【ネタ】故障してる千里眼持ち王子inブリテン王国 (飴玉鉛)
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【ネタ】故障してる千里眼持ち王子inブリテン王国

父上に父上になってもらおう!(提案)

主人公は最強ではない。アルトリア譲りの才覚があるけど、前作の北欧蛮族のような運命破りは無理無理の無理。つまり詰み。
最終的にはアルトリア≒主人公≧モードレッドぐらいの実力に落ち着く予定。
不定期更新。


 

 

 

 

 

 運命の歯車が狂ったのは、ブリテン王国に住まう全ての人々にとっての慶事が齎された時だ。

 

「本当なのですか、マーリン……。()()()()()()()()()()というのは……」

「ああ、本当だとも。こんなことで私が嘘を吐く理由があるとでも?」

 

 慶事である。赤竜の化身にしてコーンウォールの猪とも称される、ブリテン王国を統べし伝説的君主の嫡子の存在。それを正妃たるギネヴィアが懐妊したというのであれば、王国の未来は明るいと希望を持てる喜ぶべき報せであり、事実多くの臣民は喝采を上げた。名高き騎士達も未来の主君の誕生を今か今かと待ち望んでいる、今や正妃の嫡子懐妊の報せは国中の話題となっていた。

 ただ一人、いや、あるいは正妃もだろう。アーサー王たる少女アルトリア・ペンドラゴンは顔を蒼白にして混乱していた。そう――少女である。もちろんギネヴィアも女性だ。なのに子供が出来るというのはおかしな話であるし、本来なら子供を懐妊したギネヴィアは不義を疑われて然るべきだろう。だがそうはならない。ならないのだ。

 

 元々ギネヴィアは特別な血統だ。聖剣を抜いたから古王ウーサーの後継者たる資格があるとアーサーが喧伝したところで、多くの諸侯がそれに納得して付き従うわけがない。故にアーサーは知恵袋であるマーリンの助言に従い、ギネヴィアと婚姻を結んで権威的な後ろ盾としたわけである。その際にアルトリアは自身の性別を打ち明け、彼女に協力を頼んで了承を取り付けていた。

 ブリテンを救うという大義に共鳴し、女性でありながら大志を懐くアルトリアを尊敬して同志となったギネヴィアは、アーサー王の王権の正当性を担保する大事な政治生命の命綱である。その重要性をよく知るはずのギネヴィアが、アルトリアに対する不義を働くわけがないと信じているし、仮に不義があっても相手次第では黙認してもいいとアルトリアは思っている。

 ギネヴィアはまともな恋愛や子供の出産は諦めていた。だが夜の営みがないのでは周囲が不審がる為、マーリンの助言と手助けによって()()()()()()()()を一時的に持ったアルトリアと、()()()()()()()()を果たしてはいる。だが、それはまだ一度だけ。ギネヴィアが清き身であったことを、アルトリアは深すぎる罪悪感と共に確認していた。であるなら――懐妊が判明した時期から逆算して考えると、初夜にして一発命中していたことになる。

 

 ただでさえ辛いギネヴィアの境遇。それを理解している自分が――本当は女である自分が――女であるギネヴィアに命を宿してしまった。それを知ったアルトリアが色を失くすのは当然だ。

 女なのに父親になってしまった。女なのに女の子供を宿してしまった。アルトリアは気が狂いそうなほどの罪悪感と混乱で叫び出しそうになってしまう。

 しかし元凶のマーリンは責められない。助言を求め、手助けを求めたのは自分であるし、今は自分などより遥かに追い詰められているであろうギネヴィアが心配で堪らなかったのだ。アルトリアは執務室を飛び出してギネヴィアの許に向かう。

 

 だが。

 

「ごめんなさい……今は、誰にも会いたくないの……」

「ギネヴィア……すみません。出直します」

 

 ギネヴィアは部屋に引きこもり、アルトリアとの対話を拒んだ。アルトリアもまた彼女の心を慮り無理に会おうとはしなかった。――彼女との間に、致命的な亀裂が走ったのはこの時のことだ。

 だがアルトリアはその事実と直感から目を逸らした。というのもギネヴィアが自身を裏切ったなら、王位に即位してまだ間もない今だと全てが台無しになるのである。アーサー王が女だったと知れ渡れば全て終わる。円卓の顧問であり選定の剣カリバーンが折れる原因ともなったペリノア王は、アーサー王が小娘なのを知っており、内心軽んじているのはアルトリアも感じていた。秘密が露見すればペリノア王はこれ幸いと離反する可能性がある。彼ほどの武勇の持ち主が離反してしまえば、ブリテンの平和と秩序は大いに乱れるだろう。ギネヴィアに裏切られたらアーサー王は詰むのだ。

 しかし、アルトリアをギネヴィアは裏切らなかった。アーサー王と顔を合わせることだけは避け、拒絶していたものの、断固としてアーサー王最大の秘密を暴露する真似はしなかったのである。

 それだけでアルトリアは救われた。同時に深い慚愧の念に支配される。

 

(私は……彼女に報いなければならない。でもどうやって……?)

 

 悩める若き王だったが、答えが出ることはなかった。

 

 ギネヴィアは公的行事の時以外にアルトリアと会うのは避けた。そのまま月日が流れ――アーサー王の耳に嫡子が生誕したという報せが届く。

 国内で頻発するピクト人の襲撃を聞きつけ、ピクト人達の討伐の為に出陣していた最中のことだ。戦陣の中にいたアルトリアは愕然と立ち尽くす。ついにこの時が来てしまったか、と。祝福の言葉を述べる騎士達の言葉が右から左に流れていき、アルトリアは声を震えさせながら問い掛けた。感動に打ち震えているようにも見える様子で――しかし内心では形容し難い怯懦に塗れながら。

 

「ぎ、ギネヴィアの生んだ子は……男児か、女児か?」

「お喜びくださいアーサー王! 健康な男児、陛下の嫡男だと聞いております!」

 

 おお! と喜ぶ騎士達に囲まれながら、アルトリアは腰が抜けそうになる。足元が崩れ去り、深い奈落の底に堕ちていくような錯覚に襲われたのだ。

 男児……男児! 喜ぶべきだろう。だがアルトリアは全く喜べなかった。

 女児ならよかった。それなら大々的に姫として遇し、ギネヴィアの傍に置き続けられる。だが男児ならそうはいかない、アーサー王の嫡男であれば騎士として鍛えなければならなくなり、次期国王として英才教育を施さなければならなくなる。ギネヴィアから子供を取り上げるも同然の所業だ。幾らギネヴィアの望んでいない子であっても、腹を痛めて生んだ我が子が取り上げられたら、ギネヴィアの心痛は測り知れなくなる。――事実、遥か遠くのキャメロットにいるギネヴィアは、自身から男児が生まれたことを知って絶望していた。予期していなかったとはいえ、腹の中にいる我が子にいつしか愛情が芽生えていたのだ。アルトリアとギネヴィアだけが、嫡男の生誕を喜んでいない――

 

「名前はどうなさいますか?」

 

 喜色満面の騎士が訊ねる。それに、アルトリアは震える声で答えた。数十秒もの沈黙の末に。

 

「……ロホルト。その子には、ロホルトと名付けなさい」

 

 斯くしてアーサー王とギネヴィア妃唯一の子、ロホルトはブリテン王国へと生まれ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロホルトは利発そうな子だった。

 

 アルトリアの腕に預けられた赤子は、ジッとアルトリアの顔を見て、短い手を伸ばしている。

 自身の抱く赤子の髪は金のそれ。瞳の色もアルトリアと同じで、血の繋がりを確かに感じさせた。

 居室に籠もっていたアルトリアは、複雑極まる心境で我が子を見つめる。

 

「ロホルト……ごめんなさい。私は、貴方を……」

「……?」

 

 ロホルトはアルトリアが伸ばした手の指を握り締めている。小さな命だ、自分が人の親になったのだと思うと、アルトリアは途方もなく怖くなってきてしまう。

 ギネヴィアへの罪悪感と、血を分けた我が子が動乱の時代に生まれた不安、そして、こうして実際に我が子を抱いているのに、自分の子供だという実感が湧かない恐怖がある。

 

 アルトリアは女なのだ、なのに男性として、父親として我が子と接しなければならない。男としての価値観や性自認がないアルトリアにとって、腹を痛めもせずに生まれた子供を我が子と認識できないのは無理もない話ではある。だがアルトリアは自覚していた、自分が未だに己の罪から目を逸らしたがっているだけなのだと。真実はそうであり、事実は動かない。

 だが、自覚しているからこそ善良なアルトリアは己を叱った。

 ギネヴィアの為にも、そんな心持ちでいてはいけない。この子の為にも、自分は立派な親でなければならない。そして親として、王として、我が子が戦わなくてもいいように、戦場で命を賭ける必要がないように励もう。アルトリアはそう決意した。親としての自覚をきちんと持つべく努力しようと。――そう遠くない未来で、アルトリアはロホルトを親として愛する気持ちを芽生えさせることになる。それこそが亀裂を刻んでいたギネヴィアとの関係を修復不能にさせ、ギネヴィアの心に暗い影を落とすのだとも知らずに。

 

(アルトリア様。いいえ、アーサー王陛下。あなたは私から子供を奪った挙げ句、親として堂々と接するのですね。わたくしが傍に置いて、可愛がってやれない子供に……親の顔をするなんて)

 

 ギネヴィアは思う。抑えきれない嫉妬と、暗い怒りを抱えて。赦せない、と。

 だがギネヴィアもまた善良な女だった。清らかで、高潔な乙女だったのだ。アルトリアに対する尊敬の気持ちは未だに翳らないし、生涯アルトリアの秘密を漏らすことはないだろう。

 しかし。

 しかし、だ。

 自身の手元に返されたロホルトを抱きながら、ギネヴィアは抑えきれない欲望を感じる。ロホルトは赤子の内から、物心つくまでしか可愛がってやれない――だからその後、女の子が欲しい。

 アーサー王との子供ではない。もう女性との間に子を生みたくない。それはこの時代、この国の女性として当然の感性。一般的で当たり前の感覚だ。ギネヴィアはアルトリアとの性交は望んでいないし、アルトリアだってそうだろう。ギネヴィアは自身の女性としての尊厳ぐらい護りたいと感じている。だから、子供が欲しいのだ。できれば女の子がいい。――アーサー王以外との子供が。

 

 赦されることではない。アーサー王の妃である自分が、アーサー王以外との子供を生むなど。

 

 だがその欲望は確かにギネヴィアの中に芽生え、月日を経るごとに肥大化して、遂には抑えきれなくなり過ちを侵すことになるだろう。それは決して避けられない運命だった。

 ギネヴィアは苦悩する。妃としては正しくない、しかし個人としては正しい願いを胸に。成長したら滅多に会う機会がなくなるロホルトを惜しみ、禁忌の願いに苦しみ続けることになる。

 

 ロホルトはギネヴィアの流す涙を、不思議そうに見上げていた。

 

 

 

(――おや。ちょっと調整をしくじったかな?)

 

 

 

『現在』を見渡せる瞳を持つ夢魔は、この光景に関心を寄せずロホルトを注視していた。だが期待した才覚の基準値にロホルトが達していないことを悟り、小さく嘆息して己の失敗を認める。

 彼はハッピーエンドを好む。故に『未来』を見通して動く同志がいたら楽が出来ると目論んだのだ。

 結果は失敗だ。ロホルトは確かに特別な瞳で異なる何かを視ているが、同種の瞳を持つはずの夢魔に全く気づいていない。その瞳の持ち主同士は時空を超えて互いを認識できるはずなのに。

 

 ロホルトには、千里眼が宿っていた。半端に『未来』を視てしまう瞳が。

 

(やっぱり余計な真似はするべきじゃないか。僕が関わると大抵よくないことになるし自重しよう)

 

 勝手なことをやらかしておきながら、夢魔は勝手に失望し勝手に見限った。

 ロホルトが何を、どこを視ているのかなど、夢魔にとってはどうでもいいのである。

 なぜならロホルトが視ているのは――遥か未来の平行世界、固定された視点だけなのだから。

 

 騎士の国の王子が持つ瞳は壊れている。失敗作だ。

 

 なまじアルトリアという最高傑作を知るだけに、夢魔の失望は深いもので。

 2020年代の極東の島国にて、若くして命を落とした男性の生涯を見届けて以降『瞳』の機能を失ったロホルト王子の精神が、著しく変容していることになど――興味を持つことはなかった。

 

 

 

 

 




マーリン
 全ての元凶。こんなことしてもアンチタグがつかないレベルの御方。
 あちゃー、失敗しちゃったかぁ。ぐらいの気分ですっぱり主人公を見限った。
 この件では報いは受けないだろう。

アルトリア
 生まれないはずの子供が生まれ大混乱。
 生来の生真面目さで親としての意識を持とうと頑張った。
 頑張って親の自覚を持ったことがギネヴィアを怒らせている。
 被害者第一号。

ギネヴィア
 女性との間に子供を作ってしまった悲劇の女性。
 原作でも同情に値する境遇なのに更に酷いことに。
 被害者第二号。

ロホルト
 主人公。マーリンのせいで半端どころではない産廃千里眼を持った。
 が、とある平行世界のとある時代、とある国、とある個人の生涯しか視れなかった。
 しかもそれを赤子の頃に体感した為、自分がその男なのだと錯誤。
 自身を転生者だと勘違いしてしまうことに。
 現代日本の価値観、倫理観を持ってしまい藻掻き苦しむことになる。


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2話

 

 

 

 

 

 ロホルトが赤ん坊の頃、彼はいつもを視ていた。

 

 西暦2020年代の現代日本で生まれ育ったとある男の人生を。

 

 如何に恵まれた血筋、優れた才を具えて生誕した身であれど、無色透明、無垢な赤ん坊なのだ。二十数年分の時間を追体験するように視てしまえば、あっさり染められてしまうのも仕方ない。

 真っ白なキャンパスに絵の具の詰まったバケツをぶちまけたようなものだ。たちが悪いのは、染められた側に染まった自覚がないことで、あるがままを受け入れてしまっていたことだった。

 

 赤ん坊の魂を染めた男の人生は平凡なものだ。

 

 何処にいても不思議ではない、ありふれたものである。

 

 男は嗜む程度に娯楽を齧り、落ちこぼれない程度に勉学に励み、苦しくならない程度の生活水準を保ち暮らしていた。女性との交際経験はあっても結婚する意思はなく、男は独り身の気楽さを謳歌した。――交通事故で命を落とすその瞬間まで、ずっと。

 夢はそこで途絶える。果たして己が視ていたものが別人の軌跡だったことなど赤ん坊に判じられるはずもなく、すんなりと赤ん坊は男の人生の終わりを受け入れて、そして己が彼だと錯誤した。ブリテン王国唯一の王子であるロホルトが、男の持つサブカルチャーの知識を引き出して、己はロホルト王子に転生を果たしたのだと認識したのだ。

 

 だが彼はどこまでいってもロホルトである。ロホルト以外の何者にもなれない。たとえ彼自身の認識が、ここではないどこかで生まれ、死んだ男だったとしても、彼そのものにはなれなかった。

 長ずれば高貴な美青年として、熟達した騎士を唸らせる武勇を得る、英雄の資格を有した男の根幹にある遺伝的高潔さは、自己認識が上書きされただけで歪むほど易いものではなかったのだ。

 

 さもなければ末期に等しいブリテン王国の窮状を正確に把握していながら、外国に逃げ出そうともせずに自らの責任を果たそうとはすまい。凡人なら心が折れ全てを投げ捨て逃げ出しているような状況で、どっしりと踏みとどまって働きはしなかったはずである。

 

 故にロホルトの悲劇はそこにある。己を凡人と規定していながら、英雄らしい無謀な忍耐力を発揮してしまうからこそ、ロホルトは死を迎えるその時まで苦しみ続けることになるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五歳になったロホルトは、早くも騎士としての英才教育を受けさせられていた。

 

 本来なら七歳から小姓となって主君の下につき、雑用の仕事をしながら騎士に必要な初歩的技術を習得するものである。十四歳から従騎士となって先輩騎士の身の回りを世話をして、武器防具の持ち運びと簡単な修理を担当し、実戦にも参加するようになるのだ。

 二十歳ぐらいでようやく一人前の騎士扱いで、主君から叙任の儀式(アコレード)を授けられると、ロホルトは乳母リオノレスから聞いていた故に、それはもう自身の扱いに驚いていたという。

 

(あのぉ、オレってまだ五歳なんですけど?)

 

 ロホルトは積極的に剣の技術を習熟し、好んで馬の世話をして、武器防具の点検を行なった。王子は特に剣才に優れ、既に叙任を受けている大人の騎士ですらその才気に圧倒されたという。

 これに最も喜んだのは父であるアーサーだった。王はロホルトを自らの小姓にすると、従騎士に昇格した後も自分に仕えさせることを決定した。ロホルトは王子である、父王にしか仕えられないのは仕方ないことだと周りは納得していたが、騎士の制度を歪めかねないと義兄のケイに窘められた。だが最後には黙認した辺り、初の実子が可愛くて仕方ないんだろうと諦めたようだ。

 斯くして幼いロホルトは、アーサーに何処に行くにも連れ回された。剣の稽古でも熱心に指導して、楽しくて嬉しくて堪らないといった旨の言葉を腹心のベディヴィエールに溢していたという。

 

(ロホルトは天才だ。私に似ていて、魔力放出もできる。剣の才能は贔屓目なしに飛び抜けているし魔力量も申し分ない。誇らしい気持ちだ、自分の子供が優れているのがこんなに嬉しいなんて)

 

 アーサー王――アルトリアは嬉々としてロホルトを滅多打ちにした。自分もされたことだ。当然手加減はしていて、その絶妙さは少し痣ができるぐらいに留めている。その後も熱心に騎士としての務めを説きながら武具の点検を見てやり、馬の世話の仕方を教え、王として励む自身の姿を見せていた。王は円卓の中で孤立していたが、我が子が見ているのだから辛くはなかった。

 

(つ、疲れた……そりゃあ剣の修行は楽しい。頑張れば頑張っただけ上達するし……魔力とかいう超パワーがあれば大人にも負けないって素直に凄いし扱うのは楽しいさ。けど他に娯楽がないから仕方なくやってるってとこもあるんだけど? ……なにあの女顔お父さん。こちとら五歳児なんですけど、なんであちこち連れ回すんですかね……眠いんだよ、勘弁してくれ)

 

 アルトリアの不幸は子育ての先輩が周りにいなかったことだ。いたとしてもそれは身分の低い侍女達であり、子持ちの侍女達は王に意見するのを憚り、見て見ぬふりをしていた。

 アルトリアは思いやりの心を持った善良で、この時代だと聖者の如き幸福観念を持つ女性だった。しかし彼女の幼少期は悲惨である。夢の中でマーリンに厳しく英才教育を受け、目が覚めていても養父に指導され、義兄のケイの世話をしていた。そんな体験があるから、むしろロホルトに施している指導は生温いとしか言えないものであり、アルトリアはかなり気を遣っていたのだ。

 だがロホルトは普通の子供ではない。精神は成熟し、知識もこの時代にはありえない水準にある。未来レベルだとヘソで茶が沸くが、当代だと賢者を名乗れる博識さを誇ってもいたのだ。故にロホルトにとってアルトリアからの指導は虐待以外の何物でもなかった。

 

 未来には豊富にある娯楽がなく、好みのコンテンツもない。食事は食えるだけマシで、喰い方も潰したポテトをテーブルに直に置いて手掴みで食べる。入浴したくてもそんな文化はなく、城の内部は――魔法の城キャメロットでなければ清潔でなかったことは間違いない。ロホルトからしてみれば、自身の認識する前世になかった魔力や魔術、剣の修行しか楽しめるものがなかっただけ。

 なのに楽しかったはずの修行は苦痛になっていた。

 彼は平凡な男の人格をトレースした子供である、苛烈に鍛えられ、()()()()()()()()、散々に駄目出しされ続けてはやる気もなくなるというものだ。そもそも痛いのは嫌なのもある。耐えられなくはないが、耐えなくていいなら耐えたくないというのが本音だった。

 

 ――アルトリアは不幸にも失策を犯している。彼女にとって生温い指導なのだという感覚が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という想いを醸成していたのだ。

 故にロホルトがどれほど成長しても、心の何処かで満足していないし、出来て当然のことをしているのだから褒めるという発想が出てこなかった。

 不幸は重なる。性別を隠している為、一分の隙もない完璧な少年王を演じなければならない都合上、アルトリアは周りに気を許せる人物が少なかった。円卓の中で孤立していたのは、事実アルトリアが完璧すぎて人間性を感じさせなかったからであり、そのような環境に長く身を置いていた為、アルトリアは他者からの視線の裏にある感情に鈍感になってしまっていたのだ。

 故にアルトリアは、ロホルトが自分を見る目に、恐怖と嫌悪を宿していることに気づかなかった。またロホルトは精神が成熟している為、態度に自分の感情を出さなかった為、周りもロホルトの態度がおかしいとは感じなかった。

 

(女顔の父親が美形で未来は明るい! しかも父さんは王様? オレは王子様なのか! やったぜ、人生イージーモード確定だろ! ……なんちゃって。ハハハ、どこがイージーなんだよ)

 

 ロホルトの目が澱む。幾ら父親が美形で、王様で、優秀でも、ロホルトは全く嬉しくなかった。

 アルトリアは完璧だった。完璧に自身の隙を晒さなかった。故に未だに自身の性別をロホルトに気づかせていないし、これからも教えるタイミングが来ないことを痛切に願っていた。女と女の間に生まれた子供だったとロホルトが知れば、なんと言われるか怖かったのだ。

 だからこそロホルトはアルトリアを嫌っている。アルトリアに連れ回される中で見た国の実情、政治の実態、個人の人間性――に見える完璧さ。隙を見せないで完璧超人な自分を我が子に見せ、尊敬されたいという欲はアルトリアにもあるのだ。それが逆効果になっているのだと全く想像もしていない。ロホルトはアルトリアのことが嫌いで嫌いで仕方なかった。

 

 自分の成長の成果を全否定する親である。眠くても、辛くても、泣き言を言えば「え? この程度の修練で?」という目で見てくる親である。きちんと食べられて、きちんと睡眠時間がある、なのに何が不満なのかアルトリアには本気で理解できなかったのだろう。

 アルトリアにとっての幸福とは、誰もが殺したり殺されたりせず、奪わずに生きていける環境だ。つまり平和という形こそが幸福であり、それを誰もが享受できることを願い、実現させようと努力する高潔さを具えてある。そして騎士であるならば、民をこそ最優先に考え自身を犠牲にするものだ。――まさに誰からも尊敬されて然るべき姿勢だろう。

 だが親としては落第だった。しかもそのことでアルトリアには咎がないのが最悪だ。アルトリアの施す指導や、注ぎ込んでいる愛情はどこまでも正当であり、この乱世では子煩悩の親ばかと言われるレベルなのである。ちょっと言葉が足りないのは愛嬌という奴だ。

 

(え、えぇ……? お、終わってる……未開の国じゃん、ブリテン……)

 

 更にロホルトを襲うのは、三年掛けて見て回り理解した国の実情だ。

 まず、文字による記録がない。文字はあるが、記録として残すという文化がない国だった。

 故に納めた税は目分量、役人の仕事は口頭報告のみ。明らかに不正し放題であり、しかも貧しさに喘ぐ国でそれなのだ。下から上に納められるべき税が、下と上の中間にいる者に抜き取られているのは火を見るより明らかで、なのに上の人は不正が少ないと認識して野放しにしている。多少の不正は仕方ない、完全に不正を根絶するのは不可能だ、それは分かる……だが()()のレベルに収まる状態じゃないのがロホルトにはハッキリと分かった。

 

 だって喰うのも苦しい生活環境なら、捕まるリスクを犯してでも食い物を盗むのが人間だ。そんなのは当たり前の常識として識っている。

 

 ロホルトは真剣に悩んだ。オレがこの国を継ぐの? それなんて罰ゲーム? 嫌過ぎる……でも、嫌でも継がないといけないなら、多少はマシにしておかないと後が辛いんだろうなぁ――と。

 だがロホルトにアルトリアへ意見するという発想はなかった。

 アルトリアの向ける失望に似た眼差しは、未来の日本人男性の影響を抜きにした素のロホルトのトラウマになっていたからだ。無意識にアルトリアへ自分から話しかけ、意見するという行動を排除したロホルトは、代わりに自身の母親に会いに行った。

 

 ロホルトは母ギネヴィアが好きだった。

 

 会いに行けばいつでも迎え入れてくれて、自分の話を嫌な顔をせず楽しそうに聞いてくれて、明らかに愛しているのだと態度と言葉で伝えてくれる。母親として明白に接してくれるのだ。ロホルトからしてみれば、ギネヴィアだけが心のオアシス、癒やしだったのだ。

 ロホルトはギネヴィアに頼んだ。内政関連が終わってる、きちんと管理しないと駄目、というか王子ですら文字の学習機会がほとんどなく、使用頻度がほとんどないって駄目過ぎる。内政関連で文字による記録を作り、きちんと管理しないとますます国は貧しくなるよ。

 熱心に、的確に、問題点を説いた。ギネヴィアは聡明な女性であり、その話の重大さを理解した。これは確かに放置できない。だがギネヴィアはすぐさま親子の場を投げ出しはせず、母親として愛情を持ってロホルトを褒めた。よく気づいたわね、凄いわ、貴方はわたくしの誇りよ。気づいたことがあったらわたくしに言ってね? ちゃんと聞いて、正せるように頑張るから――と。

 

 母親の深い愛にロホルトは泣きそうだった。嬉し泣きだ。母さんマジで聖女だよと尊敬する。

 

 ロホルトから話を聞いたギネヴィアは、早速行動に移った。とはいえ秘密裏に、である。なにせギネヴィアは公にも女性の立場だ。王妃とはいえ女性の発言力は低い。女の出した改革案というだけで無視を決め込むのが大半だろう。それに、ギネヴィアの役割は『置物』だ。ブリテンで最も大事な置物で、ともするとアーサー王よりも重要な価値を持つ財産なのだ。

『置物』が政治に口出しをして、男の世界に意見した。これだけで反発し、ギネヴィアを王宮の奥深くに閉じ込めようとする動きは必ず出てくる。そうなればロホルトとも会えなくなるだろう。それは嫌だ。絶対に嫌だった。ロホルトが騎士見習いになっても、自分から会いに来てくれる。ギネヴィアは我が子が可愛くて可愛くて堪らない。だから会えなくなるのは避けたかった。

 

 故にギネヴィアはアーサー王を褥に誘ったのだ。

 

 此処でなら秘密裏に話せる。だが誘われたアルトリアは困惑していた。何せギネヴィアは出産以来アルトリアを徹底的に避けていたし、褥に誘うようなはしたない真似もしてこなかったから。

 だがギネヴィアから伝えられた案を聞いて、アルトリアは王の顔になる。青天の霹靂に似た、盲点というか発想すらなかった案だったのだ。しかも明らかに効果を見込める。アルトリアはそれを聞いてすぐに断じた、これはギネヴィアの考えではないと。誰から齎されたものなのかと静かに訊ねると――彼女は優越感を覗かせて囁いた。ロホルトよ、と。

 え――とアルトリアの口から声が漏れた。ロホルト? なぜ、ロホルトが?

 もしかしたら、という思いはある。ロホルトは利発で、賢い、時折りアルトリアもハッとさせられるようなことを言うこともあった。だからロホルトの考えた案だというのは正しいと直感した。

 

 だけど、なぜそれを自分に直接言わない? 明らかにギネヴィアに言うより自分に言った方が早い。アルトリアには理解できなかった。そして、ギネヴィアの笑みの種類も判じられなかった。

 ギネヴィアは知っている。ロホルトが、アルトリアを嫌っていると。そして自分が他の誰よりも好かれて愛されていると。それだけで――ギネヴィアは心地よい優越感に浸れた。いけないとは思いつつも気持ちいいのだ。自分よりも遥かに長く息子を独占していながら、アルトリアは我が子に嫌われ、会える時間の短い自分の方がずっと好かれているのは。

 ギネヴィアからの仄暗い感情には気づいたが、アルトリアは見て見ぬふりをした。そうして悶々とした想いを抱えながら翌朝を迎えると、すぐにロホルトを呼び出した。

 

「ロホルト」

「はい」

 

 完璧な美少年だ。八歳になったロホルトは、非の打ち所がない騎士見習いになっている。

 対して外見だけなら兄弟、あるいは姉弟にしか見えないアルトリアは、しかし詰問できなかった。

 なんと訊ねればいいのか分からなかったのだ。

 なぜ自分に言わずギネヴィアに改革案を伝えたのか……。何時間も考え、息子の顔を見て理解した気になる。そうか――ギネヴィアと私の関係が疎遠だから、心配して話題の種にしたのか、と。

 そう思うとますますロホルトが可愛く見える。

 

「なんでもない。今日も励むように」

「はい」

 

 従順なロホルトにアルトリアは満足する。従順なことにではなく、真面目な少年に見えることにだ。

 だがアルトリアは自覚していなかった。彼女の言葉に、ロホルトは「はい」「わかりました」としか返してないのだと。それ以外の台詞をここ最近聞いていない、と。

 アルトリアは最近登用し、有能さから側近に取り立てた青年騎士アグラヴェインを呼び出した。そして鉄のように固く、冷たい相貌の彼に改革案を伝え、それがロホルトの考えだと話した。

 

 アグラヴェインはロホルトを見る。一瞬――探るような目をした。

 すぐに跪いて、騎士の礼を示したアグラヴェインに対し、ロホルトはにこやかな顔と声で応じる。

 ロホルトからのアグラヴェインへの第一印象は悪くなかった。真面目そうで堅物そう、普通にこの国にならいそうなのにいなかったタイプ。ロホルトは仕事の関係としてきちんと会話が成り立つタイプを欲していて、アグラヴェインはそれに適任だと感じたのだ。

 

 社畜適正高そうだなこの人、なんて失礼な感想はおくびにも出さない。

 

 嘗て社畜の父を持っていた男――と思い込んでいる少年――は、アグラヴェインにどこか無条件の親近感を懐いたのである。その友好的な眼差しに困惑を覚えたアグラヴェインは、後日この一回りも二回りも年下の少年と仕事を共にする最中で、冷血に判断を下した合理性を絶賛されてますます困惑する羽目になる。そして完璧な王の下に完璧な王子が生まれたと判断して、アグラヴェインはアーサー王に次ぐ第二の主君に定めるのもいいだろうと高く評価した。彼の目から見ても、ロホルトは聡明で合理的な判断力を持っていたのだ。

 ロホルトもまたアグラヴェインの優秀さを知って満足していた。この人がいるなら大丈夫だと、信じられる人種だと感じたのだ。大丈夫、まだブリテンは盛り返せる、なんとかなるはずだと信じることが出来た。――そんな最中のことだ、ロホルトの耳に父の話が伝わる。

 

 アーサー王は不老不死である。永遠の少年王だ。

 

(……は?)

 

 ロホルトは首を傾げた。純粋に疑問だったのだ。

 この異世界ファンタジーなら、まあ不老不死もあるのかもなとは思う。だがそれは本当なのか?

 ロホルトは意を決し、多大な勇気を秘め父に訊ねた。なぜなら自身の存在意義に関わる問題だからだ。

 

「――父上は不老不死なのですか?」

「そうだ。私には聖剣とその鞘がある。これがある限り私は死なないし、老いることもないだろう」

 

 アルトリアは素直に教えた。知ってる人は知っている話だからだ。

 だがそれを聞いてロホルトは愕然とした。

 だってそうだろう?

 

 

 

(――は? 不老不死の王様なら、なんでオレを生んだんだよ。後継者なんか要らないだろ。

 え? もしかして……何? オレ……死ぬまでこの人の下で仕事しないといけない……?)

 

 

 

 嘘だろ、と。

 ロホルトは人知れず絶望した。

 

 アルトリアに死んでほしいのではない、彼女の下で働きたくないだけだ。

 嫌いだから。ただ、それだけ。

 幼い絶望が、ロホルトの胸を満たした。

 

 だが彼はその絶望の中でも折れない。ロホルトは、英雄だった。

 折れずにいられることこそがロホルトの地獄なのだ。

 

 

 

 

 

 




アルトリア
 パーフェクトコミュニケーション!()
 この件に関しては本当にアルトリアは悪くない。
 悪いのは元を正すとマーリンとウーサー。
 ただ一言足りないだけ。一言足りていたら嫌な親父、程度に収まっていた。

ギネヴィア
 親として勝った! と仄暗い優越感に浸る自分に気づいて自己嫌悪。
 ロホルトが可愛い。――瞳の色が、アルトリアと同じじゃなかったらよかったのに。

ロホルト
 この国終わってる。けどまだ蘇生できるはず。アグラヴェインさん頼みます!
 父王? ああ、普通に嫌いです。え、不老不死ってマジです?
 なんでオレを生んだんだ、本気で意味わからない。
 本当は権威の為なのが理解できる。できるから――

 ギネヴィア大好き。「母さんだけが癒やしだよ」――今はまだ。


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3話

 

 

 

 

 

 ロホルトは折れない。父親が不老不死という衝撃的事実を知り、自らの存在意義に不信感を植え付けられながらも、ならば自身の立ち位置を新たに定義すればいいと前向きに切り替えたのだ。

 そこでロホルトは、自らを王の後継者ではなく、王権の強力化を推進する国家ナンバー2、王を補佐する宰相の立ち位置になるべき者と規定した。

 

 王の血を引く唯一の血族となれば、もう自分にはそれしか存在する意味はないと考える。強いて挙げるなら臣下との結びつきを強める為、婚姻交渉の材料になるぐらいか。外国の王家の血を入れて同盟を結ぶ、政治的なカードの一枚になるという選択肢もある。

 自身の望みとは別に、それが王家に生まれた者の宿命だろう。そこでロホルトは募る脱力感を懸命に抑えつけつつ、信頼できそうなアグラヴェインを王子として呼びつけて話を切り出した。

 

「なあ、アグラヴェイン卿。貴公の合理的な判断力と、父上への忠義心を信じて話すわけだが」

 

 アグラヴェインは王子に呼び出され、二人きりで密談するという状況下でそう切り出された瞬間、この話が外部に漏れたら己が粛清されることを悟った。

 見よ、この明朗なる表情を。冷酷な光を灯しながら、しかし快活さを失わぬ瞳を。完璧な王子と称されるロホルトは、完璧に貴公子然としていながらも、無欠の聡明さを一目で与える説得力を内包している。御年九歳だ。たった九歳でこれなのか。父のカリスマ性を間違いなく受け継いでいる……アグラヴェインは腹を括った、どのような話をされても忖度はするまいと。

 

「――円卓って存在なんだけど、政治的に見たら邪魔でしかない。そうは思わないかい?

「――――」

 

 それは。それは、アグラヴェインも思っていた。

 円卓とは王と席を並べ、対等に話し合える特別な称号であり階級だ。

 名誉な地位である。だが円卓に持ち込まれる諸問題に、音頭を取って解決に導くのは常に王。それ以外は付和雷同して王の決定に従うばかりで、そうでない場合は合理的じゃない反対意見で会議が難航するぐらいだ。ハッキリ言ってアグラヴェインからしても、円卓という存在は王の政務を阻害する足枷にしかなっていないのである。ロホルトは少年の身で同じ結論に達したのか。

 

 沈黙するアグラヴェインに、ロホルトは朗々と唱える。

 

「私はまだ未熟だが、三年……いやもう四年か。父上について回り、国の実情を見ることができた。そして明らかに円卓という名誉職が父上の足を引っ張る害悪だと感じたわけだ。円卓に名を連ねる有資格者達は、そのほとんどが国の舵を取る能力を具えていない。当然だ、彼らは優れた騎士だが内政官ではないんだ。ではなぜ父上はそんな円卓の制度を撤廃しないのか……分かるか?」

「……僭越ながら、陛下の王権が儚い為と考えます」

「うん、その通り。私も同じ考えだよ、アグラヴェイン卿。円卓には騎士の他に、王位を持つ諸侯を抱えている。ブリテン王国はブリテン島内に点在する、ブリテン人による諸国の寄り合い所帯に過ぎず、アーサー王の権力は彼らと同等だと定義されてしまっている。円卓の議長の座を父上が握り続けていられるのは、父上が戦になると最も強く、最も騎士達の支持を集めているからでしかない。父上の権威を保証する母上の存在も大きい。どちらかが欠けた瞬間、父上は円卓を追われるだろうね」

「………」

 

 理路整然と語る王子にアグラヴェインは瞠目する。何度か仕事を共にすることで彼の知能の高さ、聡明さは知っていたつもりだったが、まさかここまでとは思わなかったのだ。

 

「父上がいなくなった国家最高意思決定機関は……まあ詰むだろう。サクソン人やピクト人の脅威を、父上なしで撃退できるとは思えない。皆そう感じているから父上への支持は絶大なんだ。そして話は最初に戻るわけだけど……父上の王権を強化したい。円卓の制度を撤廃、ないし意義の挿げ替えをしたい。そこで貴公に協力してほしいなと思ったわけさ」

「……意義の挿げ替えとは?」

「円卓は名誉職だ。これを撤廃したら、騎士達は大きな不満を持つだろう。故に挿げ替える――内政や外交に類する政治的な領域から排除し、代わりに軍に於ける発言力を高めるんだ。そうだな、例えるならローマ帝国の将軍、あるいは総督のような立ち位置だね。そうなれば政治とかいう畑違いな分野から足手まといの素人を排除しつつ、得意分野で精力的に働けるわけだ。どうかな」

 

 ローマ帝国なりサクソン人なり、そうした単語には見覚えしかないロホルト王子だったが、まさかここが過去の世界だとは考えてもいなかった。

 この異世界ファンタジーは、国の名前が似ているだけだと認識している。魔力だの魔術だの、精霊だの妖精だの、元の世界で存在していたとは考えられないのだ。

 

 ともあれロホルトは持論を述べた。アグラヴェインはこの腹案を聞いてどう思っただろう。彼を粛清する必要性を頭の片隅に置きながらも、それは嫌だなと思いはしている。というかアグラヴェインのような切れ者を粛清する羽目になれば、それこそブリテンは終わりだ。もしアグラヴェインを粛清するぐらいなら、ロホルトが退場した方がよほど国益に適うだろう。

 まさかロホルトが自分より己の方に政治的な価値を見い出しているとまでは想像できないまま、アグラヴェインは慎重に、しかし確かな同意を示した。

 つまり。邪魔者――ペリノア王を筆頭とした王位にある円卓の者――を、表裏の手練手管を用い、最悪暗殺してでも排除することに同意したのだ。

 

「……拙速に動いては勘づかれ、よからぬ結末になるでしょう。殿下の申されることは最終的な終着点として定め、焦らず内々に推進するべきかと。私も殿下のお考えに賛同いたします」

「ありがとう。十年単位の大仕事になる、慎重に、忍耐強くやろう。ちなみに円卓を軍事の最高位職に挿げ替えられたら、貴公を含めた何人かは、父上を政治的に補佐する立場になってもらう。実質的な宰相は私だ。表向きは暫く貴公に任せることになるだろうけどね。その立場に関する名前はまだ考えてないけど、国のため、王のため、よろしく頼むよアグラヴェイン卿」

「はっ、全ては我が王のために」

 

 下がっていい。告げるとアグラヴェインは退室していく。

 それを見届けたロホルトは……気を抜いたりせず、むしろ緊張感を増して背筋を正した。

 

「……どうでしたか、()()

 

 言うと、王子の居室にある棚の陰に隠れていた少年王が姿を現した。

 アーサー王だ。アーサー王たるアルトリアは、斯様な話を聞かされ、真剣に吟味している。

 誇らしい気持ちだった。何度必要な政策が退けられたのをグッと堪え、遅々として進まぬ会議にもどかしさを覚えて歯噛みしただろう。ロホルトは言葉にしていなかった己の不満を汲んだのだ。親として嬉しい、そして王としても我が意を得たりという心境だった。

 

 円卓は、最初は理想を掲げて設立したものである。アルトリアは自分の考えだけが絶対だとは全く考えていないし、間違いを侵すこともあるだろう。その過ちを正し、諌めてくれる仲間がほしくて円卓を築いたのだ。だが――ロホルトの言うように、ほとんどの騎士は政治に関するセンスがなく、また政治に必要な非情な決断を下せない者ばかりだった。

 気楽なのだ。無責任なのだ。アルトリアがどれだけ苦渋の末に下した結論にも、人道の面で公然と批判できる立場に立っているつもりなのである。それは正しい批判だと思うが……自分と同じ視点とまではいかない、だが最大多数の為に考えてから言ってほしい。

 

 アルトリアは今まで諦めていた。仕方ない、彼らにも正義はある、それは尊ぶべきものだと。しかしアルトリアは仲間が欲しいのだ、国を救う為の同志が欲しかった。

 故にアグラヴェインを登用した。彼は騎士としてはもちろん、それ以上にアルトリアと同様に、あるいはアルトリアよりも合理的に考え、打つべき手を具申してくれる。ゆくゆくは己の右腕にとまで考えるほど、アグラヴェインという人材は得難いのである。

 

 他の王にも遠慮しなくてはならない、国全体のための方策が却下されても不満を表に出せない。騎士達の掲げる理想論、綺麗事の正しさも無視できない。他ならぬアルトリアが理想と綺麗事を誰よりも尊んでいるのだから。しかし、ここに……王としてのアルトリアが誰よりも頼れそうな人材がいた。しかもそれが愛する我が子なのだ、感無量とはこのことだろう。

 

 アルトリアは微笑んで、告げる。

 

「満点だ。王権の強化は国益に適うし、騎士達が得意とする職能にのみ専念させるというのはいい。彼らの名誉を考慮した点も素晴らしい意見だ。……だがそれは()()()()()()()()()

「っ……」

「私の対抗馬に成り得るペリノア王や、私に協調してくれるロット王、どちらも最終的に円卓を降り、国の為にもいなくなってもらった方が助かるのは確かだ。しかし彼らの功もまた大きい、それに報いもせず排除を企むとは……騎士道はおろか人道にも悖る。合理的に政治を推し進めたい気持ちは分かる、だがそれに腐心するあまり道を見失ってはいけない。分かるか、ロホルト」

「……はい。わかります」

 

 アルトリアは手放しに褒めた――つもりだ。そして同時に、ロホルトが合理性を重要視する余り、非情な人間になってほしくないから、親としても諌めただけのことである。

 しかしロホルトにはそう聞こえなかった。騎士として英才教育を施してきたのは父である、その父が騎士道に反すると糾弾し、改めろと厳しく叱責してきたと受け取った。

 重々しく頷いたロホルトに、アルトリアは満足する。そして早く時が経ってほしい、ロホルトを公的職能を預けたいと熱望した。これほどの才気だ、アルトリアの――ひいては国の為に考えられる頭脳と精神の持ち主なのである、真の理解者であるロホルトと共に戦いたい。

 

 戦争ではなく、政争でもなく、貧しい国を豊かにする過酷な戦いで、だ。

 

 ロホルトは自省する。不満がないとは言わないが、父はこの道で何年も舵取りをしてきたプロだ。そのプロが言うのなら正しいのだろう。父からしてみれば、ロホルトはまだ経験が浅く、素人の域を出ていないように見えても仕方がない。王子の理性はそう言う。

 だがしかし、本心では深い不満があった。浅い思いがあった。体験していない、生温い不平――中央集権化を推進し政治を主導するのなら、非情で恐れられる王の方がいいんじゃないか、と。

 口には出さない。底の浅い不平だという自覚があるからだ、そして経験豊富な父王の言葉の方が重く感じるし正しいとも思う。だが――こうも思った。

 

(明らかに末期な国でそんな悠長に構えてちゃ駄目だろ。大鉈を振るって、それこそ武力を行使してでも迅速に内憂を除かないと、外患で国体と国土がガタガタになる。歴史がそう言ってるぞ)

 

 ロホルトは当代では賢者と称するに不足のない知識量を誇る。歴史の知識も日本史や、近代史を学んだ経験がある――と思い込んでいる――のだ。故に彼の意見は後世から見て正論で、正しい。

 ロホルトは未来の日本人男性の知識を取り出し、王子としての立場と英雄としての素質で結論を出していたのだ。それこそがブリテン王国を救う唯一の道なのだという事実を誰も知らぬまま。

 

(ブリテンは後十年以内に国内を一枚岩に――そこまでは無理でも王の名の下に一致団結して、()()()()()()()()()()()()()()()()()しかない。十年後までに国力が更に低下してたら厳しいが、あのミラクル親父とスーパー騎士団なら勝てるんじゃないか?)

 

 ロホルトの考えるブリテン王国の失策は、ブリテン島に外来人が侵入してくるのを阻止できていないことだ。ヴォーティガーンは未だ健在、彼がサクソン人を大陸から招き寄せている、これからも増えるだろう。内部の問題でもたもたしている場合じゃない。

 人道や騎士道は一度捨て置き、即座に強権を振るって不穏分子を一掃、しかる後に団結してヴォーティガーンを討ちサクソン人を掃討。そして大陸に攻め込み領土を獲得。これを出来るだけ早くやらないと、それこそ手遅れになるだろうとロホルトは考えていた。

 

 プロであるアーサー王も同じ考えのはずだ。なのに何がいけない? ロホルトには分からなかった。分からなかったから、切れ者のアグラヴェインを今度は父の同伴なしに翌日呼び出して訊ねた。

 するとアグラヴェインは目を細める。――凄まじい先見の明だ、王子殿下は天才と称せられる。しかしまだ青い、視野が狭いとも感じた。故に彼は率直に現実を伝えた。

 

「殿下。アーサー王陛下は、『騎士王』の号を持っておいでなのです。すなわち騎士道に反する真似が陛下には出来ないということ。もし陛下が騎士道に悖る行いに手を染めれば、陛下の求心力が低下してしまうでしょう」

 

 なんだそれは。ロホルトは愕然とした。

 だからか、だから父はゆるゆると歩まざるを得ないのか。ならばどうする? どうしたらいい?

 ロホルトは即座に答えを出した。

 

「分かった。そういうことなら考えがある。アグラヴェイン、私は草案を作成する。下がっていい」

「は。……何を成さるおつもりで?」

「父や私にだけ忠実な騎士団を組織する。貴公を含め、後に国の中枢を支える腹心の軍だ。若く精強で、強い者を集めるんだ。――確か貴公に兄がいたな、ガウェイン卿だったか。彼を騎士団長に据える。侮れない戦力を集め、鍛えれば、自ずと父上の助けになるだろう」

 

 アグラヴェインはそれを聞いて、数秒思案する。そして頷いた。良案だ。

 

「であれば私も殿下に助力いたしましょう。陛下に草案を提出なさる時、私も同行させて頂きたい」

「助かる。ありがとう」

 

 ロホルトはアグラヴェインと協力して草案を纏め、後日意気揚々と父に提出した。

 間違いなくいい考えのはずだという自信がある。

 何せアグラヴェインという知恵者と共に細部を詰めた案だからだ。

 

 しかし、アーサー王は王子と騎士の案を却下した。

 

 

 

(……え? ……なんで?)

 

 

 

 目が点になる。

 

「――素晴らしい意見だ。私も是非頼むと任せたくなった。だが……駄目だ。私個人が武力を有することに諸王はいい顔をしないだろう」

 

 アルトリアは額を抑える。溜息を堪えて。

 そう、円卓に優先権を有する諸王は、アーサー王を侮っていない。アーサー王が小娘だと勘づいて軽んじているペリノア王ですら、アーサー王の強さ自体は認めている。

 ただでさえブリテン中の騎士の支持を集めるアーサー王が力を持てば、自身らの立場が危うくなるのは自明である。アーサー王がよからぬことを考えずとも、過激な忠臣が自発的に刺客になり自分達を襲うことで、アーサー王の独裁に持っていこうとする可能性がある。

 だから――この案は通せない。無念そうにアルトリアは言った。

 

(……ば、馬鹿ばっかりなのか、この国は……そんなことを言ってる場合じゃないだろ?)

 

 渋々、ロホルトは妥協する。自分の名前と責任で、有志を募り国の行く末を論じる青年団を結成するのだ。アルトリアはそれならいいだろうと頷いた。

 

 

 

 

 

 




アルトリア
 言い方。

アグラヴェイン
 まだ若い故に人の愚かさをまだ見極めきれていなかった。

ロホルト
 こんなの死ぬしかないじゃない! まだだ、まだ終わらんよ!
 諦めたいけど諦めたくない。なんとかしようと奮闘中。

ブリテン
 公式で誰とは明言されていない(はすだ)が、円卓内でアーサーの秘密に勘づいてる者がいる。
 本作ではペリノア王が該当。


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4話

 

 

 

 

 

 ロホルトは折れない。才気ある小姓(七歳)から従騎士(二十歳)までの若手をターゲットに絞り、子飼いの騎士として忠誠心を植え付けて、王家の近衛騎士団として結成する案が最初から頓挫しても。

 折れない。折れることが出来ない。まだ間に合う、まだやれると思ってしまう。なぜなら彼は特別な血筋なのだ、特別な才覚と英雄の素質を具えた卵なのだ。ブリテン人で最も高貴な母と、ブリテン最高の英雄であるアーサー王の血は、ロホルトに不屈さを与えていた。

 分析する。今回の失敗は――国の未来の為に必要なことでも、国民が無条件に協力するわけではない。ましてや高い権力や武力を持つ者が、自らそれを手放すことは極めて稀なのだという現実を知らなかったことに原因がある。アグラヴェインと反省会を開いてそうした結論を導き出した時、アグラヴェインは心の中で人という生き物を侮蔑し、ロホルトはあからさまに嘆息した。

 

(オレならブリテン王国の王子なんて地位、欲しがる人がいたらくれてやりたいのにな)

(……なんという暗愚。この身の想定を遥かに下回る愚劣さだ)

 

 アグラヴェインは人間が嫌いだ。幼少期から淫蕩な実母に刷り込まれた嫌悪感が、冷徹な鉄人である彼の心に毒を持たせる。故にこそアーサー王やロホルト王子の高潔さ、優秀さが相対的に更に美しく見えてしまうのだ。この御方達だけは違うと、彼は思う。

 

「アグラヴェイン卿、私は諦めないぞ」

 

 決然として光を纏う王子は、闇そのものの母と正反対。彼はまだ知らないだろう、ロホルト王子を指して国の民、騎士達が『ブリテンの光』などと称していることを。その英邁さに希望を持ち、若手を中心に強力な求心力を発揮しはじめていることを、まだ。

 不屈の闘志は溢れ出るカリスマ性だ。

 アーサー王のそれが透徹とした王気だとするなら、ロホルトのそれは後を追い掛けたくなる炎の王気。アグラヴェインは忠義心を新たに、彼への助力を惜しまないことを確約した。

 

「私の名に於いて、『ごっこ遊び』の(てい)で従騎士までの若手を登用する。前の計画ほど大々的にはやれないし、大人数を集めるのは無理だろう。人を従える苦労を今の内から経験しておく為とでも言っておけば、私の年齢からして外野も邪魔はできまい。もし邪魔する者がいたら堂々と嘲ってやる、ガキの遊びに余計な茶々を入れる気か、とね」

「少数精鋭ですか。……まるで円卓ですな」

「はは。円卓? 私が目障りと断じたものの二番煎じか……いいね、この計画は円卓ごっことでも称してしまおう。それで、物は相談なんだが……貴公はこれはと思う者はいるか?」

 

 ロホルトに問われ、アグラヴェインはザッと覚えにある従騎士や小姓達の顔と名を思い浮かべた。

 これはと思う者は少ない。だが、いる。現時点で二人は確実に、後々には円卓の座に上り詰めるであろう才人が。アグラヴェインは一切の私情なく、件の二名を推挙する。

 

「まずは二人、身内贔屓と取られても構いませんが――」

「身内贔屓? 貴公に限ってそれはないだろう」

「――恐縮です。私の兄弟を殿下の許に置いて頂きたい。才気は確かで、ゆくゆくは円卓の騎士にも成り得る者達です」

「円卓に? 凄いじゃないか。名前と年齢は?」

「ガヘリスという者が15歳、従騎士として兄ガウェインに仕え、ガレスという者が7歳で、もう間もなく小姓となる予定だと聞いてあります」

 

 ガヘリス、ガレス。二人の名を口の中で呟き、ロホルトは意識を切り替えるように膝を打った。

 

「ガレスを父上の小姓にするように働きかける。それからガウェイン卿に会おう、暇な時間だけでもガヘリスを借りたいと頼まないとね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガウェインは練兵場で汗を掻いていた。木剣を下げ、目の前に一人の少年が倒れ伏している。

 降り注ぐ日光を反射する汗、輝かんばかりの金の髪。爽やかな相貌には太陽の如く一片の影もない。

 彼は自身を訪ねてきた王子を見るなり、僅かの間も空けず跪いて騎士の礼を示した。そして横目に見ながら倒れている者を叱責する。何をしているのですか、早く礼を示しなさい、と。

 とはいえ倒れている少年は力尽きている。身を起こすのにも苦労しているようで、アポイントメントも取らずに来たロホルトは気まずくなって言った。

 

「すまない、ガウェイン卿。従者と鍛錬中だったようだね。後で出直すから楽にしていいよ」

「何を仰います、殿下。この程度で音を上げるような弱腰に騎士の資格はありますまい。私達に御身が遠慮なさることなどありません、御用がおありでしたら如何様にも申し付けてください」

「……すまない」

 

 ガウェインはロホルトが思い浮かべる、騎士という概念を擬人化したかのような青年だ。

 明朗快活で忠義に厚く、誰もが見惚れる美丈夫で勇猛果敢。腕が立ち、弁も回り、ユーモアも具え、強い。古典的な物語の主人公みたいで、実のところロホルトはガウェインが大好きだった。

 からりとした人柄に安心感がある。後ろ暗いものがある敵対者しか、この青年を恐れ嫌うことなどないだろう。騎士の模範だとすら断言できるほどだ。

 しかしガウェインと個人的に話したことはなかった。というのも、ガウェインはアーサー王からの信任も厚く、彼の軍事面における右腕なのだ。日頃から多忙を極めるガウェインに、まだ正式な騎士にもなっていないロホルトが時間を取らせるのは気が重いのである。

 

「こうして面と向かって話すのは初めてだね、ガウェイン卿。今日は貴公に頼みがあって来たんだ」

「頼みなどと、とんでもない。なんでもお命じください」

「……貴公は忙しい身だからね、前置きをするのも気が咎める。単刀直入に言わせてもらうと、貴公の弟であるガヘリス卿を借りたいんだ」

「ガヘリスを?」

 

 意外そうに目を瞬き、彼は傍らに控える少年を見遣った。

 少年はガウェインに似ていた。しかし似ているのは外見だけで、瞳は暗く、表情は重く、彫像のように静かに佇んでいる。外見はガウェインだが、性格はアグラヴェイン寄りなのだろう。

 これは初手を誤ると忠義を得られないなと直感した。時折り脳裏を過ぎる稲妻めいた勘が外れたことは今のところない。ロホルトは自身の感覚を信じ、腹に力を込めて計画を伝えることにした。

 ガウェイン達になら話してもいい、いや寧ろ話さないでおく方が不都合があると判断したのだ。

 

「私はこれから、これはと思う若手を集めた青年会を立ち上げる。円卓のミニチュア版みたいなものだ。そこに集めた才人達を、いずれ父王に忠義する固有の騎士団に育て上げたい」

「……そのためにガヘリスが必要だと?」

「ああ。ガヘリス卿だけじゃない、ガレスもだ。聞けば才気煥発らしいじゃないか」

「………」

 

 ガウェインはジッとロホルトの目を見据えた。無礼とも取れる行為だが、嫌味はない。

 だがそちらより、ロホルトはガヘリスの暗い瞳が気になった。

 まるで影だ。ガウェインという太陽の後ろに立つ者。妙に、波長が合う。

 見つめ合う形となったガヘリスとロホルトを見遣って、ガウェインは爽快に微笑んだ。

 

「承りました。ガヘリス、聞いていましたね? これから貴方は殿下に仕えなさい」

「……承知。殿下、至らぬ我が身ですが、微力を尽くしてお仕えします」

「ありがとう。……ガウェイン卿、この礼はいつか必ずすると約束するよ。ガヘリスもね」

「礼など不要です。私にも打算はあります。殿下の組織する青年会というものが、我が王の御為になるというのなら、これに勝る歓びなど何処にありましょうか。どうかお気になさらず」

「いいや、気にするね。言い換えようか、ガウェイン卿。私が気にするから礼をさせてくれって」

「……これは参りましたね。そう言われては断れません。では、殿下。殿下からの礼、楽しみに待たせていただきましょう」

「そうしてくれ。じゃあ今回はここで失礼する――ガヘリス卿、付いてきてくれ。少し話をしよう」

「は」

 

 ガウェインに目礼して立ち去り、ピタリと付いてくるガヘリスの存在を背中に感じる。

 無駄口を叩かない寡黙さが心地よい。まるで十年来の友のようだ。

 どうにも波長が合う、まるでオレの影のようだ――そう思って苦笑する。

 もしかすると、ガヘリスと自分は最良の出会いの一つかもしれない。――六歳差の少年達は、同様のことを同時に感じていた。まさしく運命なのだろう。

 

 ――後年のアーサー王伝説に曰く、ロホルト王子は騎士ガヘリスを腹心として、かけがえのない親友として頼りにしたといわれる。

 度々議論されることとなる、複数回も行われた『ロホルトの献策』を王が実行していたらどうなっていたかという話で、ガヘリスの名は必ず挙げられた。

 目的の為なら手段を選ばない、およそ騎士らしからぬ冷酷さを秘めたこの騎士なら、ロホルトの非情とも言える策の数々を実現させていただろう、と。

 

 アーサー王の両腕に、ガウェインとランスロットがいたように。

 ロホルト王子の右腕こそが、このガヘリスだったのだ。

 

 そして、最良の出会いは連続する。

 

「は、はじめまして! ロホルト王子! わっ、わわわ、私は! ガレスっていいます!」

 

 二つ年下の()()はアーサー王の小姓として召し上げられ、しかしロホルトの下に配属された。

 明るく愛嬌のある少年に、ロホルトは微苦笑する。随分と可愛らしい子が来たなぁ、と。

 

 

 

 最良の出会いが連続して。

 

 そしてそのツケのように、不穏な影もまた忍び寄っていた。

 

 

 

 ――忌々しいアルトリアの息子。噂を聞くにいけ好かない小僧だろうと思っていましたが……なかなかどうして、()()()()面白そうですね。

 

 卓越した神代の、神域の天才魔術師は、その特別な瞳で心を見通し。そして魔女としての眼力が、一目で少年に施された()()()()()を見破った。

 マーリンの術だ。巧妙に隠しているが、この魔女の目だけは誤魔化せない。

 魔女モルガンは、淫靡に微笑む。

 彼女は見た、アーサー王とロホルト王子の悲しいすれ違いを知った。利用できそうだと嗤う。さあどう料理してあげましょうかと企みを練りながら、魔女は闇から闇へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アグラヴェイン
 この御方がアーサー王の王子でよかった。
 醜いものを知れば知るほど、光はより強く感じる。
 本作ではガヘリスより年上。

ガヘリス
 オリキャラ。
 ガウェイン、アグラヴェイン、ガレスが出たのに原作では名前しか出ない影の薄さよ。
 彼の実力と性格は円卓の騎士らしくキワモノである。
 寡黙で、忠実だが、手段は選ばないし迷いもしない。
 太陽の影であり、ロホルトの親譲りのカリスマ性に惹かれるものを感じる。

ガレス
 癒やし枠の追加。子犬。
 少年っぽい服装をしていたらまだ見分けが付かない七歳の女の子。
 しかし本作は年齢が全員原典寄りになるので、必然的にガレスも大人の女にはなる。
 発育をごまかせるのか?

ロホルト
 ガウェインに男として、騎士として憧れている。
 その憧れはあくまで物語の主役に向けるようなもの。
 ガヘリスを一目で気に入る直感Aの持ち主。

モルガン
 読者一同が熱望したであろう麗しの御方参上。
 お忘れだろうか。妖精國の女王ではないので魔女全開である。
 個人的にはロホルトを気に入るが、それはそれとして復讐に利用するのは躊躇わないだろう。
 対抗できるのはマーリンのみ。おのれマーリン!


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5話

またしても扁桃炎再発で死んでました。




 

 

 

 

 ロホルトは折れない。高貴なる戯れ(お子様のお遊戯)と笑わば笑え――斯くの如き心境で父王の許可を得て、元々の予定よりも大幅にスケールダウンした近衛騎士団――その前身たる青年会を結成すると、参加者の皆は意外と真剣な面持ちでロホルトに傅いてくれたのだ。

 

 集められたのはガヘリスやガレスを入れてもたったの十二人。中にはロホルトの思想や活動を報告しろと言われている者もいるだろう、しかしこれだけの人数を集められただけ快挙だった。

 予想以上にアーサー王の息子という肩書が大きな効果を発揮してくれたらしい。二十歳寸前の従騎士でもロホルトを軽んじ、侮るような態度は取らなかった。寧ろ根本的に自分とは違う生き物を観察するような目をしていたのは気になるが、父の威光なら有り難い話だ。

 

 ロホルトが円卓ごっこと称した自身主催の青年会では、主に空いている時間を使ってのお勉強会を主題に置いた。ただのお勉強と侮ってはならない、ロホルトの頭脳には遥か未来にまで蓄積された『物語』の大群が宿っている。純朴な子供の道徳観念に、主君への忠義は美しいと感じさせる騎士物語も知っているし、不都合なものをカットしアレンジする才覚もロホルトにはあった。

 ロホルトの語るきらびやかな騎士物語に子供達は目を輝かせて夢中になり、壮絶な戦いの軌跡に拳を握って、仲間の卑劣な裏切りに怒り、主君への忠義に感動した。子供達だけではない、間もなく二十歳になろうかという青年までもが固唾をのんで物語の決着が明るいものになることを祈っていた。――真に卓越していたのはロホルトの弁舌だ。確かに未来を覗き見て得た知識は異次元の物である、しかしそれを十全に活用して聴衆の心を掴んでしまえるのは、ロホルトの弁舌が特別優れていたからだった。

 

 未だ花開かぬカリスマの種は、開花すると美しい炎の花を咲かせるだろう。他者の心に燃え移る、それはもう美々しい花を。――だがそれは現在(いま)ではない。ロホルトは物語をいくつか語ると、必ず一つの座学を挟んだ。もしまた別の物語、あるいは続きを聞きたければ、こうした学びにも真摯に向き合いなさいと命じたのだ。

 

 そうしてロホルトが説くのはブリテン王国の現状だ。年々減少する税収、歯止めの利かない貧民の賊徒化、団結力の薄い諸侯、明確な外敵とその動向である。外敵の動向に関しては王子の推測に過ぎないが、卑王が聞けば驚愕し、脅威と見做して刺客を放っていただろう。

 ロホルトは言う。外敵――全てのブリテン人に対する裏切り者、卑王ヴォーティガーンは更なる大陸民の流入を企図し、大型船の寄港できる港を狙っているだろう。もしこれを許せばブリテン島の人口は更に肥大し、国土そのものが痩せていっているブリテン王国の食糧問題は飽和して、近い将来亡国の憂き目に遭いかねない、と。

 

 ヴォーティガーンの真意――神代死守――は兎も角、狙いは当たりだった。ロホルトの読み通り、卑王は一度に大量の人員を輸送できる大型船を、大陸側に作らせていた。後はその大型船を迎えられる港さえ手に入れたら充分で、彼の目的達成まで後一歩まで進んでいる。

 

 ロホルトの話を聞いた生徒達は悲痛な声を上げた。どうにかならないんですか、殿下! と。哀れを誘う縋るような目を向けられた王子は苦笑した。

 どうにかなっていなかったら、こんな時にこんな所でこんな話をしている訳があるまいに。物語の噺をしている時も思ったが、純粋すぎるなこの人達は。

 

「――心配しなくていい。私の偉大な父上が、既に卑王の企てを先読みして手を打っているよ」

 

 さ、流石はアーサー王陛下! 無邪気な反応にロホルトの苦笑は深まる。

 

 ヴォーティガーンの勢力圏内に単身潜り込み、条件の該当する港へ大規模な破壊工作(エクスカリバー)を完了させていた点は、流石父上だとロホルトも思う。だが王子はマーリンの存在が気になった。

 噂の宮廷魔術師殿には実際に会ったことがある。しかしロホルトはマーリンが――誤解を恐れずハッキリ言うと嫌いだった。まるっきし興味のないものを見るような、あの虫みたいな目が。

 不気味なのだ。悍しいのである。ロホルトにだけでなく、アーサー王以外の全てを『そこにあるモノ』としか認識していない、あの眼差しに嫌悪感を覚えるのだ。アレは人の世にあってはならない類いのもの、父上がいなくなったが最後、野放しになる。余計なことをされる前に封じ込める何かが必要になるだろう――という予感がしているが、今はさておくとして。

 

「外敵の動向に関しては、今は父上と大人の騎士達に任せていい。今の我々が努めるべきなのは、偉大な各々の父に追いつき、追い越すことだ。その為に必要なことが分かる人はいるかな?」

「はい!」

「――元気がいいね。君は?」

 

 元気良く挙手したのは灰髪の少年だ。歳の頃はロホルトと同程度に見える。非常に可憐だ。

 瞳は深い緑で宝石のように美しく、無邪気を装っているが――磨き抜かれた知性が垣間見え、反射的にム厶ッと感じる。感じた途端に目に光が変わったのを見て、更に思う。この子は何者だ。

 短くも長い、一瞬、刹那の視線の交換/交感。互いが見て取ったものを瞬時に理解した……?

 

「……オークニーのロット王にお仕えする騎士オニールの子、()()()()といいます、ロホルト殿下!」

 

 ちらりと傍らのガヘリスを見遣ると、彼は難しい顔で頷いた。オークニーに確かに騎士オニールはいるらしい。だがガヘリスの顔を見るに、オニールはこの青年会に子供を参加させるような物好きな騎士なのか、トネリコが自分で参加の意思を表明してやって来たのか。

 前者であればいい、しかし後者であれば惜しい。「わぁ、同郷なんだ! 仲良くなれたらいいな!」と無邪気に喜ぶガレスは可愛らしいが……。

 

「えっと、先に断りを入れるご無礼をお許しください、殿下」

「なにかな?」

 

 会話を挟むテンポがいい。空気を読めるのかなとロホルトは思う。素晴らしいことだ。

 

「実は憧れのロホルト殿下の噂を聞いて、いても立ってもいられなくなって無断で来ちゃいました! なのですぐ連れ戻されちゃうかもしれません……」

「ああ……」

 

 後者だったか。惜しいな、なんとなくこの子はかなり優秀な気がしていた。

 しかし思い出した。騎士オニール――ガヘリスに確認して、トネリコの言葉を聞いてやっと。

 騎士オニールといえばロット王の腹心だ。懐刀と言い換えてもいい宿将で、ロット王が最も頼りとする将軍である。そしてオニールは今、キャメロットにロット王の代理として赴いて来ており、そうであるならこの歳のトネリコを連れて来ていても不思議はなかった。

 納得はする。とても残念だが。

 

「……それは、仕方ないね。代わりに今回の会合を目一杯、充実させることを約束するよ。トネリコ」

 

 ――そう、とても残念だ。

 

 オークニーのオニールの子。それだけで、ロホルトはトネリコを無理に仲間にする気はない。

 なぜならロット王はロホルトが最も排除したい王なのだ。

 今はアーサー王に協力的だが以前は違うのである。

 

 アーサー王が聖剣を抜いて立った時、ロット王は最も強硬にアーサー王がブリテン王になるのに反発して敵対した男だからだ。まだ弱勢であった父を殺すべく、ユリエンス王と連合して軍を率い戦争を仕掛けた。三千の兵を率いて、だ。対する父の兵は三百。

 結果は父の勝利。聖剣カリバーンを振るった父に敗れ、ロット王は泣く泣く臣従することになった。だがブリテン王国が形として纏まると、再びロット王は反旗を翻している。今度は十一人の王と連合を組んで、六万の軍勢を作り上げて父を殺めようとしたのである。対する父はバン王、ボールス王の来援を受けて四万の軍で迎え撃ち、再び勝利を飾ったが――

 

 二度も裏切っておきながら、今後は裏切らないとでも?

 

 二度目の戦いの後、海外からの襲撃で、ロット王達は戦力を失くしている。だから大人しく臣従しているが、もし戦力を回復したら? また反旗を翻さない保証は?

 二度あることは三度ある。ロット王は最優先で退場させたい王の一人だ。

 命まで奪いたいのではない、実権を完全に奪い去りたいのである。そうするにはどうすればよいか。

 簡単ではない。ブリテンに簡単な話など無い。無いから困ってる。だから、簡単な方法を作る。

 

 オークニー出身が信用ならないなら、それこそガレスやガヘリスなどロット王の子なのだから論外なのではとも思うが……やりようは幾らでもある。

 

「お気遣いありがとうございます。あ、でもこれを最後にする気は私にはありませんから!」

「……ん?」

「連れ戻されたって、諦めたりなんかしないってことです! 家出してでもぜぇーったい殿下に会いに来ます! いいですよね!?」

「……あ、ああ、うん。オレ、いや私の手が空いてる時なら歓迎できるよ。けど家出を私が推奨することは出来ないかな」

「言いましたからね! 約束ですから!」

 

 こちらの思惑を知らないトネリコが闊達に言うのに、若干毒気を抜かれた。

 家出してでも会いに来る、か。凄いな、物語の力。ロホルトはそう未来の物語を賛美する。よほど続きを知りたいんだなぁと、そう解釈したのだ。

 やはり子供の心を掴むのはこういうものなのだ。というか大人だって大好きだろう。だがいくらなんでも子供の家出宣言は諌めるべきである。今の時代、どこに危険が潜んでいるか分かったものじゃないのだから。そう思うのだが、どうも――この子を心配する必要は全く無い気もする……? 頭の中で倫理観と直感が正面衝突を起こし、ロホルトは少し混乱してしまいそうだった。

 

「そしてさっきの殿下の設問ですけど」

「え? さっき……?」

「親を超える為に必要なことは何かってとこです。私には分かりますよ! ずばり――皆が一つの帰属意識を持って、皆が賢くなればいい、ってことでしょう? そうした物語の方が、きっと綺麗ですからね」

 

 戸惑っているとトネリコがロホルトの設問に答えを示す。

 正解だった。だがぞくりとする口元の弧はなんだ。

 ロホルトは正気に戻り、フゥーと細い息を吐き出すと手を打ち鳴らす。

 

「見事。いいかい皆、トネリコの言った通り仲間は大切だ。国という重く大切な物を守るには、皆が力を集めて、智慧を絞り、過ちを見極められる正しい心を育てないといけない。その為の勉強だ。君達の努力の有無が、国の未来を左右すると言っても過言じゃない。だが私もまだまだ未熟だ、そこで皆と話し合いながら共に学んでいこうと思い、設立したのがこの青年会だよ。今日は初回だから軽く済ませるだけのつもりだったけど……ちょっと物足りなく感じてる人もいるみたいだし、もう少しだけ付き合ってくれ。次回にも引っ張るつもりの議題だけど、まずは『諸侯の団結力の稀薄さをどうやって是正するか』についてだ」

 

 それができたらアーサー王――父上も苦労しないだろうなと思う。

 こんなところから解決策が出てくるわけがない。

 だが一つの問題に皆が頭を悩ませ、意見を戦わせ、同じ答えに納得したら、仲間だ。そして育んだ仲間意識を首輪にするのがロホルトの役目である。その首輪こそが王者の被るべき王冠だろう。

 目に見える優しさと甘さは必要だ。しかし見えない冷酷さも不可欠である。ロホルトは――甘いフェイスの裏に、猛毒を含む苛烈な覚悟を持ってしまっていて。その猛毒がすぐそこにいることには気づけずにいた。

 

 遅効性の毒だ、今更急ぐ気のない巧遅の歩みである。

 

 大器であれ未完の器だ、それがどうして熟練の悪意に気づけようか。

 

 

 

 アーサー王が聖剣を抜いてから十六年目。間もなく国内を乱す戦が起ころうとしていた時の、束の間の平和の時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




本作の簡易時系列設定
 アルトリアがカリバーンを抜いて王になった時から一年以内にロット王とユリエンス王の連合軍と戦い。五年後ぐらいのブリテン王国統一後にまたロット王その他十名の王連合とアルトリア達三名の王の連合が戦い、戦後に円卓結成。ギネヴィアと結婚、初夜で命中。ロホルト誕生。



大規模な破壊工作(エクスカリバー)
マーリンとアルトリアの合わせ技。相手は死ぬ。ただのチート。聖杯戦争に例えると、情報封鎖を完璧にして隠れてるマスターの拠点に、霊体化してたアルトリアが地面の中からいきなり生えてきて実体化、口上なしで開幕聖剣ぶっぱマスター殺しをしてくるようなもの。
騎士道的にどうなのそれ? 聖剣判定大丈夫? 大丈夫なのである。卑王はガチで人間じゃない上に、対象は生き物でもないただの港。おまけに本作はほんのスパイス程度に原典に寄せてあるので、原典のはっちゃけアーサー王要素があるため聖剣さんもギリセーフ判定を出すのである(相手が悪ならいっか!)

マーリン
まだ教訓を得ていないので個人をかなり軽視。つまり原作数割増のスーパー・ヒトデナシモード。ただ思い入れ(無自覚)のあるアルトリアの頼み事は聞いちゃう。ヴォーティガーンの作っていた港(重要拠点)の場所知りたい、教えてと頼まれたから教えた。
ちなみにロホルトに思い入れはないので、その他の男連中を見る、虫みたいな目(本人的には気にしていないだけ)で見ているが、そのせいでロホルト含めほとんどの男性陣から嫌われている。

アルトリア
「早く大人になってほしい」
軍事的嗅覚・実力は経験の差もありロホルトより数段上。ロホルトがヴォーティガーンの企みの話をした時には既にカリバー! していた。
千里眼(現在)&敵地単身突入(直感A)&カリバーのコンボは真面目に敵国をズタズタに出来る。ロホルトがこんなに幼いのにここまで考えつくことに感激。今度クラレントあげようと思ってる。
実は将来的にはロホルトを王にして自分は退位し、ロホルトの采配に任せようとしている。自分が導いて救わないといけない! という思い込みはなくなった為だ。周りが駄目すぎて以前までそう思っていたが、ロホルトを見てこの子がいたらやれると考え、聡明さを知れば知るほど「……この子の方が王に向いてるような……」と感じるようになり「この子に王を任せ私が補佐として脇の甘さを固めた方がいいのでは」と最適解を思いつく。クラレント(王権・剣)を与えるのは親の贔屓とかではなく、王としての後継者指名&世代交代通達でもある。十年後が待ち遠しい、ロホルトも成人するのを待ってからが本番だぞ――なお言葉にしていない模様。言葉にしてないから描写もない。
だが普通に考えて子供のうちは下積みである。下積み感覚が抜けて本番感覚で頑張ってるロホルトの方がおかしい。しかし十年後はロホルトからしてみればほぼ詰んでるようなもんなので本当に嫌。

ガレス
まだ影は薄い。彼女が最年少にして円卓の騎士になるかどうかの頃からが本番である。

ガヘリス
ロホルトの企みを聞かされて頼み事を請け負った人。影は薄いが意図的に薄めてるだけ。今は。

ロホルト
暗黒面に九歳にして目覚めるほど国が詰みかけている。どうにかする為なら子供達に洗脳教育も施す。人物としての基軸は「即断即決、行動力の化身、必要なら味方も切れるタイプなのに好青年、光と闇が合わさってる」というもので、鉄の騎士アグラヴェインや異端騎士ガヘリスと相性抜群、ガウェインやランスロット(不倫前)とも相性抜群、邪悪以外とは基本的にマッチングする男(和の心)。

諸侯
マーリンとかいう激ヤバ魔術師と騎士王のコンビの凶悪さを知ってるので悪い意味で一致団結し易い。
具体的にはアーサー王一強は誰も望んでない。同時に、ロホルト王誕生はもっと望んでない。
アーサー王並の才能持ちがアーサー王より過激とか激ヤバである。しかもとうのアーサー王が健在なのがヤバさに拍車を掛けている。

トネリコ
「早く大人になってくれないものか」
目障りな夢魔が仕事に駆り出された隙を衝いてやってきた。
まずはロホルトの信頼を得る。話はそれからだ。気長にやっていこうと腹の中で考えていたが、対面した王子が予想以上に頭の回転と思考速度が早く、内心かなり驚かされている。
この時期の某魔女が最も名乗ってはいけない偽名だが、名は体を表すという言葉もある。一つの物語の最悪の敵として語られる悪辣な魔女が一人の貴公子と出会って――というのは実に王道な展開ではないだろうか。
そして王道とは常に遅れてやってくる。時間のないブリテンで、遅れてくる。




原作の年代
なお原作だと既にブリテン終了カムランの丘で聖杯に手を伸ばしている状態。どんだけ詰め込みまくったんだと書いてて改めて驚愕した(原作アルトリアの享年が三十路前後)
こういうのはもっと長引かせてだな……(鬼畜)

ロホルトの設計図
有り体に言うと、遅れて生まれてきたアルトリアが思い描いた理想の王。強いし賢いし人徳もある、みたいな。アルトリアが全部持ってるもの。本人が気づいてないだけ。強いて言えば冷酷さ冷血さ冷徹さとそれを隠す術にかけてはアルトリアを上回っている。未来の知識量ブーストで智慧も磨かれてしまっているので小賢しさも上回ってるかなってぐらい。


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6話

ブンッブンッ(まずは上げてけ)


 

 

 

 

 

「――ロホルト、戦の準備をしなさい」

 

 急だった。

 十歳の誕生日を迎え、キャメロット中で王子の生誕日を祝った日の翌日である。騎士王アーサーが厳しい貌で愛息に従軍の指示を下した。

 異例のことだ。騎士としてのロホルトはまだ小姓、従騎士にすらなっていない未熟者なのに、一体どこの誰との戦に駆り出そうとしている?

 答えは自明だ。ロホルトは黒い微笑を湛え即答していた。

 

「はい」

 

 アルトリアは息子の様子を黙って見詰め、嘆息する。

 

「相手は訊かないのか」

「ロット王でしょう」

「………」

 

 確信の込められた返答に、アルトリアの溜息が重ねられる。

 数秒の沈黙を挟むと、彼女は王として愛息を同じ目線の高さで睨んだ。

 そう、同じ目線の高さだ。愛息は成長期に入り、アルトリアと同じ身長にまで達しているのである。

 体つきもいい。日々の鍛錬を欠かさず、頑健な体つきに成りつつある。だが何より、煌めかな頭脳と眩い知性の輝きが滲む瞳が憎たらしい。この一年で更に増した知性の冴えは、人を断つ魔剣にも伍するかもしれない。――王子の悪魔的な策が戦を起こしたのだ。

 愛する息子でなかったら罰していただろう。いや、公私混同はしてはならない、ただちに罰するべきだ。しかし罰する理由はない……だから訳を訊こうと思える。アルトリアは自然体で語った。

 

「そうだ。だが少し違う。反乱軍の首魁は二人……六年前に十一人の諸王が叛旗を翻した時、参戦していなかったリエンス王の弟ネロ、彼が首魁の一人だ。ネロはリエンス王の仇を討つ為に挙兵し、ロット王もそれに呼応している。手強いロット王が参戦してくる前に、まずはネロを討つことを決定した」

「ロット王は誰が対処しているのですか?」

「マーリンだ。彼の幻術で、ロット王の軍勢は暫く道に迷っているだろう。だが問題はそこじゃない。ネロが何を大義名分にしているかだ。……ロホルト、お前がネロを焚き付けたな?」

 

 一瞬の間を空け、

 

「はい」

 

 ロホルトはそう返答した。

 

「………」

 

 アルトリアは何故だと中々言い出せなかった。余りにもロホルトの目に迷いがなく、まっすぐだったからである。だが問わねばならなかった。

 

「なぜ」

「正確には、ネロではないですが……必要だからやりました」

 

 必要だから焚き付けた。ロホルトはそう断じ、朗々と自身の行いを()()()()する。

 堂々と、いけしゃあしゃあと、厚かましく。

 

 ――事の起こりは僅か半年前。九歳のロホルトが青年会を設立して暫く経った後、ガヘリスがロホルトから頼まれた仕事を成し遂げた。

 リエンス王に仕える、14歳で従騎士になったばかりの少年と知己を結び、ロホルトの語る物語は素晴らしいと吹き込んで、青年会にまで連れてくることに成功したのだ。

 件の従騎士は瞬く間にロホルトの語る物語に熱中した。そして彼の説くブリテンの国難に心を痛め、皆と一緒に悩み、討論して、席を並べて飯を喰い、答えを出せた。

 その答えが『強い王の下、団結すべし』というもの。彼らの結論はロホルトの誘導した通りに一致し仲間は同胞になった。皆で同じ夢を見て、皆で同じ結論を懐き、皆で同じ道に希望を持った。

 

 だから、そっとその従騎士にだけロホルトは囁いたのである。

 

『君なら我々の中で一番最初に誉れを得られるだろうね』

 

 すっかりロホルトに心酔していた従騎士は、期待されていることに歓喜し、次いでどうしたらその期待に応えられるか悩むことになる。

 悩みに悩んだ彼が、別の同胞に相談するのは自然なことであり。そこにガヘリスが現れ、()()()()()()()()言ったのだ。

 

『簡単だ。陛下の王権を薄弱ならしめている元凶の一人が、貴公の国にもいるだろう』

 

 彼は気づいた。彼は元々リエンス王の従騎士で、リエンス王の傍に簡単に近づくことが出来る。

 ガヘリスやガレスを除いて、同様の立場に立つ者は他におらず、ガヘリス達はロット王がアーサー王へ人質として差し出したような立場に等しい。そんな立場で国に帰るのは難しいはずだ。

 となると本当に自分が一番誉れに近いのだ――彼はもう迷わなかった。元の主ではなく、ロホルトに心が完全に傾き、共に国の未来を見た同胞の方が母国の仲間より大事になっていたからだ。

 

『……英雄だ、貴公は。そして英雄を生んだ殿下もまた』

 

 ガヘリスの皮肉は誰もいなくなった所で。

 

 従騎士は国に帰るなり、王を刺殺した。リエンス王の弟ネロは従騎士を捕らえ、激しい拷問でも口を割らなかった彼に業を煮やすと、魔術師に彼の口を開かせ真相を聞き出させた。

 彼は本心によらずに喋った。全て己の意志だ! 誰にも指図されていない! 全てはこの国の、ブリテン王国の未来の為! 弱き王を駆逐し、真に強い王の下で団結する為だ!

 

 そこまで吼えて、彼は絶命した。

 

 ネロは愕然としただろう。まさか本当に、従騎士が本人の意思で、誰にも指図されずに、恨みがあるわけでもない主君を殺すなんて理解できない。

 人は理解できない事象を前にすれば、二つのパターンで処理する。思考停止して忘れるか、なんとか理解できる範疇に落とし込もうとするか、だ。ネロは後者のタイプだった。

 

 真に強い王、それが犯人に違いない。強い王は誰だ?

 

 アーサー王だ。誰に聞いてもほとんどがそう言う。ペリノア王でもロット王でもなく、だ。ペリノア王は一騎打ちで、若き日のアーサー王に勝ったこともあるというのに、敵はアーサー王で間違いないとネロは決めつけて挙兵したのである。ロホルトの目論見通りに。

 

「……なぜそんなことを」

 

 そこまで聞いて、アルトリアは震える声で咎めた。騎士の所業ではないと。

 今度はロホルトがアルトリアを睨んだ。はじめて睨み返されたアルトリアは内心うろたえる。

 

「言ったでしょう。必要だからです。何か問題でも? ネロの掲げる大義名分には一切の証拠はない。下手人が私に関わった痕跡は入念に消してある。なら話は簡単です、馬鹿な妄言で叛旗を翻したネロを討ち、その所領を父上の直轄地に組み込めばいいでしょう」

「そ、そこまでしなくても、同じ国の人間なのだ、もっと他にやり方が――」

「他のやり方は確かにあります! ですがッ! 我々にはもう他のやり方を探す時間がありません! いいですか父上、今は最速最短で国内を纏め上げなければ、ヴォーティガーンをはじめとする外敵を駆逐した後、豊富な外貨を手に入れる余力が尽きてしまうんですよ! 今年の税収は貴方もご存知のはずだ、去年より更に悪い! 時間がないんです、国民がどんどん餓死する! 不穏分子も多すぎる! 現に見てください、ロット王は貴方に叛逆する者の誘いに簡単に乗ってまた裏切った! 彼を王位に置いたままではいられない、故に今しかないんです! たとえ国内で血を流し合う羽目になってでも! 強引に纏め上げなくてはなりません! 違うなら違うと言ってみてください、父上!」

 

 何も違わない。むしろ、アルトリアこそがずっとそう思っていた。

 思っていたが何も出来なかった。なぜなら彼らもまたアルトリアにとって守るべき仲間で、彼らの国の民もまたブリテンの民だからである。

 『騎士王』という制約もある。だからアルトリアにはロホルトの言う『多少の犠牲』というものがなかなか許容できなかった。心情としても、信条としてもだ。故にずっと悩んで、迷って。

 そして今に至る。ロホルトはその顔を見て、激昂した心の火を消し去った。

 

「……失礼しました。しかし、父上も同じお考えでしょう」

「……よそでは、いいや他の誰にも言えないが、そうだ」

「父上の、唯一の欠点です。貴方は優しすぎる」

「………」

 

 ――オレにとってはただのクソ親父だがな、というロホルトの内心はさておくとして。

 

 実際、アルトリアは優しすぎた。そしてブリテンという括りの同胞を信じすぎた。いつかは、やがていつかはと。いつか皆分かってくれる、皆が手を取り合い力を合わせれば国を救えると。

 そんないつかは来ないと分かっているくせに。しかし、その()()()を無理矢理引っ張ってくるのがロホルトだった。無理矢理とは、つまり、血も涙もない冷酷な策略という意味だ。

 

「……ロット王が裏切るのは確実だと思っていたのか?」

「当たり前でしょう。過去二度も裏切っている、一度目は正当と言えなくもない理由ですが、二度目は完全に私怨です。ならば怨みが残っている限り三度目は必ずある。故あらば裏切るような輩を仲間の括りに入れておくほど、私は人を信じられません。……とはいえロット王本人は強力な騎士ですし、なによりガウェイン卿やその弟たちの父です。命まで取りたいとは思っていませんよ」

「そうか……ならロホルトの考える落としどころはどこだ」

「今回は反乱軍の首魁になったわけではないのです、王位をガウェイン卿に譲らせ、一介の騎士として父上に仕えてもらうのが妥当だと考えます。そうすればもう二度と裏切ることはできません」

「監視役は周りの者全員か。生きた心地がしないだろうな」

「実際には生きているのだから文句は言わせませんよ。ガウェイン卿も父上の騎士なのです、王になったからと偉ぶったりはしないでしょう」

「彼は……確かに」

 

 ガウェインの名が出ると、途端に場が明るくなる。彼は太陽みたいだった。

 はぁ……とアルトリアは固い息を吐いた。

 完璧だ。

 完璧だった。

 まさに、こうしたいとアルトリアが思っていたことを、やってくれている。やれている。しかも今回は文句の付け所がない。――まだ10歳なのに。

 

「……ロホルト。お前は、なぜまだ10歳なんだ」

「は? すみません……?」

 

 一度ロホルトの頭を叩く。罰だ。正しくとも、王に無断で戦になるような策略を練り、実行したことへの。そして自分の顔面にも拳を叩き込んだ。

 

「ち、父上?」

「……見るな」

 

 赤面し――物理的にも鼻血で赤くなりながら――アルトリアは顔を逸らす。

 情けない。戦う事以外で、もうロホルトに勝てる気がしない。

 誇らしい。この子の親であることが。

 喜ばしい。この子が次代の王になれば、きっと――。

 

「付いてこい」

 

 そう言い捨て退室したアルトリアに、ロホルトは困惑しながらついて行く。

 

 なんでこの人は自分を殴ったんだ? 意味が分からん、こわ……。

 情緒不安定なのかな……まさか怒っているのか? そりゃあそうだ、勝手に戦争の原因作ったんだから……でもここまでおかしくなる人か?

