尉は己を恥じた。

 恥じるがゆえに、恥の上塗りをする覚悟も決まる。

 

「フジオカ技術少尉、勝負の結果は見えていると思う。けど、やれるところまでやらせてくれないか」

『やらせてくれないかって、ストレート過ぎないっすか? いきなりセクハラはドン引きっすよ……』

「違う、真面目な話だ」

『――やっちゃいなよ、シン大尉。あーしのダチなんだろ?』

「おう」

 

 シン大尉はスゥーっと息を大きく吸い、そして吐いた。

 推進剤の量を見ても、そう長くは飛び回れないだろう。

 だが、まだ試していないプランはある。

 できる限りやって見せようじゃないか。

 

 

 

 

 シャニーナ士官候補生は、ゴップ大将の執務室でモニタにかじりついていた。

 サーベルの出力もなくなり、ビームもマシンガンの残弾も消失したジムコマンドLAが、最後の悪あがきをしている様から目が離せないのだ。

 

 たった片腕だけ。

 しかも武器もないジムコマンドLAは、どんなMODを用意したのか見当もつかないけれども、まるで隻腕のアウトボクサーのようにステップを踏み、スラスターをふかし、時には月面宙返りを繰り返しながら、ガンダムから致命的な一撃をもらわぬよう――そして、万に一つの隙をじっくりと狙っていた。

 

 ときに、ジムコマンドLAの拳が走り、ガンダム試作00号機がそれを盾や腕で受け止める。

 ガンダム側の防御スタイルは、よく言えば堅実、悪く言えば慎重がすぎるそれであった。

 

 どうして圧倒的に有利な状況――ビームライフルもあるし、サーベルや副武装があるにもかかわらず、ここまで慎重に手負いのジムと向き合っているのか、わからない人にはわからないであろう。

 

 だが、シャニーナ士官候補生には、ガンダムパイロットの気持ちが痛いほどわかった。

 簡単だ。

 一度殺されているからだ。

 

 それは当事者にしかわからないはずのことなのだけれども、なぜかシャニーナ士官候補生はそれが痛いほどわかった。

 わかってしまう、といったほうがいいだろう。

 

 そして、何よりもジムコマンドLAのパイロットから何とも言えない悲しみと高揚感を感じる。

 なぜそう感じるのかはわからないけれど、たぶん万に一つも勝ち目がないことを理解しているのだと思う。たぶん負けるとわかって悲しくて、それでも頑張ってしまう自分に高揚しているのだろうか。

 

 しばしの牽制。

 二体のMSは距離をとったり、詰めたりを繰り返す。

 そのようなつかず離れずを繰り返して、ついにジムコマンドLAが仕掛ける。

 

 素早いスプリント。

 一方のガンダム試作00号機は、カウンター狙いの格闘を選択。

 ライフルを潔く捨てて、ビームサーベルを構える。

 そして、二機が互いに相向かいに。

 

「大尉!」

 

 思わずシャニーナ士官候補生が立ち上がって声を上げた。

 護衛についていた女性兵士が何事かとシャニーナ士官候補生をみているが、気にしない。

 

「そこですっ! よけて!」

 

 先にガンダムのサーベルの突き。

 恐ろしく素早く、正確なそれを、シャニーナの言葉に合わせてジムコマンドLAが強引な姿勢制御で回避する。

 そして、強烈な右フックをガンダムのコックピットに叩き込んだ。

 致死判定緊急停止措置がなかった――ということは、そういうことである。

 

 残念ながら機体の性能差というものだ。

 ジムのマニピュレータが砕け散り、腕部がひしゃげる。モノコック装甲の原理に基づき、急速に右腕が強度を失い、崩壊する。

 ガンダム試作00号機の装甲は、ジムをはるかに凌駕しているのだ。

 

 判定は、軽微被弾1。

 機能に問題なし、である。

 

 そして、完全にバランスを崩したジムの背中にガンダムのサーベルが逆手で当てられる。

 

 撃墜判定。

 

 交戦から42分17秒23。

 ガンダム試作00号機は軽微被弾1という結果で、トライアルに勝利した。

 

 

 

 シン大尉がボロボロのジムコマンドLAをハンガーに収め、タラップを降りる。

 フジオカ技術少尉が駆け寄ってきて、バンバンとシン大尉の背中を叩いた。

 

「一発決めたっすね! 軽微被弾ってとこがシン大尉らしいっすけど!」

「おうよ、さすがにパーフェクト負けは、フジオカ技術少尉の経歴に傷をつけるからな」

「なるほどっすね。女の子にいいとこ見せられて、うれしいっすか?」

 

 シン大尉はしばらくフジオカ技術少尉をみつめて、頷いた。

 

「自分からのご祝儀ってやつだな」

「まーた変なこと言ってる。じゃ、今夜は祝杯っすよ。ゴップ閣下から素敵なボーナスが送金されてきたんすよぉ」

「マジか? もう負けちまったし、これは飲みつぶれても……?」

「今日はOKっすね!」

 

 いぇーい、とパチンと互いに手を打ち鳴らす。

 

「楽しそうですね、大尉」

 

 アムロ少尉が、白いパイロットスーツで歩み寄ってきた。

 0083でウラキが着ていたスーツに似ているが、あれの試作品だろうか。

 

「お疲れ、アムロ君。やっぱ半端ない強さだな、君は」

「お世辞はいいですよ。それよりも――」

 

 アムロ君が手を差し出してきた。

 握手かな? と思って手を出すと、バチンと手を叩かれた。

 

「え?」

「僕は、あなたに――勝ちます。絶対」

「???」

 

 シン大尉は意味が理解できず、困惑した。

 普通にあなた勝ちましたよね? と言いたかった。

 やはりニュータイプは意味不明な言動をかましてくるのか? とガノタとしては大変興味深いものがあったが、それを受け止める側になるシミュレートは少々足りていなかった。

 

「それじゃ、失礼します」

 

 アムロ少尉から、かかとを合わせた挙手の敬礼。

 慌ててシン大尉は背筋を伸ばして答礼。

 ふっ、とアムロ少尉は苦笑らしきものを浮かべて回れ右をして去っていった。

 

「なんだったんだ、あれ?」

 

 シン大尉は事情を理解できないまま、フジオカ技術少尉に訊ねた。

 

「いやー、若いっていいっすね」

「? 君も若いだろ?」

 

 

 宇宙世紀0080年11月下旬、トライアル結果を受けて緊急招集されたガンダム開発計画準備委員会にて、いくつかの緊急動議及び議決が行われた。

 GP01案を凍結――G3ガンダム直系の汎用機構想は、ジム系MSに対する絶対優越を現時点の技術では確立しがたく、その実機検証に投資価値を認めない(※ただし、GP00で得られたデータは、ゴップ大将が統括するゼネラル・マスプロダクト・サプライチェーンに提供し、次世代連邦軍主力MSの設計に利活用されるものとする――)。

 

 次いで、本命の実機検証はGP02案、GP03案を中心とする旨の決定。

 

 そして最後に、基本概念実証機たるGP00を0081年予算にて連邦軍が調達。

 アムロ・レイ少尉専用機とし、オーストラリア大陸トリントン基地にて、地上仕様アップデートを継続すること決定した。

 

 ついに、シン大尉は成し遂げたのである。

 しかし、この事実を、シン大尉が知ることはない。

 彼はブライトの結婚式で号泣し、フジオカ技術少尉の結婚式で大泣きし、シャニーナのMS演練に付き合ったりと、大忙しでそれどころではなかったからだ。

 




政治の季節、おわり。

ようやく、0083やりまぁす。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シン大尉の0083
第十話 0083 ゲリラ屋の影


ガノタは、もう結末を知っている――


――コード・ウェイナー・スミス『人類補完機構(ショイヨルという名の星)』


 

 二人の人物が、ジャブローの一室で対談している。

 両者はソファに腰かけ、テーブルに並べられたサンドイッチをつまみながらコーヒーカップを傾けている。

 

 地球連邦政府の首都であり、地球連邦軍の本部が設置されるジャブローにおいては、高官同士の談義など日常茶飯事である。

 しかし、この二人――ゴップとレビルとなると話は変わる。

 

 いまやレビル率いる結社であるエゥーゴは連邦政府議会において相応の議席を確保しており、連邦議会を通して地球連邦軍の編成に口を出せる、本物の権力主体となっている。

 レビル自身は、相変わらず軍の高官として実権を握っており、こと地球軌道艦隊他、コンペイトウ等、仮想敵たる対ジオン戦においてキーとなる戦力を手中に収めている。

 

 一方のゴップは、いずれ本人が政界に躍り出るだろうと噂される軍政家である。

 

「レビル君、ギレン総帥は君のところのアレが気に食わんらしい。GP02についてなんとか封印措置を施せんかね?」

 

 何食わぬ顔で話すゴップ。それが諜報網で手に入れた話のネタなのか、それとも政治的取引で獲得したものなのかは定かではない。

 

「当たり前のことだと思いますよ、ゴップ元帥。ジオンにとって脅威ですからな。正しい評価だと思います」

 

 当然だ、といわんばかりのレビル将軍。

 二人は互いの意図を読みあっているというよりも、前提を確認しあっているだけのようにも思える。

 

「まだ……決意は変わらんかね」

 

 困ったような笑みを浮かべるゴップ。

 

「変わりませんな。連邦を内からただし、ジオンとは対等な国交の回復を目指す――逆にそれ以外どういう道があるというのですか? そもそも、ゴップ元帥にお伺いしたい。私は、閣下が既存の連邦政府を存続させようとしているようには思えんのです。あなたは、あなたの何かを求めておられる」

 

 レビルがゴップをじろりとにらむ。

 

「当たり前だよレビル君。私はね、いまの連邦政府のシステムが気に食わんのだ。政党や政治家によるポピュリスト的な言動、政党や政治家によるヘイトスピーチ、イデオロギーの分断、経済復興を成し遂げねばならんにも拘わらず平然と保護主義政策を煽る政治家ども。これはすべて連邦政府の民主主義が劣化している表れだよ」

 

 ゴップ元帥の淡々とした語り口に、レビルは静かにうなずく。

 

「閣下、ならば我らとともに進んでいただきたい。エゥーゴはまさにそういう連邦政府を改めるべく、活動しておるのです」

 

 レビルがゴップを説得する。だがゴップは微笑を浮かべて断る。

 

「君たちが目指しているのは寡頭政治だよ、レビル君」

 

 ゴップはホワイトボードにレビルの考え方を書き出す。

 

「根底にあるのはノブレス・オブリージュだろう? 連邦政府の議席を、未来を見据え、現実を粘り強く変えていくことができるエリートで占有し、よりよい未来を導こうとしている――今まさに、君の息がかかった議員たちが、冷静と情熱をもって、議会工作を頑張っているようだね」

 

 そして議席の一部をレビルのエゥーゴのカラーで塗る。

 

「いい手だと評価してもいい。しかし、君の勢力は決して議会で過半数を得られない。ほかの議員をすべて始末する以外はね」

 

 そしてゴップはエゥーゴ以外の党派に×をつける。

 

「だが、君は生真面目だからな、そんなことはせん。その結果、君たちは行き詰る」

「どうでしょうか。私はそう思っておりませんので」

 

 レビルがそういうと、ゴップが首を横に振る。

 

「それは君が人類の未来を真剣に考え、君の仲間たちもそうだからだよ。考えてもみたまえ。平均的な大衆というのは、どのような科学技術や高等教育に国が投資すべきかを『判断できない』のだ。それを判断できると言い切る君たちを信じて最初は一票を入れてくれるだろう」

 

 しかし、とゴップが深く息を吐いた。

 

「君たちがやろうとしていることは、十年あるいは二十年後に人類をよりマシにするだろう。だが、連邦議会の選挙は中間選挙も含めて、約3年だ。大衆はたった三年で判断する。そのとき、何の成果も出ていない君たちを批判し始めるだろう。『何もやってない』と」

 

 そうならぬために議席を確保し続けようとすると、レビルたちは目の前の経済対策や助成金、交付金、補助金などのわかりやすい札束政策を実施するしかない。『何もしていない』と暴れる大衆を宥め、議席を維持するために。

 

「レビル君は、アリストテレスの政治学を読んだかね?」

「民主主義の極北から、ディクタトール(独裁)が生まれる、ですかな」

「そう、紀元前のアテネは、そうして滅びた。にもかかわらず、この宇宙世紀に至ってもなお、我々は紀元前の政治アルゴリズムをバカの一つ覚えのように続けている。君がやっていることは、この古いアルゴリズムで動く時代遅れのシステムに、いけにえになるキャラクターを送り込んでいるに過ぎんよ」

「――それは、我々がわかりやすい改革派を演じさせられている、と?」

 

 結構、とゴップは満足げに頷く。

 ゴップには見えていた。人々がレビル派を一時の熱狂で推しているのは彼が対ジオン戦争の英雄であり、メディアで演出された(例の、ジオンに兵なし演説など)冷静沈着で大胆な指揮官であるという『印象』が大衆の中にキャラクターとして確立されているからだ。

 

 だが、ゴップは理解している。

 ガノタであるからこそ、ゴップはレビルをキャラクターではなく、人間としてとらえている。

 人であるならば――時に弱く、その場をとりつくろったり、物事に向き合うのではなく逃げ出してしまったりすることもある、という前提に立つべきなのだ。

 しかし、大衆は、レビルをそうは見ない。

 そしてエゥーゴを、そうは見ない。

 大衆は『彼ら』ならなんとかしてくれるだろうと期待する。

 そして、レビルとエゥーゴはそれに決して応えられない。わずか3年の任期で、何かが激変することは決してないのが、議会制民主主義というものだから。何をなすにも調整と妥協が求められ、対立政党に対する『説明』を求められ、日々メディアにスキャンダルについて問い詰められる。

 

 ゴップはガノタとして、そんな道に飛び込もうとするレビルを止めたかった。

 その道は善意で舗装された地獄へ至る道だぞ、と。

 だからこそ、この腐った仕組みをアップデートせねばと邁進してきたのだ。

 

「――閣下?」

 

 どこか憐れむようにレビルをみつめていたゴップに対して、レビルが怪訝そうに尋ねる。

 

「すまんな、年を取ったのかもしれん。レビル君、覚えておいてくれたまえ。私はね、君たちのやることなすことを邪魔するかもしれんが……私の望みに反しない限り、助力は惜しまないよ」

「そう、なのでしょうな。少なくとも私は戦場で閣下に裏切られたと感じたことはありません。政界ではそうもいかんのでしょうが」

 

 そういって、レビルが席を立った。

 ゴップも起立し、互いに敬礼をして別れる。

 

 去っていくレビルの後ろ姿を見送りながら、ゴップは秘密通信用の端末を手に取った。

 

「――ギレン総帥、すまんな。私には止められんかったよ」

『ふむ。レビル将軍の意固地にも困ったものですな。その意固地さゆえに、双方に死者がでることでしょう。ゴップ元帥にも責任を取っていただきましょう』

 

 ギレンの声はどこか楽しげであった。

 これから始まるパワーゲームの主導権を握ったことを確信しているのだろう。

 ゴップはあの男と何度も交渉の席で戦闘を行ってきた。

 その手癖と進め方はある程度まで把握できているつもりだ。

 

「責任はとるよ。貴様相手ではなく、私の愛する人類に対してな」

 

 ゴップは秘密通信用の端末を切る。

 そして別の端末から正式に、とある大尉に連絡をとる。

 

「シン大尉、仕事だ」

『はっ』

 

 いつまでも使われることしかできないこの手ゴマもアップデートしてやらんとな、などとゴップは悪知恵をひねる。こいつが成長してくれなければ、間違いなくギレンの野望など阻止できないからである。

 

 

 

 

 太陽がさんさんと輝くオーストラリア大陸、旧シドニーエリア。

 エゥーゴの旗艦たる最新鋭ペガサス級アルビオンが、その白磁の装甲を太陽光にさらしながら青い海を見下ろしつつ航行していた。

 ミノフスキークラフトによる地球圏一周航行慣熟航海は最終段階を迎え、いよいよ最終目的地たるオーストラリア、トリントン基地に向かうところだ。

 

 さて、艦橋の艦長席を任されているブライト・ノア少佐はオーストラリアの蒼い海に盛り上がる宇宙育ちのクルーたちに動画撮影の許可を出しながら、通信機を片手になじみの大尉からの通信に応えていた。

 

『――あれこれあって、自分の部隊もトリントン基地に向かうことになった』

 

 相手はシン大尉だ。中級幹部課程の同期で、俺、貴様の仲だ。

 ただ、彼の上司がエゥーゴの邪魔ばかりするゴップ元帥であることもあって、ブライトは単純に彼の来訪を喜ぶことはできなかった。

 

(もしあいつがエゥーゴに来てくれたら……いや、無理か)

 

 ブライトがレビル将軍直々にエゥーゴに誘われたとき、シン大尉のことも推薦したのだが――レビル将軍は「人には、任せていい地位や立場というものがあるのだよ」と諭されたことを思い出した。

 

「そうか。貴様が来るならどこかいい店を押さえないとな――秘匿ラインに切り替える」

 

 ブライト少佐は、艦長席の通信機の設定を変更する。

 

「ゴップ元帥の差し金か? こちらの任務を邪魔するのは、貴様と言えども黙って見過ごせんぞ」

『おいおい、逆だ。こっちはそちらの増援だよ』

「増援? アルビオンの戦力とトリントン基地のエゥーゴ部隊だけでも相当な戦力のはずだ」

 

 ブライトが艦長を務めるアルビオンの表向きの任務は、トリントン基地司令のシナプス大佐のもとに向かい、仮想敵たるジオンアフリカ方面軍に対する殴り込み部隊として錬成を行うこととされている。

 

 しかし、真の目的は、トリントン基地に保管されている生物兵器『アスタロス』の防衛である。異常繁殖する植物であり、一度繁殖させてしまうとその地域の植物相と生物相を破壊してしまう環境破壊兵器である。

 特に生物多様性の低いコロニーの土壌環境に対して有効であるとされ、これを散布されたコロニーはその持続可能性を喪失する。スペースノイドたちにとって、コロニーそのものの環境を破壊されることは忌避されるべきことであり、その意味で最強の生物兵器なのである。

 

「貴様のことは信じているが……俺の艦は大事な任務がある。エゥーゴに所属していない貴様の部隊が来ても、基地に受け入れることすらできんかもしれん」

『ブライト少佐は相変わらず生真面目だな。構わんさ。こっちはミデア改だから、寝床には困らんよ――ただ、うまいビールを出す店は探しとけよ』

「それは、約束する」

『ああ。また後で』

 

 シン大尉との交信を終える。

 ブリッジできゃあきゃあと盛り上がっていたクルーたちはこちらの話など誰も聞いていないらしく、写真を撮ったり家族に向けた動画メッセージなどをとるのに夢中になっている。

 

「まったく……」

 

 ブライトは苦笑しつつ、緊急事態に備えてライトウィングのパイロット待機所で待機しているMS隊に連絡をとる。

 

「カイ少尉、ハヤト少尉の隊と交代だ。新入りたちを休ませておけ」

『了解、艦長。おーい、お前ら、艦長さまからの命令だ。これより上番解除、飯でも食いに行くぞ――OK艦長、あとはやっときますよ』

「頼んだ」

 

 かつてホワイトベースで知り合った頼りない少年だった連中が、いまや速成課程出身とはいえ、いっぱしの将校としてMS隊を率いていることに、ブライトは誇りを覚える。

 ただ、まだまだ頼りない連中もいる。

 

「ウラキ少尉、キース少尉、聞こえるか?」

 

 今度はレフトウィングに待機しているナイメーヘン士官学校出身の問題児コンビを呼び出す。こちらも士官なのだが、カイやハヤトと違い、実戦を経たことのない、戦後任官組だ。

 組織としては、こいつらに将来、連邦軍の中枢を担ってもらわねばならないと考えているので、ブライトに預けて育てさせているのである。

 

 彼らには操縦学校出身の若い戦後組の部下を預けている。だが今のところ表面的にうまくやっているように見えるだけで、実戦になれば役に立たない可能性は高い。

 ヒヨコにひな鳥を任せるという状況にウンザリするが、教育もまた士官の任務。

 頼りない連中を一人前に育てるのもブライトの任務なのだ。

 

『はい、こちらキース少尉』

 

 居眠りしていたのだろう、慌てて出たのがよくわかる。

 

「まったく……ウラキ少尉はどうした?」

『え、コウですか? えー、スレッガー大尉とガンダム試作2号機の外観チェックに行ってます』

「バカ者! さっさと呼び戻せ! 貴様らは上番継続だ!」

『えぇーっ!』

 

 ブライトは乱暴に通信機を置く。

 まったく、新人共の指導をこなさなきゃならんスレッガー大尉が率先して甘やかしてどうするんだ……。アルビオンのMS隊長を任せたのは、彼の面倒見の良さと厳しさの両面を評価していたからなのだが。

 

(いや、スレッガー大尉にも何か意図があるのかもしれん)

 

 余計なことを考えてストレスを抱えるのは馬鹿らしい。

 MS隊のことはスレッガー大尉に任せておこうと決めた。

 こちらはやるべきことをやるだけだ、と艦長席で姿勢を正す。

 

「よーし、これから手動操艦に切り替えるぞ。ブリッジクルーは配置に着け」

「了解」

 

 今まできゃっきゃと騒いでいたブリッジクルーたちは、それぞれの持ち場につく。

 ウラキ少尉やキース少尉とは違い、なんとか艦橋勤務の連中は様になってきたようだ。

 

 

 

 

 トリントン基地から数キロ離れた荒野。

 薄暮となりいずれ闇にそまりゆく大地に、迷彩服姿の歩兵たちがいた。

 ランバ・ラル少佐は迷彩服と偽装ネットを身にまといながら、トリントン基地に着陸態勢をとるペガサス級強襲揚陸艦アルビオンを、偵察キットで観測していた。

 

「ふん、定刻通りだな。生真面目な艦長とみた」

 

 ラルはそう断定すると、秘匿用通信機を手に取る。

 

「こちらRR00。木馬の着陸を確認。対象がパッケージの封印を解除するまで、観測を継続する、おくれ」

「了解。引き続き観測せよ。RR00の要請に基づき、くるみ割り人形と王冠を動かす、おくれ」

「こちらRR00。了解」

 

 ラルは交信を終えると、部下たちに交代で休むように命じた。

 いつ何時ことが動くかわからないため、隠ぺいしてあるMSはいつでも出せるようにしろ、とも命じておく。

 

 ドズル下でくすぶっていたランバ・ラルにとって、今回の任務は自分のわがままに巻き込んでしまった部下たちにいい暮らしをさせるためにも、どうしても成功させなければない。

 これはギレン閣下からの仕事だ。

 成功すればメリットが得られ、失敗するとそこまでだ。

 

 なんでも、ギレン閣下が気に入らないものを連邦が持っているそうだ。

 それを回収するべく、エギーユ・デラーズ大佐率いるデラーズ艦隊、アフリカ方面軍の一部、そして本国から派遣されたアナベル・ガトー少佐率いる分遣隊及び、クラウン大尉の特殊作戦大隊、さらにはシャリア・ブル少佐の特別増強大隊が投入されるらしい。

 

 かなり本格的な侵攻作戦の様相を見せるだろうが、休戦協定は大丈夫なのだろうか?

 

(いや、それは政治屋の仕事だ。ゲリラ屋はゲリラ屋の仕事をやるだけだ)

 

 ラルは意図的に政治から距離を置いている。父親が政治にかぶれて余計なことをしてくれたせいで、家門が傾いたからだ。

 その家門を、名誉ある武門の家柄として立て直して、ついてきてくれる部下たちにいい思いをさせてやりたい――

 そんな家父長的な思いはこの時代に合わないだろう、とラルは自嘲する。

 

 しかし、それだけではないのである。

 

 ラル自身が気づいているかは定かではないが、部下たちは知ってる。

 

 ランバ・ラルは戦場の空気が好きなのだ、と。

 

 




0083、はじめました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一話 0083 強襲 トリントン

身震いがした。いいかげんにしてくれ、もうたくさんだ!畜生、きっとこれは幻覚にちがいない!──私はそう思った。
「幻覚じゃない!」教授がいきいきとして答えた。
「現実(ガノタ)だよ、きみ、隅から隅まで全部現実(ガノタ)だ!」

──お気に入り500越えについて
――スタニスワフ・レム《泰平ヨンの未来学会議》


 

 オーストラリア大陸に対するコロニー落としの影響を象徴しているのが、トリントン基地である。旧世紀のトリントンはオーストラリアの内陸にあり、決して沿岸と接してなどいなかった。

 しかし、ジオンのコロニー落としによってオーストラリア大陸が削れた(海没)した結果、トリントン基地は臨海施設として運用されている。

 そのため、基地施設として港湾と陸上拠点を併せ持つ様相を呈し、一介の辺境基地とするにはあまりにも多機能化していた。

 

 その利便性に着目したレビル将軍によって、かつての辺境基地もなんのその。

 トリントン基地は名実ともに地球のエゥーゴ拠点として再開発が進んでいた。

 

 さて、エゥーゴの重要拠点を任されているのはエイパー・シナプス大佐である。

 部下たちからジェントリ(郷紳)とあだ名されるほどに清廉潔白な男であった。

 軍務に忠実で、少々融通の利かないところがあるが、それがレビルにとって好ましかったのだろう。

 さまざまな『好ましからざるもの』を貯蔵しているトリントン基地を任せるには、賄賂などになびくこともない彼のような人物がある意味でふさわしかった。

 

「ブライト少佐、GP02の輸送任務、ご苦労だったな」

「はっ」

 

 簡素な内装の駐屯地司令執務室にて、二人の将校が挨拶を交わす。

 一人はシナプス大佐であり、もう一人はアルビオン艦長のブライトである。

 

「GP02の核搭載プラン――どうしてもやらねばならんかね?」

 

 シナプス大佐がブライトから渡された命令書を見ながら不満をこぼす。

 

「ジオンが再びコロニー落としを行うようなときは、GP02の核武装プランを実行するべきだと私は愚考します。それがコロニーではなく、隕石であった場合もまた、核攻撃プランによる排除を考えるべきです」

 

 ブライトはアナハイム社の売り文句をそのまま言った。

 

「ブライト少佐、君はまだ若いな。老練な商人や政治屋の言葉など信じるものではない。核武装を行えば、それはコロニー落としや隕石落としの阻止ではなく、むしろ居住コロニーに対する攻撃に使用されかねんよ」

「しかし、エゥーゴはそのような組織ではないと信じたい、です」

「レビル閣下の目が黒いうちはそうだろう。だが、仮にゴップ元帥のようなものの手に渡ってみろ? GP02は政争の道具に使われるだろう。いいかね、ブライト少佐。道具が悪いわけではない。悪をなすのは使い手たる人の側だよ」

 

 そういって、シナプス大佐は命令書を折りたたんだ。

 

「大佐……」

「私から今一度この命令についてレビル将軍に『確認』する」

 

 士官たるものが任務分析を行った際、その意図に深刻な誤りがあると思料するときに『確認』をするのは軍令としておかしなことではない。

 例えば民間人を殺せという命令に対して、士官はその作戦の疑義を上級部門に問いただすとともに、監査部に報告する義務すらあるのだ。

 それでもなお取り消し命令が出ない場合は、粛々と遂行することになるのが軍隊というものの暴力性ではあるのだが。

 

「大佐のお言葉はわかりました。ぜひ、ご確認ください」

「うむ。ブライト少佐、乗組員を休ませたまえ。みな久しぶりの地上だろう?」

「はい。中には初めてのものもおります」

 

 緊張感のある話題を切り上げたシナプス大佐は、若いブライトを気遣うようにソフトな話題に切り替えた。

 そして応接用のソファへと促し、二つのグラスを琥珀色の液体がゆれる瓶を取り出す。

 

「スコッチは好きかね?」

「はい。思い出がありましてね」

 

 二人はグラスにスコッチを注ぎあい、乾杯する。

 そしてブライトはスコッチを飲みすぎてアムロ・レイに敗れ去ったあるMSパイロットの話をした。

 

 

 

 夜の冷え込みが際立つ中、焚火を囲む二人のMSパイロットがいた。

 二人は毛布をひっかぶりながら、焚火にくべている金属製のコーヒーサーバーをあちちと言いながら手に取り、互いのマグに注ぎあっていた。

 

「ブライトのやつ、本当に自分たちを追い払うとは……」

 

 ブライトとシナプス大佐に酒の肴にされているなどとは知らないシン大尉は、トリントンから数キロ離れた、数多のコロニーの残骸が大地に突き刺ささっている地域にて野営をしていた。

 この野営地にはいくつもの焚火の光が見えるため、シン大尉たち以外にも相当の兵員が待機していることがわかる。

 

「仕方ないですよ。わたしたちの部隊は怪しすぎますし」

「うーん、ミデア改で行く、なんて冗談が良くなかったのか?」

「大尉、ブライト少佐に冗談はあまり通じないですよ……」

 

 ブライトを驚かせてやるつもりで、シン大尉はブライトに「ミデア改で行く」などと通信を入れてしまった。

 その実態はペガサス級強襲揚陸艦トロイホースであった。ゴップ元帥が艦艇運用の人員を抑えるべく企画、改良した、少人数操艦仕様の技術試験艦として改装されたものだ。

 ゆえに、操艦及び艦体・機関保守にかかる人員は10名程度で事足りる。

 ガノタ的な目線で見ると、ネェル・アーガマに用いられる技術の先行試験艦であるともいえる(相応の性能を発揮するならばその倍の人員は必要だが)。

 

「マッケンジー艦長、ブチ切れてましたけど、どうするんです?」

 

 そう、ガノタとして嬉しくも悲しいことが起きた。

 かのクリスティーナ・マッケンジー中尉が、ジャブローでの指揮幕僚課程を大変優秀な成績で修了なされて、マッケンジー少佐としてトロイホース艦長にご就任なされたことである。

 歓喜の紙吹雪をばらまいて、艦長就任おめでとうパーティを開くなど、ガノタとして良好な関係を築いてきたつもりだったが――今はどうだろうか?

 

「謝ったほうがいいよな?」

「それは、そうですよ。隊長の部屋、艦長室の隣だから居づらくてこんなとこで野宿してるんですよね?」

「ち、ちげーしっ! ヤザン少尉の部隊がキャンプ遊びするって言ったから付き合ってるだけだしっ」

 

 図星だったシン大尉は、他の連中――焚火やバーベキューサイトを囲んでわいわい盛り上がっているヤザン隊の隊員たちのほうをみた。

 

「おうおう、大尉殿。エリート艦長にバチ切れされて敵前逃亡かい?」

 

 ビール片手にやってきたのは、ヤザン少尉だった。バトルジャンキーとしてガノタ界隈で有名な彼であるが、いざ実物が配属されてみてびっくり。陽気なウェーイ系バトルジャンキーであり、部下たちとは兄弟姉妹の如し――いわば、海賊の親分みたいなやつであった。

 

「ヤザン少尉、すっかり出来上がっているな」

「そりゃそうよ。地球のこの埃っぽさの中で、炭火で焼いた肉を食らうっ! これが本来の人間ってもんだと思わねぇかい? 大尉どの」

「まぁ、そうかもしれん」

「だろ? おっ、少尉ちゃん飲んでねぇじゃん。よし、飲めねぇならこれ食いなっ」

 

 ヤザン少尉がしっかりローストされた大ぶりのチキンをナイフで切り分けて、シャニーナの皿に移す。

 

「ありがとうございます。ヤザン少尉」

「おう。少尉ちゃん、今度の実機演習は、ぜってぇボコボコにしてやるからな」

「こっわ。そういうこと言ってるから勘違いされるんですよ?」

「なーにが勘違いだ。オレは怖い野郎だぜ?」

 

 ワッハッハ、と剛毅な笑いを残して、ヤザン少尉はまた部下たちのもとに戻っていった。

 

「うぅ……ヤザン少尉も怖いし、マッケンジー艦長も怖いよぉ。自分は、隊長に向いてないんだよ」

 

 シン大尉は泣き言をこぼす。

 おそらく強気なクリスを上司に持ち、抜身のナイフのようなヤザンを部下に持つことに耐えられるガノタはそれほど多くないのではないか? とシン大尉は己の立場を嘆く。

 中にはうらやましいっ! と思って憤慨するガノタもどこかの並行世界にはいるのかもしれない。

 しかし、もし自分が無能だったら、かのジャマイカンの如く謀殺されかねない立場であることを楽しいと思える奇特な方など――いるかも、ガノタだもんな。とシン大尉は一人で青くなったり、赤くなったりしている。

 

「はい、よしよし。隊長のことはこのわたしが守ってあげますからね~」

 

 シャニーナ少尉がぽんぽんとシン大尉の肩を叩く。

 部下にまで励まされてしまい、ますます肩身が狭くなるシン大尉。

 

「あ~、いいっすねぇ、青春っすねぇ」

 

 やさぐれた雰囲気で絡んできたのは、フジオカ技術中尉であった。

 手に持ったワインボトルは半分以下になっている。

 幸せいっぱいの結婚生活を送って――はおらず、ゴップ元帥子飼いの技術屋として使い倒されているフジオカ技術中尉は、あちこちに派遣される日々の末に旦那に浮気されて離婚するという、あまり笑えないプライベートを経験してしまったそうだ。

 

「ノエミィ姐さん、だからあれほど幼馴染はやめとけって言ったんですよ」

 

 ノエミィ・フジオカ技術中尉(当時は技術少尉)の結婚式のとき、シャニーナ少尉(当時は士官候補生)がなにやらフンスついていたのを思い出した。連邦軍のオシドリ夫婦として有名なマチルダさんとウッディさんのようにはなれそうにないと当時は文句を言っていたが、それが短期離婚を意味しているとはシン大尉も気づいていなかった。

 

「いやー、もう最悪っすわ。男ってのはサルなんすね、サル」

「そうですっ! おさるさんですっ!」

 

 ゴップ元帥の命令でジム系の統合整備計画の仕事を手伝い、ようやく暇を見つけて新居に帰ってみれば元旦那が知らない女と寝ていたという最悪のケースだったらしい。

 なお、フジオカ技術中尉はそこで発砲事件を起こしているが、ゴップ元帥がなかったことにしてくれたらしい。

 

「あ、自分、空いてるけど……」

 

 隙あらば、くすぶっている恋心に火がついてしまう情けないシン大尉は、二人がぎゃーぎゃーと男の悪口を言っているところに、空気を読まずアプローチしてしまう。

 

「はあぁぁっ? 何言ってるんですか! 大尉はぜんっぜんフリーじゃないです! わたしに士官教育して、わたしに戦術教導して、そしてわたしへの指導、指導、指導! ほら、いま恋してる場合じゃないですよっ!」

「お、おぅ……」

「うっわぁ、シャニーナちゃんマジパネェっすわ」

 

 突然シャニーナ少尉まで怒り出し、フジオカ技術中尉がなにかを恐れて離れていった。

 シン大尉は自分が全く部隊に溶け込めていないのではないかと不安になってくる。

 少なくとも、創立時の第一メンバーだったはずなのだが――。

 

 

 

 

 UC0083 10月初旬、その日トリントン基地周辺の天気は乾燥注意報が出る程度には日差しが強く、長そでを着なければ太陽の光が痛いと思えるような状況であった。

 

 シナプス大佐の『確認』は時間がかかったものの、今は粛々と命令書の内容を実行すべく、基地全体は動いている。

 そして、大佐はトリントン基地の重要施設の認証に出向き、巨大施設の幾重ものセキュリティを解除し始めている。

 

 ブライトは念には念をいれるべく、自身の権限の範囲で警戒態勢を取らせている。

 上番待機となっているウラキ小隊とキース小隊が陸上基地施設側を警戒。

 そして本来は上番でないにもかかわらず、なんだか嫌な予感がすると言い出したカイとハヤトは、オーストラリアの大地で日光浴がしたいと嫌がる部下たちを強引に連れ出して、沿岸施設側を哨戒していた。

 

 アルビオン所属のMS隊に回されているRX81ジーラインは、連邦軍の量産機として正式採用されていないのだが、エゥーゴでは公然と主力機として運用されていた。連邦正規軍が標準採用しているジム改と違い、純粋なRX78の量産仕様であり、その性能はジム改をはるかに上回る。

 各種オプションパーツの選択によってさまざまな戦況に対応可能であるため、仮想敵としてエゥーゴが想定している、ジオンのMS(星一号作戦で苦戦した、ゲルググ及びその発展型)に対抗・凌駕する性能を十分に備えている。

 

 そして隊長機たるスレッガー・ロウ大尉は、フル装備のジーラインFCのコックピットで各種観測データとにらめっこしていた。

 

『――大尉、出番のようだ。上空の警戒部隊からの連絡も途絶えている。間違いないな』

 

 艦長から少々緊張気味の言葉とデータが届いた。

 すでにミノフスキー粒子濃度が上がっていて、無線の調子が悪くなっているらしい。

 光通信への切り替えと、作戦シナリオに入る。

 

「艦長さんよ、どう考えても『時化』てるぜ」

『スレッガー大尉、アルビオンは機関メンテ中だ。今『台風』に来られると非常に厄介だ。基地駐屯部隊を全部出すか?』

「その判断はありだな。すぐに緊急招集かけたほうがいい。航空機があるなら爆雷装備で出してくれ。海側を火力支援したほうがいい」

 

 スレッガー大尉は海中ソノブイなどから送られてくるデータを見て確信する。

 すでに連邦海軍の連中が大慌てでアクアジムを稼働させて海に飛び込ませているが……これはあまりあてにしないほうがいいだろう。

 

(さぁて、最初の上陸作戦は絶対、陽動でしょ)

 

 スレッガーはエリア図をディスプレイに移し、戦術展開図を描く。

 おそらく、沿岸部からジオンのお客さんたちがやってくる。その数は読み切れないが、ユーコン型潜水艦複数と、水陸両用型MSが指じゃ数えられないほどやってくるはず。

 そちらにこちらの気をそらして、主攻軸はどうなるんだ? 陸上からの突撃か? それとも空挺作戦か――いや、ここは両方だと考えたほうがいい、とスレッガーは敵の作戦を読む。

 これはガチの正規戦になる、と踏んでいるのだ。そうであるならば、相手は全方位からの圧力をかけてくるに決まってる。

 

「お?」

 

 駐屯していた海軍航空部隊が思ったよりも早く離陸し始めた。

 特に対潜哨戒機のドン・エスカルゴが素早く滑走路から飛び立っていく。続いて火力役のデプロッグやフライマンタが離陸していく。

 

 スクランブルした航空部隊がそのまま海上へと向かっていくのを見届けて、スレッガーは部下たちに通信を送る。

 

「カイ、ハヤト、諸君のカンは大当たりってね」

『最悪だぜスレッガーさん、早い、早すぎるよ。休戦協定ってのは吹けば飛ぶようなもんかい?』

『僕らは敵の上陸作戦に備えますよ。粘ってみせますけども、期待しないでくださいね』

「結構結構、そちらさんたちが粘ってる間に、他の基地から増援も来るでしょうよ。うちの頭の固い艦長が追い返したあいつらだって、ご近所で待ってんじゃないの?」

『聞こえているぞ、大尉』

 

 スレッガーの皮肉に、ブライトが割り込んでくる。

 

「あいつらも呼び出したほうがいい。こいつぁ、ガチだぜ?」

『――増援要請済みだ。20分待て』

「さーすが艦長さん、手が早いねぇ。奥さんもすぐ孕んだとか」

『家内の話は遠慮してもらいたいな、大尉』

 

 スレッガーのあえての馬鹿話にブライトが乗る。

 これは新兵たちの心理的緊張を解くための儀式であり、技術である。

 

「なぁ、知ってるか、ウラキ少尉、キース少尉。艦長のスピード婚からの育児休暇入りの話だ。なかなか面白いぞ」

『スレッガー隊長、そんなことよりも指示をください』

『そうですよ隊長。くだらない話をしてる場合じゃないですよっ』

 

 ウラキとキースから通信が返ってくる。

 今までブルって身を固くしてやり取りを聞いていただけの連中が、ようやく口を開いたってわけだ――と、スレッガーはにやりと笑う。

 

「おーおー元気いっぱいのヒヨコちゃんだこと。よし、お前ら、よく聞け。ウラキ隊、キース隊はともに北部ゲート側郊外だ。遮蔽物を利用して展開、敵を拘束して増援が来るまで粘れ。駐屯部隊の連中もいるから、多少抜かれたってかまうな」

 

 スレッガーはできる限り丁寧に、ウラキ隊とキース隊の任務を説明する。

 

「いいか、地上戦ってのはいい地形を抑えたほうが有利だ。士官学校のオベンキョを思い出して、しっかり部下を展開しろ。いいな!」

 

 スレッガーが思いのほか気合の入った言葉を返してきたので、ウラキ少尉とキース少尉から『了解っ』といい声が返ってきた。

 

 さてさて――と、スレッガー大尉はトリントン基地及び周辺のMAPに展開する友軍部隊情報を近接INS経由で取得する。ミノフスキー粒子はすでに戦闘濃度に散布されていることを見るに、高高度にルッグンか何かのジオン航空部隊がいるようだ。

 まったく、こちらの航空部隊は何をしてるのかね、と嘆きたくなる。海上戦力対応こそしているが、防空作戦が計画通りに実施されているようには思えない。

 遅ればせながら周辺基地からのセイバーフィッシュ部隊の来援情報がスレッガー大尉のHUDに続々と表示される。

 

「やれやれ、後手後手だぜ、こりゃよぉ」

 

 スレッガーはそんなことを言いながら、海上のほうをズームする。

 一条の光が空に向かって放射されていた。

 これに対して、ドン・エスカルゴが索敵行動と爆撃誘導を開始。デプロッグによる雷撃戦が始まった。

 

 

 

 トリントン基地郊外に待機していたランバ・ラル少佐は、連邦のガンダムモドキたちがのこのこと遮蔽物を探しまわりながら展開する状況を視認した。

 潜水艦部隊が気づかれるのは時間の問題だとは考えていたが、思ったよりも早かった。

 エゥーゴとやらは連邦軍の中でも精鋭が集まっていると情報部の資料にあったが、どうやら嘘ではないらしい、とラルは敵の評価を定める。

 そして、所定の作戦計画に基づいて、部下たちに命令を下す。

 

「全員、搭乗。これより奇襲をかけて混乱させる。我々の目的はここだ」

 

 ランバ・ラルは部下のクランプとコズンに秘匿情報を解禁する。

 そこはトリントン基地の核弾頭貯蔵庫だ。南極条約の締結にともない封印されているこれらの施設を狙っているかのように動くこと、と伝える。

 

「見せかけるだけですか?」

 

 クランプ中尉が尋ねる。

 

「そうだ。我々の目的はあくまでも戦場の混乱であり、主作戦目標の欺罔である。核兵器貯蔵施設への攻撃は南極条約違反だからな。そう見せるだけだ」

「流れ弾の一発もダメですかい?」

 

 今度はコズン中尉が冷やかしてくる。

 

「コズン、流れ弾をこぼしたらケツを蹴り上げるぞ。我々はしっかりと仕事をして、さっさと撤収だ。いいな?」

「了解」

 

 クランプとコズンが敬礼をして、預かっている部下たちのもとへと駆けていく。

 

 数分も経たずに、ランバ・ラルは機上の人となっていた。

 後ろに控えるは数多のドム・トローペン。

 ラル自身が乗り込むは青きイフリート・ナハト。

 機動力でかき回し、確実に打撃を与えて離脱するために編成された戦士集団である。

 

「ギレン閣下からの命令だ。慈悲をもって殺せ、以上」

『応っ!』

 

 そして部隊は統制のとれた動きで、砂塵を巻き上げながらホバー移動で出撃していく。

 始末すべきはガンダムモドキども。

 与えられた仕事はしっかりこなさんとな、とランバ・ラルは不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 オーストラリアに砂嵐があるということを事前レクで知っていたウラキ少尉は、遠方に巻き起こる砂塵を見て、それだと勝手に思い込んでいた。

 そもそもオーストラリア大陸にやってきて数日。

 砂嵐というのがどういうものかもよく分かっておらず、巻き上がる砂塵がそういうものなのではないかと思い込んでしまうのも仕方ないことではあった。

 

 しかし、である。

 これは戦場において致命的なミスであった。

 

『ウラキ隊長、アレみえます?』

 

 部下からの通信に対してウラキ少尉はこう答えた。

 

「砂嵐、じゃないかな?」

『そうなんですか? どんどんこちらに近づいているような』

「気象情報をみてみるよ」

 

 ウラキ少尉がやるべきことは、気象情報を確認することではない。

 直ちに部下に射撃準備をとらせつつ、基地側砲兵部隊に支援要請を送ることだった。あるいはわからないならわからないなりに、上長であるスレッガー大尉に状況を知らせて指示を乞う手段もあった。

 

 だが、ウラキ少尉はミスをした。

 

 戦場の霧の中では、意思決定は確からしさの計算となり、ミスが少ないほうが結果として主導を握ることになるというは旧世紀のクラウゼヴィッツ以来の常識であるが、それがそのままこの戦場にも適用できた。

 

『コウっ! あれはやばいって!』

 

 先に動いたのはキース隊だった。

 右翼側に展開していたキース隊が砂嵐に向かって散発的な射撃を開始。

 ウラキ隊の隊員たちもそれにつられる形で、五月雨式の弾幕を形成し始める。

 二つの小隊の大多数を占めるジーライン・スタンダードアーマーはミサイルやガトリングスマッシャーを搭載しているため、たとえ五月雨式となってしまってもそれ相応の弾幕の厚さを確保できている、かのようにも思えた。

 

 しかし、砂塵の勢いは止まることを知らない。

 気が付けば、視界の先にはドムタイプの機体が数多映し出されていた。

 

『隊長っ! ドムです!』

『なんだか青いのもいますっ!』

「あれはイフリートじゃないか? ナハト型? くそっ、とにかく撃ちまくるんだ! シミュレータでやったドム戦を思い出せっ!」

 

 地上におけるドムの叩き方セオリーは、旋回時の速度低下を狙うものだった。

 ドムはホバー移動の性質上、直進速度や蛇行速度こそ早いのだが、急ターンを苦手とする特徴挙動を持つ。

 仮にドムが飛び込んできたなら、やり過ごして後ろから撃ち抜いたほうが生存率が高いというのはエゥーゴ隊員ならシミュレータでやりこんでいるはずだ。

 

「――ダメだ。とても仕留められそうにない」

 

 正面から躊躇なくビームライフルを部下たちが連射しているのだが、ドムの乱数機動が優れているのか、大破させた数が極めて少なく、このままでは交錯戦闘になることが予想できた。

 熟練のパイロットであればためらいなく抜刀戦に移行するところだが、ウラキ隊もキース隊も中途半端に射撃戦を継続していた。

 

 そのような躊躇いばかりの火線などものともしない敵のドムたちは、あっという間にウラキ隊とキース隊の間近に迫ってきた。

 

「――やり過ごすんだ! あえてすり抜かせて後ろをとれっ!」

 

 ウラキの指示を信じる部下は言われた通りにドムをスルーする。

 一方でウラキの指示を信じ切れなかったもの、あるいは聞こえなかったものはサーベルを抜き、ドムとの格闘戦に入ってしまう。

 キース隊も状況はほぼ同じだ。

 敵のドム・トローペンたちは一部がすり抜けていき、一部が差し向かいでMS同士の格闘戦を始めている。

 

 ウラキは正面に映っているイフリート・ナハトに向けてビームライフルを撃つ。

 だが青いイフリート・ナハトはこちらの射線を最小限の動作でかわし、ヒートソードを抜いて迫ってきた。

 ウラキのジーラインが慌ててサーベルを抜く。受け流して、すり抜けさせて、後ろから撃つ、とウラキは自らに言い聞かせながら、青いイフリート・ナハトを迎え撃たんと構える。

 

『まるで素人だな』

 

 相手のため息交じりの声を拾う。

 青いイフリート・ナハトがウラキのジーラインと切り結ぶことなく、蛇行で脇をすり抜けていく。

 反応が遅れたウラキのジーラインのサーベルは空を切るだけであった。

 

「でも、後ろは取れる――」

 

 ウラキのジーライン・ライトアーマーが急旋回し、そこにいるであろうイフリート・ナハトにビームライフルを向ける。

 だが、そこには砂塵のみ。

 コウは直観する。

 回り込まれている! むしろ後ろをとられたのは自分だ、と。

 

 ウラキ少尉のジーライン・ライトアーマーがバックパックを最大出力でふかす。

 急なGにウラキはうめき声を漏らすが、判断自体は間違っていなかった。

 青いイフリート・ナハトは確かに背後にいて、ヒートソードを背後から差し込まんとしていたのだから。

 

『機体性能と勘に助けられたな。だがそれだけでは戦争はできんよ』

「くそっ! どこだ!」

 

 ジーライン・ライトアーマーでなければ死んでいたという事実を見透かされた。

 恐怖を覚えながらも、ウラキ少尉は必死にイフリート・ナハトを探す。

 しかしながら、かの恐るべき敵を視界にとらえられないウラキ少尉は、センサーや計器類を確認する――ダメだ、他のドム・トローペンや味方を拾うばかりだ。

 くそ、どこだ、どこだ? とウラキ少尉のジーラインがおたおたしている様を見下すように、ドム・トローペンたちがすり抜けていく。

 ウラキ少尉は完全に混乱していた。

 自らの任務がなんであるのかを忘れ、イフリート・ナハトの恐怖にとらわれてしまっていた。

 

 

 

 

 港湾エリアでは、接戦が繰り広げられていた。

 ゴッグ、ハイゴッグを主力とするジオン上陸部隊による攻勢を、カイ少尉、ハヤト少尉が中心となって食い止めていた。

 

 カイ少尉はビームサーベルでなんとか迫ってきたズゴックEを片づけて、周りを見る。

 部下たちも、ハヤトの隊もあの手この手で防衛線を維持しているが、突撃を敢行してくるハイゴッグの群れをいくつか取りこぼしてしまっている。

 

「ハヤト! そっちはどうだ!」

「カイさん、こりゃ大仕事すぎるよっ!」

 

 ハヤトの泣き言をきいてそちらを見ると、ハヤトが乗るジーライン・スタンダードアーマーは数か所の被弾。

 いくらかの敵機は始末したようだが、ハヤト機を脅威と判断したらしいジオンの連中はハヤトを集中して狙っている。

 部下たちがハヤト機を援護しようとしてくれてはいるが、続々と上陸してくるジオンの水陸MS部隊に押されて十分とは言えない。

 このままでは押し切られるのも時間の問題ではないかとカイ少尉は考えていた。

 

「ハヤトぉ、一回退きなっ、援護するぜ」

 

 カイのジーライン・スタンダードアーマーが、ガトリングスマッシャーユニットをうならせ、ハヤトを狙っていたハイゴッグを数機ハチの巣にする。

 

『カイさん、助かった!』

「引いたら俺を援護してくれよぉ! こんどはこっちが囲まれる番だからなっ!」

 

 カイはジーラインを巧みに操りながら、包囲攻撃を回避する。

 このジオンども、脅威判定が正確すぎてくそやっかいだ、とカイは舌打ちする。

 相手のエースがいると判断すれば、即座に集中してくる。

 そこに歴戦のいやらしさのようなものを強く感じた。

 

「隊長さん、やばいぜぇ、これはよ」

 

 スレッガー大尉に、そう長くはもたないことを伝える。

 性能差があるジーライン相手にこれほどまでやりあえるゴッグやズゴックの乗り手たちだ。いずれこちらを疲弊させて潰す戦法を繰り出してくるだろう。

 

『だろうねぇ、お客さんはみんなプロだぜ』

 

 スレッガー大尉のジーラインFCも、基地内に侵入してきた青いイフリート・ナハトとやりあっているらしい。

 

「こいつらの狙い、なんなんだぁ?」

『知るかよっ! 核施設じゃねぇか?』

 

 イフリート・ナハトにまとわりつかれているスレッガー大尉は余裕が全くなさそうだ。

 駐屯地の駐留部隊はどうしたんだよ、とカイはぼやきながら戦況図を確認する。

 どうやら、核兵器貯蔵庫を防衛すべく、浸透してきているドム部隊への対処を優先しているらしい。

 

「艦長っ、港湾エリアに増援を回してくれって基地司令に頼んでくれよっ!」

『ガンタンクとジムを回してくれる。そいつらと協力して持たせろ』

「ウソだろっ? 駐屯部隊のジーラインはこねぇのかよ?」

『重要貯蔵施設優先だ。あきらめてくれ』

 

 あー、くそっ! とカイ少尉は通信を切り、目の前の敵を削ることに集中する。

 くそったれめ。

 仕方ない、アムロのやつが演習場から戻ってくるまで待つしかねぇな、とカイは頭を切り替え、港から続々と上陸するジオン部隊をにらみつけた。

 

 

 

 大空をゆくガウ攻撃空母の群れ。

 その腹に収まっているMSたちの中に、王冠のエンブレムを肩につけたハイザック試作型が待機していた。アナハイム・エレクトロニクスのグラナダ工場とジオニック社による初の合同開発計画によって生み出された、ジオンの次世代を担うべき主力機の、概念実証機である。

 全周囲モニターを搭載したコックピットに座る男は、ハマーン・カーン(様×100)から届いた手書きの手紙を静かに読んでいた。フォン・ブラウンシティでの留学を楽しんでいることや、初めて男子から告白されたことなどが楽しげに書かれていた。

 

 パイロットの男は、読み終えた手紙をまるで宝物のように丁寧に折りたたみ、ノーマルスーツの内側に潜ませた。

 

「ここからが、本番だ――」

 

 男はただハマーン・カーンが幸せであればそれでよかった。

 0083において、彼女が艦橋で自らの身を抱きながら『寒い……』と言わせることを、男は叩き壊してやったのだ。

 しかし、彼は知っている。彼女が朗らかに生きるための障害は、むしろこれから増えてくるはずなのだ、と。

 彼女が父を失い、16歳でアクシズに放置されて政敵らに一人立ち向かわなければならない、などという状況は何とか回避した。

 留学先で男子に告白されてキャッキャと喜ぶ手紙を送ってくる今の状況は、回避した状況に比べればご褒美みたいなものだ、と男は自らの行いの正しさを確信する。

 

 そして、これからも為すべきことは変わらない。

 彼女を悲しませたり、傷つけたりする因果をすべてを断ち切る。

 必要があれば、核兵器や生物兵器、ザビ家、シャア・アズナブル、アムロ・レイ――すべて始末するだけだ。

 

(俺は、ありのままの自分でいるために、死に物狂いで闘うんだ。それが肝心なんだ──闘い続けるってことが。たとえなにがあっても)

 

 胸元に隠した手紙のあたりに手を触れると、闘志が湧いてくる。

 決して尽きない、異次元からの熱量がほとばしる。

 ガノタたるもの、情熱に身を焦がせないなど恥でしかない。

 

『クラウン大尉、地上のラル少佐からです――白昼堂々、降りられたし』

 

 地上の攪乱作戦は無事成功。

 あとは己が降り立ち、ハマーン様を害する可能性があるアレらを消すだけだ。

 

「了解した。浸透予定のガトー少佐に伝えてくれ。進路は我が啓く。以上」

 

 クラウンは信じている。

 きっとどこかにあるはずなのだ。数多の扉を開けていけば、そのどれかが必ずやハマーン様が幸せに生きる世界に繋がっているはずなのだ、と。

 




あ、0083長くなるやつだこれ(察し)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二話 0083 ガンダム試作2号機

ゴップの法
第一条 ガノタは、いかなる場合でも令状なしにガノタを逮捕することができる。
第二条 ガノタは、相手がガノタと認めた場合、自らの判断でガノタを処罰することができる。
第二条補足 場合によっては、抹殺することも許される。
第三条 ガノタは、人間の生命を最優先とし、これを顧みないあらゆる命令を排除することができる。
第六条 ガノタの夢を奪い、その心を傷つけた罪は特に重い。
第九条 ガノタは、あらゆる生命体の平和を破壊する者を、自らの判断で抹殺することができる。

――ゴップさんが一時妄想した法。機動刑事ジバンのぱくり。


 合戦、という言葉がある。

 物理的な戦いの集合を表す言葉としては極めて適切であり、いまトリントン基地は合戦状況であった。

 アルビオン隊やトリントン基地駐屯部隊のジーラインとドム・トローペンが。

 あるいはジーラインとゴッグやズゴック、ハイゴッグが。

 または、駐屯部隊のジムやガンタンクが。

 瓦礫と砂礫の中で、互いの生死をかけて磨き抜いてきた戦技と戦技、あるいは戦術と戦術をぶつけ合っている。

 1:1で無敗を誇っていたエースが袋叩きにされて沈み、100戦連敗の雑兵が集団戦術でエースを落とすことがままあるのが合戦というもの。

 

「そろそろ潮時か」

 

 合戦の風向きを読むことにかけては一流であるランバ・ラル少佐は、自分たちの出番はここまでだと悟る。

 戦場を撹乱し、エゥーゴとやらのガンダムモドキをいくつも仕留めはしたが、そろそろ残弾も推進剤も引き際であるサインを出している。

 クランプ、コズンらも核貯蔵施設を襲うふりをしながらトリントン基地の対空火器を相応に始末したようだ。

 

「――白昼堂々降下されたし」とランバ・ラルは符牒を送る。

 

 切り込み部隊としての仕事は果たした。あとは後続に任せる、と判断したラルは部下たちに命令を飛ばす。

 駐屯地内での暴れ仕事はこの程度にして、戦線を移動させる――敵部隊を誘引し、空挺降下するクラウン隊の降着点を確保するのだ。

 

「クランプ、コズン、手はず通りにやる。モドキどもを釣るぞ!」

『了解』

 

 ラルの号令一下、後退するイフリート・ナハトを追うようにドム部隊が後退作戦に移行する。

 

 

 

 まるで忍者集団が統制の取れた動きで去っていくような様をみて、スレッガー・ロウ大尉は舌打ちをした。

 

「誘ってやがるな……」

 

 アルビオン隊のジーライン部隊の損耗を確認する。

 機体性能に助けられていることもあり、ドム・トローペン部隊の襲撃で犠牲になった連中はまだ両手で数えられる範囲だ。

 だが、兵站という意味ではほぼ全滅に近いと言ってもいい。

 技量がおかしいドムどもを始末するために、ありとあらゆる火力をばらまく必要があったからだ。

 基地の損害も、どちらかといえば自分たちでやらかしてしまっていると言っても過言ではない。

 高機動に走り回るドム連中に弾丸やビームをばらまけばそうもなる。

 

『おいおい、そっちの手が空いたなら、港湾エリアに増援くれよっ』

 

 カイ少尉からの焦り混じりのぼやきが届いた。

 

「お前らでもう少し粘んなさいな。こっからが本番だぜ」

『冗談だろっ? こっちの状況みてんのか? 援護にきたガンタンクの弾が切れたらこっちは終わりだって――」

「補給トラックは向かわせてあるから、頑張れ」

『そんなぁ……」

 

 カイ隊とハヤト隊には申し訳ないが、スレッガーは敵の追加攻撃に備えるべく決心した。

 

「艦長、対空ミサイルは?」

『オールスタンバイ。近接信管でバラ撒いてやるさ』

「了解、頼むぜぇ」

 

 スレッガーは、敵の次の手が空挺作戦であろうことは読んでいた。

 こちらをさんざんかき回し、部隊の連携を引き裂き、あげく補給を必要とするこのタイミングを作り出すのがニンジャドム共の仕事だったに違いない。

 だからこそ、やつらは核兵器貯蔵施設を狙う偽装をかけながら、その実質、基地の対空火力を潰すチマい手仕事を丁寧にこなしやがった。

 

「ま、いい仕事だったけど……うちの艦長の読み筋で寄り切り勝ち、ってとこかね」

 

 基地の対空火力は確かに潰された。

 しかし、こちらにはアルビオンがある。

 ペガサス級強襲揚陸艦は文字通り強襲作戦のために作られた艦艇である。

 ゆえに、その対空火力は生半可なものではない。

 重力に縛られて自由落下してくるだろう敵のお客さんたちを、ブライト艦長が盛大な花火でお迎えするだろう。

 

「なら、俺ちゃんたちは立て直しかね」

 

 スレッガー大尉は、敵の陽動作戦にのこのこ引掛り、適当な撃ち合いをさせられながら基地から引き離されているウラキ隊とキース隊に喝をいれる。

 

「こらこらこらっ! 坊っちゃんどもはオツムの使いかたってのがわからんのかい?」

 

 エゥーゴだエリートだといったところでこんなもんかねぇ、と苦笑しながらスレッガーはヒリヒリと感じる上空からのプレッシャーに備えて、部隊再編を手掛け始める。

 

 

 

 ブライト少佐はアルビオンの艦橋で、じりじりとした焦りに苛まれていた。

 混戦状態の戦場についてではない。そこはスレッガー大尉が何とか仕切り回してくれている。

 

 相手の意図が読めないからだ。

 

 ジオンにとってここを奇襲する目的はなんだ?

 戦闘の本質が相手方の企図の破砕である以上、ジオンの意図を見抜けなければ勝利はない。

 しかし、ブライトには全くそれが見えなかった。

 核武装のために貯蔵施設に搬入されたアトミックバズーカ関連の部品を狙っている?

 それにしては、ドム部隊の引き際が鮮やかすぎる。

 空挺降下部隊の誘導?

 そうであるならば、なぜアルビオンを叩かない? 基地の対空火力もそうだが、強襲揚陸艦の対空火力もまた驚異のはずなのに、だ。

 いや、そもそもなぜ空挺部隊が来るのだ。

 空挺作戦の趣旨は、その機動力を以て敵の拠点や連絡線を砕くことだ。

 いま空からこちらに殴りこんでくるということは、このトリントン基地にある何かを狙っているはず。

 

(核弾頭、GP02、アスタロス、どれだ?)

 

 どれかではなく、すべてかもしれない。

 そうであるならば、やはりアルビオン隊は後退するドム部隊対応を適当にいなしつつ、基地防衛を優先するべきだ。

 

「艦長、航空偵察情報来ました。敵、降下開始とのこと」

「よーし、観測射撃、用意」

「よし」と砲雷科から返答。

「撃て」

 

 アルビオンのミサイル発射管から垂直発射された一群のミサイルが雲の向こうに吸い込まれていく。

 秒も経たず、航空部隊からの電送が届く。

 

「観測情報、来ました。修正よし」

「よし。空挺破砕射撃を開始する。計画射撃」

「了解。第一ミサイル群、よし」

「撃て」

 

 ブライトの指示に基づき、ミサイルが発射される。

 ミノフスキー粒子のせいで精密誘導は厳しいだろうが、観測機からの情報である程度の有効射撃にはなるはずだ。

 

 しかし、ブライトの目論見は外れた。

 

 激しい揺れ。

 視界が真っ白になり、ブライトはシートベルトにぐったりと体を預ける。

 ブリッジクルーたちも同様である。

 

「そ、損傷確認」

 

 もうろうとした状態で、ブライトは艦に何かが起きたはずだと確認をとる。

 

「多目的垂直発射管、大破」

「甲板損傷甚大、内部火災発生」

「MS格納庫に人的損害。整備に負傷者が出ています」

「ダメージコントロール急げ!」

 

 ブライトは指示を出しながら、損害の原因を考える。

 おそらく、いや、間違いなく発射したミサイル群を狙われた。

 しかも、発射直後に。

 至近爆発を起こしたミサイルによって、アルビオン自体が深刻な損傷を被ったわけだ。

 

「スレッガー大尉、なにか見えたか? スナイパータイプか何かだと思うが」

 

 ブライトはMS部隊側に情報を求める。

 

『やばいぜ艦長! 超長距離砲撃で正確にミサイルを狙いやがった』

「意味が分からん、砲撃?」

 

 砲撃とは確率論である、というのは古来からの常識である。

 ある散布界に対してどれほどの有効が生じるかは文字通り投射火力と確率で計算されるものだ。

 しかし、いまそのように乱数的に砲弾がバラまかれいるか? 

 否である。

 

『射撃発揮位置の捜索はやるが――絶対に次弾が来る。艦橋はやばいぜ』

「くそっ。総員、CDCに移動だ」

 

 ブライトたちは艦橋から緊急タラップで艦中央にある戦闘指揮所に移動する。

 さっさと行け、と部下たちを急かし、最後にブライトがタラップに飛びこんだとき、再度の衝撃。

 タラップを降りていたブライトはその身が放り出され、激しく壁面に打ち付けられた。

 やばい、と部下たちが身を挺してブライトをかばったが、艦長の意識はなかった。

 

 

 

 トリントン基地より十キロ以上離れた岩場地帯に、ザメルと護衛のザクⅡ改の部隊が潜んでいた。

 

『シャリア・ブル少佐、いい一撃だ。木馬は戦闘不能。事実上の撃沈だ」

 

 680mmカノン砲という化物じみた大砲を背負った大型MSザメルのコックピット内で、シャリア・ブル少佐は一息つく。

 

「了解。引き続きラル隊の戦果を期待する」

『そちらもな。ここから先はクラウン隊に観測を引き継ぐ。以上』

 

 ラルからの通信を終えると、シャリア・ブル少佐はサイコミュシステムの履歴データを確認する。

 いまの集中力なら、誤差は微小。

 十分に有効な精密砲撃ができるだろう。

 

 もともと機体サイズが大きかったこともあり、コックピット周りにサイコミュ関連機材を積みかえたザメルは、今やビット砲弾を撃ちだすニュータイプ用砲撃MSとなっていた。

 かつて星一号作戦にてブラウ・ブロによるオールレンジ攻撃で連邦艦隊にダメージを与えた実績があるシャリア・ブル少佐を買っているギレン総帥が、今回の任務のために特別に用意した機体である。

 ミノフスキー粒子下での精密誘導が困難である問題を、サイコミュ技術はある程度まで克服してしまう。

 シャリア・ブル少佐は、かつてのGPS誘導砲弾の如く運用可能なビット砲弾の実戦テストもかねて、そして公国の重大局面であるとのギレンの言葉を信じて、ここに派遣されていた。

 

「木星船団から外されて、MS乗りにされたときはどうしたものかと思ったが……こうして戦果を挙げることで公国に貢献できるのも、すべては総帥の深謀遠慮のおかげかな」

 

 生粋のギレン派であるシャリア・ブルにとって、この総帥直々の特殊作戦に従事できることは望外の喜びであった。

 一年戦争時代の旧式MSであるとはいえ、サイコミュ技術に関する様々な試験兵装を搭載しているこのザメルを任されていることも、シャリア・ブルのプライドをくすぐる。

 自分はモルモットだが、後に続くニュータイプたちが手に取る武器を作っているのだと思うと、歴史の先端に立っているような気がしてくるのだ。

 

『少佐、こちらクラウン隊、もう地上が見えています』

「了解。こちらはいつでも撃てるぞ」

『先ほどの砲撃は見事でした。期待しています』

 

 自身と同じく十字勲功章もちの男、クラウン大尉。同じ勲章を持っているというだけでなぜだか仲間意識が湧いてしまう。

 ともにジオンのために戦う戦士なのだと思うと、気合も入ろう。

 

「了解、要請を待つ」

『頼みます、少佐』

 

 期待されることは好きだ、とシャリア・ブル少佐は思う。

 それにこたえることで、人に必要とされているような気がしてくるからだ。

 ニュータイプとしての鋭敏な感性のせいで、本当に自分を必要としてくれるかを分かってしまうシャリア・ブル少佐にとって、この任務は久しぶりに心が休まる一時であった。

 便利な戦争の道具と思われているかもしれない。

 だが、かかわっているすべてのものたちが、自分に期待し、求めてくれる。

 その喜びが、シャリア・ブルのニュータイプとしての力をより一層高める。

 

『――少佐、見えますか? 私の敵が』

 

 クラウン大尉からの通信。

 シャリア・ブルは静かに目を閉じて、彼に同調する。

 ピリピリとした余裕のないクラウンの気配を探るのはそう難しいことではなかった。

 しずかに、確実に彼の意識を読む。

 

「見える、こちらにも見えるよ、君の敵が」

 

 そして、シャリア・ブル少佐はクラウン大尉を通してこちらに向けられている敵意に気付く。

 

「なんだ……こいつは?」

 

 思わず言葉を漏らす。

 クラウン大尉が対峙している敵、GP02の敵意は、明らかにクラウンではなく、同調しているシャリア・ブル少佐自身に向けられていたからだ。

 

『こいつを倒します。少佐のお力なしでは、無理です』

「――わかった。任せておけ」

 

 シャリア・ブルはまがまがしい敵意を向けてくる、彼方にいるはずの敵を倒すべく、ビット砲弾を発射した。

 

 

 

 

 少々出遅れたか、とクリスティーナ・マッケンジー少佐は戦火に傷ついたトリントン基地を見る。

 彼女が指揮を執るペガサス級強襲揚陸艦トロイホースは、今まさにトリントン基地の増援にやってきたばかりだ。

 本来であれば元よりエゥーゴと連携作戦をとれたはずなのだが、エゥーゴ側の意地に譲歩してしまったが故のこのざまである。

 

『艦長、聞こえますか?』

 

 先行偵察という名目で飛び出していったシン大尉から通信。

 

「問題ない。ばらまいた中継通信ドローンは機能しているようだ」

 

 本格的な地上でのMS運用機能を実証すべく、トロイホースには各種指揮通信強化装備が搭載されている。

 無人ドローンを飛ばし、光通信ネットワークを展開することで、疑似的に近接INSを実現し、戦域に展開するMSと司令部に情報共有を確立する運用試験もまた、トロイホースの任務である。

 

『では、映像をどうぞ』

 

 シン大尉から映像が送られてきた。

 彼が搭乗しているジムカスタムからの主観映像である。

 

 だが、違和感がある。

 

 偵察に行くといって飛び出した彼から本来届くべき映像は、サブフライトシステムに乗って空から撮影しているそれであるべきだ。

 しかし、現実はどうだ。

 どう見ても戦場のど真ん中。

 エゥーゴの、損傷しているジーラインを助け起こしている映像が見える。

 

「……なにを、している、大尉」

『えー、威力偵察、ですかね』

 

 確かにそうかもしれない。

 いまシン大尉は正確なジムライフルのバースト射撃でハイゴックを撃ち抜いているからだ。

 挙句、急接近してきたゴッグのコックピットを、ジムライフルに着けているビーム銃剣で貫いている。

 見事な銃剣格闘である――ではない。

 

「大尉、貴官の腕前は中々だが、そうではない。貴官の任務は、敵の意図を探り出し、そこに本艦の戦力を集中するよう誘導することだ」

 

 すでにトロイホースの周りにはベースジャバー概念実証モデルに乗ったヤザン隊のジムカスタムたちが飛行待機している。

 この戦力を決定的なところに投入させるのが、偵察に出たシン大尉の本来の任務である。

 ところが、あの男は何を思ったか地上に飛び降りてエゥーゴ部隊を救出、援護している。

 

『あー、えー、誘導はちゃんとやります。というか、ほら、みえますか艦長』

 

 シン大尉のジムカスタムから送られてきた映像に映っているのは新型のザクタイプだった。

 

『ハイザック試作型です。あれのせいでこの様ですよ』

 

 文字通り、エゥーゴのジーラインたちはハイザックと、それが率いるガルバルディα隊に蹴散らされていた。

 ジオンの水陸両用部隊と激しく接戦を繰り広げていたはずの港湾エリアはすでに沈黙。

 増援されたジオン空挺部隊と水陸両用MS部隊の挟撃にあってすりつぶされたようだ。

 まだ数機のジーラインが粘っているが、どこまでもつかはわからない。

 

『艦長、率直に言いますよ。完全にぼろ負けです。トロイホース隊を回すのはやめたほうがいい』

「エゥーゴを見捨て、追撃戦に備えろということか?」

 

 マッケンジー少佐はベレー帽に手をやりながら問う。

 毅然とした態度を維持できているか自信がなかったからだ。

 味方を見捨てて、戦略上正しいことをやらなければならない立場にあるのはわかっているが、どうしてもMSパイロット時代の癖が抜けない。

 それに比べてあの大尉はどうだ。

 いつもは、やれ歓迎パーティだキャンプだとバカみたいなことばかりやってこちらをイラつかせてくるだけなのに。

 今は、味方を見殺しにしても戦力を保持し、万全の態勢で追撃戦に備えろと言っている。

 

『マジかよ大尉。オレはやりてぇんだよ。そのハイザックだっけ? 強そうじゃねぇか』

 

 ヤザン少尉が文句を言い出す。

 この狂犬の手綱をちゃんと握っておけとゴップ閣下に言われてはいたが、どうしたものか。

 

『ヤザン少尉の出番は、あっちだな』

 

 シン大尉から、青いイフリート・ナハト率いるドム・トローペン隊に蹂躙されているジーライン隊の映像が届く。

 

『おうおう、いい動きじゃねぇか、あのイフリート』とヤザン。

『と、いうことで艦長。トロイホース隊であちらの戦場を援護してやってください。ドムの動きを見てくださいよ』

 

 シン大尉にズームされた映像を確認すると、ドム部隊は推進剤を節約しながら移動しているらしいことがわかる、

 射撃戦でも、マシンガンの連射は極力手控えているらしい。

 

 なるほど。

 

 味方を見殺しにはできない、と思ってしまう冷徹になりきれない自分を慮ってか、シン大尉が逃げ道を用意してくれたようだ。

 まったく、いらぬ気遣いばかりうまい男だ。

 シャニーナ少尉がやたらとシン大尉を推す理由がいままでわからなかったが、少しわかった気がする。

 

「なるほど、単なる拘束が目的か。よし、トロイホース隊はあのイフリート率いる隊を蹴散らす。拘束されている友軍を解放するのが目的だ。深追い不要。どうせ退いていくからだ」

 

『そんじゃあ、オレぁ行っていいんだよな、艦長』

「ヤザン隊、出ろ。ほどほどに狩りを楽しんだら直掩に戻れ」

『了解。おら、お前ら出番だぞっ!』

 

 ヒャッハーッっとヤザン隊が飛び去って行く。

 そのトロイホースに残っているMS隊は、直掩のシャニーナ隊だけである。

 

「シャニーナ少尉、どうした? 普段のような口数がないが」

 

 シン大尉が戦っている映像が来ると、ことごとく解説を入れなければ気が済まないシャニーナ少尉が、黙り込んでいるのが不気味だった。

 

『すみません、なんだか頭が痛くて』

「体調不良か? まったく。サンダース曹長、貴様が代行し、シャニーナ機は艦内に戻れ」

『こちらサンダース、了解』

 

 まだシャニーナ少尉は士官学校を出たばかりで経験が浅い。

 シン大尉が頼れる下士官を探してきて付けたらしいから、大丈夫だろう。

 

「よし、本艦もヤザン隊の援護に向かう。進路変更」

 

 とーりかーじ、と操舵手から声が飛ぶ。

 わずかなブリッジクルーのみで運用するべく、数多のAI補助を実装した空飛ぶ計算機であるトロイホース。

 この実戦データの収集もまたマッケンジー少佐の任務である。

 

「さて、ジオンのベテランたちに、お手合わせいただこうか」

 

 マッケンジー少佐がそういうと、ブリッジクルーたちが『応っ』と声を張った。

 

 

 

 

 

 

 行ってくれたか、とシン大尉はラル隊の方向に飛んでいくトロイホースを見送り、視線を戻す。

 意図的に映像共有を切っておく。

 知られても困ることではないが、あれこれとマッケンジー艦長に聞かれると厄介だからだ。

 

「さーて、あれをどうしたもんか」

 

 先ほどはハイザック試作型とその一派にコテンパンにされたことにしたが、事実は違う。

 

 暴走したGP02が敵味方関係なく、暴れまわっているだけだ。

 

 幸いにも、スレッガー大尉が意識を失う前に、アトミックバズーカ関連が収められている貯蔵施設を身を挺して封鎖してくれたおかげで、最悪の事態は回避できている。

 

 それにしても……予想していなかった。

 ゴップ閣下から流してもらっていた情報でも、ガンダム開発計画は普通に核装備――いわゆる原作準拠だと思える情報しかなかった。

 資料で見知っていたGP02の外観も、のちのリック・ディアスに近いそれであったから、まぁ奪われなけばいいか、くらいの感覚で備えていたシン大尉は、己の計算の甘さを呪う。

 

 ガノタなら気づくべきだったのだ。

 戦略級の影響力を持たせるべく生み出されたガンダム試作2号機に、どんなものが盛り込まれるか。

 まだまだガノタとしての修業が足りんな、とシン大尉は苦笑するしかない。

 

「あれ、EXAMシステムだよな……」

 

 デュアルカメラを赤々と輝かせるGP02の姿を見て、そう直観する。

 のちのNTDに繋がっていく、対ニュータイプシステム。

 原作準拠であるならば、ニュータイプが戦場にいればそいつを殺すべく、勝手にバーサーカーになる欠陥システムでもある。

 

 それに真っ向から立ち向かっているのは、クラウン率いる部隊だ。

 ハイザック試作型なんていう旧ガンプラ、マリンハイザックの説明書にしか載っていないものを引っ張り出してくる、クラウンのガノタぶりに感心する。

 おそらく、アイツはこういう事態に備えて開発を進めるよう本国で走り回っていたに違いない。

 股間オレンジのジムでガンダムと決闘させられていたこちらとはずいぶんと違うな。

 

(ということは、この戦場にニュータイプがいるってことになるが……)

 

 あのハイザック試作型は違う。

 というか違っていてくれないと困る。

 カイかハヤト――は残念ながらゴッグの体当たりを食らって意識消失。

 アムロのやつは内陸部の演習場からまだ帰ってきていない。

 残る消去法としては――

 

(自分かっ!?)

 

 ニタァ、と気味の悪い笑みを浮かべるシン大尉。

 

(ついに来たか。人の革新、ネオンジェネシスがよ)

 

 歓喜のあまり、シン大尉は別の作品の言葉まで持ち出してしまっている。

 そもそもGP02が『すでに暴れている』戦場にやってきたこと。

 今もGP02に無視されている事実を正しく認識できないほどに、シン大尉は舞い上がっていた。

 

「いやぁ、乱世、乱世」

 

 などとシン大尉は意味不明な嘆息を繰り返しながら、EXAMシステムを破壊するべくやってきたでだろう、クラウンの激闘をのぞき見していた。

 

 

 

 




やっと次回でトリントン終わりだよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三話 0083 ジオンに奪われしもの

たくさんのお気に入り登録、ありがとうございます。
これからもガノタの皆さんに「こいつ、わかってねぇな……いっちょ教えてやるか」と思ってもらえる話を続けていこうと思います。

――700お気に入り超えについての御礼


 

 

 シン大尉は、かつてガノタとして視聴していた映像を思い出す。0083において、ウラキが搭乗するGP01が、ガトーの乗るGP02を抑えんと挑むシーンだ。

 あの構図を撮影するとしたら、こんな感じなのか、などとジムカスタムで戦場カメラマンと化しているシン大尉。

 

 いま、暴れまわるGP02をクラウンがハイザックで抑え込もうとしている。

 いや、そうではない。

 むしろクラウンのハイザックの動きを見るかぎり、GP02を確実に始末するべく動いているようにしか思えない。

 

(ジオンは、GP02なんかどうでもいいのか?)

 

 ついつい原作の知識に頼ってしまう己の怠惰なガノタ部分をどうにかせねばな、とシン大尉は己を戒める。

 

 GP02が目的でないとすると、ジオンの狙いは何か? 頭の中の全ガンダム作品を光速でブン回すが、それらしきヒントは見当たらない。せいぜい、アスタロスくらいしか引っかからないが、あれは生物兵器だ。

 設計データさえあれば、バイオサイエンスの極地へとたどり着いているこの世界の科学力なら普通にどこでも製造できてしまう。もともとジオン生まれの生物兵器であるはずだから、向こうにもデータはある――『およそ政治闘争において重視されるのは、均衡を崩す何かだよ』という、ゴップ閣下のお言葉通りなら、アスタロスなど不要だ。

 

 では、何が均衡を崩す――

 

 そんなことをシン大尉が思案していると、GP02とクラウンの均衡が崩れた。

 どこからか飛来した凶悪な破壊力を持つ砲弾が、GP02に降り注いだのだ。

 だが、GP02はそれを察知して、例の分厚いシールドで防いだ。

 核運用のための防御兵装として設計されているあのシールドは、しっかりと役目をはたしてGP02を守り抜いた。

 だが、二度目は無理そうだ。派手にシールドは損傷している。

 

(な、なんだ? 砲撃? ザメルがやったのだとしたらおかしいぞ)

 

 ガノタたるシン大尉は、当然この戦場のどこかにザメルが潜んでいる可能性については思慮していた。もしかしたらメルザ・ウン・カノーネかもしれないが、と。

 アルビオンが砲撃でボコられた痕を、シン大尉はしっかりと把握していたが、それはラル隊による間接照準射撃なのだろうと考えていた。

 静止目標たる係留状態のアルビオン相手ならば、ランバ・ラルのような戦争屋による正確な誘導があれば当たって当然か、くらいにしか考えていなかった(ブライトの無事を祈る気持ちはあるが、戦闘中はそういうスイッチは切っておく)。

 

 シン大尉が困惑しているのをしり目に、さらに追加の一発。

 しかし、今度はGP02が両肩搭載のあの特徴的なスラスタユニットを使用してクイックなマニューバで回避した。

 シン大尉は、自分なら避けられずに死んでいたであろうことを直観する。

 

(クラウンが誘導している? だとすれば動的目標に対して先読みして砲弾を置いていることになるが……もしや、あいつニュータイプに覚醒したのか?)

 

 シン大尉はイデオン発動編のクライマックスで小さな女の子の首がはじけ飛んだときと同じくらい、衝撃を受けた。

 同じガノタであるのに、やつが、やつがネオンジェネシスして駅のホームをメガネのイイ女と一緒に駆け上がって、初めてのルーブルしやがったのか!?

 

 サイコガンダムではなく、ただのジムカスタムに乗っているはずなのに、シン大尉は完全に強化人間もびっくりの飛躍した思考に至っていた。

 ガノタたるもの、時にはリミッターが外れてしまうこともあるのだ。

 

「ユニバァァァス!!」

 

 そして、シン大尉のジムカスタムがジムライフルを抱えて飛び出していった。

 

 

 

 眼前のGP02の盾をようやく砕いた。

 クラウン自身が磨き上げてきた技術、そしてシャリア・ブル大尉の鍛え上げられたニュータイプ能力をもってしても、ようやく盾一枚。

 連邦のニュータイプ殲滅の切り札たるEXAMの底力に、ガノタたるクラウン大尉はおおいに敬服するとともに、ますます破壊するべきだ、と覚悟が決まる。

 もしいずれハマーン様がニュータイプとしてお目覚めになられたとき、これが殺しに来るなどという事態は避けねばならない。

 

「人を超えた反応、ニュータイプではなしえない無慈悲さ。さすがはEXAMか」

『――クラウン大尉、すないが援護はここまでだ』

「少佐、もしや状況が?」

 

 シャリア・ブル少佐からのサイコデバイス通信から、彼が戦闘に巻き込まれているらしい空気を感じる。

 

『来たよ、連邦のアレが。間違いない、グラナダの悪魔だ』

「アムロ・レイ!? 少佐、撤退を!!」

『もちろんそうさせて――ビットミサイルを使う!』

 

 どうやらガンダム試作0号機がシャリア・ブル大尉に迫っているらしい。自衛用のビットミサイルまで使用しているということは、相当な至近距離戦になっていることだろう。

 

『すまん大尉、集中力をあいつに向ける!』

 

 シャリア・ブル少佐からのサイコデバイス通信の反応が消える。

 サイコミュ装備最大の欠点は、機械のように常時安定したパフォーマンスを出せないことだ。眼前に強敵が現れてしまえば、そちらに気を持っていかれるのも当然である。

 

(少佐、ご武運を)

 

 クラウンはシャリア・ブル少佐とまた再会できることを祈る。シャア・アズナブルに対抗しうる優秀な男を、ここで失うのはあまりにも痛手だからだ。

 

「――少佐の援護なしでも、仕留めて見せる」

 

 クラウンのハイザック試作型が、仕掛けた。

 執拗にGP02の左側へと回り込むようにホバー移動で迫る。

 シールド破壊と同時に、左腕側の駆動系にダメージが入っているのを確認済みだからだ。

 映像作品のウラキに習い、ここは狙わせてもらう。

 

『ユニバァァァス!』

 

 唐突な混線。

 左足くらいは奪えるか? とGP02にビームライフルを撃ちまくっていたハイザックに対して、飛び出した連邦のMSがマシンガンを連射してくる。

 単なる雑兵の乱射ならば問題ないが――飛び出してきたジムカスタムの射撃は、連射という名の精密狙撃であった。

 

「っ!!」

 

 ハイザックをステップさせてすべての弾丸を回避する。

 コックピット内で上下左右に振り回されるクラウンは、レッドアウト間際だ。

 全身の筋肉とノーマルスーツを使って無理やりポンプ機能を働かせて、頭に血を回す。

 地球の重力め……、とクラウンは丸くて青い星に八つ当たりする。

 

 ウザ絡みしてくるジムカスタムだけならまだしも、ジムカスタムによって生み出された隙を、GP02がビームサーベルを抜いて狙ってくる。

 GP02の推力/質量比は約1870。ハイザックの1087と比べたら倍近くある。

 相手の追撃から退くなど無理無茶無駄である。

 

「なんとぉぉぉっ!!」

 

 宇宙海賊よろしく、雄叫びを上げるクラウン。

 GP02の一撃からは逃れられないと計算し、MODを起動。

 格闘戦コマンドで強引にGP02のビームサーベルをいなし、さらにはGP02の腕にハイザックが絡まる。

 まるで人間の格闘家のようにGP02にまとわりついたハイザックが、そのまま全機体重量と推力を使って、GP02を組み敷いた。

 派手に地面に打ち付けられるGP02、そして砕け散る路面とコンクリート。

 巻き起こる土煙の中で、GP02のバルカンが飛び交う。

 

「そのまま寝ていろ!」

 

 EXAMが搭載されているであろうGP02の頭部にヒートホークを叩き込んでおく。

 これでGP02は機能停止か?

 動かないGP02が万一再起動しても困るため、トドメと言わんばかりにコックピットを潰したいが、ゴキブリのようにしぶとく狡猾な動きをするジムカスタムに邪魔される。

 

「くそっ! さらにできるようになったか、シン!」

 

 かつてア・バオア・クーで殺しあった強敵(友)との再会。

 0083のシチュエーションであることに、クラウンはガノタとして神に感謝した。

 これほどまでにガノタとしての魂を燃やすシチュエーションがあるだろうか。

 

「こい、シン。モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的な差であることを……教えてやる」

 

 クラウンのハイザックがビームライフルを抱えてホバー移動でジムカスタムに迫る。

 ジムカスタムが連射からバーストに切り替え、ハイザックのボディを正確に狙って発砲を繰り返す。

 

「正確すぎるな、お前の射撃は」

 

 だからこそ逆に読める。

 ジムライフルの特性、射線軸、そしてジムカスタムのFCSをすべて熟知しているであろうこその、無駄のなさ。

 その無駄のなさこそが、貴様の弱点だ、シン。

 

「――そこだっ!」

 

 素早くビームライフルを連射。

 シンが素早く反応して、逃げ行く先であろうスペースにビームを置いておく。

 互いにガノタ同士であるからこそわかる、先読み。

 一瞬だけ己がニュータイプのようなふるまいをしていることに、クラウンは苦笑いする。

 

「許せ、直撃だ」

 

 クラウン大尉には見えていた。

 先置きしたビームの先にジムカスタムが飛び込んでいく様を。

 まさに無駄のない回避。

 間髪入れずにこちらの初撃に反応したが故の、死地。

 奴との腐れ縁もここまでか、とクラウン大尉は彼の冥福を祈った。

 

 

 

 180度開脚で素早く地面に倒れこみ、匍匐のままカウンターでハイザックのボディを狙撃するジムカスタム。

 MSが人間と違って、ソフトウェアさえインストールしておけば、機械的制約の限界まで駆動させることを熟知しているガノタとエンジニアによって作られたGマニューバ。

 断じてゴキブリではない。

 

「油断したな、クラウン」

 

 あまり格好のいい姿勢ではないものの、バースト射撃で放った弾丸は、クラウンのハイザックのボディにヒットしていた。

 ただ、装甲の厚みと、直撃間際に避弾経始を意識して機体を傾けたクラウンのワザマエのせいでキルはできなかった。

 

 シン大尉のジムは素早くアポジモータとスラスターを使って跳ね起き、後退して遮蔽物に身を隠す。

 ハイザックがビームライフルのEパックを交換して、遮蔽物もろともこちらを撃ち抜こうとしてくるので、さらに後方へとバッタの如くZ字に移動を繰り返しておく。

 

「やはりニュータイプ、だよな」

 

 先置きされたビームには、さすがに殺されると思った。

 Gマニューバを開発していなかったら、確実に命を焼かれていただろう。

 

「あー、どうする? ジムカスタムはいい機体だが、完全に火力負けしてるぞ……」

 

 シン大尉に検討する時間は与えられなかった。

 ハイザック試作型が、直撃をキメられない新型のビームライフルを撃つのをやめて、腰に備え付けられているマルチランチャーからぽんぽんとミサイルを撃ちだしてくる。

 ミノフスキー粒子下での誘導性能は低下しているものの、近接信管のロケット弾としては有能で、こちらの駆動部に爆風でミシミシとダメージを与えてくる。

 

「あーあー、そうやっていやらしい攻撃しやがって。これだからガノタは」

 

 自分があちらに乗っていたら仕掛けるだろう戦術を、遠慮なく実行してくるクラウンにいらいらが募る。

 まさに同族嫌悪である。

 

『よぉ、大尉、こちらヤザン。青いイフリートなんだが――逃げやがった。まったくよ、お預けかよ』

 

 まだ基地の通信リレーや、トロイホースが残していってくれた通信中継ドローンが生きているらしい。通信は極めてクリアだ。

 

『そちらさんはどうなんですかね、大尉?』

「ハイザックとガチンコでやりあってる。このままだと包囲されるな。生き残っている連中を引っ張ってアルビオンまで後退する」

 

 アルビオンの周りには、残存しているエゥーゴ部隊が集結してクラウン隊のガルバルディαと交戦している。アルビオンの近接防御火器が弾幕を形成していることから、まだアルビオンの指揮統制は崩れていないことが読める。

 

『了解。俺たちはどうすりゃいい?』

「そっちが救出したエゥーゴ連中を率いて、トロイホースの直掩に回れ。マッケンジー艦長には自分から連絡を入れる。敵の攻撃は、もう一波あるはずだからな」

『おっ、最高じゃねぇか。青い巨星の次は、赤い彗星でも出てくんのかぁ?』

「期待しておけ。補給は受けておけ」

『了解。オラっ、隊長様のご命令がでたぞ! 全機母艦にて補給だ』

 

 ヤザンとの通信を終える。

 この通信のさなかにも、空気を読まないガノタが乗っているハイザックが執拗にジムカスタムに仕掛けてきていた。

 今はまさにビームサーベル同士のつばぜり合い。

 こちらの通信だって聞こえる距離だ。

 

「――すっかり熱くなってるな、クラウン」

 

 余計な挑発に乗って、冷静さを欠いてくれないか? などと計算含みの会話を始める。

 同時にマッケンジー艦長に『敵、増援ありと思料。トロイホース隊によるアルビオンとの協働を具申』と打っておく。

 即座に、数分マテ、との指図とシン大尉の合流予定座標が届いた。

 さすがマッケンジー艦長。

 超有能。

 

『――私は冷静だよ、シン』

 

 目の前のクソ有能野郎からもレスがあった。

 

「冷静な奴は自分で冷静だなんていわねぇだろ」

『ガノタは自分をガノタだと思わないのか?』

「うっ」

 

 いかん!? こちらが動揺を誘われた!?

 

 ジムカスタムからバルカンが連射され、それを嫌ったハイザックが距離をとる。

 素ジムとはバルカンの威力が違うのだよ、威力が。

 

「あの野郎――」

『さっさと退いてしまえよ。シン。お前は私に勝てない。戦う理由がないからだ』

「一ついいこと教えてやるよ。自分は昔から兵士でな。戦う理由なんてなくても敵を殺せる」

 

 そう、スイッチを切ればいいだけだ。

 理由の強さも、愛の強さも、自分の前では意味がない。

 最後に立っているほうが個人レベルでは勝者なのだということを、戦場を渡り歩いてきたかつての自分が身をもって知っている。

 

 ――そう考えないと、死んでいった連中が可哀そうだ。

 思いが弱いから負けたのか?

 愛が足りないから負けたのか?

 違う。絶対に違うはずだ

 たった二人で行われる決闘形式でない限り、思いや祈りの強さなど、鉄量と火薬に押しつぶされるだけだ。

 総力戦とはそういうものだ。

 命をコンベアに乗せて出荷し続ける戦争形態に、個人の想いや願いなどの、本来は貴ばれるべき人らしさなどは意味をなさないのだ。

 

『――お前とは、分かり合えるはずなんだがな』

「自分も、そう思うよ」

 

 シールド裏からマガジンを取り出し、ジムライフルの弾を補充。

 ここからはしつこく、粘り強く、やつを追い詰める。

 戦術的にみて、先に兵装の補給を必要とするのはあちらだからだ。

 GP02戦でEパックもザクマシンガン改の弾薬も減らしてしまっているアイツに対して、シン大尉は兵士としてのいやらしい戦い方で勝ち筋を決めるつもりだった。

 

 

 

 

 海鳥が飛び交うシドニー湾を航行するザンジバル級機動巡洋艦『ペールギュントⅡ』からドダイに乗って発進する機体群。

 先を行くのは、アナベル・ガトー少佐のギャン・クリーガーである。ジオンの敢闘精神を形にしたような騎士めいた機体をギレンから与えられたときのことは忘れまい。まさに、自分がジオンの戦士であると認められた瞬間だったからだ。

 シールド裏のダブルビームガン、そして機体を特徴づける身の丈を超える大型ビームランス。

 艦艇すらも大槍で貫くという並大抵ではない戦闘機動を現実のものとすべく実装された大出力スラスター及びアポジモータ。

 

(これがあれば、ソロモンでもっと多くの友軍を救えたものを)

 

 ない物ねだりではある。あの時はリックドムの改良品に試作型の大型ビームバズを持たされたもので挑まざるを得なかった。数限りある弾数で救える味方は少なかったのだ。

 エネルギーCAP技術の遅れという戦略的な失敗を戦術で取り返すのは難しいと体感した苦々しい記憶でもある。

 

 だが、今は違う。

 Eパックの実用化にも成功し、いまやジオンとてビームライフルを使えるのだ。

 いまガトー少佐率いるガトー分遣隊のMS群のザクF2もゲルググ用に開発されたビームライフルのEパック改修版を装備させている。

 ザクの改修機ではあるが、乗り手は一年戦争を駆け抜けてきた強者たち。

 そのような者たちに、ビーム兵器を与えるということが戦力の向上においてどれほどの価値を持つか、ガトー少佐は十分に理解していた。

 

(これならば、任務を果たせよう)

 

 潜水艦群とラル少佐による奇襲攪乱。

 そしてクラウン隊による『護衛機』たるGP02の排除。

 ギレン閣下がほぼ正規戦に相当する戦力を投入してでも敢行した、トリントン基地急襲作戦の完遂まで、あとわずかだ。

 

『こちらブラウエンジェル。ついに目標を確保した』

 

 長らくアナハイム・エレクトロニクスに潜入していた敏腕諜報員であるエージェント、ニック・オービルから秘匿通信が入る。

 すべての攻撃は、トリントン基地にアナハイム社スタッフとして潜入したニック・オービルの任務を達成させるためのブラフ。

 

 トリントン基地、いや、レビルとアナハイム・エレクトロニクス社がたった一人のために戦力と金を惜しまなかった事実。そしてギレン閣下がこれほどの戦力を投入してようやく手に入れる機会を得られるという事実。

投下される命の量と、物量が、ブラウエンジェルが狙う人物の重要性を物語っている。

 

「――まさに、忠義。貴公の退路を必ずや確保しよう」

『頼んだ、ソロモンの悪夢。以上』

 

 かのテム・レイ博士の後継者としてV作戦を引き継ぎ、ビンソン計画の技術草案も企画。ガンダム開発計画においても様々な次世代技術を生み出した天才、モーラ・バシット技術大佐。

 彼女こそが、かの連邦の古狸、ゴップ元帥ですら手に入れられなかった、レビル将軍の懐刀である。

 レビルのエゥーゴ結成にも噛んでいるという、政治的にも重要なこの人物を確保し、ギレン閣下の下にお連れするのが任務だ。

 

(一人の女性をめぐる、総力戦。まるで神話時代の戦争だ)

 

 だが、ガトー少佐にとってはそれもまた一興である。

 もとより、ジオン公国とは神話性に則り生まれたものであり、自らもその神話の登場人物として現れるであろうことに、心躍らぬはずもなし。

 

「各機、傾聴。我々がこれより、星の屑作戦の第一段階を締めくくる。ブラウエンジェル及び彼のパッケージの退路確保及び、回収を目標とし、突撃する」

『了解』

 

 眼下に小さく見えるトリントン基地。

 飛び交うビームや砲弾の閃光、のぼる黒煙と白煙。

 あれこそが、アスタロスも、核も、ガンダムすらも無価値にする、一人の女性をめぐる神話のステージ。

 

「各機、降下用意――降下!」

 

 ガトー率いる作戦の仕上げ部隊が、整然とした隊列でドダイを傾け、一斉に降下する。

 

 

 

 

 マッケンジー艦長は、対空戦の準備を進めていた。

 駐屯地側の航空部隊が、敵増援の空中機動作戦を確認、と知らせてくれていたからだ。

 情報優越はある、とマッケンジー艦長は確信している。

 幸いかな、ジオンの地上部隊のエースを抑えてくれているシン大尉からも、この事態を予想してアルビオンと連携するべき旨の具申は届いていた。

 

「ヤザン隊、補給状況を知らせろ」

『問題ねぇ、です、艦長どの』

「よし、艦砲射撃後、貴官らは突っ込め。お待ちかねの敵のエース部隊だぞ」

『さっすが艦長、物分かりがいいぜ――けど、地上の連中はどうすんだ? 俺らの援護なしだと、エゥーゴさんはやられるかもしれん』

「シン大尉とシャニーナ隊に支援させる」

『少尉ちゃんはさておいて、大尉はどう考えても無理だろ?』

 

 ヤザンが懸念しているのは、敵のエース、おそらく『王冠のクラウン』だろう――との戦いに集中しているシン大尉がシャニーナ隊とともに地上部隊の支援をするなど不可能だということだろう。

 だが、マッケンジー少佐はそうは考えない。

 あの男は酷使すべきだ――というゴップ元帥からのアドバイス通りに、無理筋な仕事をやらせておこうと考えていた。

 つまり、王冠のクラウンをひきつけながら、友軍の戦線に合流させることだ。

 かのシン大尉はなんだかんだでMS隊の運用もうまい。シャニーナ隊との連携及び、残存エゥーゴ隊を任せれば、あわよくば王冠のクラウンを始末するだけでなく、敵を退かせることができるかもしれない。

 

「やらせると決めた――よし、艦砲射撃、開始」

 

 了解、と砲雷科からの応答。

 トロイホース搭載の火砲が、迫りくるジオンの空中機動部隊に向けて連射される。

 大量のミサイルとメガ粒子の雨がジオンの連中に降り注いだが、確認される有効射は期待したほどではなかった。

 

「さすがはベテランだな。ヤザン隊、暴れてこい」

『あいよ。ぶち殺してやらぁ』

 

 ヤザン隊のジムカスタムが突撃していく。

 

「味方にあてるなよ。統制射撃、ミサイル、撃て」

「了解」

 

 砲雷科の発射したミサイルが、ヤザン隊の間隙をすり抜けていく。

 そして、敵が散開。

 ヤザン隊は複数:1を実現すべく、機動的に集中攻撃を始める。

 よし、足止めくらいは確実にこなせそうだな、とマッケンジー少佐は確信する。

 

『――マッケンジー少佐! 聞こえるかね?』

 

 基地司令からの通信? シナプス大佐は確か、基地のシェルター兼統合作戦司令部から駐屯地部隊の指揮に注力しているはずなのだが、なにかあったのだろうか?

 

「はっ、こちらマッケンジー少佐です」

『失礼を承知で頼みたいことがあるんだが――』

 

 言いにくそうなシナプス大佐に、マッケンジー少佐は率直に答える。

 

「大佐、政治的なあれこれの配慮は不要です。大佐がそれを得意としないことは存じております――少なくとも、私の尊敬する教官殿であったあなたは、そういうものが苦手です」

 

 かつて艦艇運用の基礎指導をエイパー・シナプス大佐から手ほどきされたことを思い出す。厳しい指導ではあったが、一介のMS乗りでしかなかったクリスティーナ・マッケンジーを、曲がりなりにも艦長たりうる存在に仕上げてくれたことは感謝している。

 

「そうか、そうだな――では結論からだ。我々トリントン基地が守り通してきた人物が、略取・誘拐された。今は警護についていたエコーズ226とエコーズ303が追撃しているが、すでにシェルターからは連れ出されてしまった」

 

 エコーズ、と聞いてマッケンジー少佐はその人物がいかに重要な人物か把握した。レビル将軍子飼いの特殊任務部隊たるエコーズは、連邦の犬などと蔑まれながらも無数の特殊作戦を成功させてきた忠誠心の化物たちである。

 かつて、キシリア機関と共謀して虜囚たるレビル将軍をサイド3から連れ出したのもかのエコーズであったとは、ゴップ元帥からも聞いている。

 

「――了解。ジオンの狙いは、GP02や、アスタロス、核などではないということですね」

 

 シン大尉め、この三つのうちのどれかかもしれませんなどと事前レクでほざいていたが、全く読みが外れているではないか。

 

「それで、その重要人物というのは?」

『モーラ・バシット技術大佐だ。若く、大柄でたくましい女性だよ。外観データを送るから、地上で確認次第、直ちに救出してくれたまえ』

「了解」

 

 シナプス大佐から送られてきたデータを確認して驚いた。

 若く、と聞いていたが本当に若く、まだ20代であった。にもかかわらず、技術大佐という連邦の人事制度ではありえないほどのスピードで昇進している。しかも、その人事データの取り扱いは特定の士官のみが取り扱える、NeedToKnowの原則に従った情報区分に分類されていた。

 まさに、機密そのものである。

 

 さて、残念なことにトロイホースは歩兵部隊を乗せていないため、こういう事態への対処能力は極めて低い。何なら艦内に突入された場合、CDCに立てこもる以外手がないくらいの少人数体制で任務に従事しているからだ。

 

 しかたなく、次善策を命じることにする。

 

「シン大尉、聞こえるか?」

 

 無線からしばらく応答がなかったが、何度か繰り返すと返事があった。

 

『はい、こちらシン大尉。ちょっと今手が離せないといいますか』

 

 映像が来る。ジムカスタムが銃剣でハイザックを仕留めようとしているが、ハイザックが得体のしれない格闘術で逆にジムカスタムを転がしている。

 

『くっそ! ゲルマン流忍術かよっ! くそクラウンがっ!』

 

 シン大尉が悪戦苦闘する相手は、やはり星一号作戦で連邦のMS部隊を恐怖に陥れた『王冠のクラウン』らしい。

 

「大尉、ニンジャがどうした? いや、それはいい。それよりジオンの意図がわかったぞ」

『えっ? それって今この状態で聞いたほうがいい話ですか?』

 

 シン大尉のジムカスタムが得体のしれない動きをするハイザックの拳に打ち据えられているが、マッケンジー少佐は意に介さないことにした。

 

「奴らの狙いは、モーラ・バシットなる技術士官だそうだ」

『アイェェエ!? モーラ!? モーラさん、ナンデ!?』

 

 やはりな、とマッケンジー少佐は確信する。

 明らかにシン大尉は動揺、いや、困惑している。

 そして間違いなく、モーラ・バシットを知っているな。

 

「貴官は知ってるな、彼女を」

『技術士官ですよっ! ガンダム開発計画にも参加して……いや、確かに姿は見たことないですけども……』

「とにかく、ジオンは彼女の強奪を任務目標としている。すでに拉致され、エコーズが救出作戦を遂行中だ」

『エコーズが!? なんで特殊任務部隊まで出てきてるんですか――』

 

 そこで通信が切れた。

 シン大尉のジムカスタム側の何かが壊れたのか? つながらない。

 よくまぁ白兵戦をやりながらあれだけ会話できるものだと感心した。

 やはり、やつの技量には疑いがない。

 しかし、シン大尉はあまりにも多くを知っている。レビル将軍によって守られてきたモーラ・バシット技術大佐についても、当然のように情報を持っていた。指揮幕僚課程でその存在と運用を学ぶエコーズについても十分知りえているらしい。

 ゴップ元帥の手駒だとは聞いていたが、警戒は必要だな、とマッケンジー少佐は自らの保身のためにも、あまりシン大尉とはかかわらないほうがいいと確信する。

 硬い軍人の殻をかぶって任務にあたっているが、クリスティーナ・マッケンジー個人としては、家に残してきた冴えない彼氏であるバーニィをちゃんと養っていきたいだけなのだ。

 

 

 

 シン大尉はコックピット内で友軍向けの秘匿通信スイッチをいじるが、ダメそうだ。

 すっかり格ゲー時にコントローラのボタンがめり込んだあの状態になっている。

 

「もしもーし! くそッ、ボタンが戻らん!」

 

 モーラ・バシットさんが狙われていると聞いて、あまりにも動揺して力強く応答スイッチを押したのが原因だろう。

 

「クラウンっ! なぜモーラさんを狙う!」

『――貴様には話せん!』

 

 オープンの指向性通信のほうは元気いっぱいだ。別に会話したくないクラウンと好きなだけおしゃべりできる。

 くるくると、まるで体操選手のように伸身宙返りをキメて、10点満点の着地を決めたハイザックに問う。

 というか、ゲルマン忍者の動きを入れているクラウンのセンスに狂気しか感じない。

 お前、体鍛えすぎだろ。常識的に考えて、重力下でその動きはパイロット的にヤバいじゃないかと突っ込みたい。

 

「あーあーそうかよっ! どうせお前はハマーン様のことしか話してくれないもんなッ!」

『なんだとっ! 聴きたいのかっ!?』

 

 そこ食いつくのかよ、と思いつつシン大尉はそろそろ弾が乏しくなってきたジムライフルを単発射撃に切り替える。

 ジムカスタムが、ライフルを抱きかかえて射撃を繰り返し、社交ダンスのようにリズムに乗って戦場を大きく動き回り、ハイザックから少しずつ離れていく。

 マッケンジー艦長から指図された通り、友軍と合流するためだ。

 まもなく、味方との連携がとれそうだが、通信機というかボタンがやばい。

 

『隊長、聞こえていますか? わたしです、シャニーナ少尉です』

 

 頼れる我が部下の声に、シン大尉は安心感を覚える。

 問題は応答してやれないことだ。

 いや、オープンに切り替えればいけるか?

 でも設定を切り替える隙をクラウンが与えてくれない――。

 できるなら、シャニーナ少尉が乗るジムキャノンⅡで弾幕を張って、このうざいクラウンを引きはがしてほしい、と言いたい。

 

『――わかりましたっ。同軸射撃で援護します。隊長なら、大丈夫!』

「ちょっ、おま――」

 

 なぜかわからないが、シャニーナ少尉はこちらの意図を読み取ってくれたらしい。

 それは大変ありがたいが、同軸射撃?

 それって自分と同軸に敵を撃ち抜くってことですよね?

 

「っ!!」

 

 急激な横Gに意識を持っていかれそうになりながらも、シャニーナ少尉のジムキャノンⅡから連射されるメガ粒子砲を回避する。

 クラウンもいかれた反射神経で回避したが、さすが同軸射撃。

 こちらよりも反応がほんのわずかに遅かっただけあって、半身を持って行く。

 

『ハメやがって! 許さんぞ、シン!』

「悲しいけど、これって戦争なんで」

 

 シン大尉は躊躇なくジムライフルを構えて、倒れているハイザックのコックピットを狙う。

 さて、死ね、と引き金を引こうとしたその時であった。

 

『大尉、よけろっ!』

 

 ヤザン少尉のジムカスタムが落ちてきて、シン大尉の機体を弾き飛ばした。

 

「おうふ……」

 

 めり込んだシートベルトのせいで、息が詰まる。

 

 どうやらヤザン少尉は敵の――ギャンクリーガー!?

 なんでそんな格闘オバケがここにいるんだ?

 というか、四肢が青く塗られていることから鑑みるに、それガトーさんですよね? とガノタの素早い推論回路が機能する。

 どうにか伝えねば――お、ラッキー!

 

 ヤザン機にぶつかられたおかげで、通信スイッチのめり込みがなおってる!

 

「ヤザン少尉、君の獲物だろう? 自分が手を出していいのか?」

 

 やりあってはいけない敵キャラランキングに組み込まれているアナベル・ガトーとは、接触すら避けたいのがシン大尉の本音だ。

 できる限りヤザン少尉のプライドをくすぐる感じで通信を送る。

 

『上等だぜ、大尉さんよ。こいつぁオレが仕留めてやらぁ!』

 

 よし、託したぞヤザンっ! と思いきや、ギャンクリーガーがヤザン機を蹴り飛ばし、こちらに突っ込んできた。

 

「ウソぉ!?」

 

 シン大尉はGマニューバを駆使して、ギャンクリーガーから繰り出されるフェンシングスペースノイド代表レベルの連続突きをギリギリで回避する。

 

『むぅ、このジムもエースっ!』

 

 ガトーの激渋な声。

 やったぜ、ガトー様に認めてもらって大歓喜、とガノタらしく喜びたいところだが、今まさに集中力を切らしたら即死なので、ただひたすらにジムカスタムと一つになる。

 俺が、ジムカスタムだ。

 

『クラウン大尉、助太刀しよう』

『少佐、私よりもブラウエンジェルをっ!』

『蛇の道は蛇という。ブラウエンジェルはキシリア様の特殊海兵隊が確保中だ――シーマ・ガラハウ中佐には、今度酒の一本でも持っていかねばらならんな』

 

 なんだろう、しゃべりながら余裕でこちら殺そうとするのやめてもらっていいですか? とシン大尉は論破おじさんになりたい気持ちで一杯であった。

 なにせ、ガトー少佐、今度は殺意満々のシールド裏のダブルビームガンでこちらを狙っているからである。

 ギャンならギャンらしく、サーベルオンリーにしてほしい。

 おのれ、ギャンクリーガーめ。

 あと、ヤザン、あなた僕を助けていただけませんかね? 建物潰して倒れてる場合じゃないですよ、それはジェリド構図だからね。

 

『いずれまた戦場で会おう、連邦のエースたちよ』

 

 クラウン入りのインジェクションポッドを抱えたギャン・クリーガーが、迎えに来たドダイに颯爽と飛び乗り、大空の向こうへと去っていく。

 ガトーの撤退シーンを演出するかのように、ハイザックの残骸が自爆。ガトーの後退する姿を覆い隠した。

 

『クッソ、どこ行きやがった、ソロモンの悪夢!』

 

 機体の姿勢制御を取り戻したヤザンのジムカスタムがシン大尉の隣にダッシュでやってきた。

 

「空の向こうだよ」

『んだよ、それっ!』

 

 舌打ちをしながらもシン大尉のジムカスタムを助け起こすヤザン。

 

『大尉、敵が退いていきます』とシャニーナ少尉からの通信。

 

 トロイホースから提供される戦況マップも敵の攻勢が終わりを迎えたことを示していた。

 

『完敗、だな』

 

 マッケンジー艦長からの通信。

 核でも、アスタロスでも、ましてやGP02でもない。

 なぜか知らないが、モーラ・バシットさんを奪われてしまった。

 まさか0083タイムラインで、モーラさんをめぐる戦争やるなんて予想は、シン大尉にはできなかった。

 くそっ! もっとできるガノタになりたいっ……とシン大尉はヘルメットを投げ捨てた。

 跳ね返ったヘルメットが額にあたり、ううっ、とうずくまる。

 

「艦長、バシット技術中尉の件ですが――」

『中尉ではなく、大佐だよ。いちいち偽装情報を送らんでいい。真実は知っている』

 

 え?

 モーラ・バシット技術大佐……?

 原作では技術中尉で、いい感じの姉御肌の御仁だったはず。キースと仲良しになるという展開もまた、ガノタとしてはリアルで見てみたいシーンだったのだが。

 

「一体、何が起きてるんだ?」

 

 シン大尉は0083を再度脳内再生したが、何一つヒントは得られなかった。

 




おわったぁ! トリントン基地編、終了!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一四話 0083 モーラ・バシット

人間(ガノタ)の英知を信用しすぎるのは賢明ではない。
強者(ガノタ)も弱くなるかもしれないし、賢者(ガノタ)も間違うかもしれないと心に留めておくことは健康的である。

――ガンジー


 

 

 本物だな、とシャリア・ブル少佐は確信した。

 優れた感性で引き際を察したアムロ・レイ。こちらが時間稼ぎ部隊であり、トリントン基地のほうがより危険であることを察した彼は、こちらを深追いするのをやめて即座に戦闘区域から離脱した。

 残念ながら、ザメルはもう使い物にならないため、回収に来てくれたザクの掌に載せて貰い、オーストラリアの砂埃を満喫させてもらっている。

 

 すでに日は沈み始め、赤く焼ける景色に心を躍らせる。

 これが、地球――この奇跡の星から人類は巣立たんとスペースコロニーを作り、数多のサイドを生み出し、人々はそこに移住していった。

 フロンティアへと向かっていく人類の歴史に逆行し、地球から宇宙を支配しようとする地球連邦政府は、もはや不要ではないか? という確信をますます深める。

 なぜなら、この雄大な景色を『管理』する権利を持つ人類など、どこにもいないはずだからだ。

 

 

 迎えに来たザンジバル級機動巡洋艦『リリー・マルレーン』に乗り込むと、歴戦の海兵隊員たちが出迎えてくれた。

 グラナダの悪魔とやりあって生き残った、という事実は、強面のかれらに訴えかけるなにかがあったのだろう。意外にも丁寧な歓迎を受けて、シャリア・ブルは海兵隊を見直した。

 かつて、コロニー落としのために汚れ仕事をさせられてきたという彼らだが、いまはキシリア閣下の後援を受けて十分な補給と、人事上の優遇を受けているときく。諜報をつかさどるキシリア機関の軍事部門を担っているのだから、ある意味で当然の待遇とはいえる。

 

 海兵隊員に連れられて、リリーマルレーンの艦橋に案内された。

 そこには、戦争のにおいがする女性士官がいた。

 

「へぇ、あんたがシャリア・ブル少佐かい? 木星帰りのエリートさんだって聞いてたけど――案外、男前じゃないかい」

 

 シーマ・ガラハウ中佐が、敬礼するシャリア・ブルの顎に扇子を当てて、くいっと上げる。

 

「お戯れを」

「あんた、思考が読めるんだろ? あたしを読んでみなよ」

 

 そう促される前から、シャリア・ブルはシーマから伝わる、裏切られ続けてきた辛さを感じ取っていた。

 

「ジオンが、お嫌いなようだ」

「――正直すぎる男は、気に食わないね」

 

 とだけ言って、シーマ中佐は扇子をしまった。

 

「あんたにはお届け物の尋問をしてもらうよ。ずっとだんまりでね、いっそ怖い目に合わせてやろうかと思ったくらいだよ」

 

 そういいながらも、シーマがわざわざ女性兵士をつけて南極条約に沿う形で捕虜を取り扱っていることを読み取ってしまうシャリア・ブルは、本当に尋問官向きだよと自嘲する。

 

「では、ご案内ください」

「ついてきな」

 

 シーマに案内されたのは、艦内の懲罰房。

 本来はやらかしてしまった海兵隊員にヤキを入れる場所だが、いまは条約通り、捕虜収容施設となっている。

 見張りの女性海兵がシーマに敬礼する。

 

「捕虜の様子はどうだい?」

「相変わらずです。何も言わず、水も口にしません。自白剤を恐れているようです」

「バカな子だねぇ。本気で吐かせるなら、そんな回りくどいことしないってのに」

 

 嘲笑とともにシーマが独房の廊下に立つ。

 格子の向こうには、大柄な体を縮めてベッドに座る、モーラ・バシット技術大佐がいた。

 

「シャリア・ブル少佐、悪いけど野郎と女を二人きりにはできないんでね。あたしもここで見せてもらうよ」

「はっ」

 

 独房の扉が開き、女性海兵たちがモーラ技術大佐を囲む。

 

「あー、捕虜尋問記録。責任者は艦長のあたしさ」

 

 独房内のカメラに宣言するシーマ中佐。

 

「さーて、怖いお姉さんと、いやらしいおじさんのご登場さ。さっさと喋んな。さもないとこのおっさんに好き放題させるよ?」

 

 シーマ中佐がシャリア・ブル少佐をダシにして尋問を開始する。

 

「――だんまりかい。まず、あんたはモーラ・バシット技術大佐。これで間違いないかい? なんなら認識番号も言ってやろうか? こっちは南極条約通りにあんたを扱ってるんだ。あんたも南極条約通りの、捕虜の応答義務ってのを果たしな」

 

 シーマ中佐は小娘を見下すかのように言い放つ。

 しかし、モーラ・バシット技術大佐は何も言わない。

 シャリア・ブル少佐も彼女の何かを読めないか、と意識を向けてみるが、恐怖も、困惑も、なにも感じられなかった。

 これは、あまりにも異質すぎる。

 

「うちみたいな小娘一人に、有名どころがせいぞろいかいな。大層なこっちゃ」

 

 モーラがやっと口を開いたかと思えば、そっけない挑発的言動だけだった。

 

「ようやくかい。そのガタイの割には小さい煽りだねぇ」

 

 シーマ中佐も上背があるほうだが、モーラ・バシット技術大佐もそれに負けない体格がある。

 

「シャリア・ブルはん、あんたニュータイプやろ? うちの心、のぞいてみぃや」

 

 シャリア・ブル少佐は得体のしれない女に、違和感を覚えた。

 あのギレン閣下の御心すら多少なりとも理解できるというのに、この女の思考は、ただ黒々と塗りつぶされているだけだ。

 感情の色すら見えない。

 

「おもろいやろ? 心理防壁ゆうねん。対ニュータイプ用に編み出された偽装心理やで。あんたみたいなクラシックなニュータイプやとただ黒々とした何かしか見えへんちゃうか?」

 

 モーラ・バシット技術大佐の言うとおりだった。

 読もうにも、読めない。

 心がすべてを拒んでいるかのように、すべてが内向きなのだ。

 

「少佐、こいつのいってることは本当かい?」

「はっ……間違いなく。モーラ・バシット技術大佐から、読み取れるものはありません」

「なんだいそりゃ。そんなら、体に聞いたほうが早いのかね?」

 

 シーマ中佐がどこからともなく例の閉じた扇子を取り出した。

 

「なんや? スペースノイドやらニュータイプやいうて、結局は暴力かいな? あーやだやだ。人類っちゅうのはホンマ愚かや。こんだけ広い宇宙に出て、やることなすこと人類史の延長、黒歴史のフラクタルばっかりや」

 

 シーマ中佐の一撃。

 モーラ・バシット技術大佐は頬を張られたが、何食わぬ顔でシーマ中佐を見る。

 

「あんた、ジオンなんて嫌いやろ? そないなのにジオンに忠義立てするん? あんたの本当の居場所は、誰もあんたのこと知らへんようなクソ田舎の牧場かなんかやないんか?」

 

 さらにシーマ中佐の追撃。

 唇が切れたモーラ・バシット技術大佐から、血がしたたり落ちる。

 シャリア・ブル少佐は、むしろシーマ・ガラハウ中佐のほうが動揺していることを鋭敏に感じ取っていた。

 

「中佐、失礼ながら――ここは私にお任せいただけませんか?」

 

 シャリア・ブル少佐がさらに打擲を繰り返そうとしたシーマ中佐の腕をそっと抑える。

 

「……ちっ! そこのお前、こいつらをちゃんと見張ってなっ!」

 

 女性海兵にそう告げると、シーマ中佐は足早に懲罰房から去っていった。

 

 シャリア・ブルはモーラ技術大佐の正面にたち、膝をついた。

 座るモーラを見下ろすのではなく、あえて視線の高さを合わせたのだ。

 

「……私は、そのように黒々とした心を初めて見た。教えてほしい。いったい、君の目的は何なのだ? なにゆえトリントン基地にいた? 要塞化を進めて何をしようとしていた?」

 

 シャリア・ブルが問う。

 ニュータイプとしての直観が、ただの若い娘が意地を張っているだけではないと察していた。

 

「なんや、心を読むだけやなくて、聞き分けもいいんかいな? ほんなら逆に聞いたるわ? あんたら、ザビ家がおらんようなったらどないすんねん?」

 

 ザビ家が、いない? いや、可能性としてはなくはない。

 もとより、ダイクンなくしてジオンなし、ということもないのだ。

 ダイクン亡き後、政治的求心力を発揮しているのが今のザビ家であり、たまたまシャリア・ブル自身もギレン閣下の行動とふるまいに共感しているだけに過ぎない。

 自分が死んだあと、いずれザビ家とて愚かな当主が現れ、公国の進路を過ることもあるだろう。それは歴史の必然にしか思えない。

 

「それは、その時のスペースノイドが考えることになるだろう」

「はぁーっ、無責任なやっちゃな。ええか、今のままいったら、ザビ家なき宇宙は単なる戦国時代や。強力なイデオロギー、強引な手腕、軍事力による強権、それらすべてを支える経済力と科学の力。単にギレン・ザビっちゅう天才政治家が、強権ふるって何に投資すべきが、どんな科学に金を突っ込むか、選択を間違わんかっただけやで、ジオンってもんは」

 

 モーラの言いぐさは、まるでなにか未来でも見てきたかのようだった。

 なにを知っている?

 いや、むしろ逆か? 何かを探しているのか?

 

「ジオンは幸運なだけ、だといいたいのかい、君は?」

「せや。たまたまザビ家っちゅう宝くじを引いただけやんか。それにおんぶにだっこで、この先の歴史を紡げるほど甘ない――甘ないんや……」

「――!!」

 

 ビジョンが、走った。

 まるで鮮明な記録。

 外宇宙、人類同士がMSを上回る巨大な化物級のロボット同士をぶつけ合い、惑星間での壮大な争いを繰り広げていた。

 しまいには、どちらの母星も滅び、戦いの執着はすべての生命をゼロにリセットして終わる。最後に映るは、我らが母星たる太陽系第三惑星だ。

 

「――人類史のフラクタルの、なれの果てや。そこにあるんは、輪廻する生命の輪。うちらの過去であり、未来の形」

 

 モーラから与えられたビジョンはあまりにも強烈で、頭から離れなかった。

 一体、何を見せられたのかシャリア・ブルにはまだ完全に把握できなかった。

 

「いずれあんたらニュータイプは時の最果てを見るやろな。そこで目にするんは、ただの無。うちらがやってきたことが巨大な時間軸の前では特に意味はない、っちゅう諦観の最果てや――ほんま下らんわ。そこにあんたらは行きたいんか?」

 

 狂人、か?

 いや、違う。

 モルモット役として、様々な人物を読んできた。

 たとえ精神疾患であろうとも、そこには支離滅裂なりのロジックがあり、感情があり、幸せも悲しみもあった。

 人は、たとえ狂気に苛まれたとしても、何かを感じる心を失うことはない。

 何も感じないというのは、ほぼ脳を物理的にいじられたときだけだ。

 それほどまでに、人間というのは根源的に感情的な動物なのである。

 

「――見えるんなら、見える、言うてほしいわ」

 

 シャリア・ブル少佐の中に、記憶が――これは、誰の記憶だ?

 静かな湖畔で一人の女性が眠ろうとしている。

 彼女に、褐色の肌が際立つ少年が、おやすみなさい、と声をかける。

 

「見える。これはなんだ?」

「そっか。ええ景色やろ? 黒歴史の後に来る、一つの幸せな人生の終わり方や」

「意味がわからない……君が私にこれを見せて、どうしようというのだ?」

 

 シャリア・ブルにはわからなかった。

 鋭敏な感性をもつ彼でも、モーラ・バシットが伝えたい何かがどんなものなのか、理解しきることはできなかった。

 ニュータイプ同士は分かり合うことができるというが、わかったことは、モーラ・バシット技術大佐が、自分には耐えられない寂寥感とともに歩んでいるということだけだった。

 

「あんた、木星船団におったやろ?」

 

 見抜かれているのか? とシャリア・ブルは目を見開いた。

 

「ならわかるはずや。木星の持つ、あの重力の底みたいな感覚。思い出せるやろ?」

 

 忘れられるはずもなかった。

 時間をかけて航海を続け、木星からヘリウム3を母国に持ち帰るあの任務。

 いざ木星にたどり着いてみれば、そこにあるのは過酷な環境に苦慮しながら過酷な資源採掘労働に従事するスペースノイドたちの、ウソ偽りない苦闘の日々を見せつけられる。

 人類のために、と信じて労働に従事し、死んでいくスペースノイドたちを残して木星往還船団はただヘリウム3を地球に持ち帰り、その資源を得たジオンは連邦相手に大義を振りかざして戦争をするのだ。

 

「――しかし、ギレン閣下は、それが大義だと」

「せやな。あいつは正しい。すぐいがみ合う人類を束ねるホンマのピエロや。自覚しとるやろな。なぁ、あんた。うちがトリントンで何をしとったんか教えたるわ」

 

 モーラ・バシット技術大佐は、すくっと立ち上がり、シャリア・ブル少佐を見下ろした。

 得体のしれない圧。思わずシャリア・ブルは後ずさった。

 

「黒歴史の翻訳。うちのここには、黒歴史が全部入っとる」

 

 とんとん、とモーラ・バシットが自らの頭を指さす。

 発言の意味は何一つわからないが、ギレン閣下はこの女をなぜ望んだのかの答えが、これだ。

 黒歴史。

 いったい、黒歴史とはなんなのだ?

 

「レビルはそれを利用したくて仕方ないし、ギレン閣下も欲しくて仕方ないんや。こいつらは人類を救うんやって信じこんどる深刻なメシア症候群患者やからな。あ、そういや、あのゴップっちゅうおばはんだけは違うわ。アイツは自力でやれるって信じとる。それはそれで、頭おかしいわな」

 

 そして、シャリア・ブルにトドメと言わんばかりにビジョンを与えてくる。

 巨大な……ジム? なんだこれは?

 

「木星の衛星、ガニメデ。そこを調査してみたらわかる。レビルはシロッコっちゅうおもろいあんちゃんを送り込んだみたいやで」

 

 惑星ガニメデにある巨大なジム? そんなことを口頭で言われても信じないだろう。

 だが、ニュータイプとしてのビジョンとして焼き付けられてしまった以上は、信じるほかない。正確な場所や、どの深さまで掘ればいいのかも、すべてわかってしまったのだから。

 

「よろしゅう頼んますわ。ギレンさんに謁見させてもらうときは、あんたが通訳してくれへんか」

 

 そして、モーラ・バシットが手錠のついた手で、シャリア・ブルの手を取る。

 震えて、いた。

 

「頼むで、ニュータイプ。時が、見えるんやろ。なら、うちのことも見つけてくれへんかな――本当のうちを見つけてくれたら、声かけたってや。もう大丈夫や。お前は、ちゃんと正しい世界線を見つけたってな」

 

 シャリア・ブルはモーラ・バシットのビジョンにより、確かに時を見た。

 あまたに枝分かれする時間軸の中に、本当の彼女の姿がぼんやりと見えた。

 

「――ガノタ? いったいなんなのだ、それは?」

「女の子の秘密を聞くときは、もっと優しく聞かなあかんで」

 

 

 シャリア・ブル少佐は目の前の大柄な女性に、別の影を見出した。

 何かが、この世界に何かが起きているとニュータイプとして直観する。

 黒歴史、繰り返される歴史のフラクタル。

 分からぬ。だが、ギレン閣下には伝えねばならぬ、ということだけはわかる。

 しかし、どう伝えたものか――あの方もまた、心をかたくなに閉ざす術にたけているお方だからだ。




明日の分も書くぞぉ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一五話 0083 トロイホース、宇宙へ

「この乱れた世界を見ても?殺し合ったり憎み合ったりしている人間たちを見ても?人は神なしで正しく生きることが可能だと、お前は信じるのか?」
「ええ」私は強くうなずいた。
「私は信じる」
「それがお前の信仰か?」
「ええ」

――山本弘『神は沈黙せず』


 

 死傷者の救助作業を手伝っていたトロイホース隊に、ゴップ元帥から連絡が入ったのは、トリントン襲撃の日没後であった。

 疲労を強く感じる体にむち打ちながら、マッケンジー少佐が応対する。

 

『派手にやられたな。損害報告は確認済みだ。ヤザン隊、シャニーナ隊それぞれの損耗人員の補充は宇宙で受けてくれたまえ』

 

 ゴップ元帥から送られてきた命令書には、ルナⅡで補充のパイロットと資材、機体を受け取り、そのままワイアット大将の特務分遣艦隊の支援に当たれとの指示であった。

 トロイホース一隻加わったところでワイアット大将の支援になるのか疑問ではあったが、ゴップの続く言葉によって理解した。

 

『ペガサス級のスパルタン、そしてコロンブス級空母フゲンとも合流だ。艦隊指揮権はモニカ・ハンフリー大佐にわたす。マッケンジー少佐はトロイホースの面倒を見つつ、艦隊のMS運用幕僚としてハンフリー大佐を支えたまえ』

「はっ。質問事項、一点」

『なにかね?』

「艦隊MS幕僚はシン大尉のほうが適任では? 彼はその方面では頼れる士官です」

『いや、彼には艦隊の増強MS大隊長に就任してもらう。君の助言に基づきハンフリー大佐が命令を下し、遂行するのはシン大尉となる』

「了解。これよりトロイホースは任務にあたります」

『うむ。かかれ』

「かかります」

 

 通信を終えて、艦長席の背もたれに身を預けるマッケンジー艦長。

 

(かつてゴップ元帥が直々に乗り込んで、南洋同盟の連邦政府加盟工作をしていたスパルタンが合流――、これも厄介な仕事になりそうね)

 

 マッケンジー少佐はウンザリだった。これほどまでに政治に絡みつかれる任務をやることになるとは思ってもいなかった。下手に指揮幕僚課程などに進むのではなく、上級幹部課程に進んで、地方のMS大隊をビシバシ鍛えているほうが肌に合っていたのではないか? とすら思えてくる。

 

(はぁ……あなたが恋しいわ、バーニィ)

 

 何も考えず、彼とキッチンで紅茶でも入れてシフォンケーキを二人でつまみたかった。

 

 

 

 夜空を強行軍してオーストラリア、チャールビル基地にたどり着いたトロイホースは、即ドック入り。

 大気圏離脱用ロケットシステムの増設作業を受けている。

 本来、ペガサス級は無改修で大気圏離脱が可能なのだが、宇宙での戦闘に備え、推進剤に余力を持たせたいという主計将校の具申を受け入れる形となった。

 数時間以内に作業を終えて、一路宇宙の旅へ、との予定だ。

 乗組員たちは完全休息ということで、一人を除いて全員が睡眠。

 睡眠時間をゴップ元帥に奪われているのは、シン大尉だけであった。

 艦長室の隣の手狭な士官居室にて、シン大尉はジャブローの狸と秘匿通信を行っていた。

 

「は? サイコ・フレームの基礎技術は木星に?」

『なーにをすっとぼけておる。逆襲のギガンティスを思い出せ』

 

 あ(察し)。これは大変なことになってしまったぞ、と慌てつつも、まさかサイコ・フレームが木星の衛星ガニメデにあるアレから回収された物をリバースエンジニアリングして生み出される模造品だとは、たまげたなぁ。

 

『先ごろまでレビルのやつを詰めていてな――ようやく吐いたよ。モーラ・バシットの助言に従い、ジュピトリスにシロッコ少佐率いるガニメデ特別調査艦隊を随行させているそうだ。UC0080年時点でな。我々がジムでガンダムを倒すお遊戯をしていたころだ――ぬかったよ! 完全に私のミスだっ! ガンダム開発計画も南洋同盟事変も、レビルが私の目をそらすために用意した偽装工作だと気づけなかった!』

 

 ゴップ元帥が珍しく語気を荒げている。すでに現地では発掘作業と基礎研究が始まっているそうなので、後手に回ったゴップ大将が今から手を出そうにも無理だ。片道1年半から2年かかるため、時間の壁に阻まれているのだ。

 

『してやられたよ。GP02にジオン系の技術が流れ込んでいることも撒き餌だった。私の興味を引くためのな……。まんまと釣られた私は、アナハイム系企業集団とジオニック系企業集団との間にトラストを作り上げて、両社ともに寡占市場を形成して価格操縦をもくろんでいるのだなどとのんきに考え、経済ゲームの監視に力を割いてしまった。失態だ。大局を見る機会を見逃していたのだよ』

 

 結論を言えば、ガンダム開発計画なんてどうでもいいことだったのだ。

 すべてはシロッコを木星に送るという一大作戦をゴップに邪魔されぬようにレビル将軍が打った芝居でしかなかった。

 

『――下らんミクロ経済ゲームにつられて、大局を見誤った私を笑うか?』

「笑っちゃいますね。で、どうします? 我がゴップ閣下は泣き言を自分にこぼすために通信を入れるようなレディじゃない」

 

 パワーゲームに珍しく負けたゴップが、いまモーラさんを奪われてピンチなレビル将軍をどう虐めているのか気がかりではあったが、それ以上に木星の巨大なジムのほうが大問題であるし、ゴップ閣下が読めなかったことをあれこれ話し合っても意味がない。

 

「えっと、しかもモーラさんは黒歴史の技術を理解しているやばいガノタなのですよね?」

『やつは時の魔女だ。世界線を渡り歩く怨霊といってもいい。数多の滅びゆく人類史の中から、最後の可能性、未来へとつながる世界線を見つけるべく、はるか未来から送り出された『ターン計画』の工作員たるガノタだな』

 

 え、なにそれ? 同じガノタなのに設定違いすぎませんか自分と、とガニメデに埋まっている巨人に抗議したくなる。

 

「そんだけヤバいやつだって知ってて、なんで放置したんですか!?」

『打つ手がないからだっ。モーラを消したところで、やつは別の人物に情報転写するだけだ。ホワイトベースの調理担当だったタムラにでも成り代わって、ジャブローの将官共の胃袋をつかみながら暗躍するシナリオだってありうる』

「ほ、本質的に倒せないガノタじゃないですかぁ……」

 

 クラウンはまだまだかわいいほうだったのだ。少なくとも、やつは殺せば死ぬ。 

 

『――君は、ターンエーガンダムがテレポートするのを覚えているかね?』

「あ、はい。劇場版Ⅱの月での話ですね」

『あの技術の亜種で、やつは世界線移動を繰り返している。モーラの中のガノタは我々と違い、映像作品やその他創作物を愛してきたフィクション系ガノタではない。ホンモノのガンダムの世界を幾度となく旅してきたリアル系ガノタと言ってもいい。『ターン計画』が失敗し、いかなる世界の可能性もないとわかったとき、人類はターンエーとターンエックスの決闘によるデウスエクスマキナを選択するか、ガニメデの優しい巨人を使い、すべてをリセットする』

 

 大事過ぎて、これは調教済みのガノタでないと飲み込めない話になってきたぞ、とシン大尉はおののいた。

 

「そこまで知ってて……あなたって人は……なんで、モーラさんを手元に置こうとしなかったんですか」

『気に食わないからよ。あたしたちの未来は、あたしたちが選んでいくものでしょ? これが最善の手だ、なんて神の見えざる手に翻弄されるなんて、最悪だわ。あたしは、そんな運命を否定する。あたしは他人を縛るのは好きだけど、他人に縛られるのは嫌いな女なのよ』

 

 まさかの感情論。しかも素が出ているが、シン大尉は口を挟めなかった。

 なぜだろうか。

 いま、ゴップ元帥から凛とした何かを感じてしまい、シン大尉は目を離せないのだ。

 

『一つ、あんたに約束してあげる。あたしたちなら、出来るわ。イデが出てこようが、未来人が介入してようが関係ない。あたしたちで見つけるの。たった一つの冴えたやり方ってやつを』

 

 そうだ。

 自分たちはガノタ。

 ガノタならは、未来につながる可能性がある世界線をつくる、たった一つの冴えたやり方をみつけることくらい――できらぁ!

 

「やりましょう、必ず」

『ええ。これがあたしたちの約束。ガノタの誓いね』

 

 ゴップ閣下の掌がモニターに映る。

 シン大尉はそこに手を重ねる。

 これが二人の誓い。

 決して離れられぬ、未来のための契りが交わされたのである。

 

 

 

 眼下に広がる地球を、トロイホースのブリッジクルーたちは格別の感をもって眺めている。上昇第二段階を終えて、増設ロケットを切り離し、まもなく地球軌道に乗る。

 ここからはルナⅡに進路を向け、淡々と進むだけだ。

 無論、ジオンのアフリカ方面や北米方面の連絡路を維持するために展開するジオン艦隊がいるエリアは回避する。

 建前上休戦協定は破られていないことになっているからだ。

 ジオンによるトリントン基地強襲も、偽装されているはずだ。

 今頃はトリントン基地で大規模な事故が起き、放射能漏れが起きているという別の大騒動に仕立て上げられているだろう。

 

「艦長、合流予定のスパルタンのハンフリー大佐から通信が入っています」

 

 通信席からの転送を受けて、マッケンジー艦長は艦長席で対応する。

 

『お久しぶりね、マッケンジー少佐』

 

 かつてNT-1の開発に従事していたころに、面識はある。連邦におけるニュータイプ研究に最初期から関与していたモニカ・ハンフリー大佐からもたらされる様々なデータをもとに、NT-1の調整を行ったからだ。

 

「ご無沙汰しております、ハンフリー大佐」

『元気そうね。スパルタンは先にルナⅡに到着する予定よ。あなたたちを待っている間、ワイアット大将とプレミーティングを済ませておくわ』

「はっ。よろしくお願いします」

 

 将官とのやり取りは、大先輩であるモニカ・ハンフリー大佐のほうが経験豊富だ。

 若輩者であるこちらが緊張してあれこれするよりも、あちらに地ならしをしておいてもらうほうが都合がいい。

 

『あと、うちのイオがあなたのところのシン大尉とまたセッションがしたいそうよ』

「はっ、伝えておきます」

『お願いね、以上』

「はっ」

 

 通信を終えて、マッケンジー少佐はどういうことだ? と疑義を抱く。

 ゴップ元帥のもとで特殊作戦に従事していたスパルタン隊に所属しているパイロットと、シン大尉は既知の関係なのか? しかも、セッション――どういう暗号だろうか? いや、もしかしたら痴情のもつれだったら上司としてどう対応すべきなのだろうか?

 

(いや、考えても無駄だ。シン大尉まわりのことに深く首を突っ込んでもろくなことはないはずだ)

 

 ――NT-1を調整して一喜一憂していたあのころはよかった、とおもう。

 いまのように、余計な気疲れもなかった。

 

 そういえば、無事調整を終え、レビル将軍のもとに送ったあの機体は、いったいどうなってしまったのだろう? 木星の衛星ガニメデの重力下に合わせて調整した奇妙な仕事だったな、といまさらながら思う。

 ただ、あの仕事でよかったことはバーニィと出会えたことだ。当時もいまも、サイド6は中立地帯。ジオンと連邦が同じコロニーの中にいる奇妙な都市だからこその出会い。

 一目ぼれしたといって軍を脱走してきたあの人の馬鹿さ加減には驚かされたけど――ちょっと犬みたいでかわいかったかな。

 

「艦長?」

 

 突然、声を掛けられて、マッケンジー少佐はびくりと艦長席ではねてしまう。

 シン大尉がイエローのノーマルスーツ姿でこちらを見上げている。

 なにか報告すべきことがあってブリッジに上がってきたのだろう。

 

「んんっ! 何か? シン大尉」

「えー、航海中のどこかで構わないのですが、実機による宙間機動訓練をやりたい、と部下たちが暴れ――いえ、具申しておりまして」

 

 シン大尉曰く、重力下から無重力下に戦闘環境が変わったので、早めに適応訓練をしたい。

 そして、より実戦にちかい形が望ましいため、実機による模擬戦形式を具申するとのこと。

 たしかについ先日まで地上で戦っていたのに、今日から宇宙となると、戦いの感覚が激変することくらい元MSパイロットたるマッケンジー艦長にはよくわかることだった。

 

「またヤザン隊とシャニーナ隊が揉めているのか?」

「揉めてはいませんが、ちょっと白熱してはいますね」

 

 シン大尉が、シャニーナ少尉とヤザン少尉のくだらない意地の張り合いを説明してくれた。なんでも、先ごろの戦闘でヤザン少尉はエースを落としていない、シャニーナ少尉は有名な王冠のクラウンを撃墜している、ということで、両者がずっと煽りあいをしているとのこと。

 いよいよヤザン少尉がシャニーナ少尉と『演習させろ』と相成ったらしい。

 

「――わかった。パイロットの管理は貴官の仕事だ。問題のないタイミングで演習の許可を出そう」

「はっ、ありがとうございます」

 

 シン大尉が敬礼をしてブリッジから退出した。

 

「艦長、シン大尉、気を使ってましたよ?」

 

 観測席に座る兵から声を掛けられる。

 

「あ゛~、わたしのバーニィって顔でしたしね」と通信席。

「――っ! 航海中だぞ、口を慎め!」

 

 マッケンジー艦長が顔を真っ赤にして、クルーたちの綱紀粛正を図った。

 

 

 

 宙間機動訓練という名目で始まったヤザン少尉とシャニーナ少尉のタイマンバトルは、今のところヤザン少尉優勢であった。

 すでに被弾2と判定されたシャニーナ少尉のジムキャノンⅡが、ヤザン少尉のジムカスタムに脅かされている。

 

『フハハっ! 落ちろ! まだ子供の間合いだなっ!』

『ぎゃんぎゃん吠えないでください。弱そうにみえますよ?』

『んだとっ!』

 

 恐ろしいのう、とシン大尉はジムカスタムに乗って二人の戦いの統裁官を務める。

 シン大尉の心情としては、長らく自らの技術を伝えてきたシャニーナ少尉に勝ってもらいたい。

 だが、ガノタ心としてはヤザン少尉に負けてほしくないという、どうしようもないジレンマに心が引き裂かれそうになる。

 

 なので、どちらも応援しているのだが、これがまた心臓に悪い。

 どちらがやられそうになってもハラハラするので、実質ストレス二倍でしかない。

 

(――ヤザン少尉が、仕掛けるか)

 

 ヤザン機が見事なバレルロールでジムキャノンⅡの射撃を回避した。

 同時にジムカスタムのライフルが火を噴く。

 シャニーナ機が思ったよりもずっと素早くヨーで回避――ん? 今のはよけられたんじゃないのか? とシン大尉は怪訝に思った。

 なぜだか突然動きがもっさりとしたジムキャノンⅡに、ペイント弾がべたべたと塗りつけられた。

 

「あー、さすがに撃墜判定だな」

 

 シン大尉が宣言する。

 

『嬢ちゃんよ……おめぇ、バカにしてんのか……』

 

 なにやらあきれてものも言えないらしいヤザン少尉が、うんざりしたかのようにさっさとトロイホースに帰還してしまった。

 あれ? 講評はきかなくていいのか? とシン大尉は困惑する。

 

『いやはや、さすがヤザン少尉です。素晴らしい射撃をもらい、撃墜されてしまいましたね――さ、隊長、まだまだヒヨコなわたしに、特別教育、おねがいします!』

「まったく。いいか、シャニーナ少尉、いまのは回避タイミングがあるんだ」

 

 シン大尉はCGモデルで説明し、ここだ、と指導する。

 

『わかりました。実演、おねがいしますっ』

「よし、しっかり避けて見せろよ」

 

 まったくヤザン少尉と同じマニューバをとり、射撃タイミングもコピーしてみた。

 するとどうだろう、シャニーナ少尉は見事に回避して見せたではないか。

 

「あれ?」

『さすが隊長。すばらしい指導のおかげで、回避できました』

「そ、そうか?」

『でも、わたしはまだまだです。追加指導、1000本ノック、よろしくお願いします!』

「え!? 自分、1000種類もバトルマニューバ持ってないぞ……」

『隊長なら、できまぁす!』

『おーおー、勝手にしてくれ……』

 

 ヤザン少尉のあきれ声がしたが、確かにシャニーナ少尉の訓練熱は異常だ。

 まさか――これほどまでにジムキャノンⅡを乗りこなしたいと思っているとはな。

 不肖、ジムカスタムの化身たるこのシン大尉がお相手させていただこう、とシン大尉はもちうる技術すべてをもってシャニーナ少尉に挑んだ。

 

 途中でなぜか盛り上がったヤザン少尉が乱入してきて、2(シャニーナ、ヤザン):1(シン)でバチバチのガチ演習をしたため、着艦したころにはシン大尉の体力は文字通り0であった。

 被撃墜数? そりゃあもう酷いものだった。けど、ヤザンもシャニーナもちゃんとまとめて何回かは落としてやったから、隊長の技量としては――だ、大丈夫だよな? 

 あとからヤザン少尉に『使えねぇな、死ね』とかで背中から撃たれないよな……? 

 などと、シン大尉は、演習後の反省会をハンガーでおっぱじめたヤザンとシャニーナを、ジムカスタムの足元に隠れて見守っていた。

 

 

 

 

 ルナⅡに到着したトロイホースは、矢継ぎ早の補給を受けて、即出航と相成った。

 ゴップ元帥からもらっていたメモ通り、ペガサス級強襲揚陸艦スパルタンと、コロンブス級空母フゲンが合流。通称、ハンフリー戦闘団が再編された。

 このハンフリー戦闘団は、グリーン・ワイアット大将率いる特務分遣艦隊とともに、月軌道へと向かっている。

 

『――じゃ、このセッションリストで頼むぜ、大尉さん』

「了解、練習しておく」

 

 イオ中尉との通信を終えて、グリーン・ワイアット大将主催の英国式パーティで演奏する予定のJazzUKセットリストを確認する。

 ガノタたるもの、イオとのセッションに備えておくのは当然だが、ワイアット大将と円滑なコミュニケーションをとるべく、英国紳士の嗜みにも通暁していなければならない。

 ワイアット大将が今回の『特殊任務』に従事する乗員の士気向上・一体感醸成のために、わざわざ自ら英国式パーティを主催してくれることとなった。会場は、一番スペースがとれる戦艦バーミンガム中央重力エリアである。

 

 シン大尉が居室で電子サックス(月での思い出として、月を発つ前に楽器屋で買った)をぶーすか吹き鳴らして体を揺らしていると、プシュっと居室のドアが開いた。

 

 シャニーナ少尉である。

 

 本来、上官であれ部下の居室であれ、訪問する礼式がある。

 ノック、入室確認、入居者によるドア解放という手順なのだが――シャニーナ少尉に「緊急事態なのに部屋で寝ている隊長をたたき起こす非常措置が必要です。わたしに複製解除キーを下さい」と言われ、たしかにそうかもと思い合鍵を渡してある。

 

「隊長、いい曲ですね」

 

 つかつかと入ってきて、ぼすん、とベッドに勝手に座るシャニーナ少尉。

 

「わかるか? これは旧世紀のブリティッシュJAZZでさ、当時流行していたチル要素を前面に出してるんだ」

「じゃ、わたしのために演奏してください」

「ん、シャニーナ少尉に? そうだな、それならこの曲はどうだろう――ちょっと待て、これはピアノだからな。キーボードを引っ張り出す」

 

 シン大尉は、月の楽器屋で購入済みだった折り畳み式のキーボードをベッド下のから引っ張り出して、広げる。

 

 そして、You And The Night And The Musicを軽やかに弾いてみせる。

 

 ハンプトンホーズの名曲。彼はいわゆるビバップというジャンルの巨人だ。カウボーイビバップというアニメを見たときに、ガノタたるもの、ビバップの一つ二つ習得してないとなぁ、と鬼練した思い出の一品である。

 今回のJazzUKセッションでの披露はない。

 ワイアット大将の趣味にそぐわないためだ。

 とはいえ、名曲ではあるため、この世界の誰かにはサウンドを残しておきたかった。

 ましてや、いいタイミングだ。大切な部下の願いならと、しっかりとソウルを込めて演奏する。

 

 演奏を終えると、シャニーナ少尉からささやかな拍手をいただいた。

 

「隊長って……プライベートで格好いいときがあるんですね。初めて知りました」

 

 まてよシャニーナ少尉。それは褒めてるようでダメージがでかい。君とは数年来ともにいろんなところで仕事してきたよね?

 

「なんて曲なんですか?」

「You And The Night And The Music。シャニーナ少尉のためだけに弾くには、ちょうどいい曲だと思うんだ」

「え」

 

 シャニーナ少尉がまじまじとこちらを見ている。

 これは……アンコールか?

 あー、なるほど。宇宙世紀にもアンコールのしきたりがあるのか。

 

「もう一つ、ストレートなラブソングをやろうか。I Love Youだ」

 

 ゆっくりとした曲調であるI Love Youはとてもマイナーな曲で、ブルーノートに音源が残っている。名曲ではあるのだが、知名度という点ではそれほどのものでもない。しかし、のびやかなフレーズを多用する甘い曲調。愛を楽器で表現するならば、こういう技法になるのではないか、という一つの答えでもある。

 

「どうだった? I Love Youは。それなりに気持ちを込めて演奏してみた」

 

 さすがに本家ベニー・グリーンの軽快な愛情表現までは至らなかったな、とは思う。

 

「――ずるいです。こんな、突然。わたし、なにも心の準備、できてないです」

 

 なるほどっ! その通りだ。

 JAZZってのはムードを作り上げないとダメなんだ。セットリストというのは会場のグルーヴをコントロールして、最高の体験をさせてやるものだ。いきなり、はいこれが名曲です、なんて演奏されても、それは押しつけに過ぎない。

 なんてことだ。

 そんな当たり前のことを、JAZZをかじってもいないシャニーナ少尉に指摘されるとは――なんたる未熟ガノタっ!

 

「わかった。やはりMoanin‘だな」

「えっ! いきなり朝まで!?」

 

 シャニーナ少尉が身を隠すようにベッドの上で後ずさる。

 そうか――本当に申し訳ない。

 ドン引きさせるような独りよがりな演奏をしてしまったことを、いま償うぞっ。

 

「ではいくぞ」

「ひっ」

 

 少尉がなぜか顔を覆っている――くっ、閉じた観客の心を溶かすのは難しいかもしれないが……アートブレイキー様、JAZZの神よ、お力を!

 

 そして、シン大尉は渾身のMoanin‘を電子サックスで演奏した。

 まさにスタンダード。

 そのわかりやすさが受けたのだろうか、空け放しにされていた扉の向こうからフジオカ技術中尉やヤザン少尉、そしてサンダース曹長までこちらをみている。

 

 ギャラリーが集まってきた――会場がエモくなり、温まってきたってことだっ!

 シン大尉は額に汗を浮かべながら、ソウルをバーニングさせる。

 

 最終的にはシン大尉が廊下に出て、居室から出てきた連中と一緒に頭を振る。

 ギャラリーたちも楽器ができる連中が手持ちのハーモニカやドラムスを演奏はじめ、ただのJAZZセッションから、ポップス、デスメタルまで何でもありのフェス会場になった。

 

 かなりの曲をやり、みんなが大満足で居室に引き上げていった。

 シン大尉はやりとげたぜ、という満ち足りた表情で居室に戻ろうとする。

 すると、フジオカ技術中尉が話しかけてきた。

 

「大尉、やっぱいいっすね! ワイアット大将のパーティが楽しみっす」

「おぉっ! そうかそうか!」

「あ、その、また――どうっすか?」

 

 フジオカ技術中尉に飲みに誘われるなんて、月面以来だ。

 離婚してからどこか異性と距離を置いていた彼女だが、どういう心境の変化だろうか?

 いや、もしかしたら単に話を聞いてほしいだけかもしれない。

 男女間の友情は存在しないなどと旧世紀の詩人が歌ったらしいが、それは嘘だ――と信じたい。淡い恋に破れ、友情まで失えというのはあまりにも酷ではないか。

 

「喜んで。バーエリアの予約とれるかな?」

 

 宇宙世紀の軍艦のバーは基本的に手狭で、完全予約制だ。基本はPXで酒を買い、レクリエーションルームを借りるか、居室で呑むのが基本となる。

 

「――うーん、ダメそうっすね」

 

 フジオカ技術中尉が端末を見ながら答える。

 

「あ、ええっと――部屋、くるか?」

 

 シン大尉は、薄氷を踏み抜く覚悟で誘った。

 アプローチのへたくそさにおいては宇宙世紀イチであるシン大尉は、誘い文句もあまり格好良くないのだ。

 

「え、いいんすか!」

 

 意外にも快活に乗り気なフジオカ技術中尉に、シン大尉は驚かされるとともに、内心で小躍りしていた。

 

「じゃ、自分はいいかんじのバーボンを用意しとくから」

「いいっすねぇ! ヤザン、ダンケル、ラムサス! シン大尉がOKだって!」

「えっ?」

 

 シン大尉が唖然としていると、謎のパーティグッズや缶詰、乾物を持ったヤザン隊の面々が居室から出てきた。

 

「マジっすか、フジオカ姐さんっ! さっすがぁ!」

 

 よっ、宇宙一っ、などとヤザンたちに拍手されるフジオカ技術中尉。

 なんだ、何がどうなっている? 第六文明人による精神攻撃をうけて幻覚を見ているのか?

 

 なぜだ、ヤザン少尉? なぜお前はビールケースを抱えて、我が神聖なるマイルームへと突入しているのだ? ラムサス、その焼酎瓶はなんだ? ダンケルもその臭そうな魚介の干物を持ち込むんじゃないっ!

 

「いやぁ、さっすがシン大尉っすわ。マジ感謝っす。うちが可愛がってるあの三バカなんすけどね、飲み会ができる部屋がねぇっていつも悲しんでたんすよ」

 

 いや、一生悲しんでろよ、とシン大尉は素で思った。

 

「ほら、ヤザン少尉は相部屋っしょ? 下士官のラムサスとダンケルは言わずもがな大部屋住まい。個室を持ってるのは中尉のあーしか、シン大尉、そして艦長になるわけっすよ。あーしの部屋でもよかったんすけど、あいつら『女性の部屋に野郎三人で乗り込むほど恥知らずじゃねぇ』って聞かないんっすわ」

 

 上官の部屋に酒盛りしに来るのは恥知らずじゃないのか? いや、ヤザン的な価値観というものがあるはずだから、下手なことをいうと――背後から撃たれる!?

 

「そ、そうか」

「じゃ、あーしもなんか買ってくるっす。また後で」

「お、おう」

 

 まぁフジオカ技術中尉が来るだけマシか。

 原作ハンブラビ隊の連中だけに好き放題されるだけでなく、フジオカ技術中尉も来てくれるなら合格点――などとシン大尉は自分の中の気持ちを納得させながら、自室に戻った。

 

「――楽しいですか、隊長」

 

 部屋に戻ってみると、ヤザン少尉からビール瓶を略奪したシャニーナ少尉が、ベッドの上でラッパ飲みをキメていた。

 

「ヒューッ、さっすが少尉ちゃんっ!」などとヤザン隊がにやにやと煽っている。

 

 なんだ、このプレッシャーは……。

 今までどの戦場でも感じたことのない、底冷えする何かが、シン大尉の胃のあたりをキュっとつかんでいるような気がした。

 

「いいですかぁ、隊長っ!」

 

 プッハーっと、さらに二本目を一気に開けたシャニーナ少尉に、ヤザン少尉たちが「おーっ」と感心の声を上げる。

 

「隊長はぁ、この、わたしの上司なんですっ。そこんところ、自覚はあるんですか?」

「あ、あります……」

 

 シン大尉は恐縮して答える。

 

「ですよね、業務怠慢です。フジオカ技術中尉なんかに犬みたいにチンチンしてないで、ちゃんとわたしに指導しないといけないこと、いっぱいありますよね?」

「し、指導といいますと」

「――個人指導、個別指導、特別指導、体育指導、保健指導、内面指導、口頭指導、学習指導、実演指導、引率指導、技術指導、監督指導、そして徹底密着指導っ!」

 

 すごい、教範の指導形式全部覚えているのか。これはもう下手したら指揮幕僚課程の試験も余裕かもしれんな――と我が部下の優秀さと将来に恐れおののくシン大尉。

 

「ち……」

「チンチン……」

 

 ラムサスとダンケルが顔を見合わせている。

 ヤザン少尉は、おっ、大尉これ飲んでいいか? と勝手に秘蔵のバーボンを空けている。

 

 どうしてだ、どうしてこうなった。

 自分は、フジオカ技術中尉とオトナの時間を過ごすはずだったんじゃないのか?

 

「隊長っ! ここに座ってくださいっ!」

 

 バンバンッとシャニーナ少尉が座っているベッドの空きスペースを激しく叩いている。

 このままではベッドを破壊されてしまうと危惧したシン大尉は、そこにおとなしく腰掛ける。

 

 すぐさま、ぬらりとシャニーナ少尉が背後からクビに絡みついてくる。

 こ、これはっ! と思わずシン大尉はヤバイと確信する。

 密着するシャニーナ少尉のやわらかなカラダを背中に感じる。

 彼女の胸がグイッと押し付けられてくる。

 知っている。

 このコンバットフォームを、知っている。

 シン大尉は近接格闘訓練を指導したときのことを思い出していた。

 

「や、やめっ――」

「おしおき、です」

 

 シン大尉はシャニーナ少尉を押しのけようとするが無駄だった。

 腕と両脚でがっつりと絡みつかれているっ!

 

 メリッメリッと聞こえてはいけない音が頭蓋に響く。

 

 そして、彼女がイケナイ力をシン大尉の首にかけていく。

 と、時が……見える……。

 

 

 翌朝、目を覚ますとシン大尉はベッドでシャニーナ少尉と同衾していた。

 シャニーナ少尉がこちらの腕を枕にしているため、もはや腕の感覚が失われているほどに痺れていた(割と重症)。

 しかも、なんだ……首の周りがすごく痛い。恐る恐る指で触ってみると、なにやら歯形のような跡がついている。

 この歯並びは――間違いない、シャニーナ少尉のものだ。人事資料に紐づいてくる歯並びのデータと同じだ(戦死時の判定用)。

 

 この子、酔ったら嚙み癖があるのかたまげたなぁっ!

 

 いや、それだけではない。

 ヤザン、ダンケル、ラムサスも部屋で雑魚寝している。

 もちろん、ワイン瓶を抱えたフジオカ技術中尉もハンブラビ組をベッドにして寝ていた。

 あと、干物のニオイがキツイ。

 あーあー好き勝手やってくれちゃって――と痛む頭を抱えていると、視線を感じた。

 

 あけ放たれたままの居室の扉。

 廊下に立つはマッケンジー少佐だった。

 

「――シン大尉、君はおさるさんだな」

 

 身目麗しいクリスティーナ・マッケンジー様から蔑みの目を向けられ、なんだかぞくぞくしてしまった。なんだろう、そう感じた自分に驚いたんだよね――。

 さてさて、どう言い訳したものか、とシン大尉がパニックになっていると、マッケンジー少佐がカツカツと靴音を立てて、去っていく。

 彼女が艦長室に入室して、扉をロックする音がした。

 明らかに、すべての言い分を拒絶する音であった。

 




次回から0083中盤入り。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一六話 0083 七人のギレンと英国紳士

E pluribus unum
<世界は、一つ>

――アメリカ合衆国硬貨に書かれているラテン語の刻印



 

 

 ラグランジュ点L2に位置するサイド3、ジオン公国の首都ズムシティ。

 行政関係施設が立ち並ぶ官庁街に、ひときわ異形の建造物がある。公国の――ザビ家の象徴として建設された、公王庁舎である。

 後部座席にモーラ・バシット技術大佐を乗せた公用車と、その護衛車列が公王庁舎前にぴたりと並んで停車したのは、午前の政務が始まってすぐのことであった。

 

 公王庁番の記者たちがなにごとかと集まってくる――が、シーマ・ガラハウ中佐率いる海兵隊に護衛された誰かであることを悟り、蜘蛛の子を散らすように解散していった。

 

「へぇー、ギレンはんもちゃんとメディア意識しとるやん」

「総帥とて大衆の支持がなければ地位を盤石にはできんからな」

「独裁は大衆による自然権の委任形態の一つってか? せやな、ギレンはんは確かにリヴァイアサンかもしれへん」

 

 シャリア・ブルはモーラがトマス・ホッブスの社会契約説を揶揄しているのか、それとも総帥に皮肉を向けているのか、あるいは大衆に失望しているのか見当もつかない。

 そういうときは黙っておくものだ、とシャリア・ブルは沈黙を守る。

 

「――そろそろ黙んな。こっからはギレン総帥の親衛隊に引き渡す。虜囚たるモーラ・バシットの嘆願により、シャリア・ブル少佐のみ随行するように」

 

 形式的な辞令を読みあげて、シーマ中佐はモーラの肩をばんばん、と叩く。

 

「いったいわぁ。優しうしてなぁ」

「――あんたに人の痛みがわかるとは思えないねぇ」

「そら思い違いや。是我痛ってな、生きてるってことと痛みはセットやで」

 

 だから、あんたの痛みも、無価値やないで、とモーラがシーマ中佐に告げる。

 

「減らず口を」

 

 それだけ言い残し、シーマ中佐が去っていく。

 

 残されたモーラとシャリア・ブル少佐は、親衛隊のガードたちに案内され、公王庁の謁見の間に通された。

 公国の王たるデギン公の姿はなく、玉座は空いていた。

 玉座に至る階段の脇に、一人の長身の男が立っている。

 

 ギレン・ザビである。

 

「ご足労いただき感謝するよ、モーラ・バシット技術大佐」

 

 そっけない歓迎のあいさつ。

 ギレンは即座に人払いをし、モーラとシャリアだけが残る。

 

「素敵な送迎ありがとさん。せっかくのトリントン暮らしがおかげさまで台無しやわ」

「――木星のアレはなにか、答えていただきたい」

 

 ギレンが小手先のネゴなしで、ストレートに切り込んでくる。

 

「でっかいジムやろ?」

「冗談は不要だ。あの巨大人型遺跡について、ジオンがデータを持たないとでも?」

「そらまぁ、もともとはギレンはんが見つけたもんやからなぁ」

 

 UC0063年、ギレン・ザビはきたるべきジオンと連邦政府の総力戦に備えるべく、重要資源たるヘリウム3安定供給のためのジオン木星開発船団を立ち上げ、第一次派遣艦隊を自ら指揮して木星開拓を行った。

 ジオンにとっての資源フロンティアとして、衛星ガニメデに仮設拠点を設立するとともに、ヘリウム3採掘プローブの建設を指揮した。

 あの巨人遺跡の発掘は、文字通りの偶然。

 資源採掘の仮拠点を建設すべく地質調査を行っていたときに、みつけたのだ。

 

「――私は、あれの採掘調査を途中で凍結した。学者どもには嘆願されたが、私の中の7人のギレン・ザビのうち、5人が凍結すべしと主張したのでな」

 

 ギレン・ザビが特徴的な髪型の頭をとんとん、と指さした。

 

「人は私のことを独裁者と呼ぶが、語弊がある。私はここに7人で構成される元老院を持っていて、その助言に従っているだけだ。元老院と市民によるジオン公国と言ってもいい」

「ギレンはんのいうことは信じたるけど、大衆はあたまおかしぃこというてるわぁ、ってなるで」

 

 モーラがやれやれと両手を上げる。

 だが、ギレンはそんなモーラのことは無視して、問いを続ける。

 

「答えろ、あの遺跡はなんだ?」

「せっかちやなぁ。ええか、第六文明人のなれ果てや」

 

 人類が遭遇した六番目の文明人だとモーラは説明する。

 

 第一文明人、すなわち最初に遭遇したのは電子妖精。ノイマン型、非ノイマン型計算機の計算資源に生存圏を確立する計算生物である。高度にネットワーク化された思考形態をとるので、本質的に不死である。

 すでに人類と電子妖精のファーストコンタクトは完了済み。電子妖精側はAIという形で社会に広くインターフェイスを展開し、人類について学習し、共存の道を探っている。ゴップに協力している一派でもある。

 

 第二~第五はすでに滅んでいた。

 主に月面や火星の遺跡で発掘される、今よりも高度に進んだ文明人たちのそれである。

 ターン計画を遂行すべしとモーラを送り出した文明とは違い、闘争本能を持たない融和的文明であったことが推測でわかっている。なぜ第二~第五文明人が滅んだのかはわからず、モーラも知らないと説明した。

 

「で、ガニメデに寝とるアレは、第六文明人やな。遺跡やなくて、第六文明人の知性の御柱やね。あのでっかいジムに、すべての第六文明人の認識力が集中しとるんや。ほんまもんの超越存在やな」

 

 それを直観し、手を出さぬことを選択したギレン・ザビの政治センスはバケモノじみているな、とモーラは思う。

 

「なるほど、オカルトだな」

 

 ギレン・ザビが失笑する。政治家たるギレンにとってガニメデの巨人そのものとは『政治交渉』できぬことを即座に理解したからである。それほどまでの超越的存在であるならば、愚かな人類同士の利益対立を調整する『政治』などという行為を必要としないはずだ、とギレンが結論付ける。

 

「さて、それをレビルに押さえさせた理由をきこう」

 

 ギレン・ザビが謁見の間に巨大モニターを展開する。

 そこには木星の戦況図が映し出されていた。

 日付は、本日。

 ガニメデの巨人が眠る遺跡には、ジュピトリス級とマゼラン級が数隻、そして相応のコロンブス級が表示されている。

 一方、ジオン側の軍事力はゼロ。

 ジオン公国の木星開発船団が映っているが、その詳報は伏せられている。

 

「へー、シロッコのやつ、やるやん。ちゃんと南極条約は守っとる」

 

 連邦、ジオンのいずれにとっても木星の資源船団は重要である。いわゆる木星開発公団(非政府組織)のみならず、連邦政府、ジオン双方が派遣している木星開発関係の船団及び資源拠点を攻撃しないというルールが、南極条約に織り込まれている。

 もしそこで破壊合戦を行ってしまうと、究極的には人類という文明が後退しかねないからだ。

 

「――理由は、言えないか?」

「イデの発動を止めるためや」

 

 モーラは、結論だけを伝える。

 もし今、あれを確たる権力主体に確保させなかった場合、ザビ家滅亡後にくだらん勢力がイデオンを利用しないとも限らない。ギレンが天才的政治センスのせいでイデオン確保を回避している以上、選択肢はなかった。

 放置すれば事故が起きるのなら、使えそうな権力に管理させるしかない。

 

「くだらん深謀遠慮だ。人類が自ら滅びを選ぶなら、滅びさせればいいだけのこと」

 

 何かを察したのか、ギレンが淡々と持論を展開する。

 

「ギレンはん、そらちゃうで。人類と人はちゃうんやで。人は半ネットワーク個体やから、スタンドアローンでの意思決定もできるやろ? けど、選挙やら雰囲気やらいう得体のしれん集合意識ネットワークで『集団』に接続されたら、あっという間に『人類』としての選択をさせられる。これっておかしぃおもわんか?」

 

 モーラがうんざりだと、天井を仰ぐ。

 

「連邦市民だろうが、ジオンの民やろうが、個人は環境破壊したない思うとるやろ? けど、クソネットワーク経由で国っちゅう出力装置に繋がれたら、吐き出される政策は『ジオンと連邦の戦争』やで? コロニー落として地球ボコボコ。イカれとるわ」

「ふむ。連邦はそうかもしれないが、ジオンは違うな。ここの元老院がそう決めた。全人口の半数を減らすべきだ、と」

 

 ギレン・ザビが不敵な笑みを浮かべながら、自らの頭を指し示す。

 例の、七人のギレン・ザビだ。

 

「――モーラ・バシット。屋敷を用意した。シャリア・ブル少佐を家令としてつける」

 

 今日のところは平行線だったな、とギレンが締めくくる。

 人類の未来をギレンがどう考えているのか、モーラ・バシットにはまだわからなかった。

 あの手この手で釣り文句を垂れてみたが、何にも食いつかない。

 口頭でのネゴは無理かもしれんな、とモーラは首を振った。

 

 

 

 

 戦艦バーミンガムに座乗するワイアット大将は、眼前の交渉相手をみつめていた。

 率いる特務分遣艦隊とハンフリー戦闘団は、月軌道上でジオンの艦隊と接触していた。

 ジオン艦隊にはグワジンが含まれていることから、キシリア・ザビ自らここに出向いているであろうことがわかる。

 今はこちらの佐官レベルの調整団が、グワジン艦内で相手方の調整官たちと喧々諤々やっているだろう。

 

 任務は『ビューティ・メモリ』の回収である。

 モーラ・バシットをギレンに与える代わりに、キシリア機関が月面で発掘した遺物『ビューティ・メモリ』なる代物を引き渡してもらい、それをルナⅡで管理することなっている。

 

(閣下の意図は分らんが……連邦軍再編計画でゴップグループの支援を受けられるというならば、ここはひとつ、政治ゲームに付き合ってもみせよう)

 

 ワイアット大将はバーミンガムの艦橋に備えられた、特別仕様の司令席の座り心地を堪能しつつ思案する。

 

 もとよりワイアット大将は政治家ではない。自他ともに戦略家であると考えていた。

 事実、連邦軍屈指の戦略家として名高く、星一号作戦では第三艦隊を率いて担当していたア・バオア・クーSフィールドを陥落させ、ジオンに多大な損害を与えている。

 

 ソーラ・レイによる艦隊殲滅を恐れたティアンム、レビルと違い、ワイアットは第三艦隊を集中運用。火力と機動により、Sフィールドを突破し、ア・バオア・クーそのものを盾とすることでソーラ・レイの脅威から艦隊を守りつつ、自らの任務を完遂するという局地的大勝利を収めていた。

 

 実績はある。

 しかし、実績だけでは予算は手に入れられない。

 

 ワイアット大将はジオンとの再戦まで、10年程度の猶予しかないと考えていた。

 

(かつて英国とアメリカ合衆国が争った歴史をなぞるかのように、ジオンが連邦からの離脱を志向することは、数字が語っているからな)

 

 ワイアット大将が若き頃、指揮幕僚課程の修了論文として書き上げた『アメリカ独立戦争という誤り』は、かのゴップ閣下すら感心して教えを請いに来たほどの名著である。

 

 かつての少佐時代、指揮幕僚課程という暇つぶしにもならぬ型通りの講義はそこそこに、実家たる英国ワイアット男爵家に残された英国の古文書と対話し、一つの真実にたどり着いていた。

 

 アメリカ独立戦争は間違いである、と。

 

 あれは英国からアメリカが独立したのではない。

 アメリカが『革命を宣言したのだ』とワイアットが結論づけるその論文は、当時の指揮幕僚課程で『過去最低点』をたたき出し、一時、ワイアットの士官生命は絶たれるかに見えた。

 

 しかし、当時の戦略担当教官であったゴップ准将だけが、わざわざ頭を下げて若輩者のワイアットに教えを請いに来たのだ。

 

(――ゴップ准将は間違いなく元帥位に上り詰めるだろう)と確信した瞬間でもある。

 

 当時のゴップ准将は、特にフレンチ・インディアン戦争からの歴史を熱心に分析されておられた。

 ワイアットはゴップに教官の如く、それらを指導した。

 各国の植民地支配を受けていた北米大陸は、フレンチ・インディアン戦争に代表されるように、英国とフランスの代理戦争の戦場としても利用されていた。英国は植民地たる英領アメリカを守るべく、ヌーベルフランス(フランス系カナダ)と長きにわたる戦争を行ったことを丁寧に説明。

 

 このフランス系アメリカ移民及び、インディアン連合との戦役は英国を疲弊させ、詰みあがった戦費についての経済的負担を植民地に求めた事実をゴップ准将(当時)に提示した(各種植民地課税立法)。

 

 しかし、英領アメリカは、英国軍の支援によって他国系植民地の脅威を排除できていたため、英国そのものの保護政策すら不要であると感じるようになっていた、と皮肉な因果を説明したことをよく覚えている。

 

(これだっ!)

 

 と、当時のワイアットは天啓を得た。

 

 この歴史構造は、宇宙世紀における連邦政府と各サイドの対立においてもフラクタルでありうることを、各種経済指標と工業指数をもって、オペレーションズリサーチにて説明を試みた。

 

 そして、過去最低点をたたき出した『アメリカ独立戦争という誤り』論文が発表されて20年後、宇宙世紀0078年にその正しさがやっと証明された。

 

(本質的に、ジオンは独立戦争を仕掛けているのではない。奴らが目指すは革命だよ)

 

 眼前のジオン艦隊の姿を見ながら、ワイアットはそこに外交相手ではなく、革命集団の存在を見出だす

 

(ジオニズムとはよく言ったものだ。ジオン・ズム・ダイクンという男の言葉に熱狂した革命の熱が、あれか)

 

 英領アメリカは、英国の政治体制(王政)を否定し、武力闘争を開始。この革命理論の支柱はトマス・ペインによる『コモン・センス』である。世襲君主制という概念に攻撃を加え、「これまでに存在した、王冠をかぶったすべての暴君」よりも、1人の正直な人間の方が社会にとって価値がある、ときっぱり述べた。ペインは、専制的な国王と疲弊した政府に対して服従を続けるのか、それとも自己充足的な独立した共和国としての自由と幸福を得るのか、という選択肢を提示したのだ。

 

 まさに、ジオン・ズム・ダイクンがやったことと同じである。

 

(これは、間違いなく連邦政府と各植民地サイドとの間でも発生する、過去に起きた未来の話だ――)

 

 歴史は、革命の結果としての独立をもたらし、アメリカ合衆国を誕生させた。

 しかし、独立が目的だったのではない。それは結果に過ぎず、アメリカ合衆国の本質は革命主義であり、そのトマス・ペイン以来の革命の精神(民主主義と自由主義)を世界に波及させるべく、国家として活動をしていくのは旧世紀の歴史を見れば明らかである。

 

(ジオン・ズム・ダイクンの思想は間違いなく、コロニー自治政府の革命理論を下支えするだろう。となれば我ら連邦政府が目指すところは、英国の失敗を繰り返さぬことだ)

 

 そう結論付けたワイアットはその日以来、失敗した英国から学ぶべく、まずは英国紳士としての立ち居振る舞いを自らに課した。

 これは連邦軍人として地球圏の正義を守るために必要な、道化のごとき修練であった。

 

 ゆえに、ついたあだ名はイギリスかぶれのワイアット、だ。

 何事にも英国式を好む数寄者と誰もが評する中で、かのゴップ閣下だけがワイアットに目をかけ、権力を与えるべく配慮してくれた。

 

 その結果、ようやく大将の地位にたどり着き、連邦の軍事力を運用できる立場に立てた。

 英国式の修練が実を結びつつある瞬間であった。

 

(あとは、この任務を遂行し、成果を持ち帰るだけだ)

 

 さすれば、ゴップ閣下の支援の下、連邦艦隊の再編――かつての英国が失敗した、植民地に対する徹底的な軍事力の投入、を可能とする大艦隊とMS部隊の再編計画を実施できる。

 

(――革命の炎を鎮め、ジオン・ズム・ダイクンの思想潮流を連邦政府の内側に取り込み、正統なる人類の統合政府を維持し、未来へとつなぐ……!)

 

 ワイアットは戦略家でもあり、ロマンチストでもあった。

 紳士たるもの、人と人は分かり合える、という可能性に賭けるべきだと確信していた。その舞台となりうるのは、ザビ家の独裁を許すジオンの政体ではなく、多様性を維持する連邦の政体こそが土壌足りうると信じていた。

 

 そして、紳士としてのワイアットは知っていた。

 互いに殺戮を繰り広げて正しさをぶつけ合うなど、紳士的ではない。

 本来の紳士淑女というものは、寛容でなければならないのだ、と。

 

「――閣下、調整団の交渉が終了。閣下にグワジンまでご足労願いたいそうです」

 

 副官から告げられて、ワイアットは司令席を立つ。

 

「ふむ。淑女のお誘いを断ったとあらば、紳士として恥じるところがある。君、例の手土産を用意しておきたまえ」

 

 英国式ギフトセット一式を副官に用意するように命じつつ、ワイアットは優雅な足取りで艦橋を後にした。

 




さてさて、また次回から戦闘回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一七話 0083 Gの激突戦域

モンターグは歩きながら、横目でひとりひとりの顔をちらちらと盗み見ていた。
「本を表紙で判断してはいかんぞ」と誰かがいった。
全員が静かに笑い、下流への旅はつづいた。

──レイ・ブラッドベリ『華氏451度』


 

 

 グワジンの艦橋付近に、それなりの数のジムカスタムと、ジムキャノンⅡが展開していた。

 これらを包囲するようにジオンのMS部隊も待機している。

 とはいえ、緊張感こそあれども、一触即発という雰囲気ではない。

 

 今、ワイアット大将とキシリアのトップ級会談がグワジンの艦橋で行われている。

 

 随行団として待機を命じられているシン大尉は、ジムカスタムのコックピットにてダージリンの風味を楽しんでいた。

 ワイアット大将の随行部隊としてグワジンまで同行するMSパイロットに対しての、大将閣下からのねぎらいである。

 もしワイアット大将に何かあった場合、随行部隊は相手の艦橋を潰してその仇をとる仕事を任されているため、紅茶一杯で命がけの仕事をさせられているともいえる。

 しかし、嫌いではなかった。

 当然のように死ねと言える立場のワイアットが、あえてMS隊を慮っているのだから。

 

(ワイアット無能説を作り出したギレンの野望は恐ろしいですなぁ。くわばらくわばら)

 

 などと、シン大尉はガルダの機関砲の威力がアルビオンの主砲より強かったゲームを思い出した。

 

『隊長、ジオンのあの機体、ご存じです?』

 

 シャニーナ少尉のジムキャノンⅡが、有線通信で話しかけてきた。

 彼女が気にしているのは、特殊な兵装をしたニンジャザクである。そこはかとなく戦装束を思わせる意匠と、影の者の佇まい。

 うそでしょ。Gの影忍!?

 

「――あれはキシリア機関の忍者部隊だ。あまり見るな。心を殺されるぞ」

 

 もっともらしいことを言ってごまかす。

 

『ニンジャ?』

 

 連邦政府における特殊作戦部隊の代表格がエコーズであるならば、キシリア機関の軍事部門である影忍たちはその対となるものたち――なのかもしれない。

 

 そんな忍者部隊が出そろっていることを考えると、ワイアット大将が取引するブツの重要度がわかるというものだ。

 

(ワイアット大将が取引するもの……星の屑作戦の全貌、という話ではなさそうだが)

 

 シン大尉はうんうんとジムカスタムのコックピットで知恵を絞る。

 モーラ・バシットがトリントン基地から奪われた理由もわからないままに、ただゴップ閣下の命令に従ってワイアット大将の護衛に付いているだけだ。

 

 いや、それも思い違いか、とシン大尉は思い直す。

 ゴップ閣下とシン大尉は互いに相互補完関係にあるはずだ。ゴップはその立場上、戦場に身をさらすことができない。そんな彼女――彼の使える手足たるべきなのが自分か、とシン大尉はコックピットのグリップを握る。

 

『――S909へ。ティータイム完了。ゲストをエスコートせよ』

 

 マッケンジー艦長からの命令が下る。

 

「各機、ランチを守る。所定の位置につけ」

 

 戦術状況マップには、各隊が素早く配置についた様子が映っている。

 ヤザン隊やシャニーナ隊、そして支援に来ている空母フゲンからのジム改たちも仕上がった連中であることがわかる。

 

『――大尉、ゲストのエスコートはヤザン隊に任せろ』

 

 マッケンジー少佐からの命令。

 

「はい。それは問題ありませんが、自分とシャニーナ隊は?」

『VIP対応だ。VIPをスパルタンにくくりつけろ』

 

 プランが送付されてきたので確認する。

 なにやら小型の隕石をスパルタンの後部甲板にのせ、ルナⅡに輸送するらしい。

 何だ、何か知っている気がする――と、ガノタの何かが囁いてくる。

 

(ビューティ・メモリ!?)

 

 シン大尉のガノタデータベースから該当する重大オブジェクトがヒットする。

 人類史のすべてを記録として保持するデータの怪物であり、人類救済インターフェイスでもある。

 これは普段岩石に覆われていて、開くためにはガンダムが必要だ。選ばれた、ガンダム。

 いわゆるアムロの遺産というやつだ。

 

(……アムロ本人がいるから開封は問題ないとして、あれをどう使うつもりなんだ?)

 

 シン大尉はガノタとして思考を鋭敏にする。

 トミノが残した膨大な資料を振り返りながら、いかなる可能性があるか推論エンジンをフル回転させる。

 

(ビューティ・メモリによるイデ発動の阻止?)

 

 飛躍しすぎているか? と一瞬、シン大尉は躊躇した。

 確かに第六文明人の集合意識に対抗するためには、地球圏人類の総合知性であるビューティ・メモリを利用する筋もありうるかもしれない。

 だが、それはある意味でビューティ・メモリ――我々が理解できない知性を持つ、新たなる文明人、第七文明人を第六文明人に接触させる、ということにならないか?

 であれば、それはかのトミノによる『イデオン 接触編』と何が違うというのか?

 

(危険すぎるな。こんな手をゴップ閣下が考えるかな?)

 

 そんなことを思いながらも、シャニーナ隊と協力して受け取った『VIP』の岩をスパルタンの後部甲板に固定した。

 超硬度ワイヤをがっちり巻き付けてあるので、ほどくだけでも一苦労だろう。

 

「VIPの直掩は、そちらに任せる」

『了解、大尉』

 

 イオ中尉のフルアーマーガンダムTB以下、スパルタンMS隊がVIPの面倒を見ることになる。

 うらやま……自分もガンダム乗ってみたいな、などとくだらない嫉妬をイオ中尉に向けつつ、引継ぎ指図をしておく。

 

 シャニーナ隊を引率してトロイホースに戻ると、ヤザン隊もワイアット大将を送り届けたらしく、着艦指示を待っていた。

 

『各機、冷却終了次第着艦せよ』

 

 管制からの許可を待ちながら、シン大尉は0083時空について思いをはせる。

 いまや原作と大きく変わってしまっているから参考にはならないが――もしかしたら、と、コロニー公社の新造コロニーが近所を走っていないか確認する。

 

(……いるな)

 

 コロニー再編計画に基づき、ラグランジュ点L1のルウムを復興させるべく、連邦政府肝いりの新造コロニーが輸送されていた。

 連邦政府からすれば、サイド3を抑えるための前哨としてどうしても復興させたいサイドではある。サイド1及びコンペイトウ(旧ソロモン)との相互連絡線を整備するという観点から考えても、まさにルウムは最重要サイドである。

 

(こんな目と鼻の先に前哨拠点を整備されるなんて、ジオン側としたら我慢ならんはずだが)

 

 キューバに核ミサイルを持ち込んだら大変なことになりました、という旧世紀の事例と、ほぼやっていることは同じだ。

 正しいルウム復興の在り方は、ジオンと連邦の共同復興事業とすることだろう。両国の緩衝地帯として設定し、互いに艦隊を駐屯させ、牽制しあえばいい。疑似的な38度線のようになるはずだ。

 そこに住む住民たちにとってはある種の賭博だが、両国が財政出動する以上、もっとも豊かなコロニーになる可能性は高い。

 

(まぁ、政治家同士のネゴがあったんだろう)

 

 そんなことを考えていると、管制から通信が入った。

 

『S909、着艦せよ』

「了解」

 

 シン大尉のジムカスタムがスムーズにトロイホースに着艦する。

 

 

 

 

 ジオン艦隊が突然背後から艦砲射撃をかましてくる――などということもなく、ワイアット特務分遣艦隊及びハンフリー戦闘団はしずしずとルナⅡに向けて航海を進めていた。ラグランジュ点としてはサイド3から最も遠い距離にルナⅡは位置している。

 

 それなりに時間はかかるだろう――ということで、マッケンジー少佐は三交代制を実施し、4時間勤務8時間休憩を繰り返すシフトを敷いた。

 いわゆる、ワッチ制である。

 とはいえ、警戒態勢にないワッチであるので、MS部隊は指揮官のみワッチ勤務となり、パイロットの大半は単純な休暇入りとなっている。

 

 さて、ヨンパーワッチを担当しているMS部隊の指揮官は、もちろんシン大尉であった。

 ハンガーエリアに併設されているパイロット待機所で、超時空おしるこなどをキメながら、定時報告、異常なし、を繰り返していた。

 

 そして、うーんうーんと下手な考え休むに似たり、を繰り返す。

 なにかこう、引っかかるんだよな、とガノタ心がうずいているのだが、それがなんなのか言語化できない。

 うーん、輸送中のコロニー……でも、デラーズフリートはギレンの指示のもと、正規軍として行動しているわけだから、『そうだ、コロニー奪おう』みたいな野蛮な話にはならないはずだ。デラーズさんが頭どうかしてたらありうるが、ギレンが生きている以上、あの忠誠心お化けが独断専行するなどありえない。

 

「もしかして……このまま0083は平和裏に完結してくれたりして」

 

 トリントン基地で死人は出たが、史実に比べれば被害は極小。北米にコロニーが落着することに比べたら、ほぼトゥルーエンドではないかとすら思えてくる。

 

 まぁ、なんかいい感じに歴史が動いてくれたってことで――などとガノタとしてもっとも卑しむべき妥協思考によりかかりそうになった、その時である。

 

『総員、起こし! 総員、起こし! 第一種戦闘配置、繰り返す、第一種戦闘配置』

 

 艦内警報がガンガン鳴り響く。

 何事? と思いつつも、シン大尉はダッシュでハンガーエリアに飛び出し、ジムカスタムに駆け寄る。タラップを制御しながらノーマルスーツのジッパーを上げ、ヘルメットをかぶる。

 

 コックピットに飛び込み、オールスタンバイ。

 モニタに映る景色は、いつもの殺風景なハンガーエリアである。

 

『搭乗次第、MS順次発進。フル兵装でいけっ!』

 

 マッケンジー少佐からの命令を受けて、シン大尉のジムカスタムはジムライフルと予備弾薬を兵装供給システムから回収し、装備。

 そのままカタパルトデッキに出ると、低速射出された。

 

 

 

 

 

「――うそだろっ!?」

 

 シン大尉は宇宙の景色に唖然とした。

 なにやら得体のしれない裂け目が宇宙空間を斬り裂いていた。

 計器類が「宇宙の法則がみだれています」という結論を数式でもりもりと伝えてくる。

 

 そこから現れるは、異形の有機生物たち。

 触手をうねらせた気色悪いバケモノたちである。

 ガノタたるシン大尉は、それがなんであるかの同定を光速で終える。

 

 Gの影忍、百騎夜行編に出てくる、宇宙怪獣どもである。

 

「よ、妖怪!? 外道!?」

 

 シン大尉の中の人は、ガノタなので当然異形生物との戦闘にもイメージトレーニングを怠ったことはない。いつELSと出会いコミュニケーションをとらざるを得ないかわからない以上、常日頃から備えておくものだ。

 

 しかし、である。

 ガノタであるがゆえに、そのイメージは願望にゆがめられてしまうものだ。

 出会うなら、ELSかな? という願望がシン大尉のガノタとしての備えを歪めてしまった。

 ゆえに、宇宙怪獣相手の戦闘についてはイメトレ不足であった。

 どう考えてもこれはMS忍者案件ですが、地球連邦政府にそれがいるなんて話はついぞ聞いたことがない。

 

 続々とワイアット艦隊及びハンフリー戦闘団から射出されてくるMS部隊。

 数多くのジム改、そして少数のジムカスタムとジムキャノンⅡ。主役級はイオ中尉のFAガンダムTBだけである。

 

『――全周波数で呼びかけている。私は、地球連邦軍大将、グリーン・ワイアットである。これは未確認宇宙生物に対する呼びかけである。自然言語を解さない可能性を思慮し、数学的方法、および、NTにより思念通信を敢行している。聞こえるか、未確認宇宙生物よ。我々は人類である。愚かしき歴史を重ね、ようやく宇宙へとその階段を繋いだ、有機生物である』

 

 シン大尉はこのときほどNTでなかったことを悲しんだことはない。なにそれ? NTによる思念通信ってあれですよね? なんかこうイメージが走るあれですよね? くそっ! 全然見えねぇ! あとワイアット大将の手元にいるNTって誰ですか気になります。

 

『た、隊長……なんかすごいのが出てきちゃいましたね』

 

 おびえた様子のジムキャノンⅡ――シャニーナ機から通信が入る。

 

「各機に命じる。不用意に近づくな。射撃戦を中心としろ。もし触手に絡みつかれたら切り払うか、パーツをパージだ。徹底しろ――シャニーナ少尉、自分はワイアット大将がネゴってるあいだに、ゴップ閣下に連絡を取る。あれはやばいやつなんだ」

『はい。指揮を一時代行します』

『おーおー、怪獣退治ってか? 最高だなっ』

 

 高ぶるヤザンは放置し、シャニーナ機に臨時の指揮権を委任して、シン大尉は秘密通信でゴップに連絡を取る。

 見えますか? と訊くと、目を見開いたゴップ大将が映っている。

 

『まず周辺にいる艦隊をすべて増援に向かわせる……私も使える戦力をすべて出す。レビルのエゥーゴと、コリニーの子飼いどもも出させる。ギレンにも連絡を取るが、期待はするな』

 

 さすがガノタたるゴップ閣下。自分が送った『敵』が何なのかを即判断し、必要な手を打つつもりらしい。通信も一方的に切られた。

 これはあれですね、ソーラ・システムⅡくらいは用意していただかないと真面目にまずいですよ。

 

『――通じない、か』

 

 ワイアット大将の失笑ともあきらめともつかぬ声。

 いま展開しているすべての将兵は、ワイアットの言葉に耳を傾けている。

 地球連邦政府は、いまだ宇宙生命体とのコンタクトに関する正式な立法措置をしていない。

 当然、地球連邦軍も同じで、対宇宙生物ドクトリンなど用意していない。

 対処要領がない以上、最上位指揮官の見識と決断力に頼るほかないのが、連邦の将兵なのである。

 

 ただ、あれが何であるかを知っているシン大尉は、必死に作戦プランを設計し、その指図書を部下たちに配布していた。スパルタン部隊や、空母フジ、そしてワイアット大将の特務分遣艦隊MS部隊にも共有する。

 

『未確認宇宙生物よ、我らの愚かな歴史を一つ、教示しよう。かつてのアメリカ合衆国はその制度のうちに自由と平等を内包しながらも、合衆国憲法に大きな矛盾を抱えていた。第一章二条三項である。各州の人口 は、年期を定めて労務に服する者を含み、かつ、納税義務のないインディアンを除いた自由人の総数に、 自由人以外のすべての者の数の5 分の3 を加えたものとする――だ。インディアンを人口に組み入れぬというこの愚かしさ。そして、いま我々地球連邦政府は同じことをスペースノイドに行っている』

 

 あまりにも流暢に語るワイアット大将であったが、その一方で各MS部隊にワイアット閣下の署名入り命令が届く。

 事態の急変に備え、シン大尉のプランにて迎撃戦闘を行え。捕虜は不要。キルミッションであるとのこと。

 シン大尉はワイアット大将のお墨付きが得られたので、マッケンジー少佐に艦砲支援を要請しておく。

 

『シン大尉、各艦艇はワイアット閣下の命令で統制射撃可能。射撃計画が必要ならこちらで用意するが』

「直ちに用意してください。初動で有効射撃をお願いします。観測射なんてやってたらやられますよ」

『了解した。バーミンガムの運用幕僚に企画させる』

「ASAPで。MS隊には迎撃ドクトリンを共有しました」

『あとはワイアット閣下がその弁舌でどれほどの時間を稼いでくれるかだな』

 

 マッケンジー少佐のいうとおりだ。

 通じる、通じないはさておいて、時間を稼げるだけで準備はできる。

 すでに各艦艇は航海をあきらめ、ワームホールから湧き出てくる化物どもに照準を合わせるべく、艦隊形をそろえ始めている。

 

『しかし、我々は今、それが愚かであったことを理解し、歴史のくびきから脱しようとしている。いま眼前のワームホールから現れた未確認宇宙生物を前にして、我らが同族に対して行っている差別の矮小さを否応なく思い知らされているからだ。未確認宇宙生物よ、ぜひ答えてほしい。我ら人類は愚かゆえに自然言語を用いるが、機械語、思念、数論、いずれのアプローチをも受け入れるだけの、土壌くらいはあるものだと信じている――我々は、戦火を交えずに合意形成へと至るコミュニケーションをとりうるのだと、そちらに訴えたい』

 

 その時、真空の宇宙に震える獣の鳴き声が響いた。

 明らかに、思念だろう。

 NT能力のないシン大尉は一瞬「え? 空耳?」と疑ったが、訓練されたガノタらしく「私にも、見えるっ!」などと周りに合わせて動揺したふりをしておく。

 友軍の通信に、恐怖が蔓延する。

 

「各機傾聴、心を読まれるな。あれは恐怖を食らうぞ」

 

 シン大尉は全周囲通信で連絡する。まるで歴戦の戦士のような口ぶりと、さもNTのように相手を分かっているかの如く堂々とした態度に、味方のなかにあった恐怖が薄れていく。

 

『おう、隊長。一言で縮み上がった連中をキメさせたなぁおい』

 

 ヤザンのジムカスタムから有線通信。

 

「ヤザン少尉、先陣は任せるぞ。力量がある奴が敵を一体でも屠れば、士気は上がる。後は持久戦だな……」

『撤退戦はねぇのかい?』

「ワイアット閣下が宇宙怪獣退治でしっぽ巻いて逃げると思うか?」

『ねぇな。増援が来るまでは粘って見せる、か』

「面白いだろう?」

『……大尉、あんたが一番面白れぇよ。いいさ、従ってやる』

 

 ヤザンのジムカスタムが有線通信ケーブルをしまい、そのまま離れていく。

 先陣を切るべく、ヤザン隊が前方展開する。

 

 そして、沈黙。

 宇宙怪獣とこちらの間に動きはなく、ただのにらみ合いとなる。

 もしかして、ワイアット大将の演説に相手がレスを返してくれていたりするのか? などとシン大尉は淡い期待を持ったが――違う、と判断した。

 

 ワームホールを引き裂くかのように、巨大な宇宙要塞級のバケモノが現れたのだ。

 やつらは、これを待っていただけなのだ、と誰もが判断した。

 

『残念だ――全員傾聴。排除しろ』

 

 ワイアット大将の命令と同時に、艦艇から砲撃が開始される。

 無数のメガ粒子と実砲弾、ミサイルによる飽和攻撃。

 

 あまたの化物が消し炭となった。

 

「各機、白兵戦用意。敵は我々を学習し、適応してくる」

 

 シン大尉は敵がこちらの動きとサイエンスを理解し、その身を変性させるのを確認する。

 

『さぁて、死ね』

 

 ヤザン隊が突撃を開始し、さっそく小型のバケモノを仕留める。

 それを見た友軍の部隊も果敢に突撃していく。

 シン大尉はシャニーナ隊を直協部隊としてこき使いながら、ヤザンが打ち漏らしている宇宙怪獣どもを狩りに行く。

 

(ほらみろ、すぐにMS型に変質しやがった)

 

 Gの影忍に出てくる宇宙怪獣ならそうだろうよ、とシン大尉は予測していたが、いよいよ確信へと変わる。

 

 敵の大型個体が分裂し、こちらのMSのような得体のしれない物体に変質し、こちらにシュルリと素早い触手攻撃をかましてくる。

 

 ヤザン隊の部下が触手に貫かれた。

 事前に配布した指図書通り、脱出ポットが射出される。僚機がそれを回収して後方へと下がっていく――よし、初動はまぁまぁか、とシン大尉はジムライフルで敵をバラしながら戦況を判断する。

 

 やつらはELSもびっくりの大物量+並列型情報寄生体であるので、出来る限り接近せずに射撃戦でその生命活動を停止させるしかない。

 

 いや、むしろ殺せるという事実こそが希望であった。

 

 ELSと違って、殺しうる相手である事実は、シン大尉に希望をもたらす。あの手この手を駆使して撃ち殺すなり焼き殺すなり、最悪、切り殺すなり殴り殺せばいいのだ。

 小型種相手なら対MS戦とそう変わらない。

 

 一つ問題があるとすれば、あの宇宙要塞級怪獣をどう処理するか、だ。

 どう考えてもソロモン攻防戦くらいの根性と戦力は必要そうだ。

 

「お?」

 

 シン大尉が担当している宙域の援護火砲が密になり、バケモノどもがあっさりと消し飛ばされていく。

 どうやら、ワイアット大将の戦艦バーミンガムがマゼラン級、サラミス改らとともに猛烈な火力発揮点を形成しているらしい。

 

 そりゃそうか。敵はミノフスキー粒子を撒いていない。ミノフスキー粒子が薄いこの戦域ならば、地球連邦艦隊の統制火力運用システムを基盤とするファランクスシステムによって激烈な破壊を実現できる。

 ワイアット大将が論じていた艦砲火力の有機的連携による集中運用、というやつである。

 

「すげぇな、ワイアット大将」

 

 シン大尉は思わず言葉に出してしまう。

 無能な紅茶野郎と呼ばれて久しかったワイアットが、いかにして大将たる地位につけるだけの度量と能力を兼ね備えていたかを見せつけられている気がする。

 

『MS隊へ。ワイアット閣下からの差し入れを展開する』

 

 電送されてきたデータを開くと、MAPにサプライコンテナの位置が表示される。

 どうやらワイアット大将の特務分遣艦隊にいたコロンブス級からポポポポンッと補給コンテナが散布されているらしい。

 連邦系MSの実弾火器は90mm規格に統一されているし、弾倉もSTANAGマガジンよろしく共通規格を持っている。Eパックも同様である。

要するに、メインアームについては弾切れの心配なし、ということだ。

 

「イオ中尉だけ大変そうだな」

 

 独自規格満載マシンであるFAガンダムTBを駆り、戦場に風穴を開けているイオ中尉を嫉妬半分、やっかみ半分で見るシン大尉。

 

(こっちはちまちまとやりますか)

 

 触手をロールして回避して、ジムライフルで片付ける。

 推進剤も、弾丸も一切の無駄なし。

 

「このジムカスタムすごいよぉ! さすがクゥエルのお兄さん! ユニバァァァスっ!」

 

 今まで機体に恵まれなかった男、シン大尉は、己のいうことを好きなだけ聞いてくれる都合のいい伴侶のごときジムカスタムに惚れ直す。

 

 事実、この機体に乗ってから負けなしである(勝ってもいないが)。

 だが、シン大尉はいつまでも調子に乗っていられないことを熟知している。

 こちらは人間。

 あちらはバケモノ。

 

 疲労しない怪物相手に消耗戦をやるということがどういうことか、朝鮮半島内戦で地獄を見てきたシン大尉の中の人は熟知している。今思い返しても、北のサイボーグ兵士はやばかった、などとガノタである幸せを忘れて最悪な思い出に引っ張られるくらいだ。

 

『隊長、あの要塞級のオバケを何とかしないと、押し負ける気がするんですが』

 

 シン大尉とともに戦場のリカバリーをずっとしているシャニーナ少尉が懸念する。

 

「同感だよ。みえるか、あれ」

 

 ズームして撮影した映像を共有する。

 

『あ、なんか飛ばしてますね』

 

 ベクトル解析によればビューティ・メモリの埋まっている岩塊と、輸送中のコロニーの方角である。

 

「VIP側はスパルタン部隊のビアンカが何とかしてくれているが」

 

 ビアンカのジムキャノンⅡが肩部ビームキャノンで迫りくる触手や小型怪獣をぶち抜いている。艦から有線で粒子供給を受けているらしく、スパルタンの有線インコムと化している。

 

『えぇっ、まずいんじゃないですか? コロニー側に飛んでってるアレがあるってことは……』

「ああ。コロニーの制御を奪われるシナリオだってありうる」

『冗談ですよね?』

「気づいているだろ? あいつら触手でぶち抜いた機体と同化してる」

『――見なかったことに。あ、でも隊長が同化されたら、私が一瞬で楽にしてあげますね。それから敵を巻き添えにして、わたしも死にます』

「おいおい、縁起でもないこと言うなよ……」

 

 シン大尉はわかっていた。

 この戦いがしょせんは前哨戦に過ぎないことを、察していたのだ。

 

(ああ、くそっ! ほんと頼みますよ、ゴップ閣下っ!)

 

 触手をサーベルで切り払う。

 ここにはいない、腹を揺らして歩くあの男にすべて託すしかない、とシン大尉はすがる思いを抱きながら、乱戦に飲み込まれていく。

 




やったぜ。もうめちゃくちゃだぁっ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一八話 0083 ジオンの戦士

少々短いですが、明日の分に入れると明日が長すぎるので、分離。


 休戦から3年。サイド3では市民たちがようやく普段の日常を取り戻しつつあった。

 一部動員解除された復員兵たちが家路につき、それぞれの家庭に喜びをもたらした。

 一方、不幸にして訃報をもたらされた家族に対しては、ガルマ・ザビが総裁を務める戦没遺族会のボランティアたちの慰弔訪問が行われ、遺族に罵倒されたり、あるいは悲しみを受け止めたりと様々である。

 

 さて、市井の人々とは違い、独特のアルゴリズムを持つ人々が存在する。それがザビ家及び、政治家と高級軍人たちであった。

 だが、クラウン大尉にとってそれはネゴシエーションの世界であり、まだ対応ができた。

 

 それよりも問題は、忠誠を誓うハマーン・カーン様とのコミュニケーションである。

 

 

 

 久しぶり、であった。

 屋敷を空けて特殊任務に従事し、己の道を邪魔する忌まわしきシステムを破壊。

 為すべきことは為した。

 アフリカ経由で国に戻り、ようやくあの方のお顔を一目拝見せん、とカーン家の屋敷へと戻ったのだ。

 季節の花が茂る前庭を抜け、女中たちに挨拶をしながら屋敷に入る。

 

 さて、数分後、クラウン大尉は、頭を抱えていた。

 いざ屋敷で拝謁してみると、ハマーン様は顔を真っ赤にしていた。

 いったい、どういうことだ?

 

「クラウン、あなた、シャア・アズナブルとかいう男とただならぬ関係にあるらしいじゃない? 白状なさいな!」

 

 お嬢様が突き付けてきたのは、どこぞの週刊誌がばらまいている動画付きの記事であった。

 救国の英雄シャア・アズナブル大佐の恋人はア・バオア・クーの撃墜王、クラウン大尉!? と題されている。

 動画ではバーでシャア大佐とクラウン大尉がカウンタに並んで談笑している姿と、それに嫉妬するかのように歯ぎしりするララァ元少尉が映っていた。

 

 これは――半年以上前にシャア大佐に誘われて飲みに行った時のシーンだな、と心当たりがあった。ララァ元少尉と楽しく過ごしてもらわないと、ハマーン様との関係で厄介なことになる。

 シャア大佐はしっかりララァ元少尉と仲良くしてもらい、ハマーン様に出会わぬようあの手この手で阻止させてもらっている。これも、そのワンシーンである。

 

「それとも、こっちが真実かしら?」

 

 ソロモンの悪夢、新恋人か!? とのタイトル。

 こちらは最新の記事だ。

 アナベル・ガトー少佐と抱き合うクラウン大尉の姿。

 解説によれば、宇宙空港でのワンシーンだそうだ。

 これも心当たりがある。秘密任務を終えて空港で互いの忠誠心を讃えあい、この表の歴史には乗らない任務についての万感の思いを、無言で互いに共有したのだ。

 

「……お嬢様」

 

 言い訳、というよりも正しい事情を説明しようとするが、ハマーン様にさえぎられる。

 

「屋敷を空けてどこに行ってるかと思ったら……こんな――こんな素敵な殿方たちとクラウンは……なんて、いやらしい! 主人に報告もせずに色恋にうつつを抜かすなど、お前はセイン(従士)としての心構えがなってないわ」

 

 これはア・バオア・クーの激戦より困難な戦いを強いられているなぁ、などとクラウン大尉は血の気が引いていく。

 年のころも16になられて、ハマーン様はすっかり――0083時代のあのお姿とは違う。

 ありがたいことに、まだCDAハマーンさまのお姿であり、ダークサイドには落ちていない。これからも光のフォースとともに生きてほしい。

 

「お嬢さま、大佐や少佐とはそういう関係ではありませんよ」

「――まさか、まさかあなた……」

 

 ハマーン様の鼻息がフンスフンスと荒くなる。

 

「体だけの関係だとでもいうのですか!? わたくしは……わたくしは、見損ないましたわ! わたくし、何も知らない小娘ではないのですよ? 殿方と、殿方が、たがいに一心不乱に愛し合うこともある、ということを学友の本から学びましたものッ!」

 

 脱兎のごとく逃げ出してしまったハマーン様を追いかけて、女中たちが走っていく。

 取り残されたクラウン大尉は、一人どうすることもできなかった。

 あ、え、ハマーン様はどのようなご学友をお持ちなので? 消すべきか?

