織斑一夏はテロリスト ―『お父さん』と呼ぶんじゃねぇ― (久木タカムラ)
しおりを挟む

001. 時、遡り

 他の作品の更新もせずに何やってんのよ、と。
 はい、言いたい事は分かります。
 だけど言い訳させてつかぁさい。

 人間、仕事に忙殺されると自分でもワケワカラン行動に出るのよ。

 それでは大人な一夏ワールド、ぐったりと始めて逝きましょー。


 さて。

 唐突に何を言い出すのかと甚だ疑問に思うのも仕方のない事だが、これから私が語るのは完全な独白であり現実逃避なので聞き流してくれても構わない。

 ただ、それだけ私が柄にもなく混乱しているのだと理解してくれればそれで良い。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 戦場においては如何に迅速に状況を把握できるかが生死を分けると言っても過言ではない。

 もちろん、最終的には自分と敵勢力――彼我がそれぞれ有する戦闘能力の優劣が勝敗を決める訳ではあるが、戦況を見極めて侵攻、あるいは撤退すべきと即断即決できないようでは遅かれ早かれ間違いなく死ぬ。

 などと――今では物知り顔でほざく私自身も、若かりし頃は勢いとド根性だけでどんな障害でも乗り越えられると本気で信じていた。

 たとえ一人では無理でも、仲間の協力があれば不可能ではない、と。

 全く、恥ずかしい限りの青二才である。戦場の『せ』の字も知らない尻の青いヒヨコも同然だ。

 そういう意味では、生まれて間もない――創られて間もない頃より某組織で任務を淡々とこなす我が妹君の方が、私なんかよりもよほど戦場慣れしていた。

 閑話休題。

 ともあれ状況の把握、そう、把握だ。

 客観にしろ主観にしろ、どのような形であれ物事を見極めるのは重要だ。

 だからこそ己の目で見て、思考し――そして私は失望した。

 

 ――ああ、この世界のなんと醜い事か。

 

 技術と知識も、所詮は授業と放課後の自主鍛錬で培われただけの付け焼刃。

 安穏平穏とした『箱庭』から放り出されてみれば、学んできた事の大半が役に立たず、どれだけ虚飾と欺瞞に満ちているかを徹底的に叩き込まれる。

 少なくとも、私の期待を裏切るには十分な『穢れ』が世界には蔓延っていた。

 

 たとえばあの時(・・・)、試験会場で道に迷ったりしなければ。

 たとえばあの時(・・・)、好奇心に負けてISになど触れたりしなければ。

 

 いや……絶対に迷い、触れなければならなかったとしても……私がもう少しだけこの黒い衝動を抑え込めたなら、もしかしたら何も知らされる事なく別の道を歩めたのだろうか――そう後悔する時がなかったと言えばそれは嘘になる。

 篠ノ之、オルコット、凰、デュノア、ボーデヴィッヒ、更識姉妹。

 山田先生、篠ノ之博士、織斑先生……千冬姉。

 本当に好きになり、心から愛し、共に添い遂げたいと本気で願った頃もある。

 ありえたかも知れない、騒々しくも平和な日常。

 しかし私は夢のために、理想のために、彼女達と明確な敵意を持って相対する事を選んだ。

 その果てが――この有様だ。

 

「警告は一度だけだ。すぐにISを解除して名前と所属国を言え」

 

 眼前に打鉄の近接用ブレードの切っ先が迫る。

 本当に……神の悪戯と呼ばざるを得ないあまりに夢物語な末路だな。いや、この時代(・・・・)に合わせて言うのなら、そもそも私の物語はまだ始まってすらいないのか?

 まあ何にせよ、麗しの姉上様に得物を突きつけられて良い気分はしない。つい先ほどまで彼女を含めた女衆と一対多の激戦を繰り広げていたのだから尚更だ。

 

「……嫌だ、と言ったら?」

 

 学園で相棒だった白式とは異なり、全身装甲型であるランスローは私の声を自動的に機械音声に変換する。そのおかげで各地で暴れ回っても正体がバレる事はまずなかった。まあ、篠ノ之達にはすぐ気付かれたけど。

 

「正直に話した方がマシだったと、あの世で後悔する事になるだろうな」

 

 言外に殺人予告されてしまった。アンタ仮にも教育者だろうに。

 とは言え、反抗したところで一方的な戦闘になるとは到底思えない。

 人外の域すら凌駕した四十代の織斑先生に比べ、この時代の――花も恥らう二十代の織斑先生はまだ人間を止めてはいない。生身の私と同等か、それより少し劣る程度の実力しかない。身体中が悲鳴を上げてはいるが、フル装備の今ならば容易く逃げ遂せる。

 だが、私は敢えて顔を晒す事にした。

 要求に従った場合と逃亡した場合の、それぞれのメリットを天秤に掛けた上での判断だった。

 

「…………っ!? そ、んな……」

 

 黒に近い灰色の鎧兜が解除され、目を見開く織斑先生。断っておくが服装はISスーツではなくシャツにスラックスです。三十路の野郎があんなラバースーツみないなモン着れるか。

 それにしても予想通りと言うか何と言うか、まさかここまで効き目があるとは。普段の凛とした雰囲気も何処へやら、混乱により呼吸は浅く速くなり、ブレードも振動を起こして狙いがどんどん逸れていく。 

 流石は血の繋がった実姉。目の前にいるのが二十年後の弟だと一目で判るか。

 

「……父、さん?」

「………………」

 

 あ、そっちの勘違い(パターン)でしたか。

 物心つく前に捨てられた私は記憶にないが、どうやら姉上様はあの人でなし共の顔をはっきりと覚えているらしい。忘れたくても忘れられない、と言った方が正しいのだろうが。

 

「いやいや、人違いですからね?」

 

 私にこんな大きな娘はいねーよ。

 万が一『そうだ、私がお前の父親だ』とか星戦争的な展開だったとしても、親父殿が何歳の時に生まれた娘のつもりなんだアンタは。大雑把に計算しても十一歳くらいになるぞ? 精通してるかどうか微妙な時期だけどまずありえねーって。十一歳の父? ドラマじゃねーんだから。

 

「とりあえず言われた通りISは消したので、その物騒なの下ろしてもらえませんかね?」

「あ……ぅ……」

 

 よほど混乱が大きいのか、織斑先生は素直にブレードを退けてくれた。

 しかし、そこまでクソ親父殿にそっくりだと言うのであれば、こちらとしても整形手術を考えに入れなくてはならない。鏡を見る度に自分を捨てた親のツラが映るなど御免被る。

 

「お前は、何だ? 何者なんだ……?」

「何者か、ね……」

 

 貴女達と世界を敵に回した弟ですよ、と言えたらどんなに楽か。

 ……いや、もういっその事、私が経験した全てを告白して危機感を煽ってしまえば、この時代の私もISから距離を取って全く違う人生を歩め――そうもねぇな。きっと無理だな絶対。何故かは説明できないが、どんな方法を用いてもISを起動させてしまいそうな気がする。

 具体的には藍越学園に行く途中で道に迷って何処かの倉庫に辿り着き、そこにあったISについ手を伸ばしたらあら不思議動かせちゃった――みたいな感じで。

 やりかねない。

 篠ノ之博士だったらやりかねない! しかも嬉しそうに!

 どーしろってんだか。

 

「あーその、アレです、決して貴女の心の傷を抉りに来たとかそういうのじゃなくて、単純に道に迷ったとでも言うべきなのか何なのか……」

 

 時代に迷い込んだ、などと馬鹿正直に言ったら待っているのは頭の病院だ。

 

「……私を馬鹿にしているのか?」

 

 年下の姉上のテンションが少しばかり回復。すなわち危険度も一段階レベルアップ。ほーら見て御覧なさい、ブレードも元気を取り戻しちゃって今度は私の首筋にロックオンですよ?

 学び舎の前で刃傷沙汰、しかも被害者は弟で加害者はそれより若い姉。

 ホームズもビックリな不可思議事件である。

 

「馬鹿にしているのなら、もうちょっと面白味のある冗談を考えてきますよ。現状ではそうとしか説明できないからそう説明しているだけでして」

「つまり、真面目に答える気はないと言う事だな?」

「そう受け取られても仕方ないでしょうねー」

 

 疲れたようにハァァ……と息を吐く姉上。

 いけませんなぁ、溜め息を吐くと幸せが逃げていきますぜ? だから未来っつーか私の時代でも男っ気がなくて独り身のままなん――

 

「うぇい!?」

 

 唸るブレード。しゃがんで回避する私。逃げ遅れて飛び散る髪。目のハイライトが消えた姉。

 おっまわりさーん! 殿中、殿中でござるよ外だけど!! あ、ダメだ来たら私がブタ箱行きになっちまう!! でもって強引に避けたから全身が死ぬほど痛ぇ!! ナノマシン仕事しろ!!

 

「ちょっと待ったストップストップ! はぐらかそうとしてるのはその通りですけど、だからっていきなり打ち首はアカンと思うのですよ!?」

「気にするな。失礼な気配を感じたから断罪しようとしただけだ」

 

 あらまこの人ったらエスパーなの?

 そういえば織斑先生(四十代Ver.)もこの手の話題には神経質なまでに敏感だった。元いた時代でも隙を作るつもりで挑発したら見事にスーパー野菜人になっちゃったもんね。つーか篠ノ之とか他のメンバーまで野菜人化しちゃったし。いやーあれは怖かった。恐るべき三十路ーズ。

 

「とにかく、正体が判明するまでお前を拘束する。異論は認めんから観念するんだな」

「むしろさっさと捕まった方が安全な気がしてきましたよ」

 

 打鉄を纏った教師の皆様方がタイミングを計ったようにゾロゾロと現れる。よくよく見れば山田先生の姿もあるし、二階の窓では扇子を持った水色の髪がこちらを窺っている。

 はいはいホールドアップ。優しくしてね、と。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 とまあ、そんな感じで。

 二度と来る事はないと思っていたIS学園に舞い戻った訳でございますが、ようやく落ち着いたところで改めて自己紹介をば。

 

 名前:織斑一夏。

 年齢:三十五歳。

 使用IS:正式名称『黒灰の反逆者(ガンメタル・トレイター)』、通称『ランスロー』

 

 勘の鋭い諸君らの御察しの通り、なんやかんやの諸事情で二十年ほど前の過去にタイムスリップしてしまったらしい、何処にでもいそうなただの国際的テロリストであーる。

 あっはっはっはっは。

 もうホントどうしようね。




原作ヒロインズを名字で呼ぶのは、敵対する上での覚悟だとお考えください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

002. 織斑一夏は一夏にあらず

 タイムスリップを果たしてしまったそもそもの原因が何かと考察するならば。

 二十年後――私が本来存在していた時代に篠ノ之達より受けた全方位一斉攻撃を、まず何よりも一番に可能性として挙げなければならないだろう。と言うよりも、あの爆発の直後に気が付いたら過去のIS学園の前にいたのだから、直接的な要因はあれぐらいしか考えられない。

 ブラスターライフルとレーザービームと不可視の砲撃と銃弾の嵐とレールカノンと荷電粒子砲とミサイルと水蒸気爆発と気化爆弾とその他諸々エトセトラ――第5世代(・・・・)それぞれの誇る最大火力が一点に集中して炸裂したのだ、そりゃ時空の壁だって耐え切れなくて歪みもするさ。

 しかしだとすると、いなくなった私は向こうでどういう風に扱われているのか。

 もしかしたら肉の一片も残らず消し飛んだと勘違いされて、顔写真付きで『巨悪は滅んだ』とか大々的に報道でもされているかも知れない。だったらちょっと恥ずかしいなぁ。せめてモザイクを付けてほしい。

 

「多分、そんな事にはならないんだろうけどね」

 

 現行では最強機の第6世代――ランスローを使っているとは言え、たった一人で世界各国を飛び回るには限界がある。修理補修や整備点検にはそれ相応の設備が不可欠だし、ナノマシンの恩恵を受けている私とて三大欲求には抗えないのでセーフハウスも必要だ。

 だが、国際手配犯が馬鹿正直にホテルを利用する訳にもいかない。ただでさえ唯一の男性操縦者として顔が割れているのだから。

 そこで登場するのが、技術と金だけは持ってらっしゃる悪い組織の皆さんだ。

 主力の座こそISに取って代わられたが、各地の紛争地帯では自動小銃や戦車がまだまだ現役で猛威を振るっている。購入、調整、訓練に修理――四拍子で手間の掛かる金食い兵器より、安価で使い慣れた武器を求めるのは当然の結果だった。もちろん火力はISと比べれば象とアリだが。

 それ故に『死の商人』と呼ばれる職種の方々は未だご健在であり、世界のありとあらゆる争いをコントロールし続けている。

 

「……認めねぇよ。あれ(・・)がISだなんて、私は絶対に認めない……」

 

 私が彼らに目を付けたのか、彼らが私に利用価値を見出したのか――まあどちらが先かはこの際置いておくとして、とにかく互いの打算と利益目的で私達は手を組んだ。

 私が戦場で兵器を壊せば、壊された方は勝つために武器を追加発注せざるを得ない。そして買い揃えた端から商人達の依頼を受けた私に再び壊される。つーまーりー、売って壊してまた売っての無限ループを繰り返して金を搾れるだけ搾り取る訳だ。

 ……えげつない? おっしゃる通り。だけど戦争なんかする方が悪い。私は悪くない。

 ついでにぶっちゃけると我が妹君が所属してる『亡国なんちゃら』も、業種こそ畑違いだが実は一番のお得意様だったりする。用意してもらったセーフハウスのおかげで束の間のバカンスを満喫できるし、初めは血で血を洗うような兄妹関係もすこぶる良好になったのでありますハイ。

 

 ……で、何の話だったっけ?

 ……ああ、そうだ。どうして未来で私の報道がされないのかって話ね。

 

 それは単純に、私との取り引きが暴露されるのを顧客達が良しとしないから――ただそれだけのしょーもない理由である。

 マスメディアまで牛耳ってるなんて武器商人って怖いねー。

 エムちゃんトコの組織だと逆に誇張しそうなので別の意味で恥ずかしいが。

 その遺影は止めて! お兄ちゃんそんなにカッチョよくないから!! ってか殺すなや!!

