やはり俺の大学生活はまちがっている。 (石田彩真)
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やはり初対面でも羽沢つぐみの可愛さに心躍る。

初めまして石田彩真です!
ハーメルンに投稿するのはおそらく初めてですね!
pixivでも投稿しているのですが、こちらでも掲載していきます!
一応pixiv優先のつもりではいますが……笑
では、よろしくお願いします!


 人生働いたら負けだと、高校を卒業した今でも思っている。

 だが人には働かなければならない時が必ず訪れる。俺にとっては今がそうだ。

 思い出受験なるものを受けてしまったのが運の尽き。都内の国公立文系になんの間違いか受かってしまい、親父に唆されあれよあれよと東京での一人暮らしが決まってしまった。

 くそっ、親父め。よくも小遣い倍にして家賃とかも全額払ってやるなんて大ボラ吹きやがったな。

 確かに大学在学中なんて言ってなかったけど一ヶ月しか払おうとしないとか酷すぎるだろ。

 まあ好条件に目が眩んでまんまと乗せられた俺も俺だし、あとで小町と珍しく母ちゃんまでもが俺の味方をしてくれて家賃と光熱費はどうにかなったから良かったけど。

 小町と母ちゃん仲間にすると我が家で敵なしだ。

 だがさすがに小遣いばかりは自分でどうにかしろと言われてしまったので、俺は超絶仕方なくバイトをすることにしたのだ。

 

「……ふぅ」

 

 借りてるアパートから数分。目的地に到着した。

 羽沢珈琲店。そこが今日の面接場所だ。

 まだいくつか応募はしているが最初に思いついたのがここだった。

 羽沢珈琲店は家から近いこともあり、昼間から大学の時はちょくちょく通っている。おかげでここの奥さんとは店が空いてる時などの話し相手をする仲になってしまった。

 ぼっちだった俺が年上の女性と親しくなったとか過去の俺が聞いたら卒倒してしまうだろう。……平塚先生? あれは別だ。教師だし。

 平塚先生が総武校を離れる前、一週間連続でラーメン店に連れていかれたことを思い出してから、一応開店前なのでノックをしてから羽沢珈琲店の扉を開いた。

 恐る恐る中を伺い辺りを見回していると、モップ掛けをしていた見た目高校生くらいの女の子とバッチリ目が合ってしまった。

 

「あの、すみません。まだ開店前なので、もう少しお待ちいただいても宜しいですか?」

「あ、やっ、えっと……今日面接の予定をさせていただいたものなんですけど」

 

 てっきりいつもの奥さんが対応してくれると思っていたので、ついどもってしまった。

 けれど俺は彼女を知っている。……いや、あくまで多分という可能性だが、彼女の名前はつぐみだ。

 奥さんがよく話してくれていた。自慢で可愛い娘がいると。

 髪色は茶髪で女子としてはやや短めな方だろう。目鼻立もはっきりしている。

 自分の子供をブスとか気持ち悪いなどごく少数の奴らしか言わないだろうけどなるほど、確かに目の前にいる彼女はかなり可愛いい。

 雪ノ下や由比ヶ浜、一色などの総武校男子に人気ランキング上位トップスリーの三人(戸部調べ)と接している俺が言うんだから間違いない。

 羽沢つぐみという女の子は美少女という部類に入る。

 と、やたらここまで上から目線で語ってきたが年下相手に硬直して次の言葉が出てこないどうも俺です。

 そんな俺の様子に気づいてくれたのか、はたまた彼女本来の優しさなのかパチンと手を叩いて笑顔で頷いてくれた。

 

「あっ、比企谷八幡さんですね! お母さんから聞いてます。すぐ終わらせるのでちょっとだけ待っててください」

「……うす」

 

 年下相手に緊張しすぎでしょ俺。高校時代に培ってきたコミニュケーション能力はなんだったんだ! ……や、あれはただ振り回されまくってただけだな。

 そういえば大学入ってしばらく経つけど教授としか話してないじゃん。俺のコミュ障は今でも健在だった。

 衝撃の事実に目の前が真っ暗になりかけたところで清掃を終えたらしい彼女は微笑のまま近寄ってきた。

 

「お待たせしました比企谷さん。こちらへどうぞ」

「うす」

 

 これはやばい。

 年下でも彼女はここの娘だぞ。なのに面接できたはずの俺がまともな返事をしていない。これは由々しき事態だ。

 しかもそんな俺の対応に全く嫌な顔せずに接してくれる彼女は天使か何かだろうか。

 小町と戸塚以外にも存在したのか。

 ああ。家帰って小町に電話して慰めてもらいたい。罵倒しか返ってこないだろうけど。

 

「えっと……それじゃ面接始めても大丈夫ですか?」

「あっはい。……え? あの、奥さんは?」

 

 さりげなく対面に彼女が座ったので受け入れそうになった。

 なんで俺は年下に面接されそうになってるんだろうか。

 や、別に彼女が悪いわけではない。ただ昨日奥さんが、「明日は午前中から用事があるから少し早めでもいい?」って聞いてきたので、俺は今日店が開く前にやってきたのだ。

 てっきり奥さんが面接するものだと思っていたけど。

 そんな表情をしていたのだろうか。目の前の彼女は眉尻をさげて、申し訳なさそうにしてきた。

 

「ごめんなさい。実はお母さん、今日早めに外出することを忘れてたみたいで急に頼まれたんです。私みたいな年下に面接されるなんて嫌ですよね?」

「いやいや全然。滅相もございません」

 

 首を強く左右に振り彼女を安心させようとすると、言葉遣いがおかしくなった。

 その言動に彼女は一瞬呆けたあと、口元を右手で抑え、クスッと微笑んでくれた。

 

「ありがとうございます。比企谷さん、優しいんですね」

「いえ、そんなこと──」

「ありますよ! 普通、年下にバイト面接を監督されるなんて考えませんし」

 

 力説されたが本当になんてことはない。

 俺はあくまで面接を受けさせていただく側だ。そんな俺が面接官がどうこうなど言えるはずがない。もちろん言うつもりもないが。

 それに将来あらゆる場所で年下が上の立場になることだってあるのだ。これはその一つの形にすぎない。

 そんなことを理路整然と彼女へぶつけるとニコッと微笑んだ。

 

「ふふっ、確かにそうですね。じゃあこれもお互いの社会勉強ということで面接開始します」

「ああ。よろしくお願いします」

 

 多少の紆余曲折があったが、自己紹介を軽く済ませ、ようやく面接が始まった。

 だが今のやりとりは無駄じゃない。お互いに肩の力を抜いて話ができている。

 面接でほば確実にで聞かれる時間の希望や週日数の希望。どうしてここを選んだのか、などなど。それはもう当たり障りなく。

 そして数分後、最後の質問がとんできた。

 

「比企谷さんは明日からでもシフトに入れますか?」

「はい。大丈夫です」

「よかった。じゃあ、お母さんに伝えておきますね。多分あとでお母さんから連絡行くと思います」

「はい、わかりまし……えっ、それってどういう……?」

 

 今の発言は非常におかしい。それじゃまるですでに合格してる風に聞こえるんですけど。

 その疑問に彼女は苦笑を浮かべながら答えてくれた。

 

「あはは。実は、面接前から比企谷さんが受かることは決まってたんです。お母さん、男手欲しがってたから」

「な、なるほど」

 

 じゃああれか。面接はただの建前だったわけだ。

 

「ごめんなさい。面接の時間、無駄にしてしまって」

「や、そんなことはない、です。面接は相手をきちんと見る上で必要なことだと思う、ので」

 

 店側は雇う側である以上、相手を知らずに雇うのは危険だ。

 例えばその人が指名手配犯だったりしたら、何かトラブルに巻き込まれてしまう可能性もある。そういう可能性を排除するためにも、例え顔なじみだとしても面接をしておいて損はない。

 

「ふふっ、やっぱり比企谷さんは優しいです」

「そりゃどうも……です」

 

 そうまで純粋な瞳を向けられ、素直な言葉で伝えられると、反論するのも難しい。似合わず礼を言ってしまった。

 ここまで彼女と接してきたわかったことがある、というより、その前からわかっていたことだが彼女はとても優しい。そして愛嬌があるように思う。

 過去に比企谷という名字を「ヒキタニ」「ヒキガエル」などと弄られ、俺の目を見た子供に泣かれ、腐った目を「ゾンビ谷くん」など罵ってくる奴らがいた中、目の前にいる彼女は終始笑顔で俺の対応をしてくれている。

 それはただの営業スマイルなのかもしれない。が、俺にはただ純粋に会話を楽しんでくれてるように見える。なにより俺も少しだけそんな感情が芽生えていた。

 奉仕部の空間とは別の、小町と話す時の落ち着きとは違う、彼女の持つ雰囲気が穏やかで落ち着くのだろう。

 雪ノ下みたいな言葉遊びがない、由比ヶ浜みたいに言葉を訂正しなくてもいい。小町みたいに素っ気なく返されることもない。

 彼女はTHE普通なのだ。もちろん良い意味で。

 思えば悲しいことに、これまでの人生、普通すぎる会話を成立させた記憶が俺の中に存在していなかった。

 奉仕部や小町は言った通りだし、一色はあざといし、材木座は厨二だし、戸塚は天使だし。

 一番まともなのが川崎であるが、そもそもお互い基本無口なので喋らないことが常である。そんなのもう会話じゃない。

 よってTHE普通の会話が成立する彼女にここまで心を打たれてしまっているのだろう。

 比企谷八幡。享年18歳。普通の会話が楽しいと初めて実感する。……や、まだ死んでなかったわ。

 俺はお礼から来る照れを誤魔化すように咳払いをひとつして口を開いた。

 

「じゃ、じゃあ、明日からという事で、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いしますね!」

 

 言って、どちらからともなく席を立ち上がり、ドアへ向かっていく。

 しかしあれだな。やけに時間が長く感じたが、まだ三十分も経っていないのか。

 まあでも、一発で面接受かって良かった。何度も受けてたんじゃストレスが溜まってしょうがない。ここなら通い慣れてるし、奥さんが話しやすい人だから、俺が接客さえ出来れば長く続けていけそうではある。

 一つだけ懸念材料があるとすれば、もう一人バイトがいるらしいけど、その人と上手くやれるかどうかだ。

 俺は基本平日の朝に羽沢珈琲店へ来ていたので、高校生であるバイトの子には会ったことがない。だから奥さんの娘である彼女とも今日初めて会った。

 扉の前まできて、最後に彼女へ挨拶をしてから帰ろうとし後ろを振り向くと、ぽすっと柔らかい何かが体当たりしてきた。

 

「わぷっ」

「わ、悪い。大丈夫か?」

 

 衝突してきた物体の正体はすぐ真後ろを歩いていたらしい羽沢つぐみだった。

 

「ご、ごめんなさいっ!」

「や、こっちこそ急に止まってすみません」

 

 勢いよくぺこぺこ頭を下げてくる彼女に謝ると、彼女は頭を上げぶつけた額をさすりながら、照れ笑いを浮かべてきた。

 

「えへへ……」

「…………」

 

 なにそれ可愛い。

 やはり彼女は戸塚に負けず劣らずの天使だったのか。

 今の彼女の仕草や表情を動画に収めたい犯罪者的衝動をグッと押さえつけ、努めて冷静に言葉を吐き出した。

 

「じゃあ、俺帰りますね?」

 

 若干上ずってしまったが、恥ずかしがっている彼女は気づいていないので問題ない。

 取っ手を掴み扉を開けようとすると、彼女は「あっ」と小さく声をあげた。

 

「比企谷さん。これから私には敬語じゃなくて大丈夫ですよ」

「や、でも……、良いのか?」

「はい。比企谷さんがうちで働くとしても、これからも敬語を使われ続けちゃうとむず痒くなっちゃいます」

 

 なるほど。そういうことなら彼女の意思を尊重するべきか。

 

「分かった。じゃあこれからはこんな感じで……いいか?」

「はいっ!」

 

 満点の笑顔と返事を聞いて、俺は改めて挨拶をしてから羽沢珈琲店を出た。

 そこで長いため息を吐き出した。

 

「ちょっと疲れたな」

 

 彼女との会話を少しだけ楽しんでいたとはいえ、それでもやはり他人との対話は疲れる。精神的疲労が半端無い。

 自転車のペダルに足を乗せ考える。

 高校時代、最初の頃は悉くバイトを失敗しまくっていたが、今回は長く続けていこう。まだ越してきたばかりなのに、すぐやめて行きつけになりかけてる羽沢珈琲店に来れなくなるのはゴメンだ。

 ……とりあえず頑張る手始めとして、小町にバイト受かった報告と決意表明だけでもしておこう。




読んでいただきありがとうございます!
感想いただけると嬉しいです!


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言うまでもなくAfterglowはいつも通りである。

とりあえず二作目です!
四作目までは書いてあるので時間を空けて投稿していこうと思います!
ただ、ハーメルンへの投稿はやり方をいまいち分かってないのでおかしな部分があれば教えてもらえるとありがたいです!
ではよろしくお願いします!


 カタカタと押してレジを開ける。千円を入れてお客が頼んだ差額分を取り出す。小銭を落とさないように丁寧に手渡して頭を下げた。

 

「ありがとうございましたー」

 

 言うと、お客は少し笑って帰っていった。

 これにて任務完了……なんてことはなく、バイトの時間はまだ半分残っている。

 やはり商店街にある喫茶店だけあって、来るのはほぼ常連ばかりだ。客として来てたころ、見たことある顔もちらほら伺える。

 一人の客が帰ったところで、俺が働かせてもらっている羽沢珈琲店の一人娘であり看板娘でもある羽沢つぐみが近くまでやってきた。

 

「比企谷さん。レジは大丈夫そうですか?」

「ああ、レジならいじったことあるから割となんとかなる」

 

 多少レジの型が違えどおおよそ同じものだ。高校一年生でバイトした時、三日でレジを覚え先輩にいびられるようになるくらいの記憶力が俺にはある。

 加えて、羽沢の丁寧かつ分かりやすい説明により、ほぼ完璧にマスターしていた。

 

「ふふっ、比企谷さんは物覚えが良いんですね」

「や、羽沢の教え方が上手いだけだろ」

 

 本当にそれに尽きる。

 その証拠に羽沢お手製の『羽沢珈琲店バイトマニュアル』なんてものまで頂いてしまった。ページ数がほどほどあり、レジや丁寧な接客方法、メニューひとつひとつのどこが美味しいだとか、それはもう事細かく書かれていた。

 こちらが若干引いてしまうくらいに。

「……必要ないですよねこんなもの」

 俺の表情を見て何かを察した羽沢が悲しそうに言った瞬間、俺は若干のキャラ崩壊を起こし、どれだけ嬉しいかを力説したのがほんの数時間前の出来事である。

 養殖なあざとさを発揮する誰かさんとは異なり、天然物の破壊力は段違いだ。

 あんなテンパった八幡、家族にだって見せたことないんだからねっ!

 

「…………」

「……? どうした?」

 

 俺が脳内ツンデレごっこをしていると、羽沢がじっとこちらの眼を見つめていた。

 やだこの子ったら、ついに私の目について触れるつもりなのね! 良いわ、散々言われて耐性が付いているからいつでもかかってきなさい。

 若干のオネエ口調で動揺しつつ羽沢の言葉を待っていると、不意に彼女の手が俺の唇の端に触れた。

 そしてクスッと笑んだ。

 

「っ⁉︎ は、羽沢……⁉︎」

「比企谷さん、口元にクリームついてますよ?」

 

 言われて羽沢が触れた部分に触ってみると、彼女の手で拭いきれなかったクリームが少し付着していた。

 やばいこれ恥ずかしいパターンだ。

 どこでついたかはなんとなく見当がついていた。

 休憩中、羽沢が試作したから食べてくれって頼んできた苺クリームケーキだ。

 その証拠に手に付着したクリームは微かにピンク色をしている。

 俺は恥ずかしさから素早くポケットからちり紙を取り出し、クリームを消し去る。

 その対面では小さな舌を出し、先程俺の口元から拭いとったクリームをぺろっと舐めとる羽沢の姿があった。

 

「比企谷さんって意外におっちょこちょいなんですね。きっと前島さんもそれ見て笑ってたんですよ」

「……あ、ああ。そうかもな」

 

 そんなことより彼女は自分がした行為に気付いていないのだろうか。……いや、それとも俺が気にしすぎてるだけなのかもしれない。

 思えば彼女は女子校って話だし、女子同士でなら頻繁にそう言う事態が起こりうるのかもしれない。なら、きっと指摘したら気まずくなる可能性もある。

 そして一生半径五メートル以内に近づいてくれなくなる未来が視えてしまったので、黙殺しておく。

 あと、今後粉物やクリーム類を口にする時は最後に鏡を見ることを心に誓った。

 

「あら八幡くん。もうつぐみとそこまで仲良くなったのね」

「あ、奥さん。まあ……、はい」

 

 未だに少し笑いを堪えようとして全然耐えられていない羽沢をどうしたものかと思案していたら、奥の調理場から出てきた羽沢つぐみのお母さん、通称つぐママに声をかけられた。

 つぐママを最初どう呼ぼうかと考えていたが、「あら、奥さんでいいわよ。なんか上品な感じがするでしょ?」とのことなのでそれで定着させている。ちなみにつぐパパは旦那さんだ。

 理由はつぐママに同じ。この夫婦、最近金持ちが出てくる連ドラにハマっていたらしく、それの影響かもしれないと羽沢が教えてくれた。

 

「あっ、お母さん。どうしたの?」

「いいえ別に。ただ、二人の楽しそうな会話が聞こえたから交ざりたくなったのよ」

「えっ? そ、そんな楽しそうだったかな? ……比企谷さん」

 

 やめて! そこで俺に振らないで!

 ほら、つぐママも期待を込めた瞳でこっち見てるじゃん!

 ここで否定したら羽沢は恐らく悲しむだろう。かと言って、肯定したら俺が後に羞恥で死ぬ。……あれ、これ詰んでね?

 けれどあれだ。俺は奉仕部を経て色々な人と関わり合い多少は成長できている、と自分では思っている。

 成長云々を言葉にするのは昔なら考えられないが、雪ノ下に言ったら多分「あら、貴方に成長できるほどの器なんて残っていたかしら。知ってる? 元々小さい人の器ってそんな簡単に大きくならないのよ?」とか嫌味ったらしい笑顔を向けて言われるのだろう。

 俺の想像上の雪ノ下が厳しすぎるし、想像がしっくりきすぎて悲しくなった。

 このまま落ち込んでてもしょうがないので、俺は考えるのを放棄して今思ってる事を口にしてみることにした。

 

「まあ、俺は楽しいぞ。羽沢との会話」

「っ……! そ、そうですかっ」

「あらあら、八幡くんも言うわねー」

 

 二人の反応を見て数秒前の自分の言葉を反芻してみる。

 …………………………………………。

 うん控えめに言ってバカじゃねぇの⁉︎ 否定でも肯定でもなくただ自分の気持ち伝えただけじゃん!

 ……や、言葉としては間違ってないかもしれないよ? むしろ正解なまである。けど普通に恥ずかしすぎる。俺こんなこと言えるキャラじゃないよ? そういうのは全部みんな大好き葉山さんに任せとけばいいんだよ。まあ俺は嫌いだけど。

 葉山の爽やか笑顔を思い出してしまい冷静になれた。たまには役に立つじゃんあいつ。

 けれど俺が冷静さを取り戻したところで、未だ現実の空気感は気まずいままだ。唯一平常運転なのはつぐママだけである。

 羽沢の肩をつつきながら「良かったじゃないつぐみ。このまま八幡くんゲットしちゃう?」なんて耳元で囁いている。俺はポケモンか何かでしょうか。

 この状況を好転させられるとしたらただひとつ。お客様が現れてくれることだ。

 そこで左の席を見てみる。が、老夫婦はコーヒー片手に談笑していた。次いで右を向く。女子高生がわいわいしていた。結論、レジに来てくれる気配はどちらもない。

 若干諦めムードでもうどうにでもなれと思っていると、からんと鈴の音をたてお客が現れた。

 と同時に頭に浮かんだ言葉がある。

 ──お客様は神様です。

 ……使い方違うかな? 違うな。

 ともかく助かったことに変わりはない。そんな救世主はどんな方達かと顔を向けると、お客様四名がこちらに向かって各々挨拶をしてきた。

 

「つぐ〜、やまぶきベーカリーのポイントカード今日で貯まったんだ〜」

 

 手を振りながら脈絡のない言葉と共に、最初に声をかけてきたのは銀髪に近い髪色の子。少し間延びした感じが妙な脱力感を与えてくる。

 

「つぐ、今日のオススメは?」

 

 次は由比ヶ浜に近い髪色で、とても明るい声音。ふと視線が顔から少し下がりそうになるも咄嗟に己の黒歴史を脳内で大量に再生させなんとか煩悩を退散させる。

 ちなみにどこがとは言わないが由比ヶ浜と張り合えるレベルだった。全く煩悩退散してないし。

 

「つぐ、アタシたち四人大丈夫か?」

 

 とりあえず席の確保をしようとする三番目の赤髪の方。四人の中で一番背が高く、声の張りとその佇まいや雰囲気から活発そうな雰囲気がひしひしと伝わってくる。実際どうかは知らんけど。

 

「……つぐみ、家の手伝いお疲れ」

 

 最後は黒髪でワンポイント赤メッシュが入ってる娘。唯一羽沢に労いの言葉をかけていた。

 彼女たちの言動から察するに友達だろう。

 彼女たちに気づくと羽沢はパッとそちらを振り向いて、銀髪の子に手を振り返しながら答えた。

 

「みんないらっしゃい。来てくれたんだね」

「うん、暇だからつぐの家でお茶しようって話になって。それでつぐに聞いて欲しい話があるの!」

 

 由比ヶ浜似の子がピョンピョン跳ねながら羽沢の手を掴んでいた。

 こらやめなさい。俺の視線が一点に集中しちゃうでしょ!

 なに? 胸が成長してる人って跳ねる習性でもあるの?

 思えば由比ヶ浜も高三になってから、以前にも増して雪ノ下にくっ付いて跳んでた記憶がある。

 前世はきっとウサギかカンガルーだったのかも知らない。……もしくはバッタ。

 

「どうしたのひまりちゃん? 何か嬉しいことでもあった?」

 

 羽沢が落ち着くように話を促す。それでピンク髪は動きを止めた。そして、

 

「つぐ〜、次のライブ月末の新入生歓迎会でやる事になったよー」

「ちょっ、モカ! それ私のセリフ!」

 

 言葉を発する前に銀髪の子に奪われていた。

 

「えっ? そうなの⁉︎」

「うん、なんか日菜さんが先生にごり押ししたらしい」

「ははっ、日菜さんらしいよな」

 

 ピンク髪は喚くなか、淡々と会話が続いていた。

 いつの間にかつぐママはフェードアウトしてるし、俺もそれに倣いステルスヒッキーを発動する。

 が、それに気づいた銀髪っ娘がいそいそ近づいてきた。

 

「どもども〜、あたしは青葉モカです。気軽にモカちゃんって呼んでいーですよ」

「ん、青葉と呼ばせてもらう」

「全然オーケーです。……んー、ところでお兄さん。あたしとどこかで会ったことありませんかー?」

 

 あらやだ、いきなり逆ナンかしらん。

 そんなことはないだろうが俺も彼女が店に入ってから気になっていた。確かにどこかで見たことある。いや、それどころか会話もしている気がする。

 

「……コンビニ、じゃないか?」

 

 自信はあったが確信はなかったので解答をぶつけてみる。と、彼女は手を打ちひとつ頷いてみせた。

 

「あたしも思い出した〜。うちのコンビニでよくお菓子と黄色い缶コーヒーを買ってくれる人だ」

「おうそれだな。で、変な挨拶してる店員だなお前」

「あれ? 気づかれてたんだ。どれだけ言葉を崩してもバレないかをやってたんだけどな〜」

 

 や、気付くって。多分他の客も気付いてスルーしてるんだと思うぞ。指摘してもクレーム扱いされるかもだし、そもそも店員の挨拶に客はそれほど興味がない。まあそれでも指摘してくるのは余程の神経質な奴か、根っからのクレーマーぐらいだろう。

 

「あ、そだ。あたしは名前言ったのにお兄さんの名前まだ聞いてないな〜」

「…………」

 

 それは確かに悪かったけどもこのマイペース感、もう少しどうにかならないものか。羽沢と同じで俺の周りにはいなかったタイプだ。

 

「俺は比企谷八幡だ。比企郡の比企に谷、で八幡宮の八幡で比企谷八幡。今日からの新参者だ」

「ふむふむなるほど。……比企谷八幡。変わった名前ですな〜」

「ほっとけ」

 

 ってかモカも大してメジャーじゃ無いだろ。

 銀髪っ娘……もとい青葉モカは俺の名前を呟いては笑みを浮かべて楽しんでいた。やめて、ちょっと恥ずかしいから。

 

「モカ、その人と何話してたの?」

 

 一通りの会話を終えたのか赤メッシュさんが声をかけてきた。

 それに素早く青葉が反応する。

 

「蘭〜、紹介するね〜。この人は比企谷八幡さん、ここの新しいバイトさんでーす。で、こっちはあたしの幼馴染みの蘭だよー」

「……どうも、美竹蘭です」

「こちらこそ」

 

 お互いペコリと頭を下げる。メッシュが入ってただけで無愛想な不良かと思ったけど普通に礼儀正しかった。心の中でも謝罪の意を込め謝っておいた。

 というか羽沢ならいざ知らず、なんでコンビニで顔見知りだっただけの青葉に紹介されているのだろうか。

 

「あ〜ずるい! 私と巴のことも紹介してよ!」

「まあまあひーちゃん。慌てなさんな」

 

 青葉がピンク髪を窘める。というかさっきからうるさいぞそこの由比ヶ浜擬き。

 あといい加減君たち席に着いたらどうですかねぇ。ほら、あそこの老夫婦なんかこっちを迷惑そうに訝しんで……あ、違う。あれは孫を見るような微笑ましい目だ。

 じゃ、じゃあ逆サイドの高校生は……っと、こちらに興味なしですねはい。

 

「比企谷さん、どうしたんですか?」

「……なんでもない」

 

 こういう時に気を使って声をかけてくれる羽沢が天使に見える。

 元々好感度が高かった羽沢のレベルがうなぎ上りで上昇していく。

 対して、よく知りもしない由比ヶ浜擬きの好感度が微かに下落した。

 

「はい、私は上原ひまりです。よろしくお願いします!」

 

 ピシッと頭を九十度近くまで折り曲げて挨拶をしてきた。そこまでされると逆に申し訳なくなってきてこちらも同じように頭を下げる。

 

「比企谷八幡です。……よろしく」

「はい! よろしくお願いしますね比企谷さん!」

「…………」

 

 意外すぎる丁寧な挨拶に由比ヶ浜擬き……上原ひまりへの好感度が平均値へと戻った。

 多分上原ひまりは端からこういう性格なのだろう。この五人の中でムードメーカー的存在、という感じで。

 この短時間でもそれが伝わってきた。

 

「んじゃ、最後はアタシだな。アタシは宇田川巴です。気安く呼びやすいようにお願いします」

「なら、宇田川で……いいか?」

「はい。大丈夫です」

 

 ようやく四人の名前を知ることができた。自己紹介順に青葉モカ、美竹蘭、上原ひまり、で最後が宇田川巴……と。

 この中に羽沢を入れて五人。俺の人間観察力が衰えていなければ、彼女たちは友達以上の関係で繋がっているとみた。

 最初に気になる話もしてたしな。

 それを誰に聞こうか迷っていたが、ここは無難に昨日からだが一番関わりのある羽沢に頼ることにした。

 

「ライブするのか?」

 

 聞くと、羽沢だけでなく他の四人もこちらに視線を向けてくる。

 

「はい、私たち幼馴染み五人でバンド組んでいるんです!」

「バンド名はAfterglowです。カッコいいですよね!」

「アタシがドラムでつぐがキーボード。ひまりがベース、モカがギター……で──」

「……あたしがギター&ボーカルです」

 

 最後に宇田川とアイコンタクトを交わした美竹が答えた。

 ……Afterglow、ね。なんか響きあるし上原が言うように確かに格好良いな。

 しかしバンドのライブか……。アイドル活動してるとは思ってなかったけど、バンドをやってるのは驚きだ。

 まあ美竹に関してはなんとなくそんな風格あるけども。ほら、赤メッシュが特に。

 羽沢は……、ダメだちょっと想像できなかった。

 

「……あ、あの、比企谷さんっ。そんなに見られるとその、恥ずかしいです」

 

 徐々に尻すぼみになっていく羽沢の声音にハッとなり、意識を戻した。

 

「や、悪い。羽沢がバンド活動してるところが想像できなくてな」

 

 たった一日といえど、羽沢の"優しい"は身に染みている。そのせいかどうにも激しいイメージのあるバンドというのが結びつかなかった。

 

「むっ……、なら今度のライブ、時間があれば見にきてください。ちゃんと演奏してますから」

「で、でもあれだろ? 確か今度って新入生歓迎会だろ? 母校でもない高校に俺は入れないだろ」

「大丈夫です。日菜先輩に言えばなんとかなると思うので!」

「あ、さいですか」

 

 どうやら羽沢のバンド活動姿が想像できないって言ってしまったせいで、怒りを買ってしまったらしい。ちょっと膨れっ面がエサを詰め込んだリスみたいで可愛いと思ったりもするけど、それを口に出したら火に油を注ぐだけなので堪える。

 それにしても日菜先輩って何者だよ。先生と対等に渡り合えるとか。

 俺の中で日菜というやつイコール陽乃さんという構図が出来上がった瞬間だった。

 

「つぐが怒った〜。あたしたち以外に怒るつぐなんてレアじゃない〜?」

「あ、それあたしも思った。なんか比企谷さんと話してるつぐみ、楽しそう」

「っ……⁉︎ た、楽しっ……⁉︎」

 

 美竹の発言に羽沢が硬直して停止した。これはきっとあれだな。数分前のやりとりが起因してるな。

 かくいう俺も多少顔が熱くなってるのがわかる。が、それ以上に真っ赤になってる羽沢の方がAfterglowメンバーは気になるようだ。

 

「つぐ、顔真っ赤だよ〜?」

「ホントだな。アタシはつぐのこんな表情見るの初めてかもしれない」

「つぐ〜、もしかして私たちが来る前比企谷さんと何かあった?」

 

 上原が揶揄うように聞くと羽沢はと手と首を勢いよく振った。

 

「ぜ、全然っ! 何もないよ! あと比企谷さんなんてちっとも気にしてないし!」

「ぐっ……」

 

 故意では無いだろうが若干傷ついた。

 いや分かってるよ? 一日そこらで気にされる性格も、容姿もしてないことくらい。でも少しくらい言いようがあったんじゃないかなぁ。

 

「あっ、比企谷さんごめんなさい。その、そういうつもりじゃ……」

「おう、問題ない」

 

 ほんとほんと八幡嘘つかない。

 だからレジにしばらく一人でいさせてほしい。

 その意が伝わったのか、恐らくそうではないだろうが、俺からの第一印象マイペースっ娘がマイペースなことを言い放った。

 

「ここじゃ他のお客に迷惑だろうからそろそろ席に座ろうよ〜」

 

 今さら感半端ないがその発言に誰も異論はないのか空いている席へと移動した。俺の隣で赤面した羽沢を一人残して。

 

「……あー、羽沢? みんなのところで喋ってきたらどうだ?」

「えっ、でも、まだ家の手伝い中ですから」

「レジは羽沢がくれたお手製マニュアルでなんとかなるし、分からないことあったら聞きにいくから。あと、奥さんには俺から伝えておく」

 

 そこまで俺が言うと羽沢は少しの間を置き「わかりました、ありがとうございます」とお礼を述べてから四人の元へと向かった。

 

「……やるか」

 

 と言っても今のところできるのは机を拭くくらいだが。

 つぐママに羽沢のことを伝えてからテーブル拭きを開始する。と、何故か羽沢が顔を赤らめながら戻ってきた。

 

「あの、比企谷さん!」

「お、おう、どうした?」

 

 もじもじしている羽沢を眺めて数秒、パッと顔を上げた。

 

「わ、私も比企谷さんとお話しするの楽しいと思ってますからねっ!」

 

 言うだけ言って羽沢はAfterglowの元へと去っていく。

 俺は何事もなかったかのようにテーブル拭きを再開する。

 

「……ふっ」

 

 危ない。吹き出すところだった。

 無心でいようとすると顔がにやけてしまう。自分の中で嬉しさが消化しきれていない証拠だ。

 俺にここまで純粋な気持ちを打ち明けてくれた奴なんて小学校中学年までの小町くらいだったからな。嬉しくなっても仕方がない。

 もしかして羽沢の心に触れれば誰でも優しくなれるのか……、今度機会があれば雪ノ下と一色で試してみよう。

 俺はバイトの残り時間、自分の表情筋と戦うことになった。

 結果はお客様を入り口で軽く悲鳴を上げさせてしまうレベルでニヤけてしまったと、ここに記しておこう。

 ……誰に伝えてるんだろうな、俺。

 




読んでいただきありがとうございました!
感想お待ちしております!
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このように美少女三人集まれば華がある。

 俺にとってのアイドルはテレビの中の存在だった。

 ライブや握手会などで会おうと思えば会えるが、そもそも俺はそんなアクティブじゃない。

 あんなところは陽キャか行動力があるオタクしか行けないものだ。

 ライブとか行ってみたい気はするが、一人で行くのは気恥ずかしいし、合いの手をやるのはさらに恥ずかしく思ってしまう。

 せめて派遣で働いて会場の外でチケットもぎりをやるのが関の山だ。

 つまりライブなどでテンション爆上げができる材木座は人間として俺より上位の存在なのか、と考えてネガティブ思考に陥りそうになるが、材木座が「我、声優の握手会で黒歴史を生産してしまった……」と嘆いてたので、握手会に行かない俺は「なるほど、じゃあ握手会に行けない俺は黒歴史作らなくて済むね、やったね!」とポジティブになった。

 そして過去に黒歴史大量生産してたな、と考えて再びネガティブになる。

 でも歴史を作れるほど濃い人生を送ってるってことはポジティブになっても良いのでは……?