 そんな放心状態の中、通信が入る。

 

「はい、クラウンです」

『クラウン大尉、すまないが今すぐ来てもらいたい』

 

 呼び出しもとは、アナベル・ガトー少佐であった。

 

 

 

 市中でタクシーを拾い、ガトー少佐のつつましい一軒家の前に降り立つ。

 庭先にはポロシャツとチノパン姿で芝生の手入れをする英雄がいた。電動芝刈り機の甲高い駆動音がプツりと切れる。

 

「クラウン大尉、急に呼び立ててすまないな」

「いえ、少佐」

 

 チノパンについた草を払いながら、ガトー少佐が庭先のテーブルにクラウンを案内する。

 

「ビールでいいかね?」

「まさか……いいのが手に入ったんですか?」

「ギレン総帥からの下賜されたものだ。君もご相伴に預かる権利くらいあるだろう」

「なるほど、それは遠慮なく」

「ああ。ニナ、クラウン大尉がお越しだ。ギレン総帥のあれを頼む」

「はぁい」

 

 家の中からニナさんのあかるい返事が聞こえた。

 しばらく少佐と連邦の悪口を言い合っていると、ニナさんがキンキンに冷えたビール瓶を三本と、ナッツ類の盛り合わせを持ってきてくれた。

 

「ありがとうございます、パープルトンさん」

「いやね、もうパープルトンじゃないわ」とニナ。

 

 配膳を終えたニナもテーブルに同席する。

 

「ギレン総帥に、乾杯」とガトー大佐に合わせ、皆でビンを鳴らす。

 

 喉に流し込んでみれば、さすがギレン様の一品、いいものであった。

 

「アフリカのマ・クベ少将がうらやむでしょうね」

 

 いいものを好む文化人である彼のことを不意に思い出したクラウン。

 地球にいたころは彼にも世話になったものだ。

 残念ながらガノタの同志ではなさそうだ。隠しているだけかもしれないが。

 

「クラウンはマ少将と懇意だったな。今回も彼に助けられた」とガトー少佐。

「趣味が合うんですよ」

「中世期のアニメーションでしょう? いまのフルCGアニメーションとなにが違うのかしら?」とニナがクラウンに訊ねる。

「CGがまだ進化しきっていない頃ですから、アニメーターという職人たちが手書きで動画を作っていたんです」

「すごいわ。まさに文化ね」とニナがいった。

「クラウン大尉のクラシック趣味は、私にはわからんな」

 

 少佐がそう言ってビール瓶をかたむける。

 

「ガトーはジオンのことしか考えていませんからね」とニナ。

「ニナ、いまは君のことをみている」

 

 互いにうっとり見つめあう二人を見ていると、日が暮れてしまうのでクラウン大尉は咳払いをする。

 ニナ・パープルトン悪評問題を解決するか、とあの手この手で暗躍し、二人を結びつけることに成功したのはいいのだが――これはこれで、なぜだろうか。なんか違う、などと思ってしまう己の下らぬガノタ心を叩き潰す。

 

「――すまない、クラウン。どうにも、幸福というものを知ると、浸ってしまう」

 

 ずっと戦争に身を置いてきた男が、ようやく理解者を手に入れたのだから――とはクラウンも思う。

 

「いいんですよ。それで、私を呼び出した用件をお願いします。まさかお二人のノロケを見せつけられるためや、ギレン総帥のビールを攻略するだけではないでしょう?」

「そうだな」とガトー少佐が態度を改める。

 

 少佐からデータが転送されてきたので、コンタクトレンズ状にして瞳に入れている網膜ディスプレイに投影する。

 

「これは!?」

 

 クラウンは網膜レンズに表示されている交戦宙域を見て言葉を失った。

 Gの影忍に出てくる、宇宙の妖怪共ではないか。

 

「厄介なことになった。ギレン総帥はジオン公国軍を正式に動かすことはできない、と決心なされた」

 

 その言葉の含みに、武人の実直さを感じ取ったクラウンは、すぐに答えた。

 

「協力します、少佐」

「助かる。いまデラーズ大佐が信頼できるものを募っておられる」

「つまり、これは親衛隊だけの?」

 

 クラウンは察した。おそらくギレン総帥は宇宙怪獣の本隊があれだとは考えていないのだ。ガノタとして真実を知るクラウンは、ギレンの慧眼を賛美するほかない。

 たしかに、あれは数多ある要塞型の一つに過ぎないからだ。宇宙にはあのような化物の類はいくらでもはびこっている。

 ジオン公国とその友邦を守るべく、ジオンは戦力をすべてあの戦場に差し向けるわけにはいかない。手持ちの戦力は多ければ多いほど、異常事態に対処しやすくなる。

 

 しかし、あれが人類の危機でもあるのは事実。

 そこで、ギレン閣下は手勢のみで対処することとしたようだ。

 

「少佐……」とニナが心配そうにガトー少佐の袖をひく。

「すまない、ニナ。人類のためなのだ。私は、義によって立っているからな」

 

 ガトーがやさしくニナに告げる。

 

「――これだけは片づけていこう」

「はい」

 

 それからクラウン大尉は数本のビールをガトー少佐、ニナと攻略して家路についた。

 つまり、それなりに顔を赤くしてカーン家の屋敷に戻ったわけである。

 ガトーと楽しく飲んでいた。これから彼と仕事に行く、とお嬢様に報告するクラウンがどうなったかは、すべての女中に緘口令が出たため判明はしていない。

 




これで明日は、わけわからん話に集中できるぞい。0083無事に終わるのかなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一九話 0083 紅茶の残香

地獄からは逃れられない。
だって、それはこの頭のなかにあるんですから。

──伊藤計劃『虐殺器官』


 

 

 そういえば、ちゃんと化粧をしたことないな、とシャニーナ少尉は思った。

 シン大尉が誕生日プレゼントに買ってくれた、あの趣味の悪い真っ赤なルージュを思い出す。サプラーイズ、などと言っていたが、その趣味の悪さのほうが驚愕モノ。あの人はいつもナナメウエのアクションを起こす。そんな彼を許してやれる女なんて、わたししかいないはず――

 

 いくつバケモノを始末したかは覚えていないが、不意にそのことを思い出したのだ。

 シャニーナ少尉のジムキャノンⅡは、部下たちとともに穴の開いた前線をリカバリーする駆けつけ任務をずっとこなしていた。

 休む暇もなく、ひたすらにワームホールから現れた宇宙怪獣どもを殺し続けるという持久戦を強いられて、一人、また一人と部下を失った。

 

『少尉、兵たちは疲弊しています。交代部隊に任せましょう』

 

 サンダース曹長のジムカスタムが傍による。

 互いに背中合わせに射撃をしながら、周りの敵を撃ち抜いていく。

 

「地球軌道艦隊の応援、か。サンダース曹長、後退部隊とのスイッチタイミングは任せる。わたしは隊長の援護に回る」

 

 後方から迫る友軍の信号を確認した。

 

『ダメです少尉。シン大尉からの厳命です。あなたを連れ帰り、休ませろと言われています』

 

 サンダース曹長が厳しい口調で断言する。

 彼はシン大尉がつけてくれたお目付け役の下士官だ。開戦初期からのベテランだから、いうことを聞いておけと隊長からもことあるごとに言われていた。

 

「しかし、隊長は――」

『大丈夫です。ヤザン隊もいますから』

 

 ヤザン隊は血の気が多い連中が多いからか、こういう持久戦でも楽しそうにやっている。

 シン大尉を援護しているそぶりはないが、それはある意味、シン大尉なら適当にやるだろうとヤザン少尉が判断しているからだろう。

 

 実際、シン大尉は単機で平然と生き残っている。彼のジムカスタムの周りには宇宙怪獣の死体だらけで、敵の憎悪を一身に受けてなお平然としているようだ。あのクイックすぎるリロードと、無慈悲なほど正確な射撃は何なのだろう? プログラムをコピーさせてほしい。

 本当に、ジムカスタムの性能をすべて引き出しているとしか思えない。

 

『――来ました。交代部隊です。スイッチしましょう』

「よし、各機、交代射撃」

 

 シャニーナ隊がその場で射撃戦を展開する。

 その間隙を縫うように交代部隊のジム改たちが突撃していく。

 うまくスイッチできそうだ。

 

『少尉、今です』

「後退、後退」

 

 シャニーナ機が指示すると、訓練通りに部隊が後退を始める。

 

『少尉の番です』

 

 サンダース曹長と、一等軍曹、二等軍曹らベテランが後退支援を行うべく前に出ていく。

 

「頼んだぞ」

 

 シャニーナ少尉は即座に加速して戦場から離脱する。

 下手に躊躇すると曹長たちが退けなくなるからだ。

 シャニーナ機の離脱を確認したサンダース曹長らベテランチームも、ジムキャノンⅡの航跡を追いかけるように戦域を離脱した。

 

 

 

 

 

 ゴップ提督は足早に艦橋に踏み込むと、用意されていた司令席に着座する。

 ペガサス級強襲揚陸艦ペガサスの艦橋は、ゴップが目をかけてきた将校たちが司令部要員として、あるいは艦艇運用の要員として各々のタスクをこなしている。

 ペガサスを基幹とする戦略機動艦隊――ゴップの半ば私兵と化している宇宙艦隊は、すでに主戦場まで数分のところまで来ていた。

 

「バスク少佐、聞こえるかね」

 

 飼うには少々狂犬すぎる男に通信を繋ぐゴップ。

 

『良好です、閣下』

 

 野太い声がゴップの耳元に届いた。

 

「結構。さて、ソーラ・システムⅡの展開状況はいかがかな?」

『4割といったところです。必要ならば照射できますが』

「味方を巻き込むのは最終手段だ。その時は私が責任を取る。君はそのまま設営を指揮し、なんとか8割まで持っていきたまえ」

『はっ』

 

 バスクとの通信を終えて、戦況図をにらむゴップ。

 敵たる宇宙怪獣の戦力は測定不能。ソロモンに匹敵するサイズの要塞型が少しずつ地球に近づいていることがベクトル解析でわかる。

 

「進路、出ました。北米です」

 

 解析スタッフからの報告が入る。

 ガルマのところか。

 よし、これでジオンのすべてとは言わんが、一部艦隊の助力はあるだろう――と確信したまさにその時、通信が入った。

 

「やぁ、シャア・アズナブル大佐」

『ゴップ大将閣下。ご無沙汰しております』

 

 映像通信をモニタに表示させると、サングラスをかけた赤い彗星がいた。

 

「休戦協定式以来かね。さて、要件を聞こうか」

『はっ。ガルマ・ザビ地球方面軍司令の命令により、ファルメル制宙艦隊は未確認宇宙生物に対する害獣駆除活動を実施いたします』

「なるほどな。ではこちらのWADGEシステムに組み込もう」

 

 ゴップは部下に軽く指示を出す。

 

『――電送、確認いたしました。これで我々は晴れて友軍ですな』

「昨日の敵は今日の友、だな。我が航跡に続き給え。戦場で合流だ」

『了解』

 

 シャア大佐との通信を終え、ゴップはハンカチで額の汗をぬぐう。おそらく赤い彗星はガルマを奉戴するドズルに、行けと言われたのだろう。ララァ・スンとよろしくやっていたはずなのに哀れなものだ。

 いやはや、ガノタとして赤い彗星と対談するのはいくつになっても緊張する。

 むしろ、年も年なので、体がそれほどいうことを聞いてくれないともいえる。

 

(いやはや、もう10年、は持たんな)

 

 仕方ない。しばらくしたらゴップの養子として用意しておいた義体、イングリッド・ゴップに成り代わるしかあるまい。本物のイングリッド0はキシリア機関で楽しくジョニーライデンと遊んでいるらしいから、問題はないだろう。

 軍内地盤はワイアットあたりに引き継いでもらいたいが――今目の前での奮戦ぶりを見るに、死なないと信じ……たいっ。

 

(まったく、人類滅亡の危機というのに未来の心配をせねばならんとは)

 

 シン大尉がもう少しこう、政治向きの輩であればすべてを譲って引退できたのだが……あいつは向いてない。

 

「閣下、前衛艦隊からです。『我、艦砲射撃、よし』」

「んむ。殺射界データを戦闘宙域にいるすべてに知らせろ」

 

 電送、よーし、と連絡が入る。

 モニタに映っている友軍が予定している射線から退避していく。

 シン大尉の機体が敵の触手か何かにからめとられているのか、射線に残っている。

 

「閣下、S909が……」

 

 だがゴップはとくに何の迷いもなく命じる。

 

「奴なら避ける。撃ち方はじめ」

「了解、撃ち方はじめ」

 

 撃ち方はじめ、の命令に則り前衛艦隊を構成するマゼラン級とサラミス級からメガ粒子砲とミサイルの弾幕が展開。

 遠方に吸い込まれていく砲火。

 そして、小さな閃光が無数に発生する。

 同時にコロンブス級空母などからMS部隊が発進する。

 

「有効射です」

「計画射撃を続行。コンペイトウからのエゥーゴ艦隊はどうだ?」

「はっ、わが艦隊に遅れること、20分です」

「サイド7のジャミトフよりは早いか。エゥーゴには要塞級宇宙怪獣を任せる。戦略正面は我々が引き受けよう」

「了解、打電します」

 

 あとはジャミトフ率いるコロニー駐留連合艦隊が集結すればよい。

 すでに到着済みのレビル派の地球軌道艦隊に、コンペイトウからのエゥーゴ艦隊が加わる。

 あとはワイアット派のルナⅡ艦隊が遅ればせながら後詰として参戦するはずだ。

 地球の危機らしく、地球連邦軍の宇宙艦隊総動員である。

 このタイミングで各サイドをジオンに攻められたら打つ手はない。

 

(主導権はギレンにある。ゆえに、やつは公国軍を手元に残している。やるかやらないか、決断を下すまでの時間は十分あるからな)

 

 人類の危機、と知り無邪気に増援を送ってくるガルマとは違う。

 十手、二十手先を詰めるゲームを仕掛けてくるのがギレン・ザビという男だ。

 

「閣下、指定秘匿通信です」

「まわせ」

 

 通信機をとると、ギレン・ザビの独特の声。

 

『以前お話しましたな。閣下には責任を取ってもらう、と。いかがですかな? 地球人類の命を守る仕事は』

「老体には堪えるが、いつもとかわらんな。さて、総帥はスペースノイドの責任を背負ってくれるのかね?」

『いまのところは――さて、私の手駒を送らせていただいた。かつて敵に塩を送った武将がいたそうで。故事に習ってみるのもまた一興と思いましてな』

 

 デラーズ艦隊の数十隻が来援する旨のデータが届いたので、WADGEに組み込むよう指示を出す。

 

『では、ご健闘を』

 

 ギレンからの通信は、一方的に切られた。

 デラーズ艦隊の増援は、エゥーゴより遅れる、か。

 塩を送るならもう少し早くしてほしいものだな、とゴップはため息をつく。

 

「閣下、アルビオンのブライト少佐から支援すると連絡が」

 

 アルビオンか。原作とは違い使い道はあるな、とゴップは勘定する。

 デンドロビウムの回収に行かせるという愚策は切り捨てた。

 

「最前線でエゥーゴ艦隊の誘導をさせろ」

 

 エゥーゴ艦隊が到着するときに、アルビオンが観測艦の役割を果たせばデンドロビウム10機では足りないほどの火力の集中ができる。

 この戦いがデラーズフリート相手の対ゲリラ戦ではなく、宇宙怪獣との総力戦になることを計算したゴップなりの采配であった。

 

「閣下、その、地上からザンジバルで上がってくる連中がいるようです」

「ジオンの?」

 

 ほかに動きそうな勢力について、ゴップは見当もつかなかった。

 

「通信、きます」

 

 さて、誰かな? と通信機をとると意外な人物だった。

 

『こちら、フレデリック・ブラウン中尉です。地球侵攻軍特殊先行工作部隊は、キシリア閣下の命令を受けて、地球外生命体に対する威力偵察を実行します』

 

 懐かしいのが出てきたな、とゴップはすこしほろりとしそうになる。近藤版ガンダムのほうからやってきてくれたらしい。

 

「歓迎するよ、ブラウン中尉。先行しているアルビオンの援護にあたってくれたまえ」

『了解』

 

 通信機を置いたゴップを、今のは誰ですか? という顔でみてくる副官。

 

「――そうだな、古い知り合いのようなものだよ」

「は?」

 

 また閣下の変な癖が出たな、と思ったらしい副官の少佐は、話もそこそこに自分の任務へと戻っていく。

 

 ゴップは予想通り+予想していなかった支援を受けてそろえた手駒で、どこまでこの酷いチェスを挿し続けられるか、一人黙考する。

 

 

 

 

 ソーラ・システムⅡの準備が整うまで時間を稼げ、という大方針が全艦隊に共有される。

 当然、最前線のワイアット大将もまたそれを知らされた。

 

(地球軌道艦隊と入れ替わるか。後方で一度補給を受けねばな)

 

 主計士官からの報告をうけながら、ワイアット大将は司令席で方針を決める。

 戦艦バーミンガムは艦長の指揮のもと、上へ下への大忙しの戦場機動をしているのだが、ワイアット大将は紳士然と姿勢を正し、ただ冷静に次の手を思案している。

 

(MS部隊の損耗が大きい。MSの直掩を受けられなくなった艦隊のもろさは語るまでもない)

 

 損害表を見ながら、ワイアット大将はどの艦から下げていくかを考える。

 やはりMSを前線で運用している空母や強襲揚陸艦から下げるほかあるまい。

 地球軌道艦隊から派遣されているMS隊が戦線を支えている間に、一気に後退。補給を受けて再度戦線にリターンし突っ込む。直近の戦史ではオデッサのマ・クベがやったアフリカ=宇宙同時撤退作戦の戦訓を宇宙用に使いまわすだけのことだ。

 

「君、隷下部隊に厳命しろ。ティーブレイクの準備だ、と」

「了解。ティーブレイク作戦、開始します」

 

 幕僚たちがティーブレイク作戦の発動を各級指揮官に伝達している。

 真っ先に動いたのはシン大尉だ。即座に初期から戦線に参加していたMS部隊を後退させ始める。

 

「ゴップ閣下のところから派遣されたシン大尉とやらは、なかなか役に立つ」

 

 歩兵一人が戦局を変えることがないように、MS一機が戦況に与える影響など大したものではないというのが持論ではあったが――少なくとも、戦術レベルの影響くらいは与えられるのかもしれんな、などと仮説が浮かぶ。

 また論文のテーマを見つけてしまったな、などとワイアットは己の尽きぬ好奇心に少々酔ってしまう。

 

「とはいえ、MS隊の後退は支援してやらねばな。バーミンガムを前に出せ。随伴艦もだ。MS部隊を収容するために火力を厚くする」

 

 ワイアットの命令に従い、密な艦砲射撃をばらまきながら戦闘艦がじわじわと前に出る。

 防空網を潜り抜けるように敵のバケモノが艦に張りつかんと迫ってくるが、有線リモートで操作されているボールによって処理されていく。

 中にはもちろん同化されるボールもあるが、さっさと自爆させるだけである。

 

 ゴップ閣下の手で計画ごと廃棄されたジム・ジャグラープロジェクトの技術素案にあったボールの有線誘導は、光るものがあった。

 これは艦艇の近接防御に最適ではないかとおもい、バーミンガム建造の際に織り込んでおいたことが功を奏している。固定の対空火器代わりにボールをあちこちに埋め込み、艦の砲雷科でリモート運用させれば、回り込む動きで艦を沈めに来るMSに対して多少なりとも有効ではないか、と。

 

(また一つ、艦艇運用の論文を書けそうだ)

 

 軍人が学者の真似事を、と笑うものもいるだろう。しかし、知識と経験を後世に残し、それを誰かが生かして連邦という体制を盤石なものにしていってほしい、というワイアットなりの未来へのタイムカプセルのつもりだ。

 

「アルビオンから入電、我、最左翼に就く、です」

「盛りおって。ブライト少佐に伝えろ。貴艦は地球軌道艦隊の最左翼につけ、と」

 

 これから一斉後退を仕掛ける予定のこちらに合わせてどうする、とまだまだ大局を読めないエゥーゴの新鋭に実戦教育を施す。

 

「ジオン、ザンジバル級が戦線後方に。MSを発進させています。WADGEは友軍とされています」

「閣下の土産か。活躍してもらえ」

 

 妙にハードディティールなゲルググJ部隊が最前線に飛び込んでいく。

 射撃音がBANG!BANG!BANG!というオノマトペになりそうな予感がする、ボイルドがきつめな連中で、その濃さに英国ではなくドイツ感を覚える。

 好みではないが……いい動きだ。シン大尉よりも手練れのようだ。

 

「ジオンのゲルググ部隊――フレデリック隊がこちらのMS後退を支援してくれています」

「頼っておけ。収容率はどうか?」

「8割を超えました」

 

 よし、機は熟しつつあるな。

 

「アルビオンからMSです。ガンダム試作00号機、アサイン」

 

 光が駆け抜けていく。

 敵の重厚な前線に風穴が空いていくのがわかる。

 あれが、アムロ・レイか。

 レビルの鉄砲玉らしいが、あの破壊力を見せつけられるとNTとMS運用による戦闘ドクトリンを偏重したくなるというものだ。

 

「ふむ。ここだな。隷下部隊に下命。緊急回頭、最大戦速で離脱。後方再集結地点にて戦力を再編する」

「了解。各隊に告げる、ティーブレイク、ティーブレイク」

 

 司令部からティーブレイクが下る。

 スパルタンやトロイホース、コロンブス級が離脱している。

 バーミンガム以下戦闘艦は最後まで戦線に火力を提供し続ける。

 

「閣下、よろしいですな?」

 

 隷下艦隊が退いたのを確認した艦長が、ワイアットに確認する。

 

「うむ、バーミンガムも後退だ。地球軌道艦隊のマゼラン級に代わってもらえ」

「了解。おーもかーじ」

 

 バーミンガムが戦列を離れる。

 友軍艦隊との交代タイミングも完璧であった。

 ティーブレイク作戦はほぼ完ぺきに機能したといえるだろう。

 

 

 

 当然、例外はある。

 戦艦バーミンガムの後部推進装置には、要塞級から放たれた大型宇宙怪獣が張り付いていた。

 

「――艦長、総員退艦だ」

「はっ」

 

 ワイアットの判断は早かった。

 乗組員たちは所定の避難計画に従い素早く退避カプセルやランチに乗り込んで宇宙に飛び出していく。

 

 しかし、ワイアットだけは例外であった。

 体にしみこませていた紳士としてのふるまい、いわばノブレス・オブリージュの精神がその体を縛っていた。

 

「閣下! お早くっ!」

 

 バーミンガムの廊下。

 退避経路の先には、ランチが緊急ハッチに接舷してこちらの退避を待っている。

 

 しかし、ワイアットはまだ避難していなかった。

 侵入してきた小型宇宙怪獣相手に人類は生身で白兵戦を繰り広げていた。

 手持ちのアサルトライフルや軽機関銃を連射し、あるいは使い捨て対MSランチャーをぶっ放し、脱出する乗組員たちの退避時間を稼ぐ一団がいた。

 これを指揮するは、ワイアットである。

 

「まだだっ、この通路を抜かれたら退避率は五割を切るぞ」

 

 艦内MAPに映る避難中の乗組員たちのビーコンの流れを確認しながら、ワイアットはあと何分かせげるか、と計算する。

 一分でも長ければ、と。

 

「よしっ、隔壁閉鎖っ!」

 

 もう避難してくるものはいない――訂正、救えぬと判断したワイアットは、歩兵部隊に命じて正面の隔壁を閉鎖せる。

 ドンドンと触手が隔壁の向こうで暴れている音が響く。

 

「七割が限界か」

 

 冷静に判断する。

 ワイアットは紅茶の抽出時間を正確に測れる体内時計を持っているがゆえに、今ここでの遅滞行動がどれだけの時間を稼ぎ出せているか正確にわかってしまうのだ。

 

 もう、五分稼げれば、と欲が出る。

 そうすれば、八割の大台が見えてくるのだ。

 自らが鍛えた、未来ある兵士、下士官、将校たちに生きるチャンスを与えたいという欲を捨てきれなかった。

 しかし、紳士たるもの、時には苦渋の決断も必要だ。

 このまま不用意に粘っても――

 

 その時、ワイアットは腹部に強烈な熱さを覚えた。

 ゆっくりと視線を腹部に向けてみると、そこはうごめく触手によって貫かれていた。

 痛みは弱い。

 ただ、熱いだけだ。

 

 ワイアットは冷静に触手の侵入経路を見極める。

 どうやら床下の配線溝からのようだ。

 

「か、閣下っ!!??」

 

 部下たちがナイフを片手に触手を断ち切ろうとするが、別の触手が床下、壁面からパネルを吹き飛ばして広がっていく。

 

「撤退命令だっ! いけっ!」

 

 ワイアットは、なおも彼を助けようとする将校らに拳銃を向ける。

 そして、一発の威嚇射撃。

 

「頼む、行ってくれ」

 

 ワイアットの最後の命令を受けた将校たちは、歯を食いしばり、その場を離れていった。

 

 振り返ると、ランチが飛び去っていくところだった。

 遠のくランチの窓には、士官たちはこちらを悔しそうに眺めている姿が見えた。

 

(未来は――つないだ)

 

 退艦した部下たちは優秀な連中だ。

 いずれ連邦軍の中核となって、人類の庇護者としてその義務を果たしてくれることだろう。

 薄れゆく意識の中、ワイアットは最後に飲んだ紅茶がレディグレイだったことを思い出す。

 やわらかな柑橘の香りに包まれながら、その意識を手放した。

 

 

 

 ワイアットは、虚無の中に浮かんでいた。

 ここはなんだ? という疑問は浮かんだものの、不思議と落ち着いていた。

 紳士たるもの、毎朝のモーニングティーとともに理不尽な死をいつでも受け入れられるよう心をストレッチしておくものだ。葉隠れのように。

 

 突如、闇が取り払われ、光に満ちる。

 宇宙に放り出されたかのような光景。

 そこは戦場。

 巨大な隕石が地球に落着しようとするさまを見た。

 

『石っころ一つ、ガンダムで押し返してやる!』

 

 そう言い切るアムロ・レイの姿をみるワイアット。

 何を見ているのかはわからぬ。

 しかしわからぬことと受け入れられぬことを峻別できるのがワイアットである。

 彼は、しずかに受け入れた。

 

『――ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!そのララァを殺したお前に言えたことか!』

『お母さん?ララァが?うわっ!』

 

 暖かな光。

 人類のなにかを示す輝きが、隕石を地球から引き離していく。

 目に見える、奇跡のような出来事。

 現実ではないのかもしれない。

 人の意志の力がいくら集まったところで、人類は奇跡を起こせない。

 

 ワイアットは、初期の宇宙開発で月に至った人類を想起する。

 奇跡が起きたから、月にいけたのか?

 

 否である。

 

 人類は月に行こうと思い、努力を積み重ねてたどり着いた。

 奇跡が起きたのではない。

 積み重なった因果の果てに、月にたどり着いたのだ。

 

 そのような人類の歴史を熟知しているワイアットは、奇跡のように繰り広げられる眼前の光景を受け入れ、それは因果のあるものだと解した。

 隕石を弾き飛ばすに至る人類の努力とやらを、見てみたかった。

 

 

 

 また景色が変わり、今度は得体のしれぬ虹色の光に満ちた地球。

 黒い巨人と、月光色に白く輝く蝶のような何かが戦っている。

 

『多数決が愚民政治を培い、議会制民主主義が金権政治に結び付き、絶対的権力者が専制政治を敷き、暴君でも臣民に慕われることがあるのです。少数意見の抵抗が社会全体を不安にし、革命政権が臣民を苦しませることも……』

 

 巨大な蝶が、その羽を大きく広げる。

 

『……歴史を振り返れば、この世に正しいことは何もないのかもしれません』

『では、ディアナ・ソレル陛下は何を根拠に私の夢を阻むのか?』

 

 このままでは世界が終わる、とワイアットは直観した。

 人類の悲劇。紳士的でないものたちによる不毛なる無理解。

 互いに立場が異なるといえども、一つのテーブルを囲み、穏やかにティータイムを過ごせば未来のひとひらもつかめように――と不毛な黒い巨人と月光色の蝶の戦いに失望する。

 

『愛こそ、偏見の極みでありましょう』

 

 黒い巨人が言った。

 

『人は……憎しむようにしか人を愛せないのです』

 

 その言葉に抗うように、月光色の蝶が羽で巨人をたおやかに包んだ。

 

 ワイアットは己の直観が間違っていたことに気付く。

 滅びは来なかった。

 人が人を救う。ただそれだけの物語。

 たったそれだけのことなのにも拘わらず、その背景で人類が救われていた。

 人を、救う。

 それがそのまま人類世界そのものを救ってしまう因果に、ワイアットは心から賛辞を贈る。

 

「グレィトブラボー。愛と許しを人類が信じる限り、歴史は終わらんよ」

 

 たとえ宇宙が終わろうと、可能性はあると確信した。

 そして、ワイアットは再び虚無の闇に囲まれる。

 不思議と息苦しさは覚えない。

 むしろ、高揚感しかなかった。

 誰もが至れぬところに、いよいよたどり着いたのだ、と。

 

 

 

 

 

 ほぼ宇宙怪獣に浸食された戦艦バーミンガムの核融合炉を吹き飛ばすべく、シン大尉はジムカスタムを緊急用接舷ハッチにつける。

 先ほどまで大艦巨砲のバケモノとして猛威を振るっていたのだが、突然その活動が鈍った。

 シン大尉は隙あらば生身でも戦艦を沈める覚悟をキメているガノタなので、MS忍者の如く接近し、そのまま艦内へと侵入したのだ。

 

 艦内をノーマルスーツと拳銃一つで進むシン大尉。

 不思議とバーミンガムを浸食した宇宙怪獣はその活動を停止していた。

 Gの影忍を知るシン大尉は、このようなことになる条件を知ってはいる。

 宇宙怪獣が人類と深遠なコンタクトを取ったときだけだ。

 

「……ワイアット大将」

 

 シン大尉は月光色の繭に包まれている彼を見つけてしまった。

 彼を貫いていたであろう触手は繭に代わっている。

 

 シン大尉は繭の中で優雅な笑みを浮かべたまま息を引き取っているワイアット大将の姿に、安息と祈りを見出した。

 

「いい顔しちゃって――あなたは最後に何をみたんです?」

 

 ガノタとして、言葉にならない思いが溢れる。

 少なくとも、この人はここで死ぬべきではなかったとシン大尉は奥歯をかみしめる。

 そして、シン大尉は戦艦バーミンガムの主機関室へと向かった。

 

 

 ジムカスタムは大きく広がる火球を見下ろしていた。

 戦艦バーミンガムは派手に消し飛んだのだ。

 一人の偉大な指導者を失ってしまった、とシン大尉はさみしさを覚えた。宇宙怪獣と深遠なコミュニケーションをとれるほどに紳士だった彼を失ってしまった事実は、ガノタとしても人としても、とても残念であった。

 

『シン大尉、バーミンガムの排除、ご苦労だった』

 

 ブライト少佐から通信が入る。

 宇宙怪獣化したバーミンガムを止めたのはワイアット大将だよ――などと複雑な思いを抱きながらも、シン大尉はブライトに返事を入れる。

 

「いやな仕事だったよ」

『貴様以外にはできない仕事だったさ。礼をいう。後方でコロンブス級がMS隊の回収を行っているから、そちらに行け。休んだほうがいい』

「一応、元気が出るクスリもあるが」

 

 コックピットには、0083の劇中でウラキが打っていた無針注射器がある。中身は元気いっぱいになる何からしいが、連続使用は脳に不可逆の損傷を与えると書いてあるため不安しかない。

 

『馬鹿野郎、さっさと後退しろ。アムロならお前の代わりくらい簡単にこなしてくれる』

 

 そうだった、とシン大尉は怪物相手に無双しているアムロ・レイの試作00号機の雄姿をみる。

 味方の士気もぐんぐん上がっているようだ。

 

「了解、シン大尉はこれより後方で補給を受けます」

『一眠りしてこい。貴様が寝ている間は、こっちに任せておけ』

「頼んだよ、ブライト少佐」

 

 シン大尉のジムカスタムは後方へと移動する。

 定番の赤十字ボールが増えてくるエリアに至るとなんだか少し安心する。

 なんというか、戦場のオアシスみたいなものだ。

 

 コロンブス級の一隻に着艦許可をもらい、ハンガーに機体を滑り込ませる。

 コックピットからはい出したシン大尉は、そのままパイロット待機所に漂っていく。

 適当な壁面にノーマルスーツのロックギアをアタッチし、そのまま瞳を閉じる。

 

 瞼の裏に、月の繭に包まれるワイアット大将の姿を思い出し、シン大尉は静かに涙を流した。

 




これから長い静かな散歩をするつもりだ。
君たちはここに残って、この世界の人民がどうやって互いに共存する方法を見つけるかを、話し始めなさい。
どうあっても考え出さねばならないのだ。
もう選択の余地は残されていないのだよ。

――シン大尉の夢に出てきた、レディ・グレイの香りがする人影


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二〇話 0083 強襲阻止限界点(上)

彼らはおのれが何者かを知っており、おのれを憎んでいた。
おのれを憎みつつ、人類を追い求めていた。
おそらく、まだ 追い求めていることだろう。

――コードウェイナー・スミス『スキャナーに生きがいはない 人類補完機構全短篇集』


 

 教えよう、これはガノタの物語だ。悲しいだけでなく、鬼気迫る物語でもある――と、シン大尉はどこかでみているであろうワイアットのココロに語る。

 夢枕に立ったあの紅茶提督には見せてやりたかった。人類がどこまでもやってみせる存在だということを。

 

 いま、シン大尉のジムカスタムは、シャニーナ隊、ヤザン隊とタイムスケジュールを合わせて再度戦場に飛び出している。

 一度後方で補給を受けていた旧ワイアット特務艦隊とハンフリー戦闘団が戦線に戻ってきている。指揮権はモニカ・ハンフリー大佐が継承。事実上のハンフリー艦隊となったようだ。

 

 艦隊旗艦となったスパルタンから以後の任務についての周知文が届く。

 シン大尉が一時間ほど寝ている間に、なんとかソーラ・システムⅡの準備は6割を超えたらしい。これを何とか七割までもっていき、眼前に堂々とそびえる敵要塞級他の宇宙怪獣どもを一気に焼く。そのための時間稼ぎが任務となる。

 もし仮にソーラ・システム側に敵の浸透を許せば、ソーラ・システムが敵になるという笑えないオチになる。

 

『大尉、少しは休めましたか?』

 

 シャニーナ機から通信が入る。

 こっちは二時間ほど余計に粘ってしまったが、あちらは先に退かせただけあって声に生気がある。

 

「体の震えは収まった。シャニーナ隊、ヤザン隊、コンディションを送れ」

 

 おおむね良好と評価できるパラメータが届く。

 兵士はオーバーワークによる判断力の低下で簡単に死ぬ。戦争をするときはまず最初に休み時間を決めましょう、というのが士官学校で最初に習う基本のキだ。

 しかし、いまそれは崩壊している。

 基本も守れない状況で本当に勝てるのか? などと疑義を抱きそうになるが、考えないことにする。

 

「スパルタン部隊、どうだ?」

『スイングのグルーヴは乱れちゃいない』

「よし。各機傾聴。今度はこっちが交代係だ。アルビオン隊を退かせる」

『了解』と各隊長から通信。

 

 前方に広がる混線地域。

 ジーラインと宇宙怪獣どもがバチバチにやりあっている。

 シン大尉他。ハンフリー艦隊所属のMS部隊が前線に割って入る。

 

『やぁっとかよっ! 僕ちゃんさすがにアウトかと思ったぜ』

 

 スレッガーのジーラインの横をすり抜けて、シン大尉の部隊が敵の群れと接触する。

 数が減っているようには――思えない。

 

「スレッガー大尉、いけっ!」

 

 シン大尉のジムカスタムがマシンガンを連射しながら後退を支援する。

 

『あいよぉ。カイ、ハヤト、お前さんたちは殿。ウラキ隊とキース隊はさっさと行けっ』

 

 前線で支援火力を展開していたジーライン部隊が続々と後退していく。

 

『こちらブラウン隊。進路を啓開できそうだが、手伝ってもらえるか?』

 

 妙に渋いゲルググJ部隊がいるなと思ったら、かのフレデリック・ブラウンの部隊であった。シン大尉はありがとうございます、と近藤神に感謝の祈りをささげる。

 

「了解した。ヤザン隊、ブラウン隊とともに風穴を開けてこい。シャニーナ隊、スパルタン部隊、自分に続き、空いた風穴から突入するぞ」

『協力、感謝する』とブラウン隊。

『了解。ジオンの亡霊部隊とバケモノ退治たぁ、夢でも見てる気分だぜ』

 

 ヤザン隊がブラウン隊と合流し、機動攻勢をかける。

 浸透していく彼らが残置した敵を、イオ中尉のFAガンダムTBが大火力で始末していく。その風穴をこじ開けるように、シャニーナ隊とスパルタンのMS部隊が突撃していく。

 

「こちらS909、要請射撃。座標、送付」

『了解。トロイホース、スパルタンで援護する』

 

 マッケンジー少佐から砲弾が届き、さらに進路が啓かれる。

 やはり戦場を耕すのはMSの豆鉄砲ではなく、艦砲だなと確信する。連邦の大艦主義はさておいて、火力主義に関しては文句の付け所がない。

 

 さて、進路を切り開いてみると、最前線のさらなる奥地に、小型宇宙怪獣どもを一心不乱にバッサバッサと始末するガンダム試作00号機がいた。

 

 単機突入してずっとこんなところで敵をひきつけていたのかと思うと、アムロ・レイがただならぬパイロットであることを思い知らされる。

 もはや兵装は尽き、サーベルのみで死闘を繰り広げていたアムロに通信を送る。

 

「アムロ中尉、道をこじ開けてきたぞ。ふさがれる前にいけ」

『シン大尉? あなたなら来ると思っていましたよ……』

 

 さすがにアムロ・レイといえども疲弊が声ににじみ出ていた。

 

『Eパックとライフルをください。それだけあればもう少し敵をひきつけられます』

「おいおい、推進剤がないだろうアムロ君」

『――君付けはやめてください。僕だって一人前の中尉です』

「そう言ってるうちはまだまだ子どもだよ。ほら、ここはオールドタイプに任せて、さっさと行け。休んだら助けに来てくれよな?」

『まったく、あなたはそういう言い方しかできないんですね――勝手に死なないでくださいよ』

 

 それだけ言い残して、アムロ・レイのガンダム試作00号機は高速で離脱。

 なんだ、逃げる分の推進剤はちゃんと残していたのか余計な心配だったな、とシン大尉はアムロに心の中で謝っておく。

 

『隊長、艦隊が来ます』

 

 ブラウン隊を中心として開いた風穴に、味方の艦艇が集中する。主にハンフリー艦隊とブラウン中尉のザンジバルだ。

 そして、こちらの突撃に合わせて各正面のジム改部隊や旧式のジム、ボールらが戦線を押し上げんと突撃を敢行している。

 特に、要塞型宇宙怪獣にトップアタックをかけているエゥーゴ艦隊は、まもなく要塞級に接触できるところまでラインを上げている。

 

(ジャミトフ艦隊もようやくか)

 

 戦略マップを見ていると、新たに友軍の信号が追加されていた。

 

「マッケンジー少佐、ガンダム試作2号機はないのかとブライト少佐に確認してください。敵はバケモノですから、核兵器だって使えるなら使っていいですよね?」

『とうに確認済みだ。機体はあるが、パイロットがいない』

 

 言われてみればそうだ。ガンダム試作2号機はあの特徴的な肩のスラスターを見てわかる通り、でかくて重くて素早いというパイロット泣かせの機体だ。あんなものを宇宙空間で高機動運用できる奴は、ガトークラスの腕前を持つトップエースだけだ。

 

 ん? とシン大尉は首をかしげる。

 よく考えたら自分もいけるんじゃないか? などと思えてきた。

 いや、ガンダム乗ったことないからわからないですが、少なくともジムに乗っている限りではそれなりに――いや、そうでもないか。

 

(違う、ガンダムに乗りてぇだけだ)

 

 本音が漏れる。この人類の危機に。

 ゴップ閣下もガンダム乗ったら殺すなんて言っていたが、こういう人類の危機ならワンチャンスあるんじゃないか?

 

 そうだ。

 間違いない。

 いま、まさにガンダムに乗るべき王道展開が、ここで起きているではないか。

 

「マッケンジー少佐、自分が後退してガンダム試作2号機を使います。核装備があれば、あの要塞級にデカイ穴をあけてやれますよ」

『――シン大尉、君は知らないのか? ガンダム系MSに貴官が乗ると強制的にコアブロックが排出されたり、脱出ポッドが作動するという未確認情報がメカニックから上がっているぞ』

「えっ?」

 

 おいゴップふざけんなっ!

 ほんとどうかしてるぜ。

 いや、とはいえあのゴップ閣下だ。

 そんな戦略的に意味のないコードをガンダム系の入れておくなんて無駄な労力を本当に割くわけがない。

 

「さすがに戦術的な合理性ないですよ。噂だといってくださいよ、マッケンジー少佐?」

『――本当だ。許せ』

「そんなっ!」

 

 かつてパロアルト研究所で教わった内容を思い出す。実行ファイルの配布はネットワークの整備によってほぼコストゼロで実現できます、という至極当たり前の理屈を。

 

「あー、それなら試作2号機を核搭載でここまで誰かに運ばせてください。進路は用意しますから」

『ゴップ提督に掛け合ってみる』

 

 艦長からの通信が切れた。

 さて、進路は開いたし、友軍艦艇が押し広げてくれているが――あの要塞のコアまではまだまだ道は遠いぞ、とシン大尉は顔を曇らせた。

 

 

 

 

 ゴップは強襲揚陸艦ペガサスの司令席で戦況モニターをにらんでいた。

 映し出されている状況は芳しくない。

 

 多くの軍事理論家や士官は、政治的目的のために使用される合理的な手段として、戦争を理解している。したがって、軍事作戦は、政治的文脈の流れにおいて理解することが可能である。

 

 だが、今の現実はどうだ?

 宇宙怪獣に対する政治的文脈なんてものがあるのか?

 

 ゴップは頭の中に叩き込んである軍事理論の教科書を破り捨てたくなる。

 

 これはもう政治的手段の延長としての戦争ではなく、完全に生存闘争なのではないかとすら思えてくる。

 種の根源を賭ける武装闘争をやらされているのだとすれば、それは軍人が長年積み上げてきた教育と訓練で対処できるようなものではない。

 相手方に対する意思の強要こそ軍人の手仕事だが、そもそも相手――宇宙怪獣に何を『強要』できるというのだろうか。

 

 いま必要なのは、闘争本能むき出しの猛獣殺しが得意な剣闘士なのではないか? などとくだらない冗談まで思いついてしまう。

 

「閣下、マッケンジー少佐から核使用の要請が出ていますが」

 

 余計なことを、とゴップはため息をつく。

 

「ならん。奴らは即座に模倣する。こちらが核を使えば、やつらも核を作り出す。すでに戦線にはバイオMSやバイオ艦艇が現れ、メガ粒子砲や誘導ミサイルを再現しているだろう?」

「た、確かに」

「S909を呼び出せ」

 

 通信手に命じてしばらくすると、シン大尉とつながった。

 

『閣下、核を使いましょう』

 

 こいつ、疲れてハイになっているな、とゴップは判断した。

 

「Gの影忍を読み直してこい。バイオ核ミサイルなんぞに書き換えられて撃たれてみろ。こちらは全滅だぞ」

『た、確かに』

「原作に近いシナリオを考えるなら、ニュータイプによるコアへの突入、あるいはガノタによるコア突入だ」

 

 Gの影忍では、人類の悲哀を知った一人の忍者による捨て身のアタックを体験した宇宙生物側が、人類というものをなんとなく理解して撤収してくれた。

 さて、いま目の前のリアルがそう都合よくいくかどうかは、誰にもわからない。

 ただ、可能性としてNTかガノタに賭けるシナリオはありうる。

 

「――シャア大佐はどうかね?」

 

 シン大尉の部隊と隣接するエリアに、シャア・アズナブル率いるファルメル艦隊を送り込んである。パーフェクトジオングが暴れまわっているはずだ。

 

『そりゃまぁ、自分の数倍の敵をさばいてますよ』

「彼に、人類のために飛び込んでもらえんかね?」

 

 ゴップは暗にシャア・アズナブルを要塞級宇宙怪獣に突撃させ、あわよくば内部のコアとNT対話をさせられないかと、シン大尉に促す。

 

『閣下、お疲れでは? 彼は我々の知っているシャア・アズナブルではないですよ。ガルマの友人で、ララァと過ごすただのエースです。たぶん、クラウンがそう仕向けたんですよ……。歪んだ憎悪を胸中に秘め、悲しみを怒りに変え、人類のために立ち上がる男ではないです』

 

 確かにそうだ。週刊誌記者に扮した諜報部の連中からもたらされているインフォをまとめればほぼ間違いない。

 我々ガノタが知っている泥臭いシャア・アズナブルはクラウンによって既に殺されてしまっているといってもいい。

 

「――シャアは使えんか」

『間違いなく。そこで、自分の出番ということになります』

 

 シン大尉が極めて真面目な口調で宣言したので、ゴップは息をのんだ。

 

「シン大尉……」

『幸い、自分はガノタです。おまけに閣下の手足たりうるエースパイロットでもあります』

 

 シン大尉が、己がいかに幸せかを語る。

 大好きなガンダムの世界で、精一杯生きていることを毎日感謝して過ごしていると。

 ゴップ大将からもらったジムカスタムは宝物だとも。

 

 そんなの、あたしだってそうよ。あんたとこれからも、この世界を――という本来の己の言葉をゴップは飲み込む。

 

 今は、艦橋に控える総大将なのだから。

 

 そして、ゴップはシン大尉の言葉の意味を慎重に吟味する。

 多くの場合、一般的に官僚や軍人は、現実を最も正確に反映する情報ではなく、むしろ意思決定者が欲し、期待する情報を提供する傾向があるからだ。

 

 だが、言葉を洗ってみた結果は同じ。

 シン大尉はガノタであり、いま彼はガンダムの世界を守るためなら死んでもかまわない、と宣言しているのだと。

 

 そしてゴップは元帥たるガノタである。

 決心こそ、彼の仕事である。

 

「S909、貴官に特別任務を与える」

『はっ』

「何としてでも、敵のコアと接触しろ――ただし、ガンダムへの搭乗は禁じる」

『は? いや、この話の流れだと明らかに試作2号機乗れる流れでしたよね?』

 

 すがるように陳情するシン大尉を切り捨てる。

 

「貴様がガンダムに乗れるなど、まったくもって許せん。そんなことになるなら世界は滅んだほうがマシだ」

『信じられねぇ、この期に及んで狂ってやがるぜ……ま、それが閣下か』

「何とでもいえ」

 

 ゴップは本心を覆い隠す。本当はガンダムでもデンドロビウムでも好きな機体に乗せてやりたかった。

 しかし、これは機動戦士ガンダムの世界。

 ガンダムという機体そのものに必ず物語性が内包され、そこには意思と奇跡が集約される可能性が高い。

 

 ガノタたるあの男が乗ってしまい、意識と運命が集中してイデの発動の原因となるような事態は何としても避けたかった。

 ゆえに、このような緊急事態ですら、シン大尉に『ガンダム』は与えられない。

 

『チッ……わかりました、わかりましたよ。ジムカスタムでやってやります。見せてやりますよ、連邦の量産機の実力ってやつを』

「期待している――我々はお前に賭けるぞ」

『了解。自分のジムカスタムに人類の運命が懸かる事態なんて想像してませんでしたよ、マジで』

 

 そして、シン大尉に敬礼して通信を切る。

 副官がこちらを見て「よろしいのですか?」と尋ねてきた。

 部下を使い捨てるようなことをしてこなかったから、ゴップの今がある。

 しかし、いまゴップはシン大尉に死ねと命令したのと同じだった。

 

「構わんよ。奴は帰ってくるさ」

 

 根拠は何一つない。

 ゴップらしくない、ただの希望だった。

 

 

 

 

 シン大尉がここからは志願者だけで行く、と宣言した。

 シャニーナ少尉は操縦桿を強く握りながら、わたしもいきます、と告げた。

 ゴップ元帥から命じられた内容は荒唐無稽で、あの巨大な要塞型に取りついて内部を侵攻し、コアと呼ばれる何かに接触するというものだった。

 

 そんな何の意味があるかもわからない自殺任務に、隊長だけいかせるわけにはいかないとシャニーナ少尉は思った。

 

『――正直言って、生きては帰れん任務だ。ゆえに命令だ。お前らはここに残れ』

 

 またうちの隊長は馬鹿なことを言っている、とシャニーナはあきれる。

 トロイホース部隊は隊長だけを死地に向かわせるようなしょぼい連中では断じてないということを、全然わかっていないのだ。

 この人は、本当の信頼というものを学ぶべきだと思う。

 

『おーし、てめぇら、命令違反してぇやつは?』

 

 ヤザン少尉が確認すると、全員一致で命令違反上等である。

 もちろんシャニーナ隊も同意見だ。

 

『馬鹿をいうな。本当に生きて帰れないんだぞ』

『バカなのはあんただろ、隊長。責任も取らずに恰好つけようなんて、オレぁ許さねぇからな。勝ち逃げさせるほど、このヤザン・ゲーブルは優しくねぇ』

 

 ヤザン少尉はシン大尉に勝ち越すのを目標にしているから、そう思うのも当然だろう。

 ああいうタイプの男は、闘争心でしかコミュニケーションをとれないのだから。

 いずれもっとクレバーになるかもしれないけれど、それは年を重ねて、性格が落ち着いてきたらだと思う――と、シャニーナは男の値踏みに関しては一家言ある。

 

 ちなみに、シン大尉についてはヤザン少尉より安い値段がついている。ワゴンセールなメンズだから、わたしみたいなやつが憐れんで手に取ってやらないと、そのまま廃品回収に出されて終わりかな、などとシャニーナなりに配慮してやっているつもりだ。

 

「そうです。ヤザン少尉のいうとおりです。ゴップ閣下の任務をどうしてもやらなくちゃならないなら、みんなで行けばいい話です。士官教育で習いますよね? 部隊運用を行い任務を完遂するのが士官だって」

 

 シャニーナとしては理屈などどうでもよくて、大尉が行くというならどこまでもついていきたかった。

 それに、部下たちも不安らしいと分かっていた。こんな最前線の戦場に放置されるくらいなら、シン大尉のケツを追いかけているほうがまだ助かりそう、という打算を部下たちが内心で思っているであろうことを、シャニーナは感じ取っていた。

 

『こんな面白れぇセッション、二度とないね。こっちは勝手についていくぞ』

 

 イオ中尉以下、スパルタンのMS部隊もついてくる決心をしているらしい。

 

『――わかった。だが内部では自分の命令が絶対だ。もし脱出しろと言ったら、絶対に脱出しろ。それは任務のために重要なことだから脱出を命じていると理解しろ。以上』

 

 シン大尉がそういうと、シャニーナ他全員が同意した。

 

『楽しそうじゃないか。俺たちも混ぜてくれよ』

 

 ブラウン隊のゲルググJたちが集まってきた。

 後方のザンジバル級から射出されてきた補給コンテナを回収しに来たらしい。

 

『ブラウン中尉、我々は要塞内への突入アプローチをとるつもりだ』

『――なるほどな。どうせこのままだと人類側の全滅だ。手を貸そう』

 

 ダークグレイを基調としたデジタル迷彩のゲルググJの群れ。

 ハイイロオオカミよりもずっと危険な空気を醸し出している連中が、敵ではなくて味方なのだというのが信じられない。

 もし戦場でブラウン隊と出会っていたら、血で血を洗うヒドい戦いになったことだろう。

 

『よし、各機、突入シナリオを頭に入れてくれ』

 

 シン大尉から作戦の概要が説明される。

 基本的には最低限の敵だけを始末しながら強引に前進する、機動浸透を中心とするようだ。

 内部での補給を受けられる可能性は低いから、出来るだけ交戦を回避し、マニューバで突き抜けていくことになる。

 

 ちょっとでも足を止めたらそこで試合終了。

 あのお化けどもに同化されてサヨナラ。

 

『――把握したな? できる限り補給コンテナから戦闘リソースを回収しておけ。10分後に突撃機動を発揮する。時計合わせ』

 

 シャニーナのHUDにカウントダウンが表示される。

 わたしは絶対についていく、と息巻きながら、シャニーナ少尉は補給コンテナからリソースを調達するのに集中した。

 

 




頼む、明日の拙者……なんとか0087時空へとつながりそうな面白い話書いてくれっ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二一話 0083 強襲阻止限界点(中)

彼らは知るはずだ──地獄が彼らと共にあることを、そして、天国と呼ばれるものが事実存在することを、そして、その天国の中には、そこからすべての狂気の流れ出す中心があることを。

──ハーラン・エリスン『世界の中心で愛を叫んだけもの』


 

 光り輝くミラーが小刻みに調整される。

 コントロール艦からの信号を受け取り、いつでも焦点を合わせるべくテストシステムが走る。

 オールグリーン。テストケースはすべてパスした。

 

『ゴップ閣下、八割ですが、いつでも撃てます』

 

 狂犬バスクからの連絡をうけたゴップは、静かに戦況図を確認する。

 味方部隊はよく耐えてくれた。

 おかげでソーラ・システムⅡの準備は整った。

 

「照射予定地点付近から、友軍を下がらせているか?」

「ほぼ退避完了。S909他、敵要塞級に突入を企図する部隊も、ギリギリ有効範囲外です。照射影響範囲内の航行不能艦から連絡。『同軸照射されたし』です」

「家族の面倒は連邦政府が責任を持つ。たとえ政府が倒れても、私が面倒を見ると伝えろ」

 

 ゴップは切り捨てないことを信条としてパワーゲームに参加していたが、いまばかりはそうもいっていられない。

 この一瞬の遅れが敗戦に繋がるような事態は、人類に対して不義であることを理解していた。

 

「――感謝する、です。以上」

 

 すまない、とゴップは心中で告げる。

 

「突入予定部隊に連絡しろ。チャンスを作るからものにしろ、と」

「了解」

 

 そして、バスク少佐に連絡を入れる。

 

「撃ち方、はじめ」

『了解、撃ち方、はじめ』

 

 ゴップはサングラスをかける。

 一瞬のうちに照射先に大量の太陽光エネルギーが集められ、要塞級を激しく焼いていく。

 照射影響範囲にいた敵小型宇宙怪獣やバイオMS、バイオ艦艇も溶けて消えていく。

 理論上、何かしらの機関から発生するエネルギーを使用するわけではないソーラシステムの最大のメリットは、照射時間に制限がないことだ。

 何かを発射しているわけではなく、単に焦点を合わせているだけなのでミラーが砕け散るなどということがない限りは、基本的に敵を仕留めきれる――はずなのだ。

 

「ばかな……」

 

 幕僚の一人から声が漏れる。

 確かにそうだろう。

 これはガノタであるゴップには予想できていたことであったが、打つ手はなかった。

 

「バスク少佐、中止だ」

『なぜですっ!? このまま続ければ――』

「中止だ。命令を実行しろ」

 

 ゴップの厳命を受けたバスクが、渋々ながら命令を実行する。

 次第に正面にあふれていた閃光が薄れ、無残に焼けた敵が見え――なかった。

 異形の花のように変形した相手の姿に、艦橋の将校たちが絶句する。

 

「艦隊散開! 急げ!」

 

 ゴップが声を荒げる。

 一瞬反応が遅れたが、ゴップが集めたスタッフたちは直ちにゴップの命令を各方面に伝達する。

 ペガサスも最大戦速で激しい横Gを乗組員に与えながら、事前計画通りの散開位置に向かう。

 直後、要塞級のバケモノからソーラ・システムから照射されたエネルギーを圧縮と加速に用いたであろう、極太のバイオメガ粒子砲がこちらにむけて発射された。

 

「――ノースロップ艦隊、ガンジス艦隊、消滅!」

 

 続々と地球軌道艦隊、ゴップ率いる戦略機動軍、そしてソーラ・システムⅡ側のバスク艦隊の損害報告が飛び込んでくる。

 戦況マップがリアルタイムで更新され、友軍の戦力が少なくとも10パーセント近く失われたことを確認する。

 

「……司令、どうしますか? 敵の第二射に備えますか?」

 

 幕僚として参加している年若い少佐がうろたえたように告げる

 

「ガディ・キンゼー少佐、おびえた表情を見せるな。部下が不安になる」

 

 ゴップはあえて鷹揚にたしなめる。

 

「はっ」

「敵の二射はない。こちらのエネルギーを転用したカウンター攻撃だよ。さて、この隙を突入予定部隊は生かせたかな?」

 

 これがラーフ・システムだということは告げなかった。

 いまそれを言ったところで誰も理解しないからだ。

 

「はい。突入を開始した模様ですS909から通信です」

 

 すこし画像が荒いが、シン大尉が環境のモニターに映る。

 

『こちらシン大尉。隷下部隊とともに内部突入に成功。これより『コア』と接触すべく、進みます』

「任せた」

『はっ』

 

 生きて帰れ、とも頑張れなどともいわない。

 生きてほしい、とは思う。

 帰ってきてほしい、とも思う。

 だが、その言葉を伝えるのは、本当に二人の時だけだ。

 

「S909がうまくやってくれれば万々歳ですな」とキンゼー少佐。

「うむ――艦隊を再編し、直ちに攻勢圧力を強めろ。キンゼー少佐、兵站課を招集してくれたまえ。兵站計画を更新する」

 

 そして、キンゼー少佐が連れてきた兵站幕僚の大佐に、事細かに指示を出す。

 必要があればHLVを使っての地球からのリソース支援も必須だろうと考えていたからだ。

 

(ラーフ・システムへの変容で確信した。奴はすでにいくつもの歴史を食らった化物だな)

 

 一通りの指示を終え、ゴップは最上級先任曹長から茶を受け取る。

 こちらを慮ってくれる彼女の表情に、一瞬若いころの思い出が交錯した。

 ゴップがまだ士官候補生だったころ、彼女は士官学校の助教で、赤鬼グレースなどと恐れられる鬼の訓練教官だった。

 

 あの頃は互いに士官候補生と、助教たる三等軍曹だった。

 今は互いに年を取り、ゴップは元帥に。彼女は下士官の中で最も尊敬される最上級先任曹長として、司令部に兵の視点を代弁する助言者として参画している。

 司令部の席次としては中将と同格であり、司令部にごろごろといる佐官や尉官からは敬意を払われるべき存在として扱われている。

 

「グレース教官、兵はどうだろうか。辛いかね?」

「意味のない質問ですよ、候補生。あなたは最上級の士官として、兵に飯と兵器と弾薬を配り、移動手段を手配し、明確な作戦企図を伝えるのが本分。兵の気持ちを慮るのは、実際に兵とともに戦う下士官や将校の仕事です」

「厳しいな、雑談くらい付き合ってくれてもよくないかね?」

「いいえ、閣下。それはあなたの悪い癖です。弱気になるとすぐに他人と話をしたがる。たとえ幾万の兵士があなたの指揮で死のうとも、組織を勝利に導くことこそあなたに求められていることです。下らん良心の呵責等、大気圏にでも投げ捨てなさい」

「そう、か……すまんが、もう一杯、茶をもらえるかね。ワイアットから送られたレディ・グレイを頼むよ」

「かしこまりました。教官をお茶くみに使うとは、あなたも偉くなりましたね」

 

 冗談めかしていうグレース再先任上級曹長のおかげで、ゴップは少しだけ不安から解放される。階級が上がれば上がるほど、相談できる相手というのはいなくなるのだ。

 

 昔から変わらぬ関係。

 いくつになってもあちらからすればこちらは候補生であり、こちらからすればあちらは教官だ。

 いい将軍になるためにはいい下士官を手に入れなければならない、と指揮幕僚課程で教導されるが、それを実際にこなせる佐官は想像以上に少ない。

 実際、佐官から将官に昇進できるかはそのものがよき下士官を知っているか、よき下士官の支持を得られるかが戦略的能力及び実務能力に次ぐ、大きな要素を占める。配点区分で言うならば二割程度を占めるだろうか。

 

「偉くなった特権は、あなたにお茶くみを命じることができることくらいだよ」

「あら、かわいいこといってくれて――そういえば、バスク少佐の兵隊たちが何をしているか気になりますね」

 

 それだけ言い残して、グレース再先任上級曹長は茶を用意すべく退出した。

 確かに、ソーラ・システムⅡの再発射はバケモノ相手にはない。

 

 ともすれば遊兵ともいえるバスク艦隊を前線に投入するか?

 教官はそういう視点で指導を残していってくれたのだろう。

 しかし、ゴップは戦略家である以上にガノタであった。

 

 ありうる可能性について、備えておく必要があるのだ。

 例えば、胞子側が輸送中のコロニーに取りついて、原作よろしく地球に落着するシナリオだ。

 ただ、この可能性はなんだか少ないような気がしていた。

 あのバケモノが本気で地球を始末するつもりなら、四の五の言わずあの巨体を質量兵器として地球に落着させればいいだけだ。

 コロニー側に飛ばしている胞子とて、デラーズ艦隊とエゥーゴの分遣艦隊によって阻止されている。万一のすり抜けがあるだろうが、そこはキシリア機関のシーマ艦隊が後始末を引き受けてくれている。

 

(こちらを滅ぼすために現れたわけではない、ということか?)

 

 種の生存闘争でないなら、この戦いはなんだ?

 00のELSの如く、コミュニケーションか?

 

 ――違う。間違いなく違う

 

 やつがラーフ・システムに変容できたという事実こそがヒントだ。

 敵宇宙怪獣は単なるバケモノではなく、どこかの時空の人類の成れの果て、あるいは歴史上の終着点としての究極の進化形態である可能性……。

 

 ――いや、ビューティ・メモリを狙って現れたかのようにも思える

 

 そうであるならば、とゴップは考える。

 何か情報を求めてやってきたのだという可能性も、ある。

 ビューティ・メモリを開放する条件がすべてそろっている時空は少ない。

 

 アムロの遺産

 コクーン

 

 

 この二つが揃わぬ限り、ビューティ・メモリはそのパンドラの箱を開いてくれない。

 

 アムロの遺産――これは文字通りであり、ゴップは用意できる。

 もう一つの、コクーン。

 これがカギになる……はずだ。

 

 コクーン――と知恵を絞っていると、一つの光が差した。

 

 文字通り、繭を意味するのなら……ワイアット大将だ。

 シン大尉から送られた極秘映像を思い出す。

 

 間違いなく、ワイアット大将は繭に包まれていた。

 あれは、宇宙怪獣との深淵なるコミュニケーションをとった結果だと思う、とシン大尉は言っていた。

 

(ワイアット大将が宇宙怪獣とつながらない限り、コクーンは現れない――ワイアット大将が宇宙怪獣とつながり、コクーンになる時空はここだけだからなのか)

 

 

 だが、アムロの遺産とコクーンをそろえて、あいつらは何を望む――

 

 その時、ゴップの中にガノタとしてのヒラメキが走った。

 

(DG細胞が原因か?)

 

 ガノタが恐れおののく、第一級テクノハザードっ!

 アルティメット細胞――第3類ディマニウム系合金をもとに、精神感応性を高めたガンダリウム合金が開発された。これをさらに先鋭化させ、自己増殖、自己再生、自己進化能力の三大シンギュラリティを達成したサイエンスの結晶である。

 人類の善意によって作られた科学の極北たるアルティメット細胞であったが、その鋭敏な精神感応性自体が強力な副反応として人類に仇をなした。

 悪意と憎悪のエネルギーにも反応するアルティメット細胞は、その方向でも自己増殖、自己再生、自己進化能力を発揮する。

 悪意と憎悪の先鋭化した進化形態こそが――DG細胞である。

 

(救済を、求めているのか……)

 

 ゴップは思わず席を立って、艦橋モニターに表示されている敵要塞級宇宙怪獣の姿を見た。

 

 あれはどこかの世界線で、DG細胞によるテクノハザードを阻止できなかった世界の結末だ。

 

 だが、DG細胞とてただの暴走兵器ではない。

 人の意志に反応する感応物質だ。

 DG細胞に取り込まれてしまった数多の文明、生物たちは何を祈り、何を願うだろうか。

 最後に彼ら、彼女らが求めたものは――

 

「タスケテ」

 

 よく知った声。

 そして銃声。

 艦橋内の参謀たちが携帯していた拳銃を抜き、連発する。

 警衛の兵士がアサルトライフルを連射するが、素早く伸びた触手が彼らを貫き、そのまま同化されてしまった。

 

「グレース教官……」

 

 DG細胞に操られ、全身から得体のしれない触手を振りまわす彼女の姿に、ゴップは己の浅はかさが招いた結末を見出す。

 もっと早く気づいていれば――除染作業のやりようもあったかもしれない。

 艦艇の侵入経路を潰せたかもしれない。

 

「タスケテ」

 

 ゴップの大切な手駒たちを同化しながら迫ってくる、大切な友人の姿。

 もちろん、同化される兵たちの最後の絶叫は「助けてくれっ!」だ。

 最後の言葉、それが祈りであり、願い。

 

「――グレース教官、必ず、仇はとります」

 

 ゴップはノーマルスーツのヘルメットバイザーを下ろし、全員にフック使用を命じた。

 そして艦橋に設置されている非常用搭乗ハッチの傍に飛ぶ。

 

「――っ!」

 

 プラスチックカバーを叩き割り、レバーを上げる。

 人が出入りできるハッチが解放され、艦橋の空気が一気に外に流れていく。

 放り出されていくDG細胞感染者たち。

 宇宙に吸い出されていくグレース教官のまなざしに、ゴップの胸が締め付けられる。

 

『よくやったな、ゴップ候補生』

 

 めったにほめてくれない教官が、ほめてくれたときのまなざし。

 自分を本気で褒めてくれる人を失ったと悟り、目頭が熱くなってしまう。

 まって……と手を伸ばしそうになる。

 しかし、ゴップは手を伸ばすこともなく、涙も流さない。

 元帥であり、この戦線における総大将である彼がうろたえる等、許されるはずもない。

 

 ゴップはレバーを戻し、ハッチを閉じる。

 空気の流出が止まり、艦橋内の再気密と与圧が始まる。

 

「――各員、被害状況を報告したまえ。艦内警務は敵情報寄生体の侵入を検知次第排除。諸君、戦争はまだ終わっていないぞ」

 

 ゴップは司令席に座り、悠然と告げた。

 

 

 

 

 

 シン大尉は敵要塞級の内部に侵入し、確信した。

 これは間違いなくDG細胞によって作られた、どこかの宇宙要塞のコピーであると。

 不思議と、こちらの機体がDG細胞に取り込まれるようなことは起きていない。

 

(招き入れているのか、自分たちを)

 

 DG細胞は意思に感応する、ということをガノタたるシン大尉は知っている。

 もし本気でこちらを排除したいと思っているのであれば、間違いなく自分たちは一瞬で取り込まれて試合終了である。

 だが、そうはなっていない。

 これは今、この要塞級宇宙怪獣のDG細胞に取り込まれている意思が、何かを求めて突入部隊の浸透を邪魔しないことにしていることを意味しているのではないかとシン大尉は解釈している。

 

『外より中のほうが断然静かじゃねぇか』とヤザン少尉。

 

 確かに内部に抵抗はなく、ブラウン中尉のゲルググJ部隊を先頭に、かなりスムーズに内部に浸透できている。

 

『……なんか、あっちのほうから見られている気がします』

 

 シャニーナ少尉が不快そうにいうので、HUDにベクトルのサインを表示してもらう。

 

「上のほうだな」

『はい』

 

 シン大尉はブラウン中尉に頼み、その方向へと先導してもらう。

 途中、壁面にMSらしきモノが埋まっているのを目にしたが、あえて誰も何も口にしなかった。

 ここで撮影したデータは、最高機密として取り扱われることが決まっており、ここで何か余計なことをしゃべろうものなら、その記録も残ってしまうのだ。

 

(モビルファイターだけじゃないな。SEED系やWの機体もある。こいつは何か理由があって、とんでもない数の世界を取り込んできやがったな……)

 

 シン大尉はガノタとして、かのコミックボンボン1997増刊号に連載されていたDEAD ZONEと同じような光景だ、と確信した。ジョニーという男がザクに乗ってMSの墓場を探索する話だったが、あのホラーな事案がDG細胞がらみのテクノハザードによってもたらされていた話だとしたら――

 今、自分たちが見ている景色は、まさにあれだった。

 DEAD ZONEではコンバトラーVまで取り込まれていたが、さすがにそれは見当たらなかった。

 

 内部を無言で進んでいくと、数多のMSの残骸で埋め尽くされた巨大な有機的空間にたどり着いた。

 いつ起き上がってきてバイオMSゾンビになってもおかしくない。

 シン大尉は円周警戒を命じる。

 

 そして、巨大な空間に神の如くそびえていたビグザムを素体としているMSキメラを見上げる。

 これがDG細胞によって作られた、コミュニケーションインターフェイスのようだ。

 対話の可能性は――ない。

 シン大尉はガノタなのでわかる。

 これは、戦って叩き潰すことがコミュニケーションになるパターンだ。

 

 最悪である。

 

 この世界に初めて来たときもビグザム相手だった。

 この世界を救うときもビグザムベースの相手をするのかと思うと、運命すら感じるくらいだ。

 

『た、隊長……なんか、動き出しちゃってますけど……』

 

 ゆらりと立ち上がってくる廃棄MSたち。

 ザクもドムもいれば、ジムだっている。

 白骨化した兵士の眼窩から得体のしれない触手が湧いている。

 脳の代わりにDG細胞が入り込んでいるのだろう。

 人の体のふりをしたゾンビたちが乗るMS。

 そしてDG細胞は無理やりにMSたちをマリオネットのように制御し、立ち上がらせる。

 

『どうする?』とブラウン。

『ぶちのめせばいいんだろ』とヤザン。

『ムリムリムリっ、わたしこういうのムリなんですぅ……』とシャニーナ。

『スリラーってか? MSでダンスするならこっちのほうが上だぜ』とイオ。

 

 シン大尉は決心する。

 

「あのビグザムのバケモノは自分がやる。それまで時間を稼いでくれ」

『了解』と返事が揃う。

 

 あの時とは違う。

 素ジムでビグザムに立ち向かわされたあの時とは全然違う。

 なにせこちらはかの名機ジムカスタムだ。

 素ジムの推力/質量は943。

 ジムカスタムの推力/質量は1171。

 機体性能だけでも20パーセント近く向上している。

 ――ちなみに、ガンダム試作2号機サイサリスは推力/質量1869だ。

 

 だが機体の性能差が戦力の決定的な違いでないことをガノタなら知っている。

 

 そう、あの時とは違う。

 自分には頼れる仲間たちがいる。

 阿吽の呼吸でバディを任せられるシャニーナ少尉だけじゃない。

 

 ヴァースキ……じゃなくてヤザン、イオ、ビアンカ、ブラウン、サンダースとネームドメンバーがずらりと勢ぞろいだ。主人公クラスの部下がいるんだぜ? とガノタであるシン大尉は己の恵まれた境遇に感謝する。おまけにこいつらが率いる部下たちにもラムサスやダンケルみたいなエースがしっかりそろっている。

 

「勝つぞ。人類の未来は、我々で切り開く」

 

 シン大尉のジムカスタムが素早くライフルを構える。

 その銃口はまっすぐにキメラビグザムに向けられていた。

 




明日の拙者よ、頼む。いい結末を書いてくれ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二二話 0083 強襲阻止限界点(下)

もし宇宙に愛する人がいなければ、それは大した宇宙ではない

――スティーブン・ホーキンス博士


 

 

 より高次の存在となったワイアットは、真っ白な海岸で海の向こう側を見つめていた。

 これはイメージであり、実際にどこかに存在する地形ではない。

 海の向こう側には蒼穹の空があり、そこにシン大尉たちの死闘が映し出されている。

 

 伝わらないか、とコミュニケーションの断崖に立ちながら、ワイアットは静かにシン大尉たちの姿を見守る。

 

「――高次存在の思索は、低次元の存在に対して理解を促せない。その情報の次元が違うため、思考展開できないのだ」

 

 ギレン・ザビが空いていたワイアットの隣のベンチに座った。アロハシャツを着てリラックスした様子で寝そべるギレン・ザビの姿に、ワイアットは高次幾何学存在であることを見出した。

 

「先に来ていたのかね、ギレン・ザビ総帥」

「随分と前にな」

 

 ワイアットにギレンのヴィジョンが走る。キシリア・ザビに頭を撃ち抜かれて即死するところだった。あの間際、どこぞの銀河の超新星爆発が起き、付近にいた恒星間ネットワーク型高次幾何学存在の意識がネットからはじき出された。バックアップのネットワークに再接続する際に、ジャンクデータ化しつつあったギレン・ザビの意識が、偶然クレンジングなしでそのネットワークに取り込まれた。

 

「面白い記憶だ。我々の宇宙を一つの量子状態として見ている我々にとって、これは一つの観測結果に過ぎない」

 

 ワイアットはディラックのブラ=ケット記法で量子状態が遷移する経路積分を示す。もはやワイアットとギレン・ザビの間に自然言語は不要であった。

 ある特殊解を導き出し、その式のブラベクトルとケットベクトルにより、多元宇宙論を描いて見せるギレン・ザビ。

 

「直交条件を満たす限り、ケット宇宙からブラ宇宙を好きなように初期設定できるわけか。深みにはまるわけだよ、ギレン・ザビ総帥。やめたほうがいいのではないかい?」

 

 ギレン・ザビの七つの並列思考が出現する。量子状態における幾何学存在である七つの並列回路は、相互に影響されながらも独立した解と歴史を生み出す。

 演算結果はデコヒーレンスにより短時間しか保持されなかったが、積層フェルミ粒子により記録済みである。

 

「ギレン。やめておきたまえ。彼らに理解できぬ形で助言を送っても無駄だ。我々はただ見ていることしかできんよ」

「では式を組みなおす。ソリトンが9+1次元時空で発生し、それがブレーンという膜になったものが、彼らの住まう3+1次元時空だよ」

 

 ワイアットがギレンの数式を翻訳し、海の向こうに広がる大空へと投影する。

 

「つまり、二枚のブレーンが衝突することでビッグバンが起きる」

 

 イデを使った強制的なブレーン同士の衝突こそが、宇宙リセットだ。

 ビューティ・メモリは決して人類史の記録を集約したDBなどではなく、むしろ宇宙を計算するアルゴリズムを集約した演算装置であると理解したほうが適切なのだ。

 

「宇宙の膨張を表す方程式は、時間に正負がある。ブレーン同士のそれが膨張と収縮を表す」

 

 ギレンは大空の向こうでシン大尉がキメラビグザムに刺し貫かれる姿を見ながら言った。

 シャニーナ少尉が半狂乱になって暴れるのをヤザンやほかの者たちが止めて、シン大尉の最後の命令である脱出を図らんとしている。

 

「悪趣味だな」

 

 ワイアットがブレーンを収縮させ時間を巻き戻す。収縮と膨張を繰り返すサイクリック宇宙ではエントロピーが1サイクルごとに蓄積される。次のサイクルでは宇宙全のエントロピーがその分だけ増加する。無限に繰り返される宇宙の中で、シン大尉は幾百幾千とあがき続ける。

 ギレンとワイアットはイデを使い何度もシン大尉たちの時空を繰り返させる。

 その途中の彼らの意志はイデに。判断と決心はすべてビューティ・メモリに記録され、コクーンはその量子封印装置として繰り返しその時空に埋め込まれる。

 

 どの宇宙でも、シン大尉は戦い続けていた。

 無限にも続く戦いの中で、シン大尉は挑み続け、そして敗れ続ける。

 

「面白いと思わんかね?」とギレン。

 

 低次存在にとっては一度きりの人生を、我々は悪趣味にも繰り返す無限の世界として参照し続けることができる。

 

「確かに、面白い」とワイアットも大空の死闘を凝視する。

 

 知的生命体が観測すれば、揺らぎは固定される。

 いわゆる人間原理である。

 人類は自分たちがそうであると主張したかったらしいが、いまやワイアットはそれが勘違いであることを理解していた。

 人類を上回る高次存在がそれを観測すれば、その揺らぎは固定される。

 

 ゆえに、ギレンもワイアットも期待を込めてシン大尉を見守る。

 シン大尉が恐るべきテクノハザードに打ち勝つその姿を観測するために。

 

 

 

 

 

 シン大尉はキメラビグザムに銃口を向ける。

 仲間たちがゾンビMSをひきつけてくれている間に、必ずやこれを始末しなければならない。

 

 シン大尉のジムカスタムが、飛ぶ。

 潰すべきコアを見つけて、物理的に破壊する。

 それだけの話なのだが、一体このキメラのどこにそれがあるのか全く見当もつかない。

 

 マシンガンを撃ちながら、ジムカスタムが敵の攻撃を回避し続ける。

 隙の無い防御。無駄のない移動、そして正確な射撃。

 MSパイロットとして発揮しうるすべての技量をもってしても、せいぜいキメラを構成する残骸MSを破壊して終わりだ。

 主本体たるあの能面のような顔には傷一つつかない。

 

『シン大尉、聞こえるか』

 

 ゴップ閣下からの通信。

 

「聞こえますよ。バケモノ退治で苦戦中です。ただ、こいつがコアなのはなんとなくわかります。自分の勘ですけどね」

 

 繰り返された宇宙を知らないシン大尉は、勘という形で高次存在からのデータをわずかながら読み取っていた。それは極めて無自覚に行われるものであり、ニュータイプのそれのように明敏なものではなかった。

 彼は、しがないオールドタイプなのだ。

 

『シン大尉、君の力だけでは奴は倒せそうにないと私は判断している』

「ひどいですよ。信頼してください」

『信じているからそう判断しているんだ。お前はそうやって戦いながら、どうせ部下のことを心配しているんだろう?』

「……」

 

 シン大尉は見透かされてたことに腹を立てて黙る。

 それの何が悪いんだよ、と。

 自分にとって、仲間は本当に大事だ。

 生きている感じがする。

 一人じゃないことの良さをこれでもかと教えてくれる。

 あの北海道の寂しさしかない雪原で、一人パワードスーツで戦い続けた世界よりも、ずっとここが温かいんだと。

 

 ジムカスタムはステップを繰り返し、ビームサーベルで襲い掛かる触手を切断する。

 キメラビグザムの気色悪い腕を切り落とし、その顔面にサーベルを突き立てようとするが、Iフィールドではじかれる。

 くそッ、ジムカスタムのビームサーベルだと性能負けしている。

 

『――お前はそれでいい。お前が至らんところは、わたしが何とかしてやる』

 

 ゴップ閣下の声がなんだか乱れている。

 どういうことだ?

 何が起きている?

 

「――閣下?」

『ペガサスはすでに内部侵襲された。以後の指揮はレビルに託したよ』

「ばかなっ! そちらは後方でしょう?」

 

 シン大尉は動揺しながらも、マシンガンで迫りくるマイクロミサイルの雨を打ち落としつつ、繰り返し能面のようなキメラビグザムに蹴りをかます。

 ビームが効かないなら物理で、と思ったが推力と脚部関節強度が足りない。

 

『もう後方などない。連邦艦隊はすべて最前線だ。ジオンとの戦争でもやらなかった、ホンモノの総力戦だよ……』

「閣下、まさかDG細胞に浸食されて?」

『私はガノタだよ。流派東方不敗の心得くらいある。胆力を込めて命を輝かせれば、DG細胞なんぞ弾き飛ばせる。それが感応素材たるDG細胞の弱点だよ――ただ、負傷はしている。すでに乗員と幕僚団は退艦させた』

「――お一人で!? バイタルサインは? 操艦AIだけじゃ長く持ちませんよっ!」

『長くはないな。だから、最後はお前と一緒だ』

 

 ゴップ元帥から強襲揚陸艦ペガサスの突入経路が届く。

 ド派手に主砲とメガ粒子砲を連射しながら、このゲストハウスまで飛び込んでくるそうだ。

 操艦もクソもなく、ただゴップの意地でここまでくるようだ。

 

『シン、あたしと、あんたはガノタでしょ? でも二人とも情けないガノタだから、一人だと弱いから、ガンダムに乗りたいとかいっちゃうけど……ふたりなら、ガンダムになれる』

「二人なら、ガンダムになれるっ!?」

 

 シン大尉はコックピットにて大声で復唱する。

 

『あたしたちで、ガンダムになろう。どこの誰も知らない、機体がないガンダムに』

 

 そのゴップの一言に、ピンときた。

 そうだ。

 いま自分はDG細胞に取り込まれた知的生命体の残留思念と戦っているのだ。

 奴らは、救いを求めている。

 しかし、戦うという手段しか取れずに今に至っている。

 

 シン大尉は、体が熱くなる。

 すべての筋繊維が、神経が、脳細胞が見えぬ透明な炎を噴いている。

 

 自分は何をごちゃごちゃ考えていたのだ、と。

 ベテラン兵士として、すべてのスイッチを切って冷静に戦っていても意味はない。

 

 敵はGガンダムの世界線の延長にいるそれだ。

 敵はGの影忍の延長にいるそれでもある。

 

 ならば、ガノタとしてすべてをさらけ出すのが、本来の在り方、向き合い方というもの。

 島本版Gガンダム、そしてGの影忍。

 いずれも最後は、ソウルの輝きがものをいう。

 

 俺が、ガノタだ。

 俺が、ジムカスタムだ。

 

 そして、おれたちがガンダムだ。

 

 なんたること。

 ガンダムに乗りたいなど頭がどうかしていた。

 真のガノタであるならば、真っ先に心に誓うは、自身がガンダムたらんことだ。

 ガンダムに乗りたいなど全くの未熟ッ!

 

 それは己がガンダムになっていない、修行の足りぬガノタのたわ言である!

 

 シン大尉のジムカスタムの歩法が変わる。

 兵士としてのそれではない。

 明らかにガノタファイターとしての、軽妙なるダンスステップに変わっている。

 長らくフジオカ技術中尉と積み上げてきた、愛の結晶たるGマニューバである。

 

「――閣下、お待ちしております。一緒に、ガンダムになりましょう」

『ええ、楽しみね』

 

 しかし、そこに通信が割り込んでくる。

 

『きーっ! なに元帥といちゃいちゃしてるんですかっ! ずるいですっ! 隊長がガンダムになるなら、わたしだってガンダムですっ! そして……そして……ドッキング・ゴーしちゃいますっ!』

 

 シャニーナ少尉が鼻息をフンスフンスと鳴らしている。

 そうか――君もガンダムだっ!

 コアファイターが変形して合体するときのアムロの掛け声を知っているなんて、間違いなく、君はガンダムだっ!

 

『なら、オレもガンダムだな。いや、それだと同じで面白くねぇな。ガンダムMkⅡだっ! オラァっ! くたばれやっ!』

 

 ヤザンもがっはっはとゾンビMSをシールドで殴り倒しながら言った。

 そうか、ヴァースキ大尉がそんなの乗ってましたね。

 けど、そんなの関係ねぇっ!

 ヤザン、お前もガンダムだ!

 

『俺は最初からガンダム野郎だからな。音楽の趣味が悪いザク野郎とは違う』

 

 イオ中尉が弾幕でゾンビMSたちを吹き飛ばしながら告げる。

 そうだよ、その通りだ。

 俺もお前も、グルーヴをキメたガンダムだっ!

 

『悪いが俺はゲルググだ』

 

 ハードボイルドなゲルググJを巧みに操り、BANG!BANG!BANG!と敵を冷酷非道に殺しまくるフレデリック・ブラウン中尉さんは、たしかにゲルググですね。

 わかります。

 でも、自分はあなたのお姿に、近藤ガンダムを感じていますっ! とシン大尉は敬意をこめてブラウン中尉もガンダムだということにする。

 

 そう、ここにいる皆がガンダムだ。

 ジムに乗ってようが、ザクに乗っていようが、誰だってガンダムになれる。

 それが、ガノタのマインドってもんだ。

 

『――ガノタ語りとは余裕だな、シン大尉』

 

 突如、ホールの天井が割れる。

 DG細胞によるシルバーの破片をまるで紙吹雪のようにして舞い降りるは、ボロボロのノイエ・ジールだ。

 その肩に描かれるは、王冠のエンブレム。

 

『公共の電波で恥ずかしいことをぺらぺらと……思わず、熱くなって来てしまったぞ!』

 

 もはや動くこと能わず、といった体のノイエ・ジールだが、その乗り手の覇気はビンビンに伝わってくる。

 

「そうだな。お前も、ガンダムだよな」

『貴様だけにいいところを持っていかれてたまるか。私も、ガンダムだっ!』

 

 どうみてもボロボロのノイエ・ジールですがさすがはクラウン。

 拡散メガ粒子砲をばらまいてくれて、一気にホールのMSゾンビ共が消し飛ぶ。

 だが、本体たるキメラビグザムにはIフィールドではじかれて効果なし。

 せっかく格好良く登場したなら、トドメまで刺してくれよ、とベストフレンズのおマヌケなてへぺろ要素を殴りつけたくなる。

 

『クラウン大尉、よくやった』

 

 クラウンがぶち抜いてきた天井から、手足が青く塗られたギャンクリーガーが降り立つ。

 アナベル・ガトー大先生のご登場に、シン大尉の士気が跳ね上がる。

 いまなら無限力とほぼ同じ程度だろうとすら思える。

 

 ガトーのギャンクリーガーが、こちらのやられかけている部下を次々と救っていく。

 感謝と歓喜の合掌をしつつ、シン大尉は主敵をどう倒すべきか思案する。

 

「――クラウン、そのボロボロの機体でやれるのか?」

 

 敵にすると恐ろしいが、味方になるならこれ以上のものはない友に声をかける。

 

『こいつはMSアンサンブル仕様でな』

 

 クラウンのノイエ・ジールの装甲版がパージされる。

 中にはハイザックが入っていた。さすがガノタ。フィギュアシリーズの設定もしっかり織り込んで設計させていたのか。

 

 降り立ったハイザックが構えるは、ザクマシンガン改。

 シン大尉のジムカスタムも、ジムライフルを主敵たるキメラビグザムに向ける。

 

『――プランは?』

「わかっているくせに」

 

 ジムカスタムとハイザックは、飛び道具を腰に片づけてしまった。

 そして二人の機体は、この世界の誰も知らぬ構えを見せる。

 

 ゆらりと流水のたおやかさを見せつけるガノタ必殺の構え。

 不思議とジムカスタムも、ハイザックも透き通った赤い炎に燃えているかのように感じられる。

 

『流派っ! 東方不敗はっ!』

「王者の風よ!」

 

 まるで長年組んできたバディのように、呼吸と丹田の気迫が揃う。

 モビルトーレスシステムを持たぬ宇宙世紀MSである両機のコックピットでは、大量のMODコードが走っている。二人ともHUD上に無数に表れるファンクションウィンドウを神速で実行していく。

 ガノタならば夜な夜なプログラムを組む、あの動きを実現するコードである。

 両腕の残像が残るほどの各種機器操作は、もはや操縦ではなく、武術における散打にしか見えない。

 

『全新!』

「系列!」

 

 そして、二人の呼吸が揃う。

 

【天破侠乱!】

【見よっ! 東方は、赤く燃えているっ!!】

 

 二人の裂帛の気合がブチあふれた雄叫び。

 ジムカスタムとハイザックが、まるで練達の武術家のような動きをみせて、互いにキメラビグザムに襲い掛かる。

 

 コンマのずれもない、揃った拳打。

 二人合わせての鋭いダイブ蹴り。

 

 瞬間、心重ねて、である。

 

『――マジかよっ? なんの戦術的意味もねぇ、バケモノみたいな動きじゃねぇか』

 

 冷静と情熱を併せ持つヤザンのあきれた声が飛び込んでくるが、シン大尉もクラウン大尉も、もはやキング・オブ・ハートと化しているため、そのような冷静な声は耳に届く前に心の炎で蒸発させてしまっている。

 

『あれ、でもなんか……効いてるような気がしません?』

 

 シャニーナ少尉が目を疑うように言った。

 

『ちょっとへこんでるぞ』とイオ中尉。

『先ほどまでは無傷だった。どういう原理かはわからんが、有効なら続けさせればいい』とブラウン中尉。

『うむ、見事だ。まるで連邦とジオンの魂が形になったかのようだ』

 

 ガトー少佐が、MSゾンビを瞬時に五体もバラしながらうんうんと頷いている。

 いやいや、ガトー少佐も敵にあたればいかがでしょう? などとサンダース曹長が差し出がましいことを言いそうになったようだが、MSゾンビの群れに襲われたのでマシンガンで対応している。

 

 

 ジムカスタムとハイザックによる一糸乱れぬ乱撃は続いている。

 途中から乗り手の体力が尽きたらしく、謎の武術家のような動きではなくいつものジムとザクの動きになってしまっていたが、それでも洗練された動きであることに変わりはなかった。

 

『シン大尉、行けるぞっ』

 

 クラウンからズーム映像が届く、

 画質が悪いのは、クラウンのハイザックのメインモニタがすでにやられているからだ。

 

「あの能面は、砕いたな」

 

 キメラビグザムの異様に硬い外殻をついに破砕した。

 能面が割れて、その向こうにある柔らかそうなDG細胞うごめく巨大な脳が見える。

 

『石破ラブラブ天驚拳は――使えんな』

「ああ。俺たちはガンダム愛こそあれど、互いにはそういう関係じゃない」

 

 ホントにそうなんですか? とシャニーナ少尉がなぜか疑義を挟んでくるが、ヤザン少尉がこっちを手伝えといって連れて行った。

 

「互いに技量で何とかしているが、そもそも手持ち火器がマシンガンしかない」

『兵装火力が決定的に不足している。Iフィールドがあるからビーム兵器は有効打にならない。このままだと弾切れで敗北待ったなしだぞ』

「喝っ!」

 

 シン大尉が吠えた。

 

「何たる弱気っ! クラウン、お前ほどの男が……っ! お前に敗北の二文字はないだろうがっ! ハマーンはどうするんだよ!」

『様をつけろっ! このデコ助野郎っ!』

 

 発破をかけたつもりだったが、地雷を踏み抜いてしまったシン大尉であった。

 

『うそ、この期に及んで選ぶ言葉間違えるなんて……本当にダメなひと……わたしが何とかしないと……』

『嬢ちゃんっ! こっちこいっ! てめぇの部下の御守をしやがれっ!』

 

 ヤザンのブチ切れボイスが響く。

 シャニーナ少尉から言葉を選ぶような叱責をうけ、シン大尉は赤面する。

 

「す、すまなかった、クラウン」

『いや、私も冷静さを欠いていた。少し待て』

 

 ガサゴソとハマーン様からの手紙を取り出したクラウンは、ヘルメットのバイザーを上げて、それを鼻先にあてて、スーッと深く吸い込んだ。

 モニタに映る恍惚とした表情のクラウンを見て、見てくださいよ、歴戦のガノタは面構えが違う、とゴップ閣下に教えてやりたくなった。

 

『――よし、怨敵退散の祝詞は整えた』

「要するにメンタルドラッグをキメたってことだろ。ガチ勢はすげぇよ」

 

 シン大尉はクラウンのハマーンに対する執着じみた愛情に恐れおののいた。

 

「……ちなみに、その手紙にはなんて書いてあるんだ?」

『ポエムだ。風流を解さぬ私には分からなかったが、ハマーン様の心の機微だけはわかった』

「それ絶対あとでハマーンちゃん恥ずかしくなるやつだから、ほどほどにな」

 

 急に心配になってきた。そのポエムについてクラウンがハマーンに何か言って、恥ずかしさのあまりハマーン闇堕ちみたいな展開がありそうでゾっとした。

 

 が、そうもいっていられない。

 何一つ有効な手立てを閃かぬままに、時間が経過し、推進剤と弾薬がただただ目減りしていく。

 

『シン大尉、何か起死回生の大火力はないのか? そのジムカスタムにハイメガ粒子砲が仕込んであるとかっ!』

 

 迫りくる触手をヒートホークで切り払っているハイザックが叫んだ。

 

「ねぇよっ! ビルドファイターズの世界じゃないんだぞっ!」

 

 ふいにMGのボールVer.Kaを組み立てたくなったシン大尉は、自分の疲労度が限界に近付きつつあることを悟る。

 ストレスがたまったらガンプラを作っていたことを思い出し、いかにいま自分が追い詰められているか把握した。

 

「いや――あるっ」

『なんだって!? こっちは無線機の調子が――』

 

 絡みつかれて浸食されつつある左腕を、ハイザックが自ら切り捨てた。

 

「火力は、ある。もうすぐだ。主敵から離れておけ」

『信じるぞっ!』

 

 クラウンのハイザックが敵から離れる。

 

 そう、火力はある。

 シン大尉は機動戦士ガンダム劇場版Ⅲの、アムロがコアファイターで脱出してくる光景を思い出す。

 カツ、レツ、キッカらが見えぬにもかかわらず誘導し、カウントダウンを始める。

 そして要塞が爆発し、その爆炎のなかから傷だらけのコアファイターが飛び出してくるのだ。

 あの美しい光景を、違った形でシン大尉は目撃できるはずだ。

 

「誘導ビーコン、よしっ!」と口頭チェックする。

『強襲誘導、突入カウント開始』とシャニーナ少尉。

『観測よろし。目標、前方巨大MA、船体送れ』とヤザン。

『強襲上陸まで、10、9、8――』

 

 全員でカウントダウンを始める。

 眼前の敵と取っ組み合いしながら、ひぃひぃと必死になりながら、何一つ格好の良くない、戦争まみれの奇跡が今起きる。

 

――3,2

 

『船体、いまっ!』

 

 全員の声が揃う。

 壁をぶち破って突っ込んできた巨体はベガサス。

 すでに片方の前方カタパルトデッキははじけ飛んで放棄されたらしい。

 だが、その巨体でキメラビグザムに質量の暴力をキメる。

 

『――この一撃こそ、歴史をかえるっ!』

 

 ゴップ元帥の声とともに、気合の入ったペガサスの主砲が吠える。

 一発どころではない。

 連射される主砲の乱打にキメラビグザムの前面装甲が砕け、柔らかなDG細胞脳が露出する。

 

「こ、これを破壊すればいいのか!?」

 

 生々しい巨大な脳を直視したシン大尉たちが一瞬躊躇する。

 

『馬鹿っ! 私たちは、ガンダムだっ! ガンダムは、愛のものがたりなんだっ!』

 

 その場にいた兵たちは、コックピットの中で目を見開いた。

 ノーマルスーツに身を包んだゴップ大将が、艦橋からスラスターをふかして飛び出していったのだ。

 

「閣下っ!?」

『ほんとうに私たちがガノタなら――こうしなきゃいけないんだ』

 

 ゴップ閣下がDG細胞で作られた巨大な脳の前にたどり着く。

 その巨大な脳からずるずると触手の群れが湧き出てくる。

 触手にからめとられていくゴップ元帥の姿をみて、兵たちが武器を構えるが――メガ粒子の一片でも閣下に当たれば蒸発してしまうため、誰もがただ見ているしかできない。

 

『隊長っ! 絶対ヤバいですって! 助けないとっ!』

 

 シャニーナ少尉の悲痛な声がヘルメットの中に響く。

 だが、シン大尉はゴップの姿をズームで確認し、決心する。

 

「全員、脱出しろ。これは命令だ」

『でも……』

「シャニーナ少尉、自分は言ったはずだ。撤退命令を厳守しろ、と」

『りょ、了解』

 

 シン大尉のつよい口調に、シャニーナ少尉が押し黙る。

 

『シン大尉、私が君の部下を誘導し、責任をもって届けよう』

 

 ガトー少佐が申し出てくれたので「頼みます」と答える。

 

『各機、我に続け』

 

 ガトー少佐を追うように、MS部隊が順次飛び去って行く。

 最後までシャニーナ少尉の機体が残っていたが、ヤザン機とサンダース機に抑え込まれて、無理やり連れていかれた。

 

「行ってくれたか」とシン大尉はジムカスタムのコックピットハッチを開き、そのまま飛び出していく。

 

 ノーマルスーツのスラスタを制御しながら、繊細な触手にからめとられているゴップ元帥のもとにたどり着く。

 

『バカね。一人でよかったのに』

 

 ゴップ閣下からの声が届く。

 宇宙放射線を防ぐべくミラーシールドになっているせいで、表情はわからない。

 ただ、どこか声が震えているような気はした。

 

「閣下、俺たちは、二人でガンダムなんですよね。なら、二人でいないと」

 

 不思議なことに触手はシン大尉のほうには伸びてこない。

 選ばれなかったのか、それとも必要ないということなのかはわからない。

 ただ、シン大尉にそれが伸びてこないという事実だけが明らかであった。

 

『ねぇ、いまあたしが何をみてるか、わかる?』

「悔しいですが、みえません……」

『刻がみえるって、こういうことなのね。あんたにもみせてやりたいな』

 

 ゴップ元帥が手を伸ばしてくれたので、それをしっかりとつかむ。

 

『どう? みえる?』

 

 シン大尉は唇を噛んだ。

 血の味が口に広がる。

 

「みえません……」

 

 なぜだ。

 なぜNTになれない。

 いまだけは、いまだけはNTの感性が欲しくて仕方なかった。

 

『そっか』

 

 シン大尉のヘルメットHUDに表示されているゴップ元帥のバイタルが正常ではなくなりつつある。

 その数字をみて、シン大尉は心が締め付けられる。

 

「ゴップ閣下、あなたのことです。もう義体は用意してあるんですよね?」

『当然よ。フォンブラウンシティの秘密のマンションに置いてあるわ。あんたが迎えに行ってあげてね』

「あなたの心も移してあるのですか?」

『もちろん。あたしの心と願いは、ちゃんと移した』

 

 ゴップがシン大尉の手を強く握る。

 

『でも、記憶だけはダメだった。ゴップとしての記憶と、あたし個人の記憶の融着とリレーションが絡まりすぎて、解けなかった』

 

 シン大尉の口がカラカラに乾く。

 

「ウソですよね? いつもみたいに、単なる心理戦ですよね?」

『バカ、そんなわけないじゃない――……あたしは、ここまでみたい』

 

 ゴップの仮面を脱ぎ捨てた、本来の彼女がそこにいた。

 

『ねぇ、シン。あたし……死んじゃうの。これからあたしは、ここに入っているアンチDG細胞の情報を可哀そうなこいつらにあげちゃうわ。ハッピーエンドのための尊い犠牲、ってやつね』

 

 ゴップが頭を指さした。

 ビューティ・メモリから引っ張り出してきたらしい。

 通常人にはできない、電脳を装備する彼女だからできることだ。

 

『これが、あたしのたった一つの冴えたやり方よ』

「そうかよ、それがあんたの、たった一つの冴えたやり方なんだな」

 

 シン大尉はゴップのまあるい体を抱きしめる。

 

『なによ、年嵩のおっさんを抱きしめちゃって』

「――うるせぇ……くそっ……なんで……」

 

 シン大尉はすがるように、ゴップを抱く腕に力を入れる。

 ゴップの腕が、シン大尉の背中に回る。

 

 

 

 

 あたしを抱きしめる男のことを、あたしはよく知っている。

 情けなくて、どうしようもない、頼りない男。

 

 この世界で、二人で悪だくみばかりしてきた。

 たった三年間の付き合いだったけれど、いままでで一番おもしろい三年間。

 大好きなガンダムの世界を共有できる、シンとの時間は、いくら言の葉をつむいでも語りつくせないと思う。

 

 だってそうでしょ?

 

 二人でこの世界を好き放題してきたんだもの。

 ガノタのあんたならわかってくれるよね。

 

 ねぇ、知ってた?

 あたし、ずっと寂しかったんだよ?

 

 ガノタ系アイドルで売れなくて、病んで死んだらこの世界。

 死んで休めるかと思ったら、あたしゴップよ?

 笑うしかないじゃない。

 未来は絶対兵隊で、さんざん怖い思いをする運命にこれから突っ込んでいくなんて、とてもじゃないけど耐えられなかった。

 

 けど、あたしはガンダムが好きだった。

 もっと言うと、ガンダムの世界に生きているみんなが好きだった。

 さんざん人をコマみたいに使ってきたけれど、それはゴップをやるんだから仕方ないじゃない。

 

 あたしは、ガノタとしてちゃんとゴップをやりきったと思う。

 この世界に失礼がないように、いやな軍政家としてのポジションをちゃんとやれたんじゃないかな。

 同時に、ちゃんとこの世界の人たちが生きて行ける土台も作ってあげたかった。

 連邦の民主主義制度は根本的に穴だらけだったし、歴史を守護できる神としての社会システムをちゃんと用意してあげたかった。

 

「ごめんね、シン。あたし……あたし、もっとうまくやれたような気がするの」

 

 いろいろひどいことしてごめんね、って謝りたかったけど、言葉が出なかった。

 あたしのなかのすべてが、いま悲しい世界に絡め取られた連中のところに流れ込んでいるから、少しずつ、だんだん言いたいことが言えなくなってきた。

 

『お前ほどうまくやったヤツはいねぇっ! 本物のガノタだよ、あんたは』

 

 シンの情けない声に、ちょっとだけ嬉しくなる。

 そっか。

 こいつはあたしのこと、ちゃんと人間扱いしてくれるんだな。

 アイドルやってた時は、全然ダメだったし、ただただ寂しかった。

 ゴップやってるときも、必死に足りない頭使って、やりたくもない悪いことして、なんでもやってちゃんと仕事をこなしてきただけだ。

 

 ずっと、寂しかったな。

 生きてるだけで寂しくて、毎日辛かった。

 この世界に生きるあたしは、ゴップであって、あたしじゃないから。

 求められているのもゴップで、あたしじゃない。

 世界に必要とされないあたしは、世界にないがしろにされているとしか思えなくて、ずっと寂しさを抱えて生きてきた。

 いろんないい人たちとも出会ってきたけれど、それは全部ゴップのもの。

 ゴップとあたしは切り離せないけれど、世界とつながっているのはゴップばかり。

 

「ねぇ、シン。あたしの本当の名前、覚えておいて――宇野サララ。あんたにサララって呼び捨てにする権利もプレゼントしちゃうわ」

 

 ちょっと、何泣いてんのよ、シン。

 そんな泣くようなことじゃないでしょ。

 ちょっと一緒にガンダム世界を変えまくっただけじゃない。 

 ただガンダムが好きだけのあたしに、ちゃんと向き合って、いやいやながらも付き合ってくれてありがとね。

 

 あ、どうしよう。

 だんだんと言葉が思い浮かばなくなってきた。

 あたしの人格が少しずつあいつらのところに流れ出ていっているのがわかる。

 いまのあたしを形作ってきた、大事な記憶が、ちょっとずつこぼれていく。

 ママ、パパ、顔がみえないよ……。

 

『サララっ! サララっ!?』

 

 シン、どうしよう?

 この期に及んで情けない話だけど――

 

「――あたし、死にたくないよ……もっとあんたと、ガンダムの話したかった」

『クソっ! 俺に代われっ! 世界に必要なのはサララのほうだろうがっ! ガノタなら、俺でもいいだろうがっ!』

 

 シンがあたしに絡まっている触手をむりやりナイフで引き裂こうとする。

 けど、ナイフのほうがボロボロになって、小麦粉みたいに散っていった。

 

「ねぇ、シン。あたし、ガンダム大好きなんだ」

 

 どのくらい大好きか、言葉にできないけど。

 毎回新作出たら観ちゃうし、プラモだって買う。

 コミックスだって読みまくるし、富野監督の本だって大好き。

 だから、本当は――

 

「――この世界の続き、みたかったわ。ねぇ、シン。これからエマさんとか、ジェリドとか出てくるのかな? エマさんはヘンケン艦長と幸せになるのかな? あたしが生きてたら、絶対そうなるようにするもん」

 

 ゴップはあの手この手を使ってクリスとバーニィを結びつけたことを思い出す。

 もう、詳細は思い出せなくなってしまったけれど、すごく心が温かくなる。

 

「知ってた? あたし、クリスとバーニィくっつけたんだ。どうやったのか、もう思い出せなくなっちゃったけど……どうだった?」

『最高に決まってらぁ! おい、サララっ!』

 

 そんな激しく揺すられても、もうどうしようもないって。

 体がもういうこと聞かないんだから、楽にさせてよ。

 こいつ、こういうところ、デリカシーないのよね。

 シャニーナが心配だわ。あの子、ちゃんとこのアホを教育できるかしら。

 

「シローとアイナもちゃんと生きてるの。ランバ・ラルとハモンさんも。ガルマとイセリナ、ついでにニナとガトーも。あたし、ちゃんと恋のキューピッドをやったのよ」

 

 そう。

 ガンダムは愛のものがたり。

 ほかのガノタがどう思っているかは知らないけれど、あたしはそう思ってる。

 それが、あたしのガンダム。

 

「愛って、素敵だと思わない?」

 

 悲しいおはなしを、あたしは全部変えちゃった。

 だからかな。

 運命を捻じ曲げすぎたから――こうなったのかも。

 

「シン、寒い……寒いよ……」

 

 もう体の底から冷え切ってしまっている。

 死期が近いのがわかる。

 ああ、どうしよう。

 シンにたくさん言わなくちゃいけないことがあったのに、全然いえないわ。

 

「――最後にお願いがあるの。嘘でいいから、あたしのこと、愛してるって言って」

 

 あたしはこっちに来て愛されたことなんてなかった。

 だって、ゴップだもん。宇野サララなんて子はいないから。

 

『愛してるっ! サララ、愛してるに決まってるだろっ! お前みたいな最高のガノタと会えて――俺は、本当に感謝してる。まるで家族みたいで……』

 

 しかたないなぁ。ギリ合格。

 女の子に対しての愛の告白にしちゃ暑苦しいけど、まぁ合格かな。

 シャニーナ少尉を相手するときは、もっと洗練させないと不合格だぞ。

 

「ほら、遠慮せずにもっといいなさい。サララのことが大好きですって」

 

 だけど、シンは言葉に詰まって、泣いてばかりだ。

 なんて情けないやつなんだろう。

 もっと、傍で支えてやりたかったな。

 

『俺を……俺を、おいていかないでくれ』

 

 シンの心がヴィジョンとして見える。

 そっか。こいつも寂しかったんだ。

 第八八期戦闘チルドレン。訓練所。戦場。焼付記憶。思考ベクトル制御。パワードスーツ。

 村を焼き、街を焼き、敵をたくさん殺した男。

 

 あたしと一緒。可哀そうな奴なんだ。

 

 でも、こっちに来てからは、こいつ笑ってばっかり。

 バカなことばっかりやって、あたしに怒鳴られて――

 そっか、家族か。

 こっちの世界で作れなかったと思ってたけど、あたしにも家族がいたんだね。

 

「――ねぇ、シン。そこにいる?」

 

 もう何も見えない。

 たぶん、すべてが終わるときが来たんだ。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 やっぱり、寂しいよ――

 

 

 

 

 シン大尉はヘルメットの中の涙に邪魔されながら、必死にサララを呼ぶ。

 すでにDG細胞の巨大な脳みそは形象崩壊を起こしつつあり、まるで別の時空にでも吸い込まれるかのように、粉吹雪となってどこかへと消えていく。

 

『――シン、あたしを離さないで……』

 

 とても弱々しく響く彼女の声に、シンは呼びかけることしかできない。

 

「絶対に、絶対に離すもんかっ!」

 

 しかし、シン大尉の想いは通じない。

 DG細胞とともに、彼女もまた、指先から粉吹雪となって形象崩壊を起こしていく。

 

「あぁ……」

 

 必死になって、シンは散っていく彼女を集めようとする。

 しかし、努力もむなしく、彼女は崩れ、消えていく。

 

「あ……」

 

 いつしか、手元には何も残らなかった。

 ただ虚空を抱きかかえるシンは、己が何もできなかったことを否応なく思い知らされた。

 

 UC0083年12月13日 未知の地球外生命体は自己崩壊し、消失した。

 空間に残留物はなく、その正体を検証するすべはなく、人類は恐るべき何かが宇宙にはあるのだということを思い知らされた。

 取り込まれた犠牲者たちの遺体も消失し、軍は遺族に対して困難な対応を迫られることとなった。

 

 同日、地球連邦軍元帥たるゴップの戦死が発表された。

 

 連邦市民の動揺は激しく、連邦政府は軍がいまだ健在であることを示すことを迫られた。

 しかし、地球外生物との戦闘により戦力の大半を失ったゴップ派の戦略機動軍、そしてレビル将軍のエゥーゴは、その軍内プレゼンスを大幅に失っていた。

 

 戦場に遅れて到着したことにより、もっとも損害が少なかったジャミトフ派の戦力を中心に、連邦軍の再編を行う旨をジーン・コリニー大将が政府に具申。

 地球外生命体対策及び制宙圏確保のための特別宇宙軍として、ジャミトフを筆頭とするティターンズが結成された。

 すべては、連邦市民を安心させるための、善意に基づいた強権的宇宙軍の結成であった。

 

 




ねぇ、シン。あたし、ガンダムも大好きだったけど、あんたも大好きだったよ。

――シン大尉が崩れゆく彼女から最後に感じ取った思念


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二三話 0083 月のウサギ 1

エピローグです。
2話くらいで終わる予定ですが、増えるかも。


 

 

 趣味の天体観測にまつわるデータ処理を行いながら、ギレン・ザビが私室で白ワインを傾けていると、空間を引き裂くようにモーラ・バシットが現れた。

 テレポートしてきた彼女に驚くこともなく、ギレンは「一杯、どうかね?」と進める。

 

「それ、休戦協定の時にゴップから送られてきたやつやん」

 

 二人は暖炉の前にテーブルを囲んだ。

 モーラは勧められるままにグラスを受け取る。

 ゴップ好みのすこし甘みが強いそれは、人の心を溶かすような趣があった。

 

「いいものだろう?」

 

 互いに、ワインを注ぎあう。

 

「――ギレン、普段あんた白ワインなんて飲まんのに」

 

 モーラはグラスを傾けながら訊ねる。

 パチパチと薪がはぜる。

 コロニーにおいて、酸素はぜいたく品だ。普通はホログラフとサウンドシステムによるフェイクを楽しむものだが、ジオンの総帥はホンモノを御好みらしい。

 

「そんなにゴップはんが逝ったのがうらやましいんか」

 

 はぁーっとため息をつきながら、モーラはギレンの横顔を見る。

 何も言わずにグラスに口をつけるギレンの姿に、憐れみを覚える。

 

「あんたにとってゴップはんは、少なからず会話が成立する相手やったからなぁ」

 

 高次幾何学存在からのデータをわずかながら展開できる頭脳を保持しているギレンにとって、普通の人類のほうがエイリアンやろな、とモーラは同情を覚える。

 

「――ゴップはんの葬儀潰して、満足か?」

 

 本当は地球を救った英雄であるゴップだが、今では宇宙怪獣からの侵略を阻止できなかった無能な将軍の代表という形で世論誘導が行われている。ギレンとしても連邦政府がその暗愚を極めていくことにデメリットはないので、相応の政治資金を動かし、アンチゴップキャンペーンに加担している。

 

 無能のそしりを受けたゴップは、国葬にすることは認められず、本来戦死した軍人に認められる軍葬すら認められない流れに誘導されている。

 これもすべて、ギレンとジャミトフ、コリニーによるメディアキャンペーンの成果である。

 

「人類という有機ネットワークは、常に個体の喪失に備えている。たとえゴップが死のうが、その意思や願い、祈りは、つながっていたネットワーク上に分散配置され、継承されるものだ」

「誤魔化しても無駄やで。ええから言え。これが、あんたの葬式か?」

 

 モーラが、ギレンが処理していたペガスス座の観測データを示す。

 ゴップが最後に乗り込んでいた艦名そのままの星座は古くから観測されていて、今更新発見があるようのところではない。

 そんなところを観測して当たり前のデータを処理するなど、無駄を嫌うギレンらしくないとモーラは思う。

 

「――そうだ。ジオン公国による国葬。この私、ギレン・ザビが一人で執り行うと決めた。人類ごときに邪魔されていい儀式ではない」

 

 あー、相当連邦に腹立ててるんやなぁ、とモーラはギレンの青さに乾杯する。

 

「なら、うちも参加させてほしいなぁ」

「人間ではない貴様なら、問題はない」

 

 失礼な、とモーラはギレンの不器用な意地の張り方に笑ってしまう。

 

「葬儀場で笑う奴があるか」とギレンにあきれられる。

 

 二人、無言で暖炉の炎を見つめながら、白ワインを少しずつ減らしていく。

 

「――なぁ、ゴップはんを生贄にせんと、やっぱダメやったんか?」

 

 モーラは今まで、自らに増設した補助量子脳で何度も重なり合いに関する計算を繰り返した。ゴップが死なないシナリオでは、大抵ギレンがこの世からおさらばするしかなく、両者が残れる特殊解は見つけたことがない。

 

 こちらよりも高度な演算能力を持つギレン側であれば、何か可能性があったのかもしれない、ということは気にかかっていた。

 

「……無意味な問いだ」

 

 白ワインの空瓶を見つめるギレンのまなざしに、一瞬の後悔を見出したモーラは、何も言えなかった。

 最善手だったということだろう。

 人類の未来を紡ぐために、身を切れるキメキメの輩はそう多くない。

 数少ない生贄をどのタイミングで切り札にするか。

 それだけのこと。

 当然、こいつは自分のことも、いつか切り札として使い倒すんやろなぁ、などとモーラは人類史の業を背負う立場のギレン・ザビに同情する。

 

「貴様は、貴様の道を進め――もし私が倒れても、道が続いていると信じたい」

 

 すっかり弱気になった独裁者の横顔を、モーラは脳内の画像フォルダに保存しておく。

 モーラはゴップの画像集や、ギレンの画像集をたくさん持ち合わせている。

 いつか自分が一人になってしまったときに、立場こそ違えども、同じ使命感を秘めて挑んだ連中のことを覚えていたいからだ。

 

 

 

 

 煩雑なネオンの街並みを置き去りにして通り抜け、ひときわ静かなフォンブラウン市の高級住宅街の一角にそびえるタワーマンションの前に無人タクシーが停車する。

 

 降り立ったのは、カジュアルスーツスタイルのシン大尉。

 

 彼は特に迷うこともなくタワーマンションの自動入館ゲートに向かい、手持ちの量子キーを使い開錠。

 そのまま足早にエレベータに乗り込んだ。

 

 エレベータの階数指定ボタンを押さず、量子キーインターフェイスに端末を差し込む。

 すると、エレベータが動き出し、存在しない階数でドアが開いた。

 

 暗闇だったが、人感センサーが反応し、照明が自動で点灯する。

 フロアすべてを居住空間とした、最高級のペントハウス。

 外に広がる月面都市を一望できるその様は、風景が贅沢品たりうることをシン大尉に教えてくれている。

 これがモニターなのか、ガラスなのかはシン大尉には判別がつかなかった。

 

 さて、広大な室内には、最低限の家具があるだけである。

 しかし、目立つ代物が中心にそびえている。

 生命維持ポッドにも似たその設備の中には、全裸の女性が収まっている。

 

 シン大尉は、何も言わずその女性の造顔と肢体をみつめ、ため息をついた。サララが理想とするカラダを目指して設計したというが、どうやら本当だったようだ。男女問わず目を引かれるだろうその造顔とプロポーションは、見ているものを確実に惑わす。

 

 クローゼットから下着と洋服を集めてきて、かごに入れておく。彼女が起動したときにすぐに差し出すためだ。

 

 装置に備え付けられている認証ソケットに、先ほどから使用している量子キーを差し込む。

 

 

 

 イングリッドは意識を得た。目の前にいるのは、生まれて初めて出会った男。

 刷り込み記憶に従い、自らの魅力についてのテストを始めることとする。

 ポッドからゆっくりと歩み出る。

 惜しげなく裸体をさらして、特に何の感慨もなくシン大尉の顔に手を触れる。

 

「――あなたが、シン大尉ね?」

 

 イングリッドから発せられた声は、創造主たるゴップが調整した理想のトーンなのだろう。

 低すぎず、高すぎず。

 人に何かを命じる声色に特化した調整が施されているようだ。

 なぜ自分が作られたのかはわからないが、それはカラダのテストを終えてから確認しても遅くはない。

 

「はっ。こちらに衣服を用意してあります、イングリッド様」

 

 シン大尉が彼女に衣服をいれたカゴを差し出す。

 しかし、彼女はカゴをわきによけて、そのままシン大尉に迫る。

 後ずさったシン大尉が、あわわとそのままソファに倒れこんだ。

 

 イングリッドはそのまま獲物を狩るヒョウのようにシン大尉に四つん這いで覆いかぶさる。

 

「ねぇ、あなたはあたしをみて、ドキドキする?」

 

 シン大尉の答えはなかった。

 ただただ、こちらをじっとみつめるばかりだ。

 

「触って」

 

 シン大尉の手を取り、自らの胸に誘導する。

 そして、器用に彼の真っ白なシャツのボタンに手をかけていく。

 

「どう、エッチな気分になった?」

 

 イングリッドは好奇心から訊ねたが、シン大尉は無言でイングリッドをじっと見つめるばかりだ。

 あげく、彼の瞳から、大粒の涙がこぼれる。

 

「え?」

 

 イングリッドは動揺した。

 そして困惑する。

 彼女は初めて出会った男が自分にどの程度の性的興奮を抱くのかデータをとり、今後の活動に生かすつもりだっただけなのに、想定外の反応だったのだ。

 

 そして、その涙とまなざしにどうしようもない羞恥を感じる。

 何か、間違えたのだ。

 イングリッドは急に恥じらいを覚え、彼の腕を離す。

 胸を手で覆いながら、先ほど押しのけたカゴを手にして『装置』の影に隠れる。

 

 下着を身に着けながら、シン大尉の様子をちらりと見てみると、彼はシャツを整えながらゆっくりと立ちあがり、ポケットから取り出したハンカチで涙をぬぐっている。

 

 イングリッドは、生まれて初めて罪悪感というものがどういうものかを覚えた。

 

「――あ、あんたが悪いんだからね!」

 

 自分が悪いわけではない。魅力的なはずのあたしが迫ったのに、喜びもせずに泣いたあいつが悪いんだと、まるで子どものような思考に戸惑いつつも、イングリッドは止められなかった。

 

「……ねぇ、ちょっと、なんでそんなに泣いてるの?」

 

 シン大尉が用意してくれたらしいカジュアルなチノパンとパーカーに身をつつみ、装置の影からでてきたイングリッドは、おそるおそるシン大尉に近づいて尋ねる。

 いざとなれば近接格闘アドオンの力で瞬殺できるから、なにも恐れる必要はないはずなのだが、なぜか罪悪感が警戒心を生み出してしまうようだ、と自己分析する。

 

「ねぇってばっ!」

 

 泣きじゃくるばかりのシン大尉の手を、ちょっと怒りと困惑を含みつつも、出来るだけ優しく取ってあげた。

 

「――イングリッド様は、イングリッド様なのだと分かって……すみません」

「変なこと言う奴ね。あたしはあたしよ」

 

 そう、量子脳搭載型サステイナブル人類の一号機。わたしの量子脳は常時、別の量子脳にバックアップを取っている。理論上、あたしは義体を交換することさえできれば、不老不死を実現している最初の人類ということになるはず。

 

 そんなにすごいあたしなのに、このシン大尉という奴は、まるでどこかのお嬢様でも扱うかのように接してくる――まるで他人行儀で、それがまだ成長途上の人格回路にどうもひっかかる。

 時間が経てば解決するのだろうか?

 

「まぁいいわ。シン大尉、イングリッド・サララ・ゴップとして命じる。このあたしを補佐し、世界征服――じゃない、世界平和事業を手伝いなさいっ」

 

 シン大尉がなぜか驚いているけれど、あえて無視する。

 いちいちこんな冴えない男――あたしにドキドキしなかった男のことなんて考えていても無駄だと判断した。

 

「サララ、か……本当に、いい名前ですね」

 

 妙に感慨深そうなまなざしをこちらに向けてくる。

 イングリッドのほうも褒めなさいよ、とは言わない。器が小さそうにみえそうだからだ。

 

 それにしても――色仕掛けは効かないが、世界平和に興味があるのか?

 それはそれで頭のネジが外れているのではないかとイングリッドは不安になる。

 政治の怪物は慎重に扱わなければならないと、プレインストールされている様々な補助AIが警告を出してくる。

 

「いいでしょう、喜んでお手伝いしましょう。あなたに仕える、地球連邦軍の犬でも手駒でもなんでもやってやりますよ。世界征服でしたっけ? 上等じゃないですか」

 

 シン大尉は何がおかしかったのか、にやにやと笑っている。

 なんだかすごく腹が立つが、人の上に立つべく作られたイングリッドはそれをなんとか受け流す……ことができなかった。

 

「世界平和事業だっていったのっ――なんなのそのニヤニヤ顔は! なんかすんごい腹立つんだけど! なに? あたしのプランに入れてやろうってのにその態度、なんか気に食わないわ」

「へー、プランかぁ。どんな悪だくみだろう。楽しみだなぁ……ほんとに、楽しみですよ……うぅっ」

 

 また涙目になりながら答えるこいつは、情緒不安定なのかと心配になってきた。

 この世に目覚めたときに流れ込んできたレク情報を確認する。

 シン大尉とかいう連邦軍人はイングリッド・サララ・ゴップにとって最高の右腕になると引継ぎ資料に書いてあるが、資料が間違っているのか?

 

「ったく、前途多難な気がしてきたわ。ほら、シン大尉、これで涙ふいて鼻もかむ」

 

 ティッシュの箱を差し出しつつ、イングリッドは『装置』に量子脳でアクセスし、床下へと格納する。

 これで、パッと見は金持ちの道楽娘が住まう高級マンションに様変わりである。

 

「ほら、さっさと打合せを済ませるわよ。あんた普通の生体脳なんでしょ? いちいち説明してあげなきゃなんだから、そこに座って」

 

 鼻をぶーぶーかんでいるシン大尉を見ていると、本当に連邦軍は大丈夫なのか心配になってくる。データ上は凄腕のMSパイロットらしいけれど、どうもそうは見えない。

 

 しかし、数少ない手駒だ。

 捨てるわけにはいかないし、手なずけるトレーニングとして活かしたほうがいい。

 

 ――そう、これは人心掌握トレーニングだ、と割り切ったイングリッド。

 そうなると彼女の判断は早い。

 

 シン大尉は有機生命体だから何かしらの食べ物が必要なはず、とイングリッドは思い至った。

 男をつかむにはまず胃袋から、という学習済みのメソッドに従い、キッチンに行き冷蔵庫を見てみる。

 

 ダメだ――中身は義体用のメンテナンス液ばかりで、とてもではないがシン大尉には使えない。

 

「シン大尉」

「はい、なんでしょうか」

 

 ようやく泣き止んだらしいシン大尉が、丸めたティッシュをゴミ箱に捨てている。

 

「ラーメン、というものを食べてみたいわ。案内なさい」

 

 対人コミュニケーション用に搭載されている飲食モジュールの試運転も行える上に、シン大尉を懐柔できる可能性もある。

 少しだけ他人行儀感は薄れてきたが、いまだイングリッドのためならば命だって捨てる、という状態には程遠そうだと、分析する。

 

「ラーメンですか。いい店を知っています。いきましょう。ただ準備だけさせてください」

 

 シン大尉が、小火器が隠されている壁面をタッチする。

 この部屋をある程度自由にできる量子キーを持つ彼が用意したのは、アタッシェケースに収納できるサブマシンガンだった。

 

 ふと、イングリッドは不安を覚えた。

 外の世界のニュース情報やSNS情報はすべて取得し、いかなる世情かはおおむね解析している。

 しかし、生まれて初めて実際に外に出るとなると、まだ未成熟な人格回路が不安を算出してくる。

 

「――シン大尉、その、外はそんなに危ないの?」

 

 サブマシンガンを手早く確認し、弾倉をスーツの裏側に忍ばせる彼の姿は、先ほどまでの情緒不安定な彼とがらりと変わり、文字通り冷酷な兵士にしか見えなかった。

 彼はサブマシンガンをコンパクトなアタッシェケースに収めて、こちらに向き直る。

 そのまなざしは、謎の使命感に満ちているようにみえる。

 兵士ってこんななの? とイングリッドはコモンセンスを修正する。

 

「ご心配なく。あなたに害をなす者は、自分が必ず始末します」

 

 ラーメンを食べに行くだけで、そんなに警戒しなくてはいけないのかとイングリッドは己の認識を補正する。

 

「そ、そう。じゃ、いくわよっ!」

「了解、イングリッド様」

 

 二人はエレベータに乗り、初めての冒険に出かけた。

 

 

 

 

 フォンブラウン市にて、ペガサス級強襲揚陸艦トロイホースはドック入りしていた。

 アナハイム社の艦艇改修パッケージサービスを受けるという目的もあったが、戦時体制が続いた乗組員たちの休暇も兼ねている。

 月面中立原則(という名の月面経済界保護)の理由から、連邦、ジオン両国の艦艇が出入りするフォンブラウンらしく、トロイホースの隣のドッグには、ザンジバルⅡが改修作業を受けている。

 月面都市のほとんどは政治的にジオン寄りであるが、経済界は金さえ払えば顧客なので、資本主義の倫理がそのまま表れているといえる。

 

 さて、クリスティーナ・マッケンジー少佐は久しぶりの休暇ということで、艦長室のドアをロックし、築うん十年の借家で待っているバーニィに遠距離通信を繋ぐ。

 

『やぁ、クリスっ! ケガはないか?』

 

 まっさきに心配事から始まるバーニィの姿に、マッケンジー少佐は変わらない安心感を覚える。

 

「もちろん。あなたのクリスは、いつだって健康第一よ」

『よかったぁ……あんまりにも心配でさ、俺、ザクで飛び出そうかと』

「やめてよもう。あなたを守るために戦ってるのに」

 

 クリスがそう告げると、バーニィがごめんごめんと謝る。

 

「あ、そうそう、斜め向かいのアマダさんとこ、お子さん生まれたんだ」

「あらっ。アイナさんにお祝いのお手紙出さなくちゃ」

 

 一年戦争後に引っ越してきたアマダさんたちは、クリスたちと同じく連邦・ジオンカップルだったので、何かと親しい近所づきあいを続けている。

 そっか――子ども、か。

 指揮幕僚課程で知り合ったブライト少佐も、子育ての話をしていたような気がする。

 

『なぁ、クリス。今度いつ帰ってくるんだ?』

 

 艦艇勤務は長期に渡りがちだが、今のようなドック入りしているタイミングなどでは、申請次第で長期休暇がとれる。

 誰か、誰かが艦長代行をやってくれれば何とかなる。

 だが、誰を立てる?

 機関科のボースン大尉はすでに休暇入りしてしまったし、シン大尉もどうしても行かなければいけないところがあるとかで、外出中だ。

 

 ええい、誰かいるだろうっ、と高ぶったマッケンジー少佐は普段の冷静さをかなぐり捨てて、勢いのままに突き進む。

 

「明日。明日帰るっ。今から空港にいくからっ」

 

 クリスはついつい声がうわずってしまう。

 

『えぇっ!? 戦闘指揮明けなのに大丈夫か?』

「――子ども」

 

 ちょっと勇気をだして言ってみる。

 

『え? アルがどうしたって?』

「アルじゃない。アルも大事だけど……私たちの、子ども……」

『あ……』

 

 互いに顔を見合わせ、そして真っ赤になる二人。

 

「か、か、か、家族、計画、どう……かな?」

『そ、そそ、それは一大事だぁっ!』

 

 バーニィがあたふたして、画面の向こう側で何やらスクワットをしている。

 

「な、何してるの、バーニィ?」 

『た、体力を、削ってる……明日帰ってきたとき、その……俺、止まらないかもしれないから』

「え、あ、うん――やさしく、ね?」

『お、おうっ! 準備しなきゃな、クリス、気を付けて帰って来いよっ!』

 

 通信を終えて、クリスはもじもじした後、机に突っ伏した。

 どうしよう。結構、ダイレクトすぎたかな?

 いけないいけない、ちょっと頭を冷やしてこよう――。

 

 

 マッケンジー少佐が艦長室の扉をあけて廊下に出ると、ヤザン少尉がシャワー室の帰りらしく、手桶をもって歩いていた。

 

「お疲れっす、艦長」とヤザンがこちらに適当な敬礼をする。

「ああ。貴官は外に出ないのか?」と答礼。

 

 ラムサスやダンケルなどとヤザンの部下たちはみんな外出申請をして飛び出していったのだが、ヤザン少尉は一人艦内に残っていた。

 

 あ、とマッケンジー少佐は光明が差した気がした。

 

「ヤザン少尉」

 

 クリスが真剣なまなざしでにらむと、さすがのヤザン少尉も驚いたのか、姿勢を正す。

 

「貴官を現時より艦長代理に指名する。異論は認めない」

 

 口をあんぐりとあけたヤザンだったが、何か納得したようににやにやとマッケンジー少佐を見る。

 

「あ~なるほどな。仕方ありませんな、ヤザン少尉、艦長代理を、拝命いたします」

 

 ビシっと敬礼するヤザンの態度に、クリスはいぶかしみを覚える。

 

「なんだ、妙に物分かりがいいな」

「そりゃ、まぁ……このヤザン・ゲーブル、女になってる艦長様を止めるような無粋はしませんよ」

「――っ!!」

 

 顔が燃えるように熱くなったマッケンジー少佐は、足早にその場を離れた。

 わ、わたしって、そんなに顔に出るタイプなのかな?

 

 

 

 

 ネオン輝くフォンブラウン市内の繁華街。その一角にあるゲームバーは人だかりができていた。

 MSのシミュレータとそう変わらないオンラインゲーム筐体を使った、大規模な対戦が行われており、その配信が店内の大型モニターに映し出されている。

 

 そのモニターを囲む人だかりのお目当ては、グラナダの悪魔ことアムロ・レイと、赤い彗星シャア・アズナブルのドリームマッチである。

 両部隊ともフォンブラウンでの修繕とMS積載任務のために寄港していたことから、このような偶然の交流会と相成ったのである。

 

 店内の筐体の中にはまさにアルビオン隊と、ファルメル艦隊のパイロットたちが勢ぞろいしており、互いの腕を競い合っていた。

 今のところのスコアは互角。

 どちらが勝ってもおかしくはない。

 

「そんなに感動的ですかね、これ?」

 

 モニターを見ながらバーカウンターに腰掛けるシャニーナ少尉は、隣で大粒の涙を流しながら嗚咽するクラウン大尉に話しかける。

 適当なところで呑んで帰ろう、と思っていたのだが、ちゃんと御礼を言わなくてはいけないジオンの人がいたので声をかけたのだ。

 

「尊い……」

 

 などと、クラウン大尉はよくわからないことを言いながら、ビールをちびちび飲んでいる。

 ジオン屈指のエースたるクラウン大尉は――もしかしてうちのシン大尉と同類なのかな、とシャニーナ少尉はいぶかしんだ。

 突然変なところで泣き出すところとか、ちょっと似ている気がする。

 

「あ、この前の戦いで助けていただいてありがとうございました。うちの隊長に変わって御礼言っておきます」

「ああ、そんなことはいい。任務だったからな」

 

 なんだろう、クラウン大尉にはどこかうちの隊長に近いものを感じるのだけれども――それがなんなのかはシャニーナには分からなかった。

 ただ、一つだけ気がかりなことがあったので、訊ねる。

 

「あの、もし失礼なことだったら謝ります。その、戦闘中におっしゃっていたハマーン様というのは、クラウン大尉の想い人なのですか?」

 

 シャニーナの興味本位な問いに、クラウンがまるで悟りを開いた宗教者のような穏やかな表情で答える。

 

「長くなるが、聞いていただけるのかな? これは、愛の話になるぞ」

 

 愛の話、と訊いてなんだかぞくぞくしてきたシャニーナ少尉は、身を乗り出す。

 

「――こ、恋話ってやつですよね? うちの隊にそういう話する人いないから、興味あります!」

「そうか。マスター、この子にカルーアミルクを一つ」

 

 コトッ、とシャニーナの前に素敵なアレンジが施されたカクテルが置かれた。

 この時、シャニーナ少尉は知らなかった。

 激重な輩の話は、とにかく信じられないほどに長いということを。

 




完全に拙者のリハビリのために書いてます。ゴップが逝ったせいでダメージがでかいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二四話 0083 月のウサギ2

次から、0087に向けての種まき0083~に入りまーす。


 

 

 オリエンタル風ラーメンBar『シュタインズ・ヌードル』は、月社会における隠れ家的ラーメンBarであり、知る人ぞ知る名店である。なお、ヌードルを食べることで世界線移動が起きることはないので安心である。

 

「イングリッド様、ここからは敬語を控えさせていただきます。知己が多く、不自然に思われると後々面倒です」

 

 シン大尉は店の前で、イングリッドに説明をして許しを求める。

 

「あんたがあたしの犬であることを自覚しているなら、ちょっとくらい舐めさせてあげてもいいわ」

 

 言い方……とシン大尉は思いながらも、かぶりをふって店の扉を開ける。

 

「――いらっしゃいっ! 何名様で?」

 

 やたらと恰幅のいい店員が、メンの湯気をシャシャッ! と振り払っている。

 飛び散った熱湯が、ねぎを刻むバンダナ男の足元に飛ぶが、そんな細かいことを気にするような連中ではない。

 

「二人です」

 

 シン大尉はなじみ客のように告げる。

 

『あいよっ、お忍び様ご来店でぇすっ! 店長、よろしくお願いシャス!』と店内に元気よく声が回る。

 

「全然お忍びじゃないんだけど……」

 

 イングリッドが、メディア情報などから解析していたラーメン屋と全く雰囲気が違うことに対して困惑しているらしい。

 だが、シン大尉はそんな彼女に社会経験を積ませてやろうという善意から、ここにやってきたのだ。

 

 さて、整った髭の店長に案内された奥まった小部屋には掘りコタツが設置されていて、そこに靴を脱いで二人で収まる。

 本来は差し向かいで座るものだが、常識の調整がまだうまくいっていないイングリッドが、シンの隣に座る。

 

 密着して並ぶ二人の姿を見て、整った髭の店長が声をかけてくる。

 

「もう手ぇ出しちまったか、シン大尉」

「違いますよ、シュタイナー店長」

「この人ったらひどいんです。全然反応しないんだから」

 

 イングリッドが上目使いにシュタイナー店長にいうと、店長がごくりと唾を飲み込む。

 

「お嬢ちゃん、そいつぁいけねぇ。誰彼構わず色気を使うもんじゃないよ」

「変なの。あたしそうしろっておじい様から教わったけど」

「――世も末だな。トンデモねぇスケベジジィめ」

 

 はぁ、っと深いため息をついたシュタイナー店長が「ご注文は?」と尋ねる。

 

「ルビコンラーメン二つ」

「あたし、チャーシューとネギ増しバリカタで」

 

 まるで常連のように差し込み注文を行うイングリッド。

 

「あいよ。シン大尉は?」

「きくらげ増しのカタで」

「あいよっ。ま、ゆっくりしてってくれや」

 

 シュタイナー店長がすっと障子を閉めて去る。

 

 すっかりラーメン屋として成功したサイクロプス隊の雄姿に、シン大尉は感動を覚える。

 それにしても、どういう経由でラーメン屋に落ち着いたのか、亡きサララを問い詰めたくて仕方ない。

 

「ねぇねぇシン大尉、ラーメンとジロウってどう違うの? あたしの数理解析だと限りなくフラクタルなのに、普通の人は違うって認識するんでしょ? 哲学的で気になるわ」

 

 となりでそわそわしているイングリッドは、まるで初めての外食ではしゃいでいる娘のように思えてくる。

 

(大事に育てていかないとな)

 

 などと、すっかり父親気分である。

 

「ジロウはコロニー落としで全部吹き飛んだよ。アーカイブにしか存在しない、失われた味の一つだ。いつか誰かが再現するかもな」

「えー、なにそれ。じゃ、ここでジロウは食べられないのね」

 

 ちょっと残念そうに唇をとがらせるイングリッド。

 

「――あれ、おかしくないかしら? コロニー落としでジロウだけ吹き飛ぶなんて、ロジカルじゃないわ」

 

 はっ、とイングリッドがシン大尉の腕をつかむ。

 

「だましたのねっ!」

「そう思うだろ? ところがホントの話なんだな、これが」

 

 かつてジオンのコロニー落としによって、沿岸線を多く抱える日本は甚大な被害を受けた。特にジロウがある地区は被害がひどく、ことごとく壊滅したという。

 

「残念だわ。生まれてさっそく、一つの夢が消えちゃったかんじ」

 

 うなだれるイングリッドだが、シュタイナー店長が「あいよっ! ルビコンラーメンお待ちっ!」と障子をあけて飛び込んできたときは、子どものように目を輝かせていた。

 

「すごいっ! ほんもののトンコツねっ!」

 

 香りだけで察したイングリッドの嗅覚センサの性能に、シン大尉は驚かされた。

 さすがとしか言えない。

 月での畜産業は極めて貧弱であり、人工タンパクベースの培養肉が使われることが多い。

 しかし、ここ、シュタインズ・ヌードルは違う。

 月面にわずかしか存在しない畜産豚を活かした、ホンモノが楽しめる店なのだ。

 

 白濁したアツアツのスープにつかる細麺、そして、厳選された材料で仕上げられたトッピングに彩られたルビコンラーメンに、シン大尉も久しぶりに腹を鳴かされた。

 

「あっ、ほんとにおなかって鳴るんだっ。ちょっと聞かせてよ」

 

 小さな頭がシン大尉の腹にピタリとあたる。

 

「おいおい、ここ本番禁止だからな」

 

 シュタイナー店長がにやにやしつつ、障子を閉めて消えた。

 

 なんだろう、ルビコン作戦いってもらってもいいですか? などとシン大尉はガノタにあるまじき暴言を心中で吐いてしまった自分に、驚いたんだよね。

 

「こら、イングリッド様。ラーメンはアツアツのうちに食うのが作法だ。ほら」

 

 よいしょとイングリットの頭を戻す。

 

「じゃ、いただきまーす」

「いただきます」

 

 二人でブッディズム合掌をキメてから、箸でスープを一口。

 

 シンとイングリッドは見つめあい、うんうんと頷いた。

 

「――おいしいっ」

 

 シン大尉は、よろこぶイングリッドの姿にガンダムUCのオードリーがホットドッグを食べるシーンを重ねる。

 ああ、あれを見ているバナージはこういう感覚だったのか、となんとなく察した。

 

「ねぇシン大尉、すっごくおいしいわよ、これ。あんたもちゃんと食べなさいな」

「おう」

 

 二人で黙々とラーメンを食べていると、また大きな声で『お忍び様ご来店でぇすっ!』とミハイル・カミンスキーの声が響いた。

 

「あの案内、なんなのかしら?」

「兵隊さんが来たってことだ。もめ事にならないように座る席を配慮したりするための符牒だ」

「へーっ、やはりフィールドワークは大事ね。知っているつもりで何も知らなかったってことがよくわかるわ」

 

 うんうんと頷くイングリッド。なにか得るものがあったのだろう。シン大尉はイングリッドをここに連れてきた意味があったと安心する。

 

 さて、ラーメンを食べ終えてデザートのケンプファーアイスを食べていると、シン大尉の通信端末が震えた。

 プライベート通信だったので、限られた候補者しかいない。シャニーナ、ヤザン、イオ、そしてゴップである。うち一人はもう二度とかかってこない。

 

『た、隊長、助けて下さいっ!』

 

 シン大尉はガタッと掘りごたつから素早く飛び出し、アタッシェケースを手に取る。

 互いに命を預けあってきた大切な部下の危機とあらば、すぐに対応しなければならない。

 

 通信を保持しながら、シン大尉はシュタイナー店長にハンドサインで連れの護衛を依頼する。任せろ、とシュタイナー店長からの頼もしい返事。

 

 イングリッドも、他のメニューや酒を楽しんでみたいらしく、後で迎えに来るように、とのんきなものだ。

 

「座標を送れ。すぐに向かう」

 

 店を出て、通りに立ったシン大尉は内心の焦りを静かに抑え込みつつ、戦闘員としての自分に切り替えていく。

 

『送りました……すぐ来てください。もうサンダース曹長も、アムロ中尉もやられちゃって。今はシャア大佐が時間を稼いでくれています。でも、あんまり長く持たないかも』

 

 座標を頭に叩き込み、シン大尉は夜の街を駆け抜ける。

 

 拳で語れる男サンダース、才能で赤い彗星にフェンシングで勝利できるアムロ、そして暁の蜂起で白兵戦を潜り抜けているシャアが苦戦する相手?

 

(殺すことを前提に挑まないとな)

 

 シン大尉は、己の内側に息づく冷酷な兵士を呼び出した。

 

 

 

 指定された座標は、ゲームバーだった。

 白兵戦の戦闘行動は何よりもまず、偵察と分析から始まる。

 状況を把握し、主導を確保するのを目指す。

 すでに人が集まるピークは過ぎたらしく、誰かが暴れているような気配もない。

 

(キシリア機関の暗殺者か? まさか、影忍?)

 

 さすがのシン大尉でも、影忍相手の戦いは厳しい。

 ミノフスキー煙幕から始まる戦いは次元が違いすぎる。

 

 シン大尉はアタッシェケースからいつでもサブマシンガンを取り出せるようにしつつ、スーツの脇のホルスターに忍ばせてある拳銃とナイフを確認する。

 

 よし、と覚悟をきめ、シン大尉は典型的な埋没侵入(普通の人の波に乗って店に入ること)を行う。

 

 ん?

 

 シン大尉はすぐに違和感を覚えた。

 

 シャニーナ少尉は隅っこのオンライン麻雀筐体で、恐るべき勝率をたたき出していた。

 

「……どういうことだ?」

 

 シン大尉は油断を誘うための敵の術策である可能性も考慮に入れる。

 シャニーナを囮にした奇襲か? などと、懐にいつでも手を伸ばせるようにしながら、麻雀を打っている彼女の背後に立つ。

 

「あ、大尉。遅いですよー」

 

 少々酒臭いシャニーナ少尉が、とろんとした目でこちらをみている。

 

「敵は……?」

「敵? あー、えっと、あれですね」

 

 シャニーナ少尉がバーカウンターを指さす。

 酔いつぶれたサンダース曹長がカウンターに倒れ伏し、アムロも退屈そうにナッツをつまんでいる。

 赤い彗星は、クラウンに一方的に話かけられているようで、席を立とうにも立てないプレッシャーを食らっているようだ。

 

「……状況は?」

「えー、いまちょうど、ジュニアハイの話が佳境、なんだと思います」

 

 すべて察した。

 敵というのはアレだな、と確信し、シン大尉は己の中の兵士のスイッチを切った。

 

「まさかクラウンにハマーン様の話題を振ったんじゃないか?」

「え、なんでわかったんですか?」

 

 そうか。それは……やらかしてしまったな。

 

「――シャニーナ少尉、一緒に飲みに行かないか? あれは赤い彗星に任せておけ」

 

 シン大尉はイングリッドを迎えに行くつもりだ。

 シャニーナ少尉のことをイングリッドに紹介しようと思い、誘った。

 ガノタたるもの、イングリッドに友達を紹介することもまた大事な仕事なのである。

 

「そ、それはプライベートでって意味ですか?」

「もちろんだ」

「じゃ、じゃぁ、少尉ってつけるのやめてもらえますか? 普通にシャニーナで……」

「あー、そうだな。自分のこともシンでいいぞ」

 

 シン大尉は麻雀筐体に座っているシャニーナ大尉に手を差し出すと、恐るべき速さで絡みついてきた。

 この子は白兵戦の才能、高いぞ、などと思う。

 まるで関節技でも決めるのかと思うくらいぎゅっと腕にしがみついてきた。

 

「お? しっかりホールドできているな」

「こ、これも、格闘訓練の一環ですから――シン、さん」

「そうか。向上心一杯でうれしいぞ、シャニーナ」

「はいっ」

 

 よしよし、シャニーナがイングリッドと仲良くしてくれたら安心だなぁ、などとシン大尉は期待に胸を膨らませながら、仲良くシャニーナと腕を組みつつシュタインズ・ヌードルへと戻っていった。

 

 




この後の重大事故については、いつか書こうと思います……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

0084 シン大尉と『最悪のZガンダム世界』
第二五話 0084 地獄の窯に火をくべるものたち


UC0084年、宇宙怪獣の攻撃を退けた人類はつかの間の平穏を得ていた。
しかし、平和とは損害が顕在化していない闘争状態に過ぎず、人の世は万民の万民に対する闘争を資本主義のエンジンを通して継続していた。

連邦、ジオン、そして月面経済都市圏。

UC0087年に、世界を崩そうとする男――ジャミトフ・ハイマンが暗躍を始める。
暗殺でも、権力闘争でもない。
彼はたった一つの方程式の盲点を突き、地球の歴史の逆回転を目指す。

ゴップを失ったシン大尉は、新たなるパートナと仲間たちとともに『最悪すぎるZガンダムの世界』を回避するべく、戦いを始める。


 

 

 UC0084年1月初旬。

 月面都市は相変わらずの経済都市ぶりで、ニューイヤーパーティもそこそこに、資本主義エンジンを回すべく老若男女問わず『生産性』のために総動員である。

 

 さて、郊外の一角にそびえる高級マンションに、鋭い眼光を持つ男がスーツケースを手にして吸い込まれていく。

 顔に数多の傷を持つ男は、いつも通りエレベータに乗り、量子キーを差し込む。

 

「へー、こうやって密会してたんですね」

 

 スーツケースだけではなかった。

 顔の傷が目立つ男の背後には、イタリアンイエローの革ジャンを羽織ったシャニーナ少尉が随行していた。

 

「――エッチなことしてたんですか?」

「……」

「してたんですよね。ゴップちゃんから教えてもらいました」

 

 スカーフェイスのシン。

 

 トロイホース部隊ですべての男性から畏怖され、すべての女性から軽蔑される、大きな悲しみを背負った男だ。

 彼はガノタゆえ、言い訳はしない。

 

 大切なものを失った――力も頭を足りなかったせいで、最も頼れる人を失った。

 そして、つい先日は自らの判断ミスで風評も失った。

 風神と雷神の決戦に巻き込まれたシン大尉は、顔に一生消えない傷を負った。

 今の彼には、ボロボロのジムカスタム以外何もない。

 これは大事なものなので、フジオカ技術中尉に頼んで直してもらっている。

 

「でも、別に許してあげます。ゴップちゃんと、しっかりお話ししました。ゴミは分別しなきゃなんだって。わたしが責任をもって分別するところと、ゴップちゃんが仕分けるところ、ちゃーんとお話したんです」

「……」

「結構。余計なことは言わないということを学んで、偉いです」

「……」

「ゴミは貴重なリサイクル資源です。わたしたちでちゃんと管理して、有効活用させていただきますね。そうだ、このゴミに名前をつけようかな。シンさんでどうでしょう?」

「はい……」

「よろしい。シンさんはわたしのものです。ゴミは適切に管理されなければなりませんから」

 

 シン大尉は完全にイングリッドとシャニーナの管理下にあった。もはや自由はなく、エージェントスカーフェイスとしてふるまうしかなかった。

 

(シャニーナ少尉の強さへの渇望はホンモノだ……)

 

 シン大尉は畏怖をもって部下に接している。

 先日の激しいMS演習で、シン大尉はシャニーナ少尉のジムキャノンⅡにボコボコにされた。こちらの射撃をすべて先読みして回避してくるその姿を思い出すと、恐怖が背中を伝って蘇ってくる。

 イングリッドとラーメンを食べに行ったところまでは覚えているのだが、そこから先の記憶があいまいだ。気が付いたらMSに乗せられていて、シャニーナ少尉と地獄の教練と相成っていた。そこでヘルメットが砕けるほどのヤバい演習をしたらしいが――。

 

 青ざめたヤザンが「オレぁ知らねぇぞ……」と言っていた気がする。

 

 意識もうろうとなりながら、サララからもらったジムカスタムをハンガーに収めたことも覚えている。

ボロボロになったことがとても悲しかったからだ。「――自業自得よバカ」ってジムカスタムが語り掛けてくれた気がする。

 ――なにが自業自得なんだ?

 

 

 

 エレベータが開くと、そこにはシックでカラダのラインが際立つドレスを着たイングリッドが優雅に量子演算ソファーに座っている。

 量子演算ソファーは床下と天井に収納されている巨大な計算資源にアクセスするためのインターフェイスであり、量子脳をもつイングリッドだけが使用できる、特別仕様のそれであった。

 

「またエッチな恰好してる」

 

 フンスっ、とシャニーナ少尉がズカズカ部屋に入っていき、クローゼットから適当な服を見繕って持っていく。

 

「あら、シャニーナちゃん。この前は面白かったわ。あれが怒りって感情なのね。あたし、感動しちゃったわ」

 

 イングリッドは首筋の量子同調端子を引き抜きながら、シャニーナに挨拶をする。

 

「これ、着てください」

「いいけど」

 

 イングリッドがその場でするりとドレスを脱いだ。

 下着姿になったイングリッドの姿を特に何も考えずにぼーっとみていたシン大尉の視野が突然ふさがれる。

 どうやらバスタオルを投げつけられたらしい。

 

「あっち向いててください。なんでこう、あの人はデリカシーがないんだろう」

「いいじゃない? 見られて減るものじゃないわ」

「減ります。希少価値ってのが大事なんだと思います」

「そう? 見えたら見えたでエッチだし、見えなくてもエッチな気分になるって話よ。あたし、わかっちゃったな。男ってこういうことを哲学って呼んでるんでしょう?」

「ソクラテスに謝ってください」

 

 シン大尉は不意に、ギュスターヴ・クールベの『世界の起源』というアート作品を思い出した。あの作品を評論したり考察したりすることは確かに哲学的なテーマであるかもしれない――などと二人の高尚すぎて理解できない会話を聞いていた。

 

「はい、シンさん、バスタオルとっていいですよ」

 

 許可を得られるまでとってはいけないとゴミ――ではなく、エージェントスカーフェイスとして調教済みのシン大尉は、そっとバスタオルをとり、畳んでおく。

 

「あたしの隠れ家に来てくれたってことは、あたしのコマになってくれるってことよね? シャニーナちゃん」

 

 すっとイングリッドがシャニーナ少尉を抱き寄せる。

 抵抗しようとするシャニーナだが、義体の恐るべきパワーを振り払えそうにはない。

 

「ちょ」

「あたし、あなたにも興味あるの」

「あっ……」

 

 耳たぶをやさしく触られたシャニーナが、シン大尉の知らない声を出す。

 

「かわいいわね」

 

 イングリッドがそういうと、そのままシャニーナの唇を奪う。

 シン大尉はただ漠然と、この世には美しいものがあるんだなぁと眺めていた。

 ふいに、北海道の大雪原を思い出す。牧場地帯が雪に埋まり、人っ子一人いないあの世界はとても清浄だった。

 あの感覚に近い何かを、シン大尉は感じる。

 

 唇同士が離れ、糸を引いている。

 涙目になったシャニーナ少尉が、イングリッドを見つめている。

 

「……っ、ずるい、女ですね」

「言ったでしょ? あたしは世界を支配する女なの。欲しいと思ったものはちゃんと手に入れる」

「……離してください」

「本当にいいの? シン大尉に見られちゃうわよ?」

「仕方ないです……わたしだって、女なんですから」

 

 血圧が高いのか、シャニーナ少尉の顔が赤い。

 イングリッドがシャニーナを優しく離すと、彼女はそのまま床にへたり込んだ。

 どうやら力が入らないらしい。

 シン大尉は網膜レンズでバイタルをチェックするが、ちょっと心拍数が高いくらいで問題はなさそうだ。たぶん、あの恐るべきパワーで抱き寄せられて血流が悪くなって痺れたか、頭に血が上りすぎてふらついているのだろう、などとシン大尉は判断した。

 

 しばらく休めば回復するだろう。そうだ、温かい物でも用意してやろう――などとシン大尉は観察をやめて、キッチンで紅茶をいれはじめた。

 ワイアット流を遅ればせながら学んだシン大尉の紅茶はうまいとマッケンジー少佐も言っていたし、大丈夫だろう。

 

 ソファでなにやら話し込む二人の前にティーカップを並べ、ポットを置く。

 女性二人の会話に聞き耳を立てるのはガノタ紳士としてよろしくないというマナーがあるので、シン大尉は二人の茶菓子を用意すべく、そそくさとキッチンに戻る。

 

 

 

 菓子を用意しながらヤザン艦長代理から伝えられた伝達事項を反芻する。

 スパルタンを旗艦とするハンフリー戦闘団はレビル将軍のエゥーゴに組み込まれるのかと思いきや、そうではなかった。

 昇進し、地球連邦軍特殊作戦司令部の司令となったモニカ・ハンフリー准将の配下になり、地球連邦軍特殊作戦グループに編入されるとのことである。

 現在は『アルファ任務部隊設立準備団』とされた。

 将来の特殊作戦グループの実戦部隊アルファ・タスクフォースとなる準備として、各隊員は通信教育や大学機関などで教育訓練を受けることとなっている。

 モニカ・ハンフリー准将がルナツーの特殊作戦司令部勤務となってしまったため、将来のアルファ任務部隊の指揮官はマッケンジー少佐が昇任して担当する予定だ。

 

(マッケンジー少佐、大丈夫かな?)

 

 ガノタとして心配してしまう。

 なんでもご自宅で屋根の修理をしていた際に、滑落して腰を痛めたらしい。診断書と傷病休暇申請を代行させられていたヤザン少尉のあきれ顔が印象に残っているが、ヤザンの気持ちももっともだ。

 屋根の修理くらいパートナーのバーニィがやればいいんだとヤザン少尉につげると「そいつも一緒に腰痛なんじゃねぇか?」と言っていた。うーん、二人とも安全管理はしっかりしてほしいものだ。

 

 なお、ヤザン少尉はティターンズからの誘いを断ったらしい。

 二階級昇進扱いとして人事管理を受けるティターンズ隊員に招集されることは、軍事組織的にはホンモノのエリート扱いであり、かなりの有為な人材がティターンズに流れているらしいと聞く。

 

 なぜティターンズ入りしないのかと訊くと「ここのほうが面白そうじゃねぇか」と凶暴な笑みを浮かべていたので、ドン引きして深いことは聞かないことにした。まだ後ろから撃たれる心配をし続けないといけないのか、とシン大尉は胃が痛くなる。

 

「ねー、まだなの?」

 

 イングリッドからの声にこたえて、シン大尉は茶菓子を盛りつけた皿をリビングに持っていく。

 

 

 

 ティータイムを三人で楽しんだ後、シャニーナ少尉だけトロイホースへと戻ることになった。

 なんでも上番士官が員数不足らしく、数合わせが必要とのこと。

 マッケンジー少佐の腰痛騒ぎのせいで、シャニーナが繰り上げ上番となるそうだ。

 

「じゃ、またねー」とイングリッドが手を振る。

「ぐぬぬ、協定忘れてないでくださいよね」

 

 歯ぎしりして帰ってこうとするシャニーナに、シンは茶菓子の土産を渡しておく。

 先ほどのティータイムのときにスチームレンジで簡単に調理した蒸しケーキである。

 艦内待機中に口さみしい時もあるだろうという配慮だ。

 

「――ありがとう、ございます」

 

 歯ぎしりをやめて、ちょっとだけ笑顔になったシャニーナに安心するシン大尉。

 どうやら蒸しケーキはお気に召したようだぞ、などとすっかり召使である。

 

 

 

 イングリッドと二人、リビングのソファに腰かけて、シン大尉は現在の自分たちの状況を説明した。

 だが、イングリッドはすでに事情を知っているらしい。

 

「あのね、シン大尉。あたしは量子脳装備のサステイナブル人類よ? 大抵のことは把握しているし、これから起きることも、おじいさまが残してくれた手記でだいたい知っているいるつもりよ。ところで『ガノタのあなたへ』って何かしら? これだけは量子鍵がなくて読めなかったんだけど」

 

 イングリッドから転送されたデジタルファイルを網膜レンズに表示する。

 量子暗号鍵をシン大尉は知っていた。

 宇野サララ。

 この世界の他の誰も知らない、英雄の名前だ。

 

「これは自分宛だな」

「そうなの? ならあんたにあげるけど」

「保存する場所がない。ここが一番安全なら、ここに保存しておいてくれ」

 

 シン大尉は部屋を埋め尽くしているであろう量子サーバーを視線で示す。

 

「確かに安全かもね。一応、他の拠点もあちこちにあるし」

「そうなのか?」

「セーフハウスってのは、一か所に限らないもんよ」

 

 そして、イングリッドがシン大尉をじっと見つめる。

 

「シン大尉、おじいさまは死んだわ。だから契約を更新するか決めて。あたしは人類を存続させるためにあらゆる手段をとるわ。あなたは、その手伝いをする。必要があればその身も命も差し出す。対価は、シャニーナの幸せ」

 

 シン大尉は跪いて、イングリッドに頭を下げる。

 あの人が残していった大切な存在だが、あの人とは違う存在でもある。

 まだ未成熟な人格であることをシン大尉は察していたし、互いに信頼の情を通じるにはまだ時間と積み重ねが足りない。

 なによりも、彼女はガノタではないのだ。

 それでも、信じようとシン大尉は思う。

 ガノタだからではない。

 人としての情だった。

 

 イングリッドが跪くシン大尉の顎を上げる。

 

「おじいさまから聞いているわ。シャニーナ少尉はNTとしての素質に富んでいるのね。おじいさまの死によって、軍内の庇護を受けられないあなたは、シャニーナ少尉がムラサメ研究所なんかに奪われちゃうんじゃないかって、心配で仕方ない」

 

 指先をシン大尉の唇にあてるイングリッド。

 

「言葉はいらないわ。あたしの量子脳で読み取れるのよ。あなたの情愛ってやつを。あなたは、シャニーナ少尉の恋心に気付いているけれど、それが陽性転移であることも知っている。孤独なムーア同胞団出身の少女兵が、命がけで守ってくれる隊長様に惚れないわけがない――あなたは、戦争から生まれた恋を信じていない」

 

 素敵ね、とイングリッドがシン大尉の唇から指を離す。

 

「抱いてやればいいじゃない? あの子だってとても満足するわよ」

 

 イングリッドは跪いたままのシン大尉の背後に回り込み、そっとその体を預けた。

 シン大尉はイングリッドの熱を感じ取る。

 

「――そんなに、憎いの? 戦争が」

 

 シン大尉にとって、戦争は日常であった。いついかなる時も……ガノタたる中の人があちらの世界にいたときすら、戦争は彼にまとわりついていた。

 

「感じるわ。あなたの憎悪を。これを隠すためにあなたはシャニーナに心を開かないよう心に壁を作り上げている。自己洗脳型心理防衛術っていうんでしょ? 対ミュータント用の訓練を受けた、戦闘チルドレン出身者の思考法。あたしには全部わかる」

 

 無理やり引き出される昔の記憶。

 手に子どもを抱えるサイコヒューマンの母親を射殺する自分の姿。

 抵抗するサイコキネシス使いの子どもの衝撃波を受け流し、レーザーナイフでその首を素早く落とすその姿を。

 動機なき職業軍人として、命令を淡々と遂行し続ける公の奉仕者たる自分の姿を呼び起こされてしまう。

 こうも見透かされるか、とシン大尉は量子脳を持つイングリッドに対抗する術なしと判断する。

 

「ほっといてくれよ。俺はシンになりたいんだ。もう、許してくれ……」

 

 シン大尉の中の人に残されていたネゴシエーションの術は懇願しかなかった。

 

「ねぇ、シン大尉。あたしならあなたの中の人が持ってる、その黒い塊、消してあげられるんだけど」

 

 ぐっと背中に押し付けられるイングリッドの体は柔らかかく、耳元に迫る彼女の吐息がシン大尉の感覚を鋭敏にさせる。

 

「なにもかも好きにしちゃっていいんだよ? あたしも、あの子も、この世界だって。あたしならあなたがガンダムに乗って、女の子といちゃいちゃして、みんなから尊敬される世界を作ってあげられるわ」

 

 イングリッドの甘い囁き。

 シン大尉は、心を奪われそうになる。

 いや、中の人の心はすでに奪われていた。

 しかし、最後に残っていたものがあった。

 あの人がやりたかった、想いの残滓である。

 

「俺は、この先が見たい。サララが見たかった、愛のものがたりの続きを――俺に都合のいい世界なんていらない。俺は、ガノタだから、ガンダムが見たいんだ」

 

 合格、と耳元でイングリッドが告げる。

 体に力が戻り、自由を取り戻したかのように思えた。

 しかし、その逆であった。

 筋肉が緩まり、シン大尉は崩れるように倒れる。

 

「神経ハイジャッキングか……イングリッド様、戯れが過ぎますよ……」

「そう?」

 

 イングリッドが倒れているシン大尉を仰向けにして、そこに跨る。 

 

「すごいわね。あなたの自己洗脳型心理防壁。普通、あたしにここまでされたら身も心も全部差し出すのに」

 

 シン大尉に馬乗りになりながら、イングリッドが顔を近づけてくる。

 

「ねぇ、どうしたらあなたはあたしのものになってくれるの? このカラダでもダメ。利益供与でもダメ。あなたにとって都合のいい世界でもダメ」

 

 イングリッドがシン大尉の頬にふれる。

 

「シン大尉、あたしって、これからもずっと一人で世界と戦わなくちゃいけないの?」

 

 生まれて間もないにもかかわらず、膨大な情報を人の世からかき集め、急激な成長を遂げている彼女の人格はとても不安定だ、とシン大尉は思う。

 人はもっとゆっくり、時間をかけて悪いやつになっていくものだ。冷酷な兵士になるための『スイッチ』を作るだけで数年かかったりもする。

 ましてや彼女の心は常に未来を志向する。サララの憧憬がまるで遺伝子のように組み込まれている宿痾だ。

 その姿を見ていると、ふるえていたあの人を思い出す。

 

 シン大尉はイングリッドが触れている手を取り、そっと抱き寄せる。

 

「約束しますよ。あなたを一人にはしない」

 

 しばらくの間。

 部屋のエアコンの送風音だけが響く。

 イングリッドがシン大尉の手を握り返す。

 シンを見つめるイングリッドが「ウソつき……」とつぶやいた。

 

 

 

 

 トロイホースが滞在する宇宙港に戻るべく、シン大尉はタクシーに揺られていた。

 イングリッドと打ち合わせた、これからの世界の話はとても難しく、一筋縄ではいかないものであった。

 

 まず、イングリッドはサララが残したガンダムシリーズの情報を一通り把握しているということを互いに共有した。ガノタとしては基礎を修めているといってもいい。

 そして、ここからがイングリッド・サララ・ゴップの本領である。

 彼女は、Zガンダムをしっかりと理解していた。

 

 物語の筋書きである、ナイーブでキレやすいボーイがシロッコを殺してファと抱き合う、という話の良し悪しに彼女は興味がない。

 

 イングリッドが興味を示したのは、ティターンズという制度を支える経済システムと連邦の政治システムである。

 彼女は様々な設定資料を読みあさり、ティターンズの実質的リーダーであるジャミトフ・ハイマンの資金源にあたりをつけている。

 大陸復興公社総裁と、地球のインターナショナル国債管理公社総裁を兼務している点である。

 

 ここにイングリッドが目を付けたのだ。

 なぜ大陸復興公社総裁と、国債管理公社の二つの総裁を兼任することで、ティターンズという軍事組織を維持できる大金を生み出すことができるのか、原作にはその説明がない。

 裏金を作り上げている、使途無制限国債を発行している等、原作設定に関する柱書はいつもこの程度しか書かれておらず、多くのガノタはそれで納得するほかなかった。

 

 しかし、イングリッド・サララ・ゴップは違った。

 

 ここに莫大な富の源泉が眠っているという事実を解き明かしたのだ。

 彼女は満面の笑みを浮かべて言った。

 

「ブラック=ショールズ方程式の盲点に、ジャミトフ・ハイマンは気づいている」

 

 そして、彼女は予言した。

 このブラックショールズ方程式の盲点を利用して、ジャミトフは0087年に世界をひっくり返す、と。

 

 そして、告げる。

 

「あたしたちが失敗すれば、最悪のZガンダム世界ってやつを鑑賞できるわ」と。

 

 




※金融工学の専門家の方は、自重よろしくお願いします。ガノタとの約束だぞっ!(絶対にネタの先読み+正解になるため)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二六話 0084 地獄の窯に火をくべるものたち2

ぼくの仕事というのは何だかわからない店で知らない物を変な人たちに売ることだ

――吾妻ひでお『狂乱星雲記』


 

 チベットの高山地帯に、寺院に偽装した研究所が存在する。

 チャクラ研究所と名付けられたその場所には、ジャミトフ・ハイマンが頻繁に訪れていた。

 伝統的なチベット仏教の様式で仕上げられた寺院を、地元の人々は中国人の金持ちが趣味で建てたものだと噂していて、近づくことはなかった。

 

 暗がり。

 祈祷のために設けられた堂に、無数のろうそくがともされている。

 ろうそくの光が、ジャミトフと、その寺院に勤める『僧侶』たちを映す。

 車座を組んでいた彼らは、マントラを唱えている。

 

 そして次第に彼ら、彼女らのマントラは弱々しくなり、消え行った。

 

 僧侶たちとジャミトフはすでにそこにはおらず、タオの空間にて密会していた。

 

「オプション取引データは解析できたか?」

 

 ジャミトフは一言だけのべた。説明は不要だからだ。

 ここにいる僧侶たちは、そのために互いにサイコミュを用いた連結演算装置になっているのだから。

 

「はい、カオスが向上しています」

 

 ジャミトフにとって満足な報告であった。

 

(ガノータはやはり、正しいお方だ)

 

 ジャミトフは、ある日を境に金に困ったことがない。

 士官学校に進むか、美大に進むか、あるいはサイエンス系の大学に進むかなどと迷走していた若きジャミトフは、たまたまチベットのラサにある寺院で瞑想する機会を得た。

 そこで、彼は『内なる神』に出会った。

 このガノータと名乗る神は、商業と金をつかさどる神ガネーシャの亜流であり、ジャミトフの心のうちに備わる神であると言った。

 

 薬物による幻覚か? とジャミトフは胡散臭さと、己の精神の危うさを疑った。

 だが、日を変え、週を変え、時間を変えて寺院で瞑想すると、必ずそのガノータという内なる神は己に語り掛けてくれるのだ。

 

(くだらねぇ人間と、そうじゃねぇ人間の分け方を教えてやるよ。でかく賭けられるやつか、そうじゃねぇかだ。この世の偶然の波を乗りこなせよ、少年)

 

 ガノータがジャミトフに下す啓示は様々なものであった。

 ただ、彼が大事なことだと何度も繰り返す述べたことは一つだけだ。

 

(スイッチを押せる立場になれ)

 

 この社会は様々なマイクロシステムによって構成されているとガノータは教えてくれた。

 それぞれのマイクロシステムはネットワークによってつながっていて、各システムには管理者権限を持つ人間――スイッチを押せる人間というものがいる、と。

 小さな幼稚園のクラスですら、先生を利用できる立場の幼児と、そうでない幼児が現れるが、これはそのマイクロシステムの中でスイッチを押せる立場になれるか、なれないかで決まるという。

 だが、ガノータはスイッチの場所は教えてくれるが、そこへたどり着く方法は決して教えてくれない。

 

「以後の指図は、私の残置記憶を読め」

 

 そう言い残し、ジャミトフはタオの空間から抜け出し、現世の肉体に戻る。

 無数のろうそくが揺らめく堂を後にし、たジャミトフは、自らレンタカーを操って空港へと向かった。

 

 

 ジャミトフはチベットからジャブローに向かう民間ジェットのエコノミークラス席にその長身を無理やり収める。

 彼を背の高い老人としか見ない人々の群れに紛れながら、彼は安い合成コーヒーを客室乗務員ロボから購入する。

 人が人を接客する、というのは貴族趣味の連中に向けたサービスであるから、エコノミークラスに座る連中には過剰なサービスであり、不要であるという航空会社の主張をそこに感じとれる。

 

 これが市場経済システムだ。

 大衆はその所得に応じて住む世界を分けたがる。

 いや、住む世界が分かれていると信じたがる。

 本当は世界など分かれていないのに――今のように、ティターンズの首魁とエコノミークラスに乗る人々の間に断絶された世界は存在しない。非連続的で偶然性に左右されてはいるものの、間違いなくつながっている。

 たまたまその日、そのチケットを買ったか。

 世界はそういう確率論の集合でしかない。

 

(そう、すべては確率論だ。スイッチを押せる立場になれるかどうかは、確率を高める行動によって多少の影響を与えうるが、それ以外の要素も大きいのだ)

 

 ジャミトフは確信していた。

 自分がいまこの立場に至ったのは、己の努力もあるが、それ以上に人類史が偶然をひたすらに積み上げてきたからだ。

 思い返せば、自分よりも優秀な奴らは何人もいた。

 

 まず、筆頭格はゴップ元帥だ。

 奴がいる限り、地球連邦軍の軍政権限など手に入れることは絶対に出来ないとジャミトフは分かっていた。

 

 だが、彼は『偶然』死に、今では無能の象徴だ。

 

 奴の有能さをいやというほど間近で見てきたジャミトフは、ころころと変わる世論という奴に失望している。

 奴らは何も知らないにも関わらず、何かを決めさせろと主張する。

 ただ偶然うまくいったり、失敗したりするランダムをひたすら繰り返す政体こそが、地球連邦政府が奉戴する民主主義なのではないかと思えるほどだ。

 

 そしてワイアットも死んだ。

 戦略家として恐るべき男であり、ジャミトフ自身が指をくわえてみているしかなかった星一号作戦でも、彼は為すべきことを成し遂げていた。

 宇宙怪獣とのファーストコンタクトにおいても、ワイアットは奴らに対話を試みる胆力があり、それでいていざ交戦状態に突入すれば粘り強く戦える、本物の軍人であった。

 ただ、彼も不思議なことに、偶然死んだ。

 あれほどの英雄的な死を迎えた今ですら、軍内では大言壮語を吐くだけの紅茶野郎として見下げられており、彼の言葉や彼の残した論考は忘れ去られつつある。

 だがジャミトフは彼の遺言の価値を分かっていたため――『ワイアット論考』を遺族から相応の対価で買い取らせてもらった。金に困らないジャミトフにとって、それは大した額ではない。

 これも偶然、連邦軍の中にこれの価値を見抜き、行動する連中がいなかったからだ。

 レビルあたりは必死に探していたらしいが、やつは敗戦処理を押し付けられて動きが取れなかった。奴には、偶然、運が向いていなかったということだ。

 

(不思議だ。ここにいる連中も、システムを知り、ほんの少しの時間や金を賭ければ、すべてが変わるというのに)

 

 ジャミトフは、合成コーヒーを傾ける。

 そして隣に座るくたびれたサラリーマンの姿を見る。

 男はネット端末でニュースを読んでいる。

 生地には半年ぶりにイルカがトーキョーの海に放たれたと書かれていた。

 その記事の横に並ぶ関連リンクの中に、海洋浄化システムを納品したブッホ・リサイクルという会社があり、そこの非公開株取引に関する金融商品が乗っていた。

 レートを見るに、破格である。

 もし男の立場なら、ジャミトフは借金をしてでも買っただろう。

 だが、男はあくびをして記事を閉じると、そのままマンガを読み始めた。

 

(――やはりだ。どのような立場でも、偶然の幸運は与えられているのに、気付かない。システムのスイッチを押せる立場にたまたま立っていたのに、そのスイッチを押さない)

 

 ブッホグループは戦後巨大な事業体に成長しつつある。その傘下企業の一部でも所有できる権利が手に入るタイミングだったのに、この男はそれを選ばなかった。ジャミトフはブッホ創業時より非公開株式市場でブッホ株を含んだオプション取引をしているので、今更その商品を買う理由はないが、隣に座る男もそうなのだろうか?

 隣に座る男は、イルカを見て、マンガを読んでおしまいだ。

 

 マイクロシステムは常に用意されている。

 政治家になるシステム、軍人になるシステム、パティシエや音楽家になるシステム。

 人の社会はマイクロシステムを無数に積み上げたメッシュ構造体であり、スイッチの押し方さえ分かっていればどこまででも進み続けられる。

 

(時には、スイッチを押すために賭けなければならん時もあるが)

 

 ジャミトフは、ゴップとワイアットのことを想う。

 おそらく、やつらは奴らなりに、スイッチを押すべきタイミングを迎えて、迷わずそのスイッチを押したのだ。

 そのスイッチがどういう意味を持つのか、まだジャミトフには分からない。

 しかし、これだけはわかる。

 あいつらは、とるに足らないマイクロシステムのスイッチを押すような玉じゃない。

 間違いなく、巨大なシステムのスイッチを押したのだろうと。

 そのために、命を懸けたのだ。

 

(くだらねぇ人間と、そうじゃねぇ人間の分け方を教えてやるよ。でかく賭けられるやつか、そうじゃねぇかだ。この世の偶然の波を乗りこなせよ、少年)

 

 ガノータの言葉を思い出す。

 果たして自分は、でかく賭けているだろうか――とジャミトフは思慮を巡らす。

 

 賭けているだろう、とは思う。

 今日もタオの間でガノータの啓示は得られなかったが、やつが黙っているということはまだやつのいう「くだらねぇ人間」になっていないからだろう。

 

 

 

 

 ジャブローの地下空港に降り立ったジャミトフは、自らが総裁を務める大陸復興公社のオフィスに向かった。

 地球圏の復興を一手に担うべく、0080年に様々な権能を集約した大陸復興公社が創設される。その名の通り、連邦政府の資本によって作られた公的社団である。

 政府の出資による機関である以上、その総裁は政府サイドの文官や外部コンサルタント、あるいは民間の誰かに委ねられるべきであろう、というのがいわゆる市政の人々の感覚というものかもしれない。

 

 しかし、実態は違う。

 立法時に起案された法文は、総裁は地球連邦政府の指名による、としか書かれていない。

 

 これはそういうゲームなのだ、と理解したジャミトフは直ちに行動を開始した。

 地球連邦軍の少将というポジションについていた彼は、連邦政府の内閣に繋がるスイッチを片っ端から押していき、時には恫喝、時には金を使い、見事その椅子を手に入れて見せた。

 

 ジャミトフは総裁室に入ると、壁一面に埋め込まれているすべてのモニタを起動させる。

 映し出されるは、一年戦争以前と以後の金融相場に関するあらゆる市場情報である。

 

 特に、彼は大陸復興公社の総裁として、住宅や不動産市場の情報に注目していた。

 コロニー落としの影響や、戦争の影響で地方自治政府が機能不全に陥り、金融機関もその経営機能を喪失していた戦後直後の状況に、大陸復興公社の総裁という椅子を手にいれられた偶然に、ジャミトフは感謝した。

 

 そして、3年前から、彼は種をまき続けていた。

 荒廃した国土に付きまとうのは、住宅ローンである。

 彼はこれに着目した。

 これをかき集めてモーゲージ債にしよう、と。

 

 モーゲージ債は国債や社債とは違う性質を持つ。

 国債や社債は償還期間が明示された大きなローンであり、その償還は期限によってもたらされる。

 一方、モーゲージ債は何千件もの個人住宅ローンのプールを作り、そこから生じたキャッシュフローに対する請求権になる。

 

 もともと、住宅ローンというものは金利が安いタイミングに借り手側が繰り上げ返済を行うことがままある。

 安直にモーゲージ債を組成してしまうと、モーゲージ債の買い手は突然償還された現金を抱え込んでしまう事態になる可能性がある。これは投資家が自らの企図した投資タイミングでないのに現金化されるのと同義であり、機会損失である。

 

 そこで、ジャミトフは知恵を絞った。

 住宅ローンを債券化する問題点は「いきなり償還されてよくわからないタイミングに現金が手に入ってしまう」ということだ。

 

 これを解決すべく、ジャミトフの編み出した錬金術はこうだ。

 

1 住宅ローンをかき集めて巨大なため池を作る。

 

2 このため池に沈んでいる住宅所有者から返済分を切り分けて、第〇ガンダムと名付ける。

 

3 第一ガンダムは繰り上げ返済を突然食らうリスクがあるが、そのかわり一番高い利率を得られる。

 

4 第二ガンダムは二番目にリスク高く、二番目に高い利率が得られる。

 

以後、第三、第四と続いてく。ファイナルガンダムは一番リスクが少なく、得られる利率も少ない。

 

 この仕組みを下支えする住宅ローンの利用者に関する保証も、大陸復興公社が政府資金で保証することになっている。これは、たとえ住宅ローンの返済に行き詰った借り手がいたとしても、政府が肩代わりしてくれることを意味する。

 

 このモーゲージ債は、完全に破壊されていた戦後の連邦経済を再起動させた。

 

 戦火で家を失った人々は、生活を再建すべく金融機関で住宅ローンを借りるのが容易になった。政府保証があるから、金融機関が遠慮なく金を貸すのだ。

 そして、金融機関は貸付した住宅ローンをさっさとジャミトフ傘下の大陸復興公社に売り渡した。これにより、金を貸せば貸すほど即座に、簡単に利ザヤを稼げるため、市中銀行はますます住宅ローンを推すようになった。

 

 ジャミトフは、大量にかき集めた住宅ローンをモーゲージ債に組成しなおし、それを月面経済圏の機関投資家に売りまくった。

 月の資本主義の妖怪たちは、アナハイムが作ったガンダムなどよりも、ジャミトフが作りだしたモーゲージ債の第一ガンダムを買うか、ファイナルガンダムを買うかに夢中になり、大陸復興公社は販売手数料と管理費用で巨額のキャッシュフローを得ることができた。

 

 

 

 ジャミトフは、この数年で地球圏経済の救世主となっていた。

 金も家もない戦災に苦しむ人々を。

 破綻した金融システムのせいで機能不全に陥っていた市中銀行を。

 そして月の金が余って仕方がない連中を。

 

 

 

 軍人として華々しい成果を持たぬ彼は、このまま少将として舞台裏に静かに引っ込み、ただの金持ち老人として過ごす未来しかなかったが――偶然、ゴップが死に、ワイアットが死に、レビルはその力をそがれた。

 

 まさに、偶然ゆえに、彼は表舞台への階段を手に入れたのだ。

 

 さて、その手腕が買われて0081年にはすでに、インターナショナル国債公社総裁の椅子をもジャミトフは手に入れていた。

 これにより、大陸復興公社が組成したモーゲージ債のみならず、各サイドの自治政府が発行する債券にまでその一手に引き受ける権限を手に入れた。

 

 ジャミトフは大陸復興公社総裁として『宇宙大陸』たる連邦政府傘下にあるコロニー政府に、コロニー復興計画を持ち掛けた。

 その財源を各サイドの発行する自治政府債として発行し、それをインターナショナル国債公社が一括引き受けをする。

 これにより、各サイド自治体は一括で大量の現金を手に入れることができ、戦後復興政策を加速させることができるようになった。

 

 逆に、大量の債券を抱えることになるインターナショナル国債公社は、その債券の請求権を分離し、大陸復興公社に売り渡した。

 

 売り渡された大陸復興公社は、それをモーゲージ債に組み入れて、ファイナルガンダムを買いたい連中向けの低リスク低利益商品とした。

 

 しかも、この自治政府債の発行は、コロニー政府の財源を担保とするようなものではなく、大陸復興公社が第一抵当権者として設定された、スペースコロニーそのものの所有権を担保にしていた。

 もし各サイドの自治政府が自治債を返済できなかったとしても、大陸復興公社がコロニーに抵当権を行使し、その支配を確立することでコロニーに住まう連邦市民から直接税金として返済を得ることができる担保を設けていたのである。

 

(もちろん、コロニーに移住したい低所得者は、住む場所を手に入れるべく住宅ローンを組むだろう。完璧なサイクルだ)

 

 このシステムにより、人々の宇宙移民はますます促進されるはずだ、とジャミトフは考えていた。なぜなら復興コロニーのほうが土地と住宅の価格は安く、地球を捨てて宇宙の新天地を目指したほうが、未来があるように制度を設計したからだ。

 各サイドの自治政府は債券発行による大量資金供給を受けて、サイド内経済を回転させるべく大幅な公共投資を行うはずだ。これによりそのサイドのマクロ経済政策は積極財政に振られ、かならず景気はよくなる、と計算していた。

 

 彼は大陸復興公社の執務室の壁面を覆うデータを見る。

 そして、これだけのシステムを設計してもなお、スイッチを押さない人々が地球にいくらでもいる現実に驚いた。

 データは、いまだに宇宙移民がしぶられていることを示していた。

 

「――ふむ。人々にわかりやすくボタンを明示してやる必要があるか」

 

 そんなことを考えながら、ジャミトフは執務室の椅子に腰かけて目を閉じる。

 マントラを唱え、静かに、深く呼吸する。

 大呼吸。

 さらに大呼吸。

 息を大きくしていき、己の内圧を高めていく。

 ――つながった。ガノータのいる精神時空だ。

 

『ジャミトフよぉ、くだらねぇことやってねぇで、さっさと星の向こうに行こうぜ。でっかく宇宙大航海時代だろ?』

 

 ガノータが、彼の心象風景に舞い降りた。

 彼か彼女かわからない光の幻影は、手元でMSのプラモデルを作っている。

 

「私だけではだめだ。衆生を乗せて、星の向こうにいかなければ」

 

 仏教に深く傾倒しているジャミトフは、地球の保全のためにも救いを求める衆生を星のかなたへと向かわせねばならぬと確信していた。

 

『あーあー、すっかりホトケサマかよ。ま、いいか。そのほうが面白れぇ。いいか、おめーはよ、銀行に世話になれる連中のことを大衆だって思ってんだろ? てめぇ、そりゃネームドキャラだけがその世界に存在してるんだって勘違いと同じくらい、はずかしいぞ?』

「だったらどうしたらいいんだ。私は、どうしたら衆生を救える。どうしたら――ゴップのように道を拓けるんだ?」

 

 どうせ教えてもらえぬと分かりながら、ジャミトフはガノータに訊ねる。

 死ぬ前にゴップのやつに訊いておけばよかったとも思う。

 どうせ――ガノータは教えてくれない。

 

『てめぇの頭で考えな。こっちはてめぇがオモシロいことするかどうかしか興味がねぇ。ただよ、一つヒントをやるよ。何万人殺してでも未来の何十億を救うなら、それはそれで救済だ。クソ悪党として叩かれようが何だろうが、数字は嘘をつかねぇ』

 

 ガノータが無駄な時間過ごしてんじゃねぇ。タイムイズマネーだバカ野郎、といわれ、ジャミトフは幻影から追い出された。

 

 執務室の椅子にうなだれていたジャミトフは、意識を取り戻す。

 何をみたかはあいまいだが、自分が何か視点を間違えていたことだけは覚えている。

 

 もう一度考え直そう、とジャミトフは思案する。

 このシステムだけではすべてがうまくいくわけではない――そう考えたジャミトフは、通信端末を手にし、信頼できる男に連絡を入れる。

 

「ブレックス准将、時間をとってほしい。例の、すべての人々を地球から飛び立たせる『Z計画』の件だ――」

 

 

 

 

 

 シン大尉はトロイホースの自室で硬直していた。

 あれから1か月。

 マッケンジー少佐が復帰されるということなので、快癒記念パーティを開くべく、シークレットで準備を進めていたのだが、今まさに突然ヤザン少尉が部屋にやってきて頭を下げられている異常事態に巻き込まれていた。

 

「隊長、あんたに一生に一度の頼みだ。このパーティだけはやめてくれ。このオレ、ヤザン・ゲーブルの顔を立てると思ってくれ」

 

 90度に腰を折って頼み込むヤザン少尉の姿に、シン大尉は戦慄した。

 これ断ったら絶対に謀殺されると確信したシン大尉は「わかった。やめよう」と即座に宣言した。

 

「ありがとよ、隊長」

 

 頭を上げたヤザンの表情は、先ほどまでの思いつめた表情とは打って変わって、どこか安堵しているようだった。

 どういうこと?

 

「――これで、艦砲射撃の訓練標的にされる未来はねぇな。はぁー、よかった」

 

 そんなことを言ってヤザンはさっさと退出していった。

 シン大尉は仕方なく予約していたケーキなどのキャンセルを行い、泣く泣くキャンセル料を自腹で支払った。

 

 そして間もなく通信教育を受けなければならない、上級幹部課程の予習を始める。

 佐官に昇進するために必要な基礎的な知識を頭に叩き込む課程は、それほど長いわけではない。おおむね半年程度である。

 その間はMS部隊の練度を保つなど、それぞれ最低限のルーティンはこなさなければならない。

 シャニーナ少尉やヤザン少尉も中級幹部課程の履修が始まる――むしろ、トロイホース他、アルファ任務部隊準備団全員がいよいよ本格的に教育フェイズに突入したので、毎日がそれなりに忙しく過ぎている。

 

 すっかりフォンブラウン市に入り浸っている形になってしまっている連邦艦隊を、フォンブラウン市政側が何度か追い出そうと圧力をかけてきたが、経済界の反発により次第に声が小さくなり、せいぜい、早く出ていくように、という通告がたまに届くくらいになったと聞いている。

 

 

 

 コーヒーでもいれるかと、艦内をてくてく歩いていると、重力トレーニングエリアから帰ってきたらしいシャニーナ少尉と出会った。

 

「あ、隊長。みてくださいよ、腹筋バキバキです」

 

 確かに、拝見させてもらった彼女の腹部は屈強になっていた。

 これはいよいよ回し蹴りの速度も速くなっていそうだ。

 

「これはもう芸術品だな。石像のやつと同じだ」

「毎日鍛えてますからね。あ、そうそう、隊長のジムカスタムをフジオカ姐さんが持ち出してましたよ。なんでもアナハイムの実験装備つけるんですって」

「え」

 

 ジムカスタムにアナハイムオプション付ける=ジムカスタム高機動型であることをガノタとして察したシン大尉は、青くなった。

 高機動型MSはその特質上、恐るべき負荷が体にかかる。

 ノーマルスーツの補助アリとしても、Gだのなんだのを考えると、フィジカルトレーニング必須である。

 しかし、シン大尉は上級幹部課程の履修もある。頭があまり良くはないので、相応に根を詰めた勉強をしなくてはならないにも関わらず、フィジカルも鍛えねばならないのだ。

 しかも、月の重力下では筋肉や骨密度低下が早い。それこそ相当の時間をフィジカルトレーニングに割かなければならないことを意味している。

 おわった。

 もう暇なしですわ、とシン大尉はあきらめた。

 

「それでぇ、隊長に重大発表ですっ!」

「な、なんだ?」

「わたしぃ、ガンダムもらっちゃいますっ!」

「ファッ!?」

 

 シン大尉はガタンと、後方にあったリフトグリップの収納箱に背中をぶつけて悶絶する。

 

「何やってるんですか……」

「いや、マジで驚いて。え、ガンダム?」

 

 いや、普通隊長にそういう情報って先んじて来るんじゃないの? と思い、網膜レンズに各種軍令を検索するが、それらしいものはなかった。

 

「ちなみに、何に乗るんで」

「ガンマ・ガンダムって機体らしいです。アナハイムの試作機らしくて、アルファ任務部隊準備団で演習データとるみたいですよ。ゴップちゃんから教えてもらったんです」

「あー……」

 

 イングリッドのことを、ゴップ元帥の孫で影の権力者だと紹介しておいた成果か、シャニーナ少尉はゴップからもたらされた情報がどうやって入手されたかは探ったりしていないようだ。ただ純粋に、リーク情報を楽しんでいるように見える。

 

「ガンマ・ガンダムか」

 

 リックディアスなんだろうなとシン大尉は確信していた。イングリッドからもたらされる様々な情報で、月面経済圏は一蓮托生、アナハイム社もジオニックも、その系列にかかわらず互いに切磋琢磨し、競争したり協働したりしているものらしいので、原作通りあのリックディアスになるんだろうな、と思う。

 

「どんな機体か気になりますね。はやくデータこないなぁ」

「そうだな」

「あ、そうだ、後でシミュレータ付き合ってくださいよ」

「構わないけど、中級幹部課程の準備はいいのか?」

 

 シン大尉が心配そうにいうと、シャニーナが笑う。

 

「隊長、忘れてません? わたしこう見えて、ジャブロー軍官学校卒業してるんですよ?」

「あっ……」

 

 そうだった。彼女は一応、バリバリのエリートキャリアコースとして人事管理されているのだった。シン大尉のようにキャリアレーンチェンジ型ではなく、お勉強ができないと卒業できない名門ジャブロー軍官学校を卒業しているのだった。

 

「余裕とは言いませんけど、隊長よりは切羽詰まってませんよ。じゃ、デートの約束したってことでいいですね?」

「わかった。付き合うよ。時間の予定は入れたから、共有カレンダーみておいてくれ」

 

 シャニーナ少尉を見送り、シン大尉はキッチンエリアでコーヒーを入れる。

 合成コーヒーの粉末を混ぜながら、網膜レンズに映るイングリッドからの着信メッセージに目をやる。この一か月で、シン大尉は身体改造を進めていた。イングリッドとの連絡を保つためと、未来に備えるためだ。

 こちらの情報をいちいち伝えることもなく、彼女はシンの脳チップに埋め込まれた量子通信機を使ってこちらの状態を把握している。

 

『いくじなし』

 

 メッセージの内容は辛辣だった。

 分かっている、としかシン大尉は答えられない。

 シャニーナ少尉の恋心は、間違いなく陽性転移――本来は別の人に向けられたであろう感情が、たまたま信頼に足る自分に向けられる因果になっただけというのが分かっている。

 だが、それがなければ彼女の心の器は壊れてしまうだろう、とシン大尉は前世の記憶で知っていた。恋に恋したような状態を維持しないと、心が辛い現実に耐えられなくて砕けてしまうことだってあるのだ。

 

『あなたのほうが怖いのね。何年かたって彼女の戦争の傷が癒えてきたとき、あなたを置いて去っていくかもしれないから』

 

 図星ではある。

 彼女の今の気持ちを受け入れ、二人で過ごす日々を夢想しないわけでもない。

 だが、ある日――彼女が気づく日が来るかもしれない。これは心のうちから現れた恋ではなく、つらい現実から身を守るために心が編み出した恋なのだ、と。

 

『最低野郎ね。いい男なら、その時が来たら格好よく振られてやるもんよ』

「そう、だよな」

 

 確かにイングリッドのいう通りだ、とシン大尉は納得する。

 

「時機をみて、ちゃんと彼女を受け入れるよ」

『あ、そう。いちゃいちゃしてるところは興味ないけど、振られるところはちゃんと見ててあげるわ』

「余計なお世話だ」

 

 メッセージはそこで終わった。

 彼女は月面経済圏を席巻している金融界のガンダムのほうを調べるのに戻ったようだ。

 破綻とほころびがある、と彼女は言っていたが、シン大尉はそのジャンルでは力になれず、ただ着々と兵士として備えるだけだ。

 

(クラウンは、スゲェな。こっちと違って、あいつはガチで運命を変えるために動く。なんで自分にそれができねぇんだろうな)

 

 運命に対して受け身な己の情けなさにあきれつつ、シン大尉はマグカップ片手に自室へと戻っていった。

 




あと数話くらいで、ちゃんと0087時空(内乱騒ぎ)やれそう(ニタァ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二七話 0085 地獄の窯に火をくべるものたち3

本書には真実はいっさいない。

――カート・ヴォネガット『猫のゆりかご』


 

 0085年2月中旬、サイド3のニュース番組では、2年後のUC0087年に地球連邦政府と正式に平和条約を締結し、人類の支配権が明確に双頭の権力に分かたれることになる件に関する特集番組が放送されていた。

 しかし、その視聴率はどちらかと言えば振るわず、同時間帯に放送されている『黒い三連星のMSストリームアタック』のほうが人気を博していた。毎週ゲストを呼んで黒い三連星とMSに関するトークをしたり、模擬戦をしたりする娯楽番組である。予備役編入された三人組は、生き生きとジオンのお茶の間に浸透している。

 

 そんなつかの間の平和を利用して休暇を取り、彼らの番組を一人私室で見ていたギレン・ザビは、PNマユナシおじさんとして、いつも通りメッセージを送っておく。

 

「いつも楽しく拝見しています。次は三人でオッゴに乗ってほしいです――」などと書き起こしていると、内閣府から金融市場に関するレポートが届いた。

 

 意識を一介のおじさんからギレン・ザビに切り替え、彼はさっとレポートに目を通す。

 あくまでレポートであり、金融市場に関する各種規制は金融大臣所轄のもと、内閣を経由してすでに公王の認可がなされていた。いまさらギレンが何か口を挟めるものでもない。

 

 ジオン公国はその名の通り、形式的立憲君主制をとるので、ジオン公国憲法もあれば、議会も内閣もある。

 内閣は公王を輔弼する立場であり、かつ軍の統帥権は公王に属していた。この体制は公王独裁を可能とする政治システムであるが、ギレン・ザビは独裁がサステイナブルでない事実を十分理解していたため、学者たちに『公王機関説』を提唱させている。

 公王は内閣の提案を基本的にはすべて承認する機関として振舞い、その独裁権を恣意的に運用することを控える、という統治体制である。

 このままこのシステムを慣習法のように定着させることができれば、次世代のガルマ・ザビ公王にとっても幸せなことだろう――などと、ギレンは考えていた。

 

 さて、レポートを一通り読み終え、黒い三連星の番組に対するコメントを書き込むかと思ったのだが、不意に、心に違和感を覚えた。

 

 ギレン・ザビは金融市場レポートの最後に書いてあったジオン公国に登記されている企業が保有する金融資産リストの比率を眺める。

 

(MBSモーゲージ債か)

 

 地球のジャミトフがバラまいている、政府保証付き住宅ローンを債券化したものだ。

 その性質上、政府保証があるから低リスクでありながらそれなりの償還利率を得られるので、売れて当然の代物ではあった。

 ジオン公国としても、それを政府の公的機関(社会保障機構の運用資金や、軍人年金機構、老齢年金機構など)が資金を投じて利回り目当てに購入していた。その運用スコアも利益が出ているので、何一つ問題はない。

 ただのMBS(Mortgage Backed Securities)だからだ。

 

「なんだ、これは?」

 

 思わず、ギレン・ザビは三連星に送る予定だったコメントを閉じて、モニタに見入る。

 

 モーゲージ債の関連リンクに書かれていた、消費者金融ローンに関するオプション、と題された内容である。

 このオプションは、銀行を利用しない層――文字通り、信用基準が低く、金融取引を高利率の市中消費者金融事業者に頼らなければならない人々のローンに関するものであった。

 

 これは、住宅ローンとその性質を異にしており、償還されない可能性が高い客層に対して貸し出されたローンをプールにまとめなおし、それをモーゲージ債と同様のロジックでくみ上げたものであった。

 

「――ありとあらゆるものを担保にすることを認め、借金をする仕組みか」

 

 戦争で財産を失った人々は、手持ちのものを担保にして借金をして、生活を何とか立て直すしかない。それが車なのか、あるいは時計なのかは問わない。いずれにせよ担保にとれそうなものをすべて担保にして金を貸し付けてやろうという、消費者金融の狙いが透けて見えた。

 

 そして、借り手の返済能力が低いにも関わらず貸し出されたローンの請求権は、またしても分離されて、大陸復興公社に売り渡されていた。

 

 信じがたいことに、売り渡されたジャンクローンを、大陸復興公社は様々な請求権と混ぜ合わせて、リスク分散を図ったCollateralized Debt Obligations 通称CDOとして、販売しているようだ。

 

「リスク……分散?」

 

 ギレン・ザビはかつてノーベル賞なるものを受賞したという数式をふと思い出す。

 

 ブラック=ショールズ方程式。

 

 オプション取引の価値の算定に使用される金融工学モデルである。ブラウン運動と確率微分方程式について、ギレンは適当にそこにあった計算機を叩く。

 

 短期的には――問題ない。一か月、三か月とみる分には、そのモデルが提示するオプションの価値はおおむね統計的にみて正しいと言える。

 

 だが、長期では――おかしい、とギレン・ザビは気づく。

 手元の計算機にモンテカルロ法や二項ツリーモデルなどで式を組みなおしてみるが、やはり短期的には正しく、長期的にはアウトであることがわかる。

 

「CDOはリスク分散をうたい文句に、AAA債券とBBB債券を混ぜているが――なにがどうリスク分散だというのだ?」

 

 よもやま話としてはありうる。リスク大の商品と、リスク小の商品を混ぜたらリスク中です、という話だ。

 

 だが、ギレン・ザビはそれをリスク分散だと判断しなかった。

 彼は金融工学の専門家ではないが、間違いなく戦争と大戦略の専門家ではある。

 クープマンモデルとマクシミン原理、ミニマックス原理をゲーム理論から引っ張り出し、分散化されたとされるモデルが、実は連続的破壊の可能性を秘めている事実を導き出した。

 

 ギレンの叩き出した結論はこうだ。

 CDOを組成するどこか――それこそ、トリプルBでもトリプルAでもいいが、ダメージが現れたら、リスク分散と証券屋が主張するシステムによって、波及的にすべての金融取引にマイナスの影響を与える、と。

 

 ギレンは即座にCGモデルを構成する。

 積み木を積みあげたジェンガのタワーである。これを奴らはCDOと呼んでいる。

 それぞれの積み木がAAAだのBBBだという債券だ。

 あとは、どれでも構わない。

 スポスポと引き抜き、ある程度は大丈夫だから、リスク分散です、と奴らは主張する。

 しかし、引き抜き方を誤れば、たった一か所でもほつれが出れば――すべて崩れ去る。

 

 ギレン・ザビはこの積み木細工モデルを眺める。

 どこだ。どこを引き抜いたら崩れる?