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 退屈は人を殺す――とは誰の言葉だったか。

 好奇心ならば猫を殺すらしいが、猫なんて殺しても三味線の材料にしかならんと思う。最近だと犬の皮が使われていると何かの本で読んだ気もする。どちらにせよ動物愛護を掲げるならその辺も考慮して徹底的にやって欲しいものだ。中途半端はイカンよねやっぱり。

 それよりも退屈だ。

 この退屈を何とかせねば。

 

「…………ぬがー」

 

 唸ったところで備え付けのテレビから呪いの美少女が飛び出してくる訳もなく、ただただ三十路男の空しい声が木霊するだけ。本当に飛び出して来たら押し込んで即刻お帰り願います。

 織斑先生率いる教師陣に捕縛された私。現在はIS学園地下の特別区画――何故か石像と化した暮桜が保管されているのと同じ階層の一室で、ご覧の通り暇を持て余している真っ最中だった。

 四畳半ほどの広さの、侵入者を一時拘留する部屋――いわゆる独房の類だが、物騒なイメージに反して中々に快適だから余計に困る。空調完備で常に適温だしベッドはフッカフカだし、ドア一枚隔ててシャワーとトイレも完備されている。ちっとばかし手狭なホテルだと説明されても納得してしまいそうな至れり尽くせり具合だ。

 それでも。

 くどいようだが私は退屈なのだ。

 

「せめて雑誌の一冊でも差し入れてくれると嬉しいんですけどね――織斑先生?」

 

 ベッドに身を投げ出したまま声を投げる。

 固く閉ざされた扉の覗き窓から、キッツイ目でこちらを睨んでいた姉上様に向けて。

 

「……気付いていたのか」

「そりゃまあ、そんな目で見られてたら嫌でも」

 

 嘘です。本当はこっちに近付く足音で誰だか分かってました。

 鍵を開けて入って来た織斑先生の両手には、どういう訳か定食を載せたお盆が。

 ……え、何ソレ? アレですか、取調室でのカツ丼の代わりですか? だったら素直にカツ丼が良いんですけど。でも確か頼んだ奴の自腹だったはず――って事は私が払うの?

 

「生憎と財布なんか持ってませんよ?」

「何を言っているんだお前は」

 

 織斑先生は、んっ、とお盆を突き出して、

 

「食べろ。私の奢りだ」

「あ、こりゃどうも」

 

 オネエサマの奢りでした。

 ありがたく受け取ると、白米とみそ汁と焼き鮭の香りが鼻をくすぐる。おいおい、味付け海苔に生卵に沢庵まであるフルコースじゃねーですか。

 

「…………食ったんなら洗いざらい白状しろとかの罠じゃないですよね?」

「抜かせ。そもそも食わせてもお前は白状したりはしないだろう?」

「御名答。じゃあ遠慮なく――いただきます」

 

 まともな日本食など十年以上も食べてない。

 こちとら一応日本国籍の世界的大犯罪者――日本の領空に一歩でも踏み入れようものならすぐに血眼のIS特殊部隊に包囲されたし、あちこち飛び回っていたため食事の大半が味気ないゼリーかクッキーみたいな代物ばかりだった。

 

「……美味い」

 

 どれだけ――どれだけ不味い携帯食料でも、体内のナノマシンが栄養に変えるので何時の間にか慣らされてしまっていたが、やはり本当の食材を使った『料理』は別格だ。

 ああ、箸が止まらない。舌や胃がかつてないほどに歓喜に打ち震えている!

 安っぽい料理漫画みたいな感想だけど仕方ないじゃないか!

 

「よほど空腹だったんだな……」

 

 織斑先生がまた変な勘違いをしているが、まあいい。

 定食を数分で平らげて、私は改めて壁に背を預ける彼女と向き直った。

 

「――それで?」

「それで……とは?」

「ただ食事を持って来てくれただけって事はないでしょう? 問い質したい謎があるからわざわざ貴女はここまで足を運んだ。そう――たとえば私から採取した血液の成分の事とか」

「……そこまで分かっているなら話は早い。地上(うえ)でも同じ質問をしたがもう一度だけ聞く」

 

 織斑先生は壁から背中を離し、威圧感のある腕組み姿勢のまま私に問う。

 

「お前は……一体何者なんだ?」

「………………さて、この場合はどう答えるべきでしょうかね」

 

 はぐらかすのは容易い。正体を告白するのもまた同じく。

 話すにせよ黙るにせよ、時期が重要に思える。

 元の時代に――未来に無事戻れる保証など何処にもない。確率的に考えれば、この時代で一生を終えなければならない可能性だって大いにある。

 そうなった場合に厄介な障害となるのは衆人の目だ。

 ランスローが電波を受信して表示した日付は、この時代の『織斑一夏(わたし)』が受験会場に行きISを起動させてしまう日のちょうど二週間前。すなわち『IS適性のある男性操縦者』はまだこの世に存在しない事になっている。

 こんな状況で無闇に『ISを動かせます』などと説明したらどうなるか。

 かつてのように『一人目』か『二人目』として騒がれるだけなら御の字だが、ランスローの姿を晒したまま学園に侵入した立場にある現状では秘密裏に研究材料にされてもおかしくない。冤罪の追加はこの国の十八番なのだ。

 

「……心配しなくとも、お前がISに乗れる事はまだ学園の外には漏れていない。こちらとしても判断に迷うところでな、ひとまずは上層部の方で情報を堰き止めている状態だ」

「お気遣いどうも」

 

 余計不安になるわ。

 裏で実権を握る轡木さんや人畜無害な山田先生はともかく、教師の連中だって決して一枚岩ではないだろう。抜け駆けして母国に情報を流す輩が必ず現れる。

 ……先手は打てないにしても、それなりに動きやすくなるよう『設定』を考えておくか。

 

「織斑先生」

 

 まずは、この姉に嘘が通じるかどうかだ。

 

「私は……半分ほど人間を辞めているんですよ」




次は姉弟対決の予定です。
アリーナが吹き飛ぶ気がしてならないのは私だけ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

003. 悪人剣 vs 現最強戦乙女

バウンドドックのカッコよさにようやく気付いた今日この頃。


 正式名称『黒灰の反逆者(ガンメタル・トレイター)』――通称ランスロー。

 

 かつて、篠ノ之博士が酔った勢いで基礎理論を構築した唯一の第6世代。そして酔いがさめると同時に飽きてしまい、私が興味を持つまで隅っこで埃を被っていた哀れな末っ子。

 ランスローは基本的には一対多……最低でも一度に五機以上のISを相手にする事を前提とした武装と調整が施されている。

 つまり、モンド・グロッソのように相手とお行儀良くタイマンを張るのではなく、複数のISが稼働しているであろう研究施設や戦闘地域を強襲し、絶望的とも言える状況において確実に勝利をもぎ取るためのカスタマイズがされている訳だ。

 しかし、往々にして速度や馬力のあるマシンは扱い難いもの。

 それは当然ランスローも例外ではなく、じゃじゃ馬じみた気性の荒々しさに人見知りの激しさも相まって、彼女(・・)は私の想像以上にピーキーな性能を持ってこの世界に生まれ出てしまった。白式も決して大人しいとは言えない機体ではあったが、ランスローに比べれば借りてきた猫と同じくらい従順だったように思える。

 さらには乗り手を選ぶ――とでも言えばいいのか、専用武装の特性の問題で常人にはとても扱い切れず、完成した時点ではまだ(・・)人間の範疇にいた私は元より、おそらくはボーデヴィッヒのように遺伝子レベルで強化された人間であっても乗りこなすのは至難の業だったろう。

 まあ、最終的にはナノマシンやら人工筋繊維やら合金骨格やらをツテを頼って入手し、乗っても壊されないように身体を改造して条件クリアしたけど。

 骨組み自体は既に出来上がっていたとは言え、肉付けから何から自分色に染め上げて完成させた愛機に圧し潰されたら笑い話にもならん。

 ってな経緯があって、今の私はなんちゃってターミネーターと化している訳だが――

 

「ふん、中々どうして……思いの外やるじゃないか」

「セリフもニヤッてる顔も完全に悪者のそれですよ、織斑先生?」

 

 ワタクシめと真っ向から切り結んで不敵に笑うバトルジャンキー様。

 この人は本当に人間なのだろうか? 私と同じように未来からやって来た液体金属ロボットだと言われても納得できるぞ? CHIFUYU-1000型とか『千』繋がりでそんな感じの。

 

「また失礼な事を考えているだろう!」

「前言撤回。ロボットじゃなくてエスパーの方がピッタリだ!」

 

 現在、私こと半人外と姉こと規格外は揃って打鉄を纏い、アリーナの一つを非常時の特例という名目で占領――もとい貸し切って、いささか物騒な姉弟のじゃれ合いを繰り広げていた。

 小手先抜き、飛び道具無用の真剣勝負。

 幾度となく刃を合わせ、弾かれるように距離を取り、互いの力を推し量ろうとする。もうこれで何合目かも分からない。

 

「受けるばかりじゃ私には勝てんぞ!?」

「織斑先生のような美人に攻められるなら悪い気もしませんがねぇ。つーか、コレって勝ち負けの問題じゃなかった気がするんですけど」

「口だけは達者なようだな!」

「会話が成り立っているようで成り立ってなーいー」

 

 まったく無理をさせる。こっちゃ四捨五入すると四十歳の仲間入りだってのに。

 上段からの強烈な一撃を、頭上に構えたブレードに滑らせて軌道を逸らす。返す刀で柄頭を突き出してカウンターを見舞うが、その程度で仕留められるような相手なら苦労はしない。織斑先生は回避行動を取る素振りを見せるどころか、シールドエネルギーを削りつつ勢いに任せて体当たりをかましてきやがった。わあ良い匂い。

 

「だわったったったっ!?」

「まさか私の動きを先読みするとはな。ふふ……今のは少し面白かったぞ?」

「私ゃちっとも面白くないですよ……」

 

 ちょっとくらい冷静になるかと思って反撃してみたものの、どうやら血を嗅ぎつけた鮫のように好戦的になっちゃったらしい。目の色も変わってるし、当初の目的を絶対忘れてるよこの姉。

 そもそもこの模擬戦闘の主眼は、私を単独で無力化できるかどうかの確認にある。

 身元も経歴も所属国も不明の、でもどう見ても日本人の男性IS操縦者(笑)。

 速やかに情報を共有した後に各国で協議して処遇を決めるのが本来の外交だが、やはりと言うか何と言うか、耳聡く聞きつけた日本政府は独断で私の存在を秘匿する事を選んだ。まあ、UFOを鹵獲したようなものなのだから、有益な情報を得るまで隠したくなるのも無理はない。アメリカのエリア51と同じと思えばいい。

 とにかく、私は暫定的にいない子扱いされて。

 同時に、とある問題も浮上した。

 それが私と織斑先生が戦っている理由なのだった。

 

『あ、あの、織斑先生っ!』

 

 スピーカーからモニター室にいる山田先生の声が響く。

 

「山田先生か……何の用だ!?」

『ひっ!?』

 

 同僚を恫喝すんなよ……。

 

『え、えと、そろそろ時間一杯なのでその、織斑先生がいれば大丈夫だ(・・・・・・・・・・・・)と政府の方々にも分かってもらえたと思いますし、それくらいにしておいた方が……』

「……チッ。これからが良い所だと言うのに……」

 

 地面スレスレにホバリングさせて離れる織斑先生。そして距離にすれば十メートルほどの位置で停止し、私に向けて正眼の構えを取った。

 十メートル。

 ISならば一瞬で詰められる間合い。

 

「ひとまず今日はこれで仕舞いにしてやる。だから――お前も最後くらいは本気で来い」

「何だ……バレてたんですか」

「私の太刀筋に呼吸も乱さず合わせておいてどの口が言う。少なくとも、私とここまで渡り合えた人間はモンド・グロッソにもいなかった。不謹慎な話だが、久しぶりに本気で戦える事が楽しくて楽しくて仕方がないんだ」

 

 剣を握る者の宿命とでも言いたいのか。

 未来でも姉上様は、私が捨てた雪片弐型一振りのみで私と相対した。しかも白式のコアが手中にありながら零落白夜を使わず、あくまで純粋な剣技だけで私を敗北寸前まで追い込んだ。

 世界最強の名に恥じない力。

 心が躍らなかった――と言えば間違いなく嘘になる。

 ガキの頃から憧れ続けた強さの片鱗に、余計な邪魔も煩わしい思想もなく、こうして真正面から挑む事ができるのだから。

 同じ打鉄、同じ刀。

 性能が同じならば、条件が対等ならば、勝敗を分けるのは地力と経験。

 衆人の監視がある中、あまり手の内をさらす訳にはいかないと自重していたが、どれだけの時を刻もうとも、やはりこの人は私の姉で、私はこの人の弟に過ぎないと実感させられる。

 本当に、どうしようもない。

 自分でもどうしようもないと思えるほどに、私も剣に命を預けて生きてきたのだ。

 

「では一振りだけ、この一撃だけは……本気で」

 

 改めて、ブレードの柄を両手で握り締める。

 相手の目に剣先を向ける――正眼の構え。

 私の意図を読み取った姉さんは、心底愉快そうに笑みを深めて、

 

「同じ構え、同じ技で決着をつけるつもりか」

「どうせならその方が面白いでしょう?」

 

 私も笑った。

 この下らなくも何物にも代え難いお遊びが始まってから、初めて笑った。

 全身が研ぎ澄まされていくような、ヤスリでも掛けられているような感覚。

 日本、イギリス、中国、フランス、ドイツ、ロシア――各国の代表、指折りの強者達をまとめて相手にした時でさえ、面倒だという感情はあっても愉悦に浸る事などなかった。

 戦いが楽しいと思わせてくれるのは、世界広しと言えども織斑千冬ただ一人。

 

「――征くぞ」

「――応」

 

 ほとんど同時に、私と姉上様は地面ごと抉る勢いで大気を蹴った。

 打鉄の脚部装甲がギシ、ミシ、と悲痛な叫びを上げる。PICにより自在に宙を舞い、基本的に『何かを強く踏み締める』という動作を必要としないISにとって、人の域を外れた私達の動きは耐久力の限界を超える理不尽な命令であったらしい。

 勝負は一瞬。

 相手の右肩から左わき腹へ抜ける袈裟切り。

 技の初速、威力は同等。

 さながら鏡写しのように刀身が交わり――

 

