とある呪術の禁書目録 (エゴイヒト)
しおりを挟む

プロローグ
魔術廻戦


 『とある魔術の禁書目録』という作品をご存知だろうか。

 この作品の詳細については、敢えて語るまい。ただ、超能力や魔術が登場する作品ということだけ理解してくれればよい。

 さて、まずはこの作品のメインヒロイン『インデックス』について語りたい。

 禁書目録(インデックス)とは、イギリス清教第零聖堂区必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師にしてシスター。10万3000冊の魔道書を記憶する魔道書図書館。魔法名は『献身的な子羊は強者の知恵を守る(dedicatus545)』。

 いきなり言われても何が何やらというのは分かるが、これは必要な前置きなのだ。

 

 私は転生者である。どういう経緯で転生したのかは知らないし、前世の記憶は『とある魔術の禁書目録』に関することを除いてとんと忘れた。

 問題なのは、私がインデックスになっていたということである。腰まで届く長い銀髪とエメラルドのような緑色の瞳、白い肌に小柄で華奢な体格の少女。キャラがキャラだけに、前世にまつわる記憶消去が作為的なもの――つまり『首輪』の存在を疑ってしまう。

 問題と言ったが、インデックスとして転生した事は私にとってはそう頭を悩ませることでは無い。容姿がインデックスであるなら、作中の魔術を行使することもできるのではと考えるのは自然な流れ。『とある魔術の禁書目録』のファンであることを抜きにしても、単に『魔術』という超常現象への憧れの前では些事は気にならない。

 

 しかし、こういった現状への考察は転生してから暫く経って落ち着いた今だからできることで。

 サブカルチャーにどっぷりと浸っている者は、いざ自分が転生という超常現象を体験しても驚かないものなのだろうか。

 私はというと、転生に驚く暇を与えられなかった。断っておくと、戦火の真っ只中で生まれたとかいうわけではない。ちゃんとイギリスの一般的な家庭に生まれた。

 転生に驚かなかったのは、それが気にならない程のもっと奇怪な事が起きていたからである。

 

 ――自我が目覚めた時、私の頭の中には10万3000冊の魔道書の知識が入っていた。

 

 想像してみて欲しい。寝て起きたら知らない本の内容が一言一句漏らさず頭に入っているのだ。しかもそれが10万3000冊。

 人間が一生の内に読む本は平均2000冊もいかないと言われている。仮に一日一冊読んだとしても10万3000冊を読み切るのには282年と70日かかる計算になる。

 インデックスの作中年齢を15才と仮定し、生まれた時から読書を始めたとしても、15年で読み切るには日平均で約19冊読まなくてはならない。

 どういう方法で記憶したのかは定かではないが、実際に読んで記憶したのであれば、それを可能にしたのは途轍もない速読力ではなく、見聞きした事柄を瞬時に覚え絶対に忘れない『完全記憶能力』の賜物なのだろう。

 何らかの魔術的な方法で一瞬で記憶したのだとしたら、その記憶効率はもはや睡眠学習なんてレベルではない。例えるならそう、電脳化してデータを直接インプットしたような。

 私は、SF作品や未来予想で語られるようなことを実体験したのである。

 幸いだったのは、原作のインデックス同様に魔道書の汚染への防御機構を備えていたことだ。10万3000冊の魔道書の原典は、手に入れた者が魔神になれる程の価値があるが、常人が一目見ただけで発狂するほど危険な毒を持つ。

 頭が爆発するとか発狂して死ぬなんてことは起きなかったが、それでも錯乱は免れなかった。

 

 数日経って現状を分析し冷静さを取り戻すまでの間に、私は教会に預けられていた。というのも、両親は熱心な十字教徒であったようで、私に悪魔が憑いているのではないかと疑ったらしい。

 例え悪魔憑きが本当だとしても、今時教会が子供を預かるなんてことはしない。思えば、この時点で既に異常だった。

 正気を取り戻したからには両親の元へ返されるのかと思ったのだが、私は聖ジョージ大聖堂へと移されることになった。

 最初に預けられた教会の司祭曰く、私には正の力が溢れているらしい。反転術式の天性の才能とか何とか。反転術式とやらが何かは分からないが、私の体に漲る力に関しては心当たりがある。

 

 これは『天使の力(テレズマ)』だ。私の10万3000冊の魔道書の知識がそう言っている。

 テレズマは『天使』や『天界』を構成するエネルギーである。偶像の理論などによって集められたテレズマは、魔術行使や霊装に込めるなどして利用される。魔力と違って融通が利かず、そのテレズマが最初から持つ属性に応じた用途でしか使えない。

 作中では十字教徒が象徴武器(シンボリックウェポン)で呼び出したりしていたが、人の身に宿すこともあり、その最たる例が『聖人』である。

 

 つまり、テレズマを先天的に体に宿した私は聖人ということになる。

 

 聖人とは、生まれた時から神の子に似た身体的特徴・魔術的記号を持つ人間のことを言う。

 原作のインデックスが聖人であるという描写はない。これは私自身の特性だろう。

 理由は何となく察しがつく。『転生者』という記号が原因だろう。

 十字教には『転生』という概念は存在しない。正確には、大多数の宗派は個人の生まれ変わりを信じていない。

 そういう関係で、私という存在を十字教の世界観で強引に解釈するなら『蘇生』が妥当であり、これが神の子の記号として働いたのだろう。

 ……完全なる知性主義(グノーシズム)めいた考察なので、十字教徒の人間には口が裂けても言えない。墓まで持っていこう。

 

 ところで、ここで一つ重大な疑義が生じる。テレズマを感知できているということはあの司祭は魔術師で確定。魔術師なら、私に漲る正の力がテレズマであることは容易に察しがつくはず。しかし彼はこの力を指してテレズマとは呼ばなかった。

 いや、そういえばテレズマは一般的な呼称であるものの、元を正せば『黄金夜明(S∴M∴)』による呼称で、十字教では神の祝福(ゴッドブレス)と呼ぶ設定だった気がする。

 でもフィアンマはテレズマと呼んでいたような気が……。まあ、この際呼び方などどちらでもいい。

 

「『聖人』だ……」

 

 聖ジョージ大聖堂へと移送されてきた私を見て、聖職者達の誰かが私を『聖人』と呼んだことで、私の頭は余計に混乱した。

 

 

 


 

 

 

 教会に所属する聖職者には、ロンドン市内に自分の部屋が与えられる。寮生活のようなものか。

 聖ジョージ大聖堂はロンドンの聖職者達の本拠地であるが、実際の勤務というか活動地はロンドン中に散らばっている。

 その一つに治療院がある。どこで怪我をしてくるのか、ここには軽傷、重傷、瀕死の患者が運ばれてくる。特に夜に多いらしい。いつから教会が救急病棟になったのか。挙句の果てには死体が運ばれてくることさえある。遺体安置所もやるとは手広いことだ。

 教会が私に与えた役目は、反転術式とやらで治癒をすること。今日が晴れて私の勤務初日である。

 問題は、肝心の反転術式というのが何なのかさっぱり分からないことだ。そんな魔術聞いたことがない。治療と言うからには回復魔術の一種なのだろうが。

 治療院の一室に並べられた十余りのベッドの内、私が割り当てられたのは一人。熊にでも襲われたのかというくらい裂傷が酷い患者だった。これでもこの中では軽傷の部類。

 止血など応急処置はされているようだが、現代の医療技術では完全回復させることは不可能だろう。跡が残る。

 ベッドを前にして、私は反転術式とやらが何なのか考え込む。

 私と同じく治癒士として働く先輩を観察してみる。患者に触れているが、何をしているのか。

 直接方法を尋ねると、

 

「ぎゅっとしてぱーんって感じ」

 

 他の先輩に聞いても、各々要領を得ない事を言って具体的な方法を教えてくれない。

 

 ――あ、だめだこれ。こいつら感覚派しかいない。

 

 それでも何とか嚙み砕いて理解したところによると、正の力を生成するのは出来ているから、あとは患者に流し込むだけのようだ。

 いやいや、テレズマを人体に流し込んだら不味いでしょ。

 テレズマには治癒の力なんてない。寧ろある程度集まるとエネルギー自体が破壊力を持つ。テレズマを利用して何らかの術式を発動させて治癒するというならできるだろうが、そのまま流し込んでも患者の体が爆散するだけだ。

 聖人が体にテレズマを宿しておけるのは、生まれた時からテレズマを制御する術を防衛本能で身に着けているからで、適正の無い人間はとても耐えきれない。

 

「インデックスちゃんはアウトプットはできないのかしら。才能があるのに、勿体ない」

「心配しなくても、居場所がなくなるなんてことは無いわ。アシスタントはいくらでも欲しいし」

 

 私が患者を前にしてフリーズしていると、先輩シスター達に慰められる。

 そうそう。今世の名前は知らないが、教会に引き取られた時にそれとなく神父に名前を変えるよう諭された。

 洗礼名というやつだろうか。いや、イギリス清教は元ネタ的にあまり付けないのか。第一、偽名なら魔法名があるし。

 取り敢えずIndex-Librorum-Prohibitorumと名乗っておいた。ふざけているのではなく、原作インデックスの本名だ。意味はもちろん『禁書目録』。やはり名乗るならこれだろう。

 変な顔をされたが、こちらの意志が固いのを見るとそのまま受理された。

 

「休憩してていいよ。後は私達がやっておくから」

「いえ、大丈夫です」

 

 交代しようとした先輩を制止して、施術に取り掛かる。

 なにぶん、親に捨てられたあるいは教会に連れ去られた身。役に立つところを見せないといよいよ居場所が無くなる。

 反転術式とやらは扱えないが、私には10万3000冊の魔道書の知識がある。

 テレズマを感じ取って操作している間に気付いたが、この体は魔力を精製できる。つまり魔術を使える。

 原作のインデックスは『首輪』やらの影響で魔力を練れずほとんどの魔術を使えなかったが、私には『首輪』は無いようだ。魔道書の毒への防衛機構と同様に『自動書記(ヨハネのペン)』は健在のようだが。

 

「少し待っていて下さい」

 

 部屋を見渡して必要な物を特定した私は、そう言って娯楽室から儀式のための道具を持ってきた。

 意識のある患者や先輩シスター達から、気が狂った者を見るかのような目を向けられる。

 回復魔術は魔術師の適性で千差万別、まして今から行うのは10万3000冊の知識に基づいた魔術。知らなくて当然であり、逆の立場なら私も奇異の視線を向けていただろう。

 

 準備は整った。彼女達の仕事を奪うようだが、一片に終わるのならその方がいいだろう。

 

「まとめて全員治します。これから、何があってもその場で動かないでください」

「ぜ、全員?」

 

 現在位置がロンドンであること、窓の外に見える月と星の角度から日付と時刻を割り出す。7月20日の午後8時30分くらいか。

 

蟹座の終り、8時から12時の夜半

 

 黄道十二宮の巨蟹宮は6月21日の夏至から7月23日の大暑まで。

 

方位は西方、ウィンディーネの守護、天使の役はヘルワイム

 

 巨蟹宮は四大属性で水を示す。対応する方角は西、力を借りる精霊はウィンディーネで――

 

 条件を唱えながら、指を噛んで出た血で魔法陣を構築する。テーブル上に六芒星を描き、その上に本、箱、チェスの駒を配置し、この部屋を模したミニチュアを作り上げる。

 10万3000冊の魔道書の知識が、最適な手法を教えてくれる。これが初めての魔術にも拘らず、私の動きに迷いは無かった。失敗すれば死ぬと分かっていても、機械のように凍りついていく心に恐怖は無い。

 

「~~♪」

 

 言葉は無く、音色だけで歌う。異変はすぐに起きた。

 

「地震!?」

 

 部屋全体が……、否、空間が揺れる。

 テーブル上のチェスの駒、白のビショップからも歌声が発せられる。

 しばらくして、揺れが収まる。

 今、テーブルの上はこの部屋とリンクしている。偶像崇拝の理論によって、この部屋で起きた事はテーブル上でも起き、テーブル上で起きた事はこの部屋でも起きる。

 続けて歌いながら、天使を思い浮べる。

 すると頭上に子供の体格の二枚の金色の羽根を持つ美しい天使が現れる。

 

「天使……」

 

 机上に患者の数だけ並べられたポーンから、煙が噴き出す。

 次の瞬間には、天使は消えていた。

 

「術式に成功しました」

 

 患者達の見るも無残な姿も、衣服やシーツに染み付いた血痕も、何もかもが幻であったかのように綺麗になっている。

 私の意識も、温もりを取り戻す。

 

 目を瞠る先輩シスター達。

 経験も何もない自分がここまでできるインデックススペックは凄い。与えられたというか生えてきた力だが、自分のことのように誇らしい。

 

 とあるのヒロインはインデックスで始まりました。御坂美琴じゃありません。禁書が原作(オリジナル)です。

 しばし遅れを取りましたが、今や巻き返しの時です。

 シスターがお好き? 結構。ではますます好きになりますよ。

 さあさどうぞ。腹ペコ噛みつき魔(545)のニューモデルです。

 可憐でしょう?修道服がツギハギ。でも短髪なんて見かけだけで、夏は(エアコンが壊れて)暑いし、よく勝負吹っ掛けるわ、すぐビリビリするわ、ろくなことはない。

 エンゲル係数もたっぷりありますよ。どんな小食の方でも大丈夫。どうぞ餌をやってみてください。

 ……いい音でしょう? 余裕の音だ、食欲が違いますよ。

 

 ヒロインでありながら原作では存在感の薄いインデックスも、魔術の知識に関しては誰にも負けないのだ。

 オティヌス? 黄金? 知らんな。

 

 私が微笑みかけると、彼女達は互いを見合って頷いた。

 そして私は聖ジョージ大聖堂へ連行された。

 

 ……解せぬ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

追跡封じ(できてない)

 結論から言うと、この世界は『とある魔術の禁書目録』の世界ではない。

 学園都市や超能力は存在せず、教会のトップがローラ=スチュアートこと大悪魔コロンゾンや、ダイアン=フォーチュンだったりもしない。

 『とある』の魔術は機能するし、テレズマは召喚できる。が、何故か私以外の誰も使わないどころか認知していない。私にしか使えないのか、私がこの世界に転生したことで世界の法則が書き換わったのか。あるいは元からあったが気づかなかっただけか。

 最後の説が真だとしたら、それは魔術に代わる異能、呪術の存在が大きいだろう。

 呪術は呪力という負の精神エネルギーを糧に発動する、文字通り呪い。『とある』基準なら呪術も魔術の一種ではあるが、それとは原理を異にする。

 件の反転術式は呪力から正のエネルギーを生み出す技術のようで、どうやらテレズマとは別のエネルギーらしい。

 

 治療院での回復魔術の後、私は主教や司教といった高位の聖職者達の前に引き合わされた。

 使用した魔術について求められるままに説明をしている内に、私達は互いの世界観の相違に気付いた。

 その日からというものの、私達は魔術と呪術の交流会を開いている。

 私は呪術よりも自分にどんな魔術ができるのかの方が興味があるのだが、向こうは私に興味があるようで、ほぼ強制的だ。世話になっている身で断りづらいのもあるが。

 私は魔術を本格的に広めるつもりはなく、広まっても影響の少ない魔術しか教えていない。そろそろ誤魔化すのも苦しくなってきたが。

 

 教会には一般向けの表の顔と、呪術師としての裏の顔が存在する。呪霊と呼ばれる怪物を駆除するのが裏の仕事だ。

 呪霊に対抗するためには呪術を使う必要があるが、彼ら聖職者の中には自らの力を呪いと呼称するのに抵抗を持つ者もおり、祓魔(エクソシスム)とか秘跡(サクラメント)とか様々な呼び方をする者がいる。

 前述の通り呪力は負の感情から生まれるものであり、一部の聖職者達は呪術のことを好く思っていないらしい。

 

 この辺は何となく『とある』と通じるところがある。

 魔術師を討つためには魔術を調べて対抗策を練る必要がある。しかし穢れた敵を理解すれば心が穢れ、穢れた敵に触れれば体が穢れる。そのための穢れを一手に引き受ける部署が必要悪の教会(ネセサリウス)、だったか。

 

 この国、というか十字教圏では正の力を扱う反転術式こそ至高とする風潮があり、自分の軽い擦り傷程度なら誰でも治せるらしい。大怪我や他人の治療となると数が限られ、それが高位の聖職者になる条件にもなっている。

 

 このままここで一シスターとして暮らすのも悪くないと思っていたのだが、一部の人の私を見る目がヤバい。実験動物のように解剖でもされるかと思っていたら、崇拝されだしている。

 

 体から国中の聖職者を集めても練れないほどの正の力が常に溢れ出し、一挙に十数人を癒す。あまつさえ天使のような何かを召喚する。

 テレズマと相殺されるせいで呪力が一切練れない体質。

 魔術の行使のために使う魔力は正でも負でもないニュートラルな力。

 

 何もかもが彼らには魅力的で理想的な存在。

 実態は魔術より呪術の方がマシだったりするのだが……。

 

「できた」

 

 鏡の前に立って、私はその出来栄えに満足する。

 映っているのは、金の刺繡の入った純白の修道服。

 服の形をした教会であり、完璧に計算しつくされた刺繍や縫い方が魔術的意味を持つ霊装。

 その防御力は絶対であり、物理・魔術を問わずあらゆるダメージを受け流し吸収する。包丁程度では傷一つつかず、ダメージを与えられるのは『竜王の殺息(ドラゴンブレス)』――インデックスが地上から『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の搭載された衛星を破壊したビーム――くらい。

 

 インデックスの象徴とも言える『歩く教会』。これを着ていなければ始まらない。

 転生した時から初期装備ではなかったので、自作するしかなかった。

 本来、布地はロンギヌスに貫かれた神の子を包んだトリノ聖骸布を正確にコピーした物でなければならないのだが、そこはテレズマによって強引に解決した。

 

 テレズマは呼び出す段階で属性が決まっており、私の場合は『エーテル』。

 エーテルは『万物に似る』という性質があり、これを利用すれば私のテレズマを付加または物質化することで霊装の代替を作れるのではないかと考えた。

 本人のチート技量があってこそとはいえ、アレイスターが『霊的蹴たぐり』で霊装を再現できるのだからこれくらいはできるだろう、と。

 物質化したテレズマは科学・魔術問わず人間には加工できないので、今回は付与の形をとった。私が着用することで常に体から漏れ出るテレズマが供給されるので、燃料切れの心配もない。

 

 教会で過ごして早1年。今日、私は脱走を決行する。

 

 

 


 

 

 

 イギリスから日本への飛行機はロンドンを出発してロシア領空を通過し、羽田空港へと向かう。飛行時間は12時間と丁度半日程要する。

 

「フンフフン、フンフフン、フンフンフーン」

 

 beef or fish, beef or fish.

 鼻歌でさえ聖歌の如く。清廉さを隠しきれない声とは裏腹に、内心は食欲に塗れている。たった数時間前に三人前の料理を食べたばかりだというのに、私の体はもう空腹を訴えていた。

 異常な食欲はインデックスボディ最大の弊害である。太らないことより体積を無視したレベルで食べられることの方が不思議だ。

 

「アーアー、アテンションプリーズ。不法渡航者のインデックスちゃーん、聞こえてる~?」

 

 機内放送がかかる。およそCAや機長といった乗員から出てくるとは思えない言葉に、機内には混乱が満ちる。

 

 追手がついてきたのか。

 逃亡時には念のため魔術的隠匿を施しておいた。その筈なのに、どうやってかこの便に私が乗っていることを突き止めたらしい。

 呪力自体が感知できないわけではないがなにぶん呪術に関しては素人なので、探知用になにか仕掛けられていても気づけない。

 

 不法渡航者呼ばわりに思わず文句を言いたくなるところだが、魔術を応用して偽造パスポートを用意したり審査官を洗脳したりと違法な手段に及んだことは否定できない。元より身分が曖昧なのでこうする他なかった。

 

 

「酷いじゃないか、勝手にイギリスを出ていくなんて。聖ジョージ大聖堂の皆が泣いてるよ?」

 

 その涙は私のことを心配してではなく、損失を考えてのものだろうに。

 

 魔術の有用性と価値を認識した者達がインデックスという存在を放っておくはずもなく。

 ご機嫌伺いで取り入ろうとしたり、どこぞのお偉いさんがやってきて命令したりと、私を利用しようとする者は後を絶たなかった。

 私が日本へ渡航するのは、そういった自分を利用しようとする者達から身を守るため――実際は大した脅威でもないので単に嫌気が差しただけともいう――もあるが、他にもいくつか理由がある。

 中でも最大の理由は、世界と比較して日本の呪霊と呪術師の力が著しく大きいという点に尽きる。

 学園都市は無いが、日本だけ呪術が栄えている。何かあると考えるのが自然だろう。それこそここも何らかの創作世界だとするなら、事件は日本で起きるに違いない。

 別に地球の裏側の見知らぬ誰かを救いたいとまでは思わないが、世界規模で取り返しのつかない大災害が起きた場合にすぐ対応できる場所に居たい。知らない内に人類滅亡のトリガーが引かれてました、もう何をしようと遅いです、なんてのは御免だ。日本国内で収まる事件や、自分の力が及ばないようなモノなら干渉するつもりはない。

 薄情かもしれないが、こちとら似非シスターだ。心までインデックスロールプレイをするつもりはない。

 

 適当に暮らしながら、『禁書』世界の魔術を研究するのが私の目標。

 あと……おいしい料理を食べる事。

 

 そう、料理だ。

 ウキウキ気分で機内食を待っていたというのに、水を差さないで欲しい。

 

 窓を見ると、箒のような何かに跨った男が空を飛んでいる。身なりからして教会関係者ではなく雇われた野良の呪術師だろうか。

 高度10000mの空に生身で晒され高速で移動する飛行機と並列飛行する彼は、極度の低温と強風に煽られている筈だ。にも拘らず寒がる様子は見せず、微塵も姿勢を崩さない。

 こちらと目が合うと、ニヤリと笑ってみせた。

 

 別にお前を歓迎なんてしていない。思わず舌打ちや中指を立ててやろうかとも思ったが、踏みとどまる。

 ロールプレイはしないが、外見のイメージを著しく損なうことは本意ではない。

 

 機内を見渡すと、奇跡的にも他の乗客の目には映っていない。目撃されていれば大きな騒ぎになる筈だからだ。先の機内放送の方に気がいっているのだろう。目撃される前にサッサと処理するに限る。

 

術者を担ぐ悪魔達よ(D W C T S)速やかにその手を離せ(Q G Y H O)

 

 ノタリコンにより暗号化された呪文を唱える。

 空を飛ぶ力を失った彼は、一瞬の内に視界から消え失せた。

 

 今しがた唱えた呪文は、魔術的な力で飛行しているものを墜落させる術式である。

 科学的な手段で飛ぶモノには効かないのだが、呪術相手には機能するようだ。この辺が、呪術をどういうカテゴリで分類していいのかイマイチ掴みかねている要因だ。異能であることは間違いないのだが……超能力とも魔術とも言い切れない。伝承や神話(位相)に干渉する術もあれば、(自分だけの現実)の中で完結するモノもある。

 

 それにしても、この世界では飛行魔術はポピュラーなモノなのだろうか。

 というのも、禁書世界ではこの『撃墜術式』の存在によって飛行魔術自体が実質封じられている。

 撃墜術式は、初代ローマ教皇であり主より天国の鍵を預かったとされる十二使徒の聖ペテロが、当時ローマ帝国の賓客で敵対関係にあった『悪魔の力を借りて空を飛ぶ魔術師シモン=マグス』を主に祈るだけで撃墜したという伝承に基づく。

 シンプル・強力・有名と三拍子揃っており、禁書世界においては魔術師の中では知らぬ者はいない程に広く普及している。

 それでも空を飛びたいなら、術式を防ぎきる程の巨大な魔術防壁を用意したり地表すれすれを飛んで"走行"判定で誤魔化したりと涙ぐましい努力が必要になる。

 

 他にも、禁書世界には対飛行用術式がありふれている。同じ十字教なら『ヨハネの迎撃術式』然り、原作には無かったが有名どころで言うと『イカロスの翼』とかも利用できそうだ。

 試しに検索をかけた10万3000冊の魔道書の知識によると、かなりの事前準備が必要。有翼に限らず箒でも、物体を用いた飛行手段であればなんでも効くそうだ。……飛行機に使えば翼が熔け堕ちるだろうとも言っている。絶対にやらないけど。

 

 伝承で墜落した魔術師シモンはそのまま絶命したことから、撃墜術式は自由落下以上のダメージを与える。飛行を諦めて呪力なり呪術なりで防御すれば生きて帰れるだろう。

 後の事はこちらの知ったことではない。

 

 元凶は片付けたが、機内は依然動揺が広がっている。

 何者かに機内放送をジャックされたが運航に支障は無い、と機長がアナウンスする。

 当然そんな説明で納得できるはずもなく、騒ぎはさらに大きくなる。

 呪術の存在が明るみに出るとは言わないまでも、ニュースで流れるレベルのちょっとした事件になるのは間違いない。いくら私が欲しいとはいえ隠す気ゼロって、それでいいのかイギリスの呪術界。

 

 ……これ、私が記憶処理しないといけないのか?

 

 恐らくは管制塔にまで連絡が行っているだろう。迷惑極まりない。何故敵が招いた事態の後処理を私がしなければならないのか。

 

 はぁ、と思わず溜息が出る。

 

 『溜息を吐くと幸せが逃げる』とはただの迷信。しかしその迷信を魔術的記号とするのが魔術師の仕事なだけに、一概に馬鹿にはできない。

 尤も、意志を以てこれを魔術としない限りは意味を成さないし、仮に魔術として成立させたとしてもこの程度では誰も気付かないほど小さい影響しか及ぼさない。

 

 そもそも不幸な目に遭ったから溜息をしているのであって、因果が逆なのだが。

 

 この世界に『ブライスロードの秘宝』は無いし、私の右手に『幻想殺し(イマジンブレイカー)』は宿っていない。どこぞのツンツン頭みたいに不幸だと嘆くのを癖にはしたくないものだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神の右席(一人四役)

 東京都立呪術高等専門学校。そこの教師にして現代最強と名高い特級呪術師、五条悟。

 彼が手にする一枚の写真には、修道服を着た銀髪の少女が写っていた。

 今しがた呪術界の上層部、呪術総監部に告げられた彼の任務は写真の少女を生け捕りにすること。何でもイギリスを抜け出して日本へやってきたそうで、今回の任務は英国呪術界からの依頼となっている。

 

「頑固でプライドだけ無駄に高い老害共にしては珍しい」

 

 上は海外の呪術界を見下していて、外交も閉鎖的である。今更交友関係を大事にするような玉でもなし、頼まれたところで素直に引き受けると五条には思えない。相当の額が積まれたと見る。

 

「うひゃ~こりゃあ凄い。僕より高いんじゃないの?」

 

 呪詛師御用達の闇サイトというものがある。そこでは暗殺や誘拐などの依頼に懸賞金が掛けられている。ダークウェブとはいえ呪術師の間では割と周知されていて、五条にとっては10年程前の苦い記憶を思い出させるものでもある。

 興味本位で件の少女を調べてみると、バッチリ掲載されていた。

 懸賞金は10億ポンド。日本円にして約1600億円。到底個人が出せる金額ではない。呪術師や呪詛師がいくら束になったってこの額は工面できない。十中八九国家ぐるみの案件と推測できる。

 他国とはいえ国家が呪詛師に依頼するほどの案件。加えて呪術総監部へも依頼してくるあたり、なりふり構わずなのが分かる。

 非殺傷を条件にしていることから、彼女にはそれだけの価値があるのだろう。それこそ10億ポンドは軽く回収できる程の。

 呪詛師だって馬鹿ばかりじゃない。こんな常識外れな額を提示されたら警戒する。契約不履行を案じてではない。よっぽどの危険があると考えられるからだ。人道を外れた者でも見え透いた厄ネタに関わろうとはしない。

 だがそれでも危険を顧みないネジの外れた連中はいる。

 まして相手は年端もいかない少女。こんな楽な仕事で一生豪遊して暮らせる金が手に入るとは――と群がるバカ共の姿が目に浮かぶ。

 既に幾らかの呪詛師が彼女を襲撃したようで、そういった連中は軒並み気絶・負傷した所を呪術師が捕縛したという報告が上がっている。

 

「やる気でないなぁ」

 

 ろくでなしの称号を欲しいままにする五条といえども、年端もいかない少女を好き好んで甚振る趣味はない。まして罪人ではなく単なる家出少女なのだから、暴力に訴えるのは気も引ける。五条悟は後味スッキリ気持ちよく甚振りたいのだ。

 

 目撃情報を頼りに市街を彷徨っていた彼は、ふと人通りに違和感を覚える。

 やけに人通りの少ない箇所がある。人が何かを求めて立ち止まるような場所ではないが、そこを避けて通ると遠回りになる。

 観察を続ける内に、人が避けて通っているというより場所が人を遠ざけているという印象を抱いた。さては呪術かと思ったが、呪力は感じられない。わざわざ六眼でも確かめたのだからこれは間違いない。

 

 妙な居心地の悪さを感じながらも、五条はより人のいない方へと導かれるように探索を続けた。

 スマホの地図アプリで現在位置を把握しながら進んでいると、残穢を発見する。

 

「ビンゴ」

 

 勘は当たっていた。しかし不思議なのは、ここまで呪力の痕跡はなかったのにここにきて急に現れたことだ。

 残穢を辿っていくと、日も高いというのに酔っ払いだろうか。歩道に座り込んで眠っている男がいた。

 近づいてみると、彼は息をしていない。

 

「死んでるのか……?」

 

 脈はある。耳を澄ますと、心臓の鼓動が聞こえる。

 周囲を見渡すと、この状態に陥っているのは一人ではなかった。明らかに一般人ではない容貌の者達が、先へ進むに連れて数を増す。残穢は彼ら呪詛師のものだった。

 写真を撮って情報を補助監督へ送る。後は彼らが捕縛・連行用の呪術師を派遣してくれるだろう。

 

 歩みを進めた五条は、やがて交差点へとたどり着く。

 信号機が青を示し、車は一台もない。大勢の呪詛師が昏睡状態で倒れ伏す車道。

 その中心に、一人の少女がポツンと立っていた。

 

 ――その姿を目撃した時、五条は思わず持っていたスマホを取り落とした。

 

 呪霊を呪力で祓うというのは、毒を以て毒を制すのに近い。こう考えた事はないだろうか。正の力なら効率よく負の力の塊である呪霊を祓えるのではないか、と。確かに、呪霊の体内に反転術式の正エネルギーを流し込めば確実に祓える。ところが話はそう簡単ではない。

 

 まず第一の障害が、反転術式の使い手が少ないこと。自分でなく他者に反転術式を使える者となると更に限られる。

 第二の障害は実用的でないということ。

 反転術式は負の力と負の力を掛け合わせることで正の力を生み出している。それは本来持ち得ない力を生み出す荒業に過ぎない。

 強力な反面、消費も激しい。呪術師はただでさえ呪力消費を気にかけながら戦わなければならないのだから、治療はともかく戦闘に使うというのは狂気の沙汰だ。実用に足るには乙骨憂太のような並外れた呪力量か、五条悟のような消耗を極限まで抑えられる六眼が必要になる。

 

 そんな彼らであっても、使いどころは考えなければならない。呪霊に対して特攻を得られるのは接触して内部に流し込んだ場合であり、術式反転は術式効果を裏返すのみで特攻は持たない。他にも正のエネルギーの特攻効果は呪霊にしかないので対呪詛師戦ではこの手は使えない、そもそも反転術式を身に着けているほど高位の術師が『高威力で確実に祓いたい』となった時は領域展開の必中必殺で十分、などの問題がある。

 

 ――ではもし、消耗など問題にならないほど莫大な正の力を持つ者がいたとしたら?

 

 強い負の力というのは強力な呪術師や呪霊で見慣れていても、正の力はたかが知れている。今日、五条悟史上で正の力の多寡の観測記録を更新した。

 裏技じみた方法で生み出されたものとは違う天然の力。桁違いの質・量・濃度。六眼を通した視界には、修道服を身に纏った少女から放たれる眩いほどの光輝が映っていた。彼には知りえないことだが、それはテレズマと呼ばれる力であった。

 

 加えて、彼女からは呪力が微塵も感じられない。

 呪力が一切ないというのは、禪院甚爾を彷彿とさせる。では彼女は天与呪縛のフィジカルギフテッドなのか?

 否、これは断じて呪縛などではない。寧ろ祝福だ。

 天から与えられたというのも相応しくない。天から遣わされた、と形容するのが正しい。

 彼女の持つ正の力が、五条にそう思わせた。

 

「Hello?」

 

 停止した体に油を差し再起動。動揺を悟られないよう隠した彼は、少女へ声をかける。

 

「こんにちは」

 

 英語で話しかけると日本語で返ってきた。ペースを乱される。

 

「悪意や敵意はないんですね」

 

 少女は珍しいものを見るように五条を観察した。

 事実、彼にそのような感情はない。家出少女を連れ戻すだけのこと、どうして悪意を抱こうか。

 それは呼吸をしないまま意識の戻らない呪詛師達に聞いてみねば分かるまい。

 

「あ、分かる? 僕ってば紳士だからさ」

 

 努めて相手を刺激しないように、五条はおどけてみせる。

 ……あるいは素でこうなのかもしれない。

 

「これ、君がやったの?」

 

 辺りに転がる呪詛師を指して尋ねる。

 

「やったというか、やられたというか。多少実験には付き合ってもらいましたけど」

 

 少女は首にかけた鎖付きの十字架(・・・・・・・)を片手で弄びながら答えた。

 

「あー、できれば大人しくお兄さんについてきてもらえると助かるんだけど?」

「知らない人にはついていくなと言われているので」

 

 家出少女が今更教えを律儀に守る必要はない筈だ。建前上のそれっぽい理由でやんわりと拒絶された。

 交渉は決裂。五条は仕方がないと溜息を吐いて、実力行使に移ることにした。

 瞬間移動。コンマ1秒も満たない刹那の内に少女の背後へと回った彼は、少女のうなじに手刀を叩き込む。

 

「おや?」

 

 意識を刈り取るつもりで放った一撃は、しかし手ごたえが無かった。

 スポンジでも殴ったかのような感覚。いや、それも違う。

 水を叩いたかのような感覚。振りぬくつもりが、威力を吸収されて想定の位置に届く前に止まった。

 

「呪具かな」

 

 それにしては呪力が一切感じられない。どころか、彼女の体から溢れ出すソレと同質の力が込められている。

 正の力を扱う呪具はないわけではないが、このような呪具は聞いたことがない。

 着るだけで誰でも防御力を得られる呪具があるなら、呪術師の生存率は今ほど酷くない。金で命は買えないという呪術界の常識がひっくり返る。

 

 あるいはこの呪具の存在自体がイギリス呪術界が彼女を捕らえようとする理由なのかもしれない、と五条は思った。

 同時に、これが海外の呪術だとするなら外の呪術も捨てたものではない、とも。勘違いではあったが、五条の中で海外呪術界に対する評価が少し上がった。

 

 呪具に興味関心も惹かれるが、今はそれどころではない。

 生半可な攻撃は通用しないと分かった。

 

「次はもっと強くいくから、死なないでね?」

 

 今度は正面から。またしても瞬きの間に接近し、戦車の装甲さえ貫く威力の左拳を突き出す。

 ここまでしても、五条は彼女を逃げ出した迷子の犬程度にしか認識していない。

 拳は修道服に触れたところで止まる。少女はびくともしない。

 後ずさりもしないということは、呪具の破壊も攻撃の貫通も起こらなかったということ。追撃の判断はそれで十分だった。

 

「術式反転『赫』」

 

 重さ数百キロという代物をピンボールのように弾き飛ばす威力。およそ人に向けるモノではないそれを、少女に接射した。

 これをもってしても衝撃は修道服に吸収されて内部には至らない。受け流された運動量は地面へ逃げ、爆破解体のような轟音と共にアスファルトに大きな亀裂を走らせるに留まる。余波で寝転がる呪詛師達がポップコーンのように彼方へ吹き飛ばされていった。

 

 少女はその堅牢さを確認、あるいは誇示するようにしたり顔になる。

 

「何ともないですよ?」

 

 ……が。

 

 胸に下げていた十字架は無事では済まない。木端微塵に砕け散った。

 

「ああああああああああ!!!」

 

 絶叫する少女。

 彼女にとっては大事なものだったのか。

 いやよく考えなくとも、修道服を着て市街を歩くほど敬虔な信徒の十字架を砕くなど冒涜以外の何物でもない。

 日本人的感覚で言うなら、一族代々の墓石を砕くようなもの。

 ダイナミック不敬。

 

 そんなことを考えもしない五条。彼は実のところ困っていた。

 殺傷ならともかく、指令は生け捕り。先程の手応えからして、通用しそうな攻撃は相手を殺しかねない。既に普通の人間にクリーンヒットすれば風穴を開けるでは済まないレベルのことはしているのだが。

 

 これ以上は攻めあぐねる。

 

「やっぱり大人しく僕についてきてくれないかな?」

「素材の選定で1か月も掛けたのに……日本じゃ手に入らないのに……」

 

 会話が成立していない。

 可愛らしくも、今にも噛みつきそうな怒りの表情で睨みつける少女。

 

 ――次の瞬間、彼女の右肩からミイラのような皮と骨だけの赤い腕が飛び出してきた。

 

 六眼をもってしても、少女の呪具と思わしき修道服の術式は読み取れなかった。

 それはこの術式においても同じ。非術師だろうと感じ取れる異様で圧倒的な力。

 しかしそれを支える理論や仕組みは異世界の法則。宇宙人の言語を読んでいるかのようで、解読が不可能。

 ただ、五条は経験と直観でそれの脅威を推測した。

 

 呪術師を評価する時に底なしの呪力量という表現があるが、それは比喩。底を見た事がないだけで、底は確かに存在する。

 もし本当に底が無いなら、呪力だけで地球を素粒子レベルで消し飛ばすことさえできる筈。

 

 その点、この腕には本当に底が無いのではないかと思わせる。

 無下限呪術で攻撃を防いだとして……力の押し合いになれば、先にエネルギーが枯渇するのはこちらではないのかと危惧する程。

 いや、それ以前にこの町が保たないのではないか。

 

 その勘は実際に当たっていた。

 少女の肩口から生えた第三の腕――『聖なる右』は、必要な力を必要なだけ引き出す術式。ガス欠という概念はなく、相手によって蛇口の広さが変わる故に瞬間出力に限りがあるだけ。腕を振れば相手を倒す。そういうモノ。

 『とある』の主人公上条当麻をして、RPGのコマンドに"倒す"がついてるようなデタラメさと言わしめた力。

 

 『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が無いために『神上』には至らないが、もし万全の状態なら必要とあれば惑星一つを粉微塵にする。

 

 五条悟を倒すのに過不足ない力が、放たれようとしている。

 だからこれは反射的にやってしまったことで、彼にその気はなかった。

 

 

 

「――領域展開」

 





『天罰術式』
前方のヴェントの術式。
術者に悪意や敵意を抱いた者を、距離場所問わず無差別に昏倒させる魔術。
科学的観点では、酸欠による仮死状態を維持させている。
鎖付き十字架が霊装。本来、神の火の資質がないと扱えない特殊な魔術。

『聖なる右』
右方のフィアンマの術式。
腕を振るう。勝つ。以上。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

自動書記(もう一人のボク)

気に食わなくて何度も書き直しました。

オリジナル魔術について描写上必要ない解説を書くべきかどうか問題。
だって考察厨の禁書ファンには伏せた方が寧ろご褒美でしょ(偏見)


 少なくとも東京は地図から消えるだろう一撃は、しかし振るわれることはなかった。

 いずれの理由が決定的だったか。

 五条悟の領域展開がそれより早かったこと。

 少女は威嚇のつもりで腕を出しただけで、本気で攻撃する意志は無かったこと。

 あるいは――

 

「無量空処」

 

 今更そんなことを考えたところで詮無きこと。動き出してしまった事態は止まらない。右手で結んだ印も、口を突いて出た言葉も咄嗟の反応。身を守るための防衛本能と町を守る使命感が彼を動かした。

 

 呪力のない修道服の少女を領域に引きずり込んでいく。思わず目を背けるほど、しかし意識から外すことはできない程の莫大なテレズマがあれば目印としては十分だった。

 宇宙空間のような深黒の世界が二人を包む。領域展開より0.2秒。この時点で、彼は自分が何をしているのか分かっていない。

 

 彼の思考は回る。

 

 無量空処は非術師に使えば後遺症が残る――非殺傷任務で使うべき術ではない。

 彼女は異能を使ったのだから呪術師だ――呪力はないのに?

 彼女の修道服が防いでくれる――物理的な攻撃は防いでいたが、これを防げる保障はないのに?