 どう反応したら正解なんだ……。とりあえずオレも自分の顔面殴っとこう。

 

「ろ、ロホルト?」

「なんでもありません。転んだだけです」

「そ、そうか……?」

「はい」

 

 顔面を殴って鼻血が出ると、音を聞いたアルトリアが振り返り唖然とした顔をしていた。

 ちょっと引いている。

 なんであんたがそんな顔するんだよ。同じ気分なんだよ。ロホルトはそう思う。アルトリアとロホルトは共に混乱していた。なんで自分の顔を殴ったんだ……と。

 

 訳の分からない空気(ライブ)感に翻弄されつつ、二人はキャメロットの武器庫まで辿り着く。道中すれ違った侍女達や、慌ただしく早足になっていた騎士達がギョッとして、道を空け頭を下げつつ視線を交わしていたが、王と王子が気にすることはなかった。

 

 武器庫の前にある台座にアルトリアが手を触れると、武器庫の鍵が開き扉が重々しい音とともに自動的に開く。中に入るとこれまでアルトリアが集めた宝物や、献上された武具防具などが綺麗に陳列され安置されていた。

 無言で一番奥まで進んだアルトリアは、白銀の王剣を手に取ると、それをロホルトへと差し出す。

 

「……それは?」

燦然と輝く王剣(クラレント)だ。お前に与える」

 

 王位継承権を示す王剣。如何なる銀より眩い白銀の刀身が美しい。

 差し出されたそれを、しかし手に取らないままロホルトはアルトリアの顔と王剣を見比べた。

 どうした、と押し付けられそうになるのを、咄嗟に後退して躱す。ロホルトは困惑を隠さず言った。

 

「……要りません」

 

 試しているのか、と疑ったのだ。自分に黙って戦になる策を仕掛けたから。これを喜んで受け取れば叛意ありと見做すつもりなのかと。アルトリアはハッキリと言った。

 

「これはお前のためにある剣だ、ロホルト」

「……………」

 

 分かり辛いが、つまり、()()()()()()なのか。ロホルトは不老不死の王の意図が読めない。

 戸惑う様子のロホルトを見て、アルトリアはなんとなく、互いの認識に齟齬があることを悟った。

 もしかして……と、嫌な汗を背中に掻き、額にも浮かべながら、アルトリアは言う。

 

「わ、私の聖剣と鞘は、いずれ湖の精霊に返還する必要がある。聖槍も手放さないといけない。故に私からこれらを与えられはしないが、代わりにカリバーンにも劣らないこの剣を貰ってほしい、のだが……」

「……返還? 初耳ですが」

「そっ、そう……だったか? ………………そうだった。言ってなかった」

 

 ロホルトもやっとピンときた。つまりアーサー王は不老不死だが、その源である聖剣と鞘のセットはいずれ無くなる。不老不死も共に。なら……後継者は本当に必要だった……?

 額を押さえ、ロホルトは巨大な溜息を吐いた。それに反応して汗を流し、視線を泳がせる父の姿に頭が痛くなる。外見相応の素振りだが、実年齢を考えて欲しい――いや、もしかすると、不老不死のせいで精神年齢も止まっているのか?

 ありえる、大いにありえる。なぜなら父の掲げる理想は、いつまで経っても新鮮なまま、瑞々しく青い子供の理想なのだ。誰もが救われて欲しいなんて、そんな理想を大人になっても掲げられるような甘い現実を見てきたわけがないのに、一片の汚れもないまま崇高さを保てている。心の時間まで止まっているのなら、この姿こそが父の本当の姿なのかも――

 

 ロホルトはほんの僅かな情報でその真実に辿り着いてしまう。

 

 このまま父の肉体年齢を超えれば、やはり自分が後継者になる意味はないだろう。父の方が長生きするに決まっている。……しかし、だ。父が自分の忠誠を疑って試したわけではないことは、理解した。クラレントを渋々受け取る。

 

「……軽く振ってみても?」

「構わない」

 

 あからさまにホッとされる。そうしてみると、意外と顔に出る。顔に……? ……今までまともに観察する気はなかったが……こうして気の抜けた顔を見ると……いや、まさかな。

 微かに過ぎった疑念を忘れ、クラレントを軽くその場で一振り、二振りし、ロホルトは言った。

 

「祭礼用の剣ですね。実戦で使いたくはありません、代わりに他の物もくださると助かります」

「む……クラレントは良い剣なのだが……まあ、ロホルトには合わないか。なら公式の場で与えるまで此処に置いておこう。代わりに……どれがいいかはロホルトが選んでみるといい」

「はい」

 

 少年のロホルトからしてみるとクラレントは大剣に等しいが、軽い軽い。魔力で肉体を強化するのに慣れているお蔭だろう。だが趣味には合わない、軽すぎるし、お行儀が良すぎる。

 言われるがまま武器庫内を見渡して、これはと思う物を手にとってみた。

 クラレントより更にデカい大剣だ。大人になれば大剣として振るえるだろうが、少年の身だと特大剣のようにデカく感じる。白銀の刀身は無骨で、しかし特別な力を全身に受けられた。

 この際だ、もっと他も見よう。目に付いた禍々しい大剣も持ち、なんとなく気に入った。一つだけとは言われていないので、ロホルトは思い切って特大剣と大剣の二つが欲しいと告げてみた。

 

「それはいい。モルデュールという、魔術を破りどのような堅い物質でも防げない名剣だ。だがライヴロデズは所有者の生命力を刃にする魔剣だ、こちらは渡せない。代わりにこれを持て」

 

 意外とすんなり認められ拍子抜けする。魔剣は駄目だったが、特大剣であるモルデュールは与えられた。そしてアルトリアはライヴロデズの代わりに、一つの金と青の文様の盾を渡してくる。

 

「プリドゥエンだ。担い手を清浄に保ち、水に浮べればサイズが大きくなって船にもなる」

「は、はぁ……ありがとうございます」

「武器よりも防具を大事にしなさい、ロホルト。お前が死んだら大変だ」

「……………」

 

 黒く長い柄と、黒曜石の埋め込まれた長大な刀身を有するモルデュールと、ロホルトが持つと黒く染まった大きな盾。黒づくめだ。

 だがその『黒』に邪な気配は微塵もなく、むしろ見る者を安らがせる夜のような親しみがあった。まるで母の腕の中のような……。

 同じ印象を受けたのか、アルトリアは苦笑する。

 

「お前の人柄が滲んでいる、いい色だ」

「……褒め言葉と思っておきます」

「……褒めているが?」

「……そうなんですか?」

「………?」

 

 首を傾げるな。

 微妙にやりづらい空気と手応えに、二人して戸惑いつつ武器庫を出る。

 台座に手を触れて鍵を掛けているアルトリアに、ロホルトは先手を打って一旦逃げることにした。

 

「父上、私は今から母上に挨拶に行きたいと思います。また後ほど」

「分かった。私は騎士達を集め、外に出ている。出立に遅れるな」

「はい」

 

 そそくさとロホルトは父から逃げた。ちょっと冷静じゃない、色々と所感を纏めたかった。

 早足に歩き去ると、ロホルトは頭を抱える。

 なんなんだ。

 

「なんなんだ、本当……」

 

 胸がムカムカする。思い返すのは五歳の頃、楽しんでいた剣の修行や、魔力の扱いに、後から首を突っ込んできて、指導と称してボコボコにして全否定してくれやがったあのクソ親父。

 以降は毎日指導、指導、指導。毎日ボコボコにされ泣かされた。泣き言も許されなくて、やることなすこと全否定で、剣の修行も楽しくなくなって。

 なのに……なんだ、今のは。なんだ、不老不死はいずれ返上するって。

 後継者、本当は必要なのかよ。それを言えよ。なんで言わないんだよ。今更言って、今更本当は大事に思ってるんですよアピールをして。親父面して。

 

「……ぶん殴りてぇ……」

 

 ロホルトは反抗期に突入した。

 

 が、秒で卒業した。

 

「………ガキぶってるとイタいぞ、オレ。大人だろう、オレは」

 

 頭を振って、ロホルトは母へ挨拶しに行った。

 まだまだガキで、未熟で、大人ぶってるだけの子供は、母親に助けを求めるように走った。

 

 

 

 

 

 

 

 





燦然と輝く王剣(クラレント)
ランク:B
種別:対人宝具
レンジ:1
最大捕捉:1人
由来:アーサー王の武器庫に保管されていた、王位継承権を示す剣。「如何なる銀より眩い」と称えられる白銀の剣。アーサー王の『勝利すべき黄金の剣』に勝るとも劣らぬ価値を持つ宝剣で、王の威光を『増幅』する機能、具体的には身体ステータスの1ランク上昇やカリスマ付与などの効果を持つ。ロホルトはこの剣をアーサー王から正式に譲られた為、担い手として正しく所有することになったが、主兵装として気に入りはしなかった。
兄弟剣として大陸全土の支配を象徴する皇帝剣フロレントが存在し、その刀身に咲き乱れる百合の花模様は、花神の加護を受けている証明らしい。王剣クラレントに神の加護はない、しかしロホルトの手で真価を発揮すれば――。





アルトリア
 互いの齟齬にやっと気づく。
 他の人には問題なく話せるのに、ロホルトは例外。
 距離感わかんない……。これが正しいはず……(不正解)
 私は嫌われていない。

ロホルト
 裏でかなり悪どい策を使った。博打みたいな策だが、別にロホルトの名前が出てもよかった。
 出なかったのでヨシ。出ていても普通に証拠にはならんので冤罪主張からの完勝余裕コース。
 ぷるぷる、ぼく悪い王子じゃないよ。この態度で皆信じるのだ。実際証拠がない。
 不思議な道具で証明、なぜか出てきた謎の乙女の証明、無し。

 そして意外と父から大事にされてることを知る。
 え? 大事にしててこれってこの人……控えめに言って……なんでもないです。
 不老不死は返還することになるとかそんな大事なことは最初に言ってほしいんですけど。
 後継者が本当に必要ならなんで交通事故起こしてオレが生まれたみたいな感じなんだよ。
 というか他に子供作れよ。後継者が死んだらどうすんの王様の役目だろ一人で満足するな。
 不老不死って心の年齢も止まってるよねこれ絶対。ヤバいわよ。重圧ひどくないの?
 凄すぎる偉人なんだけど……いや、やっぱ嫌いだわ……。

 色々言いたい。けど言えない。微かな疑念のせいで。




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7話

 

 

 

 

 

 ロホルトは折れない。折れてもいい資格を自ら捨てた。

 

 ()の名は、ステファン。

 純粋で、正義感が強く、情に厚い、心根の真っ直ぐな少年だった。

 ステファンとはすぐに仲良くなれた。容易く心を開いてくれた。だからガヘリスに連れられて来た彼と話して、青年会の仲間に加えた時、ロホルトは堪らず笑いそうになりながら思った。

 思い通りに動かせる理想的な駒が来た、ガヘリスは素晴らしい人選をしてくれたようだ、と。自らの策が上手くいくと確信し、後は自分がやるべきことをやるだけだと高を括ったのだ。

 

 本当に簡単だった。歯応えがなさすぎて、本当に上手くいくのか逆に不安になるほどに。

 

 ロホルトは彼を含めた青年会の皆に、いつも通りの事をいつも通りにしただけだ。毎日青年会の会合を開いていたわけではないから、噺の種はまだまだ尽きることはない。仮に噺の種がなくなっても、培ったノウハウがあれば新たに噺を作ることも出来る。

 皆の心はロホルトに向いていて、皆で国の未来を想って成すべきことを談義するのは楽しくて、熱意は翳らずに、若々しい情熱が連帯感を強めた。いつものことをいつものようにしていただけで――機が熟すと、囁やいた。それだけで、面白いようにステファンはロホルトの狙い通りに動いてくれた。事が成ったのを知った時、ロホルトは腹を抱えて笑い転げてしまうぐらい完璧に。

 

「ァハハハ、ああああははははははは!」

 

 馬鹿だ! 馬鹿だ! 馬鹿が! 馬鹿野郎が! なんでそんなことをしたんだ、なんで自分の主を殺したんだ! そんなことをしたらお前が死ぬだろう、死んだらもう会えないんだぞ! もう話せないし国の為に仲間の為に戦うことも遊ぶことも笑うことも出来ない! なのになんでそんなことをした! なんでだ! アハハハハハ! 本当にやってくれた! 助かった! よくやった!

 

「殿下ッ」

 

 肩を痛いほど強く掴まれる。振り払って見ると、ガヘリスがいた。

 

「笑ってはなりません」

 

 ……は?

 

「殿下が囁き、私が唆したのです。彼は――英雄です。英雄の死を笑ってはなりません」

 

 ………。

 …………笑う?

 オレが……笑っていた?

 はは……。

 

「……すまない、少し一人になりたい」

「駄目です。殿下、貴方は逃げて楽になろうとしている。()()()()()()()()()()()。他者を駒に見立て思うがまま操り、人を数字で、世界を盤面に見立てようとしている。それが楽だからだ」

「…………」

「貴方は駄目だ。自らの成したことから目を背けては、貴方は卑劣漢になってしまう。卑劣漢に、人は心から従いはしません。私はそうした卑劣な遣り口に染まった魔女を知っています」

「…………」

 

 寡黙な青年の、痛烈な諫言。煩いと怒鳴れるほど、愚かではなかった。

 ロホルトは無言で、殺気すら纏い、膨れ上がる暴力的な魔力を滲ませながらガヘリスを睨み。

 数秒の後、光に縫い止められた影のように動かない青年の目に、怒気を鎮められてしまった。

 ロホルトは溜息を吐きもせず、固く引き結んだ口の中で、弱音を吐く。なんでオレが、なんでこんなことを、なんで、なんで、なんで。泣きそうになって緩む涙腺を、意地で抑え、瞑目する。

 

「……………………ガヘリス」

「はっ」

 

 敬称を付けずに呼び捨てた。ガヘリスは当然のように受け入れた。

 

「私は、謝らない(誤らない)ぞ」

「御意のままに」

「私は――」

 

 声が震える。

 

「――私の責任を、放棄しない。ガヘリス、私の騎士として、私が死ぬまで仕えろ」

「然と承りました。死しても、死した後も、我が主はロホルト殿下ただ一人と定めます」

 

 ステファン。愚かなステファン。お前を殺したのは誰だと思う。

 オレだ、とロホルトは断じた。固く握り締めた拳を解けば、手は情けなく震えるだろう。歯を噛み締めていなければ、脚が震えて腰が抜ける。

 無様は晒せない。オレは――――ではなく、ブリテンの、ロホルトだから。

 騎士ガヘリスの諫言は耳に痛かった。しかし、衒いなき直言だから、曖昧に濁さないダイレクトな言葉と眼差しだったから逃げずに済んだ。

 

「……すまない。ガヘリス、私は、いや、オレはこれから、お前を友と恃む。迷惑か」

「甚だ迷惑です。が、厚かましくも嬉しく思います。忠誠とともに、友情も捧げましょう、殿下」

「……素直なのも考えものだな、馬鹿野郎が。……まあ、ありがとう。私は、得難い友を得たよ」

「友を諌められぬ者は友ではありますまい」

「友だと思ってくれるなら、せめてその殿下はやめてほしいね」

「では……いえ、不敬なのでやはり殿下と」

「コイツ……はは。…………ステファンの名は、忘れない。お前も忘れるな」

「御意」

 

 キャメロット郊外で、白亜の城壁を見上げての一幕。

 この日に見た夕焼けに染まる大地が、ロホルトの心象に深く焼き付いた。

 

 それは一つ、ロホルトが大人に近づいた出来事。一人の少年を意図して死に追いやりながら、聖なる王子であるままに、闇の如き策を練る非情の騎士を成り立たせる契機であった。

 ロホルトは折れない。折れていい資格を放棄した。少年は鉄の心を懐き、その歩みで鍛え、練磨し、より固く、より冷たく、より恐ろしく成長していくだろう。ロホルトは、折れないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦争に行くの、ロホルトが!?」

 

 ギネヴィアが悲鳴を上げた。まだ子供の体に鎖帷子を纏い、その上に小さな鎧を着け、特徴的な形の兜を脇に抱えて来訪したロホルトを見て、だ。

 自身に仕える侍女を捨て置いて駆け寄った王妃は、王子の肩を掴んで青白い顔で訊ねる。嘘だ、そんなはずはない、ロホルトはまだ10歳! 戦争に行くのはどれだけ早くても14歳からだ!

 戦争ごっこでもすると言って安心させて欲しい。自身の顔を見る母の目に、ロホルトは苦笑した。正常な反応を見れて安堵したのである。ああ、オレがおかしいのかと思ってたけど、やっぱり戦争を経験するのはまだ早いはずだよなと。ロホルトは自身らを遠巻きに見る侍女達や、不心得者が現れた時の為にいる騎士達を見渡す。王宮の奥からは、やはり平和の気配が残っていた。

 ロホルトは母の顔に視線を戻す。

 

「はい、母上。リエンス王の弟ネロが反乱を起こし、ロット王がまたしても裏切った為、これを征伐する軍に参陣する指示を受けました」

「……そんな」

 

 血の気を失い卒倒しそうになったギネヴィアの体を支える。

 父もそうだが、母も華奢で小柄だ。ギネヴィアの方がやや大きいが、ほとんど誤差である。

 鍛えているお蔭でギネヴィアの体はとても軽く感じる。容易く支えられる母の線の細さに、ちゃんと食べてるのかなと場違いな心配をしてしまいそうだ。

 ロホルトはギネヴィアに微笑みかけた。

 

「安心してください、母上。私はこれでも強いのです。円卓の騎士ほどではありませんが……それ以外の騎士で私を止められる者はいないと父上も太鼓判を押してくれました。もう少し成長して、強さと資格を示せば円卓の座に私をつけてもいいと言うほどですよ。まあ年齢的に無理ですけどね」

「……陛下が。陛下が、ロホルトを戦争に……」

「母上? 母上、ちゃんと私の話を聞いてください」

 

 俯いてブツブツと呟くギネヴィアを見て、なんだかいけない気配がすると焦りに似た感覚を受けたロホルトは、得意の王子様フェイスのまま語気を強め、大きい声を発して彼女の気を引いた。

 ギネヴィアはハッと我に返る。間近にあるロホルトの顔から、強烈な光が注ぎ込まれたような心地を受けた。心の闇が吹き散らされるような優しい光だ。ギネヴィアはその光に吸い込まれる。

 

「な、なにかしら、ロホルト?」

「……母上からの贈り物が欲しいです。私が無事に帰ってこられるようにと、祈りを込めた物を私に贈ってください。それだけで、私は無限の勇気を得られる。そして絶対に生きて帰ります。だからお願いです、母上。私を助けると思い、何かを頂けませんか?」

「え? ――そう、ね。そうよね。す、少し待ってて、すぐに用意するわ!」

 

 ギネヴィアはパタパタと駆け去った。その様子を見てほっと胸をなでおろす。よかった。危うく母上が闇落ちするところだった……。

 王宮付きの騎士達が生暖かい目で見てくるのに、何だコノヤロウ見てんじゃねぇと睨みつけたくなるが我慢する。しかし侍女達の形容し難い黄色い目と囁き合いは我慢できない。背中がムズムズして堪らない。やめろ、そんな好奇の目で見るな……逃げたくなる、父から逃げてきたばかりなのに。凄まじく居心地の悪い王宮だこと! ほんと勘弁してほしいわ!

 ロホルトは心の中でオネエになることで心の自衛をしていると、ギネヴィアが奥からパタパタと駆けつけてきた。少し息を切らしているが、全く見苦しくないのは母の容姿は関係なく、母が我が子の為に出来ることをしようとしているからだろう。

 

 ギネヴィアはその手に蒼く、長く、広いスカーフを持っていた。

 

「ろ、ロホルト……」

「落ち着いて。母上、落ち着いて、息を整えてください」

「え、ええ。……ごめんなさい、そそっかしい母で」

「そんなことはありません。母上は変わらずお美しく、何より私の誇りで、心の安らぐ湖のような御方ですよ」

「あら、ますますお上手になったわね。……ロホルト、これを私に巻かせて」

「はい」

 

 ギネヴィアが求めるまま止まる。すると細く白い腕を伸ばして、ギネヴィアはロホルトの頭に蒼い布を被せると、そのまま上半身をすっぽり覆い、くるぶしまで包み込んでしまった。

 困惑して「は、母上?」と声を上げると、ギネヴィアはにこりと微笑む。

 

「あなたは成長期よ、まだまだ大きくなるわ。成長したら……きっと膝上ぐらいになるわよ。たぶんだけど。それまでは――ほら、出番よ皆」

 

 はい、王妃様! 女達の声が応え、三人のおばさん達がロホルトに殺到してきた。その手にはハサミ役のナイフや針、糸などがある。採寸するための道具まで。彼女たちは手慣れた所作で、あっという間にロホルトの体から鎧を剥ぎ取ると、サイズを図って蒼い布をコーディネイトした。まさに熟練の技だ。ロホルトはされるがままで、何も反応できないで棒立ちだった。

 そして蒼い外套と化したものに、細かく刺繍を施したかと思えば、すぐさま外した鎧を上に着けていき、一礼して立ち去っていく。

 

「――うん、素敵よ。やっぱり貴方には蒼が似合うわ」

「あ、ありがとうございます……」

「体の成長に合わせて、大きさを合わせていくから。いい、ロホルト。私に、ちゃんと……大人になった姿を見せてちょうだいね」

「! ……はい、もちろんです母上」

 

 にこりと笑うギネヴィアの顔は、強張りを隠しきれていなかった。

 ロホルトはそれに気づかぬフリをしながら、優しく抱擁をする。ギネヴィアも抱擁を返してくれた。

 ずっとそうしていたくなるぐらい、優しい柔らかさの中にいて。ロホルトはやがてギネヴィアから離れて、彼女にだけしか向けたことのない蕩けるような甘い笑みを浮かべて言った。

 

「行ってきます、母上」

「――行ってらっしゃい。わたくしは、あなたが無事に帰ると信じてるわ」

 

 会いに来てよかった。いつも、ロホルトはそう思う。

 母に会うと、何も怖くなくなるのだ。

 無限の勇気を得られる――あれは嘘でもなんでもない、掛け値なしの本音なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




ギネヴィア
 「………………」
 愛する我が子はまだ10歳なのに。
 どうして?

ロホルト
 ステファン。その名がロホルトを完成させる為のパーツの一つ。
 残りのパーツはまだ揃わない。しかし、数は要らない。
 あと、一個でも良い。

ガヘリス
 私心なき影、騎士でありながら闇の業を背負うことも厭わない。
 王子の心の闇を担うは己だと定めた忠義の騎士である。


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8話

 

 

 

 

 

 

 白き猛犬が荒い息を吐きながら地を駆ける。狼のように精悍で、魔獣の如く凶暴に、しかし騎士に劣らぬ忠義を体現する白い獣。馬のように大きく、どんな名馬にも劣らず疾い。背に乗せる小さな少年騎士の存在が、猛犬の印象を忠実な騎士の従者に変えていた。

 巨漢でも扱いに難儀するだろう、長大な刀身を有する宝剣を両手で振るい、一度に三人の敵兵を切り倒す。鎧に覆われた胴を横一文字に薙ぎ払ったのだ。猛犬の突進の勢いを利し、体をその場で半回転させて遠心力を生んで、騎乗者の斬撃の威力を増す助けとしてもいる。

 人馬一体ならぬ人犬一体。血飛沫を上げて斃れる三つの骸から、少年騎士は驚くほど淡白に視線を切った。放出される莫大な魔力が光となり、巨きな剣となる。浮遊した光の巨剣が少年騎士を中心にひとりでに動き、自らを囲わんとしていた複数の敵兵を切り倒した。

 

「――カヴァス」

「ワンッ!」

 

 父より賜りし獰猛な忠犬、カヴァスが駆ける。一度間を読み違え、敵中に孤立しかけた為、味方と合流するのだ。すぐさま馬を寄せてきたのは従騎士ガヘリス、そしてロホルトの警護を任されていた円卓の騎士ガウェインだ。無言で真横についたガヘリスは何も言わず、しかしガウェインから鋭い叱責に似た諫言が飛ぶ。

 

「殿下、私から離れないで頂きたいッ!」

「すまない。しかし敵首魁の居場所が分かった、突貫しよう」

「駄目ですッ! っ……殿下、お待ちを! えぇい、聞かん坊ですね……!」

 

 カヴァスの頭を撫で意思を伝えると、猛犬は一気に加速する。焦って追従するガウェインは必死だ。敬愛する我が王から王子を任されたのに、もし万が一にも怪我の一つでもされたのでは合わせる顔がない。ガウェインは本気になった、全力で馬を走らせて、王より授かりし聖剣の姉妹剣に魔力を叩き込む。呼応してガヘリスとロホルトも魔力を漲らせた。

 反乱軍の只中を疾駆する三騎は並み居る敵兵を、当たるを幸い薙ぎ倒していく。次々と摘み取られる命の中――ロホルトは自身に襲い掛かる巨大な違和感に苛まれていた。

 

(――この手で人を斬るのは初めてなのに)

 

 なのにどうして、こんなにも平気なのだ。

 気持ち悪さはある、命を摘み取る罪悪感もある、許されない悪行を犯している自覚もあった。なのに吐き気を催しもしない、罪深さに手が震え、何も考えられなくなり、良心が悲鳴を上げ立ち止まりそうになることがない。流れるように敵を切り伏せてしまえる。

 ロホルトは現代日本人の倫理観と道徳観念、良識と常識を持っていた。なのにそれらに反する所業で微塵も動じずにいる。なんなんだこれは、なんなんだそれは。ロホルトは自身の精神構造に深刻な嫌悪感を覚えずにいられない。だがそれでも王子は止まらなかった。

 

「――いた。あそこだ、ガウェイン卿。あそこに反乱軍の首魁ネロがいる。貴公が討て」

「承知!」

 

 敵の陣形、立ちはだかる兵の士気、それらから導き出される直感的な洞察力が、敵総大将の位置を正確に教えてくれる。天性の戦勘に基づくロホルトの指令に護衛騎士ガウェインは舌を巻いた。と同時に後できつく叱らなければならないと義憤に燃える。

 太陽の騎士ガウェインが馳せる。動揺し、しかし逃げずに剣を抜いたネロへ迫ったガウェインが、一撃でネロを叩き切る。敵将、討ち取った! その宣言が戦場に響き渡る。

 算を乱して逃げ出そうとする者、武器を捨て降伏しようとする者、最後まで抵抗して主に殉じようとする者。そうした者への対処は他に任せ、ロホルトは本陣へと帰陣した。

 

 そこで待っていたのは、険しい顔をした父王アーサーである。

 

「……ロホルト、これに」

「はい」

 

 傍に寄れと命じられてカヴァスから降り、心配そうに頭を寄せてくるのを撫でながら離れる。

 正面に立った王子の顔を、王はジッと見る。能面のような無表情からは、如何なる感情も窺い知ることが出来ない。騎士王は周囲の騎士達の息が詰まる緊迫感を無視し、王子へ静かに詰問した。

 

「なぜ勝手をした。私はお前に剣を振るえと命じた覚えはないぞ」

 

 承知している。今回のロホルトの初陣は、あくまで戦場の空気を知る為のもの。決して王子が戦場に立ち敵を倒すことを期待していたわけではない。というより10歳の子供にそれを期待したり、実行させたりするようでは人の心を問われるだろう。

 だからこれはロホルトの独断専行だった。護衛としてつけられたガウェインやガヘリスも、ロホルトが突出しようとするのを止めようとしたものである。しかし、必要だと思ったのだ。

 ロホルトという個人に武勇があり、戦場で通用する力があるのだと、早期に騎士達に知らしめておいた方が都合が良いのである。なぜなら、騎士の国と言えば聞こえは良いが、ブリテン王国も所詮は中世期の未開の蛮族、強い者へは素直に敬意を払うのだから。逆に言えばどれだけ高貴でも、力がない者は軽んじられてしまうのである。子供の頃から超人的だったという風評は、必ずロホルトの武器になると確信していた。だから無茶をしたのだ。

 

「………」

 

 言い訳せずに父を見つめると、騎士王は冷淡な表情に苛立ちを覗かせる。それは王子が命令を聞かなかったことに対するものではなく、王として罰さなければならないことへのものだろう。

 

「聡いお前のことだ。両翼からベイリン卿とベイラン卿が切り込み、正面の敵をケイ卿が抑えていた故、敵陣が脆くなっていると判断してやったのだろう。だが幾ら功を上げようと、私の命令を無視した罪は重い。追って沙汰をする、今は――」

「――まあまあ、そう怒らずともよいではないか、アーサー殿」

 

 王として裁定を下そうとするアーサー王に、平然と口を挟んで待ったをかけた者がいた。

 一介の騎士はおろか、円卓の騎士ですら許されることではない。

 だが、()()()には許されていた。

 くすんだ茶髪に白髪が混じった、大柄な壮年の騎士である。赤銅色の甲冑に身を包み、丸太のように太い腕と、背負った特大の大剣が目を引いた。

 現円卓にて最強の称号を有する、円卓顧問監督官ペリノアだ。彼の仲裁に騎士王は口をつぐんだ。

 

 ペリノア王。彼はその半生を『唸る獣』の探求に費やした男だ。唸る獣とは――頭が蛇、胴体は豹、尻尾はライオン、足は鹿の姿をした魔獣であり、腹の中から数十頭の猟犬が唸るような声を上げる奇怪な存在である。ペリノア王はこの獣を追う冒険に熱中していた。

 ある時、ペリノア王は乗っていた馬を乗り潰してしまう。唸る獣を追いたい彼は困っていたが、そんな時に馬を連れて休んでいる騎士を見つけた。彼は了承を得ずにその騎士の馬を奪い、唸る獣を追う冒険に向かってしまう。この騎士こそがアーサー王だった。

 因縁はこうして生まれた。

 後に自らの腕試しの為に、ペリノア王は道行く騎士を次々と殺傷する事件を起こす。その騎士の中にはアーサー王の配下もいて、怒ったアーサー王が自らペリノア王へ挑戦に向かった。だがペリノア王は激戦の末にアーサー王をも打ち倒し、あわやトドメを刺されそうになるとマーリンが現れ、自身がトドメを刺そうとしている相手が騎士王で、昔自分が馬を奪った相手だと説明した。

 

 これによりペリノア王は自身の行いを反省し、アーサー王に尽くすことで償うことを決めたのだ。

 

 そうした経緯がある為か、アーサー王はペリノア王を無視できない。ペリノア王は内心は兎も角、騎士王を尊重して指示にもよく従う男だった為、これといった瑕疵がないのだ。ブリテン王国でペリノア王を軽んじられる者は一人もいないと誰しもが断言できるだろう。

 

「ペリノア殿……」

「貴殿の嫡子は武勇を示した。予からしても無謀ではあったが、功績を上げた嫡子を罰したとあっては護衛のガウェインとガヘリスも連座させざるを得ん。それは些か乱暴な仕置きになる、今回は反乱軍の首魁を討った勲功に免じてはどうか? 功罪相殺が妥当だろう」

「……貴殿がそこまで言うのなら、今回だけは大目に見ましょう。……聞いていたな、ロホルト。ペリノア殿の厚意に感謝するがいい」

「はい。ありがとうございます、ペリノア殿」

「うむ。予は貴殿のような猛々しい若者が大好きだ。今後も励み給え」

 

 ニヤリと骨太に笑うペリノア王に、ロホルトは生真面目に礼を示した。

 だが内心では舌打ちしている。余計な真似を、とロホルトは苛立っていた。

 

 ここでロホルトはアーサー王に罰せられるつもりだったのだ。王の寵愛を受ける王子ですら、命令違反をしたら罰を受けるのだと、騎士達に知らしめるべきだった。……なのにペリノア王が口を挟んで有耶無耶にしてしまった。これでは彼の発言力の高さを喧伝するだけの結果に終わってしまっている。ロホルトは表向き礼を言ったが、ペリノア王に対して苛立ちを覚えた。

 ペリノア王は厚意のつもりなのだろう。彼はなぜかアーサー王を軽んじている節があるが、ロホルトに対してはいやに好意的なのだ。ロホルトからしてもペリノア王を嫌う要素は特に無い。むしろ個人的には好感を覚えやすい人柄だと思う。が、王子としては目障りだ。

 

(――ははっ。素直に感謝も出来ないのか、オレは)

 

 何事にも打算を絡めて考える自分に嫌悪感が募る。

 

「ロホルト。私は、お前に傷ついてほしくない。今後は我が命なく前線に出てくれるな」

「……はい」

 

 アーサー王がそう言うのに頭を下げ、ロホルトは引き下がった。

 反乱軍の鎮圧は終わった。後は、ロット王だ。マーリンの幻術で合流が遅れていたが、彼が自身に援軍を要請していたネロの敗死を受け、軍を引くか否かで対応は変わるだろう。

 しかしロット王は軍を引くまい。彼のアーサー王に対する叛意は根強いし、おそらくこのまま戦闘に入るだろう。――この戦いにロット王がいたら、アーサー王かロット王のどちらかが死ぬ、と宮廷魔術師殿が予言していたという。だからわざわざ分断して各個撃破する形にしていたのだ、それほどの実力が彼の王にはあるのである。

 やはりロット王が軍権を握っているのは危険だ、放置はできない。

 

「――勇気と無謀は違う。聞いているのですか、殿下」

「聞いてるよ」

 

 ガウェインが口煩く説教してくるのを聞き流しつつ、ロホルトはちらりとガヘリスを見た。

 彼ら兄弟はこれから自らの父の軍と戦うことをどう思っているのだろう。あらかじめ彼らにはロット王を殺めるつもりはなく、生け捕りにするつもりだとは説明してあった。だが戦争に絶対はない、万が一がないようにガウェインにロット王を倒してもらいたいが。

 嫌な予感がしている。具体的には――ペリノア王に。彼は愛用の大剣を頻りに手入れし、戦意を燃やしているのだ。彼がロホルトに向ける好意の正体は定かではないが……目論見通りにいかない気がしてならない。

 

 

 

 果たしてロホルトの勘は当たった。

 

 

 

 

「――父上ェッ!」

 

 悲憤に叫ぶ、太陽の騎士。

 

 軍を引かず単独でアーサー王の軍勢と戦うことを選択したロット王が、ペリノア王により一撃で討ち取られてしまったのである。

 ガウェインらが説得に出る間もなかった。軍の先頭を駆け、多くの騎士を返り討ちとしたロット王も、現円卓に於いて最強であるペリノア王には到底敵わなかったのだ。

 父の死を目の当たりにしたガウェインやガヘリスが怒り、憎悪の籠もった殺気を宿したのを見て。ロホルトは一つの計略を思いついてアーサー王に献策した。

 

 今回の戦いでロット王を討ち取ったペリノア王の功績は大きい、亡くなった王の領地はペリノア王が領するべきでしょう、と。領土的野心を持たぬペリノア王は固辞したが、では誰がロット王の後を継いでオークニーを治めるのかという話になると、功績をあげたペリノア王以外に適任がいないとして押し切った。ペリノア王は嫌がったが、彼も渋々オークニー王の座を得ることになる。

 

 極めて妥当で、公平な沙汰だ。私情の一切を排したものである。

 

「ガヘリス――私は、貴公が何をしても、目を瞑るぞ」

 

 ロホルトの囁きに真意を察したガヘリスは、目を伏せて頭を下げた。

 

 彼ら兄弟の復讐を、ロホルトは後押しする用意があると伝えたのだ。

 そしてそれに、ガヘリスは感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ペリノア王
アーサー王の性別に勘づいており、内心軽んじている。とはいえアルトリアの実力と実績は認めており、女でさえなければなと残念にも思っていた。だからこそアルトリアの才気を受け継いだロホルトに期待し、彼がブリテン王になるなら尽くしてやろうと考えているが、ペリノア王本人ではなく、本人の立場が目障りとロホルトに思われているとは想像もしていない。


ロホルト
人の死を見た。その手で斬れるかと問われれば是と答えただろう。そして、実際に斬れる。未来を覗き見て得た倫理も、道徳も、知っている命の尊さも、それはそれと割り切り、切り捨てられることが英雄の資質であるのなら、彼は紛れもなく英雄の血を引いている。良心に苛まれながらも、彼は殺せてしまうのだ。その英雄性はロホルトの本質である。
まさしく現代人にとっての異常者だ。だが、戦国乱世に於いては美徳である。その美徳が、彼が現代日本人の「    」ではないことを証明していたが、ロホルトは自らの英雄性に無頓着だ。
友であるガヘリスが、父を殺された復讐心を燃やしているのを見て、心を痛めはしたが。それはそれとして計略を練り、国益を得る策を閃く己に――ロホルトは拭い難い嫌悪感を覚えていた。

魔力放出(光)A
武器ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出することによって能力を向上させる。いわば魔力によるジェット噴射。強力な加護のない通常の武器では一撃の下に破壊されるだろう。
神代最後の国ブリテンに於いて、最も貴い母の血を引くロホルトの魔力は光の属性を有し、光の形態を象り攻撃に転用可能。悪属性の者に特に大きなダメージを与えられる。

光射す塔剣(モルデュール)A
どんな魔術の護り、物理的に強固な護りであろうと無視して、直接斬撃ダメージを与えられる。強力な防御宝具に頼った者の天敵と成り得る宝具。


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9話

 

 

 

 

 

 リエンス王の横死とその弟ネロの戦死、そしてネロに救援要請を受け出陣したロット王の戦死は、ブリテン王国の政治バランスに少なくない影響を及ぼした。幾度もアーサー王と戦端を開いていながら特に罰を受けずにいたロット王は、反アーサー王の急先鋒であり、諸侯がアーサー王を侮る遠因となっていたのである。反乱を起こしても命までは獲られないと甘く見ていたのだ。

 だが、ロット王は捕虜にもされず、遂に討たれた。陣頭を駆けていたロット王を、あのペリノア王が有無を言わせず斬り殺したのである。ロット王と親交のあった諸侯はペリノア王を怨み、しかし騎士王とは違う苛烈な対応をするとして一目を置かれるようになった。

 ペリノア王は反乱軍に容赦がない。この風評により安易な反乱は未然に抑制され、彼の名声は高まるばかりだ。王国の中でペリノア王の影響力は高まったが――幸いにも騎士王アーサーの名声が翳ることはなかった。というのも、もともとアーサー王は対異民族との戦闘で支持を集めており、身内に甘いことが魅力の一つではあったのだ。ペリノア王という内部の綱紀粛正に厳格な騎士の存在は、却ってアーサー王の求心力を高めることに繋がっていた。やましいところがある者ほどペリノア王を恐れて、アーサー王に仲介を頼むようになったのだ。仲介をする代わりにアーサー王の派閥に加われば、必然的に騎士王の名の重みは増すという寸法である。

 

「ペリノア王にオークニーの実権を握らせたのは妙手ですな」

 

 ロット王の子であるはずのアグラヴェインは、実の父を殺めた男が母国の実権を握ったことに、意外なほど肯定的だった。彼はアーサー王――アルトリアからの相談に乗って、ロホルトの献策の真意を推し図ろうとしていたのだ。なぜ苛烈な思想の透けて見えるロホルトが、有力な諸侯の一人であるペリノア王に、オークニーの統治権を譲るように意見してきたのか読めなかったのだ。

 アルトリアは当然、ロホルトに真意を訊ねてはいる。しかし王子は功績には報いるべきで、他に適任な者がいないというだけで他意はないと答えるだけ。幾ら愛息の言葉とはいえ、能天気にその全てを信じるほどアルトリアは馬鹿ではなかった。故に、マーリンとは違う実務的な知恵袋であるアグラヴェインに相談したのである。

 

「ふむ……妙手とはどういうことか」

「陛下や陛下に忠義する我が兄ガウェインがオークニーの実権を握れば、陛下が国内で独自に差配できる軍事力の強化に繋がりましょう。諸侯はそれを警戒している。故に殿下はまずペリノア王にオークニーの統治権を握らせ、諸侯からの警戒心や敵意をペリノア王に集中させました。彼の王は勇猛な騎士ではありますが、近視眼的で第三者からの視線に無頓着なところがある。殿下の思惑に気づくことはありますまい。そしてペリノア王を介して、支配者が変わったオークニーの混乱が鎮まるのを待ち、なんらかの方法でオークニーの王の地位を手に入れるおつもりなのでしょう」

「ほう。いったい誰にオークニーを任せる気だ? ペリノア殿が容易くオークニーを手放すのか?」

「相応の実力と立場の持ち主が後任になるなら、領土的野心の薄いペリノア王は手放すでしょう。そしてその後任として適任なのは――」

「――ロホルトか」

 

 刮目して王子の名を出したアルトリアに、アグラヴェインは首肯した。

 想像を超える深謀遠慮だ。確かにペリノア王には自身が領する父祖伝来の土地以外に執着はない。報奨として渡されたオークニーの実権も迷惑そうにしていた。そして彼はロホルトを気に入っている節がある。あと四年もしてアルトリアが旗揚げした歳になると、ロホルトが後任に名乗り出れば労せずしてオークニーが手に入るだろう。ひいてはアーサー王の王権が強化される。

 加えてロホルトに大きな貸しを与えられる為、ペリノア王にとっても悪い話ではないのだ。ペリノア王の領地とオークニーは地理的に離れ過ぎている為、手放しても惜しくはないはずである。ロホルトに対する貸しが大きくなるとなれば、アルトリアがペリノア王の立場でも同じように支配権を譲っていたかもしれない。

 

 そこまでのことを、あの時の、僅かな間に考えついていたのか。感心するアルトリアだったが――

 

 

 

「――本当はガウェインかガヘリスのどっちか、もしくはその両方にペリノア王を暗殺させて、そのゴタゴタが収まる前にどさくさに紛れてオークニーの王座を手に入れる。ペリノア王に支配後の混乱を鎮めさせ、後に排除して、政敵の排除と王権の強化を狙ってるんだね」

 

 

 

 鋭い指摘に、ロホルトはじろりと相手を睨んだ。

 自らの策を読んでいる者が、予想だにしていない者だったからだ。

 だが王子に睨まれているというのに、まるで気にした素振りもなく灰髪の少年は続ける。

 

「ううん、冷酷な殿下のことだし、どうせこの策には続きがあるんでしょ? そうだなぁ……たぶん王位を得た後は、積極的にアーサー王に反発して、不穏分子を自身の旗の下に糾合し、纏めて騎士王陛下に討ってもらって、自身は陛下に蟄居させられる。後は名前を変えて顔を隠してアーサー王に仕える――っていうのが殿下の筋書きかな」

 

 理想的だけど現実的だ。最善最速最短でブリテン王国を纏め上げて、サクソン達に全力で挑める。

 そう結んだ少年に、ロホルトは嘆息した。

 嘆息して――次の瞬間、自らに与えられた宝剣が閃き、少年の首元に寸止めされる。

 

「見事な推理だと讃えておこう、()()()()。……で? 私の策をそうまで完璧に読み解いた君は、わざわざ私の前で推理を開帳して何がしたいんだい? まさか私に殺してくれって言いたいのかな? それが望みなら、今すぐにでも首を刎ねてやってもいいよ」

 

 トネリコ。

 王子が主催する青年会の一員にして、オークニーの騎士を親に持つ者だ。

 ロホルトは個人的にこの少年を気に入っている。というより、青年会の全員に友情を持っている。

 だがそれとこれとは話は別だ。父王はおろか母、そしてガヘリスにすら明かしていない、ロホルトの心の中に秘めていた策を、完璧に見抜いた者は――たとえ親友でも斬らねばならぬ。

 本人の意思とは別に、ブリテンの王子という機構は、冷徹に為すべきことを為せる器だった。

 

 だがトネリコは微笑む。自身に向けられる殺気が本物であり、殺気の裏にある苦悩に気づいていながら――否、()()()()()()()()()()()()()()、何よりも的確に暗躍できるのだ。

 

 トネリコ――モルガンは失敗した。優れた騎士であり手駒であったロット王は討たれ、直接的に復讐できる手段を喪失したのだ。結果は分かりきっていたとはいえ損失は損失、なんとか補填しなければならず、そして新たに身を隠す為の隠れ蓑を欲してもいた。

 その新しい隠れ蓑に選んだのが、この王子である。

 

「ちょっと待って。幾らなんでも私に自殺願望はないよ? 私は殿下に売り込みに来たんだ」

「……売り込み?」

「ほら、殿下には頭脳労働であてにできる人はいないでしょ。陛下にはアグラヴェイン卿やケイ卿がいるし、予言の力も具えた魔術師が相談役としているっていうのにさ。そこでこの私だよ、殿下の目的に沿った相談ができて、しかも魔術も使える相談役がいれば、殿下からしても大助かりなんじゃないかな?」

「………」

 

 冷淡な瞳は変わらずトネリコを射抜いている。しかし、トネリコには視えていた。合理的に、私情を介さず打算を練っていても、本心では魅力を感じていることが手に取るように分かる。

 ロホルトが分かりやすいのではない、むしろ表面で見て取れる限りではかなり分かり辛い。なのに王子の内心を正確に把握できるのは、トネリコが妖精眼という魔眼を具えているからだ。

 最高ランクの妖精眼を持つトネリコを前に、隠し事が出来る者など存在しないのである。

 ロホルトはかなりの切れ者だ。トネリコをして舌を巻く。これでまだ10歳だというのだから、なんの冗談だと戦慄してしまうほどだ。しかし――まだ子供である。付け入る隙も視えていた。

 

 おそらくトネリコが青年会に加わり、彼から一定の信頼を得ていなければ、ロホルトはトネリコを斬り殺していただろう。その冷酷さや、内面の合理性、そしてこの国の人間とは思えぬほど紳士で誠実な性格と、炎のような英雄性をトネリコは気に入っていた。

 だからトネリコの売り込みを聞いて悩む王子に、トネリコは少年の皮を外して答えるのだ。

 

「……君が私の相談役になって得られる、君にとってのメリットは?」

「二つある、かな。一つはロット王の敵討ちができること」

 

 言っても誰も信じないだろうが、トネリコ――モルガンはモルガンなりに、ロット王のことを気に入ってはいたのだ。唾棄すべき人間ではあるが、彼はモルガンに対して誠実だったから。

 だから殺されたのなら仇ぐらいは討ってやろうと、そう思う程度には情がある。だからこれは決して嘘ではない。嘘なのは、口にした仇討ちの理由の部分だ。

 

「私、これでもオークニーに仕えた騎士の()だし、亡き主君の仇は討ちたいんだ」

「……待った。()だって?」

「そうだよ。何を隠そうこの私は、実は女の子だったのです! どう? 驚いた?」

「………」

 

 ニシシ、と笑い掛けるとロホルトは呆気にとられた。まさか自身の許に、少年のように振る舞っていた少女という、かなりレアな存在がいるとは思わなかったのだ。

 加えて自己申告だが魔術も使えるという。ロホルトの策を読み解いた智慧といい、極めて得難い人材であるのは間違いない。ロホルトは瞬時に気を持ち直すと、トネリコに続きを促した。

 

「もう一つのメリットは?」

「それは――こんな形で言うのは嫌なんだけど、仕方ないか。もう一つの私にとってのメリットは、殿下のお側にいられるようになることだよ」

「………?」

「ハッキリ言わなきゃ分かんない? 私が殿下のことを好いてるって事! 奥さんにしてとは言わないから、せめて愛人にでもしてほしいと思ってるの!」

「…………………はぁ?」

 

 少年、改め少女の告白に、王子は露骨に訝しむ声を出してしまった。

 理想的な王子を演じて生きてきた少年とは思えぬ失態だ。しかしロホルトはそれを失態とは思わない。

 貴族の令嬢達から絶大な人気を誇る王子様だ、年頃の少女らしい慕情を向けられるのには慣れている。しかしトネリコからその手の感情を向けられた覚えはないし、今だって感じない。

 有り体に言うと嘘くさいのだ。『本物』を感じない。なんのつもりだ、という疑惑がロホルトの中で明白な形になる前に、トネリコは内心舌打ちする。思っていた以上に勘が良い、子供と侮り過ぎた、軌道修正をしなければ……。

 

「――っていうことにしてほしいんです。ほら、王子様の寵愛を受けてその系譜に食い込めたら、私としても悪い話じゃなくなるんで」

「……ああ、なるほど」

 

 打算に絡めた方が納得しやすい10歳とはなんなのだ、とトネリコは思う。理解に苦しむのだ。どういう家庭環境なのかと、割と真剣に心配しそうだ。

 ロホルトは個人の感情やそれに伴う諸々の苦悩を捨て置いて、王子としての面だけで思考する。トネリコの頭脳と有する技能(スキル)、そして自身に加担する動機や、青年会で接した際に見てきたトネリコの人間性。それらを総括して、一旦信頼は出来るかと彼は判断した。

 

 そうした思考までもつぶさに視て取りながら、トネリコは内心苦笑する。

 

 光の下で生まれ、光の中で生きているのに――闇でしかない王子なんて。アルトリアはいったい、どうやってこの子を育て上げたのかと興味を持った。

 幸いトネリコが傍にいて、苦痛に感じるタイプではない。個人としてなら寧ろ好ましい。だからこそトネリコはせめて()()()が来るまでは、ロホルトに力を貸してやろうと思った。

 

 どうにもロホルトに力を貸していた方が、都合よく事が進みそうな気がしてならないのである。

 

(フ……この私がマーリンの真似事とはな。まあいい、せいぜい利用させてもらうとしよう)

 

 ――魔女が自らの闇を割られるまで、後、■年――

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アルトリア
息子が賢くて誇らしい。
が、嫌な予感がしている為、いつでもインターセプトできるように身構えてはいる。

アグラヴェイン
殿下の策にしては手緩い……もしや。

トネリコ
甥を性的に狙っている。が、それはそれとして家庭環境が気になる。




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10話

 

 

 

 

 

 ロホルトは折れない。折れてもいい資格を喪失したから。

 

 だけど――それでも、これから救国()の道を、この脚が歩むのだと思うと……どうしようもなく欠けそうになる。

 

 この国を救う道は、余りに険しかった。

 

 遍歴騎士、という文化がある。遍歴騎士とは自らの実力を試したり、ロマンチックな冒険を求めて方々を渡り歩く騎士のことをいう。各地の領主が主催する武芸試合に出て金を稼ぐ騎士もいて、そうした武芸試合の呼び物には騎士による模擬戦があり、勝った側の集団が捕虜を取って獲得する身代金は、騎士の収入の一つとして扱われてもいた。

 ブリテン王国は騎士の国だ。神秘の残る御伽の国である。故にこそ王国各地には騎士の夢見るロマンが点在し、ロマンを追い求める遍歴騎士は数多い。遍歴騎士となった者が各地で魔獣と対決したという話はよく聞くし、悪徳を為す領主と個人的で主観的な義侠心により剣を交えたりもするようだ。そう――支配階級になんの身分もない騎士が挑んで、殺傷してしまうのである。

 あまつさえ一介の騎士が他国の姫と恋に落ち、駆け落ちしても大衆的には是となる……権力と法の薄弱さがよく分かるというものだ。

 有り体に例えると、歩く治外法権が王国内に跋扈しているようなもの。流石に正義の免罪符がなければ無法は行えないが、それでも個人の主観による制裁が罷り通るのは、遵法精神の強いロホルトからして異常の一言だ。あのガウェインの武勇伝、逸話にすらそうした無法が燦然と輝いているし、今なお多くの騎士が齎す武勇伝という名の迷惑行為は後を絶たない。

 

 後始末をする側の身にもなれと痛切に訴えたい。

 

 だがロホルトも近い内に遍歴騎士として冒険に出ないといけなかった。遍歴騎士とは個人の実力の証明であり、旅の中で成し遂げた冒険の雄大さに比例して騎士達はその者を評価するのである。生半可な冒険では舐められてしまうのだ。騎士王アーサーですら若かりし頃は遍歴し、修行時代を多くの冒険で彩っていたというのだから、ロホルトも冒険をしない訳にはいかないのである。

 

「――そうは言っても、具体的には何をしたらいいんだ……?」

 

 目に見える問題や、果たすべき課題には滅法強い王子にも弱点はあった。

 誰からも讃えられる素晴らしい冒険をしなさい――なんて具体性のない、曖昧な問題を解決する為に智慧を絞るのが苦手なのだ。参考にしたい騎士の逸話も殆どが犯罪行為に絡んでおり、ロホルトからしてみると敬遠してしまいたくなるようなものばかり。唯一まともで参考になるのがクソ親父であるアーサーしかいないのだ、クソ親父だが騎士としては尊敬できるのである。

 嘆かわしい。以前のロホルトはガウェインを騎士の中の騎士として尊敬していたが今はそれもない。自身のペットである鹿を殺した猟犬を、怒りに任せて殺したとある城主に、「本能と訓練の結果に従った猟犬を殺してなんの意味があるというのです、怒りが収まらないなら私が相手になりましょう!」と言って挑み、殺したという話を聞いては百年の憧れも冷めるというものだ。

 いや……確かに猟犬は悪くないが、その城主の怒りも正当だろう……そう思う自分がおかしいのか。自身の与り知らぬ事情もあるのかもしれないが、明らかにやり過ぎだ。ロホルトにはそんな真似が出来る自信はないし、あっても絶対にやりたくない。

 

 悩めるロホルトに、ガヘリスが言った。

 

「殿下は小難しく考え過ぎです。幸いにも国のあちこちに、人に仇なす幻想種は数多い。それらを討てば武功として充分でしょう」

「幸いでもなんでもないけどね、それ……」

 

 ロホルトは露骨にげんなりする。国内の不穏分子は人だけではなく、欲望に塗れた畜生も多い。為政者側の視点に重きを置くロホルトにとって、駆除すべき害獣が強大なのは歓迎できない。

 片付けるべき問題は山積みだ。嘆息するロホルト王子は今年で14歳――従騎士へ位を上げており、各地を遍歴して名を上げれば正式な騎士に任ずると、父からも内々に話を通されていた。異例の早さだが、円卓の席にもつけるという。ブリテン王国の騎士にとって最高の名誉である円卓の騎士の称号は、ロホルトにとっても役立つ肩書であることに違いはないが……。

 

「いっそ逆に考えてみたらいいんじゃないですか?」

「……逆?」

 

 独特な形状の杖を持つ少女魔術師トネリコが言うのに、意図が掴めずロホルトは反駁した。

 

「身軽な遍歴騎士としてならある程度の勝手は許される。なら今の内に殿下や陛下にとって目障りな派閥の領主を討ち取っちゃえば良いと思うんです。ほらあくどい事してたら正義の名の下に私刑を下しても許されるし、悪いことしてなかったら捏造して討つのも手ですよ」

「………」

「……有りだね、それ」

 

 トネリコの提案は人の心を無視したもの。非人道的な行動指針だ。現にガヘリスは良い顔をしていないが有効さは認めだんまりを貫いている。

 ロホルトもまた良い考えだと同調した。だがそれはあくまで諧謔の域を出ない、やけっぱちの同意でしかない。冷静に考えると普通に失策だ。

 

「方々で無用の怨みを買うという点を無視すれば、だけど。それはどうしても看過できない悪党を討つ時に使う最終手段だ。せっかく私には清廉潔白だって風評があるんだし、無駄に私の価値に傷をつける真似はしたくない」

 

 どこまでも、自らを政治的な駒として見做した台詞。

 ふと思う。オレってこんな自己犠牲に酔う奴だっけ……?

 

(酔う……酔う、か。はは、そりゃあそうだ、酔っ払ってなきゃ、こんな世界じゃ生きていけない)

 

 理想に酔う人。正義に酔う人。欲望に酔う人。誰も彼もが酔いどれで、ロホルトもまた国のためという大義に酔っていないと生きられないのだろう。

 だって此の世はつまらない。面白くない。辛いことばかりで、どうして生きていたいと思うのか。どうして顔も知らない人のために頑張るのか。全く以て無益で無意味な在り方だ。

 頭の片隅でそう思う。生まれの義務に縋らないと、無価値な存在になってしまう自らを自嘲して。最大効率で最大限に役に立たねばと思うから、捨て鉢な策に逃げているのかもしれない――思春期に突入した王子のメンタルは不安定になっていた。哲学的になっていたのだ。

 自らがどうして必死に国を救おうとしているのか。他の騎士のように刹那的で近視眼的に生きたほうが楽で楽しいに決まっているというのに。なぜ? 答えは、生まれだ。王子として生を受けた責任がロホルトにはある。その責任に従って尽力してきた。楽しくもない仕事に打ち込んでいるのも、他にやりたいことが何もない、空虚でつまらない人間だからでしかない。

 

 一瞬トネリコは共感と共に、痛ましそうに目を細めた。魔女でありながら王子に親身になり、無駄に肩入れしてしまっているのは、王子に自らの境遇を投影してしまっているからなのだろう。トネリコの発する声は底なし沼のように甘く、優しかった。

 

「……言ってみただけですよ殿下。要はそれぐらい気楽に構えてていいんじゃないかなってことです。ガヘリスくんの言う通り、気儘にストレスフリーな旅を楽しんだらいいんじゃないですか」

「トネリコの言う通りです。殿下は幼い頃から国を第一に考えておられた、一度ぐらい身軽になるのは決して悪いことではありません」

「二人して私をなんだと思ってるんだか。まあ……分かったよ、変に気負わずにいればいいんだね」

「ええ。殿下に何かあればすぐに駆けつけるんで、いつでも頼ってください。ね、ガヘリスくん」

「……ああ」

 

 思春期真っ只中の王子のメンタルを安定させるには、自分を見詰め直させる旅は最適のものだ。

 ガヘリスはいつもならなぜか苦手意識のあるトネリコに同意して、励ますようにロホルトに言う。それは掛け値なしの本音であった。

 ロホルトは二人から気を遣われているのを感じて苦笑いしつつ、一応遍歴の旅へ前向きになる。

 

「――ロホルト。あんまり無茶をしては駄目よ? 安全第一でお願いね、貴方の楽しいと思うことをしたらいいの」

 

 遍歴の旅に出る前に、母ギネヴィアへ挨拶に行くと、ギネヴィアは何度も何度も同じことを繰り返し言い募った。いい加減、我が子が国を第一に据え、危険に身を晒すことも厭わないのだと気づいていたからだ。

 

「いい? 覚えていて、ロホルト。わたくしは、貴方が傷を負うごとに悲しむわ。貴方の無事を祈る人がここにいるということを忘れては駄目よ? 分かった? ね、ロホルト」

「……はい。胸に刻みます、母上。……それでは、暫しの別れです。母上、どうかお元気で」

 

 未だに若々しく清楚で可憐、永遠に咲き誇る花のような母の心配そうな顔を見て、ロホルトは無条件に心が癒やされるのを実感した。

 微笑んで王宮を後にすると、道中で父に呼び止められる。

 

「ロホルト」

「はい」

「………………その。…………」

「………」

「……………………」

「………?」

「……華々しい武功で、その旅路を彩る必要はない。足元を見ろ。守るべき国を見て、自らがなんのために戦うのかを見つめ直すといい。この旅は、お前の在り方を定めるいい機会だ」

「……父上。もしかして、心配してくれているのですか?」

「そうだ。だが、なんと言えばいいのか……」

「(なんでオレに対してだけコミュ障になるんだよ……)」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ……何も」

 

 ロホルトもいい加減、不器用ながらアーサー王が己を愛してくれているのには気づいていた。父の言葉に無性に苛つくのは、いつまで経っても自身に対してだけ口下手な父の姿が、ロホルトの神経に障るからだろう。何かに勘付きそうな自身の勘から、目を逸らすのが厳しくなるほど幼く見えるからでもある。肉体年齢で並んだ今、父の風貌がどう見ても『 』にしか見えないのだ。

 そんなわけがない、そんなことはない。ロホルトは自らにそう言い聞かせるのに必死だった。自身に顔を寄せて甘えてくる白い巨犬、カヴァスの頭を撫でてやりながら、父王へロホルトは一時の別れを告げる。

 

「父上。次会う時までには、私に対してだけ分かりづらく接するところを直しておいてください」

「むむ……」

「むむ、じゃありません。この際はっきり申し上げますが、息子として苛ついて仕方ないんですよ」

「なっ……」

「それでは失礼!」

「ま、待てロホルト! 今のは本当――」

 

 カヴァスの背に飛び乗り、愛犬を走り出させる。背中に掛けられる父の言葉を敢えて無視する不敬を犯しながら、ロホルトは一時王子という軛から解き放たれた。

 勇気を出して働いた父への不敬、無礼な態度が旅立ちを実感させる。風を全身に感じながらキャメロットから飛び出ると、城壁の上からこちらに手を振る少女と少年達に気づいた。

 

 女の子の身で騎士になろうと頑張っているガレスと、青年会の皆だ。ロホルトはそれに気づいて、肩から力の抜けた笑みを浮かべ手を振り返す。

 男尊女卑の激しい世の中だ。しかしそんな世間で性別を偽ってでも、騎士になりたいと――ロホルト様の騎士になりたいと、そう言ってくれたガレスの存在は、ロホルトにとって救いだった。

 憧れてくれている。青年会の皆は、ロホルトの働きを肯定してくれる。

 共に国を救おうと志し、共に同じ使命を背負ってくれていた。それがどれだけロホルトを勇気づけてくれているか、彼らは気づいているだろうか。

 

(――あ、そうか。オレって……アイツらの前でカッコつけたいから頑張ってるのかな)

 

 慕ってくれるガレス達の前で、最高に粋がって格好のいい王子様でいたい。ロホルトは安っぽくてつまらない見栄の為に、今まで王子として必死に智慧を絞ってきていたのかもしれない。

 ステファンという十字架がある。ステファンは英雄だった。ステファンという英雄に報いる最高の手向けは、彼が信じたロホルトという偶像を完遂することである。自分を信じてくれる人がいるからロホルトは折れないのだと、旅立つ瞬間に気づいた。

 

 それだけじゃない気もする。ロホルトは、自身がナーバスになり過ぎていたことを自覚した。子供の頃からずっと休日もなく仕事漬けで、精神を病んでいたのかもしれない。

 

(ワーカーホリックって訳でもないのに仕事し過ぎたんだ)

 

 健全な精神の大人でも、十年近く休み無しで朝から晩まで仕事に明け暮れ、常に仕事のことばかりを考えていたら、そりゃあ誰だって頭がおかしくなるだろう。おまけに、あと少しで政略結婚をさせられるとなれば、まともな感性を持っている者ほど張り詰めてしまう。

 

 カヴァスという犬を馬代わりに走らせ、上下に揺らされながら嘆息する。

 

(遍歴が終わったら結婚かぁ。相手はまだ決まってないって話だし、旅の中で良さげなお姫様を見つけてもいいとは言われたけど、なぁ……結婚、結婚ね)

 

 憂鬱だ。果てしなく、憂鬱だ。高貴なる義務だというのは分かるが、結婚を義務にさせられるのはなかなか受け付け難い。

 

「カヴァス……ちょっとモフらせてくれ」

「わふ?」

 

 泉の近く、木の陰で休みながら、もふもふなカヴァスの体に顔を埋める。

 愛犬カヴァス。馬みたいに大きく、そこそこの荷物を括り付け積載しても苦にしない力の持ち主。

 友達だった。カヴァスは動物ゆえの無垢さで接してくれる。優しく寄り添ってくれるこの雌犬は、戦場でもプライベートでも、ロホルトの心を支える大切な友達だ。

 カヴァスの毛をもふもふしながら、ロホルトはやはり結婚について思いを馳せた。

 

(オレが……結婚? どんな罰ゲームだよ。王子様、王子様って持て囃してくれる社交界の令嬢達も、ご婦人方も、ブリテン王国の王太子妃なんて罰ゲームは受けたくないだろう)

 

 逆に、罰ゲームだと気づきもしない盆暗は、こちらから願い下げだ。

 

 夜。泉のほとりから動かず、焚き火をしながら地面に寝そべり、満天に広がる星屑を見上げた。

 

 本当に嫌だ。心の底から結婚したくない。だが、立場が赦してくれない。

 父は不老不死だ。いずれそれを返上するにしても、肉体年齢で並んでしまったロホルトでは、真の意味での後継者にはなれない。だからこそアーサー王が他に子供を作らない現状、ロホルトが早期に結婚して子供を作る必要があるのは、理屈の上では理解できるし納得する。

 しかし個人としては、やっぱり嫌だ。

 

(だいたい、好きな女の子なんていないんだけど)

 

 好き合った人と結婚したいしするべきだ、なんて感性があるが、そもそもロホルトには恋愛的な意味で好きな人がいない。自分に近寄る大半の女を、ロホルトはバカ女と評価しているからだ。

 社交界でダンスを踊ったり、ロホルトの容姿に惹かれてくる令嬢は、王子と結婚したら贅沢に暮らせるはずだと考えているような連中ばかり。昔から人をよく見て観察してきたロホルトは、その手の下心を持つ輩を見極めるのを容易としていたし、ロホルトも認める頭脳と観察眼を持つトネリコも同意見のようだったから、自身の人を見る目の確かさには自信があった。

 

(あと、臭いのは本当に無理)

 

 どれほど身奇麗に取り繕っても、この世界の女の子はほとんどが……その、アレだ。独特な匂いがして辛抱できない。普通に辛い。

 臭いと感じないのは両親や、一部の円卓の騎士の、人外から加護を受けているような者だけ。他は体臭がキツすぎて顔を顰めそうになったのは一度や二度じゃない。毎日体を洗うロホルトは、神経質な潔癖症であるとすら思われていた。

 

 ふと、トネリコの顔が思い浮かぶ。……無いな。

 次いでガレスの顔が思い浮かんだ。

 

(……いや。いやいやいや、オレはロリコンじゃない。12歳だぞ、あの子をそんな目で見るな)

 

 トネリコは容姿端麗で頭脳明晰、気心の知れた友人だとは思う。しかし同い年であるはずのあの少女を、なぜかそういう対象としては見れなかった。

 翻ってガレスは――臭くない。かわいい。性格もいい。欠点が見当たらず、血筋も申し分ない。普通に有りだと判断しかけた自分に、ロホルトは焦って頭を振った。

 

「カヴァス……オレ、結婚したくないよ」

「……? わんっ」

 

 ぺろぺろと顔を舐めてくるカヴァスに苦笑いする。

 

「いっそ……」

 

 何もかもを捨てて逃げ出しちゃおうか――と、言いそうになる。だが、それは冗談でも、嘘でも口にしてはいけない台詞だった。

 口を噤み、ロホルトは愛犬を撫で回した。

 個人として望む相手はいない。

 ならやっばり、国益に適う相手を探すのを主題に冒険しようかな、と。

 ロホルトはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ガヘリス
ナーバス気味な主君を見て、そういえば殿下もまだ子供だったと思い出す。思春期特有の面倒臭い精神状態の王子を、何気に深刻に見詰め、息抜きの必要性に気づき気楽な一人旅を強く勧めた。

ガレス
本格参戦まであと少し。憧れの対象は王子様。

トネリコ
自身の生い立ちと感情に、ロホルトと共通している部分があると気づき共感。徐々に肩入れしはじめている。
それはそれとして異性として全く見られていないのに、ささやかな自信に傷がついていたり。

ギネヴィア
「……………」

アルトリア
思春期の愛息にズバリと刺され地味に衝撃を受けた。
分かってはいたけどどうしたらいいのだろう……。
久しぶりに個人としてケイに相談しようかと悩み中。

ロホルト
思春期に突入したが、やはり自分一人で勝手に解決しつつある。
結婚が迫りきているため、精神的に参ってる部分があった。
せめて臭くない人がいい……清潔な人、求む。
当世基準だとかなりの潔癖症。毎日蒸した布で体を拭い、機会があれば必ず水浴びをする。
プーサーフェイスだが戦闘スタイルは深淵歩き寄り。魔力放出(光)でバージル鬼いちゃんの幻影剣っぽいものを使ったりする。


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11話

 

 

 

 

 

 頭を空っぽにして大自然を全身に感じる。

 

 何も考えない。何も悩まない。

 他の何者でもないただのロホルトになって、雄大な自然の中を自らの脚で歩んだ。

 

 自然は美しかった。人間のいない空間は癒やしだった。時折り見掛ける魔獣の類いと相対し、言葉もなく切り倒しても、常に感じていた殺伐とした危機感に襲われない。

 日が傾き、日が昇り、また傾く。ロホルトが何も考えずに旅をすると、大抵は近場に泉があった。無意識にそうしたものを求めていたせいだろうか。お陰様で水浴びを毎日して、体を清潔に保ち、装備品やカヴァスも身奇麗に保つのが日常になっていた。

 のびのびとしていた。村や町を襲う匪賊を掃討し、村人達から感謝を受け、礼の品を固辞してすぐ人里を離れる。悪政を敷く城主や不正役人を見掛けては粛清の刃を振るい、名も名乗らず消える。そうしたことを繰り返して、素朴に生きる人々以外、特権階級に在る者はどうしても欲に塗れているのを見聞してしまう。これが国か、とロホルトは呆れ返った。

 日々の糧を得るのに必死な純朴な民以外、守る価値はないのではないか。そう思いかけると、まともで正義感の強い騎士や役人と出会うこともあった。汚いばかりが人間ではない、自らの欲望に支配されるばかりが人間ではないと、気付かされる。失望しないで済んだ。

 

 旅をしていると、どうやら自分はかなりの実力者なのだと悟らされる。

 

 成長期は終わらず、まだ伸び続ける身長。未成熟な肉体なのに、どんな大男にも力負けしない。父譲りの莫大な魔力で強化した力は、それこそ人外の大魔獣にも劣らないものだった。

 単純な身体能力、これまた父譲りの鋭い直感と戦勘、そして毎日欠かさず積み上げた研鑽の成果である我流剣術。ロホルトは今のところ苦戦らしい苦戦をすることなく敵対者を屠れている。

 悪徳領主や匪賊、蛮族共を斬る度に、心の整理が済んでいく。彼らは人間だが斬っても仕方ない。いちいち心を痛めていたのではキリがない。故に、無辜の民に仇なす者は無感動に斬れた。

 最初の頃は悪夢を視ていた。人を殺す罪悪感があったのだ。しかし、今はもう悪夢を視ない。斬り殺した人達の怨念に足首を掴まれるような錯覚も、すっかり晴れて消えてくれた。

 

 オレは強いのか。強いらしい。強いな、オレ。

 

 自らの実力が飛び抜けていることを感じる度に、ロホルトの心に驕りや油断が芽生えていたのだろう。とある村に立ち寄った時、その村を脅かす巨人の存在を聞いて討伐を依頼されても、特に身構えることなく了承したのも油断していたせいだ。いつもなら依頼は受けても慎重に巨人のねぐらを探し、夜中に寝込みを襲う奇襲で片を付けていたはずなのに、その時は正面から挑んだのだ。

 果たして驕りのツケを支払わされた。死の寸前まで追い詰められてしまったのだ。相手は巨人種の中でも特異な個体で、父譲りの強力な対魔力を貫通するほどの呪いの力を持っていたのだ。

 呪いに体を蝕まれ、危うく相討ちになりかけた時は死を覚悟させられた。カヴァスがロホルトの宝剣を口に咥え、巨人の首を掻き切ってくれなければ、本当に相討ちになっていただろう。

 身動きが出来ないほど弱り果てたロホルトは、自らの驕りが生んだ危機に猛省しつつ、巨人の骸の傍で動けるようになるまで休んでいた。

 

「……何やってんだ、オマエ」

 

 そんなところに出くわしたのが、父の義兄であるケイ卿だった。

 虫の息でちらりとケイを見たロホルトは、気まずく思って目を逸らした。

 

「こんな所で奇遇だね、ケイ卿」

「奇遇もクソもあるか。……あぁ、油断しやがったんだな、ロホルト」

「………」

 

 王の義兄とはいえ、王子であるロホルトに対し気兼ねのない態度だった。

 特に咎める気はない。ケイも公の場では騎士の立場に徹し、ロホルトにも礼儀正しく接するのだ。慇懃無礼な気はするが、礼節を守るべき場を弁えているなら言うことはない。

 他の者にも同じ対応をする気はないが、ケイは特別なのだ。血の繋がりはないとはいえ、父の義兄ならロホルトにとって伯父なのだから。

 

 ケイは円卓の中だと弱い方で、実力だと既にロホルトの方が数倍以上強い。だがそれでも円卓に名を連ねるだけの剣腕はあり、並の騎士は相手にもならない英雄だった。円卓とは英雄の中の英雄を集めた、古今東西の英雄達のトップ層に匹敵する者達なのである。故にケイは状況を一目見ただけで、ロホルトの油断を見抜けたらしい。皮肉げに口端を歪め、嫌味を口にした。

 

「簡単にくたばりそうになってんじゃねぇよ……ったく、そそっかしいとこまでアイツに似なくていいだろうに」

「……面目ない」

 

 暗に若い頃の父に似ていると指摘され、内心面白くない気分になるも、言い返しても得はない。ケイに反論しても必ず言い負かされるのは、彼の外交官としての能力を知っていれば自明だ。

 油断さえしていなければ、相手が強敵でも死の寸前まで追い詰められる醜態は晒さなかった。冷静に彼我の力の差を推し測れるだけに、言い返しても惨めになるだけだと判じられる。

 

 ケイは動けないロホルトの傍に腰を落とした。どうやらロホルトの体から呪いが抜け、動けるようになるまで警護してくれるらしい。が、ケイを嫌っているらしいカヴァスに腕を噛まれて、王の義兄は口汚くカヴァスを怒鳴りつけた後、嘆息しながら言った。

 

「ハァ……アイツもそうだったが、格下相手に気ぃ抜いて殺られたんじゃ笑い話にもならねぇぞ。アイツにはオレやマーリンのクソ野郎が付いてたからなんとかなってたが、今のオマエは一人だ。こんな所でくたばってみろ、アイツがどんな面で泣き喚くやら……想像したくもねぇな」

「………」

「はっ。なんだその面は? オマエが死んでもアイツが悲しむとは思わねぇってか? まあ、粛々と葬儀をして、事務的に嫡子の死を処理するんだろうけどな……アイツの中身はガキのままだ。誰も見てないところで泣き喚いて、他人には見せらんねぇブサイクな面で悲しむだろうよ。オマエよりアイツを長く見てるオレが言うんだ、間違いない」

「………」

「あー……普段のアイツを見てたら、信じらんねぇ気持ちは分かるが。なあ、ちょいとオレの昔話に付き合え。返事をすんのも億劫だろ、たまには伯父さんに絡まれるのもいいもんなはずだぜ」

 

 訊いてもいないのにケイは語り出した。ケイの父エクターや、クソ野郎と有名なマーリンを散々に問い詰めて聞き出した話もあるという。

 父の出生の話だ。父はロホルトの祖父ウーサーと、祖父の計画に加担したマーリンに設計されて生み出された、竜の因子を埋め込まれた理想の王らしい。

 幼い頃からマーリンに王としての英才教育を施され、寝ていても夢の中で過酷な剣術の訓練に励み、導かれるままに選定の剣を抜いて人を捨てた。そんな環境で生まれ育ったものだから、父は騎士や民に対しては完璧に接することのできる王となれたが、実の子に対するコミュニケーション方法は学ぶ機会がなく、どうしても不器用になってしまうのだ。

 

 同情はする。過酷すぎて全く笑えない境遇だ。しかし――

 

「……要するに、父上の事情も理解してやれって言いたいわけだ」

「纏めるとそうなる。オレはアイツの味方だ。オマエの味方もするが、優先順位としてはアイツの方が上になる。悪いな、こんなでも人をやめちまったアイツの騎士になると誓った身でね……」

「笑えるね。外面が完璧な大人子供な父親に、子供である私の方から歩み寄ってやれって……」

「辛辣だな。気持ちは分かるが……オマエも薄々勘付いてるだろ? アイツの中の時間は、聖剣を抜いたその時から止まっちまってる。アイツから歩み寄ろうとはしちゃいるが、はっきり言って期待するだけ無駄だとオレは思う。今まで様子見してたが、ありゃ駄目だ。王としての責務で雁字搦めで、テメェのガキに気を配る余裕がほとんど無い」

「……聞きたくない」

「それでも聞け。今のままじゃどっかで拗れ……いやもう拗れてんな。だが、まだ致命的じゃない。この国の王と王子の関係が拗れたままなのはマズイってのはオマエも分かるだろ? いいか、今から残酷なことを言う。兄貴として情けない限りだが……オマエが大人になってやってくれ。頼む」

 

 頭を下げたケイに、ロホルトは何も言えなかった。

 せっかく身軽になっていたのに、気楽な旅だったのに現実に引き戻された。

 これも油断して死にかけたツケかな……と、ぼんやりとしながら思う。

 

「私は父上が嫌いだ」

「だろうな」

「昔、楽しかった剣の稽古も、父上のせいで面白くなくなった。何かにつけて稽古をつけられ、ボコボコにされて、成果を全否定されて……父上からしてみれば、それもヌルい稽古だった訳だ」

「ああ。アイツはあれで、かなり手を抜いて、手加減して、ヌルい稽古を課してただけのつもりだ。オレからしてみたらメチャクチャ親馬鹿だぜ、アイツ。過保護なぐらいだ」

「……知らないよ、そんなの。私は父上じゃない。……なのに、その嫌いな父上の気持ちを汲んでやれって? 子供の私に? ……ふざけるな」

「………」

「ふざけるなよサー・ケイ。私は聖人君子にはなれない、嫌なものは嫌だ」

「……ああ。オマエは人間だからな、無理もねぇよ」

「……それでも、私に大人になれって言うんだね、サー・ケイ」

「そうだ。オレはアイツの味方だからな」

「………」

 

 ロホルトは動かし難い体を必死に、怒りを糧に無理矢理動かして、なんとか立ち上がる。ケイも立ち上がりロホルトに相対した。

 手加減抜きの全力で、殺す気で全身を強化し、魔力を噴射してケイの顔面を殴り抜く。吹き飛んだケイだが気絶もしなかった。死にかけているロホルトの拳では、殺すに至らなかったのだ。

 殺せないと分かっていた。だが殺す気で殴った。ケイは血を吐いて、青黒い痣を顔面に刻まれながらもよろよろと立ち上がる。それを見ながら、ロホルトは吐き捨てた。

 

「……貴方に免じて、言うことを聞こう。私が大人になる。それでいいな」

「ああ。すまん、もう一発ぐらい殴ってくれていい」

「……いい。次は本当に殺してしまいそうだ」

 

 力尽きて崩れ落ちる。少し離れて腰を落としたケイは、それっきり何も言わず黙りこくった。

 数時間が、そのまま沈黙の中で過ぎる。

 やがてロホルトが回復したのを見届け、ケイはもう一度頭を下げて立ち去った。

 

「……いいなぁ。父上にはメチャクチャいい兄貴がいて」

 

 ポツリと呟き、ロホルトは羨望を懐く。カヴァスが慰めるように頭を擦りつけてくるのに苦笑し、ロホルトは疲れ果てた心身に活を入れて立ち上がった。

 これは偶然の出会いではなかったのだろう。わざわざケイは、ロホルトが遍歴の旅に出て、周りに他者の目がない隙に、こういう話をしに現れたのだ。

 ロホルトにガキの癇癪をぶつけられるのなんて分かりきっているだろうに、親子ほど歳の離れたガキに頭を下げて頼む為に来たのである。

 ムカつくほど、格好いい。殺したくなるほど男前だ。本当に、羨ましい。

 

 息を大きく吸い、ロホルトは叫んだ。

 

「――お前らなんか、大っっっ嫌いだァァァ!!」

 

 絶叫である。子供の断末魔だ。無理矢理に子供が脱皮して、大人になった瞬間である。

 晴れやかな顔を作って、ロホルトは爽やかに独り言を漏らした。

 

「ふう、スッキリした!」

 

 スッキリした。そういうことにしておこう。そういうことにしないと耐えられない。子供のままでいると惨めで無様な、ダサい姿を晒しそうだ。

 オレはカッコつけたいんだ、とロホルトは呟く。カヴァスを促し、少年は宝剣モルデュールを担いでその場を後にした。情けない姿を晒したくないから、さっさとここから離れる。脚を動かしていなければ、暴走しそうな激情を抑えられないのだ。

 

 無性にガヘリスとガレスに、青年会の皆に会いたい。一人で旅なんかするんじゃなかったと後悔する。絶対に自分の味方だと言える人に傍にいてほしかった。

 

「わん!」

「……あ、ごめん。カヴァスがいたね」

 

 少し怒ったように吠えられ苦笑する。

 ごめん、ともう一度呟き、カヴァスの体に顔を埋め、声を押し殺して――を流した。

 決別はそれで済ませる。ロホルトは夕暮れを歩み、夜も休まず歩いた。目的もなく流離って、疲れ果てるとカヴァスに寄り添い眠る。そんな日々を送り、心が安定する頃に森に閉じこもった。

 数日が経つ。

 体を洗う。服を洗う。鎧を洗う。カヴァスも洗った。愛犬は嫌がったが、臭いから大人しく洗われろと言うと、悲しげに鳴いて大人しくなった。 

 裸のまま服が乾くのを待ち、ロホルトは曇り模様の心が落ち着いたのを見計らってカヴァスの背中へ仰向けに寝そべる。何処かへ連れて行ってくれと頼むと、カヴァスは何処かへ歩いてくれた。

 

 流れていく空の雲。表情を変えて、色を変えて、朝になり昼になり、夜になる。雨が降って、分厚い雲に日差しが隠れ、落ちた雨粒に顔を叩かれる。

 流れる星を見た。流れ星だ。満天の星々を見て、星座を見つめる。

 綺麗だなぁ。なんにも考えないで、なんにもしないで、気儘に流離うのは、思いのほか楽しい。全てのしがらみを無視して、人里から離れて旅をするのは楽で良い。

 

 何もない毎日というわけでもない。色んな種類の魔獣と頻繁に出くわし、退治する羽目になった。妖精が悪戯を仕掛けてくることもあった。妖精に荷物を盗まれ困ったこともある。

 

 だが、まあ……王子をやるよりは、遥かに楽だ。このまま死ぬまで流離っていたくなる。

 

 母上が好きだった。父上は嫌いだった。

 だが、父を、嫌えなくなってしまった。だって……だって予感が、確信になるのを感じたから。

 もしかしたら、父上は『  』なのかもしれない、なんて。

 もしそうなら……そりゃあ、『父上』をやるのが下手糞なわけだと、全てに納得できてしまう。

 だめだ、もう何も考えるなと念じ、頭の中を無にする。

 もし『父上』が『  』なら、『母上』はなんなのか、なんて。

 考えたくない。何も考えたくない。

 

「……くぅーん」

「ん……どうかしたかい、カヴァス」

 

 やがて行き着いたのは、大きな湖だった。

 カヴァスが悩ましげに唸るのに、ロホルトはやっと心を現世に戻す。

 辺りを見渡すも、特におかしなものはない。そのはずだが……カヴァスの足跡が、同じところをぐるぐると回っているのを見て取って嘆息した。

 また妖精の悪戯か? 幻術か何かでカヴァスを惑わしたのかもしれない。

 妖精ってやつは人に迷惑を掛けるのが生き甲斐なのだろうか。ぶった斬ってやろう。

 

 苛立ち混じりの殺気を放ち、異変を探るべく神経を研ぎ澄ます。すると人外の気配を感じ取れた。

 

「――そこか」

 

 『光射す塔剣』に光の魔力を叩き込み、四肢に力を宿す。カヴァスから降りたロホルトは、気配のする方を魔力砲撃で焼き払おうとした。しかしその寸前で慌てたように人影が姿を表す。

 湖からだ。身構えたまま殺気を向けていると、現れた人物を見て少年は目を丸くした。

 

「……トネリコ?」

「っ……人違いです」

 

 まるでトネリコを大人にして、清楚にして、神聖さを付け足したような、泉の女神様みたいな風体の美女がそこにいる。重なって(ダブって)見えた少女魔術師の名を思わず口にすると、美女は苦笑いを浮かべて否定した。よく見ると、確かに似ていない。

 はて、なぜトネリコと見間違えたのだろう。毒気を抜かれた気分になって剣を下ろすと、美女は微苦笑を浮かべたまま名乗ってくれた。

 

「ようこそブリテン王国の光、ロホルト王子。私はヴィヴィアン、湖の乙女達を統べる者。貴方達人間が言うところの精霊という存在です」

「……なるほど、精霊。お会いできて光栄です。しかし生憎ですが、私の方に貴女へ用はない。にも拘らず旅路の途上に在る私を招くとは、尋常ならざる事情があると見てよろしいか?」

 

 湖の貴婦人ヴィヴィアン。それは確か、アーサーの聖剣エクスカリバーと、ガウェインの聖剣ガラティーンを齎した精霊の名だ。予期せぬビッグネームに絡まれて、ロホルトは迷惑だと感じた。

 えてしてこういう人外は、人に無理難題を押し付けて、報酬に何かを寄越してくれるものだ。だが今のロホルトはその無理難題なんぞに付き合ってやれる気分ではない。

 取り繕える精神状態ではなく、隠す気もなく面倒臭がってみせるとヴィヴィアンは顔を引き攣らせた。「どうしてこんなことになるまで放っているんですか……」なんて嘆いている。

 

 咳払いをしたヴィヴィアンは湖から出てきて、ロホルトの傍に近寄った。

 

「特別な用向きはありません。しかし私が聖剣を授けた王の子が、こうして私の領域に現れたのです。むしろ貴方の方にこそ、私に求めるものがあるのかと思い姿を現したまでですよ」

「……そうでしたか。ならばこちらに落ち度があったのでしょう。誤解させてしまい申し訳ありません。ですが私が此処を通りかかったのは偶然です……これで失礼しても?」

「お待ちになって。偶然私の許に来たのなら、それこそ運命というもの。どうです? 貴方の宝剣を私に預けてみませんか? 星の内海で鍛え直し、神造兵装に作り変えてあげましょう」

「結構です。過ぎた力は求めていません」

 

 流石は人外。話の流れが急転直下でいきなり過ぎる。あからさまな親切の押し売りに、ロホルトは警戒心を最大まで引き上げた。

 神造兵装? 最上級の宝具ではないか。人の作り出せぬモノをそうも容易く寄越そうとするなど、何か企んでますと自白しているようなものだろう。

 王子はそうした話に詳しい故、迷いもせず即答すると、ヴィヴィアンは何故か困惑し、焦ったようににじり寄ってきた。それ以上寄るなと宝剣を構えると、精霊は眉を落として困り顔になる。

 

「……なぜ拒むのです。神造兵装は貴方の助けになりますよ」

「繰り言となりますが、過ぎた力は己が身を滅ぼします。父上の聖剣の如き宝具を私が扱いきれるとは思えません。故に、要らない。それから正直に申し上げますが、聖剣の対価として私から差し出せるものは何もない。であれば貴女からなんらかの物品を受け取る訳にはいかないでしょう」

「……無欲なのですね」

「いいえ、私ほど欲深い者はそうはいないでしょう。欲が深いからこそ、多くを求め過ぎないのです」

 

 詰みかけている国の運命を覆す。こんな使命を己に課しているのだ、おそらくブリテンで最も欲深いのは己だろう。ロホルトは本気でそう信じていた。

 ヴィヴィアンは嘆息する。参った、というように。

 

「……困りました。本当は貴方に助けてほしくて声を掛けたのですが……」

「……関わりたくありませんが、助けがいるのですか? そうであるなら……話を聞くだけ聞いてみましょう。聞くだけでいいならですが」

「本当ですか? ありがとうございます。実はですね……」

 

 困っていると言われたら、むざむざ見過ごせない辺りにロホルトの人の好さが出ていた。

 少し譲歩されると、ヴィヴィアンは嬉々として語り出す。

 ……なんでも彼女の住処である湖は神秘の領域として異界となっているらしい。その湖の中でとある国の王子を養育していたらしく、一人前の騎士になるように育てていたのだが、その青年はなかなか自身の腕前に納得せず、湖から出て行こうとしないようだ。そこで偶然通りかかったロホルトにその青年と対戦してもらい、青年の実力を客観的に評価してもらいたいらしい。

 精霊に育てられた青年か。聞くだにロマンチックで、主人公感がある。若干興味を覚えたロホルトは迷うも、ヴィヴィアンがぼそりと溢した台詞に心を惹かれて頷いてしまった。

 

「……私の領域は、外界と時の流れが異なります。外界よりも時が流れるのが遅いのです。私の領域で旅の疲れを落としてくださっても構いませんよ」

「……っ!? ……分かりました。そういうことでしたら、貴女の育てた者と会ってみましょう」

 

 まだ暫く帰りたくないロホルトにとって、ゆっくりのんびり過ごせる場所というのは有り難いものだ。

 すんなり釣れたロホルト王子に、ヴィヴィアンは苦笑いを禁じ得ない。

 

(仕方ないわね……疲弊しているその心を癒やしてあげましょうか)

 

 精霊は自らを『トネリコ』と呼んでくれた王子を贔屓したくなっていた。ちょっと行き過ぎて神造兵装を上げようとしてしまったが……。要はそれぐらい嬉しかったのである。

 神秘の世界である湖の底で、まったりと寛いでもらおう。

 進行する魔女の陰謀に、精霊の良心が痛んでいたせいでもあるが――心優しきヴィヴィアンは、傷ついた少年を放ってはおけないのだ。見目麗しい貴公子であればなおのこと。

 

 精霊は、面食いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




名もなき巨人
原典だとロホルトの死因になっていた。巨人を倒しその骸の上で休んでいたロホルトを見掛けたケイが、ロホルトの不意をついて殺し、巨人殺しの功績を奪い己の功績だと声高に叫ぶのだ。
Fate時空の場合、本来ならロホルト(カヴァス無し)は巨人と相討ちになり、巨人の呪いで生き地獄の苦しみに悶ているところ、ケイが通りかかり介錯を頼んでいたものとする。巨人殺しの武功は礼としてケイに譲渡されるが、ケイを貶めようとする者により弾劾を受けてしまう……という流れと想定。Fate時空のケイは義妹の息子を殺してその功績を奪う真似は流石にしない。
本作だとその想定の上で、カヴァスがいたのでなんとか生き延びたことに。油断や慢心は最大の敵である。