「「――っ!?」」

 

 ――砕けた。

 私のブレードも、織斑先生のブレードも、柄の部分を残して木っ端微塵に砕け散ったのだ。

 刃の破片が降りしきる中、荒く息を吐きながら呆然と立つ。

 想定外の負荷を受けた打鉄が強制的に解除され、耳が痛くなるほどの静けさと奇妙な心地良さを身の内に感じつつ、私達はただただ立ち尽くすしかなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

004. 『彼女』

ランスローのイメージ案。

その1 『Fate/zero』のバーサーカー。

その2 『D.Gray-man』のレベル3AKUMA、エシ。

その3 『ワイルドアームズ セカンドイグニッション』のナイトブレイザー。

どちらしてもダークヒーローっぽい外見で。


 ……ついにこの日が来た。来てしまった。

 何がと問われれば、世間知らずで坊ちゃんだった織斑一夏(わたし)が迂闊にもISを起動しちゃった日と説明する他ないのだけれど――いざこうして事態を客観視する立場にあると、自分(・・)を殴り飛ばして足止めするなり受験会場を強襲するなりして歴史を改変できるのではと思えてならない。

 まあ、仮に本気で再起不能にしたとして、裏で手ぐすね引いて待ち構えているのは自分天動説がデフォルトのあの天災だ――そう何もかも私に都合の良い展開になったりはしないだろう。彼女の思考の十手先、二十手先まで読み切ってようやく万全な対策と言えるのではなかろうか。

 ……うん。

 本音をぶっちゃけるとね、この年で二十代のお嬢さん(・・・・)に頭脳戦で張り合って出し抜くなんて正直シンドい。つかメンドクサイ。パラシュート、僕もう疲れたっちゃ。まだ何もやってねーけど。

 それに――どんな形になるにせよ、それこそ受験会場に向かっているであろう昔の私自身の息の根を止めない限り、否が応でもISに関わってしまうのは目に見えている。流石に『自殺行為』は最終手段だし、だったらもう関わるだけ関わらせて、謎のイケメン(←ここ重要)オジサンとして要所要所で口を挟んだ方が簡単な気がする。

 人事を尽くして天命を待つ。

 後は野となれ山となれ。

 行き当たりばったりと言うならその通り。でも作戦名だけはちゃんと考えました。

 名付けて『素晴らしい未来のため適当に頑張ってみよう』作戦。

 そう、今まさに。

 皆が平穏に暮らせる世界のため、たった一人の壮大な計画が始動したのだった。ジャジャーン。

 ………………はい、現実逃避おーしまいっと。

 

「いいかね、難しく考える必要はない。名前も国籍も不明だがキミは明らかに日本人だ。私も今を生きる現代人だし『お国のため』なんて時代錯誤な古臭い事は言わない。純粋に日本のIS技術の発展のため、引いては全世界のこれからのために、ISを起動できるキミの秘密と所持する機体の情報が知りたいだけなんだ」

「…………ふーん?」

 

 よくもまあ。

 よくもまあ平然と嘘を吐けるもんだ。私も他人の事は言えないけど。

 場所は学園地下の特別区画、普段はISの稼働実験などに使用されるシミュレーションルーム。

 そこで私は、日本政府の高官と名乗る初老の男に嘘塗れの説得をされている最中だった。

 

「仰っている事は良く分かりました」

「おお、だったら――」

「ですが、おそらく何をしても無駄でしょう。私も何故ISに乗れるのか不思議で細胞の一つまで調べ尽くしましたし、ランスローに関しても私専用にチューンナップしてますから代表操縦者でも上手く扱い切れるかどうか。乗りこなすどころか、まともに立てるかどうかも怪しいですね」

 

 高い地位にいる人間ほど反論されると子どものように憤慨するものだが、どうやら身なりだけは一級品なこの男もそれは同じであるらしい。

 IS学園に侵入を果たした低劣な犯罪者――そんなレッテル付きの私に断られたのがよほど腹に据えかねたのか、今までの宥めすかすような口調は何処へやら、自称お偉いさんはエテ公のごとく顔を赤らめて椅子から立ち上がった。

 甘いですなぁ。

 この程度の腹芸もできないようじゃ議員生活は長続きしませんぜ?

 

「図に乗るなよ犯罪者の若造風情が! 貴様の意見など誰も聞いていない! お前は私の言う事に黙って従っていればいいんだ! 俺の権力(ちから)があれば実験動物(モルモット)としてケージに死ぬまでぶち込む事もできるんだぞ!? それが嫌ならISとデータを早く渡せ!!」

「おやおやそれは恐ろしい」

 

 何とも、典型的な三流の小悪党だ。

 結局、二十年後も『織斑一夏』以外にISを動かせる男は現れなかった。それを知っているから研究しても意味がないと遠回しに教えてあげているのに。未来人は辛いですなぁ。

 さーて、どうするか。

 猿オヤジの後ろに控える現日本代表らしき女もプライドが刺激されているようだし、少し離れて静観してた織斑先生も別の理由で機嫌が悪くなってきてるし、自分が怒られている訳でもないのに山田先生が今にも泣きそうだし、ついでに私の死角で頑張って気配を隠しているつもりの更識家の当主もワクワクしてるし。

 ああもうホント面倒臭い。

 暇潰しに丁度いいとも思ったが、さっさと見せて(・・・)終わらせた方がいいかも知れない。

 

「……どうぞ」

 

 胸ポケットの万年筆を気の強そうな代表の女に差し出す。

 何を隠そう、このちょっと高そうな万年筆こそランスローの待機状態なのである。白式と同様のガントレット型だと『男だけどIS持ってます=はーい、ワタシが織斑一夏ですよ』と宣伝するに等しいので、常に身に着けていても不思議ではない筆記用具の形状に設定したのだ。

 だってホラ、私あちこちでテロっちゃってる国際的お尋ね者だもの。

 

「ふん。男のクセに、最初から素直に渡せばいいのよ」

 

 代表女は引ったくるように私からランスローを受け取ると、そのまま部屋の奥――強化ガラスの壁を隔てて様々な機器が鎮座する空間の中央に移動した。

 しかしこの女、弱いな。姉御の後釜にしては顔も技術も身体能力もあまりに劣る。比べる基準が間違っている気がしないでもないが、まあいいや。所詮は今日退場するモブだ。

 室内にいる全員が注視する中、女は自信満々にランスローを展開する。

 西洋甲冑をモチーフにした黒灰色の全身装甲(フルスキン)タイプ。腰部内蔵型のスラスターからエネルギーが溢れ、足首まで覆い隠す青白い腰布を形成している。さらに言うなら両手の平と両足の裏に名前の由来となる機能が組み込まれているのだが、説明はその内って事で。

 

「ほう――」

「これが……」

「ええ、彼女が黒灰の反逆者(ガンメタル・トレイター)――名前が長いんで私は『ランスロー』と呼んでますが。織斑先生は前に一度見てますよね?」

「…………ああ」

 

 お姉ちゃんは柳眉をひそめて『オマエ何企んでやがる』みたいな顔をしてる。相も変わらず勘が鋭くていらっしゃるコト。その予想は外れてませんよ?

 それにしても、私以外の人間に触られてあんなに嫌がる(・・・)ランスローを見るのは久しぶりだ。

 そして、これから起きる惨劇を見るのも。

 あーあ、あーあ。

 ご愁傷様、名も知らぬ高慢ちき。

 

「不具合はあるかね?」

『いえ、今のところ特には――ぐっ!?』

 

 言ったそばから女はランスローを装着したまま唐突に崩れ落ちた。

 その様子はさながら見えない何かに圧し潰されたカエルだ。

 必死に身体を持ち上げようとするも、重圧に負けて踏ん張りは意味を成さず、四肢は伸び切ってガラス越しでも分かるほどの軋みを上げる。

 ふむ……完全に折れるまで十五秒くらいか。

 

『ぎっ……あ、が……っ』

「どうした!? 一体何が起こっている!?」

「だから言ったでしょう? まともに立てるかどうかも怪しいって」

 

 山田先生や他の面々は私以外に説明不可能な事態に慌てふためくが、姉上様も更識姉も具体的な行動に移ろうとはしない。丸腰の私を拘束しようと思えばできるはずなのに。

 そりゃそうだ。

 言われた通りISを渡しただけで、私は何もしてはいないのだから。

 権力男のSPと白衣を着た研究員達が女を助けようと駆け寄るも、原因が分からないため迂闊に触れずにいる。賢明な判断だ。馬鹿正直に手を伸ばそうものなら腕ごと圧し折られていた。

 

「おい貴様、今すぐアレを止めろ!!」

「さぁてさて、そいつぁ無理な相談ってなモンですよ。ランスローを起動させたのは私じゃなくてあちらのお嬢さんですし、個人差はありますが一度癇癪を起こすと『彼女』の気が済むまでずっとあのままですから。けどそうですね、今回はまだ軽めな方なんで……アバラの五、六本と手足でもへし折れば大人しくなるんじゃないですか?」

 

 私の胸倉を掴み上げた男を含め、全員が絶句する。

 まあ、ISを道具としか見ていない連中からすれば理解不能な話か。

 いやいやいや更識姉、わざわざ扇子広げて『驚き桃の木!?』とかいいから。私も賭けに勝って一本もらったけどさ、何処に売ってんのよソレ。

 

『あがっ……ぃ、いや、助け……』

 

 はいそれではご一緒に。

 さーん。

 にーい。

 いーち…………ボキッとな。

 

『――――――――っっ!!!』

 

 全身の骨を砕かれ、もはや声にもならない叫びを上げて女の意識は刈り取られた。

 同時にランスローも光の粒と化して待機状態の万年筆に戻る。後に残ったのは、複雑骨折による内臓損傷で瀕死の日本代表操縦者のみ。

 男は魂を失ったかのように顔面蒼白だった。

 大方、手柄の独占で権力を維持しようと代表操縦者まで連れて来たのだろうが、その頼みの綱が復帰さえ危ぶまれる大怪我を負ってしまった。日本政府やIS委員会の承認を得ていない事は男の狼狽え振りから手に取るように分かるし、手前の首を手前で絞めたのは明らかだ。

 それでも、どうにかして責任を私に押し付けようとするも、

 

「きさっ、貴様っ、こんな事をしでかしてただで済むと――」

「おや、私が何かしましたか?」

「なっ――!?」

「私が今、何かしましたか? 証拠はありますか? 貴方はそれを見ていたんですか? この場で証明できるのですか? ランスローを渡せと脅迫紛いの命令をしたのは誰ですか? それを彼女に使わせたのは誰ですか?」

「……っ、……っ!」

「私はちっとも悪くない」

 

 悪い組織用の営業スマイルで言ってやると、男は今度こそ、その場に力なくへたり込んだ。

 怯えたような周囲の視線を無視し、放置されていたランスローを拾い上げる。手中でブルブルと微弱に震えて非難する相棒も、胸ポケットに入れるとすぐに落ち着きを取り戻した。

 これでいつも通り。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ああそうだ、忘れてた。

 おめでとう織斑一夏(わたし)

 クソ素晴らしき非日常へようこそ。

 せいぜい私みたいにならないよう頑張りたまえ。




ブラックサマー降臨。
そして次からいよいよ原作開始だじぇ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

005. ジョン・スミス、あるいは田中太郎

基本ふざけるアダルトワンサマー。


 春の日差しが柔らかく差し込む廊下を、麗しの姉上様と並んで歩く。

 二、三年生のクラスがあるフロアはさほどでもなかったが、ついさっき入学式を終えたばかりのヒヨコちゃんが押し込められたこの辺は何と言うか……フワフワと浮ついて落ち着きのない気配が廊下にまで漂っている。いやはや若いっていいねぇ。オッチャン羨ましいよ?

 織斑先生もこの若さの毒気に当てられたのか、眉間にシワを寄せて不機嫌そうに言う。

 

「まったくこの忙しい時期に、委員会の連中もとんだ面倒事を押し付けてくれたものだ」

「本当ですねぇ。ただでさえ世間は何処かの少年のおかげでてんやわんやだと言うのに」

 

 殺人出席簿が裏拳のように喉元めがけて襲って来た。ブリッジして避けた。わさわさ。

 

「――チッ。自覚がないのかお前は」

「はっはっはっは。昔の友人にも『お前って殴りたくなるくらいニブチンだよな』とよく言われた実績があるもので。ってか容赦なく急所を狙っておいて舌打ちはないでしょ」

「お前なら五分もすれば平然としてるだろう?」

 

 失礼な。二分あれば全快だっての。

 ともあれ、面倒事と言うなら確かにオネエサマの仰る通りだ。本来ならば政府直下の隔離施設で厳重に監視されていても不思議じゃない私が、事もあろうに貴重な研究データと各国代表候補生がわんさか存在するIS学園をブリッジ体勢のまま移動しているのだから。わさわさわさ。

 

「ふんっ!」

「げはぁっ!?」

 

 某格闘少年のように黒光りなゴッキー先生の動きを真似ていたら、パンプスの踵で腹を思い切り踏みつけられた。手足の踏ん張りが効かなくなってベチャリと圧し潰され、冷え切った関係の床と熱烈なキスをかます私の後頭部。そしてちらりと見えた下着は黒だった。おっとなー。

 

「ふ、ふふふ、努々油断しない事だな。私を倒しても第二第三の私が……いたらどーしよ」

「知るか。そうなったら徹底的に踏み潰してやるまでだ」

「パピヨンマスクのボンデージスタイルで蝋燭とムチ持ってですか――御免なさいスミマセンもう言いませんですハイ。だから踏みつけ秒読みは止めてください」

 

 ストッキングに包まれたパンツがまた見えちゃってますよー。

 とか何とかスキンシップしてる内に、目的の教室に着いてしまった。

 雰囲気とは裏腹に奇妙な緊張感が漏れる一年一組のドアの前で、織斑先生は私に指を突きつけ、

 

「いいか良く聞け。監視が必要な以上お前が私の目の届く範囲にいるのは仕方ないが、くれぐれも余計な真似はするなよ。もう一度言う。く・れ・ぐ・れ・も――私の手を煩わせるようなふざけた真似はするな。分かったな? 分かったら牛のように反芻しろ」

了解(ヤー)

 

 モチロン重々承知しておりますとも教官殿。

 

「それはもしかしなくてもフリ(・・)ですね? 『押すなよ絶対押すなよ』ってヤツ。そこまで言われて何もしなきゃボケ紳士の名が廃るってぇモンです。ようござんしょ、夢と希望に満ち溢れた少女達その他一名の輝かしい未来のためにこのワタクシ、誠心誠意ボケ倒して――」

「死に晒せ」

「モ゙ッ!?」

 

 綺麗なお御足で見事な延髄蹴り。三度パンツ。本日はパンツデー也(姉限定)。

 

「軽いジョークなのに……」

「身も心も軽くしてやろうか? ああ?」

「魂だけにされちゃうのはノーですなぁ」

「とにかく、私が呼ぶまでここで静かにしていろ。……逃げるなよ?」

「ご心配なく。コレ(・・)があるんですから逃げたりしませんよ」

 

 左腕に嵌められたリングを見せて笑う。

 政府経由で私用に送られてきた身分証明証なのだが、実はこれ、とある国家の凶悪犯収容所でも採用されている発信機付きの小型爆弾だったりする。

 国際IS委員会と学園長の許可なく学園の敷地から出たら、警告音が鳴り響いて――ボンッ!