 

 ――違うな。そうではない。このタワーはいつでも崩れうるのだ

 

 ここで先ほどのブラック=ショールズ方程式が生きてくる。

 長期的に予測可能性があいまいになっていくこのモデルに基づくなら――あと数年。

 あと数年で間違いなく、この積み木にダメージを与えかねない『過大評価されていた債券』なるものが現れるはず。

 

 ギレンは夜間であるにも関わらず、金融規制を担当する金融取引委員会の委員長を通信端末で呼び出す。

 AIによる回線転送の案内が流れ、しばらく待つとつながった」

 

『――閣下、何かご用命でしょうか……?』

 

 普段は内政に一切干渉しないことを旨としているギレンからの電話に、金融取引委員長はどうやら緊張しているらしい。

 

「連邦のCDOをどの程度買っているか、調査資料が欲しい。公国の国営機関のみならず、公国の影響下にある民間企業すべてだ」

『えぇっ!? 閣下、その、それはあまりにも多いと思いますし、取引秘密保持法の関係もありますから、開示請求込みで二週間程度は時間を頂きたく……』

「構わん。すぐに始めよ」

『は、はい』

 

 ギレン・ザビは通信を終えると、政務に用いる総帥服を着用する。

 私室のドアを開け、外に待機している親衛隊の兵に声をかける。

 

「車を回せ。モーラ邸に向かう」

「はっ」

 

 親衛隊が直ちに車両準備にかかるとともに、随行の護衛部隊が招集された。

 

 

 

 UC0085年6月中旬、ようやくアルファ任務部隊準備団の解散式と、アルファ任務部隊結成式がフォンブラウン市内のホテルで開かれていた。

 

「――アルファ任務部隊員は、地球圏防衛の精兵である自覚をもち、任務に従事するように。では、杯を……乾杯」

 

 マッケンジー中佐がシャンパングラスを掲げると、広大な会場を埋め尽くすアルファ任務部隊員たちが乾杯と、歓声を上げてグラスを高らかと掲げる。

 艦艇運用部門からMS部隊、整備、各種専門スタッフたちを合わせると相応の人数であり、シン少佐は大所帯になったもんだなぁ、などと感慨深くなりながら、テーブルに並んでいる天然物のチキンをバクバクと食べていた。

 

「隊長、食意地張りすぎですよ。もっとスマートな感じは出せないんですか?」

 

 紺色のドレスに身を包んだシャニーナ中尉であった。彼女が持つ皿には、ちんまりとした料理が可愛く並べられている。

 

「そんなんじゃ腹いっぱいにならんだろ。成長期なんだからシャニーナ中尉」

「なに言ってんですか隊長、わたしも今年でハタチですぅ~。成長期なんて終わっちゃいましたぁ~」

 

 ふんすっ、とドレス姿で鼻息を荒くするシャニーナ中尉は、シン少佐からするとどうしてもまだ子どもに見えてしまう。

 一緒にア・バオア・クーで戦った時の彼女は15歳だった。ムーア同胞団の少女兵だった彼女も、もうハタチ……うっ、とシン少佐はハンカチを取り出して涙をぬぐう。

 

「な、なんで泣くんですかそこで……」

「大きくなったなぁ……と」

 

 確かに、涙にぼやけた視界に映る彼女の姿は、もう立派なレディであった。

 

「えっへん。これでわたしもオトナですっ。ということで隊長」

 

 シャニーナ中尉が皿をテーブルにおき、シン少佐の胸元に寄る。

 

「わたし、隊長にお願いがあります。いいですか?」

 

 彼女がこちらを見上げるようにして、確認する。

 

「……はい」

「よし。隊長、今年は成人の特別なプレゼントが欲しいのです。いつもの斜め上のアレなやつじゃない、もっと特別なやつです」

 

 いつの間にか皿を置き、胸の前で手を組んでお願いしてくるシャニーナ中尉の言葉は、どこか熱いものがこもっているように思えた。

 

「わかった。言ってみろ」

「約束が欲しいです。わたしが隊長と同じ階級になったら、わたしの願い事を一つだけ叶えるって、約束してほしいんです」

「た、大金でなければ……ごふっ!!」

 

 なぜか通りすがりのヤザン中尉に肝臓を強打されてしまい、シン少佐はうずくまる。

 普通に上官に対する暴行で重罪であるが、そんなこと言いだそうものなら戦場で消されかねないので、シン少佐はただ黙って悶絶する。

 

「おっとすまねぇ。手が滑っちまった。嬢ちゃん、邪魔してわりぃな。いまやり直しさせっからよ」

 

 悶絶してしゃがみこんでいたシン少佐は、ラムサス、ダンケルらに抱えあげられて、シャニーナ中尉に向き直される。

 

「――よぅし、さ、続きをどうぞ、シャニーナ中尉殿。証人はアルファ任務部隊御一同だ」

 

 気が付けば、シン少佐を囲むように兵たちが集まっていた。

 あの温厚なサンダース曹長や、腕を組んでニヤニヤしているフジオカ技術少佐までいる。

 イオ大尉以下、愚連隊じみたスパルタン部隊の連中もいる。

 

「んんっ! えー、もう一度言います。わたしが隊長と同じ階級に追いついたら、わたしの願い事を一つだけ叶えるって、約束してください」

 

 シン少佐をじっと見つめるシャニーナのまなざしは、真剣そのものであった。

 胸を打たれるものがあり、シン少佐はすっと息を吸い、言葉を選んで答える。

 

「わかった。必ず叶えてやる。たとえ世界が滅ぼうともな」

 

 シン少佐の答えに、周りがなにやら安堵のため息をつく。

 マッケンジー中佐がカツカツと歩み寄ってきて、シン少佐の肩にぽんっ、と手を置いた。

 

「――泣かせたら、銃殺刑だ」

 

 真顔でそう言い残し、マッケンジー中佐は「ほらほら、見世物じゃないぞ」と人だかりに解散を促した。

 

「やれやれ、世話が焼けるぜ……」とヤザン中尉達も、ローストビーフの山に向かって突撃していった。

 

 残されたのは、シン少佐とシャニーナ中尉の二人。

 シャニーナ中尉はすこし涙目になりながら、こういった。

 

「よかった、です」と。

 

 シン少佐は、そっと彼女の涙をハンカチで拭ってやる。

 二人の間にはなんともいえぬ沈黙があった。

 

「……チョコケーキ、食べるか?」

 

 言葉を何とかひねり出したシン少佐だったが、シャニーナ中尉の笑顔とローキックを食らい、再びその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 ヤザン・ゲーブル中尉は、ホテルの大ホールに備えられていた屋外席に出て、ネクタイを緩めて夜風にあたっていた。

 スラムの路地裏で人をボコボコにするしか取り柄がなかったオレが、今じゃ恋のキューピッドかよ、などと自嘲的な笑いを漏らす。

 

「よくやったな、中尉」

 

 マッケンジー中佐がドレスのまま隣に立った。

 彼女はベランダの手すりに手をやりながら、フォンブラウンの夜景を眺めている。

 ちっ――と舌打ちしつつ、ヤザンはスーツのジャケットを脱いで、彼女の肩にかける。

 

「気が利くな。ヤザン中尉」

「――男はよ、強くなくちゃ生きられねぇ。けど、優しくなきゃ生きてる意味がねぇ」

 

 ヤザンなりの人生のルールであった。

 強くあれ。生きるために。

 優しくあれ。生きていることに意味を与えるために。

 親も金もねぇストリートでガキどもを束ねるボス猿時代に気付いた、間違いない真理だ。

 

「で、こんなとこで何の話だ? 司令」

 

 アルファ任務部隊司令として隊を率いるマッケンジー中佐は、いわば御頭であり、ヤザンが敬意を払わなければならない相手だ。

 ヤザンは気に食わない輩に付き従う趣味はないが、気に入ってる連中のケツを支えることは嫌いではない。

 

「モニカ・ハンフリー准将から連絡があった。木星のアレが、地球圏に向けて出発したそうだ。ジュピトリス級とシロッコの艦隊が、ガニメデの巨人を曳航しているそうだ。0087年の初頭には、地球圏にたどり着くだろう」

 

 ヤザンは、まじまじとマッケンジー中佐をみる。

 ウソだろ、と。

 0083年のあの地獄みたいな戦いの後、ヤザンは戦死したゴップ閣下からの遺言じみたメッセージを受け取っていた。

ガニメデの巨人が地球圏に来るようなことがあれば、総力戦になる可能性が高い、と。もしそのような事態が起きたら、貴様の闘争本能が役に立つだろうから、牙を研いでおけ――。

 

 お偉い死者が残した言葉だからこそ、ヤザンは最初こそ重大に受け止めていた。

 しかし、こうやって毎日過ごしてみると、少なくともフォンブラウンの経済は好調で、街中を歩いている限りだと戦争の足音すらなかった。

 ジオンのやつらとも、月の街中だと何の問題もなく飲みまわれるくらいに、連邦とジオンの対立というものの空気も薄れつつあった。

 一年戦争が始まる前は、どこもかしこもピリピリしていて余裕がない雰囲気が世の中に蔓延していたのと比べたら、雲泥の差だ。

 

 だから、ヤザンはこのまま世界はつまらない何かになって、オレなんかが要らないクソ平和にでもなるんだろう、とぼんやりと考えていた。

 シン少佐でもボコって鬱憤を晴らしながら、死ぬまでMSで遊んで暮らそう――などと思っていたくらいだったが……。

 

「最高じゃねぇか」

 

 ヤザンは心の底から幸福感が沸きあがるのを感じる。

 思わず満面の笑みを浮かべてしまうと、マッケンジー中佐が顔をそむけた。

 

「――貴官にとってはな。はぁ、どうしよう……」

 

 突然女の顔になったマッケンジー中佐に、ヤザンはうろたえる。

 

「な、なんだよいきなり」

「ガニメデの巨人とかいうのが来たら、またドンパチでしょ。はぁ……いつ、わたしは彼とのキッズを作れるのかしら」

 

 そんなことオレに言われても……とヤザンはため息をつく。

 

「知らねぇよ。厄介ごとを全部殴り倒しゃぁ、やりたい放題だろ」

 

 適当に答えたヤザンだったが、マッケンジー中佐は天啓を得たかのように、表情が明るくなっている。

 

「それだ」

「あん?」

「要するに、わたしの恋路を邪魔する連中は、みんなぶっ飛ばせばいいのね。なんてわかりやすい……そうよ、わたしにはその力だってある」

 

 ウソだろ。まさかマッケンジー中佐の子作り大作戦のためにオレぁ命を賭けさせられるのか――まぁ、いいか、とヤザンは苦笑する。

 

 よく考えりゃ、MSで真剣に命のやり取りができるなら、理由なんてどうでもいいのだとヤザンは思い至った。

 

「司令の名采配に期待するぜ。オレぁ前に立って暴れるだけさ」

 

 特殊作戦に従事するアルファ任務部隊用にモニカ・ハンフリー准将閣下が用意してくれた運用試験用ネロトレーナーは、今のところシン少佐やシャニーナ嬢ちゃんを叩き落とすくらいの性能は持っている。

 

 そういや、ありゃ面白かった。シン少佐のジムカスタムがどっか持っていかれたと思ったら、ネロトレーナーとかいう新型機に変わってた事件。

 あのジムカスタムに何かこだわりがあったらしいシン大尉(当時)は、アナハイム本社に乗り込んでジムを返せと暴れて逮捕されたり……ほんと、あいつは頭おかしいぜ――などと、この一年のアホな隊長の姿を思い出す。

 

 特殊作戦グループ向けの高性能汎用機としてネロが配備される計画が進んでいて、今のところアルファ任務部隊に先行量産機が届いている。現場フィードバックを経てオメガまでの特殊作戦部隊全部に配備されるのは三年後だとか。

 

「任された。やるぞ、なんだかやるきが出てきた」

 

 燃えるマッケンジー中佐の情念に、ヤザン中尉はシャニーナ中尉よりも恐ろしい何かを一瞬感じた。

 

 

 

 

 機内に施された静音処理は完ぺきで、旧世紀のクラシック音楽のBGMを鮮明に聞き取ることができる。

 一等客室の誰もワーグナーのその曲を聴いていないが、イングリッド・サララ・ゴップだけはタイトなスーツスタイルを柔らかで大柄なシートに沈めながら、耳を傾けている。

 彼女がのるハウンゼン19便は、いま月と地球のちょうど中間地点に至ったところである。

 このまま予定通りに行くならば、地球に到着するまで三時間もかからないだろう。

 

「イングリッド様は、ニーベルングの指輪に興味がおありで?」

 

 隣の客席に座るミシェル・ルオが、まだ子どもなのにもかかわらず、大人ぶった口調で言葉をこぼした。

 

「違うわよ。美しいものに興味があるの。あなたは違って?」

 

 イングリッドは祖父のゴップ元帥がモニカ・ハンフリー大佐(当時)に命じて様々なニュータイプを集めさせていた事実を知っている。ゴップ亡き後、集められたニュータイプたちは、ジャミトフのチャクラ研究所や、連邦軍のムラサメ研究所に奪われぬよう、連邦政府や政財界の有力者に『養子』に出された。

 

「興味は、あります。でも不思議です。人間はこんなにも汚いのに、どうして美しいものを作り出せるのでしょう?」

 

 ミシェル・ルオが幼い顔つきながら厳しい表情で、ハウンゼン19便の一等客室を見渡す。

 地球に向かう連邦勢力内の特権階級詰め合わせパッケージのようなこの船室に、なにか思うところがあるらしい。

 そういったものをむしろ面白いとおもうイングリッドとは、価値観がどうも違うようだ。

 

 イングリッドとミシェル・ルオが同乗することになったのは、まさに偶然だった。

 月のアナハイム・エレクトロニクス社執行役員のアンディ・ウェリントンに引き取られたリタ・ベルナルという少女に会いに行った帰りだったらしい。

 少女二人の再会はそれほどドラマチックなものではなく、ありがちな、一人の男の子の取り合いで終わったようだ、とイングリットは量子脳で読み取った。

 

「……すみません、勝手に頭を覗くなんて、デリカシーがないです」

 

 不満そうにミシェルが告げる。

 

「かわいらしいわね」

「――ずるい。思考迷路張るなんて」

 

 どうやらミシェルがイングリッドの思考を読み取ろうとしたらしい。

 

「あたしの頭を覗きたいなら、もっといい女になりなさいな」

 

 うふふ、と笑うイングリッドに対して、ミシェルが頬を膨らませてむすっと、あちらを向いてしまう。

 

 イングリッドは隣に座るカワイイ女の子をいじめながら、地球圏でやるべき仕事の段取りについて思案する。

 

 まず何よりも――CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を買いまくること。

 イングリッドは地球と月とジオン公国の経済を吹っ飛ばすCDOを『空売り』する方法をずっと探し、ついにそれを見つけたのである。

 

 世の中の投資家たちがジャミトフの生み出した金融ガンダムのどれを買うかに夢中になっている今こそ、もっともCDOが過大評価されているタイミングだと結論づけていた。

 普通の人間であれば絶対にあきらめるであろう、様々な種類が販売されている各CDOの投資目論見書(大抵は数百ページに及ぶ)をすべて読むという苦行を、好奇心旺盛なイングリッドは楽しくこなすことができた。

 

 そして、このCDOが破綻した場合、保険金がもらえるサービスがあるということをイングリッドはつかんだのである。それがCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)である。

 通常、株式や債券を『空売り』するためには、それを借りてくる必要がある。

 しかし、CDOは原理上、それができなかった。

 だが、人類は常に『不安』という言葉に悩まされているので、CDOという手堅い投資についても『不安』がる人々がいるだろう、ということでCDSという金融保険商品が販売されていた。

 

 例えば、40億ハイトのCDOに対する半年ごとのCDS保険料1億ハイトだとする。仮に八か月後に40億ハイトのCDOに10億の損失が発生すれば、CDS保険に基づき10億ハイトのリターンを得ることができる。

 支払った保険料は1億なのに、手に入る払戻金は10億。粗利9億である。

 

 こんなバカみたいな商品があるなんて、とイングリッドは苦笑した。

 人類というのは不安というものから永久に逃れられないのかもしれないと、その悲しき生存本能に同情したのである。

 

 最も、CDSは保険であるから、その料金はリスクに対して連動して上がっていく。ハイリスクなものに対する保険料は当然高いのだ。

 

 しかし、CDOは『リスク分散された投資』とされ、その保険たるCDSはかなり不当に過小評価された相場金額で売りに出されていた。

 

 ここに好機を見出したイングリッドは、月でそれを買おうかと考えた。

 単純に、月の投資銀行や金融保険屋が売っているCDSを買おうと思ったのだ。

 だが、物事というのは不思議なもので、自分だけがうまくいく方法を見つけたと思ったのに、すでに先行している奴によって、月のCDSは予想よりもはるかに高いプライム(保険料)がついていた。

 

 マユナシ・エクイティ・ファンドを名乗る新設された謎の機関投資家が、月のCDSを買い求めていて、いくら祖父のゴップから継承している莫大な財源があるイングリッドでも太刀打ちできない状況に追いやられていた。

 

 しかし、地球はそうでなかった。

 地球連邦経済圏でCDSをバカみたいな安値で売っている投資銀行がかなりあり、そこで調達すればいいと気づいたのだ。

 

 ただ、惜しむらくは、月から通信衛星経由で地球の金融保険企業と取引することが法規制されていたため(※連邦政府の対ジオン金融規制)、わざわざ地球に降りて、海底ケーブル経由のネットにつないでCDS取引を申し込む必要があった。

 

 幸い、特権階級らしく地球への居住権を持っているイングリッドは、月から地球に降りることに対して何ら邪魔されることなく、こうやってハウンゼン19便豪華客船の旅を楽しむことができている。

 

「――イングリッド様、なにか悪いことを考えていませんか?」

 

 機嫌が直ったのか、ミシェルがこちらをみつめている。

 

「さぁ? 良い悪いってよくわからないけれど。ねぇ、ミシェル嬢。ダメなシステムを見つけてしまったときに、人はどう行動したらいいのかしら? システムの誤りを指摘すべきなのか、利用すべきなのか」

 

 ミシェルはうーんとしばらく考え込み、返事をした。

 

「指摘する人もいれば、利用する人もいていいと思います。世の中の正しさは価値観だから、時代や文化でころころ変わります。だから、そんな他人の評価なんか無視して、自分がやるべきだと思ったことをやるべきなんです」

 

 ミシェルの幼いながらも頑張って考えたであろう回答に、イングリッドはなにか未来につながる希望のようなものを見出した気がした。

 いい子だな、と素直に思う。

 

「そうよね。まさに、Do Your Best 」

 

 ごめんなさいね、ジャミトフ大将――とイングリッドは先に謝っておく。

 彼が為そうとしている、地球と人類を守るための仕組みに組み込まれてしまっているシステム上の欠陥を、あたしは教えてあげない……悪い女だから、と。

 




よぉし、あとはスイッチを押すだけだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二八話 0086 地獄の窯に火をくべるものたち 終

やめてよね。本気で喧嘩したら、サイが僕に敵うはずないだろ。

――マネーゲームに興じていた誰かの言葉。


 

 UC0086年2月初旬。夏の終わりに差し掛かりつつあったジャブローでは、ティターンズの艦艇が宇宙に向けて続々と打ち上げられていた。ほとんどはサラミス改級とコロンブス級空母だが、ごくまれにアレキサンドリア級も含まれていた。

 

 さて、ジャミトフ・ハイマンは経済人ではなく軍人として、ティターンズ総司令部が置かれている地下センターの執務室にいた。

 相変わらず壁面は様々な数字とグラフを表示するモニターに埋め尽くされている。

 単純に数字というものをみていると、この世の何かを可視化した気持ちになれるので、どことなく安心感を覚えるというのもある。

 

「……終わったな」

 

 椅子の背もたれに体をあずけ、こともなげにそうこぼすジャミトフは、己の人生が無意味だったことを悟っていた

 

 地球連邦政府首相がモニターの向こうで、地球連邦市民に対する新たな増税立法の成立に関する理解を求める姿が映っていた。

 

『――地球連邦市民の皆様には、地球連邦政府が支える各サイドへの交付金や防衛費など、増大する政府に対する需要をご理解いただき、受益者負担を切にお願いするところでございます』

 

 逆だよ――とジャミトフは失笑する。

 本来であれば、この金融好況を利用して減税政策と巨額の財政出動を連邦政府が行い、さらなる景気増進を図り、より宇宙経済圏を拡大させて、地球の宇宙経済圏依存度を高めさせるべきなのだ。

 事実、コロニー側は積極財政に振り切っている。

 あとは、眠れる巨象たる地球連邦政府が金をばらまくだけだ。

 

 そうすれば、急速な経済発展を始めた宇宙の各サイドこそ真の経済フロンティアになり、地球は忘れ去られた経済圏に堕ちる。

 

 立ち行かなくなった地球経済を捨てて、人々は宇宙に行かざるを得なくなるだろう。

 

 結果、地球環境の再生は自ずから始まり、人々は新たなるフロンティアでもう一度、新しい世界を創造することができたはずだ。拡大を志向するフロンティアは人々にチャンスと富を思う存分与えてくれるだろう。

 

 それこそ、地球をすててよかったと思えるほどに。

 

 そんな大それた野心も、願いも、いまモニターの向こうに映っている政治家連中の愚かな判断によって、すべて終わった。

 

 そもそも税とは、国家が市中から貨幣を回収する仕組みでしかない。

 市中に通貨が余っているインフレ時には増税で通貨を回収し、市中に通貨需要が高まっているデフレ時には減税により通貨を供給する。

 

 きわめて単純な経済の小道具にすぎないにも変わらず……政治家は、それを権力の源泉として使用する。

 おそらく財務省が提出した連邦政府経済に関する試算表を目にした政治家たちが、慌てふためいてこのような増税路線を打ち出したのだろう。

 

 このままでは、地球はいらなくなる。

 自分たちの『金の分配』という権力基盤が失われる、と気づいたのだ。

 

 0080年に比較して、0086年現在の連邦政府管轄下の宇宙移民数は、統計的にみると数百倍に及ぶ。ジャミトフが誘導してきた住宅ローンの潤沢な供給の効果により、人々は地球を捨てて宇宙の新天地へと移っていった。

 激増したバンチコロニーを支えるべく、各サイド自治政府はインターナショナル国債公社経由での資金調達を行い、巨額の財政出動を行い、様々な社会インフラや公共サービスを整えていった。

 

 0080年以降、あの手この手で人類を地球から追い出すべく、様々なメリットを持たせた金融政策を打ち上げ続けてきた。どれもこれもおおむね滞りなく進み、金は金を生み、人々は潤沢な手元資金を活かして生活を再建できるようになったはず――だった。

 

 ――にもかかわらず、このタイミングで、権力のために奴らは増税を決めた。

 

 ジャミトフは生まれてから怒りに震えるということはなかった。

 今もそうだ。

 冷静に計算しつくしたシステムによって、地球連邦政府を根本から変える算段を積みあげてきたがゆえに、ただ、徒労感だけを覚える。

 

 この増税は、地球圏経済にトドメをさす。

 

「民主主義の死、というやつか」

 

 この新課税立法の施行は4月からだ。

 昨年末ごろから新税法成立予定の報道を受けて、市況の数字は悪い方向に転じていたが――もう止まらない。活況に沸いていた宇宙経済は急速に縮退するだろう。

 そして、住宅ローンの返済が滞り始めるのが7、8月あたりだろう。

 

 間違いなく、CDOの請求権を支えていたローン返済が滞り、CDOが揺らぎ始める。

 大量のCDOが不良債権化していくことにより、連邦ジオン関係なく、すべての投資関係者が損害を被ることになるはずだ。

 これに備えるべく売り出していた保険であるCDSについても、先回りした鼻の利く投資家に買い占められており、いまそれを手に入れるためには相当の額を積みあげ、土下座覚悟でCDSを売ってくれ、と頼み込む必要があるだろう。

 

「失敗だな。こんなことなら、地球連邦議会の議員どもを皆殺しにし、首相も大臣もすべて消すべきだった」

 

 ゲームのルールに従って、おとなしく仕事をこなしてきたジャミトフは、己が悪になりきれなかったことに失望した。

 ゴップならやったはずだ。

 ギレンならやるだろう。

 だが、ジャミトフは……できなかった。

 地球連邦政府というものを信じすぎていた。自分をここまで上り詰めさせるだけのシステムが設計されていたのだから、システムとしての自浄作用が機能すると、信じてしまった。

 

 通信端末が鳴り、ジャミトフはそれを手に取る。

 

『ジャミトフ大将、やられましたな』

 

 ブレックス准将であった。

 

「終わりだ。もう止められん。金融システムの欠陥は理解していたし、それを利用する輩も出ることは踏んでいた。だが……まさか、地球連邦政府が自殺するなどという選択肢をとるなど想像できるかね?」

『ジャミトフ大将、あなたは人の愚かしさを軽く見積もる悪癖がありますな。それで、ダンディライオン計画はどうしますか?』

 

 ブレックスが気にしているのは、破滅する連邦政府のことではない。

 木星から引っ張り出してきた巨人の無限力を利用した、超長距離移民船団『ダンディライオン』プロジェクトである。

 地球、ジオン、月、火星、木星と人類の生存圏は太陽系に広がっているが、そこからもう一歩飛び出し、移民可能な別の星系を目指す巨大計画である。

 

 この計画を進めるために、可変MS開発などという金を食う研究開発プロジェクトをアナハイムやジオニックに発注したのだ。

 

「ダンディライオン計画、そしてこれに付随するZ計画は継続させる。たとえ地球連邦が滅んだとしても、太陽系の外に人類を飛び立たせることができれば、我々の勝利だ」

 

 ジャミトフはすべてが壊れていく中で、このプロジェクトだけは残したいという私的な願望があった。老境に差し掛かっているからこそ、希望とやらを信じてみたくなったのだ。

 

『計画の続行に感謝しますよ。レビル閣下にも伝えます。ところで、今後コロニーで起きるだろう暴動はどうなさるおつもりか?』

 

 コロニー暴動は避けられないだろう。自治政府に対する不満ではない。連邦政府に対する抗議運動だ。突然の連邦税増税による所得圧迫により、住宅ローンが支払えずに家を手放すなどということになれば、誰だって暴れたくなる。

 

「こういうときのためのティターンズだ。強権的に秩序を維持し、地球圏の安全を保障する権利と義務がある。コジマ准将ならば筋違いの手を打つこともなかろう」

 

 ジャミトフはティターンズの実働指揮を任せているコジマ准将の人となりをよく知っている。アジアの熱帯地域で地元武装組織や民間人、ゲリラ活動家やジオンが入り乱れる戦区で粘り腰の戦いを繰り広げた男だ。

 民間人(あるいは地元武装勢力)と様々な政治的折衝と利益供与によって戦況をコントロールしていた彼ならば、さすがにコロニーの暴徒鎮圧を名目に毒ガスを撒くなどというような、頭のイカレた行為はすまい。

 

『コジマ准将なら任せてもいいと思うが……それ以上にジオンが心配だ』

「どういうことかね?」

 

 ジャミトフは仮想敵ながらギレン・ザビのことを信頼していた。ジオン公国との紛争が0083事件以外にないのは、彼が極めて理性的な人間であり、無意味な戦争に価値を見出さない男だからだ。彼は戦争を、政治的意思を強要するための外交手段として用いるため、外交的に意味がない戦争を仕掛けてくることはほぼあり得ない――意味があれば仕掛けてくるのだが。

 

『公国とて経済はある。統制経済ではなく、月の企業群と深く結びついた本物の資本主義があるのだよ。もし月企業で金融危機が起きてみろ。流動性を失った企業群が宗主国たるジオンに経済支援を求めるぞ』

「――ジオンは、財政出動を行う能力をもっているのか?」

『ないな。確実に』

 

 ブレックスの言葉を受けて、ジャミトフは直ちに打たなければならぬ政策を組み立てる。

 その中で最優先なのが、連邦政府がジオン公国に行っている様々な経済制裁の撤廃だ。

 大まかに言ってわずか二か国しかない人類の生存圏が、互いに自由貿易できないなどというクレイジーな状態は、間違いなく流動性の危機を惹起する。自由貿易なき今のままでは、確実に人類は、立ち直れないところまで行ってしまう。

 

「0087年の平和条約だが、必ず自由貿易協定を成立させねばならん。その時に起きているであろう両国の危機とダメージをわずかでも減らすために」

 

 ジャミトフが告げると、ブレックスの声が強くなる。

 

『馬鹿も休み休みいいたまえ、ジャミトフ大将。そんなことをしたら、あなたが対ジオン強硬派に消されるぞ。連邦政府には、本当に権力のことしか考えていないバケモノがうろうろしているんだぞっ!』

「何が強硬派だ。ティターンズで叩き潰すまでのことだ」

 

 ジャミトフが徹底抗戦の構えをみせると、ブレックスの懇願するような声が届く。

 

『ダメだ、それが連中の狙いだっ! ゴップ閣下の時と同じで、ジャミトフ、あなたも政府のスケープゴートにされるだけだっ! ここはおとなしく――』

 

 ジャミトフは平行線だな、と通話を切った。

 しつこくブレックスから着信があるが、技術スタッフを呼び出し、ブレックスからのホットラインを切らせた。

 

 そして、誰もいない執務室の天井を見つめる。

 ガノータよ、私の人生はこんなにくだらないんだな、と言葉を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 はい、あたしの勝ち――と、イングリッド・サララ・ゴップは日本の出雲大社の拝殿にて、賽銭を放り投げて鈴を鳴らしていた。

 

 量子脳内に流れてくるLIVE映像には、連邦政府のクレイジーな増税政策についての広報映像が流れている。

 この内閣はもうすぐ倒れるだろう、というのは人の社会にそれほど詳しくないイングリッドでも分かった。

 

 さて、木漏れ日の美しさ、他とは違う凛とした空気をもつ神社のありようは、イングリッドにとってとても満足のいくものであった。

 参拝の作法はよくわからなかったが、地元民らしい老人のやり方を見よう見まねでやっていると、権禰宜の一人が声をかけてきた。

 

「おや、こんなところに若い方がお見えになるなんて」

 

 年老いた彼は、境内の建物の修理計画を立てるべく見回りをしているそうだ。

 

「あたしなりに考えたのですが、もう神頼みかな、という状況でして」

 

 特に何が、とは説明しない。イングリッドは破滅の足音が迫る中、一人だけCDSによる大金――文字通り、無数の保険会社と金融機関を吹き飛ばしてのゼロサムゲームでの勝利が約束された、ずるい女だからだ。

 

「神頼み、ですか。人はいつでも、どこへ行こうとも、神を奉りますからなぁ」

 

 宇宙世紀初頭を知っているのかもしれない権禰宜の嘆息に、イングリッドは簡単には読み解けない複雑な歴史への想いを読み取った。

 

「ねぇ、権禰宜さん。どうしてみんな幸せになりたいだけなのに、互いに足を引っ張ってしまうのかしら」

「そりゃ簡単だよ。幸せがなにか分かってないから、何でも手を伸ばしてしまうのさ。だから人の足をつかんだりもする。ままならぬものだよ、人の世は」

 

 すべては内なる神の声を聴けるか、だよと権禰宜が告げると、出雲大社を囲む大木の群れが大きく揺れ、境内に風が舞う。

 

「な、なんだぁ?」と権禰宜が烏帽子を抑えていると、境内に影がさした。

 

 権禰宜が空を見上げると、そこには地球連邦軍のペガサス級が複数飛来して、上空でホバリングしている。ミノフスキークラフトで滞空する巨大艦艇の威圧感に、権禰宜が腰を抜かす。

 

「あら、失礼。あたしのタクシーが来ちゃったみたい」

 

 イングリッドは権禰宜の手を取って助け起こすと、面白いお話をありがとう、と礼を述べた。

 

『イングリッド様、直ちに外の駐車エリアに来てください。迎えのSFSとMSが待機しています』

 

 なじみの声が聞こえる。

 普段は頼りないが、MSに乗っているときだけは使える男だ。

 イングリッドは境内を後にしつつ、彼に連絡を入れる。

 

「シン少佐。わざわざ来てくれたの?」

『ジョン・バウアー議員からの要請です。アルファ任務部隊はあなたの護衛任務に付きます』

「いいわね。まるで騎士たちに守られるお姫様みたい」

『……魔女の間違いでは?』

 

 上空に待機している、シン少佐が乗っているであろうネロトレーナーを背に乗せたドダイ改がふらふらと左にそれていく。

 

『――っ! 危なっ! 突然視界を奪うのやめてくださいよ、イングリッド様』

「減らず口を叩いたお仕置きよ」

 

 そんなことを言いながら、彼女は階段を下りて広い駐車場にたどり着く。

 イングリッドは駐車エリアに待機しているSFSと、そこに乗っているリックディアスを見上げる。

 

『ゴップちゃん、迎えに来ました』

「あら、シャニーナちゃん。正妻の座まであとちょっとみたいね。あと、大尉昇進おめでとう」

『ど、どこで聞いたんですか……!』

 

 うふふ、とシャニーナ大尉をからかいながら、イングリッドはSFSのサイドハッチから機内に入り、無人のコックピット内のシートに収まった。

 

『こちらアルファ101、目標を回収。離陸します』

『アルファリーダー了解。アルファマム、アルファ101の誘導を開始されたし』

『アルファマム、誘導する』

 

 シャニーナ、シン、マッケンジー中佐のやり取りが終わり、イングリッドはトロイホースⅡの船内に吸い込まれていった。

 

 

 

 とんでもない美人さんがいるらしい、とトロイホースⅡの艦内は盛り上がっていた。

 特に若い男性陣の熱狂ぶりは度を越していて、護衛対象たるイングリッドと記念写真を撮りたがる輩が続出していた。

 

 いま、シャニーナ大尉以下、護衛の兵たちはイングリッドを艦長室に案内すべく護送していたのだが、なかなかどうして、見知った艦内の廊下なのに突破できないのである。

 

「ちょ、引っ込んでくださいっ! 盛りのついた連中だなぁ……」

 

 人ごみを押しのける係を自ら買って出たシャニーナ大尉だったが、どうもうまくいかない。最初こそ大尉の階級の輝きで道を拓くことができたが、興奮したバカな男どもが相手となると、だんだん階級章の威力も落ちてきた。

 そう、階級こそ高くなったものの、まだまだ若輩者。ジャブロー軍官学校出身の特Aキャリアコースに乗っているがゆえに、階級がどんどん上がっていくが、実際の迫力に関しては追々身に着けていく必要がありそうだ。

 

「おう、貴様ら! 女とみりゃ盛りやがって! 全員特別指導受けてぇのか?」

 

 ドスの効いた声が響き、人混みが蜘蛛の子を散らすように散開していく。

 ヤザン中尉がダンケル、ラムサスとともに援軍に来てくれたらしい。黄鬼のヤザンなどと陰で恐れられる彼の迫力には、まだまだシャニーナは追いつけていない。

 ちなみに、黄鬼のヤザン他、赤鬼のマッケンジー、青鬼のサンダース、白鬼のイオなど訓練に厳しい上官たちには鬼のあだ名が割り当てられている。ちなみにシャニーナは……仏のシャニーナである。もっと厳しくしなきゃっ、とシャニーナは鼻息を荒くする。

 

「ったくよ。ハイスクールかよココは……」とヤザン。

「た、助かりました、ヤザン中尉」

「嬢ちゃん大尉殿、ここはこう、バシッと決めねぇとダメだぞ」

 

 ヤザンが小言を言いながら、シャニーナとその部下が連れていたイングリッドに視線を向ける。

 

「――失礼した。レディ・ゴップ様とお見受けします。私はヤザン・ゲーブル中尉です。おじいさまにはお世話になりました」

 

 背筋を伸ばし、さっと敬礼するヤザンの姿に、ダンケルとラムサスが後ずさりしている。

 もちろん、シャニーナ大尉も目を丸くする。

 

「あら、あなたがヤザン中尉ね。素敵な方だと伺っています。このあたしを守ってくださるなんて頼もしいわ」

 

 うげっ、とシャニーナが思わず声を漏らす。

 同性として嫉妬してしまう。あの男を殺す微笑みはマネできないからだ。

 

「ご安心を。この艦に御滞在の間は、必ずやご満足いただけるよう、力を尽くします」

「あらあら。願わくは花の下にて春死なん――」

「――その如月の望月の頃。マスター西行には失礼ですが、私としては、戦場のほうがありがたいですがね」

 

 二人の間に得体のしれない空気が流れる。

 何かを分かっている感を醸し出す、オトナの雰囲気に、まだまだ若いシャニーナ他、その場にいた兵たちは困惑する。

 

「???」

 

 シャニーナ少尉他、そこにいたすべての兵が頭上に疑問符を浮かべていた。

 ヤザン中尉って、こんな振舞できる人だっけ? と。

 

「おらっ、嬢ちゃん大尉、さっさと行けよ。オレがレディ・ゴップに手ぇ出したらどうすんだこら」

 

 ヤザンに額を小突かれたので、ヒィっ、となりながらシャニーナ大尉たちはイングリッドを連れて足早にその場を去った。

 

 

 

 シン少佐は当面自分が乗ることになるネロトレーナのコックピット内で、様々な調整作業に従事していた。

 最新鋭のインジェクションポッド内部に構成された、全周囲モニタ。

 フルCG処理で全周囲情報を映し出す様を見たときは、さすがのシン少佐も感動した。これで死角がだいぶ減ったぞ、と。

 

 ただ、感激してばかりもいられない。

 リニアシートの調整は必須である。

 かねてよりジムシリーズのケツ破壊型シートに虐められ続けてきたシン少佐のアスに合わせて、リニアシート周りの最適化が必須だからだ。

 

「いやー、こうしてると昔を思い出すっすねぇ」

 

 整備統括を任されているノエミィ・フジオカ技術少佐が、みずから手を動かしながら感慨深そうに言った。

 コックピットの中だと、昔のままの彼女の香りがして、シン少佐の心の燃えカスにちょっとだけ火が付く。

 

「打倒、ガンダム試作00号機、だよな」

「そっすねー。あの頃はマジ楽しかったっすねぇ。二人で作ったゴキブリマニューバも、もう時代遅れになったんで、ちょっと寂しいかなぁって思わないっすか?」

 

 シン少佐は、手を止めてフジオカ技術少佐の横顔をじっとみつめてしまう。

 

「時代遅れ……ってことはないだろう。だって、あれは思い出みたいなものだから」

「うわぁ、おっさんのセンチメンタリズムはキツイっすね」

「えぇ……」

 

 二人で笑いをかみ殺しながら、今までやってきたあれこれのよもやま話で盛り上がる。

 

「あ、そうそう、イオ大尉のガンダム、あれ見たんすか?」

 

 フジオカ技術少佐がリニアシートのエアサスをいじっているので、シン少佐はよいしょとシートを支える。

 

「ラムダガンダムだろ? イオ大尉が自慢しててさ、乗せてくれーって頼んだけどダメだったよ」

「そりゃムリっしょ。あれはイオ大尉の個人スポンサーからのモノっす。あのアナハイムの執行役員の人、えー……」

「ウェリントン卿だろ。イオの親父さんの親友なんだとさ」

「ヒェー、金のスプーンをくわえて生まれてきたんすね、イオ大尉は」

 

 生まれはいいかもしれないが、戦争で家庭も家族も滅茶苦茶にされているイオのことを想うと、なかなか冗談にはしにくい。

 

「ゴリゴリの試験機体らしいっすけど、アレ、なんかヤバい感じするんすよ」

 

 それは同感だとガノタたるシン少佐も思う。

 そもそもラムダガンダムは設定がほぼない。ネロの上半身はラムダガンダムを参考にした、という謎設定があるだけだ。ちなみにネロの下半身はSガンダムを参考にしているらしい――ということは、ALICEシステムを積んだSガンダムがどこかにあるんじゃないかと期待したいところだが、ゴップ閣下と違ってハンフリー准将は気軽に連絡できる相手ではないので相談もできやしない。

 

 あ、でもあっちのレディなら――と思い、シン少佐は量子通信を繋ぐ。

 

『Sガンダム? それならアムロ・レイが乗ってるわ。ALICEってのは別のファントム計画と統合されて、ブレックス准将が何かアナハイムに作らせてるみたいだけど、ガンダムじゃないからウォッチしてないの』

 

 ファントム計画って、一年戦争の時に無人MS動かすぞってことで動いていた先進AI研究計画じゃないか。まだ存続していたとは驚きでござる、とシン少佐は東京湾で暴れて始末されたジムコマンドに搭載されていたAIを追悼する。

 

「ガンダムじゃないから?」

『おじい様からの遺言で、あなたにガンダム渡すと碌なことにならないから監視しとけって言われてるの。ガンダムのことなら何でも聞いてね。ちなみにゼットガンダム? はまだ作ってる途中よ』

 

 ゼータガンダムです、と早口なオタクが飛び出しそうになるが抑える。

 

「あ、はい。ありがとうございました」

 

 通信を切り、ふぅ、と己に課された宇野サララの呪いの重さを受け止める。

 

「またイングリッドとかっていうお嬢様と話してたんすか? あーしがあれこれ言うもんじゃないと思うんすけど、シャニーナちゃんの前でそれやると、ビンタもんっすよ」

「そんなこと言われても、ゴップ閣下のお孫さんで、一応、一蓮托生な関係なんだよなぁ」

「えぇっ!? そうなんすか……そういう込み入った事情があるなら、シャニーナちゃんにも説明したほうが」

「一応、してあるんだよ。イングリッド様とはあれこれあって離れることはできないって」

 

 そう答えると、はぁっ、とフジオカ技術少佐が大きく息を吐いた。

 

「こりゃシャニーナちゃんも苦労するっすね。あ、ダンパもいじるんで、気合入れてどーぞ」

「ふぬぬぬ……これ、普通にジャッキ入れたほうが……」

「口答えしないっ!」

「は、はいっ!」

 

 エンジニアリングにおいては、技術少佐が優越する。これは兵隊の常識である。命令違反は許されない。

 全力でシートを支えるシン少佐は、後日全身の筋肉痛に苛まれることになる。

 

 

 

 翌日の早朝。まだ上番まで時間があるとベッドで粘って寝転んでいたシン少佐の部屋に、シャニーナに連れられたイングリッドがやってきた。

 何事かと思うと、イングリッドがシャニーナに部屋の外で待て、と言っている。

 部屋の扉が閉じられ、イングリッドが勝手に椅子に腰かける。

 

「はじまるわ」

「はっ?」

 

 シン少佐は寝ぼけまなこのままベッドから起き上がる。

 

「始まる、というのは?」

「決まってるでしょ。最悪のZガンダム世界ってやつよ」

 

 意味が分からなかった。

 この数年間、イングリッドが何かしているのは知っていたし、それがその最悪のZガンダム世界とやらを阻止するために活動だと思っていたが、違うのか? とシン少佐は困惑する。

 

「え?」

 

 シン少佐は間抜けにも、そんな質問しか出なかった。

 

「今年の年末位に世界が悲鳴を上げるの。まさに絶叫。久しぶりのお祭り騒ぎに胸が高鳴るわね」

「いやいやいや、ちょっと、ちょっと待ってもらっていいですか、イングリッド様」

 

 シン少佐が制服を着ながら確認する。

 

「イングリッド様は、ずっとその、最悪のZガンダム世界というやつを止めようとしてたんですよね?」

「あら、そんなこと言ったかしら?」

 

 何を言ってるのあなたは? という彼女の態度に、シン少佐は記憶の糸を手繰り寄せる。

 言っていたような気がするんだが――

 

 ……あ。

 

「あたしたちが失敗すれば、最悪のZガンダム世界ってやつを鑑賞できるわ」

 

 イングリッドがそっくりそのまま、当時のセリフを引っ張り出した。

 

「ごめんね、シン少佐。あたしは無事失敗。いやぁー、思ったより全然お金が足りなくて、阻止どころか状況に対応するだけで手いっぱいね。マユナシ・エクイティ・ファンドと同じレベルってとこかしら」

 

 イングリッドからことの経緯は聞いている。そんなデカイ金融市場の話に、一介のMSパイロットが何かできる余地などあろうか、いや、ない(倒置)。

 

「――イングリッド様ならワンチャンあると思ってたんすけど」

「当然、そのワンチャンスとやらはつかんだわよ。みて、これが今回のパンドラの箱の最後に残る希望ってやつよ」

 

 イングリッドから送られてきた保有CDSから得られるであろう利益の予測値は、アナハイムグループとジオニックグループ、そしてブッホを買収してもまだ余るほどであった。

 つまり、彼女なりに次善の策は打ったということだ。

 MSに乗ってのんきに過ごしていたシン少佐には成しえない、素晴らしい成果だとは思う。

 

「マジかよ……。教えてくれ、自分はどうしたらいい?」

「大丈夫よ、シン少佐。頭の悪いあなたの代わりに、あたしがちゃーんと考えてあげる」

 

 イングリッド曰く、来年には大量に保有しているキャッシュを使って、連邦政府の政治任用職を買い取るつもりらしい。

 

「参謀次官っていう変な職があるの。ほら、地球連邦政府には、統合参謀本部があるでしょ?」

 

 首相や国防大臣、連邦安全保障委員会等の委員は建前上、シビリアンであるから、これに軍事専門職としての助言を与える機関が設けられている。

 これを統合参謀本部という。

 基本的に統合参謀本部は職業軍人によって構成されているのだが、奇怪なことに、政治任用される『参謀次官』という統合参謀本部議長に並ぶ政務官職のポストがある。

 原作ではアデナウアー・パラヤ(クエスの父親で、マフティーの精神上の義父)がこの仕事についていた。ロンドベル司令であるブライトを顎で使える立場であり、挙句、連邦政府を代理してネオジオンと交渉を行い決定権まで委任されている超大物ポストである。

 結論だけ言えば、かのゴップ元帥より偉い。

 

「ってことで、来年、あたしが参謀次官ってのになるから、あたしの指示に従ってドンパチしてくれればいいの。頑張ってね」

「うわぁ……」

 

 シン少佐は頭を抱えた。

 特にこれと言って何もできないまま、あっさりと0087年を迎えることになりそうだ。

 しかも、イングリッドの言葉通りなら、さようなら平和、こんにちは戦争である。

 せっかく宇宙怪獣で一致団結したんだから、もう人類同士の戦争は飽きたってことでいいじゃないですか、などとシン少佐は恨み節を心中で垂れ流す。

 

「ハッピバースデー、戦争♪」

 

 イングリッドの歌声を聞きながら、シン少佐はただ嫌な汗を背中に感じるばかりであった。

 

 

 

 UC0086年10月、イングリッドが設立していた投資会社に一時間当たり千件を超える着信があった。一切応答しないイングリッドだが、その録音だけは楽しく聞いていた。

 

『CDSを売買譲渡してくれ』

 

 これだけだ。そこに至る脅迫、泣きつき、恫喝といった人間のあの手この手の口上はとても面白くて、これから生きていくうえで勉強になることばかりだった。普通の人間とネゴシエーションをするときは、こういう風にやればいいのね、とイングリッドは実戦的学習を重ねることができ、とても幸せであった。

 

 

 

 同月、マユナシ・エクイティ・ファンドを名乗る投資会社にも一時間当たり万単位で着信があった。『CDSを売ってくれ』である。

 もちろん、様々な脅しや恫喝、懇願、あるいは泣き落としが録音され、それはAIによって文字起こしされてジャンクデータとしてどこかに保存されていく。

 ギレン・ザビは世界を破滅させる金融恐慌が始まったのだと理解していたが、モニターの向こう側の市民たちは違うようだ。

 一切の報道管制を敷いていないにもかかわらず、メディアは相変わらず娯楽番組を放送し、いまから何かとんでもないことが起こる、などという番組は全く存在していない。

 

 ギレンは、愛してやまない『黒い三連星のMSストリームアタック』で、三連星がカスタマイズしたオッゴでヅダに勝てるか、というムチャぶり企画に挑戦する姿を一心不乱にみつめていた。

 

「ギレンはーん、大事故やでぇ」

 

 モーラ・バシットが空間を斬り裂いて現れた。

 彼の私室に問答無用で侵入できるモーラは、ハッハッハと大笑いする彼の姿を見て、頭を抱える。

 

(こいつ……もう、覚悟決まっとるやないか)

 

 モーラが戦慄していると、ギレンがこちらを向いた。

 その顔には、かつてコロニー落としを決断した時と同じ顔が張り付いていた。

 四十億人を殺せる、あの顔である。

 

 

 

 




次回からぁ、グリプス戦役だぁよ(満面の笑み)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シン少佐とグリプス戦役(0087)
第二九話 0087 グリーンノアの和約(上)


Zガンダムの第一話はやっておきたかった、という回


 

 星屑が輝く宇宙に巨大なスペースコロニーの群れが浮かび上がる。

 サイド7。

 ラグランジュ点L3に位置する、ジオン公国から最も遠いサイド。

 

「ロベルト中尉、隊の展開はどうか?」

 

 0087年3月2日の作戦タイムスケジュールを、赤く塗られたマラサイを操るシャア・アズナブル大佐は淡々とこなしていた。

 定時報告時刻が迫ったので、配下の状況を確認する。

 

『団長、問題ありません。機種転換したばかりの連中でも、三日で手足みたいに動かせたんです。マラサイはハイザックよりイケてますね』

「しっかり面倒を見ておけ。ロベルト中尉はどうか?」

『一年戦争からの古参ばかりですから、問題ありませんよ、団長』

「油断するなよ、ロベルト中尉。平和の祭典とはいえ、それを快く思わん連中が何をしでかすかわからんからな」

『了解』

 

 シャア大佐率いる特任MS戦闘団が、サイド7の周りを旋回する。

 

『シャア大佐、ニュースサイド7ナウです。もう少し映える感じに動いていただけますか?』

「了解した。これでは道化だな」

 

 シャア大佐たちは、あえてパフォーマンス用にスラスタを多めにふかし、その光芒を大きくする。

 マラサイの群れの航跡が、無数の流星のように映る。

 サイド7で放映されている自分たちの姿を、シャア大佐はHUDに表示する。

 精鋭部隊のパフォーマンス飛行、といった様に、赤い彗星は口の端を上げる。

 コロニーから自分たちの航跡を指さす子どもたちのカットが挟まる。

 パフォーマンス警備としては、ちゃんと効果を発揮できているようだ。

 大戦終結以来、ザビ家との政治協定に基づき一介のMSパイロット、そしてジオンの英雄として振舞い続けてきたシャア・アズナブル大佐にとってこの程度のことは造作もないことである。

 

 彼の考えていることはただ一つ。早くララァのもとに帰ることだ。二人目が生まれるので、本当はガルマの護衛など放り出して帰ってしまいたい……が、ザビ家との契約があるため、反古にはできないのだ。

 

 いま、ジオン公国公王、デギン・ザビから平和条約締結のために特命全権大使を任されたガルマ・ザビが、ここサイド7に入港している。

 ガルマ他、政府要人たちも続々とサイド7のバンチであるグリーンノアに続々と乗りつけている状況だ。

 ジオンの護衛のみならず、連邦軍も――特に、今回の平和条約締結に並々ならぬ決意を語っていたジャミトフ・ハイマン大将率いるティターンズが、厳戒態勢で臨んでいるのを確認できる。

 

『団長、グワダンです』

 

 ロベルトから知らせを受けた方角を拡大する。

 巨大な赤い艦艇がサイド7のグリーンノアに近づいている。艦自体が大きすぎるため、どうやら港の外で待機するようだ。

 あちらはあちらで、ガトー中佐率いる護衛MS部隊を展開しているのがわかる。青く塗られたノイエ・ジールの識別信号がそれを示しているからだ。ノイエ・ジールユニットは第二世代MS規格を採用しているジオン系MSならば、どの機体でも着込むことができる拡張火力装備である。

 

「過剰防衛と言われかねんな、あれは」

 

 シャアは警戒心旺盛な独裁者のありようを見て、なぜか漠然とした不安を覚えたが、ニュースサイド7からのさらに派手な動きを求める要請があったので、それを振り払った。

 

 

 

 

 少年と少女が、緑樹の整備されたハイスクールのキャンパス内を進む。

 

「カミーユ、ねぇ。カミーユ」

 

 少女が呼びかけるが、カミーユはどこか不満げに答える。

 

「いうなよ、カミーユってのが俺だって」

 

 などというカミーユに、少女はばかばかしいと言い切る。

 二人はそのままキャンパスを出て、レンタカーエリアにたどり着くと、エレカに乗り込んだ。

 

「また港に行くの」

 

 カミーユが運転する車内で、少女があきれたように言う。

 

「ファまで付き合う必要はないんだぜ」

「ふーん、じゃ、私、降りるわ」

 

 ファがへそをまげたように言うと、カミーユは訂正する。

 

「わるかったって。付き合ってくれてうれしいよ」

 

 二人を乗せたエレカは、コロニー外周を周回するリニアカー乗り場へとたどり着いた。

 エレカを駐車エリアに停車し、二人でリニアカーへと乗り換える。

 カミーユは、コロニー外壁を周回するこの交通機関が好きだった。宇宙を感じることができるし、自分が地球と陸続きでないところに立っている人類なのだということを自覚させてくれるからだ。

 

「あ……」

 

 カミーユは宇宙を駆け抜けるMSの流星群を見た。

 赤いマラサイに率いられたモスグリーンのマラサイたちの群れが、カミーユたちの乗るリニアカーの傍を流れていった。

 

「すごい数ね。ジオンのなんでしょう?」

 

 ファがカミーユの腕をとって身を寄せる。

 一年戦争から7年近くが経つ。サイド7も戦場になったことがあるというが、戦後移民組のファやカミーユにとって戦争は遠いものだった。

 しかし、こうやってジオンの軍隊を間近に見ると、それが本当にあったことなのだということを感じざるを得なかった。

 

 

 

 カミーユとファが港に着くと、カミーユは一目散にベイエリアに向かった。

 

「絶対規制されてるって」

 

 ファがあきれたようにカミーユについていく。

 いま、サイド7では平和条約締結の式場としてお祭り騒ぎでありながら厳戒態勢であるという、両極端な状況であることをファは知っていた。平和になるならそれでいいし、お祭りにカミーユと行けるなら何の不満もない――少なくと、グリーンノアに住む普通の人たちは、ほとんど似たような気持だった。

 ちょっとした大きなイベントがあるので盛り上がってきたな、というところである。

 

「あ、すごい。あれエゥーゴの最新鋭艦だぜ」

 

 カミーユが港を見下ろすことができる展望室の窓に張り付く。

 視線の先には白い大型艦が映っていた。

 昔、6年くらい前に放送されていた人気アニメ『機動戦士ガンダム』に出てくるホワイトベースになんだか似ている気がした。

 

 あんなの地球連邦政府のプロパガンダアニメだよ、などと斜に構えていたカミーユのほうがなんだかんだでハマってしまい、今ではすっかりガンダムマニアだ。

続編が出ないからということで、カミーユはいつもプチMSに乗ったり、入港した軍艦を見に行くことで欲求不満を妄想に転化しているらしい。

 そんなことするくらいなら、わたしをもっと見てくれればいいのに、とファは不満に思う。

 

「なんて船なの?」

「アーガマ、ってアナハイムのカタログに書いてあった」

 

 ここからカミーユのガンダムマニアとしての語りが始まる。

 地球連邦軍といってもピンキリあり、レビル将軍が統括する軍団『エゥーゴ』か、ジャミトフ大将が率いる特別軍事機構『ティターンズ』の二つが、連邦軍の中でも選りすぐりの連中で構成されている、とのこと。

 比率的には、エゥーゴが全連邦軍の1割くらい、ティターンズも1割だそうだ。ただし、エリート具合はティターンズのほうが上らしい。

 

「ふーん。じゃ、残りの八割はどうなの?」

「さぁな。表の雑誌にも、アングラ系の内部リーク系でも全く注目されてないから、大したことないんじゃないか。例の宇宙怪獣事件だって、ほとんどレビル将軍とジャミトフ大将が仕事してて、正規軍のゴップ元帥なんてさっさと死んじゃったし」

 

 ガンダムマニアは早口になるので、ファは話の半分も聞き取れなかった。

 わかったことは、普通の連邦軍が大したことない、ということくらいだ。

 

「へー。うちの裏のお兄さんも、連邦軍に入ったけど暇そうだもんね」

「ヨシオカにいさんは自治政府軍だよ。軽歩兵だし」

「どゆこと?」

「だからー……」

 

 カミーユ曰く、歩兵や戦車、ヘリみたいな補助的な兵力の運用をするのが自治政府軍というものらしい。連邦政府から補助金を受けて、各サイドや地球の地域政府が責任をもって養成するらしい。バンチ警察で対応できないときに出てくるのが自治政府軍なんだという。

 地球連邦軍が大規模な地上戦をやるときの、軽歩兵戦力の供出元でもあるそうだ。

 

「おなじ地球連邦軍の制服きてるのに、へんなの」

「連邦法に書いてあるんだよ。各自治政府軍は連邦政府首相の命令で、補助軍として組み込まれるって」

「え、じゃあヨシオカにいさんは、戦争になったら戦わなくちゃいけないの?」

「そういうこと。けど、軽歩兵に出来ることなんて今の戦場にはほとんどないから、あいかわらずいつも通り、コロニー内の警備任務したり、暴動対応するくらいじゃないか。地球の歩兵は地球出身者で固めるらしいし。風土病の抗体とか、地理に明るいとか……地元のことは地元でってことだよ」

 

 そういえば、ヨシオカにいさんは今日も駆り出されていると聞いた。ハイスクールでてバイト暮らしをしていた人が、思い付きで軍隊に行くって聞いたときは、無理だろうと思ったけれど……人は何とか適応していくものらしい。

 コロニー内で人の集まる大きなイベントをやるときは、自治政府軍も総動員される。

 

「もしかしたら、軍ロビーのほうに行ったらブライト艦長とかに会えないかな? サインもらったことあるんだよ」

「え? でもいま警備厳しそうだけど……」

 

 大丈夫だって、とカミーユが面会パスを見せる。

 

「あ、そっか」

「そうさ。うちは親父も母さんも、軍関係だからな」

 

 カミーユがこどもっぽい笑みを浮かべる。

 

「もー、どうなっても知らないわよ」

「いや、まじで大丈夫だって」

 

 すっかり期待に胸を膨らませたらしいカミーユが、軍ロビーに向かっていく。

 そんなカミーユを、ファがあわてて追いかけていった。

 

 

 

 グリーンノアの軍用ベイエリアに入港したアルファ任務部隊は、今回の平和条約締結に参加するゴップ参謀次官の護衛任務に従事していた。

 とはいえ、ゴップ参謀次官は式典までの間、トロイホースⅡの専用室にて休息されるとのことなので、隊員達はワッチを組んで上番組と休憩組に分かれていた。

 

 現時で休憩組になっているシン少佐は、港の軍用ロビーにあるカフェテリアで紅茶を楽しんでいた。招集があればすぐ艦に戻るよう言われているので、アルファ任務部隊の休憩組は港近辺をうろうろする以外ないのだ。

 

 あー、もうめちゃくちゃだよ、と紅茶をかたむけながら、シン少佐は網膜レンズに流れる各サイドの暴動情報を眺めている。バカな増税から始まった住宅ローン未払い問題、そしてこれから波及したCDOの不良債権化が全く止まる様子がない。

 

 家を失った移民組は移民先のコロニーで暴れまくる。

 金融恐慌を受けて融資の流動性を失い経済活動を止めた月企業――に就労していたホワイトカラーたちも、雇止めにあって暴れまわっている。

 経済エンジンたる月面企業群に、燃料たるキャッシュを回せなくなるのが金融危機の特徴である。貸した金が返ってくるかわからないという不信感が、キャッシュの流動性を失わせるのだ。

 

 この結果、3か月後の売上を担保とした今月の給与支払い用融資が受けられない、などといった、わけのわからない現象が起きる。

 

 信用売買が成立しなくなった経済市場では、現金一括主義のみがまかり通るため、何をするにしても日払いや都度払いをせねばならず、ひどいコロニーでは水道料金や電気料金の請求が毎日あるという。

 

『――ねぇねぇ、知ってる? 企業口座ってホントに桁溢れするみたいよ? 口座分けて管理しなきゃいけないって面倒ねぇ』

 

 カフェに入ってから続けているゴップ参謀次官との悲惨な雑談――経済と引き換えに、ゴップ参謀次官の口座が国家予算を超えつつあるという異常事態に関するボヤキを聞いていた。

 

「ちなみになんですが、CDSを売ってた保険会社は潰れてないんですか?」

『保険料支払いで潰れてるに決まってるじゃない。あたしが潰した保険会社と投資銀行の数は紙一枚じゃ収まらないわよ』

「――ちゃんとキャッシュは入るんですか?」

『世の中うまくできてて、再保険制度ってのがあるのよ。かの伝統あるバークシャー・ハサウェイなんてのが有名ね。保険会社の保険会社っていうと、わかるかしら』

「……わかりたくないですねぇ。CDSは本当にゼロサムゲームなんだなぁ」

 

 勝者の利益と敗者の不利益を足すとゼロになるゲームである。

 

「ところで参謀次官どの。いくら積んだら参謀次官の椅子買えたんです?」

『んー、安かったわよ。政治家だってお金に困ってるタイミングだったし。買収はすぐだったかな』

「買収って……言葉を選んでくださいよ。寄付金ですよね?」

『あー、それそれ。ねぇ、知ってる? 連邦政府の議員って、実家が太い議員以外は、みんな政党からもらうお金に依存してるんだって。だから政党のボス猿や、お金持ち議員は強いのねぇ――議席において大多数を占める数合わせ議員はみんな泣いて感謝してくれたわ』

 

 いや、それはつまり、あなたが政党のボス猿と同じ役割を果たしたということですよね? とシン大尉は顔が引きつる。連邦議会の過半数は確実に押さえているのではないか? と思うと、イングリッドの桁違いの財力に恐れを抱く。

 それでいいのか、連邦政府と連邦軍よ……いや、ダメだからこうなったのか。

 

『ま、いまはジャミトフが頑張ってるし、もしかしたら戦争は回避できるかもね。この隙に、もらえるポスト全部もらっとこうかしら。この海軍戦略研究所の専務理事ってのも買っちゃお』

 

 ネットショッピングをするようにポストを買う彼女の姿は、まさに魔女なのだろうな、などとシン少佐は思った。

 ジャミトフも手持ちの政治資金を使って議会工作をしているらしい。ジオンとの自由貿易協定の締結、貿易規制の撤廃、金融危機に関する相互協定や、通貨危機に備える条約などを成立させるべく奮闘中とのこと。

 そういった戦争回避のための大政策の前に、軍事組織の一政治任用職の人事決議などはさっさと片づけられる些事にあたり、あっさりとイングリッドの参謀次官就任が承認されたそうだ。

 

「――あ」

 

 シン少佐は一方的にゴップ参謀次官からの通信を切った。ふんすっ、というスタンプが届くがそれどころではない。

 

 港のロビーに、ジェリドとカクリコン、そしてエマ中尉がいるのだ。

 原作と同じく、ジェリドが二人を迎えに来ているらしい。よく来てくれた、などとあいさつをしている。

 

「やばい(×1000)」

 

 すっかり金融危機のことに頭を奪われていて、バチギレボーイがティターンズのメンズにデュクシする可能性があることを忘れていた。

 これは――完全に神の啓示ですな、とシン少佐はカウンターの決済端末を操作して、会計を済ませる。ただでさえ少ない口座の中身が、さらにゼロに近づいて悲しかった。ゴップ参謀次官の懐具合と比べると、ガチ格差社会というものを痛感させられる。

 

 低重力エリアなので、地球でバキバキに体を鍛えてきたシン少佐にとって、予定のインシデントエリアまで跳躍することは容易であった。

 

 I Can Fly.

 

 すたっ、と誰にも注目されぬまま、ロビーの中央に降り立つ。そもそもたいして存在感がないのが、シンという存在のメリットであり、デメリットである。

 

 ――来るっ!

 

 かのアムロ・レイの如く、白い稲妻がシン少佐の額に走る。

 本当は、長年のジム搭乗によって破壊された腰椎が着地の衝撃に悲鳴を上げて、これアカンやつですわ、という痛みの信号を脳に届けただけである。

 だが、ガノタとしての心力が、そのような情報をニュータイプのそれに変換してくれる。

 なお、痛みは消えない。

 

「――カミーユっ! ねぇ、カミーユっ! 会えやしないわよっ!」

「行ってみないと分かんないだろ?」

 

 キャッキャとティーンエイジャー二人が軍用ロビーに降り立った。

 シン少佐は胸が高鳴った。ファ様のおみ足がグゥレイトォ!!

 あと、カミーユが想像以上に美少年でトゥンクッ、と心臓がはねた。

 

 ジェリドたちティターンズ組が、キャッキャと騒いでいる二人に注目する。

 そして、ジェリドが例のダメワードをつぶやく。

 

「女の名前なのに……なんだ、男か」

 

 腰の痛みに一瞬悶絶していたせいで、シン少佐は阻止すべきタイミングに遅れてしまった。

 だが、ガノタたるもの、そのような出遅れシナリオにも備えているものである。

 

「おい、誰が女の名前だって?」

 

 カミーユではない。

 シン少佐である。

 彼はかつかつとジェリドに向かって詰め寄っていく。

 

「な、なんですか少佐?」

 

 明らかにうろたえた様子のジェリド中尉に、シン少佐は、イケルっと内心で確信する。

 

「貴様、自分の名前をバカにしただろう? 言っておくがシンは女だろうが男だろうが関係なく使えるぞ。うちの近所のばあさんは梅田しん――そして、李信って男は中華の大将軍だ。そしてシンシンはパンダだ、この野郎」

 

 ガノタならば知っているだろう。ジェリドは決して「カミーユ? 女の名前なの(略)」とは言っていない。あくまで、女の名前なのに男、と述べただけである。

 

 そう。『誰が』とは明示していないのだ。

 

 たまたまあの場にいたのがキレやすい上にNTな美少年だったがために、原作ではわけのわからんことになってしまった。

 しかし、ここには、このシンが義によって立っているのだ。

 

「少佐、因縁はやめてくれませんかね」

 

 ケンカ慣れしていそうなカクリコンが前に出てくる。

 

「カクリコン、やめなさいっ。この人、戦闘神経症なのよ。まともな判断が出来てないんだわ……」

 

 エマ中尉がカクリコンを止めようとする。

 

「一般将校にケンカ売られて黙ってられるか。ここ、グリーンノア1はティターンズの拠――」

 

 シン少佐は問答無用で手を出した。

 鋭いストレートがカクリコンの顎に決まり、彼がダウンする。

 あわてて駆け寄り、カクリコンを介抱するエマ中尉。

 

「貴様っ!」とジェリドが激高し、拳を向けてきた。

 

 シン少佐はそれをあっさりとからめとり、そのまま肩関節を外しておく。

 

「ぐわぁっ!!!」

 

 激痛に悶えて、崩れ落ちるジェリド。

 よし、これで一日くらいはMSに乗れないだろう。ガンダムMK2墜落問題は処理完了。

 この世界の医療技術は恐ろしいくらい進んでいるので、数時間で脱臼くらい完治させかねないからな。

 

「っ! 少佐、御覚悟!」

 

 エマ中尉まで参戦だ。

 さすがにガノタたるもの――男女平等が原則である。

 繰り出された近接格闘術をすべて受け流し、するどい平手打ちを頬にキメる。

 内心で「ごめんなさいぃぃぃっ!!(×∞)」である。

 低重力下ゆえに壁まで吹き飛ばされるエマ中尉。

 そのまま流れていったエマ中尉を、ファが駆け寄って介助する。

 

「なんてやつだっ! 卑劣漢めっ!」

「カミーユっ、ダメよっ!」

 

 え? とシン少佐が振り返ると、正義の怒りに燃えるカミーユ少年がこちらにむかってとびかかってきているではない。

 え?

 え?

 えぇ……?

 

「ま、待つんだ、少年っ!」

 

 慌てふためいたシン少佐は、ガードが遅れる。

 その隙を、カラテとジュードーを嗜むカミーユ少年が見逃すわけもなく――

 体重のしっかり乗った正拳突きがシン少佐の鼻っ柱に飛んできた。

 

「ふぉぼぉッ!?」

 

 情けない大人の声を漏らしながら、シン少佐は吹き飛ばされて、ロビーの壁面に打ち付けられる。

 キ、キクぅ、などとダメージを負いつつも、まだ意識ははっきりしている。

 しかし、ここで再度立ち上がろうものなら揉め事が継続してしまうと悟ったシン少佐は、やられたふりをしてそのまま壁際に沈む。

 薄目を空けて、その後の様子をみてしまうのは、ガノタなので仕方ないことだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

 カミーユが肩を外されてうずくまるジェリドに声をかける。

 

「す、すまないな、少年……助けられちまった。将校に殴りかかるなんて、お前さん、男だな」

「――肩、戻しますから」

 

 ジュードーの心得もあるカミーユが、ジェリドの腕をとり、はっ、と気合を入れる。

 

「うっ!」

 

 ジェリドがうめき声をあげるが、ゴキリという音ともに、関節が戻る。

 

「はぁ、はぁ……ありがとな、少年」

「少年じゃないです。カミーユ。カミーユ・ビダンです」

「カミーユか。後で一杯おごらせてくれ。男同士の礼の仕方ってのがあるんだ」

 

 ジェリドが連絡先をカミーユに渡している。

 

「でも、俺、未成年なんで」

「なら、クソ高い天然物のコーヒーでどうだ? 良い店知ってんだ」

 

 ジェリドがカミーユの頭にぽん、と手を置く。

 

「なら、それで」

 

 どこか恥ずかしそうにカミーユが言った。

 

「おう、男の約束だぞ」

「は、はいっ!」

 

 年上の兄貴にでも出会ったかのような素直さに、シン少佐は驚いた。

 そうか。カミーユは両親から愛されたくて――いや、誰かから愛されたい年頃だったんだよな。見た目が美少年だから、それにコンプレックスをもって、男らしさのようなものを追い求めていたカミーユに、ジェリドは『男だな』と認める言葉をかけてやった。

 それが効いたんだろうな――などと、シン少佐は予想だにしない展開を見ることができて、うちなる神に感謝していた。

 

「――え、ジェリド中尉はガンダムに乗るんですか?」

「おうよ。今度カミーユにも見せてやるよ」

「ありがとうございますっ! 俺、機動戦士ガンダム大好きで……」

「お、奇遇だなぁ。オレも同じさっ。セイラさん、わかる?」

「わかりますっ。でも、僕はフラウ派でして――」

 

 いいねぇ、コーヒーハウスが楽しみだぜ、などと言ってティターンズ勢はシン少佐を放置して去っていった。

 

 ティターンズ一同が遠のいたのを確認したシン少佐は「やれやれ」などと言いながら立ち上がった。

 

「これ、カミーユとジェリドが親友コースなのか?」

 

 なんだろう、クラウンみたいにはうまく行かないもんなんだなぁ――まだまだガノタとしての修業が足りねぇってことか、などと、やりきったイイ笑顔を浮かべながら、垂れていた鼻血をポケットティッシュで拭う。

 

『――シン少佐、聞こえるか』

 

 感慨にふけっていたシン少佐に、マッケンジー中佐からの通信が入る。

 

「はい、こちらシン少佐」

『シン少佐、港湾局から通報があった。直ちに艦の司令室まで出頭しろ。貴様、また何かやったな?』

「え、またなんかやっちゃいました?」

 

 なお、出頭後即座に部隊懲罰会議にかけられ、ジャガイモの皮むき二週間の刑に処されたのは、また別の話である。

 

 

 




0087は原作に沿いつつ(?)、ゆっくりやっていきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三〇話 0087 グリーンノアの和約(中)

 

 

 オニールシリンダー(島3号型)に類似しているスペースコロニーは、その構造上、外周大地部分に重力こそあれ、中空部のほうは低重力ないし無重力に近くなる。

 さて、SFSに乗ったネロトレーナ率いる部隊がそのエリアに待機しており、燃料を節約しつつ、コロニー内部での突発事態に備えて即応待機していた。

 

 もちろん、アルファ任務部隊である。部隊の設立趣旨が、MSを運用した特殊作戦一般を遂行しうる高機動、広汎用機動部隊という建前なので、こういった要人警護における対MS戦闘に備える任務にも従事することになっているのだ。

 

(下にいるエコーズの機体は――ジムⅢベースのナイトシーカーじゃないか)

 

 暇を持て余しているシン少佐は、全周囲モニターの一部を拡大する。

 地上の要所――ザビ家が宿泊するサー・ウィンストンホテル周辺や、連邦政府要人が待機しているアーチボルトホテル周辺だ。

 これらのホテルは、今回の式典のために整備されたコスモス平和記念公園に隣接しているため、いざとなればコスモス平和記念公園に要人を退避させ、地上のエコーズと空中機動任務を行うアルファ任務部隊で救出することになっている。

 

 なお、ジオン側の部隊も当然展開しており、目と鼻の先にハイザック部隊がフォームミングフライトしている。

 

 シン少佐は王冠のエンブレムを肩にデカデカとペイントしているハイザックカスタムに短射程のワイヤー通信機を飛ばす。

 

「おい、クラウン。挨拶もなしかよ」

 

 0083以来の再会なので、シン少佐からアイサツを入れておく。

 ガノタたるもの、戦場で出会えば殺し合いだが、平時はそれこそ同志である。

 

『なんだ貴様か。貴様は機体にエンブレムがないから、分らん』

「あっ!」

 

 今まで意識したこともなかった。

 そうだった。せっかくガンダム世界にやってきたのなら、専用機ガンダムと専用エンブレムは必須……というわけにもいかない。所属部隊と個人を特定できないようにするのが特殊部隊である。我こそアルファ任務部隊だっ! などとわかるノボリ旗を掲げて任務に従事する特殊部隊はない。

 

「お前さんが来てるってことは、もしかしてハマーン様も?」

『カーン家の当主代理として、随行団に加わっている。連邦側の名家の子弟と顔つなぎをするいい機会だからな』

「マーセナス家とかか?」

『貴様には教えん』

 

 そっけないやつだ。どうしてこんな愛想のないクール野郎がジオンで大人気なのか皆目わからない。

 

「これだけは教えろよ――ジオンの金融危機対応は何とかなってるのか?」

『ギレン総帥のお力で、月企業と関係サイドの金融危機は出口戦略がある。ザビ家資金で株式を買取ることで資金を融通するようだ。いい筋だ。かつてオリガルヒを解体した独裁者を思い出すよ』

「……え? お前、経済わかんの?」

『――貴様は一生MSに乗っていろ。苦手なゲームに参加すると火傷ではすまんぞ』

 

 うーん、苦手ではあるけれど、理解できないのはヤバイと正直思っているんだよね……などとシン少佐はあれこれクラウンに相談するが、一方的に通信を切られた。

 

「んだよ。ここはガノタ同士、教えてくれてもいいじゃねぇか……」

 

 ふんすっ、とシャニーナ大尉の物まねをして鼻息を出してみるが、不意に乾いたハナクソが飛び出してしまい、慌ててティッシュで回収する。イオがコーネリアスに『ティッシュあるか』と言っていた意味が少しわかった。

 

「ん?」

 

 シン少佐は一瞬の違和感を覚えて、全周囲モニタの一部をズームする。

 黒い、ガンダム。

 あれは間違いなくガンダムMk2だ。

 

 シン少佐は素早く各部隊の行動予定をチェックするが、ティターンズが上空に上がってくるなどという話はなかった。ティターンズは外征機能を中心に編成されているため、今回のような任務では宇宙港の外や、コロニー外周部の哨戒にあたっている。

 

「アルファリーダーよりアルファ101。援護位置につけ。こちらで接触する。アルファ201は邀撃行動後の損害回避に備えろ」

 

 シャニーナ隊に援護指図を、ヤザン隊には、もしシンのネロトレーナーがガンダムMk2と交戦し、どちらかが撃墜などという事態になったときに墜落する機体を回収する重大な仕事を任せる。市街地に墜落したり、要人のホテルに墜落などは言語道断である。

 

 シン少佐のネロトレーナは直ちに動き、黒いガンダムMk2に素早く接近する。

 交戦距離に到達したシン少佐は、いざとなれば2秒以内に接近し、コックピットのみを焼き払って始末する目算を立てる。

 

「そこのMk2、止まれ。ガンダムは出禁だぞ」

 

 多少の私怨を混ぜつつ、シン少佐は規則通りに警告する。

 チャンネルは多種で行う。無線封鎖していて聞こえませんでしたなどという言い訳を回避するためだ。

 

 警告に対する応答はない。

 シン少佐は何も言わなくてもついてきているであろうヤツのほうに視線を向ける。

 

 

 ネロトレーナーの隣には、クラウンのハイザックカスタムが飛んでいる。

 すでにハイザックカスタムはビームサーベルの発振装置を手に握りしめており、こちらが仕掛けるのに合わせる準備は万端だ。

 

 さすが互いに殺しあった仲。

 殺しの呼吸に関しては通じるものがある。

 

 

 

 カミーユ・ビダンは困惑していた。

 破壊された格納庫の天井を呆然と見つめている。

 ジェリド中尉に誘われてガンダムMk2を見学しに来たのだが――いざ間近でガンダムをみて、ジェリド中尉の解説を聞いていると、突然、ガンダムMk2が立ち上がったのだ。そのままガンダムMk2は跳躍し、格納庫の天井をぶち破って出て行ってしまった。

 

 案内してくれていたジェリド中尉は慌てふためいて、今壁際の通信端末で上長に事態を報告している。

 

「ビダン君、怪我はない?」

 

 パイロットスーツをきたエマ中尉が駆け寄ってきた。

 

「は、はい」

 

 本当は瓦礫にあたってあちこちに打撲があったが、それは黙っておく。

 

「一体何が起きたの? カクリコンは?」

「カクリコンさんは、あっちです」

 

 カクリコンを乗せた担架を、衛生兵たちが運び出していく。

 

「――じゃあ、Mk2は誰が乗っているのよ?」

「それが、僕らがあれをみていた時は、間違いなく無人でした」

 

 カミーユは当時の状況をエマ中尉に説明する。

 

 ジェリド中尉と一緒にメンテナンス用タラップを操作しながら、Mk2がティターンズのエース向けMSとして配備されているという解説を聞いていたのだ、と。

 

 ただ、カミーユは解説の内容を意図的に省いた。

 ジェリドは、他人に言うなよ、と空のコックピットについても説明もしてくれていたのだ。

 Mk2は、たとえパイロットが不在であったとしても、ファントムシステムという無人操縦AIによる自律戦闘が可能なのだ、と。

 実際、RX78-2にも先行試験型が積み込まれていて、アムロ・レイの挙動を学習していたそうだ。ただ、当時は技術的に完成とは言えず、いわゆるラストシューティングモード――パイロットが脱出した後に、パイロットの撤退を支援すべく最後まで戦うモードとしてのみ、運用可能だったらしい。

 

「――ビダン君、すぐにここから逃げて。あれを積んでいない三号機で追いかけるわ」

「え? エマさんが出るんですか?」

「もともと3号機は私の機体だから。スラスターを派手に吹かすから、死んじゃうわよ」

「あ、はい」

 

 ジェリド中尉にも声をかけると、わかったと上官への報告を中断して、いっしょに軍用エレカに乗り込む。

 エレカが走り出し、背後の格納庫がだんだんと小さくなる。

 そして、スラスターの熱。

 巻き上げられた粉じんの中から、黒いガンダムが飛び出していった。

 

 

 

 

 ――外したっ?

 ネロトレーナーとハイザックカスタムは、コンマのズレもなく黒いガンダムに接近し、互いにコックピットをビームサーベルで焼いたはずであった。

 しかし、とても人間業とは思えない反応速度で身をひねった黒いガンダムたちは、そのままスラスターを吹かしてすり抜けていった。

 

「アムロのクローンでも乗ってるのか!? クッソ、SFSじゃ追いつけん……」

 

 ネロトレーナーはSFSを無人追従モードに切り替えて、飛び降りる。

 両肩のムーバブルフレームから伸びる可動式大型ブースターを吹かし、急加速する。

 シン少佐はリニアシートに押し付けられながらも、かつて乗っていたジム系ほどの負担は感じなかった。ノーマルスーツも改良され、シートも改良されれば、対G能力も大幅に補助されるということだろう。

 

『アルファ101、行きます』

『アルファ202、カバーする』

 

 シャニーナ隊とヤザン隊がすぐに動いてくれた。

 クラウンが率いていたハイザック部隊も、黒いガンダムを取り押さえんと包囲機動をとる。

 下のお偉いさんと民間人に被害を出さないために、使える武器はサーベルか格闘くらいしかないが、そういう制約下での戦闘訓練や実戦経験は、ここにいる連中ならば何一つ問題ない。

 

「!?」

 

 シン少佐は目を疑った。

 シャニーナ隊とヤザン隊があっさりと抜かれてしまったのだ。

 当の本人たちも信じられないらしく、どんなエースが乗ってやがるんだ? などとぼやきつつ、反転して急加速をしている。

 

 結局、最も反転加速が早かったシン少佐のネロトレーナーを先頭に、各部隊が追従する形となった。

 

「ん、ハイザック部隊が降下していく?」

 

 クラウンが率いていたハイザック部隊が、要人たちの滞在しているホテルに向けて降下していく。下で何かあったのか? いや、これから何かあるかもしれんという予備挙動か。

 こっちのことは丸投げかよ、とシン少佐は舌打ちをする。

 

『親愛なる、地球圏人類諸君――』

 

 通信にギレンの演説が走る。どうやらこんな事態なのにも拘わらず、下では式典が始まってしまったらしい。こっちの状況はちゃんと伝わっているのか?

 

「こちらアルファリーダー。アルファマム、要人保護作戦はどうなっている?」

『こちら、アルファマム。インシデントレベルは低いと作戦司令部が判断。事態収束を最優先とせよ』

「了解」

 

 確かに黒いガンダムMk2がこちらをおちょくって飛んでいるだけだ。被害が出てからでは遅いが――アルファ任務部隊なら何とかできるだろう、という謎の信頼があるのかもしれない。とりあえずマッケンジー中佐に任せておけば何とかなる、といった感じか?

 原作でもブライトの部隊にいろいろ丸投げする性質がある連邦なので、こういうこともさもありなん、という気もする。

 

「アルファマム、火気使用許可を」

『ダメだ。許可できない。サーベル一本で何とかして見せろ』

 

 うーむ、マッケンジー中佐は元MS乗りなのに、こういうムチャぶりを平然とかましてくる。確かに、あの人は原作だとザクをエイヤとサーベルでやってしまう方ですが……今は時代が違う。敵も味方もゆっくり動いたあの頃と違って、いまのMSの性能だと、交戦速度はあの頃の軽く1.5倍くらいだ。人間の反射神経がそんな簡単に1.5倍に追従できるわけがないじゃないか……などと、シン少佐は内心で不満をぶちまけながらも――すでに、黒いガンダムのバックパックに追いついていた。

 

「推進装置を仕留める。アルファ201、回収準備」

『応っ!』

 

 ネロトレーナーが最小モーションでビームサーベルを突き出す。

 まるで背後に目でもついているかのように黒いガンダムMk2が動き、体を大きくひねり、そのまま可動式のスラスタを駆使して反転。

 

「避けんの!?」

 

 黒いガンダムMk2がビームサーベルを抜きはらい、ネロトレーナを刺し貫かんとする。

 だが、ネロトレーナーは可動式スラスタを使い急上昇。

 

「あひゃぁぁぁ」

 

 シン少佐はイカレた縦Gを受けて、腰の悲鳴を口が代弁する変な声を吐きながらも、ネロトレーナーの腰にマウントしてあるクラックグレネードを手に取り、投擲。

 一瞬で光信号を放ち、相手の近接INS経由で機体そのものをクラッキングする。

 システム干渉を受けた黒いガンダムは、力なくそのまま墜落していく。

 ヤザンのネロトレーナーが可動スラスタを起用に噴射しながら飛び上がり、機能停止したガンダムを回収する。

 

「あー、やばかった――まずは一つ」

 

 あー、イングリッド様に頼んで骨格改造してもらうかー、などと妄想しながら、二つ目のターゲットを狙う。

 

 ――パイロットの脳を揺らしてやるか

 

 ネロトレーナーが指先からトリモチを射出して、黒いガンダムのバックバックのスラスタをあらぬ方向に向けて固定する。

 最大出力で移動してるさなかにスラスタをいじられて、キリモミ降下を始めた黒いガンダムの移動ベクトルを計算するに、中のパイロットには一瞬で6G近くかかったはずだ。備えていなければ首のサポートと筋肉が間に合わずに、脳を揺すられて空間識失調を起こしているはず。

 

「!?」

 

 信じられなかった。全身のアポジモータを素早く調整して機体を立て直したガンダムMk2が、反転して逆撃をかましてきた。

 

「ウブォ!!」

 

 もちろん、ネロトレーナーも急制動+急回頭。

 超音速で回る遊園地のコーヒーカップの中身になりながら、シン少佐は黒いガンダムから伸びてきたビームの閃光をギリギリで回避する。

 

『はい、隙ありです』

 

 シン少佐のネロトレーナーと入れ替わるように相対したシャニーナ機が、サーベルを抜きはらい、ガンダムMk2の腕を切り飛ばし、そのまま手首を急回転させてコックピットを刺し貫いた。

 

『えっ!?』

 

 シャニーナのネロトレーナーが逆噴射して急速離脱。

 まだガンダムMk2は闘志を失っていないらしく、無事だったほうの腕でサーベルを構えている。

 あの構え――アムロ君の癖とそっくりだな、と長らくオンライン対戦ばかりしているツヨツヨNTのことを思い出す。

 

『あれ、複座式なんですか?』

 

 コックピットを潰したにもかかわらず動いているとなると、普通なら別の操縦系統があると勘ぐるだろう。

 

「いや、こりゃゼファーシステムだな」

『え……』

「機密事項だ。忘れろ」

 

 シン少佐はそれだけ言って、すぐに突貫した。

 急加速ですり抜け、急制動からの急反転。

 一撃でバックパックを切り払い、やつの滞空能力を失わせる。

 墜落していく黒いガンダムの腕を、ヤザン機体が切り落とし、サーベルを奪い取った。

 ダンケルとラムサスのネロがガンダムを無事キャッチし、クラックして強制停止させた。

 

「――ったく、デカいほうが漏れちまったぜ」

 

 ケツのトイレパックに熱いものを感じながら、シン少佐はマッケンジー中佐に連絡を入れる。

 

「こちらアルファリーダー。事態の収束を確認。機体を回収して持ち帰ります」

『アルファマムからアルファリーダーへ。機体はティターンズに渡せ。こちらに管轄権はないそうだ』

「なんすかそれっ! ウンコ漏らし損じゃないですか……」

『見ていてこちらも調子が悪くなったよ。貴官はよくまぁ、あんな無茶な動きができるな』

 

 手元モニタに映るマッケンジー中佐の顔は、少し引きつっている。

 

「アルファマムも、MS乗り続けてたら自分なんて超えてますよ」

 

 謙遜しつつ、相手を褒めて出世ポイントを稼ごうとするシン少佐。

 だがマッケンジー中佐にはそれが通じず、バカなことを言ってないでさっさと元来任務に復帰せよ、と言われて通信を切られた。

 

 

 

 

 閣下、問題は収束しました、とジャミトフはコスモス平和記念公園に設けられた平和条約締結会場にて、側近から耳打ちされた。

 壇上に座り、式次第を淡々と消化していたのだが、上空でいくらかのビームの閃光が交錯したのを受けて、急遽ギレン閣下の演説で間を繋ぐこととなった。会場にいたジオン、連邦関係者は彼の雄弁な語り口に耳を傾けているため、荒事から注意を逸らすのには成功したようだ。

 

「条約締結の式次第を急げ」

 

 ジャミトフの指示を受けた文官たちが、相手方の事務担当とすぐに協議をする。

 しばらくすると、ギレンがさっさとスピーチを締めくくり、コスモス平和記念公園に設置されている式典会場内に平和条約締結のアナウンスが流れる。

 

 ジャミトフはすぐに席を立ち、中央に設置されている署名台に広げられている電子ペーパーに向かう。

 相手方はギレンと変わって、若き貴公子ガルマ・ザビが出てきた。

 互いに軽く会釈を済ませ、電子ペンを手に取る。

 背後に設置された、巨大な石板には平和条約締結の表題が彫り込まれていて、レーザー彫刻装置がジャミトフらの署名を待っている。

 

「ガルマ・ザビ閣下、ともに平和への道を歩めることに感謝します」

「こちらこそ。ジオン国民と連邦市民の未来に、星々の加護があらんことを」

 

 両者は相並び、署名を行った。

 互いに全権委任された立場であることを明記し、平和条約に署名した。

 

 そして、互いに共同声明を読み上げる。

 

『何人にも悪意を抱かず、すべての人に対して愛を持ち、神が私たちに示したその正義の確信によって、私たちが今取り組んでいる課題を成し遂げるため努力しようではないか。国の傷をいやし、戦争に従軍した人とその未亡人や子どもを助け、私たちの間とそしてすべての国の間に正しくそして永続する平和を達成し育むためにあらゆる努力を尽くそうではないか』

 

 二人は石板に記された互いの署名を確認し、壇上で握手をする。

 メディアのカメラがそこに向けられ、会場からは盛大な拍手が巻き起こる。

 やっと平和が来たのだ、とメディア経由で平和条約の締結を見守っていた数多くの人々は安堵したことだろう。

 

 もちろん、その場にいるジャミトフとガルマも同じだ。

 互いに困難な内政事情を抱えている以上、両国が相争うのではなく、互いに経済的なつながりを持ちながら共に発展するほうに未来があると、両者の心中は重なっていた。

 

 この平和条約と同時に署名された各種経済条約関係により、ジオンと連邦の関係性は今までと変わり、相互依存を深めあいながら実質的平和を構築することに繋がるだろうことは、条約締結に携わったすべての者の共通認識であった。

 

 

 

 

 互いにメディアに向けたインタビュー時間となり、ジャミトフとガルマは再度握手を交わしてから、別れの挨拶を述べた。ここからは互いに国内向けのパフォーマンスの時間だからだ。

 

 ジャミトフは別途用意されていたメディア向け会場へと足を運び、連邦政府の国章やティターンズのエンブレムを並べたボードを背景にして立つ。

 メディア戦略というものは昔から代わり映えしないものである。

 

「それでは、メディア側幹事会社の仕切りで始めさせていただきますね」とジャミトフの広報官が笑顔で宣言し、メディア側の幹事にマイクを渡す。

 

 そこから先はあたりさわりのない質問が続き、想定質問をおおむね消化したことに満足したメディアは、そろそろ解散で、という雰囲気を見せ始める。

 

「では、本日はお集まりいただき――」

 

 広報官の音声をかき消すような、メディアサイドのざわつき。

 ジャミトフは一切を表情に出さず、イヤホンから流れてくる情報に耳を傾ける。

 

 事情変更の原則により、平和条約の発効を停止とする、という声明が連邦最高行政会議――通称、連邦政府首相府より発表されたという。

 メディアが一斉にジャミトフにカメラを向ける。

 

 ジャミトフは静かに深呼吸し、冷静に回答を始める。

 

「国際法において、事情変更の原則は確かに条約の効果を変更させるに足る慣習法であることは認める。だが、その事情変更の法理は、有効に成立した条約に対して順守義務を課す国際法の本質的な法理に矛盾しているため、平和条約や休戦条約などの高度の政治的牽連性を伴う条約に適用するのは、解釈に誤りがあるだろう」

 

 ジャミトフの理路整然とした回答に対して、とくにメディア側のインタビュワーからの反論はない。

 ただ、なんともいえぬ空気だけが流れる。

 

『閣下、首相府が明確に宣言しました。通称ジオン公国による分離独立運動ないし革命運動は、純然たる連邦政府における国内問題であり、国際法たる平和条約の対象にならない。また、0080年に締結された休戦協定についても同様に、内紛に対して直接適用できるものでなく、また連邦憲章に反する違憲行為であるため、その執行を停止するとのことです』

 

 冷静な頭脳を持つジャミトフは、連邦政府の狂気の決定に対していかに抵抗するかに思考を切り替えた。

 まだ打つ手はあるはずだ、と連邦議会のどのスイッチを押して事態を統率するかを考えつつ、メディアに対して「一度政府首脳と会談し、事情を確認する」と述べてその場を離れた。

 もちろんメディアは首相府が出した声明に対するジャミトフの見解を聞き出そうと追いすがったが、護衛に付いていたバーザムが動いて、メディアを追い払った。

 

 

 

 送迎用のSFSに乗り込んだジャミトフは、直ちにレビル将軍に連絡を取る。

 通信端末を手にしたまま外を見ると、ジオン側も騒然としているらしく、ハイザックやマラサイがSFSに乗って警戒態勢を強めている。

 ザビ家を乗せた輸送機を身を挺して守るように展開している親衛隊仕様のマラサイの姿を見ていると、ギレンは連邦政府にもはや期待はしていないということが痛いほど読み取れた。

 

『ジャミトフ閣下』

 

 レビルの声だ。普段は冷静な男だが、怒りが言葉に交じっているのを感じる。

 

『首相府は地球連邦軍に対して、綱紀粛正を命じました。エウーゴ、ティターンズはその成立根拠法の執行を停止。即時解散せよとのことです』

 

 法案の成立に関しては議会の管轄だが、その執行を停止するかどうかは首相府の管轄だ。

 地球連邦政府というシステムのスイッチの押し方としては筋が通っていた。

 

「レビル将軍、地球連邦軍、いや、統合参謀本部はどうなっているかね?」

『コリニー統合参謀本部議長が逮捕されました。ティターンズ、エゥーゴの軍閥主義を支援した内乱容疑です。おそらく、数時間以内に我々にも司直の手が迫るでしょうな』

「――なるほど。互いに守勢ということか」

『はい。ではこちらも――』

 

 急な振動。

 ジャミトフはシートベルトに締めあげられて、息を吐いた。

 何事かとSFSのコックピットに声をかけると、地上からのミサイルです、とのこと。

 転送された映像を見ると、エコーズのジム・ナイトシーカーや、対空ミサイルを携帯した歩兵がこちらを狙っている。

 どうやらエコーズが攻撃を仕掛けてきたらしい。

 バーザム隊がやつらの追撃を阻止すべく、サーベルを抜いて切り込んでいる。

 

『閣下、正規軍のジムⅡが来ます。撃ち落しますか?』

 

 護衛MS隊長から連絡が入る。

 

「馬鹿なことを言うな。ここは連邦市民とジオンの要人がいるんだぞ。ビームを撃っていいわけが――」

 

 ジャミトフは窓の向こうに、ビームの閃光に砕かれるバーザムを見た。

 理解できなかった。

 ジャミトフは、己が人の愚かしさを過小評価していたことを悟った。

 




な、なんだかおかしなことになってきちゃったぞ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三一話 0087 グリーンノアの和約(下)

 

 シン少佐は届いたオーダーを見て目を疑った。

 ティターンズとエゥーゴを武装解除せよ?

 このタイミングでどこの誰がこんなクソな命令を――と、シン少佐はコックピットでヘルメットのバイザーを磨きながら、司令に連絡を入れる。

 

「アルファマム、こりゃどういうことなんですか?」

『さぁな。ただ、アルファ任務部隊には最優先任務がある――参謀次官殿、つなぎます』

 

 回線が切り替わり、我らがスポンサー兼政治担当からのお達しである。

 

『はい、みんな聞こえてる? みんなはあたしの安全を第一義に考えてくれればよし。正式な命令も量子キーもあるわ』

 

 転送されてきた命令文は、確かにそうなっている。

 ただ――通信の奥で銃声が聞こえるが、本当に大丈夫なのだろうか? すでにエコーズに踏み込まれているとしか思えない音が後ろから聞こえている。

 

「ゴップ参謀次官殿はご無事なのですか?」

『あたしは無事よ。可哀そうなのは巻き込まれてる市民ね。ホテルの屋上で待ってるから、さっさと迎えに来るように』

 

 そしてマッケンジー中佐に切り替わる。

 

『各機、聞こえたな。アルファ任務部隊はアーチボルトホテルの屋上でパッケージを回収する。各機、状況開始』

 

 了解、と事前に想定していた回収プラン通りに行動を開始する。

 直ちにネロたちが急降下していく。

 シン少佐のネロトレーナーもSFSとともに降下。

 途中ですれ違ったティターンズのバーザム隊やジムクゥエル隊は無視しておく。

 

 

 

 シン少佐はアーチボルトホテルの屋上に爆発とマズルフラッシュを確認する。

 どうやら屋上で撃ち合いになっているらしい、と判断したシン少佐は機体をさっと傾けて、ホテルの屋上の周りを周回する。

 どうやらエコーズの歩兵と誰かが戦っているようだ。

 ――スーツ姿でアサルトライフルを連射しているゴップ参謀次官殿が見える。

 

『まったく、遅いわ。カウント、合わせて』

「かしこまり」

 

 シン少佐のネロトレーナを乗せたSFSがさらに降下し、ビルの中層階あたりを周回する。

 ゴップ参謀次官は何名かの敵兵を始末した後、そのまま駆け出して――屋上から飛び降りる。

 空をコロニーの遠心力に従って落下しているゴップのもとに、ネロトレーナーの手が差し出され、彼女の身を巨大な掌でやさしく包んだ。

 

 これは――ガンダムにおける主人公がやるやつだっ! とシン少佐はこの混沌の戦場でガノタとしての喜びを見出した。すまねぇな、カミーユ。主人公の座を盗っちまってよ……などと不遜なことを考えるシン少佐。

 

『ご苦労様。SFSに移るわ』

 

 シン少佐は巡航速度を落とし、ゴップ参謀次官をSFSのコックピット横のハッチから移乗させる。さすが人造人間。なんの問題もなく飛び移ることに成功している彼女の身体能力に、シンは素直に感銘をうける。

 

「アルファリーダーよりアルファマム。パッケージを回収した」

『了解。各機、直ちに後退』

 

 アルファ任務部隊は後退を開始する。

 コロニー内のあちこちで戦闘が発生している様をすべて見過ごしていくアルファ任務部隊の姿は、住民からすればすべてを見捨てて逃げていく部隊にしか見えないだろう、とシン少佐は自分の部隊が正義の集団になれない現実を受け入れる。

 

 

 

 宇宙港から飛び出したトロイホースⅡ他、SFSに搭乗したMS部隊は、別のバンチ側の外壁付近に待機していたアルファ任務部隊の艦艇と合流する。

 トロイホースⅡ、スパルタン、スタリオン、トリビューン、アルバトロスのペガサス級5隻で構成された地球/宇宙殴り込み艦隊である。

 ペガサス級はサラミス級やマゼラン級と船足が合わなかったり、運用思想と設計思想が合わないなどの理由で単艦運用されがちだったのだが――

 

「全部ペガサス級で固めたらいいじゃない?」

 

 というゴップ参謀次官のアレな発言と、宇宙艦隊を再編して統一化された補給システムに組み込み、運用コストを下げたいという連邦軍統合参謀本部の専門委員らの意見が合致し、こうなった。

 

 確かに地球/宇宙いずれでも艦隊行動をとれるこの編成は強力なのだが――欠点がないわけでもない。火力はサラミス級に及ばず、MS積載数はコロンブス級空母に及ばない中途半端な戦力であるため、正規戦における正面戦力を担えないのだ。

 ゆえに、特殊部隊たるアルファ任務部隊として編制されている事情もある。

 

『各MSは艦艇から推進剤補給を受けよ』

 

 マッケンジー中佐からの命令に従い、部下たちをトロイホースⅡやそれぞれの所属艦艇に接近させ、推進剤補給装置経由で船外補給を受けさせる。

 緊急事態に備え、船内作業に入るわけにはいかないのだ。

 

(ん? グワダンか)

 

 シン少佐はギレン・ザビの座乗艦たる赤い巨体をみる。

 すでに回頭を始めていることから、おそらくギレン他、ガルマやほかの外交使節――地球連邦政府の言い分を認めるなら、使節を名乗る活動家たちを回収したのだろう。

 護衛に付いている親衛隊のMSが展開しているが、交戦状況には入っていない。

 連邦軍はジオンには手出ししていないらしく、コロニー外周部ではエゥーゴやティターンズの機体がジムⅡやジムⅢと交戦している。

 

 アーガマを中心として再集結をはかっているらしいエゥーゴは、独自運用しているネモを中心にジムシリーズを圧倒している。

 だが、それ以上に圧倒的なのは、アムロが自慢していた輝くプラチナシルバーMS『白式』が、ジムⅡ相手に大人げなく無双していることだ。百式ではなく白式なのが、シン少佐に世界線変動を感じさせた。

 

 ――無双しているようだが、あれ? なんだかこちらに近づいてきているような……

 

 いや、間違いない。アムロ君はこちらをガチ警戒している、と確信する。

 先手を取られるくらいなら先手を取ってやるという意思がパンパンに感じられる。長らくオンラインシミュレーター経由で互いに部隊演習を繰り返してきたことは無駄じゃなかったようだ。

 

『あーあー、あの野郎こっち意識してやがる』とヤザン。

『あたしは相手するの嫌ですよ? ヤザン中尉が行けばいいじゃないですか?』

『嬢ちゃんよ、あっちは他にもウラキやキース、カイにハヤト、そんでスレッガーまでいるんだぜ? あいつらが乗ってるネモ・ディフェンサー相手じゃこっちが火力負けだ』

 

 ネロトレーナーは機動力においてははるかにあちらを上回るが、ネモ・ディフェンサーの手数と火力には到底及ばない。

 腕前も考えて、よくて勝率四割くらい、というのが冷静な判断だろう。

 

「あ、じゃあここはイオ大尉のラムダガンダムで……」

 

 シン少佐は戦力的に均衡しそうなのは、腕と性能を考えてイオ大尉だろうと考えた。

 

『アルファマム、こちらアルファ301。うちの隊長がブルって仕事してねぇぜ?』とイオ大尉。通信のバックにモダンジャズが流れている。規律違反癖は治らないようだ。

 

『――ダメだな。ミノフスキー粒子が濃くてブライト中佐に繋がらん。アルファリーダー、伝令任務だ。アーガマ隊に接触し、交戦の意思なしと伝えてこい』

「えぇ!? アルファマム、アレを見て言ってるんですよね? 白式ですよ? あの速さ見て言ってます? あっちは殺る気マンマンなんですよ?」

 

 アムロ君の白式がジムⅡを3分で24機くらい落とせそうな動きで暴れまわっている。

 あれで推進剤の使用量を節約している動きなのが見て取れるので、最悪の敵であること間違いなしである。

 

『なーにをごちゃごちゃ言っている! アーガマのハイメガ粒子砲を食らったら、こっちの艦隊は消失だ。部下たちのために、貴官が行け』

 

 え? もうハイメガ粒子砲積んでるんですか……原作のアーガマ大火力改修はZZなんで来年じゃないんですか? 神様配慮してくださいよ、などとシン少佐は追い詰められ、望みを絶たれた。

 

『リーダー、応援してますっ』

『がーんばれっ、がーんばれっ』とヤザン、ラムサス、ダンケルが腹の立つコールを投げてくる。

 

「――できらぁっ!!」

『お、何ができるってんですか、アルファリーダー』とイオ大尉。

「ネロトレーナーで白式とサシバトルできるって言ったんだよっ!!」

『え!? ネロトレーナーで白式を!?』

 

 あひゃひゃと笑い転げているであろうイオ大尉の声など無視して、シン少佐は目いっぱいアクセルを踏み抜き、ネロトレーナーを最大加速させた。

 

 

 

 ――来るっ!

 アムロ・レイはあの人が来た、とジムⅡの手を切り飛ばして武装解除しながら、この戦場でかなりの脅威だと思われる、あの少佐が動いたことを感じ取った。

 直ちに白式を旋回させると、やはりシン少佐のネロトレーナーが機体性能の限界速度でこちらに迫ってきている。

 

『アムロ大尉、アルファ任務部隊を挑発するなよ。奴らに絡まれたら脱出もままならん』とブライト中佐から通信が入る。

「わかってるさ。あっちはシン少佐しか出してない。本気じゃないよ」

 

 あちらが本気だったら、シン少佐単機で突っ込んでくるなんてことはない。

 彼は確かにいい腕だけれども、本当に恐ろしいのは仲間との連携だ。チームでの戦闘力という意味では、あの人に勝てる要素はかなり低い。実際、シミュレーターでは何度も煮え湯を飲まされてきた。単機同士なら絶対に勝てるのに、隊を率いて戦ってみるとほとんど勝てないのだ――長らく部隊指揮官として任務をこなしてきたあの人と、俺の決定的な差はそこだな、とアムロはシン少佐を高く買っていた。

 ――ただ、一つ気に入らないところがあるとすれば、いつもおちゃらけて冷やかしてくることだ。こっちを親戚の甥っ子みたいに扱ってくるのが、本当に腹が立つ。

 

『――バァァァ……スッ……』

 

 いつもの得体の知れなない裂帛の気合の言葉。

 これが聞こえるということは、本気で来てるということだとアムロは直観した。

 

「シン少佐、あなたに勝つのが俺の仕事です」

 

 アムロはネロトレーナーに向けて、一直線に加速する。

 

 ――ここっ!

 

 アムロの白式がライフルを撃つのと、ネロトレーナーがライフルを撃つタイミングは同じ。放たれたビーム粒子同士がぶつかり合い、巨大な閃光が広がる。

 アムロは片目を閉じていた。

 いくらCG処理されるとはいえ、閃光が瞳孔を閉じさせるからだ。

 宇宙では常に光に敏感に――瞳孔が開いているほうが生理的に有利なのだ。

 

 やはり、閃光に合わせてきたか! とアムロは光を囮にして、ナナメ下から回り込んできたシン少佐のネロトレーナーを見つける。

 反応とほぼ同時に射撃したが、シン少佐のネロトレーナーが颯爽とインメルマン旋回で回避する。

 

「読み合いばっかりうまくて……あなたはいつもそうだっ!」

 

 ビームが来る、と直感し先に回避しておく。

 予測通り、シン少佐のビームライフルの弾道はナノ秒前にいた空間を貫いていた。

 もしアムロが予測して回避していなければ即死だ。

 

「でも、これだって誘いなんだっ!」

 

 アムロはシン少佐の行動特性に詳しくなっていた。何度も演習を重ねているから知っているが、彼は本当にいやらしい戦い方を好む。死角や奇襲を愛し、決して正面からのマニューバをやらない。

 彼がこうやって目に見えてやらかしてくるということは、それがすべて囮行動だということだ。

 

「――そうかっ! クラックグレネードか!」

 

 アムロは何も見えない空間にビームを撃つ。

 何かが蒸発した光。

 それはまもなく白式に迫らんとしていた。

 

「そして、これも囮!」

 

 アムロは少し離れたところに見えるビームサーベルの光を無視――そこにあの人はいないからだ。出しっぱなしにして囮にしてるだけ。

急旋回してライフルを構える。

 

(ほらみたことかっ!)

 

 後ろに回り込んでいたシン少佐のネロトレーナーがビームライフルを構えている。

 互いに、回避不能。

 だが、シン少佐は最低な男だから、ここで簡単に墜ちてはくれない。

 こちらのライフルの銃口の向きにしっかりネロのライフルを合わせているのが見て取れる。

 

「くそっ!」

 

 白式の射撃と、ネロトレーナーの射撃がまたしても重なり、爆発的な閃光を生じさせる。

 今度は至近距離過ぎた。

 真っ白になった全周囲モニタの画面を無視。

 瞬時にアムロは自分の動物的な勘を信じる。

 宇宙空間に繊細に気を配り、一番違和感があるところに――

 

「そこだっ!」

 

 サーベルを抜き、最速で刺突を繰り出す。昔のように振りかぶったりはしない。

 

「くそっ! しぶといっ!」

 

 白式のサーベルはネロトレーナーのシールドを突き破り、左腕を奪っただけだ。

 

『馬鹿野郎! なんでガチで殺しに来てるんだよっ! 頭冷やせよ少年!』

 

 接触回線で彼の喚き散らす声が聞こえる。

 ふざけているのはシン少佐のほうだ、とアムロ・レイはわめきたくなる。

 いまだって……やろうと思えば、こちらをやれるじゃないか、と。

 

「ふざけないでください! あなたは……あなたは敵になったんですよっ! エゥーゴの敵にっ!」

『おーおーおー、アムロ君、そんな大人みたいな理屈は似合わないぞ』

 

 敵になったくせに、いつもみたいに接してくるシン少佐になんだか腹が立ってくる。

 

「俺だってもう23ですっ!」

 

 普通に返事をしてしまう自分にも。

 

『知ってるよ、毎年誕生日プレゼント送ってるだろうが』

「なんで毎年毎年新型のハロを送り付けてくるんですかっ! 官舎がハロだらけでうるさいんですよ!」

『マジかよ、ちゃんと取っておいてくれるなんて、おじさん、感動だぜ……』

 

 親戚のおじさんかっ! とアムロはサーベルを引き抜き、蹴りを入れる。

 しかし、ネロトレーナーに損傷した左腕で受け止められる。そのまま後退用の反力として転用されてしまった。

 

『もっと心に余裕を持てよ、アムロ君。人を敵味方に分けるなんて、つまんないぜ。あと、今年もハロを送るからなッ』

「別のものにしてくださいっ!」

 

 何かわかったような分からないことを言い残して、あの人のネロトレーナーが後退していく。

 

「くそっ! 一体何しに来たんですか、あなたはっ!」

 

 アムロは怒りのままにモニターを拳で殴りつけるが、逆に痛みで悶絶する。

 

『――アムロ、朗報だ。アルファ任務部隊はこちらに干渉するつもりはないようだ。白式をハブにしたメッシュ通信でマッケンジー中佐からの秘密電文が届いた。あいつらに構うな。友軍の撤退を支援しつつ、さっさとここから逃げるぞ』

 

 ブライトからの通信に、アムロは奥歯を噛みながら答える。

 

「――っ、了解。白式はアーガマの直掩に戻る」

 

 アムロがアーガマの周りで連邦のパイロットたちに八つ当たりしていると、アルファ任務部隊の艦隊はどこか遠くのほうへと消えていった。

 

 

 

 

 直掩艦隊と合流したジャミトフは、直ちにサイド7に駐留していたティターンズ部隊を率いて脱出を図った。このままサイド7を戦火に巻き込むなど、宇宙市民の反感を買うだけであるので、さっさとティターンズの新兵器開発拠点たる『いばらの園』へと向かった。

 

 暗礁宙域の中にある一大MS開発拠点であるここは、ラビアンローズ級四隻を中心に、戦後のコロニー再開発計画のどさくさに紛れて建造された居住用兼開発拠点バンチを有する。

 

 ジャミトフはアレクサンドリアから『いばらの園』側のコロニーに移り、エレカに乗り行政庁へと向かう。

 本来はコロニー自治政府の政庁となる予定だった構造物を、ジャミトフは宇宙におけるティターンズの司令部として運用していた。

 内部に勤務していた兵たちが敬礼をするので、ジャミトフは答礼しつつ廊下を進む。

 

 会議室に入ると、すでにティターンズの主要幹部一同が円卓を囲んでいた。

 ジャミトフは連邦とティターンズのエンブレムが描かれたタペストリーを背にして、椅子に腰かける。

 

「閣下、お待ちしておりました」

 

 ブレイブ・コッド大尉が口火を切る。

 戦争は兵器ではなく技量、という古典的なドッグファイト主義者ではあるが、MS教官として優秀であり、ティターンズのMS運用ドクトリンの開発と教導を担っている。

 

「ブレイブ君、ガンダムMkVの開発状況はどうかね」

 

 あえて本題には踏み込まない。

 テーブルを囲む幹部たちはみな緊張した面持ちであるので、すこしばかりブレイクが必要だと判断した。

 

「まずまずです」とブレイブ大尉。

 

 ジャミトフはティターンズ系ガンダムの到達点たるMkV計画を重視していた。レビルたちが追及するNT専用機としてのガンダム計画ではなく、純粋な兵士たちの兵器としてのガンダム――かつてあったガンダム開発計画の趣旨を継承し、適切なコストのもとで、MSパイロットの戦闘能力を最大化する目論見であった。

 もとより少数精鋭たるティターンズであるからこそ、配備すべき機種は1対多を意識した兵器体系であるべきだとジャミトフは考えている。

 

「インコムの開発はまだ途上ですが、機体の側はアセンブルし、テストを開始しています。ファントムをベースとしたゼファーシステムにより、搭乗者の意図を支援するAIも完成間近です」

 

 無人戦闘MSとして運用したい、というのがジャミトフの本音ではあるが、ブレイブ・コッド大尉はそれに反対しているため、口を出すことはない。

 高度な技量を持つ兵士が、思い通りに機体を動かす支援装置としてAIを採用することは身体の拡張――つまり、技量の延長であるが、無人MSは単なる兵器性能なので気に食わないらしい。

 

 ジャミトフとしてはそのような人間中心主義を受け入れる土壌もティターンズには必要だろう、と判断し、彼を受け入れている。

 

「結構――そして、あちらはどうかね?」

 

 緊張感が多少ほぐれたのを確認して、ジャミトフは本題に入る。

 

「はっ。地球連邦政府首相府の動向について報告いたします」

 

 ジョッシュ・オフショー少尉がモニターを指し示しながら説明を始める。

 成果を多数輩出しているオフショー一族出身であり、ジャミトフのカバン持ちとして政治のイロハを学んでいるところだ。

 MSパイロットでもあるが、主たる任務は政界のフィクサー見習いである。

 

「今回の平和条約反古に関する声明を発表するに至る政変について説明いたします」

 

 オフショーがスライドを示す。

 つい数日前の中央上院議員選挙である。

 2年ごとに3分の1ずつ改選されるのだが、一年戦争中は臨時で改選が延期されたため、ちょうどつい数日前に選挙が行われていた。

 

「先日の選挙にて、我々ティターンズを支持する政党勢力が議席を大幅に減らしました。この原因は、ジャミトフ閣下が兼任しておられた大陸復興公社及びインターナショナル国債公社が関与したとされる、CDOにまつわる金融危機の影響です」

 

 大幅に、という言葉にジャミトフはオフショー少尉の配慮を感じた。

 スライドに示されている数字は、ティターンズ派の議員の議席がほぼ消し飛んだことを表している。数字は雄弁だ。

 

「また、エゥーゴ派も政治資金のひっ迫により、議席を減らしました。結果、大衆の不満を吸収する形で党勢を伸ばしたのがこちらです」

 

 モニターに映し出されているのは、ガイア理論系の地球中心主義を唱える政治団体『シン・フェデラル』の党首である『リュウ・ホセイ』だ。

 

「このリュウ・ホセイは一年戦争時にジオンの捕虜になっています」

 

 彼の軍歴が表示された。

 ルゥム戦役に偵察機乗りとして従事。その後ゴップとレビルが推進していた『V作戦』のパイロット候補として選抜され、ホワイトベースに配属。コアファイターにてジオンのガデム補給艦隊を撃破。人類史上初の大気圏突入時MS戦闘ではガンキャノンに搭乗し、シャア・アズナブルの母艦であるファルメルを抑えるも、ホワイトベースを制圧したクラウン曹長(当時)による説得で、虜囚となる――が、結局アムロらと共に解放された。

 

「0081以降はムラサメ研究所にて被検体になっています。アムロ・レイの身代わりとして志願したようです。この時の過剰な強化からか、特殊な力――この世界の未来知識らしきものを騙るようになり、虚言症が深刻化し……」

 

 スライドが変わる。

 『元ムラサメ研究所』の残骸である。

 

「0084年、宇宙怪獣事変後の、連邦軍再編処理で警備戦力を抽出されてしまったムラサメ研究所の隙を突き、リュウ・ホセイは被検体たちとともに反乱を主導」

 

 研究素体だったリュウの反乱により、施設が完全に破却された際の映像が流れる。

 鎮圧にあたった兵士たちを、ひと睨みで倒していく長身痩躯の褐色の男。

 縮れた長髪がまるで獅子のたてがみのように見える。

 

「これがサイコショックです。一定距離にいる人間に膨大な情報を送信し、情報飽和により自我を崩壊させます」

 

 ゴップがハンフリーと組んで研究していたサイコキネシス研究所や、ジャミトフが管轄するチャクラ研究所のような、NTの力の運用を目指した場所ではない。

 人工的に身体改造を施す人体実験施設と化していたのが、連邦政府保健衛生省直轄の『ムラサメ研究所』の本質だ。

 

「そして――ムラサメ研究所に保管されていた、これを奴らは奪いました」

 

 スライドに表示されるのは、MSサイズの打刀である。

 ムラサメ研究所のMSはこの実体刀の能力を発揮させることのできる人間を生み出すことを目指していたという。

 

「――妖刀ムラサメか。木星よりもたらされた少量のイデオナイトを含有する、精神感応兵器」

 

 ジャミトフは知っていた。

 レビルの送り出したシロッコという男がもたらした、最初の成果物だ。

 レビルたちはこれをもとにモーラ・バシット技術大佐を中心としたサイコフレームの開発を急いだ。

 

 ただ、シロッコという男の思慮深さというべきか、彼は一つの派閥に与することの危険性を熟知していたらしく、各派閥にも平等に成果を送り付けていた。

 

 ゴップは量子脳に記憶を思念転送するサイコドライブシステムの開発に熱中したが、残念ながらヤツは誰からも覚えてもらえないホンモノの英雄として死んだ。

 

 ジャミトフは受け取ったそれをチャクラ研究所における『タオの間』を開くための思念導体及び、ファントムシステムとゼファーシステムの研究装備に利用している。

 

 そして――当時の連邦政府に送られたそれは、保健衛生省のムラサメ研究所にて研究されることとなった。

 その成果が、この妖刀ムラサメである。

 

「妖刀ムラサメを擁するリュウ・ホセイらは、片足を宗教に突っ込んでいると評されるガイア理論を主軸として『シン・フェデラル』を組織」

 

 そして、中古のジムに妖刀ムラサメを担がせ、ジムの掌の上で座禅を組むリュウ・ホセイの姿が映る。かつての丸々とした愛嬌のある姿は失われ、そこに座るのは開眼人たる修験者であった。

 

 健康そうな褐色の肌、鋭い眼光、愁いをおびた顔立ちは、世のカリスマとはこうでなければならぬという風情をかもしている。

 

「こちらが、現時点で判明している『シン・フェデラル』の主要幹部です」

 

 顔写真の中には、見知った顔がいくつもある。

 特に目を引いたのが、現地球連邦政府の大統領であるレイニー・ゴールドマン。

 かつてジオンのコロニー落としで家族と親族をすべて失った、対ジオン強硬派の筆頭格である。

 

「――そうか。我々がここまで何もつかめなかったのは、大統領が絡んでいたからか」

 

 ジャミトフは、己がいかに間違った判断を繰り返していたのかを自覚させられた。

 

 連邦政府は首相府に実権が集中しているが、首相を任命する権限を持つのは連邦市民の直接選挙で選ばれる連邦大統領である。

 

 連邦大統領は首相の任命権を行使することで間接的に民意を行政に反映させる。任命された首相は民意を執行するべく強大な権限を保有する――いわゆる、半大統領制に近いシステムである。

 

「はい。ティターンズ及びエゥーゴ派の議員の減少と、議席の三分の一近くを押さえた『シン・フェデラル』。この上院での権力バランスの変化がこちらです」

 

 従来の議席はこうであった。

 対スペースノイド強硬派が1/3。

 ティターンズ派1/3

 諸派(エゥーゴ含む)1/3である。

 

 ティターンズは対スペースノイド強硬派の穏健派、エゥーゴの強硬派を巧みに利用し、議席で過半数を押さえていた。

 

 だが、今は違う。

 対スペースノイド強硬派1/3

 シン・フェデラル1/3

 諸派(ティターンズ、エゥーゴ、他)1/3である。

 

 この上院の状況を利用し、対スペースノイド強硬派とシン・フェデラルが樹立したコアビタシオン(保革共存)政権が今の首相府ということになる。

 

 首相が変われば政策が変わり、政策が変われば状況がすべて変わる。

 それが民主主義であり、地球連邦政府である。

 大衆の、大衆による、大衆のための政治。

 ジャミトフの想いなど、大衆の民意の前には何の意味もないのである。

 

 選挙前に金融危機を巻き起こした連邦政府の増税法案は、対スペースノイド強硬派と諸派がタッグを組んで行ったことだったが、それを段取りしたのは間違いなくレイニー・ゴールドマン大統領だろう。

 

 CDOの暴落を利用した月面経済圏に対する金融危機は、事実上の強力な経済制裁であり、ジオン経済の土台を完全に揺るがせている。そのような状況下であれば、唐突な平和条約の一方的効力否定を連邦が行っても、ジオンは打つ手がない。

 経済再建のために、全資本をそこに集約している中で戦争などできるはずもないからだ。

 

 すべてを見越したうえで、金融危機を引き起こし、議席改変を行い、強硬派+シン・フェデラルによる強力な議会支配と首相府を実現した、ということだろう。

 

「この絵を描いたのが、リュウ・ホセイなのか?」

 

 ジャミトフが椅子に背を預けながら言った。

 

「はい。こちらは調査部の資料です。レイニー・ゴールドマン大統領は0085年から、リュウ・ホセイと思想を共有しています」

 

 モニターの映像資料では、野生と理性を備える黒豹のような雰囲気を漂わせたリュウ・ホセイが大統領府に招かれている映像だった。大統領執務室で歓談する二人は、気心の知れた中であるように思える。

 

「大統領が新時代の若手リーダーと対談する、広報動画として作られたものですが、リュウ・ホセイとの接触を図るための偽装広報活動ですね。事実、他の対談者との番組は公に放送されていますが、これは官邸の意向で差し止めされています」

 

 そして、音声データは不自然にも失われていた。

 間違いなく、堂々と政権中心部でリュウ・ホセイとレイニー・ゴールドマン大統領は政治的な結託を深めていたのであろう。

 

「ムーン・クライシスか」とジャミトフがこぼした。

 

 月の金融危機を利用した連邦経済とジオン経済への重大なダメージ。

 このダメージを利用した政変工作と民衆扇動。

 そしてジオンに対する強硬政策とティターンズ、エゥーゴの排除行動。

 

「――リュウ・ホセイ。何を企んでいる」

 

 ジャミトフは、修験者のような風貌のリュウ・ホセイの顔写真を、ただじっとみつめるだけであった。

 なんら打つ手がなく、ただ組織存続を図るしかない己のふがいなさに、ジャミトフは震えた。

 それは、ジャミトフの人生で初めての怒りであった。

 




うーん、クレイジーな話になってきたぞ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三二話 0087 ダカール強襲阻止作戦(上)

※注意事項
お話の中で『Gotham』が出てきます。
あー、こいつついにバッ〇マンとクロスしやがって……

という読み違えを起こさぬよう、事前にGothamについて説明します。
『Gotham』
これは現実に存在する軍事意思決定のプラットフォームです。
連結する様々なサブシステムAIで構成され、軍事機関・情報機関に様々なリスク情報やインシデントを警告したり、意思決定を『促す』、次世代の戦争指導OSを目指す素敵なものでございます。

もしこれをご覧の政府関係者やPMSCS経営者がございましたら
https://www.palantir.com/platforms/gotham/
より、お問い合わせください。専門チームが回答してくれます。

以上、ダイレクトマーケティングでした()


 

 伝統を汲んで人工大理石風のプレートで外壁を覆われた『ニューホワイトハウス』は、首都ダカールの新緑に浮かぶ権力の城であった。

 

 中世期――かつての西暦における20世紀には、アフリカ西海岸にはみ出たダカールはすでに砂漠化が著しく、日々砂嵐や干ばつに悩まされていた。

 そして、宇宙世紀という新しい時代を迎え、技術も文化水準も当時と比べ物にならない時代になったときもまた、砂漠化に悩まされていた。

 コロニー落としの影響である。

 

 地球連邦政府はその設立趣旨に自然環境保護主義を採用している。

 巨大な統治システムに組み込まれた環境保護的アルゴリズムに基づき、新たなる首都をダカールに決定し、首都近郊からテラフォーミング技術を利用した環境再生を始めたのはつい最近の話である。

 

 さて、土壌改良と水質改善が始まったばかりのダカールに建設された大統領官邸は、今後の地球連邦政府がアフリカ大陸をどのように環境再生を行うかのモデルケースとして作られている。

 すでに敷地全域の緑地化は完了しており、清流が横断する自然公園を併設したその姿は、人工的に作られた植物園の技術的最先端ともいえる様相である。

 

 

 

 ツアー客たちが、ニューホワイトハウスの1階を回覧していた。

 

 一般市民向けの見学ツアーように解放されている正面玄関と1階部分は、レッドカーペットや古典的彫刻、連邦政府広報が用意した各種芸術品などが展示されており、連邦政府が正統なる人類文化の継承者であり、保護者であることを強く見学者に印象付けてくる。

 

「――2階への出入り口は、正面玄関から入った中央階段のセキュリティゲートを経由するか、政権関係者だけが知る地下経由でのエレベータと階段しかないのは、公然の秘密ですね」

 

 地元の大学生が団体客に対して行うガイドの決まり文句を聞いた団体客はそういうものかと驚いたり、納得したり、秘密の壁通路がないか壁を凝視したりする。

 

 平和条約を反故にするという荒事を為した地球連邦政府は、今日も泰然自若。

 大衆は日々の生活に埋没し、何一つ変わるところはなかった。

 

 

 

 

 さて、地下階に設置されているシェルター内にある会議室にて、連邦政府大統領レイニー・ゴールドマン大統領はリュウ・ホセイと対談していた。

 壁面に用意された各種モニタには、Palantir社が旧世紀に開発した GothamOS(交通カメラ、監視カメラ他市中の各種センサや、官民の人工衛星、軍の各部隊や情報部の観測情報を解析し、意思決定を支援するシステム)の発展形によって解析された情報が常時表示されていた。

 

 リュウ・ホセイはそのモニターの情報を、とても穏やかな表情でみつめている。

 

「リュウ君、君は本当にGothamUCが好きだな」とゴールドマン大統領。

「嫌いになる理由がないですから。私はGothamOSと縁がありましてね」

 

 リュウ・ホセイはこちらに来る前、かつての北韓内戦でGothamOSからの情報支援を受けて核ミサイル発射を阻止したことを思い出す。

 そして、こちらの世界に来てからのGothamUCにも当然縁がある。彼女が残してくれた地球連邦政府の民主主義をアップデートするための切り札だからだ。もちろん、ゴップによってGothamUCの起動用量子キーは秘匿されていた。しかし、幸いリュウ・ホセイは手に入れることができる立場にあった。

 

「かつてのGothamOSは、あくまで戦略意思決定を支援する道具でした。しかし、GothamUCは違う。人類を存続させるための守護神ですからね」

 

 ゴールドマン大統領と組み、相応に時間をかけてインフラを調達し、GothamUCのソースを理論試験機から移植した。

 これは電子妖精の助力がなければ不可能だった。

 

 GothamUCと連携し、金融政策を出力する巨大AIである Board of Governors of the Federal Reserve System をサブシステムとして運用することで、いかなる政策でCDOの暴落タイミングを確定できるかを算出できた。

 

 ただ、古びた半大統領制に基づく儀式性民主主義――選挙という儀式を要する古典的民主主義を存続させている連邦政府の権力を担うためには、どうしてもレイニー・ゴールドマン大統領の助力が必要だったが――リュウ・ホセイの中の人はガノタであるので、当然彼の想いを理解し、それを利用する術策をくみ上げるのも容易であった。

 

『リュウはん、ティターンズとエゥーゴを解体するための軍令、起案できたで』

 

 リュウ・ホセイの脳内にインジェクションされた補助量子脳に同居する電子妖精が起案した内容はシンプルの極みだ。

 上級司令部に出頭しない限り不名誉除隊させる――ただそれだけだ。

 ティターンズであれ、エゥーゴであれ、法体系的には地球連邦軍に所属するがゆえに、最も一般的な人事情報――給与支払いや退職後の軍人恩給制度、医療保険などなど、これらはGothamUCと連結されたAI-Driven EFF Social Security Policies Systemにて管理されている。

 

 不名誉除隊すれば退職後の年金も、医療保険も、給与だって失う。

 

 しょせん軍人など、戦う公務員でしかないことを嫌というほど熟知しているリュウ・ホセイの中の人は、ティターンズやエゥーゴとて人の子であることを利用して解散させることにする。

 

「ゴールドマン閣下、電送した人事粛清起案を首相府にお願いできますか」

「もちろんだとも。リュウ・ホセイ大統領首席補佐官」

 

 ゴールドマン大統領が官邸内のシステムを経由して、首相府にリュウ・ホセイから提案された粛清人事に関する軍令案を転送する。

 

 数分ののち、地球連邦軍の人事管理AIが同内容を布告。猶予期間は一週間であるので、来週にはエゥーゴとティターンズの半分以上は連邦軍に復帰するだろう――とGothamUCが予測をたたき出す。

 

『大統領はん、これでようやくひと段落や。人類の滅亡は当面、なんとかなったな』

 

 リュウ・ホセイが脳に住まわせている電子妖精が、大統領のイヤホンに語り掛けてくる。

 姿かたちは見えないが、この数年、ともに政変を起こすべく活動してきた同志であるのでゴールドマン大統領は電子妖精に感謝する。

 

「本当に助かった。ギレン・ザビがいつ再度の総力戦を実行するかの予測変数を君たちがもたらさなければ、地球連邦政府は終わっていたよ」

 

 ゴールドマン大統領が頭を下げる。

 

「閣下、頭を上げてください。頭を下げるのはこちらです。大統領閣下が信じてくださらなければ、我々はもっと強硬な手段に訴えねばならなかったのですから」

 

 リュウ・ホセイと電子妖精は、数年前からゴールドマン大統領とともに再度の大戦を阻止すべく活動していた。

 

 ギレン・ザビが人類の未来を見据えていることは、政治家ならば誰でも理解していることであるが、彼が目指す理想世界――『今日よりも悪くならない明日』を知るものはそう多くない。

 ゴールドマン大統領とて、ギレン・ザビと直接会談した回数は限られており、しかもそれは政治家同士の対話であった。

 ゆえに、なぜギレン・ザビが身命を賭けてジオン公国を維持し続けているのかの動機は一切知りえなかったのだ。

 

『いやぁ、ギレンはんはホンマもんやからなぁ。人類に期待しすぎっちゅうか何ちゅうか』

「ゴップ閣下と根底では同じですからね。役割分担をしていただけです。ゴップ閣下は許す人であり、与える人だった。ギレン・ザビは糾弾し、奪う人をやっている。そのどちらも今日よりも悪くならない明日のために必要なことだからです」

 

 リュウ・ホセイはどこか懐かしむようにゴップのことを語る。

 ゴールドマン大統領もゴップ閣下には政治的に恩があるので深く頷く。

 

 もし、ジオン公国と連邦政府の平和条約が成立していたら――GothamUCがはじき出した結論は、人類の破滅であった。

 

 予測によると――平和条約締結後、地球連邦政府は軍縮を開始。

 金融危機の影響で権力基盤を失ったエゥーゴとティターンズもまた、軍縮も相まって衰退し、連邦政府が穏やかに腐っていく流れを止める役割を果たせなくなってしまった。

 それでいながら余剰資源で地球からの脱出を図ることもなく、ただいたずらに地球人口を増やし続ける――ギレン・ザビは一年戦争以前に時計の針が戻っていくのに失望し、いよいよアクシズ落としとブリティッシュ作戦を同時実行する巨大軍事作戦を行う。

 

 リュウ・ホセイの中の人は、これを逆襲のギレンなどと呼んでいた。巻き戻っていく人類の時計の針を戻すために、歴史に逆襲しているのだ、とよく電子妖精に話している。

 

『あとはシン・フェデラルの地盤を固めて、地球連邦政府をころりと内部から更新せなあかんね。このGothamUCを使って』

 

 電子妖精がようやくや、と万感の思いを語る。

 

「そうだな。長かったよ。回り道ばかりで、取り返しのつかない犠牲を積みあげてきた」

 

 リュウ・ホセイは失った仲間たちを幻視する。かつてアムロ・レイは劇場版の第三部で「取り返しのつかないことをしてしまった」と後悔していたが、あの気持ちをリュウ・ホセイの中の人はどういうものか知っている。

 

 ゆえに、ここにいるのだ。

 

「ゴールドマン大統領、あと少しです。エゥーゴとティターンズを解散させ、盤石な体制の地球連邦軍を用意することでジオンの機先を制します。そして、儀式的民主主義を排し、GothamUCを用いた無意識民主主義の実装により、地球連邦政府は、ようやく『一般意思』を取り戻す」

 

 リュウ・ホセイの中の人は知っていた。選挙による儀式的民主主義は民主主義のエントリーモデルに過ぎず、完成形ではないということを。

 選挙という一瞬の時間の切り抜きに、大衆の一般意思など本当に含まれているのだろうか?

 本来の一般意思は、飲み屋でこぼされる政治家への悪口や、日々のSNSトレンドに流れていくジャンクデータ、あるいは街角のくだらない無駄話の中にこそ『連続体』として存在するはずだ。

 

 かつてギリシアのアテネなどでは、たまたま投票でしか一般意思を集約することが技術的にできなかった。

 しかし、今は宇宙世紀だ。先進的なデータ入力装置(各家庭に当然のようにあるハロなどの電子愛玩ロボ群や、コロニー内や市街地にばらまかれている各種カメラやマイク、センサー群から送られる世界情報収集監視システム)をGothamUCに接続する。

 ゲームバーでのMSパイロット体験ゲームのデータを収集してアルゴリズム開発や、教育訓練、リクルートに使用している時代なのだから、民主主義の入力装置だけが投票による議員選出のままで停滞している等、狂気の沙汰に思えてくる。

 

 すべてが繋がれば――人は日々投票行動をせずとも、GothamUCのアルゴリズムに基づき、人々はその意見と意思を無意識に政策決定へと反映することができる。

 

 これにより、権力闘争に明け暮れる議員は不要となり、Gothamから出力される政策決定を連邦政府の巨大官僚機構が粛々と遂行することで、大衆の一般意思による、大衆のための連続体としての民主主義が成立する。

 

 確かに大衆の愚かしさ――スペースノイドへの差別主義や、地球至上主義、あるいは狭量な人種差別主義が政策に反映される可能性がないとは言えない。

 これは――Gothamに接続されているNT達に補正を委ねるしかない。

 未来を『観る』彼ら、彼女らなら、必ず正してくれるはずだ。

 かのフル・フロンタルですら時の最果てに絶望しながらも、器として宇宙移民の未来を導こうとしたことを、リュウ・ホセイの中の人は知っているからこそ信じた。

 

「閣下、地球連邦市民は地球連邦市民を統治する能力を欠いているわけではありません。統治する手段を間違えているのです。大衆が望む経済政策や社会保障政策とて、それを実現する手段があるのに、意思決定する手段がないだけなのです」

 

 中央上院議会における2年に一度の投票?

 しかもその投票率は40パーセントを下回ることがままあり、宇宙移民者はもとより除外されている――ただの欠陥的儀式だ。

 リュウ・ホセイの中の人はそれを民主主義とは呼べないと確信していた。だからこそ儀式的民主主義と蔑んでいるのだ。

 

「やり遂げよう、リュウ・ホセイ首席補佐官。私は首相府と連携し、GothamUCによる統治を社会実装するよう推進していく――だが、GothamUCの意思決定アルゴリズムが本当に人類に資するのか、それを立証する手段を持たない。君は――何か知っているのかね?」

 

 ゴールドマン大統領の懸念はもっともであった。

 何らかの情報を入力すると、突然整然とした答えを返してくるGothamUCであるが、なぜその意思決定が導かれたのかは説明がない。

 人がわかるのは、ただそれが正しいということだけである。

 

「これは政策命題に対するゼロ知識証明です」と答えるリュウ・ホセイ。

『P vs NP問題について解決するアルゴリズムいつの間にみつけたんや? という疑問はもっともな気ぃするけどな』

 

 二人の回答を聞いて、ゴールドマン大統領が腑に落ちない顔をしている。

 

「私は確信したいのだよ。GothamUCから出力される答えが、ただのデルファイの神託なのか、それとも演算された結果なのかを」

 

 それについて、リュウ・ホセイは確信をもって答える。

 

「演算された結果ですよ。なにせ、GothamUCはNTの生体脳も利活用していますから、かなり正確に未来を『観て』判断しています」

 

 かつてムラサメ研究所で行われていたおぞましい実験の成果を、無駄なく再利用させてもらうことでGothamUCは完成した。

 ある意味、ムラサメ研究所なくしてこれはなしえなかったのだ。

 

「そう、か。もし一年戦争前にGothamUCがあれば、みな助かったのにな――」

 

 大統領の言葉に、リュウ・ホセイは黙って頷いた。

 そうだ。

 これがあれば、誰も死なずに済むのだ、とリュウ・ホセイは失った仲間たちのことを思い浮かべ、静かに心で涙を流す。

 

『リュウはん……』

 

 リュウ・ホセイの頭に、電子妖精の心配する声が響く。

 

「(大丈夫だ。俺は、やりとげるよ)」

『せやな。ガノタは、なんでもできるんや。うちもおるしな』

「(そうだ。一人でガンダムになれなくても――)」

『――二人ならガンダムになれるんや。やったろうやないか』

 

 リュウ・ホセイの中の人と、電子妖精は誰にも知られぬ合言葉を交わす。

 絶対に、成し遂げる。

 たった二人だけの、誰にも知られない、たった一つの冴えたやり方を。

 

 

 

 

 

 

 トロイホースⅡのミーティングルームに招集された各級指揮官らは、モニター前に立つゴップ参謀次官から任務の説明を受けていた。ゴップ様のお姿を拝めるらしいと期待してやってきた若い将校らもいたが、ブリーフィングの内容を聞くことで元気もションボリである。

 

「――以上が、エゥーゴ/ティターンズ連合によるダカール強襲作戦の概要よ。情報部もなかなか優秀ね。さて、我々は地球軌道上でこれを迎え撃ち、未然に奴らの軍事クーデターを阻止するのが任務ってことになるわ」

 

 イングリッド・ゴップ参謀次官の横に、原作Zガンダムでおなじみの黄色いノーマルスーツ姿のシン少佐が立っている。先日のアムロ・レイとの戦いであばらにひびが入った彼は、生気のない顔をしていた。

 

「参謀次官殿、クーデター阻止、とおっしゃいましたか?」

 

 最前列で聞いていたアルファ任務部隊司令のマッケンジー中佐がベレー帽をいじりながら問う。

 

「ええ、マッケンジー中佐。どちらも連邦艦隊による対反乱鎮圧作戦として実施されるわ。ご存じの通り、人事に関する公告でエゥーゴ、ティターンズからそれなりの兵が離脱。それでも覚悟がキマってる連中が義によって降下つかまつるってとこね」

 

 マッケンジー中佐はなおもベレー帽をいじる。

 

「つまり政府は、かつてともに戦った仲間を討て、と我々に命じているのですか?」

 

 マッケンジー中佐の不満に、そうだそうだ、と同席している士官たちが同調する。

 

「そうね。気持ちの問題の窓口くらいはあたしが引き受けてあげる。けど、ここにいるのは職業軍人のプロフェッショナルたちでしょ? あとどのくらい文句を聞いてあげたら、動いてくれる?」

 

 ゴップ参謀次官の言葉に、いままで盛り上がっていた連中が黙る。

 マッケンジー中佐が、はぁ、と深いため息をついてから言葉をつづける。

 

「――我々はアルファ任務部隊です。やれと言われれば、確実にやり遂げてみせます。気持ちの問題はさておいて、ですが」

 

 マッケンジー中佐がそう告げると、ゴップ参謀次官が結構、と頷いた。

 

「アルファ任務部隊は予定宙域に向かってちょうだい。あたしも武装解除の勧告をするために同行する。あんたたちが戦場に立つなら、あたしも一緒よ」

 

 仕方ないか、と席についていた将校たちは渋々といった様子で納得をみせる。

 マッケンジー中佐もベレー帽をかぶり直し、赤い特殊制服の襟元を正す。

 

「了解、参謀次官殿の命令に従います」

 

 マッケンジー中佐が敬礼すると、ミーティングルームに詰めていた面々も背筋を伸ばし、敬礼する。

 文官たるゴップ参謀次官は胸に手を当てる文官の敬礼をしながら、こう答える。

 

「ごめんなさいね、汚れ仕事を押し付けちゃって」

 

 

 

 

 後味の悪さを残しながらも、ブリーフィングを終えた士官たちが続々とミーティングルームから退出していく。

 後に残ったのは、マッケンジー中佐とシン少佐、そしてゴップ参謀次官だけである。

 

「すみません、司令。いやな役目押し付けてしまって」

 

 シン少佐が頭を下げると、気にするな、とマッケンジー中佐。

 

「誰かが不満の声を代弁する必要があった。仕方あるまい」

 

 自らの肩をもみながら、マッケンジー中佐がつかれたように答える。

 

「しかし、エゥーゴとティターンズが手を組むとはな」

 

 互いに別の関心に従って活動していた組織同士が、ここにきて結託するというのには、さすがのクリスティーナ・マッケンジー中佐も予想していなかったようだ。

 

「もともとあの人たちは思想面では似通ってるから。手段が違うから距離を置いて互いに別組織を作ってたけど、いざ急展開したら、手を握ってもおかしくない連中よ。どっちも、地球連邦政府はダメだし、地球はゆりかごなんだから、出ていかなくちゃ、って考えは同じね」

 

 イングリッドが両組織のキャッシュについての資料を開く。

 資金の流れは、かつてレビルやジャミトフがあの手この手でかき集めてきたスポンサーたちのみならず、地球圏の環境団体やスペースノイドの独立主義者、月面企業体など多岐にわたっている。

 

「イングリッド様、マユナシ・エクイティ・ファンドとGoPファンドもあるんですが……」

 

 シン少佐がエゥーゴとティターンズの連合軍にザビ資金とゴップ資金を見出す。

 

「あっちもこちらも政治屋だから、リスクヘッジくらいはしないと。ホントにあいつらのクーデターが成功しちゃう可能性も0じゃない。なら、それに備えてネゴるチャンネルは持っておかないとね」

「これだから政治は嫌いだな」とマッケンジー中佐。

「それは人間が嫌いって言ってるのと同じじゃないかしら? 司令。あたしたちはいつだって利益衝突してしまうわ。そこを調整するのが政治って仕事。マッケンジー中佐だって、バーニィがほかの女と浮気したら怒るでしょ?」

 

 マッケンジー中佐はやれやれ、と首を振る。

 すっきりとした微笑みを浮かべながら、彼女が答える。

 

「――怒る? 何をバカなことを……ノーマルスーツなしで宇宙に放り出すだけだ」

 

 シン少佐はとゴップ参事官は「そう……ですか」と、予想だにしない彼女の過激な発言に、愛と嫉妬の恐ろしさを学んだ。

 こりゃ人類から戦争をなくすのは難しいですね、とシン少佐とゴップ参謀次官は視線でやり取りする。

 

「……んんっ、えー、とにかく、そんな感じで人の世に争いは尽きないので、まずはエゥーゴとティターンズの戦力を削って、さっさと投降させるのが先決ね」

「しかし、平和条約問題はどうするので?」

 

 マッケンジー中佐が棚上げ中、と書かれたモニターの課題を指さす。

 過激化する平和推進運動――として、カボチャをかぶった連中が踊り狂っているデモシーンが繰り返し表示されている。

 

「平和主義運動も盛り上がってるみたいだけれど、これって下野しちゃった元ティターンズ派やエゥーゴ派の大衆運動よね。みんなの一般意思なのかどうかは、あたしにはまだ分からないわ」

「うーん、自分は平和条約締結に大賛成ですけどね。平和になれば、自分たちがMSに乗ってドンパチしなくていいので」

「――シン少佐、貴官の見通しの甘さは治らんな」

 

マッケンジー中佐とゴップ参謀次官がやれやれとかぶりをふる。

 

「平和条約を結んだからハイ平和、サヨナラ連邦軍、とはならないのが世の常でしょ」

「そうですかねぇ。ジオンと互いに軍縮条約を毎年更新して、互いに防衛費負担を減らしていくって政策に、庶民は大賛成すると思いますよ」とシン少佐。

 

 なにせ、シン少佐自身がそれを望んでいた。給与からバリバリ天引きされる防衛特別税がなくなれば、シン少佐はこの世界にあるミリタリーグッズ――すなわち、リアルガンダムグッズへのさらなる予算をゲットできるからだ。なお、軍縮で自分が予備役編入――つまり、解雇される可能性は頭からコロリと抜け落ちている。

 

「――うそ、そんな風に考えるの?」

 

 イングリッド様には思いつかなかったことらしい。

 

「なぜそんなに簡単にギレン・ザビを信じられるんだ、貴官は。奴が必ず約束を守り続けると考える根拠は?」

 

 マッケンジー中佐も不思議そうな顔でシン少佐をみている。

 言われてみれば……とくに根拠はない。

 ただ、なんとなくギレンなら結んだ条約を守ってくれるような気がする、というだけであった。

 何とも言えない、憐れみのような視線を受けて、シン少佐は羞恥に震えた。

 

 

 

 

 

 数日後、アルファ任務部隊はイプシロン任務部隊と合流『させられた』。

 ハンフリー准将によるアルファ任務部隊への増援だ。手持ちの戦力を増強してやろうという気遣いだったのだろうが、艦橋のマッケンジー中佐は目に見えて不機嫌だ。

 

(そもそもイプシロン任務部隊の司令と、マッケンジー中佐は性格が合わないんだよなぁ)

 

 シン少佐はブリッジの司令席に腰掛ける、不機嫌な彼女を見る。

 ブリッジの空気感はあまりよろしくなく、ただ艦長のイワン・パサロフ少佐だけが黙って電子書籍を読んでいる。それはそれで服務規律違反だが、いいのか?

 

 こちらの艦隊に合流したイプシロン任務部隊のグレイファントムから、艦橋に通信が入る。

 

『やっほー、クリス、久しぶりね。彼としっぽりやってる?』

「マイスター中佐、やめてください。部下が見ています」

『やーね、相変わらず堅物だこと。ヤザン中尉から聞いてるわよ~子作り大作戦だっけ?』

「中佐っ!」

 

 だぁーん、と司令席を強打する音が響くが、艦橋の空気は緊張するよりも弛緩していく一方である。

 

『ちゃちゃっと産んどいたほうがいいわよー。あたしみたいになる前にさ』

 

 イプシロン任務部隊の司令、エイミー・バウアー・マイスター中佐は一年戦争時に夫を失っていることを、クリスもシンも知っている。シン少佐の中の人も、ガノタとして彼女の真意を痛いほど理解している。クリスに、幸せになってほしいだけだ。自分のようになるなと言っているのだろう。

 

 だが、それはあいさつ代わりにやる会話ではないような気がしないでもない、と普段から空気を完ぺきに読みこなしていると確信しているシン少佐は思った。

 

「――この戦争が終わったら元気なキッズをゲットしますよ」

『いいわねー。あ、シン少佐、うちの子が挨拶したいって』

 

 どうもイプシロン任務部隊はこちらと違って、あまり軍隊の雰囲気でやっていないようだ。どちらかというと、小規模な地方部隊のノリがすごい。

 

「はぁ」と急に通信に参加させられるシン少佐。

『おっすー、シン少佐』

 

 中華系のレディがモニタに映し出されて、シン少佐はとぎまぎした。

 

「げ、リウ・メイリン少佐……特殊作戦グループにいたんですか」

『そうそう、うちもさっき知ってさー。シン少佐と過ごした激しい夜を思い出しちゃったよー。またしようね!』

「ふっ、望むところだ!」

 

 幹部上級課程の時に知り合った女性MSパイロットだ。中の人のガノタナレッジ的には、極東MS戦線という媒体に登場していた素敵可愛いツヨツヨパイロットである。

 中華戦線でガチバトルをしていた猛者で、幹部上級課程のMS運用シミュレータでは何度もボコボコにされている。夜な夜な個人演練に付き合ってもらった借りを返してやらねばならんな。

 

「じゃ、またあとでっ!」

「おー」

 

 通信が終了する。

 マッケンジー中佐が「……またシャニーナ大尉が大暴れするな」と額に手を当てる。

 

 確かにその通りだ。

 リウ・メイリン少佐は自分よりも凄腕。

 間違いなく、シャニーナ大尉の大暴れにも耐えうるだろう。

 シャニーナ大尉相手だと、単機バトルで負け越すこともこのごろ多くなっているシン少佐。

 

 まったくもう、仕方ないですね。このわたしが特別指導をしてあげますね――などと生意気なことを言うようになってきた彼女を鍛えなおすいいタイミングかもしれない。

 

 ふっ……MSパイロット道は長く険しい、ということをあの子の体にわからせてやってくれ、リウ・メイリン少佐――などと、シン少佐は新たなるバトル・レディに期待を込める。

 

「司令、シャニーナ大尉が火器使用許可と出撃許可を求めています。いかがしますか?」

 

 お、さっそくシャニーナ大尉にやる気の炎がついたか、とシン少佐はニヤリと口元を歪ませる。

 あの子はわしが育てた最強のつわものよ――という師匠の真似事をしているつもりなのだが、周りからはただの馬鹿の薄ら笑いにしか見えない。

 

「……グレイファントムを撃沈しかねん。ヤザン中尉に拘束させろ」

「了解――ダメです、ヤザン中尉から返信『カラオケで忙しい』です」

 

 はぁー、と深い息を吐いたマッケンジー中佐が、こちらをみる。

 

「何でしょうか、司令」

 

 表情筋に気合を入れ、キリリとした眼差しを向けるシン少佐。

 

「――シャニーナ大尉との実機演習を許可する。すこし相手をしてやれ」

「了解、しっかり鍛えてやりますよ」

 

 颯爽と艦橋から退出。

 背後に、ブリッジクルーたちの敬意のこもった眼差しが向けられているような何かをシン少佐は感じた――ふっ、さすがにちょっとエースの風格を醸し出しすぎたか、自重自重、などと前髪をさっと払う。

 

「バカにつける薬はない、か」

 

 などと、マッケンジー中佐がこぼした。たぶん、意味不明な政策決定をする首相府や連邦議会への皮肉だろう――と、シン少佐は醸し出しすぎたエースの風格で回りに反地球連邦政府的な影響を与えてしまう己に驚いた。いやぁ、乱世、乱世。

 

 

 




書くためにZガンダム見てたら、面白くて投稿遅くなっちゃった……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三三話 0087 ダカール強襲阻止作戦(中)

 

 リニアシートに身を預けたシン少佐は、モニタをいじる。

 そこには現在の艦隊の状況が表示されている。

 

 現在、地球軌道に展開する各軌道艦隊が集結し、エゥーゴとティターンズ連合艦隊に現場でどう対処するか、各艦隊司令が現在ミーティング中だ。大方針自体は首相命令が出ており、作戦要綱も参謀本部から届いている。

 しかし、現場は現場の事情というものがある。

 命令違反をするわけにはいかないが、かつての一年戦争や0083事変でともに並んで戦った仲である。何か手はないか、ということでゴップ参謀次官を中心に協議しているようだ。

 

 待機命令を受けたシン少佐は、脳内でZガンダムを再生していた。もちろん、TV放映版と劇場版両方である。すでに世界がわちゃわちゃになっていて、シン少佐が持つ原作知識など何の役にも――立つ、いや、立たせるのがガノタというものである。

 

 原作ではエゥーゴがエイヤでジャブローに降下していた。その理由は――ティターンズの本拠地を押さえる、であった。ガノタ御用達のデータコレクションの記述によれば、ジャブローからの連邦軍司令部移転は既決事項であり、すでに移転が進んでいたそうだ。

 エゥーゴの作戦は、空き巣強盗のような微妙な降下作戦となり、最後は核爆発オチという笑うに笑えない話で終わった。核使用の嫌疑をエゥーゴに向けるティターンズの政略であった、という解釈もあるが、そこらへんは劇中でどうなったか明示されておらず、ガノタ力で読み取るほかない。

 

(どうしよう、全然参考にならない……。そもそもZガンダムがガノタ力を試す仕様なんだよなぁ。フォウ関係の話と、劇場版でファとカミーユが抱き合うシーンしか印象に残らない。『そっか、ヘルメットしてるとキスできないんだ』ってイデオンでもやってたよな――)

 

 Zガンダムを先ほどから20回以上繰り返し光速再生しているシン少佐は、ネロトレーナーのコックピットにて待機中である。

 いつ何時出撃命令が出てもおかしくないほどに、事態は切迫しているからだ。

 原作と違い、エゥーゴとティターンズが連合を組み、その最大戦力をもって、連邦政府首都ダカールを制圧する――文字通りクーデターを企図した動きを見せている。

 

 どう考えても原作以上に過激だ。

 

 よくよく考えてみれば、原作のエゥーゴもひたすらにクーデター行動を繰り返していたわけだし、そこに齟齬はない。

 だが、今回はティターンズも一緒だ。

 しかも、原作のようにエリート意識に凝り固まったティターンズや、ジオンの残党と結託してアナハイムと蜜月なエゥーゴ、といった『皆さん、この組織ちゃんと弱点ありまぁす』という敵ではない。

 

 どちらも、強敵そのものである。ティターンズにはMS教導団がゴリゴリに参加しており、その訓練メソッドは正規軍を凌駕している。エゥーゴとてレビル将軍とともに一年戦争からずっと最前線で戦訓を得てきた実戦部隊ばかりだ。

 

 ――あれ? よくよく考えてみたら、正規軍は数しか勝ってないんじゃ?

 

 シン少佐はコックピット内の全天周囲モニタの一部に、合流した艦隊から届いている人事情報を、フィルタリングをかけて検索する。

 確認したいことは、下士官層――伍長~先任曹長の層の厚さだ。一年戦争、あるいは0083戦役に従事していた連中が多ければ多いほど、ありがたい。下士官は軍隊における背骨であることは、MS戦が主軸になった宇宙世紀だからこそ、より一層顕著になっている。

 

(……まぁまぁ、か?)

 

 シン少佐は胸中でうめき声を漏らす。11.94パーセント。繰り上げて12パーセントである。100人の下士官がいたら、その中の12人だけがヤバい戦場を知っている連中ということになる。

 

 士官、下士官であれば100%戦場経験を有するアルファ任務部隊やイプシロン任務部隊ほどの特殊な例までは期待していなかったが、想定よりも低かった。

 

(実戦経験がありゃ強い訳じゃないけれど……崩れにくいんだよなぁ)

 

 軍隊というものは損耗して入れ替えることを前提にすべてが構築されている。

 無論、人間も例外ではない。

 訓練プログラムも、実戦を経て戦訓を得た内容に基づいて月次ベースで改良をくわえられているため、一年戦争初期には対MS戦のノウハウなどなかった連邦軍も、あっという間にジオンにキャッチアップできたのである。

 

 ただし、いかに優れた訓練プログラムを修了していようとも、いざ命のやり取りが始まる戦場となると、士気というものも馬鹿にできなくなる。

 

 そんな時に頼れるのが、経験ある下士官というわけだ。

 へっぴり腰になってしまった連中に『ついてこい』と言える下士官が一人でもいれば、あっという間に兵隊は立ち直る。そういうものなのだから、仕方がない。

 

『シン少佐、艦隊の方針が決まった』

 

 マッケンジー中佐から資料とともに通信が入る。

 電子ファイルを開き、全天周囲モニタに作戦図を映す。

 

「こりゃまた……横綱相撲ですね」

 

 ダカールに降下できる宙域は限定されている。直接降下を狙う以上、エゥーゴとティターンズ連合艦隊は、そこへと兵力を集中することになる。

 それを、正面から地球を背にして迎え撃つ、というのがこちらの方針だ。

 数の上では有利なので、文字通り正面押しである。

 

『ここでゴップ参謀次官が公式に説得にあたる。なお、私的通信の封鎖はなしだ』

「楚歌ですか。逆にこっちの士気を砕かれるシナリオもありそうですよ」

 

 何せあちら側は年期と気合が違う。ブライトやアムロ、教導団の連中にあれこれ言われたら、こちらの兵とて動揺するだろう。

 

『それでもまずは対話だ』

「了解」

 

 確かに、ガノタたるもの、対話の努力は捨てたらいかんな、とシン少佐がうんうんと頷く。

 ただ、ブライトとかを説得する方法を何一つ思いつかないのもまた、事実ではあるのだが。

 

 

 

 

『アルファリーダー、ネロトレーナー、出――!?』

 

 ガンダム作品の登場人物ならば皆それぞれ格好のいい発進セリフを持つものだ。

 アムロ、行きまーすのようなアレだ。

 しかし、シン少佐はアルファ任務部隊に配属されて以来一度も言えたことがない。

 カタパルトにMSを乗せたら問答無用で強制射出である。

 出撃でやんす、とかいろいろ言わせてほしいのだが、だいたいはMS名を言ったあたりで『射出! 射出!』と管制に追い出されてしまう。

 

 今日もキメ台詞を言えなかったな、などと思いながら、シン少佐は戦況図を確認する。

 各部隊の展開は進んでいるようだ。

 

 実際にコックピット内で見渡してみると、全天周囲モニタにはブルーの枠組みが相当数表示されていて、自機の近くに友軍が散開していることが見て取れる。

 直上には強襲を担当するヤザン隊とスパルタン部隊。下方にはバトルラインを敷くためのシャニーナ隊他、アルファ任務部隊の各艦艇から出払った部隊が編隊を組んでいる。

 

『うちらはアルファ2の援護でいいんだね?』とリウ・メイリン少佐率いるイプシロン任務部隊。

「イプシロンリーダはアルファ2に直協してくれ。アルファ201、ケツもちがついてくれるそうだ」

『アルファ201より、イプシロン101へ。オレのケツに見惚れて落とされるなよ。後味が悪いからな』

『イプシロン101よりアルファ201へ。しっかりと堪能してやるから安心していいよ』

『上等だぜ』とヤザンの鼻が鳴る。

 

 連邦艦隊からもMSが続々と割り当てられた各行動地帯に展開している。こちらの全天周囲モニタにも前進軸が表示されている。もちろん、ティターンズやエウーゴと接触する予測時間もだ。デートの時間が刻々と迫るように胸が高鳴る――なんてことはない。

 

(主力はジムⅡか)

 

 さんざんティターンズやエゥーゴに予算を分捕られていた、というのもあるが、もともと大量配備していたジムシリーズを近代化改修するほうが予算もそれほどかからないという懐事情により、お仲間たちはジムⅡばかりである。

 

 一部のできるパイロットにはちゃんとジムⅢが配備されているようなので、連邦正規軍の兵站部門もそれなりに機能していることがわかる。

 特に、原作で相応に活躍した皆さん――不死身の第四小隊などは、フル装備のジムⅢであるので、ティターンズのバーザムやエゥーゴのネモを相手にしてもやりあえる――でも、ネモ・ディフェンサーは勘弁かなぁ、などと、シン少佐はあれこれ頭の中でシミュレートする。

 

『よぉ、久しぶりだな、S909』

 

 ん、なんだか懐かしい声だな、と思い、隣に並んだ機体を見て仰天する。

 ジムⅢパワードFA(ブルドック)であった。

 

「もしかして、DFo883ですか?」

『そのもしかして、だ。あのとき助けてやった貴様のヒヨコは生きてるのか?』

「今、真下にいる連中の隊長やってますよ。いやー、あの時は助かりました」

「そうか――ヒヨコも化けるものだな。良い動きじゃないか」

 

 DFo883は、かのア・バオア・クーの頭のオカシイ戦いの際に、何度か助けてもらった艦砲射撃を誘導する専門の前進観測士官だ。あの頃はジムスナイパーカスタムで暴れていたが、今回も暴れん坊な機体でご登場のようだ。

 MS戦闘をしながら艦砲を誘導し、決定的な有効射をキメる、文字通り火力計画の成否を担うエリート様がわざわざ来てくれたということは、連邦軍も本気ということだろう。

 

「えーと、あの時は名前を聞きそびれました。こちらはシン少佐。見ての通り特殊作戦グループ所属です」

 

 こちらの機体はネロなので、相手も察しているだろう。

 

『テネス・A・ユング中佐だ。艦隊Fo統括として最前線に観測指揮所を設け、前衛火力調整を行う。いわばクソ仕事だな』

 

 こいつぁたまげたな。原作設定によるならアムロ・レイを上回る撃墜数をたたき出した連邦軍一年戦争期における最高の撃墜王である。

 

 ――が、よく考えれば艦隊Fo(観測士官)ならわけわからんスコアくらいたたき出せる。

 

 有効射による撃墜判定の三分の一がスコアに加算されるからだ。

 だが何よりも評価されるべきことは、それだけ『生き残っている』ことだ。

 当たり前の話だが、艦隊Foを潰せば、ミノフスキー粒子下での艦砲射撃を無価値なものに出来るからだ。

 まず真っ先に袋叩きにされる。

 

 そんな艦隊Foの一作戦単位における死亡率は70%を超えるので、頭のネジが外れているか、強運の星のもとに生まれているものだけが仕事を続けられる。

 

「ユング中佐殿を信じて、我々は突撃するだけですよ」

『――ワイン一本ごとに要請射撃を融通してやる。うまく使え』

「了解。ボス」

 

 テネス中佐のジムⅢパワードFAが離れていく。

 互いの光メッシュ通信は確立しておく。あちらが危機的状況に陥ったら援護してやらねば、と、珍しく戦局全体を見通した思考をするシン少佐。

 なにせ、久しぶりの正規戦である。

 人類同士の正面決戦など、それこそア・バオア・クー以来である(0083事変はジオンの特殊部隊による非正規戦だったので)。

 

『――全部隊、傾聴』

 

 作戦司令部――ホワイトベースⅡからの通信だ。連邦軍はかなり気合が入っているようで、旧ワイアット派の支持層を引き継いでいるとされるステファン・ヘボン中将だ。

 かつてのワイアット中将が英国趣味だったのに対し、ヘボン中将はハンバーガーとコークを愛するアメリカ趣味である。

 

『諸君、私は、ステファン・ヘボン中将である。君たちに、友を討て、と命じる冷酷な男の名前だ』

 

 0083事変では、ルナⅡのワイアット派艦隊を統率して宇宙怪獣とガチバトルをしていた猛将。こちらも彼の艦隊にずいぶん助けられた。懐かしいな、とシン少佐は口元に笑みを浮かべる。

 

『一年戦争以前より連邦軍に籍を置いている私は、諸君らの中の古参将兵同様、エゥーゴ、ティターンズに数多の戦友をもつ。私は非公式に、これから彼ら、彼女らに呼びかけ、武装解除を提案する。もし私の言葉に耳を貸さず――私と諸君らの戦友たちが統制線を越えた場合は、苦渋の決断を下すことになる』

 

 ヘボン中将の覚悟が伝わってくる。

 

『その悔しさと失意を、我々将官に向けてくれて構わない。連邦軍の高官たちが、手練手管で公的組織を壟断した事実は、誰の目にも明らかだからだ。その責任を諸君らに押し付けるような戦いを強いる、我々将官たちの無能を憎んでほしい』

 

 確かにそうかもな、とシン少佐はヘルメットのバイザーに曇り止めを塗りながらヘボン中将の演説に耳を傾ける。

 

『だが、この一戦をもって連邦軍は変わる。諸君らに引きたくもない引き金を引かせる、我らのような軍権を壟断した将官はすべて粛清される。私も含めてだ――。消えゆく老人から最後の命令を伝える。Semper Fi. 常に、忠誠を』

 

 すでに連邦軍から久しく失われていた言葉だ。

 いつしか党派がまかり通るようになった軍隊が、もう一度取り戻さなければならない、もっとも根源的なものが忠誠心だろう。

 ただ、それにふさわしい連邦政府、というものをついぞ見たことがないな、と、シン少佐は情けない政府にも奮起することを期待する。

 

 

 

 作戦開始の端緒となる、両軍統制線の上端にアルファ任務部隊は展開していた。

 

『――繰り返す。もう一度、同じ旗のもとに集い、共に歩むことはできないだろうか? 銃を捨て、友の手を取りさえすれば、まだ間に合う。レビル将軍、ジャミトフ大将、私の手を取ってくれ』

 

 ヘボン中将の非公式な呼びかけはまだ続いている。

 そして、公式な呼びかけを担当するゴップ参謀次官もまた、言葉を尽くしていた。 

 

『武器を捨て、投降信号を出す。それだけのことをためらうな――』

 

 こちらの声は届いているだろう。

 そして、エゥーゴもティターンズも、その言葉には応えない。

 

 信念、というもののせいだ。

 

 ガノタたるシン少佐はよく知っている。理解しあえる可能性があるとされたNT同士でさえ、最後は口論で試合終了。アクシズを落としたあの男は、アムロと口喧嘩しながら果てたのをガノタなら見てきている。

 

 それと同じことだ。

 

 信じるもの、為すべきことをなすという鋼の意志が、こういう結果を招く。

 

「――ブライト中佐、聞こえているか。アムロ君、答えてくれ。頼むから、一線を越えさせないでくれ」

 

 伝わるかどうか分からない、プライベート通信のほうに連絡を入れる。

 当然、既読サインはつかない。

 

(そう都合よくはいかないよな)

 

 シン少佐は部下たちの配置とバイタルを確認する。

 士気がまともなのは、ヤザン中尉くらいか。

 

「あー……撃つなよ。ガチの無駄死にだぜ、こりゃ」

 

 シン少佐は祈った。

 祈ったところでどうしようもないとわかりながら、トミノ神に祈りをささげる。

 最初に一発が撃たれたら、そこから先は――地獄坂を転がり落ちるだけだ。

 

「!?」

 

 シン少佐は目を見開いた。

 正面から一機、来る。

 回避は――間に合わない、と判断したシン少佐のネロ・トレーナーはシールドを構える。

 そこに。一条のビームが着弾する。

 

「パプテマス・シロッコかっ!」

 

 シン少佐は撃った相手を視認していた。

 ガノタたるもの、たとえ星の向こうから狙撃されようとも、敵のMSくらいは識別できるものだ。

 

(メッサーラかっ!)

 

『――火器自由使用。繰り返す、火器自由使用』

 

 艦隊AIが狂ったように同じ文言を繰り返す。

 OKクソ野郎。

 いまの一発は歴史を変えたぞ馬鹿野郎っ!

 

 シン少佐が何かを命じるまでもなく、アルファ任務部隊は所定の作戦行動に入る。

 容赦なき、敵の殲滅である。

 

 同様に、連邦軍の艦隊から計画射撃。

 対抗するようにエゥーゴ、ティターンズから突撃支援射撃が届く。

 

「各機、乱数機動だ! 弾幕が来るぞ!」

 

 シン少佐は命令を出しながら、切りかかってきたバーザムをいなす。

 

「おいっ! 投降しとけよっ!」

『できるかっ! ジャミトフ閣下をむざむざ処刑させるわけにはいかんっ!』

「そんなこと……」

『ないと言い切れるのか! 腐り果てた政府だぞっ!』

 

 圧倒的な気迫のこもった蹴りを食らい、そのまま吹っ飛ばされるシン少佐のネロトレーナー。

 

(くっそ。マジもんのエリート部隊じゃないか)

 

 本気で行かないと、やられる。

 部下を守れない――そう判断したシン少佐は、当然のように心のスイッチを切る。

 素早く機体を制動し、フェイントを入れて一射。

 先ほどのバーザムの胴をビーム粒子で貫いた。

 

「アルファ全機、イプシロン隊、戦線を浸透し、アーガマ隊を押さえる」

 

 シン少佐がそう命じると、ヤザン機から応答が入る。

 

『こちらアルファ201、すでに接触中っ!』

 

 直上の戦域に頭を向けてみると、すでにアーガマのネモ、ネモ・ディフェンサー部隊とヤザン隊、イオ隊が交戦していた。イオのラムダガンダムが容赦なくネモを打ち落としている。

 ヤザンは――ウラキ、キースのコンビとやりあっている。

 

「――早いな。さすがブライト。気力も装備も充実しているうちに、脅威を排除するって腹か」

 

 ブライト中佐の考えることなどわかる。

 奴は戦巧者ではないが、勝ち筋を確実に拾ってくる堅実な戦い方を好む。

 いまならアーガマクルーも搭載MS部隊も気力、体力ともにイケイケだ。

 とくに、アイツがな。

 

『――そこっ!』

 

 通信機は切れよ、とシン少佐は光通信を利用した相対位置フィードバックを利用して、アムロの白式のビームを回避。

 ここまでは事前にプログラムを組んでおいた挙動なので、シン少佐には何の負担もない。

 そう。

 アムロ・レイは優しさを持つNTだ。

 敵味方に分かれて、非道な殺し合いをするには……優しすぎる男だ。

 だから、最後まで話し合いを受け入れようとするだろう。

 つまり、通信ポートが開いているわけだから――常時、やつの位置をこちらは把握できるし、やつの手癖をさばいていけば、何とかなる(勝てるとは言っていない)。

 

『また、避けるっ?』

「悪いな、アムロ君。ネロトレーナーはいい機体なんだよ」

『馬鹿にして……。あなたはそうやっていつも他人を見下して、人を馬鹿にすることしかできないんだ!』

 

 よーし、乗ってくれた。

 感情的になってくれれば、多少はやりやすい。

 このままこっちの通信ジャックによる位置情報取得がバレませんように、と祈る。

 

「なぁ、アムロ君。そんなエゥーゴがどうって柄じゃないだろ? 思想で戦争しても世はよくならないって」

『――何を言ってるんですか、あなたは。これは僕の仲間が生きるか死ぬかの決戦なんですよ。投降して、本当に無事でいられるなんて信じるほど、僕たちは政府を信じちゃいないんです』

 

 文句を言いながらサーベルで切りかかってくるのはちょっと遠慮していただけませんかね。

 ネロトレーナーのサーベル出力は白式とそう変わらないから受けられるが、性能差があったら死んでますからね。

 

「先に投降した連中はちゃんと無事だぜ? 地球の僻地勤務になってはいるが」

『――それは、普通の人だからだっ! リュウさんが、どうなったか知らないからのんきなことを言えるっ!』

 

 リュウさん!? あ、そうか、ホワイトベースが地上に降りる前に拿捕されているから、リュウ・ホセイは普通に生きているのか。

 

「どうなったって、ブライトから聞いてるぞ。軍に残ったって……」

『ちがうっ! リュウさんは僕をかばって、ムラサメ研究所に送られたんですよっ!』

 

 シン少佐は心のスイッチが壊れそうになったが、持ち前の無神経さで無理やり抑え込む。

 

「そうか」

『そう……か? それ、だけですか? 頭の中いじくりまわされて、廃棄処分にされたって記録を、僕はみたんですよ。あなたは、やはり何も知らないから――そうやって、何も考えずに政府の犬になれるんだっ!』

 

 怒気そのままのラッシュ。

 相手の怒りの呼吸に合わせてライフルを撃ち合い、互いに回避しあい、淡々とリズムよくバトルダンスをキメていく。

 

 こちらのライフル射撃の間隙を縫うように迫る白式の目に赤い走査線が表示される。

 あの白式――バイオセンサーが動いているな。

 

 どちらのステップがリズムに乗り遅れるか――遅れたほうが死ぬだけの、簡単なダンスゲームのステップを踏みながら、シン少佐は白式の通信ポート経由でゴップ参謀次官お手製のマルウェアを忍び込ませる。

 

 見える戦闘と、見えない戦闘を同時にやるのが、シン少佐の戦術である。

 まともにやってあのアムロ・レイに勝てるはずがない。

 

 事実、そろそろデス・ダンス大会のステップに出遅れつつあるのはシンのほうだ。

 紙一重で回避できていた攻撃が、だんだんと掠めるようになってきた。

 アムロは――戦いながら、さらに成長している。

 これが、ホンモノのニュータイプか。

 

『――隊長っ! シャニーナ機がやべぇっ!』

 

 イオ大尉からの通信。コードで呼んでいないからこそ、切迫感を理解した。

 アムロの連撃を回避しながら、シン少佐はシャニーナ大尉の位置を把握する。

 

(Zガンダムっ!?)

 

 まだ出来てないはず――いや、アナハイム驚異の技術力だ。こちらの得ていた情報通りに仕上がってくるわけがない。

 

「――アムロ、悪いな」

 

 シン少佐は白式に忍ばせたマルウェアを起動する。

 機体の制御を失った白式が、その場に漂う。

 もちろん、通信も途絶だ。

 問題は、アムロがシステム介入だと気づいてマルウェア除去を開始することだ。

 おそらく――MSに関するエンジニアリングを一通りかじっているヤツなら、1,2分で気づくだろう。

 それだけの時間を稼げただけ、マシ――とシン少佐は白式を放置して、シャニーナ大尉のネロトレーナーに絡んでいるZガンダムへと突貫する。

 

「動きが素人だぞ、ゼータっ!」

 

 シン少佐からすれば、アムロよりはるかに単純な動きをしているZガンダムの背後に回り込むなど造作もなかった。

 だが、背中に目でもついているのか、仕留める前に離脱された。

 そして、変形して距離を離して――MS形態に戻り、狙撃をかましてくる。

 いやらしい戦い方だが、まだ仕上がっていないな。

 怯えからか、近接格闘を決められるにも拘わらず、遠距離戦をつい選択してしまう悪癖が出ているようだ。

 単純な乱数機動で回避し、シャニーナ機の損傷を確認する。

 

――無傷?

 

 どういうことだ。

 損傷がないのに、シャニーナ機の動きが鈍い。

 

「シャニーナ大尉、どうした?」

『す、すみません隊長。あのガンダム――なんだかすごく気持ち悪くて。怯えてるんだと思うんですが、その気持ちがゾワゾワとわたしを犯してくるんです』

 

 NT同士の共鳴が悪い方向に現れているな、とガノタたるシン少佐は理解した。

 おそらくあのゼータガンダムの乗り手は、あいつだ。

 

「シャニーナ大尉は下がれ。あれは君に向かない相手だ。俺のケツを狙ってくるほかのやつを頼む」

『了解……あまり、無理しないでくださいね』

 

 シャニーナ機と部下たちが下がっていく。

 こちらの背後に回り込んできたネモ・ディフェンサーを押さえてもらう。カイかハヤトだろうな、あの動きは。

 

「――カミーユ・ビダン君だな。ティターンズ最新のMSに乗ってはしゃいでいるが……心は怯えているぞ」

 

 おいおいアムロとカミーユを同時に相手取るなんて――ガノタならば幾度もこのような事態に備えた脳内シミュレートを繰り返している。

 シン少佐のプランは極めて単純。

 とにかく、どちらか先に落とす、である。

 

「――悪い、アムロ君」

 

 シン少佐は迷わず、クラッキングで動けない白式を狙い、ライフルを撃つ。もちろんガノタとして配慮すべく、白式の腰を狙っておく。白式はちゃんとした機体なので、センサーがしっかり反応し、脱出ポッドで放り出されて戦争からご卒業だろう。

 

 しかし、Zガンダムが割り込んできてシールドで防がれる。

 

『卑劣漢めっ! 投降しようとしているヤツを撃つなんて、それでも戦士かよっ!』

 

 残念、最善手だったんだぜ、カミーユ君。

 そこの白式は投降の意志一つないスーパーエースなんで、脱出ポッド状態にしておいたほうが助かったんだよ、わかれよ……。

 

 あと、こちらは兵士だ。

 必要なら死体に爆弾仕掛けるようなクズ行為だって辞さない、ガチ勢だよ。

 

「ったく、修正してやるよ、カミーユ・ビダン君」

 

 ネロトレーナーは肩部ムーバブルフレームに直結している追加スラスタを小刻みに吹かしながら、Zガンダムに迫る。

 しかし、Zは可変機の特性を駆使して、すぐに距離を取り、こちらを間合いに入れさせてくれない。

 まさに機体性能で勝ち目なしというやつである。

 

「こんなもんか」

 

 シン少佐のネロトレーナーは、Zガンダムの追撃をやめて、さっさと引いていく。

 

『逃げるのかよっ!』

 

 戦闘機状態のZガンダムが背後から追いすがってくる。

 数秒もしないうちにすれ違うな――と、ガノタナレッジで瞬時に交錯時間を導出する。

 本当に――若いな、カミーユ君。

 

「――!!」

 

 シン少佐は、かみしめた奥歯が砕け散るのを感じながら、ネロトレーナー必殺の急旋回をかます。肩のスラスタを左右バラバラに動かすことによって実現されるこのマニューバができる機体は、ネロトレーナーを除くとGPシリーズくらいなんじゃないか、いまこの時代だと(Fbとか02)――あ、ジムカスタム高機動型も?

 

 そんなガノタ特有の無限探求を行いつつ、ライフルを構えるネロトレーナー。

 

 そして、飛行機は急には止まれない。

 

 すり抜ける形になったゼータが、急制動をかけるべくMS形態に変形する。

 ガノタクイズのおなじみの、Zガンダムの変形時間は何秒? というやつだ。

 

「0.5秒、なんだよな」

 

 もちろん、あほみたいに戦場を練り歩いてきたシン少尉が狙いを定めて撃つ速さは、それよりもはるかに速い。

 シン少佐が淡々とトリガーを絞る。

 粒子が飛び、ゼータの背中に直撃。

 変形途中のバックパックを吹き飛ばされたZガンダムがふらふらとどこかへと飛んでいく。

 

「あー、よかったー。カミーユが経験積んでたら死んで――ヴぁぁぁああ!?」

 

 シン少佐は激しくコックピット内で揺すられる。エアバッグが緊急展開し、首や腰椎を痛めないようにサポートを決めてくれるが、残念ながらピキーンと、腰がアウトな悲鳴を脳髄に伝えてきた。

 

「いっ!! アムロ・レイっ!」

 

 まるでニュータイプのように言い放っているシン少佐だが、明らかに腰の痛みをごまかせていない。さすがに、ガノタと言えどもダメなときはダメである。

 

『よくもやってくれたな……ガンダム一つ落としたくらいで慢心するところが、あなたらしいですよ、シン少佐――脱出ポッドはエラー吐いてませんよね?』

「わぁあぁぁぁ、やめろ、バカバカっ!」

 

 背後から羽交い締められるネロトレーナー。

 もちろん絡みつくは白式である。

 

『今回は、僕の勝ちです』

「テメェ! 誕生日プレゼントまたハロだからなっ! 覚悟しとけっ!」

『――本当に次の誕生日が僕にくるなら、楽しみにしてます』

 

 直撃判定となる、背後から胸部にかけてのビームサーベル刺突。

 腹部に格納されているインジェクションポッドが射出される。

 もちろん、中に乗っているシン少佐は「うわぁぁぁぁ」と叫びながらぐるぐる回っている。

 

 くそっ、制動をどうやってかけるんだっけ……などとぐるぐる回るコックピットの中で、シン少佐はあれかこれかとモニターを叩く。

 

『シン少佐っ!』

 

 軽い衝撃。回転が止まる。

 

「シャニーナ大尉か?」

 

 逆襲のシャアの時の赤い彗星よろしく、モニターは全滅である。

 かろうじて声だけはわかる。

 

「よ、よかった! 無事ですね!」

「アムロの野郎に奥歯砕かれたくらいだ」

 

 本当はカミーユ相手だが、負けたのが悔しくてみみっちい冤罪を擦り付けておく。

 

「そうですか。あのクソガキ、絶対許しません」

 

 いや、あなたも似たような世代ですよシャニーナ大尉、とは言わない。

 

「悪いがトロイホースⅡまで戻してくれ。予備機が必要だ」

「本気で言ってるんですか? 味方はもうボロボロですよ?」

 

 え? こっちが死ぬ気でアムロとカミーユ抑えたのにおかしいだろ!?

 

「何が起きている? こっちはモニターが死んでるんだ」

 

 確かに戦闘中は余裕がなくて全体をみれていなかった。アルファ任務部隊とイプシロン任務部隊については目を配っていたが、少なくともアーガマ隊を押さえることには成功していたはずだ。

 だいたい、アーガマ隊はラーディッシュ級つれてて、そこからグレー塗装されたネモ・ディフェンサー隊が飛び出してるの見えたからな。アレ、ホワイトディンゴ隊だろっ!? そんなのまで引き連れているからチートだチート。

 抑え込めただけアルファ任務部隊とイプシロン任務部隊をほめてほしい。

 

『ティターンズとエゥーゴ部隊が精強過ぎて、どんどん戦線が崩れています。今、バニング大尉他、古参のジム乗りが穴を手当していますが、どれだけ持つかといわれると――あ、ガンダムMk2です。ちょっと落とすんで、このまま待っていてくださいね』

「ちょっ! ジェリドかカクリコン、あるいはエマさんが乗ってるんだから手間かかるんでやめとけ!」

『エマ、さん? 誰ですか、その女……確認しなくては』

「あびゃぁぁぁっ!」

 

 シン少佐は、その時、逆襲のシャアでアムロにインジェクションポッドをつかまれた赤い彗星がどのような身体的苦痛を受けたのか、実感することができたのである。

 




これカミーユがマークⅡだったら死んでたな……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三四話 0087 ダカール強襲阻止作戦(下)

 コックピット内に二人の男女。

 戦線を下げて、艦砲射撃で支えきるという方針変更を受けたシン少佐は、EWACネロに搭乗することとなった。

 

「コックピット内は未調整。シン少佐が積みあげた学習済みデータ群は食わせてあるっすけど、機体が機体なんで、ガチバトルはアウトっすね」

 

 ノエミィ・フジオカ技術少佐からレクを受ける。

 EWACネロ最大の特徴である戦域統合情報処理機能は、これからの逆転劇のために必須だからだ。

 

「護身用の火器は、90㎜マシンガンだけか?」

「そりゃそうっすよ。センサー群に影響が出そうなブツはムリっす」

 

 フジオカ技術少佐とシン少佐が打合せしていると、タイトな紅白のパイロットスーツを着た女性士官がやってきた。

 

「ぬぅ、サイズがギリギリだな」

「あー、胸周りと腰回りがミチミチっすねぇ、司令」

 

 クリスティーナ・マッケンジー中佐がフジオカ技術少佐にスーツの調整をしてもらいつつ、シン少佐に向き直る

 めっちゃ前はだけてますヨ、とシン少佐は邪念を振り払うべく、脳内でRGMシリーズをすべて連呼する。

 

「すまない、シン少佐。本来ならば私自ら操縦桿を握ればいいのだが――こう見えて、空き時間にはちゃんとMSシミュレータはこなしていたんだぞ」

「知ってますよ。ログで見たこともありますし」

 

 シン少佐が答えると、無理やり胸元を締めたマッケンジー中佐が機体に乗り込んできた。

 彼女に手を貸し、後部座席へと促す。

 

 ガノタなら当然知っているように、EWACネロは複座型である。Early Warning And Controlの名を関するこのネロは、二つの運用方法がある

 警戒管制運用と、戦術指揮統制運用である。

 

 今回は、マッケンジー中佐を乗せての戦術指揮統制運用を行う。

 

「わざわざ司令が前に出なくても……」

「アルファ任務部隊の総力をもって奴らを止める。そのためには、第一線情報を確保しながら戦術判断を行う必要がある。それに、シン少佐の機体がやられてMS部隊の士気も落ちている――」

 

 マッケンジー中佐が複数の専用ディスプレイを立ち上げ、操縦桿(有線ドローンカメラ機や有線センサパッケージ、専用レーダ照射装置などを制御するもの)を握る。

 

 シン少佐の背後は、情報要塞と化した。

 

 あと、なんだかいい匂いがする。

 オ・ノーレッ! とバーニィの幸せ者ぶりに大嫉妬してしまうシン少佐。

 だが、ハスハスと呼吸することで、すべてが満たされ、不毛な怒りは消失した。

 

「――大丈夫か、シン少佐。呼吸が浅いぞ」

「はい、問題ありません」

 

 シン少佐はニヤニヤがバレぬように、あわててヘルメットのバイザーを降ろしミラーモードにしつつ、司令の凛々しいみちみちのパイロットスーツ姿を、コックピット内カメラに収めるよう手早く処理を走らせた。

 

「よし。任務機長はわたしが務める。シン少佐、貴官はこちらの統制に従い、わたしを守れよ」

「了解、バーニィのところにちゃんと送り返します」

「こら、バーナードと呼べ。バーニィと呼んでいいのはわたしとアルだけだ」

「それは失礼を」

 

 シン少佐は機コックピットを閉じる前に、ハンドサインでフジオカ技術少佐に確認する

 司令のノーマルスーツがハチ切れたりしないだろうか、と。

 ノエミィ・フジオカ技術少佐から微笑みのフ〇ック・ハンドサインが返ってきたので、慌ててコックピットハッチを閉じて、機体を移動させる。

 

 EWACネロをカタパルトに乗せ、いつも通りセリフを言おうとするが、今度はマッケンジー中佐に先を越される。

 

「アルファマム、EWACネロ。射出よろし」

『了解。マム。ご武運を!』

 

 おい、自分の時はそういうコメント返ってこないぞ。ゴミでも出すように『射出! 射出!』しか言わないじゃないか管制……などと、よよよと世を儚むシン少佐に、Gがしっかりとかかる。

 

 戦闘速度、よし。

 そのまま友軍に合流すべく機体を制御する。

 

「シン少佐、前に出ろ。わたしの機体を中心にMS部隊を再編し、後退させる。艦砲密度を上げて敵を処理するのが趣旨だ」

「了解」

 

 シン少佐はEWACネロを前に出す。

 動きは上々。

 ネロトレーナーほど素早いわけではないが、逃げの一手を打ち続けるだけの推力と大容量プロペラントタンクを備えている。

 

「各機傾聴――こちらアルファマム。お前たちの面倒を見に来たぞ」

 

 すると、アルファ任務部隊の各MSから歓声が上がる。

 ママァー! とわめいているのはラムサスか?

 

「残念ながらアルファリーダーは我々の心の中にしかいない。だが、悲しむ必要はない。お前たちにとってはアルファリーダのケツより、ママのおっぱいのほうが恋しいだろう?」

『恋しいですっ!!』

 

 隊員たちの士気を完全に掌握したらしい。

 やる気に満ちた応答ばかりなので、シン少佐はヘルメット内のボリュームを落とした。

 なんだろう、自分の時は『アルファ201、りょーかい』くらいの低いモチベなのに、ヤザンやダンケル、ラムサスは『ヒャッハァァァ!!』などと奇声を上げる始末だ。

 

「よーし、わたしのカワイイバカ息子、バカ娘ども。ママのいうことをよぉーく聞いて、精一杯戦え。後でいっぱい褒めてやるからな。ほら、言ってみろ。我々はなんだ?」

『アルファ! アルファ! アルファ!』

 

 シン少佐も、コックピットでアルファ! アルファ! アルファ! と連呼する。

 

「よろしい。各機、集結地点を送る。直ちに集合。敵を連れてきてもいいぞ。ママが平手打ちしてやるからな」

 

 おギャー、などと幼児退行を起こした返事をしているバカな隊員もいるが、頭がおかしくともアルファ任務部隊。

 歴戦の特殊部隊らしく、戦術MAP上では各機素早く後退行動に入っている。

 

「さすが、司令。連中を奮い立たせましたね」

「言葉だけでは動かんよ。わたしがこうやってMSで出ているからだ」

 

 そんなことはないと思いますがね、とシン少佐は苦笑する。

 たとえトロイホースⅡの艦橋で同じことを言っても、みなの士気は上がったはずだ。

 ただ、その時はトロイホースⅡが前に出ている状況だろうから、今よりもはるかに危険度は高い(母艦喪失ほどMS乗りにショックを与えるものはない)。

 

「――あと、さっき、アルファリーダーがいないみたいなこと言ってましたけど」

「ん? そんなこと言ったか? 言葉のあやみたいなもんだろう――よし、少佐、全員にデータ転送を終えた。是より観測データを送り、アルファの艦砲とミサイルを誘導する」

「了解。敵陣に突っ込みますか?」

「できるだけ派手にやれ」

「アイアイ、マム」

 

 シン少佐はEWACネロを最大推力で前に出す。

 接敵せず、とりあえず戦場を走り回ればいいだけなので、ある意味集中力を持続させやすい。戦いは判断の連続だが、マッケンジー中佐に戦術判断をすべて任せ、自分は彼女に指示されたベクトルを駆け抜けるだけだ。

 

 

 

 

 艦砲射撃の密度が上がり、アルファ任務部隊はアーガマ隊を圧倒している。

 味方を誘導し、艦砲観測情報を送付し、敵の位置を明らかにし続けるだけで戦場は変わる。

 情報優越、火力優越、そして統制優越を確保。

 まさにEWACネロの面目躍如である。

 

 シン少佐はこちらの重要度に気づいたアーガマ隊の連中を適当にあしらいつつ、DFo883などと協調して味方の戦線を、主に情報で支援する。

 その情報が火力となり、敵に決定的ともいえる損害を強いる。

 イプシロン任務部隊もアルファと協働。攻勢軸をそろえているため、互いのMS連携、火力連携ともに理想形である。

 周辺部隊にも協力を仰ぎ、サラミス改とジムⅡ部隊とも連携できたのはマッケンジー中佐のおかげだ。

 

「――敵MSをみたか?」と司令。

「バリュート装備が増えてきましたね。あいつらやる気ですよ。こちらも換装させますか?」

「そうだな――各機、兵站計画の121番で換装にかかれ」

『了解』

 

 戦争というものは大人数が参加し、様々な専門家が混ざった組織で行うものなので、何をするにも事前計画は必須だ。

 随時命令というのは作戦計画の大枠の中でおこなわれるものであるし、ある作戦計画が破綻した場合は代替作戦計画に切り替わるだけ。

 

 さて、ではこの様々な計画という名の付くドキュメント(文書)を作るのはだれか。

 隊司令と隊付幕僚である。

 往々にして人手不足であるアルファ任務部隊では、兼務という空手形が大量発行されているので、もちろんシン少佐はMS運用訓練幕僚を兼職している。

 

『――こちらアルファ301。兵站計画121番、これ古いやつです』

 

 サンダーボルトのテーマ曲になっていたあの曲が後ろに流れている。

 

「――おい、シン少佐」

 

 ゲシっ、とヘルメットにクリスティーナ・マッケンジー中佐のおみ足が乗る。

 我々の業界では、これはご褒美なんだよなぁ、などとくだらないことを想いつつ、シン少佐は訂正を発出する。

 

「121-2を。改定申請します」

「この戦闘中にか? 貴様、後で覚悟しておけよ」

「なーに、世界最強のブラック組織であるアルファ任務部隊の隊畜を舐めないでいただきたい」

 

 シン少佐はマッケンジー中佐にゲシゲシとけられながらも、素早く音声入力で補給計画書を改定し、さっさと提出した。

 

 もちろん、敵のビームの嵐を回避しながら、片手間にネモも一機落としておくのも忘れない。

 なにせEWACネロなので、敵の集中攻撃を浴び続けるからだ。

 

 ちなみに、この機体は本来、隠ぺいして運用すべきものである。

 しかし、士気高揚と戦線立て直しという鉄火場を迎え、このような残念な運用になっている。

 

『こちらエンジニアリーダー。計画を確認。メンテナンスライン、動かしました』

「迷惑をかけた。後で幕僚はシバいておく」

『あ、それはこっちでやるっす。その人、マムに折檻されてもご褒美だと思えるタイプっすよ』

「――そうか。では任せる」

 

 最後に一発、いい感じの蹴りをもらう。

 このヘルメット、洗わないようにしなくちゃな。

 

「まったく。ブラックな職場ですな」

「貴様がそうしてるんだろうがっ!」

 

 あたた、あたたた……世の中には様々なブラック労働がある。

 ガノタならば、戦場で命狙われながら美人上司に蹴とばされつつ事務仕事をこなし、MSをも乗り回す、このアットホームな職場に歓喜の涙を流しながら転生してくるはずだ――なお、士官は管理職なので、毎日16時間のサービス残業な。

 

「む、まずい――わたしをトロイホースⅡに戻せ」

「トイレですか?」

「バカもん! 艦艇に指揮所を移す。レビル将軍の艦隊が前に出てきた。こちらがせっかく閉じた穴をこじ開けるつもりだ。今度は砲雷戦で一仕事することになる――戻り次第、貴官専用機を用意してあるから、それで出ろ」

「せ、専用機!」

 

 ドゥング! と大太鼓のように心臓がはねて、一瞬心停止した。

 戦闘中の出来事であるので、文字通りシン少佐は一瞬、戦死したといえる。

 KIAである。

 だが、どこからともなく響くガノタたちの罵倒(死ぬのは勝手だが、クリスティーナ・マッケンジー中佐は生き残らせろ)を受けて、意識を取り戻す。

 

「ふぁっ! すみません、一瞬意識を……」

「――」

 

 マッケンジー中佐の意識がない。

 やばい、と焦ったシン少佐は彼女のノーマルスーツの応急処置システムを起動させる。

 数秒後、げほげほとむせる彼女の声が後ろから聞こえた。

 

「司令、ご無事ですか?」

「あ、ああ。シン少佐、次から急旋回と急加速は自重してくれ。わたしもまだまだ現役だと思っていたが――アルファリーダーはもう担えないようだ」

 

 どこか残念そうなマッケンジー中佐はだが、他人の操縦に合わせるのと、自分で操縦するのではわけが違うので、まだまだ行けるんじゃないですか? とは思う。

 

 さて、なぜマッケンジー中佐が意識を失ったのだろう、とシン少佐は行動ログをチェックする。

 どうやら専用機をもらえると聞いた瞬間に、EWACネロは急減速、急回頭、急加速の、やってはいけない3点セットをすべてやったらしい。

 やらせたのはシン少佐だが。

 

「すみません、司令を急いで母艦に戻さないとと、焦りました」

 

 もっともらしい言い訳をするシン少佐。

 

「構わん。戻せと命じたのはわたしだ――しかし、シン少佐。貴官は女に乗るときもこう、乱暴なのか? もしそうならシャニーナは嫁に出せんな」

 

 え? それって司令の許可案件だったんですか? とシン少佐は固まる。

 シン少佐は優しい人のところお婿さんに行きたいです、とだけ回答した。

 

 

 

 自律型吸放熱デバイス(Reversible thermal panel:RTP)のパラメータを確認してから、EWACネロはトロイホースの後方格納庫に着艦する。

 指定された空きハンガーにEWACネロを預けて、コックピットハッチを開く。

 シン少佐が先に出て、マッケンジー中佐に手を伸ばす。

 

「お手を」

「すまんな」

 

 グッと彼女を引き寄せ、そのまま勢いを与える。

 慣性に従って彼女は格納庫内を漂い、何度かノーマルスーツの推進システムを利用して、軌道を修正する。

 

 無事、エレベータにたどり着いたのを確認したシン少佐は、担当整備士にEWACネロの損傷などについて報告を済ませる。

 

 そして、艦内通路をひたすらに移動して、トロイホースⅡの右前足――右舷格納庫にたどりつく。

 

「少佐、こいつっす! 少佐好みに調整しておいたっす」

 

 ノエミィ・フジオカ技術少佐に案内されるままに、シン少佐は専用機の下に立つ。

 見上げたその姿に、シン少佐は開いた口がふさがらない・

 胸部装甲が真っ赤に塗り上げられたそれは――ネロであった。

 だが、ガノタたるシン少佐には、それが特別なネロだとすぐに分かった。

 

「これは……いいものだ」

 

 かつてニュータイプ1987年8月号に載っていた、ヒデアキ・アンノの手によるネロのデザインである。

 なお、金髪のチェーン・アギが載っているのもこの号だ。

 

「さすがっすね。そう、普通のネロなんで、なんか隊長っぽさを出そうと思って――臨時で塗ってみたんすよ」

「ありがとう。これが専用機……専用塗装の魅力ってやつか」

 

 ジオンの連中が無駄にMS色塗りしてる理由がわかりましたわ。

 戦術云々じゃない。これはもう、ロマンですわ。

 

「えー、ネロのオプションは全部盛りっす。肩部ミサイルランチャー、頭部バルカンポッド、少佐好みのクラックグレネード。よく考えたらサンダース曹長のネロの色違いっすね、これ」

「いや、違う。これはシン専用ネロだ。そう名付けたまえ」

「え、色違いじゃ」

「ちがうもんっ! これ僕のっ! 僕専用ネロだもんっ!」

「うわ、めんどくさっ! じゃあ、それでいいっすよ……」

 

 統制用機体登録DBにノエミィ・フジオカ技術少佐が書き込んでくれたおかげで、正式にこの機体の備考欄に『シン少佐専用』と登録された。

 

「せーかいにひーとつだけのネロ♪」

「歌ってないで、さっさと出撃してくんないっすか?」

「お、おうっ! 行ってくるぜ、フジオカちゃんの思いを乗せてなっ!」

 

 バカだなぁ、とあきれられながらも、シン少佐はタラップをうまく使って、さっとシン専用ネロのコックピットに滑り込む。

 リニアシートに座り、いつも通り発進シーケンスを進める。

 

『シン少佐、バリュートをつける』と通信。

 

 しばらく待つと、バリュートReadyのアイコンがついた。

 

「バリュート、よし」

『了解。カタパルトに進め。死ぬんじゃないっすよ、バカ』

「もちろん。次の休暇に焼肉食いに行こう」

 

 ノエミィ・フジオカ技術少佐ともずいぶん長く一緒にいる。

 昔は夏のように燃える恋心に浮ついたこともあったけど、それももう秋の日差しみたいに、穏やかな想いに変わった――のか?

 普通になんだかいつだってドキドキしてる気がするぞ。

 

「アウト。あーしはいま焼き鳥の気分っすね」

「じゃ、それで」

 

 シン少佐は機体をカタパルトに乗せる。

 

「シン専用――」

『シャシャーッス!!』

 

 ついに射出、とすら発音されることもなく、トロイホースⅡから飛ばされるシン少佐専用ネロ。だが、専用機(色違い)を手に入れたという満足感が、彼を寛容にしていた。

 発進セリフがないことなど、もはや些事。

 今はただ淡々と仕事をこなすだけだ、と。

 

 だが、シン少佐のネロの真横を、極太のビームが走る。

 シン少佐は思わず目を細めたが、体は勝手に操縦桿を操り、機体を回避行動へと仕向ける。

 

 体中から嫌な汗が噴き出す。

 心のスイッチは壊れ、心臓はびくびくと不気味なリズムを奏でる。

 

 見てはだめだ。

 見たら、それが現実になってしまう――

 

『トロイホースⅡ、被弾! 右舷全壊。機関緊急停止!総員退艦命令。繰り返す、総員退艦命令』

 

 聴きたくもない緊急事態宣言の通信が耳に入ってくる。

 右舷には、彼女がいるんだ。

 

 シン少佐のネロがふらふらと軌道を変える。向かう先は、爆炎を上げて轟沈しつつあるトロイホースⅡだ。

 緊急脱出ポッドが艦体から多数射出されている。乗組員たちの退艦が始まった証だ。

 

「……」

 

 シン少佐は目を皿のようにして、ノエミィ・フジオカ技術少佐の姿を探す。

 

 もう自分が何を考えているのか分からなかった。

 

 本来であればMS隊の指揮官として、救援を命じるのか、あるいは戦線維持を命じるのかを決断しなければならないのに、ただ、ノエミィ・フジオカ技術少佐の姿を追い求める。

 

 そして衝撃。

 機体を激しく揺すられ、シン少佐はふらふらとした視線のまま、何があったのかを確認する。

 

『隊長! しっかりしてください! イプシロン任務部隊のエイミー中佐が指揮権を継承しました。救助活動は艦艇に任せ、MS隊は戦線維持に務めよ、です』

 

 シャニーナ大尉の機体はネロに変わっていた。どうやらリックディアスは破棄して予備機に乗り換えたらしい。

 

「お、シャニーナ大尉、ネロに乗り換えたんだな」

「……っ!! イオ大尉、アルファリーダーを継承してください。隊長は……隊長はとても指揮をとれません……」

 

 いや、そんなことないってシャニーナ大尉。

 こう、ほら。

 まだ、やれる気がするんだよな。

 

『アルファ301了解。全機傾聴、ラムダガンダムを起点に再集結。前方のガンダムどもを仕留める! アルファ201は隊長を連れて後退しろ。部下はこっちで借りていくぜ――よぉし、そろったな。敵討ちだ。皆殺しにしてやれ!』

『アルファ! アルファ! アルファ!』

 

 なんだかみんな気合が入っているみたいだ。

 ガンダム、という言葉を聞いて、シン少佐は呆然とその先を見た。

 ティターンズの精鋭だろうか。

 ガンダムMk2部隊の直掩を受けたアレキサンドリア級が見える。アル・ギザだろうか?

 

「隊長、退きましょう? ここは怖いところですから……」

 

 シャニーナ大尉が妙に優しい気がする。

 いつもはふんすっ、と鼻息を荒くしているのに、どうしたんだろう。

 

『――見つけたっ! こいつだな!』

 

 ヤザンのネロトレーナーが白いガンダムMk2に斬りかかっている。

 アレクサンドロス級に有線接続されていたメガ・バズーカ・ランチャーを捨てた白いガンダムMk2は、抜刀してヤザン機に立ち向かう。

 

『戦場ではしゃぐ奴が悪いんだろ! 撃ってくれって言ってるようなもんじゃないかっ!』

『ダメよカミーユっ! その機体から離れてっ! やられるわ!』

『ネロなんかにガンダムが負けるわけないでしょう! エマさんが下がってください!』

『ぶっ殺してやる! 捕虜になれるたぁ思うなよっ!』

 

 援護のためか、黒いガンダムMk2たちが集まってくるが、アルファ任務部隊の面々が絡んでいき合流を阻止するところが見える。

 

 

 

 

 だが、そんな戦場の光景もだんだん離れていく。

 シャニーナ大尉のネロに、無理やり牽引されているからだ。

 

『くっ! 隊長、離れて!!』

 

 シャニーナ大尉が、こちらを放り出し、敵に対応する。

 彼女のネロトレーナーが何かと切り結んでいる。

 あれは、メッサーラか?

 

「シャニーナ、そいつは、そいつはダメだ……」

 

 シン少佐は、メッサーラの乗り手であるシロッコの強敵ぶりを熟知している。

 ゆえに、自分が立ち向かわなければ、シャニーナ大尉が死ぬ、と直感する。

 すでに自分がまともな判断力を失っていることはなんとなく感じているが、それでも、守るために戦うくらいは、できるはずだ。

 ただちにネロの肩部ミサイルランチャーを発射し、シャニーナ機を援護する。

 

『隊長っ! 余計なことしてないで逃げてください! ここはわたしが抑えます!』

「抑えられる相手じゃない! 援護するっ! フォーメーション1-1!」

 

 シン少佐とシャニーナ大尉の機体がV字に軌道をとる。

 敵に対して二方向から常に圧をかけるオーソドックスで強力な攻撃だ。

 

『――シャニーナ大尉といったな。そんな無神経な男など忘れて、こちらにこないか?』

 

 こちらのライフルなど無意味と言わんばかりにすべてを回避するシロッコ。

 

『うるさいっ! あなたみたいな女を使うことしか考えていない男に、誰がなびくもんですか!』

 

 こちらがミサイルランチャーでメッサーラの進路を制限する。

 そこに、呼吸を合わせて、シャニーナ機が突貫。

 サーベルを一閃させる。

 

『シャニーナ大尉。君が好きなその男は、歴史を作れない男だ。ただ生きて、ただ巻き込まれ、何もしない。今までその男が何か歴史を変えたか?』

 

 シャニーナ機のサーベルをいなし、メッサーラのクローが彼女の機体の腕を握りつぶす。

 彼女は直ちに腕部をパージして距離をとる。

 

『歴史を変えるかなんてどうでもいいです。わたしが好きだから。傍にいたいから、それでいいんですよ。そういうのが分からないから、あなたの心はそんなにも傲慢なのですね』

『――知った口を』

『わかりますよ。女になれなかった男の悔しさが、伝わってきますから』

 

 そこからのシャニーナ機の動きは、ともシン少佐の目では追えなかった。

 光の筋がただひたすらに交差し続けるさまは、光の精霊同士がただ舞っているようにしか見えず、NT同士の戦いについていけない己の未熟さを思い知らされる。

 

『浅かった!?』とシャニーナの声。

『殺すに忍びないが――覚悟!』

 

 シャニーナ機がメッサーラの左肩を切り飛ばしたが、可変機構を失ったシロッコの機体だが、まだ致命傷ではない。

 クローがまさにシャニーナ機のコックピットを抉ろうとしている。

 

『隊長、たすけ――!』

 

 間に合わない。

 ようやく目にとらえられたメッサーラとネロは射線軸が重なっている。

 撃てば、二人とも死ぬ。

 

『――っ、ちぃっ!! リュウ・ホセイかっ!』

 

 シロッコの舌打ち。

 直上からの閃光。

 一条のビームがシロッコとシャニーナを分かつ。

 

 直上から味方の信号を出したMSが援護に駆け付けたらしい。

 表示される情報によると、ホワイトベースⅡの艦載機のようだ。

 作戦司令部直掩機がわざわざ来てくれるなんて、どういうことだ?

 

『シャニーナ大尉下がっていろ』

 

 割り込んできてサーベルをメッサーラと合わせたのは、ジムカスタム高機動型だった。

 シン少佐は、そのジムカスタム高機動型に見覚えがあった。

 コックピットハッチ横に刻印してある『R.I.P. GOP』 の文字。

 かつてゴップ元帥からもらったその機体がベースであることの証明だ。

 

『リュウ・ホセイ! この期に及んで女一人のために……! 貴様なら、切り捨てられたはずだっ! 女のために何度繰り返すつもりだっ!』

『パプテマス・シロッコ、俺の弱さを許してくれ』

『神を気取ったなら、執着くらい捨てろ……くそっ、傍観する立場の私にも我慢の限界というやつが――』

 

 メッサーラが不利を悟ったのか、離脱しようとする。

 しかし、ジムカスタム高機動型が加速して、メッサーラに追いつく。

 GP01Fbの試験機ゆえ、背中に搭載しているユニバーサルブースターポッドの性能はガンダムGP01Fbとほぼ同等。

 その推力/質量比はのちのユニコーンガンダムに迫る。

 

 ゆえに、メッサーラは手も足も出ない。

 圧倒的な加速と急旋回をモノにしているジムカスタム高機動型によって、メッサーラは一瞬でバラバラにされ、シロッコが入ったインジェクションポッドだけが漂うばかりだ。

 

 シャニーナ大尉とシン少佐は、その圧倒的機動力を使いこなす技量に沈黙した。

 本来は一戦闘単位でしかないMSが、単機で戦局を打開できるだけの力がある、と勘違いさせるほどの、技量を見せつけられてしまった。

 

『――ここまでか』

 

 どこかあきらめたような声が、シャニーナ大尉とシン少佐に届く。

 

『あの、助けていただいて――』

『礼はいい。俺は――しくじった』

『え、何を……?』

 

 そして、ジムカスタム高機動型がシン少佐のネロに近づく。

 

『接触回線で聞こえているな、シン』

 

 彼の機体から有線接続されているようだ。

 シン少佐が、はい、と答える。

 

『イデ発動させる。せっかく俺がここまで頑張ってきたのも水の泡だ。言っておくが、お前にも責任がある。だからこそ、お前に行ってもらう』

 

 何を言っているのか全く分からなかった。

 ただ、通信先の男の声は疲れ果てていながら、闘志を失った様子はない。

 なにか、希望はあるといわんばかりだ。

 

『時間がない。ルールだけを伝えておく。イデの意識によって時空を超えたことを、あちらの時空の俺に知られるな。リュウ・ホセイが俺だと、俺に知られたときに、イデが発動する。発動するまでの時間は5分だ。もし次のシンに引き継ぐときは、渡した記録を必ず継承させろ』

 

 意味が分からなかった。

 ルール? ルールってなんなんだ?

 

『――いいか。ここからが本番だ。お前が守りたいもの、お前が幸せにしたいものは……お前は絶対に手に入れられない。サララも、ノエミィも、シャニーナもな。それでも、お前はやるんだよ。イングリッド、ギレン、モーラ、ジャミトフ、そしてレビルやシロッコ、ワイアットも、お前が間違えなけりゃ協力してくれる』

 

――UC0081年8月。お前のスタートはそこだ、と。

 

『ノエミィ・フジオカのこと、好きだったろ?』

 

 シン少佐は理解した。このジムカスタム高機動型に乗る男は、シンを知っている、と。

 

『宇野サララのこと、愛していただろう?』

 

 間違いない、この男は、俺だ。

 

『お前は――これからサララとノエミィの幻影を追い続けて、シャニーナを傷つけ続ける。そうなる前に、終わらせる』

「そんなことは――」

 

 強い口調で遮られる。

 

『そうなるんだよ! 俺が一番よく知っている……愛する人を傷つけることでしか生きられないクズ野郎になっちまう奴の気持ちを――モーラ、あいつに記録をインジェクションしてくれ』

『はいはーい。いやー残念やったな。愛するすべてを捨てて、成し遂げるんかと思うとったけど、やっぱシャニーナはんはダメやったかぁ』

 

 シン少佐の後頭部が痛む。なんだ、何をされている?