ケイ
Fate時空のケイは色んな意味でいい男。が、いい男なせいで損な役回りを演じてしまう。
手のかかる義妹のやらかしを、陰ながらフォローするのはいつもケイだった。しかも今回は義妹から相談される前に、自己判断でフォローに回っている。アルトリアがケイに頭が上がらないのはこういうところがあるから。
ロホルトという子供に、アーサー王が「女」で、「父親」をやるのは無理があると説明できれば話は早いのだが……そういうわけにもいかないジレンマがある。ロホルトに大人になってくれと頭を下げて頼んだ彼の内心は、おそらくは誰にも察せられないだろう。

ヴィヴィアン
一目で正体に勘づかれてときめいた。人としてのモルガン、魔女としてのモルガン・ル・フェ、そして精霊としてのヴィヴィアン。それぞれが別側面として成立した存在である故に、全くの同時には存在できない。そしてそれぞれの側面に彼女達は不干渉だ。だが魔女としての自分の企みを想い、罪悪感からかなりの贔屓をしてしまった。

ロホルト
いつもいつも、なんやかんやでお労しい枠に。どうしてこんなことに……。そのうち心労で倒れてもおかしくないが、鉄の心の持ち主なので耐えてしまえるのが王子たる所以。
父親は大嫌いだが、前提がそもそもおかしいと、ケイとの会合で確信してしまう。頭がパンクして気が狂ってしまいそうなので必死に見てみぬふりをする。だって『 』と女の間に子供が生まれるわけがない。自分はアーサー王似だ、つまり――考えたくない。


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12話

 

 

 

 

 

 水底に揺蕩う陽炎の境界。透き通る水の領域は、物質の支配する法則の輪郭を曖昧にし、超常の理に住まう者に安寧を齎す。

 

 神代の超人、英雄たる器を持つ者にとって、此処ほど心地好く感じる領域はないだろう。同時に人を人たらしめる摂理から離れ過ぎ、心を強く持たねば人の規範から逸脱してしまいかねない。

 其処は湖の底というだけではない。人の目に触れぬ水底は神秘の生息を保つ極楽であり、星の内海に最も近い異界でもあった。即ち時の流れすら正しくない、最も永遠を間近とする地獄である。

 およそ常人には耐え難い空間。星という生物の息吹を身近に感じて安穏と過ごせる者を、果たして人間と規定してもいいか怪しいだろう。故に、神秘の湖にて長年を過ごせしその者が、条理を捻じ伏せる神代の英雄となるのは必然であったのかもしれない。

 

 青年の名はランスロット。淡麗なる美青年は聖剣を手に、養母たる精霊の創り出した幻影を両断した。幻影は過去に実在した英雄の影(シャドウ)、境界記録帯から投影された影法師だ。一国を代表するに値する力を持った影を、こともなげに斬り捨てた青年は残心を行った。

 質素な衣服を纏っているランスロットは、英雄に相応しい力の持ち主を斬って捨てたというのに、露骨に不満そうな表情をしていた。騎士として修行に明け暮れて十数年、養母である精霊の生んだ影を数百、数千と打ち破りながらも己の力に満足していない。

 際限のない向上心がある故ではなく、単に傑出した彼の才能が告げるのだ。幾ら影を斬ろうと所詮は影でしかない、そこに魂はなく、気迫はなく、こんなものでは己の糧には成り得ないのだとランスロットは感じていた。そしてその感覚を言語化できぬ故に、磨き抜かれていく技量と相反してランスロットの魂は飢餓に襲われているのである。本物の英雄はこんなものではないはずだと。

 

 ランスロットは類稀な克己心で、自身の剣腕に増長することなく、ひたすらに自身を高めることに腐心していた。尊崇する養母がランスロットを最高の騎士に育て上げ、最高の王に仕える資格を与えると約束してくれたあの日から、彼は自らに怠慢を禁じていたのである。

 

「――客人か。母上が此処に招くとは珍しい……君は何者かな?」

 

 ――だが養母に連れられ湖の底に降りてきた人間を見た時、ランスロットはつい無礼を働いた。

 

 騎士として完璧な礼節を学んだ青年だが、幼い頃から外界から隔離された空間で育った故、ある意味で世間知らずだったのだ。

 またランスロットはフランク(フランス)の一地方、ベンウィックの王であるバンの子であり、王子であるのだという自尊心が上位者としての振る舞いを選択させた。――しかし、柳眉を逆立てた養母ヴィヴィアンを見て、聡明なランスロットはすぐに己の無礼を悟る。

 客人は蒼い外套の上に鎖帷子を着込み、更にその上に鎧を纏い、独特な形状の兜を脇に抱えた少年だ。同じ男であるランスロットをしてハッとするほどの高貴さを具えた美貌と、優れた身形からしてやんごとなき出自なのだろう。とはいえ年下の少年であるのは確かで、だから上位者として声を掛けてしまったのだが……養母が丁重に招くほどの少年であるのを重く見るべきだった。

 冷ややかに己を見据えるヴィヴィアンの眼差しに、ランスロットは引き攣った愛想笑いで応じる。

 

「ランスロット? 客人にそんな態度を取れと教えた覚えはありませんよ?」

「も、申し訳ありません、母上……そしてお客人。私の名はランスロット、貴殿の名を訊かせてもらってもいいだろうか?」

 

 金髪の鮮やかな少年は、ランスロットとヴィヴィアンの関係性を垣間見て微笑んだ。ゾッとするほど透徹とした、余りにも完成された微笑みに、束の間ランスロットは見惚れてしまう。

 この少年は間違いなく高貴な生まれだと確信した。あまり多くの人間を知らぬ身でもそうだと感じさせるカリスマ性を、呼吸するかのような自然体で纏っているのである。

 居住まいを正し、背筋を伸ばした青年に、少年は晴れやかに相対する。常人には耐え難い領域であるのに全く苦とせず、むしろ心地よさそうにしながら。

 

「私は――」

 

 言いかけ、少年は不意に言葉を濁した。

 

「――失礼。私はヴィヴィアン殿に乞われ来訪した身。一向に修行を終えようとしない向上心の強すぎる貴公を諌め、外の世界に誘う役を任されているのですが……私は各地を遍歴している途中、ここで名乗っては余計なしがらみに沿わなければなりません。故に名乗り返せない無礼をお許しください」

「……なるほど。となると貴殿は気が進まないというのに、地上の騎士がどれほどのものか、私に知らしめる指標になるのをわざわざ引き受けてくださったわけだ」

「ええ。是非貴公を打ちのめし、貴公の腕を第三者として評価してやって欲しいと頼まれています。突然のことで戸惑っているでしょうが、私からの挑戦を受ける勇気はおありですか?」

「無論」

 

 粋なことをしてくれる。本当に養母には頭が上がらない。わざわざ自分の為に、外の世界から一流の実力者を連れてきてくれるとは。

 ランスロットに驕りはない。だが自らの力に自信はあった。故に自然と少年を当て馬と見做すような台詞を吐き、少年は当然のように煽り返してくれる。ランスロットは名も知らぬ少年の応対に嬉しくなった。ランスロットは養母の人を見る目を信頼している、この少年は紛れもなく地上で強者たる力を有しているのだろう。ならこの少年を通じて外の世界の力を知る事が出来るはずだ。

 負ける気はしない、勝てると感じている。不敵な笑みを湛える青年の自信を見て、少年もまた白い歯を見せて笑った。高貴な貴人らしからぬ、どこか獰猛で自制のない笑顔だった。

 

「それじゃあ早速立ち合いましょう。私は早く旅の疲れを落としたいし、余計な雑念を振り払いたい。申し訳ないですが、少々八つ当たりをさせて頂く」

「八つ当たり? ……いいでしょう、胸を貸して差し上げる。存分に溜め込んだ怒りをぶつけられるがいい。参られよ、()()()()()()()殿」

 

 見れば少年は大狼とも見紛う白い巨犬を従えていた。少年の身には大きすぎる大剣と高貴な風貌、蒼い外套と独特な兜。それだけの要素を並べられては、世間知らずでも少年の正体が分かる。

 騎士の王国と名高いブリテンにて、光の王子と謳われる者がいると養母に教えられたことがあった。優れた知性と強い愛国心、次代の明るさを体現する光の如き希望。しかし単に光と称したのでは騎士王への不敬になるからと、騎士王の威光を太陽に(なぞら)え、嫡子たる王子を月に擬えた。月の如き光に喩えられる美貌と合わさり、彼の王子を月明りの騎士と称するのは有名な話だ。一部、愛犬カヴァスを馬の代わりに駆る王子を、狼騎士などと揶揄する者がいるとも聞いた。

 

 何故か何事かを閃いたような顔をする精霊を尻目に、少年は鼻を鳴らした。失笑だった。兜を被った王子は大剣を左手に提げ――左利き?――無手の右手を盾にするように構える。そして大剣の刀身を右腕に乗せて――瞬間、足元で魔力が爆発し少年の姿が掻き消えた。

 目を見開いたランスロットだったが即座に対応する。膨大な魔力に物を言わせたジェット噴射、砲弾のように飛来した少年が迅雷の如き刺突を見舞ってくるのに、ランスロットは相手の宝剣に聖剣を容易く合わせて捌いてのける。青年の左脇に流された大剣の切っ先、切り返されるより先に湖の聖剣が、王子の流れた胴を薙ぐカウンターとして叩き込まれた。

 鮮やかに、一瞬で終わる対決。ランスロットは自身の一撃を寸止めし、王子の未熟を突きつけて終わろうとした。だが――王子の右手の籠手に備えつけられていた鉄板が突如として巨大化する。黒き大盾だ。大盾は聖剣を受け止め、ランスロットの虚を突いた。

 

 ギョッとした。予期した決着は流れ、苛烈な猛攻の予兆に鳥肌が立つ。

 

 聖剣を大盾で防がれたと認識するや、半ば無意識に身を捻って、切り返されてきた大剣を躱した。だがランスロットの脚を払うように振るわれた低空の斬撃は止まらない。大剣は流麗に回転する騎士の体に追随し、異質な回転切りとなってランスロットを襲ったのだ。

 なんとか掠り傷のみで難を逃れたランスロットの視界の隅で、回転した勢いを殺さず高々と跳躍した騎士が縦軌道の回転切りに繋げる。唐竹割りの大胆な斬撃――無我のまま聖剣から片手を離し、刀身の腹に掌を添えて軌道を逸らそうとするも、外見に見合わぬ大力に圧されランスロットの体勢が崩れた。大剣が地面を叩き、しかし更に縦回転した騎士の唐竹割りが襲い掛かって――大盾に弾かれた聖剣を止めずに引いていたお蔭で防御が間に合い真横に弾けた。

 だが三度(みたび)連続した縦回転に瞠目させられる。容赦なく叩きつけられる斬撃を、ランスロットは外聞を気にする余力を剥奪され体を地面に投げるようにして回避した。地面を転がり距離を稼いだランスロットは跳ね起き、油断なく瞬時に聖剣を両手で構える。自傷する勢いで地に体を投げた為、微かに肩を痛めた……ランスロットは感嘆の吐息を溢す。

 

 見たこともないような異形の、我流の剣。人が振るったものとは思えぬ獣の如き剣技。

 

 かと思えば大きく踏み込んできた少年が、大盾を前面に押し出して突撃してくる。凶悪な速度はそのまま力となり、城壁が迫るかの如き重厚な盾撃(シールドバッシュ)と化した。獣の剣技に混ざる人の業、やり辛さを感じながらもランスロットは笑みを浮かべ、瞬間的に叩き込める限界の魔力を聖剣に充填する。全力の刺突で盾撃を食い止め、脚を止められた騎士に、今度はランスロットから仕掛けた。

 恐らくは注ぎ込んだ魔力量に応じてサイズが可変する黒き大盾。それがランスロットの見舞う神速の連撃を悉く防ぎ切ったが――しかし青年の剣技の冴えに目が追いつかず、直感のみで辛うじて防げたに過ぎない。少年はランスロットの剣撃の威力で浮きそうになる体を魔力放出で地面に縫い止めながら、淡い光の粒子を放出する。魔力光がランスロットの背後に流れ――無駄な手を打つ相手ではないと見抜いていたランスロットは、自身の背後で形成された魔力光の剣を、後ろを見もせずに首を傾けて回避した。正面切っての奇襲を難なく躱され目を見開いた王子の懐に踏み込み、ランスロットは左足を軸に回転し裏拳を放つ。剣の間合いではない至近距離、この反撃を少年騎士は大盾の陰に隠れて凌いだ。同時に重心を右足に移していたランスロットは剣の間合いに一瞬で戻ると、盾の反対、騎士の体がある方に聖剣を向けようとして――

 

「ッ……!?」

 

 ()()()。大盾に隠れた瞬間に、騎士は大盾を手放しランスロットの死角に瞬間移動していた。

 どうやって――見ればランスロットが躱した魔力の光剣が、彼の視界を僅かに遮るように虚空へ留まり。それがランスロットの死角を拡張し、騎士はそこに滑り込む形で移動していたのだ。

 ランスロットの左後ろから振るわれた大剣が寸止めされる。そして、()()()騎士の首筋で寸止めされていた。何――? 相討ちだと……? ランスロットは相手の姿を見失った瞬間、聖剣を逆手に持ち替え背後を刺突していたのだ。王子はまさかの結末に瞠目する。

 

「………」

「………」

 

 ぴたりと静止したまま、前を向いたままの騎士――ロホルトとランスロットは動けなくなっている。

 やがてどちらともなく剣を下ろし、一歩離れた。ロホルトは嘆息する。

 

「私の剣は、初見殺しみたいなところがある。なのに相討ちに持ち込まれるなんて……」

「貴殿はまだ14の齢と聞く。であるのに、まさか勝てぬとは……」

「見事です。貴公は既に、私の知るどの騎士よりも強い」

「素晴らしい剣技でした。まさしく天賦の勝負強さ、貴殿はいずれ無双の誉れを手にするでしょう」

 

 互いに絶賛する。ロホルトは苦笑した。自分で言った通り、自身の剣技は初見殺しの要素が強い。おそらく自身の剣を知る父王には通じない。なのにこれほど強い青年に無双の誉れを手にするだろうと讃えられると、身の丈に合わない賛辞としか思えなかった。

 だがランスロットは本心で讃えていた。剣を通して感じたのは、王子の異様な勝負強さと度胸だ。断言できる。単純な剣技や体捌きなどの技術面では負ける気がしないが――ロホルトの有する戦闘勘と、咄嗟の勝機に全振りできる勝負強さの面を加味すれば、長じると戦う者としては上回られる。技量を競う分野では負けないが、純粋な勝敗を奪い合う者としてはかなりの強敵だ。

 

 ランスロットはヴィヴィアンに向き直り一礼する。

 

「――愁眉を開かれた心地です。母上の計らいで、私は自分に足らぬものを知ることが出来ました」

「それならよかった。やっと旅立つ気になったのね?」

「はい。幾ら討ち果たそうとも影法師からでは得られない、本物の英雄の力。これが今の未熟な私には具わっていません。その力を欲するならば、私は地上に出る必要があると痛感しました」

「――ちょっと待った。ランスロット殿、もう少し私に付き合って欲しい」

 

 あたかも今すぐにでも旅立とうとしているかのような空気を感じて、ロホルトが待ったをかける。

 目を瞬いたランスロットに、ロホルトは苦く微笑みながら頼んでいた。

 

「今回は運良く引き分けられましたが、私の手の内を見た貴公にはもう通じないでしょう。以後貴公と立ち合えば引き分けることも出来ず惨敗するのが目に見えている。少しの間でいいのです、私に稽古をつけてはくれませんか?」

 

 ランスロットの剣技は重く、鋭く、精妙だった。心根の清らかさが伝わる正道の剣である。ロホルトのある意味邪剣とも言える剣技とは違う。何より父との稽古と違って、ランスロットとの立ち合いはとても楽しかった。折角なら嫌なことを全部忘れる為にも何かに熱中して打ち込みたくて、幼少期の頃に噛み締めていられた修行の楽しさを取り戻しておきたかったのだ。

 ランスロットはロホルトからの要請に不快な顔をしなかった。むしろ嬉しそうに相好を崩し、ちらりと養母に許しを得る為に見る。ヴィヴィアンは優しげに微笑んで頷いた。

 

「いいでしょう。ただし条件がある」

「条件?」

「貴殿の名を、貴殿の口から聞かせて頂きたい」

 

 ランスロットの爽快な要求に、ロホルトは心の闇を切り裂かれるような心地で応じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以後数ヶ月もの間、二人は食事や睡眠などを除いたほとんどの時を試合をして過ごした。

 ランスロットはロホルトを相手に最初の試合以外は全て打ち勝ち、危なげなく勝利していたが、目を瞠る早さで成長するロホルトの剣技に背筋を凍らせたことは一度や二度ではない。

 有り余る才能や魔力量に物を言わせていた獣の如き剣技も、試合の敗北を重ねるにつれ洗練され、煌めく原石が練磨されていく様にランスロットは心を奪われていった。弟子ではないが、師が弟子の成長に心を満たされるような感覚を得ていたのだ。

 休憩時はランスロットがロホルトに的確なアドバイスをして、嘘偽りのない本音の賛辞を贈りながら改善点を指摘する。またランスロットに乞われたロホルトが外の世界を語る。青年会で磨かれた語り部としての能力と、生来持ち合わせていた父譲りのカリスマ性が合わさり、ロホルトは外界の楽しさと過酷さ、そして王国の窮状を明確に語ってランスロットへ理解させた。

 満たされた時だった。赤の他人だからこそ、ロホルトはランスロットへ自身の苦悩を打ち明けられ、ランスロットもまた真摯に耳を傾けて相槌を打つ。歳の離れた二人は親友になっていた。

 

「……時の止まった不老の少年王と、人のまま成長する王子。なるほど確かに拗れるわけだ。常人には有り得ない摩擦だろう。貴殿に大人になってほしいと頼んだサー・ケイの苦しみは分かる……そして誰よりも苦しいのは、ロホルト殿だな」

 

 悩ましげに眉根を寄せ、ランスロットは義憤を滲ませて呟いた。

 

「サー・ケイは今まで何をしておられたのか。伯父であるなら甥の苦悩に早期から向き合えばよいものを。そうすれば今のロホルト殿の懐く苦悩も幾らか軽くなっていただろうに……」

「ケイ卿はある意味、私や父上より多忙なんだよ。諸侯との折衝や、国庫の管理、騎士としての責務、他の円卓の面子には出来ない細かい人事……アグラヴェイン卿と二つの車輪になって国政を回しているんだ、全てを熟しながらだと私の為に割ける時間はなかっただろう。最近私に会いに来てくれたのだって相当な無理を重ねてのことだと思う」

「王が親として成長するのを期待し、信じつつ。ロホルト殿の子供らしからぬ聡明さ、心の強さに甘い見通しを立てておられたのか。……なんというか、貴殿は当然だが王やケイ卿も悪くないな。強いて言うなら……国が悪い。貴殿を取り巻く環境が悪すぎる」

 

 悩ましいものだと繰り返しランスロットは嘆いた。嘆いてくれた。

 ロホルトは不謹慎ながら嬉しくなる。

 身内には話せない。他人だから話せた。気楽な環境にいるから、この口も軽くなっている。

 いつしか言葉遣いが崩れたランスロットは言った。

 

「……私はブリテンに仕官しようと思う」

「正気かい?」

 

 ロホルトはランスロットの神経を疑った。有り体に国の窮状を語ったはずである、普通ならこんな地獄のような末期の国に仕えたくないだろう。

 いや、ランスロットは傑物だ。武力はおろか、話していると頭脳や精神性も卓越しているのがよく分かる。王子としてならこれほどの人材は強引にでも勧誘し、仕官させようとするべきだった。

 だが今のロホルトは単なる個人として此処にいた。抱えていた苦しさの殆どを吐き出せて、それを聞いて憤ってくれたランスロットに友情を感じている。だからこそ親友を地獄に突き落とすような真似はしたくないし、逆に遠ざけたいと思うようになったから王国の状況を赤裸々に語った部分がある。

 ランスロットは苦笑した。

 

「理由は三つある。厳しい状況であるからこそ成り上がるのが比較的容易であろうこと。自身の力が何処まで通用し、何を成せるのかを試せること。個人的にアーサー王へ以前から興味を覚えていたこと。そして最後に……友が苦しんでいるのだ、傍で助けてやりたくなるのは当然だろう? それに私がアーサー王の信頼を勝ち取れたなら、不器用な親子の橋渡しになれるかもしれない」

「……理由、四つになっているよ」

「わざとだ」

 

 新しい友の赤心に頬を紅潮させ、照れてしまって目を逸らすと、ランスロットは年下の友人に微笑む。

 彼の隣に座っていたランスロットは立ち上がりながら言った。

 

「――さて、善は急げだ。やるべきことは山ほどある」

「……行くのかい?」

「ああ。まずはキャメロットに赴きアーサー王へ仕官する。そしてすぐに故国へ帰還し、亡き父王の領土を奪還して王になろう。母国を治め、ブリテン王国と国交を結び、食糧を格安で売る。大陸の隅に位置する母国の防衛の為、ブリテンから援兵を送ってもらえるなら食糧を輸出する口実になるだろう」

 

 それは、とロホルトは目を剥いた。

 助かる。大いに助かる。ランスロットという存在が、円卓で誰にも軽んじられないほど巨大な影響力を持つことになるが、それを差し引いてもメリットが大きすぎる話だった。

 むしろランスロットの方にメリットが無さ過ぎるようにすら感じる。

 

「そ、そこまでしてくれなくても……」

「いいや、するとも。恥ずかしながら、貴殿は私にとって初めての親友だ。友は大事にしたい、助けてやりたい。そして私に出来ることは存外多いらしい、ならば労を惜しみはしないさ」

「……私が貴公にしてやれることは、きっと多くない。それでもかい?」

「対価を求めるのが貴殿の定義する友情か? なら、私とは考えが違うな」

「………」

 

 参った。

 ロホルトは両手を上げる。

 

「負けたよ。試合も合わせると負けっぱなしだ。ランスロット殿、貴公の友情を私は忘れない」

「では次に会う時は王子と騎士だな。できればその時からは呼び捨てにしてほしいものだ」

「……分かった」

「これで一時の別れになる、疲弊した心身を存分に休めてから戻られよ、ロホルト殿。……ああ、次に試合をやる機会があったら手加減してくれないか? 後進に追い越されるのは中々怖い」

「嫌味? やめてくれ、簡単に追い越せるとは思っていないよ」

 

 いずれは超えてやる。ロホルトが言外にそう言うと、ランスロットはにこりと笑みを残して精霊の領域から立ち去った。

 ああ、ヴィヴィアンは素晴らしい男を育てた。

 最高の青年だ。完璧な騎士になるだろう。この時代に冠たる英雄になるに違いなく、そんな英雄の最初の友になれたのだと思うと誇らしい。

 地面に座り込んでいた体勢から、地面に背中をつけて揺蕩う水の世界を見上げる。そっと手を閉じて、ロホルトは荒んだ心が癒えていくのを実感した。

 

 助けてくれる友がいる。ランスロットだけではない、ガへリスもいるのだ。

 オレは一人じゃない。なら、恐れるものはないだろう。

 目を閉じたまま安穏とした空気に浸り、ぽつりと呟く。

 

「……『  』の面倒は、オレが見る」

 

 友におんぶに抱っこでは余りに格好悪い。ロホルトは決意を固め、もう一度呟いた。

 

「『母上』の面倒を――オレが見る」

 

 元の不屈さを取り戻したロホルトに、もはや休息は不要だった。

 とはいえ今の時期は、おそらく人生最後のモラトリアムだ。急いで国に戻ることはあるまい。

 というか今戻ったらランスロットと鉢合わせる。それはちょっと気まずい。少し時期をズラしてから帰還しよう。それまでは――

 

(お嫁さんを探さないと……いけないかな?)

 

 苦笑いをして目を開き、飛び起きた。一人では解決できない問題なら、遠慮なく他者に相談しよう。

 ここにはヴィヴィアンがいる。精霊である彼女なら、案外良縁を紹介してくれるかもしれなかった。

 水底にある館に入る。絢爛たる宮殿のミニチュア版のような豪邸だ。庭も広く、しかし嫌味はない。

 

 ヴィヴィアンを探して館の中を練り歩こうとしていると、彼女もロホルトを探していたのだろう。広間でバッタリと鉢合わせた。

 美しく、清楚で、神聖な貴婦人は、白銀の髪を揺らめかせたまま両手に長い箱を抱えていた。

 重そうにしていたから紳士的に声を掛けた。

 

「――大変そうですね、持ちましょうか?」

「あら、ちょうど良い所に。……はい、確かに渡したわよ」

 

 ロホルトより頭一つ分大きな長方形の箱を渡され、気安く笑い掛けられる。

 含むものを感じて訝しむと、ヴィヴィアンは箱を開けるよう促してきた。

 

「ちょっと用意するのに時間が掛かったけれど、私から貴方への贈り物よ。受け取って」

「は……?」

「早く中身を見てちょうだい。きっと驚くわよ?」

 

 嫌な予感がして箱を床に置き、ロホルトは恐る恐る箱を開いた。

 すると、白い布に包まれた何かがある。包みを解くと――そこには、一振りの無骨な大剣があった。

 ランスロットの聖剣にも劣らぬ神秘を内包したそれは。

 

 紛れもなく、最上級の()剣だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




対ランスロット
技量や身体能力では明確にアルトリアやロホルトを上回るが、戦うと最終的には「なぜか」アルトリアが勝つのと同じように、戦う者として完成したロホルトも「なぜか」勝利してしまえる。
未来予知の域にある直感のえげつなさ、異様なまでの勝負強さが原因。アルトリアのそれもまた、ロホルトは過不足なく受け継いでいる。謂わばペンドラゴンとは戦闘の天才の系譜である。

ランスロット
後の円卓最強の騎士。性能面や技量面で比較すると絶対に負けるわけがないのに、「なぜか」本当に大事な戦いではペンドラゴン親子に勝てない。まだ未完の大器であるロホルトと出会い、引き分けた後は普通に全勝したが、その勝負強さをヒシヒシと感じて感動した。
なるほど、これが本物の英雄。ならいずれ自分も本物の英雄となり、勝てないはずの相手にも勝てる強さを手に入れよう――ランスロットは最強である、最強である故に未知の強さをも貪欲に吸収しようと成長を始めた。外界に出なければ「勝てないはずの相手に勝つ」強さは手に入らないと考え、ついに地上へ進出。まずはブリテン最大の英雄アーサーに仕官し、然る後に母国へ帰還して父の国を取り戻そう。そうすれば外様でも円卓に居場所が出来る。
ブリテンに足りない食糧の仕入れ先となって国を支えるのだ。後にランスロットが齎す豊富な食糧で、ブリテンは束の間の繁栄を約束される。ランスロットは王国の生命線になるのである。

ロホルト
とてつもない傑物と邂逅し、少しの間ともに修行した。後はぬくぬくと湖の底で寛いでいたら精霊から聖剣を贈られ困惑する。返せるものは何もない、どう報いたらいい? 困り果てたロホルトに、精霊は告げる。

ヴィヴィアン
誰かさんじゃないけれど予言をするわ。旅の終わりに、きっと過酷な運命が貴方を待つ。貴方の死後には返してもらうわ……今はその剣が貴方に必要よ。
(※慰謝料の先払い)

暗き月明かりの剣(A++)(対生命宝具)
通常形態は無骨な大剣。真の姿は紺碧のクリスタル体の刀身。湖の貴婦人ヴィヴィアンにより鍛造された聖剣の刀身は、真の姿を開帳すれば其処に在りながらにして無い光の刃と化す。冷気を帯びた斬撃はありとあらゆる神秘・物質・概念を素通りし、ただ生命のみを断つ。これぞ聖なる魔剣。冷たい月光は魔力を伴うと光波(由緒正しき剣ビーム)も放てる。


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13話

 

 

 

 

 

 ――旅の終わりに、きっと過酷な運命が貴方を待っているわ。

 

 湖の貴婦人にされた予言に、ロホルトはらしくなく本気で怯えた。

 精霊などという神秘的な存在が、不吉で不穏な予言をして、裏のない善意で聖剣を贈ってきたのだ。

 これが物語ならあからさまに没落して身を滅ぼす前兆、フラグであり、ロホルトがどう足掻いても避けられない謎の運命力を発揮してくることだろう。

 

(オレ何か悪いことした……? してないよね? なのになんで?)

 

 絵本の王子様めいた少年は心底怯え、もう精霊の領域に閉じこもってしまいたくなったが、流石にそうするわけにはいかない身の上である。

 過酷な運命とはなんなのかと、かなり真剣に幾通りのパターンを想定して心の準備をしつつ、ロホルトは精霊の領域たる湖から離れて遍歴に戻ることにした。

 未来が恐ろしくて堪らなくなったが、よくよく考えれば未来が恐ろしいのは生まれつきだ。気を持ち直したロホルトは心の棚に不安を棚上げして、旅へ戻る前に精霊へ相談を持ちかける。

 遍歴の旅は一年間と定めている。旅から帰ったら政略結婚が待ち構えているが、その前に良縁を得た方が誰にとっても幸福だろう。というわけでヴィヴィアンに、ロホルトにとっての良縁に当たる女性に心当たりはないかと訊ねてみた。すると貴婦人は苦笑する。

 

「あらあら、知らぬは本人ばかりですか」

 

 どういう意味だろう。眉根を寄せたロホルトに、精霊は告げる。

 

「貴方が嫁を取るという話は、既にブリテン島中の噂になっています。そんなに慌てずとも女性の方から寄ってきますよ。それが良縁となるかはさておくとして。ああ……そういえば殿下、貴方には女難の相が出ていますね」

 

 またしても悲報である。ロホルトは額を抑えて、次いで腹を抑えた。胃が痛いのだ。心因性の胃痛をこの若さで友として迎えてしまったのである。

 勘弁してくれ。本当にやめてほしい。神は超えられぬ試練は与えないというが、ただでさえ艱難辛苦ばかりの人生に、そんな極彩色の彩りを与えるのはイジメでしかないと思う。

 ロホルトは嘆きながらも精霊の許からお暇した。体感としては数カ月分の癒やしの時間を与えてくれたことにこそ最大の感謝を捧げ、この恩義は決して忘れないと約束した。

 

 旅に戻ったロホルトは、途中から避けていた人里にも再び立ち寄るようになる。嫁取りをするなら避けては通れない道だからだ。

 

 途上の道で、ロホルトは授かった聖剣を検める。この月明かりの如く暗い光を宿した剣は、銘をコールブランドというらしい。だが宝具としては特殊で、真名を唱える必要はないようだ。

 ()()()と呼び掛けると起動して本当の姿を露わにし、騎士王の聖剣の如き極光を放つのにも真名解放を不要としているらしい。ちょっと残念な気がするが、実戦的ではある。

 遥か未来の東国のネーミングセンスを適用するなら、『暗き月明かりの剣』と書いて『コールブランド』と読むと格好良く聞こえるだろう。起動キーとして音声入力の『ギーラ』が必要と注釈したら厨二的で実に男の子な感じだ。ところでギーラってどういう意味だ? アラビア語に同じ響きの単語があり、それは『嫉妬』という意味だったはずだが……流石にそれはないと思いたい。

 

 せっかく貰ったのだしこちらを主兵装にしよう。性能も明らかにこちらの方が優れているし、普段から使い込んで極めないと宝の持ち腐れになる。『光射す塔剣(モルデュール)』はカヴァスに振るってもらうことにして、月明りの騎士ロホルトは月の聖剣を担った。

 

 

 

 ――『アーサー王伝説』に於いて、王子ロホルトの遍歴は過酷なものとして記された。

 

 

 

 慢心が仇となって瀕死にまで追い詰められた巨人との戦闘。伯父との語らいと新たな友との邂逅。

 そして湖での休養を経て――以降のロホルトを待ち構えていたのは、バイタリティーに富んだ数々の女性達の猛攻だったのだ。

 

 まず休養後、最初に訪れた村が、実はその地の領主の娘を攫った賊徒が乗っ取った土地だったのだ。もともと暮らしていた村人達は鏖殺の憂き目に遭い、賊徒達が村人に扮していたのである。

 ロホルトはその村で一晩を明かす事にしたが、村人達の自身を見る目に嫌な予感を覚え、注意深く観察すると老人や女子供がいない不可解な状況に気づいた。そこでロホルトは歓待してくれた村長や村人達に、食事の席で機転を利かせ、自身に与えられた食糧をすり替えることに成功する。果たしてロホルトが口にするはずだったものを、そうとは知らずに食した村長が苦しんで死んだ。

 毒だ! 自身を襲った狼藉に戦闘態勢を取ったロホルトへ、武装した村人達が次々と襲い掛かる。ロホルトはこれを難なく蹴散らしたが、賊徒達は彼が攫われた姫を取り戻しに来た騎士だと勘違いしていた為、隠していた姫を引きずり出して人質にしてしまう。抵抗はやめろと要求した賊徒に、ロホルトは潔く武器を捨て――油断した賊徒の背後からカヴァスが襲い掛かり、口に咥えた宝剣で切り捨てるのに成功する。果たして自由の身となった姫を保護し、捨てた武器を拾ったロホルトは村から脱出して姫を領主の許に連れ帰った。

 

 するとどうだ、白馬ならぬ白犬に乗った王子様に惚れ抜いた姫は、彼への恋を訴え、愛を乞うたではないか。ロホルトはまさか「ちょっと体臭がキツいから嫌です」と言うわけにもいかず、丁寧にフッて逃げ出したが、姫は諦めが悪かった。なんと旅に戻ったロホルトの後を追い、自身も旅に出たのだ。領主に仕える魔術師を抱き込み、惚れ薬や媚薬を何度も盛ろうと試みたのである。

 堪らず姫を何度も撒いたが、供の魔術師が変に優秀で、どれだけ逃げても地の果てまで追いかけるとばかりに、姫は以後、度々ロホルトの許に来襲してくることになった。名乗ってもいないのに風体で素性が露見していて、ロホルトが王子妃を迎えることになるのを知っていたのだ。

 

 ロホルトはとても目立つ人物である。

 

 湖で安穏と暮らしている内に、すっかり身長が伸びて、185cmの長身となった王子は眉目秀麗であり、自然体のままでも他者を引き付ける、重力めいた存在感があったという。

 蒼い外套と特徴的な鎧兜、身長より長大な大剣と、白い巨犬。端麗な容姿の若き騎士。これだけで正体は明らかであり、少しでも噂話に明るい者ならロホルトの素性はお見通しになるのだ。

 

 故にロホルトが行く所にはほぼ確実に恋に盲目な乙女達が登場する。罪深きは完璧な貴公子であるロホルトだった。彼の人柄に触れた乙女達はほとんど例外なく恋に落ち、彼の心と体を自分のものにする為なら()()()()()()狂気に駆られたのである。

 最初の姫に始まり、男勝りな剣腕を持ち父母の敵討ちに挑んでいた女戦士、自らが生み出した魔獣に殺されそうになっていたところを救われた女魔術師、ブリテン島に於ける伝説的な鍛冶師を祖父に持つ天才女鍛冶師、生きる為に盗みを働いていた女盗賊、悪しき者に呪われた母を持ち、呪いが遺伝してしまった故に病弱だった深窓の令嬢――悉くがロホルトの助力や出会いを経て、全員が夢中になってロホルトを追ったのだ。あまつさえサクソン人の姫もが旅の王子を欲し、サクソン人の国から無数の精鋭が送り込まれる始末である。

 乙女達は時に結託し、時に敵対し、ライバルを蹴落とそうとした。余りに想定外な殺伐とした旅に限界を感じたロホルトは、堪らず旅の途中に出会った遍歴騎士に依頼して少女魔術師に伝言を伝えてもらい、少女魔術師トネリコと合流すると対応を協議した。あんまりな状況を聞いて顔を引き攣らせたトネリコは、主君である王子の為に一計を案じる。

 

 死んだふりをして恋を諦めてもらうのだ。

 

 ロホルトとしては、こうまで自身を想ってくれる女性陣に悪い気はしていなかったが、余りにも狂気染みた求愛に恐怖の気持ちが勝っていた。軽い女性恐怖症である。目が血走っているし、隙あらばライバルを殺してでも迫ろうとするメンタルは本気で悍ましかったのだ。

 あれはもはや女性ではなくモンスター、自然界で苛烈な弱肉強食を成さんとする捕食者だ。ロホルトはトネリコの献じた策を迷いなく採用する。ロホルトが帰国すれば偽死は露見するが、キャメロットに着きさえすればどうとでも対応できる。いち早く他の女性と婚姻を結べば堂々と彼女達を拒絶できるのだ。浮気という不義に当たるから貴女達に応えられない、と。

 もはやロホルトには自発的に伴侶を探す気力はなかった。不屈の精神を持つ王子ですら、肉食極まり女性的陰湿さと残忍さを見せつけられては嫌気が差していたのだ。

 

「ふぅん? ここに私がいるんだけどなぁ……殿下は私が女ってこと忘れてません?」

「ん……? そういえばそうだったな。忘れてたよ」

「………」

 

 いつもなら口にしない、無神経で失礼な台詞だ。ロホルトは無表情になったトネリコを見て失言に気づいたが、既に言ってしまったとあっては後の祭り。どうにか機嫌を回復させようと試みたが、トネリコはバツが悪そうに目を逸らして王子を許した。

 果たしてトネリコの策は大当たりだった。

 当たり過ぎて嘘から出た真になってしまったのである。

 邪悪な竜種が辺境に出現し、これを単身討ちに向かった王子が竜と相討ちになって戦死した、という体を取ろうとしていたのだが――トネリコが偽の竜を作り出す前に、なんと本当に強力な竜種が辺境に出現していた。あんまりにも出来すぎたタイミングにロホルトはトネリコを睨んだが、トネリコは必死に関与を否定した。本当に無関係だったのだ。

 

 しかし、ここでトネリコは顔面を蒼白にする。

 

 竜を討ちに向かっている最中で、全身甲冑を纏って厳つい兜を被った小柄な騎士と遭遇したのだ。

 同じ竜を討伐した武勲を上げて、ブリテン王国に仕官する際の手土産にしようとしていたその兜の騎士は、亡きロット王の妾の子だと告げて、礼を尽くして名乗ったのである。

 

「お初にお目にかかる。私の名は()()()()()()。こうして幸運にも殿下とお会いできたのも何かの縁、足手纏いにはなりません、どうか邪竜討伐の戦いに参加させて頂けませんか?」

 

 ロホルトはこれに是と答えた。断る理由がなかったからだ。

 顔色の悪いトネリコは、なんてことだと天を仰いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ロホルト
後の世で、この旅で出会った女性陣とロホルトをモチーフに、邪悪な魔王竜を討つ為に冒険するRPGが開発された。パーティーメンバーのバランスが矢鱈と良かったせいである。
しかし実際に旅の終盤で彼女達と出会ったロホルトは決死の逃亡を続け、遂には逃げ切ることに成功している。軽い女性恐怖症になっていた。

トネリコ
間の悪さに顔面蒼白。

モードレッド
まだグレていない為、礼儀正しい騎士として振る舞う。なお四歳児。本作ではロット王の妾の子を名乗るように手回しされた。ロット王に熱い風評被害が。
実はロホルトをギネヴィアが身籠った際、溢れた精子を回収&保存していたモルガンが、タイミングを図って四年前に生み出していた。
四歳児だが10代前半の少女の姿であり、魔術的に知識や技術を刷り込まれている。だがまだまだ荒削りである為、各地を遍歴している最中に運命と出会ってしまった。


暗き月明かりの剣(コールブランド)
 ・ランク:A++ ・対生命宝具
 ・レンジ:1〜99 ・最大捕捉:1000人
星の聖剣エクスカリバー、太陽の聖剣ガラティーン、湖の聖剣アロンダイトの姉妹剣。本質的にはエクスカリバーに似ているが、異星の存在に対する決戦兵装としての性質は有していない。
銘とは異なり、ギーラと呼び掛けねば起動しない。しかし一度起動させて真の姿を晒したなら、真名解放を不要として魔力の充填だけで十全の性能を発揮できる。秘密とは秘されるべきもの、みだりに名を晒す必要はない。――コールブランドがその真の姿を晒した時、刀身は紺碧の月光に置換されて実体を喪失する。故にあらゆる護り、防御を素通りして対象の生命にのみ触れるのだ。
魔力を込めれば冷気を帯びた月光波が放たれ、月に由来する神秘の魔力ダメージを与える。放たれた月光波は斬撃ではなく光の波である故に、一切の物理的な衝撃を発生させない。触れたものを凍りつかせ、月の魔力が存在の殻を崩壊させるのみだ。その性質上、充分な魔力さえ込められていれば、神や吸血鬼のような不死の存在であろうと生命としての核を破壊され死亡する。一方で生命や死の概念を持たぬモノには効き目が薄く、単純に凍りつかせるのが限界だ。


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14話

前話でモードレッドの容姿が10代半ばとしていたのを、前半に変更しました。


 

 

 

 

 

 鍛造され(誕生して)、まだ騎士を志す前。

 

 全ての疵、全ての怨恨を癒やす騎士達の故郷、白亜の理想城キャメロットにて。短命なる人造生命は本物の貴人、高潔な騎士王の凱旋を目にした。

 国と民に仇なす蛮族、異民族を撃退した会戦から帰還した時だ。白馬に跨り穢れを払うかの如く進む騎士王を見て、人造生命は其の在り様に憧れた。

 あの人の為に生きたい。あの人の為に戦いたい。あの人の為に仕え、あの人の騎士になりたい。騎士王に憧れた人造生命にとって、もはや自身を鍛造した淫蕩なる魔女の囁きは、耳にするのも汚らわしい雑念へと堕した。お前は私の為にアーサー王を失墜させるのだ、などと。そんな悍しい怨念と憎悪、嫉妬に塗れた讒言に構う価値はない。人造生命は外界へと飛び出した。

 

 其の人造生命は生まれた時から最低限の知識と力を有しており、身元も定かでないままだと騎士になるのは難しいことを識っていた。自身の力を見せつければ、やがては騎士として取り立てられる自信はあったが、それでは短命な自分の時間を殆ど失ってしまうだろう。

 故に忌々しい限りだが、生みの親である魔女が用意していた偽りの身分を利用して、最短のコースを駆け抜けいち早く騎士になることを目論んだ。まずは自らの名を広め、遍歴騎士として大きな正義を行い、そして誰の目にも明らかな武勲を上げるのだ。そうすれば自ずと騎士王のいる円卓に上り詰めることが出来るはずだと考えたのである。

 

 だが、人造生命は自然生命の人間達を嫌悪した。

 

 弱い、脆い、汚らわしい。人間は状況次第で善にも悪にもなる畜生だった。

 衣食が足りなければ礼儀も仁義も消え失せる、所詮は少し賢しいだけの獣に過ぎず。恨みは忘れないくせに恩は忘れ、自分の損害になるなら、なにもかもを犠牲にしてでも免れようとする。

 面倒でなければ下らない善行を施すくせに、面倒であれば巨悪を見逃すことも厭わない。我欲に駆られて行動し、失敗すれば自分以外の何かが悪いと吐き捨てる。血と汗を流してまで守る価値など微塵もない――それが人造生命の見聞した人間という種だった。

 

 ――だけど。

 

 王という存在に。誰よりも卓越した在り方に、憧れたのだ。

 人造生命である少女は自らの原点を見失わず、目標と夢の為に黙々と騎士として振る舞う。

 ……実は一度だけ素顔を晒したことがある。

 まだ人間を嫌悪する前、手強すぎるピクト人の戦士数人に襲われていた商隊を命懸けで助けた時だ。

 是非命の恩人の顔を見たいと乞われて、満更でもなかった少女は素顔を晒した。決して人前で外してはならないという実母の指示を破りたい気持ちがあったのかもしれない。だが、少女の素顔を見た人間は意外そうに目を瞬いた後に、言ったのだ。

 

 なんだ、女か。

 

 耳を疑った。だが己を見る人間の目を見て、そこに宿る感情の正体を悟った時、少女は溢れる激情を抑え剣を振るうのを堪えるのに苦労した。

 女だと? 女だと何が悪い? いや、そもそも――それが命の恩人に対する態度か?

 少女にとって女とは、忌むべき魔女だった。

 あの魔女ほど女を感じさせる者はいないだろう。

 故に『女』と見做された事実に壮絶な嫌悪と拒絶を覚え――少女は咄嗟に、愚かな人間を殺してしまう前にその場を去った。そしてもう二度と人間に心を許すまいと心に決めた。

 

 少女は騎士になる為に各地を遍歴し、自身の名声が着実に高まっているのを実感すると、最後の仕上げとばかりに『大物』を殺そうと考えた。

 雑魚では駄目だ。誰もが認める他にない強大な悪を打ち倒し、円卓に招かれるに値する武功を上げねばならない。そうして悪を求めて流離う内に、彼女は辺境に現れた竜の噂を耳にした。

 

 これだと思った。少女は勇躍し、いち早く竜を討ち取ろうと出向いて――其処で、運命と出会う。

 

 ブリテン最大の英雄アーサー王の嫡子にして、月明かりの如き王子と讃えられる若き騎士。はじめは良いカモだと思った、彼の前で実力を証明すれば、円卓は無理でもキャメロットの騎士になること自体は確実に達成できる。打算を秘めて同道を願い出て、そして。

 

 少女は光に魅せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兜の騎士は期待していたよりも遥かに強かった。

 

 ――月明かりの騎士は、短い生涯で初めて目にした格上の騎士だった。

 

 荒れた平野に(ねぐら)を構え、自然界、大気に満ちる魔力(マナ)が枯渇するほどに莫大な力を溜め込み、その心臓が生成する魔力(オド)の強大さは、さながら氾濫寸前まで貯水されたダムの様。

 今にもはち切れ、破裂する寸前の水風船のような。鎮座する平野の空間が崩壊しそうな、桁外れの危機感を齎す破滅の予兆を孕み。開口された口腔内に燃え盛り、圧縮された炎の息は、辺り一帯を焦土にする災禍の先触れとして充分な脅威を訴える。全長約18メートル、大仏と同程度の大きさの体躯は、単純な質量だけでも兵器となるだろう。なるほど、確かに強力な竜だ。

 しかし負ける気はしなかった。夜、塒に忍び込んで寝込みを襲う案を考えていたが、焦げ茶色の鱗で覆われたその竜が塒から飛び立ち、何処かに向かおうとしているのを見て方針を変更した。この竜が人里を襲う可能性を考慮したら放置できなかったのだ。

 

 魔力を放出して圧縮、虚空に浮く光の巨剣を形成して自在に操る術を、ロホルトは一つの業の領域に昇華していた。ランスロットと積み重ねた練磨の末、開眼した精妙なる魔力操作の最奥は、砲弾として撃ち出せば竜をも撃墜する威力を内包している。

 我ながら戦車砲か何かかと思うような光剣だが、純粋な魔力である故に竜種の対魔力を貫通できないのが道理だろう。しかしロホルトの魔力性質は邪悪なモノによく通る。果たしてロホルトの光は竜種の対魔力をも貫き、地に落とされた竜は激昂して――即興のコンビを組んだロホルトとモードレッドによる、神話の如き竜種の狩猟が始まったのである。

 

 そう……狩猟。狩りだった。

 

「ハッ――!」

 

 何故だろう――ロホルトの顔を認識した瞬間、竜は花開く乙女のように笑った気がする。

 気合一閃、無骨な大剣の形態のままコールブランドを振るい、竜の顎を下からかち上げ無理矢理口を閉じさせる。大地を荒廃させるドラゴンブレスなど吐かせてはやらない。土地もまた国の大切な資産である、害獣如きに傷ませていい道理などあろうはずもなかった。

 

 竜は生物として頂点に君臨する幻想種だ。尋常の理に住む人間の魔術など全く通じず、大気中の魔力を根こそぎ取り込むくせに自己生成する魔力量も膨大を極め、純粋な質量と膂力だけでも大山を打ち崩す。まさに竜の形をした自然災害のようなものだ。人の身で太刀打ちできるはずがなく、立ち向かうのは蛮勇を通り越した自殺行為でしかない。

 だがそれは、あくまで常人であれば、という注釈がつく。騎士王から竜の因子を受け継いだロホルトにも、竜に劣らぬ対魔力が具わっている故に、生半可なドラゴンブレスでは通じない。竜がよく知るロホルトを打倒する為に、充分な火力の魔力砲撃を吐き出そうとするには相応のチャージタイムを要した。そしてそんな隙を見逃すほどロホルトは甘くない。

 必然として竜は広域破壊兵器となる力を封じられることとなるが、竜の敵はロホルトだけではない。ロホルトが飛び立っていた竜を光剣で撃墜し、ドラゴンブレスを無理矢理封じ込めるや否や、竜の上空から兜の騎士が飛来したのである。

 

「一番槍、確かにお譲りしたッ!」

 

 掲げた騎士剣に赤熱する雷電を纏い、放射された雷撃が竜の背中を穿つ。絶叫が上がった。地表を揺るがす竜の悲鳴だ。

 ロホルトが竜を撃墜したのと同時に高々と跳躍し、モードレッドは竜の背後から急襲したのである。だがモードレッドの鋼鉄をも溶解させる赤雷の効果は薄い、であるのに迸った竜の絶叫は、さながら不意に驚かされた乙女の悲鳴のような響きだった。

 構わず竜の背に着地したモードレッドが、魔力放出により落下の勢いを加速させ、膂力を強化し渾身の力で突き刺した。今度こそ本物の苦悶の声を上げた竜が血飛沫を吹き、全身を振り回して兜の騎士を振り払おうとする。しかし兜の騎士は突き刺した騎士剣を支点にしがみついて離れず、傷口から赤雷を流し込み始めた。暴れ狂う竜を見て、ロホルトは手応えのなさに首を傾げた。

 竜だ。確かに、竜である。性能は破格、しかしその力を持て余している? 使い熟せていないし、仮に使い熟していても余り強敵とは感じない。竜種に特有の怖さがないのだ。

 まあいい。どうあれ討ち果たすことに変わりはないのだ。

 

「奮戦見事。トドメは貴公に譲ろう」

「承知、お膳立てお頼みしますッ!」

「任せてくれ」

 

 ロホルトは月の聖剣に魔力を充填(チャージ)する。

 ほんの二秒で最大まで注ぎ込み、刀身が眩い極光に覆い隠された。

 莫大な魔力を全力で装填し、解き放つのは光の粒子(ビーム)砲。宝具の真名解放にも匹敵する光の帯が、まさか単なる魔力放出だとは信じ難いだろう。一閃された月の聖剣より投射された極光は竜の体皮を焼き払い、断末魔の如く叫び狂う竜が地面をのたうち回る。

 光の砲撃に竜が呑まれる寸前、モードレッドは咄嗟に剣から手を離して竜の背を蹴り離脱していた。しかし彼女の武器は光に呑まれ消失している。着地したモードレッドが恨めしげにロホルトを見たが、鋭く飛んだ指示にハッとして竜目掛けて疾走した。

 

「貸しておく、()くがいいモードレッド!」

「お、応!」

 

 ロホルトの傍に白い巨犬がいる。愛犬が咥えていた宝剣を受け取ったロホルトが、投擲の体勢になっているのを見たのだ。彼が擲った宝剣をモードレッドは背を向けたまま掴み、全身の鱗を光に焼き落とされるという想像を絶する痛みに忘我していた竜の首へ、モードレッドが大上段から宝剣を振り下ろした。果たしてその斬撃の威力は、刀身よりも長く太い首を綺麗に切断する。

 吹き上がる血潮を跳び退いて躱したモードレッドは、その宝剣の切れ味に驚愕していた。まるで何も斬っていないかのような手応えのなさだったのだ。

 新しい玩具を手にした子供のように宝剣を見詰めるモードレッドを尻目に、事切れた竜の遺骸に王子は歩み寄る。怪しい所感を得ていたのだ。その身が内包する力に反し、余りに弱すぎる。なんなのだ、この雑魚(よわ)さは……今一納得しきれないまま、ロホルトは小柄な遍歴騎士をねぎらった。

 

「よくやってくれた。意外とあっさり倒せたけど……大物ではある、武勲は貴公に譲ろう」

「ありがとうございます。これを……」

 

 両手で捧げ返された宝剣モルデュールを受け取る。

 何やら名残惜しそうな雰囲気を感じて、ロホルトは苦笑いする。

 モードレッド。ロット王の妾の子と名乗った遍歴騎士。出自に思うところがないと言えば嘘になるが、抱え込んだところで問題ない。

 ロホルトは冷たい思考とは裏腹に温かく微笑み、モードレッドに仕官の誘いをすることにした。短い狩りであったが、兜の騎士の身体能力と赤雷の魔力放出を見て実力は充分だと思ったのだ。

 

「貴公の剣を諸共に破壊したことは申し訳ないと思う。賠償金を支払うか代わりの剣を与えたいが、この剣は私が父上から授かった物だから渡せない。良ければ私とキャメロットに来ないか? 代わりの剣を欲するなら帰った後に返させてもらう。それから……私から父上に貴公を騎士に叙任するよう推挙してもいい。どうかな?」

「……アーサー王から」

 

 宝剣を見てポツリと呟いたモードレッドの声には微かな嫉妬があった。

 

 ――ほんの僅かしか戦う姿を見ていないが、王子は自分より強いのが彼女には伝わった。

 自分よりも強い。それだけで悔しくて許せないというのに、あまつさえあのアーサー王の息子で、これほどの宝剣を与えられるほどの寵愛を受けている。

 モードレッドは王子に途方もなく大きな嫉妬の念を懐いた。それを悟られるのを恥と思い、懸命に表へ出すのを堪えたが、彼女の中に深々と嫉妬の楔が打ち込まれる。

 だが推挙してくれるという話はとても有り難い。目標に一足飛びで辿り着くことになるからだ。宝剣から名残惜しげに視線を切り、モードレッドは王子の申し出を有り難く受諾する。

 

「――元よりブリテンの為、剣を振るうのを夢見て参った身。殿下からの誘いはまさしく天佑です、是非ともキャメロットへと導いてください」

「ありがたい。モードレッドが仕えてくれるなら、間違いなく国の為になるだろう。それから……名乗るのが遅れたね、識っているようだけど名乗らせて貰おう。私はロホルト、ブリテン王国の第一王子だ。もしかすると君は私の下に配属されるかもしれないが、君ほどの才の持ち主なら円卓の座も夢じゃない。期待させてもらうよ、モードレッド」

「……はい」

 

 サーの敬称を付けず、『貴公』ではなく『君』と呼ぶようにしたのは、兜の騎士がまだ正式な騎士爵の位を得ていないと察したからだ。

 そこでふとトネリコの姿が見えないことに気づき辺りを見渡すと――いた。トネリコは竜の死骸に手を触れており、痛ましそうに目を細めていた。

 

「トネリコ?」

「……あ、殿下? ちょっと待ってください、ここで竜と殿下が相討った痕跡を作ってるので」

「ああ……そういえばそれをする必要があったね……」

「……どういうことですか?」

 

 トネリコが杖を振るってなんらかの魔術を行使しているのを尻目に、モードレッドが話の内容が妙だと思ったらしく不審そうに訊ねてくる。

 ロホルトは苦笑して事の顛末を話した。

 するとモードレッドは露骨に嫌悪感を感じたらしく、兜の下からくぐもった声で吐き捨てた。

 

「……なんと悍しい。これだから女は……私も殿下へ同情します」

「ああ、うん……今回は特殊で個性的な女性に関わってしまっただけだし、全ての女性がこうだというわけでもないから、そう一括りにして毛嫌いすることはないと思うよ」

 

 言いながらトネリコに視線を戻すと、土塊からロホルトに酷似した人形が形成されていた。

 満身創痍で全身が焼けただれたロホルトの死体の出来は精巧で、堪らず顔を顰めてしまう。

 

「これでよし、と。あ、殿下、こっちは終わりました。それからこの偽報が先にキャメロットに届いたら大事なので、私が先に帰って事情を説明しておきますね」

「いいのかい? そうしてくれると確かに助かるけど……」

「いいですよ別に。それじゃ、私は先に帰りますね! お疲れ様でしたー!」

「あ、トネリコ――」

 

 なんでかトネリコはそそくさと走り去っていった。殿下達はゆっくり帰ってきてもいいですからね、なんて言い捨てて。暫し呆気に取られたが、嘆息して腰に手を当てる。

 

「はぁ……相変わらず自分本位だな、彼女は。まあいい、モードレッド、急いでこの場を離れよう。私もこれで旅を終える、キャメロットまで案内するからついて来てくれ」

「……分かりました」

 

 モードレッドは走り去るトネリコの背中を不審そうに見ていたが、ロホルトの言葉に従い大人しく首肯した。

 カヴァスが主人に身を寄せるのを、モードレッドはちらりと見る。

 暫く無言で歩いていたが、ロホルトは兜の騎士に気になっていたことを訊ねた。

 

「そういえばモードレッド、君はいつまで兜を被っているんだい?」

「は? ……ああ、これは……母上に決して人前で外してはならないと厳命されたもので、通気性もよく暑くはないのです。どうかお気になさらず」

「複雑な事情がありそうだね。けど言わせてもらうが、キャメロットに着いても装備を解かないわけにはいかないだろう。礼節の面でも目上の者の前でずっと武装を解かずにいるのは感心しない。ブリテンの騎士になるのなら、せめて私や父上、同胞の騎士には素顔を把握させておくべきだと思う。君の母君の言いつけを破らせるのは心苦しいが、我々の同胞になるなら守るべき礼節はあるはずだ。モードレッド、そういうわけだから兜を外してくれないかな?」

「………」

 

 ロホルトの指摘に、モードレッドは反論しようとしたようだったが、何も言い返せなかったようだ。

 渋々、そして恐る恐るモードレッドが兜を外す。なんとその兜は甲冑の一部らしく、カシャンと音を立てて甲冑に格納された。なんという便利機能、格好良いな――と感心したのも束の間。

 ロホルトは晒されたモードレッドの素顔を見て目を見開いた。その反応に、モードレッドは顔を顰める。ああ、この王子もか、と。失望した。

 だがモードレッドの顔を見て驚いた理由は性別ではない。

 似ている――瓜二つというわけではない、だが明確に似ている。明らかな面影があった。

 

「……モードレッド」

「はい」

 

 声を震えさせて呼ばうと、冷淡な表情でモードレッドは相槌を打つ。

 

「君は……いや、君の両親の名を、もう一度聞かせてくれないか?」

「は? ……父はロット王、母はリミュリアですが、それが?」

「いや……君が余りに、私の知っている人物と似ていたから……ところで君は何歳だ?」

「……12です、殿下」

 

 訝しむモードレッドを捨て置いて、ロホルトの意識は深い思考の中に埋没する。

 両親の名。12という年齢。ロット王とアーサー王の接点。ロホルトもつい最近まで14歳だったが、今は15歳になっている。12年前といえば、ロホルトが生まれて約三年後だ。その時のアーサー王が何処で何をしていたかを知っているわけでは……いや、知っている。

 12年前はサクソン人との六度目の会戦の只中だ。アーサー王は陣頭に立って軍を指揮し、サクソン人の国と激戦を繰り広げ勝利している。その前後でも戦争の準備や後始末で激務だった。

 つまりアーサー王とロット王が交わる時間的余裕はない。

 

 そこまで考え、安堵したようにロホルトは息を吐いた。胃がキリキリと痛み出す前兆を感じただけに、その安堵はとても大きなものである。

 似ているのは偶然のような必然だろう。ロット王の妻はモルガン、アーサー王の異母姉妹。ガウェインやアグラヴェイン、ガヘリスやガレスの母だ。つまりモードレッドの母はリミュリアと名を偽っているモルガンである可能性が極めて高い。モルガンが母なら、モードレッドがアーサー王に似ていてもおかしくはないはずだった。

 だが……なんの為にモードレッドに名と身分を偽って伝えている? よからぬ企みがありそうだ。今ここで仕官の話をなしにするのは……やめておいた方がいいだろう。モードレッドがモルガンに何事かを言い含められ、ブリテン王国に仇をなそうとしている可能性もある。放逐して行方を晦まされるよりも、手元に置いて監視していた方がずっといい。

 あるいはここで斬るか? ……いや、疑わしいだけで切り捨てるのは余りに人道に反する。トネリコも先んじて帰って、モードレッドが竜を討ったという話をしているはずだ。今更モードレッドを斬るにはデメリットがデカい。ならばモードレッドは王ではなく自分付きの騎士にするよう進言し、仮に円卓の騎士に昇格しても傍に置けるようにしておこう。

 

 ロホルトは熟考して考えを纏めた。だが物思いに耽るロホルトに、なにやら様子がおかしいと思ったモードレッドが声を掛けた。王子がモードレッドの性別で、軽んじたり侮蔑したり、下に見るような雰囲気ではないと感じたのだ。

 

「あの……殿下? 私のことなのですが……」

「ん? 君のことで何かあるのかい?」

「……殿下。私は……。……見ての、通り。……女、です」

「………? うん、それが?」

「は? そ、それが……って」

「んー……ああ、なるほど」

 

 苦渋の末、モードレッドは自身を女と称した。

 『女』という性別をモードレッドは嫌悪している。だが性自認は『女』であり、男扱いされても憤怒するだろう。だが幸いというか、()()モードレッドは自身を女と称するのに、かなり抵抗があるだけで認められないほど拗らせてはいなかった。

 これから先、様々な経験を積んで、色んな人間を見て、女の醜さを知れば、決定的に認めることはなくなるだろうが、今はまだそこまでではない。

 

 ロホルトはモードレッドの聞きたいことを察した。この中世風異世界は男尊女卑が主流だ。おそらく千年以上は続く思想だろう。しかし、ロホルトにはそんな思想はない。男女平等である。

 それに彼は女の身で騎士を志す従妹を知っていた。そしてその夢を応援しているし、なんなら女騎士なんてロマンがあるからいてもいいだろうと思ってもいた。

 

「君が女の子であることと、君の騎士としての精神、強さはなんら関係ないだろう。私は君が女の子でも男の子でも、騎士として父上に推挙しているよ」

「――――」

「まあすぐに性別を公開しては立場がないだろうから、暫くは――いや、余計な諍いを未然に防止するなら隠し通した方がいいのだろうけどね。その場合は私も隠すのに協力しよう。あと、流石に12歳だと騎士は難しいから、最初は私の従騎士になるだろう」

「――……、……」

 

 モードレッドは言葉を失って、呆然と王子の顔を見る。

 気にせず前に向き直り、再び歩き出した王子の背中をモードレッドはジッと見詰めた。

 ……嘘は、なかった……と、思う。

 本当に、本気で言っていた。

 

「……モードレッド? どうかしたかい?」

「……いえ、なんでも」

 

 モードレッドはじんわりと胸の中に広がる暖かさを理解できず困惑したが、頭を振って王子のもとに駆け寄った。すぐ隣を歩きながら、モードレッドはちらちらと王子の顔を窺う。

 興味が、湧いた。アーサー王以外の個人に、はじめて。

 ロホルトはモードレッドの様子に苦笑した。まるで幼い子供のように感じたから。

 

「モードレッド」

「っ……はい」

「ここからだとキャメロットまで遠い。一ヶ月は歩き通さないといけないだろう。だから、それまで話をしよう」

「話、ですか」

「そうだ。色々、たくさん、話して相互理解に努めようじゃないか」

 

 モードレッドがモルガンの間諜かどうかも、そうすれば判断できるだろうと考えてのことだ。

 少女は王子様からの提案に、小さく頷いた。

 

 

 

 ――死を偽った以上、キャメロットに帰るまで人の前に姿を晒すのは極力避けた旅だった。

 

 

 

 たったの一ヶ月かそこら。しかし二人と一匹しかいない旅。森の中を歩き、川沿いに歩き、獣を狩りながら過ごした時間。

 ロホルトは青年会で磨いた話術を惜しみなく注いで物語を語った。成人している者にも大好評だったから人を選ばず楽しませる自信がある。

 モードレッドが特に気に入ったのは、遠大で壮大な冒険の物語。人ならざる者に生み出された、人に似た生き物が多くの人を知り、失望し、しかし自身の夢を追う物語だった。

 モードレッドはその主人公にいたく感情移入して、物語の展開に一喜一憂した。時に怒り、笑い、悲しむ代わりに怒り、怒った。ほとんどの話の中で怒り続けて、翌朝に提案した剣の修行では八つ当たりのように激しく攻め立てられたものだ。

 だが物語の終わりに、人に似た人ならざる者は、人を超えた力を得た代償に寿命を失い、数日の後にこの世を去る。主人公はたった一つ得た自分だけの生命の答えを胸に抱え、満足して一人ぼっちで死んでいったのだ。その終わりにモードレッドは涙を流さず、声も上げずに無表情で頷いた。そして数日間何も喋らず、余韻に浸るように自己に埋没していた。

 

「殿下」

 

 昼間、川沿いに歩いていると、唐突にモードレッドは口を開いた。

 

「あの物語は、作り話ですか」

「いいや、実話だよ」

 

 一部嘘だ。ロホルトが脚色して、本当は無念の内に何も得られず死んだ主人公に救いを与えたのだ。

 かつてアイルランドから来た旅の吟遊詩人を招いて、青年会の皆で聞いた物語である。吟遊詩人は実話だと言っていたが、ロホルトは嘘だと断じた。が、語り手が実話というのだから、あるいは本当に実話である可能性はある。何せこの世はファンタジーだから。

 救いを主人公に与えた理由は――最後ぐらい救われてほしいという、ロホルトの我儘だ。そして感情移入しているモードレッドに、無残な終わりを聞かせたくなかったのである。

 

 モードレッドはロホルトの嘘を信じた。

 

「アイツが満足して死んだのは……答えを得られたからですか?」

「そうだね。持論になるけど、人生というのは如何にして満足したかだ。たとえ他人が非業の死と断じていようとも、本人がこれでいいと言うなら、それが一番だよ。自己満足が人生の意義だね」

「……そうですか」

 

 ロホルトは言いながら、なんとも薄っぺらい言葉だと失笑してしまいたくなる。自己満足――果たしてそれをロホルトが手にする時は来るのか。

 少女は足を止める。遅れて足を止めたロホルトとカヴァスに、彼女は静かな目で言った。

 

「殿下。貴方は私よりも強い。だから、私と戦ってください」

「いいよ」

「――いいのですか?」

「殺し合いじゃなくて、試合なら幾らでも相手になる。代わりにどうして私に挑むのかを聞かせてくれないかな」

「……私は、強くなりたい。強くなって、誰よりも卓越した存在になりたい。そうでなければ、私はあの理想の王に仕える騎士の中で一番になれないと思うのです。強くなったら……私も、私だけの答えを得られるなら……それはきっと、とても素晴らしいことだと思ったから……上手く言えないですが、そんな感じです」

 

 たどたどしく告げる様は、歳不相応に幼い。12歳も幼いと言えるが、更に小さな子供のようだ。

 ロホルトは真摯にその言葉を聞き届け、頷いた。いいだろう、望むなら今すぐに相手になる、と。

 果たしてモードレッドは一礼し、カヴァスが背負っていた宝剣を借り受けると即座に斬りかかってきた。それを難なく捌き、暫く試合を行う。

 やがてロホルトはモードレッドを打ち倒した。地面に背をつけて空をぼんやり見上げるモードレッドに声を掛ける。

 

「荒削りな剣だ。君の思想が透けて見える」

「………」

「モードレッド。君は剣術に拘りがないようだね?」

「はい。そんなものは、私にはありません」

 

 剣術など戦闘に於ける選択肢の一つに過ぎない。必要なら殴るし、蹴るし、噛みつきもするだろう。少女がそう言うと、王子も肯定的に応じた。

 

「道理だ。君の思想は何一つ間違っていない。騎士らしくはないけどね」

「……正直、意外です。私の考えは他の騎士にはウケが悪かった。騎士道をなんと心得るか、などと怒鳴りつけられたこともあります。殿下が道理だとお認めになるとは思いませんでした」

「んー……モードレッド、君は戦場に於ける騎士道とはなんだと思う?」  

「え……?」

「小綺麗な理想論、弱者の自己防衛……斜に構えたらそう見えるだろう。けどね、戦場の騎士道の本質はそんなものじゃない」

「……というと?」

「騎士道とは戦争を本当の地獄にしない為のものだ。戦争は愚かな殺し合いではあるけれど、戦争という闘争行為を際限なく激化させ、酷たらしくしない為の不文律なんだよ」

 

 遥か未来を、ロホルトは知っている。異なる世界であろうと、人類の文明が発達すれば行き着く先は同じだろう……ロホルトは、戦争から騎士道という名の戦士の倫理が排除された近・現代の戦争がひたすら凄惨であることを知識として識っていた。際限なく激化したが故の国家総力戦であり、更に深刻化したが故の世界大戦である。そういう地獄の底が知識にあるから、ロホルトは騎士道の齎す一見甘い理想に肯定的な見方をすることが出来る。

 無論、騎士道も良いことばかりではないし、そもそも戦争自体が悪だとは思う。戦争そのものを肯定する愚か者にはなりたくない、故に消極的肯定に留まる見解だった。

 

「要するに私が言いたいのは、全ての事柄に全肯定される物事はないってことだよ。戦争然り、騎士道という思想然り、剣術然りだ。君の考えは肯定されるべき正しさがあるけど、剣術という技術体系に於いては了見が狭い捉え方だと思う」

「では殿下は私の剣術は誤りだと?」

「そうだね。もちろん私が正しいという保証はない、しかし君が私を信じて師事するなら聞いてほしい。君の剣はただ荒く、型に嵌っていないだけだ。基礎がまだ出来ていない」

「基礎ですか。そんなものがなんの役に立つのです。基礎を修めた騎士も、私より弱かった。そして殿下の剣術にも基礎というものは――」

 

 苦笑する。ロホルトの剣術も、見様によっては荒いから。

 だが、違う。

 

「誤解しないでくれ。私はきちんと王道の剣を修めている。修めた上で、今の型を作っただけだ」

「そうなのですか?」

「ああ。ほとんどの騎士が剣術を学び、修めるのは、それだけ基礎という名の剣術の型が強いからだ。強くなければ型として後の代に伝わるわけがない。そしてその型を極め、昇華した者が王道の騎士なんだよ。円卓の騎士の殆どが、私の言う王道の強さを極めた者で、私は王道が肌に合わなかったから今の型に行き着いただけの話さ」

 

 師であるアーサー王も、ロホルトがこの獣のような剣術に行き着き、披露しても否定しなかった。辛辣に正論を叩きつけ、未熟さを突きつけてはきたが。

 当時のロホルトは全否定された気になって、反感を懐いていたが今は違う。アーサー王は……女性名で言うならアルトリアは、ロホルトの剣の技を認めてくれていたのだ。極めるのが困難な道だから王道の剣を身に着けた方が良いと助言してくれていたに過ぎない。

 回想して苦くなる表情を隠し、ロホルトはモードレッドに告げる。

 

「強くなりたいならまずは王道の型を極めるといい。その上でアレンジを加えて、更に鍛錬を重ねたら完全に型から脱却し、自らの剣の型を作るんだ。根底に王道があれば、いざ追い詰められても剣筋がブレることはなくなる。強さを支える土台になるんだよ」

「……なるほど。では、殿下がその王道を私にご教示してくださるのですか」

「もちろん。言いっぱなしで放り出すほど私は無責任じゃないからね」

「ではお言葉に甘えさせていただく。殿下……どうか私を、強くして下さい」

 

 ――それはモードレッドという個人にとって、おそらく生涯でたった一度の師事。

 上位者に素直に教えを乞う殊勝さを見せるのは、この時、この人にだけだろう。

 モードレッドは、ロホルトを師に仰いだのだ。

 

 旅は緩やかになる。ゆっくりと歩み、言葉を交わし、試合の中で見た改善点を指摘して、実際に剣を交えながら厳しく指導する。それはロホルトが湖で体験した充実感のお裾分けだった。

 モードレッドは剣の修行に熱中し積極的に教えを受けた。剣だけではない、夜中に焚き火を囲った時は眠るまで、物語ではなく色んな知識を求めた。ロホルトは嫌な顔一つせず、丁寧に応じて彼女が納得するまで付き合って。そして弟子が出来たことに内心歓び、いつしか素直に話を聞いて、素直に付いてくる少女を妹のように可愛がるようになっていた。

 

「……殿下は……いえ、なんでもありません」

「なに? 途中で言うのを止めるのはやめてくれ、気になるじゃないか」

「……言っても笑いませんか?」

「笑うわけがない、言ってごらん」

「……その、不敬と承知の上で言います。……殿下が、まるで……兄のように感じて……」

「――は? ……ふっ、ふふ、あはははは!」

「っ! 笑わないと言ったではないですか!」

 

 顔を真っ赤にして怒るモードレッドに、ロホルトは目の端に涙を浮かべるほど笑いながら謝った。

 

「ごめん、ごめんって。……私も妹が出来たみたいで嬉しくなっていてね、君が同じ気持ちになってくれたことが嬉しいんだよ」

「っ……そ、そう……ですか。……なら、いいです」

 

 幼い。あまりに、内面が幼すぎる。だがそうである故にロホルトはモードレッドを可愛がっていて、底なしに甘やかしていたのだと思う。甘いだけでなく厳しい優しさで接してもいた。

 それが通じていたのだ。……モルガンの間諜の可能性? そんなものはないと確信している。ロホルトはもう、モードレッドを自分の騎士として引き受けたくなっていた。

 

 旅は、まだ続く。

 だが終わりは近づいていた。

 毎日を噛み締めるように歩き、足跡を残しながら、川沿いに進む。

 キャメロットへと続く川を見つけたのだ。

 

 毎日語り合い、剣の修行をして、世間知らずだったモードレッドに常識を教えつつも、嫌になる部分にも触れて共感を得て。モードレッドはすんなりと、ロホルトの懐に入り込んでいた。

 

 ――モードレッドは、ロホルトを敬愛した。

 

 アーサー王は卓越した理想の王だ。そしてその王子もまた、卓越した理想の人である。モードレッドは兄のように温かいロホルトの光に触れて、途方もなく巨大な安心感を得ることが出来た。

 夢は変わっていない。しかし、一つの夢が増えた。

 (オレ)は、この人と共に生きたい。この、どうしようもなく国へ奉仕する義務に沿う人を支えたい。

 モードレッドは幼い心に、純粋な尊敬の気持ちを懐いたのだ。

 

 ――だから。

 

 川の上流から流れてきて、自分達を追い越した筏の上に乗っていたものを見た時、言語を絶する憎しみと怒りを燃やすことになった。

 

「こ……れ、は……」

 

 ロホルトが絶句する。筏の上には、二人の女性の死体があったのだ。

 仰向けに寝かされ、腹の上で両手を重ねた女性の顔に見覚えがある。

 そして手紙を死体が持っていて。

 死んでしまったロホルト王子に恋し、愛した故に絶望して生命を自ら断った旨が記されていた。

 

「――ふざけるなよ」

 

 真っ先に手紙に気づき、目を通したモードレッドは激怒した。

 

「テメェの弱さを殿下に押し付けて、自殺した挙げ句にキャメロットに流れていくつもりだったのか? どこまでふざけてやがる、コイツらはッ!」

 

 死ぬなら勝手に死ね、黙って死ね、ロホルトに罪があるかのように言うな。

 怒りに駆られて筏を赤雷で沈め、死体ごと川に沈めたモードレッドの暴挙にロホルトは我に返った。

 なんてことをするんだ! そう叱責するロホルトにモードレッドは言い返した。

 

「お言葉ですが! 殿下がこんな奴らの死に責任を感じる必要はありません! 全部コイツらが招いた自業自得の馬鹿げた自殺です、元々殿下はコイツらの求愛を断っていたんでしょう? なのに無理に追い、挙げ句に散々迷惑を掛けて、最後には勝手に絶望して勝手に死んだだけの愚か者だ! 殿下が気にすることなんて全くありません!」

 

 言いながらモードレッドは思う。

 

 やはり、雑魚は嫌いだ。人間は愚かだ。

 

 アーサー王やロホルト殿下のように、卓越した方だけを、モードレッドは見詰めると誓う。

 

 有象無象の虫けらが――敬愛するロホルト(あにうえ)を、よくも傷つけてくれたな。

 

 

 

 

 

 

 

 





 どこまでも逃げていく王子に焦がれ、怨み、憎んだ。そして恋ゆえに王子を手に入れたい妄執に身も心も焼かれ、遂にその身は竜と化してしまう。
 その正体は最初に王子様に救われた姫と、その供である魔術師、そして姫同様に王子に救われた女魔術師と呪われた母を持つ姫の融合体。王子を喰い殺しその血肉と一つになるのを望む。
 しかし幻想の頂点にまで上り詰めて変生しようと、所詮戦う術も竜の性能も活かせぬモノ。英雄たる王子にはまるで歯が立たず、兜の騎士と王子、どちらか一方だけでも容易に討ち果たせる程度だ。遂には恋い焦がれた王子に正体へ気づいてもらうことすら出来ずに死んだ。

モードレッド
 自らよりも強い上に、憧れの王の血を引く王子へ嫉妬した。だがキャメロットに帰還する王子に同行を許され、共に旅をすると嫉妬は容易く霧散させられてしまう。
 彼が友好を深める為に語った物語に惹かれ、子供のように目を輝かせて熱中したのだ。嫉妬は自然消滅し、王子の人柄に触れ、彼もまた騎士王のように卓越した存在だと素直に認めた。
 キャメロットに着くまでの間、少女は王子と語らい、時に師事し、自らの強さを高める。そうした道程の中、少女は王子を師として、王子の思想に触れ、人を超えた在り方に敬服する。
 少女は戦闘の天才である。だが如何に植え付けられた知識と力があろうと、まだ人生経験が浅く素直さを残した子供だった。故に彼女は生真面目に相手と向き合い、心の中にある憧れという名の席に椅子を一つ増やすことへ、特に抵抗を感じることがなかったのだ。

ロホルト
 「え?」
 誰かさんに非常によく似ている少女に、ロホルトはとてもよくない誤解をしてしまう。母親の王様を孕ませた男は正体不明。第一候補はケイで、第二候補はマーリンだったが、まさかの第三候補として筋が通りそうなロット王の参戦に戦慄している。ロット王が叛旗を翻した本当の理由は、王という象徴に縛り付けられている少女を救おうとしていたからではないか、などという妄想まで脳裏に駆け巡らせてしまう。もしそうだとするなら……。
 しかしモードレッドは母親として知らぬ名を上げたし、モードレッドの申告した年齢から逆算して考えると、ロット王とアーサー王が交わる時間はなかった。なので単なる他人の空似と判断。元気に暴れ出しそうだった胃が沈静化して安堵する。
 オレに父親なんかいない。いたとしても他人だと割り切って、考えるのはやめた。


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15話

評価してくれたらとっても嬉しいんだからね!勘違いしないでよね!