 と、ネガティブとポジティブの無限ループ篇に突入した。

 まあ要するに、何を伝えたかったかというと──、

 

「よろしくお願いします、ヒキガヤさん!」

 

 俺がバイト先に選んだ店にアイドル──若宮イヴが働いてるのは何故でしょうか?

 

 

 

× × ×

 

 

 

 アイドルにさして詳しくない俺だが、Pastel*Palettesのことは偶然知っていた。

 テレビを付ければCMなどで毎日見かけるなどの理由はもちろんあるが、一番の要因としては小町がPastel*Palettes──通称パスパレの大ファンだからだ。

 俺が東京に来る前に「もし東京でパスパレに会えたら絶対にサインもらってきてね! なんならお嫁さん候補にしちゃっても良いよ?」とか冗談めかして言っていたが、まさか本当に会えるとは思わなかった。……えっ、冗談だよね?

 テーブルを拭きながらレジの方に目をやると、笑顔で接客している若宮が視界に映る。

 

「ありがとうございました!」

 

 笑顔で言う若宮に対し、お客さんも自然と笑顔になる。

 さすが、これがアイドルの力か。

 ……いや、羽沢が同じ対応しても客は笑顔になるから人としての器の問題か。

 じゃあなんで俺がやる時は生暖かい目で見てくるんでしょうかね? 俺の器が小さいってことですね、なるほど納得!

 男の客に至っては舌打ちまでしてくる始末。やだ、客が俺に優しくない!

 まあでも分からなくはない。

 俺が客でも俺みたいな腐った目のやつに接客してもらうより、若宮みたいな可愛らしい女子校生に接客してもらいたいと思うことだろう。

 客どころか社会すら俺に優しく無かったことを思い出していると、レジ待ちしていた最後のお客さんが帰ったところで足音が近づいてきた。

 

「お疲れ様です、ヒキガヤさん!」

 

 うわっ、眩しっ!

 思わず目を逸らしてしまう。

 決して真っ直ぐ見つめられて照れたわけでは無い。

 

「ん、お疲れ様」

 

 言葉を返すと若宮はこの場を去るでもなく、にっこにっこにーな笑顔で俺も見つめていた。

 

「……なんかようか?」

「いえ、お気になさらず!」

 

 ……気になるんだよなぁ。

 まるで監視されてるみたい。

 今日羽沢はバンド練習で手伝いは入ってない。

 よって、ホールは若宮と俺の二人体制シフトなのだが、ん〜気まずい。

 俺のコミュ症そろそろどうにかなん無いかな? まあ、改善しようと思ってない時点でお察しなんだけども。

 やがて全てのテーブルを拭き終わる。

 まるでピクミンのように後ろから付いてきていた若宮はここでようやく口を開いた。

 

「私、ヒキガヤさんともっと仲良くなりたいです!」

「お、おう」

 

 アイドルにそう言われるのは大変光栄だが、ファンに知られたら殺意剥き出しで暗殺されそう。

 

「そのためにもまず、お互いのことを知らないとですね!」

 

 言って若宮は自身のプロフィールを説明し始めた。

 アイドルバンド、Pastel*Palettesのキーボード担当。

 フィンランドとのハーフ。

 好きなものはジンジャークッキー。

 嫌いなものはぬか漬け。

 高校の部活は茶道部、華道部、剣道部を兼任しているとのこと。

 ……えっ、ちょっとハイスペックすぎない?

 自己紹介としては満点以上の出来だった。

 次に俺の番になり、近くの大学に通ってること、好きなものはMAXコーヒーだということだけを伝える。

 及第点どころか確実に赤点レベル。

 しかしそんな短い自己紹介でも若宮は興味を持ってくれた。

 

「MAXコーヒー? とはなんでしょうか?」

「ああ、コーヒに練乳を入れた超絶甘いコーヒーだ。常にストック用意してるからよかったら今度持ってくるぞ」

「本当ですか⁉︎」

 

 バシッと手を握られるドギマギする。

 ドギマギとまどマギって似てるよね! とどうでも良いことを考えるくらいドギマギしていた。

 若宮イヴはとりあえず距離が近い。

 この近さは由比ヶ浜に通じるところがあるが、それともまた少し違う。

 なんていうか、こちらが壁を作っても軽く乗り越えられるというか、竹刀で居合切りされてスパッと両断されてるような感じ。なにそれ怖い。

 俺はさりげなく掴まれていた若宮の手を解く。

 と、喫茶店の扉が開いた。

 

「イヴちゃん、こんにちは」

「お疲れ様、イヴちゃん」

「チサトさん、カノンさん、来てくれたんですね!」

 

 入ってきたのはどうやら若宮の知り合いらしい。

 というか片方は知ってる。

 パスパレのベース担当で白鷺千聖、だったはず。

 若宮が働いてるし、パスパレメンバーもよくここに来るのかな〜とか働いてる最中考えたりしていたが、まさかすぐに会うことになるとは思わなかった。

 そして自ずともう一人の方がカノンさん、ということになる。

 そのカノンさんとやらは俺の顔をじっと見て固まっていた。

 

「……俺の顔に何かついてるか?」

「──っ⁉︎」

 

 聞くと肩を震わせ、白鷺の後ろへと引っ込んでしまう。

 そして何故か白鷺に睨まれる俺。

 ふぇぇ、こわいよ〜。

 

「チサトさん、カノンさん、この方は新しいバイト仲間のヒキガヤハチマンさんです!」

「……どうも」

 

 若宮が紹介してくれたので無碍には出来ず、頭を下げる。

 

「ヒキガヤさん、こちらは私のお友達のシラサギチサトさんとマツバラカノンさんです!」

「初めまして比企谷さん」

 

 にっこり微笑み手を差し出してくる白鷺。

 笑ってるのにドス黒いオーラを感じるのはどうしてだろう。

 

「よろしく、お願いします」

 

 何故か敬語になってしまった。

 そりゃそうだ、村人Aがラスボスに勝てるわけが無いのだから。

 ヘコヘコ頭を下げてご機嫌取りをするに限る。

 

「あ、あの……、ごめんなさい。私の知り合いに似てるなって思って見てしまいました。松原花音です」

 

 次いで謝罪しながらおずおずと手を差し出してくる松原花音さん。

 なんていうかその……怖くてごめんね?

 

「花音、怖いなら怖いってはっきり言っても良いのよ」

「えっ、そ、そんなの言えないよっ」

 

 言ってる。その発言がすでに言っちゃってるから。

 

「初対面で結構言うな、お前……」

「ふっ、ごめんなさい。たとえあなたが年上でも初対面でも、私は友達の方が大切だもの」

 

 言って挑発的な笑みを向けてくる。

 まあそりゃそうだ。

 俺だって戸塚が誰かに怯えてたりしたら全力で守る。

 

「大丈夫だよ、千聖ちゃん。その……、男の人に慣れてないけど、怖かったわけじゃないから」

「そう? 花音がそういうなら信じるけれど」

 

 う〜ん、ゆるゆりですねぇ。

 やっぱり美少女同士だとどうしても百合チックになってしまうのだろうか。

 そんな流れがあって、若宮が二人を席へと案内する。

 

「チサトさん、カノンさん、何か注文しますか?」

「ええ、花音はなに頼む?」

「千聖ちゃんと同じので大丈夫だよ」

「そう……。それじゃケーキセットを二つお願いしようかしら」

「かしこまりました!」

 

 注文を聞き入れ、それをキッチンルームへと伝えに行く若宮。

 俺はとりあえず二人に水を出すことにした。

 

「花音、私ちょっとお手洗いに行ってくるわね」

「うん、いってらっしゃい」

 

 白鷺はすれ違いざま会釈をしてきたので、慌ててそれに返す。

 そして俺は二人のテーブルに水を置く。

 

「あっ、ありがとうございます」

「……ごゆっくり」

 

 言いつつ会釈し引き下がろうとしたところ、「待ってください」と後ろから呼び止められた。

 

「あの……、先ほどはすみませんでした!」

「あっ、いや、大丈夫だ」

「その……、千聖ちゃんも私のためにああいう態度をしてくれたので、嫌にならないでくれると嬉しいです」

 

 言って頭を下げてくる松原花音。

 ──仲良きことは美しきかな。

 こうしてお互いがお互いのために行動できるのは凄いと思う。正直、憧れたこともあった。

 だが所詮俺には無理な話。

 出来ないことは早々に諦める。

 そしていつかの夢、専業主夫になるために俺は邁進していくのだ。

 一周回って原点回帰をしていると、「あっ!」と叫んで俺のポケットから松原が何かを取り出した。

 ……いや、それ俺の家の鍵。

 

「これ、ガチャガチャでシークレット扱いされてるクラゲのキーホルダーですよね⁉︎」

「ん、そうだっけか? 確かにこの前ガチャを回した記憶はあるが……」

 

 何を回したかは正直覚えてない。

 あの日は偶然お釣りの百円玉を握り締め、偶然ガチャが目に入っただけだから。

 キーホルダーなら付けておくことが出来るから、と回した記憶がある。

 

「うわぁ、可愛い」

「クラゲ、好きなのか?」

「はっ、ご、ごめんなさい!」

 

 謝るとすぐに鍵を返してきた。

 雰囲気からなんとなく人のものを勝手に取るような性格じゃないと思って驚いていたが、それほどクラゲが好きということなのだろう。

 俺は鍵からそのクラゲのキーホルダーを外した。

 

「欲しければやるぞ。……いらなかったら捨ててくれ」

「えっ、良いんですか⁉︎」

 

 松原は俺の手を包むようにそのキーホルダーを受け取ると、キラキラした目で眺めていた。

 

「これ、中々出ないんですよね。私も何回か回したんですけど、全然出なくて……」

 

 そうして照れたような笑みを浮かべる松原はなんていうか、あれだ……可愛い。

 最近の女子高生って顔面偏差値高くない?

 羽沢然り、Afterglowメンバー然り、若宮と白鷺はアイドルやってるし、言うまでもない。

 

「ただいま花音」

「あっ、おかえり。千聖ちゃん」

「それ、キーホルダー?」

「うん、比企谷さんが譲ってくれたの」

 

 松原が言うと、白鷺は驚いたようにこちらを見上げる。

 

「なんですか……?」

「いえ、ただ意外だな、と」

 

 何が? と聞こうとしたが、その前にキッチンの方から若宮がケーキセット三つをお盆に乗せて歩いてくる。

 

「お待たせしました!」

「ありがとう、イヴちゃん」

「あの、私もこれでバイトも終わるので、ご一緒してもよろしいですか?」

「うん、もちろんだよ」

 

 若宮の問いに松原が笑顔で答え、白鷺は頷く。

 女三人寄れば姦しいと言うが少なくともこの空間は姦しいなんてことはなく、ただただ絵になる。

 ふと、いつか見た奉仕部での光景を思い出した。

 高三になってからは大きな依頼はなく、のんびりした時間を過ごしていた空間。

 由比ヶ浜の話に雪ノ下と小町が相槌を打ち、小町と一色がたまに軽い舌戦を繰り広げたりしていた。

 俺はそれを本を読みながら聞いていて、たまに振られる話題に適当に返してたんだよな。

 こうして懐かしいと思える記憶なのだから、俺にとっても悪くない思い出なのだろう。

 柄にもなく感傷に浸ってしまった。

 

「今度小町に電話して聞いてみるか」

 

 恐らく、小町なら雪ノ下たちと連絡を取っていることだろう。

 俺は楽しそうに会話をする三人から離れ、どうやってそれとなく書き出すかを考えながら、残りのバイト時間を過ごすのだった。



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やはりAfterglowに魅せられるのはまちがっていない。

とりあえずここまでで打ち止めです!
次からは少し期限が開くかもしれません笑
一応伝えておくと、タグは書いた時点で出るキャラを順次足していきます。
羽沢つぐみは今作のヒロイン枠なので単体でタグにしてますが、他のバンドリメンバーは都度考えます!
では、よろしくお願いします!


 午後の講義が教授の都合で休校になった。

 普段特にやることない時は家でぐうたら過ごしてる俺も、唐突に時間が空くと何をしようか迷ってしまう。

 今日はバイトも入ってないから学食で何か食べてから帰るか、と考えていると肩を叩かれた。

 大学でも相変わらずぼっちな俺である。

 そんな俺を認識してそんなことしてくる奴は、大学内に一人しかいない。

 

「……比企谷、今大丈夫?」

 

 首だけで振り向くと、手提げを肩に掛け直し、シンプルでカジュアルな服に身を包んだ川……川……川なんとかさんが立っていた。

 

「おお、サキサキ」

「サキサキ言うな」

 

 手刀が脳天に突き刺さった。

 加減されてるおかげで全く痛くはない。

 腕を組み、顔を逸らし、けれどもちらちらこちらを見てくるものだから、なんともむず痒い。俺もちらちら見返しちゃうぞっ!

 そんなことしても気持ち悪いし、周りの人に悪評を広められても困るので、俺は歩き出した。

 すると川崎は横に並び立つ。

 

「これから学食?」

「ん、ああ。この後の講義休講だろ?」

「そうだね。あたしも一緒に行ってもいい?」

「別に構わないが……」

「じゃあ行こ、早くしないと席埋まっちゃう」

 

 言って、早歩きになる川崎を追いかけながら、さりげなく周りに視線を向けてみる。

 案の定、すれ違いざまに男の視線が突き刺さる。主に川崎に対してであるが。

 本人は気づいていないのか、はたまた気にしていないだけなのか、全くの無反応。

 高校時代から美人ではあったが、川崎本人は近寄り難い雰囲気があったせいか、その手の話題はこれっぽっちも無かったと思う。

 だが、偶然大学で再会し、会話するようになってから思うのが、少し物腰が柔らかくなったということか。

 これも大学入ってから始めたという家庭教師のアルバイトのおかげなのかもしれない。

 年下相手に威圧してたら親御さんからクレームとか来そうだもんね!

 俺なんか初対面で挨拶の時に腐った目を揶揄されてクレームがくる未来まで見えるから、家庭教師をバイト先に選ばなくてよかったと思う。

 

「比企谷何食べる? あたしが買ってくるから席確保しておいて」

「ん、了解。じゃ、川崎と同じので」

「分かった」

 

 言って、川崎と分かれ行動に移す。

 ちょうど良く二人用の席が空いていたのでそこにすることにした。

 念のためLINEで大体の位置を川崎に伝えておく。

 こうすれば探しまくることはないだろう、多分。

 影が薄いことに定評のある俺をそもそも見つけられるか分からないだろうから、近くに来たら手でも振った方が良い?

 「おーい、川崎こっちだぞー」とか。

 なにそれやだ恥ずかしい。

 しかしそんなことをやる必要もなく、川崎が真っ直ぐこちらに歩いてくるのが目に入った。

 

「お待たせ」

「いや全然。よく分かったな、あのLINEだけで」

「……比企谷、結構目立つからね」

 

 ん? 誰が目立つって?

 陰に潜み、陰に生きる俺が目立つとかあるわけないじゃないですかやだー。

 えっ、目立たないよね?

 

「女の子の視線集めまくってるくせに」

「? なんか言ったか?」

「別に。……朴念仁」

 

 なんか馬鹿にされた気がする。

 けどまあ良い。

 とりあえず今日の予定を組み立てよう。

 と言っても帰ってアニメ観るとかしか無いんだよなぁ。

 そんなことを考えていると、川崎はスマホをいじりながら口を開いた。

 

「休講になったなら、今日行けるじゃん」

「行けるってどこにだ?」

「羽丘」

「…………ああ」

 

 そういや今日だったか。

 いまの今まで忘れてた。というか出来れば思い出したく無かったですね、はい。

 今日は羽丘女子学園で新入生歓迎会が行われる。

 そこで俺がバイトでお世話になっている羽沢珈琲店の娘である羽沢つぐみが所属する、Afterglowがバンド演奏をするのだそうだ。

 予定がなければ行く、と社交辞令的に伝えたつもりだが、バイトの時に日付と時間を教えてもらっており、確かに知ってて時間があるのに行かないのはダメな気もする。

 

「けどなぁ……」

「気乗りしないの?」

「や、興味がないわけじゃないんだが……ほら、女子校だし」

 

 そこなのだ。

 羽丘女子学園。

 俺のイメージだと女子校は男の先生は例外としても、男子禁制な気がして近寄りがたい。

 日菜先輩? という人に入れるように頼むと言っていたが、もしそれが出来ず意気揚々校門まで行って門前払い食らったら恥ずかしいことこの上ない。

 

「ふーん。あたしもAfterglowの生演奏聴きたかったん、だけどな」

「えっ、Afterglow知ってんのか?」

「うん。あたしの教えてる生徒が大ファンで曲聞かせてもらったことあるんだけど結構良い曲ばっかり歌ってるよ」

「ほーん」

 

 そう言われると気になってくる。

 なんなら先ほどまで九割行きたく無かったのが、反転して九割行きたくなってきた。

 俺の意思が脆弱すぎて泣ける。

 

「とりあえずその羽沢さん? だっけ。連絡だけでもしておけば?」

「……そうだな」

 

 俺の高校と相違なければ大体今の時間は昼休憩かもしれない。

 その予想は間違っていなかったのか、連絡すると一分も経たずに「本当ですか? 待ってます!」と大変元気な返信が送られてきた。

 

「一応、川崎のことも伝えたんだが、一緒に来るか?」

「いいの?」

「まあ、俺的に一人で行くよりは来てくれた方が助かる、というか」

 

 なんか恥ずかしいことを言ってる気がしないでもない。

 川崎と一緒なら多少は抵抗なく女子校だろうが、男子校だろうが入れる気がする。

 

「うん、じゃああたしも行きたい」

 

 そう言ってくれてホッとする。

 俺たちは食べ終えた日替わり定食のお盆を片付けてから、そのまま一緒に羽丘女子学園へと向かうことにした。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 羽丘女子学園は俺たちが通ってる大学から自転車で数分の位置にある。

 正確な位置は把握してなかったが、そこは川崎が場所を知っていたので迷うことなく到着することが出来た。

 時刻を見てみるとちょうど五時間目が始まってそうな頃合い。

 五、六時間目を使って新入生歓迎会をするって話だから、恐らくすでに生徒は体育館へ移動しているのだろう。

 正門付近に生徒はおらず、静まり返っていた。

 

「どうするか、羽沢に連絡しても今は返信出来ないだろうし」

「だね。……ねぇ、あの子」

 

 携帯と睨めっこしつつ川崎と相談していたところ、昇降口から出てきた生徒が大きく手を振っていた。

 

「おーい!」

 

 俺たちは顔を見合わせる。

 そして控えめに振り返した。

 その生徒は目の前まで来て校門を開けると、俺と川崎の顔を覗き込むようにしてくる。

 

「ねぇ、あなたが比企谷さん?」

「お、おう。そう、です」

「そっかー、じゃあ二人がつぐちゃんが言ってた人たちだね!」

 

 つぐちゃん、というのは羽沢のことで間違いはないだろう。

 ってか、この顔どこかで──、

 

「あっ、パスパレ」

「おっ、比企谷さん! もしかしてあたしたちのこと知ってくれてるの? 嬉しいなー、るんってくるよ!」

 

 氷川日菜、Pastel*Palettesのギター担当。

 趣味はアロマオイルづくりだったはず。(小町情報)

 日菜先輩、というのがまさかアイドルの氷川日菜だとは思わなかった……と一瞬考えたが、よく考えたら羽沢珈琲店にもパスパレメンバーの一人が働いてたことを思い出す。

 

「すご、本物じゃん」

「川崎も知ってるのか」

「今時知らない方が珍しいんじゃない?」

 

 確かに。

 ほんの数年前から活動を始めたにも関わらずみるみる実力を伸ばし、個人でもCMや雑誌取材、バラエティ番組の出演と数々の仕事をこなしているらしい。もちろんこれも小町情報である。

 

「えっと、じゃあ氷川、さん」

「あはは、そんな畏まらなくて大丈夫だよ! 比企谷さんたちの方が年上だし、気安く接してもらえれば!」

「そうか。じゃあ氷川、俺たち入っても大丈夫なのか?」

 

 聞くと、氷川は俺と川崎の手を引っ張って中へ招き入れた。

 

「うん、問題無いよ。ちゃんと先生たちの許可も取ってあるから、早く行こ!」

 

 俺と川崎は顔を見合わせる。

 なんというかすごいフランク。

 俺も川崎も人付き合いが得意じゃ無いから、これくらい積極的だと逆にありがたい……んだが、いやこれはちょっと近い近い良い匂い。

 完全な偏見だけど女子校に通う生徒って男に免疫なくてこういう行為抵抗あるもんじゃ無いの?

 俺が頭を振って煩悩退散に徹していると、氷川は俺たちに振り返り声を掛けてくる。

 

「ねぇねぇ、二人は恋人さん?」

「は?」

 

 おおう、川崎さん。怖いです。

 いやね、分かるよ。俺なんかと恋人に思われたく無いもんね。でもその露骨な反応は傷付くなぁ。

 顔真っ赤にして氷川睨みつけたら可哀想じゃん。

 相手年下だよ? ビビっちゃうよ?

 自分がビビっているのを棚上げして氷川に目を向けてみるも、彼女は変わらずキラキラした目でこちらを見ていた。

 

「そっかー違うのか。てっきり二人一緒にきたからそうなのかなって」

「まあ、高校からの知り合いだからな」

 

 説明にもなってない説明をすると、「ふーん」と受け流される。

 そのまま無言が続き、昇降口で来賓用スリッパに履き替え、再び氷川に手を引かれる形で体育館へと向かうこととなった。

 ……あの、一人で歩けるのでそろそろ手を離してくれませんか?

 ハチマン、ひとりでできるもん!

 

 

 

× × ×

 

 

 

「ちょっと遠いかもだけど、ここからで大丈夫そう?」

「ああ、視力はそこまで悪く無いからな」

「あたしも」

 

 俺たちが通されたのは体育館の上にあるスペース。

 卓球部が使用するエリアといえば伝わるだろう。

 ご丁寧に二人分のパイプ椅子が設置してあった。

 俺はちょうど入院中だったから知らなかったが、新入生歓迎会はレクリエーションをやるのか。

 ただ我が校はこんな感じですよーって校長から大変ありがたいご高説を頂く場だとばかり思っていた。

 ……ん? 待てよ?

 もしかして俺が高校でぼっち街道を突き進むことになったのは新入生歓迎会に参加できなかったからなのか?

 違うか、違うね。

 

「もうすぐAfterglowのバンド演奏だから、そこに座って待ってて。あたしはつぐちゃんの代わりに司会しなくちゃだから戻るね」

「うん、頑張って」

 

 俺が自分のぼっちの理由を責任転嫁している最中、歓迎会へ戻る氷川を川崎が見送っていた。

 

「比企谷、とりあえず座ろ?」

「ん、そうだな」

 

 川崎に促され椅子に座って新入生歓迎会をしばらくの間眺めていることしばし、いつの間にか羽沢の司会から氷川へと変わっていた。

 

「新入生のみんな〜、楽しんでくれてる? それじゃ次が最後のレクリエーション、新入生も知ってる人はいるかな? Afterglowの演奏だー!」

 

 歓声が凄まじい。

 こっちまで熱気が伝わってくる。

 俺の想像以上にAfterglowは人気があるようだった。

 垂れ幕が上がり、中心に立つ美竹がマイクを握った。

 

「新入生の皆さんこんにちは、Afterglowです」

 

 そして順番にメンバーを紹介していく。

 その際、紹介されたメンバーは各々パフォーマンスをしていた。

 

「…………」

「──っ」

 

 一瞬、羽沢と目が合った気がした。

 気のせいかもしれないが、俺たちがここで見ていることを氷川から聞いていれば目を向けても不思議では無い。

 やがてメンバー紹介が終わり曲紹介に移る。

 

「それでは聞いてください。『Y.O.L.O!!!!!』」

 

 演奏が始まりギターの音が響く。

 普段アニソンしか聴かない俺だが、これはあれだ……凄い。

 安易な感想しか出てこなかった。

 一瞬で観客を引き込む音色、新入生、在校生、先生達、全ての視線がAfterglowへと向けられている。

 

「……すごいね」

「ああ」

 

 川崎の呟きに自然と答えていた。

 高校生のバンドだからって甘く見ていた部分はあるが、とりあえず後で羽沢には謝罪しなくてはならないだろう。

 そう思わせる力強い音楽だった。

 俺は多分、この瞬間にAfterglowのファンになっていたのだろう。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「あっ、比企谷さん!」

「ん、お疲れ」

 

 新入生歓迎会が(つつが)無く終了し、俺と川崎はAfterglowが控え室にしていた空き教室へと招き入れられた。

 

「おっ、比企谷さんじゃないですか〜。えーっと、それと──」

「あっ、川崎沙希です」

 

 青葉に続いて各々が挨拶をしていた。

 上原の勢いに押されて若干引き気味の川崎を宇田川がフォローしている光景を見ていると、どちらが年上か分からなくなる。

 少し離れたところからその様子を伺っていると、青葉が近づいてきた。

 

「比企谷さん、今日のつぐはどうでしたか〜?」

「ん、ああ……、よかった、な」

 

 いきなり問われ、安直な感想しか出てこなかった。

 青葉はメモを取るような仕草で追求を続けてくる。

 

「ほうほう、具体的には?」

「や、具体的って言われてもな……、バイトで見るより凛々しくてカッコよかった、的な?」

「なるほどなるほど〜」

 

 その言葉を聞き満足したように頷く青葉。

 そして羽沢のところへ向かい、止める間もなく先のやり取りを話していた。

 すると、今度は羽沢がこちらへ近づいてくる。

 心なしか頬が朱に染まっていた。

 

「その……、楽しんでもらえましたか?」

「お、おう……。楽しすぎて家に帰ったらAfterglowの曲を調べまくるところだったわ」

「ほ、本当ですか……⁉︎」

 

 驚いたように声を上げる羽沢。

 うん、嘘は付いてない。

 事実、他にどんな曲があるのかとても興味がある。

 

「じゃ、じゃあ後で私の家に寄りましょう! CDあるので差し上げます!」

「良いのか?」

「はい、比企谷さんにはぜひもらって欲しいです!」

 

 嬉しそうに微笑む羽沢。

 その顔を見ていると俺の表情筋も緩んでしまう。

 ──可愛い。

 

「…………」

 

 いやいや待て待て。

 高校生相手にドキドキしてるんじゃねぇよ。

 思い出せ、材木座の今期アニメの推しを熱弁する姿を!

 ……気分が悪くなってきたので速攻やめた。

 あいつ、なんで夜中に電話してくるんだよ。しかもテレビ通話で。

 おかげでこの前寝坊するところだったんだからな。

 沸々と材木座への怒りが湧いてきたところで、教室の扉が勢いよく開かれた。

 

「ねぇねぇ、みんなで写真撮ろうよー!」

「良いですね!」

 

 氷川の発言に上原が頷く。

 

「んじゃ、俺が撮ってやる──」

「何言ってるの? みんなで撮るんじゃん!」

 

 言うと机を並べてカメラがちょうど良い高さに設置し始める氷川。

 それを見てAfterglowメンバーは並び始める。

 川崎も上原に手を引かれてその中に入っていた。

 

「比企谷さんもこっちに来てください」

 

 羽沢が手招きしてくる。

 川崎たちの視線も集中し、断ることは出来なさそうだった。

 流石にここで断って空気を悪くするのも(はばか)られる。

 

「……ふぅ」

 

 仕方なく輪に入り羽沢の隣に並ぶ。

 

「ふふっ、楽しいですね!」

「……ああ」

 

 俺は未だAfterglowの演奏を聴いた高揚感が続いているようだ。

 つい正直に言葉を返してしまう。

 「もう少しみんな寄って〜」と言う氷川の声に皆が中心へと少しだけ集まる。

 肩が羽沢に触れそうになった。それを気にして少し離れようとするもの氷川に咎められ動けなくなる。

 

「……よし。じゃあ撮りまーす」

 

 カメラをタイマーにセットしたのだろう。

 ボタンを押して氷川が川崎の隣に並び立つ。

 しばらく待ちシャッターが切られる瞬間──、

 

「いぇーい!」

 

 氷川がそう叫んでAfterglowはきちんと反応していた。

 俺と川崎は引き攣った笑みを浮かべていたはずだ。

 けれどきっとこれも後の思い出として笑い話になる、なんとなくそんな気がしたのは俺だけではないだろう。

 だって──、

 

「比企谷さん、また私たちの演奏を聴きに来てくださいね!」

 

 こうしてここにいる全員がもれなく笑顔なのだから。

 



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誰が見ても弦巻こころの笑顔は一級品である。

 人には避けては通れないことが存在する。

 小学校や中学校は義務教育だから通わなければならないし、社会人になれば安定した生活を送るために働かなくてはならない。

 ただまあ今回の話はそんな人生的なあれではなく、もっと身近な話。

 ゴールデンウイーク中の食材をまとめ買いするため、スーパーではなくたまには商店街で買い物をしてみるかと考えたのが運の尽きだった。

 

「それじゃ行くわよ八幡!」

 

 比企谷八幡、休日をのんびり過ごす予定が女子高生に連れ回されるのであった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「ふふんふ〜ん!」

「…………」

 

 上機嫌に鼻歌を歌いながら俺の手を引っ張っていく弦巻こころ。

 決して力は強くないが、なぜか引き離すのを躊躇ってしまう力がある。

 

「えっと……、どこ行くんだ?」

 

 聞くと、弦巻はこちらを振り返りながら首を傾げた。

 

「? どこに行こうかしら?」

 

 まさかのノープラン。

 しかし足取りは向かう先が決まってるかのように止まることはない。

 ならば俺は大人しく着いていく以外の選択肢は無いのだ。

 ふと、こうなるまでの経緯を思い起こした。

 商店街を散策中、アクロバティックな動きで前方からやってくる弦巻がいたから、俺は関わらないように身を縮こまらせていたのだ。

 しかし、そんなの知ったこっちゃ無いとばかりに、弦巻は動きを止めると一気に俺へと距離を詰めてきた。

 

『あなた、もしかして比企谷八幡ね?』

『えっ? なんで俺の名前……?』

『花音から聞いたわ! うん、目がちょっと変で特徴もバッチリね!』

 

 目がちょっと変……は大分オブラートに包んでいそうだが特徴に関してはネガティブ要素が多い気がするなぁ。

 

『花音……って松原の知り合いか』

『ええそうよ! あたしは弦巻こころっていうの! 八幡が笑顔じゃなかったからお話ししようと思って!』

『いやただの買い物だし。一人で笑ってたら気持ち悪いだろ』

『そんな事ないわ! 笑顔はすごく大切よ!』

 

 わぉ、この子すごい元気!