 答え――今すぐ解除しなければ。

 

 一方、彼がその結論に至るまで。

 少女には無限回の知覚と伝達を強制する攻撃が襲い掛かろうとしていた。

 

 まず、『歩く教会』が防御の第一層となった。

 『歩く教会』の効力は物理的な攻撃だけでなく、呪いや高次元からの攻撃といった魔術的・概念的攻撃へも対応している。

 尤も、これと同等かそれ以上の結界を有するウィンザー城の最深部まで『御使堕し(エンゼルフォール)』が貫通したことを鑑みれば、『歩く教会』の万能性を反証しているのか、あるいは相手が悪かったのかという議論もできよう。

 

 『歩く教会』を突破したとて、第二層が待つ。

 『聖母崇拝術式』、あるいはそれを含めた『聖母の慈悲』。本来は『神の右席』と呼ばれる原罪を消去した者達の内、後方を司る『神の力(ガブリエル)』の資質がなければ扱えない術式。

 それは罰を打ち消す魔術。約束・束縛・条件を免れることができるという解釈により、呪詛を無効化、魔術の発動条件を無視できる。

 つまり、今の彼女にはあらゆるデバフが効かない。当然、無量空処の無限回の知覚と伝達を強制するという効果は束縛以外の何物でもない。それ以前に、呪いという(よこしま)な力の時点で弾いてしまう。

 

 これらのファイアウォールは彼女が展開している魔術の表層に過ぎない。彼女に能動的な防御の必要は無い。

 ただし、それは能動的な防御の暇があったということを意味せず。

 

「――警告、第三章第六節。書庫への攻撃を確認。『自動書記(ヨハネのペン)』を強制起動しました」

 

 能動的に防御機構をオフにする暇があったということも意味しない。

 インデックスの主人格は半ば休眠状態(スリープモード)に入り、『自動書記』に取って代わられた。

 現出していた『第三の腕』が当人の制御を離れたことで霧散する。

 幽鬼のように揺らめく少女。暗く沈んだ緑の虹彩には、赤い紋様が浮かび上がる。

 

 単なる物理的な攻撃であれば、瀕死の重傷を負わないかぎり『自動書記(ヨハネのペン)』が起動することはなかっただろう。

 しかし情報攻撃となれば話は別。まして、戦闘状態というステータス下。それで何のダメージも負わなくとも、図書館の扉を少し叩いただけであっても。遠隔制御霊装ではない不正なアクセスを試みる潜在的侵入者として捉え、過敏に反応する。

 

 禁書目録は侵入者を迎撃すべく、機械のように敵性術式を分析する。

 呪術と魔術は異なる理。五条悟の六眼は力が見えるだけで、理解はできなかった。

 彼にできなかったからといって、インデックスにできない理由にはならない。

 その差を生んだのは、異界の法則に触れることに慣れているかどうかが大きい。

 勿論、さしものインデックスといえども相対しただけで呪術の全てを100%理解できるわけもない。だがそれで構わない。

 禁書目録は一から推論を導き出す解析法でなく、辞書型の解析を行う。該当する要素から書庫を検索し、ヒットした中から尤度の高いものを相手の術式と仮定。その対抗術式を組み上げる。故に速い。

 

「――警告、第十三章第三十六節。敵性術式の逆算に成功しました。隠世を模倣した結界を限定的に形成したものと判明」

 

 弱点とは欠陥であり、それを逆手にとるには相手の術式の仕様を正確に把握している必要がある。

 例えば『絶対に貫けない盾』があったとしよう。対抗策は大抵その盾が出てくる伝承に答えがあったりする。が、敵対する魔術師を迎撃できればそれでいいのだから、わざわざ用意された(・・・・・)弱点を突く必要などない。

 その盾が出てくる神話を調べ上げる必要などない。別の神話から『絶対に貫けない盾を貫いた矛』を探して来れば良い。語源通り矛盾しているように思えて『非論理的』と反論したくもなるだろう。しかしそれはこの例えだからこそ働く先入観とも言える。

 世の中には、『不死殺し』などという矛盾した概念が平気で登場する神話がありふれている。そも、そういう『非論理的』なのが宗教や神話であって、それを参照し扱う魔術もまた人の理解を超えている。

 

 この手法の素晴らしい点は、防御側に依存せず弱点を攻撃側が創れることにある。

 いや、弱点を創るという表現は厳密には違う。これだと防御側に何か細工をするように聞こえてしまうが、実際は特攻効果を攻撃側が得ていると表現する方が近い。

 原因療法ではなく対症療法――というとこれも少し違うが、病原菌ではなく症状への特攻と言えばいいだろうか。病理が分からなくとも結果に作用すれば病原菌ごと抹消できるような夢のような療法。

 

 つまり、この長い前置きが語ろうとする所は。

 呪術に対抗するために中身の仕組みを知る必要などなく。

 その呪術と似た魔術への対抗策がそのまま当てはめられる、ということだ。

 

「主人格より獲得した『法の書』の解読法より、ハディトとの類似性を照合。対テレマ用術式の構築を開始します」

 

 まずその魔術の神話・伝承に基づいた弱点を検討し、無ければ他から持ってくる。これは禁書目録に限らず魔術戦の基本である。

 とはいえ、言うは易く行うは難し。超一流の魔術師以外にとっては机上の空論である。

 『自動書記(ヨハネのペン)』を起動した禁書目録が魔神の領域に足を踏み入れているとさえ称される片鱗が、どんな魔術を相手にしてもこの手法を行えるだけの10万3000冊の魔道書という圧倒的な知識を有していることと、その速さに垣間見える。

 

「命名、『主よ、どこへいかれるのですか(ドミネ・クォ・ヴァディス)*1発動準備完了。即時実行します」

 

 領域が破られる。ガラスが砕け散るように崩れ、溶け行くように消え去る。

 

「結界の破壊を確認。有効と判断」

 

 領域を破壊したところで、『自動書記』は止まらない。目前の脅威に対処した次は、侵入者の排除に移行する。

 

 領域を解除する結論に至った五条は、直後に少女が領域の中で動いていることを認識していた。認識していて、彼女のするがままを見届けた。

 彼はインデックスに触れていない。領域内に引きずり込んだ相手が動くという初めての事態への混乱が、今しがたの決意を行動に移すことを妨げたのだ。だがそれも仕方がないこと。領域解除は彼女の身を案じたためであり、その前提が崩れたかもしれないのだから。

 しかし領域を解除しなかったとて、どうするか。予定通り彼女を無力化するにしても、あの状況から打てる手はどれも致命の一撃。彼女に効く効かないの問題ではなく、相手の防御力の仕組みが分からない以上、もし殺してしまったらを考えると取れない選択だ。傍観という手が、唯一取れる正しい選択だった。

 

「――警告、第二十二章第一節。密教のモチーフ、帝釈天印を確認。中枢年代は7世紀。言語系統は上代・中古日本語に現代日本語を混成。上記の術式に対し最も有効な術式の構築を開始します。

『ドゥルヴァーサの呪い』*2――完全発動まで二秒」

 

 インド神話に於いて最も強いのは誰か?

 答えは神とは限らない。

 面白いことに、ヨーガの修行を積んだ人間が神々すら抗えない力を持っていたりする。

 賢者(リシ)と呼ばれる彼らの一人ドゥルヴァーサは、呪いによって古代インド文学を引っ掻き回した。一部の文献においては、彼の呪いによりインドラ含む神々が力を奪われたことが、ヒンドゥー教における天地創造神話である乳海攪拌の引き金になっている。

 

 その伝承を元に組み上げた魔術が、領域展開後で生得術式がショートしている五条に襲い掛かろうとする。

 術式がなかろうと、呪力だけでも戦うことはできる。インデックスを相手にそれは厳しいかもしれないが、要は離脱するか術式が回復するまで時間を稼げれば良い。

 五条はそう決意し――

 

 

 少女が突如として倒れた。

 

「えっ」

 

 気絶しているのかアスファルトにうつ伏せになる修道服の少女。

 それを身構えたまま黙って見つめる成人男性。

 

 しばしの静寂を破ったのは、遠くで意識を取り戻した呪詛師が周囲の惨状を見て上げた悲鳴と、逃げ出す足音だった。

 

 何故だか分からないがひとまず脅威が去ったらしい、ということなど頭には入ってこなかった。

 ゲームの途中で、突然電源ごと落ちたような。

 今しがたの決意が空振りに終わったことに対する、煮え切らない気持ちでいっぱいになる。

 

「おのれペンデックス、勝手にエネルギー持っていきおって……」

 

 ようやく意識を取り戻した少女から発せられたのは、先程までの冷酷さが嘘のような間の抜けた声。五条は拍子抜けのあまり眩暈がした。

 呻く少女であったが、彼女の言とは裏腹に魔力・テレズマともに翳りは見えない。

 

 時に、インデックスがはらぺこシスターと呼ばれるほどに食欲旺盛である原因は、完全記憶能力の影響で脳が大量のエネルギーを必要としているという説がある。

 

 つまり、魔道書をフル活用したインデックスは広大な図書館を走り回ったようなものであり。

 

「お、お腹空いた……」

 

 人気のない交差点に、腹の音が響いた。

 それはもう、ホラー映画さえほのぼの日常系ギャグ漫画に空気を変えてしまうほどの。

 

「もう三時間も何も食べてないんです。お腹一杯ご飯を食べさせてくれると、嬉しいな」

 

 にこやかな笑顔の裏には、先の霊装代と言わんばかりの圧が含まれていた。

 乞食をするのは仏教じゃなかったっけ、という思わず五条の口から出そうになった突っ込みは、少女の開いた口から覗く白く尖った犬歯が咎めた。

 

 

 


 

 

 

 あー、死ぬかと思った。腹減るとこっちもきついんだっつの(一方通行並感)。

 

「それどこに消えてんの?」

 

 ファミレスの店内。テーブル席に向かい会って座る私達の間には、互いの顔を確認することができないほどの皿の山が積み上げられていた。

 私は五条悟なる呪術師に、こうなるに至った経緯を語りながら食事をしていた。

 

 私が日本についてからのことを話そう。

 最初にぶち当たった問題は金だ。

 実のところ、イギリスから日本に渡航する上で金は殆ど持ち込んでいない。教会からお小遣いという名の給金を貰ってはいたが、大半が霊装代か食費か食費か食費に消えた。

 端的に言えば、無一文だった。

 日本に降り立った私――推定14歳身元偽装修道服の少女に金を稼ぐ真っ当な手段などある筈もない。

 ただ、その点は人に暗示を掛けたり書類偽装すればある程度クリアできなくもない。当初はそれでバイトでもして凌ごうと考えていたのだが、甘かった。

 今の私は追われる身。流石にイギリスの呪術師が日本で暴れるのは問題があるようだが、代わりとばかりに日本の呪術師が私の元へ送り込まれてきた。

 街中で呪術師に攻撃されてはおちおち仕事もしてられない。度重なる妨害を受けていよいよこちらから打って出ようと決心した私は、奴らを纏めて撃退すべく『天罰術式』を起動することにした。

 この術式は対象を選べず無差別に機能してしまう。この先ちょっとした諍いやトラブルで私に敵意を向ける民間人が出ないとも限らない。どのみちずっと発動するわけにもいかないので、私にちょっかいを出せばどうなるかを知らしめるだけだ。

 となると、できれば相手をおびき寄せてから発動することでこれが私の仕業なのだとはっきりさせておきたい。呪術師は地脈や龍脈は感知できずともそれが及ぼす影響の不自然さには敏感なようで、『人払い』をすると見事に呪術師だけが釣れる。

 後は私が発動した途端に蚊取り線香のようにバタバタ倒れていく。

 

「はふはっはんはへほ、ははははへっはひはっは(はずだったんだけど、あなたは例外だった)」

「食べるか喋るかどっちかにしてくんない?」

 

 この青年、五条悟はどういうわけか私に悪意は抱いていなかった。

 その後はお互い知っての通り。戦闘で十字架が壊れて、『第三の腕』を出した。

 霊装の恨みでちょっと脅かしただけなのに、謎の結界攻撃を食らって『自動書記(ヨハネのペン)』が発動してしまった。

 ああなるとしばらく私には制御が利かなくなる。

 『自動書記』は非常事態のための安全機構であるために、簡単に本人の意志でオフにできたら却って危険だ。

 制御を取り戻すには寝ぼけた頭で煩わしい目覚ましのアラームを切るような、あるいは眠気に抗って起き上がるような気力を必要とした。

 

「魔術、ねぇ」

 

 顎に手を当てて考え込む素振りを見せる両目眼帯男。

 それはどうやって外を認識しているんだろう。呪術とやらだろうか。

 さっき戦ってた時は外してたし、魔眼の封印具のようなものなのか。

 『魔眼』の検索結果、『バロルの目』他数千件以上が見つかりました――10万3000冊の魔道書が要らない情報を勝手に提示する。

 

「ようし分かった。そういうことならお兄さんに任せなさーい!」

 

 何だろう、凄く信用ならない。動作とかが妙に子供っぽいんだよな、この人。

 あと、任せるも何も呪術師には今回の件で警告になったと思うんだが。

 

「あ、もしもし? うん、そうそう。その件なんだけどさ」

 

 懐からスマホを取り出し、どこかへ電話をかける五条青年。

 

「ごめん、負けちゃった♪」

 

 ヘラヘラ笑う五条。通話越しの相手にもその軽薄さが分かるくらいのトーンで、そう言った。

 しばらく彼は黙る。相手の話を聞いているというよりは、相手が話すのを待っている感じだ。

 数秒経って通話の向こうの人間とのやりとりを再開する。

 

「冗談じゃねーよ」

 

 陽気なお兄さんはどこへいったのか、急にドスの効いた声に変わる。

 通話越し、しかも対面の席にいる私にも届く大きな声で、怒りなのか驚愕なのか判別つかない絶叫が聞こえてきた。

 

「だーから、無駄だって。僕が勝てない相手に勝てるわけないでしょ~?」

 

 その後も何度かやり取りをした後、通話を切った。

 

「それじゃ、交渉といこう」

「交渉?」

 

 彼は器用に皿の山を掻き分けて、ずずいっと体を乗り出す。

 話がおかしな方向へ転がっている気がする。任せてとは何だったのか。そもそも私は何を任せたんだ?

 

「今すぐイギリスに帰る気はある?」

「ない」

 

 即答。当たりまえだ、何のためにわざわざ国外逃亡したのか。

 

「じゃ、ここで暮らすわけだ」

「そうだけど」

「金はどうするの?」

「バイトで稼ぐよ」

「その食いっぷりで食費を賄えるの?」

「うっ」

 

 痛い所を突かれた。事実、こんなに食べたのは渡航以来初めてだ。

 

「物は相談なんだけどさ、君」

 

 猛烈に嫌な予感がする。

 

 

 

「――僕のペットにならない?」

 

 

*1
拙作のオリジナル魔術。『ヨハネによる福音書』第十三章第三十六節。

*2
拙作のオリジナル魔術。




『後方のアックア』
聖母崇拝術式の使い手。呪術廻戦に一番居ちゃいけない奴。
身の丈より大きい武器を持ち超音速で跳び回る筋肉モリモリマッチョマンの変態(偏向報道)。
純粋な武力で上条をボコボコにした二重聖人。なんだこのオッサン!?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

百鬼夜行
アンチスキル(教員免許無し)


 それはぬいぐるみというには余りにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く。

 そしてモノクロだった。

 それはまさに毛塊だった。

 

「……ゴーレム?」

「パンダだ」

 

 キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!

 

 

 


 

 

 

「というわけで、僕が調伏した使い魔ちゃんでーす!!」

 

 白い眼帯――よく見ればそれは幾重にも巻かれた包帯である――で両目を塞いだ青年、五条悟が両手を広げて壇上の少女を迎え入れる。

 

「おーい、そいつ固まってんぞ」

「」

 

 東京都立呪術高等専門学校。生徒四名、教師一名の1年生の教室に新顔がやってきた。

 それは純白の修道服に身を包んだシスターであった。

 勝手にアガシオン扱いされた少女は平静であれば文句の一つも言っていただろうが、今は意識を天へ飛ばしていた。

 

「脳幹先生、いつの間にパンダに……」

「で、こいつも転校生か?」

 

 譫言(うわごと)のようにボソボソと呟く少女を置いて、ポニーテールに丸眼鏡の女生徒、禪院真希は尋ねる。先の使い魔という五条の発言は妄言として無視された。

 乙骨憂太からようやく転校生という肩書きが取れたと思ったら、また増えた。

 おかわりなんて頼んでないのに、まさかわんこそば方式で増えるんじゃなかろうな、と内心苛立つ真希。

 

「いや、彼女は僕の教師補佐という扱いだよ」

「は、あんたにそんなの必要なの? 何級よ? どう見ても中学生じゃん。てか外国人?」

 

 本当に聞く気があるのか怪しくなる質問攻めを繰り出す。実際、興味深々というよりは自棄が入っている。

 

「先に名前を聞くべきじゃないのかな……」

「しゃけ」

 

 無秩序な顔合わせを修正しようと試みるのは乙骨憂太。

 頷きから辛うじて肯定の意を汲めるだけで解読不能な言語を操るのは狗巻棘。

 

「Index-Librorum-Prohibitorumです。インデックスと呼んでください」

「ファーストネームからして人名とは思えないな」

 

 お前は人ですらないだろ、と突っ込みが入りそうなのはパンダ。文字通りパンダ。容貌も名前もパンダ。似ているとかではなくパンダそのもの。

 

「右から狗巻棘、禪院真希、パンダ、乙骨憂太だよ」

 

 五条が教室の面々を一挙に紹介する。ナチュラルにパンダが混ざっていることはもう誰も気にしない。

 

「イギリスから来ました。書類上の年齢は14ですが、学校には通っていません。級って何ですか?」

 

 インデックスは一人一人の顔を確認して名前と結びつけ永遠に(・・・)覚えた後、律儀にも自分へ向けられた質問に全て答えた。

 

「何って言われても、級は級だろ」

「呪術師や呪霊の強さの指標みたいな? 下から4・3・準2・2・準1・1・特級って感じ」

 

 五条に説明されて虚空を見つめながら意味を咀嚼するインデックス。

 そんなのも知らねえのかよ、と真希は呆れ顔だった。イギリス呪術界ではこういう階級付けは無いのだとしても、外見や年下というバイアスで下に見てしまう。

 この時点で、彼女はインデックスのことを補助監督以下のお手伝いさんとして認識していた。イギリスから日本の呪術界を学びに来た留学生のようなものだろう、と。敵愾心が湧くわけではないが、興味も無い。少なくとも初期の乙骨のような足手纏いにならなければなんでもいい。

 

 

 

 その考えはすぐに改められることになる。

 

 発端は、五条が教師を交えた実践訓練をすると言い始めたことだ。

 交流会とか何とか言っていたが、どこに親睦を深めるために殴り合う学校があるというのか。比較的まともな感性を持つインデックスと乙骨を除いた他3名は何を言っても無駄だと知っているため、困惑はしなかった。

 

 何処の学校の敷地にもある運動場――建前だけで、実際は戦闘訓練にばかり用いられる――で、新任の教師補佐という名目のインデックス対生徒4名の組手が行われた。五条は見学。彼のことだ、外野から野次を飛ばして観戦しようとしているのは見え見えである。

 

 武器も持たず、動きにくい修道服。歩法や立ち振る舞いからして、明らかに戦闘慣れしていない素人同然。

 4人で囲んで袋叩きにするのは流石に良心が咎めたのか、各々がバラバラな位置関係にある。それもあってか、何時始めてよいのか、どのように加減すればよいのかを考えてまごつく。そのなかで唯一、血気盛んで誰が相手だろうと遠慮しない真希が先んじて竹刀を振るった。

 渾身の力を込めてとまではいかないが、それでも避けも受けもさせるつもりはない当てること第一の袈裟斬り。

 

「は?」

 

 空振り。避ける前兆はおろか、動作さえ見えなかった。振ったと思ったら、初めからそこにはいなかったかのように斬撃の軌道から数cmずれている。

 向きになって速さ・力を一切緩めず何度も角度を変え斬りかかったが、全てギリギリの位置で躱される。

 

「おいおいおい、なんだよこいつ」

 

 カラクリは単純。超音速機動を可能とする聖人の身体能力に100%依存した、力任せで技術の欠片もない回避。

 初速は音速ほど出なかったとしても、ピストル弾よりは速い。日本の警察が使用するような遅めの拳銃弾ですら200~300m/sは出る。曳光弾であれば軌道が見えるということもあろうが、これは人間。精々が移動の際の土煙がどの方向へ行ったか事後的に教えてくれるのみ。もしこのスピードで突進されたとして数百m以上離れた距離からなら躱すこともできるだろうが、数cm程度では人間の動体視力や反応速度では捉えきれない。

 

 生徒達が認識を改める。もしやこの子は本当に教師なのでは、と。少なくとも真希では一撃当てることすら難しいということはハッキリしている。

 

 里香を出さなければ乙骨は戦力にならないどころか、寧ろ起点にされかねない。攻撃の連携は3人で行い、近距離戦闘が向かない狗巻の傍について彼を守るのが最善の戦略。

 合図をせずとも三人はそれを分かっている。

 

「こんぶ」

 

 狗巻が乙骨を手で制して、彼を自身の傍に留めさせた。目つきを変えた彼らは三方を固めてにじり寄る。まず、一番体格の大きいパンダが跳びかかった。これで彼の方角の90度以上は塞いで移動先として封じられた。

 パンダがインデックスに肉薄するのと同時、そちらに注意が向いた彼女の8時の方角から真希が攻める。広く範囲を取った左からの横薙ぎ。これをインデックスは跳躍して躱す。

 そのまま宙返りして着地しようとするが、その回避コースは狗巻・乙骨ペアが待ち受ける方角。

 

「『堕ちろ』」

 

 滞空するインデックスを地へと叩き落す呪言を発する。獲った、と確信した四人。

 

「効いてない!?」

 

 が、呪言は効力を発揮しなかった。

 

「『黄金錬成(アルス=マグナ)』? いや、もっとシンプルに言霊かな」

「もう一度やんぞ、何でもいいから今度は確実に決まる言葉を使え」

 

 インデックスはそのまま狗巻ら二人の頭上を跳び越え、着地する。足を止め、今しがたの狗巻の呪術について考察する。『黄金錬成』は言葉ではなく思考を現実にするものだし、まさか本気で候補に挙げた訳ではない。そこまでの力であればそもそも影響を受けなかった方がおかしい。

 呪術相手に『強制詠唱(スペルインターセプト)』が効くのかは分かっていない。そもそも呪術の詠唱や操作原理を理解しなければ割り込みを掛けられないので、試したことがない。

 呪言は諸々の術式によってオート防御してくれるので相手にする必要はなく。組手としては全ての攻撃に完璧に対処すべきなのだろうが、彼女にはそこまで付き合ってやる理由もない。

 呪言師以外の3人は近接戦闘メイン。『強制詠唱』自体、この集団戦での対処法として効率的とは言えない。

 

「『動くな』」

 

 二度目の呪言も、効果はなかった。隙を作ることはできなかったが、攻撃は既に始まっている。パンダと真希の二人がインデックスに再度迫る。狗巻が戦力にならないことを悟ってか乙骨も前に出た。このまま一方向がフリーになるよりはマシだと判断して、狗巻は止めなかった。

 

剣を執る者は剣で亡ぶ(L B T S, D B T S)

 

 これをインデックスは即席の魔術を構築して対応した。*1

 日本においては『人を呪わば穴二つ』が近いだろうか、古今東西に見られる因果応報の教訓・ジンクスを基軸にした魔術。

 

 武器による攻撃の照準を乱して自滅させる術式であるが、大抵の魔術師は物理武器に頼らないので使いどころが無い。魔術師であればすぐに対応策を講じられるレベルであり、相手の攻撃タイミングとほぼ同時に詠唱して一度きりの策として使えるかどうかと言ったところ。しかもその武器が霊装であれば、素人でもない限りある程度の魔術的ハッキングに対する防御は備えている。

 

「なんっ!?」

 

 勿論、セキュリティという概念すらない呪術師相手にはモロに効く。

 真希と乙骨の手から竹刀がすっぽ抜ける。決して握力を弱めていたわけでもないのに、手と竹刀の間の摩擦がなくなったかのように不思議な力で制御を離れた。

 そのままお互いを目掛けて飛んでいく。インデックスへ向かって猪突猛進に走る二人が回避行動を取れるはずもなく、両者の頭に激突する。

 

「がっ!?」

「痛たっ」

 

 跳ね返った竹刀がインデックスを襲うが、左右から飛来するそれらに両手を翳して手刀を振るう。今度は肉眼でも捉えられる速度で。

 

優先する。――人体を上位に、竹刀を下位に

 

 それでもナイフでバターを切るように滑らかに、綺麗な断面で切断した。力任せに叩き割れば破片が飛び散ってこうはならなかっただろう。

 だが、パンダは二人に注意が向いたこの隙を逃がさなかった。跳びかかりによる攻撃は完全に背後を取る。

 

「あれ、なんか硬い……いや、柔らかい?」

 

 背中を突いた拳は、ぽす、というクッションを殴ったかのような音と共に威力を全て吸収された。

 

 銃弾にさえ反応する聖人の反射神経も、視界に捉えていなければ発揮されない。訓練すれば空気の動きや音で反応することもできるだろうが、インデックスは武道を習っていたわけでもなければ近接戦闘の経験など無い。戦闘機を子供が操縦しているような宝の持ち腐れである。

 

「えっと、触れられたから負けでいいのかな?」

「あー、決めてなかった。終わりでいいよ」

 

 彼女は五条に確認を取る。組手をやれと言い始めたのは彼自身にも拘わらず投げやりな口調に、生徒達は顔をしかめた。

 

「けど、これで分かったでしょ。教師として不足はないってさ」

 

 確かに、彼我の力量差はハッキリしている。特に2級術師の狗巻の呪言を微塵も受けなかった時点で特級相当の戦力はあると推察しても構わないだろう。

 元からこれが目的だったのだろう。インデックスを教師として見れず疑いの目を向けていた生徒達の視線はすっかり変わっている。

 

「まあでも呪術や呪術界の常識はからっきしだから、戦闘訓練以外ではむしろ君たちから教わる方が多いと思うけど」

「どういう知識の偏りしてんだよ……」

 

 解散ムードを醸し出したところでそうそう、と五条が手を叩く。

 

「ところでインデックスちゃんは、呪霊を祓ったことってある?」

「私はこういう体質なので、そもそも遭遇したことがないんですよね」

 

 そう言うと、彼女から規格外な量の正の力が溢れだした。

 

「!?」

 

 蓄えた分を放出したのではなく、無理矢理体内に抑え込んで隠していた余剰分を垂れ流しただけ。それでも生徒達の目を剥くには十分すぎる量だった。彼らは祈本里香という特殊な例を除いて特級呪霊と実際に対面したことはない。それでもそれに相当するだろうと思われる禍々しさを、そのまま神聖さにひっくり返したかのような印象を受けた。

 思わず背筋が伸びる。ここが教会や神殿であったなら、後光が差しているような錯覚すら覚えただろう。こんなものを常に放っていたら低級呪霊は尻尾を巻いて逃げ出すし、なんなら近づく前に蒸発するかもしれない。

 イギリスという呪霊が弱く少ない環境下では、狙って探そうとしても遭遇確率をますます下げる要因となったことは想像に容易い。

 

「じゃあ丁度いいや、ソレを抑えて棘と憂太の二人についていってくれる?」

 

 僕今回は引率できないから代わりの随伴教師役よろしく~と説明もおざなりに新任教師に仕事を丸投げする様は、これぞジャパニーズパワハラであった。

 

*1
拙作のオリジナル魔術。『マタイによる福音書』第二十六章第五十二節。




『光の処刑』
左方のテッラの術式。
ありとあらゆる概念の優先順位・強弱を変更する。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔滅の声(宗教勧誘対策)

 インデックスを五条の補佐とするには、上層部の説得という関門があった。

 

「君が預かるだと? 馬鹿を言うな。事は呪術界に留まらず、もはや日本とイギリスという国家間の問題なのだ」

「でも本人が帰らないっていってるんだから仕方がないでしょう」

 

 呪詛師や呪霊を殺せというなら、日本呪術界も街や一般市民の被害を顧みずに総出で実行するという奥の手がある。だが捕まえろとなるとなりふり構わずとはいかない。虎の子の五条悟が失敗したことで、誰にも手がつけられないということは総監部の御歴々も認めざるを得ない。

 五条を疎ましくあるいは妬ましく思う者達は失敗した彼を嘲る一方で、彼が私的な理由でわざと手を抜いたのではないかと疑い、腹を立ててもいた。

 特に彼がインデックスを預かるなどと言ったことで、一同の疑心はますます膨れ上がった。

 

「これはあなたがたのことを思って提案しているんです。日本呪術界の面子を保ち、彼女という未知数な危険因子を手元に置いておくには絶好の手でしょう?」

 

 老い耄れ共を説得するためとはいえ、彼女を危険因子呼ばわりすることには負い目を感じるところもある。

 それでもこの言葉は保身と見栄に固執する彼らには効くだろう。

 インデックスの捕獲に失敗するということは、イギリス呪術界の術師一人に日本呪術界が負けたということを意味する。それは日本呪術界が大したことはないと喧伝するようなもの。

 捕獲ではなく交渉によって身柄は取り敢えず目の届く所に確保することで、イギリス呪術界との軋轢をほんの少しでも抑えつつ、こちらの面目は潰さずに済む。どの口がと言われることは間違いないが、少女の自由意志を侵害して強制送還することは人道に悖るとでも言っておけばいい。政治家のような、如何にも彼らに相応しい言い訳も立つ。

 

「ぬぅ……」

 

 思わず唸る老人達。五条の言葉には一理ある。それだけに彼らも頭ごなしに否定できない。ここで勢いで否定したとしても、後で同じ結論に至るかもしれないと思わせるだけの説得力があった。

 

「君がそう言うのであれば仕方がない。だがもし何か問題が起きたら、君の責任になるということを忘れるな」

 

 それはそれとして、五条に言い負かされるのも気に食わないのが彼らである。いざという時のために、言い出しっぺに責任を擦り付けておくことにした。

 尤も実際に有事が発生した場合、日本国内での責任追及の声は五条を盾にできても、イギリスからの糾弾はどうにもならないのだが。インデックスをその目で見た事のない彼らは彼女の異常性・価値を知らないが故に、第三次世界大戦の引き金になりかねないとまでは考えが及ばなかった。

 精々がイギリスのどこぞの貴族の子女程度の影響力しかないと見誤った彼らの明日はどっちだ。

 

 

 


 

 

 

「帳を下ろします、ご武運を」

 

 前髪を中央で左右に分けたスーツの男。伊地知と名乗った補助監督はそう言って私達を送り出した。

 シャッター街と化した商店街が暗闇に包まれる。

 

「これ、星辰まで再現できたら便利だね」

「?」

 

 気の小さそうな乙骨君が発言の意味を図りかねて困惑の表情を浮かべる。

 呪霊を祓う時に周囲を一般人の目から隠す、誰にでも使える基礎的な呪術らしい。

 『人払い』と似たようなものだが、これは別の用途にも使えそうだ。局所的だが疑似的に夜を模した空間を作れるのであれば、占星術の儀式場作りが捗る。出力が大幅に落ちはするだろうが、この黒い天球に星を点灯させることができれば夜にしか使えない魔術も使えるかもしれない。

 帳を指先で軽く突いて触感を確認してみると、壁から静電気のように呪力が弾けた。

 

「それ、呪霊の逃げ道を塞ぐ目的もあって中からはまず壊せないらしいです。僕もよく知らないんですけどね、あはは……」

 

 私が呪術に疎いことを知らされているからか、親切にも乙骨君が説明してくれる。

 

「じゃあ、私は少し離れた位置からついていくね」

 

 私を置いて乙骨、狗巻が先に進む。

 私はあくまで付き添い。緊急時以外は手を出さないようにと言い含められている。

 十数メートル程先の彼らが止まる。

 遠目だが、虫?魚?のような黒い靄が群れをなしている。二人の行く手を阻むように集り始める。

 あれが呪霊。結構グロいというか、悪趣味なデザインをしている。もしかしてホラゲー世界だったりする?

 狗巻の『爆ぜろ』と言う声とともに、そいつらは爆発した。

 

「これで終わり?」

 

 低級の呪霊と言っていたし弱いのだろうが、あまりにも呆気ない。

 来た道を振り返ると、帳はまだ上がっていない。

 ……これ、外の人たちは中の様子分かるんだろうか?

 帳を解除するには呪霊を祓ったことを外の人間が確認しなければいけない。

 予め解除する時間を指定しておく方法もあるが、伊地知さんは何も言っていなかった。20分経ったら解除して確認するのが常識とかで、わざわざ言わなかった可能性もありえなくはないが。

 他に考えられるのは、呪術師ならば中からでも破壊ではなく解除できる手段を持っているのかもしれない。ただ高位の呪霊は知性を持つと言うし、真似されて解除されることも考えるとその可能性は薄そうだ。

 

「あ、携帯なら連絡ついたりするのかな」

 

 人や呪霊が通れないからと言って、電波が届かないとは限らない。何故この方法が先に思いつかなかったのか。まさかこの体、機械音痴まで再現しつつあるのか?

 生憎私は携帯を持っていないので二人に頼むしかない。そう思って振り返ると、二人はいなかった。

 

「あれー……」

 

 もしかしなくても、はぐれた?

 私の方が年下ではあるけれど、一応引率の先生ということになっている。いざという時は責任持って守らなければならない。こんなので減給とかされたらたまったものではない。私の食費が掛かっているのだ。

 

 伊地知さんは、ここは大型ショッピングモールに改装される予定と言っていた。その土地として選ばれる程度には広さはある。一番大きいこの通りから見えないということは、どこかの路地か建物へ移動したというところまでは絞られる。

 振り子と地図があればダウジングもできるが、流石にそこまでする程広くはない。呼びかけながら歩いていれば会えるだろう。

 

「やぁ」

 

 そうして歩き始めようとした瞬間。住職のような恰好をした、しかし坊主ではない男が私の前に降ってきた。

 

「悟が拾ってきたって噂は聞いてるよ」

 

 帳の中に残っているということは呪術師なのだろう。風貌からして既に怪しい男だ。

 

「こうして実際に見てみると、興味深い体質をしているね。君は猿なのか? 呪術師なのか?」

 

 この人は人間を猿と呼称するのだろうか。随分と愉快な感性をしている。

 体質とはテレズマのことだろう。人目に付かない時以外はテレズマは体内に抑え込んでいる。この状態で外から認識できるのは今まで会った人では五条悟だけだった。敵の持っている呪力だけで居場所を探知できる人もいるそうなので、恐らくその応用なのだろう。少なくとも生徒の皆より呪術師として腕が立つのは間違いない。

 

「魔術師です」

「海外だとSorcererって呼ぶのかな。確かに魔術師とも訳せるけど」

 

 うーん……シスターと和尚で聖職者がダブってしまった。

 二大宗教の信徒が対面する異質な空間が出来上がる。なお片方は似非で信仰心は無い模様。

 謎の男はげとーすぐる(漢字が分からない)と名乗ると、徐に呪霊を懐から取り出した。一瞬身構えたが、ペットのように躾されている。

 

「私の術式は『呪霊操術』と言って、この通り倒した呪霊を仲間にできるんだ」

 

 なんと じゅれい がおきあがり

 なかまに なりたそうに こちらをみている!

 

 ……冗談抜きで考察すると、『死者の軍勢(エインヘルヤル)』とか獲冴の『こっくりさん「のようなもの」』が近いだろうか。

 倒した異形を調伏するなんて古今東西の神話伝承にありふれているし、そのへんを引っ張ってこればもっと近い術式を構築できそうだ。

 

「君はどういう術式を使うんだい?」

「よ・く・ぞ聞いてくれました!」

 

 私のお気に入り魔術を紹介しよう。

 まずは通常攻撃が必中一撃必殺、開幕10割の『聖なる右』。お客様、台パンはご遠慮下さい。

 続いて説明できない力で分からん殺しする『北欧玉座(フリズスキャルヴ)』。

 パ〇プンテ枠を『自己情報無限循環霊装(アーキタイププロセッサー)』や『プネウマなき外殻』と争っている。

 人間やめましたシリーズその1『霊的蹴たぐり』。理屈は単純だが技術が再現不能で使いこなせる気がしない。パントマイムで航空支援式ビッグバン爆弾とか表現できるわけないだろいい加減にしろ!!

 人間やめましたシリーズその2『薔薇の術式』。面白いけど理屈が難解&応用性が広すぎて使いこなせる気がしない。100万通り以上とかカスタム性充実させすぎて他が疎かで売れないゲームみたい(辛辣)。

 

「分かった分かった、分かったから」

 

 宣教師気取りで『とある』を布教してみたのだが、途中で止められてしまった。

 む、全然信用されてない気がする。妄想を垂れ流す痛い中学生を見る目だ。よろしい、ならば実演だ。

 彼ならどうにかして外に出る方法を知っているかも知れないが、当初の予定を前倒しして『ゴリ押し』を決行する。

 肩口から第三の腕を出す。赤黒いその腕を横薙ぎに振るうだけで、帳を『倒す』のに過不足ない力が放たれた。

 腕から放たれた光の奔流が闇の天蓋に突き刺さると、一瞬にして瓦解する。出力された威力を見るに、耐久力はそこまでではなかったようだ。

 

「これだけの力を放っているのに呪力を感じられない……君は暫定『宇宙人』とでもしておくよ」

 

 魔術師です(本日二回目)。

 

「ところで、getterさんは何故ここに?」

 

 その意趣返しは絶対ワザとだろう、というジト目を頂く。ワタシニホンゴワカリマセン。

 

「悪いけど、用があるのは乙骨君の方なんだ。君が来たのはイレギュラーだったけど、せっかくだから挨拶するのが礼儀ってものだろう?」

「呪術高専の人ですか?」

「元生徒だよ」

 

 五条や乙骨君のことを知っているようだし、現地に応援に駆け付けた呪術師だろうか。五条もそれならそうと言ってくれればいいのに。私がちゃんと引率できてるか見張りを立てていたな?

 

「悟の下で働く理由は私には分からないけど、呪術高専は窮屈だろう。私たちと一緒にこないか?」

 

 ペロッ、これは派閥闘争!!

 イギリスでこの手の勧誘は散々されてきたので分かる。私を担ぎ上げて組織内で発言力を強めようとする輩のソレに似ている。日本の呪術師にも派閥とかあるのだろうか。本能で魔術をひけらかしてしまったのはやっぱり失敗だったかもしれない。

 

「おっと、意外と早く戻ってきちゃったな。続きはまた会った時に詳しく話そう」

 

 結局何がしたかったのか、それだけ言い残して路地の方へ消える。掴みどころのない人だ。

 彼の言葉通り、間もなく負傷した二人と再会した。

 

 五条によると、夏油傑という男は界隈では有名な呪詛師らしい。彼が私に接触したのは時間稼ぎだったのだろう。人柄の良さに騙されてしまった。こちらに核心的な質問をする暇を与えない話術といい、間違いない。奴は詐欺師だ。

 

「酷い言われようだけど、一応僕の旧友だよ」

 

 類は友を呼ぶってやつか……。

 

「何を吹き込まれたか知らないけど、耳を貸さない方がいい」

「多分宗教勧誘されました。呪術師の仏教徒は修道服着てる相手に改宗を持ちかけるの?」

「面白いからこのままにしとこ」

 




北欧玉座(フリズスキャルヴ)
オッレルスの術式。
多分手加減されてるけど、オティヌスと正面から撃ち合った実績あり。
魔神になり損ねただけのことはある。

『霊的蹴たぐり』
アレイスター=クロウリーとアラン=ベネットの術式。
お前はこれから「できるわけがない」という台詞を4回だけ言っていい。
①パントマイムで武器とその威力のイメージを伝えると、その相手にのみ実際にあるものとして働きそれ以外には一切影響を齎さない。
②魔術の威力を標的の想像の10倍に増幅する『衝撃の杖』と相性がいい。無理矢理イメージを送り付けるので威力が標的の想像に依存するという弱点をカバーできる。
③イメージさえ与えられれば、ガンマナイフや航空支援式ビッグバン爆弾といった複雑なものや存在しない武器も出現させられる。
④あれいすたんをすこれ。

『薔薇の術式』
アンナ=シュプレンゲルの術式。
指を五大属性と対応させて世界の全てを表現できるらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

非術師全員殺すおじさん「非術師全員殺す」

真面目回。
ぶっちゃけこの作品書いたのもこのくだりがやりたかっただけ。
前回投稿から1日で書いたので短い。


「なんかちょっと嫌な感じが……」

 

 乙骨君が不穏な事を言いだした。誰も取り合わなかったが、その予感は当たっていた。

 ヤツは、巨大なペリカンに乗ってやってきた。

 

「仏教徒なのにペリカンに乗ってやってくるんだね。それとも挑発のつもりなのかな?」

 

 ペリカンは嘴を胸の羽毛に入れて休む習性がある。恐らくこれを起源として、ペリカンは自らの胸に穴を開け血を与えて子を育てるという伝説がある。

 この自己犠牲から、ペリカンは十字架に身を捧げた神の子の象徴であるとされる。

 

 嘴の中からぞろぞろと何人かの仲間が吐き出される。

 

「初めまして乙骨君、私は夏油傑。そして――また会ったね『宇宙人』」

 

 前の話の続きをしに来た。そう切り出して、夏油は演説を始める。

 

「君たちは素晴らしい力を持っている。大いなる力は大いなる目的のために使うべきだ。呪術師が呪霊から一般人を守るこの世界、おかしいと思わないか?」

 

 特に私と乙骨君に聞かせるように。いつの間にかジリジリと距離を詰めて、乙骨君と肩まで組んでいる。これが詐欺師の手口か。

 

「強者が弱者に適応する矛盾が成立してしまっているんだ。なんて嘆かわしい!!」

 

 いつまでも詐欺師のペースに乗せられるわけにはいかない。

 

「『多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求される』」

「何?」

「『ルカによる福音書』第12章第48節、だよ」

「Noblesse obligeとでも言いたいのか」

 

 夏油は乙骨君と体を離して、私の方へ意識を向けた。反論が来るとは思っていなかったのか、目つきを変える。

 

「……呪霊がどうやって生まれると思う?」

 

 呟くように出たその言葉は、声のトーンを一つ落としていた。

 

「呪霊とは、人間から漏れ出す呪力が澱のように積み重なって形を成したものだ。呪力をコントロールできる呪術師から呪霊は生まれない。なら話は早い。非術師を皆殺しにすればいい。危機感を煽られた幾らかの非術師は術師に進化するだろう。私としては猿に期待はしないがね」

「てめぇ……」

 

 夏油から語られたのは、選民思想だった。

 ようやくヤバい奴だと気づいたのか、真希が臨戦態勢になる。

 

「そう、君のような猿は私の世界には要らない」

「『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』」

 

 睨み合う両者の間に割って入る。

 

「また説法か?」

「『ヨハネによる福音書』第8章第7節、だよ」

 

 思想に共感はできない。しかし彼の本気は伝わった。ならば私も本心で語るのが誠意というもの。とことんまで言葉を尽くそう。

 

「『火花』って知ってる?」

 

 『位相』というものがある。

 十字教・イスラム教・仏教・カバラ・日本神話・北欧神話・ケルト神話……世界中の宗教・神話に語られる天国や地獄といった神、天使や悪魔などの超越存在が住まう異世界・宗教概念のことを指す。

 魔術はその法則の元となる幾重にも重なった位相に干渉しており、それが位相同士の接触・軋轢を誘発してしまう。こうした軋轢によって生じるもの、それこそが『火花』である。

 

 魔術は等価交換の原理を騙し、一の出費で十の成果を得る素晴らしい技術だ。

 だが、ここで疑問が生じる。

 本当に等価交換の原理を超越できているのか?