 

 

 

 

 

 

 満天下を祝福するかの如く晴れ渡った蒼穹の下、盛大に執り行われようとしているのは、一人の貴人を栄光の席に列する騎士叙任の儀。

 

 ただの騎士ではない。前任の騎士よりも優れた武勲と勇気を有した者のみが就くことを赦され、それが出来なければ花の魔術師に掛けられた魔術により、無資格者は円卓の席から弾かれてしまう、ブリテン王国で最も栄誉と羨望を集める位階――伝説の円卓の騎士だ。

 

 たった今、円卓に就く資格を有した者がキャメロットへと帰還する。

 

 ブリテン史上最年少で従騎士の位を手にし、騎士への叙任と同時に円卓に迎えられる英雄的傑人だ。幼少の頃から発露してきた逸話の枚挙に暇はなく、人並外れた知能を示し、度々騎士王に改革の献策を捧げ英邁さを謳われる者。周知の事実なのはブリテン王国に文字による記録の文化を施行して、大陸の世界帝国ローマにも存在した下水道の作製を企画、実行したことであった。

 その他にも数々の策を献じたとされ、ブリテンの薄弱な官僚層、国力では残念ながら実現不能としてほとんどの実行を見送られた――後世の評では生まれるのが早すぎた賢者であり、当世に於いては生まれるのが遅すぎたと密かに嘆かれた天才である。王国がここまで貧しくなる前にさえ生まれてくれていたならと、知恵者達のほとんどが溜息を溢したという。

 優れているのは知略のみではない。

 齢十五にして凶悪な巨人を討ち、数多くの匪賊を掃討して民を救った。多数の女性達との華やかな旅路の中、悪徳を働く領主や害なす獣を成敗し、果てはサクソン人の国から攫われた姫を、正体を知らず悪の騎士から救い、敵対する国同士の王子と姫という立場から別れざるを得なかった悲恋の噺を詠われる。まさに其の武勇と義心は騎士の中の騎士と称するに不足のない大器であろう。

 

 ――光の中で輝き、闇を深めてこそ。

 

 魔女の働きにより幾らか脚色され広められた噂は、早くも吟遊詩人の飯の種として歌となる。其れこそはブリテン島の全ての人々が知る最新の英雄譚だ。

 王都たるキャメロットに住まう民達が、今か今かと時の人の帰還を待つ。

 多くの騎士が宮殿外の階下へ左右に別れて整列し、階上の広間で十一人の騎士と少年王が待ち構え、早くその時がくるのを望んだ。王の傍らには、ブリテンで最も高貴な血を継ぐ王妃が控えている。

 やがて遠望できる白亜の城の城門が開かれた。左右に別れた正門から二つの人影が現れ、堂々と歩む二人の傍らには大狼の如き白い獣が侍り、長身の若き王子が目配せすると兜の騎士と大狼は脇道に控えて止まり、王子は大通りの中心を怖じることなく歩んでいく。

 

 歓声が上がり、左右の家屋や建物の屋根にいた民達が、集めた花弁を投げて虚空に散らした。花びらが王子の道を鮮やかに彩る。そして王子の姿をよく見ようと目を凝らして――息を呑んだ。

 王子は立派に成長していたのである。其の麗しさは高貴の体現。185cmはあろうかという体躯と、肩を毛先が撫でる眩き金の御髪――何より白皙の美貌は憂いを秘めて青白くなり、悲恋の名残りが刻まれたことでゾッとするほどの色香を纏っていた。

 魔性めいた月明かりの如き其の色気は、気を強く持たねば乙女を狂わせかねない引力がある。妖しい月の光と溶け合う王威は、民衆のみならず英傑をも心酔させる威力があった。

 

 歓声が消え、どこかうっとりしたような吐息と、自らとは違う生き物の美を鑑賞したような感嘆の声に取って代わられる。住んでいる世界が違う、隔絶した次元のモノを見る目線。

 ほう、と感心したように吐息を漏らしたのは王の傍らの太陽の騎士。お強くなられたと彼は呟き、しかし愛息の姿を一年ぶりに目にした王と王妃は背筋が凍っていた。

 まるで人が変わったかのような、研ぎ澄まされ過ぎて切れ味を増し、代償に繊細さを得てしまった儚い雰囲気を感じたのだ。血を分けた肉親だからこその直感である。何かがあったのだと、王と王妃は言葉を交わすまでもなく察し、心配してすぐにでも駆け寄りたくなる。

 

 グッと堪え、王子が階上に登ってくるのを待った。

 

 王は愛息の武勲と、一年の旅を労い、そして騎士の称号と円卓の座に迎える旨を公式に伝え、祝福の言葉を出来るだけ長く述べる。片膝をついて頭を下げていた王子の肩に、王剣クラレントを添えて叙任の儀式を済ませると、捧げるように差し出された王子の両手にクラレントが授けられた。ワッ、と民衆が大歓声を上げる。騎士達も祝福するように温かな拍手を送った。

 王剣クラレントの授与。それは王権の正統なる後継者に指名した証である。本来なら現王が引退間際に授与式があるものだが、今の王国では別の意味合いがあった。それは不老不死の永遠の少年王が君臨するからであり、少年王が王剣を授けた相手は正式に『アーサー王に次ぐ権威の持ち主』になることを意味しているのだ。

 

 誰よりも熱心に拍手しているのは、月明かりの騎士と号される王子を熱烈に支持するペリノア王だ。まさしく豪傑と称するに値する厳つい容貌の彼が、そうまで手放しに喜ぶからこそ、未来の明るさを民草は夢想できてしまう。王子は人知れずペリノア王を一瞥し、次いで先ほどとは打って変わって酷薄な目でペリノア王を見るガウェインとガヘリスを見た。

 ガヘリスと目が合う。一年ぶりの再会を祝すのはまた後ほど、今は別の意を込めて頷くと、ガヘリスもまた残酷な笑みを口許に佩いて頷きを返す。自らの騎士が密かに太陽の騎士へ耳打ちするのからは目を切って、王子は王の赦しを得て立ち上がると、王と騎士、そして民草に向け宣言した。円卓に迎えられし騎士の一人として、何より王剣を担いし王子として命を国に捧げると。

 

 あまりに自然体のまま、当たり前のように告げた言霊は、揺るがぬ真実として大衆に受け取られ、民衆と居並ぶ騎士達は今まで以上の歓声と拍手で王子の宣誓を歓迎する。

 其の様をどこか無力感に苛まれる瞳で見詰めて……一年前の炎のような気迫が、氷の透明感へ変貌しているのに気づいていた父母は、心から心配そうに愛息の横顔を視界の中心に据え続けた。

 

 ただ一人、王子と最も親しい友、ガヘリスだけは更に深く気づいていた。

 

(きず)を負われましたな、殿下。その疵が……殿下を成人(完成)へと至らしめたとは)

 

 ――透明な氷の奥深くに、決して絶えぬ炎が変わらず燃え盛っているのを。

 母のように麗らかな光しか知らず。父のように苛烈な光を危ぶみ労るばかりでもない、光と闇の双方を間近で見続けた友は王子を小さく言祝いだのだ。

 

「私もお供します。どうか自らの定めた道を往かれますよう」

 

 異端の騎士は主君にして友である王子の疵を癒やすのではなく、労るでもなく、傍に仕える騎士として忠誠を新たに誓い直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長くも短くもあった叙任の儀(アコレード)を終えたロホルトを、アーサー王は宮殿の自室へと呼び寄せた。

 

 簡素ではない。王の居室が質素であれば、権威に関わる故に。しかし決して豪華でも華美でもない、穏やかで空気の澄んだ平和な部屋だ。

 椅子に腰掛けたまま王子が訪れるのを待っていた王は、王子が来訪してくると短く労った。

 

「よく帰った、ロホルト。一年ぶりだ」

「はい。改めまして、ただいま帰りました、父上」

「ああ。……ここに座りなさい」

 

 対面に用意していた椅子を勧められ、ロホルトは礼節を意識して挙措に気を配り椅子へ腰掛ける。

 いざこうして見ると、王はやはり小さい。小柄だ。ロホルトは複雑な内心を押し隠す。対してアルトリアは息子の成長に改めて驚いていた。

 大きくなった。一年前までは同じぐらいの身の丈だったのに、今はもう頭一つ分は確実に大きい。身に積んだ武の気配、力の厚みが増したのが明確に伝わる。アルトリアは愛する息子の成長を喜ぶ心と、その過程を見ることが出来なかった寂寥に目を細めた。

 

「父上、話とはなんでしょうか」

 

 アルトリアはロホルトに、大切な話があると言って呼び出したのだ。

 早速とばかりに本題に入ろうとするロホルトに、アルトリアはムッとしてしまいそうになる。

 言いたいこと、伝えたいことが山ほどあった。一年前、息子が旅に出る別れ際に言われたことを、アルトリアは自分なりに考え、何処かへ遍歴しに行って帰ってきたケイに相談して改めようと努力もしてきた。夜、一人になった寝室で、対ロホルトの会話術をトレーニングしたりもする涙ぐましい努力だった。……それを披露させてはくれないのか。

 恨みがましい気持ちになりかけるのを自制する。アルトリアはひとまず手短に前置きして、出来るだけ事務的になり過ぎないように話をしようと気を引き締めた。

 

「本題に入る前に言っておきたいことがある」

「なんでしょう」

「うん……よく、無事に帰ってきてくれた。お前に何かあったらと心配していた。……大過なく旅を楽しめたか? ずっと私や国の為に尽くしてきたロホルトが、少しでも心身を休められたのなら私も嬉しいが……」

「……父上? 風邪でも引かれましたか? お疲れのようでしたらもう休まれた方が……」

「風邪など引いていない」

 

 王子のあんまりな反応に、今度こそ王は内心腹を立てる。が、愛息にそんな物言いをさせたのが今までの己なのだと内省し、なんとか親として情けない怒りを表に出さなかった。

 ロホルトは薄く笑んだ。流石に融通が利かず生真面目なこの人も、一年前の別れ際に放たれた嫌味は堪えていたらしい。相変わらず『父親』がヘタクソだが、親心は辛うじて感じられた。

 

 ロホルトは今のアルトリアになら伝えようと思える。この一年間の旅の中で何があったのか、ケイと会って話をしたことだけ伏せて、残りは余さず詳細に語った。

 愛する我が子の旅の報告を聞いて、感想を伝えられ、アルトリアは最初、肩の荷を降ろした自由な旅の話に頬を緩めた。こうした報告をしてくれる事が、とても嬉しかったのだ。

 しかし巨人との戦いで油断して死にかけた話を聞かされた時は怒り、湖で既に仕官して母国奪還の兵を借り出陣したランスロットと出会い、親友となった話で喜び、ヴィヴィアンから聖剣を授けられたという話を聞いて誇らしく思った。だが――その後の苦労を知るとアルトリアは無表情になる。出会った姫や乙女達の素行を知り、竜を討伐した際に死を偽って、共に戦った遍歴騎士モードレッドの話を聞いたまではまだいい。しかし帰還してくる最中に、王子の偽死を信じて自殺した女達の話を聞いて、アルトリアは言い様のない溶岩のような感情を懐く。未だ嘗て体験したことのない、暗く熱い激情だ。

 未知の感情を出力するのに不慣れで、表情と言葉を失ったアルトリアにロホルトは苦笑した。

 

「相変わらず、私に対しては分かりづらい反応をしますね。どういう感情なんですか、それは」

 

 軽い嫌味を言うロホルトに、アルトリアは何も言えなかった。

 そんなに辛い目に遭ったのに、なんでもないように振る舞うなんて……傷ついただろう、自分の選択や遣り方が間違っていたと思って苦しんでいるだろう……なのに平気な顔をしている。親であるアルトリアの前でぐらい、もっと素を曝け出してくれていいのに。

 いや、出せなかったのだろう。アルトリアは迷いながら立ち上がり、椅子に座ったままの息子の頭を両手で掴むと、不器用に自身の胸の中に抱き寄せた。

 困惑する気配。そういえば、今まで一度も、撫でてあげたり、抱き締めてあげたこともなかった。他人相手なら慰める為の言葉を思いつけるはずなのに、息子にはなんと声を掛けたらいいか分からなくなる無様さを思い出す。

 だから、より強く抱き締めた。

 

「………」

「………」

「………」

「……父上。いつまでこうしているのですか? 私はもう大丈夫です」

 

 暫くそうしていると、ロホルトはつい耐えかねたように身動ぎし、微かに抵抗する素振りをみせる。

 アルトリアが離れると、ロホルトは呆れていた。

 

(……隙のない完璧な人だったのに、こうしてみると隙だらけじゃないか)

 

 男には有り得ない柔らかさを感じた。確信が事実であると確認できてしまったというのに、アルトリアは自身の迂闊さに気づいていない。

 だが――ロホルトは()()()()()よりも、アルトリアが親として振る舞おうと藻掻いていることをきちんと感じ、アルトリアの子として嬉しくなったのは事実だ。だから、それを伝える。

 

「ありがとうございます。心配してくれたんですね」

「……当たり前だろう」

「その当たり前が一年前までの父上は出来ていなかったのですが?」

「うっ……それは、すまないと思っている……言わなくてもお前になら伝わっていると思っていた」

「言われないと分からないのが人間ですよ。言われても分からない時もあるのに、言葉にしないでどうするというのですか。いいですか父上、もっと雄弁に語って下さい。貴女はいつだって一言足りないんですよ」

「……なんで心配した私が叱られている……?」

 

 納得していないようだったが、ロホルトの諫言をアルトリアはしっかり受け止めた。今後は気をつけると言って反省したアルトリアに、ロホルトはこの不器用な人とやっと向き合えたと思った。

 それが、ロホルトは嬉しい。嫌いなのに変わりはない、しかし血は水よりも濃いとはよく言ったもので……肉親に対する感情は単純ではないのだと実感する。嫌いでも……大切なのだ。

 アルトリアは咳払いをした。

 

「それで……本題だが」

「話の導入がヘタクソ過ぎません?」

「……見ない内に更に辛辣になった。それは成長なのか?」

「成長ですよ。今まで思っていても言わなかった本心を伝えているんですからね」

「そ、そうか……」

「それで、本題とはなんでしょう」

 

 さっきからお小言(ジャブ)で打たれるのにアルトリアは微妙な気持ちになる。

 しかし本題の重要性を思い出し、アルトリアは気を引き締めた。

 

「本題は――お前の婚姻に関する話だ」

「ああ……」

「旅の話を聞くに良縁はなかったらしい。だから私の方で手配するしかないが……ロホルトが旅の中で良縁に巡り合わなかったのだけは朗報だった」

「……どういう意味ですか」

 

 不穏な気配を感じて警戒するロホルトに、アルトリアは声を上げる。誰かある! と大きな声で。

 すると扉がノックされた。扉越しにアルトリアが短く「連れてきてくれ」と命じる。

 

「……誰を呼んだのです」

「少し待て」

 

 なんだというのだ。ロホルトは微かにアルトリアを睨むも、気まずそうにするだけでアルトリアは答えようとしない。実際に会った方が話は早いということなのだろう。

 嘆息する。政略結婚は仕方ないと諦めていたが、帰還してまだ一日も経っていないのに相手と引き合わされるとは思ってもいなかった。

 黙ってアルトリアに呼ばれた相手を待つ。

 暫くすると気配を感じて、扉の方に視線を向けた。足音の重さ、質、歩幅を明確に感じ、まだ大人ではないと判断して訝しむ。誰だ? 年上の女性が来るものと思っていたが……。

 

 そして、再び扉がノックされる。入れとアルトリアが告げ、現れた少女の顔を見た時、ロホルトは驚愕の余り絶句してしまった。

 アルトリアは重々しく言う。どこか困ったように眉を落とし、愛想笑いをする少女を見ながら。

 

「実は一ヶ月前に、な……彼、いや彼女が実は女性だったことが露見した。優秀な騎士になると目されていたが、女であることを隠していたと知られたら、騎士の道は断たれてしまったも同然だ。彼女の身を保護する為に、お前の婚約者の候補にして待っていてもらったのだ」

「――――」

 

 絶句するロホルトはアルトリアの説明を聞き。

 見詰められている少女は、気まずそうにロホルトへ挨拶した。

 

「え、えへへ……お、お久しぶりです、殿下……おかえりなさい! 私、殿下と会えて嬉しいです!」

 

 そう言って無理に笑った少女の名を、ロホルトは愕然としながら口にする。

 

「が、ガレス……?」

 

 

 

 

 

 

 

 




アルトリア
 なんとか親として接する為にも、睡眠時間を削って猛練習(イメトレ)に励んできた。
 現状、これが上限一杯の限界。
 不慣れなことに頑張りすぎて、完璧な王の仮面が剥がれてしまった。
 ロホルトからのお小言は耳に痛いが、ちょっと嬉しい。

ロホルト
 成長期終了。プーサーと異なり成長期をしっかり終えた為、恵体。
 身長185cm体重80kgの筋肉質な体型だがファンタジー細マッチョ。
 声変わりも終わっている為、プーサーより若干声が低く、精悍。
 血が水より濃いことを実感。
 しかし直後に引き合わされたガレスに気絶しそうなほどの衝撃を受ける。

ガレス
 本格参戦。なぜか性別がバレた。なんでだろう……? 騎士になれないと分かった時は悲嘆に暮れ、失望していたが、ロホルトの婚約者候補にされて悲嘆と失望を忘れるほどの衝撃を受ける。
 でもロホルトならなんとかしてくれると無邪気に信じて待っていた。


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16話

 

 

 

 

 

 第一王子であるロホルトの部屋は、アルトリア同様必要最低限の家具と装飾を持っただけのものだ。

 一人で暮らすには広すぎ、かといって王侯貴族の部屋としてはやや質素。そこへ先んじて案内され、待機を命じられていた兜の騎士は、部屋の主が帰って来たのを見て表情を明るくする。

 兜を被ったままで、だ。故にロホルトが見知らぬ少女と連れ立っているのに気づいた時、露骨に嫌悪と侮蔑を顔に出しても、ロホルトと邪魔者に悟られることはなかった。

 

「殿下、お待ちしておりました。……そちらの方は?」

「待たせてごめん、モードレッド。この子はガレス、私の立ち上げた青年会のメンバーだよ」

 

 立ったまま長時間待っていたらしいモードレッドに苦笑し、椅子を勧めて自身も腰掛ける。ロホルトが座るのを待ってから一礼し、椅子に腰掛けたモードレッドは、ガレスとの距離感を視線で推し図ろうとした。しかしガレスは人に慣れていない猛獣のようなモードレッドの様子に構うことなく、にこやかな笑顔で明るく挨拶を投げる。

 

「はじめましてモードレッド。私はガレス、殿下からお聞きしたんだけど、私のお父様の子供なんだよね。なら私は君のお姉ちゃんってことになるから、これから仲良くしていこう!」

「……はじめまして、ガレス殿」

 

 あからさまに不快感を出し、心理的な距離を地平線の彼方まで離しながら、モードレッドは儀礼的に小さく頭を下げた程度だった。

 モードレッドより一つ年上のガレスは今、貴族の子女が纏う橙色のドレスを着ている。そうした格好のガレスを見ると、短髪でありながら明確に少女であると分かる可憐な顔立ちをしていた。

 毛先の黒い二房の髪は、ともすると子犬の垂れ耳のように見える外ハネ髪であり非常に愛らしい。彼女の手は白く、指や爪も綺麗で、手入れがきちんと為されている。苦労を知らなさそうな手だと、兜の騎士が蔑みの念を懐いても無理はないかもしれない。姉貴面をしてくるのも不愉快だ。――だがモードレッドはガレスを内心で貶す為に観察すると、持ち前の勘の鋭さで気づいた。

 

 彼女の佇まいに隙がない。才児が騎士として過酷な修練を積んでいる印象を覚える。

 

 へぇ、流石に殿下が部屋に通す女だ、単なる雑魚じゃなさそうだな……と、モードレッドはガレスへの印象を鬱陶しい女程度に留めた。

 二人の様子を見ていたロホルトは、ガレスがモードレッドの反応で困ったように眉を落としたのを見咎めて、嘆息しつつ間に入ることにする。モードレッドの考えてそうなことが分かる、この子は単純だから。強いか弱いかを見て、弱くはないとでも思ったのだろう。

 実際は、今のところガレスの方が数段上の実力を持っているのに。

 

「君達は長い付き合いになる。私を含めてね。だから親交を深めてほしいから……モードレッドにはガレスの来歴と、彼女をこうして連れてきた経緯も説明しておこうか」

 

 ガレスはその性格と見た目から侮られがちだが、武勇という面で見てガウェインにも劣らぬ才能を秘めた麒麟児だ。

 あと五年もすれば、三倍の力を発揮する日中のガウェインを相手に、二時間は槍一本で渡り合える実力を手に入れると目しているし、ガウェインもまた同様の見解を示している。

 

 ――事実。ガレスはガウェインに似た能力を持つ赤騎士イロンシッドと死闘を繰り広げ、窮地に陥るものの撃破せしめる騎士となる、はずだった。

 

 ロホルトはモードレッドにガレスの身の上を紹介する。

 ロット王と魔女モルガンとの間に生まれ、ガウェインやガヘリスとは異なり幼少期を母の許で過ごしていた。だが騎士として活躍するガウェインに憧れ、ブリテン王国の騎士になる夢を懐く。

 しかしブリテンに来たばかりの幼いガレスは小姓にもなれず、厨房に配属されるはずだったが、どういうわけか彼女がキャメロットに来ていることを知ったらしいガヘリスに身元を明かされ、正式に小姓となって騎士になる修行をはじめようとしていた。そこをロホルトにガヘリス共々一本釣りされ、王子の創設した青年会に加入することになったのだ。

 だがガレスには秘密があった。実は、ガレスは女の子だったのである。

 

「っ……」

 

 モードレッドが顔を顰める。

 性別を隠して修行に励んでいたガレスだったが、つい先日――正確には一ヶ月前に、突如としてガレスの性別が露見してしまった。

 なぜ秘密が暴かれたのか、原因を知る者はいない。

 しかし暴かれてしまったからには是非もない、ガレスは女だからという理由で夢を断たれ、その血筋故に安易な処罰は躊躇われた。故にガレスが性別を隠して騎士の修行に励んでいた理由を、ロホルト王子の妻になる為の花嫁修行の一環と銘打って誤魔化したのだ。

 そうでもしなければ、騎士の中の騎士であるガウェインの妹が、犯罪者として処罰されるという不名誉が付き纏うことになるし、ガレスを溺愛するガウェインとガヘリスが王に、どうかガレスを罰するのはおやめくださいと懇願したからそのような措置が取られた。

 騎士の修行がなぜ花嫁修行になる? そうした当然の疑惑を、アルトリアはこう言って躱した。「我が王子ロホルトは、自身が迎える花嫁の条件として、共に国の為に戦える同志を求めた。一流の騎士に劣らぬ武と、清廉な精神、そして国政に携われる知を具える者――斯の如き逸材は、私の知る限りガレスを於いて他にいないだろう」と。

 

 こうして一転、騎士見習いから王子の婚約者候補にされたことで、ガレスは身分を偽っていた罪を免れることになったのだ。――父上にしては人情溢れ、機転の利いた誤魔化しだと思うのはかなりの偏見だろう。ロホルト以外にはとても気を利かせられる人なのである。

 だから苛つくわけだが。

 なんでだと詰問したくなる傾向として、アーサー王は自身に近しい者にほど接し方がヘタクソになる。騎士ガウェインなど、昼間は老婆になる女性と王命で結婚させられたわけだし、それに負い目があるから王はガウェインの懇願を流せなかった側面はあるはずだ。

 ともあれこの機転を、ロホルトは素直に讃えた。素晴らしい対応である。ロホルトはガレスの夢を応援していたし、夢を叶えてほしい、そして共に国の為に戦ってほしいと願っていた。こんな形でガレスの夢が断たれていいわけがないと心から思っていたのだ。

 

 故にロホルトは決めた。アルトリアのファインプレーにより、自身の婚約者になったガレスには、これまで通り騎士の修行をしてもらう。そしてガレスが妻の座についた後は、公然と彼女を自身の騎士として扱えばいい。文句は言わせない、誰も言うことは出来ない、なぜならば――ロホルトはあと半年後にオークニーの王になるからだ。

 

「は? 殿下が……オークニーの王に?」

 

 モードレッドが兜の内側で目を見開く。ロホルトはニヤリと口許を歪めた。

 

「ああ。元々そうなるよう密かに手を回していたが、先程父上にも打ち明けて説得してきたよ。私がブリテン王国の継承権第一位を保持したままオークニーの王になれる形が、想定外の流れだったけど出来たからね。ロット王の娘を娶れば正統性が手に入る、私が王になれば間接的に父上の保有する軍事力が上がる、ガレスは私の我儘という形で騎士になれるし――モードレッド、君をガレス付きの近衛騎士ということにしたら、君が兜で顔を隠す必要もなくなるだろう。騎士として働く王妃の身辺を守るなら同性の方が都合が良いと言い分も立つからね。そして私も煩わしい結婚問題に片がつく」

 

 ガレスは従妹だ。普通に近親婚になる。しかしこの時代、この世界だと珍しくないものだ。

 ロホルトの個人的な感性では受け付け難いが、『国益』と『従妹の夢』に適うとなれば是非もなし。個人的な抵抗感など蹴り飛ばし、ロホルトは王子としてこの婚姻を受け入れた。

 何より潔癖症とされるロホルトに憧れるガレスは、ロホルトを見習って毎日体を洗っている為か臭くない――これがどれほど重要か、残念ながら共感してくれる人はあまりいないのが現状だ。

 

 モードレッドは素顔を堂々と晒せるという点に悪い気はしなかった。というより、ロホルトが自分のために色々と考えてくれたのが嬉しかったのだ。

 しかし地頭の悪くないモードレッドは疑問を覚える。

 

「殿下、たしか今のオークニーを治めているのはペリノア王でしょう。ペリノア王からオークニーの支配権を奪い取ったら内紛の芽になるのでは?」

「大丈夫、()()()()()()。というか彼は私を贔屓してくれていてね、私がオークニーの支配権を求めたら、ほとんど無条件で譲ってくれるはずだ」

 

 今なら分かる、ペリノア王は騎士王の秘密に勘付いているのだと。勘付いた上で今まで黙ってくれていたことには感謝しているし、男であるという理由でロホルトを推すのも無視できる話だ。

 しかし現在の王国内で、ともするとアーサー王にも比肩する影響力の持ち主など目障りでしかない。あまつさえロホルトまでペリノア王に大きな借りを受けてしまえば、それこそアーサー王に次ぐ第二の大王としての名声を確立してしまいかねなかった。

 

 故に――ガウェインがペリノア王に復讐心を持っているのを赦していた。

 

 計画の実行は、ロホルトがオークニーの王冠を戴く前。つまりは半年後が期限だ。

 『ペリノア王に譲られた王位』という外聞を失くす為、復讐に燃えるガウェインとガヘリスは、ペリノア王が趣味とする冒険に出た時に襲い掛かる手筈になっている。幾らペリノア王が現円卓にて最強の名声を有していても、寄る年波には勝てず弱体化しているのだ。騎士として脂の乗った年齢であり、全盛期のペリノア王にも劣らぬ強さと、日中は三倍の力を得るガウェインがいれば、万が一もなく暗殺は成功するだろう。ガへリスもいるとなれば仕損じる可能性は皆無である。だが念には念を入れて保険の手も打っていた、ペリノア王には申し訳ないが確実に死んでもらう。

 あの騎士の鑑であるガウェインが、私怨で他者を暗殺するわけがなく。彼が汚名を被ってでも暗殺に手を染めるのは、ペリノア王がアーサー王やロホルト王子にとって邪魔者だと理解して、なおかつガヘリスの説得と、ロホルトからの追認を受けたから実行するのだ。

 一瞬、ロホルトは機械人形の如き冷気を瞳に宿す。しかしガレスの麗らかな日差しのような声で、ロホルトの意識は悩ましい現実に引き戻された。

 

「あー……うー……で、殿下? そのぉ、ですね……王妃になったとしても、あっ、殿下のお嫁さまになるのも恐縮っていうか、身に余るお話なんですけれどっ、騎士にしていただけるって話も本当に嬉しいんですが……その、お嫁さまになったら、ですね。やっぱり私が殿下のお子を生まなくちゃいけなくなると、思うん……ですけど……」

 

 言いながら顔を真っ赤にして俯いたガレスに、ロホルトは色んな意味で背中が痒くなり、苦くて申し訳なくて、おまけに満更でもないような気もしたが。

 苦笑して二つ年下の少女の前に片膝をつき、俯いた少女の顔を見上げながら優しく言った。

 

「それも大丈夫。今の私には打開策は思い浮かばないけど、きっと未来の私がなんとかしてくれるさ」

 

 ずばり将来の自分への問題の丸投げである。

 ガレスは純粋に騎士になりたいだけで、色恋沙汰なんて興味はない子だ。

 仕方ないとはいえロホルトの妻になるのは既定路線だし、もう避けてはならない道である。

 ならその道の先で幸福になれるように計るのがロホルトの役割だろう。

 そうだ。残念なことに、口惜しいが、今のロホルトには世継ぎ問題は手に負えない。だが未来の自分がきっとなんとかするはずだし、なんとか出来ないなら周囲に助けを求めよう。

 

 だからなんとかしてくれよ、未来のオレ――と、ロホルトは痛切に願って。モードレッドとガレスを交互に見渡し、強がりとバレないように王子様スマイルを浮かべて言った。

 

「君達の問題は全て私が請け負う、大船に乗ったつもりでいてくれていいよ。だから二人は力を合わせて、互いに助け合ってくれ。いいね?」

「はい! 任せて下さい、殿下!」

「(チッ……)殿下がそうお命じになるなら……努力はしてみます」

 

 満面の笑みを浮かべて胸を叩くガレスと、明らかに嫌々返事をしたモードレッドの対比に、ロホルトはついつい笑ってしまった。可愛い従妹達の仲が険悪になるのは見過ごせない、モードレッドがガレスと仲良くなれるように、二人の橋渡し役もやっていこう。

 

 ……こういう小さな問題ばかりなら、全然お腹は痛くならずに済むのにな。

 

 ロホルトは一瞬遠くを見て、内心そう一人ごちた。

 

 

 

 

 

 

 




ペリノア王
 星の巡りが悪すぎた、善良さと野蛮さを兼ね備えた豪傑。
 彼は今回の件で何も非がない被害者である。
 それでも今後の未来に、ペリノア王へ用意された席はないのだ。

ガウェイン
 汚名を被ってでも暗殺を実行する忠義の騎士。
 私怨からこうした仄暗い所業に手を染めることは基本的にない。

ガヘリス
 騎士道に悖る行為を前に、渋る兄を説得して後押しする。
 全ては主の為、汚れるのは自分の役割だ。

ガレス
 本作ではモードレッド(の自己申告した年齢)より一つ年上ということに。
 妹が出来て嬉しいが、妹扱いを拒絶されるのでしょんぼりすることになる。
 だがモードレッドがいけないことをしたら即座に叱る、お姉ちゃんムーブはやめない。
 憧れの王子の正妻になることを受け入れたが、騎士として務めるのを最優先にしたいと思っている。
 なるようになるからいいか! と非常に前向き。
 殿下なら悪いことにはしない、殿下ならいっかな、と思っているようだ。
 同時に自分は殿下に釣り合わないから、愛人として別の人を愛しても受け入れようと覚悟している。

アルトリア
 ここでまさかのファインプレー。ロホルトもアルトリアを見直したが、冷静に考えると元々アルトリアはこうした調整、有情な采配は巧みだった。ロホルトにだけ出来ていなかっただけで。
 ここにきてさらにロホルトの中の王としての株を上げ、親としての株を下げたが、本人はロホルトに讃えられ鼻高々。この調子で親としての株を上げるぞと内心気合いを溜めている。
 ――なお、国が更に末期になると、アルトリアの調整力、采配も限界を迎えるので、王は人の心が分からない……などと言われそうな惨状となる。国が悪いよ国が。

ロホルト
 ガレスを婚約者に据えられ当初は卒倒しかけ、次いで激怒しそうになったものの、アルトリアから事の顛末と対応を聞いて沈静化。悪く言えばお飾りのお嫁さんにすればいいだけだと気付き、ここでアルトリアに計画を打ち明けて許可を得ようと思いつく。
 後にアルトリアからペリノア王に話が通され、快諾されたのでオークニーの王になることが内定する。まずはオークニーという、ペリノア王によって整備された国を治め、統治者としての成長を促す目的があるらしい。しかしペリノア王の温かい思惑を知っていながら、ロホルトは彼を排除すると同時に、彼の嫡子であるラモラック卿をオークニーに引き入れる策も練っていた。
 ラモラックはいずれ、必ずガウェインと対立する。アーサー王派のガウェイン、ロホルト派のラモラックという形になるのが最上だ。




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17話

 

 

 

 

 

 ガレスにとって『理想の騎士』とは『ガウェイン兄様』だった。

 

 『理想の王様』といえば『アーサー王』であるし、『憧れの騎士』は最近出会って親身に指導してくれたランスロット卿である。

 ガレスはガウェイン兄様を敬愛し、アーサー王に畏敬の気持ちを懐き、ランスロット卿をお手本にした。この三人はとても偉大で、赤心から慕っている。

 だがガレスが『主』に仰いだのはロホルト殿下だった。

 ロホルト殿下を主としたのは、言葉は悪いが成り行きだったと思う。ガヘリス兄様と共に殿下の主催する青年会に引き抜かれ、そこで騎士としての在り方と国家運営の思想と手法を学び、現在の王国の正確な窮状を理解させられた。はっきり言って、王国の未来は暗い。騎士の修行をする中で、ほとんどの人達が窮状を理解していないことに焦燥を覚えるようになった。

 ガレスが思うに、アーサー王ほど民に寄り添う、理想の王様はいない。だがガレスを含めた青年会のメンバーは、陛下ではなく殿下に希望を見た。なぜかと問われれば、青年会に属したことのある騎士は口を揃えて言うだろう。アーサー王は乱世を平らげる王として、平和と繁栄を築く王として理想的だ、永遠の忠誠を誓っている。だが今の王国の窮状を打破するには優しすぎる、と。

 

 冷酷さが……冷徹さが足りない。必要ならアーサー王も迷わないが、他に道があるならそちらを選んでしまう。騎士王としてそれは最善であり、殿下の献ずる策はおそらく下策だろう。 

 しかし今のブリテンには拙速による下策が必要なのだ。鉄と血が求められている。故に、過酷な道を選んだロホルトが――冷酷な月明かりが王国の夜を照らすのだとガヘリス達は信じた。

 ガレスもだ。恐らくはアーサー王もそう直感している。

 救国の旗は修羅の道に掲げられるもの。アーサー王が最善を選択し、ロホルト殿下が永久の汚名すら被るやもしれぬ鉄と血の轍を作る。この体制こそが王国には必須だ。騎士王だけでは駄目で、月明かりの騎士だけでも駄目だ。二人がいてこそ救国は成る。そしてそうであるが故に、より過酷な道を往くロホルト殿下に、ガレスはついて行こうと心に決めたのである。

 

 アーサー王はロホルト殿下が二十歳になると、自らの王冠を殿下に譲り、自身は騎士として殿下の傍について、王としてのロホルトの助言者になりたいと思っているようだ――と、ロホルト殿下はそう推測した。だが駄目だ、それは駄目だ。王国には騎士王が必要で、別の役割を果たす『王子』であり、騎士王の軍事力を担保する『王』が絶対に不可欠なのだ。その両方をロホルト殿下が担わなければ、最短距離を駆け抜けての救国は成らない。その最短距離の道しかないのだから。

 

 そこまで理解していたから、ガレスは殿下の助けになるなら妻になることへ抵抗はなかった。

 

 残念なのは騎士の道を断たれてしまったことだが、殿下はガレスをお飾りの妻として、騎士になれるように働きかけてくれるらしい。素直に嬉しい反面、申し訳なく感じる気持ちも強い。

 ガレスは殿下が過酷な救国の道を歩むのを支えたいと思っているのに、いつもいつも気を遣われてばかりいると感じていた。可愛がってくださっているのは分かるが、ささやかながら不満ではあるのである。普通は逆だと、騎士を志す身として思うのだ。

 故にガレスは気合いを溜めた。

 正妃となった後、騎士として働ける段階になれば、この身を尽くしてお助けしようと。正妃になった後からがガレスにとって本当の戦いなのだ。

 殿下がオークニーの王になるのは半年後――と聞いてから一ヶ月が経った。そしてガレスが正式に婚約者から正妃になるのが、ガレスが14歳になってからだという。それまでになんとしても、それこそあのガウェイン兄様にも負けない騎士になってみせる。

 純朴で純粋な少女は、そう決心していて、猛烈な使命感を燃やしていた。

 

 ――だが、事は急展開を迎える。

 

「ロホルト様が迎える花嫁の条件を聞きました! 一流の騎士に劣らぬ武と、清廉な精神、そして優れた知を具える者を求めると! ――であればッ! そこな小娘よりも、この私の方がロホルト様の正妃に相応しい!」

 

 キャメロットに乗り込み、そう主張する女戦士が現れたのだ。

 

 円卓にて改めてガレスが紹介されていた時、不届き者が広間に侵入してきたと騎士が報告に来た。摘み出せとアグラヴェイン兄様が冷たく命じるも、騎士は情けなく告げる。自分達は蹴散らされてしまいました、と――平の身分とはいえキャメロットの、それも宮殿に配属された騎士が言うのである。侵入者は只者ではないのは明らかで、興味を覚えたアーサー王以下円卓の面々が出向いた。

 新たに円卓の騎士になっていたロホルト殿下は、アグラヴェイン兄様に「うちのセキュリティ、ガバガバ過ぎじゃないかな」と愚痴を吐き、アグラヴェイン兄様もそれに同意していた。

 そういえばとガレスは思う。昔から湖の乙女や素性も定かではない段階の者が、何かと入り込んでは騒動の種を持ち込んできていた。確かにセキュリティはどうなっているのかと少し呆れる。

 

 だが呆れていられたのは、女戦士が不遜にも、アーサー王へ直談判するまでだ。ガレスは女戦士の発言にムッとしてしまう。女戦士は明らかにガレスを見て、挑発的に蔑んだのだ。

 女戦士を一目見た時は、その鮮やかな赤髪と赤い瞳、身に着けている深紅の鎧や魔剣を見て、感心していた円卓一同も目を細めた。貴種であろうと伝わる白皙の見事な美貌の華やかさに、感嘆していたガウェイン兄様ですらも、ガレスを貶され眉根を寄せている。

 

「ほう……つまり貴様は、我が王子ロホルトの正妃の座を射止めんと欲して来たのだな。であれば貴様は何者なのか、名を名乗るといい」

 

 アーサー王がなんの感情も伺えない無表情で問うのに、ロホルト殿下は赤い美女を見て顔色を悪くしていた。アーサー王は殿下の様子を見て、赤い女戦士の正体に勘付いているようだった。

 女戦士は高らかに名乗る。うっとりとした顔でロホルト殿下を見ながら。

 

「我が名は()()()の騎士イロンシッド! 祖国の騎士だった父と、我が母を殺めた仇を探し求め旅をしていた折、ロホルト様の助太刀を得て迅速に仇を見つけて討つことが出来た! その御恩をお返ししようにも私の持つ財産は私のみ。よって私自身をロホルト様に献上したのである! 私の強さはロホルト様もよくご存知のはず、そして私はロホルト様以外目にも映らぬ故、清廉と言える精神を持つだろう! 知に関しては――この私を差し置き、ロホルト様の婚約者に据えられた忌々しい小娘如きが得たもの、すぐにでも吸収してお役に立って見せましょう!」

 

 赤い国。その名を聞いた騎士達に戦慄が奔る。

 アーサー王も意外そうな表情をしたが、すぐ無表情に戻った。

 次いで、全員がロホルト殿下に同情の視線を送る。厄介な女に絡まれたな、と。

 殿下は頭痛を堪えるような表情で言った。

 

「私から言えるのは三つだ。一つ、赦しなく宮殿に押し入った無礼者と交わす言葉は本来ならない。二つ、私は君からの求愛を断っている。理由としては、君は相手が仇とはいえ四肢を切断し、遺体を辱めたからだ。仇を憎む気持ちは否定しないが、既に殺めた後の遺体を辱める行為に、平気で手を染める者は嫌悪と侮蔑に値する。私は確かにそう言ったはずだね? ……そして三つ、自身の心象を上げる為に他者を下げ、貶めようとする者は清廉とは言えないし、そもそも遍歴の最中にいた私を追い回した執拗さは悍しかった。君の性は蛮行を繰り返す蛮族となんら変わりない、故に私が花嫁として迎える対象には決してならないだろう」

 

 殿下の言葉に騎士達は顔を顰める。そして殿下に同意した。

 あけすけで辛辣な拒絶だ。だがイロンシッドはなぜか頬を紅潮させ、恍惚として表情を蕩けさせる。

 ゾッとする、目からハイライトが消えた瞳。男にはないドロドロとした女の情念に、男性陣は堪らず気圧されてしまった。アーサー王も無表情を崩され、なんとも味わい深い顔をしている。

 

「あぁ……ロホルト様。唯一この私を打ち負かし、徹底的に言葉で打ちのめしてくれた御方。貴方様はまたそうして私を法悦へ導いて下さるのですね……」

 

 殿下は周りから向けられる目に睨みを利かせた。

 戯言を真に受けるな、私にそんな倒錯した趣味はない、と。

 

「ロホルト様。ロホルト様。ロホルト様! 貴方様に相応しいのはこのイロンシッドを於いて他には存在しません! ロホルト様のお吐きになられる毒と闇を受け止められるのは私だけだ! だからどうか私を受け入れてください、そんなに焦らさないでください! ロホルト様がお亡くなりになったという出鱈目など私は信じませんでした、なぜならロホルト様が死ぬわけないからです! これはもう愛なくして成り立たぬ信頼! ロホルト様がそうまで私を焦らすのは何故ですか? ――ああ、やはり、そこな小娘を打ち破り、資格を示せと仰せなのですか!? ならばそこな小娘、名はガレスだったか。私は貴様に決闘を申し込む! ロホルト様のお力になれるのは私の方だと示してやる!」

 

 ヘドロのようにドロドロと。マグマのようにグツグツと。狂気的な慕情に染め上げられた瞳を向けられたガレスは――しかし、一歩も引かなかった。

 殿下やアーサー王は見るに堪えず、聞くに堪えぬと、ガウェインを筆頭に円卓の騎士らへイロンシッドを摘み出せと命じようとした。しかし、ガレスはそれを遮るように一歩前に出る。

 

 そしてドレス姿のまま胸を張り、良く通る声ではっきりと宣言した。

 

「分かりました。貴女の挑戦を受けましょう」

「――ガレス!?」

 

 殿下が驚愕したようにガレスを見る。殿下の声に重なって、ガウェイン兄様も声を上げていた。

 アグラヴェイン兄様、ガヘリス兄様も信じられないといった顔をしている。

 ニヤリと悪意のある顔で嗤うイロンシッドを無視し、殿下が早足にガレスの傍に寄った。

 

「何を言ってるんだ、ガレス。彼女に関わるな。あんな挑戦を受ける義理も、筋も、道理もない。それに分かっていないようだが――」

「――()()()()()()、彼女が私より強いことぐらい」

「なら……」

「けど挑戦を受けねばならない筋はあります」

 

 ガレスはきっぱりと言い放った。理解できないという顔の殿下に、精神性だけは既に騎士に相応しい域にある少女は断じたのだ。

 相手が自分より強いとか、相手が騎士に相応しくないとか、そういうことが問題なのではない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これを自らの手で打ち破れずして、どうして私が殿下に相応しいと言えるでしょう」

「――――」

「……よく言った小娘! その心意気に免じて教えてやろう。私はそこにいる()()()()()殿()()()()力を持っているぞ。私の力は正午に最大となる、いつこの私と立ち会うか選ぶといい!」

 

 瞠目する殿下に一礼して目を切り、ガレスはまっすぐに赤騎士を見詰めた。

 力強く真っ直ぐな視線に、感じ入るものがあったのか、挑発的にイロンシッドが言う。

 ガウェイン兄様と同じ力? 望むところだ。

 

「正午に」

 

 ガレスは短く応じた。そして並み居る偉大な先達達と、敬愛するアーサー王、そして生きる意味である殿下を見て、未だ成人ですらない少女は揺るがぬ精神を秘めて気を吐いた。

 

「私が勝ちます。信じて下さい」

 

 信じよう。殿下は、そう言った。

 

 

 

 

 

 ――だから、勝った。

 

 

 

 

 

 身に纏わせて頂けた騎士鎧を全損させ、全身に裂傷や火傷を負いながら、満身創痍になりながらも、ガレスは全く怯まず格上の赤騎士を打倒してのけた。

 円卓の英雄達はその姿を見て惜しむ。アーサー王は静かに拍手をした。観戦に来たギネヴィア王妃も仕方なさそうに王に倣い、やがて広間を囲う全ての騎士が称賛の拍手を打ち鳴らす。

 ああ、なんと惜しいかな。勇ましき狼の如き少女。その身が男性であれば、円卓の席に列するのになんら迷う点がない。勝者を讃える万雷の拍手は、長々と続いた。

 

 そして敗れたイロンシッドは、呆然と勝者を見上げる。

 

 まさか、自分よりも弱い小娘に、自分が負けるなんて。

 信じられない、信じたくない。なぜだ、なぜ負けたのだ。困惑と混乱に瞳を濁らせ喘ぎ、譫言を漏らすイロンシッドの心へと、ガレスは一筋の光を射すようにして自負を込め断言した。

 

「貴女は殿下を手に入れようとしていました。でも私は殿下に尽くしたいんです。欲に溺れ敵を侮る者が騎士として挑んでくるのに、赤心を尽くそうとする私の心が敗れる道理はありません」

 

 ――敗けた。

 

 イロンシッドは瞑目し、項垂れた後、立ち上がって無言でガレスへ自らの魔剣を差し出した。

 それはガレスを苦しめた赤き炎の魔剣。赤い国に伝わる宝具。

 魔剣を勝者に押し付けると、赤騎士は両膝をついてガレスに、そして居並ぶ全員に頭を下げた。

 

「私の敗けです。敗者は去りましょう。そしてもう二度とこの国を騒がせず、貴殿らの前に現れぬことを誓います」

 

 そう言って、イロンシッドは去った。

 

 

 

 こうしてガレスの名は王国に波及し、殿下が迎えるに相応しい正妃(騎士)であると認められたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





赤い国
 ガレスの冒険に記述がある。しかしそれ以外には(ネットを漁ったり図書館に突撃した作者が調べた限りでは)全く言及されてないし、ガレスの冒険でも詳細は不明。赤い国出身者もイロンシッドのみで、とうのイロンシッドがブリテン島外出身らしいので、本作では妖精の国≠影の国のような異界扱いに。



イロンシッド(またはアイアンサイド)
 赤い国の赤騎士。原作fgoで悪霊として登場、水着ガレスに鎮められる。水着ガレスの持つ魔剣の元所有者で、イロンシッドは女性を好むレズ気質だったが、王子の光に灼かれて恋に狂った。
 本作で女性として出演しているものの、原作でも性別は曖昧なのでセーフ。また上記の赤い国が、どんなに頑張っても特定できないので妖精の国となった結果、赤騎士イロンシッドは妖精と人間のハーフということにしている。妖精眼は持っていないものの、ガウェインのような特殊能力を具えて生まれてきた――ということにした。

(※原作の悪霊イロンシッドと、本作の半人半妖イロンシッドは別物)

 ロホルトと出会わなかった場合、自力で父母の仇を討ち、その功績で望んだ騎士の位を得たものの、女だからと侮られることに耐えられなくなって国を出奔。惚れた女の兄弟がガウェインかランスロットに殺されたと聞き、惚れた女の代わりに敵討ちをしてやろうと王国内で蛮行を重ねる。後にライオネル姫に助けを求められ、派遣されたガレスを後一歩まで追い詰めるも敗北した。その後ガレスからの勧誘でブリテンに帰順し、やがて円卓の騎士の一人になる。
 ガウェインと似た能力を持ち、日の出から正午に掛けて力が増し、最終的に七人分の力を発揮するようになる。この七人分とはイロンシッド本人が七人という意味。
 つまり本人の実力が高ければ高いほど強力になる。
 ロホルトと出会ったことで男もイケる口に進化した。ガレスと対決後、潔く敗北を認め、すっぱりと正妃の座を諦める。そして勝者であるガレスに自身の赤の魔剣を捧げ、もう自分の恋が叶わぬと認め、失意に塗れて去って行った。その後の消息は不明。以後表舞台に姿を表すことはなかった。

 なお未来で作られる、ロホルトをモデルにした主人公がいる某RPGでは、イロンシッドは主戦力の中軸扱いされて頼れる存在になる。が、モデルの方のイロンシッドは小賢しい手を使う恋敵達を心底軽蔑していた。恋敵は殺していい羽虫程度にしか見ていない。


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18話

 

 

 

 

 

 この世で最も愛する息子と、久しぶりに対面で話せていることに、ギネヴィアは積もりに積もった鬱憤が雪解けのように消えていくのを感じていた。

 張り詰めていたものが緩まる。王妃とは宮廷の女主人、華やかなキャメロットにて開かれる社交界を仕切り、些細な噂も逃さず把握して、情報交換の場で主導権を握り続けねばならない。政治は男や王の世界だが、国内政治の駆け引き材料を揃えるのは女の仕事なのだ。

 婚姻の材料の取り纏め、貴族間のパワーバランスの調整、不要と判断した一族のリストアップ、諍いを起こした貴族達への仲介――華やかで談笑しているだけのように見える社交界は、魑魅魍魎が手練手管を用いる陰湿な戦場だ。王妃であるギネヴィアはその戦いで勝ち続ける義務があり、勝敗そのものを左右する権威を握り締める使命があった。

 ギネヴィアは血筋や美貌を抜かせば平凡だ。少女時代は箱入り娘で、世間知らずの無垢なお姫様でしかなかった。そんなギネヴィアには社交界の女主人の座は、はっきり言って荷が重い。なのにその責務を果たせているのは、彼女の夫があのアーサー王で、息子としてあのロホルト王子がいるからである。さもなければ、ギネヴィアは社交界でも置き物としてしか役に立てないだろう。

 アーサー王とロホルト王子の名がある、それだけでギネヴィアが社交界の中心に立てる。誰もギネヴィアを軽んじられないし、誰もギネヴィアの意向を無視できず、謀ろうとも考えない。下手を打てば王と王子の双方に睨まれるからだ。それだけ二人の名は重いのである。

 

 愛息ロホルトがいなければ、どうなっていたことか。ギネヴィアはテラスで愛息との会話に花を咲かせながら、ゾッとするもしもを考えてしまう。女として、王妃として最も大事な仕事を成し遂げられない無能――そう蔑まれていたに違いない。

 その点に関して言えば、愛息を授けてくれたアルトリアに感謝してもいいのかもしれないと、月日を積み重ねることで心に折り合いをつけ、心のバランスを整えられるようになりつつあった。

 

 だが。

 

「――酷いと思わない? あの御方ったらわたくしに一言もなく貴方の婚約者を決めてしまったのよ? 仕方のない事情があったのは理解するけれど、せめて事前に一言ほしかったわ。それか、せめてガレスという子と先に会わせてくれたら良かったのに」

「それはまた……察するに母上は、私の婚姻を取り纏める為に、貴族や諸王に掛け合い釣書を取り寄せておられたのですね。どこの令嬢が私と家格が釣り合うか、婚姻が成立した場合の勢力図の変化に気を遣い、神経を割いてくださっていた、と。……ありがとうございます、母上。私の為を想い良縁を手配してくださろうとしていたこと、深く感謝します」

「いいのよ。わたくしは母として当然のことをしたまでなんだから」

 

 息子の態度に、違和感がある。具体的にどこにと問われたら困るが、変だ。

 息子の細かい癖を、ギネヴィアは把握している。ずっと見てきたのだ、癖は簡単に抜けるものではないし見逃すはずがない。しかし今のロホルトは、癖の一切を出していなかった。

 自然体のロホルトなら出していた、片目をほんの微かに細める表情。困った時に出していた、顎を引く仕草。喜んでくれた時に出していた、口角を持ち上げる様子。それらが、全く出ない。

 気を張っているのだ。気を遣っているのだ。ギネヴィアに。

 なんで?

 ギネヴィアの愚痴を聞いて出た言葉も違和感を覚える。ギネヴィアはなぜロホルトが気を張っているのか考え、気を遣う理由をそれとなく探ろうとしてこんな愚痴を言ったのだ。

 伊達に十年以上も社交界の女主人をしていない。平凡な少女だったギネヴィアにも、確かな経験値があるお蔭で立派な実力が具わっていたのである。

 

 さらりとアルトリアに不平を溢し、自然にガレスが婚約者になったことに不満があるよう匂わせた。愚痴の内容はその二つが要点で――いつものロホルトなら、自然体の息子なら、嫌っていながらも尊敬はしているアーサー王に不満があるような物言いを諌め、ガレスを遠回しな言い方で庇い、美点をさりげなく語って心象を上げようとしていたはずだ。

 なのにギネヴィアの重ねた苦労と、それが水の泡になったことを察して、ただギネヴィアを労った。他人は勘違いしているが、ロホルトは気を許している身内には割と辛辣である。ギネヴィアも例外ではない。二人きりだとギネヴィア相手でも皮肉を言うし、迂闊なことを口走ろうものなら丁寧な口調に隠して叱責してくる。諌めるのではなく、叱ってくるのだ。

 自分の子供に叱られるというのは、親として屈辱的で情けないと思う者もいるかもしれないが、ギネヴィアはロホルトに叱られるのが好きだった。それだけ本気で向き合ってくれて、本心から改めて欲しいと伝えてくれているのであり、そして大切な忠告であるから。

 

 なのに、ロホルトはギネヴィアを叱らなくなった。

 

 敬愛は本物。尊敬してくれている。尊重して、愛して、大事にしてくれている。大事にしようとするギネヴィアの心に喜んで、受け入れてくれていた。

 しかし何かが違う。その何かがどうしても、ギネヴィアは気になった。放っておいてはいけないことのように思えてならないのだ。女の勘であり、母親としての心がそう告げている。

 だがロホルトをよく知るが故に、ギネヴィアには分かっていた。愛息は、きっと自身の態度の変化を認めないし、本心を隠そうとする、と。他のことなら正直に語ってくれるだろうが、この件に関してだけは隠し通そうとするはずだ。だからギネヴィアの方から、明確に違和感の正体を言語化して伝え、ゆっくりと語り合う必要がある。ギネヴィアはそう考えつつ、こうも思うのだ。

 

(これが噂の反抗期というものなのかしら……?)

 

 たぶん違う。というか、絶対。うちの子に限って、なんて思ってるのではなくて、ロホルトは昔から大人びている子供だった。

 体がとっても大きくなって、大人になってしまった今も、ロホルトは優しい子だ。心のバランスの取り方が生まれた時から上手だったから、思春期になっても精神は安定していた。

 でも反抗期だとしたら、嬉しい。ロホルトが遍歴に出てしまった一年間の空白を、こうしてささやかでも反抗してくれたら埋められる気がする。

 

 ギネヴィアはそう夢想して、夢想を打ち切りロホルトの瞳を見詰める。揺るがぬ目には、氷。しかし人が変わったように冷たい光を宿していても、その奥底には変わらず炎があると、二人きりの対話を重ねる内に知ることが出来た。この炎はただ温かくて――だから、ロホルトへとギネヴィアは言葉を紡ごうとする。言葉にしないと伝わらないものもあると、彼女は知っていたから。

 けれど、ギネヴィアはロホルトと話していられるのが楽しくて、つい失念してしまっていた。今日という日のこの時間は――あの方が来られるということを。

 

「――ギネヴィア、ここにいましたか。……ロホルト?」

 

 アルトリアである。

 ギネヴィアが懐いた心の蟠りのせいで、一方的に心的距離を離し、できるだけ会わないようにしていたかったが、流石にそういうわけにはいかない。王と王妃の仲が険悪で、不和があると周りに知られたら、国が乱れる元にもなりかねないのがブリテンだ。

 故にアルトリアはギネヴィアに疎まれていると知りながら――その理由も同じ女として理解できていながら――ギネヴィアがどれだけ事務的にしようとも挫けず、こうして定期的に会いに来てくれていたのである。ギネヴィアの落ち度だ、彼女がもうすぐ訪れてくるのを知っていたはずなのに、ロホルトがアルトリアを嫌い、なるべく顔を合わせないようにしているのを知っていたはずなのに、こうして二人を鉢合わせてしまったのである。

 

 ギネヴィアは申し訳なくなってロホルトを見た。

 

 嫌な想いをさせてごめんなさい、と。そう思って、見た。

 

 見て。

 

 己の目を、疑った。

 

「ああ、父上。母上にお会いに来られたのですね。確かこの後には軍議があるのではなかったですか? きちんと準備はしておられますね?」

「む、私をなんだと思っている。抜かりなく済ませてから来ているに決まっているだろう」

「そうでしたか、これは失礼。……私には軍議があることを伝達していなかったようでしたが?」

「そ、それは、さっき謝っただろう……ガヘリスから聞くものとばかり……」

「言い訳はやめていただきたい。いい加減私に対する謎の信頼と謎のコミュニケーション不足を直してもらえませんか? 今は面倒なだけですが、私がキャメロットから離れオークニーに行ってしまえば面倒なだけとは言えなくなりますよ。それとも何ですか? 私を軍議に遅刻させてやろうと思っておいでだったとでも?」

「そんなことはない! すまない、謝る。絶対に同じ過ちはもう犯さないと誓う……」

「はあ。……分かりました、今回はこれぐらいで追求をやめておきましょう。――母上、唐突に打ち切って申し訳ありませんが、私はこれで失礼させていただきます。父上のせいで軍議に臨む準備がまだ出来ていませんので。……また今度、ゆっくり話しましょう」

 

 最後にまたチクリと刺され、ぐっ……とアルトリアが呻く。

 ギネヴィアは呆然としながらも「え、ええ……」と力なく返事をして去っていく息子を見送った。

 

 ……どうして?  ギネヴィアはそう懐疑する。

 

 どうして……わたくしに向けてくれていたあの目を、アルトリア様に向けているの?

 

 ロホルトとアルトリアは、仲の拗れた王子と王でしかなかったはずだ。

 息子はアルトリアを毛嫌いし、機械的にしか接していなかった。

 なのに、今のはなんだ?

 ロホルトはなんの遠慮もなしに、アルトリアを責めた。嫌いな人にあけすけに皮肉を言うように、しかし嫌っているだけではない奥深い感情を向け。

 そして、気のせいでなければ。

 ロホルトは、アルトリアに、『あの目』を向けていた。

 

 ――ドロリ、と。心の底、腹の底から溶けた鉄が波打つような激情が、瞳に宿る。

 

 アルトリアは「また叱られた……」と、しょんぼりしたものの気を持ち直し、ギネヴィアの方を見て心臓を鷲掴みにされたような錯覚に襲われた。

 ギネヴィアが自身を見る、底なしに熱く暗い目。すぐに平時のギネヴィアに戻ったが、アルトリアはかつてないほどの戦慄を覚えてしまう。

 

「ぎ、ギネヴィア……?」

「あら、どうかなさいましたか、陛下?」

 

 にこりと微笑む鋼鉄の鉄面皮は、アルトリアをして思惟の探りの手を弾かれる女主人の仮面だ。

 言葉を呑む。何かを、そう、()()を言わねばならない。

 誤解が発生している気がした。すれ違っている気がしてならなかった。だがなんと言えばいい、原因は全く思い当たらない。そもギネヴィアにそんな目で見られる理由はないはずだ。

 アルトリアは押し黙り、ギネヴィアに勇気を出して問いを投げる。

 

「ギネヴィア……私に言いたいことがあるように見えます。それに、私達の仲にあってはならない誤解が生まれている気がしました。お願いです、ギネヴィア。私に訊ねたいことがあれば言ってほしい」

「……訊ねたいこと? 何を仰ってるか、わたくしには分かりかねます。ですが……強いて言えば、軍議とは何事なのかお伺いしたいですね。また戦争ですか?」

 

 返答は、拒絶だった。

 アルトリアは下唇を噛む。やはり駄目か、と。

 彼女はアルトリアに隔意を持っている。理解できる感情だ。

 しかし昔みたいに、また――親友と、同胞と呼びたい。

 数少ないアルトリアの秘密を知る者として、そしてアルトリアの理想に共鳴し、今なお自身に敬意を払ってくれる心清らかな彼女と心を通わせたい。

 だが自分だけでは叶わない願いなのだろう。アルトリアは口を開いて、彼女の当然の疑問に答えながら心に決めた。今更過ぎるが、だがどうしても取れなかった時間を、多方面に迷惑を掛けてでも時間を作ろうと。時間を作って、家族皆で話をしよう、と。

 

「――ええ。マーリンですら手こずっていたようですが、ようやく情報が入りました。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 親として情けないが、ロホルトがいてくれたら、きっと上手く行くはずだと確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




トネリコ
 流石にマーリンも、興味がないからとロホルトに無関心ではいられなくなっているが、トネリコ――モルガンが傍についているのに気づき、迂闊に手出しできなくなっている。
 モルガンの讒言を聞くロホルトではなく、またモルガンは何故かロホルトの前だと大人しい。奸計を張り巡らせているようにも視えない。厄介だからこのままモルガンの重石になっていてもらおう、と判断されている――というのをトネリコは見抜いていた。
 余計なことはしない。する必要がない。なぜなら、手はとっくに打ち終えているから。ロホルトの為に力を貸してもいいし、アルトリアやギネヴィアの為に骨を折ってもいる。王国の国益になり、この三人の為になることばかりをしていた。魔女(妖精)は沈黙し、精霊は見守り、人間は痛ましそうに手を差し伸べたのだ。
 トネリコは、人間である。


ギネヴィア
 「ロホルト……?」
 白い妖精という別名を持つ貴人。
 王との確執は根深い、しかしたった一つの誤解が解けたなら全ては解決し、家族三人の仲は決して崩れぬ絆となっただろう。
 ロホルトは言った。「また今度、ゆっくり話しましょう」と。
 ギネヴィアはそれを楽しみに待った、待っていた。
 だが『その時』、普通の女だったギネヴィアは、狂気を得る。
 『その時』はまだ訪れない、しかしすぐそこで足音を鳴らしている。

ロホルト
 軍議が開かれると知ったのはトネリコからの報せのお蔭。トネリコは言う、マーリンは殿下を次の戦争に参加させたくないみたいですよ、と。しかしそういうわけにもいかない立場だった。
 今のロホルトなら、王の秘密も含めて理解し、納得し、母親が二人いただけの家庭だと受け入れることが出来る。ただ、誰も彼もが忙しなく、時間は全ての王国人の敵だった。
 話をしたら解決する。話ができていれば解決する。あと一度、『その時』が来る前に話ができていれば。

アルトリア
 急報が入り、急いで円卓に招集を掛けた。マーリンから告げられたのは決戦の地。全てのブリテン人の裏切り者を討つ戦いだ。
 忙しさにかまけていた、というのは穿った見方。個人の為の時間を割けるほど、騎士王と月明かりの騎士、そして白い妖精に与えられた時間はなかった。働き、休む。スケジュールはいつだって埋まっていた。埋まっていても襲来する蛮族や異民族との戦いに駆り出されていた。ギネヴィアに定期的に会いに来るのも公務の一環であり、三人の家族が揃う時間は本来ならなかったはずである。
 それでも、話をしなければ。変化したい、成長したいと願うようになったアルトリアは、多数の人に迷惑を掛けてでも、家族全員で集まり話をしようと決心したが――『その時』、アルトリアは絶望する。



 次回

『ロホルトの戦死』



も、もうちっとだけ続くんじゃ……(感想欄の反応にビビって追記)


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19話

まだまだ続くんじゃ


 

 

 

 

 

 『ペンドラゴン』とは。ウーサー王がサクソン人に勝利した際、宿敵サクソンを一時ブリテン島から打ち払ったことを祝し、火の竜の星に擬えて二匹の黄金の竜を作ったことに由来する。

 すなわちウーサー王を讃える為の称号がペンドラゴンであり、これは本来なら継承されるものではないのだ。人間離れした偉大な英雄個人を讃える、名誉と栄光の称号だったからである。

 

 しかしアーサー王――アルトリアはペンドラゴンの称号を自身のものとして受け継いだ。自らが先代ブリテン王の正統な後継者であると、内外に宣言する意味があったのだろう。だがアルトリアがペンドラゴンを名乗ったことで、その称号の意味合いは僅かに変化する。

 

 ブリテン王国は一枚岩の連合王国だった――ウーサー王の時代は。一度は救国を成したウーサー王を全ての諸侯は認め、心から服従していた為である。

 だがアルトリアは無名から出発した、悪い言い方をするとどこの者とも知れぬ馬の骨だ。先代王の後継者である証、カリバーンを選定の石から引き抜き、先代王の盟友マーリンを従えていても、誰しもがアルトリアをウーサー王の子であると信じていた訳ではない。故に薄弱な王権を固める為にアルトリアは活動せざるを得なかったが、どうしてもブリテン王国内の諸侯を強固に束ねることが適わず、アルトリアの治世で反乱は頻発した。

 

 必然として、アルトリアの名乗るペンドラゴンの名はウーサー王の代より軽くなり、ペンドラゴンは騎士達を束ねる戦士長、すなわち騎士達の長、騎士王へと意味合いが変遷したのである。

 アルトリアが自称したわけでもない『騎士王』の号は、一見すると素晴らしく響きと通りがいいが、その実は先代王ウーサーという『大王』には劣るという、遠回しな皮肉となったのだ。

 無論、アルトリアはこの風説を捨て置かなかった。己が大王であるウーサーに劣る者ではないと、激化する異民族との会戦を無敗で勝利し続け、恐るべき蛮族を何度も打ち払った。そうすることで実力を示し、騎士王の号を大王に比肩する栄光あるものとしたのである。

 

 アルトリアの掲げる軍旗は、黄金の二匹の竜を刺繍された深紅の旗。

 

 この旗が戦場に立つのを見た時、世界帝国の皇帝ルキウスをして手強く厄介だと称したサクソン人、ピクト人の戦士達は畏怖するか、戦意を掻き立てられるという。竜旗は倒すべき宿敵の居場所を示すものとなっていたからだ。そしてアルトリアの同胞であるブリテン人はこの深紅の竜旗を、異民族に勝利する希望の象徴として見做すに至ったのである。

 アルトリアは王だ。これまでに十度もサクソン人との会戦で勝利した常勝の名将である。円卓の騎士という英雄達の力もあったとはいえ、寡兵で大軍に勝利する優れた指導者で――だからこそ追い詰められている現状を、正しく認識している数少ない存在だった。

 

 ――私がサクソンとピクトに、会戦規模の戦争で『間違いなく勝てる』と言えるのは、()()()だ。

 

 サクソン人は強敵である。ピクト人は難敵である。二つの敵は不倶戴天の大敵だ。しかも際限なくブリテン島へ流入してくる異民族達は、底なしのような勢力を未だに保持している。

 翻って見るに、ブリテン王国の国土は年々貧しくなり、税収は低迷の一途を辿っている。この国力では到底大陸からの侵攻を防ぎ切れないと、アルトリアは常勝の王としての戦略眼で見切り、近年は密かな重圧で心が折れそうになったことが何度もあった。現状を打破せねばならない……サクソン人達をブリテン島に招き入れる裏切り者、卑王を討たねば未来はないだろう。

 そして首尾よく卑王を討てても、それで終わりではなかった。動乱のブリテン島を大陸から望む世界帝国の動向は不穏で、今後敵対する可能性は高い。何より国を豊かにする内政の戦いに終わりなんて来ないし、気の遠くなりそうな苦難の未来を承知していた。

 

 だがそれでもアルトリアは救国を目指している。アルトリアは決して滅びを受け入れない。何故ならアルトリアは()()()()()()()である、たとえ人を超えた王でも人の心を持つ人間だ。ならば自身の民が苦しみに喘いでいるのを、諦めて座視できるはずもないだろう。

 たとえ運命がブリテンを滅ぼそうとしても、覆してみせる。そんな未来など受容できない。アルトリアは大志を懐き、そして――アルトリアよりも鮮明に未来を見通し、アルトリアの危機感を共有して、救国への道を示す者が傍らにいた。愛する息子、ロホルトだ。

 

 軍議の最中、アルトリアはロホルトを横目に見る。――頼もしい青年に育ってくれた。

 

 まずは卑王を討ちサクソン人の流入を防止せねば、何も始められないとロホルトもアルトリアに同調してくれている。アルトリアの考えが間違っていないと肯定してくれる。

 国を救うための策を何度も献じてくれて、そして成長した今は、ブリテン王国が挙国一致できる策の準備段階に入っている。

 或いは自分はロホルトを生む為に生まれてきたのかもしれないと思うほど、ロホルトはアルトリアの唯一無二の希望となっていた。アルトリアでは想像できない領域を見詰める眼力と、比類なき叡智を宿した頭脳、そして次第に騎士王に対するのと同等の忠義を騎士達に向けさせ始めたカリスマ性。ロホルトがいれば、きっとなんとかなる。アルトリアはそう確信していた。

 

「――ではヴォーティガーンは、ブリテン島最東端の城塞都市に潜んでいると?」

 

 王の甥にして腹心、場合によっては影武者を務めることもある騎士ガウェインが疑念を滲ませる。

 

 キャメロットの円卓は、単なるテーブルではない。古王ウーサーが遺し、代理人を介してアルトリアが受け継いだ、魔法の如き品である。

 円卓の中央に浮かび上がったホログラムめいた立体地図は、明らかに時代を先取りしすぎたもの。これは魔術師マーリンが制作したもので、その瞳に映るブリテン島の隅々までを網羅し、卑王の潜んでいる拠点を赤く点滅する印が示していた。

 それを睨みながら今度はロホルトが発言する。

 

「妙だな。背後が海に面しているから大陸からの援軍は望めるが、ここには援軍の受け入れ先となる港はないはずだろう……加えて陸地は見晴らしがいい平野だ。防衛するには不向きな立地としか言いようがない……マーリン、本当にここに卑王がいるのかい?」

 

 王子からの問いに、なぜか悩ましげな視線を向けながら、美青年の半夢魔は応じた。

 

「……ああ、その通りだとも。私の眼は特別だというのは知っているだろう? そんな私でもはっきり見通せないということは、あそこには()()がいる可能性が高いし、ヴォーティガーンとサクソン人との関係を鑑みて、あの城塞都市の近辺には大規模な港が作られているのかもしれないね。たとえば、()()()()()()()()()()()()可能性はある」

 

 白竜。その名に、円卓の騎士達ですら微かに動じた。

 其れはサクソン人の象徴だ。幻想種の頂点たる竜種の中でも、最上位に位置する、竜の冠位と称するに不足のない災害。称して曰く、境界の竜。

 そんなモノがあんな辺鄙な砦に? まさかヴォーティガーンに力を貸しているのか?

 

 ヴォーティガーンとは一般に、戦乱の最中にあるブリテンを、大陸からサクソン人を招き入れて統一を目指し、結果としてさらなる混乱を生み出した稀代の愚王と見做されている。そして自力ではなく他力に頼る卑屈な王、卑王と称され蔑まれた存在だ。今あるブリテン王国の窮状の、ほとんどの元凶こそが卑王だと目されている。

 そんな卑王に境界の竜アルビオンが力を貸している。その疑惑は円卓の騎士全ての戦意を煽った。

 実物を知らぬ故の戦意だ。もし境界の竜が敵として立ち塞がれば、たとえ全ての円卓の騎士と騎士王が束になって掛かっても、全滅してしまう可能性の方が高いだろう。

 マーリン以外の誰も知らない真相だ。花の魔術師は目を細める……確かにそこからは嘗て見たことのある白竜の力を感じるが、それにしては些か弱い。白竜だが、白竜ではないような……。

 

「攻め込むのは容易だ。しかし戦慣れした貴公らなら、サクソン人の軍勢と、ピクト人の中でも特に精強な戦士達で防備を固めているのも容易に想像できるだろう」

 

 アルトリアは騎士達を見渡して言った。ロホルトの提言により新設された役職である外務卿のケイ、宮内卿のアグラヴェイン、軍務卿のガウェインらを筆頭に、騎士達が意見を述べる。

 ランスロットがいればまだ楽だったと隣で呟いたロホルトに、アルトリアも内心同意した。湖の騎士は現在、母国奪還の為ブリテン島を離れている。頭脳明晰でもある彼がいれば、建設的な意見を聞けただろう。だが……幸い他の者には聞こえなかったようだが、アルトリアは咎めるように横目に睨む。いない者に頼りたがるような発言は人心を遠ざけかねない。ロホルトはらしくない失言を自覚し、周りに悟られぬよう小さく頭を下げ、そして再度発言する。

 

「貴公らの意見は分かった。有力な案を纏めると、砦の内にいる敵兵を誘い出し、野戦で撃破した後に総力を結集して攻め掛かるのを上策として。囮役として誘き出した敵兵を砦から引き離し、少数の別働隊で砦を急襲するのを下策としよう」

「下策ですか……」

 

 騎士としての手腕では円卓内だと最弱に近いが、武将としては最も優れた力量を発揮するアルトリアの腹心、騎士ベディヴィエールがショックを受けたように呟く。それに片手を上げながら、ロホルトは仕草で続きがあるのを示し、同胞を見渡しながら告げる。

 

「しかし一つの要素を含めて見ると、私はこの上策と下策はひっくり返ると見ている。その要素というのが白竜アルビオンだ。この未知数の存在を計算に入れるべきではないだろう」

 

 敵は籠城をしない。なぜなら円卓の騎士を敵に回して籠城するのは無意味だからだ。

 名だたる聖剣、魔剣、宝剣。これらの中には破格の対城宝具もある。城に閉じ籠れば城諸共薙ぎ払われて終わると、長年ブリテンを敵に回してきた宿敵達は理解している。アイルランドの光の神の居城だったこともある、オークニーの城のような例外を除けば、戦端を開く時は必ず野戦となるのだ。だから事実として囮は有効である。その前提を今更口にする者はいない。

 

 ロホルトは同胞達から視線を切らなかった。

 

「よって私はベティヴィエール卿に賛成する。ただし別働隊はあくまで砦の中にヴォーティガーンや白竜を押し留め、本隊が敵勢を撃破するまで耐えるのを基本としたい。貴公らはどうか?」

「異議なし」

「同じく異議はありません」

「結構。父上、我らは斯様に意見を纏めましたが、父上はどう思われる?」

「――ロホルトの言、ベディヴィエールの策は我が意を得たものだ。これを執るのに迷いはない。だがその別働隊は誰が率いるものとする?」

 

 アルトリアは騎士達を見渡すと、全員が自分にお命じくださいと無言で訴えていた。

 別働隊には計算不能の不確定要素があった、本隊の戦いも過酷だろうが、不確定だからこそ無視できない危険性が秘められている。

 アルトリアと同じように視線を左右に向けた後、ロホルトが言った。

 

「私にお任せを」

「………」

 

 アルトリアはロホルトを見た。王子は、冷静に言う。

 

「ガウェイン卿を私につけていただけるなら、何があろうと確実に本隊が勝利するまでの時を稼いでご覧にいれる」

 

 騎士王は太陽の騎士の実力と、月明かりの騎士の才覚を知っている。

 彼らなら何を相手にしても早々遅れを取ることはないと信頼していた。

 

 故にアルトリアは頷く。

 頷いてしまった。

 運命の分かれ道は、ここだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルトリア率いる円卓の騎士と、精鋭の兵士達の士気は最高潮だ。

 怨敵ヴォーティガーンを討つ為の戦いと聞いて奮い立たぬブリテン人はいない。あのケイですら「コイツさえいなければ……ッ!」と歯軋りし、戦意と殺気を漲らせていたほどである。

 だがそのケイはここにはいない。アグラヴェインもだ。

 円卓の騎士は今のブリテン王国の上層部、心臓にして脳なのである。それを一つの戦場に全員投入なんてしてしまえば、国の運営に差し触るのが道理。同様の理由でペリノア王もいない。

 しかし王国が今すぐ、迅速に動かせる戦力は全て動員されていた。紛れもなくブリテン最強の騎士達と、兵士達の中でも選りすぐりの精鋭が掻き集められていたのである。

 

 果たして城塞都市に潜んでいたサクソン人らは、傭兵のピクト人を駆り出して城から出撃した。深紅の竜旗を見たという物見の報せを受けては、籠城する無意味さを一瞬で理解したのだ。

 そして彼らは、自身らに退路がないのも理解している。海に面した城塞都市――無防備に海に逃れては聖剣に狙い撃ちされるのだから、彼らは騎士王の奇襲に気づくのが遅れた失態を呪い、城を出て戦うしかなかった。だからこそ彼らは一目散にアルトリアを討ち取るべく猛進し――死兵となって挑んでくる敵軍を巧みにいなしたアルトリアは、年季の入った指揮を魅せ見事に後退した。

 

 城塞都市からの手出しを嫌い、離れて決着をつけようとしている。作戦通りに。

 

 別働隊を率いて戦場を大きく迂回して、城塞都市が見える位置まで進軍したロホルトは、カヴァスの背中から禍々しい魔力反応を発する都市を見る。

 

「殿下、ご油断召されるな。この魔力、只事ではありません……!」

 

 隣に馬を寄せてきたガウェインが、険しい顔で忠告してくる。ロホルトは無言で頷いた。

 あの城塞都市には善くないモノが棲んでいる、そんなことは言われるまでもなく見切っていた。

 遍歴の最中に見た竜の発する“圧”など、これを前にすれば塵に等しい。ロホルトは生唾を呑み込み、よく通る声で少数精鋭の騎士らに指令を発する。

 

「皆、ここで待機だ。父上の率いる本隊が駆けつけるまで無理をする必要はない。敵が何もしてこないなら好都合だ」

 

 総勢五百名の精鋭は従順に従う。卑王討伐に臨む彼らもまた士気軒昂、だが功を焦って暴走しない精鋭である。しかし、ロホルトは彼らよりも気になることがあった。

 カヴァスに元気がないのだ。

 此処に来るのを嫌がる素振りを何度も見せ、尻尾は股の下に隠し、耳も閉じている。出陣前はずっと唸っていてロホルトのマントを咥え、行くなと懇願しているようですらあった。

 仕方なく馬に乗ろうとしたから、カヴァスは渋々背中を預けてくれている。無理強いしたみたいで申し訳ないが……ロホルトはカヴァスの尋常でない怯えようを軽視してはいなかった。

 

 何かがある。カヴァスがこうまで怯えるほどのものが。

 

 しかし今更なのだ。どうあれヴォーティガーンは絶対に殺さねばならない敵であるし、この状況も選び得る中で最善のはず。ロホルトは自分が死ぬわけにはいかない立場なのは知っているし、危険は避けたいと思っているから出陣は気が進まなかったものの、死んではならないのはアルトリアも同じである。それでも前線に出るのは、後ろに引っ込む者をブリテン人は認めないからだ。

 蛮族である。ロホルトは騎士の国の騎士や民をそう断じていた。だが、関係ない。生まれの不幸を呪いはするが、それに伴う出会いや想いまで呪った覚えはないからだ。未開の国の未開の民を、貧しくありながらも善性を失わない人達を知って、護りたいと思うようになってしまっている。元より生まれに付随する責任から逃避できるほど、ロホルトという人間性は前向きではない。

 

「――! ワン、ワンワン!」

「どうしたんだ、カヴァス」

 

 カヴァスが唐突に吼え始める。大人になったカヴァスは更に一回り大きくなり、王の愛馬よりも大柄に成長している為、吠える声は威厳のある獣王のようであったのに……今は、子犬のように気迫のない声音で警告してきている。

 愛犬の頭を撫でながら、グゥぅぅと唸るカヴァスの視線を辿る。同時だった……ガウェインが腰に差した聖剣の柄に手を添え、兵士が目視で確認したものを報告してきた。

 

「殿下、城塞から敵影! 数は……()()です!」

「一人?」

 

 言われて見ると、確かに一つの人影がこちらに歩んできている。

 ゆっくりと、しかし確実に。

 ――ドクン、と心臓が強く脈打った。

 額に汗が浮かび、動悸が激しくなる重圧を覚える。

 

 人影は、老人だった。真っ白に染まった頭髪はざんばらで、枯れ果てた肌は苦悩の証である皺で覆われている。纏うのは漆黒の鎧……醸し出す威容は尋常でなく、老人だというのに纏う魔力の波動は膨大で、アルトリアやロホルトに数倍している老王だ。

 ある程度、距離の離れた地点で足を止めて、老王はロホルトの率いる軍勢を見渡し、次いでガウェインの腰にある聖剣を見て、最後にロホルトを見た。

 目が合う。鳥肌が立ち、総毛立つ。未だ嘗て感じたことのない戦慄――いいや、畏怖。ロホルトは脚が震えそうになるのを鉄の心で抑えつけ、老王に鋭い眼光を射込んだ。

 

「ヴォーティガーン」

 

 顔を知らず、風体も知らぬはずの老王の名を、確信を込めてロホルトは呼ばわった。

 兵士達が武器を構える。号令を! ご命令を! そう求める兵士達に、ロホルトは動くなと手振りで静止した。そして淡々と老王へ言葉を投げる。

 

「一人で来るとは何用だ? もしかして私に降伏しに来たのかい?」

 

 そんなわけがない。降伏されても処刑するしかないし、どれだけヴォーティガーンが愚かでも、流石にそれぐらいは理解しているはずだ。

 案の定、ヴォーティガーンは失笑すら漏らさず、淡白で心の色が抜け落ちた声で応じた。

 

「降伏? 世迷言を……儂は儂の庭を荒らす不埒者を駆除しに来ただけだ」

 

 尽きぬ憎悪までも色褪せて、しかし一寸も欠けぬ不壊の殺意に塗布された、巌のような黒い声だった。

 気圧されそうな己を叱咤し、腹に力を込めて踏ん張ったロホルトは皮肉を言う。

 

「それはご苦労さまだ。だが庭の景観を整えるのは庭師の仕事だろう? 自ら出向くなんて、長生きしているだけが取り柄のご老体は暇なようだ。いやはや羨ましいね、まったく」

「ふん……よく喋る。()()()()はウーサー譲りか、小僧」

 

 ヴォーティガーンはロホルトが恐怖しているのを見抜いていた。

 だがそれを嘲るでもなく、老王はつまらなさそうに鼻を鳴らすのみ。

 

「儂がこうして出向いたのは、貴様の言う庭師が出払ったからだ。本当に……うんざりする。……貴様ら人間はいつもそうだったな、駆除(ころ)しても駆除しても際限なく湧いて出て、変に小賢しいから根絶やしにするのも一苦労だ。サクソンを招き入れ、貴様らの食い扶持を奪い、食らい尽くすよう差し向ければ自ずと滅びると思ったのだが……その生き汚さには言葉もない」

 

 じわり、と。老王の足元にある影が蠢動する。

 総員抜剣! ロホルトは兵士に指示を飛ばして、自身もまた背中に負う大剣を構えた。

 老王は構わず吐き捨てる。

 

「小僧、貴様がロホルトだな?」

「……私を知っているのか」

「識っているとも。儂はこのブリテン島に住む全てのモノを識っている」

 

 老王は丸腰だ。黒い鎧を身に着けているだけで、他には何も持っていない。

 だというのにこの迫力はなんだ。まるで――大いなる神を目前にしたような威厳はなんなのだ。

 ヴォーティガーンはつまらなさそうに宣告する。

 

「故に裁くのだ。お前たち人間を」

 

 老王の総身を影が呑み込む。影としか形容できぬ漆黒に変じる。人型の闇は深淵の如し――変幻するカタチが肥大化し――あまりの異常現象に人の子らは呆然とする他になかった。

 

「儂はブリテン島の意思より分かたれ、人の身に生まれた分身よ。儂こそがブリテンである、儂の肉体はブリテンである。白き竜の血を拝領し、旅の果てに神代の意思に還った竜の化身だ。

 ブリテン(このセカイ)を犯し、穢し、殺そうとする、霊長と驕る人間共。地上に残った最後の神秘を塗り潰す侵略者共。貴様ら寄生虫は、この手で必ずや滅ぼしてくれよう。

 疾く死ぬがいい、ブリテン島に貴様ら人間は――不要だ」

 

 呪詛を溢す老王の姿は、遂に眼前の城塞都市にすら収まらぬ巨体と化した。

 比喩抜きで大地が、ブリテン島が起き上がってきたかのような威容は、黒いというのに白い竜の力を発している。

 太く長い首は死出の道、広げられた翼は雄大な山脈、君臨する体躯は大地の鼓動。あまりの規格の差に全長を推し量ることすらできない。

 邪悪ではなかった。黒き白竜――魔竜と化せしヴォーティガーンの竜の面貌(かんばせ)は高貴だった。

 大自然が削り出した天然の彫刻、神や人には生み出せぬ星の作品。使命に準じる聖人の如く美しき黒は竜を悪魔ではなく神としたのだ。

 

 神が、起き上がる。腹部と口腔を開門し、漲る原始の呪力が漆黒となりて充填された。我に返ったロホルトは声を枯らすほどの大声で叫ぶ。

 

「総員ッ――! 散開しろォ――!!」

 

 カヴァスが主を乗せたまま疾走する。ガウェインが聖剣を抜刀し勇躍する。兵士達も流石に精鋭、幾度も騎士王や太陽の騎士の聖剣を目にしたことがある故に、命じられた瞬間に反応した。

 だが――解き放たれる黒き息吹、ブリテン島の原始の呪力の熱線は縦横無尽に薙がれ――紙一重で辛うじて躱したロホルトと、疑似太陽の最速展開によりなんとか身を守ったガウェインを除き、別働隊の精鋭は一瞬にして蒸発し全滅した。

 その惨状にロホルトは目を瞠る。たったの一度、たった一瞬で、五百もの兵が、生命が散華したのに刮目した。全身の血管を駆け抜ける激甚なる憤怒は――しかし。

 

転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)――!」

 

 反撃に出たガウェイン渾身の一刀が放つ疑似太陽の熱線、激烈な光がヴォーティガーンの巨大な顎に挟まれ、容易く呑み込まれてしまい――返す刃の如く転じた魔竜の尾が、槍の如く太陽の騎士を打突して吹き飛ばしてしまったことで沈静化させられる。

 

「――な、に?」

 

 吹き飛ばされたガウェインを振り返る。遥か後方の小高い丘に激突して止まったガウェインは、鎧を拉げさせ血反吐を吐いていた。魔竜はたった一撃で彼の意識を奪い去っていたのだ。

 

 ……馬鹿な。

 そんな馬鹿な。

 上を見上げる。

 太陽がある。

 真昼だ。

 ……今のガウェインは、日中にいる。

 三倍にまで力が高まっている。

 日中の彼は円卓最強の騎士であった。

 それが……一撃?

 

「――――」

 

 ロホルトの憤怒が消える。恐怖がぶり返す。

 だが。

 鉄の如き心と、揺るがぬ英雄性が、彼の瞳にある氷を溶かし、奥深くの炎を表面化させた。

 魔竜がたった一人残ったロホルトを見下ろしている。縦に割れた瞳孔で、見詰めている。

 月の聖剣を手にカヴァスから降りた騎士王の嫡子は、愛犬の尻を叩いた。

 

「邪魔だ、ガウェイン卿を連れて退がるんだ、カヴァス」

「………」

「怯えているお前に何が出来るッ! ()()の気を散らすなッ!」

 

 激しい叱咤にカヴァスは傷ついたように首を引っ込め、泣いているような顔で駆け去った。

 その気配を背に、ロホルトは魔竜へ向き直る。

 

「……カヴァスは見逃すんだな、ヴォーティガーン」

「アレは獣。駆除せねばならん寄生虫ではない」

「そうか。……後で謝らないとな」

「後? 貴様は……己に後があると思っているのか?」

 

 まるで人の体のままのように、流暢に応じる魔竜の無機質な疑問に、正反対の炎の如き光を纏う意思が叩き返される。ロホルトは、気を吐いた。

 

「当たり前だ。オレは死ぬわけにはいかない、今死んでいい立場じゃない、オレはオレの定めたオレの使命を完遂するまで――死ぬわけにはいかないんだ」

「……よく吠える。であればロホルト、貴様の意思に敬意を称し、一つ教えておいてやろう」

 

 魔竜はロホルトの啖呵に何を思ったのか、すぐに彼を殺そうとはせずに真実を突きつけることにした。

 あるいは其れは、ロホルトという卓越した人間を、ブリテン島に棲む人間の代表と見做し、人間の出す回答を訊いてみようという気紛れだったのかもしれない。

 どうしようもない世の理、神代の結末を識った人間の国の人間の英雄が、どのように足掻くのかを識ろうとしたのかもしれなかった。

 

「――ブリテンは滅びる運命にある」

「……何を」

「馬鹿なとは言わせん。年々加速する国土の荒廃は、貴様が救国を志しているなら既知の事柄だろう。これは自然現象ではない、この惑星に残された最後の神秘、神代がブリテン島であり、神代を駆逐する人理なる人の世の理は、一度ブリテンという世界を滅ぼすことで、自らの理の内に取り込もうとしている。これは既に決まっていることだ。貴様ら人間がブリテン島を知覚している限りは、人理の侵攻を食い止めることはできん。神代を護るには貴様ら人間を滅ぼさねばならず、よしんば人理への帰順をよしとしようものなら国土は更に貧しくなり、やがて必然の滅びを迎えるのだ。であれば――救国など絵空事、実の伴わぬ妄想に過ぎなくなる。ロホルト、貴様の意思は無為に終わるのだ」

 

 一気に飛躍した話のスケールに、しかし未来の知識と優れた知能を持つロホルトは置いていかれず理解した。……魔竜が嘘を吐いているとは思えない。

 なぜならロホルトは知っている。どれだけ頑張っても困窮する民、無意味に終わる農業改革、科学的に有効なはずの知識の実践、貧しさの原因が解明できない、貧しさが決定づけられた土地。

 それらのデータが滅びの未来を示し、魔竜の語る真実とやらに信憑性を齎していた。

 真に聡明であれば、魔術世界に理解があれば、絶望するしかない真実を前に――王子は鼻で笑った。

 

「……無能だな。お前は自覚していないようだから、真実を教えてくれたお礼にオレも教えてやる。お前は視野が狭く古臭い価値観に囚われ、傲り昂ぶる老害だよ、ヴォーティガーン」

「……なに?」

 

 真っ向からの痛烈な面罵に、魔竜は虚を突かれる。

 時間稼ぎが任務だ。故にロホルトは魔竜の語る真実を大人しく聞いていたわけだが、聞く価値は全くの絶無であったと断定する。

 

「作物は実らず、動植物が絶え、国は必然として滅ぶと言ったな。ではお前の言う国とはなんだ? よく聞けよ老害、国とは人だ。人が寄り添い合って、人が人と共に暮らす為のルールを敷いた共同体が国なんだ。お前の価値観にある国は滅んでも、人が生きている限りはオレの思う国に滅びはない。……ここまで言っても分からないならはっきり言ってやろうか? オレの目指す救国の形はな――()()()()()()()()にあるのさ」

「――――移民計画だと」

「お前のしていることに着想を得た。原因不明の不作には手の打ちようがないし、大陸の国から食料を輸入してもその場凌ぎにしかならないだろう。なら、いっそのこと土地を捨てて大陸に移住してしまえばいい。父祖伝来の土地を捨てられる者ばかりじゃないだろう、だが豊かな新天地を求める者は必ずいる。オレの友が足がかりになってくれるから、新天地を求める同胞と共に大陸で国を作るのは可能だろう。そして貧しさに耐えられなくなった者を、大陸に作ったオレ達の新しい国で受け入れていく。この地の滅亡と心中したい人はそうすればいい……無理強いはしない。オレの計画に反発する者もいるだろうが、オレはなんとしても生きようとする人達の味方になる」

 

 魔竜は、人の子が吐いた気と、余りにも遠大な計画に沈黙する。

 果たしてそれを成し遂げることは可能なのか。不可能ではないか? ……いや、やる。この青年なら成し遂げかねない。全貌は明らかではないし、まだ荒削りで草案の段階なのかもしれないが、この青年にならついていく者は必ず現れる。魔竜をしてそう確信させられた。

 だが人の身で成し得る業ではない、人の歩む道ではない……これは修羅の道である。戦士としての修羅が余りに小さく、ちっぽけに見える茨の道だ。

 そうだ、茨の『道』なのである。『道』があるなら歩けると、先に歩いて先導すると、この青年なら言うのだろう。魔竜は――嘆息した。

 

 嗚呼。

 

 何故。

 

 もっと早くに、生まれてくれなかったのか。

 

 英雄ロホルトよ。

 

「――理解した。やはり、儂の目に狂いはなかったな。貴様だけは――ここで必ず殺しておく」

「そうか。オレも……いや、私も貴様だけは、必ず討つ」

 

 ロホルトの計画には時間が掛かりすぎる。座して見守ろうにもブリテン島に迫る人理の魔の手が神秘を剥奪し、ひいてはブリテン島から意思を奪うだろう。ならばロホルトが希望を現実にし、奇跡を起こしてしまう前に人間を殺し尽くす他に、魔竜には選択肢が残されていなかった。

 魔竜は全霊を込める。全身全霊を絞り尽くす。老王は予感し、理解し、確信していた。この王子さえ殺してしまえば――後は、ブリテン人は自滅するだろう、と。

 

 

 

 

 ――英雄と魔竜の死闘が始まる。

 

 

 

 

 そして数時間もの間、英雄は単騎で、恐ろしい魔竜を食い止めて。

 

 魔竜の解き放った全霊の呪力の黒い波に呑まれ――後には、塵一つ残らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





マーリン
 ロホルトとは今までも事務的には話していた。興味がなかったので自分から絡みにいかないし、ロホルトもマーリンの問題行動は知っている為、君子危うきに近寄らずの精神で他人行儀のまま。
 個人としてのロホルトには今も変わらず関心がないが、予想外に重要なパズルのピースになっているロホルトを、放置したままでいるのもナンセンスなので気にするようにはなっていた。
 だがマーリンはマーリンである。ブリテンの終焉を軟着陸の形に持っていきたいマーリンとしては、希望という名の爆弾と化しているロホルトに迂闊に接触するのは躊躇われたし、危険から遠ざけるべきかこのまま退場してもらった方がいいのか判断がつかずにいる。
 そして自身が手を出す必要性がないことも知っていた。

ガウェイン
 日中のガウェインは最強である――人としては。
 傲りはなかった。油断も慢心もなく、しかし切り札と恃む聖剣の光を喰らわれたことで動揺し、その隙を突かれて戦闘不能に陥る。魔竜の一撃は、日中の太陽の騎士を容易く撃破するだけの威力であり、この不覚はガウェインにとって忘れられない無念の一つである。

ヴォーティガーン
 原作でも魔竜と化したヴォーティガーンはエクスカリバーとガラティーンの極光を喰らい、ガウェインをただの一撃で打倒。数時間もの間、戦闘不能に追い込んだ。ロホルトとの問答に意味はなく、しかしヴォーティガーンはこの王子さえ殺せばブリテン王国の体制に修復不能の亀裂が入ると判断。戦闘不能のガウェインを無視し、ロホルトを全力で殺しに掛かった。

ロホルト
 よもや日中のガウェインが一撃で倒されるとは想像だにせず、余りに強大な魔竜に恐怖した。だがロホルトの英雄性は濁らず、鉄の心は挫けず、魔竜の注意をひきつける為に問答に応じ、そして死闘の末に数時間もの間、恐るべき魔竜を単騎で食い止めることに成功する。
 原作でも魔竜にガウェインと二人掛かりで挑んだアルトリアは、ガウェインが一撃で倒された後、単騎で数時間も粘り、ガウェインが復帰するまで持ち堪えて見事に魔竜を討ってのける。だがロホルトにはそんな偉業は成し遂げられなかった。ロホルトとアルトリアの決定的な差は――戦闘経験値。百戦錬磨のアルトリアと比べ、まだ15歳のロホルトはあまりに若すぎたのである。
 数時間。ガウェインが復帰した直後まではなんとか凌いだ。しかし今のロホルトにはそれが限界だ。魔竜の解き放った最大出力の黒き呪力に、若き英雄は呑み込まれ――その場には塵一つ、残らなかった。


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20話

 

 

 

 

 

 

 ――もしもやり直せるなら、なんて。

 騎士としてあってはならない後悔、振り返ってはならぬ無念。

 光り輝く騎士道を体現していながら、この汚点だけは拭えないし、拭い去ってはならない。

 もしやり直せる機会が与えられたなら――自らやり直しは望まない。そんな資格はない。だが――不可抗力の奇跡が起こって、やり直させられたなら。

 その罪深い免罪符を、自ら捨てることはできないだろう。

 きっとあの時のあの不覚を、なかったことにしたいと、ガウェインは願ってしまうに違いない。

 

 目覚めた時、悲痛に吠える狼騎士の友の声で意識を取り戻した時に目にしてしまった――ブリテンの月明かり光と称された、まさしくブリテンを覆う夜に差した一筋の希望(ひかり)が深淵の闇に呑まれ、消えてしまった悲劇の最期。初陣の時より見守り、やがては王として君臨するはずだった王子に、悲鳴を上げて駆けつけたその時の絶望を――覆したいと願ってしまう。

 力足りずに悲憤を叫び、絶望で手足が萎えそうになるのを怒りで誤魔化し激昂して魔竜へ挑んだ。だが月明りの騎士の決死の奮戦で時が稼がれたお蔭で、ガウェインは王子に殉じることすら出来ずに生き延びてしまった。サクソン人らを打ち払い、本隊を率いて駆けつけた騎士王と、円卓の騎士達と協力して、魔竜を討ち取ることに成功したのだ。

 

 騎士王は、駆けつける際に王子の最期を見てしまったのだろう。虚脱感に襲われ、ひどく無気力で、絶望に呑まれながらも、魔竜に未だかつて見せたことのない赫怒と憎悪を叩きつけていた。魔竜は余りに強大で、騎士王の引き連れた円卓の騎士達はガウェインを除き打ち破られてしまったが、ガウェインと自身の聖剣で魔竜の手を地に縫い止め、聖槍でその心臓を穿った時の凄絶な貌は、見てはならない悲愴な憤怒と悲しみに満ち溢れていた。

 魔竜が語ったブリテンの滅びの運命も、騎士王にはなんら響いていない。聖槍を手に魔竜から老人に回帰して、消えていった怨敵を見もせずに、騎士王は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

 ガウェインは、その余りに小さな姿を、たとえ死んでも忘れる事はできないだろう。

 

 己の弱さが生んだ悲劇だ。己の不覚のせいで訪れた光景だ。

 手にした太陽が余りにも虚しい。魔竜を相手にしては犠牲になるだけだからと、遠巻きにさせられていた兵士達に、騎士王は弱々しく命じていた。ロホルトはどこだ? ロホルト……ロホルトを探せ、ロホルトを連れてこい、と。ロホルトが死ぬわけない、どこかにいるはずだ、助けがいるはずだ、と……譫言のように繰り返し命じていた。それは王ではなく、人の懇願だった。

 誉れ高き太陽の騎士、伝説の光輝纏う英雄。後の世に勇名を飾られる騎士ガウェインは、永劫に一つの悔いを残した。この時の無念を、王の絶望を……愛する妹の、悲嘆を。己が慰め、支え、寄り添う資格を喪失した罪深さを、彼は刻まれていたのだ。

 

 その日――太陽の騎士から朗らかな微笑みが失われ――

 

 

 

 ――王国全土に激震が奔った。

 

 

 

 ロホルト王子、戦死。その報を受けた王妃は卒倒した。目覚めるとロホルト王子の所在を多くの騎士に訊ねて回り、最後は騎士王に縋りついて「ロホルトに会わせて!」と懇願した。

 遺品はなかった。愛犬に持たせていた宝剣以外に、戦場に持ち込んだロホルトの遺品はなく。体の一部も遺らずに、消え去ってしまった。いやぁぁぁ! 美貌を壮絶に歪めて絶叫し、喉が裂けて血を吐いて、錯乱し気絶する王妃の姿に誰しもが涙する。剥き出しの悲痛さに誰もが胸を打たれ、そして闇を照らしてくれる月明かりの喪失に、みなが闇の中へ取り残されたように震えた。

 え――? ぽと、と。手にしていた一輪の花を落として。王子の妃になるはずだった少女は、近日に控えた王子の16歳の誕生日を祝う為に用意していた、手作りの造花を忘却した。

 腰から崩れ落ちて、その場に座り込んだガレスは、う、うそ……と呟いて。敬愛する兄ガウェインから齎された訃報を疑った。兜の騎士がガウェインに掴み掛かる、出鱈目を言うな! と。だが凍りついて動かない、無機質な表情に自責の念を刻んだ騎士の目を見て、偽りではないと悟ったモードレッドは唖然とする。兜の騎士はわなわなと震え、与えられていた騎士剣を床に叩きつけるとキャメロットを去った。何処に行く気だ、そう訊ねたのは王子の騎士ガヘリスで――モードレッドは吐き捨てる。迷子になった幼子のように、大海原で道標を探し求める孤独な船員のように。

 

「……殿下がそう簡単にくたばるわけねぇだろうが、馬鹿共が。私は――オレは信じねぇからな。ガレスも腑抜けてんじゃねぇ。オレは殿下を見つけるまで……殿下が戻るまで帰らねぇからな」

 

 現実逃避だ。実際に戦場で闇に呑まれた王子を見ていないから、モードレッドは認めなかっただけの話で。しかしガウェインは立ち去るモードレッドを止める言葉を持たず、ガヘリスはむしろ進んでモードレッドを送り出した。殿下を頼む、と。彼はそう言ったのだ。

 陰険な野郎だと思ってたが、分かってるじゃねぇか。殿下の騎士を名乗るだけはある。モードレッドはぎこちなく笑いながらガヘリスに礼を言って、ガレスはガヘリスとモードレッドの様子を見て瞳に光を戻した。腑抜けちゃってたら、殿下に叱られちゃいますよねと、気丈に背筋を伸ばして――強がっているだけの現実逃避でしかない様子に、ガウェインは無表情だった顔を顰めた。

 泣いていいのに、責めてくれていいのに、むしろガレスの様子は痛ましく、ガウェインの心を千々に引き裂いて苦しめた。すぐ近くで見ていたガウェインには分かるのである。太陽の聖剣や星の聖剣にも比するか、それ以上の威力を秘めた魔竜の呪力の奔流に呑まれ、生き延びられる者などいない、と。ガウェインはおろか、騎士王ですらまともに受けては消し飛んでいるだろう。

 

 時の流れが、妹の心を癒やし、整理してくれることを祈るしかない。ガウェインは肝心な時に無力な己を深く呪った。

 ガヘリスは感情の伺えない顔で、ひっそりと呟く。――ガレスが立ち直れば私も後を追いましょう。死した後も貴方の騎士として仕えると誓いましたからな、と。常より影のようだった男の目は黒く濁り、表に出せない暗闇に囚われていた。

 

 

 

 たとえ月明かりが暗雲に隠されようと、時が止まることはない。

 

 

 

 王は粛々と王子の葬儀を執り行う。

 すすり泣く騎士達と兵士達。キャメロット中の人々は、上と下の区別なく一様に嘆き悲しんだ。

 王妃は愛息の葬儀に参列していない。

 銀のように美しい髪を掻き毟り、狂気に支配された瞳で「ロホルト……早く会いに来て、ロホルト、ロホルト……」と、延々と、延々と繰り返していて、人前に出られる状態ではなかった。

 王国中が泣いていた。しとしとと降り注ぐ雨は、晴天なのに降り止まない。一人の若者の死を誰もが惜しみ、粛々と葬儀を進行する王は――空っぽの棺の上に、最初に花を手向けようとして、ぴたりと止まってしまった。

 葬儀が止まる。だが、誰も責めなかった。これまで無表情で、冷静に儀式を進めていた王は、小さな肩を微かに震えさせ、棺の上になんとか花を置くと、後は数秒前の冷静さを取り戻して恙無く葬儀を終えさせた。空っぽの棺の上には、多くの王国民と、騎士、兵士、そして円卓の騎士達が惜別の言葉と花を手向けて――キャメロットから川に流された棺を静かに見送る。

 

 やがて王子の遺品を自分で整理したいと言った王は、一人で王子の居室に向かった。

 

「――ぅ、ぁ……っ」

 

 淡々と部屋を整理しようと伸ばした手が止まる。

 十年前、王が王子に与えた、自身の修行時代に使っていた剣シャスティフォルが、飾られていて。

 王剣が、保管されていて。

 ――王子の私物は、虚しくなるほど、何もなかったのだ。

 ロホルトの居室に、はじめて入った。

 知らなかった。

 気づかなかった。

 

 王ではなく、親として……私はロホルトに何を与えた?