 

『……どうしてだろうな。この執着さえ捨てられれば、俺はうまくやれたはずなんだが』

『ええんちゃうか。うちは、あんたとここまで来れて楽しかったで』

「お前ら、一体何を――」

 

 シン少佐は言葉を失った。

 

 信じられないものを見た。

 イデオンソードの輝きが、地球を砕き割り、瓦礫が地球連邦艦隊を、そしてスペースコロニーを砕いていく様を。

 ラグランジュ点を喪失したサイドに浮かぶコロニー群は安定を失い、互いにぶつかり、ひしゃげて潰れていく。

 

 

 

 リュウ・ホセイは終わりゆく世界を眺めていた。

 自分もここまでだ。

 イデの力で世界移動を行った意思は、次のイデの発動時には排除される。

 イデは、傲慢を許容しない。

 一つの意識に何度でもやり直す機会を与えてくれるような、寛容な神ではないからだ。

 

「始まったか。モーラ。こちらのモーラに連絡は入れたのか?」

 

 瓦礫を回避しながら――と言っても、無数の瓦礫だ。いずれ巻き込まれて死ぬ。

 時間の問題でしかない。

 それでも、モーラと少し話す時間くらいは稼ぎ出したかった。

 

「こっちのモーラはギレンと過ごすんやとさ。うちはあんたと終わりを迎えるつもりやで。あんたも一人だと寂しいやろ」

 

 彼女のアバターが、眼前に映る。

 モーラの協力があったからこそ、やり直す決意ができた。

 ギレンが大衆の反乱を受けて倒れ、元の時空は閉塞が確定した。

 

 そんな中で、自分は何事にも無関心になりながら、愛してくれようとするシャニーナを傷つけるようなことばかりをしていた。酒や電子ドラッグのようなカワイイもんじゃない。

 いつしかシャニーナも去り、いよいよ死ぬかと覚悟を決めたその日に、モーラはこちらの量子脳に入ってきた。

 

 やりなおさへんか? と。

 

 そこから先は――苦労しかない。

 

「――最後まで、苦労をかけた」

「並行世界のどこかに、献身的うちがいてもええやろ」

「なぁ、イデに拒絶される俺たちの意識はどうなるんだろうな」

「さぁな。イデのおらん時空に飛ばされるんちゃうか」

 

 そうだったらいいな、とリュウ――失敗したシンは、祈る。

 

『た、隊長!』

『シャニーナ!』

 

 モニターに目をやると、まだ何もしていないシン少佐が、シャニーナ機に向かっている。

 破片の乱打で操縦不能になったネロトレーナに、シン少佐が機体を捨てて飛び移った。

 ハッチを解放し、中に飛び込むシン少佐。

 モーラがあちらのコックピット内カメラの映像を送ってくれる。

 おびえたシャニーナ大尉が座席で丸くなっていた。

 

『隊長……?』

 

 ハッチを締めたシン少佐が、シャニーナ大尉を抱き寄せる。

 

『大丈夫だ! 最後まで俺が隣にいる!』

『隊長、本当ですか? 本当に?』

 

 泣きながらすがるシャニーナに、シン少佐がしっかりとした口調で告げる。

 あれを、俺はできなかったんだな――と、失敗したシンは唇を噛む。

 後悔しかなかった。

 

『ああ。今だからちゃんと言うよ』

 

 シン少佐はヘルメットを取り払う。

 そして、シャニーナのヘルメットをとり、唇を奪う。

 

 失敗したシン少佐は、あのシンが何を思っているのか手に取るように分かった。

 愛するのが怖かったんだ。

 愛されたことがないから、誰かに愛されてしまったら……その幸せを失うことに耐えられないと分かっていたから……ただ逃げていただけのクズ野郎。

 そんな身勝手な想いを抱いてたその馬鹿野郎を許してやってくれ、シャニーナ、と願う。

 

 本当に愛してくれる人がシャニーナであることを知っていたからこそ、どこまでも彼女に甘えて、傷つける。

 

 事実――今でさえ、俺はシャニーナに死んでもらう。

 この世界を終わらせ、この時空の彼女の人生を閉ざす決断をしたのは、失敗したシン自身だ。

 本当にクズはクズ、さ。

 

「そんな最低野郎と添い遂げるうちは、けなげやなぁ」

 

 茶化すようにモーラが言った。

 

「本当に、そうだ。ありがとう」

「あんたは……ホンマ、最低野郎や。けど、前のあんたよりはマシだったわ。あいつは、自暴自棄になって逃げだして――うちらが探し出さんかったら、この世界移動すらできへんかったで」

 

 前任の数多のシンたちが積みあげた膨大な失敗の記録を捨てて、すべてから逃げようとしたのが、かつて元の世界に渡ってきたリュウ・ホセイだった。ああいう情けない自分にならないよう、こちらの世界に渡ってきてからはできる限りの手を打ってきた。

 とはいえ、ムラサメ研究所からの脱出が遅れたせいで、宇野サララを死なせてしまった。

 そこから、すべての歯車が狂っていった。この失敗事例の記録は渡してあるので、有効に使ってくれ、としか言えない。

 

「いうなよ。今の俺よりクズな俺がいたって事実は、一番俺がショックうけたんだからな……さて、アイツに最後の言葉くらい投げかけてやるか」

「待てぇい。空気読まんやっちゃな。アレが終わってからにせぇ」

 

 モーラに止められ、促されるとおりにモニタを見つめる。

 

 シャニーナを真剣に見つめる、シン少佐が映っている。 

 彼の口から出てくる言葉は、陳腐ながら真心を込めたものだった。

 

『誰よりも、愛してる。本当に……本当にすまなかった……』

 

 シャニーナを強く抱きしめながら、言い切った。

 だが、シャニーナはぐっと、シン少佐を押しのけ、ビンタをかます。

 

『馬鹿野郎! なんでもっと早く言ってくれないんですかっ!』

『???』

『人生最後の瞬間に言われたって――』

 

 さらにもう一発のビンタ。

 というよりも殴打。

 

『――幸せな時間が短すぎるでしょうが!』

『!?』

 

 シン少佐の鼻っ柱にキマるストレート。

 

『もっと……もっと早く言ってくれれば、わたしは――ずっと幸せだったのに……』

 

 そのままうずくまるシャニーナの姿。

 シン少佐が鼻血をたらしながら、寄り添う。

 

『す、すまない』

『いいんですよ。どうせ、わたしはかわいくない女です。もうすぐ死ぬのに、いま隊長をボコボコにしたくてたまらないんです。こんなに腹が立つのは、人生で初めてですよ』

『……』

 

 言葉を失い、ただ手をシャニーナの肩に乗せることしかできないシン少佐。

 

『――なんですか、捨てられた犬みたいな顔して』

『いや、返す言葉もなくて……』

 

 シン少佐がうつむいていると、シャニーナがシン少佐の顔をバチンと両手でつかむ。

 

『もし――わたしが昔に戻れたら、絶対、隊長と既成事実を作るように言います。それで、絶対に幸せになってやるんです。ゴップちゃんにも、ノエミィ姐さんにも絶対渡さない……隊長をわたしのものにするんです』

 

 そして、シャニーナの唇がシン少佐の唇をふさぐ。

 

『――シャニーナ』

『来世で会ったら、こんどこそ幸せにしてくださいね』

 

 シン少佐がキスで答える姿をみるリュウ・ホセイは、コックピットでヘルメットを投げ捨てた。

 もし自分が次の世界に行けるなら、今度こそうまくやれる。

 だが、行くのはあのバカなシンのほうだ。

 

「モーラ、俺たちの時みたいに、二人で時空の壁を超えさせてやれないか」

「無理やな。うちらの時みたいに、量子的な意味で一対になってない」

「結局、俺は、ここでもシャニーナを殺すことになるんだな。何一つ、うまくやれなかった……ひとつの時空を終わらせるってことは、皆殺しってことと同じだからな。ガノタってのは、トミノの軛から逃れられないのか」

 

 後悔の言葉をはき出す彼に、モーラが失笑する。

 

「なーにをいまさら。ギレンはんなんて、未来のために人類半分始末しとったで。イデなんて使わずにな」

「理解の及ばない英雄と、ただのガノタの俺を一緒にするなよ」

 

 ジムカスタム高機動型は、小学生レベルのキスを繰り返す二人が乗りこんでいる損傷だらけのネロトレーナーをかばうように抱きかかえる。

 

 すでに死を覚悟している失敗したシンは、不安であろうシャニーナのために、ネロトレーナーのコックピットの中に、記録してきた様々な映像や写真を電送してやる。シンのことははっきり言ってどうでもいい。お前は苦労する義務がある、としか思えない。

 

 モーラとギレンが陰謀を企んでいる密室や、ゴップがシンをシバき倒すところ、ノエミィ・フジオカの結婚式で号泣するシンとフンスつくシャニーナ。

 そして、アルファ任務部隊の集合写真。

 とどめに、シンとシャニーナがずっと過ごしてきた日々を切り取った写真。

 あいつらにとって、一番幸せだった時間の記録を、流せるだけ流してやる。

 

 こちらのコックピットには、ただ肩を抱き合ってそれを眺める二人の映像が映っている。

 

「時間、やな」

 

 モーラが消えていく。

 リュウ・ホセイの体も、消えていくのがわかる。

 

「――いいか、これは、ガノタの、ガノタによる、ガノタのための、歴史改変チャレンジだ。あきらめるなよ。お前の内なるガノタを信じろ。ガノタなら、ハッピーエンドの一つくらいつかめるだろう?」

 

 しくじったシンは、新しい世界に行くシンに言葉を贈る。

 通じたかどうかは分からない。

 ただ、わかっていることは――失敗した宇宙が終わることだけだ。

 イデが引き寄せたプレーン同士の接触。

 フル・フロンタルがみた時の最果ての冷たさを、その時空にいたすべての生命体がその身で知ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手術室、だろうか。大型のライトが自分にあたっていて、目がくらむ。

 

「だから言ったんですよ。量子脳の移設は早すぎました。脳をいじりすぎて、肝心のNTサンプルを一つ失った形になります」

 

 手術台の脇で、手術衣に身を包んだものたちが何か話し込んでいる。

 

「……このまま何の成果も出せなかったら、ムラサメ研究所は閉鎖だぞ? ただでさえゴップのところに後れをとっているんだ」

「確かに――逆に考えよう。人と機械の融合、サイバネティクスを我々は推進し、それをニュータイプと再定義するんだ。いわゆる有機人類をオールドタイプとするならば、バイオエンジニアリングされた人類は新しい人類の形、だろ?」

「同意するけど、私たちはまだ肝心の『人間』とやらを、量子脳っていう機械のほうに移せてないわ」

 

 シンはなぜか手術台に拘束されているが、すでに手足を拘束するそれらは緩んでいた。

 彼はそれに力を込めて引き抜く。手首が擦り剝けて、血が流れている。

 そして、ゆっくりと上体を起こす。

 血に汚れた着衣は、なにか自分の体に手をくわえられたのであろうと推論するに十分なものであった。

 

「!!」

「おい、起きてるぞ……」

 

 手術衣の連中が、恐る恐るこちらの様子をうかがっている。

 

「――水を、くれませんか」

 

 シンは渇きを覚えていた。

 ただ水を要求しただけだが、手術衣の連中は「おおっ!」と互いに見合わせながら、歓声をあげた。

 即座に内線で呼び出されたらしい武装した警備員たちがやってきた。

 一人の警備員が水を入れたコップを手渡してくれたが、ほかの警備員たちは銃を構えている。

 

 シンは水を飲み干す。

 しみるうまさだった。

 

「おい、立てるか?」と手術衣の連中の一人が声をかけてくる。

「どうだろう」

 

 シンはゆっくりと床に降り立つ。

 ふらついたが、警備員たちが脇を支える。

 よろよろ、と二、三歩あるいたところで、手術衣の連中が拍手をした。

 

「運動野も機能しているぞ」

「大成果だ。えー、キミ……リュウ・ホセイくん、だったかな」

 

 資料に目をやりながら、手術衣の連中の一人が言った。

 

「まずはしっかりと療養しよう。細かい話はそれからだ」

 

 そうだそうだ、と研究員らしき連中が同意して、あれこれと手配にかかる。

 警備員に連れ添われるように、リュウ・ホセイは厳重なセキュリティが施された個室に案内された。

 

 ベッドに寝かしつけられ、専門医と思しき連中が術後経過を観察しに、たびたび出入りするようになった。

 

 シンは睡眠とあいまいな覚醒を繰り返す。

 

 

 

 何日が経過しただろうか。

 真っ白な病室で、リュウ・ホセイはベッドに腰かけている。

 視界に映るMR(Mixed Reality)UIに表示されている時計は、ちょうどUC0081年9月に入ったばかりを指している。

 

 ようやく、頭がまともに働くようになり――自分の量子脳とMRの連携を自主トレし始める。

 手始めに――リュウ・ホセイは視界のMRにフォトフレームを浮かべる。引き継いできた皆の写真をながめて、一人一人を思い出す。

 

 どの写真も心を動かされた。

 

 一枚一枚を見ていくことで、何をすべきかを思い出していく。

 なぜここにいるのか、どういう理由でここにやってきたのか――フォト一枚ごとに込められた圧縮情報を、ゆっくりと解凍していく。

 

 リュウ・ホセイ――いや、シンは一筋の涙を流す。

 彼は親指で涙をぬぐう。

 

「――やってやる。同じ過ちは、繰り返さない」と、彼は静かにつぶやいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三五話 0081 ムラサメ研究所(上)

 

 リュウ・ホセイは病室でベッドに腰かけ、壁をじっと眺めている。

 彼は静かに、視覚に映る様々なUIを参照、操作しながら各種処理を実行していた。

 

(ドアロックもいけるな)

 

 外部ロックされているはずのドア勝手に開けて、閉じる。

 もちろん監視カメラにはループ映像を流し、監視にあたっている兵士たちのスマートコンタクトレンズにも同様に偽装映像を流す。いわゆる、目を盗む、である。

 

(前任の俺たちからの情報支援がなかったら、無理だったな)

 

 ムラサメ研究所のシステムは外部と隔離されたスタンドアロンであった。

 ただし、内部の各端末や、兵士たちのスマートコンタクトから無線接続可能なネットワーク構成となっていた。

 これを利用させてもらう。

 リュウはかつてのシンたちが集めてきたデータを参照しながらクラックに成功し、今に至る。

 

 侵入を検知されないように、周到にアクセスログを消すとともに、侵入検知用に意図的に仕掛けられたAPIを踏まぬよう、慎重に情報を手に入れる。

 

(外部情報にアクセスできる端末は守衛室のものと、研究員の外部連絡用端末だけか)

 

 ムラサメ研究所の徹底した情報保守ぶりには感心した。

 とはいえ、こちらはセキュリティホールを既知。相手のセキュリティ屋には分の悪い相手であろう。

 

(よし、研究中のリストを確保。あとは、こちらの持ち越してきた記録と突合だな)

 

 移動先が異なる時空である以上、何かしらの細部変更はありうる。

 ことあるごとに持ち越してきた情報と突合し、時間の流れにどのような差が生じているか随時確認しなければならない。

 どこかのシンが記録を残しておいてくれた、情報保全と利活用に関するマニュアルが役に立った。

 

(――すべて合致。少なくともムラサメ研究所関係に手持ちと外部環境に差異はない、か)

 

 リュウはプランを立案する。

 かつてのシンたちが様々なアクションを行い、それがどのような結果になったかはDBに登録され、フローチャートとして呼び出すことができる。

 

 かつてのシンたちは、ムラサメ研究所からの脱出シナリオを重視していた。

 人質シナリオ、破壊シナリオ、クラックシナリオ等多岐にわたるが、とにかくここから脱出することを考え、実行してきたことがわかる。

 

 だが、リュウ・ホセイは、この記録のスキマ――ロジックポケットに気付く。

 次なるシンに引き継げなかった記録は、この頭の中にはない、ということだ。

 例えば、ムラサメ研究所そのものを自己の管理下に置く計画である。

 しかし、その失敗の記録はない。

 なぜなら、脱出できないままここで野垂れ死んだ場合は、その記録は誰にも引き継げないからだ。

 一つの意識がチャレンジできる回数が1度しかない以上、成功事例がある筋道を利用するのが、まともな判断であろう。

 

(マルチバースで考えるなら、どこかにムラサメ研究所を支配下に置いた俺がいてもおかしくはないはずなんだが)

 

 フローを見る限り、見当たらない。

 おそらくすべて失敗したのだろう。

 

(さっそくの分岐だが、どうする、俺)

 

 ムラサメ研究所からさっさと脱走すること。

 あるいは、ムラサメ研究所を利用すること。

 

 大別すれば二択である。

 

『まもなく、昼食の時間です。奉仕員たちは食堂に集合してください』

 

 一度思考を止めて、従順な奉仕員として振舞う。

 

 奉仕員というのは、この施設の被検体たちのことだ。連邦政府に奉仕するためのメンバーであるので、大意としては間違っていない。

 

 リュウは部屋の鍵が解除されたのを確認して、廊下へと歩み出る。

 各個室から被験者たちが出てきている。

 MRUIには、各自のプロフィールや詳細が表示され、かのフォウ・ムラサメやゼロ・ムラサメがいることを確認できる。

 

 ぞろぞろと食堂に向かう。

 被験者の反乱を抑止するために、口頭での会話はすべて施設内にばらまかれたマイクで拾われている。

 会話内容によっては懲罰房送りや反省室送りになるので、もっとも警戒しなければならない。

 各自に与えられた端末から研究所内部ネット経由で行えるテキストチャットもまた、当然検閲されているそうだ。

 

 

 

 

 

 食堂の席についても、奉仕員同士の会話はみられない。

 健康を回復したリュウ・ホセイはこれで三日目の昼食会場入りとなるが、いままで誰かから話しかけられたこともなければ、誰かに話しかけたこともなかった。

 むしろ、研究内のテキストログを読み漁り、各奉仕者がどういう思想をもち、誰と誰が交流を持っているかなど、検閲側の視点でチェックしていると言っていい。

 

(実戦投入された強化人間は今のところ、ナシ、か)

 

 昼食のハンバーグを一口サイズにして食べながら、食堂に揃っている奉仕者たちの情報を逐次確認していく。

 かのゼロ・ムラサメも隅っこの席で憂鬱そうに山盛りのサラダを食べている。

 そう、サラダだ。コロニー落とし以来、地球の農作物事情はお粗末で、いままさに復興途上であるにもかかわらず、緑黄色野菜を好きなだけ食べられることの意味は明白だ。

 ムラサメ研究所を管理している政府上層部は、こちらの想定以上にここを重視していて、予算も十分手当しているということだ。

 

(まいった……本格派だな)

 

 ガノタならアニメ的設定を思い浮かべるだろう。投薬やマインドコントロール、トラウマ強化などで精神が不安定な連中を作り、上官への依存や、トラウマパワーで暴れまわるアレだ。具体的にはロザミアやフォウなどがわかりやすいだろうか。

 

 しかし、これは現実の宇宙世紀サイエンスにおける到達点としての強化人間製造プロセスである。そのような『わかりやすい演出』のための人間兵器など製造していない。

 

 奉仕員たちは十分かつ高栄養な食事を与えられ、休息も管理されている。

 ここで行われている洗脳プロセスははるかに高度であり、いかに『恵まれているか』という環境と『政府に大切にされているか』を徹底的に叩き込まれている。

 当然厳しい精神的ストレスにもさらされるが、それは『政府に必要とされたい』という承認欲求を強化するために計算されたそれだ。

 

 確かに、ここの奉仕員たちは非人道的ともいえる戦闘訓練と手術による身体強化調整を受けているのは間違いないし、被検体として無茶な実装を施されて死ぬものだっているが、それを常にプラスの方向へと誘導する、巧みな教育プロセスを兼ね備えている。

 

 研究ログを見ればわかる。

 旧世紀のアイヒマン(ナチスによるユダヤ人虐殺に関与した男)の解析から人類が生み出した、ミルグラム実験から強化人間研究はスタートしている。

いかにして、ただの陳腐で平凡な存在が、大量虐殺などという非人道的な行為を淡々と遂行できるものに改造されていくのか、である。

 

 結論だけを示すと、悪でありながら悪にあらずと思い込むシステムに人間を組み込むだけで、人は簡単に非人道的になれるのである、という。

 

 このムラサメ研究所における強化人間製造は、まさにそれである。

 最高の生活環境、最高の教育、そして最高のサイエンスにより『奉仕員』たちに連邦政府の一切に疑義を抱かせないように育て上げるのだ。

 

(ゼロ・ムラサメも、不安定どころか、忠誠心のオバケだからな。肉体的な虚弱などという設定も吹き飛んで、すっかり硬骨の好青年だし)

 

 当たり前、である。十分な食事、過酷な体力錬成と戦闘訓練。

 これで身体が健全にならぬはずがない。

 そして最高の教育環境。個別進捗管理された学習は、各奉仕者の頭脳適性にあわせたそれであり、これほどの教育を得ようとするためには名家の子弟でない限り不可能だろう。

 

「あ、お兄さん、もしかして分からない課題でもあるんですかぁ?」

 

 ハンバーグの最後のひとかけを楽しんでいると、アン・ムラサメに声をかけられた。

 彼女の本当の名前は分からない。記録では今年で12歳になるらしい。フランス語で1を表す言葉がついているから、ゼロ・ムラサメの次に育成された女子なのだろう。

 

「別に……」

「はい嘘つきー。お兄さんみたいな頭の悪い人のこと、すぐ分かっちゃうし」

 

 アン・ムラサメはがしゃんと向かいの席にトレーを置き、スプーンでシチューをすくう。

 

「ほらほら、このわたしに質問してもいいんですよ、お兄さん? クソザコだから教えてくださいって頭下げるなら、だけど」

 

 彼女の被検ログを参照する。承認要求と他者依存の増強。人間関係構築に障害がある人格ながら、承認要求を満たしてくれる権威者・年長者に対して忠誠を誓うよう制御されているタイプのようだ。

 

「アンちゃん、君は礼節を学ぶことで、よいレディになれるぞ」

 

 リュウは適当にあしらいつつ、食後のコーヒーに手を付ける。さすがにこれは天然ものではなかったが、それでも軍のレーションについてくるものよりはずっと上質であった。

 

「なにそれ。お兄さんちょっと生意気すぎない? わたしはアン少尉。お兄さんみたいな無職ドーテーにちゃん付されるとか、ありえないし。ショーコーだよ、ショーコー」

 

 被験ログに書かれている通り、自分に自信がないため、権威を笠に着るところがあるようだ。リュウ・ホセイは人事AIに提出されている、人事申請をバイパスして承認させる。

 

 あっという間にリュウ・ムラサメ大尉の完成である。

 リュウ・ホセイとしての情報は凍結され、リュウ・ムラサメで以後正式にムラサメ研究所所属の人員として人事管理されることとなる。

 

 そもそもムラサメ研究所に所属する奉仕者の階級など、正規軍のそれとは違い、完成度で大尉~二等兵まで割り当てられているに過ぎない。

 現状、量子脳の人格移植実験機であるリュウ・ムラサメは研究所側で大尉扱いの申請がすでに行われており、処理されるのを待っていただけだ。それを利用させてもらった。

 

「リュウ・ムラサメ大尉だ。よろしくな、アン少尉ちゃん」

 

 こう答えると、アン少尉が顔を真っ赤にしてうつむいた。

 

「ど、どうしてわたしより後に来たこんな……クソザコお兄さんが大尉なわけ?」

 

 彼女の学習記録を見ていると、いまは大学における工学系を専攻させられているらしく、頭のデキに関しては申し分ない。

 しかし、軍事教練の記録を見る限りでは、いまだ正規の士官教育は受けていない。

 詰め込みすぎを懸念して、調整されているようだ。

 実戦投入はしばらく先だろうとされているらしく、せいぜい、MS乗りとして配属された二等兵――体力錬成、服務規則、MS取り扱い、銃器取り扱いを叩き込まれただけの段階だ。

 

「さぁな」

 

 そういいつつ、頭の中で未来を演算する。

 はっきり言って、ムラサメ研究所を吹き飛ばしたりするシナリオは悪手であると認識している。ここにいる強化人間候補と、研究メソッドはすべて手に入れたい。

 

 たとえ非人道的手段だろうが何だろうが、サララとノエミィを死なせるわけにはいかない。シャニーナに愛される時間がなさすぎる、なんて激怒させるわけにはいかない。

 

 前任のシンたちの記録に、ムラサメ研究所を支配下に置いた記録がない以上、失敗のリスクしかないことは分かっている。

 だが、いままでのシンたちのようにムラサメ研究所から抜け出したり、破壊したりするだけでは、権力基盤が弱すぎる。

 直前のシン――大統領補佐官にまで上り詰めた男は、よくやったほうだ。無数の記録の中で、彼以上の成果をたたき出したものはいない。つまり、彼はシャニーナへの愛を捨てきる覚悟さえキメていれば、ゴールできたかもしれないのだ。

 

「ふーん。あ、そうだっ! お兄さんはMSって知ってる? わたし、アレなら絶対にお兄さんを分からせてあげられるんだから」

 

 アンが不用意な発言をしたようだ。研究員の一人がこちらにやってくる。

 やさしげな笑みを浮かべた彼は「アン少尉、リュウ大尉とMSで対戦してみたいのかい?」と、ハンバーグをもりもり食べているアンに声をかけた。

 

「あ、センセイ。そうです、わたし、この人とヤってみたいんです」

「そうかぁ。リュウ大尉、お医者様はそろそろリハビリを始めたほうがいい、と言っているようだし、アン少尉のお相手をしてみるのはどうかな?」

 

 内部ネットワークのテキストチャットに潜ませているバックドアから、研究員同士のリアルタイムやり取りを覗き見る。

 どうやら、量子脳装備のリュウ(※6番目の強化人間なので、中国語の六(リュウ)=本名のまま)に関するデータを急いでとって、成果物として提出したい欲があるようだ。

 ゼロ・ムラサメに匹敵する高いMS適性をもつアンの向上心を高める、という趣旨も混ざっているらしい。

 

「わかりました。アン少尉ちゃん、俺にわからせてくれ。MSの戦いってやつを」

 

 リュウがそう告げると、むすっとしたアン少尉が言い返してくる。

 

「ふんだっ! お兄さんが負けたら、一生わたしの奴隷だからねっ。あだ名はクソザコおじさんにしちゃうし」

「構わない」

「うっわ、なにその自信満々な態度。クソザコおじさんのくせに。ぜったい分からせてやるんだからっ!」

 

 そして、リュウとアンは研究員と警備員に案内される形で、MS格納庫へと向かった。

 

 

 

 

 

 MS格納庫に並んでいる機体は、いわゆるオーガスタ系MSであった(※ガノタ知識としてはそうだが、実際にこの世界ではオーガスタ研究所がないため、ムラサメ研究所が同研究プロジェクトを包括している)。

 

 特に目を引くのが、相応の数がそろえられているRX-80である。ガンダムタイプやジムタイプ等の見た目の差こそあれ、高性能技術試験機として組み上げられたものだ。

 

「じゃじゃーん、これがわたしのブラックライダーだよっ!」

 

 黒塗りのステルス改修されたRX-80。その性能と機体特徴については、リュウは問題なく早口で語れるが、ここで何かを言う必要はないため黙っておく。

 

「いい機体だな」

「べ、べつに褒めても手加減しないんだから……」

 

 もじもじしているアン少尉に、専属の『先生』が声をかけ、パイロットスーツへの着替えと搭乗を促す。

 

「リュウ大尉は何にするかね?」

 

 こちらの『先生』であるドクター・ムラサメが温厚そうな様で声をかけてきた。

 研究成果の提出と、予算獲得が至上命題になっていることはおくびにも出さない。

 なるほど、古狸だが――ゴップ元帥ほどではない、

 リュウはこの機会に、ドクター・ムラサメのスマートグラスと携帯端末に侵入し、人となりを把握しつつ利用手段を組み立てる材料を集める。

 

「そうですね――あれで構いませんよ」

 

 リュウが指さしたのは、RGM-79Nジムカスタムである。リュウ・ムラサメとしての体はどうか分からないが、内に宿る魂の側は、自分の体の延長線として扱うことができる、習熟の極みに到達している機体だ。

 それに――量子脳の外部入出力ポート経由で直接思い通り動かすという、リユースPデバイス的なことも可能だ。MS側のエントリープラグは、メンテナンスコンピュータを差し込むソケットをそのまま利用すればいい。

 

 

 

 

 

 演習場は、信州の巨大クレータであった。山岳地帯に落着したコロニーの残骸が作り出した巨大な自然破壊を、そのまま演習場として再利用しているらしい。

 

『両機とも聞こえますね? 演習のルールは簡単です。バトラーシステムにて撃墜判定をもらった側が負けです――各機の演習モード確認。カウントダウン30で始めます』

 

 リュウ・ムラサメは静かにコックピットで待機していた。

 取り急ぎ試作されたであろう、量子脳=MS有線接続用ヘルメットは微妙なかぶり心地ではあるが、問題はなさそうだ。

 

 むしろ問題があるとすれば――ノーマルスーツくらいだろう。少々大きすぎる。

 かつて恰幅がよかったリュウ・ホセイは度重なる訓練と人体改造によって既に痩せてしまっているからだ。そこは人体実験ばかりに注力してMS実機テストを忘れていたエリート研究者様たちの落ち度でもある。

 

『お兄さーん。まけたらクソザコおじさんだからね? 毎朝ざぁこ♪って挨拶しちゃうんだから』

 

 余計な通信が入る。いまドクター・ムラサメから盗み出したパーソナルデータを調べているところだったのだが。

 

「そうか。残念だ。刺激的な未来かもしれないが、君にそんな未来はない」

『なっ!』

 

 リュウ・ムラサメは無線を封鎖する。ブラックライダーはステルス機であり、かつ電子戦装備も搭載している。こちらから出力――ムラサメ研究所にデータを送る部分だけを残し、入力系はすべて封鎖。疑似的スタンドアローンである。

 

 カウントダウン切れと同時に、信号弾が上がる。

 

 光学迷彩により姿を消したブラックライダーだが、大型兵器が姿を消すメリットは伏撃時にしかないことを熟知しているリュウは、相手の幼稚な使い方に鼻白んだ。

 足跡が、見えている。

 地上におけるMSの光学迷彩が、極めて限定的な有用性しか持たないことの証左である。

 

「ケガするなよ」

 

 ジムカスタムはライフルを構え、ペイント弾をバースト射撃する。

 その弾道を強化人間として読んだのか、ブラックライダーがステップで回避する。

 

(悪くない腕だ)

 

 手を抜いているシャニーナくらいか、と思うと、胸が締め付けられる。

 だが、思い出があれば、いくらでも生きていける――少なくとも、そう信じている。

 

(終わりだな)

 

 アン少尉の手癖は分かった。

 リュウのパイロットとしての経験もあるが、何より量子脳の戦術演算が早すぎるのだ。

 可能性が高いエリアに照準を合わせ、弾丸をばらまく。

 

 あとは純粋な確率論のゲームだ。

 弾丸の散布界に飛び込んでしまう相手MSの被弾率、である。

 

『うそうそうそっ!? ありえないからっ! もう一回だけっ! 先っちょだけっ!』

 

 数秒後、試合の結末がついていた。

 アン少尉の抗議の言葉が飛んでいる。

 

『リュウ大尉、すまないがもう一度できるかね?』

 

 通信封鎖を解くと再戦の依頼が飛び込んできた。

 

「コンディションに問題ありません」

『そうか。すまないが頼むよ』

 

 ――そこからは何度やっても同じだ。

 多少、アン少尉が善戦することもあったが、最大で30秒程度しか生存を許さなかった。

 リュウはいくらパイロットとして優秀であったとしても、歴史を改変するうえでは極めて微力な手段にしかならないことを十分に自覚しているため、喜ぶ気も起きない。

 MSの操縦がうまいから、ジャミトフのCDO問題を何とかできるか? 無理である。

 

『きょ、今日はちょっと調子悪かっただけなんだからっ! とにかく、クソザコおじさんは確定だからっ!』

 

 ペイント弾痕だらけになっているブラックライダーはドロドロに白濁していた。

 わかりやすいように白いペイントを入れたのが原因である。

 

 

 

 

 

 翌日、念のための精密検査を受けたリュウ・ムラサメは休暇指示を受けた。

 貴重なサンプルに万が一があってはならない、という研究員たちの配慮である。

 

 そして彼は、カフェ・テラスのソファ席でコーヒーを飲みつつ、携帯端末でアニメ動画を見るふりをしながら、研究員たちのログをあさっていた。

 今日のMS実機演習の結果は彼ら、彼女らにとって大成果であるらしく、祝賀会まで開かれるそうだ。

 もちろん、そこに被検体たるリュウが呼ばれることはないが。

 

 リュウはそれらのログの精査を終え、自分が研究員たちにとって『必要』なものとして扱われることをどう利用するか検討する。

 

 ムラサメ研究所に所属する研究員たちの精神的傾向を分析するに、そこにあるのは強烈な自己保身と成果主義に対する恐怖感であった。

 研究成果を出さぬ限り、ポストを維持することはできず、せっかく手に入れた研究予算や職務上の俸給を失うことになる。

 

 人間兵器の研究機関である、という認識を持っている連邦政府の保健衛生大臣官房の役人たちが割り振る予算は、あくまで役人の論理で支払われている。

 研究の長期的価値や、成果が目に見えない基礎研究などはないがしろにされ、どちらかと言えば今回のリュウ・ムラサメの戦闘記録のような派手な兵器パフォーマンスが優先されているようだ。

 

(ここだな。ここがムラサメ研究所の勘所だ)

 

 リュウはこの行政システムの弱点を見出した。

 ムラサメ研究所に所属する研究員たちの優秀さを、別の方向に発揮させるよう誘導しているこの仕組みを変えてやれば、研究員たちはそういう存在に感謝するだろう。

 

(支配するために必要なのは三要素だ。一つ、利益誘導。二つ、恫喝。三つ、カリスマ支配。これらを使いこなすだけだ)

 

 直ちに戦争の影響で没落している貴族や名家のリストを漁る。

 今後の歴史に大きな影響力を行使しうるが、それでいて一切目立ってはならない、という条件で探し出せた名門は一つだけであった。

 

(ソレル伯爵家が妥当だろうな。ただ、ソレル家だけを助けても怪しまれるだけだ)

 

 ベルギー貴族の中で経済的に困窮しているソレル家の近況と世情を調べ上げる。

 元々ベルギー王国は貴族が人口の0.2%を締めていて、その中で婚姻や財産承継を行っているため、文字通り欧州社会での名門がずらりと並んでいた。

 

 しかし、コロニー落としと、ジオンの地球侵攻作戦の影響で、貴重な観光資源であった社居城や屋敷、庭園を失い、私立美術館の芸術品の類は文化保全の名目でマ・クベに大量略奪されている。

 

 つまり、ベルギー貴族は経済的に苦しんでいた。

 しかし、苦しいながらも貴族たちは互いに長年かけて作り上げた閨閥社会の中で助け合い、決して名誉ある状態とは言えないが、子女の身売り手前の状態で何とか踏みとどまっている。

 

 また、ベルギー貴族はオランダ貴族や英国貴族らと縁戚関係を持っていたり、社交界でのつながりを有しており、欧州系の連邦議員にも顔が効く、ということが分かった。

 

(まずはソレル伯爵家を中心に、ベルギー貴族社会を取り込む。ロナ家よりもずっとスマートにな)

 

 リュウは世界各地のネット系投資銀行に口座を開いた。

 ネット系投資銀行はAPI外部連携が容易だからだ。

 リュウは記録に残っている為替相場と先物市場、オプション取引、株式市場やコモディティ市場の情報についてデータを整形しながら、同時に短期取引アルゴリズムをくみ上げたサブルーチンAIを設計、実装する。

 さっさと仕上げたサブルーチンAIに整形済みデータを食わせ、取引アルゴリズムが健全性を担保しているかチェックする。

 

 オールグリーン。

 

 そして、さっそく取引が始まっている公開取引市場にアクセスする。

 手持ち資金がランチ10回分の小遣い程度しかない(※この時ほど、死んだリュウ・ホセイの懐事情に失望したことはない)状態だったので、為替市場のオプション取引を行う。

 証拠金の限界までオプションを突っ込み、超高速取引でランチ10回分をエレカ一台分に増やす。

 

「ザコおじさん♪ どうしたの? ヘンタイな妄想でもしてた?」

 

 エレカ一台分を、一軒家一つ分まで増やしたところで邪魔が入った。

 種銭は集まったので、ケチな為替市場等捨てて株式のオプション取引用アルゴリズムを作り始める。

 

「アン少尉か。どうした?」

 

 人間関係にも問題がない、という研究データを用意するため、どのような状況であれ声を荒げたり、感情的にふるまうことはしない。

 一歩間違えれば、またシャニーナを死なせ、サララとノエミィを失う。

 その緊張感が、リュウ・ムラサメを超人化させていく。

 

「どうしたって、どうもしないけど?」

「そうか。話し相手が欲しいんだな。座れよ。ココアでいいか?」

 

 リュウはアン少尉に隣を空けてやる。

 ここはソファ席で、信州の緑園を見渡すリラックスエリアだ。対面には席ではなく巨大な窓があり、そこから山林の木々を見渡すことができる。

 

「う、うん」

 

 おずおずと座るアン少尉。

 しばらくすると、オーダーを受けたウェイターロボが温かいココアをもってきてくれた。

 リュウは受け取ったココアをアンの前に置いてやる。

 

「――って、なんで隣なのっ!? やっぱりぃ、ザコおじさんって、ヘンタイさんなのかな?」

 

 そういってキャミソールの胸元をちらつかせる彼女だが、こちらは金融取引をしながらベルギー貴族社会救済計画を練っていて忙しいのでそれどころではない。

 なんだ? 寒いのか? と雑な解釈をしたリュウは、アン少尉の白い肌を隠すように、着ていたジャケットを脱いで着せてやる。

 

「女の子は体を冷やしたらダメらしいぞ」

「え、あ……うん」

 

 ココアを飲むアン少尉。

 よしっ! 余計な会話はなくなった。

 これで集中して株式市場だけじゃなく、債券現先市場のアルゴリズムも作れるぞ。

 

「ねぇ、ザコおじさん」

 

 アン少尉はこちらのTシャツの袖を引っ張る。

 リュウはどうした? と携帯端末で彼女が好きそうな音楽をログデータから導出して、動画サイトから探し出して再生する。

 同時に、債券現先市場のアルゴリズムの健全性と有効性を検証する。

 ダメだ、これはやり直しだ。いきなりエレカ一台分損失を出し、量子脳を過信すべきでないと学んだ。

 

「今日、わたし負けちゃったけど、みんなにいらない子って思われたりしないかな」

 

 不安そうに語る彼女に、リュウは用意してあったシナリオから最適解を返す。

 

「俺は、そんなことは思わないぞ。ほかの連中がどう考えているか知らんが、アン少尉のMS運用は光るものがある。俺のバディとして申し分ない」

 

 戦闘解析データ的事実だけを指摘する。

 こういう頭でっかちの幼い女子には、下手にエモーショナルな回答をするよりも理詰めで答えたほうがいいと、参考文献に書いてあった(※『わからせたいあの子UC編 民明書房』)。

 

「それは……クソザコおじさんがそう思ってるだけでしょ。先生たちにいらない子って思われたら、ここから追い出されちゃう……」

 

 膝を抱え込むアン少尉。ホットパンツから伸びる大腿には、パイロットスーツの締め付け痕が浮かんでいて、幼い体で精いっぱいMSを操っていたことがわかる。足元に流れて行ってしまう血液をノーマルスーツの圧力システムで上体側に戻したりする負担に耐えているのだろう。

 

 リュウはそっと彼女を抱き寄せてやる。

 昔、戦場で拾った戦災難民の小さい子をこうやってあやしてやると、落ち着いて寝入ったのを思い出したからだ。

 

「ぴゃあっ……!」

 

 謎の奇声が聞こえた気がしたが、アン少尉は素直に体をこちらに預けている。

 

「大丈夫だ。追い出されても、俺がアン少尉の帰る家くらい用意してやるよ」

「ひゃ、ひゃい」

 

 ココアで舌でも火傷したんだろう。

 まったく、アン少尉はおっちょこちょいなやつだ。

 なお、家を買ってやるというのは嘘でも何でもない。債券市場向けに作ったアルゴリズムは会心の出来であり、数週間で高級タワーマンションを建築できる程度の金を生み出すだろう。

 

 あとは、規制当局に目を付けられぬようダミー財団をつくり、この財団経由でベルギー貴族社会に投資していくだけだ。

 

 自分のところでため込むと、規制当局は襲い掛かってくる。

 しかし、名門社会に利益供与するシステムとして市場を押さえると――あら不思議、規制当局は親身になって相談に乗ってくれるように態度が変わるのだ。

 UC0081年9月半ば。

 UC0082年初頭にはムラサメ研究所を『支配』し、表社会に飛び出す準備を完了させなければ、サララを救えない。

 もっとだ――もっと速く考えろ、とリュウは妙に赤面するアンを抱きかかえながら、歴史改変計画を練り上げる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三六話 0081 ムラサメ研究所(中)

 

 ムラサメ研究所の朝は様々である。

 奉仕者それぞれによってカリキュラムが違うためだ。

 例えば、本日のリュウは0600起床。トレーニングウェアに着替え簡単な朝食を済ませると、0800~0900までフィジカルトレーニング。15分のシャワー休憩後、学問的な研鑽を積む時間を1200まで続ける。

 とはいえ、リュウにとっては量子脳の仕様により、知識の習得自体は文字通りマイクロ秒で終わり、その使い方や社会にどう実装されているかというメソッドのほうが重視される。

 これは担当の研究者――時には何も知らされていない外部講師によるオンライン講義のときもあるが、当然その会話ログは記録される。

 

 リュウ・ホセイは学科の際はいかにも従順にふるまいながら、様々な内職に励む、

 活動資金を作るための金融取引AIを改善し、その資金を謎の財団たるロームフェラ財団に流し込む。もちろんガノタ記憶から引っ張ったそれである。

 ロームフェラ財団という言葉に反応し、こちらを嗅ぎまわったヤツはガノタだ。

 ガノタを釣るための撒き餌と言ってもいい。こちらの露骨な撒き餌に引っ掛かるような知恵の回らないガノタは適切に処分しておきたい。

 

 このロームフェラ財団は現在ベルギー貴族社会の子弟に対する寄宿舎事業と各種学校支援、そして奨学金事業をメインとしている。貴族とて人の親であるので、戦後のただならぬ経済状況の中、子を安心して預けられる環境を欲していた。

 金を学校に流し込み、貴族の受け入れ枠を作らせ、そこの困窮している貴族子弟をどんどん放り込んでいく。生活資金の面倒はロームフェラ財団がみる――ここで重要なことは、見返りを求めないことだ。

 貴族社会は名望主義であり、もっとも重んじられるのは名誉である。

 慈善事業――金はきれいに使い、名誉を買うのが上流社会の流儀である。

 

『――以上が、財団の収支報告になります。このひと月でベルギー貴族社会はロームフェラ財団のことでもちきりですよ』

 

 そう告げるカムラン会計士は、非常に有能であり、使い勝手のいい男である。

 サイド6で監察官をやっていた彼に非公開求人でコンタクトをとり、『見返りにミライ・ヤシマの情報を教える』と言ってやるだけで、サイド6監察官のジョブを捨てて会計士として手駒になってくれた。

 原作と違い、ホワイトベースがサイド6に寄っていないため、カムランはミライの行方をつかんでいないのを利用した。

 

「(そのまま金をばらまき続けてくれ)」

『はい。皆様はウィルビウス・ソレル伯爵に一目お目にかかりたいと切望しておられますが、いかがしますか?』

 

 ソレル家に養子入りしたウィルビウスという市民データを作り上げ、リュウはそれを利用していた。もちろん、金をソレル家に突っ込む代わりに、爵位を継承させた。

 

「(いまは時期ではない。ソレル伯爵家の親族すべてを買収済みとはいえ、全員の弱みを握っているわけではない。利害関係者全員の弱みを握り、必ず報復できるようになってからだ)」

『かしこまりました。新参者らしい慎重さですので、むしろ好感は増すでしょう』

 

 カムラン・ブルームはヤシマ家が姻戚関係を結ぶにふさわしいと判断した上流階級出身である。

 彼を手に入れた理由の一つに、上流社会に溶け込む能力があり、適切なふるまい方を知っているという点があげられる。

 

「(ところでカムラン君、ミランダ嬢とは進展があったのかね?)」

 

 サイド6の頃の公務員生活と違い、ロームフェラ財団の代理人兼会計士という仕事は社交界での出会いが多い。カムランはミライの結婚と妊娠という事実をうけ、一時は呆然自失であったが、そんなものは出会いラッシュで何とかなる。

 

『ま、まぁ……今度、デートの約束があります』

「(接交費を自由に使え。どうせ使い切れる金の量じゃない)」

『い、一度言ってみたいセリフですね』

 

 こまごまとした決裁書類にウィルビウス・ソレル伯爵としての量子サインを行い、カムランとの通信を終える。

 すでに時計の針は1200に迫っており、外部講師が講義の締めくくりに入っている。

 リュウはあたりさわりのない質疑応答を終えて、相手を満足させて講義を終える。

 

 

 

 昼食をとっていると、ほぼ確実にアン・ムラサメがやってきてあれこれと彼女自身の話をする。リュウはそれをうんうんと聞いてやる。会話を聞くということは、こちらから何かを話す以上に価値がある。

 気持ちよく話をバラまけた彼女は、満足げに「んじゃ、またねザコおじさんっ!」と言って帰っていくからだ。どんな内容を話したかはログに記録があるため、聞いてなかったでしょっ、という怒りのシナリオは発生しえない。

 

「リュウ大尉、だったね?」

 

 化学的なフレーバーがするバイオ紅茶を飲んでいると、ゼロ・ムラサメが対面に座った。

 彼は合成コーヒーを手にしている。

 

「やぁ、ゼロ大尉。会話を交わすのは初めてですね」と先任大尉であるゼロ・ムラサメには丁寧に接しておく。

 

「ああ。君は――そろそろ実戦投入されるのかい?」

 

 率直な質問だった。これは機密保持テストを兼ねているのだろう、と判断する。

 

「お答えしかねます。開示要求資格を提示していただければ説明いたします」

 

 規則通り、である。

 軍隊というところは任務ごとに誰がどれだけの情報を知るべきかコントロールされていたりする。いわゆるセキュリティ・クリアランスである。

 

「そうか。思ったより口が堅いんだね」

「はい、仕事ですから」

「いいね。合格だよ、合格。今日から僕のバディだよ、リュウ大尉」

 

 ゼロ大尉がそういうと、どこからともなく研究員がやってきた。

 こちらにさっと端末を差し出してくる。

 内容は――典型的な演習任務であった。アグレッサー役をやれ、ということだ。

 ただし、その相手というのはトロイホース隊である。

 考えるだけで胸が苦しくなる。

 内容は、月に出向き、対NT演習をやる、とある。

 UC0081年11月の半ばだそうだ。

 

「ゼロ大尉とリュウ大尉には、これからバディを組んでもらい、地球連邦軍の対NT戦術研究に従事してもらうことになる。頑張って君たちの有用性を皆に見せつけてきてくれ」

 

 先生がそう告げる。

 リュウとしては、狙い通りであった。ムラサメ研究所を強化人間製造センターとして運用するだけでは、その価値を認めさせることはできないはずだとドクター・ムラサメ相手に相談した成果が出た。

 手っ取り早く、地球連邦軍そのものの演習に必須の機関であるというポジションを確立し、保健衛生大臣官房の役人連中が「なるほど」とわかりやすく有用性を理解できるようにすべきだ、と。

 

「リュウ大尉、ドクター・ムラサメが、話したい、と」

 

 先生に促され、リュウはゼロに手を振って分かれる。

 彼も行って来いと手を振っているので、互いの間にまだわだかまりはなさそうだ。

 人間関係は慎重に構築していかないと、とリュウは彼の表情などをしっかり記録しておく。

 

 

 

 ドクター・ムラサメの研究室に案内され、入室する。

 彼の専門はバイオサイエンスであるから、ラボラトリは別の場所にあり、ここは単なる事務仕事や応接に使用する部屋でしかない。

 そのため、実験器具的なものは一切なく、事務机と、来客用のソファ及びテーブルがあるくらいだ。ただ、壁の一面がガラスになっていて、信州の広大な緑地を見下ろせるようになっている。遠くには演習場たるクレータもみえる。

 

「リュウ・ムラサメ大尉、入ります」と敬礼。

「結構。楽にしたまえ」

 

 ソファに案内され、座る二人。

 

「リュウ大尉、君と話をした通り、軍部に提案をしてみた。意外にもゴップ元帥が対NT戦術開発に最も興味をもって驚いた。ゴップ元帥というのは戦争を知らないものだと思っていたのでね。一年戦争ではずっとジャブローにこもっていたと聞く」

 

 おそらく、戦争を理解していないのはあなた方ムラサメ研究所のほうですよ、とは口が裂けても言わない。

 

「ドクター・ムラサメ、軍のパワーゲームには決して参加してはいけません。あくまで予算取りのために軍との関係を深めるに留めるべきです」

「それが――君の量子脳が導き出した結論かね?」

「はい」

 

 なるほど、とドクター・ムラサメは頷く。

 

「ところで……」

 

 ドクター・ムラサメがにやりと唇の形を変える。

 リュウ・ホセイはこの事務室に仕掛けられているマイク群とセンサ、そしてカメラのストリームにアクセスし、その内容の改ざんを始める。

 事前に合成してきた映像データと音声データを配信しておく。

 

「こちらです」

 

 ドクターから預かっている小型記録デバイスを渡す。株価予測データが入っている。

 ドクター・ムラサメは家族思いの普通の男であり、その家族とやらは基本的に金がかかる。いい寄宿学校に通わせるにせよ、妻につつがない暮らしをさせるにせよ、体面を保つため、あるいは品位ある暮らしを保つためには金が要るのだ。

 

「――ログは残っておらんのだな? 監視機能は?」

「この部屋はすべてクラック済みです。俺は常にドクター・ムラサメの味方ですよ」

 

 ちらりと、この事務室兼応接室に置いてある端末を見やる。

 

「ふむ。しかし――なぜ君はこう、私に感謝してくれるのかね」

「こいつをもらったからですよ。いわば恩返しです」と頭を指さす。

「……まぁいい。私は君が忠実に利益をもたらしてくれる限り、何も言うまい」

 

 逆だ。言えないのだ。

 すでに強化人間を私的利用して私財を増やしている事実があり、もう抜け出せない。

今まで学術研究以外に身を立てる方法を知らなかった研究員たちを、金で篭絡していくのはとても面白かった。

 ここでドクター・ムラサメは自分だけが得をしていると思い込んでいるようだが――『先生』たちはすでに、こちらの金融商品予測データに依存する奴隷になっている。

 彼ら、彼女らは強化人間たるリュウが馬鹿正直で素直なのを利用しているつもりなのだろうが、逆である。

 やつらの金を増やすために、アレが必要、これが必要と言えば、やつらはすべて己の利益のために用意してくれる。

 戦後、という環境――何をするにも金がかかり、常に金が入用になる世界のおかげで、リュウは研究所の支配権をほぼ確立しつつある。

 

 あとは、内側の利益供与だけでなく、組織図の中にロームフェラ財団の意志通り動く人員を送りこめばゴールである。

 

「それより博士。この研究プロジェクトですが、もっといいプランがありますよ」

 

 リュウは研究員の一人から提出されているアン・ムラサメの量子脳計画について、異議を申し立てる。

 ゼロとアンは能力的に似通っているため、将来的に人格に問題がありそうなアンのほうをリュウのように量子脳装備型に切り替える実験体に使用したい、というプランだ。

 こんなアホな計画を進めたら、貴重な手勢を失ってしまうことになりかねないため、是が非でも阻止しておく。

 

「量子脳装備の奉仕者を増やしていく、という方針は間違っていないと思うが」

「問題は成功率ですよ。アン・ムラサメ少尉はパイロットとしては使えます。これを潰してしまった場合、ムラサメ研究所の貴重な武力が減るわけです」

「こちらにはファントムがあるではないか」

 

 ドクター・ムラサメが、窓の外の森林地帯に潜んでいるジムコマンドを立ちあがらせる。

 ムラサメ研究所の保安のために、強力な無人MSが配備されているのだ。ある意味、強化人間の反乱を抑止する最終手段と認識しているのかもしれない。

 

「ドクター・ムラサメ、その認識は甘いですよ。ファントムの命令権は政府からドクターに与えられたものです。それは政府の意思次第では、権限剥奪や書き換えができるということです」

 

 つまり、政府が強引にムラサメ研究所を武力制圧するシナリオとてありうる、ということだと説明する。パワーゲームの素人であるムラサメ研究所の先生方は、自分たちは常に安全だと誤認しているところがある。

 

「もしムラサメ研究所の研究内容を隠ぺいしよう、と政府が決断したらどうなるか、お分かりですよね?」

「ば、バカな……あれが我々を焼き払うというのか?」

「そういう可能性を、ここがはじき出しています」

 

 リュウは頭を指さすが、むしろゴップらのパワーゲームを知っている普通の人間でもたどり着く結論でもある。

 

「ですから、手持ち戦力は持っておいたほうがいいのです。ファントムはいつ裏切るかわかりませんが、アンやゼロは裏切りませんよ。そう教育したのはあなたじゃないですか?」

「た、確かに」

 

 それで納得してしまうのは、本当に政治に向いていないということだぞ、とリュウは内心で苦笑するしかない。

 あるいは、自分たちの研究成果に絶対の自信を持つ彼ら、彼女ら固有の思考回路なのかもしれない。

 

「それで、代替案というのは?」

「簡単ですよ。適当に死刑判決か終身刑を食らった連中を連れてきてください。量子脳に人間とやらを移すノウハウを研究するだけなら、数が必要です」

「しかし、そう都合よく手配できるかね? 連邦政府は一応、法治主義だ。死刑は死刑制度に基づいて処理されねばならないし、遺族に遺体を返す義務もある」

 

 突然まともなことを言い出したドクター・ムラサメ。

 マッドサイエンティストらしく、ここは常識を忘れてもらいたいものだ。

 

「確かに、足がつきますね。そこでこちらです」

 

 リュウは地球連邦政府特殊警察機構なる組織図と、その根拠法令をドクター・ムラサメに提示する。

 

「不法滞在者の摘発と強制宇宙移送?」

 

 ドクター・ムラサメは今年設立されたそれを知らなかったようだ。

 

「らしいです。さて、不法滞在在者をコロニーに送る、という点を利活用してみてはいかがでしょうか?」

 

 例えば、開拓地送りとされるが、開拓地はムラサメ研究所だった、など。

 リュウは自分がどんどん悪党になっていることを自覚する。

 女たちのために、容赦なく他人を犠牲にしていく俺はロクな死に方をしないな、と自嘲するほかない。

 やると決めたのだ。

 ただ愛を叫ぶバケモノになってやる。

 

「君、それは……ただの民間人を使った人体実験だぞ? バレたら――」

「バレませんよ。私がいるんですから」

 

 そしてリュウ・ホセイは窓の外を見る。

 ドクター・ムラサメもつられてそちらを向いた。

 

「ヒィッ……」

 

 ドクター・ムラサメがソファから転げ落ちる。

 窓にはでかでかとジムコマンドの顔が映っているのだ。

 こちらをじっと見ている。

 

「ドクター。やりましょう。もしNoなら、一緒に死んでください」

 

 ジムコマンドの頭部バルカンを指さす。

 60㎜バルカンなどという頭のオカシイ大口径弾を生身の人間が食らえば、ミンチより酷くなる。

 

「き、君、まさか……ファントムを乗っ取れるのか?」

「当然ですよ、ドクター・ムラサメ。私はいつでもドクターを守りたい。そのためなら何でもします」

 

 ドクター・ムラサメが頭に埋め込んでいるであろうインプラント通信経由で、何かを研究員に伝えようとしたので、そのログに『いつでも見ていますよ』とレスを返しておく。

 

「!?」

 

 ドクター・ムラサメの目には明らかに恐怖の色が浮かんでいる。

 だが、リュウは彼の肩に手を置き、こう告げる。

 

「ドクター、本物のバケモノというやつは、人間の形をしているそうです」

 

 

 

 

 UC0081年10月末。信州の高山地帯はいよいよ冷え込んできた。

 木々の葉も少しずつ色が変わり始めており、季節が秋へと移ろいつつあるのがわかる。

 研究員たちはマンハンターから買ってきた老若男女で日々人体実験を繰り返し、量子脳への人間の移植プロセスを完成させようと必死だ。

 当然、試行回数が多くなれば得られるデータも多くなり、日々新たな発見が生まれる。

 リュウ・ホセイは青白い顔をしたドクター・ムラサメから、毎日執務室で、彼自身からそのレポートを受けていた。

 

「いいですね、ドクター。素晴らしい成果だ」

 

 生体脳の情報を量子脳に移す場合、先に脳にインプラントを行い、思考アルゴリズムを抽出しておいたほうが無難であることが分かったそうだ。

 何人犠牲にしたかは知らないが、進捗はある。

 

「必死にもなる。君を倒しうる量子脳保有者を生み出さねば……私は穏やかに眠れん」

 

 率直なお気持ちを頂戴し、リュウ・ホセイはうんうんと頷く。

 

「それは素晴らしい。ただ、俺の後輩がドクターに忠実に従う保証はないですよ? 少なくとも俺は、ドクターにとても忠実です」

 

 ムラサメ研究所を支配するためには、穏便な関係など構築することは不可能だ。

 ドクターとは真摯に利害関係で向き合っていきたい。

 

「――私の家族は、絶対守ってくれるんだろうな?」

「もちろんです。ドクターにはすべて差し上げますよ。富も、学術的成果も、地位も。ドクターが俺を売らない限り、という条件はありますが」

 

 すでに力関係は逆転している。

 あとはドクター・ムラサメのメンタルが壊れないように調整しながら締め上げ続けるだけだ。罪を共有させ、富を共有した以上、もはや逃れられまい。

 

「くそっ、どうしてこうなった……」

「ご自身の胸に手を当てて聞いてみたらいかがでしょうか。さて、俺は来週から月旅行です。しばらく心穏やかに過ごせるんじゃないでしょうか? ドクター」

「そのまま都合よく事故死してくれんかね?」

「私が死んだら、ムラサメ研究所の非道な研究内容はすべて暴露されますよ」

「くっ、外道め……」

 

 外道なのはお互い様である。

 悪党同士がののしり合う様ほどバカげたものはない。

 

「では、ドクター。量子脳研究を進めておいてください。その研究結果を手土産にすれば、ゴップ元帥と誼を結べますよ」

「そんなわけあるか。ゴップ元帥はムラサメ研究所の実験は気に食わない、とジャブローで話しているそうだぞ」

「ほう? そのお話はどこから?」

 

 実は知っている。

 ドクター・ムラサメがゴップ傘下のジャブローのニュータイプ研究所に弟子を送り込んでいて、互いの内情を時たま私的通信でやり取りしていることを。

 互いに本当にリスクのある情報は共有せず、ただ量子脳に対する記憶移植ついて希望が見えてきた、などという概要だけだ。

 

「……」

「すみませんね、冗談ですよ。ドクター、それはゴップ元帥のメッセージです。興味がある、というね」

「馬鹿にしているのか? 嫌っていると明確に言っていたぞ」

「いいですか、本当にどうでもいい状態を無関心といいます。嫌いだ、と言っているのはその内容に興味を持ち、調べ、何かが気に食わなかったという意味です。つまり、気に入る何かを持っているなら見せにこい、という合図です」

 

 相変わらずゴップ元帥は回りくどいことをしているな、とリュウは苦笑する。

 

「――本当かね?」

「もちろんですよ。試しにメッセージでも入れてください。数日もしないうちに秘書から返事がありますよ。その件について興味はないが、別件で話がある、とかね」

「むぅ、政治屋というのはよくわからんが……それで私は、軍の中枢とつながりを持てる、ということだな? 保健衛生官房の官僚なんぞに頭を下げるよりは、マシか」

 

 何がマシなのかリュウには皆目分からなかった。

 ゴップ元帥の子飼いになる意味を知っているリュウは、ドクター・ムラサメの致命的に低い政治センスを憐れんだ。

 

「まぁ、うまくやってください。俺は月で遊んできますよ――あ、ちゃんと月からでも皆さんを見守っていますからね」

「そのまま月で美人でも見つけて脱走してくれんかね」

 

 本音だろう。消えてくれという熱い思いがヒシヒシと伝わってくる。

 

「わかりました。月で美人を見つけたら、考えます」

「ほ、ほんとうかっ!?」

 

 ドクター、あなたのそういうところが、センスがないんですよ、とリュウはかぶりを振った。

 

 

 

 

 UC0081年11月初頭、リュウ・ホセイとゼロ・ムラサメはムラサメ研究所のエンジニアたちとともに輸送機の窓から月面のフォンブラウン市を見下ろしていた。

 かつて、ここでノエミィ・フジオカと甘く苦い恋に身を焦がしたことを思い出す。イオと出会い、ガノタとしてのJAZZセッションをキメ、アムロとも戦った。

 月には、楽しかった記憶だけがある。

 

「リュウ大尉、君がそんな目をするのは初めてだね」

 

 隣の席に座るゼロ大尉が茶化してくる。原作と違い、ガチエリート強化人間養成機関と化していたムラサメ研究所のおかげで、身も心もまっすぐな連邦に忠誠を誓う超人として育て上げられているゼロは、はっきり言って好青年である。

 なんでこの研究成果があるのに、アン・ムラサメなんてのが仕上がってしまったのか理解に苦しむ。

 

「ゼロ大尉、俺は月の街並みが好きなんですよ。見えますか、あのアナハイムの私設宇宙港。一企業があんなでかいのを作ってるんです。ここは、金さえあれば飛ぶ鳥も落ちるような、そういう自由な都市なんですよ」

「確かに、自由と秩序が形になったような街だね。でも、僕は信州の山と森が好きだよ。こういう躍動感のある世界より、静かで、川のせせらぎが聞こえるようなところのほうが居心地がいいんだ」

 

 互いの性格が違っているからだと思うが、リュウはゼロのことが気に入っていた。

 ゼロもまたリュウとはよく話すようになった。ログに残るからこそ互いに不用意な会話はしないが、出来るだけ互いの本心を、公的なレトリックに乗せて互いに交わすようになっている。

 悪党の自覚があるリュウにとって、唯一友人と呼んでもいい存在なのかもしれない。

 

「川のせせらぎ、ですか。ゼロ大尉の戦い方は、どちらかというと疾風怒濤ですけどね」

 

 大火力と機動力で押し切る、という単純な戦いを好むのが彼だ。ゼロ・ムラサメ専用にチューニングされたペイルライダーDⅡは、ガトリング砲とメガビームランチャー、有線ミサイルシステムをユニット化した兵装システム『シェキナー』を振り回し、戦場で敵を圧倒する。

 

「僕は一度、リュウ大尉と対抗演習をしてみたかったけど――トロイホース隊とやらとの演習が終わったら、どうだい?」

「構わないぜ。手合わせ願おうじゃないか」

 

 ムラサメ研究所はバトルジャンキーの巣窟なのか、そうなるように仕向けられているのか定かではないが、とにかくMS演習が大好きだ。先生方も賭博の種にしている上、奉仕員たちもMSに対する好奇心はかなりのものだ。

 普通に強化されたスーパーソルジャーを生み出すなら、指揮官型のようなものがいてもおかしくないのだが、そこらへんは軍事というものを深く探求していない先生方のやらかしなのだろう。

 そのおかげで、好き放題やらせてもらっているわけだが(もし頭の切れまくる奉仕員がいた日には、さすがにリュウも研究所での振る舞いを変える必要がある)。

 

 

 

 指定の宇宙港に降下した輸送機から降り立ったムラサメ研チームは、事前に指図されていた通りに、アナハイム系資本が入っているカフェテラスへと向かう。

 もちろん、途中の入国ゲートにてフォンブラウン市の職員から入国目的などを問われるが、公用とだけ答え、提出データを出せばスムーズに事が運んだ。

 フォンブラウン市は政治的にはジオンの影響下にあるが、決して連邦を敵に回しているわけではない。

 そもそも経済活動における敵というのは、利潤の追求を邪魔するもののことを指す。

 連邦もジオンも利潤をバラまくお客様であることから、敵になろうはずがない。

 

 さて、指定されたカフェテラスでカフェラテなどを楽しんでいると、カジュアルスーツスタイルと男と、アメカジの女の子がやってきた。

 

 リュウの胸が締め付けられる。

 シン大尉の腕をとっている彼女の姿を一目見ただけで、これほどに心かき乱されるとは思ってもいなかった。

 もし自分が運命を変えなければならないという重力に縛られていなければ、今すぐに抱き寄せて唇を奪っているだろう。

 

「どうしたんだい? リュウ大尉。バイタルが乱れているようだが」

「いや、研究所の外の人と会って話すのは初めてで、緊張している」

「あぁ、確かに、さっき税関でも声が上ずってたね」

 

 くすくすと笑うゼロ大尉の心中は分からない。彼とて強化人間だ。NT並にこちらの心を読んでいるかもしれないと思うと、油断はできない。

 たとえ友とて、信じるわけにはいかないのだ。それが、地獄への道を突き進みながら誰かを救うということだ。

 

「え、ようこそ、アグレッサー部隊の皆さん。ゴップ元帥から話は聞いています」

 

 シン大尉が軽く敬礼するが、その腕をシャニーナ少尉候補生がつかんで降ろさせる。

 馬鹿野郎、ここでは軍隊感をだすんじゃねぇよ、とリュウはシンを見ていら立ちを覚える。

 

「んもーっ、隊長、何やってるんですか。あちらの方がすごく不愉快そうですよ」

 

 シャニーナ少尉候補生がすみませんっ、と頭を下げてくるので、軽く手を振って制しておく。

 頭を下げなきゃならんのは俺のほうだよ――などとは言わない。

 

「(リュウ大尉、本当に大丈夫か?)」

 

 こちらのバイタルの乱れを察したゼロ大尉が耳打ちをしてくる。

 

「(ああ。やっぱり外の人相手だと……すごく緊張するな)」

「(大丈夫、僕がついていてあげるから)」

 

 ぽんぽん、と軽く肩を彼に叩かれる。ゼロ、お前なんていいやつなんだ、と使命のために冷徹になっている心が溶かされそうになり、踏みとどまった。

 

「えっと、シン大尉とシャニーナ少尉候補生だったね。僕はゼロ大尉だ。もちろんコードネームさ。こっちはリュウ大尉。こちらもコードネームだからね」

 

 ゼロに促される形で、かるく頭を下げておく。なんであのバカに頭を下げなきゃならんのだ、という己に対する怒りが一瞬沸き立つが、押し殺しておく。これはシャニーナに頭を下げているんだ、と変換する。

 

「今回は君たちトロイホース隊にNT戦闘を体験してもらうために来たんだ。対抗演習は2日後からだけど、機体の調整は大丈夫そうかい?」

 

 事前にレクされているデータによると、トロイホース隊は月面での兵装受領とNT対抗演習を受講した後、地球に向かい、大気圏突入からの緊急展開演習、そして地球一周航海をすることになるそうだ。

 NT対抗演習以外はあの頃と同じだ――だが、さっそく歴史改変の影響が現れたな、と小さな変化にも注意する。

 目の前でへらへらしながらシャニーナ少尉候補生と戯れている男とこちらでは、魂の面構えが違う。

 

「はっ。ゼロ大尉殿、我々は教導を受ける身ですので、受領機体の慣熟は始めております」

 

 シン大尉が答えた。

 当時のトロイホース隊には、ジムカスタムを主力として、一部ジムキャノンⅡが配備されていた。ゴップ子飼いのエリートタスクフォースである。

 

「よろしい」とゼロが頷く。

「えー、ゼロ大尉、指定のホテルまで案内させていただきます。荷物のほうはあちらに。簡単ながら月の観光案内などいかがで?」

 

 シン大尉がパーサーロボを指した。

 

「わかった。みんな、荷物を預けてシン大尉のご相伴に預かろうじゃないか」

 

 ゼロ大尉が言うと、エンジニアと――エンジニアに偽装している先生がそれでいい、という同意を向けてくる。これは対人関係形成試験でもあるからだ。どこまでもこちらは人間兵器。しっかりとデータ収集されるモルモットである。

 

「お、さっすがゼロ大尉、話がわかりますな」

 

 ゼロ・ムラサメに出会えたことがうれしいと顔に出ているガノタ野郎にパンチを繰り出しそうになるが自重しておく。

 なお、あちらはこちらに何一つ気づいていない。もう出会って5分経過したがイデは発動していないからだ。

 

 原作のリュウ・ホセイと違い、リュウ・ムラサメはクロヒョウのようにしなやかに痩せた、野性味あふれる男に仕上げてある。

 ツーブロックのドレッドヘアをキメた、いかにも猛者パイロット感を出している偽装は大成功のようだ。

 あのガノタ野郎に気付かれたらそれこそイデ発動で終わりなので、最善を尽くしておいて良かった。

 

「あの」

 

 荷物をパーサーロボに積んでいると、シャニーナ少尉候補生が話しかけてきた。

 なお、シン大尉はゼロ大尉となにやら盛り上がっている。

 

「なんでしょうか、シャニーナ少尉候補生」

「いえ、その、どこかの戦場でお会いしたことありますか? 一緒に戦列に立った感じがするんです」

 

 こちらを上目遣いで見上げるシャニーナの表情に、やられそうになる。

 現状は、大破。かろうじて脱出可能、である。

 

「ええ。星一号作戦でWフィールドに」

「あぁ! なるほどっ。だからなんだか懐かしい感じがしたんですねっ! わたしもWフィールドだったんです」

「任務秘密ゆえ詳細はダメですが、DFo883を御存じで?」

「はいっ、うわぁ、ほんとうにWフィールドを知ってる人と久しぶりに会いましたっ」

 

 そうかそうかと機嫌が良くなったシャニーナの心境を察する。

 このころのシャニーナはまだジャブロー軍官学校の最終課題――実部隊教導訓練を受けている立場だ。教員養成課程の教育実習のようなもので、少尉に任官するために少尉候補生として実際に軍艦や部隊に飛び込んでいき、現場の士官に教導を受ける立場である。

 士官に任官する際の最大の通過儀礼、と言ってもいいだろうが、ストレスは大きい。

 

 実際にトロイホース隊に来てみれば、ストレスマッハでいらいらしているクリス少佐や、事あるごとにお祭り騒ぎをしたがるシン大尉、男女構わずイケナイ遊びを教えてくるヤザン少尉とラムサス、ダンケルなどという面々に『教導』という名の雑用や遊びに突き合わされてストレスがマックス状態――というのを今なら察することができる。

 

「あの、リュウ大尉」

「なんでしょうか」

 

 シャニーナがこちらを見上げて頼み込んできた。

 

「うちの部隊って、そのヘンな人しかいなくて――まともに士官教導を受けられてないんです。隊長はあんな感じだし、ヤザン少尉なんてマージャンしか教えてくれないんですよ? 勝負勘を養えるっ! とかなんとか。本当にどうしたらいいのか……」

 

 たしかにヤザン、ラムサス、ダンケルの三人だとマージャンは打てない。

 しかし、そこにシャニーナが加わることにより、ほぼ延々とマージャンを遊び続けることができるのは事実だ。

 懐かしいな――と、頑なに締めこんできた心を縛る縄が緩みそうになり、首を振る。

 

「いいでしょう。相談事なら乗りますよ。シン大尉と相伴の場で、ですが」

「やった! ありがとうございます、大尉殿っ!」

 

 かわいい敬礼を受けて、リュウは笑みを返す。

 心で泣きながら、笑うというのは心がねじ切れそうになる。

 だが例え心がねじ切れようが、精神が砕けようが関係ない。

 何があろうと、この子は救う。

 彼女が笑っていられる世界だけが、俺の愛すべき世界なのだ。 




頑張れ。振り返るな。前を見て進め。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三七話 0081 ムラサメ研究所(下)

 

 連邦政府がアナハイム社から借り受けた演習場にて、不条理な戦いが繰り広げられていた。

 たった2機のMSに対して、複数のジムカスタムとジムキャノンⅡが挑む構図である。

 2機のうち1機はペイルライダーDⅡ。名前こそ特別だが、その内実はジムスナイパーⅡの特殊兵装運用型に過ぎない。もう1機は、そのままジムカスタムである。

 

 しかし、戦況は2機のバディのほうが優勢――道理に反している。

 

「ゼロ大尉、そっちに全部追い込む」

 

 まるで猟犬のように、リュウのジムカスタムは敵の連携を邪魔して軍を群に変換する。

 そして哀れな羊になってしまった群れを、ゼロ大尉のペイルライダーDⅡの射界に誘導していく。

 

『くそっ! 同じジムなのにこうも違うかよ』

 

 敵の隊長機であるシン大尉のジムカスタムが味方を庇いに飛び出してくる。

 ヤザン機が支援に回り、ダンケル、ラムサスもこちらに牽制射撃を繰り返してくる。

 リュウのジムカスタムは演習場に設置されている障害物から障害物へと移動を繰り返し、敵の連射をものともせず好き勝手に機動する。

 

(相手の弾道が見える、ってのは便利なもんだ)

 

 リュウは自らの機械化されている義眼に映る敵の射線を、リンボーダンスよろしく回避しているだけだ。そこに特別なものはない。

 

 砲撃と違い、銃による射撃というのは基本的に点の連続である。

 広い面積に弾をバラまくこともできなくはないが、ジムライフルはその性質上、MSにとっての歩兵小銃としての役割しか発揮できないのだ。

 

 弾幕による面制圧をはかり、敵の動きを拘束するならば分隊支援火器の性質を発揮できる武器――例えば、ボックス弾倉搭載型のロングバレル機関銃などがMS用にあれば理想的だが、なぜかそれは連邦軍の量産装備群に含まれていない(※1/100MGジム改にそれらしい武器が入っていたはずだが、ロングバレルのライフル、らしい)。

 

 弾幕を展開する仕事がこなせそうなジムキャノンⅡに関しては、残念ながらすべて始末させてもらった。シャニーナ機が納得いかないと喚いていたが、納得して戦死する奴は珍しいぞ、と言って黙らせておいた。

 

「シン大尉、避けてばかりいても後ろの仲間が狙われるだけだぞ」

 

 リュウのジムカスタムは、シン大尉の機体を蹴り飛ばして、バックパック損傷判定を食らってもたもたと脚で後退していたラムサスに追いすがり、ジムライフルでハチの巣にする。

 結果は、撃破判定である。

 

『畜生っ! 戦ってる相手を無視するのかよっ!』

「悪いな。追い詰めるのが仕事だ」

 

 シン大尉からの罵倒を無視しつつ、敵の群れを追い詰める。

 

『リュウ大尉、OKだ』

 

 ゼロ大尉からの通信直後、有線ミサイルのラッシュによりヤザン以外の再編狙いの群れが撃破判定。

 ヤザン機はミサイルラッシュを回避してゼロ大尉のペイルライダーDⅡにとびかかっているが、ガトリングの弾幕に圧されて障害物に飛び込む。

 

『くそったれがっ! 隊長、援護できねぇのかよっ!』

『無茶言うな。こっちのジムを抑えるから、なんとかそいつをやってくれ』

『おーおーおー、無茶いってくれちゃって。隊長の熱いご期待に応えてみせらぁ』

 

 後ろから撃たれそうなハラスメント命令を出しているシン大尉を、リュウはじわじわと追い詰めていく。

 いやらしくバースト射撃を繰り返し、シン大尉の推進剤を奪っていく。いずれ演習判定AIが推進剤限界と判定して、足を使って文字通りのステップしかできなくなるだろう。

 そうなれば、先読み回避が外れた段階で戦死である。

 

『ひと思いにやれよっ! ユニバァァァス!!』

 

 推進剤切れ狙いを読まれたらしい。

 シン大尉は最後とばかりに一気に距離を詰めてきた。

 シールド刺突、からの回し蹴り――そして逆手に隠していたビームサーベルによるトドメ。見事な連携ラッシュに、我がことながらリュウは感心した。

 

 だが、シン大尉のジムカスタムから繰り出された連撃はすべて受け流され、最後のキメ技だったビームサーベルも、こちらによるジムライフルによる破壊判定――サーベル発振器を握っている手を狙撃しておいた。

 

『うそだろ?』

「対NT訓練だから、このくらい理不尽でないとな」

 

 そのままコックピットをジムライフルで撃って撃墜判定。

 シン大尉が戦死扱いとなり、あーくそっ! という彼の声がこちらに届く。

 

「ほら、死体はそこに倒れてろ」

 

 動きを止めたジムカスタムを転がして、リュウの機体が飛ぶ。

 

 ガトリングの連射で拘束されていたヤザン機を上空から見下ろす。

 こちらの奇襲の気配に気づいたヤザンのジムカスタムがこちらにライフルを向ける。

 いい勘をしているが、こちらはゼロ大尉とタッグを組んでいる。

 こちらの視覚情報――ヤザンがこちらをロックしていることを送ると、即座にペイルライダーDⅡが加速。

 障害物の影に隠れていたジムカスタムに迫る。

 

 だが、そこはさすがヤザン少尉と言ったところか。

 障害物を迂回する形で現れたペイルライダーDⅡに頭部バルカンを連射しながら、ジャンプしてこちらにもジムライフルを連射。

 二正面攻撃に対してその時点でとれる最善手を打ってきた。

 

「見事」

 

 普通の敵ならどちらかを落とせただろう。

 だがこちらとらバケモノが二人だ。

 リュウのジムカスタムはヤザンの放つ弾丸をあっさりとロールして回避し、そのまま距離を詰めてサーベルで切りかかる。

 

『なめんなよ!』

 

 ヤザンがジムライフルのビームベヨネット(銃剣)でこちらのサーベルを受ける。

 そして、こちらに頭部バルカンを向けて連射。

 こちらはシールドで受ける。

 

『あらよっと!』

 

 背後から切り捨てんとしていたゼロ大尉のペイルライダーDⅡに対してはビームサーベルで対抗。

 二体相手にこれだけ切り結べるとは、将来が恐ろしい男だ。

 

『――チッ、腕の本数が足りねぇ』

 

 そう。ヤザンの腕が悪いわけではない。

 よくぞここまで粘った。

 だが、ペイルライダーDⅡが腕にマウントしている複合射撃兵装シェキナーを切り落とす腕はジムカスタムについていない。

 

 

 

 

 演習講評が、アナハイム社の会議室を借りて行われた。

 トロイホース隊が前列に詰め、ムラサメ研究所勢は後方。とはいえ、ムラサメ研の先生方はこちらの結果に大変満足しているらしく(※戦闘評価をする能力がないため、勝った負けたで論じているレベルの低さだが)、今夜の打ち上げの話題を内々のチャットシステムでやっている始末だ。

 

「結構手ごわかったね」と隣に座るゼロ大尉。

「連邦の精鋭部隊の一つだからな」

 

 もともと自分がいた部隊だ、とは言わない。

 あいつらがどれだけ鍛錬していて、どれだけの実力を有しているかは誰よりも理解しているつもりだ。

 たった一つ問題があるとすれば、俺があの場に――熱心に戦いを再検討するあいつらの輪に入っていけないことくらいだ。

 

 訓練統裁官を務めていたクリスティーナ・マッケンジー少佐の講評は、トロイホース隊の対NT向け訓練の不足は致命的であり、もし同等のNT二体と接敵した場合、艦艇をも喪失し、部隊が文字通り殲滅されかねない、と危機感をあらわにしたものであった。

 

 リュウも同意見であるし、シン大尉以下MS部隊の連中も納得している。

 

「シン大尉もヤザン少尉も敢闘したが、MS隊のエースでも落とされる、という事実は重大だ。一層訓練に励む、などという物量演習ではこの問題を克服できないものと私は考えている」

 

 マッケンジー少佐の声に熱がこもっている。

 このころの彼女はCGSを経てエリート街道に乗ったばかりだから、意気込みが違う。

 二十代後半には少佐、中佐に至り、三十半ばには大佐になり、四十になる手前には准将に至る可能性があるエリートコースを爆走しているのだから当然か。

 

 部下たちのほうも、シン大尉を除いて、エリート部隊にいる自覚はあるから、NT二体にボコボコにされた事実を重く受け止めているようだ(厳密には、こちらはただの強化人間だが)。

 シン大尉? あいつがこういう時に考えていることは、ゼロ・ムラサメのサインをどうやってもらうかで頭をひねってるさ。そういうやつだよ、俺は。

……一応、せいぜい乏しい責任感で部下を守る対抗戦術くらいは考えるだろうが、そういうMS乗り的思考から脱却できないのが、あの環境の俺の限界なんだよな、とリュウは心中でため息をつく。

 

「リュウ大尉、あのお姉さん、すごく優秀だね」

 

 ゼロ大尉が目をきらきらさせている。

 

「僕も本当に実戦部隊に配属されるなら、あんなかんじのお姉さんの下で働きたいよ」

 

 純粋なゼロ大尉の言葉に胸が痛む。

 それは一面だけだぞ。時が経ち、ストレスによって図太く成長なされるクリス様は、わがままボディを見せつけながら部隊をビシバシ鍛えていくスーパー教育ママ(軍事用)になるんだ。手も足も当然出るぞ。容赦なく。

 

「そうだな。上司はできる人のほうがいいのは認めるよ」

「どうしたのさ、リュウ大尉。なんだかノリノリじゃないね。せっかく外できれいな人に会えたのに、胸がドキドキしないの? 僕は、これが恋なのかなぁって、えへへ」

 

 照れるゼロ大尉に、リュウはどう声をかけたものか困惑した。

 それは素敵な女性(脳内解釈)による偽装心理だぞ、とは言えない。

 どうしよう、この子、純粋すぎる。

 

「お、おう。あとで打ち上げで積極的に話しかけてみたらどうだ? あの人、彼氏いるらしいけどな」

「そっかぁ。あんな素敵な人だもん。彼氏の一人や二人、いてもおかしくないよ。僕も三人目に立候補しちゃうつもりだ」

 

 まずい、なんだかややこしいことになってきちゃったぞ、とリュウはカムランから送られてきた様々な契約書に電子サインをしながら返事を考える。

 なお、カムランは無事社交界を泳ぎ回り、欧州社交界の雄たるジョン・バウアー議員と接点をもてたようだ。カムランの眼鏡に仕込んであるカメラ映像によると、パーティでカムランとであったときに瞳孔が開いていたのを確認済みだ。

 表情に出していないが、驚きに対する生理的反応を克服するトレーニングは足りなかったようだ。

 まちがいない、ジョン・バウアーはガノタだ。

 もしかしたら原作の時点ですでにガノタだったのかもしれない。ロンドベル隊にジェガン配備を急がせたりしていたようだし、そういう穿った目で見てしまう。

 

「ゼロ大尉、もしかしてなんだが、ちょっとハメを外していないか?」

「もちろんだよ、リュウ大尉。ここは月だよ? 僕らに対する監視もゆるゆるだし、そもそも先生たちだって休暇気分さ」

 

 実際、いま講評を受けている間も我々は自由に会話を楽しんでいた。先ほどまで着用しているノーマルスーツにこそ通話監視機能など備えられていたが、いまの私服にはそのようなものがないことは分かっている。あればこの目と耳と脳が見落とすはずがない。

 そもそも、月はジオンの拠点だ。こうやって連邦がキャッキャと滞在できるのは月経済界の頼みをギレンが目こぼししているからに過ぎない。ムラサメ研とてさすがに、ジオンの勢力下で監視システムを動かすなどムリな話だ。

 

「えっと、リュウ大尉は、あの子狙いだろ?」

 

 ゼロ大尉がにやにやしながら、シャニーナを示す。

 

「この前の歓迎会でも熱心に話していたじゃない? 先生たちも言ってたよ。どうやらリュウ大尉はロリコンらしいって」

「へぁっ!?」

 

 ど、どういうことだ?

 

「待て、意味が……」

「だってあの子、まだ15か16だろ? 君はホームだとアン少尉に手を出してたし」

 

 ウヴァ~っ! と頭を抱えて奇声を発しそうになるが、ゼロに口を防がれる。

 

「いいんだよ? 僕は性教育の授業でならったんだ。多種多様、ってやつ? 恥ずかしがるなよ。大丈夫、僕も先生たちも温かい目で見守ってるから。君が理性を失って手を出さないようにね」

 

 すでに取り返しのつかない失敗をしていることを察したリュウは、動揺のあまり金融取引の損失をたたき出してしまった。

 なお、クリスの講評も当然、頭に入らなかった。

 

 

 

 講評が終わり、そのまま別室で立食形式の歓迎会となった。

 

「ささやかながら用意させてもらった。各員の今後の奮闘を期待し――乾杯」

 

 ドレスに着替えてきたらしいクリスティーナ・マッケンジー少佐の乾杯に従い、全員がグラスを掲げる。

 ムラサメ研の先生たちも、わざわざリュウとゼロのところにやってきて『本日は外出許可を与える。これだけはつけなさい』と位置情報を送信する腕輪を渡された。どうやら先生方もゼロやリュウをフル監視するつもりはないようだ。

 

「よぉーし、いっくぞー」

 

 ゼロ大尉はすぐにマッケンジー少佐のもとに向かった。

 タイトなブラックスーツを着こなす彼なら、本当にワンチャンスあるのかもしれない。

 

 リュウはゼロほど素直な男ではないので、念のため、バックドア経由でムラサメ研のログを見たが、どうやら月に来ている先生連中も本当に遊びに来ている感覚のようだ。

 これは入念な偽装かもしれない――と疑うことが仕事になっているリュウは、さらに関係者全員のプライベート端末などの情報を洗う。

 しかし、とくにこれといったリスクは見当たらない。

 強いてリスクを見出すならば、ゼロとリュウの二人が月出張のせいで、アン・ムラサメがすこし情緒不安定になっているというデータくらいだろうか。ちゃんと土産を買っていってフォローしてやらないとな。

 なお、フォウ・ムラサメはようやく施設になれて、初等軍事訓練を受け始めたところだ。繊細でNT的な素養があるとされる彼女は、ドクター・ムラサメも慎重に育成しようとしている(※後続で入ったリュウは失ってもいいと即判断されたと考えると、やるせなくなる)。

 0087年に記憶を失ってホンコンで暴れるヤバいレディにならぬよう、気を付けておかないと。

 

「――リュウ大尉」

 

 シャニーナ少尉候補生に話しかけられた。ブラウスとスカートスタイルである。

このころは体の傷をみせるのを嫌がって、人前でドレス姿にはならないようにしていたことを思いだす。

 今でも覚えているが、士官実習を終え、ジャブローに戻る日にシン大尉にだけドレスを見せに行く。そこで俺は――彼女の肩に手を添えて、その傷は恥じるようなものじゃない、と熱く語るわけだ。とてもきれいだと言って、抱きしめてやるだけでどれだけ彼女が救われるか想像もしていない大馬鹿野郎だよ。

 

「やぁ、シャニーナ少尉候補生」

 

 彼女が手にしているノンアルコールカクテルのグラスに、こちらソーダ水を合わせる。

 

「あれ? 大尉はアルコールは摂らない方なのですか?」

「昔大失敗してね。とても大事な友達を失望させたことがあるから自重しています」

 

 前の時空では、アムロとは仲たがいしたままだったな、と思いだす。

 この時空でも当然あいつはエゥーゴにいて、そこでブライトたちと楽しくやっている。

 あいつとガチで殺しあう0087年は迎えないぞ、と改めて決意する。

 もし俺がしくじっても、やり直すことはできない。やり直すのはあそこでゼロ大尉と一緒にクリス少佐に宴会芸を見せつけて失笑させているバカのほうだ。

 

「なんだか……リュウ大尉ってすごく、大人ですよね」

「うれしいことを言ってくれますね」

「お、お世辞じゃありませんっ! うちの隊長とかと全然ちがうっていうか、その――なんだか、キリっとしている感じ? ですかね。しかも紳士だし」

 

 確かに、この期に及んでまだ固さが抜けないクリスに向けて、一発ネタである連邦に反省を促すダンスを踊っているシン大尉と同じだと問題だな。

 ヤザン、面白がってないで止めろ。

 あと、ゼロ大尉もそんな興味深そうにそいつを見るな。バカがうつるぞ。

 

「シャニーナ少尉候補生はあの皆さんが不満ですか?」

「うーん、不満ではないです。ただ、指導法が独特と言いますか、なんといいますか」

「というと?」

 

 内容は熟知している。

 筆頭格はヤザンの徹マン訓練だろう。とにかく深夜帯は麻雀をこなし、ヘロヘロになったところでシミュレータ演習をやり、さらにラムサスとダンケルの指揮をとるように命じられるアレだ。

 もちろん仮想敵はヤザンが務めて、ボコボコにシャニーナを追い詰める。

 そしてシャニーナが気絶するように眠ることになるアレである。

 なお、倒れたシャニーナを背負って部屋まで連れていくのは隊長のシンの仕事だ。

 

 ヤザンの言い分を真に受けるなら、あれは限りなく実戦配備に近い環境の再現だ。

 張りつめた緊張感を麻雀で維持させるのは、第一種戦闘配置でヒリヒリとした空気の中で待機するあの感じを疑似体験させるものであり、夜通しの麻雀後の戦闘訓練は無茶な実戦状況を再現したもの――やることなすことメチャクチャであるし、ヤザンが麻雀をうちたいだけなのだが、意味はある。

 実際、こちらが万全の時に敵が来るわけではない。

 そういう意味で、無意味ではないのだ。

 しかも、ヤザンはああ見えてシャニーナの体調を目ざとくチェックしていて、必要があれば麻雀をさっさと切り上げて強制的に睡眠をとらせたりと配慮をする男だ。

 

「――って感じです。どう思います?」

 

 徹マン訓練にふんすっ、と鼻息をあらくするシャニーナ少尉候補生。

 

「私の感想はさておいて、シャニーナ少尉候補生の動きは悪くなかったと思いますよ。今日の演習でも、私の射撃を回避しましたよね?」

「えぇっと、まぁ。でも徹マンの疲れがなかったら、わたしはもっと戦えたはずです」

 

 本当に、若いな、と思う。

 慢心されて死んでもらっては悲しくて立ち上がれないので、指導を入れておく。

 

「少尉候補生、忘れていませんか? 私たちはNT演習対抗部隊です。おそらく我々以上に強いMS乗りは連邦軍内に両手で数えるほどしかいません。それを相手に、あなたは麻雀さえしていなければもっと戦えると?」

「あ……」

 

 シャニーナ少尉候補生が口に手を当てる。

 そして、頭を下げた。

 相変わらず素直な子だ。

 

「す、すみませんでした。とんでもない思い違いをしていました」

「結構。分かればいいのです。ですが、あなたには可能性がある――こちらが私の軍内公式連絡アカウントです。連絡をください。ゼロか私がシミュレーター演習に付き合いますよ」

 

 公的な連絡手段を教えておく。

 もちろん、シン大尉に教えるつもりはない。あいつはアムロとやっていろ。

 

「いいんですか?」

「もちろん。ただし、一つだけ秘密の約束をしてください」

 

 なんですか? とシャニーナが耳を近づけてくる。

 

「あの隊長に、約束を取り付けてください。実機演習で隊長に勝てたら付き合ってくれ、と」

「なっ! ちょっ! えぇっ!」

 

 顔を真っ赤にして後ずさるシャニーナ少尉候補生の手を、そっと取り、引き留める。

 

「逃げたらダメです。ああいう優柔不断な男は、押して押して、押しまくるに限ります」

「でででで、でも、あの人、そんな、わたしのこと子ども扱いしてるし……」

「大丈夫。確かにシャニーナ少尉候補生は大人までもうちょっとかもしれません。本当に大人な相談をするときは、マッケンジー少佐に相談してください。絶対に応援してくれますから」

 

 ほんとかなぁ、と耳まで赤くしたシャニーナがこちらをみる。

 

「本当です。NTである私にはわかります。マッケンジー少佐は夜の運動会にも大変詳しい」

「よ、夜の運動会!?」

「ええ。ですから、グッとくるシナリオを教えてくれるかもしれません。教範冒頭の、戦いの原則を述べてください」

「目標、主動、集中――はっ!?」

 

 シャニーナ少尉候補生は気づいてしまったらしい。

 シン大尉との夜の運動会に勝つ方法を。

 レディとは、意外と早くオトナの階段を駆け上がるものである。

 

「つまり、大尉――圧倒しろ、と?」

「優秀ですね。相手の意思を挫き――」

「こちらの意思を強要するのが戦闘……わたし、見えました。未来が」

 

 結構、と頷きながらグラスを合わせる。

 

「では、私はこれで失礼しますよ。大事な用事がありますから」

「え? もしかしてそれって……」

 

 またしても想像力をたくましくして顔を赤らめるシャニーナ少尉候補生。

 まったく、まだまだこういうところは子どもだな。

 

「はい。女性との約束というやつです。月はデートするには最高ですよ」

「はわわ、オトナすぎますぅ、大尉」

 

 ではまたシミュレーターで会いましょう、とだけ言って彼女から離れる。

 隅のほうで早く暇にならないかな、と顔に出ている先生の一人に「外出します」とつげると「病気は貰ってこないように」などと冷やかされた。

 ありがたい油断を、利用させてもらうべく、リュウは気を付けますと言って会場を後にした。

 

 

 

 

 タクシーに乗って向かった場所は、郊外にある高級住宅街だ。

 もちろん、こちらの腕輪の位置情報は偽装しており、今頃は適当に風俗街をうろうろしていることになっている。金の動きもそうなるように偽装した。

 

 さて、タクシーから降りて、タワーマンションを見上げる。

 あの頃は傷心と義務感でここに来たが、今は違う。

 明確な企図のもとにタワーマンションの玄関に向かい、エレベーターホールで量子キーを挿す。

 

 基本的に、量子暗号は複製できない。観測によって結果が変質するため、部分情報を盗むことすらできず、まさに未来永劫絶対に複製できないといえる。

 ただし、例外はある。

 共有された量子暗号ワンタイム鍵について時空を超えて別の宇宙から持ち越してきている場合だ。

 完全飽和情報であるので、観測がどうこうという量子力学が破れ去っている。

 いわば、イデの鍵とでもいえよう。

 

 リュウ・ムラサメはエレベータの中で階数表示が消えたのを見ながら、ただ黙って扉が開くのを待つ。

 上がっているのか、下がっているのかも分からない。

 

 そして、ドアが開いた。

 こちらに反応して照明がついた。

 中央にあるのは、巨大な装置に収容された彼女のカラダだ。

 

 リュウはリビングに堂々と置いてあるポッドに入っているイングリッド・ゴップを確認する。

 サララこだわりのカラダということだが、こうやってあらためてみると、確かに官能的だった。彼女はこのカラダで一体何をするつもりだったのだろうか? 考えるだけで恐ろしくなってくるので、やめておく。

 

 キッチンのバーカウンターに備えてあった椅子を手に取り、マシンの横に置く。

 それに腰かけたリュウは、自らのうなじの人工皮膚をめくり、ソケットを露出させて装置のポートと有線接続する。

 量子暗号は当然こちらの頭に入っているし、秘密キーたる『宇野サララ』の名も知っている。

 あっさりとセキュリティを突破し、各メニューが表示される。

 メンテナンス用対話を選択し、ポッドのなかの彼女につなぐ。

 

『……あなたがシン大尉?』

 

 ビンゴ。この時点で人格の移植は進めていたらしい。記憶の移植さえできれば、文字通り宇野サララ誕生、となっていただろう。

 人工知能と同じで、人格らしきものというのは基本的に繰り返しの強化学習で生み出せる。ましてや量子脳搭載型であるイングリッドは、ゴップとの対話的、あるいは非対話的(日常の決断情報など)をもとに人格の学習を進めているはずだ。

 いまだって、どこかの秘密ネット経由で地上のゴップを『観て』研究しているはずだ。

 

「(そうだ。君はこう教えられているはずだ。宇野サララかシンが迎えに来る、と)」

『そうね。けど、私が持っているシン大尉の情報は全然違う』

 

 室内カメラがこちらを向く。

 ただ、まだ発報はしていないようだ。

 いつだってゴップ元帥のもとに連絡できる、ということをにおわせているのだろう。

 

『こんなにイイ男じゃないわ。おじいさまって嘘つきね』

「(だろうな。君に会うために、時空を超えてセクシーなイイ男になって戻ってきたんだ)」

 

 そして、リュウは簡単に自己紹介する。

 時空が終わり、イデの謎パワーで戻ってきたと。

 言葉を重ねるほど馬鹿らしくなるので、ほどほどにして、持ち越してきた今までの膨大なやらかし記録を提示する。かつてのシンたちが積みあげたそれである。

 

『おもしろいっ! 本当に宇宙って終わるのねっ!』

「(感心するのはそこかよ)」

『だって、宇宙の終わりなんて普通みれないし』

 

 そして、リュウは話を切り出す。

 

「(さて、決めてくれ。じいさんを捨てて、俺と来ないか?)」

『もちろんYesよ』

 

 あっさりと口説き落とせた。

 いや、口説いたというよりも、面白がってくれた、か。

 

『でも、このカラダをあたしが連れていくと、おじいさまのボディチェンジに問題が出るってことでしょ。どうするの?』

「(ムラサメ研究所にいくつかの量子脳がある。問題は、俺はこことつながる秘匿ネットを知らないことだ。俺ができるのは、ムラサメ研にバックドアを開けて君を待つことしかできない)」

『なら、あたしから探ってみるわ。おじいさまにバレないようにね』

 

 リュウはイングリッドにムラサメ研の外部接続用バックドアを教える。

 数秒も待たず、ムラサメ研に対して片側通行の仮想通信接続が現れた。残念ながら量子脳の性能が違いするぎる。ムラサメ側から、ここへは接続させてもらえないようだ。

 

『はい、あたしの勝ち』

 

 勝ち誇った彼女の声が聞こえた。

 

「(勝てるとは思っていない。それで、希望のカラダはあるか?)」

 

 もともとイングリッドは新たなる人類だ。肉体を乗り換える前提で設計されている上に、人格と記憶をほかの量子脳に移すなど容易い。

 問題は、オールドタイプたる生の人間からの移植なのだ。

 生の人間たるゴップはそこで苦戦し、リユースサイコデバイスを使うことで何とか人格のコアだけを移すことに成功しているのが、現時点での成果だ。

 

『できれば、これに匹敵するえっちなカラダかな』

「ご要望にお応えするのが大変そうだが、見つけておく」

 

 哀れな犠牲者を見つけてこなければならないことを考えると、気が滅入るが今更だ。

 悪党らしく、淡々と悪を為すしかない。

 それとも、ギギ・アンダルシアの両親でも見つけて遺伝子情報を回収してクローンでも作るか?

 そうすれば短期間でえっちなお姉さんの完成だ。

 

『残念ね。正義のヒーローになりたかったの?』

 

 あっさりとこちらの量子脳のセキュリティをぶち抜いて、浅い心理層に無遠慮にアクセスしてくるイングリッド。有線接続するということはそういうリスクを抱えるということだ。

 こちらがイングリッドとつながった瞬間に、自己防衛のために魂をキルしてこないだけ、彼女は思慮深く慈悲深い、と言えなくもない。

 

『あ』

 

 イングリッドからオモシロいものを見つけた時の声がした。

 

「(何を見た? 俺の記憶か?)」

『そんな甘ったるいのはどうでもいいわよ。これみて』

 

 イングリッドから転送されてきた情報は、低軌道上から強襲降下を企んでいるらしいザンジバル級と、いくつかのHLVだ。旧世紀のNATO側監視衛星の目からの情報で、少なくとも連邦の予算不足な監視衛星には映っていない。

 

『リュウ、あなたヘマしたわね?』

 

 思い当たる節は――ある。

 おそらくはモーラだ。あのターン計画のエージェントはレビルに協力しながらギレンとも仲良しなとんでもないダブルスパイ女だ。元気で健康なボディであるモーラ・バシットのカラダを乗っ取っているが、そのおおらかな見た目に騙されてはいけない。

 

 ギレンと仲良くできるほどの策略家なのだ。

 

 

 

 そもそも、0079年以前からモーラ・バシットは連邦政府に深くコミットしている、という事実を、断片的にモーラの記録を受け取っている今のリュウは知っている。

 

 時空を繰り返した収穫だ。

 

 例えば、ジムを量産する計画だ。

 この世界に最初に飛ばされたときに気付くべき話ではある。

 まるで歩兵装備の如く大量生産されるジム。

 当然工業製品なのだから、その各部品のサプライチェーン構築にはノウハウと時間が必要だ。

 何でもかんでもCAD/CAMで生み出せるほど宇宙世紀エンジニアリングはファンタジーではない。完成品を作るためには様々な部品を調達し、治具も工作機械も必要に決まっている。

 

 平時なら、それも用意できよう。

 しかし、一年戦争は例外だ。

 コロニー落としという圧倒的な暴力で、一年戦争は始まった。

 その被害は恐るべきものだった。

 

 コロニー落としで太平洋側の各港湾が壊滅し、太平洋の海上ロジスティックスが死んでいるはずなのだ。オーストラリア大陸が削れているほどの被害を受けて、それでも太平洋の波は穏やか、などという話はあり得ない(※しかも、ジオン水泳部の皆さんがハラスメントを継続している上に、連邦の海上戦力はゴミ状態だ。アクアジム(※開戦初期はそもそも配備がない)しかいないのに、どうやって海上輸送網を再構築したのだろうか?)。

 

 そして、太平洋海底ケーブルはコロニー落としでちぎれ飛んでいるだろう。

 太平洋とオーストラリアは文字通り海底ケーブルがバラまかれており、大陸間通信を支えていた。これがちぎれ飛べば電話もネットもサヨウナラだ。大陸を繋ぐ受注発注システムや物流・在庫システムがダウンしてサプライチェーンが稼働不能になる。

 

 海底ケーブルが死ぬなら、証券取引や先物市場等の、いわゆる国際金融市場も機能不能だ。まさか手紙とアマチュア無線で相対取引しながらやり取りしていたのだろうか? 無理だ。

 国際金融市場が死ぬと、手形小切手口座振替の電送もできなくなり、当たり前だが商取引が死ぬ。企業も銀行もアウトだろう。

 

 さらには、巨大隕石の落着に近いコロニー落としの影響で、異常気象が発生し、いわゆる露天農業は壊滅的な打撃をこうむったであろう。農作物の奴隷たる人類が、ご主人様たる農作物を失って生きていけるはずがない。

 

 さらにトドメとして、ギレンは地球降下作戦を開始する。

 コロニー落としを食らいボロボロの地球に、ジオンは堂々と降下。

 連邦は抗しきれず、北米や中東、アジアの一部、アフリカを失った。

 いわゆる天然資源やレアメタルの宝庫を失ったわけだ。

 

 それでも――連邦は4月1日からV作戦とビンソン計画をぶち上げる。

 コロニー落としで、人類が旧世紀から合算して少なくとも百年近くかけて整備してきたであろう科学文明のインフラを失ったはずなのに、だ。

 

ギレン・ザビでなくとも、勝った、と確信してもおかしくない地球の状況にもかかわらず、地球連邦政府は『なぁに、まだまだいけらぁっ!』と怪気炎を上げるわけだ。

 

 そこから連邦驚異の逆転劇である。

 

 ギレンが確実に潰したはずの社会インフラを、連邦は日々復活させていく。

 キシリアに海上戦力を任せて、通商破壊をさせても何のその。

 ハワイを奪い、連邦の海上戦力の要たる巨大潜水艦をゲットし、大量の水陸両用MSを配備して機動的に運用できるようにし、水上物流艦隊を索敵できるようルッグン偵察機をも配備した。

 ルッグンによる海上偵察を邪魔されぬよう、連邦の航空機を叩き落とせるドップ戦闘機も配備した。

 

 モノだけではない。

 原作のミハルに代表されるように、世界中にヒューミント網を張り巡らせ、わずかに残っている連邦の港湾基地や産業港を監視させた。

 エルランなど連邦軍高官をスパイに仕立て上げ、海上戦力の充実を回避したり、高官同士の足の引っ張りをやらせたりもする。

 

 にもかかわらず、日々連邦のサプライチェーン復旧は進んでいく。

 あの手この手を尽くしても――それこそ、港に船がついていないにもかかわらず、大量のMS製造部品が何故か各地の組み立て工場に届いていく。

 

 知らないうちに海底ケーブルが生えていき、大陸間通信が復活する。

 

 オデッサやアフリカを押さえ、レアアースなどの資源地帯を優秀なマ・クベを送り込んで戦線を構築させたにも関わらず――どこからともなく資源が産出され、連邦軍の受託を受けた製材企業に流れていく。

 

 さすがのギレンもマ・クベやキシリアの内通を疑ったはずだ。

 これがギレンとキシリア/マ・クベが互いに対立した原因ともいえよう。

 片方は痛くもない腹を探られる。

 ギレンは理屈に合わぬ連邦の大復活という現実を説明する理由を探そうとする。

 

 だが、ギレンは結局見つけられない。

 その頭脳が生み出すあらゆる戦略と戦術が理不尽にひっくり返されていくのを見ているしかできないのだ。

 おそらく、彼は人生で初めて恐怖というものを知ったはずだ。

 

 そして、彼が算出した結論は一つ。

 連邦には『バケモノ』がいる。

 

 そう、バケモノだ。ヤーパンで安価にバナナを買えるようにサプライチェーンが整備されるまで、数十年かかっていた歴史なんて何のその。

 コロニー落としで吹き飛ばしたはずの地球の各種サプライチェーンはどんなに手練手管を尽くして妨害しようと数か月で復活だ。

 

 確かに、ゴップが表の権力者としてあれこれと動き回ったのだろう。

 だが、実態はそうではない。ゴップを利用した女――ギレン・ザビの一人勝ちが未来に繋がらないことに気付いて、連邦に肩入れしたモーラの影が見える。

 

 そしてギレンは追い詰められる

 なんとか北米とアフリカは維持したが、オデッサを失い、アジアを失った。

 宇宙でも不本意ながらソロモンを落とされ、グラナダ、ア・バオア・クーに圧をかけられた。

 おそらくこの時点で、ギレンのもとにモーラが現れ、モーラが目指す未来の話をギレンにしたのだろう。

 ギレンの野望は新たなるステージに変わり、モーラはそれを支えているはずだ。

 連邦のレビルと組み、トリントン基地にいながら、彼女は遠慮なくギレンをも支える。 

 

 そのバケモノたるモーラがムラサメ研の動きに気付いたのだ。

 おそらくこれは様子見。威力偵察か何かだろう。

 モーラとギレンのご挨拶、と言ってもいい。

 

 

 

 リュウはモーラの企みに対して応えるべく、行動を起こす。

 

「(――今から戻る。ファントム搭載のジムコマンドで時間を稼げばギリギリ間に合うはずだ)」

『そう。モーラって女の狙いはそれよ。つついてみて、慌てて対処するバカを見つけるつもりじゃない?』

「(餌役くらい喜んでやるさ。あわよくばモーラとコンタクトをとり、確認したいことがある)」

『こちらが宇宙を繰り返していることを、あちらが認識しているか探るつもり? やめたほうがいいわよ。あっちはイデに頼らず世界移動ができるバケモノ。こっちはワンチャンスを繰り返す非連続の意志。勝負にならないわ』

 

 だったらどうするんだよ、といら立ちをぶちまける。

 その衝動で有線ケーブルを引き抜きそうになる。先手を打たれた動揺を隠しきれなかったからだ。

 しかし、その腕は動かない。

 イングリッドにクラックされたようだ。

 

『自分のカラダすら思い通りに出来ないあなたがイキリまくったところで、出来ることは限られてるわ。冷静になって、考えてみなさいな。いまムラサメ研究所を失って何か問題があるの? 量子脳の開発セクターはあそこだけじゃない。アン・ムラサメ程度のパイロットだって、探せば手に入るし替えが効くわ』

 

 その冷静なコメントを受けて、逆に闘志が湧いてきた。

 さんざん悪党をやってきたのだから、ここであっさりイングリッドのいうことを聞く物分かりのいいオジサンになる必要なんざ何一つない、と。

 セキュリティのアルゴリズムを相手の介入方式に合わせてリジェクトする。

 彼女のクラッキングが解除され、体に自由が戻る。

 

「(イングリッド。一つ教えてやる。俺たちと違い、普通の人間の命は一つだ)」

『ええ。知ってるわ。時代遅れね』

「(だろうな。けど、そんな連中の中にも俺のお気に入りの連中がいるんだよ)」

 

 いろんな連中の顔が頭によぎる。

 そのツラの中に、あの未完成品のアン・ムラサメの顔や、非人道的なことばっかりしてるムラサメ研究所の『先生』連中や、純真無垢な怪物である『奉仕者』たちが浮かんだ。

 

『あなたって、えこひいきのクソ野郎ね。助けたい命だけ助ける、ヤバいやつよ』

「(的確なご指摘、ありがとうございます、だ。俺を殺すか?)」

『全然。なんか楽しそうだから、ムラサメ研にえっちなカラダ用意しといてね』

 

 適当に汚いおっさんのカラダでも用意してやろうなどと思いながら、リュウは、うなじの有線ケーブルを引き抜いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三八話 0081 ムラサメ研究所防衛戦

 

『アン少尉、全員の避難が完了するまで時間を稼いでくれ。15分でいい』

 

 ムラサメ博士からの緊急展開要請から何分経ったのか、アン・ムラサメはもうあいまいになっていた。

 初めての実戦、初めての緊急出動。

 なんとかなるかな? なんて出撃するまでは思っていたけれど――

 

 すでにムラサメ研究所の地上施設は瓦礫だらけ。

 わずかに残っている管理棟もそろそろ強度限界を迎えて崩れそう。

 わたしの大好きな居住棟のほうは――まだ大丈夫。

 だけど、お気に入りの植物園は飛散したビーム粒子ですっかり燃えちゃった。

 

「――これでぇっ、10機っ!」

 

 アンカーで引き倒したザク改に馬乗りになり、コックピットにヒートナイフを突き立てる。

 相手からの殺意が消えたから、こいつは殺せたはず。

 

「うまく、うまくやらなくちゃ……」

 

 初めてやることでも、アン・ムラサメはなんでもうまくできた。

 いや、そうしないと生きていけないから。

 居場所がなくなってしまうから、なんでもうまくやってみせた。

 

 コロニー落としでママとパパがいなくなって――施設から施設へとたらい回しにされて、ムラサメ研究所に引き取られてからは、いろんな初めてがあったけれど、どれだってうまくやってきたつもりだ。

 同じ世代の子どもたちのなかでは、勉強も訓練もなんでもちゃんとできたし、泣き言一つ言わずに頑張ってきた。

 だからずっと奉仕員でいられたし、先生たちもセンパイたちも優しくしてくれた。

 

 無条件に居場所を用意してもらえるわけじゃない、ということをなんとなく知っているアン・ムラサメにとって、ここはただの実験施設ではなく、勝ち取って維持しているホームだった。

 

 そこを不条理にも蹂躙される、というのはとても腹立たしかった。

 

「こんのっ! 死んじゃえっ!」

 

 コックピットモニタに映っているゲルググをヒートナイフで滅多刺しにする。

 崩れたゲルググを無視して、次の得物を定める。

 同じゲルググタイプだけども、たぶんあれはガルバルディってやつだ。

 

「このっ!」

 

 ハイパーバズーカをいじったレールキャノンで撃ち抜く。

 なんだろう、演習でいつも相手にしているゼロ兄とかクソザコおじさんのほうがずっと手ごわい。

 

 攻めてきたジオンの部隊は、MSの種類がバラバラ。

 授業で習った内容だと、ホキューってのが大変だから、出来る限りブタイのソービってのはキカク化して揃えないとダメだって聞いていたのに、そういうのは全気にしてないみたい。

 

 HLVとザンジバルからたくさんの機体が降りてきたけれど、正直、アン・ムラサメにとってはヨワヨワの『ざぁこ』であった

 

 はっきり言ってクソザコおじさんのほうがずっと――強い。認めたくないけど。

 

 もちろんゼロ兄がイチバンなんだけど、やっぱりカワイイを加味したらわたしがイチバンのはず。

 

 そんなイチバンのわたしからすれば、本当に――ジオンの敵はざぁこ。

 

 でも、なかには当然例外がいる。

 気を付けなくちゃ……

 

「うわぁっ!」

 

 衝撃。エアバッグが発動。

 しかし、アン・ムラサメの体は大きく振られる。

 いかんせん、シートが大人サイズであり、キッズには向いていないのだ。

 先生たちが用意してくれたシート補助キットだけではさすがに実戦に耐えられない。

 

 じわり、とアン・ムラサメの瞳に涙がにじむ。

 すごく痛い。

 肩から胸にかけてめり込んだシートベルトは、つらい。

 子どもの体だから軽いし、Gによる運動エネルギーも大きくないなんて先生たちは言ってたけれど、苦しいのは変わらない。

 

 どうしてこんな目に、という思いが湧いてくる。

 コロニーが落ちなければ、わたしはママとパパと一緒に、いまごろ楽しく暮らせていたはずなのに。

 なのに、なのに、ジオンのせいでわたしは戦争させられてる。

 

「……っ! 消えてよっ!」

 

 わたしの機体にビームを当てたアイツに、レールキャノンを向けて発射。

 でも意味ない。

 あいつはすぐに飛んで距離を詰めてきた。

 

 あのロングバレルのライフルを抱えたゲルググJに、本当にひどい目にあわされている。

 ブラックライダーに対ビームコーティング塗装がされてなかったら、いまごろ死んじゃってる。

 でも、そろそろ被膜も限界かも。

 

 どうしよう?

 ゼロ兄、助けてよ。

 クソザコおじさん、どこにいるの?

 

 ほかの奉仕者でMSに乗れる子はもうとっくにやられてしまったんだよ?

 

 わたしより小さい子はいなかったのが唯一の救いかな。

 でも、センパイたちだって、わたしほどにはMSをうまく扱えないけれど、そこらの連邦軍のパイロットより強いはずなのに。

 

 なんで、みんなアイツに殺されちゃうの。

 わたしよりMS使うのはヘタッピだけど、わたしよりずっといい子だっていっぱいいたのに、なんで殺すの?

 

「お前、きらいだっ!」

 

 ランチャーを連射して片づけようとしたけれど――グリップの力を緩める。

 あのゲルググJが盾にした建物――大部分は壊れて、先生たちの何人かが下敷きになっているのが見えてしまう。

 助けなきゃ。

 先生たちが死んだら、わたしの居場所がなくなっちゃう。

 

「がんばらなきゃ……」

 

 無人のジムコマンドたちが数機、援護に来てくれた。

 ブラックライダーを無人機と協調させる。

 

 基地警備のジムコマンドはもう数機しかない。

 ほとんどがあいつにやられてしまった。

 そう、一人だけ本当に動きがおかしいあのゲルググJのせいだ。

 

 だって、そうだよ。

 

 センパイたちが最初に出て、HLVやザンジバルから降りてきたジオンのMSと戦ってるときは、はっきり言って楽勝だった。

 

 先生たちが応援の声をくれる余裕があるくらい、簡単だった。

 わたしたち奉仕員が、本当にツヨツヨパイロットだってことを、実感できていた。

 

 けど……全部あいつに――あのゲルググJに全部ひっくり返された。

 

 ジオンのMSたちがわたしたちのツヨさにおどろいて、街のほうに逃げ出そうとしたときに、アイツが降りてきた。

 仲間のはずなのに、逃げようとしたMSを撃ち抜いて、おびえていたパイロットたちを無理やり私たちに立ち向かわせてきた。

 

 あいつが出てきてから、スキあらば逃げようって感じだった敵のMSの動きが変わった。

 どうせ死ぬなら、やけくそ、って感じだ。

 

 そのせいで、このザマ。

 

「なんとかしなきゃ。わたしが頑張らないと、ゼロ兄と、クソザコおじさんの帰るところがなくなっちゃう……」

 

 ゼロ兄も、クソザコおじさんもあたしと違って可哀そうな人たちだから。

 

 だってそうだもん。

 

 あの人たちの心は、いつも涙でジメジメしたヘンタイさんだから。

 

 だから、わたしは――そんなヘンタイさんを、最強美少女として助けてあげなくちゃいけない。これって、オトナのオンナの義務よね。

 

 ゼロ兄にいつも寝る前に頭を撫でさせてあげてる、あの図書室。

 クソザコおじさんに、カワイイわたしを抱っこさせてあげてるカフェテラス。

 

 そういう場所がなくなったら、あんな暗い人たち、一生幸せを知らないまま生きていくことになっちゃうから……わたしが、ダメダメなゼロ兄やクソザコおじさんのために、ここを守らなくちゃ。

 

『純粋さを強化されているのか……さすがムラサメ研、やることが汚い』

 

 相手にしているゲルググJからの通信。

 なにくそ、と抵抗を試みるアン・ムラサメ。

 

 しかし、こちらが何かを言うまでもなく、先に無人のジムコマンドたちが動く。

 無人機は普通の人よりはずっと強い。

 だって、中身に柔らかいパイロットを乗せていないから。

 重力下で無茶な動きだってする。Gなんて関係ないからだ。

 

『――人形風情が、人をマネして誰かを守ろうとするとはな』

 

 次々とジムコマンドを撃ち抜き、切り倒していくゲルググJの姿に、アン・ムラサメは恐怖した。

 すでにトイレパックから漏れ出した何かのせいで、腰から下が実に不快だ。

 

「バカにしないでよっ! 人形だって何かを守りたいときくらいあるんだからっ!」

 

 アンは最後まで奮闘して倒れていくジムコマンドの姿に、自分を重ねる。

 

 あきらめない姿、それがアン・ムラサメの心の柱。

 

 辛いことはいっぱいある。

 イヤなことだっていっぱいある。

 実験だって、痛いし、苦しい。

 

 だけど、あたしは――人形よりもずっと、ずっと頑張れるっ!

 ムラサメ研でいちばん優秀な奉仕員だって、先生も、ゼロ兄も……。

 ――クソザコおじさんだって、そう言ってくれたもん!

 

 ブラックライダーが立ち上がり、対人戦用の光学迷彩を発動させる。

 足跡で見えるってクソザコおじさんに言われたから、粉じんで視界をごまかしてやることにする。

 ジャンプとステップ、そしてスラスタ光で攪乱しながら不意打ちを狙う。

 

「そこっ!」

 

 渾身のヒートナイフによる奇襲。

 

『幼い身でよく戦った。いま楽にしてやる』

 

 必殺の一撃を、いとも簡単に受け流されてしまう。

 ダメだ! と察したアンは、機体を急後退させる。

 

「く、くるなぁっ! 死んじゃえ! 死んじゃえっ!」

 

 アンのブラックライダーは、レールキャノンを連射する。

 当然、レールガンであるのでその弾速は目視で追えるものではなく、反射神経で回避できるものでもない。

 

 しかし、あのゲルググJはそうではない。

 プラズマの残滓をまとう弾体を、容赦なくビームサーベルで切り払う。

 

 わけがわからなくて、アンは歯が嚙み合わないほどに震える。

 

 戦いの授業で習ったことが全然通じない。

 レールガンを回避できるようなやつは、例外なので無視していい。

 レールガンを切り落としてしまうようなのは、ファンタジーだからありえない、と習った。

 

 なのに、あのゲルググJは――習わなかったことを全部やってくる。

 

 どうしよう、先生のいうことを素直に聞きすぎるんじゃなかった。

 先生があり得ないって切り捨てたことを、もうすこし考えてみるべきだった。

 そうしたら、ちょっとは変わってたかもしれない。

 

「ここはっ、ホームはわたしが守るんだっ!」

 

 そうわめきながら、ブラックライダーは倒れていたジムコマンドから90㎜マシンガンを受け取る。

 

 弾倉がカラになるまで撃ち続けながら時間を稼ぐ。

 

 数秒でも――あわよくば、数分でも時間を稼げれば、なんとかなると信じて。

 

 カワイイを加味してイチバンのわたしじゃ、勝てない敵のエース。

 

 だったら、クソザコおじさんなのに強いアイツか、ゼロ兄が来るまでとにかく、意地汚く粘るのがここでの一番いい回答のはず。

 

 テストだったら、100点間違いなし。

 

 先生も、ゼロ兄も、クソザコおじさんだって褒めてくれる、満点回答。

 

 やれる。

 わたしなら、やれる。

 だって、わたしは特別な存在のはずだもん。

 

『――アン少尉、もう1分粘れっ! そちらへの降下行程を消化中っ! ゼロと一緒に助けに行くからなっ!』

 

 マシンガンを連射していると、クソザコおじさんからの通信が割り込んできた。

 

 返事をする余裕もない。

 

 だって、あのゲルググJ、こっちがスキを見せたらヤるつもりだから。

 

 不思議なことに、悪意は――全然感じない。

 やると決めたことだから、という冷たい殺意が、アンにはとても耐えがたいプレッシャーに感じられる。

 

 なんで?

 どうして?

 あったこともない人を、どうしてそんなにオシゴトだからって殺せるの?

 

 そんなナエた心を立ち上がらせるために、クソザコおじさんに通信を入れる。

 

「くすくすっ、はやく来てくれないと、かわいいアンちゃんがヘンタイさんにあんなことや、こんなことされちゃうかもねっ」

『あと40秒っ! 奴に近づくなっ! 相手は本物のエースだっ! くそっ! なんであの野郎がここに……』

 

 クソザコおじさんから必死な声が聞こえて、アンは身を固くした。

 あんな余裕のない声、初めて聞いた。

 クソザコおじさんはいつも余裕ぶってるから、遊んであげてたのに――

 

 どうしよう?

 わたしが戦ってる敵、ほんとうにヤバいやつなんだ。

 

『アン、頑張るんだよ! 僕とリュウがそいつを倒しに行くまで、逃げて、逃げて、逃げるんだっ!』

 

 ゼロ兄がそんなことを言ってくれるけど、逃げるってどこに?

 わたしが後退したら、あいつはムラサメ研究所をボコボコにする。

 逃げ遅れている先生やセンパイ、コーハイが死んじゃう。

 そんなの許せないし、認めないから。

 

『――連邦の強化人間。今なら見逃す』

「さいあくっ! なんでよっ! 勝手なこと言うなっ! わたしが逃げたらホームを壊しちゃうんでしょ? そんなの許さないんだからっ」

『ここを離れて、本当の愛を見つけ――』

「うるさいっ!」

 

 みんなわたしのこと愛してるって言ってくれるものっ!

 実験のスコアとテストの成績がよかったら、みんな愛してくれるんだからっ!

 いやなことばっかりしてくる、アイツはキライだっ!

 

「……ははーん、さてはジオンのおじさん、愛されたことないんだ?」

 

 弱点見つけたり、って感じ?

 いっぱい愛されてないから、こんなひどいことできちゃうんだ。

 絶対そうだよ。

 誰かに愛されないから、寂しくて、怖くて、誰かを傷つけちゃうんだ。

 

『っ、増援か――本当にすまない。時間切れだ』

「え……?」

 

 こちらの弾幕をシールド防御で無理やり突き抜けてきた。

エースのゲルググJが正面、至近距離。

 あわててブラックライダーがヒートナイフを抜きはらうが、腕ごと切り飛ばされる。

 予備動作にカウンターされたらしい。

 ならば――と頭部バルカンを連射。

 この距離ならバカにできない威力はあるはず……あれ、あれ?

 

 なんで?

 なんであいつが、切り飛ばされたわたしのナイフもってるの?

 

「こふっ……!」

 

 胸のあたりが苦しくなり、口から血がこぼれた。

 あれ?

 え?

 なんで、なんで? なんでなの?

 メリメリと潰れたモニタが押し寄せていた。

 みしみしと体にコックピット内の部品と装甲が、体にめり込んでくる。

 ダメダメダメ、苦しい、死んじゃう。

 

 でも、狭いコックピットに逃げ場はない。

 逃げなきゃっ! どこかに逃げなきゃっ!

 シートと、モニターに挟まれて潰れ――

 

「やだ、やだやだ、やだ……」

 

 アンの意識は、そこで途絶えた。

 




こんなの耐えられないので、30日中に続き書きます……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三九話 0081 魂を移すメソッド

 

 

 眼下に広がる荒廃したムラサメ研究所

 ブラックライダーにナイフを突き立てるゲルググJの姿を見て、リュウは直ちに射撃を開始する。

 弾道計算も正確で、降下時のブレをも加味をしたそれだったが――ゲルググJは素早くブラックライダーから離れて、こちらの射撃を回避する。

 どこかに目があるな、と確信する。

 ルッグンか何かからの航空情報支援を受けていない限り、こうも素早くこちらに気付き、予測回避をとるなど不可能だ。

 だが――最優先はアン少尉の救助。

 そこは間違えない。

 

「ゼロ大尉、ゲルググJは任せた」

『了解』

 

 落着直前の速度減殺用増設ブースターが火を噴く。

 ムラサメ研の野外負傷者たちに被害を出さぬよう、施設から離れた森林地帯にジムカスタムを落着させる。

 久しぶりのバリュート降下だったが、問題なし。

 増設機器をパージし、山林火災に原因になりそうな木々にさっと消火剤をバラまいてから、アン少尉のブラックライダーへと駆け寄る。

 

 一方のゼロ大尉は、ペイルライダーDⅡの突入速度をあまり減殺せずに――そのままゲルググJにぶつかっていく。あれは機体の基本的なフレーム強度に優れたRXシリーズだからこそできる荒業で、RGMシリーズのような、ほぼモノコック構造のそれだと損傷=稼働不能となる。

 

 だが、高速で飛び込んできたペイルライダーDⅡに対して、ゲルググJがアイキドーのような動きでそれを逆に投げ飛ばしてしまう。

 

 そのまま気を引いておいてくれよ、と祈りながら、リュウはブラックライダーの正面に立ち、ひしゃげたコックピットハッチを凝視する。

 

 救助は――無理だ、と即断する。

 上半身をパージして内部のカプセルを取り出せるならまだしも、上半身の構造材とコックピットブロックが完全に絡み合ってしまっている。パージしたらひどいことになるのは目に見えている。

 

 打開策を考えるべく、無数のチャートを量子脳に展開して探る。

 可能性があるのは――やはり、アレか。

 

「ドクター・ムラサメ。聞こえますか」

『――聞こえる。地上の敵は片づけたのか?』

 

 ドクター・ムラサメは地下研究施設に退避している。

 もともとムラサメ研究所は、かつての松代大本営計画もびっくりな、山間と山中に施設群を建造しているビッグプロジェクトだ。史実におけるオーガスタ研究所がないこの時空では、ムラサメ研とオーガスタ研の機能が合併され、NT研究と装備開発を同時に遂行するアジアの重要技術拠点となっている。

 

「片づけました。地下施設にしまってある木星からのギフトを使います(※ギレンがかつて連邦政府に提出したもの)。エレベータとMS輸送車を地上に上げて下さい。ブラックライダーを地下搬入します」

『サイコ素材なんぞ使い道があるのかね? そんなことよりアンを回収し、治療したほうが――』

「アンが助かる見込みはありませんよ。だから、賭けに出ます。潰れてますからね――」

 

 押しつぶされて意識はないだろうが、呼吸と脳だけは生きている。

 救助しようと瓦礫をどかせば出血性ショック死間違いなしの、最悪の状態だ。

 ゆえに、手段は限られる。

 

 木星からもたらされたイデオナイトを使い、アンの魂魄――意思を、イデオナイトで肉体から引きはがす。第六文明人がやったことと同じだ。

 あとは、その意思を、ストックされている量子脳に移す。この変換処理は自然言語で行うことは不可能――ゆえに、リュウと基地内の量子計算機及びストックの量子脳の計算領域をメッシュ化してやるしかない。

 

 これらを説明すると、通信を繋いでいた地下の研究員たちが色めき立った。

 

『――ぜひ、ヤらせてくれっ!』

 

 盛りのついた研究バカたちを焚きつけるのには成功したようだ。

 アンを助けたいというリュウやゼロと、新しいステージに研究を進められるというムラサメ研究所のメンツとの間にWinWin関係が成立した。

 

『ほら、エレベータと車両を上げたぞ。運び込んでくれたまえ。機材のほうはこちらでそろえよう』

 

 わくわくが止まらないドクター・ムラサメの口調にウンザリするところがないでもないが、いまはあの連中のとびぬけて狂った頭脳が必要だ。

 サイコ素材と計算資源を使い、魂のソースコードを明らかにする――これは遺伝子工学に次ぐ、新たなるサイエンスの幕開けを奴らは喜んで寿ぎ奉っているわけだ。

 

 リュウはできる限り余計なショックを与えぬよう、ブラックライダーを搬送し、回収車両に載せる。そして随伴してともに地下施設にエレベーターで降下した。

 

 

 

 

 クラウンは自分の汚れ仕事にウンザリしていた。

 敵を殺すことに躊躇はないが、何も理解していない子どもを潰さなければならないという現実には腹が立った。見逃してやるためにチャンスを与えたが、あの子は逃げなかった。

 こちらとて空中から戦いを観測されている身。

 あれ以上の譲歩は無理だった――全く、ままならぬものだ。

 

 あの日、上級士官課程を卒業したクラウン大尉は別室に呼び出された。

 そこにいたのはスーツの男たち。

 非合法任務を成し遂げねばこの子がとても悲しい目に合う――とキシリア機関の手の者に、女学校の寮を隠し撮りされたであろう、制服姿の尊き御方の写真を見せられたのだ。

 思わずキシリア機関のスーツ男の首をへし折りそうになったが、理性で押しとどめた。

 クラウンは条件を付け、その仕事を受けた。

 

 一つは、ハマーン様の身の安全の保障。

 二つに、すべての盗撮写真をクラウンに提供することだ。

 

 特に二つ目が重要だ。尊き御方の御姿を写し取ったそれはアート。

 アートとは審美眼を持つものに許された真善美のマテリアルである。

 そして、ジオン公国におけるあの御方に関する審美眼において、クラウン以上の眼力を持つ者はいない。

 これはかのギレン閣下もご理解しており、クラウンの前で尊き御方の御名前を一切出さぬ配慮をされるほどだ。

 

 つまり、そのアートはすべてこのクラウンが保持するべきなのである。

 

 キシリア機関に一方的に使われるのは大変腹立たしかったため、懇意にしているギレン閣下の親衛隊情報科に連絡し、無事それらアートをキシリア機関から回収、独占せしめた。

 

 全く、一年戦争さえ乗り切れば、あのお方が健やかに過ごせるだろうと確信していたのに、現実はそうではなかった。

 

 流されるまま、クラウンはこうやって戦争犯罪者連中をひとまとめにした第11特別執行猶予MS戦隊なる懲罰部隊を無理やり率いてムラサメ研究所破壊作戦をやらされている。

 兵は殺人と性犯罪を一通りやらかした役満連中なので、誰一人として返すなと厳命されている。

 

「ゼロ・ムラサメか」

 

 猛烈、と表現しても大げさではない、特殊複合兵装シェキナーによる全力射撃を山中の起伏を利用して防ぐ。

 

 ムラサメ研究所が人体実験を中心とする危険な研究所である旨は知っていたが、ギレン閣下の親衛隊経由でもたらされた情報は、文字通り非道、であった。

 

 不法滞在者であると見なされた地上に住まう人々を無理やり集め、研究所の地下施設で虐殺まがいの人体実験を繰り返す様に、さすがのクラウンも気分を悪くした。

 ジオンとて同じ穴のムジナ。フラナガン機関に送られて体をいじられていた尊き御方を、問答無用でお救い致したのも、一分の義憤に駆られたゆえである(99.9%は私欲)。

 

「さすがは連邦初の実戦仕様強化人間。だが、愛の化身たる私には――敵ではないな」

 

 さっと、懐からアート写真を一枚取り出す。

 時が止まる。

 そう、この美しきアートを目にした瞬間に、世界の時間は急速に遅くなるのをクラウンは経験として知っていた(※プラセボ効果)。

 

 麗しき御方の、休日の朝。

 簡素かつ清涼なパジャマの上着を御着用なされた御姿。

 そして、上着からそのままスラリと伸びる、ギリシアの女神も逃げ出すおみ足。

 そのおみ足の合流地点デルタ▼にちらりと映る、肌着。

 パンツァー・フォオォォォオォ↑↑! と、クラウンの脳と神経と眼球が加速される(※プラセボ効果)。

 

『バケモノかっ!』

「遅いぞ、連邦の強化人間」

 

 ペイルライダーDⅡのシェキナーの乱射など、止まって見える。

 しかし、こちらのゲルググJの反応も――遅いな。

 ビームすら遅く感じるこの感覚の中では、ただイライラが募るばかりだ。

 もっと早く、もっと正確に動けるはずなのに、それに追従してくれないゲルググJの性能を鑑みると、やはり戦後MS更新計画をマ・クベ中将と進めねばならんな、と確信する。

 いまだ試作段階のハイザックを、ジオンの主力機として更新するには、マ・クベ中将のサプライチェーン整備計画をもってしても数年かかるだろう。

 

『なんで当たらないっ! 僕には見えているのにっ!』

「心眼の鍛錬がたりないのではないか?」

 

 喝っ! とクラウンが目を見開くと、ペイルライダーDⅡによる射撃予測ベクトルが見える。これは歴戦の経験により生体脳が生み出す幻視でしかないのだが、クラウンは素晴らしきアート写真の結果、あらゆる身体機能が向上したように感じられる効果のおかげだと信じて疑わない。

 

「来たまえ。連邦の強化人間。愛ゆえに躊躇わぬ戦士というやつを、教えてやる」

 

 クラウンは懐にしまってある別のアートをさっと取り出し、凝視した。

 そこに写るはクラウンの腕にギュッと抱き着く尊き御方の御姿。

 なんたる僥倖。

 いまならば、誰にも負けないだろうとクラウンは確信した。

 

 

 

 

 リュウ・ムラサメは確信した。

 いける、と。

 

 いま、ジムカスタムはサイコ素材――イデオナイトを手にし、ブラックライダーのコックピット前にそれを差し出していた。

 コックピット内にいるリュウは禅とほぼ同義のマインドフルネス状態に移行し、己が接続しているムラサメ研究所の計算資源に処理を走らせている。

 

 魂のコーディングである。

 

 イデオナイト経由での量子脳に対する意識移植。

 アンの意識を形作っていた無数の記憶を移すことで、次第に人格らしきものが量子脳に芽生えつつある。

 

 記憶とは複雑なもので、様々な事実(インフォメーション)を解釈によって評価した情報(インテリジェンス)であるため、簡単に事実と評価を分離することはできない。

 しかし、人格形成においては、事細かな事実よりも、そう評価した気持ち(エモーション)を重視したほうが、意思の移植、という作業に寄与する。

 

 改めて、生身の人間というのものが、いかに学習を重ねて人格をくみ上げていくのかということを思い知らされた。

 

 そして何よりも――欲望にコーディング規約はないのだ、ということに気付かされる。

 こんな小さな子でも、あらゆる渇望でパンパンだ。

 

 それらは部品ごとに独立していて、欲望のネットワークとしてはまだまだ未完成だ。

 

 例えば、身体の変化により愛への渇望と性衝動がネットワーク化されることを第二次性徴と解釈しうる。

 

 量子脳人類の最大の課題はここにある。

 

 ただ量子脳の中に人格を芽生えさせ、意識を生じさせても、それだけでは確実に人類としてのマナーコードからは外れる。

 

 身体の成長という生物的な何かしらの事象によって引き起こされる、各種欲望のネットワーク化アルゴリズムを、量子脳人類は意図的(それこそ魂に対するコーディングとして)実装するか、あるいは有機人類の肉体と接続して、からだの変化に合わせて欲望を育てていく必要がある、とリュウは悟る。

 

 欲望という個別パーツのネットワーク化及び、その処理アルゴリズムこそが、人間の成長であるというポスト構造主義じみた思想が、まさかここで飛び出してくるとはリュウも思ってもいなかった。

 

『リュウ君、これは――』

 

 ドクター・ムラサメ他、先生方が騒いでいる。

 

「成功、です」

 

 リュウは仕上げ処理として、アンを移した量子脳に自分しかアクセスできないバックドアを仕込んでおく。

 これから何が起こるかは分からない以上、アン・ムラサメと魂でつながれるようにしておく必要があるからだ。

 

 なお、リュウはイングリッドによってバックドアをつけられているので、イングリッドとこの時空でも一蓮托生である。

 まったく、量子脳になっても彼女に首輪をつけられてしまうとは思ってもいなかった。

 

「ドクター・ムラサメ、量子脳を搭載できるボディを探してください。彼女の年齢と欲望に合わせたものがいいでしょう。人の社会で生きられるようにしてやりたい」

『ふむ――ビショップ博士、アレはどうかね?』

 

 リュウはガノタとして先生連中が何を企んでいるか気づいた。

 ビショップ博士――本名不詳のジオンからの亡命者は、ジオンでのサイコミュ研究プロジェクト『ビショップ計画』に参画していた。その経歴が名の由来になっている。

 

『ちょうど都合がいいのがござるよ。それがしは、ちょうど10歳~13歳くらいのガールフレンドを鑑賞するのが趣味でしてな――こちらをば』

 

 量子脳装備たるリュウに嫌悪感を抱かせる特殊性癖プレッシャーをかましてくるビショップ博士から送られてきた写真は、彼が人生をかけて作り上げているヒトクローンの少女たちであった。その特殊な欲望のためにテロメアの長さを調整する遺伝子工学分野にまで精通したキモオタである。

 

『どれもアン様に使っていただけるカラダですぞ。おぉ、それがしのデザインしたカラダを、アン様がご利用くださるとは……それがしは恐悦至極にござる』

 

 恐ろしく早口である。量子脳の文字起こし補助がなければ聞き取れなかったであろう。

 

「アン少尉の無意識が、02番を選びました。それを使ってください――ボディと量子脳の接続執刀は、ビショップ博士が?」

『ハァ……ハァ……ヤらせていただきたく存じまする!!』

 

 息の荒い返答だったが、それだけ意欲があるということだろうか。

 念のためドクター・ムラサメが持っているビショップ博士の執刀記録を参照すると、小児外科手術に関しては信じがたいことに神の領域に達しているらしい。これほどの人材がいるなら使うほかない。

 

「では、アン少尉をお願いします」

『ヒャッホィっ! 任されたでござるよっ! さぁ、アン様、それがしとお医者さんプレイでござるぞ』

 

 アンの電子脳を乗せた台車に衝撃を与えぬよう抱えるように持っていく彼の姿に、気遣いを感じた。だが一方で漠然とした不安も感じたので、何かあれば射殺できるように、銃を使える奉仕員に監視させることにした。何かあればすぐに連絡をするように、と伝えておく。

 

 

 

 

 ゼロ・ムラサメ大尉は完全に破壊されたペイルライダーDⅡから離れて、森林にその身を隠していた。

 ジオンのバケモノじみたゲルググJに対して、特攻覚悟の一撃を決めるべく接近戦を挑んだのだが――残念ながら派手にやられてしまった。

 コックピットを貫かれるかと覚悟を決めたが、敵が『――チャンスをやる。降りて逃げろ。機体には近づくな』と謎の慈悲を与えてきたので、その言葉に従った。

 

 普段なら従わない。

 見逃す、などというのは兵隊として失格だと先生から教えられている。

 これほどまでに強い敵が、兵隊として失格な行為をするとは普通、考えない。

 だが、強化された直感が、敵の言葉が嘘ではないと教えてくれていた。

 

 そしてペイルライダーDⅡは破壊され、ゼロ・ムラサメはサバイバルケースを抱えて森の中、ということになった。

 

 ゲルググJを迎えに来たらしいドダイに、敵は飛び乗って太平洋側へと去っていった。

 どうやら、この襲撃計画で生き残ることを想定されていたジオン兵はあのゲルググJ乗りだけらしい。

 ほかの兵は……すべて捨駒。死人に口なし、だ。

 

「困ったなぁ」

 

 ゼロ・ムラサメはサバイバルケースを空けて、銃床折り畳み式のサブマシンガンを取り出して、弾倉を差し込む。

 そして、サブマシンガンのスリングを利用して、体に掛けておく。

 イノシシやクマが出たらいつでも使えるように、だ。

 

 ゲルググJをムラサメ研から引き離すために、かなり山奥まで来てしまった。

 人道や自動車道に歩いて出るのはさすがに無理があるため、救助が来るまではキャンプを設営して過ごすしかない。

 

 ゼロは適当な木々を利用してタープを張り、そこにポンチョをかけて簡易シェルターを作る。夜風と夜露を多少はしのいでくれるだろう。

 あとはノーマルスーツの性能を信じるだけだ。

 操縦中はシートとの無線給電によって電力が供給されているし、腕部のモバイルPCによれば、いまも99%の充電量を示している。

 

「ソロキャンプなんて、ムラサメ研に来た時以来だねぇ」

 

 日のあるうちに、取り急ぎ今夜の薪をかき集めておく。

 枯れ枝をかき集め、キャンプに積んでいく。

 

 一通りの下準備を終えて、木の幹に背中を預けた。

 

 ゼロはサバイバルケースに入っていた加熱式レトルトパッケージに水を入れる。

 水蒸気とともに高熱化するそれをじっと見る。

 湯気が消えたら――あちちっ、といいながらパックを開封し、スプーンで超高カロリーラザニアをすくって食べる。

 

 ムラサメ研に入ったころを不意に思いだす。

 いつもは施設に誰かいるから思いだすこともないのだけれど、今日は特別だ。

 

 一年戦争前からムラサメ研はあった。

 研究所には大別して二つのタスクチームがいて、MS開発実験団と、次世代兵士研究センターが互いに協力しあいながら頑張っていた。

 

 もともと、次世代兵士研究センターに所属していたのが僕――ゼロ・ムラサメだ。

 本名は、捨てた。

 家族も――忘れた。

 漠然とした記憶にあるのは、冷蔵庫の中に食べるものがなくなったときの絶望感だけだ。

 母親は、僕を育てるのをあきらめてしまった、という失望感も覚えている。

 

「――誰か」

 

 誰何しつつ、サブマシンガンを構えて音のしたほうに狙いを定める。

 そこには通りすがりのタヌキがいて、さっさとどこかへと走り去ってしまった。

 

「――緊張しすぎだよね」

 

 ゼロは繊細過ぎる自分の感性にあきれた。

 なんだろうな。赤ん坊のころからこうだったのかもしれない。

 ずっと些細なことで泣き続けて――母さんは疲れちゃったのかもな。

 

 サブマシンガンを降ろし、再び木の幹に背中を預ける。

 

 日も暮れてきた。

 枯れ枝を集めた焚火を起こす。

 細い火が、周囲を頼りなく照らしている。

 

 ノーマルスーツの襟元からストローを引っ張り出し、口にくわえて吸う。

 フィルター経由で浄化された自らの汗と尿を口にする、というノーマルスーツの機能を初めて知ったのも、ムラサメ研の次世代兵士研究センター時代だった。

 

 次世代兵士研究センターでは、もともと強化外骨格――人型汎用RS(ロボットシステム)の次世代型研究をやっていた。歩兵の装甲化と高火力化というのはずっと続いてきた人類の戦争システムの宿命なので、宇宙世紀0070年頃にはほぼ歩兵個人の装甲化と火力向上は普及済みだった。

 

 だけど、ジオンのギレン・ザビが70年頭に、連邦政府に直訴したことがきっかけで、MSの開発競争が始まった、なんて話はたぶん誰も知らない。ムラサメ研の次世代兵士研究センターの生き残りだけじゃないかな?

 

 木星に、巨大人型遺跡があり、その操縦者は巨人の可能性がある、と。

 100mを超える巨大人型遺跡には操縦席らしきものがあり、そのサイズは現生人類とは比べ物にならない、というギレンレポートを受けた連邦政府は、大型異星人との戦闘に備えた基礎技術の確立をムラサメ研究所の次世代兵士研究センターとMS開発実験団に命じた。

 

 けど、当時のムラサメ研はいまみたいなクレイジーな人が足りなくて、スゴク普通の結論しか出さなかった。

 大型人型兵器って、コスパ悪いですよね? と。

 

 これにあきれたギレン・ザビがジオンでMS開発を始め、連邦で新RS計画が始まる。

 連邦の新RS計画がなかったら、そもそもRX計画もV作戦も立ち上げようがない――なんて話は、たぶん誰も信じないだろう。今作られている歴史書にそういうことは書かれていないからだ。計画に従事したモルモットと親分たちだけが知っている、どうでもいい開発の歴史。

 

 ギレン・ザビが連邦政府にバチバチの戦争を仕掛けたのも、本当は人類に巨大人型異星人との戦いに備えさせるため――その戦訓と運用能力を獲得させ、サプライチェーンを構築・維持させるために、連邦とジオンの偉い層が結託して、互いに血みどろの出来レースを人類にやらせてるんじゃないか? なんて話を先生たちがしていたけれど……さすがに陰謀論だよね。

 ジオンはジオン星人役をギレンにやらされている、なんて与太話は、やっぱり与太話にすぎないはずだ。

 

「あっ」

 

 夜空に救難ヘリらしき影。ヘリのサーチライトがこちらにあたる。

 どうやらサバイバルケースに入っている、ソーラーパネル付き救難発信機はちゃんと機能していたようだ。

 

 ふいに、母親を思いだす。

 母さんは迎えに来てはくれなかったけれど――

 

『おーい、ゼロ大尉っ! ケガはないかっ!?』

『貴重なサンプルなんだ。勝手に死なないように』

 

 拡声器越しに聞こえるリュウ大尉とドクター・ムラサメの声。

 僕のことを捨てた人もいたけれど、僕を迎えに来てくれる人もいるんだよな、と、ゼロは頼れる友と、クレイジーな先生を歓迎した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四〇話 0081 年の瀬のゴップ

 

 UC0081年12月下旬。年の瀬も迫り、高地である信州には細雪が降り注いでいた。

 視界が悪いなか、熟練の航空機パイロットが操っているであろう高速EWAC航空機ディッシュが、ムラサメ研の地上滑走路に無事ランディングする。

 そのままグランドスタッフロボの誘導に従い、駐機場へと案内される。

 

 駐機場で停止したディッシュの胴体から、タラップが地上へと延びる。

 ドアが開き、そこから地球連邦軍高官が、護衛も付けずにタラップを降りる。

 襟元と肩に光る階級章は元帥。

 丸みを帯びた体系と元帥位と言えば、隠然たる権力者、ゴップである。

 

 ゴップ元帥を迎えるは、いつも通りの白衣姿のドクター・ムラサメと、にやにやと妙な笑みを張り付けているビショップ博士である。

 ゴップが二人を一瞥し、さらにビショップ博士をじっと見つめる。

 ビショップ博士は何か? という顔をするが、ゴップが告げる。

 

「ビショップ博士、君はモテるのではないかね?」

 

 ゴップがそう思ってしまうほどに、ビショップ博士はファッションモデルのように整った顔立ちと高身長である。その内面はとてもではないが文字にすることはできない。各種法令と条例違反のフェスティバルである。

 

「それがしが? いやはや、なんとも難しい質問でござるな」

「あ」

 

 ゴップは何か察したらしく、口元を隠した。

 そして、そのまま君は何も言わなくていい、と言った。

 

「ドクター・ムラサメ、歩きながらでいい。簡潔に概要を説明してもらえるかね」

「かしこまりました、閣下」

 

 ムラサメ博士と並行して歩くゴップ元帥。

 その後ろをのこのことついていくビショップ博士。

 ただ、ビショップ博士はゴップのおじさんそのものの後ろ姿になにやら色気のようなものを感じ取ってしまい、連日の術後処理で疲れ切っているのか? と目頭を押さえた。

 

 

 

 瓦礫を撤去して掃除をしただけ、という状態のドクター・ムラサメの執務室兼応接室に案内されたゴップは、割れた窓ガラスを覆うブルーシートをみる。

 なお、ビショップ博士の姿はない。

 

「施設の損害はどうかね?」

 

 埃っぽいソファに腰掛ける。掃除機で何とかしてみた跡が目立っている。

 

「地上構造物はダメですね。対民間向けのカモフラージュは厳しいかと」

 

 ドクター・ムラサメが地元の一般市民に向けていた三つの顔を説明する。

病理診断専門医療機関、そして児童福祉施設。最後に、日本最大のMS研究・開発・生産施設である旨である。

 

「幸い、MS関係やNT研究、医療系ラボに関しては地下化してありますので問題ありません。ただ、地上建物は急ぎませんと。建前上、病理診断ラボであり、児童福祉施設でもありますから」

 

 ムラサメ研に務める博士や技術者たちは頭のオカシイ連中ばかりなので、町の診療所や町病院から持ち込まれる診断依頼――組織診断、細胞診断、術中迅速診断(※派遣)、病理解剖を行うことで地元の信頼を勝ち得ていた。

 それらは地下に集約されている各種ラボで処理されているのだが、大衆からすればわかりやすい建物というものがあるほうが安心できるのである。

 そして、それは地元の建築関係の業者にとっても助かる話、ということだ。

 

「話の内容次第で、考慮しよう」

 

 さっそくゴップ元帥はカードゲームを始める。

 互いの手札を操り、妥協点を見出すそれだ。

 

「わかりました――ビショップ博士、あれを」

 

 呼び出し端末にドクター・ムラサメが命じると、応接室のドアが開き、イケメンたるビショップ博士と、ゴップが目を丸くするほどの戦闘美少女が現れた。

 

「アン・ムラサメ少尉です」

 

 少女のそれは型通りの敬礼だが、ゴップは思わず後ずさりそうになる。

 なんとか足を止めたが――なんだ? プレッシャーか?

 

「こちらが閣下に拝謁していただきたいご神体にござる」

 

 意味不明なことを言っているビショップ博士だが、ドクター・ムラサメに翻訳を頼むと、生体脳から量子脳に初めて正確に人格を移植できた成功例であるという。

 確かに、神々しさを感じないこともない。戦闘美少女などというものはフィクションにしか存在しないはずなのだが……いま眼前にいる。

 

「アン少尉、楽にしてくれ」

 

 アン少尉をドクター・ムラサメの横に座らせる。

 なお、なんとなくビショップ博士をアン少尉の隣に座らせてはいけない気がしたので、そのまま立たせておく。

 

「本当に、量子脳に意識と記憶を移植したのか?」

「さようでござる。詳細な移行手順書も作成済みゆえ、閣下には情報をご提供させていただけるナリ」

 

 さっとスライド化された手順と、個別具体的なメソッドを集約したデータベースへのアクセス権を提示される。

 これほどまでにムラサメ研における量子脳研究が進んでいるとは、ゴップは予想もしていなかった。

 ならば、とゴップは決断する。

 

「ムラサメ研はどうしたいかね? 保健衛生省と軍の相乗り的外局のままとどまるか? J7に編入する、という手もあるが」

 

 統合参謀本部の第7部であれば、地球連邦軍における国防戦略の中枢研究機関となれる。

 まさに、軍を育てる機関、というポジションだ。

 

「ありがたいお話です。ただ、旧装備開発実験団上がりのスタッフもここは抱えておりまして――ゴップ閣下、海軍戦略研究所を我々にいただけませんか?」

 

 ゴップは確信する。

 このドクター・ムラサメか、あるいはここの関係者にガノタがいる、と。

 UC0081年の時点で海軍戦略研究所を欲しがるなど、ガノタであることを自白しているようなものだ。

 ゴップとていずれ来る小型MS開発計画の中心となる海軍戦略研究所――サナリィを放置しておくつもりもなかった。時を見て手中に収める算段ではあったが、まさかこうも都合よく己の手駒に揃えられる機会が来るとは思っていなかった。

 

「アン少尉」

「はい、閣下」

「君はMSに乗るそうだね?」

「はい」

 

 アン少尉が素直に頷く。なんだこれ天使か? とゴップの内に秘めたる女子が目を覆う。

 こういう子こそ、本当のアイドルなんだよなぁ、と昔の売れなかった時代を思い出し死にそうになる。

 

「MS演習をするとき、手ごわい相手はいるかい?」

「はいっ! ゼロ大尉どのと、リュウ大尉どのですっ!」

 

 その二人の人事情報を出せ、とドクター・ムラサメに促す。

 彼から渡されたデータは、強化人間あるあるのそれであった。

 ゼロ・ムラサメは戦前の経済的苦境に巻き込まれてネグレクトされた家庭出身。

 リュウ・ムラサメは六番目の実戦仕様強化人間。コロニー落とし孤児。

 両者とも技量はトロイホース隊を殲滅できるほどであり、ゴップ子飼いのシン大尉から『チートですよぉ』という泣き言報告を受けている。

 

「なるほど。アン少尉はこの二人に、勝てるかい?」

「えーっと、ゼロ兄なら、たまに。クソザコおじ――訂正、リュウ大尉どのには勝てません」

「アン少尉、これはプライベートの会話だから崩していいよ?」

 

 ゴップが孫娘に話しかけるように笑みを浮かべて促す。

 

「え、ほんとっ? すごい、ゴップ閣下は話が分かる人だからってクソザコおじさんが言ってたの、本当みたいね」

 

 クソザコおじさん……これは、俗にいうメスガキちゃん、だっただろうか。昔の記憶過ぎてうまく思いだせないが、こういうタイプの子がいたようないなかったような。

 

「そのクソザコおじさんについて、どんな人か教えてくれるかな?」

「んーとね、すんごい強いの。だけど、メンタルはクソザコね。わたしみたいな子がいないとすーぐ、寂しがっちゃって。だからわたしが、オトナのオンナのミリョクってやつで、ちゃんといやしてあげてるわ」

「Oh」

 

 ゴップ元帥はそのクソザコおじさん――リュウ大尉が危険な特殊性癖を持っているかもしれない、と危惧した。いや、むしろムラサメ研究所の連中が勢ぞろいで、こんな天使な子を洗脳しているのではないか、と思えなくもない。

 

「そうかぁ。アン少尉も苦労しているんだ?」

「そうよっ! わたしがいないと、ホームのみんなはダメダメねっ」

 

 ふんすっ、と胸を張るアン少尉の姿に、ゴップはどう答えたものかと悩む。

 ただ、彼女自身がそれほど暗い雰囲気をまとっていないので、もしかしたらこれはこれで幸せなのかもしれない、とも思える。

 

 ゆえに、彼女に軍内メッセージアカウントを渡しておく。何か困ったことがあったらおじさんに報告するように、と。

 

「ありがと、ゴップ閣下。ねぇ、閣下のこと、まんまるおじさんって呼んでいい? すごくイイひとだって、わたし分かっちゃったんだ」

 

 NT的な強化感性か? 心理は読まれていないようだが、なにか深層を見ているのかもしれない。ゴップは多少警戒しながらも、この子が使える手駒になるかもしれないという期待と、単にかわいいものを手元に置きたいという私欲から、いいよ、と答える。

 

 絵面的には、元帥が美少女に変な綽名で呼ばせている構図になるが、それもよかろう。

 むしろ、ゴップが極めて俗物――あらゆる世代の女と関係を持つような、煩悩の塊のような奴として世間にプレゼンしておくほうがいい。そもそもスキャンダルというのはクリーンなイメージで売っているときに起きるもの。

 もともとダーティなイメージを世間に抱かせておけば、スキャンダルなど起きようがない。

 

「アン少尉、聴きたいことは聞けたよ。ありがとう。退出してくれたまえ」

「うん、バイバイ、まんまるおじさんっ!」

 

 手を振って退出していく彼女に、ゴップも軽く手を振る。

 ドアが閉まり、ゴップは居残りのドクター・ムラサメとビショップ博士をみる。

 

「――年始の軍令で、ムラサメ研を正式に統合参謀本部のJ7に移管する。以後は統合参謀本部議長たる私の命令で動きたまえ。同時に、海軍戦略研究所も移管させよう。これに合わせ臨時予算を予備費から吐き出させる。あるいは機密費かもしれんがな」

 

 ムラサメ研を正式に軍直轄にする、と明言を受けたドクター・ムラサメは満足そうに頷いた。

 どうやら、このドクターは今までの処遇に相当の不満があったのだろう。

 保健衛生官房からすれば最大限の予算的配慮を行っていたようだが、強欲な博士連中にとってはそんな政治的機微など分かるはずもない、か。

 

「そうだ。私のホームパーティにムラサメ研究所の諸君も招待しよう。正式に直轄になったのだから、私の管轄する組織の面々と縁故を結ぶ機会も必要だろう」

 

 ゴップはデジタルチケットを複数枚ドクター・ムラサメに渡しておく。

 

それは『ゴップ家主催、ニューイヤーパーティ』と開催日、会場の位置情報及びドレスコードが記載されているものだ。

 政治資金パーティではないから、参加費も無用。

 無料で飲み食いさせ、知らぬ者同士を交流させる顔つなぎの場であり、何のかんのと理由をつけて様々な機会に行っている私的なパーティである。

 

「ありがとうございます」

「そ、それがしも参加してよいでござるか? アン様のドレスの着付けなどをご教示差し上げねばならぬゆえ」

 

 君は来るな、とは言えない。どうやら先ほどの場を観察するに、アン少尉はビショップ博士にもそれなりの敬意を払っているのが見えたからだ。彼女が信頼する連中は一通り連れてきて構わない。

 あとは、そこからガノタを拾いあげるだけだ。

 おそらく一番怪しいのは――ビショップ博士あたりだろう、とゴップは目をつけている。

 何せ、こちらが量子脳に対する意識と記憶移植で困っているこのタイミングで、実際にそれを成功させているのだから。

 

 おそらく、この外見に似合わぬ異常に早口なござる口調も、ブラフに違いない。

 愚か者を演じて、油断を誘っているのだろう、と長年の政治的直感が告げている。

 

「さて、では失礼させてもらおうかね」

 

 ゴップが立ち上がり、ドクター・ムラサメとビショップ博士に同伴されながら飛行場へと案内される。

 

 ディッシュが駐機している格納庫にて、ゴップはビショップ博士に向き直る。

 

「ビショップ博士、私は君を見ているぞ」

「ひぇっ! それがし、申し訳ないでござるが異(常)性愛者でござるっ!」

 

 ふむ、バカのふり、か。

 うちのシン大尉もこのくらい狡猾であれば政治に放り込めるのだがな、とゴップは内心でため息をつきながら、ディッシュのタラップを上った。

 

 

 

 

 リュウ・ムラサメは飛び去って行く空飛ぶ円盤、というより空飛ぶカメのごときディッシュを、演習場のジムカスタムのコックピットから見送る。

 ゼロがペイルライダーを破壊されたので、ジムカスタムに乗り換えるべく、機種転換訓練に付き合っているところだった。

 

『リュウ大尉、どうしたんだい?』

 

 すっかり打ち解けた様子のゼロ大尉が話しかけてくる。

 

「いや、偉い人の航空機なのに護衛がないな、と」

『コマツから出るみたいだよ。ライトライナー装備のジム改小隊』

「そうか」

 

 ムラサメ研の各種監視システムに記録が残るゆえに、互いに無用なことは言わないが、ともに実戦の場をくぐったので、相応に親愛の情というものが湧くのは自然なことだった。

 ただ、リュウ・ムラサメはそれを警戒していた。ドクター・ムラサメ他の連中が、リュウの心理的弱点はゼロやアンである、とみなし、人質として使うシナリオを想定しているからだ。

 そのシナリオに備えるべく、リュウとて研究員たちのプライベートを洗っておき、やつらの愛を弱みに転換できるよう手を尽くしている。

 いまのところ、ビショップ博士以外については、対応可能にしてある――つまり、ビショップ博士というやつは極めて怪しいやつである、とリュウは警戒しておくべき対象に組み入れている。

 

『あの偉い人のことが気になったの?』とゼロ大尉。

「ほら、俺は偉い人の前に立ったことがないから――経験を積みたくてね」

 

 一目会ったら、どんな気分になるだろうな、とリュウは想像する。

 最高にハッピーかつ最悪の気分になるだろうな。

 

『そっか、そうだね。リュウ大尉はマッケンジー少佐より上の階級の軍人と、仕事でかかわったことないもんなぁ。んー、嫌なやつとかも結構いるけれど、大抵はふつうのおじさん、おばさんだよ?』

 

 気を使ってくれているのか、ゼロ大尉が自身の経験を語ってくれる。

 彼のジムカスタムが謎の身振り手振りをするのが少し面白かった。

 

『ゼロ兄、クソザコおじさんっ! かわいいアンちゃんから大事なお知らせよ!』

 

 突然通信に割り込んでくるアン少尉に、リュウは苦笑する。

 体を変えたばかりだってのに元気なものだ。

 それに、新しい体のここが気に入らないうんぬんとビショップ博士にごね倒して、日々身体改造にいそしんでいる。

 大興奮しながらハハァー、ありがたき幸せっ! と平伏して24時間体制で勤め上げるビショップ博士も異常だ。

 そんなに乳首の色なんて重要なのか?

 

「アン少尉、通信プロトコルは守れ――」

「わたし、偉い人のニューイヤーパーティーに誘われちゃったわっ! でもぉ、わたしがいないとみんな寂しくて死んじゃうでしょ? そこで、みんなのチケットもゲットしてきちゃったぁ。ってことで、年末はヒコーキ旅行よ」

 

 馬鹿野郎、せっかくゴップ元帥にバレないように接点減らしてるのになにやってんだっ! とブチ切れそうになるのを抑える。

 

『んん? クソザコおじさんのくせになんか文句あるわけ?』

 

 勘のいい小娘であるアン少尉に、こちらの隠しきれなかった気配を感じ取られる。

 ぬぅ、量子脳になったせいだ。

 

「いや、急な話で驚いただけだ」

『またまたぁ。ホントはわたしにシットしてるんでしょ? まんまるおじさんのチョーアイってやつを受ける、わたしに』

 

 ちょ、寵愛? ゴップ元帥なにを考えているんだ?

 俺が知っているアイツは、そんなビショップ博士みたいな野郎じゃなかったはずだ、と困惑するリュウ。

 

『ゴップ閣下のパーティなら、マッケンジー少佐来てるかも。うっひょー、僕なんだかワクワクしてきちゃったよ』

 

 お前、3番目の彼氏にしてくれって提案は丁重にお断りされたんじゃなかったのか。

 ゼロ大尉まで脳みそハッピーセットである。

 

『で、ニッポンでは年末に、互いにおもしろいアイサツをするって先生がいってたから、わたし、まんまるおじさんに、メッセージを送ろうと思うの』

『へぇ、どんなメッセージかな?』

 

 ゼロ大尉がわざわざ相手にしてやっているが、リュウも分かっていた。

 年末とくれば、あの言葉だ。

 

『えー、よいお年を、だったかな』

 

 その通り。

 いまだこちらの世界で身を隠しているだろう世界中のガノタに、リュウは心中でアイサツをキメる。

 

 よいお年を。

 来年は、ガチバトルだ、と。

 




良いお年をお迎え下さい


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四一話 0082 ギレンとクラウン

明けましておめでとうございます。
今年もきゃっきゃと楽しんでいこうと思います。


 

 

 ハッピィニューイヤー、とアン少尉から送られてきた一枚の画像。

パーティ会場でとったものらしく、ドクター達やゼロも写り込んでいる。

 リュウ・ムラサメはそれをドラケンEの視界良好なコックピットで閲覧していた。

 

『あんちゃん、次はココとココで切ってくれ』

「あいよ」

 

 写真を閲覧していた端末をしまう。

 

「作業員退避お願いします。カット用意」

『安全確認っ! 作業範囲っ! 人なしっ!』

「カットしまーす」

 

 リュウの操るドラケンEがレーザーカッターを手に、現場の施行管理者の指示に従い、鉄骨のカット作業を行う。

 当然、鉄骨は設計に基づきプレカットされたそれが届くのだが、現場の諸事情によって加工が必要な時もある。

 リュウはその作業を手伝っていた。

 建築業というのは有資格者による作業を前提としているので、何をするにも技能資格が必要だったりする。この点、MS乗りたるリュウはMOS(軍内の技能資格)を持っているので、任務に基づく民間協力であれば、このような溶断の手伝いくらいはできるのだ。

 

 基礎工事の補修を終えたムラサメ研究所は、すでに地上構造物の骨格をくみ上げる上棟作業中。

 現地の建築会社が動員をかけたドラケン系ミドルMS重機やトロール社の作業用プチモビを大量投入して、突貫工事を進めている。

 

 ――リュウは、ゴップ主催のニューイヤーパーティには参加しなかった。

 特に大きな理由は、全く制御できていない感情的なあれこれ、である。

 次いで、シン大尉との接触機会はできる限り減らしたほうがいい、というリスク管理的な判断である。

 

 そして何よりも――0083を改変する、という大きなタスクがある。

 こちらの時空に来てから隙あらば、あの意味不明な事象……宇宙怪獣のことを考えていた。Gの影忍のアレであることは分かっているのだが、そもそもGの影忍ではその正体が明らかにされることもなかった(※中の人が金剛玉石以降を読めずにこちらに来てしまっているせい)。

 

 今ならわかる。

 あの0083は意図的にギレンが宇宙怪獣を地球圏に現れるよう仕組んだのではないかという点だ。

 そもそもモーラも連邦、ジオンなどという組織体に拘泥する輩ではないし、ギレンとてジオン公国という組織にこだわりを持っているわけでもない。

 

 あの二人は、ただ二人の思惑のために動くだけだ。

 決して、ジオン国民や連邦市民のための忠誠心からあの立場で仕事をしているわけではない。ただひたすらに、人類のことだけを考え、必要があれば何でもやる政治オバケなだけだ。

 

 つまり、あの二人は人類の未来のために宇宙怪獣を呼び寄せた、ということになる。

 あの時の餌は『ビューティ・メモリ』が持ち合わせていた特級テクノハザードであるDG細胞への対処法であった。

 

 そもそも――とリュウは思案する。

 リング・オブ・ガンダムのビューティ・メモリーが月の遺跡として発掘された、ということは、月には文字通り、黒歴史関係の遺跡が大量に眠っているのではないか? いや、それだけではない。

 

 おそらく、地球連邦軍のジャブローとて、おそらく本来の目的はロスト・マウンテンの探索用地下坑道基地なのではないかとすら思えてくる。

 

 前のシンが残した記録にも、それらしきデータが残っている。

 0087対応で後回しにしたようだが、ジョン・バウアーを調べ上げようとしていた痕跡があるのだ。

 

 ジョン・バウアーもまたガノタであることは分かっている。カムランとのデータがそれを如実に物語っている。

 

 だが、奴の真意は不明。

 前のシンが集めたデータは部分の集合に過ぎず、全体像はまだ見えない。集められたものは、彼が連邦政府――そう、軍ではない、政府の側の重鎮として歴史を調律している様々な証左を集めたものでしかない。

 

 そのなかに、ジョン・バウアーがジャブロー地下施設造成計画を隠れ蓑にして大量の試掘を行っていることも分かっている。

 

『おーい、次はこれだぁ』

 

 また指示があったので、リュウは思考を中断してカット作業に入った。

 

 

 

 

 

 UC0082年1月初頭、リュウは明確な企図のもとに、ムラサメ研究所を動かすことを決断する。ゴップ元帥のもとでのニューイヤーパーティを楽しんで帰ってきた先生方を、ドクター・ムラサメに頼み、会議室に集めてもらう。

 

 そして、ドクター・ムラサメに会議室で、さも自分が考えましたという雰囲気でプレゼンをさせた。

 

「――つまり、我々はこの『ビューティ・メモリ』をジオンのキシリア機関から手に入れ、これを解析。これまで繰り返された宇宙について記録された膨大なデータを取り出すっ! どうかね? 高まってきたのではないかね?」

 

 こちらが大量に引き継いできた各種画像やデータを惜しげなく晒すプレゼン資料と、各員の手元にある膨大なサイクリック宇宙の実証データ。

 

 どの先生もドクター・ムラサメの言葉に熱中しているらしく、手元の電子端末をずっと触りながら、興味深そうにプレゼン資料をちらりと見上げている。

 

 ここにいる頭のネジが飛んでいる先生方であろうとも、今すぐには納得すまい。

数日は――議論を重ね、思考実験を繰り返し、納得できないところを見つけ、それをまとめ上げるだろう。

 人としての倫理観をどこかに置いてきた連中ではあるが、その学問的な意味での性能は間違いなく品質保証付きだ。

 

「――あのぉ」

 

 熱気のあまり汗をかきそうなくらい熱くなっている会議室で、一人の青年が手を挙げた。

 普段通りの作業服を着たゼロ大尉である。

 

「なにかね、ゼロ大尉」とドクター・ムラサメ。

「その『ビューティ・メモリ』は、どうやって手に入れるんですか? キシリア機関ってことは、ジオンの高度機密ってことだと思うんですが」

 

 実にまっとうな質問である。

 隣に座っているリュウ・ムラサメもうんうん、と頷く。この会の仕掛け人である事実は心理偽装で秘匿をかけている。

 

「うむ。ゼロ大尉。それは政治の領分だな。ゴップ元帥に策がある、と内々の連絡があった。我々が積みあげた量子脳研究のメソッドを――ジオンに渡す」

 

 あ、はい、とだけ言ってゼロ大尉は質問をやめた。

 興味が薄れたらしい。

 彼といろいろ話をしていて悟ったのだが――ゼロは幻想の『普通』にあこがれている。

 政治の話は普通じゃないから、興味ない、という得体のしれないロジックを持っているようだ。

 

「いいのか?」とリュウが尋ねる。

「どうでもいいかな。僕は言われたことをこなすだけだよ」

 

 そのままゼロは、手元のPCでマンガを読み進める。

 一体何がどうこじれてそういう思考に至っているのか分からないが、考えてみるに、彼なりの幸せになりたいという思いの実装方法なのではないか、とリュウは推察していた。

 普通に恋をして、普通に結婚して、普通に家庭を築きたい――という幻想。

 これが本当は奇跡のように難しい試練なのだということをリュウは実感しているのだが、ゼロはそう思っていないらしい。

 

「――よし、他に質問はないようなので、各自ブレストにかかることとする。解散」

 

 急ぎ足で先生たちが会議室から退出していく。

 全員が新しく得た情報をもとにそれぞれの学問領域を伸張できる期待感に胸を膨らませているように見える。

 

「リュウ大尉」

 

 つまらなさそうにマンガを読んでいるゼロ大尉がこちらを向いた。

 

「もしさ、MSのサイズが大型なのは、巨人と戦うためだって言われたらどう思う?」

 

 いきなりの直球質問に、リュウ・ムラサメは黙る。

 

 もし人型汎用兵器――いわゆるRS計画の系譜を追求するなら、宇宙世紀の機動歩兵はミドルサイズMSからプチモビあたりに落ち着くはずだ。

 

 兵器の発展の歴史からしても、そうならなければおかしい。

 小型で高火力を実現し、最低限の生存性を維持しながら量産可能な兵器、というのが歩兵装備の進化として正しいあり方だからだ。

 

 歩兵が着用する装甲化されたパワードスーツ。これこそが歩兵が戦場の支配者に返り咲くための必要装備である。

 

 だが、現実はそうではない。

 

 技術的に、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉を小型化できない、などというのもギレン・ザビが意図的にバラまいたブラフとしか思えない。

 炉の小型化が出来ない、という事態を引き起こす制約条件が見当たらないからだ。

 

 核融合炉設備が大型化してしまうのは、融合炉の問題ではない

 

 発生した熱エネルギーを電気エネルギーに変換する装置群や、燃料装置群、冷却装置群などと言った機能装置が大型化を招く原因である。

 

 かつてのZマシン(旧暦2003年に核融合を達成したアメリカ、サンディア国立研究所)の時点ですでに核融合炉自身は相応に小型化されていたうえ、JT60SA計画のそれも融合炉自身は巨大ではない。

 

 LPPFusion社やトヨタの核融合炉はもっと小く、文字通り炉だけなら車に積み込むこともできるだろう。

 

 そして……あれから軽く百何十年たっている宇宙世紀は、もっと進んでいる。

 しかもミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉は、旧世紀の核融合炉施設のかなりを占めている、エネルギー変換装置その他を不要とする技術である。

 

 融合炉からミノフスキー粒子の不思議力で電気エネルギーを直接取り出せる。

 つまり、機能装置群不要である。

 それで小型化できないとはどういうことなのか、素人のリュウでも疑問が浮かぶ。

 

 まともに考えたら、あの18m級のサイズには何か意図がある、としか思えないのは当然のことだ。 

 

「巨人、か。それはその、ファンタジーに出てくるやつか?」

「――ごまかさなくていいよ。僕にはわかる。リュウ大尉は巨人を知ってる」

 

 心理防壁が甘かったのか? とリュウは焦る。

 

「わかりやすいなぁ。簡単なブラフに引っかかるなんてさ」

 

 ゼロが漫画を閉じて、立ち上がる。

 いつもの微笑だが、どこか心配そうだ。

 

「リュウ大尉、向いてないよ。君に政治は」

 

 彼はそれだけ言い残して、会議室を後にした。

 会議室の清掃を任されているパートのおじさんとおばさんが入ってきて、リュウ大尉もまた追い出された。

 

 

 

 

 

 サイド3の公王府――ザビ家独裁の象徴、と国民の一部から揶揄される異形のタワーに一人の男が吸いこまれていく。

 

 クラウン大尉は背筋を伸ばし、レッドカーペットが敷かれた廊下を端正な歩調で進む。もちろん、親衛隊の兵が、クラウンの周りを固めている。

 護衛、ではない。

 親衛隊の目的は、常にギレン・ザビに危害を与える因子を未然に排除することである。

 つまり、警戒されているということだ。

 身体検査もしつこく行われ、針一つも携帯できないほどだ。

 

「閣下、ゲストをお連れしました」

 

 ギレンの執務室前で親衛隊の兵士が声をかける。

 入れ、という声が返り、兵士たちが扉を開く。

 

「クラウン大尉、入室許可が出ましたっ!」

 

 促されるままに入室すると、背後の扉が閉まった。

 

 赤を下地に金の装飾が施されたフロアカーペットに白い壁紙。

 地球の自然木を利用したと思われる執務机の向こうに、椅子に腰かけるギレン・ザビ閣下の姿。

 

 閣下の趣味である火遊び――薪を利用した暖炉は、新しい薪が組まれているものの、まだ火はついていなかった。

 

 クラウンは、ギレン閣下に背筋を伸ばした敬礼をする。

 

「楽にしろ、クラウン大尉」

 

 ギレン閣下が執務席から立ちあがり、棚の上にあったウィスキーの瓶を手に取る。

 そして、暖炉脇のカウチに座る。

 

「遠慮するな。貴様も初めてではないだろう」

「はっ」

 

 クラウンは空いているカウチに腰掛け、ギレン閣下が用意してくれたグラスを手に取る。

 そこにはすでにワンショット分が注がれていた。

 

「ソーダでいいか?」とギレン閣下。

「軟水を」

 

 ふっ、と鼻を鳴らし、ギレン閣下がチェイサーの水をサイドテーブルに置く。

 彼自身はソーダボトルを自身のテーブルに置いた。

 ギレン総帥に堂々とモノを要求するのはクラウンの特権であり、同時に面会時のマナーコードでもある。

 率直であれ、がギレン閣下とサシで呑むときの絶対条件である。

 

「地球の空気はどうだったかね?」

「最悪でしたね。そもそもハマーン様が吸っておられる空気ではな――」

「――マ・クベから届いた地球のスモークチーズだそうだ」

 

 話を遮られ、テーブルにどこからともなくチーズが置かれる。

 一口貰うと、なかなかしっかりとした燻製が効いていて、よかった。

 

「これ、なかなかのものですね」

「地球の畜産能力が復活しつつある、ということだ。我々のコロニー落としを受けてなお、地球の産業は衰えを知らない」

 

 暖炉の上に飾ってあったデギン公のデジタルサイネージが消え、統計情報を投影したモニタに変わる。

 

「見ての通りだ。ジオンが勢力下においている北米、アフリカはどれほどの地域振興政策を実施しようとも復興は遅々として進まない。一方、連邦の各地はそうではない。これをみろ」

 

 中国北方の万里の長城の写真である。0079年当時はアジア戦線と重なり、万里の長城も相当な被害を受けた。土塁や擁壁だけのところでなく、明朝時代に整備された長城もまた崩れ落ち、廃墟と化していた。

 

 そして0082年現在の写真では、明朝時代に整備された長城部分は復興し、地球の特権階級たちの観光スポットになっているようだ。お忍びで訪れているらしいマ・クベまで映っている。どうやら彼の趣味と実益を兼ねた実地調査結果らしい。

 

「マ・クベの調べでは、極めて精巧な贋作、らしい。ある時点のデータをもとに3Dプリンタで作ったのかと疑念を持つほどに」

「連邦はそんな技術を持っているのですか? それをこんな遺跡に? どうかしてます」

 

 ギレンはくっくっくと、気味の悪い笑い方をする。

 

「奴のせいだよ」

 

 モーラ・バシットのプロフィールがモニタに表示される。

 ガノタとして当然見知った顔であるし、こちらに来てからも数回顔を合わせている。

 主に、ギレン閣下の執務室で。

 

「モーラさんの悪だくみですか。なるほど、ということは――この万里の長城は、ナノマシンによる復元ですか」

「試験運用だろう。分子構造を学習/模倣/破壊する超技術。黒歴史生まれのものに違いない」

 

 まいったな、とクラウンは頭を抱える。

 できる限りモーラとギレン閣下の政治ゲームには参加したくない、という欲がある。

 クラウンにとって、ハマーン様の成長とつつがない余生だけが心配事である。

 とはいえ、もし仮にハマーン様の御子などが誕生した場合は、子々孫々そのDNAをお守りする義務があるため、仕方なくギレンやモーラのやり取りに首を突っ込んでいる。

 

「間違いないでしょう。閣下、我々は連邦とジオンの二つの政体を人類が選択できるようにする、という基本課題は達成しました。今後の計画を再確認させてください」

 

 原作のガンダムでは、地球連邦政府の一人勝ちの結果、0083のテロリストを利用した連邦内パワーゲーム、0087~0100年まで続く散発的なジオン残党を利用した連邦内パワーゲーム、そしてマフティー騒乱など、ひたすら内部でのパワーゲームを続けていく。

 

 この原作を熟知しているモーラ、そして高次の何かから啓示を受けて原作世界の不毛さを知るギレン閣下、ガノタたるクラウンは、微妙な関係性を互いに構築しながら、共同で『未来につながる歴史』をグランドデザインし、そこに近づける活動を続けている。

 

「閣下、ジオンとしてのゴールは超長距離星間航行による銀河播種計画であることは間違いないですか?」

 

 クラウンはジオン公国という組織体が最終的に何を目指しているのかを知っていた。

 

 ザビ家による一党独裁、などと言われているが、その実態は単にザビ家を神輿に掲げた宇宙移民たちのお祭り騒ぎだ。それを演出している音頭取りがギレン総帥というだけの話である。

 

 このお祭り騒ぎを実のあるものにする、というのがギレン総帥の目標であり、その実というのが、銀河に旅立つことなのだ。

 

 ある意味で単純明快。

 ただ、物事はそう単純ではなかった。

 

 外宇宙に進出するならジオンで勝手に進めればよく、いちいち地球と戦争をする理由などないはずなのに、実際はそうならなかった。

 

「無論だ。だが、障害がある」

 

 太陽系から最も近いプロキシマ・ケンタウリへと送り出した、V2無人探査機――原作におけるV2ガンダムの完成形たるミノフスキー・ドライブ搭載型超長距離無人探査機の航海記録が表示される。

 

 そして、そのすべてがアルファ・ケンタウリ到着後、消滅している。

 

「――これ、何度見ても気分が悪くなりますね」とクラウン。

 

 0070年の『V2計画』の成果は、あった。

 0078年初頭に届いたデータは、アルファ・ケンタウリの観測結果ではなく宇宙怪獣との戦闘記録と、その観察データであった。

 

 当時地球連邦軍の少将だった若きレビル、ムンゾ共和国の若き政治家だったギレン、地球連邦議会の議席を狙うべく、政治家のもとに政策秘書として潜り込んでいたジョン・バウアー、そしてこの三者に知恵の実を与えたモーラ・バシット(※当時幼女)による、極秘裏の探査計画。

 

 そのほとんどは、モーラ・バシットが木星のワームホールから引っ張り出した無数のV2無人機とミノフスキー・ドライブ搭載型通信衛星に依存するものであり、予算、と呼ぶべきものはほぼ掛かっていない。

 また、計画に関与しているものも極めて少なく、各自子飼いの技術スタッフが数名程度である。

 

「この宇宙怪獣をどうにかしないと、未来なんてないのですよね」

 

 Gの影忍に出てきたバケモノがいる、という可能性をガノタたるクラウンは念頭に置いて行動していたが、まさか地球圏外に進出する足かせになっているとは思ってもいなかった。

 そうそう都合よく人類を地球圏の外に巣立たせてくれない、ということである。

 クラウンもここまでは知っていた――というよりも、無理やり巻き込まれて知らされた、というのが正しい。

 

「クラウン大尉、一つ教えてやろう。宇宙怪獣を構成するセルをDG細胞という」

 

 ギレンがワンショットグラスを傾ける。

 ガノタたるクラウンは、思わずギレンをじっと見てしまう。

 

「DG細胞ですか。それはモーラさんがそう言ったので?」

「あやつがもつDG細胞の特性と、V2計画で手に入れた観測データが合致したそうだ」

 

 クラウンはガノタとしてすぐに仮説を立てる。

 原作の放送順序では、GガンダムはVガンダムの公開後に新シリーズとして展開されていた。鬱になっていたトミノ大僧正がガンダムでプロレスせい、と宣託を下したかどうかの真偽はさておいて、宇宙世紀シリーズがひと段落ついた後に生まれた代物であることは間違いない。

 

 では、ガンダム時空としての時系列はどうだったのだろうか? 宇宙世紀(UC)が先なのか、未来世紀(F.C)が先なのか、という点だ。

 

 クラウンは察した。

 そして、涙した。

 

「ふむ? モーラは貴様が涙を流すはずだ、と言っていたが本当だったな」

 

 ギレンが興味深そうにこちらを観察している。

 クラウンは制服の内ポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐう。

 

「しばらく……しばらく、お待ちを」

 

 クラウンとてガノタ。ガンダムシリーズはすべて愛している。

 

 その一つであるGガンダム――これが原作通りのエンディングを迎えていないのが原因だと悟る

 

 おそらくシャッフル同盟が失敗し、レインとドモンの愛の力を以ってしても厳しい状況に置かれたのだろう。結果、デビルガンダムの暴走は阻止できなかった。

 

 イデオンと同じく意思エネルギーを糧に好き勝手するDG細胞は、精神エネルギーを追い求め特級テクノハザードとしてそのまま銀河のかなたまで広がった。

 

「そうか――我々は、ただ思いだしているだけなのか」

 

 クラウンは察する。Gガンダムの最終回に、ガンダムやザンボット3他、ガンキャノン、F91にZ、V2、GP01Fbやリガズィが映りこんでいたことを。ガンダムファイターたちが乗っていたあれらを、我々は――ただ兵器として思いだし、車輪の再発明をしているだけなのかもしれない。

 

 持ちうるすべての兵器を投入して――失敗したのがGガンダムの未来。

 それがこの時空なのか。

 

 だが希望がないわけでもないだろう。

 東方不敗他、ファイターたちや取り込まれた人々が最後の力を振り絞り、地球に息をひそめて隠れていたであろうほんの僅かな人類に希望を託す形で、DG細胞群を外宇宙へと放り出したのかもしれない。

 

 そうでなければ、地球がいまDG細胞汚染されていない理由を説明できないからだ。

 

 ただ、ガノタとして悲しくて仕方なく――こぼれる涙を抑えられなかった。

 そうか……もしかしたら、とクラウンは納得する。

 いま闇に紛れて潜むGの影忍たちは、かつてのモビルファイターたちの技術を受け継いだ、地球に残った最後の人類の守護者たちの末裔なのかもしれない、と。

 

「――このDG細胞は精神エネルギーに反応し、寄ってくる。0078年時点の飼いならされた大衆の惰弱な精神エネルギーをもとに計算しても……0080年には確実に宇宙怪獣どもが地球圏に舞い戻ってくるであろうことが予測された」

 

 目を赤くしたクラウンはギレン総帥を見る。

 TVアニメの悪役じみた理由でギレン・ザビがコロニー落としのような虐殺の蛮行を為すとはとても思えないクラウンは、ただ彼の言葉に耳を傾ける。

 

「ゆえに、役割分担を行うこととなった。私は人口を調整し、レビルとジョン・バウアーは地球連邦軍と政府を正しき未来に誘導し、モーラは戦争被害を調整する、と」

 

 つまり、ギレン閣下はコロニー落としでも毒ガス散布でも何でもやり、とにかく人類を減らす責任を負わされたのだ。

 それを平然とやってのけてしまうクレイジーさに、大衆はカリスマを見出すのかもしれない。

 

「笑うかね? 私は人類史の道化役だよ」

 

 宇宙怪獣対応のために、とりあえずジオンを掌握し、人類を消す必要があった、という彼の横顔は、ただの疲れ果てた男の姿だった。

 

「笑えませんよ。誰かはやらなければならない役ですから。閣下が下りたら、次は私の番かもしれませんし」

 

 クラウンが告げると、ギレンが自らのショットグラスにダブルを注ぐ。

 

「私には見える。このギレンがやらなければキシリアが、キシリアがやらなければ、他の者が――それこそ、シャア・アズナブルあたりがそういう役割を与えられるだろう。これは人類の宿痾だ。かのイエス・キリストとやらも、自らの教えで無数の戦争を引き起こし、人口を調整せしめたそうじゃないか」

 

 ギレン閣下にとって、スペースノイドやアースノイドの峻別に興味はない、というのは間違いなさそうだ。大衆を扇動するために用いたスペースノイド優良種云々という理屈も、思考停止した信者たちを振り回すための小道具に過ぎないのだろう。

 

 ただ、為さねばならぬゆえに、こうしてどうでもいい一介の大尉相手にショットグラス片手に愚痴る……クラウンは、そんなギレンを憐れむほかなかった。

 

「私にこのような話をなさる、ということは――もしや、宇宙怪獣の地球圏到来が近いのですか?」

 

 クラウンが恐る恐る尋ねる。

 ギレン閣下は愚痴るだけの男ではない。

 こちらを呼びつけたということは、やらせたいことがある、ということだ。

 

「0083年のどこかだろう。戦前ほどの人口は戻っていないが、一年戦争に起因するジオンや連邦に対する巨大な憎悪や、NTのような存在が現れた結果、想定した以上に時間を稼げない結果を惹起してしまった」

 

 だから、またやるしかないが――同じ手段はとれない、ともギレン閣下が言った。

 

「こちらから休戦を破れば、連邦市民の憎悪とジオンの厭戦気分自体が強大な精神エネルギーとなり、宇宙怪獣を呼び寄せるだろう。世界など思うようには動かせんのだ」

 

 そしてギレンはワンショットのウィスキーを一気に飲んだ。

 体には大変悪い飲み方である。

 

「――クラウン大尉、量子脳を知っているか?」

 

 酔いが回ったらしいギレン閣下が、普段の鉄面皮を崩し、ただの疲れたおじさんの顔に戻る。

 

「はい、多少は」

 

 もちろん知っている。ガノタたるもの、ガンダム00は履修済みである。

 

「ゴップ元帥がな、そのノウハウを渡す故、ビューティ・メモリをよこせと言ってきた」

 

 クラウンはギレンの言葉をかみ砕くのに時間を要した。

 Gガンダムの失敗の結果、DG細胞が銀河に飛び散ったとする。

 この間、DG細胞の脅威からいったん解放された地球残存人類は、おそらく人口制限を行い強力な統制政府を作り上げ、自らのやらかした事象について記録をのこしたであろう。

 

 人工統制の世界がリングコロニー。記録がビューティ・メモリと言ったところか?

 

 だが、原作ではアムロの遺産、というキーワードが出ていた。

 Gガンダム→リングオブガンダム→宇宙世紀、であるなら、ビューティ・メモリのアムロの遺産というワードが唐突すぎる気もする。

 

 だが、ガノタたるもの、各種宇宙理論には通暁しているもの。

 サイクリック宇宙論であるならば――宇宙はメビウスの輪の如くループしているので……と、クラウンは思索を深め、そして悟りを得た。

 

 アムロの遺産とは、ガノタが知るアムロ・レイのことを知悉するもの――原作宇宙の情報を持つ者のことだと気づいた。

 

 つまりガノタであり、かつビューティ・メモリにアクセスすることによる情報爆発を処理できる量子脳を保持する存在が、キーパーソンとなる。

 

「閣下、量子脳ノウハウを手に入れるべきかと」

 

 クラウンは酔いの回った頭でありながら、たどり着いた結論が誤りでないだろうことを確信する。

 

「よかろう。フラナガン機関あたりが量子脳のテストをしたいと言い出しそうだがな」

 

 クラウンはNTの素養を持つハマーン様が拉致され、生体脳から量子脳への置き換え手術を受けるさまを想像し、恐怖に身を震わせた。

 思慮が浅かった。これだから政治のゲームは難しいのだ。正しい結論が必ずしも自分を利するわけではない。

 

「閣下、お約束ください。彼女のことは――」

「保障しよう――クラウン、君はジオン公国の英雄だよ、まったく」

 

 ギレンがショットグラスを掲げる。

 クラウンはそれにグラスを合わせた。

 

 UC0082年1月下旬、クラウンはフラナガン機関にてジオン初の量子脳人類へと改造された。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四二話 0082 月光と世界システム

山、でした。
下界に戻ってきたので、淡々と更新再開でやんす。
エタったのではないかという恐れを抱かれぬよう、次、山に行くときは事前に期間を明記いたしまする。
ご心配をおかけしてすみませんでした。


 UC0082年2月ごろ。

 今日は満月だから、みなで月と一緒にダンスをしよう、とゼロが提案した。

 まさにルナティックな提案だが、ムラサメ研究所の職員たちはおかしなことが大好きなので、ゼロの提案にノリノリで賛同した。

 

 リュウとアン・ムラサメが演習場での鍛錬から戻ってくると、居住棟の雪が降り積もった中庭に数多の雪像が組み上げられていた。

 ムラサメ研究所に属する奉仕者――子どもたちがプチモビを使って造り上げた雪像は、アニメやコミックのキャラクターであったり、まぁるいおなかのゴップ提督であったりとさまざまである。

 

「すごいじゃん」

 

 アンが子どもたちといっしょにキャッキャと雪像を見て回る。

 リュウは広場のケルト調ミュージックに気を引かれた。

 その音源をたどると、中央でキャンプファイアを囲みながら踊りまくっている博士たちの輪がある。

 

「これは――いったいどういうお祭りで?」

 

 リュウはワインボトルをラッパ飲みしているドクター・ムラサメに声をかけた。

 

「ゼロ大尉が、満月だから踊ろうと」

 

 しっかりとアルコールを含有した呼気がドクターから漏れる。

 

「理由は何でもいいわけですね」

「まぁ、ゼロに聞け。私は好きなように生きて、好きなように死ぬ」

 

 さらにワインをあおるドクター。

 リュウは話にならないことを察して、キャンプファイアの傍でステップを刻んでいるゼロの横に立つ。

 もちろん、流れているケルト調の曲に合わせて足さばきを繰りながら、だ。

 

「やぁ、リュウ」

「ゼロ。これはいったい?」

 

 リュウの問いに、ゼロはダンスで答える。

 彼の踊る姿は、そこにいる誰よりも月光が似合っていた。

 

「ダンスをするのに理由がいるのかい?」

「意味などない、か」

「リュウ、君のよくない癖だよ。なんでもかんでも理由をつければいいってものじゃないんだ。ただ何も考えずに、踊って、楽しんだらいい」

「けど、俺は……」

「分かってる」

 

 ゼロがぐっと体をリュウに寄せる。

 

「君がどれだけのことを抱え込んでるか、僕にはわかるよ。それを軽くしてあげることもできない。だけど――」

 

 ゼロから差し出された手をリュウがとる。

 曲調が変わり、ワルツのリズムに乗る。

 

「一人で戦わなくていいよ。周りをみてみなよ。リュウ・ホセイ」

 

 リュウはゼロにうながされるままに周囲を見渡しながら、ゼロのステップに合わせて身を任せながらくるくると回る。

 

 こちらに来た頃と違い、ムラサメ研の皆の表情はとても明るい。

 その非道さは日を追うごとに悪そのものへと至っているはずなのに、研究員たちも被験者たちも揃いもそろって楽しそうだ。

 

「リュウ、これが君のチームなんだ。愉快な悪党と哀れな被験者たち。だけど、ここに幸福は確かにあるんだ。それは君が用意したものだね」

 

 ゼロの言葉に、リュウは温かみを覚える。

 このストレートな優しさがニュータイプの本質なのではないか、とすら思えてくる。

 ニュータイプを戦いの道具としてしか利用できなかった原作宇宙世紀とは別の可能性を、リュウはかすかに感じた。

 

「――そろそろ、なんだろう?」

 

 ゼロの手がリュウの褐色の頬に触れる。

 

「君は歴史を変える。そんな予感がするんだ。そのために、僕らを使ってよ」

 

 ゼロのまなざしにやましいものはなかった。

 その穏やかな瞳に、リュウは見入った。

 リュウはゼロの手を取り、そのまま身を寄せ合いながらワルツを踊る。

 

「――わかった。だが……」

「危険、なんだろ? いいよ。君のために死んでやるのも悪くないさ」

 

 ゼロの優しげな笑みに、リュウの心は締め付けられる。

 そうでは、ない、と言いたかった。

 誰かを切り捨てて未来に行きたいわけではないのだ。

 そう、ただ皆で幸せに宇宙世紀を生きたいだけなのに――とリュウは心中で喚き散らす。

 誰も死なせたくない。

 しかし、これはガンダムの世界。

 想いだけではダメなのだ。

 手練手管を巧みに使い、因果の糸を紡がねばならない。

 

「ありがとう」

 

 リュウは言葉に尽くせない思いをこめて、礼を述べる。

 

「いいよ。その言葉があれば、僕は戦える」

 

 二人はただ月光の下でダンスを続けた。アン・ムラサメがゼロを奪っていくまでは。

 

 

 

 グリーン・ワイアット大将はウェールズの辺境にある私邸にて意外な来訪者に対応していた。

 仮面の女は英国式の挨拶を心得ているらしく、本来は警戒すべき不審人物であるにも関わらず、どこかワイアットの懐に飛び込んでくるようなところがあった。

 

「お初にお目にかかります。わたくし、イングリッド・ソレルと申します」

 

 シックなスーツ姿が馴染んでいるが、まだデビュタント(上流階級における社交パーティへの出席)を終えたばかりの令嬢のはずだ。

 外見の年齢と、仮面の下に覗く巧緻のまなざしギャップがありすぎるな、とワイアットは心中で警戒を強める。

 

「ご丁寧にどうも。ソレル家のお嬢様が私のような一軍人にいかなるご用件で?」

「端的に申し上げますと、ワイアット大将とお近づきになりたくて参りました」

「ソレル家のご令嬢にそういわれると、断れませんな。応接間にどうぞ」

 

 ワイアットはこのウェールズの辺境にあつらえた私邸にて、休暇を楽しんでいた。

 楽しむ、と言っても俗なコリニー大将のようにゴルフ三昧などではない。

 ワイアットの楽しみとは、知的な研鑽である。

 書斎にこもり、私財を投じてかき集めた様々な書物を開き、そこに人類史が積みあげてきた知性の塔を見出すのだ。その塔をさらに高く、あるいは基礎をより強くすることに貢献していくことこそ、ワイアットにとっての快楽であった。

 

 孫子――旧世紀よりひたすらに手あかのついたこれに、宇宙世紀の戦闘ドクトリンを鑑みた形での新たなる解釈をなせるのではないか、というウォーミングアップを始めたところに、突然の来訪者――イングリッド・ソレル嬢である。

 

「ヨーコさん、甜茶を用意してくれ」

 

 住み込みで屋敷の維持管理を行っている老婆に声をかける。

 ジオンのコロニー落としで頼れる息子や娘を失い、孫も失った身寄りのないアジア系の老婆をワイアットは私費で雇っていた。社交界や高級娼婦との遊びであるならば若い女性たちや妙齢の女性たちと戯れるのも男の嗜みではあるが、ワイアットにとって私邸――知的聖域にそれは不要。

 ゆえに、ただ哀れな老婆に屋敷の手入れをさせ、ウェールズの郷土料理を作らせたり彼女の家に伝わる東洋の料理などを振舞ってもらったりしている。

 

「かしこまりました、旦那様」

「簡単な茶菓子も用意するように。私は彼女の本家に失礼がないよう、連絡をいれてくる。しばし彼女の相手をしてくれ」

「はい、旦那様」

 

 紳士たるもの、突然の若き令嬢の来訪に対してはクレメンティアの精神で相対すべきである。特にデビュタントを終えたばかりの令嬢というものは、相手が真の紳士であるのか、紳士の皮をかぶったオオカミに過ぎぬのかを見抜く眼力というものが足りない。

 

「まったく。令嬢に傍仕えも付けないとはなにごとか……」

 

 経験、というもので学ぶことを否定しないが、社交界の令嬢にとってそれは心身共に傷物になりかねない。

 

 ワイアットは私室の通信端末を立ち上げ、貴族名鑑に載っているソレル家を呼び出す。

 しばしのコール音の後、通話がつながる。

 

『ソレル家応接AIでございます。ご用件をどうぞ』

「グリーン・ワイアットである。イングリッド嬢のプロトコル(社交界の儀礼)の件を担当できるものにつないでくれたまえ」

『かしこまりました。カムラン・ブルームにつなぎます』

 

 カムラン? とワイアットはいきなりの大物に繋がり内心で首をかしげる。

 いま欧州社交界を席巻しているロームフェラ財団の筆頭代理人である彼が直々に対応するということになると、ますます訳が分からなかった。

 

『代わりました。カムラン・ブルームです』

「通話にて失礼いたします。グリーン・ワイアットと申します」

『これはこれは……閣下。ロームフェラ財団のカムランです』

 

 二、三の社交的な挨拶を済ませて本題に入る。

 

「――さて、イングリッド嬢が当家に来訪されておられる。傍仕えの者がおらず、正直困っております」

 

 紳士の世界において、若い女性がこのような老境の域も見えようという男のもとに単身密会にやってくるなどというのは、どちらの家にとっても醜聞になりうる。

 

「これは失礼いたしました。閣下のご指摘はまことに正しい。送迎させたパイロットには同伴するよう伝えたのですが……おそらくイングリッド様が断られたのでしょう。閣下と戦史について相談したいことがあるとのことなので、お一人になりたかったのかと」

 

 今どきの上流階級の令嬢は、軍人になるものも数多いるため、そのような好奇心を持つことは決してマイナスではない。

 しかし、歴史の積み重ねが過ぎる欧州貴族――特に、男系主義が色濃く残っている貴族社会では、いまだ女性の軍事への興味関心は、男の領域に踏み込むもの、として恥とされる文化があると聞いたことがある。

 なるほど。となるとイングリッド嬢はそのような閉塞的な身の回りの貴族社会を飛び出して、お忍びで来訪されたということだろう。

 

「なるほど、事情は理解いたしました。ただ、私邸に若い令嬢を無警戒に招き入れたとなると私の風聞も悪いので、送迎担当のパイロットに降りてくるように伝えていただけますか?」

『かしこまりました。大変恐縮ですが、お嬢様をよろしくお願いいたします』

「無論です。責任をもって無事お返しいたします」

 

 通話を終え、ワイアットは裏口を通って外へと出る。

 上空を眺めると、SFSに乗ったジム改が降下姿勢に入っているのが見えた。

 地球連邦軍の機体ではなく、州軍所属のそれは、ワイアットの私邸に隣接する広大な空き地に颯爽と着陸した。

 地球連邦に加盟する旧国家群や貴族領は、各地方で州軍を組織している。ソレル家もまた、州軍に出資しているのは間違いなく、建前的な州軍の階級も持ち合わせているのが常。そういった経由で、令嬢の送迎にMSとSFSを使用できる、ということだ。

 

「いい腕だな」

 

 MSから降り立ったパイロットスーツ姿の女性を認め、ワイアットは出迎えるべく表口へと急ぐ。

 

 玄関口でワイアットが待っていると、パイロットの女性がやってきた。

 

「お待たせいたしました。ライラ・ミラ・ライラ中尉です」

 

 州軍の階級章を付けたライラ中尉からの敬礼に、答礼。

 

「ご苦労、ライラ中尉。すまないが、ソレル嬢のお相手をしている間、応接間にて待っていてくれないだろうか?」

「了解、閣下。ところで……ウィスキーについて興味がありまして。古来よりウェールズのそれは絶品だとか」

 

 ライラ中尉のチャーミングな頼みごとに、ワイアットは苦笑する。

 

「用意がある。ただし、ほどほどにな。貴官はソレル嬢を無事送り届ける義務がある」

「心得ております。なに、焼灼アンプルも用意済みです」

 

 アルコールを一気に体内から抜き取るパイロット御用達の薬物である。

 過剰な使用は建前上厳禁とされているが、副作用もない便利グッズであるため、現場ではかなりの数が出回っているのをワイアットも心得ている。

 

「まったく……。ようこそ、ライラ中尉。ワイアット家は君を迎え入れる」

「はっ。お世話になります、です!」

 

 その日、ワイアットの貴重なウェルシュ・ウィスキーが数本消えることになったのだが、ワイアットは歯ぎしりとともに何とか紳士的に耐えたのである。

 

 

 

 その日のうちに送り返すつもりだったのだ、とワイアットは誰にでもなく言い訳をする。

 だが実際はどうだ?

 久しぶりに激しく若い女性たちと一夜を明かしたワイアットは、いま散らかった酒瓶と乱雑に広げられた数多の書物の中で、大の字にひっくり返っていた。

 

「あらあら、閣下のアレは情けないのですね? この程度でこんなに疲れて……」

 

 ブラウスの胸元が緩んでいるイングリッド嬢のまなざしに、蠱惑的なものを感じるワイアット。

 そして、ノーマルスーツの前を大胆に全開にしているライラ中尉は酒瓶を抱えてぐーぐーと寝息を立てている。

 

 若い女性二人との夜は、とても激しかった。

 どれほどのカロリーを消費したか……計算するだけでも恐ろしい。

 

「なんの……このワイアット、まだまだ若いお嬢さんに組み敷かれてしまうほどでは」

 

 そういいながら、ワイアットは気合を入れて、最後の力を以って立ち上がる。

 

「でも、アレが奮い立たなければダメなのでしょう? ワイアットおじさま」

 

 イングリッドが指先をワイアットの額にあてる。

 

「ここが、元気じゃないとだめですわ」

 

 まさにその通り。

 知的乱闘ともいうべきかような夜を過ごしたのは久方ぶりであった。

 

 事の始まりは、イングリッド嬢による、かつてワイアットの提出した『アメリカ革命』に関する論考についての様々な質問であった。

 よもや若いお嬢さんがそのようなものを読んでいるとは、と気をよくしたワイアットは、まるで女学生に講義するがごとく、かいつまんで話をしたのだ。

 

 それが、失敗であった。

 

 イングリッド嬢はそのようなことを求めていなかったのだ。

 それはいわばアイサツ代わりのジャブのようなもの。

 まだまだラウンドの序盤。

 新進気鋭のイングリッド嬢による、ワイアットへの探りでしかなかったのだ。

 

 そこからが激しかった。

 アメリカ革命論とジオニズムの共通性の話題へと至り、次第に話は現実へと大展開され、いかにして革命論をぶら下げているジオン公国と妥協的文明の延長線上に存在する連邦を、人類を分断することなく互いに共存する政治体制へと至らしめるか、という話へと突き進んでいったのだ。

 

 かねてより、旧世紀のアメリカ流統治――被支配地域に対する親米政権樹立と国家承認について深く調査を進めていたワイアットは、アメリカの南ベトナム統治の失敗や、アフガン統治の失敗、そして日本統治の成功と独立について論じた。

 ここに、ジオン公国――いや、スペースノイドたちを再び地球連邦の旗のもとに統合する何かヒントがあるのではないか、とワイアットは思索を進めていたのだ。

 

「さすが閣下は教養が深い。わたくし、感心いたしました」

 

 脳内ボクシングリングでは、イングリッド嬢の左ストレートがワイアットに直撃、である。

 教養が深い――すなわち、斬新でもなければ先があるわけでもない。

 ただ人類の積みあげた知的財産にお詳しいのですね、という痛烈な皮肉をくらい、ワイアットは一度マットに沈んだ。

 

 ただ、すぐに立ち上がるのがワイアットである。

 

「ではイングリッド嬢の見解を聞かせていただきたく」

「世界帝国システム論。わたくしは、これでジオンと連邦の道が見えるはずなのでは? と考えているのです」

 

 そこからのイングリッド嬢の試論は見事であった。

 いかなる時代においても世界はシステム化されていた。

 例えばかつてのマケドニア帝国やローマ帝国。

 これは政治的統合を伴う帝国システムであり、それは中央システム、半周辺システム、周辺システムの三つによって構成されたシステムである。周辺と半周辺は中央へと経済的余剰と知的余剰を移送する機能を有し(戦略リソースの中央移送機能)、中央システムは半周辺、周辺から提供された戦略リソースを半周辺、周辺に再分配する処理機能を有する。

 

 このような世界帝国システムが古代において成立しつつも持続しなかったのは、巨大な官僚統治システムと周辺防衛システム(すなわち、軍事力)を維持し続けるにたる、持続可能な戦略リソースを有さないからである。

 ローマ帝国であれ、マケドニア帝国であれ、中央銀行もなければ電子計算機もなく、AIも自動化工場もない。ただ人が人を統治し、半周辺、周辺に住まう人々の生み出す財とサービスは農本主義とそれに紐づく原始的資本主義のみであった。

 

 農業が不作になれば。

 周辺部に異民族が来襲し、戦場になれば。

 疫病が流行し、周辺部の人口が減少すれば。

 

 古代の世界帝国システムは、かくも容易く瓦解する要素を内包していた。

 

「そして、中世期の世界システムは過渡期的システム――すなわち、世界経済システムですのよ」

 

 旧世紀――すなわち、世界がブルボン王朝やスペイン帝国、アメリカやロシアなどと『主権国家』概念のもとに割拠していた時代を、イングリッド嬢は互いに外交ネットワークでつないだ分割統治システムによって成り立つ『政治的統合なき世界経済システム』と呼ぶ。

 

 この世界経済システムは、分割統治政治システムと世界経済システムの二層で構成される。分割統治政治システムとは、選挙や革命、クーデタなどという政変APIを有するもので、政変は局限された影響(一国、あるいは外交ネットに繋がる関係国)しか持たない。

 

 しかし、一方で経済に関しては世界経済システムと呼ぶべきものに至っており、互いに違う国家に属しながらも(政治的分断)、経済的には密結合関係にある時代である。

 

 このような時代においては、戦略リソースを世界中から調達することが可能でありながら、政治的統合がない、という世界が誕生する。世界の財とサービスを繋ぐ――小麦を世界中から買い付けて、製パン工場に投資し、大衆にパンを与えて対価を得る経済的な仲間たちが力を持つシステム――『CON(共に)PANIS(パンを食らう)』すなわち、企業(カンパニー)の時代である。

 

 ゆえに、このような時代では失業こそがもっとも大衆にとって恐ろしいものであり、カンパニーに所属できないもの(失業者、障がいをもつもの、高齢者など)を救済する社会福祉政策こそが分割化された各統治システムに求められる処理となる。

 

 また、この分割統治政治システムと世界経済システムの二層構造を有する社会は、経済的余剰と知的余剰の偏りを世界システム全体として再分配する機能を有さない。

 なぜなら、分割統治政治システムだからである。中央処理システムがないのであるから、当然である。

 

 つまり、この時代は、経済的余剰と知的余剰を積みあげ続ける国家と、そうでない国家に分断される。

 そして、最終的には経済的余剰と知的余剰を積みあげた国家が、世界帝国システムに再び世界を再編するかどうかを決める、というシンギュラリティポイントを迎えることとなる。

 

「何度も繰り返した世界帝国システムと政治的統合なき世界経済システムの循環の先に生み出された怪物が、地球連邦政府ですわ。わたくしはこの怪物のことを『人類帝国システム』と名付けていますの」

 

 人類帝国は人類を統治するために生み出されたシステムである。

 政治的に統合されているため、外敵はおらず、その防衛システムに対する戦略リソースの投入は極めて限定的である。

 人類統治のための官僚システムに関しても、数多の文化的差異を有するすべての人類を包摂する以上、その執行及び立法行為は文書主義の洗練――すなわちデータベース中心主義へと変遷する。

 データ化された大衆の意思決定の履歴を解析し、それを未来演算のためのビッグデータ資源として扱うAIによって支援された巨大な計算主義的官僚機構が誕生する。

 

 これが工学化された現代の地球連邦政府なのだ、とイングリッド嬢が持ち寄ってきた電子資料を基に語り――ワイアットはただ刮目し、童心に返った。

 

「おもしろいっ! イングリッド嬢、これはとても面白いですなぁ……!」

 

 地球連邦宇宙軍を預かる大将という身分も忘れ、ワイアットはそのままワクワクとした心境の赴くままに、年甲斐もなくイングリッド嬢と一晩熱く語りあってしまったのである。

 

 そして、明け方ごろに、いよいよジオンとは地球連邦に対するサブシステムの整備にほかならないのではないか? という仮説をイングリッド嬢と語らっていて――疲労のあまり、意識を失ったのである。

 

 本当に激しい夜だった……とワイアットはこれほど盛り上がったのは、かつてゴップ提督とアメリカ革命論を語り合った日以来ではないか、と思いをはせる。

 

「イングリッド嬢――あなたは、私の知の女神だ……」

 

 ワイアットは目の前に現れた美しい乙女に、すっかり心を奪われていた。

 年甲斐もなく――彼女と語らっていると胸が熱くなり、頭がフル回転する。

 彼女とこのような時間を過ごせるなら、今すぐ軍を退役してもいいとすら思えるほどに、若き衝動のようなものが再びワイアットの内心を焦がしていた。

 

「ええ、閣下。世界はまだまだ、面白いことでいっぱいなのでしょうね」

 

 そういって、イングリッド嬢が応接間のソファに身を預ける。

 ブラウスの胸元のボタンが外れており、豊かな胸の谷間が強調される。

 ワイアットは彼女にさっと毛布を掛けて、淑女として恥じらいのないように配慮をする。

 そしてチェイサーの炭酸水をショットグラスにぐいと注いで、一杯流し込む。

 寝息を立てるイングリッド嬢の美しい寝顔に見入りながら、ワイアットは『恒久平和のための世界システム試論』を頭の中でくみ上げる。

 

 アースノイドとスペースノイドなどというわかりやすいラベルに分断された世界を、もう一度一つにするために。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四三話 0082 月のユニコーン

二月の更新は15、17、18、19、24、25、26になります。
すみませぬ。


 

 ムラサメ研の居住棟の狭い個室にて、リュウは量子暗号化通信でイングリッドとやり取りを行っていた。

 ベッドに寝転びながら、眼前に表示されるMR(ミックスド・リアリティ)チャットにて「ワイアットと仲良くなった」という報告を受ける。

 

「肉体関係で篭絡した、とかではないよな?」

「そんな手段が通じる相手じゃないわ。だから知恵の灯をつけてあげたの」

 

 世界システム論の発展形、と思しき試論のデータが送りつけられてきた。

 ウォーラスティンの屁理屈を再編し、情報工学とミノフスキー理論を足し合わせてブラッシュアップしたそれは、かつての概念じみたそれから、実証主義と計算主義に支えられた社会工学へと変貌していた。

 

「ワイアット閣下らしいな。あの方は地球連邦という人類の統合政体を、人類史におけるある種の到達点にしたい欲があるからな」

 

 事実は様々な政治体衝突と妥協の産物なのであるが、それでも地球連邦政府は人類史上まれにみる『人類帝国』である。かつてのローマ帝国やオスマン帝国、中華帝国などと違い、文字通り地球圏を統合する巨大政体である。

 

 実際、その内実はところどころに歪な仕組みがはびこっており、官僚機構や政治機構による自浄作用を求めることができない部分が多々見られるのだが、そこに目をつぶれば、よくできた政体ではある。

 

 これをワイアット閣下は崇めている。彼は歴史と戦史についての理解が深すぎるがゆえに――国家間対立を乗り越えた統合政体たる地球連邦を、人類が主権国家主義や民族主義、宗教主義による血みどろの歴史書の果てに屹立せしめた新たなるバベルの塔、であると確信しているのだろう。

 

「地球連邦政府こそ、コスモ・バビロニアだとワイアット閣下なら言い出しそうだな」

 

 リュウは未来に現れるかもしれない貴族主義集団について思いをはせる。

 オルテガ・イ・ガセット的な貴族主義精神を柱にして独立国家を作るぞ、とフロンティアサイドをゲットするあの集団――本当はいったい何がしたかったのだろうか? 真に大衆を導くつもりがあるのであれば、持続可能性が低い寡頭政体を作ろうとはならないように思えるが……意図は不明だ。

 

「バベルの塔は言葉を裂かれて倒れた、なんて話だけど――あたしからすれば、地球連邦も同じようなものに思えるわ。連邦の市民社会と政府を維持するべく話し合う場が、利権の確保と権益分配の場に堕落した時、そこに議論の余地はなくなるのよ」

「言葉があれども、言葉が通じない世界の出来上がり、か」

 

 イングリッドの懸念はもっともだ。

 だからこそジオンには倒れずに連邦の仮想敵を務めていただきたい。

 がんばれ、ギレン閣下。

 

 仮想敵がいる限り、地球連邦市民は団結する理由を持ち合わせる。

 もし敵がいなくなれば――オリジナル史実と同じく、ティターンズの台頭以降の内乱時代へと突入し、いつしか地球連邦政府は瓦解するだろう。

 のちの時代、こじらせたマフティーが連邦政府へのテロリズムを主導するが――あれはむしろ連邦政府の延命措置のための自作自演、と言ってもいいだろう。

 

「そんな未来がいい、なんて人はいないと思うけれど――で、リュウはワイアット閣下にどうしてもらいたいの?」

 

 イングリッドが絡めとった現在の地球連邦軍における巨大派閥の長をどう使うか。

 リュウ――かつてシンだった男は、ワイアットがいかに息絶え、そして彼の遺志が世界にどのような影響を与えたかを知っている。

 

「ワイアット閣下とイングリッド嬢には、レビル将軍と話し合ってほしい」

 

 リュウは自らのプランの企図をイングリッドに説明する。

 かつての失敗を繰り返すわけにはいかないため、ワイアット、レビル、そしてジオンの怪物たるギレンの三者間で来るべき宇宙怪獣どもの地球圏襲来に備えていただく、という筋が最も理想的だ、と。

 

 実のところ、ギレンについてはあまり心配していない。

 ギレン・ザビこそ最も宇宙怪獣との戦いに備えている男である、と言えなくもないからだ。

 かつての宇宙怪獣襲来時も、政治的ねじ込みという形でジオン艦隊を地球圏に増派してくれた事実がある。

 むしろギレンにはジオン支配下のコロニー側の防衛に責任を負わせるほうがいい。

 

 ゆえに――連邦軍内の軍内派閥問題のほうが深刻だ。

 ワイアット、レビル、そしてジャミトフの三者を一つの目的のもとに集わせることさえできれば、後手後手に回った宇宙怪獣に対する地球圏防衛作戦を何とかできる。

 

「リュウの屁理屈はまぁわかるけれど……あたしに言わせてもらえば、交渉の基本がなってないわ。恫喝、利益供与、カリスマ支配。この三つのどれか、あるいは組み合わせでしか人類の政治的ネゴシエーションは成り立たないのよ? 素人じゃあるまいし、そのくらいはわかるでしょ?」

 

 いやというほど体験したよ、とリュウは首を振る。

 

「今回は、恫喝と利益供与のバリューセットで攻めるよ。材料は――すぐに手に入れる」

 

 リュウは月へと向かうシャトルの電子チケットをイングリッドに送付する。

 

「あら、デートのお誘い?」

「君なら楽しめるはずさ。素敵なデートコースを用意しておくよ」

「ふーん。人死にがあまり多くないデートであることを祈るわ」

 

 期待しておいてくれ、といってリュウは通信を切る。

 ベッドから起き上がり、リュウはぐっと背伸びをする。

 さて、次の一手をうつか、と手荷物一つを手に取り、居室を後にした。

 

 

 

 月面都市ゲンガナム――ではなく、この時代ではグラナダの宇宙港にビジネスシャトルが入港した。

 与圧後、降機許可が下りるとともにタラップが格納庫に伸びる。

 そこを幾人かのビジネス目的の客たちが降り立つ。

 その中に、リュウとイングリッドが品のいいスーツスタイルで混じっている。

 

「さて、その体で初めての月上陸は感動的だろう?」

 

 タラップを降りながら、リュウがイングリッドに訊ねる。

 もともと月の義体の中にいたイングリッドの人格のみをサルベージして、ムラサメ研究所のビショップ博士謹製の『せくしぃぼでぃ試作一号』にインストールしたのが、リュウの隣で月の重力に驚いている彼女である。

 

「――1G?」

 

 イングリッドが格納庫の床に降り立ち、不意にジャンプする。

 地球と同じく、その体は重力に縛られていた。

 月だから、と楽しくホッピングできるわけではないのだ。

 

「頭でっかちなイングリッド嬢は、意識が月生まれだからすっかり見落としていたんだろう?」

「くっ……」

 

 珍しく悔しがるイングリッド嬢の表情は、愛嬌があった。

 もともと美しく造顔されているのだから当たり前なのだが――量子脳搭載型の超人、というより、年相応のふるまいを見せる乙女である。

 

「今回の月のデートは、この重力の秘密を巡る旅になる」

 

かのオリジナルOVA、スターダストメモリーにて地球生まれのウラキ少尉が、月でルナリアンにボコボコにされるというシーンをガノタなら覚えているだろう。月の重力が本当に6分の1であれば、あのようなことはあり得ない。

 

地球生まれのアースノイドは、常にルナリアンの6倍のウェイトトレーニングを毎日こなしているのだから、殴り負けるウラキは手を抜いていたか、ルナリアンをアースノイドが殴るのは死傷リスクが高すぎて手を出せない、のどちらかであろう。

 

「――普通に考えたら重力制御よね?」

「そういうことさ」

 

 二人は宇宙港のカフェでドリンクをテイクアウトしつつ、歩を進める。

 宇宙港の税関を抜けてロビーを早足で横断し、表で無人タクシーを拾う。

 リュウは無人タクシーの制御系を盗み、支配下に置いた。

 そして運転席に乗り込む。

 

「雑なクラッキングね」

 

 イングリッドが当然のように助手席に座り、シートベルトを締める。

 

「あんまりソースを見てくれるなよ。俺は素人に毛が生えた程度なんだ。君みたいに生来の新人類じゃない」

「バレないように小細工しておいてあげる」

 

 そしてリュウはタクシーを操り、グラナダの文教エリアへと向かう。

 

 歓楽街などとは違い、宇宙移民初期のころからの歴史や遺物を展示するグラナダ博物館他、さまざまな企業パビリオンや図書館、あるいは大学施設などが立ち並ぶ月面人類の知の集約エリアである。

 

 

 

 リュウとイングリッドは支配下に置いていたタクシーを原状復帰してリリースする。

 もちろん、搭乗履歴は残さない。

 タクシーの記録は、客を探して巡回していたことになっている。

 去っていくタクシー。

 

 二人は付き合いの長いカップルのように自然と二人で並んで歩きだす。

 

「清潔すぎるわね」

 

 イングリッドがこのエリアの街並みを見て言葉をこぼす。

 町のいたるところに見られる清掃ボットが、街中のゴミを一つ残らず回収している。

 地球の戦傷だらけの汚れた世界を見て歩いているイングリッドにとって、ここは地球を見下ろす天上界の連中が住まう隔離都市にしか思えないようだ。

 

「そうかもな。ただ、俺にはいい思い出しかなくてね」

「どうせ女の話でしょ? あんたにとっての月は、いつだって女がらみだもの」

「否定はしないよ」

「そうね。隣にこんなきれいな子もいるし」

 

 ご名答、とリュウはイングリッドの腕をとる。

 当然のように腕を絡めてきたイングリッドを連れて、このエリアで最も有名な施設に向かう。

 

 グラナダ博物館、である。

 

 建物に足を踏み入れ、受付で料金を払い、館内を歩く。

 周りの観光客たちに合わせて展示物を見るようなふりをしながら、監視カメラや質量センサ群を騙していく。

 

 下準備を終えた二人は、当然のように連れ添って関係者以外立ち入り禁止のエリアへと至る扉を開く。

 

 そして、壁に隠されているエレベータを当然のように見つけ出し、それを利用して下層へと移動する。

 

 

 

 しばらくすると、エレベータの扉が開く。

 もちろん、その先には博物館にはなじまない、武骨な廊下。

 そこをすすむと、監視所と小銃を手にした警備員たちがいた。

 警備員たちの所属は連邦軍でもジオンでもない。

 コロニー公社の武装警備員である。

 

「止まれ。官姓名と身分証、紹介状、物理アクセスキーを提出せよ」

 

 型通りの制止。

 リュウは事前に用意してきたそれらを提示。

 連れのイングリッドについても同様。

 女性の警備員と男性の警備員により、二人は身体検査を受ける。

 

「失礼ですが、ジョン・バウアー様からの紹介状について確認をとらせていただきます」

 

 連邦議会における欧州選出議員たるジョン・バウアーはもちろんロームフェラ財団が後援している。

 当然、根回し済みだ。

 しばらく待っていると、警備室で端末をいじっていた者が警備員たちにハンドサインでOKをだす。

 

「お待たせいたしました。確認が取れました。入室と同時に秘密保持契約に同意したと見なされるため、今後の情報の取り扱いにはご注意ください。状況によっては心身の安全を保障いたしかねます」

 

 事務的の警備員の口調。

 リュウとイングリッドは頷く。

 

「こちらでノーマルスーツを着用ください」

 

 二人は提供されたノーマルスーツを着用。

 案内された先の厳めしいハッチの前で待機する。

 

「――ハッチ解放」

 

 警備員の指示に従い、ハッチが開く。

 どうやら警備室からの手動のようだ。

 ハッチの先には、さらにハッチがある。

 構造からするに、エアロックであることは間違いない。

 

「エアロックの開放は物理キーで。そこから先は我々が立ち入ることを許されないエリアのため、説明はいたしかねます」

 

 警備員たちは文字通りゲートキーパーに過ぎないようだ。

 余計なことを知ると解雇されるだけでは済まないという教育を受けているのだろう。

 

 二人がエアロックに立つと、背後が閉鎖される。

 当然のように空気が抜かれる。

 眼前のハッチの上部ランプが進入可、の表示に切り替わる。

 リュウは物理キーを所定の位置で操作し、ハッチを開放。

 

 月の岩盤を掘り抜いたらしい人が数人通れるだけの坑道。

 リュウとイングリッドは、最低限整備されただけの作業灯と誘導灯に従い、坑道を進んでいく。

 

 

 

 

 ただ、ひたすらに、無言のまま。

 時計の針が随分と進むほどに歩き続けた。

 そして、長い坑道の果てに、突然、壁と人工的なハッチが現れる。

 しかし、壁面の素材とはちぐはぐである。

 

「これは……」

 

 イングリッドからのテキストチャットがリュウの視界に表示される。

 

「どう見ても後付けよね? 無理やり切り開いたのかしら? ハッチ周りに損傷痕があるし――いや、違うわね。損傷痕があったところにハッチを付けた」

「そうだろうな。この壁の素材は今の技術では破壊不能だそうだ」

「……さすがにオカルトだと思いたくなるわね。でも、これナノラミネート塗装されてるのね。現実にあったなんて信じられないわ」

「オカルトだったら気が楽だったんだけどな」

 

 宇宙世紀0083年現在では、本当に傷一つ付けることができない。

 ガノタなら初見でわかるだろうが……ナノラミネートアーマーと呼ばれるべき構造体だからだ。装甲+ナノラミネート塗装によって形作られたこれを貫けるのは、ガニメデのイデオンくらいだろう。

 

 二人はハッチを開き、内部へと進入する。

 そこにあったのは、広大な空間――それこそ、ジャブローに匹敵するような地下要塞の如きそれが広がっていた。

 

「いやいや……これってあれよね?」

「厄祭戦の自動工場だ」

 

 鉄血のオルフェンズにて設定上で語られていたあいまいなそれは、詳細が何一つ明らかになっていない。真実であったのかどうかすら分からない。

 ガノタとして分かっていることは、そういった厄祭戦時代の遺物たるMSを使って鉄血のオルフェンズという物語が展開されたことだけだ。

 

「なら、ここのどこかにエイハブ・リアクターがあるのね。鉄血のオルフェンズはおじいさまの記憶ログで観たわ。設定的に、重力制御を行うことができる特殊な機関だとか」

「ご名答」

 

 月の重力制御。

 それを支えるはエイハブ・リアクターである。

 これは現在のフォンブラウン市やグラナダ市他、月面都市すべてにおいて最高機密指定されているインフラ技術であり、一般には何ら説明されていないものだ。

 地球連邦政府もジオン公国も、限られた連中のみが知りうる極めて重要かつ重大な基幹技術であり、未解明技術でもある。

 

「その姿を拝もうじゃないか」

 

 リュウは身を固くしているイングリッドの手を引きながら、地下施設の深部へとどんどん進んでいく。

 先人たちが――それこそ、旧西暦のころのアポロ計画や嫦娥計画の時代より文字通り一歩ずつ切り開いてきた月の遺跡探査の道を、宇宙世紀のいまを生きるリュウとイングリッドが進んでいるのだ。

 

「モ……モビルスーツ?」

 

 イングリッドがずらりと並ぶフレーム群に唖然とする。

 自動工場らしきエリアにてまるで新品の如く並ぶ機械兵器たちの内骨格は、鉄血のオルフェンズにて語られる数多のフレームの一部である。

 

「アナハイムのムーバブル・フレーム構想は、ここを探査していたマモル・ナガノ博士が記した論文がもとになっているそうだ」

「マモル・ナガノ論文は物理ペーパーに出力されたものしか残っていないから――あたしたちみたいな量子脳もちでもアクセスできないわね」

「それがアナハイムの狙いだろうな。いつか現れるであろう、電子親和性の新人類への対抗策は、シンプルに、アナログなハードウェアに情報を残して管理することだよ」

「心を読めるニュータイプには対抗できないでしょうけれど」

「そう、かもな」

 

 リュウは知っている。心理防壁や心理迷宮という対ニュータイプ用マインドステルス技術があるのだ。ニュータイプにすら対抗しうるオールドタイプたちのサイエンスの技法に抗うほうが、逆に難しいのではないだろうか、とも思う。

 ただ、それはいまだ人の社会のあれこれの機微をしらぬイングリッドに今つたえることではない。

 

 

 

 

「――さて、ここが重力を巡る旅、の終着点だ」

 

 奥深く。

 ついに目的地へとたどり着く。

 

「ねぇ、あれって……ひと?」

 

 フレーム工場を抜け、いよいよエイハブ・リアクター製造施設内に入ったときだ。

 無機質に整理された合理的工場の一角に、ノーマルスーツの姿。

 イングリッドは目ざとくそれを認め、警戒を強めたようだ。

 

 だが、そう警戒する相手でもない。

 レビル将軍とのつなぎ役をやってくれる、頼れる彼が待っていてくれただけだ。

 

 だから、リュウは警戒するイングリッドの腕を引き、そのままノーマルスーツ姿の男のもとへと歩みを進める。

 

 邂逅。

 

 ノーマルスーツの男が振り返り、リュウをまっすぐに見据える。

 リュウは微笑を浮かべながらそのまなざしを受け止める。

 そして、イングリッドはリュウの影に隠れながら、二人の関係を訝しむ。

 

「シン中尉……どうしてあなたがリュウさんの体を使っているんですか?」

「アムロ君、君は言葉を殺す術を身につけたほうがいい。感情が包まれすぎているぞ」

「――っ! あなたはいつもそうだ。そうやって、他人を見下すことしかしない」

 

 白いノーマルスーツの男、アムロ・レイの言葉には戸惑いと驚き。

 わずかな失意、そして明確な敵意が含まれていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四四話 0082 言葉を尽くさないものたち

 

 生きるために。

 ほかのチョイスはなかった。

 

 たったそれだけの動機でガンダムに乗ったときから、アムロ・レイの人生は様変わりした。

 

 思い通りに生きて、思い通りに死ぬことなど出来ない、とアムロは幼いころから分かってはいた。父の仕事の関係で住処を転々とし、所属する学校やコミュニティをころころ変えさせられていたのだから――どこか人と違った生き方になってしまうだろう、という幼心での直観。

 

 それは、あのサイド7にザクが来た時に現実のものとなった。

 

 力なきアムロという少年が偶然乗り込んだガンダムは、ザクを二機撃破。

 兵器を屠る力を突然得たアムロは、当然思い違いをした。

 

 自分は、特別なのではないか――

 

 そして、それが思い違いに過ぎないことを、数日後に敵に教えられた。

 ジオンのシャア・アズナブルとクラウンの連携に翻弄され、武装解除されたアムロ・レイは臨時で軍籍に身を置いてから数日で、捕虜となり――あっさりと解放された。

 

 セイラさんを、奪われた。

 ガンダムを奪われた。

 ホワイトベースも奪われた。

 

 ランチ(※連絡艇)の中に放り込まれ、そのまま宙域に放置されたアムロたちは無力感に包まれながら数時間漂い、連邦のパトロール艦隊に救助される。

 

 その時のアムロ・レイの心に刻まれた教訓はただ一つ。

 

 勝てなければ、奪われる、であった。

 

 この教訓を胸に刻み、アムロ・レイは正式に軍に志願し、宇宙世紀における歩兵たるMS乗りとして戦場に放り出された。

 

 新たに配属されたペガサス級で月方面を転戦し、グラナダのキシリア隷下の戦力を引き受ける任務にまい進した。

 

 目の前に現れるMSを叩いていくだけのシンプルな仕事。

 ハイスクールの課程途上で兵士となったアムロに出来る仕事は、現実的にもそれ以外なかった。

 

 上番時間になると、新たに配備されたガンダムに乗り込む。

 会敵してブライトさんの指示で出撃。

 敵を屠り、可能な限り敵の母艦も落とし、あとはとんぼ返りで着艦するだけだ。

 

 たったそれだけのことをするだけ。

 それだけなのに、誰もがアムロを讃えてくれた。

 

 人殺しが誰よりも上手い、という事実。

 この事実について戦争は美的解釈を与えてくれる。

 

 そして、一年戦争終盤、アムロは国家から勲章を数多与えられ、人殺しの才能を正当化してもらった。

 

 アムロの歪さはここに極まった。

 戦争とそれにまつわる戦闘行為を正当化するために編み出された、巧緻なる政治システムである制度に過ぎぬ勲章を、アムロは額面通りに賞賛と受け取った。

 

 若きティーンエイジャーであるがゆえに。

 感受性豊かであるがゆえに。

 誰よりも繊細であるがゆえに。

 

 アムロは世界を疑うことを知らなかった。

 

 そして戦後、彼は一種のアイドルとして軍の広報活動に協力する。

 また、アムロはその才能を周りの大人たちに利用されるかのように、開発実験機のテストパイロットとしてその性能限界を引き出す仕事に従事するようになる。

 

 アムロは、疑っていなかった。

 もう自分に勝るパイロットはいない、と。

 ジオンのシャアやクラウンが出てきても、いまの自分なら必ずや抗しうる、と。

 

 ――もう、奪われない。

 

 そう思えたのだ。

 

 だが、またしてもそれが勘違いであることを、彼に思い知らされた。

 どこ誰とも知らない、掃いて捨てるほどいる一般パイロットに過ぎない男。

 

 シン、中尉。

 名前を思い返すだけでも腹が立つ、あの平たい顔をした男。

 

 平たい顔のシン中尉に、アムロは殺された。

 忘れもしない、月の演習場。

 

 当時最高のガンダムである試作0号機。

 そして慣熟し文字通り一体化していたアムロ。

 対峙するは、ジムコマンドLA。

 乗っているのは平たい顔のシン中尉。

 

 負ける要素はどこにもなかった。

 だが、いざ演習が始まってみると雰囲気は一変。

 機体の性能差があるにもかかわらず、どこまでも追いすがってくるジムコマンドLA。

 アムロが想定していた様々な戦技を、まるで読んでいたかの如くいなしてくるシン中尉の技量。

 

 そして、ほんの一瞬。

 こつん、と何かが触れる音がしたとき――アムロ・レイは己がビームの刃に消失させられているヴィジョンをまざまざと観てしまった。

 演習の判定AIは発振していないサーベルの柄が当たっただけであると判断し、それを検知しなかった。

 

 だが、すでに幾多の戦闘を潜り抜けて戦場の感覚を知っているアムロには分かっていた。

 柄が当たったのではない。

 いま、一瞬で焼き殺されたのだ、と。

 

 戦場で殺意を向けられていたのを、今までは受け流すことができていた。

 自分のほうが強い、絶対に生き残れる、という確信が向けられる生々しい殺意への盾となっていたのだ。

 

 だが、シン中尉のジムコマンドLAのサーベル発振器を当てられたときのそれは……。

 

「シン中尉、あなたは人を殺すときに何の感情も抱いていませんね? ただ『処理』しているだけだ。僕は……僕はあのとき、あなたにゴミのように処分されたんだ」

 

 月の地下に眠る秘密施設。

 眼前に余裕の笑みを浮かべて屹立するリュウさんの体をしたシン中尉。

 アムロ・レイは不安を覆い隠すために、努めて大きな声で彼に言葉を向けた。

 

 

 

 

 唇を固く結んだまま黙り込んでしまったアムロ・レイをみるリュウ・ムラサメ。

 彼は、アムロに己の正体をあっけなく見抜かれてしまったことに、多少の驚きを抱いていた。もう少しくらいは気づかれぬだろう、と最強のニュータイプを相手になめたことを考えていた己にビンタしたくなる。

 

 パチ、パチ、パチとリュウは手をクラップする。

 そしてノーマルスーツのヘルメットを脱ぐ。

 エイハブ・リアクターがあるこのエリアはすでにライフラインが整備されているため、エアに満たされている。

 

「アムロ君、とてもナイーヴな言葉をありがとう。確かに、自分は任務で敵を排除したり無力化することに特別な感情を抱かないよ」

 

 リュウの態度を受けてか、アムロもまたヘルメットも脱いだ。

 

「シン中尉、説明してください。なぜ、あなたがリュウさんの体を使っているんですか? リュウさんはどうなったんですか?」

 

 返答次第では、とアムロの手がホルスターにかかる。

 かのシャア・アズナブルさんが原作でフェンシング素人のアムロ君に額をカチ割られたことを思いだし、リュウは少し緊張する。

 

「物騒だな」

「時間稼ぎですか?」

 

 わかった、わかったよ、とリュウかぶりを振る。

 

「リュウさんは死んだよ。ムラサメ研究所の量子脳移植研究に使われたんだ」

「そんな……」

「本当に勇気のある男だよ、リュウ・ホセイはな。アムロ君がムラサメ研究所のオモチャにされないようにわざわざその身を差し出して犠牲になった」

 

 アムロの表情が動く。

 信じられない、といったところだろうか。

 だが、信じる信じないの問題ではない。

 

「事実だ」

「う、うそだっ!」

 

 アムロが拳銃を抜く。

 だが、乾いた銃声が一発。

 後に抜いたはずのリュウ・ムラサメがアムロの手から拳銃を弾き飛ばしていた。

 

「くっ……」

 

 手首を押さえてうずくまるアムロ。

 トリガーに指をかける前に弾き飛ばしてやったので、指を負傷していることはないだろう。

 FCSを標準装備している身体改造バリバリのこちらに分があった。

 

「信じられないだろうな。自分だって信じられないし、これが夢で――本当の自分は、相変わらずトロイホースでシャニーナや、ヤザンとMS乗り回しているんだって思うこともある」

 

 そういう夢を、見る。

 そしてその先に、うまく行かなかった世界の果てを見せつけられるのだ。

 だから、ここに来た。

 

 リュウはアムロに小型の情報デバイスを投げつける。

 手首を押さえたままの彼は受け取れず、それはからんと床に転がるだけだ。

 

「そこに一通りの事情説明を入れてある。リュウ・ホセイがどんな目にあって、シン少佐がどう奪い取ったのか、という話をな」

「……シン中尉の間違いでは?」

「察しが悪いな。いまシャニーナと乳繰り合ってるあいつと自分は似て非なる存在だよ。滅んだ世界からはるばるやって来た、出世したシン少佐様だ。敬意を払えよ」

 

 自嘲気味に笑うと、アムロの目が怪訝に細められた。

 

「なんで――そうか。あなたは……」

 

 アムロが手首を応急テーピングで固定しながらこちらをじっと見る。

 何を考えているのかオールドタイプのリュウ・ムラサメには分からないが、アムロの雰囲気から毒が抜けていくように思えた。

 

「前の世界の僕は、あなたのことを嫌っていなかったのでは?」

 

 急に察しがよくなったな、とリュウは唇の端を上げる。

 ニュータイプってやつは理解の枠組みの先を歩いていて、なにもかもを感じているんだということをまざまざと見せつけられる。

 

「どうだろうな。少なくとも毎年ハロを送っても、そいつを売り払ったりはしなかった」

「……なんでそんなことを?」

「アムロ君の趣味や好きなものを知らないからだ。チャーハンが好きとか、ドビュッシーの曲が好きだとか、そういう個人的な話を聞いたことがなかった。だから、あいつがいつも手入れしてたハロを送り付けてたんだ」

 

 リュウの説明に、アムロがあきれたようなしぐさを見せた。

 

「シン少佐、あなたはやっぱりバカですね」

 

 突然の罵倒。

 しかし棘はなかった。

 

「ちゃんと、話をすればいいじゃないですか」

「MSシミュレータで散々語り合ったぞ。オンラインだけどな」

「あのですね、MSで殴り合っただけでコミュニケーション取れるわけないですよ。僕は戦争ミュータントじゃないんです」

 

 まさかティーンエイジャーのアムロ君に憐れまれるように説教を食らうとは思っていなかったリュウは、言葉に詰まる。

 

「そうやって、なんでも自分の思い込みで他人を決めつけて――あなたは全部失ってしまったんでしょう? もう、やめてもいいんじゃないですか。ちゃんと周りを見て、助けてって言えばいいと思います――僕はあなたのことなんか大嫌いですけれど……僕に勝てる人が、そうやってまた間違いを繰り返すのを見ているのは、やるせないです」

 

 間違い――何を間違えている、とリュウは量子脳を回して考える。

 ナノ秒で常人の数時間分の検討を行い、己が未来を変えるべく定立した攻略フロート行動タスクをどうやり間違えたかを洗い出す。

 誤差こそあるが……致命的な間違い、というものを見つけられなかった。

 

「その顔――はぁ、いいですよ。ちゃんとレビル将軍には話を付けます」

 

 アムロはリュウが投げよこした事情を詰めた情報端末を……回収しなかった。

 彼はただ適当な敬礼をリュウに向けた後、そのまま足早にその場を去ってしまった。

 

 

 

 

 どういうことだ? とリュウは困惑した。

 演算予測では、ここでアムロがあの情報を手にして、それをレビルに手わたすところまでが描かれていたのだが。

 

「ふーん、あれがアムロ・レイね。おもったよりもいい子でびっくりしたわ」

 

 後ろに隠れていたイングリッドが歩み出る。

 床に落ちていた情報端末を拾いあげて、じっと見つめている。

 

 その横顔の趣がどこか懐かしく、リュウは見とれていた。

 

「その目――」

 

 イングリッドがこちらを向く。

 

「気に入らないわね。生きているはずのものを見ていない、死者に縛られた眼差し。未来を見ているようで、過去ばかり見ている。あたし、あなたをそういう男に育てたつもりはないんだけれど」

 

 リュウは、戦慄した。

 とっさに拳銃を抜こうとするが、腕が動かなかった。

 もはや体の制御は効かず、ただ口をパクパクさせるだけだ。

 視界のHUDから量子脳のコンソールをチェックすると、すでにインジェクションされており身体の制御が奪われていた。

 

「お口だけ自由にしてあげるわ」

 

 急に感覚が戻り、口がカラカラに乾いていることを悟る。

 やられた、と後悔。

 

「さぁ、あたしの名を言ってみなさい、シン」

 

 リュウは自由になったその口で、イングリッドの体を借りているあの子の名を呼ぶ。

 

「宇野サララ……」

 

 悟られるわけにはいかぬ相手。

 ゴップになり切り、ガンダムの世界を守る恐るべきガノタ。

 そして、かつて愛しているとシンが告げた女。

 そして、イングリッドの量子脳にバックドアを仕込んでおくような狡猾でしたたかな女。

 サララのことだから、イングリッドの人格をオーバライドするのではなく、一時的にパーテーションに隔離して封印いるだけだろう。

 本体たるサララは地上のジャブローで相変わらずモグラをやりながら、量子通信を使って体を操り、言葉を編んでいるはずだ。

 

「シン、あたしはあんたに教えたはずよ。あんたはこういうゲームに向いていないって」

 

 イングリッドの体を操るサララが、かつかつと硬直したリュウに近寄ってくる。

 さらり、とリュウの輪郭をなぞるような掌。

 

「未来から女の尻を追いかけて来ちゃったのね……バカな男」

 

 彼女の指がリュウの唇に触れる。

 どうやら、包み隠さず記載した先ほどの情報端末のデータを読み取られたらしい。

 それだけにとどまらず、イングリッドに教えた情報も盗み見られているのだろう。

 

 情報優位は崩れ去った。

 だが、勝ち誇ってもよさそうなサララは、意外な言葉をこぼした。

 

「……あたしを助けに来てくれたの?」

 

 そうだ、とリュウは応えたかった。

 だが口の自由は再び彼女に奪われていた。

 

 いま、彼女がどういう気持ちかは分からない。

 サララが見ていたシンはこちらの世界を生きるシンであり、自分ではない。

 ロジカルに、クールに考えれば、いまサララが浮かべる情のこもった眼差しは自分ではなく、こちらのシンに向けられるべきものだ。

 

「ねぇ、それって……あたしが望んだこと? 死ぬ前にあたしがあんたに、何か頼んだの?」

 

 サララの言葉が、頑なに封じていた想いを解きほぐす。

 リュウは、声を大にして叫びたかった。

 そうだ、その通りだ、と。

 

 なりふり構わず、心中でリュウは大手を振って声を荒げる。

 己の内心を暴露し、私情を垂れ流す。

 

 もっと、君とガンダムの話がしたかった。

 君が言った、ガンダムが愛の物語だという話を深く聞きたかった。

 愛してくれ、といったその言葉にどうしようもないほど心打たれたと伝えたかった。

 

 そして何よりも、君と交わした約束を守るために、ここに来たと。

 

 俺は、君を離さない。

 

 ――俺たちは、二人でガンダムなんだ、と

 

「ねぇ、シン。言葉にしてくれなくちゃ、女の子は男の子を信じられないんだよ――」

 

 いくらでも言葉にできるさ、口の制御さえ返してくれればな、とリュウ――いや、シンは内面世界で膝をつき、その場にうなだれる。

 

「――シン、あたしを愛しているなら、絶対に会いに来ないで。あたしを救おうなんてやめて、静かにどこかで新しい人生を見つけてほしい。一生のお願いだから、ちゃんと聞いてね」

 

 サララの指がリュウの唇から離れる。

 じっとこちらをみつめる瞳。

 その瞳から熱量が消え、静かなイングリッドのそれに代わっていく。

 

 体の自由が戻り、リュウは彼女の体を問答無用で抱き寄せる。

 ばかやろう、そんな願い事聞いてやるわけがねぇ、と。

 

「――っ!? えっ、ちょっと! いきなりなに盛ってんのよ、このバカっ!」

 

 押し返されそうになるが、リュウは離さない。

 戸惑いとわずかな恥じらいの色が混じる瞳はもうサララのものではなかった。

 それに気づいているのに、リュウはどうしても離すことができなかった。

 






私はこれまでの人生でずっと「私は愛されない人間なんだ」と思ってきたの。
でも私の人生にはそれよりもっと悪いことがあったと、はじめて気がついたの。
私自身、心から人を愛そうとしなかったのよ。

>>演じることが得意だった、ある女性の言葉


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四五話 0083 レビル将軍

更新遅れてしまいました。
申し訳ございません


 

 コンペイトウ――かつてジオンの要塞であったソロモンを、連邦はこう呼びかえた。

 コンスタンティノープルをイスタンブールへと変えた歴史があるように、名前の衣替えというものは支配の第一歩でもある。

 

 さて、様々な自動工廠を備えるコンペイトウにて、一人の将軍が、かつてザビ家側近の執務室であった重厚な内装に囲まれている。

 彼はマホガニーの執務机に置かれている小さなサボテン鉢に霧吹きを向けながら、木星から届くディレイのある通信に耳を傾けていた。

 

『――では、あれは機関部品ではないのですか?』

 

 パプテマス・シロッコの疑義に、将軍――レビルは静かに答える。

 

「そうだ。イデオンガンというコロニーレーザーを凌駕しかねない超兵器ゆえ、扱いは慎重にな」

『了解――閣下、ご指示いただきましたソロシップ発掘/起動試験についてですが、ほぼ全工程を完了しております。技術屋としても……この反物質エンジンと亜空間航法システムについては、とても興味深く』

「つかえそうかね?」

 

 レビルは霧吹きを片づけ、執務席に腰掛ける。

 エゥーゴ群長という官職と大将という階級をぶら下げたレビルの机には、自らが率いる組織の略称が刻まれたネームプレートが置かれている。

 

 A.E.U.G(Advanced Engineering Unit Group)である

 

 先進エンジニアリング部隊群、などという胡散臭い名称を掲げている理由は単純。

 MS中心とする兵器運用ドクトリンを開発するから、である。

 

 地球連邦軍コンペイトウの施設と設備を接収し、仮想敵たるジオン公国に対抗する各種兵器――その内実を見るならば、MSとそれを支える艦艇や航空戦力の開発計画及び運用計画を遂行し、もって地球連邦軍における次世代戦闘ドクトリンを確立せしめる。

 

 これが建前としてのエゥーゴである。

 

 その実態は地球連邦軍におけるレビル将軍の私兵であり、月企業群(アナハイムグループを筆頭に、ジオン系企業なども当然参加する巨大軍事コングロマリット)による民生技術の軍事転用――あるいは、民間企業の軍需産業進出の最前線ともいえよう。

 

『……あれらは、まがまがしいですな』

 

 やはりシロッコは勘がいいな、とレビルはあの白い顔を思い浮かべる。

 天才、と称してはばからない枠にはまらぬ男ではあるが、レビルにとっては面白い男である。

 

「貴官がそう感じるのであれば、それは正しかろうな――ソロシップの運用試験を開始せよ。イデオンを積載し、亜空間航法にてコンペイトウまで帰還したまえ」

 

 正式な命令書を電送しながら、レビルは淡々と命じる。

 

『はっ。地球圏に波乱を持ち帰りますよ』

「結構。多少かき回さねばなるまい」

 

 レビルは通信を切り、ふぅ、と一息つく。

 立ち上がり、執務室の一角に置いてある合成コーヒーメーカーから、コーヒー香料がキツイ黒々とした液体をマグに注ぐ。

 かつて若いころにレビルが嗜んでいた天然物のコーヒーとは違う、ひどい代物だ。

 

「やはり『ギレンの野望』のようにはいかないが、どうするかね?」

 

 レビルはマグを片手に、応接セットのソファに腰かける。

 苦い液体を飲みながら、そう言葉をこぼす。

 もちろん、独り言ではない。

 対面のソファーに寝転んで昼寝を決めている若い娘に向けた言葉である。

 

「ボクねむい、のです」

 

 眠たげに状態を起こしたのは軍医のマサキ中尉である。いまでこそレビル将軍直轄の衛生幕僚というポジションに収まっているが、もともと彼女は軍医であった。短期現役志願兵として後方の軍病院に勤めてた彼女とレビルの出会いは、それなりに衝撃的だった。

 

「レビル、ボクはつかれているので、ねます」

 

 またしてもソファに寝転ぶマサキ。

 上官に対する態度としては大問題だが――彼女はレビルと二人でいるときと、そうでない時を峻別できる。

 

 二人が出会った時もそうであった。

 ジオンの捕虜であったレビルがエコーズの手配で脱出後、心身の健康を検査すべく一時的に入院したサイド6にある軍病院にて二人は出会った。

 

 診察室にて一通りの問診を受け、さまざまな検査をしてくれたのが軍医のマサキ女史であった。

 その時は優秀な医者にしか見えなかったのだが――

 

『コロニーレーザーに焼き殺されたくなければ、ボクに従うのです』

 

 と、唐突に真顔で宣言されたときは、どうしたものかと思ったものだ。

 人払いを、と言われ、渋る警備兵を追い出して話を聞いてみると、マサキが診察室のモニタに今後のジオンと連邦の趨勢に関する未来を示した。

 それはかつて、モーラ・バシットから聞かされていた内容に合致していた。

 

 ――この世には、ガノタっちゅう厄介な存在がおるんや。もしそいつに会って……使えそうなら、手元に置いたほうがええで、などとモーラが言っていた存在がこれか、とレビルはイレギュラーとの出会いに運命じみたものを感じた。

 

 そしてマサキからギレンの野望、などという簡単なゲーミフィケーションされた資料を託された。

 

 例のジオンに兵なし演説を済ませ――地球帰還後、レビルはゲームのエンディングに流れるスタッフロールに記載されていた、マサキの連絡先へとコールし、ジャブローへと呼び戻したのだ。

 

 それ以来、彼女と二人三脚でうまく……いや、それなりに……そこそこにうまく互いに――もしかしたら一方的に、レビルが引きずられる形で、今日まで歩んできたのだ。

 

「マサキくん、君は寝てばかりだな」

「よく眠るために、人は一生懸命はたらくのです」

「私はここ数年、よい眠りとは無縁だよ――」

 

 レビルはストレスにさらされ続けてきた最近を思い返す。

 

「ボクが助けてあげるのです。レビルを」

「階級をつけたまえ……ところで、これは?」

 

 幕僚活動に伴う具申書の形で提出されたそれは、トリントン基地にて黒歴史情報を翻訳し、リバースエンジニアリングしているモーラ・バシット技術大佐に関するものであった。

 

「モーラ君について、何か心配することがあるのかね?」

 

 すると、まるでコロニーが落ちてきたかのように飛び起きて、こちらを見るマサキ。

 

「レビル。モーラは、ヤバいやつなのです」

 

 連邦とジオンの技術格差を埋めたキーパーソン、だからか? それともV2計画を行い、外宇宙の脅威を知って備えようとしているからか? レビルにはマサキの懸念が分からなかった。

 ただ、モーラが何かを成そうとしているのなら、それは未来のためなのではないか、と思うほどには信頼している。

 

「彼女はギレンともずぶずぶの関係であることは承知だが――」

「モーラの要請で、トリントン基地に配備されていたMS部隊が交代したのです」

「……そのようだな」

「ぜったいに、何かあるのです。だって、モーラは原作のモーラと違うから」

 

 彼女がいう原作、というのは、彼女がまるで見てきたかのように語るこの世界の歴史の話だ。例えば、まもなく迎えるUC0083年には、原作では地球連邦政府に対してデラーズフリートが決起し、コロニー落としテロと核運用テロを行うらしい。

 

 そもそも、彼女が語る歴史はジオン公国を滅ぼしてしまったが故の――枝から腐っていく地球連邦政府の話と言い切れるものであった。

 いまはその世情ではない。

 ジオンは存続し、その政治的役割を果たし続けている。

 

「だから、トリントン基地に部隊を送ってほしいのです」

 

 確かに、本来トリントン基地に配属されていた古参兵を中心とした部隊が軒並み転出され、戦後練兵されたものたちを中心とした部隊が転入していた。

 

「確かにきな臭くはあるが――これはモーラ君を守るためかね?」

「違う。レビルを守るため」

 

 マサキが提出した具申書によると、ブライト少佐の部隊だけにとどまらず、レイヤー少佐率いるホワイトディンゴ大隊を送り込むよう記載されていた。いずれも本来のガンダムの量産を目指したRX-81ジーラインを擁する強力な部隊だ。

 

 もしトリントン基地で何かが起こる――それがMS同士の戦闘であるならば、まだジーラインで防衛任務を完遂できるだろう。

 

 だが、それだけで済むのだろうか?