 思わず俺まで元気に……ならないですね、はい。

 

『八幡はこの後暇かしら?』

『えっ……、暇だけど、……あっ、やっ、暇じゃな──』

『暇なら一緒に行きましょう!』

 

 こうして今の状況が形成されたのだった。

 多分過去に戻れたとしても運命の強制力が働いてこの状況を免れる術は無いと思う。

 なら、比企谷八幡の数ある特技の一つ『無理な状況なら諦める!』を発動する他ないのだ。

 なのだが──、

 

「あの、着いていくから手を離してくれませんかね?」

「どうしてかしら? 手を繋いでた方が楽しいでしょ?」

 

 楽しくないんだよなぁ。

 むしろ注目集めて困るんだよなぁ。

 最近女子高生と関わりすぎて感覚麻痺しているせいか、話すことへの躊躇いは不思議と無い。

 が、それはそれこれはこれ、だ。

 どうしてこうも警戒心ない子がおおいのかねぇ……、白鷺と対面した時が一番まともに思えてくるな。

 さすが子役で芸能界を生き抜いてきただけのことはある。

 

「おっ、こころちゃん今日も元気だな!」

「ええ、あたしはいつでも元気よ!」

「こころちゃん、これ持っていきな」

「美味しそうね、後でみんなで食べるわ!」

 

 商店街を突き進むごとに弦巻は話しかけられていた。

 アニメとかドラマだ見たことあるけど、現実でもこんなことあるんだな。

 ああでも、俺も似たようなことあるかもしれない。

 中学生の頃レジャー施設で迷子になってる子に声掛けたら、警備員に事務所に連れてかれて親呼ばれたこと。

 その時思ったのが『現実でもこんなことあるんだな』だった。

 うーむ、前者と後者だと意味合いが違いすぎる気がしないでもない。

 日本語って難しいなーと、どうでも良いことを考えていると、急に弦巻は足を止めた。

 

「そうだわ! これからあたしの家に行きましょう!」

「…………」

 

 初対面を家に招くのはお父さん感心しません!

 そんなことを言えるはずもなく、俺はそのまま急に目の前に現れた黒塗りの車に乗せられたのだった。

 ……いやこれなんて急展開?

 

 

 

× × ×

 

 

 

「……でか」

 

 到着後の第一声がそれだった。

 いかにも高級そうな車が弦巻を迎えにきた時から嫌な予感はしていたが、往々にしてそういう予想は的中してしまう。

 正門潜って車を走らせること数分……いや、この時点でおかしいのだが。

 なんで車で庭を走っちゃってるの? そんなのそれこそ漫画の世界だけの話かと思ってたんですけど。

 事実、リアルで遭遇してしまったら開いた口が塞がらない。

 今の自分鏡で見たらどんだけ間抜け面をしているだろう。

 外観だって全て見渡せないし、東京ドームが圧倒的霞むレベル。

 

「八幡、どうしたのかしら?」

「…………どうしたらいいのかわからなくて困ってるんだ」

「? よく分からないわね!」

 

 俺もこの状況がよく分からないわね。

 とてつもなく帰りたい。

 帰りたくてたまらないのだが……、これ絶対道に迷うやつだ。

 しかも変に彷徨ってたりしたら、警報が鳴り響いて番犬に襲われる未来しか見えない。

 こんな大豪邸を前にしたら本当にありそうなんだよなぁ。

 なので前を歩く弦巻におとなしく着いていくしか選択肢はなかった。

 家の扉を開き赤い絨毯の上を歩くことしばし、ようやく弦巻がひとつの扉の前で立ち止まる。

 この先鬼が出るか蛇が出るか、なるようになれ精神で深呼吸……をする間もなく、弦巻は扉を開け放った。

 

「みんな、お待たせ!」

 

 弦巻の背中がしない部屋を覗くと、四人の視線がこちらに突き刺さる。

 

「ちょっとこころ、そんな勢いよく開けなくても……。花音さんが驚いちゃったじゃん」

「ふぇ……、そ、そこまで驚いてないよ〜」

「そうだよみーくん! かのちゃん先輩はちょっとびくってなっちゃっただけだよ!」

「ああ花音。何があっても私たちが守るから安心して隠れているといいよ」

 

 鬼でも蛇でもなくそこにいたのは美少女たちだった。

 

「みんな、揃ってるわね!」

「いやこころ。あんたが今朝招集かけたのになんで家にいないのさ」

「ちょっと散歩をしてたのよ! そしたら八幡を見つけたから連れてきたわ!」

 

 言って弦巻が俺の背中を押す。

 やめて! みんなの注目浴びちゃうから!

 この中で俺が会ったことあるのは一人だけ。

 しかもそれも顔見知り程度の間柄。

 だけど俺に出来る行動はただひとつしかなかった。

 

「よ、よう、松原……」

「比企谷さん……?」

 

 驚いた表情を見せる松原。

 そりゃそうだ。なんならここにいる俺が一番驚いてる。

 他の三人に視線を向けると一人は御愁傷様という感じで、一人はワクワク楽しそうな表情を、最後の人に至ってはちょっと真っ直ぐ見つめられすぎて恥ずかしいですね、はい。

 俺が視線を外すと、この中でまともな役割だと思われる少女が口を開いた。

 

「えっと……、こころ。その人は?」

「八幡よ? 商店街で会って連れてきたわ!」

 

 うんそうだね。

 そうなんだけど、多分今の質問の答えに辿りついてないよねそれ。

 道中何度か弦巻と話してここは俺が話した方がスムーズにことが運ぶと思い、コホンと咳払いをした。

 

「俺のことは松原から聞いて名前くらいは知ってるって解釈で良いか?」

「あっ、はい、それで問題ないです」

「で、俺がここにいる理由だが、笑顔が無いって言われて手を引っ張って連れ回されて気づいたらここにいた感じだな」

「……はあ」

 

 あれれ〜おかしいぞ〜。

 ダメだ、全然通じなかった。

 ってかそもそも、俺自身、自分で話しておいて「何言ってんだ、こいつ?」ってなったもん。

 自分がわからないのに相手に伝わるわけがない。

 

「つまり、こころに無理やり連れてこられたってことでまとめても?」

「……だな。分かりやすいからそれで良い」

 

 はぁ、と俺と少女のため息が重なる。

 なんか苦労してそうだな、この少女。

 空気が重くなりかけようとしたところで、松原が遠慮がちに手を挙げていた。

 

「あ、あの……、比企谷さんは私とこころちゃん以外知らないと思うから自己紹介するのはどう、かな?」

 

 その提案に俺が名を知らぬ三人は頷き、一人の活発そうな少女がぴょんぴょん飛び跳ねる。

 

「はいはい、じゃあはぐみからね! ハロー、ハッピーワールド!のベース、北沢はぐみだよ! 家はお肉屋さんでコロッケがイチオシなんだけど、比企谷さんは来たことあるかな?」

「あ、いや……、まだ行ったことないな」

「そっかぁ、じゃあ今度買いに来て! サービスしてあげるから!」

「お、おう……」

 

 俺が引き気味に頷くと北沢は満足そうに頷いた。

 次にこのメンバーの中で苦労人っぽい少女が口を開く。

 

「えっと……、あたしは奥沢美咲って言います。ちなみにさっきはぐみが言ってたハロー、ハッピーワールド!っていうのはあたし達のバンド名ですね、略すとハロハピになります」

「……奥沢、さんたちもバンドやってるのか」

「たちも、ってことはポピパとかAfterglow辺りにはもうあった感じですかね?」

「ポピパは知らんが、Afterglowには会ったな」

「そうですか。……次、薫さんどうぞ」

 

 奥沢さんがそういうと薫さんと呼ばれた人は髪をさっとかきあげた。

 

「私の名前は薫。瀬田薫さ。ハロー、ハッピーワールドではギターを担当している」

「瀬田薫、だな」

「ああ。好きに呼んでくれて構わない。私は比企谷さん、と呼ばせてもらうことにするよ」

「お、おう……。よろしく」

 

 北沢、奥沢さん、瀬田……うん、覚えた。

 最近名前を覚えてばかりな気がするどうも俺です。

 まあ記憶力にはそれなりに自信があるので問題はないが。

 特に小町や戸塚との会話は一言一句記憶から削除したくない。

 ……そういや小町のやつ、明日泊まりに来るんだけど大丈夫かな? 迎えはいらないって言ってたけど道迷ったりしないかな? やっぱり迎えに行った方がいいかな?

 小町への愛に脳が支配されかけていると、弦巻がみんなの中心に立って声をあげる。

 

「それじゃ、自己紹介も終わったことだし、これからハロハピ作戦会議を始めるわ!」

 

 まばらに響く拍手。

 ぽかんとしている俺。

 そんな俺を気にかけて、そばに来てくれた松原。

 

「実は明後日、遊園地で演奏することになってるんですよ。いつもは黒服さんが舞台を設営をしてくれてるんですけど、今回は設営からみんなでやろうって話してて」

「なるほど」

 

 つまりその作戦会議を今日はやる予定だったというわけで……。

 あれ? 俺ここにいる意味無くない?

 

「八幡も手伝ってくれるから心強いわね!」

「そうなんだ! よろしくね、比企谷さん!」

「手伝ってくれるなら、心強いよ」

「こころ、それ比企谷さん了承してるの?」

 

 弦巻の発言に北沢と瀬田が賛同し、奥沢さんがツッコミを入れる。

 それに弦巻は元気よく答えた。

 

「もちろんよ! だからここにいるんだもの!」

「……そうなんですか、比企谷さん?」

「弦巻の中ではそうなんだろうな」

 

 俺と奥沢さんのため息が重なる。

 やだ、俺たちシンクロ率高すぎ!

 なんか大体このメンバーの立ち位置が把握できた気がする。

 ノリと勢いの弦巻、それに合わせる北沢と瀬田、状況によりバランス調整をする松原と奥沢さん。

 ……なんか色々大変そう。

 

「こころ、比企谷さんだって予定あるかもしれないんだから、勝手に決めちゃダメでしょ」

 

 奥沢さんが正論で弦巻を窘める。

 

「それもそうね! 八幡、明日と明後日予定はあるかしら?」

 

 ここでようやく俺のターンが回ってきた。

 

「明日は家に妹が遊びに来る、んだが、一緒に連れて行っても大丈夫なら、協力出来なくはない」

「それじゃ、決まりね!」

「えっ、比企谷さん。妹さんはそれで良いんですか?」

 

 弦巻が即決したのに対し、奥沢さんは俺に申し訳なさそうに言葉を紡いでくる。

 

「まあ大丈夫だろ。楽しい場所連れてってねって言われてたけど、思い浮かんでなかったし。遊園地なら楽しめそうだし」

「……あー、確かにノリが良い妹さんならこころ達と一緒に間違いなく楽しめるかもしれませんね、疲れるけど」

 

 間違いなく小町はノリが良い。

 しかも臨機応変、柔軟剤よりも柔らかな対応が出来る小町なら、普通に上手くやれそう。

 

「今度こそ決定ね!」

「よろしくお願いします、比企谷さん」

「迷惑かけたら、すみません」

 

 松原と奥沢さんが頭を下げてくれる。

 こちらとしても行く場所決めるのが面倒だった手前感謝しかない。

 

「それじゃ『花咲川スマイル遊園地、お客全員笑顔大作戦』開始よ!」

 

『おー!』

 

 拳を突き上げてハロハピ全員の掛け声をあげる。

 流れに乗り遅れた俺に視線が集中した。

 ……えっ、俺にもやれってこと?

 

「お、おー」

『おー!』

 

 俺のアイデンティティはきっと弦巻にここに連れて来られる時点で、商店街に置き去りにされてしまったのだろう。

 だが案外悪くないと思っているのは、ここ最近賑やかなことばかりだからだろうな、と思うことにしてハロハピの会議に参加することにした。

 

「八幡、あなたは当日ミッシェルの隣で踊るのよ!」

「…………」

 

 ミッシェルって誰ですか?

 あと踊るのは全力で遠慮させてくださいお願いします。



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隙あらば比企谷小町はお義姉ちゃん候補を模索している。

 社畜というのはゴールデンウィークでも仕事がある。

 朝八時くらいは通勤ラッシュ激戦タイムだ。

 駅の中へ消えゆくサラリーマン達に向けて、こころの中で合掌をする。

 今日もお勤めご苦労様です!

 目を瞑り黙祷を捧げて開けると、通勤ラッシュの波に逆らう一人の影が見えてこちらに向かってきた。

 

「お兄ちゃん、おひさー! ……あれ、なんか老けた?」

「久しぶりの再会に第一声から酷い言われよう」

 

 スーツケースを片手に現れた少女──もとい俺の愛妹こと比企谷小町はいつでもどこでも愛くるしい。今すぐ抱きしめたいレベル。

 しかしそんなことをすれば小町に拒絶反応を示されること確定なので、俺の脳内だけにとどめることにした。

 ……あれ、俺の小町好きが増してない?

 や、まあ一ヶ月近くも離れてたなら仕方ないなと自分自身で納得する。

 

「お兄ちゃん、今日は遊園地連れて行ってくれるんだっけ?」

「ん、昨日連絡した通りだ。ちょっと頼み事されたついでだから、小町にも頼むかもしれんが」

「良いよ良いよそれくらい! なんか楽しそうなお話だったし!」

 

 既にテンション高めな小町。

 これならハロハピメンバーとも仲良くしてくれると思う。

 俺は小町からスーツケースを預かり、歩き出した。

 

「とりあえずこれ家に置いてまず羽沢珈琲店だな」

「りょーかい、お兄ちゃんをバイトで雇ってくれた人にお礼言わないとね!」

「お前は俺のかーちゃんか」

 

 なんなら親でもそんなことはしないと思うぞ。

 ただ単に俺のバイト先が気になるだけかもしれんが、何回も聞かれるより実際見てもらった方が早いと思って、昨日の電話でこの提案をしておいた。

 羽沢にも事前に連絡しておいたし、お店にいてくれるらしいのでまあ大丈夫だろう。

 

「ほらお兄ちゃん、早く!」

「……テンション高いな」

 

 先頭で行く小町を追いかけながら俺は今日の予定を一通り思い返していた。

 ……ところで小町ちゃん? 家はここ右に曲がった方ですよ?

 

 

 

× × ×

 

 

 

 準備中の看板が立っていたのでノックをしてから扉を開いた。

 すると、モップをかけてる羽沢つぐみが目に入る。

 いつしか見た光景に懐かしさを感じつつ、顔を上げてこちらを視認した羽沢が笑顔を向けてきた羽沢に手をあげる。

 

「おはよう」

「あっ、比企谷さん、おはようございます! それと……小町ちゃん、で良いんですよね?」

「はい、私はこの愚兄の妹、比企谷小町です! いつも兄がお世話になっております!」

「ううん、こちらこそいつも助かってるよ」

「あの、羽沢つぐみさん……。つぐみさんって呼んでも大丈夫ですか?」

「うん、そう呼んでくれると嬉しいな」

 

 言って握手を交わす二人。

 そしてなぜかハグをしていた。

 

「羽沢は今日手伝い入ってるのか?」

「今日は無いですよ、Afterglowもみんな予定入ってるから久しぶりに一人なんです」

「そうか……」

 

 ハグしながら喋る羽沢は子供をあやすように小町の背中をさすっていた。

 小町は小町で甘えるように絶賛羽沢の肩に頬擦り中。

 君高校生だよね? 初対面なのに仲良すぎでしょ。

 

「おい小町、そろそろ離れろよ。羽沢に迷惑だろ」

 

 言うと、顔を上げてこちらに目を向けた小町がぶすっとむくれていた。

 

「良いじゃん別に。つぐみさん何も言ってこないし……あっ、それともお兄ちゃんも抱きつきたかったとか?」

「えっ……⁉︎」

「やめろ小町。割と純粋な羽沢が本気にしちゃうでしょうが」

 

 ほら顔赤くしてるしー。

 チラチラこっち見てるしー。

 ちょっと俺も期待しちゃいそうになってるしー。

 ……ごめんなさい嘘です。

 羽沢の赤面を見てなんて声をかければ良いかわからなかったが、いつの間にかハグを解除していた小町が手を叩いて羽沢に声をかけた。

 

「そうだつぐみさん! これから小町たちと一緒に遊園地行きませんか?」

「……遊園地?」

「はい! なんかお兄ちゃんがお手伝い頼まれて遊園地行くみたいなんですよ! で、それに小町も付き合わされるんですけど、もしこの後お暇ならどうかな、と思いまして」

「えっと……、良いんですか?」

 

 小町に手を握られて不安そうに俺へと尋ねてくる羽沢。

 まあ手伝う云々は置いといて、羽沢に問題無いなら、小町の遊び相手として来てもらえれば俺もありがたい。

 

「俺は全然構わないぞ。……というか、多分俺が手伝う奴ら、羽沢のこと知ってるかもだし」

 

 恐らくバンド繋がりでハロハピとAfterglowは少なからず接点があるはずだ。

 昨日奥沢さんと話した時チラッと名前も出てたしな。

 そのことを伝えると、羽沢はなるほどと頷いた。

 

「ハロハピのお手伝いに行くんですね! それなら私もお役に立ちたいです!」

 

 グッと握り拳を作り力を込める羽沢。

 これで俺たちは三人パーティーになった。

 

「それじゃ、すぐにお掃除終わらせて準備しますね!」

「ん、俺も手伝う」

「小町もやります! 三人でやった方が早いですし!」

「ふふっ、それじゃお言葉に甘えますね」

 

 言うと、羽沢は俺たちに的確な指示を出してくれて手早く店内掃除を終了させることができた。

 その間、小町と羽沢はさらに仲良くなったらしく、連絡先を交換しており、俺の高校時代の寝顔を小町が羽沢に送りやがったのである。

 ……とりあえず夜に話し合いが必要なようだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 連絡係として奥沢さんのLINEのIDを教えてもらっていたので、妹と羽沢の三人で行くことを伝えておく。

 雪ノ下に散々『ホウレンソウ』は大事だと言われてたからな。

 その際、遊園地の場所も念のため教えてもらったので、迷うことなくたどり着いた。

 開場時間は十時からであと三十分ほどあったのだが、弦巻の名前を出せば入れると聞いていたので入り口の警備員に伝えたところ、あっさりと入園することが出来る。

 さすが弦巻……、あんな豪邸に住んでれば名前パスも可能というわけか。

 

「うわー、結構ピカピカだね」

「だな。まあけど、前はそこまで客が入ってなかったから多少寂れてたらしいぞ」

「けど、ハロハピがバンドやってから少しずつ増えてきたんですよね?」

 

 と、俺たち三人が会話をしていると後ろから声が飛んでくる。

 

「まあ、一応そうなるんですかね?」

「あっ、美咲ちゃん!」

 

 振り返った先にいたのはハロハピメンバーの一人、奥沢美咲さんだった。

 頭にタオルを巻きラフな格好で俺たちを出迎えてくれる。

 

「今日はこころのわがままに付き合ってくれてありがとうございます、比企谷さん」

「あ、いや、大丈夫だ」

「羽沢さんと小町ちゃん? もよろしくね」

「うん、よろしくね!」

「はい、……美咲さん、よろしくお願いします!」

「ん、よろしく」

 

 握手をする。

 そしてハグをした。

 いやだからなんで?

 小町そんなフレンドリーだったっけ?

 しかし疑問に思ったのは俺だけじゃなかったらしい。

 

「あの……、小町ちゃん、なんでハグ?」

「? 仲良くなるための第一歩?」

「あっうん、わかった……」

 

 何が分かったのか聞くのが怖いのでスルーさせてもらう。

 「他のみんなはあっちで作業してるよ」と奥沢が言うと、羽沢を連れて小町はすたこらさっさと駆けていく。

 奥沢さんは俺の近くに来てはふぅ、と息を吐いた。

 

「小町ちゃん、可愛くて元気ですね……」

「まあ可愛いのは否定しない。元気なのも……東京来てテンション上がってることにしといてくれ」

「……そうします」

 

 挨拶した時から疲弊してる奥沢さんを見てると、既に弦巻や北沢に振り回されてたことが容易に想像出来てしまう。

 昨日だけ振り回された俺が大変だったのだ。

 バンドメンバーとしてまとめ役をしている奥沢さんの大変さは計り知れない。

 

「その、お疲れだな。奥沢さん」

「……いえ。むしろ疲れるのはこれからというか」

 

 ああそうだな。

 今日はまだ始まったばかりだし、なんなら昨日迷惑とかどうとか言ってたけど、このままじゃ小町の方が迷惑かけそうだし、俺も協力するしか無い。

 

「奥沢さん、手伝えることは言ってくれ。これでも高校時代は生徒会長をやってる後輩のパシリみたいなもんだったからな」

「今ちょっとスルーして良いか分からない事言われた気がするんですけどその前に、……なんで比企谷さん、あたしだけ敬称付けて呼ぶんですか?」

 

 首を傾げてくる奥沢さん。

 ……確かに、なぜだろう。

 数秒考えたが答えは導かれなかった。

 そして考えて考えて、考え抜いた結論を口に出す。

 

「なんか奥沢さんは『奥沢さん』って感じしないか?」

「……すみません。あたしにはちょっと分からないです」

 

 そっかー。分からないかー。

 まだまだだね。

 まあ俺も分からないので奥沢さんのことをどうこういう資格はないのだが、それでも俺の中で奥沢さんは『奥沢さん』で最初から定着してしまっていたのだから、仕方がない。

 

「なんかあたしだけ敬称ついてると距離があるっていうか、……あっ、いや、全然良いんですよ? 別にそこまで気にしてませんし」

 

 言ってそっぽを向く奥沢さんである。

 あー、これはあれだ。

 めちゃくちゃ気にしてますね、はい。

 でも確かに続けて呼んだ時、弦巻、北沢、瀬田、松原、奥沢さんでは俺が奥沢さんだけに遠慮してる風にも聞こえてしまう。

 別にそんなつもりはないのだが、苦労人ってことを一瞬で見抜いてしまった手前、どうにも敬いたくなってしまったのだ。

 まあそれで本人が距離を感じてしまうのなら改めた方が良いのかもしれない。

 

「奥沢……で、良いか?」

「あっ、その……、比企谷さんが呼びにくくなければその方が嬉しいかも、です」

 

 奥沢さん改め奥沢は呼び捨てにすると心なしか喜んでくれてる表情を見せてくれた。

 その笑顔に俺も嬉しく思い、口角が上がりそうになるのを抑えつつ、コホンと咳払いをする。

 

「んじゃ、早く向こうに行くか。みんな待ってるだろうし」

「はい、そうですね」

 

 並んで歩き出す。

 みんなのところに到着すると、小町が中心になって自己紹介をしていた。

 

「まさか花音さんに会えるとは思いませんでしたよ!」

「私も、こんなところで会えるなんて思わなかったよ」

 

 なにやら親しそうに話している小町と松原を見て俺と奥沢は顔を見合わせる。

 と、小町がこちらに気付き手を振ってきた。

 

「お兄ちゃんって花音さんと知り合いだったんだね!」

「……小町こそ、松原と知り合いなのか? ってか、めちゃくちゃ親しそうだけど」

 

 聞くと、松原が先に答えてくれた。

 

「はい、春休みに千聖ちゃんと秋葉原に行った時、私迷子になっちゃって……、そこに偶然いた小町ちゃんが助けてくれたんです」

「うん。……で、そこから話してるうちに仲良くなったんだ!」

 

 「ね〜!」と言い合う二人は本当に仲が良さそうだった。

 まさかこんなところに繋がりがあるとはな。

 

「……ん? じゃあもしかして松原が最初俺にあった時のことって──」

「あっ、そうですね。比企谷さん、どことなく小町ちゃんと雰囲気似てるなって思ってたんですけど……、まさか兄妹だとは思いませんでした」

 

 世間は狭いとはよく言ったものだ。

 交友関係自体狭い俺にとってはここまでのコミュ力がある小町に対して素直に感心してしまう。

 や、でも最近交友関係も広まってきてる気がしなくもないな、主に女子高生に限られるけど。

 周りを見渡すとなんとも賑やかしい。

 もう既に小町はハロハピ(主に弦巻とだが)と意気投合していた。

 メガホンを手に持った奥沢が声をあげる。

 

「はーい、みなさーん。……比企谷さんと小町ちゃんと羽沢さんも来てくれてありがとね。これから作業を開始しますけど、怪我だけはしないようにしましょう」

 

 まるで現場監督のような発言。

 けど怪我をしないのは大事。超大事。

 奥沢の言葉に皆それぞれの返答をしてようやく作業が開始した。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「あっ、比企谷さん。これ、はぐみの方までお願いします」

「ん、了解」

 

 奥沢に指示され資材を運ぶ。

 俺の役目は主に重いものを運ぶ係。

 まあこれだけいて男が俺だけなら必然的にそうなるのは自明の理。

 しかし、他のメンバーはバンドをやっているだけあって体力がある。

 小町も小町で疲れた様子がない。

 意外に体力あるんだな、と感心する。

 

「北沢、これここに置いておくな」

「うん、ありがと比企谷さん!」

「ん……」

 

 作業開始から数時間、それぞれ決められた時間に休憩をとりながらやって、ほぼほぼ完成していた。

 というより後は照明の調整とかだから、奥沢や松原に任せるしか無い。

 働きたくない至上主義の俺であるが設営を割と楽しんでいた。

 こうして誰かと作業をするのはいつ以来か……文化祭かな? と考えるも、そもそも文化祭の準備に参加した記憶がなかった。

 ただ、クラTの費用だけ取られて終わってたな。

 あれは新手のぼったくりか何かだと思うどうも俺です。

 俺は重いものを運び過ぎて凝ってきた肩をぶん回す。

 一度、二度。

 すると首筋にひんやり冷たいものが押し当てられた。

 

「ひやっ!」

 

 情けない声が漏らし、反射的にそのナニかを掴んでしまった。

 誰だよ俺を辱めた奴はと、恨めしく後ろを振り返ってみたら、羽沢がスポーツドリンクを俺の首筋に当てたまま硬直していた。

 

「……羽沢か」

「は、はい。……その、えっと」

 

 なぜだか視線を右往左往させている。

 俺は首を傾げてから、はたと今の現状を理解した。

 ペットボトルを握っている羽沢の手を俺はぎゅっと握りしめているのだ。

 ……どうすんのこれ?

 沈黙がこの場を支配する。

 羽沢は視線を彷徨わせ、時たまこちらを上目遣いで見てくる。

 ふぅ、落ち着け。ここは年上の俺が冷静に対処しなくては。

 まずは掴でる羽沢の手をゆっくりと解放する。

 次にペットボトルを受け取る。

 そして仕上げに土下座……をしようとする前に、羽沢は「失礼しました!」と頭を下げてこの場を走り去った。

 それと入れ違いに小町がこちらへ向かってくる。

 

「お兄ちゃん、つぐみさんになにしたの?」

「……なにも」

 

 うん、何もしていない、はず。

 以前、俺の口元についたクリームを取った時は自然だったのに、今回手に触れただけであの動揺っぷりはよく分からん。

 いやまあ、あっちは本当に無意識の行動だったんだろうけど。

 はふぅと息を吐き、スポーツドリンクを一気に半分くらいまで喉へ通す。

 とりま不可抗力だったとはいえ後で謝った方がいいだろう。

 

「……で、小町はなんか用だったのか?」

「えっと、なんだっけ……? お兄ちゃんがこんなに小町のお義姉ねえちゃん候補を見つけてきてくれて感激! ってのを伝えようと思ったのと……」

「や、なんだよそれ。誰も候補いないからね?」

「あっ、そうだ! 今日みんなでこころさんの家に泊まる事になったってのを伝えにきたんだった!」

 

 言って、弦巻に呼ばれた小町は走っていってしまう。

 ……………………。

 なぜそうなった?

 

 

 

× × ×

 

 

 

 今日の作業が終わり、昨日に引き続きやってきました弦巻家の大豪邸。

 小町は外観を見た瞬間、ぽかんと口を開けて数秒停止していた。

 うんうん、わかるよ小町ちゃん。多分それ、昨日の俺と同じ顔だから。

 というより俺まで泊まらなくても良かったのでは無かろうか。

 大きな家で一人一人の客室を用意できるとはいえ、一応ここは女の子の家と言っても差し支えないだろう。

 なら男の俺は場違い感が半端無い。

 そのことを弦巻に伝えてみた。

 が──、

 

「どうしてかしら? みんな一緒の方が楽しいでしょ?」

 

 と、とりつく島もなく、奥沢に助けを求めようとしたものの諦観めいた瞳で見つめられたので、「あっ、これ決定事項なのね……」と渋々納得する他なかった。

 小町を除く女子高生六人に囲まれる俺。

 やったー、黒一点じゃん! やっふー! ……とか、言えるくらいの陽キャならどれほど良かったことか。

 生憎と俺にそんな胆力は無いのである。

 弦巻の部屋の隣がちょうど客室のようで、俺はその部屋に。

 他のメンバーは全員弦巻の部屋で寝ることとなった。

 

「八幡もこっちで寝た方が楽しいわよ?」

 

 と言われた時は流石に奥沢と松原と羽沢が止めてくれたので助かった。

 弦巻はもうちょっと倫理観とかを勉強した方が良いと思います!

 豪勢な夕食をいただき、広すぎる風呂に浸かった後客室へと戻ってきて、キングサイズ二個分ほどあるベッドに身体を委ねる。

 ……やばい、気持ちいい。

 あっ、これ、ダメ、おかしくなるぅ〜。

 Yogiboなんか目じゃ無いくらいの心地よさ。

 広過ぎて落ち着かなくて寝付けないな今日はと考えていたが、思いの外疲れてたのか瞼が重くなる。

 うつらうつらしながら、せめてベッドに潜り込まなきゃ勿体無いという意思で這っていると、扉がノックされた。

 

「比企谷さん、起きてますか?」

「……ん、おう、起きたら起きてる」

 

 声が聞こえたので姿勢を正してから返事をすると扉が開かれる。

 そこにいたのは羽沢、松原、奥沢、小町の四人であった。

 

「……えっと、入っても大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない」

 

 眠気はあるがまだ限界というほどでもなさそうだ。

 四人は入ってくると小町以外の三人は正座で居住まいを正し、小町だけは俺の横に座り「ベッドふかふか〜」と呑気なことを言っていた。

 しかしあれだな。小町は見慣れてるとはいえ、他人の風呂上がりの姿を見るのはなんだかいけない気分にな……いやダメだ失礼すぎるだろ。

 パジャマだって普段見せる人は限られるだろう。

 そうすると嫌でも意識してしまう。

 俺はそんな意識を無理やり除外するため、咳払いをした。

 

「どうしたんだ、四人で?」

 

 聞くと、目の前に座る三人はビクッとなって頬を染めて視線を全員違う方に向けた。

 なに? あっち向いてホイ? 俺が指差す役?

 そんなわけがないので、唯一平常の小町に目を向けると答えてくれる。

 

「さっきみんなでゲームやってたんだけどね、こころちゃんが『やっぱり八幡も一人で寂しがってるはずよ! だから、勝った人が八幡の部屋で一緒に寝るの!』……ってなって、勝ったのがこちらのお三方です!」

「……ほーん」

 

 なるほど分からん。

 ってか、なんでその勝負する前に止めなかったの? という視線を奥沢たちに向ける。

 

「……あたしだって止められる時とそうじゃない時とがある、っていうか──」

「私たち結構頑張ったんですよ? ……けど、はぐみちゃんと薫さんも乗り気で──」

「……で、でも罰ゲームじゃなくて勝った人ってところがこころちゃんらしいですよね!」

 

 三者三様の言い訳……というか、最後の羽沢は言い訳でもなんでもないが、なんなら俺も思ったことだが、こうなってしまっては仕方がない。

 まあこの三人は何も悪くないのだから。

 

「……で、小町は勝ったのか? 負けたのか?」

「んー? 負けたね。でもほら、お兄ちゃんが手を出さないように監視? っていうの?」

 

 なるほど。

 一緒に寝るとしても手を出すことはさらさら無いが、身内がいてくれるなら心強い。

 弦巻の暴挙は今更だし、奥沢が止められないなら俺なんか尚更無理だし、なんならもう眠過ぎて脳を休ませてあげたい気持ちが強かった。

 

「えっと……、じゃあ寝るか?」

 

 言うと三人が頷く。

 そして小町がノートに何かを書いていた。

 

「はい、じゃあこれあみだくじ! 右からAからDね! ちなみに小町は一番左をもらいます」

「いや待て小町。そこは俺が一番左で小町がその隣、余ったところを三人に勧めるのが最善だろ」

「え〜、だってそれじゃつまんな……面白くないじゃん」

 

 おい今つまんないって言おうとしたよな?

 ってか、面白くないも大した意味変わってないぞ。

 

「あっ、でも、三人がお兄ちゃんの隣になるの嫌なら、仕方ないなとは思うけど」

 

 ちらちら、っと小町が三人を伺う。

 その言い方で拒絶できるわけないだろ……。

 いや仮に嫌だと言われたら普通に傷つくけどね?