 実は私達の目の届かないところで帳尻合わせが起きているのではないか?

 果たして、それはあった。その正体が『火花』である。

 

 『火花』は人々の運命に干渉する。

 人の出会い・別れ・生死・コイントスの表裏まで。幸・不幸問わずあらゆる運命が『火花』と『位相』の影響を受けている。

 

「はっ。君の言うことが本当だとしたら、それを知っていてなお『魔術』とやらを使う君はやはり猿、いいや悪魔じゃないか」

 

 私の口から語られた『火花』についての真実に、夏油は嫌悪感を示す。

 だからこそ、突きつけてやらねばならない。

 

「話はさっきの言葉に戻る。『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』」

「何が言いたい?」

火花を生むのが魔術だけだと誰が言った(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 考えてみればおかしいのだ。呪術だって等価交換を騙しているとしか思えない物理法則に反した現象を起こす。まして私がこれまで見てきた限り、呪術は日本神話や仏教を元にしているものばかりだ。

 であれば、呪術もまた『位相』に関与していると考えるのが自然であり。

 

「呪術もまた『火花』を生む」

 

 さて、問題です。

 

 罪人は呪術師か? 非術師か?

 

「あなたは私を悪魔と呼んだ。ならばあなた自身もまた悪魔なんだ」

 

 流石にこれには夏油も動揺を隠せない。薄い目を大きく見開いて後退る。

 

「お前、夏油様に文句付けるとか何様のつもりなんだよ! 私らより年下のくせに!」

 

 自分達の大将の様子が変わったことが気に触れたのか、制服姿の少女が話に割って入ろうとする。

 

「黙れ、今大事な話をしているんだ」

「夏油様……?」

 

 連れの少女を制したのは、夏油だった。

 不都合な真実。それは自分が正義だと信じる者にとって一番目にしたくないものだろう。

 だからこそいざ突きつけられた時どうするかで、その者の器と真価が問われる。

 

 私はそもそも自分を正義だとは思っていない。この世を自分だけの箱庭と思って、迷惑など一切考えない傍若無人な振る舞いをしているわけではない。しかし、善悪など省みず自分勝手に生きているつもりだ。

 

「私が『火花』の存在があってなお魔術を使う理由はね、夏油。環境汚染を指摘されてなお文明の産物に縋るのをやめない現代人の思考と何ら変わりないよ」

 

 先進国で暮らす者は、暮らしの中で無自覚に、間接的に、後進国に害をもたらす。

 富める者は、ただ富めるというだけで貧者を生み出す。

 それを罪と呼ぶなら、誰も罪から逃れることはできない。

 選民思想や共産主義の矛盾。それは他者の行為を罪と呼んでおきながら、自分達の罪からは目を背ける所だ。

 都合の悪い現実から逃げ、都合の良い理想を盲信しているだけ。

 挙句彼らは目を逸らしたくなる現実を突きつける者を糾弾し、聞こえの良い幻想で人心を惑わすのだ。

 人の創る治世は天衣無縫ではない。そこに完璧などありえないというのに。

 

 ここに、先の言葉を引用した意味がある。

 神の子の真意はともかく、『人が人を裁くことなんてできない』というのも解釈の一つなのだ。

 

「そもそもの疑問なんだけどさ、何故呪術師だけ救おうとするの? やればいいじゃない、全人類を救うくらい(・・・)

 

 思想は神の視点なのに、実力が伴ってないから手段が人並みになる。

 すると今度は手段に合わせようとして思想も歪む。これぞ正に本末転倒。

 『魔神』が創った『しあわせな世界』でさえ歪なのに、そんな歪み切った世界のどこに正当性があるというのか。

 

「君なら、できるのか……?」

「できてもやらないよ」

「自分にはできることを他人には『できやしない』と言い聞かせるのか!?」

「そうだよ」

 

 肯定で返されるとは思っていなかったのか、夏油は息を呑む。

 

「……それは『傲慢』だ」

「ならあなたは『身の程知らず』だね」

 

 理想に見合わない彼自身の実力不足と、彼の私情が思想を捻じ曲げたのだろう。自覚がないというのが彼の滑稽で性質の悪いところだ。

 

「そんな大層な理想はあなたには分不相応だよ。せめて()になってから物を言え」

 

 ハッキリと告げる。

 言いたいことは言いつくしたのか、夏油は沈黙する。

 

「ハハハハハ、意気揚々とやってきて中学生に論破されてやんのー!」

「悟か」

 

 途中から聞いていたのか、五条は腹を抱えて爆笑している。

 

「分かっただろ、傑。その子は僕たちとは異なる世界に生きてる。異なる価値観の持ち主だ」

 

 五条は言外に、もう諦めろと期待を込める。

 

「ああ、どうやらそうみたいだよ」

 

 憑き物が落ちたかのように、五条に笑い返す。

 五条は意思が通じたものと思って、また微笑み返す。だが残念ながら、夏油のそれは決意の表れであった。

 皮肉なことに、夏油は私をこう呼んだ。

 

「だからこそ、彼女は『採点者(・・・)』にふさわしい。君は私の理想が分不相応と言ったな。ならば証明してみせよう。呪術師だけの世界が如何に平和で、全人類が生き残るより如何に素晴らしいかを」

 

 まだ諦めないのか、自らの理想の実現を以てして反論とするつもりだ。あるいは、もう引き返せないのか。

 

「来る12月24日、日没と同時に我々は百鬼夜行を行う!!」

 

 そして夏油は、宣戦布告した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

百鬼夜行(Merry Christmas)

投稿時間が中途半端?
予約投稿なんだな、これが。


 東京、新宿。

 私は五条と共にこの地に放たれた呪霊を対処することとなった。その気になれば街全体を覆う大魔術を事前に用意することもできたが、私の性格に合わない。そうしなかったことで呪術師や一般人が何人か死のうと知ったことではない。雇われなので、やれと言われなければやらない主義だ。

 

「成程アノ包帯カ」

「えぇ、シスターは私達が引き受けます」

 

 わらわらと街に溢れかえる呪霊達。それらに紛れて、ビルの上に呪詛師がいる。

 

「五条さん!」

 

 伊地知さんが駆け寄ってきて、五条に何か耳打ちする。

 

「パンダ、棘!」

 

 血相を変えた五条が、二人を呼びつける。

 

「今から二人を呪術高専に送る。インデックス、君も……」

 

 首を振って拒絶する。何らかの手段でテレポートでもするのだろうが、修道服が術式を弾いてしまうかもしれないからだ。

 

 指令を出された二人は、五条が術を発動させると円陣の中から消えた。

 こちらの動きに気付いたのか、呪詛師達が俄かに騒がしくなる。

 

「美々子、菜々子。開戦よ」

「待ってました! あの生意気なシスターぼこしたくてうずうずしてたし」

 

 夏油が宣戦布告した時にいた呪詛師達が湧いて出てくる。

 

「呪詛師の詛って、蛆って字に似てない?」

「前々から思ってたけど、君って結構毒が強いよね」

 

 その発言の直後、0.1秒すらかからなかった。

 視界に映る呪霊は一体残らず祓われ、呪詛師達はビルの壁面や路上にめり込み倒れ伏す。息はあるが、意識はない。瞬殺。私はただ『第三の腕』を振るっただけ。

 

「今日は12月24日。小さいけど世界中の至る所にベツレヘムの星(・・・・・・・)が飾られる。『聖なる右』も絶好調だね」

 

 神の子の誕生を知らせた星を、ベツレヘムの星と呼ぶ。

 クリスマスツリーの先端に飾られる大きな星は、このベツレヘムの星を模したものである。

 尤も、伝承では八芒星となっているがクリスマスツリーのソレは大抵五芒星である。

 それでも魔術的記号としては十分。一つ一つは小さくとも、日本中、いや世界中で飾られるそれは地球全体を儀式場に塗り替える。

 そうでなくても12月24日から25日は特別な日。十字教系の術式は軒並み威力を増す。

 いつだろうと結果は変わらなかっただろうが、よりにもよって今日を選んだのは抱きしめたくなるくらい憐れだ。

 

「嘘ダロオイ、勘弁シテクレヨ……!」

 

 形勢逆転。

 数ではなく質を考えれば元から均衡はこちらに大きく傾いていたのだが。

 呪詛師一味の男は一瞬にして孤立無援に立たされる。現実逃避の一つでもしたくなったか。

 

「ここ、任せてもいいかい?」

「待って、そっちの人もすぐ終わらせるから」

 

 五条が向き合っている黒人の男の方へ向き直り、『第三の腕』を振るう。それは断じて照準を合わせるためではない。振れば当たるのだから、そんな工程は必要としない。ただ、敵を認識して設定するためでしかない。

 視界に入れなければ発動しない安っぽいオートエイムではない。この戦い(マッチ)にいる敵性存在(プレイヤーアカウント)を確認するだけで排除(BAN)できる。

 

「ウオオオ!!」

 

 声を張り上げ己を鼓舞する男は、黒縄を鞭のようにしならせ私の肩口から伸びる赤い腕を弾いた。

 

「『聖なる右』が機能しない……?」

 

 この感じは途中で予期せぬイレギュラーが入ったような挙動だ。本来であれば、どんな防御を用意しようが貫き透過するはずなのだが。

 

「『幻想殺し(イマジンブレイカー)』?」

 

 そうであれば頷ける。『聖なる右』が出力を見誤った、あるいはどう出力すべきか迷っているのだろう。

 でも、これは何かが違う。『幻想殺し』のような異能の消去ではない。『聖なる右』は『幻想殺し』を処理落ちさせる出力を持つが、理論上はその力の表層を削られはするだろう。しかしこの縄と接触した『第三の腕』にそのようなダメージは見られない。

 

「そいつの黒縄、呪力を散らすみたいだよ」

 

 魔力やテレズマにも多少は効くのか、接触した『第三の腕』は内部のエネルギーを乱されたのだろう。その結果、想定する過不足ない出力と実際の出力に差異が生まれた。

 

 この黒縄の相手との接近戦になったら、『歩く教会』の防護は働かないかもしれない。

 とは言っても原作と違い繊維を魔力で編んでいるわけでもなく、布地自体は普通の修道服。テレズマを乱して霊装としての効果を無効化するだけに終わるだろう。だが縄自体に致命傷を与えられる程の攻撃力はなく、単なる服であっても威力減衰が見込める程度の威力しかない。

 まして、私は聖人。その程度の打撃はかすり傷にもならない。というか、超音速機動を可能にする反射神経を以てすれば攻撃を見てから回避は余裕。

 

 それ以前に、この戦闘の目的を考えれば遅延戦術は見え見え。相手は接近なんてしてこないだろう。遠距離戦闘になれば長期化しそうだ。五条が任せようとするのも分かる。

 

「面倒くさいし、これだけ命中したらすぐに行こう」

「いいのかい?」

 

 シスターには不釣り合いな、禍々しい黒い短剣を左手に持つ。

 もう一度『第三の腕』を振るうと同時、その闇の短剣を連射する。黒縄は殆どを弾いたが、何発かが胴体や腕に刺さった。

 反射的に身構えた様子の男であったが、剣による刺突自体は無痛であり出血もない。

 

 男は刺さったそれを取り除こうと縄で剣を叩こうとする。

 単なる攻撃なら良いが、刺さり続けているだけで何か悪い効果を齎す可能性もある。呪術師なら誰だってそう考えるだろう。その思考が罠とも知らずに。

 

「グッ……!?」

 

 縄が剣に触れた瞬間。魔力を乱されたことで一部の構造が解ける。崩壊した短剣は、体内で破裂し肉に食い込んだ。苦痛に思わず絶叫しそうな所を呻き声で耐えているのは、流石に戦闘慣れしているのか。

 黒い剣――『呪詛の魔術剣』は未だ何本か刺さったままだ。

 

 更に、彼の周囲に手錠と歯車が出現する。それらは鎖を伸ばし、虹色の骨格と透明な肉を持つ2頭の『業の獣』を出現させた。

 後はこの『(カルマ)の術式』が足止めしてくれるだろう。対処しようとして黒縄で『業の獣』を消去しても再召喚され、更にモヤのようなものが体に絡みつき『殺生のカルマ』を背負う。『カルマ』を消そうとすれば『カルマを殺したカルマ』を背負い、更に状況は悪化する。そうして塵のように積み重なった『カルマ』が徐々に蝕んでいくのだ。かといって消さなければ逃げ回るしかない。

 

 失敗を前提としてそれさえ糧とするアレイスター=クロウリーの計画思想を反映したような、どう転ぼうと結果を残す陰湿極まりない魔術。幻想殺しに逃げの一手を打たせた、異能殺しへの一つの解答。

 

 対抗策は起点となる魔術剣を取り除くか本体の私を倒すことだが、前者は内臓を傷つけ最悪死ぬ可能性もある。確証の持てない打開策に賭けられる代物ではない。

 

 後者は不可能に決まっている。実力的な意味で彼では私を倒すことはできないという意味もあるが、既に私達は呪術高専へ向けて走りだしていたのだから。

 

 

 


 

 

 

 インデックス達が呪術高専へ向かっている時。乙骨達は既にそこにはいなかった。

 

「彼女の異常性は事前に分かっていたからね。手段は選んでいられないんだ」

 

 地下駐車場。白色電灯がやけに眩しく見えて、目に優しくない。

 夏油は乙骨に語り掛ける。傍らには、気絶した真希の首に手をかける呪霊。

 人質を取られた乙骨は、誰にも知られることはないこの場所まで連れてこられていた。

 

「真希さんを解放しろ」

「君の呪霊、祈本里香を貰おうか。それが交換条件だ」

 

 主従契約がある呪いを呪霊操術の対象とするには、主を殺して首を挿げ替える必要がある。

 だが本人の意志で放棄させることができればその限りではないかもしれない。

 試したことはないが、労せず手に入れられるのなら夏油は歓迎する。

 

「悪いけどその提案は呑めない。というか、僕にはその方法が分からない」

「ふ、まあそうだろうと思っていたよ」

 

 夏油は小さく鼻を鳴らす。元よりこの方法が上手くいく確率は一割を切ると見ていた。

 

「ならば死ね、乙骨憂太。大義――否、私の理想のために」

 

 抵抗は即ち、真希の死を意味する。

 人質に意味が無いと分かれば、夏油は嬉々として猿を殺すだろう。

 かといって乙骨が大人しく死んで、その後夏油が真希を約束通り無事解放するとは思えない。

 彼の最終目標を考えれば自明である。

 

 それでも、乙骨は抵抗を選ばなかった。

 

「憂太ァァァ!!」

 

 特級過呪怨霊、祈本里香はそれを許さない。

 夏油が放った死の一撃は、里香によって防がれた。主人の意志に反して、主の命を守ったのだ。

 

「何をやって……!?」

「ちっ、面倒な」

 

 今ここで抵抗の意志ありと見て真希を殺すこともできる。だがその場合は乙骨が意志を持って抵抗してくるだろう。今の抵抗は乙骨本人の意志ではない。術師の意志を欠いた今の状態の方が、まだ倒しやすい。夏油は真希を生かしておかざるを得ない。

 

「憂太、死んじゃ駄目!」

「僕も里香と同じ場所に逝くだけだよ」

「それでも、駄目!」

「何で……いや、そうか」

 

 乙骨は自分の気持ちだけに囚われ、他人の気持ちが考えに無かった。

 里香が乙骨の死を拒絶することは予想できなかった。

 ここで乙骨が死んで真希が助かったとして、果たして真希は乙骨の献身を快く受け入れるだろうか。

 

 ――バーカ、一人でやるから意味があんだよ

 

「真希さんはそう言ったじゃないか」

 

 あの人は施しを受けるなんて真っ平御免だろう。

 だったら、最後まで抗う。

 人質に取られるという状況に至った時点で、もう守れなかったと思え。

 薄情と罵るがいい。それでも真希を見捨てるという決意は変わらない。

 これが呪術師として当然の心構えなのだから。

 

「ありがとう里香、気づかせてくれて。ずっと、僕のことを考えていてくれたんだね」

 

 乙骨は、ようやく一人前の呪術師になれた気がした。

 感謝の意を表して、里香を抱擁する。

 それは里香を抱きしめるというよりは寧ろ抱きしめられているようであったが、確かに抱擁であった。

 

「僕はもう、生きる責任から逃げたりしない。里香、僕の命・魂は全て君のものだ。君の意に反して投げ捨てたりしないと誓うよ。もう、大丈夫だから。もう、一人で生きていけるから。だから最後に力を貸して」

 

 乙骨は、生きる罪を背負うと決めた。夏油はそれを見て何を思うのだろうか。

 彼は呪術師同士の献身を美しいと思う価値観を持ち合わせていたが、呪術師が呪術師を見捨てる精神は彼の目にはどう映っているのか。

 今この状況においてはそれは猿と呪術師であるために心を揺らすことはないだろう。しかしこのような残酷なトロッコ問題は呪術界では珍しくもない。

 

 乙骨の行動を悪し様に捉えるなら、他人の気持ちを勝手に推し量り解釈し、これが自分達の常識だからと言い訳を立てて見捨てる行為だ。

 他者に不利益を被らせることを一方的に悪と断じ、非術師を鏖殺すると決めたなら、これが醜く見えていなければならない。

 だがもし、仕方がないとか、必要悪とか、両者覚悟の上だとか、免罪符を考えてほんの少しでも擁護したり、よもや美しく映るようであれば。

 何故、その寛容さを非術師に抱けなかったのか。

 どんな人間も、誰かに迷惑をかけて生きている。だがその全てが本当に悪いことなのか?

 全ての罪を数え晒し上げ清算して、その先に何がある。

 そこには思いやりも何もなく、ただみみっちく、さもしい生き物が残るだけだ。

 助け合うことこそ、短所を補い合うことこそ人間が群れる意義なのではないか。

 

 全ての罪が醜いとは限らない。人間社会を上手く回すためには、適度に罪を赦し合うことが必要なのだ。

 法によって人を裁くのが人間なら、心によって人を赦すのもまた人間。

 『人が人を裁くことなんてできない』。心によって人を裁いたら人間はおしまいだ。

 インデックスが伝えたかったことが、確かに今夏油の目の前にあった。

 

 向かい合う彼らの顔には怒りも悲しみもなく。

 その後は、もはや詳細に語るまでもない。

 

 愛と理想が、雌雄を決した。

 

 

 


 

 

 

「やはり、君で詰みか」

 

 ボロボロの夏油は、私の姿を認めると特に驚くでもなく路地の壁に寄りかかる。

 

「最初に君と会った時、運命だと思ったよ。私の願いの成就を阻むため、理不尽な最後の砦として神が遣わしたんだとね」

「……持論だけど、運命ほど救いようのない呪いは無いと思う」

 

 運命は、どんな努力も想いも滑稽にしてしまう。かといって諦めることもできず夢想するのが、人間という存在。人類に永遠に付きまとう、決して解呪の叶わぬ諦観の呪い。その意味で、救いようがない。

 

「未練がましいようだが、何が足りなかったんだろうね?」

 

 『採点者』として、彼に答える。

 

「何というか、甘いね。あなたは乙骨君を殺そうとしたけど、憎んではいなかった。自分の願望を阻む者なのに」

 

 真に願いに純潔であるには乙骨君すら憎んで、彼を殺すことに微塵も感慨を抱いてはいけなかった。

 

「それどころか、あなたは結局真希さんを殺さなかった。いつだって殺せたはずなのに」

 

 地下駐車場での経緯は乙骨君から聞いている。

 

「あなたが何を見出したのかは知らないけどね。そういうのを『願望の重複』って言うんだよ」

 

 そもそも、彼の願いは叶える前から破綻している。

 呪術師だけの世界で、どうやって生きていくというのか。環境適応とは言うが、そう簡単に適応できたら苦労はしない。呪術師として覚醒しなければ淘汰される状況を作っても、99.9%が覚醒できないまま死ぬだろう。選民の結果残るのは、殆どが今いる呪術師だけ。

 日本だけでも数千人かそこらの人口で文明を維持することなんてできやしない。残った者達も食糧の調達が滞って、大半が飢え死にする。呪術師はいきなり農家にはなれない。

 加えて、絶滅の危機に瀕しても少子高齢化の流れを改善できるとは思えない。結局文化や思想を引き継ぐのだから、さあ子孫を残しましょうとはならず、そのまま人口減少して人類滅亡がオチだ。

 

 短絡的で、愚かで、度し難い。

 

 ――でも、嫌いじゃない。

 

「『善悪で言えば悪だが、好悪で言えば好ましい』。脳幹先生ならそう言うかも」

 

 無理解こそ諸悪の根源。歪んだ思想と行いは否定しても、最初に抱いた願いと彼を凶行に走らせた感情までは否定できない。切っ掛けが何であったかは知らないが、相応の悲劇があったのだろう。

 

「……できることなら、悟の手を私の血で汚したくない。君が終わらせてくれ」

「ご期待に沿えなくて残念だけど、聖職者は殺しを禁じられているんだよ」

 

 勿論方便だ。ただ、自分の気持ちに正直でありたい。

 私は彼を殺す気にはなれない。それには、見殺しにすることも含まれる。

 呪術師が彼を見つけたら、捕らえるのではなく殺すだろう。普段はちゃらんぽらんな態度の五条悟でさえ。

 だから、誰よりも先に彼を見つける必要があった。

 

 仏教徒の夏油には悪いが、手で十字を切る。その手を、夏油に翳す。

 

新たな天地を望むか(・・・・・・・・・)?」

 

 発動条件たるキーワードを唱えると、夏油は右手が作る影に吸い込まれて消えた。

 最期の顔は、天に召されるようだった。

 

 『WISH_Over.Modelcase_”WORLD REJECTER”』

 

 10万3000冊の魔道書の知識と、神の子と99%一致する魔術的記号をこの身に宿すことで得た特殊なテレズマ――どんな魔術の資質もクリアしあらゆる霊装を創り出せる力を使って、上里翔流の『理想送り(ワールドリジェクター)』を私なりに再現した魔術。

 

 理想送りは幻想殺しと対を為す右手。

 上条当麻のソレが今ある世界を修復する、直す、しがみつく理想とするなら。

 上里翔流のソレは今ある世界を見捨てる、旅立つ、放り出す幻想。

 今の世界に執着しながら別の世界を求める意思――願望の重複を起こした者を問答無用で同一時間軸上の余剰領域、『新天地』へと追放する。その力からは位相を自由に差し変える全力全開・完全な魔神でさえ逃れられない。

 

 だがコロンゾンがそうだったように、新天地の行き来には理想送りは必須ではない。

 相対性理論――ウラシマ効果による時間のズレによって新天地の時間と重なるという天文学的な確率で到達できる。それはつまり、時間操作系の術式によって再現できる可能性を秘めている。

 

「Merry Christmas、夏油」

 

 その声は、もう誰も聞いていなかった。

 




『新天地』
世界の時間を映画のフィルムのコマに喩えると、人間は1秒10コマ程度しか認識しない。
しかしフィルムは実際には30枚あるとすると、20枚残る計算になる。
理想送りはこの余剰領域に物や人をずらす、らしい。

人間は誰もいない。ある日突然全人類が消えた世界を想像すれば分かりやすい。
それ以外は現実世界の完全コピー。
ただし毎日午前0時をもって物質の位置や状態が現実世界に修正されるので何も残せない。
形あるものからの執着を捨てられるので解脱には最適だな!(ゲス顔)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

呪胎戴天
死蝋(ミイラに非ず)


「なりません」

 

 年の頃は20代に見える、黒い修道服の女性が言う。

 

「前にも言ったはずだよ。周りでうろちょろする分には構わないけど、行動を邪魔するなら容赦しないって」

 

 向かい合うのは、10代中頃ほどの白い修道服の少女。

 黒い修道服の女性の方が身長も高く年も上。叱りつけるような態度から、傍からすると二人の関係性は義理の姉妹のように見えたことだろう。

 しかし実際の力関係は真逆であった。権力や地位、社会的な価値というのもあるだろうが、霊格の面でも隔絶している。少女の方が、単純な強さで上回っている。

 

「呪物に乗っ取られた男に近づくなど――」

「別に、私がどこで死のうが勝手でしょ」

「我々には御身を守護する義務がございます」

「それはそっちの都合だよね」

 

 インデックスの逃亡以後、保護を主張する日本呪術界と返還を求める英国呪術界の間で対立が続いていた。その間、身柄の所在は暫定的に日本呪術界の監視下に置かれていた。

 一向に譲らない両者の交渉により、彼女の日本滞在は既成事実と化した。

 

 そんな中起きた、百鬼夜行。

 呪詛師夏油傑一派による大規模テロを受けて、英国呪術界が動いた。

 特級呪霊や特級呪詛師による無法を許してしまったのは、日本呪術界の保安能力の無さを露呈するものであった。このような危険極まりない国にインデックスを預けておくわけにはいかないと、英国呪術界からの圧力は激しさを増した。

 

 その結果、英国が指定した呪術師がインデックスを護衛することになってしまった。

 実質、国外の呪術師の活動を黙認する形である。押し切られた呪術総監部としても歯痒い思いだ。

 

 この黒い修道服の女性――マリー=ウェーバーはその中で最も高い戦闘能力を持つ近衛兵であり、身の回りの世話をする侍女を統括する長でもある。

 

「……分かりました。ですが、護衛を付けさせてもらいます」

 

 返事はしない。今までも、守りたければ勝手に守れという態度を貫いていた。

 

 日本に上陸した呪術師の数を、インデックスは知らされていない。今、彼女の周りにはマリーしかいないように見えるが、まさか護衛がそれだけとも思えない。

 日常の中に隠れ潜んでいるのだろうとは思っていた。

 インデックスが呪術高専へと足を進める道中、どこから現れたのか、次々と修道服姿の者達が合流する。

 百鬼夜行のようなことが二度とないよう、身辺を警護する20人以上の呪術師。もはやこの光景の方が百鬼夜行に見えなくもない。

 

 呪術高専に着いて、最初に顔を合わせたのは五条悟だった。

 

「これはこれは、皆さんお揃いで」

「寄るな、化け物め」

 

 インデックスに近づこうとする五条の前に、マリーが立ちはだかる。

 マリーは日本の階級で言えば一級か特級相当の精鋭である。呪霊の活動が穏やかで戦闘行動の必要が滅多にない英国において、これほどの力を持つのは異端と言っていい。

 教会所属呪術師きっての天才であり、その実力を見込まれてインデックスの護衛に任ぜられた。それだけに、五条悟が特級呪術師という枠組みの中でも異常な存在であることを、よく理解できていた。

 敵味方問わず、単純に護衛の戦闘能力を上回るというだけで警戒対象である。その上、マリーは五条の性格が個人的に気に食わない。

 一方の五条は、顔を合わせるとすぐに威嚇する彼女の姿が逆毛立つ猫のようで面白がっていた。

 どことなく庵歌姫に似ているからだろうか。

 

「マリー」

 

 邪魔をするな、というインデックスの圧。マリーは意外にも不服そうな顔は見せず、素直に引き下がった。無表情なのが、かえって不気味だった。

 

「で、急に呼びつけてどういう用事なの」

「用件は既に伝えてあるでしょ?」

「両面宿儺に侵された少年がいる、としか聞いてないんだけど」

「あー、そうだったかも」

 

 相変わらずの説明不足。

 そもそも、両面宿儺とは何ぞやというところから聞きたいところだが。

 

 曰く、両面宿儺とは腕が4本、顔が2つの仮想の鬼神。

 しかしそれは実在の人間である。呪術全盛の時代に悪逆非道の限りを尽くし、当時の呪術師達が束になっても勝てなかったという。

 特級呪物『宿儺の指』は、そんな両面宿儺の死蝋。決して破壊する事ができないため、封印されている。ところが虎杖という少年が、そんな呪物を取り込んだ。取り込んで尚、体を乗っ取られていないという。

 

「彼は、宿儺の指を全て取り込んだ後に殺すことになっている」

「穢らわしい。さっさと殺せば良いものを」

 

 五条の説明を聞いて、マリーが嫌悪感を露わにする。

 

「宿儺に耐えうる器は今までいなかった。破壊不能の特級呪物を処分するなんて機会、すぐに殺すには勿体ないじゃないか――って説得したんだよ」

「で、それがどう私を呼びつけた事と繋がるの?」

 

 インデックスは、自分は関係ないという態度を崩さない。

 所属の上では五条の教師補佐として呪術高専の所属であるため、命令とあれば労働せざるを得ない。

 が、インデックスの存在は呪術総監部としても腫物であり、あれこれと指図することはない。

 元より百鬼夜行以前の時点から、彼女を個人指名して任務に就かせることはなかった。それが百鬼夜行以後はイギリス呪術界からの監視がついたことにより、基本的な任務を与えることさえ躊躇するようになる。結果として、五条からの指示を除く業務の殆どが免除された。

 そのため、ここ最近のインデックスは無駄飯食いと化していた。

 

 向こうが仕事を振ってこないのだから、とインデックスは厚意に甘えさせてもらっているつもりだ。

 

「いやあ。そういえば、魔術で宿儺の指って祓えないのかなあって」

 

 呪術では無理でも、魔術でなら可能かもしれない。その発想は、至極当然の疑問であった。

 

 単純なエネルギーによる攻撃が通じないなら、テレズマでゴリ押しは無理かもしれない。反転術式で呪いを中和するなんて、既に試した後だろう。力任せの手段は通用しない。

 尤も、幻想殺しがあれば話は別。

 なんたって、召喚された大天使を天界へ強制送還したこともある代物だ。あの20世紀最大の魔術結社が重宝した究極の追儺霊装『ブライスロードの秘宝』なら、触れただけであらゆる呪物は消え去るか、無害化する筈だ。

 

「結局封印することに変わりはないけど、空間ごと吹っ飛ばすのはいけるかな?」

「できれば、完全に祓いたい」

 

 新天地送りにするのもいいかもしれない。本物の理想送りと違って、彼女の術式は願望の重複を条件としない。

 そもそも、宇宙に放逐するのはどうだろうか。指が独りでに動くのでなければ、一番楽な解決法だ。その程度五条が考えないわけも無いか、とインデックスは浮かんだアイデアを即座に却下した。

 

「両面宿儺って大したことないと思うんだけどなあ」

「お言葉ながら。スクナの名は、英国にも届いております」

 

 日本呪術界は、国内の呪物の情報は極力外に出さないようにしている。盗難を防ぐためだ。

 特に危険度の高い呪物が保管されている蔵、忌庫の中身についての情報は呪術高専の呪術師でも詳しく知る者は少ない。

 しかし危険な呪物であればあるほど歴史に名を残しており、隠しきれないネームバリューがある。

 特級呪物ともなれば、各国呪術界の諜報部がその動向をマークするほど。日本が封印を誤ったり制御しきれなくなった時、彼らもまた害を被るからだ。

 

「だって両面宿儺なんてただの賊、よくて豪族でしょ?」

「ははは。つくづく、君って規格外だね」

 

 強い、という意味での規格外ではない。いや、事実そうではあるのだが、ここでの意味はそういうことではない。

 価値観・世界観が違う。呪術師の常識が通用しない。夏油が宇宙人と呼んだのは言い得て妙だ。

 呪いの王と畏れ称される存在を、賊呼ばわりとは。五条も思わず笑ってしまった。

 

 だが、そんなことをインデックスは知らない。

 知っているのは、彼女の知識の上での『両面宿儺』についてだけ。

 インデックスの10万3000冊の魔道書には童話や文学、歴史書も含まれる。その一つ、『日本書紀』によると。

 

 上古、4世紀末から5世紀前半の仁徳天皇の時代。飛騨、現在の岐阜県に鬼神が現れたとされる。

 

「『不随皇命(皇の命令に従わず)掠略人民爲樂(人民から略奪することを楽しんでいた)』」

 

 彼の鬼神は、武振熊命(たけふるくまのみこと)によって討たれたという。

 

「その正体については諸説あるけど、いずれにせよヤマト政権、つまり大王(おおきみ)に恭順しなかった勢力への蔑視というのが有力だね」

 

 つまり、両面宿儺というのは呪いでも鬼神でも何でもなく。

 時の支配者が自分達に従わない者共を野蛮人と決めつけ、遂には怪物化して貶めただけの存在。

 

 こうして考えると、古今東西に見られる良くある話だ。

 流石のインデックスも、どっかの宗教も似たような事してた気がするな、とはマリー達の前では口が裂けても言えない。

 

「となると、『妖精化』が応用できそうかな」

 

 十字教は異教の神々を悪魔として貶め、神の座から引き摺り下ろしてきた。

 しかし土着信仰が根強いと反発も大きい。そこで、時に悪しき存在ではなく妖精として扱うこともあった。

 この無力化・矮小化して妖精として扱うという構図を魔術として再現したのが『妖精化』である。

 

 この魔術を打ち込まれた魔神は神の座から強制的に引き摺り下ろされ、人間に戻されてしまう。

 対魔神用に開発されたものであり、人間には一切の効果がない。

 

 両面宿儺は、元は只人であったものが鬼神化された存在。強化と弱体化という点では真逆だが、妖精化と原理は似ている。

 鬼神――神の名を冠しているのもまた都合がいい。少し改良すれば、力を奪い只人へ戻すという形で妖精化が使えるはずだ。

 たとえこの世界の両面宿儺が伝承で盛られた(・・・・)存在ではなく正真正銘の強力な呪詛師であったとしても、関係ない。どのような存在であれ、魔術的記号は揃っているのだから。

 

「ただ……この方法を取ると器ごと崩壊する可能性があるんだよね」

 

 オッレルスのように力を失うだけならいいが、オティヌスのように肉体が滅びる可能性は捨てきれない。

 また、力を失ったからといって両面宿儺の人格そのものが消えるとは限らない。多重人格、最悪の場合宿主の人格を消し去って乗っ取ることも考えられる。

 いずれにせよ、虎杖何某は無事では済まないかもしれない。元々処刑される前提とはいえ、インデックスは自分の手を汚すことを良しとしない。

 

「五条が『妖精化』を習得するっていうのなら教えるけど」

 

 五条は首を横に振る。

 元々、虎杖の死刑を延期したのは彼自身だ。いずれ殺す事は本人も了承済みとはいえ、昨日の今日でやっぱり処分方法見つかったから殺すね、とは彼も言いづらいだろう。

 

 そもそも、暴走したならともかく、五条に本当に殺す気があるのかどうか。

 

「取り込まれる前の指単体ならなんとかなるかも」

「頼んでおいてなんだけど、それについてはちょっと待ってくれないかな」

 

 宿儺の指を処分する方法が他にあるとなると、虎杖悠仁をどう扱うか上層部で再議論されるだろう。

 指を探すためのレーダーとしての役割は見込めるとはいえ、死刑の即執行となってもおかしくない。というか、十中八九そうなるだろうと五条は予想する。

 結局、指の処分については保留という事になった。

 

 

 一方その頃、虎杖は伏黒と共に原宿に居た。

 

「五条先生、遅いなぁ」

「いつものことだ」

 

 自分の知らないところで、生死を左右する話し合いが行われているとは思いもしない虎杖であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

呪術と魔術が交差する時(物語は始まる)

 結局、インデックスが虎杖と顔を合わすことは無かった。五条はあの後一年生達と会う予定だったようだが、そこに大勢引き連れていくのは色々ややこしいからだろう。完全な無駄足であったがマリー達護衛は不満などなく、寧ろ安堵したようだ。

 

 それから数日。7月に入り初夏の日差しが暑さを齎す。

 インデックスは諸々の魔術で修道服姿でも暑くはない。しかし、護衛の彼女達はどうなのだろうか。汗一つ流さず涼しげな顔をしているのは呪力による防護があるのか、単なる痩せ我慢か。

 

 五条は出張中。生徒達も任務で忙しいということもあって、インデックスには現在仕事がない。非常時の予備戦力として自宅待機中である。つまるところ休みだった。平時も五条について回るだけの仕事だが。

 

 日中、暇があればインデックスは魔術の研究をしている。最近のテーマは、専ら呪術に対する強制詠唱(スペルインターセプト)についてだった。護衛の呪術師という丁度いい実験体が手に入ったことによって、兼ねてより興味のあった呪術と魔術の学際的研究にも手を出し始めた。

 

「では」

 

 マリーが鉄の釘を差し出す。そこに呪力が流し込まれるのを眺める。

 

流入を停止、帰還せよ(S I, R T T S)

 

 ノタリコンにより省略された詠唱で呪力操作に割り込みをかけようとするが、何も起こらない。

 それを見届けたマリーは、次の工程に移る。

 

聖別呪法(Consecration)

 

 マリーが術式を行使する。活性化した呪力の奔流が鉄釘の内部を巡るのが分かる。

 これが彼女の生得術式。

 

 元より反転術式こそ至高としてきた民族。練度は粗末で止血等の応急処置しかできない者が大半とはいえ、切れた血管さえ即座に繋げられるのは現代医学の外科手術を超えている。まして戦場で行えると考えれば、その価値は推して知るべし。

 他人を治癒できる者は更に限られるが、誰もが習得すべきと掲げ信徒・弟子・子孫にもそうさせていった結果、力を外に放出、あるいは何かに付与するという技術は世代を超えて磨かれていく。

 するとその傾向は、反転術式に限らず通常の呪術の進化にも影響を及ぼす。故に彼ら聖職者は、物体の強化や呪具の製作に長ける。

 日本の呪術師と比べて平均的に呪力総量が劣り、強い呪霊との実戦の機会にも恵まれない彼らが力を手にする方法としては、この上なく最適である。事実、長い年月をかけて予め用意できる呪具を用いれば、本人の術式が弱くとも格上相手に健闘できる事をミゲルの黒縄が証明している。

 

 マリーが今見せたものは、単に呪力を物体に籠め保存するだけではない。聖別は物品に対して使用用途を限定する縛りを課すことで、その性能を格段に強化する。

 大抵の場合、呪霊を祓うためにだけ使う、という風に。聖別された鉄釘は、今後他の用途には使用できない。それこそ、本来の使用目的である木材には刺さらなくなる。

 

強化配分を変更、内から弾けよ(C R D, B O F W)

 

 呪力が一点に集中し、内部加圧により増加する応力。耐え切れなくなった金属が、弾性変形を経て降伏点を超え、塑性変形。遂には破断に至る。

 