 モーラが怪しげな動きをしていて、マサキが警戒心をあらわにしている。

 これは本物の危機なのだろう、とレビルは確信する。

 

 ゆえに、手持ちの切り札について考えてしまう。

 ゴップにより崩されてしまった正式なガンダム開発計画を秘密継承し――レビルとアナハイム社は決戦仕様のガンダムとして試作2号機の開発を進めていた。

 高機動型無人機とし、核兵器にとどまらない対宇宙怪獣用の決戦兵器――言葉を選ばずに言えば、各種大量破壊兵器を運用するための極めて優秀な機体。

 

 それはいま、コンペイトウの工廠で数機組み上げられている。

 試作2号機もブライト少佐とレイヤー少佐に渡し、部隊運用データ取得などというお題目をつけて、事が生じたときは彼らの助けになるように準備をしておくべきかもしれない。

 

「マサキくん、本来のエゥーゴ設立の趣旨は、地球連邦政府のリビルドにある。私を守るなどという理由では兵を動かせんよ――人類を守るうえでその手段が有意義かを問いたい」

 

 エゥーゴはレビルの私兵的組織であるとはいえ、建前というものがある。

 それに、事実、レビルにとってエゥーゴは希望の核であった。

 エゥーゴにかかわる政財界や軍人、科学者たちには後の地球連邦政府の中枢を占める精鋭たちになってほしいと期待を込めて育てているものたちだ。

 兵の一人とて、無駄死にさせるようなことは避けたい。

 

「レビルはバカなのです」

 

 一年戦争の英雄に向けるべきではない言葉が、マサキからあっさりと飛び出す。

 じっとレビルを見据えながら、マサキが平然と言葉をつづける。

 

「レビルは原作で無責任に死んだのです」

「ふむ……」

「宇宙世紀人類史の損失。だから、ボクがレビルを使ってもいい、はずなのです」

 

 そして、勝手にレビルの手からマグカップを奪いとる。

 

「レビルはバカでいうことを聞かないおじさん、なのです。」

 

 マサキが、じっとレビルの瞳をみつめる。

 

「だから、ボクがガノタとして、レビルに責任をとらせるのです」

 

 彼女が何を考えているのかは、レビルには読み取れない。

 そして、だから、が何にかかっているのかも見当がつかない。

 老境を迎えつつあるレビルにとって、マサキの言動はあまりにも突飛すぎて、理解する意味がないのではないかと思うようになっている。

 いつだってマサキは唐突で、理不尽で――この老人に無茶を要求する。

 理由を説明することはない。理由は後からわかるから、と。

 

「ボクの愛を受け取るのです、レビル」

 

 マサキはレビルから奪い取っていたマグの合成コーヒーを一気に飲み干して、空のマグカップをレビルに投げ返した。

 あわててそれをつかむレビル。

 

「――よくできました。受け止め損ねたら、壊れてしまうのです」

 

 わけのわからぬことを言い残し、マサキが執務室から退出した。

 彼女が出ていった戸口を唖然として見つめる。

 しばしレビルは呆然としていたが、気を取り直し――軍人として、トリントンへの増援の詳細を詰めて是非を検討するべく、作戦幕僚と兵站幕僚への呼び出しコールをかけた。

 

 

 

 

 地球連邦軍におけるミノフスキー物理学の結晶たるペガサス級強襲揚陸艦トロイホースは、ただひたすら浮き続け、かつ加速し続けるという物理学者も困惑する機動で地球圏の重力から離脱しようとしていた。

 

「マッケンジー艦長、トロイホース、現時にて大気圏離脱です」

 

 大気圏突入と離脱を繰り返す、集中機動演習もいよいよ佳境である。

 先般の突入、そして急速離脱。

 特殊部隊たるアルファ任務部隊に求められる技能を演練すべく行われた集中機動演習は、検閲官の講評を以って正式に終了となる。

 

 MS乗りであったころにくらべて格段に考えることと、掌握すべき人事と責任が増えたことに多少の胃痛を覚えながらも、マッケンジー少佐はつつがなく訓練を消化できているクルーたちの練度に心の中で感謝しておく。

 

 特に、この近代化改修を施されたトロイホースは、戦闘艦であるにも関わらず少人数運用を可能にするという矛盾した実験艦でもある。

 船体中心部にあるAIが各種制御を負担してくれるため、艦艇運用士官の乗員数を同型艦艇に比して、わずか30%の乗員で最大効率運用できるとのこと。

 

 とはいえ、船体被弾時の応急作業員などの人海戦術が必要なところはどうなのだろうか? とマッケンジー艦長は艦長席で艦内の人員動体を確認しながら肝を冷やす。

 

 応急修理活動に関しては、人手不足は間違いないだろう。

 ゆえに、無人作業ロボたちに活躍してもらう形になるだろうが――この艦内作業に従事するドローンやロボの整備について整備科へ押し付ける形になっているため、まだまだ少人数運用理論を完ぺきに実装できているとは言いがたい。

 

「艦長、想定していたよりも機敏であり、練度も期待に沿っている。概ね良と評価する」

 

 検閲官――という建前でトロイホースをタクシー代わりに使用しているのは、地球連邦軍の大黒柱ともいうべきゴップ元帥である。

 かのレビル将軍を差し置いて元帥号を連邦議会に承認された重鎮が、わざわざ手駒の特殊作戦群に所属する一部隊に過ぎないアルファ任務部隊の練度を確認しに来た、ということになっているが、そう簡単な話ではない。

 

 これを解するためには、軍というものを知る必要がある。

 一年戦争時代は、地球連邦軍というものは化石のような組織であった。

 連邦陸軍、連邦海軍、連邦空軍、そして連邦宇宙軍。

 これらが軍事行政単位として存在するだけでなく、官僚主義と縦割り行政の弊害極まれるともいうべき、軍事力の運用単位としても組織されていた。

 

 中世のアメリカ合衆国という国の軍事組織で進められていたという統合運用を忘れてしまったが如き組織編制ゆえに、予算を陸海空宇宙軍で互いに分け合う――もっと直截に言えば奪い合うという怪現象が起きていた。

 

 予算だけにとどまらず、現場でも宇宙軍と陸軍の指揮権が縦割りされるなどという珍現象が発生しており――ジオンの地球降下作戦にまったく対応できないままズルズルと失地を増やしていった連邦軍の体たらくは、ジオンのザクの力もあるかもしれないが、どちらかというと地球連邦軍という構造に対する統治機構の失敗であったのではないか、という見解がかなり根強い。

 

 CGSの授業ではないが、一つ政軍関係論の基礎演習課題を思いだす。

 史実調査の課題だったろうか。

 中世初期のジャパンにおけるメイジリストレーションにおけるミリポリシステム。

 人類がいまだ地べたをはい回ってカタナやテッポウを振り回していた時代ですら、メイジ政府は陸軍海軍を分割せず、兵部省として一体運用を志したという。

 

 なお、チャーシュー(チョーシューだったかもしれない)と、サチュマ(サツーマだったかもしれない)の政治的対立によって陸軍省と海軍省に分断されるという愚かな結末になり、それが数十年後にメイジリストレーション体制のエンパイアジャパンを滅ぼすことになったそうだ、とかつてCGSの政軍関係論で学んだ。

 

 事実、マッケンジー少佐の隣に設けられた臨時の艦艇貴賓席に座るゴップ提督が剛腕を振るい、地球連邦軍CCMD改革プロジェクト――いわゆる統合軍計画により、軍種と編成は明確に大別された。

 

 相変わらず予算争い、というものと無縁なわけではない。

 だが、ゴップ提督が組織している統合幕僚会議という組織体とスタッフたちが策定した『第一次統合運用計画』により、その予算争いはかつての軍事官庁における既得権確保から、戦争遂行能力の確保へと大転換されている。

 

 特に、MSの運用はすべての運用技術領域を巻き込む。

 MS運用に牽連する形で宇宙/水上艦艇や航空機の活動領域は拡大しつつ、かつ互いに有機的連携を伴うものにならざるを得ないのだ。

 

 ゆえに、エゥーゴなどという組織が誕生する。

 古式ゆかしき陸海空宇宙軍の予算争いを嫌ったゴップ閣下が、何かしらの方向で予算争いにベクトルを持たせられないかと捻りだし――戦争の英雄であるレビル将軍に組織を紐づけることで、ごちゃごちゃと余計なノイズを黙らせるという、まさに政治的産物であるが――レビル将軍がそれを私的に利用しているという下馬評を否定するのは難しい、とクリスは思う。

 

(レビル閣下にも何か思惑があるのだろう)

 

 隣に座るゴップ閣下の姿を横目にみながら、ゴップ閣下とレビル閣下の政治的に対立しているようなしていないような、という微妙な関係に巻き込まれたくないなと切に願うばかりだ。

 

 さて、ゴップ閣下が同時に進めたのが連邦政府と連邦軍の指揮命令系統の確立である。

 軍が政治家を動かしてしまうようなシビリアンコントロール違反を廃止。

 軍の政治干渉を避けるべく、連邦政府の首相府に実権を集中させた。

 連邦憲章に明文化されている通りに、首相を地球連邦軍の最高司令官に据えることに成功したのである。

 

 首相→国防大臣→各統合軍司令官という形で指揮命令権が明確化され、ゴップは首相に軍事専門職として助言するチームである統合参謀本部議長の席に着いた。

 

 統合参謀本部は議会を経由することなく軍の利益を代表する組織でもあるのだよ――と、既得権を代表する守旧派の軍人と防衛官僚を説得したゴップ閣下の腐敗言行録が本当かどうかはマッケンジー少佐には分からない。

 

 ただ、首相に耳を目に戦争に関する助言を行い、首相がその助言に従わないときは『諫言』や『積極的指導』を行ったため、戦時中の不安定な政権によって首相がコロコロ変わった事実があるにもかかわらず、一貫して地球連邦軍としての軍事戦略が保たれた事実だけが、マッケンジー少佐の知るところである。

 

 とはいえ、アルファ任務部隊の性質は少しばかり違うのだが……とマッケンジー少佐はちらりとゴップに視線をやる。

 ゴップ閣下は鷹揚とした態度でブリッジクルーたちと談笑している。

 

 堅物のマッケンジー少佐より話しやすい、などという失言をこぼし、はっとなってこちらを見ているシン大尉などを見ていると、ゴップ閣下は人にあれこれと口を開かせる天才なのではないかとすら思えてくる。

 

「――シン大尉、上司の悪口は陰でいうものだ」

 

 マッケンジー少佐は冷めた目を向ける。

 そもそもシン大尉とやらの軍歴は怪しすぎる。

 速成教育で任官した消耗品としてのMS乗り士官としてソロモン攻略戦に参加。

 それ以前の戦歴は、特筆すべきこともない。

 ところがソロモン戦にてMAを一機。

 その後のア・バオア・クーではかなりのMSを撃墜するなど、突然数字が『盛られ』はじめる。

 

(明らかに、ゴップ閣下との政治的コネね。なんであたしの部下にこんなのが配属されたのかしら。あとでバーニィに愚痴聞いてもらわなくちゃ)

 

 

 いらだちを感じつつ、シン大尉を見下ろす。

 当時、連邦軍内でも優秀なパイロットであると認められ、新型機のテストパイロットとしてガンダム開発と調整に従事していたクリスティーナ・マッケンジー中尉として言わせてもらうなら――モリモリの数字などありえない、と言い切る自信がある。

 

 実際、この集中機動演習においてもシン大尉はシャニーナ少尉やヤザン少尉に対抗戦を依頼されても、断ってばかりいる。

 

「マッケンジー艦長、そういう目はよくないよ」とゴップ閣下が優し気な笑みで諭してくる。

「はっ。しかし、階級秩序というものもあります、閣下」

「よい心がけだね、マッケンジー艦長。だが……君は人の機微というものにこう、もうすこし配慮すると良い艦長になれるなぁ」

 

 はっはっは、と若輩者の艦長の口答えを笑い飛ばすゴップ閣下の懐の深さには、さすがのマッケンジーも感嘆した。

 だが、それはそれ、これはこれ、だ。

 急速に冷え込んでいる環境の空気をマッケンジー少佐は理解しているが、トロイホースは軍艦であり、和気あいあいとしているというほうがオカシイ、と自分に言い聞かせる。

 

 ゆえに、厳しくシン大尉をにらみつけたまま、彼の謝罪の言葉を待つ。

 

「……艦長、そのまなざしは、その……」

 

 シン大尉があわわと言葉を探している。

 そうだろう。

 艦長に睨まれる、というのはこうあるべきだ。

 艦長たるもの、権威と実力を示して厳格に艦艇運用規律を保ち、慈愛をもって厳しく乗員を導かねばなるまい。

 甘やかして戦場で死なせるなど、ナンセンスこの上ないからだ。

 

「自分の業界では、ご褒美でありますっ……くっ!」

 

 なぜか、一筋の涙をこぼすシン大尉。

 その姿をみたマッケンジー少佐は、中国の古典を思いだす。

 怒りのあまり、頭髪が逆立ち、冠をブチあげたという。

 

「貴様っ! 10分後にMSに搭乗し表に出ろっ! 宙間機動戦というものを教えてやろうじゃないかっ……!!」

 

 おおっ、と艦橋のクルーたちがどよめく。

 事の成り行きを見守っていたゴップ閣下が「では私が統裁官を務めよう」と太鼓判を押してくれる。

 艦長として、いや、MS乗りとして、このふざけた男を叩き直さねば――と、マッケンジー少佐は艦長席を立った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四六話 0083 開戦前夜

 

 

 物々しいほどの戦力。

 もう一度地球降下作戦でもやるのか? とガノタなら誤解しそうなほどのジオン艦隊が、フォンブラウン市から発進せんと準備している。

 

 もちろん、建前はある。

 アフリカ方面に対する大規模降下演習として連邦側に通達済みである(※通達であり同意ではない)。

 

 フォンブラウン市との協定に基づきジオンに貸与されている専用宇宙港には、ジオン公国寄りのガノタがいれば、ジオン公国のアベンジャーズかよっ! と興奮するような連中が集められていた。

 

 キシリア機関の実力部隊として再編されたキマイラ隊とシーマ艦隊。

 その支援にあたるクラウン大尉率いる第404機動降下大隊と、ランバ・ラル少佐率いる特殊作戦大隊。

 そしてシャリア・ブル少佐率いる特別運用試験団――通称、フラナガン機関部隊。

 

 このスペシャルな部隊群はフォンブラウン市から地球圏に向かう部隊である。

 今回の作戦はこれらだけにとどまらず、その他、ギレンとキシリアの命令を受けた様々な部隊が投入される予定である。

 

 艦隊も充実している。港ではジオン公国の名のある連中を運ぶために、コンスコン艦隊ほか各方面艦体から抽出された数多のザンジバル級及びザンジバル改級、それをしのぐムサイ級とパプア級、そしてその降下に用いるHLV群が集結し、最後の補給を行っている。

 

『詳細は手元の資料に委ねる。我々がこのブリーフィングで共有すべきは、ただ一つ。』

 

 クラウンは性能試験機として配備された先行量産型ハイザックのコックピット内で、360度全天周囲モニタの視界をチェックしつつ、クセの強い連中を任された隊長の声に耳を傾ける。

 

『A、B、Cの三大パッケージを回収する。それが我々の任務であり、失敗は許されない』

 

 クラウンの手元のタブレットに映るのは、ゴップ元帥、レビル将軍、ワイアット提督の連邦三羽烏であった。

 座乗艦はレビルがアルビオン、ゴップがトロイホース、ワイアットがブランリヴァルである。ペガサス級ばかりが揃っているうえに――直掩にあたっているMS部隊は連邦の中でも最精鋭だろう。

 クラウンはJTF隊長を押し付けられた運のない男――ヘルベルト・フォン・カスペン上級大佐の頭髪が心配になる。

 

 かつてア・バオア・クー戦に徴用された練度不足の少年兵たちを任された彼は、603戦力基盤団というビグ・ラングによるサプライライン構築維持部隊をでっち上げた。

 少年兵の華々しい活躍を、という軍広報部の圧力と、実際の少年兵たちの練度の下限を見極めた妥協的産物のそれは、最前線のMS部隊に対する戦術物資供給を見事に果たした。

 クラウンも、なんどもビグ・ラングからの消耗品コンテナや兵装コンテナに助けられたものだ。

 

『――ここに集められた精鋭部隊で完遂できぬ任務などない、と私は確信している。我らの任務を支援すべく、アフリカ方面軍のマ・クベ大将がオーストラリア西部への大規模陽動作戦を敢行予定であり、また同時に北米方面軍のガルシア大将がジャブローに対して陽動作戦を行う』

 

 カスペン上級大佐の説明をきき、クラウンは眉を顰める。

 これは、どう考えてもまた戦争だな。

 休戦協定違反、となること間違いなしであり、ギレン閣下のなりふり構わぬ焦りを強く感じさせる。

 

『コロニー落としはないのかい?』

 

 ジョニー・ライデン中佐がそう冗談めかして言うと、キマイラ隊の面々からハッハッハと笑い声が飛んでくる。

 

 相変わらずキマイラ隊は狂暴だな、とクラウンは口の端を上げる。

 かつてキマイラ隊と対抗演習した際は、率いていた隊の練度もあって散々な目にあったクラウンだが、今回の任務直前の統合シミュレータ演習では、悪くない結果まで迫れた。

 さすがに、ジョニーは落とせなかったが……とクラウンはガノタとして素直に彼を尊敬する。

 

『汚い戦争を知らないキマイラの坊ちゃん嬢ちゃんたちは威勢がイイねぇ』

 

 シーマ・ガラハウ中佐の冷えた皮肉に、キマイラ隊の連中が黙り込む。

 汚れ仕事を散々こなしてきたシーマ中佐にとって、今回のこの任務もまた、政治家の陰謀の手先となって一仕事してくるだけの話なのだ。

 それに、コロニー落としの話はガラハウ中佐にとって地雷である。

 

「ガラハウ中佐、その辺で。本官とラル少佐は、ガラハウ中佐の心中を十分に理解していますよ」とクラウンは口を挟む。シーマ中佐の心中を考えると、そうせざるを得なかった。

 

『我らもクラウン大尉も、一週間戦争で同胞のスペースノイドを始末した業がある。戦争は、ひどいもんだ。またギレン閣下の胸先三寸のせいで、我々は手を汚すことになるな』

 

 ラル少佐が落ち着いた声でガラハウ中佐を諫言する。

 

『んだよ、オレだけが悪いのかよ……』

 

 すねたようなジョニー・ライデン少佐の声に、カスペン大佐が答える。

 

『いいも悪いもない』と。

 

『戦争に思うところがあるのは当然のことだ。ゆえに、軍人は命令を遵守し、任務を粛々とこなす。貴官らは公国の軍人だ。内心と言論の自由、そして各自の幸福追求権を、国家とスペースノイドたちのために自ら制限することが出来るものたちだと、私は信じている』

 

 良いか、悪いかの価値判断を保留し、政治的意思を強要する手段として力を振るうのだ。

 それが軍隊である。

 

 なお、任務に放り込まれる前に、クラウンはギレンに呼び出されていた。

 その際に、ギレンからきつく言われていることを振り返る。

 絶対に、ゴップ、レビル、ワイアットを捕虜にして連れてこい、と。

 この三者を確保して、無理やりにでも首脳会談もどきを実現するそうだ。

 無理筋過ぎる、とクラウンはギレンを諫めたが――この時点より先に可能性はない、と厳しい顔で言い放つギレンの迫力に押し負けてしまった。

 

『兵士であれ。私の信頼にこたえる必要はない。ただ、兵士であれ』

 

 兵士で、あれ。

 その言葉は癖の強い連中を黙らせるには効果的だった。

 腹に一物ある連中ばかりが出そろっているが、どいつもこいつも、曲がりなりにもジオン公国の兵士なのだ。

 

 だが、クラウンだけはカスペン上級大佐の言葉に心動かされながらも、兵士である前にガノタとしての使命を優先する。

 彼はギレン閣下に量子暗号通信で一つのメッセージを送る。

 ――本当に、これでいいんですか? と。

 ギレン閣下は超人的ではあるが……人であることに変わりはないのだ。

 これからの一大作戦とて、長期に渡る下準備があったとはいえ正しいか間違っているかという巨視的視点で見てみると『わからない』としかいえない代物だ。

 それとなくハマーン様にぼかして相談したのだが、もたらされたお言葉は実に簡潔であり――あなたの好きになさい、である。

 

 機体のチェックを終えて、艦隊に発進命令が下ったとき、ギレンからの応答があった。

 ガノタはガノタらしく、好きにやれ。私も好きにやらせてもらう、と。

 

 

 

 

 グラナダの宇宙港に隣接するリゾートホテルの最上階。

 星空を展望しながら二人の男女がディナーを嗜んでいる。

 低重力で養殖された骨まで食べられる白身魚をナイフとフォークで切りながら、ふたりとも言葉少なく、ただ向き合っている。

 その実、量子脳を用いた近距離通信を行いながら、リュウとイングリッドはフォンブラウン市に集結しているジオン公国の部隊の現況を分析していた。

 

『――やっぱりギレン・ザビは怪物ね』

 

 イングリッドから送られてきたチャット文面には、マユナシのデフォルメされた面構えのスタンプ。たてよ国民、とある。

 

 作戦に動員された兵士たちからすれば、明らかに開戦前夜。

 一年戦争の傷跡もいやせぬままに、待たしても人類同士の殺し合いが始まらんとしているようにも見えるだろう。

 

『パーフェクト、とは言えないが、今の我々が出来る最善手がこれだと思う』

 

 フォンブラウン市のジオン港湾に出入りする月面事業者たちの物資搬入記録などのデータを拾い集める限り、ジオンが地球に対してひと騒動どころか大騒動を起こす準備が万端であることを示している。

 

 ただ……リュウは少しばかり安堵していた。

 撒いた餌にギレンが飛びついてくれた、と評価しても間違いではない……はずだ、とリュウは確信なき判断をする。

 

 実際にジオンの戦力は地球圏付近まで出向くだろうが――その矛先は地球連邦政府ではなく、テレポートしてくる宇宙怪獣のほうである、と信じたい。

 

『地球に降下してまた戦争かよ、とウンザリしていたら、突然人類を守れって命令されるんだろうな、ジオンの連中は』

『吉と出るか凶と出るかは分からないけれど……人をまた殺すよりはマシ、って思うのが大半じゃないかしら』

 

 イングリッドのいうように、ジオン兵が受け取ってくれればいいが。

 連邦憎し、のジオン兵、あるいは逆に、連邦側に反ジオンの志、とやらに毒された連中がいると、ますますこじれてくる。

 

 目の前に迫る脅威があっても団結できない、というのは信じたくはない。

 が、可能性は無いわけではない。

 

 ……どう備えるかは、いくつかの想定シナリオを持っているが……どれもキレイな手段とはいいがたい。

 

 だが、それは枝葉だ。

 大元の計画こそが重要。

 それについては、いまのところは、まだ段取り通りに進んでいる。

 

 まずはゴップに宇宙怪獣ネタを提供する。

 少々予定外ではあったが、アムロ向けの材料をゴップ、いや、サララに読み取らせることに成功したのは怪我の功名。

 

 彼――あるいは彼女は無能ではないため、すぐにギレンとのホットラインで伝達するだろう。信じさせる手段を持たないがゆえに、二人の通信は一方的にゴップがバカにされるような形で終わるはずだ。

 

 だが、ゴップはリュウ経由での宇宙怪獣襲来の確定情報を握っている。

 それを伝えることさえできれば、と考えているゴップは是が非でもギレンとの直接会談の機会を求めるはずだ。

 その機会はある、とロームフェラ財団のカムラン経由で知らしめると――ゴップは様々な公用を後回しにして、アルファ任務部隊を使ってこちらに飛んでくれた。

 

 もちろん、リュウは根回しを怠らない。

 ギレン・ザビが公用でグラナダに出向く機会を用意してやる。

 ロームフェラ財団によるジオン公国戦災孤児支援事業を立ち上げ、就学と生活支援、そして地球圏留学などをサポートする一大組織の発足式に招待。

 

 ギレンの回答は、出席。

 大々的にメディアを呼び、ギレン・ザビに演説をさせるよう調整した価値はあった。

 勘のいいギレンのことだ。

 キシリア機関にそれとなく連邦の要人3人が、月面――グラナダの地下施設に向かっていると仄めかすだけで、ギレンは察しただろう。

 すでにタイムスケジュール通りにギレン・ザビが公邸を出発して座乗艦グワデンに乗り込み、デラーズやガトーと言った親衛隊をぞろぞろ引き連れてグラナダに向かっている。

 

『ほぼ首脳会談なのよね。普通、連邦政府首相の直轄案件でしょ、このレベルだと』

 

 イングリッドが白身魚をきれいに平らげ、新たに運ばれてきた焼きたてのパンをちぎっている。

 

『俺だって本当はそうしたい。だがレイニー・ゴールドマン大統領とはまだ、そこまで気心を通じ合っていない』

 

 かつてのリュウがやったような政界工作に努力を割けていなかった。

 ムラサメ研究所という手勢を確保したがゆえに、その維持と発展に相応の力を割かれてしまうことになり、シン・フェデラル設立のような政党結社活動はとてもできていなかった。

 

 せいぜい、量子脳と未来知見の力でごり押せる経済活動によって生み出した、巨大な富を慈善事業にあてるロームフェラ財団の御当主として、顔見知り程度の関係しか構築できていない。

 

 これは、明らかに失敗していると言える。

 大統領府に絡みつき、首相府を動かして連邦政府そのものをコントロールする権能にアクセスできていないのは、自分の不徳の致すところだろう。

 

 だから、まずは、ここからだ。

 まずは連邦軍の意思を手堅くコントロールする。

 ゴップ、ワイアット、レビルもその頭のキレと人類に対する責任感だけは似通っている。

 宇宙怪獣という共通の脅威に対して連邦軍がどう立ち向かうかなど、この三人が事前に認識を共有できる場を設けられれば……対宇宙怪獣ドクトリンは決め打ちできるはずだ。

 

 そして、そこにジオン公国をオブザーバー参加させる。

 

 ジオン公国の一介の補佐官に過ぎないギレン・ザビが公用の後に、秘密裏にこの三人と会談の機会を持つことは、ギレンにとっては何一つ政治的リスクがない。

 あくまでもジオン公国の君主はデギン公王であり、政治的元首は首相。そして権力の源泉はジオン議会である。ギレン・ザビはデギン公王顧問団総帥であり、首相府から上奏された政策を総覧し、その実施につき助言と諫言を行うだけ――という総帥の地位は、特に議会の授権を擁するものでもなく、罷免権も公王にあるだけだ。

 その公王とて、ギレンがガルマに公国を継がせるために権力の土木工事をしていると理解しているため、罷免権が行使される可能性はゼロ。

 

 条件は、整えたはずなのだ。

 

 この会談の場は――建前上ジオンにとっても連邦にとっても中立の場所がよいが、どちらかといえばオブザーバー参加するジオン公国寄りの地域がよい。

 ゆえに、サイド6は除外。

 ジオン、連邦の協定に基づき、非戦闘地域指定とされているがジオンの風が強く吹いている月面都市群が理想的であった。

 

 いまのところ予定通り偉い連中は動いてくれている。

 レビルのアルビオン、ゴップのトロイホースはすでにフォンブラウン市のアナハイム専用宇宙港に入港し、要人たちは月面横断鉄道経由でグラナダへと向かっている。

 ワイアットは公用としてジオンの首都たるサイド3の地球連邦大使館に向かい、駐在武官らと意見交換会を行い――そのままグラナダにシャトルで向かっている。

 ギレンもグワデンで怖い皆さまを引き連れて移動中。

 

 いけるはずだ。

 

 一世一代の、対宇宙怪獣統一戦線の定立。

 これを成し、万全の備えを以って当たれば――0083における世界を変える一撃の意味を変えることができるはずだ。

 

 対宇宙怪獣統一戦線の定立後、暫時交渉を進めていき、ジオン公国と連邦政府の関係をもう一度再構成し……あわよくば、『新連邦政府』として再スタートを切れないものかと、リュウは夢想する。

 宇宙市民に確たる選挙権を与え、月面に新連邦政府の政治的首都機能(※議会や官庁)を移す。

 地球から宇宙を統治するのではなく、人類の統治機構として宇宙に一歩踏み出した形で進むことはできないだろうか、とガノタたるリュウは、宇宙世紀ガンダムの歴史年表に記載されていた『連邦政府首都が月面に移る』という設定を己の手で実現させたい、と思う。

 

 

 

「こんばんは」

 

 声を、かけられた。

 リュウもイングリッドも、言葉を失った。

 自分たちの警戒網――盗んでいるホテルの監視カメラ映像や人感センサなどのバルクデータに痕跡すら残さぬままに、近づいてきた者がいる、という事実。

 イングリッドが「あら、こんばんは、お嬢さん」と笑顔を向けながら、ドレスのサイドスリットから手を忍ばせ、内もも側に潜ませてある小型ピストルをとろうとしている。

 

「ボクのこと、わかるはずなのです」

 

 リュウはイングリッドの色香を主張するドレスと対比になっている、白く清純なドレスに身を包む女性が、マサキであることを悟る。

 

「マサキ……軍曹?」

「はずれ。ガノタは原作キャラについてしっかりお勉強するべきなのです。この世界で生きていくつもりなら」

 

 三人の視線が交錯する。

 突然の来訪者に戸惑っている、と判断したのか、ウェイターが歩み寄ってきて声をかけてきた。

 

「お客さま、お連れ様ですか?」

 

 NOであるなら警備を呼んで追い出すが、と言外に匂わせている。

 さすが高級レストランである。

 

「――ごめんなさいね。妹が近くに来たから立ち寄ったみたいなの。テーブルを移していただけるかしら?」

 

 イングリッドがすべてのメンズを陥落させる微笑みを浮かべて、ウェイターにお願いをする。このお願いを断れるのは、おそらく紳士お化けのワイアットくらいだろう。

 

「か、かしこまりました。お料理のほうはいかがいたしましょうか?」

 

 ウェイターが顔を赤らめながら、白いドレスのマサキに伺う。

 

「同じものでいいのです。お代は彼に付けておくのです」

「承知いたしました。しばらくお待ちください」

 

 臨時の椅子をさっとテーブルに寄せ、ウェイターがマサキを座らせる。

 別の係員がやってきて、マサキが手にしていたストールとハンドバッグを預かり、ウェイターが厨房とテーブル係に用命を告げんと離れていった。

 

「量子脳装備型ではないわね」

 

 イングリッドがじっとマサキを見つめる。

 文字通り、彼女を透視しているのだろう。

 

「ぶしつけな女なのです」

 

 マサキが自らの体を誇示するかのように背筋を伸ばしてイングリッドに向く。

 

「見たければ、みてもいいのです」

「そんな趣味はないわよ」

「いつもレビルに見せているから、恥ずかしくないのです」

 

 リュウは困惑した。

 レビル将軍がドスケベ爺さんであるなどという情報は持っておらず、独自の身辺調査でも彼の私生活はいたって普通である。息子夫婦から預かっている孫の世話に手を焼いている普通の爺様であるがゆえに、公務後は直帰せざるをえないのだ。

 

「まさか――執務室で……あたし、聞いたことあるわ。中世期のアメリカ合衆国という国で、歩く下半身と評されたビル・クリントン大統領というのがいたの。歴史上はじめて、下半身の放埓さで大統領弾劾裁判にかけられたという、性的名誉勲章の持ち主――そう、歴史は繰り返すのね」

「まてまてまて」

 

 リュウはイングリッドの止まらない妄想を制する。

 この子はちょっと知恵がありすぎるために、一度あらぬ方向に転がり始めると妄想が過激化してしまうのだ。

 いまはレビル将軍の知られざる下半身事情などどうでもよい。

 

「それで、マサキ……中尉は何用で?」

 

 リュウはスーツの襟元を正しながら、量子脳経由で人事情報にアクセスし、彼女の経歴と官職を把握する。

 

「テーブルを移り、料理が来てから話すのです」

 

 マサキがリュウが手に取っていたグラスを当然のように奪い取ると、そこに注がれていたレモングラスの香りが強い甘めのカクテルを、ぐい、と飲み干した。

 イングリッドがその行いを咎めるように見ている。

 

「ちょっと、はしたないんじゃない?」

 

 イングリッドの声がわずかに荒い。

 

「ボクは、欲しいのです。この人が」

 

 マサキがリュウを一瞥する。

 イングリッドが「っ!?」と声を殺しながら、ガタンッと立ち上がる。

 待て、手を出すな、と量子脳経由でメッセージを送りまくるリュウ。

 

「ボクは、リュウとレビルと、してみたいのです」

 

 何を、という肝心の部分が欠落したマサキの言葉に、リュウは頭を抱える。

 ただでさえ厄介ごとを抱え込んでいるのに、いったいこの子の目的は何なんだ、と。

 

 ――間違いなく、ガノタではあろう。

 しかも、やっかいオタだ。

 だが、その目的は?

 ガノタたるもの、ガンダム世界にやってきた以上は、余計なことを一つ二つやらかそうとするものだが……分からない。

 この無邪気、というよりも気弱そうな瞳の向こうに、どんな思いを詰め込んでいるのか――リュウは、マサキが初めて遭遇する苦手なタイプの女性であることに気付かされた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四七話 0083 月で笑うものたち

時間が限られているということは、何よりも強い動機になるのだよ。

ジェイムズ・P・ホーガン


 

 

 ギレン・ザビは手勢を配置につかせ、お節介な女を一人引き連れて会談の場へと足を踏み入れた。

 月の地下遺跡、エイハブ・リアクターの自動製造工場跡に設けられた臨時の会場は文字通り殺風景であり、壁を囲む事務官や参謀たちの群れもなく、席に茶などを給仕する係の者もいない。

 野戦指揮所に備えられているような簡素なテーブルが一つ。

 それを囲むように折りたたみイスが並べられており、そこにはすでに連邦軍の高級将校たちが雁首を揃えていた。

 

 戦争紳士のワイアット、戦巧者のレビル、そして連邦の金策狐であるジャミトフの姿。

 それぞれを支えるシンパ的なスタッフが何名か控えているが、その者たちはただ無言で将官たちの背後に控えているだけだ。

 

 ギレンは男ばかり集まったこの場を見て、かつての名著を思いだす。

 戦争は女の顔をしていない、というスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの大作である。

 ギレンはこのソヴィエト女性が記した著作を何度も読み直し、戦争と個人、という観点から深い啓蒙を授かっている。

 

 そもそも、人間は戦争の大きさを超えているのだ、とギレンはこの本から学んだ。

 夫を殺され、敵を憎みながら、捕虜にパンを分け与えることができたという事実に、ギレンは人の可能性を見る。

 戦争などという政治現象の一端を切り取った物語が、人間という存在がいかに偉大なものであるかを教えてくれる。

 そこに描かれた体験としての戦争――あるいは戦闘は、教養によって育まれた常識的な戦争評論やアプローチを超越する。

 人間はいかに戦い、いかに苦しみ、いかに思ったか――と、ギレンは個人としての人間が抱く美しき内面世界に思いをはせる。

 

 とはいえ、この本を男の戦争観に対する女の戦争観を提示した、などというストレートな解釈が旧世紀にはまかり通っていたらしいが――彼女の著作を本当に手に取っていない連中が戯言を抜かしていたか、あるいは旧世紀を生きた人類が想像力と品性を欠いた存在だったのどちらかであろう。

 

 ただ、読書家のギレンではなく、政治家としてのギレンにとって、戦争は女の顔も、男の顔もしていない。

 

 国家総力戦以後の戦争には即物性しか存在せず、工業製品が人間の死体の山を製造するだけのシンプルな世界観だ。

 正規戦、非正規戦、超限戦などと様々な戦略概念が生まれていったが、いざそれが現実に実装されるときは、常に工業製品による人間と社会資本に対する破壊効率の追求でしかなかった。

 

 知恵ある人々が戦争を法制化し、人道化しようと試み、実際にそれを成そうとした。

 だが蓋を開けばいつも同じだ。

 兵器が製造され、それをランニングさせるために人が大量動員される。

 それだけのことだった。

 

 直近のジオン独立戦争においても、ギレンがやったことはシンプルの極みである。

 

 1、大量のMSと艦艇、その他兵器を製造、配備する状況を生み出す。

 2、それを運用する人員を集め、訓練し、戦地へと送り込み、死ねば補充する。

 3、1と2を滞りなく進める権力と組織と世論を作る。

 これだけである。

 

 ギレンにとってこの3つは特別なものではなかった。

人類が工業化以降に行う戦争に付きまとう作法のようなものだ。

 

「そもそも、大衆にとっての戦争とは――」

 

 ギレンは挨拶もなく、会談の場に集まった連邦軍の高官たちにカリスマ性を多分に含む大きな低音の発生で、圧をかます。

 

「損害の顕在化を、そう評論しているにすぎない」

 

 ギレンがゆっくりとパイプ椅子に腰かける。

 

「戦闘が起き、人が死に、何かが壊れる。かようなわかりやすい損害をメディアを通して目にしたとき、大衆はそれを戦争だと評価しているに過ぎない」

 

 ギレンの言葉は続く。

 

「だが、ここに集まっている諸君はそうではない」

 

 ギレンのよる大衆性の否定。

 

「さぁ、はじめようか。我らこそ戦争を語るにふさわしい」

 

 会議の場が命のやり取りの場へと変える。

 ここでの発言と交渉の結果次第で、万単位の命が消える――そうなるようにギレンは会談をリードすべく、慎重に発言を選ぶ。

 言葉により、自分を演出する。

 振る舞いにより、議場を演出する。

 そして、役者たちを使って歴史を演出する。

 今回は粒ぞろいの役者を揃えてみたが――どうなるか。

 見えない未来のほうが、面白い。

 ギレンはそう思いながら、のこのことやってきたレビル、ゴップ、ワイアットとその随員たちを眺めた。

 

 

 

 ワイアットは大げさな自己演出を躊躇なく実行するギレンに感心していた。

 なるほど、独裁者の地位を獲得するために大衆の支持を得なければならぬ立場というものは、こうも己を道化にせねばならぬのか、とわずかばかりの同情すら混じってしまう。

 

 ギレンが述べた、大衆にとっての戦争は、損害の顕在化を評しているに過ぎない、という意見について思うところがないわけでもない。

 

 そもそも、地球連邦政府が地球連邦軍を生み出した根本には、世界の現状を万人の万人に対する闘争状態であるというホッブス的世界観を前提にしているところがある。

 

 地域文化も違えば、信仰も違う人々を、地球連邦政府という一つの旗のもとにまとめ上げるという壮大なロマンを実現するためには、すべてを調停する巨大な暴力装置を生み出し、人々の間に生じる紛争を強引に殴り倒していくストロングスタイルが求められる。

 

 その暴力装置が地球連邦軍である。

 逆説的だが、人々はこの暴力装置によって初めて、人類の統一平和とやらを知ることになった――損害が顕在化していない世界(地球連邦軍があの手この手で紛争の根を断ち切ってきたが、それはメディアによって喧伝されない=大衆が知覚できない)を与えられた大衆は、徹底的な抑圧と私権制限を受けながらも、戦争という自然状態から隔離されたのだ。

 

 ワイアットは机の上で組んだ手をみながら、口を開く。

 

「紳士的決着を」

 

 その一言で、通じると確信していた。

 この場に集まっているものには、いちいちワイアットがあれこれと補足説明をする必要がないがゆえに、ある意味、もっとも慎重に言葉を選ぶ必要がある。

 

 紳士的決着――この一言にどれだけの情報が込められているか、を考えるとワイアットですらその情報密度の濃さに眉をひそめたくなる。

 11世紀のイングランドに対するノルマン・コンクエト以前の世界、いわゆるローマ帝国統治時代のブリタニアのころからインブランドの地域社会を形作ってきた不労所得を有する資産家階級たるジェントリの誕生から、12世紀以降の戦争貴族としての紛争解決ルール(慣習的戦争法)の成立への寄与と、名誉革命に代表される 革命の実践。

 

 その発展形たる19世紀から20世紀の不戦条約、ハーグ陸戦協定などの戦争の法制化(開戦と終戦の法文化)と原則的違法化の歴史――を前提に、一年戦争のジオンの行為が革命戦争であり、その闘争が永続している状態であると現況を認識。

 

 そのうえで、ジオンの戦争行為の違法性を認めさせつつ、ジオンを地球連邦政府へ再加入させ、革命闘争を合法的に継続させるという、提案である。

 

 いわゆる、革命の内包である。

 

 ここの首を並べている連中ならば、いちいちこのような説明は不要であろう。

 

「ギレン閣下、あの戦争はジオンに何かをもたらしたのかね?」

 

 ワイアットはどれほど考えてもジオンの革命戦争の着地点が見えなかった。

 

 一年戦争は人類史はじまって以来、最大の消耗戦かつ総力戦であった。

 イモ栽培していた農地に、重機で埋め立てられていく避難民や村人たちの遺体。

 あの世で腹いっぱい食えよ、と顔を伏せるのは遺体処理作業をやらされている捕虜となったジオン兵たち。

 

 そんな埋め立て作業が間に合わないほどに、人が死んだのが1年戦争である。

 

 田畑や市街地に転がっている未回収の遺体が常にあった。

 雨が降ると、死体が泣いているように見えるのだ。

 ワイアットはそれをみて、我々は何一つ歴史から学ばぬままにここに至ってしまったと深く後悔した。

 

「――ガス抜き、ですな」

 

 ギレンの言葉に眉を顰める連邦の将官たち。

 だが、ワイアットだけは違った。

 かつてフランスで生じたアンシャンレジームに対する革命闘争は、貴族に対するギロチン刑や大衆動員による国民戦争概念を誕生させるなど、ある意味で反動的なまでに血を流すきらいがあった。

 

 つまり、革命の熱というのは、大衆にバイラル的に広まると激情と結びつき――理性の光ではなく、衝動による破壊を生み出すという、極めて一般的な話をギレンが『ガス抜き』と表現したに過ぎないことをワイアットは悟る。

 

「2000年代問題にケリをつけたわけですか、ギレン殿は」

 

 ワイアットは人類史のターニングポイントである2008年と2009年を研究済みである。

 SNSなるものに「いいね」と「リツイート」なるものが実装された年だ。

 この日より、世界から大衆が消失し、群集に変わっていく。

 あらゆる個々人が感情をまき散らし、倫理を振りかざし、信じたいものだけを信じる素晴らしき分断社会の誕生である。

 

 かつての合衆国憲法を起草したジェイムズ・マディソンはこのような前提にさらされても、なお耐えうる民主主義など設計していなかった。

 ジェイムズ・マディソンが設計した民主主義は、議会政治という仕組みにより何事を決めるにも時間と妥協と調整を必要にしたものであった。

 この民主主義システムは意思決定の世界たる議会政治の場を、群集の移ろいやすい激情や世論からある程度隔離するものでもある。

 

 しかし、2009年以降、もとは世界中の人々にコミュニケーションの機会を与えようという希望のもとに生み出された仕組みが、ジェイムス・マディソンが設計した民主主義に致命的な一刺しを与える。

 

 SNSの「いいね」や「リツイート」の仕組みは、バイラルによる激情をスピーディに拡散し、「互いへの敵意」に燃えやすく、それゆえ「共通の善のために協力するよりも、互いに苦しめ、反発し合う傾向のほうがよほど強い」複数のチームや党派へと分裂してしまう、我々人間の傾向をいともたやすく促進した。

 

 世界各国はその影響により、民主的かつ自由な国家であればあるほど、群集化が深刻化し、自らの所属する国家と制度に対する不信感がひたすらに高まる時代を迎えた。

 同時に、独裁的で強権的な国家もまた、その強権の足場を群集化によってゆすぶられ、ともすれば内戦へと至るどうしようもない状態へと歴史の筆を進めてしまった。

 

 世界は、動揺した。

 ゆえに、世界は、最も強力なリヴァイアサン(究極の怪物)にすべてを任せることにした。

 そうして、怪物たる地球連邦政府が生み出されたのは周知の事実である。

 

「ミノフスキー粒子とコロニー落とし。これで我々は、ようやく未来へと進める」

 

 ギレンが鼻で歴史を笑う。

 コロニー落としで海底ケーブルを物理的に消し去り、ミノフスキー粒子と戦争によるデブリで通信衛星に深刻な不具合を与えた一年戦争。

 

 世界中を繋いでいたインターネットのインフラを根底から破壊し、つながるために生み出された技術によって分断されてしまった世界を強制的にリセットするというギレンのやり方は、残虐非道でありながらも、人類が破滅に向かっていく世界を強制的に方向転換させるものであるともいえなくもない。

 

「ようやく、我々は相手の物語に耳を傾けられる、ということですな」

 

 レビルが議論を前に進めるべく、静かに述べた。

 

「そう。我ら人類は、ようやくたどり着いたのだ。抵抗と転覆しか生み出さぬ世界の構造を乗り越え、ニヒリズムとアナーキズムへの逃避を超越し、統治の時を迎えたのだ」

 

 ギレンに付き従っているセシリア・アイリーンが、会場に設置されているケーブル類がむき出しの簡素な野戦用大型モニタに、とあるドキュメントの表題を映し出す。

 

『ジオン公国の連邦政府加盟に関する要望事項』

 

 そっけないフォントによって書かれたその文字をみて、ワイアットは苦笑するしかなかった。地球連邦の国力を総動員してなお屈服させることができなかったジオン公国は、確かに交渉において要望事項をのたまう権利くらいはあるだろう。

 

 だが、ワイアットには分かってしまった。

 手練れの政治家であり、戦略家であるギレンが、まさかこのような着地点を簡単に提示するはずもない。

 

「もし、この要望事項について審議すると言ったらどうなるのですかな?」

 

 いままで黙っていたジャミトフが口を開く。

 ワイアットにとって、経済屋として手腕を発揮しているジャミトフとは、互いに学究の徒としての友情をはぐくんではいるものの、軍内派閥としてはいまいちそりが合わず、友人でありながら大敵ともいえる関係だ。

 

 そして、残念なことにワイアットから見て、ジャミトフは戦争について研究不足であった。

 

「馬鹿な質問はやめたまえ、ジャミトフ君。ギレン閣下はこの場にいるだけで随分と妥協してくださっているのだよ」

 

 ワイアットはジャミトフを制する。

 何を言っているのか? と怪訝な顔をするジャミトフのウブな様に、ますます戦争には向かない男だな、と首を振る。

 

「――ゴップ閣下の特殊作戦群どれほどもつかね?」

 

 レビルが控えていたアムロ・レイに問う。

 あの人の部隊がいるので、数時間は稼げるはずです、とアムロが答えている。

 コンペイトウのエゥーゴも動くということだろう。

 

 ワイアットもまた、手元の端末でルナⅡ駐留艦隊に対し、直ちに地球軌道へと向うよう命令をこしらえる。

 こうなるかもしれない、という予見はあったため、ルナⅡ艦隊はすでに補給も万全。直ちに出航し、2時間も待たずには最大船速で予測交戦宙域にたどり着くだろう。

 

 ギレンの要求をのまないなら、再度、戦争。

 わかりやすいまでの恫喝外交には、実力行使で妥協を促してやるほかない。

 

「おやおや、穏やかではありませんな、諸君」

 

 ギレンがにやりと手を組みながら笑う。

 

「――閣下のご要望は、直ちに首相府に送付し、返答するよう伝えます。我々は……」

 

 ワイアットが席を立とうとすると、背後に冷たく硬質の感触。

 どうやらいつの間にやらサブマシンガンを携えたスーツ姿の連中に包囲されてしまったらしい。

 キシリア機関の対人工作部隊だろう、とワイアットはあたりをつける。

 なお、レビルの傍に控えていたアムロは、クノイチに抑え込まれている。さすがのニュータイプでも、クノイチには歯が立たぬらしい。どうせならマッチョなスーツ男に銃を突きつけられるよりも、クノイチの世話になりたいものだと紳士の嗜みとして思わないでもない。

 

「――外交関係に関するウィーン条約は、まだ生きていると思うのですがね、閣下」

 

 ワイアットが手を上げながらまっすぐにギレンをみる。

このような修羅場に出くわしても毅然として振舞える真の紳士であろうとするのが、ワイアットである。

 

「……なんのことやら。使節団などここにはございませんからな。皆、それぞれの公用の合間に茶会をしにいらしただけのこと。無論、この私もです」

 

 ギレンが席を立つ。高慢なプレッシャーが彼の立ち姿から醸し出される。

 一介の将官と、歴史に名前を残す大政治家ではやはり紳士としての格が違うか、とワイアットは少々気圧される。

 

「イエスか、ノーか。猶予は3時間ですな。君、あれを」

 

 ギレンが合図をすると、セシリアが質実剛健を旨とする野戦モニタ通信機にケーブルがつながったもをテーブルにどんと置いた。

 ホットラインだな、と会場にいた将官たちは察した。

 

「――たまには、こういう安全な席で歴史を動かしてみるといい。人類とやらを救うお膳立てはした。あとは諸君らの好きにしたまえ」

 

 ギレンが冗談にもならないことを真顔で述べ、そのまま背を向ける。

 

「……ビューティメモリーを狙ったのは君の手のものかね? ワイアット大将」

 

 ギレンの言葉に、ワイアットは首を振る。

 

「さぁ? ただ、もしそれが事実なら、管轄外の連中の独断専行というやつです。地球連邦軍のまともな士官なら、ジオンの本拠地たる月にあるアレを狙うなど、考えることすらしませんよ」

 

 ワイアットの答えに、鼻で笑うギレン。

 

「そう、か。貸してやるからあとで返せ、とそのバカに伝えておいてくれるとありがたい」

 

ギレンはそう言い残し、カツカツと足音を立てて消えていった。

 

 残されたのはキシリア機関の工作員たちに包囲された将官と随行員たち。

 ワイアットはため息をつき、レビルに視線を送る。

 

「……政治屋との関係はよくない。君がやれ」

 

 つれない返事のレビル。

 続いて、ジャミトフに視線をおくるワイアット。

 

「――議会はこちらが引き受けます。ワイアット閣下は行政府を」

「両方やってくれても構わんのだが」

 

 率直にって、ワイアットは軍政畑の人間だ。生の権力闘争の現場である政界の作法については正直、素人である。

 

「笑えませんよ。いいですか? いつまでもそれぞれの専門畑で専門作物を育てていればいいだけの人生など、今日でおしまいなんです。私も、あなたも、試される順番が来たということです」

 

 ジャミトフが目元を手で覆い、疲れた声を発する。

 

「……一年戦争による大破壊を被った地球を復興するためには、月とサイド3の工業生産能力が必要なのはお分かりですよね? この数年間、地球圏経済はジオン系企業に金を払い続けてきたと言っていい。そしてジオンは、連邦政府の復興需要という巨大な外需によって、すでに戦前以上の経済力を得ています」

 

 ジャミトフの説明を受けずとも分かってはいた。民間経済の回復を最優先とする連邦政府の方針は確かに正しく、人々もそれを支持している。

 その結果、連邦軍の再建計画など遅々として進んでいないのだ。

 

 つまり、ジオンによる再度の地球降下作戦を阻止することは不可能。

 戦力差がありすぎるのだ。

 

 一年戦争時に文字通り大量生産されたジムを申し訳程度に近代化改修したジム改を主力とする連邦軍に対して、ジオンはゲルググ系の改修機と主力としている時点ですでにMS戦闘における勝負は決まったようなものである(しかも、噂ではハイザックなる次世代型ザクまで試験配備が始まっているとか)。

 

 物量で押す、というシナリオもアウトである。

 かつて大量育成されたジム乗り、ボール乗りの兵士たちは軍を辞めて、普通の市民生活に戻って久しい。今更、棺桶に戻って死ねなどと動員をかけようものなら、政権が倒れかねない。

 

「――分かっている。首相府と大統領府はこのグリーン・ワイアットが説得してみせよう」

 

 ワイアットは自身を鼓舞するかのように大仰に言ってみせる。

 内心は不安と恐れが渦巻いていたが、紳士たるふるまいを自らに課し続けていたワイアットはそれを微塵も感じさせない自己演出にも長けている。

 

「まぁ、気楽にな。人類を背負うなどと仰々しく構えるのも肩がこる」

 

 ワイアットがホットラインの通信機に手を伸ばそうとすると、レビルが声をかけてきた。

 励まし、であろうか?

 

「一年戦争の重圧を一手に引き受けたレビル閣下の気持ちが、いま分かったところです」

 

 ワイアットは社交辞令を返しておく。

 

「そうかね。ところでワイアット君。ギレンにやられっぱなしというのも悔しかろう」

 

 何を言い出すのだレビル閣下は? とワイアットが怪訝な顔をしていると、レビルが手元の端末に写っている木星の古代遺跡の発掘現場の写真を見せてきた。

 

「?」

「ギレンを驚かせる隠し玉、というやつでな。ワイアット君がしくじっても、手はまだある」

 

 レビル閣下が手がある、ということは何か戦略兵器を用意しているということだろうか? とワイアットは眼前の髭の爺様をみやる。

 そこにあるのは思慮深く、謙虚ないつものレビル閣下の面構えであった。

 

「……なら、先輩に尻をふいて頂けると信じて、大風呂敷をかますことにしますかね」

「そうそう、気楽に、大胆に、だ。ワイアット君」

 

 そういって席に戻ったレビルだったが、彼が椅子に腰かけた刹那に深い憂慮の表情を浮かべたのをワイアットは見逃さない。

 秘策はあるのだろうが――それは使わないに越したことはないなにか、か。

 となると、ソーラレイシステムか、あるいはコロニーレーザー、核兵器と言った大量破壊兵器を使うシナリオをレビル閣下が考えている可能性が高い。

 そのような決断を英雄として名高いレビル閣下にやらせるのは、さすがにはばかられる。

 

 ええい、なるようになる、とワイアットは覚悟を決めて、首相府に繋がるホットライン通信機を手に取った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四八話 再帰の0083

これが滅びなのだ。これが、即ち、滅びなのだよ。

――栗本薫『滅びの風』


 

 シン大尉は困惑していた。

 トロイホースの艦橋にて指揮官級のブリーフィングを受けていたのだが、状況がひどすぎて硬直していた。

 シン大尉の薄い顔に張り付いている鼻から飛び出している鼻毛だけが、無常に全艦空調の風に当てられてフニャフニャとなびいている。

 

「――つまり、ジオンはかつての地球降下作戦以上の戦力をこの宙域に集結させているわけだ」

 

 マッケンジー少佐がシン大尉の鼻毛に軽蔑の目を向けながら、説明を続ける。

 

「ジオンの言い分は、北米ジオン暫定統治区、アフリカジオン暫定統治区に緊急展開する大規模降下演習を行うため、停戦協定に反しない軌道に突入するとのこと」

 

 艦橋の大型モニタに映し出された戦況図と戦力展開図、投射予測図をマッケンジー少佐が指し示す。

 

「当然、地球連邦政府の上層部はそのような戯言に対して厳重に抗議。そして、その抗議の意思を表明すべく、最も機動性に富んだ我々がここに派遣された」

 

 そして、マッケンジー少佐が各警戒線をモニタにレイヤーとして表示する。

 阻止限界線、と書かれたレッドラインの前方に展開するは、ジオンに比してあまりにも過小な連邦艦隊。

 

(Gジェネなら骨がありそうだ、で済む話だろうが、これは現実だぞ?)

 

 シン大尉は思わず目元を押さえた。めまいを感じてしまったからだ。

 ガノタたるシン大尉にはなじみのある連中ばかりなので、希望が無いわけではない。

 サンダーボルト勢を積んだスパルタン艦隊、スピンオフ作品から素敵な女性たちだけをピックアップしたとしか思えないグレイファントムを中心とするイプシロン任務部隊、そして紅茶提督が増援で派遣してくれたコロンブス級空母を中心とするルナツー分遣艦隊である。

 そして、なぜかムラサメ研究所の装備開発実験団がペガサスジュニアで戦列に参加している。なにかの実戦テストでもするつもりなのだろうか?

 

(ムラサメ研……不穏すぎるだろ?)

 

 シン大尉はガノタであるがゆえに、ムラサメ研究所にまつわるあれこれを知っている。

 とはいえ、一介の大尉に過ぎない彼自身がどうのこうの介入できるシロモノでもないため、あえて何も言うことはなかった。

 

「――現時点での戦力差は1:100という評価値だ。つまり、諸君らが奮戦し、各機が100機ずつ敵を落とせばいいだけである。さて、何か質問はあるか?」

 

 マッケンジー少佐が冗談なのか真面目なのか判別のつかないセリフを吐いている。

 よく見てみると、彼女の顔色は芳しくない。

 これは万策尽きて覚悟が決まっているか、何か悪いものを食べたかのどちらかだ。

 あるいは両方かもしれない。

 

『スパルタン隊のイオ中尉から質問事項一点。 増援の見込みは?』

 

 光学通信で参加していたイオ中尉が、渋い顔で問う。

 絵柄が太田垣センセのそれである。

 

「エゥーゴ艦隊がジオン艦隊の後背を突くべくコンペイトウより出航。3時間で現着だ」

『3時間って……』

 

 イオ中尉が絶句するが、マッケンジー少佐は無視する。

 

「ほかにあるか?」

 

 マッケンジー少佐の問いに対して、沈黙のみが返る。

 

「……よし。詳細は各自作戦計画を参照し、頭に入れておけ。あと、シン大尉は残れ。以上、かかれ」

『かかります』

 

 各員が略式の答礼を行い、それぞれのタスクを消化せんと行動を開始する。

 あわただしくなった艦橋で、残ることを命じられたシン大尉は艦長席に歩み寄る。

 

「大尉、この状況、どうみる?」

 

 マッケンジー少佐の目の奥に不安が潜んでいるのに気付いたシン大尉は、言葉を慎重に選ぶ。

 

「そうですね、気休めかもしれませんが、このまま睨み合いのまま幕引きというシナリオもない訳じゃないと思うんですよ」

 

 シン大尉は感想にとどまらず、自分なりの分析を艦長席のC4I2端末に表示する。

 政治的交渉というシナリオがどこかで進んでいるはずだという上部レイヤー分析と、降下して得られるポイントがあいまいすぎるという軍事的不完全情報ゲーム分析の結果を提出した。

 

「事が生じてしまえば、くたばるまで戦うほかないです。とはいえ、ジオン艦隊の動きを見てください」

 

 ここ数時間のジオン艦隊の動きは整然とした待機戦列を成しており、降下に向けた準備攻撃の兆候すら見られない。

 敵艦隊の運動質量ベクトル解析のデータや、補給艦艇からの物資搬送の諜報データをつかって具体的に、敵がただ何かを待っているだけではないか、という事実を適示する。

 

「この戦力差です。本気でキメる気なら、その物量で我々なんぞ潰して地球に降りればいい。しかし、それをやらないという事実。これが勘所だと本官は思料します」

 

 そして、シン大尉はあえて真面目な表情を作る。

 とても大事なことを言うからだ。

 

「――それに、最悪、我々は抵抗むなしく不可抗力による大気圏突入というチョイスがあるのです。艦長の経歴に傷をつけるかもしれませんが、ペガサス級を運用する我々だからこそできる、このダーティーなチョイスも、お忘れなく」

 

 シン大尉が説明を終え、マッケンジー少佐をみる。

 するとどうだろう? なぜかマッケンジー少佐が不思議そうな顔をしてこちらをみている。

 

「艦長、なにか?」

「貴官は、ちゃんと実戦慣れした士官なのだな」

「は?」

 

 今度はシン大尉があっけにとられた。

 

「正直に言おう。わたしは貴官がゴップ閣下のコネで軍の階級を持っているだけの素人だろうという疑念がいつもあった」

 

 さもありなん、とシン大尉も頷く。実際、正規の教育課程を経ているとはいえ、各課程の履修資格に関しては明らかにゴップのあれこれが働いていたのは事実だ。

 

「まぁ、そう思われてもおかしくはないかと」

「だが、考えを改めた。貴官はこのような状況でも――冷静だな。逃げることも算段にいれる、か」

「それは過大評価ですよ。単に臆病なだけです」

 

 シン大尉はとびっきりの励ましの笑顔(※主観)を浮かべる。

 マッケンジー少佐が顔を背ける。

 

「――弱音を吐いた。忘れろ、大尉。貴官の助言は頭の片隅に置いておく――プフッ」

「はっ」

 

 なぜだろう。マッケンジー少佐が顔をそむけたまま震えている。

 

(そうか……クリスちゃんはバーニィに甘えたかったけれど、いまは俺しかいないもんな。いけないいけない、ついつい包容力のあるオトコを演じちまったぜ……)

 

 震える艦長を抱き寄せるかどうか悩んだ末、それはやっぱりバーニィの仕事だな、と確信したシン大尉は、かかとを鳴らし、敬礼をして艦橋を退出した。

 

 

 

 廊下にでると、シャニーナ少尉が膝を抱えて浮かんでいた。

 どうやら、ずっと待っていたらしい。

 

「……あ、隊長」

 

 シン大尉がくるくるとゆっくり膝を抱えて回っているシャニーナ少尉を受け止める。

 

「少尉、不安が顔に出ているぞ。そういうときは、こうだ」

 

 シン大尉はまだ年若いシャニーナ少尉を元気づけるべく、彼女の手をとり、両手で包む。

 

「お前は死なない。このスーパーエース、シン大尉が援護してやるからだ」

 

 シン大尉の言葉に対して、シャニーナ少尉が頷く。

 

「はい、隊長」

「よし、おっぱじまる前に腹ごしらえだ。シャニーナ少尉に命じる。ヤザン他、久々の実戦でイキリちらしてる連中を一般食堂に集合させること。かかれ」

 

 シン大尉が仰々しく命じると、シャニーナ少尉が崩した答礼。

 

「かかります。隊長のおごりだと伝えておきますね」

 

 シャニーナ少尉のかわいいお尻を見送りながら、シン大尉は自分のやらかしに気付く。

 地球連邦軍は地球連邦市民の税金によって運営されている軍事組織である。

 それゆえ、その税金の使途は小数点以下まですべて国民に開示されなければならない。

 すなわち、士気を高めるための喫食といえども、それが艦長決済を得ないものである以上、そこに一滴たりとも血税は投じられないのである。

 

 

 

 

 RGM89Nジムカスタムのコックピットにて放心状態のシン大尉は、うわの空で部下たちの私的通信を放置していた。

 

『――で、オレはクローディアに言ってやったわけよ。俺の名前を言ってみろっ! ってなっ!』

『キャーっ!!』

 

 シャニーナ少尉他、女性パイロット勢がイオ中尉の十八番である『クローディア奪還』の話を聞いてギャーギャーと黄色い声で盛り上がっている。

 

『まったく、色恋話ばかりだな、イオ中尉は』

 

 マッケンジー少佐がたしなめる体で会話に混ざっているが、今までシャニーナたちやイプシロン隊の連中と一緒に盛り上がっていた事実は消えない。

 

『んなこといったって、マッケンジー艦長どのの大恋愛も、俺はちゃぁんと小耳にはさんでますよ? ジオンのパイロットと恋に落ちた連邦のエリート士官さまの、悲劇待ったなしのロミオとジュリエットってやつをよ』

『……おいこらっ! 誰から聞いた!? いわないと軍法会議だぞっ!』

 

 マッケンジー少佐が珍しく動揺しているのを、兵たちがきゃっきゃと笑う。

 

 これはイオ中尉とマッケンジー少佐が仕込んだ、戦闘前の緊張を緩和するためのブレイクスルータイムであり、士官ならば士気の維持のために使えて当然の統率法の一つである。

 このような話が始まっているということは、戦いの気配が濃厚になってきているという意味であり、兵たちはそれをうっすらと感じ取りつつも、その不安をバカ話で誤魔化しているのが現実である。

 

『そりゃもう、アルファ任務部隊のエースサックス奏者様ですよ』

 

 イオ中尉が話を振った先は、もちろんシン大尉である。

 そのシン大尉は自らに話を振られたことも気づかず、ただ膨大な額に積みあがっているクレジットカード請求残高に震えていた。

 

『シン大尉、貴様か?』

 

 どすの効いたマッケンジー少佐の演技により、シン大尉はようやく現実に戻された。

 

「っふぁ!?」

『何を腑抜けた返事をしている。まったく、貴官というやつは……もっと隊長としての威厳というやつを保つべく、勤務中は気を遣え』

 

 大げさなため息のマッケンジー少佐。

 

『艦長さんよぉ、そいつぁ無理な注文ってやつさ。オレらの隊長は、そういうキャラじゃねぇ。基本、ナイナイ尽くしの隊長さまよ……特に、カネがな』

 

 ヤザンが口を挟み、ダンケルとラムサスがアヒャヒャと笑っている。

 

「貴様らが飲みまくったせいだろうがっ!」

 

 シン大尉が演技ではない悲痛な叫びをあげるが、兵たちは誰も気にしなかった。

 

『ま、ないない尽くしだから悪いってわけじゃねぇ。死なない、っておこぼれもついてくるかもしれん』

 

 ヤザン少尉がそういうと、兵たちも違いない、と口をそろえる。

 シン大尉なりに部下たちに最大限配慮してきたつもりだったが、思わぬ方向で信用を寄せられていることに気付き、シン大尉はうろたえた。

 

「えーあー、MS隊員に告ぐ。おこぼれに預かりたかったら、各隊の隊長から離れるな。ヤザン、シャニーナのいうことを聞け。もしはぐれたら、俺のところにこい」

 

 シン大尉が少々クサいか? と自分でも思うセリフを吐いてみると、意外にも素直に兵たちの返事が返ってきた。

 そのことにますます動揺するシン大尉。

 

『――そんじゃ、一仕事終えたらセッションしようぜ、大尉どの』

 

 イオ中尉からの通信が終了する。

 否、全私的通信が艦長権限で遮断されたようだ。

 

『シン大尉、ジオンが動いた』

 

 マッケンジー艦長からの秘匿通信。

 戦術状況とリアタイ映像が届いた。

 ミノフスキー粒子が巻かれたらしく、推論AIによる合成映像だ。

 

 だが、降下作戦というには様子がおかしい。

 大気圏突入用のHLVやコムサイ、ザンジバル級から続々とMSが出撃している

 まともな作戦指揮官なら地球降下部隊と、その降下支援部隊は分けて運用する。

 荷物を届けるために荷物に戦わせるバカな指揮官などジオンにはいないはずだ。

 これは降下ではなく、明らかにこの宙域を戦場にしようとする意志の表れである。

 

「なんだこれ、様子がおかしくないですか?」

 

 シン大尉が首をかしげながら、ヘルメットのバイザーを締めていると、突然の警報。

 

『――本当にこの映像は正しいのか?』

 

 マッケンジー艦長が観測部に再検証を促しているが、間違ってませんよ! という荒い応答が漏れ聞こえた。

 

「艦長?」

 

 秘匿通信回線を開いたままにするなど、珍しい。

 どうやら艦長は本当に動揺しているらしい。

 

 シン大尉は息をゆっくり吸って、吐いた。

 

「全機、傾聴。これからダンスパーティになる。パーティの最後まで踊り続けるコツを教えるからよく聞け。眼前の相手にこだわるな。相手を落とすことにこだわらず、手際よく引いてもらってもいい。今回は、そういうダンスパーティーだ」

 

 モニタに映る景色は、いつもの殺風景なハンガーエリアである。

 ボイスオンリーの各MS搭乗員たちからは、すこし不安げな了解、という返事。

 

「もし相手が手に負えないお転婆さんだったら、遠慮なく隊長たちに擦り付けろ。ヤザン、シャニーナ、覚悟はキメてるな?」

『はいっ』

『応っ』

 

 良い返事だ、とシン大尉は部下に恵まれたことを感謝する。

 

『シン大尉、MS隊発進。フル兵装、完全自由射撃!』

 

 マッケンジー少佐からの命令を受ける。

 シン大尉のジムカスタムはジムライフルと予備弾薬を兵装供給システムから回収し、装備。

 そのままカタパルトデッキに出ると、低速射出された。

 

 戦闘速度まで加速されないとはどういうことだ? といぶかしみながらシン大尉が周囲を警戒していると、信じがたい映像がコックピットのモニタに映る。

 

「――うそだろっ!?」

 

 シン大尉は宇宙の景色に唖然とした。

 なにやら得体のしれない裂け目が宇宙空間を斬り裂いていた。

 計器類が「宇宙の法則がみだれています」という結論を数式でもりもりと伝えてくる。

 どうやらジオン艦隊はこちらより先にその異常に気付き、MSを展開していたらしい。

 さすがジオン、こっちよりセンサー性能が上で悔しい。

 

 さて、裂け目から現れるは、異形の有機生物たち。

 触手をうねらせた気色悪いバケモノたちである。

 ガノタたるシン大尉は、それがなんであるかの同定を光速で終える。

 

 Gの影忍、百騎夜行編に出てくる、宇宙怪獣どもである。

 

「よ、妖怪!? 外道!?」

 

 シン大尉の中の人は、ガノタなので当然異形生物との戦闘にもイメージトレーニングを怠ったことはない。いつELSと出会いコミュニケーションをとらざるを得ないかわからない以上、常日頃から備えておくものだ。

 

 しかし、である。

 ガノタであるがゆえに、そのイメージは願望にゆがめられてしまうものだ。

 出会うなら、ELSかな? という願望がシン大尉のガノタとしての備えを歪めてしまった。

 ゆえに、宇宙怪獣相手の戦闘についてはイメトレ不足であった。

 

「いやいやいや、これはMS忍者案件ですよ……」

 

 ただ、地球連邦政府に雇われているMS忍者がいるのかどうか、シン大尉は見当もつかなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四九話 0083 木星からの帰還


ターン、ターン、その繰り返し。
でもいつかはリターンしたい。

帰りたい。

――北村薫『ターン』


 

 自分のちっぽけさを分からされるみたいでいやだな、とアン・ムラサメは最新型の全天周モニタ式のコックピットを恨む。

 

 広すぎる宇宙が、嫌いだ。

 360度の戦場。

 操縦と戦術判断に必要とされる情報以外を除外している、とメカニックから説明をうけたが、アンにとってはそれでも情報量が膨大過ぎるように思えた。

 ぐじゃぐじゃした怪物、うねうねした怪物、そういう連中とガチ戦闘するジオンのMSたち。

 そして遅ればせながら――そして、やったこともないジオンとの連携をおっかなびっくりの手探りで進める連邦軍のMSたち。

 

「やだな。フツーの人って」

 

 アンはムラサメ研究所の仲間たちとは違う人たちのことを、フツーの人と呼んでいる。

 フツーの人たちは、考えていることがいつも雑然としていて、あいまいで、生きているのか死んでいるのかよく分からない。

 自由とか、幸せとか、そういうよくわからない何かを追いかけていて、いつも心ここにあらずだ。

 

 ムラサメ研究所にいる先生たちや仲間たちは、もっと輪郭がはっきりしている。

 やりたいことを臆面もなく追及する先生たち。

 先生のいうことを忠実にきく生徒たち。

 人類の科学史を前進させるために生きて、死ぬという明確な目標。

 

 でも、ここにいる人たちはぐちゃぐちゃだ。

 生きたい、死にたくない、なんて気持ちを無遠慮にハミ出させて、アンの心を遠慮なく犯していく。

 

「――気持ち悪い」

 

 アンは両腕で己の身を抱く。

 

『アン少尉、ペイルライダーDⅡの同調テストは順調かい?』

 

 ムラサメ先生が気遣うように通信を入れてきた。

 ムラサメ研究所――もとい、地球連邦軍装備開発実験団の団長として、名ばかり管理職の仕事をするためにペガサスジュニアに(※無理やり)乗せられて、艦橋で暇を持て余しているのだろう。

 

「あのね、センセ。このDⅡ、HADESがないから神経接続調整だけで動くんだよ。だから今やってるのは、空間適合試験。宇宙のノリに体を馴染ませてるの」

『あ、そうだったなぁ。ごめんよ、先生、ちょっとMS詳しくなくて』

「ま、センセはそうだよね」

 

 ムラサメ研究所の先生たちはみんな専門分野の研究で忙しい(※それ以外興味ない)から、こういう本物のバトルのときは何の役にも立たない。

 むしろ、ムラサメ研でいつも決まりきったMS整備ばかりをしていたメカニックのお兄さんお姉さんたちのほうが大盛り上がりしているくらいだ。

 

『アン少尉、あまり先生を困らせないようにね』

 

 ゼロ兄からの通信。

 相変わらず落ち着いた声で、その気持ちはとても澄んでいた。

 とても透明な心根に、安心する。

 

「はーい。あ、ゼロ兄のDⅡはいい感じ? あたしのはスンゴイ普通」

『もう馴染んだよ。自分の体みたいに動かせる』

 

 隣に並んでいるゼロ兄のペイルライダーDⅡが、大型複合兵装シェキナーを軽く掲げる。

 ゼロ兄から送られてきた機体制御ログを見てみると、かなりいい数字が出ていた。

 アンはまだまだその数字からは程遠い。

 MSに乗るのは大得意なのに、それでもゼロ兄に追いつけないのはちょっと嫉妬する。

 

「ねぇ、ゼロ兄。あたしたちは戦わなくていいの? たぶん、あの人たちよりはずっとオバケ退治できると思うんだけど」

 

 アンは戦場の状況に目をやる。

 連邦のMS――主に、ジム改たちがもたもたと動き、イカ型のオバケに襲われている。

 慌てふためいたジム改たちが、基本的なカバーポジションも取れないままに当てずっぽうにブルパップマシンガンを連射している。キルゾーンをちゃんと作れていないから、当然イカのオバケを削り切れず、その触手で滅多切りにされて爆散していくばかりだ。

 

 それに比べて、ジオンのMS達はとてもいい動きをしている。

 ほとんどのジオン機体はゲルググ系統のそれに統一されているから、その時点で連邦の主力MSのジム改なんかよりずっとマシだし、乗っているパイロットの質も上みたいだ。

 結果、ジオンはいい感じに連携をとりながら戦線らしきものを形作りつつある。

 穴だらけの散発的戦闘陣地しか構築できていない連邦とは全然違う。

 

 それでも――まだ、あたしのほうが上だ、という確信がアン少尉にはある。

 体も改造したし、頭だってハイテクだ。

 今この瞬間も、イカやタコのオバケたちがどういう動きをするのかの未来予測ができるくらいだから。

 

『タイミングが来るまで待機だよ、アン少尉。いいかい? 人はここぞというタイミングが来るまで、じっと忍耐しなきゃいけないときもあるんだ』

「そう、かな」

 

 アン少尉にはちょっとわからない。

 いつだって、今が大事で、それ以外なんて不確実だとしか思えない。

 数秒後に流れ弾が飛んできて死ぬかもしれないのに、そんな長期的なものの見方に意味があるようには思えなかった。

 けれど、ゼロ兄がいうならそんな気もする。

 

『うーん、伝わってなさそうだね。えー、リュウが戻ってくるまで、待つんだ。これでいいかな?』

「それなら、わかる」

 

 クソザコおじさんは現在月まで出張中。ビューティーメモリーを確保したというメッセージを受けて以来、音信不通だ。

 たぶんだけど、ジオンの部隊に追い掛け回されてそれどころじゃないんだろう、とアン少尉はにやりと笑う。

 

 これは、こすりがいがある、と。

 キモーい、ピンチになるのが許されるのはオールドタイプまでだよねー、などと煽り文句を100パターン以上ジェネレートした。

 アン少尉の量子脳に常駐起動しているメスガキ名言ジェネレーターは今日も調子抜群だ。

 

「ふふーん、クソザコおじさんを分からせるセリフがとまんないんだけど」

『あいかわらずだなぁ』

 

 ゼロ兄のあきれた声が聞こえたけれど、趣味なんだから仕方ないじゃない?

 

 

 

 

 クラウンの駆るハイザックが、すれ違いざまにバケモノたちを大ぶりのヒートホークで斬り裂き、露出させたコアをビームライフルで撃ち抜いていく。

 サーバー型からの通信をリレーする機能を持つコアさえ破壊すれば、全体意思に接続できなくなったそのパーツは分解されていく。そういうものだというのをクラウンは『感じる』のだ。量子脳の力とは、世界の演算を直観するという一点に尽きる、ともいえる。

 

『お見事です、クラウン大尉』

 

 随伴する部下たちのゲルググたちもまた、クラウンに倣い、すれちがい格闘と機動射撃を駆使して戦域を駆け回っている。

 

「撃破手順は確立できたな? 一旦補給を受ける。サプライラインまで移動するぞ」

『了解』

 

 部下たちを戦地教導しなかがらも、クラウンはJTF司令部に現場の状況と具体的な対処方法をレポートする。

 他のエース機やベテランたちからも様々な対処法が上がっているだろうから、いまごろJTF戦術エンジニアリング部は各MSに配布すべきパッチの作成で大わらわだろう。

 

 サプライラインまで下がり、部隊の欠員がないことを確認していると補給屋からの連絡が入る。

 

『こちら606戦闘輸送隊、これより貴隊の後方を通過する』

「CRCP了解。要望目録を転送済み、送れ」

『こちら606戦闘輸送隊。目録を受領。これよりカーゴを散布する』

「CRCP了解」

 

 短いやり取りの刹那に、606戦闘輸送隊のビグラングと護衛機たる旧式のリックドムたちが駆け抜けていった。

 戦闘輸送隊はJTF補給統制本部の指示に従い、戦域に補給品をバラまいていくのが任務であり、戦闘宙域をとにかく駆け抜けることを本旨としているため、文字通り足を止めることもなく一瞬で遠くへと消えていくものだ。

 

「オリバー・マイの最高傑作だな」と、知己である技術士官の生真面目さを思いだす。

 

 部下たちとともにコンテナをキャッチして推進剤やEパックの補給および機体冷却にいそしんでいると、別の隊が同じサプライラインまで下がってきた。

 

『MarineコマンダーよりCRCPリーダー。ちょっと融通してもらえるかい?』

 

 シーマ・ガラハウ中佐の海兵隊が戦傷を負った機体を庇うように戦闘隊形をとりながら、こちらに要請を投げてくる。

 無論、クラウンは海兵隊に偏見などなく、むしろシーマ様と呼びたくもある(※海兵隊員以外がそう呼ぶことは許されない)。

 

「CRCPリーダーよりMarineコマンダーへ。ご自由に。こちらの充足率は既に80%超です」

『へぇ、話が早い男は嫌いじゃないよ。ほら、お前ら、モノをかっさらいな』

『へいっ! あざっす!』

 

 海兵隊のゲルググMたちと雑談を交わしながら物資を融通し合う部下たちの姿を見て、ガノタたるクラウンはこれだよ、これ、などと救われた海兵魂たちに感動する。

 

「Marineコマンダー、貴隊が突撃任務をこなしているのですか?」

 

 シーマ・ガラハウ中佐率いる海兵隊は、厳密にいうとキシリア機関の戦闘部門であって、かつてのアメリカ海兵隊のような殴り込み部隊ではないというのに、最前線よりも前、最も敵地最奥に突入してきたようだった。

 

『坊や、情報機関の戦闘部門の仕事には正規の作戦から離れた、重要情報の確保ってのがあらあね。NeedToKnowの原則に従って、黙ってな』

「失礼しました。ところで、我々の部隊もまた敵陣を突き抜け、かの要塞型バケモノについて強行偵察をせよと言われておりましてね。こちらはギレン閣下の子飼いですが」

『なんだい、あんたも首輪付きか。いいさ、ついてきたければ勝手にしな。ただし、損耗は覚悟しとくんだね』

「了解。各機傾聴――」

 

 クラウンは部下たちに戦闘メソッドの開発任務を終了し、これより第二段階である要塞型の強行偵察に移行する旨を説明する。

 任務目標は、至近での要塞型火力の測定と、突入経路の探索である。

 文字にするとシンプルだが、言葉を変えると自殺覚悟の体当たり任務である。

 

『了解。連邦のザコどもが手ぇ出す前に、我々でキメちまいましょう』

「いい心意気だ。ジオンの力を連邦に見せつけてやろう」

 

 クラウンは部下たちを鼓舞しながらも、己の心にも火をつける。

 そう、見せつけなければならない。

 クラウンとてガノタ。

 あの宇宙怪獣ども――Gの影忍に出てきたバケモノと戦う事態を予想していなかったわけではないのだ。

 さすがに今の時期、とは考えていなかったが――遠い将来の00の時代などではないか、と漠然と思い込んでいたが甘かった。

 

 ただ、現実にいま眼前で接触してしまった以上、その状況に適応するほかない。

 いまの政治状況――ジオン公国が国力を保ったまま存続し、連邦と太陽系を二分するべく躍進している今という状況ならば、宇宙怪獣との戦い方次第で、戦後の趨勢はまるっきり違うものになるだろう。

 

 このバケモノとのファーストコンタクトをうまく収めた側が、今後の政治の趨勢を握ることは間違いない。

 大衆はいつだって、自分たちの生活を守ってくれる権力を支持する。

 その政治形態――寡頭政や民主政などと言った区分などどうでもよく、ただただ都合がいい指導部を担ぎ上げるものだからだ。

 中には大衆を弾圧することで権力を維持するという特殊な形態も人類史にはちらほらと散見されたが、それらが長く続いた例はない。

 どのような政体であれ、大衆の積極的/消極的支持がなければ権力基盤は成り立たないものなのだ。

 

 宇宙怪獣をジオンが撃退すれば――ジオンは大衆の支持を得るだろう。

 そうなれば、あの方が、ただ幸せに生き、そして安らかに眠る姿を見ることもできよう。

 そのためなら――クラウンには己の命すら安く思えてしまう。

 この身を捨てても。

 この想いを伝えることがなくとも。

 いまこの場に立ち、戦うことが、あの方の素晴らしい未来につながっているのだと信じたい、とクラウンは切に思う。

 

 

 

 

 なるほど、これがワームホールを経由したワープというものか、と得体のしれない人工重力に満ちた艦橋――中央にはドームに覆われた都市公園規模の緑地と森林が広がっているという、常識はずれの空間に屹立するパプテマス・シロッコ。

 

 オリジナルデザインの連邦軍の制服をまとい、頭部を締め付けるファッションバンドを着用した色白の男は、いま木星から地球への帰路についていた。

 

 ソロシップ、と仮称される木星の巨大宇宙船と、その積載物たる超大型巨人。

 この二つによるワープ練習航海が今回の任務である。

 このまま無事に練習航海に成功し、木星と地球間をものの数分で移動できるようになれば人類史は比類なき躍進を遂げるであろう。

 光速の壁、を打ち破る超光速移動の実現は地球圏に逼塞する人類を外宇宙へと向ける偉大なる一歩になるであろうし、パプテマス・シロッコの名は一介の連邦軍大尉から、人類史における宇宙大航海時代を切り開いた最初の偉大なる船長として語り継がれるであろう。

 

 などと、シロッコは己が歴史上どのような立場になるかを考えてしまうところがある、少々功名心の強い男であった。

 そうであるがゆえに、いつ歴史に名が載るような事態になっても恥じぬよう、その心身を鍛え、スキルを身に着け、準備を怠らなかった。

 だからこそレビル将軍直属として木星まで派遣され、このような超文明の遺産を回収する重大な任務を任されたのである。

 

「よくできました。レビルも褒めているのです」

 

 艦橋内で分からないなりに解析しようと必死な航法士官や観測士官らを無視するかのように、悠々と公園の散策を終えて出てきたのは、軍医のマサキ中尉である。

 彼女の匂いを感じるほどに、マサキが無言でシロッコの傍に立つ。

 その香りを頼りに、記憶がくすぐられる。

 

 今でも覚えている。

 ナイメーヘン士官学校の卒業式の直後だ。

 プラム(※卒業記念のダンスパーティ。通常はパートナーを誘う)に誘う相手もおらず、野心ばかりが先だって、何もできぬ己に鬱屈した気持ちを抱えたまま河原に寝転んでいた。

 夕日をただぼんやりと浴びながら、草刈りボットがヴヴヴと雑草を刈り取る音と、緑臭さに包まれていたあの日。

 

『吐き気がするほど、ロマンチックなのです』

 

 麦わら帽子。

 白いワンピース。

 赤い夕陽に透かされた彼女の肢体のシルエット。

 

 出会ったその日に、彼女に特別な何かを感じたシロッコは、思わずマサキに見惚れた。

 そして、マサキもまたそれに応えた。

 

 シロッコの初めての相手は彼女であり、彼女の初めての相手もシロッコであった。

 

 それ以来、地球で、木星で、宇宙で、そしてガニメデで。

 たびたび、マサキと体を重ね合った。

 互いに快楽を知り、その果てを研究したこともある。

 ただ、どれだけ彼女と体を重ねても、互いの距離が埋まる実感はなく、残るは快楽の余韻と気だるさだけだ。

 そんな関係を何年も続けているシロッコとマサキは、互いを理解するということもなく、ただなんとなく二人でいる時を過ごすような、何とも言えぬ関係に落ち着いている。

 停滞というには互いの体を求めすぎている。

 だが、愛と呼べるほどには互いの心の輪郭を捉えているとは言えなかった。

 追いかければ消えてしまうだろうマサキの奔放さ。

 シロッコはそれを予感しているがゆえに、恋の残響のようなものに互いを預ける、あいまいな関係を続けてしまう。

 

「マサキ中尉。レビル将軍、閣下と呼びたまえ。いまは上番中だぞ」

「シロッコは真面目過ぎなのです」

「……大尉、だ」

 

 シロッコが眉を顰めるが、どうもマサキ中尉は気にしないらしい。

 だが、シロッコとてそれ以上綱紀粛正を図ることもない。

 彼女が手に負えない――文字通り、ただの女ではないことを熟知しているからだ。

 

「地球はどうだった?」

「よいところです。いまワイアットが顔を真っ赤にして議会を説得したり、ギレンが無責任にウィスキーのボトルを開けたりしているのです」

「なるほど、相変わらず俗世間はわからんな」

「そうですか? ボクは面白いとおもうのです」

 

 さもそうあるべき、と言わんばかりにマサキがシロッコの隣に立つ。

 その距離は、大尉と軍医という関係にしてはあまりにも近すぎるが、誰も気にすることはない。

 無論、シロッコ気に留めない。

 そのような初心さは、とうの昔にどこかに忘れてきてしまった。

 

 むしろ、マサキ中尉に距離をどうこう言うほうがナンセンスである。

 シロッコは知っている。

 彼女が頻繁に地球と木星の間を瞬間移動していることを。

 文字通り、シロッコなど置き去りにして遠くまで行ってしまえる女。

 

 

「シロッコのおかげで、地球圏にイデオンとソロシップがそろうのです。とてもいいことなのです」

 

 当然のように、マサキがシロッコの指に己の指を絡める。

 彼女がシロッコを求める合図であり、同時に、マサキとシロッコの間にある距離が埋まらない未来を予感させるサインでもある。

 

「――任務を終えてからだ。レビル将軍に試験航行の成功を報告すれば、休暇もいただけよう」

「お休みになったら、二人で発情期のパンダみたいにすごしたいのです」

「ああ」

 

 シロッコはマサキの指に応える。

 触れ合うことで感じるマサキのきめ細やかな肌。

 嘘をつかない、女。

 そして、嘘をつかぬゆえに、彼女に騙されているのだろうと予感するシロッコ。

 

「んっ。いやらしい触り方なのです」

「隠し事をする女には、指導が必要だからな」

 

 シロッコは確信する。

 このワープ空間から飛び出した先に、レビル将軍の歓迎艦が出ているということはないだろう。

 何か別のもの。

 そう、なにかろくでもないものが待ち受けているに違いない、と。

 そして厄介ごとに巻き込まれ――自分は破滅するのかもしれない。

 

 だが、そんな厄介ごとを何とかしのぐことができれば……と、顔を紅潮させているマサキを見る。

 そのあとの未来は、決めていた。

 歴史などどうでもいい。

 この女と、堕落しよう、と。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五〇話 0083 お前は知らないが、俺は覚えている

僕に預けた
とっくに忘れた
ラブレター
何故だか
今頃
涙が
溢れ出す

――降神『暴風雨』


 

 地球連邦軍の基本的軍事オプションを政治家に提示する統合ドクトリン(※軍内では単に統合教範と呼ぶ)教書には、連邦軍をどのように使用すべきかについて、戦略級、作戦級、戦術級の三層構造で説明している。

 その統合ドクトリンに基づき、各レベルに関する軍の運用についてのあれこれを細かくマニュアル化されたものが、いわゆる各級FMである。

 

 当然、クリスチーナ・マッケンジー少佐は指揮幕僚課程を修了しているため、統合ドクトリン及び、各級FMについての委細は当然頭に入っていた。

 

 そして、頭に入っているがゆえに――彼女に業務が集中していた。

 連邦とジオンのFMは当然、互いを仮想敵と設定しているそれであり、決して連携を前提としたものではない。

 しかし、今は共闘せざるを得ない。

 畢竟、G3(※作戦運用責任者)たるマッケンジー少佐は、ジオン艦隊のG3部門との調整タスクをこなす必要があった。

 

 この結果、現場で戦争をしながらも、同時に幹部級の調整活動を遂行しながら、戦術級の成果を総覧しなければならないという膨大すぎるタスク量に忙殺されているのだ。

 

 とはいえ、マッケンジー少佐は文字通り優秀であり、そのタスクを確実にこなしていく。

 トロイホースの艦長席に腰かけた彼女は、あごに手をやりながら戦術モニターを凝視していた。

 交戦宙域のど真ん中。

 シン大尉が何かを喚き散らしているが、それはミュートにして、ジオンとの火力運用調整に注力する。

 

 慣れぬジオンとの共同戦線。

 互いのOP(※作戦プロトコル。どのように命令を伝達し、受領し、戦力を管理運用し、戦闘KPIをどう設定するか)の共有を何とか曲りなりに整えて、ようやく互いの火力を有機的に連携させることができそうだ。

 

「――クワラン大尉、協力に感謝する」

 

 カウンターパートとなるジオン側のG3連絡士官に礼を述べる。

 かつて地球でワッパという小型偵察バイクもどきを乗り回していたという下士官出身の大尉は、現場からのたたき上げというだけあって、建前よりも実益を重視してくれたため、大変助かった。

 

『こちらこそ。早速ですがこちらのFO(※前進観測士官)から観測情報を送ります。連邦さんの艦艇火力のほうがアレなんで』

 

 クワラン大尉はジオン艦艇に比して火力優越を有する連邦艦艇の底力を肌身で知っているようだ。

 連邦は大艦巨砲主義を捨てられず、的外れの防衛予算投資を行っている、というのは何も知らない連中のたわ言である。

 

 MSだけを揃えれば勝てる、などというのは1年戦争初頭のジオン型ドクトリンの研究を全くしていない証拠でもある(あれはMSとミノフスキー粒子を実践運用した初の諸兵科統合ブラインド電撃戦である。連邦軍が訓練を重ねてきた艦艇火力と航空機動力を情報処理システムを介して高度に連携させる、インテリジェント優勢火力機動ドクトリンの根本を破壊するべく練り上げられた、一世一代の賭博的な教義が決まり手になった戦例である)。

 

 そもそも、MSの戦術的特性は3つに集約されてしまう。

 1 重装歩兵機能

 2 低次航空(宙)戦機能

 3 戦闘工兵機能

 

 つまり、これ以外のことは、それを専門とする兵器兵装に及ばないということだ。

 戦局を決する火力優越を確保する、という視点に立つならば、宇宙においては、軽快かつ高度の火器管制機能を持ち、大火力を継続的に戦場に投射できるサラミス級やマゼラン級を超える兵器はないのである(※なお、地上では砲兵やMBT派生のガンタンク等は大変強力であるのは実戦証明されている)。

 

 まさに、今のようなミノフスキー粒子が薄く、マトがうじゃうじゃとうろついている戦場こそ、地球連邦軍の宇宙艦艇にとって面目躍如のシチュエーションといえよう。

 

「火力要求を受領。FAAI経由で投射する。以上」

『了解。たまには連邦さんもいいところ見せてくださいよ。通信終わり』

 

 クワラン大尉との通信を終えるや否や、マッケンジー少佐は受領した要求火力データを戦列参加している艦艇に送付する。

 数秒も経たずに、各艦艇のメガ粒子砲が極太の光弾を宇宙空間にバラまき始めた。

 

「――修正情報、来ました」

 

 砲雷長からの報告。

 観測射撃に対するこまごまとした修正データが来ているが、火力要求に基づく初段階投射で相応に有効射が出ているようだ。

 

 戦線から送られてくる映像資料には、バケモノどもが大量に蒸発していく光景が写っていた。

 

「よし。以後の火力要求処理は砲雷長に委任する」

「了解」

 

 火力運用に関するプロトコル調整さえ終わってしまえば、あとは優秀な専門士官たちに委任しておけばいい。

 そのためにブリッジクルーたちは士官の階級章をつけて艦橋に乗り込んでいるのだから。

 

 一番厄介だったタスクを片づけたマッケンジー少佐は、ミュートにしていたシン大尉との通信を繋ぐ。

 

「こちら臨時CP。アルファリーダー、さっきから何を騒いでいる?」

 

 騒いでいられるうちは落とされない、というのはクリス自身、MSパイロット上がりであるため肌感覚で知っている。

 

『――こちらアルファリーダー。忙しいのはわかりますが、聞く耳くらいは持ってくださいよ。以下、報告。バケモノ連中は対抗学習を繰り返している模様。MSモドキに変容した事実を観測。ここからは、私見。こちらのMS運用に適合したカウンターを仕掛けてくる可能性、大ってやつです』

 

 シン大尉から送られてきた交戦ログを手早く参照する。

 戦術解析AIにも分析プロンプトを走らせる。

 シン大尉のいわんとしていることについて、AIも同意している。

 そもそも、交戦記録に映っているMSサイズの人型のバケモノが、シン大尉を撃ち抜かんと胞子弾を発射する様をみればシン大尉が嘘を言っていないことがわかる。

 

「よく回避したな。完全に無挙動の不意打ちだぞ」

『褒めても何も出ませんよ。それより連邦艦隊をもっと前に押し出してください。援護火力の密度が薄すぎます。こっちの位置データを常時送ってるんですから、スマートFCS経由で誤射ゼロ火力投射やれるんじゃないです?』

 

 シン大尉から火力要求とともに、連邦系MS部隊の臨時前進統制CPを設置した旨が届く。

 どうやら、こちらが大局に関する仕事をしている間、あちらは雑多に集まっていた連邦側のMS部隊の統制をとるべく手配し、稼働させたようだ。

 

「シン大尉、貴官は実戦となると優秀だな。なぜ普段からそうしないのか」

『逆です、逆。こういう時に真面目にやるパワーを、普段貯めてるんです』

「ものはいいようだな」

 

 軽口を飛ばしながらも、マッケンジー少佐は全艦に前進射撃を命じる。

 モニタに表示されている艦隊図に移動ベクトルがリアタイで表示されていく。

 

『――お、火力密度が上がってきました。感謝します。ところで、増援は期待できそうですか?』

「ゴップ閣下のおかげで、第一、第三軌道艦隊が15分後に戦列に加わる」

『そりゃ何より。艦隊直掩のムラサメ研の連中はどうです? 直掩防空ちゃんとやってます? ヤバかったらヤザンたちを回しますが』

「手堅く仕事をしてくれている。おかげで艦隊被害は今のところない。貴官らはそのまま戦線を押し上げろ」

 

 シン大尉は以前、対NT教導演習でムラサメ研から派遣されたリュウ大尉とゼロ中尉にボコボコにされているから気がかりなのだろう。

 彼は器の小さいところがあるからな。

 

『了解。アルファリーダーよりアルファ201、アルファ301へ。是よりGマニューバ4で前進するぞ。隊を統制しろ』

『了解』『あいよ』

 

 MS部隊が戦闘行動に入ったので、マッケンジー少佐はシン大尉らの武運を祈りつつ、来援する第一、第三軌道艦隊との調整タスクにかかる。

 

 

 

 

 第一軌道艦隊、第三軌道艦隊を連れてきた仕掛け人たるゴップ大将の座乗艦『ペガサス』の艦橋は、不穏な空気に包まれていた。

 幕僚たちは、普段温厚なゴップ閣下がイライラしながら貧乏ゆすりをしてるという珍しい光景に動揺していた。

 

 だが、艦橋で最も階級が低く、それでいて最も敬意を払われる女性下士官であるグレース最上級先任曹長は、事の発端は、ムラサメ研究所所属のジムカスタム高機動型が満身創痍のエマージェンシー着艦を行ったことであると気づいていた。

 

 GP計画をあの手この手で封印してきたゴップをあざ笑うかのようにGP01Fb用の高機動推進ユニットを背負ったそれが、ペガサスの足に飛び込んできたからなのかは不明であるが、あのジムカスタム高機動型がやってきて以来、普段は温厚なゴップ大将がどこかイライラした様子をみせたため、艦橋の幕僚たちは動揺した。

 

 しかも、ゴップ閣下直々に「さっさと艦橋に上がってこい」と命じられたジムカスタム高機動型のパイロットは、いまだにブリッジに来ない。

 どこかで道草を食っているのか、と甲板部の士官が気を利かせて艦内センサとカメラで探したが、なぜかデジタル上の痕跡がゼロで、ますます混乱が深まるばかりだ。

もしや、ほぼ大破と言っていいアレの着艦により、ペガサスの電子機器類に影響がでたのか? などと技術士官たちが相談する始末である。

 

「閣下、幕僚たちが動じています。抑えてください」

 

 かつて士官学校の戦技教官としてビシバシとゴップを鍛えたころからうん十年。

 いまでは互いに年を取り、偉そうに司令部で椅子を温める立場になってしまった。

 

「教官……失敬。つい、な」

 

 ゴップ大将がふう、と息を大きくはき、背筋を伸ばす。

 

「すまんな、諸君。すこし空腹でイラついたようだ。はっはっは」

「プロテインバーです」とグレース最上級先任曹長が簡易レーションを差し出す。

「世話をかけますなぁ、教官殿」

 

 鷹揚に笑うゴップの姿をみた幕僚たちが、なにやら幕引きが相成ったらしいと勝手に納得して、それぞれの業務に対する集中力を取り戻したようだ。

 

「それで、何をイラついておられたので?」

 

 グレース最上級先任曹長はゴップに訊ねる。

 個人的に親しい間柄では決してないのだが、軍人としてはかつて師弟関係であり、また互いに幾年月もそれぞれの領分で血と汗を流したものだから、強い仲間意識はある。

 これはゴップ大将も同じのようで、大将という階級章を肩に載せているにもかかわらず、いまだにグレースに対しては教官という敬称をつけてくれている。

 

「……先ほど飛び込んできた機体のパイロット。少々個人的な交友がありましてな」

 

 バツが悪そうに答えるゴップ大将の姿に、グレースは首をかしげる。

 なぜ大将が一介の大尉と個人的な交友があるのか見当がつかなかった。

 互いの職務領域が離れすぎているのだ。

 将官レベルの業務は、ほとんどの場合佐官たちとの協働となる。

 ましてや現場職であるMSパイロットと、ジャブローの穴倉司令部で仕事をするゴップ閣下が仕事を通して知り合う機会など――現地視察のときの、儀礼的な挨拶以外ないのではないかとすら思える。

 

「は。私には分かりかねますが、親戚かなにかで?」

「まぁ、そんなところです」

 

 甥っ子かなにかなのだろうか? とグレースは深く探りを入れることなく、そこで話を切り上げた。

 そんなことよりも、宇宙怪獣騒ぎのほうがはるかに重要だったからだ。

 

 

 

 グレース教官の問いを話半分に受け流していたゴップは、量子脳通信によるリュウからのコンタクトをさばいていた。

 

『――つまり、DG細胞による特級テクノハザードの成れの果てが、イデの意思を導体として並行世界を渡り続けているんだ。奴らの求めているものは救済。テクノハザードに巻き込まれ全体意思として強制結合された個々の自由意思を再び取り戻すことだ』

 

 艦内のセンサやカメラ類にダミーデータを送りながら、リュウが館内に侵襲していたDG細胞の芽胞を始末している。

 

 ビューティーメモリーを強奪してきたかと思えば、突然ここに殴りこんできて好き勝手な理屈を垂れ流してくる品のなさは、間違いなくシンと同じだ。

 

「(ビューティーメモリーのそのメソッドがあるとして、それをどう伝えるのよ?)」

 

 ゴップはグレース教官から差し出されたプロテインバーをちまちまとかじりながら、トンデモ理論とジオンの秘宝たるビューティーメモリーの使い方について、様々なシナリオを検討する。

 

『俺が、やる』

 

 覚悟が決まった波長。

 バカがバカなりに必死になっているのが伝わってくる。

 

「(やるって……まさか、あんた死ぬつもりじゃないでしょうね!?)」

『他に手があるのか?』

 

 リュウから送られてきたプランは極めてシンプルだ。

 ビューティーメモリーと接続を確立した量子脳保持者が、バイオ中継器となってDG細胞に取り込まれることで、ビューティーメモリーとDG細胞群のコミュニケーション仲介を行うというイカレプラン。

 どう考えても、DG細胞群とビューティーメモリーの間の情報トラフィックの膨大さによって量子脳が破壊されて終わる未来しか見えない。

 

 事態は解決できるかもしれないが、バカが確実に死んでしまう。

 

『――具体的なミッションプランだ』

 

 リュウから送付されてきたシナリオは、ムラサメ研のトンデモ兵器投入及び、強化人間たちによる一世一代の自己犠牲作戦。

 あまりにも視野狭窄過ぎるため、ゴップは脳内で却下のハンコを押す。

 

「(あんたなんなの? 突然現れて、突然こっちの世界をいじくり倒して、最後は死んでサヨナラ? ふざけんな!)」

 

 ゴップは量子脳の内部で教育教育教育指導指導指導とスタンプを連打する。

 

「(あたしはね、あんたみたいなのが一番嫌いなの! 未来はこれしかないっ! みたいなこといって、すぐ安易な解決策に落ち着く直線的な思考が大嫌いっ! あんたなんなの? ガンダムユニコーンみてないの? 可能性を――本当はないかもしれないけれど、それでもあがいていくっての、心に刻んでないわけ?)」

 

 不満だった。

 リュウ――の中身に入り込んでいるシンの直情と不器用が。

そして、彼を送り込んだ元凶の、どこかのあたし自身に対して、中指を立てる。

 どんな呪いを彼に掛けたのか。

 どんな言葉を吐いたら、バカなガノタでしかないシンがこうなるのか。

 いまの彼は、呪いを希望だと思い込んであがいているとんでもない怪物になってしまっている。

 

「(絶対、こんなプラン、承認しないから。ゼロ中尉やアン少尉だけじゃない。ムラサメ研究所の連中も、こんなところで無駄死にさせていい連中じゃないのに)」

『お前の承認なんか関係ない。俺は、やる。ゼロもアンも分かってくれている』

 

 命の天秤がおかしくなっているリュウの態度に、ゴップは心中で頭を抱える。

 この戦いで、仮にゴップが戦死したとして何の問題があるというのか。

 連邦にはレビルやジャミトフがいる。

 ジオンにはギレンの次世代たるガルマやそれを支える若手たちがいる。

 もう、この世界の宇宙世紀は、多くのガノタたちが知る血みどろで陰惨な宇宙世紀にはならないように大きな流れが出来ているのだ。

 

 つまり、あたしは既に、ガノタとしてある程度満足がいく結果を得ているということ。

 あとは静かに、去るだけだ。

 

『……なぜお前は、そうやって大局的なものの見方のふりをして、心を隠してしまうんだ』

「(はぁ? 何言ってんのよ? あたしはね、ちゃんとガノタとしてやりたいことやったし、歴史の流れだって作り出したわ。そりゃ心残りなところも無いわけじゃないけど、何でもかんでも都合よく手に入る世界なんてないんだから――)」

『そうさっ! その通りだよ……お前はそうやって、いつも自分を納得させたふりをして、最後までこの世界を優先するんだ!』

 

 リュウの心が荒れた感覚がストレートに伝わってくる。

 痛みとは違う。

 苦しみとも違う。

 悲しみでも、ない。

 伝わるは、イメージ。 

 

 かき氷

 夏祭り

 約束

 待ち合わせ

 焼きそばの香り

 祭囃子、汗流し「ねぇねぇ痩せた、あたし?」

 浴衣に委ねる姿

 宇野サララになった、あたし

 手を差し出すと

 その手を取るかどうか気恥ずかしそうに悩む誰かがいた。

 

 与えられたビジョンに、思わず心打たれる。

 見ないようにしていたなにか。

 夢見てはいけない、なにかを、見せられてしまったのではないだろうか。

 

「なに……これ……」

 

 ゴップは思わず現実で言葉をこぼした。

 視界が切り替わり、イマジナリーの世界から武骨な軍艦の艦橋に引き戻される。

 あくせくと働く幕僚たち。

 怪訝そうな顔をしてこちらを慮っているグレース教官。

 そして、眼前に立つ精強なクロヒョウの如きパイロット。

 彼はかかとを揃え、姿勢を正し、挙手の敬礼を以ってゴップに向き合っている。

 

「リュウ・ムラサメ大尉、出頭いたしました」

 

 悔恨に支配された黒々とした瞳。

 意思の強さそのままに結ばれた唇。

 対面して、すぐに察した。

 この男は、もう、決めているのだ、と。

 

 だからこそ、こいつを止めないといけない。

 死なせたくなどないからだ。

 まだこの世界に必要なガノタの一人として、責任を果たしてもらいたい。

 だから、決めた。

 こいつがどこかのあたしから引き受けてきた呪いは、あたしがこの手でケリをつける、と。

 

「――この男を、拘束しろ」

 

 ゴップは控えていた憲兵たちに、命じる。

 もう、心に躊躇いはなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五一話 0083 地球軌道決戦1

傷ついても投げださないってことを学ぶのが、大人になるってことなんです。

――ティモシー・ザーン『不思議の国トリプレット』


 

 ゼロ・ムラサメ中尉はコックピットの片隅にあるスイッチをいじる。

 光通信ではなく、古式ゆかしき短波無線の周波数を調整する。

 

「さすがイオ中尉。いい趣味してるね」

 

 イオ・フレミング中尉及びその趣味仲間の機体を基地局とした、軍規違反のラジオに耳を傾ける。

 宇宙世紀JAZZは地球時代のジャズ以上にフリーで切実だ。

 なにせ、人々は全く自由ではないからだ。

 連邦議会と連邦政府の権力分立はあいまいになり、地方自治政府と連邦政府の二重統治による市民の税負担の肥大化。

 法は国家を守るために運用され、すでに人々の手からは国家からの自由が失われて久しい。

 一方、地球時代のJAZZは国家からの自由(※憲法が国民が国家に対する防御権となり、国民は憲法を盾として国家に対抗しえた時代)が成し遂げられていたせいだろうか、どこかJAZZは自由である以上に技巧的であることのほうが好まれたようだ。

 

『――何聴いてるの、ゼロ兄?』

 

 全天周モニタの3時方向には、アン少尉のペイルライダーDⅡ。シェキナー内蔵のガトリングシステムがフル稼働中だ。スマート弾頭を搭載した弾体が大量に射出され、それらがバケモノたちをミンチに変えていく。

 

「海賊放送さ。やっぱりJAZZは面白いね。自由とは何か、というのを自然言語とは違う形で語ってくれるんだ」

 

 宇宙世紀JAZZが奏でる『自由』はとても興味深い。

 テーマとなっているのは、自由に伴う『孤独』だ。

 宇宙世紀JAZZは決して『責任』を音色にしない。なぜなら、自由であることに伴うのは責任ではなく、孤独だけだからだ。

 責任はいつだって法規範、社会規範、倫理規範などによって生み出される価値概念でしかなく、人間の自分自身の内面に由来する『自由』に責任など伴うはずもない。

 内発的自由の究極形は、すべてからの自由――友も、愛も、仲間たちからすらも自由――であるがゆえに、主旋律の自由には必ず、伴奏としての孤独が奏でられてしまうものだ。

 

「そう、自由になりたいという君たちの思いは――本当に君たちの意思なんだろうか?」

 

 ゼロ中尉がバケモノのコアに、ビームサーベルを突き立てながらとう。

 返ってくるのは雑然とした衝動だけ。

 全体意思のもとに、個を捨てた思考がどうなるのかを示す一つの例だった。

 

「僕はね、人間の自由意思にとても懐疑的なんだ。だって、自分の思考や、感情、欲求や意思が自分だけのものだなんてとても思えないんだ。僕はね、リュウと話しているのなんだかワクワクしたりするし、こうやって彼のために戦っていると、とても幸せを感じる」

 

 ゼロ中尉のペイルライダーDⅡが同時に複数のMSモドキのバケモノをハチの巣にする。

 すでにシェキナーは投棄し、補給コンテナからもらい受けたゲルググJ用のビームマシンガンで戦っている。

 完全なる消耗戦。

 マッケンジー少佐がジオン側とロジを詰めてくれたおかげで、今では互いにサプライラインを繋ぐことができている。

 まずは火力、そして補給。

 連邦とジオンは必要に迫られればその段階まで協同できるようになるのが、ゼロにっとてとても面白おかしかった。

 つい数年前まで殺しあっていた連中が、今度は手を取り合ってバケモノと戦えてしまうのならば、そもそも一年戦争なんてやらなければよかったのだ。

 

「――なんだろうな、僕の意思はいつだって誰かの影響をうけてるんだ。僕は元々コーヒーが大嫌いだったんだ。苦くて、酸っぱくてさ。でも、リュウが野戦演習の時にさ、寒がっている僕にインスタントコーヒーをいれてくれたんだ。安物で、インクとそんなに変わらない酷い代物なんだ。もちろん、まずくて仕方なかった」

 

 ペイルライダーDⅡの拳がMSモドキの腹部をえぐる。

 引きずりだしたコアを握りつぶしながら、ゼロは言葉をつづける。

 

「それ以来、僕は毎朝コーヒーを飲んでる。まずいなぁって思いながら、好きになってしまったんだ。これって僕の自由意思なんだろうか? それともリュウの意思なんだろうか?」

 

 普通の機体とパイロットであれば、DG細胞に取り込まれてしまうところだが、ゼロにはその心配はない。量子脳による情報干渉を行い、飽和計算量でDG細胞の死活させるからだ。

 もとよりムラサメ研究所で研究されていた量子脳技術は、来るべき地球外生命体との接触に備えて開発されていた高度コミュニケーションツールを原型としている。その地球外生命体が、こちらの思考形態と違った場合は、思考汚染を防ぐためにブルートフォースアタックで自衛する仕組みを備えていた。

 

「どうかな。僕の言いたいことは少しくらい伝わっただろうか」

 

 ゼロとアンのペイルライダー2機の暴虐たる破壊力により、トロイホースを中心とする臨時CP艦隊の宙域に残敵なしと相成った。

 

『臨時CPより装備開発実験団へ。直掩、感謝する。30秒後に第一軌道艦隊、第三軌道艦隊が超越前進を行う。我々はその後方に続く。随伴できるか?』

 

 マッケンジー少佐はようやく肩の荷を降ろせるようだ。

 連邦の正規艦隊の御到着により、文字通り飽和火力戦が始まるだろう。

 ジオン艦隊も連邦艦隊の動きに合わせるように、自己の担当戦域を再編しつつある。

 

「こちら、装備開発実験団MS隊司令代理、ゼロ・ムラサメ中尉です。こちらも30秒後に地球から打ち上げられた増援部隊を受け入れます。180秒の猶予を頂きたいです」

『了解。第一、第三軌道艦隊の超越後、我々は装備実験団の再編を待って前進する』

「ありがとうございます」

 

 ゼロ中尉が謝礼を述べて十秒も経たず、背後から無数の質量が現れた。

 戦後、各地の無人工廠で大量生産されたサラミス改級巡洋艦と、コロンブス級空母を中心とした火力のハリネズミたるファランクス・ドクトリン艦隊である。

 

ゼロ中尉の機体の真横を通り過ぎる巨大なコロンブス級空母から光通信が届けられた。

『貴隊の奮闘に、感謝する』というシンプルなメッセージ。

 サラミス級巡洋艦たちがビーム満艦飾を誇らしげに掲げている様は、まさに地球連邦軍はここにいるぞと声高らかに宣言しているように思える。

 

『――なんか、勝てちゃうんじゃない? ゼロ兄』

 

 今まで連邦軍の他部隊に感謝されるなどという経験がないアン少尉が、興奮したようにうわずった声で話しかけてきた。

 

「そうかもね」

『おーいっ! がんばってねーっ! わたしたちも、すぐ追いつくからっ!』

 

 アン少尉のペイルライダーDⅡが、通り過ぎるサラミス改級の甲板にズラリとスクランブル待機しているジム改中隊に手を振る。

 すると、ジム改中隊の面々が、ブルパップマシンガンで捧げ銃の姿勢をとって答礼してくれた。

 

『みたっ!? みたっ!? ゼロ兄っ?』

 

 アン少尉の喜びの波長が、ゼロの量子脳にストレートに照射される。

 彼女にとって、誰かに認められるということはこんなにも嬉しく、幸せなことなのだということが伝わってくる。

 だからこそ、やはりゼロ中尉は人間の自由意思とやらに疑問をもってしまう。

 それは、そんなに大事なものなのだろうか?

 僕やアンが感じるこの気持ちのままに、生きていたらダメなのだろうか?

 どこの誰とも知らないジム改中隊との間に感じた戦場の絆に任せて、士気高らかに戦うことは、本当に自由からの逃走なのだろうか?

 

「やっぱりわからないよ、僕はこの世界ってやつが、全然わからないや」

 

 サバンナのゾウのウンコよ、聞いてくれ。

 人類がアフリカを旅立って何十万年。

いまだに僕はウンコみたいなこと考えてるんだ。

 

 

 

 

 連邦艦隊の増援だろうか。

 はるか後方の閃光の数が目に見えて多くなった。

 

『指向性爆薬セット。3,2.1――』

 

 海兵隊のゲルググMが設置したそれが爆ぜる。

 ここはバケモノどもの要塞の表面。

 ソロモンやア・バオア・クーの比ではない巨大な体積のおかげが、敵の防衛網には当然の如くムラがあり、クラウン隊及びシーマの海兵隊は手痛い犠牲を払いながらも、ここまでたどり着くことができた。

 

『侵入口、よし』

 

 ゲルググMとクラウン隊のゲルググJが火器を構えて穴をのぞき込む。

 映画のように颯爽と飛び込むようなことはしない。

 すでに手持ちの火器弾薬及びEパックは2,3交戦分しかなく、推進剤も離脱用+α程度しか残されていないからだ。

 

『――さぁて、あとは誘導装置をつけて任務完了さね』

 

 シーマ中佐の専用ゲルググMが何やら要塞級の表面のサンプルを収集した密封容器を腰にアタッチしている。

 

「中佐、それはやめたほうが……」

 

 クラウンはDG細胞の脅威を把握していた。

 否、ここにいる海兵隊、クラウン隊共にその恐ろしさを把握していた。

 被弾し、KIAした仲間の機体が突然動き出し、こちらに同化を迫ってくる様は恐怖以外の何物でもなかった。

 

『モーラ・バシット謹製の完全情報遮断装置ってのがついてるらしい。あたしだってこんな不気味なもん持ち帰りたくはないが、仕事なんでね』

 

 どうやら海兵隊の任務は、要塞級の手薄なところ――つまり、突入用の進路啓開誘導が第一任務であり、工作部隊としてサンプルのお持ち帰りもやる、というところのようだ。

 シーマ様の部隊はこれにて、撤退、ということだろう。

 

『あたしらは帰るが、そっちはどうするのさ?』

 

 シーマの海兵隊の面々は誘導装置を手際よく設置し、すでに撤退準備にかかっている。

 

「――我々の任務は、限りなく要塞内の深奥部に侵出することです」

 

 クラウン隊の目的は、この要塞級の巨大構造物の内部を調べられる限り調べ、そのデータを持ち帰ることだ。

 何人死のうとも構わない。

 誰か一人でも生き残り、要塞内部の情報を持ち帰りさえすれば、それでジオンは攻略のための戦略を立てられる。

 未知こそ、最大の障壁となるのであればそれを取り払うだけのこと。

 ジオンにおいて――ギレンが手元に置いているコマの中で、それが可能であろうと思われるのは、クラウンこそ第一候補であった。

 

『……ちっ。情がわいちまったよ。少ないが、使いな』

 

 海兵隊のゲルググMたちが牽引していた補給品コンテナの一部を譲渡される。

 

「いや、しかし中佐たちもご入用でしょう?」

『なんだい、贈り物も素直に受け取れないとは、ジオン殊勲十字章持ちのエリート大尉さんは女の扱いがなってないねぇ』

 

 ちげぇねぇ、と海兵隊のゲルググたちから野卑な笑う声が飛んでくる。

 そして、クラウン隊のゲルググJたちと、海兵隊のゲルググMたちが、互いに拳を突き出し、軽く合わせる。

 道中を共にしただけの関係だが、互いに背中を預け合った関係でもある。

 クラウン隊と、海兵隊はもう戦友なのだ。

 

『命令だ――死ぬのは、もっといい男になってからにしな、大尉』

 

 拳を突き合わせたシーマ機からの接触回線。

 シーマとクラウンだけが知る、記録に残らぬ会話だ。

 

「了解。ガラハウ中佐も、ご武運を」

『帰ったら、一杯付き合え、大尉』

「はっ。光栄です」

 

 しばしの沈黙の後、シーマたちのゲルググMたちが後退機動に移行する。

 クラウン隊は離脱する海兵隊の背中を見送る。

 

「――クラウン隊各機に告ぐ。ここからは死の行進だ。帰ってこれる保証はどこにもない」

 

 クラウンの言葉に対して、返ってくるのは沈黙だけだ。

 

「だが、そんなことは知ったことか。俺を見ろ。俺に続け。ジーク・ジオンっ!」

 

 クラウンの雄叫び。

 相対するは、荒ぶる斉唱。

 

『ジーク・ジオン!!!!』

 

 遠くに過行く海兵隊に背を向けたクラウン隊は、ハイザックを先頭にして侵入口へと突入していった。

 

 

 

 空母ドロスの中央に存在するコマンドルームには、カスペン上級大佐以下、各参謀及びそのスタッフたちが詰めていた。

 

 カスペン上級大佐は、地球降下JTF改め、臨時で再編された未確認物体初動対策司令部の司令官に横滑りしていた。連邦がいまだに臨時CPしか設置できいない状況に比して、いかに実戦の場で事務効率を高めていくかのノウハウをジオンが有しているかの証左でもあろう。

 

「――来ました! シーマ隊からの誘導信号受信」

「クラウン隊からも、要塞級未確認物体の内部情報、受信!」

 

 観測班と解析班がそれぞれ、もたらされた重大情報を息をのんで処理している。

 以後『アルファ侵入口』と呼称されることになるこの地点に、橋頭保と前進補給所を設置するのが作戦の第二段階となる。

 

 やったか、とカスペン上級大佐は、人類が直面した最悪のファーストコンタクトを好転させる機会を作り出した海兵隊とクラウン隊に心中で喝采する。

 

「よし、キマイラ隊、ラル隊を中心としたMSTFを投入し、橋頭保と前進補給所を設営させる。MSTF指揮権ははラル少佐に付与。参謀部は直ちにキマイラ隊、ラル隊を直協できるMS大隊を三個以上抽出するとともに、偵察/観測MS中隊を一個つけよ」

 

 観測MSを派遣しておけば、来援した連邦艦隊の火力を存分に使える。

 すでにG3調整は終わっているのだから、要求射撃のみならず、計画射撃すらも遂行可能だろう。

 

「前進中の連邦軍第一軌道艦隊、第三軌道艦隊に対して火力計画書を提出しろ。有無を言わさずやらせればいい。遅刻参戦の手土産というやつを見せてもらえ」

 

 カスペン上級大佐は矢継ぎ早に指示を飛ばしながらも、ストレスを感じていた。

 本当であれば、自分もこの歴史的会戦にMSで飛び込んでいきたいのだ。

 しかし、指揮官としての役割をこなせる階級を有し、専門教育を受けた存在は、いまのところは自分だけだ。

 ゆえに、責任というものを果たさなければならない。

 

「カスペン司令、地球方面軍統合司令官のマ・クベ大将から通信です」

「繋げ」

 

 この忙しい時に、と思いつつもないがしろにしていい存在ではないため、取り急ぎ対応する。

 

「未確認物体初動対策司令官のカスペン上級大佐です」

 

 通信がつながるや否や、直ちに申告をする。

 

『マ・クベである。手短に言う。増援を送った。うまく使え』

「は?」

『以上』

 

 音声のみで、映像が届く前に通信が終わってしまった。

 いまのは間違いかなにかか? とカスペンが困惑していると、人事参謀から受入れ予定リストが差し出された。

 軍隊の参謀というものは何かにつけて表をつくるのだが、ジオンの参謀は誰もかれもが表づくりの達人だった。

 

「マ・クベ大将は正気なのか?」

 

 カスペンは目を疑った。

 送られてくる増援部隊の指揮官はザビ家のプリンス。

 そう、ガルマ・ザビ少将である。

 泥臭い地上戦を知る軍人であり、そして地球連邦との一年戦争停戦を実現した政治家でもある。

 当然、国民の人気は大変高く、世論の後押しを受けての次代公王就任は間違いないだろう。

 

 そのようなプリンスを、この危険極まりない戦場に放り込むという判断を、マ・クベ大将は下したのだ。

 意味が分からない。

意図も分からない。

カスペンのような、軍政畑に疎いがゆえに万年佐官をやってるような人間にとって、理解など出来ようもない。

 

 カスペンは仕方なく、通信を本国の統合参謀本部につなぐ。

 事前に想定質問を用意していたので、統合参謀本部からの回答は極めて明瞭であった。

 

 1 ガルマ少将に指揮権を引き継ぐ

 2 カスペン上級大佐は、ガルマ少将の参謀長に就任

 3 未確認物体初動対策司令室は解散。新設される対外機動防衛軍にすべて継承する

 

 つまり、偉い連中の間でどのような調整が行われたのかは皆目見当もつかないが、このバケモノ退治専門の軍が誕生し、そこに皆で横滑りというわけだ。

 最も腹が立つのは、参謀長職を押し付けられたことだ。

 もし次世代のプリンスの責任になりかねない重大事が発生した場合、誰かが代わりにハラキリをしなければならない。

 そのハラキリ役にカスペンが選ばれたということだろう。

 今までは名目上の上司であるマ・クベ大将がハラキリ役だったのだが――

 

「おのれっ! マ・クベ大将! どさくさに紛れて責任を押し付けてきたのかっ!」

 

 カスペンが頭を抱えて荒れているが、参謀たちはそんな司令のことなど無視して、淡々と己の職務をこなしている。

 ここは戦場。

 指揮官がストレスで謎の振る舞いをしたとて、参謀にとってそんなものは日常でしかないのである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五二話 0083 地球軌道決戦2

生き方の基本とはまず「普通に生きながらえる」ことを目指す。そして、そこを目指すために意志と力を持つべきだとも言えるでしょう

――ヨシユキ・トミノ


 

 地球軌道上の激戦区の端。

 装備開発実験団(※ムラサメ研究所)が用意した、旧式のコロンブス級空母2隻が打ち上げ用ロケットを分離し、受け入れ準備をしていた先発艦艇であるペガサスジュニアに合流する。

 この2隻の旧式のコロンブス級空母は、艦艇に関して何の思い入れもないムラサメ研の技術屋たちによって、コ級試作無人空母壱号、同弐号と呼称されている。

 一年戦争の終結後、ジオンとの経済的・政治的結び付きの深化にともない、地球連邦政府の軍縮徹底が進むのは目に見えていた。

 しかし、連邦軍としてはジオンと揉めた時の最低限の武力を維持する義務がある。

 その結果、徹底的に人件費を削りながらも戦力を維持する方策として、様々な無人化装備の研究開発に予算が振られていた。

 もちろん、その予算とはGP計画その他、様々な有人MS開発計画やガンダムタイプの開発費をとり潰すことで捻出されている。

 

 とはいえ、コ級無人空母壱号、弐号は、完全無人化にはたどり着いていない。

AIを主軸としながらも、今だ機関部門とMS運用に関する整備人員に関しては、どうしても少数の艦艇乗組員に頼らざるを得なかった。

 

 さて、コ級無人空母壱号、弐号には、ムラサメ研究所のマッドサイエンティストたちがその歪んだ知性にて実現させた、第二世代強化人間(※第一世代は、ゼロやアンなどの、試行錯誤結果生み出された強化人間たちを指す)が、100人単位のケントゥリア(※百人隊)を組んで、2ユニット分、乗船し、積載されたMSにて搭乗待機している。

 

「デフュコポォっ!! 見たでござるか!? これで拙者の勝ち確定でござるぞっ。いやはや、拙者やはりNTでござったか、失敬、失敬!」

『さすがですぞ、ゴザール殿っ!』

『小生、感極まって全裸待機にて候!』

 

 コ級無人空母壱号のMSハンガーに詰め込まれているジム改の群れ。

そのコックピットには第二世代強化人間たちが待機――ではなく、一心不乱にシミュレーションモードの対人戦の様子を見守っている。

 既に隊長機以外は撃墜ないし被弾判定で戦うことは許されていない。

 ゆえに、隊長機同士の一騎打ちで盛り上がるしかない。

 

 第一ケントゥリアであるゴザール・デ・ゴザール少尉。

 第二ケントゥリアを率いるギャル・リバイバル少尉。

 両者の空間戦演習は、まさに佳境である。

 大気圏離脱の高G状況下でも難なく遊び――訓練に励めるところが、第二世代強化人間の身体能力の高さを証明している。

 

『いや、全然勝ってねーし。なんならあーしの勝ちなんすけど』

 

 ギャル少尉のバカにした声。

 

『マジオタクってなんなん? すぐ調子乗るじゃん』

『ちょっとパンツ見えたら鼻息荒くしてさ、マジ、チンパンかよっ』

 

 第二ケントゥリオからの猛抗議を受けて、ゴザール少尉はひるむ。

 

「むむむっ! 数字の上でも、戦術状況的にも拙者の機体が優越っ! ギャル少尉の機体は既にボロボロにて候!」

『敗北クッコロキタコレッ!』

『小生は心頭滅却にて全裸待機候!』

 

 第一ケントゥリア連中が異様な熱気に包まれる。

 一方の第二ケントゥリアたちはその熱気に顔をしかめている。

 

『ボロボロなのはそっちじゃん。ゴザルって、そういうとこあるよね? 冷静に見れないっていうか、判断が直情的っていうか――黙ってれば、イイオトコなのに、もったいないよ?』

 

 ギャル少尉からの想定外のコメントに、演習画面内のゴザール少尉のジム改が硬直する。

 戦場においては、致命的なそれである。

 

「拙者が、イイ、オトコ……!?」

『チョロw』

 

 ギャル少尉のジム改が担いでいたバズーカを撃つ。

 音速の砲弾が飛来。

 停止していたゴザール少尉の機体は、あっさりと爆散する。

 

「んほぉっ!?」

 

 奇怪な声を上げるゴザール少尉。

 

『ゴザルどのぉぉぉぉ!?』

『あばばばbっ!』

『全裸待機してたのに……』

 

 第一ケントゥリアの面々が、悲喜こもごもに叫ぶ。

 

『ザッコっ! イキリ乙。んなわけで、今後はあーしらのいうこと聞いてもらうから』

 

 ギャル少尉がふふん、とゴザール少尉を鼻で笑った。

 

「くぅぅぅぅ……拙者、せっかくガンダムの世界に転生したというのに、またしても虐げられることになろうとは……悲しいけど、これって戦争なのでござるな……」

『ウザ。ゴザルはさぁ、すぐファーストガンダムのセリフ言うじゃん。そういうとこキモいぞっ。あーあ、あーしはロックオン様に会いたかったなぁ』

 

 第二世代強化人間――2ndGNTは、ロームフェラ財団他、様々なトラップに引っかかってムラサメ研送りにされた成れの果てのガノタたちである。

 彼ら、彼女たちは総じてガンダムワールドを各自勝手にエンジョイしていたのだが、ガノタというのは愚かしいもの。好奇心のままにこの世界をつつきまわり、結局は悪いガノタたちに捕まってしまったのだ。

 

 ガノタボーナスとして、どのガノタも大抵は並々ならぬ学習速度でMS操縦技能を習得する傾向があるため(※好きこそ、ものの上手なれ理論)、ムラサメ研究所の強化人間プロジェクトには好都合な実験素体たちばかりであった。

 

 ムラサメ研究所のヘンタイ科学者たちにあんなことやこんなことをされて調教――調整されたガノタたちは、いまや十分な使い捨てのコマ――ムラサメ研究所の基幹戦力のMS部隊として編成され、この戦場に合流したのだ。

 

「不覚っ! 拙者、一生の不覚っ!」

 

 ゴザール少尉による苦悶の叫び。

 

『ゴザル殿が泣いておられる……』

『小生、ゴザル少尉殿がさんざんイキリ散らかしていた時から、悪い予感がしておりましたぞ』

『しばらくはパシリ生活でやんす』

 

 あれこれ部下たちに言われているゴザール少尉であるが……。 

 ギャル少尉に敗北し、小ばかにされ、第二ケントゥリアの女性たちに格下宣言をうけているとき、ゴザール少尉はふつふつと沸き起こる衝動に身を焦がしていた。

 怒り――ではない。

 

 むしろ、歓喜。

 

 本来であれば第一ケントゥリオの隊長として怒りに身を焦がし、再戦を誓わねばならぬというのに、ゴザール少尉は喜びを覚えてしまったのだ。

 ギャル少尉のムチムチの肢体に虐げられる自分の姿を想像するだけで、とんでもない昂ぶりを覚えてしまい――同僚にそのような劣情を抱いているなどとは拙者の武士道に反するでござる、と相成りルナマリアちゃんの薄い本に救いを求めてしまうしかない、これは待ったなしでござる、などと錯乱していた。

 

『――各機傾聴。臨時で装備開発実験団MS大隊長を拝命したゼロ中尉だ。そろそろお遊戯はおわったかな?』

 

 ゼロからの通信に、第一、第二ケントゥリアに属するガノタたちが押し黙る。

 すでにガノタたちは調教済みのため、自らの直属の上司の命令には何の疑問も挟まず従うようになっているのだ。

 

『結構。静かになるまでコンマ1秒かからないなんて、成長したね』

 

 ゼロの声を無感情で聞くガノタたち。

 その表情は先ほどまでのMSバトルにともなう動物園的騒がしさのガノタの輝きはなく、何の心理的抵抗もなく命じられた敵を破壊する兵器の面構えになっていた。

 

『じゃあ、皆、そろそろ出番だから。今から殺すべき敵の特徴を教えるから。えーっと……』

 

 ゼロから各機体に送付されたキルターゲット情報。

 ガノタたちの潜在意識が、これらがGの影忍とGガンダムにおけるDG細胞のハイブリッド型であることを把握する。

 

 ある意味で、ガノタにはなんら説明する必要はないのだ。

 ただ、ワードを並べるだけでいい。

 トマト、学園、企業グループ、社長。

たったこれだけで、多くのガノタは勝手にスレッタがミオリネとケッコンしたくて暴れちぎる作品を脳内再生してしまうほどに、業が深いのである。

 

『うん、いいね。いい数字出してるよ』

 

 ゼロの声は既にガノタたちには届かない。

 彼ら、彼女らの自由意思は既に消え、MSパイロットとして最高級に調整された――いわば、生体CPUでしかない存在に切り替わっているからだ。

 いまごろ、ガノタたちの脳内ではバケモノたちをいかに殺すかという一点に置いて、数万のシミュレーションが行われていることだろう。

 

『期待しているよ、僕の弟たち、妹たち』

 

 ハンガーにマウントされていたジム改たちのバイザーが赤く光る。

 深く機体と同化したことを示すサインだ。

 リュウ曰く、ビルドファイターズトライにおける『アシムレイト(※ただのプラセボ効果だが、ガノタには大変よく効く)』と同じだというが、ゼロはガノタ界隈のことなど知りもしないので、何か特殊な神経同調か何かだろうと思い込んでいた。

 

 

 

 ハンガーに収まっていたジム改たちに武装が施されていく。

 いわゆる甲種兵装というやつで、ブルパップマシンガン、予備弾薬に加えてバズーカとシールドを携行する完パケである。

 

『(……!? あいえぇぇ! 拙者、もしや出撃でござるか?)』

 

 そして、急加速。

 Gは体が勝手にいなしてくれるが、眼前の景色のほうが問題だ。

 宇宙空間に飛び出したゴザール少尉は、眼前に広がるバトルフィールドに感動ではなく恐怖を覚えていた。

 当たり前である。

 町を歩いているガノタを適当に捕まえて、ガンダム世界の戦闘に放り込んだら100人中80人は困惑し、恐怖を覚えるだろう。残りの20名は、多幸感に包まれて気絶してしまう可能性が高い。

 

「(オウフッ……なんとなく空気を読んでたら、あれよあれよという間に実戦投入されてしまったでござるよ……)」

 

 

 アニメで観ていた、あの光の線がぴゅんぴゅん飛び交って、なんか爆発したりしているシーンのところがだんだん迫ってきてしまう。

 

「あ、これはオワタでござるぅ」

 

 思わず弱音を吐く。

 そして、いよいよ撃破された味方の破片や、ジオン=連邦共同戦線特有の大量のオープンチャンネル無線が、ゴザール少尉のコックピットに雪崩れ込んでくる。

 

 情報の、飽和。

 ゴザール少尉は思わず目を閉じ、耳を塞ぎたくなる。

 しかし、なぜか体が言うことを聞かない。

 軽快にフットペダルを制御し、精密に操縦桿をさばいている自分がそこにいた。

 ロックオンとAIによる射撃諸元の補正。

モニターに映るは、バケモノの、群れ。

 静かに。

 すべてが静かになっていく。

 ディスプレイ上にて、FCSがマルチロックをしてく。

 ゴザール少尉の眼球が異常なまでに素早く動き、周囲の状況を余すところなく脳髄へと送り届ける。

 もう、ゴザール少尉は消えていた。

 そこにいるのは、ただの兵器であった。

 

 

 

 

 シン大尉は、触手にからめとられそうになっていたヤザン機を援護すべく、ジムライフルを連射する。

 ヤザン機を包囲していた数体のうち、一部を始末すると、ヤザン機が勝手に残りを始末して窮地を脱する。

 

『わりぃ、隊長。なんだか知らねぇが、ザラっとした何かが気になっちまった』

「何の話だ?」

『知るかよ。そう感じたんだ』

 

 まるでNTみたいなことを……いや、ヤザンはNTの萌芽みたいなものが原作でもあったような、などとシンは己にまとわりつこうとするMSモドキに、ライフルを叩き込みながら考えていた。

 

 NTといえば、シャニーナ少尉は大丈夫かと振り返ってみると、シャニーナ少尉率いるジムキャノンⅡ部隊は近接火力支援を継続的に戦場にデリバリーしていた。

 

『ヤザン少尉、いまなんか変な感じしましたよね?』

『ああ……』

 

 あーもう、とシン大尉はヤザンとシャニーナ少尉の会話をうらやましがる。

 どうやら、ほぼ確実に自分にはNTとしての才能がないことがわかりつつある。

 くやしい、というよりもうらやましい、というのがシンのダメなところでもある。

 くやしいと思えば努力するかもしれないが、うらやましいというのでは、嫉妬以上の何かにはつながらない。

 

「ん、なんだありゃ」

 

 シン大尉は戦場における目が非常に良い。

 かつても戦士であり、こちらの世界でも戦士であるのだから、戦場における着眼の良さというものが極めて精緻に磨き上げられているのだ。

 

 いま、シン大尉が着目したのは、後方から増援として到着した装備開発実験団のジム改大隊である。

 

 200機ほどだろうか。

 万単位のMSが展開するこの戦場においては微々たる数であるはずなのだが、あの200機の突撃はすこしばかり優秀すぎる。

 恐るべき衝撃力でバケモノの群れを駆逐していっている。

 いや、しすぎているといってもいい。

 あのまま打通を続けると、すぐにサプライが間に合わなくなる。

 

 それにしても……200人全員がエースパイロットなどという部隊なぞ、シン大尉は知らないし、そんなものを編成する軍事組織も知らない。

 

 

 軍というものは、規格を揃えたがるものだ。

 それは兵器兵装に限らず、人員に関しても同じである。

 兵士は兵士の規格があり、下士官には下士官の規格、将校には将校の規格が設けられる。

 そういう枠組みから外れた特別な部隊を編成する場合は、それらを『特殊部隊』と称して、正規とは違う特別な理由と目的に基づいて訓練プログラムと装備が提供される。

 

 特殊部隊の代表例でもあるシン大尉他、特殊作戦群に所属するアルファ任務部隊の面々とて、重力下から宇宙空間、月の低重力まであらゆるところでMSを用いた緊急展開と戦術級行動ができる部隊(※いつでもどこでもなんでもやります、という雑用部隊ともいえる)としての装備と人員を揃え、トレーニングを積んでいるだけだ。

 

 決して『エースパイロット集めたツヨツヨ部隊』などということはない。

 確かにヤザンは優れたMSパイロットであるし、シャニーナ少尉もそうだ。

 ダンケルやラムサスもいい腕をしているし、シャニーナ少尉を支えるサンダース曹長もベテランらしい堅実さを持っている。

 だが、そういった連中以外のMSパイロットたちが大多数を占めているのもまた事実。

 ヤザン隊、シャニーナ隊ともに、そこにいるのは一般部隊とは異なる各種MOS(※技能のこと)を取得しているに過ぎない、ごくごく普通のパイロットばかりで編成されている。

 

 そもそも、アルファ任務部隊のMS大隊長を務めるシン大尉自身が、そのような人員構成を好んでいる。普通の連中で最大限の戦果を効率よく上げていく組織を目指すという地球連邦軍の統合運用FMを文字通り、愚直に実行しているのだ。

 

 そのようなシン大尉の運用の苦労なんぞ知ったことかと言わんばかりの破壊力を発揮するジム改たち。

 

 このようなイレギュラーが起きると、どうなるか。

 敵の立場に立てば簡単だ。

 厄介な連中が現れたなら、そこに集中するだけだ。

 つまり、装備開発実験団のMS大隊に対して、MSモドキ他、クラーケンタイプやタコタイプが一気に襲い掛かっていくわけだ。

 

「あーもう、装備開発実験団の運用担当は素人か……アルファリーダーよりアルファ101、201へ。イキリ散らかした素人たちが出張ってきた。パンチ力はあるが、スタミナについては考えなしだ。ケツにサプライラインを繋いでやらないと、無駄死にする。意味は分かるな?」

 

 シン大尉が任務要領を配布する。

 それらをもとに、簡単な作戦図がアルファ任務部隊のMS大隊に共有される。

 

『我々のエリアはどうします?』

 

 シャニーナ少尉からの質疑。

 シン大尉はこいつらに引き継ぐ、と先ほど第三軌道艦隊とともに到着した暴れん坊部隊を示す。

 

『うへぇ、エイガー教官の部隊ですか?』

 

 シャニーナ少尉のかつての教官である。

ジムキャノンⅡの搭乗資格及び、ジムキャノンⅡ部隊による近接直協火力支援に関する指揮/指導/運用を学ぶMS近接火力運用課程の術科教官が、かのエイガーだった。

 大砲を担いだガンダムに乗り、ジオンの闇夜のフェンリル隊にボコボコにされた経験からかは分からないが、ケンカはチームでやれ、と口うるさいチームワークおじさんと化しているそうだ。

 

「エイガー大尉になら任せられると思うが」

『ジムキャノンⅡと量産型ガンキャノンの混成部隊なんですよね? 近接格闘戦になったらやばいような』

「それは、あいつらでいいだろ」

 

 シン大尉が示した先には、ジオンのMS中隊の姿。

 典型的なゲルググ中隊である。

 

『そっか……いまは、ジオンが味方なんですよね』

「昨日の敵は今日の友ってやつだ。各機、転進用意」

 

 シン大尉の号令のもと、アルファ任務部隊のジムカスタムやジムキャノンⅡが移動ベクトルを変更する。

 全ての隊員たちがスラスタを最小限に利用して進路を変更できてしまうところは、訓練された特殊部隊らしい動きであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五三話 0083 地球軌道決戦3

もう未来はないの?まだ始まってもいないのに……

――アン・マキャフリー『旅立つ船』


 

 可視化された情報密度。

 世界を繋ぐ無数の情報パイプラインをグラフィカルに表現すると、それは輝ける曼荼羅となる。

 クラウンは、改造された人間であることに感謝した。

 常人には見えない世界を見ることできるという力が、確実にジオン――ひいては人類の勝利に役立つということに確信を持てたからだ。

 

 要塞級に侵入して2時間以上が経過した。

 外での戦闘の様子は、徐々に受信できなくなりつつあり、そとの様子は断片的にしかわからない。戦況がどうなっているのかすら不明だ。

 しかも、要塞級の奥へと入り込んできた結果、外部送信用の中継リレー装置の数もそろそろ限界である。交代ないし補給がない限り、ここから先は文字通り、通信途絶の孤軍奮闘となる。

 

 クラウンは光の流れを見る。

すでに光の線の束が太く、濃くなってきている。

 ここから先は、敵の密度が段違いになるばかりでなく――最悪の場合、DG細胞に汚染されたGガンダム世界のMSやMFが出てくるかもしれない。

 宇宙世紀MSの模造品以下であるMSモドキなどの比ではない、本当の強敵との連戦は、間違いなく部下たちの手に余る。

 

「各機傾聴。お前たちは、ここまでだ」

 

 クラウンは今までついてきてくれた部下たちをねぎらう。

 一人一人の名を呼び、語り掛け、その労苦と艇身に感謝した。

 

「アカハナ、イワノフ、貴様たちで隊を無事に脱出させろ」

『――納得できません。隊長だけいい格好しようっていうんです?』

『ここで隊長を置いて帰ったら、あとで偉いさんからどやされちまいます』

 

 地球連邦軍の本部たるジャブローへの秘密潜行作戦を遂行したこともある、優れた特殊工作員である二人が抵抗をする。

 クラウンとしてもアカハナ、イワノフ(※互いにコードネームでしかない)らの協力がなければここまで万全の状態でここまでこれなかったことは自覚している。

 しかし、これほどの人材をバケモノ相手の損耗戦で失うなどというのはガノタとしても、ジオンの将校としても戦力計算上大問題であった。

 

「命令だ。部隊を統制し、撤退を成功させろ」

『しかし……』なおも抵抗するアカハナ。

「お前たちなら無事、脱出を成功させられるだろう。だから託した。それに、心配するな。こちらも死ぬつもりはない」

『……了解』

 

 しぶしぶ、というよりも泣く泣くといった様子で、アカハナとイワノフが、その他のクラウン隊の面々を再編し、撤退準備にかかる。

 クラウンはハイザックを、持ち込んでいた最後の推進剤補給システムに接続。

 同時に、もはやヒートシステムがイカレて棍棒に成り下がっていたヒートホークを捨て、ビームライフルも置いていく。

代わりに武器コンテナからザクマシンガン改を手に取り、その交換銃身、予備弾倉をハイザックの体中にアタッチできる限り装着する。

そして、先ほどまで装備していた三連装ミサイルポッドをパージ。

代わりにビームサーベル発振器を二本搭載する。

 

『隊長、ご武運を』

 

 撤収準備を手早く終えたアカハナたちからの別れの挨拶。

 

「ああ。必ずデータを持ち帰れ。いいな」

『はっ』

 

 アカハナたちのゲルググJが背を向けて飛び去って行く。

 遠くなっていくスラスタ光。

 残されたハイザックの頭部及び肩部から展開される外部投光器だけが、ハイザックを寂しく照らし出す。

 

「――行くか」

 

 己の身を奮い立たせ、クラウンはハイザックを再起動させる。

 システムチェックが行われ、ステータスが更新される。

 イエロー、ばかりのチェック結果にクラウンはある意味で感心した。

 数えきれないほどの連続交戦。

 かつ、消耗品の補給のみで、冷却液や油脂類などのリキッド交換もなしにここまでやって、イエローコンディションで済んでいるハイザックの信頼性の高さ。

 これは間違いなく、いい機体になる。

 0084年から調達が始まるジオン公国主力MS調達トライアルは既に始まっており、今回の要塞級大深度踏破のデータにより、ハイザックの主力MS採用は確実となるだろう。

 

 重力・空間戦闘をシステム変更と整備変更のみで実現可能な汎用性。

 任務特性に応じて変更可能なウェポンシステム。

 高負荷かつ激甚性に耐えうる高い信頼性。

 セミモノコック構造による低廉な量産性と、簡潔な整備システム。

 低いパイロット技量要求。

 脱出用イジェクションポッド採用による生存性――文字通り、何一つ欠点のない、ザクⅡの後継機として必要十分なシロモノである。

 

 対抗機体であるゲルググ系の発展系であるガルバルディシリーズもよい機体ではある。

 徹底的な軽量化による『速さ』を追求することで生み出される機動射撃戦能力の優秀さと近接格闘能力に関する瞬発力の高さは、ハイザックの比ではない。

 しかし、それは、トライアルパイロットであるフィーリウス・ストリーム大尉のようなエースたちにとって素晴らしい、という話であり、普通のMS乗りには通じない理屈だ。

 

「無事帰ったら、フィルのやつに自慢してやるか」

 

 そんなことを口に出しながら、眼前から迫るプレッシャーをごまかす。

 ハイザックの足裏からスパイクグリップが飛び出し、それを要塞内の通路に突きさす。

 

 一歩、一歩、一歩と踏み出し、跳躍。

 慣性に身を委ねたハイザックが、わずかな推進剤の使用で加速する。

 

 しばらく通路をただよい、曲がり角に出会えば壁を蹴り進路を変更し、奥へ、奥へ、奥へ。

 

 真空の世界にもかかわらず、ライトに照らされぬ闇の向こうから唸り声のようなものを聞いた気がした。

 

 そして、ハイザックの投光器から伸びる光が、新たなる敵の姿を捉える。

 一つ目。

 黄土色。

 棍棒を兼務するライフルを装備した、デスアーミー……いや、宇宙空間戦闘用にコウモリ羽上のスラスタユニットを背負っているから、デスバットだ。

 原作同様、圧倒的な数の暴力を振るうべく、通路をミチミチに行進している。

 そして……ちらりと見えるいくらかのゾンビシャイニングの姿。

 ガノタの中でも一部の界隈しか気づかぬその姿――コミックボンボンの模型企画で登場したままの、機械製の触手をヌタヌタさせたヒドイ様である。

 

「――こりゃ、ダメだな」

 

 動悸。

 クラウンは作戦を変更する。

 奥へと突き進むプランから、デスバット、ゾンビシャイニングらの進軍に対する遅滞戦闘を遂行しながら脱出するという、完全に180度変更のプランだ。

 

 恰好をつけてアカハナ達を帰しておいて良かった。

 もし部下をもった状態で遅滞戦闘+脱出などという多目標任務をやれなどと言われたら、とてもではないがこなせない。

 

「こっちはハイザックだが……言っておくか」

 

 クラウン大尉は、息を大きく吸う。

 自分を落ち着かせるために。

 そして、取り込まれてしまった数多のGガンダム世界の人々への供養の念を込める。

 

 

「ガンダムファイトォっ! Ready Goっ!」

 

 拳ではなく、ザクマシンガン改を構えるハイザック。

 迫りくるデスバット。

 単眼の群衆にただ一機、ハイザックが挑む。

 クラウンの転生人生最大のピンチが、そこにあった。

 

 

 

 

 勝っている、とはいいがたいのではないか? と第一機動艦隊の最前線にて火力線を形成しているバスク艦隊の司令、バスク・オム中佐は、座乗艦であるサラミス改級巡洋艦『アイズオンミー』の艦橋にて、そのつぶらな瞳でデータを精査する。

 

「司令、ジオンからの要求が過大なのでは? なぜ我々だけが火力負担を……」

 

 ジオンに対する敵愾心が強すぎるG3幕僚が余計な口を利くので、黙らせておく。

 

「ジオン連中に要求火力をどんどんくれてやれ。あちらが敵を間引いてくれればくれるほど、我々の損害が減る」

 

 ジオン艦隊の艦艇火力の劣悪さを、連邦艦艇が補填する。

 代わりに、大軍縮の結果、数を担保てきていない連邦のMS部隊の穴埋めをジオンの精鋭MS部隊が埋める。

 その結果、ジオン艦艇はMSの運用(回収、放熱、整備、再出撃)に集中できるようになり、連邦はただでさえ軍縮で数が足りないMS乗りの損耗を押さえられるというわけだ。

 数字で考えるなら、ジオンとの共同作戦ほど理にかなったチョイスはない。

 

「巨大有害鳥獣群、数を減らしています」

 

 観測員が戦況図を更新する。

 今更ながら連邦軍内での正式呼称が決まったバケモノどもの戦力が、戦況マップ上ではどんどんと減少。青色で表示されている連邦軍、緑色で表示されているジオン、そして赤で表示されているバケモノどもの比率は、明らかに赤が少ない。

 

「実弾兵装の余力はどうか?」

 

 バスクがG4幕僚に問う。

 

 メガ粒子砲の連射に関しては、連邦艦艇にとっては大した問題ではない。

 ただ、近接防御火器の弾薬、機雷、短距離、中距離、長距離ミサイルに搭載する各種弾頭に関しては、艦内に製造設備を持っているはずもなく、どうしても補給を受ける必要がある。

 範囲制圧火力、という点において、ミサイルや誘導機雷などは非常にキルパフォーマンスが高いため、これの亡失は致命的である。

 

「コロンブス級補給艦が適宜サプライしてくれています。今のところ、収支バランスは保たれています」

 

 G4幕僚が試算表を提出してきたので、それに目を通す。

 幕僚見積もりの数字が甘すぎるのは、敵の戦力を過小評価しているからだろうか。

 先んじてバケモノどもと交戦した特殊作戦群の連中からのレポートを見る限り、G4幕僚が提出してきた補給計画収支予測は明らかに楽観的だ。

 

 数字は嘘をつかない。

 数字を評価する人間がいつも誤謬と予断をはさむのだ。

 

「G4、再起案しろ。論拠になる数字を確定させ、再度提出――G3、MS隊に指導。敵による後方浸透阻止を優先させ、我々の後方連絡線を潰させるな。戦線のプレッシャー役はジオンに押し付けてしまえばいい」

「G4了解」

「G3了解」

 

 幕僚たちがそれぞれの職務に戻る。

 AOC(Advance Officer's Course)を修了したばかりの幕僚大尉の見積というのは、大抵は主観にまみれている。課程の教育プログラムに問題があるのか、あるいは人材に問題があるのか、もしくはその両方か――数字の論拠や行動の論拠に関する検討が極めて軽薄であり、事実を事実と直視せず、評価を挟んで試論と起案を行う悪癖が、数多くの幕僚大尉にみられる。

 

 バスクは内心でため息をつく。

 一年戦争時代に優秀だった士官たちはとうに軍を去り、その賢い頭とピンチを楽しむ胆力を駆使して、戦後の復興経済における資本主義ゲームに参戦し、大金を荒稼ぎしている。

 

 それもまた当然、である。

 そもそも一年戦争は地球連邦政府の外交の失敗を尻拭いする戦争であり、あげく、その尻拭いに失敗してジオンの独立を許している有様だ。

 多少でも頭の回る人間なら、次もまた負ける連邦軍なんぞに残らず、市中でまっとうな経済活動に従事し、誰もが幸せになる経済エンジンを回すほうがマシである。

 

 軍に残った目端の利かない連中、行き場がない連中、戦後入隊組の頭がお花畑連中で地球連邦軍という暴力装置を何とかメンテしていかなければならないと考えると、頭痛どころか胃痛や腰痛を併発しそうである。

 

「(まったく。おいらが出世して立て直すしかないな……母ちゃん、おいら、戦功をあげて出世するよ)」と、心中で母に誓う。

 

「――司令、オープンチャンネルで騒いでいるジオン兵がいます」

 

 G2幕僚が無線のチャンネルをこちらに飛ばす。

 バスクが耳を傾けると、ジオン公国軍第101戦闘群長のクラウン大尉であると分かった。

 一年戦争時代、地球連邦軍のV作戦をかき回した恐るべき仇敵のことを、騒いでいるジオン兵などと表現してしまうG2幕僚は、CGS(※Command and General Staff Course)受験を突破できないだろうと確信する。

 当然、地球連邦軍のMS教導POIにもアムロ・レイのガンダムを始末した当時の戦闘ログが使用されているのだから、その名を覚えているべきである――とバスクは思うのだが、ここに乗り込んでいる幕僚大尉どもは艦艇勤務でも、要塞防空部やMSパイロット上がりではないのだった。

 1年戦争中は後方職域や支援職域に配属されており、MOSも軍政職寄りだったのだが、軍縮の結果、艦艇勤務士官や艦隊司令部付が不足してしまったために配置転換となった連中がメインなのだ。

 要するに、畑違いである。

 彼ら、彼女らも、本来の畑である会計業務や補給計画などでは優秀なはずだ。

 ただ、このような戦闘司令部勤務にはあまり向かない、というだけのこと。

 より後方の軍政寄り機関たる、統合参謀本部や補給統制本部などに勤務すれば、連邦軍を支える優秀な将校として誰もが幸せになれるだろう。

 そうならぬ人事状況は、やはり問題である。

 

『戦区オープンチャンネルで警告する。約300秒で敵増援多数出現。当方が遅滞戦闘を試みるも、効果僅少。MS級『デスバット』の数、有視界データとAI推計によると10万を超える模様。至急、迎撃態勢をとられたし』

 

 クラウン大尉の音声データとともに転送されているリアルタイム交戦情報ログによると、敵の導出口は――バスク艦隊の正面の延長線上にある。

 つまり、初動迎撃作戦の主軸は必然的に、バスク艦隊が担うこととなる。

 

 バスクは司令席にて、直ちに指揮を執る。

 

「G1は直ちに統合艦隊司令部に増援要請。必要戦力見積をG3スタッフと協議して起案し、ASAPで統合艦隊司令部に送り付けろ。G2は我が担当戦区に展開している全MS隊及び艦艇に、我が艦隊の任務方針と行動を常時共有するとともに、各対処方針を回収し、G3に提供せよ。G3は事前想定たる『ストロベリー計画』を開始。我が統制下にある隷下部隊を用いて、デスバットなるMS10万機に対する初動迎撃作戦を実施しつつ、速やかに計画的遅滞戦闘への移行を計画し、周知、実施せよ。G4は直ちに事前計画66に基づき、後方収容計画と実施に移行。ボロボロになった我々を受け入れられる安全地帯を作れ。以上、各幕僚、かかれ」

 

 先遣艦隊司令として今できるのは、このくらいが関の山である。

 確実にこの場の戦闘という意味では、押し負ける。

 所詮は先遣艦隊の一つに過ぎないバスク艦隊は、本格的な敵の逆襲に抗しえない。

 となれば、情報収集がてら迎撃にあたり、速やかに遅滞戦闘へ移行しつつ後退するのがベストシナリオである。

 

「(――母さん、皆、おいら、帰れんかもしれんぞな)」

 

 数字だけでみるならば、ベストのシナリオで進んだとしてもバスク艦隊が壊滅しない可能性は五分五分でしかない。

 いまから振るダイスは、50パーの確率で戦死という結果が出てくるわけだ。

 

「(んども、ここで運があったらば、おいらの階級もあがるぞな)」

 

 機を見るに敏であるバスクは、ここが戦功の勘所だとも分かっていた。

 うまくいけば、大佐の階級章をぶら下げ、故郷に凱旋することができるだろう。

 

「(したら、皆喜ぶさね)」

 

 この町からも、連邦軍の偉い人が出たんだと、生活に追われるばかりの人々に希望を抱かせることもできるのではないだろうか。

 

「――クラウン機、飛び出してきます!」

 

 観測部から報告。

 バスク中佐は取り急ぎ、G3から提出された火力起案を訂正し、艦隊に周知する。

 数秒も経たず、隷下のサラミス改級らから、メガ粒子砲の連射が始まる。

 この火力投射の目的は、クラウン大尉のハイザックに追いすがる敵の群れを足止めし、クラウン大尉の離脱を確実なものにすることである。

 

 そして、メガ粒子の砲弾が、脱出してきたハイザックの後方に見事に突き刺さっていく。

 

『連邦艦隊へっ! 離脱支援射撃、感謝します! 修正諸元を送りますっ!』

 

 突出し、危険エリアにてFo任務に従事しているジムスナイパーカスタムⅡが、クラウン大尉の姿とともに、修正諸元情報を転送してくれている。

 バスク艦隊JTMS隊を統合指揮する立場の、リド・ウォルフ少佐らしい配慮だ。

 

 受領した修正諸元は速やかにバスク艦隊他、協働するジオン艦隊にも共有され、さらなる支援射撃が行われる。

 

『ダンスマスターより先遣艦隊司令部へ。これよりJTMS隊は全機、遅滞戦闘へと移行する。まともに正面から迎撃するのは不可能。火力要求を送る』

 

 通信部を経由せず、直接バスクの司令席に通信が入る。

 ダンスマスターに与えた権限の一つである、司令への直接上申である。

 

「了解だ……ところでウォルフ少佐、貴様の勘でいい。まともな撤退戦はできそうか?」

『私見ながら、不可能でしょう。MSの数が違いすぎる。核弾頭でもつけてミサイル届けてくれるなら多少は変わりますが』

「わかった。死ぬなよ。これは命令だ」

『了解。ダンスマスター以下、JTMSは状況を開始します』

 

 一気に戦況が動いた。

 無事に離脱したボロボロのクラウン大尉のハイザックの代わりに、連邦軍のMSパイロットの中で、アムロ・レイに告ぐともいわれるエースパイロット、リド・ヴォルフ少佐が率いる踊る死神隊及び諸隊連合JTMS隊が、10万どころでは済まないデスバット軍団の束に対して抵抗を仕掛ける。

 

「艦隊転進は無理だな。逆噴射しつつ低速後退。火力支援を止めるな」

 

 バスク艦隊の主力艦であるサラミス改級巡洋艦は、かつてのサラミス級と違い、艦首を敵方に向けることによって、艦載火力の90%を投射できるように設計変更が為されている。

 艦体両舷に配置された二連装メガ粒子砲2門及び、艦首部マルチミサイルスプレッドシステム、艦橋正面に配置された近接火力防御システムを、協働艦艇及び協働MSらと効率的に組わせることで、隙のない火力網を構築できる。

 これこそが、連邦艦隊の本懐たるファランクスⅡドクトリンである。

 

 しかし、である。

 濁流はとまらない。

 氾濫する大河を、重機で何とかしようとするようなものだ。

 

『くそったれがっ! もっと火力をよこしやがれっ!』

 

 普段は温厚かつ冷静なリド・ウォルフ少佐からの罵声の如き要求。

 3Dホログラフ戦況図に目をやるバスク中佐。

 敵の群れがあまりにも多く、レッドの塊はErrorを吐いている。

 一方の、ダンスマスター率いるMS隊は雪崩に巻き込まれる登山チームのような様相を呈しており、もはや戦争の体を成していない。

 

『――退っ――――置い――けっ……』

 

 JTMS隊が抗しきれずに、飲み込まれた。

 すでに眼前に一つ目の群れが襲い掛かっている。

 ファランクスドクトリンⅡは焼け石に水。

 直掩のMSたちは袋叩き状態。

 そして、艦橋の窓の向こうに、棍棒を抱えたデスバットが迫る。

 

「……母さん、ごめん」

 

 走馬灯が見えた。

 

 バスクは太平洋諸島国家群の生まれだ。

 地球連邦政府への加盟が遅かった太平洋諸島国家群は典型的な宇宙移民重点抽出地域――宇宙移民促進のための宇宙強制移住の指定を受けていたため、当然、連邦政府からの経済支援が打ち切られ、地上インフラ投資なされず、人々が宇宙に住まう宇宙世紀だというのに蛇口をひねれば泥水が出る地域に成り下がっていた。

 

 そんなスラム化が進む太平洋諸島国家群の離れ島に生まれたのが、バスクだ。

 バスクは、娼婦であった母親から父知らずの子として生まれた。

 普通はそのまま施設に預けられるか、商売の邪魔だとして秘密裏に殺されて終わるはずなのだが、少しだけバスクの母は違っていた。

 

 父親はわからないけれども、母親はわたしだからしっかりしないと、と学がないなりにバスクのことを愛し、真剣にバスクの将来について知恵を絞ってくれたのだ。

 

 客として訪れていた連中にピロートークであれこれと世の中の仕組みを仕入れ――バスクに教育を受けさせることだけが、この苦しい生活から愛する我が子を逃がす最良の手段であると感じた。

 

 そしてバスクの母は、なけなしの収入を愛する息子の教育にあてるようになる。

 少しでもいい教育を――しかし、彼女の稼ぎでは決して息子をよい学校に通わせることが出来そうになかった。

 

 しかし、母親はあきらめなかった。

 もちろん、バスクもだ。

 

 そして偶然が味方する。

 ついに母子の住まう地域にある小高い丘の頂に、仏教系団体の南洋宗が、慈善学校と寺院を開いたのだ。

 わずかな喜捨――それこそ、パン一つ分の喜捨を毎月行えば、教育が受けられるという。

 

 以後、少年バスクは、晴れの日も雨の日も、嵐の日も、バスクはボロボロの服を着て、ジャンク品の寄せ集めで自作したタブレット端末に違法ダウンロードしたテキストを詰め込んで、丘を駆け上った。ダクトテープで靴底を止めたシューズで毎日、毎日、毎日、スラム街の小高い山を登るのは大変だったが、それでもくじけなかった。

 

 貧しい人々のための学校だったにもかかわらず、母親が娼婦であること、金がないことを理由にいつまでもイジメられ続けた。

 低栄養であったがゆえに、体も大きくならず小柄だったため、子どもたちのイジメの格好の標的であった。

 

 バスクは殴られ、蹴られ、地面に這いつくばる日々を送る。

 しかし、バスクの両目は常に開かれていた。

 なぜ、周りの子どもたちがいじめてくるのか。

 いじめてくる連中の手段はどういったものか。

 誰がいじめを主導しているのか――

 

 決して周りから学ぶのを辞めなかった。

 

 諦めるわけにはいかないのだ。

 

 学ぶのを諦めて、母に悲しい思いをさせたくなかった。

 それと同時に、母に学校がツライところであると悟らせたくもなかった。

 

 バスクは、考えた。

 家に帰っても母は夜遅くまで仕事でいない。

 だから、バスクは傷だらけの体のまま、南洋宗の尼僧院を訊ねるのだ。

 傷だらけで汚れた子どもにたいして、南洋宗の優しい尼僧たちは優しかった。

 シャワーを浴びさせ、傷口に消毒と絆創膏を施してくれた。

 バスクは尼僧たちに頭をさげ、御礼に聞き覚えた南洋宗経典の一節を諳んじて見せる。

 一介のスラムの少年が、敬虔な信徒になっていく姿を見せることで、彼女らに満足感と幸福感を与えるのだ。

 

 バスクは、学んでいた。

 信仰に生きるものたちとの対話の技法を。

 彼ら、彼女らはすでに物欲を捨て、精神的な修行に身を置いている。

 喜捨や物納は、建前上、喜んで受け取るが、かといってそれから満足感を得ることはないのだ。

 尼僧たちが求めていたのは、己たちの行いが他者の精神を次の段階へと進めた実感。

 そう見抜いたバスクは、尼僧たちの前ではいつだって南洋宗の教えを敬虔に学ぼうとする、哀れで傷ついたスラムの少年を演じ続けた。

 

 そうして尼僧たちから治療を受け、家に帰る。

 母のいない家で、宿題をして、洗濯をして、料理の下ごしらえをする。

 母に罪悪感を与えないために、料理の仕上げだけは母に委ねるのだ。

 

『いっぱい勉強しぃ。母ちゃんは字もかけんけど、あんたは字も、計算ももうできるやろ? 母ちゃんは幸せもんやねぇ。天才っちゅうのを生んだけぇ』

 

 母は、毎日男たちに雑に扱われて疲れ果てていても、バスクの前ではそういって微笑みながら料理の仕上げ――錆びた鉄鍋にココナッツミルクとナンプラー、スパイスをいれて煮込むカレーを作る。南洋宗系の慈善団体が配ってくれる野菜や、肉や魚の缶詰を適当に放り込んだだけの、ココナッツ臭いカレーを母と二人で食べるのである。

 

 カレーを食べながら、バスクはいつも学校で学んだ内容を努めて楽しそうに話した。

 今日は数学で乗算を学んだという話や、リーディングでこういうお話を読んだと、身振り手振りを大げさに語り、決してつらい様は悟らせない。

 

 そうやって、バスクは少しずつ、大きくなった。

 いつも何かに虐げられ、困難に直面させられた。

 超えれど超えれども、幾たびもそびえ立ってくる苦難が、彼の意思を鋼鉄の如く鍛え上げていく。

 

 そしてついに、不屈の精神と不断の努力が実を結び、バスクは13歳で地球連邦軍立太平洋諸島士官予科学校(※高等学校に該当)への飛び級入学を勝ち取った。

 

「母ちゃんがわかっとった。やっぱ坊やは天才じゃっ」

「知っとっと? 士官予科学校ば給与でるけん、母さんはもう、働かんでええんよ。おいらがちゃんと稼いだらぁ」

 

 母と二人で喜び合ったあの日は、いつもより肉の多いカレーを食べたことを覚えている。

 

 そしてバスクは親元を離れ、予科学校の寄宿舎に入った。

 母は娼婦としての仕事を辞め、南洋宗の尼僧院で下働きをし始めた。

 尼僧院にたびたび出入りし、尼たちに好感を抱かれていたバスクの母親である。

 無下にされることもなく、徐々にコミュニティになじんでいった。

 

 一方、給与のすべてを母に仕送りしていたバスクは、訓練を便利にする私物道具を買うこともなく、被服の自由もなく、いつも官給品の軍服とブーツを大事に繕いながら日々を過ごしていた。

 食堂で支給される食事はすべて平らげ、成長期の体を育てるべく、廃棄処理される予定の残飯を調理下士官に頼み込んで分けてもらうこともあった。

 

 当然、その貧しさが狙われた。

 またしても、いじめられた。

 だが、バスクはくじけず、打開策を着実に打っていく。

 

 学科は当然手を抜かない。

 そして、金のかからない自衛の術を身に着けるべく、格闘術にのめり込んだ。

 

 当時の士官予科学校に赴任していた格闘MOSを持つ年若き少尉――アデナウアー・パラヤ少尉に指導をお願いし、こまめに通い、熱心に補習指導を受けた。

 

 頭でっかちの多い士官予科学校で、格闘術に熱心なバスクの態度に感心したアデナウアー少尉は、様々な実戦的な指導を施してくれた。

 

 こうした積み重ねの結果――学業に熱心なバスクを、教官たちは当然、高く評価した。

 調理下士官らも、腹を空かせて頼ってくるバスクを無下にはできなかった。残飯を調理しなおした食事を提供してやりながら、調理下士官たちはバスクの身の上を聞き、それでも卑屈にならぬバスクに感心した。

 

 こうして、教官らから高く評価され、下士官らから人格を高く評価されたバスクは、ますます学校で孤立し、友と呼べるものは一人もできなかった。

 

 そして、時が過ぎる。

 士官予科学校を終えるころには、当初のチビのバスク、などという蔑称は消え失せていた。

 卒業生代表として挨拶をするバスクに対して、教官と下士官らだけが拍手をするという前代未聞の卒業式を経て、ジャブローの士官学校本科(※各地の士官予科学校から教官推薦を得たもののみが入学する大学課程)へと推薦入学する。

 

 本来4年をかけて修了するべきジャブロー士官学校本科を2年で修了し(※様々な演習単位があるため、どうあがいても2年以下にはできない)、卒業生総代として壇上に立つバスクに対しては、もはや誰も何も言えなかった。

 

 武闘派のバスク。

 戦術の天才。

 

 畏怖と嫉妬の入り混じった視線を受けた、丸太のような筋肉に包まれた巨漢。

成長した彼は、意外にもキュートでつぶらな瞳がとても印象的なチャーミングマッチョとして、少尉の階級章を肩に載せたのである。

 

「バスク、ようやった! ほんまに、ようやったねぇ……」

 

 ジャブロー士官学校本科卒業式に来賓出席した母親が、バスクを抱きしめてくれた。

 母は昔より老けたにもかかわらず、より健やかになっていた。

 穏やかな顔を浮かべた母親に、あんたのおかげで、ぜーんぶ良ぉなったと褒められたとき、ああ、自分が正しい道を歩んできたのだと、確信できた。

 

 視界は、現実に戻る。

 

 デスバットが振り下ろす棍棒で潰されゆく艦橋。

 虚空に吸い出されていく部下たち。

 バスクはノーマルスーツのバイザーが下りるのがやけに遅く見えていた。

 そうか、死の直前だから脳が加速しているのか、と察した。

 

 バスクは自分亡き後の母の人生に、仏の加護あれと祈りを込めて、手を合わせて南洋宗の経典を謡った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五四話 0083 地球軌道決戦4

お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ。

――古くからの格言


 

「なんだ、何がどうなって――」

 

 シロッコはノーマルスーツの割れたバイザーにテープを張りながら、あたりを見渡した。

 突如として激しい振動に見舞われ、ソロシップ艦内が大変な状況と相成ったところまでは覚えている。

 

 艦橋勤務の乗組員たちはほぼ、シートベルトにぐったりと寄り掛かったまま意識を失っていた。

 ワープ航法の失敗で、次元の狭間にでも挟まったのだろうか? もしそうであるならば現時点でのこちらの科学力ではどうしようもない。

 

 状況を把握せねば、と、外部環境を直視できる船窓に張り付くシロッコ。

 

 我らが故郷、青い星、地球。

 それを背景にした、裸眼でも分かる大混戦状態。

 あれはジム改か。

 ゲルググもいるようだが……互いに交戦状態というわけではなく、むしろ手を取り合って何かと戦っている。黄土色をした一つ目のモビルスーツに対して必死の抵抗をしているようだが、連邦でもジオンでもない第三勢力だろうか?

 

「何も分からんな……おい、しっかりしろ」

 

 ぐったりと機器にもたれかかる通信士官に駆け寄り、声をかけた。

 ノーマルスーツに外傷は見られず、外部表示されているバイタルデータも正常だ。

 

「起きろ、おいっ!」

 

 ヘルメットを軽く小突くと、ううっ、と通信士官が目を覚ました。

 

「……あれ、パプテマス大尉?」

「しっかりせんかっ! 直ちに通信機器の復旧と、艦内呼びかけだ。負傷者を救護し、戦闘要員は直ちにMS搭乗っ!」

「はぁ、はい」

「呆けている場合かっ、リード中尉っ!」

 

 この男は……といら立ちを覚えながらも、シロッコはリード中尉に己を取り戻させ、職務を遂行させるべく方針を再度繰り返す。

 ようやく頭がクリアになったらしいリード中尉は、慌てて通信機を再起動して、関連部署へと連絡を取り始めた。

 

「まったく……おい、そこのお前、なにを突っ立っている! 倒れている連中の救護をしてバイタルチェック! さっさと艦橋司令部機能を復帰させるぞっ!」

 

 素人どもめ、とシロッコは拳銃を抜いて全員を処刑したくなってしまう。

 シロッコに与えられた部下たちは、地球連邦軍の中央に置けるほど賢くなく、戦闘部隊に配置するにはスキルが足らず、後方職域に配置するにはリスクがあるという、いわゆる『申し渡し付士官』と呼ばれる連中が多い。

 

 士官が何らかのポジションに着く際は、必ず掌握するべき部下の情報を前任者から引きつぐ。

 この引き渡し書類の中に、同じ将校でありながら問題アリな人物たちをリストアップした申し渡し付士官に関する注意と指導要領という書類があり、そこに載る=何らかの方法で他部隊に転属させたほうがいい、あるいは仕方なく引き取ったままにする場合、補職の際に注意せよ、ということを意味する。

 

 士官学校他、各種の士官養成課程を修了することはできたものの、そこから先がダメだったというなんとも悲しい人員というのはどうしても生まれてしまうもので、そのような者たちは、定員あれども充足せず、という部署をたらいまわしにされる悲しき立場に転落するのである。

 

 シロッコの下で通信士官を務めるリード中尉は、一年戦争時代にV作戦の概念実証部隊であったホワイトベース隊を地球に降下させる際に、護衛のサラミス級の艦長として同行し、致命的な判断ミスをしてホワイトベース拿捕の原因を作ってしまった男だ。

 

 上官たるワッケインからホワイトベース護衛任務を任された彼は、本来、ホワイトベースの大気圏突入の盾としてサラミス級を運用して防空火力を担わなければならなかった。

 しかし、何をトチ狂ったか、あるいは任務分析を誤ったのか、リード中尉はサラミス級に付属する大気圏突入シャトルに乗り込み、非武装のまま交戦エリアへ侵入。

 当然の如く被弾し、ホワイトベースにエマージェンシー。ホワイトベースのブライト中尉は見捨てるべきであったが、人道的見地からこれを収容しようとしてしまった。

 この隙を、ジオンのザク乗りであったクラウンなる男は見逃さず、シャトルを収容しようとしたホワイトベースのハンガーに飛び込み、そこでザクマシンガンを構え、降伏勧告と相成った。

 以来、リード中尉は艦艇士官としてのMOSを保持しているにもかかわらず、どの艦艇も艦隊司令部も引き取らない軍内無職と化し、一生中尉のまま終えかねない状況へと至ったのだ。

 

『かんちょう、MSをだしてもいいか?』

 

 ソロシップの艦載MS隊指揮官たるハインツ・ベア大尉から通信。

 一年戦争時代には豪傑ハインツなどとあだ名されたパイロットだ。当時の連邦軍にとって最もコストがかかっていた機体たるフルアーマーガンダムを与えられた彼は、烈火の如き火力を以って、当時の撃墜記録第7位をたたき出した生きる大量破壊兵器である。

 

 そのような彼が、なぜソロシップなんぞに乗船しているのかというと、リード中尉とは別の意味で『申し渡し付士官』だからだ。

 

 ハインツ大尉は、仕事ができない。

 部下の訓練計画も立てられず、MS乗りの大尉に課せられる日々の訓練プログラムも消化できず、ましてや戦場での戦術判断と統率など期待するだけ無駄なのである。

 FAガンダムでも何でも構わないが、MSに搭乗すれば、古今東西に比類なき無双者となる――それだけで大尉になった男だ。軍としても士官としての勤務を求めているわけではなく、対外的な意味(※主に広報)でそのような肩書を与えているに過ぎない。

 乗っていないときは、ただ虚ろな目をして、レクリエーションルームでマンガを読んでいるだけのダメ野郎である。

 

「――ハインツ・ベア大尉、後ろにいるロン・コウ中尉に通信を切り替えろ」

『おい、ロン。かんちょうがはなししたいってよ』

 

 やはり、か。

 ただの破壊兵器が自分の意思で出撃を申し出るなどありえない。

 実質的にソロシップMS隊の指揮を執っていると言っていい副隊長のロン・コウ中尉に通信がつながる。

 

『いやはや、パプテマス大尉。困ったことになりましたな。隊に軽傷者数名。ただし搭乗に支障なし。すでに各員は搭乗待機。下命いただければ、直ちに全機防空任務に出撃できます』

 

 このロン・コウ中尉はソロシップに配属されている士官の中で、数少ないまともな士官だ。

 仕事もできる上に、本人のMS戦歴も輝かしい。

 一年戦争時代の撃墜数に至っては、なんとバカのハインツ大尉の次席である第8位。

 

 木星なんていかず、地球圏にいればいくらでも出世の機会もあったろうに『やっぱ惑星間航行っていうロマンに身を投じたいじゃないですか』などと別の方向でバカなことを言い出し、木星まで来てしまった大バカ野郎である。

 

 本来であればMS隊の指揮官兼、MS戦幕僚としてシロッコの右腕になるべき人材なのだが、連邦軍からハインツ大尉をおしつけられてしまった結果、階級補職の関係でMS隊副隊長兼MS隊運用幹部という立場しか与えることが出来ず、大変遺憾である。

 

「了解。防空出撃せよ。ロン・コウ中尉は隊長代理として臨時指揮権を行使」

『はっ――あ、隊長、出撃OKですよ』

『おう。むづかしいことは、やっぱりおまえがいちばんだ。おれは、てきをたおすぞ』

『お願いしますねー。あ、今回の敵はジオンじゃないですからね。注意してください』

『そうか。てきのえいぞうを、くれ。ぜんぶ、たおす』

 

 シロッコは通信を切る。

 バーサーカーたるハインツの制御はロン・コウ中尉に任せて、やるべきこと――ソロシップの保全と積み荷の安全確保、そして、状況の把握を優先したい。

 

「あのー、パプテマス大尉……」

 

 申し出にくそうにリード中尉がシロッコを呼んでいる。

 

「なんだ? 端的に話せ」

「はっ。その、積み荷が勝手に動いているみたいです。甲板部の連中から連絡が来てます」

「わかった、回せ」

 

 通信をこちらに回してもらうと、うろたえた様子の甲板員の声が聞こえた。

 

『あ、パプテマス艦長っ! 巨人が、巨人が勝手に動こうとしていますっ!』

「こちらでも映像で把握した。誰かが内部に侵入したりはしていないか?」

 

 御用学者たちのレポートによると、木星の衛星ガニメデで発掘した機械の巨人は、どこかの外宇宙の巨人族の機体ではなかろうか、とすら言われている。内部構造は地球圏人類のサイズにあわぬ大きさであり、おそらくは最小でも15メートル級の巨人らが操縦したり整備するにとって都合がいい構造になっているという。

 

 つまり、地球人類が乗り込んでどうこうできるものではない。

 操縦席らしきものは約3か所ほどあったのだが、そことていまだに手を入れていないのだ。

 

『誰も入ってませんよっ! 甲板員を全員点呼しましたが、医務室の連中も含めたら全員いますっ!』

「ぬぅ、わかった。まずは命を守れ。甲板員は撤収だ。わけのわからぬ乱戦状態ゆえ、直ちにソロシップの中央に移動し、ダメージコントロール待機せよ」

『はっ』

 

 甲板員らとの通信を終え、リード中尉に他にないか、と手で合図する。

 たくさんあります、というサインが返ってきて、シロッコは大事に巻き込まれているな、と確信する。

 だが、一方でシロッコはある決断を下していた。

 シロッコの任務自体は、ソロシップを地球圏に届け、レビル将軍に引き渡すまで保全することだ。それを最優先とするならば、ここで雑用係のボス役をやっている場合ではない。

 

 ソロシップの保全――もとより謎の力でバリアが張られているため、早々被弾するものでもない。極論を言えば、この宙域をうろうろしている分には、誰が指揮をとろうと結果に差はない。なんとかなる、である。

 

「ジャマイカン大尉、聞こえるか?」

 

 シロッコはソロシップの砲雷長(※なお、ソロシップに固定火器はない。つまり、砲雷長とは名目だけの閑職であり、砲雷長室は船倉の一画に置かれたテーブルとイス、無線機を指す)であるジャマイカン・ダニンガン大尉を呼び出す。

 一年戦争時に部下を見殺しにした前歴があり『申し渡し付士官』の中では頭一つとびぬけたクズである。クズではあるのだが、仕事はできてしまう。作戦起案もできれば、それなりの艦艇火力統制もこなせる。

 

『はっ、艦長。ご用命をば』

 

 媚びるような口調のジャマイカンに、シロッコは軽蔑の念を覚える。

 既に二度CGSを受験しているが、当然落とされている。

 部下を見殺しにしたという最悪のマイナス評価を覆す特性事項がないにもかかわらず、悪びれることなくCGSを受験しているその腐り果てた根性はどういう人生を送ると手に入るのか、シロッコには理解できなかった。

 挙句、CGS不合格については上司の推薦点が不足していたのだろう、と考えているらしく、いまは年下の直属上司たるシロッコにあの手この手で媚びていた。

 

「(ほかの士官がろくでなししかいないため)貴様にソロシップの指揮を一時任せる。ただし、ソロシップを運用した戦術判断を行う際は、必ず私に決裁をとれ。これは命令だ。わかるな? すぐにブリッジに上がれ」

『りょ、了解しましたっ! 必ずや艦長のご期待に応えますっ!』

 

 ようやく、上司からチャンスを与えられたとジャマイカンは思ったらしい。

 興奮した様子の応答であった。

 

 これでようやく、シロッコは自分のやるべき仕事にかかることができる。

 

「艦長よりロン・コウ中尉へ。私も出撃し、前進戦闘指揮所を設置する」

 

 ブリッジから駆け足で退出。

 ブリッジ前ロータリーエリアには、複数のエレカが駐車されている。

 ソロシップは巨大すぎるため、艦内の移動はエレカを使うほかないのだ。

 適当な一台に飛び乗り、ハンドルを握り、アクセルを吹かす。

 

『――こちら、ロン・コウ中尉。いらないと思いますが、護衛の一個小隊を回します。雑用係に使ってください。艦長のEWACジムはすぐ出れますが、2体のガンダムは何の調整も手入れもしていないので、搭乗禁止です』

 

 偵察・早期警戒のみならず、広域戦術統制通信が可能なEWACジムは、MS隊を統制するにおいて極めて重要である。諸部隊との連携のみのとどまらず、各機体、リーダー機等に対して光通信、レーザー通信などを用いて随時、作戦指導を行えるからである。

 もちろん、シロッコはEWACジムで出撃するつもりではあった。

 注意事項として指摘された2体のガンダムとは、NT-1とFAガンダムのことだ。

 連邦初のNT専用機を与えられたという事実はシロッコにとって大変名誉なことではあったが、軍事的合理性の観点から、ただでさえサプライチェーンが弱い木星圏にてガンダムNT-1なるワンオフ機を運用するのはナンセンスだった。

 もちろん、FAガンダムも同じである。

 

 こうして、二体のガンダムはハンガーの飾りとなり、暇を持て余した木星赴任のエンジニアたちの手によって、FSWS計画に関する応用研究の素材として使用された。

 

 FAガンダムのコンセプトとNT―1に用いられていたチョバムアーマー関連技術を足し合わせ――ジム改にオプション装備可能な外部装甲+火砲類+推進システムとしてパッキングしたブルドックシステム(仮称)が誕生。

 これを装備したジム改を、便宜上FAジム改などと呼称し、MSというオモチャが大好きなハインツ大尉に渡してある。

 

「了解した。それと、例の巨人型機械が勝手に動き出そうとしているが、何か心当たりはあるか?」

『いやぁ、なんとも見当がつきませんが――むしろ勝手に動くのであれば、好きにさせては? どうせ我々では起動すらできなかったわけですし』

「確かに、それも一理あるか」

『おっと、ヤバくなってきたぞ……失礼、通信終わります』

 

 ロン・コウ中尉からの通信が強制的に終了となる。

 シロッコはエレカに搭載されている通信端末をあれこれと操作しながら、様々なチャンネルから情報を収集する。

 

 かき集めた断片的な情報からするに、どうやら地球連邦軍とジオン公国軍が何らかの理由で睨み合っているところに、エイリアンのようなものが来襲したという三文小説のような話になっているようだ。

 

 そんなところに、さらにどこの何とも分からぬ古代遺物を持ち込んだ形になったシロッコは思わず舌打ちをする。状況を好転させるどころか、より一層ややこしくした張本人ということになってしまったからだ。

 

「私もよくよく運がないな。ただの歴史の立会人にでもなれればと欲をかいて地球に来てみれば、むしろ私が歴史の当事者になるとは」

 

 腹立ちまぎれに独り言をこぼし、がらんどうのMSハンガーの中をエレカで駆ける。

 

 残っていたEWACジムの脇にエレカを停車し、タラップを登ってコックピットの中に飛び込む。

 

 完全にクールダウン状態であったEWACジムを起動させ、挙動チェック。

 オールグリーンの後、無人武器管理システムから差し出されたジムライフルを装備し、予備弾倉をマウントする。

 

「ジャマイカン大尉、ハッチを開けろ。シロッコ・パプテマス大尉はEWACジムで出る」

『了解、ハッチ解放』

 

 言われたことはつつがなくこなすジャマイカンの手により、出撃口が開く。

 もちろん、ソロシップにはカタパルトなんぞはないので、シロッコのEWACジムは自力で外にノロノロと飛び出した。

 

 とはいえ、ソロシップの速度と同期はしているので、足が遅すぎてどうしようもない、ということはない。

 

「なんとも穏やかなソラだ。地球圏の感覚だな――木星とは違う」

 

 激戦区に飛び出したにもかかわらず、シロッコは青い地球があるここが、どこか安らかなところに思えた。

 

 

 

 

 イデオンが動いている!? とシン大尉は壊滅したバスク艦隊の生存者救出に従事しながら、目を見開いた。

 

 クラウンの野郎がロクに足止めもできずにデスアーミー(※シンの中の人は、デスアーミーとデスバットの区別がついていないというGガン見識甘いニキである)の群れをじゃらじゃら外に出したせいで、Zガンダムで悪役を一手に引き受けるバスクが死んでしまったという一大事態に巻き込まれているというのに、イデオンまで出てくるのかよ!? とシン大尉は頭を抱えた。

 

 とはいえ、シン大尉は無駄に器用な男なので、先ごろ回収した中佐の階級章を付けた重傷のノーマルスーツを緊急搬送ランチにそっと預ける。やたらと体格のいい中佐だったので、鍛えた心肺機能のおかげでワンチャンスありそうな気がした。ノーマルスーツのAED機能及び、応急止血システムも正常稼働していたから、運があれば助かるだろう。

 

「どこの中佐かわかりませんが、頑張って生きてくださいよ」などと声をかけておく。

 

 衛生兵が搭乗した緊急搬送ランチが中佐を収容。他の負傷者も満載しているため、戦域を急速離脱していく。

 

 また後続便のランチが飛び込んできたので、シン大尉率いるアルファ任務部隊MS隊は作業を続行する。

 

「アルファリーダーより各機へ。バスク中佐を回収した機体はいるか?」

『こちらアルファ101、情報なし』

『アルファ202。そっちが誰かわからん中佐を回収してたろ?』

 

 ヤザンに指摘されたが、先ほどの中佐は違うだろう。

 シン大尉の中の人はガノタだ。0083バスクの姿をOVA及び劇場版スターダストメモリーで脳裏に焼き付けてきている。

 あの特徴的なサングラス――視力矯正用ともいわれるアレを装着したマユナシ、頭髪ナシの特徴的なフェイスが分からぬはずがない。

 だいたい、バスク・オムが持つまがまがしいまでの悪役感は、ガノタなら一目で分かってしかるべきなのである。

 

「さっき回収した中佐殿は、どちらかというと徳が高そうな感じだった。絶対にバスク中佐ではないな」

『本当かよ。隊長の勘はまったくアテにならねぇからなぁ……』

 

 ヤザンの苦言に、シン大尉が「俺が一番バスクのことを分かってるんだっ!」などと意味不明な強弁をして、ヤザンを困惑させていると、鶴の一声が飛んできた。

 

『――貴様ら、無駄話ばかりするなっ! まだ生存者のビーコン反応があるんだぞ! さっさと回収しろっ!』

「Yes,マム!」

『うぉっ、了解っ!』

 

 トロイホースのマッケンジー艦長からそういわれると、二人は黙って職務を遂行するしかない。

 シンもヤザンも所詮は宮仕えの身。艦長に査定を下げられてボーナスが減ってしまっては泣きを見るというものだ。

 

『隊長、あの大きいの、なんです?』

 

 シャニーナ少尉のジムキャノンⅡが、シン大尉のジムカスタムに通信ワイヤを張り付ける。ヤザンと違い、艦長にどやされない知恵がそこにあった。

 

「あれは木星で見つかった巨人型巨大機械だな。100メートル以上あるとか噂されていたが、実物はもっとでかいな」

 

 シン大尉は確信する。間違いなく逆襲のギガンティス仕様のイデオンだ。サイズが二回り以上でかくなっている。

 

『変な形ですね』

「そりゃ、異星人のデザインしたものだからな。こちらの感性とは違うだろう」

『えっ! 異星人のなんですかっ? ってことは、バケモノたちの仲間っ?』

 

 シャニーナ少尉の声に不安の色が濃く混じったので、シン大尉が落ち着かせる。

 

「そうと決まっちゃいないさ。連邦の木星派遣部隊が回収してきたシロモノだから、こっちの制御下にあると考えるのが妥当だろ?」

 

 何一つ妥当ではないと自覚しつつも、嘘も方便と言い訳をしながらなだめすかす。

 

『本当に、そうなんでしょうか……なんだろう、わたし、なんだかすごく嫌な感じがするんです』

 

 まてまてまて、とシン大尉は滝のような汗が背中からにじむ。

 NTであることが分かっているシャニーナ少尉がそういうことを言い出すということは、文字通りろくでもない展開が来るということだ。

 

「シャニーナの勘は当たるからな。艦長にも共有しておこう」

『はい。では、救助活動を続けます』

 

 シャニーナ機が離れていく。

 シン大尉は秘匿通信でマッケンジー艦長に直接通話を呼びかける。

 

『なんだ? いま私は忙しいぞ』

「1分だけ。あの巨人型の機械の件です」

『木星ラムダ遺跡のことか。どうせ貴官のことだ。ゴップ閣下から情報は貰っているのだろう?』

「はい。実は最高機密情報を持っていまして」

『――私は忙しい。ぜったい訊かないからな。そういう面倒ごとは、閣下とお前でなんとかしてくださいお願いします、わたしはもう疲れたんです。さようなら』

 

 ブチっ、と秘匿通信を切られてしまう。

 まいったな、マッケンジー艦長も連続交戦のストレスがいよいよマックスだな、とシン大尉は戦闘心理と戦闘効率に関するAOCでの講義を思いだす。

 

 そもそも人間というのは肉体的疲労により判断力も同時に低下する。

 となれば、気力体力を酷使する激甚状況である戦場では、当然に兵も指揮官も心身が摩耗していく。

 もしこれを放置すると、たとえ武器弾薬や糧食が充分であったとしても、任務分析の誤りや伝達事故、装備事故、運用事故が多発するようになり、結果として戦力が漸減ないし、評価上壊滅状態と呼んでもいい状況へと遷移していく。

 このような状況へといたった部隊は我が方の弱点となりうるので、交代ないし増援による休息機会を与えねばならない、とされていた。

 

 いま、アルファ任務部隊はそのような状況へと遷移しつつあるのは間違いない。

 それを理解しているからこそ、マッケンジー艦長は戦闘任務ではなく、多少は神経がすり減らない救助活動の手伝いなんぞの仕事を引き受けてきて、我々にやらせているのだ。

 

 仕方ない、とシン大尉は大きく息を吸い、とある私物端末――ゴップ閣下とどこからでもつながる量子通信装置を手に取り、コールする。

 

『なに? 忙しいんだけど。バカなの、死ぬの?』

 

 さすがゴップ閣下である。

 ご苦労だな、シン、という言葉などいただけようはずもない。

 

「閣下、お忙しいところ恐縮なのですが、うちのマッケンジー艦長のメンタルがヤバくなってきました。といいますか、アルファ任務部隊ほか、スパルタン隊、イプシロン任務部隊いずれも疲弊の極みです。後方で数時間の休息をとらせないと、閣下も望まないくだらない事故が起きかねません」

 

 クリスとバーニィのラブロマンスチャンスをメイクアップしたのは心が乙女のゴップ閣下自身だ。こんなところで二人のラブロマンスを終わらせるなど、ガノタとして許せるはずもない、と判断してくれるはずだ。

 

『……くだらない事故を起こさせないように、あんたを付けてるんだけど』

「ですから、私の力ではどうしようもない状況ですので、連絡した次第です」

『無理言わないで。いま第一軌道艦隊、第三軌道艦隊の全力を以ってデスバットどもを止めてるんだから。むしろ救助任務に行かせている今が、あたしにできる最大限の配慮ってやつなのよ。本来であれば今すぐあんたらを前線に叩き込まなきゃいけないのっ』

 

 おっと、マズイ。閣下のほうもストレスがマックスの香りを感じた。

 とはいえ、閣下の変わりが出来そうな連中は――どこにいったんだ? ワイアット大将やレビル将軍、ジャミトフやコリニーは?

 

「閣下、ワイアット大将に一時的に指揮を任せて、休まれては?」

『あんたねぇ……ワイアットも、レビルも、ジャミトフも休暇中に失踪。たぶんギレンに一泡吹かされて監禁ってとこかしら』

「はぁ!? そんじゃ、閣下一人でずっと艦隊統率してるんですか?」

『いないんだから仕方ないじゃない。それに、あたし以上にこの世界を守りたいって思ってるガノタがいるとでも思ってんの?』

 

 なるほど。

 これはまた大きく出たな、とシン大尉は鼻で笑う。

 

「実に強烈な自負で、このシン、心底感心するとともに、張り倒したくなりました! 待ってろゴップ閣下、俺は今からそっちいくからなっ! 無理やり殴ってでも休ませてやるっ! 連合艦隊司令の仕事は一時的にワッケインかコーウェンにでもやらせりゃいいんだバーカっ!」

『ちょっとあんたっ――』

 

 ゴップからの反撃を無理やり遮断すべく、通信機の電源を落とす。

 

 ふざけるなよ。

 ゴップ閣下、あんただけがこの世界を守りたいと思ってるわけじゃない。

 俺だって、そう思ってるんだ。

 一人で背負うなよ。

 俺にも、背負わせろよ。

 あんたの手駒になったときから、こっちはあんたに賭けてるんだ。

 ゴップ閣下なら、史実以上に宇宙世紀ガンダムをマシな方向に持って行けるんじゃないかってな。

 人死にが減って、悲劇が減って、最後はみんな老衰で死んでハッピーエンド。

 そこに連れてってくれると信じてるんだ。

 

「マッケンジー艦長、マッケンジー艦長っ! 閣下から特命ですよっ! 耳塞いでてもダメですからねっ!」

 

 シン大尉は好きに使え、とゴップから渡されていた白紙命令書に、自分の意思を書き込む。

 アルファ任務部隊以下、特殊作戦群各隊は統合艦隊司令部に集結し、次なる特殊作戦に備え補給と休息をとること、などとでっち上げる。

 

『――よかった……よかったよぉ……』

 

 ゴップの暗号鍵付きの命令書を受領したマッケンジー少佐から、涙声の応答。

 

「コネ野郎の大尉もたまには使えるって覚えておいてください。さ、艦長、涙を拭いて指揮を執ってください」

『別に、泣いてなんかないぞ。私は艦長だからな――シン大尉、ありがとう』

 

 強がるマッケンジー艦長からの厚い信頼の情がこもった感謝の言葉に、シン大尉はとんでもない破壊力を感じた。

 胸がきゅっとする。

 思わず手で胸を押さえてしまった。

 これは……バーニィ一人では支えきれないのではないか? むしろ自分も共に支えなければならぬのではと、胸の高鳴りを覚えたが、ただの戦時過労による心肺機能の異常である。

 そう、シン大尉の体もまた、限界を迎えつつあるのだった。

 過労による心疾患、脳出血は兵士のありがちな死因である。

 

「アルファリーダーより各機へ。特命が下った。救助作業をジオンの部隊に引き継ぎ、我々は母艦へと帰投する」

 

 シン大尉が宣言すると、部下たちから口々に『助かった……』や『1時間でも寝られれば』などという希望に満ちた声が上がる。

 

『――おい、隊長、いいのかよ』

 

 ヤザンのジムカスタムが通信ワイヤを張り付けてきた。

 

「なにがだ? ヤザン少尉」

『考えがあってやってんだよな? どんな手品か知らねぇが、オレたちにとって都合がいい話は、戦局全体からすれば不都合な話だ。軍隊ってのはそういうのを許さねぇ』

 

 ヤザンの心配はもっともだが、シン大尉は決して思い付きで貴重な白紙命令書を使ったわけではない。

 

「心配するな。休んだ後に特別作戦ってのがあるのは本当だ。なぜなら、自分に腹案があるからだ。敵の要塞級に殴りこむぞ。クラウンが出来たんだ。我々にできない理由はないだろう?」

『――マジで言ってんのか?』

「ああ」

『くそっ。聞くんじゃなかった――』

 

 興奮して寝れねぇじゃねぇか、とのたまうヤザン。

 その闘争本能にドン引きですわ、とシン大尉は顔を引きつらせる。

 

 数分後、トロイホースに帰投したアルファ任務部隊の面々は、這うようにコックピットから出て、パイロット待機室に流れ込み、壁際に埋まっている安全固定具にノーマルスーツの安全索を繋ぎ、目を閉じた。重力区画ではないため、何処かにつないでおかないと急な艦体挙動で死傷事故につながりかねないからだ。

 

 皆の仮眠を見届けたシン大尉は、己の疲労をごまかす素敵な栄養剤の注射をキメる。

 ブチ切れて待っているであろうゴップ閣下を納得させるための、特殊部隊による要塞級破壊作戦の起案書と状況想定図を作っておく必要がある。

 

「さて、いっちょやりますかね」

 

 ラップトップ端末と拡張モニタに向かうシン大尉。

 その姿を、シャニーナ少尉は壁に隠れて見守って――いたかったのだが、彼女もまた疲労のため、眠りに落ちてしまう。

 宙を漂っていたシャニーナの姿に気付いたシン大尉は、彼女をやさしく抱き寄せて、ノーマルスーツの安全索を壁の安全固定具につないだ。

 

 すーすーと寝息を立てるシャニーナ少尉の寝顔に励まされたシン大尉は、その後、何とかゴップを納得させうる起案を仕上げた――夢を見た。

 

 シン大尉もまた限界だったのだ。

 彼はベンチに自身を固定したまま、あっさりと眠りに落ちた。

 

 漂うラップトップ端末。

 そのモニタには、何も書かれていなかった。

 だが、シン大尉が眠りに落ちて数分後、端末の文字列が勝手に生成され始める。

 要塞級有害鳥獣に対する最深部侵入破壊作戦、と題されたそれは、精緻かつ大胆で無理がない作戦であり、一介の大尉が限られた時間で作るにはあまりにも出来すぎていた。

 

 結びとして、シン大尉しか知らないはずの暗号化署名が書き込まれる。

 そして、起案者から受領者に対する秘密通信欄に、受領者たるゴップしか閲覧できないサイバーパンク短歌が詠まれていた。

 

『いつかぼくは 救われるだろう たぶんそこは 小雨のなかの 電気椅子だろう』

 

 

 

 

 

 








参考 加藤治郎『マイ・ロマンサー』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五五話 0083 地球軌道決戦5

本を読んでも、物語や歴史に聞くところからでも、真実の恋は滑らかに運んだためしがない。

――シェイクスピア『真夏の夜の夢』


 ゴップはペガサス級1番艦たるペガサスの中央部へと一人で移動する。

 シンのバカが、いざというときに使えとゴップが渡していた白紙命令書を好き放題使い、一時的に第三軌道艦隊司令のコーウェン中将が連合艦隊の司令代理として指揮を執っている。

 

 強制休息と相成ったゴップは、一人、同じように苦悩しているであろうもう一人のバカのところに足を運んだのだ。

 

「――閣下!?」

 

 警衛についていた兵士が敬礼をする。

 

「すこし席を外してくれたまえ。コーヒーでも飲んでくるといい」

 

 艦内自販機の購買チケットを二人に電送すると、警衛らは顔を見合わせる。

 

「しかし、閣下お一人では。拘束されている男は危険人物だと聞いています」

 

 さすが、ゴップの座乗艦の乗組員に選ばれただけのことはある。末端の兵士一人まで職務に忠実かつ、責任感が強い。

 

「わかった。妥協案でどうだ? 君たちはコーヒーをここに持ってきて、中の様子はモニターで確認。ただし、音声は切れ」

 

 ゴップの妥協案を警衛の兵士が、それならばと同意する。

 彼らが心配なのは拘束されている人物ではなく、ゴップが害されることであるので、モニターさえ使えれば、何かあってもすぐに飛び込むことができると判断したのだ。

 

「了解。我々はコーヒーを受領し、モニターにて状況を注視。閣下に危害が及びそうな場合は、申し訳ございませんが強行突入いたします」

「結構。ただし修正事項1点。コーヒーは4パックだ。私と虜囚の分も頼む。かかれ」

「かかります」

 

 ゴップが追加分のチケットを電送。

警衛の一人が残り、一人がコーヒーを買いに走る。

30秒も経たず、コーヒーを4パック抱えた兵士が戻ってきた。

 

「お待たせいたしました」と、二つ、ゴップにコーヒーが差し出される。

「ご苦労。では、監視任務を継続したまえ」

「はっ」

 

 兵士らがいくらかの独房が設置されている懲罰室の扉を開ける。

 ゴップは懲罰室の廊下を奥まですすむ。

 後方で、扉が閉まる音がした。

 

 

 

 ゴップは、これと言って特徴がない単なる独房の一室のドアの前に立つ。

 ペガサス級に設置されている独房だからと特別なこともなく、単なる複合金属製の密閉ドアがあり、その奥にはベッドとトイレしかない虚無の部屋があるだけだ。

 

 ゴップは特に何の警戒もなく、そのドアを開ける。

 そこには、腕を組んでベッドに腰かけている図々しいリュウ・ホセイがいた。

 

「――逃げないのね」

 

 この男は、いつだって逃げられるはずだ。量子脳に換装済みの、人間をやめました連中の一人なのだから。

 

「ここが一番都合がいいんだ。君を守るためにもな」

「守ってなんて頼んでない」

 

 ゴップが壁に背中を預ける。

 

「あんたのやってることなんて、気持ち悪いストーカーと同じじゃない。勝手にあたしの周りをうろちょろして、かき回して……さぞ悲劇のヒーロー気取りなんでしょうね」

 

 ゴップはいらだっていた。

 だから、リュウが嫌がりそうな言葉をとにかく選んで、ぶつけておく。

 

 どのような状況でも、常に主導をとってきた自負がある。コントロールできないような事態に直面したとしても、最大限、自分の意思を押し通せるよう手練手管を挟み込んできたのだ。

 

 しかし、今の状況はナンセンスだ。

 ゴップの意思がゆがめられ、シン大尉は勝手に動き出し、宇宙怪獣騒に関しては何一ついいところなしのレビル派に華を持たせるチャンスだと、シン大尉にそそのかされて横やりを入れてくる始末だ。

 あげく、部下の参謀団やグレース教官までもが、働きすぎの烙印を勝手に押して、ゴップに休みを取るように迫る始末。

 

 鷹揚な提督として振舞ってきたゴップに、それを無視するという選択肢はなかった。

 こんなことなら、最初から強権的で高圧的な将官として振舞えば――いや、それでは、いまのこの地位に就くことはできないだろう。

 

 人の上に立ち、人を使うということは、厳然さや実直さだけではダメなのだ。最後は人間力とでもいうべき、ある種の個人的魅力がキーになってしまう。それが俗に、人の器といわれている部分なのかもしれない。

 

「どーせ、俺だけがあいつを救える、とかそんなこと考えてイキリ散らしてるんでしょ? 信じらんないわ。どうしてあんたごときがこのガンダムの世界で意思を通せるなんて勘違いしてんのかしら」

 

 ガノタであれば分かっていることだ。

 容姿も、家柄も、カリスマも、そして技量まで備えていたシャア・アズナブルという男ですら、原作では何一つ己の本当に望んでいたことを実現しえなかった。

 ガノタごときでは対抗できないほどに多才だったフリットは、ユリンもグルーデックも救えない。

 コーディネーターとしてナチュラルよりも多才に設計されたキラはフレイを救えない。

 ガンダムの世界では、どうしても救えないときというものがある。

 そのような業を、刻の涙を見る、とZガンダムでは表現していたのではないだろうか。

 

 ゴップは壁に背を預けたまま、腕を組んで沈黙するリュウに語り掛ける。

 しかし、それほどひどい言葉をぶつけようとも、彼は何も言わない。

 

 何かを言って欲しいわけではないし、このままケンカ別れしても仕方ないとは思う。

 ゴップはなによりもまずゴップでなければならないからだ。

 宇宙世紀における、ゴップならばできそうな役割を率先して果たさなければらならない。

 それがガンダムという作品の中に入り込んでしまったガノタの義務であり、そしてガノタとしての誇りでもあるからだ。

 

 そう、結局はプライドの問題なのだ。

 ガノタならば一度や二度、ガンダムの世界にいったらどうしようと妄想するものだ。

 無双してみたり、ラブロマンスを繰り広げてみたり、と幅はあるだろう。

 だが、ある時気づくのだ。

 ガンダムという物語に入り込み、好き勝手にいじるということが、ガンダムをガンダムではない何かに変えてしまうのだということに。

 

「……ねぇ、何とか言ってよ」

 

 ゴップが、うつむきながらリュウにうながす。

 しかし、リュウは何も言わず、ゴップの眼に視線を向けるばかりだ。

 お前の言いたいことは、それだけか? と彼の瞳が言っているようにもみえる。

 

「あたしさ、結構な数のガノタを殺してきたのよ」

 

 ゴップはただ黙って聞いているだけのリュウに、ずっと秘密にしてきた内容を話す。

 隠しておきたかった。

 だが、この男にはすでに見破られている、あるいはいずれ見破るであろうから、自分から話しておく。

 

 そもそもガノタとて一枚岩ではない。

 それぞれに望みがあり、作りたいガンダム世界がある。

 この世界にやってきたガノタたちは、それぞれに己の能力と想いを遠慮なくこの世界にぶつけてくるのだ。

 

 ゆえに、ある段階で、必ずガノタ同士は衝突する。

 

 そもそもかつての世界では、Seed派だの宇宙世紀派だのファースト主義やらで、ガノタ同士は本当に些細な違いを大きな断絶と思い込んで、互いに互いを罵倒していた。

 

 では、ガンダムの世界にやってきたガノタ同士だったら何とか分かり合えるのだろうか?