 案の定、三人は別に嫌じゃないと答えてくれた。

 この空間の主導権が完璧小町に握られてしまっている。

 

「はい、じゃあ選んで。ちなみに決まった後に交換とかは無しだからね」

 

 最悪真ん中になったとしても右端の人と交換できれば良いかと考えていた俺の思考を完璧に読まれてしまう。

 諦めて択を選ぶ。

 その結果、左から小町、奥沢、松原、俺、羽沢という並びになってしまった。

 右端を当てられないのが八幡クオリティー。

 だが、このベッドの広さなら五人で寝ても少しは距離を空けられる。のだが、なぜかみんなベッドに入ると密集してきた。

 

「いやー、小町、美咲さんともっと仲良くなりたいと思ってたんですよー」

「えっ、うん、あたしも……」

 

 小町と奥沢はすでに二人で盛り上がっていた。

 対して出遅れた俺たち三人は天井を向いたまま停止する。

 少し右に動けば羽沢に手に触れてしまい、それを調整しようとすると松原の肩に触れてしまう。

 両隣の良い匂いが鼻腔をくすぐりまくるし、俺の眠気はいつの間にか吹き飛んでいた。

 この沈黙に耐えかねたのか、気を遣ってくれたのか、おそらく両方であろうが、羽沢の声が聞こえてきた。 

 

「な、なんか、不思議な感じですね」

「……うん。そうだね」

 

 いやはやほんとにそう思う。

 言っても俺たちが出会ってまだ一ヶ月も経っていない。

 なのに今こうして同じベッドで布団に入ってるなんて、普通なら有り得ない。

 というよりこうなる前にいつもの俺なら断固回避しているのだが、……弦巻こころ、手強過ぎる。

 

「花音さん、明日は頑張ってくださいね」

「うん、比企谷さんもつぐみちゃんも一緒に楽しもうね」

 

 言ってしばらくすると、左から小さな寝息が聞こえてきた。

 その数秒後、右からも心地よさそうな寝息が耳に入る。

 みんな結構動き回ってたからな、疲労が溜まっててもおかしくはない。

 いつのまにか小町と奥沢も眠ってしまったようだった。

 

「……眠れん」

 

 いやこの状況で寝るとか不可能だから。

 俺そんな神経図太く無いよ?

 

「んっ……」

 

 身動みじろぐことすらままならず硬直していると、羽沢と松原が同じタイミングで寝返りを打った。

 図らずも二人とも俺の方を向く形で。

 そして両腕が暖かいものに包まれたかと思ったら、手を握られ、更には肘あたりに柔らかい感触を伝えてくる。

 これは……、やばい。

 落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。

 餅つけ!

 全然落ち着けそうになかった。

 二人は俺の腕にしがみつくと顔を寄せ、ますます密着してきた。

 顔が近い。

 寝息が首元を掠めてこそばゆい。

 二人の息使いのくすぐったさ、良い香り、腕が包まれる暖かさによって俺は完全に思考を放棄することにして静かに目を瞑るのだった。

 

 




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そして笑顔のステージは幕を開ける。

このシリーズ書く時、何気に一番考えるのが導入部分。
完璧ではなくとも、五割くらいは八幡らしさを取り入れられるようにしたいというこだわりが……笑


 たまにだが、テレビでイノシシとかを素手で撃退したってのを目にする。

 本来なら闘わず逃げる一択だが、こういう刺激的な事があるとどうしてもマスコミは取り扱う。

 無論、面白いから。

 その人に会ってどうやって撃退したのかを聞き出し、人の気を引けるような記事にする。

 まあそもそもそれが仕事だから否定はしないのだが、英談のように語られるそれを真似する人が出ないとも限らないから、あまりよろしく無いと俺は思っている。

 まあつまり、だ──、

 

「こんにちは〜、ミッシェルだよー」

 

 俺の前で手を振って喋ってるこのクマさんからは逃げるべきか否か……迷いどころである。

 

 

 

× × ×

 

 

「ミッシェルって子供に人気なんだな」

「うん、いつもああやって子供に囲まれてるんだ」

 

 白とピンクを基調にして作られた……というと各所に怒られそうなので、可愛らしい見た目のクマさん──ミッシェルは現在子供とお戯たわむれ中。

 俺と松原はそれを眺めつつ、奥沢(ミッシェル)のサポートをしていた。

 逃げるか否か……、結局俺は会話をすることを選んだ。

 まあ、着ぐるみだし、声を聞いた瞬間中の人が奥沢ってのも分かったから、普通に会話しただけなんだが。

 しかもそのミッシェル事情を聞いて奥沢がますます苦労人なんだと痛感した。

 弦巻、北沢、瀬田はミッシェルはミッシェルという謎理論を展開しているらしい。

 いや、まあ、うん……良いと思うよ。子供心を忘れてなさそうで。

 弦巻はともかくとして、北沢と瀬田は……やめた。なんか考えるだけ無駄な気がしてきた。

 今日の気温はそこそこある。

 ミッシェルの中は相当暑いはずだ。

 だからこうして俺と松原が奥沢を気にしているわけで、他の人たちは舞台開始の時間まで遊園地を遊び尽くすらしい。

 

「松原は行かなくて良かったのか?」

「うん、美咲ちゃんが頑張ってるのに遊んでなんかいられないよ。それに……」

 

 そこまで言って松原は顔を赤らめた。

 その態度には心当たりがある。というかありすぎる。

 昨晩、勝った人が俺の部屋で寝るってゲームが女子部屋で開かれ、羽沢、松原、奥沢、そして小町(監視のため)が俺の部屋へとやってきた。

 そしてベッドで並んで寝ることになったのだが、それも小町の策略であみだくじで配置を決められ、その結果羽沢と松原が俺を挟む形で隣になったのだ。

 中々寝付けなかった俺とは対照的に、準備で疲労が溜まってたらしい二人は早々に眠りについたのだが、その際俺の腕にしがみついてきた。

 俺は最終的に自然と寝ていたけれど、松原たちは朝起きるまで俺の腕を抱き枕にしていたらしい。

 そのことを知ったのは朝食で俺に二人が謝ってきた時。

 幸い、羽沢と松原は早めに起きたらしくこの出来事は俺たち三人の秘密にしようってことになったのだが……。

 

「……えへへ」

 

 なにその照れ笑い可愛いなおい。

 こんな感じで未だに松原はめちゃくちゃ気にしているようだった。

 なんなら羽沢も割と気にしているっぽい。

 今朝は二人ともまともに目を合わせてくれず、頬を染め、気恥ずかしさを露わにしていた。

 そうされると俺まで意識しちゃうし、なんなら俺からすれば美少女に抱きつかれるのは役得なわけで、こほんこほんけぷこんかぷこん。……ふぅ、つい本音が。

 時間が解決してくれることを祈り、俺からあえて何か言ったりはしない。

 このまま無言の時間が続くのかと考えていたが、子供と戯れていたミッシェルがこちらにサインを出してくると松原はミッシェルの元へ歩き出した。

 

「はい、みんな。ミッシェルは次の準備があるから、また後で遊ぼうね!」

 

 言うと、はーいと大変元気な返事が聞こえ、松原たちがこちらへ戻ってくる。

 舞台裏へ退避すると、ミッシェルは頭を取り去った。

 

「……はぁ、暑い」

「ん、お疲れ」

 

 ミッシェルの頭を受け取り、汗だくの奥沢にキンキンに冷やしておいたスポーツドリンクを手渡す。

 それを一気に半分以上飲み干した。

 仕事帰りに居酒屋でビールを呷るサラリーマンさながらだ。

 

「んくっ……ぷはぁ、生き返る〜」

「美咲ちゃん、大丈夫? 疲れてない?」

 

 松原が冷えたタオルを奥沢の首に当てる。

 

「ありがとー、花音さん」

 

 今の奥沢の姿はタンクトップだから、正直目のやり場に困ってしまう。

 俺が明後日の方向に視線を向けていると、ちょうどそちらで弦巻の周りに人だかりが出来ていた。

 

「……なにしてんだ、あれ?」

「えっと……、ジャグリング、かな?」

 

 ここから見えるだけでも八個……いや、十個はボールを使ってジャグリングをしていた。

 小町と北沢は完璧弦巻のアシスタントと化していた。

 つくづく弦巻は規格外の存在だな。

 今日はハロハピライブのイベント告知を予めしていて、ゴールデンウィーク中ということもあってか、平常よりは大分入園率は良いらしい。

 高校生くらいの人も頻繁に目にするから、おそらく弦巻たちの同級生とかも遊びに来ているのだろう。

 事実、弦巻の少し離れた位置では瀬田が女子高生たちに囲まれていた。

 

「きゃ〜、薫さまー!」

「ふっ、子猫ちゃんたち、このあととても儚いステージがあるから楽しみにしていてくれ」

 

 歓声があがる。

 ……なにあれ、アイドル?

 瀬田が演劇やってて人気あるって話はさっき松原から聞いて知っていたが、ここまでとは思わなかった。

 ちゃっかりハロハピライブを宣伝してるのは流石だな。

 

「なんか、こういうの良いよね。みんなが楽しそうだと私も嬉しくなるよ」

「まあ、あたしもそう思います」

 

 松原の言うことはわからなくは無い。

 大抵"みんな"の中に入らない俺だが、YouTube生配信でみんなが盛り上がってると、つい俺も顔文字を使ったテンション高めなコメントしちゃうからな。

 そして配信者がなんか愛想笑いしてた。

 ……ほんと空気読めなくてごめんなさい。

 この出来事がコメントしなくなったきっかけなんだよなと思い出していると、散っていたメンバーが戻ってきた。

 

「あら、美咲! どこに行ってたのかしら? すごい汗かいてるわね」

「あっ、えーと……、ちょっとその辺ジョギング、かな」

「えー良いなー、みーくん。はぐみもみーくんと走ればよかった!」

「美咲、この後大切な舞台も控えてるんだから、無理はいけないよ」

「あっ、うん、大丈夫」

 

 やっぱりこのメンツの相手大変そう。

 今後も奥沢と関わるときは可能な限り優しく接したいと誓うどうも俺です。

 この場にミッシェルの着ぐるみが無くなってるのは、きっと黒服が現れて隠してくれたのだろう。

 ……ほんと、あの人たちどこから現れてるんだろうなぁ。

 はぁ──。

 

「比企谷さん、お疲れですか?」

 

 俺がため息をついたのに気づいた羽沢が声を掛けてくれた。

 

「や、大丈夫だ。俺なんかより奥沢の方が何倍も疲れてる」

「あはは、みたいですね」

 

 確かに俺も昨日の件で若干寝不足気味ではあるが、大した問題ではない。

 

「こころ、今から音合わせやるけど大丈夫?」

「ええ、問題ないわ! ……ミッシェルはどこかしら?」

「ミッシェルは個人で調整して後で合流するから大丈夫」

「そうなのね!」

「よーし、やるよ!」

「さあ、もうすぐ私たちの晴れ舞台が開幕だ」

 

 言って、北沢と瀬田は立てかけてある楽器を手に取った。

 ……さっきまでそこに楽器なかったんだけどなぁ。

 まじ黒服さん有能すぎ。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「いぇーい! みんな、元気かしら?」

 

 弦巻が叫ぶと子供達がそれに応えるように叫び返す。

 

「今日はみんなで笑顔になって、いっぱい楽しみましょ!」

 

 言って、曲が始まる。

 最初は『えがおのオーケストラっ!』だ。

 ちなみに俺を本気で舞台にあげようとしてた弦巻だったが、奥沢の計らいで照明と演出の役割を担うこととなった。

 その補佐として羽沢が隣におり、なんと小町は舞台に上がって弦巻と一緒に歌っている。

 

「ってか小町、いつの間に歌覚えたんだ?」

 

 その疑問に隣の羽沢が答えてくれる。

 

「さっきこころちゃんに誘われて、何度か聞いてたみたいですよ」

「……へぇ」

 

 それで覚えたの?

 何それ、小町そんな特技あったんだな。

 しかも普通に上手い。

 さすが小町。略してさすこま!

 俺がそんな小町に魅入っていると、隣の羽沢から声がかけられる。

 

「あっ、比企谷さん。この曲終わったら暗転して、五秒後に切り替わるのでよろしくお願いします」

「お、おう……」

 

 いつになく真面目な表情の羽沢にこちらも魅入ってしまう。

 バイトの時の笑顔とバンド演奏の時の楽しそうな表情、……そういや羽沢って高校の副生徒会長だったな、と思い出す。

 一曲目が終わり暗転する。

 そして羽沢の指示タイミングで点灯させた。

 

「完璧ですねっ」

「お、おう」

 

 褒められて少し嬉しくなったのは内緒にしておこう。

 

 

× × ×

 

 

 

 最後の曲が終わり、アンコールが起こる。

 

「みんなー! ステージに上がってちょうだい!」

 

 弦巻が言うと、子供達が舞台にあがった。

 …………そんな予定あったっけ?

 いや無かったな。予定ではさっきの曲で終わりのはずだ。

 まあライブならアンコールに応えてやることはあると思うけど、何するつもりだ……?

 

「比企谷さん、少し光度を落として舞台全体に照明が行き渡るように出来ますか?」

「お、おう」

 

 言われた通り少し暗くし、ハロハピに当たってたライトを広めに設定した。

 すると、松原がキーボードを奏で始める。

 

「……きらきら星か」

 

 なるほど確かにそれなら子供たちも歌えるな。

 何度もここでライブをしたことあるって聞いてたので、恐らくアンコールの時は毎回しているのだろう。

 子供たちの親も手拍子でリズムに乗っていた。

 

「なんかいいな、こういうの」

 

 不思議と口から感想が漏れ出ていた。

 バンドを見るのはこれで二度目だ。

 Afterglowの新入生歓迎会。

 あの時は体育館全体に音を響かせ、Afterglowから目が離せなくなり、まるで「自分たちを見ろ!」とでも言ってるかのような力強い演奏だった。

 対してハロハピは音でこの空間を温かく、優しく包み込むような演奏で、とても心地いい。

 同じバンドという括りだが、全く違う。

 それぞれの特色がはっきりとわかる。

 俺の呟きを隣で聞いていた羽沢が優しく微笑んだ。

 

「ふふっ、そうですね」

 

 バンドか……。

 少し興味が出てきたな。

 きらきら星が終わった後、ハロハピメンバーが子供達と写真を撮り、このステージの幕は降りたのだった。

 ひとまず、"会場みんなが笑顔"を無事達成した今回の『花咲川スマイル遊園地、お客全員笑顔大作戦』は無事に完遂できたと思われる。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「……すごい。見てください、比企谷さん。夜景が綺麗ですよ!」

「……だな」

 

 ステージを終え、すぐに会場の撤去に取り掛かった。

 弦巻家の黒服さんたちも手伝ってくれたおかげで、閉園時間を少しすぎてしまったがなんとか終わらせることができ、最後に社長さんの厚意で観覧車に乗れることになった……のだが──、

 

「…………」

「…………」

 

 なぜか羽沢と二人で乗ることになった。

 

「えっと……、比企谷さん。今日は楽しかったですね」

「ん、そうだな」

 

 そして無言。

 あれれ〜、おかしいぞ〜?

 気を利かせて喋りかけてくれてる羽沢の厚意を無駄にして会話を切ってしまう俺。

 そもそもこんな気まずくなってしまってるのには理由がある。

 

『それじゃ、皆さん。二人ずつに分かれて乗りましょう!』

『えっと……、小町ちゃん、どうして?』

『いやー、四人ずつに分かれて乗るとワーキャーして観覧車の醍醐味を楽しめませんし……、それに、つぐみさんが今日はお兄ちゃんとあまり喋れてないのを気にしてたので!』

『えっ……、私⁉︎』

 

 いきなり話題の矛先を向けられた羽沢は頬を染めて驚いた声をあげる。

 小町の発言に同調したのが意外にも弦巻だった。

 

『それはつぐみが笑顔になりきれてないわね! それじゃ、あたしがチーム分けをするわ!』

 

 ということで、俺と羽沢、北沢と瀬田、奥沢と松原、小町と弦巻ペアになったわけだが、あんな爆弾を投下されて普通に接せるわけがないんだよなぁ。

 

「ひ、比企谷さん。えっと、その……」

 

 言葉を紡ごうとして引っ込む。

 さっきからその繰り返しだった。

 

「……羽沢。別に無理して話さなくてもいいぞ」

「っ、べ、別に無理してません!」

「や、めっちゃ言葉に詰まってるから」

 

 もう詰まりすぎて今餅を食べたら喉に詰まらせないか心配しちゃうレベル。

 俺が言うと、羽沢は落ち込んだ表情を見せた。

 

「私……」

 

 ……やっちまったな。

 こう言うところがダメなんだと小町によく言われる。

 ふと昔、由比ヶ浜を突き放した記憶が蘇った。

 事故の件で負い目を感じて、それで俺と関わってくれていると言及して突き放す。

 あの時と何も変わっちゃいない。

 ある程度関わるのに許容を超えようとすると、どうしても壁を貼ってしまう。

 そんな自分が心底嫌いだ。

 平塚先生ならこう言う時なんて言ってくれるだろうと考る。

 ──間違えたと思ったなら、やり直せば良い。人生、リセットは出来ないが、リスタートはその人の気持ち次第だ。

 うん、言ってくれそう。

 

「……はぁ」

 

 ため息を吐く。

 羽沢の肩が震えた。

 数学が苦手なのに理屈で考え、さらにそれを曲解して屁理屈に仕立て上げるから、俺は捻くれてるって言われるんだろうな。

 なら、たまには感情、自分の気持ちを言葉にするのも悪くないんじゃなかろうか。

 俺はもう一度息を吐いて呼吸を整えた。

 

「今度……、羽沢たちの練習、見てみたいんだが……」

「……えっ?」

「あ、いや、無理なら良いんだが、この前演奏聞かせてもらって、今日もバンド見て面白いなって思ってな」

 

 最初は驚きの表情をしていた羽沢だが、徐々に考え込むようにして、やがて微笑んだ。

 

「はい、ぜひ見に来てください。みんなも喜びますよ!」

「ん、楽しみにしてる」

 

 そのやり取りの後、先ほどまでの気まずさが霧散され、羽沢の話に俺が相槌を打つ時間が、観覧車を降りるまで続いた。

 羽沢に笑顔が戻ってよかったと心底思う。

 だって今日は『花咲川スマイル遊園地、お客全員笑顔大作戦』で、俺たちは客でもあり演者でもあった。

 なら、全員が笑顔で帰らなきゃ達成したとは言えない。

 

「……ふふっ」

 

 羽沢の笑顔を見て、柄にもなくそんな気障なことを思ってしまう俺であった。

 

 




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きっと、流されることも正しい選択ではある。

とりあえず溜めてある分はここまでです!
なるべく早く出せるように頑張ります!


 ゴールデンウィークから一週間過ぎた休日、平穏な日常が戻ってきた。

 ……はぁ、小町に会いたい。

 先日会ったばかりなのにすでに小町不足。

 もう実家からこっちの大学に通うか真剣に考えちゃうレベル。

 まあでも毎日電車二時間近くは耐えられん。

 一応、夏休みに帰る約束はしたからその時まで我慢するしかない。

 とりあえず毎日電話しても良いよね? 良いかな? よしそうしよう!

 

「しゃ、しゃっせー」

 

 コンビニに入るとなんともやる気のない挨拶が聞こえてきた。

 チラと視線を向けたら見覚えのある顔が。

 

「おー、比企谷さんじゃないですか〜」

「青葉、それいつか絶対クレーム来るからやめた方がいいぞ」

「……それは実体験?」

「ああ」

 

 俺は大きく頷く。

 コンビニは空いてる時間帯と混んでる時間帯の落差が激しい。

 なのでどうしても退屈になってしまう。

 だからこそこうやって挨拶を砕けたふうにするのは割とやる人が多いんじゃないかと思うのだ。……えっ、いない? やだもう、みんな真面目だなぁ。

 

「あっ、そう言えば、この前はつぐがお世話になりました〜」

「? なんのことだ?」

「またまた〜、ハロハピのみんなと遊園地に行ったそうじゃないですかー」

「……ああ」

 

 確かに行った。

 けどそれで青葉がお礼を言ってくる理由は分からん。

 それに──、

 

「むしろ手伝ってもらえて助かったな。めっちゃ頑張ってたぞ」

「おー、つぐがツグってたわけですね」

「おお、ツグってたツグってた。……で、ツグるってなに?」

 

 むふふ、と笑うだけで問いには答えてくれない。

 まあ良いけど。わたし、気になります!

 

「いらっしゃいませー、……って、モカの知り合い?」

 

 青葉と立ち話をしていると、背後から声をかけられる。

 やめろ、俺の後ろに立つんじゃない。

 殴られてAPTX4869を飲まされるのかと思っちゃうだろ。

 まあ、ここは米花町ではないので、そんなことはないだろうと後ろを振り向くと、ギャルっぽい見た目の大人びた少女が立っていた。

 

「おー、リサさん。ジュースの補充、おつかれさまです」

「うん、ありがと」

 

 モカと一言二言会話をしたギャル少女は改めて俺に向き直ると、何かを訴えかけてくる。

 

「……えっと、青葉とは知り合い? 顔見知り? まあそんな感じ、です」

「そうなんですよ〜。羽沢珈琲店でバイトしてる比企谷……八幡? さんです」

 

 おいこら今名前忘れかけてただろ。

 まあ、自己紹介するの忘れてた俺にも非があるけども。

 

「あ〜、ひまりが話してくれた人か! ……初めまして比企谷さん、アタシは今井リサ、よろしくね」

「おう、よろしく」

 

 若干馴れ馴れしい感じもするが嫌な感じはしない。

 なんていうか、大人っぽい雰囲気? とでもいうのだろうか。

 高校の時、ギャル代表で女王様だった三浦も、あれで周りのことをきちんと見ていたし、ギャルは案外母性の塊なのかもしれない。

 俺がギャルの真理に辿り着こうとしていると、今井が首を傾げてくる。

 

「あれ、比企谷さん? 何か買いに来たんじゃないの?」

「昼飯買いに来たんだったな」

 

 青葉に引き止められてすっかり忘れていた。

 最近は小町に嗜められ、少しは自炊をするようになったが、どうしても面倒な時はこうしてコンビニで買うことにしている。

 弁当を選びに陳列棚へ向かおうとすると、青葉に引き止められた。

 

「あっ、そうだ。比企谷さん、この後リサさんとランチに行く予定なんですけど、ご一緒にどうですか?」

「……いや断る」

 

 言って、弁当を選びに向かおうとするも、いつのまにかカウンターから出てきてた青葉に腕を掴まれる。

 

「え〜、良いじゃないですか。……ねっ、リサさん?」

「うん、アタシは全然構わないけど……ほら、比企谷さんだってこの後予定があるかもだし」

 

 俺に気遣ってくれる今井、超優しい。

 けどごめんな。俺予定ないんだわ。

 

「大丈夫ですよ〜、昼にお弁当買いにくる人が、この後に予定あるわけないじゃないですかー」

「……キミ、失礼なこと言ってる自覚ある?」

 

 図星だから反論できないけども。

 

「それに、モカちゃんはもう少し比企谷さんと仲良くなりたいと思ってるんですよ〜」

 

 そう言われると強く拒めない。

 羽沢の知り合いってのもあるし、そうで無くとも俺は年下相手に弱い……らしい。

 ふと今井を見ると小さく首を振って苦笑していた。

 俺はふぅ、と息を吐き出す。

 

「分かった。んじゃ、終わる頃にまたくるわ」

「お〜、了解です。……じゃあ、これあたしの番号だから渡しておきますねー」

「お、おう」

 

 半ば強引にメモ用紙を握らされ、俺も連絡先を渡し、とりあえずマッ缶だけ購入してコンビニをあとにした。

 奥沢に続いて再び女子高生の連絡先をゲットしてしまったので、ルンルン気分で家に帰るとしよう。

 ……………………。

 とりあえず登録してやっぱり普通に帰ることにした。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 微睡まどろみの最中、青葉から連絡をもらい、眠気を振り払うようにして体を起こして家を出た。

 向こうは歩きらしいので俺も徒歩で向かう。

 コンビニに着くと入り口付近で二人は立ち話をしていた。

 

「待たせたな」

 

 言うと、二人がこちらに振り返る。

 

「いえいえ〜、今着いたところですよー」

「いや、それは色々おかしいだろ」

「あ、あははー」

 

 ほらー、今井が呆れて空笑いしてるじゃん。。

 ……えっ? それ俺にじゃ無くて青葉にだよね?

 

「それじゃあ、どこに食べにいきますか〜?」

「決めてたんじゃないのか?」

「アタシたちも終わってから決めるつもりだったからね」

 

 そうか。

 なら俺の選択肢はひとつしかない。

 

「サイゼで良いんじゃないか?」

 

 言ってからしまった、と思う。

 つい高校時代のノリが炸裂してしまった。

 イケイケ女子高生からしたらサイゼなんて陰キャやオタクの溜まり場みたいなものだろう。

 また揶揄われると思いきや、二人は揃って頷いていた。

 

「うん、良いんじゃないかな?」

「ですねー。やっぱり美味しくてリーズナブルなファミレスは最高ですな〜」

 

 意外にも二人は乗り気だった。

 

「だ、だよな! やっぱサイゼは最高だよな!」

 

 同調してくれたせいか、ついテンションが上がってしまう俺。

 二人はポカンとした表情をしていた。

 

「比企谷さんってかテンション上がることあるんですねー」

「アタシも、もう少しクールな人かと思ってた」

 

 俺は気恥ずかしくなりわざとらしく咳払いをする。

 だってしょうがないだろ。

 サイゼ提案すると由比ヶ浜とか一色にボロクソ言われてきたんだから。

 マジでなんであの良さが分からないんだろうなー。

 全くもって不思議である。

 

「それじゃあ行きますかー」

 

 青葉に先導され、俺と今井も歩き出す。

 こうして女子高生を連れ立って歩いてるとなんだか不思議な気分になる。

 青葉と今井が楽しそうに話しているのを聞き流しながら後ろについて歩いてると、ふと青葉が振り返った。

 

「そうだ、比企谷さん。実はリサさんもバンドやってるんですよー」

「……そうなのか?」

「うん、『Roselia』って言うんだけど、そこでベースやってるんだ」

 

 Roselia……、響きが良いな。

 またこうして新たなバンドが現れた。

 ……いや、この地区の女子高生、バンドしてる人多くない?

 なんなら俺が出会った女子高生もれなくバンドしてるまであった。

 確かにこの辺ライブハウスもそこそこあるし、バンドがしやすいのかもしれない。

 

「今度、Roseliaのみんなにも比企谷さんを紹介するね」

「おう、それは全力で遠慮したいところだ」

 

 今井が組んでるならどうせまた女子高生がメインのバンドだろ? これ以上女子高生と知り合うとかごめん被りたい。

 や、別に嫌ではないけどなんかあれじゃん?

 「お前、年下としか話せないん? ウケる、ププー!」とか思われない? ……あっ、思われない、そうですか。

 そもそも俺に関心ある人がそんないないから心配無用だったな。

 俺が自問自答で心中傷ついていると、今井がカバンから何かを取り出して渡してきた。

 

「比企谷さん、これ。Roseliaの曲が入ってるプレーヤーなんだけど、良かったら聞いてみてほしいな。返すのはいつでも大丈夫だから」

 

 渡されて拒否出来ない俺は礼を言いそれをポケットにしまった。

 

「あとついでに連絡先交換しよ? これも何かの縁だしさ」

「……ん」

 

 断る理由もなかったので携帯を取り出し今井に渡す。

 と、なぜか驚いた表情をされる。

 

「比企谷さん、人に携帯渡せるんだ」

「まあ、見られて困るもんとか無いからな」

 

 言うと、今井は連絡先を登録して俺にスマホを返そうとする……が、それを横からヒョイっと青葉が取り上げた。

 

「ふっふっふ〜、それじゃあ比企谷さんの検索履歴でも見てみましょ〜」

「やめてくださいお願いします」

 

 女子高生に頭を下げる俺。……情け無い。

 いやだってしょうがないだろ!

 見られて困るものはないとか言ったけど、『妹に好かれる方法』とか『男友達を遊びに誘う方法』とか、よく考えたら恥ずかしい検索してること思い出しちゃったんだから!

 見られたら絶対引かれる。

 

「もしかして、エッチな事でも調べてたんですか〜?」

「や、そんなのは断じてない。全然」

「こ〜ら、モカ。それ以上比企谷さんを困らせちゃダメだよ?」

 

 今井が言うと青葉は「は〜い」と返事をし、スマホを返してくる。

 

「比企谷さん、ごめんなさい。少し調子にのりました」

「や、大丈夫だ」

 

 そもそも本気で青葉が見ようとしてたとは俺も思っちゃいない。

 そこまでの関わりはないが、それでもその辺は信用出来る気がした。

 青葉は今井に軽く小突かれるも、笑顔だった。

 ……なんかすごい姉と妹感があるな。

 

「っと、お話ししてたら着きましたね〜」

「じゃあ早く入ろうか。もうアタシお腹ペコペコだよ〜」

 

 俺も朝から食べてないから空腹が割と限界に近い。

 とらあえずさっさと腹ごしらえをしてしまおう。

 

 

× × ×

 

 

 

 昼時ということでサイゼ内は割と混んでおり、少し待ってから俺たちは席へと案内される。

 そして青葉、俺、今井、向かい側には氷川姉妹が座っていた。

 

「初めまして、私は氷川紗夜です。よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 頭を下げられこちらも頭を下げ返す。

 

「おねーちゃんはRoseliaでギターやってるんだよ!」

「ちょっと日菜、比企谷さんは年上なのだから、少しは言葉使いを正しなさい」

 

 雰囲気からどちらが姉かは分かってたが、性格は全然似てなさそうだな。

 

「いや、気にしなくて良いぞ。……ってか、うん、ほんと気にしなくて良いです」

 

 弦巻然り、北沢然り、……うん。

 俺、年下に舐められてるとかじゃないよね?

 少し心配になってきた今日この頃です。

 

「そうですか……。比企谷さんがそう言うのなら構いませんが」

 

 不承不承といった感じだが納得してくれた氷川姉。

 

「そうだよ、おねーちゃん! おねーちゃんは少し固いんだよ、だから比企谷さんが畏まっちゃってるんじゃない?」

「そ、そんなことは……」

 

 確かに凛としているが関わりずらいという感じはしない。

 だからそんな急にしおらしくならないで。

 全然に気にしてないから!

 

「コホン……、じゃあ料理頼むか」

 

 俺たちはそれぞれ料理を注文した。

 その間、俺がみんなにバンドの質問をし、逆に今井から色々質問され、青葉に揶揄われ、氷川妹に追い討ちをかけられ……、氷川姉に目で助けを訴えた。

 

「……その、比企谷さんは千葉から引っ越してきたんですよね? こちらの生活には慣れましたか?」

「あ、ああ。だいぶ馴染んだかな。……妹と毎日会えないのはキツイが、それなりに一人暮らしを楽しんでる」

「……妹さんとは仲が良いんですか?」

「まあ、それなりには良い、と思う」

 

 言うと、氷川妹が氷川姉に抱きついた。

 

「あたしたちと一緒だね、おねーちゃん!」

「ちょっと日菜、くっつきすぎよ」

 

 鬱陶しそうにしているが強引に突き放そうとしない。

 うーん、大変百合百合しいですねぇ。

 姉妹百合、アリだと思います!

 

「相変わらず日菜は紗夜が大好きだね」

「当たり前だよ!」

 

 氷川妹がそう言ったタイミングで、注文した料理が運ばれてきた。

 

「それではいただきましょうか」

 

 氷川姉の号令で、各々が食べ始める。

 ……うん、美味い。

 やっぱりサイゼにハズレ無しだ。

 ご飯を食べ終え、続いて頼んでおいたデザートが届く。

 食べ始めると、目の前から視線を感じて顔をあげた。

 

「……それ、美味しそうだねー」

「ん、期間限定らしいな」

「へぇ〜、あたしもそっち頼めば良かったなー」

 

 ……あの、凝視されると食べにくいんですが。

 氷川妹の目は「良いなー、食べたいなー」と如実に語っていた。

 

「ひと口食うか?」

「えっ、良いの⁉︎」

 

 俺が言うと目がキラキラと輝く。

 

「日菜、あなたは自分のがあるでしょう?」

「でも、あたしのと比企谷さんのは別だし」

「それなら日菜も頼めば良かったじゃない」

「だって、メニュー表見た時はこっちが良かったんだもん」

 

 ……これがほんとの姉妹の姿なんだろうな。

 俺の知ってる姉妹は常に険悪。

 この前、由比ヶ浜から電話で聞いた時は一緒に出かけたらしいと言う情報があったので、前よりは関係も解消されてる、と思いたい。

 氷川姉はため息をついて、頭痛を抑えるようにした。

 

「別に貰うなとは言ってないわ。少しは遠慮を覚えなさいと言ってるの」

「ま、まあまあ紗夜。比企谷さんも良いって言ってることだしさ」

「そうだよおねーちゃん! 比企谷さんは良いって言ってるもん!」

「日菜、あなたね──」

「あはは〜、日菜さん。それは火に油を注ぐってやつですよ」

 

 言い合いが続く。

 なんとも賑やかしいことである。

 声は抑えられていて周りへの配慮はあるから止めはしないが、それはそれこれはこれ。

 

「なあ、早く食べてくれないと溶けるんだが……」

 

 言うと、全員の視線がこちらへ向かう。

 や、何かの恥ずかしい状況。

 

「あっ、そうだね。じゃあひと口ちょうだい」

「おう」

 

 言って、パフェを差し出す。

 が、それを掬おうとしなかった。

 

「……比企谷さん!」

 

 氷川妹は俺の名前を呼ぶとその小さな口を開いた。

 

「ちょっと日菜──」

「だってあたしのスプーンチョコついてるんだよ? おねーちゃんもあたしと同じだし、これが一番手っ取り早いかなって」

 

 言って再び口を開けての待機状態。

 ……えっ? これ食べさせる流れ?