 対となるもう片方のリングから一定距離以上離れても、これまた連動して二つとも――ボンッ!

 たかが手首、吹き飛ばされたところでどうともないが、唯一にして最大の問題は、対のリングが織斑先生の手首に嵌っちゃっている事でして。

 

「にしても、わざわざ織斑先生が着けなくても良かったでしょうに」

「お前と互角に渡り合えるのは私だけ。ならば他の誰でもなく、私の身を犠牲にするのが筋だ」

「……確かに効果は抜群ですけどね」

 

 流石にこっちの身勝手で姉上の手を台無しにする訳にもいかない。ある意味で最高の人質だ。

 ゴキメキバキッと首の据わりを確かめる私を廊下に残し、織斑先生は教室の中に消えた。

 

『――自己紹介くらいまともにできんのかお前は』

 

 すぐに出席簿の殴打の音が聞こえてくる。

 

『げぇっ、鮭とば!?』

『誰が東北地方の珍味か! それを言うなら赤兎馬だ! そして誰が馬だ!!』

『いや馬って言ったの千冬姉じゃん!?』

『織斑先生と呼べぃ!!』

『理不尽っ!?』

 

 でもって再び打撃音。脳細胞一万個死亡。

 うーむ……ここぞとばかりにストレス発散してらっしゃいますねぇ姉上様も。原因を作ったのが私ならぶっ叩かれているのも過去の私なので何とも微妙な気分ではあるが。

 ……さてと。

 鬼の目もなくなったし、私もそろそろ準備しようかな――遺書とかの。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

『私の仕事はまだ卵の殻も取れていない諸君らにISの知識と技術を叩き込み、一年間で最低限の使い物に鍛え上げる事だ。命令は絶対服従、口答えも許さん。全てに「はい」か「イエス」だけで答えろ。いいな?』

 

 何処の軍曹ですかアナタは。気のせいか内容も私の記憶より過激になっているような……。

 アメリカ海兵隊もびっくりな演説に対し、しかし存外肝の据わっている1年1組の連中――私の元クラスメイトのお嬢さん方は、

 

『きゃー! 本物よ、本物の千冬様よ!』

『私、貴女に会うためだけに入学しました!』

『写真やテレビで見るより凛としててステキですぅ!』

「でも私生活は驚くほどだらしないですよー」

 

 衣装のせいで聞き取り辛くなるかと思ったけれど、織斑先生に恋(?)する乙女達の嬌声は私の想像以上であり、くぐもってこそいるが教室内の様子を知るには十分な声量だった。それどころか両隣のクラスから苦情が来そうなくらい喧しい。

 昔の私はよく我慢できるな、つーかできたな。

 やっぱアレか、私が失ってしまった若さかチクセウ。

 

『……よくもまあ、毎年これだけの馬鹿者が集まるものだな。愚弟にしろあの馬鹿にしろ、今年は特にクセが強くて厄介そうだ』

「クセが強いのは貴女も同じでしょうに」

 

 ところでワタクシ、今現在ドアにへばりついてコッソリ傍聴している最中でございます。警察を呼びたければ呼ぶがいい。すぐ逃げるから……ってあら? 足音がだんだんとこっちに――

 

「聞こえているぞ馬鹿者!!」

「おごっ!?」

 

 蹴りでドアぶっ壊しやがったよこの人! 姉さんだから仕方ない? それもそうか。

 

「お前は私を苛立たせる天才か? 静かにしていろと言ったよなぁ? 誰の私生活がだらしなくてクセが強いってぇ?」

「ぐへっ、はがっ、ごめんなさっ!?」

 

 倒れたドアと床に挟まれてプレス、プレス、プレス。

 ああ、せっかく新調した白衣が早くも埃だらけ。

 

「ストップ、ストーップ千冬姉! 死んじゃう、誰だか知らないけどそれ以上踏んだら中身が出てその人死んじゃうから! それに千冬姉がだらしないのは俺も否定できないから!」

「織斑先生と呼べと言っているだろうが一夏、いや織斑!! 今この場でコイツの息の根を止めておかないと私の調子が朝から晩まで狂わされてしまうんだぁ!!」

「既に狂わされてるよ!?」

「フッ……心配するな少年(・・)。こんな時のためにちゃんと遺書は残しているのさ」

 

 もうクッシャクシャだけどほら――『遣書』。

 

「字ぃ間違ってますよ!?」

 

 だぁれか助けてー。山田先生でも良いから助けてー。無理だろうけど。

 

「……同じ名字だし、やっぱり織斑くんと千冬様って姉弟なのかな?」

「それより、興奮してるお姉様もカッコイイわねー」

「カッコイイって言うより顔が赤くて……エロい?」

「私もあんな風に踏んでほしいなぁ……」

「「キミ達しっかりして!?」」

 

 あ、自分とハモった。中々ない経験である。

 とにもかくにも、やーれやれっと。

 

「いやー助かったよ少年。危うく煎餅みたいになるトコだった」

「はぁ……どう致しまして。ほら千冬姉、どうどう」

「フーッ、フーッ、フーッ…………織斑先生と呼べ」

「あ、そこだけはツッコむんだ……」

 

 どうでもいいけどカルシウム摂ろうね織斑先生。

 さてさて壇上に立ちまして。

 

「えー、突然出て来てワケワカラン人もいるでしょうけど、まあとりあえず初めまして。皆さんと違って生徒じゃないので授業に参加はしませんが見学者です。名前はジョン・スミスでも田中太郎でもハンス・シュミットでも好きに呼んでください。ちなみにスリーサイズはバストもウエストもヒップも129.3cm、ジャンプ力は129.3cm、力は129.3馬力でネズミから逃げる速さは時速129.3kmです。ドゾよろしく」

『……………………』

 

 おや、少年も山田先生もみーんな私の顔を――私の丸い被り物を見てポカンとしてる。

 

『…………ドラ○もんだーっ!!』

「失礼な。ベアッ○イⅢです」

 

 確かに未来から来た半分ロボットみたいなものだけどさ。

 そして私は大山○ぶ代派です。




さーて次回からオルコッ党のターン。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

006. 突っ走る猿

 やあみんな、ボク織斑一夏だよ。ハハッ(裏声)。

 ……止めよう、夢の国から刺客が来てしまう。

 

 では気を取り直して。

 

 過去に経験した物事を別視点から改めてもう一度傍観するという行為は、アルバムを見て記憶を整理するのに似ている。

 最初こそイレギュラーな事態が(主にワタクシのせいで)発生したものの、残念ながらその後は特筆したくなるような事は起きなかった。

 少年が『ボクはバカです』発言をかまして山田先生の教師根性を圧し折ったり、ISの参考書を古い電話帳と間違えて捨ててしまったり、それが原因で鬼教官こと姉上に一週間以内の詰め込みを強制させられたり、休み時間にオルコット嬢が喧嘩を買いに来たり。

 まあ概ね、私の記憶通りの筋道を辿った。

 再会した篠ノ之との一幕も野次馬に混じって見学してみたのだが――昔の私がどうしようもなく救いようのない阿呆である事が分かって良かったのやら悪かったのやら。

 

 敢えて言おう――何やってんだ一夏(テメェ)

 あんだけモッピーに好意を向けられているのに何故気付かんかねまったく!

 お前もだ篠ノ之! 

 照れ隠しの肉体言語の前にまずはっきり『好きだ』と言ってしまえ!

 

 体育倉庫とか保健室とか空き教室とかに二人まとめて閉じ込めて、大人の階段を強制三段飛ばしさせてやろうかと考えた私は悪くないと思う。普通に売ってるアロマも私の調合次第で効果抜群になるんだからな!? どの部分にどう効果抜群かは言わないけど! 試しに街頭で無料配布したら強力過ぎてケミカルテロ扱いされたけど!

 

 閑話休題。

 

 少年の朴念仁具合はさておき、当然と言えば当然、篠ノ之やオルコット嬢の他にも見知った顔がいるので懐かしさを感じずにはいられない。

 その代表格が我が人生でも一、二を争う癒しマスコット――のほほんさん。

 少女な彼女からすれば私とは『再会』ではなく『初対面』となる訳だが、とにかく実に有意義で貴重な時間を過ごせた。

 会話の一部を抜粋するとこんな感じ。

 

『ねーねー先生、そのクマって自分で作ったのー?』

『先生じゃねぇんだけども――そう、夜も寝ないで昼寝して作った私の力作なのっさ! 見よこの計算し尽くされた曲線を! 愛らしさを追求した瞳を!』

『おおー、匠の技だね!』

『フフフフ、私の事は着ぐるみ界のクリーパーと呼んでくれたまえ。しかしそう言うキミも中々のコスプレイヤー、否、着ぐるみをこよなく愛する強者――キグルミストとお見受けする! ならばお近づきの印にコレを進呈しようではないか!』

『にゃんと……こ、これはぁ!?』

『如何にも、私とお揃いのベアッ○イⅢヘッド――しかもキミの身長に合わせてサイズを縮小した特別版だ。何処に持っていたかだって? 愚問だねぇ、ISの拡張領域に収納していたに決まっているじゃないか。そんな事より是非被ってみてくれたまえ! 今日からキミもベアッ○イ!』

『わぁい♪』

 

 勿論、着ぐるみ大好きのほほんさんは快く被ってくれた。

 教室の後ろで『イエーイ!』と仲良くハイタッチする二匹の黄色い熊さんもどき。記念写真まで撮った私が言うのも何だけどアレだ、ものすごくシュールな光景だった。

 でもって現在。

 休み時間も終わり、三時間目の授業が始まった。

 そう――私の事実上の初戦、オルコット嬢との試合が決定された場面である。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「待ってください! 納得がいきませんわ!」

 

 場の空気が読めず、言動も高飛車ではあるものの、むしろ、断るに断れない渦中に放り込まれた少年にとって――過去の私にとって、周囲の流れに臆する事なく反対の意を示したオルコット嬢はとても心が強く、有り難い存在だったのではなかろうか。

 教室の後ろで静観しているとそれがよく分かる。

 授業を開始する前にクラス代表を決めなければなと織斑先生が言い出し、クラスメイトの誰かが少年を推薦。呆気に取られる少年を尻目に賛成票は集まり続け、ほとんど満場一致で誰も待ったを掛けられない状況が出来上がる。

 たかがクラス長、されどクラス長。

 一般校で学級委員の仕事を押し付け合うのとは訳が違う。

 極東の猿だとか後進的な国だとか、居丈高に放った言葉が侮辱に近かったとしても、操縦技能の優劣でクラス代表を決めようとするオルコット嬢の主張そのものは実に正論だ。

 ISを動かせるだけ(・・)の少年を代表に推す――それがどれだけ大穴狙いの博打になるか、好奇心や物珍しさに惑わされず冷静に考えれば分かるだろうに。

 後々に控えているクラス対抗戦で優勝を――と言うか学食デザートの半年フリーパスを目の色を変えてまで狙うのなら、IS稼働時間が頭一つ抜きん出ている専用機持ちを座に据えた方が勝率も上がるはず。この時はまだ織斑一夏(わたし)は天災謹製の白式を与えられておらず、稼働時間が十時間にも満たない訓練機で戦う可能性だってあったのだから尚更。

 なのでワタクシ個人的に、心の中でオルコット嬢をめっさ応援しております。

 

「イギリスだって自慢できるような食文化じゃないだろ。メシマズ世界ランキング何年覇者だよ」

「何ですってぇ!?」

 

 ……おーい。

 せっかく代表にならずに済みそうなんだから煽りなさんな。最近はメシマズ風潮を払拭しようと頑張ってる料理人も多いって聞くぞ? 挑発耐性の低さに我ながら呆れてしまう。

 何にしても、これで試合から逃れられなくなった。

 オルコット嬢も顔を真っ赤にして決闘だ決闘だと叫んじゃってるし。もうキミら隅っこで仲良くデュエルでもやってなさい。デッキ貸してあげるから。

 

「……どうやら話もまとまったようだな。日時は一週間後の放課後、場所は第三アリーナ。試合に備えて織斑とオルコットは体調を万全にしておくように。それと――オイ、そこの猿!」

「ウキ?」

 

 猿?

 はて誰の事?

 織斑先生がビシィッ、とこちらを指差し、それに合わせて少年や篠ノ之、オルコット嬢を含めた全員が振り返る。私も倣って後ろを確認してみたが、見えるのは壁ばかり。

 

「…………?」

「ええい、お前以外に誰がいる馬鹿者! 使い古された往年のボケをかますな! 大体何時の間に着替えたんだ!? と言うかその無駄に派手な猿の被り物は何だ!?」

「何って……ピ○キー・モ○キーですよ? 日本生まれの桃色お猿さん」

「知らんわ! 大人しく見学もできないのかお前は!」

 

 見学してたじゃないですか。

 ほら、ちゃんと自分で椅子まで用意して授業聞く気満々。

 

「革張りの椅子に足組んでふんぞり返って座る見学者がいるか! 何処から持ってきた!?」

「学園長室から」

「すぐ返してこい!」

「はいはい……」

 

 キュルキュル、とキャスターを鳴らしながら革椅子(マシン)を引いて廊下に出る。その際、物欲しそうに目を輝かせていたのほほんさんにミニモンキーヘッドを贈呈するのも忘れない。

 ふむ、ストレートありヘアピンカーブあり階段ありのテクニカルコース。ゴールまで直線距離に直して二百メートルほどか。相手にとって不足はない。

 後ろから押して加速させ、十分に勢いがついたところで立ち膝体勢で乗り込む!