 

 ……何も。

 何も与えていない。

 ロホルトは子供の頃からずっと、子供でいられる時間を捨て、国に、王に尽くしてきた。

 卓越した視野の広さと、高さで、国の窮状を知った時から、ずっと。

 王もそうだった。だが、こうして此処に来て、気づいた。今更に、気づいたのだ。

 嗚呼……親が子にしてやれることを、当たり前の愛を、自分は示していなかったのだ、と。

 

 駄目だった。それに気づいた瞬間、王の仮面は剥がれ落ち、シャスティフォルを胸に掻き抱いて、跪いたアルトリアの口から、意味のない音が漏れる。

 はらはらと流れる滴はやがて滂沱と流れ、視界を滲ませ何も映さず。

 必死に押し殺そうとする嗚咽が氾濫し、アルトリアは顔をくしゃくしゃに歪めて、途方もない罪深さに押し潰されて額を床に押し付けた。

 

「ご、ごめっ……ごめんな、さい――ごめっ、ごめんなさい、ロホルト……わた、わたし、私が、私がお前を……貴方を、死っ、死なせ――わ、わた、わたしが……親になんか、なったからっ、私は貴方に、何も――」

 

 アルトリアはこの日、この時、王の在り方を忘れて、一人の少女に還ってしまった。

 少女なのに親になり、少女なのに男親になり、少女なのに王になり、少女だから――噛み合わなかった。ただ一度の過ちで生まれた我が子を、地獄に、死地に叩き落とした己の無能を呪う。

 なぜ私が生きている、なんであの子は死んだのに私が生きている。私が死ねばよかった、私があの戦いで魔竜に挑めばよかった。あの子を殺したのは私の無能さだ、私のせいだ、私の――。

 

「返して! 返してよ! わたくしの、わたくしのロホルトを返せぇぇぇえええ――!!」

 

 ギネヴィアの許に訪れたアルトリアを見た時、王妃は母親になり、母親としての憎悪を爆発させてアルトリアに掴みかかった。何度も小柄なアルトリアを非力な力で殴りつけ、自身の手の方が痛むのも気にせず、鬼気迫る形相でギネヴィアは狂乱していた。

 

「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 アルトリアはされるがままで、只管に謝った。謝り続けた。何に謝っているのか曖昧なまま。

 涙は枯れていた。ロホルトの居室を整理しようとして、一夜、一人で涙を流し尽くして。しかし心に空いた大きすぎる穴は塞がらない――涙も流さないアルトリアに、ギネヴィアは更に激昂するも、危うく憤死し掛けた反動に体力が保たず倒れ伏した。

 かえして……かえしてよぉ……ろほると……。

 人を叩きすぎて腫れ上がったか弱い手で床に爪を立て、ギネヴィアはただただ枯れない涙を流し続けて涙を赤く染めた。

 

 どれほど嘆いても、悲しんでも、時は止まらない。残酷に、ブリテン最大の敵である時間は、冷酷な運命を背負って運んでくる。

 

 日常が戻ってくる。喪に服していたくても、若者の死をもっと惜しんでいたくても、その死を認めずにいたくても、毎日の日々を送らねばならない。

 アルトリアはボロボロの王の仮面を拾い、逃げるように被った。

 そうだ……もう理解者はいない。もう愛したロホルトはいない。

 なら私が、私だけでも、救国の為に戦わねばならない。

 ヴォーティガーンの告げたブリテンの滅びの運命を、否定しなければ。

 ブリテンが滅びる運命にあるだと? 私とロホルトの積み上げた努力を、今を生きる人々の努力を運命なんてものに潰させはしない。私がロホルトにしてやれるのは、ロホルトの成そうとしたことを成し遂げること。それだけがアルトリアにできる唯一の贖罪なのだ。

 

 そんな時だ。重苦しい円卓の会議の間で、円卓の上に聖杯が出現した。それは幻だったが、聖杯を見た時アルトリアは思いついてしまった。

 

「聖杯……? どんな願いでも叶う……?」

 

 なら……ロホルトを。

 本物の聖杯でなら、ロホルトを蘇らせることが、出来るのではないか。

 その発想に、アルトリアは惹かれた。

 聖杯を探せ。アルトリアは円卓に、いや王国全土に布告を出した。

 聖杯を見つけて献上しろと。それで国は救われるだろう……と。

 

 聖杯だ。聖杯を手に入れろ。アルトリアは聖杯探索を至上命題とした。

 

「ロホルト……どうして……?」

 

 そうして、一月が経つ。一ヶ月も、経った。

 夜、ギネヴィアはふらふらと宮殿から抜け出して、満月を見上げる。

 満月に手を伸ばしながら、ふらふら、ふらふら、と歩いた。

 

「――ギネヴィア様?」

 

 そこに現れた騎士がいた。

 白銀の甲冑を纏い、青いサー・コートを靡かせた、紫の髪の美丈夫である。

 25歳となる稀代の騎士、サー・ランスロット。

 彼は母国の奪還に成功し、信頼する代理人に統治を任せ、キャメロットに帰還してきていたのだ。

 そして道中で一回りも年下の友の訃報を知り、真偽を確かめるべく、馬を何頭も潰すほど急いで戻ってきたのである。

 そこで出くわしたのが、夢遊病のように歩いていたギネヴィアだ。

 

「あら……? あなたは……ランスロット……?」

「はい、ランスロットです、王妃」

 

 月光を浴びたランスロットの美貌を見上げる。素敵な男性だった。きっと何かが違っていたら、ギネヴィアは彼に一目で恋に落ちていたかもしれない。

 ランスロットが仕官にきた時に、逃れられない恋の炎に狂っていたかもしれない。

 だが、ギネヴィアは母親だった。そして今は、別の想いに狂っていた。

 痩せて儚くなったギネヴィアの美貌は、妖しい色香を纏い魅力としていた。ランスロットは息を呑むも、倒れそうだったギネヴィアを介抱する。

 優しくエスコートして宮殿に連れ帰り、ランスロットはギネヴィアから事の顛末を聞いた。

 

 友の死。ランスロットは悲しさに胸を詰まらせたが、自身の悲しみよりもなお悲痛な王妃を見て、まずは彼女を元気づける必要があると判断する。

 その為にはまず経緯を知らなければ。事情を知らない者の慰めなんて王妃には届かないだろう。

 故に翌日、日が昇ってからランスロットは登城し、騎士王へ謁見した。

 窶れている騎士王や、輝きが翳った太陽の騎士、王子の伯父である外務卿の顔を見ながら思案する。

 

 ランスロットは自身の成した事を報告して、報奨や称賛を受け取った後、個人的にガウェインの許を訪ねた。彼が最も事情を知っていると聞いたからだ。

 ガウェインは淡々と、嫌がることもなく、自罰的にランスロットに戦闘の経緯を語る。

 

「………?」

 

 ランスロットは眉をひそめた。

 

 次に当時、騎士王に率いられていた兵を訪ねて回り、実際に見ていた光景を聞き出した。

 

(……妙だな)

 

 ランスロットはおそらく現在のロホルトの実力を最も正確に知り、その成長を推測できる者だ。未熟なモードレッドやガレス、実際に剣を交えたわけではないガウェインや騎士王よりも正確に。

 故に違和感を覚える。

 ロホルトの才気は騎士王に匹敵しよう……長ずれば体躯の大きさという身体能力の差で、ロホルトは騎士王を超える強さを手に入れるはずだ。大剣を振るえば無双の域に手が届く器で、この湖の騎士ランスロットでも王子が全盛期に至れば勝つのは難しいと認めていた。

 

(我が友ロホルトの勝負強さ、判断力はよく知っている。彼は自身が死ぬ訳にはいかぬ身だと自覚していた筈だ。ならば強大な敵を倒す為にも死力を尽くすのが道理――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()?)

 

 皆の話を聞いて回ったランスロットは、噂でロホルトが聖剣を湖の貴婦人に賜ったと聞いている。

 なのにロホルトはその最期の瞬間、聖剣の真の力を発揮させていなかったという。

 

 脳裏に奔る天啓に似た閃き。

 

 ランスロットは馬をガウェインに借り、急ぎ養母の許を訊ねた。

 そして養母ヴィヴィアンから、ロホルトに授けた聖剣の力の詳細を聞き出して――その足で帰還し、寄り道せず王と王妃が会合しているテラスに出向き、足を踏み入れる許しを得た。

 そして二人の間に横たわる険悪な空気に気圧されそうになりつつも、跪いて自信を込めて告げる。

 

「陛下、そして王妃よ。――我が友ロホルト殿下は、まだ生きておられます

 

 ランスロットという稀代の傑物の断定に、二人の女の時が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




聖杯
 アーサー王伝説の聖杯は、後の聖杯戦争などに出てくる偽物ではなく本物の聖遺物。
 故にこの聖杯なら死者蘇生すら能い、魔法の領域の奇跡も起こせる。

ランスロット
 キャメロットへの帰還中、一回りも年下の友の訃報を聞き急いで帰還。偶然再会したギネヴィアの様子は見ていられず、王子の最期を色んな兵や騎士、ガウェインらに聞いて回った。詳細な事情も知らずにいては、慰めの言葉など吐けないからだ。
 しかし話を聞く中でランスロットは違和感を見い出した。おかしい……我が友は母上から聖剣を賜ったと聞く。だが魔竜に対して聖剣の力を解き放っていない……? ランスロットはその違和感を元に行動し、湖に向かって養母たる精霊に訊ねた。貴女が我が友に与えた聖剣の力とはどのようなものなのかと。返ってきた答えを聞き、彼は確信する。

「王妃よ、貴方の子息、私の友はまだ生きています」

 王妃はこの戯言にすら縋り、信じてランスロットを送り出す。お願い、ランスロット。ロホルトを連れて帰って――と。

「お任せを。貴方の止まらぬ涙を、必ずや止めてご覧に入れる」


ギネヴィア
 ランスロットの言葉を信じた。ありえない妄言だとしても、信じたかった。
 そしてランスロットの力強い言葉に励まされ、狂気を支えに立ち上がる。
 だが……彼女は普通の人だった。普通だからこそ、恐怖した。
 たとえロホルトが本当に生きていてくれたのだとしても、また危ない目に遭うかもしれない。
 その時は本当に死んでしまうかもしれない。
 嫌だ。嫌だ。絶対に、嫌だ。
 だがロホルトの価値をギネヴィアは理解していた。国がロホルトを手放せないことを知っていた。
 だから――ギネヴィアはそこまで考えて苦く微笑む。

「信じてるわ、ランスロット。きっとロホルトを連れて帰ってね」

 ロホルト。ああ、ロホルト。貴方が無事に帰ってくるのを待っているわ。
 もしランスロットが嘘を吐いていたら……ゆるさない。
 でも嘘じゃなかったら……ロホルトを、あぶない世界から救えるのは、きっと自分だけだ。
 ギネヴィアは狂い果てた心で、穏やかに、慈愛を込めて微笑む。




あとがき
アンケの結果、ロホルトは死んでないことに。
もっと長く持続的に苦しめろって皆が言うから……!
くそ、これが人間のやることかよぉ!

ぶっちゃけると上の選択肢だとガチで死んでて、話を畳みに掛かってました。危うくガレスとモードレッド、モルガンの曇らせができずに終わるところだったのでよかったです。


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21話

感想欄にトリスタン卿が出てる…(人の心)
自虐かな?



 

 

 

 

 

 

 嵐だ。

 

 強い風が吹いている。

 

 目も開けられない強い風に打たれ、前に進もうとする体を押し返されて。

 疲れた。

 重たくて、苦しくて、なのにどうして自分は、前に進もうとするのだろう。

 もういいじゃないか。もう充分頑張った。これ以上はもう、嫌だ。

 

 ――だけど。

 

 嵐の向こうで、星が輝いている。

 

 碧い……碧い光が、嵐の中で……碧い光だけが、強く輝いて。

 黒く塗り潰された呪いの海で、標となって碧くこの体を照らしている。

 

 標……標だ。導くように、一筋の道を照らしていた。

 雑多な幻想、数多の命が溶け合い、渾然一体となった混沌の海に浸り、星の鼓動を間近に感じる。

 この体を甘く溶かして、一つになろうとする星の体温は心地よくて。

 もう永遠に、この暖かさに包まれていたくなるけれど。

 

 碧い星が、迷わぬようにこの身を照らし続けている。

 

 どうして。

 

 あらゆる生命の故郷、全ての生命の始まりである原初の荘厳。

 深淵に還るのは摂理であるのに、どうして、あの星はこの身を照らすのか。

 ここには生命の答えがある。

 ここでは生命の無価値さ、無意味さを理解させられる。

 生命に意味はない。生涯に価値はない。

 なら、このまま安寧の揺り籠に溶けていた方が、ずっといい。

 意味のないことで苦しみ、悩み、嘆き。憎み、怨み、妬む。

 繰り返されるだけの懊悩の巡礼で、この脚は疲れていた。

 

 だというのに――碧い光が、生命の歓びを、愛しさを照らしている。

 

 脳裏を過る、幾人もの顔。

 思い出してしまったら、甘えてはいられない。

 

「――悪いが、胎内回帰の願望はなくてね。私には他に、帰らないといけない居場所があるんだ」

 

 仄かに、苦く、微笑んだ。

 往くのか、と……苦悩に塗れた老人の声がする。

 此処は生命の故郷、魂の終着点。極楽であり、楽園であり、天国だ。

 なのに、地獄に帰るというのか――と。老人が正気を疑う。

 お前のような人間だからこそ、招いたというのに。

 お前の言う居場所は、お前を一時でも欠いたことで脆くも崩れるだろうに、と。

 

 ()()は……カタチを取り戻した私は、振り返らずに答えを返す。

 

「人は天国を望みながら地獄に縋りつくものさ。私はまだこの手で作る地獄の結末を見ていない、たとえ私の巡礼に意味がなかったとしても、この旅路に終止符を打つぐらいはしないとね」

 

 それが人として最低限の責務だ。

 言い捨てて深淵を歩く英雄に、声は皮肉げな激励を紡ぐ。

 

「栄誉こそ怠惰の始まりである。誉れ高き英雄よ、犠牲の価値は救う者次第であることを忘れるな」

 

 老人の警句を受け取って、若者は月明かりの照らす道を辿り――

 

 

 

 

 そして、目覚めた。

 

 

 

 

「ん……ぐ、ぅ……っ!」

 

 体の節々が痛むのに呻いて、冷たい石畳の上でロホルトは目覚めた。

 両手で床に手をつき、上体を起こして座り込んだ気配を感じたのか、粗野な声が投げかけられる。

 

「お? 起きやがったか、島の悪魔め」

 

 辺りを見渡すと、どうやらロホルトは牢獄の中にいるようだ。

 冷たい空気は不浄であり、埃や黴の臭いがして、衛生環境の悪い場所であるのが分かる。

 不快そうに眉を顰め、ロホルトは鉄格子の向こう側で立っていた男に視線を向けた。

 

「ここは?」

「……あ? なんだ、悪魔の分際でおれらの言葉を話せんのかよ」

 

 男の言語はサクソンのもの。ロホルトは敵情を知る為に、サクソンの語学も学んでいる数少ないブリテン人であった。

 ロホルトの手に聖剣はない。鎧兜や蒼い外套すら剥がれ、腰布のみで放置されていたらしい。

 自身がサクソンの虜になっているらしいと悟り、捕虜の扱いが悪いなと吐き捨てたくなる。

 男は島の悪魔とロホルトを蔑んでいる……ということは、ロホルトがブリテン人の騎士であることは知られているようだが……どうやら、ロホルトの素性までは判明していないようだ。サクソンとの大きな戦には、まだ関わっていなかったからだろう。

 

「ここは天国さ。お前ら悪魔にとっちゃ、上等なところだろ?」

「……ふぅーん。なるほど、確かに上等だ」

 

 彼には頼りになる魔術師がついていた。彼女から魔術の知識も授かっていた為、石畳や鉄格子、牢獄全体に魔力を防ぐ措置が施されているのが分かる。

 ついでにロホルトの両手足は鎖で繋がれ、魔力殺しの封印が為されているようだった。

 しかし……残念ながら、()()()である。この程度で竜を抑え込める道理はない。

 いつでも破壊して出て行けるが、サクソンの精兵らはブリテンの騎士にとっても脅威。安易に行動を起こすよりも先に、ロホルトは状況を整理するべく言葉を紡いだ。

 

「君は私が誰か知っているのかい?」

「知らねぇよ。んなもんどうだっていい。お前はな、これからおっかない拷問官の尋問を受けて、悪魔共の内情を洗いざらい吐かされるんだよ。痛い目に遭いたくなきゃ大人しくしておくんだな」

「それは怖い、つまり私は屠殺される前の畜生になったわけか」

「はっはっは! 上手いこと言うじゃねぇか、笑わせてくれるぜ!」

 

 愚かな男だ。口が軽い。

 ロホルトの身分や名は明らかになっておらず、牢獄にブリテンの騎士を捕らえておける機能があり、拷問官がいるということは……此処はそこそこ大きな都市である証左。

 加えて男の肉体は鍛えられてこそいるものの、ブリテン騎士に対する潜在的な畏怖がない。島にいた彼らはブリテン騎士の力を知っている……故に、一切の油断はなく、騎士を捕虜にしたのなら確実に手足の腱は切っていたはずだ。なのにそれをしていない。

 以上のことから、ロホルトの現在地はおおよそ絞れた。――ここはブリテン島ではない。大陸の海岸沿いにある、サクソンの拠点だろう。

 

 それだけ分かれば充分だ、ロホルトは心臓を起点に魔力を精製し、魔力放出により牢獄ごと吹き飛ばして脱出する決意を固める。

 しかし、地下牢らしき空間に、幾人かの人間が階段を伝って降りてくる気配を察知して止まった。

 

「なにを笑っているんだ?」

「っ……()()!?」

 

 姫だと? ロホルトの頭脳に冷酷な光が奔る。

 人質として攫うのも手だな、と。そう思ったのだ。

 だがやって来た姫の顔を見た時、ロホルトは目を瞠った。

 

「姫様、このようなところに貴女様のような御方が……!」

「ああ、黙ってくれ。キミに用はない」

 

 ――現れたのは、いつか出会った姫君だったのである。

 

 高貴な金の髪をボーイッシュに刈り、露出した耳に一級の対魔の礼装であろう耳飾りをつけ、身軽な礼服を纏った杖持ちの貴人。歳の頃は二十歳前後で、バレエダンサーのようにしなやかな四肢が中性的な美貌を引き立てている。ロホルトは彼女を知っている。宝石の如き冷酷な煌めきを体現した……魔女だ。彼女はサファイアのような瞳でロホルトを見るなり、頬を紅潮させた。

 ほぉ、と。衣服までも剥ぎ取られたロホルトの肢体を隅々まで見て、ハイライトの消えた瞳に仄暗い劣情を灯らせる。

 

「――これはこれは、いつぞやの騎士様じゃあないか。こんなところで再び相見えるなんて、どうやら僕達は運命の赤い糸で結ばれているらしい」

「セレナ様、この者を知っておられるので?」

「ああ」

 

 伴われてきていた二人の戦士の片割れが問うのに、魔女セレナは首肯する。夢見るような貌は中性的な美貌を乙女の色に染め上げて、うっとりとロホルトを囚えている鉄格子に手を触れた。

 

「彼は以前、僕がブリテン島を旅していた際に出会った気高い騎士だ。護衛の戦士達が魔獣に食われ、僕は難を逃れこそしたが一人になってしまってね。別の魔獣に襲われ、あわや食い殺されそうになった所を彼に救われたんだよ」

「なんと、そんなことが……」

「彼は名乗ってくれなかったが、僕の人種は分かっていたんだろうね……我が軍の拠点があるところまで連れて行ってくれた。……彼は僕の命の恩人だよ」

 

 ロホルトは凍えた眼差しでセレナを見遣る。

 

 セレナ……月を意味する名だ。その名の持ち主と言うだけで、確かに運命めいたものは感じる。

 だがロホルトは知っていた。彼女は旅の中で語っていたのだ。

 セレナは姫の身でありながら魔道の才に長け、祖国の宮廷魔術師を師とした天才魔術師である。彼女はブリテン騎士の強さの秘密を探る為と銘打ってブリテン島に潜入し、少ない護衛達と旅をしており、幾人かの騎士と出会ったこともあるという。当時から察していたが、彼女はロホルトを研究対象と見做し、隙を見せたら捕らえ、神代の人間の秘密を解き明かそうとしていた。

 しかし何時の間にかそうした探究心ではなく、女としての目を向けてくるようになり、どうにかしてロホルトを手に入れようとサクソンの精鋭を差し向けてくるようになったのだ。

 どんな心境の変化があったのかは知らない。だが別れる間際に向けられた、打算と劣情に塗れたセレナは悍ましさを感じさせた。無視できるし、許容できる範囲ではあったが。なんなら容姿端麗な彼女は他の乙女達よりはマシであったし、外見は好みのタイプだった。

 

 だが人種の壁が立ちはだかる。サクソンの言葉を話した貴人に、ロホルトは失望したものだ。純粋な恋心と打算的な目的意識、優れた知性と端麗な容姿は王子の正妃に相応しかったからだ。であればこそ人種の壁は分厚く、ロホルトは彼女の求愛を拒まざるを得なかった。

 サクソンとブリテンは不倶戴天である。恋や愛で埋められる溝ではない。それに、彼女はロホルトと出会う前に、既に何人かの騎士を殺め、解剖して解体して捨てているのも察している。ブリテン騎士をその手で殺めたこともある者を、そういう対象にするわけがない。

 

「キミは僕の運命の人だ。浜辺に流れ着いていた騎士を囚えたと聞いた時、僕の胸は高鳴ったよ。もしかしてと期待して……そんなことは有り得ないと否定して、けれどキミは此処にいた。運命的だと思わないか? ああ……粗悪な環境に置いているのはすまないと思う。キミさえ僕の手を取ってくれたなら、僕にはキミを夫に迎え入れる用意があるよ」

「セレナ様、島の悪魔になんてことを……!」

「黙れ。彼の価値を知らない暗愚が口を挟むな。……こんな粗末な牢で、彼ほどの騎士を大人しくさせられるわけがないだろう? なぜ手足の腱を切っていない、弛んでいるぞ貴様ら」

 

 看守が堪らず諌めようとするのに、セレナは極寒の眼差しで叱りつける。萎縮する看守は本能的に察したのだろう、セレナが発した魔力の強大さを。

 セレナは魔力喰いの魔獣や竜種にさえ出会わなければ、自力でブリテン島を横断できる魔術師である。若くして才を示す彼女は、その名をある剣帝の耳へ届かせるほど名声を高めていたのだ。

 故にこそセレナは嘆く。この騎士を囚えているこんな牢は、ガラス細工よりもなお脆いガラクタに等しいと。ロホルトはそんなセレナの様子を見て、静かに告げる。

 

「セレナ、といったかな」

「貴様――! 姫様を呼び捨てにッ」

「いい。なんだい、僕の運命」

「一度この手で救った君を殺めたくはない、そこから離れてくれ」

「分かった」

 

 素直に頷いて、セレナは護衛とともに鉄格子から離れる。そしてそのまま階段まで戻り振り返った。

 

「ああ、そういえばキミの名前をまだ聞けていない。前は教えてくれなかったが、今ならもう教えてくれてもいいんじゃあないか?」

「そうだね」

 

 ロホルトは言いながら魔力を放出する。放った光は暗く、蒼い。変色した魔力光に内心驚きながら、手足を繋ぐ鎖を粉砕した。仰天して飛び上がった看守は無視して、何気なく名を名乗りながら鉄格子を両手で折り曲げ外に出た。

 

「ロホルトだ。忘れてくれていいよ、セレナ。……ああ、その名前は君によく似合っているよ」

「……ロホルト? ……クッ。クク……似合っている、似合っている、ね。本当に――運命的だ」

 

 驚きすぎて我を見失い、唾を散らしながら怒鳴って殴りかかってきた看守を一撃で昏倒させる。

 かんらかんらと、セレナは愉快そうに肩を揺らしながら笑い、立ち去った。

 それを見届けてから、同じ階段を登り地下牢を後にする。

 上裸で、腰布しか纏っていない姿は流石に恥ずかしい。ロホルトはずっと傍で自身を照らしてくれていた光を呼んだ。

 

「ギーラよ――」

 

 すると、スゥ、と大剣がロホルトの手に召喚される。

 取り上げられていたはずの聖剣だ。だがどれほど離れていようと、この月明かりはロホルトを照らし続けてくれている。元より其処に在りながらにして無い、非実体の幻想だ。近くにあるなしに関係なく、担い手は月光を伴っているものだろう。

 ずっと傍にいてくれた。一瞬だけ碧い光が灯り、ロホルトは微笑む。

 

「――私を導いてくれ」

 

 ロホルトは月光が導く先に歩を進める。城塞都市なのだろう、行き交うサクソンの兵達に呼び止められるか拘束されそうになるも、悉くを打ち倒しながら武器庫まで辿り着いた。

 そこにはロホルトの鎧兜がある。だがロホルトはアルトリアと同じように、魔力で鎧兜を形成することもできるので、そんなものに執着はなかった。求めていたのは蒼い外套である。

 ギネヴィアに授かった祈りの品。これだけは取り戻しておきたかった。

 折よくロホルトの衣服もここに置かれていた。騎士服を纏って、チェインメイルを着込み、その上に外套を羽織って鎧を身につける。独特な形状の兜も被り、ロホルトはいつも通りの姿に立ち返る。そうしてロホルトの脱走が明らかになり、辺りが物々しくなると――

 

「ロホルト、こっちだ」

 

 強行突破を図ろうとしていたロホルトを、戻ってきたセレナが手招いた。

 

「……なんのつもりだい?」

 

 彼女は旅装に着替えていた。手には杖、ステッキが握られていて、背嚢を背負っている。

 眉を顰めるロホルトに、彼女は飄々と告げる。

 

「ああ、キミに付いていこうと思ってね」

「なんだって?」

「僕もキミ達の言語は学んでいる。流暢に操る自信もある。魔道の探求にブリテン島は最適で、なおかつ僕はキミが好きだ。国を捨てて付いていきたいと思うほどにね。邪魔にはならないから、どうか僕をキミの国に連れて行ってくれないか? 対価は……ここからの確実な脱出と、僕の体だよ。幾らキミでも軍事拠点から無傷で脱出は出来ないはずだ、悪くない条件だと思うよ?」

「………」

 

 胡乱な気持ちになる。だが……体を好きにしていいという発言は無視するにしても、確かに単身では容易く敵地から逃れられるとは思えない。

 もしそんなことが容易に出来るなら、ブリテン王国はとっくにサクソンを相手に完勝しているし、騎士王の前の時代から続く因縁にもカタがついている。

 ロホルトは嘆息して、セレナの傍に寄った。

 

「怪しい素振りを見せたり、罠だと判断したら斬る。それでいいね?」

「もちろん。さあこっちだ、僕や城主しか知らない秘密通路がある」

 

 ロホルトはセレナの手引きで城塞都市から脱出を果たした。

 道中、彼女はロホルトに戯言を語る。

 もし僕とキミが結ばれ子を宿したら、ブリテンとサクソンは融和の道を探れると思わないか、と。

 まさに戯言である。

 王子は失笑してそれを否定した。そんな真似をしたら私は第二のヴォーティガーンとして弾劾され、裏切り者扱いされるだろう。融和を語るには、私達の間には血が流れすぎている、と。

 セレナも言ってみただけなのだろう、無事に海辺まで来ると、彼女はなんでもないようにステッキを構え――瞬間、真の姿を晒した聖剣が、セレナの体を斜めに素通りした。

 

「……あーあ。やっぱり無理だったか」

「……分かっていたことだろうに。なんで、そんな真似をする」

 

 疵一つなく、生命だけを断たれた魔女は、自らの体を素通りした神秘の感触に微笑んでいた。

 これが聖剣。なんという神秘なのだろう。即死しないように急所を外してもらっていてなお死を身近に感じる。痛みはなく、辛くもなく、ただ眠たくなるような心地で、倒れそうになった体を恋した王子に支えられて。セレナは微笑みながら本心を語った。

 

「なんで、って……どうせキミも、城から脱出したら、僕のことを追い返すつもりだった、だろう?」

「………」

「サクソンとブリテンは、不倶戴天……僕達は、道理に従っている限り、結ばれない。なら……一か八かに、賭けたくなったのさ……」

 

 海辺の桟橋には船がある。それはもともとセレナが、再びブリテン島へ向かう為に用意していた物。そしてその船は密閉された空間であり、工房としても作り変えられた一品だ。

 彼女はロホルトを眠らせようとしていた。ロホルトを虜にし、四肢を切って自分の物にしようとしていたのだ。だがロホルトに魔術は効かない、そも怪しい真似をしたら斬ると言っていた。

 脱出を手引きすることで油断を誘い、船という自身の工房、研究所に連れ込もうとしたのに、怪しいと見抜かれたと悟ったセレナは王子の捕縛を強行しようとした。だから斬られた。

 

 ロホルトはセレナを地面に横たわらせると、背を向けて歩き出す。霞む視界の中、姫は告げた。

 

「ああ……キミは、変わったね。……前のキミなら、僕を斬るのに、躊躇っただろうに……」

「………」

「……忠告だ。キミを犯す深淵のような闇を、はやく……手懐けなよ……? さもないと……キミは、月の獣になるだろう、ね……」

 

 手甲に備えつけていた黒盾を巨大化させ、船のサイズまで大きくしたロホルトは、黒盾に乗り込みながら最後に姫へ振り返る。

 そして離別を告げた。

 

「さようなら、セレナ。出来れば……君を迎え入れたかった」

「……ふふ。酷い男だよ。……ま、いいさ。あの世で……キミを見ているよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 




暗き月明かりの剣(コールブランド)
「ギーラよ!」
 物理面の防御力は期待できないが、魔力に類する脅威には盾として優れた遮断力を発揮する。ロホルトは闇に呑まれる寸前、月の聖剣の真の姿を解放し、ブリテン島の原始の呪力に抗った。
 しかし抵抗虚しくブリテン島という、神代終焉の地が宿す呪力によって、星の内海という深淵の只中に落ちてしまう。幻想のみが輪郭(カタチ)を保てる神秘の深淵に侵され、人の身に過ぎないロホルトという生命(カタチ)は保てなくなり、死ぬこともなく星の終わりまで溶け合い続けるはずであった。だが月の聖剣の光が標となり、ロホルトは自らのカタチの輪郭を失わなかった。
 対生命宝具として比類ない殺傷力を有するが、月明かりとは夜の道に迷う者を照らす性質を持つもの。担い手の生命活動に最適な環境――地表へ帰還する導きとなってロホルトを守護した。
 もしこの聖剣をロホルトが持たねば、神秘の深淵、星の内海に溶けて消えていただろう。死んですらいない無繆の安寧に満たされ、星の終わりまで在り続ける末路を辿っていた。よしんば英雄の精神力により地表に帰れたとしても、人としてのカタチは醜く変貌し、人ならざる魔物に変じていたかもしれない。ともすると邪悪な魔物として、同じ人間に討たれていただろう。

 救国を志すなら、魔竜との対決は避けられない――ブリテン島の意思の分身ヴォーティガーンとは異なるも似通った存在。ブリテンの落とし子であり、島に潜む原始の呪力である黒き魔力、島そのものを所有物とする加護を持つモルガンには、いつかロホルトが魔竜と対峙する未来は予見できていた。故に星の内海から帰還する為の導きを与えたのである。
 ヴィヴィアン(モルガン)の加護はこれっきり。しかしロホルトが道に迷う時、苦しむ時、月明かりは優しくロホルトを包み込む。



セレナ
 サクソン人の王国の姫。そして同時に探究心の強い優れた魔女だった。
 かつてブリテン王国の強さの秘密を探る為と称し、少ない護衛を伴ってブリテン島に潜入していた。しかし宮廷魔術師を師としていた彼女は、神代の終焉と人理の定着を知り得ており、魔術師としての探求を行うにはブリテン島に行くしかないと断じていた。
 しかし彼女は探求の最中、護衛を神代の獰猛な獣に食い殺され、自身も強力な幻想種に殺されてしまいそうになってしまう。だが英雄に救い出されて、内包する魔力や神秘に惹かれた。最初は彼を捕らえ、秘密を解き明かす為に解体して保存しようと企んだが、彼の油断を誘う為に親しくなろうと会話を重ねたことで変心する。彼との子を生みたい、と。
 魔術師としての打算と、少女としての純粋な恋心が両立し、神代の英雄の血を血族に迎えるのが最善だと判断したのだ。だがこの時既に厄介な女達に追われていた英雄の警戒心は強く、名を名乗ることもなく短い逢瀬は終わりを告げる。セレナは名も知らぬ英雄を求めるも、単身でブリテン島に留まり続ける愚を悟り、泣く泣く祖国へと帰っていったのだが――

 意識のないブリテンの騎士が、自国の海の浜辺に流れ着いたのを捕らえたという報告を聞き、胸を高鳴らせて向かった先で再会を果たした。
 これは運命だ。セレナは歓喜して名乗り、英雄の名を聞く。そこではじめて素性を知り、セレナは姫としてもロホルトと結婚すれば自分達の利益になると判断したが――現状を把握したロホルトは脱獄し、装備を取り戻して去ろうとしてしまう。

 後世の物語上の話。セレナは追いかけた先でロホルトに斬られた。皮肉にも月光が切り裂いた、最初の人になる。

「ロホルト、後悔して。貴方はブリテンとサクソンが結び得る、唯一の融和の道を断ったのよ」
「戯言を」

 融和を計るには、両者は互いの血を浴び過ぎている。融和の能う時期は、何十年も前に逸したのだ。
 それを理解していなかったセレナを憐れみ、ロホルトは自身を慕う姫を斬った事実を悔いることはなかったが、ないはずの斬撃の手応えはその手に残り続けた。

 物語上の話はそれで終わり。

 ロホルトは嘆いた。一つ、勘違いされている。追い返すつもりは、なかったのだ。



ロホルト
 目覚めた先がまさかの大陸であり、自身がサクソン人の虜囚となっているのに動揺した。幸いにもロホルトはまだサクソンとの大規模な戦闘に関わっていなかった為、素性が露見しておらず。またロホルトはサクソン人の語学も堪能であった為、看守を通して現状把握をスムーズに行えた。ロホルトは即座に脱獄を決意、実行する。一刻も早く帰国する為に冷血漢に徹した。
 女性を、それも自身を慕う者を斬ったことに悔いはない。追手を撒いて海に黒き大盾を浮かし、船として活用してブリテン島へ帰還した。


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22話

 

 

 

 

 

 ロホルトは折れない。不撓不屈の鋼の芯が、若き英雄の背骨となっている。

 

 犠牲の価値は、救う者次第。――此の警句を何処で聞いたのか覚えていないが、金言であると思う。

 生まれ落ちた国家への帰属意識、奉仕精神、自己犠牲の覚悟。そうした普遍的で崇高な想いが心の炉に焚べられた事はない。英雄ロホルトの始まり(オリジン)は、いたって平凡で矮小なものだ。

 大嫌いな父王への反骨精神、見返してやる、超えてやるという自立心。

 大好きな母の愛に報いる為、親孝行をしたいという労りの心。

 それらを果たす為にお誂向きだったのが、たまたま救国という修羅の道だっただけの話だ。

 父王ですら成せない偉業を成せば、必然として父を超えた証になるし、母の生きる国を護り未来を残すことは親孝行にもなるだろう。

 容易い道ではないのは先刻承知だ。だがロホルトにはそれを成せるだけの才覚があった。父王に比肩する才覚と、垣間見た異世界の未来知識が磨き上げた英雄の知能があったのだ。

 才能と動機が揃い、生まれの義務と逼迫した状況に迫られたら、ロホルトは止まることが出来なくなった。若き英雄の真実は、そんなものだったのだ。悪く言えば状況に流されただけで、最初は己の意思だけで救国を目指していたわけではないのである。

 

 だが不幸にもロホルトは子供ではいられなかった。己は異世界の未来で生きた成人男性であると認識していても、最初は本当に未熟な子供でしかなかったのに。ロホルトは、大人になった。

 国を見て、民を見て、暮らしを見て、人を見た。友を得て、力を合わせ、力を競った。なんてことのない平凡でありふれた日常――それを護りたいと思ったのではなくて。なんの変哲もないそれらを必死に護ろうと戦う人々を、護りたいと思ったのである。

 

 目の前で魔竜に消し飛ばされた五百の兵士達。嘗て友の一人ステファンを死へと追いやった悪辣。誰も彼もが輝ける未来を望んでいた……ならば彼らの歩んだ生涯が、やがて忘れ去られるものなのだとしても、その死に報いねばならないはずだ。彼らの遺した想いもまた、ロホルトの護りたいものの一つであるのだから。犠牲にした者の価値が黄金にも勝ると証明しなければならない。

 

 ――そして大事を成す明確なヴィジョンが視えているのが、自分だけであるらしいことを知った。

 

 ならば、やるしかないだろう。才能と生まれ、環境と状況、動機と理由、そして少年を大人の男へと成長させた、深く大きな疵。それらを得たロホルトには、もはや『言い訳』はない。

 

 海を渡る最中、ロホルトは自らが斬った女を想う。

 

 セレナ。君はどうして私を信じてくれなかった? 私は君の望む通り、連れ帰るつもりだった。君という存在は私や祖国にとって有益だった。側近として取り立て、重用し、子を成すのもいいだろうと考えていたよ。首尾よく移民計画が最終段階に進めば、君と私の子を旗頭にして、大陸側に国を作るのに上手く利用できただろうに。君さえ私を信じてくれたなら……。

 ああ、だがきっと、理と利を説けば、君は私に付いてこなかっただろう。

 セレナ、君は私に恋と愛を告げたね? だけど、私から君に提示できるのは合理のみだ。そんなものは君の望む対価ではなかったはずだ。

 私が君を愛さなければ、君はいつか魔術師としての本分に立ち返り、最悪のタイミングで裏切りかねない危険性を孕んでいる。そんな者を傍には置けないし……偽りの愛を囁くのは容易でも、セレナの尊厳を弄ぶのは私の矜持が許さない。……だから斬ったんだよ。君との絆を育み、相互理解を深め、愛を芽生えさせる為に費やせる時間はないって、諦めるしかなかった。

 

『……ふふ。酷い男だよ』

 

 セレナの末期の言葉が脳裏を過ぎり、ロホルトは内心同意した。

 こんな男、私なら絞め殺している。

 だが残念なことに、そんな男が自分だった。

 

 海を渡る。背にした陸地から、慟哭を感じる。セレナの遺体を見つけ、嘆く気配。セレナを殺めた者への怨嗟の念。ロホルトは海面に浮く船の上で、凍りついた自身の面貌を自覚していた。

 イロンシッド。彼女はいい騎士になれる器だった。

 セレナ。彼女は優秀な参謀になれる器だった。

 偽死に騙され、後を追って自害した二人の女。彼女たちも優れた才を持っていた。

 そのいずれをも、ロホルトは切り捨てている。だがやはり悔いはない。為政者側の視点に立って冷酷に判断するにしても、抱え込むリスクがデカすぎる。いつ暴走して他の有為の人材を害し、あるいは寝首を掻かれるかも分からない者は傍には置けなかった。遠ざけでもすれば暴走するのは目に見えているし、飼いならして教育を施そうにも彼女達は我が強すぎる。

 恋に狂った者ほど始末に負えない――ともするとロホルトの欠点は、性に潔癖な部分なのかもしれなかった。己を慕う女を絶妙に管理し、愛という名の餌を与えず、それでいて偽りの愛を囁やいて……全員を均等に抱くような人間の屑にはなれないのだ。

 

 サクソン人の戦士達が追おうとしている。いや、追ってくるだろう。姫であるセレナの仇をみすみす逃したとあっては彼らの進退に関わるし、セレナを慕う者がいれば復讐を望むはずだ。

 追いつかれても負けない自信はある。だが構っている暇はなかった。ロホルトは一刻も早く帰国しなければならない、帰って無事を伝えねばならない。不倶戴天であるのが明らかな、彼らサクソン人の復讐劇に出演している場合じゃないのである。

 

『……忠告だ』

 

 しかし海を渡り、ブリテン島の大地を踏み締めた時、ロホルトはセレナの忠告の意味を悟った。

 

「グッ……?!」

 

 全身に張り巡らされている血管中を、熱いヘドロが駆け巡るような悪寒。ブリテン島の大地を踏んだ途端だった、ロホルトは魔竜に敗れた際、堕とされた先で何があったのかを思い出す。

 深淵。温かく、湿った、重たくも優しい闇の抱擁。

 この脚が深淵を歩いた記憶が蘇り、そして歯噛みする。

 深淵とは闇であり、星の内海に揺蕩う闇とは生命の海であった。深淵に一度でも堕ちたこの体が尋常のままであるはずもなく、数多の幻想が呪いのようにこの身にこびり付いている。

 

 呻き、片膝をついた。体内で暴れ狂う無数の生命、彼らは居場所を失くした故に星の内海に還っただけの幻想種。ロホルトの肉体を媒介に地表へ帰れるなら帰りたいと望む残留思念だ。

 いいや、それだけではない。より強い引力が、ロホルトの身をブリテン島の奥深くに引き摺り込もうとしている。自分だけ地表に還ることを妬み、脚を引いて星の内側に引き戻そうとするモノ達の醜い嫉妬だ。還れ、還れ、とロホルトを深淵へ誘う声がする。

 

「チィ……! 手懐けろとは、そういうことか……!」

 

 瞬く間に稀薄になる自意識を懸命に縫い止めながら、ロホルトは歯を食いしばる。

 猛烈に苛立つ。ロホルトの肉体を奪い、顕現しようというのか。させはしない、この血と肉は己のものだ、己の体で好き勝手はさせない……他の何よりも許しがたいのは、今のまま国に帰るわけにはいかなくなったことである。何かの拍子に正気を失い、暴れ出すような者が国の中枢にいてはならないし、よりにもよってそれがロホルトであるのは冗談では済まないのだ。

 鎧の下で、左二の腕に大きな瘤が出来る、内から破裂し血が吹き出た。未知の激痛――変質する肉体の末路を想起した。手の甲から獣の長い舌が飛び出、肉体が異形化するのが解る。

 

「ガァアッ! ……カァッ!」

 

 気合いで耐える、だけでは足りない。全霊で魔力を噴出させ、強引に肉体を人の形で維持。満身より深淵の黒い帳が滲み出ている、意識が暗黒へと染まりゆく。――いいだろう、()()()がその気なら、どちらが上でどちらが下かを思い知らせてやる。時間を取られるのは業腹だが必要経費と割り切るしかない。幸いにもここはまだ海辺、短期間で決着をつけ深淵の呼び声を振り切り飼いならせば、同国人に犠牲は出ないはずだ。最後の力を振り絞る。

 

「ギーラ、頼む……ッ!」

 

 月光の聖剣の姿を呼び覚ます。この碧い光が自らの縁になるのだと直感的に理解していた。

 これよりは精神の戦い、己を塗り潰さんとする慮外者共の掃討戦。

 敵は強大だ、神代とやらが最盛の頃より生きた獣共である。今この時だけ、正気を手放す不覚を自らに赦そう。だが自らの裡より帰還した時、もう二度と深淵の呼び声になど遅れは取らない。

 

 意を決し、ロホルトは自ら狂気の海へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりの騎士の戦死。斯様な報を、兜の騎士は頭から否定した。

 

 有り得ない。あれほどの御方が、他を圧し優越する人が、何者かに敗れ屍すら残せぬなど。兜の騎士は月明かりの騎士の武勇を知っている、未だ全力を引き出せてもいないが、兄のようであり知勇の師でもある王子が、志を果たさぬまま死ぬなど絶対に有り得ないと。

 故にキャメロットを飛び出した。騎士になる夢、騎士王に仕える夢を放り捨てるのを惜しまず、ただあの人の生存を証明し、あの人と共にキャメロットに帰るのだと心に誓ったのである。それほどまでにモードレッドにとってロホルトという人は大きかったのだ。

 

 ブリテン島中を駆け巡った。比喩ではあるが、津々浦々の悉くを巡る覚悟がある。

 例え何者かが匿い隠そうと、絶対に見つけ出そう。あの人は目立つ、ただそこにいるだけで巨人よりも大きく感じる。噂になるはずだ、あの人がいるならば。そう信じてモードレッドは各地を回り――そしてとある噂を聞きつけた。

 大陸側に面したとある海辺、サクソン人の築いた廃砦で、いつ終わるともつかぬ戦が行われている。サクソン人の戦士達が多くの船で浜に上陸し、ピクト人の戦士の部隊も乗り込んで――ついにはただの一人も砦から出てきた者がいない、と。

 

 舌打ちする。どうでもいいが、曲がりなりにも騎士を志した身だ。異民族のエイリアン共は手強いが、捨て置いてはそれこそ敬愛する王子に叱られる。

 モードレッドは寄り道しなければならないことに苛立ちつつ、噂にある森の奥にあるという廃砦を目指して――そこで、我が目を疑う光景を見た。

 

 散乱する人の手足。撒き散らされた臓物。折り重なる骸の山に規則性はなく……総勢1000体にも上るサクソン人とピクト人の死体があった。

 飛び散った肉片、飛散した血の川……流れた血を吸う森、死体に群がる蝿と蛆、雑多な獣。廃砦の門は跡形もなく消し飛び、内の施設は瓦礫の破片を残すのみで平らに均されている。

 あたかも地獄の片隅にある闘技場だ。怨嗟と呪詛、憎悪と憤怒の溜まった異界の景色。そこにただ一人残っていたのは、緑の肌を露出して、縦に六つの覗き穴が空いた兜を被ったピクトの戦士。

 聖剣の光をも掻い潜っていく、エイリアンじみて悍しい、円卓の騎士にとってすら強敵であるピクトの戦士はたじろいで、上空を見上げていた。廃砦に乗り込んだモードレッドになど気づきもしないまま――落下してきた闇の騎士に頭部を貫かれ、無骨な大剣に串刺される。

 

「あ――」

 

 モードレッドの口から単音が漏れる。

 その騎士を、知っていた。その御方を知っていた。

 誉れ高き祈りの蒼布を纏い、兜の房を湿らせた偉丈夫。

 面貌を覆う独特な兜。

 手にしている聖剣。

 

 闇を滲ませる狼騎士が、モードレッドを見た。

 

「で、殿下……?」

 

 闇が足元より渦を巻く。抗うように――騎士が無数の獣の雄叫び混じりの咆哮を上げ、串刺したピクト人の骸を大剣の一閃で擲ってくる。

 咄嗟に宝剣モルデュールを振るって骸を両断するも、直後に地面を滑るように疾走(はし)った狼騎士が迅雷の如き刺突を見舞ってくる。虚を突かれた、だが辛うじて宝剣の腹で受け止め、

 

(お、重ッ――!?)

 

 堪らず弾き飛ばされる様は、子犬が犀の突進をまともに食らったかの様。廃砦の外まで吹き飛んだ矮躯の騎士は、なんとか両足で着地する。

 

「殿下!」

 

 モードレッドは顔を上げて狼騎士に叫ぶ。なぜか廃砦から出て来ない彼に、悲痛に顔を歪めて。

 

「殿下、私です、モードレッドです! 私が分からないのですか……!?」

 

 生きていた、生きていてくれた。だが、あの様はなんだ? 生きていた王子に歓喜するも、喜んではいられない様子にモードレッドは混乱する。

 返事はない。ただ、ノイズ塗れの唸り声が、不気味に木霊するだけ。

 何度か呼び掛けても変わらない。モードレッドは焦れてしまうも、理性と勘の声に従い目を凝らす。砦の中に佇む狼騎士は、自らの体を抑え込もうとするように身を畳み、吼えていた。

 ……戦っている。殿下が、何者かと。

 誰と戦っている? それは……あの総身を覆う闇と。よくないモノと、戦っているのだ。

 よく見れば左腕が折れている。辺りに積み上がった骸の山――精強なピクトの戦士やサクソンの兵と、あんな状態で戦い続け、負傷したのか。

 

 モードレッドは歯噛みする。

 

 敬愛する王子が善くないモノと戦っているというのに、どうすればいいのか全く分からない。近くに寄ろうにも、彼はモードレッドを認識しておらず、あの刺突の鋭さは只事ではなかった。あれは狼騎士の全力のものだろう……技の冴えは失われておらず、故にあの狼騎士の全力を一度も引き出せたことのない未熟なモードレッドでは、とても太刀打ちできるとは思えなかった。

 だからといって指を咥えて見ているだけ、なんて無様さは晒せない。どうしたらいい、どうしたら助けになれる、どうしたら――モードレッドの焦燥は冷静さを蝕んだ。いても立ってもいられなくなり、勝算もないまま駆け出そうとしてしまう。だが、

 

「――其処にいるのはモードレッドか」

「……っ! テメェ――いや……貴公はッ」

 

 無力感に打ちひしがれるモードレッドの近くに、二人の騎士がいた。彼らの接近に気づかないほど狼騎士を注視していたのだ。

 一人は顔だけは知っている。いけ好かない澄まし顔、ムカつくほどの威厳を具えた湖の騎士。王子の友にして円卓の一人、サー・ランスロットだった。

 もう一人は知らない輩。女のように長い赤髪と、面の良さだけは円卓でも随一の男だ。腹立たしいことにランスロット共々、今のモードレッドよりも遥かに強いと直感した。

 

 目を閉じている赤髪の騎士が一礼してくる。

 

「はじめまして、モードレッド殿。私はトリスタン、最近円卓に列されたばかりの新参ですが、こうしてランスロット卿の要請に応じ、ロホルト殿下の捜索にやって参りました」

「……モードレッドです。私はまだ王子の従騎士の身、敬語は不要です」

「モードレッド、貴公も殿下を探していたようだな。そして……此処にいるのを見つけ出した訳だ」

 

 ランスロットは砦の方に視線を向け、そして目を細める。

 

 モードレッドはランスロットに対する心象を上げた。

 自分だけではなかったのだ、王子の生存を信じ、捜索していたのは。

 ガヘリスもそうだったが、流石は王子が友と呼ぶ騎士だと感心する。ランスロットはモードレッドよりも後にキャメロットを発ったはずなのに、こうしてモードレッドに追いついて来ている。

 トリスタンとかいう野郎のことはまだなんとも言えないが、少なくともランスロットが指名して旅の供にしているのだろう。

 

「……状況が掴めん。モードレッド、貴公は何か知っているか?」

「私も今来たところです、詳しくは何も」

「そうか……」

「しかし噂に聞くところ、殿下はこの廃砦に攻め込み、サクソン人とピクト人を鏖殺、大陸から船を使って乗り込んできた者達も返り討ちにしているようでしたが、私を見ても誰か分からず襲い掛かってきました。技の冴えは健在、そしてどうやら砦から出てくるつもりはないようです。そしてあの悍しい闇です……殿下は、抗っている、戦っている……ように見えます」

 

 モードレッドは見たもの、そして感じたものを伝える。

 するとランスロットは考え込んだ。門の向こうに見える、狼騎士を睨んだままで。

 トリスタンが薄く目を開く。冷たい眼光が走り、彼は囁くように言った。

 

「……どうやらモードレッドの言う通りのようですね、ランスロット卿」

「何? どういうことだ」

「彼の肉体から、比喩ではなく獣の声がする……()()と呼べるほど、大量にです。殿下は自らの内より溢れようとする悍しいモノと、今も戦っておいでなのでしょう」

「………」

 

 それを聞いたランスロットは、腰からすらりと聖剣を抜き放った。

 

「ランスロット卿、何を……?!」

 

 モードレッドが焦って訊ねると、ランスロットは不敵な笑みを浮かべて告げた。

 

「――友が死地に取り残され、孤軍にて戦っている。ならば助太刀に駆けつけるのが友情というものだろう?」

 

 完璧な騎士の、完璧な威風だった。

 ランスロットは颯爽と砦に向かい、そしてトリスタンとモードレッドに作戦を示す。

 

「まずは私からだ。次にトリスタン卿、次にモードレッド、そしてその後でまた私だ。ロホルト殿下が内で戦っているなら、我々は外で戦うまで。長期戦になる、踏ん張りどころだぞ、二人共」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長くなったので切り。次回に続く(戦闘回)


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23話

つ、つかれた……頑張った作者に評価ボタンぽちーってして応援してくりゃさい。






 

 

 

 

 

 

 絶え間なく襲い来る深淵の魔の手に、三日三晩も抗っていた。

 

 四方八方を獣に囲まれ、この魂を捕食し同化せんとする卑しきモノ共と、永劫とも取れる時を戦い続けているように体感する。

 大剣が無数の獣を一振りにて両断した。

 左腕は根元から捕食されている。劣勢だ。百万とも、千万とも、億とも取れる無尽蔵の敵が攻め寄せてくるのを前にすれば、疲弊にとり憑かれるのも道理だった。負けるものかと奮起しても、休む間もなく限界を超えて戦い続けていれば、圧されるのも当然である。

 際限のない血戦だ。粗末な木の棒だけを武器に、大海原に斬りかかるような狂気の沙汰である。なのに勝負として成立しているのは卓越した英雄性の証明だと言えよう。

 

 不屈の(たましい)は未だ健在。剣技は冴えていく、高みへ至ろうとしている。最高効率で、最大戦果を獲得する、無双の域へと手が届きかけていた。――だが騎士を蝕む深淵を押し留め、跳ね除け、勝利するのに、闘争に後どれだけ時と力を費やせばいいのだろう。

 殺戮機械と化して戦闘へ最適化されていく心と体。雑念が溶けて、ひたすら戦いに没頭する精神。これではまるで、本当に、狂った獣のようじゃないか。人のまま獣に堕ちる儀式のようで、獣の嘲笑う声が耳朶に焼き付いてしまう。お前も我らの一部となれ、と。

 

 耳を貸す余裕はない。左腕を失くし、首元を黄金の獅子に食いつかれ、左脚に蛇を巻き付けたまま無我の境地にて大剣を繰る。どれだけの時が過ぎ去ったのか気に掛ける余分も失くし、ただ敵を殺し続ける死闘に明け暮れて――ふと深淵の押し寄せる勢いが、弱まったのを感じ取り――何かを考える間も置かずに変わらず殺戮に没頭して――左腕が再生しているのを知覚した。

 精神世界を犯す深淵に奪われていたものが、なぜか自由になったのだ。

 なぜ、と懐疑するのは余分。咄嗟に大剣を左腕に持ち替えて、利き腕ゆえの剣技の冴え、精妙さを取り戻す。またどれほど戦い続けていたのか、今度は左脚に絡みつく大蛇が消し飛んだ。俊敏性が回復し、これまで以上の機動力を取り戻す。そして首元に噛み付く獅子が消えた。逆撃に出るは今――最後の力を振り絞るようにして、雄叫びを上げて全力で深淵へ飛びかかる。

 

 なぜであろうか。

 援軍なき孤独な戦いであるのに、一人で戦っている気がしない。

 頼もしさを感じて頬が緩む。

 

 なんでだろう……今はもう、こんな深淵(モノ)になど負ける気がしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――兜を被る。

 

 ランスロット・デュ・ラックという英傑を称するのなら、『最高の騎士』という文言が相応しい。

 

 フランク王国の一地方を治めた、アーサー王の盟友バン王の王子であり、祖国の失陥後、幼少期を湖の貴婦人の許で養育された出生と――キャメロットへの仕官後、アーサー王より兵を借り祖国を奪還した功績。王位と大功を以て騎士王の盟友となり円卓に列され、祖国との貿易を開始し王国に繁栄を齎した手腕。どれ一つを取っても英雄と称賛されるに足る偉業であり、仕官してほとんど間を置かず、王国にて重鎮の席を占めたのも万人を納得させられるだろう。

 

 未だ新参の身であるが、確かな存在感を得た甘いマスクの騎士は、宮廷に於いても礼節正しき振る舞いを心得ており、早くもキャメロットで支持を得はじめている。ランスロットはまさしく一代の大人物であり――新参である故に未だ日の目を見ぬ武勇もまた桁外れだ。

 どれほど英雄的であろうと、ブリテン王国とは騎士の国。そして騎士の国では騎士道が最重要。振る舞いや勇敢さも大事だが、尊敬を集める者は常に『武の英雄』であるのが通例だ。騎士王が配下の騎士や臣民に神聖視されているのは、ひとえに騎士王が個人としても大将としても図抜けて『強い』からで、その王子が認められたのも『強い』からなのである。

 

 故に愚かにもランスロットを侮る者はいる。鳴り物入りで円卓入りした彼を妬む者は多い。代理人に統治を任せてなお支障をきたさないカリスマ性、政治的才覚、短期間で祖国奪還を成す将器は見事。だが彼は本当に円卓へ名を刻むに値する武力を有しているのか、と。

 湖の騎士ランスロットが最強の称号を冠するに値する騎士だと、今の王国に知る者は少ないが故の軽侮であろう。無窮を誇る彼の騎士の武練が示されたなら、侮った者は恥入りながら掌を返させられる羽目になることも知らぬ。まさに無知は罪、無恥は咎であった。

 

 近い未来、当代最強の名を得るであろう湖の騎士を前に、長く立っていられる者など限られている。妖弦の騎士、日輪の騎士など、赫々たる英雄が候補に挙げられるのみだ。

 

「ッ……侮っていたわけではないが……!」

 

 そのランスロットが苦戦を強いられていた。

 

 彼は生涯で幾人かの好敵手を得る。各地の領主が主催する武芸大会にて、ガウェインやトリスタン、ラモラックなどと競って力を認め合い、互いを讃える良き関係を結ぶのだ。

 そんな彼が死力を尽くし、なお敗北を強く意識させられたのは――日中に於いて絶大な大力を発揮する日輪の騎士と、そして――今現在相対している月明かりの騎士であった。

 

 猛然と斬りかかる狼の如き剣技に、ランスロットは『無毀なる湖光(アロンダイト)』を精妙に合わせる。聖剣の加護により身体能力を劇的に向上させ、なお力任せでなく無窮の技巧を噛み合わせたランスロットの武は、比肩する者も稀な神域に踏み込んでいた。

 だがそれでも、だ。獰猛な剣を受け流すのに注力していても、剣戟の余波が廃砦を激しく震動させる威力を生んでいる。アロンダイトを握った両手に痺れが蓄積するほどに。

 

 狼が馳せる、騎士が応じる。かつて見たものより、遥かに洗練された唐竹割りの回転斬り。三連するそれは既知のもの。左右に避けることなく剣閃を逸らし、猛火の如き剣撃を見事に弾き切り反撃を見舞った。狼の脇を駆け抜け様、アロンダイトの腹で脇を殴打せんとしたのである。だがこれを縦回転の斬撃を放った直後に地面に伏せて回避し――地を掬い上げるように大剣が空を斬る。

 咄嗟に小さく跳んで脚を狙った大剣を躱し、回転しながら跳躍した狼の斬撃をアロンダイトで防いで難を逃れ――ランスロットを凌駕する膂力に吹き飛ばされた。地に脚を付けて火花を散らし、体幹が崩れそうになるのを堪えたランスロットは決断した。

 

「手加減できる相手ではない……! 恨むなら自らの強さを恨むがいい、我が友よッ!」

 

 多少の手傷を与えるのは不可抗力と、無意識に加えようとしていた手心を打ち捨てて騎士が疾走(はし)る。

 叶うなら無傷で取り押さえたかった、だが狼騎士の実力は以前とは比にならぬ。身体能力で上回れ、技量でも猛追されて、しかも目に見えて強くなり続けている狼に、さしものランスロットも本気にならざるを得なかった。下手に手加減をしては敗北すると悟ったからだ。

 

 湖の騎士は狂える狼の左手側へ踏み込む。彼の左腕が折れている故、明確な弱点となっていた。こと戦いへ意識の舵を切れば、とことんまで合理的に立ち回るのがランスロットである。

 狂騎士は左利きだ。右腕で操る大剣は、どうしても十全の冴えを発揮しないだろう。果たして狼は湖の騎士の剣撃を足捌きで躱し、駆け回って体の正面にランスロットを捉えようとする。だが狼に張り付いて離れぬままアロンダイトを繰り、小振りの刺突を連発して狼の体捌きを制限しつつ、ランスロットは常に有利な立ち位置を確保し続け、狼が左脚を軸に大きく回転しながら大剣を振り回すのを見止める。この技を誘発したかったのだ。常なら容易く捌けはしない剣筋は、しかし右腕で繰り出した故に微かに浮いている――まんまと手甲で真上に弾き、隙を作り出すとアロンダイトが狼騎士の左腰から右肩に至るまで逆袈裟に切り上げた。

 鎧を殴打し、衝撃が徹る。たたらを踏んだ狼騎士へ更に追撃を繰り出そうと仕掛け、ランスロットは優れた動体視力で狼騎士の挙動を視認した。弱小の魔力放出で強引に体勢を立て直し、地面に大剣の鋒を触れさせ火花を散らしながら切り上げたのだ。これを反射的にアロンダイトの刃で受けるも、ランスロットの脚も止められる。狼騎士がランスロットを体の正面に迎え――転瞬、狼の斬撃の威力に逆らわず仰け反ったランスロットが、曲芸じみた動きを魅せた。片手を地面について体を支え、狼の大剣を握る手を蹴り上げたのだ。

 

 大剣が虚空に舞う。

 

 無手となった狼の脚を、立ち上がり様に切りつける。狼は跳躍してこれを躱すも、真上に飛ばされた大剣に手は伸ばさなかった。そんな隙を晒してはランスロットの追撃で仕留められると判断してのことか――彼の手に、蒼光の魔力剣が形成される。騎士王が自らの魔力で鎧を形成できるように、魔力操作に長けた狼は魔力の剣を無から生み出せる。

 空中の狼にアロンダイトの鋒が突き放たれる、狼が魔力剣で辛うじて捌き、着地の間を稼ぐも得物を砕かれた。だがランスロットの周りを囲うように魔力剣が形成される、数にして四、一気に貫かんと放たれたそれを――ランスロットはこともなげに対処する。

 

「ハッ……ッ!」

 

 湖面に反射された静謐な輝きのような光が聖剣より発され、衝撃波となり魔力剣を霧散させる。此の時、狼は落ちてきた己の牙を掴んでいた。不意にその刀身に碧い光が収束するのを見咎め、湖の騎士は先んじて聖剣へ魔力を叩き込む。先手を取って放つは真名だ。

 

「『彼方に至れ湖光の剣(アロンダイト・クラレンツァ)』ッ!」

 

 あくまで先手を取ることに注力しての光の放射。聖剣を横薙に振るって漏出させた、水面を揺らめかせる波のような蒼い光。それは狼騎士が聖剣に月光を現した瞬間に直撃する。

 込めた魔力は最小、発動までのタイムラグも極小。故に此の程度で狼騎士が戦闘不能に陥るとは考えていない。月の聖剣を盾とすれば問題なく凌げよう。だが間違いなく手傷は負わせた。

 果たして鎧を全損させて地面に叩きつけられた狼は、漲る戦意を全く弱めていない。しかし隙は隙、一気に取り押さえようと接近を試みた瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――ッ!」

 

 鎧が再構築される。狼騎士の手から月明かりは消え、無骨な大剣に回帰した得物を左手に持ち替えた。右手に現れるは黒き大盾――マズイ、救出に逸り迂闊に近づきすぎた。

 

 魔速の切り上げをアロンダイトで防ぐ。ふわりと両足が地面から浮くほどの威力、ランスロットに隙が生じてしまう。彼を中心に再度四本の魔力剣が精製され、串刺しにせんとするのを甲冑で受け止め耐え凌ぐも、巧みな連打で空中にほんの一秒縫い止められた。

 狼が迫る。この状態では力ある一撃は出せない、そして膂力で勝る狼へ迂闊に反撃するのも下策。やむをえず防御に意識を傾けたランスロットに対し、狼騎士は右腕を振りかぶって大盾による殴打を選択した。大盾を受け止めた際、聖剣を握る手が破裂したと錯覚する。

 吹き飛ばされたランスロットの体が廃砦の壁に激突した。追撃、繰り出されるは迅雷の刺突。辛うじて聖剣を横に寝かして捌き、壁を背にする愚を避ける為に立ち位置を変える。だがその間で狼騎士は万全の体勢を整えていた。どっしりと腰を落とし、大剣が牙を剥く。

 

 ランスロットは足を止めての剣戟に応じさせられたのだ。

 

 顔、胸、腹の高さから放たれる狼の牙は剣穿。地面を舐める切り上げと振り下ろし。確かな術理により見舞われる猛攻をランスロットは完璧に弾き、逸らし、捌いた。嘗て鎬を削った修行時代、彼の剣技の根幹を知悉したが故に対応できたが――やはり、以前とは違う。剣と動作の入りと抜きの速さ、技と技の繋ぎ、敵手の対処を見極めての反応、そして力。

 大剣と大盾を駆使した攻防一体の戦技に無駄はない。

 加速度的に両腕に痺れが蓄積する。ランスロットは歯を食いしばり、目を細め、目を凝らし、そして冷静に見切る。単身による槍衾の如き刺突の連撃、その中に微かに軽い一撃があるのを彼は感じていた。隙がないなら作るまでだ、軽い一撃を選んで敢えて兜の曲面で受けながらも、首を傾けて威力を散らしつつ踏み込み、アロンダイトを狼騎士が構えた大盾に全力で叩き込んだ。

 

 狼が吹き飛ばされる。足を止めての剣戟は千を超え、時にしてどれほど経ったかも判然としない。

 

「ランスロット卿、下がってください。今度は私の番です」

「……ああ、任せよう、トリスタン卿」

 

 腕が僅かに震えるのを隠しつつ、廃砦に入って来たトリスタンと交代した。

 ……討とうと思えば討てた。だが討っていい相手ではないし、そのつもりなど微塵もない。しかしその枷がどれほどの負担となっているか、ランスロットは痛切に感じていた。

 手強い。分かっていたが、強くなっている。そして交戦時間が嵩張れば更に狼は強くなるだろう。

 このまま強くなられたら、もはや殺さぬように気を遣う余力も無くなる。いや、下手をすればこちらが討たれかねない。ランスロットは食い入るように戦闘を見詰める兜の騎士に声を掛けた。

 

「モードレッド、次は君だ。言われるまでもないだろうが、殿下の剣をよく見ておくといい。そして対峙すれば逃げに徹するんだ。それだけで君は強くなれるし、殿下の助けになるだろう」

「……分かってます」

 

 モードレッドはまだまだ未熟。経験の浅い若者だ。本来なら狂える狼騎士に挑んでいい位階に到達していなかった。だが退けぬ、退くわけにはいかぬ。

 兜の騎士はランスロットの忠告に空返事しつつ、瞬き一つせずに戦闘風景を観察した。

 

 ――妖弦の騎士トリスタンは、腰に差していた細剣を抜剣する。

 

 磨き抜かれた刀身は鏡面の如し。銘はカーテナ、後の世に国宝として伝わる稀代の宝剣。十全なる剣は慈悲の異名を有し、担い手の精神性を表すという特異な名剣に一片の曇りもない。

 右手に提げた宝剣カーテナ。そして左手で握る竪琴のような異形の弓『痛哭の幻奏(フェイルノート)』。翅の妖精の糸を編んで弦とした魔弓は、魔術理論を無視しているかの如き代物だ。

 

 絶世の美女を彷彿とさせる、切れ長の双眸を薄く開眼し、狼騎士を見詰めるサー・トリスタンに――獣の如き嗅覚でピクトの血の臭いを嗅ぎ分けたのか、狼の殺気が爆発的に増大する。

 咆哮と共にその身に纏う闇が勢力を増した。比例して力が倍加し、強大な波動を受けたトリスタンは細剣を半身に構えて目礼する。

 

「お初にお目にかかる。アーサー王より円卓に列されたばかりの新参者ですが……狂えるロホルト殿下に切なる曲を贈らせて頂きます」

 

 猛然と突貫する狼騎士は大盾を背負い、両手で大剣を握り締め、渾身の力で振り下ろす。

 トリスタンはそれに細剣の鋒を合わせ、自身は一歩引きながら捌く。力を真下に逃され、大剣の刀身が半ばまで地面に埋まり、途方もない威力に廃砦全体が震撼する。小さな地響きに肌を打たれながらも前に出たトリスタンの刺突を首を傾けて躱しつつ、狼は地に埋まったままの大剣を振り上げ、石畳を両断しながらトリスタンを真下から斬りつけた。

 

 トリスタンは大剣が勢いに乗る前に刀身を踏みつけ、跳躍する。狼の力を利して高々と空へ打ち上げられたトリスタンを見て、狼は必殺の好機と判断したのか自らも跳んだ。高速に縦回転しながらの全力斬撃、細剣やトリスタンの膂力で凌げるものではない。しかし、赤髪の騎士は左手の竪琴の弦に指を這わせて軽く鳴らす。すると真空が生じ、トリスタンは空中にいながら移動した。

 斜め後方に滑るようにして滑空して必殺の剣を躱すや、狼より早く着地。あべこべに地上と空中の騎士の視線が交錯し、トリスタンが細剣を空中で手放していた故に空いていた右手を妖弦に添え物悲しげな曲を奏でる。弦を弾く度に大気が震えた。竪琴の如き魔弓に真空の矢が形成され、空中にいた狼目掛けて射出するやその総身を射抜いていく。

 真空という不可視の矢を前に、狼は未来を予知したかの如く全身から魔力を放出して真空を阻んだが、防ぎ切れずに鎧を剥がれ、肉体に裂傷を負わされてしまう。血飛沫を上げて空中に縫い止められた狼に成す術はない、赤髪の騎士の演奏は止まず、このままでは削り殺されると判断した狼は、その手の中に月明かりを現した。

 

「――フゥ。このまま押し切りたかったのですが、呆れた堅さですね……ですが貴方の癖はランスロット卿との戦いの最中に見切らせて頂いた。申し訳ないですが、初見だと私の方が強い」

 

 トリスタンの魔弓フェイルノートは無駄なしの弓の異名を持つ。角度調整の精度や矢の速度、矢の装填を不要とする驚異的な連射性から、トリスタンに狙われた標的は()()()()()()()()()()()()全弾回避を能わせない。弓兵の代名詞にも伍する腕を持つトリスタンの真空の矢から逃れたくば、彼のレンジ外まで転移するか、次元跳躍を行うしかないだろう。

 神業である。

 ランスロットとの激戦をぼんやりと見ていた訳がなく。トリスタンは狼騎士の戦技と呼吸、独自の戦闘論理を看破していた。彼の魔弓を知らなかった狼にとって、トリスタンの手管は極めて遣りづらい初見殺しとなっていて……そして魔弓の能力を身を以て思い知った狼騎士は、全身に質量すら伴う闇を放ちながら接近を試みる。その為に月明かりが暗い冷気を纏い暗月の刃を飛ばした。トリスタンは全ての弦を同時に引き絞り、真空徹甲弾を射出して月光の冷気を相殺。空中に絶対零度の魔力が爆発し、周囲の気温が一気に低下する。

 

 トリスタンの真空徹甲弾の威力は、貫通力だけなら聖剣にも並び得る。それが月光の飛ぶ斬撃を相殺しただけで凌がれたのは、トリスタンにとっても予想外だった。込められた魔力量の差、狼騎士の心臓が絶え間なく魔力を精製しているのを彼の耳は聴き取る。

 

「……なるほど。その御年でこれほどとは……陛下が御身の死を大いに嘆き、ランスロット卿が無双の器と称するわけだ。しかし――」

 

 地面に帰還した狼は、体勢を低くして地を蹴った。大盾を背中から右手に戻し、絶え間なく撃ち込まれる真空の矢を防ぎながら突進する。大盾の硬度は真空すら防ぎ、こうなるとトリスタンも打つ手に難儀するはずだが、トリスタンは決して怯みはしなかった。

 軽く弦を引いて、虚空に弱い真空の矢を放つ。それは空中から落下してきていた細剣の柄に当たり、衝撃で落下軌道を操られた細剣をトリスタンは掴む。そして月光の聖剣、その刀身に大気が触れていないのを、彼の超人的な聴力は聞き分けていた。故に聖剣に実体がないのを初見で見抜き、トリスタンは細剣を半身になりながら構え魔力を込める。

 狼騎士が月光を振るう。トリスタンは慈悲の宝剣を小さく振るった。瞬間である――細剣の刀身が()()()()()()()ではないか。世界が歪んだかのような光景――宝剣カーテナは空間に干渉する、妖弦の魔弓に似通った性質を持つ。それもそのはず、慈悲の剣の芯にあるのは翅の妖精の遺骨である。幾体もの妖精の亡骸によって鍛えられた宝剣は、月光そのものとぶつかり合えば容易く折れてしまうだろう。だからトリスタンは月光ではなく、それを握る狼騎士の腕を狙い、月光の刀身と鍔迫り合う愚を避けたのだ。

 

 ――保険。弦を一本、虚空に離す。

 

 トリスタンは弓兵としてブリテン史上最強の腕を誇る。だが彼の真髄は弓ではない。サー・トリスタンの本領とは剣技に有り、彼は弓兵としてよりも、剣士としての方が数段強かった。

 カーテナに腕を打撃され斬撃軌道が逸れる、片手で弦が弾かれ旋律が奏でられる。寸分の狂いなく狼の斬撃、刺突を宝剣で捌いて無傷で凌ぎ、透徹とした音色が聴者の体を切り裂いた。

 

「如何に殿下が戦いの天才といえど、初見のトリスタン卿は難敵でしたな」

 

 ランスロットがポツリと溢す。傍らのモードレッドは瞠目し、無意識に「スゲぇ……」と呟いた己に気づいて舌打ちした。

 小賢しい技だ、まともにやれば殿下の方が強いに決まってるってのに、と。モードレッドは内心断定的に思うも、最高位の騎士達による激戦は、確実に彼女の財産になりつつあった。

 だが――風向きが変わる。月光との接触を徹底して避け、細剣にて狼騎士の猛攻を凌ぎ、片手の妖弦にて小刻みに狼の肉体に損傷を与え続けていた時だ。血を流しすぎ、昏倒するまで後少しというところまで追い詰めた瞬間、()()()()()()()()()()()()

 

「――――!!」

 

 瞠目したのはトリスタン。彼の耳は狼騎士の肉体から聞こえる無数の獣の声も捉えていた。そして湖の騎士との戦いの様相を観察していた故に、狼騎士に傷を負わせる毎に獣の声が弱まり、救出対象の狂気が弱まっているのを知覚していたのだ。

 だから浅い傷ばかりを負わせるのに専念していて。そして彼の見立ては正しく、狼騎士の体から闇の気配が薄まりつつあった。しかし――正気に近づくごとに、狼は人に、人は英雄に回帰する。

 後一押し。トリスタンはそう確信するも額に冷や汗を浮かべた。涼し気な美貌の騎士に相応しくない戦慄の貌は、狼騎士――否、()()()()()()()の威容と威厳に対するものだ。

 

「……これは、厳しいですね」

 

 円卓の騎士トリスタンは、殺さず無力化なんて生温い手は打てないと直感する。

 

 ランスロットが先鋒として出たのは、本命であるトリスタンに対象の技を見極めさせ、初見で打倒してもらう為だ。元々彼ら二人は未熟なモードレッドに出番を回す気はなかったのである。

 しかし彼らのアイコンタクトで作られていた目論見は崩れる。月明かりの騎士が纏う深淵の闇が指向性を持ったのだ。その力を我が物として制御しつつあるのだろう。莫大な光の魔力と闇が着実に溶け合い、蒼光と化した力の波動を総身より発して。黒き大盾を右の手甲に格納し、聖剣を両手で構えた王騎士が狂気の鎖を軋ませ、限りなく本来の状態に近づいていっている。

 

「ランスロット卿、増援を頼みます。騎士として情けないですが……このまま一騎打ちを続けては、私か殿下のどちらかが死んでしまう」

「――心得た。元よりこれは救出戦、殿下をお救いすることこそ第一。二人掛かりでいこう」

 

 ランスロットはトリスタンの要請を聞いて廃砦に再突入した。アロンダイトを右手に握って。

 あっ、と声を上げたのはモードレッドだった。

 

「ま、待ってください、次はオレ――私ではなかったんですか!」

「問答している暇はない、貴殿に欺瞞を伝えた咎は後で受けよう」

 

 ランスロットは言外にモードレッドへ戦力外を通告した。

 兜の騎士はそれに唖然とし、握り締めた宝剣の柄を軋ませる。

 

 分かっていた、力不足なのは。分かっていた、今の彼に挑めばすぐに斬り殺されることは。

 

 

 

 だが――しかし……。

 

 

 

 燻る火種が盛る前。聖剣より残光を引きながら、月明かりの騎士が高々と跳躍した。

 自ら足場のない空中に身を晒すは愚行、咎めるように奏でられた魔弓の旋律が不可視の矢となった。

 だが、俄かに王騎士が燐光に覆われる。碧い月の魔力だ。真空の矢をたちまち包み込み、そよ風として蒼い外套を揺らすだけに終わり、トリスタンとランスロットは悟る。魔弓の真空徹甲弾、湖光の一撃でなくば、あの月の魔力は突破できぬ、と。

 

 大胆に体を開いた王騎士が月光を振り被り、聖剣を振るった反動で豪快に回転しながら、冷気を伴う光波が投射される。ランスロットらは左右に別れて回避すると、王騎士はトリスタンに標的を定めたらしい。闘争本能に満ちた眼光で炯と睨み、更に聖剣を振るうことで横回転しながら光波を飛ばしてくる。魔弓を奏で単音の衝撃破で自身の体を自ら吹き飛ばして無理矢理に回避したトリスタンは――カッと両眼を見開いた。三度続く空中での回転、飛ばされる極大の光波、トリスタンは咄嗟に体を投げ出して地を転がり辛うじて回避するも、聖剣を振るった反動だけで滑空していた王騎士の急襲に総毛立った。ジェット噴射じみた魔力放出、不気味な月明かりの残光を引いて襲来する狂騎士。音の壁を突き破り隕石の如く突っ込んできた敵に、トリスタンは跳ね起きるなり細剣を遮二無二に振るって応えた。型も技もない生存本能に任せた防御――

 果たして月光に宝剣の刀身、鋒が両断される。だが空間を撓ませたことで、辛うじて己の生命を断たんとする刃を避け切った。だが紙一重だ、後少し反応が遅れれば死んでいた……そして紙一重で躱せたはいいが、刃の纏う冷気に体が犯され左半身が霜焼けしている。

 

「クゥッ!」

 

 歯を食いしばって未体験の激痛に耐える。王騎士は地面を滑りながら着地して、トリスタンを援護するべく駆けつけていたランスロットと剣戟を交わしていた。実体のない月光と打ち合うことは能わず、互いに互いの刃を避けながらの応酬である。しかし湖の聖剣を躱す王騎士に疵はなく、反対に湖の騎士は月光の暗き冷気の余波で凍傷を負っていた。

 白い息。ランスロットの体力が削られている。肉体から熱が奪われ身体機能が低下する。廃砦全体の気温が急速に下がっていて、まだまだ下がり続けるのは明らかだ。演舞の如く互いの剣を躱しながらの激戦を、トリスタンはただ見ていることはしなかった。意を決して介入の手を入れる、ランスロットの背後に回り魔弓を奏でたのだ。

 

 前衛と後衛に別れての戦線。あの碧い光の膜による防御は常時展開できるものではないのだろう、真空の矢に鎧を打たれよろめいた王騎士に、湖の騎士が聖剣に魔力を込めて叩きつける。実体に切り替えた大剣でなんとか防御した王騎士が吹き飛ばされ――壁に着地し張り付いた彼が、壁を蹴って真上からトリスタンを狙った。後衛の弓兵が脅威だからだろう。

 トリスタンは折れた宝剣で迎え打とうとする。迎撃して生んだ隙をランスロットが突いてくれると信じていた。だが――そのランスロットが叫ぶ。

 

「避けろ、トリスタン卿!」

「………ッ!?」

 

 踊りかかってくる王騎士の大剣が、再び月光と化す。一気に充填された魔力を肌で感じ、咄嗟に跳び退いたトリスタンの目の前に月光が突き立った。

 そして実体がないはずの刀身の上に着地した王騎士の足元で月の聖剣が光を強め――爆発する。冷気が無秩序に飛散して、その余波をまともに食らったトリスタンの全身が薄く凍りついた。

 

「――ハァッ!」

 

 気合いの叫び、トリスタンは魔弓の弦を強く弾いて自身を囚えた氷を砕く。だが冷気を爆発させた余波に乗って縦回転した王騎士の姿に慄然とさせられた――マズイ――死――いや、まだだ。()()()()なら――トリスタンは先に打っていた保険の手札を切る。

 魔弓を後ろに引く動作で、離していた弦の一本がピンッと勢いよく張り、王騎士の左腕に絡みつかせたのだ。赤髪の騎士は極度に冷めてしまった肉体に鞭を打ち、先端の折れた慈悲の宝剣にて渾身の刺突を見舞う。果たしてそれは直撃するも纏う闇に威力を殺されてしまい、膨大な魔力で形成された鎧の表面を微かに傷つけるだけに終わった。

 

 だが王騎士の体幹は完全に崩れた。

 

「ランスロット卿! ()()稼いで頂きたいッ」

「承知!」

 

 トリスタンは細剣を手放し、魔弓の弦を完全解放する。旋律を奏でるのではない、王騎士の五体を縛り上げて捕縛する為の準備だ。

 応じたランスロットが馳せる。元よりトリスタンを襲った王騎士に追いつこうと駆け出していた。故にトリスタンの呼び掛けに即答で応えられたのだ。

 

 環境は最悪だ、充満する冷気により廃砦は真冬の凍土と化している。このような戦場に留まるのは正気の沙汰とは言えない。だがランスロットらは敢えてこの場に留まっていた。

 何故なら狂気に囚われた月光の騎士がこの場に居座っていたのは、ここから離れたら自身が何処に行くか分からなくなるからだろう。廃砦という牢獄がなくなれば、彼の行動が読めなくなる。万が一にも撤退させる訳にはいかない、だから円卓の騎士らも退けないのだ。

 

 唐突な気候変動に天候すら狂い出している中、ランスロットは重度の低体温症を起こしている体に活を入れて疾走する。常人なら既に危険水域、最悪死に至っていることだろう。

 だがガチガチと歯を鳴らしもせず、震えそうな手足も精密に制御していられるのは――彼の肉体が神代の英雄に相応しい、図抜けた強靭さを有しているからだ。トリスタンもまたピクトの血を継ぐ肉体ゆえか、極寒の環境下でも活動に支障はきたしていない。ランスロットは自らに命ずる、彼の言った五秒は確実に王騎士を押し止めろ、と。

 後のことは考えない、激変した環境がこの五秒で更に悪化する可能性を考慮に入れると、まともに動ける内に全霊を絞り尽くすのが最善。

 

 決断したランスロットは勝負に出た。

 

 全魔力を聖剣に充填し、しかし解放しない。不壊の性質を持つ『無毀なる湖光』でなければ自壊するほどの魔力だ、ランスロット自身の肉体にも過剰な負荷が掛かる。

 この土壇場で開眼せしは『縛鎖全断・過重湖光(アロンダイト・オーバーロード)』――ランスロットの奥義。閃いたはいいものの、殺傷力が強すぎる故に使用を躊躇いそうになるが、彼は迷いを捨てた。

 月明かりの騎士になら使ってもいい、いや使わねば逆に屠られる。

 

(思った通り……!)