 

「や、あの……、氷川妹さん?」

「日菜で良いよー、氷川だとお姉ちゃんとかぶっちゃうし」

 

 確かに妹、姉でくくるのが面倒になってきたところだ。

 それなら遠慮なく呼ばせてもらおう。

 流石に大学生になってまで、年下の名前を呼ぶのにそこまで抵抗は無い、はず。

 

「んじゃ、日菜って呼ばせてもらうけど、これ俺もスプーン口つけてるんですが」

「うーん、……あっ、もしかして比企谷さん、間接キスとか気にしちゃう系だった?」

「気にするかしないかで言えば微妙なところだな」

 

 正直なところ、相手が気にしなければ俺は構わないタイプだ。

 つまりこの場合、氷川妹ーー日菜が気にしなければ問題無いんだな、これが。

 そんなことをざっくり説明すると、日菜は笑顔で頷いた。

 

「あたしは比企谷さんが嫌じゃなければ大丈夫!」

「……そうか」

 

 なら良いかと思い、スプーンでパフェを掬い上げる。

 それを日菜の舌に乗せると、口を閉じ、ほっぺを押さえた。

 

「ん〜、おいひ〜!」

 

 喜んでくれたようでなにより。

 ほっと一息いて、ふと周りの視線が気になった。

 氷川姉は、顔を赤らめてるし、今井と青葉はニヤニヤとこちらを見つめていた。

 

「うわ。アタシ、リアルで『あーん』してるの初めて見たかも」

「むふふ、お二人はカップルみたいですな〜」

「や、違うから。ってか、そんな注目するのやめてね? 俺まで恥ずかしくなってきちゃうでしょうが」

 

 現に今、ぐつぐつと沸騰していくように顔の熱が上昇していく。

 最近女子高生の空気感に当てられすぎて、若干自分が陽キャみたいな振る舞いしてきちゃってる自覚があるから尚更困る。

 食べさせるのだって普段の俺なら絶対断るし、まず出来ない。

 冷静に考えたら、このあと同じスプーンを使って残り食べなくちゃいけないからめちゃくちゃ動揺してるんだぞ、俺。

 

「えへへ、なんかこのランチで比企谷さんと仲良く慣れた気がするよ!」

「あっ、そう、そりゃ良かった……」

 

 日菜が気にしてない手前、俺が気にしたら負けな気がするので、間接なんとかは考えないようにしながら、俺はパフェを口の中へかき込むことにした。

 後半食べたパフェの味は全くしなかった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「みんな、じゃあねー!」

 

 手を振って日菜はこのメンツから離脱した。

 このあとは仕事があるらしい。

 ってか、これもう解散する流れでいい感じ?

 

「じゃあ俺もこれで──」

 

 帰る、と伝えようとしたところで、今井から「ちょっと待って」と制止された。

 

「比企谷さん、もし良かったらこのあとRoseliaの練習見にきませんか?」

「……えっ?」

 

 その提案が予想外すぎて驚きの声を上げてしまう。

 

「ほら、さっきすごい興味持ってくれたじゃん? だから、もっとバンドが面白いって知って欲しくて!」

「今井さん、私は構わないけれど、湊さんが許可を出さないと難しくは無いかしら」

「じゃ、今連絡してみるから!」

 

 言うが早いか、今井はスマホを取り出し、どこかへ連絡を始めた。

 ……ってか、えっ? もしかしなくても行くのって決定事項なの?

 

「お〜、良かったじゃ無いですか。もしこれで比企谷さんがギターに興味を持ったら、このモカちゃんが、手取り足取り身体全体で教えちゃいますよー」

「や、なんだよ身体全体って」

 

 ちょっとその発言はえっちぃですね、はい。

 まあそんなことを直接言うと、本当にセクハラで訴えられてしまうので、口を噤む。

 やがて少し離れたところで電話をしていた今井が戻ってきた。

 

「友希那に電話したら、会ってから決めるって言ってたからとりあえず一緒に行こ?」

「そうですか、湊さんがそう決めたなら、私は問題ありません」

「…………」

 

 やっぱこれ行かなくちゃいけない流れなんですね。

 相変わらず流され体質の俺は、せめてもの抵抗で青葉に視線を向ける。

 

「それじゃ、今日はやまぶきベーカリーでパンの特売やってるのでモカちゃんもこの辺で失礼しまーす」

 

 言うと手を振り、そそくさとこの場を立ち去ってしまう。

 ついさっきランチしたばかりなのにもうパンを食べるのか、とどうでもいいツッコミが頭を過ぎる。

 こうして俺は今井と氷川姉に連れられ、Roseliaがバンド練習をするライブハウス、『CiRCLE』へと赴くことになった。

 まだ見ぬRoseliaメンバーへとの出会いに期待と不安で胸が高まって、オラワクワクすっぞ!

 こうして無理矢理テンションを上げないと、次々変化していく状況についていくのが難しい俺であった。

 

 




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やがて比企谷八幡はハマりはじめる。

 青葉モカ、今井リサ、氷川姉妹と一緒にランチを食べ終えた俺は今井に誘われてRoseliaの練習を見学させてもらうこととなった。

 実際には湊……という女子高生の許可を経てからだが、今井は大丈夫だという。

 それで実際CiRCLE前のカフェテリアで自己紹介がてら湊友希那、宇田川あこ、白金燐子にあったわけだが──、

 

「…………」

「あ、あはは〜」

 

 今井が愛想笑いを浮かべる。

 ……いや、ほんとごめんね? 俺がうっかりスマホを出してホーム画面を湊に見えるようにしたばっかりに。

 

「……ふふ」

 

 かれこれ三十分くらい、湊友希那は俺のスマホをスクロールしてはうっとりと眺めていた。

 

「……にゃ〜」

 

 彼女は俺の知ってる猫好き──雪ノ下雪乃に負けず劣らずの猫好きらしいです。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「……こほん。お見苦しいところを見せてしまったわ」

「あっ、いや、楽しんでもらえてなにより」

 

 俺が東京に引っ越してから小町が送ってくれてたカマクラの画像を全て見終わってから、ようやくスマホが返却される。

 湊はスマホを返すと、腕を組み改めて俺の顔へと目を向ける。

 

「…………」

 

 視線がぶつかり先に逸らしてしまった。

 なんか負けた気分。

 

「湊さん、そろそろ私たちの練習時間になります。中へ入りましょう」

「ええ、そうね。……比企谷さん、私たちの練習、ゆっくり見ていってちょうだい」

「お、おう」

 

 湊と氷川がCiRCLEは入っていくのに続き、俺が歩き出すと、背中をツンとされる。

 

「ねぇねぇ、比企谷さん。あこのおねーちゃんに会ったことあるんだよね?」

「ん? ……ああ、宇田川巴、だったか?」

「うん! どうだった? カッコよかった?」

 

 いきなり前のめりになりそう問いかけてくる宇田川。

 やたら距離が近い。

 

「そう、だな。……まあ、背が高くてカッコいいな」

 

 言うと、大きく首を縦に振り、自分のことのように喜んでいた。

 

「だよねだよね! うんうん、比企谷さんならそう言ってくれると思ったよ!」

 

 そんな宇田川を見て優しそうに微笑む白金。

 

「あこちゃん、……嬉しそうだね」

「うん! おねーちゃんのかっこよさが分かる人とは仲良くしたいもん!」

 

 どうやらは宇田川は姉のことが大好きらしい。

 そういや自己紹介でも姉に憧れてドラム始めたって言ってたっけな。

 

「りんりんも、比企谷さんと仲良くしたいよね!」

「う、うん。……せっかく知り合えましたし……話せるくらいには……なりたい……です……っ」

「……おう」

 

 白金燐子はおそらく人見知り。

 俺のサイドエフェクトがそう言ってる。

 いや、嘘です。ただ、なんとなくそう思っただけなんです。

 けれど実際、俺の予想は当たっていたらしい。

 

「おお、去年まではすごい人と話すのが苦手だったりんりんが男の人と仲良くなりたいって言ってる!」

「あ、あこちゃん……。改まって言われると……はずか……しい」

 

 ……………………。

 うーん。ここにも百合の花が咲いてそうですねぇ。

 

「あこー、燐子、受付終わったから、そろそろおいでー」

「あっ、……すみません。今井さん」

「今行くから待って、リサ姉!」

 

 「比企谷さんも早く!」と宇田川が俺の手を引っ張っていく。

 ……うーん、この距離感。

 今までも近しい人距離感の女子高生は何人かいたが、あれだな。

 この感覚は小町に近い。

 

「? どうしたの、比企谷さん?」

「いや、妹属性高いなぁ、と」

 

 首を傾げる宇田川。

 けれどすぐに氷川に呼ばれ、返事をしてCiRCLEへと入っていった。

 無論、手は繋がれたままである。

 

 

× × ×

 

 

 バンド演奏の音が鳴り止み拍手をする。

 こうしてさっきから一曲終わるごとに手を叩いてはいるが、なにも事務的にやっているわけではない。

 本当に、ただただすごいと感じていた。

 一曲一曲、これは練習のはずなのに、それを感じさせない力強い演奏。

 女子高生とは思えない迫力。

 圧巻の一言である。

 

「今日のあこたちもイケてるねー!」

「そうだね……あこちゃん」

「ふふっ、宇田川さん。常にこれ以上を維持できるようにしていくのよ」

「ええ、紗夜の言うとおりね」

「まあまあ、あこもそれくらい分かってるよね?」

「はい、もちろんです!」

 

 俺は立ち上がると、一度抜けてコンビニに買いに行った飲み物をRoseliaに手渡す。

 

「わっ、比企谷さん。良いんですか⁉︎」

「今日練習見させてもらったからな、これくらいは」

 

 言うと、あこが袋を受け取りみんなに配っていく。

 全員にお礼を言われるが、こういうのはどうもむず痒くなってしまう。

 ドリンクを飲みながら、先の演奏の評価を話し始めたので、俺は少し離れたところで様子を伺っていた。

 しばらくして終わったのか、今井が俺を手招きしてくる。

 

「比企谷さん。アタシ、クッキー焼いてきたのでみんなで食べませんか?」

「あ、ああ……」

「リサ姉のクッキーは美味しいんだよ!」

「そうなのか」

 

 わざわざ俺を迎えにきてみんなのところまで引っ張っていく宇田川。

 うん、やっぱり妹みたいなんだよなぁ。

 や、今日初対面だし、失礼なのは重々承知なのだが、この人懐っこさを見せられたら……俺みたいに思っても仕方がない。

 なので、と言うわけではないが、試しに頭に手を乗せてみた。

 そしてそのまま髪をゆっくり撫でつける。

 

「わっ、……ひ、比企谷さん、どうしたの?」

 

 うん、良い髪質だ。

 これはずっと撫でていたくなる。

 突然の俺の奇行にあわあわしてる宇田川と目に合い、ふと我に返った。

 

「あっ、や、悪い!」

 

 慌てて手を離す。

 見ると、周りの視線が痛かった。

 特に氷川は俺を射るように睨みつけてくる。

 

「比企谷さん、女性の髪にいきなり触れるのはどうかと思いますが」

「……はい」

「あなた、今日が宇田川さんと初対面のはずよね?」

「……です」

「それなら──」

「わー、ちょっと紗夜さん紗夜さん! あこは全然気にしてないですから! それにちょっと気持ちよくて、このままでいいかなー、とか思ってましたし!」

 

 氷川の真剣な怒りに、被害者のはずの宇田川は真剣に加害者である俺をフォローしてくれる。

 それをみた氷川は言いたいことをため息で吐き出すかのようにした。

 

「今度からはちゃんと宇田川さんに、許可を取ってから撫でなさい」

「えっ、紗夜、そこなの?」

「ん、そうします」

「今度があるの⁉︎」

 

 氷川に今井が、俺に宇田川がツッコミを入れると、和やかな雰囲気に戻る。

 氷川は空気を悪くしたことを謝罪したが、むしろ今のは全力で俺のせいなので、俺も謝罪した。

 

「悪かったな、宇田川」

「ううん、あこ、さっき言ったこと本当だよ? なんか比企谷さん、撫でるの慣れてるなーって感じだったし」

「比企谷さん、妹がいるものね」

「お、おう」

 

 なんで湊が知ってるんだ? と疑問が湧いたが、そういやさっきスマホ見てた時、小町が抱きかかえてたカマクラの写真もあったことを思い出す。

 

「へぇー、友希那さん。比企谷さんの妹さん、可愛かったですか?」

「そうね。かわいいと思うわよ」

「ああ、俺の妹は世界一可愛い」

「なんか、アタシの周り、そういう人多いなぁ……」

「? そういう人って?」

 

 宇田川の疑問に今井は苦笑いで返す。

 分かる。俺には分かるぞ今井。

 日菜を見たから尚更何を言おうとしたのか分かる。

 俺、宇田川、日菜をシスコンって言いたいんだろ。

 ……うっせ。シスコンじゃないやい!

 ただ俺の場合、小町のことが大好きなだけだ!

 これを口にすると、間違いなく「やっぱりシスコンじゃん」と言われるので控えることにした。

 

「……では、練習に戻りましょうか。比企谷さん、良ければ最後まで見ていってくださいね」

 

 氷川の声と共にRoseliaのメンバーはテーブルの上を片付けて、楽器の位置へと戻った。

 俺も椅子に座り、最後まで聞かせてもらうことにした。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 現在帰宅中である。

 スタジオの時間が終了を迎え、みんなそれぞれ帰ろうとしたところで、俺は今井にこう言われたのだ。

 

『比企谷さん、もし良かったら紗夜を送ってあげてくれませんか?』

『えっ……』

 

 と俺は驚いたが俺以上に氷川が驚いていた。

 

『今井さん、私は別に大丈夫よ。いつもの道ですし、何も問題は──』

『まあまあ』

 

 氷川を宥めると二人が小声で会話を始め、それが終わると今井はとん、と氷川の背中を押した。

 

『……その、やっぱりお願いしてもいい、ですか?』

『えっ、あっ、や……まあ、大丈夫、だが』

 

 突然の心変わりについていけず、つい返答がしどろもどろになってしまった。

 で、現在こんな状況なわけだが──、

 

「…………」

「…………」

 

 気まずいなー、帰りたいなー。

 割と厳しめな説教を食らったから……と言うわけではないが、何を話して良いのかわからない。

 というか、なんで送ることになったのかがもっと分からない。

 

「……あの、比企谷さん」

「ん、なんだ……って、おい」

 

 ようやく口を開いてくれたかと思ったらいきなり頭を下げられる。

 

「その、先ほどは皆さんがいた中であんな態度……申し訳ありませんでした」

「や、だからあれは、確実に俺が悪いわけで」

「ですが、注意するにしてもせめてもう少しやんわりするべきだったと反省しています」

 

 なおも頭を下げ続ける。

 これは、どうしたものか……。

 俺はため息を吐く。

 

「……ほんと、頭を上げてくれ。でないと、俺は氷川に土下座をしなくちゃならなくなる」

「……土下座、ですか?」

 

 氷川がようやく顔をあげてくれた。

 

「おお、何も悪くない氷川が謝ってるんだ。なら、全面的に悪い俺はそれよりさらに深く頭を下げなきゃいけないだろ? つまり土下座以外に出来ることはないな」

 

 言うと、きょとんとした表情をした氷川だが、やがてクスッと微笑んでくれる。

 

「それは困りますね。では、私も謝罪はここまでにします」

「ん、改めて、俺も悪かった」

 

 今度はこちらが頭を下げる。

 これでこの一件は終了。

 俺が頭をあげると氷川は口を開いた。

 

「謝罪ついでに比企谷さんにお願いがあるのですが」

「ん、可能な範囲なら聞けるぞ」

「その……、日菜のことを名前で呼んでいるじゃないですか」

「そうだな」

「……だから、私も、紗夜って呼んでいただけませんか?」

 

 話の流れから予想はしていたが、やはりそうきたか。

 俺が喋ろうとする前に、さらに氷川は言葉を紡ぐ。

 

「あれです。日菜を名前で呼んでいるのに私だけ苗字なのは距離があるように感じるじゃないですか」

「や、でもあれは判別のためにだな……」

「つまり、日菜を氷川に戻し、私を紗夜と呼ぶことも可能、ということですね?」

「……ん?」

 

 確かに理屈上はそうなる。

 が、なんか違う気もしなくは無い。

 そもそもその提案は少し意外というか、氷川はイメージ的に……というか、実際にきっぱりしてるところがあるから、簡単に男に名前呼びを許す性格をしていないと思ったのだ。

 だから俺は、割とすんなり日菜を名前呼びするのを受け入れたってのもある。

 そのことを伝えてみると、氷川は頷いた。

 

「確かに、私は馴れ馴れしく名前呼びされるのは好かないです。ですが、比企谷さんがそんな方じゃ無いのは接していれば分かりますし、なにより"日菜"だけ名前呼びなのは許せません」

 

 ……これはあれだろうか。

 いわゆる負けず嫌い。

 俺の性格分類診断メーカーがそう告げてくる。

 これは雪ノ下雪乃と同類の反応だ、と。

 まあそんな診断メーカーは存在しないのだが、今の氷川の目が至って真剣で、ここで拒否するのも申し訳なく思ってしまう自分がいるのも事実。

 俺は息を吐き、ゆっくりと口を動かす。

 

「……紗夜、さん?」

「なぜ敬称をつけるのですか? 私の方が年下なのだから、呼び捨てで構いません」

「……紗夜、で良いか?」

「ええ、今度からはそのようにお願いします」

 

 そこから沈黙。足音だけがこだまする。

 正直氷川を紗夜って呼ぶのに慣れる気がしない。

 大学生になって年下の名前を呼ぶのに抵抗がない、って考えたけど、紗夜はなんか違う。

 というのも日菜の場合、あの明るさとちょっと突き抜けたとこが、良い感じに年下感を演出してくれてる。

 だが紗夜の方はどうだ。

 クールで真面目、高校の風紀委員をやってるらしいし、年下……というよりは同級、もしくは先輩くらいの雰囲気を纏っていた。

 だからちょっと心の中で復唱してみよう。

 紗夜紗夜紗夜紗夜。

 不意に紗々ってチョコレートを思い出した。

 あれ好きなんだよな、特にパリッとしている部分が。

 今度久しぶりにコンビニで買っておこうかと考えていると、俺たちの後ろからパタパタとかけてくる足音が聞こえてきた。

 

「おねーちゃーん!」

 

 そしてそのままそいつは紗夜に抱き付いた。

 咄嗟に振り返り受け止めた紗夜だが、思いの外日菜の勢いが強すぎてふらつく。

 俺がそのまま倒れそうになった紗夜をどうにか受け止めると、日菜は何を思ったのか俺と紗夜、二人まとめて抱きしめてきた。

 

「ちょっと日菜、急に抱き付いたら危ないでしょう?」

「えへへ、ごめんなさーい。帰り道で会えたのが嬉しくて!」

「……はぁ、まったく。家は同じなのだから、会えることくらいあるじゃない」

 

 あの、抱き付いたまま会話やめてくれませんかね?

 ほら、俺も巻き添えくらってるし、さっきのがあった手前、紗夜と密着してるこの状況から素早く抜け出したい。

 そう考えたのだが、日菜は首を少し傾けて口を開いた。

 

「ところで、なんで比企谷さんもいるの? ……あっ、もしかして二人──」

「待て、やめろ。それ多分何言っても地雷だからな?」

 

 以前の川崎のことを反省してないのかこいつ……と思ったが、あの時もさして気にした様子なかったな。

 メンタルが強いのか、人の機微に疎いのか……おそらく後者だろう。日菜の場合は。

 

「それより日菜、そろそろ離しなさい。比企谷さんが困ってるでしょう?」

「あっ、そうだった」

 

 そこでようやく解放される。

 

「えっと……、すみません」

 

 とりあえず謝った。

 

「? どうして比企谷さんが謝るのですか?」

「や、なんとなく」

 

 言うと、紗夜はため息を吐いた。

 

「なんとなく、で謝らないでください。そもそも今のは日菜のせいなので、私は別に大丈夫ですよ」

「そうだよ、今のはあたしが悪いから!」

「日菜は反省しなさい」

 

 言って、日菜の脳天に手刀を落とす紗夜。

 本当に痛いわけでは無いだろうが、「いてっ」と叩かれた部分をさすりながら日菜はなぜか喜んでいた。

 氷川日菜のM説が浮上した瞬間である。

 

「比企谷さん、ここまで送っていただいてありがとうございました。もう、すぐそこですし日菜と一緒に帰るので──」

「ん、了解」

 

 俺もそう提案する予定だったから丁度良い。

 しかし日菜の方は不満そうな声をあげる。

 

「え〜、比企谷さん、もう帰っちゃうの? うちで少し休めば良いのに」

「や、俺のアパートってそこまで遠く無いし、疲れても無いしな」

「でもあたし、もう少し比企谷さんと話したかったな〜」

「日菜、少し気になってたけれど、あなた随分比企谷さんに懐いているわね」

 

 それは俺も気になっていたことだ。

 初対面でいきなり腕を引いてきてそういうスキンシップが激しいだけの子かと当初は思っていた。

 が、今日は俺のパフェを理由はどうあれ俺が食べさせることになって、普通知り合って間もない相手にそんな隙を見せることはないはず。

 俺じゃなかったら、勘違いして告白して振られるレベル。振られちゃうのかよ。

 そんな俺と紗夜の疑問に日菜は少し首を傾げた。

 

「ん〜、なんでだろうなー。多分だけど、一緒にいて落ち着くからかな? ……ほら、おねーちゃんと比企谷さん、なんか似てるし!」

 

 言われて二人で顔を見合わせる。

 共通点と言えば互いに長男、長女というだけだ。

 それ以外は基本スペックは圧倒的に俺の方がボロ負けしていた。

 日菜は言葉を続ける。

 

「えっとね、なんか頼りになる感じ? ……こう、しっかり者、というか。……ごめん、あたしもよくわからないや」

 

 言って、日菜は自分の中で答えを見出そうとしていたようだが、結論は出なさそうだった。

 

「ふぅ、とにかく、日菜は比企谷さんといると楽しいってことで良いのよね?」

「うん! おにーちゃんがいたらこんな感じなのかなって、るんっ! ってするの!」

 

 そう言われて悪い気はしない。

 むしろ嬉しい。

 ただ、日菜が妹なら必然的に双子の紗夜も妹になるわけで、そうなったら俺は常に叱責されてる未来しか見えなくて震えてしまう。

 

「? 比企谷さん、どうされましたか?」

「や、そんな可能性がなくて良かったな、と」

 

 紗夜は首を傾げた。

 うん、俺は小町の兄でほんと良かった。

 適度に甘やかし、適度にいなされ、適度にごみいちゃん扱いされ……。

 大体、アメが二割、ムチが九割ってところか。

 全然適度じゃないんだよなぁ。……ってか、残り一割どこから出てきたんだよ。

 まあ少なくとも、頻繁に家事をやってるかの心配をしてくれてるし、家でぐうたらしてないかの心配をしてくれてるんだから、嫌われてはないはずだ。

 『お兄ちゃんがうっかり家で大事故起こしたら、こっちも面倒になるんだからやめてよね!』も、きっと心配から出た発言だ。

 ……決して蔑ろにされているわけではない!

 

「んじゃ、俺帰るわ」

「え〜、本当に帰っちゃうの?」

「日菜、比企谷さんだって大学やバイトで忙しいのよ。そんなわがまま良くないわ」

「ん〜、あっじゃあ──」

 

 言って日菜はスマホを取り出した。

 

「連絡先聞くのは良いよね?」

「まあ、それくらいなら……」

 

 こうして氷川日菜の連絡先をゲットした。

 今年に入って連絡先がどんどん増えていく。

 女子高生限定だけども……。

 確かこれで四人目か。

 

「ほら、おねーちゃんも交換しよ!」

「……そうね。日菜が迷惑かけたら、いつでも連絡してください」

 

 訂正。

 これで五人目だ。

 

「じゃあ流石に暗くなってきたし、そろそろ本当に帰るからな?」

「うん、なんか立ち話しちゃってごめんね?」

「比企谷さんも帰り、気をつけてください」

「ん、分かった」

 

 バイバーイ、と大きく手を振ってくる日菜に対し、控えめに手をあげる。

 今日も今日とても濃厚な一日だった気がするな。

 大学に入ってからの一ヶ月ちょっとで、高校時代の休日で外出した以上の外出をしたのではないだろうか。

 や、俺どんだけ高校の時家に引きこもってたんだよ。

 そりゃ、掃除の邪魔だって小町に言われても文句は言えないな。

 

「……コンビニで飯買って帰るか」

 

 昼の先送りにしていたコンビニ飯を夕飯として食べる決意をして、足を進める。

 今井から借りた音楽プレーヤーを取り出し、片耳だけイヤホンをつけた。

 今日聞いた曲名から一つを選ぶ。

 

「やっぱりすげぇな」

 

 自分でやってみたいとまでは思わないが、ライブハウスで聴く分には結構良いかもしれない。

 今まで聴かせてもらったAfterglow、ハロハピ、Roselia。

 そのどのバンドも俺の心を鷲掴みにしてみせた。

 正直、自分がここまでハマるとは思ってなかったくらいだ。

 俺はコンビニで買い物した後、多少リズムを覚えたRoseliaの曲を鼻歌混じりで帰路へと着いた。

 

 




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始まりはいつもドキドキが詰まっている。

 Twitterとかで懸賞みたいのをよく見かける。

 俺も応募したことはあるが、ああいうので一度も当選したことはない。

 まあ、倍率が高いため仕方がないのだが、何百回以上行って一度も当たらないとなると、「これ、本当に当たるのか?」と疑念を抱いてしまっても仕方がない。

 祭りのくじ引きにしたってそうだ。景品棚にゲームのカセットが並べられているが、あれを当てたって人を見たことも聞いたこともなかった。

 まあこれに関しては深く突っ込むと闇が深そうなので控えるとして、だからこそ俺は今手にある商店街の福引券をハズレのティッシュ箱に変えるためガラポンを回していたのだが──、

 

「おめでとうございます! 大当たり!」

 

 ベルが鳴り響く。

 見ると、赤い球がトレイに乗っていた、

 

「二等はこちら! ディナー付き水族館ペアチケットです!」

 

 それを受け取り、天を見上げた。

 福引券が別の券に錬金されてしまった件。

 

 

× × ×

 

 

 

 ティッシュ箱でよかったのになと思いつつ、ちゃっかり狙ってた六等の『マッ缶三箱セット』より遥か上、二等の水族館チケットを当ててしまった俺は絶賛悩み中である。

 普通に換金するというのも手だが、もったいない気がしないでもない。

 候補としては小町を誘うか。だが、水族館のためだけにわざわざ東京まで来てもらうのも気が引けてしまう。

 次の候補は戸塚、もしくは材木座を誘う。

 まあ、材木座は論外だとしても戸塚はアリ寄りのアリ。

 むしろ戸塚しかいない。戸塚しか勝たん。

 もう戸塚で良くね?

 そうは思うものの、最近のLINEのやり取りでも戸塚は忙しそうだし、水族館なんか行ってる暇はないかもしれない。

 俺も戸塚の邪魔はしたくないし……。

 となるとやはり換金が一番無難か。

 

「比企谷さん、どうしたんですか?」

 

 バイトの休憩時間、チケットと睨めっこしていると、スタッフルームを開けて羽沢が入ってくる。

 手にはコーヒーの入ったマグカップをふたつ持っており、そのひとつを俺の前に置いた。

 

「ありがとう」

「いえ、自分が飲もうとしたついでなので」

 

 口に含むと、仄かな苦さの中に甘みが広がる。

 うん、美味しい。

 普段は甘い甘いマッ缶を好む俺だが、羽沢珈琲店のコーヒーはこれくらいが俺の好み。

 それを羽沢に熟知されてるようだった。

 

「美味いな」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 照れたように笑う羽沢が可愛くて直視できない。

 俺は視線を逸らし、再びチケットに目をやる。

 

「それ、水族館のチケットですか?」

「ああ、どうしようかと思ってな」

「……?」

 

 小首を傾げる羽沢を見て、ふと口から言葉が漏れた。

 

「良かったら一緒に行くか?」

「…………えっ⁉︎」

 

 驚いた声をあげる羽沢。

 だが安心してくれ。一番驚いてるのは俺だから。

 こうして誰かを誘うなんて滅多にしない。

 それこそ誘われたところで行きたく無い精神が働くのが俺なのだ。

 そんな俺がこんなあっけなく人を誘ってることに俺自身が一番驚いている。

 ただまあ、換金する以外で誰と行くか……。

 それを考えた時、小町、戸塚以外の候補としてあげられるのは今年になってバイトで一番関わりが多い、尚且つ俺が世話になっている羽沢つぐみしか考えられなかった。

 ただ、自分が誘われるとは全く思っていなかったようなので、言葉を付け足しておく。

 

「もしあれならこのチケットやるから、羽沢が友達と行っても良いぞ? 俺なんかと行くより気兼ねなく──」

「い、行きます! 私、比企谷さんと行きたいです!」

 

 頬わ赤く染め、それでも真っ直ぐ伝えてくれる羽沢に、「お、おう」となんとも情けない返事しか出来なかった。

 

「じゃあ、都合のいい日ってあるか? 一応今月中までは使えるみたいだし」

「ちょっと待ってくださいね」

 

 言って羽沢はスマホを見ておそらく予定を確認しているはず。

 俺もそれに倣いスマホで予定を見てみるが、大学の講義とバイトのシフト以外は基本空白で悲しくなったのでそっと閉じた。

 

「今週の日曜日はどうですか? 土曜日はみんなで練習があるので」

「ん、日曜な。了解、じゃあそうするか」

 

 ちょうど俺の休憩が終わり、詳しい話は後ですることとなった。

 その日の夜、たまたま小町から電話がありこの件を話したら、「お兄ちゃんが積極的にデート誘ってる⁉︎」と囃し立てられたせいで、俺は日曜日まで緊張度合いが半端なかったのはここだけの話。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 夕食はディナーをすることになっているので、水族館へは午後から行くことになった。

 ということで俺は三十分前に駅前に到着していた。

 身だしなみは大丈夫なはず。

 小町と電話した日、服装を選ぶの手伝ってもらっておいて正解だった。

 俺一人じゃ前日に悩んだ挙句、割と普段着で行っちゃいそうだったから。

 

『良い? 折角つぐみさんが誘いに乗ってくれたんだから、お兄ちゃんがしっかり楽しませること!』

 

 とはつい先ほど小町がLINEで送ってくれたありがたいお言葉だ。

 まあ確かにそうなんだろうけど、いかんせん目的を持って異性と出掛けた機会が少なすぎて、どうすればいいか分からない。

 水族館ってのは決まってるから、魚を見て回ればある程度の時間は過ごせるし、ネットで調べたところ今日はイベントもあるそうなので、それに参加も良さそうだ。

 ディナー付きなので帰りが少し遅くなることを、つぐママに許可を取ったので、事前準備に怠りはない。

 ……よし、大丈夫。オールオーケー。

 深呼吸をして気合い入れるようと息を吸ったところ、不意に肩を叩かれ、驚きで咳き込んでしまう。

 

「っ、コホッ⁉︎」

「わわっ、比企谷さん大丈夫ですか⁉︎」

 

 出鼻を盛大に挫かれた。

 何度も咳き込み続けていると、羽沢が優しく背中をさすってくれ、俺は落ち着いてから息を吐き出す。

 そしてなんとか落ち着いた。

 

「悪い、助かった」

「いえ、私が後ろから肩を叩いちゃったので」

 

 まあ確かに、背後から肩を叩かれると職質というトラウマが蘇るので焦りはしたが、今のはただ単に間が悪かっただけ。

 改めて羽沢に向き直る。

 こうしてまともに私服を見るのは初めてかもしれない。

 薄オレンジ色のTシャツを中に着て、キャミソールワンピースで綺麗に纏められていた。

 

『お兄ちゃん、デートなんだから私服ちゃんと褒めなくちゃダメだよ?』

 

 そう小町に言われたが一つ言わせてくれ。

 これはデートでは無い。

 ただチケットが無駄になるのを回避するため、羽沢にお願いしただけだ。

 正直、一緒に行く候補に自然と羽沢を入れてたことに自分でも驚きだが、まあなんとなく、楽しそう……羽沢奈良一緒にいても疲れないだろうなとは思った。

 だから、小町に言われなくても、事実を述べることはなにもおかしくないのだ。

 

「羽沢、今日の服似合ってるな」

 

 言うと、羽沢は一瞬にして顔を真っ赤にする。

 

「そ、そうですか……。ありがとうございます」

 

 ……………………。

 うん、これは恥ずかしい。

 カップルっていつもこんなことやってるの?