 流れていく廊下の景色! 

 迫り来る最初のコーナー!

 体重移動によりタイヤを滑らせて、減速せずに稲妻の如く曲がり――切る!

 

「サンダードリフトでげす!!」

 

 今時の子は知らねーよなコレ。

 

『いや確かにサルだけどさ!?』

 

 うわ。

 いたわ、いっぱい。キミら年いくつよ?

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 大破した椅子を学園長室に放置して戻る途中、ふと何気なく窓の外へ視線を移すと、麦藁帽子を被って植え込みの手入れを行っている壮年の背中が見えた。

 人工島に建つIS学園。施設も敷地も広大なため用務員も相応の数が雇われているが、あれだけ落ち着きのある雰囲気を持つ男性用務員と言えば一人しか思い浮かばない。

 実務関係を取り仕切る裏の顔役、『学園内の良心』と誉れ高い轡木十蔵氏だ。

 おーやおや、オモシロそうな人みーっけ。

 

「どうもまいどー」

 

 窓から飛び降りて歩み寄ると、轡木さんは手を止めて私を視界に収めた。桃色モンキーヘッドの白衣スタイルを見ても眉一つ動かさないのは流石である。伊達に年食ってねぇな。

 

「おや、貴方でしたか。織斑先生に付き添ってなくて良いんですか?」

「その織斑先生にさっさと椅子を片付けてきやがれと怒られちまいまして、今ちょうど学園長室に片してきたところなんス。そーゆー轡木さんこそ本業(・・)ほっといて大丈夫なんで?」

「普段は妻に任せてますし、時には息抜きも必要なんですよ」

 

 言いつつ、轡木さんは剪定鋏でパチンパチンと余分な枝を切り落としていく。

 

「キリンとかゾウとかの形に切り揃えてもファンシーで面白いと思うんですが、前に一度作ったら織斑先生や他の先生方に『幼稚園にでもする気ですか!?』と叱られてしまいまして」

「そらまあ、確かに子どもっぽく見えちゃうでしょうね。幼稚園じゃなきゃ遊園地だ」

「織斑先生……怖いですよねぇ。――おや?」

 

 轡木さんの作業服の胸ポケットで携帯が鳴った。

 表示画面を見て、噂をすれば、と日焼けした柔和な顔に苦笑が浮かぶ。

 

「はい――もしもし。…………ええ、彼なら隣にいますよ? 代わりましょうか?」

 

 差し出された携帯を受け取るべきか、それとも脱兎の如く逃げ去るべきか判断に迷う。もっとも電話に出なきゃ出ないで、待ち構えているのは私が鮮血の海に沈む未来だけだろうが。具体的には今日の夕方くらいに。

 被り物の中に携帯を腕ごと突っ込み、姉上の怒り心頭なお声を拝聴する。

 

「もしもし猿です。座右の銘は『清廉潔白』でげす」

『嘘をつけ』

「じゃ『北京原人』でいいや」

『漢字四文字なら何でもいいのかお前は!?』

「なら……『織斑千冬』とか?」

『よぉし分かった抹殺してやるから其処を動くな!!』

「電話口で怒鳴るのはマナー違反ですよ? とりあえず深呼吸しましょう」

『誰のせいだ誰の!』

 

 電話の向こうで荒ぶるお姉様。ゴミ箱に八つ当たりでもしているのか、プラスチック製の何かを蹴る音と山田先生の慌てふためく声も聞こえてくる。桃色エテ公ヘッドから二人分の声って傍から見たら二重人格か腹話術っぽくね? どうでもいいけど。

 数秒の沈黙の後、

 

『あ――あああのののもしもしお電話代わりました!?』

「どうもジョン・酢味噌です。好きな言葉は『山田真耶』です」

『ふえええええええぇぇぇぇっ!?』

 

 受話器片手に大パニック。

 うぁははは、ああ話が進まない。

 

『ジョンさん好きってあの、もももしかして私の事がですか――って、今はそれどころじゃなくてですね、あの良いですか、おお落ち着いて聞いてくださいね!?」

 

 まずは山田先生が落ち着くべきでは?

 

『つい今しがた委員会の方から緊急の通達がありまして――』

 

 委員会の方から、の時点で私のイヤな予感が天元突破した。

 

『ジョンさんとオルコットさんとの試合の日程が一週間後に決まりました!』

「………………はい?」

 

 私とオルコット嬢の試合?

 なして?

 そして誰がジョンさんやねん。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

007. Untouchable ― 逆鱗 ―

ザ・怒らせちゃいけない姉弟。


 少年とオルコット嬢の模擬戦――そして私の模擬戦も決まった翌日。

 昼休みも終わり閑散とした学食にて。

 生徒がまず現れず人目につく事がないその空白の時間帯を狙って、久々に被り物から解放された私は織斑先生と一緒に遅めの昼食を摂っていた。

 メニューは姉さんがざる蕎麦四人前、私が天ぷら蕎麦五人前。ちなみにどっちも大盛り。

 見てるだけで満腹になりそうな度を越した摂取量だが、私の場合はむしろこれくらい食べないと体内のナノマシンや細胞の維持に支障をきたすのだ。大食いと言うなら、真人間(?)なのに私に負けず劣らずの量を胃に収めている織斑先生こそ明らかな過剰摂取に見える。

 はて、私の記憶が確かなら姉上はここまで大食いではなかったような――?

 

「……何処ぞの大馬鹿者のおかげでストレスが溜まっていてな。勤務時間中にビールを飲む訳にもいかんし食べる事でしか発散できん」

「軽い過食症ですか? 教師の仕事も大変なんですねぇ。コレも食べます?」

 

 テーブルの中央、一際異様な存在感を放つ代物を箸先で指し示す私。

 キムチ丼大盛りご飯抜き――そうとしか言えん何かだコレは。

 ラーメンでもチャーハンでもなく鍋でもなく、蕎麦にキムチ。

 別に私はこの発酵食品が嫌いな訳ではないのだけれど、だからと言って山盛りにされて狂喜乱舞するほど好きでもない。そんな料理が何故我が物顔で鎮座しておられるのかと言うと、私が学食のマダム達をこれでもかと褒めそやした結果だったりする。

 

「いらん。一度受け取ったならお前が責任を持って食え」

「天ぷらの増量が狙いだったんですけどねぇ」

 

 調理係のおば様方の脳内では『美形=韓流スター=だったらキムチじゃん』のイケメン方程式が成り立っているのだろうか。嫌がらせではなく純粋な好意の表れだと信じたい。

 いや、サービスされたからには食べるけどね? 

 お残しは許しまへんでーの精神だけどね?

 

「でも、どうして私までオルコット嬢と試合なぞせにゃならんのです? 『世界最強(ブリュンヒルデ)の弟』なんてネームバリューのある少年ならともかく、何処の馬の骨とも分からん私の存在を公にしたところで政府が得するとも思えませんが?」

「人の口に戸は立てられん。どれだけ箝口令を敷こうが所詮はそんな物だ」

「早々にバレちゃったって訳ですか。まあ織斑先生だけならまだしも、あの場にいた他の先生にも見られちゃってますし、遅かれ早かれ情報は外に漏れたでしょうがね」

「委員会やマスコミの質問に政府の役人共がどう答えたか、知っているな?」

 

 ええ、ええ、よーく知っていますとも。

 今朝の緊急記者会見をテレビで見て、織斑先生が来るまで部屋で大笑いしていたのだから。

 

「…………『彼は以前よりIS設計や兵装開発に造詣が深く、混乱に乗じてプロジェクトの機密が漏洩する可能性があると言う彼の主張を尊重し、情報保護の観点から致し方なく公表を遅延させる判断をした次第』――カッ、よくもこれだけのデタラメを並べ立てられるもんです。おかげで私も表向きは日本政府所属のIS研究者だ」

「実際、ISに関するお前の知識量は学園の教員と比べても遜色ない。少なくとも『他人には制御できないISを持つ危険人物』よりは印象がマシになる。そう考えてお前の戸籍が存在しないのを良い事に筋書きをでっち上げたんだろう」

「委員会にしても、単にランスローの性能をその目で見たいから模擬戦を取り決めた、と。少年とオルコット嬢の小競り合いも連中にとって渡りに船――あわよくば少年のデータも手に入れられて一石二鳥。彼女は体の良い当て馬って訳ですか」

 

 まったく胸クソ悪い。

 日本みたいに国家代表を壊されるくらいなら、まだ替えが利く代表候補生を使おうってか?

 オルコット嬢を? セシリア(・・・・)を『使う』と?

 ……ああ、あーあーあーあー。

 どうしましょうね、凄くイライラしてきちまったよ。

 

「――どいつもこいつも手前の利益ばかりに目が眩みやがって」

 

 思わず握り締めた箸が、細かな破片となって零れ落ちる。

 見てみろよ私、気付けよ織斑一夏(わたし)

 世界はもう既に――ここまで腐っているぞ?

 

「……織斑先生」

「何だ?」

「私は誰かに利用されるのが嫌いです。特に、何でもかんでも自分の思い通りになると勘違いして女の子を使い捨てにするようなクソ野郎共に利用されるのが大嫌いなんですよ。たとえ私の身から出た錆だとしても」

「ああ、そうだろうな。お前はそう言う男だ」

「それを踏まえた上で――敢えて言いましょう。今回の一件、私はただの茶番で終わらせる気など毛頭ありません」

 

 この場で白状したのは、織斑先生に対するせめてもの礼儀と詫びのつもりだった。

 経緯はどうあれ、発端となる少年とオルコット嬢の試合を許可したのは姉上だ。模擬戦の延長で人為的な非常事態が発生した場合、まず間違いなく、姉貴は降りかかる火の粉を恐れたお偉方から責任を追及される事になるだろう。

 自分でも良く分かっている。

 これは政府の連中と同じ――私の身勝手でくだらないワガママだ。

 

「好きにするといい」

 

 …………え。

 

「いや、あの……止めないんで?」

「二度も言わせるなよ極悪人――お前の好きにするがいいさ。たかが独り言(・・・)にいちいち目くじらを立てるほど私は狭量じゃあないつもりだぞ」

「……御面倒をお掛けしますよ?」

「何を今更。お前が学園に現れてから私がどれだけの被害を被ったと思っている。それに――」

「それに?」

「弟の華々しい初陣をダシにされて、私もそろそろ我慢の限界なんだ」

 

 静かに箸を置き、姉御は笑った。

 八重歯を剥き出しにして凄絶に、獰猛に、そして息を呑むほどに美しく。

 

「…………ハハッ」

「…………フフッ」

「ハハハハハハハ――」

「フッ、フフフフ――」

 

 私達は、笑った。

 笑いながら牙を研ぐ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 なーんてなんて。

 ちぃとばかし自分らしくない事をした昼休みだったが、その後は特に何もなく時刻は放課後。

 学食で三年生の誘いを承諾しかけて篠ノ之の機嫌を損ねた一夏少年が、剣道場で特訓という名のヤキモチ成分たっぷりなシゴキを受けている真っ最中だ。

 てな訳で、ただいまワタクシも窓からこっそり場内を観察しておりますです。

 織斑先生は職員会議で付き合えないらしく、監視役は隠れてこちらを覗き見ている水色シスコン当主だけ。扇子開いて『ドキドキワクワク♪』とかいいからホント。

 

「……しっかし弱いねぇ弱過ぎるねぇ少年ってば。まあ、中学時代は帰宅部三年間皆勤賞だったし仕方ないと言っちまえば仕方ないか。シュコー。こんなの見に来たって得る物なんざなんもないと思うけど――それでも見るかい、オルコット嬢。スコー」

「――っ!」

「別にバラしたりしないから、もっとこっちゃ来て見りゃいいでしょ。シュコー」

「……よろしいんですの?」

「どーぞどーぞ。スコー」

 

 物陰からこそこそと姿を現す金髪縦巻きロールのお嬢様。

 制服はそのままに、せめてもの変装のつもりなのか昔ながらのほっかむり泥棒スタイル。つーか唐草模様の手拭いなんて何処で買ったのさ。購買か、購買にでも売っているのか?