 答えは、否である。

 たとえば、バーニィとクリスを助けたいと思うゴップのようなガノタもいる。

しかし、一方で、やはり原作は最高であり、クリスとアルを曇らせたいというガノタもまたいるのである。

 ゴップには理解しがたいガノタ。

 そして、相手にとってもゴップは理解しがたいガノタであっただろう。

 00で語られた、対話の可能性は――ゼロだ。

 

「あたしが戦った中で、一番強かったガノタは、エルラン中将の中の子ね。たぶんあんたよりずっと頭が回ったし、原作もよく理解してた。でも、彼はそれを自分自身のために使おうとしたわ。ヒロインたちを自分の手元に集めて、ハーレムを目指したの」

 

 欲望に忠実なガノタというものは厄介だ。

 文字通り、好きなことをするためには手段を選ばないからだ。

 原作通りの展開に進み、傷心状態になったクリスを甘言を弄して自分のもとに置こうと考えているエルランの計画をつかんだゴップは、動いた。

 

 その結果、エルランはガノタとしての夢を実現することなく、KIAと相成った。

 原作のようにスパイ容疑で拘束されたわけではない。

 副官のジュダックと共に乗り込んだ早期警戒兼連絡機デッシュの予定航路が、なぜかジオンに漏れ、不幸にも撃墜されてしまったのだ。

たまたま近くを通りかかったゴップは、取り急ぎ墜落現場へと出向いた。

 墜落機の残骸。

 半身を押しつぶされたエルランの姿。

 まだ、息はあった。

 

『ゴップ、やはり貴様は……ガノタだったか』

 

 ゴップは何も言わず、エルランを射殺した。

 エルランの死体は、ファーストガンダムオタクならおなじみのスーパーナパームで火葬し、後日、盛大な軍葬をして弔っておいた。

 

 ゴップは、そうやってガノタを殺してきた。

 己の意に添わぬガノタとは、ままならぬもの。

 

 最後は殺し合うしかない。

 

「――ねぇ、あんたって、あたしのこと勘違いしてるのよ。あたしが、あんたを殺さないってどうして信じ切れるの?」

 

 ゴップはほんのわずかに、躊躇いの息遣いをみせた。

 だが、すぐにそれは消える。

 その手には拳銃。

 銃口は、リュウへと向けられている。

 

 だが彼は、向けられた拳銃に動じることもなく、ゆっくりと口を開く。

 

「お前を信じるのに、理由が必要なのか?」

 

 リュウ・ホセイがゆっくりと立ち上がり、その黒々とした眼でゴップをじっと見据える。

 

 その目に惹かれる。

 情熱的で、それでいて、やさしくこちらに向けられるその双眸に心惹かれないわけがない。

 そして惹かれるほどに、どうしても嫌いにならざるを得なかった。

 

「動かないで」

 

 ゴップが銃の引き金に指をかける。

 

「――」

 

 リュウが無言でゴップに一歩、また一歩と迫る。

 二人の物理的な距離は縮まり、ゴップの構える拳銃の銃口が、リュウの胸部にあたる。

 

「……本当に、撃つわよ?」

「撃てよ。お前に撃たれるなら、本望だよ」

 

 リュウの手が、ゴップのふくよかな頬に触れる。

 ゴップは構えていた拳銃を力なく、降ろす。

 そして、おそるおそる――空いた手を彼の手に重ねる。

 

 重なる視線。

 限りなく近い物理的距離。

 

 しかし、どこまでも遠いのだ。

 ゴップの心にわずかにさざ波立った高鳴りは、すぐになりをひそめてしまう。

 残されたのは寂寥感だけだ。

 そして、どうしようもない諦め。

 手を重ねたリュウの肌から感じるのは、狂ってしまった行き場のない想いだけ。

 

 ゴップは悟る。

 彼がおとなしく拘束されて、ここで待っていたのは、別れのためだと。

 たったそれだけのために、彼はこの艦に飛び込んできたのだ。

 

「どうして、あたしたちって、こうなっちゃうのかしら」

 

 ゴップが、リュウの手をそっと払いのける。

 リュウがためらいがちに再び手を伸ばす。

 だが、ゴップは首をふる。

 

「……やめて。みじめなだけよ」

 

 ゴップが、顔を伏せて声を絞り出す。

 彼は、何も見ていなかったのだ。

 ここにいる、このゴップの中で一人うずくまって苦しい思いをしている宇野サララを見てくれてはいないのだ。

 

 やはり、この男は――この男は、あたし以外のあたしの影を追って、ここに立っていると悟る。

 

 量子脳に換装して、初めて彼の存在を感じた時、ゴップは膨れ上がる期待を押さえるのに必死だった。

 時を超えて。

 時空と次元を超えて、あたしのために命を懸ける男が現れたのだと、思ってしまった。

 それは恋心にも似た、ときめきのある希望だった。

 

 けれど、時が経ち、彼がなりふり構わず策動を積み重ねていくのを見て、その希望は不安へと変わった。

 

 もしかしたら、彼は、あたしのことを見ていないのではないか、と。

 

 よく考えてみれば当たり前のこと。

 恋愛経験がご無沙汰なゴップの中の人でも、すぐに思い当たった。

 彼が助けたかった女は、もうすでに失われてしまった。

 

 そうであるならば、ここで救おうとしているのは、誰なのか。

 繊細で、感じやすい宇野サララは悟る。

 彼が救いたいのは、消えた宇野サララであって、いまここで孤独に生きている彼女ではないのではないか、と。

 

 だから、以前にイングリッドの体を借りて、彼を遠ざけるようにふるまった。

 怖かったからだ。

 事実を突きつけられて、自分には救いがないということを思い知らされるのが恐ろしかったからだ。

 

「自覚、あるんでしょ?」

 

 ゴップが、リュウの胸に手を当てて、ゆっくりと押す。

 離れてほしい。

 だが、本当に離れて消えてほしいのかと言われれば、躊躇いは、ある。

 

 ゴップは、リュウとの距離を測りかねていた。

 彼のやさしさにウソはない。

 けれども、彼の気持ちは、ここにはいないあたしに向けられているのだと思うと、やるせなかった。

 

 あたしは、この世界で、孤立していた。

 元の世界でだって、最後は寂しく一人で死んだ。

 でも、ガンダムの世界来てからは、ちょっとだけ希望が持てた。

もし、一緒に同じ夢を見てくれるガノタと出会えたら――絶対に、幸せになれるという確信があったのだ。

 

 仲良くなって、毎日毎日、この世界のためになることを語り合えたら。

 カミーユとファの未来や、ジュドーとルー・ルカの未来なんかを一緒に考えて、行動してくれる人が傍にいてくれれば――それだけで、救われたのに。

 

 でも、やっぱり、見てくれなかった。

 彼は、本当の意味であたしを救ってくれないのだ、と、わかってしまった。

 どうしよう。

 望んでしまった。

 もしかしたら、と希望を持ってしまった。

 でも、そんな希望はなかった。

 本当にあたしのことを見てくれているなら、一緒にこれから歩んでくれるだけでいいのに。

 

「自覚は、ある」

 

 彼は、押しのけようとしていたゴップの手をそっと取り、下ろした。

 

「……ひどい男」

 

 ゴップは、こぼれそうになる涙をこらえた。

 唇をきつくむすび、奥歯を強くかみしめる。

 

「お前に、未来を用意してくる」

 

 本当に欲しい言葉とは違う、彼なりの誠意。

 そんなのはいらないのに、と言いたいのに、言えない。

 もう彼にはその言葉も届かないだろうから。

 

 独房のドアが開く。

 警衛の兵士たちではない。

 一人の女士官――に変装した、よく知った顔の女がそこにいた。

 

「――どうも、おじさま」

 

 いつの日かゴップの体を捨て、記憶を移植する予定だったイングリッドがそこにいた。

 ペガサス級一番艦、ペガサスにはゴップ以外、量子脳に換装したバケモノは乗っていない。

 事実上、この艦は制圧されたも同然であるが、彼らがこの艦を害することはないだろう。

 彼らには、目的があるからだ。

 あたしの未来を作るという、身勝手な目的が。

 

「俺は逝く。お前は、生きてくれ」

 

 リュウが、立ち尽くすゴップとのすれ違いざまに、つまらない祈りを残していった。

 イングリッドとリュウの姿はすぐに遠くへと消えていき、ゴップは1人、開け放たれた独房のベッドに腰かける。

 キャスバルから金塊をもらった時のセイラのように、ゴップはベッドに倒れ込む。

 情けなくて、仕方なかった。

 

 そして、今までの疲労と失意に誘われ――わずかな時間の、意識の消失。

 

 ゴップが目を覚ました時には、すでにシン大尉らによる要塞級殴り込み作戦がちょうど始まろうとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五六話 0083 地球軌道決戦6

だんだん冬が大きくなって、長くなって、人は皆死んでしまった。
だから今、人は少ししかいない。
いつかこの世界には、永遠の冬が来る。

――つかいまこと『棄種たちの冬』


 

 太陽が、敵を焼く。

 連邦の威信をかけた最初にして最大の要塞級有害鳥獣破壊作戦。

 その号砲たる第一号射撃はソーラ・システムの照射。

 

 地球の生命を育み、時には奪った太陽のエネルギーを叩きつける単純明快な兵器たるソーラ・システムに焼かれる要塞級有害鳥獣は、何とも言えぬ苦悶らしき挙動を示したのち、焼かれた部分を切り捨てて、ソーラ・システムの照射エリアを回避。

 

 同時に、胞子状に自らの体の一部を切り離し、そこからデスバットが大量に出現する。

 それらのターゲットはもちろん、ソーラ・システムだ。

 

「こちらの陽動にかかったな。想定通りだ。この一撃で、歴史を変えるぞ」

 

 ジョン・コーウェン中将はマゼラン改級戦艦『サクラジマ』の艦橋にて、力を入れて拳を作る。それを振り上げ、一喝。

 

「マスドライバー、射撃開始っ!」

 

 コーウェンの号令に基づき、観測士官、通信士官、及び砲雷士官たちが一斉にタスクを開始する。

 月面にある地球向けの物資射出装置たるマスドライバーが、本来の貨物ではなく、重質量弾頭を観測諸元に基づいて射出する。着弾まで、20、19――。

 

「敵、対応挙動、なし」

「弾道、予定通り進捗」

「月マスドライバー基地より、入電。諸君らの奮戦に期待する、です」

「弾着――いま」

 

 重質量弾頭が要塞級の側面に着弾する。

 文字通り、質量×速度の二乗のエネルギーを受け止めた要塞級は、隕石の落下時に生じるような巨大な破砕コーンを形成する。

 結果、深くえぐれたクレーターが要塞級の側面に生成された。

 

「有効射。ジオン決死隊モデルに基づく、コア予測ルート開闢」

 

 観測士官が、艦橋の3Dモニタにモデルを表示する。

 ジオンのシーマ少佐の隊とクラウン大尉の隊が文字通り血路を開きながら収集してきた内部情報をもとに、敵要塞級有害鳥獣の真核部分を推測。

そこに達するための最短ルートを最大火力によって開闢するという、単純明快な突入準備作戦である。

 

 コーウェン中将は作戦前提たるこの一大火力作戦を、見事に成功させたといっていい。

 ガンダム開発計画をお蔵入りにされ、レビル派に属しながらもコンペイトウに拠点を置くエゥーゴの中心層から距離を置かれ、挙句、第三地球軌道艦隊を預かる立場でありながら、今回の大戦略レベルの編制では、その実権を連合艦隊司令たるゴップに奪われてしまっていた。

 

 だが、それもここまでである。

 過労に倒れたゴップの次席として連合艦隊司令代理の任にあたったコーウェンは、特殊作戦軍から提出された特別攻撃作戦に賭けた。

 このタイミングで、この作戦を成功させない限り、どう考えてもコーウェン中将が点数を稼ぐ機会はなかったのだ。

 

「ジオン艦隊から最終射撃諸元及び、射界、来ました」

 

 通信士官からの報告。

 

「G3、退避調整は済んでいるな?」

「はっ。すでに我が方、ジオン共に部隊なし」

「うむ」

 

 さらに、ここでダメ押しである。

 

「ジオン艦隊に、感謝する、といれてくれ。ジョン・コーウェン連合艦隊司令代理からだとな」

「はっ」と調整にあたっている少佐からの応答。

 

 連邦のソーラ・システム。

 月のマスドライバー。

 そして、さらにジオンのコロニーレーザーの遠距離照射である。

 

「熱源、来ます」

 

 はるか深淵の向こうより放たれた一条の光。

 それがみるみると破壊的な太さとなり、要塞級有害鳥獣に突き刺さった。

 文字通り、貫通、である。

 数秒の照射の後、光の筋が霧消する。

 

「ジオンの特別攻撃隊が行動を開始しました」

 

 コロニーレーザーがこじ開けた穴から突入するは、ジオンの特別攻撃隊として編成されたエースパイロットたちと支援部隊である。

 

 こちらも負けてはいられない。

 MS運用に関して一日の長があるのがジオンだが、連邦にもジオンに負けず劣らずのエースたちが、多少はいる。

 さすがにジオンほどに人材は厚くないため、代わりに数を投入するのだ。

 

「MSを動かせ」とコーウェンは命じる。

 

「HQより各連隊CPへ。全MS連隊、状況を開始せよ」

「HQより艦隊CPへ。隷下MS隊に直協任務を電送。統制線まで前進せよ」

「HQよりSpGpへ、状況を開始せよ」

 

 艦橋の統制官たちが直ちに指示を出していく。

 地球連邦軍が軍隊としてジオンに勝る点があるとすれば、巨大組織を効率的に運用する巨大システムをしっかりと整備しているところだけかもしれないな、などとコーウェンは機械の如く命令が透徹されていくこの組織の現状を見て、思う。

 

 問題は、そのコマンドを出すべき層が、派閥の論理や政治の論理によってどうも機能不全を起こしがちなところだろう。民主主義に基づく政府の軍隊というものは、どうしても政治の要素が高級将校になるにつれてまとわりついてくるので、それはもう民主政のもとに生み出された軍事組織の持病なのかもしれない。

 

「――ゴップ閣下がペガサスの艦橋に戻られました」

 

 通信部からの声。

 コーウェンはタスクをこなしている幕僚たちにはそのまま仕事を続けよ、と命令する。

 このまま第三艦隊の幕僚団及び司令部士官たちが作戦を継続するべきなのか、それともペガサス側に任務を引き継ぐべきなのかはまだ決まっていない。

 そうである以上、ここにいる士官たちは仕事を続けるほかないのだ。

 

「通信をつなげ」

「はっ」

 

 数秒の沈黙。

 相互通信が承認され、回線がつながる。

 

「閣下、ご体調はいかがでしょうか?」

『うむ、コーウェン中将のおかげで楽になった。状況は――良いようだね』

「はっ」

 

 さすがに古狸のゴップ。艦橋入りする前から戦況全体の情報は既に耳に入れていたとみる。いわゆるゴップ派――地球連邦軍における最大派閥とも、単なる烏合の衆ともいえる巨大な意思の集合体を率いているだけあって、ゴップは極めて公正な人物ではある。

 決して、公平とはいいがたいが、公正である点については信用できる。

 他派閥の人物の功績を握りつぶすようなことはしない。

 むしろ、それをほめたたえて、褒め殺しの形にして恩を売ってくるような老獪さがある。

 

 ゆえに、コーウェンは自らの隙をさらさぬために、堅実な手段ととることにする。

 功績を自ら語るようなことはせずに、淡々と指揮権の継承を行うべきだろうと判断した。

 

「閣下、第三軌道艦隊の臨時連合艦隊司令部は、直ちに本来のペガサス側連合艦隊司令部にその機能を継承できますが、いかがしますか?」

『ふむ、コーウェン中将、そのまま連合艦隊司令代理をつづけたまえ』

「はっ?」

 

 コーウェンは思わず、間抜けな声を出してしまう。

 この状況――すべてが好転するであろう下準備を整え、大作戦が開始されている今、ここでゴップが連合艦隊司令官として復帰せねば、ゴップ派の立つ瀬がない。

 もとより謎の体調不良によりゴップが一時的に休息をとる、という理由――それ自体が、なんら今回の有害鳥獣に対する緒戦で点数稼ぎができなかったレビル派に対する、一種のゴップ派からの手土産であったとコーウェンは理解していた。

 この戦いの後、何もしなかったという罵倒をレビル派が受けぬようにという配慮であるとともに、ゴップ派とレビル派は持ちつ持たれつである未来であろうというメッセージなのだと考えていたのだ。

 

 しかし、である。

 コーウェンが指揮をとり続けるような事態になると、話は変わってくる。

 このままでは、コーウェン中将がレビル派の意向を押し通すような越権行為をやらかして指揮権を維持したのではないかという無用な勘ぐりをする連中がでてきてもおかしくない。

 

「――閣下、それは困ります。十分こちらはメンツを立てていただきました」

『コーウェン中将。これはお願いではなく、命令だよ』

 

 命令、と言われてしまえばどうしようもない。

 副官に、継承はナシ、このまま司令部機能を維持、と手でメッセージを送る。

 

「……閣下、何をお考えなのですか? いや、この状況を何に利用しようとしているんです?」

 

 せめて、ヒントくらいは欲しかった。

 レビル将軍が戦線に参加しなかったため、今後のレビル派の趨勢はある意味、コーウェン中将の振る舞い一つで変わるからである。

 ここでゴップの意図を理解しきれず、ただ言われるがままに指揮をとった先にとんでもない責任問題が待っているようだったら、指揮権は是が非でも返上しなければならないのだ。

 

『――私には、やることがあるのでね。君には華をもたせることにしたよ』

 

 やることがある……ゴップが連合艦隊の指揮を放り出してでもやらねばならぬことがあるとすると、それは間違いなく、いま行われている大作戦以上の、重大な事案に対する対処であると考えるのが妥当だろう。

 ゴップは一年戦争時代から、軍政家として政軍関係を調整し、MS大量投入時代を見据えて軍を支える巨大な兵站システムを張り巡らすような大戦略を得意とする。

 

 一方のコーウェンは、自らが戦術級、作戦級の将官であると自覚していた。

 

「はっ、ご命令のままに」

『よろしく頼むよ』

 

 通信が切れたことを確認し、コーウェンは座席に深く身を沈める。

 ゴップにとって、この有害鳥獣に対する作戦――いや、もっとストレートに言えば、人類が最悪のファーストコンタクトの形を地球外生命体との間に起こしてしまったことについて、その対応は戦術級レベルの話であると判断したため、コーウェンにすべて任せるということになったのではないか。

 

 つまり、ゴップはこの地球外生命体とのコンタクトを根本決着させる何かを持っている、ということになるのだろうか?

 そのような手札を持たないコーウェンは、ただ深く息をつくほかない。

 連合艦隊司令代理――地球連邦軍人の現場指揮官としては最高位といっていい地位すらも、ゴップにとってはただの盤上のゲームを進めるためのコマなのだろうと思うと、その程度の地位で胸が高鳴ってしまう自分は、本質的に大将になれる器ではないのだな、と自覚せざるを得なかった。

 

 

 

 

 シン大尉は部下たちのバイタルサイン及び、ストレスグラフをチェックする。

 数時間程度の睡眠と、熱いシャワーのおかげか、再度MSに乗り込んで、冗談にもならない無数のデスアーミーたちが待ち構えているであろう敵の要塞の突入するという、頭が悪い作戦が始まったにもかかわらず――皆、良好であった。

 

『隊長、それ、すんごいジムですね……』とシャニーナ少尉。

『頭のネジが飛んでるやつには、こういう機体が回されるもんだ』とヤザン少尉。

 

 各隊の隊員たちから、違いない、だの、頭アナハイムかよ、と小ばかにされているシン大尉だが、何一つ傷つくことはない。

 なぜなら、シン大尉自身が最も困惑していたからだ。

 

 いまシン大尉が突撃待機位置にて乗り込んでいるのは、ジムカスタムである。

 とはいえ、普通のジムカスタムではない。

 AHAジムCなどという符号を与えられているそれは、まぎれもない核バズーカ装備であった。

 アトミック・ヘヴィアーマー・ジムカスタム。

 核使用を禁じる南極条約は、有害鳥獣に対する作戦には適用されないよねという法務部の助言により、どこからともなく現れたトンデモジムである。

 なお、有害鳥獣駆除に核兵器を使用した前例はない。法務部は文理解釈的にOKだろうと判断したのだろうが、経験主義に毒されているシン大尉は、本当に撃っていいのか半信半疑であった。

 

「まもなく命令が下る時刻だな。よし、任務の最終確認を行う。我々の目標は、最深部にある要塞級有害鳥獣のコア破壊である。もちろん、破壊に用いるのは本機搭載の核バズである。本機は見ての通り、右腕が核バズになっており、左腕のみ自由戦闘が可能――ということになっているが、機体の質量バランスがイカレているため、まともな戦闘能力は期待するな」

 

 シン大尉がここで一度言葉を切ると、部下たちがやんややんやと口を挟む。

 

『うちの隊長サマが使えねぇってこたぁ、わかってるよなぁ?』

 

 ヤザン少尉が部下たちをけしかける。

 

『キルスコアを稼ぎ放題ってことっすね』

『撃墜数0のシン隊長とか、珍しいんで動画とっときますよ』

 

 ダンケルとラムサスだろうか。まったく緊張感が足りないようで、シン大尉は本当に大丈夫なのかと不安になる。

 自分が存分に戦えるなら、部下たちの面倒を見ることもできる。

 しかし、これはどう考えても無理だ。

 強行核攻撃に特化した知性が感じられないジムカスタムを引っ張り出さないと、さすがにこの作戦に勝ち筋はないのだが――それを自分が使うことになるとは。

 

『シャニーナ少尉、我々もヤザン隊には負けられませんな』

『そうだな、サンダース曹長。キャノン隊の火力で、シン隊長の進路を切り開くぞっ!』

『応っ!』

 

 シャニーナ隊もなにやら盛り上がってしまっている。

 睡眠をとり、さらになんだか元気になる栄養剤を打ってしまったから、全員すこしばかりハイになってしまっている感がある。

 

「――で、我々の強行突入の要になるのは、分かっているだろうが……」

『つまり、俺ってことだな』

 

 イオ中尉が宇宙世紀JAZZの違法基地局を運営しながら、FAガンダムの目をスウィングのリズムで光らせる。

 

「イオ中尉率いるスパルタン隊が先鋒。これを直協支援しするのがイプシロン任務部隊のジムカスタムとキャノン隊だ。この二隊が啓開した進路を、AHAジムCが突き進む。アルファ任務部隊はAHAジムCの近接支援を行い、敵を寄せ付けないように。以上。質問があれば許可するぞ」

 

 シン大尉は全員に予定進路及び、穴だらけにされた要塞級の3Dモデルを共有する。

 作戦想定図と、遷移図の両方に目を通すように指示を出し、質問を待つ。

 

『イオ中尉、質問事項2点っ!』

 

 元気よくかましてきたのはやはり彼であった。

 

「許可する」

『えー、帰った後のセッションはどんな曲やるか?、と、パーティ会場はフォン・ブラウンシティの店でいいっすか? の二点!』

 

 部下たちがやっぱ新旧JAZZだけじゃなく、ポップスも入れろだの、パーティ会場はアメリカンダイナーがいい等好き勝手なことを各々が口にする。

 

「あー、選曲は任せる。ただしヒップホップはダメだ」

『なんでだよっ!?』と割り込んでくるヤザン。

『ヤザン少尉がマイク独占するからですよ』とシャニーナ。

 

 実際、ヤザンの本場仕込み感があるヒップホップはかなりのグルーヴ感なのだが、問題は彼がマイクを離さないことだ。シャニーナの関節技を以ってしても、ダメなのである。

 

「パーティー会場は、ヤザン隊に任せる。食い物に一番うるさいからな」

『うぇーいっ!』

『ウェイウェイウエーイっ!』

 

 あまりにも騒がしいので、シン大尉はヤザン隊の通信音量を絞る。

 以上だ、とイオ中尉に告げると『りょうかーい』とリラックスした応答。

 

「ほかにあるか?」

 

 シン大尉は質問がなければ打ち切り、各自にハード/ソフトチェックを行わせ、最終武器点検をさせようと考える。

 

『シャニーナ少尉、質問事項、一点!』

「おう、許可する」

 

 特に拒む理由もないため、シン大尉が促す。

 さっきまで騒いでいたヤザン隊の連中が不意に静かになり、イオ中尉のFAガンダムから流れてくるJAZZはアシッドになる。サウンドの粒度があがり、一粒一粒が砂時計の砂粒のように、時間と同期するようなリズムを奏でる。

 

『隊長、この戦いが終わったら、なんでも一ついうことを聞いてくれますか!?』

 

 最後のほうは力みがすごく、シャニーナの声が裏返っていた。

 イオ機体から流れてくるJAZZはスローテンポのピアノに変わっていた。どこか不安気で、それでいて鍵盤を滑る指は優しく、曲の終着点はなにかがあると思わせる予感があった。

 一体イオ中尉は何がしたいんだ? とシンは訝しく思う。

 それだけにとどまらず、なぜか普段からペラペラと余計なことをいうヤザン隊の面々も、息をのむように押し黙っている。

 どうしたんだろうか? 腹でもいたいのか?

 

 などと、考えているとき、シン大尉は閃いた。

 そうだ、もうすぐシャニーナ少尉の誕生日じゃないか、と。

 つまり、イオ隊もヤザン隊も、そのサプライズをするからちゃんとYESって答えろよっ! と暗にメッセージを送ってくれているのだと悟った。

 

 自分が怖い、とシン大尉は震える。

 ついにNT並みの感性を手にしてしまったことに、思わずやっちまったな、などとニヤニヤと笑みを浮かべる。

 そして、シン大尉は自分の口座データをみながら、答える。

 そういえば、出撃前におごりすぎて、大変なことになっていたのだった。

 

「うーん、あんまり金がかかることじゃなければ、なんでも聞いてやるぞ」

 

 シン大尉が答えると、ヤザン少尉がヒューッと口笛を鳴らす。

 

『ありがとうございますっ! みんな、証人よろしくっ!』

 

 シャニーナ少尉がうわずった声で、周りの連中に何かを頼んでいる。

 証人? なんの?

 

『あいよ。イオ中尉、聞いたよな?』

『ダセェ返事をしっかり聞いちまったよ……』

 

 隊員たちがきゃっきゃと騒いでいるが、皆クスリでおかしくなっているのか? とシン大尉はますます不安になる。

 

「よし、レクリエーションはここまでだ。全機診断プログラムを走らせろ」

 

 シン大尉は緩んだ空気を切り替えるべく、隊長として命じる。

 各機体からハード/ソフト面の診断結果と、武器弾薬のパラメータが隊長機たるシン大尉のHUDに表示される。

 隊員たちのストレス値もなぜか非常にリラックスしている数字を示している。

 特に、シャニーナ少尉に至っては幸福を感じている状態だ。

 一体この部隊はなんなんだ? とシン大尉は怖気づく。

 自分以外、全員バトルジャンキーなのか? と。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五七話 0083 宇宙怪獣の腹の中1

その答えを求め続けると気のふれる問いがある
自分は何故ここにいるのか
何処より来たりて
何処(いずこ)へ向かうのか…

実に人は
この問いを
忘れる為に
人を愛し

この問いから
逃れる為に
神を求める

――水樹和佳子『イティハーサ』



 

 ハイザックを先頭としたMSの集団が、要塞級の体内を駆け抜ける。

 進路の邪魔となるデスバットのみを駆逐し、たとえ退路が閉ざされようとも前へ、前へ。

 

「アカハナ、どれだけついてきている!?」

 

 ハイザックのカタログスペックはゲルググよりもはるかに高い。

 全備重量が軽量かつ、スラスタ総推力も上回っているため、随伴できるゲルググ系MSはイェーガータイプだけになってしまう。

 クラウン隊は当然ゲルググJで装備を統一しているが、クラウン隊の支援に割り当てられた各部隊のゲルググは通常型やキャノンタイプも数多くをしめているため、その速度についてこられる保証はどこにもなかった。

 

 しかし、クラウン隊は足を緩めるという選択肢をとることができない。

 連邦との火力協調で風穴を開けたものの、それは永続的であること意味しない。

 この宇宙怪獣はDG細胞で構成されているので、当然、その形質を再度取り戻そうと自己修復を図るからだ。

 

『かなり……孤立させてしまったようです』

 

 やはり、ついてこれなかったか、とクラウンは唇を噛む。

 後続のガトー少佐率いる親衛隊や、ラル少佐の部隊が来るまで何とかその場で踏みとどまってほしい。

 

「わかった。我々は前進するだけだ。戦友たちに厄介ごとを押し付けてでも、進むしかないんだ」

『了解。我ら特殊工作部隊の業の深さですな』

 

 アカハナがジャブローに侵入した時も、陽動部隊として大量の正規軍が地上降下作戦に投入された。ジャブローの対空砲火の中に飛び込む自殺行為に従事させられた兵たちの心境を想うと、さすがのアカハナも胸が痛んだものだ。

 

 それと同じことを、今ここでやっている。

 歴史は繰り返すというが、常に同じではない。

 ジャブロー戦では破れかぶれの破壊工作であった、これは違う。

 ジオンの――人類の勝利のための、一撃を刺しに行く。

 

『前方の敵集団。距離、3000!』

「ビームマシンガン、斉射!」

 

 ゲルググJが標準装備している銃身の長いビームマシンガンが、槍衾のように展開される。

 そして、阿吽の呼吸を合わせて全員が一斉射撃。

 強力な弾幕となってデスバットを撃ち落していく。

 しかし、それでも表層を削っていくだけだ。

 分厚い木材にカンナをかけているようなもので、削っているとすらいえないのかもしれない。

 

「全機、抜刀っ! 帰ったら全員で乾杯だっ!」

 

 クラウンのハイザックがザクマシンガンを後ろにマウントし、両手にビームサーベルとヒートホークを持つ。

 隷下のゲルググJ達も、ビームサーベルの発振器を手にする。

 

「突貫っ!」

『うおぉぉ! ジーク・ジオン!』

「ジィィィィクっ! ジオンっ!」

 

 クラウンのハイザックが、進路を妨害しているデスバットの群れに、サーベルを振り回しながら飛び込んでいく。

 ガンダム無双かよっ! とクラウンは皮肉めいた苦笑。

 ただ、ゲームの無双ゲーのように敵がいい感じに攻撃を待ってくれる――プレイヤーの攻撃を受けてくれる、ということはない。

 

 デスバットどもは猛然と手にした棍棒を振り回し、襲い掛かってくる。

 

 クラウンのハイザックは、教範とOSに載っているすべてのマニューバを駆使して、それらに対処する。

 

 それでもダメなときは、ミッションディスクとしてぶち込んである、流派東方不敗の動きで対処する。

 

 なおも抗し切れぬ場合は、神経接続している自身のカラダが覚えている動きで対応する。

 

 とはいえ、これはMFではない。

 ただのハイザックである。

 ゆえに、かのマスターガンダムのようにすべてを竜巻で吹き飛ばす、などということはできようもない。

 

『……行ってください! クラウン隊長!』

 

 アカハナからの通信。

 すでに完全な混戦状態。

 数多くのゲルググJが絡めとられて、多勢に無勢の戦いを強いられつつある。

 物量戦を挑まれることはジオン兵にとって慣れたものなのだが、これほどまで理不尽な物量戦は、連邦相手でもそうなかった。

 

「馬鹿野郎! お前らもくるんだっ!」

 

 デスバットの頭を蹴り潰しながら、ハイザックはアカハナ機を背後から襲おうとしていた敵にヒートホークを投げつける。

 

『無茶言わんでくださいっ! こんな混戦になったらどうあがいても、隊長の足についていけませんっ! 俺たちはココで敵を引き受けますっ!』

「恰好をつけるなっ!」

『恰好くらい付けさせろっ、このエリート野郎!』

 

 アカハナからの一喝。

 覚悟の座ったその言葉に、クラウンは押し黙る。

 

『ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと決めてこい! あんたはジオンの英雄なんだろうがっ!』

『行けよ、隊長っ!』

『見せてくれよっ! 本当に英雄はいるんだってな!』

 

 隊員たちが、吠える。

 ジオンの猟犬たちだ。

 大人しいははずもない。

 

「――死ぬなよ、バカ野郎ども!」

 

 クラウンのハイザックが仲間たちに背を向けて、スラスターの光を輝かせる。

 

 小さくなっていくハイザックの後ろ姿。

 アカハナ以下、クラウン隊の隊員たちは、それが希望の光に見えた。

 

『さぁて、英雄のケツを守る仕事をやってみせるか』

 

 アカハナが、残されたゲルググJ達に声をかける。

 ゲルググJたちは、全方位防御の隊形をとりながら、圧を強めてくるデスバットの群れに飲み込まれていった。

 

 

 

 

 光の奔流に導かれるままに、クラウンはたどり着いた。

 邪魔になる壁は、容赦なく物理的に破壊してきた。

 あまりにも分厚い壁は、ジオンがア・バオア・クーやソロモン建設時に用いた対小惑星用破砕小型爆弾で吹き飛ばし、無理やり最短ルートを作ってきたのだ。

 

 そして、いよいよ目的地。

 爆薬で吹き飛ばした穴から侵入する。

 宇宙怪獣どもと接続している巨大サーバーたるコア。

 そのコアが安置されている、いわば玉座の間ともいうべき場所に、クラウンのハイザックが飛び込む。

 対空迎撃があるのでは、と警戒したが、外の戦場に比して、そこは静寂そのものであった。

 

 いや、静謐というべきだろう。

 ここは、完璧に武の領域。

 戦争と兵器の間ではなかった。

 ゆえに、静かなのだ。

 

 その場に座禅を組むかのように座っていたのは、二機のMF。

 ガノタであるクラウンはすぐに理解する。

 

「マスターガンダムとゴッドガンダムか」

 

 すでにGガンダムの世界が敗北した世界線にいることは理解していた。

 コミックボンボンの夏季増刊号で読み切りとして掲載された作品の中には、Gガンダムの世界がどうにもならなくなってしまったものもあった。

 ボンボン以外でも、ネジが外れた設定――たとえば、アッガイファイト級と呼ばれる特殊な競技をしいられることになった世界線すらもあったのだ。

 

 やむを得ない。

 ガノタとして、お相手仕らん、と、ハイザックはサーベルの発振器を握りしめる。

 

『ようやくお出ましか、小僧』

 

 ハイザックのファイヤウォールをすべて突破しての、強引な通信割り込み。

 クラウンは自らの量子脳を保全すべく、ネットをすべて切断する。

 

 クラウンは、震えた。

 その声は、かつて幼き日に、早起きをして拳を握ってみていたあの作品の、あの御方の声そのもだったからだ。

 会えるとは、思っていたなかった。

 そして、こんな形で相対したくはなかった。

 

「し、師匠?」

 

 ガノタが師匠と呼ぶ相手は1人しかない。アニキと呼ぶ相手が水木一郎であるのと同じくらいの常識である。

 

『ふん、貴様のような弟子を持った覚えはないわい。さぁ、相手をせんか』

 

 着座していたマスターガンダムが挙措を正す。

 互いに一礼。

 ハイザックとマスターガンダムが向かい合う。

 

『ワシらを止めてみせるがいい、この世界のガンダムファイターよ』

 

 流派東方不敗の守の型。

 受け止めてやる、とマスターアジアがドモンを誘うときの、あの構えであった。

 

 古今東西、数多のガノタたちがGガンダムのMFと戦うことを妄想したことだろう。

 クラウンも、そうだ。

 しかし、まさか――ハイザックでマスターガンダムと戦うことになるとは、想定していなかった。ガノタとしての己の未熟さを、マスターアジアに教えられたとしか思えない。

 これからは、突然ボールでダブルオーと戦うような事態になることも想定しておかなければならないな、と心を律する。

 

「不肖ながら、このクラウン、胸をお借りいたします!」

『こい、小僧。ジオンとやらの力、見せてみるがいい』

 

 クラウンは覚悟を決める。

 量子脳を以ってしても勝ち筋は見えない。

 だが、殺す気で向かえば――量子脳に換装したおかげで、神経接続によりハイザックを文字通り、自らの体と同じように動かせるが故の、予期しえない勝ち筋があるかもしれない。

 

 ハイザックが、構える。

 その方は、もちろん流派東方不敗――ではなく、ジオン近接格闘術のそれであった。

 パイロットが遭難し、孤立無援のまま敵地で活動せねばならないときに使用する、徒手空拳の形である。

 いまの体にしみこんでいる、ジオンの魂をぶつけることだけが、勝機に繋がるとクラウンは直感していた。

 

 

 

 

 DG細胞壁をぶち抜いてくる巨大な質量物。

 それはその船の『足』である。

 艦名は、ペガサスジュニア。

 装備開発実験団(※ムラサメ研究所)が運用する、ペガサス級強襲揚陸艦である。

 僚艦であるコ級1号と2号隷下のGNT兵たちが操るジム改が切り開いてくれた、わずかな間隙を強行突破し、今まさに敵要塞のコアがあるルームへと突入しようとしていた。

 

「完璧ですっ! ムラサメ博士! あと少しで最終障壁を突破できそうです!」

 

 ペガサスジュニアの足に搭載されているジム改とペイルライダーD2が、武装の最終点検をしている。

 リュウ・ホセイはジム改のコックピットの中から、突貫作戦に従事してくれているムラサメ研究所の代表に賛辞を贈る。

 

『おぇぇぇ……わしは何もしとらんわい。レヴァン・フウ僧正、あとはあんたの仕事だっ!』

 

 名目上のペガサスジュニアの責任者たるムラサメ博士が呼び出したのは、様々なサイエンスの最前線たるミノフスキー物理学の異端分野たる『ミノフスキー仏理学』の創始者、レヴァン・フウ大僧正である。

 

『不肖ながら拙僧があとを引き継ぎます――合掌』

 

 ミノフスキー仏理学は、文字通りTYミノフスキー博士が提唱したミノフスキー物理学の根本に影響を与えると言われている最先端理論である。

 

 キヨシ・オカ=イチロウ・ツダらによって築かれた共通言語としての数学をさらに発展させた形で提唱されたそれは、物理や化学、生物学などのそれぞれの分野でしか成立しない規範系を横断し、いわば現象をとらえるのではなく、共通する抽象的な世界を構築し、表現することに成功していた。

 

 世界が計算可能か、という一大テーゼに対して、ミノフスキー仏理学は明確に『計算不可能である』と結論付ける。いかに量子コンピュータや推論マシンが発展しようとも、無理数の中には、計算可能な有理数、無理数を使っても近似できないものがあるのと同じように、必ず計算の限界というものが露呈する、と。

 

 世界が計算不可能であるとするならば、様々なミノフスキー粒子に関する現象に着目して研究、分析して学問体系を構築しているミノフスキー物理学にも限界があるということを意味する。

 様々な前提や条件が変更されたとき、ミノフスキー物理学というものが現象面を理論化したものである以上、必ず破綻する。

 

 しかし、レヴァン・フウが唱えたミノフスキー仏理学は、そもそも現象面に着目しない。

 現象面を超越し、それらに共通する抽象的な世界を数字を以って構築し、表現することになる以上、それは普遍的なものへと至るのだ。

 

 これをミノフスキー理論仏理学と呼ぶ。

 この概念により、ミノフスキー物理学の物質・物性研究は終焉を迎え、いよいよ『仏質』『仏性』に関する考察へとシフトしていくだろう。

 

 いわば、世界との接続。

 ミノフスキー仏理学は、世界を解くことを諦め、世界とつながることを選んだ新たなる理論なのである。

 

 従来の物質研究はどうしても6種の識(眼、耳、鼻、舌、身、意の六識)にとらわれていた。このほかに,あらゆる表象としての存在を生み出す根本識として、そのメカニズムを担う種子を蔵しているアーラヤ識(阿頼耶識(あらやしき))と、根源的な自我執着意識である末那識(まなしき)との二つの仏理的な理論を定立したのだ。

 

 かつて道元が禅の教えで述べた『仏法は人の知るべきにあらず』――仏教の心理は我々人間には知ることができない、という表現を、数学的に証明しているといっても間違いではないだろう。我々は知るのではなく――つながるのだ。

 

『万物が万仏であるゆえ、物質は仏質へ、物性は仏性へと変わらん。『僧侶』たちよ、いまこそ時である。合掌。祈念、読経!』

 

 レヴァン・フウがペガサスジュニアに乗艦している『僧侶』たち――世界とつながることができる、時が見えるNTと呼ばれる特質をもったものたちが、茶を口に含んで喉を潤したのち、手を合わせ、一念発起が如く、祈祷と読経を行う。

 

『ミノフスキー法壁展開。敵性生物の浸透率、ゼロ』

『法壁エンジンへの祈念、薄いぞ。もっと生を明らめ、死を明らむるのだ。仏家一大事の因縁なるぞ』

『祈念力伝達良好。無常の風に任することなし』

『仏理転換祈念エンジン、良好。我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔!』

『心念身儀発露白仏すべし!』

 

 ミノフスキー法壁なるバリアがなにやら張られたらしい。

 これにより、敵の浸透を完全に阻止できるとか。

 さすがのリュウも仏理学なるものについてはさわりを学習したのみで、その本質をいまだに把握できていない。

 分かっていることは、レヴァン・フウが仏理学会における先鋭であるという点だけである。

 

『――ちょっとおじさん、なんなの、これ? シューキョー?』

 

 ペイルライダーD2の乗るアン少尉から不安げな声がした。

 

「半分は正解だが、残り半分は違う。これは文字通り仏性に関するサイエンスであり、仏質に関するエンジニアリングだ」

 

 リュウが簡単に説明してやるが、普通の教育を受けたアン少尉にはまだ早かったらしい。

 きょとんとしたまま、ただ流れてくる読経に耳を傾けている。

 

『リュウ、僕は感じるよ。エンジンがマントラを唱え始めた』

 

 別のペイルライダーD2に乗るゼロから、ペガサスジュニアの機関部に搭載されているミノフスキー仏理転換祈念エンジンが『オォン』とマントラを謡い始めていることを知らされる。

 残念ながら、NTではないリュウは、いまだ仏理学の恩恵を感じることができない。

 ガノタとしての修行が至らなかったせいであろう。

 もう次はないが、かのヨシユキ・トミノ僧正のようにインド仏教あたりから学びなおしておくべきかもしれない。

 

 さて、このミノフスキー仏理転換祈念エンジンの仕組みは単純であり、祈念エンジンの縮退炉に込められた仏質に対して、読経による祈念、祈祷が封じ込められ、その仏性を変化させることで膨大な仏理的エネルギーを抽出するというものだ。

 

 これによって生み出されたミノフスキー仏理エネルギーを、ガンジン・サイクルに基づくシンラン抽出器にぶち込むことにより、『反仏質』を抽出することが可能となる。

 この『反仏質』は、仏質と衝突させると、その仏質を100%寸分も漏らさず『成仏』させることができる。

 

 そう、成仏である。

 ビューティーメモリとのコンタクトで得られた唯一無二の手段が、これだ。

 この反仏質を使って、Gガンダム世界の怨霊たちを成仏させることこそ、誰も犠牲にしない最良の選択なのだ。

 

「よし、反仏質ができるまでの時間を稼ぐぞ。コアに突入後、すぐに出撃だ」

 

 リュウのジム改がロングバレルマシンガンを手にしながら命じる。

 

『出撃? 法壁とかいうのがあるから、待ってればいいんじゃないの?』とアン少尉。

『法壁だって万能じゃなんだ。とても強い仏性を持つ敵がいたら、それまでだからね』

 

 ゼロ中尉が簡潔に説明するが、アン少尉はどこか引いた様子しかみせない。

 

『あたし、わかっちゃった。たぶんみんな頭おかしくなっちゃったんだよ』

 

 アン少尉の言葉に、リュウも深くうなずく。

 狂ってなければ、こんな作戦をやろうとは思わない。

 反仏質は、仏質と接触すれば無条件に仏質を成仏させるという。

 それを撃ちだすまでの間は、ミノフスキー法壁によって何とかなるのだが……発射後が問題だ。

 仏質をことごとく成仏させるわけであるから――計算上、一瞬でこの要塞級宇宙怪獣は消滅する。もちろん、中にいる連邦、ジオンの兵たちもだ。

 

 だからこそ、これの使い時はすべてが撤退した時となる。

 そのようなタイミングを作り出せるかどうかは……この時代のシン大尉とクラウン大尉に懸かっている。

 

『レヴァン・フウであるっ! 諸君、まもなく最終障壁を突破するぞ! 法力招来! 万力招来! 衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべしっ!』

 

 彼が扇動すると、唱和するがごとく、僧侶たちが雄叫びをあげる。

 

『此一日の身命は尊ぶべき身命なりっ! 尊ぶべき形骸なりっ! 此行持あらん心身自らも愛すべし!』

 

 割れんばかりに響く読経。

 これが南洋宗の力か、とリュウは心身共に恐れをなした。

 彼は本当の宗教勢力というもののを、理解しているようで、分かっていなかったのだ。

 

『合掌!』

 

 レヴァン・フウの号令とともに、思わずリュウまで手を合わせてしまう。

 信心なんぞこれっぽっちもないはずのリュウなのだが、手を合わせることで、なぜか不安が少しだけ和らいでしまう。

 

『即心是仏っ! 衝撃に備えよっ!』

 

 そこは法力でなんとかならんのかっ!? とムラサメ博士の絶叫。

 ペガサスジュニアは、ついに最終障壁を突破し、要塞級のコアへとたどり着いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五八話 0083 宇宙怪獣の腹の中2

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり

――『古今和歌集 仮名序』


 

 

 クラウンが目に入る汗を拭わんとノーマルスーツのバイザーを上げた時、唐突に壁を突き抜けてペガサス級が飛び込んできた。

 巨大なコアルームであるから、かのペガサスすらも小さく見えてしまうのだが……それでも、地球連邦軍の強襲揚陸艦の来援は頼もしくもあった。

 

『クラウン大尉、援護するぞっ!』

 

 オープン回線での声。

 どこかで聞いたことがあるような……だが、思いだせない。

 ペガサス級のカタパルトデッキが開放され、数体のMSが飛び出してくる。

 ペイルライダーD2が二機、あとはジム改がそれなり。

 数こそ心もとないが、量子脳の感応が二つある。

 となると、あのペイルライダーD2のペアが連邦の決戦級エースか。

 

「助かるっ! こちらは黒い方を相手にしていて手いっぱいだ……」

 

 クラウンのバイタルはマラソン後半の状況に酷似しており、体力的にも集中力的にも、すでに底が見えつつあった。

 マスターガンダムとの演武は佳境を迎えているものの、やつはまったく本気ではない。

 遊んでいるとしか思えないマスターガンダムの武技であったが、ハイザックのクラウンのほうは全力そのものである。

 これほどに……MFとMSでは差があるか、と心胆寒からしめるものがある。

 いや、違うな。

 マスターアジアとクラウンの間には、武人と兵士という根本的な違いがあるのだと理解する。

 

『……白いほうは、俺が引き受ける』

 

 ペイルライダーD2からだろうか。

 頼もしそうな声だ。

 量子脳が共鳴し、ぼんやりと何かを思いさせそうな気がしてきた。

 

「……!?」

 

 クラウンはマスターガンダムの手拳をさばきながらも、息をのんだ。

 ペイルライダーがゴッドガンダムと差し向かいになるものだと思い込んでいた。

 違う。

 違うのだ。

 ロングバレルマシンガンを肩に担ぐように屹立するジム改が、ゴッドガンダムと視線を交わしていた。

 

「――無茶だっ! 下がれっ!」

 

 思わず、ジム改のパイロットに叫ぶ。

 だが、ジム改はゴッドガンダムと相対したままだ。

 

「やめろっ! そいつはただのガンダムじゃないんだっ!」

 

 誰もがガノタであるとは思っていない。

 誰があのジム改にのっているのかは分からないが、少なくとも、ガノタではないはずだ。

 ゴッドガンダムにジム改で挑むような愚行を、ガノタなら選択しないからだ。

 

『試合の最中に余所見かっ! 未熟者がぁぁぁ!』

 

 クラウンの、視界が揺れる。

 コックピット中に響く無数の警告音。

 直撃と損害を知らせるアラートに攻め立てられながら、クラウンはかすむ視界でマスターガンダムに食らいつく。

 

「うぉぉっ!」

 

 せめて、せめて……マスターガンダムだけでも止めなければ、と、クラウンのハイザックはタックルを敢行し、マスターガンダムの腰にまとわりつく。

 そのままマスターガンダムを押し倒さんとするが、トルクもパワーも段違い。

 MSでMFに対抗するなど、大木に相撲を挑む園児よりも分が悪い。

 当然、マスターガンダムは動かない。

 

『ふんっ! 気合ばかり先走りおって!』

 

 そのままバックドロップを仕掛けられてしまい、ハイザックは頭からコアルームの床に叩きつけられる。

 当然、機械部品である頭部は派手に潰れて、様々なリキッドが噴き出し、ハイザックのコックピットの内部では衝撃のあまり破損した部品類が飛び交い、容赦なくクラウンの体を引き裂く。

 

「気合!? バカにするなっ! こっちは戦争屋だぞっ! 計算に決まってる!」

 

 クラウンは朦朧とする意識の中で、最善の戦技を選択する。

 インジェクションポッドを射出――と同時に、携帯してきていた要塞工事用の爆薬を起動する。

 MSは核融合炉であるがゆえに、爆発のしようもない。

 核融合に用いる重水素とて、それもまた原理的に爆発しない。

 被害は最小。

 それでいて、確実にマスターガンダムにダメージを与えられるはずだ。

 

 

 

 クラウンのハイザックから射出されたインジェクションポッドが、エアバッグを展開しながら壁面に激突した。

 直後に、黒いガンダムを巻き込む大爆発。

 

「アン少尉っ! 彼を回収しろっ!」

 

 ゴッドガンダムの手に頭部をつかまれたジム改からの通信。

 

 ペガサスジュニアの法壁やぶりをやらかそうとオシクラマンジュウをかましてくるデスバット達の数を減らす単純作業をしていたアンは、リュウ大尉からの命令に戸惑った。

 

 アン少尉は、初めて人生で迷いをもった。

 このまま言われた通りにすると、間違いなくクソザコおじさんのジム改がやられる。

 

 でも、インジェクションポッドで飛んでいったジオンの兵士を助けないと、命令違反になる。

 

 命令に反すれば、軍法会議だ。

 命令に従えば――クソザコおじさんが死んでしまうかもしれない。

 

 数少ない、家族なのに。

 

 アンにとって、ジオンのしらない人よりも、イカくさいクソザコおじさんのほうがちょっとだけ――本当に、本当に、ほんとぉにちょっとだけ、大事だった。

 

「やだっ!」

 

 アン少尉は、生まれて初めての命令違反をする。

 はじめてを、クソザコおじさんのためにあげてしまったことを、一生あてこすってやらなければ気が済まない。

 

『僕がクラウン大尉を拾う! アン、いけっ!』

『法力を高め、艦の法壁を護持するっ! 行くのだ、アン少尉! 仏加持故! 我証菩提! 以仏神力!!』

 

 ゼロ兄がインジェクションポッドに向かう。

 そして、お坊さんのレヴァンさんが、艦のことは気にするな、と言ってくれた気がした。

 

「クソザコおじさんっ!」

 

 アンは、おじさんのジム改をいじめている、へんなガンダムに突進をする。

 ペイルライダーD2が装備するシェキナーのあらゆる火器を動員して、クソザコおじさんからガンダムを引き離そうとする。

 

『――とても清い想いだな』

 

 しらないガンダムからの声。

 ガンダムはクソザコおじさんの機体をどこかに放り投げると、こちらに輝く拳を見せつけてくる。

 きりもみをして飛ばされるおじさんのジム改。

 

「おじさんっ!? ちょ、投げ飛ばされるとか、クソザコナメクジじゃん!」

 

 いくら強化されているとはいえ、さすがにあれはまずい。

 おじさんのバイタルはよろしくない状態らしい、と部隊同期情報で把握する。

 

「――っ! 死んじゃえっ、ガンダムもどきっ!」

『全力で、受けて立つ!』

「うるさいっ! お前なんかっ! 嫌いだっ!」

 

 ガトリングシステムやマイクロミサイルを連射するが、それらすべてが、たおやかな手さばきで弾道を変えられてしまう。

 近接信管で爆発するはずのミサイルですらも、するりと受け流されてしまう。

 全弾、無効。

 その事実を受けて、アンの量子脳が撤退のシナリオをいくつも提示してくる。

 

 しかし、である。

 アンのハートが計算を拒絶する。

 

 数多の生存可能性のルートのどれもが、クソザコおじさんを見捨てているからだ。

 そんなことをして生きていたくない。

 

『バァァァルカァンっ!!』

 

 ガンダムもどきのバルカン砲がこっちを正確にとらえてくる。

 当たったら――やられる。

 ただのバルカンの威力じゃない、とアンは本能で察する。

 

 ペイルライダーD2はそのスペックを最大限に発揮し、かつ、アン少尉との神経接続による機体同調制御により、文字通り人機一体となって、バルカンの弾幕を回避する。

 

『よい体捌きだっ! できるようだな、清い乙女よ!』

「キモっ! 負け犬みたいな気持ちをぶつけてくるなっ!」

 

 相手からは、闘争心を感じない。

 何かを訴えかけようとしているが、言葉では表せず、仕方なく戦っているような、そういう気持ちが伝わってくる。

 

 けれど、それが気持ち悪かった。

「キモすぎっ! あんたはもう、あんたじゃないっ! 生きてるふりしてる、怪物なのっ!」

 

 相手からは、確かに意思のようなものが感じられる。

 けれど、それは相手本来のエネルギーというか、情熱のようなものの残りカスみたいな感じだ。

 

 生きているってことは、そういうことじゃない。

 

 ただ息をして、うわごとを繰り返すのを、生きているなんて言わない。

 

 クソザコおじさんをイジリ倒したり、ちょっといやらしい目でみてくるクソザコおじさんをバカにするのが、生きているということだと、アンは思う。

 

 明日から本気出すっていってるおじさんに、昨日もいってたよね? って言わなくちゃいけない。

 今日もキモいね。明日はなおるといいね って言わなくちゃいけない。

 恋人いない歴のギネス記録でもねらってるの? って言わなくちゃいけない。

 

 まだまだイジリ倒したい言葉が溢れてくる。

 

「生きてないんだから、もう一度死んじゃえ!」

 

 アン少尉のペイルライダーD2が両手にサーベルを抜刀。

 通常の人間では反応できないはずの、無数の太刀筋で攻め立てる。

 しかし、それすらも手で受け流されてしまう。

 

『想いだけでは、な』

 

 まるで自分のことのように語る、ガンダム乗りの誰か。

 モニタいっぱいに映し出される金色に輝く掌。

 

「あ」

 

 衝撃。

 コックピットのエアバッグが展開され、アン少尉はそこに思い切り体を預けてしまう。

 体にめり込むシートベルト。

 やばい音を立てる鎖骨。

 口から飛び散る血泡。

 

『――許せ。ヒート・エンド』

 

 躊躇いがちな言葉。

 それでいて、そこには明確な死の予感があった。

 量子脳が警告を発してくる。

 直ちに機体から脱出せよ、と。

 

 明らかに機体がやばい音を立てていて、体を溶かす熱が頭のほうから迫っているのを感じる。

 

「やだ……やだやだやだっ! 助けてよっ! 助けてよっ! おじさんっ!」

 

 アンはインジェクションポッドの射出ボタンを連打しながら、一人で叫ぶ。

 ERRORと吐きつづけるモニター。

 泣きながら、シートベルトを外して、シート下にある物理レバーでコックピットハッチを開放しようとする。

 けれども、ギギギと音を立てるばかりで、歪んだコックピットハッチはびくともしない。

 

 そして、コックピットの電源が落ちる。

 闇が、アン少尉を包む。

 アンは恐怖に固まり、ただ膝を抱えて、リュウのことを呼んだ。

 

 

 

 急激なGで、体の自由が効かないリュウは、ジム改のコックピットでアンの絶叫で意識を取り戻した。

 乗っているジム改には、何一つ特別な設定はなく、当然、神経接続もない。

 あるのはいつもの操縦スティックと、四角四面のモニターに、いくつかのフットペダルだ。

 

 体が、動かない。

 いくら量子脳を運用すべく肉体を改造してあるとはいえ、多少心肺機能が高く、耐G能力が高いだけだ。

 先ほどのように、まるでゴミのように投げ飛ばされれば、MSが無事でも中身のパイロットは無事ではいられない。

 

『――助けてよっ! おじさんっ!』

 

 リュウの量子脳に直接響く、アンの思念波。

 彼は、戦慄する。

 眼前で、また、失う、と。

 

 リュウの量子脳が、補助心肺を無理やり稼働させる。

 体中の血液が強引に巡らされ、ハートビートが乱打状態になる。

 バイタルサインがイエローを示し、無理な挙動をやめるよう自重せよと警告を発する。

 

 だが、やめない。

 リュウは奥歯が砕けるほどに歯を食いしばり、スティックを握り壊してしまうほどに、強く握る。

 

 使い物にならないミッションディスクを引き抜いて捨て、懐に忍ばせていた想い出の出涸らしのようなディスクを挿入する。

 

 四角く狭いディスプレイに『ゴキブリマニューバ Ver.1.0』の表示。

 

 ノエミィ・フジオカ技術中尉と苦労して作り上げた、あの日々を思い出す。

 二人でガンダム開発計画を潰すべく、股間がオレンジのジムコマンド・ライトアーマーで立ち向かう無理ゲーを攻略していく日々は、ワクワクしたものだ。

 一緒に飲みに行き、イオたちサンダーボルト勢とJAZZセッションをかまし――そのあと、ノエミィ・フジオカ技術中尉に婚約者がいることを知るという苦い経験をした。

 

 その想いを力に変えて、アムロのガンダムに一矢報いたことは、大切な思い出だ。

 

 いま、手元にある起死回生の策は、それしかない。

 思い出を、力に変える。

 アムロ、お前を倒せた自信を、力に変えさせてくれ、と。

 

 ジム改が、再び立ち上がる。

 コックピットで、リュウは手早くスイッチを操作し、ディスプレイに現れる各種ソフトウェア応答をナノ秒以下で裁いていく。

 

 パイロットの安全を確保するためのリミッターを全て切る。

 機体の安全を確保するためのリミッターをすべて切る。

 そして最後に、操縦安定性を確保するためのリミッターを切った。

 

 核融合炉がレッドサインを示し、機体温度が急激に上昇する。

 コックピット中にエラー表示が出て、何一つ前が見えない。

 

 ハッチを強制開放し、文字通り、裸眼でアンの機体を掴むゴッドガンダムを見据える。

 デブリの一つでもコックピットに飛び込んできたら、それでリュウの体は深刻なダメージを受けるだろう。

 

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 

 機体の放熱制御を失ったジム改の機体装甲は、オレンジに輝き始める。

 握りしめる操縦桿すらも熱くなる。

 その熱い操縦桿から、骨を伝って頭骨の内に鳴り響くジム改の駆動音。

 

 ジムの体が光って唸る。

 彼女を救えと輝き叫ぶ、ジム改の姿がそこにあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五九話 0083 決断を強いられているんだ

強いられているんだ!

――イワーク・ブライア


 

 コックピットの非常灯がようやく、ついた。

 アン少尉は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、ノーマルスーツのポーチに入れてあった化粧落としのウェットティッシュで拭く。

 

 なぜだろうか。

 濃厚な死の予感があったのに、それが今は感じられない。

 

 掴まれていたはず──なのだけれども、明らかにそれとは違う慣性を感じる。

 いうなれば、放置されて漂っているような感じだ。

 もし電装類が生きていれば確認できるのだけれども、今動いているのは非常用バッテリーに連動しているサバイバルシステムだけだ。

 

 直近の危険はないのかもしれない。

 だけど、このままコックピットから出られなければ緩慢な死が待っているだけだ。

 ノーマルスーツにインジェクションされている酸素量はたかが知れているし、コックピット内の空気循環装置が無事だとはとても思えない損傷具合だ。

 

「助かる、のかな……?」

 

 もしかしたら、と、アン少尉は希望を抱いてしまう。

 本当にあり得ないことだけれども、あのクソザコおじさんがジム改でガンダムもどきをやっつけてくれているのかもしれない。

 

 そんなことができるなら、クソザコおじさんは本当の意味でクソザコじゃなかったことになる。

 でも、負けてたらやっぱりクソザコなめくじだ。

 

「おじさん、聞こえてる? かわいいアンちゃんはここですよー?」

 

 頭に埋め込まれている量子通信を経由して、メッセージを送る。

 だけども、おじさんから返事はない。

 

 生きてるのか、死んでるのか、でいえば生きている。

 そうでなければ、そもそも通信エラーを起こすからだ。

 

 だが、状況が全く分からない。

 せめてコックピットの電装の一部でも復活してくれれば──と、コンソールを叩いたり蹴ったりするのだが、うんともすんとも言わない。

 

 頭に叩き込んである教範通りの手順も試す。

 例えば、今稼働している非常用電源のパワーをバイパスして、何かしらの通信システムを蘇生させるとかだ。

 

「あっ」

 

 アン少尉は気づいた。

 そもそも量子通信は距離を選ばないし、ミノフスキー物理学も関係ない。

 確か、ペガサスジュニアに乗っているムラサメ博士が量子通信端末を持っているはずだ。

 どれどれ、と眼球内のHUDに表示されたムラサメセンセ、にコールするも、エラー。

 死んだ? とヒヤリとしたが、よく考えればブッキョーがどうこうっていうバリアを張っていた気がする。

 あれはなんかすごい強力らしく、量子レベルにまで干渉するお化け理論なんだと聞いていた気がする。

 

 じゃ、どうしようもない。

 いま自分の機体がどうなっているかは知らないけれど、このままふわふわと漂っていたら、そのうちデスバットか何かに袋叩きにされて死ぬ可能性もあるな、とアン少尉は身震いする。

 

「はぁ……使えないなぁ。おじさん、たまにはちょっと本気出してよね」

 

 アン少尉は、再度膝を抱える。

 助かるかもしれない、という一縷の望みにすがってしまったのだから、神様、仏様──わたしの希望を裏切らないで、と祈る。

 

 

 

 

 クラウンの乗るインジェクションポッドは、ゼロ中尉のペイルライダーD2の掌に収まっていた。

 そして、解像度の荒い外部カメラから届いた映像に、クラウンは驚愕する。

 信じられない、と。

 当然、クラウンはガノタであるのでGジェネレーションアドバンスについてもコンプ済みである。

 あの作品では、ドモンの教えによってドアンが明鏡止水の境地に至り──ザクが、ハイパーモード化する。

 

 いま眼前では、ジム改がハイパーモード化している……ようにもみえなくもない。

 オレンジとも赤ともつかぬ、灼熱のエナジーを纏うその姿は、かの金色の衣をまといて──の下りのようでもある。

 

『クラウン大尉、ミンチになったらすみません』

 

 ゼロ中尉からの通信。

 なんの謝罪かと思えば、どうもデスバットにまとわりつかれて進に進めず、退くに退けない状況に追い込まれたようだ。

 

「感謝しています。何もできず、本当に申し訳ない」

 

 破れかぶれの策であった自爆攻撃の結果、マスターガンダムはその半身を失った。

 しかし、だからなんだと言わんばかりの速度で自己修復を行い、片膝をつきながら再生を待っている状況のようだ。

 

『あなたの時間稼ぎのおかげで、今があります。後はリュウに任せますよ』

「──もう一機のペイルライダーの救援はどうするつもりですか?」

 

 自軍のことではないから、聞くのも野暮ではある。

 しかし、連邦とジオンが手を組むこの瞬間ならば、友軍として心配することくらいは許されるのではないか、とクラウンは思う。

 

『レヴァン・フウ大僧正と、GNT僧侶たちが何とかしてくれています。見てください、デスバットどもが近づけていないでしょう?』

 

 漂うペイルライダーに近づくデスバットが、ことごとく弾き飛ばされている。

 まるでバリアでも張られているかのようだ。

 

『ミノフスキー仏理法壁です』

「連邦はゲミヌス計画を進めていたのか」

 

 クラウンはなによりも、ガノタ僧侶なる存在に戦慄した。ゼロ中尉曰く、すべての世界のガノタたちの形而上的意思をエネルギーとしてこの世界に投射する存在だとか。

 ギレン総帥と進めていた阿羅漢計画と同じようなことを、連邦が先んじて行っているとは予想していたが、ここまで実用化が進んでいるとは思っていなかった。

 

『ところで、前、ムラサメ研を襲ったのはあなたでしたよね?』

「任務だったからな。君は強かったよ」

『次は僕が落としますよ、絶対』

 

 そんな軽口をたたきながら、ゼロ中尉は自らの包囲網を破ろうと抵抗を続ける。

 クラウンは、何もできずただじっと戦況を見守ることしかできない。

 

 仕方なく、リュウ大尉の輝くジム改とゴッドガンダムの戦いを見る。

 

 何とも気持ちの悪い機動──いわゆる、人の感性では予測できないマニューバを駆使しながら、ジム改が極太のビームサーベルを振るっている。

 おそらくはすべてのリミッターを切っているのだろう。

 操縦安定性を完全に欠いているあのマニューバは、間違いなく中のパイロットにとんでもない負荷を与えているはずだ。

 簡単に考えるなら、車のドライバーズシートに座り、シートベルトを締めて、急発進と急制動と急ターンを繰り返しているようなものだ。

 吐いて済むならまだしも、MSの推力によってもたらされるその速度たるや低次の宇宙戦闘機に匹敵する。

 つまり、加減速のGは、限界のGなのだ。

 

 一方のMFにはそのようなものはない。

 そもそもDG細胞によって生み出された紛い物なのだから──

 

「いや、本当にそうか?」

 

 クラウンは目を凝らす。

 リュウ大尉のジム改の動きは確かに気持ち悪いが、スキが無いわけではない。

 クラウンとてジオンのMS乗りである以上、戦場であれと相対した場合、なんとか相打ちに持っていける程度には、対応できると感じていた。

 ならば猶更、MFならば対応し、対処できるはずだ。

 

「──そうか、そういう、ことなのか」

 

 リュウ大尉のジム改と、ゴッドガンダムが切り結ぶ様を観察していたクラウンは、はっと気づいた。

 今まで、自分がとんでもない思い違いをしていたことを。

 いま自分たちが何をしていて、何が間違っているのかを、ジム改とゴッドガンダムの戦いを見ていて悟ったのだ。

 

 いま、ドモンの残留思念がリュウに稽古をつけているのだと気づいた。

 だからこそ、簡単にとどめを刺せる隙があるにもかかわらず、それでもゴッドガンダムがジム改の攻撃に対して受け太刀をとっているのだ。

 

 かつて、Gジェネレーションアドバンスでもそうだった。

 ドモンが戦いはMSの性能で決まるのではない、その拳で決まるのだと語った光景が、いままさにリアルに再現されているのだと分かり、クラウンは瞠目する。

 

「くそっ、リュウ大尉に何とか伝えなければ……」

 

 クラウンはオープンチャンネルで、呼びかけることにする。

 

「リュウ大尉! ゴッドガンダムを倒そうとするんじゃないっ! 対話だっ! 拳で対話をするんだっ!」

 

 伝わっているのか全く分からない。

 そもそも、ジム改のハイパーモードのような状態は、単純に機体限界を超えているだけの話でしかない。

 当然、コックピットの通信システムなども死に絶えているだろう。

 必要な計算資源を動きの制御に回しているだろうから、余計なものは全部切るのが道理。

 

「くそっ! やはり通じない、か……」

 

 リュウ大尉のジム改の動きは変わらない。

 ただひたすらに、執念をもってゴッドガンダムに挑むだけだ。

 周りの様子もまるっきり見れてはいない。

 本当なら、ゴッドガンダムなど捨て置いて、漂流しているペイルライダーを救援すればよいものを。

 

「馬鹿野郎がっ! リュウ大尉っ! 戦うんじゃないっ! お前がやるべきは、救うことなんだっ!」

 

 クラウンは拳を自らの大腿に打ち付ける。

 何が量子脳だ。

 本当に必要な時に、伝えてやることもできないただの無能な高級計算機ではないか。

 

『クラウン大尉、うちのリュウ大尉はバカでしてね、こうなると話を聞かないんですよ』

 

 ゼロ中尉のあきれた声が届いた。

 

『リュウ大尉……そろそろアン少尉のために読経しているGNT僧たちの法力が限界だ。一人、また一人と倒れている』

 

 レヴァン・フウからの苦しそうなオープン通信に、クラウンは己のふがいなさを呪うばかりである。

 

 間違いない。

 リュウ大尉はすべての外部とのつながりを断って、ただ眼前の敵を打ち倒すべく、すべてを集中しているのだろう。

 

 ならば、こちらからつながりを求めるしかない。

 ジム改のコックピットハッチが開いていることを目ざとく見つけたクラウンは、覚悟を決めた。

 

「──ゼロ中尉、やるしかない」

『はい?』

 

 ゼロ中尉にプランを伝える。

 大リーグ野球よろしく、このインジェクションポッドをジム改とゴッドガンダムが交戦しているところにを投げてくれ、と。

 12球団MSシリーズなるプラモデルがあったくらいだ。MSがインジェクションポッドを投擲するくらい、簡単なはずだ。

 

『いやいやいや……自殺行為ですよ。ジオンの英雄を野球ボールにして殺したなんてことになったら、僕らの立つ瀬がないです』

 

 極めて常識的な応答を帰してくるゼロ・ムラサメに、クラウンは原作とはずいぶんと違ったものだな、と内心で思う。

 

「いいから、やってくれ。大丈夫だ、私は死なんよ」

 

 クラウンはノーマルスーツのジッパーを下ろし、懐に大切にしまっているピンク色の薄い布を取り出す。

 そして、ヘルメットのバイザーを上げ、鼻と口に押し当て──その香りをキメる。

 わずか一瞬ながら、多幸感に包まれて意識が飛ぶ。

 このような情けない姿をあの御方にしられてしまったら──と思うとぞくぞくして、さらに活力が湧いてくる。

 丁寧に薄い布を懐にしまい、ジッパーを上げ、バイザーを下ろす。

 

「いける。今の私の感度は5000倍だ。戦場の空気を感じ取って、リュウ大尉に拝謁してくるさ」

『お、なんだかクラウン大尉もヤバそうな人だな。投げることにしました』

 

 ゼロ中尉は切り替えが早いらしく、先ほどまで躊躇していたのだが、急遽アンダースローの構えをペイルライダーD2に取らせている。

 

『カウント3で投げますよ、いいですか?』

「やってくれ」

 

 突如の投擲。

 3,2,1とくるのではなく、唐突に投げられてしまう。

 先ほどまではジオンの英雄云々で割と懇切丁寧に扱われていたはずなのだが、何か不況を買うようなことをしただろうか? 

 

 いや、そんなことはどうでもいい。

 弾道を頭の中で計算し、最も生存確率が高いところで──出る! 

 

 クラウンはインジェクションポットから飛び出した。

 当然、慣性のままにくるくると回りながら飛んでしまうが、ノーマルスーツの背中にあるスラスタユニットを小刻みに吹かして、体の安定を取り戻す。

 

 ガチンコの切り合いをしているジム改とゴッドガンダム。

 ビーム粒子が飛び散り、閃光のハサウェイにおける市街地シーンよろしく、火花一つ食らえば蒸発する地獄絵図である。

 

 しかし、クラウンは常人ならば焼け死ぬところを、確率論に依存しながら、強運をもって突破する。

 

 いま目の前に見えるは、つばぜり合いをしているジム改とゴッドガンダム。

 この一瞬こそが、チャンスである。

 

 クラウンは加速し、ジム改の開いたコックピットハッチに飛び込んだ。

 

 中に乗っていた、青いノーマルスーツを着た男が目を見開いてこちらを見ている。

 何かをわめいているようだが、聞こえるわけがない。

 

 クラウンは大尉のヘルメットに頭突きをかます勢いでぶつかる。

 

「馬鹿野郎っ! 頭を冷やせっ!」

『──クラウン!?』

「誰かを救いたいなら、周りに目を配れ。敵だけを見るな。ハートを熱くしても、クールに判断しろ」

 

 そして、クラウンはコックピット奥のエマージェンシーシートに座る。

 クソ狭く、ジープの後部座席よりもヒドイ。

 そして、リュウ大尉のヘルメットの短波無線の周波数帯に合わせる。

 

「まずは、救いたい奴が乗っている機体を回収するぞ。法壁が持たん」

『──すまない、頭に血が上っていた』

「あやまるなら、アン少尉とかいうパイロットに会ってから言え」

 

 もはや機体の限界を超えていたジム改が、ブスンブスンとよろしくない不等間爆発の振動をまき散らしながら、後方へと跳躍する。

 サーベルを手放したジム改を、ゴッドガンダムは追ってこない。

 

『なぜだ……なにが、どうなって……』

「拳に込められた思いを、読み取れなかったか?」

 

 ドモン・カッシュも、シュウジ・クロスも、理由もなくその武を振るうような輩ではない。

 むしろ、常に拳に理由が込められているような存在だ。

 彼らにとって武芸とはコミュニケーション手段の一つであり、我々のような軍人が振るう力とは根本的に違うものだということを、分かっているようで分かっていなかったのだ。

 

 ガンダムファイターは、国家の代表として、国家の意思を伝えるべく拳を振るう。

 また、個人の意思すらも拳で伝えようとすることはGガンダムを見たものならすぐに理解できるだろう。特に、島本版はいいマンガだ、とクラウンは数多の名シーンを思いだす。

 

『俺は、また間違えていたっていうのかよ、クラウン』

 

 何を間違えていたのかはさっぱりだが、少なくともゴッドガンダムとのやり取りは間違いだな、とは思う。

 ゴッドガンダムとサシでやりあうことよりも、損傷したペイルライダーを回収するほうを優先すべきなのは当然のことだ。

 

「軍人なら知っているだろう。戦争ってのはどういうもんだ?」

『外交の延長としての手段の一つ、だ』

「ご名答。外交なら交渉がある。だがお前はただがむしゃらに立ち向かっただけだ。任務目標を見失い、結節を誤ったのさ」

『くそっ!』

 

 リュウは頭を抱えている。

 だが、そんなことをして苦悩するのは後回しだ。

 

「ほらよ、お前が助けたい人の周りに、デスバットどもがいるぞ。どうする?」

 

 砂糖に群がるアリの如く、アン少尉のペイルライダーD2はすでにデスバットの群れに囲まれていた。彼女の機体が無事なのは、GNT僧たちの献身的な祈祷による法壁のおかげであり、そしてそれは決して長く持たない。

 

『──ムラサメ博士、聞こえますか?』

 

 リュウがオープン通話で呼びかける。

 

『おお、こちらムラサメ。外の状況はよくないようだね』

『はい──博士、反仏質の生成はどのくらいできていますか?』

『当初予定の5パーにも満たない。時間を稼いでくれんと……』

『それで構いません。撃ってください。目標は、アン少尉の機体を包囲しているデスバットの群れです』

 

 しばらくの沈黙。

 ムラサメ博士が誰かと話しているようだ。

 漏れ聞こえる声を聴くに、他の博士や運用士官たちに他の手段はないのかを確認しているようだった。

 

『──アン少尉一人を救うために、任務失敗になるぞ、リュウ大尉』

 

 リュウ大尉にとって決断の時なのだろう。

 選ばなければならない時というのは、大抵、綿密に準備し、最大の努力を重ねてきたその先に現れるものだ。

 

『ここまで来るのに払った犠牲はどうなる? このバケモノを仕留めるのが、君の人生を賭けた目標だったのではないのかね? それを、強化人間一人のために、すべて諦めるというのは──ここまで付き合った、我々に対する侮辱だということも分かったうえで、言っているのかね?』

 

 ムラサメ博士の口調は強い物だった。

 彼ら、彼女らがどういう想いでここにやってきているのかは分からないが、どうやらリュウ大尉と協力して、かなりの時間とリソースを割いてここに至ったようだ。

 

『はい、詫びる言葉もありません。俺は、人類なんかより、たった一人の女の子を救うほうを選びます』

『ふん……クズ野郎だな、君は』

 

 ムラサメ博士の言葉に黙り込むリュウ大尉。

 クラウンはこの修羅場に口を突っ込む勇気などさすがにないが、早くなんでもいいから決めてくれと喉のあたりまで出かかっている。

 

『聞いたか、皆? ようやく、我々の被検体が我々と同じところにたどり着いたぞ。己の欲のために、クズになりきることを決めたようだ。ハッピーバースデー、リュウ。お前の頼み、我々ムラサメ研究所が叶えてやる』

 

 ムラサメ博士他、ムラサメ研究所の学者たちがわっはっはと盛大に笑っている。

 中には拍手をしている者もいるようだ。

 

『レヴァン・フウ大僧正、うちのものが迷惑を掛けたいそうです。飲んでくださいますかな?』

『それも一つの選択。合掌! 祈念せよっ! 仏性転換を中断し、アン少尉を守るのだっ!』

『はっ! 法壁展開っ! マニ車エンジン、最大出力!』

 

 クラウンは、そこから先のことを一生忘れないだろう。

 人類のことを忘れて、たった一人の女の子を救うために、団結して悪事をなす集団がいたことを。

 貴重な──人類を救うための一撃たる、反仏質弾を、デスバットの群れを消すためだけに使った愚かな集団がいたことを。

 

 反仏質によって、連鎖消滅していく敵の集団。

 なぜかゴッドガンダムとマスターガンダムも、その消滅の連鎖の中にあえて飛び込んでいったように見えた。

 

 わずかな反仏質で、これほどの威力。

 もしこれが完全量生成されていれば、間違いなくコアを消し去り、要塞を構成するDG細胞すらも消失させられただろう。

 

 だが、そうはならなかった。

 装備開発実験団は、特別攻撃作戦に失敗。

 コアを破壊するに至らず。

 

 ボロボロのジム改がアン少尉のペイルライダーを回収し、ペガサスジュニアのランディングエリアに飛び込んだところで、装備開発実験団──ムラサメ研究所の戦争は終わった。

 

 

 

 

 とはいえ、自衛戦闘は行わねばならない。

 いくら法壁があるとはいえ、無限機関ではないのだから。

 

「ジオンの私が手伝えることなどなにもない、か」

 

 いくら一時的な同盟関係にあるとはいえ、正式には仮想敵同士だ。

 クラウンはゲストとして食堂あたりで時間を潰す係になるはず、である。

 ──だが、なぜかムラサメ研ではそうはならなかった。

 

 軍事機密の塊である艦橋に案内されてしまったのだ。

 そこにいたのは、艦長という名の置物、ナトーラ・エイナス大尉であった。

 

「ふぇぇぇ……やっと、やっと普通の士官が来てくれましたぁ」

 

 世界線が、歪んでいるっ!? とクラウンはヒュッと息をのんだ。

 なぜだ、なぜAGE世界の彼女がここにいるのだ、と。

 

「あのっ、えっと、砲雷長とか、お願いできたりしますか? この艦、ほとんど無人なんですけども、やっぱ人間が判断しなくちゃいけないところとかありますし」

 

 ちょっとまて、とクラウンはナトーラ艦長を制する。

 

「エイナス大尉、その、私はジオンの大尉です。軍規に照らして、艦橋に出入りさせるべきではないのでは……?」

「いいんじゃないでしょうか? だって、お坊さんとか普通にいますし」

 

 エイナス大尉にうながされるままに、周囲を見渡すと、そこにあるのはカオスであった。

 艦長席のとなりにある、司令官席には軍事に疎いこと間違いないムラサメ博士。

 司令部機能を補佐する幕僚席には、なぜかレヴァン・フウ大僧正と僧侶たち。

 通信士官席、観測士官席、管制士官席は空席。

 おまけに艦の火力を統制する砲雷士官まで空席。

 操舵席にはメガネをかけた真面目そうな少尉がカチコチになって座っている。

 

「よく、ここまで来られましたね?」

 

 クラウンは素直に感心した。

 戦闘艦艇の艦橋ではなく、ただの動物園だ。

 もし自分がこの艦に配属されたら、さっさとMSに飛び乗ってこの船から脱出する。

 ゲストでも乗り込んでいたくない、と思わせるホンモノ感がそこにあった。

 

「ほんとうに、ラッキーなだけだったんですぅ。だから、ね、いいですね、ね? 砲雷長席はあっちですっ」

 

 艦艇運用教育なんぞ概要しか受講していないクラウンは、ナトーラ・エイナス大尉の手でエイヤっと砲雷長席に押し込まれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六〇話 0083 暗く輝く炎

さりげなく 家族のことは 省かれて 語られてゆく 君の一日

――俵万智『チョコレート革命』


 

 アン少尉は、パイロット待機室に飛び込んだ。

 ペガサスジュニアに限ったことではないけれど、MSを運用する艦艇には、必ずパイロットたちが待機するための部屋が用意されている。

部屋には大型モニタと、インスタント食品を扱う自動販売機とドリンク類を扱う自動販売機なんかが備えてある。

 宇宙と重力圏を行き来するペガサス級の場合、イスが常に必要なわけではないので、そういうものは壁の埋め込み式収納庫の放り込まれていおり、宇宙にいる間は、ただがらんどうな部屋になっている。

 

「おっじさんっ」

 

 パイロット待機所の真ん中で、放心したように浮かんでいるリュウ大尉に、応急治療を終えたアン少尉は後ろから抱き着く。

 

「ねぇねぇ、ゼロ兄から聞いちゃった。おじさん、わたしが可愛すぎて、わたしのピンチにブチ切れちゃったんでしょ?」

 

 本当は素直に、ありがとう、と言いたかったのだけれども、なぜだか恥ずかしくて言えなかった。クソザコおじさん相手に恥も外聞もないと思うのだけれども、気持ちがざわざわしてしまうから素直になれない。

 

「ねーねー、御昼寝してないで、白状しちゃいなよ」

 

 アン少尉は、無理やりリュウ大尉を回転させる。

 安全索を結んでいないなんて規則違反だぞ、と注意してやろうかと思ったのだが――アン少尉はなんともいえない気持ちになった。

 

「……キモッ」

 

 リュウ大尉が、生まれたての新生児よりも顔をしわくちゃにして、泣いていたのだ。

 どうしていいかわからず、アン少尉はおっさんから離れる。

 

「え、なに? どゆこと?」

 

 事情が全く分からないアン少尉は、もともとおかしかったリュウの頭が、いよいよ取り返しのつかないことになったのかと心配になる。

 

 そもそも、泣いている理由が全く分からない。

 作戦の途中までは成功していたし、死者もゼロ。GNT兵士の中に負傷者は出たけれど、さすが強化人間なだけあって入院して治療を受ければそのうち復帰する。

 作戦自体は大失敗だっけれど――まだ連邦軍とジオンの正規部隊による主作戦がある。

 装備開発実験団や、クラウン大尉の特別攻撃作戦はあくまで支作戦。

 うまくいけば儲けものだし、ダメでも敵の戦力をそれなりには削ってくれるだろう、という大戦略的な見方で実行されたものにすぎない。

 いうなれば、主役ではなく、脇役のサイドストーリーに過ぎないのだ。

 

 だから失敗したところで何も問題はないはずだった。

成功すれば大英雄で、失敗しても尊敬される美味しいポジションだったのに、なぜリュウが自分を責めるように悔しがっているのか分からなかった。

 

「……アン少尉、無事でよかった。本当に、よかった」

 

 キモキモのしわくちゃ顔でいわれてもうれしくはない。

 わたしが生き残ったことにうれし泣きしているわけじゃないことくらい、すぐにわかる。

 

「なにそれ。おじさん、ゴミムシなの? そういうことはもっと媚びた猿みたいに嬉しそうにいうんだよ?」

 

 納得できず、アン少尉は口調が荒くなってしまう。

 とはいえ、なんだか可哀そうになってきたから、ポケットティッシュを渡してやる。

 ずびーっと鼻をかむリュウ。

 はみ出た鼻水が小さな球体となって飛んできたので、アンはそれは緊急回避する。

 

「きったなっ! ちょっともぉ~……」

 

 どう煽り散らかしてやろうかと、様々な構文を用意してきたのに、どうもそれらを使う気になれない。

 

 仕方なく、アン少尉は自販機のもとまで飛んでいき、手をかざしてコーラパックを二本買う。将来、超かっこいい人と出会って結婚した後に、旦那を札束で黙らせるために貯め込んでいる貴重なお金を、こんなキモおじに使うことになるなんて、自分でも信じられない。

 そういえば、かつての旧世紀、有名なコーラ会社2社が競い合って無重力用コーラを開発し、実際に宇宙に打ち上げたことがある。ひと缶当たり、年収の7倍だったそうだ。

 

 だが、今は宇宙世紀。

 炭酸飲料についてはブッホ・コンシューマープロダクト社が開発した圧力調整ストローのおかげで、普通の価格で買える。なんでも、ブッホ社はこの宇宙で炭酸飲料が飲めるという、どうでいいようで結構重要な発明で結構な利益を上げたらしく――新事業として、デブリ処理事業に投資するとニュースでやっていた。

 

 そんなことを考えながら、きもいおじさんにコーラを投げつける。

 

「まったくもぉ、それ、私が直に触ったものだから、ジカソーガクがすごいことになるんだからね」

 

 美少女が触ったものは何こともすごい価値になる、ということに世の中はなっているのだ。そう考えると、そんな高いものを私に奢らせたおじさんは、とってもピンチということになる。借りを返そうにも返せなくて、泣きついてきたら――ちょっとだけ養ってあげてもいいかもしれない。でも、ちゃんと働くのが条件だけど。

 

 アン少尉は圧力を調整しながら、コーラをストローで呑む。

 ちらり、とリュウをみると、彼はちびちびと泣きべそをかきながらちゅーちゅーとコーラを吸っていた。

 

「……ねぇ、おじさん。何かあったの? わたしには相談できないようなことなの?」

 

 部下だから。

 あるいは子どもだから。

 もしかしたらその両方かもしれない。

 だけど、それはアン少尉にとってとても寂しいことのように思えた。

 そうじゃなくて、わたしたち、家族だよね? と。

 

「ねぇねぇ、おじさん。おじさんがキモくてクサくてどうしようもないのは分かってるけど、わたしは、一応、おじさんのことどうしようもない家族だって想ってるの」

 

 だからさ、なんでも言っていいんだよ、とアン少尉はリュウの腕に触れる。

 どうしようもなくて、こっちの気持ちの伝え方がわからないから、アン少尉はリュウ大尉の太い腕に抱き着く。

 心臓の鼓動で、わたしのきもちがちゃんと伝わればいいのに、と。

 

「家族か。俺にはもったいない言葉だよ、少尉」

 

 ありがとな、とリュウ。

 そういうことじゃないんだけどな、とアン少尉は不満に思う。

 こういうおじさんは、ちょっと分からせてあげないといけない。

 

 だから、アンは、おじさんの腕から離れて、宙に浮かぶ。

 ホルスターから拳銃を抜いて、その銃口を自分の頭に当てる。

 

「――ちゃんとみてよ、なめくじ」

 

 リュウがこちらを向いて、そのまま固まる。

 何が起きているのか分からなない顔だ、

 その顔をみていると、なんだかゾクゾクしてくる。

 このわからずやを、わからせてやりたくなるのだ。

 

「なめくじにもわかるように説明するね。正直に話してくれたら、アンちゃんは死にません。でもうそをついたら、死にます。わかった?」

 

 にこやかに分かりやすく説明すると、おじさんの顔がみるみる青くなっていく。

 わかりやすくて、わらっちゃう。

 

「バカなことはやめろっ!」

「うごかないで」

 

 おじさんが手を出そうとするから、ストップと調教しておく。

 

「バカなのはおじさんでしょ? わたし、家族だって言ったよね? でも、おじさんはテキトーに受け流して、へらへらわらってた。ダメだよね? それって家族に対するタイドじゃないよね?」

 

 ただ人が集まるだけじゃ家族にはならない。

 血筋がつながっているだけでも、家族にはなれない。

 お互いに見つめあっていても、それだけでは家族にはなれない。

 アンにとって、家族とは、互いに苦難を乗り越える共同体であり、いつか離れるべきゆりかごでもあった。

 いま、アンが欲しいのは共同体のほうだ。

 そこでゆっくり成長して、いつか飛び出していきたい。

 飛び出した先で、今度は自分が誰かの親になるのだ。

 

「じゃ、おじさん。ルールを説明するね。正直に話してくれたら――」

「――アン、タムラ料理長に特別なバームクーヘンを焼いてもらっ……何、これ?」

 

 パイロット待機室にゼロ中尉がタムラ料理長謹製のスペシャルバームクーヘンのケースを手にしてやってた。ちなみに、今回の何が特別かというと、最近ではめったに手に入らない、天然のバターを使っているところだ。代用マーガリンばかりの世の中で、これほど香り高い代物はそうない。

 

「何してるの、二人とも?」

 

 ゼロ中尉がふたりをジロリと睨む。

 ケンカ沙汰になったら仲裁役を買って出るのはいつもゼロ中尉だ。

 そして、ゼロはこの三人の中で最も格闘術にたけている。

 

「近づかないでっ、ゼロ兄! いまわたしは、このなめくじをわからせようとしてるのっ!」

「なめくじ……わからせ?」

 

 あきらかに困惑するゼロ。

 ただ、彼は基本的に冷静な男であった。

 

「えっと、つまり、アンは何かいいたいことがある。で、リュウはそれを聞いているってこと?」

「ゼロっ! アン少尉を止めるんだっ!」

「うっさいっ! なめくじがいいたいことあるのに、いわないから、こうしてるのっ!」

「うーん、なるほどなるほど」

 

 ゼロ中尉がうんうんと頷きながら、ケースからバームクーヘンの一片をつまんでパクリと食べる。

 

「おいしいねぇ。あ、どうぞ、続けて。裁判長として参戦するよ」

「おい、ゼロ……」

「こら、被告は余計なことを言わない。真実のみを語るように。ごちゃごちゃぬかすならバームクーヘンぶつけんぞ」

 

 ゼロ中尉が低い声を出す。

 本気でバームクーヘンをぶつけられると気づいたリュウが、己の分の悪さに気付いたらしい。

 もう、余計な言い訳はしなくなった。

 

「はい、それで、アン。君はリュウに何をいわせたいの?」

「思ってることぜんぶ。なめくじのくせに、ニンゲンのマネして一人前になやんでるのが、すっごくハラ立つ」

 

 アンは、正直に自分の気持ちを話す。

 なめくじみたいなやつでも、わたしの大切な家族なんだからちゃんと支えてあげたいのに何も言ってくれない、こんなやつ死刑だ、死刑、と。

 

「はい、じゃあ被告は正直に答えるように。何に悩んでいるのかいいなさい」

 

 ゼロが促す。

 

「――お前らには、関係ない話だ」

「あ、そ」

 

 目にも止まらぬ速さで、ゼロが床を蹴る。

 しっかりと反動と体重がのった、のびやかな右ストレートが、リュウの頬骨にめり込む。

 

「っ!!」

 

 無様にふっとび、天井や壁にぶつかりながら漂うリュウ。

 なんとかして姿勢を戻した彼にの前に、すでにゼロが立っている。

 

「ひぇっ!」とリュウが防御の姿勢をとる。

 

だが、ゼロはバームクーヘンを一つ、リュウの口に押し込んだだけだ。

 

「――関係なくなんか、ないだろ? 僕は、リュウの味方だよ」

「ふがっ……」

 

 リュウの口に押し込まれたバームクーヘン。

 ふがふが言いながら、両手で目元を隠す情けない男。

 涙の粒が玉になって、部屋に散らばる。

 

「ちょっと、なんでゼロ兄がわからせてんのよっ!」

 

 アンは拳銃をしまい、ゼロの隣に飛んでくる。

 

「すっかり泣いちゃったじゃん……どうすんの、これ」

 

 おおんおおんと、大人とは思えない情けない声を上げ、バームクーヘンの粉をまき散らしながら大泣きするリュウの姿に、アンはどうしようもない情けない大人を感じた。

 

「ごめんなさい……」とリュウは涙を流している。

 

 なっさけなっ! とアン少尉がリュウを見下していると、ゼロ兄がアンの頭にぽんと、手を置く。

 

「大人になると、誰からも真剣に怒ってもらえなくなるんだ。誰にも甘えられなくなるし、家族にだって言えないことも出てくるんだよ」

「でも……わたし、頼ってほしかった……」

 

 本心でそう思う。

 リュウには何度も助けられた。

 命だって救われた。

 くそざこ扱いしてもいつだって許してくれた。

 

 だから、おじさんが辛い思いをしていて、それを抱え込んでいるなら、どうしても助けてあげたかったし、その重荷をいっしょに背負ってあげたかった。

 

「いい子だ、アン。リュウも僕も、他のみんなも、君を救えたことを誇りに思う」

 

 ぎゅっとゼロ兄が抱きしめてくれる。

 ちょっと甘えたくなるけれど、やめてよっ、とすぐに突き放す。

 

「わ、わたしもリッパなレディなんだからっ。子どもあつかいはやめてっ!」

「ありゃりゃ、ごめんごめん」

 

 ゼロ兄は笑っている――ように見えて、目が笑っていない。

 

「アン、次にあんなことしたら、お仕置きだからね」

 

 真剣な目で言われたので、アンは「ごめんなさいっ!」と即頭を下げる。

 その反動でくるくると回ってしまうアン。

 

「よし――じゃ、話してくれよ、リュウ。僕らは君の家族になりたいんだ」

 

 ゼロ兄にうながされたおじさん。

 しばらく沈黙があった。

 落ち着いたのか、ずっと泣いていたおじさんが、言葉を選んで、ゆっくりと話し始めた。

 

 別の宇宙、別の世界から来た事。

 前はジムに乗っていて、何もできないままに大事な人を失ったこと。

 その世界はイデの発動で消えて、いまの時間軸にやってきたそうだ。

 あまりにもバカバカしい話だったので、アンは途中で退屈になって、聞くのをやめた。

 

 ――というのは、ウソだ。

 

 そうではなく、こわかったのだ。

 

 もし、そのサララとかいう女を助けたら、おじさんはその女のところに行っちゃうのかもしれない。

 

 そんなの、ずるい。

 

 不公平すぎる。

 

 いまの世界でなめくじおじさんを支えたのは、わたしたちなのに。

 

 いま、おじさんにいてほしいって思ってるのは、わたしたちなのに。

 この気持ちが、どうしても伝わらないことに、胸のあたりがきゅっとする。

 

 そして、それ以上に暗い気持ちになる。

過去の幻影に引きずられて、どこまでもおじさんの心をうばっていく、その女のことがキライでしかたなかった。

 

 クソザコなめくじで、ドーテーのギネス記録ねらってるこのおじさんが、そんなに必死になって誰かを想うなんて――なんだかとても、イライラする。

 

 だから、アンは思い描いてはいけない想像をしてしまう。

 わたしの家族を盗ろうとする女を――消せばいいんだ、と。

 

「……ふーん。わたし、わかっちゃった」

 

 アンは胸の暗い気持ちを抑え込みながら、努めて明るく声を出す。

 語りを終えてうなだれているおじさんが、すがるようにこっちをみる。

 

 そう、それでいいの。

 おじさんはそうやって、わたしのことだけ見てて。

 

「まだワンチャンスあるってはなし、ききたい?」

 

 アンの量子脳がはじき出した計算では、まだまだその女の運命を変えるチャンスはある。

 だから、おじさんをそのチャンスにちゃんと挑ませてあげないといけない。

 

 そして、わからせてやる。

 せっかく見つけたチャンスをモノにできなかったのは、おじさんがわるいんだって。

 わるいことしたおじさんを、わたしがなぐさめてあげる。

 

 そしたら、もう、ぜったい、わたしのところからはなれないもんね、おじさん。

 

 

 








アンちゃん、オレは、君を、救いたいぞっ!?

――作者


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六一話 0083 STARDUST MEMORY

間が空いてしまい、申し訳ございませぬ。


「後続部隊の突入と同時に、脱出作戦を敢行します」 

 

 閉鎖した隔壁の向こうで、何かがドンドンと鈍い音を立てている。

 おそらくは、デスアーミーの搭乗員をやらされていたゾンビどもだろう。

 Gガンダムでも、確かドモンらがゾンビと格闘しているシーンがあった、とクラウン。

 艦内浸透されると隔壁閉鎖以外手段がない、というのは極端な無人化が推し進められたというペガサス級の弱点であり、艦艇の無人化は、侵入対策とセットで考えるべきだろう、と敵ながら設計の甘さに助言をしたくもなる。

 

 艦橋を覆うミノフスキー法壁も、いつまでも保つわけではない。

 いよいよ、腹を決めて脱出プランを遂行するときが来たのである。

 

 さて、ペガサスジュニアの艦橋にて、避難者の集合と脱出プラン説明を兼ねる簡単なブリーフィングが行われていた。

 

 作戦指導はリュウ大尉。

 彼の提案は単純で、連邦、あるいはジオンの後続部隊が現着する直前のタイミングで、脱出。

 大雑把すぎるプランである。

 なお、艦内の移動は、現在通行可能なルートを使い、格納庫まで駆け抜ける死の鬼ごっこになるようだ。

 

 残念ながら作戦とはよべない荒行。

 

 マトモな戦術教育を受けているなら止めるべき無謀なプランであり、会議にオブザーバー参加していたクラウンは首を振るしかない。

 

 だが、ガノタたるクラウンには分かってしまう。

 この作戦、おそらくはリュウが盗み出したビューティーメモリーを基軸とした、特攻作戦が裏側にあるはず。脱出作戦、と銘打っている主作戦については、おそらくレヴァン・フウ大僧正以下、僧兵チームの法力と、強化人間であるゼロ中尉のフィジカルで押し切る形で何とかする、という筋書き。

 

 はっきり言って、二兎追うものは一兎も得ず、を地で行くプランだ。

 

 クラウンにはリュウ大尉の心が『定まっていない』ように感じられる。

 本来心を鬼にして、友軍をすべて見捨ててでもビューティーメモリーを使ってG細胞による特級テクノハザードを止める、ということを決断すべきだ。

 仲間も、救う。

 世界も、救う。

 そのような都合の良い道はないか、といまだに迷っているようにしか思えない。

 

 ビューティーメモリーが保持している対G細胞医療に関する情報のみならず、あれが保持しているヘルメスの薔薇の設計図に記録されているという、『ALIVE関連技術』について渡すことができれば──この珍事件は円満解決である。

 かつて、コミックボンボンで連載されていたガンダムALIVEは、異なる時空をつなぐ技術をゲートという形で実装する技術基盤の上に物語を描いた。

 あの技術情報があれば、すべてを形どる、といわれているG細胞の特質と相まって、この迷走する宇宙怪獣モドキを『やつらが望んだ未来がある時空』に送り返せるであろう。

 知識さえ、設計図さえあれば、G細胞は文字通り、すべてのガンダム世界を救う細胞へと変容する。これは、神業とほぼ同義であろう。

 

 つまり、ガンダム作品は全て神である。QED──と、ガノタ的論理飛躍を特大に盛り込みながら、クラウンは、はたと現実の問題に気づいてしまう。

 

 とう考えても、ビューティーメモリーをブリッジする役割を担う存在が必要だ。それは普通に人間ではダメで、ニュータイプ、強化人間、量子脳保持者あたりになるはずだ。

 つまり、ここにいる誰かが犠牲になる。

 おそらくは、リュウ大尉自身が、それを覚悟しているのだろう。

 なるほど、自己犠牲で済ませよう、という腹か。

 

 そういうのは気に食わないな、とクラウンは、宇宙世紀のために頭脳と命を使っているギレン・ザビの姿と重ねる。

 

(このガノタ……ギレンと違い、精神的にキメきれていないところが、問題だな)

 

 ガノタがリュウの中にいるであろうことは想定していた。なにしろ、ガノタ特有の愚かしさが所々にハミ出ているからだ。

 好奇心、猫を殺す、と言われる古来からの格言の通り、ガノタはガンダム成分によって殺される。

 

(自己犠牲は、ガンダム成分そのものだからな。スレッガー然り、シュラク隊然り)

 

 そういうガンダム成分に毒されたガノタを救う方法は、話し合うことではない。

 救われる状況を、作ってやることだろう。

 となれば、自分は、そういうムーブメントのきっかけを与えてやればいい、とクラウンはガノタ同士のマナーである、最低限の配慮を実行する。

 

 腰に下げている拳銃を収めたホルスターの、バックルを外す。

 

「リュウ大尉の案は、いろいろと穴だらけですね。艦長、なんとかしてもらえますか?」

 

 クラウンに話を振られたガンダムAGE出身のナトーラ艦長が、ええっ? と慌てふためく。原作以上に頼りない様に、クラウンは何とも言えぬ気まずさを覚えるものの、振り払う。

 

「む、無理ですよぉ」

 

 必死に否定するナトーラ艦長。

 しかし、クラウンは突然拳銃を抜いた。

 狂ったか!? とリュウ大尉が自らのホルスターから拳銃を抜こうとするが、隣にいたゼロ中尉に制止された。制止すべきはクラウンの方では? とリュウが抗議したが、首を振るだけだ。

 

「余計な演技はいらない。モーラ・バシット。いや、ターン計画のエージェント、か」

 

 拳銃を向けられてあたふたしていたナトーラ艦長が「つまらんやっちゃな」と、その容姿が一瞬で変貌させる。

 モーラ・バシットの姿に成り代わったと思いきや、さらに変化する。

 

 ガノタならば一度は目にしたことのある女が、そこにいた。

 

 通称、ケルゲレン子。

 アニメ08小隊でケルゲレンに乗艦して撃沈されるも、ゲームや外伝作品、コミックでは同時期に多数の戦線に並行存在し、おまけに終戦まで生き残る、あの娘である。

 神出鬼没で異様な生存能力を持つ、ガンダム界の異能生存体──まさか生でお目にかかる機会があろうとは、とガノタ心にときめきを覚えながらも、ジオン公国の軍人として警戒心をも抱くという、ダブルシンクを強いられるクラウン。

 そして、なによりも──ギレンが現状をこの女経由ですべて仕入れているのだな、という事実を改めて理解した。クラウン自身、ハマーン様の幸せのためならばギレンと敵対する道も躊躇しないつもりであったが、奴は、どこにでも手を伸ばしているのか? 勝ち筋がみえない。

 

「なんや? 変身してもだれも驚かへんの?」

 

 ケルゲレン子が環境に集まっているムラサメ研究所の面々を見渡すが、誰も面白そう、という好奇心にあふれた目線を向けるばかりである。

 クラウンとて、最初ナトーラ艦長が乗艦していたとき、狂った歯車のせいか何かだと『普通の思考』をとってしまったが、それは間違っていた。

 ガノタであるならば、違和感のある存在には気を付けておくべきだった。

 

「ここはそういうマトモな連中がいるところじゃないからな。さて、エージェントさんはギレン・ザビ総統の目となり耳となり、ここにいるんだろう?」

 

 ビューティーメモリーを『奪われた』と教えられていたが、今の状況を見るに、ギレンがリュウに与えたと判断すべきだ。

 この未来を、このタイミングを、奴らは読んでいたのだろう。

 天才どものお膳立てか、とクラウンは拳銃を握るグリップが震える。

 

「ビューティーメモリーは、失っていいんだな?」

 

 クラウンは未来を知るべく、簡潔に問う。

 

「ほーん、返せんなら返せんで、対価っちゅうもんがあるやろ」

 

 意外にも、ケルゲレン子はそれに対して淡白な反応である。

 クラウンは、ギレンの思考に追従するのをやめる。天才の考えていることを追ったところで無駄だと判断した──ただ、間違いなくこの件に関わっている連中には何の常識も通じないし、軍の規律もハナクソ以下の価値なのだろうということだけは理解できた。

 

「……お膳立てはした。リュウ大尉、後は貴様のタスクだ」

 

 クラウンは拳銃をしまう。

 対価について答えるべきは、クラウンではないのだ。

 ガノタには、ガノタに華と責任を持たせる時を見極める力が求められる。

 クラウンは、それを心得ている。

 

「……俺は、ガンダムがある世界に、終わってほしくない」

 

 リュウ大尉の断言に、ケルゲレン子は目を細める。

 悪くない。

 もう一声、と促す。

 だが、迷える男でろうリュウ大尉は、うぅ、と声を詰まらせるばかりだ。

 

「人が人を統治するのではなく、人類の意思が、人を統治する世界へと移行させない限り、我々はいつまでも連邦だジオンだと喚き散らして殴り合うばかりだぞ、リュウ大尉」

 

 ガノタなりの助け舟を、クラウンは出してやることにする。

 人は人の上に人を作らず、という格言は正しい。本来人の上に立つは、人類の意思であるべきなのだということは、逆襲のシャアを履修したガノタならわかることである。アクシズが地球に落ちなかった時の輝きというのは、人類の意思の力の顕現にすぎない──と、クラウンの中の人は信じている。

 

「宇宙世紀に、未来を作る。俺は、一度、宇宙世紀が終わるのを見た」

 

 リュウの言葉。

 助け舟を出されたと気づく程度のガノタ力はあるようだ。

 具体的な中身は何一つわからないが、リュウの言葉には力があった。

 情熱と健康な体さえあれば、人生はなんとでもなることを知っているクラウンは、熱量を確認できただけでも良しとする。

 

 クラウンの中の人もまた、宇宙世紀の終わりを体験したことがある。かの名作、逆襲のシャアを観て『富野由悠季の書く話は三流』などと評論する謎のガノタ原理主義者のようなものが現れはじめ、新しいガンダムを作ろうとしたF91でガノタはガンダムを裏切り、宇宙世紀作品の制作に関して下火状態へと追い込んだ事実は、ガノタ自身が自らに刻んだ傷痕である。

 

「ほーん、まぁ、合格、か。いつまでも地球圏でジオンだ連邦だでケンカしとっても、なんも進まんしな。ダンデライオン計画と、ソロシップ計画には手ぇ貸してもらうで。ギレンはんもこれなら納得するやろな」

 

 ケルゲレン子も、リュウを誘導する気があるようだ。だが、ちらりとクラウンに向けられた彼女の視線。明らかなる余裕がみられるそのまなざし。

 意図は、読めんな……とクラウンは、ゲルゲレン子らターン計画勢と、ギレンらに何か腹案があるはずだと考える。

 

 やつらが切り出した、ダンデライオン計画、すなわち外宇宙への人類播種計画は、かつて機動戦士Vガンダム外伝で語られたガノタおなじみのそれである。漫画の場合、グレイストーク爺さん(※ジュドー説あり)の気合と縁故でなされたミニマムプロジェクトであった。

 

 これを、この世界のギレン・ザビは本格的な播種プロジェクトとして国家のリソースをつぎ込んで実現しようとしている。すでにギレンの指示のもと、ニュータイプの素養を持つ移民候補者たちがピックアップされつつあり、いずれ計画に従事させるべく動員令が出るであろうことは、クラウンもつかんでいる。

 

 一方で、ソロシップ計画については詳細を把握してはいなかった。長谷川ガンダム世界がクラウンの生きるガンダム世界に取り込まれている以上、イデオンがらみの事件や事故はあるだろうと予想していた。

 しかし、まさかソロシップを使ってギレンが何かを企んでいる、とまでは、クラウンは考えていなかったのだ。そもそも、ソロシップは今、連邦の管理下にあるからだ。

 

「──俺の命は、貸す。だが、情報の行き違いで裏切ったと勘違いされたり、裏切られたとこちらが思い込む事態は避けたい。キシリア機関が使っているルパン組の連中がいるだろう? あれを経由して、ムラサメ研究所はそちらとコンタクトを密にしたいが、どうか?」

 

 クラウンは、この瞬間、リュウ大尉のガノタ力について、少なくとも1級ガノタであると判断した。

 準1級ガノタ程度ではないか、と推量していたが、ルパンというワードが出てきた時点で評価を上げる。

 機動戦士ガンダムTV版の31話や39話にルパン三世他、次元や五右衛門がカメオ出演しているのはガノタの常識である。

 この世界でもまた、彼らはキシリア機関の諜報員として、連邦の中枢部へと進入し、お宝(※情報)をしっかりと流してくれている。

 この調子だと、ギレンの選挙資金を支えている破嵐万丈の存在も気づいていることだろう(※TV版第14話)。

 

「ええで。ただし、ライディーン、ダイターン3と鉄人28号の所在を把握したら、ただちにうちらに教えること。これが条件や。どうせレビルあたりが隠し持っとるんやろ?」

 

 TV版42話のワンカットに写り込んでいるあのスーパーロボット共が連邦側にあるのでは、とクラウンも疑っていたが、まさか総帥府も探しているとは知らなかった。ギレンならば、すでに掴んでいて、ケルゲレン子あたりを送り込んで回収済みかと思っていたが……連邦側にも魑魅魍魎がいるということだろう、とクラウンはあまり首を突っ込むと切り落とされかねないと判断し警戒する。

 

「わかった、すぐに知らせる」

 

 そう答えるリュウ大尉の生真面目ぶる瞳の向こうに、隠し玉の存在を見出したクラウン。

 なんだ? 何を隠しているんだ? とクラウンはガノタなりの知恵を絞る。MSV系や戦略大全系の隠し玉を疑ってみるが、いまここで彼が扱える手勢には、そういう大玉は存在しない。もしや、リュウの中に入っているガノタは、単独で国家を転覆できる力を持つ特級ガノタだとでもいうのだろうか? 

 

 いや……それはない。

 特級ガノタならばこういう状況、すなわち、八方ふさがりでクラウンやターン計画勢の手助けが必要な状況には至らない。

 

「ほんなら話はまとまった。後は力を合わせるだけやな。で、具体的にこの状況をどう覆すんや? 艦載機を見て回ったんやけど、予備機はいわゆる素ジムが一機。あとはゼロ中尉のペイルライダーD2、83式ボールがいくらか、やろ?」

 

 ケルゲレン子がモニターに映し出した戦力表に、満点、という講評を付ける。

 クラウンは目を疑う。

 満点? あの戦力で満点と評価したケルゲレン子から、わからんやろ? というまなざしを向けられう、クラウンは顔をそむけた。

 

「まず、クラウン大尉を借り受けたい。83式ボールにて援護をお願いする。制御プロトコルはすべて開示するので、事実上、ファンネル代わりにはなるでしょう」

 

 そこからはムラサメ研究所の博士連中による量子通信型無人操縦ユニットを搭載した83式ボールの説明が始まった。量子通信を用いる性質上、ミノフスキー粒子が介在する余地はなく、遠隔操作が容易であり、ボールは鉄の棺桶からミスターボールと敬意を表されるべき火力支援マシンへと様変わり、とのことである。

 これを脱出用のランチからクラウン大尉が、運用する。

 母機はランチ。ファンネルがボールである。

 ランチなので、装甲は0。

 ガンダムSeedにおけるメビウスゼロもびっくりの、ヨワヨワ母機である。

 

 そして、説明の担当者がリュウ大尉に切り替わる。

 

「えー、クラウン大尉には博士らと僧侶他、艦艇スタッフ一同が脱出するためのランチの操縦と、残存MS隊の支援という二重任務になり大変心苦しいのですが、ジオンの英雄の力を、ぜひ助力頂ければと」

 

 つまり、クラウンにランチ搭乗員の人命をすべて託す、ということである。

 ここまで責任を押し付けられると、ある意味すがすがしくもなる。

 

「ほな、話もまとまったし、失礼するわ」

 

 ゲルゲレン子が笑顔で異空間に消える。

 おい、それで全員脱出させられるだろうが? とクラウンは思う。他人に試練を与えることにウキウキするターン計画勢の人間の屑ぶりに、失望せざるをえない。

 

 

 

 ブリーフィングがいい感じにまとまったことを察したアン少尉は、ジオンのお人好しなおじさんに接近する。

 

「おーじさんっ。ずっと前に、わたしを殺そうとしたの、覚えてる?」

 

 おじさんが、あっ、という顔をしたので、アン少尉は畳みかけていく。

 弱みはテッテーテキに突くべし、という美少女の作法を守るのがアン少尉である。

 なお、心理的距離を狭めるべく、物理的にも接近して、ケーレイしておく。

 

「すっごく、怖かったんだよ?」

「実に、申し訳ない」

 

 頭を下げるおじさんに、いーよいーよ任務なんだし、と言って警戒のハードルを下げさせるアン少尉。

 彼女は、心理障壁を下げたところに漬け込む心理浸透戦術を自然に使いこなせる小娘なのである。

 

「でさ、おじさん。83式ボールを使ったオールレンジ攻撃をしながら、ランチの防衛をするなんて、大変すぎるでしょ?」

 

 冴えないおじさんが、そうなんだよ、と言ってくれればアン少尉の勝ちである。

 

「大変だが、出来ないこともない。シャリア・ブルさんからオールレンジ攻撃の教導は受けているからね」

 

 予想の斜め上の回答をおじさんがするので、アン少尉は戦術を変更する。

 

「そっか、すごいんだね、おじさんっ!」

 

 露骨に、媚びる戦法である。

 女に免疫がなさそうなこのお人好しおじさんなら、アン少尉の美少女ビームで一撃陥落間違いなしだろう、と。

 しかし、ゴーインに抱き着いたのに、あっさりと引きはがされるアン少尉。

 なんだこいつ? とアン少尉は当てが外れて微妙な表情を浮かべるしかない。

 

「アン少尉、君が言いたいことはよくわかる。ただランチに乗って脱出するなどMS乗りとして納得いかない、と言ったところだろう?」

 

 そんなことは全くないのだけれども、アンはおじさんの勝手な幻想を肯定しておく。

 おじさんというものは、女子供に肯定されるとすぐ張り切ってしまうものなのだ。

 ゆえに、運動会で頑張ってしまうお父さんたち、というものが出現する。

 これは、おじさんたちの見栄の問題でもあり、同時に、保護欲の問題でもある。

 

「よし、なら君はランチの副操縦席を頼む。もし私が継戦不能になった場合、君がランチとボールを引き継いで、任務を続行してほしい」

「うんっ! わたし、がんばるねっ!」

 

 言質はとった、とアン少尉は心中でガッツポーズを決める。

 あとは適当なタイミングでボールの管制権限を奪うだけである。

 博士に頼んで、プロトコル割り込みの優先順位をアン少尉よりクラウン大尉を下に設定してもらったので、なにも問題はない。

 

 あとは、ターゲット……得体のしれない、サララとかいう女が戦場にのこのこ現れたら、これを片づけるだけである。

 もちろん、ボールで誤射するなどというバカなことはしない。

 宇宙怪獣に浸食されたので、ボールを自爆させたら、たまたまそれに巻き込まれてしまった、という形で進めるのだ。

 ムラサメ博士やクソザコおじさんには管理者責任が降りかかっちゃうけれど、それは仕方がないことだ、とアン少尉は自分を納得させる。

 

 自分が、悪いことをしようとしている自覚はある。

 しかし、本当に欲しいものを手に入れたいときに、手段を選べないのだからどうしようもない。

 

 寂しいのは、いやだからだ。

 

 軍を辞めて、どこかのマンションの一室でぼーっとアニメを見ている自分を想像すると、心の底から恐ろしかった。

 ただ生きるためにどこかで働いて、そのまま老いていくのは、絶対に嫌だった。

 どうしても、家族が、欲しかった。

 

「わたし、本当に、がんばるね」

 

 アン少尉は、何も知らないクラウン大尉に決意を表明する。

 本当は、悪いことをする言い訳でしかない。

 だが、人のよさそうなクラウン大尉は、少し言葉に迷って、手をアン少尉の頭に置く。

 

「嘘をつくのは楽しいか? アン少尉」

 

 にこやかな笑みを張り付けたクラウンの掌が、アンの頭にぐいぐいと圧力をかけてくる。

 アンは、勘違いしていたことを分からされた。

 このクラウンとかいうおじさんは、悪い人だ。

 

「正直に白状すれば、お前の欲望に、私が手を貸してやろう」

 

 バレている。

 内股の筋肉が震える。

 何が原因だろう? 違う、何を知られた? 

 

「え、アンちゃん、なんのことか……ウッ!?」

 

 みしり、とアンの頭骨がきしむ。

 まずい、このおじさん、体が仕上がってるタイプのおじさんだ。

 

「やめておいたほうがいい。本物の悪党というのは、こんな風に、女子供相手に手を出すことを何とも思わないものだ。アン少尉、君がどんな悪いことを考えているか知らないが……例えば、誰かを殺そうと考えたときに、その誰かに対して、特別な感情を持つものではない」

 

 本当の殺意は、きわめて単純だとクラウンが告げる。

 リンゴを切るときに、君は特別な感情をもつか? と言われ、絡むべきおじさんを間違えてしまったことを後悔し始めるアン。

 

「ご……ごめん、なさい、実は……」

 

 アンはどうしても殺したい相手がいる、と白状する。

 下手な猿芝居は、このおじさんには効かないと判断しての、方針転換である。

 

「──ふん、了解した。手伝ってやる。だが、条件付きだ」

 

 つかまれていた頭が解放された。

 いたた、と頭を抱えて、クラウンから距離をとるアン。

 

「本当に……? 女の子に暴力振るうやつを信じるなんて、ありえない気もするけど」

「信じる必要はない。君の望みと、私の計画は同じ方向を向いている」

「同じ、方向?」

「あの男には、まだ死なれては困る」

 

 クラウンが顎でクソザコおじさんを示す。

 べ、べ、べつにあんなおじさんのこと、どうでもいいしっ!? とアン少尉は応える。

 ただ、イライラするだけだもん。特に、サララとかいう女のことを考えているときのクソザコおじさんをみていると。

 

「アン少尉、私は、ある人のために命を捨てる覚悟がある」

「は?」

 

 口調とは裏腹に、アンは髪をいじりながらクラウンの言葉を待つ。

 本当は興味なんてないのだけれども、この悪いおじさんがどーしてもって感じを出してるから、アンちゃんは仕方なく聞いてあげてるだけ、と。

 

「もし、あの御方を救うために、その命を捨てるしか方法がなければ──私は、捧げる」

 

 悪いおじさんの目に、いけない光が増す。あの顔は研究所の先生たちが研究でキメたときに出るやつと同じ。つまり、陶酔ってやつだ、とアンは察する。

 

「アン少尉。もし君が、誰かのために死んでもいい、と覚悟を決めたなら──私はガノタとして、君を、全力で手助けする」

 

 ガノタ? それが何かは知らないけれど、アンはクラウンという悪いおじさんが、真心からそう言っているのだろうと感じた。

 なんとなく、このクラウンとかいうおじさんも自分と同じように歪んでいるような気がした。

 アンが家族に執着する以上に……このクラウンという大尉は、なんだろう、女に執着している? と感じるアン少尉。

 

「わたし──死にたくは、ないかな。こんなにカワイイのに、簡単に死んだら人類の損失だと思うの」

「そうか。いい女だな」

「そうじゃなくて……死ぬな、生きろ、くらい言ってよ」

 

 アン少尉は、なぜかそういう言葉が欲しいような気がした。

 歪んだ者同士、ここで野垂れ死ぬのはどうにも面白くないからだ。

 誰かのために死ぬのもバカげている。

 

 誰かを助けるために死ぬ? そんなの、おかしい。

 助けて、自分も生き残る。それが絶対に正義だと思う。

 それでも、どうしても死んじゃう状況に至ったら……どうせ死ぬなら、想っている人たちに傷跡を残して死にたいという気持ちがあるのは否定できない。

 

「……そうだな、生き残るぞ、アン少尉」

 

 アンに呼びかけながらも、クラウンという男は別の女を見ているのだろう、とアン少尉は直感する。この男は、アンを通して、他の女を見ている男の目をしている。

 こういう、歪な男は嫌いだが、その情けなさはアン自身とどこか似ていた。

 だから、嫌いきれない。

 むしろ、妙な仲間意識すら芽生えるほどであった。

 

「うん──ジオンの英雄って、歪んでるんだね」

 

 アンの言葉に、クラウンが、すぅ、と深く息を大きく吸いこむ。

 

「……内緒にしておいてくれよ、同胞」

 

 別に、通じ合いたくもないのに、悪いおじさんに仲間認定されてしまった。

 そして、アンが知りたかったことを教えてくれた。

 歪んでるんじゃない、愛しているのさ、と。

 

 

 

 

 艦内で多少のドンパチはあったものの、息を切らしながら何とか格納庫までたどり着いたムラサメ研究所の面々と僧侶たち、そしてクラウン大尉。

 事前計画通りにそれぞれが乗り込むべきものに、駆け込んでいく。

 

「隔壁閉鎖だっ!」

 

 ムラサメ博士たちが、格納庫に至る隔壁をすべて落とす。

 多少の時間は、これで稼げるだろうか。

 

 リュウ大尉は荒れた息を整えながら、切り札の機体に乗り込む。

 この世界に飛び込んだガノタとして最初に乗った機体であり、戦中大量に使い捨てられたRGM79GMである。

 ただし、この機体はムラサメ研創設以前の、ムラサメ機関時代に、データ収集目的のために半導体部分に少量のイデオナイトを用いた特別機である。

 実戦での実証試験もすでに行われており、機体限界を超える性能を発揮しうることを証明済みである。

 

「ゼロ中尉、一年戦争のころにこれに乗っていたんだろう?」

 

 リュウ大尉は、慣れ親しんだジムのコックピットに着座して、起動プロセスを実行する。

 コックピット内には様々な物理スイッチがあるが、迷うことなく正確に操作をこなす。

 四面モニタが立ち上がり、ソフトウェアチェックが開始される。

 IDEON、と一瞬表示されたOSアイコンに、背筋が震える。

 

『そうだね。初陣を終えてすぐの頃だったとおもう。その機体、変な幻影を纏うんだよ』

 

 ガノタたるリュウ大尉は、それが何を意味しているかを把握してる。

 劇場版機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙にて、ドムを撃墜するジムのシーンをコマ送りすると、一瞬、ジムの頭部がイデオンに変わるシーンがある。

 あれが、この機体なのだ。

 

『正直言って、気持ち悪い機体だよ。人の意思というのかな? それを食らおうとする何かを僕は感じたんだ』

「そう、か」

 

 イデの意思、というやつだろう、とリュウ大尉は背中に感じるぞくぞくとした高揚感を殺せないでいた。

 いつもならジムに乗るときは虚無、ないし過集中状態であるので、余計なことを考えることがない。

 しかし、今は、明らかに精神に作用してくる何かを感じて、落ち着きが不足している。

 この状態はマズイ、死ぬかもしれん、という余計な不安まで煽られる。

 死ぬ、などということは今までの人生──かつての生においても今生においても、それを任務中に考えることはなかった。

 そのように洗脳されていたし、今でも自己洗脳を続けているはずなのに、この様である。

 

「各機、状況報告」

 

 自分の感情をごまかすために、仕事に集中しようとする。

 

『こちらクラウン。準備よし。全員の搭乗を確認。83式ボール、すべて起動。いつでもいける』

『こちらゼロ中尉、準備よし』

 

 問題、なし。

 あとは、頼れる正規軍の突入を待つだけである。

 

 

 

 

 ペガサスとマゼラン数隻、そしてMS部隊で飛び込んで、敵のコアにとどめを刺すという頭のよろしくない特攻作戦を無理やり実施する決断を下したのは、かの一年戦争時代に後方で椅子を温めていただけと揶揄される、ゴップである。

 

 この命令のもとに参集した連邦各艦隊、各軍、各級部隊の特攻志願兵たちは、一年戦争終戦に伴い行き場を失った闘争心を、今になって噴出させたとしか思えないくらいの勢いがあった。

 

『フゥハッハッハ!! マゼランの火力はぁぁぁ』

『宇宙最強ォォォオオォォ!!』

 

 怪現象であろうか。ペガサス艦橋の通信装置が、ダグラス・ベーダー中将率いるマゼラン級殴り込み艦隊の絶叫を受けとめきれず、ボンっ、とはじけ飛んだ。

 すかさず、それを予期していたらしい電子士官と技術下士官が、手際よく交換する。

 

 ガノタならばご存じ、闘将ダグラス・ベーダ―は、艦隊による殴り込みをさせるならば宇宙一の男である。艦艇運用畑ばかりを突き進み、MS運用が中心となった一年戦争では冷や飯を食らっていたが、今回のようにミノフスキー粒子の影響が極めて低い戦場においては、まさにうってつけの人物であった。

 

「閣下、ダグラス中将の殴り込み艦隊が、進路をヤバい速度で切り開いています……」

 

 戦況分析担当の三課の佐官が驚いている。ヤバいなどとエリートにいわせしめるマゼラン殴り込み艦隊は、まさに闘魂の化身である。

 期待通りね、とゴップの中の人、サララは、手持ちの隠し玉をすべて突っ込んで、事態の収拾を図るつもりだった。

 先に飛び込んだあのバカを助けるため──ではなく、合理的な判断ゆえに、である。

 

「闘将ダグラスに、期待する、と電文を送ってやれ」

「はっ──返信、来ました。読み上げますか?」と通信係の軍曹。

「かまわんよ」

「ヒャハァァァァっ!!」

 

 通信担当の軍曹のほうへと視線が集中する。

 

「いえ、あの……読み上げが、まずかったでしょうか?」

「迫力は、あったな」

 

 ゴップが何事もなかったかのように返事をしたので、兵たちはまた仕事へと戻る。

 自らが乗艦しているペガサスも、ダグラス中将の殴り込み艦隊および、護衛のMS部隊のおかげで期待以上の前進速度である。

 目的とするコア層まで、のこり数分。

 

「君、特務MSにつないでくれたまえ」

 

 羞恥に震えていた通信下士官に、仕事を与える。

 

「はっ──つながりました、どうぞ」

 

 ゴップは座席の電話機モドキを手に取る。

 

「フランクリン・ノボトニー中佐、FAガンダムに例のものは搭載できたかね?」

 

 害獣には南極条約の適用などない、というゴップの強引な解釈に基づき、容赦なく小型核弾頭をFAガンダムの実弾兵装へと搭載させている。なお、害獣に核兵器を使った前例など有史以来あるはずもない。

 突入後、ノボトニー中佐のFAガンダムを突っ込ませて、コアを消し去る算段である。

 GP02がなくとも、FAガンダムの装甲があればパイロットの保護くらいはできるはず、と技術部も太鼓判を押している。

 

『準備完了。ところで、もしかしたら出番なし、ってのはマジですか?』

「うむ。子飼いの特殊部隊を動かしていてね、実のところ、殴り込み艦隊よりも先行している。まもなく現場にて核攻撃を敢行するだろう」

 

 ゴップは、切り札が一枚だけというのを好まない。

 どのような戦略を遂行するにせよ、切り札の数の多さが、自らの優位に直結する。

 切り札をいつ切るか、などということに注力するよりも、切り札をどれだけ事前にかき集めておくか、が戦略の成否を分けると信じている。

 数多くの切り札が手札にあるならば、多少のミスを繰り返しても勝てるのが戦略ゲームというものである。

 

『へぇ、そいつらがしくじったら、俺の仕事ってことですね』

「うむ。気を悪くしたか?」

『いえ。閣下の切り札の中に俺が含まれていることに、感動しているところです。これで、軍縮後も安泰ですよね?』

 

 ノボトニー中佐の心配事は、再就職できるような年齢ではない、という点にある。

 中佐という階級とて、乱発された戦時階級に過ぎず、実際には士官としての仕事など何一つできない、平時の鼻つまみ者なのである。なまじ階級が高いため、戦後の駐屯地ではよくわからない名誉職──例えば駐屯地先任MS戦技開発担当官、などという補職に放り込まれ、出勤から定時まで、ひたすらMSシミュレータにこもるくらいしかやることがなかったときいている。

 

 彼には養わなけれなならない家族がいるが、彼自身のスキルは、ただMSをうまく扱えるというだけだ。連邦軍のスコアレーティングでトップ級の撃墜数を持つ、ということが、すなわち再就職に有利なはずもない。

 せめて、軍人恩給の受給資格が得られる7年後まで、軍に残りたい、というのが彼の希望であり、ゴップにとっての利用すべき弱みであった。

 ゴップは、こういう利用しやすい手駒をとても好ましいと思う。時間を逆行してまで私情を持ち込んでくる馬鹿とは違い、手綱を握りやすい。

 

「ああ、心配せず、私に任せたまえ」

『それを聞いて安心しました。俺、軍隊以外でどうやって生きていけばいいか、分んないんすよ』

「最後まで面倒は見てやる。以上」

 

 通信を終えて、ゴップはこの先の未来をどうしたものかと思案する。

 核でも何でも使って、この宇宙怪獣騒ぎは終わらせる。

 だが、そのあとは? 

 Zガンダムはどうなる? もうあまりにも本編の筋を離れてしまっていて、ゴップだけではとてもではないが、手に余る。

 子飼いのシンは、こういうレベルの会話についてこられないガノタゆえに、どうしようもない。

 となると、わざわざ時を渡ってきた男のほうに頼りたくもなる。

 だが、あの男は私情で時を超えた大馬鹿野郎。

 サララを救いに来た、と口で言うが、奴の本心は見えている。

 

 やつは、ガノタとして、このガンダム世界を救うためにやってきただけだ。

 

 サララに執着しているかのようにふるまっているのも、あの男の勘違い。

 本音は、ただのガノタの癇癪だろう。

 

「(愛しては、くれないのね)」

 

 押し殺していた慾が芽を出そうとするので、ため息で吹き飛ばしておく。

 あいつは……この世界の未来について、ちゃんと責任をとれ、と言いに来ているだけだ、と自分を納得させる。

 やだな、さっさとこの世界から退場して楽になりたい、と思う自分がいるのは、うすうす感じている。それは切実な心の声であり、甘い誘惑である。

 もう、ガンダムの世界は十分楽しんだ。

 だから、OK。さようなら、すべてのガンダム、とゴールしたくもなる。

 

「──閣下、例の部隊が、状況を開始します」

 

 作戦士官が、緊張した面持ちで報告をよこす。

 ゴップは鷹揚に頷きながら、モニタの戦況図に目をむけた。

 

 

 

 

 モニタ一杯にそびえ立つ銀色の巨柱。

 アルファ任務部隊、イプシロン任務部隊、現着。

 シン大尉は息を止めて、何もいわずにロックオン。

 核装備のジムカスタムによる、一世一代の奇襲作戦。

 一撃で、決める、とシン大尉はグリップの引き金を引こうとする。

 

『隊長、ダメですっ! あれ、友軍ですっ!』

『オレらより先走ってる馬鹿がいたとはなぁ』

 

 シャニーナの制止と、ヤザンからのビーコン誘導。

 対NT戦技教導団──ムラサメ研究所の連中が先行していたのか、とシン大尉はゴップの深謀遠慮について思うところがあった。ゴップ閣下のことだ、シン一人だけにすべてを託すようなことはしないだろう、とは思っていたが……ただ、どうやら自分の前に切られた手札は失敗してしまったようだ、と察する。

 

 だが、どうするか。

 いまこそ障害なしの一発勝負が可能だ。

 コアを吹き飛ばすなら、今しかない。

 

『おいおいおい、あいつら、追われてるじゃねぇかっ!』

 

 ヤザン機が、取り急ぎ援護射撃の準備を隊員に命じる。

 マッケンジー艦長もトロイホースに砲戦用意を命じているが、徐々に明らかになる敵の数が多すぎる。

 一体、どうやってあのデスアーミー(※正しくはデスバット)の群れに対して今まで対抗していたのか皆目見当もつかない。どう見ても100はくだらない数である。

 ペイルライダーD2、ジム、83式ボール数機とランチだけでは、なにをどう考えても粘れないはずなのだが。

 

『──シン大尉、我々の後方に、それをブチ込めっ!』

 

 知っている声。これはリュウ大尉だ。

 ガノタとして原作キャラを死なせるわけにはいかんか、とシン大尉は、ジムカスタムの抱えている巨砲を敵群集団へと向ける。

 

『アルファリーダー、何をしているっ!? 目標は巨大コアだっ! 射撃せよっ!』

 

 一拍遅れてマッケンジー司令の命令が飛び込んでくる。

 ただでさえ問題になりがちな核兵器運用である。直属の上官が命令を出したなら、それに従わない限り死刑判決を食らいかねない可能性すらある。

 しかし、シン大尉は砲口の向きを変えない。

 伝家の宝刀、ゴップ閣下の白紙命令状を使うときが来たか、と決心する。

 

「マッケンジー司令、すみません、より上位命令がありますので」

『どういうことだ、おいっ!?』

 

 ストレスマックスの司令には申し訳ない、と思いつつ、シン大尉はリュウ大尉らを救うべく、核を敵群集団に対して発射した。

 

『うわ、うちのバカがやりやがったぞっ!?』とヤザン

『どうしようっ! 隊長が狂っちゃったっ!?』とシャニーナ。

 

 彼らの喚き声とともに、巨大な爆発が起こる。

 デスアーミーの群れを吹き飛ばした小型戦術核の輝きは、それだけにとどまらず、こちらにむけて後退行動中のリュウ大尉たちの機体を巻き込んでいた。

 

『──シン大尉、貴様というやつはっ!!』

 

 マッケンジー司令の怒気が、シン大尉のヘルメットに響く。

 被ロックオン警報。トロイホースのメガ粒子砲がこちらを向いている。

 シャニーナ機が暴れ出そうとしているが、ヤザン機が羽交い絞めにしている。

 

『戦略目標を違えるばかりでなく、後退行動中の友軍まで巻き込むとは、狂気の沙汰だぞ。貴様が如何なる命令に基づこうとも、今この時点では戦争犯罪の現行犯である。ただちに武装解除せよ』

「──了解」

 

 シン大尉は機体武装をパージしつつ、コックピットハッチを開放する。

 これは言葉で説明してもどうしようもないだろう、とシン大尉は抵抗しない。

 あとは、残留放射線がこちらのノーマルスーツを貫通しないことを期待するしかない。

 一応、対放射線能力は十分ある、と設定集には書いてあったはずなので、信じる。

 

『あ、待ってくださいっ! あれ、あれをっ!』

 

 シャニーナ機からの通信。

 核爆発によるEMP効果のせいで、短距離光通信のみでの通信となる。

 

『なんであいつら、核くらって生きてるんだ? 常識ってもんがねぇ……』とヤザンが信じがたい、と疑問を口にする。

 

 シン大尉は、機外に立ち、ノーマルスーツの簡易望遠機能のみで豆粒程度の光を観測する。

 まちがいない、あれはサイコフィールドだ。この世界ではまだ誰もしらないであろう、Zガンダムでカミーユがビームを弾き飛ばしたトミノファンタジーパワーである。

 

『あれ、一機、ベクトルが変わりましたけど……』

 

 この戦場にいる、誰もがその一機に注目する。

 シン大尉も、興味本位のあまり、機体へと戻ってモニタをのぞき込む。

 そこには一体のジムが、カプセルを抱えて、コアに飛び込もうとしていた。

 

 

 

 

 アンは、動揺した。

 タイミングよく現れた味方による核攻撃と、鼻血ブーだけど頑張ってくれたレヴァン・フーさんたちお坊さんチームの活躍で、ホーリキバリアもちゃんと機能した。

 なーんだ、つまんな、とアンは安心していたのに、なぜか、想定した撤退経路からクソザコおじさんが飛び出していったからだ。

 

「え、なに、どゆこと?」とランチの操縦を担うクラウン大尉に確認する。

 

 アンが知らされていない秘密行動があるのか、と。

 

「……いや、想定通りだ。ビューティーメモリーを使う、とブリーフィングで言っていただろう」

「え? それってなんか、デスアーミーよけに使うって意味でしょ?」

 

 ウソだよね? ウソだと言ってよおじさん、とアンがクラウンにすがる。

 

「ヤツの真意は違う。自身の量子脳をブリッジさせて、ビューティーメモリの情報をバケモノのコアに受け渡すつもりだ。人類による、人類の未来ための対話とやらを目指してな」

「は!? 意味不明なんですけどっ!?」

 

 アンは理解不能な行動に、意味を見出せなかった。

 ただ、なんとなく、このままではクソザコおじさんがいなくなってしまう、ということだけは直感できたので、黙ってはいられない。

 

「勝手なことばっかりして……わからせてあげなくちゃっ!」

 

 アン少尉は自身の量子脳を経由して、クラウンからビット代わりの83式ボールの制御を奪い取る。

 ムラサメ研究所さんざんやった、三次元誘導戦闘の基本通り、多方向からボールをおじさんのジムに向かって突貫させる。

 中に人が載っていないボールの限界速度は、とても早い。

 これなら追いつけるはずだ、と確信する。

 

「そうだな、わからせてやれ」

 

 クラウンが、アンの背中を物理的に叩く。

 このセクハラおやじめ。

 

『──アン、やっぱり君が正しいよ』

 

 ゼロ兄からの通信。ランチを先導していたペイルライダーD2も、予定コースを外れて、おじさんのジムを追いかける。

 やっぱりだ。

 ゼロ兄はちゃんと分かってくれる。

 

「さて、私も覚悟を決めるか」

 

 クラウンおじさんがいきなり、ノーマルスーツの前のジッパーを下ろしたので、アンはビクリと、引く。

 

「え~、ご搭乗の皆さまにお知らせします。本機はこれより、乙女のハートを守るべく、想定外の行動を行います。お客様の意識は補償いたしかねますので、直ちにシートベルトをご確認ください」

 

 クラウンおじさんがアナウンスすると「仕方ないナァ」と先生たちがシートベルトをきつく締め直している。え、どういうこと? 

 

 そして、クラウンおじさんは空いたノーマルスーツの懐に手を突っ込んで、懐からなにやら布切れを取り出す。

 恍惚の表情を浮かべてそれを眺めたのち、それを鼻にあてて、スゥ~と深く息を吸う。

 

「な、なにかキメてるの……? ヤクブーツはヤメロって先生たちも言ってたよ?」

「……アン少尉、君は、あのおじさんのこと、好きかい?」

 

 いきなり何をいいだすんだ? このセクハラ野郎は? とアンは思わず、ボールの機動を正しく維持できなくなりそうになり、慌てる。

 

「いや、言わなくていい。やはりガンダムの世界なんだよな……」

「は?」

「私も、一枚かませてもらうってことさ!」

 

 ランチの舵を切ったクラウンおじさんが、さらにペダルをベタ踏みする。

 急加速と横Gのコンボ。

 ただの連絡艇が出しちゃいけない速度を出しているので、未強化のムラサメ研の先生たちが気を失っていく。

 意識があるのは、アンとクラウンだけである。

 機体が向かっている先は、クソザコおじさんの機体がいるところだ。

 

「手伝ってやる。距離が近いほうがボールを誘導しやすいだろ?」

「う、うん……けど、いいの?」

 

 アンには分からなかった。大人たちはいつだって、敵はこちらを憎んで、殺そうとしてくるものだ、といっていた気がする。

 

「約束は、守らせてもらう」

「ふーん、じゃ、戦後はお礼にデートしてあげるね」

「精神的にあと三倍成長してから言ってくれ」

 

 何てつまらない大人なんだろう。アンはジオンに兵なし、というレビル将軍の言葉を思いだした。

 

 

 

 

 リュウ──いや、その中の人は、困惑していた。

 なぜか、味方から攻撃されているからだ。それも、撃墜すら想定した加減なしのボールによるオールレンジ攻撃。

 クラウンが裏切ったのか? と一瞬、頭をよぎったが、クラウンならそもそも、初手で決めてくるはずだ、と考えると──何が何やら分からなかった。

 

 イデオナイト搭載型ジムは、こちらの願い──サララが生き残る世界線を勝ち取ることについて、エゴであると反応しているわけではなさそうだ。

 もしそうであれば、素ジムでしかないこの機体が、これほどまでに俊敏に動くはずがないからである。

 さんざんジムに乗ったのだから、間違いない。

 

 だが、わからない。サララを救う……彼にとってこれほどまでに重要なことを、なぜ仲間たちが阻止しようとしてくるのかが、全く分からない。

 

「やめろっ、やめてくれっ! 俺に構うな!」

 

 リュウは、通信機に向かって声を荒げる。

 

『──いいや、構うね。家族の問題なんだから、首を遠慮なく突っ込ませてもらうよ』

 

 ゼロ中尉からの応答。

 家族? なんの話だ? 

 

『おじさん、いま、わからせてあげるねっ!』

「アンか? 早く連中に回収してもらってくれ! いつデスアーミーが飛び出してくるかわからないんだぞっ!?」

『ほーら。遠慮しなくてもいいんだよぉ?』

 

 殺気!? とイデの力か、いま自分をあらゆる方向から貫こうとしているボールの射線を感じ取れた。

 リュウのジムは、致命傷になりうるボールを一瞬で判断し、ビームスプレーガンを向ける。

 放たれたビームが、ボールを精確に貫く。

 それは、一瞬のうちに三度繰り返された。

 

『やるじゃねぇか。オレも混ぜろよ?』

 

 どうしてそうなる!? とリュウはヤザン機からの通信に混乱する。

 いまここで、ビューティーメモリをG細胞に接続しないと、サララが死ぬ世界線に近づいてしまうというのに……クソッと、ボールをとりあえずすべて叩き落とすことにする。

 

 だが、生きのこっているボールは、リュウのジムをひたすらに翻弄する。

 

『ふふーん、クソザコおじさんの攻撃なんて当たらないもんねっ』

 

 アンの声に、リュウは怒りをそのままぶつける。

 

「ふざるなっ! せっかく命がけで助けたのに、なんで邪魔をするんだっ!」

『は? 助けたなら最後まで責任とってよ?』

 

 アンの冷たい声。

 

『おじさんに孕まされちゃったのに、わたしを捨てるの?』

 

 アンの言葉が、一般通信回線により、広く周辺の機体へと伝わった。

 ジムに搭載されたイデオナイトのせいだろうか、MSに乗っているはずなのに、なぜかすべての機体からの視線を強く感じる。否、痛みを感じる、というほうが正しい。

 

「へ?」

 

 リュウのジムの動きが鈍る。

 その隙を逃すような素人は、この戦場には一機たりともいない。

 

『リュウ、君は本当に馬鹿だよ』

 

 ペイルライダーD2のビームサーベルが、ジムのバックパックを切り払う。

 一気に噴出した推進剤が、リュウのジムをキリモミ回転させる。

 

「うおぉえぇぉ!?」

 

 情けない声を出しながら、リュウは機体制御を取り戻そうと、各アポジモータを操作する。

 なんだかんだで経験豊富なパイロットである彼は、ものの数秒で機体を立て直し、ビームサーベルを抜いて、ゼロの追撃を切り払い、ヤザンの不意打ちを受け流す。

 

「ヤザン少尉、手を引いてくれないかっ!」

『やなこった。こんな面白れぇ仕合に参加しない理由はねぇ』

「素ジム相手にイキって面白いか、この野郎!?」

『ああ、楽しいぜ? 大事なもんが見えなくなってるやつをぶん殴るのはな』

 

 ヤザンのジムカスタムの拳がこちらのコックピットを揺すらんと、迫ってくる。

 リュウのジムは、それを迎え撃つために、同様に拳をぶつける。

 ジムカスタムとジムでは強度に差があるはずなのだが、ヤザンのジムカスタムの腕がちぎれ飛んだ。

 ヤザン機は緊急後退。

 リュウのジムも追撃はせず、アポジモータの推進力のみでコアへ向けて転進する。

 

『待つんだ、リュウっ!』

「いいや、待たない」

 

 ゼロの呼びかけに応じることはなく、リュウのジムは振り返りもせずにビームスプレーガンを撃つ。これがゼロ機の片足を吹き飛ばし、ゼロは機体の再制御に時間をとられる。

 

 だが、リュウのジムの足が遅くなっている事実は変わらない。

 これを、ジオンの英雄は見逃さない。

 

 本来、ランチが出してはいけない速度と急旋回を駆使して、リュウのジムの前に躍り出る小型艇の姿は、いかにも頼りなかった。

 しかし、この頼りない小型艇は、ジムの足を止めさせるに十分な存在なのだ。

 そこから飛び出す小柄なノーマルスーツの影。

 リュウは、モニタ越しにその姿を認める。

 

「アン!? どうして君は邪魔ばかり……いや、アン、何を狙っている!?」

『人間を作った神様って意地悪だよね~? おじさんを見て……ぷぷ。ほんとにそー思うよ。おじさんが考える自己犠牲プランなんて、わたしにだって出来ることだもんね。それを必死こいてやろうとするなんて、ほんと、だっさ~い』

 

 彼女の姿に気を取られるリュウ。

 加速したボールが、その隙をつき、質量の暴力をもってジムに激突する。

 足をとめてしまったジムが避けられるはずもなく。

 衝撃か、イデの見えざる意思か、ジムの手から、ビューティーメモリーが離れる。

 そして、別の83式ボールがそれをアームでキャッチして、アンの元へとたどり着く。

 アンはそのボールに乗り込み、スラスターの軌跡を描きながらコアへと向かう。

 

『ねー、おじさん。あたしの事、嫌い?』

 

 アンを乗せたボールの加速が止まらない。

 リュウのジムは自分に絡みついていたボールを何とか投げ飛ばして、彼女に追いすがろうとする。

 

「嫌いなわけあるかっ! ゼロも、アンも、ムラサメ研の連中も……嫌いになんてなれるわけないだろうが!」

 

 邪魔するな、どけっ、とリュウはジムに絡みつくボールをはがそうとするが、ボールには執念か何かがあるのか、なかなか剝がすのに難儀する。

 

『うそ。本当は皆きらいだから、わたしたちを置いていこうとしたんだよね? 図星でしょ? 悔しい? こーんな小さい子に言い負かされちゃって、くやしい? ねー、くやしいー?』

 

 なんで、なんでわからないんだ……とリュウは歯を食いしばる。

 本当に、心から、アンやゼロや、ムラサメ研の連中には、生きのこってほしかった。

 どうしようもないマッドサイエンティストや、ずれた強化人間たちしかいないコミュニティだったけれども、それは、何もかも失って時間をさかのぼった自分にとっての、よすがだったのだと、なぜ分かってもらえないのか。

 

「噓なもんかっ! 俺は……どうしても、皆のことを切り捨てられないんだ──アン、やめてくれ……お前が犠牲になったら、俺は、もう、無理なんだよ……」

 

 説得する言葉はもう、なかった。あるのは懇願だけだ。

 わかってくれ、俺は、何もかも大事で、もう、どうしようもないんだ、と。

 

『そっか』

 

 ボールが、リュウのジムから剥がれる。

 ようやくか、とリュウは機体が爆散してもかまわんと、推力を全開にする。

 

『わたしも、大好き』

 

 ビューティーメモリを掴んだままのアンのボールが、コアから伸びた触手に絡み取られ、コアの中に取り込まれていく様を、リュウは、見た。

 まただ。

 また、やってしまった、と、彼はコックピットにて虚空に手を伸ばし、取り戻せぬものを掴もうとする。

 

 その時、ジムが、動いた。

 リュウが操縦を放棄しているジムが、意思を持ったかのように、掌を開き、前へと腕を伸ばす。

 IDEON、とコックピット中のあらゆるモニタに散らばる記号。

 記号は、呼びかける。

 IDEON記号の呼びかけに応えるように、震える獣の声が響いた。

 

 

 

 要塞級周辺宙域にて、パプテマス・シロッコはショートサイズまで短縮したサーベルで、デスアーミーたちを斬り倒し続けてきた。

 撃墜数は、100を超えてからは数えていない。

 観測機兼、前線指揮統制機でしかないEWACジムで叩き出せるはずもない戦果を、パプテマス・シロッコは当然のように出す。

 なぜなら、天才だからである。

 

「ジャマイカンっ! ソロシップに火力を発揮させろ! いつまでぼーっとしているつもりだっ」

 

 天才は、いらだっていた。

 この戦場には、不快な感情がパンパンに詰まっているからだ。

 使えない部下に命令を飛ばしながら、さらに、二機、三機、と撃墜数を増やすシロッコのEWACジム。

 

『し、しかし、ソロシップには火砲などありませんが……』

「あるだろうが。貴様の馬鹿みたいに広い額でソーラ・レイでも撃ってみろ!」

 

 ジャマイカンにハラスメント行為を働きながら、特攻部隊の成果はまだか……と、ヘルメットのバイザーを開けて、汗をぬぐう。

 ハイドレーションシステムから水をガブ飲みし、高エネルギーバーを食らう。

 要塞級の内部がどうなっているから分からないが、少なくとも、コーウェン中将が指揮を執る要塞外部の状況は、ア・バオア・クーの戦いよりもヒドイ状態なのではないか、とシロッコは思う。

 

「……光?」

 

 よもやジャマイカンの額が光ったわけではあるまい。

 殺意ある閃光が、要塞内部から漏れた。

 あの輝きと線量、核攻撃に違いない。

 となると、ゴップ閣下の特攻作戦が本格的に始まった、ということだ。

 

 すでにこの作戦のために集結した連邦艦隊の2割近くが沈み、ジオン艦隊も同程度の被害を出している。補給を求めるMS達が続出し、継戦中のMSの絶対的な量が不足してきたため、いまや射撃武器もなく、ビームサーベルすらショートサイズで発振することで節約しながら戦い続けている状況だ。

 

『おー、さすがシロッコ大尉。オレ、つよいやつ、好きだぞ』

 

 ハインツ大尉のFAジム改が、どこで見つけてきたのか、ガンダムハンマーを両手にぶら下げている。この馬鹿が合流したということは、こいつが救援に向かった部隊は無事後退できたということだ、とシロッコは胸をなでおろす。

 

 すでに戦場の指揮権は混乱の極みであり、シロッコは一介の大尉ながら、半ば戦区司令官のごとく周辺部隊から頼られていた。仕方なく、こういうときは役に立つソロシップ所属の大量破壊兵器、ハインツ大尉をあちこちへと派遣しては、戦線を立て直したり、友軍を交代させたりしている。

 

 問題児を押し付けられていた、と平時は感じていたが、有事では頼れる台風になってくれるところがジャマイカンやリードとは違うところだ。

 昇進させるわけにはいかんが、また何か新しいオモチャ(※MS)を用意してやってもいいかもしれない。

 

『シロッコ大尉、オレ、仕事、終わった。皆を助けてきたぞ』

「助かったぞ、ハインツ大尉。私が呼ぶまで、しばらくは周辺の目に入る敵を撃墜しろ」

『わかった。シロッコ大尉の指示は、簡単で、良い』

 

 また飛び出していったハインツ大尉のFAジム改。

 頭はよくないが、機体の運用に関しては本物の天才だろう、と天才たるシロッコすら感心するほどである。

 いまのFAジム改の挙動1つとってみても、本体側の推進剤は一切使用しておらず、ほんの一瞬、大出力でFSWS側を吹かすと同時に、ガンダムハンマーとAMBACを駆使することで、平均的なパイロットの4割程度の推進剤で機動戦闘へと移行している。

 

 とはいえ、増援も見込めないこの状態ではじり貧だぞ……と、巨人の姿に目をやる。

 相変わらず、うんともすんとも言わず、ただそこに浮いているだけだ。ソロシップから発生する力場のおかげか、どこかに慣性で飛んでいく、ということがないだけ救いはある。

 

『シロッコ、助けにきたのです』

 

 うーむ、と未来のない状況を切り開く算段を考えながら、ついでにデスアーミーを刻んでいると、NT-1が隣にやってきていた。

 

「君か。わざわざMSで出てくるなど珍しいな」

『いま、想いが、走ったから、です』

「?」

 

 シロッコも集中しようとするが、実のところ気力、体力ともに限界であり、NT能力は肉体的疲労に深い影響を受ける、という仮説が真実であることを証明しているところであった。

 

「すまん、こちらは感じ取れなかった」

『イデが、起きる、のです』

 

 シロッコは、目を疑った。

 今までただの人型巨大オブジェでしかなかった、あの巨人が、動いているのだ。

 明確な意思を見せつけるがごとく、どのような原理か分からぬ推進機構が動き出し、大量のエネルギーが排出され、巨人が前進していく。

 

「なんだ、何が起きた!?」

『ターン計画の、始まり。閉塞する世界に、風穴を開ける一撃』

 

 シロッコはマサキのたわ言には付き合っていられなかった。

 直ちに進路を開けよ、と巨人の進出経路に散らばっている連邦、ジオンのMSたちに警告する。

 

『なんだありゃっ!?』

『ヤバいぞっ、退け、退けっ!』

 

 先ごろまではギリギリ、シロッコの統制ある戦いを繰り広げてきた周辺の部隊が、蜘蛛の子を散らすように進路を開けようと後退行動に入る。

 もう、このエリアの戦線を再編することはできんな、とシロッコは見切りをつけて、各部隊にソロシップを再集結地点にし、集合せよ、と命じる。

 

『みて、シロッコ』

「ええいっ、私は今、部隊の再編を──」

 

 シロッコは、言葉を失った。

 要塞級に一瞬で肉薄した巨人が、その剛腕を叩き込み、まばゆい光とともに、かの人類の難敵をいとも簡単に真っ二つに切り裂いたのである。

 

『──イデ。あなたを正しく使える人類が、未来に現れるということなの?』

「あれは……何なのだ?」

『この世界を肯定する、思惟。あの光は、未来への光、なのです』

 

 シロッコは、ただ茫然とその光景を食い入るように見つめた。

 歴史に名を残す、などとのたまっていた己の矮小さを、なぜか強く感じた。

 そんなことにはなんの意味もないのだと、肩の力が抜けた。

 

『……キレイだな。オレは、好きだぞ。あれは、とてもいい輝きだ』

 

 うおおおっ! と雄叫びを上げるハインツ大尉の声が、シロッコのコックピットに響く。

 普段は馬鹿め、とハインツをバカにするだけのはずのシロッコが、拳を握る。

 なぜだろうか、体中が熱くなり、魂の衝動を抑えられそうにない。

 いまなら、我ら人類は、勝てる、と。

 ゆえに、拳を突きあげる。

 

「うぉぉぉおおおっ!!」

 

 シロッコは、叫んだ。

 堰を切ったかのように、戦場を征く兵たちの雄叫びが、コックピットに満ちる。

 疲れ果て、もうダメだと諦めつつあった兵たちの魂が、新たに奮い立つ。

 

 勝てる。

 勝てるぞ、とすべての兵士が、直観する。

 ボロボロだったジムとザクが拳を合わせ、光に向けて前進していく。

 ドムが、ゲルググが、ジムカスタムやジムキャノンが、シロッコの命令ではなく、自分の意思で戦列へと復帰していく。

 弱々しい砲火を五月雨式に展開していた艦艇らが統制を取り戻し、ソロシップを中心にして艦列を揃え、再び火力網を再構成し始める。

 人類は、まだ終わってはいないのだ。

 

「私は……初めて、人類に期待している……」

 

 シロッコは、目頭に何かを感じる。

 胸が熱くなり、体中に活力が満ちてくる。

 

『いこう、シロッコ。悪い夢から、醒めるときなのです』

 

 NT-1が、翔ぶ。

 シロッコのEWACジムがそれに続く。

 二人の姿をみた、ハインツも合流してくる。

 

 それだけではない。

 あのジャマイカンが、誰の指示も受けずに、ソロシップを前進させ、シロッコらの後背に就く。

 ソロシップを中心に再編された、自然発生的連合部隊は、光に向かって進軍する。

 これは後世において『奇跡の12月行進』と戦史に語られる事象であり、パプテマス・シロッコ大尉の名が中心人物として記載されるのだが……シロッコは、この時、自身がそのような歴史書の人物になることを知らなかった。

 彼は、その日の日記にただ、こう記している。

 

「もう一度、人類を信じてみようと思える日であった」と。

 

 

 

 

 光の中を、マゼラン級の艦隊と大量のモビルスーツが通過する。

 それに随行するペガサスの艦橋にて、ゴップは思わず席から立って、目の前で起きた大事件を凝視していた。

 イデオンソードか? なのに、あたたかく、優しすぎる。

 世界を滅ぼす一撃ではないのか? イデの意識は、イデの発動はなかったのか? とゴップは思考に大量の『???』をまき散らす。

 

 だが、何よりも最も恐れたのが、あの私情全開野郎が死んだのではないか、という点であった。ゴップは量子通信で、おい、返事しろバカっ! 勝手に死んだら殺すからねっ! と罵倒交じりの言葉を吐き出す。

 

 表情は一切変えていないつもりだが、兵たちチラチラとこちらを見ている様子から、少々抑えが効いていないようだが……そんなことはどうでもいい。

 あいつは、あのバカは無事なの? 

 

『おほぉぉっ!? なんだこの暖かな光はぁっ!? だが、心地よいから問題なしっ! 我ら殴り込み艦隊はぁぁぁッ!』

『銀河、最強ウゥゥウッ!』

 

 MAX状態へと至ったダグラス中将率いるマゼラン級殴り込み艦隊が、光の中を突き進んでいく。

 次第に光が弱くなり、ようやく宇宙空間らしき星の海が広がる。

 要塞級はどうなった? コアは? と参謀たちが戦況図や、各種情報を収集しているセンサ系モニタリングリスト、ブリッジの舷窓の向こうをそれぞれが凝視している。

 

『はわぁぁぁっ!! 前方巨大障害物! 分列行進っ!』と素っ頓狂なダグラス中将の大声。

『了解、奇数番艦は左方、偶数番艦は右方。そぉれっ!』

『ドッコイショオォォ! ドッコイショ!』

 

 前方の巨大障害物──すなわち、イデオンの巨大な腕である。

 これを回避すべく、殴り込み艦隊が想像していたよりもずっとスムーズに分かれていく。

 ゴップは、眼前に現れたイデオンの巨大な腕が、何かを掴んでいるのをみた。

 なにが起きたのか、じっと見つめていると、イデオンの掌が開かれた。

 そこには、一体の83式ボールが握られていた。損傷はないようだが──。

 

『よがっだぁぁ……』

 

 一般回線と混線? とゴップは眉を顰める。

 なんだか聞いたことがあるような声だからだ。

 この情けない声は──子飼いのシン大尉のほうだな。

 

「君、シン大尉につなぎたまえ」

「はっ」と通信下士官が回線をつなぎ、どうぞ、とゴップの席の子機をとるように促す。

 

 ご苦労、といい、ゴップは電話機型の通信機を手に取り、耳にあてる。

 

「シン大尉、状況を報告しろ」

 

 本当は、リュウ大尉はどうか? と聞きたいのだが、これは一般的な口頭による通信だ。そんなバカな質問をするわけにはいかない。

 

『閣下ぁ! 奇跡ですよ、奇跡ッ! イデが応えたんですよっ! イデは意思で、巨大な計算空間だから、チューリングマシンと同じ振る舞いだってできちゃうんです!』

 

 意味は、分かる。が、それは特殊な訓練をつんだガノタだけだ。つまり、イデにより、ビューティメモリの情報が完全性を保ちながらG細胞化した他世界の人類に伝わり、過去が再計算された、ということだろうか? そうであるならば、ゴップ自身が計画していた量子脳を使った対話作戦と、ほぼ同じ効果をえられたと評価できる。

 

 つまり、危機は、去った、ということだ。

 だが、なぜ、イデが応えた? 

 人の意思が集約する力場になっていたであろうことはわかるが、その雑多な意識を一つの方向へと向ける、何かがなければならないはずだ。

 

「……報告書にまとめ、後で提出するように。あぁ、それから、私の手駒として先行させた、ムラサメ研究所の連中はどうなっているかね?」

 

 落ち着いた声を意識して、出す。

 本当は、なによりも早く知りたかった。

 

『はっ、無事です。いやぁ、奇跡ですなぁ……そうだ、映像を中継しますよ。閣下にも見てもらいたくて』

 

 ゴップは、自席に備えられている薄型モニターを引っ張る。

 そこには、リュウ大尉が、極めて年若い女子と、機動戦士Zガンダム劇場版Ⅲのファとカミーユの如く、抱き合っていた。

 

 よかった、本当に、よかった……と、ゴップは天井を仰ぎ、深く息を吐いた。この体だと心臓に悪すぎる。

 

 そして、安堵したからか、突然、感情の抑えがだんだんと効かなくなってきた。

 

「シン大尉、あの女、誰?」

『閣下、口調、口調……あれは、アン少尉ですよ。ほら、ムラサメ研のカワイイ女の子です。覚えてません?』

「……」

 

 もちろん、覚えている。リュウ大尉をいつも小ばかにしていた、メスガキである。

 

 不意に、腹が立ってきた。

 あんた、この期に及んで、なにしてんの? そんなメスガキさっさと放り捨てて、あたしのところに戻ってきて、捨てられた犬みたいな顔を見せに来るのが先でしょうが。

 で、散々あたしの罵倒を聞いて、涙目になりながら反省したサルになって──あとでこっそり、あたしの私室に抱きしめに来るのが筋ってもんじゃないの? と、ゴップはカタカタと拳が震えるのを抑えられたない。

 

『それとですねぇ……閣下、これはちょっと内密に処理願いたいんですけどね』

「なに?」

 

 兵たちが、ぎょっとした顔でこちらを見ているが、もはやゴップは気にしている余裕がない。

 

『リュウ大尉、アン少尉を妊娠させちゃったみたいです。いやぁ、ガンダム、って感じですねぇ、閣下』

「──!?」

 

 ゴップは、通信子機を取り落とした。

 慌てて侍従兵が拾い上げるたが、ゴップの真っ青な顔をみて、衛生兵、衛生兵! と声をかける。

 

「……すまない、回線をノボトニー中佐につないでくれたまえ」

 

 どうしよう? あたし、あたし、捨てられた……? と呆然自失になりながらも、ノボトニー中佐の核問題に始末をつけなければ、と混乱したまま指示をだす。

 

「は、はぁ」

 

 通信兵が大丈夫なのか? といった伺いを、他の参謀たちに向けるが、まぁ、とりあえずは、といった空気がながれ、そのまま回線が切り替わる。

 

『こちらノボトニー中佐。出番ですか?』

「……出撃。目標は、あそこで抱き合っている破廉恥な連中だ」

『──なるほどぉ。確かに、あれは犯罪ですね』

 

 ノボトニー中佐がゴップから転送された映像をみて、月並みな感想を述べている。

 

「閣下っ!!? 敵群集団が、消え……消えて、いきます……!?」

 

 事情を知らない参謀団及び、将兵たちはパニックとも歓喜ともつかぬ歓声を上げる。ペガサスの艦橋は、歓喜に震えていると言ってもいいだろう。

 そんな中、ゴップはただ一人、漏れ出る怒りを抑えんと、フンスフンスと呼吸を荒くする。

 衛生兵たちが、閣下ぁっ!? と心配そうに血圧を測り始める。 

 

 ──宇宙世紀0083年12月13日0時00分、地球連邦軍および、ジオン公国軍は、有害鳥獣の共同駆除に成功したと発表。

 

 地球連邦軍、ジオン公国軍の双方が甚大な被害を受けた、という事実を隠せるわけもなく、地球連邦政府首相府と、ジオン公国の当代内閣は、共同で事実を公表することを決定。

 情報の整理に時間を要するため、という苦し言い訳のもと、宇宙世紀0084年1月末日に情報開示されることが決定された。

 

 人々は軍が甚大な損害をうける有害鳥獣などありうるのか? 本当は連邦軍、ジオン軍の軍事衝突が起きたのではないか、と、両国の大衆は訝しみ、メディアも真相に近しい物から嘘八百まで様々な特番を放送した。

 

 

 

 そして、宇宙世紀0084年1月末日、世界が動揺した。

 世界の動揺に呼応するかのように、その日、一人の男が目を覚ました。

 サイド6の軍病院にて集中治療を受けていた、地球連邦の次世代の星である。

 名を、バスク・オムという。

 病院の記録によると、予後の経過もつつがなく、PTSDの兆候も見られない、とあった。

 

 だが、それは、事実に反していた。

 

 バスク・オムは、単に目を覚ましたのではない。

 自分が、何をすべきなのかについて、目覚めていたのである。

 

 病院の中庭。小さなベンチに大柄な体が収まっている。

 植物療法の理屈に基づいて整備された緑の香りと、あたたかな日差しに包まれながら、彼は自分が戦った恐るべき敵の姿に思いを巡らせる。

 それはメディアで騒がれている宇宙怪獣でも、ましてやジオン公国ですらない。

 

 バスクにとっての敵は、恐ろしいまでに無能だった地球連邦政府及び、地球連邦軍である。

 彼は両手を合わせ、篤く信仰する南洋宗の経典を唱える。

 

 善因善果

 悪因悪果

 自因自果

 

 すると、彼の内なる仏様が、彼に優しく諭すように語り掛けてくるのである。

 

 廃悪修善

 

 世界を、よりよくするのです、と。

 バスクは心中で仏様に制約する。

 

 自浄其意

 

 私が、やります、と。

 

「──バスク・オム大佐とお見受けします」

 

 若い女性の声。信念の芽を育てている青い春の頃合いだろう。

 視線を向けると、そこには連邦軍の士官候補生の制服を着た女性が、敬礼している。

 バスクは、答礼して休め、と促す。

 

「楽になさい。いかにも、私はバスクだが……少佐だ。君は?」

「はっ、エマ・シーン士官候補生です。昇進の件はご確認なさったほうがよろしいかと」

 

 昇進? それよりも、あなたの美しい黒髪を、どういうまとめ方をしたらそのような特殊な髪形になるでしょうか? と訊くのはハラスメントだろう、とバスクは判断し、エマ士官候補生に言われた通りに、携帯端末で人事記録を見る。

 

 確かに、昇進していた。

 地球連邦軍史上最速の、大佐昇任である。

 推薦人は、ゴップ閣下と、閣下の幕僚団である。

 既に課程は修めていたので、椅子が空くのを待たされるかと思っていたが──軍人として誉れ高き殊勲戦功により、椅子が空くのを待たずして、己を迎えてくれたのである。

 

「(おらみてぇなやつを、ゴップ閣下は、ちゃぁんとみてんだなぁ。ほんどに、エラい人じゃぁ)」

 

 昇進したことではなく、己が軍全体のために最前線で敵に押しつぶされながら時間を稼いだことを正当に評価してくれたことに、胸をうたれた。

 下手をすればただの戦傷扱いされかねない、一介の前線士官の隠れがちな犠牲を、ゴップ閣下は大局的に価値があったことだと判断してくださったことになる。

 

 母に報告すれば、喜ぶだろう、と故郷を想うバスク。

 おらは、連邦のすんげぇ方に褒められたんじゃ、というたら、母ちゃんも一緒に泣いてくれるとね。

 

「いかがでしたか、大佐?」

 

 エマ士官候補生が、こちらをうかがっている。

 

「確かに。ところで、わざわざ私に昇進案内をしに来たわけではあるまい? エマ士官候補生」

 

 もしかしたら、感銘が顔に出ていたかもしれぬが、威儀を正して問う。

 

「はっ。とある方に進路を相談したところ、あなたの元へ行け、と」

 

 とある方? と訊ねると、紹介状です、とエマ士官候補生から古風な直筆の手紙を渡される。紙などというものは随分高くなったのに、とあきれながら差出人を確認する。

 

 アデナウアー・パラヤ参謀事務局長、とあった。

 

 ああ、と懐かしい面影が浮かぶ。

 いつも腹を空かせていたあの頃、容赦なく自分をボコボコにしながら、『立ちなさい。諦めるな』と無茶な指導をしてくれたことを思いだすと、胸が温かくなる。

 あなたのおかげで、私は強くなれました、と。

 

「パラヤさんとは知り合いかね? エマ・シーン士官候補生」

「はい。両親が小さな商社をやっておりまして、パラヤ参謀事務局長には様々な調達案件でお世話になっています」

「なるほど、場所を変えよう」

 

 少しばかり詳しく事情を尋ねてみるか、とバスクはゆっくりと席を立つ。仏様のご加護か、生身はかなり損傷したものの、移植された義足や義手などの機械部品との適合アレルギーもなく、いずれは元の体のように動かせるとリハビリ主任が言っていたが、まだ無理はできない。

 

「お手伝いします」

 

 訓練をうけた野戦救護法の要領で、バスクに肩を貸すエマ・シーン士官候補生は、バスクが紹介状を、とても大事そうに懐にしまうのをみた。

 

 

 

 彼女の手を借りて、ようやく病院内のカフェテリアへと移り、適当な席に座る。

 自動配膳の安いコーヒーがテーブルに並んだところで、再び話題を切り出す。

 

「──さて、君についてだが、御両親がパラヤさんと?」

 

 バスクがカップを手にとる。

 

「はっ。両親の商社は、パラヤ参謀事務局長が立案する各種復興福祉政策に伴う様々な需品サプライチェーンを提供しています」

 

 復興福祉政策というものは困った人々に金を配ることではない。

 衣食住と医療、教育の五本柱を機能させるべく、支援地域ごとに地域復興支援事務所を設立し、現地スタッフを雇用し、難民向け簡易住宅と学校、病院の建設し、さらに人々の経済事情を再起させるべく、難民に対して様々な小規模金融事業を行い、経済的自立を促す仕組みを組み上げるのである。

 ここまでやって、ようやく、各戸給付金の話が出てくる。福祉=金と現物給付、という考え方は、人々を奴隷として飼い馴らす政策であり、連邦政府が意図する福祉政策とは相いれない。社会福祉とは、苦しい状況へと至った人々が再出発できる社会を整えることなのだから。

 社会を整える、ということは、当然、モノとカネが動く。

 

「──相変わらずだな、パラヤさんは」

「はい。パラヤ参謀事務局長は、尊敬できる方です」

「ソロモンなんぞジオンに売ればいい。そうすれば連邦のコロニーに対する福祉政策が充実し、スペースノイドがどうという反乱騒ぎなぞ立ち消える──とか、相変わらず言ってるのではないかね?」

「はい、よくご存じですね」

 

 いまのモノマネはとても似ていました、と快活に笑うエマ・シーン士官候補生。 

 

「あの人は、昔からそうだからな」

 

 福祉政策というものは、思想が強く現れる。

 大別して三つ。保守主義、自由主義、社会民主主義である。

 その中で、アデナウアー・パラヤが最も忌み嫌っているのが、保守主義に基づく福祉政策である。

 

 福祉の大元は皆が身近に属する家族や親族、企業で、というのが保守主義に基づく福祉政策の根本である。この思想のもとに行われる福祉政策では、家族や親族、企業らのコミュニティに一次負担を求め、それに頼れぬものに福祉政策に基づく給付が与えらえれる。かつての日本やイタリアがそのような価値観だった。

 経済がうまく回っている時ならば多少なりとも機能するが、経済が回らなくなると国家存亡レベルの危機を迎えるという特徴がある。

 

 福祉を求める人々が増える不況下において、家族や親族らは、自身らも経済的苦境にあるにもかかわらず支援を求められ、企業は苦境下にあるにも関わらず雇用を維持せねばならない──これは家族や親族、企業などの原始的なコミュニティーにとっての純粋な負担の増加であり、収入が減っている状況で、さらに負担を求められるという状態を意味する。

 このようなものが持続可能なわけもなく、国家の経済政策の失敗に伴う負担を押し付けられた家族や親族のコミュニティは崩壊し、企業における新規雇用は絞られ、既存雇用は特権へと変質し、流動雇用は低賃金の奴隷制度へと変わる。

 

 これはローマ帝国における帝国末期の世情とほぼ同じであり、怠惰な政治家と官僚集団による醜悪な不作為の芸術品だよ、とアデナウアー・パラヤは、破綻状態を収拾できず連邦へすがるように加盟することで国家主権を失い、自治州へと成り下がった旧国家群を鼻で笑っていた。

 

 パラヤのことを知らぬものからすると嘲笑にもみえるが、バスクには分かっていた。

 アデナウアー・パラヤは怒っていたのだ。

 福祉政策には様々な種類があり、それを選択するのは国民なのだから、選べ、と政治生命を賭けられなかった政治家たちを憎んでいた、と言ってもいい。自由主義的福祉や、社会民主主義的福祉へと移行することもできる、それで未来はマシになる、と国民に語りかけ、未来を引き受けると約束する政治家が現れなかった悲劇を、この宇宙世紀に繰り返すわけにはいかぬ──とアデナウアー・パラヤは信念を持っているのだろう。

 

 当時のバスクは、そのようなアデナウアー・パラヤの持論に懐疑的であった。

 民主主義における結果責任は、大衆自身が引き受けることになる。それこそ民主主義の道理というものではないか、と生意気にも反論したことがある。

 

『バスク候補生。君が貧しい生まれで、苦労していることは、君の責任なのか?』

 

 あの時の、パラヤ教官の悲しそうな声は忘れられない。そんなことはないだろう? そんなことは、許されてはいけない、と断言するパラヤ教官の言葉に、バスクは救われた。胸中にあった己と愛する母を責めてしまう、自己責任の呪縛から解き放ってもらったのである。

 

 おらが貧乏なんも、おらが虐められるんも、おらのせいじゃねぇ……? と。

 

 訓練といじめに追い詰められて、たびたび校舎裏の物置小屋に隠れて泣いていたバスク。

 どういうわけか、いつもパラヤは目ざとくそれを見つけて、扉越しに、このようなややこしくて難しい話をよく語っていた。

 隠れて散々泣きはらして落ち着いたバスクが、慰めてくれてもいいじゃないですか、と腹を立てながら扉をあけて出てくると『負けるな』とメモが張られたスポーツドリンクのボトルが置かれていたのを思い出す。

 

「……パラヤさんも、頑張っているのだな」

 

 懐からパラヤからの紹介状をとりだし、目を通しながら、パラヤがエマ・シーンをどういう理由で自分の元へこさせたのかを理解した。

 

『──バスク君、私はエマ・シーン士官候補生のご両親には借りがある。この借りを返すべく、君にエマ・シーン士官候補生を託す。君の後を継げる優秀な将校になるよう鍛えたまえ。なお、断る権利はないはずだ。君は、私に借りがあるからね。必要な人事権はこちらで裁いてやる──追伸。大佐の階級章を制服に縫い付けたら、見せにこい』

 

 あの人らしい尊大な手紙に、バスクは思わず笑みをこぼす。

 エマ・シーン士官候補生が、どうかなさいましたか? まさか変なことが書いてあったんじゃ……と不安そうにこちらを見ている。

 

「いや、君のことは良く書いてあった。君の助けになれ、というご命令だ。それが何を意味しているか、分かるかね?」

 

 エマ・シーン士官候補生は、大変なことになったぞ、と肩をこわばらせ、拳を握っている。

 

「それは、その……バスク大佐が、私の後援を引き受けてくださる、ということですよね?」

 

 自身なさげに、上目遣いで確認してくるエマ・シーン士官候補生に、若さと未熟さを覚えるバスク。まずはハッタリでかまわないから、堂々とさせるところからか、とバスクは教育プランを見積もる。

 

「そうなる。かのゴップ閣下がクリスチーナ・マッケンジー氏を推しているのと同じだ。君は、私とアデナウアー・パラヤ氏の後押しを受け、将来の地球連邦軍統合幕僚会議の議長席を狙ってもらう。覚悟はあるかね?」

 

 バスクはあえて、腕をくみ、圧を与える。

 2m近くある、筋肉に覆われた大男に睨まれると、士官候補生程度なら簡単に怖気づいてしまうものだ。

 しかし、エマ・シーン士官候補生は違った。

 その可愛らしい瞳を頑張ってキッとさせながら、バスクを見返すのである。

 

「そのくらい、やって見せますっ! マッケンジー先輩の後追いになりそうなのが悔しいですけれど……」

 

 ぐぬぬ、と頬を膨らますエマ・シーン。彼女とクリスチーナ・マッケンジー氏の間に何かありそうだ。彼女もマッケンジー氏も、バスクには全く縁がなかった良家の子弟が入校しがちなナイメーヘン士官学校出身であるから、何らかの形で知り合う機会もあったのだろう。

 

 そういえば、と、バスクは先ほどエマ士官候補生にうながされて確認した人事記録に、自分と同じく殊勲戦功と評価されていたクリスチーナ・マッケンジー少佐の名があったことを振り返る。

 

 バスクが稼ぎ出した時間が、アルファ任務部隊及び、殴り込み艦隊による特攻作戦に資したことを誇りに思うと同時に、とても頼れるライバルがいることを喜ばしく思う。

 

 おそらくマッケンジー氏は、大佐昇任のための資格要件を満たすべく、ゴップ閣下の手で幹部高級課程に放り込まれるか、ジオン王立デギン軍事大学の博士課程へと留学させられるだろう。

 ゴップ閣下の息がかかっていることを考えると、敵を知り己を知らば百戦危うからずを地でいくであろうから、ジオンへの留学コースで確定、か。

 

 となると、連邦軍の最年少大佐昇任記録をバスクが保持できるのは、2年もないだろう。

 彼女は優秀だ。マッケンジー氏が1年程度で博士号を取得する可能性とて、十分あるのだから。

 

「あれ? 大佐、私物端末が震えてますよ?」

 

 連邦にも人材がいるのだな、とバスクはホクホク顔になっていたため、テーブルに置いたままの通信端末のことなど注意を払っていなかった。

 失礼、とバスクはエマに述べて、私物の通信端末をとる。

 

 ──ジャミトフ・ハイマン閣下? 

 

 兵站畑と軍政畑を突き進んだあの方が、一介の武官に過ぎぬ己に何用だろうか? と、バスクは訝しみつつ、通信を開いた。

 




おわ、おわったぁ……次回から、シン/機動戦士Zガンダムやりまぁす。

※古典に通じているガノタの方へ。
B-CLUB87号~127号まで井上幸一様が連載していた『宇宙世紀小monoグラフ』について、何処かにまとまっていると訊きました。まとまっている文献をご存じの方、教えてくださいお願いします……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シン/機動戦士Zガンダム
第六二話 0084 政治の季節Re.1


その威力、神の接吻

『ペルソナ3』より。


 

 覆面をかぶせられてエレカに乗せられた一人の男が、暗いジャブローの迷路を護送されている。

 目的地は、一年戦争時代に損害を受けたまま放置されていたオフィスビル。

 かろうじて電気が生きているそのビルの前で、エレカが停車する。

 

 MP、の腕章を付けた兵士たちが、男の覆面をとることなく、彼を連れてビルの中へと入っていく。

 とある一室に連行された彼は、床に固定された椅子に着座させられ、厳重に手錠と足かせで連結される。

 

「もう、それはいい」

 

 部屋の主の声。

 MPの腕章を付けた兵が、男の覆面を乱雑に取り払う。

 よく見知ったる男の姿を、部屋の主たるゴップがにらむ。

 

「──ゴップ閣下」

 

 男が、頭を下げる。両手を縛られた彼なりの、礼節であろう。

 薄暗い照明の下、壁に背を預けて立つゴップの表情はみえない。

 

「ご苦労。退出しろ」とゴップが兵たちに告げる。

 

 何かあれば、ボタンを押してください、とMPらはゴップに口うるさく注意をして、退出していった。

 

「リュウ、好きにしゃべっていいわ。手は回してある」

 

 ゴップがつまらなそうに告げる。

 

「……何から何まで、すまない」

 

 その一言を受けたゴップは、そうね、と一言だけ答えて、リュウの傍による。

 そして、強烈な張り手を一発、リュウの顔に叩きもむ。

 リュウの唇が切れ、血が飛ぶ。

 

「今のは、挨拶。さて、申し訳ないけれど、リュウ・ホセイの出番は終わりね。あなたは連邦軍の組織秩序を脅かすほどに好き放題やらかしたわ」

 

 リュウには自覚がある。

 罪を散々重ねた。

 どれほど罪を重ねようとも、あらゆる手段を使って、サララを生存させる。

 その目的は叶い、いまこうやって彼女と対面できているのだから、悔いはなかった。

 

「君が生きているだけで、俺は満足だよ」

 

 さらに、平手打ちが飛ぶ。

 血の飛沫が、床を汚す。

 

「……今のは、サララとしての一発」

「効いたよ。強烈だ」

「そう。じゃ、本題に入るわ」

 

 リュウ・ホセイには死んでもらう、と断言するゴップ。

 すでに秘密査問会に付され、さらに非公開の秘密軍法会議によって死刑を宣告されている。

 もちろん、裁判官たる将官はゴップ。

 弁護役から検察役まで、裁判を構成する人員はすべてゴップの息のかかったものたち。

 起訴事実に基づき、弁護役は防御を行い、検察役は罪状に資する証拠をすべて提示。判決に至るまでのすべての供述、承認、証拠はすべて記録に残され、死刑判決が下った。

 この記録が開示されるのは関係者が軍を去る40年後。

 そこでようやく機密解除になるよう、仕組まれている。

 

「死刑執行日は今日。いまここで、リュウ・ホセイは死に、遺体は正式に検視手続きに回されるわ。まったく、あんたのせいで、あたしの手駒をすべて再編することになったわ」

 

 扉が開き、リュウがよく知っているムラサメ研究所の研究員たちが部屋へと入ってくる。

 次々と運び込まれてくる医療機器。

 部屋に満ちる薬品の匂いに、リュウはムラサメ研究所の実験室を思いだす。

 

「──閣下、始めても?」と義体移植の専門家たるビショップ博士。

「やれ」

 

 ゴップが退出する。

 扉が縛り、手術台へと移されるリュウ。

 頭髪をすべて剃られ、頭皮にマーカーが刻印される。

 

「じゃ、おやすみ。また今度焼肉でも食べに行こう」

 

 ビショップ博士が、リュウの口と鼻を覆うガス吸入器を当てた。

 

 

 

 宇宙世紀0084年2月中旬、地球連邦軍では大きな人事異動があった。

 連邦軍統合幕僚会議議長たるゴップ大将が、議長席をレビルへと譲ったのである。

 宇宙怪獣による損害を抑えられなかった責任を問う世論に応えるサンドバックが必要だろう、とゴップ自身がその役割を引き受けたのだ。

 一年戦争の英雄にして、最前線で特攻作戦まで指導したゴップが責任をとる、という事態になるとは地球連邦市民も想定しておらず、振り上げたこぶしをどう振り下ろしていいのか分からぬままに、世論は困惑による鎮静化へと向かう。

 

 とはいえ、ゴップ大将は退役したわけではない。

 彼は次の手を打っていた。軍の主導権は渡すが、院政を引く準備をしていたのである。

 

 ゴップが統合幕僚会議議長退任の式典に参加し、適当な挨拶を済ませたのちにむかったのは、地球連邦政府首都たるダカールである。

 

 ダカールは古代よりアフリカ西部の重要拠点として発展してきたが、宇宙世紀、そして一年戦争を経て、より一層重要なものになりつつあった。

 それは、地球連邦の地球戦線におけるアフリカ戦線の橋頭保機能を有している点にある。

 一年戦争はどちらかの圧勝に終わったわけではない。地球圏では北米とアフリカ東部、南部をジオンの支配下に編入されたままなのである。

 ジオンとの政治交渉があるにせよ、建前として、地球連邦政府の首脳たちは地球圏及びスペースコロニー圏の統一政体であることを掲げているので、ジオンに屈さず、のポーズを示すべく、最前線に極めて近いダカールを首都と定めている。

 

 最前線ゆえに、常に入念な開発が行われているダカールを象徴するがごとく、工事中の区画が目立つダカール国際空港。民間機の離着陸を許す空港でありながら、空港のいたるところに配置された防空システム群とMSの姿から、そこが実質、軍の施設であることを示している。

 滑走路に降り立ったディッシュ連絡機から、副官の大尉と、スーツスタイルの秘書らしき女性に先導されたゴップがタラップを降りる。

 地球連邦政府首相府の閣僚らは、リムジンで滑走路に乗り付けると、わざわざ車外に出て、ゴップを拍手で出迎える。

 事前に政府主導でリークされていたわずかな報道機関が、スクープ、という形でゴップの首相府首席安全保障担当補佐官就任を配信する。

 

 そして、用意されていた長大なリムジンの後部座席にゴップが乗り込む。

 続いて秘書の女性が滑り込み、副官の大尉が周辺を確認しつつ、自らも乗り込み、ドアを閉める。

 

「長旅、お疲れさまでした。ゴップ閣下」

 

 運転席と客室を隔てる窓が下りる。

 運転席にてハンドルを握るのは、ゼロ中尉であった。

 

「うむ。ご苦労。アン少尉は元気かね?」

「はっ。閣下のおかげで、訓練に励めているようです」

「SAC(Special Activities Center 特別行動局)に所属できることを喜べ、と伝えたまえ。私が存分に使ってやる」

「ははっ、こりゃ大変だ」

 

 電動音ともに、隔離窓が再度上昇し、客席と運転席が隔てられた。

 同時に、車両にわずかな慣性。

 車列は首相府に向けて前進中である。

 対面には副官の大尉が座り、隣には秘書官のイングリッドが座る。

 

「──大尉、新しい体の調子はどうかね?」

「馴染むまであとひと月ほどかと。従前どおりMSを使えるようになるには、さらにひと月ほどいただきたく」

 

 今後のこともある。無理はさせられないが、早くなじんでもらわねば困るな、とゴップ。

 

「貴様にはやってもらわねばならんことが山ほどある。休めると思うなよ」

「はっ」

 

 大尉が制服に縫い付けている名札には、アラン・スミシーと書かれている。これほど露骨なネーミングだとかえって印象に残るらしく、出会う人々にことごとく『本名ですか?』と大尉に訊ねるものも多い。

 さて、どんな言い訳を大尉がするかな? と楽しむのも、ゴップの息抜きである。

 

「イングリッド。今日中に対処すべき事案を」

「はい、お父様」

 

 イングリッド・ゴップ嬢が、ゴップが手にしている情報端末に目を通すべきすべきドキュメントを整理して渡す。首相とのミーティングに備えての各級機密資料のみならず、必要があれば首席安全保障担当補佐官として、軍や情報機関に準備命令を出す権限も与えられているため、決裁をすべき事案も多いのである。

 

「ふむ、これなら間に合いそうだ。イングリッド、予定を少々早められるかね?」

「はい、お父様。皆さま、喜ばれると思いますわ」

 

 イングリッドはゴップの行動予定表を調整する。

 首相府訪問後に、未定、となっていた、とある式典に出席と記入する。

 

 

 

 首相府は低層ビルとして設計されている。連邦市民を見下ろすような高層ビルはふさわしくない、という広報戦略上の理由ではない。工学的に、高層ビルは安全保障上のリスクが大きいからである。

 上空から見下ろせばわかるが、ダカールに設置されている首相府は、砂漠の緑化、という名目で周辺に整備されている広大なバイオサイエンスの結晶たる自然公園に周囲を囲まれている。

 さながら緑の包囲網であるが、これは必要に応じて垂直離着陸機や、ヘリ、MS部隊や防空戦闘部隊が展開可能なように余剰交戦想定地域として設計されているものである。

 

 さて、リムジンタイプの車列が首相府のエントランス前のロータリーに続々と駐車し、閣僚たちが秘書や事務官などを引き連れて、ぞろぞろと首相府のエントランスに吸い込まれていく。

 

 ゴップもまた、閣僚らに合流すべく、車両を降りる。

 降車したゴップに続き、副官の大尉と秘書が随行する。

 

「ゼロ君、次のピックアップは地下で御願いね」とイングリッドが声をかけている。

「了解」と、ゼロのリムジンが走り去る。

 

 

 

 ゴップらは首相府のエントランスに集合し、マスコミ向けの写真撮影を済ませる。

 地球連邦政府の閣僚級人事刷新に伴う、古式ゆかしき儀式である。

 写真撮影が終わると、閣僚に対するぶら下がり会見である。

 

 ゴップの周りにもメディアの記者たちが集まり、マイクとカメラを向ける。

 この際、メディアは自由に質問できるわけではない。事前に参加するメディアは幹事会社を決めて、質問をまとめて幹事に渡すのである。ゆえに、質問するのは幹事会社の記者、ということになる。

 

「リベルラーラ通信のモーリン・キタムラです。ゴップ首席安全保障担当補佐官に伺います。有害鳥獣、いえ、地球外生命体の存在を受けて、今後の地球連邦の安全保障政策に抜本的な変更はあるのでしょうか? お答えください」

 

 少し声が上ずっているモーリン・キタムラ記者の様子をみるに、あきらかに新人であることが伺われた。おそらく、先輩やほかの記者たちに鍛えられているのだろう。この場で幹事記者として質問させられているのもまた、修行の一環、といったところか。

 

「先に結論を。地球連邦政府としては、ますます軍縮を強く推進していきます。ジオン公国との年次軍縮会議のペースとは別に、連邦政府独自の軍縮計画を実行することになるでしょう」

 

 ゴップの回答を受けて、モーリン記者がさらに質疑を重ねる。

 

「軍縮の推進によって、地球外生命体対策が疎かになったり、地球連邦政府の統治下における紛争事態に対処できない可能性などが考えられますが、その点はどうお考えですか?」

「──それは二つの質問をしていますね。まず、地球外生命体対策ですが、今回の戦訓を踏まえ、対策組織たるティターンズを設立して備えます。詳細は報道向け資料を参照するとともに、ティターンズ司令、ジャミトフ中将にお尋ねください」

 

 ゴップは、一息ついてから、二つ目の質問に答える。

 

「次に、紛争対策の件です。これは因果が逆転していると考えます、強力な軍事力による抑止戦略ではなく、政治部門による政策にて様々な社会基盤再建のための支援政策を実施するとともに、復興地域に関する減税政策と財政投融資を組み合わせることで、闘争を選択するコストよりも、平和を選択するベネフィットが多い社会を作ることで、抑止していくべきである、と考えます」

 

 これも、詳細については報道向け資料を参照するように、とゴップが促すと、イングリッド秘書官が「資料データはあちらのコードを読み取ってください」とメディアに呼びかける。

 

「ご回答ありがとうございます。最後に、一点。木星、火星など、地球圏ではなく、太陽系開発について、地球連邦軍をそれらの地域に駐留させる予定はありますか?」

 

 面白い質問だな、とゴップは思うが、付き合っていられる時間はそれほどない。

 本来であれば、軍縮を受けて民間の報道機関に再就職したであろうモーリン・キタムラ元伍長に対して多少の埋め合わせ回答くらいはしてやりたいが、物事には優先順位というものもある。

 

「その件は、情報関連官庁からの報告を精査してからになります。状況があるのなら、ためらわず派遣、駐留の選択肢をとるでしょう」

 

 はい、ここまでです。と警備員たちが記者とゴップらの間に入り、群れを切り離す。

 ゴップはその足で首相府1階にある首相執務室へと向かう。

 歴代の首相や大臣らの顔写真や肖像画が飾られた廊下を進み、スーツを着用したSPらが厳重に警備しているゲートへと至る。

 

「ゴップ首席安全保障担当補佐官、首相がお待ちです」

 

 規定通りにゴップがゲートをくぐる。

 続いて、副官の大尉とイングリッド秘書官であるが、二人は武装しているため、それをSPに預ける。SPらは両者が携行しているのは拳銃くらいだろうと思いきや、イングリッドが内ももにナイフを仕込んでいたり、副官の大尉が携行していたアタッシェケースからサブマシンガンが出てきたりと、SPらを困惑させた。

 そして、二人がゲートをくぐる。

 副官の大尉は問題なかったが、イングリッドだけが引っかかる。

 

「あら、失礼」とイングリッドは、豊かな胸元に隠していた小型の暗器を提出する。

 

 ようやくゲートを通過した三人を見送ったSPらは、預かった装備を見て、護衛も兼ねているということか、と結論づけた。

 

 

 

「会えるのを楽しみにしていました、ゴップさん」

 

 首相執務室の金属製のドアが開く。

 そこにはスーツを着た女性と、秘書官の男性による出迎え。

 沈黙を破る第一声は首相による歓待の言葉であった。

 

「こちらこそ、首相閣下」

 

 ゴップと首相が握手を交わすと、儀礼もそこそこに、ゴップら三人は立派な執務机の前にある、円卓へと案内された。

 この円卓こそが、首相府における様々な討議と決断を見守ってきた静物なのである。

 

 ゴップら三人は椅子に腰かける。

 歓待する胡玉河首相は、アジア系女性として初めて連邦首相に就任した人物であると同時に、南洋宗の強力な後押しを受けている政治家でもある。彼女自身も厚く南洋宗を信仰していることを公言しているため、アジア太平洋地域では岩盤地盤をもち、中東付近の連邦市民からの支持は薄い、という状況にある。

 

「胡首相閣下、この度は──」と挨拶をしようとするゴップを、首相が制する。

「ゴップさん、仕事の話をさせてもらいますね。我々の一分一秒はすべて連邦市民の負託にこたえるべく活動するよう求められています。そうでしょう?」

「確かに」

「ゴップさん、この件についてどう対処すべきか、ご教示くださると助かるのですけど」

 

 首相が提示してきたのは、イングリッドより事前にレクチャーされていた件であった。

 ギレン・ザビ暗殺計画──ジオン公国内にいまだくすぶる反ザビ家問題に関して、近々、ギレン・ザビを標的としたクーデター騒ぎが起きるのではないか、というEFCIA(連邦中央情報局)からの警告であった。

 

「……報告を上げてきているEFCIAが自分で火をつけている、ということはないですね?」とゴップ。

 

 地球連邦政府中央情報局は、ゴップと相性が良くない。

 一年戦争時、ゴップが連邦軍安全保障局、偵察局、軍事情報局などの軍隷下諜報機関を運用して捕虜となったレビル将軍を救出した。

 だが、これが政府側情報機関であるEFCIAにとっては自らが主導すべき作戦をゴップにかすめ取られた形になり、しばらくの間政府予算が削られていたという組織的恨みのようなものが無いわけではないのだ。

 

「不幸なすれ違いがあったようなので、EFCIAの幹部職員は入れ替えておきました。ゴップさん好みの現場上がりが中枢についているので、政治の色気は出さないはずです」

 

 胡首相はそういうが、とゴップ。首相は信じますが、組織というやつは謎の意思を持つのよねぇ、と連邦軍が一枚岩ではないように、EFCIAとて一枚岩ではなかろう、と判断する。

 

「まぁ、構いません。首相閣下が、私に首席安保の地位を用意してくださったことを存分に使わせていただきます」

 

 首席安全保障担当補佐官の権限は、その長い肩書相応に広く、深い。

 最高機密指定情報を提出するよう命じることができる相手は、EFCIA長官、国防長官、地球連邦軍統合幕僚会議、司法長官、国務長官、財務長官ら、連邦政府および軍、情報機関、主要行政機関すべてに報告を求めることができる巨大な権限を有する。

 

 さらに、首相の委任さえあれば、これらの関連省庁すべてを巻き込む安全保障にかかわる戦略の立案と実施まで命じることができるのである。

 

 つまり、ゴップが必要だと考え、首相さえ説得できれば、ゴップは再びジオン相手に開戦することすら可能なのである。

 

「お願いしますね、ゴップさん。レクはいつになります?」

「明日の大統領日報でご確認できるかと」

 

 うげっ、という表情を浮かべる副官の大尉。ゴップは脳量子通信にて、仕事をすべて彼に押し付けておいたのである。

 

「さすがゴップ閣下。もしや、事前に情報を?」

「つい先日まで軍の情報機関を好きに使っていた立場ですからな」

「たしかに。あら、時間ですね」

 

 ゴップと首相は握手を交わす。そのわずかな間に、副官の大尉とイングリッド秘書官は首相の事務方と必要な情報やドキュメントのやり取りを済ませる。

 どの官庁や機関に務めようとも、官僚たちには『ロジを詰めろ』という言い習わしがある。

 これは、事前に準備できるものは全部準備し、政治家たちが不用意な言動や行動を出さぬようヒト、モノ、カネ、ジカンを詰め込んでおくことを指す。ロジ詰めが甘いと、大臣は珍答弁をしたり、妙な時間に得体のしれぬ人物と出会ってスキャンダル騒ぎになりやすい。

 

 会談に費やされた時間は30分程度であったが、これも副官の大尉とイングリッド、そして官邸側の事務官らによる長い調整の結果、生み出された30分なのである。

 ついで、首相執務室のドアを通ってきたのは、財務長官とそのスタッフ、そしてジャミトフ中将他ティターンズの軍人たちであった。

 もちろん、このすれ違いもまた、副官の大尉とイングリッドのロジ詰めによって実現していることである。

 

「やぁ、ジャミトフ君。おや、バスク君も」

 

 ゴップが二人に軽く挨拶をすると、ジャミトフとバスクは、背筋を伸ばして敬礼する。

 本来であれば首相に対して先んじて敬礼すべきである、というのが儀典要領なのだが、ゴップが議会名誉勲章を佩用しているため、すべてに先んじて敬礼を受けることになるのである。

 なぜなら、議会名誉勲章は連邦議会、すなわち立法府が与えた勲章であるからだ。民主主義と法の支配という二大権威を奉戴する連邦議会から与えられる最高勲章は、行政府の長である首相の権威よりも重いのである。

 

「ティターンズの件は、あまり先走らないように。私は大いに期待しているが、凡人の嫉妬というものは案外侮れないものだぞ」

 

 ゴップが軽い口調で声をかけている傍らで、イングリッドと副官の大尉が、隊付実習のエマ・シーン見習士官にゴップとの連絡窓口、こちらから渡せる情報の射程、こちらが要求する情報についてのリストなどを、素早く渡す。

 

「え、あっ……」と、慌てて端末で受信処理をするエマ見習士官。

「エマ見習士官、閣下への敬礼はどうした?」とバスクが諭す。

「あ、え、申し訳ございませんっ!」

 

 てんやわんやのエマ見習士官が、固く縮こまった情けない敬礼をする。

 すかさず、バスクがエマを叱責する。

 

「堂々とせんか。実戦の場は、閣下なんぞよりずっと恐ろしいぞ。猛火の中、涼しい顔で兵を率いるのが、貴様のあるべき姿だ。貴様の姿を、兵たちはいつも見ているのだぞ」

 

 バスクの厳しい叱責に、しゅんとなるエマ見習士官。

 だが、決して自信を喪失したわけではなさそうである。

 

「まぁまぁ、バスク君。首相や将官に大臣。若いエマ君には少々酷な場ではないかね?」と、ゴップは助け船を出す。

 

「はっ! 失礼したしましたっ!」とバスクが頭を下げる。

 

 君にも、私は大いに期待しているからね、とゴップが頭を下げたバスクの肩をポン、と叩くと、バスクが感極まったようにうつむく。

 

「あら、大佐だって威儀を保ててませんよぉ?」

 

 つんつん、と肘でバスクを小突くエマ見習士官。

 なんだとっ! 閣下にお褒め頂いて感動しない兵などおらんわっ! とでかい声を出すバスクに、ジャミトフが苦笑する。

 

「閣下、そこまでに。我々も首相と仕事があるのです」とジャミトフ。

「おお、すまんな」

 

 はっはっは、と笑うゴップ。

 このくだらない雑談の間、首相と財務長官はただ待たされている形になる。

 これこそ、イングリッドと副官の大尉が狙ったことである。

 ゴップを閣僚に加えた、つまり部下にした、という認識を持ってもらっては困るのだ。

 地球連邦軍の軍人たちは、誰に敬意を払うのか。

 軍のエリートたちは、どれだけゴップと親しいのか。

 ゴップはどれだけ軍の人心を掌握しているのか。

 それを、首相に分からせるタイミングが必要だと、イングリッドと副官の大尉が画策した結果がこれである。

 

 地球連邦軍という巨大暴力装置が、なぜ暴発して軍部独裁へと至らないのか。

 その重石は誰なのか。

 首相には冷静に、判断してもらう機会が必要なのである。

 

 

 

 地下駐車場にて、ゼロ中尉が運転するリムジンに乗り込んだゴップら三人は、予定していた式場へと向かう。

 メディアに気付かれぬルートを通り、車が地表へと至る。

 セキュリティゲートをいくつか潜り抜けて道なりに進むと、自然公園の湖畔へと至る。

 

 ゴップは窓の向こうに広がる、青々とした湖をじっとみている。

 白鳥の群れが水面に降り立って、なにかをついばんでいた。

 

「つかの間の平和とやらを支える仕事は、面倒しかないわね」

 

 ゴップは大尉のほうをみる。

 大尉がさっと、リムジンについているドリンクバーからホットコーヒーを抽出し、ゴップに手わたす。

 

「……いい景色ね」とゴップ。

「なぁ、今度の休日、ここを歩かないか? ボートなんかものってさ」

 

 大尉の誘いに、ゴップは目を閉じて、深呼吸をする。

 

「イングリッド、次の休日はいつ?」

「ええっと、2か月ほど先になりそうです」

「は? ちょっとあんた、ちゃんとロジ詰めてから提案しなさいよ?」

 

 げしっ、とゴップの足が、対面の大尉の脛を蹴りとばす。

 ぐぬぬ、とうずくまりながらも、大尉は言葉を続ける。

 

「いやいやいや、あのさ、今週末、みたいな立場じゃないだろ、俺たちは」

「何生意気な口調になってんのよ。あたし、あの件、べつに許したつもりないんだから」

 

 大尉が頭を抱える。

 いったいどうすりゃ許してもらえるんだ? と大尉は訊ねるが、知らないわよ、と一蹴されている。

 二人の間にあるくだらないわだかまりについては犬も食わない、と思っているイングリッドは、退屈そうに二人のやり取りを聞き流す。

 そもそも、女に弱みを握られたら男は一生どうしようもなくなるものだ。男女が紡いだ歴史とやらがそう告げている。こうなると、男は未来永劫、女が思うタイミングで「あの時だって」や「あの時、傷ついたんだから……」という伝家の宝刀で薙ぎ払われて沈黙せざるを得なくなるだろう。

 

「……そういえば、新しい義体、出来たのか?」

「何よ? 話題変更攻撃? 残念ね、それはあたしには通じませーん」

「いや、ほら、デートするときにさ、ゴップの体のままだとどう考えてもまずいだろ?」

「……今は宇宙世紀よ? おっさんがメンズとデートしてても、誰も何も言わないわ」

 

 話題変更攻撃直撃ィッ! とイングリッドは脳内で実況中継を始める。

 アラン大尉の得意戦術、話題変更が決まったぁ! さて、ゴップこと、サララ選手はどうでるか!? 

 

「おかしいだろ。俺が君を抱き寄せてキスしたとする。そしたら、翌朝には副官とゴップが出来てるって記事になるんだぞ」

「キス、してくれるの?」

 

 おおっと、これは強烈だぁっ! サララ選手得意のカウンター技、乙女の純情がでたぁ。

 おっさんのなりで、うるんだ瞳で大尉を見つめながら、生娘のような振舞ッ! 

 いやぁ、これは脳が壊れますねぇ。

 解説のゼロ中尉、この勝負の流れはどうなると思いますか? などと、運転席のラジオにイングリッドが自身の実況を流すと、客室と運転席を隔てる窓がウィ~ン、と開いた。

 

「アラン大尉、その人の後でいいから、僕ともデートして欲しいな」

 

 おぉっと、ここで強力なイケメンが乱入だぁっ! 

 世界中のBLドージンシをアーカイブした私への、神からの恩寵でしょうか? 