 俺そんなバカップルになれる気しないんだけど。

 沈黙が場を支配する前に俺は咳払いをした。

 

「少し早いけど行くか」

「は、はい、そうですね」

 

 俺が歩くと羽沢が横に並ぶ。

 本来なら電車には電子マネーで乗るのだが、今回は羽沢に払わせないように予あらかじめ切符を買っておいた。

 

「いいんですか?」

「ああ。今日は俺が誘ったわけだしな」

 

 断られることも視野に入れたが、すでに買ってあるものを無碍に出来ないと思ったのか、素直に受け取ってくれる。

 俺たちが電車に乗り込むと休日ということもあってそれなりに混んでいた。

 

「大丈夫か、羽沢?」

「はい。大丈夫です」

 

 一応ドア側に羽沢を立たせ、俺が人混みの壁になる立ち位置にした。

 まあこれは小町と出かける時もたまにやることだが……やばい、思った以上に距離が近い。

 羽沢の顔がほぼ俺の真下にある感じ。

 まつ毛長いし、目もぱっちりしてるし、よく見ると今日の羽沢の唇はいつも以上に艶がある。

 薄くお化粧をしているのかもしれない。

 と、そこまで考えて頭かぶりを振る。

 いかんいかん。これ以上は危険区域だ。

 ただでさえこの距離で良い匂いがして頭がやられそうなんだから。

 マジでなんで女の子ってこんな良い匂いするの?

 男の匂いなんて汗か制汗剤くらいだぞ。

 こんな俺でも夏くらいは汗拭きシートを常備している。

 あのスースーした感じ、結構好きなんだよな。

 煩悩を消すため全く違うことを考えていると、不意に大きく電車が揺れた。

 

「きゃっ!」

「……っと」

 

 大きくふらついた羽沢を咄嗟に支える。

 少し屈み、腰から抱き締めるようにしてしまい、先ほどよりも顔が近くなる。

 

「わ、悪い……」

「いえ……、あ、ありがとうございます」

 

 姿勢を戻し、お互いに顔を逸らす。

 なんで出掛け始めからこんな雰囲気おかしくなるの?

 小町が俺に送ってきた今日の恋愛運が関係してるんじゃないよね?

 

『獅子座今日の恋愛運最高だって! 異性の相手といるとドキドキすることが連発するでしょう! ラッキーパーソンは年下の女の子、だって!』

 

 ……ドンピシャすぎるんだよなぁ。

 今のところ当たりに当たりまくっちゃってるその占い、どこ情報なのか小町から聞き出してやる。

 混んでることもあって、俺たちは特に喋ることもなく、目的の駅まで外の景色を眺めていた。

 羽沢の腰に手を添えたままだったのに降車直前に気づき、平謝りすることになるのは数十分後の出来事である。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「比企谷さん、何から回りますか⁉︎」

 

 水族館に入館して、羽沢のテンションプチ上がり中である。

 電車から降りてしばらくは無言で歩き続きていたが、水族館に近づくにつれ徐々に羽沢の口数が増えていき、今ではご覧の通り。

 誘った張本人としてはここまで喜んでくれるなら、普通に嬉しかったりする。

 

「とりあえず、一通り回ってみて面白そうなところあったら寄る、みたいな感じでどうだ?」

「はい、その方が良いですねっ」

 

 俺と羽沢は歩幅を揃えて歩く。

 やはり休日ということもあって、電車と同様水族館もそれなりに混んでいるが、ぎゅうぎゅう詰めというわけでもないので、きちんと魚は見える。

 

「わ〜、かわいい〜」

 

 ひとつひとつの水槽で立ち止まるたびにそう呟く羽沢が俺には可愛く思えてしまった。

 いや、ちゃんと魚も見てるよ?

 あっ、この魚確か食べれるやつだよな、とか。

 流石にこの場でそれを直接口にしないだけのデリカシーは持ち合わせてるつもりだ。

 やがて大きな水槽の前までたどり着く。

 

「あっ、比企谷さん。ジンベエザメいますよ!」

「あ、ああ。そうだな」

 

 ……ふぅ、危ない。

 危うくジンベエザメを前にはしゃいでしまうところだった。

 やはり魚類の中で最大種なだけはある。

 メチャクチャかっこいい!

 今すぐスマホを出して一緒に写真撮りたい衝動に駆られた。

 

「? 比企谷さん、もしかしてジンベエザメ好きなんですか?」

 

 唐突に問われ、俺は声が上擦ってしまう。

 

「えっ、やっ、なんで?」

「ふふっ、だってここに来て目の色変わりましたもん」

 

 口元に手を当て微笑む羽沢を見て顔の熱が上昇する。

 ここが水族館でよかった。

 薄暗いから顔の赤さがバレることはない。

 

「もし、よかったら写真撮りましょうか?」

「マジ……、あっいや、やっぱいい」

 

 羽沢の提案にすぐさまお願いしかけたが、途中で引っ込める。

 なんかここで素直に撮ってもらうのは恥ずかしい。

 俺にだってちっぽけだがプライドというものがある。

 しかしそんな俺のことなどつゆ知らず、羽沢は自分のスマホを取り出し、俺に水槽前へ行くように促してきた。

 

「ほら、撮りますよ!」

 

 ……ま、まあ? 羽沢がそんなに言うなら撮られないわけにはいかないよな、うん。

 だってここで断って空気悪くしたくないし、俺はそこまで頑固になりたいわけでもないんだから。

 そんなどうでもいい言い訳を脳内で並べながら、水槽の前に行く。

 羽沢がスマホを構えた時、背後から女の人に話しかけられていた。

 どうしたのかと様子を伺っていると、羽沢はスマホをその人に渡してこちらに走ってくる。

 

「えっと……、彼女さんも一緒に入ったらどうだ、って言われて……」

 

 目線を逸らしながら言う羽沢に俺は「そうか」と短く返すことしか出来なかった。

 大人しく二人で並ぶと、俺たちにスマホを向けている女の人がこちらに向かって声を掛けてくる。

 

「彼氏さん、もうちょっと彼女さんの方に寄ってね」

 

 彼氏じゃないので寄らなくても良いですか? とか、そんな事を言えるはずもなく、大人しく指示に従う。

 そして「ハイ、チーズ」の後にシャッターが押され、二人でスマホを覗き見ると、上手い具合にジンベエザメが真ん中に収まっていた。

 

「わ〜、ありがとうございます!」

「良いのよこれくらい。伊達に十年近くカメラマンをやってないわ」

「……カメラマンでしたか」

 

 なるほど。

 通りで上手いわけだ。

 

「これでもよく修学旅行生とかを撮ったりしてるのよ……ってごめんなさいね。せっかくのデートなのにお邪魔しちゃって」

「あっ、いえ……」

「それじゃ、アラサーの私は消えるとして、若い二人はきちんと楽しみなさいね!」

「あっ、はい。ありがとうございます!」

 

 言って羽沢が頭を下げたので俺も釣られて頭を下げる。

 顔を上げると既に去った後で、俺と羽沢は顔を見合わせた。

 

「……なんか、パワフルな人だったな」

「ふふっ、そうですね」

 

 結局俺たちを恋人と思って帰ってしまったが、そんなのは些末な事だろう。

 なので次に移動しよう、と羽沢に提案しようとしたが、何故かこちらをチラチラ伺っていた。

 

「? どうした?」

「その……、あの……」

 

 何かを言おうとしては引っ込めを繰り返す羽沢。

 モジモジしちゃってトイレ我慢してるのかこのこのー、とかふざけられる雰囲気ではなかったので、俺は待つことにした。

 やがて彼女はパッと顔をあげて口を開いた。

 

「あの……、こうして二人で出かけると、やっぱりその……、こ、恋人、に見られちゃうんですかね?」

 

 それはあれか、俺とは恋人に見られたくないってことかな?

 わかるわかる、俺だって俺みたいなやつが彼氏とか思われたくないもん。

 自分で言ってこれほど悲しくなる言葉はないな。

 しかし羽沢は俺が思っていた考えと別のことを話し始めた。

 

「その……、私今まで出掛ける、ってなったら大体みんな……Afterglowのみんなで出掛けるくらいだったんですけど、普段からあまり男性と関わらないから、男の人とお出かけして、ましてや恋人に間違えられて……なんか不思議な感じなんです」

 

 ……なるほど。

 確か羽丘は中高一貫校のはず。

 小学生の頃は分からないが、まともに異性を異性として意識する年齢に、ほぼ近しい歳の男がいなかったのなら、そう思うのも無理はない、のか?

 どう答えて良いのか分からず、俺は今思っている事を口にした。

 

「えっと……、もしそういう風に見られるのが嫌なら少し離れて──」

「い、嫌じゃないです!」

 

 俺の言葉を途中で止め顔を近づけてくる羽沢。

 しかし自分の行為に気付いたのかすぐに離れていく。

 

「比企谷さんはその……、私が彼女扱いされて、嫌な思いはしましたか?」

「や、全然。羽沢が彼女で嫌って言う男はいないと思う」

 

 言い切って、自分が恥ずかしい事を言っていることに気付いてしまう。

 やだもう。これマジで今日の占いのせいってのが信憑生高いんだけど?

 羽沢の顔が水槽のブラックライトに照らされて赤く染まってるのが見えてしまう。

 俺もおそらく似たような感じになっている。

 体が熱い。今日はほんとドギマギしすぎだ。

 俺たちはしばらく無言のまま佇んでいた。

 

 




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いつでも羽沢つぐみの可愛さには敵わない。

※一つ矛盾があったので訂正。
こちらでつぐみが八幡の連絡先を聞く描写があったのですが、新入生歓迎会の時に八幡はつぐみと連絡をとっていることを思い出したので削除しました!

いつもは新作をpixivで投稿してからこちらも載せるんですが、今回は前回との繋がり回なので早めに載せておきます!
なので、次はほんの少し間が空くかもしれません!


 どこか気恥ずかしい雰囲気を残したまま、俺たちはとあるイベント会場へ向かっていた。

 最近の運が向いてきているのか、福引に続いてこちらの抽選も無事勝ち取れたのだ。

 

『ペンギン餌やり体験』

 

 着ぐるみのペンギンが看板を持って案内してくれる。

 俺と羽沢は抽選券を見せて中へと向かう。

 

「……楽しみですね」

「ああ」

 

 俺たちの他に数人の客がすでに来ていた。

 家族、友達、恋人同士などなど。

 俺たちはどれの部類に入るんだろうと考え、先ほどのやりとりを思い出しそうになり、誤魔化すように咳払いをする。

 

「? 大丈夫ですか?」

「ん、ちょっと埃がな……」

 

 適当な理由ではぐらかす。

 こういう時は何か話題を提供した方が良いのだろうか。

 けれど俺にそんなスキルはないので早々に諦める。

 遊園地とかの待ち時間で恋人同士の会話がなく、別れちゃう理由がなんとなくわかった。

 まあ、そもそも俺と羽沢はそんな間柄じゃないので問題ないな。

 うん、問題無い。

 だから早く始まってくれないかなー、とスマホの時計をチラチラ見ていると、俺の願いが通じたのか係員のお姉さんがマイクを手に取った。

 

「はい、みなさん! 本日は花咲川水族館にお越しいただきありがとうございます!」

 

 拍手が鳴り響く。

 羽沢も拍手をしていて俺だけしないのは不自然なので、適当に手を叩いた。

 

「これからここにいる皆さんにはペンギンさん達への餌やりを行っていただきます! まず最初に──」

 

 それから係員はやり方、手順、注意事項などを懇切丁寧に説明してくれて、羽沢は真剣に聞いていた。

 

「それでは順番にやっていきましょー!」

 

 係員のお姉さんの合図を皮切りに一組ずつ順番に餌やりが始められる。

 俺たちは最後尾に並んでいるので少し先だが、羽沢が隣でそわそわしてるのが目に入った。

 楽しみ、というのが隠しきれていないのが可愛くらしくて、思わず微笑んでしまう。

 それを羽沢に見られ、俺が笑ってる理由に勘付いたのか、少しだけ頬を膨らます。

 

「むっ、比企谷さん、どうして笑うんですか!」

「やっ、良いと思うぞ、楽しみだもんな」

 

 堪えきれず、くくっと声に出して笑ってしまった。

 すると、羽沢はそっぽを向いてボソッと呟く。

 

「比企谷さんだって、ジンベエザメのところで内心はしゃいでたくせに……」

「や、今言わなくても……」

 

 それを言われると返す言葉がございません。

 ただ可愛いと思っただけなんだけど、それを不服と思われたのなら謝るしか無い。と、謝罪の言葉を口にしようとするも、その前に羽沢が微笑んだ。

 

「ふふっ、冗談ですよ? ちょっと意地悪したくなっただけです」

 

 口元を抑えて笑う羽沢。

 こういうやりとりを羽沢とするのは珍しいかもしれない。

 やっぱり羽沢と一緒は心が落ち着く。

 ここ最近女子高生に振り回されてる気がしまくってたから……いや、それはそれで楽しんではいたけど、こうしてのんびり過ごすことも時には大事だ。

 徐々に列が進み、やがて俺たちの番が回ってきた。

 

「はい、次の方〜」

 

 前に進むと女係員がアジの入ったバケツを渡してくる。

 それを俺が持ち、羽沢は係員の指示に従い、ペンギンにアジを食べさせていく。

 一羽のペンギンが食べたのを見ると、羽沢は嬉しそうに笑い、他のペンギンにも均等に配分していた。

 それを眺めていると心が温かくなっていく。

 と、そこでマイクを持った係員が喋り出す。

 

「あれ〜、彼氏さんはペンギンさんに餌をあげないのかな〜? あっ、もしかして彼女さんに見惚れて自分がお腹いっぱいになっちゃいました?」

 

 観客へのリップサービスだろう。

 言うと、観客からどっと笑いが起こり、一気に俺へと視線が突き刺さる。

 やめろやめろ恥ずかしい!

 今日はこんなのばっかりな気がしてならない。

 羽沢もきっと恥ずかしがってるだろうなと目を向けてみるも、意外なことに観客と一緒に笑っていた。

 もう恋人に間違われることに抵抗が無くなったのだろうか。

 やだ、女の子は強すぎ!

 まあでも、気まずくなるよりは全然良いので、俺はアジを一尾だけ近くにいたペンギンにやり、残りは羽沢に任せることにしたのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 続いてやってきたのはイルカショー。

 少し早めにやってきてちょうど良さそうな席に座り、俺たちは休憩をすることにした。

 

「……ん」

「あ、ありがとうございます」

 

 羽沢に買ってきた飲み物を手渡す。

 お金を出そうとしたのを手で制し、俺も席に座る。

 

「また私たち恋人同士に見られましたね」

 

 それはさっきの餌やり体験でのことを言っているのだろう。

 俺は頷き、ドリンクで口の中を潤す。

 

「羽沢まで客と一緒に笑ってるから裏切られた気分だったんだが」

「えへへ、すみません。比企谷さんの動揺っぷりが可愛かったので」

 

 そうやって楽しそうに笑われると、恨み言を言えなくなる。

 まあ元々言うつもりはないのだが、年上である俺だけが動揺してるのは負けた気分。

 こうなったら気障な台詞で羽沢を赤面させてやる! と心の中で意気込むも、自爆する未来が見えたのでやめておいた。

 ……ふっ、今日のところはこれくらいにしといてやる、って感じ。

 ただの負け惜しみなんだよなぁ。

 

「あっ、そう言えば比企谷さん。こころちゃんにキャンプに誘われましたか?」

「えっ、いや……、誘われてないな」

「……あれ? この前こころちゃんにあった時、比企谷さんも誘うって話が出てたんですけど……」

 

 なにそれ俺にとって初耳学。

 そんな寝耳に水な話を聞かされ、でも弦巻だからなぁ、あいつ絶対直前に誘ってくるタイプだろ、と考える。

 いっそこのまま忘れてくれれば、俺はそのキャンプに行かなくて済みそう。

 まず弦巻に誘われたら勢いに押されて、断れる自信がないからな。

 俺が誘われてしまった場合の策を講じていると、羽沢は遠慮がちに口を開いた。

 

「そのキャンプ、私も誘われてるんですけど、比企谷さんもきてくれますか?」

「あっ、やっ、……そう、だな。まあ誘われたら行くかな」

 

 羽沢の誘いにも俺は弱かった。

 いやどちらかと言うと遠慮なしにこられるよりも、羽沢みたいにこちらを気遣いつつ、けれど期待のこもった眼差しの方が俺は弱い。

 

「ふふっ、楽しみが増えましたね!」

「……ああ」

 

 なんか不思議な感じだ。

 このえも言われぬ感情は。

 

「? 比企谷さん、どうしましたか?」

「あ、いや……」

 

 何か言おうとしたが的確な言葉が見つからずゆっくりと息を吐き出す。

 答えの出ない回答を求めても時間の無駄。

 考えるのを放棄した。

 ただ、イルカショーを笑顔で見る羽沢に俺は終始目を奪われていたのは確かだ。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「ゲンくんすごい高く跳んでましたね!」

「ああ、そうだな」

「ミルくんは泳ぎ早かったですね!」

「ん、だな」

「ハルちゃんはみんなにいっぱい手を振ってましたね! 人懐っこい感じが可愛かったです!」

「……だな」

 

 羽沢が感情的に話すのを聞き、俺は機械的に相槌を返す。

 正直どれがどの子か全然分からん。

 羽沢が伝えてくれた特徴でなんとなくイメージはできたが。

 

「でもちょっと服濡れちゃいましたね」

「今日は暖かいからそのうち乾くと思うけど……」

 

 どうする? と言う意味を込めて羽沢を見ると、少し考える素振りをしていた。

 

「この水族館の隣に植物園あるんですよね? 服を乾かすついでに行ってみませんか?」

 

 ディナーは水族館に併設されてるレストランだが、半券があれば今日一日戻ってくることは可能だ。

 時間もまだ余裕はあるし、全部見終わった場所をもう一度周回するよりは有意義な提案だろう。

 俺は断る理由もなかったので頷く。

 

「んじゃ、少し行ってみるか」

「はいっ!」

 

 水族館を一度出て数分、植物園に到着した。

 ちなみに服はすでに乾いている。

 植物園入る必要なくなったなー、とはならずきちんとチケットを購入し、中へと進んだ。

 

「……あの、本当に良いんですか?」

「今日は俺が誘ったから良いってことにしてくれ」

 

 羽沢が聞いてきたのはここの料金も俺が払ったからだ。

 まあ、「デートの金は男が出すもの」って考えを持ち合わせているわけではないが、基本バイト代は自分のお小遣いとしてだけなので、これくらいは痛くも痒くもない。

 しかしそれを伝えたところで羽沢は納得しないだろう。

 現に今も申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「またコーヒー淹れてくれればそれでいい」

「えっ……?」

「……好きなんだ、羽沢が淹れてくれるコーヒー」

 

 自然と言葉が漏れ出ていた。

 俺はこんなセリフがすんなり出るなんてコミュ力ランク上がった? とどうでも良いことを考える。

 羽沢は少し戸惑った表情をしていたが、しばらくして破顔した。

 

「分かりました、比企谷さんのためなら何十杯でもお出しします!」

「や、そんな出されると年中不眠症になりそうなんだけど」

 

 クスクス笑う羽沢を見て俺の顔も綻ぶ。

 フラワーロードを歩きながら優しく微笑む羽沢の写真をスマホでパシャリ。

 屈んで香りを楽しむ姿もついでにパシャリ。

 数回写真に収め、なんか楽しくなってきたので、いろんなアングルで撮影していく。

 良いよー良いよー、次はもっとこう身体をくねらせてみようか! と、ひとりでカメラマンごっこをしていると、スマホのレンズ越しに羽沢と目が合った。

 

「比企谷さん……、そんなに撮られると恥ずかしいです」

「っ、す、すまん」

 

 流石に言われた後でカメラを向け続ける勇気は俺に無い。

 大人しくポケットにスマホをしまおうとしたところ、ブルブルっと震える。

 通知の主は小町だった。

 

「タイミングが良いのか悪いのか……」

 

 『楽しんでるー?』の後に、『流石にお持ち帰りはダメだよ?』と、おじさんみたいなことを言い出したので、とりあえずさっき撮った羽沢の写真を送っておく。

 すると、『二人で撮った写真は無いの?』とすぐさま送られてきた。

 そんなものない……と送ろうとして、一枚だけ撮ったのを思い出したから花の香りを楽しんでる羽沢に声をかけた。

 

「羽沢、水族館の写真もらっても良いか?」

「写真、ですか?」

「ああ、サメのところで撮ったやつ。小町が二人で撮った写真を見たいんだと」

 

 言うと羽沢は快く頷いてスマホを取り出してから、すぐに画像が送られてきた。

 

「これ、小町に見せても良いか?」

「大丈夫ですよ……、えへへ、でも少し恥ずかしいです」

 

 照れ笑いをする羽沢を写真に収めたい衝動に駆られたが、先ほど撮影してたのを止められたのでやめておいた。

 とりあえず許可が取れた写真は小町へ送っておく。

 そういやさっきは羽沢単体の写真を無許可で送ったことを思い出し、謝罪するが羽沢は笑って受け流してくれる。

 それからは花に彩られた道をぐるっと回り、お花を存分に楽しんで出口まで向かう。

 植物園を出た頃にはちょうど良い時間になっていた。

 

「比企谷さん、そろそろ行きましょうか!」

「だな……」

 

 Afterglowの曲を口ずさみながら歩く羽沢の横に並ぶ。

 今までの俺なら小町以外の異性と横並びに歩くことにすごい違和感を感じていたと思う。

 だからこそ、こうして羽沢が隣で歩いてることをすんなり受け入れてしまっている自分に心底驚いた。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 大体の予定時刻通りにレストランへ到着すると、待ち時間がある人たちを差し置いて、俺たちは中へ通された。

 席に座りほっと一息。

 対面に座る羽沢と顔を見合わせ、そして逸らす。

 

「……このレストラン、個室あったんですね」

「ああ、俺も知らんかった」

 

 水族館については事前に調べたが、レストランは食事するだけだし、コースも決まってるから調べる必要性を感じていなかった。

 

「カップル限定オプション付きコース、ね」

 

 小さくひとりごちる。

 チケットには確かにそう書いてあった。

 まさかのここに今日一番の落とし穴。

 個室に通されたのもその一環として、コース料理にカップル限定を謳うなら何かしら用意されてるとしか考えられない。

 ……いや、オプションってことはコースじゃなくて別の要因?

 嫌なところで頭の回転が速くなる俺だった。

 

「なんか、緊張します。こういう雰囲気のレストランあまり来ないので」

 

 羽沢がそわそわしてるので俺も釣られてそわそわする。

 二人合わせてソワソワーズ!

 なんかヴィシソワーズみたいで良い響きだな。

 ちなみにこの冷製スープは名前からフランス料理と間違われがちだが、実際のところアメリカを代表するスープ料理である。これ豆な。

 豆知識を披露したところで落ち着けるわけもなく、互いの視線は右往左往。

 そんだけキョロキョロしたいんなら、あっち向いてホイでもやれば一石二鳥じゃね? ってくらいには首を動かしまくっていた。

 俺たちの居心地の悪さが限界を迎えそうになる前に、扉の向こうから声をかけられる。

 

「失礼します。……こちら、前菜になります」

「わっ、美味しそう……」

 

 置かれた前菜を見て羽沢の目がキラキラ輝いていた。

 確かに美味そうだ。

 料理を目の前にして、そういや今日は昼飯を早めに食べたからお腹がすでに減りすぎていたことを思い出す。

 料理の説明を終え店員が退室すると、俺たちは目を合わせた。

 

「……食べるか」

「はい……」

 

 いただきます、と口にしてまずはひとくち。

 ……美味っ、えっなにこれ? 美味しすぎるんだけど。

 前菜でこのレベル……というか、このレストラン全体のレベルが高いんだな、きっと。

 正直、商店街の福引の景品だからと舐めてたところはある。

 二等でこれなら、一等は一体なんだったのか……ちゃんと見ておけばよかった。

 

「比企谷さん、これすごく美味しいですねっ!」

「ああ、まじそれな」

 

 俺と羽沢はもれなくテンション高めだった。

 先ほどまでの緊張はどこはやら、食べ終わったタイミングで来た次の料理も、その次の料理も美味しいと口にしながら舌鼓を打っていく。

 そもそもチケット提示しただけでメニュー表を見てなかったので、あと何品あるのか分からなかったが、そろそろ終わりだろうと思っていた時に次の品が運ばれてきた。

 

「こちら、カップルドリンクとなっております」

「……おぉ」

「わぁ……」

 

 油断していたところでこの仕打ち!

 現実でこのストローが存在したことに若干驚いていたりする。

 その正体はよく漫画とかで見かけるハート型に交差されたストローだ。

 二つの方向から飲み物を吸えば、ちょうどよく液体がそこを通り綺麗なハートが仕上がるという優れもの。

 誰がこんな頭悪い商品を開発したのか小一時間ほど問い詰めたい。

 けど、最悪交互に飲めば問題ないかと考えていたのだが、店員はカメラを構えていた。

 

「どうぞ……」

 

 手をドリンクへ向けて俺たちに飲むように促す。

 ……………………。

 これ写真撮影するつもりだよね?

 なるほど、ここでオプション付きの効果を発動するわけだ。

 いやなに一人で納得してるんだよ。今日一番の大ピンチだよ。

 羽沢を見ると、あわあわしていて可愛らしいじゃなくて困った様子だった。

 だとすると、ここは俺が助けるしかないのだが、今さら恋人じゃないって定員に伝えると気まずい空気が三方向で流れるのが目に見えている。

 しかし羽沢を困らせたままにしておくのも気が引けた。

 なのでここは正直に店員に伝えようと思ったところで、羽沢は飲み物に顔を近づけ、遠慮がちにピンク色のストローの先を唇で挟みこんだ。

 

「んっ……」

「羽沢……?」

 

 潤んだ瞳を俺に向けてくる。

 顔が赤い。耳まで真っ赤だ。

 それでもやろうとしてるのはどういう心情なのだろうか。

 ……いやダメだ。こういうグダグダ考えてしまうのが、俺の悪い癖で面倒なところだ。

 羽沢が折角勇気を出してくれたのにこっちが躊躇してはいられない。

 俺は羽沢と反対、青いストローを咥えた。

 すると、思っていたよりも顔が近くなる。

 

「っ……⁉︎」

 

 羽沢は一瞬の動揺を見せるも、少しずつ中の液体を吸っていく。

 俺もそれに倣い飲んでいくとフラッシュが炊かれる。

 

「こちら現像してお持ちいたしますので、少々お待ちください」

 

 言って店員は退室していった。

 俺たちは至近距離で見つめ合ったまま、完全にストローから口を離すタイミングを逃してしまい、そのまま中身を二人で飲み干したのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「またのご利用お待ちしております」

 

 最後のドリンクがカップルコースオプション付きの最後の品だったようで、俺たちは現像してもらった写真を持って店をあとにした。

 そして帰りの道中、駅に向かうまでの間無言。電車の待ち時間も無言。電車の中で座った後も、やはりというか無言になるのはある意味必然なわけで……。

 

「…………」

「…………」

 

 最後の最後で絶賛気まずい状況を味わっていた。

 やはり最後のあれはやめておくべきだったかと反省する。

 ああいうのは恋人……や、仮に恋人が出来たとしても素面であの飲み方をやれる気はしないなぁ。

 ふと羽沢が至近距離にいた状況を思い出し、すぐに脳内から消し去った。

 

「ふふっ……」

 

 不意に微かな笑い声が聞こえ顔を向けると、先ほど店員からもらった写真を眺めて羽沢が笑みを浮かべていた。

 

「……どうした?」

「あっ、いえ……」

 

 言うと、羽沢は写真を俺に見えるようにして、言葉を紡いでくる。

 

「私たち、すごい緊張してる感じで顔が真っ赤だなって思って」

 

 見ると確かに羽沢の言う通り。

 顔の赤面具合が茹でだこのようで、この写真だけを見れば付き合って一週間も経ってない初々しいカップルに見えなくも無い。

 

「恥ずかしかったけど、貴重な体験が出来て楽しかったです」

 

 そう告げてくる羽沢は本心からそう言っているようで、心底楽しかったという表情を見せてくれる。

 

「比企谷さん、今日は誘っていただきありがとうございました」

「……いや、俺のほうこそ付き合ってくれてありがとな」

 

 言って頭を撫でてしまう。

 紗夜に言われたことを思い出し咄嗟に引っ込めようとしたが、どことなく嬉しそうに見えたのでそのまま継続する。

 羽沢に嫌な思いをさせたと思いこんでいた。

 それで気まずくなったとそう解釈していた。

 しかしそれは俺の勘違いで、楽しいと伝えてくれる。

 それもとびきりの笑顔で。

 

「──っ」

 

 息を呑む。

 国語が得意で語彙力にはそれなりに自信があると自負している俺でも、付けられない、よく分からない感情が胸の中でざわついていた。

 けれどそれは全く嫌なものではなく、むしろ心地いい。

 いつかこの感情に正確な名前がつく日があるとしても、それは悪いものには決してならない。

 なぜだかそう思えるような気がした。

 

「比企谷さん、また一緒に二人でお出かけしましょうね!」

 

 俺は力強く頷いた。

 




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なんだかんだでヒッキーという名に愛着がある。

 ふと昔、飼い始めた頃のカマクラを思い出した。

 新たにやってきた家族をどう迎え入れれば良いのか分からなかった頃、小町が換気のため庭に繋がる窓を開放したら、そこからカマクラが脱走してしまったことがあった。

 学校から帰ってきた俺は泣いてる小町を慰め、夜遅くまで探していた気がする。

 結局、庭の片隅でのんきにカマクラは寝ていたわけだが、無事見つかってホッとしたのを思い出した。

 

「…………」

 

 鼻を動かしてこちらを見上げてくる白い物体。

 俺はそれを反射的に抱え上げ息を吐き出す。

 ……このうさぎ、どうすりゃ良いんだろう、と。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 うさぎを抱えながら当てもなく歩く。

 すっぽり俺の腕の中に収まっているうさぎはすごく落ち着いていた。

 東京の中心で野良うさぎが出没するのか知らないが、警戒心が強いうさぎがこんな簡単に抱かれるなら、この子は飼われている可能性が高い。

 ……あっ、やっ、でもラビットハウスの近くに生息しているうさぎはそこまで警戒心無かった気がするな。

 やっぱり元々人間と共存してれば自然とそうなるものなのか。

 Jumping!!という曲が頭を流れる。

 いやそれはごちうさじゃなくてきんモザ。

 まあどっちもきらら作品だから大差ないな。

 両方のファンに喧嘩を売りそうなことを考えて公園の方へ歩いていたらふと気配を感じ、顔を上げる。

 すると一人の少女が長い髪が風で靡かせ、じっとこちらを見つめていた。

 

「…………」

 

 睨まれる、というほどでは無いが、値踏みされてるようで居心地が悪い。

 しばらくそんな膠着状態が続き、彼女が足を一歩前に出すと同時に俺は一歩後退した。

 すると再び一歩近づいてきたので俺は更に後退する。

 それで首を傾げた目の前の少女はようやく口を開いた。

 

「……オッちゃんは食用じゃありませんよ?」

「…………ん?」

 

 あまりにも突拍子ないことを言われ、思わず聞き返してしまう。

 

「だから、オッちゃんは食用じゃないです」

「…………あー、うん」

 

 二回聞いても理解不能だった。

 状況からして、見ず知らずの俺に話しかけてきたってことは、今俺が抱えてるうさぎが目的なのだろう。

 で、このうさぎの名前がオッちゃん。

 そこまでは理解出来る。

 ただ、なんでこの少女は俺がうさぎを食用にしようとしている前提で話をするのだろう。そこが少しいや大分理解不能。

 けれどうさぎを探してたなら返せば良いかと深く考えることはせず、オッちゃんを下ろそうとする。

 と、少女の後ろから更に二人の少女がやってきた。

 

「おたえ、オッちゃん見つかったー?」

「うん、あそこにいる」

 

 言って俺を指さすと、他二人の少女の視線も俺に突き刺さる。

 中腰で完全にうさぎを手放すタイミングを失った俺だが、一人の少女──なんか猫耳っぽい髪型の少女が目をキラキラさせて近づいて来た。

 

「あっ、オッちゃんだ!」

「ちょ、おいっ、香澄!」

 

 香澄と呼ばれた少女は俺の目の前までくると、ヒョイっとオッちゃんを抱きかかえ、子供をあやすようにしていた。

 

「香澄、取り返したならこっち来い!」

「? どうして?」

「どうしてってその人不審者かもしれないだろ!」

 

 ぐさり。

 ぐさりどころか、刃物で複数箇所刺されて抉られるレベルである。

 いやそれオーバーキル。

 幾度となく高校時代に職質を受けてきたけれど、美少女に犯罪者のレッテルを貼られることほどキツイものはない。

 ……泣いて良いですか?