 何にしてもこの娘、古き良き日本の文化を盛大に勘違いしてらっしゃる。

 

「いやいやいや、何なのそのカッコは。シュコー」

「え……日本ではこれが敵情視察する時の正装だと聞いていたのですけど……?」

 

 んな訳ねーだろ。

 

「それ騙されてるからね? 逆に目立っちゃうからねお馬鹿さん。スコー」

「なっ……!? は、白昼から堂々とダースベイダーのマスクを被っている方にそんな事言われる筋合いはありませんわ!」

「昼どころかそろそろ日暮れですけどね。一緒に暗黒面に堕ちませんかー?」

「ノーサンキューですの!」

 

 剣道場の裏手で騒ぐ首から上だけシスの暗黒卿とドロボウ美少女。

 うん――何この状況。

 

「まあまあ、あまり興奮するとフォースが乱れるぜ?」

「別にわたくしはジェダイの騎士など目指してないですわ!」

「え、目指してないの?」

「むしろどうしてそう思われてたのか不思議で仕方ないですの!」

「ノリが悪いなぁ、ちゃんとライトセイバーっぽいのも準備したのに。ほら見てペッカペカ」

「それ深夜の道路工事で交通整理とかに使ってるアレですわよね!? 棒状で光っている事以外に共通点皆無ですわ――じゃなくて、少しはわたくしの話も黙って聞いてくださいな!」

 

 へーへー、分かったよ黙りますよ。

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「シュコースコーシュコースコーシュコースコーシュコースコー」

「黙ったら黙ったで余計にうるさくなりましたわね!?」

 

 全力でツッコミを返してくれるお嬢様。

 

「ふーむ、織斑先生に負けない見事な切り返しですな」

「何事にも全力で当たるのがオルコット家の家訓ですので!」

「…………」

 

 そう、その通りだ。

 IS絡みにしても慣れない料理にしても初めての恋愛にしても、努力の方向性がちょっとばかし間違っているし正しい事ばかりだったとは決して断言はしないけれど、彼女は何時だって妥協せず目標に向けて懸命に取り組んできた。

 先の一件、少年との衝突にしてみてもオルコット嬢に全ての非がある訳ではない。巡り合わせやタイミングが悪かったと、過去の私の知識の浅さにも問題があったと――そう思えるだけの要因も確かに存在していたのだ。

 セシリア・オルコット。

 情熱的で、自分の気持ちに真っ直ぐな英国淑女。

 だからこそ。

 やっぱり――許せねぇよなぁ。

 応えてあげられなかった私自身も。

 意地を懸けた決闘をただの余興としか考えていない連中も。

 

「オルコット嬢」

「お次は何ですの!?」

「試合――楽しみですねぇ」

 

 キョトンとしてるオルコット嬢はほっとくとして。

 さて、さてさてさて、精々アホ面さらして待っていやがれクソ野郎共。テメェらは鬼の口に頭を突っ込みやがったんだ。

 目には目を、歯には歯をの精神に則り、人でなしには人でなしの流儀で容赦なく――骨の髄まで染み入るくらい盛大にもてなしてやろうじゃないか。

 大事な友人の誇りを穢すような奴らを――

 

 

 

「私は、絶対に許しはしないよ」

 

 

 




ヒロイン候補そのいちー。

亡国な組織のあのヒトー。

イメージとしては元ヤンみたいなヒロインが大人一夏に惚れて丸くなっちゃう感じー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

008. 驚天動地

 月曜日の放課後、第三アリーナ。

 噂の男性操縦者とイギリス代表候補がタイマン張るだけあって観客席はほぼ満席。特に最前列は異様な興奮と熱気に包まれ、携帯片手に手摺りから身を乗り出した生徒が教員に注意される光景がそこかしこで見られた。惜しくも陣取りに敗れた子達の中にも最後列――高い位置から望遠レンズ付きのカメラで狙う写真部らしき猛者がいたり。

 何ともはや、本人達にとっては意地とプライドのぶつかり合いでも、一般生徒達の目には娯楽と映ってしまうようだ。お偉方みたいに性根が腐敗してないだけマシとは思うものの、薄い本作りに夢中な別の意味で腐ったお嬢さんらもいらっしゃるので素直に喜ぶ事はできない。私×少年本なぞ悪夢以外の何物でもないっつーの。

 ともあれ、試合開始まであと十五分を切った。

 少年が白式を待つAピットには野次馬が大挙して押し寄せていたけれど、対してオルコット嬢が待機するBピットの通路にはほとんど人がいない。人望の差――と言うよりもただ単純に好奇心の違いだろうが、心なしか照明も薄暗い気がする。

 まあ、好都合なんだけどさー。

 

「つーワケで入ったぞー」

「せめて一言くらい言ってから入ってほし――織斑先生!?」

 

 ピット・ゲート前で静かに調息を行っていたセッシーが、私の顔を見て驚きの声を上げる。

 うん、オジサンちょっとだけ満足。折角の自信作だし、多分きっとすぐ姉上様にバレて半殺しにされるだろうし、せめてそれぐらいの反応をしてくれないと作った甲斐がない。

 

「クフフフ、織斑先生だと思った? ねえねえ、織斑先生だと思った? 残念、田中・シュミットスミス・菅原太郎・ジョン道真だ」

「もはや何処からツッコミを入れて差し上げたらよろしいのか微塵も分かりませんわ! 何ですの何なんですの、そのアルセーヌ・ルパンの三代目もビックリな特殊メイクは!?」

「あまりに暇なので作ってみました『織斑千冬(ブリュンヒルデ)なりきりセット』。今なら名匠が鍛え上げた出席簿付きでお手頃価格二万八千九百円でご提供!」

「高っ!? ですわ!」

「おまけで『山田先生なりきりセット』などもございます。こちらは伊達眼鏡とウィッグと肌色に着色したシリコンの塊を二つもつけまして千五百円なり」

「いきなり安価になりましたわね。と言うか、眼鏡とウィッグはともかくシリコンなど何に……」

「いやほら、乙女の見栄ってヤツ?」

「…………ああ」

 

 どうやら、このぷよんぷよんの用途に気付いたらしい――オルコット嬢はISスーツに包まれた己の胸に手を置き、微妙な表情で私の持つ母性の象徴もどきに目をやった。ちなみにコレ、素肌にピッタリと張り付く上に市販の偽乳よりも繋ぎ目が目立たないと言う事で、母性を象徴するとある部分が慎ましやかな女生徒達に好評を博しちゃってたりして。噂が広まって夏までに欲しいと追加注文まで来てるんだけど、完全手作りだしどーすっかなぁ。 

 

「もう、気を落ち着かせていたのに台無しですわ」

「私としちゃあ激励のつもりで来たんだけどね。少年ばかり注目を集めちゃいるが、データ収集が目的じゃない本格的な試合はキミだって初めてなんだろう(・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 オルコット嬢の顔が微かに曇る。

 

「それは……」

「少年もお前さんも入学したばかりの一年生。操縦技術や経験値に一日の長があっても、そいつは適性の高さと英政府の後押し、稼働実験を積み重ねた結果に過ぎない。織斑先生なら『筆記試験を受けてちょっと練習しただけの仮免かアマチュア』と辛口評価するかも知れんね」

「…………そんな事をおっしゃるためにわざわざ来たんですの?」

「だぁかぁらぁ、励ましに来たんだっつったでしょうよ。水を差したおかげで皆からあからさまに避けられていたセシリア・オルコットさん?」

 

 気付いていないとでも思っていたのか。

 二十年前から――いや、物心ついた時から薄々感じ取ってはいた事だが、男と比較して身体的に非力な分、女は嫌いな相手を精神的に追い詰める事に長けている。

 女手一つで私を育ててくれた姉さんに対する、偏見と侮蔑に満ちた眼差し。

 名前が変わっていると言う理由だけでイジメの標的となった凰。

 心の薄汚れた女共が陰に隠れて嘲笑っていた事を、私は決して忘れてなどいない。

 今回はあの時ほど陰湿ではないけれど、学食の片隅でもそもそとランチを食べるオルコット嬢の背中には明らかな寂しさが漂っていた。

 

「憐みの言葉など必要ありませんわ。わたくしは別に独りでも――」

「じゃあどうして辛そうな顔をしてるんだ?」

「…………」

「孤独は怖いよ? どうしようもなく」

 

 オルコット嬢は唇を噛み締めるだけで何も言おうとはしない。

 言わないのか、言葉にすらならないのか――それは彼女にしか分からない事だ。

 やがてぽつりと、

 

「………………先生の、勘違いです」

「ならいいんだけどさ」

 

 無意味な会話はそれ以上続かず、オルコット嬢は懐かしき第三世代機『ブルー・ティアーズ』を展開して逃げるようにピット・ゲートから飛び出して行った。その際、こちらをちらりと見た気がしたが、それはやはり私の勘違いなのだろう。そう言う事にしておこう。

 彼女を助けるのは少年の仕事だ。

 

「ほんじゃ……私もぼちぼち準備するとすっかね」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 結果だけ言うと、少年が負け犬になった。

 未来を変えるような大番狂わせも起こらず、ボロボロになってミサイル食らって一次移行(ファースト・シフト)した挙句に訳も分からず零落白夜を発動。エネルギーを浪費して自滅しちゃいましたとさ。

 私とて試合終了後に姉さんや篠ノ之からボロクソに言われた記憶があるが、確かに酷評されても仕方のない戦い方だった。リアルタイムモニターで見ているとそれが良く分かる。

 つー事で、ハイみなさんご一緒に。

 

「まーけっいぬ♪ まーけっいぬ♪ まーけっいぬ♪ まーけっいぬ♪」

「あの、せめて千冬姉の顔で言うの止めてくれません? かなりグサッと来るんですけど……」

「織斑先生と呼びたまえよ、フゥーハハハグフッ!?」

 

 流れるような動きで世界最強戦乙女のフランケンシュタイナーが炸裂。

 重量級のISだって支えられるはずの床材が陥没し、オーバーキル気味なローリングソバットによってギュルギュルと回転しつつ飛んで壁と一体化。トドメとばかりに打鉄用のブレードが何本も突き刺さり、さながらエジプトの壁画か昆虫標本のような素敵オブジェが完成した。

 言うまでもなく、主な材料は私である。

 

「……試合の前くらい真面目にできんのかお前は」

「おおお織斑先生っ!? そんな事したら死……っ!」

「まーったく冗談が通じないんだから。私じゃなきゃ死んでますよ?」

『逆にどうやったら死ぬんですか!?』

 

 少年、篠ノ之、山田先生のトリプルツッコミも炸裂。

 ISとは全然関係のない才能を開花しつつある現実に喜ぶべきか嘆くべきか。

 

「いいからさっさとステージに行け。もう既にオルコットが準備万端で待っているぞ」

「此処ではなく、外に出てから展開しろと?」

「これもIS委員会の意向だ。仮にもお前は『世界で二番目の男性操縦者』――顔が隠れてしまう全身装甲では本人確認も難しくなると考えたんだろう」

「他の誰かさんが成り済ましてる可能性も否めない、と。ランスローは私にしか懐かないってのに疑り深くて大変結構でございますコト」

 

 それならそれで別に構わない。

 可愛らしいギャラリーも大勢いらっしゃる事だし、仮面のバイク乗りみたいに精々カッチョよく変身してやろうじゃないか。目指せ細川茂樹だぜ。

 重苦しい音を立てて開放されるピット・ゲート。

 流れ込んでくる歓声。

 いいねぇいいねぇ、オジサン年甲斐もなくワクワクしてきちゃったよ?

 

「あ、そうだ。少年、ちょいと預かっといて」

「え……うわっ!?」

 

 作り物なんだからそんなに驚かんでもいいでしょうに。

 

「これ、千冬姉の顔っ!」

「気に入ったんならあげるけど?」

「もらって何に使えってんですか!?」

「ダッチな奥様に被せて使うとか」

「持ってないです! ってかこんな状況でまさかの下ネタ!?」

 

 そう言えば昔の私って、超・朴念仁なだけでエロ本とかは普通に持ってたんだっけか。だったら矯正の仕方次第で少しはまともになるかもねぇ。

 まあもっとも、公序良俗に厳しい姉ちゃんとお堅い幼馴染と純情初心な女教師がいるのに思わず口走ってしまうようじゃあ、まだまだ女心を理解するには程遠いけど。

 

「大丈夫! 少年が友達に預けた裸のお姉さんの写真集については口外しないから!」

「今バレちゃいましたよね!? しかも肉親と幼馴染に!」

「……織斑、後で話があるから寮長室に来い」

「私もだ。部屋で待っているから逃げるなよ一夏」

「………………(真っ赤っ赤)」

「おやおや、今晩は大忙しだねぇ少年?」

「誰のせいですか誰の!?」

 

 そりゃあ文字通りの自業自得でしょうよ。

 般若と修羅に両肩を掴まれて地獄行きが決まった少年を残し、お偉いさん方の希望通りに徒歩でゲートを通り抜けてステージに出る。

 それまでの歓声がどよめきに変わり、生まれるのはざわざわと戸惑いを含んだ会話。

 意に介さないのは当事者の私と、六機のビットを従えたオルコット嬢だけ。

 

「……待たせたかな、令嬢(フロイライン)?」

「これがデートならとっくに帰っていましたわね」

「そいつぁ申し訳ない。こっちにも事情があったもんでね」

 

 胸ポケットの中で待機状態のランスローが鳴く。

 早く戦わせろと、堪え切れずに打ち震える。

 分かったよこのお転婆娘め。あのお姉ちゃん達(・・・・・・)とたくさん遊んでもらおうな。

 さぁて、紳士も淑女もクソ野郎共もとくとご覧あれ――

 

「――ランスロー」

 

 今の私ならISの展開に一瞬の間も必要ない。

 全身を柔らかく包み込む黒灰色の鎧。

 命令に従順でありながら、しかし擦り寄ってじゃれつく子どものように気まぐれで、だからこそ白式以上のポテンシャルの高さが期待できる。

 試合開始の鐘が鳴り、互いの距離は約二十メートル。

 

「お行きなさい、ブルー・ティアーズ!!」

 

 オルコット嬢の号令の下、ビットが宙を舞う。

 ふむ、多方向からの同時射撃を行い、まずはこちらの出鼻を挫く算段のようだが――残念ながら射程範囲内なのはこちらも同じなんだよねぇ。

 

「たった六機でどうにかできると思いなさんな」

 

 単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)――『驚天動地』発動。

 

「なっ!?」

 

 驚愕に顔を歪めるオルコット嬢。

 私を包囲して飛び交っていた六機のビット全てが、見えない『何か』に圧し潰されたかのように地面に埋まってしまったのだ。理由が分からないのだから混乱して当然。

 

「一体何が……動きなさい、わたくしの言う事を聞きなさい、ブルー・ティアーズ!!」

 

 いくら叫んでも無意味。

 これは誤作動でもなければ操作ミスでも命令系統の不備でもない。

 ビットの出力を超える力で強引に縫い付けられているだけなのだ。

 たかだか六機――私の知るセシリア・オルコットの全力には、二十機以上の青い雫を同時に操る彼女には到底及ばない。

 

「じゃあ始めようか、寂しがり屋のお嬢さん。キミにもう一度『強い男』ってのを見せてやる」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

009. 食らう悪党、食われる悪党

 重力制御ユニット。

 読んで字の如く、一定空間内の重力を操作できる装置だ。

 ランスローの両手の平と両足――合計で四つ仕込んである他に類を見ない特殊兵装だが、仕組みそのものは特に珍しい物ではないと私は考える。

 そもそもISと言う存在自体がPICの恩恵によって浮遊できてる訳でして、ボーデヴィッヒの操る『シュヴァルツェア・レーゲン』――タイマン勝負ならチートレベルのAIC、停止結界とて基本的な理屈は変わらない。私にしてもオルコット嬢にしても、ISを使っている時点で搭乗者は誰もが一時的にではあるけれど重力や慣性の法則のしがらみから抜け出している事になる。

 でもって、ここからが本題。

 人工的に重力を作り出す――言葉にするとかなり難しく感じるが、ものっすごく大雑把に言うとアレだ、水を入れたバケツを思い浮かべると分かりやすいんじゃなかろうか。

 縦方向に振り回しても水が零れないのは遠心力の影響だし、つまりは重力を疑似的に発生させるだけならば多少腕力のある小学生でも可能だと言える。事実、一昔前の宇宙ステーションではこの方法が考案されていたと聞く。