 パキン、という音と共に釘が中心から切断された。

 

「何となく、分かってきたかも」

 

 先の呪力を籠めた時と、術式を行使した時の違い。

 それは、インデックスが魔術として解釈できる余地があるかどうかである。

 

 『聖別』。

 

 とある魔術の禁書目録においては、儀式魔術における儀礼剣などの道具の準備段階で実行される基本的な工程である。これ単体が魔術というよりは、宗教概念の側面が強い。

 他にも物に力を宿すという点に着目すれば、『象徴武器(シンボリックウェポン)』など似たような魔術は存在する。

 

 強制詠唱(スペルインターセプト)は術式を操る魔術師の頭に割り込みを掛け、暴走や発動のキャンセルなど誤作動を起こさせる技術。

 素数を数えている人の耳元で出鱈目な数を言って混乱させるような物。あるいは、コンピュータが処理に夢中になっている隙を突いて、こっそり悪意あるプログラムを混ぜ込むような物か。

 

 術師をプログラマー、術式をコードだとすると。術師は自らの術式をよく理解している。

 しかし実行する時には、素粒子レベルで世界にどのような影響を及ぼすのか、全粒子を事細かに追えるはずもない。一度自分の手から離して"機械(世界)"に演算を任せている。

 ちょうど、コードを機械言語にコンパイルしなければならないように。

 0と1だけの羅列を見て、それが何を意味しているか――どのような術が実行されるのかは発動するまで分からない。その術者本人にもブラックボックスとなる瞬間。0と1の羅列を悪意ある侵入者がいくら書き換えたところで、気づけるプログラマーはまずいない。

 

 呪術と魔術の原理が異なっていても、結局のところ術者が頭で考えてそれを現実に作用させるという点は変わらない。前述の例えで考えれば、使っているプログラミング言語が異なるだけ。解読はまず不可能だが、逆に言えば術式の内容から言語を予測できれば強制詠唱(スペルインターセプト)が呪術に効く可能性はあながち0とは言えない。

 

「実際のところ、都合良く上手くいっただけだけど」

 

 殆ど当てずっぽうに近い。パスワードで誕生日を試したようなもの。偶然とセキュリティの甘さがなければまず効かなかっただろう。

 

「しかし、最初に呪力を籠めた時に上手くいかなかったのは何故なのでしょう?」

強制詠唱(スペルインターセプト)は魔力そのものの制御権を乗っ取るわけじゃない。なら、同じように単なる呪力操作を妨害することもできない」

 

 マリーが行った聖別は一つの術だった。

 妨害するにはそこにコードが必要になる。すなわちその術に潜む法則や理。これを解析し逆手に取る技術だからこそ、インデックスのような豊富な知識を持たなければ扱えないのだ。

 

「今の所、原理が単純かつ魔術に似ているものにしか通用しなさそうだね」

 

 インデックスの携帯が鳴る。流石に原作と違って機械音痴ではない。即座に応答する。

 発信元は伊地知だった。

 

「インデックスさん。今、少しよろしいでしょうか」

 

 

 


 

 

 

 不平等な現実のみが平等に与えられている。

 伏黒恵は、それを痛感していた。

 

 少年院での特級呪霊との遭遇。宿儺に体を代わる虎杖を置いて、釘崎を探して逃走するしかなかった。

 伊地知に釘崎を預けた後、彼は虎杖を待つために少年院に残ることにした。

 生得領域が消えたことで特級呪霊は祓われたと分かった。だが伏黒の元に帰ってきたのは、虎杖の体を乗っ取った宿儺。しかも奴は体から心臓を取り出して、虎杖を人質にとったのだ。

 虎杖を助ける方法は只一つ。

 

「(心臓を欠いた体では俺に勝てないと思わせるんだ。できるか、俺に?)」

 

 宿儺は両手をズボンのポケットに突っ込んで余裕綽々だ。

 できるかではない、やるしかないのだ。

 決意を固めた伏黒が影から式神を呼ぼうとしたその瞬間、彼女は現れた。

 

「本当に汚らわしいですね。だからさっさと殺しておけばよかったのです」

 

 現れたのは黒い修道服に身を包んだ金髪美女。異様なのは、身の丈より大きなハルバードを担いでいることだ。

 

「誰だ、あんた」

 

 呪術師のようだが、伏黒には見覚えが無い。いや、思い返してみれば何度か見かけたことがあった。

 呪術高専には五条の教師補佐として雇われている白い修道服の少女がいる。補佐とはいえ伏黒よりも若いのに教師をやっているのかと驚いたものだ。

 滅多に学校に姿を現さない彼女が時折学校にやってくる時、いつも彼女の傍にいる女性。顔をよく見ていたわけではないし、こんな大きなハルバードは持っていなかったから思い出すのに時間がかかった。

 その時は保護者か何かだと思っていたが……。

 

「聖人様に代わって、宿儺を祓いにきたのです。危険な目に遭わせるわけにはいかないので」

「おお! 俺を祓うときたか。随分と威勢の良い奴だ」

 

 本来であれば思い上がったその態度を赦す宿儺ではなかったが、今の彼は機嫌が良い。運動がてら相手をするならより強い方が歯ごたえがあって楽しいだろう。

 

「祓うって、虎杖はどうするんです」

「あれはどのみち助かりませんよ。諦めるのです」

「なっ」

 

 残念ながら救援は伏黒の完全な味方というわけではないようだった。マリーは虎杖の命のことを何とも思っていない。寧ろ虎杖の死亡がほぼ確定し宿儺が暴走したことで、今までは手出しできなかった宿儺を祓える大義名分を得てしまった。主の周囲の危険因子を取り除く絶好の機会を見逃すはずがない。

 

「待て、待ってくれ。まだ虎杖は助けられる」

「私に言われましても。頼む相手が違いますよ」

 

 両手でハルバードを構えたマリーは、伏黒の懇願を無視して宿儺と対峙する。

 

「女の方が楽しめそうだ。だがまあどっちが先でもいいぞ。かかってこい、どのみち鏖だからな」

 

 マリーは槍斧の重さを感じさせないほどの速さで宿儺に肉薄する。

 二人の戦闘は舗装された地面を砕くほどに激しく、伏黒は自身の力不足を悟る。

 動きを追いきれない。割って入れる力は彼には無い。

 

「くそ、俺は……」

 

 彼女が宿儺を追い込むことができれば、心臓を治すかもしれない。そうなったところでマリーは止まらないだろう。だが追い込めなければそもそも意味がない。伏黒がいても足手纏いなだけだ。

 彼は立ち尽くすことしかできなかった。

 

 マリーの攻撃を躱し続ける宿儺。今の所どちらが劣勢というわけでもない。

 攻撃に転じようとした宿儺がハルバードを掴む。

 

「何?」

 

 熱のようなものを感じて、すぐさま手を離す。

 右手から煙が出ていた。皮が剥がれ、肉が溶けている。

 

「退魔の力? いいや、呪霊ではない俺に効くはずがない」

「退魔ではなく、対宿儺の力ですよ」

 

 そう言って、マリーは術式を開示する。

 

聖別呪法(Consecration)。物体の使用用途を限定し、それだけに特化することで強化する呪術。このハルバードは宿儺に纏わるものに対する特攻を得ています」

 

 マリーはハルバードを思い切り地面に叩きつける。

 

「この通り、それ以外には傷一つ付けられません」

 

 先程から地面を砕いていたのは、足による踏み込みによるもの。空振りして地面を叩いた時、ハルバードは地面に傷一つ付けることは無かった。

 

 宿儺は右手を握りしめて感触を確かめる。

 反転術式による再生が鈍い。ほんの少しのダメージにも拘らず、治すのに十数秒かかってしまった。再生阻害効果まであるようだ。

 

「呪力による防御力を過信すると命取りか。だがこの程度、触れなければどうとでもなる」

 

 近接攻撃では分が悪い。遠距離攻撃を主体に切り替えた方が良さそうだ。

 しかし呪力弾による射撃は軌道が直線的すぎて宿儺特化ハルバードで簡単に切り伏せられてしまう。

 術による遠隔攻撃。これを使わざるを得ないというだけで、相手としては上等。

 

「これは本当に、心臓を治す必要があるかもしれんなぁ?」

 

 くくく、と笑う宿儺。

 だが、実のところマリーも苦しかった。純粋な身体能力では宿儺の方が上。今までだって一撃も浴びせられていないのに、回避に専念して距離を取られれば攻撃手段を失う。

 

「さて、どこまで耐えられるか」

「ちっ、これはできれば使いたくなかったのですが」

 

 気付けば、最初の少年院の門から随分離れている。伏黒の姿も見当たらない。彼女の切り札の使いどころとしては絶好だった。

 

 教会随一の武闘派であるマリー=ウェーバーは、権力闘争から爪弾きにされている。現場でいくら実績を積んだところで、ある程度までしか地位は上がらない。極端な話、キャリアルートを歩みたいのなら呪霊と戦闘をしてはいけないのだ。穢れがどうとかいうよりは、警察・官僚しかり管理職の常だろう。どれだけ戦えるかより、反転術式を磨いた方がよっぽどマシだ。

 本来であれば、彼女が教会の至宝にして最重要存在である聖人に近づけるはずもない。たとえ護衛であったとしても、世襲の貴族呪術師や次期主教クラスでなければ務まらない。

 

 そんな彼女が最側近で護衛を務めている唯一にして最大の理由。

 それは、現代呪術師の奥義。

 日本呪術界に練度で劣るイギリス呪術界において、確認されている限り使用者は彼女一人。

 

 

領域展開(Domain Expansion)

 

 

 十字を切ると、体内を巡る呪力が生得領域を喚起する。

 

 

無謬無相聖域(Invisible Sanctuary)

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

領域攻略(みんな電柱は持ったな!!)

 

 透明なヴェールのようなものがマリーを中心に拡散していく。やがてそれは完全に空気と一体化して見えなくなる。

 

「ほう」

 

 それだけだ。たったのこれだけ。

 深黒の宇宙空間に閉じ込められるわけでもなければ、おどろおどろしい骸骨が辺りに散らばるわけでもない。気味の悪い手に閉じ込められるわけでもなければ、周囲がいきなり駅構内に変わるわけでもない。

 領域が展開されたというのに外見……いや、内装に何の変化もない。

 

「不可視にして閉じない領域ときたか」

 

 見たところ、宿儺の領域と同じように現実世界とそのまま繋がっているようだ。ただし宿儺のそれとは違って環境そのものに変化が見られないので、どこまでが領域か分からない。

 領域の半径も境界も分からないのでは、脱出という手段はほぼ封じられたといっていいだろう。

 

「聖職者の生得領域などどうせ教会、処刑場、天上のどれかだろうと思っていたが、中々楽しませてくれるではないか」

 

 透明で形のない精神。

 ある意味、偶像崇拝を嫌う十字教徒らしいとも言えるのだろうか。

 

「む、術が使えない……?」

 

 宿儺も既に一度領域展開をしたばかりではあるが、また領域展開ができないわけでもない。領域対決も良いが、それでは味気がない。真正面から潰してやるのも一興だ。当初の予定通り、距離を取って術で攻撃しようとしたのだが、肝心のそれが発動しない。

 

「術式がショートしているのに近いか。これでは呪術は使えんな」

「ええ、その通り。私の領域は物だけでなく空間に縛りを与える。今回は呪術の封印です」

 

 聖別呪法(Consecration)は呪力を籠めた物体に強制的に縛りを課す呪術。

 無謬無相聖域(Invisible Sanctuary)はその延長であり、領域内の全てに縛りを課す。

 対象は物体に留まらず液体や空気、生物から呪力に至るまで。術者であるマリー=ウェーバーが定めた縛り(ルール)を強制する。

 

 相手に応じて自由に内容を変えられるのだが、専ら呪術の封印を縛りとすることが多い。

 そもそも現代においては領域展開というもの自体が必中必殺の奥義。そう考えると今更呪術を封じるなんて回りくどく感じられる。

 だがこれはつまり、相手の領域展開を封じるということでもある。先に領域を展開できさえすれば、相手に領域展開返しさせずに封殺できる。場合によってはジャイアントキリングさえ可能とする。

 

「流石の両面宿儺も呪術が使えないとなると困りますか」

「呪力そのものが消え去るわけでないのなら、呪力による身体能力の強化は働く。それで十分だ」

「痩せ我慢も上手なようで。ですがご安心を。私も同じく呪術は使えません」

 

 この領域の難儀な点は無差別であること。自分自身すら縛りからは逃れられない。他にも一度に課すことのできる縛りは精々一つが限度といった弱点がある。

 

「は、自分で作った鎖に自分で縛られるとは間抜けだな。近接戦闘で俺に挑もうなど愚の骨頂だぞ?」

「あなたこそ、馬鹿なのですか? 既に発動した呪術が無効化されるわけではありませんし、呪力そのものは許される。ということは、呪具の効果は残ったままなのですよ」

 

 マリーの領域は縛りであって、消去でも無効化でもない。既に起こった事象を取り消すことはできない。

 だからこそ、術式効果が事前に込められている呪具を用いた戦闘スタイルとは相性が良い。

 ハルバードを振り回して右手に持ち替え、宿儺へ向けて突きつける。

 

「ここがあなたの墓場です」

 

 彼女の宣言は、あながち間違いでもなさそうだった。

 遠距離攻撃手段は封じられた。かといって近接戦闘ではあのハルバードが厄介だ。完全に四肢を切断されたら、戦闘中の再生は不可能。そうやって無力化された上でトドメを刺される未来が見える。今の取り込んだ指の数では力押しで殺すこともできそうにない。

 それに時間制限もある。もたもたしていると虎杖に制御権を奪い返される。マリーは虎杖の命を気にしていない。虎杖に自死する度胸は無いと言ったが、どうせ死ぬと分かったならせめてもと潔く死ぬ可能性は捨てきれない。

 宿儺としては別にこの体を失っても構わないのだが、この女に殺されて負ける形となるのは癪に障る。

 

 彼が選んだ選択は、背を向けて離れることだった。

 

「逃走ですか、呪いの王と呼ばれる者の行動とは思えませんね」

 

 追いかけるマリー。二人は少年院から出て、住宅街へと入っていく。

 無論、宿儺も尻尾を巻いて逃げたわけではない。

 

「いまいち手頃なのが見つからんが……これで良しとしよう」

 

 宿儺は街路に並ぶ電柱を引き抜く。

 

「領域の方はともかく、貴様の呪術は攻略法が明確だ」

「っ」

 

 掴んだそれを振り回し、マリーへとぶつけようとした。

 

「俺と関係のないものに対しては意味を成さない。呪力の籠もっていない武器には無力だなあ!?」

 

 宿儺の膂力で振るわれた横薙ぎ。彼の身体能力は呪力で強化されていても、接触する武器そのものに呪力が付加されていなければ聖別は効かない。こちらも呪力強化すれば電柱を破壊することはできるだろうが……宿儺を討つことに特化してしまったハルバードではそれもできない。

 同様に、肉体を強化して防御するのも一つの手だ。

 しかし。

 

「貴様の貧弱な呪力量ではこの質量体を受け続けるのは辛かろう。貴様の呪力が尽きるか俺の時間制限が来るか、どちらが先か試してみるか?」

 

 マリーは電柱を受け止めず回避した。

 彼女は既に領域を展開している身だ。残り呪力には気を使わねばならない。ハルバードなどの呪具は既に発動したものなので問題無いが、身体強化には呪力を消費する。呪力が枯渇して防御や回避に呪力を割けなくなれば終わりだ。

 

 何だかんだ言って、電柱がしっくりきたらしい。補給しやすく耐久性と質量に優れた武器を手にした宿儺。消耗戦では彼に分がある。両者決定的な一撃は入れられない攻防が続き、このままいけばマリーはジリ貧になるかと思われた。

 

「私だけでは、無傷で宿儺を祓うことは難しいですね」

 

 元々、この領域は仲間を引き込むことで本領を発揮する。

 互いに呪術が封じられれば純粋な近接戦闘に縺れこむことは明白。そうなると持ち込んだ呪具の性能と互いの呪力総量がモノを言う。つまり、数で圧倒するのが本来の戦い方。

 

 他の護衛部隊は彼女が離れる間のインデックスの守護を任せなければならなかったため、今回は連れてこなかった。それは失敗だったといえるだろう。

 

「どうした、まだ奥の手があるのか。新たな呪具か?」

「いいえ、術ですよ」

「呪術は貴様とて封じられているだろう。それともあれは嘘だったのか?」

「ええ、確かに言いました。呪術は(・・・)使えないと」

「何?」

「……御身より授かった力を使うことを、どうかお許しください」

 

 何を狂ったか、マリーは宿儺へ突っ込んでいく。

 当然、電柱の餌食となる。

 

 

ゼロにする(・・・・・)

 

 

 その感触は、まるでスポンジで物を叩いたかのようだった。

 

 『ソーロルムの術式』。

 

 北欧のサガに登場するベルセルク、ソーロルムの異能を元にした魔術である。

 その効果は武器による攻撃の威力をゼロにするというもの。

 一度術者が認識する必要はあるが、剣も槍も棍棒も投石も弓矢も銃もミサイルも爆弾も、どんな武器も(なまくら)と化す。

 

 インデックスが自分以外の人間に魔術を使わせる実験として、マリーに教授した魔術だった。

 伝承通り弱点がハッキリしていて、防御魔術故に悪用には限界がある。インデックスの基準では比較的弱い魔術の部類なので、何かの拍子に広まっても問題ないだろうとの判断である。

 

 思わず目を剝く宿儺。だが驚愕している暇もない。

 攻撃を意にも介さず接近するマリーから距離を取ろうとするが、接近できたこのチャンスを逃す彼女ではない。マリーは袖から取り出した数本の鉄釘を投擲する。先程までは距離が空いていて避けられたり電柱で防がれてしまうので使わなかったが、懐に入り込めた今ならば遠距離攻撃も通用する。

 当然、これらには聖別が掛けられている。宿儺の脚に刺さったことで、一瞬動きが止まる。即座に釘を抜いたことで脚が機能しなくなることは防げたが、致命的な隙を晒してしまった。

 

 振りかぶったハルバードの穂先が日の光を反射する。

 次の瞬間、曇りなき金属光沢は血に染め上げられた。

 

「ちっ」

 

 受け止めた腕が千切れ飛ぶ。

 咄嗟に右腕を翳したことで脚に喰らうことは免れた。機動力を失うわけにはいかない。

 

 宿儺は後方へ跳躍し、再び距離が開く。

 マリーは追撃はせず、斧槍を払って粗方の血を落とす。聖別による特攻効果は血液にも作用している。触れているだけで血は煙となって蒸発していく。

 

「片腕では電柱は振り回せませんね」

 

 膂力の問題ではない。角度の問題だ。

 腕の可動域からして、片腕だけでは全方位をカバーすることはできない。右腕を失ったことで、右側面からの接近への対応がワンテンポ遅れる。それだけの違いで、戦況は一気にマリーの方へ傾く。

 

 取り込んだ指は3本しかないとはいえ、つい先刻特級呪霊を嬲り殺しにしてきた宿儺と渡り合える呪力強化と近接戦闘技術。更には聖別による特攻、領域による呪術封じ、術が使えない中での隠し玉による防御。

 マリーは無傷、宿儺は右腕欠損で即時再生は不可。もはや消耗戦にはならない。

 

「認めよう。今は貴様を殺すことはできん」

 

 宿儺は、今の指の数で敵う相手ではないと判断した。

 手を叩こうとして、片腕が無いことを思い出す。

 

「命乞いなら聞きませんよ」

「称賛だ。俺から褒められることなど滅多にないぞ、素直に受け取っておけ」

 

 正体不明の術を抜きにしても、宿儺が認めるに足る実力は示していた。ソーロルムの術式が無くとも呪力防御のみで負傷覚悟の接近はできたのだ。それをしなかったのは宿儺の罠を警戒したのと、完璧な勝利に拘ったから。淡泊で自由気ままな性格のインデックスとは反対に、彼女は厳格で完璧主義だった。

 

「そう、殺すことは(・・・・・)できん」

 

 その語り出しは、先の彼女に対する意趣返しか。

 答え合わせが始まる。

 

「貴様の領域は見えないわけでも閉じないわけでもない」

 

 結界で空間を分断しない領域展開はキャンパスを用いず空に絵を描くに等しい神業。

 当然ながら、彼女は宿儺と同じ域にあるわけではない。

 では、なぜ彼女の領域は果てが無いのか。

 

「何も変わっていないように見えるだけの現実を模した領域。それが正体だ」

 

 騙し絵(トリックアート)

 そこにキャンバスが無いかのように描かれ、周囲に溶け込んだ絵。

 絵でないように見えるだけの絵。虚像の現実。

 確かにそこに結界(キャンバス)はある。

 彼女の心象風景は、ありのままの現実をありのまま投影していただけのことだった。

 

「……何故、分かったのですか」

「これだけ街中を暴れまわっているのに人どころか虫一匹も見かけん。生物までは再現できんか?」

 

 奇しくも、それは『新天地』によく似ていた。

 人が居ないのは、半径500メートル以内の住民に避難誘導がされているからで説明がつく。虫がいないことに気づく注意力には舌を巻かざるを得ない。普通はそんなことは気にしない。

 

「如何に現実を模したといえどこの宇宙、いや地球をどこまでも再現など出来るはずがない」

 

 結界であるなら、枠は確かにある。

 

 宿儺は左手に渾身の力を込めて地面を殴りつけた。

 アスファルトが砕け地盤が崩壊する。軒を連ねる建物が次々と倒壊していく。

 足場を崩されたマリーはその場を離れざるを得なかった。粉塵が晴れた時には宿儺の姿は無かった。

 マリーは宿儺の狙いを察していた。しかし分かったところで今更どうにもならなかった。

 

「大方、この領域は術者を中心に半径数十メートルに展開している。術者が動けば世界の描画範囲も動く。逆に言えばその範囲が領域の境界であり出口」

 

 宿儺から離れようとしなかったのは追撃だけが理由ではなかったのだ。

 数秒の隙があればそれだけの距離を突き放すのには十分。 

 

「良くできている。出ようと思えば簡単に出られるのに、領域の形が分からなければ出ようとすら思わん」

 

 マリーから一定の距離を離れた時点で、街はガラスのように砕け散った。

 周囲を見渡すと、領域展開をした時点の場所――少年院へ戻っている。

 領域内でいくら移動したところで、領域の外では一切移動していなかった。

 

「種が割れればこんなに脆い領域もない」

 

 マリーの姿はそこになかった。彼女はまだ領域の中にいる。

 辺りに領域らしき外殻は見当たらなかった。

 

「籠城か。まあいい、今回は少し楽しめた」

 

 入ることは拒むが出ることは拒まない、通常の領域とは正反対の思想の領域。

 もし誰かがこの場を目撃していたなら、何もない所から宿儺が現れたように見えただろう。

 彼女の領域は3次元空間に入口は無い。どこまでも見えざる聖域であったのだ。

 




『ソーロルムの術式』
英国騎士派のトップ、騎士団長の術式。
認識した武器による攻撃を無効化する。具体的には近接武器は切れ味や質量が無くなり、飛び道具は落下し、爆弾等は不発弾化する。
伝承では武器を鈍にする能力を持つ賊ソーロルムとの決闘で、グンラウグは王から貰った剣を隠し持って使用しこれを打ち破った。よって認識外からの攻撃や武器を介さない魔術などには無力。
威力が大きすぎるとゼロにできない。が、作中では唯閃さえ防いでいる。

あとテストの点数、預金残高、失業率、降水確率などはゼロにできないので悪しからず。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冥土帰し(蛙面宿儺)

 虎杖悠仁は、血のように赤い水面に立っていた。

 

「許可なく見上げるな、小僧。不愉快だ」

 

 

 


 

 

 

「死んでるね」

 

 私の眼前には骸が横たわっている。

 

ニヴルヘイムの女王はかの地の死因を浮き彫りに

 

 ペロッ……これは心臓を失ったことによる実質的心停止!

 って見たら分かるわ。

 両面宿儺に体を乗っ取られた状態で、本人によって心臓が抉り出される。その後なんやかんやあって肉体の支配権が戻ったことによって死亡、か。

 ちなみに比喩ではなく本当に舐めている(・・・・・・・・)

 遺体を、じゃないよ? そんなばっちいことしません。えんがちょ。

 吸い込んだのは蝋燭のような光の残留情報。

 

 グレムリンのメンバーであるヘルが用いた術式だ。

 名前から分かるだろうが、この術式は北欧神話の冥府の女神を元としている。こうして、死者の残留情報から死因を取り出すことができる。

 尤もこの魔術の本領は死因を入れ替えることにある。武器に死因を付加することで刀剣で絞殺し、列車で溺死させ、ガスバーナーで圧殺し、銃で焼死させるのだ。

 目の前の死体一つの情報を読み取るぐらいなら、周囲一帯の海面を凍らせる必要はない。その辺に氷一つ、というか最悪冷気があれば事足りる。まさか遺体安置所あるいは解剖室で困ることもないし、無くてもそれくらい水のルーンで作れる。

 

「君ね、一応僕()の生徒なんだ。少し薄情すぎないかい」

 

 遺体を見た私の第一声に不満でもあるのか、五条が少し声のトーンを落として呟く。まさか五条に人情を説かれることになるとは私も思わなかった。

 

「……アーメン」

 

 宗教多分違うだろうけど。でもこっちも本当に十字教を信仰してるわけじゃないから、追悼を表現するために適当な形式をとっただけだ。

 

「そういう意味じゃない。人が死んでもなんとも思わないのか?」

「検視官が死体を前にして一々泣いて嘆くわけないでしょ、それと一緒。私だって人によっては惜しいと思うよ」

 

 人は死ぬ。死は死であって、それ以外の何物でもない。

 それを不幸と思うのも嘆き悲しむのも、人間が勝手に創造した主観的概念(宗教)である。

 悲しみたい奴だけ悲しめばいい。私が悲しまなかったからといって咎められる筋合いもない。それはただの感情の押し付けに過ぎない。

 人の心は何人も侵してはならない聖域である。悪意も殺意も劣情も冒涜も、全てが赦される。言葉に出したり行動に起こせば、社会の輪から外されたり規範によって裁かれるだけのこと。逆に言えば、好意や献身や親切や畏敬を強制されることもあってはならない。

 死体の前で喜びの舞をしないくらいの礼節は必要だけれど。人間は感情的な生き物だから、そういった配慮が必要なことは社会を上手く回すための規範として理解できる。

 

 でも、五条が私の冷たい態度を見て気を悪くするのも分かる。ミドルティーンの少女の死生観と思えないのだろう。ただでさえ気が立っている時に、想定していた反応との差異で私に対する不信感というか、不気味さを抱いたのだ。本来、他人の情動を気にするタイプの人間じゃない筈だ、五条は。

 これが成人女性――それこそそこに居る家入硝子なら気にも留めなかったろう。実際、彼女も似たような振る舞いをしている。プロだからね。

 

「そもそも虎杖くんとは話したことないし。じゃあ何、『死者の軍勢(エインヘルヤル)』で生き返らせればいいの?」

 

 懐から指先サイズの金塊を取り出す。これまた丁度良く心臓部がぽっかり空いているので埋め込みやすくて助かる。

 

「さらっと禁忌っぽいことしようとするんじゃありません」

 

 虎杖を傀儡化しようとする私を、五条が腕を掴んで止めた。

 

「冗談だって、本気でやるわけない。というか、生きてる奴には使えない(・・・・・・・・・・・)し」

「……は? 生きてる?」

 

 五条が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。いや、眼帯をしているので目は見えないけど。雰囲気だ雰囲気。

 しかし彼の疑問は至極当然だ。虎杖悠仁は心臓を失い血流は停止。既に死亡から数時間以上経っており、確実に脳死状態にある。というか、私自身今さっき「死んでる」と言ったばかりだ。そしてそれは嘘ではない。

 

「死んでるけど生きてもいるんだよ。そういう境界が曖昧な奴に『死者の軍勢(エインヘルヤル)』は使えない」

「それ、どういう意味?」

「何て言えばいいんだろう。肉体的には死んでるのに魂が残ってる、みたいな」

 

 うーん、これって『死者の書』を組み立てて記憶を読み取ることってできるんだろうか。ヘルの術式は肉体の方に判定があるのか機能したけど。ちなみに『死者の書』とは、古代エジプトにおいてファラオが現世に戻ってこれるように副葬される魔道書のことである。

 

「……宿儺が生かしているのか」

呪術サイド(そっち方面)のことは詳しくないから、五条に任せるよ」

 

 私が協力できるのはここまでかな。

 

 虎杖悠仁が何故死んでいるのか。何故私がここにいるのか。 

 それを説明するには、伊地知さんから電話がかかってきた時。そこから語る必要がある。

 伊地知さんからの電話の内容はずばりこうだ。

 少年院で生死不明の5人の救助にあたっていた1年生達が特級呪霊と会敵。至急応援が欲しい。

 五条は出張で不在。こういう時こそ私の仕事だ。すぐに出立しようとしたのだが、どうにも話に聞いていた虎杖が宿儺に体を明け渡したらしく、最悪の状況を想定したマリーが代わりに行くというのだ。

 私を危険な目には遭わせられないとか。特級呪霊とか宿儺とかいうのがどれくらいの強さなのか分からないが、少なくともマリーがいても絶対に守り切れる自信がないくらいには強いのだろう。

 だったら尚更一人で行くのは危険だと思ったのだが……まあ、彼女が選んだことだ。どこで死のうが私の知ったことじゃない。私がどこで死のうが勝手であるのと同じように。

 これは直属の上司である五条からの命令ではない。関係者からの頼み事に過ぎない。正式な仕事ではないから受ける必要もないが、見捨てるのは角が立つ。けど代わりにマリーが行ってくれるなら義理を果たせるし、私は楽できる。

 

 詳細は知らされていないが、結果的にマリーは無傷で帰ってきて虎杖は死亡。

 私はそのことに責任を感じるほど英雄気取りじゃない。

 私はちょっと魔術が使えるだけで性根のところは只の人間だ。

 大いなる力には大いなる責任が――なんて反吐が出る。

 もし自分の手に核兵器のスイッチが握られていたとして、それを私欲で使わない理由はモラルや責任などという何時でも投げ棄てられる曖昧で儚いものではなく、損得でなければならない。そこを上手いこと『損得関数』を弄って実現するのが法と刑罰だ。

 それにこういうのは警察や自衛隊の仕事だ。こっち側なら呪術師の仕事になるのか?

 確かに私は呪術師に関わりを持っている。給料まで貰っている。しかし仕事であるからといって命令されなきゃやる必要はないし、故意でない仕事上の失敗の責任は個人には帰属しない。

 したら労基に駆け込んでやる。呪術師にそういうの無いだろうけど。

 

 だから、こうして五条に呼び出されて虎杖の遺体を検分しているのは、そういう事情とは関係なく単に五条に命令されたからに過ぎない。いや、別に「しろ」って感じの命令口調ではなかったけれど。「ちょっと着いてきてくんない」くらい軽かったけれど。上司の頼み事とは即ち命令なのだ。

 

「で、これどうする? 解剖しちゃっていいの?」

「いや……少し待ってみよう」

「待つってどれくらい?」

 

 マスクをずらした家入が、折角手袋をした両手を所在なさげにしながら訊ねる。その時。

 

「ああっ!」

「あ」

「おー」

 

 彼女の背後で、まさにこれから解剖されようとしていた少年がむくりと起き上がった。死んでいた筈の虎杖悠仁が、だ。

 

「ん? ……あっ」

 

 家入は目の下に隈があり、泣き黒子を持つ低血圧っぽい女性だ。如何にもクールで何にも動じない大人の女性、という感じの彼女が目を丸くしているのは少し面白い。

 

「おわっ、フルチンじゃん」

 

 本当だよ。花の女子中学生(前世年齢不明転生者)(学籍無し)に何てもの見せつけてるんだ。

 この場にマリーが居なくて助かった。虎杖くんが。

 五条の力量は認めているのか、そう遠くに行かない限りと注釈が付くけれど、最近は五条と一緒なら自由に動き回れるようになった。マリーもそんな風に融通が利くようになってきたとはいえ、これは一発アウトだ。

 

「い、生き、生き!?」

「伊地知五月蠅い」

 

 泡を食う伊地知と、喜びか可笑しさからか笑わずにはいられない五条。

 

「ちょっと残念」

 

 宿儺の器という超希少サンプルの解剖ができなくなったからか、唇を尖らせる家入。

 

「あの……恥ずかしいんすけど。誰? てかシスターさん? まさか俺もう墓に入れられるとこだったの!?」

 

 ああいうのって神父の仕事じゃないっけ。知らんけど。

 

「悠仁、おかえり」

「おっす、ただいま」

 

 ともかく、こうして虎杖悠仁は生還した。

 

 

 


 

 

 

 日は高いが、人気のない公園のベンチ。

 三人……いや、呪霊だから三体と呼ぶべきなのか。

 三体の魑魅魍魎が腰掛けて、トランシーバーから流れる音声と会話していた。

 

「直接会って話すことはできんのか」

 

 蛸のような呪霊、何と形容していいのか分からないが植物らしさを感じる呪霊。

 彼らはこの場で役に立たない。何故なら、まともな言葉を発せないのだから。

 だから彼らを代表して、この中で唯一人間の言葉を話せる火山のような頭部をした呪霊――漏瑚が声の主へ問うた。

 

「今は少し様子見したいからね。姿を見られるわけにはいかないんだ」

 

 トランシーバーからは変声器で声を変えているのか、長く聞いていると気分が悪くなるような高い声が聞こえてきた。

 

「ふん、信用できんわ」

「君達も他に手がないから僕と手を取ると決めたんだろう?」

 

 業腹だが、声の主の言う通りだ。呪霊が人に成り代わる新時代を実現するには、今のままでは不可能だ。知恵も力も足りていない。

 

「しかし、良かったのか。貴重な指を一つ使って。宿儺の力はしかと測れたのか?」

「ばっちりさ。でもそっちはあまり問題じゃない」

「何?」

「残念ながら今回は本命は釣れなかった。宿儺とぶつけて威力偵察するつもりだったんだけどね。思ったよりガードが固い」

 

 事前に聞いていない内容に、漏瑚は眉をひそめる。ますます信用ならない相手だ。

 

「外堀から埋めていく必要があるね、うん」

 

 おまけに一人で何かを納得する始末。

 

「それより、わしらが貴様を頼った理由を忘れるでないぞ。本題の方を疾く話せ」

「ああ、そうだったね。じゃあまず、君達の勝利条件について話しておこうか。まず1つ目は呪術師最強といわれる男、五条悟を戦闘不能にすること。2つ目は両面宿儺の器、虎杖悠仁を仲間に引き込むこと」

「ちょっと待て、死んだのであろ? その虎杖悠仁というガキは」

「さあ、どうかな」

 

 それは言外に生きていると言っているようなものだ。ほとんど確信があるのだろう。まあ、彼ら呪霊としては気にするようなことではない。生きているなら、両面宿儺が完全復活を遂げれば呪い全盛の時代が来る。生きていなくてもやることは変わらない。少なくとも彼の生死が障害となることはまずないだろうと踏んだ。

 

 だが、1つ目の勝利条件は違う。

 

「五条悟。やはり我々が束になっても殺せんか」

 

 最強の呪術師。明確な障害である。声の主がわざわざ勝利条件として掲げることから、相応に警戒しているのが分かる。そも最強と謳われるくらいなのだ、そんじょそこらの特級呪霊なら軽く捻る実力はあるのだろう。

 

「ヒラヒラ逃げられるか、最悪君達全員祓われる。殺すより封印することに心血を注ぐことをお勧めするよ」

「封印?その手立ては」

「特級呪物『獄門疆』を使う」

「じゅ、ご、獄門疆!? 持っているのか、あの忌み物を!」

 

 漏瑚が興奮したことで、周囲の温度は上昇する。

 

「獄門疆をわしにくれ。収集に加える。その代わり五条悟はわしが殺す」

 

 話を聞いていなかったのだろうか、と声の主は呆れる。よっぽど獄門疆が欲しいらしい。こうなってしまっては、一度痛い目を見なければ分からない。無事に帰ってこれるかは別として。

 

「で、最後に3つ目(・・・)だけど」

「まだあるのか!?」

 

 てっきり2つだと思っていた漏瑚である。五条を殺す気満々で、それさえ自らの手で何とかすれば目的は成就したも同然と一人舞い上がってしまっていた。

 「何故それを先に言わぬ。これでは馬鹿みたいではないか」と内心腹を立てる。

 

「イギリスからの賓客『インデックス』には気をつけろ」

 

 妙な言い方だった。イギリスというのも引っかかったが、それよりおかしなことが一つ。

 

「気をつけろだと? えらく曖昧なことを言う」

 

 賓客というところからして、『インデックス』とやらは人間なのだろう。

 しかし五条悟は戦闘不能にしろと言っておきながら、その人物については殺せだとか封印しろだとか明確な対処を言わない。

 

「そいつと遭遇したら、まず逃げることを考えるといい」

 

 いまいち要領を得ない説明である。彼は勝利条件を述べているのではなかったか。

 それが何だ、勝つためには逃げろと?