 

「有咲、いくら怪しくてもすぐに決めるのはダメだと思う」

「いやでもな……、ってか、警戒してたからおたえも離れて声かけてたんじゃないのかよ」

「……違うよ?」

 

 えっ、違うの?

 

「オッちゃんの抱っこの仕方上手だったし、悪い人じゃないよ、この人」

「そう、なのか……?」

 

 なんかよく分からん理屈だけど、それでも有咲と呼ばれた少女は納得しそうになっていた。

 

「そうだよ有咲! 第一印象で人を判断するのは良くないと思う!」

「うっ……」

 

 香澄さんに正論を言われ、言葉を詰まらせる有咲さん。

 責められてたのは俺だけど、なんか二人に挟まれて責められる有咲さんが逆に可哀想になってきたな。

 

「……あー、えっと、別に俺は大丈夫だ。まあ、不審者に間違われるのなんて日常茶飯事だし、職質だって高校の時何度受けたことか」

 

 言うと、三人の目が可哀想な人をみる目になった。

 やめろ! 俺をそんな目でみるな! 悲しくなるだろうが!

 さすがに初対面相手に自虐ネタで笑わせにいくのは無理があったなと反省していると、おたえと呼ばれた少女と有咲さんの後ろから、更に二人の少女が駆け寄ってきた。

 

「おたえちゃん、オッちゃんは見つかった?」

「うん、今香澄が抱えてる」

 

 言うと、香澄さんはオッちゃんを上にあげてみせる。

 

「よかっね、おたえ。……あれ?」

 

 おたえさんと話していたポニーテールの人が、俺を見て首を傾げた。

 

「あの……、もしかして比企谷さんですか?」

「ん、沙綾知り合いか?」

 

 有咲さんが沙綾って娘こに聞くが、そもそも俺は彼女を知らない。

 こんな美少女、会ってれば気づくと思うんだが……と考え、今年に入ってから美少女と出会いすぎて逆に気づかない可能性あるなと思い直す。

 しかし有咲さんの問いに沙綾さんは首を振る。

 

「会うのは初めてかな。けど、この前モカが『面白い人がいるんだ〜、この近くに住んでる人だからいつか沙綾も会えるよ〜』って言ってたんだ」

 

 喋り口調のモノマネをして伝えてくれる沙綾さん。

 その喋り方とモカって名前は間違いなく俺の知ってるやつ、青葉モカのことだろう。

 青葉が他の人に俺をなんて説明してるのか詳しく聞きたいような、そうでもないような、ぶっちゃけ聞くのが怖かったりする。

 

「あっ、分かった! はぐたちと遊園地を盛り上げた人だ!」

 

 今度は香澄さんが声をあげた。

 はぐ……で一瞬誰だか分からなかったが、この子達の同年代を思い浮かべ、脳内で名前を検索していくと、北沢はぐみが思い浮かぶ。

 

「私も、奥沢さんからその話聞いたよ」

 

 さらには雰囲気ふんわりっ娘が言う。

 奥沢が間違いなく奥沢美咲なのは分かるのだが、女子高生ネットワーク広すぎない? なんで他方から俺の名前知られてるんだよ。

 気分はまるで指名手配犯。

 過半数以上が俺のことを知ってるってことで、ようやく有咲さんは警戒を解いたのか肩から力を抜く。

 だが生憎、俺は誰も知らないので不安が爆発しそうです。

 そんな俺の気持ちを汲み取ったわけではないだろうが、香澄さんがこちらを振り返り、ピシッと元気よく手をあげた。

 

「はい! 私は戸山香澄です! 花咲川女学園に通う、高校二年生です! あと、Poppin'Partyってバンドでギター&ボーカルをしてます! あ、Poppin'Party……ポピパはね私たち五人で結成してるバンドでね──」

「香澄、比企谷さん困っちゃってるよー」

 

 矢継ぎ早に言葉を放ってくる香澄さん──改めて戸山を沙綾さんが制してくれる。

 ふぅ、危ない。

 あと五秒くらい言葉の弾丸を撃たれてたら全力で発狂してたかもしれない。

 戸山を止めてくれたことを感謝しつつ、沙綾をさんに目を向けた。

 それから、山吹、牛込、花園の順に自己紹介をしてくれ、最後に残った有咲さんが山吹に背中を押されて前に出る。

 

「あ、えっと……」

 

 さっきまでの威勢の良さは何処へやら、視線を彷徨わせ言葉に詰まる目の前の少女。

 さてはあれだな。こいつコミュ症だな!

 俺も同類だから分かる! 自己紹介って緊張するよな!

 まあ、この少女が緊張してるのはそれだけが理由では無いかもだけど。

 ただこの状況が続くのは気が引けるので俺から声をかけることにした。

 

「あー、俺は比企谷八幡だ。適当にヒッキーでも引きこもりでもヒキガエルとでも好きに呼んでくれ」

「……ヒッキー?」

「なんでヒキガエルなんだよ」

 

 戸山がヒッキー呼びに疑問を感じ、有咲さんはぼそっとツッコミをしてくれた。

 それで少しは落ち着いたのか、ゆっくりと口を開いた。

 

「その……、さっきはいきなり不審者呼ばわりしてすみませんでした。私は市ヶ谷有咲って言います。……よろしくお願いします」

 

 言って頭を下げる有咲さん改め市ヶ谷。

 俺が別に気にして無いと口にすると、「あっ!」と戸山が叫んだ。

 

「比企谷から取ってヒッキーなんですね!」

「あ、ああ……多分そのはず」

 

 さっきからぶつぶつ呟いてると思ったら、まだそれ考えてたのね。

 「じゃあ私はヒッキーさんって呼ぼうかな!」とかいう呟きが聞こえるのだが、あれは市ヶ谷が喋りやすくするためのきっかけ作りみたいなものだから、是非ともやめていただきたい。

 

「ヒッキーさん、オッちゃんを見つけてくれてありがとうございます」

「や、たまたま散歩してたら目の前にいただけなんだけどな……」

「ヒッキーさんはこの辺に住んでるんですか?」

「ああ、商店街を少し抜けた先にあるアパートだ」

「ヒッキーさん、私の家パン屋なんですよ。今度是非立ち寄ってください、サービスするので」

「……そうだな。寄らせてもらう」

 

 花園、戸山、山吹と喋りかけてくるのは構わないのだが、もしかして既に呼び方ヒッキーで定着しちゃってる?

 

「お前ら、揃いも揃って初対面相手にその呼び方は失礼だろ」

 

 市ヶ谷がド正論で返す。

 

「でも一番失礼なのは初対面でヒッキーさんを不審者呼ばした有咲だよね?」

「うぐっ……」

 

 花園が的確に市ヶ谷の心を抉る発言をした。

 ……あれ? 君たち友達だよね?

 

「まあまあ、おたえちゃん。有咲ちゃんは万が一にも二人が危なくないようにヒッキーさんをちょっと警戒しすぎちゃっただけなんだよ」

「……そうなの?」

「うっ……だ、だって二人は少しどこかズレてるから心配っていうか……」

「う〜、有咲ありがとう!」

「ありがとう、有咲」

「ばっ、お前らやめろ、抱きつくなー!」

 

 戸山と花園が市ヶ谷に抱きついたかと思えば、さらに山吹と牛込もしれっと加わっている。

 この短時間で彼女たちの仲の良さが垣間見えた瞬間だった。

 ……で、俺は帰って良いの? ダメなの?

 

 

 

× × ×

 

 

 

 五人のゆるゆり空間からスッとフェードアウトを試みるが、それはあえなく失敗に終わる。

 流石に名指しで呼ばれたら止まらないわけにはいかなかったからだ。

 

「ヒッキーさん、オッちゃんを見つけてくれたお礼がしたいんですけどこれからお暇ですか?」

「あ、いや……、見つけたというか目の前に現れただけなんだが……」

「それでもお礼がしたいので、是非一緒に有咲んちの蔵まで来てください」

「って、私の家行くのかよ!」

 

 勝手に我が家へ初対面の相手を連れて行くことになりそうな展開に、市ヶ谷はすかさず花園にツッコミをいれる。

 俺も知り合って間もない相手の家にお邪魔するとか無理すぎる……と考えていたが、そういや弦巻も似たような感じだったなと思い出す。

 そうしてる間に戸山に背後を取られ、右横には花園と牛込、左横には山吹が並び立ち、「まったく」とため息をつきながら前を歩き出した市ヶ谷について行かざるを得なくなった。

 悲報、比企谷八幡、完全包囲されてしまう。

 でもまあ安心してくれ。

 こういう場合の対処はここ数ヶ月で心得ている。

 

「……市ヶ谷の家ってここから近いのか?」

 

 そう、諦めて状況に流されることだ。

 抵抗しても無駄だし、こういう時の女子高生が無駄に強引なのを知っている。

 八幡は日々成長をしているのだ。

 ……この選択を成長と言えるのかは分かりません。

 

「私の家はそう遠くないですよ」

 

 市ヶ谷が答えてくれる。

 初対面はつたいめんの時とはまるで印象が違い、すごい丁寧な感じだ。

 そこでふと山吹が首を傾げた。

 

「そういえば有咲、ヒッキーさんの前ではお淑やかキャラはやらないんだね」

「は、はぁ⁉︎ や、やらねぇし! ……ってか、既に最初からあれだし今更やってもって感じだろ?」

 

 なるほど、市ヶ谷は普段猫を被ってるのか。

 確かになんか猫っぽいよな、こう……ツンツンしてるようにみえて実はめっちゃ甘えたがり、な感じ?

 俺がうんうん頷いていると、市ヶ谷がため息を吐いた。

 

「なんかいま、比企谷さんからすごい風評被害受けた感じがしたんですけど……」

「や、き、気のせいだろ」

「ヒッキーさん、すごく声うわずってますよ?」

 

 牛込に突っ込まれ、市ヶ谷に睨まれる。

 他の三人に助けを求めようと目を向けると、戸山は指をさして叫んだ。

 

「ヒッキーさん! あそこが有咲の家ですよ!」

 

 見ると、年季がありそうで落ち着く雰囲気が漂う古民家。

 その隣に小さな母屋みたいなのがあった。

 おそらくあれがさっき言ってた蔵なんだろう。

 その予想は間違っていなかったようで、そちらの方へ通される。

 

「あっ、そうだ! 今からみんなでクライブしない?」

 

 唐突に戸山が叫んだ。

 その発言にポカンとする四人だったが、それも一瞬だけですぐに楽器をそれぞれ手に持ち、演奏する準備を始めた。

 

「じゃあ、それをヒッキーさんへのお礼にしよう」

「まっ、良いんじゃねぇの? 香澄、やるって決めたらこっちの言うこと聞きやしないし」

「とか言って有咲、一番にキーボードの前に立ったよね」

「べ、別に、みんな一緒だっただろ!」

「ふふっ、クライブ久しぶりで楽しみだなぁ」

 

 クライブ? なにそれ美味しいの? と言いたくなったが、五人の行動でなんとなく理解できた。

 蔵でライブ……でクライブ。

 うん、大変素晴らしいダジャレセンス。

 俺が立ち尽くしていると、市ヶ谷に後ろのソファへと腰掛けるように促されたので大人しく座る。

 こうしてライブを聴くのはAfterglow、ハロハピ、Roselia、そしてPoppin'Partyで四回目だ。

 ……やばい柄にもなく普通に楽しみなんだけど。

 色々なバンド演奏を聴いてきたおかげか、着実に趣味のひとつにバンドを聴くというのが追加されそうである。

 

「みんな、なにからにする?」

「あれで良いんじゃないか? 最初だし」

 

 戸山の質問に市ヶ谷が答えた。

 具体的なタイトルが出てきたわけではないのに、他の四人には"あれ"で伝わったらしい。

 

「よし、じゃあヒッキーさん! 今から演奏するので聴いてくださいね!」

 

 そこまで遠くないのに大きく手を振る戸山に俺は軽く手をあげる。

 

「それでは聴いてください。『Yes! BanG_Dream!』」

 

 そういやポピパの中で俺の呼び名がヒッキーで定着しちゃってるなー、と考えていると演奏が始まった。

 そこから三曲続けて聴かせてくれる。

 Poppin'Partyは終始笑顔で楽しそうにしていた。

 

「──ふぅ。……ヒッキーさん、どうでした⁉︎」

 

 終わると同時、戸山に距離を詰められ後退あとずさろうとしたが、ソファの背もたれによって下がれなかった。

 いや近い近い。あと近い。

 こうして距離感バグってる人は何人も会ってるけど、やっぱり慣れない。

 顔を逸らしながらやんわりと肩を押し退け、距離を取る。

 

「香澄ー、比企谷さん困ってるだろー」

「えっ、そう? ……なんで有咲はヒッキーさんって呼ばないの?」

「はぁ? 今それどうでも良いだろ!」

 

 「有咲照れてるんだ、可愛い〜」と言って戸山は市ヶ谷に抱き着いた。

 市ヶ谷は離れろと強く言っている……ようで、むしろ受け入れている感じが見受けられる。

 なるほど、これが本場のツンデレか。

 

「ヒッキーさん、改めてオッちゃんを助けてもらってありがとうございます」

「ああ。もうお礼は充分してもらったぞ」

「オッちゃんがトラックの急ブレーキに驚いて逃げ出しちゃった時、心臓が止まりましたよ」

「……や、それもう死んでね?」

 

 花園……分かるようでやっぱり分からんやつだった。

 和気藹々としている五人を眺めながらふと考える。

 ここ最近本当に色々あった。

 羽沢珈琲店でバイトを始め、Afterglowの演奏を聴いた。

 弦巻に無理やり連れられ、遊園地でハロハピの演奏を聴いた。

 青葉たちとファミレスでご飯食べたあと、成り行きでRoseliaの練習を見ることになった。

 先日は羽沢と二人で出掛けて……や、これは良いや。なんか思い出すと悶えたくなってくるし。

 きちんと脳内の金庫フォルダーへとしまっておく。

 とまあ、こんな慌ただしい時間の過ごし方をしたことが、かつてあっただろうか。

 

「ま、なんだかんだでどれも楽しいものだったな……」

「? 比企谷さん、何か言いましたか?」

「や、なんでもない」

 

 これからもこの町で暮らしていくなら色々とありそうだけど、それも悪くないと思ってる自分がいる。

 まあ、何はともあれ今日も今日とて平和な日常であった。

 




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とある梅雨の火照りは夢うつつ。

 先日、本格的な梅雨入りが天気予報で発表されてから、連日雨続きであった。

 少し太陽が顔を覗かせたかと思いきや、空はすぐに機嫌を悪くするので、こちらとしても滅入ってしまう。

 こんなんじゃ洗濯物が外干し出来ない。

 まあ俺のアパートにある洗濯機は乾燥機付きなんだけどね。

 あれマジ便利。開発者にマジ感謝。

 雨に負けてずっと鬱々とした気持ちでいるわけには行かないので、今日も今日とてバイトに邁進中である。

 

「雨、凄いですね」

「だな……」

 

 ドアの外を見ながら言う羽沢に頷きを返す。

 こんな雨の日でも羽沢珈琲店には常連さんがやってくるのだから、それほどお客にとっては憩いの場なのだろう。

 常に右端の席を好む老夫婦とは会話をする仲だった。

 俺をハチと呼んでくれるくらいには会話をしている。

 ……俺、犬扱いされてるわけじゃないよね? 確かに呼ばれて余裕があればすぐ話に行くけど、別に尻尾は振ってないからね? わん!

 まあどんなふうに思われてようと、親しみを持ってくれてるのは嬉しいものだ。

 これからも節度を持って接せていきたい所存。

 親しき仲にも礼儀ありという感じで。

 

「比企谷さーん、暇でーす」

「俺は暇じゃねぇよ」

 

 最近親しくなって、商店街内でもすれ違うと俺に話しかけてくるようになった少女──青葉モカが、テーブル拭き中である俺のエプロンを引っ張って呼び止めてくる。

 だらーんと机に突っ伏し、ここ最近学校終わりとかにもよく顔を出す青葉はいつもこんな感じだ。

 

「そんな暇なら、宿題でもやったらどうだ?」

「宿題か〜、それは寝る前のお楽しみにとっておきまーす」

 

 宿題がお楽しみとは……それは新しい逃げ口上だな。

 と、青葉に訝しげな目を向けていると、コーヒーを持ってきた羽沢が微笑んでいた。

 

「モカちゃん、結構成績良いんですよ? Afterglowの中じゃ一番かも」

「えっ、マジで? ……コイツが?」

「いぇーい」

 

 右手でピースサインを作ってるけど俄かに信じられん。

 いや、それはそれで失礼なんだけど。普段の接してる態度からは想像出来ない。

 

「モカちゃんは要領が良いんですよ〜」

「……なるほど」

 

 それなら不思議と納得出来た。

 コンビニバイトの時も俺が買うはずじゃないものを巧みな話術で買わせてくるし。

 それ要領云々じゃなくてただのセールスなんだよなぁ。

 まあ青葉からオススメされたスナック菓子はハズレがないから良いんだけど。

 俺がまた今度買いに行く決意をしていると、羽沢が不意に足をもつれさせたので咄嗟に支える。

 

「わっ!」

「っと、……大丈夫か?」

 

 聞くと、頬を赤らめ体勢を立て直した羽沢は苦笑した。

 

「ご、ごめんなさい。ちょっとつまずいちゃいました」

 

 それを言った羽沢を青葉が心配そうに見つめていた。

 

「つぐ〜、本当に大丈夫〜? もし疲れてるなら、ここは比企谷さんにお任せしちゃって休んでも大丈夫だよー?」

 

 青葉がその提案をするのはおかしいが、俺もその意見は同意なので頷いておく。

 しかし羽沢はゆっくりと首を振った。

 

「ううん、もう少しで終わるから大丈夫だよ。でも、心配してくれてありがと」

 

 言って、羽沢は仕事へ戻っていく。

 俺も流れに乗ってここから退散しようとしたのだが、どうにも青葉の表情が気になり、立ち止まっていた。

 

「……大丈夫か?」

「うん、モカちゃんはへーき。だけど……」

 

 羽沢のことは心配、と。

 どうしたものかと声をかけあぐねていると、青葉はぽつりと話し始めた。

 

「今、生徒会が忙しいみたいなんですけどね、バイトと生徒会とバンド練習でつぐはちゃんと休めてるのかな〜って」

「ああ」

「つぐ、去年無理しすぎて倒れちゃったことがあるんですよねー」

 

 青葉はコーヒーを啜る。

 

「前よりは頼ってくれることも増えたんですけど、それでもひとりで頑張っちゃうところも多いので、幼馴染として心配しているわけですよ〜」

 

 レジに立つ羽沢を見つめる青葉の目はとても優しいものだった。

 もしかしてここ連日青葉が来店してるのは羽沢が心配だったからかもしれない。

 思い返せば羽沢がシフトに入ってる時は必ず来てる記憶がある。

 青葉はマイペースだが、きちんと人を見て行動を起こす。それは誰にでも出来ることじゃない。

 ふっと笑みがこぼれた。

 

「青葉みたいな幼馴染がいれば、羽沢も安心だな」

「──っ。それ褒めてます〜?」

「俺にしては大絶賛の雨嵐だぞ」

 

 珍しく動揺してみせた青葉は再びコーヒーを口に含むと、そっぽを向いてぼそっと口にした。

 

「つぐがツグッちゃうのは良いところなんだけどな〜」

 

 あっそういや俺、まだツグるの意味聞いてなかったな。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 本日も雨天なり。

 それでも大学に行かなくちゃいけないのは辛いところ。

 マジで靴がびしょ濡れになって靴下まで浸水してくるから、困る。

 幸い、今の雨量は小雨といった感じで水たまりもそれほど多くないから、大学に着くまでは平気だとは思う。

 出かける準備をしていると、スマホが着信を知らせてきた。

 

「ん、青葉から……?」

 

 こんな時間に珍しい。

 と言うか、青葉から連絡が来たのはランチ以来初めてだ。

 まあ今まで交換してきた女子高生のメンバーも最初のよろしくスタンプ以降、特にこれといったやり取りはしてないんだけども……。

 あ、や、してたわ一人だけ。しかも割と頻繁に。

 主に『今日はバラエティの撮影なんだ!』とか『外、星が綺麗だから見てみて!』とか……なんかやってることが彼女風味なんだよなぁ。

 最近は朝と寝る前の挨拶もしてくる始末。

 まあ日菜が送ってくる写真とかは楽しそうで良いんだけども、俺の会ったことのないパスパレメンバーも映っちゃってるけどあれは良いんでしょうか?

 多分撮影の合間の休憩に撮った写真なんだろうけど、ファンからしたら大金積んででも欲しい画像なのではないだろうか。

 それが俺のスマホに次々保存されていく。

 今スマホをオークションで売りに出せばそれはそれは高価な値がつくことだろう。

 もちろんそんなことする気はさらさら無いが、出すとしたらどのくらいの値打ちになるかなーと妄想しつつ、青葉からの着信を手に取る。

 と、気の抜けそうな声が耳に届く。

 

『比企谷さーん、やっほ〜。元気にしてますかー?』

「元気だが、なんか用か?」

 

 つれないな〜という青葉の後ろから、『モカ、変わって』という美竹の声が耳に届く。

 

『……どうも。お久しぶりです、比企谷さん』

「お、おお。美竹……だよな?」

『はい、そうです』

 

 Afterglowだと羽沢と青葉は割と話すけど、他のメンバーは出会えば会釈くらいしかしないから、一瞬言葉に詰まってしまう。

 しかも美竹だとなおさら……というか、あんまり自分から積極的に話す感じじゃ無いと思っていたから、電話を変わったのは意外だった。

 『返して〜』という青葉に対し、『モカだと話が長そう』と美竹は言ってから、電話越しの俺へと意識を戻した。

 電話の向こうでは青葉を取り押さえていそうな宇田川と上原の声が聞こえてくる。

 

『あの……、今日ってお暇ですか?』

「ん、ああ。今日はだいが……、や、暇だな」

 

 大学があることを伝えようとするも、朝にわざわざ電話してくるんだから余程の急用かと思い、話を聞くことにした。

 

『そうですか。……実は今日、つぐみが体調崩して学校をお休みしてるんですよ』

「えっ……」

『熱を何度か聞いてみたら39度で……、今日つぐみの親は親戚の法事に出掛けてて、それで……』

「俺に様子を見てきて欲しい、と」

 

 『そうです』と美竹が締めくくる。

 確かにそれは心配だ。

 微熱程度ならまだしも、39度は流石に高い。

 俺もそのくらいの高熱を経験したことがあるのでわかるが、平衡感覚がまともじゃなくて立つのもやっと、ひとりならご飯も食べれないんじゃ無いだろうか。

 そんな羽沢を置いてつぐママとつぐパパが両方法事に行くとは考えにくいので、きっと羽沢が大丈夫とでも言ったのだろう。

 電話が青葉に変わった。

 

『実は今日、朝つぐのこと迎えに行った時、話を聞いてつぐのお母さんから家の鍵を預かったんですよ〜。……で、もし比企谷さんが時間あれば、頼めないかな〜と思いまして』

「いや……」

 

 時間はあるが、それは俺で良いものなのか。

 今日は必修科目がないので講義の内容は川崎にノートを取ってもらえるように頼むとして、女の子が一人きりの家に男が行っても……、うん、客観的にヤバいやつだな、これ。

 今度は美竹の声が聞こえてくる。

 

『私たち、学校終わったら様子見に行くつぐみのご両親から鍵預かったんですけど──』

『でも〜、もしあたし達が行く前につぐに何かあったら困るので、それなら比企谷さんに頼んじゃおう、ってことになりましてー』

「いや、でもな──」

『一応、つぐみの母親には連絡を入れて了承はもらってるんですけど……どうですか?』

 

 遠慮がちに聞いてくる美竹。

 やっぱりこういう"お願い"のされ方には弱い。

 まあでも心配なのは事実。

 羽沢の親から許可を得てるなら、断る理由も無くなった。

 

「……鍵、取りに行けば良いのか?」

『っ……、向かってくれるんですか?』

「ああ。何かあってからじゃ遅いからな」

 

 『正門前に着いたらモカのスマホに連絡お願いします』と言って美竹は電話を切った。

 俺はとりあえず川崎に連絡し家を出る支度をする。

 

「……また羽丘行くのか」

 

 まあ中に入るわけじゃ無いし問題は無いだろう。

 雨は変わらず降り続けている。……や、少し強くなってきただろうか。

 俺はカバンを置き、傘と貴重品だけ持って家を出た。

 途中スマホが振動し、川崎から『分かった』と連絡が来たので大学の方も問題無さそうだ。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 青葉から鍵を受け取り羽沢珈琲店前へとやってくる。

 家の入り口は裏らしいのでそちらに回って鍵を差し込む……と見せかけて深呼吸。

 家を出る前に念のため羽沢にも連絡はしておいた。

 返信も既読も付いてないので、寝ている可能性が高い。

 なので、なるべく音を立てないように慎重に鍵を回した。

 

「……お邪魔します」

 

 念の為、鍵をポストの中へ投函しておきゆっくり開ける。

 と、コーヒーの香りに鼻腔をくすぐられた。

 二回が住居になってると前に聞いたので、そのまま階段を上がっていく。

 我が物顔で他人の家を歩く度胸はないので、キョロキョロしながら廊下を進んでいると、『つぐみのへや』と可愛らしく書かれているプレートを見つけたので、ここでも深呼吸をしてからノックをした。

 

「羽沢、いるか〜……って、おい!」

 

 扉を開けると部屋の真ん中で倒れていて慌てて抱き寄せる。

 呼吸が荒く、身体も熱い。

 とりあえず抱きかかえて急いでベッドに横にさせた。

 すると、うっすらと羽沢が目を開ける。

 

「……あれ、比企谷さん、どうしてここに?」

「青葉から連絡もらってな。……で、奥さんにも許可をもらってここにいる」

「そう、ですか」

「ん、大丈夫、じゃないよな」

 

 聞くと、羽沢はキョロキョロしてから天井を見上げた。

 

「私、……とい、お手洗い行って、部屋に入ったらそのまま転んじゃったみたいです。……えへへ」

「そうか。……まあ、無事でよかった」

 

 いつからあの状態だったか分からないが、俺が来なかったらずっとあのままだと思うと、来てよかったと思う。

 羽沢の額に手を当てる。やはり熱い。

 俺はコンビニで買ってきた熱さまシートを羽沢に貼ってやる。

 

「ありがとう、ございます」

「ん……、食欲あるか? 一応うどんとかヨーグルトとか、スポーツドリンクもあるぞ」

 

 聞くと、羽沢はふるふる首を振り、口を開く。

 

「その……、来てくれてありがとうございます。でも比企谷さんに風邪が移っちゃうかもしれないので──」

「気にするな。羽沢は早く治す事だけ考えてれば良い。……青葉のやつ、心配でわざわざ朝早く俺に電話してくるくらいだからな」

「モカちゃんが……」

「青葉もそうだけど、それ以上に美竹が心配そうだったな」

「蘭ちゃん……。ふふっ」

 

 微かに笑顔を見せる。

 笑えるなら大丈夫だろう。

 羽沢が体を起こそうとしたのでそれを背中から支えてやる。

 

「あの、スポーツドリンクもらっても良いですか?」

「ん、了解」

 

 蓋を開け羽沢に手渡す。

 

「んくっ、こほっ……」

 

 ちびちび飲んでいたが咽せてしまったので、優しく背中をさすってやる。

 

「すみません……」

「気にするな」

 

 いつも元気で、笑顔を振り撒いてくれる羽沢を見てるから、逆にこんな弱々しいと庇護欲に駆られてしまう。

 

「なんかして欲しいこととかあるか?」

「してほしいこと、ですか……?」

「ああ。なんでも良いぞ、頭撫でて欲しいとか手を握ってて欲しいとか、なんてな」

 

 冗談半分で伝えてみる。

 小町が高熱を出し、弱ってる時によくやってあげた行為。

 他にいろいろ候補があれば良かったが、生憎俺にはそれくらいしか出来そうになかった。

 恐らく遠慮してくるだろうことを見越して提案したのだが、羽沢は少し迷う素振りを見せてからゆっくりベッドへと横になる。

 

「えっと……、じゃあ、そのふたつで」

「…………えっ?」

「頭、撫でるのと、手を握るの、セットでお願いしたい、です」

 

 照れくさそうに伝えてくる羽沢。

 さっきは風邪を移さないように俺を返そうとしていたが、今は普通に要求してきたことに少しの驚きを感じる。

 ……や、まあ俺から言い出したことだから良いんだけど、もしかしてだいぶ弱ってるのかもしれない。

 俺は左手を羽沢の手のひらに重ね、右手を頭の上に乗せて労るように動かす。

 と、握った手を何を思ったのか自分の頬にあてがった。

 

「比企谷さんの手、ひんやりして気持ち良いです」

「そりゃ良かった……」

 

 気恥ずかしいのを押し殺し、しばらく続けていると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。

 

「……寝たか」

 

 手の方は頬に添えられており、割としっかり握られてしまっているのでそのままにして、空いてる手でスマホを取り出して現状を青葉へと報告しておく。

 そうしておけばつぐママへの連絡もしてくれるだろう算段だ。

 いくつかの連絡を青葉とした後、手持ち無沙汰になったので、とりあえず羽沢の髪を梳くようにして撫でることを再開する。

 そうしていつの間にか羽沢のベッドに頭を預けて、俺も夢の中へと入り込んでしまったのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 何かの機会音で覚醒した。

 目を開けると羽沢の顔が近くにあり、思わず飛び退いてしまう。

 

「比企谷さーん、静かにしないとつぐが起きちゃいますよ〜」

「……青葉か」

 

 声が聞こえた方を振り向くと、扉のところに青葉と美竹が立っていた。

 

「二人だけか」

「はい、大勢で押しかけても迷惑なので、代表で私とモカで来ました」

「そうしたら比企谷さんも気持ちよさそーに寝てましたね〜」

「や、まあ……」

「ずっとそうして手を握られてじっとしてたら、そりゃ眠くなりますよね」

 

 左手を見てみると未だ手は繋がれたままだった。

 先ほどに比べ、体温は若干下がってる気がしないでもない。

 取り替えるため熱さまシートを外させてもらっていると、羽沢がうっすらと目を開けた。

 

「んっ……、比企谷、さん?」

「悪い、起こしたか?」

 

 首を振りつつ、羽沢は体を起こす。

 寝る前より、自分で体勢を整えられるくらいには安定していた。

 起き上がり、足元側に座っていた人物が目に入ると、羽沢は笑顔を見せる。

 

「あっ、蘭ちゃん、モカちゃんも来てくれたんだ」

「つぐ〜、大丈夫ー?」

「うん、寝たら少しは良くなったかな?」

「そう、なら良かった」

 

 青葉と美竹がホッとした表情をする。

 しかしそんな安心した顔も束の間、青葉がなにやら企むような笑みを作った。

 

「それで〜、二人はいつまで手を繋いでるのかな〜?」

「えっ……、わっ、ごめんなさい比企谷さん!」

 

 青葉に指摘されてようやく気付いたらしい羽沢は勢いよく手を離すと、その手を眺め照れ笑いをしていた。

 

「モカ、つぐみは今体調悪いんだから、揶揄うなら治ってからにしなよ」

「は〜い」

「や、治ってからも揶揄ってやるなよ」

 

 渦中にいるはずの俺は不思議と冷静です。

 まあなんていうか、今はそんな気分じゃない。

 というのも寝てた姿勢が悪すぎて体がバキバキ、超痛い。

 固まっている関節を伸ばしてみるとポキっと音がした。

 バキバキゴリッ、ボキボキ。

 擬音で表すと骨が折れてる感じでやばそう。

 

「お〜、比企谷さん、凝り固まってますな〜」

 

 言って青葉が俺の後ろに回って肩揉みをしてきた。

 

「何してんのモカ?」

「なにって、つぐの看病を代わりにしてくれた比企谷さんを労ってるんだよー」

「や、看病って……、ぶっちゃけ何もしてないんだが」

 

 俺のやったことと言えば部屋に入った時ベッドに寝かせたことと、スポドリを開けたことくらいだ。

 その後は寝てる羽沢の手を握ったまま、頭を撫でて寝てただけ。

 ……マジで俺何もしてないし、やってることがイケナイことのようで泣きそう。

 俺が心の涙を拭っていると、ちょんと羽沢に肩を突かれた。

 

「あの……、今日はありがとうございました」

「や、まあ……、少しは体調戻って良かった」

「はい、おかげさまで」

 

 優しく微笑む羽沢に気恥ずかしさを感じ、目を逸らす。

 と、そちら側で青葉と目が合ってしまう。

 揶揄う気満々のその目をスルーして腕時計を見ると、針は五時を指していた。

 