 六機のビットやオルコット嬢をまとめて行動不能にできるだけの超重力を、しかも円運動などの余計な手段を使わずに作り出すとなると、それこそ世界中の学者を集結させたとしても実現可能かどうか疑わしいが、重力制御ユニットを含めた『黒灰の反逆者(ガンメタル・トレイター)』の基本システムを組み立てたのはあの篠ノ之束博士なのだ。あらゆる現代兵器を超える夢の『宇宙服』を作り上げてしまった彼女にとって――頭脳をさらに磨き上げ昇華させた二十年後の彼女にとって、片手間に構築できる程度の問題だったのかもしれない。だって酔った勢いで設計したんだし。

 インフィニット・ストラトス――『無限の成層圏』の名を冠するマルチフォーム・スーツ。

 果てなき宇宙を目指す篠ノ之博士からすれば、重力を操るというランスローの異能でさえ単なる通過点でしかないのか。

 

「このわたくしを前に考え事など――おちょくるのもいい加減してくださいまし!」

「……別におちょくっちゃあ、いないんだけどさ」

 

 想像以上に暇なんだもんなぁ。考える以外に何しろってのさ。

 右後方から二機、正面やや左上から二機。計四機のブルー・ティアーズがオルコット嬢の命令を受けてビームを発射。

 それにわざわざ当たってやるほど私はサービス精神旺盛ではないつもりだ。

 ハイパーセンサーによって広がる三百六十度の視界。前を見ながら後ろを見る感覚は慣れないと目を回しかねないが、逆に言えば、慣れてしまえば問題は皆無。全方位オールレンジ攻撃だろうとミサイルの雨だろうと容易に感知できるのだから、たった二方向からしか飛んでこないレーザーを避ける事など訳はない。

 遠隔無線誘導型兵器――ブルー・ティアーズ。

 それは言わば、身体と繋がっていない六本の腕に等しい。

 自前のと合わせて合計八本の腕を同時に、しかも針の穴を通すようなコントロールを要求される射撃を行うとなると、ストレスや緊張も相まってどうしても動きに粗が出てくる。

 ただでさえブルー・ティアーズはBT兵器開発のデータサンプリング用に製造されたテスト機の意味合いが強い。現操縦者であるオルコット嬢よりも有用なデータがないのだから、扱いに未熟な部分があっても仕方ないっちゃ仕方ない。

 だからって同情なんざしねーけど。

 何であれ、手近にある物を最大限に活かすのがプロなんデス。

 

「何故、何故当たらないんですの!?」

「あのねぇ。荷電粒子砲みたいな極太光線ならまだしも、たかだか六七口径の細いレーザーなんて身体をちょいとズラすだけで簡単に避けられるんだっての。それに狙いを定めてから一直線にしか飛んでこない攻撃なんぞ好きに避けてくださいと言ってるようなもんだ。ついでに言うとビットの軌道も馬鹿正直過ぎ」

「い、言わせておけば――!」

 

 顔を真っ赤にしてオルコット嬢はビームを乱射乱射乱射。

 でも当たらない。当たってなんかあーげない。フゥーハハハハハ、当たらなければどうって事はないのだよセシりん! 当たっても平気だけど!

 ちなみに過重力――『驚天動地』は既に解除している。

 零落白夜ほどではないにしても燃費が悪い事に変わりはないし、何より私を中心点にして領域が広がるのでこっちも重力の影響を直に受けてしまう。流石に自分の能力だから自滅覚悟で使わない限りはイチカくん等身大スタンプになったりしないが、そいつはあくまで他の対象物やISよりも耐久性が高いってだけ。相手を巻き込んでの近接戦闘時でもなければ、はっきり言ってデメリットしかありゃしないのだ。

 さて、ではでは。

 解説も終わったところで、頑張っている子犬にヒントを与えてやろう。

 

「いいかねオルコット嬢? チミは色々と考え過ぎなのっさ」

「考え過ぎ……?」

 

 日常生活において――たとえば少し離れた位置にあるモノを取るために手を伸ばす時、いちいち腕を凝視して意識を集中させる人間はいないだろう。

 首が据わったばかりのおっかなびっくりな乳飲み子じゃあるまいし、そんな事しなくとも生物はほとんど無意識と言ってもいい自然体で、自身に生えた四肢を自由自在に動かせる――人生の中で何万回と繰り返し、その動作を細胞と神経に刻み込んでいるからだ。

 トップアスリートほど基本的な反復練習を重視するように、人間は誰しも『慣れ』による動作の効率化が見込める。

 だが――

 

「緊張と不安、あとは背負っているもんに対する恐れと焦り。はっきり言って、お前さんの動きは無駄に空回りしてばかりで慣れっつーか余裕ってのが全然感じられねーんよ。そんなボロッボロのコンディションじゃあビットの精密操作なんかできなくて当たり前」

「い……一体何を根拠に!! 英国淑女たるわたくしは常に泰然自若、如何なる時も余裕を崩さず毅然とした態度で振る舞う事を心掛けて――」

「そうやって自分まで健気に騙し続けてきた、と」

 

 図星を突かれて、お嬢さんの顔が泣く寸前の子どものように歪む。

 結局のところ、私は二十年経ってもオルコットの過去を知る事はできなかった。機会だけならばいくらでもあるにはあったのだが、その度に『……昔の話ですわ』と曖昧な笑みではぐらかされてしまい聞きそびれていた。

 気にならなかった、と言えば嘘になる。

 改めて考えてみるとファースト幼馴染の篠ノ之や関係修復に勤しんだ更識姉妹、生い立ちを自ら語ってくれたデュノアはともかく、オルコット、凰、ボーデヴィッヒに関して私の知っている事は驚くほどに少ない。

 過去は過去と割り切って捨て置くのは簡単だ。

 あまり誉められない方法で調べる事もまた同じく。

 二十年後の未来においてオルコットが達観していたとしても、私の眼前に浮かぶオルコット嬢は乗り越えられずにまだ苦悩し続けている。

 人生の先輩として見過ごせねぇよなぁ、やっぱり。

 

「私も偉っそうにアドバイスできる生き方とかしてねーけどもさ、いっぺん心ん中に溜まったモンぶちまけた方がスッキリすんぞ?」

「それは……他人に当たり散らすのと同じ事でしょう!? そんな癇癪を起こした子どものような真似は御免被りたいですの!」

「子どもも何も、私からすりゃお前さんは立派なガキんちょだっての。私がイヤなら織斑先生とか山田先生とかでもいいんだしさぁ、黙りこくって一人で鬱展開入るより誰かに聞いてもらった方が何倍も気が楽になるぜ?」

 

 若輩者に過ぎないこの時代の織斑一夏(わたし)は、強くも儚い友の悩みに気付けなかった。それどころか昔も、そしてこれからも、彼女の好意に応える事なく蔑ろにし続けてきた。

 オルコットだけじゃない。

 篠ノ之、凰、デュノア、ボーデヴィッヒ、更識姉妹。

 罪と言うのなら、この世で何物よりも最悪な罪なのだろう。

 

「疑っちまうのも分かるが、もうちっと他人を――大人を信用してみようや」

 

 私と少年は完全同一にして全く別の人間。

 無自覚に救うのが少年の役割ならば、私は今の私にしかできない方法で償いをしよう。

 

「……まるで教師のような口振りですわね」

「これでも教員免許持ってたりすんのよね私ってば。ワハハハハ、どうだ驚いたか」

 

 何時の間にかビームは止んでいた。六機のビットは操縦者の意思を反映させたようにふわふわと中空を彷徨うばかりで、攻撃の気配をまるで見せようとはしない。

 レーザーライフルの銃口を下げたまま、青空を背にオルコット嬢は言う。

 

「誰かを頼り、助けを乞う事は、敗北と同義だと思っていました」

「間違っているとは言い切れない考え方だな。けどそれは時と場合によりけりだ。何でもかんでも一人でどうにかしようと無茶すると、色んなモノを失っちまうぜ?」

「………………」

「それに気付いた後じゃあもう遅い」

 

 私みたいになっちまったら遅いんだ。

 だからさぁ――

 

「この世の汚ねぇ部分は私が何とかしてやるからさ、代表候補生だからとか名家の血筋だからとか気張ったりしないで、お前さんはもう少し普通の女の子みたいに生きてもいいと思うんだわ」

 

 言って、私はたった一つしか登録していない武器をコールする。

 それは長大な三角錐の底面に柄を付けた代物。

 見栄えの良さにも気を配った『霧纒の淑女(ミステリアス・レイディ)』の蒼流旋に比べて、ひたすら威圧感を与える事に主眼を置いた重厚無骨な意匠――黒灰甲冑のランスローに相応しい黒の突撃槍(ランス)。雪片弐型のような剣よりも、戦場では重量で敵を薙ぎ払える槍の方が効率が良かったので採用した一品だ。

 あとは、投げやすい(・・・・・)ってのも理由の一つかね。

 

「近接格闘用装備《アロンダイト》――先生がそのISを『ランスロー』と呼んでいるなら伝承に倣っての命名なのでしょうけど、オリジナルは確か剣だったはずでは?」

 

 地元だけあって流石に詳しいねぇ。

 

「その辺はツッコまんといて。……時にオルコット嬢。少年との決闘はともかく、どうして私との試合が組まれたのか――その辺の詳しい事情なんかは聞いていたりするか?」

「いえ。ただイギリス政府と委員会の意向としか……」

「そうだわなぁ、そうとしか伝えんわな普通」

 

 交換が利く捨て駒程度にしか思われていないのだから。

 そのクソ野郎どもが今、オルコット嬢の後ろにいる(・・・・・・・・・・・・)

 アロンダイトを逆手に握って振り被り、来賓用の特別席に座る数人の男女をハイパーセンサーで拡大ロックオン。ブタのような肥満体だったりバカ殿様もビックリな厚化粧だったり下卑た笑みを浮かべていたり――どいつもこいつも雁首揃えて、自分が狙われているとは毛ほども考えていないド三流の悪党ばかりだ。

 しかし、試合にはアクシデントが付き物。

 不慮の事故じゃあ――巻き込まれても仕方がないよなぁ、うん。

 

「避けるなよオルコット嬢。避けると当たるぞ?」

「え、あの、それはどういう――」

「観客の皆様ぁ、ファールボールにゃお気を付けくださいなぁっと!!」

 

 右手のユニットのみを限定起動。

 過重力ではなく反重力の小域結界を作り出し、白兵戦特化のランスローの膂力と上半身のバネを組み合わせて、さながら砲弾の如くアロンダイトを撃ち――出す!!

 

「きゃああああっ!?」

 

 運悪く射線上に残ったビットを穿ち貫き、普通の人間には感知すら不可能な速度で流星と化した漆黒の大槍は、真っ直ぐに、ただひたすら真っ直ぐに突き進む。

 何処ぞのゴーレムよろしくアリーナのシールドを破壊し、そのままアホ面が並ぶ来賓席に――

 

「っしゃあっ! どストライク!!」

 

 うあはははは。

 ザマァみさらせ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

010. 世界最凶

今回は真面目に狂ってます。


 当然と言えば当然、私とオルコット嬢の模擬戦はうやむやになった。

 まあアリーナのシールドが破壊されたのだから、即座に中止して避難を促した織斑先生の判断は正しいと思う。多少の事は目を瞑ってくれるとは言っても、流石に一般生徒にも危険が及ぶ恐れのある行為は――私が狙う気がなかったとしても教師の立場から見過ごせないのだろう。

 それよりも、オルコット嬢が指示に素直に応じた事が意外だった。

 彼女へのアドバイスは嘘偽りのない本音なのだけれども……結果として利用する形になったのも弁解しようのない事実。性格から考えて『心にもない言動でわたくしを惑わせるなんて!!』とか非難してきそうなものだが、予想とは裏腹に、しきりに私を見るだけで何も言ってはこなかった。

 ふむ、これはアレですか。何も知らないオッサンのクセに偉そうに説教してんじゃねぇ――的な言葉なき意思表示ですか。うーわ、私ってばもしかしてもしかしなくてもやっちまった?

 

「……ないわー。この年で黒歴史作るとかないわーホント」

「戻ってくるなり何をやってるんだお前は」

「えーと、ブラックタイガーの真似?」

 

 甲冑姿のまま頭を抱えてエビの如くビョンビョン飛び跳ねる私に、待機していた姉上が訝しげな視線を向けてくる。その右手には私専用ツッコミ道具と化した毎度お馴染み打鉄用近接ブレードが握られているが、そこは今はスルーの方向で。

 緩やかに腕を組み、織斑先生は言う。

 

「まったく、焚き付けた手前あまり強くは言えんが……いくら何でもやり過ぎだ馬鹿者。破壊した設備の修繕費はお前にツケておくからな」

「わあ懐に優しくない」

 

 来賓席にいたバカ共の安否ではなく真っ先に修理代の話するあたり、どうやら姉さんも委員会に対して良い印象は抱いてはいないらしい。ISから遠ざけていた弟を無理矢理に入学させられたらそりゃ毛嫌いもするか。

 と、私にめでたく借金が発生したところで、何やら外が騒がしい事に気付く。

 いやまあ、誰が喚いてるかは見当がつくんだけどさ。

 

『だ、駄目です! ここは部外者は立ち入り禁止で――』

『ええい退きたまえ! キミでは話にならん!!』

『きゃっ!?』

 

 突き飛ばされた山田先生が転がり込んでくる。尻もちをついた拍子に学園一の双丘が激しく自己主張を始めるが、経験豊富でアダルトな私はこの程度で照れたりしない。てか普通にガン見しますありがとうございます。そして背後からお姉様にブレードを突きつけられて真っ青になります。

 そんな私達のじゃれ合いを、空気を読まずにぶち壊す輩がいた。

 

「キッサマァ!! あれは一体どういうつもりだ!!」

 

 ……確かに私はサマーですけれども。

 無駄に値の張りそうなスーツの禿頭中年が、ISを解除した私の胸倉に血管が切れそうな形相で掴みかかってきた。もっとも、地位に固執しているだけの三下に揺さぶられるような柔な鍛え方はしていないので、私の身体はその場から微動だにしなかったが。

 男の背後にはこれまた身なりの良い男女が数名――風潮のせいか女が多い。一様に憤怒の表情を浮かべており、中にはお粗末ながらも殺意に満ち満ちた奴まで。そして誰も彼もが、額にガーゼを貼り付けていたり手足に包帯を巻いていたりする。

 ちなみに少年と篠ノ之は席を外させているのでここにはいない。汚い大人の話を聞かせたくないという理由もあるにはあるが、一直線な少年は元より、女子にしては血気盛んな篠ノ之が一緒だと余計にややこしくなりそうだったからだ。口より先に木刀が飛び出すからねぇあの子の場合。

 

「どういうつもりも何もあれは偶然、そう、偶然にも狙いが逸れてしまっただけですよ? むしろあの攻撃に巻き込まれたのにそれっぽっちの軽傷で済んでとてもラッキー。揃いも揃ってゴキブリ並みにしぶといもんだからホントうざったいっつーか何つーか。おや、どうかしましたか? 顔が知能なんぞまるで感じない野猿みたいになってますよ――おっとこれは失敬、テメェらの脳ミソはゴキブリや猿以下のミジンコサイズどころかアメーバくらいしかなかったのでしたね忘れてましたゴメンナサイ」

 

 山田先生はぽかんとして。

 織斑先生はやれやれと溜息を吐き。

 三下共は何を言われたのか脳の処理が追いつかないらしく無様にフリーズし、言葉を噛み砕いて飲み込むようにゆっくりと、やや間を置いてから――

 

「ふ――ふざけるなぁっ!!」

 

 感情を大袈裟に爆発させた。

 ……ったくどいつもこいつもヒステリックに叫びやがって――『被害者』にするだけじゃ報復にならねーから、とりあえずはまだ軽傷で済むように手加減してやったってぇのに。いっそあの場で口が利けなくなるまで痛めつけた方が良かったか?