 

 猛進する月明かりの騎士の行く手を阻み、その月光と湖剣が激突する。

 実体のない月の聖剣であろうと、姉妹剣である湖の聖剣の格は決して劣っていない。神秘とはより強い神秘の前に敗れる、この法則は神代であろうと絶対不変のもの。故に不壊の聖剣をも軋ませる限界突破を果たしたならば、現実と位相の異なる次元に刃を置く月光とも打ち合える。ランスロットの賭けは的中し、月明かりの騎士と凄絶な剣戟の華を繚乱させた。

 技の限りを尽くしての剣舞、優勢となり圧すのはランスロット。だが撒き散らされる冷気の波動に身を蝕まれ、反対になんの影響も受けていない王騎士に形勢を覆されそうになる。加えてランスロットは湖の聖剣に込めた魔力を、限界を超えて留め続けている反動で、多大な負荷を受け続ける状態にあった。五秒が遠い――剣戟の応酬より二秒でランスロットは血反吐を吐く。

 兜の隙間から血を漏らし、それが凍りついて、雄叫びを上げる。彼の脳裏に過るのは、故郷たる湖から旅立つ時に求めた力――限界を超え、勝てないはずの敵に打ち勝つ力――騎士であるならばそれを手に入れるべし。男なら、英雄なら、今ここでそれを掴み取る!

 

 果たして。

 

 湖の騎士ランスロット・デュ・ラックは――死の寸前にて覚醒した。

 

 四秒。これまでに交わした極致の剣戟は数百。

 残り一秒。月明かりの騎士の眼前からランスロットが消えた。王騎士は直感的に腕を引き、右腕で腹部を護るや、その右腕にランスロットの槍の如き蹴撃が突き刺さる。

 一気に脱力して身を屈め、蹴りを放ったのだ。王騎士ですら一瞬見失うほどの疾さ――王騎士は間合いを開けさせられた瞬間、月の聖剣を大上段に振りかざす。刀身に満たされるは月明かり、解き放たれるは瀑布の如き月光波。対生命宝具による対軍規模の暗き死の光だ。

 だが、ランスロットは怯まない。振り下ろされる月光剣の光波は津波のようで……切り上げた湖の聖剣が放つのは、限界を超えて溜め続けた蒼き極光。

 

「『過重湖光・彼方に至る波濤の剣(アロンダイト・クラレンツァ)』ッ!」

 

 エクスカリバーでも、ガラティーンでも、コールブランドでも能わぬ限界の先に至った一撃だ。不壊のアロンダイトであるからこそ、神秘の格を超越したそれは、暗き月明かりの剣コールブランドの最大火力を上回った。湖面に浮かぶ月は幻と決まっている――月明かりの騎士は湖の蒼光を前に、咄嗟に両腕を交差して防御するも、踏ん張ることも叶わず押し流された。

 再度の満身創痍。ふらりと体勢を傾がせた宿主を、内なる闇が癒やそうとする。湖の聖剣の極光も、月光波に威力の過半を殺された故に彼はまだ動けた。……()()()()()()

 

「ッッッ……!?」

 

 その総身、五体に絡みつくは妖弦。トリスタンの魔弓の弦が四方に張り巡らされ、獲物の身動きを完全に封じてのけている。

 ギチ、ギチギチ……弦を軋ませ、藻掻く闇の騎士にトリスタンは踏ん張る。弦を握る両手から血が溢れ出て、トリスタンは必死に絡めとった獲物を抑え込みながら叫んだ。

 

「今です……ッ、ランスロット卿! 早くトドメを!」

「ハァ、ハァ、ハ、ァ……」

「ランスロット卿……!」

 

 完全に動きが止まった今が好機だ。だが月明かりの騎士と妖弦の騎士の膂力差は明白、あまり長くは止めていられない。遠からずトリスタンの五指は千切れ、月明かりの騎士は自由になる。無論それはさせない、五指が飛べば次は口で弦を噛み、封じ続ける覚悟はある。

 ランスロットはふらつく脚で月明かりの騎士に迫る。後一撃、後一撃だ。後……一撃でいい。

 なのにその後一歩が余りに遠い。絶対零度の凍土と化した戦場で、ランスロットの肉体は活動限界を超えてしまっていた。げに恐ろしきは月光の冷気、対生命宝具は的確に人体を追い詰める。

 精神力だけで足を運び、トドメの一発を繰り出すことは叶う。それが英雄の力だ。だが、その一発を届かせる時間がない、今に自由を取り戻そうと藻掻いている月明かりの騎士の方が早い。

 

 このままでは全滅する。ランスロットは、果断に決心した。

 

 ここが命の捨て場所か……無念はある、やり残しもある、だが友の為に死ぬのは他に替えられぬ名誉であろう。ランスロットは命を注ぎ込む覚悟で聖剣を握り締めて――しかし、その決意を踏みにじるように、彼の頭上に小さな影が落ちてきた。

 

 

 

「ふっ――ざけんなこのウスノロ共! 殿下を助けんのは、このオレだ――ァ!」

 

 

 

 激発した怒気に突き動かされた小柄な兜の騎士である。

 彼女はキャメロットを発つ前に無断借用した宝剣モルデュールに極大の赤雷を纏わせ、三人の英傑が頭上を振り仰いだ瞬間、全力の落雷を降らせたのだ。

 果たしてモードレッドの赤雷が三人の騎士達を呑み込む。

 

 轟音。耐久限界を超過した廃砦が崩れ、砂塵と瓦礫の欠片が吹き荒ぶ。

 

 数秒後、砂塵が風に攫われ辺りが晴れる。

 冷気を閉じ込める城壁が崩れた故か、麗らかな日差しに場が温まりつつある中。着地して肩で息をするモードレッドの眼前に、三人の男達は大の字になって倒れていた。

 

「……どうやら、デカすぎる借りができたみたいだね」

 

 むくりと上体を起こしたロホルトが、辺りの惨状を見て苦い顔をする。それを見てモードレッドは兜を格納して、パッと笑顔を浮かべて駆け寄った。

 

「殿下ーっ!」

「うわっ」

 

 抱きつかれ、成す術なく押し倒されたロホルトの真上で、歓喜を爆発させたモードレッドにじゃれつかれて。体の節々が痛むのに、ロホルトは呻く。

 

「……ランスロット卿」

「……なんだ、トリスタン卿」

「……疲れましたね」

「……ああ」

 

 大の字で倒れたまま、英雄二人は深々と嘆息した。

 子供の癇癪じみた雷撃は、彼らの身動きを完全に封じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ランスロット
 まだ実戦経験は浅い。しかし友との激闘により、早くも全盛期相当の実力に至り、奥義を二つも開眼した。『縛鎖全断・過重湖光』と『過重湖光・彼方に至る波濤の剣』だ。後者はロホルトのいない世界線だと会得しておらず、まだまだ強くなることを示唆している。
 人類最高峰の才能の持ち主には、まだ『先』があるのだ。



モードレッド
 何気にラストアタックを務める。最善のタイミングでの介入は、彼女の才の確かな証拠になった。
 ランスロットのことが嫌いになったが、それは戦力外と見做されたことに言い返せなかった自身の弱さに起因する。成長した後でなら、好きじゃないが嫌いでもなくなる……かもしれない。
 円卓の騎士三人の、古今東西の英雄達の中でもトップクラスの激闘を目に焼き付けた。それは彼女の大きな財産となる。



トリスタン
 キャメロットがロホルト戦死の報を受けてより数日後に仕官してきた騎士。ピクト人の祖を持ち、その特徴である赤い髪を持った『悲しみの子』。『嘆きのトリスタン』。
 ランスロットに並ぶ武勇を誇り、日中でなければガウェインをも打倒できる実力を持つ。弓の腕も円卓随一で知名度も高いが、所有する宝剣を操る剣腕こそが本領。トリスタンは剣士である。
 ロホルトの生存を確信したランスロットの要請を受け、共にその行方を探していたところ、王子の従騎士モードレッドと遭遇。三人で狂乱するロホルト王子を取り押さえることに成功した。
 生け捕りが目的だった為、ロホルト戦で危うく死にかけた。最初から全力で殺しに掛かる殺し合いなら結果は違ったが、この戦闘で遂に全盛期に到達したロホルトと再戦したいと思わない。



彼方に至れ湖光の剣(アロンダイト・クラレンツァ)』対軍宝具:A+
 対軍規模の波濤を放つ、湖の騎士ランスロットの最強宝具『無毀なる湖光』による本来の機能。クラレンツァとは、後の物語の英雄オリヴィエが使ったとされる名剣オートクレールの別名。ランスロットほどに使い熟せばガラティーンに匹敵する範囲と威力を発揮する。



深淵を纏え、麗しき父が為(アルトリウス・オブ・ジ・アビス)』対人(自己)宝具:B
 内なる深淵を呼び覚まし、生命の源流たる闇より力を引き出す。光の騎士は闇を得ることで狂気に染まり、対価として幸運と宝具を除くステータスを向上させる。――伝説の最中、ロホルトは自らの亡き後に孤独となる父を偲び、狂気より還った。以後、ロホルトは調伏した深淵の闇を我が物としたが、ひとえにそれは月光という心の(よすが)があればこそである。
 月明かりの導きを喪失した時、ロホルトは今度こそ深淵に呑まれるだろう。
 なお『アルトリウス』とは『アーサー』のラテン語の綴りである。この父の名を冠した宝具は、父への捻くれた愛情の証であろうか。ロホルトは頑として語らない。

 またこの宝具により、ロホルトは本来なら持ち得ないバーサーカー適性を手にしているが、宝具『暗き月明かりの剣』を開帳すると、一時的に狂気の鎖より逃れ出ることができる。



ロホルト←魔女
 星の内海より帰還した代償に、神代終焉に伴って星に還る他になかった幻想種の呪詛に等しい激しい嫉妬を得た。彼の肉体に幻想の楔が打ち込まれ、そこから常に地表に戻ろうとする怨嗟が拡大しようと蠢動している。ロホルトはこれをなんとか抑え込み、深淵にて溶け合い黒く染まった混沌を自らの力とすることが出来た。深淵を纏ったロホルトは昼夜を問わず力を倍加できるのだ。
 しかしメリットばかりでもない。彼が深淵を制御し正気を保てているのは月の聖剣があるからだ。暗き月明かりの剣コールブランドなくしてロホルトは正気を保てず、また人の形を保てない。

 そして――月の聖剣の所有権は、ロホルトにはなかった。

 担い手はロホルトである。月の聖剣を十全に使いこなせるのもロホルトだけである。しかし、そもそも彼が魔竜と戦うことを予期し、聖剣を授けたのは誰だ。――モルガンである。
 深淵に囚われたロホルトが、月明かりを標に帰還した後、狂気に追いつかれるのを必然と心得ていたのは誰だ。――モルガンである。
 ロホルトが精神世界にて勝利するのに貢献したランスロットを、一代の英傑に育て上げて。そしてランスロットに月の聖剣の力を教えたのは誰か。それもまた――モルガンである。
 キャメロットの内情を知悉し、王妃の狂気を最も知るのは誰か――モルガンである。妖精眼を持つモルガンの目に、人の心など丸裸。人心を知り尽くした魔女にとって、容易い標的。

 そして、月の聖剣の所有権を持つのは――モルガンであった。

 精霊ヴィヴィアンとはモルガンの側面。別人として振る舞い、また他人格に干渉することはないが、同一人物であるのは確かな現実。
 故に魔女モルガンは哄笑する。故に人間トネリコは嘆く。故に精霊ヴィヴィアンは憐れんだ。魔女は賭けに勝利した――憎き騎士王と王国の命運は我が掌中に。月の聖剣を手元に召喚するだけで王国の急所、命綱であるロホルトは人間として死ぬ(終わる)だろう。
 復讐を完全とする切り札は得た。
 後は。
 後は……。

「後、は……」

 ……そう、時だ。時を待て。絶好の好機が訪れるまで、待つだけでいい。




逸話リスト(現行)
 ・遍歴の女難。
 ・太陽の騎士を一撃で倒した魔竜を単騎で数時間食い止める。
 ・月明かりの騎士は一度死に(死んでない)、深淵を歩いて生者の世界に帰還した。
 ・深淵は騎士を蝕み、力尽きた騎士を狂気に引きずり込んだ。
 ・狂気に落ちていながら本来の剣技を十全に発揮した。
 ・兜の騎士と湖の騎士、妖弦の騎士の三人掛かりで漸く狂気を抑え込めた。



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24話

閑話的な話


 

 

 

 

 

 ロホルトは折れない。遂には生命の坩堝、星の内海なる深淵に犯されていた若き英雄は、有り得ざる奇跡の証である人の形を保って生還したのだ。

 

 たとえどれほどの大英雄であっても、星の内海に落ちた者は無に還る。いや無限の生命の海に溶け、消滅してしまう末路を辿るというのが正確か。ロホルトはこの深淵から、正気と人のカタチを死守し、挙げ句の果てには深淵から流れ込む力に手綱を掛けていた。

 すなわちロホルトは正気を保ったまま深淵を纏い、なんらかの行動制限もなしに己の力を倍化させ、闇の力をも自在に操れるようになったのである。常軌を逸した進化と言えよう。無論ロホルトはこれが己の力だけで得られたものとは思っていない。月光――ロホルトの心を庇護し、在るべき形に導いてくれた聖なる月明かり。これこそがロホルトの大切な命綱だ。

 

 だがそれよりも大切なものがある。如何に月光があろうと、深淵の魔の手を払いのけられる可能性は絶望的であった。なのにロホルトは無事でいる……その原因、勝因はなんだ。自明である、あの死闘で勝利に導いてくれたのは、月光でもロホルトの精神力でもない。

 友と、妹のように可愛がっている騎士。そして新たな円卓の騎士、赤髪のトリスタン。彼ら三人の尽力のお蔭でロホルトはあの恐ろしく悍しい、強大な生命の海から脱することができたのだ。

 

「重ね重ね感謝する。卿らの挺身がなければ、私は一人で永遠に戦い続けていたかもしれない。本来なら決着がついたかも怪しい戦いに、こうまで早期に決着をつけさせてくれた卿らの働きを、私は終生忘れないことをここに誓おう。ありがとう、この恩に必ず報いる」

 

 ロホルトは善良な人間性の持ち主である。故に自身が身近な人達に多大な迷惑を掛けたと知っては、内心忸怩たる想いに駆られてしまった。

 だがここは謝るべき時ではない、ただただ心からの感謝を告げるのが正道だろう。するとランスロットはトリスタンと視線を交わし、苦笑いを湛えて言った。

 

「とんでもない。我らは王国の未来を取り戻しに参上したまでのこと。希望の光、ブリテンの至宝を恐るべき魔物から奪還したことに、貸し借りが生まれる道理はありませぬ」

「魔物ときたか……」

「左様。我らは騎士として本懐を果たしたのです、これに殿下が報いると言うなら、ただ労いの言葉一つを賜るだけで充分というもの。……それでも殿下の気が済まぬと仰せなら、私はただ自らの魂に刻んだ友誼の契りに従ったまでと申し上げよう」

「そうか……そういえば、次に会った時からは騎士と王子だ、という話だったね」

 

 親友ランスロットの騎士としての物言いに、若干の寂しさを感じはする。

 しかし彼が敢えて友誼の契りと口にしてくれたのは嬉しかった。王家の者と王に仕える騎士という立場に分かれても、互いの間に結んだ友情は色褪せずに在り続けるのだと言われたのだから。

 

 パチパチと、薪が鳴る。

 

 ロホルトは篝火に薪を追加して、二羽の野兎、その串焼きをひっくり返して反対側を火で炙った。

 野兎の可食部は少ない。バラした肉は四人で喰うには物足りないが、無いよりはマシだろう。

 

 宮殿に戻るまではランスロットとトリスタンの看護をするつもりでいるロホルトは、遍歴の際に身に着けた技術を使って獣を捌き、恩人達に振る舞っていた。

 料理は身分の低い者がすることと文化的に定められている。だから本来なら王子が手ずから料理をし、騎士に与えるなど有り得ないが、今はそんなことは言っていられない。先刻の戦いを経て、ランスロットとトリスタンは重傷を負っており、また身の回りの世話をしてくれる人員などいないからだ。絶対安静の状態である二人の騎士に、道義的にも無駄な労苦は掛けられない。

 

 ロホルトは無傷である。無尽蔵の魔力にものを言わせ、表面だけ修復した詐術ではなかった。本当に無傷なのだ。追い詰められていた時にモードレッドの赤雷を受け、一時的に行動不能になりはしたものの、支配した闇の力の影響か出鱈目な回復力を得ていたのだ。

 法外な生命力が宿っている証左であるが、かといって負傷を気にせずにいられる訳でもない。抑え込んだ深淵の温かさは魔的であり、傷を治癒すると接続した深淵から逆流してくるものを感じてしまう。致命傷を負いでもしたら、またぞろ善くないものが騒ぎ出すだろう。

 

「お二人は厚い友情で結ばれているのですね……新参の身として少々疎外感を感じてしまいます。私は悲しい……」

「む……すまない、気遣いに欠けていたか。トリスタン卿、貴公さえよければ身の上を話してくれ、望むなら私も同じようにする。互いの来歴を語り合い、まずは各々の人となりを理解し合おう。そうすれば私は貴公とも友人になれるかもしれない」

「おぉ、素晴らしい提案です。正直に申し上げると、私はランスロット卿や殿下とは親密になれそうな気がしていたのです。具体的には趣味嗜好の面で」

「趣味嗜好?」

 

 ランスロットもトリスタンも、ロホルトが危機感を覚えるレベルで甚大な傷を負っていたが、トリスタンはなかなか用意のいい男だった。彼はロホルトを捜索する旅に出る前、宮廷魔術師から傷薬として魔術薬を融通してもらっており、それによりランスロット共々死に瀕した状態から脱していたのである。自分のせいで彼らが死んでいたら、ロホルトはきっと自分を許せなかった。そういう面でも、トリスタンはロホルトの恩人であると言えよう。

 異形の弓の名手で、剣の腕も達者。加えて素晴らしいのは若いということ。歳はランスロットに近そうだが、有望な若い騎士というだけでロホルトとしては好ましい人材である。仲良くしておいて損はないし、打算を抜きにしてもギスギスした人間関係のある職場など御免被る。出来る限り話を合わせ円滑な関係を構築するのも、対人関係の構築が下手な王に代わって担う王子の役目だ。

 

「ここは一つ、私がキャメロットへ仕官しに来るまでの来歴を歌にしてみようと思います」

 

 言いながら竪琴のような魔弓を握り、トリスタンは勝手に音楽を奏でる。マイペースな奴だな……そう思うも咎める気はない。こういう性格なのだと、トリスタンはわざと素を曝け出して、自身の人間性をロホルトに伝えてくれているのだと好意的に解釈した。

 トリスタンの奏でる曲は見事だった。歌声も素晴らしい。しかしやや悲観的で自虐的な歌詞なのが玉に瑕だ。即興にしては出来が良いだけに、歌の結びで好転させでもしないと聞き手側がフラストレーションを溜めてしまうだろう。……などと語り部目線で見てしまう。

 トリスタンの来歴はわかり易かった。コーンウォールのマルク王の許から出奔し、旅に出た後にその脚でキャメロットに来たらしい。言っては悪いが彼の悲恋の下りも騎士物語としてはありきたりで物珍しさはなく……実話として語られると少し引いた。

 

 アイルランドからの使者がかつての主マルク王に貢物を要求し、その使者との交渉が拗れマルク王の代理として決闘した話。アイルランドの使者の剣に毒が塗られており、傷口が腐敗するという重傷を負ってしまった為、解毒薬の入手の為にアイルランドに旅立ち……そこで邂逅した姫のイゾルデと心を通わせて、快復した後に帰国した話。

 帰国後、イゾルデの美しさを語っていると、マルク王が興味を持ってイゾルデを娶りたいから連れて来いと彼は命じられたという。ロホルトはよりにもよってそれをトリスタンに命じたマルク王の人品を疑う。再度アイルランドに渡ったトリスタンは竜退治を成し遂げたり、王族だったアイルランドからの使者を死に至らしめた罪を晴らしたりと、紆余曲折の末にアイルランドの王にイゾルデを連れ帰る許しを得て帰還した。

 その最中に二人は誤って恋の秘薬(フィルトル)を飲んでしまい、互いに愛し合ってしまう。有り体に言うと肉体関係を持ってしまったのだ。果たして結婚前に処女を喪失したイゾルデと結婚したマルク王はトリスタンを激しく憎んで、王と騎士の間に確執が生じてしまう。

 

 宮廷での険悪な空気、確執に耐えられなくなったトリスタンは出奔し、そうしてキャメロットまで流れてきたわけである。――歌はそこで終わった。

 

「……御清聴ありがとうございました。如何でしたか、私の歩んだ人生の旅の歌は」

「うん、まあ……ノーコメントで、と言いたいが……敢えて言うなら卿は被害者だね。そうまで自罰的になることもない、悪いのは君を――失礼、卿を妬んだマルク王だ」

「そのようなことは……」

「あるよ。他の人がどう思うかは聞いてない、私がただそう思ったというだけだ。だからそう気に病むことはないよ、トリスタン卿。私としてはイゾルデ姫のアフターケアはしっかりしたのかと聞きたいが……話に聞く限りイゾルデ姫は自力でなんとかしそうだね」

「……自力で?」

 

 毒を解毒出来る知識量、誤って恋の秘薬を飲んだというが――おそらくイゾルデがトリスタンに薬を盛って関係を持ったのだろう。

 つまりトリスタンのことをイゾルデは愛していて、異国の地でもトリスタンさえいたら耐えられると覚悟して来たように感じる。そのトリスタンがいなくなったとあっては、イゾルデは愛のないマルク王を疎んでアイルランドに帰ってしまう可能性が見えて仕方ない。

 

 ――果たしてイゾルデ姫は、遠からずアイルランドへ帰国しようと準備していたが、今のロホルトやトリスタンがそれを知る術はなかった。

 

「じゃあ、今度は私の番だ」

 

 ロホルトは簡潔に要点だけを纏めて、自身の辿った人生を語った。出来るだけ客観的に。

 黙って耳を傾けていたトリスタンと、彼のことを知ったロホルトは、良い関係を築けそうだと思った。少なくとも険悪になることはないだろう、と。

 

 ワン、と愛犬が鳴く。カヴァスだ。

 

 モードレッドが言うには、カヴァスはモードレッドがロホルトを見つけると信じて付いてきていたらしい。あの戦いの場にいなかったのは、二羽の野兎を狩って来てくれたのもカヴァスで、今度は少し大きめの魔猪を狩ってきてくれたようだ。

 

「おう、ご苦労さん。そいつを寄越せ、捌くのはオレがやってやる」

 

 モードレッドがカヴァスを労い、首を斬られている魔猪を受け取っている。

 騎士らしからぬ粗野な口調だが……こちらから距離を置いたところにずっといて、暇を持て余しているのだろう。程よくリラックスしているし、見なかったことにしてあげた方が良さそうだ。

 戦いが終わった後、感極まってロホルトにじゃれついてしまったのが、後から恥ずかしくなってしまったらしい。モードレッドは今はロホルトの顔を直視できないのと、ロホルトが獣を捌いているのも見てられないから手を出したようだ。好きにさせておく。

 

「……ところで殿下、貴方と今少し親しくなりたいと思ったのでお訊ねしたいのですが」

 

 トリスタンの声に意識を取られる。視線をモードレッドから彼に戻した。

 

「何をだい?」

 

 親しくなりたいと言われて拒絶する理由もない。自然体のまま応じると、トリスタンは極めて真面目に、そして真剣な面持ちだった。

 重要な話かと思ってロホルトも真顔になる。するとトリスタンは重々しく訊ねてきた。

 

「殿下の()()()()()はどのような方なのでしょう」

「……は?」

「いえ、昔から男同士の仲を深める鉄板の話題として訊ねたのです。この話題は外せません」

「………」

 

 真面目な顔をして何を言い出すんだ。ロホルトは別の意味で真顔になった。

 するとランスロットが何故か嬉々として口を挟んでくる。

 

「ほう、それならば私も加わらせていただこうか。思えば殿下とこのような話で盛り上がったことはありませんでしたな。同好の士となるのであれば殿下は手強い、競争相手になっても負けるつもりはありませんが、出来るなら殿下との競合は避けておきたい。友情を壊したくはありませんからな」

「ランスロット……君、さては女好きか?」

「人聞きの悪いことを仰らないでいただきたい。これでもまだ清い身、単純に興味があるだけです」

「ほう? ランスロット卿ほどの方がまだ経験していないのですか。意外ですね、こうしてこの手の話に乗ってくれるのも含めて」

 

 コイツら……。

 

 ロホルトは未来を幻視した。コイツらの女癖の悪さに、散々後始末に苦労させられる自分の姿を。

 微かに頭痛を覚えるも、気のせいだと思っておこう。

 嘆息してロホルトは口を開く。こんなしょうもない話に付き合いたくはないが、しょうもない話だからこそ他でする機会もあるまい。折角なので一度ぐらい付き合って、赤裸々に語ってみよう。

 

「はぁ……私の女の趣味か。私はそれには少しうるさいぞ」

「英雄色を好むと言いますからな。殿下ほど気苦労が多いとさぞ拗らせ……」

「殴るぞランスロット」

「好みにうるさそうには見えませんが……だからこそ興味深い。殿下の嗜好、是非傾聴させて頂く」

 

 失言しかけたランスロットを睨む。トリスタンは神妙な顔をしていた。

 また嘆息。ばかばかしい……そう思うも、ばかばかしいからこそ肩から力が抜けた。

 男騎士と仲良くなるにはこの手の話をするのも有りかもなと思ったが、いや無いなと思い直した。どう考えても『ロホルト王子』のキャラに合わないからだ。

 ロホルトはこめかみを揉んで――なぜか聞き耳を立てるモードレッドに気づかずに告げた。

 

「まず清潔であること。身嗜みがしっかりしていること。性格は明るい方がいい。聡明であることは求めないが誠実な人がいいね。外見でいえば髪は長い方がいい、長い髪は垂らしておくよりも束ねておくか、編み込んでいる方が目を引かれる。胸の大きさに拘りはないけどお尻は大きい方がいいね。身長に特定の嗜好はないけど、守ってあげたくなるような人よりも、共に困難へ挑んでくれる強い人が好ましいかな。あとストーカー気質や猟奇趣味の人は断固拒否する。後は――」

 

 長々と語る。まだまだ語る。そんなロホルトに、ランスロットとトリスタンは視線を交わした。

 

「(……で、殿下は予想以上に……こ、拗らせておいでですね、ランスロット卿)」

「(あ、ああ……だが意外と……だな)」

「(ええ、意外と、ですね)」

 

 意外と話せる。二人の騎士はそう思って、ロホルトを見た。

 

「すらりとした手足は勿論いいけど、とても大事な要素としては腰だね。くびれていて、腕を回したら抱き心地の良い細さがあれば言うことなしだ。へそと脇にも拘りたいけど長くなるから割愛しよう。内面の話だと崇高な理念を持ちながら超越的でなく、きちんと恥じらいを感じる感性があって、他に目があるとクールだけど二人きりになると――聞いているのか二人とも」

「ええ、もちろん」

「清らかな乙女に惹かれる殿下のお気持ち、理解します」

「聞いてないじゃないか。いいか、もう一度最初から――」

 

 トリスタンはランスロットを再び見た。ランスロットと目が合う。

 そして男達は何も言わずに頷きあった。通じ合う何かがあったのだ。

 

 ――殿下も男だったな。

 ――ええ。安心しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、帰還。


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25話

 

 

 

 

 

 

『陛下、そして王妃よ。――我が友ロホルト殿下は、まだ生きておられます』

 

 ランスロットの力強い言葉が、心の均衡を崩しかけていたアルトリアを支えた。

 ロホルトが生きているのが本当なら、まだ希望はあるのだ。

 彼さえいれば滅びを定められた未来は覆せる。

 

 いや、それだけじゃない。国だけが大事なわけじゃない。アルトリアの執着もある。ロホルトにはアルトリアの持つ知識や心得、技を全て伝えた、彼はアルトリアの生きた証なのだ……。

 辛く、苦しいばかりの人生だ。無論苦しいだけじゃないのは分かっている、人が幸福に暮らす様、他者が路傍の石と見做す民草の笑顔を見るのが好きで、それを生き甲斐にしていた。

 だが王としての己の最も優れた功績は、理想の王(ロホルト)を生み出したことだ。そして個人として最も痛切に祈るのは、我が子が息災に暮らし、幸福に包まれ、満ち足りた人生を辿ることである。

 

 アルトリアにとって、ロホルトこそが自身の生きた証。王としても、個人としても、彼なくして自分の人生に意味はない。

 ランスロットが愛息の生存に望みを持たせてくれた。祈るしかない、どうか生きていて、と。祈ることしか己に許さない王冠を、アルトリアは罪深いことに煩わしく感じた。叶うなら自分で捜索しに行きたかった……苦しんでいるだろう我が子を癒やし、もう大丈夫だと抱き締めて、安心させてやりたかったのだ。だがそれは許されない。祈っていることしかアルトリアには出来ない。

 彼女が王だからだ。至高の王冠を戴く者は、軽々に玉座を空けてはならないのである。故にアルトリアは自身に出来ることをする。より具体的にロホルトを希望だと判断して、次のブリテン王はロホルトでなければならぬと定めたアルトリアとは違い、曖昧にロホルトの存在に光を見ていた者達に伝えねばならぬ。王子は生きている、湖の騎士が必ず連れ帰ると。

 

 ロホルトの葬儀は早合点した故の誤解によるものだと御布令を出したのだ。アルトリアは王である、彼女の今まで積み上げてきた信望が、騎士王たる彼女の言葉に一定の説得力を持たせた。

 生きている? 死んだはずの王子が? それは素晴らしい慶事だ、帰還が待ち遠しい……下々はそう素直に信じてくれた。だがアルトリアは、この御布令にリスクがあるのを承知している。

 

 もしもロホルトが本当に死んでいたら、彼女の名に瑕疵がつくのだ。

 

 アルトリアは愛する息子の死に錯乱し、正常な思考力を喪失していると噂されかねない。そうなれば諸侯の纏め役たるブリテン王――騎士王の発言力は確実に低下するだろう。

 一挙手一投足の悉くが、アルトリアの政治生命に直結する環境なのだ。黒いものを白と言って信じてもらえるのは、アルトリアの功績やカリスマ性に由来するものであり、あらゆる局面で完璧に差配してきた信頼があるからこそブリテン王国の大王足り得ている。

 その大切な無形の財産、功績に由来する信頼に傷を付けかねない発言は厳に慎むべきだ――そんなことは分かっていた。しかしアルトリアはランスロットの言葉を信じ、全てを賭けたのだ。

 

 無常にも一ヶ月が過ぎる。

 

 ランスロットとトリスタンはまだ戻らない。ギネヴィアは毎日、礼拝堂に通い祈りを捧げている。アルトリアも祈りたい、だが王であるアルトリアには無駄にしていい時間などなかった。ただでさえ忙しいのに、またしてもサクソン人が攻め寄せて来ようとしているという情報が齎されているのだ。軍備を整える為にアルトリアは奔走せざるを得ない。

 あまつさえ相談役の宮廷魔術師マーリンも不在である。ロホルトが生きているかもしれないなら、彼にロホルトの所在を訊ねた方が一番手っ取り早く片がつく。しかし彼は前日に『モルガンに不穏な動きがある、彼女を抑えて来るからちょっと留守にするよ』と言って、キャメロットから発ってしまっていた。聖杯探索の為に多数の騎士を各地に向かわせたせいで、戦力も満足できるほど集まらない……アルトリアは内心大いに焦りを募らせていた。気が休まる瞬間が片時もなく、彼女の心身は着実に疲弊していっている。そうして実感するのだ、今までも殺人的な忙しさだったが、今までどれだけロホルトに助けられていたのかを。彼がいた時は、これほど悪い条件下でも、諸々の実務は決して滞らなかった……。

 

 二ヶ月が経つ。

 

 もうすぐサクソンが出陣して来てもおかしくない。不眠不休で働き通したアルトリアの尽力で、軍備もなんとか整えられたが、やはりこちらの陣容は穴だらけ……無理のある体勢だ。

 勝てないとは言わない、しかしこの時期に戦争を仕掛けてくるサクソン人への苛立ちは強かった。アルトリアはケイに強く諫言され、半ば強引に寝所に押し込まれたが、寝ようと思っても眠ることが出来なかった。気が立っている、かと思えば唐突に弱気に襲われる。今回の戦いで負けたらどうしよう……ロホルトが帰ってくる前に……いやそもそも本当に生きているのか? ランスロットはこの国に見切りをつけ、出奔する為の方便として言ったのではないか? 死んでしまっていたら聖杯が必要になる、しかし聖杯を使ってロホルトを蘇らせても、とうのロホルトは喜んでくれるのか? ロホルトもまた魔竜にブリテンの滅びの未来について聞かされているかもしれない、もしそうなら滅びの運命を覆すのに聖杯を使わなかったことを咎めてくるかもしれない……ああ、国を取るか、息子を取るか、そもそもそんなことで悩む時点で自身には人の親になる資格などなかった――アルトリアは一度弱気になると、際限なく心が弱っていくのを自覚できていなかった。今までのアルトリアには有り得ない事態である。特定の個人への情と、国を想う崇高な志は別居していて、そこに矛盾や迷いが生じる余地などなかったからだ。

 

 たとえばケイ。彼は大切な兄であり、身内である。彼が殺されたら怒りに燃えて仇を討とうとするだろうし、病や事故で亡くなれば悲しみに暮れる。しかしどのような形でケイが亡くなっても、アルトリアは決して歩みを止めない。救国の理想は決して捨てない。

 だが、ロホルト。彼は違う。

 ケイも大切な身内だ。しかし、ケイは騎士である。騎士として自身に仕え、自分だけの味方でいてくれる頼もしい存在で、他に替えられるような人ではないと断言しよう。だがロホルトはアルトリアの騎士ではなかった。身分の話ではない、在り方と立場の話だ。ロホルトは最初、ただの息子で。成長して王と王子として接し、長じて愛息となった。王家として上下関係はあるものの、騎士や兵とは一線を画する立場なのだ。アルトリアと同じ視点、同じ理想、同じ危機感を共有した、ある意味でアルトリアの分身とも言える存在なのである。ロホルトの死は己の死に等しいと、アルトリアはそれほどまでに深くロホルトを愛していた。

 

 だって、ロホルトだけなのだ。本当の意味での同志は。アルトリアが『自分以上の王』になれる、或いは既になっていると思える……理想の王の器の持ち主は、ロホルトだけなのである。

 才能面で惚れ抜いて、血の繋がりという最初から特別な関係で、同じ敵と戦い同じ理想を掲げた。アルトリアが他の誰よりもロホルトを愛するのは、人であるならば極めて自然なことだろう。

 いつも一緒だった。離れていても、傍にいてくれているような心強さが常にあった。だから、ロホルトが魔竜の息吹の中に消えた時、絶望して……そしてロホルトがいない、本当は死んでいるかもしれないと、弱気になってしまうとアルトリアは折れそうになっていた。

 

 だが、折れない。

 

 折れるわけにはいかない。

 

 アルトリアの記憶に残り続ける、愛息の揺るがぬ眼差し。その目がアルトリアに言っている。諦めるのか、まだやれるのに折れるのか、と。故にアルトリアはロホルトの眼差しを背にした時、決して止まらないし迷わないと、確信を込めて断言できてしまう。

 折れてはならないのだ。愛するロホルトの人生を――国に捧げさせてしまった己が、折れることなど絶対にあってはならないことなのである。

 だから――アルトリアは進む。どれだけ心が弱り、翳り、ボロ雑巾のようになってもだ。

 

 でも……寂しさを、誤魔化せない。

 

 横に立ってくれる仲間にして家族、自身を超えてくれる理想の王器の人。

 やっと、やっと心を開いて、接することができるようになったばかりだ。

 まだ親としてしてあげたいことがある……してあげていなかったことを、親子の時間をこれから取り戻そうと思えたばかりなのに……肝心のロホルトがいなくなるなんて堪えられない。

 

 後少しで、三ヶ月が経ちそうだ。――サクソン人がブリテン島に向け進発したとの報せが入り、アルトリアは軍に招集を掛けて、出陣しようとしていた。

 この段になってもランスロットは帰ってこない。トリスタンも、肝心のロホルトも帰ってこない。何か報せがあってもいい頃なのに、どうして?

 

 腹の底で渦巻く混沌とした感情の正体は不明。爆発しそうなのか、凍りつきそうなのか、はたまた沈み込んで消えてしまうのか、一切が判然としない。

 アルトリアは聖剣を見る。いっそ……聖剣から聖槍に持ち替え、人を捨ててしまおうか、そうすればこんなにも苦しまず、最適の手だけを打ち続けられるのではないか。与太話として、断じて有り得ない妄想が駆け抜ける。――その時だ。軍に号令を掛け、出陣を告げようとするアルトリアの許へ、騎士が駆け寄ってきたではないか。

 

「――陛下!」

「……ベディヴィエール? 兵の前だというのに、そんなに取り乱してどうした」

 

 傍に来たのは古参の騎士、腹心のベディヴィエールだった。

 彼は円卓の騎士の中では最弱に近い。しかし武将、指揮官としては名将だ。冷静沈着で慌てることは滅多に無い。そんな彼らしくない様子を見て、意識を現実に戻した王へと彼は示す。

 

「あちらを!」

「……?」

 

 言葉が短い。しかし、指し示された方を見る。ベディヴィエールほどの人物が、こうまで慌てる何かがあるのだとすれば、それは無視してはならないものだと思ったのだ。

 果たしてベディヴィエールの示した先に目をやったアルトリアは、固まる。

 兵たちが気づき、振り返った先だ。そちらから、白き大狼に等しい獣に騎乗して、白馬に騎乗する三人の騎士を従えた者がやって来ていて――その、面貌は。出で立ちは。姿は。アルトリアが見間違えることなど有り得ない、王と王国の希望のものだった。

 

「ろ、ロホルト王子……」

「殿下だ」

「殿下だ! 殿下が――」

「ロホルト様がご帰還なさったぞぉ!」

 

 兵達が色めき立つ。興奮して叫ぶ。騎士達が瞠目し、傍らで影のように立っていたガウェインが呆然と立ちすくむ。アグラヴェインですらも口を半開きにして、ケイをも黙らせ、ガヘリスが駆け出した。大歓声の爆発する中、兵たちが左右に分かれて道を開ける。

 その道を駆け、ガヘリスが月明かりの騎士の許に馳せ参じ、跪いて何かを言った。月光の如き香りが流れ込む中で、光の王子はにこやかに微笑み、ガヘリスに何かを言って。供に己の騎士を加え、愛犬から降りると真っ直ぐ高台にいるアルトリアの許へ歩んでくる。

 

「あ……」

 

 掲げようとしていた聖剣を取り落とし、よろよろと歩む。聖剣を落としたことにも気づかずに。

 二本の脚でしっかりと歩み寄ってきて、目の前に立ったロホルトと、目が合う。

 数秒の沈黙の後、彼は言った。数十年ぶりにも感じる、懐かしい声だ。

 

「ただいま帰りました、父上」

「ぁ……あ――ろほる、と……?」

「はい。ロホルトです」

 

 ロホルトはアルトリアの顔を見つめ、苦笑すると、小声で囁いた。

 

「(酷い顔だ。ろくに眠れていないようですね。ですが、もう大丈夫。私が帰ったのです、父上の抱える荷物の半分は抱えて差し上げましょう)」

「……ろほると。ロホルト……!」

「待ってください」

「………?」

 

 辛抱できず、抱きしめようとして腕を広げると、待ったを掛けられる。

 行き場を無くした感情を持て余し、固まってしまったアルトリアに、ロホルトは自ら歩み寄った。

 そして――無礼をお許しくださいと告げ、彼はアルトリアを抱き締めた。

 

「――ぇ、」

 

 大、きい。

 身長差で、すっぽりと、愛息の腕の中に収まって。

 強く、強く、抱き締められた。

 

 ――人に。

 

 ――誰かに。

 

 ――こうして、抱き締められたことはなかった。

 

 呆然とするアルトリアからロホルトが離れる。たった数秒の抱擁……なのにアルトリアの体感時間を数時間分も奪い去った数秒だ。

 体を凝固させ阿呆のように停止したアルトリアに、ロホルトは言う。

 

「ご心配をお掛けしました。積もる話もあるでしょう、しかし今はそれどころではないようですね」

「――――」

「父上、この軍がサクソンの侵略に対するものなら、私も軍の一翼に加えてください。おそらく彼らが挙兵した理由は私にある……座して待つことは出来ません」

「………」

「(……父上、皆が見ています。呆けてないでしっかりしてください)」

「ッ――!」

 

 呆れたような、仕方なさそうな、やさしい忠言を受けて我に返る。

 全身の血が一気に流れ出すような錯覚。カッと全身が火照り、頭が明瞭に冴え、意識と視野が大いに広がる。ベディヴィエールが聖剣を拾い、捧げるように差し出してくれたのを受け取った。

 ふぅぅぅ……と、長い吐息。総身から漲る覇気は、丹田から吹き出る活力は――アルトリアの内に渦巻く弱気を払ってしまった。頬が緩む、勇気と気力が無限に湧いてくる。

 現金なものだ、アルトリアは頬を紅潮させている。ロホルトの生還を受け、興奮しているのか。希望が絶えていなかったことを知り、高揚しているのか。それとも……それとも?

 

 いいや、今はどうでもいい。今はただ、ロホルトに、情けない姿は見せたくない。

 

 アルトリアは小声で囁いた。

 

「(……よく戻った。お前が生きていてくれて……本当に、喜ばしい)」

「(まずはこの戦を片付けましょう。その後に、ゆっくり話がしたい。いいですか、父上)」

「(勿論だ。私も……話したいことが、たくさんある)」

 

 漏れ出したアルトリアの微笑みは、見る者をハッとさせるほど慈愛に溢れ、暖かかった。

 演説は終わっている。アルトリアはランスロットとトリスタンに目を遣って労りの言葉を賜わした。

 

「ランスロット、トリスタン、よく戻った。そして、よくぞロホルトを見つけ出してくれた。貴公らの功は極めて大だと断じる。今すぐにでも褒美を賜わしたいが……生憎とサクソンとの戦を前にしている、貴公らを賞するのは後回しにしなければならない。私も王として、親として忸怩たる思いだ……どうか許してほしい」

「許すも許さないも、我々は騎士として当然のことを成したまでです、我が王よ」

「ランスロット卿の言う通り。そして私達は騎士として、褒美をせびるような浅ましい真似は致しません、陛下こそ気になさらないでください」

「そうか……ありがとう。見れば二人とも酷い傷だ、キャメロットに帰り疵を癒やすといい。私達はこれよりサクソンの軍を撃退しに出る、凱旋した後に改めて貴公らに報いることを約束しよう」

 

 は! と、ランスロットとトリスタンは一礼する。

 我々も軍に加えてくれと要求はしなかった。トリスタンが持参していた魔術薬で、ある程度は回復しているが、それでも対生命宝具による傷は深刻な負荷を彼らにかけていた。今の状態で軍に加わっても足手まといになりかねない、故に素直に引き下がったのだ。

 アルトリアは彼らの状態の酷さを一目で見抜いたから下がれと命じた。逆にロホルトと兜の騎士――たしかモードレッドという名だったか――が軍に加わるのを許すのは、彼らに目立った傷がないからである。この約三ヶ月間で何があったのか気になるところではあるが、それはまた今度聞かせてもらうとしよう。

 

 生きていてくれた。本当に連れ帰ってくれた。

 

 アルトリアの中で、ランスロットへの評価と信頼が最大に達する。

 流石はロホルトが親友だと認めた騎士である、頼もしい騎士が同胞になってくれてとても喜ばしい。これからも彼の力は必要だろう、是非ともその力を今後も振るってほしいところだ。

 

 ――アルトリアは、トリスタンとランスロットを……否、ランスロットを帰らせた判断を、誤りだったとは思わない。たとえ百回繰り返しても、百回とも同じ判断を下していたに違いない。

 

 だが、ミスだった。これは致命的な判断ミスだったのだ。

 アルトリアはおろか、ロホルトやケイ、アグラヴェインらもミスだと気づかぬ失策である。

 

(――負ける気がしない。何が起きても、きっと大丈夫――)

 

 常勝不敗の騎士王の士気は、ドン底に在った反動で、天をも衝かんばかりに高まっている。

 キャメロットの城壁の外。聖剣を今度こそ掲げ、ロホルトの帰還を祝することを告げ、兵士達の士気が鰻登りに絶頂へ至るのに嬉しさを覚えつつ、アルトリアは出陣する旨を唱えた。

 

「――我らの国を侵さんとする夷狄を、今度こそ完膚なきまでに叩きのめす! 我らの戦ぶりが我らの親兄弟、子孫の安寧を左右するものと心得よ! さあ出陣だ――!!」

 

 わぁぁぁ! と、大地をどよもす鬨の声。闇に覆われそうだった先行きに、光が差すのをアルトリアは――そして王子の帰還を目にした騎士達は――感じて高揚していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして。

 

 その光が強ければ強いほど、根を張る狂気(ヤミ)は濃度を増す。

 

 

 

「うふふふふ………」

 

 

 

 女が嗤う。

 

 愛する我が子の生存を知った。

 

 当然、歓喜した。狂喜した。気を失いそうになるほど心が踊った。

 

 しかし。

 

 しかし、だ。

 

 やはり。やっぱり。

 

 

 

「アルトリア様。やっぱり貴女様は、ロホルトを戦場に連れて行くのね」

 

 

 

 死にそうになったのに。

 

 死んでしまいそうになったのに。

 

 ロホルトを、危険な場所に、駆り出してしまう。

 

 赦せない。赦せるわけがない。憤怒と憎悪に頭がおかしくなりそうだ。

 

 だが解る。仕方ないのだ、あの御方だって、不可抗力で連れて行っているに過ぎない。

 

 だって……。

 

 

 

「分かるわ。ロホルトは、優れているもの」

 

 

 

 不幸にも愛する我が子は、誰よりも何よりも優れている。

 

 母の欲目? 贔屓? そんなはずがない、真実である。

 

 ロホルトは誰からも高く評価されている自慢の息子。自慢の愛息だ。

 

 今更この国が手放せる存在ではない。

 

 そんなことは……解っていた。

 

 だが。

 

 だからこそ。

 

 

 

「アルトリア様には救えない……ロホルトを救けられるのはわたくしだけなの」

 

 

 

 国がロホルトを手放せないのは何故だ?

 

 それは、ロホルトが優れているからだ。

 

 ならば――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「ロホルトを生んだのは誰かしら。……ふふ、わたくしよね?」

 

 

 

 そうだ。断じて、アルトリアではない。

 

 自分にしかできない方法で愛息を救う。その方法とは――()()()()()()だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうすれば、ロホルトは危険な所に行かずに済む。

 

 ――論理の破綻した結論だ。

 

 だが、王妃は狂っていた。

 

 そして狂人に、理屈は通らない。

 

 

 

「でもアルトリア様との間に生まれた子供では、きっとロホルトを超えられない。あの御方の胤で生まれる最高の才は、ロホルトが全て示しているもの。なら……()()いいかしら」

 

 

 

 王妃が嗤う。女が哂う。

 

 アルトリアより強くて、優れていて、男らしい人。そんな人が一体どこにいるというのか?

 

 ――いるではないか。

 

 ロホルトを見つけ出し、連れ帰ってくれた英雄が。

 

 

 

「――()()()()()()。素敵な、人ね」

 

 

 

 魑魅魍魎の棲む社交界の女主人としての眼力が、明確に告げている。

 

 あの英雄は……()()()()()()。籠絡するのは、容易いことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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26話

 

 

 

 

 

 アーサー王率いるブリテン軍と、宿敵サクソン人の軍勢は、十二度にも亘る大規模な会戦を行った。そして伝説的君主である騎士王は、その悉くに勝利し常勝の栄光を手にしている。

 

 これにより完全にブリテン島から撤退せざるを得なくなり、以後最低でも十年は沈黙せざるを得ない大損害をサクソン人勢力は被った。

 なにより彼らサクソン人の王が、この戦いで戦死したというのが大きい。サクソン人の王は、どういうわけか執拗に敵国の王子を討つのに固執し、復讐を声高に叫んでいたのだ。彼は敗戦が確定的になったと悟ると、麾下の近衛兵団を率いて破れかぶれの突撃を騎士王の本軍に仕掛け、仇だと定めた騎士王の嫡子に立ち向かい斬首されてしまったのである。

 サクソン人は強敵だ。彼らに手を貸していたピクト人は今更語るまでもないが、古王ウーサーですら彼らサクソン人の野心を挫くには至らず、数十年もの歳月を戦い続けてきた怨敵である。運命に定められた宿命の大敵、その一角を卑王に続いて破った騎士王と、サクソン人の王を自らの手で討ち取る戦果を挙げた月明かりの騎士の声望は、いよいよ信仰に等しい領域に達したといえた。

 

 しかし当代に於ける最終決戦であった十二度目の会戦は、互いの勢力が投入できる戦力をほぼ全て費やしていたこともあり、大軍勢同士の激突となった。必然として早期決着は望めず、ブリテン軍が完全なる勝利を手にするのに、開戦より数週間もの時を要した。

 戦場となった土地への行軍期間、キャメロットに帰還するまでの期間。これらを含めると優に三ヶ月は掛かることになり――その三ヶ月間の内に、取り返しのつかない事態が起こっていた事を、戦場にいた騎士達が知る術はなかったのだった。

 

「――殿下、恥を忍んでお願い申し上げる。どうかこの愚かな私に罰を……裁きをお与えください」

 

 故に凱旋する最中にあった一幕にも、大局的にはなんの意味もない。

 

 太陽の騎士ガウェインが、夜営の最中に王子の陣幕を訪ね、跪いて許しを乞う。魔竜との戦いで不覚を取り、護るべき王子に逆に守られた慚愧……あれ以来余裕のある笑顔を失くした騎士に、王子ロホルトは一瞬なんの話をされているのか判じられずにいた。

 だがガウェインの抱える無念と罪悪感の出処を知ると、彼は笑ってガウェインの肩を叩き、無理矢理に立たせて至極あっさり許しを与えた。

 聖剣の力は絶大である。それが魔竜に通じないと、誰が想定できたのだ。たとえ誰かが心ない言葉で貴公を謗ろうとも、私を含める全ての騎士、そして父上もまた貴公に罪はないと言うだろう。もしそれでも卿の気が済まないと言うなら、一つ私の問いに答えてくれ。

 

「……なんなりと」

 

 問いに答えるだけでは到底この身の咎、傲慢の罪は償えない。しかし忠義の騎士であるガウェインからすると、主筋の血族が許すというのに不満を示すわけにもいかなかった。

 神妙に応じるガウェインに、ロホルトは極めて真剣な面持ちで問いかける。

 

「ガウェイン、貴公の好みの女性について教えてくれ」

「……は?」

「男同士が仲良くなる鉄板のネタらしいからね、是非とも訊いてみたいんだ。こんな恥ずかしい問い掛けに答えるのを強要するんだから、卿の罪は相殺されて然るべきだと思わないかい?」

 

 呆気に取られるガウェインに、ロホルトは稚気を滲ませ微笑みかけて。

 数秒の後、あまりのバカバカしさに、ついガウェインは笑ってしまった。

 数カ月ぶりの笑顔……ガウェインの心に爽やかな風が吹き抜ける。

 

「は……ははは、ははははは!」

 

 ガウェインは眦に涙すら浮かべて大笑いし、そしてロホルトの寛大な態度に感銘を受け――だからこそ――彼が抱える事になる永年の後悔は、死して英霊となった後にまでこびり付いたのだ。

 

「私にそれを語らせたなら夜明けまで終わりませんよ?」

 

 ああ。どうして私はあの時、魔竜に敗れてしまったのだ。この御方を欠いたほんの数ヶ月と、サクソンとの決戦。これらさえなければ………せめてどちらかがなければ、あのような結末を辿ることはなかっただろうに――と、ガウェインは悔いる。死しても、永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い妖精と讃えられる絶世の美女ギネヴィアは、王妃になるべくして生まれた『王権の象徴』だ。

 

 彼女の父レオデグランス王は、アーサー王の父であるウーサー王の家臣で、ウーサー王の死後ブリテン王国の統治者に任命された男だ。

 すなわちウーサー王の信任厚き腹心であり、真の王不在時の代理人である。レオデグランス王は自身の領地の反乱問題を解決し、知己の魔術師マーリンの保証を受けたアーサー王をウーサー王の子であると認め、彼女に娘のギネヴィアを娶らせた。婚姻の成立後、レオデグランス王はアーサー王の後見人として玉座と円卓を譲渡したのだ。

 

 そしてレオデグランス王の没後、彼の唯一の子でもあったギネヴィアには、円卓の所有権――ブリテン王国の王権を象徴する権利が相続されている。ギネヴィアの夫であるアーサー王にその権利は移っていると認識する者は多いが、『ブリテン王の後見人』という役柄がギネヴィアには残されているのだ。有り体に言えば、ギネヴィアを娶った者がブリテン王になれるということである。

 

 故に正確にギネヴィアの価値を把握している者ほど態度を二極化する。騎士王の妃として絶対に守らねばならない至宝、あるいは騎士王の王権を絶対の物にする為に排除すべき対象、と。

 

 そして円卓の騎士の一人、アグラヴェインは私情を抜きにしても断固として排除すべきだという認識を有している。ロホルトがいる今、ギネヴィアの存在は害悪だと見做しているのだ。

 だがアグラヴェインは早急に、しかも無理をしてでも除こうとは考えていない。なぜなら騎士王がギネヴィアを切り捨てるとは思えないし、王子が心の支えにしている節があるからである。

 

 だがモノの価値が分からぬくせに正義漢ぶり、傍迷惑な暴走をする者は何時の世にもいるものだ。

 

「ギネヴィア妃よ、貴女様の道義に反する行ない、もはや看過できぬッ!」

 

 円卓に名を連ねる王にして騎士の一人、メルワスである。

 彼は長年をアーサー王とギネヴィア王妃に仕え、彼らの婚姻の儀を見届けた忠義の騎士だった。

 メルワスは融通の利かぬ性格の硬骨漢であり、王からの信任も厚く、本人もアーサー王を絶対視する熱心な騎士王信奉者であったのだが、彼の本質は自己の価値基準に沿って物事を判断する、典型的な自己陶酔者だ。メルワスは以前からギネヴィア妃を嫌っており、とある出来事を経て遂に堪忍袋の尾を切られてしまったのである。

 

 その『とある出来事』とは、ギネヴィア妃の長く続く、アーサー王への不誠実な態度だ。

 

 諸侯の一人にして騎士であるメルワスは、アーサー王との間に漂う険悪な空気を知る数少ない人間で、妃の王に対する態度に不快感を懐き続けていたのだが、王がサクソン人との決戦に出た際、王宮に帰還したランスロットと懇ろな関係になっていくのを見てとうとう我慢の限界を迎えた。妃は王子を連れ帰ったランスロットを絶賛し、個人的に激賞したばかりか、彼をサロンに誘って常に傍に置き、片時も離れようとしなかった。そればかりか人払いをして二人きりになる場面も度々目撃され、これは夫を持つ妻として不誠実極まりない行為だと言える。ランスロットはなんとかギネヴィアからのアプローチを固辞し、なんとかして距離を置こうとしていたから赦せる、しかしメルワスはギネヴィアの不心得な振る舞いを、絶対に赦してはならぬと義憤に燃えてしまった。

 

(――ばかな人。本当に、分かりやすいわね)

 

 ――メルワスは気づかない。彼が長年仕えてきたということは、仕えられてきた側も、メルワスの人となりや行いを知悉しているということである。

 自身の行動や示した態度の結果、メルワスがどう動くかなどその女にとって至極明白だったのだ。

 

 果たして視野の狭いメルワスは、ギネヴィアという存在の持つ価値に気づかぬまま、彼女を攫って王宮から出て行ってしまう。

 彼はそのまま自身の領地である夏の国(サマセット)に王妃を連行すると、そのまま本拠地のグラストンベリー城に幽閉した。そこでギネヴィアの不実を詰り、彼女に反省を強く求めたのだ。

 しかしギネヴィアは黙して何も語らぬ。業を煮やしたメルワスだったが、仮にも王妃である彼女に体罰は加えられない。仕方なく幽閉するに留めたメルワスだったが――彼は自己基準の正義に囚われ、自身の行いに過ちがあるわけがないと信じる身である故に、愚かにも想像もしていなかった状況に追い詰められていた。それは、メルワスが叛逆した、という風評の流布である。

 

 当たり前である。王妃を攫っておきながら、叛意はないなどと言って、いったいどこの誰が信じるというのか。

 メルワスは大いに焦った、そんなつもりなどないと弁明しようとしたが、全くの無意味だ。王妃の持つ存在価値を正確に理解している者ほど、彼女を攫ったメルワスを大罪人と認識する。そしてそれは優れた頭脳も併せ持つ、最高の騎士ランスロットも同様だった。

 メルワスはただ、王妃に対して折檻を行ない、反省を促せる勇気と忠義の持ち主は自分だけと傲り。そして王妃の味方がいない自身の領地でしか、恙無く責めることができないと考えただけだ。それ自体が王妃、ひいては王の立場を軽んじた不敬だったのだが、そんな当たり前の道理にすら気づかぬ男であるからこそ、王妃の誘拐などという大逆を犯してしまったと言える。

 

 ランスロットは攫われた王妃の救出の為、各地を奔走した。ロホルトとの激闘で負った傷はまだ完治しておらず、痛む体を酷使しての行動だった。

 彼が必死にギネヴィアの行方を探して回る理由は三つある。一つ目は、ギネヴィアの存在価値を正確に理解していたから。二つ目は、親友の母にして主君の妻の救出は、騎士として当然の行ないであるから。そして三つ目は、女性に対する尊敬の気持ちがあるから。

 ランスロット・デュ・ラックは、ダーム・デュ・ラック――ヴィヴィアンに養育された完璧な騎士だ。彼は幼少期より女性に対して優しく、紳士的に接するように躾けられており、そして本人も自身の知る女性であるヴィヴィアンへの尊敬と感謝、愛情に沿って素直に教えを受け入れていた。故にギネヴィアを救わんとする行いに一片の邪心もない。

 

 それに、ランスロットはギネヴィアに恋をしていた。

 

 優しくされたからか? ふとした拍子に魅せられた仕草や、不意に覗く無防備な姿に心を射抜かれたからか? 堪らぬ色香を感じるからか? あるいは、その全てか。

 ランスロットは、清い身である。長く湖で過ごし、キャメロットに仕官した後は、とても特定の女性と関われる暇はなかった。であればこそ、彼は女性に対する免疫がほぼ皆無であり、ギネヴィアにその気のない所作にすらときめいてしまうほどだった。

 

 だが、それはそれ、これはこれである。

 

 ランスロットは誓ってギネヴィアに対する不義を働くつもりはない。なんせ主君の妻だし、彼女の持つ存在価値の重さが途方もない上に、親友の母親なのである。幾らランスロットが人妻を嗜好する性癖の持ち主といえど、幾らなんでも親友の母に手を出す気はない。

 不忠を犯し友情を傷つける行為はランスロットも敬遠する。故に、自身の初恋は決して叶わぬし、叶えてもならぬと心に固く誓っていた。だが、だからこそ、ランスロットはギネヴィアの危機に本気で駆けつけようとした。恋心には重い蓋をしているし、この封は生涯を通して決して破らないが、ギネヴィアに惚れてしまった一人の男として、彼女を救い出したいと心から願ったのだ。

 

 その想いの強さは、卑しい身分の罪人を運ぶ荷車に乗ることで証明された。

 

 彼が荷車に乗ることになった原因は、王妃の行方を探して駆けずり回っていた彼の馬が衰弱し、死んでしまったことにある。そこに小人(妖精)の引く荷車が現れ、小人はランスロットを試したのだ。この荷車は必ずアンタの求める場所に向かうだろう、アンタに荷車へ乗り込む勇気はあるかい、と。罪人を運ぶ荷車に乗る行為は、騎士としての名誉に傷をつける行為だったのだが、果たしてランスロットは一瞬も迷わず荷車に乗り込み小人に命じた。さあ、私を早くギネヴィア妃の許へ連れて行くがいい、と。

 小人は嫌らしく嗤い、彼をサマセットまで運んでいった。小人は道中で近隣の村々に立ち寄り、各地でランスロットが卑しい罪人だと人々に誤解させ、彼が罵倒されたり石を投げられたり、額から血を流して呻くランスロットを見て小人はせせら嗤った。アンタの騎士としての名声は台無しだね……と。悪意を満載した辱めと嘲笑に、ランスロットは歯を食いしばって耐えた。

 小人は約束通りサマセットに辿り着くまでに、ランスロットの忍耐の限界を試し続けたが、結局ランスロットは激発することなく耐えきってしまう。つまらなさそうに小人は吐き捨てた。ちぇ、そこらの馬鹿な奴らを斬り殺してくれた方が面白かったのにな、と。

 

 だがそれに対してランスロットは頭を下げ、礼を言った。

 

「――ここまで運んでくれたことに感謝する。さらばだ、名も知らぬ小人よ」

 

 この態度に小人は仰天した。もはや用済みとなれば、辱めを受け続けた騎士が小人を斬り殺そうと剣を抜くだろうと思っていたのだ。

 小人は自身の能力でそれを躱し、綺羅びやかな騎士の栄光を穢し抜き、笑いものにしてやろうとしていたのである。なのに目論見通りにならなかったばかりか、礼まで言われるとは……。

 小人は舌打ちし、自身の負けを認めた。そしてランスロットに一つの助言を送る。

 

「フンッ、アンタの勝ちだ。おいらは賭けに負けちまったし、勝者には特別な助言をしてやるよ。いいかい、いけ好かないヴィヴィアンの小倅。ここで引き返しな、さもなきゃ全てを失うよ」

 

 それだけ言って、つまらなそうに小人は消えていった。

 小人の不吉な予言にランスロットは不安を覚えたが、まさかこのまま王妃であるギネヴィアを放置して立ち去るわけにはいかない。故にランスロットは騎士として引き返す選択はしなかった。

 

 それからのランスロットの行動は早かった。サマセットの人に聞き込みを行ない、領主であるメルワスがこの世で最も美しい女を連れて、城の中に入って行ったことを突き止めると、その日の夜の内に城へ忍び込んで王妃の囚われている塔に侵入したのだ。

 

「――あぁ、ランスロット!」

「ギネヴィア妃っ……助けに参りました。遅参の段、平にご容赦を」

 

 ランスロットはアロンダイトで檻を破壊し、ギネヴィアを見事に助け出したのだが、彼女は悲しげに眉を落とし痛々しく微笑んだ。

 

「ごめんなさい……こんな、はしたない姿で。それにわたくしは、今は歩けないの……」

「……なにゆえでしょう」

 

 ギネヴィアは檻に囚われて以降、まともに物も食べていなかったらしい。頬はこけ、着ている衣服も肌着が一枚だけの粗末な格好だ。あまつさえ粗悪な寝台に腰掛けたままの彼女は自身の両足を指し示す。夜の暗闇のせいで王妃の姿に気づくのが遅れていたランスロットは、うぶなことに扇情的な王妃の姿から目を逸らそうとしていたが、ギネヴィアの両足の裏を見て絶句する。

 なんとギネヴィアの両足の裏に、痛ましい裂傷が刻まれていたのだ。彼女は悩ましげに言う、この足だと痛くて歩けないわ、と。ランスロットの頭に血が上る。なんということを! おのれメルワスめ、王妃たるギネヴィア様にこのような格好をさせているばかりか、その体に傷をつけ脱走を阻もうとは! なんたる卑劣漢、赦してはおけない……!

 

 ――粗末な寝台の下に、彼女の着ていたドレスや、差し出されていた食料が隠されていて。彼女自身の血に濡れた短剣までもが隠されていることになど、ランスロットは気づかなかった。

 

 激怒したランスロットだったが、このままではいられない。彼は自身の汚れてしまっているマントを外して、ギネヴィアの肩に掛けてやる。そして不敬と無礼を承知の上で彼女を抱き上げた。

 

「っ……」

 

 ギネヴィアはすんなり抱き上げられ、ランスロットの体にしがみつく。

 その、感触。不浄の環境にいたにも拘らず、匂い立つのは堪らぬ女の匂い。平常心を心がけようにも劣情を催されてしまいそうだったが、ランスロットは無心になって城から脱出しようとした。

 しかしその最中にメルワスに見つかってしまう。

 愚かにも叛逆者になってしまっていたメルワスは、これからアーサー王にどう弁明するか悩みに悩んで窶れており、ランスロットとギネヴィアを発見してしまうと驚愕した。

 ランスロットが何故ここに……いや、今ギネヴィアを連れ戻られては困る! メルワスは錯乱気味にランスロットへと掴み掛かり――王妃を攫い、挙げ句の果てには傷つけた彼を許す道理はないと判断したランスロットによって、一撃で斬り捨てられてしまった。

 

 ランスロットはメルワスの屍をこえて脱出する。物言わぬ亡骸となったメルワスを、濁った瞳で見下ろす王妃を抱きかかえたまま。

 

 馬を奪って門を出たランスロットは、サマセットからの追手が来るのを察知して、慌ててとある地に逃げ込んだ。さしものランスロットも多数の騎士を相手に、動けないギネヴィアを抱え、護りながら戦うのは困難だと考えたのだ。そもそも罪のない騎士を手に掛ける気になれなかったというのもあるし、長旅はか弱い王妃の体に毒となる。休憩は必須であった。

 ランスロットが逃げ込んだのは、漁夫王と渾名されるペラム王の治める地、カーボネックだ。ペラム王は嘗ての円卓の一員、双剣の騎士ベイリンが使ったロンギヌスの槍で脚を負傷し、近隣の川で魚を取って生計を立てていた王である。彼が聖槍の呪いで癒えぬ傷を負わされ常に激痛に苛まれており、本来なら来客に応対する気力はないはずだったが、彼はランスロットらを快く引き入れ匿ってくれた。ランスロットはこの対応に感激し、ギネヴィアの疲れが取れるまでカーボネックで過ごすことになる。

 

 カーボネックで滞在する中、ギネヴィアの世話役になったのは、ペラム王の孫娘であるエレインという少女であった。

 エレインとギネヴィアはすぐに親しくなる。彼女はこの国で最も美しいと噂される美少女だったが、自身と同等かそれ以上の美貌を持つギネヴィアを妬まず、彼女の語るキャメロットでの生活に憧れて羨んだ。というのもカーボネックは、ペラム王が聖槍の呪いに侵されたからか、肥沃だった土地は加速度的に荒廃し、当時は幼かったエレインは貧しい暮らししか覚えていなかったのだ。

 エレインと親しくなる内に、家宝である『変身の指輪』の存在を聞いたギネヴィアの目が妖しく光っていたことに、うら若き乙女は気づかず。繁栄する王都キャメロットに憧れ、少しの間でいいからキャメロットで暮らしたいですと溢したエレインに――ギネヴィアは仄暗く微笑む。

 

(ああ……ランスロットの心は奪えても、忠義を曲げない彼に苦戦してしまっていたけれど……)

 

 どうやら運命は味方してくれるらしい。

 

 ギネヴィアは言葉巧みに、エレインの都会に憧れる気持ちを煽った。

 そして悶々とするエレインに囁く。ほんの数日でいいの、『変身の指輪』を貸してくださらない? そうすれば一時、貴女がギネヴィアとなってキャメロットで暮らせるようにするわ……と。

 エレインはこの誘いに迷った。王妃に化けるなんて大罪である、処刑されてしまっても不思議じゃない。だがギネヴィアは迷う彼女に追い打ちを掛けた。わたくしに変身した貴女が王都での暮らしを満喫することは、わたくしからの計らいと説明して罪には問わせない。貴女のお父様やお祖父様にも、貴女がここから発った後に説明するわ、と。

 

 果たして無垢で、世間知らずで、向こう見ずなエレインは――

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 女が、涙を流していた。

 

「ふふ……ふふふ……」

 

 満月を見上げて泣きながら笑い、自らの腹を撫で。

 危ない日を把握していた女は、そこに宿ったものに笑い、泣いた。

 澱んだ瞳が宿すのは狂った心。女は――涙ながらに嘯いた。

 

「これで……わたくしは……」

 

 少女に化け。酒宴で騎士を酔わせ、自制心の箍を緩ませる為に酌をして。

 それでも同衾を拒む彼の前で変身を解いて。

 王妃様と同じ体をお抱きになれるのは、今夜だけですよ――と、耳元で誘惑し。

 騎士は、目の前の(ほんもの)を、幻と信じたまま、過ちを犯してしまった。

 

「……なんて、醜いの。……悍しい、魔女め……っ」

 

 女は、自らを罵り。

 しかし、歓びに打ち震える。

 

 降り注ぐ月光は狂気の導き。

 

 これで愛する我が子を救える。

 我が子を救うために我が子を生贄にする。

 だから……だから、早く、早く速く疾くはやく! 生まれてきて――ギャラハッド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ガウェイン
 死後、英霊となった彼は全てを知る。
 生前、破滅の引き金を知った彼は悟る。
 あの時、己が不覚を取ったが故に、罪が生まれたのだ――と。

ロホルト
 『育ての母』への愛情、敬意、親しみはこれまでと変わらず。
 しかしスタンスだけは変わっている。
 叶うなら、どうか幸せになってほしい。
 いや、してみせる。
 その誓いは――

ランスロット
 主君の妻というだけでなく、親友の母ということで、惚れてしまっても手は出さぬと誓った。原作でもランスロットは寧ろ誘われた側だが、どれだけ誘惑されても揺るがぬと決めている。
 その誓いは――破られた。だが、彼は誓いの不履行を知らぬ。
 一夜の過ちは、エレインという少女とのものだったと彼は認知し、罪悪感を懐いた。酒の力と、巧みな誘惑に、抗えないのは男の性である。
 エレインを娶り責任を取るつもりだが、『ギネヴィア』を王都に連れ帰る必要がある為、間を空ける不義理を働かざるを得ない。

ギャラハッド
 運命の子。しかし、この世界線では母が異なる。
 優れ過ぎた母胎から生まれる彼は、確かに母の望む才を秘めている。
 だが……。

ギネヴィア
 様々な面で破綻している。企みも、狂気も、穴だらけ。
 彼女は普通の人である。やがて狂い続ける心に耐えられなくなり、正気に戻るかもしれない。
 しかし全ては遅いのだ。
 後は、アーサー王と同衾するだけでいい、なんて……そんな虫のいい話はないだろう。
 血筋と、母胎と、美貌。それ以外は普通の人で。
 普通の女である彼女の企みは、容易く露見するのが道理であった。

マーリン
 え、なにこれ。どうしよう……?

モルガン
 「………は?」
 自身の別の策謀をマーリンに潰されるも、そのマーリンから現状を聞かされ絶句。
 いや、どうしようとか私に聞くな……。


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27話

 

 

 

 

 

 

 エレインという少女は、夢のような日々を送っていた。

 

 フランク王国ベンウィック領から輸入されてくる種々の物資により、繁栄する王都キャメロットでの生活は、荒廃したカーボネックで生まれ育った少女には想像も出来ない華やかなもので。変身の指輪によってギネヴィアに変身している彼女の人生の絶頂は、まさにこの時迎えたと言っていい。湖の騎士を侍らせ旅立った時は、彼の丁重なエスコートを受け自尊心を大いに満たされた。

 もともとペラム王の孫娘として、淑女としての作法は心得ている。故にギネヴィアに扮するのも短期間なら問題なく行えたのだが、当たり前の話として普段のギネヴィアにはない言動で不信感を周囲へ与えてしまう。本人は隠そうとはしていたが、田舎から都会に来たばかりのおのぼりさんめいて、目にする景色や人、与えられる衣服や食事に目を輝かせていれば当然だろう。

 

(妙だな……?)

 

 ランスロットは『ギネヴィア』の様子に怪しんではいたものの、彼は先日犯した自身の過ちをかなり気に病んでおり、自身が警護する王妃の不自然さを見過ごしてしまう。

 エレインにはギネヴィアから与えられた、王妃として一時を過ごす権利がある。たとえいずれ終わる夢のような日々でも……いや、いずれ終わると分かりきっているからこそ、バレても問題ないと多少開き直っている部分はあった。そのお蔭で堂々としていられたのと、ランスロットの甚だ悪い精神的不調により、エレインの拙い演技が通用してしまったと言える。ギネヴィアが許可をくれているからバレても罰せられないし、こんな豊かな国で、強くて凛々しい騎士様に傅かれる日々を満喫しないでどうするのだと――彼女は容貌以外は、図太いだけの凡庸な乙女だったのだ。

 

 しかしその夢はあっさり終わる。サクソン人・ピクト人の連合軍を撃破して凱旋した、騎士王の軍勢を出迎えるパレードにて、彼女を一目見たアルトリアは瞬時に違和感を持ったのだ。

 アルトリアは『ギネヴィア』のよそよそしい態度を、自身に対する隔意と解釈して、違和感の正体を見極めるのに僅かな間を要したが、無意識にロホルトとアイコンタクトを交わすと確信する。

 ギネヴィアへ特に心理的な壁がない王子ですら、()()()()()()()と感じた様子なのである。

 愛息ロホルトの勘の鋭さを信用しているアルトリアは、ロホルトの目が任せろと言っているのを見て無言で頷きを返した。この不可解さが『王』の領域に在る問題と感じたからか、アルトリアの委任判断は的確で、今までのバッドコミュニケーションはなんだったのかと小一時間ほど詰りたくなるほどに、ロホルトと完璧な意思疎通を成立させたのだ。

 

「――君は何者かな?」

 

 パレードが終わり、宮殿に帰ったロホルトは、自身の生還を祝う廷臣や騎士達を掃けると、母との時間がほしいからとエレインを連れ出し、王妃の居室に到着すると話をした。

 

 久しぶりです、お変わりないようで安心しました――と、切り出して。親子の何気ない、しかし久方ぶりの会話をするように仕向けるとすぐボロが出た。

 

 まだ少女でしかない乙女、しかも赤の他人であるエレインに、『親子』としての演技などできるはずもない。あまつさえロホルトとエレインが共有するエピソードなどあるわけがなく、また夢見る乙女であったエレインは噂に聞く王子を間近で見て、親密に話しかけてくれることに大いに喜んでおり、ロホルトを見る『ギネヴィア』の目は完全に『女』のものにしてしまっていた。

 そんな様では彼の目を欺くのが不可能なのは火を見るよりも明らかだろう。故に、ロホルトは目の前の『ギネヴィア』が偽者であると看破できた。

 彼は王妃に成り代わった恐るべき賊に対し、表向きはあくまで穏やかにしながら問い掛ける。つい我慢できず正体を訊ねてしまった不覚に、内心激しく舌打ちしてしまいながら。

 

(チッ……)

 

 というのも、目の前の王妃が偽者なのは明らかだが、『では本物はどこにいるのか』という疑問に直面してしまうのだ。であれば安易に問い詰める真似はせずに、慎重に偽者の正体を見極め、本物のギネヴィアの安否を探るのが上策となる。肝なのは偽者に『自分が偽者だとバレた』と認識させず、どれだけの情報を自然な会話で抜き取れるか、だった。

 だが口を滑らせてしまうほどロホルトは動揺していたのだ。安全なはずだったキャメロットから、一体どこの誰が王妃と入れ替わるなんて暴挙を成功させた?

 

 ――そう。この期に及んでロホルトは、未だギネヴィアが誘拐されていたことを知らなかった。

 

 王妃の誘拐という大事件の情報が、よりにもよって国のトップたる王やその息子に届かないというのは異常だろう。だが仕方ない側面は多分にあった。

 キャメロットに詰めていた騎士らの判断だ。事件発生当時、アーサー王やロホルト王子、円卓の騎士達は宿敵との一大決戦の最中にいた。彼らへ王妃誘拐という大事件を注進に走り、主君らが動揺してしまって、万が一にも敗北したら取り返しがつかない。ここは報告を差し止めておき、戦争が終わった後に事件を伝えれば良いと、キャメロットに残っていた者達は考えたのだ。

 そしてランスロットが見事王妃を救出し帰還したことで、せっかくの戦勝を祝う空気をぶち壊さないようにと配慮して、報告を更に遅れさせた……情報というものを軽視する、いかにも中世的な不手際である。戦勝を祝う酒宴を開いたアルトリアは、騎士の一人から事件が起こったが解決した、と誇らしげに事後報告されるのを聞き、顔色を変えて駆け出した。その時、王子はまだ混乱している。

 

 訳がわからない。だが言ってしまったものは仕方ない、ここはなんとかこの偽者から情報を絞り出さねばならない。混乱しながらも、ロホルトはなんとか表面的な冷静さを取り繕い、偽者を刺激しないように優しく、しかし逃さないように身構えつつ問いを投げて。

 

 エレインはすんなりと諦め、真相を白状した。

 

「……………」

 

 ロホルトの目が点になる。理想の王子様像の体現者であるロホルトの美貌を見つめ、ほぉ、と感嘆の吐息を溢す少女――変身を解いてエレイン本来の姿を晒したお姫様に王子は混乱を深めた。

 

 円卓の騎士にして諸王の一人、メルワスが叛逆して王妃を攫った……それをランスロットが救い出し、追手を撒くためにカーボネックに立ち寄って、疲弊していたギネヴィアの回復を待った。その際にエレインと交流を深めた王妃ギネヴィアは、エレインのささやかな憧れを叶えてあげて、王妃としての生活を味わわせてあげた……意味不明である。全く以て理屈が通らない。

 王妃誘拐事件などという一大事――比喩抜きで国家存亡の危機に発展しかねない情報が、なぜ自分達に届いていないのだ。ギネヴィアの存在価値は誇張なしに王国の王権そのものなのに。

 以前から情報の大切さは説いていたし、部下達にも理解を得られたと思っていた、だがそれはこちらの勘違いだったのか? 自分達が決戦の最中にいたから仕方ない側面は確かにある、それでも情報を伝達しないで良い理由にはならない。馬鹿なのか、馬鹿だった……。

 

 ブリテン騎士の忠誠心、武勇に関しては信用に足る。一部の馬鹿を除いて。しかし殆どが蛮族で、国家運営者としては無能な者ばかりいる弊害だ。こういう問題点を改善する為に、若手の育成に努めてきたが、その若手は若いからこそ身分も低く、政治の中枢に招くにはまだ実力不足だと判断していた……しかしその判断が甘かった。未熟でも今いる者よりは遥かにマシだったのだ。

 ロホルトの薫陶を受けた青年会のメンバーが、一人でもなんらかの実権を握ってさえいれば、王妃誘拐という一大事を解決する為に奔走しながらでも、ロホルト達に情報を届けていたはず。人を信用しすぎた、裏切らないならそれでいいと甘く見ていた……。

 

(いや……いやいやいや、おかしいだろう)

 

 ロホルトは部下の不始末に頭を痛めるも、それはひとまず横に置いて、無視できない現状に胃を猛烈に痛めつけられつつ内心ツッコミを入れる。

 

(エレインと仲良くなった、これは分かる。彼女は図太いのに無礼じゃなく、夢見がちなのに引き際を心得て無駄な抵抗をしない……そのくせこんなことをする愚かさがある。如何にも母上が好みそうな子だ。世話好きな母上だ、エレインを侍女にすればさぞかし可愛がるだろう……だけど、なんで? なんで母上はエレインに『王妃』なんてやらせた? そんなことしなくても、エレインはキャメロットでの生活を夢見ていただけみたいだし、客人として招けばお礼をするのも簡単じゃないか。こんなリスクしか無い馬鹿なことをするなんて母上らしくない……母上はのんびり屋さんだけど愚かじゃないはず、ならこうしなければならない理由がある?)

 

 困惑し、当惑し、戸惑った。混乱は収まらず、ロホルトは声を上げる。

 

「誰かある!」

 

 ロホルトの声を聞きつけた執事が駆け込んでくるのに、エレインは咄嗟にロホルトの背中に隠れた。

 

「ランスロットを呼んでくれ。それから……私達が留守にしていた際に、キャメロットの責任者だった者達を広間に集めさせるんだ」

 

 当事者から話を聞こう。ロホルトが執事に指示し、彼が退室したのと入れ替わりにアルトリアが飛び込んできた。アルトリアは険しい顔でエレインを睨みつけ、貴様は何者だと殺気を滲ませて誰何する。エレインが怯えるのに、ロホルトは嘆息して説明した。

 

「………?」

 

 アルトリアもまた困惑した。意味不明だったからだ。

 

「……もしかして私に会いたくなかったから……いや、ここにはロホルトがいる、ギネヴィアなら一も二もなくロホルトの許にやって来るはずだ。なのに、なぜそんなことを……?」

 

 訳がわからない。アルトリアの表情は、ロホルトと全く同じだった。どこか似ているその様子は、間違いなく血の繋がりを感じさせるものである。

 ランスロットが参じると、再会の挨拶やらなんやらをぶった切り、ロホルトはエレインのことを話す。するとランスロットは顔面蒼白になり、なぜ気づかなかったのだと嘆いたようだった。

 頻りにエレインを気にするランスロットから、ロホルトらは改めて事件の詳細を説明させる。そしてエレインの証言と一致した為、本物のギネヴィアは今カーボネックにいることは確定した。

 

「今すぐにギネヴィア妃をお迎えに――」

「いや、卿はこのまま療養しておくんだ。聞けば私のせいで負った傷が完治しないまま、相当な無茶をしたみたいじゃないか。きちんと休んでおいてくれ、卿に何かあっては国の損失だ」

 

 逸るランスロットをロホルトが宥めていると、アルトリアは堪え切れずに嘆息し、ギネヴィアを迎えに行く使者と護衛団の選定をすると言って退室した。

 頭痛と胃痛が酷い。猛烈に嫌な予感がしてきて、ロホルトはもう吐きそうになった。

 

(……トネリコ。そうだ、トネリコに相談しよう)

 

 そこでロホルトは思い出す。頼りになる頭脳の持ち主で、よき参謀役である少女の存在を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロホルトの国民人気はアルトリアに次いで、あるいは同列に高かった。

 

 当初はどちらかというと下位の豪族や、身分違いの恋に憧れる女子供ばかりに好かれていたが、ここ数年の働きにより、実力主義の騎士や高位の豪族にも注目されるようになっている。

 なぜなら武力面での実力主義社会で、なぜか個人の武力が政治にまで影響するブリテン王国の政治は、ひたすらに面倒かつ煩雑で、そのくせ有事の際は決闘やら闇討ちやら、力技に頼りがちなせいで時間が掛かるものなのである。政治に寄与しようとするなら武力面での実力を示さねばならず、なおかつ上に立つ者なら自らに仕える者にも配慮しなければならない。

 言うは易しだが、行うは難しだ。そして実際に行えている者は少ない。なのに若年のロホルトは完璧に熟してみせたのだ。認めないわけにはいかないほどに、はっきり目に見える形で。

 

 彼は幼い頃から自身の権限が及ぶ範囲で、自らに従う者達に、自身の指示通りに動かすことで内政面、軍事面で功績を上げさせた。税の徴収での不正の是正、匪賊を策に嵌めての殲滅などでだ。

 青年会のメンバーは、実質的にロホルトの側近、私兵団である。そして同年代で固められた面々は、最初の頃は王子殿下の騎士団ごっこ、高貴なるお遊びと揶揄されていた。だが、彼らをどう動かし働かせるかで、ロホルトの資質は日の目を見たのである。

 

 ロホルトは彼らを運用して平均的に、均等に功績と名声を積み上げさせ、人間関係が拗れないように細心の注意を払った。たとえ良い結果にならなくても努力を認め、次の機会に繋げられるようにと仕事を回したのである。ガヘリスやまだ女性だと露見していなかった頃のガレスなどを筆頭に、各自が得意とする分野を見極め、各々が効率よく研鑽を積めるように人事に働きかけた。

 特にロホルトは、人を気持ちよく働かせる天才だったらしい。部下の成功を大いに褒め、失敗しても『失敗に至るプロセスを理解できる、有為のデータが手に入ったんだ、有意義な失敗だったと胸を張りなさい。そして次に活かせばいい』とだけ告げ、一度や二度の失態で叱責することもない。ロホルトは普通にしているだけのつもりでも、彼の言葉に青年会は果てしなく奮起した。

 厳罰主義は言い過ぎでも、この時代の人事や人間関係は、ほとんどが感情面で左右される。なのにロホルトは感情を蔑ろにしているわけではないのに、簡単に見捨てて切り捨てる事がないのだ。彼の振る舞いはまさしく仁君のそれであり、彼の下で働ける者が羨望の眼差しで見られるようになったのも、至って自然な成り行きというものだろう。

 

 ロホルトの下についた者の士気は常に最大だ。モチベーションが高く、能力を磨くのを怠らず、ロホルトに褒めてもらいたいからと健気に働き、かと思えば適度に休み、無理をしない。困ったことがあれば仲間やロホルトに助けを求めるのを恥と思わず、むしろ仕事を果たせないことを恥とした。こうしたロホルトの部下達の働きや振る舞いが、巡り巡ってロホルトの評価にもなった。

 そしてロホルト個人の武勇が、サクソン人との決戦にて明白になると、ますます彼の名声は高まる。たとえどれほどの仁君でも、どれほど優れた指導者でも、弱ければ侮られる世界で、円卓の騎士としてもトップクラスに強いとなれば、もはやロホルトを英雄と称するのを躊躇う者など何処にもおらず。ロホルトという英雄を賛美する詩が各地を巡った。

 

 故にエレインのような箱入り娘でも、ロホルトのことは知っていた。自分より少し年下の少年が、名だたる英雄豪傑を差し置いて、国の希望とまで讃えられているのを。

 気になっていたのだ。王子様はどんな人なのだろう、どれぐらい凄い人なのだろう、と。そしてそうであるが故に、実物を見たエレインは――感動した。

 すごい、噂通りの人だ……綺麗で、格好良くて、優しい人だわ、と。

 カーボネックのエレイン姫は――魔女の罠に掛けられ、苦しんでいたところをランスロットに救われたという経緯を辿らず、結果としてランスロットに惚れることがなかった少女は――ロホルトの甘い王子様フェイスと、耳を優しく包む声、振る舞い、穏やかさの滲む温厚な人柄に触れて、ころりと恋に落ちてしまった。息をするように女性を堕としてしまう王子様の女難である。

 

 

 

(うわぁ……)

 

 

 

 人間の少女(人格)トネリコは、その肉体が持つ妖精の瞳により、エレインの心が手に取るように解る。

 ドン引きだった。困った王子様である、彼はまたしても無意識に惚れられてしまっていた。女難の相が出ていると精霊の自分は言ったが、どうやらまだまだ女難は続くらしい。

 ただでさえ()()()()()()()()()ばかりなのに、どうしてこう……哀れ過ぎる。同情を通り越してなぜかトネリコの方が泣きたくなってきた。

 

 だがエレインの気持ちは解る。ロホルトははっきり言ってこの時代の誰よりも、女性を本当の意味で大切にし、なおかつ優しく愛してくれる人だと、女なら誰でも察知してしまう魅力がある。

 イケメンで、有能で、心が強く、一途であり、情が強い。病んでるわけでも鈍いわけでもなく、清濁併せ飲む度量もあり、魂が類を見ないほど正直だ。正直で、素直で、嘘がない……まさに絵に書いたような理想の男性であり、もはや同じ人間かも怪しいレベルだろう。

 

 そして更に、親が()()騎士王だ。

 

 子は良い意味でも悪い意味でも親の背を見て育つもの。ロホルトが救国の志を懐いたのだって、幼い頃どれほど嫌い抜いていようとも、親の姿を見ていたからという事実は否定できない。

 この時代、この国、この窮地にあるブリテン島に於いて祖国を救済しようと志し、たった一人で立ち上がるのは精神性からして人間離れしている。たとえ本人が否定しようと、アルトリアは間違いなく聖人、聖者だった。そして崇高な乙女であり、聖者に等しい英雄アルトリア・ペンドラゴンという稀代の傑物を見て育ったからこそ、ロホルトもまた救国の旗を掲げるに至った。

 もし仮に、詮無き想定とはいえ、ロホルトがアルトリアの子供ではなかったら――たとえば農民、兵士として。あるいは騎士として……それこそアルトリア以外の円卓の騎士や、強権を握るペリノア王の息子だったとしても、彼はブリテン王国を捨て大陸に逃亡していた可能性は高い。アルトリアの子供として育ち、彼女の背を見てきたから今の彼が在るのだと言ってもよかった。

 

 だって、親としては最悪でも……崇高な志と、気高い理想を掲げ、戦うアルトリアは格好良かった。途轍もなく綺麗で、群を抜いて美しくて……ロホルトは決して認めないが、憧れたのだ。

 この人の為に戦おうと思ったのではない。

 この人のようになりたい、なってみせる――そう願い、同じ旗を掲げたのである。ロホルトに多大な影響を与え、希望の光へと育て上げたのは、愛息は勝手に育ったと思っているアルトリアに他ならず、彼女以外の何者にもロホルトを導けなかった。ロホルトが身を削り、心血を注いで国を、民を、仲間や友を救おうとしているのも、全てアルトリアへの憧れが根底にあったからだ。

 

 

 

(……ほんと、親子揃って面倒なことで)

 

 

 

 はぁ、とトネリコは物憂げに嘆息する。

 策謀を花の魔術師に潰され、彼との直接対決を避けた魔女は姿を晦ませている。

 人間の少女と魔女は別人だが、同一人物でもある。三位一体の存在なのだ。魔女がいなくなれば少女か精霊になり、少女がここにいるということは精霊も魔女もいない。そして三位一体であるから、魔女の知り得たことも少女は知っている。

 

「トネリコ、母上はなぜこんな面倒なことをしたか分かるかい? 私は全く分からない……同じ女性の君になら分かるかもしれない、一緒に推理してみてくれないかな?」

 

 自分を頼って来た罪作りな王子様に、少女魔術師は心を痛める。

 今頃マーリンは、アルトリアの許に帰り、事の仔細を報告している頃だろうか。ギネヴィアの不義は国を最悪の形で滅ぼすことになる、黙っているわけにはいかないと、あの夢魔は動く。

 となると遠からずロホルトも真実を知るだろう。ここでトネリコが隠しても意味がない。

 ならせめて、本当のことを教えてあげるべきだ。魔女も人間が真実を告げるだろうと予測している。

 

 人間、トネリコはせめてもの心の準備、整理をする時間を与える為に口を開く。そして伝えた、ロホルトにとって残酷な現実を、マーリンから聞いたと前置きをして。

 どうせ結末は決まりきっているのだ。ブリテンは滅びる、運命の通りに、ボロボロに。

 

「――――」

 

 ギネヴィアがエレインに扮し、ランスロットと情事を行ない子を宿した。それを聞いたロホルトは実母の不貞に驚愕し、そして母の不義理に失望し、絶望する――ことはなかった。

 トネリコは目を見開く。彼女の瞳には、ロホルトの心が視えていたのだ。

 驚愕はある。深刻な事態に、絶望し掛けてもいる。これから押し寄せる現実問題に途方に暮れていた。だがしかし彼の心の真ん中にあったのは……安堵、であった。

 

(あぁ……母上は、愛せる人を見つけたのか。散々苦労してきたんだ、母上は幸せになっていい)

 

 おそらくロホルト自身すら言語化できていない、していない心だ。しかし、だからこそトネリコは致命的な齟齬に気づく。

 ロホルトは――ギネヴィアを実母だと思っていない。アルトリアの秘密に気づき、トネリコの憐れな妹を実母だと認識し、ギネヴィアを育ての母だったのだと誤解している。

 だからギネヴィアが不貞を働いても、仕方ないことだと諦めた。ギネヴィアへの親愛、愛情は本物であるからこそ、心の底から彼女の幸福を祈っている。

 

「ぁ――」

 

 声を、出そうとした。

 誤解を正そうとした。

 だが、声が出ない。

 

 魔女が人間を咎めたのだ。苦悩しながら……『私の邪魔をするな』と。

 

 トネリコは自らの業に目を閉じる。トネリコやヴィヴィアンはアルトリアを憎んでいないが、ブリテン島の真の支配者である魔女は、心底から『ブリテン王』という立場を憎悪している。

 それは私の物だ、私がブリテン王だ、私から王位を奪った妹を赦してはおけない、赦してしまっては私の存在の意味が分からなくなる、私にはそれしかないのに……魔女は嫉妬と憎悪のままそう叫んでいた。自分に似た立場の王子に心を寄せているからこそ苦しみながら。

 

 分かった。分かったよ、魔女の私。

 

 なら今度こそ、私を介さないで、直接ロホルトと話をしなさい。トネリコとしてじゃなくて、モルガンとして。私にもまだ分からないけど、きっとロホルトは(モルガン)の過ちを指摘してくれる。その後にどうするかを決めても遅くはないでしょう? 