 すばらしいですねぇっ! いまのアラン大尉の顔は、あきらかにサララ好み。さながら織部好みに仕立てられた織部焼の如く、完全にサララの趣味全開でデザインされた、彼女専用色男っ。

 つまり、私好みでもあるわけだぁ。

 ゼロ君のすこし繊細さと影があるイケメン具合と、サララ好みの色男……これは、いい作品が仕上がりそうですねぇ。宇宙世紀コミケは安泰でしょう。いやぁ、乱世乱世。

 

「……イングリッド、声が出てるわよ?」

「え?」

 

 沈黙が、場を支配する。

 うぃ~ん、とウィンドウが上がり、客席と運転席が隔てられた。

 

 黙り込んだ4人が乗ったリムジン型エレカは、予定時刻より早く会場へと到着する。

 駐車場は満車だったが、新郎新婦らに特別招待されているゴップが招待状を係員に渡すと、丁重にVIP用の駐車場へと案内された。

 

『テメェら、飲んでるかぁぁ!?』

『ウェェェェイッ!』

『フォォォッ!』

 

 ヤザンの荒々しい声と、ダンケルとラムサスの合いの手が青空へと響いている。

 この結婚式のゲスト待機場はガーデンパーティになっているようだ。そのような状況なら、ゴップらがふらりと入っても、誰も緊張はすまいな、と、ゴップらはガーデンパーティの場へと向かう。

 

 よく整えられた芝生に、白い立食テーブルがいくつも並ぶ。

 正装として肩の階級章がモールに彩られている連邦軍人たちが、踊れや歌えの大騒ぎである。

 受付席兼友人席には、シン大尉とシャニーナ少尉が仲良く座っていた。

 

「あ、閣下!」と二人が敬礼しようとうるが、今日はオフだ、と制するゴップ。

 

 会場の面々も、ゴップの登場を驚いているが、副官の大尉がオフとしてふるまうように。これは命令だ、と宣言すると、じゃあいいかと、すぐにどんちゃん騒ぎに戻る。

 

「いやぁ、わざわざお越しいただきありがとうございます」とシン大尉。

「イオ大尉から受付を押し付けられたのかね?」とゴップ。

「ええ。ビアンカたちとお祝いのセッションも担当するんで、奮発してサックス買いましたよ」

 

 そう答えるシン大尉は、どこか浮ついていた。

 それに目ざとく気付いたらしいアラン大尉が、シャニーナに問う。

 

「シャニーナ少尉、君もなんだが幸せそうだが?」

 

 えへへぇ、とにんまりと表情を崩すシャニーナ少尉。

 鼻先をぽりぽりとかきながら、こう答えた。

 

「イオさんたちには、ちょっと先を越されちゃいました」と。

 

 シャニーナ少尉が顔を真っ赤にして、やだもぉ、えへへ、えへへ、と、なぜかポコポコとシン大尉に拳をぶつける。

 

「はっはっは。君たちの式にもぜひ出席させてもらうよ」

 

 ゴップは心からそう思いながら、イオ・フレミング、クローディア・ペール、コーネリアス・カカ合同パートナー宣誓式の参加者リストにサインをし、祝儀を送る。

 

「……閣下、わたしたちの式も、絶対きてくださいね?」とシャニーナ。

 

 すがるような彼女の手を取り、ああ、絶対に来るよ、と約束するゴップ。

 副官の大尉が涙をこらえきれず、おいおいと泣いている。

 イングリッドが、すみません、この人ちょっと涙もろい人で、とシャニーナらに告げる。

 

「すまないな、初対面なのに。その……君たちが、幸せになれると訊いたら……涙が止まらなくて……」

 

 おいおいと泣きはらす大尉に、礼装姿の端正なゼロ中尉が、ハンカチを差し出す。

 ハンカチを受けとり、涙をぬぐう大尉の瞼は、赤く腫れていた。

 

「泣かないで、大尉。僕が傍にいるからさ」

「ゼロ……」

 

 二人の視線が、交錯する。

 ぎゅっと、ゼロ中尉がアラン大尉を抱きしめるのをみて、はうっ、とシャニーナとイングリッドと、ゴップが心臓のあたりを抑える。

 この三人は互いに知らないが、その手の界隈では高名なセンセイでもあり、多くの読者を抱える活動家なのである。

 

 宇宙世紀0084年2月、宇宙はつかの間の平和を保っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六三話 0084 政治の季節Re.ジオンの残光

ギレン暗殺計画は拾っておこうと思いました。


 

 最近、同級生に彼氏ができたことをうらやましく思うハマーン・カーンは、自らの邸宅の廊下を鼻歌交じりに進む。

 月の最高高等教育機関たるツォルコフスキー記念大学に飛び級入学することが決まった、というサプライズをクラウンにぶつけるべく、わざわざ父だけに知らせて帰ってきたのだる。

 帰宅と同時に父に正式に報告。お祝いをしないとね、という父の言葉を受けて、屋敷の使用人たちが料理を準備をしている間、ハマーンは、カーン家の従士たるあの男にもサプライズをせねばと、胸を高鳴らせながらクラウンの私室のドアを叩いた。

 

「……あら、失礼な男ですこと。せっかくわたくしが帰ってきたというのに」

 

 どうやら不在らしく、何の反応もない──はしたないけれど、こっそりと覗こうかしら? などと扉の前でうんうんと悩んでいると、屋敷の前に装輪車がやってきた音がした。

 軍用車の音ということは、彼かしら? とハマーンが期待を胸に秘めていると、突然の銃声。

 

 屋敷内に警報が鳴る。

 ハマーンは、邸宅の廊下を駆けた。

 息を切らしてセーフルームに飛び込むと、自動ロックがかかる。一度入室してしまうと、内側からロックを解除しない限り、開かない構造だ。

 

「……な、何事ですの?」

 

 幼いころから、クラウンといつもやっていた警報ゲーム。警報が鳴ったら、鬼役のクラウンがハマーンを追いかける。ハマーンはキャッキャと追いかけられながら、とにかく走ってセーフルームに飛び込むのだ。途中でクラウンに捕まったら、こちょこちょの刑である。

 

「ひっ!?」

 

 銃声、である。

 幼き日より、クラウンから様々な小火器の発砲音を教えられてきた。クラウンに褒められるために、幼いハマーンは一生懸命覚えたものだ。だから、響いている銃声が何かはわかる。

 

 クベ73式無反動アサルトライフル。

 これはハマーンの屋敷には無い武器である。つまり、乱入者が射撃をしている、ということだ。

 一方で、応戦するかのように続くドズル77式SMG。カーン家の武装使用人が定期訓練で使っていたものだから、よく覚えている。

 

「大変ですわ……」

 

 心拍が乱れ、足が震えてくる。

 怖いからではない。父や使用人たちが心配だからだ。

 ハマーンは自力でセーフルームに逃げ込めたが、セーフルームからでは外の様子はうかがえない。

 屋敷内に数か所用意されたセーフルームは、大柄な成人男性が二人程寝そべられる広さでしかなく、そもそも皆が逃げ込めるようにはできていない。

 残念ながら、カーン家はザビ家のような財産がない。ゆえに、守れるものも限られる。

 カーンの家門において優先的に生き残るべきものは、当然、カーン家の血縁者ということになる。理解はできるが、ハマーンとしては納得しかねる理屈であった。

 

「クラウン……はやく、はやく迎えに来て……」

 

 セーフルームにはいったハマーンに出来ることはない。

 せいぜい、膝を抱えて体を丸めていることくらいしかできないのだ。

 

 

 

 ズムシティの中央にそびえる、悪役然とした異形のビルたる公王府にて爆発騒ぎがあったのは、クラウン少佐とギレン・ザビが、外務大臣執務室にて年代物のウィスキーを楽しみながらクラウンの昇進の件と、未来に関する悪だくみについて語り合っていた時である。

 

 振動のせいでひっくり返ったウィスキーのボトルを慌てて戻すギレンの様をみたクラウンは、ギレンの名演技であってほしいと願った。

 この計算高い男が事態の確認よりもウィスキーごときを救うなどということがあっていいはずがない。動じているのか? と、クラウンはいぶかしんだ。

 

「……閣下の仕込みではないのですか?」

「ふむ──面白い」

 

 机に広がった高級な液体が、カーペットを汚す様を見つめながら、ギレンが愚にもつかぬ感想を述べた。

 

「私は、今、人生で初めて驚きというものを覚えた」

 

 普段目にしない、好奇心にあふれたギレンの目をみて、これは重大事案だ、とクラウンは判断する。

 

「うそ、だろ……むっ!」

 

 クラウンは火事場の馬鹿力にて執務机をひっくり返し、ギレンを影に引っ張り込む。

 ギレンの面前においても武装が許されているという極めて特権的な地位にあるクラウンは、携行していたナバン62式拳銃を抜き、安全装置を外す。

 窓の向こう側には、ラペリングしてきた工作員らしき影。

 同時に対ラミネート爆弾の起爆。

 

 あっさりと吹き飛ぶ窓と、部屋のあれこれを吹き飛ばす衝撃波が襲い掛かる。

 粉じんにまみれることを予測していたクラウンは、ハマーン様から頂いたハンカチを口に当てる。

 もちろん、ギレンにも、さっきトイレで手を洗った時に使ったハンカチを渡しておいた。

 

 防弾ガラスは銃弾や爆風、衝撃波などに耐えられるように設計されているが、絶対に壊せないものではないのである。

 特に、ラミネート構造の防弾ガラスは宇宙世紀においては極めて安価であり、妙にケチ臭いところがあるギレンは、そういったものを自らの身の回りに設置し、清廉清貧であることに陶酔する悪癖がある。人類何億人も殺した大悪党なんだからクダラナイ節約精神は捨てろ、とクラウンは小一時間説教したくなる。

 

「……」

 

 無言のハンドサインで侵入者がやり取りをしている。

 プロの仕事だと判断したクラウンは、下手に打って出ず、ギレンのことが大好きでたまらないデラーズ隷下の武装親衛隊の出番を待つ。

 案の定、秒で執務室のドアが開き、スタングレネードが転がってくる。

 ギレンとクラウンは、目を閉じ、耳を塞ぐ。

 爆音と閃光。

 武装親衛隊が突入。

 

 しかし、侵入者もまたプロ。

 スタングレネードごとき、イヤーマフと偏向アイカメラシステムであっさりといなす。

 始まる銃撃戦。

 

 机の影に隠れていたギレンとクラウンは、目で示し合わせて、武装親衛隊らが飛び込んできたドアを目指すことにする。

 

 敵の発砲音をカウントし、リロードタイミングを計る。

 

「閣下、援護します。合図を出したら、お先に」

「任せる」

 

 ──今だな、とクラウンは身を晒し、拳銃を構える。

 クラウンとて量子脳搭載のバケモノである以上、拳銃一つあればそれなりに戦えるはずであった。

 しかし、正確に侵入者のボディに二発ずつ打ち込んだにもかかわらず、奴らは一切動ぜずに、クラウンを精確に狙い撃ちしてくる。

 

「うおぉえ!?」

 

 クラウンは慌ててしゃがみ込み、執務机の影に隠れた。

 

「……合図はまだかね、クラウン少佐」

「あいつら、歩兵用パワードスーツ装着してますね。小銃程度じゃお話になりませんよ」

 

 まいったな、とクラウンが果敢に抵抗している武装親衛隊のほうを見ると、プランBを意味するピースサインを反転させたハンドサイン。

 MSによる強制排除、という意味である。

 

「閣下、MSが来るまで、ここで待機です」

「……クラウン少佐、それは事実に反するのではないかね?」

 

 は? とクラウンはギレンの視線を追いかける。

 窓の外、高機動型ザクⅡ親衛隊仕様のバックパックがぐんぐんとこちらに迫っている。

 何かに圧し負けて、そのままこちらに突っ込んできていると分かる。

 

「南無三っ!?」

 

 クラウンは強運を信じて、ギレンに覆いかぶさる。

 直後、何もかもが瓦礫に帰する破砕音。

 クラウンの視界はぐるぐると回転し、いたるところを打ち付けられる。

 重力(※遠心力)に従って、瓦礫とともに落ちていくことしかできない。

 

「!?」

 

 ギレンの姿が見えない。

 ケルゲレン子あたりが手を貸してくれたのか、単に瓦礫の向こうに消えて行ってしまったのかは、いまは分からない。

 簡単に死ぬとは思えないが……。

 

 いや、まずは己である。

 死ぬわけにはいかない、とクラウンは切り替え、頭部を守り、耐衝撃姿勢をとりながら、ただ落ちていく。

 幾度かの、衝撃。

 あばらに走る刺すような痛み。

 頭部を守る腕が砕ける音がした。

 

 

 

 強烈な喉の渇きを覚えて、意識を取り戻したクラウン。

 粉じんのせいでむせ込み、咳が止まらない。

 ハマーン様から頂いた貴重なハンカチーフも亡失。

 

「くそっ!」と怒りとともに声を荒げると、さらにむせかえり、血泡を吐いた。

 

 どうやら話すことすら危ういようだ。

 内臓をやったか? と不安になりながらも、何とかむき出しになった鉄骨を支えに立ち上がる。

 鼻は折れて、激しく出血しているらしく、呼吸するほどに血を吸いこんでしまい、まともに息ができない。

 耳もしばらくはダメそうだ。

 

 這うようにして瓦礫の山を乗り越えると、ようやく外の様子が伺い知れた。

 ザビ家に忠誠を誓う武装親衛隊のゲルググらが、ペズン計画で生み出されたガルバルディαの部隊と激しく市外戦を繰り広げる様子が目に入った。

 音は一切感じないが、風と、光と、炎の熱さは感じることができる。

 

「う、ハマーン様……」

 

 ズムシティでこれほどの市街戦闘になっているとすると、主家たるカーン家のことも心配になる。

 もしカーン家が被害を受けていたら、月に留学中のハマーン様が里帰りされたとき、悲しまれる。

 それは良くない。

 彼女の涙をみると、クラウンの胸は物理的に張り裂けてしまいかねない。

 

 だが、軍人ならばこのような事態に巻き込まれた場合、自己の存在を上長に報告し、指示を受け再編成に加わるか、現地の臨編部隊に参加する、あるいは救出活動への助力などを行うべきである。

 しかし、クラウンはそのような選択肢を無視する。

 まずは、カーン家の御屋敷が無事か、確認せねば、と。

 

 瓦礫の山を転がるように降りたクラウンは、右腕があらぬ方向を向いていることに気付く。量子脳がなければ、いまごろ痛みで意識を失っているはずだ。

 

「はやく、行かなければ……」

 

 クラウンは、横転していた親衛隊のエレカを執念で起こし、乗り込んで解除パスを打ち込んで起動させる。

 ガクンガクンと車体が大きく揺れながらも、ジープ型のエレカは何とか走り出した。

 おそらくシャフトがひどいことになっているのだろう。

 おまけにモーターが異音を立てているが、問題はない。

 屋敷まで持ってくれさえすれば、お役御免である。

 

 

 

 カーン家の御屋敷へと続くワグナー通りを進んでいると、お屋敷のほうに赤々とした光と、立ち上る黒煙が見えた。

 クラウンの心臓が引き絞られる。奥歯をかみしめながら、クラウンは早く、もっと早くと、アクセルをベタ踏みする。

 

 暴れるハンドルを強引にコントロールしながら、ようやく屋敷の全景が視界に入る。

 クラウンは絶句し、息を忘れる。

 屋敷に火が放たれ、延焼した炎は、クラウンが幼いハマーンの遊び相手をしていた想い出の庭園を黒く変色させていた。

 

「あ、あぁ……」

 

 クラウンの震えた声が漏れる。

 ただ、動揺こそすれども、軍人としての行動はとる。

 破壊された門扉。その先には武装装輪装甲車が三台を目にすると同時に、ただちにジープを路肩へと移動させ、自身は潜伏行動へと移行する。

 

 身をかがめ、にじり寄るように屋敷へと接近する。

 庭園に倒れている馴染の使用人たちの無残な遺体に、クラウンは怒りで我を失いそうになるが、なんとか暴れる心を抑え込む。

 

 人影を認めたクラウンは、息を殺す。

 じりじりと接近し、焼け焦げた庭木の影へと潜伏し、様子をうかがう。

 

 どうやら、家探しを終えた侵入者たちが、装甲車へと乗り込もうとしているようだ。

 

「──離しなさいっ! わたくしにこんなことをしてっ、クラウンが黙ってはいませんよっ!」

 

 クラウンは、目を見開いた。

 見たくない現実、信じるわけにはいかぬ現実がそこにあることを直視する。

 なぜだ。

 なぜ、あの御方がここに? 月におられるのでは? と激しく混乱する。

 

 ハマーン様が、二人の兵士に引きずられるように抱え上げられ、連れ去られようとしている。

 

「何が狙いなのですっ! 父は、マハラジャ・カーンをどうしたのですか!?」

 

 お顔は煤に汚れ、御髪の乱れたハマーン様が毅然と振舞っている御姿をみたクラウンは、己の怠慢に怒りを覚え、身を震わせる。

 

「調べろ」と誰かが言った。

 

 抵抗していたハマーン様が無理やり立たされ、兵士の一人がナイフを走らせる。

 御愛用のピュアホワイトのワンピースが切断され、下着姿を晒された。

 

「……し、痴れ者め……汚すなら、好きになさい……クラウンが……クラウンが必ずや、あなたたちを殺すでしょう……」

 

 涙を浮かべて震えながらも、気丈に胸を張るハマーンに対して、侵入者が下着に手をいれて淡々と身体検査をし、毛布を掛ける。

 

「発信機の類はありません」と女の声。

 

 プロの仕事であるが、クラウンは汚された、と判断した。

 クラウンの頭から理性が消し飛ぶ。

 冷静な軍人ならば、多勢に無勢、状況を静観し、連中が去った後に追跡すべきであるのに、魂が先走ってしまう。

 

「ハマーン様っ!!」

 

 身を晒し、先端が鋭い枝一本で立ち向かおうと駆ける。

 

「──クラウン!? あぁ、クラウン、来てくださったのですね!」

 

 ハマーンの涙と煤に汚れた顔に、希望が差し込む。

 期待に満ちた瞳。

 全幅の信頼と、安堵が彼女から伝わってくる。

 

「いま、お助けいたしますっ!」

 

 損傷だらけとはいえ強化された身体を持つクラウンである。

 並の兵では追従できぬ敏捷性を発揮して蛇行移動。

 射撃する侵入者たちの弾幕を回避する。

 

「強化人間だ。包囲して潰す」

 

 パワードスーツを着用した不埒者たちが、ローラーダッシュを使って散開する。

 クラウンは瞬時に排除すべき相手を選別。

 敵が包囲射撃を開始すると同時に跳躍し、一人に張りつく。

 

「!」

 

 クラウンは無言のまま、張り付いた相手の首を狙う。

 折れた枝をそのまま凶器として使用し、パワードスーツの首の隙間を貫いて処理する。

 死に際のパワードスーツの腕に、刺した腕を強くつかまれ、握りつぶされてしまう。

 

「っ!」

 

 痛みは、ない。

 そんなものは切った。

 腕が使えなくなったなら、足を使って殺す。

 足がダメなら、口を使うまでのこと。

 

「斉射」

 

 無感情な命令の元、パワードスーツらが携行していたアサルトライフルが一斉に火を噴く。

 一体を始末するために足を止める形となったクラウンは、遺体の収まったパワードスーツを盾にするが、いかんせん多勢に無勢。

 ローラーダッシュによる軽快な機動を発揮する侵入者らが、すぐに再包囲。

 しこたま弾丸を食らったクラウンは、膝から崩れ落ちる。

 

「そんな……クラウンっ、うそ、うそですわ?!」

 

 ハマーン様の悲痛な声が響いているというのに、クラウンは体を動かせなかった。

 視界を埋め尽くす『致死』『致命』のステータスアイコンの隙間から見える、涙をこぼしながら暴れているハマーン様の御姿。

 

 しかし、無情にも彼女は、装甲車の兵員室へと押し込まれる。

 

「クラウンっ! 助けてっ! お父様っ、お母さまっ! クラウンっ!」

 

 ハマーン様が泣き叫んでいた。

 泣きじゃくる彼女の瞳が、諦めに変わっていくのを見ることしかできないクラウン。

 最後の力を振り絞り、手を伸ばそうとすることしかできない。

 装甲ハッチが閉じられ、パワードスーツ兵らがローラーダッシュで滑るように車列に合流し、撤収行動を開始する。

 

 放置されたクラウンは、遠くなっていく車列を睨むことしかできない。

 全身の血液が庭園に吸われていくのを感じながら、己のふがいなさと、情けなさに打ちひしがれ、嗚咽する。

 

 ──宇宙世紀、0084年2月末日、ジオン公国は、ジオン・ズム・ダイクンの思想を信奉する原理主義勢力『ジオンの残光』による同時多発テロにより、国難を迎えていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六四話 0084 ハマーンと、クラウン(1)

愛情には一つの法則しかない。それは愛する人を幸福にすることだ

――スタンダールの日記より。


 

 虜囚の身になり、服を剥かれたハマーンは、辱めを受けると覚悟していた。

 しかし、何事もなくオレンジ色の囚人服を与えらえれ、独房に入れられている。

 トイレと寝台だけの部屋であるが、ハマーンがイメージする牢暮らしと比べて、非常に清潔に保たれていた。

 艦艇の独房なのか、拘置所のような施設かはわからない。

 ただ、少なくとも、これは彼女を拉致したものたちによる特別待遇だというのはわかる。

 ここに放り込まれる前、食堂と思しき所に多くの虜囚がいたのをみているので、わざわざ個室ともいえる独房を与えられているということは、何か意図があって隔離したのだとハマーンは解釈している。

 

 彼女は寝台に腰かけ、目を閉じてそのまま倒れ込む。

 体を丸めながら、クラウンが撃たれて倒れた光景を思い出し、体の奥が冷える。

 

「クラウン……」

 

 唇から彼の名が漏れる。

 可能性などないことを分かりながらも、呼べば来てくれるのではないか、と思うほどに、ハマーンはクラウンを信じている──などという言葉では足りないほどに、彼との絆は断ち切れぬものであると思っている。

 

 瞼の裏に、彼の姿が浮かぶ。

 彼が、私を幸せにしてくれた──そう思うだけで体も心も温かくなってくる。

 

 ****

 

 かつてジオン共和国の名門の誉高かったカーン家は、戦争の足音が聞こえてくる時代になると、次第にザビ家との政争に破れ、官職の面でも金銭面でも没落していった。

 

 幼いころの記憶をたどる。

 いつも忙しそうに飛び回っていた父がいつも家にいるようになり、屋敷の使用人の数は次第に減り、父と母の顔には皴が増えた。

 

 ハマーンと妹のセラーナは通っていた女学院に行かなくていいことになり、これでなんだか偉そうな家の連中にいじめられずに済む、と喜んだ。

 

 学校に行かなくてよくなったハマーンとセラーナは、家で学校に通えない子のために用意された公教育プログラム動画とオンラインテストを受講しながら、毎日庭を駆けまわったり、園芸の真似事をして楽しんでいた。

 

 でも、そのような日も長くは続かなかった。

 老執事のハモンドが苦労して用意してくれる食事から前菜が消え、肉が消え、最後にはパンすらも消えた。

 豆のスープを家族で囲んでいるだけでもハマーンと妹のセラーナは楽しかったが、姉のマレーネはそのとき、何かを覚悟したようだった。

 

 豆のスープが何日か続いた後、ハマーンは老執事のハモンドに、『ハマーン様、セラーナ様、庭のお手入れを手伝ってください』と頼まれた。大きなハサミは危ないから、といつも触らせてもらえなかったハマーンとセラーナは、それを触れるといわれ、ワクワクしながらハモンドと庭へと飛び出した。

 

 庭仕事を楽しんで、セラーナと一緒に野花で花輪を作ってから屋敷の中に戻ると、母は自室に引きこもり、父は書斎でふさぎ込んでいた。

 何がなんだから分からなかったハマーンとセラーナは、姉の部屋へと向かった。

 姉のマレーネは、大丈夫、明日から全部よくなるわ、とだけ言って、二人を抱きしめてくれた。

 

 それから数日後、姉のマレーネがいなくなった。

 どこへいったの、と執事のハモンドに訊くと『私は、旦那様を許せません』と、いつも優しいハモンドが、泣いていた。

 彼が泣いているのをみて、ハマーンとセラーナも悲しくなって泣いた。

 理由はない。なんとなく、ただ悲しかったのを今でも覚えている。

 

 その日の夜、ハモンドは納屋で首をくくって死んだ。

 父と、セラーナと一緒に泣きながら彼の遺体を下ろしたのをハマーンは忘れることはないだろう。

 

「すまない、本当に……すまない……」

 

 そう謝りながら父は、大きな穴を掘った。

 ハマーンとセラーナは、納屋にあった板材を使って、ハモンドを入れるための棺を作った。

 ハンマーや電動のこぎりを使っていれば、『あぶないですよ、お嬢様』とハモンドが起きて注意してくれるかもしれないと願ったが、その願いはかなわなかった。

 

 ハモンドの棺を、庭中から集めた様々な花で彩って、三人でスコップで土をかける。

 それから、部屋で休んでいた母を車イスの乗せて連れてきて、カーン家四人だけのお葬式の真似事をした。

 もう、その頃のカーン家には、長年の忠臣の葬儀費用すら残っていなかったのだ。

 

 そして、すぐに母が入院した。

 母の入院費用をどうするのかと、ハマーンは父に訊ねた。

 父は、姉が用意してくれた金を使う、とだけ答えた。

 どうして姉さまに貯金があるのだろう? とその時は思ったが、ハマーンとて察しが悪いわけではない。

 姉は、家のために売られたのだ、と悟り、ハマーンは悲しみと動揺のあまり、父を罵倒した。罵倒された父は、ただ唇をかんでうつむくばかりであった。

 軽蔑など、出来なかった。姉のことも大好きだが、父のことも愛していた。

 ハマーンは、カーン家の家族を愛していた。

 ゆえに、自分とおなじように傷ついているであろう父の傷を、さらに開くような真似はもうできなかった。

 

 次は、わたくしの番だ、とハマーンは自分もまた時が来れば、身を家のためにささげることにしよう、と思った。

 妹のセラーナを食べさせるためには、それしかない。

 カーン家が住まうサイド3は、常にザビ家派とダイクン派がテロの応酬を繰り返す血みどろの権力闘争を繰り広げていたため、市民は荒み、街は穢れつつあった。

 

 そうやって権力闘争に勝ち残った家門に、いつか自分の体を売り、その金でセラーナだけでも自由に生きられれば、それでいいと思い、ハマーンは自室のベッドで、他に手段が思い浮かばない己の愚かしさと情けなさに、悔し涙を流した。

 

「……姉さま?」

 

 くらいハマーン部屋におずおずと入ってくるセラーナ。

 幼い彼女が、瞳に涙をためながら、どうしたの姉さま? というので、ハマーンは彼女を自分のベッドに誘い、抱きしめて一緒に眠った。

 神よ、愚かな私たちをお許しください、お守りください、と祈りながら。

 

 

 しかし、神は誰に対しても公平に無関心である。

 執事のハモンドが手入れしてくれていた庭は荒れ果て、家財道具を売り払って得たなけなしの金で得た食材を使い、動画で見たカンタン、美味い、という料理をあれこれ試す日々。

 こんな生活は長く続けられない、と父も当然理解して、あの手この手で収入を得よう、職に就こうとしたが、ザビ家の手まわしは徹底していた。

 失脚とは社会的追放などではない。

 一族の族滅を狙う、本気の兵糧攻めであり、見せしめなのだ。

 カーン家とその娘たちの悲劇は、ジオン共和国に住まう名門と呼ばれるものたちに対して、ザビ家に逆らうとはどういうことかを提示する、大切なショーケースなのだ。

 

 ハマーンは、毎日のように庭に出た。

 バイオ・サツマポテトを栽培すべく、圃場をこしらえてみたり、慣れぬ手つきで雑草を電動草刈り機で払ってみたりと、せめて人目に付く庭だけでも、面目を保とうと努力した。

 来賓など来ることもないことは分かっているのだけれども、ハマーンにも、カーン家の意地というものがあった。

 

 意地だけは……いかほどに没落しようとも、誇りだけは、見せつけたかった。

 世間の浮ついた人々がどう噂するかなど、ハマーンには関係ない。

 ここにカーン家は健在である、と。

 貧窮に白旗を上げることなく、庭園は見事に保たれていた、と、せめてそのくらいは、とハマーンは、意地を張り続けた。

 

 だが、どうしようもないときも、ある。

 ハマーンが庭をいじっていることを聞きつけたザビ派の気象管理官が図ったのだろう。

 ある日、局地的な暴風雨がカーン家を襲った。

 気象が完全にコントロールされるコロニーにおいて、そのようなことがあるはずもないのに、である。

 

 翌日、荒れ果てた屋敷と荒んだ庭を、多くのメディアが取材に訪れた。

 剥がれ落ちた屋根、窓の割れた邸宅、根までひっくり返った樹木、散り果てた花卉。

 そして、食糧事情における頼みの綱である、イモ畑の水没。

 薩摩隼人の生まれ変わりと評されるほどの生命力を持つバイオ・サツマポテトであろうとも、さすがにこれほどの水害では、耐えられず、その身を腐らせた。

 

 気象管理システムに異常か? と銘打たれたニュース記事は、カーン家邸宅の悲惨さもあって、一瞬でネットミームとなり、人々は嘲笑するようにその画像を使った。

 

 ハマーンは、なおも諦めなかった。

 だが、庭も、屋敷も、すでに父やハマーン、幼いセラーナでどうにか出来る状態ではなかった。

 金もつき、ザビ家による監視下にあるため、引っ越すことすらできぬカーン家は、雨漏りのする屋敷の中で、日々カビと水滴相手に格闘しながら、空腹をごまかすよう煮た木の根をかじりながら、日々を何とかやり過ごすしかなかったのである。

 

 

 

 もはや気力だけで生きているようなカーン家に、あの日──今でも忘れない、0077年1月1日の早朝、世間がニューイヤーパーティや、それを狙ったテロ行為で流血の派閥争いをする時節、もはや忘れ去られ、力尽きるしかないと思われていたカーン家に、一人の青年がやってきたのだ。

 

 クラウン、と名乗る男は、庭師だといった。

 親方のところを飛び出してきて行き場がないので、雇ってくれ、という。

 怪しい男だ、というのが、ハマーンのクラウンに対する第一印象である。

 

 熱を出して寝込んでいた父の代わりに、ハマーンが荒れた屋敷の応接間にて、応対する。

 かつてそこを飾っていた来賓用の美しい彫刻が施されたテーブルは、ハマーンとセラーナ謹製の、廃材を組み合わせて作った不格好なテーブルに変わっていた。

 椅子もまた、セラーナの自信作である、ポテトを乗せたら転がり落ちる程度に傾いているそれであった。

 

「……実に、尊い」

 

 斜めの椅子に腰かけ、ささくれだったテーブルをみて、そんなことを言ったと思う。

 

「馬鹿なことをおっしゃらないでください。我が家は見ての通り、盗人も入らぬほどに落ちぶれておりますの。ただ、わざわざご足労頂いた客人に、もてなしが無いわけにも参りません。セラーナっ!」

 

 はい、姉さまっ! と久方ぶりの来賓に、ハマーンとセラーナは渾身のもてなしをする。

 屋敷を抜け出し、恥を捨ててゴミ捨て場で漁ってきたプラ製のカップを念入りに洗ったものに、雨水を濾過して沸かした白湯。

 

 カーン家の二人が、手間暇かけた逸品である。

 どこかでアルバイトすれば、1時間の時給でボトリングされた清らかな水をいくらか買えよう。だが、それが出来ぬのがザビ家に睨まれたカーン家なのである。

 

「では、いただきます」

 

 いただきます、ということは日系社会出身なのだろうか? とハマーンがクラウンなる男の人となりを観察していると、白湯を呑んだクラウンが、突如、一筋の涙を流した。

 

「な、なにか無作法でも?」と伺うハマーン。

「決して、決してそのようなことは……」

 

 そして、クラウンが頭を下げる。

 

「見事な白湯でした。この一杯の白湯で、私の心は洗われました」

 

 この礼は返さねばなりますまい、などといい出し、ハマーンは来賓にそのようなことはさせられぬと抵抗して押し問答になったが、結局、クラウンは庭師として一仕事を果たしてくれた。

 半日も経たず、荒れ果てたまま放置されていた倒木や枯れ木、枯草を一か所に集め、生きていた草木を申し訳程度に手直ししてくれたのである。

 

「また明日、白湯を呑みに来ます」

「──白湯でよろしければ、いつでも」

 

 ぐぅ、と腹を鳴らしてしまうハマーンは、恥を覚え、顔が熱くなる。

 しかし、彼は笑ったり、茶化すこともなかった。

 表情一つ変えず、また、明日来ます、と。

 

 

 翌朝、ハマーンはクラウンが集めてくれた枯草を拝借して、外で湯を沸かしていた。

 毎日がキャンプみたいで楽しいね、とセラーナは言ってくれるが、それはもしかしたら、妹なりの気遣いなのかもしれないと思うと、ハマーンは余計に、辛くなる。

 

「おはようございます、ハマーン様」

 

 朝も早いのに、クラウンがやってきた。

 その両手には食料品が大量に詰まった紙袋、背中に担いだリュックには丸めたテントや寝袋が括り付けられている。

 

「ごきげんよう、クラウン」

 

 ハマーンは、ぐぅ、と腹を盛大に鳴らしながら、クラウンの抱える食料品に満ちた紙袋を見る。町への買い出しすらゆるされぬハマーンにとっては、久方ぶりにみる品物ばかりであった。

 

「白湯を呑みに来ました。手土産なしというのは紳士ではないと思ったので、これを」

 

 クラウンが、ずいっ、と紙袋を押し付けてくる。

 

「──まさか、わたくしやセラーナを狙っているのですか? そのような破廉恥なお考えがあるなら、受け取ることはできませんわっ!」

 

 ハマーンは、ぴーひょろろとお祭り騒ぎになっている自分の腹の虫を無視し、強靭な意思をもって理性を保つ。

 

「では、一生分、白湯飲み放題の特権をください。ハマーン様お手製の、手間のかかった白湯をいつでも飲めるだけで、私は満足なのです」

 

 クラウンの表情をみるに、相当言葉を選んでいるのだろう、とハマーンは察した。

 本当は、これはただの憐れみか何かだ。

 しかし、ハマーンに恥をかかせるわけにはいかぬから、こういうママゴトめいた取引を持ち掛けているのだろう。

 

「取引、ということですのね?」

「はい。ハマーン様」

「……いいでしょう。白湯くらい、いつでも振舞いましょう」

 

 姉さまー? と寝ぼけ眼のセラーナがやってくる。

 クラウンの食料を見たセラーナが「お父様っ!!」と駆けて屋敷の奥へと駆けていく。

 しばらくの後、病身の父が出てきて、クラウンを自室へと招いた。

 クラウンは「料理、お願いします」と食料をハマーンに預けて、父の部屋でなにかを話していたように思う。

 この辺りの記憶があいまいなのは、ハマーンとセラーナは、クラウンが運び込んだ食料に夢中だったからだ。父とクラウンの話し合いよりも、たっぷりの乾燥パスタやトマト缶、真空パックに入った赤々とした培養肉や、緑香るバイオブロッコリー、サイバーもやしに、まさかのサンシャインマスカットなどなど……食べ物のことばかり鮮明に覚えている。

 

 

 父とクラウンが話し合いを終えて、四人で久しぶりにまっとうな食事にありつく。

 バター、ガーリック、オリーブオイルとソイソースに化学調味料で仕上げたキノコと肉のパスタ。

 料理中のつまみ食いで軽く一皿分はハマーンとセラーナで食べたのは内緒である。

 簡単に作れて、あたたかく、涙が出るほどに美味しいそれは、カーン家の胃を満たし、体を内から温めた。

 沈黙と忍耐ばかりの食卓だったが、クラウンはカーン家の食卓に笑顔をもたらしてくれた。

 

「──クラウン君を、我がカーン家の専属庭師として雇うことになった」

 

 ひと心地ついたとき、父が切り出した言葉に、ハマーンが質問をする。

 

「ですが、先立つものがございませんわ」

「その件だが、クラウン君」

「はい」

 

 クラウンが父にうながされ、これからどうするかを説明する。

 当面は彼が働き、彼がこの家に収入をもたらすという。

 カーン邸の手入れもする上、家に収入を入れるなどという話をすぐに信じるほどハマーンは無警戒ではない。

 この紳士が、本当に紳士であってくれればと願うが、皆を守るために、そうでない可能性を排除するわけにはいかない。

 

「……来賓は、あくまでも来賓ですわ。そのような失礼なことをあなたにやらせるなど、カーン家の名がまた地に落ちます」

 

 ハマーンのいうことももっともだ、とクラウンが応える。

 しかし、それ以上の切り札を出してきた。

 

「実は──打算があります」

 

 正直なのはよいことだが、とハマーンは失望を覚える。

 突然紳士が現れて、苦境にあるハマーンを救ってくれるなどという夢物語が起きるはずもない。せいぜい、現実的な奇跡があるとするならば、愛人兼子守り役としてザビ家につながる誰かの元に飼われるのが最上、と言ったところ。

 この男も、結局、カーン家を利用して何かをしたいだけの、ザビ家と変わらぬ男なのだと思うと、もの悲しくなる。信じたい、と思ってしまう相手を、信じてはいけないのだと思うと切なさしかない。人の世は、あまりにむなしいではないか、と。

 

「半年後、私は共和国国防軍に特技下士官として志願入隊します。庭師として散々公園整備でモビルワーカーを乗り回していたので、その資格が使えるんです。その際、推薦状にカーン家の縁故である旨を記載してほしいのです」

 

 ハマーンはクラウンの言葉に脊椎反射してしまう。

 ジオン共和国国防軍は、ダイクン暗殺後のUC71年にザビ家がジオンの名を冠して作り上げたザビ家の私兵にすぎないと考えていたからだ。

 彼女にとって、そんなところに入隊しようとする輩など、ザビ家のともがらになりたがる輩にしか思えなかった。

 

「──軽蔑、いたしますわ」

 

 ハマーンの心は醒めていた。

 一時の夢想はあっさりときえ、このクラウンという男も、ザビ家へと近づくための踏み台として、カーン家を使うつもりだと分かり、やるせなくなる。

 

「いまは軽蔑していただいて結構。お父上から承諾はいただきました」

 

 そう断言するクラウンに、ハマーンは目を合わせずに父のほうを見る。

 

「お父様、嘘でございましょう? 姉上の件だけでなく、ここでこの痴れ者にカーン家の家名まで売ろうというのですか? 恥というものを……」

 

 父に言いつのろうとしたところ、妹のセラーナがハマーンのボロ服を引っ張る。

 

「姉さま、わたし、もうおなかペコペコなの、やだよ……」

 

 その一言に、ハマーンは返す言葉もなかった。

 意地を張りたければ、自分だけ張ればいいのだという事実を突きつけられたとすら思えた。己の意地のために、妹を巻き込むのは筋がたたないことくらい、ハマーンにもわかる。

 わかるが、納得できない。

 納得できないが、飲み込むしかない現実がある。

 

「──クラウン、カーン家の名を使うことは、ザビ家が支配する軍では邪魔になるだけですわ」

 

 ハマーンはもっともらしいことを言う。

 お前の打算は無意味だと言って傷つけてやりたかった。

 彼女を期待させ、期待を裏切り、傷つけたのと同じように、彼も傷つくべきだと思うのだ。

 

「いえ、そうとは限りません。国防軍は一枚岩ではありません。ザビ家ゆかりの者ばかりで一国の軍隊を作れますか? 無理だと、あのギレン・ザビも理解しているから、ザビ家の私兵として武装親衛隊という別組織を作っているのです」

 

 つまり、国防軍では十分に名門の肩書は使える可能性がある、とクラウンが断言する。

 その自信満々の態度が気に食わなかった。

 

「わたくしは……気に入りません」

 

 悔しさゆえに、顔が熱くなり、涙が溜まる。

 どうしてあなたがカーンの家名を使うことでうまくいき、わたくしのカーンの家名は何の役にも立たないのか。

 神は、平等に無関心ではないのか? と。

 

「ハマーン様、まだあなたは10歳にもなっていません。その御年で、その英邁さを身に付けられていることに、私は感服しています」

「いまさら、お世辞など……」

「いいえ、ハマーン様、よく聞いていただきたい」

 

 クラウンから視線をそらすハマーンだが、彼は構わずに、立ち、その場で跪く。

 

「私は、カーン家に対し、セインの誓いを立てます」

 

 セインの誓い、すなわち従士になることを宣言する行為は、主家のために命を差し出すことを意味する。自由市民ならば誰でも立てられる誓いであるが、その宣誓の意味は、いつでも離婚できてしまう安っぽい結婚式の誓いの言葉とは重みが違う。

 

 セインの誓いは、登記され、法的に明確に誰がどの主家に対する従士であるかが公示されるのである。

 主家は従士に対して生殺与奪の権利を持ち、自らのために死を命じることも、財を差し出すことを命じることすらできる、絶対的権利であり、司法の介入はないものとみなされる。

 ハマーンですら知っている有名な例であれば、ギレン・ザビのセインであり、武装親衛隊を率いるエギーユ・デラーズなどが挙げられる。

 

「ただの庭師のあなたが、セインに? 妄言も程々にしないと──」

 

 ハマーンは侮蔑をもってあしらおうとしたが、思いがけぬ大喝を受ける。

 

「ハマーンっ! セインの誓いを立てた者を嘲るなど、下郎に堕したかっ!?」

 

 今まで聞いたことのない父の大声に、ハマーンは身を震わせる。

 力が抜けて、思いがけず椅子に座りこんでしまう。

 

「このものは、セインの誓いを立てた。つまり、命をもって我らに仕えると誓ったのだ。従士クラウン、当主たるマハラジャ・カーンが命じる。必ずや大成し、カーン家の家門を再び名誉あるものとせよ」

 

 父の言葉に、クラウンは必ずや最善を尽くします、と応える。

 それでも、ハマーンは言葉でなら、なんとでも言えると思ってしまう。

 だから、ハマーンは意地の悪い命令をしてしまう。

 

「クラウン、ハマーン・カーンが命じる。一生、わたしくしを幸せになさい」

 

 出来るはずもない。

 一介の庭師が、消えゆくカーンの家門をもったところでどうなるというのだろう。

 軍に行くと言っても、士官学校を経るわけでもない。

 詳しくは知らないが、軍隊で偉くなるには、士官学校というところを卒業しなければならないと物語で読み知っている以上、期待などできない。

 

「ハマーン……」と父のあきれる声。

 

 しかしクラウンが父に問題ありません、と告げる。

 そして、跪いたまま、こちらをじっと見据え、宣言する。

 

「このクラウン、身命を賭して、そのお言葉にお応えいたします」

 

 物語に出てくる王子みたいに、キラキラした瞳だけれども、ハマーンは騙されない。

 一生をかけて幸せにしてくれる人など、物語の中にしかいないということくらい、ハマーンは知ってるつもりだった。

 




これはガノタによる、ハマーンのための物語でもある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六五話 0084 ハマーンと、クラウン(2)

どうもすみません。我々、少しばかり非常識な存在なんですよ

――谷川流『涼宮ハルヒの退屈』


 

 虜囚の身となったハマーンは、自身を捕らえたものたちがジオンの残光を名乗る集団であること以外、何一つ情報を得られていなかった。

 

 クラウンならば、このような状況でも脱走の手立てをするのかもしれないが、ただの学生にすぎぬハマーンには、まだ脱走の糸口すら見えていなかった。

 

 今日も、女性兵士に護送されて、実験室に連行される。

 兵士らは決して無駄話はせず、必要なことしか言葉を用いない。

 ハマーンに対して一切の情報を漏らすな、という命令が出ているのだろうか。

 

 実験室につれてこられると、ハマーンはオレンジ色の囚人服を脱ぐように命じられる。

 女性兵士相手とは言え、多少の羞恥はある。

 しかし、命令に従わなければ強引に服を剝がすと告げられていたので、しぶしぶと脱ぐ。

 下着姿になったハマーンの体に、女性兵士たちが医療機器のようなものをあれこれと取り付ける。ジェル状の何かを塗ったそれらは、ひやりとしていて、ハマーンは貼られるごとに身震いをしてしまう。

 

 それらを着用した後は、貫頭衣のような実験服を着用させられる。その後、男女の性別を問わない白衣の研究員らが入ってきて、実験室に置いてある、イスに座るように命じられる。

 仕方なく椅子に座ると、頭部に大型のヘルメットともつかぬ何かをかぶせられる。

 視界は覆われて、仮想現実ゲームのように、いかにもCGといった趣の映像が投影される。

 手に持たされたスティック状のコントローラーのボタンを押す試験が、また始まる。

 

「サイコミュ検定試験、レベル4,検定開始」

「記録デバイス機動」

「脳波、よし」

 

 映像。

 ターゲットをセンターに入れてスイッチを押すだけの、出来の悪いゲームのようなもの。

 ただ、少し違うのは、敵の攻撃が『ありそう』と思った時にも別のスイッチを押さなくてはならないところくらいだ。

 うまくボタンを先行入力できると、回避できる。

 しかし、攻撃がありそうだと思ったのに何もない時もある。

 こんなことに何の意味があるのだろう、とうんざりしつつ、試験を受け流していく。

 

「試験終了」

 

 実験室にこの合図が流れると、男女の研究者然とした白衣の集団は出ていき、女性兵士たちだけが残り、医療機器かセンサーか分からぬものを取り外し、トレーニングウェアに着替えろ、と命じてくる。

 

 はぁ、とため息をつきながらトレーニングウェアに着替えると、また別室へと移動。

 そこにちょっとしたスポーツジムくらいの設備が揃っていて、バイクを漕いだり、カラテコンバットのカタ・エクササイズ、ちょっとした重量上げなどをやらされる。

 

 ヘトヘトになったところで、また実験室に戻り、先ほどの手順を繰り返し、くだらないゲームを消化する。

 

 これらが終わると、また女性兵士たちに連行されて、今度はシャワーの時間だ。

 さすがにシャワーの個室に入ってくることはないが、それでも女性兵士たちは監視を密にしていて、このタイミングで抜けだすようなことはできそうになかった。

 

 シャワーを浴び終えると、クリーニングされた囚人服と新品の下着が用意されている。

 それらを着用して、最後に独房に戻る──というのが、ハマーンのルーティンである。

 

 時間の感覚は精確ではないが、少なくとも2日に一度、実験とトレーニング、そしてシャワーが与えらえることを鑑みるに、こちらの体調管理に関して相手も注意を払っているのだろう、というのがわかる。

 

 そもそも事あるごとに女性兵士らを張り付けているわけだから、逃げられては困るなんらかの事情があるはずなのだ。

 

 それが何かさえわかれば、脱出の糸口に繋がるかもしれない、とハマーンは、独房のベッドに倒れ込む。

 見慣れてきた天井をみつめながら「クラウン、早く助けにいらっしゃい」と、つい、つぶやいてしまう。

 彼と離れることに、慣れたつもりではあった。

 でも、そうではなかった。

 いま思えば、いつだって連絡したいときに連絡すれば彼は応答してくれたし、会いたいといえば、必ず会いに来てくれた。

 彼が戦地にいるときですら、ハマーンは意地悪なお願いをたくさんしたと思う。

 すぐに、は無理でも、あとで必ず彼はそのお願いをかなえてくれた。

 

「……クラウン」

 

 面影を、天井に想い描く。

 彼と、離れてしまったと感じたのはあの日以来かもしれない。

 

 

 ──クラウンがカーン家の屋敷に滞在するようになってからの半年は、あっという間だったこを覚えている。

 今まであった苦労はクラウンのおかげで軽くなり、石鹸の香りを嗅ぐだけで諦めていたハマーンやセラーナは、毎日あたたかいシャワーすら浴びられるようになった。

 そういった生活の激変ぶりがあまりにも目まぐるしくて、その半年間の記憶はどこかおぼろげだった。

 けれども、一つだけ明確に覚えている日がある。

 彼が、軍に入るために屋敷を出ていく前日のことだ。

 

「ジャンク品のボイラーなんですから、お一人10分までですよ?」

 

 衝立の向こう側から、クラウンの声。

 覗いたら一生口きかないから、とハマーンが注意する。

 

「はいはい。ちゃんと時間は守ってくださいね。セラーナ様も使われるのですから」

 

 クラウンが買い出しに行ってきます、と言い残して、離れていった。

 ハマーンは時間いっぱいまで、固形石鹸の泡と熱い湯と、肌に感じる水圧を楽しみ、もうちょっとという思いを頑張って断ち切り、浴室を出る。

 バスタオル、などという高級品があるわけもなく、ハマーンは手拭い一本で体をふきあげる。そして、クラウンからプレゼントされたいい匂いがする保湿液を手に伸ばして、体にぬって服を着る。

 

「姉さま、交代ですっ」

 

 うずうずと待機していたらしいセラーナに追い出されたハマーンは、厨房へと向かう。

 かつて使用人たちが使っていた厨房は、がらんどうで何もない。

 冷蔵庫を開けて、ボトリングされたピュアウォーターをカップに注ぎ、飲み干す。

 雨水を濾過して沸かした白湯とくらべて、やはり臭いが違う。

 本当の無味無臭にうっとりしたハマーンは、ぜいたくに慣れてはだめよ、と自分を戒める。

 

「……危ないトコロでしたわ。ついつい、これが普通、などと勘違いするところでした」

 

 クラウンがどこかで日銭を稼いでは、食べ物や生活消費財を買ってきてくれるので、いまの暮らし向きは、ちょっとずつ昔に戻ってきている。

 

 しかし、彼は、どれだけ紳士で、我がカーン家の従士であろうとも、あくまで庭師でしかない。庭師がどれだけ頑張ったところで、ザビ家に睨まれたカーン家の暮らし向きを上向かせられるはずがないのだ。

 願わくば、クラウンが庭師として大成して大親方にでもなって、たくさんの庭師たちを使って大きな仕事をこなすようになれば──食卓に毎日肉が出るような日も来るかもしれない、とハマーンは夢想する。

 

 それでも、十分だとハマーンには思えた。

 貧しさの果てに死を待つだけだった未来よりはずっとマシなのだから。

 

「姉さま、これぬりぬりしてー」

 

 髪が濡れたままのセラーナが、パンツ一丁でやってきた。シャワーの時間を守れたのは偉いが、そこから先がまだまだである。

 

「あらあら、まずは髪を乾かしましょうね、セラーナ」

 

 ハマーンは相変わらず傾いたままの食堂の椅子にセラーナを座らせて、手ぬぐいで丁寧に髪をふきあげる。

 あとは、彼女の体に保湿液をえいえいとイモを洗う要領で塗りたくり、完了である。

 

「これ、くすぐったーい」

「我慢なさい。カーン家のレディたるもの、スキンケアも大切ですのよ」

「はーい」

 

 ほかの家では、もっと様々な基礎化粧品を用いるのだろう。

 肌は男女問わず、社交界に関わる者の武器となるものだから、手入れを怠るべきではない。

 しかし、ままならぬ事情があるカーン家の現状では、これが目いっぱいなのだ。

 クラウンには苦労をかけているので、よもや化粧水も欲しい、などとは口が裂けても言えなかった。

 

「姉さま、ブッホ・コーラ飲みたいなぁ」

 

 セラーナの言葉に、ハマーンは炭酸の喉越しと、刺激的な甘さと清涼なライムの風味を思いだす。

 あれは、危険である。

 特に、熱いシャワーを浴びた直後は危険すぎる。

 あんなものを呑んでしまったら、また我慢するのに苦労してしまう。

 ブッホ社が特許をもっているといわれる、無重力間輸送を可能にした炭酸ボトリング技術──これにより、あらゆるコロニーでスマッシュヒットしている、清涼飲料水の帝王である。かつて地球圏にあったコカ・コーラ社のレシピを盗んだと言われるだけあって、味はすばらしいもので、ハマーンも好きであった。

 

「あれは特別な日に飲むものですわ、セラーナ」

「でも姉さま、今日は特別な日だよ?」

 

 特別な、日? とハマーンは首をかしげる。

 セラーナが、あ、いけないんだー、とセラーナがからかうようなしぐさを見せる。

 慌てたハマーンは、何の日だったかを思いだそうとする。

 家族の誕生日でもないし、特別な記念日でもないはず。

 いったい、何なのだろう。

 

「んふふーっ、仕方ないなぁ、姉さまは。セラーナがおしえてあげる。今日はね、クラウンがお家を出ていくソーコーシキの日だよ」

 

 セラーナの言葉に、ハマーンは言いようのない不安とともに、そうだった、と思いだす。

 不覚にも、いつだってクラウンはいてくれるものだと思い込んでいた。

 明日、彼はジオン共和国国防軍に特技兵として志願入隊する。

 2か月間は、特技兵集合教育という訓練に参加することになるから、カーンの屋敷に帰ってこれないのを思いだした。

 だから、今日、小さな壮行式をやることになっていた。

 あまりにも楽しくて、穏やかで……ハマーンは、そんな毎日がずっと続くと、信じ込んでしまっていたのだ。

 思いだしたくなくて、そんな日はこない、と自分を騙していたことを感じて、ハマーンは顔を青くする。

 

「大変ですわっ! セラーナ、姉は今から部屋にこもり、従士出立の準備をいたします」

 

 ハマーンはセラーナの肩に手を置きながら、大切なことなのです、と言い聞かせる。

 セラーナもハマーンの覇気に圧されてか、うん、と頷いた。

 

「セラーナ、お昼は冷蔵庫に用意してありますから、温めて食べてなさい」

「うん、別にそんなのかんたん。けど、姉さまは?」

 

 セラーナとてサバイバル同様の暮らしをしていたので、火の扱いや野外調理技術はそこらの日曜キャンパーを凌駕する。

 

「わたくしは、それどころではないのです……」

 

 それだけ言い残し、ハマーンはセラーナをその場に残して、自室へと舞い戻った。

 

 

 

 自室のつぎはぎだらけのシーツがかぶさったベッドに腰かけながら、ハマーンは何かしなければ、とあれこれと思案する。

 軍隊に入る、ということは、ハマーンなりに危険なことなのだと理解はしている。

 もしかしたら訓練中の事故などで死んでしまう、などということもあると想像すると、ハマーンは胸のあたりが痛くなる。

 そんなことになったら、また苦しみながら死に向かって前進していく日々に逆戻りであることを考えると、利己的だと幼心に思いながらも、絶対に、クラウンには生きていてほしかった。

 

「そうですわ……お守り、お守りしかありませんわっ!」

 

 ハマーンは、神とやらがこの世のことに無関心であることを知っている。

 だが、この世に生きる人たちにとっての拠り所になることだけはわかる。

 自分の力だけではどうにもならないことがあって、それを責め立てたいときに、神は都合よくその身を貸してくれる。

 特に、ハマーンのように、努力すれば奪われ、頑張れば邪魔される定めの下に生きる者にとっては、神はいつだってハマーンの罵倒を受け入れてくれた。

 

 カーン家が悪い、と世間はハマーンらを責め立てるが、カーン家に生まれるかどうかをハマーンは選んでいない。この地上に生まれ出る赤子たちが、皆自分で選んで家門を決めているのだとしたら責められる所以もあろう。

 しかし、世にそんな道理はない。道理がないところをハマーンのせいにされるのはあまりにも理不尽であり、その理不尽への怒りは、神が受け止めてくれている。

 

「神様、わたくしのクラウンをお守りください……」

 

 ハマーンは伝統宗教から新興宗教まで、あらゆる神に祈る。どの神でもいいから、祈りがあったことくらいは忘れないでほしい、と。

 

 そして、ハマーンはお守りとして何がいいだろう、と思案したあげく、一枚の刺しゅう入りのハンカチーフを作ることにした。

 いつもクラウンの手元におけるものだから、それを肌身離すなと念押しすれば、彼なら必ずやそれを常に携行するだろう。

 ハマーンが祈りを込めたそれがあれば、もしかしたら、万に一つの可能性かもしれないけれど、クラウンのピンチを奇跡で助けてくれるかもしれない。

 

「あ……」

 

 ハマーンは、ハンカチーフに必要な材料が手元にないことに気付く。

 胸元を飾るハンカチとして使用されるようなシルクなど、あるはずもない。

 だとすれば、普段使いできるような何かでないと……植物繊維で何か、何かあるはず──とハマーンははっとする。

 

 くたびれたタンスをごそごそと漁り、奥の方に収納してあるほぼ新品のショーツをとりだす。履いているものに穴が空いたら替えに使おうと思っていた、秘蔵っ子である。

 

 キャミソールは柄物ばかりだし、毛玉がひどすぎてとてもハンカチーフの素材には使えそうにない。服もハンカチーフの素材取りに使ってしまったら、明日から着るものがなくなってしまう。

 

 背に、腹は代えられないのである。

 乙女として何か深刻なミスをしているような気もするが、他に適切な素材がない以上──と、ハマーンは多分2回しか履いてない純白のショーツを手に取り、幅を図る。

 小さなハンカチサイズなら、いけるっ、と確信する。

 

「……2回しか履いておりませんから、ほぼ新品、と言い張って良いですわね」

 

 ごめんなさい、クラウン、と心中で謝りながら、ハマーンはハサミをいれてほぼ新品のショーツをいい感じに断つ。

 ゴムの部分なども転用して、ハンカチの端にちょっとしたリングを付けてやろう、などと、いざハマーンは裁縫仕事をやり始めると熱中した。

 

 ちくちくと針を操りながら、ひと縫い毎に祈りを込める。

 クラウンに危ないことが起きませんように、と祈るのだ。

 ハマーンにとっては限りなく貴重な、ほぼ新品のショーツを犠牲にしたのだから、そのくらいの加護くらいあってもいいのではなくて? と時に神を罵倒したりしながら、日暮れ時までハマーンは集中力を維持した。

 

 努力の甲斐はあった。

 おそらく半径1KM圏内でハマーンほど裁縫が早かったものはいないだろう。

 ショーツベースという意味では、少なくとも、このコロニーにはいないはず、と誇らしげに思った。

 

「これで、よしっ! あとは梱包ですわっ!」

 

 完成した喜びから、自然と笑みがこぼれる。

 何か箱はないかしら、と使えそうなものを放り込んでいるジャンクカゴをあさると、ちょうどいい小箱があったので、そこに畳んで納めておく。

 

 リボン代わりに端切れ素材を使って、お守りのパンカチーフ完成である。

 我ながら渾身の出来なので、これならばたとえ弾幕の中でも弾丸のほうがクラウンをよけてくれるだろう、とすら思えた。

 

 否、そう、思いたかった。

 そうであってほしい……と、ハマーンは、プレゼントの小箱をじっと見つめながら、涙をこぼす。

 こんなものしか、用意できなくて、ごめんなさい、と。

 

 

 

 クラウンが腕を振るった今晩の食事は、いつも以上に豪華であった。

 鍋料理、というもので、ダシやらミソやらコチュジャンなど、随分といろいろな調味料を使った煮込み料理らしく、何を煮込んでも美味、とのこと。

 ハマーンらは、クラウンが用意した様々な具材をきゃっきゃと騒ぎながら楽しんだ。

 特に、ツクネ、トーフなどは素晴らしかった。これらはそれほど保存が効かないから、ということで、今日使いきるらしい。

 ハクサイなど、野菜に関しては、食後にクラウンが、ハマーンとセラーナにツケモノとキムチというものの作り方を教えてくれた。冷蔵庫に入れて使えば、そこそこに持つらしく、酸味がきつくなってきたらジャンをいれた鍋にすると食べられる、などと教わった。

 

 壮行会、という名目だったのに、普通の食事になってしまったのはクラウンがそうしてほしい、と言い出したから。

 日常の延長に、クラウンが守るべき主家があるのだと実感してから出発したい、という、彼がこの家に来てから初めて述べたわがままに、応えぬわけにはいかなかった。

 

 夜、ハマーンは自室を抜け出して、野外にテントを張って寝ているクラウンのところに遊びにいった。

 もちろん、例のプレゼントを持って。

 

 テントからは薄明りがもれていて、クラウンの大きな背中が影となって見えていた。

 

「クラウン?」

 

 入口を開けてのぞき込むと、何やら書き物をしていたクラウン。それをハマーンが覗き見てみると、ハマーンやセラーナへの、2か月間どう過ごすか、食料が万が一にも不足した場合、どう対処すべきかなど、ハマーンたちの不安を打ち消すべく、細かなことを書き残そうとしているようだった。

 

「ハマーン様、肌寒いのでこちらへ」

 

 クラウンがテントの中の一画を空けたので、そこにハマーンは座る。

 一枚の毛布を渡されたので、それで身を包む。

 

「夜更かしはいけませんよ、ハマーン様」

「夜更かしではありませんわ。わたくし、主家として、従士クラウンに渡すものがあるので、わざわざ出向いたのです」

 

 ハマーンはむっとしながらそう告げると、クラウンが想定よりもずっと厳かに、その場に直り、跪いた。

 

「──従士クラウン、ハマーン様から何かを頂けるなど望外の極み」

 

 ハマーンは、クラウンが従士となってから、従士と主家の間の礼節に関する本を熟読していたので、毛布を纏ったまま立ち上がる。

 淡いオレンジ色輝きを放つランタンによって天幕に浮かぶ二人の影だけをみれば、ドレスを纏った姫君と、跪く騎士の姿が写った影絵ともいえよう。

 

「従士クラウン。わたくし、ハマーン・カーンは、祈りを込めてこれを作りました。その祈りとは、あなたに降りかかる危難が、あなたの命を奪わぬように、というものです」

 

 ハマーンが事実を告げると、クラウンがハッと息を飲む。うつむき、少し震えているようにも見える。庭師上がりの従士なのだから、上流階級の作法に緊張しているのかもしれない。

 

「常に、肌身離さず、これを」

 

 ハマーンに差し出された小箱を、恐る恐る受け取るクラウン。

 その様はまるで命を預かるがごとく、慎重に慎重を重ねたものであった。

 

「開きなさい」

 

 ハマーンは告げる。少々気恥ずかしいものの、今の主家の事情なら精一杯の代物であることを理解してくれるはずであろう、とハマーンは覚悟を決める。

 

「これは……まさか、ハマーン様お手製のハンカチーフでは?」

 

 箱を開き、恭しく純白の四角い布を掲げるクラウン。高らかに天に与えられた祝福を見せつけるかのようでもある。

 ハマーンの性格がそのまま表れたかのような、端正でほつれのない刺繍で描かれた文字には『わたくしを離さないで』とあり、ハマーンのサインが隣に並ぶ。

 

「なんたること……身に余る光栄、恐悦至極ッ!」

 

 平身低頭するクラウン。

 まさにドゲザ・スタイルであったため、慌ててハマーンはクラウンに頭を上げるように命じる。

 

「単にハンカチを離すな、と刺繍しただけですわ。大げさな」

「しかし、これほどの布地をハマーン様が捻出されたと思うと……おそらくは、新品のキャミソール一枚をダメにしたのではないかと不安になりました」

 

 何たることだ、今更服を買いに行ったとしても、店は開いていないぞ、詰んだか? とブツブツ独り言をこぼしながら思案するクラウン。

 クラウンを心配なく送り出してやりたいハマーンは、彼を落ち着かせるべく、勇気を出して真実を告げることにする。

 

「……問題、ありませんわ。ほぼ新品のキャミソール一枚くらいどうとでもなります。情けない代物ですし、恥を知らぬ代物と評する輩もいるでしょう。ですが、わたくしがいま持っているもののなかで、もっとも美しいものはこれしかなかったのです」

 

 クラウンが目にリンゴが入るのではないか? と思うほどに見開いている。

 やはり、正直に話すべきだったのだろうか。ついつい気恥ずかしさのあまり、キャミソールと偽ってしまったハマーンは、自分の貧乏ゆえに心まで貧しくなったかと、嘘をついてしまったことを後悔する。

 

「い、いらなかった捨てても──」

 

 貧しいことが、これほどまでに恥ずかしいことなのかと胸を痛めるハマーンは、毛布をぎゅっとつかみながら、そう口走った。

 しかし、クラウンがそれを静止する。

 

「このクラウン、家宝、いや、聖遺物として墓まで持っていきます」

 

 かつてない満ち足りた表情を浮かべるクラウンは、いまなら確かに弾丸のほうが避けてくれそうな幸福感を放っているようにみえなくもない、とハマーンは思う。

 

「──ところで、ほぼ新品、というのは?」

 

 何か重大なことだったのだろう。やはり、問われたか、とハマーンは息を大きく吸う。

 

「黙れ俗物っ! まだまだ駆け出しの従士の分際で主家から新品を賜れると思うなっ!」

 

 顔が熱い、と思いながらも、ハマーンは気丈に一喝する。

 自分が無理筋の理屈を立てていることはわかる。

 だが、従士たるクラウンならば、そこは飲み込んでくれると、ハマーンは信じたかった。

 

 どうやらクラウンは飲み込んでくれたらしく、恭しくそれを胸元にしまう。

 本当に聖遺物のように取り扱うので、ハマーンはお古を渡してしまった自分が情けなくなり、「帰ってきたら、新しいのを作って差し上げますわ。何か良い布を手に入れていらして」と告げる。

 

 しかし、クラウンは首を振る。

 

「ほぼ新品、その事実だけで私は、百年戦えます」

 

 その面持ちは、まるで天下でも取れそうなほどに覇気に富んでいた。

 

 

 

 翌日の朝、クラウンを見送ったハマーンは、意外にも寂しくなかった。

 むしろ、不安がるセラーナをなんとかせねばと、日々忙しくしていたことを思いだす。

 クラウン不在のため、敷地を出られぬハマーンらは、彼が残してくれた物資を計画的に消費しながら、またイモを植えたりするなど、些細な抵抗を開始した。

 

 暴風雨が来るならこい、と覚悟を決めながらセラーナと毎日庭を手入れし、直し方が書かれたクラウンのメモを参照しながらボイラーと格闘したりしているうちに、どんどん時は過ぎていく。

 

 夜、ハマーンが一人でベッドで寝ていると、不意にクラウンが事故で死んでしまう夢を見たりして、飛び起きたりもした。

 嘘つきっ! と瞼を腫らして起きてしまったら最後、不安で再び眠ることもできず、ハマーンにとってつらい翌日が待っているのであった。

 

 そうやって何とか毎日をやり過ごしているのだけれど、床下の食糧庫の中身が目に見えて減っていくことはどうしようもない。先行きの不安を抱えながらも、どうにかなる、どうにかなれ、とハマーンとセラーナは先細る毎日と戦い続けた。

 

 まもなく2か月が経とうという頃、カーン邸に一台の車が止まり、そこからスーツ姿の役人が下りてきた。

 ハマーンとセラーナは彼女たちなりの正装で出迎える。

 もちろん、父、マハラジャ・カーンも同様である。

 誰がどう見ても、無宿者の成れの果てとしか見えぬ恰好の三人であったが、彼らは手入れされた庭で堂々とその役人を迎える。

 

「マハラジャ・カーンだな」

 

 挨拶もなく、役人が確認する。

 いかにも、と父がひるむことなく応える。たとえ落ちぶれようとも、心まで卑屈になることはないのがカーン家の最後の意地だからである。

 娘たちも二人、睨むように役人を見据えている。

 

「──ギレン・ザビ閣下からの命令により、貴様たちの蟄居・閉門を解く。だが、忘れるな? 我々はいつでも貴様たちを監視しているからな」

 

 役人はそれだけ述べて、父になにか書類を押し付けて帰っていった。

 あれはただの役人とは違うのかしら? などとハマーンとセラーナが首をかしげていると、父はただ一言、娘たちに告げる。

 

「クラウンが、やってくれたよ」

 

 その言葉の意味は分からなかった。

 しかし、数日後にその意味を理解することになる。

 

 

 

 顔の傷が目立つ、怖い大柄な男がやってきた。

 武装した軍人たちを引き連れていたが、男は大喝して兵隊たちを断固屋敷の敷地へと足を踏み入れさせず、ただ一人、肩で風を切ってカーン家自慢の庭園を闊歩して屋敷のドアを叩いたのである。

 

「おうっ、マハラジャ・カーン! 俺だっ、ドズルだっ!」

 

 ドズル・ザビ、すなわちザビ家の男であり、ハマーンの愛するマレーネ姉さまを買った悪漢だと悟ったハマーンは、万一の時に、とクラウンから託されていた回転式拳銃を持ちだし、玄関へと駆けた。

 ドアを開け、見上げてもなお足りぬ大柄の体を目にした瞬間、ハマーンは回転式拳銃を構えた。

 

「よくもぬけぬけとカーン家の門をくぐったな! 恥を知れっ!」

 

 震えながら銃を構えるハマーンを見下ろしたドズルが、かがみこんでハマーンに視線を合わせる。

 

「ふん、マレーネとは似ても似つかんな。貴様には覇気がある」

 

 そういって、ハマーンの構えた拳銃の銃口を、わざわざドズルの額へと当てさせる。

 

「震えているな。撃ってみろ、小娘」

「……っ!!」

 

 侮辱された、と思ったハマーンは引き金を引こうとする。

 しかし、びくともしない。

 誰でも簡単に引き金を引けるはずなのに、とハマーンが観察してみると、撃鉄をドズルの太い指が抑え込んでいた。

 

「──よくぞ引いた。カーン家は安泰だな」

 

 ドズルに拳銃を奪われたハマーンは、ドズルの丸太のように太い足に突撃し、噛みついてみる。だが、ドズルは表情一つ変えず、とんでもない膂力で彼女を引きはがした。

 

「諦めも悪い。気に入った。将来、俺に娘が生まれたら、貴様に教育係を引き受けてもらう。強い子に育ててくれそうだ」

 

 そのまま暴れるハマーンを小脇に抱えて、ドズルが屋敷の中をすすむ。

 どうやらかつて訪れたことがあるらしく、簡単に応接室への侵入を許してしまった。

 

「……この程度で済んだか」と応接室を見渡すドズル。

「何がこの程度だ! わたくしたちがどれほど苦労したか……」

 

 ハマーンが怒りを込めて手足をばたつかせるが、いかんせん、体格が巨人と小人ほどの差がある。手も足もでない、とはこのことである。

 

「ドズルか」

 

 父が、どこから用意してきたのか、昔のような立派な格好をして出てきた。

 ドズルは、この暴れ馬を離していいか? と訊ねる。

 

「ハマーン、こちらへ来なさい」

 

 父にうながされるまま、解放されたハマーンは、さっと父の背に隠れて、ドズルを威嚇する。

 

「──俺は、貴様の家が羨ましい。ザビ家の連中はこういう元気の良さが足りん。ガルマには期待しているが、アイツはちょっと優しすぎる」

 

 ふん、と鼻息を荒げながら、ドズルは応接室の椅子に座るが、ミシリと音を立てて崩壊する。ハマーンは渾身の作品を壊されたことを強く抗議する。

 

「す、すまん……」

 

 意外にも、素直に謝罪して小さくなるドズルに、不覚にもハマーンはあらかわいらしい、と思ってしまった。

 

「ドズル、そっちのに腰かけてくれ」

 

 マハラジャに指図されたクラウン手製の椅子に腰かけたドズルは、久しぶりだな、と切り出した。

 

「正直、俺はお前たちがこの程度で済んで良かったと胸を撫でおろしている。サスロ兄暗殺の嫌疑をキシリアが無理やりダイクン派の連中に押し付ける計画では、時期をみて貴様らは私刑をくらう予定だった」

 

 もう、その予定は消えたがな、とドズルが吐き捨てる。

 曰く、ザビ派の市民がカーン邸へとなだれ込み、大衆の手によって殺される予定だったときかされて、ハマーンはザビ家の悪辣さを非難する。

 

「ザビ家に紳士はいらっしゃらないようですのね」

「いるだろうがよ、目の前に」

 

 ドズルが真顔で述べるので、どこにそんな悪党面した紳士がいるのよ、とハマーンが暴れると、騒ぎを聞きつけたセラーナがハマーンを止めた。

 

「姉さま、姉さま、言いすぎ」

「なんですの? この男の味方をするつもりだとでもいうのですか?」

 

 ハマーンがセラーナを責め立てようとすると、父に止められた。

 父は立ち上がり、ドズルに頭を下げる。

 

「今までの影ながらの助力、感謝する」

 

 なぜ、父が……感謝を? とハマーンは固まってしまう。

 

「頭を上げろ、マハラジャ。俺とお前は家の問題で敵味方だが、宇宙移民どもの未来についてみている方向は、同じつもりだ」

 

 ドズルの言葉の意味をハマーンは何一つ理解できなかった。

 この屋敷の敷地から出ることも許さず、散々さらし者にして、カーンの血が死に絶える様をみているだけなのがザビ家のやりかたではないのか、と、ハマーンはドズルに思いのたけをそのままに食って掛かる。

 

「ザビ家のキシリアが、そう考えただけだ。ザビ家のドズル・ザビはそうは考えん。貴様らの屋敷に妙な連中が近づかんように兵を張り付かせたし、お転婆共が不用意に外に出ないよう日夜監視させるコストは誰が負担したと思っている?」

 

 言っていることを、理解したくなかった。

 自分たちを閉じ込める番人たちが、実は自分たちを守っていたなどという話を信じろというほうが無理な話だ。

 

「──感謝しろとは言わん。実際、貴様が死にかけていても、直接手を貸すことはできんかったのは事実だ。あの生きのいい若造は、ちょうど都合がよかった」

 

 何の話だろうか、とハマーンは考えたが、生きのいい若造というドズルの言葉が、クラウンを指しているのだと気づくのにさしたる時間はかからなかった。

 

「ドズル、まさか……」

 

 父が、ドズルのたくらみを見抜いたのか、警戒するように見据える。

 

「そのまさか、だな。クラウンを俺の手元によこせ。あいつは本物だ。訓練機のMS04で現役の05、次期主力の06も倒して見せた。特技訓練を1か月で切り上げさせ、今は対艦攻撃演習に参加させている。そこでも仮想敵のサラミス級を何隻も落とせるとんでもないヤツだ」

 

 クラウンがザビ家に取られてしまう、と思ったハマーンは「もうお帰りになられたほうがよろしいかと」と、ドズルを追い出そうとする。

 しかし、ドズルは小ばかにしたように無視すると、大人の会話に混ざるなら、もうちょっと頭を磨いてこい、などとのたまった。

 頭に血が上ったハマーンだったが、よく考えれば相手のいうことを主観で解釈していては利用できるものも利用できないのでは? と考えを改めた。

 

「……もう少しだけ、お話をうかがいますわ」

「ギレン兄みたいなやつだな、貴様は……。で、クラウンの件だが、奴は条件を出してきた。その条件はすべて飲み、ギレン兄に頼んで蟄居・閉門を解かせ、あとは貴様らの安全を確実に保障することだ」

 

 もう、マレーネを月の大学に送り出して、そこで勉強させている、と告げるドズル。

 マレーネ姉さまが悲惨な目に合っているとばかり思っていたハマーンは、まさか? とドズルをみる。

 

「こんな……こんな悪党みたいな面なのに、善人だなんて誰も信じませんわ」

「あのな、人を善悪に分けるのをヤメろ。善悪相併せ持つのが人間で、どの面を誰に見せるかを決めるのが政治の遊びかたなんだよ」

 

 だから政治はきらいなんだ、とドズルはため息を吐く。

 彼は彼なりに、なにやら問題を抱えていそうではある。

 

「とにかく、クラウンを貸せ。MSの有用性をギレン兄に証明出来たら、返す」

 

 男に二言はない、と言い切るドズル。

 こんな男を信じてもいいのだろうか? ザビ家の男なのだから、狡猾なだまし討ちをしようとしているのではないか? とハマーンは訝しむ。

 

「──わかった。クラウンを貸し出す。ハマーンとセラーナの命だけは、守ってくれ。それが父と、従士クラウンの願いだ」

 

 父が頭をさげるので、お父様!? と背中を叩くハマーン。

 しかし、ドズルはうむ、と頷いて、暴れているハマーンの腕をつかむ。

 

「父親とクラウンに感謝しろ。貴様らは、アクシズに行け。あそこは追放されたダイクン派の連中が鉱山労働に従事させられている資源小惑星だ。そこの総督の地位をダイクン派の幹部だった貴様が担当するなら、誰も反対すまい」

 

 ザビ派の連中相手には、カーン家を追放したと言い張ることができる。

 一方で、マハラジャ・カーンはアクシズにて、ダイクン派の連中に対して力を蓄える時なのだと鎮撫する。

 誰も損せず、ギレンもマハラジャも得をして、ドズルはクラウンを好きに使えるというわけである。

 

「……お屋敷どうなるの?」

 

 セラーナが話を分かっていないなりに、口を挟む。

 皆でアクシズに行くならば、この屋敷は朽ち果てるだけに思えるのだろう。

 

「クラウンが留守を守る。ぼろ屋敷だが、主家の屋敷を守るのもまた従士の務め。クラウンの胸元に勲章が揃った頃を見計らって、アクシズから逃げ出してこい」

 

 以上だ、とドズルは立ち上がり、父と握手を交わした。

 カーン家の当主は父だ。

 だから、父がそう決めたのなら、ハマーンは粛々と従うしかない。

 

「──クラウンを迎えに来させる。わずかの時間だが、水入らずで過ごせ。それが俺にできる気遣いだ」

 

 そう言い残して、ドズルは屋敷の中を闊歩して、堂々と出ていった。

 あんな風に、ただ歩いているだけで立派に見えるようにしなければならないのかと思うと、ハマーンはまだまだ、何もかもが足りないのだと至らなさを恥じた。

 

 

 後日、クラウンが軍服を着て帰ってきた。

 ハマーンとセラーナは、制服姿の彼に向って庭を全力疾走する。

 二人で一斉に飛びついたのを、クラウンがさらに逞しくなった体で受け止めてくれた。

 出ていったときよりも、もっと精悍な顔つきになっていて、ちょっとだけ怖かった気もしたけれど、ハマーン様、セラーナ様、と優しく呼びかけてくれるその姿は、相変わらず、間違いなくクラウンであった。

 

「……遅いですわ、クラウン。何事もなければ、真っ先にわたくしに挨拶するのが従士としての務めですわ」

 

 クラウンに抱き着いたままのハマーンは、そういって彼から離れない。

 やれやれと失笑するマハラジャや、セラーナも、とねだる妹のことなど構っていられなかった。

 

「ハマーン様、まずは皆様の自由と身の安全を勝ち取ってまいりました」

 

 クラウンはそう言って、ハマーンを抱き寄せてくれた。

 本当に、わたくしの従士はすごいのだ、とハマーンは誇らしくて、頼もしくて、世界中に自慢したくて仕方がなかった。

 

「苦労を掛けたな」と父がねぎらう。

「いえ、まだ最初の一歩です。しばらくアクシズに避難なさってください。キシリア様の手は及ばぬよう、ドズル閣下と必ずやお守りいたします。ガルマ様がいる士官学校の連中も連邦相手に一騒動起こすつもりのようですし……下手に本国にいるよりは安全かと」

 

 クラウンが力強く約束してくれるが、ハマーンが欲しい言葉はそれではなかった。

 ぎゅっとクラウンにしがみついたまま、彼女はクラウンに命じる。

 難しい政治の話などどうでもよかった。

 ただ、ハマーンのことを抱きしめて、安心させてほしかった。

 

「クラウン……約束、覚えていらっしゃいますわよね?」

 

 もちろんです、ハマーン様、とクラウン。

 私が必ずや、一生、ハマーン様の幸せをお守りいたします──

 

 

 

 嘘、つき。

 真っ暗な独房のベッドにて枕を濡らすハマーンは、頼りない嘘つきの従士の言葉と面影にすがり、孤独に耐えつづけていた。

 

 

 彼女の耐える姿を独房の小窓から覗いていた監視の女兵士が、通信機を手にする。

 

「――そろそろでしょう。餌を与えれば、こちらのいうことを聞くかと」

『結構。彼女と従士にはジオン共和国の礎になっていただきましょう。ジーク・ジオン』

「ジーク・ジオン」

 

 通信を切り、再度ハマーンの様子をうかがう女兵士。

 呼吸をしていることを確認し、彼女が愚かな行い――例えば、自傷行為などに至らぬよう監視するのも、重要な任務である。

 女兵士は、ハマーンの定期観察報告を送るべく、端末を取り出す。

 その端末の待機画面には、木星を背景とした威風堂々たる艦隊の姿が写っていた。

 

 

 

 





いろんなセンセのお話読んでますが、みんな天才ンゴねぇ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六六話 0084 ハマーンと、クラウン(3)

愛は、与える者と受ける者、二つの関係があってはじめて本来の輝きを成すもの。どちらが欠けても不完全……

――ゼノギアス フェイのセリフ


 

 

 ハマーンは、自身に対して行われた実験やトレーニングの回数を精確に数えていた。

 独房には情報端末も、ペンもなかった。それが逆にハマーンに記憶するべきものを明確に意識させることに繋がったのである。

 すでに、あの実験が2日に一度行われているのだとすれば、ひと月ほどは経過していることになる。

 この程度のことでへこたれるつもりはなかったハマーンだが、ここ数日、明らかに枕元に自身の頭髪が僅かに抜け落ちていることに気付き、自分自身も気づかぬうちにストレスによって変調をきたしているのを悟る。

 

「ハマーン・カーン、出ろ」

 

 また、女性兵士に命じられた。

 女性兵士たちは交代制でハマーンの対応に当たっているらしく、顔なじみになるような機会は与えられなかった。虜囚と親しくならぬよう細心の注意とコストをかけられているのを察するが、ハマーンには、やはり理由に思い至らなかった。

 

「──今日は、実験の日ではないでしょう?」

 

 ハマーンは何も情報を与えられない中での、些細な抵抗を試みる。実験など相手の都合なのだから、こちらがどうこう言えるわけもないことは承知している上での、ほんとうに小さな抗議である。

 

「実験ではない。これに着替えろ」

 

 手渡されたものは、衣服であった。

 拉致されたあの日に来ていたもので、ひどく破れ、焦げ跡が生々しい。

 こんなものをきれば、肌が広く露出してしまうだろう。

 

「断る、と言ったら?」

「我々がお手伝いするまでです」

 

 相手方の意思は固そうだ。

 ハマーンは心もとない衣服のようなものになり果てたそれに、不服の表情を浮かべながら着替える。

 

「──はい。演出意図通りになるかと。衣装も問題ありません」

 

 女兵士たちの中の一人が、誰かと通信しているのを耳にするハマーン。

 演出? なんの話だろうか。

 まさか、この格好で人前で何かをやらされるのか、と思うと、膝が震えてくる。

 彼女とてレディと呼ばれる年頃なのである。

 羞恥とは名誉を傷つけられる恐怖である。名家の子女にとって肌は出すべき時に自らの意図で出すべきもの。それをこのような形で意に添わぬ露出を迫られるなど、まさに不名誉そのものであり、羞恥でしかない。

 

「いまさら、辱めるなどということは……」

「我々は規律ある集団だ。ハマーン・カーン、あなたの想像するようなことはない。黙って我らの筋書きに従え」

 

 女性兵士たちが誇りを傷つけられたかのように、厳しく言い立てた。

 その物言いに、ハマーンはただの痴れ者たちではないのでは? という別の不安を抱く。

 もし、このものたちが言うように規律ある集団なのだとしたら、それを徹底させる指導者がいるということになる。

 その指導者が、ハマーンを必要としている──そんなことを考えると、うすら寒くなってくる。カーン家をあてこするような利用のされかたは、散々にこの体に染みついている。だが、今度は違うのではないか? と、ハマーンは、自らの知らない、新たなる悪意に震えが止まらなくなる。

 

「おい、しっかり立たせろ」

 

 兵たちがハマーンを抱え上げる。

 無理やりに歩かされるハマーンは、肩のあたりに鈍い痛みを覚える。

 しかし、それでも自力でまっすぐ歩むことは厳しかった。

 想像しえない悪意が自分に向けられているのではないか、と思うと、体が強張ってしまう。

 

 

 

 ここからは無重力エリアだ、と言われて初めて、自分が何か大きな艦艇に乗り込んでいるのだということが分かった。

 艦橋と思しき区画へと連れられて行く際に、艦名と思しきものが刻まれた金属板を目撃する。

 ラビアンローズ級要塞艦ラビアン・クラブとあり、そこには『諸々のガノタよ、賢くあれ、地のガノタらよ、戒めを受けよ』と彫られていた。

 ハマーンはそれの意味することは分からなかったものの、それが旧世紀におけるキリスト教の経典に書かれし文言に寄せたものであることは分かった。

 ガノタ……なにかの隠語であろうか、とハマーンは今まで受けた教育を振り返るが、なにかはついぞ、分らぬままであった。

 

「司政官閣下、御連れいたしました」

 

 ブリッジの扉の前で女兵士が告げると、ドアがスライドする。

 そこは戦闘艦の艦橋というにはあまりにも広いように思えた。

 ザンジバル級よりはずっと広い、と思う。

 1年戦争終結後、クラウンに頼み込んで『赤い彗星』シャア・アズナブル大佐の座乗艦のザンジバル級に乗せてもらったことがあるが、あの時みせてもらったブリッジは、もっと手狭で、様々な機器やモニタ、ケーブル類が所狭しと並んでいたはずだ。

 ただ、もしかしたらこんなものだったのかもしれない。

 あの時はクラウンがやたらとアズナブル大佐を警戒していて、ハマーンに『あの影のある美貌に騙されないでください。大佐は若い女とみればすぐ手を出してくる、筋金入りのプレイボーイです』と、しつこかったので、艦艇の詳細をよく覚えていないのである。

 ただ、確かにクラウンのいう通り、アズナブル大佐はハマーンもうっとりするほどのグッドルッキングであったことは明確に覚えている。

 

「ご苦労」

 

 司政官、と周囲から呼ばれているスーツ姿の男がこちらに向かってくる。

 ハマーンを連れてきた女性兵士たちが、姿勢を正して、スーツ姿の男に敬礼をする。

 

「ご苦労様、任務に戻ってください」

 

 司政官がそう告げると、女性兵士たちはハマーンをゲスト用と思しき椅子に腰かけさせて、その背後に立つ。

 

 スーツ姿の男は、ハマーンの椅子の前にて跪くと、恭しく頭を垂れる。

 デビュタント以来、このような紳士の振る舞いになれているハマーンであったが、スーツ姿の男から向けられる値踏みするような目には嫌悪感を覚えた。こちらの体に値段でもつけるのかというくらいにねっとりとした眼差しは、不快でしかない。

 

「ハマーン・カーン様、御機嫌うるわしう──うんうん、いいですね。卑猥さと哀れさを両立できています。この演出なら間違いなくうまくいくことでしょう」

 

 満足げに立ち上がるスーツ姿の男。

 不快感だけがのこるハマーンは、彼を睨む。

 

「その眼差しも良いですね。反抗的で、刺さりますね」

 

 さて、とハマーンの敵意をあっさりと無視したスーツ姿の男は、戦場を拡大しろ、と命じる。

 中央の天井から張り出している大型モニタに、ハマーンがニュース映像やドキュメンタリー画面で見たことのある戦場の光が写っていた。

 

「ご覧の通り、我々ジオン共和国は、ただいま交戦中です。もちろん相手はジオン公国──つまり、ザビ家の犬どもです。この犬たちの中で最も元気なのが、こちらの御方です」

 

 モニタに映るは、冠のエンブレム頭部に刻み、指揮官のしるしであるツノを誇らしげに立てたハイザックである。

 望遠越しのCG補正入りであれども、その姿は戦場の華。

 ハイザックがハマーンの知らないMSをいくつも撃墜していく様は、アクション映画で簡単に敵を倒して進む主人公のようにも見える。

 

「……クラウン」

 

 ハマーンは彼の名を呼び、手で顔を覆った。

 やはり、彼は来てくれたのだ。

 敵陣奥深くにとらわれていようとも、彼なら、歴戦のクラウンならば、そんなことなど問題ではないのだ。

 

「C目標。速度変わらず」

「304防空中隊、C目標により壊滅。中隊本部、通信途絶」

「305、306で挟み込め。防空連隊が一機に虚仮にされるなど、あってなるものか」

 

 連隊長らしき大佐が、声を荒げながらオペレーターに指示を出している。

 指示を飛ばしている者も、それを受けている兵たちもジオンの軍服であることから、ハマーンは自分が軍内のクーデターか何かに巻き込まれていることを知る。

 そうすると、あの画面の向こう、つまり宇宙の中で本来は味方どうしであるべき者同士が殺し合いをしていることになる。

 

「なんと破廉恥な……」

 

 ハマーンは思わず、無様な権力闘争の成れの果てに失意の言葉を漏らす。

 ようやく30倍に及ぶとも言われる地球連邦政府との国力差を覆し、ジオン公国にとって有利な条件で停戦と事実上の独立を勝ち取ったというのに、なぜ……と、一介の学生の身でも分かる理不尽さに拳を強く握る。

 

「いやはや、全くですね。我らジオン共和国は平和を愛しています。ザビ家の傀儡に過ぎぬジオン公国とて、すでに我らと一時休戦を結んでいるというのに」

 

 休戦? もしその話が本当ならば、クラウンは勝手に戦っていることになる。

 命令違反は死刑もありうる、と聞き知っているハマーンは、ひゅっと息をのんでしまう。

 

「さすが、カーン家のご令嬢。我々の意図を察していただけてうれしい限りですね。そう、あなた様の御声で、あの破廉恥な英雄を止めていただきたいのです」

 

 司政官と呼ばれる男は、ちらりと指揮を執っている大佐のほうに視線を向ける。

 それに気づいたのか、大佐は抗議をするように、まだ我々はやれますっ、とスーツの男に向かって強く主張する。

 

「ウォルター・カーティス大佐、君の言葉はわかるし、信じたいのですが……相手が悪すぎますよ」

 

 君は悪くない、と含んで聞かせるためか、司政官を名乗るスーツの男は抑揚を抑えた声で、説得を強める。

 

「兵も実戦経験のない戦後組だというのは承知しています。何一つ、あなたの指揮に落ち度はありません──ですから、命の無駄遣いはやめましょうよ? 司政官としてのお願いです。若者を使い捨てるなんてあなたらしくないですよ」

 

 逃げ道を与える説得に、政治の手管に長けた人物なのだろうとハマーンは感じた。

 

「……本土第三防空連隊、転進し再集結地点へ」

「よい判断ですよ、大佐──さてと、ハマーン様、通信を繋ぐのでよろしくお願いいたします。彼に無辜の兵をこれ以上殺させぬよう、御説得ください。ただ、少々こちらで演出させていただきますがね」

 

 つないでください、と通信兵に命じた司政官。

 ハマーンの手元に通信端末が渡され、スピーカーモードでクラウンのハイザックとつながる。ミノフスキー粒子が濃いので通信音質が荒れていたが、何とか聞き取ることはできそうだ。

 

『──ハマーン様っ! ご無事ですか!?』

 

 クラウンの声だ、とハマーンは胸元に手をやりながら応答する。

 

「クラウンっ! 遅いですわっ! わたくしが迎えにこいと言ったら、すぐに迎えに来るのが従士の務めですのよっ!」

『はっ、このクラウン、身命に変えましても、ハマーン様の足元に馳せ参じます』

 

 間違いなく、彼だ。ハマーンは兵の視線もあるため、歓喜に打ち震える内面を隠し、真っ先に訊ねたかった父やセラーナのことを問わず、先に戦を止めるというノブレス・オブリージを果たすべく姿勢を正す。

 

 よし、映像を送ってください、と司政官が指示を出すと、技術兵がカメラを抱えて、舐めるようにハマーンを撮影する。

 

『──!? ハマーン様、その御姿は……ッ!』

 

 C目標、さらに加速、と通信手。

 カメラをこちらに、と司政官が促す。

 

「やぁ、お初にお目にかかります、ジオンの英雄さん。僕のことを君は知らないだろうけれど、僕は、君をよく存じ上げています」

 

 そう挨拶をする司政官に、クラウンの冷たい声が向けられる。

 

『貴様、ハマーン様に何をした?』

「ナニって、そりゃもう楽しませていただきましたよ。反抗的なハマーン様を屈服させていく征服感というものは、御想像できますでしょう?」

 

 司政官の煽るような言葉の選び方。

 ハマーンは違いますわっ! と声を大にして主張するのだが、通信手の作為によってハマーンの音声はクラウンに届いていないことを悟る。

 説得しろ、と言っておいて、この男は何を考えているのだ? とハマーンはスーツ姿の男をきつく見据えてしまう。

 

「今の映像、見えました? 良い目をしていますでしょう? これが証拠というものですねぇ」

 

 司政官の物言いに対して、しばしの沈黙。

 ハマーンが聞いたこともない、クラウンの歯ぎしり音をマイクが拾っている。

 艦橋に緊張が走るのが、ハマーンにも分かる。

 通信越しであろうとも、クラウンの殺意が漏れ出でてくるように思えるからだ。

 

『──ハマーン様、臣の不甲斐なさを、どうか許さないでいただきたい』

 

 震える声であった。

 相手に対する殺意や敵意ではなく、ハマーンにどう寄り添うべきかを苦悩するクラウンの思いをハマーンは感じ取る。

 

 司政官が、今ですね、とハマーンに停戦を説得しろ、と告げる。

 

「クラウンっ! いまの不埒者の発言はすべて嘘ですっ! 信じてはなりませんっ!」

 

 ハマーンは否定しようとするが、どのような言葉を用いたところで、今すぐに誤解を解くことはできぬであろうな、とも分かっていた。

 クラウンは、忠臣である。

 彼がハマーンを想う気持ちは、サイド3のすべてのコロニーを足し合わせても、収まりきらぬほどであろう。

 

『ハマーン様……従士クラウンは、どうしたらよろしいのでしょうか……? ハマーン様がお望みになるならば、皆殺しをご覧に入れましょう……』

 

 ハマーンにとっては意外な応答であった。

 彼女の言葉は何でも信じてくれるはずのクラウンが、なぜ、何もされていないと頑なに主張する彼女の言葉を受け入れてくれないのか、彼の精神状態が心配になってくる。

 

 それに、いつもなら、クラウンがああしろこうしろと、ハマーンに助言をくれる危急の時であるというのに、なぜか、打ちひしがれたかのように弱々しい声で、判断を仰いでくるではないか。

 

 司政官が「MSを落とせないならば、パイロットを落とせばいいだけのこと」と鼻で笑うのをハマーンは聞いてしまう。

 

 どう、命じたらいいのだろうか? 

 

 ハマーンの命令次第では、クラウンはこの艦を沈め、ハマーンを助けることくらいやってのけるであろう。

 だが、その命令をハマーンは下せそうになかった。

 自分を攫ったものたちに好意などかけらもないが、かといって殺意があるわけでもない。

 決めるための、判断材料が欲しい。

 

「クラウン、父は無事ですか? 屋敷の者たちは?」

『……臣が、不甲斐ないばかりに……慙愧に耐えません』

 

 通信機を、指が白くなるまで強く握るハマーン。

 そう、ですか……とハマーンは跳ねた心をごまかすために、言葉を探す。

 父を失ったという事実を受け止めきれそうにない。

 なにか得体のしれない波のようなものがこみあげてくるが、それを強引に抑圧する。

 逃げ場は、立場。

 カーン家の当主となったという逃げ場に、あっさりとハマーンの心は飛び込んだ。

 カーン家当主なのだから、ハマーンは当主として振舞うべし、という逃げ場をみつけて自分の心に蓋をする。

 

 皆殺しにしよう──という決意だけが、心の奥底に沈む。

 だが、今ではない。

 復讐とは衝動によって場当たり的に行うべきものではなく、観察に基づき隠密に準備されるべきものなのである。

 ただ殺せばよいものではない。

 愛するものを奪うことが重要なのである。

 それでいて、こちらの愛するものを守り切らねばならない。

 不毛で、不快で、不寛容なゲームをはたしてクリアできるのか、ハマーンは算段を立てようとする。

 

「ああ、そうそう。ハマーン様。最愛の妹君であるセラーナ様は我々がしっかりとお預かりしておりますよ」

 

 モニタに映し出されたセラーナは、他の級友たちと励まし合うようにして雑居房で耐えているらしい。サイド3の寄宿学校に入っていたのだが、そこもどうやら奴らの手の内にあるようだ。

 

 ハマーンは、察する。

 この司政官とやらは、人を食らって生きてきたのだと。

 だから非道な手段をこうもタイミングよく、ここぞというとばかりに使えるのだろう。

 人の命も想いも、すべては目的のために利用すべき道具とみなしているに違いない。

 

 手元に拳銃があれば、躊躇いなく引き金を引けるであろう。

 だが、司政官を殺すだけでは問題は解決しない。

 

 ハマーンは確信した。

 大きな悪意が自分たちを捕えたのだ、と。

 その悪意を打ち砕き、逆に食らうことこそが、今のカーン家当主たる自分に課せられた使命だと、言い聞かせる。

 

「──クラウン、わたくしに合流なさい」

『はっ。しかし……』

「まずは、父と挺身した家人たちを弔いたいのです、クラウン」

『……心中をお察しできず……いま、武装解除して御身の傍へと駆け付けます』

 

 ハマーンは、嘘をついた。

 心を預けているに等しい存在に対してさえ、呼吸するように嘘をついた。

 嘘をつくだけにとどまらず、吐いた嘘で自分すらも騙す技術を使いこなさねば……あの司政官とやらを始末するのは難しいだろう。

 

 状況も分からず、すべての主導権を司政官に握られている以上、すべてが推測や憶測に基づく判断になる。

 まずは、その状況から脱却し、確実に復讐の時機を見極める。

 

 司政官に、復讐を。

 そして、ハマーンは自分自身にも復讐を遂げたくて仕方なかった。

 責める心が、彼女を駆り立てる。

 

 ハマーンは抑えていた心の蓋から何かが漏れているのを感じる。

 それが己に対する憎悪であることを自覚するが、とめどなく漏れ出てくるそれをどうにもできない。

 ただ父とクラウンの庇護のもと、油断していたからこうなったのだ、と、かつてドズル・ザビに拳銃を向けた幼き頃の己が、いまのハマーンに銃口を突きつけている様を幻視する。

 

 お前は、カーン家の女。

 油断すれば、すぐに愛するものを奪われる家に生まれた女なのだ、と幼い自分が忘れるな、と警告している。

 

「いやぁ、上々ですねぇ。これでクラウンも確保いたしましたし、ジオン共和国はなんとか形になりそうです。ハマーン様、感謝していますよ?」

 

 しらじらしい司政官に唾を吐いてやりたいが、そうもいかない。

 何一つこの男の狙いも、正体も分かっていないこの状況で、あからさまに敵対してまたどこかに拘束監禁されてしまったら、クラウンとの接触もできず、セラーナ救出に支障をきたしてしまうとハマーンは判断する。

 

「司政官とやら。あなたがクラウンを利用しようとするならば、カーン家当主たるわたくしの承諾なしでは不可能です」

 

 今言えることは、この程度しかない。

 手持ちがなにもなく、政治ゲームの土俵に立てていない己の手札の弱さには、悔しさを通り越して情けなさすら覚える。

 

「存じ上げておりますよぉ。まぁまぁ、ちゃぁんと事情は説明して差し上げますから、しばらくは愛しのクラウン少佐と乳繰り合ってきてください──いいですねぇ。ハマーン様はその調子で私を憎んでくださいね。その方が原作に近くて美しい」

 

 連れていけ、と司政官が命じると、背後に控えていた女兵士らにハマーンは抱えられ、ブリッジを退出させられる。

 自分で歩ける、と抵抗するハマーンは、こんなことしかできぬ己が、大嫌いになる。

 

 本当は、自分の足で歩いたことなどなかった。

 

 一人で歩いていた気になっていただけで、いつも父やクラウンに、影に日向に背中を押してもらい、肩を借りていたのだというのは、実のところ、ずっと気づいてはいた。それでいて、こうやって思い知らされるときが来るなどとは思っていもいなかったのである。

 

 最愛の従士が、そのような苦難を打ち払ってくれると思い込んでいた己の浅はかさを呪いながら、ハマーンはクラウンと会って、何を話したらいいのだろうか、と言葉を探す。

 

 

 

 ハマーンとクラウンの再会は、艦内PXの事務所にて行われた。在庫品の箱に囲まれた中に椅子が二つ向き合っているだけの場に、二人は連行されてきたのである。

 

 兵士たちは二人を事務室に通すと、そのまま出ていった。

 監視カメラが動いているのはハマーンもクラウンも気取っていたが、それは問題にならない。

 

 主従は、無言で歩み寄って抱き合った。

 ハマーンは、ぼろぼろの彼の体を確かめるように抱きしめた。

 レディと呼ばれる年頃になり、このように殿方に触れる機会はなかったが、かつて幼き頃に全力で抱き着いていた彼と同じように、たくましく思えた。我が従士の益荒男ぶりをうれしく思うと共に、彼の体をここまで傷つけた敵を憎む気持ちが芽生える。

 

「よくぞ、よくぞ来てくださいました」

 

 ハマーンは、彼があまりにもボロボロだったことと、その体であってもしゃにむにここまで助けに来てくれたことを思うと、胸が詰まる。苦労を掛けたのであろう。いかほどの苦痛を無視して、ここにたどり着いたのだろうか。どれほどの敵を打ち倒してきたのだろうか。

 

 ──傷ついた彼を見ているのがこれほどにつらいということを、彼女は初めて知った。

 

 しかし、ハマーンの謝意など届かぬほどに、くたびれ果てているようである。

 

「……どうか私を、お許しくださらないでください……私は、取り返しのつかぬ失敗をしでかした破廉恥な男です」

 

 マハラジャ様をお助けできず、セラーナ様を守れず、挙句、ハマーン様が辱めを受けるなど、何たる不覚、と、クラウン。

 彼がハマーン抱く腕は、いたわるように優しかったが、とても震えているのをハマーンは肌で感じ取る。

 

「臣は……ハマーン様に、顔向けできません……」

 

 膝から崩れ落ちるクラウンを支えるように、クラウンの頭をハマーンは己の胸のあたりで抱き寄せてやる。いつか殿方を胸元に抱き寄せる日もこようとは思っていたが、その相手がまさか彼になるとは思っていなかった。

 セインは、主家と婚姻を結ぶことができないからである。

 一生涯を通した強固な主従関係であり、対等な関係である婚姻関係とは相反するのである。

 

「クラウン」

「……はっ」

 

 胸元に抱いている彼からは、もう震えを感じない。

 むしろ、力が抜けているように思える。

 クラウンの吐息を、腹のあたりに感じてハマーンはすこしくすぐったく思う。

 

「クラウン、わたくしは良い香りがするでしょう?」

「!?」

 

 クラウンの息が止まる。

 

「よいのです。クラウンの前に肌を晒すことも、このように肌を重ねることも、わたくしはうれしく思うのです。我が忠臣、クラウン。よく、わたくしの元へと帰ってきてくださいましたね」

 

 ハマーンがねぎらうと、クラウンの呼吸が再び荒くなる。

 あ、う、と、まるで何かをこらえているようであった。

 彼女は、クラウンの頭を撫でながら、問う。

 

「わたくしとの約束を覚えているかしら?」

 

 ハマーンの問い。

 それに、クラウンは声を震わせる。

 

「はい。一生、私はハマーン様を幸せにいたします」

「それを、重荷に思うなら、捨てていいのですよ?」

 

 ハマーンは覚悟を決めて告げた。

 ここから先の司政官との化かし合いに、恩のある彼を巻き込みたくないという思いや、彼を──あまりにも大事に思うがゆえに、彼を司政官に利用されるのではないかと、危惧してのことである。

 愛するものを切り離さなければ、謀略のゲームでは不利になる。

 そんなことは自身を小娘であると自覚するハマーンですら分かっていた。

 

「私の元から去っても良いのです。カーン家への忠義、あなたは存分に果たしましたわ」

 

 ハマーンがそう告げると、先ほどまで力なく、ただハマーンの胸元に顔をうずめていただけのクラウンが、突如力を取り戻したようだ。

 奮うがごとく彼は屹立し、ハマーンはぐいっ、と彼の鍛えられた胸板に抱き寄せられた。

 先ほどまであんなに弱々しかった男とはとても思えない。

 ああ、この強さこそクラウンだ、とハマーンはクラウンの匂いを感じる。

 彼の広く大きな手が、ハマーンの背中を、腰を、強く抱いているのを感じて、仄かに体が熱くなってくる。

 

「──二度とそのようなことは申し付けないでください。このクラウン、いま、一生分の幸福を得ましたゆえ、必ずや御恩返しをさせていただく」

 

 臣下の立場をわきまえず、失礼しました、とクラウンがハマーンから離れる。

 もうすこし抱いていてくれても、とハマーンが幼い日の如き安息感を覚えたことを正直に告げる。

 

「クラウンに抱きしめられている間だけは、父を失ったことも、セラーナことも、不謹慎にも忘れていられるのです……わたくしを、破廉恥な女だと思うでしょう? 女をやっているわたくしのことを、軽蔑してくださってもいいですわ」

 

 ハマーンは涙をこぼすまいと頑なに瞳を閉じ、うつむき、情けなく膝を震わせながら素直な気持ちを告げる。

 この如何ともしがたい状況で、下手をすれば死ぬかもしれぬ未来がある中──女として、クラウンを想う気持ちがあることは、隠しておけなかった。

 それが主家とセインの関係にあっては許されぬことであり、決して交わることのない想いであることも分かっていながら、告げてしまったのだ。

 

 だが、不意に手を取られた。

 涙にうるんだ視界には、クラウンがハマーンの手を取り跪拝する姿。

 その姿に、ハマーンはクラウンがやはり臣下なのだと思い、失望を隠せない。

 

「──やはり、抱いてはくださらないのですね」

 

 ハマーンは傷つけるであろことを知りながら、言葉で刺した。

 だが、次の瞬間、ハマーンは手を引っ張られ、態勢を崩された。

 そのままクラウンに抱き留められ、唇に熱いものを感じる。

 思わず、うるんだままの瞳を大きく開くハマーン。

 その瞳から大粒の涙がこぼれる。

 しばらく息が出来ず、彼に唇を奪われた自覚すらできないほどに、ハマーンは混乱していた。

 頭のうしろから背中にかけて、激しく痺れるような感覚。ハマーンの体に、今まで感じたことのないセンシティブな刺激が走り、彼女はクラウンに体を預けてしまう。

 

「……ダメ、カメラにみられて……あっ!」

 

 彼女がクラウンを押しのけるようにして唇を離し、抗議する。

 しかし、彼はぐい、とハマーンを誘い、再度、彼女の唇を塞ぐ。

 それだけではない。

 彼の舌が、ハマーンの舌に絡みついた。

 ハマーンは自分の体を制御できない。

 びくり、と体が跳ねて、淡い、とろけるような快感がへその下あたりから走る。

 全身に脈動を感じ、乳房の先端が痛いほどに固くなっているのが分かってしまい、その羞恥に身を震わせずにはいられない。

 

 ようやく、唇が離れ、ハマーンは思わず彼の瞳をみつめてしまう。

 

「ハマーン様、これが私なりの、男をやるということです」

 

 そして、また激しく抱き寄せられてしまうハマーン。

 心臓がばくばくして、何をどうしていいのやら見当もつかない。

 

「──こういうことは、ハマーン様が本当に女をやりたいときのために取っておきましょう」

 

 これがクラウンなりの答えなのだと察したハマーンは、胸の奥だけでなく、顔まで熱くなってしまう。

 

 男をやる用意はある、ということは、ハマーンが望むすべてに応えてくれるということ。

 従士と主家の間に許されぬ関係であり、いずれハマーンが婿を迎えた時には不義となろう。しかし、そのような不名誉など彼なら踏み越えてくれるというのだ。

 

 それを確認できただけでもよかった。

 父が死に、妹が拉致された事実を忘れるために女をみせてしまう浅はかな自分にとって、これほどに過分な男は、もう現れないだろうと確信できた。

 彼はわたくしとともに堕落してくれるのだ、と想うと、悪を引き受け、悪を成す覚悟と活力が湧いてくる。

 

「──見られて、しまいましたわ」

 

 ハマーンは視界に入った監視カメラに視線を向ける。

 映像をどう利用されるかを考えると、あまり褒められたものではないな、とハマーンは浅はかさのほうを恥じる。

 

「ご安心を、ハマーン様。すべてループさせています」

「は?」

「ハマーン様の想像以上に、クラウンは強く、狡猾でございます」

 

 自信を取り戻したらしいクラウンの姿に、ハマーンは安堵を覚える。

 彼が立ち直ったなら、あとはセラーナを助け出し、父と家人を殺した連中に報復するだけである。

 ただ、一点だけ気になるところがあるので、ハマーンはクラウンに問う。

 

「……狡猾ということは、先ほどのその……くちづけも……なにかたくらみが?」とハマーンが上目遣いで訊ねると、クラウンは首を振る。

 

 あれはもう成り行きと言いますか、そうせざるを得ないと言いますか──あれは、あまりにもあざとい、とのたまうクラウンに、ハマーンはデコピンを食らわして懲罰をあたえた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六七話 0084 回天の日

ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。

――宮沢賢治『銀河鉄道の夜』


 

 スーツ姿の男は、ラビアン・クラブのゲストルームのキーパッドに触れる。

 ドアが開き、室内へと立ち入った彼は、はぁ、とため息をつきながらソファに身を投げる。

 ソファにだらしなく身をゆだねた彼は、宇宙艦艇としては非常に贅沢ともいえるクラゲが漂う水槽を見つめる。

 

「やれやれ。何が正しいのか、全く見当もつきませんねぇ」

 

 やれやれ系主人公のマネをしてみる。

 そんな残念な彼は、司政官などと呼ばれている。

 隠すことでもないが、その正体はガノタである。

 ただし、彼はガノタではあるのだが、いわゆるMS専門のほうであり、MSをみたら条件反射的にその型と名称、固定武装や諸元を暗唱できるタイプである──残念ながら、ガンダムの世界で生きることになったとき、なんの役にも立たぬことは本人も百も承知である。

 

「あぁぁぁああぁぁっ! 何でもかんでもハイッ! って元気よく答えてたら、とんでもねぇことになっちまったぁぁぁっ!」

 

 彼は、ソファに置いてあったクッションに顔をうずめながら絶叫する。

 後悔の叫びとともに、足をばたつかせる。

 美少女でも何でもない彼の行いは、かわいさゼロのウザさ100倍である。

 

「……時間、巻き戻りませんかねぇ?」と彼はうごご、とクッションに顔をうずめる。

 

 

 

 さて、ガノタには二種類しかいない。

 傷ついたガノタと、そうでないガノタである。

 

 彼は多くのガノタと同じように、傷ついたほうのガノタだった。

 人の世というものはままならぬものゆえ、多くのガノタは社会で傷を負わされる。

 何かで失敗して這い上がるのに苦労するガノタもいれば、何処かで傷だらけになりながら耐え忍ぶガノタもいる。

 

 彼もまた、傷ついてきた。

 とはいえ、大した傷ではない。

 受験に失敗したのを皮切りに、人生におけるイベントでことごとくやらかしてきた。

 高校受験や大学受験もダメ。

 就職活動もうまくいかず、ありついた職との巡りあわせもあまりよくなく、いつまでもフラフラしていた──という程度の、21世紀初頭のアフガニスタン人からすれば幸せ以外のなにもでもない、福祉国家日本でありがちな、相対的不幸のラインを滑走する人生。

 

 そんな彼は、バイト先である大規模商業施設の警備員をしているときに、火災に巻き込まれた。

 あの日はいつもとそう変わり変わりなかった。

 フードコートや様々なアパレル、書店などが入居するショッピングモールは、いつも通りの盛況。不景気も何のそので、人、人、人である。

 楽しそうにショッピングをする家族連れなどをみて、俺の人生にもそういう可能性はあったのかなぁ? などとため息をついていた彼は、突然の警報にビクリ、と跳ねた。

 騒然とする館内。

 人々が口々に何事かとざわつく中、警備員だった彼はダッシュで無線で指示されたところへと向かった。

 

 逃げ惑う人々の波をかき分けていくと、煙を感じ、そして熱を肌にあびた。

 視界に入った黒煙とオレンジ色の炎が、難燃素材で出来ているはずの壁紙を燃やしている。何人かの客が煙を吸ったせいで倒れ込んでいた。

 それを見捨てて、訓練通りに防火扉を閉めてしまう、という選択肢はなかった。

 

 誰かが、まさかのガソリンを使った焼身自殺+放火という禁忌をしでかしたという無線からの情報などどうでもよかった。

 

 死なば諸共という相対的不幸の怨念たる業火が迫る中、彼は決断した。

 警備員に支給される濾過式避難用防煙マスクをかぶり、壁際の消火栓の扉をこじ開ける。

 ホースを引っ張り出し、消火栓とつなぎ、放水口を迫る火炎に向けたのである。

 

「早く逃げて下しぁっ!!」

 

 消火栓を使って、混乱する客たちが逃げおおせる時間を作り出そう、と決めた。

 彼が警備会社の研修で学んだ消防訓練の通り、消火栓にて、火柱に立ち向かう。

 肌がヒリヒリするどころでは済まない熱風を浴びながら「逃げろっ!」と落ち着きの欠片もない、切羽詰まった声を上げ続けた。

 

 応援に駆け付けた同僚が、やばいぞこれ、と逃げ遅れていた客を抱え起こしている。

 人を抱えて移動していたら、延焼速度に追いつかれると判断した彼は、覚悟を決めた。

 時間を、稼ぐ、と。

 気が付けば防煙マスクは朽ちて、プラスチックフレームが溶けて顔面を焼いていた。

 彼の気管と声帯も熱風に焼かれ、苦しさのあまりホースを抱えたまま倒れてしまう。

 誰かが彼を助けようとしたが、すでに迫りくる火柱の熱に負けたらしく、その声は遠くなっていった。

 

 傷だらけのガノタ人生であったが、最後の最後に負った傷は、他人のための傷であった。

 それが幸いしたのか、酸素不足で気を失った彼は、意識があるまま焼け死ぬ、という悲惨な最後を迎えることはなかった。

 

 

 

 そして彼は、テンプレ通り神に出会う──などということはなく、ガノタとしての業ゆえに、得体のしれぬトミノ空間にて、スペリオルドラゴンと出会ってしまう。

 

『我がHPを答えよ』と神々しく輝くSDガンダムに問われ、ガノタたる彼はピンとくる。

 

 あ、これ、カードダスのやつですよね、と。

 だが、彼のガノタナレッジは当然、スペリオルドラゴンのHPが様々だということを告げている。

 ゆえに、彼は慎重にスペリオルドラゴンに問う。

 

「すみません、複数あると思うんですが、回答は1つだけですか?」

 

 彼の問いに対し、『一つの問い、一つの答え』と返すスペリオルドラゴン。

 その時、彼のガノタ脳が閃く。

 私のたった一つの望み、というガンダムユニコーンのあの場面を。

 これは、答える数値によってワンチャンあるやつだっ! と期待してしまう。

 

「SPECIAL!」

 

 駿〇屋で900円で買ったスペリオルドラゴンのカードを思い出しながら、熱い思いをぶつける。

 あの、カードダスのHPってなんだったん? という思いを込めて。

 

「その答え、イエスだね。つぎの命の力を、逃げるために使うな、生きるために使え」

 

 すみません、それブレ〇パワードですよね? とスペリオルドラゴンに突っ込もうと思ったが、時すでに遅し。

 

 気が付けば、彼はア・バオア・クーの激戦のさなかに放り出されていた。

 帰還しなかったほうのジョニーとして。

 

 

 

 帰還しなかった方のジョニーの話を、ガノタなら知っているだろう。

 彼は憑依先のそこで、いきなりフルアーマーガンダムと対峙する修羅場を迎え、ゲルググで悪戦苦闘するも、あえなく撃破されるわけである。

 ただし、原作と少しだけ違っていたのは、他のガノタの影響により、歴史が正史と異なる方向へと旋回してしまっていた点である。

 原作通りであれば、帰還しなかったほうのジョニーはこの後、高機動型ザク(フルバレット)に搭乗し、ガンダムとやりあい……戦後、地球へと落ち延びて傭兵暮らしをするはずなのだが──そうは、ならなかった。

 

 ジオンと連邦の決着はつかず、爆散しそうなゲルググから脱出したジョニーは、救難ビーコンによる通常のプロトコルで回収され、病院船へと放り込まれて終戦を迎えた。

 

 どうやらガンダムとタイマン張れるチートスキルは持っていないらしい、と病院船のベッドで悟ったジョニー。

 

「……これ、普通に死ぬやつじゃね?」と、今後飛び出してくるであろう濃すぎる原作登場人物たちのことを考える。

 

 ゆえに、彼はジオン公国で振るわれた戦後の軍縮の大ナタを歓迎して、そのまま予備役へと編入された。

 

 戦争とオサラバして、ハセガワ先生がご用意してくださったはずのロリヒロインを探しにいくべ、と6人のキッズをつくるべく、ニチャァと気色悪い笑みを浮かべて故郷のコロニーへと戻った彼は、現実の非情さに打ちのめされる。

 

 正統派メガネヒロインたる、ティキ・トゥーリアが帰郷していなかったのである。

 

 よく考えれば当たり前の話で、原作通り彼女はド田舎コロニーを飛び出して、ジオン公国軍に入隊していたのだ。彼女は真面目でいい子なので、反ザビ家キャラである帰還しなかったほうのジョニーと違い、軍縮の渦中にあってもコア人材として現役のまま継続、という極めてまっとうな人事処理が行われていたのである。

 

「うそ……だろ? 嘘だと言ってよ、バーニィ……」などと、故郷の農場で事情を知ったジョニーは、膝から崩れ落ちた。彼の浅はかなハッピーライフ計画は、歴史のマジックにより切なく散ったのである。

 

 それから彼は、特に何の考えもなく実家の生業たる農業に従事していた。

 帰還しなかったほうのジョニーの中の人は、自分で何かを考えることが苦手な男であった。どちらかというと、誰かに決めてもらって、それを「ハイッ!」と元気よくこなすほうが楽なのである。

 

 その意味で、彼はイエスマンであった。

 農場でも父や、先達の従業員たちのアドバイスに「はいっ!」と元気よく答えて、その通りに愚直に実行する。すると、なんやかんやでうまくいくのである。

 

「あ~、イエスマンとして生きるわ、俺」

 

 さらに、彼は安直な男であった。素直にハイ、と言っていればうまくいく、と思い込んだ彼はなんでもかんでもイエスと答える、周りからすれば都合のいい人間となってしまった。

 

 普通であればそのまま安請け合いする男として残念な結末を迎えるだけなのだが……彼の場合は、違った。スペリオルドラゴンの『イエスだね』が文字通り、加護、いや、呪いと言ったほうが正確かもしれないが、ともかく、とんでもない効果を発揮していたのである。

 

 

 

 実家に帰って一年ほどたったころ、ジョニーはようやく異常に気付いた。

 

「ジョニー、次の選挙だが、お前さんに出てもらいたい」

 

 ジョニーがリモートトラクターの設定作業をしているときに、故郷の農業組合のドンと役員連中一行からそんな話を持ち掛けられた。

 

「はい?」と聞き返すジョニー。

「おおっ! さすがは『真紅の稲妻』だっ!」

 

 え? と思ったが、組合の皆さまはそんなジョニーのことなど無視して大盛り上がりである。

 あっという間に決起集会が用意され、農業コロニーのあらゆる広告媒体に『操縦席から議席へ。真紅の稲妻は我々の代弁者だ!』という何ともいえないキャッチコピーが付けられた自身の選挙映像が流れる始末。

 

 なんの政策もなく、農業機械とMSの操縦がそこそこにうまいだけ、というだけのジョニーを、なぜか周りの連中がどんどんと持ち上げていくのである。

 

「ジョニー、頑張れよっ!」

「応援してるわっ!」

「よっ、真紅の稲妻!」

 

 などと、公園を散歩しているだけでも声をかけられまくるのだ。

 これはどう考えてもおかしいのでは……などと思わないでもないが、基本的に、彼は考えるよりも波に乗ることを選ぶ男である。

 波乗りジョニーとは、実にいい得て妙である。

 

 さて、帰還しなかった方のジョニーであり、波乗りジョニーでもある彼は、そんなこんなでコロニー代表選出公国議員として、とんでもない得票率で当選する。

 そもそもジオン公国に議会なんてあったっけ? と、ギレン暗殺計画を100回読み直すべき政治観ゼロのガノタであるにもかかわらず、である。

 

「ばんざーいっ、ばんざーいっ、ばんざーいっ!」

 

 と、司会にうながされるままに万歳三唱。

 メディアのフラッシュがバチバチと焚かれ、目も眩むほどである。

 選挙事務所の中はお祭り騒ぎであり、皆が祝杯をあげ、参加費実質無料の、盛大な当選記念パーティーがご立派なホテルのホールで開かれる運びとなる。

 

 

 

「えっと、はい?」

 

 彼はホテル側に用意された一室で、困惑していた。

 頬についたキスマークに動揺するばかりでなく、どきどきと高鳴る心臓に「発作か?」と疑いをもつ。

 のほほん、と部屋で安物のコーヒーを飲んで待機していると、突然、ドアが開き、女性がズカズカと歩み寄ってきて──ネクタイを引っ張られ、キスされたという現実を、まだうまく呑み込めないジョニー。

 

「ハロー、ジョニー。私はあなたの議員秘書になるアンネローゼ・ローゼンハインよ」

 

 あ、とガノタたるジョニーは彼女の素性を秒で把握する。

 元マルコシアス隊でNT素養あり。サイコミュ試験用ザクにのってア・バオア・クー戦に参加していたはずだ。

 原作通り、というべきか、彼女の情熱的な赤髪を際立たせるブラックのタイトスーツ姿に息をのむジョニー。

 

「ジョニー、あなたが立候補してくれてうれしかったわ。反ザビ派の野党候補者のほとんどは、ギレン・ザビによって用意された歴史的役割を求める俗物ばかりだけど……」

 

 繰り返すが、この波乗りジョニーの中の人は、ガノタの中でもMS専なので、政治史だの技術史やらを押さえていない。ハセガワガンダムにおけるジョニーがどういう理由で反ザビ派だったのかすらも、忘れてしまっているほどなのだ(※自分のことなのに)。

 

 ゆえに、ローゼ(※アンネローゼ・ローゼンハインの愛称。彼はMS専ゆえに、MSに乗っていた登場人物をすべて覚えているのである)が熱く語る内容に、全くついていけていない。

 ただし、ローゼの情熱だけはなんとなくわかった。

 どういう動機でここまで燃え盛っているのかはわからないが、それはおいおい聞いてみればいいだろう、という相変わらず考えが浅い男である。

 

「──つまり、あなたなら本当にザビ家を倒せるかもしれないってこと。私は、それを応援するために、あなたの選挙活動を全面的にバックアップしてきたわっ! これからも昼夜を問わず、私があなたに尽くすから、どーんと任せて頂戴っ」

 

 ぐっと、拳を握って力説するローゼ。

 ジョニーが把握できたことは、どうやら彼女が選挙対策員としてジョニーを当選させた立役者であり、今後は秘書として昼夜問わず一緒に活動していくことになる、ということだけであった。

 なお、ハセガワ作品出身者効果により、ジョニーは17歳のローゼを性的にみることはない。ハセガワ作品の業を背負ったものの対象年齢は、より低く、より罪深いのだ。No,タッチである。

 

「ジョニー、一緒にジオンの未来を輝かしいものにしましょう?」

「あ、はい」

 

 分かっていないが、彼女が何かをわかっているのなら、それに乗っかることにする。

 イエスマンになりたいのが、ジョニーの中の人なのである。

 

 

 

『──皆様の思いを、赤い軌跡を伴って議事堂にぶつけてくる所存でございます』

「皆様の思いを、赤い軌跡を伴って議事堂にぶつけてくる所存でございます!!」

 

 耳穴に装着したインカムから流れてくるローゼの声に従い、演壇で演説をこなす。

 会場が、湧いた。

 当確を祝いに集まった人々が、男泣きにないたり、黄色い声を上げたりしている様をみて、ジョニーはどうしたものかとおもうが──『白い歯を見せて、笑顔です』とローゼにうながされたので、引きつった笑みを浮かべながら手を振って演壇から降りる。

 

「ご苦労様」

 

 演壇から降りたジョニーは、ローゼからねぎらいの言葉とともに熱いおしぼりを渡される。額の汗をぬぐえと指示され、ごしごしと拭いたら、おしぼりはさっと回収され、彼女によって再メイクが手早く施される。

 

「よしっ。つぎは関係者各位との挨拶ね」

 

 ローゼの献身的な秘書活動により、あれもこれもすべてお膳立てされる。

 ジョニーは耳の穴に取り付けたインカム経由で、いかなる時もローゼのアドヴァイスを受けることができるのだ。

 関係者──ジョニーはあったことも記憶もないようなおじさん、おばさんと挨拶を交わす場面にて、ローゼにうながされるままに「いや~、お孫さんがあの有名な中高一貫校に進学されたとか。誇らしいことですね」などと、さも相手のことを知っているかのように指示されっ通りのセリフを吐きながら、いなしていく。

 

 波乗りジョニーでもあるので、波をいなしていくこともまた一流なのである。

 

 あれよあれよという間に宴もたけなわですが~、と相成り、ローゼの仕切りの元、再度の万歳三唱で解散、である。

 

 がらんとしたホテルのホールを、疲れた顔でぼーっとみているジョニー。

 ホテルの関係者らがてきぱきと後片付けをしていく様をみて、俺には無理だなー、などと感心したりしていると、ローゼが視界を阻んで、こちらをのぞき込んできた。

 

 顔が近い。

 しかも、ブラウスのボタンがいくつか外れていて、胸の谷間が大胆に露出している。

 とはいえ、だからなんだというのがハセガワワールド出身者の業であり、呪いである。

 

「──いかがですか? 私の胸。結構自信あるんです」

「イエスだね、と答えたらハラスメントなんだろうとはわかります」

「うん、合格。女性関係もスキャンダルになるんですから、本当に気を付けてくださいね。えっと、本当にどうしようもなくなったら……私が、なんとかしますから」

 

 なにやら覚悟を決めたように宣言するローゼ。

 しかしながら、ハセガワ以下略。

 

「あ、はい」

 

 そっけなく返事をするジョニーに、うんうんと頷くローゼであった。

 

 

 

 あれよあれよというまに、ジョニーはローゼの起こす波乗りを楽しむことを覚えた。

 初めての議会演説もローゼの用意した原稿を暗記して挑む有様である。

 とりあえずローゼに任せておけばなんとかなるんだよなぁ、という彼の低きに流れがちな性格と相まって、ジョニーとローゼは切っても切れぬ相棒、否、人形遣いと人形の関係へと深まっていった。

 

 さて、議員として活動していくうちに、なんだか自分にトンデモな肩書がどんどん追加され、なんだか知らないうちに、野党第一党の院内総務とかいうポジションについていた。党の政策を調整する大事なお仕事で、党重役の一つです、とローゼに教わったが、どうしたら調整できるのかなんぞ、ジョニーには分からない。

 

 議員会館とは別に、ジオン共和党が借りている小さなビルがある。そこには党の重役とスタッフたちの執務室が用意されている。彼はローゼとともに政調会長室に入り、ドアを閉める。

 なお、ドアはスクリーンドアであり、室内が透けて見える仕組みだ。

 はたから見れば美人秘書を執務室に連れ込んでいるようにみえるので、ローゼが醜聞を回避するべく、オープン化を図って下準備したのである。ジョニーはぎらついた政治家の顔ではない。相変わらず朴訥でMS乗りらしい質素なイケメンのままであり、醜聞をねらう週刊誌記者たちの格好の的なのだ。

 ゆえに、ローゼがあの手この手でスキャンダル沙汰になりそうな芽を摘んでいるのである。

 

「あの、僕は実のところ、院内総務とか政調会長が何なのかまったくわかってないんですよ」

 

 臆面もなく、自身の無知をさらけ出す。

 ソクラテスもびっくりの、無知の知である。

 

「……大丈夫、ジョニー。私がちゃんと用意しますから」

「あ、はい。いつもありがとうございます」

 

 どうしてローゼはいやがらないのだろうか? と一瞬疑問が浮かぶが、考えても答えを出せるような頭でもないので、すぐに思考を放棄する。

 

 なにもかも分からない以上、乗っかるしかないのである。

 悲しいかな、学のない頭の持ち主が唯一とりうる戦略的手段は、自分より賢そうな人に頼ることである。

 ジョニーは、バカの考え休むに似たり、と本気で信じているのである。ゆえに、賢いローゼに全部委ねるのである。

 

「責任は僕がとりますから(※それしかできないから)」と。

「あぁ、ジョニー……。あなたに託されたんだから、頑張らなくちゃっ!」

 

 なぜか、闘志をみなぎらせるローゼである。

 その後、ジョニーはローゼに言われるがまま、あれよあれよとなんだか面構えが普通の人と違う履歴書に、採用、というハンコを押しまくった。

 

 気が付くと、ローゼのほかに様々な政策スタッフが増えてしまっていた。

 さすがにそろそろ僕のバカさ加減もばれるのでは? と思ったジョニーはおずおずと全政策スタッフの名前を覚えた。

 不安交じりにとつとつと不器用にスタッフ一人一人に話しかけてみると、彼ら、彼女らは例外なく賢そうで、なんだか熱いハートをたぎらせていて、相変わらず言っていることの2割もジョニーには理解できなかった。

 

「これは、僕じゃ太刀打ちできませんねぇ。君たちは凄いよ。まさにジオン公国を導くお兄さん、お姉さんですね」などと、皆に率直に感想をこぼすと、なぜか皆、ありがとうございますっ! と頭を下げてきてちょっと怖かったジョニーである。

 

 こわいよぉ、とジョニーではとても太刀打ちできないようなスマートエリートたちについて、ローゼに相談する。

 

「ローゼさんローゼさん、なんか皆めちゃくちゃ賢いんですけども」

 

 自分の下で政策スタッフなんぞをやっているのはもったいない、とジョニーが気づいてしまうほどに優秀なスタッフたちの将来があまりにも心配で、その旨を忙しそうにしているローゼに相談する。

 

「ジョニー、そんなあなただから、皆があなたの下に集まるの」

 

 そのローゼの言葉を、彼は変換する。

 イエスマンがいいいってことですね、と。

 

 

 

 それから年月がたち、0083年の年末。

 戦後の復興需要でとても景気がいい、という年の瀬ニュースを人工皮革の椅子に体を預けてぼーっと観ていたジョニーは、ジオンは今後も安泰だなぁ、野党の存在意義ってなんだろう? と考えて、すぐに止めた。

 そんなことより、ソバでも食べるか、と切り替えるのが彼の良いところ(?)である。

 

 年の瀬にも拘わらず、相変わらずスタッフたちは執務室で何やらキーボードを叩いたり、難しい立法書類とにらめっこしたりしているので、ジョニーは心配になる。

 このままでは過労死するんでは、と。

 

「えーあー、君たち君たち、そろそろ帰っていいですよ」

 

 スタッフルームにおずおずと顔をだし、そう声をかけるジョニー。

 しかし、スタッフたちは覇気に富んだ顔で、いえ、国家のためですからっ、と答える。

 そんなけなげな姿に胸をうたれたジョニーは、国家のために心身を粉にして働くという強烈なプライドは野党スタッフである限り、報われないよなぁ、などという素人発想を抱き、なおのこと心配になる。こんな有為な人材たちを過労死させたら、さすがにアカンやろ、と。

 

「──皆、今日はここまでにしましょう」

 

 ローゼが意を組んでくれたらしく、スタッフたちに声をかけてくれた。

 スタッフ一同は、なるほど、となにやら勝手に誤解したのか、あるいは気を使ったのかは定かではないが、案外あっさりと荷物をまとめ始めた。

 

「では、よいお年を」とスタッフたちが帰路につくべく、一人、また一人と去っていく。

「来年もよろしくお願いします」と頭を下げることしかできないジョニーは、一人一人に対して丁寧に頭を下げる。

 

 こうしてスタッフ一同を無事に帰したジョニーは、久しぶりにローゼと二人きりであることに気付いた。

 

「じゃ、そろそろ行きましょうか、ローゼさん」

「はい、ジョニー」

 

 去年もそうだったが、部下の管理やジョニーへのアドバイス業務に追われているローゼをねぎらうべく、ジョニーは年末になると、必ずローゼにソバを振舞う。

 この時だけは、イエスマンジョニーを卒業し、リードする男に変わるのである。

 年末にはソバヌードルを食べるという、ニッポンの文化的伝統儀式を体験しよう、という適当な理由をつけているが、本当のところは、単に働きまくるローゼが心配なジョニーなのである。

 なにせ、彼一人では何もできない。

 彼女がいないと、明日どこへ行って何をするべきなのかもわからぬのが、哀れなジョニーという存在なのである。

 

 

 無人タクシーから降りた二人は、ダシの香りが外まで漂っているソバ屋の暖簾をくぐり、引き戸をがらがら、と開ける。

 

「らっしゃい」と店主の威勢のいい声。

 

 貸し切りの掘りコタツ部屋に通されて、二人はそこに腰を下ろす。

 

「ローゼさん、今年もありがとうございました。来年も、何卒よろしくお願いいたします」

 

 ジョニーは、深々と頭を下げる。

 それはもうテーブルに頭をこすりつけるほどに、深々とである。

 

「あら、ジョニー。それはこちらセリフです」

 

 ローゼもまた、頭を下げる。

 お互い様ですねぇ、などと談笑していると、しずしずと女将さんが盆にのせた二つのどんぶりを運んでくる。

 あたたかな湯気とともに香るは、カツオだしの甘美。

 そういえば夕飯を食べていなかったな、とジョニーが思いだす。

 ジョニーとローゼの腹が、ぐぅ、と同時になった。

 

「あらあら、年末までお仕事たいへんね。御蕎麦を召し上がっているあいだくらい、ゆっくりなさってくださいな」と女将さんが笑う。

 

 ジョニーは調教されしイエスマンである。

 こういうときはどう答えるべきか、を何百回もこなしてきたので、彼は爽やかなスマイルでおかみさんに向き直り、礼をする。

 

「おかみさんのやさしさと、旦那さんのソバで、来年も頑張れますよ」と。

 

 おおきに、と頭を下げる女将を見送り、また二人きりになる。

 二人きりになってしまい、何を言うべきかわからなくなったジョニーは、おずおずと割り箸を手に取る。

 

「──年越しそばには、細く長く生きるという願掛けがあるそうです。僕はねぇ、この世界をそういう風に生きることができるってのは、かなり幸せなことなんだと思うんですよ」

 

 パチン、と割り箸を切り離す音。

 林業コロニーにおける間伐材を利用している、とはいえ、そもそも木というものの加工品がぜいたく品であることに変わりはない。

 蕎麦に使われているバイオカツオや、ジーンハックソバも、すべては高級品だ。

 工業的にマスプロダクトされる培養肉や成型デンプンこそが真に庶民の口に入るものであり、みずみずしいトマトあたりからちょっと高級なものになってくるのが、コロニーの食生活というもの。

 ソバなどという超高級品を前にしながら細く長く、などとのたまうのは、バカげているかな? などとジョニーは苦笑する。この世界に来て、宇宙世紀における経済的価値がかつての地球の記憶とは全く違うのだということを散々学んできたのだ。

 

「まぁ、そんなわけで、僕はローゼさんに細く、長く生きてほしいなぁ、なんて思うんですよ。僕ひとりじゃ何もできないから──こんな風に蕎麦をおごるくらいしか、してあげられない僕を、許してくださいね」

 

 ジョニーの偽らざる心情である。

 彼女の手を借り続けて、いまのノホホンとした暮らしがある。

 議員としての立法活動や他の議員との調整業務についても、ローゼと他のスタッフたちが地ならししてくれた環境で波に乗るだけ。

 こんな暮らしをさせてもらっている以上、他に何かを望むなんてバチがあたると本気でジョニーの中の人は信じていた。

 

「そんな……勿体ない言葉です」

 

 ローゼが何やら言葉に詰まったので、話題に困ったジョニーは、食べようか、と促す。

 

 ずず、ずずず、と二人でソバをすする。

 音を立ててすするという行為が、ここでは重要なのだ、というジョニーの言葉を去年はなかなか信じなかったローゼだが、今年は違うようだ。

 すこしばかり恥ずかしそうに顔を赤らめているのは、おそらく温かいダシのパワーとマナーの違いが半々、といったところだろうか、などとジョニーは微笑んだ。

 

 蕎麦を平らげ、ダシを蕎麦湯ですすりながら、ひとごこちつく二人。

 穏やかな時間だなぁ、とジョニーはローゼと過ごすこのような時間が好きだった。

 互いに、ただ飯を食うだけの──まるで親友になれたような気がするからだ。

 二人で飯を食っているときだけは、ジョニーは人形ではなく、ローゼも人形遣いではない、ような気がする。

 ハセガワ因子によってグラマラスな女性に恋愛感情を抱けないジョニーは、その意味でもやはり心地よかった(※なおハセガワ因子には変異が確認されているため、必ずしもそうとは言えない)。

 

 色恋のない、男女の友情。

 幻想であると言われていたそれが、ここにはあるのだ。

 

「……あの」

 

 おずおずと何かを言いたげなローゼに、ジョニーは蕎麦湯をすするのをやめる。

 

「なんです?」

「もし、無理やりにでも回天を成すとしたら──ジョニーは、私たちを見捨てますか?」

 

 切実そうな問いだが、ジョニーは何やら大事な話らしいということしか分かっていなかった。

 カイテン? 回転か開店のどちらかだろうか? となると、ローゼはスタッフたちと一緒に、何か店舗を開くというのだろうか。

 真紅の稲妻グッズを売る店舗とかだったら、気恥ずかしいナァ、と思いつつも、ガノタとしてそこで発売されるであろうジョニー・ライデン仕様のMSのプラモデルに興味津々になってしまう。せっかくなら、キマイラ隊としてキシリア機関の実力部門にいる帰還したほうのジョニーの機体もワンチャンないですかね? などとワクワクが止まらなくなる。

 

「うーん、ローゼさんが何を考えているかは僕には全く分からないですけれど、一つだけ言えることがあります。僕は、どんな時でもローゼさんたちと一緒にいます」

 

 というか、捨てないでくださいというのはこっちの方なんですが、と思うジョニーである。

 ローゼもスタッフたちも、みな賢くて出来る子たちである。

 ここで放り出されたら、議員なんぞという分不相応な立場から真紅の稲妻の軌跡を描いて退場間違いなし。

 

「──よかった。ジョニー、私の一生をあなたに捧げます」

 

 おやおや、これは御大層な申し出、とジョニーは頭を下げるしかない。

 マブダチの発言を断ることなんぞできようもない。

 

「なかなか重い玉を投げてきますねぇ。ローゼさん、来年もよろしくお願いします」

「はい、来年こそ、回天を」

 

 ローゼと固く握手を交わす。

 開店した時は、ぜひ高機動型ザクⅡフルバレットを用意してください、とローゼに耳打ちする。

 必ずや、と頼もしく答えてくれたローゼに、ジョニーはうきうきが止まらなかったのを今でも覚えている──。

 

 

 

 0084年2月某日、ローゼが運転するエレカの後部座席にゆられて軍港へと連れていかれたジョニーは、本日は軍関係の式典か何かかな? などと呑気なことを考えていた。

 公国軍で少佐の地位まで上り詰めたエースパイロット伝説を持つ彼は、反ザビ派というポジションであるにもかかわらず、何かと軍関係のイベントに呼ばれることが多かった。反ザビ派の人でも受け入れますよ、という軍の広報活動の一環でもあるのだろうか? などと足りない頭で考えたジョニーだが、それを確認する機会を持とうとはしなかった。

 

「──ん?」

 

 ジョニーは、軍港についたにも拘わらず、ゲートでセキュリティチェックを受けなかったことを怪訝に思った。

 ジオン公国は割と名家だの名門だのが幅を利かせている旧プロイセン公国チックな文化だと思われがちだが、実際は高度に管理されたザビ家を中心とする法治国家である。

 議員特権としての不逮捕うんぬんなどはあるが、さすがに軍の施設に立ち入るときにセキュリティチェックなし、などということはありえない。ましてや、反ザビ派の野党において院内総務とかいう重役を引き受けている若き政治指導者を警戒しないはずがないのだ。

 

「ローゼさん、セキュリティチェックがなかったみたいですが、まずくないですか?」

 

 漠然と、嫌な予感。

 なにかとんでもないことに巻き込まれそうになっているのではないか? という勘の良さを、ジョニーの中の人は持ち合わせていた。

 波に乗ることを習熟している彼は、当然、悪い波も見えるのである。

 

「記念すべき回天の日ですから。同志たちが歓迎してくれているのです」

 

 あ、しまった、とジョニーは自らの発言を恥じた。

 おそらく、ローゼはサプライズイベントを企画していたのだろう。

 開店の日、ということで軍港に向かっているということは、間違いなく軍の購買施設にジョニーショップを開いたということ。

 本来の段取りであれば、おそらく、何も知らぬジョニーが店でサプライズを仕掛けられ──軍楽隊の演奏とともに、フルバレットザクのガンプラとともに記念写真、といったところだったはずだ。

 

「そうですかぁ……ついに、ですね。いよいよ来るべき時が来てしまいましたか」

 

 唇を固く結ぶジョニー。余計なことを言わぬように、という自身への戒めの態度である。

 

 だが──実際、彼が目にすることになるのは、ガンプラでもなければショップでもなかった。

 後部座席のスモークされた車窓が開く。

 雪崩れ込んでくる、歓呼の声。

 

「ジオン共和国、万歳っ!」の大歓声。

 

 大騒ぎする軍人たちと、こちらを見下ろすように屹立するペズン計画のMSたち。

 どの兵も希望に満ちた眼差しで、こちらを見ている。

 

「真紅の稲妻に、敬礼っ!」と号令が飛び、ペズンドワッジの部隊が敬礼をしている姿にジョニーは驚きを隠せなかった。

 

 現役時代にみることができなかったMS達をちらりと見渡すジョニー。

 

「ペズンドワッジにアクトザク、ガルバルディまで……まさか、あれはガッシャですか」

 

 なるほど、MS好きの僕にとっては最高のイベントですぞ、などと思いつつ、胸に突き刺さる違和感を覚える。

 なんだろう、何か、重大なことが起きているような、と波を感じてしまう。

 

 車が止まり、後部座席のドアをローゼが空けた。

 

『降りて、真剣な表情で手を振ってください』

 

 耳穴のインカムにローゼの声。

 言われた通りにするのがジョニーなので、颯爽と後部座席から降り立つと、姿勢を正して厳しい表情を用意する。

 準備していたらしいマスコミたちからのフラッシュの嵐。

 

『レッドカーペットをそのまま進んでください。私は後ろを随行しますので』との声に従い、ジョニーは瀟洒な深紅のカーペットを、背筋を伸ばしてかつかつと歩く。

 

 兵たちが整列し、捧げ銃の姿勢をとる中を、堂々と歩く様は我ながら絵になりすぎているように思えた。開店セレモニーにしてはやりすぎで、演出過多である。

 たかだかショップ一つにこれだけ動員してしまうというのは、さすがに民意獲得の上でも問題があるだろう、ということくらいは、ジョニーの足りない頭でもわかる。

 

 だが、レッドカーペットの先で待ち受けていた人物の姿を見て、ジョニーは固まる。

 その姿、その身なり、ガノタであるジョニーの中の人が知らぬわけがないレディの姿がそこにあった。

 金色の後光でも指しているのではないかと思うほどに、きらめくその姿。

 古きガノタたちを悩ませしめたという、レジェンド美少女の登場に、ジョニーの内に宿る呪いたるハセガワ因子も一瞬、停止しかけるほどであった。

 

「──ジオン・ダイクンの娘、アルテイシア・ソム・ダイクンです。真紅の稲妻が戦列に加わってくれることを、心より感謝いたします」

 

 金髪碧眼のカリスマ美女たる、かのセイラさんの御姿で、目が焼けるかと思ったジョニーであったが、同時に、目が覚めたのである。

 僕は、とんでもないことに巻き込まれているぞ、と。

 

 彼女の碧眼に宿る、切れ味鋭い眼光に見据えられ、思わずジョニーはその場で片膝をついて頭をたれた。高貴なる人に対して膝をついてしまうというのは、このような原始的な感情ゆえなのか、とジョニーの中の人は新しい発見をしてしまう。

 

「お立ちなさい、真紅の稲妻ジョニー・ライデン」

 

 セイラがかがみ、ジョニーの手を取って立ち上がらせる。

 ザビ家の公王制に対する露骨なまでの演出用の絵面ではないか、とさすがのジョニーも分かってしまう。

 それ以上にゾクリ、と震えさせられたのは、こっそりと告げられた「もう引き返せなくてよ」という言葉だ。

 

「お嫌でしょう? こういう政治的パフォーマンス」とジョニーの手を引いているアルテイシアが、小さな声で語る。

 

 けれど、ショーの一つ二つこなして見せなければ、と説かれ、ジョニーもまた歓声を上げる兵たちに手を振る。

 

『回天の日……やっと、ようやく……』

 

 耳元に聞こえるローゼの震える声。

 彼女のほうをみると、涙をこらえて震える姿が目に入った。

 失礼、とアルテイシアに頭を下げて、ローゼの傍へと駆け寄るジョニー。

 

「ローゼさん、この波はちょっとデカすぎますよ」と困惑をつたえる。

 

 しかし、なぜかローゼはジョニーの言葉にうなずくばかりだ。

 

「はい、私……がんばりました。あなたにふさわしい大きな波にしたくて……」

 

 嬉し泣き、なんだろうか。

 笑みを浮かべ、涙をこぼす彼女が、ジョニーの胸に飛び込んできた。

 観衆たちの熱狂と、鳴り響く『ジーク・ジオン!』の大合唱のなか、ジョニーはローゼを抱きしめてやるほかなかった。

 

 




参考
安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(22)』角川書店

長谷川裕一『機動戦士ガンダムMSV戦記 ジョニー・ライデン』角川書店

ホビージャパン編集部『SDガンダムガシャポン戦士クロニクル1989-1996~SDガンダム外伝編~』ホビージャパン

PS3 機動戦士ガンダム外伝 MISSINGLINK


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六八話 0084 バスクとエマ

私が何かワイルドなことをするのを誰もが期待している。でも私は、自分がやりたいことを、やりたい時にしかやらない

――レディ・ガガ『Billboard』2015年10月15日


 バスク・オムは真新しい階級章を輝かせながら、忙しく飛び回っていた。

 先の対G生物戦役でレビル将軍が持ち出したまま戦場に間に合わなかったため、健在であるペガサス級強襲揚陸艦アルビオンを基幹準備艦艇として預かったバスク。アルビオンを使ってどこへでも飛んでいき必要なことをしろ、というジャミトフ閣下からの暗黙の命令である。

 いま、アルビオンはルナツーに向かうべく、ふわふわと地球の空を浮かんでいた。

 そのまま浮き続けて宇宙に飛び出すという、気球もびっくりな航法で地球の重力を脱することができる恐るべき艦艇が、ペガサス級なのである。

 

 さて、その艦橋にてオブザーバー席に尻を預けながら、様々なモニターを増設したアームに保持させて、数値やらシミュレーション結果などを凝視していた。

 

「(課題を整理してみんまい……うーむ、こりゃ大仕事だぁ)」

 

 ティターンズ、なる対地球外生命体対策部隊を作るという仕事は、バスクが想像していた以上にスケールが大きい話で合った。

 ジャミトフ閣下から話を振られたときは、新設の小規模艦隊でも作って終わりだろう、などという認識だったのだが、それが大きく誤った認識であったことをバスクは恥じている。適当に貰った予算と権限でエイヤ、でカタチを作れるようなものではなかった。

 

 まず、資金源からして違う。

 ジャミトフ閣下があちらこちらで温めている金融公社系(国債公社等)及び、ジオン系の息がかかった月面企業団を取りまとめるアナハイム社、加えて地球連邦『政府』による三方向からの資金提供を受けて装備・資材を揃えることになるなど想定していなかった。

 正面装備予算、という意味では地球連邦軍をはるかに上回る好待遇である。爪の先に火をともすようにけちけちとジムを使い続ける連邦軍とは違い、三方出資による地球外生命体に抗しうる正面装備を一から造ることが求められている。

 

 この装備開発というのは、バスクをもってしても難易度が高い案件である。

 通常の安全保障の考え方であるならば、仮想敵を設定して、それに応じた装備を調達していくことになる。しかし、今回の仮想敵は地球外生命体──サンプル名、G細胞生物などという圧倒的物量をもってこちらを圧殺しかねない連中であった。

 

 圧倒的物量に対処するだけの能力を要求されるティターンズの基本戦略から、実務運用上の戦闘ドクトリンの開発まで、すべてがバスク・オム大佐の双肩にのしかかる。

 

 いま、バスクの思考の中で、G生物のような圧倒的物量の投入に対抗する手段はいくつかに絞られていたが、二つの有力候補があった。

 一つは、高機動かつ高火力を発揮できるMSを運用し、G生物を一気呵成に殲滅することを目指すシナリオ。

 二つに、有人機では不可能な戦闘機動を発揮するAIを活用した、無人機の集団運用システムと艦艇、有人機のネットワーク連携である。

 

 そもそも、MSの登場はミノフスキー粒子の登場による戦場の霧が電子機器レベルにまで影響を与え、戦争の形態が19世紀に戻ってしまったことに起因する。

 地球連邦軍の艦艇と戦闘機、偵察機群が高度に同期されて火力発揮を行う制圧的火器管制連携ネットワークたるファランクスドクトリンが通用しなくなったことが、MSというロマン兵器を主力兵器へと変貌させた主な要因である。

 

 ミノフスキー粒子はバラまくとあれこれを妨害する魔法の粉的な運用をされがちであるし、人類同士の愚かな戦いにおいては、それは有効に機能するのが前大戦の戦訓である。

 

 しかしながら、人類は愚かではあるが適応力はあるので、ミノフスキー粒子に対する措置がMSや艦艇の設計レベルで導入されつつある現在、そもそもMSも艦艇も有人である必要性が今後低くなるのではないか、とバスクは考える。

 

 スタンドアローンで運用可能な戦闘プロトコルを叩き込んだ無人MSを、有人機からの光通信で制御する、ということは、そもそも光通信技術自体が20世紀には実装されていた枯れ果てた技術である以上、導入コストもそうかからないはず、と試算してみる。

 

「(……いける、か)」

 

 バスクは地球上の駐屯地のあちこちで雨ざらしに放置されているRGM79の姿を思い浮かべる。あれに手を加えて無人機化してしまうのが手っ取り早い、と。

 仮想敵たるG生物が物量戦を仕掛けてくるとしても、こちらも物量+AI固有の人を超える反応と認知、判断の速度+生身の人間が乗っていないことによる無茶なマニューバをもって対抗しうる──かもしれない、と。

 

 仮のパラメータを組んで、戦闘検証シミュレータを立ち上げて実行。

 プロンプトを打ち終わった彼は、試行中、と表示されているモニターから視線を外し、ふう、と一息ついた。

 

「大佐、お疲れ様です」

 

 エマ・シーン少尉候補生がコーヒーパックを差し出してくれた。

 士官学校の課程を終え、部隊勤務で現役士官たちからあれこれと指導されている時期なのである。

 これを終えれば晴れて少尉任官。一人の士官として責任をもって職責を果たさなければならなくなる。言い換えると、今は先輩諸君におんぶにだっこ、ということになる。

 

「うむ。候補生、研修はどうだったかね?」

 

 少尉候補生としてMS運用艦艇に乗り込むことは、様々な部署を体験できることを意味する。MSの操縦や整備~艦艇の甲板部や航海、砲雷、電探など上げればきりがないほどに、MS運用艦艇は専門部署が多数存在する。

 エマ少尉候補生は、艦内のあちこちに顔を出しては、諸先輩とこわもて下士官に『かわいがり』を受けていた。

 

「んもぉ~サイアクですよぉ。どの部署もマニュアル読み込んでから行かないと、何しに来たんだバカ野郎っ! って罵声飛んでくるし」

 

 当然だな、とバスクは鼻で笑う。

 士官学校を終えたばかりの少尉候補生と、現役の少尉の間にある差は明確だ。

 知識すらもちょっと怪しいのが少尉候補生であり、自分の職分に関してはすべて諳んじているのが少尉である。

 地球連邦軍のキャリアの積み方は、学校で知識を詰め込む→実部隊をそれを確かに運用できるレベルにまで高めて維持する→再度、上級学校へ入校→また部隊に戻って略、という形を延々と繰り返すのである。

 

 実のところ、地球連邦軍は戦後の軍縮に加え、先の対G戦役の散々な損害により現役士官の質が著しく低下している。

 もしエマ少尉候補生が、適当な再編中のサラミス改級の艦艇なんぞに配属されていた場合、これほど苦労したりはしないだろう。

 むしろ、エマ少尉候補生のほうが使えるレベルにあるかもしれないほどに、組織の現場は疲弊しきっている。

 

 それに、本来であれば少尉候補生時代は一部門の研修を受ければ十分なのである。

 エマ少尉候補生の場合、例えばMS隊に所属させてシミュレータや実機訓練で先輩たちに可愛がってもらえばそれでよし、なのである。

 

 だが、バスクはエマを本気で鍛えるつもりでいた。

 アデナウアーからの肝いりの推薦なのだから、そのような安直な教育環境に放り込むわけにもいかず、バスクは自らの座乗艦に同行させることにした。

 私的利用過ぎるか、とも思わないでもないが、恩をあだで返すわけにもいかないバスクは、部下たちに「こいつのエリート意識をへし折ってやるように」と要請していた。

 MS隊のみならず、あらゆる部署を体験させ、自分がいかに何もわかってないかを自覚させて、努力を促す。

 これがバスクの教育方針であり、かつ、どうやら、バスクの言葉はちゃんと実行されているらしい。

 

「はぁ……なんだか自信なくしちゃいますよ。先輩たちみんな、ちょっと超人過ぎません?」

 

 エマ少尉候補生がそう愚痴ると、艦橋にいる士官たちからクスクスと笑いが起こる。

 んもぉー、笑わないでくださいよっ! と顔を真っ赤にして声を上げるエマを、艦橋の士官たちが「がんばれよぉ」「機関部はもっとヤバいぞぉ」などとおだてたり、脅したりと、エマをすっかりマスコットキャラとして扱っている。

 

「(──なんだかんだで、実力も大事だけれど、愛嬌ってのも上に行くのに必要だかんなぁ。エマはそれがあるべ)」とバスクはエマに、最低限は合格だな、と心の内で花丸をつけてやる。

 

 そんなことを思っていると、シミュレーションの結果が表示された。

 どれ、確認するか──と集中しようとしたとき、意外にも艦長席から声がかかり、バスクは不覚にも戸惑った。

 アルビオンを預けているカディ・キンゼー少佐は今の連邦軍では珍しい実戦経験豊富な佐官であり、何よりも艦艇運用畑をちゃんと歩んできたキャリアがある。押し出し士官(※後方から前方、あるいは前方から後方へ異動させられた、畑違い士官たちのこと)ばかりになっている連邦軍の中で、彼のような士官を確保できたのは大きいのだ。

 

 そんな彼が、顔に動揺を浮かべてバスクに「まずいことになったみたいっす」と告げるので、さすがのバスクも「マジすか?」と佐官同士にありがちなスッス語を交わしてしまう。

 

「映像、みてどうぞ」

「かしこまり」と何ともちぐはぐなやり取りをして、バスクは転送されたニュース映像をみて、座席から転げ落ちそうなほどに動揺した。

 

「はぁっ!? ジオンでクーデター?」

 

 勝手に後ろからバスクのモニタをのぞき込んでいたエマ少尉候補生が素っ頓狂な声を上げる。

 このバカっ、と盛大に艦橋内にアナウンスをしたエマの頭をはたくバスク。

 スパン、と頭を叩かれたエマ少尉候補生は「いったっ! 体罰反対っ! わたしの優秀な脳細胞が減っちゃうじゃないですかぁ~」などと涙目で抗議しているのだが、やはり勝手にバスクのモニタをのぞき込むのはやめない。

 この図々しさも愛嬌……なのだろうか。

 

「バスク大佐、いまのマジっすか?」

 

 砲雷長の少佐が艦橋スタッフを代表して訊ねてくる。

 

「本当のようだ──だが艦艇は航行中である。艦長」とバスク。

「はっ。各員、持ち場のタスクに集中しろ。後でニュースくらいみせてやるから」

 

 艦長のうながしを受けて、スタッフたちがしぶしぶ仕事に戻る。

 

「エマ候補生、こういうことになるから、口はしっかり閉じておくように」

「あら大佐、口をもって生まれたら減らず口を叩くのが人間ですの」

 

 ころころと笑うエマに、バスクはため息をつく。

 若い娘の相手は大変すぎて、おじさんには(※それほどの年齢ではないが)つらいのである。ひょんなことからハラスメントだと訴えられれば、バスクのキャリアも終わるため、面倒を見つつも踏み込みすぎないようにしなければならないような、そうでもないような……などと、ニュースフィードに全く集中できない。

 

 一方のエマは、ニュース映像をみてふむむ、などと鼻息を荒くしている。

 

「大変ですよ、大佐。サイド3とジオン系資源小惑星は皆、ジオン共和国に鞍替えするみたいです。ジオン共和国への移行を正当化するために、ちゃんと選挙をするらしいですし、案外民主主義の国になっちゃったりして」

 

 エマ少尉候補生の言葉に、艦橋の電探部門の中尉から「おーい、ジオンは元々立憲君主制の民主制国家だぞ~」とヤジが入る。「エマちゃん、CGS落ちちゃうわよ」と観測士官からも冷やかされている。基本、アルビオンの士官たちは将来のティターンズ基幹人材を担う優秀なものたちばかりである。

 

「むっき~っ! 知ってますぅ! 言葉のアヤです、アヤっ!」

 

 ふんすふんすと鼻息で空でも飛ぶんじゃないかと荒れ狂うエマ候補生をしり目に、バスクは自分がいま、何をするべきかを察する。

 

「──艦長、弾道軌道に移行して北米まで飛べるかね?」

「進路変更、ですね。ちょっと手間ですがやってみましょう」

 

 バスクの命令により、カディ艦長は航法士官に指示を飛ばすだけでなく、関連部署長たちにタスクを配布する。

 弾道軌道プロトコルへと移行した艦橋は一気に忙しくなり、先ほどのようにエマをからかって遊ぶ士官たちの姿は消え、戦闘艦艇の優秀な運用員たちの姿に成り代わっていた。

 

「うわ、ちょっとオンオフのギャップがすごくて引いちゃいますね」

「バカもん。それより、貴様の仕事をせんか」

 

 少尉候補生ということでエマは幅広くあちこちに顔を出しているが、このような第二種戦闘配置の時は、MS操縦徽章もちとしてノーマルスーツ着用の上、パイロット待機所でベンチ要員になっていなければならない。

 

「やばっ、怒られちゃうっ」

 

 艦橋から駆け足で飛び出していくエマ候補生を見送り、バスクは先ほどのシミュレータの記録に視線を戻す。

 バスクが大佐の階級をぶら下げているとはいえ、艦長はカディ・キンゼー少佐である。艦艇の運用にあれこれと口を出すのは無粋というもの。

 

 ゆえに、バスクは1人、自分の職務に集中する。

 無人機運用の可能性──もし、これが高機動かつ高火力のMSにも適用できるなら、核に依存しない戦術級兵器も実現できるのではないか? などと妄想のようなものが沸き上がる。

 例えば、0083年初頭より始まっていたTMA計画の機体、アッシマーである。

 重力下で自由飛行を行い、必要に応じて人型MAとしても運用可能な機体を目指して目下開発中のアレは、カタログスペック上、安全マージンを取ってもなお高速で飛行できる。

 

 なお、これのテストパイロットをしているというブラン大尉の意見書によれば、重力下運用は可能性しかないが、宇宙での運用は疑問が残る、とのこと。

 確かに、宇宙で可変機が役に立つ状況というのをバスクはまだ想像できなかった。

 空気抵抗があるわけでもなく、もともと宇宙で運用するMSはカタパルトで加速されて射出されているので、最初から戦闘速度に移行している。AMBACと小出しのアポジモータ―で推進剤を徹底的に節約することで戦闘時間の延長を図っているのだから……下手に変形させて、推進剤をドンと使うような機体にする意味は、まだ見えなかった。

 

 見えぬことを考えても仕方ないので、アッシマーの件にフォーカスする。

 もしこれを無人運用できれば、現在の比較ではないほどに迅速な戦力投射が可能になるだろう。なにせパイロットが乗っていないのだ。

 疲れもしなければ、ミスもしない。

 ただ機体が壊れるまで黙々と稼働できることを考えると魅力的ではある。

 いざとなれば核でも何でも積んで、宇宙で撃ち漏らした敵性生物を大気圏内で迎撃するというヤンチャ戦術とて考えられるのだ。

 

「(ブラン大尉のようなプロを養成するよりも、はるかに安い……)」とも思う。

 

 そもそも、地球連邦軍の軍縮政策上最大の問題は、人件費である。

 無人化を推進するほどにその問題は解決へと向かう。

 いつまでの総力戦体制を敷いているわけにもいかないので、すでにロジ関係や会計部門はAIとAIエンジニアによる省力化運用が常識になっている。

 艦艇とて、確か──とデータベースを叩くバスク。

 

 あった、とモニタに映るは地球連邦軍の外郭研究機関であるムラサメ研が試作した省力化艦艇の運用データである。対G戦役にて要塞級のコアに向かって突っ込んで放棄されたようだが、わずかな人数でそのような特殊作戦を遂行できると考えると、RMA(※軍事における革命)と言っても過言ではないだろう。

 

 みえた──とバスクの脳髄に光が走る。

 ティターンズの目指すべき方向は、省力運用艦艇と、無人MSによる稼働効率を最大化した運用である。仮想敵が仮にミノフスキー粒子をバラまいたとしても、スタンドアローンAIには事前にパターン学習を済ませてあるため、独立行動が可能となる。

 最悪、有人機による光通信により再統制も可能である。

 となれば、無人機についてはRGMシリーズの型落ち品を連邦軍から回収すればよく、有人機は高性能かつ生存性の高い新型を配備するのが最初の着地点となろう。

 

 決まったな、と、技術顧問としてアナハイムから出向しているフジタ博士と、サナリィから派遣されている戦闘教義開発コンサルのマツウラに連絡する文面を考えるバスク。

 

 二時間も経たず、概略ではあるが要求仕様書を固め、暗号化処理をかけていた。

 それをポストして、ふう、と一息ついたころには、艦長から「そろそろ北米ジオン防空圏です」という報告。

 

「ジオン公国側の誘導機はどうか?」とバスク。

「90秒です」

「早いな。さすがザビ家のプリンスの膝元。余念がないな」

 

 バスクは感心する。

 彼は貧しい出自ゆえに、学んだことがある。

 すべては行動と結果だ、と。

 生まれや財産、家柄の有無というものは運の問題であり、それ自体はなんら彼にとって争点にならない。

 むしろ、それらを使いこなすべく行動を起こし、結果を出そうとする人間を尊敬すらしていた。

 貧しい生まれでも、あがくほうが美しい。

 高貴な生まれであろうとも、あがくほうが美しいのである。

 じたばたとあの手この手を尽くそうとする行為を見苦しい、とする人もいるだろう。

 だが、バスクはそれを評価していた。

 かつてパラヤ教官が引き上げてくれたように、バスクは悪あがきする連中を愛していた。

 

 さて、北米の頭領たるガルマ・ザビは隷下の軍団を正しく運用できているようだ。

 連邦なら180秒かかるであろう防空出撃を、半分の90秒で済ませる点ひとつをとってみても、練度がこちらよりも高いことを察するに余りある。

 

『──ダイヤモンドリーダーより連邦艦艇へ。本機の誘導に従え』

 

 オープンでの通信が入る。

 こちらのレーダもとらえているが、すでに艦橋のすぐそばにドップ改が接近し、誘導灯を点滅させている。

 

「了解。本艦は貴機の誘導に従う」と通信士が送り返している。

 

 ドップ改の誘導に従い、アルビオンは北米のジオン拠点の中でも大規模と言われているキャリフォルニアベースへといざなわれる。

 上空から見下ろすに、キャリフォルニアベースは巨大軍港都市というべき様相を呈していた。偵察衛星経由での情報よりもはるかに敷地面積は大きく、隣接する都市部も大変な復興を遂げており、かつての林立する高層ビル群を取り戻していた。

 

 そして、何よりも目を見張るのが宇宙港と造船施設である。

 本来、宇宙への打ち上げにはオークランドあたりのほうが工学上適しているはずなのだが、どういうことだろうか? ここ、キャリフォルニアベースには上空から観察できるだけでも同時打ち上げ数12以上の打ち上げ施設が見える。

 

「司令、あれ……どう見てもこちらに対するパフォーマンスですよね?」とカディ・キンゼー少佐が示す先には、ザンジバル級が海からしぶきを上げて飛翔しようとしていた。

 

 本来ザンジバル級にはミノフスキークラフトはなく、ロケット推進とカタパルトによる補助を受けて宇宙へと投擲されているはずなのだ。

 しかし、それはもうすでに過去の話。

 いまや、ジオンのザンジバルは連邦艦艇の土壇場ともいわれていたミノフスキークラフト技術を採用し、運用する段階に至っていたのである。

 

「諜報部がそういう兆しがあるとは言っていたが、この目で見ると、いよいよジオン恐るべし、と思える」

 

 バスクはジオンが内乱騒ぎなんぞにうつつを抜かせる理由が分かった気がした。

 連邦と違い、やつらはこの数年間、本当の高度経済成長時代を謳歌していたのだろう。

 経済学者たちの論文をジャミトフ閣下から譲り受けて目を通してはいるので、数字としては知っているつもりであったが──このように眼前に堂々と見せつけられると、次の大戦はまずいことになるぞ、という不安の芽が頭をもたげてくるほどだ。

 

 

 

 

 軍楽隊の歓迎の演奏を受けながら、バスク大佐は礼装にてカーペットの上を淡々と進んでいく。その大きな歩幅を追いかけるように小走りで付従うは、従者役のエマ少尉候補生である。

 とてとてと駆けながら、バスクに追いすがるエマ。

 それを気にすることなく、バスクはどんどん前へと進む。

 もとより大男であるし、いちいちこじんまりと歩いていたら連邦軍人としての示しがつかないため、エマ少尉候補生には申し訳ないが突き進むしかないのである。

 

「ようこそ、バスク・オム大佐」

 

 出迎えに出てきたのは、案の定というべきか、北米の覇者たるガルマ・ザビ本人であった。

 ティターンズ発足に際して、ジオンが直接関与するわけにはいかぬが月経由で協力しようと申し出た、奇特な御仁。ガルマ曰く、共に地球圏に生きるものなのだから、手を組むべき時もあるというもの、と言っていたのを思い出すバスクは、ガルマに対して挙手の敬礼をする。

 

「お招きいただきありがとうございます。急な来訪ゆえ、閣下にご足労頂けるとは思ってもおりませんでした」とバスクが挨拶をする。

「はぁっ、はぁっ……大佐の副官を務める、エマ・シーン少尉候補生ですっ!」と元気よく敬礼するのは、ようやく追いついてきた情けない弟子であった。

「初めまして、エマ少尉候補生。とても利発そうなお弟子さんですね、バスク大佐」

 

 ガルマがエマをみて、バスクに外交用の微笑みを浮かべる。

 本心はわからないな、とバスクはガルマが一筋縄ではいかぬ相手だと理解する。

 

「──ご存じかとは思いますが、我々はいま緊急事態でして。あなたのような方がわざわざ状況を掴みに来てくださるのは、我々にとっても好機なのです。では行きましょう」

 

 ガルマに案内される形で、キャリフォルニアベースに用意されていた車列に乗り込むバスクとエマ。

 護衛の者を連れていくべきでは、という声も艦内では出たのだが、緊急事態に備えてすぐに離脱できる方が大事だというバスクの判断の元、最悪、捕虜になっても問題がないエマ一人が同行することになったのである。

 

 リムジンに乗り込んだバスクとエマは、向かい合って座る。

 運転と助手席には武装親衛隊と思しき兵たちが乗りこんでいた。どうやら、ガルマの意のままに動く兵をバスクらに付けたようだ。

 

「なるほど、公国は我々を歓迎してくださっているわけか」とバスクは余裕の笑みを浮かべる。

 

 しかし、対面にすわるエマ少尉候補生はガチガチに緊張しているのだろうか。

 ぷるぷると膝を震わして座っているのが何とも情けない。

 

「ど、ど、どうしましょうっ!!? 生ガルマさま、ちょっとイケメン過ぎましたよねっ? ねっ? あんなの見せつけられたら、大佐なんて里芋か山芋に変なグラサン付けただけにしかみえませんよっ? かーっ、どっかに私向けのイケメン落ちてないかなぁ、ハァ……」

 

 緊張ではなかった。只のメスになっていただけである。

 あきれたバスクはメス犬に堕落してしまったエマに、どうしたら人間に戻れるのか聞いてみた。

 

「うーん、ガルマ様のサインとぉ、握手とぉ、ちょっとしたハグなんかもらえたら……でへへ、メス犬から人間に戻れるかもしれませぇん」

 

 こりゃダメだな、と発情しきったエマのことは放置して携帯端末からニュースフィードを追いかける。北米圏に展開されているジオンの公開ネットワーク帯から取得できる情報は、連邦政府圏内で知りうることができる情報よりも、一層深く、広かった。

 

 民心工作においても細心の注意を払っているのだろう。下手な情報統制をするよりも、広範な情報を投げかけることにより、政治的無関心層をより無関心に、関心層をジオン公国寄りに仕向けられるよう、情報選別は極めて洗練されていた。

 

「やり手のメディア王を巻き込んでいるな。ハリウッドを手中にした効果は伊達じゃなかったということなんだろうな」

 

 バスクが感心していると「はぁ~んっ」とエマが甘い声で何かに感動していた。

 

「大佐ぁ、この司政官って人もぉ、ちょっといい感じじゃないですぅ?」

 

 きゃっきゃとエマが押し付けてくる端末をいやいや受け取る。

 司政官なるジオン共和国サイドの広報官兼、選挙準備委員長が颯爽と演説している姿にどうやらエマは盛り上がってしまったらしい。

 

「素敵だわぁ。甘いマスクに惚れ惚れする声、そして元ジオンのエースパイロットだから実力も完璧……おのれっ、ジオン許すまじっ!」

 

 突然キレ始めたエマに、さすがのバスクもどう対応していいものかおろおろしてしまう。

 おじさんというのは、若い女性の台風のような風向きの変化に、簡単には対応できないのである。さながら枯れ柳のように、嵐が過ぎゆくのを黙って耐えるしかないのである。

 

「イケメンをジオンだけが独占するなんて、おかしくないですか!?」

「え、あ、うーん……」イモですまんな、とでもいうべきかバスクは悩む。

「私、統計データとってみたんですよっ!」

 

 イケメン、男前、ダンディ、ワイルドなどという謎のクラスタ分析が施されたグラフが表示された端末を、ずいずいっ、と押し付けられるバスク。

 そこには確かに、ジオンばかりがイケメン、男前を独占しており、地球連邦サイドはダンディの項目にエイパー・シナプス大佐とワイアット閣下の名前が挙がっている。確かにワイアット閣下もシナプス大佐も、ともに紳士であり、戦術研究の論文を提出した場合、度々すばらしい助言や意見をくださる御方たちなのでバスクも納得する。

 ただし、この二人自体は似た者同士だからか、ちょっと仲が悪いという事情も知っているのでバスクは何とも言えない気分になる。

 なお、ワイルドにアルファ任務部隊のヤザン・ゲーブル、イモ、という項目にバスクの名前がちらりと見えたが、無視する。

 そもそも、このルッキズムの悪意に満ち溢れたデータを編纂した連邦女史力研究会とは何なのだ。直ちに解散すべきである。何なら連邦武闘研究会を作って武装闘争を繰り広げる覚悟まで芽生えそうである。

 

「いいですか、大佐。イケメンは人類の共有資源なんです」と力説するエマ。

「えっと、なら美人も共有資源に……」

「うわ、大佐、サイテー。女をそういう目でしかみれないんですね……」

 

 じとり、と軽蔑のまなざしを向けられるバスク。

 OMG、これが理不尽というものか、とバスクは久しぶりにこの社会に蔓延る悪を見た気がした。ああ、理不尽のメビウスの輪から抜け出せなくて、人は過ちを繰り返すのだろう──可愛い弟子だと思っていたが、どうやらエマは小悪魔か何からしい。

 悪魔なら仕方ない。

 後で体力錬成と戦史研究の課題を与えて心身共に錬磨無限法による悪魔祓いをするほかなかろう。

 

「あ、でもぉ」

 

 エマがにやにやと口元に手を当てて悪い笑みを浮かべている。

 

「大佐がぁ、どうしてもっていうならぁ、仕方ないナァ……私が結婚してあげても──」

「結構だ。私は地球連邦軍と結婚した身。死が二人を別つまで、この誓いは変わらん」

 

 バスクはハッキリと答えておく。

 本気でそう思っているのだ。

 剃り上げた自身の禿頭は俗世を捨てた修行僧の表れ。

 南洋宗の絢爛たる慈愛の教えを胸にして、ただひたすらに軍務に邁進するだけでバスクは幸せを感じることができるのである。

 

「……うそ、やだちょっと、なんかわたしだけ恥ずかしい感じなんですけど」

 

 もじもじ、と何故か涙目になるエマに、バスクは慌ててしまう。

 彼女は両手で顔を覆ってうつむいてしまった。

 まずい、ハラスメントか!? と、立派なはずのバスクは妙なところで小心者になるのである。

 

「す、すまない、エマ・シーン少尉候補生。何か至らぬ発言をしたようだが、詫びさせてくれ」

 

 困惑の表情を浮かべたバスクがあたふたと声をかける

 すると、彼女の顔を覆っていた手が離れ、ぺろりと舌をかわいく出して、しめしめといった表情を浮かべるエマ。

 なるほど、戦術負けか、とバスクは失笑した。

 

「えへへ、言質とりましたよぉ? えっとぉ、ガルマ様との写真、お願いしますね? あ、でもぉ、イモい大佐が一人くらい混じっててもガルマ様の魅力は減らないので、仕方ないから大佐も写るのを許してあげますっ」

 

 わかったわかった、と疲れ果てたバスクは、秘密会談にて話すべき議題について集中する。

 モノの数分で、彼の頭の中にはガルマとの話し合うべき事項と調整項目が整理されてリストアップされる。

 バスクは、エマに邪魔されない限り極めて有能なのであった。

 

 

 

 会談の場として用意されていたのは、打ち上げ空港に併設されたイタリアンレストランであった。

 バスクとエマが案内されたテーブルには、すでにカトラリー一式が用意されており、簡単なコース料理が振舞われることを悟る。

 ウェイターに椅子を引かれ、腰かけたバスクとエマは、遅ればせながら颯爽と良い香りを漂わせてやってきたガルマのすがたに目を引かれた。

 なるほど、カリスマだな、とバスクは対面に座り笑みを浮かべるガルマに惹かれるのを感じた。この男の前なら、ちょっとした打ち明け話の一つ二つもしてみたくなるな、と抗しがたい魅力を認めざるを得ない。

 

「やぁ、少し遅くなってしまったね」などとチャーミングに謝る彼に、隣に座っているエマがハウッという何とも言えぬ奇声を発している。

 

 しかし、バスクは敬虔な南洋宗信者である。

 心に念仏を唱えれば心機一転、邪念は晴れて集中すべきことに向き合えるのである。

 その禿頭は伊達ではなく、まさに修行僧としての強さを持ち合わせているのだ。

 

 一方、同席しているエマはどうだろうか? とちらりと目を向けてみると、見るも無残なメス犬に堕落していた。

 畜生道に堕ちた愚かな愛弟子をどうかお救い下さい、と心中で南無南無しておくバスクである。

 

「ここは私の海洋再生研究所で育てた飼育魚を間引いたもの出す店でね、いわゆる本物を提供する場として、北米屈指の人気を誇っている。バスク大佐にもぜひ、魚の臭さというものを体験してほしいな」

 

 ははは、と笑うガルマに悪意はないようだ。

 ジオンのコロニー落としで海洋資源に関しては割と絶望的な状態へと遷移した。

 ゆえに、ガルマが北米統治を任された際、自らの国が犯した罪の深さを、自らの手で癒さねばならぬという使命を背負わされる形となった。

 

 彼は自らの兄たちと姉の不始末を、ただ黙々と償い続けるためにこの地にとどまり続けているのであろうと思うと、なかなかに尊敬できる男だな、とバスクはガルマを評価したくなってしまう。

 

「前菜が来たようだね」

 

 かつては当たり前だっただろう、サーモンのカルパッチョとキャロットラペが供された。

 これが意味するところは、北米では漁業資源の復活だけでなく、厳しかった土壌汚染をも克服しつつあるか──あるいは、農業コロニーとの固い通商路を維持できているがゆえに、合成ものではない本物のキャロットを提供できる、という経済地力の証明であろう。

 

「どうぞ。当然ながら、毒は盛っていないよ?」

 

 ははは、とバスクとガルマは儀礼的な笑いを交換しあい、サーモンを口に運び、本物特有の独特のうまみについて語り合う。

 なお、バスクは本物の腐った魚を食ったことがある出自なので、実のところ、魚というものがあまり得意ではない。しかし今回たべたサーモンのカルパッチョなるものは、また食べてみたいと思わせる魅力があった。サーモンのわずかばかりの油分を爽やかにかき消すキャロットラペの白ワインヴィネガーの風味にも、感心した。

 

 なるほど、これは篭絡されかねんな、と思う。

 バスクはこの店に、いつか母を連れてきてやりたいと思ってしまったのだ。ジオンと連邦が互いに振り上げた拳を解き、互いに手を取り合う時代が早く来ればよいと思う。そうなれば、母をこの地に連れてこれるのに──と御仏の慈愛の心をこの世にいまだ実現できぬ己の不甲斐なさを、バスクは反省することで、とろけかけた心を律する。

 

 さて、バカ弟子はどうだろうかとみてみると、さすが良家の子女。この程度のことは普通──なのかと思いきや、勝手に給仕をよんで「あ、サーモン追加お願いします」と図々しさを発揮していた。

 なんというタフネス。

 逆に感心すら覚えるバスクであった。

 

「……面白いお弟子さんですね」とガルマ

「まぁ、はい。常識にとらわれないと言いますか、なんというか」

 

 おい、面白がられてるぞっ、とバスクはテーブルの下でエマの足を蹴って合図を送る。

 しかし、なぜか蹴り返されてしまう。

 満足げにサーモンをほおばる彼女の顔を見て、なるほど、邪魔するなということか、と悟るバスク。

 なんとなくエマの扱い方が分かってきたぞ、と謎の自信を深めるのであった。

 

「少し、本題に入りますか」

 

 次に運ばれてきたのは、本物のトマトをふんだんに使ったミネストローネであった。

 いわゆるレトルトトマトパックやトマト缶に入っている、バイオプラント製造のものではなく、カリフォルニアの太陽と土で育てた代物だそうだ。土壌汚染を除去するのに苦労した、というガルマの話を聞きながら、ちらちらと語られる本題に関心を寄せるバスク。

 

 ミネストローネを空にしたバスクは、ガルマからジオン共和国とジオン公国は既に手打ちを済ませているという事実を告げられた。

 サイド3及び各資源衛星はジオン共和国とし、フォンブラウン、グラナダなどの企業都市国家群と北米、アフリカをジオン公国とする暫定協定が結ばれているとのこと。

 となると、これは交戦が限りなく少ない冷たい内戦状態になるのか、とバスクはガルマに訊ねる。

 

「それは少し違うね。ジオン公国とジオン共和国は別の国のようにふるまうが、経済的にはかつてのEUと同じく、共通通貨と無関税、自由貿易と移動の自由を保障することになるんだ。察しの良いバスク大佐になら、その意図は伝わったと思うのだが」

 

 含みのあるガルマの苦笑に、バスクも頷く。

 なるほど、これは壮大な茶番劇だと理解する。地球連邦側の人間として初めて茶番である事実を掴んだバスクは、この内乱騒ぎは放置するべき問題なのだと察した。

 

 すべては推論だが、ジオン内に蔓延っていたザビ派だのダイクン派だのという宇宙移民の中での下らぬ派閥抗争に決着をつけるつもりなのだ。EUが緩やかな統合の元でアメリカ合衆国に抗しうる巨大な経済圏を維持し続けたのと同じように、ジオン公国とジオン共和国は互いにイデオロギー的に棲み分けを行いながらも、豊かさは双方で分かち合うということだ。

 

「──では、この茶番の絵を描いたのはどなたで?」

「私の親友で、最大の敵ともいえる男、シャア・アズナブルさ。十年くらいこの茶番を続ければ、いつのまにやらネオ・ジオンの旗のもとに二つのジオンは統合されるだろう、というはかない目論見に賭けたようだ。まったく……」

 

 あきれたようにため息をつくガルマに、続きを促すバスク。

 どうやらシャア・アズナブルの思惑に対してガルマは何かあるらしいことを感じていた。

 

「私に言わせれば、ザビ派だダイクン派だなどという血統主義は前時代の揺り戻しにしか過ぎなく思えてね。地球のことを考える、などというものナンセンスさ。地球なんてのは僕らのゆりかごの役割をやりながら、同時に屠殺場でもある、ただのランダム環境だからね──ユタの砂漠を見たら、どんなスペースノイドだって地球が楽園だなんていう幻想をすてるさ」

 

 飢餓や飢饉、感染症の流行で人類は何度も絶滅の危機を迎えていた。

 豊かな実りによって人類が栄えることもあれば、そうやって自然に殺されるときもある、というのを地球で繰り返した人類の歴史は、地球を神聖視するエレズムと呼ばれる思想のフィルタを介さぬ限り、必ずしも善性に満ちた母なる惑星、などとは言い切れないのだ。

 

「ダイクンが唱えたエレズム、すなわち全人類の宇宙移民化と、地球の不可侵領域化による環境浄化と保全。これは宇宙移民の教義としてはナンセンスだよ。なぜなら、それを忠実に実行しているのは地球連邦政府のほうだからね」

 

 地球連邦政府の主任務は、地球から人類を宇宙に送り出して環境を再生させることである。そのための立法と執行機関が地球連邦政府であり、立法措置によって生み出されたのが宇宙引っ越し公社であり、コロニー公社や、インターナショナル国債公社なのだ。

 

 つまり、ダイクンが唱えたエレズムは連邦の基本政策理念と何一つ矛盾しない。

 送り出す役割を果たす側と、送り出される側に分かれるだけである。

 

 問題があるとすれば、地球連邦政府が宇宙移民の送り出しを途中で停止したことだろう。

 コロニー公社側のコロニー建造速度の問題と、引っ越し公社側の滞留問題だけにとどまらない金の問題が残っている。

 

 スペースコロニーは巨大な生活空間であると同時に、高度なテクノロジーとエンジニアリングが集約された人類の英知そのものである。これを大量に建造し続けるためには資源衛星をかき集め、周辺のコロニーに部材を加工するプラントを建て、大型輸送船で資材と人員を輸送するというビッグプロジェクトを延々と回し続けることになる。

 

 それをなす金は本来は何一つ問題にならぬはずなのだが、ダイクンの負の遺産により停滞せざるを得ない時期を迎えてしまったのだ。

 

「ダイクンが唱えたエレズムやジオニズム、兄さんの選民思想もどきが……連邦とジオンが相争う愚かな結果を招いたのかもしれないが……それ以上に、私が解決しなければならないダイクンの負の遺産がある。なによりもまず、ジオン独自通貨とジオン中央銀行。これを何とかしなければならないんだ」

 

 ガルマの言葉を受けて、さもあらん、とバスクはミネストローネを飲み干す。

 

 コロニー開発計画を再始動するためには、その問題を避けては通れないからだ。

 ここは1つ、ミネストローネをがっついているエマに話を振ってカロリーを消費させてやるか、とバスクはエマのほうをみる。

 

 供されていた焼きたてもパンに本物のバターを塗りたくりご満悦の彼女は、ハチミツはないですかっ!? などとのたまう胆力を見せていた。

 どうやら御仏の力で畜生道から脱し、餓鬼道へと転移したらしい。

 まったく救いがない。南無。

 

「エマ少尉候補生、ガルマ閣下の仰っていることの意味はわかるか?」

 

 口の周りをバターとパンくずで汚したもぐもぐエマは、どうやら十分な糖分を摂取したことでブレインが高回転しているらしい。

 

「またまた大佐ぁ。そんなの簡単ですよ。コロニー再建計画が進まないからです。まったく、つまらない冗談は顔だけにしてくださいね」

 

 どやぁ、とにんまり笑うエマ少尉候補生の口の周りを、バスクはナプキンでごしごしと拭いてやる。見苦しいものをガルマに見せるわけにはいかないというのが、外交プロトコルというものである。

 

「なるほど。エマ少尉候補生、どうしてコロニー再建計画が進まないか説明していただけるかい?」

 

 ガルマもエマに興味をもったらしい。

 ただの食いしん坊ガールを連れてきただけなのではないよね? というガルマの視線をバスクは感じたような気がした。

 

「はい、ガルマ様。不祥、エマ・シーン少尉候補生が応えさせていただきますっ」

 

 バスクに対する態度と打って変わり、突如エリート士官候補生としての輝きを取り戻すエマ。ただ、彼女の瞳にはガルマを狙う肉食獣のまなざしのようなものがみえて、バスクは愛別離苦を知らぬ愚かな弟子に心中で南無る。

 

 地球連邦政府の最大の革命は、世界統一通貨の導入と連邦中央銀行制度の誕生である。

 連邦中央銀行の金融政策はストレートに地球連邦経済圏に波及する。

 金利操作によるインフレデフレの制御、物価安定性の確保など中央銀行に求められる金融政策のすべては、連邦中央銀行の手の内にあるのである。

 

 デフレ対策のインフレターゲッティング戦略や、インフレ対策の金利操作をとる際に邪魔になる為替の問題がそもそも生じないのである。

 

 同時に、財政上の問題も何一つ問題にならない。

 地球連邦政府が発行する国債はすべて地球連邦市民が買うのであるから、信用格付けなどという概念が消失する。

 また、いざとなれば地球連邦政府はインフレ覚悟で国債を連邦中央銀行に売りつけることで、無限の現金を入手することができる。

 これでインフレが発生したとしても、それは徴税と政策金利操作という形で市中から通貨を巻き上げればいいだけの話である──

 

「──と、言うところが前提知識となります。閣下もご存じの通り、UC50年代初頭まではこれを利用したコロニー建造プロジェクトが大量に走っていました」

 

 宇宙世紀黎明期以降、この金融マジック的な技法により、地球連邦政府はどんどんコロニーを量産した。コロニー量産プロジェクトは巨大雇用プロジェクトでもあるため、コロニーの量産は雇用をも量産する好循環を招いた。

 

 端的に言って、コロニー建造は、世界の経済エンジンだったのである。

 

「つまり、コロニーを建造し続ければ、宇宙移民も地球側も経済的にWinWin♡であります」

 

 ふんすっ、と渾身のぶりぶりスマイルと鼻息を同時発動するエマ。

 バスクは冷や汗を垂れ流し、ガルマが面白い娘だなぁ、と拍手する。

 

「お褒めに預かり光栄です。さて、そのようなシンプルなエンジンを、ただ回し続ければよかったのですが──物事は、理屈通りには回らないのです」 

 

 だんだん興が乗ってきたのか、エマの身振り手振りがおおげさになっていく。

 

 事の発端は、UC50年代にさかのぼる。

 ジオン・ズム・ダイクンという行動力のオバケのような政治家が連邦議会を飛び出して、サイド3へと移住する。

 彼はそこで持ち前の弁舌と圧倒的活動量でいとも簡単にコロニー自治政府の首相へと上り詰めてしまう。

 

 あとは歴史の教科書にある通り、サイド3自治政府はムンゾ自治共和国へと衣替えし、初代首相として彼は地球連邦政府からの独立を目指し始める。

 

 この時、彼は世界を逆回転させる禁断の果実に手を出す。

 それが、ムンゾ中央銀行の設立と独自通貨の発行である。

 地球連邦政府発足以来、世界の安定を金融面から支えてきたシステムに真っ向から反逆したのである。

 

 結果は──狂乱の時代の扉を開いただけである。

 月社会は連邦の通貨か、ジオンの通貨かと半世紀ぶりの為替相場の誕生に快哉を叫び、フォン・ブラウン市に為替取引所が誕生。

 為替関連の金融商品が粗製乱造されるだけにとどまらず、為替の再誕とともに企業株式が再び、為替相場の影響を受けることになった。

 株式相場が為替の影響を受けて荒れるとなれば、それを見越した金融保険市場が誕生する。

 

「──あぁ、なんということでしょうっ! つまり、ジオン・ズム・ダイクンは金融の針を過去へと戻してしまったですっ!」

 

 芝居がかったエマの演技は面白かったが、バスクはあの安定しなかった21世紀の愚かなる金融狂乱のカオスへと戻すことをためらわなかったダイクンの狂気に恐ろしいものを覚えた。

 

「コントロール不可能であることが分かっていたから世界統一通貨を導入したというのに、ダイクンによって元の木阿弥。連邦とジオンはイデオロギーだけにとどまらず、金融面でも正面切って争わざるを得ないという対決不可避の状況へ。最終的に一年戦争の悲劇へと至り──哀れ、ガルマ閣下と私は敵と味方になってしまうのですっ! まさに悲恋っ!」

 

 悲恋かなぁ? などとニコニコしながらエマに突っ込んでいるガルマは、どうやらエマの話を楽しんでいるらしい。

 バスクも、彼女が大げさに話してはいるものの、筋は一切外していないことに感銘を受けていた。ただのハラヘリ娘を連れてきてしまったのではないかと恐れていたが、どうやら普通にできる子だったようだ。

 

「まぁ、悲恋かどうかは後で別室で二人で考えません?」

 

 フツーにダメでしょ? とガルマがニコニコ答える。

 チッ、思ったよりガードが堅いですね、などと声に出ているのに気づいていないエマは、さらに終着点について解説を始める。

 

「えー、そんなこんなで、一年戦争の休戦協定交渉は、ガルマ・ザビ閣下ご提案のもと、両国の衝突の推進剤になってしまった為替相場を固定相場ルールにするところからスタートいたしました。将来的には通貨統合を行う、という留保事項を付けてのゴールに着地した──あの、これについて正直な見解を述べてもよろしいので?」とエマがバスクとガルマを見る。

「私は構わない。連邦にも人材がいるのだな、ということを知っておきたいしね」

 

 ガルマが促してくれたので、バスクは言ってよろしい、と許可を出す。

 

「ではでは……正直、あの固定相場はジオンの輸出にとって有利な条件だったんです。十分な生産力と企業群を保持するジオンにとって、戦後復興を迎える地球圏は市場でしかないですし。だから、実のところデギン閣下やギレン閣下の命などよりも、有利な固定相場協定を結ぶ方がはるかに大事だったのではないですか? これはずっとガルマ様ご本人にお伺いしたかったことなのです」

 

 今までの演技じみた態度は消え、エマの瞳には明らかに英知の光がさしていた。

 バスクはうむ、さすがはパラヤさんご推薦のご令嬢、など感服してしまう次第である。

 実のところ、単にエマはイケメンと談笑することが出来て幸せ物質が脳内にドバドバだっただけであるが、それをバスクが知るすべはない。

 

「……きわどい質問だなぁ。私には答えにくい。オフレコの約束ができるかい?」

「はい」とエマが頷く。オフレコにするかどうかを決めるのは上官のバスクだぞ、というツッコミ待ちなのかもしれないが、バスクは沈黙を貫く。

「答えは、イエスさ。ザビ家などどうでもいい。ジオンの民を守るためには、私も含めてザビ家全員の首を差し出してでも固定相場ルールの導入による終戦協定は必須だったんだ」

 

 君だってそうするだろ? とガルマに言われたエマは、なるほど、王子様なイケメンなうえに知略まで備えていらっしゃるのね、などと感心しきりである。

 

「あれは賭博だったんだ。けれど……今のところ、私の勝ちだと思っている」

 

 ガルマのいう通り、戦後復興期を迎え、ジオンは経済的に連邦に大勝利を収めた、というのがいまの状況である。地球連邦勢力圏の人々は何もかも足りない地球で暮らすために、ジオン製のものを買ったし、なけなしの地球資産をジオンに売り払ったりもした。

 

 あの一年戦争休戦交渉に一介の事務担当大尉として参加していたバスクは、当然この事情を把握しているし、ガルマ・ザビがジオンと連邦の衝突の原因がなんであるかを精確に把握するだけでなく、戦後の経済戦争の立役者でもあることを熟知していた。

 

 バスクは、供されていた白ワインのグラスを手に取り、ぐい、と傾ける。

 甘さの強いもので、おそらくはエマの存在を考慮してのものだろう。

 

「さて、メインを運ばせよう。エマ少尉候補生、イタリアンのコースは把握しているかい?」

「はいっ! アンティパストも終わりましたし、これからはプリモ・ピアットからセコンド・ピアット、コントルノにフォルマッジ、そして愛しのドルチェ……私、ガルマ様の愛人になってもいいと思うほどに、胸の高鳴りが抑えられませんのっ!」

 

 愛人はいらないし、胸の高鳴りじゃなくてお腹が鳴ってるんじゃないかな? とにこやかなガルマのツッコミに対して、エマが、やだもう、そんな大胆なぁ、などとモジモジしながら意味不明な回答をしている。

 

 はぁ、とため息をつきながら、バスクはコース料理を最後まで楽しんだ。

 キノコパスタに子羊のステーキ、チーズとジャガイモのなにかに、なんだか華やかなケーキセット。

 ケーキは獣のように俊敏なエマに略奪されてしまったが、それ以外は何とか死守して食べることができた。

 

 最後のエスプレッソを飲んでいるとき、ガルマ閣下がエマときゃっきゃと話し込むのを中断し、バスクのほうに向きなおった。

 

「バスク大佐、この子をうちに預けてみないかい?」

 

 冗談か? と思ったが、にこやかなガルマの瞳にはどうやら本気が混じっているように思えた。

 

「どのような条件で? ジオンとの二重スパイに仕立て上げられるのは困ります。こんな子ですが、親御さんから預かった大切なご令嬢ですので」

 

 そんなことはしないさ、とガルマが苦笑する。

 

「私には分かる。この子は伸びるよ。ニューヤークにある王立指揮幕僚大学に入学させて、ジオンの知恵を叩き込んで帰そう。代わりにうちから一人連れて行って、そちらの指揮幕僚課程に入校させてくれないかな。相互交流としてわるくないだろう?」

 

 ありがたい申し出ではあった。ジオンのMS運用理論は連邦より10年先を進んでいるし、経済的に後れを取っている連邦圏と違い、今後も技術開発や理論開発に予算が付き続けるジオンで学ぶことも、エマにとってはよい影響を及ぼすであろう。

 

「──えっと、すみませんガルマ様っ! 大変申し訳ないのですけれど、辞退させてくださいっ!」

 

 バスクがメリットとデメリットを計算していたにも関わらず、当事者たるエマが勝手に断りを入れてしまう。

 バスクは額に手を当てて天を仰ぐ。

 こりゃもう、手に負えませんわ、と。

 

「残念だね。フられちゃったな。理由を聞いてもいいかい?」とガルマが貴公子然とした笑みを崩さずに問う。

「はい。大佐が私を将来、連邦軍トップの椅子に付けてくださると約束してくださったからです」

 

 エマの言葉をうけて、ほう、とガルマがバスクのほうをみやる。

 バスクは、恥ずかしながら確かに約束しました、と答える。

 

「私はガルマ様も大好きですが……本当に大好きなんですが、このハゲ、じゃない、イモにゴーグルつけたみたいな大佐を信じてるんです。スキンヘッドだし、巨体だし、声もバリトンすぎるけど、実はこの人、良い人なんです、本当なんですっ!」

 

 うん、良い人だと思うよ。悪い人だったらたぶん君、いまごろビンタされてるね、とガルマが微笑みながらエマに応えている。

 

「慕われているようだね、大佐」とガルマが微笑む。

「はぁ、恐縮です」としか答える余裕がない。

 

 エマがガルマに働いた無礼の数々を思うと、おそらく今日食べた高級品をすべて戻しそうになるので考えるのをやめるバスク。

 

「大佐、しばらくは滞在できるのかい?」とガルマが話題を変える。

「はい。一週間程度でしたら」

「なるほど。ちょっと北米を案内しよう。誘致企業たちもティターンズには興味があるようだし、君には好都合だと思う。そして私も、エマ少尉候補生からオモシロ話が聞ける。WinWinといっていいんじゃないか?」

 

 バスクは同意した。

 アルビオンの乗組員たちにも監視付だが、観光上陸許可を与えるとガルマが約束する。

 そんなガルマの態度に、バスクは企みの色を感じ取る。

 あわよくば、ティターンズにはジオン公国側と仲良くしてほしい、という言外のメッセージであると理解して、滞在中は慎重に立ち回らなければならないなと警戒する。

 

「あ、私、本物のピザとホットドック食べてみたいですっ」と、バスクの心配など軽く飛び越えて、エマがあっけらかんと己の要求を突きつける。

 

 こいつは本当に大物かもな、とバスクは胃のあたりにしくしくと痛みを感じる。

 賭けてみてもいいかもしれない、とエマをじっとつめるバスク。

 ちょっと視姦とかハラスメントなんでやめてもらえますぅ? などと言われ、バスクはかぶりをふって仏に祈った。

 仏様、このバカが所属している連邦女史力研究会を爆散させてください、と。

 




参考

小野圭司『日本戦争経済史 戦費、通貨金融政策、国際比較』日本経済新聞社(2021)

ポール・ポースト『戦争の経済学』バジリコ(2007)

デービッド.G.ルーエンバーガー『金融工学入門 第2版』日本経済新聞出版(2015)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六九話 0085 ガルマ、散らず

亡びは 私達のくらしのすでに一部になっている

――宮崎駿『風の谷のナウシカ』


 

 コロニーの天候は曇り。これはすべてしめやかなる葬儀を演出するためだ。

 ハマーンの父、マハラジャ・カーンの国葬が、ズムシティの旧公王庁を借り上げて行われている。もちろん、国葬の主催はジオン共和国。国葬事務局なる責任者不在の官僚組織が民間の葬儀会社に発注し、警備をジオン共和国軍が行うものである。

 共和国軍のお披露目も兼ねた葬儀であり、しめやかに、かつ、荘厳に行われることをよしとする。

 そのような新生ジオン共和国の意図を知ってか知らずかは分からぬが、喪主、ハマーン・カーンの隣には、礼装にサーベルを下げたクラウン少佐が周りを睥睨するかのように屹立していた。

 沈痛な面持ちのハマーンと、それを守る騎士の絵面は演出としては悪くない。

 

「いやぁ、あの雰囲気は挨拶なんて無理ですよねぇ?」

 

 まずいな、と帰還しなかった方のジョニーこと、司政官は、自身のブラックなネクタイをいじりながらローゼに声をかけた。

 

「ハマーン様の御父上を謀殺したうえ、国葬に付してジオン共和国建国のための犠牲者に据えるという政治利用。ジョニーのことを殺したいでしょうが、ハマーン様はよく飲み込んでくださったと思います」

 

 ローゼの言葉は諦念と後悔の両方が入り混じったもののように思えたが、ジョニーは何も言わない。

 否、なにも言えないのである。

 

 いつのまにか部下の皆さんがいろんな思惑の元、なんやかんやで、ハマーン様のお父様を殺しました、などという話を聞かされて「え?」とならぬガノタはいない。

 

 ガノタにはいくつかの禁忌事項がある。

 やらかすと原作の強キャラが敵になってしまい、破滅街道を駆け抜けるだけの人生になってしまうものがそれだ。例えば、ララァを殺してしまうなどは、アムロとシャアの両方を敵に回す典型的な禁忌事項といえよう。

 では、ハマーンの父、マハラジャ・カーンを殺すことはどうだろうか。

 北爪Zガンダムによるならば、明らかに禁忌である。

 さて、この世界ではどうなのだろうか……などとは、ジョニーの中の人は考えない。

 

 そう、彼は、偏ったガノタなのである。

 ロボット大好き~♪ の延長線上でガンダムシリーズを愛していたため、北爪Zガンダムなど読んだことはない。彼が愛する副読本はいつだって、グレートメカニックであり、ホビージャパンなのである。

 

 そのような無知も相まって、ローゼらにおんぶにだっこであるジョニーの中の人は「ヴぇっ!?」と驚いたあとは「ひ、必要だった、ということですよね?」と訊ねることしかできなかった。

 事の重大さを推し量ることが、できていないのである。

 

 とはいえ、処罰なら受けます、などと平謝りするローゼらスタッフ一同に対して、ただただ見過ごしていただけのジョニーに何かをいう権利などあろうはずもなく。

 なにより、ローゼら優秀なスタッフチームなくして、このよくわからないZガンダム直前期を泳いでいけばわからないのである。

 

 おのれを信じることができない以上、頼れる仲間を信じるしかない。

 世の中には、信じることを武器にするしかないどうしようもない人間というものもいるのである。

 

 結局、ジョニーの中の人はガノタとして腹を決めた。

 やってしまったものは、仕方ない。と。

 ハマーン様に恨まれるポジションなんぞ多くのガノタにとっては願い下げポジションであろうことくらいはわかる。

 

 しかし、逆を言えばおいしいポジジョンなのではないか、とジョニーの中の人は考えを変えた。ハマーンに恨まれる、ということはハマーンに一生覚えてもらえるということである。

 この世界であれ、ほかの世界であれ、大多数のガノタというのはハマーンのことを覚えているだろうが、ハマーンに覚えられるガノタなどというのは中々いないはず。レアなポジションに感謝することにした。

 

 これは……メインキャラに昇格している、と飛躍した思考が結論付ける。

 ある意味、ガノタ冥利に尽きるというものだろう──と、自らの動揺する心をごまかすために、無理やりな理論武装をしてみた。

 だが、そんな言葉遊びでどうにかなるはずもなく……ジョニーは三日三晩、自室に引きこもった。

 

「(ハマーン様の親殺しとか、冒涜も過ぎるだろ……)」

 

 と、ガノタらしく、しばらく苦悩した。

 しかしながら、彼はあくまでMS専門ガノタなのだ。

 実のところ、マハラジャがどういう人物かもよく知らない。

 人は、相手を知らなければ罪の深さを知ることはないのである。

 

 ゆえに、彼は考えるのをやめた。

 向き合おうとはしたのだが、そもそも帰還しなかった方のジョニー・ライデンは一年戦争初期に艦艇を何隻も沈め、百や二百ですまない人を殺した男である。

 さらにマハラジャを殺してしまったとて、罪が+1されただけ。

 

「あ、そもそも、地獄落ちなんだからいいか」

 

 そう腹落ちしてからは、ただぼーっと映画系サブスクで適当にいろいろ観ていただけである。何も考えたくないときは、映画鑑賞が一番なのだ。

 三日三晩、浴びるように映画をみてすっきりしたジョニーは、シャワーを浴びて再びローゼ以下、スタッフの前に現れた。

 

「君たちと僕は一心同体なのだと思います。だから、君たちの罪は、僕の罪です」

 

 だから、次から命を扱う案件が出たなら、僕にも覚悟を決める時間をくれ、とだけ告げた。

 いうまでもないが、ローゼらはその言葉に震えた。

 深紅の稲妻、ジョニー・ライデンは何があろうとも彼女らとともにあってくれるのだ、という確信が、スタッフたちの心に支えを与えた。

 

 ──弔いの鐘が鳴り、儀仗隊による礼砲を合図に、マハラジャ・カーンの棺が葬儀場から運び出される。

 

 回想にふけっていたジョニーは、ごめんなさい、と真心を込めて謝りながら黙とうをささげる。

 彼は罪を自覚しているが、謝るしかできないのである。マハラジャが何を望み、何をジオンに求めていたのかは全くわからない。知らないということは、何も継ぐことも、償うこともできぬことを意味する。

 無責任に他人の命を奪うということは、そういうことなのだということを自覚しているからこそ、後悔も、悔恨もない。

 あるのは、ただ謝罪だけだ。

 

「よく、顔を出せたものだ」

 

 誰に話しかけられたのかと思えば、ジオン共和国軍に異動してくれた貴重なエースの一人、青い巨星ランバ・ラル少佐であった。

 

「犯人が葬式に出るのって、そんなにおかしいことですかね?」

「チッ、政治屋になりさがったか、ジョニー」

 

 ラル少佐が軽蔑のまなざしを向けてくる。

 そんなことをいわれても、としょんぼりするしかないジョニー。

 元セイラさんこと、アルテイシア・ソム・ダイクンが共和国議会議員に立候補するという情報を聞きつけた数多くの元ダイクン派士官が、ジオン共和国軍への異動を希望してきたとローゼからの報告で聞いている。

 

 騎士道精神に背く云々で公国軍からNT少女マリオンを連れて脱走していたニムバスとやらも共和国に合流したらしいので、後で名簿を観たら、意外と強キャラがそろっているのではないだろうか。

 

 まぁ、そももそローゼの話だと、ジオン公国とジオン共和国は二国間条約を結んで、将来的にネオ・ジオンとしてかつてのEUのような政体に移行し、軍事機能も統合していくうんぬんとレクチャーを受けてはいる。

 だから共和国軍か公国軍かなんてのはどうでもいいのでは? などと、ジョニーは難しいことのわからぬただの波乗りジョニーとして考えるのをやめている。

 

 ローゼ曰く、それがジオンの内側の膿を吐き出させ、本当のジオンの未来を作るために必要なことなのだと教わったが、ふむふむ、とうなずくことしかできなかったのがジョニーである。細かい話をされたと思うが、覚えていないのである。

 

「ラル少佐、僕はですね、いろいろと教わってわかったんです。ジオンの未来というやつをちゃんと考えるなら、ザビ家もダイクン家もない、宇宙移民による、宇宙移民のための政体を単純に打ち立てる必要があるんだってことです」

 

 ザビ家だのダイクン家だのという血脈と家門の話をされてもジョニーの中の人はわからない。

 わからないなりに、ローゼらからの教えについて消化して自分なりの意見を持つとするならば、そういうイデオロギーはどこかに捨て去って、ただ宇宙に広がる人類とはどういうもので、どのように自らを統治するかを宇宙移民者自身で決めていく、という安直な答えが一番いいのではないか、と思っていた。

 

「ジオンという名は政治的統合の象徴として利用させていただきますが、僕は──いつか、ジオンの名もいらぬ宇宙移民たちの世界こそが、本当に求めるべき未来なのではないか、と考えているのです」

 

 それらしいことを語るジョニーだが、元ネタはローゼの講義であり、どこかでみた映画の設定である。

 

「……アルテイシア様も、同じようなことを言っておられた」

 

 ラルがううむ、とうなる。

 そして、ジョニーもうなる。

 まさかジョニーが映画を見ながら漠然と考えた内容が、アルテイシア様と似通った考えになるとは思ってもいなかったからだ。

 

「共和国建国に伴う選挙にて、アルテイシア様は共和党を率いて立候補なさる。貴様も比例第一位ゆえ、ほぼ共和党の院内総務に内定している以上、失態はするなよ」

「はい、まぁ……」

 

 それはローゼさんたちに丸投げなので……とはいえない。

 あいまいにうなずきながら、ラルのほうをみるくらいしかできない。

 

「ハマーン・カーン様とクラウンはこの国葬が終わり次第、地球の公国と合流すると聞くが……貴様、止められたりはせんか? クラウンは共和国軍に欲しい兵の一人だ」

 

 あなたの主家であり主君たるマハラジャ様を殺した僕と一緒に、ジオン共和国を盛り立てていきましょう? というサイコパスっぷりを発揮できるほどにジョニーの心胆は鍛えられていない。

 本物の政治家ならそのくらいをこなせるのであろうが、ジョニーにはそれができない。

 

「口をはさんで申し訳ございません、ラル少佐。その問題は私共が対処済みです。カーン家を守るために、クラウンは共和国軍に籍を置くことになるでしょう」

 

 ローゼがそのようなことを言い出すので、ラルはそうか、とうなずく。

 なお、ジョニーはどうしてそうなった? とますます混乱するばかりである。

 

「……まずはマハラジャ様をお見送りしましょう。政治の話は、後ほど」

 

 ジョニーはとりあえず常識的なことを述べておく。

 

「確かにな。このラル、無粋であった」

 

 ラルとジョニーは送り出されていく棺を先導するクラウンとハマーンの姿を目に焼き付ける。

 ハマーンの目は赤く潤んでおり、そこには明らかな復讐の炎が見て取れた。

 背筋が凍る。とはいえ、引き受けねばならない罪か、とジョニーは首を振る。

 

「僕が殺される分には何の問題もないのですが……」とジョニーは黙とうをささげているローゼの横顔を眺める。

 

 殺すなら、僕だけにしろ、クラウン──と、ジョニーは祈る。

 先に手を出しておいて本当に申し訳ないが、ハマーン様には手を出させないから、狙うなら僕だけにしてくれ、という無理筋取引をどう持ち掛けるか……初めて、ジョニーは政治家らしい取引を自分の頭の中で考えた。

 

 

 

 

 北アメリカの諸地域を周遊し、ガルマ・ザビが復興させた地球圏ジオン公国に打ち震えたバスク・オムは、改めて戻ってきたキャリフォルニアベースの国際宇宙港に併設されている高層ホテルのVIPルームで、心を落ち着けるべく座禅を組んでいた。

 

 だが、無心にはなれなかった。

 心中に広がるは、旅程にて目にした様々な景色──

 

 ──ミノフスキークラフトを搭載したザンジバル級に同乗する形で、バスクとエマはジオン公国支配下の北米をめぐる旅行に出向いた。

 まず、バスクが目を見張ったのは、グレートプレーンズが復興していたことである。

 失われたはずのグレートプレーンズ、ロッキー山脈東から中央平原に広がる巨大穀倉地帯は、コロニー落としによる気候変動と粉塵災害による土壌汚染が深刻化し、その地を死の土地にされたはずであった。

 

 しかし、実際は違った。ジオン高等バイオサイエンス研究所で生み出された新型小麦や大麦、バイオトウモロコシ満たされており、その素体にはアスタロス計画にて得られた基礎研究データが利用されているという。

 アスタロス計画が地球に対するバイオハザード兵器になりうると知っているバスクは、アスタロスを平和利用する方向に賭けて成功したガルマの強運に、仏の導きでもあるのではないかとすら疑ったほどだ。

 もともとアスタロス計画は食糧問題を解決する目的で生み出されたものとはいえ、結局兵器的側面が強くなりすぎて凍結されたプロジェクトのはずであった。しかし、ガルマにとっては凍結された事実などなんのその。ザビ家御曹司の力を遠慮なく行使することで、自らが統治を任された破壊の大地を再生することにしたのであろう。

 

 復活した露地栽培に、バスクは深い感銘を受ける以外ない。

 

「黄金の大地、さ。私がいくら北米の支配者だと喧伝したところで、大地は荒れ果て、日々のパンに事欠き、家畜は死に絶えた世界で民心は得られない。では腹と大地を満たしてやろう、と考えるのはお坊ちゃんである僕らしい考えだと思わないかい? マリー・アントワネットの捏造された発言『パンがないならケーキを食べればいいじゃない』があるだろう? アレのストロングスタイルさ」

 

 ほほう、とエマ少尉候補生がふむふむ、とうなずきながら、実際には再生に何年くらいかかったんですか? と問う。

 

「2年近くかかったかな。その間、月のアナハイムを通して各サイドの農業コロニーから大量に買い付ける羽目になってね。ずいぶんとあいつらを儲けさせてやったものだよ。北米で手に入るレアメタルを売り払いながら、綱渡りをするように食料を買いあさったのさ」

 

 ジオンの戦争に大義などなかったね、とガルマがさも当然のように言い出し、バスクは兵たちの士気にかかわらないか? と見渡した。しかし、そんなことはさも当然、といった雰囲気がザンジバルの艦橋に勤める兵らから感じられた。

 

「でも、おかしくないですか?」

 

 ガルマの言葉にエマが疑問を突き付ける。

 彼女の言葉をバスクなりに要約するならば、理屈が通っていない、ということだ。

 いくらアスタロス計画があったとて、汚染された土地の改良工事は途方もない工数がかかるであろう。

 投入される労働力や資材の事を考えると、いくらガルマとザビ家が豊かだとはいえ、そのポケットマネーや公国の国家所得でどうにかなるはずがない、と、エマは計算しながら反論して見せたのである。

 

 ふむ、合格だな、などとバスクはまた勝手にエマに何かの合格点をつける。

 

「そうだね、エマ君。だけどね、君はすこしばかり頭でっかちのようだ」

 

 ガルマが貴公子然としたさわやかな笑みでエマを諭そうとする。

 その態度に嫌味な要素などみじんもないのだが、なぜかエマが噛みつきはじめ、バスクは心中でため息をつくほかない。

 

「わたしの髪形を馬鹿にしましたね……? ガルマ様、この罪は孕ませていただくことで償っていただきますよ……?」

 

 青筋をビキビキッと浮かべるエマを、バスクがペチリと叩いて制する。

 

「やめんか」

「痛っ!? ちょ、おかしくないですか? だって大佐っ、ガルマ様がわたしの頭髪をファルスだっていうからっ! そんな情熱的な誘い方されたら、もう、ヤるしかないですね? ね?」

「ギリシャ語だからといって下品なことをいうものではない。それと、おかしいのは貴様の耳と頭だ。ガルマ様のお言葉を幻聴しているぞ」

 

 むきーっ、と顔を真っ赤にしてエマがバスクの頭髪のない頭部をペチリと殴り返す。

 だが事実に反し、まるでそよ風が頭皮をなでるような、凪ぐような風だけをバスクは感じた。バスクは鍛え上げられた重戦士であるので、エマごときの平手打ちなどエアコンの風と同レベル程度にしか感じられないバスクは、何事もなかったことにする。

 

「き、効いて、ないっ!? ズル剥けのファルスみたいな頭なのに……」

 

 動揺するエマのことなど捨て置いて、バスクはガルマに謝罪する。

 

「うちのバカが失礼しました」

「ん、あぁ……元気でいいんじゃないかな」

 

 ガルマも艦橋の兵士たちも、視線がなんだか生暖かくなっている気がするが、バスクのメンタルは使命感にあふれた悟りあるブッディストそのものなので、何の問題もない。

 問題は解決したとみなす。

 

「ガルマさまも大佐もわたしのことバカにしてっ……そんなにバカバカいうなら、わたしみたいなバカにわかるように説明なさいな」

 

 エマが拗ねて、良いところ出のお嬢様の素の口調が出てしまっている。

 はぁ、とバスクは肩をすくめつつも、おバカなエマに説明をしてやることとする。

 

「──政治の領分だが、将来偉くなるつもりなら知っておけ」とバスク。

 

 ガルマの北米復興は確かに、ガルマの個人的なカリスマと技量に依存するところも多い。

 しかし、それだけで復興をなせるなどということはあり得ない。

 金の額が不足だからだ。

 

 ジオン占領下の地域の事など、ジオンに面倒をみさせておけ、という連邦議会と連邦政府もまた、そのように考えていたため、実のところ、一年戦争時のジオン支配領域の大陸は復興に大きな問題を抱えていた。

 

 だが、そこに一人の男が疑問を呈する。

 ジャミトフ・ハイマンである。

 彼は一年戦争が総力戦の様相を呈しながらも、最終的には相互確証破壊の元に和平へと軟着陸するであろうことを予想していた。

 その後にやってくる『戦後』こそが、本当の地獄だろうとジャミトフは行動を開始する。

 

 ジャミトフ・ハイマンは軍でのキャリアを、経済戦争ドメイン担当将校としてスタートさせ、そのキャリアを突き進んでいた。

 ゆえに、彼は軍艦を巧みに操ることもできず、MSに乗って戦うこともできないのだが、数字だけで億の人々を殺すことも救うこともできる特殊な技能を身に着けていた。

 

 そのようなジャミトフが1年戦争開戦後の、巨大な地球と宇宙の経済破壊活動を目にしたとき、真っ先に着手したのが『証券化』による復興準備であった。

 

『どのようなキャッシュフローも、集めれば証券化できる』

 

 経済戦争ドメインを担当するジャミトフは、こう豪語する。

 農家が作物を作って売ることでキャッシュフローを生み出すことも、製薬会社が新薬を開発して売り出すことでキャッシュフローを生み出すことも、ジャミトフから見れば『すべて同じ経済現象』なのである。

 

 地球連邦軍経済戦争ドメイン担当将校の任務において重要なのは、キャッシュフローを生み出す各種産業──職人の手仕事から、農業、工業、サービス業に先進科学の何から何まで、すべての経済領域で地球連邦政府に利する状況を構築することである。

 

 当時の地球連邦軍ではジオンとの開戦の機運に伴い、物理ドメイン戦争(※いわゆる兵器を運用して殺しあう戦争)にばかり傾いていく傾向がみられたが、ジャミトフとそのシンパたちは、経済戦争ドメインでのジオンに対する決戦を強要し、これに勝利することで物理ドメイン戦争が深刻化する前──具体的には、ジオン本国攻略作戦や、あるいは真逆の、地球連邦政府首都攻防戦などを防ぎうると考えていたのである。

 

 そのために、ジャミトフらが真っ先にしかけた『決戦』が『大陸復興農業REIT』であった。

 

 通常、農地というのは農家が買うか、借りるかである。

 あるいは農業を営む企業が、農地を買うか、借りるか。

 

 この二点にフォーカスすると、誰でもわかることであるが──キャッシュが少ないのである。

 

 農家は平均年収の10倍のキャッシュを用意できるだろうか? 

 農業企業は業界各社平均の10倍のキャッシュフローを生み出せるだろうか? 