 馬鹿馬鹿しい。それではとても勝利条件とは言えない。戦う前から負けているようなものだ。

 

「そのインデックスとやらは呪術師ということか? 海の向こうの呪術師など取るに足らんじゃろう」

 

 そいつが特別強いということもあるだろうが、それでも最強などと呼ばれている五条に比べれば問題ではないだろう。漏瑚はその五条を殺すと宣言したのだ、共に殺してしまえば良いこと。

 

「いや……呪術師ではない」

「ならば尚更、何を臆する必要がある」

「正体不明、圧倒的に情報が足りていない。あれは完全な異分子(イレギュラー)なんだ。宇宙から飛来した怪異みたいなものさ」

 

 これは異なことを言う。

 よりにもよって怪異そのものである呪霊達に対して、たかが人間を怪異と形容するとは。

 呪術師ではないが脅威となる存在。呪いにでも憑かれているのだろうか。

 呪霊同士でも友好的とは限らない。場合によってはそのインデックスとやらの言いなりになっていることもあり得る。

 

「銀髪碧眼で白い修道服を纏った少女を見かけたら、決して直接手を出してはいけない。まずはよく観察することだ。常識で測ると痛い目を見るよ」

 

 やはりこの声の主は信用ならない。

 話に具体性も無ければ現実味もない。よもや彼らを謀ろうとしているのではないか。

 物の序でだ。漏瑚はその少女もターゲットに入れることに決めた。

 




死者の軍勢(エインヘルヤル)
オティヌスの術式。
金塊を死体の要所に埋め込むことで傀儡とする。生前と同様に思考はできるが意志はない。
死して尚社畜と化す血も涙もない魔術。お労わしや先生……。
なお魔神化するとパワーアップして全生命の生死を自在に操れる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

富嶽精(ノーム)

 

 一台の車が誰とも擦れ違わない山間部を走っていた。

 夜も更け、先の見えない真っ暗闇の車道をヘッドライトで照らして進む。

 

「疑問なんだけど」

 

 車窓から夜空の星々を眺めているのにも流石に飽きてきた。インデックスは遂に口を開く。

 無いとは思うが万が一にも自分に声が掛けられた可能性を考慮して、運転手の伊地知がバックミラーに視線を移して後部座席を確認する。あるいは単に、変化の無い車道の景色と静まり返った車内で数時間振りに会話が発生しようとしているからかもしれない。

 だが話しかけられたのは彼ではない。同じく後部座席、インデックスの隣に座る両目眼帯白髪全身黒い服の五条悟だった。

 

「私までついて行く必要あった?」

「んー、ない☆」

 

 インデックスの目が氷点下まで冷たくなる。次の瞬間には呪詛でも掛けられそうだ。

 

「冗談冗談。今度東京と京都の学長同士で会談があるんだけど、ついでに君のことを京都のお偉いさんに紹介しておきたいんだ。その件で摺合せしておきたくてね」

 

 聞く限りではあまり重要な用事には思えなかった。

 もしかしたら向こうから連れてくるように言われたのかもしれない。呪術総監部としては彼女の存在は腫物だし、あまり歓迎されないことは確かだろう。とはいえ外交的に無碍にできる存在ではない。そう酷い事にはならない筈だ。

 

「止めて」

「えっ、ここでですか?」

 

 突如、五条が何もない路上で車を止めさせた。運転手と少女は首を傾ぐ。

 

「先行ってて」

「ええっ!? これ何か試されてます?」

「大丈夫、放っておいて行っちゃおう伊地知さん」

「何そっち側にいるの、君も降りるんだよ」

 

 銀髪シスターは猫みたいに首根っこを掴まれて、無理矢理引き摺り降ろされた。

 伊地知が運転する車は彼らを置いて、山道の中へ消えていく。

 

「行っちゃった……」

 

 こんな山中、しかも夜に放置とは。

 先に行ってても何も、徒歩でどうやって追うのか――と文句を付けたいところではあったが、しかし彼ら二人にとってはこの程度問題にもならない。普通に走って追いつける人外性能をしているのが、今ばかりは憎い。

 赤い軌跡を棚引かせるテールランプを名残惜しそうに見送る。

 

「さて」

 

 その直後だった。

 

「きーええい!!」

 

 二人の頭上から何かが奇声を上げながら降ってきた。

 

「君……何者?」

 

 躱した五条。躱さなかったインデックス。

 別に、二人とも躱す必要は無かった。ただ、躱せたかというと別の話。そもそも少女の方は襲来を察知できていなかった。

 

 アスファルト舗装された道が着地の衝撃によって砕かれ、細かな破片や粉塵が巻き上がる。

 五条が躱した先、背後にフジツボのような何かが形成される。

 果たしてそれはフジツボではなく極小の火山であった。直後に、それは噴火した。火口から噴き出した炎は五条を飲み込んで尚勢いは止まらず、車道のガードレールを貫きどこまでも伸びていく。もはや極太のビームと化している。

 

「いきなり何!?」

 

 土煙が晴れて、少女はようやく真横にいるのが五条ではないことに気付いた。

 それは、火山頭で単眼の怪物(サイクロプス)であった。

 

「フフフ……存外、大したこと無かったな」

 

 終わってみれば呆気ない。降り立った呪霊は、確かな手応えにほくそ笑む。

 小娘の方は反応もできていない様子――――

 

「五条、変身バンク大袈裟すぎ。あとその僧正みたいな恰好似合ってないよ」

 

 横にいる白い修道服のシスターが、呪霊に冷ややかな視線を送っていた。

 

「それ違ーう! 僕はこっち! 皆大好きナイスガイのお兄さんはここですよー!」

 

 煙の中から現れた五条が不名誉な勘違いに抗議する。

 まあ、彼女も本気で言ってるわけではないだろうが。

 

「(ないよね?)」

 

 五条も流石にこれと区別が付けられていなかったら凹む。

 

「小童共が、巫山戯おって……」

 

 呪霊の側頭部、位置からして恐らく耳だろうか。彼はすっぽりとハマったゴム栓のようなそれを弄ぶ。

 呪霊であるにも関わらず、コミュニケーションが取れている。そして並外れた呪力量。

 未登録の特級呪霊、その名を漏瑚。

 

「特級はさ、特別だから特級なわけ。こうもホイホイ出てこられると調子狂っちゃうよ」

「矜持が傷ついたか」

「いや、楽しくなってきた」

「"楽しくなってきた"か。危機感の欠如」

 

 わざわざ人質も取れないこんな場所で襲ってきたのは、他の術師の加勢を避けるためか。

 いや、恐らくインデックスのことは戦力にすら入れていないのだろう。それこそいざという時の人質として見られているのだ。

 何故なら、インデックスは護衛まで付いたイギリスからの賓客。公的には警護すべき重要人物。イギリス呪術界が送り込んだ護衛抜きで五条と共に外出しているこの現状は、事実上彼が護衛を委託されているという扱いである。

 書類上は彼女も教師であるものの、呪術師としての階級は持たない。これを事情を知らない外部の者が見て、脅威と考えるだろうか。

 

「(1対2の時点で相当不利。どこかにもう一匹隠れているかもしれないけど……案外そうでもないのか?)」

 

 特級相手ともなれば、並みの呪術師がいくら束になろうと戦力にはならない。それに、この呪霊は今の宿儺より強い。インデックスが甘く見積もっても一級呪術師クラスと想定していたのなら、自信満々で来たのも頷ける。

 実際は、世界中探してもこれ以上のペアはない最高戦力の二人なのだが。

 

「火礫蟲」

 

 漏瑚の周りを飛ぶ羽虫。命令と共に、主の敵へ突進を仕掛ける。しかしそのスピードはどうあがいても羽根で出せるものではなかった。

 

「となると狙いは両方か? ……危機感の欠如ね」

 

 インデックスも降りさせて伊地知だけ先に行かせたのは正解だったかもしれない。もし彼女の方も狙っていたのであれば、最悪五条を後回しに車を襲撃された可能性がある。彼女は目の前の伊地知を見捨てるほど薄情ではないが、この通り奇襲には鈍感だ。

 

 虫達が五条に衝突する。

 いや、虫と呼ぶにはパーツが哺乳類的だった。鼻が針のように尖っており、開いた口からは舌と歯が窺える。胴から伸びているのは脚とは呼べず、手や指まである腕だ。どこまでも不気味なその容貌は、やはり呪霊である。

 衝撃が後ろまで突き抜け路面が抉られたものの、五条には傷一つ無い。呪霊達は彼の目前で滞空していた。

 

「これ、当たるとどうなんの?」

 

 呪霊の開いた口から、喧しい鳴き声が響く。次の瞬間、それらは爆発した。

 

「音と爆発の二段構え、器用だね」

 

 既に、彼は爆心地には居ない。跳躍していた彼は擁壁の上に降り立つ。

 漏瑚は攻勢を止めず、今度は自ら襲いかかった。

 五条の頭部が焔に包まれる。その隙に背後に回り込んだ漏瑚は、至近距離から渾身の一撃を叩き込んだ。

 

「こんなものか。蓋を開けてみれば弱者による過大評価。今の人間はやはり紛い物、真実に生きておらん。万事醜悪反吐が出る。本物の強さ真実は、死を以って広めるとしよう」

 

 結局、最後まで修道服の方は手も出してこなかった。 

 

「ふあぁ……これまだ続くの? 子供は寝る時間なんだけど」

 

 危機感が欠如しているのはこちらも同じだったらしい。

 護衛が目の前で葬られたにも拘らず、呑気に欠伸をしている。

 事態を把握しているのかすら怪しい。

 

「(戦いのことなど何も分からん箱入り娘だったか)」

 

 協力者の声の主は何を警戒していたのか。まさか殺すと爆発するやもしれない。

 

「冷たいなぁ。飲み屋で会議なんだから、食前の運動くらい付き合ってよ」

 

 煙の中から、またしても無傷の五条が現れる。咳き込みながら煙を手で払って、インデックスに答えた。

 

「ちょっ、お腹空くようなこと言うのは禁止だよ!」

 

 『飲み屋』、『食』。腹の音が鳴る単語が二つも。

 彼女が努めて忘れようとしていた空腹感が主張し始めた。なお夕食は既に食べた後である。

 

「……どういうことだ」

「んー、簡単に言うと当たってない」

「馬鹿な、さっきとは訳が違う。わしは確かに触れて殺した」

「君が触れたのは僕との間にあった"無限"――」

「その説明私はもう散々聞いたから、早くしてくれないかな?」

 

 説明はインデックスが口を挟んだことで途切れた。心なしか、彼女の声音には怒気が混じっている。

 そろそろ五条さん家の家計のエンゲル係数を一人で荒稼ぎしている腹ペコシスターが我慢の限界に達しそうだ。

 

「えー、折角僕の見せ場なのに」

 

 白い牙がネクストバッターズサークルでアップを始める。

 

「……分ーかったよ」

 

 漏瑚は次のアクションに反応できなかった。

 接近、捕縛、掌打。腹部に衝撃を感じて、漸くそれらを事後的に把握した。

 

「ブホッ」

「おお、紫」

 

 漏瑚の吐血を見てインデックスは初めて関心を抱いたようだ。

 お前の血は何色だ、と確認する手間が省けた。

 

「術式反転『赫』」

 

 宙に浮いた漏瑚に、五条の無下限呪術が容赦なく襲い掛かる。

 森へ齎す被害は先の噴火のソレとは比べ物にならなかった。

 木々をなぎ倒し地面を抉り取って尚、止まる所を知らぬ衝撃は数秒間に渡って大地を揺らし続けた。

 

 錐揉み回転する漏瑚がやっとのことで体勢を整えると、眼前には五条がいた。

 前後不覚に陥るほど苛烈な猛攻。森を抜け、漏瑚は湖へと叩きつけられた。

 

「ちょっとの間留守にするから相手しといて、足止めよろしくぅ!」

「……え?」

 

 五条に追いついたインデックス。

 しかし彼はすぐに彼女を置いてどこかへ行ってしまった。

 仕事を押し付けて急にどこかに去るのは日常茶飯事。五条と行動していればこういう事は稀ではない。

 ある程度信頼されているからではあるのだろうが。 

 

「足止めって、つまり祓っちゃいけないんだよね……? うわぁ凄く面倒臭い」

 

 故に、その意図が正確に分かってしまう。

 祓って良い場合は"代わりにやっておいて"だ。

 捕縛するのも駄目。捕縛なら"足止め"なんて言い回しはしない。

 この注文は、インデックスにとっては逆に難しい。半端な攻撃では逃がしてしまうだろうし、かといって彼女の手札にはオーバーキル染みた攻撃が多い。

 特に『聖なる右』は必ず倒すという性質を持つ。人間相手では狙ってやらない限り殺しまでしないのに、何故か呪霊相手ではいくとこまでいってしまう。彼女は第三の腕がテレズマを帯びていることと関係があると見ている。

 こうなると魔術にせよ聖人パゥワーによる肉弾戦にせよ、自分でせこせこ動いて戦うしか思いつかないが……億劫だ。少女は心底嫌そうな顔を浮かべた。

 

「後で絶対残業代請求してやる」

 

 数瞬、漏瑚の意識は飛んでいた。

 湖面に伝わる波紋で、来訪者の存在を悟る。しかし水上に立っているのか、バシャバシャと音はしない。

 現れたのは、純白の修道服を着たシスター。

 護衛対象を置いていくとは迂闊というレベルを超えている。漏瑚は明らかに舐められているのを感じた。

 元々人質を取ろうとはしていなかったが、こうもお膳立てされて態と忌避する必要も無い。

 

「五条悟……この代償は高くつくぞ!」

 

 少女を手にかけようとして、何故か彼女から黒々としたオーラが立ち上っているのを幻視した。

 漏瑚は瞬きする。

 

「あ、そうだよ。何も自分が戦う必要はないよね」

 

 気のせいだったのか、一転、彼女は明るい顔で懐から何かの束を取り出す。

 それは数百枚のラミネート加工されたカードだった。

 悪魔の象徴である逆五芒星(ペンタグラム)の中心に、『ᚨ』とルーンが刻印されている。

 Kenaz Ansuz。その意味は炎の神。

 

 風に吹き散らされるかのように次々と宙を舞い紙吹雪のように散らばったカードは、ある物は水面に、ある物は空中に見えない糸で縛り付けられるかのように留まる。それらは無秩序のようでいて、穴が無いように湖一帯に均等に配置されていた。

 

 次いで、少女の小さな口は紡ぐ。

 

 

世界を構築する五大元素の一つ(M T W O T F F T O I I)偉大なる始まりの炎よ(G O I I O F)

 

 詠唱と共に、彼女の足元から火炎が巻き上がる。

 

それは生命を育む恵みの光にして(I I B O L A)邪悪を罰する裁きの光なり(I I A O E)

 

 掲げた右手に紅蓮が収束していく。

 

それは穏やかな幸福を満たすと同時(I I M H A)冷たき闇を滅する凍える不幸なり(I I B O D)

 

 それは焔を噴き出しながらも白く輝く球体となる。

 

その名は炎(I I N F)その役は剣(I I M S)

 

 それを投げるように振るうと、光は手を離れて形を成す。

 

顕現せよ、我が身を喰らいて力と為せ(I C R M M B G P)

 

 現れたのは全長2メートルを超える、灼熱の十字架を握りしめた怒れる炎の巨人。

 

 

「何だ、これは」

 

 インデックスにこのような力があったことに対してではない。

 巨人からも少女からも、呪力が感じられない。これだけ強大な炎を現出させておきながら、呪力がないなど考えられない。人間の科学に詳しいわけではないが、明らかにそれでどうにかなるものではない。

 漏瑚は大地から生まれた火山の呪霊として、炎には一家言ある。これは幻ではなく実体を持つ、熱のある炎だ。

 

「魔女狩りの王、イノケンティウス」

 

 魔女狩りと異端審問に注力した堕落の教皇、イノケンティウス8世。

 ルーン魔術だけでなく、十字教を混成している。

 

「どうやったのか知らんが、小賢しい真似を」

 

 回答はあった。疑問は何一つ氷解しなかった。

 

 イノケンティウスの進路にカーペットを敷くように、炎が水面を舐めるように這う。

 それは(さなが)ら、垂らした油が燃え広がるようであった。

 イノケンティウスが白熱した十字架を鎌のように振るう。漏瑚はそれを両の手で受け止めた。

 

「この火力……!」

 

 触った瞬間に……いや、近づいた時から分かっていた。瞬間熱量では向こうが上だと。

 イノケンティウスは摂氏3000℃。対して漏瑚が操るマグマの温度は、およそ摂氏1000℃と言われている。

 勿論、大地の権能を持つ漏瑚がこの程度で押し切られることも無い。だがこちら側にも有効打は無い。

 漏瑚はルーンを破壊するという発想には未だ至っていないが、少なくとも熱による破壊という考えは諦めた方がいい。まさかイノケンティウスを現界させ続けているルーンを刻まれたカードが、自分の熱で燃えたり融かされる訳もないのだ。ルーンの刻印それ自体によって、炎熱への完全に近い耐性を得ている。

 

「ならば本体を叩くまで」

ダブル(・・・)

 

 標的をインデックスに変更。迂回してシスターの元へ迫ろうとする。

 だがその進路を塞ぐように、もう一柱のイノケンティウスが現れた。

 

「何……!?」

トリプル(・・・・)

 

 引き返そうとした漏瑚、その両脇に最初の一体と、三体目。

 父と子と聖霊の関係を模して互いが互いを補完し強化する。

 これにて三位一体と為す。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔法名("それ"が聞こえたら、終わり)

 動けない。

 漏瑚は三方を固められ、炎の巨人と睨み合っていた。かといって、イノケンティウス達から手を出す様子もない。膠着状態に陥った戦場で、インデックスから言葉が投げかけられる。

 

「そこまで知能があるのに、何で人間を襲うの? 人間を殺さないと生きていけないってわけでもないでしょ。好きに生きればいいじゃん、趣味とか無いの?」

「はっ、俗物が。嘘偽りのない負の感情から生まれた呪いこそ真に純粋な本物の"人間"。偽物は消えて然るべきなのだ」

 

 それを聞いた彼女の顔には、呆れが浮かんでいた。

 

「……"負の感情"ねぇ。私からすると、その言葉の方が嘘偽りだらけに思うけど」

 

 なまじ呪力なんてモノがあるからそう思ってしまうのだろう。呪術師や呪霊にとっては余りにも身近で自然過ぎる世界観だから。

 彼女が違和感を覚えたのは、一般人だからというのは違うだろう。なんだかんだ彼女も一年以上、呪術の世界に片足を突っ込んでいる。転生者だからか、あるいは魔術師だからか。それとも、彼女が彼女であるからか。

 とにかく、インデックスはその上から目線が気に食わなかった。

 

「正だの負だの、誰が決めたの? 愛だって見方を変えれば色欲や他人への支配欲になるっていうのに」

 

 愛ほど歪んだ呪いはない。かつて誰かが誰かに掛けた言葉だった。

 呪術師でありながら、既に本質を突いていた者もいる。

 どんなものも、呪いと呼べば呪いになるということに。

 

「君の言い分は二元論に囚われた教義(ドグマ)に過ぎないんだよ」

 

 それほどに、正だの負だの、呪いだの祝福だのという概念は薄っぺらで身勝手な主観(レッテル)なのだ。

 少なくとも、彼女にとっては。

 

「そして人が二元論を持ち出す時は、大抵正当化のためなんだよね」

 

 とりわけ善悪の二元論は始末が悪い。

 問題なのは、それが誰に対しての正当化かということ。

 外に対して訴えかけたいのなら、行動の正当化となる。それは社会正義、集団利害、法等を引用して行われる。あいつの行いは悪だ、裁かれるべきだ、と。それは一歩間違えれば集団の暴走を引き起こす危険のある非常に扱いが難しい行為だ。故に人は、公明正大なデュープロセスで裁かれなければならない。

 一方で内に対して訴えかける行為は、精神の正当化となる。それは自分を納得させるためだ。そうあるべき、そうでないべき。だから自分は正しい、間違っている。それは自身の欲と損得の鬩ぎ合いで行われる。

 

 ここで厄介なのは、多くの人間が『他人にとって、社会にとってのそうあるべき』と『自分にとってのそうあるべき』を取り違えてしまうこと。外に対して正当化するために、その結論ありきで内に対して正当化してしまう『自己への抑圧』だ。あるいは逆に、自分がそうしたいがためにその結論へ導くべく『社会にとってのそうあるべき』理屈を探して行動を正当化する『独善』。

 他人からすれば迷惑なのは後者だが、当人にとっても良いこととは限らない。どちらも己の真意を曇らせる欺瞞でしかないのだから。

 前者は自分の欲を聞いてあげられる唯一の存在である自分が、耳を貸さず自分を見捨てる行為。

 後者は己の真意をぼやけさせる。それは何時の間にか『社会に正当性を主張するために用いた理由』が『最初に自分がそうしたかった理由』を塗りつぶしてすり替わっているのだ。そのズレは目的と手段を混同させ、一度自分で定めた本心ではない正義から逃れられなくなる。心と外面の正義を完全に切り離して、仮面を被って世渡りしていくことは容易ではない。少しでも創った正義に感情移入してしまえば、正当性を見出してしまったが最後。自分で創った正義で自らの行動を狭めてしまう。人は整合性を取ろうとする生き物だ。一度正義側に立ったと思った人間は、正義を利用した人間は、正義であることに拘る。欲望のために正義を利用したつもりが、正義に取り憑かれ利用される。『独善』とは一見ではその危険性が分からないほど複雑で遅効性の毒、酩酊である。

 

「真に純粋な本物の"人間"? 誤魔化すな、人間が気に入らないんでしょ。偽物は消えて然るべき? 自分が特別になりたい、他の存在より抜きん出たいという欲――嫉妬・羨望・渇望に"そうあるべき"なんて正当化を後付けするな。そんなことをしなくても全ての欲は赦される。裁かれるのは、裁いていいのは行動だけ。この世に悪感情など存在しない、あるのは悪事だけ。感情を論理で隠すな、欲を抱くことを恐れるな。同意されたいわけでも味方が欲しいわけでもないくせに、大義名分を掲げるな。抵抗される悪事だと分かって行う覚悟があるなら、言葉で飾り立てるな」

 

 そしてそれは逆に言えば、行動は裁かれる。選民思想は心の内で抱く分には誰にも非難されない。しかし一度行動に起こせば排斥され処罰されるのが定め。

 

「人間が気に食わない、自分が地上の支配者になりたい、だから殺す。それだけでいいんだよ。それ以上は蛇足」

 

 漏瑚は、この少女だけは違うと直観した。

 他の人間は理由に興味も持たなかったが、彼女は違った。

 少女は漏瑚の行動原理をしっかりと理解し、その上分析までしている。同意はしなかったが、説教までした。

 漏瑚の『理解者』にはならずとも、『採点者』となったのだ。

 

ただ己に誠実である者(honestus666)

 

 信じるべきは己の心だけ。それが彼女の真理にして心理。

 

「?」

「魔法名だよ。この姿のではなく私自身のね。ほら、私が名乗ったんだ。そっちの名前は?」

 

 漏瑚はふん、と鼻を鳴らす。呪霊の名を気にするなど可笑しな奴だ、と。だが彼女の言葉に何かを突き動かされたのか。少なくとももう、その目にただの少女は映っていなかった。

 

「漏瑚と呼ばれておるわ。わしの名をしかと憶えておれ――――」

 

 礼を尽くしたのか、冥土の土産にか。漏瑚は素直に名乗った。

 

 だが、それはそれ。これはこれ。

 人と相容れない存在を、彼女が赦すわけも無かった。

 

 

「駄目じゃない……魔術師に真名なんて名乗っちゃあ」

 

 少女の顔が嘲笑に塗れる。

 

 諱。

 忌み名とも表記されるアジア、特に漢字圏において古くは本名を口にすることを憚る慣習が存在した。本名は魂とでも呼ぶべきものと強く結びついており、口にするとその人を支配することができると信じられる事もあった。

 このようなタブーは実は世界中に見られる。例えばエジプトにおいては、イシスがラーを支配するために脅して真の名を教えさせるという、ラーの権威衰退の転換点となる神話も存在する。

 真名を知られると魂を取られる。真名を知られると心を操られる。違いはあれど、万国共通なのだ。

 それもその筈。名前というのは個人を識別するためにあるのであり、元からその者の記号として働くよう創造された概念である。記号と実体を結びつけるのは迷信の基本。

 そして記号を用いる魔術師がこれを利用しない筈が無い。

 

 

寒にして乾、続けて寒にして湿

 

 インデックスの周囲で青い杯と緑の盤が躍る。

 

大地の繁栄は転じて腐敗と化す。いでよ、広がれ、この一つ。全てを腐らせその内より産声を上げる悪魔の王よ

 

 小さな何かが彼女の足元に散らばる。

 それは豆だった。

 豆は一瞬でどす黒く変色し、蛆のように蠢き、粘着質な糸を吐いて互いを連結していく。

 生理的嫌悪感を湧き立たせずにはいられない様相であった。

 大いなる悪魔の王と、対象の名前を豆が結びつける。

 これは一つの演劇。儀式魔術。

 

すなわち『蠅の王(ベルゼビュート)』。我が前に立つ不遜の輩へ正当なる粛正を

 

 何かが断ち切られるような、食い破られるような音。

 最初は胸だった。漏瑚の体中の至るところから、黒い糸が噴き出す。

 肉体を喰らって成長する寄生虫、いや寄生植物という喩えが漏瑚の脳裏に浮かんだ。

 だが、それすらこの悍ましさを表現するには足りない。

 髪の毛だ。

 排水口に溜まったギトギトの長い髪の毛。

 

「――ッ――ッ!?」

 

 叫び声すら出すことが叶わなかった。

 

 不浄という名を恣にするそれが、体内を食い荒らしている。

 血管や内臓、あるいは脳に至るまで。呪霊にそういうものがしっかりとあるのかは定かではないが、少なくとも人間であればそれら全てが汚染されていただろう。

 

「中々実験体が見つからなくてさ。ほら、こんなの人間相手には使えないでしょ。お互い(・・・)、君が呪霊で良かったね」

 

 これなるは、世界最大の魔術結社『黄金』の魔術師達が恐れた魔術。

 黄金を崩壊させた『ブライスロードの戦い』において、その恐ろしさの余り味方同士での責任転嫁が相次ぎ、内部分裂を起こした伝説を持つ。

 

 幼く可憐な容姿に反して芯を感じさせる言動。漏瑚は彼女を只者ではないと思っていた。

 だが強かな女なんて評価は見通しが甘かった。

 これは、修道服を着た悪魔だ。

 漏瑚は、魔術自体よりこんなものを笑顔で放つ少女の方が恐ろしかった。

 

「い、インデックスちゃん……えげつないことするね」

「おろろろろろろろ」

 

 何時から見ていたのか、虎杖を連れて戻ってきた五条が声を掛ける。流石の五条もドン引きである。

 虎杖の方はもっと酷い。瞬間移動や富士山頭の呪霊の存在など過去にしてしまう程の衝撃だった。一目見ただけで吐き気を我慢できなかった。 

 

「あー……うん。取り敢えずそれ解除してもらって。あ、そっちの炎の奴も」

 

 インデックスは今まで使えなかった魔術を使えたことで満足したようで、あっさりと解放した。

 

「グエッホ、エホ、ゲホ! おのれ……貴様……!」

 

 流石に呪霊でもきつかったらしい。肺(あるか不明)の中の空気全てが汚く感じられて、咳き込みが止まらない。

 戦意を失っていないだけ見上げた根性だ。

 

「という訳で気を取り直して、本日のゲスト虎杖悠仁君にお越しいただきました」

 

 嘔吐が収まった虎杖。インデックスを見る目には怯えが混ざっている。

 

「それじゃあ、君がいると前みたいなことになるから暫く離れててくれない?」

 

 いきなり面倒な仕事を任せておいて、いざ用が済むとこれ。悪気があるわけではないが、余り調子に乗っているとコレ(・・)が五条に向かないとも限らないというのに、恐れ知らずな男である。

 

 彼女は今、機嫌が良いので素直に従う。元から押し付けられた仕事、これ以上相手をしたいとも思わなかった。

 

「もはや只では死なせん! わしに舐めた真似をしたこと、後悔させてくれようぞ!」

 

 ――などと、啖呵を切った漏瑚であったが。

 

 数十秒後には、無残にも頭部だけになった。呪霊でなければ死んでいた。

 追い打ちを掛けるかの如く五条のパーフェクト領域教室の教材として漏瑚はオーバーキルされた。

 前みたいな、という言葉の意味は五条の領域展開によって自動書記(ヨハネのペン)が起動することを指していたのだろう。

 

 五条が、頭部だけになった漏瑚を踏みつけて言う。

 

「さぁーキリキリ吐け。あ、なんならさっきのアレで拷問してもらうか?」

「ぬぅぅ!?」

 

 『蠅の王(ベルゼビュート)』はしばらくトラウマになること確実であった。

 

 

 


 

 

 

 同時刻、イギリスはロンドンにて。

 フードを目深に被った不審な男が、人目を避けるように路地裏に佇んでいた。

 

「そうか、やっぱり漏瑚は突っ込んでいったんだね」

 

 その人物は、衛星トランシーバーで誰かと話している。会話は全て日本語で行われていた。

 

「生還は絶望的だろう。救出は止めておいた方が良い。……大丈夫さ、こういう時のために僕は君達に情報を隠したんだ。呪霊が拷問ごときで口を割るとは思えないけど、精神から直接引き出されるなんてことも考えておかなくてはね」

 

 話を続けながら、フードの男はポケットから鉄釘を取り出して弄ぶ。指先で先端を強く押すが、皮膚は傷付くどころか歪み凹むことすらない。

 

「焦ることはない。漏瑚程の特級呪霊であれば、相手はルークを獲ったと良い気になるだろう。だがその実、漏瑚は中枢から離れた死に駒。こっちは情報を掴んで戦況有利、更にナイトを獲った。君達が注意を引き付けている間に、次はビショップを頂こう」

 

 通信を切ると、彼は空港へ向けて歩き始める。

 

「君は信用できない。これくらいは当然さ」

 

 道中、フードの男は誰かに向けるように、小声でぼそぼそと話す。傍から見れば、虚空と話す顔を隠した不審人物である。行き交う人物からぎょっとした顔で注目を浴びるが、一過性のものだ。

 これくらいで、覚えたて(・・・・)の認識阻害を講じる必要はない。寧ろ、痕跡を残すことで気取られるリスクを徒に増やすことは避けるべきだ。

 

「やはりロンドンに来たのは正解だった。地脈、龍脈……魔力。大体裏は取れた」

 

 観光客にしては街並みに目もくれず、他の事に夢中になっている様子だった。声音には多少の高揚がまじっている。空港付近で、その人物はトイレへと入っていった。

 

 数分後、出てきたのは修道服を着た男。顔立ちは、どこにでもいるような平均的な英国男性。

 

「さぁ、では実践といこうか」

 

 ただ一つ、目につくもの。

 その男の頭部には、施術痕のような縫い目があった。

 




『象徴武器』及び『蠅の王』
メイザースの術式。
周囲に浮遊する4つの象徴武器で四大元素を操る基本的な魔術。
20世紀最大の魔術結社『黄金』創始者の手にかかると、基本だけで万象自由自在。

蠅の王をいたいけな少女()に向けた奴がいるらしいっすよ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

跳梁跋扈
とある悪意の陰謀胎動(コンスピラシー)


 

 都内の何の変哲も無い駅。人気のある場所ではなかった。この場所に、態々電車を乗り継いでまで来る他所者などいない。

 夜になると南北に伸びる駅の北側は白い明かりで真昼間のように爛々と照らされ、一方南側は黄色い暖色の明かりが蛍のようにぽつぽつと灯る。この光景は、近づいて見ると闇が顕在化する。

 駅を降りれば、丁度そこが境目だ。

 北を向くと、駅と隣接する形で建設されたショッピングモール。この程度、東京どころか都会でなくともどこにでもある当たりまえの光景。これを見て、どこにでもある街だと思うかもしれない。しかし南を向けば、その考えは一変することだろう。

 床も壁も艶やかな白が清潔感を与える駅内部と比較して、出口の脇には目を疑うほど古びた公衆トイレが設営されている。その隣、錆の入った格子で区切られた駐輪場は、地下牢獄を感じさせるほと薄暗い。

 手入れがされていないのではない。駅前ということもあって、しっかりと清掃員によって掃除されてはいる。ただ、施設改修のための投資がなされていないのだ。

 そして、駅のすぐ目の前。そこは建造物の密集地帯でありながら、昭和に取り残されていた。綺麗に整備された北側と比べて、余りにも小汚く古ぼけた世界。かつてはあちこちに開いていた居酒屋や飲食店は、その殆どがシャッターを降ろしている。

 暗く狭い路地は、脛に疵持つ者が隠れ潜むには絶好の場所だった。住居と一体化していた飲食店は、潰れても民家として使用されているものも多い。その一つに、呪詛師が屯していた。

 年齢層は童顔の10代から白髪の70代まで幅広い。彼らの風貌は、確かに柄の悪い者も混ざってはいるが、しかし身なりだけで呪詛師と見抜かれることはないくらいには、普通だ。

 ここで彼らは何をするでもなく、仕事の減少を嘆いて愚痴を吐き合ったり、時折体制側(・・・)の動向を共有する仲だ。建設的な話が飛び交うことは滅多にない。だが、今日この日はその滅多にない日となることだろう。

 そう意気込むのは、彼らの中で界隈の情報に耳聡い男。

 

「魔術?」

「ああ。俺達みたいな生得術式に恵まれない奴でも、使えるらしい」

「結界術みたいに呪術師なら誰でも使えるタイプの呪術だろ? そんなものでできることなんてたかが知れてらあ」

「3級呪霊も払えないんじゃ意味ねえー」

「今更ちまちま呪霊を祓うつもりもねえくせに、よく言うぜ」

「違いねぇ」

 

 男達は安物の缶ビールや煙草を片手に笑う。

 上手い話には裏があるということを、彼らは知っている。日陰に暮らし追われる者の処世術……というには大袈裟だが、人一倍警戒心が強いことは間違いない。

 だが、こうなると面白くないのは話を持ち出した男である。彼はこの集団の中でも一際若い。それは自他共に認めるところであり、故に真面目に取り合ってくれないのは自分が青二才と舐められているからだ、と感じた。

 気を悪くした彼は、それを顔に隠さず反論する。

 

「今回のはマジなんだって。見てろ」

 

 そう言うと、若い呪詛師は懐から拳大の石を幾つか取り出す。石自体は道端にでも転がっているような、どこにでもある物にしか見えない。どう考えても掴まされた(・・・・・)彼を見て、男達は嘲笑する。

 

「おーい、先生が実践してくれるってよ」

 

 酒の肴、笑い話の気配を感じたのか、脇の方にいた呪詛師達もぞろぞろとやって来て、場は俄かに盛り上がる。揶揄うように口笛を吹く者まで出始めた。

 いよいよ引けなくなった若輩者であったが、その表情に焦りや不安といった色は見られない。この状況は、彼としても望むところである。誇ることでもないのに裏社会の歴が長いことを殊更に主張して上下関係を強いてくる先輩共の鼻を明かしてやろうと、寧ろやる気を出している。

 

 若い呪詛師は教わった通りに石を卓上に並べる。左手に握りしめた大量の小粒の石を手慰みにじゃらじゃらと摩りながら、一つ一つ間違いがないか記憶に照らして、慎重に配置していく。その真剣な顔がまたウケたのか、僅かの準備時間も観衆は退屈しなかった。

 

「我、新たに魔道を歩み基礎(イェソド)となる者也。達人(アデプタス)を師と仰ぐ者也。血の供儀(ブラッドサイン)を此処に。蒙昧なる新参者(ニオファイト)に、細やかな知恵と力を与えたまえ」

 

 今や注目の的となっている若い呪詛師が詠唱すると、異変はすぐに起きた。

 男は突然、力が抜けたように頭をだらんと垂らした。その顔は陰になって、立ち上がる観衆達からは窺うことができない。

 

「ん? おい、もう終わりか?」

 

 不思議に思った観衆の一人が男の肩に触れると、ぐりんと首を痛めかねない急な動きで顔を上げる。

 男の雰囲気は、先ほどまでと変わっていた。

 その表情には鬼気迫る物があった。いや、本当に鬼気が宿っていたのかもしれない。素人目にもトランス状態にあるのが見て取れた。

 

「っ……!?」

 

 肩に触れた男が後退る。

 次々と、周囲も男の異常に気付き始めた。

 

「おい、何マジになってんだよ。気味悪い芝居はいいって」

 

 言葉ではそう言っても、これが悪ふざけだとは本心で思っていなかった。

 演技にしては真に迫り過ぎている。いや、彼らに演技の良し悪しなど分かるまい。

 魔術師でなくとも、彼らは仮にも呪術師の端くれ。

 地脈の乱れ、すなわち居心地の悪さという違和感。普通の人間ならばそこで終わる感覚を、れっきとしたオカルト側の現象として異常を感じ取っていた。

 幽鬼染みた詠唱者はそんな周囲には一瞥もせず、両腕を天に掲げる。すると、石の表面に炭で描かれた紋様が宙へ浮かび上がる。

 

 空中浮遊(レビテーション)。ここまできて、磁気や仕掛けを疑う者はいなかった。感覚ではない明確なオカルトを目の当たりにした呪詛師達は、息を吞む。この現象の行き着く結果はまだ分からない。しかし少なくとも今の時点で、若い呪詛師の生得術式とは全く毛色が違うことは明らかだった。

 そして何より、そこに呪力は感じられなかったことで、いよいよもって、呪詛師達は魔術の存在を認めざるを得なくなった。

 

「お前、こんなのどこで身に着けて来たんだ?」

 

 観衆の一人が訊ねた。称賛や感歎からではなかった。声には困惑と未知への不安が滲んでいた。

 

「……」

 

 反応が無い。

 魔術とやらがこれで終わりだと思っていたために、詠唱者に恐る恐る寄っていく。

 ばたり、と。

 

「!?」

 

 突然、若い呪詛師が倒れた。彼は既に事切れていた(・・・・・・・・)

 制御を失ったのか、あるいは元から成功する筈が無かったのか。

 宙に描かれた炭の紋様が、不気味に赤く光り始める。

 残された呪詛師達が混乱する中、閃光は次第に強さを増す。

 不味いことが起きているということには、誰もが疾うに気付いていた。不味いといえば、理解が追いつかなかったことが最も不味かった。

 何が起きているのか、これからどうなるのか。これは成功なのか、失敗なのか。若い呪詛師は本当に死んでいるのか、何かの悪戯ではないのか。

 

 彼らは逃げる事も叫ぶこともせず、言葉を失い、ただ立ち竦むしかなかった。室内が赤の光と黒の影で完全に塗りつぶされるまでの数秒、時は無限のように感じられた。

 

 その夜。

 轟音と共に、寂れた南のシャッター街が嘗ての明るさを取り戻すかのように眩く輝いた。

 

 

 


 

 

 

「夜蛾はまだかの」

 

 独居老人のような呟きが、扉の向こうから聞こえてくる。

 

「夜蛾学長はしばらく来ないよ」

 

 扉を開けて、ずかずかと応接室に入っていく五条。その後に私も続く。

 まず目に入ったのは、杖を突いてソファに腰掛けている白頭の老人。

 扉脇には青髪の少女が控える。外見から推察される年齢に対して不釣り合いな黒いスーツを着ており、『黒服』という言葉を想起させた。呪術界の慣習なのか、あるいは魔術的記号と同じように呪術的に意味があるのかもしれない。

 

「む……其奴は」

「直接会うのは始めてだろう? 彼女がインデックスだよ」

 

 話に無い五条の登場に警戒の色を見せる学長は、私の姿を認めると細い目を少し開く。

 

「おお、おお。君は例の少女か」

 

 数秒にも満たない沈黙は品定めか政略か。この内、彼の脳内で何らかの思考が巡ったのだろう。

 張り詰めた空気が一転、楽巌寺は顔を綻ばせて応対した。

 老人の態度の変化に、青髪の少女は目を丸くしている。

 

「お世話になっております。ご紹介に預かりましたインデックスです」

 

 こちらも名乗りと会釈を返す。五条とこの老人、そして私の関係性を測りかねていたので、自己紹介も余所余所しく。以降、私はだんまりを決め込むつもりでいた。

 

「して、夜蛾が来ないとはどういうことだ」

「嘘のスケジュールを伝えてある」

 

 どっかりとソファに座り込む五条。

 声を低くして問う楽巌寺の態度は、私に向けられたものとは明確に違った。派閥か因縁か、やはりどこの国も変わらないらしい。

 

「昨晩、未登録の特級呪霊に襲われた」

「ほう、では意思疎通が図れる特級呪霊の捕縛に成功したという噂は、法螺ではなかったのか」

 

 どうやら、あちらこちらで噂されているらしい。

 あの後、漏瑚は呪術と魔術による二重の拘束が施された上で、身柄を呪術総監部によって管理されている。

 残念ながら尋問は上手くいかず、有益な情報は引き出せなかった。

 お偉いさんからすれば言葉を解する気味の悪い呪霊などさっさと祓ってしまいたいところだろうが……。

 

「今回の一件は、僕とインデックスを狙った意図的な襲撃だった」

 

 漏瑚は五条や私の存在を知っていた。ばったり遭遇という訳でも、あそこを根城にしていたという訳でもないだろう。前提として、呪霊が獲物を選ぶことは無い。

 

「分かるだろ、爺さん。裏で糸を引いてる奴がいる」

 

 今回のような特級呪霊が一匹とは限らない。いや、問題はそれよりも、こちらの情報に通じていたという点だ。そこまで詳しく知っている様子ではなかったし、五条は有名人ということを加味しても、特定の呪術師を狙うには呪術師界隈に接点が必要だ。

 従って、漏瑚は人間と交流があったと考えられる。

 呪霊と人間が手を組む。私はあまりピンとこないが、呪術師としてはあり得ない、あり得てはならない事態なのだろう。

 

「全国に情報網張り巡らしてるあんたらなら、心当たりくらいあるんじゃないの?」

「知らぬわ」

「惚けるのは結構だけど、どうなっても知らないよ~」

「小僧が知ったところでどうする。お主ならどうにかできると?」

「あるいは僕達なら、ね」

 

 そこでこっちを巻き込まないで欲しい。

 楽巌寺はじっと私の方を見た。彼は長い顎髭を摩りながら、沈黙する。

 

「……呪詛師が自滅してくれるものでの、ここのところ平和じゃわい」

 

 漸く重い口を開いたかと思えば、こちらの出る幕は無いようだった。

 

「なーるっほど、あんたも難儀な役だねぇ。よし、聞けたいことは聞けたしかーえろ」

 

 え、もう帰るの?

 私まで連れ出して何を話すのかと身構えていたのに、会って数分と経ってないぞ。

 果たして今のやり取りに意味はあったのか、私達は部屋を去る。ちなみに夜蛾学長は二時間くらいで来るよ、と五条は爆弾を残していった。

 

「やっぱり私がついてくる意味なかったでしょ、五条」

「いやぁ、君が居たから話を引き出せたんだ。あの爺さん、僕だけじゃ絶対口を割らなかったぜ」

 

 はて、口を割るというには大したことは言っていなかった気がするが。

 私が怪訝な顔をしているのを見て、五条は補足する。

 

「呪詛師が自滅してるって言ってたでしょ」

「それがどうかしたの?」

「呪詛師が自滅なんて、そんな都合の良いことあり得ない。喩えるなら、何年も捜査の目から逃れてきた指名手配犯が居場所を晒して捕まるってことになるんだよ?」

 

 あのお爺さんもそれは分かっている。分かっているから口にした、と。

 だが、いまいち納得がいかない。

 

「だとしても、随分迂遠な伝え方だね。五条のことを嫌ってそうな割には情報は伝える、でも意地悪な程分かりにくい……ツンデレ?」

「うえぇ、ジジイにデレられても僕は嬉しくないよ」

 

 五条はワザとらしく舌を出して、苦い顔をする。

 

「マジな話、そうせざるを得なかったんだろう」

「立場上?」

「身内の不手際が関わってたり、影響力を持つ人から緘口令染みた圧を掛けられてたりね」

 

 だから詳しくは言わずにヒントだけ匂わせて、後はそっちで調べろと。

 

「……それ、今度は逆に何で吐いたのって話にならない?」

「話が戻って来たね。そう、だから君のお蔭なんだよ」

 

 ハッ、私のシスター力が懺悔力を発揮したってことか!

 

「あの爺さんも保守派の要人だからね。君の魔術のことは知ってる。君の所在を巡ってイギリスとの交渉でどたばたしてた時、呪術界上層部の何人かと会っただろ?」

 

 違ったらしい。

 確かに、魔術を呪術界のお偉いさんに見せたことがあった。楽巌寺の耳にも入っていたのか。

 尤も、直接見た事が無い人間の殆どは魔術という概念を信じていないだろう。彼も丸っきり信じているわけではない、と考えた方が無難だ。

 

 私の魔術に頼りたいってことか? 私があの場にいたから、力を借りられると考えての発言だったと?