 

 魔女は人間の思惟に動揺したが、しっかりと頷いた。

 

(いいだろう、どうせアレの命は私が握っている。自滅されたのでは復讐に全てを費やした甲斐がない、奴と会ってから、私の手でキャメロットを滅ぼしてくれる――)

 

 

 

 

 

 

 

 




※ロホルトの幸運はAランク。
 運が悪かったらもう死んでるまである。

なお誰も信じないしバグだと思う模様。


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28話

 

 

 

 

 

 知れば時代を問わず、それこそ千数百年先の未来の人々まで含め、何を大袈裟なと言うかもしれない。

 しかし事情を詳細に知れば、顔を顰めることになるだろう。

 断固として見過ごしてはならぬ変事なのである、王妃ギネヴィアの不貞という不義理、愚行と断じられる姦計は。彼女の言動は、紛れもなく王国存亡の危機に直結するのだから。

 

 故にギネヴィアの『何もしない』でいる置き物としての仕事は重大事で、社交界の女主人としての仕事すら本当ならしないでいいほどである。彼女は王妃として飾られているだけでよく、それがどれほどの苦行であろうとこれまではしっかりと熟せていたのだが……それだけにブリテン王と王子に与えた衝撃は大きく、深刻であった。アルトリアをして、表情が死んでしまうほどに。

 アルトリアはマーリンから事の次第を報された時、耳を疑った。次いでマーリンの狂言を疑い、最後に現実を理解するとすぐさまロホルトを呼び出し、人払いをした上でマーリンの魔術で誰にも話を聞かれないよう細心の注意を払った。そしてアルトリアとロホルト、そして大魔術師たるマーリンのみの、ブリテンという国家に於けるトップ達と相談役だけで秘密の会議を行なった。

 

「ロホルト、話は聞いているか?」

「はい」

「そうか……どうするべきだと思う?」

「……正直、言葉にするのを迷っています。父上はどのようにお考えで?」

 

 二人の見解は完全に一致している。

 だが敢えて言葉にして問うと、アルトリアは貌を苦み走らせた。

 

「私は……ギネヴィアの痛苦は理解している……つもりだ。しかし事は静観できる範囲を超えている。裏で密かに交際するぐらいまでならまだ目を瞑れた、だがよりにもよって我が国の命綱に等しいランスロットとの間に、子供まで出来てしまったとあっては到底見過ごせないだろう。この件が漏れては大事だ、早急にギネヴィアの子を堕ろさせ事件を隠蔽するか、或いは……(処刑か)

 

 事が事だ。対応を協議するべく対面したアルトリアとロホルトだが、王子は父王の苛烈な意見に目を見開いた。――妥当である、アルトリアらしくなく冷酷で冷徹だが、あのアルトリアをしてここまで言わせてしまう事態なのだ。自分で言いながら気分を悪くさせ、顔を青褪めさせてしまっているが、王としてのアルトリアはやらねばならないならやるだろう。

 最悪、ギネヴィアを修道院に送り込み、監視の騎士をつけるか……もしくはそのまま()()()()()を遂げてもらうことになる。少なくともギネヴィアを修道院に送り込むのは既定路線となったとアルトリアは認識しており、それは極めて正しい対処であった。

 心情的にはそんなことはしたくない。だがしなくてはならない。ギネヴィアほどの血筋だ、彼女を押し込んだ先の修道院は、きっと鼠一匹入れない牢獄と化さざるを得なくても。

 アルトリアの顔は青白く、内心の苦悩を雄弁に物語っているが、自らの意見を翻す気はなさそうだ。当然である――もしもロホルトという理想の器がいなければ、アルトリアはギネヴィアの不貞を黙認していたかもしれない。魔竜から滅びの運命を聞いてもなお、救国の志を捨てなかったアーサー王にも、ギネヴィアに強いた忍耐には報いねばならぬという思いがあったからだ。

 

 ランスロットならギネヴィアを託せる。そう信じて不貞を黙認するのが、アルトリアという少女の根底にある甘さであり、心理的な隙である。

 

 だが此処にはロホルトという王子がいた。救国をより確実に成す為にも盤石の体制を作り、それを保持して至尊の王冠を彼に譲り渡したかった。何よりアルトリアの中では、ギネヴィアとロホルトを天秤にかければ愛息に大きく心が傾いている。愛する存在へ継承させたい大事な国を、土台から台無しにしてしまうことは、たとえ誰であろうと赦せるものではなかった。

 アルトリアの『女』としての性質の発露である。彼女は無自覚だが、『女』としての冷酷な計算、現実的な対応策を、我が子のためなら鬼にも悪魔にもなる凄絶な覚悟を表していた。アルトリアは王であり親だ、ロホルトの為ならギネヴィアを切り捨てるのも厭わない。

 

「妥当なお考えかと。ですが父上、どうか考えを改めて頂けませんか?」

「……なにを」

 

 しかしアルトリアの苦渋の決断に、ロホルトが異を唱えた。それに騎士王は困惑する。

 完全に見解は一致しているはずだ。ロホルトほどの頭脳の持ち主が、まさかアルトリアの思い至っている危機的状況を読み解けないわけがない。なのに、何を改めろだと?

 アルトリアは視線でロホルトの意見を訊ねた。

 

「確かに母上の犯した罪は大きい、しかし母上の腹の子にはなんの罪もありません。胎児を堕ろさせるのは余りに惨い沙汰でしょう」

「ロホルト……私は」

「無論、私も綺麗事を言うつもりはありません。私も人には言えない後ろ暗い手を打ったことは何度もあります。これからもこの手を汚すでしょう。しかし父上はお忘れか? 母上を修道院に押し込むのはいい、ですが母上につける監視役の騎士、あるいは兵が裏切らない保証はないということを」

「……メルワスか」

「はい。母上を拐かしたメルワスとて、円卓に名を連ねたこともある信任厚き騎士ではありました。彼のことがある以上、一部の者以外を無条件に信じ、託すのは危険です。母上はお美しいですからね……邪心に駆られる者が再び出ないとは言い切れません。では母上に病死して頂けばいいのかというと、それも苛烈過ぎる沙汰です。よからぬ噂は絶対に立ってしまう」

 

 アルトリアは、ロホルトがギネヴィアを庇おうとしているのに目を細めた。

 彼女は親というものを知らない。故に、ロホルトが母を護ろうとする心理は想像するしかないが、ギネヴィアをロホルトに置き換えて考えればアルトリアにも理解できる感情ではある。

 だが正直意外だった。

 アルトリアはロホルトを理解している、彼は実母であろうと、いや肉親だからこそ不貞を働いたことを嫌悪し、失望するだろうと思っていた。ロホルトが性に潔癖過ぎる性格だからだ。だからギネヴィアを修道院に送り込むこと自体には賛成してくると判断していた。

 

 しかしロホルトは、自身の親友に不義密通をさせた母を庇おうとしている。なぜだ? アルトリアは疑念も懐いたが、ロホルトは構わず続けた。

 

「そこで、こうしましょう。母上にはそのまま子を生んでもらい、その子を()()()ということにしてしまうのです」

「――! ロホルト、それはッ」

 

 愛息の提案に、アルトリアは咄嗟に声を荒げた。なぜならそれを、自身とギネヴィアが共有する秘密に類似した因果のように感じたからだ。

 だがロホルトは苦笑する。母の不義の子を引き取ろうと言っているのに、彼らしくなく余りに衒いのない様子である。

 

「早合点しないでください。あくまで養子として引き取るだけです。捨てられていた赤子を見つけて憐れんだ私が拾い、我が子として養育する。これならありふれた話ですし、無難な対応と言えなくもない……ガレスに付き合わせる気はありません、ご安心を」

「あ、あぁ……それならよかっ……、……!?」

 

 ロホルトの言葉に安堵したアルトリアだったが、そこに込められているニュアンスを感じ取ると、小さくない衝撃を受けて動揺してしまった。

 

「父上?」

「…………」

 

 ガレスに付き合わせる気はない……尤もな言い方だ。血の繋がらない子供を我が子として育てろと言うのは惨い仕打ちである、幾らガレスがお飾りの正妃という立場で騎士として働き、子を成すかは不透明なままだとはいえ、ガレスも他人の子供を受け入れるのは決して容易ではないだろうから。けれど、ロホルトの台詞には嫌な予感を掻き立てられる。

 ギネヴィアに対する甘い態度、対応。ガレスに付き合わせる気はないという言葉。何か、何かがアルトリアの勘に引っ掛かる。常人なら特におかしいとも思わない台詞が、常軌を逸して鋭い直感力を有する赤き竜には不穏に思えてならなかった。

 

 慄然としてしまうアルトリアに、ロホルトは曖昧に微笑んで告げる。

 

「母上は充分に耐えて下さりました。何もしないでいることが生涯の役割であるなどと……普通なら耐えることは出来ません。恋をしてはならず、任される仕事もほとんどなく、立ち居振る舞いに注意を払い続け、特に報酬があるわけでもない。本当に、耐え難きを耐え続けた母上には敬意を懐きます。ただ一度の過ちで、これまでの功に報いずに放逐するのは無道というものでしょう」

「それは……そうだが……」

「それでも母上のなさったことは表沙汰には出来ない。故に隠蔽しなければなりません。これは私達が骨を折ればどうとでもなる……そうだろう? マーリン?」

 

「あー……うん、そうだねぇ……」

 

 これまで黙っていたマーリンが曖昧に相槌を打つ。

 彼はロホルトのしている誤解に気づいたが、かと言ってなんと言えばいいのか判じかねていた。

 ロホルトが精神的にギネヴィアへの拒否感を持っていないのは、彼女が実の母ではないと感じていて、彼女が肉体的にも精神的にも清らかだと思っているからだろう。ということは、彼はアルトリアを親と思っているわけで、秘密に気づいているということになる。

 しかしそれを安易に指摘して誤解を正せばどうなる? ロホルトはギネヴィアに失望するだろうし、女同士で生まれた子が自分だと知ったらどうなるか予想がつかない。

 

 ――ロホルトが仮に己の出生を知っても、「まあそういうこともあるか」とすんなり受け入れ、特にアルトリアへの隔意を持つことはないだろう。

 

 だがそれをマーリンに知る術はなかった。

 異世界ファンタジーなら有り得なくもないと、ロホルトが簡単に現実を受け入れられる価値観の持ち主であると夢魔は知らないからだ。そんな価値観はこの時代に培われるものではない故に。

 返す返すも悔やまれる。ロホルトに対してなんら関心を持たず、公的な場以外で接してこなかった己の失敗をマーリンは自覚した。自覚したからと、今更どうにかなる話でもないが。

 

 ロホルトが誤解を正された場合、彼がどのように話を持っていくかはマーリンにも読めない。母の狂気を知り失望した彼が、どんな心理的な影響を受けるかは未知数である。

 マーリンは頭を掻きながら、一先ず静観する。誤解を正さない方が悪い方に転ばないと思ったのだ。花の魔術師はロホルトの練っている移民計画を、ブリテン王国の最良・最善の滅びの形であると高く評価し、ロホルトの計画を密かに手伝っているのだ。このまま彼がアルトリアの後を継ぎ、良い方向に持っていってくれると感じてきたから、今彼に転ばれては堪らない。

 

 ――マーリンは静観する。故に、ロホルトの誤解は正されず、誤解は誤解を呼びアルトリアにまで波及してしまう。そしてそれをマーリンは『よし』とした。なぜなら二人の結びつきが強まるのは良いことであるのは明白だからだ。

 

「――父上。母上を赦しましょう。父上が心を殺して、母上を罰する必要はありません」

「……お前の言い分は分かる。私も本心ではそうしたい。だが万が一があったらどうする? リスクを考慮すると、ギネヴィアをこのままにしておけない、最低でも修道院には送るべきだ」

「修道院に送る必要はありません。そもそもどのような名目で母上を修道院に送るのですか? 表向きの瑕疵がない母上を修道院に送り込めば、父上への非難が集まりますし、皆が納得する名目がなければ秘密の香りが立ち込むでしょう。そして人には他人の秘密を甘露とする性質がある。あからさまに隠そうとするものにこそ、好奇心の手を挟もうとする者が後を絶たなくなる。となるといっそ別の罪をでっち上げると? あるいは処刑してしまう? どちらもナンセンスです、母上には生きていてもらわねば困る。ならば手元に置いておき、隠蔽しておいた方が確実だ」

 

 ロホルトとアルトリアは互いに譲らない。

 小一時間も論議して、アルトリアは疲れたように嘆息した。

 彼がここまで頑強に抵抗してくるとは思わなかった。失望はない、むしろ安心している。けれど、アルトリアの中でギネヴィアを傍に置けないのは殆ど決定事項だ。

 なぜならギネヴィアは、自分のことはいいにしても、ロホルトという息子がいながら不義を働いている。ロホルトの精神的な安定の為にも、彼女の不貞は赦せないのである。

 なのにそのロホルトが赦せという。しかもギネヴィアに嫌悪感を持たぬままに。なぜなのか?

 

 答えは、ロホルトが告げた。彼も小一時間の論争に疲れた後に。

 

「……分かりました。本当は言いたくなかったのですが、もう一つの本心をお話します」

「もう一つの本心?」

「母上の労苦に報いたいというのも偽らざる本当の気持ちですが、もう一つは父上……貴女です」

「………?」

「貴女に、手を汚してほしくない。貴女が手を汚すぐらいなら私がやろうと決めています。半端はしません、していい案件でもない。罰すると言うなら、私が母上を手に掛けましょう」

「――――」

 

 アルトリアは、愕然とした。彼の決意、覚悟にではない。彼に……息子に、隠していた秘密に気づかれていると、悟ったのだ。

 明確な言葉にされたわけではないが、態度と物言いで感じたのである。

 彼の優しい目を見詰め、アルトリアは声を震えさせながら問う。

 

「ロ……ロホルト……まさか、お前は……」

「……ええ。まあ、なんというか……貴女は、()()()()()()()()()()()()貴女が女性であることには気づいていました」

「――――」

 

 アルトリアは頭が真っ白になる。まさかとは思っていた、しかしそんなはずはないと自分に言い聞かせていて……言い逃れできないほど断定的に突きつけられ、衝撃を受け流せなかった。

 だからそこで思考が止まり、ロホルトのしている誤解に思い至ることはなくて。彼の言葉が続けられるのに耳を傾けてしまったのだ。

 

「母上は大事な人です。私の母は彼女以外いない。ですが、貴女も私にとっては大事な人なんですよ。貴女の子供としては嫌いですが」

「き、嫌い? わ、私のことが……?」

「はい。寧ろ好かれる要素が何処にあるんですか? まあ、ともかく、父親が下手な貴女も、私の親であることに変わりはなく、そして母上(ギネヴィア)も私の親です。親を護りたいと思うのは当然のことでしょう? ()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして男は母には甘いものです。父親役をヘタクソながらずっとやってきた貴女も、私にとって母なのですよ」

「……母。私が……母親?」

「はい。父親役の貴女は大嫌いで、ぶん殴りたくなることが何度もありましたが……母親だったのだと思えば全て許せる。……だから、どうか私の我儘を聞いてください。人生初の我儘です、私から母親を奪わないでください……母上(アルトリア)

 

「――――」

 

 母上、と。ロホルトにそう呼ばれ、アルトリアは呆然とした。

 そして未知の情動が湧き起こる。愛おしさだが、今まで感じていたものとは毛色が違う。

 アルトリアの知らない感情――それは、母性本能だ。己の感情の名前に気づけないままに、彼女は茹でりそうな頭でロホルトの言葉を咀嚼する。

 母上……母上……。

 

(私が……()()()が……母、親……? ロホルトは……私の罪を知って、なお、私を……そう思ってくれるというのか……)

 

 女の身でありながら、女を孕ませる業の深さ。それをロホルトは赦した上で自分の性別を受け入れ、無理に男親として接そうとしなくてもいいと言ってくれた――と、アルトリアは誤解する。

 しかし彼女からしてみると至って普通の受け取り方だ。神の視点に立っていない者に、相手のしている誤解を正確に読み取れはしない。

 ロホルトがギネヴィアを育ての母と考え、アルトリアだけを肉親だと捉えているなどと……どうして人であるアルトリアに気づけようか。

 

 人ならざる夢魔、マーリンが言った。

 

「――なら、もう肩肘張る必要はないね、アルトリア」

「ま、マーリン……」

「君達の積み重ねたバッドコミュニケーションの原因は、君に男親をさせてしまっていた私の責任だけど……これからは素の自分で接してもいいんだ。そういうことだろう、王子殿下?」

「ああ、マーリンの言う通りだ」

 

 ロホルトは頷く。アルトリアの目を見詰めて、更に言った。

 

「父上……と、今まで通り呼びはしますが、どうか心を楽にしてくれても構いません」

「……良いのか?」

「はい」

「そう……か。なら……そうします」

 

 アルトリアのアーサー王としての語気が弱まり、丁寧で堅苦しくはあるものの、女性的な口調へ転じる。

 上位者として振る舞うのも自然体で行えるが、素のアルトリアは丁寧語で人と接するのだ。

 照れたようにはにかんで、アルトリアは嘆息した。

 

「はぁ……まったく。そうまで言われてしまったら、許したくなるじゃないですか……」

「! では……」

「……ギネヴィアの件は貴方に預けます。……いや、私達で、隠しましょう。いいですね、ロホルト。それからマーリン。力を合わせて、身内の不始末をなんとか片付けます」

 

 微笑むアルトリアの肩から、大きな荷の一つが下ろされた。素顔を晒したアルトリアの表情は、誰がどう見ても魅力的な乙女であり、今となっては男にはまったく見えないもので。

 

 ――ここに、ギネヴィアへの裁きが決定される。

 

 ギネヴィアにとって何よりも重い処罰。

 『実の母親』という立場の剥奪、第二子の親権の取り上げ。

 どちらもが、彼女の心を打ち壊すもので。

 

 マーリンはギネヴィアへの監視役に自薦してなることで、流れの軌道修正を図ることにした。

 

 時間稼ぎだ。ロホルトの計画が成るか、軌道に乗るまでの間、ギネヴィアが暴走してしまわないように見張れるのは自分だけだと考えたのである。

 それは正しい。マーリンの判断は正確だ。

 故に、マーリンはギネヴィアに張り付くことになって。花の魔術師は以後、ギネヴィアに優しい(ユメ)を見せ続けることになる。

 

 残酷で、無慙な、終わりを迎えたのだ。ギネヴィアは。

 

 ――少なくとも今この時には。

 

 

 

 

 

 

 




速報。ギャラハッド、ロホルトの養子になることが内定。

悲報。ランスロット、そのうち全てを話され、秘密を共有させられ心労MAX

朗報。アルトリア、心がいくらか楽になる。


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29話

お待たせしました。
(本作が)死んだと思ったかな。死んでましたとも、作者が。
39.4℃も熱が出た時は本気で死ぬかと思いました。今年に入ってからどうも体調が崩れがちですが…なんとか持ち直しましたよ…。

今回は新しい舞台に移る為の話なので、かなり駆け足気味です。次話移行から腰を据えての描写になります。


 

 

 

 

 

 

 ペリノア王が死んだ。

 

 自らの領地に帰っている最中のことだ。

 

 老いてなお円卓屈指の武勇を持ち、自らもその武に自信があった為か、彼は迂闊にも護衛を付けずに単独行動していた。そこを待ち伏せた何者かに暗殺されてしまったのである。

 暗殺者の正体は不明だ。証拠や目撃情報はどこにもなく事件の真相は闇から闇に消えた。そこにドラマは何もなく、斯くしてブリテンにその名を轟かせていた老雄はこの世を去ったのである。

 

「予も老いたものだ」

 

 ――下手人は日輪の騎士ガウェインと、陰影の騎士ガヘリスだ。

 

 二十代後半となり肉体的な全盛期に在る日中のガウェインと、円卓でも中位の実力を持ったガヘリスの二人に不意を打たれてしまえば、さしものペリノア王も敵わず斬り殺されてしまった。

 ガウェインとガヘリスには、ペリノア王に親を殺された恨みがあった。彼らは私怨だけで味方を斬るような騎士ではないが、伝説で語られる彼らは後世の勝手な見方で書き連ねられるだろう。親の仇を討つ為に、名高い英傑を斬り殺したのだ、と。

 暗殺がロホルトの指示であることを、下手人となった者は死しても語らず、そして王子のイメージにそぐわない為、後世に於いてもペリノア王暗殺に彼の名が出ることはない。果たしてブリテン島でも有力な権力者だったロット王とペリノア王が死去したことで、王国は遂に主な政敵に成り得る者がいなくなりアーサー王一強時代を迎えることになった。

 

 それはつまり、強引な人事に表立って口を挟める者がいなくなったことを意味する。ロット王とペリノア王の退場により、ようやくロホルトの企図した中央集権が進行を開始したのだ。

 

 ロホルトは以前から内定していた通りに『最果ての国オークニー』の王冠を戴き、彼の地の領主として赴任すると大々的に報じられた。

 これによりオークニーの領主の座につくことが決定されたロホルトは、アルトリアやケイ、アグラヴェインやマーリンへ話を通して移民計画の第一段階を発動することを告げる。最果ての国を中心に各地の豪族を取り込み、新たにスコットランドと改名して、自らを初代スコットランド王と称し、自身の領土を拡大してペリノア王の旧領を併呑してしまうのだ。

 

 ペリノア王の一族の新たな長は、彼の嫡子であるラモラック卿だ。他にはまだ幼いパーシヴァルなどもいるが、ラモラックは王としての責務を厭悪している。というのも、彼はロホルトとも親交があり、ロホルトの苦悩を間近で見ているのだ。自分には荷が重い、騎士として騎士王に仕えるのが身の丈に合っていると溢していた彼は、むしろ積極的にロホルトに協力を約束してくれた。

 ラモラックは全盛期のペリノア王に匹敵、あるいは凌駕している騎士だ。その武勇はランスロットやトリスタン、ガウェインと比べてもなんら見劣りしない。おまけに王への――王子を含めた王家への忠義が厚く、裏切りの心配がない稀有な人材だった。故にラモラックは一族を率いてスコットランドに帰順することになると、そのままロホルトの家臣になる運びと相成ったのである。

 

 これによりロホルトはアルトリアからの指示通りに国を統治する為、実質的にブリテン王アルトリアの固有戦力が劇的に増加する。そうなればブリテン王の権威と権力は比類ないものとなり、どれほど横暴に動いても黙殺、圧殺できるようになった。

 当然、周囲からの反発は強いだろう。自分達の王権を脅かす事態だからだ。しかしブリテン王を抑え、諌められる者は既に亡くなっている。これより先、ブリテン王は諸王から権力を剥いでいくだろうが、それに抗うのは寿命を縮めるだけの愚行となるだろう。

 最終的に『王』という称号は、ブリテン王ただ一つとなるのだ。絶対王政を目指す以上、王冠の特別性を高める為、たかが一地方の領主如きを『王』と称する時代に終止符を打つ――それこそが移民計画の第一段階、足場固めの権力集中。絶対王政への第一歩だ。

 

「『エリネドの指輪』は嵌めましたね? 『パダルン・レドコウトの外套』は着ましたか?」

「はい」

「『日蝕の外套グウェン』は?」

「ガヘリスに貸し出してます」

「む。では『リゲニズの皿と壺』は……ガレスに貸しているのでしたか」

「ええ」

「『ティドワル・ティドグリドの砥石』は貴方が持っていなさい。それから、えっと他に……『エリネドの指輪』は常に付けておくように。片時も離さず、絶対に外してはいけませんよ」

 

 そわそわとして、オークニーに赴任するロホルトに確認を何度もするアルトリアの様子に、ロホルトは凄い変わりようだなぁと苦笑させられていた。

 ブリテンの十三秘宝と銘打たれる数々の宝具を、アルトリアは惜しみなくロホルトに与えたのだ。過保護ではないかと思うほどに。それだけ心配なのだろうが、アルトリアに言わせてみればいずれロホルトの物になる宝具を、先んじて渡しているだけ、となる。

 

 身に着けた者の姿を透明にする白い外套グウェン。これはとある特別任務を果たす為にガヘリスへ貸し出されており、それにより彼は後々『陰影の騎士』と渾名されるようになる。

 壺に入れた物は腐らず、皿に盛れば温度調節が自在になる『リゲニズの皿と壺』は、厨房の騎士とも揶揄される料理好きのガレスに預けられて。ロホルトは外界からの干渉を阻む、強力な祝福の施された『パダルン・レドコウトの外套』を普段着として着用する。他には武器全般の修復、内包した神秘の回復を成す『ティドワル・ティドグリドの砥石』を鎧に嵌め込んでいた。

 身体能力と魔力を強化する『エリネドの指輪』は右手中指に嵌めている。アルトリアはこれを特に重要視しているらしい、手放してはならないと繰り返し口にしたが……。

 

「分かった、分かりました、大丈夫ですから心配しないでください。鬱陶しいですよ」

「鬱陶しい……!?」

「父上の構い方は極端過ぎます。零か百しかないんですか、貴女は」

 

 オークニー改めスコットランド新王の辛辣な指摘に、う、と王様は怯んだ。

 

 アルトリアはブリテンの十三秘宝の内、五つも愛息子へ与えたことになるのだ。それ以前にも王剣クラレント、宝剣モルデュールも下賜しており、月の聖剣も所有していることを加味すれば、ロホルトは極めて強力な宝具を多数所持していることになるだろう。それでも心配そうにしているあたり、アルトリアはある意味吹っ切れたと言えるかもしれない。

 男親らしく、父王らしくと肩肘を張らず、ありのままのアルトリアとして、素のままに接してもよいのだと知ったからだ。今のアルトリアは遠慮がない、これまでの隙間を埋めようとするかの如くグイグイ来ていた……が、物事には限度というものがある。今のロホルトは顔は笑っているが目は全く笑っていなかった。多感な年頃云々ではなく、いつの世も親の発揮する過保護には、子供の立場の者は大なり小なり反発してしまうものなのである。

 

 永遠の別れというわけでもなし、適当に一時の離別を告げてさよならする。アルトリアはしょんぼりとしていたが、ロホルトは特に構う気はなかった。

 諸々の儀式を終わらせると、ロホルト派の騎士達を率いてスコットランドへと向かう。付き従うのは円卓の騎士だとラモラックのみで、後はガレスやモードレッド達を引き連れていった。

 

 絢爛な馬車に乗る、とある侍女が抱いている赤子を見る。

 まん丸とした手足と、まだ生え揃っていない髪。愛らしい容貌はふっくらとしていて、将来はとても容色に優れた男性に成長するだろう。

 名はギャラハッドだ。つい先日生まれたばかりの異父兄弟である。

 ロホルトの騎乗しているカヴァスも気になるのか、ちらちらと赤子へ視線を向けていた。出生はともかくきちんと養育するつもりだが……ガレスが馬を寄せてくる。

 

「殿下」

 

 正妃であるのに騎士甲冑を纏った彼女は、赤の魔剣を腰に佩いている。ガレスもまた赤子を気にしているようで、その表情はなんとも言えない複雑なものであった。

 

「あの子の名前、ギャラハッドでしたよね。曖昧な聞き方で恐縮なんですけど……その、私はどうしたらいいのでしょう」

「前にも言った通りだよ。あの子は私が養父として引き取った捨て子だ、君に責任はない。ガレスが接したいようにすればいいさ」

「そう、ですか……やっぱり、親は秘密なんですか?」

「ああ」

 

 ギャラハッド。今はマーリンが傍についている、ロホルトの育ての母であるギネヴィアの本当の第一子。親友であるランスロットの血も引いているのは、ギネヴィアを敬愛する身として、少なからず言葉に出来ない感情がある。だが誰よりも混沌とした感情を持て余しているのは、知らぬ内に王妃と関係を持ってしまい、しかも子供まで生まれていたランスロットの方だろう。

 国とギネヴィアの為を思えば、ギャラハッドをランスロットに預けるわけにはいかない。関係を明かすわけにもいかず、全てを知らされたランスロットは虚無の面持ちで固まっていた。

 知らぬ間に騎士としての忠節が汚されていたのだ、彼の心情は察して余りある。ロホルトとしてはランスロットに変わらぬ友情を懐いている為、これを切欠に疎遠になるつもりはない。彼はロホルトとアルトリアに命で償うと、蝋のように白い顔で断罪を望んだが、友人であり恩人で、国にとっても重要人物であるランスロットに死なれるわけにはいかなかった。

 

 ロホルトはアルトリアとの二人掛かりでランスロットを説得した。今までの功績や友情、忠誠。彼の行いに非がないことを何度も語り、悪いのはギネヴィアと何も知らなかった自分達だとした。繰り言になるがランスロットは本当に何も悪くないのだと、ロホルトは得意の弁舌で客観的に唱え続け、彼の顔色に一握りの生気が戻るのを確認してホッと安堵したものである。

 そして公の場で引き合わせてはやれないが、非公式の場でギャラハッドと対面させたいと考えている。もちろんギネヴィアも同様に、だ。ランスロットはこれに少し考え、頷いた。

 

『……私に父親を名乗る資格があるかは分かりかねます。ですが、伝えたいことはある。陛下と殿下の差配に私は頭を垂れましょう』

 

 ギャラハッドの出生を知っているのはランスロットとギネヴィア、マーリンとアルトリア、そしてロホルトだけである。それ以外にはたとえどれほど信頼している相手にも明かさないと、アルトリアと相談して決定していた。実の子と引き離されてしまった王妃に対し、ロホルトも罪悪感がないわけではない。いつかギネヴィアとも会って話をして、礼と謝罪がしたかった。

 

 本来ならば国の為だとはいえ、親子を引き裂いて良い道理はない。オレはいずれ地獄に堕ちるんだろうなと、今までの悪行を思い返して自嘲する。

 

 ――ロホルトは自覚していなかったが、彼の中でギネヴィアへの優先順位は格段に落ちていた。

 実子ギャラハッドを引き離し養子とした手前、会いに行き難い心理がある。ギネヴィアの許に顔を出しては負担になるだろうという遠慮もあった。自身に余分な時間が全く無いのもあり、アルトリアがそれとなくギネヴィアから自分を遠ざけている事情もある。

 アルトリアはギネヴィアと相対していた。そして彼女の常軌を逸した言い分を聞き――ギャラハッドが騎士王の血を引いているという狂言――今の実母と会わせるのはロホルトの為にならないと判断したのだ。アルトリアの判断と、ロホルトの遠慮、そして彼らを追い立てる現実の時間が噛み合って、ロホルトとギネヴィアが対面する機会は失われていたのである。

 

「………」

 

 ガレスはロホルトの横顔を見上げ、そしてギャラハッドを見遣る。

 正妃としての立場に立ち、しかしその役割を果たさず、騎士として仕える。これは自身の望んだことではあるが、多分に主と定めたスコットランド王の厚意に甘えた形になっている。果たしてそれで良いのだろうか……ロホルトは今誰よりも世継ぎを望まれているのに。

 ロホルトが真に愛せる人が現れたなら、自分はそれを受け入れるつもりでいる。だがお飾りとはいえ正妃がいながら、ロホルトは他に愛する人を作るような人だろうか。そうは思えない、養子をこうして取ったのは、もしかすると情報操作をしてガレスとの子供ということにして、ガレスに負担を掛けない為にしていることなのかもしれない。ガレスはその可能性を考え眉根を寄せる。

 

(……どうであれ私は殿下に寄り添い、仕え続けます。たとえ何をお命じになられても、必ず成し遂げる気概があればなんとかなる。うん、きっとそのはずですよね……殿下)

 

 ガレスがそのように決意を新たにしているのを横に、ロホルトの一行は新天地へ到達した。

 

 自身に付き従う青年会の元メンバーは、そっくりそのままロホルトの近衛騎士となっている。全幅の信頼を置ける彼らの力を借りて、スコットランドの統治を安定させれば、ノルウェーへの侵攻準備を年単位で行なっていく。様々な不穏の種を残しながらも、ロホルトはその英雄的な生涯を掛けた、最も困難な使命に取り掛かるのだ。艱難辛苦の待ち構える事業へと。

 オークニー改めスコットランドは、ブリテン王国では辺境に位置している。本国からの支援はほとんど望めない。多様なノルウェーへの侵略、支配の為の計画はロホルトの双肩に掛かっていた。ロホルトは国を救う為の第一歩を、この最果ての国から踏み出した。

 

 彼には頼りになる騎士達がいた。彼自身も優れた指導者である。だが、滅びの運命を唱えた魔竜の怨念がこびり付いているかのように、ノルウェーへの侵攻準備は遅々として進まぬだろう。

 急な悪天候、旱魃、賊の大量発生。そして国内に残留していたピクト人の脅威が、なぜかスコットランドに集中しはじめる。まるでロホルトがノルウェー侵攻に乗り出すのを阻むかのように。

 これらへの対応に苦慮し、船や兵糧の手配に頭を痛めさせられながら、ロホルトの四年間は丁寧に潰されていくことになるだろう。彼はそれで魔竜の齎した滅びの運命を痛感させられる。世界そのものが自分達を殺そうとしている、と。そしてそうであるからこそ、ロホルトの闘志は燃え盛った。大いなる意思に抗うかのように。

 

 最果ての国の王冠を戴いたことで、月輪王ロホルトの苦難の日々が、本番を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ギネヴィア
 「この子は陛下との子なのよ!」
 そんな妄言を叫ぶ王妃の狂気を、ロボルトは知らぬ。
 彼女の醜態を見たアルトリアは、一人の女性をここまで追い詰めた己の罪を胸に刻み。そしてこんな状態のギネヴィアを、ロホルトに会わせるわけにはいかないと判断し、今後彼女はロホルトとギネヴィアが出くわさないようにスケジュールを調整した。
 「――ほら。やっぱり、わたくしにしかロホルトは救えないのよ」
 ギネヴィアはマーリンの見せる夢、全てが都合の良い幻に浸り続けている。ギャラハッドはアルトリアの後を継ぎ、用無しになったロホルトが自分の許に帰ってきてくれた幻を――。
 幻は優しく、狂気を癒やすだろう。やがて己の見ているものが幻だと気づいた時、彼女は。


ランスロット
 「……ばかな。そんな、ばかな!」
 ランスロットは余りに無常な現実と、王妃の狂気、そして不義の子の誕生を知って愕然とした。それは騎士としての彼の在り様の、根底を揺るがす一大事であった。
 友に合わせる顔がない、己が騎士を名乗るのが恥ずかしい。深い慚愧に心が軋む、酒に酔っていたからなどとは言い訳にもならない。知らぬまま生まれた我が子と向き合うことも許されず、最高の騎士ランスロットは混沌とした激情を持て余す。やがてランスロットは、己の不覚を正すため、贖罪をするため、狂えるギネヴィアを守護することを決める。
 ギネヴィアのせいだなどと口が裂けても言えぬ。なぜならば、彼女と交わっていたのだと知った時、確かに己は悦んでしまったのだから。
 「ギャラハッドよ、お前は私のような男にはなるな」
 成長した我が子を見た時、ランスロットは懺悔するようにそう言うだろう。父だと名乗らぬまま。ギャラハッドが己を騎士として敬愛してくれるのに苦しみ、歓び、彼がその生まれの秘密を知って――父さん、と。そう呼ばれた時にランスロットはどう思うのか。その胸の裡を彼は誰にも打ち明けないだろう。


マーリン
 ギネヴィアという急所を護ることに。外敵から、そして彼女の正気と狂気から。


アルトリア
 ギネヴィアの状態をひと足早く知り、あまりの惨状に目を覆った。自身への自責の念、ギネヴィアへの多くの想い、渦巻く気持ちに蓋をして彼女が懸念したのはロホルトのことだった。
 『今のギネヴィアを見せるのは余りにも酷だ……』
 ロホルトにとっても、ギネヴィアにとっても。二人のためを思えばこそ、二人を会わせてはならない。アルトリアは優しさ故にそう考えて、ロホルトを引き離すように振る舞った。
 必要以上にロホルトに構い、仕事を振り、公的な社交の場を設ける。幸いにもそうしても全く不自然ではない状況ではあった。アルトリアの優しさがどうなるのかは、やはり全知全能ならぬ者には裁定できないだろう。


ガレス・モードレッド
 モードレッドは実年齢で言えばギャラハッドに近い。そのせいか何かとギャラハッドを構う姿が頻繁に目撃される。
 ガレスは義理の母になってしまったが特に気負ってはいない。ロホルトのフォローがあったからか『親戚の子』ぐらいの感覚でいた。どことなくランスロットに似ている気がしたが、深く追求する気はない。スコットランドについてからが、モードレッドとガレスの騎士としての人生は本番を迎える。


ロホルト
 アルトリアとマーリンの二人に、ギネヴィアと会えないように差配されている。実際問題として多忙を極めることになるロホルトは、即位してからの諸々や足場固めなどで頭が一杯であり、ランスロットやガレスなどへのフォロー、円卓を去らざるを得なかった双剣の騎士ベイリン、その弟ベイランに恩赦を与えて自身の騎士に引き込む計画を立てたりなど、とてもアルトリア達の計らいに気づける余力はなかった。結果として会わなくて正解とは言える。
 その『正解』が長期的に見てどう巡るかは、人の身で予測を立てるのは困難だろう。全てを把握している第三者か、卓越した感受性と多様性を受け入れる精神・頭脳を併せ持った者以外には。


if
 ギネヴィアの狂気と動機を知ったとしたらロホルトは何を思う。そんなのは自明だ。嫌悪し、しかし同情もする。失望するし、納得もする。言葉で母に介錯して、彼女がこれ以上狂う前にトドメを刺していたかもしれない。余計なお世話だ、母上――この一言で狂える母は止まれるのだから。失意と安堵、知らぬ間に巣立った我が子に寂寥を覚えて。



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30話

お待たせしました。
病気やなんらかの理由で更新が一度滞ると、更新頻度が著しく低下する現象をなんとかしたい……。


 

 

 

 

 

 ガツン、と顔面に衝撃。

 

 グシャ、と顔面から異音。

 

 戦槌による強烈な打撃を受け、兜が拉げ、左顔面が潰れた音を聞く。常人なら即死したであろう威力に、たたらを踏んだだけで済んだのは、神代の英雄たる五体の強靭さ故だろう。

 陰影の騎士ガヘリスは頭部を打撃された為に意識を朦朧とさせながらも、主より貸与された宝剣、万物を切り裂くモルデュールを振るう。腕に返る手応えさえ曖昧なまま、しかしガヘリスの剣は確かに緑の肌の戦士を切り伏せ、主の呼び声で瞬時に意識を回復させた。

 

「ガヘリスッ!」

「――お構いなく!」

 

 二メートルと半ばにも届こうかという、巨人も斯くやといった巨体の緑の戦士。ピクト人の戦士と切り結んでいた月明かりの騎士の背を襲った者から、ガヘリスは身を呈して庇ったのだ。

 友の負った重傷に怒りを爆発させて振るわれる無双の大剣。受け止めた緑の戦士は、六つの覗き穴が空いている兜から苦悶の声を上げながらも、しかし確かに耐えきった。かの騎士王をして、こと武力に於いては超えていると称した月明かりの騎士――後に月輪王と号される青年の豪剣と、この謎多き部族の戦士は互角に打ち合っているのだ。

 

 不殺に徹していたとはいえ、かつて湖の騎士と妖弦の騎士の二人と互角以上に戦ったロホルトは、以前とは異なり明晰な理性と戦闘能力を発揮している。

 大剣を振るえば無双だと謳われるのは伊達ではない、全盛期に達したロホルトの剣技の冴えは、深淵に犯されていた頃とは比較にもならないだろう。

 ならば膨大な魔力で暴竜めいて凶悪な剣撃を繰り出す青年と、真っ向から打ち合えるこのピクトの戦士は何者なのか――自明である、彼こそが強大無比なるピクト人の王だ。

 

 嬌声にも似た雄叫びを上げて、戦闘の高揚に狂気に等しい狂喜を発し、蛮族の王はロホルトとの戦いに没頭している。ロホルトもまた彼以外に意識を割く余力はなく、全力で迎撃していた。

 

 戦場に散乱する剣戟が、鉄の火花を繚乱させる。精強なるブリテン騎士と、精鋭たるブリテン兵。最高潮の士気に翳りなく、宿敵のピクト人達に決戦を挑んでいる。

 ガヘリスは再び緑の戦士を切り伏せ、左半面の視界が潰れている中で辺りを見渡す。素早く視線を走らせると、彼の実妹であるガレスと異父妹モードレッドが互いに背中を預けて緑の戦士の一隊と切り結んでいるのを見つけた。相手は十人、並の敵なら数秒で殲滅できる。だが相手はピクト人だ、赤の魔剣を振るうガレスと、白銀の王剣を振り回すモードレッドは苦戦していた。

 特に全身甲冑を纏う兜の騎士モードレッドは全身に返り血を浴び、悪魔的な凄絶さを醸し出している。鎧の肩や背中の部位を陥没させ、軽くないダメージを受けているのは明白だった。

 

 ガヘリスは彼女らの援護に走る。

 

 主君もまた苦戦しているが心配していなかった。ガヘリスがロホルトを凶刃から庇った直後、大狼の雄叫びが響いたからだ。

 ピクト人の引き連れていた魔獣を斃した魔犬カヴァスが、主の苦境を察知して駆けつけたのである。あの魔犬がロホルトの脇を固めるなら大丈夫だろう、そう信じるぐらいにガヘリスは魔犬を信頼していた。何せ獣の身でロホルトの剣技を模倣する、理外の怪物だから。

 

 白き魔狼と共に蛮族の王に斬り結ぶ月光を背に、ガヘリスは妹たちを囲む戦士の背を切り裂いた。

 

「ガヘリス兄様……!?」

「チッ……兄貴面野郎か……ッ」

「援護する、早急に片をつけるぞ。いつまでも雑魚共に手間取っている暇はないッ!」

 

 断じて言うが、敵は雑魚などではない。一介の戦士ですらも、決して侮れない強敵だ。隙を見せれば彼らとて屠られかねない危険性がある。

 それでもガヘリスは名も無き戦士達を雑魚だと言った。慢心ではない、まして油断などあるはずない。なのに雑魚だと断じたのは、実際問題としてロホルトが対峙する蛮族の王に比べれば雑魚でしかないからだ。一騎打ちに横槍を入れるのは騎士道に反する、などというお題目を言うつもりはないガヘリスは、すぐにでも緑の戦士を掃討し主の援護に向かうつもりだったのである。

 モードレッドの守護があるとはいえ、ガレスはここまで無傷で切り抜けてきている。その実力は既にガヘリスを超えているだろう。自慢の妹だ、彼女達をロホルトの許に連れていければ確実に敵の王を討ち取れる。そして敵の王を討ちロホルトがフリーになれば、敵軍を掃討するのに掛かる労力は激減するはずであった。

 

 ――血で血を洗う、ブリテン人の宿敵との最後の血戦。

 女騎士が公然と戦場に出ても、誰も文句を言わないほどの総力戦。

 

 決着は着くだろう。

 如何にピクト人が強力な存在といえども、彼らは自らの民族性故に生産性に欠き、先代ブリテン王、そして当代の騎士王と二代に亘り鎬を削って、その絶対数を減じていたのだから。

 これは謂わば、これまでの積み重ねによる総決算。戦と野生にのみ生きた存在の終焉は確実だった。

 

 ただ。

 

 容易に滅ぼされるほど、彼らは弱くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スコットランド(オークニー)領主(おう)として着任したロホルトが、まず第一に行なったのは一年間無税の布告を出すことだった。

 

 国民への人気取りか? 答えは是であり否である。

 

 戦争に次ぐ戦争で人手の足りない民、軍、役人。味方や敵の聖剣や魔剣、超パワーの魔術にはじまる光学兵器じみた神秘が投入される戦争の余波で荒廃した土地。ただでさえ貧しく死んでいる土地に実りは少なく、挙げ句の果てには世紀末より酷いこの世の終わりで、少ない糧食や財宝目当ての匪賊や戦闘を好む蛮族が各地に跋扈しているのだ。もう人々は色んな方面で限界なのである。

 一年間の無税の布告に民草は大喜びだが、それでも例年の餓死者は減らないどころか増えるだろう。道を歩けば賊や魔獣に当たる世の中である、生きてるだけで奇跡とさえ言える末法の世だ。しかも雀の涙ほどしか無い税収でも、一年も収入がなければ国は立ち行かぬ。ロホルトの出した布告に民草は喜んでいたが、国に仕える騎士や役人からは大不評であった。

 十を救う為に一を切り捨てる、これは決して避けられぬ現実だ。綺麗事で腹は膨れぬ。人権意識など皆無であるが、一を切り捨てればやれ騎士の道に反する、人の道に反すると騎士たちは大騒ぎをする。騎士王の人気は絶大だが、そうした現実問題に相対しての方策で手前勝手な批判を受けてはいた。やがて無視できないほどその声は大きくなり、叛乱に繋がるのが目に見えていた。

 

 幸いにも円卓の騎士の内に、アルトリアの無慈悲とも取れる政策を非難する者はいない。

 

 正確には以前まではいたのだが、キャメロットにいた頃のロホルトの勉強会に、円卓の騎士達を強制参加させて国の実情を正しく認識させ、アルトリアも心を殺してやりたくない非道な策を取らねばならないのだと周知させていた。王子のそうした努力で、王は人の心が分からない、などという戯言を吐く無神経で無理解な阿呆が出ないようになってはいたのだ。

 が、そうした事情を理解はしても耐えられる者ばかりでもない。国自体が終わっている、終わりかけていると理解させられた者の中には、国を見限り去って行った者もいる。困窮すればそれだけで王は非難の嵐に晒されるのだ。糞の肥溜めより酷い情勢で奮闘するアルトリアには頭が下がるが――しかしロホルトはアルトリアのように耐え続け、先の見えない努力を重ねる気はなかった。

 

 一年間無税。これは何も人気取りの為だけに出した政策ではない。無い袖は振れない故、民から血税を絞り尽くすのは無理だという判断もあるし、税収がないなら他所から持ってくれば良いと考えたまでである。その『他所』とはどこか――無論、敵である。異民族だ。

 騎士とは名ばかりの蛮族の国。それがブリテン島の諸国である。誰も彼もが奪い、犯し、殺すことに然程抵抗はない。なのにそんな蛮族が騎士と正義の名を欲し、しかも実力が伴っているとなれば粛清も容易ではない。ならば扱いに困る暴力装置の矛の向け先を用意するのが上に立つ者としての責務であろう。他国の人々には心底申し訳ないが、ロホルトが最優先にするのはブリテン王国の国益である。それ以外の国の民が流す血と涙は――地獄に堕ちる覚悟で無視するしかない。ロホルトは、自身の有する倫理観や心を完全に押し殺して決定したのだ。たとえ人の世の終わりまで悪名が残ろうとも構うつもりは微塵もないのである。

 

 ロホルトはスコットランド王となって真っ先に無税の布告を出した後、すぐさまスコットランドの兵士や騎士を招集し、正義という名の錦の御旗を掲げて使命を発した。

 ただちにピクト人の本拠、スコットランドのハイランド地方を平定する。彼の地を平らげ、これまでブリテン人に出血を強いてきた怨敵を根絶やしにするのだ――と。

 

 ピクト人は強大な民族である。ブリテン人もだが、ピクト人は古のケルト民族の流れを汲み、戦闘本能の強さのみを抽出して濃度を高めたかのような存在なのだ。奪い、殺すことにかけてはブリテンの騎士以上の化け物である。為政者としては彼らの本拠が自身の領地に隣接しているというだけで気が狂いそうになる。足場を固め、目的を果たす為にも彼らの存在は無視できなかった。

 ピクト人の族滅、これこそがロホルトが是が非でも成し遂げるべき難問であり、彼らを根絶やしにしない限りノルウェーの征服など夢のまた夢である。お膝元に強力な外敵がいるなど悪夢でしかない故に、彼らの土地と財産を奪い取ることを至上命題に掲げたのだ。

 

 もちろん容易ではなかった。ヴォーティガーンやサクソン人に並ぶ、怨敵の一角が相手となればブリテン騎士達の士気は極まっていたが、彼らは円卓の英雄達が力を結集してなお倒し切れない者達なのである。円卓屈指の実力者、ラモラックを投入しても勝算は見えては来ない。王であるロホルト自身もまた、自ら戦場に繰り出してピクト人との戦闘に加わる必要があった。

 対ピクト人との戦争は、最果ての国スコットランドの最初の試練だ。

 一年間無税の間、総力を束ねての血戦を余儀なくされ、次々と騎士や兵士が斃れロホルトも何度か負傷させられた。王妃であるガレスや、彼女の近衛騎士に抜擢された()()()モードレッドまでもが戦線に加わっても、誰も文句を言わないほどの激戦である。男尊女卑のまかり通る世の中で、彼女達の実力だけが評価される環境だったのだ。まさしく末期と言えよう。

 

「――奴らはエイリアンか何かなのか? 聖剣の光を普通に躱すし、なんなら直撃しても耐える奴がザラにいるとかオカシイだろう」

 

 ロホルトの嘆きは誰しもが同意するものだった。ピクト人達に特別な武器防具はない、あるのはただただ強靭なる五体のみ。なのに円卓にて無双の大剣使いと称される月光騎士ロホルトや、双剣の騎士ベイリンとその弟ベイラン、魔槍使いのラモラックや魔剣使いガレス、王剣を貸し与えられた兜の騎士モードレッドらと互角に渡り合うのである。存在自体がもはや冗談のようなものだ。

 異星起源の未確認生命体だと言われても納得する、それほどまでに理不尽な強さだ。何人かいたピクト人の戦士長など、ラモラックとベイリンの二人掛かりでなお苦戦させてくる始末である。

 一年間、ロホルトらは総力を費やしてピクト人との血戦に明け暮れた。幸か不幸かピクト人達は狂戦士であり、相手が宿敵である円卓の騎士と見るや、絶対に逃げずに嬉々として殺しに来る。撤退など最後の一人になってもしない上に、円卓の騎士と戦えるなら寧ろ金を払ってでも戦いたいと望むような戦闘民族っぷりだった。正面からしか攻めてこない単純さだけが救いと言えよう。

 

 ピクト人は策も何もなく正面から突撃してくるだけ。そのお蔭でロホルトらは、多大な犠牲を払いながらもなんとかピクト人の王を討ち取ることに成功した。そして彼らの土地を奪い、ブリテン島では比較的豊かなハイランド地方を手に入れられた。確認できる範囲ではピクト人を絶滅させられたとも言える。

 だが代償は決して安くはなかった。まずオークニー時代から仕えていた騎士達は全滅し、ロホルトが従えてきた腹心の騎士団も半壊。ロホルト自身も全身に少なくない傷を負い、かつて円卓の騎士でもあったベイランが戦死した。双剣の騎士ベイリンも重傷を負って行動不能に陥り、魔槍の騎士ラモラックは片目を失った。股肱の臣である騎士ガヘリスも、顔面の左半分が潰されている。

 

「ガヘリス……すまない……」

「お気になさらず。ピクト人の討滅は、殿下の大志を遂げる道を阻む障害だったのです。奴らを除けたのならこの傷も誉れと言えましょう」

 

 彼らだけでピクト人を殲滅できたのは、ひとえに先王ウーサーの代から、騎士王アーサーとの積年の闘争の末に、ピクト人自体の人口が激減していたからであろう。謂わばロホルトは、瀕死のピクト人にトドメを刺しただけだとも言える。

 キャメロットはピクト人殲滅の報に湧いていたが、現地のスコットランドの状況は芳しくなかった。ロホルトの誤算である、これほどの被害が出るとは考えていなかったのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように強くなっていたのだ。

 

 被害の詳細を纏め今後の諸々を想ったロホルトは頭を抱えた。ただでさえ戦力的に厳しいというのに、想定していたものより倍以上の被害が出た。これでは人手が足りない、マンパワーの不足は明白に計画へ支障をきたす。統治している土地の警邏、賊や魔獣への対処、考えるだけで頭と胃が痛くなる。現存する戦力を殺人的に酷使すればなんとかなるだろうが、それでは長続きしない。

 どうすればよいのか、冷徹に、現実的に方策を練るロホルトの許に、一人の魔術師が訪れた。古くから知己があり友好を築いてはいたが、放浪癖があってほとんどロホルトの許に留まっていない友人である。名をトネリコといった。

 

 彼女は悩めるロホルトに助言したのだ。

 

「――この際使える者はなんでも使うしかないでしょ。私から殿下……もとい陛下に人材を推挙するよ。そうしたらある程度はマンパワーの不足を解消できるんじゃないかな?」

「……君は、いつもいきなり現れていきなり献策してくるね。いつものことだから咎めはしないけど、いい加減私のもとに留まって力を貸してくれてもいいんじゃないか?」

「いやぁ、それが私ってば妖精との契約で縛られてて、宮仕えするのが難しいんですよねー。でも私の推挙する魔女なら、ほとんど傍に控えてくれるはずですよ」

「……さらっと身の上を明かすね。分かった、君の推挙する魔女とやらはどこの誰なんだい?」

 

 妖精との契約で縛られているなんて、これまでの付き合いでも初耳である。なんで今まで言わなかったのかと追求したくなるが、この女魔術師の性格を鑑みると追求は躱されるだけだと諦めた。

 しかし、期待は出来た。トネリコの献策は、これまでどれも有用で外れた試しがない。彼女が推薦する人物なら配下に是非加えたいところである。

 そんなロホルトの期待を読み取りながら、トネリコはなんでもないように悪辣なる魔女の名を挙げた。

 

「モルガンですよ、陛下。オークニー……今はスコットランドでしたっけ? そこは元々モルガンの本拠地でしたし、陛下が呼び出せば簡単に出てくると思いますよ」

 

 あっけらかんと告げるトネリコに、ロホルトの目が点になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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31話

 

 

 

 

 

 

「断固反対です」

 

 最も古く、最も親しく、最も信頼する半身。暗黒面に於ける己の分身とすら言える親友ガヘリスは、敵を跳ね返す牢固たる城塞の如く反対の意を述べた。

 見れば正妃の立場にあり、先の戦いで赫々たる武勲を挙げ、『月の赤妃(ルナ・レギナ)』なる異名を得たガレスも。特徴的な甲冑を指し『兜の騎士』と呼ばれるモードレッドも同様に苦い表情をしている。

 

「私も反対します。お母様は……その、ロホルト様のお側に置くべき方ではないと思うので……」

「母上は、はっきり言って毒婦そのもの。姦淫邪智とはまさしく母上のことでしょう。アレを召抱えるのは絶対に陛下の為になりません」

 

 モルガンの息子と娘達は頑なだった。胸襟を開いたモードレッドは、自らの出生をこの場の者達に明かしている。故に彼女が異父兄妹であるとガヘリス達も承知しており、モルガンの血を引く者達は結束して、実母を招きたいと言った主を諌めようとしていた。

 嫌われてるな、とロホルトは思う。噂に伝え聞く限り、分からないでもない態度ではあるが。何せモルガンとはキャメロットに敵対し、様々な悪行に手を染めている魔女なのである。件の魔女をよく知る者ほど、国を想うのなら見つけ次第斬るべきだと断じるだろう。

 

 しかしロホルトはモルガンを高く評価していた。性格はともかく、実力は確かだからだ。

 

 単独でキャメロットに敵対し、円卓の騎士からの追跡を振り切り、花の魔術師に捕まらず、様々な策略を実行し仇を成す手腕。もし彼女が自分達の同胞になり、大多数の人を動かせるようになればどれほどの力になるだろう。想像するだけで魅力的と言う他にない。とはいえそれは、あくまで実力面のみを見た場合だ。性格や性質など、実力以外は最悪としか言えない存在だろう。

 悪名轟く魔女を首尾よく味方に付けられたところで、モルガンを素直に受け入れられる者などほとんどいない。そして魔女がいつまでも大人しく味方してくれる保証もない。ロホルトとて風評だけで判断するなら、魔女を召抱えようとは考えもしなかった。

 

 ちらりと他に信任する騎士達を見遣る。

 

 トリスタンやガウェイン、ランスロットなどの、女性受けするような美男子とは系統の異なる、如何にも男性的で精悍な面構えの豪傑。左目に聖布の眼帯を巻いた銀騎士のラモラックと――野生的で騎士らしい甲冑を纏わず、野盗のような革鎧を装着しているが故に『野蛮人』と謗られる、無精髭の目立った傭兵の如き勇士、『双剣の騎士』ベイリンだ。

 ベイリンは先の戦いで一時瀕死の重傷を負い、更に親しい弟を亡くしていたが故に、ほとんど生気のない佇まいとなっていた。だがロホルトに「私には貴公の力が必要だ、これからも私を助けてほしい」と直接言葉を掛けられ、弟のベイランを手厚く葬ってくれた恩義に感じ入ったのか、失意に暮れたまま亡くなりそうな気配はなかった。気力は充分、傷が癒えるのを待つ状態である。

 

「貴公らはどう思う?」

 

 ロホルトの問いに、魔槍を担う騎士ラモラックは肩を竦める。

 

「さあ。生憎と俺は件の魔女を伝聞でしか知りませんからな、直接会ったわけでもない相手を悪し様にこき下ろすのは騎士として有り得ない態度でしょう。そこの御三方は反対のようですが、陛下のしたいようにすればよろしいかと」

「オレもラモラックと同意見です。陛下の為さることに間違いなど無い……とまでは言いませんが、例の魔女殿をなんの考えもなしに召抱えようとする陛下ではない。そうでしょ?」

 

 ベイリンの言の通りだ。ロホルトが何も考えずモルガンを召そうとするわけがない。モルガンへの忌避感から頑迷に反対しようとしていた三兄妹は、バツの悪そうな顔で目を逸らした。

 

 ロホルトは神妙に頷く。そしてちらりと傍らに立て掛けている槍を見た。

 

 彼の座す玉座には、一本の聖槍が備えられていた。其の槍の銘は――()()()()()

 騎士王の持つ聖槍とは異なるもう一本の聖槍だ。

 それはかつて、ベイリンが漁夫王ペラムの居城『聖杯城カーボネック』にて奪った聖遺物であり、それを用いた嘆きの一撃により聖杯城を破壊した対城宝具であった。ベイリンは城の倒壊に巻き込まれて聖槍を手放したが、彼の逸話を知ったロホルトから、スコットランド赴任前に回収を命じられており、探索の末にこうしてロホルトの手に渡っていたのだ。

 

 聖槍ロンギヌスは資格なき者に振るえるものではない。故にベイリンにはこれを担えず、にも関わらず用いた故にカーボネックに爪痕を残す嘆きの一撃を刻みつけてしまったのである。

 だが、ロホルトはこの聖槍から拒絶されていない。それが意味することの重大さは明白だろう。

 遥か未来の平和な国の倫理観念を有し、英雄の名に恥じぬ精神力と高潔さを兼ね備えたロホルトは、聖槍ロンギヌスの定義する有資格者なのだ。すなわち聖人の性質があると認められている証左と言えるのだが――ロホルトはこれを単なる危険物、国家で管理するべき呪いの品程度にしか考えておらず、有事の際には兵器として運用するつもりだった為、少々困惑させられてしまった。

 

 ともあれ聖槍に認められたというのは、ロホルトが考えていたよりも遥かに大きな慶事である。この風聞はロホルトが抑え込もうとしても無理があり、乾燥した草木に燃え移った火のように各地に広がってしまった。ただでさえ貧しい土地を呪い、殺す特級の危険物を、秘密裏に保管して隠蔽してしまうつもりであったロホルトだったが、事が公になったのなら仕方ない。ロホルトは聖槍を元々の管理人であるペラム王に返還しようとした。

 だが当のペラム王は返還を拒否した。というのもペラム王は、この聖槍により治癒不能の傷を負って歩けなくなっており、聖槍を手元に置きたくなくなっていたらしいのである。ロホルトが聖槍に認められるという慶事を齎したのを幸いに、ロホルトこそが次の管理人になるようにと、様々な建前を駆使して正式に頼み込まれる始末だった。

 

 ロホルトは聖槍を横目にしながら、己の考えを話す。

 

「ガヘリス、ガレス、そしてモードレッドの気持ちは分かる。いや……モルガンを直接知らない身からすると軽々しく知っていると言うべきではないが、奸物を懐に呼び寄せる愚を犯そうとするのを諫めんとする気持ちは有り難い。だが……はっきり言おうか。ハイランド地方の征服とピクト人の族滅で、私達は想定していたよりも大きな損害を被っている。今は有能な人材が喉から手が出るほどにほしい。それも早急に、だ。それは分かるね?」

 

 ロホルトに訊ねられ、ガヘリスらは苦々しい気持ちで頷いた。

 ピクト人は強かった。いや、強すぎた。歴戦を経てほとんど壊滅している状況から、精強なるブリテン騎士や英雄達を相手に一歩も引かず、あわや逆転勝利を掴む寸前までいったのだ。

 彼らとの死闘により、スコットランド現地の将兵はもとより、ロホルトの子飼いの近衛騎士――現代風に言うなら高級仕官、将官が半壊してしまった。彼らは青年会のメンバーでもあり、ロホルトからすると大事な手足に等しい。そんな彼らが半壊したという事実は、今後の計画や国家運営に多大な支障を来たすのが確実になったということである。

 

 彼らの死を悼み、悲しみ、嘆く気持ちは強い。かつてステファンという同胞を捨て駒にしたが、その時と同等の心痛を味わわされた。しかし現実問題として為政者がいつまでも塞ぎ込んでいてはならないだろう。ロホルトは彼らの抜けた穴を埋める必要に迫られた。

 キャメロットからの支援はあてにならない。というかしてはならない。キャメロットにいるアルトリアや円卓の騎士達も、大陸の不穏な情勢に備えなければならないのだから。

 

 ――神聖ローマ帝国が、再びブリテン島の支配を企んでいるのである。

 

 ギリシャ、バビロニア、ヒスパニア、アフリカと広大な版図を有し、果ては人間以外をも支配下に置いた稀代の皇帝ルキウス・ヒベリウス。その野心の目がブリテン島に向いているのを察知したとあれば、貴重な人材をスコットランドに派遣する余力などあるはずもないだろう。むしろアルトリアが支援を申し出てもロホルトの側から拒否する。

 

「であるならモルガンほど優秀な魔術師が在野にいて、その卓越した能力を遊ばせているのがどれほど罪深いか明確だろう。ましていつまでも一個人のテロリスト――もとい危険人物を取り逃がし続け、放置している場合ではない。私はなんとしてもモルガンを仕官させるつもりだ。叶わないなら――殺す」

 

 冷徹な宣言に、月輪王の苛烈さを知らぬラモラックやベイリンは驚き。知っているはずのモードレッドとガレスですら息を呑んだ。ガヘリスのみが平然としていて、彼は目を細め問い掛ける。

 

「では陛下。私が身命を賭して敬する月明かりの王よ。そこまで仰るということは、我が母を招き寄せる算段はつけてあるということでしょう。そして、始末する手段も」

 

 実の母に対して冷酷な物言いだ。しかし誰もガヘリスを咎めない。

 ロホルトは頷いた。

 

「トネリコから知恵を借りた。そして始末する策も、丁度手元にある」

 

 トネリコの名が出たのにガヘリスとガレスは微妙な反応を示す。が、構わず聖槍の柄を握ると、彼らは得心がいったように「ああ……」と声を漏らした。

 なるほど、確かにそれならば可能だろうと、彼らは納得したのである。

 ――ガヘリス、そしてガレスも、モードレッドも含め、三人は頭から決めつけていた。モルガンはロホルトにより討ち取られるだろうと。誰も実母が主の傘下に加わるとは思っていない。

 なぜならばモルガンは魔女なのだ。そして王たらんとする者であり、王位に在る騎士王を憎む復讐者なのである。まさか騎士王の嫡子であるロホルトに下るとは、如何なる賢者とて想定すまい。

 

 ロホルトは嘆息した。負の万感が籠もった、気疲れの吐息だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たしてロホルトは大々的に募った。最も魔術に明るい者を宮廷魔術師として取り立てる、と。

 

 幾人もの魔術師が名乗りを上げた。

 魔術師らしい打算や野心、自己中心的な利益の為に。

 そんな中に、魔女はしれっと混ざっていて。

 彼女は雑多な魔術師達を容易く、いずこかへと強制転移させるという神業を披露して払いのけた。

 そして恭しくロホルトに礼を示して、にたりと邪悪に微笑んだ。

 正面から現れた自身に、驚愕の目を向ける子供達など眼中に入れぬまま。

 

「お初にお目にかかりますわ、麗しの月輪王陛下。私はモルガン――なんでも魔術師をお求めになっているそうですね? 斯様に募られたとあっては、誇りに掛けて応じぬ訳にはいきませんわ。さあ、ブリテンで最も優れた手管の持ち主が、こうして罷り越しましたよ?」

 

 色素の抜けた真っ白のロングヘア。顔を覆う黒いフェイスベール。胸元と腹部に赤い紋様、魔術刻印を浮かび上がらせ、黒と青を基調とした衣装とも合わせると、一目で悪女との印象を覚える。

 野心と渇望に満ち溢れた、退廃と悪辣の美貌。人間離れして美しい魔女は、同じく当代無比の魂を有する高潔な王の美貌を見据え、たおやかに、そして悍しく嗤ってのけた。

 

 剣を抜き、殺気を放つ子供達は相変わらず意識すらせず。ただ月明かりの騎士だけを見て。

 

 そしてロホルトは、玉座に座したまま魔女の目をまっすぐに見詰め返した。

 

 

 

 



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32話

 

 

 

 

 

 伝説に名を刻む事になる騎士達は、主からの指示が飛ぶのを待っていた。

 

 悪逆なる魔、人ならざる女。ブリテン島のもう一人の支配者にして、従う者のない孤独な逃亡者。王権なき支配者は裸の王様に等しいのに、単独で国家転覆の策謀を成就させ得る知略を持つ。

 名をモルガン・ル・フェ。コーンウォールの猪、ブリテンの赤き竜とも号されるアーサー王を光の柱とするなら、モルガンは対極の存在として闇の底となるだろう。彼女は半分とはいえ血の繋がりがありながら、相容れぬ騎士王の仇敵として蠢動していた魔女なのだ。

 

 実の息子であるガヘリス、ガレス、そしてモードレッドは、のこのこ現れたモルガンの思惑を図りかねつつも、この場で母を討ち取ることになんの躊躇いもなかった。親子の情など全く無い、とガレスには言えない。少なくともガレスはモルガンに朧げな情を持っている。幼少期の短い時間だけだが、それでも彼女だけはしっかりと育てられていた記憶があるからだ。

 だが、立場上の夫にして主であるロホルトを害する存在ならば、たとえ敬愛する兄達やランスロットを向こうに回しても、一切の迷いなく刃を向ける覚悟がガレスにもあった。故にロホルトの命令さえあれば即座に母を魔女として葬る気概を赤の魔剣に込めている。

 

 しかし。

 

 一廉の英雄といえる力を具えた騎士達の殺気を浴びながらも、魔女は余裕の笑みを消さなかった。

 ガへリスはロホルトを横目に見る。ガレスがロホルトの様子を窺う。モードレッドは焦れてロホルトに視線を向けた。玉座に腰掛ける青年王ロホルトは、完全武装の騎士達の無言の目に、しかしなんの反応も返さない。一応身構えてはいる銀騎士ラモラックとベイリンに緊張感は特になく。ロホルトはただただ魔女の琥珀色の瞳を見詰め続けている。

 

「……陛下?」

 

 沈黙に耐えかねて、筆頭騎士ガへリスが呼ばう。ロホルトは無表情だ。さてはなんらかの魔術を掛けられたのかと思い魔女を睨むが、モルガンが魔術を掛けた様子はない。ロホルトの強力な対魔力があれば、相応に強力な魔術を用いねばならないはずだ。そんなものを魔女が使おうとして気づかないほど、円卓の騎士でもある自分やラモラックらが節穴であるわけがない。

 やがてロホルトは重々しく口を開く。魔女を討てと、一言命じられたら良いと騎士達は構えた。だが今年で17歳となった青年は、騎士達の無礼を静謐とした面持ちで咎めたではないか。

 

「何をしている? 客人を前に剣を抜くなど、礼を失していると思わないか」

「なっ……!?」

 

 モードレッドが驚愕したように声を上げた。王の言葉で構えを解いたベイリンとラモラックをよそに、兜の騎士は敬愛する主の正気を疑った。

 理知的な目である。モードレッドはロホルトが狂っているようには見えず、しかしそれが信じられずに魔女を睨みつけた。

 

「糞ッ、陛下に何をした……母上ッ!」

 

 獣気にも似た荒々しい殺気を露わに、モードレッドは内心に根差す畏怖を超えた怒りを以て怒鳴る。

 しかし、モルガンは答えない。不気味に微笑んだままだ。代わりにロホルトの冷たい声がモードレッドの背中を撫でた。

 

「控えろ、モードレッド。私は礼を失するなと言ったぞ」

「……!? ぐっ……し、しかし……!」

「やめなさい、モードレッド」

 

 主に振り返り反論しようとする妹をガレスが制止する。ロホルトがなんのつもりか定かでないが、騎士としての領分を超えた振る舞いをしたなら、王は彼女をこの場から外してしまうだろう。

 何が起こるにせよ、戦力を外されては堪ったものではない。ガレスは主君の身辺を警護する身である、正式な騎士位は持たないものの、騎士として生きる身としてそれは看過できなかった。

 

「ッ……」

 

 ロホルトの目から温度が消える。

 立ち昇る月輪の王威。ロホルトの醸し出す凄みは冷気を帯び、彼の王気は親友たるガヘリスですら息を呑むほどに苛烈であった。ロホルトの虚無に通ずる眼差しにモードレッドも気圧され、無意識の内に剣を収めてしまう。ガヘリスやガレスも一旦殺気を鎮めた。

 臣下が大人しくなったのを一瞥したロホルトは、懐から一つの礼装を取り出そうとする。それは騎士王に侍る宮廷魔術師マーリンから贈られたもの。その指輪が宿す魔力を看破したモルガンはぴくりと眉を動かしたが、ロホルトは手の中で指輪を弄び、一瞬の思考を挟んで懐に仕舞い込んだ。――マーリンから贈られた指輪は、対妖精眼を企図したものである。身に着けた者の心の内を、妖精の瞳から隠し通す為の代物なのだが……ロホルトはこれを不要だと判断したのである。

 

「我が騎士が失礼した、モルガン殿」

 

 玉座に座したまま、ロホルトは目礼して非礼を詫びる。上の立場の者として安易に頭は下げられない、そのことを苦痛と思うことすらなくなるほど、上位者としての振る舞いが染み付いている。

 彼がマーリン作の指輪を嵌めなかったこと、その効能をロホルトを視ていた故に知ったモルガンは意外に感じていたが、ロホルトからの謝罪を受け取ることはなかった。

 

「失礼とは? 生憎今の私には陛下しか視えていませんわ。有象無象の()()()など、陛下の威光を前にすれば無いも同然。何に謝られたのかも曖昧なのに、謝罪を受ける謂れはありませんわ」

 

 あけすけに侮る発言に、ギリ、と歯軋りする音が鳴る。直情なモードレッドのものだ。

 

 しかしモルガンの言葉に偽りはない。魔女は本当にロホルトしか見えていなかった。いや、見る気になれないという表現の方が正確だろうか。

 さてはロホルトの美貌に見惚れたのか? 当世の人間とは思えぬ精神性に眼が眩んだとでも? 否だ、()()()()()()じゃあるまいし、その程度のことで視界が狭まる魔女ではない。

 

「そうか、なら謝罪を撤回する。改めてよく来てくれた、ブリテン随一の魔女モルガン・ル・フェ。貴殿とこうして会えたこと、私は嬉しく思う」

「……恐縮ですわ」

「畏まらなくていい。私は貴殿の在るがままを知りたいのだから」

 

 彼女がロホルトしか見えない、見る気になれないのは――ひとえに彼の青年王の放つ、彼の聖性と掛け離れた冷酷な()()が原因だ。殺気ではない、殺意である。個人的な恨み辛みのような安いものではなく、ロホルトは自らに課した使命に殉じて殺すべきものは殺すと定めていた。故に、彼は決して情で手を鈍らせまい。彼はただ理と利のみで命を摘み取る。

 息の詰まる凄絶なカリスマだ。単なる一英雄、いや、一神話を代表するような大英雄にすらない、王者にして聖者たる器の持ち主にしか発せられぬ、無色透明でいて汚濁に塗れた人間性の闇。王の在り方が極まった者の凄味は、赤き竜の息吹を全身から放射しているかの如く冷たく、そして熱いものだ。モルガンは背筋に冷たい汗が浮かぶのに、己が戦慄していることに気がつく。

 

(……まさか、王位に就いてまだ間もない人間が……)

 

 ただ其処に在るだけで、己を圧倒するとは。

 

「………」

 

 笑みが消えた。制空圏とでも言えばいいのか、余りにも広大な()()の間合い。月明りの騎士がほんの一手で己を殺し得る手を有していることに、魔女は此処に来て気づいたのだ。

 モルガンが己の臣下に加わるなら良し、加わらぬなら殺すとロホルトは決めている。魔女は月輪王の生命線を握っている、それが彼女の心の余裕であり、優位性であるはずだったが……彼の青年王は玉座に座ったままで己を一息に殺せるのだとすれば……迂闊に彼の前に現れたのは軽挙であったのか? そう考えてしまうも、モルガンは一つ息を漏らして冷静さを取り戻した。

 聖剣ではない、聖槍……否、神槍によってか。ロホルトは己を確かに一息で殺せる――だがそれはこちらも同じこと。そしてこの場から逃れる術も念のため用意している。有利なのが自分の方なのは明らかで、それを自覚してモルガンは平静を保った。しかし、いざ事を起こせばロホルトは死ぬが、同時に自分も死ぬ可能性があるのは強く意識する。最悪、相討ちすら有り得るとは……。

 

(アルトリアは、とんでもない化け物を育てたな。認めるのは癪だが、アレもまた王の器の持ち主。しかしその性質は万民に寄り添う聖者のモノだ……だがロホルトは違う。民に寄り添わず、効率と無駄を手繰り、支配し、導く、徹底的に鉄血を重んじる能率の王だ。ロホルトはアルトリアを超える大王になるだろう……アルトリアがこの者を理想の王だと見做す理由がよく分かった)

 

 モルガンの心から色が消える。氷のように冷たい、俗世の事象に冷めきった才女の顔になる。硬質な石のように固い顔は、あるいはモルガンの根底にある本質なのかもしれない。

 こうして実際に対面しなけば伝わらぬものがある。同じ王たる者でなければ認識できない領域だ。精霊でも人間でもない、魔女にして女王である自分でなければ分からないだろう。

 ロホルトの眼差しは重く、鋭く、見たモノの芯を食う。故にモルガンは魔女として対峙していては呑まれると直感し、卑しい薄笑いを消して女王たる冷厳さを表出したまで。――王として君臨するロホルトの存在が、『魔女モルガン』に付随する退廃と淫靡、湿った闇を削り落としたのだ。それは王の気質と妖精眼を持つモルガンだからこその迅速な変化であり、吉兆である。

 

 ロホルトはモルガンの雰囲気が変化したのに目を細め、明朗な声音で言葉を発した。

 

「早速で悪いが本題に入ろう。モルガン殿、私の質問に答えてほしい」

「……いいだろう。出向いたのは私だ、お前には私を図る資格がある」

 

 明確に()()()()モルガンの佇まいに、ガヘリスらは目を瞠る。どうしたことか、闇に潜み復讐に心血を注ぐばかりの魔女らしからぬ、王の威風を感じてしまったのだ。

 

 戸惑う者達は置き去りだ。これより先は、月輪王と妖精女王以外を端役とする舞台となるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 口火を切ったのは、ホストであるロホルトだった。

 

「私は優れた魔術師を求めた。なぜなら先の戦いで被った損害を補填し、国是でもある国土拡大に取り掛かるには、尋常の手段に拘っていては膨大な時間を掛けてしまうからだ」

「しかし、その時間こそが落とし穴。だからゴーレムなりホムンクルスなり、人手不足を解消する術を有した者を募集した。そうだな?」

「如何にも。危機的状況下にある我が国を救えるのは、もはや魔道への造詣に深い者だけだろう。一個人の技能に頼らないといけない状況を招いた私の落ち度だ、無能と謗られても甘んじて受け止めるしかない」

 

 自虐めいた物言いに賛意を示す者はいない。

 ロホルトが無能なら他者はなんだ? 無能を超えた害悪ということになる。

 しかしロホルトは己の力不足が歯痒いのだろう、本心で言っているのが傍目にも伝わった。

 

「だからこそ貴殿が来てくれたのが私は嬉しい。貴殿なら私の求めるものを察しているだろうに、こうして来てくれたということは、自分ならどうにか出来る自信があるということだろう」

「当然だ。お前の求めるものを察しもせずに現れては能無しという他にない」

「そう言える貴殿だからこそ期待を持てる。だが私には分からないんだ、モルガン殿。――貴殿の志望動機が私には少しも想像できない」

 

 志望動機。端的な言葉なのに、なぜか場違いに聞こえる響きだ。なのに適切なものでもある。

 ロホルトは探るようにモルガンへ問い掛けた。

 

「なぜ貴殿は私の許へ現れた? 此処に来たということは、私に仕えて良いと思ったということ。客人である貴殿を悪く言うのは憚られるが、モルガン殿の来歴からして、父上の子である私に貴殿が味方するとは到底考えられない。なぜ貴殿は此処に訪れた? 何を求めてこの場に姿を晒したんだ? マーリンから聞いている、貴殿は妖精眼というものを持っているそうだね。なら貴殿が仕官しないなら、私が貴殿を殺めようとしているのも視えているだろう。なのになぜ逃げようとしない」

 

 当然の疑問だった。モルガンは見つかり次第殺しに掛かられても文句は言えない立場だ。であるのに何故ロホルトの招きに応じた? 論理的に考えると理解に苦しむ。

 ロホルトは黒いフェイスベール越しにモルガンの瞳から目を逸らさない。彼の真っ直ぐな目に、モルガンはほんの数秒の沈黙を挟んだ。

 

 なぜ? なぜだと? ……なぜだろう?

 

 ヴィヴィアンが贔屓し、トネリコが肩入れしている。この一事でモルガンが関心を持つのは自然だ。自身の別側面を通じて知った、この英傑の異常さ、内面の異質さに興味を持ったのだから。

 出自、成長環境、内面、外面、能力。全てを併せることで、モルガンという存在が関心を寄せる要素が生じている。しかしそれだけなら単なる敵、利用するだけの存在にしかならなかった。

 ではなぜモルガンは未だ彼を利用していないのか。ロホルトを除けば、それだけでブリテンは破滅する。憎たらしいアルトリアは絶望し、忌々しい円卓は瓦解して、仇敵マーリンの望みを破綻させてしまえるだろう。なのになぜ、己は手を止めてしまったのだ。

 

『――ロホルトは(モルガン)の過ちを指摘してくれる――』

 

 トネリコだ。自身の人間としての側面の言葉が、呪いが、己を縛っている。

 

 過ち、過ちだと? この私の? モルガンの為してきたことに、過ちなどない。そう信じているのにトネリコは過ちだと言った。長くロホルトと接してきたトネリコが、ロホルトから影響を受けてそのように感じたのだろうが、いったい何が過ちだというのか。

 それが、気になる。気になって、仕方ない。

 だから来たのだ。ロホルトの命を握っているという事実が、モルガンにある病的な人間不信、慎重さと臆病さを軽減して、無謀にも敵地のど真ん中に身を晒させたのである。

 素直にそれを告げるのは誇り高い性格が邪魔をした。だがモルガンは聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だというロホルトの言葉を思い出す。トネリコが彼から聞いた台詞だが的を射ていた。こうして足を運んだのに、訊ねもしないまま決着をつける方が愚かだろう。

 

 モルガンは意を決して、黒いフェイスベールを外し、素顔でロホルトの眼を見詰め返した。

 

「……愚かにもこの私に、私が過ちを犯したと言った者がいる。そしてこの世でただ一人、お前だけが私の過ちを詳らかに出来ると告げた。私は私の誇りに懸けて、私が犯したという過ちを知らなければならない。言うなればロホルトという人間に問い掛ける為に、このようなつまらない場に参上した訳だ」

 

 モルガンの言葉にロホルトは眉をひそめる。そして以前トネリコが言っていた妖精とはモルガンのことかとすぐに理解した。

 頭の回転が早い。流石だなと魔女は思う。

 モルガンの言葉はロホルトをよく知る者がいなければ成り立たず、であればこそトネリコとモルガンになんらかの関係性があるのは自明となろう。正体をわざわざ教えてやる気はないが、徹底的に隠す気もない。トネリコが困ろうが知ったことではないのだ。

 

 ロホルトは暫し思考し、嘆息した。

 

「悪いが、私には貴殿の犯した過ちなんて見当もつかない。なんせ私はモルガン殿を風聞でしか知らないからだ。これでどうやって過ちを指摘しろと?」

「道理だな。……ああ、ならお前には話しておこうか、私の出生と原初にあった目的、そして本来私のものになるはずだった全てを」

 

 そうしてモルガンは、生まれて初めて己の起源を話し始める。

 己の父と母のこと、アルトリアと自身の関係性。己がブリテン島の意思の化身であること。

 全てだ。全てを明かした。ロホルトとモルガン、どちらかが此処で死ぬというなら、明かさぬまま決着をつけるのは余りに無為だと判断したのである。

 

 ――モルガンは先王ウーサー・ペンドラゴンの長子だ。

 

 最初は自分こそがブリテンの後継者候補だったのだ。しかし人理に肩入れする人と竜のハイブリッドである騎士王を設計し、神秘に肩入れする人と妖精のハイブリッドであるモルガンを比較して、先王が後継者に選んだのは盟友マーリンを後見人にした騎士王だった。

 道理が通らない。モルガンはただの妖精の子ではなかったからだ。ブリテン島の神秘の意思、その化身として生まれた存在である。ブリテン島の原始の呪力も保有している。そしてウーサーはモルガンへと、ブリテンの王に選ばれた者に与えられる神秘の力、『ブリテン島の加護』を受け継がせており、モルガンは今もブリテン島の所有権を有していた。

 なのになぜ、ウーサーの後継者が自分ではない? モルガンはブリテンの後継者の資格を持っている。父に愛されず、母から引き離されて、残されたのはモルガンが受け継ぐはずであったブリテン島のみ。モルガンは己の価値を王座にしか見い出せなかった。

 

 父の期待を一身に受け、モルガンが手にするはずだった全てを持った者。それがアーサー王だ。

 モルガンが騎士王や円卓と敵対した理由は――騎士王自身に咎は無いと理解してはいるが、騎士王に敵対し破滅させねば、本来自分が手に入れるはずだったものを奪われている己は無価値で、無意味な存在だとしか思えなかったからである。

 

「………」

 

 父から王権を継承させてもらえず、ただ生まれただけ。存在意義を果たさせてもらえず、己が生きて此処に存在していることの証を示す為に、ウーサーやマーリンへの復讐の為に国を滅ぼす。

 モルガンの全てとはそれだ。そしてその話を聞いたロホルトは絶句してしまっている。傍から聞いていた騎士達も言葉が出ない。「なんだそれは、それではまるで、子供の癇癪ではないか」とガヘリスが喘ぐように溢すと、魔女は冷淡な視線を我が子に向けた。

 

「己に定められた存在意義を、虚空に投げ捨てられたことがあるのか? お前の所感は正しい、だがその正しさは『奪われたことがない者』の、唾棄すべき傲慢さだ」

「母上……」

「私は確かにウーサーの子だ、しかしブリテン島の意思が産み落としたモノでもある私からすると、この手から支配する権利を掠め取った者は怨敵となる。人間の尺度で図られては不快だ」

 

 モルガンの心の裡を聞いたロホルトは、確かに理解できないなと思う。

 島の意思? なんだそれは。意味不明である。人の身に理解できるものではないし、安易な想像で理解したつもりになるのはモルガンへの侮辱だろう。

 しかし分かることはある。ロホルトは呆れたように嘆息した。

 

「……私の祖父、ウーサー・ペンドラゴンは稀代の大英雄だ。ローマから、ヴォーティガーンから、サクソンやピクトからブリテンを護り、次代に繋げた功績は大きい。しかし……どうやら王としては落第だったらしいな」

「ほう……?」

「後継者として生み育てた長子に加護や権利、力を渡しておいて取り上げずにいて、第二子に王位が渡るように手配していながら長子を始末していない。後継者の代に内乱の目を残したのでは、晩節を汚したとしか言えないだろう。なんて醜態だ、ウーサーは馬鹿だな」

 

 あけすけなロホルトの侮蔑に、モルガンは薄く嗤う。騎士達は少し慌てていた。先王ウーサーの名声は未だ根強い、救国の英雄として信奉している者も存命だ。なのに月輪王は素直に呆れている。

 これがモルガンへの媚び、歓心を買おうとしての言葉なら成功している。だがそんな意図があれば妖精眼で見破られ却って軽蔑されていただろう。

 しかしロホルトにそんなつもりはまるでなく、そうであるからこそ小気味が良かった。ウーサーがモルガンを始末しておけば、稀代の魔女が蠢動することはなかっただろうと言われても、全く以てその通りなのでモルガンも反発することはなかった。

 

 しかしここで、ロホルトが率直に踏み込んだ。それはモルガンにとって不意打ちとなる問いだった。

 

「――話を纏めると、モルガン殿は王に成りたかったと、そう理解してもいいのか?」

「――――」

 

 王に、なりたかったのか、だと……?