 

 断じて、否である。

 

 農家も農業企業も、それぞれが個別に生み出せるキャッシュには頭打ちである。

 となるならば、いわゆる市中銀行は、どの額までこれらに貸し付けられるだろうか? 

 銀行とて営利企業であるから、貸し倒れリスクを考えると、多くて農家の年収の2倍や、企業の売り上げの2倍くらいではないだろうか、というのは誰でも想像できる。

 

 つまり、ジオンによってもたらされた災害によって農地が地球全土レベルで損害を受けたとしても、農家も農業企業も復興のキャッシュをだれからも借りられないのである。

 

 多くの農家や農業企業によっても絶望的な状況であり、地球の食糧事情にも深刻な問題を引き起こすであろう事態を、古典経済学の常識である『神の見えざる手』では決して解決できないということが分かり切っていた。

 

 連邦やジオンが公金を注入する? 残念ながら、人類が生み出した二つの理想国家は目下、物理ドメインでの大量消費戦争を実行中であり、両国ともに大陸復興だのコロニー再建だのに回せる金などビタ一文も出せない。

 

 並の人間であるならば、ここで『詰んだ』と悟り、あきらめるであろう。

 

 しかし、ジャミトフ・ハイマンは『勝った』と悟ったのである。

 彼は経済戦争ドメイン担当将校として、直ちに世界中の荒廃農地を文字通り二束三文で安値で買い上げる『大陸復興公社』を設立した。

 

 ジャミトフ率いる大陸復興公社は、荒れ果てた農地を前にして、ただただ茫然としていた農家や企業の従業員たちになけなしの現金を与えつつ、こう尋ねる。

 

『まだ農業で生活を立て直せる、としたら、農業を続けますか?』と。

 

 もちろん、多くの農家も企業も首を縦にはふるが、ほとんどの場合は「でも、どうやって?」と問うてくるのである。二束三文の荒れ地をどうするのか、皆は想像できないのである。

 

 だからこそ、ジャミトフら大陸復興公社は彼らにこう告げる。

 

『我々大陸復興公社が、土地をすべて買い取ります。そして農家の皆様にはこれを貸し付けさせていただきます。賃料は総売り上げの3.9パーセントで構いません』と。

 

 しかし、荒れ地になってしまっているし、除染にも金がかかる。これは農地再開発と同じだから、どうしようもないのでは? と農業企業の役員などは問うてくる。

 

 そこでジャミトフら大陸復興公社の社員たちは、切り札を出すのである。

 

『大丈夫です。我々が農地再開発を主導いたします。あなた方にはあくまで、売上の3.9パーセントを収めて下さるだけでよいのです』と。

 

 甘い話ではないか、と多くの人々は疑った。

 大陸復興公社というペーパー上に設立されただけの連邦政府関係の一公社がまともなことをするはずがない、と噂ばかりが先行する。

 

 ジャミトフはそのような噂を鼻で笑う。

 やって見せれば、すべては証明できるのだ、と。

 

 一年戦争開戦後、ひと月も立たずに、月面の証券取引市場に一つのREITが上場された。

 その目論見書の概要はこうだ。

 

 ・地球圏のすべての農地を大陸復興公社が買い取る(※すでに連邦政府支配域の3割を調達済み)

 ・大陸復興公社がこれら取得農地を改良し、農家・農業法人に賃貸する

 ・賃料収入から一定の管理費を除いた額を、投資家に分配する

 ・利回りは3パーセント程度となる見込み

 ・アスタロトデータ取得見込みあり

 

 開戦後の月経済界の目端の利く連中は、この『大陸復興農業REIT』が、今後拡大していくであろう各種復興REIT証券化の先駆けであると察した。ファーストペンギンの総取りになりがちな不動産の証券化(※土地の数には限りがあるから)を知る財界は、我先にとこのREITに金を突っ込み始めたのである。

 

 この後、ジャミトフは大量の復興REITを組成し、運用するようになる。

 医療施設や介護関連施設の土地取得と設備投資を主軸とした大陸復興医療REIT、コロニー落としの災禍によって住宅を失った人々に住宅を賃貸する大陸復興住宅新興REIT等、彼は世界の救済を愛ではなく、金で実現する手段を知っていた。

 

「山が動いた、か」と電子口座に流れ込んでくるカネを、ジャミトフはジャブローの穴倉にあるモニターに囲まれた手狭な一室でじっと見つめていた。

 

 そして、やおら連邦政府の外交委員会の事務局へと電話をつなぎ、ジオンへのホットラインを一つ貸せ、と宣言する。

 誰だお前? と怪訝な問いをする電話口の向こうにいる役人に対して、ジャミトフはへりくだった口調でこう告げた。

 

『世界を救う、一介の公務員ですよ』と。

 

 

 

「──と、おおむねこのように、ジャミトフ閣下は当時のガルマ大佐と繋がることに成功なさり、タッグを組んで大陸復興農業REITにジオンの北米、南アフリカ地域をも組み入れることとなったのだ」

 

 巨大な投資資金を集めた大陸復興農業REITからもたらされる金で、アスタロス計画他、さまざまな土地改良事業を加速度的にはやめて実施したのだ、とバスクはエマ少尉候補生に説明をしてやる。

 

 エマ少尉候補生は「へぇ~」と感心したようにうむうむと、うなづいている。

 そして、あっ、と手をポンっ、と鳴らした。

 

「つまり、一年戦争の頃から、ジャミトフ閣下とガルマ様はズブズブの関係だったってことですかっ!? あ、あ、あぁ~っ!? だから、一年戦争の終戦を主導することになるのは、ガルマ様なんですねっ!? そっか、北米統治やアフリカ農地をリカバリーをしているのは結局ジャミトフ閣下主導の金融マネーだし、そのマネーがないと、ジオンの地上降下部隊を支える食料も民心も維持できないんですね……」

 

 エマ少尉候補生が、全てがつながった、と納得の表情を浮かべている。

 当時、ジオン統治下の領域へと向かうジャミトフの安全を確保する護衛部隊長を拝命していたバスクは、ジャミトフの知己を得るとともに、そこでバスクが知らない特殊な戦争の領域が存在することを知った。

 一年戦争を終戦に導く数字による決戦を見事に遂行し、農地復興という難敵をすべて降したジャミトフであったのだが、世間、ましてや政界では恐ろしく評価が低い……というよりも、理解されていなかった。

 総力戦と物理領域戦争を混同しがちな大衆たちも、その大衆に選出された議員たちも、ジャミトフの計略が戦争の終結とどう関係があるのか理解できていないのである。

 

 そして、連邦政府からも勲章を得ることもなく、ギレンの意を受けたガルマ主導のジオン公国特殊外交部と地球連邦政府との和平交渉の橋を架けたジャミトフの事を、バスクは心から尊敬していた。

 

「その通りさ。ジャミトフ閣下は狡猾で、気骨ある方だ。彼はどうすれば愚かな人類を救えるかよく知っている。愛を信じず、金を前にした人類の狡猾さを利用するジャミトフ閣下だからこそ──彼が主導するティターンズを、私たちは陰ながら応援させていただくのさ」

 

 なるほどねぇ、と納得してうなずくエマ少尉候補生に、ガルマがティターンズに期待している旨を強調する。 

 

 そしてガルマは、艦橋の舷窓にむかい、大地を見下ろしながら言った。

 

「──地球にコロニーを落として、地球の生存基盤を破壊することで宇宙移民を促進する、なんて戯言を兄さんも信じていたわけがない。どうせ兄さんは、これを機に人口調整をしておこう、とでも考えたんだろう。あの人は、地球とコロニーの状況を複合的に考えて、このままでは人口問題で歴史が逼塞する、と言っていたからね」

 

 機密、というものもあろうに、ガルマはそのギレンの試算データをあっさりと、お気に入りらしいエマ少尉候補生に渡す。

 連邦の一介の少尉候補生に渡すには重すぎるデータを受け取ったエマは、おもしろそうっ! と不謹慎な喜びの声を上げて、タブレット端末に表示されているデータに見入っている。

 

「人類の間引きの監視に私を送り込んだつもり、だったのだろう。だが──」

 

 ガルマは低空飛行させたザンジバルの舷窓から、黄金の大地を眺める。

 払い下げられた旧ザクたち──殺し合いの道具ではなく、農業用として人々を支えるジオンのMSたちが、ザンジバルに向けて手を振っているのがバスクにも見えた。

 農薬散布用に売り渡されたであろうルッグン偵察機がザンジバルの艦橋の隣に飛んできて、光通信にて電文『黄金の日々に乾杯』と。

 

「……私は坊やだからね。大地に生き残ってしまった人々を見捨てられなかった」

 

 去っていくルッグンを見送りながら、ガルマがこぼした。

 これがザビ家の次世代か、とバスクは羨望と同時に──どこに振り下ろせばいいのかわからない怒りの感情が腹の底からこみ上げる。

 大きく息を吸い、吐いて、バスクはガルマに告げる。

 

「少々用事がありますので、一度お借りしている船室の戻らせていただきます」

 

 バスクの言葉に、ガルマが「君には複雑な思いがあるだろう」とだけ告げた。

 

「大佐、顔色悪いですけれど、何か悪いものでも拾い食いしたんじゃないですか?」

 

 まじまじと覗き込んでくるエマに「ガルマ様のお相手を頼む」とだけ言い残し、バスクは一人、艦橋から出ていく。

 

 案内役の上等兵に案内され、ゲストルームとされている部屋にたどり着く。

 ご苦労、とバスクが軽く頭を下げると、上等兵が敬礼をして、御用があればお気軽にどうぞ、と告げられ、部屋に入る。

 

 ドアが閉じられ、バスクは狭いベッドに腰かけた。

 抑えようと思うも、その激しい記憶の波を抑えられず、頭を抱えるバスク。

 ジオンが、バスクの世界を壊したあの日の光景を思い出してしまう。

 

 決して、ガルマが悪いわけではないのだ。

 

 人類の歴史の流れと仏縁が、かような破滅をもたらしたはずなのに――ザビ家の名に、バスクはどうしても怒りを抱かずにはいられぬ未熟者なのである。

 お前たちが始めなければ、犠牲は少なかったのではないか? と衝動的な怒りの発言が飛び出してしまいそうで、つい、ガルマの前から去ってしまった自身の狭量さを呪いながら、バスクは、ベッドに倒れこんだ。

 




ティターンズを盛りまくらないと、Zガンダム書けない病に罹患中。
もりもり純情ティターンズを曇らせたいんごご。

参考文献
『不動産証券化ハンドブック2023』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七〇話 0085 バスク・オムとコロニー落とし

ジオン兵
「奥さん、このあたりが一年前にセント・アンジェのあったところですよ」

――機動戦士ガンダム 第8話『戦場は荒野』


 ──好きでもあり、憎くもあるココナッツの匂いに包まれながら、バスクは年始を故郷で過ごしていた。

 

 コロニー落としを企図するブリティッシュ作戦の脈動が始まった1月1日は、当時左遷地扱いだったアジア太平洋群島統合司令部付の幕僚たる大尉として、来るべきジオン地上降下に備えた演習や、状況想定作りに邁進していた。

 

 ジオンによる大々的な宣戦布告についても、メディアやニュース番組では極めて楽観的な解説ばかりが横行していた。

 

 いわゆる軍事評論家、という連中は皆、ジオンの敗戦を予想しており、『一週間戦争』となるでしょう、などと楽観視する論調が食堂のテレビから流れていた。

 

 地球連邦軍とてそうである。

 ジオンとの戦端が開かれんとピリピリしていたのは宇宙の話であり、地上では例年通りニューイヤーパーティ休暇をとるように指示された。

 

 家に帰って親孝行しろ、と命じられたら従うほかない。

 大尉に昇進していた彼は、礼服を着て挨拶へと赴いた。

 魚と潮の匂いにココナッツとスパイスが合わさった故郷の漁港に降り立ち、ストリートチルドレンたちが「あっ! バスク兄だぁっ!」と殺到するのをいなしながら、何とか母の住まう家(※バスクがローンで買った小さな一軒家)に向かった。

 

 呼び鈴を鳴らし、インターホンに響く母の声。

 

「母ちゃん、バスクだぁ」

「あら、あらあらあら」

 

 慌てた様子でドアが開き、母親と対面し、ハグをする巨漢バスク。

 はたから見ればレスラーが女性を圧殺しようとしているかのようにも見える凶悪な光景だが、ご近所さんたちはバスクが慈愛に富んだ敬虔な南洋宗の信徒であることを知っているため、おーい、バスクさんが帰ってきたぞぉ、と盛り上がっている。

 

「おかえり、バスク。まぁたでっかくなってぇ」

「地球連邦軍に合わせて、オラも大きくなっただぁ」

 

 強くなるためには、でっかくないと、などとわかるような分からないようなことを適当に言いながら、バスクは離れない母親をむんずと離す。

 

「んで、休みは長いん?」

「代休と特別休暇込みで2週間ほどもらったけぇ、しばらくゆっくりできるさぁ」

 

 そんなことを言いながら、ご近所さんに挨拶してくらぁ、とバスクは地球連邦軍アジア太平群島統合司令部名物『アジアンカレースパイス缶』を山ほどこさえた袋を担いで、御近所の挨拶に回る。

 このカレースパイス缶は、ストリートチルドレンや貧困層らの雇用支援目的で南洋宗が経営しているパッキング工場で生産されており、地球連邦軍が現地の人心安定のために貢献すべく仕入れている代物である。

 とりあえずこのアジアンカレースパイス缶のスパイスを使えば、多少ヤバい食べ物でも案外おいしく食べられ、まともな食べ物は極めて美味となる、ということで、貧困地域はもとより、中産階級にも広く人気があるシロモノなっているのである。

 戦争の足音が聞こえる中、保存食需要や調味料需要が高まっている中で、これはご近所さんたちに大変喜ばれた。

 

「ありがとぉなぁ。んで、バスク君、やっぱ戦争は避けられんかね?」などと、ご近所さんたちの関心は一様である。

「宣戦布告があったけぇ、避けられんね」

 

 そんなことをバスクは言いながら、留守中、母をよろしく頼みますとスパイス缶を配る。

 

 あいさつ回りもひと段落し、自宅で母の入れてくれた茶をすすりながら、一息。

 中古のソファに包まれながらテレビを見ると、そこでは相変わらずジオン敗北の『一週間戦争』論が幅を利かせていた。

 

「ジオンってのは、そんな負け戦を始めたいんかね?」と母。

「どうかなぁ」とあいまいにぼかすバスク。

 

 バスクはテレビで流れる評論家たちの意見とは反対である。

 一介の大尉に過ぎぬバスクだが、大局をみようと努力する程度のことは、将来に備えて行っていた。

 自分の持てる権限でアクセスできるデータを入手し、独自に戦況をシミュレートした。

 オペレーションズ・リサーチの手法を駆使したオーソドックスな分析であったが、二点だけバスクは評価変数を加えていた。

 

 それは、ミノフスキー粒子とMSである。

 比較的、出自にうるさくない派閥であるレビル派の将校団(※勉強会をするための将校派閥)の勉強会に誘われて、ミノフスキー粒子が高度電子戦を阻害すること、戦術のスタンダードを20世紀初頭に戻しかねないリスクがある、という話をかじっていたためだ。

 MSに関しては、実はそれほど評価していなかったものの、SIAPと電子戦ネットワークに依存する連邦戦闘機群よりもミノフスキー粒子散布下戦闘を前提に設計され、戦闘ドクトリンを洗練させているMS運用に利がある、と係数をかけたのだ。

 

 その結果は、意外にも五分五分であり、初戦においてはヘタをすれば局地的大敗に至りかねない演算結果が出た。MSとミノフスキー粒子を過大評価しすぎているのではないか、とバスクは再検証したが、結果はやはり、ジオンが想像以上に粘り強い、というものであった。

 

 一年くらいは粘れるだろう、と一週間戦争論に反論したくなるが、いまのバスクは地球連邦軍でエリートとされる宇宙艦艇勤務でもなければ、宇宙軍司令部勤務でもない。

 ただの地上の辺境にある群島で海賊退治と治安維持を果たす、末端の士官に過ぎない。

 いつか、宇宙軍はエリートで、陸軍、海軍、空軍は辺境、という謎の文化が地球連邦軍から消えないだろうか、などと妄想したりしているが、期待薄だ。

 例えば、陸海空宇宙をすべて統合運用しなければならぬ、という巨大な戦争に巻き込まれ、かつ、ドラスティックな人事改革を断行する将官らがいなければ達成不能であろう。

 

 一年戦争になる、などというのは己の願望を変数に混ぜすぎたに違いない。

 

 バスクは、そう結論付けて、彼自身が計算した『一年戦争論』を封印した。

 この戦争はメディアのいうような一週間では終わらぬが、2,3か月でひと段落する強度紛争というのが現実だろう、などと無理やり自信を納得させる。

 今回の戦争は強度紛争程度で終わり、正規戦が展開される総力戦への移行はないだろう……と。

 

「んっ?」

 

 携帯端末が震え、メッセージが届いていた。

 暗号化されていない平文ファイルで、それはバスクが尊敬する先輩であるアデナウアー・パラヤ参謀事務課長からだった。中佐に昇進後、軍籍から離脱して官僚へと異動した彼は、様々な事情をバスクに流してくれる頼れる先輩となっていた。

 

『ジオンはコロニーを落とす。阻止できる保証はない。地球にいるなら高台にて備えろ』

 

 挨拶もなにもない、それだけの平文を見て、バスクは思わずソファから立ち上がった。

 軍隊とは融通が利かないもので、いまから自身の勤務先であるアジア太平洋群島統合司令部に戻ったところで、なんの指揮権も発揮できない。そもそも幕僚として赴任している以上、指揮権を委任されない限り、なんの命令権もないただの指揮官に対する助言者に過ぎないのが今のバスクである。

 

「……どうしたんね?」と不安そうな母。

 

 どうやら、顔に出ていたらしい、とバスクは悟り、安心させるべく笑みを浮かべる。格闘バッチを持つ筋骨隆々のバスクの笑みはやさしげであるが、どこか攻撃的でもある。しかし、母はそんな息子の笑顔の良い部分だけを信じることができる人であった。

 

「いうてみぃ。母ちゃんが手伝えることなら、手伝うけぇ」

 

 ありがとう、とだけバスクは述べて、少しだけ待ってほしい、と小さな書斎へと向かう。

 そこにはバスクがなけなしの給与でローンを組んだ量子PCと複数のモニターがある。

 基本、彼は相変わらず貧しいのだ。

 ローン地獄というやつである。

 彼はチェアに腰かけてマシンを起動する。

 すでに頭の中では数学におけるグラフ理論の問題たる中国人郵便配達問題について暗算が始まっているが、それは故郷の人々に知らせ、説得し、避難させるための最短経路コストを演算するためである。

 

 マシンが立ち上がるとすぐに、バスクは脳内で定立していた諸条件をコーディングする。

 士官学校時代は何度も競技プログラミングで優勝杯をさらった身である。書斎の棚を埋め尽くすトロフィーの数が、彼の努力がこの日のためにあったことを証明している。

 

「──やはり、すぐ行動を開始せねばダメか」

 

 バスクは、はぁ、とシミュレーション結果を見てため息をつく。

 落着物がコロニーである、と想定し、津波の高さを演算する。

 かつてメキシコのユカタン半島に衝突角度60度で激突し、K-Pg境界大量絶滅を引き起こしたチクシュルーブ衝突体が生じさせた津波は、高さ約300メートルだったと考えられている。

 これ程大きな質量物ではないが、それでもなおコロニーは巨大建造物であり、その構造体は小惑星から算出されるマテリアルをもとに精製された比重の大きい素材が大量に使用されている。

 落着時に100~150メートル級の津波を引き起こすのではないか、と想定するのも的外れではない。

 

 そして、これほどの衝撃を受けた地球のプレートに影響が出ないはずがない。

 コロニー落着後には、各地で深刻な地震が発生することだろう。

 その影響を簡単な変数で含んでみる。

 相当甘く、希望的な変数を入れてしまうのは、バスクの人の心が敵を信じてしまっているからだろうか。

 だが、そのような甘い数字を入れて得られた結果に、バスクは巨体を震わせる。

 

「地球総人口の3割近くが失われる……だと?」

 

 バスクは己の演算結果を信じることができなかった。

 だが、数字は数字であるし、アデナウアー・パラヤからもたらされた情報を信じる信じないの点では、信じると決めていた。

 ならば、数字を受け止めるしかないではないか。

 もし甘い数字を入れなければ、地球圏人口の4割程度は失われるのではなかろうか。

 

 地方自治政府が用意している島の避難先を最大効率で運用しても、間違いなく故郷の人々をすべては救えない。

 そもそも群島の山々は活火山でもあるため、津波で退避する先として適切とは言えない。

 津波から逃れたら、直ちに地震と噴火対応の避難をしなければならない。

 

「そんなことが、出来るわけがねぇ」とバスクはおののいた。

 

 本当は、総人口の半分以上を失う、戦とは呼べない何かになるのではないか。

 そんな恐怖がバスクの心中に飛来する。

 誰を救い、誰を見捨てるのか、などという問答がバスクの頭の中に一瞬入り込むが、混乱する心を落ち着かせるべく経典を素読すると、すっと心が冷静になった。

 

「不生不滅、不垢不浄、不増不減」と発破する。

 

 できる、できないではない。

 やるしかないのである。

 バスクは懐から数珠を取り出し、経典を諳んじて仏に祈る。

 一切衆生を救いたまえ、と。

 

 書斎から出てきたバスクは、自身が青い顔をしていることを自覚していた。

 その様をみた母は驚いた様子をみせていた。

 

「バスク……?」

「母ちゃん、教区長と自治会長たちを呼んでくれ。場所はオラが抑える」

 

 バスクはそう母に頼むと、携帯端末で講堂を一つ抑える。

 数多くの人に資料を見せながらプレゼンするためには、借り切るしかない。

 そして、場所を借りる金は……踏み倒すしかない。後払いとして請求書を送ってもらうことにする。その請求書が絶対に届かないであろうことを知る彼は、詐欺師のような気分になっていた。

 

「わ、わかったけんど、あんたは?」

「避難説明の準備と、母ちゃんが逃げる準備をする」

 

 バスクは細かいことは電話する、とだけ母に告げ、自宅にある中古のジープ型エレカに乗って、街へと買い出しに向かう。

 市民たちは誰もコロニーが落ちてくるなどとは知らない。

 だからだろう、市中はいつも通り平穏、というか戦争の高揚感もあってか、どちらかといえば活気があるようにすらみえた。

 

 バスクは誰もが知る会員制巨大倉庫型ストアに向かう。

 入口で会員証をかざして入場すると、巨大なカートを二つ押しながら、簡易トイレキットとペーパー、テント類やキャンプ道具、水や食料にガス缶をかき集める。山盛りになったショッピングカートだが、もとよりまとめ買いが珍しくない倉庫店であるから、特に目立つ様子もなかった。むしろ、バスクのすがたそのもののほうが目立っていたくらいである。

 

 それらの会計を済ませて、バスクは馴染みの銃砲店に向けてジープを走らせた。

 店舗に入るや否や、さっといくつかの拳銃と弾薬、そしてアサルトライフルを見繕い、クレジット払いで頼む、と店主に告げる。

 バスクのことをよく知っている銃砲店の主人は、狩猟でも始めるのかい? などと呑気に尋ねてくる始末である。

 

「おっちゃん、ぜひこれに来てくれんかね」

 

 バスクは有事避難研修会、などと書かれている紙切れを押し付けておく。バスクが自宅のプリンタで印刷した、あまりセンスの良くない一枚である。

 パッとみるかぎり、読み流してゴミ箱へと捨てられる代物なのだが……。

 

「──本気か?」と店主。

「うん。皆は逃がせん。仏様の縁しだいじゃ」

 

 バスクは、自らで避難民を選抜することを諦めていた。

 自分はできる範囲で呼びかける。

 それに反応するかどうかはそれぞれに任せる。

 いわば、仏様の縁頼みであった。

 

「よし、わかった。店じまいするけぇ、好きなんもってけ。タダでええ」

 

 そう言いながら、店主は表のシャッターを閉める。

 近所の商売人が「なんかあったのかい?」と訊ねてくるので、店主はこれをみな、と先ほどの紙切れを手渡した。手渡された側はみるみる顔を青くして、こりゃ大変だ、と紙押し付け返し、走り去った。

 

 店内に戻ってきた店主とともに、無言で準備をする。 

 ご厚意に甘えてハーネス型のホルスターを一つもらい受けて、その場で着用してからフライトジャケットを着こむ。

 そして、もらい受けた拳銃のひとつから弾倉を抜いて実包を詰める。

 実包入りの弾倉を拳銃にインサートし、セーフティを掛けて、懐のホルスターへと隠蔽。

 初弾を装填していないので、誤射事故を起こすことはない。必要なタイミングでスライドさせて初弾装填をして、初めて撃つことができるクラシックスタイルである。

 

 あとはボストンバッグに弾薬と拳銃、そして分解したアサルトライフルをパンパンに詰め込んで、店の裏口からバスクは出ていった。

 

 ジープの助手席に銃を詰め込んだバッグをおいて、運転席に乗り込みハンドルを握る。

 アクセルを踏み、適当なところでUターンを決めて、帰路をたどる。

 先ほどまで街中は呑気なものだったが、一部の店舗が慌てて店じまいを始めていた。

 バスクが広げんとした縁は、少しずつその網を広げつつあるようだ。

 

 

 さて、避難道具一式を満載したジープを自宅の充電器につなぎ、バスクはエレバイクで講堂へと向かった。

 すでに講堂には人が集まりつつあり、不安そうに話し合っている人々の姿が目に入った。

 バスクが単車を走らせてきたのを見た自治会長や近所の人々が集まってきたが、バスクはやんわりと断り、講堂にて話を聞いてほしい、とだけ言って、彼は駐輪場に向かう。

 

 彼はさっさと大股で歩をすすめ、借り受けた講堂施設へと乗り込む。

 関係者通用口から入った彼は、さっさと事務手続きを済ませて控室へと向かう。

 講堂の運営そのものはほぼ自動化されているため、開始時間1時間前には講堂そのもののドアは解放され、人々がぞろぞろと客席を温めている。

 その様子を控室のカメラ映像で確認したバスクは、疎らな客席がすべて埋まってくれることを祈りながら、開演時間を待った。

 

 いよいよ時間となり、バスクは改めて控室のカメラ映像をみる。

 客席は……2/3程度は埋まっていた。

 満足のいく結果ではないが、即席の避難呼びかけとしては上出来だろう、とバスクは判断する。

 バスクは「命は光陰に移されてしばらくも停め難し」などと信仰する南洋宗の読経を行い、気合を入れる。

 

 ──講堂で何を話したかは、全く覚えていない。

 

 必死に何かを語り、人々がそれを信じてくれたことだけは覚えている。

 日頃の母の行いもあるのだろう。

 バスクの言葉は、想像以上に人々に届いたらしい。

 顔を青くした人々が講堂から足早に帰っていくのを見送り、バスクは己が仏から与えられた役割を多少は果たせたのではないか、と思ったことは覚えている。

 

「えらいことに、なるんやね」

 

 おびえた様子の母が控室にやってきたので、バスクはいそごう、母さん、といって母をエレカに乗せる。

 バスクはバイクにまたがり、そのあとを追った。

 

 

 自宅に戻ったバスクは、母に荷造りをするよう言ったのだが。

 

「なぁんもいらん。バスクさえ無事なら、母さんはええんよ」

 

 そんなことを言い出したので、そういうのはいいから、と母に避難生活に必要な服やらなにやらをバッグに詰めさせる。

 バスクは母の準備が整うまで、ソファに腰かけてテレビを眺めていた。

 もうすでに1月1日の日暮れを迎えていた。

 夕方のニュースでは相も変わらずジオン必敗論が流れ、チャンネルを切り替えるとギレン総統の無職時代の話を面白おかしく話すコメディアンたちの番組。

 危機感のない世界と、差し迫った危機に備えて逃げ出そうとしている人々の動きがあるふるさとの間には、明らかに断絶があった。

 世界はつながっていないのだ、という漠然とした実感を覚えながら、バスクはテレビを切った。

 

 

 母を隣に乗せたジープで、バスクは山道を登っていた。

 荷物を満載したジープで、こんな夜中に500m級の低山の山頂に整備されている無人オートキャンプ場に向かう車両など、相当なキャンプマニアか天体観測が趣味の者か、いかがわしい行為目的のカップル以外いないはずであった。

 だが、バスクは前方にも、後方にもそれ相応の車両がヘッドライトとテールランプを光らせて山道を進んでいるのを目にしている。

 どうやら、バスクの蒔いた種は芽を出しつつあるらしい。

 

 サイクロンや台風時に用いる退避シェルターは使えないものと思え、と皆に伝えたのが功を奏した、と思いたいが、所詮は知り合いや南洋宗徒に向けただけの草の根活動に過ぎないことも自覚しているので、バスクは、自らの力の及ばなさを悔いるほかない。

 

「もっと、オラが偉うなっとったら、もっと何とかなったんかの」

 

 バスクがそんなことを隣に座る母にこぼした。

 母は、そんなことは気にするな、と答えた。

 今やれることを精一杯やっておれば、仏さまが見ていてくれる、と。

 そんなものかもしれない、とバスクは諦観とともに、アクセルを踏む。

 

 山頂付近に至り、小道に入って森の中のオートキャンプ場へとたどり着いたバスクは、サイトにテントとタープを張り、母のためにテントの内容を整えた。

 エアマットや寝袋を広げ、母と彼女の私物バッグを押し込み、寒くないように電気毛布とバッテリーパックを用意した。

 

 次いでプライバシーテントも設営し、簡易トイレを設置してトイレットペーパーをぶら下げる。

 

 バスク自身は、これからの混乱に備えて、タープに蚊帳を張って、その中で折り畳み式のテーブルを広げる。

 ソーラー充電式のランタンを吊るして、彼はボストンバッグをテーブルに置いてアサルトライフルの部品を取り出して、組み上げた。

 スリングを通してアサルトライフルを抱きかかえ、彼は折り畳み式カウチに身を預けて、悠然と備える。

 普通、武装してオートキャンプ場にくる輩などいないのだが、バスクは地球連邦軍のワッペンがでかでかと張られたフライトジャケットを着ていたので、バスクのことを知らぬ人々は、連邦軍人が何かしらの理由で治安維持に当たっているのだろう、などと勝手に曲解しているらしかった。

 

 だが、そのような普通の宿泊客たちは、次第に情勢の深刻さを悟り始める。

 いつのまにやら普段は閑散としたオートキャンプ場に、荷物満載のピックアップトラックやら、バンが集まり始めたからである。

 

「……あのぉ、何かあるんですか?」と隣接サイトに旅行客らしい素敵なファミリー向けテントを張り、天体望遠鏡を並べていた品のよさそうな男性が話しかけてきた。

 

 バスクは酷い津波が来る可能性があるから、備えている、と告げる。

 コロニーが落ちてくる、などというバスクの真面目くさった話を最初は不審そうに聞いていた男性だったが、続々と集まってきた車両から出てきた人々が、バスクに指示を求めてくるのを見て、考えを改めたようだ。

 

「もし、仮にですけれど、その……コロニーが落ちてくるとして、今から宇宙港に行って地球から逃げる、というのはできるものなんでしょうか?」

 

 男性の問いかけに対して、バスクは親切にもアデナウアー・パラヤに連絡を取って状況を確認して説明をした。

 

「連邦宇宙軍支援のため、宇宙港はすべて兵站輸送に切り替えられているそうです。残念ながら、いまから宇宙へと脱出するのは無理でしょう」と告げるバスク。

「なるほど……突然のお願いで申し訳ないのですが、私が帰るまで家族の守っていただけないでしょうか?」

 

 彼の申し出に、連邦軍人として当然うむ、と答えるバスクだが、現実に不埒な連中がやってきた場合、組織化がまだまだのこの避難コミュニティでは、守り切れる保証などない。

 

「これを」とバスクは傍らに置いてあったボストンバッグから拳銃を取り出して、男性に手わたした。

 

「──感謝します」と男性は拳銃を受け取り、弾倉を抜いてスライドを引いた。慣れた手つきで安全確認を行う姿に、バスクは男性が訓練を受けた素性を持っていることを悟る。

 

「これは娘に預けます。私は、自前のがあるので」

 

 彼はダウンジャケットのジッパーを下ろして、懐を晒す。

 そこには大口径の狩猟用拳銃が見えた。主に熊対策や、シカ、イノシシ対策に使うものだ。宇宙移民促進の結果、山地の淘汰圧が減ってしまい、獣と出会ってしまう不幸なキャンパーは多い。そういう獣害対策のために備えていた、というところだろう。

 

「一度山を下りて、いろいろと調達してきます」と、彼はバスクに会釈して去っていった。

 

 数分も経たず、男性の乗ったミニバンがキャンプ場から飛び出していった。

 残された家族たちは大丈夫なのだろうか、とバスクが様子をみてみる。 

 フンスっ、と鼻息を荒くしたティーンエイジャーの娘さんが、拳銃を納めたホルスターを腰に堂々と下げて、腕を組んで椅子に身を預けていた。

 

 大丈夫そうだな、とバスクはあくびをする。意外と疲れているようだと自覚し、バスクは隣のサイトで鼻息を荒くしている娘さんに声をかける。

 

「3時間後に起こしてくれないか? 交代で見張ろう」と。

「わかった。代わりに次の交代は6時間ね。わたし、6時間寝ないとすっきりしないの」

 

 中々にキモの座った娘さんだな、とバスクは笑う。

 バスクの笑みは少々攻撃的なところがあるという問題点を、その娘さんは気にした様子がない。

 

「契約成立だな」

「ええ。3時間で起こすから」

 

 バスクは寝袋を引っ張り出し、そのまま長椅子でうつらうつらと意識を飛ばし始める。

 何とも言えない断続的な夢を見ながら──

 

 夜中、バスクはお隣の娘さんに揺すられて目を覚ました。

 あくびをかみ殺しながら、状況に変わりはないかを訊く。

 

「あっちのおじさんたちが、これをって」

 

 娘さんから手渡されたのは、シフト表だった。

 どうやら、いつのまにやらキャンプ場に退避してきた銃砲店の主人らとその親族が、交代で見張りをやるのに協力してくれるらしい。

 ちゃっかりお隣の娘さんも『最強つよつよガール』などという謎の偽名で参加していた。

 元気が余っているティーンエイジャーには気を付けろ、というのが世の常識だが、人手は多いに越したことはない。

 

「なるほど、ご協力、感謝するよ。つよつよガールさん」

「感謝するがよいぞ、おじさん。じゃ、わたしは寝るからね」

 

 ふわぁ、とあくびをしながら彼女はさっさとファミリーテントに潜り込んでいった。

 彼女を見送ったバスクは対面のサイトにいる銃砲店の店主に手を振る。

 相手からもう4時間寝とけ、というハンドサインが来たので、バスクはありがたく休ませてもらうことにする。4時間勤務8時間休憩をひたすら繰り返す艦艇勤務シフト方式に切り替えることにすれば、24時間を3交代で回し続けることができる。

 バスクはシフト表をそのように書き直し、お隣のテントにさしておいた。

 

 

 

 翌朝、バスクが銃砲店の店主と交代して見張り役として無為に時間を消費していると、先日山を下りて行った男性のミニバンが戻ってきた。

 先日の品のよさそうな男性のミニバンがバスクのサイトの隣に停車した。窓からのぞく荷室はモノでパンパンであった。

 

「相当、買い込んできたみたいですね」とバスク。

「いやはや苦労しましたよ。それなりの人が買い込んでいるみたいで、モノを探すのに苦労しました」

「大変でしたね」

「南洋宗の各山の寺院が避難民の受け入れを表明したらしくて、それなりの人たちが避難を始めようとしているようです」

 

 それは朗報であった。

 バスクの危機意識は南洋宗の教区長たちにしっかりと伝わっているらしい。

 

「あ、これシフト表ですか?」と男性がテントに挟まっている紙切れを見て納得している。

「ええ、4時間後によろしく」

「わかりました。一眠りしてから出てきます」

 

 そういって、男性がファミリーテントに潜り込んでいく。

 お帰り、と娘と妻の声に迎えられている様子は、すこしほほえましかった。

 

「バスク、スープじゃ」

 

 バスクのテーブルに、母がインスタントスープとクッキーをおいてくれる。

 

「バスクや。ラジオで変な放送しとるが、大丈夫かの?」

 

 母がポータブルラジオをテーブルに置いた。

 小さな音量で流れてくるのは、地方自治政府が人々にパニック行動を起こさないこと。

 コロニーが落ちてくるなどという流言飛語に惑わされないことを呼びかけているものであった。

 

「流言飛語は重罪じゃいうとるけども」と心配そうな母。

「流言飛語で終わってくれりゃ、オラぁ満足さね」

 

 バスクは、はっはっはと笑うしかない。

 正直、そうであってくれと願う。

 バカなデカ男がクソどうでもいい流言飛語を飛ばして混乱を巻き起こした、というオチで済んでしまうなら、どれだけありがたいことだろうか。

 

 

 

 避難してから7日目の1月8日、バスクは休暇取りやめの話が一向に届かない自身の端末を弄びながら、山中のキャンプ場にとどまっていた。

 宇宙の戦局が悪ければ、集合しろと命令が来るはずなのだが……なんとかなってしまったんだろうか? などと首をかしげる。

 そんなバスクをしり目に、観光客の大半は年始休暇を終えてしまったので、普通に下山していく。

 コロニーが落ちてくるなどと気が触れたかのような危機感を持って忍耐の時期を迎えているバスクと、バスクを知る者たちの動きにあきれた様子を見せながら、彼ら、彼女らは危険なカルト集団から逃げるかのようにキャンプ場を去っていった。

 

 だが、お隣の品のいい男性、ソウジロウさんと、その家族はどうやら違うらしい。バスクとは違う独自のコネがあるらしく、コロニー落としについて確信を持ったようで──彼は臨時買い出し隊を提案。

 今日は最後のチャンスかもしれない、とキャンプ場に残った人々に告げた。

 意見を求められたバスクは、確かに追加の買い出しは必要だ、と同意する。

 

「ソウジロウさんのところのバン、うちのトラックを出そう。念のため、こいつらもつける」

 

 銃砲店の旦那が連れてきた親族の若者たちが、拳銃をぶら下げて参加してくれることになった。

 ソウジロウさんをリーダーにした買い出し隊を見送ったバスクは、改めて自身の携帯端末をチェックする。

 

「む?」

 

 全く衛星通信網とつながらなくなっていた。仕方なく自身の端末を分解したり、ひっくり返したりして時間を潰す。

 

「そっちの端末もだめかい?」と、別のサイトに避難している電気工事技術者の中年女性が困ったような顔をしていた。

 

「そちらもですか?」とバスク。

「ええ。全然だめ。全部の端末が同時にダメになるなんてねぇ」

 

 衛星が全部壊れちゃったのかしらねぇ、などという女性の言葉は苦笑交じりであったが、バスクの心胆を寒からしめるには充分であった。

 

「(間違いない。ミノフスキー粒子が地球の衛星軌道に散布されたのだろう)」

 

 となると、すでに地球軌道上での戦いの前哨戦が始まっていると理解するべきだ。

 バスクはインスタントコーヒーをすすっている母が聞いているラジオに耳を澄ましてみるが、メディアは「現地に帯同した同行ジャーナリストたちからの連絡が途絶えており、戦況の詳報はわかっていませんが」という前置きをしたうえで、連邦とジオンの国力差が何倍もあるという話や、宇宙移民独立という政治スキームは、地球連邦政府によるコロニー自治権の付与ですでになされているのではないか、などという差しさわりのない解説報道が流れているばかりであった。

 

 何か情報はないか、と地上ネット(海底ケーブル経由でつながっている旧来からの高速インターネット網)にアクセスして、情報を探る。

 SNS、動画サイト、コミュニケーションハブをみても、これといって特筆すべき情報はなし。

 すがる思いで、古来からオタクたち──連邦軍の将校らも議論に参加しているといわれている匿名コミュニティ掲示板サイトの高等軍事板をのぞいてみる。

 そこは相変わらず過疎板としてわずかな面々が細々とした議論を繰り広げていた。

 直近のスレッドを開いてみると──ドンピシャであった。

 

『ワイ、コロニー落とし不可避んごねぇ、と悟る』という『穴倉の古たぬき』なるスレ主が主催するスレッドが立っており、おそらく佐官級以上と思われる人物がORデータを張り付けて、地上勤務している連邦軍人は避難誘導始めたほうがいいんごねぇ、などと促していた。

 

 噛みついている輩はいないらしく、『英国ティータイム』を名乗る固定ハンドルネームが『ワイ紳士、総力戦の復活を悟った模様』などとレスを返し、コロニー落とし後に移行するであろう泥沼の総力戦についてクソ長分析ファイルを添付していた。

 つい興味本位でそのファイルをみて、バスクは予想だにしない切れ味の鋭さを覚えるばかりでなく、陸軍、空軍、海軍、宇宙軍という軍種はただの訓練責任単位に変えてしまい、運用単位は統合軍、統合艦隊、統合方面団などに統一し、人材の軍種間流動を大にするとともに、MSと艦艇の統合大量運用を可能とするサプライチェーンの構築を具体的に可能とするプランが提案されており、『名付けてV計画』などと決めセリフを宣っていた。

 決裁権があるものにこのドキュメントが渡れば即座にプロジェクトが始まりそうな状態にあった。

 英国ティータイム氏曰く、『白髭のサンタクロース』なる人物に計画を任せたいのだが、どうやらその人物は最前線送りになっているらしい。

 

 それだけにとどまらず、レスに対して、『金融ヒゲダンディズム』が『ワイ将、すでに災害保険の証券化により事態に備えていた模様』などと穴倉の古たぬき氏にレスを返し、コロニー落としによって発生する巨大な保険金支払いは、可能であると力強く宣言。

 

 曰く、宇宙世紀0074年から未曽有の大戦争に備えて、『災害リスクを証券化』につとめていたらしい。その概要は以下の通りであった。

 すでに、連邦統治下全域における災害リスクを証券化し、キャットボンド(債券)として月の企業群や各地の機関投資家、果てはジオンの企業や機関投資家に売りつけていたという。

 このCAT(Catastrophe=カタストロフィの略)ボンドは、一般に、同程度の格付けの発行主体が発行する普通債よりも高い利率が支払われる代わりに、自然災害(台風・洪水・地震など)が発生した場合には、投資家の償還元本が減少する仕組みの債券を指す。

 

 発行元(※今回の場合、地球連邦政府)は、普通債を発行する場合よりも高い利率を支払うこととなるが、一定水準以上の自然災害が発生した場合には、あらかじめ契約で定めた条件(マグニチュード等の災害規模や対象地域の特定など)に応じた金額を投資家から受け取ることができる。

 キャットボンド発行元にとって、受け取った資金の使途に制限がないため、災害復旧のために幅広い対応が可能であること、資金の受け取りが被災後、比較的短期間で出来ることなどのメリットがあり、CATボンドは、従来の損害保険や金融技術を代替・補完できるのである。

 

 このキャットボンドの発行によってかき集められた莫大な資金は、大陸復興公社準備委員会なる再保険組合にプールされており、巨大災害の発生と同時に大量の復興資金が地球連邦軍経済戦争ドメイン将校団に還流されるとともに、月やジオンの機関投資家が莫大な損害を被る仕組みになっていた。

 

『公金の無駄な支出を作った愚かな金融商品だ、と批判し続けていた連邦議員たちは掌をくるりと返すことでしょう』と締められた文面に、バスクは天を仰いだ。

 

 バスクは、金融戦争で勝利できる条件を開戦前から準備していたと豪語する『金融ヒゲダンディズム』なる存在に、人生ではじめて「とても敵わないぞ……」と敗北感を覚えた。

 

 バスクは地球連邦政府と地球連邦軍という巨大システムを信じてはいたが、まさか、その巨大システムに飲み込まれて歯車になるだけにとどまらず、それを乗りこなし、使いこなす怪物たちが跋扈しているなどとは考えたことがなかった。

 

 いずれにせよ、このスレに書き込んでいる連中は忙しいらしく、しばらく失礼ンゴ、と皆言い残して更新される気配はなかった。

 

 バスクは『南洋の仏教徒』などというハンドルネームを使い、自らが主導している避難所キャンプ地の位置情報と人員数、備蓄糧食や設備などを掲載し、できる限り住民の避難を指導します、という覚悟だけ書き込んで、サイトを閉じた。

 

「──やれることをやるだけだ」とバスクは、キャンプ場の中を見渡す。

 

 すでにキャンプサイトは埋まっており、これ以上の受け入れは困難だろう。

 あとはソウジロウさんの車列が無事戻ってきてくれることを願うばかりだ。

 

 

 

 夕暮れ時、ソウジロウさんが率いる買い出し隊が戻ってきた。

 成果はそれなりであったらしく、ミニバンとトラックの荷台にぱんぱんに詰め込まれた食料や水、生活雑貨にキャンプ場の面々は快哉をあげる。

 

 皆の称賛を受けながら、ソウジロウさんが深刻な表情でバスクに声をかけてきた。

 

「バスクさん、いよいよ、覚悟を決めないとダメなようです」

「そのようですね」

 

 やはり、ソウジロウさんも独自の情報網で、コロニーが落ちる、という戯言を真実だと察しているらしい。

 

「地滑り防止の工事の進捗は8割くらいですが、あとは運を信じましょう」とバスクが切り出す。

 

 このキャンプ場について以来、協力してくれる者たちとともに山崩れ、地滑り防止のための土木工事をひたすらに実施していた。手弁当で資材を持ち寄り、重機を使って山肌に杭を打ったりコンクリで固めたりと、貴重な時間を費やしてきたが……工事半ばでことに挑むことになったとため息をつくバスク。

 

「南洋宗の各山寺とつながるよう、無線を準備しています」とバスクが、電気工事士の中年女性が大きなアンテナを設置しているのを指さした。まさかこのご時世にアマチュア無線復活だなんてねぇ、とぼやいている姿が見えた。

 

 コロニーが落着し、世界は一度滅ぶ、とバスクは悲観している。

 もう一度文明をやり直すレベルで準備をしなければ、と。

 

「──いやですなぁ。娘に見せたくない世界が、これから始まるとは」

 

 あきらめと覚悟が入り混じった何とも言えぬ表情で、ソウジロウさんがかぶりを振る。

 

「とこで、ソウジロウさんは元軍人ですか? 現役の私から見ても、堂に入っていますから」

 

 バスクはあまり深入りしないように、慎重に質問をした。

 

「元軍医なんです。10年前にやめて、今は医療システムや医薬品の商社を営んでいます」

 

 なるほど、とバスクは同じ軍出身者がいることと、貴重な医療従事者を確保できたことに、仏の導きのおかげだと感謝する。

 

「ソウジロウ・シェーンです」

「バスク・オム大尉です」

 

 二人は握手を交わしながら、互いの名字を呼び合う。東アジア系特有の発音らしく、シェーンとしか聞き取れなかった。

 何度か『違いますよ、シェーンではなく――』と笑いながら指摘されたが、結局シェーン氏と呼んでしまうバスクである。

 今後は東アジア系のなまりにも対応できるようリスニング力を研鑽しよう、などとバスクは努力の至らなさを恥いった。

 

 

 

 1月9日、人々はそれぞれのサイトで焚火をしたり、携帯ラジオやネットメディアに目や耳を向けていたが、ついに、その時が来た。

 

『──緊急避難命令です。直ちに付近のシェルター、避難施設に、避難してください。携行品はサバイバルバッグを各自一つのみ。徒歩にて移動を開始して下さい』

 

 いまさらだな、とバスクは連邦政府と軍の無策を罵る。

 何日も前にこれは実施できたはずなのにもかかわらず、それは許されなかった。

 

 9割は、政治的理由であろう。

 

 地球連邦政府及び軍は『一週間で終わる戦争』を喧伝してしまったのだ。

 それを今更、ジオンおそるべし、で片付けるなどという政治力学は働くはずもない。

 

『直ちに、直ちに付近のシェルター、避難施設に、避難してください――』

 

 繰り返されるアナウンス。

 映像メディアではサバイバルバッグの内容が映像付きで告知される。

 いまさらそれらの物資を一斉に人々が買い求めたらどうなるかなど、わからぬものはいないだろう。

 宇宙移民ならばいざ知らず、この地球に住まう人々が備えている備蓄品など、冷蔵庫と冷凍庫の中身くらいしかないはずだ。

 普段から携帯トイレだの、水タンクを用意している趣味人は少ない。

 

「これから、徒歩でここに向かってくる人たちも増えるでしょうね」

 

 ソウジロウ氏が、間に合えばいいのだがと心配している。

 このキャンプ場は避難施設ではない。別に指定されたもっと立派なホテル群が並んでいる観光地や、火山観光をするための広くて整備されたキャンプ場があるため、皆はそちらを目指すだろう。

 だが、中にはここを目指す人々もいるはずなのだ。

 

「最大限、受け入れよう。まだ森のほうには余裕がある」

 

 その日の昼に開かれたバスク陣地(※人々が勝手にそう呼び始めた)のタウンミーティングにて、バスクは宣言した。

 整備されたキャンプサイトはさすがに空きがないが、森の中に逃げ込む分には十分に余裕がある。いくつかの渓流もあり、浄水装置を使えばそれらを飲用に用いることもできよう。加えて、重機組や工作機械組が、今、簡易トイレを大量設営する工事に入っている。

 

「十分な食料や水も持たずに逃げてくる人々ばかりだが、大丈夫なんだろうか?」と不安視する声も上がる。

 

 だが、バスクはそれらを制して告げる。

 

「地球連邦政府の上層部では、すでに最悪の事態を想定して動いている方々がいらっしゃる。おそらく巨大災害に見舞われるだろうが、10日間、まずは頑張ろう」

 

 そんなバスクの言葉に、人々はそうだな、とうなずいて解散となった。

 実のところ、バスクには10日間という根拠などなかった。

 災害派遣マニュアルに書かれていた、現地で被災した場合のコメント例に載っていた言葉をそのまま述べただけである。

 本当に10日で済むのか?

 人類が体験したこともない、巨大な人工物の落着を受けて?

 

 日も暮れ、隣のソウジロウさんの家族が天体望遠鏡をのぞいていた。

 どのサイトでも、それぞれの家族なりの余暇の過ごし方というものがあり、バスクの母も、ご近所さんたちのキャンプサイトにお邪魔してボードゲームに興じていた。

 

 バスクは情報端末にて軍事板に動きがないかとスレを覗いていると、英国ティータイム氏の最新レスが、穴倉の古たぬきスレ主のところに書き込まれていた。

 その書き込みは、バスクに失望と同時に、わずかばかりの希望の光をもたらす。

 英国ティータイム氏は、こう書き込んでいた。

 

『ワイ紳士、勝手に陸海空統合救難タスクフォース司令部を組織済み。南洋の仏教徒ニキには、紳士‘Sの到着まで忍耐を期待する模様』

 

 その言葉の意味は重い。

 もはやコロニーの落下は阻止できぬ、ということだ。

 同時に、上は動いてくれるという確約。

 未曽有の同時多発災害に対して連邦軍がどの程度の救難活動を実施できるかなど、バスクにとっては簡単な計算だった。

 

 望み薄である。

 希望は、限りなく弱々しい。

 

 だからこそ、英国ティータイム氏は『忍耐を期待する』と正直に書いてくれているのだ。

 忍耐を要する、という前提の上で、救援の到着も約束してくれている。

 それがいつになるかはわからないが、忍耐と苦難の果てに、生き残るわずかな望みはもっていい、ということだ。

 

「──バスクさん、大変だっ!」

 

 お隣のソウジロウさんから声をかけられて、バスクは端末を閉じた。

 彼が指さしている先をみると、夜空に流星群が走っていた。

 かつていくつかの流星群をみたことがあるが、今宵の流星群は、ロマンチズムではなく禍々しさしか感じられなかった。

 

「始まった、か」

 

 バスクは、流星群が何を意味しているか悟る。

 宇宙の連邦艦隊は、乾坤一擲によりコロニーをわずかに砕いたのだろう。

 その破片群が落ちてきているのだ。

 

「簡易掩体の中へ」とバスクが指示をだす。

 

 各天幕には地中退避のための穴が掘られていて、速乾コンクリート製の掩体でおおわれていた。破片のほとんどは大気圏内で燃えるだろうが、そうでないものもあるだろうというバスクの計算の元、準備されたものである。

 

「掩体に退避っ!」とキャンプ場に声が響きあう。

 

 バスクもボードゲームに興じていた母を迎えに行き、彼女を掩体の中へと放り込んだ。

 狭い掩体の中に巨体のバスクが入り込むと、手狭というよりもミチミチであった。

 

「狭いぞな……」と母。

「もっとでっかく掘っておけばよかったのう」とバスク。

 

 何とも気が抜けたやり取りがあったが、久しぶりの親子水入らずで眠ることになる。

 

「母ちゃん、恥ずかしいぞな」

 

 か細い母の腕が、バスクをぎゅっと抱きしめてくれるのである。

 母に抱かれるなど、どれほどぶりだろうか。

 幼年学校に入学して親元を離れてから、ずっと、このぬくもりと穏やかさを忘れていた。

 

「大丈夫。バスク、母ちゃんが守ったる」

 

 その一言に、バスクは衝撃を受けた。

 地球連邦軍の士官学校を素晴らしい成績で駆け抜け、肉体を錬磨無限し、丸太のような腕と足を持つバスク・オムは、この期に及んで母に守られるのである。

 大尉の肩書も、胸元に光る初級参謀徽章も、特級射手章も何の意味も持たない。

 

 母、という肩書は、あまりにも大きかった。

 母親と一緒に眠ることなど数えるほどしかないバスクは、安息というものを感じた。

 このまま死んでもいいかもしれんな、とバスクは己の最後が幸福に満ちていることを、仏に感謝した。

 

 

 

 

 だが、天命は彼に死を賜らない。

 

 翌朝、午前6時直前、大地が鳴動した。

 掩体の内側を補強していた木材がみしみしと軋む。

 跳ね上げられるような異常な地震に恐怖する母を抱きしめながら、バスクは仏に祈る。

 祈りが通じたのか、約10分で揺れは収まり、バスクは外へと出た。

 キャンプ場を見渡すと、掩体が陥没するような被害が一部で起きていた。

 島を囲っていたブルーオーシャンは、消えていた。

 本来あるべき海は引いてしまい、サンゴ礁が大地として露出するという異様な光景に、バスクは息をのむ。

 

 地上の樹木に降り立って休んでいた鳥たちが、一斉に空に飛び立ち、巨大な鳥の雲を作り上げていて、空が怪鳥の絶叫にみちているようだ。

 

 わっと、直ちに人手が集まり、重機やスコップで埋まった掩体の救援が始まる。

 バスクは自身でスコップを振るいながらも、ただ心配そうに見守っているだけの連中にやるべきタスクを振る。

 

「地滑りや、土砂崩れの予兆がないか調べてくれ」と。

 

 ただ見守っていた人たちはハッとなり、散っていく。

 土砂崩れはないか、と山肌や川の警戒に走っていったのである。

 地震の際、山肌にひび割れがあったり、近くの沢が濁りだしていたら地滑りや土砂崩れの危険がある。そういうチェックリストは、事前に紙ベースで頒布済みである。

 

 バスクらはなんとか掩体から負傷者を引っ張り出し、応急処置を施した。

 幸い、命にかかわるような重傷者はゼロである。

 あれほどに固めた掩体でもダメか、とバスクは今しがたの震度が相当のものであったことを悟る。

 

 散っていた人々が戻ってきて「山肌に亀裂があった」「昨日まできれいだった湧水が泥だらけだった」などと深刻な報告をもたらしてくる。

 さんざん準備してきたこのキャンプ場も、ぎりぎり紙一重の状況にあることがわかり、バスク以下、人々はどうしたものかと思案に暮れる。

 

「お父様、あれ……」とソウジロウの娘が指さした先には、このキャンプ場暮らしを彩っていた遠くに見えるブルーオーシャンと空を隔てる水平線が──明らかにおかしい。

 

「津波だ」

 

 誰が言ったかは分からない。

 だが、バスクもその言葉に頷くしかない。

 その高さたるや、キャンプ場から見下ろすミニチュアのような街並みを軽々と飲み込めるほどの高さの壁に見えて、宇宙世紀の耐震技術で何とかなったはずの市街地をあっさりと飲み込むことが分かり……バスク他、皆は、ただ無言のままそれを見つめるしかなかった。

 

 何かできることはないか、とは思う。

 必死の形相を浮かべたドライバーがハンドルを握る車両が、坂を駆けあがってくるのが見える。

 受け入れる限り頑張ろう、という合言葉の通り、オートキャンプ場の管理ゲートをいじり、車両がいちいち停止せず駆け込めるよう手配するくらいしかできない。

 

 何せ、ここはただの自主避難キャンプ。

 災害時復旧拠点でもなければ、公的避難施設ですらない。

 ただ、低山の山頂付近に整備された地元民も知らないくらいの名もなきキャンプ場に過ぎないのだから受け入れるくらいだろうか。

 

「む」とバスクは、遠くに見える沿岸部から、一台の民生VTOL機が飛び立つのに気づく。

 沿岸部のプライベートビーチ型高級観光地として開発されていたこの島の沿岸に、何かしらの別荘地か何かを持っている者だろうか。

 金持ちならプライベート機の一つや二つ、持ち合わせているものだが……などとバスクがあまりの緊急事態のために、思考停止してくだらないことを考えていると、そのVTOL機はこちらに向かってくるではないか。

 

「──着陸支援を。誘導灯を用意しよう」とバスク。

 

 人々は何もできないまま津波が来るのを見ているのに耐えられないと言った様子で、率先してVTOL機の誘導とスペース確保に協力してくれた。

 

 皆でキャンプ場の真ん中にあった巨大グリーンエリア(※少々雑草が生い茂っていた芝生エリア)のテントを急いでたたみ、誘導灯代わりのランタンを持ち寄って空に振るう。

 

 航空無線に詳しいオタク少年が、電気技師の中年女性の無線機を借り受けて、なんとかVTOL機と交信しようと試みる。

 

「──つながったっ!」とオタク少年の声。

 

 バスクはグリーンエリアに誘導するようにと少年に任せ、すでに沿岸に到達した巨大な海の壁を凝視していた。心胆寒からしめるそれは、あっさりと人類が開発してきた高層ビルを飲み込んでいく。

 

 ああ、これはもうダメだ、と諦観とともに手を合わせるバスク。

 下手をすれば、あの波は山肌を駆け上ってくるだろう、と容易に想像できるほどの黒く巨大な津波である。

 

「おいっ、祈ってる場合かっ!?」

 

 ペシリ、と後頭部をはたかれて振り返ると、そこには最強つよつよガールが涙目でこちらを見上げていた。

 

「みんな、あんたを待ってるんだから……」

 

 気が付けば、バスクに数多の視線が向けられていた。

 すでに環境配慮型のVTOL機体は静かに着陸済み。

 それは本当に小さなプライベートジェットだったのだが、客室のハッチが開いて緊急退避用スライダーが展開され、中から20人近くの人々が汗と涙を浮かべて滑り降りてきた。

 

 最後に操縦席の降りてきたジェット機のオーナーらしきスーツ姿の中年男性が、このキャンプの指導者は誰か? と近くの人に訊ねたようだ。

 

 ゆえに、視線がバスクに集まっていた。

 

「……私が、このキャンプを預かる、バスク大尉です」

 

 中年男性に敬礼してみるバスク。

 スーツ姿の男性は、うむ、と軽く頭を下げて、そして周りから向けられる視線に対応する。

 

「受け入れ、心より感謝する。急ぎ沿岸部の人々を乗せられるだけ乗せて飛んだが……あまり多くは救えなかった」

 

 そう頭を下げる彼に、救われたであろう同乗者たちから「バウンデンウッデン様のおかげです」と口々に感謝されている。

 バスクはプライベート機の胴体に目をやる。

 そこにはデカデカとVWイシュアランスのロゴマーク。

 様々な媒体のCMでおなじみ、VWの戦争保険っ! というそれである。

 戦争で家財や命を失ったり、ケガをしても通常の死亡保険や災害保険では賄われない。

 今回のコロニー落着に起因する様々な不幸も、通常の保険は何の役割も果たしてくれないのだ

 

 だが、戦争というとんでもない巨額の保険金支払いになりかねないハイリスク分野に名乗りを上げたのが、VWイシュアランスである。

 軍の兵士を相手にそこそこの保険料で戦死戦傷保険を売りつけ、民間人には戦争被害保険をなかなかの金額で売りつけたVWイシュアランスは、ここ数年で多額の原資を集めていた。

 その巨大原資──戦争が起きない限り払われることのないそれらを投資することで巨万の富を得た新進気鋭の保険会社、VWイシュアランスの代表が、いま目の前に降り立っているのだろうと察した。

 

「君が、バスク大尉かね? 私はカーディアス・バウンデンウッデン。気づいているようだが、保険屋だ」

 

 差し出されたバウンデンウッデン氏の手首には生体リンクキーとなるブレスレットがあった。これはスマートキーシステムと連動していて、事前に登録してある車や家の鍵などを開錠・施錠するのに用いられる。

 当然、航空機にも使用されているものであり、機種名と『STANDBY』の文字列が流れるブレスレットをみて、あのVTOL機の操縦桿を握っていたのがバウンデンウッデン氏であることを察する。

 

「民間人の救助活動への協力、感謝します」とバスクはVW氏の手を握る。

「うむ。さて、これからは運頼み、というやつかね?」

 

 はい、とバスクは市街地を飲み込んだ津波が山肌にぶち当たるのを見る。

 それは山の中腹ほどまでにせり上がり、分れるように山を迂回するように割れて流れ過ぎていく。

 もちろん、逃げ場を求めて山道を登っていた車列や、徒歩で進んでいた人々を波が攫って行くのが目に入る。

 

「第二波だ……」と誰かが言った。

 

 キャンプ場にいた面々は、ただ皆で顔を青くしながら、海が島を破壊していく様を見下ろすしかできなかった。

 

 いや、それだけにとどまらない。

 押し寄せる津波が山を叩き、バスクらのキャンプ場を激しく揺さぶるのである。

 避難していた人々は、立っていることもできずに、ただ地面に這いつくばるか、無様に転がりまわるしかできなかった。

 

 そして、突如、予想だにしないことが起きた。

 バキバキと木々が倒れ始めたかと思うと、それらがどこかに飲み込まれていった。

 

「な、なんだっ!?」

 

 豪胆そのもであるはずのバスクの心胆が冷える。

 

 地割れ、である。

 

 巨大地震には地割れなどよくあること、と学習はしていたが、いざ目にしてみるとそれは、本当に信じがたいものであった。

 大地が割れ、その裂け目が何もかも飲み込んでいく。

 山が、割れたのだと悟り、バスクはもはや事態が人類の手に負えぬ状況に至っていることを悟る。

 

「ママッ!? ママァァァァッ!?」

 

 誰の声だ? とバスクが眼球を素早く動かす。

 ソウジロウさんの奥さんが、山が鳴動して割れていく狭間に、飲み込まれてしまうのをバスクは見た。

 それをどうすることもできず、ただママと叫びながら転がっている最弱ザコザコガールの姿にバスクは、己の姿をみた。

 弱かったころの、私だ、と。

 

「ウオォォォっ! 万力生来、仏力奉戴ッ!」

 

 震度7を超えると、人は立っていることが出来なくなる。

 ましてや歩くなど不可能である。

 

 だが、その時のバスク・オムには自然の摂理など作用していなかった。

 内なる仏が生み出す無限のミノフスキー仏理エンジンが、すべてのインナーマッスルとアウターマッスルを動力機関、すなわちマッスルエンジンへと昇華させていたのである。

 

 ゆえに、出来るのだ。

 震度7超という人類が観測したことのない震える大地を、バスク・オムは、駆け抜けた。

 そして裂けてしまった大地に、飛び込む。

 

 どうしたのかは覚えていない。

 分かっていることは、とりあえずソウジロウさんの奥さんを地上に放り投げ、自身もまた閉じ塞がろうとする大地の亀裂に抵抗して、這い出してこれたという結果だけだ。

 

「あ、ありがと……」と涙ぐむヨワヨワガールに、バスクは告げる。

「これが連邦魂ってやつだ」と冗談を。

 

 なかなかないナイスな冗談をキメたな、などと余裕ぶっていると、バスクは自身の体に違和感を覚える。

 ぶるぶる、と何かが震えている。

 バスクはこの受入れ難い現実のせいで頭がおかしくなったのかもしれない、と自らの足を触ってみると、丸太のように太い足はしっかりと大地を踏みしめていた。

 問題は、地面がさらに振動していること。

 津波が引くか引かぬか、というこの状況で、いよいよ山のほうが限界を迎えつつあるのだろうか。

 

 山が崩れるというのか!?

 もしや、この世に神も仏もいないのでは? と無神論の誘惑に駆られそうになるが、読経して何とか踏みとどまる。

 

「津波は繰り返しくるものだ。何度も寄せては引く水に山がもつかどうか……仏縁にすがるしかあるまい」とバスク。

 

 避難民たちも、これは人の手であがいてどうこう出来る問題ではない、とそれぞれの神に祈りを捧げた。

 

 祈りに伴う静寂──は、ない。

 何かが何かを砕く音、何かが鳴動し、草木の枝葉も獣たちも騒ぎ立てている。

 決して心安らかなる要素が何一つない状況で、人々は祈った。

 普段、信心を旧時代の異物とバカにして軽視していたものも、そうでないものも、等しくただ何かに祈る。

 

 

 

 その祈りが通じたのかは定かではないが、バスクたちは山崩れに巻き込まれることもなく、寄せては返す幾度もの津波に持ちこたえてくれた。

 

「奇蹟、だよね?」と最強つよつよガールが、山が耐えたことに感心する。

「同感だな。さて──」

 

 バスクは決を採るべく、大声で俺の話を聞いてくれ、と宣言する。

 すぐに人々の関心がバスクに集まる。

 バスクはこのキャンプ地を捨てて荒れ果てた街に戻るか、運を信じてここに残るかだが──と切り出す。

 

 彼は、自分は山に残る、と宣言する。

 そして、この山は地滑りなどの予兆も出ていて、決して万全ではない旨を強調しつつも、一度水底に沈んだ街に戻ることは、地殻変動による自然地震に由来する津波に備えることもできず、加えてなんの生活インフラも残っていないであろう旨を伝える。

 

「残るも地獄、降るも地獄。どちらも仏様の御心次第であり、諦めて選ぶしかない選択肢しかない」

 

 そう言い切る。

 強く言い切るしかないのだ。

 下手な希望など与えないほうが意思を強く持てるほどに、ヒドイ状況であった。

 

「わたしは、この山に賭けるわ」と最強つよつよガールが告げる。

 

 彼女に呼応するかのように、俺も、我々も、あたしも、とほとんどの者たちがここに残ると言い出した。

 だが、いくらかの人々は街の現状が気になるから、一時的に下山したい、と言い出した。

 避難は強制ではないし、バスクはただ成り行きで指導者まがいのことをしているだけで、誰かに行くななどと命じる根拠もない。

 

「……道は、あるのかね?」

 

 山を下りたい、と言い出した人々に問うのは、VTOL機の保有者であるバウンデンウッデン氏である。

 

「あの津波の大きさを見たかね? 100メートルを超える電波塔をあっさりと飲み込んだほどだ。あのような津波が山肌を幾多も叩いたならば、道など押し流されよう」

 

 この山が崩れずに残っていることが奇蹟なのであって、街の様子なんぞ見るに見れん状況だ、と断言するバウンデンウッデン氏に、下山組の面々が渋い顔をする。

 

「バウンデンウッデン氏、下山したいというものたちに、道を見てきてもらいましょう」

 

 バスクは折衷案をだす。

 VW氏のいう通り、すでに道は寸断されるか押し流されているだろうから下には降りられまいという正論を、下山組に確認してきてもらえれば、下山組もまた諦めもつくだろう。

 そもそも、下山したいと言い出したものたちは本気で下山したいわけではない。

 ただ、現実が受け入れられないだけなのだ。

 

「それでいいか?」と下山したいと言い出したものたちに呼びかける。

「わかった。まずは道を見てくる」と、納得してもらうことができた。

 

 あれほどの水量と地震により、山道が車両に耐えられるか疑問、という建築業に従事していた面々のコメントにより、下山組は装備を担いでの徒歩移動での偵察、ということになった。

 素人ばかりで荒れた状況に対応できるか分からん、と苦言を呈してきた登山歴うん十年のベテランが御守役としてついていくことまで決まり、準備が始まった。

 

 

 

 ベテラン登山家に率いられた偵察組が出発したのを見送り、キャンプ地に残った面々は木々の伐採を始める。

 長期化する野外生活に備えて燃料を確保する、というのもあるが、むしろ空を飛んでいるヘリやVTOL機を着陸させるためのスペースを確保するためだ。

 

 事の発端は、避難民の一人、航空無線オタクの少年が自前の無線機に傍受した通信内容をバスクに相談したことから始まった。

 

「バスクさん、メーデー呼び出しが……」

 

 士官として無線の作法を知っているバスクは、オタク少年から詳細を聞き取る。

 要約すると、津波から退避するために緊急離陸した数多の民間航空機が『燃料電池切れ』を訴えているとのこと。

 島の空港は完全に沈黙し、燃料電池に余裕がある航空機は別の着陸空港を探して去っていったが、そうでない航空機は墜落覚悟で空に待機しているとのことだ。

 

「嘘だろ……」

 

 バスクは絶句するが、オタク少年にうながされるまま無線機の音に耳を澄ます。

 

『MAYDAY、MAYDAY、MAYDAY、こちらニュートーキョー航空202便。電池が僅かになっている……くそっ! アスラン空港、応答してくれっ!』

 

 無線機から響いてくるパイロットからの声。

 航空機の無人化と脱炭素化が進み、今では旅客機パイロットというのは狭い控室で昼寝をして二酸化炭素を吐き出すだけの安月給ポジションへと堕しているのがもっぱらなのだが……このような有事の際には突然、そのような安月給の二酸化炭素を吐くしか能がない人材に乗員乗客の命が預けられるのである。

 

「ニュートーキョー航空は典型的な旅客機でして、乗客も結構乗ってると思います」と、少年オタクがさらに余計な情報をくれる。

 

 それを聞いてしまったら、何とかするしかないではないか、とバスクはめまいを覚えた。

 

「これだけじゃなくて、PANコールしてるのもかなりいまして」

「……地上に誘導するしかない。滑走路が必要な機体は申し訳ないが海に降りてもらうしかない。垂直離着陸機は、空いているところに」

「?」

 

 察しの悪いオタク少年の両肩を、バスクはその大きな掌でがっしりとつかむ。

 

「君の名前は?」とバスクがすごむ。

「え、えぇっと、ケネス・スレッグです」

 

 自信なさげに小さくつぶやく彼に、バスクはもっと腹から声を出せ!! と怒鳴る。

 

「ひぃっ! ケネス・スレッグですっ!」とケネス少年。

「よぉしっ! 良い声だ! ケネス・スレッグ君、君の力を借りたいっ」

 

 実のところ、今の状況はすでに己のケイパビリティを超えていた。

 バスクは自分がそれほど力量がない男なのだな、とすぐに自覚し、ならば使えそうなものは何でも使うことにすると切り替えた。

 ゆえに、このケネス・スレッグなる少年もまた、使い倒すほかないのである。

 

「航空無線は好きかね?」

「えっと、まぁ、ハイ……」

「うむ。将来はパイロットか指揮官か、管制官だな。ということで君が誘導したまえ」

「は?」

 

 いい大人であるバスクがとんでもないことを言い出したので、ケネス少年が困惑する。

 もちろん。バスクとてとんでもないことを言っているということは分かっている。

 

「まず、ヘリから降ろしたまえ」

 

 ヘリというものは最悪、エンジンを切ってそのまま不時着できる特性がある。だが燃料電池が枯れるまで飛んでいてもらうのは馬鹿げている。

 そんなことをするくらいであれば、固定翼機が海に不時着していく地獄の景色を少しでもマシにするべく、救難機として使いたい欲があった。

 

「次いで、固定翼機には海に降りるように指示──簡単だろう?」

 

 簡単だろう、といわれたケネス少年は、世の中の簡単ってなんだろう? というような表情を浮かべてバスクを見上げている。

 

「……ケネス君、君なら出来る」とほほ笑むバスク。

「無理だよそんなの……見た事も聴いたことも無いのにできるわけないよっ!?」

 

 甲高い声で見事に動揺するケネス少年を、バスクはにっこりと見下ろす。

 

「いいや、違うっ! 君は航空無線を聴いたことも見たこともあるっ! おまけに無線操作資格も持っているから何の問題もないッ!」

 

 リアル系戦闘機のオンラインゲームの優秀者を遠隔無人戦闘機のパイロットとして採用するのは、今どき当たり前の話である。

 それと同じさ、とバスクは強弁してみせた。

 

「……心配かい?」と寛容そうな様をみせるバスク。

「あ、当たり前じゃないですかっ」とケネスが抗弁する。

「では、今から俺の言葉を復唱してくれ。心が落ち着くから」

 

 私は、連邦市民全体の奉仕者として──とバスクに圧をもって促されたケネス少年が、仕方なくバスクの言葉を繰り返す。

 確かに、なんだか心が落ち着いてきたような……などと思わなくもないケネス。

 

「──公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」とケネスが言い終える。

 

 すると、ニンマリわらうバスク。

 

「宣誓したな、ケネス二等兵」

「はぁっ!?」とケネス。

「今から君は連邦軍人だ。特例法に基づき、未成年者の取り消し権は使えんぞ」

「そ、それは、さ、詐欺というのでは……?」とケネス少年が涙目になる。

「サギもキツツキもあるかッ!」

 

 突然のバスクの怒号に、震えてしまうケネス少年。

 涙を目に一杯に浮かべた一介のオタクボーイに、バスクはどこから取り出したのか、乗馬鞭を差し出した。

 

「君にこれを授けよう。もし意気地なしなことを思ったり、怠惰なことを思ったら、自らをこれで打ちなさい」

 

 さも当然と言ったように乗馬鞭を押し付けられたケネスが困惑の表情を浮かべる。

 

「え?」

「絵も動画もどうでもいいッ! 無線機の前に座り、為すべきことを成せッ!」

「うぅ……うぅぅう……」

 

 ケネス少年が泣き出してしまったが、容赦なくバスクは無線機の前に彼を座らせ、適当なヘリを無理やり誘導して着陸させる。

 

「これを読みあげろ」

 

 もちろん、文面はバスクが考えたものだ。

 バスクのパワハラに圧し負けたケネスは、バスクに差し出された通りに文面を読み上げる。

 

『了解、誘導ビーコンはありますか?』とパイロットからの応答。

 

 バスクはぐきり、と無理やりケネス少年を振り向かせ、用意済みのLEDランタンをかざすエリアを見せつける。

 

「──光度不足につき低高度視認となりますが、指定座標にて高度を下げると赤と青の光が円状に見えるはずです」とケネス少年。

 

 しばらくののち、ヘリのローター音が聞こえてくる。

 最初の一機は、このキャンプ場のスペースに誘導したのだ。

 

『……視認した。着陸許可が欲しい』

「着陸許可。繰り返す、着陸を許可する」

「着陸許可、了解。誘導感謝する」

 

 無線の向こうのパイロットはこちらの様子など気にするそぶりも見せず、誘導に従い、無事着陸に成功する。

 着陸するヘリのすがたを目にしたケネス少年が、目を丸くしている。

 

「ほら、簡単だった。どんどん行くぞ」とバスク。

 

 一つ、また一つ、とバスクから渡された紙を見ながら誘導して、ヘリを降ろしていく。

 気が付けばケネス少年は、座標の管理シートさえあればヘリを降ろせるようになっていた。

 

 

 

 最後の固定翼機が海にソフトランディングするのを双眼鏡で眺めていたバスクは、バウンデンウッデン氏に「お願いしますっ」と声をかける。

 

「了解っ」と輸送ヘリを操る彼は、レスキュー用ゴムボートを満載して飛び立つ。

 

 航空機の救難作戦は、綱渡り状態ではあるが何とか少ない損害で終局へと向かっている。

 

 管制の大任を終えたケネス少年が、膝を抱えてうずくまっているのを見たバスク。

 彼の元に歩み寄り、出来るだけ慈愛を込めた眼差しをむけて彼の前にかがむ。

 バスクがかがんだところで子供の目線にはならないのだが、マナーを大事にするのがバスクという男なのだ。

 

「よく頑張ったな、ケネス二等兵」

「……」

 

 ケネス少年には大変な思いをさせたな、とバスクは心理ケアの必要性を感じる。

 成功を誇ってもいいはずなのだが、彼は精魂尽き果てた様子で、ぼーっと虚空をながめているだけであった。

 

 彼の隣に腰かけたバスクは、懐に隠し持っていたコーヒーパックを取り出して差し出す。

 甘いだけでコーヒーとは言えないそれは、幼き日のバスクがキラキラ光る自販機の中に眠っている宝物だと信じていたものである。

 

「飲むか?」と差し出すバスク。

「……あんたは、ひどい人だ」とケネスがコーヒーを受け取る。

 

 彼はぐずりながら、コーヒーパックをずずりとすする。

 

「恨んでくれて一向に構わん」

 

 ふてぶてしく笑うバスクに、ケネス少年はあきれ果てたようだ。

 

「信じられないよ。普通、ガキにあんなことさせる? 命かかってるのにさ」

 

 ケネス少年のボヤキに、バスクはふっと、鼻を鳴らす。

 

「ケネス二等兵、君は分かっていないな」

「は?」

「命を預かる覚悟を決められる魂を持っていたから、君に任せた」

 

 ケネス少年は怪訝な顔をするが、バスクの言葉が誉め言葉だと察したらしく、バツがわるそうに顔をそむけた。

 

「馬鹿もおだてりゃ木に登る、ってやつだろ?」

 

 ケネスの言葉に、バスクは首を振る。

 

「いや、本気でそう思った。ケネス二等兵、軍の幼年学校に行く気はないか? 推薦状を用意する」

 

 真顔でそう告げるバスクに、ケネスが目を丸くする。

 

「──オレみたいなオタクが行っても、いじめられるだけだろ? そういうところは陽気なやつがいくんじゃねぇの?」

 

 自分なんて、と卑下する心がもたげてくる様子を少年にみとめたバスクは、その巨大な掌で彼の背中をバンッと叩く。心臓が止まるかのような衝撃を受けたケネス少年が、かはっ、と息を詰まらせて咽て転がる。

 

「な、なにすんだよっ!」

「殴ったのさ。勇者なのに情けないことをいう君をな」

 

 バスクの言葉に固まるケネス少年。

 勇者、と言われて困惑しているのだろう、とバスクは思う。

 そんな困惑をどこからか嗅ぎつけたのか、女性の影がぬっと差す。

 

「ははぁ~ん、さてはこのチェリーボーイを誘惑しているのね、バスク大尉」

 

 女性の声。

 唐突に男二人の説得交渉の間に割り込む者がいた。

 最強つよつよガールである。

 彼女はふんす、と鼻息を鳴らして二人を見下ろすように屹立していた。

 

「ねぇ、バスク大尉。大尉って偉いの? わたし、軍隊のことよくわからないんだけど、どのくらい勉強したら大尉ってのになれんの?」

 

 不意に現れた最強つよつよガール嬢に、バスクは軍隊の仕組みというものを簡単に解説してやる。

 入隊するルート次第では大尉になるのが職業軍人人生のラストキャリアになる者もいれば、光速で駆け抜けていくだけの者もいる、と。

 光速で駆け抜けたいなら、士官学校を卒業することが最低条件だな、と教えてやる。

 ただ、階級を追い求めても得るものはなく、大事なことは与えられた任務を忠実にこなすことだぞ、とクギを指すバスク。

 ふーん、とバスクと、ケネス少年を見比べる最強つよつよガール。

 

「ケネスだっけ? あなた、軍隊で鍛えたらたぶん、結構な色男になりそうね。そこの大尉さんより」と最強つよつよガールが宣言する。

 

「え? そ、そうかな?」と先ほどまでの渋る様子が消失し、ケネス少年は鼻の下を伸ばしながら最強つよつよガールを見上げていた。

 

「バスク大尉、なんだか面白そうだから、わたしも士官学校ってのに行きます」と告げる最強つよつよガール嬢は、覚悟らしきものが瞳に強く宿っていた。

 

「──では推薦状を」とバスクがにこやかに提案する。

 

 だが、いらない、とあっさりと却下されてしまい、バスクは思わずへこんだ。

 

「いやよ。だって、いつかわたしがあなたを部下にするんですから。部下から推薦状をもらう上司なんていないし。ま、そのジャガイモみたいな顔を老けさせながら待っててくれる? すぐ追いつくから」

 

 などと大胆なことを告げて、最強つよつよガール嬢は炭焼きを手伝うべく、元の持ち場へと戻っていった。

 

「あんなかわいいお姉さんたちがいるなら、俺、軍に入るわ……じゃない、バスク大尉、俺を、軍人にして下さいっ! 推薦状オナシャスっ!」

 

 先ほどとは掌返しもいいところのケネス少年であったが、バスクとしては元気があってよろしい、といった程度の感想である。後はケネス少年の魂にふさわしい形にスキルとキャリアを磨いていけばいいだけのことである。

 

「推薦状の件、承った。この名刺を無くすなよ」

 

 バスクは名刺の裏に、軍用郵便の指定コードをメモする。

 どこの駐屯地宛でも構わないから、そのコードを住所欄に添えて差し出せば、必ず軍内郵便で転送されて宇宙や月であろうとも、手紙が届くのである。

 

 すでに通信端末は死んでいる。

 地震と津波の影響で海底ケーブルは寸断。

 衛星もコロニー落としの影響でまともに機能しているとは思えない。

 ゆえに、追って連絡する方法は、こちらの動かぬポストに手紙を入れてもらうことしかできない。

 

「少なくともひと月前には、ここに推薦状の宛先を送ること。これからはメッセージアプリみたいに簡単に連絡を取れる時代ではなくなるだろうからな。手紙の復権、というやつだ」

 

 バスクの言葉を刻んだのか、ケネス少年は、絶対に連絡します、とバスクの名刺を受け取り、その裏のコードの写しを別の紙にメモしていた──

 

 

 

 

 ──いつの間にか。眠ってしまっていたらしい。

 

 確か、瞑想をしていたはずだった。

 だが、不意にガルマ閣下と農地再興の実績を視察に行ったときのことを思いだし、そのまま、あの頃の破壊の記憶を呼び出してしまったようだ。

 瞑想とは本来、無でなければならないはずだが、それでも記憶のリレーションが起きた、という事実に、バスクは、今の自身がそれほど安定しているわけではないと悟る。

 

「いま、自分は、どこに立っているか」

 

 あえて、口にしてみる。

 ホテルの一室にて眠っていたのは間違いなく、窓の向こうには皆とが見える

 そこには自身の乗艦であるアルビオンと、ジオンのザンジバル級が数隻。

 レビル率いるエウーゴからもらい受けたペガサス級の姿は凛々しく、このようなジオンの地球拠点でも十分に威を放っているように感じた。

 

 バスク・オム大佐はベッドから体を起こし、鮮明すぎたあの頃の夢について思い返す。

 

「嫌な汗をかいていないな」

 

 バスクは、自身が安定していない、などと判断していたが、早計であったことを悟る。

 以前は沿岸部に漂着した膨らんだ数多の水死体や、生きのこったコミュニティ同士の水や食料の奪い合いをした血みどろの生き残り抗争ばかりを夢で見せつけられていたのだが……いまは違っていた。

 

 始めたのは、貴様たちだろうが? というジオンへの怒りもまた、いつの間にか霧散していたことにバスクは驚いてしまう。

 

 いまの夢は、世界が終わったとしか思えなかったあの黒い日々の中で、自分が出会うことができた良き人々との想い出ばかりであった。

 

「仏様のおかげだろうか?」とバスクは手を合わせる。

 

 思えば、最近は眠るとき、夢にうなされることも少なくなってきた。

 何か、強運をもたらすような良縁に恵まれているのであろうか? たまの夢見においても、いまのような出会いや人とのつながりを思いだすような、悪くないものばかりだった。

 

 水でも飲もう、とバスクが部屋のライトをつける。

 よいしょと起き上がり、壁際の給水機にカップをおいてスイッチを押す。

 冷水が注がれたそれを手に取り、ぐい、と乾いていた喉を潤す。

 

「(ケネス君は元気だろうか? 幼年学校を出て、士官学校の二年次だったか?)」

 

 などと、久しぶりに後輩のことを思う。

 なんとなく、女性関係で問題を起こしていそうな気がしたバスクは、今度会うときは煩悩を払う読経会に誘ってやろうなどと考える。

 

 そんなときであった。

 

「失礼しまーっす」と陽気な声。

 

 誰かなど言うまでもない。

 エマ少尉候補生である。

 

「あ、大佐。起きたんですね。寝顔がかわいかったので、落書きしておきましたっ」

 

 まさか、とバスクが胸ポケットから手鏡を取り出して確認すると、なにもなかった。

 紳士たるもの、手鏡の一つくらい持ち歩くように、と、かつて戦史論文大会にて審査員のワイアット閣下から審査員賞の副賞として渡されたものだ。

 確かにみだしなみもまた、士官として重要であろう。

 ゆえにバスクはそれを大事にしていた。

 

「冗談ですよ。大佐というご立派な階級の師匠筋にイタズラする弟子なんていませんから」

 

 けらけらと笑うエマ少尉候補生に毒気を抜かれる。

 ただ、不意に先ほどまでの夢のことを思い返す。

 

「エマ少尉候補生……」とバスクは切り出す。

「はい? 添い寝とかはサービスしてませんよ?」

 

 いつも一言多い女性だなぁ、などとバスクは言葉を飲み込みながら、言いたくなかったら言わなくていい、と前置きする。

 

「な、なんですか急に改まって……」とエマが警戒している。

「つかぬことを伺うが、一年戦争におけるブリティッシュ作戦時のことで、うなされたりすることはあるだろうか?」

 

 バスクがおずおずと訊ねると、あー、とエマ少尉候補生の明るい顔から光が消えていく。

 やはり、底抜けに明るい彼女でも、あれには思うところがある、ということだろうか。

 

「うーん、大佐はやっぱりデリカシーないですね」

 

 見たことのない冷めた眼差しでそんなことを言われ、バスクは心底動揺した。

 慌てて事態の収束を図る。

 

「す、すまん」

 

 バスクは頭を素早く下げると、ぺちん、とそこを撫でるように叩く手を感じた。

 

「ほんとに、二度と訊かないでくださいね。次やったら、つよつよガールキックを大佐の股間にかまします」

「ひぇっ!」とバスクはエマから距離をとる。

 

 鍛え上げられた銅像の如き体をもつバスクではあるが、急所の装甲は鍛えられなかった。

 

「──あの時は、超カッコイイ大尉さんがわたしの家族も一緒に助けてくれたんです。大佐みたいなイモイモなクソデカマッチョとはもう天と地ほどの差があるくらい、カッコイイ人だったんですから」

 

 それは……いい人に巡り合えたのだな、とバスクは素直に賞賛する。

 あの時の自分は混とんとした状況を掌握しきれず、必死に場当たり的な対応を繰り返すばかりの愚か者であった。

 それに比べて、彼女が出会った大尉とやらは優秀だったらしい。

 それほどの逸材が連邦内部にまだ残っているなら、ぜひとも交流を深めたい、とバスクは深い関心を寄せる。

 ティターンズに必要な人材なのではないか、と。

 

「そうか。それほどの人物ならば、ぜひティターンズに誘いたいのだが」とバスク。

「無理ですね」とニンマリとわらうエマ。

 

 ちっちっち、と指を振る彼女の様に、その大尉とやらが戦死せずに生きていることを確信する。

 よかった、今はどこで何をしているのかは分からぬが、それほどの人材ならば、どこかでよき未来を作るべく活躍してくれていることだろう。

 

「無理、か。残念だ」

「はい。いつか私が超偉い人になって、あの人を部下にしちゃうんですから、大佐なんかには渡しませーん」

 

 腕でバツ印を作るエマに、これは攻略不可能だなとバスクは撤退を企図する。

 

「なるほど」

 

 などと頷きながら、バスクはエマが将来に備えてどのような人材を身の回りに置くべきかをしっかりと定めていることを知り、うむうむ、と感心する。

 少々口が悪く、何をしでかすかわからぬ危なっかしさがあるエマであるが、バスクの弟子らしく、頭を使うことと人を観ることを惜しまぬ点は、なかなか評価してやらんでもない、などとバスクはプラス評価を付ける。

 

「あ、そんなことより大佐、ガルマ閣下が話があるって言ってましたよ」

 

 さも知り合いのお兄さんが待ってますよ感レベルでの切り出し口に、バスクはエマに「エマ少尉候補生、指導事項1点っ!」と声を荒げる。

 

 それは大事なことだから早く言いなさい、と。

 

 どうしてこう、この子はジオン公国の権力者を親戚のあんちゃんレベルで取り扱ってしまうのかが分からなかった。

 将来の政治ゲームのプレイヤーとして本当に大丈夫なのか? などとバスクはうーむと首をかしげながら、大股で部屋を飛び出していくのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七一話 0085 フォウとロザミアと、モンゴル

ウィッシュボーンだ!

――機動戦士ガンダム0083 第12話

モンシアが世界一輝いていた瞬間。
経験ある士官らしく、敵部隊の展開マニューバを誰よりも先に気付いて警告するニュータイプ顔負けのワンシーン。


 

 男女別寮あり。即日可能。

 プチモビ持ち込みのこと。ない方は応相談。リースあり。

 

 職業安定所の求人票を手に取って、それをじっと眺める若い女性がいた。

 

「まぁ、これでいいか」などと言って、彼女はそれをエントリー窓口に提出する。

 

 申込書に書かれた名前は、フォウ・ムラサメ。

 もちろん、本名ではない。

 残念ながら名前も住所も、家族すらも一年戦争初期の大混乱ですべて失ってしまった。

 孤児院をあちらこちらへと転院し、ひどい病気を患ったときは慈善病院として有名なムラサメ病院を頼った。

 そのムラサメ病院で便宜上与えられたフォウ・ムラサメという社会保険用の仮称をそのまま使用し続けて、3年以上たったはずだ。

 

 彼女はプチモビ屋として、さまざまな作業現場を転々としながら、なんとか日々食いつないでいた。

 財産はまだローンが残っているドラケンECというプチモビだけ。軍用のそれより二回りもコンパクト化され、かつ経済的になった働くマシンで、フォウの生命線である。

 メーカーはミドルモビルスーツとか言っているけれども、現場では小さいMSをプチモビと呼んでいるし、それを使用して仕事をする職人の事を『プチモビ屋』と呼ぶ。

 

 フォウは、職業安定所に訪れている人々の様子を観察してみる。同業のプチモビ屋の人に気が付いて、軽く会釈したりなどしながら。

 有効求人倍率は2倍近くになっているので、仕事があること、食べてはいけることに安堵した様子の者がおおい。

 

『UC0085年度末経済見通しについて、地球連邦政府はさらなる宇宙開発促進により、公共需要の増大と財政出動を強めていくと発表。同時に、宇宙への産業移転、特に無重力環境を利用した特殊マテリアル事業や、量子コンピュータをさらに進化させる新誤り耐性処理事業などに──』

 

 職業安定所の片隅においてるモニターが、フォウにはよくわからないメディアニュースを垂れ流している。

 言葉はわかるけれども、意味は何一つ分からなかった。

 フォウが生きていくうえで必要だった知識というのは、今、メディアで流れているような言葉ではなかった。

 

 プチモビで行う作業に関する言葉のほうがずっと大事で、アームや脚部に対する安全荷重や、地球重力下や月重力、あるいは宇宙の無重力化におけるプチモビの中心軸安定にかかわる計算機用のプログラムのほうがずっと大事だった。

 

 そういうものは、現場の先輩の女性などに聞けば、たばこ一本、あるいはコーヒー1杯で罵声と一緒に教えてもらえる上に、理論ではなく、どちらかというと、この時はこう処理する、という刻み込む系の話なので、初等数学しかやっていないフォウでもなんとかついていくことができた。

 

 現場で事故を起こしたらどんなにそれまでの仕事がよくてもクビになるし、安全運転履歴証明書にマイナス点が付く。

 

 フォウにとって唯一の稼ぐ手段であるプチモビの安全運転履歴書にバツが付くのはよろしくないので、フォウはいつだって慎重に仕事をこなし、手を抜かなかった。

 

「──ムラサメさーん、フォウ・ムラサメさーん、手続きが終わりましたよ」

 

 窓口のお姉さんが声をかけてくれる。クソ忙しい田舎の職業安定所にプライバシーの尊重だのはない。

 フォウははーい、と窓口に駆け寄り、次の仕事先への紹介状を受け取る。

 相手方にはすでに伝送されているので、フォウは何も考えずに現場へ行って、紹介状をスキャンしてもらえば現場仕事を振ってもらえる、ということになる。

 いつもの流れで、いまではもう慣れたものだ。

 

「じゃ、がんばって」と窓口のお姉さん。

「お姉さんもね」と適当な愛想笑いを返して、フォウは職業安定所の入っているビルを出た。

 

 

 指定された現場は、キタ・キューシューの特別復興都市というところで、カンモン海峡との間に巨大なトンネルを掘り進めるところだとか。

 

 フォウはプチモビを荷台に乗せたぼろぼろのトラックで、現場のゲートに立ち寄った。

 運転席の窓を開けて、ゲートの警備員に話をする。

 

「すいません、職安から来ました」と紙を差し出す。

「あいよ」と警備員のおじさんがコードを読むと同時に、セキュリティゲートが開いた。

「北7A地区があんたさんの現場な。赤い旗が立ってるとこに現場監督がおる」

「わかりましたー」

 

 返事をして、トラックのアクセルを踏むフォウ。

 構内徐行、の看板通り、制限速度以下で移動する。

 なにせ、現場に様々な人が従事しているので、交通事故なんてものはまれによくあるレベルなのだからだ。

 そんなことでマイナス点をもらうわけにはいかない。

 

 

 

 指定された停車位置に止めて、トラックを施錠。

 その足で北7A地区の現場監督が詰めているというプレハブ小屋へとお邪魔する。

 図面とにらめっこしていた若い現場監督に声をかけると、あー、とすぐに「明日からすぐ入ってくれ。セグメント組み立てやってもらうから。7A12班の班長に挨拶しておいて」と命令されたので、フォウは指定された12班の班長とやらを探すべく、プレハブ小屋を後にした。

 

 道行く先輩にコーヒー缶ひとつで情報を聞き出し、班長が仮住まいしている寮にお邪魔する。

 女子寮棟の角部屋で、玄関の扉には『ロザミア・バタム』と名札がぶら下がっている。

 

「ロザミア班長~、本日からお世話になる、フォウ・ムラサメでーす」

 

 ドンドンドンと、無遠慮にドアをたたくフォウ。

 現場では陰湿なオフィスワーク的な気遣いなど不要で、とにかく、元気よく、はっきりとしゃべる奴が好まれる。わからないことを明確に『わかりませんっ!』と言わないと事故につながってしまうため、腹芸など使っている場合ではないのである。

 

 そのため、人間関係も好きか嫌いか、ではなく、『使えるか、使えないか』だけしかない。

 ゆえに、挨拶の態度などもあまり問題にはならず、適当な安菓子なり、コーヒーやらタバコのようなブツを添えてアイサツしておけば、大抵何とかなってしまうのだ。

 

「あーい」

 

 ロザミア班長は、タンクトップ一枚の姿でドアを開けた。

 ぽよんとゆれる何かに、でっか……と思わずフォウはこぼしてしまう。

 

「んだよ、挨拶しにきたの? マジメじゃん」などと、ロザミアが眠そうなまなざしのまま手を差し出してくれたので、フォウは握手を交わす。

 

「明日からよろしくおねがいしまス」と、フォウは軽く頭を下げて、箱を差し出す。

 

 箱の中身は、この辺でアイサツ用の基本となっているらしい菓子の詰め合わせだ。

 

「あんがと。なんなら食ってく? 茶くらいだすよ」

 

 尻の主張も強いなぁ、などとフォウはタイトなスパッツに視線を奪われながらも、彼女の招きに応じて部屋に入る。

 当然だが、部屋の中は整理されていた。現場仕事をしている連中は整理整頓しないと気が済まないからだ。仕事道具がどこにあるかなんぞ探していたらイライラして正気を保てないくらいに忙しいのが現場というものである。

 

「失礼します」と、リビングテーブル代わりのキャンプテーブルとチェアのセットに腰かける。引っ越しばかりの流れ職人は家具を持たずに、こういうキャンプ道具を持っていることが多い。

 

「前はどこの現場?」

 

 ロザミアがインスタントコーヒーの入ったプラカップを差し出してくれる。

 あざます、とうけとりながら、フォウはこれまでの経歴を軽く説明する。

 

「トーキョーでドームの解体を」

「へー。あそこ、水没してどうしようもないもんねぇ」

 

 などと、当たり障りのない会話をしながら、菓子を広げて二人で食べる。

 

「年は?」

「15、くらい」

「同い年じゃん」

 

 世代が同じなら、共通の話題もたくさんある。

 あれこれとどうでもいい話をしているうちに、フォウとロザミアの間にあった薄い氷の壁はあっさりと溶けて、同世代の同級生、くらいの感覚に代わる。

 

「これさ、いつも後輩にもらうんだけど、普通なんよ」

「あー、わかる気がします」

 

 手土産の定番、といわれるだけあって、まずいものは一つもないが、旨すぎて感動する、というようなものもない。

 はずれのない商品、というやつである。

 

「でさ、ここのトンネル工事も半年くらいで終わりそうだけど、次どうすんの?」

 

 あるあるなロザミアの問いに、フォウはなんも考えてないです、と答える。

 とりあえずプチモビさえ持っていれば、なんとかなってしまうのだから。

 

「ふーん。ほら、うちらみたいなガキなんて幾らでもいるわけで、プチモビ持ち込みの一人親方なんてケガしても会社の保障はないわけじゃん。自前のでしょ? これずっとやってくの大変だよぉ~?」

 

 一応、一人親方保険というものには加入しているが、それに加入していないとこういう現場に採用されないからだ。

 

「大変なのは、わかりますけど……他にできることないし」

 

 男に体を売って生きるのは、ちょっと嫌かなぁ、などとフォウはほかにできそうな仕事について考える。

 10代でそういう仕事をしている子たちは、フォウなんかよりもずっと羽振りがいいのは知っているけれど、それを楽しんでやれるとは思えないのだ。

 

「だよねー。で、こないだ軍の広報官がチラシもってきたんよ」

 

 はらり、と一枚の紙切れがテーブルに置かれた。

 君もMSに乗ろうっ! と、なんだか可愛らしい小動物系のお姉さんが、ぴちぴちのパイロットスーツを着てポーズを決めている。

 背景にはジム系のよくしらないMSが決めポーズで映り込んでいるけど、これはガンダムとかにしたほうが宣伝効果ありそうなどと、フォウは素人ながらに思ってしまった。

 

「このパイロット、ちょっとえっちすぎない?」

 

 小動物系のおねーさんの写真には※モデル シャニーナ中尉 と書かれている。

 正規パイロットでかわいくてえっちだとか、ちょっと嫉妬する。

 

「ぐぬぬ、なんか腹立ってきました」とフォウ。

「そうだろう、そうだろう、妹よ」

 

 ぽんぽん、と勝手に義理の姉妹を作り出したロザミアがフォウの肩をたたく。

 

「で、調べたんよ。このえっち姉さん、動画にでてたんよね」

「え、えっちな動画ですか?」

「バカ、普通の広報動画だよ」

 

 そして、携帯端末の画面に動画が表示される。

 広報用に撮影されたらしいプロモーションムービーで、このチラシのお姉さんがインタビューを受けていた。

 どうやらMSに乗りながらの、コックピット内カメラの映像をそのまま使ったものらしく、乗っているシャニーナ中尉は少し緊張しているようだった。

 

『え? 一番大事にしていることですか? それは、生き残ることですよ。死んだら何にもなりませんからね』

 

 広報としてそれはありなのか? とフォウは思った。

 普通は、何かしら使命感的な何かか、組織としての建前みたいなものをいうのではないのだろうか。

 

『これ、本当に大事で──ちょっと外部カメラに切り替えますね』

 

 シャニーナが何かを操作する姿が映り、カメラの映像がMSの主観視点に切り替わる。

 その視界に移っているのは、北京ベース演習場というところらしく、一年戦争で荒れはてた北京郊外の市街地をそのまま演習場にしているようだ。

 

 鉄筋ビルを遮蔽物にして隠れながら、シャニーナの機体が物陰から物陰へと加速して移動していく。

 

『とにかく、まずは身の安全です。そうしないと……』

 

 シャニーナ機がぽん、と何かを大通りに投げた。

 それはバルーングレネードで、ポンッとはじけて大きな人型のバルーンを生成した。

 風船が展開して秒も立たず、そのバルーンが弾けた。

 どうやら演習弾に撃ち抜かれたらしい。

 

『こんな感じで、すぐ死にます。敵はプロですし、こっちもプロです。読みあいになりますし、互いにセオリー通りのことは、必ず仕掛けてきます。こんな感じに──』

 

 シャニーナ機が通りとは別の方向、ビルの合間に伸びている細い道に視点を向けて、マシンガンのようなものを連射する。

 

『うぉっ!? あぶねっ!?』

 

 と情けないおじさんの声が聞こえた。

 どうやら、相手はバルーンを倒した後にすぐに移動をしてシャニーナの裏へと回ろうとしていたようだった。

 彼女はその移動ルートと時間を正確に読んで、そこを攻撃したらしい。

 

『いまご覧になったように、敵は極めて冷静かつ合理的に、こちらを殺そうとしてきます。自分だけが生き残れる、自分は操縦がうまいから大丈夫、なんてことはないんです』

 

 そして、シャニーナ機体の視界の映るビルたちが、急速に後方へと通り過ぎていく。

 目にもとまらぬ速さで路面を滑走し、低い視線になったかと思えば、MSが通れるはずもないような狭いビルの狭間を、機体を横に傾けて滑空するという、プチモビ乗りならば『あ、安全基準違反だぁっ!?』となる動きを平然と行う。

 

 そのまま敵役のジムの後ろに躍り出て、ビームサーベルを一閃。

 絶対に倒せた、と視聴者たるフォウは固くこぶしを握ったが、そうはならなかった。

 信じがたいことに、相手のジムの腕がぐるりと後方を向き、なんということもなくシャニーナ機の腕を狙撃し、ペイント弾まみれにしたのである。

 

『あ、やられちゃいましたね……』と焦るシャニーナの声。

 

 相手の機体はそのままスラスタを使い大きく跳躍し、シャニーナの視界から外れる。

 シャニーナのカメラが敵を捕らえたときには、すでに銃口がずずい、とアップで映っていた。

 

『中尉、教科書通り、背後に回ったなら射撃で仕留めろ。抜刀のほうが早い状況なんて万に一つもないんだからな……』

 

 相手役のおじさんがシャニーナに注意をするが、決して嫌味な空気はない。

 

『中尉、お前が死んだら、俺は悲しいぞ』

 

 そんなことを言ってのける敵役のおじさんに、フォウは目を見開いた。

 フォウの様をみて、ロザミアもうんうん、とうなずく。

 

『えへへ、すみません、隊長。一回やってみたくて』

『そんなにやってみたいなら、後でやり方教えてやるから、撮影中にそういう無茶するのやめろ』

 

 あきれた様子のおじさんの声で、演習シーンは終わる。

 今度はカットが変わり、基地のパイロット待機所での姿が映る。

 シャニーナ中尉はスーツの胸元を大きく開き、インナーを見せている。フォウはロザミアのタンクトップ姿と見比べて、ロザミアの勝ちで、私の勝ちだな、と優越感を覚える。

 

 字幕で『何歳からMSに乗っていますか?』と出る。

 

『何歳のころからって……わたし、ムーア同胞団出身なので13か14のころから戦場に出てます。本当は15歳からじゃないと志願できないんですけど、そこはいろいろあって。あー、でももうすぐ二十歳かぁ。お姉さんになったなぁ。来年は大尉に昇進だし、がんばらないといけませんね』

『昇進ですか?』

『はい。軍隊の階級は職掌と紐づいていますから。いろんなキャリアレーンがあるので、それぞれの人生に合わせてレーンを選択する自由はあります』

 

 自由……とフォウがぼそりとつぶやいた。

 ロザミアも、動画を見るのは二度目だが、工事現場を巡り巡って食うや食わずの生活を送るよりは、動画の向こうの人生のほうはキラキラして見えてしまう。

 そして何よりも、動画の向こうの女性が、自分たちと同じような年ごろの時は戦場をMSで駆け巡っていたという事実に、感動した。もしかしたら、自分もMSに乗れるから、同じようなチャンスをつかめるんじゃないか、と。

 

『えっと、みんな殺し合いにつかれて転職しちゃったので──訂正、軍は若い人とか、チャレンジしたい人をとにかく求めてます。どんどん応募してください』

 

 シャニーナが軽く会釈する背後で、鼻毛カッターをウィーンと鳴らして鼻に突っ込んでいるおじさんが横切って行った。何とも締まらない広報動画である。

 

『地球連邦軍アジア太平洋方面軍MS教育団は、志願者を待っていますっ!』と安いフォントが画面の最後に映り込み、応募フォーム関係の問い合わせ先なんかがでかでかと主張されている。

 

 フォウは、動画の内容はすでに忘れつつあった。

 実は軍隊には興味ないし、MSにも面白さなんかを感じたことはない。

 食べていくために、プチモビに乗っているだけだから。

 でも……さっきのおじさんのセリフを言ってもらえるなら、軍隊はいいかも、と思ってしまった。『お前が死んだら、悲しいぞ』なんて、今のフォウに言ってくれる人はいない。

 

「……ちょっとだけ、興味がわきました」

「でしょ? あたしはさ、この現場終わったら志願するんだ。フォウも、その時やる気があれば、一緒にいこ」

 

 びしっ、とロザミアが広報紙の注意書きのところを指さした。

 そこにはフレンドシップ制度というのが書いてあって、友人同士で志願した場合、教育課程を一緒の場所で受けられる制度だという。何やら、旧アメリカ合衆国軍以来の伝統らしく、多くのバディがともに教育を受け、戦士になったそうな。

 

「考えて……おきます」

 

 さすがに今日聞いた話を即決できないので、フォウはロザミアにまた半年後相談しよう、と提案する。

 

「うん。じゃ、明日から現場仕事、がんばろうね」

 

 お菓子を食い散らかした二人は、そろそろお開きということで解散することになる。

 

 ロザミアの案内で遅ればせながらフォウは自室の場所を知る。

 そこは前の子が事故で死んでから空きっぱなしで、家具はそのまま使っていいとのことだった。

 フォウは確信する。

 この仕事をずっと続けていたら、こんな感じで終わるのか、と。

 

 

 

 トンネル採掘工事というのは、お勉強ができる専門家の皆さんが考えた設計に基づいて、図面通り仕事を進めていくことになる。

 工事手順そのものは分業化されていて、ロザミア率いる7A12班はシールドマシンが掘り進んだ穴に、よく知らない頑丈なコンクリでできているらしい『セグメント』というパーツをはめていく作業をやる。

 

 シールドマシンがゆっくりと海底を掘り進み、堀ったトンネルが崩れないように筒状のコンクリ囲っていく、という仕組み、らしい。

 シールドマシンが前に進むための足場にもなるので、セグメントは図面通りにしっかりはめないと、トンネル事故になって皆死ぬ、という笑えない状況になるらしい。

 

「今日もご安全にっ!」

 

 と始業前点呼を終えて、フォウはロザミアの班員たちとともに、機体点検をして異常なし、と記録をつける。

 最後に班長のロザミアが全員のプチモビをチェックして、本当に事故るようなメンテミスがないかを確認し、作業を開始。

 

 ここから先は、心を無にする仕事。

 とにかくコンベアで運ばれてくるパーツ分けされたセグメントをプチモビで傷をつけないように拾い上げ、それを壁面にはめ込むのだけれど、その前に下処理工程があって、ちょっとした壁面作業が入ったりもする。

 

 プチモビ革命、などと土木産業界を沸かせただけあって、プチモビが一機あれば様々な重機の仕事をこなすことができる。様々な建設機械はプチモビの工具キットに置き換わり、プチモビ屋はそれら工具の使用について熟練していることを求められる傾向が強くなってきている。

 

 フォウはたいていの道具を使えるので、重宝された。

 結果、初日の作業時間で班員の中で『使えるやつ』ということになり、あっさりと受け入れてもらうことに成功する。

 

 作業を終え、就業点呼を済ませたら解散。

 ロザミアは次の作業班への引継ぎに向かい、その他は地上へとさっさと移動となる。

 

 地上へと戻ったフォウは、班員らと適当に話を合わせながら飯を食い、風呂に入って自室へと戻る。

 

 フォウは、何も考えずに歯を磨き、服を脱いで洗濯カゴに放り込み、明日の作業服を枕元に畳んでおいておく。

 そして、疲れ切ったおのれの体をベッドに放り投げて、目を閉じる。

 このベッドって、事故で死んだ子が使ってたんだろうけど、その子も死ぬまではこんな生活がずっと続く、って思っていたんだろうなぁ、などと考えてしまう。

 

「もしかしたら、軍隊も同じなのかも」

 

 よく考えてみると、どこの世界でも一緒、といえるのではないかと思えてしまう。

 仕事を探してくる人、計画して人を集めて仕事をさせる人、手仕事で成果物を出し続けなければならない人、みたいな感じだろうか。

 よくわからないし、考えても無駄だから、フォウはそこで考えるのをやめる。

 どれを選んでも、どうせ大変なんだろうな、ということしかわからなかったからだ。

 

 

 

 

 海底トンネル堀の現場に慣れてからずいぶん経った。

 現場監督が過労で入院したり、シールドマシンが壊れて作業が遅延したりとトラブルはあったけれども、おおむね工期通りに進んでいるということらしい。

 そもそも24時間シフトを組んで工事をしているのだから、多少なりの遅延があったとしてもマンパワーの投入でどうにかなる、ということなのかもしれない。

 

 今日は夜勤シフトだから何か腹に入れておこう、と夕方の食堂に赴いたフォウは、自分と同世代の子たちが想像以上に多く働いているのだと気づいた。

 

 考えたら当たり前のことで、両親が戦争で死んだ子どもたちというのは基本的に金がないのである。生きていくために働くか、犯罪まがいのことに走るか、売春をやるかの三択問題になってしまうパターンが多く、子どもの権利条約なんてものはコロニー落としとともに吹き飛んでしまったのだろう。

 

「D定食にするか」とフォウは自身のIDをかざして注文端末を操作する。

 

 あとは食堂の自動調理ロボットシステムが工場出荷出来立てホカホカ規格定食をご提供してくれるのである。

 

 今日のD定食は、培養肉の照り焼きと、ごった煮野菜汁、あとは各人の趣味でイモなりライスなり、パンをとって食べるだけだ。

 現場がやたら培養肉ばかり使うのは、宗教上の理由という問題を片づけるため、らしいけれども、何も信じちゃいないフォウはそんなことどうでもよかった。

 というか、フォウにとってほとんどのことはどうでもいいことなのだ。

 今日の飯がある、寝床がある、風呂まで入れる……それでは足りない、というのはあまりにも贅沢なのではないかと思ってしまうのだ。

 

「……みんな、疲れてる」

 

 フォウは食堂の片隅のテーブルについて、ごった煮野菜汁をすすりながら周りの様子を観察する。

 この現場は佳境に入ってきたからだろう。

 24時間をシフト組んで回す現場は、だんだんと事故発生率が高まってくる。

 作業の難易度が変わったからではなく、慣れや油断が増えてくる上に、従事している職人たちの疲労感が高まり、集中力まで削られているからだ。

 

 そうなると、だんだん工事手順が雑になっていって、プチモビ事故も増えてくる。

 例えば、作業現場のいたるところにあるケーブル注意書きを見落としての事故、などだ。

 機体がひっくり返るような場合、周りにいる生身の作業員が死傷するし、あるいはケーブルが暴れても死傷事故は起きる。

 基本、プチモビが入る作業圏内に生身の作業員が立ち入らない、ということになっているはずなのだが、なかなかどうして、事故は減らないのだ。

 

 AIによる補助もある。しかし、プチモビの視界が360度死角なしでカバーしているなどということはないので(※そもそも安価だからだ)、カメラ外の死角に人やモノが入り込んでいたら、AI安全補助装置も動かない。

 

「あー、やばい現場感が出てきたねぇ。悪い予感しかせんわ」

 

 ロザミアの声だ。

 おっす、と定食のプレートを手にして歩み寄ってくる。

 当然のように対面に座った彼女は、今日のサバモドキの味噌煮込み、うまそうだなぁ、などとコメントしている。

 

「あのさ、ロザミア」

「なんよ?」

「あたしさ、悪い予感っていつも当たるんだけど……って言ったら、どう思う?」

 

 おずおずとフォウが申し出てみると、ロザミアは器用にハシを操りながらライスを掻き込みつつ、答えてくれた。

 

「そういうやつは、何人かいるよ」

 

 ロザミアはいろんな現場でそういう子とあったことがあるらしい。

 そういう連中の話を聞いて、危険を回避したこともある、とロザミア。

 

「あんたがさ、悪い感じがするってんなら、そうなんだろう。でも、それがどういうシチュエーションで起きそうかまではわかる?」

「うーん、それはちょっと」

 

 細かいところまでは分からないのだ。この現場に絡んで、としかいえない己のなんともいえない予感力に、フォウは不甲斐なさを覚える。

 

「だよね? みんなそんな感じだから、単に不思議ちゃん扱いされて終わんだけど、うーん……」

 

 ロザミアはきれいに平らげた定食のプレートを前にして、思案に暮れる。

 

「ちょっと注意深くする、くらいしかできないよね」

 

 フォウなりに考えて、それくらいしかできないように思えた。

 具体的に、例えば天井が落ちるぞ、みたいな話が出来るのであればいいけれど、ただ漠然と『すごく良くないことが起きる』としか分からないのだ。

 

「そうだよなぁ。12班で事故を起こさないようにする、ってことしかうちらには出来んよね」

 

 所詮はガキの与太話だよなぁ、とロザミアがいうので、フォウも仕方ない、と諦める。

 こういう予感はいつも当たるので、注意しておこうとだけ決めて、二人は食器をもって立ち上がった。

 

 

 

 嫌な予感、というものがどういうものかを思い知らされたのは、その予感というか、耳鳴りのようなものがピークに達した二週間後のことだった。

 

 遅番を終えて風呂を浴びて、ぐーぐーと昼過ぎまで寝ているときに、地響きと、ドーンという爆音にたたき起こされた。

 窓がびりびりと震えていたので、相当にデカい音だぞ、と布団をかぶっていたフォウは、コロニー落としの日を思い出して震えてしまう。

 

 コロニー落としの日もそうだった。

 東南アジアの群島にある観光ビーチにニューイヤー休暇で家族と遊びに行って楽しんでいた時を壊したのが、落ちてきたコロニーだ。

 海で泳ぎつかれてコテージでお昼寝をしていたときに、すごい地震が来て、パパに抱えられて外に飛び出したのを覚えている。

 大きな津波が来る、とパパは高いところに逃げようとしたけれど、山まで走っていくには遠すぎたし、車を出そうにも、もう道路は渋滞していてダメだった。

 

 でも、パパとママはあきらめなくて、プライベートビーチの裏にある飛行場に向かった。

 そこに駐機していたVWのマークがある飛行機に駆け寄って──フォウだけが乗ることができた。本当はパパとママに乗ってほしかったけれど、集まってきた大人たちは、子どもと女性だけ乗せよう、と相談して決めた。

 ママはパパと残るね、と泣きながらフォウは無理やり突き放されて……他の子どもたちと泣きじゃくりながら飛行機のハッチが閉まるのを嫌がったことを思いだす。

 

「パパぁ……ママぁ……」

 

 フォウは、寮のベッドの上で布団にくるまって丸くなり、泣いた。

 本当は逃げなくちゃいけないのに、なにもできなくてただ、丸くなって泣くしかないのだ。

 

「おいこらフォウっ! 火出てるから避難するぞっ!?」

 

 バァン、と部屋の薄いドアがけ破られた。そこから飛び込んできたのはロザミアだった。

 彼女は丸くなってベッドにこもっているフォウを見て絶句する。

 

「お、おい……」と、恐る恐るフォウに近づくロザミア。

「もうやだ……パパとママのところに行くっ!」

 

 そう泣いて抵抗するフォウの姿にショックを受けたのか、ロザミアは口元を手で覆う。

 しかし、このままでは、と判断したのか、ロザミアは被りを振って、声を絞り出したようだ。

 

「空が落ちてこようが、うちらは生き延びたんだろうがっ! テメェのパパとママのためにも、うちらは意地汚く生きるんだよっ!」

 

 だりゃあぁっ! と奇声を発しながらロザミアが布団を強引に引きはがすと、エメラルドグリーンの髪を乱して泣きはらしたフォウの姿。

 びぇぇ、と泣きじゃくる彼女をむんずと抱きかかえ、下着姿のまんま外に放り出す。

 ああ、くそ、この格好じゃだめだ、と判断したらしいロザミアが、部屋の中に干してあったジャージをひと揃い掴んで、共用廊下で腰を抜かしているフォウに放り投げる。

 

「そいつを持って逃げんだよっ!」

 

 ロザミアが、フォウの手を引いてくれた。

 フォウはパパとママのところに行きたいというぐずりを止めて、黙って彼女についていく。

 サンダルを履いて下着姿で駆ける彼女の様子を見咎めるものなどいない。

 どの作業員も、避難計画に従って退避場所へと急ぐばかりである。

 

 だが、不意に強烈な頭痛がフォウを襲う。

 ロザミアもめまいを覚えたらしく、くそっ、とだけこぼして、その場にしゃがみ込んだ。

 

「こんな……時に……」とロザミアが悔しそうに言った。

「ちがうよ、ロザミア。むしろ、逃げちゃダメなんだと思う」とフォウ。

「ああ?」

「嫌な予感がする。なんだかプレッシャーが……」

 

 今度はフォウがロザミアの手を引いて、人の流れを逆行する。

 それはそれで困難を極めたのだが、次の瞬間、それが正しかったのを理解する。

 一条のピンク色の光が走ったかと思うと、逃げようとしていた先が爆音とともに炎に染まった。圧縮されたビーム粒子が着弾とともに散って、それらが細かな粒子が人々を焼き尽くし、ハチの巣にしていく。

 難燃素材で出来ているはずの落下防止シートが燃え上がり、それが群集の頭上へとふわりと落ちていき、人々を焼いていくさまを、フォウはその目に焼き付ける。

 

「な、なんだよ、これ……」

 

 ロザミアが困惑しつつも、何かを感じたらしく、あっちか、と振り返った。

 フォウも嫌な感じの中心のほうを探すように周りを探ると、ロザミアと同じところを見ていた。

 

 それは、海底トンネル工事の立坑のほうだった。

 何が起きているかわからないけれど、そこからビームが飛んでいることだけは分かった。

 ところかまわずビームを乱射している主体が何なのかは分からないけれど、犯人捜しは二人にとってはどうでもいいことで、とにかく安全そうなところを探そう、となった。

 

 しかし、そんなところはなかった。

 こっちかな、と思えばやはり嫌な予感がして、ビームが飛んでくる、の繰り返しになり、へとへとに走りつかれた二人は、半ばあきらめて、泣きながら適当に逃げ込んだ現場監督の事務所になっているプレハブ小屋に隠れて、互いに抱き合いながらおいおいと泣いた。

 

 このまま二人ともビームに焼かれて死ぬんだ、とフォウが諦めを口にすると、この世に生まれてきたことの意味って何だったんだよぉ、とロザミアが悔しがって、さらにひどく泣いてしまうばかりだった。

 

 

 

 さて、強運が味方してくれたのだろう。

 フォウは友人のロザミアとともに、小屋でわんわん泣いているところを、周辺を捜索していた州兵たちに保護された。

 

 何があったのかもわからないまま、毛布をかけられたフォウとロザミアは診療所が設置されているテントに案内されて、健康状態に異常なし、と医療ロボの診断を受けた。

 異常なし、だった子たちは州兵たちに「帰っていいんだよ」などと促されるが、当然ながら彼ら、あるいは彼女らの中で帰る場所があるなどという贅沢な暮らしをしている奴は1人もいない。

 州兵たちだってそんなことわかっているはずなのに、と思うが、州兵らも悔しそうな顔をしながら「本当にすまない」と缶詰やレトルトパウチ、チョコをくれるだけだ。

 

「あの、あたしらのプチモビってどうなったんですか?」とロザミアが州兵の一人を捕まえて聞き出そうとする。

 

「プチモビ? ああ、駐機場は軒並みやられちまったみたいだ。マフティーの環境テロは、大抵そういうところからやるからな」

 

 強く生きろよ、とキャンディの袋を二人に押し付けて、州兵は足早に去ってしまった。

 

「ふ、ふざけんなっ!」

 

 ロザミアが悔し泣きのまま、膝から崩れて地面に拳を打ち付けて、血を流す。

 

「何が環境テロだよっ! 地球に穴掘らないと生きられないウチらみたいなのを殺したいって、どういう歪んだ連中だよっ!」

 

 何もかも、最悪だ。

 ロザミアが喚き散らしているのと同様に、フォウもまた悔しかった。

 これからローンだけを抱えて生きていかなくちゃいけないし、再ローンを組むための頭金なんかどこにもない。

 再出発するために金を稼ぐには、いよいよ体を売るしかないのではないか、という状況に無理やり追い込まれてしまった。

 

 だけども、これはいい機会なのかもしれない、とも思えた。

 下手にプチモビがあったから、何とか食いつないで生きていくことが出来ていたけれど、いつまでもアレ一つでどうにかなるわけじゃない。

 事故で働けなくなったら、もうそれで終わり。なんの保障もないのだ。

 だったら、せめて保障があるところで働くほうが、まだマシなのでは、と。

 

「ロザミィ」と、フォウは地面に伏して泣いているロザミアに声をかける、

「んだよ……一緒にチンコ舐める仕事でも始めるってか? 願い下げだね」

「違うよ。棒をシゴくってとこでは同じかもしんないけどさ」

 

 軍に入ろう、とフォウは告げる。

 

「このままだったら、あたしたち、どん詰まりだよ」

 

 フォウはロザミアの隣にしゃがみこんで、彼女をのぞき込む。

 ロザミアが顔を起こし、フォウのほうをみる。

 泣きはらした彼女の頬を、薄汚れた手で包んで、告げる。

 

「だったら、二人で軍隊で頑張ろうよ」

「フォウ……」

 

 そうだよな、やるしかねぇんだよなぁ、とロザミアが自身の頬を包む手に、自身の手を重ねた。

 

「一緒に、やってやるか?」

「プチモビ屋魂を、みせてやろうよ」

 

 そんな貧乏そうな魂あんのか? などと泣き笑いながら、二人は手を繋いで立ち上がった。

 手元にあるのは州兵から貰ったお菓子パックだけ、

 ATMに行って金を降ろせば、ヤリ部屋の隣室みたいなヒドイところくらい借りられるだろう。

 来月の入隊申込までがんばろう、とフォウとロザミアは約束する。

 

 二人は孤児だった。

 いまも、孤児かもしれない。

 しかし、もう、一人ではなかった。

 

 

 

 

 北京には中国という巨大帝国の歴史的な遺構が大量に残されている。

 その一つ、清朝の権力者、西太后が愛したと言われる頤和園を訪れていた文化人たるグリーン・ワイアット大将は、軍人として最後のキャリアを、中華帝国の歴史的遺産を数多抱える北京ベースで迎えらえることを、割と喜んでいた。

 

 本当はベルファスト基地あたりで自身の別荘などを行き来しながら優雅に過ごしたかったのだが、レビルは『馬鹿を言うな。趣味は辞めてからやれ』という至極当然な理屈をもって、アジア太平洋統合軍の総司令官として赴任させられたのだ。

 地方自治政府以上に力のある南洋宗徒たちやら、香港シティの経済特区、果ては観光復興特別地域である東南アジア諸島及び群島の治安を預かるのは、諸文化に通じた文化人として名高い上に、艦艇運用畑を歩み、昨今のMS運用に関しても並々ならぬ関心を寄せるワイアットにこそふさわしかろう、とワイアット自身も思っている。

 

 宇宙については、目をかけていたバスク君のような前途ある者たちにそろそろポストを譲ってやるべき時期でもあるし、いつまでもジジイが要職のイスを温めているとカビが生えるだけだ。

 

「素晴らしい景観だ。昆明湖を眼下に見下ろしながら、大国の欲望にさらされ、食い散らかされていく大清帝国をいかにして守るか──西太后の苦悩を我がことのように感じ入りますな。そう思わんかね、シン少佐」

 

 副官──ではなく、ゴップ閣下から預かったMS戦のプロに訊ねる。

 

「千山鳥飛絶 萬徑人蹤滅──」

 

 シン少佐が漢詩を朗々と歌うので、ワイアットははっとした。

 意外や意外、とワイアット大将はジャズを嗜みくらいしか雅事に興味のない武辺者かと思い込んでいたのだが、それは勘違いだったようだ。

 

「──孤舟蓑笠翁 獨釣寒江雪。つまり君は、孤独だけが彼女を包んでいた、と言いたいのかね。ふぅむ、権力者とは孤独だと訊くが、やはりそうなのかもしれんなぁ」

 

 シン少佐とやらを見直したワイアット大将は、頤和園の広大な庭園が、いつか地球圏を人類が離れたのち、大自然に飲み込まれて消えるであろうことを想像すると、少しばかり胸が痛んだ。

 

「人の世というのは、思った以上に儚いものだとは思わんかね?」

「はっ。儚いからこそ、終わりあるからこそ、慕情は募り、情愛は深くなるのではないかと」

 

 なるほどな、とワイアットはシン少佐を気に入った。

 指揮幕僚課程を低空飛行する成績で卒業した、という話であったが、それはそれだ。

 彼は勉強ばかりしてきたエリートどもと違い、MSに乗って前線でエースとして戦い続けてきた。そのような血反吐を吐く現場を知っているにもかかわらず、高級将校の第一歩としてそのような兵を『数』として扱い、一介の現場作業員として見る指揮幕僚課程の教育には面食らったであろう。

 慣れれば──それが必要なことだと受入れられれば、成績も伸びようが、彼はどうもなかったらしく、課程を担当した教授陣からは『実戦部隊の旅団長向き』と評されていた。要するに、ジャブローに椅子はないぞ、という意味であろう。

 

 まったく、官僚制度というものは意味もなく試験万能主義に陥り、試験が何かしらの能力を表していると組織人に『勘違い』させるもの。

 本来、試験など『選抜の言い訳』にしかすぎない。

 限りあるリソースをどのような理由でそう振り分けたか、という言い訳のために各種選抜試験があるだけで、その順位が何かを保障しているわけではないのだ。

 野に智者、山に賢者、街に愚者とはよく言ったものである。

 

「シン少佐、君のことはゴップ閣下からよろしくと言われていてね。下手に扱うわけにはいかんのだ。ゆえに、君には将来の連邦軍をになう若人たちを育てる仕事をやってもらおうと考えていてね」

 

 ワイアットはシン少佐に、アジア太平洋統合軍に付属している、キャンプ・モンゴリアを任せるつもりである。

 古代より盛況な騎馬戦士たちを生み出したモンゴルの大地に、ワイアットはMS乗りを育てるための学校を用意した。

 一年戦争時代に粗製乱造されたMS乗りの中で、比較的生存率がマシだったMS教導特技学校のカリキュラムをもとに、それを現場での経験値が高いシン少佐と、その部下のシャニーナ中尉に改良させることで一層強靭なMS乗りを育てることを目論んでいた。

 

 北京ベースには宇宙港もあるため、軌道上に打ち上げることも可能。

 つまり、重力下戦闘教育と、無重力下戦闘教育を行うカリキュラムを実施可能であることを意味する。

 また、アジア太平洋統合軍の管轄下には様々な地形──砂漠、高地、山岳、原野、熱帯雨林に市街地。おそらく地上にあるほとんどの戦場地形について学ぶことができるであろう。

 広大な演習場、そして歴戦の士官。

 これらを手元にそろえることができたワイアットの『若人を育てるぞ』という野心は留まるところを知らなかった。

 

「閣下、そろそろ紫禁城のほうへ向かいませんと」

 

 本来の副官である、目端の利く利口そうな顔立ちの少佐が声をかけてきた。

 いわゆる、生粋のエリートと呼ばれる連中である。

 彼ら、彼女らが、現場たたき上げのシン少佐のことを気に入らないのは聞き知っているうえ、妙な嫉妬意識を持っているのも分かる。

 何せ、彼ら、彼女らの戦場はジャブロー戦しか知らないのだから。

 

「(やれやれ、シン少佐は苦労するな)」などと、ワイアットは前途有望な彼が折れないことを期待して、チャンスを与えるくらいしかできないのである。

 

 

 

 上空から見下ろすと、濃い緑が広がるモンゴルの大草原の一画に、白い点が集中するエリアが目に入る。

 古来からのモンゴル式建造物、すなわち、ゲル、パオ、ユルトなどというテント形式の構造体が並んでいるようだ。

 それは大多数の遊牧民がそこで羊を飼っている、というわけではなく、アジア太平洋諸地域から集められたMS搭乗員候補生たちを飼育するための、教育用の放牧施設ということになっている。

 一応、ワイアット閣下なりの思いやりにより、シン少佐に用意された活躍の場でもある。

 

 北京のワイアット閣下から預かった新型SFS『ベースジャバー』を操るは、もちろんシン少佐──ではなく、彼の婚約者であるシャニーナ中尉である。

 

「隊長、このドダイ、遅すぎません?」

 

 ドダイじゃなくて、ベースジャバーだ、とシン少佐は訂正しておく。ガノタというのは機体名の間違いにうるさいのである。

 

「どっちでもいいじゃないですか。どうせ中身はドダイなんですから」

「おい、身もふたもないことを……」

「ジオニック社による対連邦商取引の記念すべき一号ですけど、これ一年戦争の時のドダイのガワを変えただけですし」

 

 そういわれると何も言えぬシン少佐である。

 論破されて仕方なく地上を見ていると、誘導灯が光っている。

 どうやら垂直着陸しろということらしい。

 もちろんSFSはVTOL機なので、垂直離着陸も何のその。

 歴戦のシャニーナの手に掛かれば、ふんわり着地である。

 

 

 

 なんでも、新任の教育隊長はゴップ閣下の直属の特殊部隊出身らしい、という噂がキャンプ・モンゴリアの教官たちの間でもてはやされていた。

 教官用の事務室として使用されている一つのテントに、第四教導隊、と書かれた看板がぶら下がっている。そこには3人のくたびれた士官が、カードに興じていた。

 

「そんなエリートがこんな田舎にくるかねぇ?」

 

 と、バカにするように他の教官と話をしていたのは、ベルナルド・モンシア中尉である。彼とトランプゲームに興じている元不死身の第四小隊所属の面々──アルファ・A・ベイト中尉もアデル中尉も、あまり新任の教官には興味がなさそうである。

 

「そういえば、若い女性の中尉殿も赴任するとか」とアデル少尉。

「それを先に言えよ、ばっきゃろっ!?」とモンシアが色めき立つ。

「テメェより先任だとよ。言葉遣いには気を付け、な」

 

 ベイト中尉のフルハウスが決まり、モンシアとアデルが頭を抱える。

 

「──いや、待てよ? エリート中尉のお嬢さんなら、この歴戦のオレ様のワイルドな魅力で、コロッとなんねーか?」

 

 敗北から立ち直るのが早いのが、モンシアである。

 ちょっとでも希望の炎が見えれば折れることはない、という逞しさは、賛否両論あろうものの、ベイトやアデルは比較的好意的に解釈していた。

 

「知らねーよ」とデジタル口座をチェックするベイト中尉。

「女性より資格試験ですよ」とアデル少尉も軍を辞めたあとのセカンドキャリアに向けて、なにかの問題集を開いた。

 

「ぐぬぬぬ、お前ら、どうしてそう、なんでも斜めに構えてやがんだ──ん!?」

 

 モンシアが人事データを漁っていたらしく、端末の画面に驚いていた。

 

「ちょ、おいっ、シャニーナちゃんじゃねぇか!?」

 

 モンシアはおぉ~神よぉ、と唐突に祈りだす。

 その様にあきれるベイトとアデルだが、モンシアは恍惚感に満ちていた。

 

「広報専門のお嬢ちゃん中尉なんかに、興味あんのか?」とベイト中尉。

「ムーア同胞団なんて存在しないんでしょ?」とアデル少尉もあきれる。

「ばっきゃろっ! そういう設定がいいんじゃねぇか、設定がよぉ……お前らは、アイドルっちゅうのが全然分かってねぇ」

 

 そんなことを熱く論じるモンシアだが、誰も聞いてはいなかった。

 

『教育隊長がまもなく着任される。教官室各員は、直ちに教育隊司令部天幕前へと集合せよ』

 

 アナウンスで呼びかけが始まり、不死身の第四小隊の面々はベテランの雰囲気を漂わせながら、やおらと席を立つ。

 

「まぁ、いっちょ、エリート少佐さんとシャニーナちゃんに、本当のベテランのミリョクってやつを伝えてやりますかね」

 

 などと鼻息を荒くするモンシアに、バカに付ける薬はねぇなぁ、とベイトとアデルがあきれるのであった。

 

 

 

 司令部──ということになっている、大型テントの前に整列した教官らは、教育隊長代理であるサウス・バニング大尉に率いられて整然と整列していた。

 列に並ぶモンシアら不死身の第四小隊の面々は、新任の教育隊長さんはどんなもんかねぇ、と見学気分であり、モンシアだけはシャニーナたん、と鼻息を荒くしていた。

 

「なんでこいつ、シャニーナシャニーナってうるせぇんだ?」とベイト中尉。

「広報動画でハマったらしいですよ。もともとアイドル好きですからね」とアデル少尉。

「設定がいいんだよなぁ~。テメェらにはわかんねぇだろうが、若い身空で歴戦のパイロットって設定がいいんじゃねぇか」

 

 設定ねぇ、などとベイトとアデルがモンシアの趣味を理解しかねているところで、バニング大尉から『気を付けっ!』と号令がかかり、反射的に全員が背を伸ばす。

 

 新任のエリート少佐さまやアイドル中尉にはまねできないであろう、圧倒的な経験と実力がバニング大尉にあるからこそ、不良軍人でしかない第四小隊の面々は彼の号令に従うのである。

 

『敬礼』とバニングの声に従い、モンシアらも気合を入れて敬礼する。新任少佐どののためではなく、バニング大尉のメンツのためだ。オヤジに恥をかかせるわけにはいかねぇ、というのは不死身の第四小隊の面々共通申し送り事項である。

 

「──ご苦労、休ませてくれ」と新任の少佐が答礼。

 

 だが、モンシアはそんなことよりも、シャニーナ中尉の姿を認めておほぉ~とため息をつく。リアルを見て、動画よりすんごぉい、と感動したのである。

 

『休めっ!』とバニング大尉の号令。さらに、楽に休め、と続いた。

 

 教育隊長着任の挨拶、というのが執り行われ、少佐が急ごしらえの板材で作られた壇上に立つ。

 

「えー、本日は御日柄も良く……なんて話はいらないな。いいメンツが揃っていて、俺は震えている。特に、不死身の第四小隊を部下にできるとは嬉しい限りだ」

 

 いきなり褒め殺しかよ、と不死身の第四小隊の面々は呆れる。

 たまにこういうエリートがやってくる時がある。

 全員の名前を憶えていて、全員の功績をしっかり頭に叩き込んでいるホンモノというやつである。

 こういうガチなエリートは、お客様接待をして、任期を終えるまでつつがなく過ごして貰たほうがいい。何せ、こういうのは育ちも良ければ家柄もついていたりして、下手に不興を買えば、いくら不死身の第四小隊出身だからと言って予備役送りになりかねない。

 

「やべーな」とベイトが小さくつぶやく。

「オヤジさんも緊張してますね」

 

 アデルが言うように、モンシアがバニング大尉のほうをちらりと見てみると、妙に真面目腐った顔で少佐殿の話を聞いておられた。

 あのパターンは、ものわかりがいいタイプのエリート上司が着任してしまった場合のやり過ごしシナリオのときの顔だなぁ、とバニングも悟る。

 

「MS乗りだったみたいですけど、撃墜数とかちょっとおかしいですよね」

 

 アデルのいうことはもっともだ。

 モンシアも人事書類のデータくらいは目を通している。

 おそらくは、エリート少佐殿の経歴を拍付けするためにジャブローのモグラたちが色を付けたデータを作っているのだろう。

 

「──諸君らの忠実な職務邁進を期待する。以上」

 

 ほとんど話を聞いていないうちに、少佐どのの演説が終わった。

 各自所管の任務へと戻ること、かかれ、という号令が出たので、不死身の第四小隊他、教官たちのはバニング大尉に敬礼をしてぞろぞろと、それぞれの事務テントへと戻っていく。

 

 だが、やんちゃダメおじさん筆頭格であるモンシアだけは違った。

 誰よりも早くシャニーナちゃんとお知り合いにならなければ、という使命感の元、一人こそこそと、女性下士官に居室天幕に案内される彼女の後をほいほいついていくのであった。

 

 

 

 次はMSの現況チェックのために整備隊長と話をしないと、などと考えごとをしながら歩いていたシャニーナは、不意に物陰から現れちょび髭の男性に気付くのが遅れた。

 

「誰か?」と自然と誰何する形になり、シャニーナの手が拳銃へと伸びる。

「おぉっと、失敬。第四教育隊MS教官、モンシア中尉でありますっ!」

 

 ビシィッ! と効果音でもつきそうな敬礼をするモンシアに、シャニーナは答礼する。

 

「あなたが元不死身の第四小隊の……」

 

 シン少佐から聞いている。歩く下半身だから警戒するように、と。

 とはいえ、根っからの悪人というわけでもなく、ちょっと頭がわるいだけだ、という話であったが。

 

「おぉ、御存じでいらっしゃいましたか。このモンシア、大変うれしく──」などと、流れるように握手を求めてきたので、仕方なくシャニーナは握手を交わす。

 

 後でしっかり手を洗っておこうなどと思わないでもない。

 

「シャニーナ中尉です。一応、私の方が先任ということになるので、よろしく」

 

 二十歳になった彼女と、おっさんのモンシアが同じ階級かつ、シャニーナが先任という状況はかなり珍しいが、ありえないわけではない。本来では先に中尉になったほうが先任となるのだが、アルファ任務部隊所属だったため様々な規則上の効果により、不条理にも彼よりシャニーナが先任中尉ということになってしまうのだ。

 

「よろしくであります。それで、シャニーナ中尉どのに、このベース・モンゴリアをご案内するお役目を預かれれば幸いなのですが」

 

 なるほど、やっかいなおじさんだなぁ、などと思いながら、ちょび髭が可愛いので許すか、とシャニーナはモンシアに案内するように、と命じる。

 

「まずは整備大隊のところにお願いね、モンシア中尉」

「かしこまりました」

 

 モンシア中尉に案内されることになったわけだが、道中、彼のたわ言に耳を傾けなければならなかったので、ゴップ閣下から教わったバカな男をあしらう『必殺さしすせそ』を駆使して自動処理をする。

 

 さすがです

 知りませんでした

 すごいですね

 センスいいですね

 そのとおりです

 

 これらのワードを出来るかぎり可愛く言っておくだけである。

 なお、すでに隊長に試して効果を確認しているので、モンシアに対しても効果はてきめんであった。

 

 

 

 整備隊長から教育に使用するジム及び、ジムトレーナーはおおむね良好な状態にあると報告を受け、実物を確認する限りでも、ぎりぎりアリかなぁ、とシャニーナは兵站状況レポートに記録をとっていく。

 忙しくしているシャニーナの隣で、モンシア中尉が一年戦争時代にジムに乗って大活躍した話をしているので、少しばかりイライラしてしまう。

 

「すごいですねぇ」と適当にあしらっていると、モンシアが、そうだ、と思いだしたかのように言い出した。

 

「シャニーナ中尉どのもジムに乗られていたとか」

 

 上目遣いに訊ねてくるモンシアにイラっとしながらも、そうだと答えるシャニーナ。

 一年戦争の頃はハッキリ言って素人だった。

 もし隊長がいなかったら遺体もなく蒸発させられていただろうと思うと寒気がする。

 いまの力があれば──もし、過去に戻れたら、あの時の仲間であるシュバイツァーやチェン=リェンを助けられたのかもしれない、などと思わない日はないくらい、後悔しかない。

 

「どうでしょう、ジムトレーナーでご一緒に、整備状況のチェックなどは」

 

 モンシアがそんなことを言い出したので、シャニーナはそれも一興か、と判断する。

 報告を聞き、数値を確認し、外観チェックをするだけでもだいたい分かるが、本当の状況は確かに動かしてみれば分かるともいえる。

 せっかくなら重力下戦闘をやって、どの程度ムリさせることが出来る機体の状況なのかを確認して、MS候補生たちの安全マージンを出したほうがよいだろう。

 

「なるほど、一理ありますね。モンシア中尉」

「はぇ?」

 

 なぜかモンシア中尉が怪訝そうな顔をするが、シャニーナはジムのコンディションについて頭がいっぱいなのでそれどころではない。

 

「整備隊長、ジムを二機出していただけます? 同程度のやつで」

 

 できますぜー、と整備隊長の大尉が返事をしたので、シャニーナはモンシアに告げる。

 

「じゃ、モンシア中尉。実機演習といきましょう」

「は、はい?」

 

 やはり、なぜかモンシア中尉はへんてこな返事をするばかりであった。

 

 

 

 予定と違いすぎるだろ、とモンシアは毒づきながらジムのコックピットに座り、起動プロトコルを消化するために、忙しくスイッチを触っていく。

 

『モンシア中尉、先に行きますね』とすでにハンガーから離れたシャニーナ中尉の素ジムが、こちらに通信を入れてきた。

 

「了解です。すぐに行きますんで」

 

 初動立ち上げて俺が負けた? スクランブル発進を俺よりやり込んでるなんて話はありえないだろ、とモンシアは焦りつつも、数秒遅れでジムを立ち上げ、ハンガーから離れてシャニーナ機体の背中を追いかける。

 

 本来のプロットでは、シャニーナとジムトレーナーに乗って、実はわたし、MSなんてのれないんですぅ、みたいな暴露話を聞きつつ、アイドル役をやる苦悩や辛さのようなものを聞き出して仲を深め、互いの心の距離を縮めるはずだったのだが──

 

 そんなことを考えながら、ただ広いだけの草原に立つ。

 MSの基本挙動演習を行うために、この広大な野原を後日、数多のジムが走ったり転んだりする予定のエリアである。

 

『モンシア中尉、近接格闘演習だ。サーベルを演習設定に切り替え。被弾設定は──』と彼女から矢継ぎ早の指示が飛んでくる。

 

 この子、演習しまくってたということなのだろうか? とモンシアの頭に???? が無数に浮かんでくる。地球連邦軍アジア太平洋統合軍のアイドル広報官って設定じゃなかったの? と。

 

『よし、設定相互確認──モンシア中尉、サーベル長の設定をこちらと同じにしろ。標準の半分以下でやる』

 

 ビームサーベルは短くすればするほどに密度が上がり、一撃の威力が上がる。

 重装甲のビグロのようなMAをサーベルで仕留めるときや、艦艇の推力発生装置を狙うときなどに使うのだが……これを対MS演習で使うということは、すなわち、懐に飛び込んでぶつかっても構わないガチ系演習シナリオである。

 MSの四肢を使った格闘挙動を混ぜ込んだ激しい戦闘は、重力下でやるとパイロットの負荷が大きく、下手をすれば頸椎をやりかねない危険な行為だ。

 

「シャニーナ中尉、つかぬことを伺うのですが、重力下での──」

『大丈夫です、モンシア中尉。相手の中身をミンチにしないよう、ヤザン少尉とみっちり練習してきたので』

 

 誰だよヤザン少尉って、という思いも走るが、なんでそんなヤバい訓練をあなたの年齢で積んでいるのですか? と思う間もなく──

 

『相互チェックよし。カウント3でいくね』

 

 いや、そこは普通、10だろ? とモンシアは舌打ちしながら、操縦桿をどうさばくか、頭を高速回転させる。

 このアイドル、もしかしてMSも乗れちゃう系、というか、MSで本当に人殺してた系なのでは? とモンシアは己の中のアイドルが溶けて消えてしまうような感覚を覚えた。

 

 

 

 ──なお、演習は計5セット行われ、うち4セットはシャニーナ機によるモンシア機の撃破。1セットを辛くも、モンシアがプライドをかなぐり捨ててガチスタイルを発揮したので、シャニーナ機小破の判定であった。

 

『整備状況は良好ですね。ある程度は思い通りに動かせました』

 

 うきうきと楽しそうに語るシャニーナ中尉の感想戦に付き合いながら、モンシアは割れたヘルメットバイザーにテープを張りながら、三半規管をやられたせいでぐるぐるする視界と戦っていた。

 かなり激しく衝突があり、モンシアは複数回、地球の重力というやつを本気で恨んだ。

 大地に叩きつけられても故障しないジムの耐久性もさることながら、素ジムで本気の格闘を躊躇なくかまして、こっちのコックピットをガンガン揺らしてくる鬼畜行為に本気で引いてしまった。

 普通、演習でコックピット周りを殴るのは禁じ手だろうが????

 

「な、なかなかやりますね、シャニーナ中尉」

『モンシア中尉も、さすがです──実は、わたし、いまちょっと嬉しいんですよ』

 

 む、意外な方向で心の距離が近くなったのか? とモンシアは吐き気をこらえつつ、希望に胸と妄想を膨らませた。

 

『ヤザン少尉相手だとフルセット取られちゃうし、隊長相手でも4セットは取られて……ホント、なんていうか、前の部隊の人達って容赦ないんですよ? ラムサスさんとかダンケルさんとはちょうどいい感じに戦えるんですけど』

 

 こっちがゲロ吐いてても『息を止めてでもあがかないと死ぬぞ』とか隊長は平気でいうんですよねぇ、などと、前任地のヤバい話のオンパレード。

 うちのバニング大尉もなかなかなの厳しさだったと思うモンシアだが、そのアルファ任務部隊とかいうところはあまりにも──ブラックすぎた。

 

『コックピットを揺すらないと、演習に身が入らないとかうちの艦長が熱弁してましてぇ』

「か、艦長?」

 

 意味が分からなかった。MSに乗らない艦艇運用士官がなぜコックピットを揺らす話をするのか、モンシアには理解できない。

 

『うちの艦長、元ガンダム乗りで、すんごい演習にうるさいんですよ。ちょっと奇麗だから、うちの隊長も鼻の下のばしちゃって……なんか腹立ってきましたね』

 

 意味が分からない。ガンダム乗りが艦長で、その人がキレイなオネーサン?

 頭を激しくぶつけすぎたか? とモンシアは背筋が冷たくなる。

 実はヤバい神経もやられてて、下半身もオシゴトできなくなっているのではないか? などと不安に押しつぶされそうになる。

 

『あ、そうそう、0083年の地球外生命体戦役のとき、わたしたち72時間以上機体に乗ってて。あの時はさすがに死ぬかと思いましたね。でも隊長はまだいけるみたいな顔してるし、同期のヤザン少尉なんか楽しんじゃって──あ~なんだか懐かしくなっちゃいますねっ!』

 

 モンシアは、吐いた。

 いかれたモンスターがキャンプ・モンゴリアにやってきたのだという現実をようやく体が受入れて──拒否反応を示したのだろう。

 モンシアが愛したシャニーナもまた、死んだ。

 いま嬉々としてブラック話を続けているのは、可憐な女の子の形をしたモンスターである、と認識しなおし、モンシアは嗚咽した。

 

『ちょ、モンシア中尉が泣くんですかっ!? あ、でも、なんだかわたしも懐かしくって、泣けてきちゃったなぁ……またみんな戦場に出たいなぁ』

 

 しみじみとした口調には、戦場への思慕が溢れていた。

 戦場なんか行きたくねぇよ、とモンシアは内心で吐き捨てながら、さらにメットを汚すのであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七二話 0085 30バンチ事件(1)

なぜ、30バンチに来てくれなかった!

――機動戦士Zガンダム外伝 審判のメイス


 

 人員輸送用コンテナの窓に張り付くように、モンゴルの大草原を見つめるフォウとロザミアは。

 二人は軍が用意した居住性ゼロの空の旅をいよいよ終えようとしていた。

 ニューフクオカ国際空港に乗り入れた相当数のクソデカ輸送機『ミデア』のお腹に抱えられた人員輸送用コンテナにパンパンに詰め込まれた少年少女たちは、申し訳程度の居住性に四苦八苦させられながら、空路でキャンプ・モンゴリアへと輸送されたのである

 

「地方連携事務所のおじさんたちは、皆やさしかったね」とフォウ。

「なんか、案外、軍隊ってチョロいんじゃね?」とロザミアが笑う。

 

 先日、フォウとロザミアが募兵事務所に緊張した面持ちでお邪魔したときのことだ。

 なんだかきれいなバッチを胸にいっぱいつけた制服姿の軍人たちが、わざわざジュースなんかをおごってくれた上に、分厚いパンフレットを手に、懇切丁寧に説明をしてくれたのだ。

 

「とにかく、資格が一杯取れるよ♡」

「ちゃんとお休みもあるんだ♡」

「毎月お給料も貰えるし、ボーナスだって出るよ♡」

「体力に自信がない? 大丈夫。キツイけど訓練にかじりついていけば、そのうち体力だってつくさ♡」

「勉強が苦手? 大丈夫っ! そういうのが苦手な人たちのためのコースもちゃんとあるから♡」

「訓練が辛い時? そういうときは、とりあえず3分だけ頑張ろうって考えるんだ。ずっとあと3分、あと3分ってやり過ごしていけば、一日なんてあっという間だよ♡」

 

 などと、まるで親身な親戚のおじさんおばさんのようなあたたかさで地方連携事務所の兵隊たちは、連邦軍はいいぞ、連邦軍はすごいぞ、連邦軍はすばらしいぞ、と教えてくれた。

 

 一応資格持ってるんで、MSに乗りたいんですけど、と切り出すと、まるで宝物でも手に入れたみたいに事務所の皆が喜んでいたので、なんとなく、ただ応募しただけなのに二人とも善行をしたような気持ちになった。

 

 それからあれよあれよと書類にサインをさせられた。

 

「空港にホテルも用意しておいたから、指定期日までそこでゆっくり羽を伸ばしてね♡」

 

 と、二人はフクオカのキレイどころのホテルに泊めてもらい、朝夕のバイキング形式の食事をエンジョイし、ちょっと腹回りをふにょらせたりしながら出発の日を呑気に待っていたのである。

 

 

 

 キャンプ・モンゴリアに着陸したミデアのコンテナから、ぞろぞろと少年少女たちが吐き出されていく。いかにも烏合の衆、という様子である。

 フォウはロザミアとともに、互いの手荷物(※手荷物は支給された大型ボストンバッグ1つにおさめるように指示されていた)を担いで、日本にはない草原特有のあの緑の香りと埃っぽさに異国情緒などを感じていた。

 

「が、外国だね」とフォウ。

「……マジで、周り何もねぇな?」

 

 ヤーパンでは、コロニー落としの傷跡深しといえども、街があり、道路があり、散居村があった。つまり、山奥にでも潜り込まない限り、大抵、人里というものがあったのだ。

 

 ところがここは違う。

 モンゴルの大地は、まさに大草原と、泥と、砂塵しかない。

 

「ロザミィ、これって逃げ出せないってことだよね?」

「だよねぇ……」

 

 ヤーパンで仕事をしていた頃は、ヤバい現場からはトンズラすればよかった。

 しかし、ここはそうはいかない。

 逃げ出したところで行き倒れて終わり、というのが見て取れた。

 

 さて、群集の列が動き出した。

 どうやら白いテントから続々と教官やら助教、補助の兵士たちがぞろぞろと出てきて、交通整理を始めたからだ。

 

「おぉ~」と群衆から声が上がる。

 

 もちろん、フォウとロザミアも顔を上げて、それを見た。

 

 MSである。

 

 12機のMSが起動し、立ち上がって動き出したのだ。

 フォウとロザミアは、それがジムであることをすぐに理解する。

 凸型のゴーグルだから、ジム、というのは誰でも知っている常識なのだ。

 とはいえ、実は二人が見ていたのはジムの近代化改修機であるジムⅡなのだが、それは今の二人は知らなくて当然の話ではある。

 

 そのジムⅡが、それぞれに大きな旗を持っていて、番号〇〇番から××まで、とそこに書かれていた。

 

『自分の番号が書かれた旗を持っているMSの前に集合してください』というアナウンスが流れ始めた。他の少年少女らがえっとーと自身の番号と旗を見比べているのに、フォウとロザミアは自分の番号ではなく、呼ばれている気がするMSのほうへと向かった。

 

『おう、お嬢ちゃん方、一番乗りだな』

 

 MSの前に立つと、外部スピーカーで呼びかけられた。

 誰だろう、ときょとんと二人で見上げていると、MSがまた喋り出した。

 

『お嬢ちゃん方をいっぱしの女戦士に仕上げる、このオレ、モンシア様の名を覚えておきな』

 

 こくり、と頷く二人に満足したのか、モンシアのジムは『おらー、第四教育隊第三小隊、さっさと集まれーっ!』とがなり立てた。

 

 

 

 ジムの前に集まった第四教育隊の候補生たちは、そのまま下士官らに案内されて自身らが過ごすことになる大型天幕を案内された。第四教育隊は4-1~4-3までの30人編成クラス3組として編成され、各クラスは1つの居室で過ごすことになるという。

 

 4-3というクラスの居室に放り込まれたフォウとロザミアは、他のクラスメイトが自分たちと同じような、健康だけれどもスれている系の連中であることに気付く。

 

「ベッドに名札が置いてあるから、自分のベッドを掌握しろ。んで、名札を回収したらさっそく、ジャージに縫い付けろ。裁縫道具は支給品のもんがベッドの上に置いてある」

 

 それぞれがベッドを探して散る。

 フォウとロザミアはベッドまで隣同士になっており、軍隊が本当にバディ志願を配慮するということに驚きを覚えた。

 

「何人かベッドバディが決まってないやつがいるな。お前とお前、それから──」と、4-3クラスを預かる教官だという、チョビ髭おじさんことモンシア中尉が、割と丁寧に人間関係を整理していく。

 

「よし、こんなもんか。裁縫が終わったら、ジャージに着替えろ」

 

 フォウもロザミアも困惑した。

 裁縫しろ、というのは分かる。

 しかし、年若い男女が同じ部屋にいるにもかかわらず、着替えをしろと言われても気恥ずかしさのようなものを覚えなくもない。

 

「おい、お前ら。よぉーく言っておくけどな、MS乗りに恥ずかしいもクソもねぇからな? ここはMS乗りを養成する学校であって、お前らが青春するための場所じゃねぇってことだ」

 

 おら、さっさと裁縫仕事を始めろ、と淡々というモンシアに従って、フォウもロザミアも、とりあえずクソダサいジャージに名札を縫い付ける作業を進める。

 

 作業服に名札を縫い付けるのに慣れているフォウやロザミアはさっさと作業を終えて、上着を脱いだ。

 

 となりのベッドにいた男子が「でっか……」とロザミアの露出した下着を見てつぶやいたが、直後、恐ろしいことが起こった。

 

 モンシアがカツカツとピカピカの軍靴を鳴らしながら近づき、その男子の襟首をつかんだのである。

 

「おい、お前。ここに遊びに来たのか? MS乗りに来たんだよな?」と凄むモンシアは、本当に怖かった。現場で怒鳴られたことがある奴ばかりが集まっているであろう4-3のクラスメイト達は、ヒェッ、と緊張してしまう。

 

「テメェが何を思っていようが自由だが、軍隊じゃなぁ、それを口に出したお終いなんだよ。口に出していいことは、許可されたことだけだってのを覚えておけ」

 

 オレは他の教官と違って、宣誓前だからって甘くやらねぇからな、と断言して、モンシアはシワ一つない制服の威容を見せつけるかのように、周りをにらみつける。

 

「4-3は、オレの指導の下、死んでも死なねぇ連中に鍛え上げる。不死身の第四小隊の弟子が死ぬことは、許さねぇからな」

 

 こくこく、と迫力あるモンシアの言葉に、フォウとロザミアも含めて、クラスメイト達は黙ってうなずいた。

 

 

 

 全員着替え終わると、ジャージ姿のまま居室を出ることになった。

 結局、ロザミィが一番大きかったな、などとフォウはクダラナイことを考えながら無言で、指示された通りに整列をする。

 

 大型居室テントの前に整列した皆の前で、教官たちの自己紹介が始まる。

 ベルナルド・モンシア中尉というのが4-3の面倒を見る筆頭格らしい。

 趣味は、アイドル鑑賞とギャンブル、ということで、ちょっとプライベートがダメそうな感じがした。

 

 で、割とクラスメイト女子たちの顔を輝かせたのが、ジョッシュ・オフショー付教官。

 欧州貴族のオフショー子爵家の長子で、家督を継いで政界に進出するには軍歴がないとマズイ、という消極的な理由で軍隊に入ったとか。実戦経験は地球外生命体戦役だけだ、と自嘲気味に話してくれた。

 今まで触れ合ったことも見たこともない本物の御貴族さまのスマートな振舞に、甘いマスク。フォウやロザミアのハートは、がっちりとつかまれてしまったのも仕方あるまい。

 しかたないよね、イケメンだもの。Byフォウ。

 

 そして助教としてクリプト曹長。

 MSには長く乗っているらしく、ジムⅡの開発テストパイロット団に所属していたらしい。それがすごいことなのかどうかは分からないけれど、チョビヒゲ(※モンシア)が割と丁寧に接していたから、尊敬されてしかるべき人なのかもしれない。

 

 と、教官たちの自己紹介が終わったかと思いきや──

 

「はい、君たちは長い空の旅で体が強張っていると思うから、ここでちょっとほぐしておこうか」

 

 オフショー付教官が、まるでそうだよな? そうに違いないよね? と勝手に断定し、なぜかジョギングが始まってしまった。

 

 現場で体力仕事をしていたであろう連中ばかりあつめられた4-3なのだが、別に毎日走っていたわけではないので、すぐにアゴが前に出てきてしまう。

 

 フォウもロザミアも例外なく──というか、他に体力に自信がありそうな男子も、結局はその自信がなくなるまで走らされることになってしまい──1時間後には、皆、へとへとになっていた。

 

 くたばって座り込む皆を前に汗ひとつ欠かずに立っているオフショー付教官が、モンシア教官にこう告げた。

 

「モンシア教官、準備体操を完了いたしました」

「よぉーし、ご苦労。さて、ストレッチも終わったし、本番行くか」

 

 モンシア教官も一緒に走っていたはずなのに、なぜか元気が有り余っているかのように見えた。

 

 フォウはハァハァと息を切らしながら悟った。

 あ、ここは、ちょっとオカシイところだぞ、と。

 

 

 

 課業終了、とラッパが鳴り、候補生たちがシャワーと食事に預かっている時間。

 候補生たちにとってはやっと長かった一日が終わった、という感じであろうが、教官たちにとっては業務の一部が終わったに過ぎない。

 

 直ちに教官たちは作戦指導天幕へと出頭し、各教育隊の状況を共有する。

 キャンプ・モンゴリアでの初日はわずかな事故で済んだ。

 体調不良の男女が数名。比率としては女子の方が多かったが、それは月経と重なるなどの不可避要因があった。この点、必ず女性教官らが状況を詳細に掌握するように、とシャニーナはキャンプ・モンゴリア学校教育主査として念入りに指導した。

 

 そして、各教育隊の中でも最も疲労度が募っているだろう、との報告を受けた4-3について、シャニーナは満足げにうなずいた。

 

「さすがですね、モンシア中尉」

 

 にっこりとほほ笑むシャニーナ中尉に、ヒューッと他の教官たちから口笛で冷やかしが入る。

 しかし、モンシアだけは真面目腐った顔でシャニーナに向き合う。

 

「はっ、とりあえず、4-3は俺がいっぱしの連中にします」

 

 モンシアがそう告げると、シャニーナがうんうん、と頷いた。

 

「さすがですね、モンシア中尉。他の教官の皆さんにもモンシア中尉を見習って、厳しく、規律正しく、そして何やりも真に優しく、パイロット候補生たちを見守るようにしてください」

 

 了解、と教官たちがすこしばかり緩い敬礼をするが、モンシアだけは背筋を伸ばしていた。

 

「あ、そうそう、モンシア中尉」

 

 突如、シャニーナに指名されるモンシア。

 

「な、なんでしょうか?」と妙に青い顔で応答するモンシア。

「MS実機訓練前に、より深く候補生たちのジムの調整をしておきたいのですけれど、おつきあいしていただけませんか? あ、もちろん、お仲間をお誘いしても構いません」

 

 さっそく口説いたのかぁ? などと他の教官らに小突かれるモンシアだったが、モンシアはただパクパクと口を無言で動かし、そして、わかりました、と絞りだした。

 

「では、1900にMS格納庫へ集合してください。夜間戦闘装備も忘れずにお願いしますね?」

 

 上機嫌そうに告げるシャニーナ。

 そして会議はシン少佐の解散、という号令ではけることとなった。

 

 さっそくシャニーナに誘われているモンシアを面白がっているのであろうベイト中尉とアデル少尉が、にやにやとモンシアの傍に歩み寄った。

 

「どうしたぁ、モンシア? シャニーナちゃんからのお誘いなんだから、願ったりかなったりだろ?」と、ベイト中尉がモンシアに絡んでくる。

 

「そうですね。モンシア中尉らしくない」とアデル少尉も首をかしげている。

 

 そんな二人のうざ絡みを受けながら、モンシアが二人のほうを生気のない目で見つめて、口を開いた。

 

「……手伝え」

「あん?」

「はい?」

 

 ベイトとアデルが理解できないと言った様子で、互いの顔をみやり、そしてモンシアのほうを見る。

 

「──いいのかよ? アイドル中尉さんと二人っきりにならなくて?」とベイト。

「他人の恋路を邪魔する趣味はないんですが」とアデル少尉も怪訝そうに問う。

 

 だが、モンシアは壊れたラジオのように、こうつぶやくだけだ。

 

「……頼む、手伝ってくれ」

 

 不死身の第四小隊は不良連中ではあったが、仲間を見捨てるクズはいない。

 モンシアがどういう理由かわからないが、手伝えというなら勤務時間外だろうが事務仕事が残っていようが、無条件に手伝ってやるか、というくらいの絆はあるのだ。

 

「しゃぁねぇな」とベイト。

「意図はわかりませんが、お手伝いしましょう」とアデルも頷いた。

 

 そして、行きたくない、と突然、ハンガーへ向かうのを止めたがるモンシアの挙動不審ぶりを笑いながら、ベイト中尉とアデル少尉がモンシアを引きずっていくのであった。

 

 

 

 ――クソッタレッ!! なぁにが、不死身の第四小隊だよ? とベイト中尉は砕けて使い物にならなくなったヘルメットのバイザーを引きちぎり、シート下のダストボックスに放り込む。

 

 そして、腕で口角についた血泡をぬぐいながら機体のコンディションをチェックする。

 油断、はしていた。

 当然だ。

 アイドル中尉とモンシアのデートを冷やかしに来たつもりだったのに、本当にジムⅡに乗って限界追及挙動をやる羽目になるとは思ってもいなかったからだ。

 

 その結果が、このザマである。

 すでに不死身の第四小隊の主力を担ったベイト、アデル、モンシアはお嬢さん一人にボコボコにされて、3度ずつ撃破されている。

 

 とはいえ、不死身の第四小隊の意地というものもあるので、詰みあげた経験と勘、そして阿吽の呼吸で一度、シャニーナ機を撃破している。

 

 だが、それではオヤジ、すなわちバニング大尉に顔向けできない。

 士官学校を出ていない野戦任官士官である不死身の第四小隊は、オヤジに恥をかかせない、という鉄の掟によって結束している。

 もし不死身の第四小隊の面々が、野戦任官の士官とて使えるのだということを証明し続ければ、いつか、オヤジが万年大尉ではなく、数少ない少佐昇進事例になるかもしれないのだ。

 

 だからこそ、こんなところでお嬢ちゃん一人にボコられる、なんてことが許されちゃいないのだが──

 

「おい、モンシア、生きてるか?」

『……』

 

 モンシア機からの反応がない。

 

「アデル、どうだ?」

『3分、ください……呼吸を……整えて……』

 

 アデルもヒデェ、とベイトはリーダーらしく彼我の戦力差がのっぴきならないことになっていることを冷静に受け止める。

 夜間戦闘演習、ということで、光源のないモンゴルの暗中にて計器戦闘を行っているわけだが……実戦濃度のミノフスキー粒子で計器すらまともに使えやしない。

 仕方なく、ジム備えつけのサーモ、ソナー、レーザー測距など、様々な古式ゆかしいシステムを使いつつ、ヘルメットに暗視ゴーグル着用での有視界戦闘をやっているのだが──あのシャニーナとかいう嬢ちゃんはイカレていた。

 

 どうやら、全部『みえている』らしい。

 

 機体はジムⅡ。

 条件は同じにもかかわらず、見えているとしか思えない。

 

『うんうん、いい感じで安全限界が見えてきましたね。つぎは、サーベルに実粒子を纏わせます。演習用CGじゃないですから、ちゃんと避けてくださいね?』

「!?」

 

 ベイトは、この女、いかれてんのか? と叫びそうになった口元を押さえた。

 さすがに相手は先任中尉なので、こんなことを言ったらオヤジのメンツに傷がつく。

 

 イカレ女はふんふ~ん♪ と鼻歌を歌いながら、意気揚々とサーベルの光を闇夜に走らせる。ベイトはイカレすぎて演習と実戦の境界線が見えないであろうあの女を止めてもらえないものかと、上司たちに期待する。

 

 いや、祈った。

 

 いま、管制用ホバートラックの中でオヤジとエリート少佐どのが、この夜間戦闘演習の各種数値を参照しながら、ヒヨコ連中たちに安全に訓練を受けさせるための『ギリギリのライン』というやつを研究している。

 

 ヤバい状況は、オヤジもエリート少佐も、さすがに止めるだろ……と、ベイトは上司たちを信じていた。

 

『シャニーナ中尉、良いデータが取れている。相手は不死身の第四小隊だ。本気で行ってくれ──大丈夫ですよね? バニング大尉』

 

 エリート少佐が、オヤジに確認する。

 

『問題ありません、少佐。ちょっと鈍っていたいたようなので、叩き直していただけるのを光栄に思います。シャニーナ中尉、聞こえるか? なんならサーベルで斬ってくれて構わん。チンポジばかり気にしてきたツケというのを分からせてやってくれ』

 

 低く、震えたバニング大尉の声にベイトの背筋が凍る。

 オ……オヤジの声が、マジギレのそれになっていた。

 こういうとき、オヤジはどういう気持ちなのか想像したこともなかった。

 可愛がってきて、実績もある部下たちが、アイドル活動をしている中尉さんにボロボロにされているのなんかみせたとなれば、それはもう愛すべき馬鹿どもに反省を促すしかなくなるわけで……オヤジ、高血圧で死なないか心配だ。

 

 

『はぁ~い。全力で、殺しまーす』とシャニーナの応答。

 

 そう四度も五度も殺されてたまるかよ!? とベイトのジムⅡもまた、サーベルを抜いてピンクの光を暗中に輝かせる。

 

 互いの位置が、明確に分かる。

 うすい光に照らされたジムⅡが、かつてモンゴル平原を駆け抜けて散った騎馬戦士たちの魂か何かで出来ているのか? とベイトがヒヨるくらいに、怪しくその姿を夜にさらけ出している。

 

 だがベイトとて歴戦のパイロットだ。

 粗製乱造されたジム乗りのなかでも、鉄火場で鍛えられた本物の戦士の一人である自負があり、かつ、狡猾さがあった。

 

 ベイトはダミーグレネードをころりと転がし、バルーンを展開。

 そいつの手に発振したサーベルを握らせ、自身は直ちに移動をする。

 

 サーベルの光によって互いが見えている、という状況そのものが誤認であったことを、お嬢ちゃんがバルーンを切ったところで気付く、という段取り。

 

 そして、仮にその策を見破られたとしても──ベイト機がシャニーナ機に接近されたデータをアデルに渡すことで、ベイトもろともアデルに始末させる段取りも手配済みなのだ。

 アデルの射撃精度は不死身の第四小隊でも最強。

 ゆえに、この二段構えなら、仕留められるという確信があった。

 

 そして──案の定、サーベルがバルーンを叩き斬った。

 

『あっ!?』

 

 シャニーナ中尉の焦ったような声が聞こえた。

 どうやら重大事故を起こしてしまった、と思い込んだらしい。

 

「だまして悪いが、これが戦争ってやつだ」

 

 ベイトは言葉とともに。サーベルが振るわれたポイントに向けて、演習弾が装填されている90㎜マシンガンを連射する。

 

 運動ベクトルデータからすると、間違いなくそこにいるはずだった。

 もちろん、アデルも協調して阿吽の呼吸で十字砲火を決めてくれた。

 これで、シャニーナ機はアウトだ。

 

 あくまで実戦形式の演習。

 サーベルを利用した限界挙動テストにこちらが付き合ってやる必要はない。

 一癖もふた癖もある、おっさんたちの手ひどい洗礼に涙しな、とベイトはほくそ笑んだ。

 

『モンシア機、大破』

 

 は? とベイトは声を漏らした。

 そして、それは失態だった。

 直後、強烈な衝撃──ベイトの視界は展開したエアバッグにまみれて、何も見えなくなる。

 首と、背中と、腰がヤバいよじれ方にならぬよう、ノーマルスーツが緊急固定動作を行ったものだから、もろに衝撃が内臓に響いて、口から何かをぶちまけた。

 

 その夜、ベイトが覚えているのはそこまでだった。

 

 

 

 

 バケツの水を掛けられて飛び起きたベイトは、自身が格納庫の隅っこでくたばっていたことを悟る。どうやら演習は終了し、せっかく素ジムから近代化改修したばかりのジムⅡはそこそこにぶっ壊れ、不死身の第四小隊は不死身ではないことが証明されたらしい。

 

 呆然とするベイトは、ガラン、とバケツが転がる音のしたほうをみた。

 

 オヤジが──バニング大尉が、エリート少佐と一緒に立って、体を起こしたばかりのベイトを見下ろしていた。

 

 ベイトは慌てて立ち上がり、敬礼をする。

 しかしバニングは答礼してくれない。傍らのエリート少佐は苦笑しながら答礼し、お手柔らかにな、大尉、とだけ言って去って行ってしまった。

 ガチエリートというのは基本、人当たりも良かったりするので、こういう場合は残ってくれた方がありがたかったのだが……そこまでしてもらえる義理もないので、ベイトは潔く諦めて、ユデダコもびっくりの真っ赤なオヤジに、しっかりと向き合うことする。

 

「オヤジ、その、血圧大丈夫……ですか?」

 

 ベイトが恐る恐る訊ねると、バニングは青筋を額に浮かべながら告げる。

 

「安心しろ。今は上も下もMSに乗れんレベルだ。今すぐ貴様たちを鍛えなおしたいところだが、ドクターストップだ」

 

 吐き捨てるようにいったバニングが、さらに言葉を続ける。

 

「──オレの失敗だ。不死身の第四小隊だの、実戦派の野戦任官組だのと周りからおだてられる環境にお前たちを置いた、オレの、落ち度だ」

 

 ぐっと拳を握ったまま立ち尽くすバニング大尉の様を見て、ベイトは本当に申し訳ないことをしたと反省する。

 不死身の第四小隊が、本当に精強無比で、最強無敵ならば、こんな情けない様を晒すことになるわけがない。

 

「運が、よかっただけだった、ということですね……」

 

 遅ればせながら目を覚ましたアデル少尉が合流し、ベイトの横に立ち直立不動の姿勢でバニングに相対する。

 

「その、通りだ。オレたちは不死身でも何でもない。たまたま対空砲火に当たらなかっただけ、たまたまこちらを上回る敵と出会わなかっただけ、だ」

 

 そして、バニングが、三人をボコボコしたシャニーナ中尉は、本当に14歳になる前に一年戦争に参加し、ア・バオア・クー従軍章を持ち、その時点で撃墜数4を数えていた、という事実を告げる。

 

「貴様たちも彼女と同じ一年戦争組だ。なのに、なぜ今、敗北したか……わかるな?」

 

 ベイトは、怠慢です、とだけ告げた。

 事実だけを列挙するならば、不死身の第四小隊の面々は0079年以来、訓練の数だけを適当にこなしてきただけだ。0083年の宇宙怪獣騒ぎの時も、地球から打ち上げてもらってようやく戦線に合流したところで、要塞級に対する攻略作戦が成功して、空振りに終わってしまった。

 

 不死身の第四小隊のメンツがあるから、シミュレーターの回数や実機演習の回数は他の部隊の追従を許さないようにやってきたが、その中身はどうだっただろうか? 

 いつまでも慣れきったやり方、今までの経験をひたすらに繰り返してきただけではないだろうか、と問われたら、そうかも……としか言えないのだ。

 

「そうだ。怠慢、だ。彼女は0083のバケモノ騒ぎの時、初動から対応に当たり、連日の継戦状況をものともせず──これは機密だが、ゴップ閣下の特命を受け、最も初期に要塞内部に突入した特殊部隊の小隊長をも務めている」

 

 さすがにそれは設定じゃ……とベイトが思わず口を挟むと、バニングが憐れむような目でベイトを見つめてくる。

 

「……彼女に頭を下げて、居室の勲章を見せてもらえ。殊勲十字勲章がダブルで並んでいるぞ。一つはバケモノ騒ぎの初動対処の戦功。もう一つはコア突入の戦功だ。あの戦役で議会名誉勲章を受章したシロッコ少佐に次ぐ、次席勲功者に、貴様らはきゃっきゃウフフと絡んで、ぶん殴られたわけだ」

 

 格上かどうかも分からないまま、絡みに行ってしまうお前らの目が腐っていた、ということだな、とバニングに言われると、申し開きようもなかった。

 完全に黙るしかないベイトとアデルに、バニングが告げる。

 

「ベイト、アデル。お前らが潰した不死身の第四小隊のメンツは、お前らの手で直すしかない。幸い、今夜の騒ぎは少佐がもみ消してくださる。貴様らの公式記録は相変わらず、一般部隊の中では不死身だ」

 

 お手盛りの不死身に意味があるかどうかは知らんがな、とバニング。

 無論、そんな手心を加えられてしまっては、ベイトもアデルも奥歯をかみしめるしかない。

 くやしいか? 

 否である。

 情けなくて、耐えられないのだ。

 

「少佐のご希望は、ただ一つ。貴様らのノウハウをすべてヒヨコどもに刻み込むことだ。やれるな?」

 

 やります、とベイトとアデルは即答した。

 やらずして、ほかにどうやってオヤジのメンツを再び上げてやれるのだろうか。

 

「今日の説教はここまでだ。本当なら鉄拳制裁の一発くらいかましてやりたいが、少佐殿に体罰は厳しく禁止されている。そして意味のない懲罰もな。ゆえに、貴様らには、今回の秘密演習の戦闘データの解析及び、教育指導要領策定に向けた普遍化実務を担当してもらう。ただちにかかれ」

 

 ベイトとアデルは「かかります」と敬礼。

 まったく、とだけ言って、バニング大尉は無駄のない回れ右をして、去っていった。

 怒れるオヤジの背中に、ベイトとアデルは『すんません……』と小さく謝る。

 

「……おい、起きろクズ」

 

 ベイトが担架の上で息を殺しているモンシアを蹴り飛ばす。

 ブーツで蹴られた彼はイデデ、とうめき声を上げながら立ち上がった。

 

「おー、やべぇ。おっかなかったな、オヤジ」とモンシア。

 

 何とか切り抜けたか、などとモンシアは油断しているようだったが、ベイトとアデルによってモンシアが拘束される。

 モンシア曰く、気を失ってから何がどうなったのかよくわからないだとか。

 いつのまにやらベイトとアデルに撃たれて戦死判定。

 囮に引っ掛けるつもりが、仲間を囮にされてそれを撃ちまくった、という事実がベイトとアデルに苦い感情を抱かせる。

 自分たちは、鈍っていた、と。

 

「まぁいいか。さぁて、じゃ、明日の教練の準備があるんで」

 

 いそいそと、何事もなかったかのように去ろうとするモンシア。

 しかし、無言の二人が彼を確保する。

 よくよく考えたら、このちょび髭野郎が事前にシャニーナ中尉の情報を精確に共有してくれていれば、こうも無様を晒さなかったのだ、という怒りがベイトとアデルには共有されている。

 

「お、おい?」

 

 一人雲隠れしようと企んでいたであろうモンシアを拘束した二人は、そのまま演習管制用ホバートラックに彼を引きずっていき、放り込み、そしてベイトとアデルが乗り込んでハッチを締めた。

 

 なお、翌日、モンシア教官は候補生たちに『階段から落ちた』などという苦しい言い訳をしなければならないツラを晒すことになるのだが、それは別の話である。

 

 

 

 ***

 

 

 

 宇宙世紀における記念すべき宇宙植民時代の幕開けを担ったサイド1、通称ザーン。

 地球連邦政府が、ラグランジュ5付近に人類が英知と資源と金を惜しげなく注いで築き上げた人口の大地は、宇宙世紀0085年の年の瀬も相変わらず、人々を育んでいる。

 

 1年戦争開戦と同時に戦火に巻き込まれ深刻な被害を受けたものの、ジオンによるソロモン要塞建設特需や、戦後のソロモン駐留連邦艦隊及びレビル派のエゥーゴの拠点化、それに付随する家族などの人口増加やソロモン→コンペイトウ維持改修特需などと相まって、サイド1はいち早く復興したコロニー群となっている。

 

 地球連邦『政府』の情報機関、EFCIAのCOIN(Counterinsurgency ※対反乱作戦)局に所属するミシェル・ルオは、13歳で大学に合格し、ギフテッド教育とCOIN作戦の最終教育の両方を受けるべく、サイド1の公立大学であるザーン連邦大学に入学する任務を遂行せんとしていた。

 

 ザーン連邦大学はサイド1の30バンチにある。

 30バンチは学術研究都市計画に基づき設計されており、自然公園及び広いキャンパスを備える各種教育施設や研究所などが点在している、サイド1の中でも最も静かなバンチである。

 

 つまり、30バンチは、その学術都市としての性質と、ギフテッド教育の一般化という両面において、ミシェル・ルオが児童大学生として大学に通おうとしても、奇異な目でみられることもなく、極めて当たり前のように受け止められる環境であった。

 

 さて、そんな30バンチにあるザーン連邦大学からエレカで15分ほど走ると、小さな町がある。

 学生向けの安い食堂やら、生活にかかわる小規模な店舗と、下宿先の提供だけで成り立っているようなド田舎であり、主要産業と呼べるものは何一つない。

 そのような田舎町で、自身の下宿先──用意されたセーフハウスに向かうべく、電動バイクをプププと走らせている少女が、ミシェル・ルオである。

 

「(セーフハウスについたら、カイシャに連絡しないと)」

 

 彼女が言うカイシャとは、ルオ商会である。

 宇宙世紀黎明期より地球連邦政府の各種『調達』に応え続けてきた『商社シンジケート』であるルオ商会は、カップラーメンからコロニー建設資材に至るまで、地球連邦政府と大衆たちの需要を満たすべく働きまくる巨大な総合商社と専門商社の連合体である。

 

 需要があれば何でも売るルオ商会は、地球連邦政府関係の各種情報機関にカバーストーリー(※偽装身分)やストロー(※秘密情報の輸送)、ダンボール(※任務のためのセーフハウスの提供)、パイプライン(※武器、装備、資金その他の提供)を提供する商売も営んでいる。

 

 ミシェルはこのルオ商会経由で、ルオの家名を預かるお嬢様というカバーストーリーを与えられる形で30バンチに潜入していた。

 下手な片田舎出身のギフテッド児童というストーリーでは、もし同郷出身のセンパイやらがいた場合、問題になりかねない。

 ゆえに、ルオ商会に囲われて世間から隔絶されて育てられていた、という設定にするべくルオの家名を用意してもらったのである。

 田舎の作法や、地方の常識を知らなくても問題なし。

 金持ちお嬢様の世間知らず、で万事解決するための、安直なカバーストーリーにミシェルはわずかばかりの失笑を覚える。

 

 さて、バイクを止める。

 今回のセーフハウスは、1階がプチモビ整備工場になっているガレージの上階らしい。

 中古のプチモビが値札とともに工場の前に並べられているのを見るに、中古商いもやっているようだ。

 

「こんにちは~」などと、ミシェルはヘルメットを脱ぎ、アジア系特有の濃紺の髪をくしゃりといじりながら、整備工場をのぞき込む。

 

 全バラ状態になってるプチモビに計測器を接続しながらウンウンと唸っていた作業服姿の男が、ようやくミシェルに気付く。

 

「おや、お嬢ちゃん。プチモビ見学か?」

 

 近所の子どもが冷やかしにきているのだろう。それと同じような態度をとる男に、ミシェルは合言葉を告げる。

 

「シドニーのほうから来ました、ミシェル・ルオです」

「へー。シドニーはいまごろ雪で真っ白だろうな。いいところだったかい?」

 

 想定問答通りの答えである。

 

「オーストラリアは今、夏なんですけど……」

 

 ミシェルがあきれたように言うと、整備をしていた男性が手袋を取った。

 

「どこにある?」

「左側頭骨のちょい上」

 

 男性がミシェルの黒髪に触れるかのように、自然な振舞で彼女の頭骨に埋め込まれている生体チップを読み取る。

 

 ミシェルはじっと彼を観察する。

 両腕ともにMILスペックの義腕。人口筋肉とカーボン骨格で形成された自然なタイプだけれど、その腕力はプチモビ並くらいだろうか。

 眼球も片方は電子戦義眼で、諜報員を統括する情報を持つ『ライブラリアン』だろう。

 プチモビ工場をやっているように見せているが、工場の下にMSの一つ二つ隠し持っていてもおかしくはない、か──などと、ミシェルは『ファーム』で教育を受けたスパイのいろはについて思いだしながら、観察を続ける。

 

「──二階は好きに使え。俺のことは単に叔父さんと呼ぶこと」

 

 叔父さん──こと、ジュダックは、年齢不詳であり、本名ですらない。ファームで受けた教育における『失敗事例』に乗っているジュダック中佐の名前をそのまま用いているところからして、露骨すぎる。

 とはいえ、ジュダック叔父さんとしてのカバーストーリーはいたって普通。

 元地球連邦軍のMS整備士で、戦後は流れのプチモビ整備士として復興現場のあちこちを転々としてルオ商会系列の整備工場に落ち着き──貯めた金で田舎の廃工場を買ってつつましやかに生きている、という話だ。

 

 ミシェルとの関係は、叔父と姪。

 ミシェルはルオ商会に引き取られてルオ姓をもらっているけれど、本当は戦災孤児で──と、あれこれと詮索しようとする輩が出てきた場合に話すストーリーを復習する。複雑な思い事情がある、という匂わせ設定で煙に巻くことになっていたはずだ。

 

「コンペイトウのおひざ元であるここで何かがあるとは思えんが、なぜか軍やジオンのネスト形成行為が起きている。リエゾン役の洗い出しを進めているが、あちらも同じだろう」

 

 地球連邦『政府』と地球連邦『軍』の情報機関は、トップでは連携をとっているらしいが、川下の現場担当となると互いに連携することはほぼない。ジオンの工作員かと疑って互いに諜報合戦をやっていると、突然互いに行動中止命令が下りる、などという場合は、大抵同士討ちであるから切り替えろ、とファームで習った。

 

「わかりました」

「カイシャに連絡するときは、アレを使え」

 

 指示された先には、宇宙作業用のプチモビの胴体が転がっていた。

 コロニー公社に検知されない独自の通信経路が確立されているのだろう。

 プチモビのコックピットに整備士が乗っていれば何か仕事をしているように見えるだろうし、ちびっこであるミシェルが乗っているのなら、叔父さんのところで遊んでいるか、手伝っているかのどちらかに見えるだろう。

 

 情報戦の現場要員の神髄は、日常に溶け込み、嘘を極限まで減らすことだ。

 当然だよね、と誰もが納得できるような行動をしている人間を誰も咎めたりはしない。

 道路情報の完全な取得──例えば、正確な道幅やMS、戦車、トラックなどが通行できるか否かなどを把握するために、配送員として潜伏する。沿岸の着上陸地点を探るならば漁船に弟子入りするのもいい。あるいは、ダイビングを公然と趣味にする人間になりきり、常に海岸をウロウロしていればいい。この場合は、沿岸部の商店や港にいる人々に積極的にコミュニケーションを取り、ダイビングが好きな人で、海岸にいても不自然じゃない、という状況を作ることが大事である。

 任務をやり遂げるために自然であること、これこそ工作員にとっての一丁目一番地である、とファームで習った。

 

「はい。早速使いたいのですが」

「次からは子どもらしく、あれ貸して、でいい」

 

 不自然にならないように、ぎこちなくならないように──とミシェルは叔父さんとの生活をつつがなく過ごすべく、これから細心の注意を払って行動しなければならない。

 

 

 

 叔父さんの整備工場に下宿して1か月も経たないうちに、ミシェルはご近所さんに『小さい大学生』という認知を振りまくとともに、いつもドローンを飛ばして遊んでいる子ども、という認識を広めることに成功した。

 

 通りすがりの暇そうな警察官などと談笑したり、散歩中の大学の教授と家族などとも雑談をしたりする関係を築き上げ、着々と平穏に潜伏する環境を作出する。

 

「いってきまーす」と電動バイクにまたがってをウイーン、と公道を走っていく彼女をみて、ご近所さんたちが、ああ、今日は平日か、と思いだす程度に、印象のルーチン化も進めてある。

 

 さて、ザーン連邦大学で、ミシェルは制御工学を学んでいる。

 何かを操る、という物理学領域は目に見えて成果が分かりやすく、何も知らない素人に説明するにしても分かりやすいジャンルであることから、ミシェル・ルオという人物のカバーストーリーには最適であった。

 叔父さんの手伝いでアルバイトにもなる、という、ミシェルという子どもが持ち合わせる資金事情についての説明にもなるので、ミシェルはしっかりと制御工学一般を身に着ける必要があるのだ。

 

 それに、制御工学を基礎スキルとすることで、どのような環境にも潜り込むことができる。

 大規模な生産技術系の現場のみならず、スノビッシュな研究機関、はたまた寂れた町工場や大都市のエンジニアリング系企業、さらには義肢関係の医療従事者として医療機関などと連携することすら可能。

 どこにでも潜り込める、というスキルにおいて、制御工学は外れがないのである。

 

「おーい、ミシェル。ちょっと手伝ってよー」

 

 演算室──巨大な量子コンピュータが一通り揃っている仮想実験室にこもって、ミシェルはレポート課題として出されたミノフスキーフライトに関する制御システムについて仮想モデルを作るべくキーボードをたたいていたのだが、それを止める。

 

 話しかけてきたのは、同じく制御工学を専攻しているミリー・ラトキエだ。

 ミシェルと同じくギフテッド教育を受ける身の上で、入学してから互いに言葉を交わすことも多いのだが、ギフテッドあるあるで、互いの距離感をいまだに探り合っているところがあった。

 

「ミリー、何? あなたなら自分でだいたいのことは出来るでしょ?」

 

 プロンプト用の物理キーボードをたたんで、ミリーの傍に歩み寄る。

 演算室の各所に設置してあるデスクの一つを堂々と占領しているミリーのモニタをのぞき込んでみると、そこには空調制御のシミュレーションプロセスが組まれている。

 

「なにこれ?」とミシェル。

「自主研究。うーん、ほら、一年戦争のときにジオンがコロニー落とししたじゃん。あの時、コロニーに毒ガスを散布したっていうからさ」

 

 コロニー公社の記録だろうか。ガスがいかに自ら回転するコロニーに充満していったのか、というプロセスを、様々な空調設備情報をもとに明らかにしているようだ。

 

「そもそも、ヤバいガスを検知したら自動で処理する空調システムを用意しておくべきだよね、って感じで──」

 

 自動制御化されたモデルがモニタに表示される。

 コロニー内の大気組成に問題を検知した場合に、正常な大気を循環させるシステムと、隔離排出システムが走り、コロニー内のいたるところに設置されている空調機器が自動制御されて毒ガスを宇宙に緊急排出する仕組みをモデル化しているらしい。

 

「ほら、これでコロニー落としは阻止できるじゃん。住民を殺さなくちゃコロニーが落ちないのって、コロニーの制御室をどうあがいたって奪い返されるからでしょ?」

 

 ミリー・ラトキエがそんなことをいうのだが、ミシェルはしばし考え込んだ。

 コロニーの制御を奪う方法はどのくらいあるのだろうか。

 コロニー公社管轄下の中央制御室からの制御、という手段もあるだろうけれど、これは冗長化されていて、一応、サブとして各コロニー自治政府の役所にもサブ制御室があるから、そこで制御を奪い返すことだってできる。

 極端な話、空調制御や日光制御などは、コロニー公社から委託を受けたいろんな企業が代行していたり、あるいは役所が自分で公務員を雇って制御していたりもするので(※水道局とか)、そう簡単にガス撒きます、毒を水に混ぜます、というのは出来ない。

 

 大気も水も基本的に常時モニタリングされている上に、その異常を検知した場合に緊急停止するくらいのセーフティくらいは働いているのだ。

 

「あのさ、ミリー。言いにくいんだけど、制御室云々、って話じゃないんじゃない?」

「どゆこと?」

 

 先のミリーのシミュレーションでは、制御室で誰かがあれこれを『制御』していることを前提としているが、実際はコロニーの姿勢を変更させたら、制御不能になるように制御システムそのものを破壊するなりして、利用不能にしているのではないか、と告げる。

 

「つまりさ、空調制御とか頑張ったところで、別にコロニー落としを止められるわけじゃないんじゃない?」

 

 ミシェルは論破したいわけではない。

 コロニー落としなんて悪行は当然止めるべきだし、止める手段を確立する必要がある。

 それを実現する方法を考えるならば、空調介入による毒ガス注入などという目に見える事象面に注目するのではなく、そもそも『コロニーの制御を奪われない』という方向を目指さないと意味がないのではないか、と仮説を話す。

 

「まぁ、それもそっかぁ。無駄な自主研究になっちゃったなぁ」

 

 ミリーが残念そうに言うが、そうでもない、とミシェルは否定する。

 

「無駄、ではないでしょ。だって、コロニー落とさなくたって、毒ガステロでもやろう、なんて考える悪党がいるかもしれないんだし――マフティーとかさ。そういう時に自動で無効化する仕組みを研究しておくのは工学的に間違ってないよ。安全工学に足突っ込んでるけどさ」

 

 ミシェルの言葉に、ミリーがそっかぁ、と納得したようだった。

 どうやらミリーは勉強はできる子なのだろうが、メンタルはミシェルと違って、まだまだずっと子どものままらしい。

 言われたことを素直に受け入れてしまいがちな素直さに、ミシェルは自身が失った貴重な何かを見たような気がした。

 

「ところで、課題はおわったの? ミリー」

「あんなのすぐ片づけたよ。見る?」

 

 先ほどまでミシェルが苦戦していたモデルを、いとも易々と完成させているミリーの頭脳に、完敗を覚えるミシェル。

 

「ミノフスキーフライトなんてさ、ミノフスキークラフト式の揚力をどう得るかってはなしだし。ほら、このへんみてよ。制御効率をとにかく追及するって筋道じゃなくて、いかに制御せずに制御で得たい動作を得られるか、に集中したらいいんだよ」

 

 ミリー・ラトキエ型ミノフスキーフライト理論の誕生を目にしたミシェルは、本物の天才を前に嫉妬半分、羨望半分といった気持ちになる。

 いや、そもそも理論だけにとどまらず、これ、実装可能なんじゃ? とミシェルはミリーが見せてくれたモデルについて詳しくチェックする。

 

「ちょ、ちょっと待って。この課題って仮想モデルみたいなのを作って提出するだけだよね? 趣旨は、今の理論だとこういう制約があるよ、ってのを学生に学ばせるための課題なわけで……あれ? ミリーのやつって、なんか……実装できそうじゃない?」

 

 恐る恐る確認すると、ミリーはそうだよ、とあっけらかんと答えた。

 

「え? だって理論上の制約なんて、別の理論で解決できるじゃん。ミノフスキー博士の屁理屈にこだわる義理なんてないよ。うちの考えだと、最終的にこれはミノフスキー粒子を制御するビーム技術で処理しておわり。大気圏だとヘリコプターみたいな感じで、ビームローター作ったら飛べるんじゃない?」

 

 あ、解決しちゃったんだ──自分とてバカではないと思っていたけれども、秀才としての限界というものを見せつけられてしまった。

 ミシェルにとっての努力というのは、ミリーにとっては毎日の歯磨きのように普通でしかなく、学問的な成長速度のギアが違うと分からされてしまう。

 これがメスガキ分からせというやつなのかもしれない、などとミシェルはミリーという同世代の少女が叩きつけてきた天才性に屈した。

 

「飛べちゃうんだ?」

「うん。下手に小型化しよう、最大効率化しよう、って考えても無駄。ローター回したら飛べる。シンプルなのがいつだって一番だよ」

 

 ほわー、とミシェルがミリーに感心していると、ミリーが楽しそうにこちらを向いた。

 

「ねぇねぇ、ミシェルはうちの話、わかるん?」

「思い付きはしないけれど、理解はできるわ」

 

 そっかそっか、と嬉しそうに微笑むミリー。

 

「じゃ、友達になれるね、ミシェル」

「ん? え? そ、そうかしら?」

 

 ファームでは友達の作り方なんぞ習っていない。

 友好的にふるまうことで、相手に友情を感じさせるなどという思考ハンドリングは知っているのだが、いざ、こうやって友達がどうのこうの、という話は久しぶりすぎる。

 

 本当の友達──ヨナやリタと引き離されてファームに放り込まれてからは、ずっとミシェルは強くあらねばならなかった。

 だから、ミシェルはこうも露骨な誘いに、慣れていないのだ。

 

「うちはさ、ベルファストっていう田舎の生まれで──」

「ちょい待ち、ちょい待ったっ!」

 

 ミシェルが制する。いきなりの打ち明け話の準備は出来ていない。

 こちらも用意したストーリーを話す必要があるし、念のため再確認もしておきたい。

 

「──おしっこしてきてから、でいい?」

 

 ミシェルは情けない顔でそう告げる。

 あ、ごめん、とミリーに謝られたが、いいよいいよと手を振って、ミシェルは演算室を出ていった。

 

 

 

 ミリーは演算室からミシェルが出ていくのを確認すると、演算室の管理人をやっている大学事務員に声をかける。

 

「ミシェルは黒だと思う。話してみたけど、本当のギフテッドじゃない。早期教育で詰め込まれたファーム出身者だよ」

 

 そうか、と事務員の応答。

 キシリア機関は人類史はじまって以来最大の情報機関であり、戦略組織である。

 元はと言えばザビ家がサイド3の政権を民主的に獲得するための政治工作機関だったのだが、次第にMSの有効性の秘匿活動などの軍事面に介入するようになり、いつの間にかジオンの地球侵攻作戦を下準備するだけでなく、レビル脱走、南極条約の調印、そして停戦協定の実現に至るまで、あらゆる歴史的場面で暗躍し続けてきた。

 

 硬直化した官僚制度と予算獲得競争で弱体化している連邦系諜報機関のクラシックなスタイルと比べ、キシリア機関は、より自然であり、上善如水を身に着けている。

 

「ガスの話をしてみたけれど、バイタルや瞳孔に動きはなかったし──黒だけど、30バンチで何が起きるかを知ってはいなさそう」

 

 サイド1の30バンチにて毒ガステロの可能性あり。ジオン公国の国益に反するため、直ちにキシリア機関はこれを阻止せよ、という命令を受け、かなりのスリーパーが活動を開始している。

 北米局から増援として派遣されたミリー・ラトキエは、毒ガステロなんてものをやらかそうとしているなら制御畑と化学畑のインテリあたりも調べる必要があるということで、このようなつまらない学生ごっこをやっているのだ。

 ミリーは本物のギフテッドであり、すでに北米にある王立科学技術大学にて学士号を取得済みである。

 今回はザーン連邦大の学部に一時的に滞在しつつ、機を見て修士課程へと飛び級してしまう予定なのだが――ミシェルとの人間関係の構築次第では、また学部教育を受ける羽目になるかもしれない。

 

「カウンターパートは毒ガス情報を掴んでるの?」

 

 地球連邦系の情報部が30バンチに展開させているのは、どちらかというと防諜関係の工作員と、ミシェルのようなファームを出たばかりのトレーニーたちだ。

 比較的安全に諜報作戦の現場を体験できる、コンペイトウの足元、というのが連邦サイドの認識なのだろうが──それは違う。

 

 ジオン公国にとってサイド1は、サイド3独立の際の国家承認をめぐる最初の工作地帯であり、キシリア機関が全力で傾注した諜報網と民心操作ネットワークが根をおろしている、歴史ある『根拠地』なのである。

 

 スリーパーとして潜伏している工作員は数多く、連邦のエゥーゴとアナハイムが共同で開発しているガンダムMkⅡ計画などの情報をあっさりとキャッチし、その詳細とテスト情報までも取得しているくらいには、ここは連邦にとっての『敵地』なのである。

 

 なお、ガンダムMkⅡはエゥーゴの象徴的MSとしてアムロ・レイ大尉をテストパイロットに迎えて開発されているそうだが……エンジニアのフランクリン・ビダン技術大尉と折り合いが悪いらしく、ロールアウト後もトラブル続きらしい。

 

 例の、『GPシリーズのほうがまだマシですよ――』からはじまる、アムロ・レイ大尉による長文の愚痴が、地球連邦軍のシン少佐というエースに送信されたのを傍受したキシリア機関は、すわ旧ゴップ派(※現ワイアット派)に対する情報提供行為か、などと分析が開始されたが……おそらく、シン少佐とアムロ大尉の関係は、そういう派閥とは何の関係もない、単なる個人的関係だろうとミリーは解釈している。

 なにせ、シン少佐はバカの一つ覚えのように毎年アムロ・レイの誕生日にハロを送り付けているらしく、それに辟易しているアムロ大尉が処分に困っている、という話も未確認ながら上がってきているのだ。つまり、二人はおそらく……セメとウケの同性愛関係にあるのではないか、とミシェルはギフテッドとして与えられた頭脳を駆使して、想像力の翼を大きく広げる。

 

 よい。

 じつに、よき。

 

 いや、それはどうでもいい。

 サイド1ザーンのことだった。

 ここは敵地という認識もうすい連邦系情報機関の傲慢さは、やはり地球から宇宙を統治できるのではないかという勘違いがなせる業なのだろうか? などと、ミリーはイデオロギー論で学んだ煽動術について思いだすことで、脳内を満たし始めた半裸のエース二人のからみを封印する。

 

「連邦側がどこまで知っているかを、開示する権限はない」

 

 事務員の男がそれだけを告げて、さっさと奥へと引っ込んでいってしまった。

 学生の質問に乗っている、という体を演習する時間の上限、というところだろうか。

 いや、違う。

 彼女が戻ってくる、ということだろう。

 

 ミリーはもう一度、占領していたデスクに戻り、さも作業をしていました感を装う。

 

 プシュ、とスライドドアが開き、ミシェルが戻ってきた。

 彼女がごめんごめん、とミリーに謝ってくるので、それでさー、とベルファストの話を再開する。

 嘘はない。

 ただ、話すべきでないことを話していないだけの生まれと育ちの話。

 それは真実でしかできていない、完璧な嘘であった。

 

 

 

 中古品のプチモビを即金でご購入してくれたブッホ・コロニーメンテナンス社の管轄現場に向かうべく、トラックを運転していたジュダックは、ミシェルからの短文秘匿通信をカード型端末に受け取る。ライター1つで即座に焼却処分できるそれに浮かんでいる文字には、こう書かれていた。

 

『ミリー・ラトキエを調べてほしい。黒だと思う』と。

 

 さっそく、大学で相手方の工作員と接触したらしい。

 ジオン系か連邦系かは不明だが、少なくともミシェルが潜入している大学には相応のスリーパーが眠っていて、ネストが深く広く築かれているのだろう。

 ザーン連邦大学での活動は、トレーニーである彼女にとって初めての現場であり、もっとも彼女を傷つける現場になるだろうな、と思いつつ、メッセージに返事を入れる。

 

 そういう報告は、帰宅後、口頭のみで行え、と。

 

 そして、上から届いている指示について、どう対処したものかと頭を悩ませる。

 30バンチにて事件が起こる可能性がある、というあいまい情報しかもらえていないジュダックは、上の連中が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。

 それを阻止すればいいのか、見過ごせばいいのか、あるいは報告を入れればいいのか見当もつかない。

 指針は追って命じる、という連絡をもらってから、何一つ音沙汰がないのだ。

 

「(環境テロリストでも侵入してんのかね)」

 

 などと、クダラナイことを考えていると、突如、フロントガラスに何かが当たった。

 

 うおっ、と驚き、急ブレーキ。

 トラックの後ろのプチモビがガタンゴトンと揺れるが、とりあえずは無事である。

 なんだ? とはやる心を抑えつつ、義腕に仕込んでいるマシンピストルのセーフティを解除しつつ、運転席から降りた。

 

 フロントガラスには、矢が立っていた。

 

 吸盤が先端についた矢が密着しており、そこには古風な手紙が結び付けられている。

 

「ヤブミ……だと!?」

 

 ジュダックはあたりを見渡す。

 道路と、環境調整用のちょっとした街路樹しかない全く人通りも建物もないここで、原始的なヤブミを放つやつらなど、あいつらしかない。

 連邦にも、ジオンにも平等に雇われるシノビのものたち。

 

「(ニンジャ……)」

 

 ジュダックは諜報の世界に身を置いて以来、何度かニンジャとやり取りをしたことがある。奴らは特殊なMSを乗りこなし、加えて中身のほうもまさにニンジャ。

 敵に回してはならぬ存在。

 彼らを相手にしてしまうことは悪手であるから、協力するように、とは口を酸っぱく先輩や本部から指導されたものだ。

 

 そのニンジャが、一体何の用だろうか、とポンッと吸盤付きの矢をとり、車内に戻るジュダック。

 ヤブミを開いてみると『ケンタウロス』と書かれていた。

 

「(ケンタウロス?)」

 

 その意味不明なヤブミは、突如燃え上がり、慌ててそれを外に放り投げるジュダック。

 塵も残さずに燃えて消えたヤブミのほうへと目を向けながら、ジュダックは考え込む。

 ケンタウロス……半人半獣の神話のケモノの話だろうが、それが何を意味するのだろうか、と思案するものの、何一つ思いつかない。

 

 ケラウノスであれば、それは一年戦争時にソロモンで鹵獲したザンジバル級を、戦後、エゥーゴが連邦規格部品でイジリ倒した機動巡洋艦である。ケラウノス級としてジオニック社との連携目的で何隻か発注され、主にエゥーゴ系の部隊で運用されているが――関係あるようには思えない。

 

 ケンタウロスについて考えていると、思考の迷宮へと沈んでしまいそうになるジュダック。

 

 彼はとりあえず上に報告だけしておくか、と問題を上に押し付けることにした。

 

 

 

****

 

 

 

 ピラミッド型組織というのは面白いもので、下層で処理できなかった問題が上へ、上へと上がってくるのである。

 

 つまり、巨大組織になればなるほど、上にあげられる問題というのはとんでもないスケールになっていたり、個人の力ではどうにもならない領分の問題が飛んでくる、というのが世の中の『常識』であり『不条理』でもある。

 

 それは当然、地球連邦軍から連邦政府の重鎮へと異動したゴップにも適用される。

 地球連邦政府という巨大官僚機構における、安全保障に関して責任を負うポジションたる首席安全保障補佐官であるため、先ほどの『上がってくる問題』の規模が軍人時代に比して、難易度が跳ねあがっていた。

 

 だが、高度化する問題に対して、ゴップは人材面でも、ハードウェア面でも大きなテコ入れをしている。

 連邦軍時代とは違うのだ。

 

 ダカールの首相官邸から地下通路でつながっている、通称『第二バンカー』に、首席安全保障補佐官の執務室とスタッフルームが設けられている。

 

 

 官邸そのものに置かれないのは、仮に首相がテロなどに巻き込まれて執務機能を喪失したとしても、それを引き継いだ別の政治家に対して、一貫した安全保障政策を引き継ぐための措置である。

 

 さて、ゴップはこの第二バンカーを素敵な職場に変えておいたのだ。

 そのかいもあって、第二バンカーは、非常に快適な執務環境があることで知られている。

 

 スタッフたちが『24時間土日祝日なし』で働けるように、と配慮が行き届いているのだ。

 

 まず、スタッフ仮眠室が大量にある。

 旧世紀のネットカフェ個室並の激狭物件であるが、幸い、柔らかいマットで眠ることができる。毛布と枕を持ち込めば天国だ。

 

 旧世紀時代、ヤーパンの中央官庁では机の下で寝る、イスを並べて寝る、自販機横のコ〇・コーラの赤くて固いベンチに倒れ込む、などという非人道的な睡眠環境から比べると、さすが、宇宙世紀である。これなら議会対応でクソみたいな質問状を議員が夜中に送り付けてきて安心して仕事ができる(※帰って自宅で休めるようになるのは宇宙世紀の次の時代かもしれない)。

 

 さらに、特筆すべきは男女別の源泉かけ流しの温泉。

 ここで一服すれば、たとえ2時間しか仮眠をとれなくとも、なんだか4時間寝たくらいの効果を得られるというプラセボ効果を得ることができるので、多くのスタッフがこれを利用している。

 

 また、365日24時間利用可能な栄養満点バイオサイエンス食材自動調理ロボット付の食堂もあるし、格安コインランドリーもアイロン台だってある。

 

 つまり、帰宅することなく24時間365日はたらくことができるのだ。

 これが宇宙世紀の首席安全保障補佐官スタッフたちの素晴らしい労働環境である。

 

 ――そして、ここに住み着いてそろそろ一年を超えんとする一人の少佐がいた。

 

 アラン・スミシー少佐などという露骨な名前を名乗る彼は、ゴップに仕事を押し付けられた仕事を超人的にさばきながら、時にはゴップの名代として、少佐の肩書では足りない会議にもたびたび出入りしているため、ヤーパン語で『ショーグン』などと冷やかされていた。

 

 実際、彼は本来ゴップが出席しなければならない朝の首相レク(※各補佐官が出席して首相が今日判断しなければならない重要事項について説明を受けるMTG)にまで出席しているのであるから、首相にも苦い顔で『ゴップ代理君』などと呼ばれてしまっている。

 

 そのような過労に過労を重ねて、出るとこ出れば勝てるかもしれない状況にあるアラン・スミシー少佐は、今日も意味不明な課題と戦っていた。

 

「ケンタウロス?」

 

 情報機関から上がってきたレポートに目を通していると、そこにはニンジャからケンタウロスという文字を受け取った、という意味不明なものがあった。

 

 あ、と何かを思い出せそうなのだが、忙しすぎてさすがの量子脳もエラーを吐いているので、喉元まで何かが出てきているのに、引っかかり出てこない。

 

「少佐、どうしたのかね?」

 

 執務席で優雅にワイアットから貰ったティーセットを展開して茶を嗜んでいるゴップ閣下が尋ねてくる。

 

「いや、閣下。ケンタウロスに聞き覚えはないですか?」

 

 ケンタウロス? とゴップが首をかしげているが、しばらくするとだんだんと顔色が青くなり、そして、信号機のように赤くなった。

 

「ちょ、おま、大問題でしょっ!?」

 

 素が出ているゴップ閣下の御姿を確認したアラン少佐は、やばい、と何が起きようとしているのかを思いだした。

 

 ガノタならば知っているであろう。

 山! 川! レベルの合言葉になるほどに、ガノタにとって常識だからだ。

 ケンタウロスと問われれば『身無死草』である。

 

「バスク君が超イイ人だから、30バンチ事件なんて起きないって油断してたけど……これ、やばいわよ、あんた」

 

 ゴップがやばいやばいと繰り返すので、アラン少佐もわたわたしてしまう。

 この二人はおたおたしながら『やばいやばい……』しか言っていない執務室を誰かが目撃したら『あ、地球ヤバいじゃん』と思うことだろう。

 

 そのくらいに、大ごとなのである。

 

「――あ、あーっ!? ってことは、あれか。やっぱりティターンズに行ってもらうしかないってことになりますよ……ね?」

 

 アラン少佐は歴史の修正力か? などと疑いながら、結局30バンチにティターンズを派遣せざるを得なくなることに、戦慄を覚える。

 

 いまのティターンズは、ジャミトフとバスクの尽力の元に、地球外生命体対応を専門とする外郭特殊部隊として運用されている。

 

 その権限は強力であり、事前委任に基づき、地球連邦政府の命令ナシで、独自の判断で地球外生命体対応を開始することができるという世界の守り手なのである。

 

「アラン・スミシー少佐に命じる。SAC(Special Activities Center. 特別行動センター)ザーン派遣MS群長として、直ちに事態の対処に当たるように。ヴァースキ隊、ゼロ隊、アン隊を使っていい。艦艇はホワイトベースⅡと――」

 

 そこまで命じて、ゴップが固まった。

 アラン・スミシー少佐も、その理由を悟り、どうしたものかと思案する。

 クリスは現在、月にあるジオン王立戦略大学にて博士号を取得しに留学中であり、ジオン最新のMS運用と艦艇連携について研究街道を突き進んでいる。

 つまり、今回は彼女にSACザーン派遣艦隊司令を押し付けられないのだ。

 

 それに、そもそも彼女には正規のキャリアを歩んでもらうべく、SACには引き抜いていないのだ。

 

 SACに残っているのはヤザン……訂正、ヴァースキのような戦争ジャンキーとその愉快な仲間たち、旧アルファ任務部隊他特殊作戦軍所属だった連中の中で、合理的な選択ができないバカな連中、そして表に出すわけにはいかない旧ムラサメ研究所関係者と、ロームフェラ財団がかき集めたガノタ兵である。

 

「よく考えたら使えそうな艦艇畑の士官は全部エゥーゴとティターンズに取られてて、原作メジャー級の手駒が全然ないわ」

 

 クリス以外の運用屋を用意していないなどという迂闊さを披露してしまうゴップに、アラン・スミシー少佐は唖然とする。

 

「いや、冗談だろ?」

「一応、彼とかいるけど」

 

 ゴップが執務席の端末を叩くと、アランの手元に人事資料データが届いた。

 いやいや、階級がおかしいだろ、と彼は首を振るが、ゴップは他にいないし、とごり押ししてくる。

 なんでこんな階級の人が、SACなんかに所属しているんだ……と半ばあきれながら、アランは渋々、まぁ、彼の下でなら死にはしないでしょうし、と承諾する。

 

 

 

 二日後、ダカール国際宇宙港から近代化改修を受けたホワイトベースⅡが離陸した。ふわりと浮いたホワイトベースⅡが、気球のように軽々と宇宙に向けて飛んでいく。

 

 あっさりと地球の重力を脱したホワイトベースⅡは、宇宙にて四隻の艦艇と合流した。SAC宇宙機動作戦チームから増援されたサラミス改級巡洋艦『オシィ』と『ミャサン』である。加えて、SAC宇宙機動作戦チームであるガノタ兵を満載した省力運用型コロンブス級空母『イチバン』と『ニバン』の二隻。

 

 取り急ぎ派遣するには十分……とはいえない戦力なのだが、SAC派遣艦隊司令官である彼の手に掛かれば、十分になるのかもしれない。

 

「SACザーン派遣艦隊はぁぁぁッ! 地球最強オォォォッ!」

 

 艦長席に座る大将の階級章を輝かせる男が、カロリーの高い雄叫びを上げる。

 今回のSACザーン派遣艦隊の艦艇運用を担うは、なんとびっくり、旧殴り込み艦隊総司令官、ダグラス・ベーダー大将他、カロリー高目な艦艇運用士官及び下士官である。

 

『ハアァァッドッコイショーッ! ドコイショッ!!』

 

 艦橋に集まっている各士官も暑苦しく、体育会を超越したおマツリ系集団の登場に、アラン・スミシー少佐は不安を覚える。

 

 この愉快で暑苦しい仲間たちとともに、本当に30バンチで起きるかも知れない騒ぎを止められるのか、被害を押さえられるのか心配で胃に穴が空きそうである。

 

 

 




ソーランッ! ソーランッ! ハイハイッ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。