 藁にも縋りたいという程切羽詰まってもいないだろうし、ワンチャン解決の糸口になるかも程度にしか捉えていないだろう。具体的にどんな魔術があるかさえ知らない筈だ。

 となると、魔術そのものを行使して欲しいというよりは――――いや待て。それはあり得ない、あり得てはならない。

 

 論理的に導き出された結論。

 頭に浮かんだ最悪の可能性を、しかし否定できない。

 

「呪術では説明できない何かがあったのだとすれば、筋が通る。君の出番かもしれない」

 

 私の知識を必要としているという可能性。

 それはつまり、私の与り知らぬ所で魔術が用いられているということを意味する。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある正義の逆位置(リバースポジション)

更新サボってたら2期始まってた


 

 京都校の学長との会談の後、私はマリーと共に呪詛師が自滅したという現場に来ていた。

 五条は情報を隠蔽しようとした呪術界上層部の方を探るらしく、呪詛師の捜査は私に一任された。丸投げが染み付いてない?

 日本へ逃亡して教師モドキになったと思ったら、今度は探偵や刑事の真似事をする羽目になるとは。

 

 現場に到着して漸く、私は自滅という言葉の意味を知ることになった。

 そこはもう、家屋と呼べるような状態ではなかった。屋根は無く、壁も無い。形有る物は全て崩れ去ってしまったようで、床には瓦礫が散らばるばかり。キッチンで爆破事故を起こしても、ここまで酷いことにはならないだろう。まるで煉瓦の家が藁小屋のように吹き飛ばされたようだ。

 

「随分派手にやったね」

 

 近隣住民からの通報で警察が駆け付け、窓を通して呪術案件の可能性有りと判断され暫定的に呪術界が引き継ぎ。幸い古い家屋だったので、表向きには地中に眠っていた不発弾の起爆によるものと流布されたらしい。

 

「ただ、ご覧の有り様で、遺体の方は損傷が酷く……」

 

 案内人の"窓"が気まずそうに告げる。遺留品から呪詛師だと身元の確認が出来ただけでも御の字だ。

 遺体は既に処分されてしまったらしい。随分と手が早い。あるいは、これも呪術界上層部が関わっているのだとすれば、何かを隠蔽しようとしている……?

 

「残穢は無く、呪術が使用された痕跡はありません。現場から爆発物らしきものは確認できませんでした」

 

 ここまで木っ端微塵だと、TNT換算で何t必要なのだろうか。そう考えると、爆弾が用いられたのであれば何かしらの証拠は残りそうだ。残穢がどれくらいの間残るのかは分からないが、これだけ大きな騒ぎならすぐに警察が駆け付けただろうし、呪術師達に伝わるのもそう時間は掛からないだろう。したがって呪術でも、純粋に科学で説明できる現象でもない。

 

「……うん、これは魔術だね」

 

 地脈に若干の乱れがある。魔力供給に利用したに違いない。

 誰がどんな目的で、どうやって魔術を行使したのか。それを知るには、まず使用された魔術を特定したい。警察や呪術師に霊装の判断はつかないだろうから、手付かずになっている可能性が高い。霊装が爆発に耐えて残っていればの話だが。

 

 第三の腕や魔術的な方法で探った場合の逆探知や霊装へのダメージを考慮して、素手で瓦礫を退かそうとすると、慌ててマリーがやって来る。

 

「力仕事が必要なのであれば、私を頼って頂けると」

 

 反応地雷みたいなのが仕掛けてあったら、マリーの方が危険なんだけど……と言おうとして、火に油を注ぐ発言だと思い至り、口を噤む。

 まあ、楽できるし、自ら危険な役を買って出るというなら是非も無し。

 

「あ」

 

 恐らくは天井であっただろう一際大きな瓦礫を退けると、それが目に入った。

 マリーの脇を通り抜けて、近寄ってそれを手に取る。

 

「石ですか?」

 

 それは、一見何の変哲もない石だった。それこそ、壁や天井の破片と考えるのが自然だったろう。

 

「よく見て、壁や家具とは材質が違う。しかも、この種類の石だけサイズが均一」

 

 他の瓦礫は掌サイズからタブレット、人が丸ごと寝転がれそうな物まであるのに対して、これだけ妙に統一感がある。爆発によって粉々になったと考えるより、元からこうであったと考える方が自然だろう。

 

「炭の跡がある」

 

 石には炭が滲んでいた。掠れて読めないが、記号のような何かが描かれている。

 恐らくは文字が書かれていたのだろう。炭はそのための塗料か。

 

 地脈然り、魔力には通りやすい路というものが存在する。

 一度作られた路は跡が残る。魔力で描かれた魔法陣などは、消した後でも魔力を通すことで元の形をある程度復元できる。勿論対策も簡単な初歩中の初歩の知識だが、この辺の隠蔽工作には考えが回らなかったのか、果たして文字は浮かび上がった。

 

「ルーン文字、ですね」

 

 流石にマリーでも分かったらしい。というか、ヨーロッパ圏なら読めずともそれがルーン文字だということは一目で分かるか。

 ルーン魔術は英国時代に教会にある程度教えたことがある。魔術としては余りにも王道で、それ故に使いこなすには相当の腕が必要だ。悪用される危険性は低い。悪用と呼べるほど扱えるようになる頃には、禁書世界でも十分に魔術師としてやっていける。

 

 ともあれ、手がかりは見つかった。使用されたルーン文字から、魔術を逆算してみる。

 

 ……。

 

 ……いや、これ何がしたいんだ?

 

「ルーン、いやセイズ魔術? 北欧系が混じってるのは間違いなさそう。儀式や詠唱を極力簡略化して、大部分をルーンで代用しようとしたっぽいけど……かなり滅茶苦茶だね」

 

 ルーン文字は一文字一文字が強力な意味と力を持ち、その文字を使う配置と場所、状況が力を増幅させる。単純に文字を連ねて文章を紡いだところで力が増すわけではない。複数のルーン文字を使うのは、具体的な表現で起こしたい魔術を制御する目的がある。

 

 私が何を言いたいのか分からないのだろう、マリーが眉を下げて碑を睨むように見続けるので、補足してやる。

 

「爆発による損傷が激しいから、ルーン碑石は殆ど残ってないけど……断片的な内容から推測するに、行使されたのは恐らく召喚魔術。ルーン魔術で繊細な降霊術を制御するのは無謀というか、非効率なんだよ」

 

 古ノルド語やゲルマン祖語のような自然言語ではなく魔術言語としてのルーンは、文字一つ一つに意味を込めている。だから意味が曖昧で、表現の幅も狭い。20そこらの漢字だけでプログラミングしろと言ってるようなものだ。魔術の全貌は分からないが、ルーンに任せるには過剰な役割を強いているのは間違いない。まして降霊術、召喚魔術は呼び出す対象によっては危険度が跳ね上がるので、狂気の沙汰としか思えない。

 

「知識不足で失敗したということでは」

「うーん、知識不足というには妙な所で知り過ぎてるのが気になる」

 

 情報源が私が魔術を教えた英国からだと仮定しても、召喚系の魔術は応用性が広く事故った時にリカバリーが効かないので、明かしていない。

 絞っていた筈の情報まで知っている、ということは実験的にやってみたと考えるべきか。

 

「わざと失敗させたということは考えられませんか?」

 

 召喚事故による爆発の方がメインだと言いたいのだろう。

 

「それは逆に難しい気がする」

 

 意図して失敗させるのは簡単だが、その場合は何も起こらないことがほとんど。この規模の爆発を狙って起こそうとすれば、そこそこの計算が必要になる。

 暴走ではなく破壊を意図した攻撃魔術と考える方が自然ではないだろうか。原理的には召喚魔術と呼ぶべきか怪しいところだが、それこそ仮面舞踏会の君が用いた水星の象徴、惑星霊タフサーサーラスのような。……いや、その場合はここで戦闘があったということになるが、家屋が内から爆発したにも拘わらず争った形跡がないという不自然な点が残る。

 どっちの線を追っても不自然さが残る二律背反だ。

 

「となると成功失敗は重要ではなかったか、あるいは――」

「失敗そのものに意味があった」

 

 失敗させた場合に得られるメリットはいくつか考えられる。一つは、この方法では上手くいかないという事実を知れること。

 

「その筋でいくと、初犯じゃない」

 

 何回か繰り返して行われたと推測できる。他人に魔術を使わせて魔術を研究している誰かが――いや待て。

 そうなると今度は何を研究したいのか、という壁にぶち当たる。わざと爆発を起こす召喚魔術をルーンで制御できる程の腕を持つ人間が、今更何を研究したがるのか。

 

 実行には熟達した知識が必要。動機には未熟さが必要。

 矛盾する。

 

「何か見落としてる気がするけど……駄目だ、目的が分からない」

 

 取り敢えず、他に呪詛師の不審死が無いか探してみよう。

 

「この一件、裏で動いてるのは相当狡猾な奴ってことだけは確かかな」

 

 

 


 

 

 

「将棋ってさ、獲った駒を使えるけど、冷静に考えたらあれってどういう仕組みなの? 捕虜になったらどいつもこいつも裏切るって、人望無さすぎじゃない?」

 

 顔に継ぎ接ぎのような縫い目がある青年が語る。

 

「現実で敵を味方にするなら、人質を取るしかないよね」

 

 はにわのような顔が浮き出た粘土のような物体をこねくり回しながら、彼は続ける。

 

「でさ、現実じゃ盤上のルールに囚われる必要なんてないし、どうせ味方にするなら最初っから王様を味方にすればいいじゃんって思うんだ」

 

 彼は腰掛けていた机に寝そべって、椅子に座るこの部屋の主を見遣った。

 

「そうは思わない?」

 

 ここは首相官邸の総理執務室(・・・・・・・・・・)

 床には立てられていた日本国旗や、黒服のSPが倒れこんでいる。

 

「お前は何者なんだ……」

「呪いでーす」

 

 戯けるように答えた彼の正体は、漏瑚と同じ人の言葉を解する特級呪霊。その名は真人。

 総理は、真人の凶行の全てを目撃した。真人が触れたSP達は皆、顔が膨れ上がったり緑や青などおよそ人間にはありえない変色をして、異形と化した。説明できない超自然を前にして、部屋の主は慄き震えるしかない。抵抗しようなどとはもはや考えられなかった。何しろ、真人が握っているそれは彼の愛する家族なのだから。

 

「首相官邸及び関係各所の制圧、終わりました」

 

 執務室に入って来た呪詛師が真人へ報告する。

 

「呪術師が来る気配も無いし、向こうも上手く動いたみたいだね」

 

 頭を下げて、呪詛師はそそくさと去っていく。呪詛師は呪霊を目上の存在として扱っていながら、少しも不満そうではなかった。

 ある者は復讐。ある者は権力。そしてある者は金。彼ら各々の動機は違えど、目的は一緒。

 元より、呪詛師同士でまともな信頼が築けるはずもない。統率者が人間でないくらい些細なこと。手を組む相手が信用できるかどうかよりも、一枚噛むに足る策かどうか、成功するかどうかの説得力の方が大事だ。

 

「こんなことをしてタダで済むと思っているのか、とか考えてる?」

 

 問われて、総理は否定も肯定もしたくなかった。下手な事を言って、機嫌を損ねては事だ。

 

「……その力があれば、どうとでもなるのでは」

「あはは、まあそうなるよね。でも政界(そっち)と同じで、呪術界(こっち)も一枚岩じゃないんだ」

 

 真人は立ち上がって総理の背後に回り、彼の両肩に手を置く。

 

「そこで、君にお願いがあるんだけど」

 

 総理はごくり、と唾を呑み込む。

 

「何をさせるつもりだ」

 

 真人は粘土状の人質に総理のこめかみに滴る汗を舐めさせると、耳元で囁いた。

 

「簡単なことだよ――――危険人物を鎮圧して欲しいんだ」

 

 すぐに、総理はそれが意味する所を勘付いた。

 治安出動。自衛隊法78条のことを言っているのだろう。

 

「馬鹿な、あれは国会の承認が……そもそも実際に発令されたことは一度もないんだぞ」

 

 通るわけがない。そう口にしようとして、人間擬き(真人)の顔が目に入る。

 状況を理解した。

 通る通らないではなく、通すしかないのだ。そして、真人は、この輩は、通るように根回しをしているのだろうとも。

 既にそこまで掌握されている。

 

「悪党と化生が『跳梁跋扈』する世界。じきそれが正常になる」

 

 漏瑚の借りを返すため、というほど殊勝な心意気でもなかった。

 全ては、人に成り代わるため。彼はその道中で、ただ面白おかしく人類を弄べればそれでいい。

 

「今度はあいつらが追われる番だ」

 

 そして、善悪は逆転する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある日陰者の呪術革命(レボリューション)

 

 敷地に足を踏み入れた瞬間から、五条は不穏な空気を感じ取っていた。

 まず、御三家同士が顔を突き合わせるというのに、何も起きないのがおかしい。本来であれば嫌味や小言、侮蔑や嫉妬の視線を頂く事は枚挙に暇がない筈なのだ。加茂家の呪術師を名乗った男は、非常に愛想良く迎えてくれた。そのことに不気味さを覚えながらも、案内されるがまま五条は応接間へ向かう。

 

「では、失礼ですが暫くお待ち下さい。当主が参ります」

 

 ここに漕ぎつけるまで長かった。「御三家の当主同士の直接面会は正式な手順を踏まなければ」等と適当な理由を付けてのらりくらりと躱され、面会の約束を取り付けるのに要した時間は1か月程。

 いつぞやの楽巌寺学長と同じ、待たされる側に回った訳だ。とはいえ姉妹校交流会を目前としたこの時期に念願叶ったのは、不幸中の幸いだろうか。

 

 礼儀なんてものを弁える性質の男でもない五条は、畳の上に敷かれた座布団に勝手知ったる我が家のように、胡坐をかいて座り、腕を組み、首を傾ぐ。

 両目眼帯をしているのをいいことにそのまま寝入るかと思われた彼は、唐突に虚空へ問いかける。

 

「屋根上に2人、床下に1人。君達そこで何してんの? ……あ、もしかしてドッキリ歓迎会だった?」

 

 その言葉と共に、天井と畳が弾け飛んだ。

 

「ちっ、やっぱり気付かれてるじゃねえか!」

 

 存在を察知されて飛び出してきた彼らは、すぐに五条を包囲した。

 座ったまま動く様子の無い五条は、状況を読み込めていないように見える。

 

永遠(とわ)の火の刑罰に苦悶せよ

永久(とこしえ)の縄目を以て闇の下に

破裂の槍(Gáe Bolg)

 

 三者三様の詠唱。

 一つは、炎の雨を天井より降らせた。燃え上がる火の手はあっという間に部屋を埋め尽くし、灼熱地獄へと変える。

 一つは、四方八方から先端に枷の付いた鎖を現出させ、五条の四肢を拘束せんと伸びる。

 一つは、床下から幾つもの石槍を突き出させた。生え出たそれは、しかし端から命中させる気がない。させる必要がなかったのだ。槍を認識した瞬間には、それは無数の棘を巻き散らすように破裂したのだから。

 

「上層部が何か企んでいるとは思ってたけど……まさか御三家が呪詛師とつるむとはね」

 

 だがその全てが、五条に触れることすら叶わなかった。炎は風に吹かれるように彼の周囲を避け、鎖は先端の枷を宙に固定して陸に打ち上げられた魚のように滑稽に靡き跳ねまわる。無数の棘は密集して石壁を作った。

 

「呪術界も堕ちるところまで堕ちたか。ほんと、君達は僕の想像を超えて失望させてくれるよね」

 

 五条はドスの利いた声で凄むと、悠然と立ち上がった。

 

「くそ、これでも駄目なのかよ!」

「馬鹿、今更呪術に頼ったところで何になる!」

 

 攻撃を意にも介さない五条に、慌てて呪力を練る呪詛師。

 

「さっきのは呪術じゃない……?」

 

 そういえばと数秒前を思い返してみれば、明らかな超常現象を起こしておきながらそこに呪力が感じ取れなかった。インデックスのせいで慣れてしまったからか、呪詛師の発言が無ければうっかり流してしまう所だった。

 

「まさか」

 

 そう、インデックスだ。五条の知る所、呪力を使わず超常の力を行使する術は一つしかない。

 魔術。

 護衛のマリーを除けばインデックスの一番近くにいる五条を以てしても、その実態には謎が多い。彼が深く調べられる立場でもなく、海外で発展した呪術とは異なる技術体系として一先ず飲み込んでいたが、彼女以外に魔術を使っている者は見た事が無い。

 

「外交問題だからと上層部が秘匿していたとはいえ、大人しく首を突っ込まなかったツケが回ってきたか」

 

 間違いない。五条は確信した。

 ここ最近の不可解な騒動には、魔術が関わっている。そしてそれには、呪術界上層部や御三家も加担している可能性が高い。大量の仕事を押し付けられていたのは元からではあったが、日本に縛り付ける意味合いもあったのだろうと、今となっては分かる。

 

 気になることや問題は山積みだが、目下、最優先で懸念すべき事項は今現在の脅威。即ち、無下限呪術に魔術が効くかどうかだ。少なくともインデックスを相手にした時、魔術は彼の脅威となり得た。自身を殺し得る力を持っている以上、呪術界の尺度で無理矢理測るのであれば、インデックスは間違いなく特級呪術師と比肩するかそれ以上の力を有している。

 だが五条は魔術界――そんなものがあるかどうかは別として――におけるインデックスの相対的な力量を知らない。彼女以上の存在がいる可能性は否定できないのだ。とはいえ、その辺の呪詛師が魔術師に転向してすぐにインデックスレベルの力を振るえるとは思えない。思いたくはない。

 

 どうやら先程の呪詛師の攻撃のように3次元空間上に実体を持っていれば問題なく防げるようだが、魔術は六眼で術式を見破ることもできない上に、原理自体が異なる力だ。一見大したことのない攻撃でも油断せず、こちらの無下限呪術を貫通してくる前提で警戒した方がいい。

 

 攻撃には実体もなく、予備動作も無く、放たれた時にはもう遅いと考える。ならば導き出される最適解は先手必勝。

 出方を窺っていた呪詛師からすれば、突然の事だろう。三人は見えない力に引き寄せられたかと思うと、柱に縫い付けられる。二名は頭部を強打し気絶、残る一名の鼻先には五条の指が突きつけられた。文字通り瞬く間の制圧。

 

「妙な真似をしたら殺す。お前ら、目的は何だ? 他の仲間はどこにいる?」

「……へっ、もう遅いんだよ。俺らを殺したところで流れは変わらねぇ。ただ強いだけのあんたには変えられねぇ」

 

 呪術規定に則るならば、どの道この呪詛師は死刑だ。ここで五条に手心を加えられようが加えられまいが、意味はない。捕まったというこの状況自体が、死を意味する。

 にも拘わらず、呪詛師の顔に恐怖はない。ここから逃げ出す算段があるのか、あるいは。

 

「何が目的だって? 新しい社会のための革命に決まってるだろうが。あんたらエリートが搾取してきたんだ、俺ら才能の無い搾り滓共をよ。中途半端でも呪術師として力を持って生まれちまったんだ、嫌なら全部捨てて一般人と同じ生活に身を窶せなんて不公平だろうが。自分達は安全圏から指示を出して、俺ら落ちこぼれに命を張らせてきたお前らには、俺らの思想を否定する権利なんてねぇ」

 

 死への覚悟。

 その瞳には、利己主義故に道を踏み外した連中にはおよそ芽生える筈のない光が宿っていた。

 

「大義はこっちにある。御三家の坊ちゃんよ」

 

 そう言い残すと、男は舌を噛み切って自決した。

 最低限の情報は吐いただろう。言動から、十中八九嘘は吐いていない。五条は止める必要を感じなかった。

 

「大義か」

 

 嫌な出来事を思い出させる言葉だ。

 エリート……男は恐らく御三家や呪術上層部への憎悪を滾らせていたのだろう。五条自身、思う所がないでもない。教師の道を選んでいなければ、似たような道を征った可能性はまんざら否定できない。

 柄にもなく思案に耽る五条は、ふと違和感に気付く。呪詛師の言動には妙な点がある。

 加茂家の敷地に伏兵を忍ばせるには、当然彼らとの協力が不可欠。加えて、一連の暗躍が彼ら呪詛師の仕業なのだとしたら、その隠蔽工作に手を貸しているのは呪術上層部。憎むべき相手と手を組んでいることになる。

 矛盾している。

 

「取り敢えずは、挨拶(・・)が優先かな」

 

 引っかかるものはあるが、今は捨て置く。集められる限りの情報を集めてからでも遅くは無い。

 先程自分を案内した呪術師もグルだろう。どう言い訳するのか、あるいは全面抗争でもする気なのか。その点だけは、寧ろ楽しみですらある。

 足取り軽く部屋の外へ一歩踏み出そうとした彼を、着信音が止めた。

 

「悟、無事か」

 

 電話の主は夜蛾だった。

 

「誰に聞いてんの」

「時間が無いから手短に話すぞ――――高専が襲撃されている」

 

 一瞬、脳が理解を拒んだが、五条はすぐに事態を想像した。そしてその最悪の可能性は、現実だった。

 

「全員の素性は不明だが、一部は指名手配中の呪詛師だった。高専内で応戦しているが、生徒達と合流する暇も無いくらい数が多い。最大の問題は、相手が呪力を用いない未知の力を使う点だ。正直言って、状況は芳しくない」

 

 そこまで一息に説明して、夜蛾は言葉を詰まらせる。

 

「敵の狙いが高専呪術師の殺害、制圧で治まるとは思えん。最悪の場合、『薨星宮』まで入られる可能性もある。そうなったら終わりだ」

「おいおい、天元様の結界が破られるとでも?」

「無いと言い切れるか?」

 

 五条は口を噤む。

 得体の知れない力を使う相手を常識で測っては痛い目を見る。どこか覚えのある話だ。

 言わずとも、この電話の意図は明白になった。最大の脅威には最高戦力を。非常識には非常識を。そういうことだろう。

 

「分かった、今すぐ高専に戻る。ところで、インデックスはどこにいる?」

「インデックス? あの子がどうかしたのか?」

 

 電話の向こうの主の声音には、お前と一緒じゃないのかという意が込められている。

 

「いや、今は別行動をとってる。こっちで連絡取って合流するよ」

 

 未知の力は恐らく魔術だ。彼女ならこの状況を打開する方法を、そうでなくとも何かしら役に立つ事を知っている筈。それに、純粋に戦力としても期待できる。緊急事態だ。護衛のマリーがまた五月蠅いだろうが、こうなった以上は彼女にも働いて貰わねば。ごく潰しにさせておく手はない。

 

「……お前、まさか報道を見てないのか?」

「報道?」

 

 五条はこの異常事態にいつになく気を引き締めていたが、それでもまだ足りなかったのか。

 態度から危機感の乖離を感じ取ったのだろう。通話を切ろうとした五条を夜蛾の声が引き留めた。心当たりが微塵も無い五条の反応に、夜蛾は呆れて溜息を吐く。

 

「俺もお前も、指名手配されてるぞ」

 

 事態の規模は、五条の想定を上回っていた。

 

 

 


 

 

 

これよりこの場は我が隠所と化す(T P I M I M S P F T)

 

 狭いとはいえ信号機もあるし、昼間は交通量も多く車がよく通る。そんな十字路に、強制的な静寂が訪れる。

 人払いのルーン。

 地脈や龍脈の流れを乱すことで無意識下に干渉し、居心地の悪さを覚えた一般人がその場を避けて通るようになる魔術。

 魔力を感知できる魔術師は勿論、『呪い』という空間に向けられる人の悪感情を感じ取れる呪術師は違和感に気付くことができるため効力を発揮しない。ただ今回の場合は追手に呪術師が含まれていないようで、そこは気にする必要はないだろう。時間の問題かもしれないが。

 

「参ったな、ちょっとこれは想定外かも」

 

 状況を整理する。

 

 私とマリーは、魔術を使用した痕跡を追うため同種の事件がないか追っていた。といっても自分の足で全国各地を探し回るわけにもいかないので、捜査は"窓"に丸投げ。それらしき事件の情報が上がってくるまでこちらはやること無しだ。

 そしてこれが全然見つからない。あんな派手な事件を起こしておいてこちらを警戒しているのか、変な所で慎重らしい。分析が間違っていて、やはり不慮の事故なのではとマリーに散々言われた。

 一か月も過ぎて流石の私も諦めかけていた頃に、ようやく疑わしき事件が京都で確認された。

 

 足を運んだ私達は、警察の機動隊に囲まれた。

 

 そうはならんやろ。

 こんな未成年の少女と成人女性を相手にして、バイザー付きのヘルメットにポリカーボネート製の防護盾、拳銃まで持ち出すガチガチのフル装備だ。一般庶民じゃお目にかかれないそれを生で見られたことに、いっそ感動すら覚える。

 

 降伏勧告の内容や彼らの様子からして対話の余地は無いと悟り、かといって反撃するわけにもいかず、私達は困惑を振り切って逃げ出す他なかった。

 路地裏は追手を撒くのはともかく最終的な潜伏場所としては逆に探されやすい。どのみち人払いの魔術を用いるのだから恰好の派手さは気にする必要が無いし、開けた場所でも元から人通りが少なければ問題はない。

 イギリス脱走時代の経験もあって追われることには慣れている……と言うつもりはないが、我ながら手際は良かったと思う。こうして落ち着ける場所を得ることができた。

 そして、今に至る。

 

「指名手配を掛けるなど愚かな所業、未だに信じられませんが……念のため、帰国の準備を致します。それまでは、東京で待機している護衛隊と合流して……」

「さらっと帰ることにしないでよ。私はイギリスに保護されるつもりも、所有物になったつもりもないよ」

 

 既成事実的に護衛と護衛対象という形で親交があるが、私とマリー達の関係はあくまでも周りをうろちょろすることを黙認しているだけに過ぎない。こっちの身の回りの世話を買って出てくれるというのだからありがたく甘えさせてもらう代わりに、彼らの面子を立ててやるという暗黙の了解の上に成り立っている。

 

「教会に護衛として任じられている身としてはこのような言葉は許されないのでしょうが、気に食わないのであればイギリスでなくとも良いかと。今この状況で日本に滞在するのだけは危険です」

「それは分かるけどさ……ていうか、問題はそこじゃないでしょ」

 

 私は、乾いた笑いを溢した。

 機動隊の言い分によると、私達は日本を侵略するために間諜行為を働いては集会を繰り返し、また凶器の持ち込み及び日本国内で武力を行使したとして指名手配されてしまったらしい。

 あまり法律には詳しくないが、罪状としては外患誘致罪とまではいかずとも――そもそも日本国民ではない私達に適用されるかは疑問だが――凶器準備集合罪にあたるのだろうか。裏の世界のことだからと流していたが、冷静に考えると私はともかくマリーはハルバードとか持ち歩いていたし、銃刀法違反は言い逃れできないよね。

 

 なんて、冗談を言っている場合ではない。

 この問題の本質は「指名手配されちゃったよどうしよう」ではなく、呪術や魔術という裏の世界の事情に表の公権力が絡んできたことにある。

 

 その辺、呪術界のお偉いさんが上手くやっているのだと思っていたが。

 

「イギリスって、そういう表と裏の擦り合わせってどうしてるの?」

「存在自体は、王室や上院議員を始めとした爵位を持つ方々には周知されています。知っての通り、実際の運営の殆どは教会が担当を」

 

 私の保護と強制送還に対して懸けられた賞金も、軍事費の名目で国家予算から捻出される予定だったらしい。こうした国ぐるみでの連携が可能な所を見るに、禁書世界とあまり変わらないイメージでも良さそうだ。

 日本もそういう仕組みができあがっていると仮定、というか期待すると、やはり今回の件には疑問を抱かずにはいられない。

 魔道書図書館の真の価値を知る英国にとっては、私は魔術という新技術を個人で独占する歩く核兵器。加えて軍事面だけでなく宗教的な価値も大きい。できるかどうかは別として、私を脅して強制的に知識を利用しようという試みが未だ実行に移されたことが無いのは、聖人として教会一部派閥から謎の信仰を受けている部分が大きい。

 そんなわけだから、日本においても表では認知されていないが裏では丁重な扱いを受けている。私自身の希望もあって国賓か大使レベルの派手な歓待を拒否したために、逆に触れづらい存在と化してはいるが……マリーの言う通り、日英関係を考えると粗末な扱いはしない筈。

 したがって今の状況を考えるに、日本の公権力や呪術界上層部に暗躍する何者かの手が及んでいるのはもはや否定できない。

 

「どうするかなぁ」

 

 先程は私と英国ないし教会との関係性を勘違いしてもらいたくないがために反射的に即否定したが、マリーの提案も一考の余地はある。

 不当にとも言い切れないのが痛い所だが、明らかに不自然な指名手配をされている状況だ。少なくとも裏の事情が絡んだ件で、大人しく捕まってやるほど表の法律を遵守するつもりはさらさらないし。一旦英国に避難するのも手だ。

 

 ただ、ここで逃げるのは一時凌ぎにしかならないし、そもそも私が日本に来た理由の半分に反する。

 覚えているだろうか。

 私は英国のしがらみから逃げるために国外逃亡したが、逃亡先に日本を選んだのには私が元日本人であること以外にもう一つ理由がある。

 日本だけが異常に呪術が発展し、呪霊の発生率が高いためだ。

 この世界が何らかの創作世界であったとして、あるいはそうでなかったとしても、大きな事件は日本で起こる可能性が高いと私は踏んでいる。別に英雄になりたい訳ではないが、世界滅亡クラスの事件が起きて現場にいなかったから止められませんでした、で世界と心中するのも御免だ。

 実際、これは杞憂でもなんでもなかった。夏油による百鬼夜行が成功し、非呪術師の鏖殺が実現していたらどうなっていたかは想像に難くない。日本は内乱によってほぼ滅亡し、これを好機とみた他国が日本へ侵略し第三次世界大戦が勃発するくらいは十分あり得た。あの一件に関しては私がいなくても五条を始めとする日本の呪術師達が食い止めていただろうが、だからといって「私はこの世界の筋書きとは縁が無いんだ」と安心できようか。

 

 自分を『筋書き』の外に置くのは、転生者だからというメタ知識による悪い先入観(バイアス)だ。メタ的な思考を元に行動することを良しとするなら、逆に自分も筋書きに組み込まれているという仮定もするべきだ。

 今回の私の指名手配が魔術を悪用しているかもしれない人物の策略であったとして、そこには何らかの意味がある筈。このままいけば、私は英国に戻る可能性が高い。私が筋書きの中にいるのなら、黒幕は私を日本から離すのが目的ということになる。これから起こる一連の騒動に関与させないつもりだ。

 私がいると不都合がある。

 私の力と、魔術の知識を恐れている。

 推理するに。

 

「ここで退くのは誰かの思う壺か」

 

 ちょうどその時、電話がかかってきた。都合の良いことに相手は正に今、連絡を取りたかった五条だ。

 

「インデックス、今どこ?」

「普通は安否確認が先じゃない?」

「君のことだ。どうせ無事だろ」

 

 全幅の信頼を置いてくれているのはありがたいが……いや、ありがたいのか?

 上司に期待されると仕事を沢山振られるようになるので、一般的には望ましいとはいえないかもしれない。

 例の不審な事件の調査で京都まで来ていることを伝えると、五条はあからさまに困ったアピールをする。話によると、呪術高専が呪詛師による襲撃を受けているらしい。加えて、私だけでなく五条含めた主要な呪術師の殆どが指名手配されているのだと。思ったよりも事件の規模感が大きく手際が良い。組織だった犯行であることは疑いようがなかった。

 

「君の知識を借りたい所だったんだけど……すぐに合流は厳しいね。おーけー、取り敢えず君は京都校に避難してくれ。今こそ姉妹校交流戦を見据えて色々根回ししてたのが活きる時ー! そいじゃ」

「あっ、ちょっと」

 

 一方的に言いたい事言って切りやがりました。戻ろうと思えばすぐ戻れるのに。

 かけ直すかどうか暫し逡巡する。

 でも相当急いでるっぽいし。碌に話訊かない向こうが悪い、と結論付けることにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある部隊の急襲作戦(レイドオペレーション)

書き溜めその2。


 政府の掌握、国会議員と官僚への投与(・・)は完了。これで表社会は完全に呪霊呪詛師連合の手に堕ちた。後は裏社会を外堀から埋めていくだけだ。

 

「上手く行き過ぎるってのも考えものだね」

 

 珍妙な武装をした自衛隊達が通過していく。歩道橋の欄干に顎をついた真人は、その光景をつまらなそうに眼下に望んでいた。

 

 『C.C.C.』。正式名称は対呪術式魔導杖(Counter Curse Cane)。本作戦にあたり、自衛隊に配備されることになった新兵器だ。

 銃身側は見慣れたもので、ロングバレル付きのアサルトライフルにしか見えない。だが銃床から無数のチューブが飛び出しており、それが背中に装備した黒い箱に繋がるという異様な造形をしている。

 

「魔術かぁ」

 

 魔力という概念を、真人は受け入れがたい。

 負の力や正の力に慣れ切った呪術師や呪霊にとってはプラスマイナス0の魔力は盲点というか、知覚するには全く新しい世界の見方を身につけなければならない。真人自身、苦戦したものだ。

 魔力は一般的には生命力を変換することで得られる。つまりどちらかと言えば肉体から生まれた力である。

 

 精神から生ずる呪力とはある意味対を成している。そしてそれは、魂を至上とし魂を根源と見なす彼の世界観では説明できない存在だ。

 自分達の知らない世界。ぽっと出の概念。異物感。自分達の領分を犯されているような煮え切らなさを感じる。

 呪霊と人間の、新たな『人』の座を懸けた戦争になる筈だった。事態の中心から追いやられているような疎外感。主役の座を奪われたような気がしてならない。

 

 理由を挙げればキリがないほどに、漠然と気に食わない。

 

 一方で、魔術の有用性は認めざるを得ない。

 魔術は才能に依存しない、と言うと全くの嘘になる。特殊なものや高度なものは魔術的記号という資質を要するが、それでも呪術と比べれば才能への依存度は低い。

 その辺の一般人でも、詠唱などの手順を教わって霊装を用意してしまえば誰でも魔術を発動できる。

 なんなら魔力を認識できなくとも良い。呼吸法や特殊な習慣を生活の中に組み込むことで魔力を用意する必要があったり、高度な魔力操作を要求する魔術も存在するが、基本的に魔力は勝手に生産される分で事足りるし、魔力操作も行動や所作といった術式の工程に組み込まれているので意識する必要がない。

 

 それゆえ、いとも簡単に普通の兵隊を異能武装化できる。量産化にあたり、魔術が呪術師や呪霊に対しても効力を発揮することは検証済みだ。

 

「ま、人間同士で潰し合わせるのも面白いか」

 

 真人とて雑魚狩りが嫌いな訳ではないが、全国規模で混乱を起こすには数が必要だ。改造人間では弱過ぎるし、何より彼が一々現地に赴かなくてはならない。

 一般人の兵隊を呪術師に対する戦力として計上できるなら、使わない手はない。

 

 

 


 

 

 

 五条に言われた通り、京都校に避難することにした私は、そこで箒に乗った空飛ぶ少女に出会った。

 

「うげ、ただでさえ忙しいってのにこんな時に宗教勧誘? うちは宗教校なんでそういうのはお断りしてまぁす。てか寺だらけの京都でするふつー?」

 

 見た目からして呪術師というより魔女だ。そのせいではないが、出会い頭に撃墜術式を唱えそうになって危なかった。飛ぶものを見ると落としたくて疼いてしまうのだ。くっ、鎮まれ私の口。

 

 根回ししてたと言っていた割に、私の事は全然伝わっていない。やっぱり五条は信用ならない。

 

「えっと、五条からここに避難しろって言われて」

「待って、あなた五条悟を知ってるの?」

「勘違いされているようですが、私達も呪術師です」

 

 正確には私は違うけど、話がややこしくなるので言わない。

 白黒修道服コンビは日本呪術界では珍しいだろうけど(呪術とか関係なく異質な格好だろ、とは言ってくれるな)、結界の中に入れている時点で(こっち)側の人間であることは気付いて欲しかった。

 

「何やってんのよ桃」

 

 校舎の方角から、更に二人の少女が歩いてくる。一人はどこか禪院真希に似ている少女。もう一人は京都校の学長と面会した時に一緒にいた、スーツ姿の青髪の少女だった。

 

「誰よそいつら?」

「私も知らないってば」

「あ、この子この前見ました! 銀髪の珍しい子!」

「髪色の件であんたに言われたくないでしょ」

「五条悟と一緒に居た、確か名前は……名前は……何だっけ?」

 

 青髪の少女はうんうんと唸るも、結局思い出せなかった。あの時傍に控えるだけだった彼女は口を閉ざしていたので、私も彼女の名前を知らない。

 そういえば、私の身分を証明できる人物に心当たりがある。

 

「インデックスが来たと言えば、楽巌寺さんなら分かるかもね」

「イン?」

 

 おいこら、インなんとかさんじゃないぞ。

 

 

 

「東京校が襲撃を受けているとな」

 

 すんなりと白頭の老人、楽巌寺学長にお目通りが叶った。前回会った時同様、拒絶されることもなく好々爺然とした態度で歓迎してくれた。

 ただ避難の事は伝わっていなかったようで、突然の来訪に目を丸くされた。今まさに東京校が危機に陥っている状況だ。流石の五条も時間がなかったのだろう。

 

「指名手配の件はこちらも耳にしている」

 

 木製なのか金属製なのか分からない謎のロボットが喋る。視界に入った瞬間からマリーがぎょっとした目で見ていたが、誰も触れないあたりこれはこういうものなのだろう。突っ込んだら負けだ。

 

「御三家や総監部だけでなく一般の呪術師まで対象となっているようだ」

 

 付け加えて答えたのは、糸目というか完全に両目を閉じているようにしか見えない少年。統一された学生服ではなく和服を着ている。彼、加茂憲紀が言うには、京都校は現状呪詛師に襲われてはいないが、生徒全員が高専内を見回って警戒態勢を敷いていたようだ。

 私達の来訪で一度生徒達を帰還させたために、狭い畳の居間に大勢が会している。

 そこまでしなくてもいいのにと気まずさを覚えたが、説明しなければいつまでも不審者のままだし、紹介するなら早い方が良いか。

 

「不安なのは、全国に散らばる非戦闘員の窓や補助監督です。既に何人かとは連絡が取れない状況にあります」

 

 庵歌姫。顔に傷があれど、白い小袖に緋袴の巫女服が映える美人。京都校で教職に就いている女性だ。

 それにしても昨年の夏油といい、伝統衣装や宗教系の装束を身に纏う呪術師をちらほら見かけるものだ。妙な親近感を覚える。これなら私の恰好も浮かないだろう。

 

 ……。

 魔女、和服、ロボット、巫女服、修道服。

 ここは仮装大会か何か? 和洋折衷ってレベルじゃねえぞ!

 

「ところで、貴女達は一体……?」

「イギリスから来た魔術師のインデックスです。東京校で五条の教師補佐として働いてます」

「護衛のマリーと申します」

「イギリス? 魔術師? 五条の補佐? 護衛?」

 

 色々突っ込みどころが多すぎて困惑するしかない様子。でもこれ以外に説明のしようがないんだよ。

 

「あんたそのなりで教師なの? 一体何歳なのよ」

「一応は15歳で通してるよ」

「嘘、年下!?」

 

 魔女っ子の西宮が驚くが、彼女も大概小柄だろう。彼女より背の高い他の女子2人が2年生なのに対して3年生。十分見た目詐欺だ。

 

「その歳で教師ってなれるものなのね。あーやだやだ、これだから呪術師は」

「ち、ちなみに年収はおいくら……」

「ちょっと霞」

 

 あまり確認してないが、そこそこ貰っているはずだ。殆ど食費に消えてるけど。

 

「学長の知り合いということなら、誰も異存はないだろう。俺は見張りに戻らせてもらうぞ」

 

 筋骨隆々で強面の男、東堂葵が興味無さそうに立ち去る。

 

「バラエティ番組で、高田ちゃんが俺を待っている……」

 

 スマホを取り出して恍惚顔を披露してくれた彼は、本当に呪術師なのだろうか。

 

「あれでも戦闘力は京都校随一よ」

 

 人は見かけに依らない……いや、見かけ通りなのか?