 一瞬なにを言われたのか分からず、しかし理解すると、モルガンは眉を顰めた。

 当たり前だろう。当然の権利である、本当は自分が王になるはずだったのだから。睨むモルガンに対して、ロホルトはこめかみを揉んだ。はぁ、と露骨に嘆息されて、モルガンは苛立った。

 

「……貴殿の犯した過ちというのが何か、私には分かった」

「何?」

 

 分かっただと? 私の犯した過ちが? モルガンが訝しむ、彼女の瞳はロホルトの心を視ていて、なのに何も浮かんでいないということは、感じたものをそのままダイレクトに言葉へ変換しているということだ。早い話が脊髄反射で言葉を放っているのである。

 ならば嘘など有り得ない。ロホルトには本当に『過ち』が何か理解できたということだ。

 ロホルトはモルガンに憐れみの眼を向けた。なんだ、なんでそんな目で見る……モルガンは屈辱を覚えて、次いで放たれた言葉に石化した。いや、石と化したかのように心身が凝固したのだ。

 

「貴殿の過ちは、()()()()()()()()()()()だ。ウーサーやマーリンへの怒り、憎しみが貴殿の行動を誤った方向に向けさせ、無意味で無価値な復讐に駆り立ててしまっている」

「……私が、怒りで道を誤った、だと……?」

「そうだ。モルガン殿ほどの叡智の持ち主がなぜ気づかない? 妖精眼がありながらなぜ人の道を見通せていない? 目と心が曇っているからだろう。いいか、モルガン殿――いや、モルガン」

 

 透徹とした眼差しに打算はなく、ただ本心でのみロホルトは指摘した。それこそがトネリコの予言、モルガンに突き刺さる根本的な過ちの正体である。

 

貴女の間違いは我が父アーサーと敵対したことだ。騎士王は王位を欲しているのではない、この国と民の平和を希求している。つまり早期に父上へ貴女が接触して、事情を説明し、渇望を打ち明けたのなら、父上は王ではなく騎士として貴女を支える道を選んだだろう」

 

「……は?」

 

「父上の理想は平和だ。貴女の渇望は王位と支配だ。貴女達姉妹(きょうだい)が力を合わせたなら、貴女の統治下でも父上の是正が入り盤石な国家となっていた。なのになぜ父上の仇敵になっている? 妖精眼があるのになぜ父上の在り方を理解していない? 貴女は自分で自分の望みを断っている……ああ、貴女がそれに気がついていて、早くに父上と接触しようとしたのにマーリンが邪魔をしたとしようか。その場合も貴女のゴールは父上と話をすることだったはずだ。そうすればたとえ父上が王位につき騎士王になった後でも、貴女は最低でも宰相として国の舵取りは出来たし、なんなら副王にでもなっていたかもしれない。父上は王位に縋りつかない、貴女が最適だと判断すれば王冠を譲る道筋も考えていただろう」

 

 ロホルトの言葉が、モルガンの心に、脳に、深く突き立つ。

 

「私の理解している父上はそういう人間だ。妖精眼を持つ貴女から視ても、父上はそういう人間なのではないかな?」

「………………、…………。…………………………」

「残念ながら、今となっては絵に描いた餅――もとい机上の妄想だけどね。モルガンはやり過ぎた、今更王になろうとしても手遅れだろう」

 

 きっちりトドメを刺しておきながら、ロホルトに毒はなかった。だが、毒がない率直な言葉と心であるからこそ、モルガンの頭は空白で埋まっている。

 

 言われてみたら確かに、と、思ってしまった。

 盲点だった。考えもしなかった。だが確かに彼の言う通り、アルトリアという小娘はそういう人で。

 まだ純白の衣を纏っていた、修行時代のアルトリアなら、モルガンを受け入れ自身を支える騎士の道を選んでいたかもしれない。

 彼女は王ではなく、騎士が性に合う。なら生粋の王であるモルガンと出会っていたなら……?

 

「………………………     ――――      ぇ」

 

 モルガンは彫像のように固まり、何も言えなくなっていた。

 

 隙だらけである。今ならナイフを持った子供でも刺殺できるだろう。

 だがロホルトは彼女に何もせず、残酷なまでに言葉を続けた。

 

「どうしてこう、父上も貴女も言葉が足りないんだか……いや貴女に比べたら父上はまだ足りている。貴女は言葉を紡げる場にも立たなかったんだからね。……視えすぎるのも考えものだ、視えているからこそ頭が固い。()()()()()()()()()のに、心を理解したつもりになっているから大事なものを見落としてしまう。モルガン、君は人の心が――自分の心が分かっていないよ」

 

 ぐらり、と。

 モルガンの体が、傾いだ。

 

 ぐらぐらとする。立っている場所が、足場が不確かになる。

 ぐにゃりと視界が歪んだ。

 

 ……ロホルトの言う通りにしていたら、どうなっていた?

 

 考えてしまった。

 

 すると、明晰な頭脳が演算してしまう。

 

 

 

 ――王冠と王位を戴く己と、己の第一の騎士として立つ妹の姿が、脳裏に描かれた。

 

 

 

「――――あっ」

 

 全てが、揺らいだ。

 己の過ちが、己の望みを断っていると、理解してしまって。

 モルガンは今、絶望していた。

 月輪王の異常な高さにある視座と、未来が視えているかの如き言葉の矢で。

 

 そして致命的に心理面の防御が崩れた魔女へ、ロホルトは言うのだ。

 

「しかし、貴女も変わってるね。ここだけの話……ブリテンの王なんて罰ゲームもいいところだ。

 代われるなら代わりたいよ、私は。そういうわけにはいかないけどね。

 ――モルガン、私から提案がある。

 聞いてくれないかな?」

 

 ロホルトの提案に、首を横に振ることは、モルガンには出来なかった。

 

 

 

 

 

 




ルキウス皇帝陛下の統治する国(ローマ)に関して数件指摘がありましたので、私の考えと本作の設定についてお話します。

ルキウスは大陸最強の戦術家です(公式設定)。支配する土地も広大極まる。そしてルキウスは聖剣エクスカリバーで歴史からも消え去るほど徹底的に消し飛ばされています。
有能で最強な皇帝が歴史から消し飛ばされてしまえば、そりゃ史実に相応の混乱と破綻が現れるでしょう。そこで人理君が修正の手を加え、今ある史実の形に変わったのだとすれば?

まあ早い話、ルキウスが統治していた帝国は存在しなくなった結果、ローマが東西に別れたという形になったのでしょう。
神聖ローマ帝国という、この時代にはない国名をつけたのは、「ルキウスという架空の存在が統治する国も架空の存在である」ということを、端的に現した形です。


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33話

 

 

 

 

 

 

「――本当に()()モルガンを召抱えたのか? しかも、よりにもよって宰相として?」

 

 事が事であり、従えた者に付随する問題が大き過ぎる。流石に今回の件を報せずにいては、事が露見した後に騒ぎが起こるのは必定であるとして、ロホルトは己の筆頭騎士であるガヘリスを父王の許へと派遣していた。自らが召抱えた者に関して説明させる為だ。

 陰影の騎士ガヘリスは、ロホルトより姿隠しのマント『日蝕の外套(グウェン)』を貸し出されており、姿を透明にすることが出来る。これを利用して騎士王へ極秘裏に接触し、彼の王に特定の人物達を呼び出してもらって、魔女モルガンが月輪王に仕官した件を伝えた。

 

 秘密の会談を行うのに最適の場所、円卓の間にいるのは騎士王アーサーと宮廷魔術師であるマーリン、魔女の子供達であるガウェインとアグラヴェインである。彼らはガヘリスからの報告に、己の耳とロホルトの正気を疑ってしまったが、マーリンだけは胡散臭い笑みを浮かべていた。

 

 ガヘリスは能面のような無表情で応じる。

 

「は。我が主はモルガンほどに優秀な者を、完全に抹殺するでもなく放置するのは愚昧極まるとして、魔女モルガンと会合し見事従えてのけました」

「――馬鹿な、有り得ない。あの女が我々に……幾らロホルト様が相手といえど仕えるわけがない。水面下でよからぬ企みを進めているはずだ、早急に始末をつけるべきだろう」

 

 吐き捨てるように断じたのは『鉄の騎士』アグラヴェインだ。魔女モルガンの子であり、また兄妹達の中で最もモルガンを知悉する彼は、極めて妥当で当たり前の所見を述べる。

 実母への嫌悪感の程度に差はあっても、苦い顔をしているガウェインも同意見なのだろう。ロホルトの安否に関して人一倍敏感になっているガウェインは実弟に対して厳しく詰問する。

 

「ガヘリス、殿下が……ロホルト様が母上の魔術に操られてはいないでしょうね」

「無論です、兄上。元より我が王ほどの対魔力の持ち主に、尋常の魔術は通じない。ロホルト様に通じるほどの魔術を行使していれば、傍に控えていた私やラモラックらが気づいています」

「……信じられん。ロホルト様はどうやってアレを従えた? ガヘリス、詳しく説明しろ」

 

 アグラヴェインが問うのに、ガヘリスは重々しく頷いた。

 アーサー王たるアルトリアは、モルガンに関しては風聞での印象と、マーリンから聞いた情報しか知り得ていなかったが、ロホルトが正気のまま召抱えたのなら問題ないだろうと信じている。しかしどうやって魔女を従えたのか、その経緯は気になるので口は挟まずにいた。

 

 ――ガヘリスは淡々と当時の状況、交わされた会話の内容を諳んじる。

 

 モルガンの出生と想い、魔女に堕ちてまでキャメロット……ひいては王国とアーサー王に仇を成し、復讐に走るようになった動機。原初にあった権利と存在意義、魔女にとっての全て。

 それらを聞いたアグラヴェインとガウェインの顔は見ものだった。なんだそれはと顔に書いてある。それはそうだろう、ブリテン島の加護だの所有権だのと、人の身で聞いても意味不明だ。

 困惑する彼らを尻目に、アルトリアはマーリンを横目に見た。知っていたのかと目で問うアルトリアに夢魔は無言だった。顔は微笑んでいるが、目は微塵も笑っていない。寧ろ自らの犯した判断ミスに気づいて、らしくなく悔しがっているような目をしていた。

 次にガヘリスが、ロホルトがモルガンに指摘した『過ち』に関して諳んじると、マーリンの顔から微笑みが剥がれ、むっつりとした表情になる。

 モルガンのするべきだったことがアーサー王との話し合いで、血の繋がった姉弟として助け合うことだったのだと聞いて、苦虫を噛み潰したかのような顔をしたのだ。

 

(――しまったな。モルガンがアルトリアの存在を知ったら必ず害すると決めつけて、徹底的に秘匿するのが正解だと判断したのが……まさか悪手だったかもしれないなんて)

 

 どうしてその道を考えもしなかった? 人理による干渉? いいや、マーリンは人ではない、人ではない存在に対する人理の干渉は『排斥』のみ。

 であるのならマーリンの性格的な思考のベクトルが、モルガンを危険視して遠ざけたことになる。モルガンとアルトリアが協力し合う未来……もしそんなものがあれば、掛け値なしのハッピーエンドを迎えられたかもしれなかった。この、全てが終わっているこのブリテンで。

 

 マーリンはらしくなく己の不覚を悔やんでいたが、アルトリアにも惜しむ気持ちが芽生えていた。

 

 ロホルトの指摘した過ちに、モルガンは茫然自失していたという。自らが女王として立ち、アーサーが騎士として女王を支えるというifの話は、アルトリアにとっても目が眩むような話だ。

 アルトリアも魔女の厄介さは骨身に染みている。個人でこれほど国を掻き回し、たった一人で暗躍を続けられる魔女が王になっていて、そしてそれを自身が監視し、正し、支えていたら……。それはきっと、途方もなく理想的な関係になっていただろう。

 なぜモルガンは自分に会いに来てくれなかったのか。感情の問題か? 嫉妬や憎しみで目が曇っていた? それは……あるだろう。だがそれだけではないかもしれない。たとえばブリテンを滅びに向かわせようとしている運命であったり、あるいはマーリンがそうなるように誘導した可能性もある。今更真実を追求する気にはなれないが、愛息の語ったifに虚脱感を覚えてしまった。

 

「……それで? ロホルト様はなんと言って魔女を従えた。今の話が魔女の真実なのだとしても、アレはそれだけで他者の風下に立つ女ではない」

 

 難しい顔をしていたが、変わらず鉄のように固い顔のアグラヴェインが言うのに、ガヘリスは当時の状況を思い返して一瞬目を閉じた。

 心理的な大打撃を受け頭が真っ白になった魔女へと、月輪王は闇夜に差し込んだ月明かりのように言葉の糸を巻きつけたのだ。

 

 

 

『貴女はもう絶対に王にはなれない。だけど王という「名」は失っても、まだ王の役目という「実」は手に入れられる。どうかな、このスコットランドを貴女の才腕で動かしてみないか?』

 

『……どういうことだ』

 

『この国は旧オークニーの土地を中心にしている。オークニーは元々貴女の本拠地だ、此処に来てまだ日が浅い私よりも周辺の勢力図や関係性、問題点の全てを知悉しているはずだろう? 私の目指す未来という指針にこそ従ってもらうけど、それ以外の面でこの国を統治してみたくはないかな? つまり影の宰相、裏の王として私の傍に立つ気はないかと訊いているんだ』

 

『なっ……しょ、正気かお前は……!? 私を……玉座なき王として祀り上げる気か……!?』

 

『そうだ。指針は私が定める、貴女はそれに従い国を治める。最終決定権は私にあるが、貴女にとって悪くない話のはずだ。ちなみに拒否権はない、貴女にも策はあるのだろうが、断るなら刺し違えてでも死んでもらう』

 

 

 

 斯くしてモルガンは、最後まで逡巡しながらもロホルトに屈した。当日からモルガンはロホルトに急かされるまま、無数のゴーレムを緊急開発し、『粛清騎士』と命名しようとして――名前が物騒過ぎるため却下されロホルトに『機兵』と名付けられた。その『機兵』をロホルトの名の下に治安維持、賊の討伐に導入し、細かな工作や農業にも加えたという。

 

「『機兵』? なんだそれは」

 

 アルトリアが興味を示すと、ガヘリスは感情のない機械のように淡々と説明する。

 その様は、彼が未だにモルガンを召し抱える判断に不満を持っているかのようで、騎士としてあるまじき態度ではあるのだが、相手が相手で、事が事である。責めにくい態度であった。

 

「は。ブリテンの騎士を模した、全身甲冑姿のゴーレムです。小型の魔力炉心を搭載し、並の騎士より優越する戦闘力と、ゴーレムである故にメンテナンスと補給を欠かさねば半永久的に活動できるタフネスさを兼ね備えています。また外観が『騎士』である為、治安維持活動を行なっても民衆に不安を感じさせず、ゴーレムである故に報酬や不正の心配をする必要がない代物でした」

 

 なにそれウチにもほしい――アルトリアは率直にそう思ったが口には出さなかった。

 為政者が喉から手を出すほど欲する、裏切りの心配や無報酬で永遠に働いてくれる労働力……しかも並の騎士よりも強い戦力など夢のような存在だ。

 アグラヴェインが舌打ちする。宰相の視点を持つ彼にも『機兵』の利便性、有用性は理解できた。故にそんなものをあの淫蕩な毒婦が作り上げたというのは、彼にとって忌々しい限りである。

 

 だが、問題点もある。ブリテンの騎士は精強だが、その分自我が強く自己主張が激しい。自身の役割や居場所を削ぐような、人間以外の――正確には騎士以外の存在は許容しないだろう。

 たとえば円卓の騎士達が相手なら、あの御方なら仕方ないと潔く諦めるだろう。だがゴーレムなどに食い扶持を奪われるようなことがあれば不満を持ち、なんらかの愚行に走る危険性がある。

 現在のスコットランドのように、深刻な人手不足問題がある末期な状況下でなければ、騎士達は決してモルガンの生み出した『機兵』を許容すまい。いやそんな状況でもなお不満を持つ者はいるはずだ。それを踏まえてもGOサインを出さざるを得ないと考えたが故の『機兵』の登場である。

 

「率直な意見が聞きたい。ガヘリス、貴公はモルガンが我が息子に従い続けると思うか?」

 

 アルトリアは最も気掛かりな点に関して問いを投げた。ガヘリスの顔面がひどく歪む。

 魔女の風聞や来歴を考慮すれば、魔女が宮仕えを継続する可能性は極めて低いと言わざるを得ない。かつてのオークニー王の正妃をしていた時のように、王を傀儡にでもしなければ。

 故にこそこの心配は当然のもので、ガヘリスの答え次第では自らスコットランドに乗り込み、アルトリア自身の目で全てを見極めるつもりであった。

 

 しかし、ガヘリスは言葉に詰まっていた。中々返答しない彼に焦れたのはアグラヴェインである。女性全般を疎み、毛嫌いするようになった原因であるモルガンが絡んでいるからだろう、彼らしくなく性急に答えを引き出そうと険しい貌をしていた。

 

「ガヘリス。陛下のご質問に答えろ」

 

 兄からの圧力を受け、それでも苦しげな顔を崩さないガヘリスだったが、ややあって観念したように細長い息を吐いた。そして彼は言う。渋々と。

 

「我が王ロホルト様は、悪魔をも従える悪辣さの持ち主でした」

「……どういうことです?」

 

 ガウェインが反駁すると、陰影の騎士はますます苦い顔をした。

 

「魔女が受けた精神的な打撃は恐らく本物だったのでしょう。あの茫然自失とした貌は、演技で出来るものではない。故にロホルト様は意識的にか、あるいは天然でか、ご自身の職務のほとんどを魔女に明け渡し、かつ他所から仕事や問題を持ち込んでは次々と押し付け、休む間もなく魔女を働かせ続けております。恐らくは今現在も、寝食の間もなしに」

「……は?」

「騎士達への給与明細の作成、民衆の中から出た犯罪行為や騎士同士の諍いへの裁定、『機兵』のメンテナンスや補給、物資の管理、必要な建造物の設計や配置、周辺の領地の代官の精査、反抗的な領主達への対策、粛清するべき不届き者達の結束を崩す分断策の実施……その他にも多岐に渡る諸問題。ほぼ全てに魔女を関わらせ、ご自身は横で監視しておられます」

 

 ――モルガンは早くも過労死寸前です。よからぬ企みなどする余裕がない。

 

 ガヘリスがそう結ぶと、騎士王やその騎士達は沈黙させられた。

 

「………」

「………」

「………」

 

 キャメロットの文武を司るガウェインやアグラヴェイン、頂点のアルトリアも何も言えない。

 予想以上に苛烈で、馬車馬のように働かされているというモルガン……アルトリアは微かに同情した。ともするとアルトリア以上に仕事人間であるロホルトに、己の仕事ぶりを監視され、横から辛口の評論を垂れ流されては……さすがのアルトリアでも泣きが入っているかもしれない。

 モルガンが類稀な知性や才能を有していようと、為政者としては初心者である。かつてロット王の正妃であったといえど国政に関わっていたわけではないのだ、統治面では素人のようなもので、仕事時のロホルトの淡々とした調子で糾されているとすればモルガンの心が摩耗しかねない。

 

 ――もしやロホルト様は、狙ってアレを摩耗させようとしている?

 

 ロホルトの仕事ぶりを思い返したアグラヴェインがそう思うが、アルトリアは苦笑いしながら真相に思い至っていた。

 

 ――天然で働かせてそうだ。

 

 天然だから悪意がない、自身の代わりに手腕を振るうならこれぐらい熟せと言ってるだけだろう。でなければモルガンは牙を剥いているはずだ。

 奇しくも天然で悪意がないからこそ、心の折れたモルガンに立ち直る暇を与えず、余計なことを考えさせずにいるだけで、性急とも取れる魔女の抜擢は時間に追われているからでしかない。

 

「……スコットランドの状況は理解した。また何かあれば報せるようにとロホルトに伝えなさい」

「……はっ」

 

 アルトリアは曖昧な表情で命じると、ガヘリスは頭を垂れて頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ろ、ロホルト……そ、そろそろ、休息を挟んでも……?」

 

 目の下に濃い隈を拵え、弱々しく懇願するモルガンに、貴公子然とした青年王は無慈悲に告げた。

 

「休んでる暇はないよ? 皆頑張ってるんだから、貴女も頑張ってくれ」

 

 よく見ればロホルトも窶れている。

 青白い顔色と、痩けた頬を見ると、戦場にいる時より死にそうな貌をしていた。

 此処にはいないが、匪賊の討伐に駆り出されているガレスとモードレッドも似たような貌をしている。

 

 スコットランドは何もかもに不足している。

 人手だけではない、物資や糧食も当たり前のように欠乏しているのだ。

 それをなんとかする為に、寝る間も惜しんで政務に明け暮れて――神代の超人的な肉体の持ち主でなければ、ロホルトを筆頭に上層部は過労死している。

 モルガンは有能過ぎた。

 魔術面では神域の天才で、統治者としても天才的な辣腕の持ち主であり、周辺諸国の併呑案、併呑後の分断統治方法まで立案し、大過なく実行できる才覚を有しているのだ。だからこそ、休む暇など他の誰よりもない。この国――この島は、モルガンという才女を何よりも求めているのだから。

 

「喜んでくれ、貴女と私は一蓮托生だ。今更逃げようったってそうはいかないよ、絶対に離さない。怨むなら自らの有能さを怨むといい。出来ることが多すぎる自分をね」

「ぁ、ぁああ……」

 

 追加される書類――王子時代にロホルトが主導して導入した『紙』だ――の山を見て、ただでさえ青白かったモルガンの顔から更に血の気が引いた。こ、殺される……仕事に殺される……!

 モルガンは呪った。これほど問題を溜め込む前に解決してこなかった、旧来の支配層の全てを。そして恐れた……幼少期から今に至るまで、これだけの仕事を熟していながら未だに生きている月輪王を。あまつさえ戦場に出て剣を振るう余力があることに戦慄する。

 むしろ戦場にいる時の方がずっと元気な理由が分かる。

 戦場にいたら戦うことしか考えなくていい、それはなんて楽なことなのだろうか。ブリテンが滅びる運命にある理由が、神代の衰退の他にもあるのを痛感させられている。

 

 ――モルガンは立ち直れない。魔女として再起できない。そんな雑念、余裕が湧く暇を青年王が与えていない。一度心をへし折った後、畳み掛けるように『現実』という拷問台に掛け、逃さないように傍で監視している。そして自らが立つ場所が、己が渇望したものであるからモルガンにも逃げようという発想は湧いてこなかった。

 

 こうしてモルガンの『魔女』としての性質が擦り潰されていく。

 げに恐ろしきは人間――ではなく、人間の溜め込んだ負の遺産だ。

 

「頼む……休みたい……もう、寝たい……」

「この仕事を片付けたら寝ていいよ」

「それはさっきも聞いたっ……さっき? さっき……って、昨日……?」

 

 不眠不休の暗黒業務は魔女の心をも殺す。弱り切ったモルガンは魔女ではなくなり――やがて素の才女の部分のみを残すようになるだろう。

 

 仕事の海で溺死せず、生きていればの話だが。

 

 

 

 

 

 




もるがん(漂白)
 正論砲で自失している所に、畳み掛けるように仕事の山を押し付けられて、それが自身の渇望していた地位の仕事である故に逃げようとは思えず、言われるがまま業務にあたったら過労死コース一直線。
 ロホルトに言わせてみれば、今までブリテンに与えてきた損害への償いも兼ねてのデスマーチなのだが、本人に罪悪感はないのでただただ辛いだけ。「こんな」になるまでどうして(問題を)放っておいたんだ! と旧来の支配層を憎み、彼らの排除に血道を上げている。
 ロホルトがサディストに見えて仕方ない。自然と頭を押さえつけられる形で、ロホルトに物申すのが苦手になりつつある。

ロホルト
 時間がないんだからコミュる時間なんてねぇ!
 金がないんだから無駄なことは出来ねぇ!
 人手が足りないんだから働くしかねぇ!
 ……全部出来る人材がいる? 遊ばせておく余裕がねぇ!
 ロホルトは強靭な意思(暗黒企業)により決して怯まず(労基が来い)、大剣(モルガン)を振るえばまさに(酷使)無双であったという。


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34話

 

 

 

 

 

 モルガンが捌くのは臣下への給与の分配、物資の管理。臣民の諍いの裁定、業務内容の精査、反乱分子への対策案の構想、実施。機兵のメンテナンス及び建造物の設計と配置。兵卒の訓練案、装備作成、船舶の設計と経費の分配、部隊編成と指揮官の教育案の策定。ブリテン島の不穏な気配を察知し、侵入してきた間諜を防疫する防諜網の見直し、ノルウェーへ派遣した間諜の管理だ。

 総括すると経理部、総務部、人事部、法務部、技術部、情報システム部の維持管理を担当していることになる。普通に殺人的な仕事量であり、ロホルトが補佐していようが手と頭が足りない。そこで神域の天才魔術師であるモルガンは、ロホルトからの魔力供給を受けることで『分身』できる魔術を開発して、自身と同等の存在を二体追加することで対応した。

 

 それでもまるで足りない。通常業務だけでこれだ……予定にない馬鹿共の諍い、下半身に脳味噌がある戯けや、性癖のイカレている連中の色恋沙汰による痴情の縺れが、人理が乱数調整でもしているような不規則さで発生する。大陸側国家からの使者も稀に訪れ、旅人や宗教家が訪ねてきては面会を申し込んでくる場合もあった。こちらの事情などガン無視で、だ。

 

 自分に会うのは当然だという面を見ると本気で苛つく。

 

 基督教という宗教の司祭が来た時は、摩耗し果てた別世界の記憶が刺激された気もするが、その宗教の有する影響力を知っていた為、利用できると踏んで特別に面会したが……それでも予定にない仕事の乱入には殺意しか湧かない。今でこそモルガンの参入で、辛うじて一日だけ休養を取れる時間を確保できたが、本体のモルガンは机に突っ伏し死んだように眠りについていた。

 

「うーん、王様稼業の初心者としては及第点……どころか普通に名君だね」

 

 死んだ魚の目をしたロホルトはそう評して、脱落したモルガンを尻目に、彼女の分身達と共に日の出を見守る。窓から差し込む朝日が目に眩しい。

 溜め息も出ない。全く片付かない仕事に追われ、ロホルトは屠殺場の豚の如き絶望的な目をした二体の分身に仕事を割り振っていく。これで七徹目……そろそろ限界だが、長年の経験からロホルトは理解していた。限界を超えた先にゾーンがある、ゾーンに入れば後四徹は出来るな……と。

 そう考えていたロホルトだったが、執務室の扉をノックし、入室を許可された途端に駆け込んできた騎士を見て手を止めた。その騎士は新進気鋭の若手だ――とはいえロホルトの方が若いが。名前はなんだったかなと記憶を掘り起こそうとする前に、青年は青い顔で訴えた。

 

「陛下、大変です! モードレッド卿が騎士隊を相手に暴行を働いて……!」

 

 ……。

 ………。

 …………日の出を迎えたばかりで?

 

 ロホルトは長い沈黙を挟んで、無言で席を立つ。この時間でそんな事件を起こす短慮は馬鹿としか言いようがないが、流石にモードレッドにも事情はあるはずだ。時間的に考えて任務からの帰りで気が立っているとか、絡まれた側に落ち度があるとか。頼むから穏便に済ませたいと切に願うものの、モードレッドが手を出すほどの事態である。面倒な気配を嫌でも感じてしまう。

 ゾンビのような二体のモルガンの、恨めしげな目を無視して退室した。ロホルトは仕事を放棄して執務室から離脱しているのではない、他に止められそうなガレスやガヘリスが留守だから、仕方なく出向いているのだ。ここがキャメロットなら任せられる程度の面倒事だろう、しかし仕事熱心とは言えないラモラックやベイリンすら仕事に出ている。あの猪を止められるのは自分だけだ。

 

 青年騎士の案内を受けて、練兵場へと向かう。するとロホルトが入り口に立つや、一人の騎士が吹き飛んできたではないか。難なくキャッチしてやるも、甲冑を纏っていない簡素な出で立ちの彼は白目を剥き気絶している。見れば顔面が拳の形に凹み、鼻が圧し折れていた。

 なんらかの反応を出力することなく、喧騒のする方に目を遣る。複数の成人男性達を相手に、華奢な体躯の少女が怒気を振り撒いて暴れ回っていた。こちらに吹き飛ばされた騎士同様、十名の騎士達は次々に殴り飛ばされ、常人なら即死するほどの暴威に晒されている。

 まるで小型の竜のようだ。竜の如く暴れる少女に蹴散らされ、生きていられるあたり、伊達にブリテンの騎士ではないということだろうが……ロホルトは腰に手を当てて短く声を発した。

 

「やめろ」

 

 大きな声ではない。

 だがこの場に充満した喧騒、怒気や戦意を貫通する、巨大な城壁の如き圧力に満ちた声である。

 真っ先に反応してピタリと停止し、止まれなかった騎士の一人に殴り飛ばされて地面に転がった少女が跳ね起きて。しかし報復の拳を繰り出すより先にロホルトの方に振り返り、露骨に驚愕して体を凝固させてしまう。他の騎士達も顔や体を痣だらけにしながらロホルトを見て、竜に睨まれた蛙のように固まった。だらだらと冷や汗を流し出す者もいる。

 

「何をしている?」

 

 ロホルトを此処に案内した騎士も、緊張の余り喉を引き攣らせ、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 一切の無駄、虚偽を働くことを許さぬ問い。ロホルトは騎士達を見渡し、もう一度問い掛けた。

 

「私は、何をしているのかと問い掛けたぞ。答えろディラック」

 

 名を呼ばれたのは、この場で最年長の壮年の騎士だった。最も大柄で筋骨たくましい彼は、ロホルトに名指しされるとビクリと肩を揺らす。

 まさか自分の名前がスコットランド王に記憶されているとは思わなかったのだろう。彼は平の下級騎士なのである。雲上人である月輪王は自分のことを認識していないと思うのが普通だ。

 無論ロホルトとて全ての騎士を記憶しているわけではない、ディラックが名と顔を覚えられているのには理由がある。ディラックは対ピクト人の民族浄化戦争に参加し生き残った騎士なのだ。生き残りの少ない戦争の生存者は記憶するに値するとして、彼はロホルトの目に止まったのである。

 

 口答えは許されない、また答えぬことも許されない、ディラックは急速に平静さを取り戻す。左目の周りを青黒く腫れ上げさせた騎士は、緊迫感に喉を圧迫されるのを堪え応答した。

 

「は――はっ! そ、それが自分にも理解が追いついておらず……我々がここに集まり、午後の任務に向け肩慣らしの稽古を行おうとしたところ、突然彼女が殴り込んで来たのです」

 

 ディラックの主張にロホルトは無表情だ。七徹を熟した後だからか、感情の波に起伏がない。冷酷にも見えるロホルトの表情に下級騎士達は怯えていた。

 だがディラックに怯えはない。後ろめたいものはないと思っているからだろう。スコットランド王は公正な判断をする御方なのだから問題ないと高を括っている。彼は横目に兜の騎士を流し見て、微かに蔑みの色を浮かべた。これだからガキは。彼の目はそう言っている。

 勇猛な騎士であるディラックは古い男だ。言葉にはしていないが、女で、しかも小娘である兜の騎士を侮り下に見ている。力こそ正義で、武勇が確かだから認めてはいても、女が男の世界にいることへ根源的な嫌悪感を持っていた。赤妃ガレスにすら宮殿で大人しくしているべきだと陰口を叩いている。

 

 悪いとは言わない。陰口で済ませている辺り、分際は弁えているのだから。

 その陰口をロホルトが知り得ていることも悟れぬ者であっても、そうした者が過半数を占めているこの世界で、彼だけを罰する訳にはいかなかった。

 しかしモードレッドはディラックからの視線に激発した。返り血塗れの甲冑姿で顔を真っ赤にし、壮年の騎士を指弾する。

 

「痴れ言を垂れるな、下衆が! 陛下、聞いてください、コイツらが昨日出向いたトアブの地を、私も任務完了後に通り掛かりました。そうするとトアブの民が私に訴え出たのです! 賊徒の討伐に出向いてきた騎士の一隊が、代償に近隣一の器量良し達を接待に求め、手篭めにしたと!」

 

 モードレッドの糾弾にディラックは顔色を変えた。慌てて口を挟んでくる。

 

「な、何を言っている! 幾ら貴公が王妃殿下の近衛騎士だとて、我らが王に根も葉もない讒言を行うなど恥を知るべきではないか!」

「恥晒しはテメェらだろうがッ! 陛下、コイツらは騎士の風上に置けない下郎共です、即刻罰を下さなくては騎士道に悖るのではないですか!?」

 

 ロホルトは改めてモードレッドの出で立ちを見直した。

 華奢な体躯に見合わぬ厳つい甲冑は、全身至る所に浴びた返り血で赤黒く化粧されている。背中に帯びた大剣は王剣クラレント――本来は王者の儀礼剣であるが、ロホルトは武器に権威を見出す気質ではなく、クラレントほどの宝具を使いもしないのは勿体ないとしてモードレッドに貸し与えていた。

 朝一から完全武装でいるところを見るに、モードレッドは与えた任務から帰還したばかりか。壮年の騎士とその隊に殴り込んだ辺り、彼女の見聞きした件は風化していないものと言える。

 どちらを信じるのかという話になると、モードレッドだ。正しいと感じ、正当な怒りだと共感できるのも彼女の方である。しかしロホルトには、今の遣り取りだけでディラック達のしたことが詳細に理解できていた。故に、双眸の冷淡な光が向けられたのはモードレッドだ。

 

「この私の前で騎士道を説くか、モードレッド」

 

 温度のない声に少女が怯んだ。

 『ロホルト・インペラトル』はモードレッドにとって兄であり師である。騎士としての在り方と技の根幹を叩き込まれ、人としての生き様で見本とした、まさしく憧れの存在であった。

 彼から多大な影響を受け親愛と忠誠を懐き、ロホルトの私人としての温かみを知るからこそ、当代に於いてただ二人の女騎士として記録される兜の騎士は、月輪王の冷徹さを畏れている。

 ロホルトはディラックを一瞥して確認した。

 

「ディラック。モードレッドの証言が正しければ、私は貴公とその部下から騎士爵の身分を剥奪し、追放刑に処すところだが……彼女の言うようなことはなかった、そうだな?」

「なっ――!?」

「は、はい。モードレッド卿の言い掛かりです、そんな事実はありません。確かにトアブの南西にある村で一夜を明かした際、夕食や寝床の提供は求めました。しかし酒の酌をしようと申し出たのは村人の方です。それに感謝はすれども、女性達に貞操を求めるような真似はしておりません。陛下に仕える騎士の末席に在る身として、斯様な狼藉を働く者がいればこの手で斬り捨てます」

「ふ、ふざけんじゃねぇ! よくもそう、いけしゃあしゃあと嘘を――」

 

「黙れ」

 

「ぃッ……!?」

 

 猛るモードレッドに、ロホルトは短く命じる。たじろいだ彼女を見る下級騎士達の目は険しい、ロホルトもまた情を感じさせない目をしていた。

 

「両手を後ろで組み、歯を食い縛れ」

 

 つかつかと歩み寄り眼前に立った王に、モードレッドは顔面を蒼白にする。

 言われるがままの体勢になって口を閉ざした彼女の頬に――ロホルトの平手打ちが炸裂した。

 まるで大岩が水面を叩きつけたかのような、異常な威力で大音量が鳴る。

 ビクリとその場の全員が背を震わせた。

 

 モードレッドは身動きしていない。吹き飛んでもいない。王の手首のスナップが利いた平手打ちは、全ての威力をモードレッドの肉体にのみ浸透させ、外部に余計な影響が出ないようにしたのだ。

 卓越した打撃の技量が為せる技である。モードレッドは体の芯を食った平手打ちで、まるで全身を強烈な雷撃で貫かれたような心地を味わうも、悲鳴すら漏らすことが出来ない。確かな頬の痛みと体の中心が揺らぐ激痛に、一切の反抗心を刈り取られていた。

 ロホルトが淡々と言葉を紡ぐ。

 

「トアブの南西にある村は、名をボカードという。ボカードの村人達からは、以前にも同様の被害届が齎されたことがあった。事の真相を究明する為に調査員(モルガンの分身)を派遣して明らかになったのは、貴公の言うような『器量良しの娘』など一人もいないということだ」

「ぁ……っ?」

 

 再度、雷鳴。平手打ちされたモードレッドが、ぐらりと体を揺らす。

 なんとか踏みとどまった彼女を、ロホルトは冷たく責める。

 

「以上のことがあった故に、私はボカードの村人による虚偽申告と判断した。その時は初犯ということもあり厳重注意だけで済ませたが……この件に関しては、騎士達に周知徹底させ、村人から嵌められないように気をつけろと布告を出したはずだ。貴公は知らなかったか? それとも忘れていたか?」

「ひっ……」

「まあそれはいい。貴公も多忙だ、忘れることもあるだろう。だが……なぜ彼らに事実確認を行わず暴力を振るう? それとも確認をとってもなお信じられずに手を出したのか?」

 

 再び、雷鳴。今度は耐えられず一歩下がった兜の騎士は、眦に水滴を浮かべながらも前に戻る。

 余りに痛烈な打撃音に、モードレッドを睨んでいた下級騎士達の顔に憐れみが浮かんだ。

 

「どちらにせよ度し難い。ディラック達は私の騎士だぞ、私が騎士として仕えることを許した名誉ある勇士達だ。同胞を信じずしてなんとする? 仮に彼らが器量良しの娘を求めたとしても、彼らはキャメロットから私に付き従ってきた者達だ。王国の中心にいる婦人達で目が肥えている男達が、貧しい村の女に食指が働くとでも? 仮定を重ね色欲に駆られたとしても、私の許にディラック達か村人から報告が上がるはずだ。そうなれば私は事実確認の為に調査員を派遣している……となると隠し事は露見し、正しい罰を私から下していた。なのに……モードレッド、貴公はなぜ私刑を加えようとした?」

「ぁ……ぅ……そ、それ、は……あの村の者達が、私に、騎士の身分を盾に、悪徳を働いた者がいると縋ってきて……ソイツら……ディラック達が、監査部の奴らと癒着していると聞いて……」

「……はぁ」

 

 ロホルトが嘆息すると、モードレッドの青白い顔から更に血の気が引く。

 赤く腫れた頬とも相俟り、ひどく痛々しい。

 四度目の雷鳴。地面に倒れたモードレッドを見下ろし、ロホルトが言う。

 

「正義に酔ったな。もしそれが事実なら、信頼できる者に伝えればいい。ガレスやガヘリス……ラモラック、ベイリン。彼らがいないなら私やモルガンでもいい。組織内部の腐敗、不正を矯正できる者との伝手が貴公にはあるだろう。それを怠るとは何事だ? 立て」

 

 命じられ、モードレッドがよろよろと立ち上がったところに五度目の雷鳴。

 またも倒れ込んだモードレッドを見て、遂に見兼ねたのかディラックが口を挟んできた。

 

「へ、陛下……さ、流石にもう、そのへんで……」

「口を挟むな。立て、モードレッド」

「は……ぃ……」

 

 六度目。ディラック達は反射的に目を閉じるか、顔を逸らした。

 

「貴公の軽挙を私が鵜呑みにしたらどうなっていた? ディラック達は不当に裁かれ、職を失い、賊に落ちていたかもしれない。そうなれば討伐隊が派遣され討ち取られていただろう。そしてもし私が此処に来るのが遅れて……あるいはそもそもこの場に来なかったら、貴公はディラックらにどれほどの傷を負わせれば満足していた? 後遺症が残り、彼らが騎士を辞めねばならなくなった場合、彼らの今後の人生に責任が持てるのか? 答えろ、モードレッド」

「ぁ、ぁぁ……」

「へっ、陛下っ! もう、もういいです! 我々の気は済みました、我々は彼女を許します! なのでもう許してやってください!」

 

 ディラックが見るに堪えないとばかりに前に出て、ロホルトとモードレッドの間に立ちふさがる。

 ロホルトは目を細めた。こうして主君の前に出て、自身に暴行を働いた者を庇える者が、騎士の身分を笠に着て横暴を働くとは思えない。ディラックは良くも悪くも古い男なのだ、女が殴られているのを黙って見ていられないし、そもそもそうした罪を犯すような手合いなら、ロホルトが彼の名と顔を記憶し、人品を調べた時に割り振る仕事を大過のないものにしている。

 仮に彼らの人品をロホルトが見誤っていたとしよう。もしそうであっても、裁くのはロホルトであってモードレッドではない。裁かれるべき者もディラックらを見誤った己だ。そして今回の件も、きちんと詳細を調べる。沙汰はその後だ。

 

 己に一報も入れずに私刑を加えたこと、それがモードレッドの罪である。ロホルトは倒れているモードレッドを見下ろした。

 

「……というわけだ。ディラック達に感謝するといい」

 

 もう行け、とロホルトはディラック達を追い払った。彼らは最後までモードレッドを心配し、介抱すると申し出ても来たが、それは自分がやると断った。

 ディラック達が去り、この場にモードレッドとロホルトしかいなくなったのを見計らって、公人たる月輪王から私人の青年に立ち返ると、ロホルトは深く溜め息を吐いてその場に座り込んだ。

 静寂。張り詰めて、凍った空気。

 やがて、小さな嗚咽が聞こえた。モードレッドが、声を押し殺している。

 ロホルトは謝らない、謝れるわけがない。自分が間違ったことをしたとは思えないし、大切な身内だから手加減をしなかったのだ。容赦なく過ちを正すのが、目上の立場にある者の責任だから。

 瞑目して、青年は呟く。

 

「……以前の君なら、犯さなかった過ちだ」

「ひ、っ……ぐ……っ」

「ガレスに慣れた。受け入れた。ガヘリスに慣れ、疎んじた。ラモラック、ベイリン、そして私。身の回りにいた者に親しみ、身近になったことで……人という獣の浅ましさ、困窮した者の愚かさを忘れてしまったんだ」

 

 以前のモードレッドは人を獣と見下し、他人を信じなかった。だがロホルト達しか身近に接する者がいない時間を過ごしている内に、人を信じる無垢な心を取り戻してしまったのだろう。

 幼い。本当に、幼い。見た目よりずっと若く、青く、未熟な内面だ。

 モードレッドを殴った手を握り締める。血が出て、なおも強く握る。こんな未熟な少女に過酷な仕事を与えて、挙げ句の果てには犯した過ちに暴力で応えるしかなかった己が……途方もなく愚かで傲慢な戯けに思えた。はっきり言って、殺したい。己で己を、裁きたい。糾したい。お前は何様なのかと。

 

「モードレッド。人を信じるな」

「……ぇ」

「私は信じていない。父上やガウェイン、ガヘリス……ランスロットをはじめとする円卓の騎士、君やガレス達を除いて、身内以外を私は全く信頼していない。なぜだか分かるかい?」

「……分か、りませ……ん……」

「人は衣食が足りてはじめて礼節を知る。それでもなお嫉妬や不満を忘れないのが人だ。なのに今のこの国……ブリテン島は、全国的に見て何もかもに不足している。これで正しい心を期待するようでは余りに傲慢だ」

 

 言いながら、ロホルトはモードレッドを助け起こす。彼女は頑なに顔を逸らしているが、敢えてその顔を見ようとは思わない。

 

「人は獣だ。醜さばかりが目立つ時代だ。醜悪なものに囲まれ、嫌になる時もある。けど、忘れてはならないものが一つだけあることを胸に留めてほしい」

「……それは、なんですか?」

 

 モードレッドは下を見たまま、ポツリと反駁する。

 明後日の方を向きながら、しかしロホルトはハッキリと告げた。

 

「意地だ」

「意地?」

「うん……誇りと言い換えてもいいかな。汚くて、悍しくて、嫌悪するしかないモノに囲まれていても、だからといって自分まで醜悪にならなくていい。その道に落ちてしまうのは楽だけど、楽な道に落ちてしまったら……この苦界を泳ぎ切ることはできないからね」

「……糞の肥溜めみたいなこの世界を渡り切って……その先には、何があるんですか」

「自己満足だよ」

「……え?」

 

 ちらりとこちらを見たモードレッドの目は潤んでいる。苦笑して答えたロホルトと目が合うと、彼女は慌てて目を逸らした。

 

「自分はこれだけのことをした、楽な道に逃げなかった……そういう誇り、自己満足が得られる。楽な道に逃げ込んだ弱い奴ら、汚い奴らと自分は違うんだと胸を張れて、思いっきり見下せる」

「………」

「意外かな、私がこういうことを言うのは」

「……正直、意外……です」

「無報酬で国家に奉仕しているんだよ、私は。ぶっちゃけ馬鹿ばかりで、この国の人間を軽蔑してるんだけど、我慢して我慢して全て捧げているんだ。多少は心に毒が溜まるのも仕方ないだろ?」

「………ですね」

 

 ロホルトの仕事量を想って、ついモードレッドは肯定した。納得しかなかった。

 彼に殴られた頬は痛い。けど、モードレッドはそれでロホルトに対して怒りや憎しみ、隔意を持つことはなかった。彼の平手打ちは巧みで、滅茶苦茶痛いのに後には引かないと知っているし、自分が間違っていたのにロホルトを怨むのは筋違いだと弁えているからだ。

 むしろ手加減なく殴られたのは嬉しい。被虐趣味はないが、真剣に怒り、正してくれるのは、ロホルトがそれだけモードレッドを必要としている証拠だ。強い関心がなければ、彼は適切な罰だけを下して後は監視の目を残している。

 

 後、ロホルトに殴られるのには慣れている。剣の稽古を付けてもらった時、滅茶苦茶痛くて、泣かされたことも多々あった。ロホルトは痛みの伴わない丁寧な教え方をしない……戦場に出た時、痛みに耐性がなければ、適切な判断が咄嗟に出来ないと知っていたからだ。

 だからモードレッドは、ロホルトがわざわざ自分の為に時間を割いてくれているのが嬉しいし、申し訳ないとも感じる。自分も確かに忙しく走り回っているが、ロホルトほど大変ではないから。

 

 ロホルトは青くなる空を見上げて、唐突に言った。

 

「来月、旅に出よう」

「…………えっ?」

「君と私、ガレスとガヘリスで。縄張りを広げるのに腐心して不帰になってるカヴァスを連れ戻して、旅に出るんだ。行き先はノルウェー……敵地を見に行くと思えば、気楽な旅行だろう?」

「ロホルト様っ、そんなことをしたら、この国が、母上に乗っ取られ――」

「乗っ取ってくれるなら是非どうぞと言いたい」

「――て、しまっ……? ……は?」

「冗談だ。けどまあ、普通に乗っ取りは無理だよ。私がいなくなったら今以上に忙殺されるからね。モルガンなら全てを投げ捨てて逃げることもない」

「………」

 

 さらりとモルガンの心と性格、今後を見極め信頼しているかのように断定するロホルトに、モードレッドは複雑な心境になった。

 あの毒婦の牙を抜き、すり減らし、飼いならした手際は素直に凄いが……なんとも言語化に困る感情に襲われてしまう。

 しかし、モードレッドはふと気づく。

 彼がわざわざ仕事を投げ出して、旅に出ようと誘ってくれたのは……。

 

「……へへっ」

「どうかしたかい?」

「んぅや、なんにもないですっ!」

 

 妹のように可愛がっている少女を、己の手で殴ったことへ罪の意識がある。だからその贖罪を、遠回しにしてくれようとしているのだ。

 ロホルトは謝れない。だけど、その代わりに何かをしたいと思っている。なら……その贖罪を受け入れてやるのが、デキた妹分というものだろう――と、モードレッドは思って。

 

 今から旅に出るのが楽しみになった。

 

 

 

 

 

 




〜ウ○キペ○ィアより〜

ロホルト・インペラトル
 インペラトルとは「無限の権力を有する者」という意味。古代ローマにおける軍指揮者、凱旋将軍、大将軍、元首、皇帝を指す。
 アーサー王はウーサーの称号「ペンドラゴン」を継承したとして自称した。当時に苗字という文化がブリテン島にはなかった為、ロホルトがペンドラゴンの称号を継ぐ必要性はなく、そうであるからこそ別の称号を与えられたのである。それこそが「インペラトル」だ。
 ローマを敵とした当時のブリテンだが、古い時代にローマからの影響も受けていた為、古代ローマ語の称号が付いてもおかしくはなかった。大層な響きの称号にロホルトは良い顔をしなかったが誰も批判しなかったことから、ロホルトが如何にブリテン人からの信望を集めていたかが分かる。アーサー王も彼を後継者と目していたことから、不遜とも取れる称号を黙認していた。
 ロホルトがブリテン島で英雄の名声を有し、また優れた為政者・軍指導者であるのは周知のことだったが、客観的に評価するとインペラトルという過大な称号を付けられるほどではない。
 彼はまだ十代後半の若者であり、冷静に見ると彼の業績は父王アーサーに付随してのものが殆どで、当時はまだスコットランドを平定したばかりだったのだ。ロホルトがブリテンの光(ブリタニアの希望とも)、夜の時代を照らす月明かりと称されたのは、アーサー王による宣伝工作だろうと後世では結論付けられている。後継者の名声を自身が健在な内から高めておくべきだと判断し、ロホルトを実力以上に優れた英雄だと喧伝したのだろう。それでもロホルトの過分な名声に、表立って反発した者がいない以上、彼のカリスマ性は本物だったと言えるはずだ。

 しかし当時のブリテン人が一様に畏敬の念を示し、臣民からの信望をロホルトが集めていたのは、事実としてロホルトが国のために身を粉にして働き、末期であった国の救済を成そうとしていることが伝わっていたからだとする説も強い。可能な限り民に負担を強いないのは当たり前に思えるかもしれないが、全国的な飢饉が続いていた時代では極めて難しい姿勢であろう。
 民衆が知り得る術はなかったはずだが、ロホルトがノルウェー侵攻・征服・統治を実現し、更に版図を拡大する計画を立て、実現性の高いものだと父王やマーリンらに評価され、実行に移そうとしていたのは歴史的史料である「ロホルトの日記」を見るに事実だ。過分に思えるロホルトへの高評価は、もはや彼の示した救国の道にしか希望がないと、後世の視点から見ても断じざるを得ないことから判断して、決して過大評価などではなかったと言える。

 なおロホルトにインペラトルの称号を授けたのは、大陸から渡ってきた基督教の司祭だという。ロホルトの手に神の子を刺した槍ロンギヌスがあり、聖槍を彼が所有しているのを見たことで心服したらしく、また彼と対談して人柄を知ることで敬意を深めたようだ。司祭は急ぎ帰還して持ち込んだ報せに、基督教勢力は上に下にの大騒ぎを起こしたらしい。
 ロホルトは聖遺物ロンギヌスの槍を利用し、大陸に自身の名を知らしめることを、司祭との対談を経て侵攻計画に組み込んだようだ。以後の彼は「黄金の十字架」のペンダントを首に下げ、肌身離さず身に着けたことから、基督教の信徒は彼に大きな衝撃と敬意を刻まれた。なぜなら十字架とは受難の象徴、死に対する勝利のしるしであり、復活の象徴としても捉えられていたのだ。「聖なる木」「死を滅ぼせし矛」とも言われ、十字架が信仰の中で重要視されるようになったのが四世紀以降であることから、ロホルトは十字架を首飾りとして用いた世界初の偉人であるとされている。
 基督教を利用したロホルトの名は、侵攻予定のノルウェーにもいち早く鳴り響き、彼が近い将来ノルウェーに現れ、その雷名で腐敗した政権を打ち壊し、平和と繁栄を齎すとの噂(ロホルトが流したと思われる)が流れ、彼の到来を待ち望む者が多数現れるほどだった。

 しかし――ということもあって――なお――だった。



 歴史的史料「ロホルトの日記」は、実際はロホルトが記したものではない。著者は終生ロホルトに仕えたガレス直筆の物である。
 日記と銘打たれているのは、ガレスから見たロホルトの日々の言動や実際にあった出来事だけを記し、読み物として見るとなんの面白みもない文章を書き残していたからだ。


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35話

 

 

 

 

 

 吹き出た端から血飛沫が蒸発する。

 赤い大剣が纏う炎に焼かれ、散乱するはずだった血潮が蒸気となったのだ。

 重量感のある肉厚の獣が地に伏して、手の甲で爽やかな汗を拭った乙女が勝鬨を上げる。

 

「っふぅー……! これで今回のお勤めもお終い、っと!」

 

 純白のバトルドレスは機能的。戴く半円状の冠(ティアラ)は高貴の銀。動き易さを重視したドレスは見る者に真夏の涼やかさを与え、頭上のティアラは気品と凛々しさを助長する。

 乙女の名はガレス。十五歳にしてスコットランド王ロホルト・インペラトルの正妃となり、騎士としての使命に名乗りを上げた猛き雌狼だ。名高き円卓の騎士に匹敵する武勇で以て、先のピクト人との決戦で赫々たる武勲を稼いだ英雄でもある。近衛であるモードレッド共々、史上に記録された最古の女騎士であり、清廉で快活な性格から臣民に絶大な人気を博した王妃であった。

 

 だがその名声も後のもの。現在は先の決戦で挙げた武勲で不満の声を抑えられているが、男社会に紛れ込んだ女性として見られ、どうしても侮られて嘲りを受ける身である。

 月輪王はまだ二十歳に満たない歳だとはいえ、後継ぎとなる嫡男を嘱望される立場だ。なのに跡継ぎを生むという最大の役割を放棄し、騎士として働くガレスを蔑む声があるのは当然だろう。正妃としての役割も果たさず、外に出て血と砂煙を浴び、額に汗して駆け回るなど言語道断だからだ。

 

「……はぁ」

 

 近隣の村人を脅かす魔猪を討ち取った達成感が過ぎ去ると、ガレスは差し込む木漏れ日を見上げ、緑豊かな森林が湿気で満ちるような溜め息を溢す。

 ガレスとて周囲から向けられる視線の意味と陰口は把握していた。自身が正妃の役割を果たしていないのは罪深く、騎士として勤めるという夢の為、犠牲にしてしまっているモノがあるのだと。

 ガレスが公然と批判されていないのは、ひとえに夫であり主である月輪王のお蔭だ。彼が子供を作る暇など無いと働き通しているのと、ガレスの力が活かされる仕事を回してくれている。だからガレスは堂々と夢を実現させていられるのだ。

 

「殿下が愛せる人を見つけられたら……」

 

 近年の悩み、明確なはずの答えが曖昧になる心。ポツリと漏らした独り言を理性が止める。

 ガレスは恋愛が分からなかった。恋だとか愛だとか、言葉で説明されてもいまいちピンとこない。

 主君を慕っているのは間違いなかった。命を捧げるのに躊躇いを懐くことは絶対に無いし、彼の命令ならたとえどんな非道なことでもやれる覚悟がある。主の為ならなんだって出来るのだ。

 だが主君を愛しているのかと言われたら……きっと愛していないと思う。ロホルトに抱かれるのは嫌ではないだろうし、子を生めと命じられたら精一杯励むだろうが、根っからの騎士であるガレスには、愛がそこにあるとは思えない。というか主君の方がガレスに女としての魅力を感じていないはずだ。こんな筋張った体の、剣を振り回して喜んでる男女なんか眼中にもないだろう。

 

「……帰ろっと。無駄にしていい時間なんかないし、早く帰って殿下――じゃなくて陛下のお手伝いをしなくちゃ」

 

 ロホルトが愛する人を見つけられたら、全力で応援する。自分に出来ることならなんだってする。それが夢を叶えさせてくれた主への恩返しであるし、自分が捧げた忠義の在り方だ。

 だけど、ガレスにはロホルトの横に立つ女の人の姿が、全く想像できなかった。性に潔癖なロホルトは社交界だと常に婦女子に囲まれているのに、誰かに触れることはおろか誘いもしない。

 女っ気がないのだ。彼に相応しい女性が存在するのかも疑わしく思う。試しに異父姉妹モードレッドが傍に侍るところを想像しても、騎士か妹が近くにいるような絵にしかならず、かといって実母モルガンが侍るところを想像してみても……ちょっと、嫌だと感じる。

 

 そもそも自分なんかがロホルトの妻という立場にあるのが鳥滸がましい。

 

 ガレスはロホルトの腹心となった青年会の初期メンバーだ。幼い頃からロホルトの奮闘や懊悩を見続けてきて、彼から国の危機的状況を説かれ、以来この国の苦難を打ち破る為に戦ってきた。

 騎士なのだ。ガレスの根底にあるロホルトへの心は忠義なのである。国を想い、救わんとする英雄に尽くしたいと願い、英雄の力になる為に研鑽を重ねてきた。女として尽くすことなど、一度たりとも考えたことがない。そんな自分が救国の英雄の妃など、荷が重いとしか思えなかった。

 だが現実問題として、いつまでもロホルトの温情に甘え続けるわけにはいかない。性に潔癖で、ともすると臆病とも言えるロホルトは、このままだと何時まで経っても子を成さないだろう。それでは救国を成し遂げたとしても、政情が不安定化するのは目に見えている。

 幼少期から青年会で学び続けてきたガレスは武力一辺倒の猪ではない。政治の機微に聡い才女に成長していたのだ。だから現状維持など望むべくもないと理解している……頭では。

 

 心が迷っていた。

 

 理性は言う、正妃としての……女としての役目を果たせ、と。

 心は言う、王者の妻に相応しくない自分が、いつまでも正妃の座にあるのは間違っている、と。

 なんとかしないといけない。ガレスの中で、迷いは肥大する一方だった。

 

「――ああ、こんなところにおられましたか、ガレス様」

「あ、スプリガン」

 

 とことこと歩き森から出ると、一人の騎士がガレスを出迎えた。

 金髪の優男だ。名はスプリガン。整った風貌の成人男性で、一応騎士としてスコットランド王国に仕える身であるが、彼は専ら代官として各地の村に赴き税を徴収する役割を担っている。

 武力は平凡だが知恵が回り、何をするにも如才なく熟す器用な騎士だ。小さくはあるが功績を着々と積み上げ、ゆくゆくは一地方の領主を任せられても不思議でない才能と血筋を具えている。

 馬に騎乗していた彼は、颯爽と下馬してガレスの傍に寄ってきた。

 

「供も付けずに単身で任務に赴くとは、些か不用心と言わざるを得ませんな。御身は我らの王の妃なのです、お体は大事になさいませ」

「あー……うん、ごめんね。スプリガンはどうして此処に?」

「なに、この地にガレス様が再び訪れると聞き、またぞろ単独行動をしているのではと心配して駆けつけたのですよ。案の定でしたな」

「あはは……」

 

 呆れたように嘆息するスプリガンに、ガレスは苦笑いして誤魔化す。

 彼の言うことは尤もだ。騎士として働いているとはいえ、身分はれっきとした正妃なのである。そんなガレスが単独で危険な魔獣退治をしていては、国の体面が悪くなるのも自明ではあった。

 だが今のスコットランド王国で、ガレスが単独で活動していることを咎める者はいない。何もかもが末期なのだ、少しでも実力があるならどんな貴人であれ現場に駆り出される。そしてそれを誰しもが仕方ないと受け入れてしまうほど、ピクト人による打撃はこの国に深刻な傷跡を刻みつけたのだ。

 

「ガレス様はこれからどちらに?」

「討伐対象は討ち取ったから、これから宮殿に帰るところだよ」

「左様でしたか。しかしガレス様の乗騎が見当たりませんな。必要ならワタシの馬を譲りましょう」

「いや、大丈夫だよ」

 

 ガレスは指を咥え、息を吹く。ピーッ! と甲高い音が鳴った。指笛だ。

 彼女の指笛を聞きつけて、軽やかに地面を蹴り乗騎が駆けつけてくる。

 それはロホルトの親友であり、人間の年齢に換算するとすっかりお婆ちゃんになった白き大狼だ。

 宝剣を咥えた白狼カヴァスは、最近はスコットランドに縄張りを構築し、獣ならではの警戒網を敷いて侵入してくる魔獣や幻獣、妖精を駆逐して回っていた。最近になって漸く縄張り内の治安が落ち着いたのか、カヴァスは宮殿に帰ろうとしていたのだが、そこでガレスと出くわして彼女の護衛になってくれていたのである。下手な騎士よりも遥かに信頼できる存在だった。

 カヴァスは軽妙にガレスの隣に着地すると、彼女の顔に鼻を寄せる。擽ったくて笑い声を出してしまいながら、ガレスは白狼を優しく撫でてやった。

 

「私にはこの子がいるから、スプリガンから馬を借りる必要はないよ。気持ちだけ受け取っておくね」

「そう……でしたか……」

「?」

 

 スプリガンは顔を強張らせている。

 どうしたのか様子をうかがうと、彼はカヴァスから距離を置いていた。

 彼はカヴァスが苦手……というより恐れているらしい。カヴァスがやや剣呑に睨んでいるのも、スプリガンが白狼から遠ざかる要因になっているようだ。

 スプリガンは気を持ち直して提案してくる。

 

「御身がご帰還なさるまで、暫しの間ワタシも同道させてもらえないでしょうか。王妃様をお一人で帰らせたとなれば、ワタシも騎士の端くれ……誇りに傷が付いてしまいます」

「うん、分かった。それじゃあちょっとの間、護衛よろしくね」

「承知しました」

 

 スプリガンがにこりと微笑む。このスプリガンという騎士は、決して美青年というわけではない。しかし彼は大人の男として、紳士的で篤実な魅力を有していた。スプリガンの女性受けがよく、また同性からも頼りにされる理由はこの嫌味の無さにあるのだろう。

 

 ――十年前、ブリテン王国に『爵位』という制度が導入された。

 

 爵位制を考案したのは、嘗て未来を覗き視た王子である。明確な史料として記述に残されているのは十四世紀以降――身分制度の未成熟な当代では、満足に運用できるものではない。

 だが臣下の者達を管理、統制するのに身分制度の細分化、厳格化は不可欠。意外なことに有力な豪族や騎士はいても、『貴族』がブリテン島には存在しなかった。正確にはいるにはいるが、有名無実でほとんどの人が存在を認知していない。故に嘗ての幼き王子は騎士王に意見具申して、臣下の者達に爵位という名の『格付け』を行なったのである。

 そうすることで上位者と下位者を切り分け、指揮系統をはっきりさせた。ブリテン王から爵位を賜っていない者は、このブリテン島で正統な権力を得ることができないという認識を育てたのだ。以前は爵位を軽んじる者が大多数だったが、ブリテン王が最大の権威と軍事力を有した今、急速に騎士王の制定した爵位制は権威を帯び始めている。

 

 明文化され、定められた爵位は五つ。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だ。公爵は現在ロホルトのみが持つ王族の為の爵位で、死亡した功臣ペリノア王は侯爵位を叙位された。今のブリテン人の多くが英雄と認めるペリノア王に侯爵位を叙位することで、表向き彼の名に栄誉を与えていたが、爵位を贈ることでペリノア王は騎士王やその一族より立場は下だと明確に定めたのである。

 斯くして名誉を気にするブリテン人は、面白いように爵位という身分制度を受け入れた。他者との格付けが国民性から言って性に合うからだろう。

 スプリガンもそのうちの一人だ。彼は自身の領土を『返還』するという体で王に捧げることで子爵位を得ていた。返還した彼の領地がもっと豊かで、あるいは広大であったら伯爵位も望めていただろう。――実際の実力だと伯爵になってもいいレベルだとロホルトは評価していた。

 

「――うん? 浮かない顔ですな、何か悩みでもあるのですか?」

 

 武力はともかく、きちんと政務もこなせる人材は希少だ。その希少な人材であるスプリガンは、月輪王ロホルトに名を記憶され、何度かガレスとの会話でも名前が出てきている。

 だからか、ガレスにもスプリガンに対する悪い印象はなかった。

 そんな彼から探りを入れられたから、ついガレスは口を滑らせてしまう。失言した迂闊さに気がつくこともないままに。

 

「え、悩み? まあ……うん、あると言えばある、かな」

「ほう。良ければ話を聞きましょうか。王妃殿下の抱える悩みに正しい助言が出来るなどとは自惚れてはおりませんが、幸か不幸かワタシは中央の政からは遠い身です。ガレス様もワタシのような部外者――他人になら気軽に話せるかもしれませんぞ」

「そう、かな? ……そうかも」

 

 口車に乗せられた、というわけではない。

 だがガレスからしてみると、自身の抱える悩みは大袈裟に取られるものではなかった。だから『これぐらいなら問題ない』と……ラインの線引きを見誤ったのだ。

 

「実はね」

 

 ガレスは出来るだけ軽く言った。

 自分は昔から騎士になるのが夢だったこと。ロホルトがそれを叶えてくれ、こうして女の身でも騎士の仕事を任してくれること。恩義に報いたい、しかし正妃という立場では騎士としての忠義を示すより、跡継ぎを生むのが最大の仕事になること。だが自分には恋も異性間の愛も分からず、ロホルトには自分なんかより素晴らしい女性と結ばれてほしかったと感じていること……。

 長く、つらつらと、語った。スプリガンは全く嫌な顔をせずに聞き届けて、そして。

 

「ガレス様。マズイですな」

「ん? マズイ……って、なにが?」

 

 深刻に、彼はガレスを見た。

 そして懺悔するように、スプリガンは言う。

 

「実を申しますと、ワタシはガレス様に取り入り――場合によっては肉体関係を結び、貴女の愛人になることで中央の政へ関われるようになろうという打算があって、そちら方面だと隙だらけのガレス様に接近していたのです」

「――――え」

「ああ、誤解なさいますな。そんな野心は捨てました。そうでなくてはこんなこと口にはしません。殺されても文句が言えませんので。故に、これは赤心からの忠告であると信じていただきたい」

 

 ガレスは自身の容貌に無頓着だった。しかしただでさえ愛らしく、成長するごとに女性的な魅力を獲得していっている彼女は、男達の妄想の中で何度も性欲の捌け口にされるまでになっている。

 美しく、可憐で、清廉。おまけにロホルトの影響で、毎日身を清めているガレスの清潔さは男達の目を引いて仕方ない。スプリガンもガレスに欲情していた――そんな彼の自白に目を白黒させ、意味を理解すると咄嗟に距離を空けたが、スプリガンは気にせず真剣な顔をしている。今更警戒する彼女に、獣であるカヴァスの方が呆れていた。おいおい、大丈夫かとでも言うように。

 

 大丈夫ではなかった。

 

「恥ずかしながら、ワタシは俗物です。だからこそ分かるものがある。ガレス様、貴女を狙っているのはワタシだけではありません。ワタシと違って野心なく、軽率に貴女の心と体を狙っている者は多いでしょう。それほどまでに貴女は魅力的だ」

「………………?」

「しかし身分差がある故に叶わぬ恋となる……しかしどうしても諦めきれないという者がいたとして――いえ、絶対にいますな。ともかく、そうした者が貴女を手に入れるのに、どのような行動に出るか思いつきますか?」

「……それは。え……っと……私が魅力的って……?」

「……これは思ったより重症ですな」

 

 ガレスの反応にスプリガンは深々と嘆息する。

 思ったよりも彼女が初心過ぎた。

 だが躊躇っている場合ではない。スプリガンは直截に告げる。

 

「ガレス様はお強い。それこそあの円卓の騎士にも匹敵するでしょう。故に実力行使はできない。ならば罠に掛けるか? いいや、もし露見しては処刑は確定でしょう。となればどうするか? 簡単な話です。貴女が妃としての仕事を果たしていないのは、他に愛する男がいるからだと吹聴し、王ですら無視できないまでに噂を広めてしまえばいい」

「え?」

「するとどうなるか? 貴女は正妃に相応しくないとされる。妃の立場から追いやられるのは必定。となると貴女はどうなる? 騎士として働けるでしょうか?」

「………」

「無理です。貴女が騎士の仕事が出来ているのは、月輪王陛下が後ろ盾になっているからでしかない。であるのに王の信頼を裏切った者が、騎士として働ける道理はないでしょう。後は、正妃でなくなり厄介者になった貴女を真っ当に口説けばいいと俗物共は考える。その場合貴女は修道院に押し込まれているでしょうが、身分差はなくなっているので大きな問題には成り得ませんしね」

 

 スプリガンの忠告は真に迫っていた。それを理解しガレスは顔色を変える。

 

「私を……そうまでして、狙う人が本当にいるの?」

()()()。断言しましょう、貴人とのラブロマンスは我らブリテン騎士の大好物です故」

「…………」

「ごめん、私は先に帰るね。カヴァスに本気で走ってもらったら、普通の馬だと追いつけないから」

「急がれるがよろしかろう。――尤も、手遅れの可能性はありますが」

 

 ガレスはカヴァスに断りを入れて背中に乗させてもらい、急いで帰るようにお願いする。

 カヴァスは走った。

 だが、広められた噂の芽は、既に出始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに? ……ガレスが、()()しているだって?」

 

 ロホルトは注進しに来た腹心の青年に目を剥いた。

 だが、すぐに否定する。

 

「有り得ないね」

 

 一笑に付した。

 注進に来たのは青年会のメンバーで、全幅の信頼を置いている騎士だ。

 政務はおろか治安維持も、戦闘も熟す熟練のオールラウンダーである青年サリヴァンも、ガレスの人柄からして有り得ないと解っているはず。

 なのに騎士サリヴァンが重苦しい表情を崩さないのを見て、ロホルトは察した。

 

「……そうか」

 

 どうやら、そうした噂が広まりを見せているらしい、と。

 

「陛下。今なら、間に合います」

「分かった。報せてくれてありがとう」

「……頼みました。ガレス殿は、我々にとっても大事な妹分です」

「うん……そうだね、任せてくれ」

「は」

 

 頭を下げて退室したサリヴァンを見送り、ロホルトは、巨大な溜め息を溢した。

 

「……噂を広めたやつ、去勢してやろうかな」

 

 

 

 

 

 

 




ラブロマンスの為なら国の一つや二つ消し飛んでも構わない――!

わけあるか。


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36話

 

 

 

 

 

 

 不夜城。旧オークニーの都市を指して、人は近年のスコットランドの王都をそう呼び慣わした。

 

 旧オークニーは最果ての国と称されている。ブリテン島の最北端に位置し、中央にあるキャメロットからの干渉が難しく、独立独歩な国風を築いていたからだろう。

 この国は海に面している土地柄、海賊による襲撃も多く、また大陸側にある国からの侵攻にも度々晒されていた。古くはローマ、近年はサクソンからだ。しかし旧オークニーは度重なる荒波を見事に防ぐ防波堤となり、夷狄をこの地からブリテン島の内陸に通すことはなかった。

 それは以前の国主ロット王の武勇によるもので、彼より遡ること数百年もの間、国主が優れた王だったからだが――防衛線として難攻不落となった要因はそれだけではない。

 ブリテン島最北端を押さえる要衝、現スコットランドの王都はケルト神話に名高き、太陽と光の神が築いた『ルーの砦の国』なのである。彼の神の権能により築かれた砦を基礎に発展した都は、聖なる白亜城キャメロットにも匹敵する堅牢さを誇り、並大抵の対城宝具など跳ね返す力を具えていた。

 キャメロットに仇を成した魔女モルガンが、この都市を本拠地として定め、ロット王の妻となり傀儡にしたのも当然と言える。最果ての国を手に入れたのなら、たとえ追い詰められてもこの城に立てこもりさえすれば容易に態勢を立て直せるからだ。騎士王を先頭に円卓の騎士が全軍を率いて侵攻しても、この城ならば充分に撃退できるだけの可能性を秘めているのである。

 

 そして現在。

 

 国主として君臨する月輪王ロホルトの居城となって以来、イージスと名付けられた王城は、一度として灯りの絶えたことのない『眠らない城』と謳われ、神の盾を掲ぐ不夜の城(アエテルニタス・イージス)、眠らない神の盾と国内外にその名が知れ渡っていた。

 スコットランド王ロホルト・インペラトルの、ノルウェーへの野心を鋭敏に察知している者は大陸にもいる。国土防衛に情熱を費やす王は防備を固めると共に、スコットランドの動静に目を光らせているからである。月輪王と称される、月の香りの英雄が国外への長征を目論んでいる予兆は、既に敵地へ現れていたのだ。ノルウェーの王権を打倒し、聖なる治世を敷くという噂が。

 斯様な噂を意図して流したのはロホルトだ。

 短中長期を見据える彼に休息は無い。執務室を戦場とし、しかして現場に赴くことを躊躇わず、必要とあらば如何なる手でも打つ英邁な君主に忠誠を誓わぬ騎士はおらず、ある魔女を従えたことで急激に国内の統治を安定させ、盤石にしていっている彼が次に行なうことは何か誰もが関心を抱いていた。

 

 関心を、抱いていたのだが。

 

 ――ブリテン島内外にて、一躍時の人となったロホルトは、私室で頭を抱えていた。

 

「貴方の撒いた種でしょう――いいえ、()()()()()()()()からこんなことが起こった」

 

 目の下に濃い隈を拵え、あからさまに不健康そうに肌を青白くさせ、窶れている才女が王を揶揄する。

 魔という名の険がとれて、草臥れた才女となったその者はモルガンである。

 彼女は人としての己、精霊としての己を通じ、極めて正確に王を取り巻く事情を把握していた。

 ロホルトとガレスが築いた歪な関係性も先刻承知のことであり、ブリテン騎士の性質を誰よりも知悉していたが故に、いつかはこうなることぐらい容易く予測が出来ていた。

 

「私の娘は美しい。私に似ず可憐で、清廉だ。夢に真っ直ぐ突き進み、陰惨な闇を纏わず、麗らかな陽射しのように温かい性格をしている。そうなるように育てたとはいえ、流石は私の娘だと我ながら感心するほどです――そんな女が手つかずで放置されていれば、辛抱ならず手を出す者が現れるのも自明というもの。ロホルト、私の王よ、貴方にもそれは分かっていたはず。なのになぜ手を打とうとしない? なぜ今もそうして手をこまねいているのです?」

 

 淡々と糾弾するモルガンだが、その声に熱はない。長椅子に横たわり、寝台に腰掛けて項垂れるロホルトを見ているのだ。妖艶な様で、くびれた腰と豊かな脚のラインがくっきりとなって、男ならば色欲を掻き立てられてしまうのは必定であるが――ロホルトは彼女を見てもいなかった。

 ただ苦しみ、悩む、苦悩の様。彼の内心が視えている故に、モルガンはなんとも言い難い複雑な心境になりながらも、彼が打つべき最適解を口にする。

 

「ガレスを抱きなさい。それで全て解決です」

 

 彼女の諫言と献策に、ロホルトは顔を上げた。

 

「貴女のことだ、どうせあんな噂を流した下半身野郎に目星は付けているんだろう? ソイツを処刑してから考えても――」

「莫迦め、いいえ、腰抜けめと嘲ってほしいのですか? ()()()()()なんて腑抜けた態度で、この問題を放置してきた貴方ですが……事は貴方の覚悟が固まるのを待てる時期を過ぎている」

 

 覚悟を固められないのではない、私情を含む一身上の都合で、義務や仕事の類を疎かにはしない。ロホルトは個人としての己よりも、公人としての己に重きを置くと決めているのだから。

 故に童貞だからという態度で問題を放置した、というのはモルガンによる悪意ある見方だ。この場合は優先順位の観点で後回しにしていた問題が、唐突な事案によって最優先に躍り出ただけ。

 ロホルトは公人としての己を至上とするが、決して情を蔑ろにする人間ではなかった。色んな立場の人達の事情を勘案し、可能な限り穏当に、円満に、大過なく収まりをつけようとしている。

 今は自分とガレスを取り巻く環境で、ガレスに心の準備ができる時間を捻出しようと頭を悩ませている段階だ。モルガンにはそれぐらい解っている。解った上で、わざと槍玉にあげているのだ。

 

「無論私の娘に下劣な欲を懐いた愚かな騎士は既に捕らえ、去勢を済ませていますが、それはこの問題の根本的な解決にはなりません。さっさと股のモノをおっ勃てなさい、そして貫くのです」

「……………」

 

 ガレスの実母から性交を勧められるという状況に、気まずくなるのは理解できなくもないが、童貞らしい可愛らしさなんて求めてはいない。

 ガレスを我が物にしようとしていた愚者を見つけるのは簡単だった。前提として彼女を欲する以上、ガレスに手が届く位置にいる者であるのが明らかで。馬鹿げた噂を短期間で広範囲に流せるだけの人脈――横と下への繋がりを持つ者であるのは自明だ。後はモルガンが分身を出向かせて、候補者を視て回れば終わりである。愚者は粛清騎士――機兵に捕らえさせ牢に繋いだ。

 モルガンは魔女だ。しかし情はある。モードレッド以外の子供達にはそれなりに情があり、特にガレスに関してはそこそこ可愛いと想っている。手が空いていたら、あるいは自身に不都合な問題が発生しそうなら、相応の労力を割いて行動するのも吝かではない程度に。

 

 だからロホルトの言うように、余計な仕事を増やしやがった憎き畜生を迅速に囚えた。

 しかし問題は、こんな噂が流れる余地を残したロホルトが、なよなよとして奥手になっていること。こんなザマだとまた同じことが起こるし、そもそも抱きもしなければガレスに立場がない。

 モルガンがスコットランドの宰相となる以前は、丁度いい隙だからと放置していたが。こうしてロホルトに仕えて、宰相となって当事者になってしまった現在では無視できる話ではなかった。

 モルガンのあけすけな物言いで言葉に詰まり、言い返せなくなっている初心な青年。彼がこうまで奥手になり性へ臆病になった原因も知っているし、同情もする。だが迫りくる現実の問題を、座して放置していい立場ではない。ロホルトも、ガレスもだ。世話が焼ける……と、モルガンは嘆息した。

 

「……そんなに腰が引けるなら、代案がないこともない」

「本当かい?」

 

 なんてことを言えば、即座に食いつく童貞。モルガンはまた嘆息する。

 

「ええ。ガレスを妃の座から降ろし、私を妻にしなさい」

「………は?」

「そうすれば、アレを私の娘として騎士の役割を与えられる。モードレッドの立場も安泰です」

 

 無論、その場合もモルガンと契って、交わる必要はあるが。

 あからさまに嫌そうな顔をする青年に、地味にプライドを傷つけられたモルガンが睨んだ。

 

「なんです、私が妻では不満ですか?」

「いや……不満も何も貴女は父上の姉だろう。どれだけ歳の差があると思ってるんだい? だいたい貴女もいい歳なんだから、もう子供を生むのも大きな負担だろう? ぶっちゃけ私もキツい」

「黙りなさい童貞王。女に歳の話をするものではありません。それに私は人間ではない、人間の年齢などでこの私を測るのはお門違いというものです」

「……なるほど?」

 

 無神経な言い分はわざとだ。わざと不快感をモルガンに与え、気を散らそうとしている。妖精眼があるモルガンには無駄なことなのに、そんなことも分からなくなるぐらい焦っているのか。

 いや、焦っているのではなく、混乱している。ガレスに対する感情、思い遣り、自身の性格、それらが渾然一体となり、ロホルトは現実に迫る性行為の必要性に恐慌をきたしているのだ。

 何を恐れる、なぜ怯える。男なら――特にロホルトの年齢なら、女を見れば股のモノをおっ勃て野獣になるものだろう。現に彼はガレスを憎からず想っているし、性欲もきっちりあった。なんなら人一倍どころではない、竜の如き貪欲な熱を秘めている。

 

「ああ――」

 

 モルガンはよぉくロホルトを視て、やっと理解した。

 

 ロホルトという青年の思考は、二つの型に分裂している。精神病とも言える歪な形で。

 個人としてのものと、公人としてのもの。二つある思考回路の内、後者から迫られる行動の是非に急かされて、個人としてのロホルトはそれに苦しんでいる。思考回路が全く別のものに独立したそれは二重人格に近いが、強靭な精神力が二つの思考を同一人物のものとして固め、束ねているのだ。

 そうして思考回路が分裂しているのに、表面からは何も漏れ出ていない。モルガンでさえ妖精眼がなければ見抜けなかっただろうが――この症状は随分と前からあるものだ。

 とっくの昔に知り得ていたことだからいいとして、問題は個人としてのロホルトが、交わった女を壊してしまうのを恐れていることであろう。

 

 桁外れで規格外な性欲。吐き出した先にある、大事な身内の安否。持ち前の英雄的精神力で、化け物じみた獣性に理性の鎖を繋げているが、一度それを解放してしまえば止まれないと本能的に理解している。何年か前の女難でも女を避け、遠ざけていたのもそれが原因の一つだ。

 

「ロホルト、我が夫になりなさい」

 

 となればモルガンはそう言うしかない。

 

「私なら壊れませんよ?」

 

 そう、モルガンなら間違いなくロホルトの獣欲を受け止めきれる。

 女の身だが人間ではなく、経験豊富である。童貞如き、容易に手玉に取れる自信があった。

 だがモルガンの提案にロホルトは心底嫌そうな顔をした。

 

「無理。貴女とするのは性病が怖いから」

「…………」

 

 カチンときた。モルガンは上体を起こし、腰掛けに座り直す。

 性病。性病だと。ふざけるな童貞め。

 怒鳴りたくなるのをグッと堪え――疲れているから怒りたくない――モルガンは冷静に返した。

 

「性病? 梅毒のことなら安心しなさい、そんなものはとうの昔に対策済みです」

「え? 何それ地味に凄いね、その対策というものをすぐにでも市井に広めよう」

「そうですね、そういえば性病も大変な問題の一つ――話を逸らすな」

 

 稀代の悪女であったモルガンは、自身の美貌と色香を自覚していた。女としてのプライドがある。なのにこうまで自分を性の対象にしたがらないロホルトに、段々本気で腹が立ち始めていた。

 もう色んな問題を無視して本気で自分のものにしてしまおうと、そんな気分になりつつある。自分の下で情けなく喘ぐ英雄というのも、なかなか支配欲と嗜虐心を満たされそうだ。

 不穏な気配を察知したのか、ロホルトはさりげに立ち上がってモルガンから距離を離す。そして観念したように告白した。

 

「……ガレスは私にとって妹のようなものだ」

「それが?」

「昔からひたむきに夢を叶えようと努力して、立派な騎士になろうとしていたガレスを応援していた。彼女の目指した道を絶って、私の妃事情に巻き込んでしまった手前、なんとかガレスの夢を叶えてあげようとしたんだ。だというのにその私が立場上の義務を果たせと命じるのは気が咎めた」

「そうですか。だからなんだというのです?」

「……ガレスには、真に自分が好いた相手と結ばれてほしい。彼女も私にそう思ってくれている」

「どんな想いがあれ、あの娘を貴方の妃にしたのはアルトリアで、許容したのは貴方自身だ。そして妃であるならば果たすべき役目というものがある。貴方も王であるならば、そんな私情で役目を放棄してはいけません。分かっているでしょう、貴方達は性へ奥手であるのが許される立場ではない。さっさと童貞を捨てなさい、さもなければ私が手篭めにしますよ」

「………………」

 

 何を言ってもばっさりと切って、あまつさえガレスを抱かないなら自分がお前を襲うと直接言われたロホルトは、心の奥底に沈殿していた重いものを溜め息として吐き出した。

 

「……ガレスと話す」

「話してどうするのです」

「私と子を成せるか訊ねる。そして、嫌なら諦める」

「諦める?」

 

 反駁に、彼としては珍しい悪意ある挑発が示された。

 

「うん。諦めて、貴女を妻にする」

「……フッ……ふふっ。一度、ほんとうに殺してあげましょうか」

 

 ブチッ、と何かがキレる。妥協して自分を妃にすると挑発的に言われ、流石のモルガンもこめかみに青筋を浮かべた。本心からブチギレたのだ。

 連日の過労により、溜め込んだストレスが爆発する。

 モルガンは杖を手に取り、本気で魔力を励起して――彼女が激怒するような物言いをわざとして、互いに溜まった鬱憤を晴らすように仕向けたロホルトも神槍を掴んだ。

 

 城の一角が消し飛ぶ。

 なんだかんだで無性に暴れたくなる程度には、青年王と宰相も心労を重ねていたのだろう。

 示し合わせたかのように、二人は無傷であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な――!?」

 

 城壁の外から主君ロホルトの私室が爆発したのを見たガレスは驚愕した。

 王城の防備は完璧なはず、なのにあんな異常事態が起こったとなれば、彼女が動揺するのも当然だ。しかも主の部屋があんな爆発を起こっては、脳裏に暗殺の二文字が浮かんでしまう。

 

「行ってください!」

 

 連続する爆発。

 一気に緊迫感に支配され、騒然とする城中をカヴァスに飛び乗って駆けてもらう。多くの魔獣、幻獣を斬り捨て、あるいは食らったカヴァスは膨大な神秘を秘めており、その脚力は幻想種の中でも上位に食い込んでいた。脚を畳み、地面を蹴って跳躍しただけで、上層にある王の居室へ飛び込める。

 空気の壁を突き破り、城壁を一足飛びに飛び越える白狼。更に宮殿の上層へ跳ぶ。カヴァスが本気で跳んだ際の脚力に驚くこともなく、ガレスは赤の魔剣を抜剣して――瓦礫の山となった爆心地を見渡し、そこに主と魔女がいるのを視認すると即座にロホルトを背に降り立った。

 

「母様……! 陛下の命を狙うなんて見過ごせません、斬ります――!」

 

 やはりモルガンを召し抱える判断を下したロホルトに、断固として反対するべきだった。胸中に強烈な後悔を過ぎらせて、ガレスは悪逆なる魔女の討伐を決意する。

 煤を頭から被ったらしいモルガンはガレスを見るなり、漲らせていた殺気と怒気を霧散させた。空中でガレスが己から飛び降りたのに合わせ、カヴァスは魔女の背後に着地し、凶悪な顎を開いて音速でモルガンの胴体を噛みつかんとする。しかし、それを制するように青年の声がした。

 

「待て、カヴァス」

 

 瞬間、カヴァスは急制動を掛けて停止し背後に跳び退いた。

 耳に親しんだ主の声で命じられたからだ。

 殺気も露わに魔剣を構える乙女の肩に手を置いて、同じく煤塗れのロホルトが言う。

 

「ガレスもだ」

「陛下!? で、でも……」

「いいから。これは私が悪い、彼女を挑発して怒らせた報いだよ」

「ふん。わざとであれ、先刻の物言いには失望を禁じえません。どう償ってもらいましょうか」

「ごめん、私がどうかしていた。必ず埋め合わせはするから矛を収めてくれ。……もう少し暴れたかったけど、ガレスが帰ってきたからね……馬鹿になる時間はこれまでだ」

 

 まだまだ発散し足りないとでも言いたげだ。ガレスには事情は呑み込みかねたが、どうやらモルガンがロホルトを本気で害そうとしていたわけではないとは理解できた。不承不承、剣を下ろす。

 だが騎士として、ロホルトの腹心として苦言を呈さないわけにはいかない。渋い顔になったガレスは主の悪戯を諌めた。

 

「母様が反旗を翻したわけではないのは分かりました。けど無駄に宮殿を壊さないでください。誰かが巻き込まれたらどうするんですか? ここを直すのに掛かる時間と労力、お金は馬鹿にならないんですよ。体を動かしたくなったのなら適切な場所選びぐらいして、金輪際こんなことはしないでください」

「フッ、言われてますよ、ロホルト」

「笑ってる場合なのかな? 直すのは貴女だよ、モルガン」

「――なん、ですって……?」

「私は大規模な攻撃はしなかったのに、無駄に強力な魔術を使ったのは貴女だろう。この被害に関して悪いのは全部モルガンだと言ってもいいはずだ」

 

 ロホルトの言い分にモルガンは怒りを再燃させ、子供みたいな言い訳をするな、同罪だろうと糾弾したくなるが――ふと、思い出す。

 そういえば、ロホルトはまだ17歳だ。もうすぐ18歳になるとはいえ、まだガキである。彼の年齢を思い出してしまうと、モルガンの中にある怒りが急速に萎びれてしまった。

 馬鹿をやれることもないまま王になった青年に……今回ぐらい大目に見てやるかと諦めてしまった。本当に今回だけだが――モルガン・ル・フェともあろう者が、随分丸くなったものだ。

 

「はぁ……まあ、いいでしょう。それよりロホルト、貴方も為すべきを為しなさい」

「?」

「分かってる。まったく、ムードもクソもないね……ガレス、話がある」

 

 肩を落として細い息を吐いたモルガンの台詞に、ガレスは首を傾げる。

 為すべきを為せ? なんの話だろう、と。

 ロホルトがガレスに言った。

 

「少し外に出よう。大事な、話だ」

「は、はい。どうしたんですか、そんな改まって……」

 

 困惑した反応をする乙女に、青年はじくりと胸を痛めた。

 

 

 

 

 

 

 



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