「……流石に寝過ぎた」

 

 まあ俺もなんだかんだで、大学にレポートにバイトで最近は割と忙しかったからな。

 他人の家で寝過ぎてしまうくらい、俺も疲労が溜まっていたらしい。

 未だ肩揉みを継続してくれている青葉を制して、俺は立ち上がった。

 

「んじゃ、そろそろ帰るわ」

「あっ……」

 

 俺を送るためか起きようとする羽沢を首を振って止める。

 

「羽沢は病人なんだから寝てて良いぞ」

「でも……」

「つぐみ、私が行くから」

 

 お大事にとだけ伝え、美竹と一緒に部屋を出た。

 階段を降りて玄関を開こうとすると、美竹は口を開く。

 

「あの、今日は急に頼ってすみませんでした」

「ん、気にするな」

「今度、私たちみんなでお礼させてください」

 

 みんな、というのはAfterglowのことだろう。

 本当にそこまでお礼されるようなことをしたつもりはないのだが、美竹の真剣な瞳を見ると口を噤むしか出来ない。

 だから俺は別の言葉を吐き出した。

 

「……じゃあ、楽しみにしとく」

「っ、……はい」

 

 玄関を開けると西陽が瞳を刺激する。

 いつの間にか雨は止んでいたようだ。

 今日の夕飯は何にしようかなーっとぼんやり歩いていると、スマホが振動した。

 開くと羽沢からのLINEで、羽沢、美竹が青葉に抱きつかれて写ってる三人の写真が送られてくる。

 羽沢と美竹の恥ずかしそうな様子から、青葉が送ることを提案したことが予想出来た。

 羽沢の顔も最初に見た時より大分顔色が良くなっていてホッとする。

 俺はその写真を丁重に保存させていただいて、スマホをポケットにしまう。

 

「明日は晴れると良いけどな……」 

 

 しかしそんな願いは外れ翌日も相変わらずの雨模様。

 傘を羽沢の家に忘れたことに気づいたのは、大学に行こうとした時だった。

 

 

 



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幕間:羽沢つぐみの想いは続く。

 私の朝の日課はお父さんとお母さんが営業している羽沢珈琲店の店内清掃だ。

 別に毎日頼まれているわけじゃないけれど、なんとなくこれが私の朝のルーティンに入っていた。

 カップが汚れてないかを確認し、キッチンの大まかな清掃をし、テーブルを消毒していく。

 そして最後に店内に一通りモップを掛けていると、ノックの後に扉が開かれた。

 その人物はきょろきょろ視線を彷徨わせている。

 男の人……、常連さんにもおじいちゃんとかサラリーマンとかいるので苦手というわけではないが、それでも歳が近い男性と接する機会はあまりない。

 ので思わず凝視していると、目が合ってしまった。

 何か声をかけなくてはと一度息を呑んでから慎重に口を開いた。

 

「あの、すみません。まだ開店前なので、もう少しお待ちいただいても宜しいですか?」

 

 言うと目の前の男性はしどろもどろしながらも、頭を掻きながら要件を伝えてくる。

 

「あ、やっ、えっと……今日面接の予定をさせていただいたものなんですけど」

 

 面接。

 言われて、昨日お母さんからの伝言を思い出す。

 『つぐみ、明日朝早く面接が入ってるんだけど、お母さん町内会の用事があったのすっかり忘れてて……だからお願いできない?』と言われていたのだ。

 名前は比企谷八幡。特徴は大学生。ちょっと癖っ毛で目元が特徴的、と教わっていた。

 なるほど、と思ってしまったが、この目を特徴として教えるのは相手に失礼ではないだろうか。

 何はともあれ、目の前のこの人が面接を受けに来た人なら、通さないわけにはいかない。

 私は掃除が終わるまで待ってもらい、面接を開始した。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 最初、怖くなかったと言えば嘘になる。

 話始めも、なんかぶっきらぼうで人と話すのが苦手なのかな? と思ったりはしたが、接客業をしてる身として表情には出さず、終盤まで無事に終える。

 面接の途中には雑談も交えつつ話せてたから、慣れるまでに時間のかかるタイプなのかもしれない。

 私は最後の質問をした。

 

「比企谷さんは明日からでもシフトに入れますか?」

「はい。大丈夫です」

「よかった。じゃあ、お母さんに伝えておきますね。多分あとでお母さんから連絡行くと思います」

「はい、わかりまし……えっ、それってどういう……?」

 

 一瞬納得したようだが、その後に戸惑ったような声を出した比企谷さん。

 まあ無理もない。既に翌日から働けるのが確定したのだから。

 私は店のお手伝いしかしたことないからよく分からないけれど、大体面接を終わってから二日、三日は合否に掛かるのかもしれない。

 既にお母さんは比企谷さんを雇うつもりだったことを説明すると納得してから、ようやく面接が終わりを迎えた。

 最後、比企谷さんが帰ろうとした時、背中に鼻をぶつけちゃったのは恥ずかしかったけど、立ち止まったことをわざわざ謝ってくれるあたり、良い人なのがわかる。

 最初の怖さがどこへやら、せっかくバイトとして入ってくれるなら、私は比企谷さんと仲良くなりたいと思っていた。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「比企谷さん。レジは大丈夫そうですか?」

「ああ、レジならいじったことあるから割となんとかなる」

 

 見てた感じ心配なところはない。

 面接時には最初こそ言葉に詰まってたりしたが、接客は普通にこなしている。

 多分、コンビニバイトとかは高校の時に経験があるのかもしれなかった。

 比企谷さんと仲良くなるためにお手製マニュアルを作って良かったと思う。

 私はマニュアルを渡した時に喜んでもらえたことを思い出しながら笑みを浮かべて、ふと比企谷さんを見るとあるものが目に入った。

 

「…………」

「……? どうした?」

 

 クリームがついていた。

 多分、休憩中に試作品で渡した苺クリームケーキだと思う。

 その証拠にクリームの色がピンクだった。

 なるほど。通りでさっき前島さんも比企谷さんを見て笑って帰って行ったわけだ。

 私は微笑を浮かべながら比企谷さんの口元に付いてるクリームを拭い取り、それを自分の口に含んだ。

 ……うん、甘い。

 今度蘭ちゃんたちにも試食してもらおう。

 私がそう決めて比企谷さんに目を向けると、驚愕した表情を向けてきた。

 何か驚くようなことでもあったのだろうか。

 その後は少しお客が落ち着いてきて時間に余裕が出来たので比企谷さんとお話ししていると、お母さんも加わって三人で会話をする。

 比企谷さんと私が話してるのが楽しそうだったから、とお母さんは言ってきた。

 私は気恥ずかしくなり、疑問をそのまま比企谷さんにぶつけてしまったけど、「まあ、俺は楽しいぞ。羽沢との会話」と言ってくれたことでドキッとしてしまう。

 けどすごい嬉しい。私も比企谷さんと仲良くなりたかったから。

 

「っ……! そ、そうですかっ」

「あらあら、八幡くんも言うわねー」

 

 なんとなく雰囲気が気まずくなりかけたところで、ちょうどよく蘭ちゃんたちが来てくれて助かった。

 意外にもみんな比企谷さんと普通に話してたし、仲良くできると良いなと思う。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 今日は新入生歓迎会で催しとして私たちAfterglowが演奏する日。

 五、六時間目を使って歓迎会が行われるので、私たちAfterglowは昼休みに体育館に集まって練習をしていた。

 

「つぐみ、今のところもう少しだけテンポ早く出来る?」

「うん、分かった。やってみる」

「モカはもう少し抑えめで。なんかいつもより先走って無い?」

「いや〜、久々のライブでテンションが上がっちゃって〜」

「上がるのは良いことだけど、みんなで合わないと良い感じにならないから」

「は〜い」

 

 蘭ちゃんの指示を聞き、私たちは再び演奏を始める。

 ……うん、さっきよりは良い感じかも。

 演奏技術で言ったら私はみんなより劣ってる。

 だから人一倍練習してるけど、追いつけているか常に不安だ。

 それでも私は頑張るしか出来ないからなんとか食らいついていく。

 

「……ふぅ。うん、良い感じ」

「おっ、蘭の『良い感じ』いただきました〜」

「蘭がそう言うなら大丈夫だな!」

 

 最後の音合わせが終わり、私たちはここでお昼ご飯を食べることにした。

 みんなそれぞれお弁当を出して、交換したりしている。

 

「つぐ〜、つぐの卵焼きちょーだい」

「……モカ、貰ってばかりじゃ無い?」

「え〜、そんなことないよー。ひーちゃんの唐揚げとあたしのパセリ交換したし」

「それ、モカが食べないだけだよね⁉︎」

 

 ひまりちゃんの一言で笑いが起こる。

 私はモカちゃんのお弁当箱の蓋に唐揚げを乗せてあげた。

 

「お〜、つぐ神様や、ありがたや〜」

「……つぐが神様ならモカがお供えする方じゃないの?」

 

 蘭ちゃんから的確なツッコミをされたモカちゃんだけど、首を傾げるだけで乗り切ろうとしていた。

 

「……はぁ」

 

 蘭ちゃんが呆れたようなため息をついたのでフォローしようとしていると、スマホが振動した。

 開くとそこには『比企谷さん』と表示されている。

 

『昼後の講義が潰れて新入生歓迎会行けるようになったんだが、行っても大丈夫か?』

 

 そのメッセージを見た途端、私はすぐさま待ってます! と返信していた。

 それを見ていた巴ちゃんが話しかけてくる。

 

「どうしたつぐ? なんか嬉しそうだな」

「あっ、うん。比企谷さんが今日来れるようになったって!」

「へぇ〜、じゃあこれでつぐのカッコいいところ見せられるね!」

 

 ひまりちゃんの言葉で思い出す。

 そうだった。そもそも私が今日のライブに比企谷さんを誘ってたのは、私がバンドって似合わない……いや、違うな。

 似合わないじゃなくて、やってるところが想像つかないって言われたんだっけ?

 それでつい、むっとしてしまって、比企谷さんを誘う流れになってしまったんだった。

 

「あっ、そうだ。日菜先輩にも伝えておかないと」

 

 ポケットにしまおうとしていたスマホで日菜先輩に連絡をとる。

 これで比企谷さんが来た時に日菜先輩が案内をしてくれるはずだ。

 大学の同級生も一緒に連れてくるらしいけどどんな人だろう?

 メールでは川崎沙希さんっていう名前からして女性なんだろうけど、そこまで人と話すのが得意じゃないはずの比企谷さんが女の人と仲良いのは少し意外だった。失礼かもだけど。

 そこで考える。

 彼女さんって可能性もあり得るのか、と。

 

「……むぅ」

「つぐ〜、リスみたいになってどうしたの?」

 

 モカちゃんに言われてハッとなる。

 ……あれ、私今何考えてたんだろう?

 

「な、なんでもないよ?」

 

 モカちゃんはそれ以上追求してくることはなく、弁当を食べ終えた私たちは、最後に念のためもう一度音合わせをすることにしたのだった。

 

 

× × ×

 

 

 

 無事に新入生歓迎会が終了し、私たちが控え室にしていた空き教室に、日菜先輩が比企谷さんたちを連れて来てくれた。

 

「あっ、比企谷さん!」

「ん、お疲れ」

 

 私が比企谷さんに気づくと、次に反応したのはモカちゃん。

 

「おっ、比企谷さんじゃないですか〜。えーっと、それと──」

「あっ、川崎沙希です」

 

 この人が川崎さんか。

 長身で髪を後ろに結っていて、表情が少しキツめに見えなくはないけど、なんとなく分かる。

 多分比企谷さんと同じタイプだ。

 みんなで一通り、川崎さんに自己紹介をしていて分かったのは比企谷さんと川崎さんは高校時代の同級生。で、大学も偶然一緒だったこと。

 彼女ではないことにホッとした。

 ……………………?

 なんで安心したんだろう。

 自分の気持ちが分からず、ふと比企谷さんを探してみるとモカちゃんと話している最中だった。

 どんな会話をしていたのか気になったが、すぐに終わったようでモカちゃんが戻ってくる。

 そして何か含みのある笑みを讃えていた。

 

「良かったね〜、つぐ。目的はちゃんと果たせたみたいだったよー」

「? 目的って?」

「ふっふっ〜。比企谷さん、演奏してるつぐのこと、凛々しくてカッコいいって言ってたよー」

「──っ」

 

 瞬間、顔に熱が集中するのが分かる。

 嬉しい。ただ純粋に。

 それは比企谷さんが褒めてくれたからか、それとも別の感情からなのかは分からないけども。

 モカちゃんはそんな私の背中を軽く押してくれて、私は比企谷さんの方へ向かっていく。

 

「その……、楽しんでもらえましたか?」

 

 聞くと、比企谷さんは早口で捲し立てた。

 

「お、おう……。楽しすぎて家に帰ったらAfterglowの曲を調べまくるところだったわ」

「ほ、本当ですか……⁉︎」

 

 私を褒めてくれたことも嬉しかったけど、Afterglowの曲を好きになってくれたことがさらに嬉しい。

 Afterglowは私たちにとって『日常』であり『絆』だ。

 それを好きになってもらえて嬉しくないわけがない。

 

「じゃ、じゃあ後で私の家に寄りましょう! CDあるので差し上げます!」

「良いのか?」

「はい、比企谷さんにはぜひもらって欲しいです!」

 

 多分、演奏後でまだアドレナリンが出てたのだと思う。

 高揚気味に伝えると、比企谷さんはお礼を言ってくれる。

 私が微笑むと、比企谷さんも顔が綻んだ。

 初めてみる表情。ドキッとした。

 ──ドキッ?

 今気づいた。私、心臓がバクバクしてる。

 演奏前の緊張で拍動するのとは違う、演奏後のやり切った感とも違う、不思議な感覚。

 けど嫌じゃない。

 その正体を考えてみようとしたところで、教室の扉が勢いよく開かれた。

 

「ねぇねぇ、みんなで写真撮ろうよー!」

「良いですね!」

 

 日菜先輩の発言にひまりちゃんが頷く。

 と、比企谷さんは日菜先輩からカメラを受け取ろうとしていた。

 

「んじゃ、俺が撮ってやる──」

「何言ってるの? みんなで撮るんじゃん!」

 

 言うと、日菜先輩はカメラの設置を始める。

 私たちは自然と、よくフライヤーで撮る位置に並び、ひまりちゃんが川崎さんの手を引っ張っていたので、私は立ち尽くしている比企谷さんに声をかけた。

 

「比企谷さんもこっちに来てください」

 

 言うと、比企谷さんは息を吐きながら私の隣に来てくれる。

 

「……よし。じゃあ撮りまーす」

 

 日菜先輩はカメラをタイマーにセットしたのだろう。

 ボタンを押して素早く川崎さんの隣に並び立つ。

 しばらく待ちシャッターが切られる瞬間──、

 

「いぇーい!」

 

 日菜先輩がそう叫んだ。

 なんとなくやる気がしていたので、私たちAfterglowはその反応に対応することが出来た。

 比企谷さんと川崎さんは引き攣った笑みで立ち尽くしていたのが、申し訳ないけど少し笑えてしまう。

 これもいつかここにいるみんなで笑い話に出来たらな、って思った。

 けど案外その夢は叶うかもしれない。

 なぜなら、今ここにいる全員がもれなく笑顔なのだから。



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不意に一色いろはは襲来する。

お久しぶりです、石田彩真です!
ピクシブにて先行で投稿してますが、この話をこちらで投稿出来てなかったのでしようかと!
この後からの話がまだ書けてないですが、構成が出来ていないわけではないんです。ただ、文が思いつかなくて四苦八苦しています。
なのでピクシブの方も読まれてる方、遅くはなるかもですがもう少しお待ちくださいませ!


 六月半ば。梅雨の晴れ間というものだろう。

 久しぶりに太陽が姿を現し、主婦はまとめて洗濯物を干していそうな心地よい天気。

 連日の雨のせいで蒸し暑さは残るものの、極めて過ごしやすい空気である。

 今日は昼まで大学があり、午後はバイトも休みなので予定は特に無い。

 現在は十五時。

 帰宅してからはレポートに勤しんでいた。

 俺はレポートがそれほど苦手では無い。

 ゼロから制作するのは面倒ではあるのだが、全て一人でこなせる分、気兼ねなく自由にできる。

 だから、マジでグループに分かれて英語でスピーチするのは地獄だ。あれ、無くなんねぇかな。

 川崎が同グループになってくれたのがせめてもの救い。

 あと二人は川崎が引き連れてきた恐らく友達。

 高校では孤高を気取ってた同志だと思ってたのだが、まさか川崎に友達ができるとは……。

 なんか負けた気分。

 まあでも高校時代よりは物腰柔らかくなってるし、普通に美人だから、話せるようになればそりゃ友達の一人や二人出来てもおかしく無いな、と思う。

 片や俺は大学でも相変わらずコミュ症発揮中である。

 年下や商店街での買い物とかでの会話は慣れてきたけど、同級生が難敵すぎて困りもの。

 そういや川崎にこの前の代筆のお礼しないとなと考えていると、甲高い音が部屋中に鳴り響いた。

 ………………居留守使うか。

 俺の家に来るのなんて新聞の勧誘か宗教の勧誘くらいだ。

 たまに宅配を頼むけどそれは昨日届いたのでありえない。

 よって、面倒ごとを避けるには居留守が最適解だ。

 俺が息を潜めつつパソコンと睨めっこをしていると、もう一度インターホンが鳴らされる。

 ………………。

 続いてもう一回。

 …………。

 さらに一回。

 ……。

 段々感覚が短くなり、もはや連打に近かった。

 やだなに怖い。新手のいじめ?

 途中三三七拍子を挟んだり、遊んでる雰囲気を漂わせてるのがさらに怖い。

 俺は音を立てず立ち上がり、玄関まで行って靴ベラを手に取った。

 果たして鬼が出るか蛇が出るか、俺は覗き穴から確認すれば良いものを恐怖でそんな思考を失い、無警戒にそのまま扉を開けてしまった。

 すると──、

 

「あっ、先輩、おそーい!」

「……お前」

 

 俺の姿を見やると、ビシッと敬礼ポーズをとり、笑顔を向けてくる美少女が一人。

 

「先輩、お久しぶりですっ!」

 

 出てきたのは鬼でもなく蛇でもなく、小悪魔。

 俺の高校時代の後輩である、一色いろはであった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「……へー、意外に綺麗にしてるんですね」

「ああ、まあな」

 

 思わぬ来訪者に動揺し、玄関でどんな言葉を交わしたのか思い出せなかったが、何故か後輩を部屋に招き入れる状況に陥っていた。

 一色は布団の上に座ったかと思いきや立ち上がり、クローゼットを開けたりしている。

 おいやめろ。人の家勝手に物色するな。

 勝手にパンツ見て顔を赤らめるな。男でも普通に恥ずかしいんだぞ!

 とにかく好き放題していた。

 

「……一色、まずは状況を説明してくれ」

「? なにがですか?」

「や、何がって……、どうしてお前がここにいるかだよ。あと、なんで俺の家知ってる? そもそも今日平日だし、学校は?」

 

 矢継ぎ早に聞くと、一色はやれやれとため息を吐いた。

 

「先輩も千葉を離れて東京色に染まっちゃったんですね、残念です」

「は? や、何が……」

「今日は何月何日ですか?」

「そんなの……」

 

 今日は六月十五日である。

 流石に大学とバイトで一日潰れることが多くても、日にち感覚がバグるということはない……あっ、いや、そういうことか。

 

「県民の日か」

「ですです!」

 

 正答を聞き、嬉しそうに頷く一色。

 ようやく一通りの物色が済んだのか、一色は再び布団の上に腰を下ろした。

 

「先輩の家を知ってたのは、お米ちゃ……小町ちゃんに聞いたからで──」

「おい一色、そろそろ人の妹を米と同種に扱うのはやめようか。俺も出るとこ出るぞ」

「えっ、でも本人が『あっ、もうそれで良いです』って言ってくれてますよ?」

「それ諦めてるだけじゃねぇか」

 

 あざとさでは互角の勝負でも粘り強さでは一色に軍配が上がったか。

 や、まあ、俺の家を教えるくらいだし、仲は悪くないんだろうな、二人とも。

 ってかそうじゃない。なんで小町は勝手に人の家教えちゃってるんですかね? 俺のプライバシーはどこいった。

 俺はため息を吐いて、とりあえず冷蔵庫から麦茶を取り出す。

 グラスは小町用のがあるのでそれに注いで一色に渡す。

 

「あっ……」

「……なんだよ」

「いえ、先輩もちゃんとおもてなし出来るんだな、と」

「はっ、実家にいた頃はよく小町にコーヒー淹れてんだぞ。これくらい楽勝だ」

「うわー、隙あらば妹ですか」

 

 なんか冷めた目つきをされてる気がするが気にしない。

 一色はグラスに口をつけると、喉を鳴らして一気に飲み干した。

 電車に長時間揺られ、数分歩いてたら確かに喉も渇くだろう。

 ぷはぁと豪快に飲み干すと、グラスをテーブルに置いた一色と目があった。

 

「先輩、あまり女の子が飲んでるところ見たらダメですよ? なんかいやらしいです」

「あっ、や、悪い……」

 

 そんなつもりはなかったのだが、確かに良くはないか。

 一色は喉が潤って満足したのかパタンと俺の布団へと倒れ込んだ。

 おいやめろ。いい匂いが移って今日寝れなくなるだろうが。

 

「一人暮らしいいな〜。わたしも大学入ったら一人暮らししたいな〜」

「ちょっと寛ぎすぎだろ。……ってかなに? 君何しに東京まで来たの? 冷やかし?」

 

 言うと一色は頬を膨らませた。

 

「そんなわけないじゃないですかー。先輩が一人寂しく大学生活を細々と過ごしてるのかと思って、わざわざ会いに来てあげたんですよ? 感謝してください」

「上から目線なうえに押し付けがましいんだよなぁ。……押しかけるなら小町が良かった」

「は?」

 

 おっといろはす〜、あざとい仮面が剥がれてますよ〜。

 やだなー、このおっちょこちょいさん!

 俺は誤魔化すために咳払いをした。

 

「んで、用が済んだなら帰る? 今なら駅まで送る特典付きだぞ?」

「それはちょっと魅力的ですけど……、はっ、もしかして泊まって行ってほしいの裏返しですか? 明日は学校ありますし誘うならゆっくりできる休日にお願いしたいので今日のところはごめんなさい」

 

 なんか手を前に出してふりふりしながら振られた。

 久しぶりだな、このやりとり。

 

「……で、帰るの?」

「……先輩、反応薄すぎませんか? まだ帰りませんよ。あっそうだ先輩、この辺案内してくださいよ! 先輩のバイト先とか!」

「やだ──いえなんでも、喜んでお供します」

 

 だからそんな目で睨まないで!

 雪ノ下の冷ややかな眼光と張り合えるレベル。

 まだレポートが残っていたが、このまま素直に帰ってくれそうもないので、俺は出かける準備を始めた。

 

「はぁ……面倒」

「なんでそんな嫌そうなんですかー」

 

 実際嫌なんだよなぁ。

 コンビニバイトとかやってて知り合いが来るとなんか気まずいじゃん? そんな感じ。

 ……やっ、でも高校一年でバイトしてた時、同じクラスのやつにすら気づかれなかったな、俺。

 なんなら鈴木さんとは席も隣だったのに、スルーされたのは悲しい思い出。

 

「先輩、何ぼーっと突っ立ってるんですか! 早くいきましょ?」

「あっ、うん、そうだね」

 

 いつの間にか玄関を開けていた一色に促され、俺は靴を履いた。

 とりあえず虫が入ってくるから開けっ放しはやめようね?

 

 

× × ×

 

 

 商店街をぶらつき、北沢精肉店でコロッケを買ってたべ終えたところで、さあ帰ろうと提案するも、そうは問屋が卸さない。

 

「先輩のバイト先、行きましょうよー!」

「やだよ、面倒くせぇ」

「面倒って……、あそこにあるじゃないですか」

 

 言って一色が指をさしたところには羽沢珈琲店が存在していた。

 あっ、こいつ、俺のバイト先の名前も知ってたのね……。

 まあ、北沢精肉店と羽沢珈琲店って目と鼻の先だもんなぁ。

 だからこそ俺はよくバイト帰りに立ち寄って夜飯のおかずを北沢精肉店で調達させてもらっているのだ。

 もう週三くらいはここのコロッケ食べてるんじゃないかな?

 俺の身体の三割くらいはここのコロッケで出来ている、とのんきなことを考えている間に、一色は歩き出して羽沢珈琲店へと向かっていた。

 まあバレてるなら諦めるしかない。

 俺は羽沢珈琲店の中へと入っていく一色の後に続いて、扉を抜けた。

 

「いらっしゃいませ〜、……比企谷さん?」

「おう、お疲れさん」

 

 出迎えてくれたのは羽沢珈琲店の看板娘、羽沢つぐみだった。

 今日は学校のはずだから、終わってからすぐに手伝いに出たのだろう。

 いやな顔ひとつせず家の手伝いをしているのにはいつも感心させられる。

 ふと店内を見渡す。

 混みすぎていると言うわけではないが、久しぶりの天気のおかげか、気持ちここ最近よりお客様が多い気がする。

 辺りを確認し、空いてる席にロックオン。

 仕事の邪魔をしないように席につこうとしていると、それよりも早く一色は羽沢に話しかけていた。

 

「羽沢つぐみちゃんだよね! いつも先輩がお世話になってます!」

「あの……、えっと」

「あっ、わたし、先輩とは一つ違いの後輩で一色いろはって言うの。先輩っていうのはこの人で高校ではよく使って……お世話になってて──」

「おい羽沢が困ってる。あと、人を指差すな。……ってか今、使ってって言ったよな? まあ間違いではないが……」

 

 羽沢が珍しく愛想笑い。

 ほんとごめんね、うちの後輩が。

 しかし接客業をやっているだけはある。

 羽沢は状況を理解したのか、ふっと力を抜いてからいつものような可愛らしい笑みを浮かべた。

 

「えっと……、一色いろはさんですね。私は羽沢つぐみです。比企谷さんにはいつもお世話になってます!」

「お世話……、先輩、つぐみちゃんに何してるんですか?」

「やめろそんな変態を見るような目付きするな。ただのバイト仲間としての発言だろ」

 

 ってか、もう名前呼びかよ。

 小町もそうだったけど、女の子ってもれなく初対面は名前呼びしなくちゃいけないルールでもあるの?

 羽沢が気にした様子はないから、俺から口にすることは無いんだけどさ。

 一色が羽沢に向き直る。

 

「あっ、ごめんねいきなり名前呼びしちゃって」

「いえ、大丈夫です」

「そっか、良かった。わたしのことも気安くいろはって呼んでいいからね?」

「えっと……、はい。いろは、さん」

 

 照れたように名前呼びする羽沢。

 それを見た一色は俺の耳元に口を寄せてきた。

 

「先輩、つぐみちゃん可愛すぎませんか。お持ち帰りしちゃダメですかね?」

「や、ダメだろ」

 

 とりあえずこれ以上は仕事の邪魔になると思ったので、一色を連れて席に座ろうとする。と、新たな客が店内に訪れた。

 

「つぐ〜、おつかれ〜」

「あっ、モカちゃん!」

 

 顔を向けるとそこにいたのは羽沢の幼馴染である青葉モカ。

 手をあげて羽沢に挨拶をしてから、俺と目が合う。

 

「比企谷さんも、こんにちは〜」

「ん……」

 

 軽く頷くだけで済ませると、次に青葉が目を移したのは俺の隣の一色いろは。

 

「どもども〜、あたしは青葉モカって言います」

「わたしは一色いろはです」

 

 流れるように自己紹介を済ませる青葉と一色。

 いつみても女子高生のコミュ力はえげつない。

 俺には一生真似できない芸当だ。

 二人が挨拶を交わし終えたところで、三人が座れる席へと案内される。

 

「つぐ〜、あたしはケーキセットで」

「あっ、じゃあわたしもそれでお願いします」

「はい、分かりました!」

 

 比企谷さんは? と目で問いかけてくる羽沢に対し、コーヒーだけお願いする。

 と、青葉と一色は既に二人で盛り上がっていた。

 しかし地元の知り合いと東京で出会った知り合いが仲良さそうにしているのは、なんとも不思議な光景だ。

 いや小町も仲良くしてたけど妹だし、遅かれ早かれ会っていたとは思う。

 まあ仲がいいことは悪いことじゃ無い。

 

「ほうほう、いろはさんは生徒会長なんですね〜」

「そうなんだよねー。先輩にどうしてもやってくれって泣きつかれて」

「おい待て、捏造するな。俺は損得を提案しただけだ」

「でも先輩が幼気な後輩を[[rb:誑 > たら]]し込んで生徒会長に持ち上げたのは事実じゃないですかー」

「ぐっ……」

 

 幼気な後輩かはひとまず置いておいて、微妙に間違ってないから否定しきれない。

 けどまあ、俺が提案したのが二年前でそれからずっと生徒会長を務めてきたのだから、大したものだ。

 そんな一色をじっと見つめていると、ふと目が合ってしまう。

 慌てて目を逸らすも今度は青葉と視線がかち合う。

 

「比企谷さん、なんかいつもと違いますね〜」

「? そうか?」

「そうですよ〜、なんていうか、いろはさんと喋ってる時はいつもより素の比企谷さんというか……」

「へぇ、先輩、東京に来て猫かぶるようになったんですねー」

 

 常にあざとさの仮面を常備してる君に言われたく無いですね、はい。

 そもそも俺は猫を被ってなどいない。

 ただ、ここで出会った人は今まで俺が関わってきた人とどこか違う。

 強引な部分もあるが、それでも歩み寄り方がなんというか──。

 

「お待たせしました、ケーキセット二つとコーヒーです」

 

 羽沢が注文の品を持ってきたことで俺の思考が途切れる。

 羽沢と関わってからだよな、俺の外出が多くなったのは。

 それが別に悪いことだとは思わない。むしろ心地良い。

 ときどき奉仕部で過ごした紅茶の香りを思い出すが、今はコーヒーの香りに心落ち着く。

 俺は自然と羽沢を見つめていた。

 

「っ……、ど、どうかしましたか、比企谷さん?」

「あ、や、なんでも……」

 

 顔を赤く染めふいと視線を逸らす羽沢。

 そんな態度を取られると俺も恥ずかしくなってくる。

 それを見た青葉はニヤニヤした笑みを浮かべ、一色はぶすーっと頬を膨らませていた。

 

「なんだよ」

「いえいえー、別になんでもないですよ〜」

「わたしもなんでもないです。ただ、先輩も変わったんだなーって思いまして」

 

 俺が変わった、か。

 それは違うと断言できる。

 俺は変わらない。

 一色が俺に変化があったと錯覚するならば、それは環境のせいに他ならない。

 商店街の優しいおじさんたち。

 道で会えば強引に連れ回す弦巻や、会話をしてくれる青葉や氷川姉妹。

 そしてバイト面接で初めて会った時から、変わらず優しく接してくれる羽沢。

 それら全てが今の俺を作っていると言っても過言では無い。

 たった二ヶ月。されど二ヶ月。

 それでも俺は東京の大学に進学したことを良かったことだと思えている。

 

「先輩。今日はわたしだけしか来れませんでしたが、雪ノ下先輩たちも先輩に会いたがってたので、夏休みには帰ってきてくださいよ?」

「……あいつが俺に会いたがるわけないと思うが、小町には会いたいから考えとく」

「うわっ、出たシスコン」

「ばっか、違ぇよ。俺は小町を愛してるだけだ!」

 

 俺がキッパリ答えると羽沢は首を傾げて呟いた。

 

「? 愛してるのとシスコンってどう違うんですか?」

「や、大いに違うぞ羽沢。……良いか、シスコンっていうのはだな──」

「あーはいはい、先輩のくだらないシスコン談義はともかく、つぐみちゃんってバイト終わったら暇? もし良かったら、三人で少しお話しよ?」

「あの、一色さん? もう一人ここにいる存在忘れてますよ?」

「あっ、もう少しで終わるのでぜひ!」

 

 俺の発言は華麗にスルーされ、羽沢はレジの方へ戻っていく。

 そういや仕事中だったな。

 長く引き止めて悪いことをした。

 いつの間にか青葉と一色で女子トークに花を咲かせていたので、見事に俺は蚊帳の外である。

 

「いろはさんにも機会があれば、あたしたちのバンド演奏聴いてほしいです」

「うん、わたしも楽しみにしてるねー」

 

 まあ、楽しそうでなによりだ。

 ……だから俺もう帰って良いかな?

 レポートの続きやりたいし、友達が出来たなら駅まで送ってもらえるでしょ、多分。

 そんなことを口にして盛り上がりを邪魔する勇気はなかったので、ここは陰に徹し、羽沢が合流した後も俺はコーヒータイムを満喫するのみであった。

 



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