 

 各々解散、配置に戻るという雰囲気になったところで。和室に、というより武家屋敷のような校舎一帯に、鈴の音が鳴り響いた。東京校の結界と方式が同じなのかは知らないが、京都校にもこの手の防衛システムがある。

 両校間でホワイトリストが共有されているのか、あるいは根回しのお蔭なのか。私達が敷地に入った時には鳴らなかった、侵入者を告げる警報。

 全員の顔が強張る。言葉を交わすこともなく、それぞれの得物を手に取った彼らは、正門の方へと駆けていく。その手際の良さたるや、訓練された消防隊か軍隊のようだった。

 学長と私、マリーの3人だけが残された中で、ふと私は疑問を投げかける。

 

「あの子達って一応生徒でしょ。こういうのって先生や警備の人が出張るんじゃないの?」

 

 去年の百鬼夜行の時は、一部の高位の等級を持つ生徒だけが駆り出されていた筈だ。まさか京都校は全員が全員、2級以上の術師というわけでもあるまい。

 

「人手不足じゃよ。方々と連絡がつかぬ今、救援の要請ができない故、余計にのう」

 

 では学長も前線に出ればいい、という考えも一瞬頭を過ったが、誰かが最終防衛拠点を守る必要がある。ここが陥落すれば京都校全体を制圧される上、実質関西一帯の呪術師が退路を断たれることになる。

 

 ああ、そういえば、私も一応は教師なのだった。避難という名目で駆けこませてもらったが、手を貸さないわけにはいかないだろう。

 マリーを連れて生徒達の後を追うと、彼らは意外にも近くにいた。

 不思議に思って訊ねてみれば、不審な影を遠くに確認したという。

 彼らは必死に目を凝らしたが、画一的なシルエットを持つ集団であること以外分からず、険しい顔で警戒するしかなかった。

 

「何だあれは」

 

 数百メートル先からやって来るその影は、決して呪詛師などではない。

 考えてみれば当たり前のことだった。指名手配を掛けられた呪術師の総本山である高専に、強制捜査が入らないわけがない。恐らくは東京校でも同じことが起きている筈だ。

 いや、あちらは呪詛師の襲撃を受けたのではなかったか。となるとやはり、表の警察権力は敵の手に堕ちたのか。

 

「銃で武装してるみたい。数は2、30人くらいかな。こっちに向かってきてる」

 

 常人の域を超えた視力でその姿を認めた私は、違和感を覚えた。

 さっき襲ってきた機動隊とは装備が違う。

 

「呪術師相手に舐められたものだ」

 

 呪霊と違って、呪術師には物理攻撃が効く。ただしそれは術式や呪力による防御が無いという前提であり、奇襲さえされなければライフル銃やグレネード程度の現代兵器が致命傷を負わせるには至らない。

 

 故に恐れることなく構える加茂。彼の呪術なのだろう、どこからか出てきた血液が彼の周囲に浮く。

 だがそれは大きな油断だった。

 

 警告も無く、遥か遠方から彼らは撃ってきた。工作機械を動作させたような発砲音がけたたましく響く。

 超音速機動を可能にする聖人としての身体能力。回転する銃弾を認識できるほど加速した思考と動体視力が、銃弾の動きを正確に捉える。その側面に施条痕にも塗り潰されず鮮明に残った刻印を、私は見逃さなかった。

 気付いたところで、もう遅かった。

 

 直後、目を焼くような赤い光が私達を飲むと、飛んできた数百発の銃弾全てが爆発した。花火のように途絶えぬ爆音は、先の発砲音が小鳥の囀りに思えるほどだ。

 銃撃が止むまで、実際には1秒と経っていなかったかもしれない。

 

「っ、無事ですか!?」

 

 すぐに駆け寄ってきたマリーが、こちらの安否を確認してくる。この程度で歩く教会は破れないし、生身で大気圏突入できる聖人スペックを舐めてもらっては困る。

 

 接触をトリガーとして爆破するようで、銃弾の殆どは命中しなかったために直に食らった爆発は意外と少ない。

 それでも一発一発が地面を抉り焦がすには十分な威力。巻き上がる土煙や白煙は、近くに寄って来たマリーさえ見ずらいほどに煙幕として機能している。再装填の必要を考えても、追撃には数十秒程時間がかかる筈だ。今の内に、状況を把握する必要がある。

 

「私は大丈夫。でも―――」

 

 どさり、と重い音。

 

「が、ふっ」

 

 加茂が、片膝を突き腹部を抑えていた。攻撃を受けたのは、一番前に居た私と彼。

 術式で出血を抑えているのだろう。見た目以上にダメージを受けているはずだ。爆発の瞬間、血液をシールドのように展開して体を守ったのが見えたが、それでも間に合わなかったのか。あるいは生半可な防御では貫かれてしまうのかもしれない。

 

「加茂さん!」

 

 三輪が慌てて駆け寄ろうとした所を、私は制止した。

 

「マリー、診てあげて」

 

 マリーは目を伏せて頷くと、彼の体に手を翳した。微弱な力が彼の内を巡ると、幾分か顔が楽になった。

 反転術式。教会に所属する英国呪術師の必修科目である。日本では使い手が少ないらしく、他者への治療となると更に限られるらしい。

 ではこの分野で英国呪術界が日本呪術界に勝っているかというと、そうとも言い切れない。

 

 アウトプットに長ける反面、そもそもの呪力量が少ないために効力自体が低いのだ。

 治せるのは千切れた血管や筋肉、皮膚だけで、臓器への深刻なダメージや失った血液までは戻らない。どこぞのシスコングラサンアロハシャツの能力より多少マシな程度と思ってくれていい。

 とはいえ、その他のイギリス呪術師と違って呪力量も日本の呪術師と遜色ないマリーならば、血肉を再生することも可能だ。

 

「あくまで応急処置です」

 

 どこかぶっきらぼうに念を押すその態度は、顔には出していないが治療自体不服なのだろう。呪力は護衛のために温存しておきたいはず。実際、応急処置と念を押したのは、つまりそういうことなのだろう。

 命に別状は無いことを確認して、京都校の面々は安堵の空気に包まれる。

 

「でも今の攻撃、呪力の反応は無かったのに何で?」

 

 西宮が疑問の声を上げる。その言葉は、誰に対して向けたつもりもなかっただろう。

 難しい顔をする彼ら彼女らを見て、言うか言うまいか逡巡して、結局私は口を開いた。

 

「……魔術だよ。君達が扱う呪術とは別種の異能の力」

 

 余りに突拍子もない発言に、皆一様に目をぱちくりとさせる。真偽を測りかねるというより、こんな時に何の冗談かと困惑するしかない。御尤もな反応だ。だが今は一々説明している暇は無い。

 混乱を招くことは承知の上。だが、何も言わなければこれから起きることに困惑する。その心構えをさせただけだ。

 

 意識を切り替える。魔術師として、10万3000冊の魔道書を保持する魔道書図書館としての本懐を果たせ、と己に命じる。

 

 ――――使用言語はルーン。術式系統はセイズ魔術。ただし対象は召喚者ではなく銃弾を依り代に指定。仄かに近代西洋魔術の傾向あり。

 

 召喚対象を指定せず低級霊をランダムに複数呼び出すことで召喚術式をショート、形が定まりきっていない霊的存在のエネルギーを暴走させ、意図的に爆発を起こす術式と見られる。銃弾に刻まれていたルーン文字が欠けていた情報を補完できることからも、私が追っていた事件で使われていたものと同じと見て間違いない。

 

 射撃の瞬間まで魔力の反応が無かったために、彼を守ることはできなかった。魔術であると分かっていれば、こうなることは防げた。呪詛師だけでなく表の組織にまで魔術が流出しているのは想定外だった、なんて言い訳にしかならない。

 正直、他人が傷付こうが死のうが割とどうでもいい。私はそういう性格だし、それを恥とも思わない。私が広めた魔術が悪用されてどこかの誰かが傷つけられようと知ったことではない。包丁職人が、どこかで包丁が凶器に使われようと包丁を作るのを止めないのと同じで、責任は悪用する側にあるからだ。

 だが目の前で助けられる人間を、それも元を辿れば原因は自分にある被害を前にして見捨てるほど、社交性を捨ててはいない。

 流石の私も責任を感じている。

 

 私達と襲撃者を隔てる煙が晴れる。

 

 あの背負っている箱も霊装なのだろう。外からでは術式が見えないが、恐らくは防御術式か補助術式。

 私を見て何やら慌てたように銃を弄っているが、そのせいで大事な術式部分が見えてしまっている。折角の隠匿が台無しだ。

 違う、それはそういう風に扱うものじゃない。

 

背部機構の安全装置を解除(D T S O T B M)兵装との連携を遮断(C O T L W T A)即時起爆せよ(D I)

 

 襲撃者達が持つ銃器に装填された全ての弾丸が、彼らの意思に反して爆発する。余りになってないものだから、つい脆弱性を突きたくなる。こんなことをする必要はないのにも拘わらず。

 第三の腕を使えば雑魚狩りなど一瞬だ。定期的にテレズマを消費するにはちょうどいい魔術だし、非殺傷だし、あの利便性にはどんな魔術も敵わない。ただ初見の者には些か見た目がショッキングなので、配慮をしたまで。

 

「ごめん、これは私の怠慢だ」

 

 霊装の破壊と襲撃者の意識を奪ったことを確認しつつ、私は自省する。

 

 自分が助けた人間が人を殺した所で、私は一切関知しない。それを防ぐのは医者ではなく警察の仕事だろう。あるいは三権だ。だが、この論理が適用できるのは警察が機能している場合だけ。魔術という未知の領域の治安を守ることができるのは、現状私しか存在しない。魔術が国家規模で悪用され、社会構造や世界秩序にさえ影響を及ぼすのであれば、巡り巡って私にも害が及ぶ。看過はしておけない。

 現状、相手の策謀に上手く誘導されてばかりだ。後手に回るのではなく、こちらから動かなくては。

 

「マリー」

 

 私が懐から獣の骨を取り出すと、意図を汲んだ彼女は急いで私の近くへ寄る。

 つい最近、移動用に作った霊装だ。

 

「怪我をした彼のことと、こちらの防衛は任せます。私は東京校に戻りますと、学長さんにはそうお伝え下さい」

 

 手に持った骨の表面に刻まれた文字をなぞると、衛星マップのストリートビューを高速で動かしたかのように、私とマリーだけを残して景色が流れた。瞬間移動。いや、厳密にはこれをテレポーテーションと呼んでいいものか。

 『骨船』というこの霊装は、自身ではなく世界の方を動かすことでの座標移動を可能にする。

 指先に火を灯すために宇宙を折りたたむが如き所業。全体論の超能力染みた、あるいは魔神が行う位相の差し込みに近い。原作でのこの魔術の使用者を鑑みれば、なるほど腑に落ちるというもの。

 

 次の瞬間私達が目にしたのは、どことも知れない街中だった。

 携帯を確認したマリーが、GPSで現在地を確認する。

 

 

「……千葉県です」

 

 精度(エイム)悪いから行き過ぎて千葉までぶっ飛びました。

 




『C.C.C.』
 拙作のオリジナル霊装。既存の兵装を呪術師に効くように魔術で強化し、呪霊や呪術を視認できるようになる。
 対魔術式駆動鎧(A.A.A.)のオマージュ。上手い訳語と略称がこれ以外思いつかなかったせいで、別作品で見覚えのある名前になってしまった。

『骨船』
 オティヌスの魔術。
 地球を丸ごと動かす移動法なので誤差も地球規模。移動先が数百キロ単位でズレる。
 全能神トールの術式がこれと原理が同じなあたり、神話上での血縁関係を感じさせる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある詐欺師の感染爆発(バイオハザード)

書き溜めその3。


 

「おい、誰もおらんのか」

 

 禪院家当主直毘人の息子にして特別1級術師、禪院直哉は屋敷を彷徨う。

 昼食時に飯を運んでこない召使の女性達に痺れを切らし、怒鳴りつけてやろうと思った次第だ。

 

「ちっ、使えん醜女共が」

 

 思えば、朝方から禪院家は何やら忙しそうだった。

 正式に決まってもいない次期当主を勝手に自称しておきながら、煩わしい家業は下々がやるものという考えが根底にある彼は、当主というものは最終的な意思決定さえしていれば良いと思っている。

 故に、禪院家で何かトラブルがあっても、気が向かない限り自分から首を突っ込むことは無い。実際に当主である父が家業に熱心であるという事実は彼には関係ない。寧ろ奴隷の仕事を率先して行う実父を見下しているまである。

 

 だから、打って変わって屋敷中が静まり返っていても、その異変に正午になるまで気付かなかった。

 彼はまず厨房に向かったが、誰も居ない。すでに正常ではない空気を肌で感じ取りながら、微塵も危機感を覚えない彼は屋敷中を肩を怒らせて闊歩する。

 

「こんなとこで怠けやがって、呼んだらすぐ来いやボケナス」

 

 そうして、一族の会議で使われる一際大きな一室で、漸く数名の人間に会う。その中には使用人らしき女性もいた。

 彼らの奇怪、珍妙という言葉が似合う出で立ちを目にしても、禪院直哉は取り乱すことはなかった。特に女はそれだけでもう()であることは確定なのだから、それが本当に禪院家の召使かどうか、彼には確認の必要もないのだ。

 

「何やお前らそのアホみたいな恰好、遊んどんちゃうぞ」

 

 それは本物ではないコスプレ用の巫女服のように、どこかコミカルな燕尾服を身に纏っていた。

 頭には絹張り帽子、右目には片眼鏡を掛け杖を手にしたその姿は、一言で表すなら奇術師。

 いや、女に限っていえば、それはむしろ――

 

「「「サンジェルマンと呼びたまえ、青年」」」

 

 バニーガールのようだ。

 

 

 


 

 

 

 京都校が魔術武装化した自衛隊による襲撃を受ける数十分前。東京校もまた、呪詛師の襲撃を受けていた。

 呪力の籠った鉄拳をお見舞いした夜蛾は、周囲に新手がいないことを確認して、乱れた襟元を正す。緩まぬ攻勢に、サングラスで隠れた彼の顔にも疲労が見えてきた。

 

 呪詛師の力量自体は、そう脅威ではない。呪術とは違う奇怪な術を使ってくる点は気を払わなければならないが、先手を取って近接戦に持ち込めば簡単に伸してしまえる。呪術師としては寄せ集めも寄せ集め。4級かよくて3級といったところだろう。

 そんな中途半端で呪術界から逃げた連中のことだから、新たに身に着けた魔術も所詮は付け焼き刃なのか。彼が操る呪骸が4・5回程被弾したが呪力防御により大した負傷には至らず、毒や接触しただけで即死するような搦め手はそもそも使ってこない。

 それでも、こうした中に紛れて初見殺しの技を織り交ぜてくる可能性が否定できない以上、油断はできない。未知というのはそれだけで脅威足りえるのだ。その警戒心が、夜蛾の精神を削っていく。

 百鬼夜行の時と違って、奇襲であるということがそれを後押しする。高専OB・OGを全国からかき集めたわけでもない平時の高専の戦力は、潤沢でない。呪骸を操ることで疑似的に多対多を繰り広げられる彼でなければ、数で押し切られていた。

 この程度の相手にやられるほど、高専の生徒は軟ではないと信じている。だが未知の力を使う相手に、なるべく矢面に立たせたくはない。休んでいる暇はない。手の届く限り、彼はできるだけ多くの呪詛師を相手取る。

 

 それも、五条悟がやってくるまでの辛抱だ。

 

 

 ただ一方で肝心の生徒達はというと、夜蛾の想定以上に呪阻師の脅威に晒されていた。

 四方を囲む呪詛師達の数は30人は下らない。しかもこの上、倒しても倒しても後続がやって来る。射線が被らないように一斉に襲い掛かってこないことが救いである。

 

 ある一人の呪詛師が短剣を振り回すと、その刃の延長線上に破壊の嵐が巻き起こる。

 襲い掛かる不可視の剣。しかしその凶刃は咄嗟にしゃがみ込んだ真希の首には届かず、僅かな髪を断ち、背後の樹木を浅く傷つけるに留まる。

 

「多分、今の攻撃は鎌鼬みたいなものです!」

 

 襲撃者達が繰り出す攻撃は呪力を用いないために攻撃の内容やタイミングが読み切れず、伏黒達は終始後手に回り続けていた。

 そのためできるだけ距離を取ろうとするのだが、まともな遠距離攻撃ができるのは伏黒と狗巻だけ。しかし前者は威力が乏しく手数に限りがあり、後者はこの攻勢に終わりが見えない以上簡単に切れる手札ではないため、連発できない。

 攻撃を空振りさせることで敵の攻撃を観察。何とかそういう呪術として解釈し、一人一人地道に攻略を進めるしかなかった。

 

「知るかよ、先にぶっ殺せばいいだけだろ!」 

 

 しかし元より特殊な眼鏡が無ければ呪霊も見えない真希にとって、それは平時より少しばかり不便なだけ。蜃気楼のように揺らぐ空気を見ただけで直感的に回避したところからも、培った戦闘センスだけで渡りあえているのが分かる。

 

 彼女が手にする赤い三節棍が呪詛師の胴体に命中すると、動線上の呪詛師を何人か巻き込んで、ピンボールのように彼方へ弾き飛んでいく。対人戦でも呪詛師相手なら、生死などお構い無しだ。

 特級呪具、游雲。掠るだけでも十分な威力を発揮するので、先手を取れずとも返しの一撃で決められる。真希一人で前衛を張れているのは、この得物の存在が大きい。

 

「無茶しないでください真希さん。今のだって、当たってたら怪我じゃ済みませんよ」

「うるせえ、先輩に向かって指図すんな。口より先に手ぇ動かせ」

 

 伏黒とて、何もしていないわけではない。こうしている間にも、目の前で玉犬が呪詛師の喉を嚙み千切って回っている。積極的に他の式神を行使しないのは、奇襲に備えて同時顕現の枠を温存しているためだ。

 

 前衛の真希、後衛の伏黒、切り札の狗巻。では、残りのパンダと釘崎はどこへ行ったのか。

 答えは背後にある。

 

「だぁああこいつらどんだけ湧いてくんだよ! こんな時にうちらの学長は何やってんだ!?」

「救援呼んでくれてるんじゃね、知らんけど」

 

 正門側とは反対の伏黒達の背後は比較的安全。しかし回り込まんとする敵を退ける役割を、二人は担っていた。

 文句を垂れながらも、釘崎とパンダは忙しなく戦い続ける。呪力を込めた鉄釘が射出され下手人共の体に刺さると、次の瞬間にはその肉体は見るも無残に弾け飛んだ。

 その破壊力に驚愕と恐怖で硬直した隙を突いて、パンダが接近し片っ端から倒していく。人間とパンダの体格差から放たれる殴打は、まさに鎧袖一触であった。

 

 この場で迎撃を始めて、既に何分経っただろうか。校舎に撤退して学長との合流や籠城を検討したこともあった。だが呪力で敵の攻撃を予見できない以上、死角の多い校舎に籠城するのはかえって危険だ。伏黒がそう提言したことで、この場に留まっている。

 

「忌庫に避難とかできねぇのかよ!」

「結界緩めた隙を突かれて侵入されかねないし、流石に無理だろぉ」

「しゃけ」

 

 そうこうしている内に、漸く一息つける程度には捌けてきた。数の上では圧倒的不利で防戦一方とはいえ、彼ら高専生はまだ一人残らず健在。想定外の奮闘に遭ったことで、どう攻撃を仕掛けるべきかと二の足を踏む者が現れ、攻め気が失われ始めたのだ。

 

「な、何だよこいつら……話が違えじゃねぇか、魔術なら俺達でも高専の生徒くらい倒せるって言ってたろ!」

「大丈夫だ。こっちにはまだ奥の手がある」

「ああ、いざって時に使えって言われてたな」

 

 呪詛師達は、慌てて懐から何かを取り出す。

 それは四角いピルケースだった。彼らは皆、中から取り出した丸薬を躊躇なく飲み込む。

 

「ドーピングか……?」

 

 不審な動きに伏黒達は警戒を強める。何が狙いにしろ、こちらにとって碌なことにならないのは明白だ。

 

 異変はすぐに起きた。

 彼らの服が、コールタールのような黒い液体に侵食されていく。泥とも言うべきそれが確かな形を得た時には、彼らは揃って燕尾服を着ていた。

 呪術師や補助監督達も学ランやスーツといった統一された制服を着ているが、それはまだ日本中のどこでも見かける恰好だ。比較して、目の前の景色は不気味としか言いようがない。

 

「何だ、こいつら……」

 

 燕尾服に丸眼鏡と帽子、奇術師染みたその風貌。非日常的な服装が彼らの異質さを引き立て、人の形をしていながら人間ではない異形の存在であると印象付け、言葉の通じぬ宇宙人と相対したかのような言い知れぬ不安と恐怖を掻き立てる。

 

「「「ご機嫌よう、呪術師諸君」」」

 

 示し合わせてもいないのにまるで心が通じ合っているかのように、彼らは一斉に口を開いた。

 舞台演劇のような完成された統率に、伏黒達は完全に呑まれてしまう。ただ、これだけははっきりと理解した。彼らが先程までとは全く別の存在に成り果てたのだということを。

 

「私はサンジェルマン。真なる神秘の伝道師である」

 

 初老の男性が、彼らを代表して前に出る。

 

「彼ら呪詛師の要求は一つ。速やかにこの地を明け渡せ」

 

 やはりか、と高専生達の心の声が一致する。

 魔術だけでなく、時折思い出したかのように使う呪術。それは未熟な高専生よりも格下の力量であることを推し測るに十分だった。

 そんな呪詛師達が突然調子付いたように徒党を組んで襲撃をかけてきたのだ。動機はともかく呪詛師達の目的は推理するまでもない。奴らは高専を乗っ取る気でいる。いや、それはあくまでも足掛かり。本当に求めるのは、きっと呪術界そのものだろう。

 

「はっ、答えはこうだ――――くたばれ変態紳士!」

 

 啖呵を切った真希が、先頭に立つサンジェルマンに突貫する。

 手にした三節棍による打擲は、しかし寸前で真希の体ごと大きく軌道をずらされた。

 

「っ!?」

「真希さん!」

 

 単に攻撃を空振りに終わらせるための妨害ではなかった。

 その正体は、蔓のようにしなる樹木。どこからか生えてきたそれが彼女の五体に巻き付き、身動きを封じる。

 強い圧迫と関節を極められたことで腕から力を抜いてしまった真希は、游雲を取り落としてしまった。

 

『待ちくたびれましたよ、サンジェルマン』

 

 聞いたことのない、全く意味を成さない言語だった。なのにどうしてか、理解できない筈のそれが理解できた。脳に直接言葉が流し込まれているような、極めて形容しがたい感覚。

 だがそれよりも、目の前に現れたものに伏黒達の思考は持っていかれた。

 眼前のこれを端的に評するなら、筋肉質で大柄な人型の怪物。こちらはもう、サンジェルマンのような人間にしか見えない何かとは違って、完全なる異形だ。ペンキを塗ったかのように真っ白な肌。眼に相当する部分からは角のような枝が天へ向かって突き出している。

 呪術師である伏黒達には分かる。これは呪霊だ。正体不明のサンジェルマンと違って、こちらはまだ彼らの常識で説明ができる分マシと言ったところだろうか。一方でなまじ理解できるからこそ、その呪力量から存在の格を悟ってしまう。

 特級呪霊。名を花御。

 

「想定より私を頼るのが遅かった。仕方があるまい」

 

 臨戦態勢の高専生を前にして、サンジェルマンと花御は脅威でも何でもないかのように意に介していない。

 

「真希さんを返せ!」

 

 真希の窮地に真っ先に動いたのは釘崎だった。

 彼女はサンジェルマン達の注意が逸れた隙に、蹴散らした時に千切れ飛んだ呪詛師の指を回収していた。

 

「芻霊呪法――共鳴り!」

 

 取り出した藁人形に指を重ね、手にした釘に呪力を流し込んで。

 金槌で、強く打ち込んだ。

 

 

 

 

 だが何も起こらなかった。

 

「な、ん」

 

 指では欠損部位として不足だったのか。実力差が離れすぎていたのか。

 それにしたって、無傷はあり得ない。

 

「呆れたものだ。そんな児戯が、この私に通じるとでも思っていたのか」

 

 サンジェルマンは、軽蔑を通り越して憐れむような眼差しを向ける。

 釘崎の術式は、余りにも単純過ぎた。

 『共鳴り』はまさに魔術における基本、感染魔術の典型。それも何の捻りもない、初歩も初歩の呪い。駆けだしの魔術師でも気づかれれば簡単に対策されてしまう。況やサンジェルマンには釈迦に説法。

 呪術と魔術、異なる異能の法則。しかし相手が持つ概念や属性という根本に対して効力を発揮する方法なら、自分達の世界で如何様にも対策でき、弱点をこちら側で作ってしまうという力技さえも可能。

 位相という数多ある異なる宇宙の法則を現世に適用するのが魔術であり、魔術師同士の戦いにおいては自らの物差しで敵の術式を測れないことなど日常茶飯事。この技術においては、魔術師の方が遥か先にいる。というより、帳などを除くと殆ど生得術式しか扱わない呪術師はスタート地点にすら立てていないかもしれない。

 

 

 足元から捻じれた槍が飛び出し、サンジェルマンの手に収まる。

 

「『ぶっ飛べ』」

シャンボール

 

 ここが使いどころと判断した狗巻が、呪言を発する。対して、サンジェルマンは一切の防御魔術を講じなかった。

 放ったのはカウンターの一撃。槍の穂先から湧き出た墨汁のような液体を、高圧噴射した。極微細なダイヤモンドを含有したその一撃は、触れたものを容赦なく削り取る。

 狗巻の喉元を狙いすました黒い死は、呪力防御なしでまともに喰らえば無事では済まなかったに違いない。後方へ吹き飛び樹木に叩きつけられた狗巻は、呪言の反動と攻撃による負傷で多量の血を吐いた。

 

 他方、呪言を喰らったサンジェルマンもまた、彼方へと吹き飛ばされる。ただし、それは先頭に立っていたサンジェルマンの一人でしかない。攻撃は通りこそしたが、被った損失と与えた損害に釣り合いが取れていない。

 

「諸君が幾許か集った所で、我が結晶構造を打ち砕くには至らん」

 

 無数に佇むサンジェルマンの群れから、新たなサンジェルマンが代表する。

 それは彼我の絶望的な戦力差を淡々と暗示していた。他のサンジェルマンはただ見ていただけだ。本気で戦闘になれば、少なくともこのレベルの攻撃が四方八方から飛んでくる。加えて、協力関係にあるらしい特級呪霊も相手にしなければならない。

 

「君達が抑圧してきた呪詛師が創る新たな秩序。そんなものに興味は無い」

 

 諦めて投降しろ、などと優しい言葉を掛けてもらえると思っていたのなら、想定が甘すぎる。

 既に見ていた筈だ。

 他人を従えるのに脅しは必要ないということを、失念しているのではないか。

 

 サンジェルマンが槍を振るうと、花御が生み出した樹木が動き出す。樹木が真希の口端を引っ張り、無理矢理に丸薬を飲み込ませた。

 

「んぐっ!?」 

 

 樹木が彼女を解放する。

 サンジェルマンウイルス。魔術師が死と共に自らの人格を遺した頭脳侵食細菌が、真希の体を侵していく。

 喉や胸部を掻きむしる必死の抵抗も虚しく、数秒と経たずに効果は現れる。黒い繭が解けた時には、彼女もサンジェルマンに成り果てた。

 先程まで代表していたサンジェルマンの言葉を継いで、真希は口を開いた。

 

「私に教えを乞わぬ呪術師は邪魔なのだよ。呪術と魔術、神秘は二つも必要無い。全ての呪術師を駆除し、我が秘法で世界を満たすのだ」

 

 そしてそれは呪詛師も例外ではない。

 呪詛師達はサンジェルマンに力を求め、サンジェルマンは呪詛師達を利用し呪術を滅亡させる。あくまでも一時的な利用し利用される関係であり、本質的に相容れないのだ。

 

 こうして禁書目録の与り知らぬ所で、自称『薔薇十字』の魔術師は世界に蔓延していく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある最強の信託(オラクル)

あけましておめでとうございます。
いつのまにか呪術アニメ2期終わってたし、創約9巻出てたし、年越してた。


 

 時間を掛け過ぎた。五条は自身の失態を悔やんだ。

 加茂家を出る時に、魔術を使う呪詛師達に想定以上の抵抗に遭ったのは時間のロスだった。だが最も苦戦したのは何らかの力によって目的地へと辿りつけない魔術。

 『不思議の国のアリス』のように非ユークリッド空間への遭難、あるいはその幻覚作用を。

 『ヘンゼルとグレーテル』のように目印の消失を。

 彼と共にインデックスがいれば、それが童話に数多く見られる『迷う』という共通要素を抽出した、一種のパターン魔術*1であると気づいただろう。

 

 そうした背景知識を持たない五条は、基本的にゴリ押しするしかない。日頃からインデックスの魔術を観察することで、六眼を使って術式を解読する暇潰しをしていなければ半日は迷っていたかもしれない。

 未だに術式の内容は見たところで微塵も分からないが、インデックスの解説という答えあわせと合わせて勘を養うことで、魔術の痕跡や術式の重要な役割を担う霊装の位置を何となく当て推量できるようにはなった。

 そういった経験を活かして、瞬間移動を繰り返すことで全体の構造を効率的にマッピング。空間連続性の破れを見抜いて脱出し、五条が高専に辿り着いた時。

 全ては終わっていたのだ。

 

「こちらも想定より遅かったな」

 

 石畳の上に倒れ伏す夜蛾の傍に、燕尾服を着た気味の悪い男が立っていた。

 

「誰だお前」

 

 呻き声を上げないが気絶しているわけでもないらしい。呪力が巡っていることからして息はある。

 五条は安堵と同時に、亢進する苛立ちを自覚した。

 

「サンジェルマン。魔術師と言えば分かるかね? ……おっと、今しがた君が蹴散らしてきた素人共と一緒にしてくれるな。教わるがままで神秘の最奥を身に着けられると思っている愚者とは違う。私は授ける側、純正の魔術師だ。君が抱え込んでいる禁書目録と同じだよ」

 

 要するに。

 

「お前が全部の元凶ってわけか」

 

 そうと分かれば話は早いと身構えた五条を、サンジェルマンが制する。

 

「一つ忠告しておこう。サンジェルマンという個人が死のうとも、サンジェルマンという思想が潰える事はない」

 

 その言葉が寓する真意を測りかねて眉をひそめる五条に、サンジェルマンは続けて警告する。

 

「噂はかねがね聞いているとも、五条悟。だが君は最強であっても全能ではない。形ある個には強いが、形無き概念には勝てない。その力を以てしても、呪霊という一つの勢力が未だ根絶されていないのが良い証拠だ」

「要するに何が言いたいんだよ、お前は」

「サンジェルマンとは一つの分類なのだよ、君。呪霊という概念そのものと相対していると思ってくれていい。故に君は私に勝てない。絶対にな」

 

 つまり額面通りに受け取るなら、サンジェルマンとやらは呪霊全て。否、呪霊を生み出す呪いという仕組みそのものに相当することになる。

 これは随分と大きく出たものだ。五条は呆れて笑うこともできなかった。法螺を吹くにしても限度がある。

 

「まともに聞いて損したよ」

 

 そう言うと、五条はサンジェルマンを躊躇うことなく殴り飛ばした。

 

シャンボール

 

 正確には、殴り飛ばそうとした。

 拳は、二人の間に入った植物のような何かに命中した。

 それは全高2メートル弱、全長4メートル強の、樹木や花弁でできた蠍型の化け物だった。

 全力ではないにしても、並みの呪術師なら全治数か月の傷を負わせる威力のつもりだった。それがどうしたことか、負傷どころかまるで動じていない。

 

 その耐久性のカラクリは、細胞壁を持たない動物細胞を植物細胞で置き換えていることにある。植物細胞での各種臓器の作成と最適化により、本来動物が持ち得ない強靭さと植物が持ち得ない運動性能の両方を獲得しているのだ。その植物装甲の堅牢性は、学園都市第4位『原子崩し(メルトダウナー)』の光線にさえ耐える程。

 だが一番目につくのは、尻尾の先端に生えているサンジェルマン。外見的ミスマッチというか、植物と人間の融合という光景は悍ましいと言う他無い。

 

「その見た目で手品師気取るには、品が無さすぎるだろ」

 

 目の前のサンジェルマンが黒幕なのだとしたら、洗いざらい吐かせたい。インデックスに見せれば魔術的な観点で彼の暗躍を解き明かしてくれるだろう――――という殺傷に対する躊躇いを、意識的に捨てる。仮にうっかり殺してしまっても取り敢えず事態を止めることはできるのだから。今は事態の収束が最優先と判断した。

 

 術式順転『蒼』による拳の一撃が、尾に繋がるサンジェルマン諸共砕こうかという威力で植物装甲を貫く。

 落雷の如き轟音と、倒木さながらのミシミシと悲鳴のような音が響き渡る。

 発生した空間の歪みによってその分子構造までもが本来有り得ない形に曲げられることで、正しい剛性を発揮できなかったのだ。

 相手に攻撃を受けたと認識する暇すら与えない。もはや"発射"という言葉で形容するしかない程のスピードで、サンジェルマンは木々の中へぶち込まれた。

 

 五条が生存確認……いや死亡確認をしようと歩みを進めようとして。

 足音がした。

 現れたのは五体満足、傷一つ無いサンジェルマン。それも複数の。

 高専中からぞろぞろと姿を現した燕尾服の集団は、あっという間に五条を包囲した。

 

「「「無駄な事は止せ。既に君は私に敗北している」」」

 

 この手の分身してくる輩は初見ではない。故に五条はこの程度で驚くこともなかったが、思わず顔を顰めた。この光景を見て、壮観という感想を溢すセンスはしていない。

 顔や体格も違うところからして、やはり分身ではないのだろう。かといって五条の眼は、これらがどれも幻影ではなく実体持つ人間であると主張している。無数の気配そのものには高専に辿り着いた時から気づいていた。それらは全て、呪詛師ではなくサンジェルマンだったのだ。

 

「どういう意味だ?」

「その気になれば日本中に散らばる私が無辜の民を手に掛ける、ということだよ」

 

 壮年のサンジェルマンが彼らを代表して喋る。

 発言の意味をまだ咀嚼しきれない五条。確かにサンジェルマンというのが個人ではなく集団であるとするなら、こうしている今もどこかで人質を取ることが可能だ。

 ただ、その規模が日本中となると少し信憑性に欠ける。そこまで広範囲に術式の影響を及ぼせるのは、少なくとも呪術界では規格外の存在である天元や天与呪縛を受けたメカ丸くらいだ。

 魔術がどうなのかは知らないが、彼の常識に照らし合わせるなら射程距離に制限があるかもしれないという疑いを抱くのは当然だった。

 

「その言葉がハッタリでないという根拠は?」

「楽観的だな。最後まで希望的観測に縋るかね。望むのなら、被害者は君の身内でも構わんよ」

 

 そう言うと、集団の中から一人の女性型サンジェルマンが現れる。

 

「真希!?」

 

 その姿は、バニーガールのような恰好をしていても見紛う筈がない。五条の生徒である、禪院真希だった。彼女はサンジェルマン達の一番前まで歩み出ると、糸が切れたように倒れる。数秒の後、体がぴくりと動く。

 

「あれ、私何してた? いつの間にこんなところに――――て何だこの恰好!?」

 

 まだ意識がはっきりとしないのか地に腰をついたままの真希だったが、自らの姿を見て目が覚めた。

 

「何見てやがんだ、こっち見んな!」

 

 ともすれば、日常が帰ってきたかのような感覚にも陥るが、五条の顔からは緊張が取れない。それを見て真希も何かがおかしいと感じたのか記憶を探り、周囲を見渡して状況を把握しようとする。そんな彼女を置いて、話は進んでいく。

 

「見ての通り、私に乗っ取られた元の人間はまだ生きている。つまり私を殺すということは、無関係の人間を殺すということでもある。これで私の言葉が嘘偽りであろうとなかろうと……さあ、理解できたかね?」

 

 『サンジェルマンという個人が死のうとも、サンジェルマンという思想が潰える事はない』。その意味を、五条は漸く理解した。サンジェルマンの力は寄生または憑依であり、しかもそれが意識を共有する群体であるために、肉体をいくら傷つけようと意味はない。それどころか乗っ取った肉体自体が人質となっている。

 

 意識をどこまで共有しているのか分からないが、『無量空処』を使えば廃人化させることはできるかもしれない。だがこの手は、射程距離に限界があるという希望的観測の下でも悪手だ。日本中にサンジェルマンが散らばっているということがなくとも、事前に一般人を乗っ取るくらいはしている筈。というか、真希が乗っ取られていた以上、他の高専メンバーがサンジェルマンに乗っ取られていると考えるのが自然である。

 脳に負担のあるダメージを与えれば誰かを傷つけることになる。ある程度の人の死を許容するにしたって、その規模が分からないのでは天秤にかけようがない。

 後遺症が残らない程度の時間『無量空処』を浴びせるというのは、更に悪手だ。サンジェルマンはどこに散らばっているかも分からない。一撃で仕留めなければ、相手を刺激するだけで人質の命を危険に晒すことになる。

 

 劣勢というよりこれは……詰んでいる。

 

「そこでだ、五条悟。私から提案がある」

 

 彼が懐から取り出したのは、表面に賽の目状に眼球が浮かぶ立方体。

 特級呪物、獄門疆。

 

「これは君を封印するために用意された霊装……いや呪物だ。君の封印と引き換えに、私は敵対行動を取らない一般人には手を出さないと約束しよう。無論君のお仲間は解放するし、そちらから向かってこない限りは高専の呪術師にも危害は加えない。信用できないなら、君達呪術師が言う所の縛りとやらを結んでやってもいい」

 

 あくまでも、縛りの対象は五条とサンジェルマンだけ。しかも呪術師と呪詛師の戦いに間接的に力を貸さないとまでは言っていない。人質を取られている以上交換条件は向こう側が優位になるのは当然とはいえ、五条悟という呪術界最大戦力が天秤に掛かっている。

 それでも、呪術界を脅かしつつある魔術に通じ一つの分類すら自称するサンジェルマンの理不尽な人質戦法を封じられるのであれば、見合うだけの価値はあるのかもしれない。

 

「やめろ、悟」

 

 五条を引き留める声。見れば、夜蛾が意識を取り戻していた。

 

「私の前で恰好つけやがったらぶっ殺すぞ!」

 

 夜蛾と真希が必死の形相で引き留めるが、五条はそちらを見向きもしない。

 

「ふむ、まだ信用できんか? 君を封印した瞬間、呪詛師や呪霊がこの場の彼らを殺すということもない。私の意思によって起こったかに関わりなく、もし起きれば私は自害する。少なくとも今日一日は命を保証しよう。毒や呪詛といった遅効性の殺傷手段も細工しない。縛りはサンジェルマン全個体に対し適用される。以上、この言葉に嘘は無いと誓う。……と、これも縛りに追加しておこうか」

 

 穴は無いように見える。

 いや、誤魔化すな。もう心は決まっている。

 

「止せ、悟! お前を失えば全てが終わる、お前さえいれば何とかなる(・・・・・・・・・・・・)んだ!」

 

 

 ――――君ならできるだろ、悟

 

 

「……俺さえいれば何とかなる? インデックスさえいれば何とかなる、の間違いだろ」

 

 口惜しいが、サンジェルマンの言葉は正しい。

 五条がいくら強かろうが、この状況は覆せない。五条だけが強くても、誰も助けられない。最強の先にある、無敵の力を手にしなければ。

 

 だが彼女ならば。インデックスさえいれば。

 後ろ向きな理由で言えば、魔術に関して知識を持っているのは彼女だけであり、反逆の糸口を持っているとすれば彼女以外に考えられないという面もある。

 しかし、それ以上に彼は彼女を信じていた。未だ全容の掴めない力。彼を差し置いて無敵に届くのではないかとすら思える圧倒的な力。

 そして何より、安い善に流されず強大な悪に屈しない、『人間』らしさとでも言うべき揺るがぬ精神を。

 

「いいぜ、お前の提案に乗ってやるよ」

「賢明な判断だ。あれに期待を寄せるのは節穴と言わざるを得ないがね」

「どうかな」

 

 二人は互いを嘲笑するように、含意のある表情を浮かべた。

 

 かつては五条にも自らの隣に肩を並べる友がいた。五条が友を実力の面で突き放した時、友が抱いたのは劣等感だったのかもしれない。だが今、五条は自らの先を行く者に対してそのような感情は抱いていなかった。

 

 実に不思議な気分だ。五条にはこの感情を表す言葉が見つからない。自分以外の誰かに託すことに。それも、自分より目がある(・・・・)と思える相手に任せることに。

 安堵か、信頼か、解放感か。

 いっそ快感を覚えているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 五条の情報を処理し持ち運べるようになった獄門疆を手にしたサンジェルマンは、手中のそれに向かって吐き捨てる。

 

「愚かな男だ。私が何故、禁書目録ではなく君に交渉を持ちかけたのか考えなかったのかね。人質の命など気にも留めない(・・・・・・・・・・・・・)からだよ。アレは君が思っている程高尚な人間ではない」

 

*1
騎士団長(ナイトリーダー)の魔術。北欧やケルトなどの戦士や騎士に関する神話伝承から『パターン』を見出し、武器に能力を付与する。要するに不壊の剣や何でも斬るといった英雄譚の武具あるあるを実現する。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある教会の異動辞令(トランスファーオーダー)

 

「お戻りをお待ちしておりました」

「……!」

 

 『骨船』の移動誤差により東京校への帰還に少しばかり時間を掛けたインデックス達。

 日も傾き始めた頃合いに彼女らが漸く東京校に辿り着くと、軍隊のように整然と並ぶ修道服の西洋人達が行く手を塞いだ。

 日本の呪術師ではない。イギリスの教会に属する呪術師であった。

 こんな事態だ、護衛対象であるインデックスと合流しようとするのは何も不思議な事ではない。

 だというのに、マリーは必要以上に驚いていた。

 

「どうして貴方がここに……」

「どうして、とは可笑しな話だシスター・マリー。まさか心当たりが無いとは言わせないぞ」

 

 震えた声を漏らすマリーの、視線の先。彼らの先頭に立つ男は修道服を身に纏っていなかった。

 

「君は独断で聖人様を護衛隊から離すことが度々あったと報告を受けている。実際に日本に来るまでは半信半疑だったが。現に今、非常事態にありながら聖人様と合流するという珍事を招いている」

 

 謎の人物の登場に困惑するインデックス。どうも雲行きが怪しいマリーの反応を見て、遅れて男の正体に勘付く。

 教会内部の呪術師は、教会を呪術師機関として見ているか宗教団体として見ているかで派閥を二分する。

 この男は教会に属する呪術師だが、議会寄りの人間。つまりどこぞの貴族かその遣い。教義や信奉心ではなく、100%損得で動く呪術師。

 教会にインデックスを利用しようという感情が無いわけではないが、金と軍事力を生む完全な道具として見ているか、それらが備わった偶像として見ているかの違いくらいはある。

 

 いずれにせよ、男の言い分は教会側としては尤もだ。どのような事情があれど、護衛隊長が率先して規律を乱すようなことをしているのだから。だが経験も知識もないインデックスからしてみても、マリーは距離の詰め方や信頼の構築といった交渉術においては長けていたのだろうと感じられた。

 四六時中こんな大群に周囲を付き纏われるのは彼女だって勘弁だ。何のメリットもない。いっそ全員纏めてぶっ飛ばしてやってもよかった程である。

 それでもマリーだけは側使のように伴うことを許しているのは、メリットの提示や本気で文句を言えば進言や行動を最終的にはあっさりと取り下げてしまう駆け引きの上手さ、そして単なる信奉対象と信者の関係には収まらない個人的な友好関係を築いたことにあったのではないか。

 少なくともインデックスからしてみればマリーがこれまでしてきた独断専行は最適解であり、マリーでなければここまでの譲歩はしなかったことは間違いない。

 

「護衛隊長と雖も裁量を越えた行動、目に余る。よってマリー=ウェーバーを護衛隊から解任し、教会への帰還を命ずる」

 

 だが、こうなることは時間の問題だったのだ。

 一時は傭兵まで雇ってインデックスを追いかけて来た教会の事だ、そう簡単に諦める筈が無い。

 護衛という監視を付けたのは、英国と彼女との薄い関係性を絶やさないため。完全にフリーになってしまえば、諸外国に対し魔道書図書館の所有権を主張する正当な根拠を失ってしまう。

 尤も、そんなもの元からありはしない。周囲をどう牽制した所で、彼女が本気で抵抗すれば彼らの思い通りにはならない。そう考えると護衛を周囲に侍らせるのには、彼女に英国への帰属意識を植え付け、ゆくゆくは英国本土へ自ら帰郷させる狙いもあったのかもしれない。

 

 皮肉なことに、マリーがそれを最も達成しかけていた。彼らにはそれが分からないようだが。

 

 マリーが一瞬、殺気を感じさせる眼光で男を睨む。しかしそれも勘違いだったと思う程あっさりと、燃料が切れたかのように、憂いを帯びた目に変わる。表情からは諦観の色が見て取れた。

 

 インデックスは教会から逃げ、その思想と行いを否定してきた身だ。彼らの事情に今更口出しできはしない。

 見た目にそぐわない程ドライな性格の彼女ではあるが、しかし何の感情も無い訳ではない。寧ろ、好き嫌いといった、人間らしい感情には人一倍富んでいる。

 そんな彼女が口を噤み静観する。

 心情は誰にも知れない。

 しかし眼差しを騒動の中心であるマリー達に向けているということが、この一件が彼女の胸中で如何程関心が高いかを暗示しているのではないか。

 

「正直言って、私は貴方(・・)が信奉すべき聖人であるとは思えません。この一年間で貴方からは高潔さも慈悲深さも使命感も、全く感じ取れませんでした。貴方は只の人間です。正義や使命といった幻想には惑わされない、誰よりも人間らしい人間」

「貴様、聖人を愚弄するか!」

「ただ、貴方が聖人と崇められるに足る力を持っていることだけは確かです。貴方のような異質な存在が、何事も無く地上に降臨できる筈が無い。お気をつけて。貴方が人間でありたいのなら、その軸を乱してはいけませんよ。今の貴方は、貴方らしくない」

 

 その言葉は、痛い所を突いている。

 責任や義務などというしがらみを厭ってきたインデックスが、魔術の悪用に対して必要以上のリスクを負って解決に乗り出そうとしている。

 今のこの状況は、確かに彼女らしくない。

 まだ彼女個人にとって明確な脅威は何も起きていない。動きだすのは事が起こった後でもいいのではないか。このまま放置すれば日本は滅びるかもしれないが、そこまでいけば相手の手口と狙いは判明する。

 なんなら首謀者の狙いが日本の支配に留まり彼女に害を及ぼさないなら、静観したっていい。

 他人の命を救うために少しでも命を懸けることは、彼女にとっては本末転倒だ。次はアメリカにでも移住しよう。あの日イギリスから抜け出したように、煩わしいことからは逃げてしまえ。

 

 ただ、彼女はこの国に何だかんだ愛着が湧いているらしい。

 

 ――――適当に暮らしながら、『禁書』世界の魔術を研究する。あと、おいしい料理を食べること。

 

「大丈夫、最初の理由には反してないよ」

 

 それを聞いたマリーは微かな笑みを浮かべると、背を向けて去ろうとする。

 

 さして深い交流があったわけではない。

 たった一年、傍に居ただけ。特筆すべき事は何もない。

 常人にとっては当たり前の、取るに足らない、数年もすれば忘れ去られる顔。

 

「マリー」

 

 これは友情なのだろうか。それとも、ただの主従なのだろうか。マリーはただ形だけの敬意を払い、自分の仕事をしていただけなのだ。今漸く、インデックスはそれを理解した。

 今の今まで、一番近くに居ながら決して心の奥底を互いに見せなかった。それでも、背を預けることはできたのだ。

 何とも言えない奇妙な関係だが、考えてみれば、人間の友情なんてそんなもの。

 寧ろそれが、インデックスにとっては心地よかったのかもしれない。

 だから、続く言葉に彼女さえ自覚していない裏を汲み取るのであれば。

 

 人間として見てくれて(・・・・・・・・・・)――――――

 

「ありがとう」

 

 無表情を崩さないインデックスからは、依然その心は読み取れない。

 敵だらけの彼女が今生で一番心を許した相手は、さて、一体誰であるか。

 

 

 


 

 

 

 余りにも呆気なく突然の別れ。正直、まだ現実味が無い。明日にはひょっこり戻っている気がする。マリーは今頃、帰国するために荷物を纏めているのだろうか。

 いや、思いを馳せている場合ではない。たとえ彼女が欠けようとも、今の私にはやるべき事があるのだ。

 高専に戻ると、幸か不幸か、目に映る現実が私の意識を切り替えさせた。

 そこは酷く荒れていた。割れた石畳、抉れた土、倒れた樹木は、ここで戦闘が起きたことを知らせる。

 

「これは酷い。御身が身を置くには相応しくありませんな」

 

 五月蠅い。ちょっと黙っててくれないか。

 この新しい護衛隊長になった男、高専結界への登録根回しぐらいはしているらしい。即日でマリーを解任させたあたり、そういう手は早いと見える。

 意外なことに、私を即座にイギリスに強制帰国させようとはしてこなかった。指名手配が掛かったこの状況なら、彼の言動から推察するに目的はそれだと思ったのだが。私に無理強いできないことくらいは理解しているらしい。その代わり、付き纏いがうざくなった。

 人を探して校舎を目指す。ぞろぞろと修道服の集団を引き連れて。

 どうせ何を言ってもついてくるだろうし、諦めた。高専側が立ち入りを認めているなら、私に咎める権利は無い。

 

 正門や森の方は損傷が大きいが、見えてきた校舎の方は比較的綺麗なままだ。戦場になるのを避けたのだろう。流石にこの人数が列を成すには狭いと空気を読んだのか、護衛は校庭で散らばった。

 新隊長と数人だけを伴って中を探し回ると、教室で高専生達と共に夜蛾学長が項垂れているのを見つけた。

 

「あんたらどちら様?」

 

 初めて見る顔だ。制服を着た気の強そうな短髪の少女が、私達を怪訝な目で見る。

 恐らくは一年生。ここ一年あまり高専に顔を出していないので、面識が無いのだ。

 百鬼夜行以来マリーや護衛が付くようになったので、高専まで足を運ぶと方々に迷惑を掛けることになる。最初の頃は本当に酷かったが、私が抗議してからはマリーか五条と共にいれば他の護衛は外してもらえるようになった。五条が呼びつける機会も少なくなっているのはその名残だ。

 

「ええと、たしかインデックスさんでしたっけ……?」

 

 こちらは面識がある。誰かと被るツンツン頭の少年、伏黒恵。

 

「どうも初めましてインデックスです。一応、五条の教師補佐やってます。よろしくね。後ろのは付き添いみたいなものだからお気になさらず」

 

 暗に大人しくしてろよと一睨みすると、自称護衛隊は教室の外で静かに控える。

 

「そ。釘崎野薔薇よ……て、このナリで先公!?」

 

 なんだかこの反応にも慣れてきたな。

 

「で、このお通夜ムードは一体何?」

 

 私が来たことで少し明るくなりかけた空気が、一瞬で静まり返る。地雷とは分かっていても、事態が事態だ。単刀直入に聞かせてもらう。

 

「悟が封印された」

 

 沈黙を破ったのは、学長。

 

 封印?

 

 ……なんとなく察した。『封印』の言葉の意味は、アレイスターが西旗を用いてコロンゾンを封じたのとそう大差無いだろう。

 このゴタゴタの合間に、外様の私から見ても恐らく呪術界最大戦力である五条が何らかの方法で戦闘不能に陥ったのだとしたら、彼らの絶望にも頷ける。

 

「一応聞いておくけど、どうやって?」

「獄門疆という特級呪物だ」

 

 呪術にもそんなものが――いや、私の見立てでは呪術は結界関係が強い技術体系。寧ろ無い方がおかしいのか。

 

「全て俺の責任だ。学長でありながら、俺には生徒達を守ることもできなかった。人質を取られていなければ、悟があんな要求を呑むことも無かった」

「それを言うなら、私が一番足引っ張ってた」

 

 学長は相当参っているのか、マイナス思考に陥っているようだ。真希も彼を慰めたように見えて、唇を噛んで自責の念に駆られている。

 

「先輩一人のせいじゃありません。全く歯が立たなかった俺達も同罪ですよ」

「場合によっちゃ俺らが同じ目に遭ってたかもしれないしな」

「しゃけ」

 

 真希が小綺麗なままなのに対し、男子生徒二人と一匹は怪我をして包帯を巻いていた。

 足を引っ張るにしては負傷度合のバランスが取れていないことに、少し違和感を覚える。

 

「その封印具は今どこに?」

「奴が、サンジェルマンが持っていった」

 

 ……。

 

 私の耳がおかしくなったのかも。

 

「そいつ、燕尾服で片眼鏡を付けてたりしなかった?」

「ああ。お前も遭遇したのか」

「……いや、心当たりがあるってだけ」

 

 Saint-Germain。

 18世紀ヨーロッパに名を残した貴族であり、ダイヤモンドの傷を消す秘法を有し、2000年以上の時を生きるという伝説を持つ不老不死の怪人。

 しかしそんなことはどうだっていい。

 

 彼は『とある魔術の禁書目録』に登場する魔術師である。

 

 この世界にあの世界の登場人物がいないか、考えなかったわけではない。

 当然、探しに探しまくった。だからイギリスに魔術師の痕跡はなかったと、それは間違いなく断言できる。

 私が認識できない領域、例えば隠世のような位相に魔神が居ないとは限らないが、少なくともサンジェルマンはそういう類のものではない。

 そういえば、サンジェルマンは位相を操作して何度世界を改変しても自然発生してくる世界のバグのような存在だと、魔神僧正が愚痴をこぼしていた。

 魔術が存在するなら、そこにサンジェルマンがいてもおかしくは無いのか?

 いや、それなら最初にサンジェルマンウイルスを作り出した本人が魔術を使えないといけない。

 となると、論点は「この世界に何故魔術が存在するのか」へ回帰する。私というイレギュラーが存在するために魔術が生まれたのか、魔術は元々そこにあったのか。サンジェルマンの存在を考慮すればやはり後者が正しいように思える。だがそれなら、何故他の魔術師が存在しない?

 そもそも、サンジェルマンが原作と同一人物なのかも疑うべきか。同一人物だとして、どの時点のサンジェルマンなのか。アンナ=シュプレンゲルによって改良された『劇症型サンジェルマンウイルス』でないことは確かだろう。もしその記憶を有しているなら、今更こんな暴挙にはでまい。

 

「学長達の話によると、五条先生は貴女に託したみたいですが。あの、よく分からない力の事も知っていると聞きました」

 

 伏黒が期待の眼を向けてくる。周囲を見渡してみれば、それは彼だけではない。この場の全員が、私に縋るような目を向けていた。

 五条が封印されて、未知の脅威に晒され。何が起きているのか分からず一杯一杯なのだろう。

 だからこそ、答えは決まっている。

 

「この件は私が片づけるから、気にしなくていいよ」

「えっ」

 

 サンジェルマンという私が広めた魔術に依らない存在が背後にいると分かった以上、事態の原因が私にあるとは限らなくなった。

 同時に、尚更他人に任せるわけにはいかなくなった。

 決して、彼らの命を案じてのことではない。ついてきたければ勝手についてきて、勝手に死ねばいい。足手纏いだからというより、ことサンジェルマン相手には居ても居なくても変わらないのだ。あれを何とかできるのは私だけだから。

 無駄死にしないよう忠告するのは、せめてもの社交性(優しさ)だ。これで五条が帰ってきた時に生徒が死んでいたら、彼との間に間違いなく遺恨を残す。

 

「待ってください。自分達が足手纏いなのは分かります。ですがせめて何が起きているのかだけでも教えて頂けませんか?」

「そうよ。まだあんたが年下なのか年上なのかすら分からないけど、私達にだって知る権利があるでしょ」

 

 私に詰め寄ろうとした釘崎の前に、学長がそっと立ちはだかる。

 

「止せ、お前達。悟が託すと言ったんだ、俺達が信じないでどうする」

 

 学長の言葉もあって、彼らは不満ながらも押し黙った。

 

 

 その後、学長から封印の経緯を教えてもらった。

 五条の封印条件で呪詛師達は退いていったが、明日になればまた高専を襲いだす可能性が高いらしい。情報網も補給線も断たれた呪術界は組織として完全に機能停止状態にある。このままではジリ貧状態で呪詛師達と戦うことになる。

 それに五条の封印が上層部に知れたら、沢山の呪術師が死ぬことになるという。そうなれば日本呪術界は内憂外患で滅ぶだろう。あまり時間は残されていない。

 呪術界がどうなろうと正直知ったことではないが、日本という国家の社会機能が麻痺するのは困る。なんだかんだここは住み心地がいい。

 

「サンジェルマンの居場所に心当たりはない?」

 

 ダメ元で訊いてみる。

 向こうは確実にこちらの存在を認識していて、今日まで存在を隠してきたのだ。

 ここまで大っぴらに存在を明かして、私に対して挑発しているとしか思えない。

 にも拘わらず私の前に姿を現さない訳。遭遇を避けたがっていると考えるのが妥当だ。

 そう簡単に尻尾は掴ませないだろう。

 

「悪いが手がかりになりそうな事は何も……。いや、もしかしたら天元様なら何か知っているかもしれない」

 

 天元。その名が日本呪術界の重鎮だということは知っている。

 あまり気は進まないが、ここは大人しく助言に従っておくか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある修道女の最終任務(ラストミッション)

 

 天元が住まう薨星宮に行くには、高専内のシャッフルが繰り返される1000以上の扉を引き当てなくてはならないらしい。

 薨星宮への道に存在する高専忌庫が今回の襲撃時に侵入されたらしく、門番がやられていた。

 幸い、漏瑚とかいう呪霊の封印時に一度忌庫の中に入ったことがあり、結界術の構造はわりと単純であることが魔術的観点から解析できている。

 侵入者を迎撃する攻性結界ではなく只の隠匿結界だし、シャッフル方式という所まで分かっているのだ。いくら技術体系の異なる呪術とはいえ、突破法くらい編み出せなきゃ魔道書図書館の名が廃る。

 とはいえ、『三重四色の最結界』*1みたいな滅茶苦茶な代物でなくて助かった。流石に大事な倉庫を守る結界だ、破壊するわけにもいくまい。

 

 などと考えていたら、何も無い真っ白な空間へ辿り着く。

 ここが薨星宮とやらの中の筈だが、肝心の天元らしき姿は見当たらない。

 

「初めまして」

 

 と思ったら、ぬるっと現れた。

 

「うわあ……」

 

 見るからに呪霊らしき四つ目の怪物が、そこには居た。

 

「私が天元だ」

 

 高専結界などの日本呪術界のインフラを担っているのが、目の前のこれだという。

 呪術師達はこんなものを祭り上げてるのか? 

 本気で?

 

「何を考えているのか大体予想はつくけど、私は元々人間だよ。長生きするとこういう姿になるんだ」

「いやいやいや」

 

 その理屈にはかなり無理があるだろう。どうやったら老化で体の器官が増えるんだ。呪力が体を変容させるのか?

 

「あるいは魂が変質してるの? 生命の樹を昇る過程で何かやらかした?」

「勘が良いね。後半の君なりの解釈はよく分からないけど、前半は合ってるよ。私の魂は至るところにあり、今や天地と同化している」

 

 そこまでいくと8=3相当*2かそれ以上に足突っ込んでる気がするんだけど……。

 でも魔神じゃあるまいし、特定の位相関連かな。

 だとすると、候補は絞られる。というか日本呪術師の殆どが仏教や神道を下地にした術式を持っていることを考えると、該当するのはほぼ一つしかない。

 

「まんま無色界の第2天じゃん。五条といい貴方といい、もしかして呪術師の最終到達点は非想非非想天とか涅槃だったりする?」

 

 あ、となると領域展開って――――

 

「仏教に詳しいのだね」

 

 こんなの知ってる人は知ってるレベルだろうに。

 見え透いた世辞は結構だ。

 

「さて、君のことは何と呼ぶべきか」

禁書目録(インデックス)でも聖人でも、好きなように呼べばいいよ」

「ではインデックス、単刀直入に聞こう。君は一体何者なんだ?」

「恐らく英国で最初の魔術師かな」

「では、あのサンジェルマンとやらも君の教えを乞うたのか?」

「いや。あれの発生理由は私にも分からないよ」

 

 そもそも私がどのようにして魔術を会得したのかについて、意図的に言及を避けていることに気付いたようで、天元は話の核心を突いてこない。

 彼ら呪術師からすれば、魔術の起源は完全に謎。その点においては、私もサンジェルマンも外から見た印象は変わらない。まあ私自身も、何故禁書目録として転生したのかはさっぱり不明だけど。そこは考えるだけ無駄というか、考えてはいけない。

 

 つまりは私が信用に足る存在かどうか確証が欲しいのだ、天元は。

 

「お互い隠したいことは隠せばいいよ、そっちの内情に興味は無いし。心配しなくても、サンジェルマンは私が打倒する。というか私だって一応は高専の所属なんだから、命令すればいいでしょ」

 

 ここに招いた時点である程度は信用している筈だ。というか、頼らざるを得ない。五条が封印されて大幅に戦力を削がれたのに、魔術という未知の力に対抗する術は今の彼らには無い。

 

「では、付け加えてお願いするようだが。五条悟を解放して欲しい」

 

 信用できないのはお互い様という趣旨の発言が効いたのか、天元はこちらを探るのを諦めて本題らしき要求を突き付けてきた。

 

「と言われてもね。具体的に何すればいいの?」

 

 獄門疆とかいう呪物に封じられているとか言ってたけど。

 肝心のブツの性質も所在も分からないのでは封印の解きようが無い。

 

 天元は懐から何かを取り出した。

 それは掌に丁度収まるサイズの立方体だった。

 

「獄門疆『裏』。五条悟が封印された獄門疆と対になる代物がここにある」

 

 ……何故そんなものを持っているのか。

 怪しさ満点だが、探りは無しと言った手前だ。ここは受け入れよう。

 

「これ、この中にも五条が入ってると考えていいんだよね?」

「難しい質問だ。正規の手段では表からしか開けることはできない上に、何とかして裏を開けても表から出てくるだろう。しかし、繋がりが無いわけではない」

 

 天元から、獄門疆『裏』を受け取る。

 

 憶測に過ぎないが、恐らくこの呪物は門のような役割なのだろう。封印された実体は異次元空間にあって、表と裏の獄門疆どちらにも入っていないとも言えるし、どちらにも入っているとも言える。

 

 天元は、これを私に開けて欲しいのか?

 

 でも、術式だけを綺麗に解除するのはちょっと無理かな。呪術に関する知識が圧倒的に足りない。

 薨星宮の結界を通り抜けられたのは、結界の仕組みが単純で、しかもその仕組みを分かっていたからだ。

 

 獄門疆は異次元に通じている仕組みが分からない以上、ピッキングのように鍵を開けるタイプの正攻法は不可能。かといって座標も分からないのでテレポートも不可能。

 となるともう金庫破りの最終手段、破壊しかない。

 この方法なら開けること自体は簡単だけど、ぶっちゃけ何が起こるか分からない。中身ごと破壊してしまう可能性や、中身が一生異次元に取り残されたままという可能性が濃厚だろう。

 

「ご期待に沿えず申し訳ないけど、今のところ解除は無理かな」

「……そうか。それは君が持っていて欲しい。表を手に入れなければ開門できないのなら、それにはもう意味は無いからね」

 

 できれば持ち歩きたい外観ではないが、先程の会話で少し思いついた事がある。この呪物はまさにその実験に適している。有難く預からせて貰おう。

 問題は何の魔術を施すかだが……あ、そうだ。

 今後、サンジェルマンとの戦いで私が無事でいられる保証はない。サンジェルマンはそこまで強い魔術師ではない筈だが、私自身、純正の魔術師と戦うのはこれが初めて。向こうの正体含めて不安要素は尽きない。

 なので一応、この裏門に保険の魔術を仕掛けておこう。

 ま、あくまで仮説が正しければの話。

 

 早速、手慰みに霊装化してみる。私の体から生ずる万能のテレズマと魔力が裏門を包むようにコーティングし、中へ浸透する。暗号化により情報圧縮された文字が宙を踊り、表面に刻まれた青い紋様に吸い込まれていく。

 

 興味深そうに凝視する天元に、私は改めて確認を取る。

 

「じゃ、結局は表を手に入れてこいって頼みでいいの?」

「そうなる」

「簡単に言ってくれるね」

 

 こちとらサンジェルマンの所在すら分からないんだから――――あっ。

 そうか。裏と表が対になっているなら、裏を持っていれば感染魔術で表の位置を探知できる。

 向こうも表を渡したくない筈だから、サンジェルマンは肌身離さず持っているに違いない。

 まさに一石二鳥だ。

 

「うわ」

 

 私の手元が一瞬眩く光る。

 裏門はテレズマと魔力を完全に内側に抑え込み、外からは注ぎ込んだ莫大なエネルギーをもはや感じ取れない。

 一面には大きな六芒星の中心にヘブライ文字のש。

 

 ……マジで成功しちゃったよ。

 

 

 


 

 

 

 支度の必要は無かった。

 非常時に備えていつでもどこでも自分の役割を果たせるようにしておくのは、護衛隊長としての責務だ。

 スーツケースと背負った長尺バッグが、マリーの所持品全て。中には公には見せられないような物も入っているが、空港の保安検査も本部から根回しがされているので素通りできる。

 

 突然の帰国ということもあって、出発までまだ時間がある。1階のロビーで座って待とうかと考えながら、彼女は空港へ足を踏み入れた。

 

 強烈な違和感を覚える。

 いや、もうそれは違和感と呼べるような曖昧な異常ではなかった。

 人影が全く見当たらないのだ。

 

「人払いの魔術――!?」

 

 突如、物陰から何かが飛び出してきた。

 何者かの手が、彼女の眼前を掠める。

 間一髪で避けたマリーは、バックステップで距離を取った。

 

「ちぇっ、反応早いな」

 

 背丈や顔つきからして大学生くらいだろうか。青年の顔にはツギハギのようなものがある。

 呪術師であるマリーには、ソレが人間ではないことが一目で分かった。

 下手人は特級呪霊、真人だった。

 バックステップの勢いのままスーツケースを乱暴に放ったマリーは、長尺バッグから金属質の長い棒を素早く取り出した。折りたたまれたそれは即座に展開され、2メートルを超すハルバードと化す。慣れたものなのか、臨戦態勢に至るまで接近を許すほど時間は掛からない。

 

「あれー、飛行機にそんな物持ち込んでいいの?」

 

 特級や1級などの日本呪術界の等級について感覚で判断できるほど馴染んでいないマリーだが、それでも眼前の呪霊の呪力量から特級であると確信できる。そもそも呪霊のくせに明確な言葉を喋る時点で、異質さは十分だ。

 いくら呪霊に溢れた日本といえど、その辺に潜んでいるレベルのものではない。何故彼女の前に姿を現したのか。

 人払いの魔術が使用されていることから考えても、明らかに今日本呪術界を襲っている事件と関わりがあると見ていい。

 

「今、ここで私を狙う理由は何です」

「それってそんなに気にすること? 孤立した奴から狙うのは定石じゃん」

 

 真人が腕を鞭のように伸ばして振るうが、マリーはハルバードを薙いで腕を斬り飛ばす。明らかな隙を見せる真人だが、マリーは依然距離を取って様子見を続ける。

 

 すると、真人の失った腕が丸ごと即時再生する。

 呪霊は肉体を再生できるが反転術式は使えない。この手際の速さは特級呪霊といえど異常だ。恐らく単なる呪霊の再生とは違う、術式によるもの。マリーは警戒を強める。

 

 この手の一見して術式が読めない輩は厄介だ。領域展開でさっさと倒してしまいたいところだが、他に伏兵がいる可能性を考えると下手に切れない手札だ。術式が使えなくなった隙を突かれる危険がある。

 彼女の領域は特性上籠城に適しているが、いつまでも展開していられるわけではない。解除後の位置はそうずらせるものでもないし、諦めてこの場を去るのを待つなど馬鹿な賭けに出る訳にもいかない。

 

 となると残された手は距離を詰めて短期決着。十中八九罠だろうが、向こうの狙いよりも先に首を取るしかない。床を蹴って、彼女は走り出す。当然両腕を伸ばして迎え撃ってくるが、斧槍の穂先と石突で前方両側面から迫る攻撃を受け止める。

 

「熱っ!?」

 

 肉の焼けるような音に、真人は思わず力を緩めた。

 聖別呪法。今、彼女のハルバードは目の前にいる真人のみにしか攻撃力を発揮しないという縛りを課すことで、特効を得ていた。その力は刃だけでなく柄に触れるだけでも十分な効力を発揮する。

 

 そうして真人が怯んでいる間に、遂に本体を射程圏内に捉えた。

 真人は急いで引き戻した腕を、交差させてガードする。

 

「なーんて」

 

 ――フリをして、そのまま突進した。

 

 ハルバードというのは、間合いが重要である。

 剣と違って斧の刃は先端にだけあるので、近づかれると斬撃はできない。突きならば距離に関係なく攻撃できるが、点の攻撃は当たりにくく一度盾で防がれたり外してしまうと引き戻すまで突くことはできない。

 緊急時に薙げば棒としても使えなくもないが、重心が先端に集中しているため威力に乏しく、足止めにしたってそこまで近づかれた時点で負けである。

 勿論、マリーがその弱点を知らないわけではない。手元に引いていた斧槍を構え、迎え撃つように突きを見舞う。胸部への致命の一撃。懐に入り込もうとされるくらい想定している。

 

 しかし、普通の人間ではできない行動には対応できなかった。

 真人の胴体が、貫かれた場所から千切れるように上下に分かたれる。肉薄と同時に分割した体を接着、即座に再生。右手をマリーの首へと伸ばす。

 

「無為転変」

 

 触れた者の魂の形を変える、接触イコール必殺の真人の術式が発動する。

 

 ぐしゃり、と潰れる音。

 

「……は?」

 

 ただし、それは真人の肩口から鳴った。

 彼の右腕は風船の如く膨張し、肩から爪の先まで肉体の制御を失う。

 

 不測の事態に慌てて距離を取る真人。それを逃さないとばかりに振るわれたハルバードが真人の胴を切り裂くが、斬撃痕からはやはり血の一滴も溢れない。彼の肉体が粘土のように形を変えたかと思うと、次の瞬間には受けた傷も乱れた腕も綺麗に元通りになる。

 

 結果的に真人にダメージは無い。だが、それはマリーも同じ。

 彼の手はマリーに触れて、無為転変は確かに発動したにも拘らず、だ。

 加えて、突然の肉体の暴走。いや、肉体の形が変わったのではない。

 それは他でもない彼が一番理解している変化。魂の形が変わったのだ。

 紛れもなくそれは無為転変。しかしマリー=ウェーバーが魂の形を変える術式を持っているという情報は無かった。

 ならば答えは一つ。真人は今しがた起きた現象の正体を導きだした。

 

「呪詛返しか!!」

 

 マリーの胸元、修道服の下で淡く発光している何か。小さな逆三角形の布に描かれた、規則正しい文字列が浮かび上がる。

 それは、余りにも有名な呪文。

 ABRAHADABRA。

 その文字を後ろから一字ずつ減らすようにして、下に書き連ねた護符。

 古来から伝わる魔法の言葉を、アレイスター=クロウリーは自らの理論体系に組み込むことに成功した。世界を飛び交う呪詛を捻ってその向きを変える非常にシンプルなこの魔術は、魔力さえ必要としない。

 インデックスは、この本家アレイスターの魔術を対呪術用に改良し、マリーに授けた。

 

 あらゆる呪術を跳ね返すという程万能でもないが、術式対象が護符の装備者に及ぶ類の呪術には有効だ。例えば無下限呪術の術式対象は『無限』、百歩譲って空間であるため反射できない。一方で、芻霊呪法や十劃呪法は反射できる。

 『無為転変』は、装備者の一部である魂を対象とする。

 

 形勢は傾いた。

 自らが最も信を置く攻撃手段を無力化されたことで、真人は防戦一方に追い込まれる。

 勿論無為転変が効かなくとも真人には攻撃手段が残されてはいるが、基本的に術式を持たない徒手空拳の呪術師に毛が生えた程度。肉体変化による攻撃のバリエーションも、威力が乏しければ脅威足りえない。

 そもそも複雑な術式が絡まない単純な近接戦闘ならば、マリーに大きく分がある。加えて武器の有無に戦闘技術、ほぼ一方的な術式使用のアドバンテージ。これで負けろと言う程が難しい。

 

 だが、決定力に欠けるのは彼女も同じ。

 

 ――機能縮小『刺突特化』。

 

 ――機能縮小『斬撃特化』。

 

 術式を掛け直して弱点を探るが、どれも一時的なダメージを与えるだけで、すぐに回復されてしまう。

 

「無駄だよ。魂へ届かない攻撃は俺には効かない」

 

 このままでは埒が明かないと判断したのは真人も同じだった。術式開示により呪力の増強を試みる。

 しかし彼女相手にそれは悪手極まりなかった。

 

「魂……成程、それが貴方の弱点ですか」

「このままいけば、どっちが先に呪力が尽きるかの勝負になるけど」

 

 どこで知ったのか、イギリスの呪術師の平均呪力量が少ないことを見抜かれている。

 マリーは日本の呪術師と比べても遜色ない程特別呪力量が多い方だが 特級呪霊と張り合うのは無謀だろう。

 

「聖別呪法は物品が元々持っている機能しか強化できません。あなた個人に対する特効を得ても同じです。武器に『魂への攻撃』などという機能は無いのだから」

「えー、もう諦めたの? 潔い奴より意地汚い奴の方が好きなのになぁ」

 

 聖別呪法は物品の機能を任意の方向性に先鋭化させる。原理としては、元々あった機能を制限することでその分の力を他に割き、更に縛りによって強化する。つまり、機能範囲は必ず縮小されなければならない。

 『宿儺特効』や『真人特効』などの穂先だけでなく柄に触れただけでも特効対象に問答無用でダメージを与える特効作用は一見機能縮小されていないとも取れるが、打撃や摩擦熱、呪力伝導といった攻撃力を誇張しただけで、可能な機能からは飛躍していない。

 より厳密に一般的な定義を与えるなら、ある器具が持つ全ての機能を集合Aとして、その中の部分集合Bに機能範囲を縮小する術式と言える。

 何故、態々このような言い換えをしたのか?

 この術式の定義こそが重要だからである。

 

 無ければ足せばいい(・・・・・・・・・)

 

 聖別とは、人や物を聖なるものとして、他の被造物と区別する行為。

 ならば、これから為されるそれは、天が定めた領分を逸脱する行為。

 

術式反転(Cursed Technique Reversal)冒瀆(desecration)』」

 

 『縛りで機能を収縮する』の反対(・・)は、『解放で機能を拡張する』。

 機能範囲の縮小ではなく拡大。すなわち、新たな機能の獲得。

 

 ――機能拡張『魂魄干渉』。

 

「ッ!?」

 

 攻撃が、真人の魂へと届く。

 マリーの振るう斧槍の一閃一打一刀が、真人を祓うことのできる攻撃へと化す。

 

 堪らず真人は両腕を翼へと変形させ、上空へと飛翔する。

 ここが空港であることが幸いだった。屋内とはいえ天井は高く、攻撃から逃れるのに十分な空間がある。

 結果は何も変わらないのだが。

 

 ――機能拡張『射撃』。

 

 斧槍の穂先から、呪力の弾丸が放たれる。

 術式反転『冒瀆』は、対象が持っていない機能を獲得する。つまりその気になれば武器に自己再生機能を付加したり、防具に攻撃力を付加することも可能なのだ。

 射撃を翼に受けた真人は空中でバランスを崩して飛行がままならなくなり、まさに鳥撃ちの如く墜落した。

 逃げ場を失い追い詰められた真人だが、傷は浅い。

 術式反転は原理上、順転の2倍の最低出力があるが、その分消費も激しい。そもそも無理に機能を拡張しているのだから、呪力の殆どは機能拡張に使われている。順転のように威力増強は望めない。

 

 ――機能縮小『射撃特化』

 

 ならば、要らなくなった機能は捨てればいい。

 失くした分だけ強くなる順転と、必要なものを獲得する反転を併用する。

 マリーがハルバードを扱うのは、そもそもこれを想定して元々多様な攻撃手段を有している武器を選んだからだ。機能を縮小して強化するのも、新しく機能を得るのも、元々の武器のポテンシャルが高い方が余計な呪力消費をせずに済む。

 

「がはっ……!!」

 

 攻撃手段を射撃に絞ったことで威力と連射速度が向上。呪力弾がマシンガンの如く撃ち込まれる。

 攻撃対象を制限したことで、着弾時の衝撃波で周囲に被害が及ぶことは無い。どころか、周囲へ逃げる筈だったエネルギーが全て真人へ叩きこまれる。空気抵抗、熱拡散、運動量伝達といったあらゆる要因のエネルギー減衰が起こらず、100%真人へ危害を加えるために使われる。

 防御も回避も叶わず、飛び散る呪力の光と衝撃で激しく揺れ動く視界は碌に何も映さない。

 ただ、己の死が近づくのだけが分かった。

 

 今、漸く真人は目の前の女の恐ろしさを理解した。

 順転と反転の重ね掛けが可能であるということが、何を意味するのか。

 要らない機能を削っては欲しい機能を獲得し、更に要らない機能を削っては欲しい機能を獲得し……を繰り返すことで、剣を飛行機にするような原形を留めない域まで改造が可能であるということ。

 現に、今彼女が手にしている物は何だ。

 余分なものを削ぎ落とし、最終的に残った機能は『真人特効』『射撃特化』『魂魄干渉』の3つ。

 これのどこがハルバードだというのだ?

 

 ある男が言っていた事を思い出す。

 特級術師として認められる条件は、単独での国家転覆が可能であること。

 マリーは日本の呪術師ではないが、その定義に当てはめるなら間違いなく特級相当だ。

 呪力を消費するのは術式発動時のみであり、呪具同様にこの術式は半永久的。術者本人が解除するか、術式を無効化する呪具か術式でなければ効力は消えない。

 しかも術式は厳密には器具ではなく素材に掛かる。術式を掛けた時点でそれを構成していた全ての物質に、だ。武器が破壊されたり溶かしてインゴットに戻しても、どんなに形を変えても術式効果は消えない。

 悪用ならいくらでも思いつく。

 例えば、世界中の金に片っ端から聖別呪法を掛けて導電性を失わせれば、電子機器は使えなくなり文明は滅亡する。

 例えば、土壌の撥水性をコントロールして不毛の大地に変える。

 例えば、国防の重要拠点の地盤を弄って建造物を崩壊させ、二度と建築不可能にする。

 現実問題、実行に移すには時間・手間・呪力量という制約がある。が、規模を縮小すればいずれも実行不可能ではない。社会機能を麻痺させ国家を破滅に追いやり、第三次世界大戦の引き金を引いたり世界恐慌を巻き起こす程度のことはできる。

 

 見方によっては、単純な破壊力を持つ特級術師より性質が悪い。

 

「……ああ、でも。当たればいいんでしょ?」

 

 薄れゆく意識の中で光明を見出して、真人は嗤う。

 呪詛返しは呪いを無効化しているのではなく、逸らしているだけだ。

 『歩く教会』のように服が結界となり簡易領域のような役割を発揮するわけでもなく、『聖母崇拝術式』のように呪詛への完全耐性を得るわけでもない。

 つまり、必中効果からは逃れられない。

 

「領域展開」

 

 圧倒的不利な状況下に追い詰められたことで、真人は覚醒を果たす。

 呪霊として生まれ落ちて初めての領域展開だが、淀みは無かった。

 

「ッ――――領域展開(Domain Expansion)!」

 

 狙いを悟ったマリーは、応じて領域を展開する。

 彼女の領域は、先手必勝の領域。完全に展開しきってしまえば、どんな熟練者の領域でも塗り替えることはできない。

 裏を返せば、後手に回った場合や展開しきる前に押し合いに持ち込まれた場合はその限りではない。

 押し合いに入ってしまえば、互いの必中効果は消えるのだから。

 

「『自閉円頓裹』!」

「『無謬無相聖域(Invisible Sanctuary)』!」

 

 単純な領域の押し合い勝負。

 領域展開の歴の長さではマリーに分があるが、呪力量では真人に分がある。

 押し合いはマリー優勢だが、今一歩押し切るには至らない。

 持久戦なら真人優勢。このままいけば呪力切れでマリーが先に領域を維持できなくなるだろう。

 

 だが、恐らくそうはならない。

 そんな形では勝敗は決まらない。

 真人は、呪いとして生まれ落ちてから短時間で領域を会得した。

 時間を掛ければ掛けるだけ、真人は領域を理解していく。

 呪術師は才能が全て。

 

 伏兵を警戒せず初手で領域を展開していれば、少なくとも目の前の相手は倒せていた。

 果たして彼女の選択が失策だったのかは別として。

 

*1
ロンドンを防衛する結界魔術。無数の結界が折り重なって蠢いており、プレス機みたいになっているので触れるだけで危険。『幻想殺し』でも打ち消しきれず、雁字搦めのケーブル状態に暗号化まで施されているためインデックスはおろか術者本人ですら解除不能。事実上、コアを破壊するしか解除法は無い。

*2
『黄金夜明』の団員に与えられる、全部で11からなる位階。生命の樹に準えているため単なる称号だけでなく魂の位階も意味し、魔術師としての熟練度を表す。頭の数字が大きいほど位が高い。事実上生身の人間が至れるのは創設者専用の7=4位階までであり、それ以上は秘密の首領(シークレットチーフ)の領域である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。