 

「何が偶然だ――とぼけるのも大概にしろ!! 大方あの生意気な小娘と裏で示し合わせて我々を狙ったんだろう!? 証拠などなくとも貴様を解剖室送りにできるんだぞ!?」

「奇遇ですね、前にも似たようなセリフを言われましたよ。馬鹿の一つ覚えのように実験するだの解剖するだのと。ところで『あの生意気な小娘』ってのは……誰の事でしょうか?」

 

 私の殺気を感じ取ったのか、姉上は何時でも対処できるようブレードの柄を手を添え、入口から中を覗き込んでいた生徒会長も右腕に部分展開して蛇腹剣を構える。それでも進んで阻止しようとしないのは、この屑野郎の人望の少なさが原因に違いない。

 

「誰の事だと……? あのイギリスの候補生に決まっているだろうが!! だいだい初めから気に食わなかったんだ! 名家の出だか何だか知らんが立場も弁えず我々に意見しおって! 叶うなら貴様諸共処分してやりたいくら――」

「おやこんなところにクソ虫が」

「ぷぎゅっ!?」

 

 殴ったよ殴ってやりました殴らずにいられるかってんだ三段活用。

 だって目の前で虫が鬱陶しく騒いでやがるんだもの。うるさい羽虫は潰さなきゃ――ねぇ?

 

「おっと、テメェらも目障りな真似はするなよ? 一歩でも動いたら両足の骨をすり潰す。一言でも喋ったら喉を抉り抜く。これ以上私の機嫌を損ねたら……今すぐこの場で縊り殺す」

「「「ヒィッ!?」」」

 

 騒がれるのも面倒なので、順番待ちの連中は睨み付けて黙らせておく。何人か失禁したようだが知った事か。おむつ取れたてのガキじゃあるまいし、そんなのは自分で始末させればいい。

 殴り飛ばされてうめく男の髪を片手で掴み、目の高さにまで引き上げる。ひん曲がった鼻からはだくだくと血が溢れ、前歯は三本ほど行方不明。おーやおやおや、さっきよりだいぶ男前になったじゃあないですかぁ豚基準で。

 

「処分、処分、処分ねぇ。オルコット嬢の後釜なんていくらでも用意できますってか? そう言う自分達の方こそ掃いて捨てるほど代わりがいると気が付いてますかぁもしもし? 仮にテメェらに何かあったとしても、次の日にはもう新しい首にすげ替わっているのが容易に想像できらぁな」

「ぐっ、ひぎっ……」

「まあ確かに、ISを動かせるって理由だけで一回りも二回りも若い娘っ子に色々言われちゃ腹に据えかねるだろうが……そもそも根本からして間違ってるんだよ」

「間違い、ですか?」

 

 山田先生の呟きが、この場にいる全員の心中を代弁する。

 

「インフィニット・ストラトスは近代兵器でもなければ他国に対する軍事的抑止力でも、ましてやくだらない選民思想の象徴でもない。篠ノ之束の夢を乗せた、宇宙へと至る可能性の翼だ。なのにテメェら凡人共ときたら、吐き捨てられたガムみたいに地上にへばりついてドンパチするばかりで空を目指そうともしない。何が国家代表、何がモンド・グロッソ――結局はテメェの国の技術力を自慢して優越感に浸りたいだけじゃねぇか」

 

 地上には失望しかなかった。

 だから篠ノ之博士は姿を隠す事を選んだ。

 だから私は――

 

「単なる玩具としか見ていないなら――私が全てのISを破壊してやる」

「フ、フヒハハハ、何を馬鹿な! ISは今や国家防衛の要、各国軍の全ての上回る戦力を有しているんだぞ!? 全世界を相手にたった一人で戦争でも始めるつもりか!?」

「……戦争か」

 

 そう。

 これは今の今までできずにいた、二十年越しの宣戦布告だ。

 私の戦争はもうとっくに始まっているのさ。

 

「ISコアは未稼働の物も含めて467個。その大半がこの学園にある打鉄やラファールのような量産機や試作機だ。全て稼働状態の専用機ならまだしも、訓練ばかりで実戦に出た事もない連中の機体にこの私が後れを取るものかよ」

 

 これは戯言でも虚勢でもない。

 事実、未来において私は457個まで回収していたのだ。まあ、残り10個のコアの所有者達が揃いも揃って戦いにくい強者ばかりだったので達成目前とまではいかなかったが。

 現状での私の戦力は、世界最強の座に君臨する若き織斑先生と同等以上。つまりどれだけ頭数を揃えたとしても、今の姉さんにも劣る烏合の衆ならば殲滅など容易いのだ。

 ああ、笑みが浮かぶのを抑えられない。

 いかんいかん、いかんなぁ――薄汚い世界に長年浸り続けてきたせいか、怒りを発散するよりもまず笑顔で取り繕う癖がついてしまった。

 おやおや皆さんどうかしましたか? 顔が蝋人形みたいになっちゃってますよぉ?

 

「何だ――何なんだ貴様は!?」

「カハッ、誰も彼もが同じ事を聞きやがる」

 

 男を壁に叩きつけ、道化じみた所作で名乗る。

 今の私に相応しい肩書きを。

 

「私はただのテロリスト。テメェらにはそれだけで十分だ」




次回でセシリア編が終了です。しかしこうして見るとセシリアが一番のヒロインポジにいるように見えるのは何故だろう……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

011. 壁に篠ノ之、障子に束

意味:彼女は全部知っている。


 私の記憶が正しければ、今日はクラス代表就任のパーティーが催される日だ。

 少年を囲んで黄色い声が飛び交っているであろう食堂とは対照的に、私が放り込まれたおおよそ二畳の空間は耳が痛くなるほどの静寂に満ちていた。地下にあるが故に窓もなく、目を凝らしても己の身体すら視認できない暗闇ばかりが漂う。

 学園に来て最初に缶詰にされた一室とはまた異なる、危険人物のために設けられた一時勾留用の本格的な特別独房。

 教育機関であるはずの学園の地下に何故そんな部屋が存在するのか――その疑問は思考の片隅に置いておくとして、国際組織の要人に傷を負わせたのだからブチ込まれても不思議はない。

 とは言え。

 私とて人の子、自らの行いを悔い改める機会など――まあ、確率的に絶対に有り得ないと断言はしないが、今回の場合はオネエサマや暗部の長たる更識姉の顔を立てる意味合いが強い。そうでもなければ誰が大人しく拘束されたりするか。ただでさえあんな無能な連中が原因だってのに。

 

「にしても暇だなぁ……」

 

 現在の私は拘束衣とベルトで雁字搦めのミノ虫状態。おまけに鎖で吊るされて宙ぶらりんだから暇で暇で仕方がない。ナノマシンが老廃物まで徹底的にカロリーに変換するので飲まず食わずでもしばらくは大丈夫だが、しかし、常日頃から大量摂取して蓄えていても何時かはバッテリー切れになってしまう。

 

「もうすぐチャイナ娘も舞台に上がってくるし、そろそろ出る頃合かね」

 

 ここはアウシュヴィッツかとツッコミたくなる尋問が続いて早三週間。

 取り調べするために委員会から派遣されたと言う女達は、尋問の段階をすっ飛ばして問答無用で肉体言語を行使してきやがった。そりゃあもう殴るわ蹴るわ刺すわ抉るわ、テロリスト(自称)に人権など不要と言わんばかりの度を超した暴力の嵐。監視カメラの映像もダミーに差し替えたから助けは来ない――と楽しそうな顔でご親切に教えてくれる徹底ぶり。

 一国の独断か、協議の結果か。

 何にしてもこれが民主主義を謳う法治国家の素顔なのかと思うと、やはりこの世界は取り返しのつかないほどに腐り切っている。

 

「…………ふんむ?」

 

 と、イチカイヤーが二人分の足音を捉えた。

 拷問係のご出勤にしてはいつもより人数がちと少ないし時間も早い。それに、明らかにこちらに向かって走ってくる(・・・・・)。慌しく、一刻も早くと焦っているかのように。

 はてさて一体どう言う訳ざましょ。私まだ何もやっとりゃせんよ?

 

『――この部屋か』

『小父様、今お助け致しますわ!』

 

 おんやまあ、意外なお二人さんが来なすった。

 姉上もオルコット嬢も卑怯卑劣から目を背けない性格だし、私が学園地下に幽閉されている事はともかく、拷問を受けている事などまず間違いなく知らされていないと思ったのだけども。

 

『ああもう、スイッチが多くてどれがどれやら!』

『……右端のを押せ。ドアのロックと鎖が外れるはずだ』

『分かりましたわ!』

 

 …………はい?

 

「ちょい待ち、待て待て! こんなカッコで下ろされても受け身取れなフガッ!?」

 

 身体と天井を繋げていた鎖が外れ、冷たい床に顔面から突っ込む私。ええと……助けてもらったはずなのに今までで一番ヒドイ仕打ちを受けた気がするのは何故だろう。

 日頃の行いの悪さを憂いつつ鼻の痛みにゴロゴロする私の前で、金庫さながらの鋼鉄製のドアが重苦しい音を立てて口を開いた。

 直後に織斑先生の安堵したような声がかけられる。

 

「どうやら、無事のようだな」

「つい今しがたまではね。できれば外す順序を逆にしてもらいたかったです」

「ああ、小父様の顔から血が。一体誰がこんな惨い事を……」

「「お前だお前」」

 

 膝枕しなくていいから、愛おしそうに撫でなくていいからさ、とりあえずティッシュくださいなオルコット嬢。鼻血が止まらねぇ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「うーん……久しぶりの娑婆ダバダ。空気が美味いぜぇ」

 

 と言っても姉上やオルコット嬢と一緒にエレベーターで地上に出ただけなので、学園の敷地内に変わりはないのだが。

 両腕を腰に当てて上体を反らし、あっちこっち凝り固まった身体をほぐす。三十路になるとすぐ鈍るから日頃のストレッチが大事なのです。

 

「済まなかったな。私がもう少し早く気付いていれば……」

「んー、身から出た錆みたいなもんですし、過ぎた事をとやかく言っても始まりませんて。むしろ私としては自力で抜け出すまで誰も気付かないと思ってましたしね。織斑先生が問い詰めなければ日本政府も見て見ぬ振りを決め込んでたんじゃないですか?」

「よく分かるな」

「アレ見りゃ誰だって分かりますよ」

 

 私が指差した先――木の陰からこちらを窺う会長さんが。その手に持つ扇子には力強い毛筆体でデカデカと『ゴメンナサイ!!』の文字が。

 姉さんが呆れて溜め息を吐く。

 

「更識の奴め……」

「雇用主あってこその暗部ですし、責任ある立場なら命令に従う以外ねーですわな。それに彼女も織斑先生も、私が酔狂で囚人の真似事をしてると勘付いていたんでしょう?」

「まあ、な」

「さて……そうなると余計に謎が深まる。国ぐるみでひた隠しにしてきたのに、何故こうも簡単に織斑先生の知るところとなったのか。聞かせてもらえませんか?」

 

 姉貴は隣を歩くオルコット嬢に視線を送り少しだけ考える素振りを見せた後、聞かせても問題はないと判断したのか、煙草でも吸うようにゆっくりと話し始めた。

 

「一時間ほど前に、IS委員会と各国政府に一通の脅迫メールが届いた。内容は『投獄されているテロリストの即時解放』――要求を呑まなければ相応の報復に出るとも書いてあったらしい」

「珍しくもない。その程度の不幸の手紙に降参するようなら首脳なんかやってられないでしょ」

「確かに。解放するテロリストが『IS学園の地下にいる男』で、報復の方法が『登録されている全てのISコアを永久停止させる』なんて世界を一変させてしまうものじゃなければな。ご丁寧にウサギのマーク付きのハッキングを食らって、主要国の保有するコアが一つずつ使い物にならなくなったそうだ。そんな芸当が可能なのはこの世でただ一人」

「……篠ノ之、束」

 

 まさか世界中を脅すとは。

 宇宙を目指す人は脅迫のスケールも大きくていらっしゃる。

 

「一人はISの生みの親、そしてもう一人は未登録(・・・)のコアを搭載したISの操縦者。つまり、もし束が本気で行動に移せば、国々はアイツとお前に対してあらゆる抵抗力を失い手も足も出なくなるという訳だ」

「抵抗力て、まるで病原菌みたいな扱いですな」

「委員会はお前と束の間に個人的な関係があると睨んでいるようだが?」

「それに関しちゃ身の潔白を主張しますよ」

 

 未来でならともかく、この時代の博士との結び付きに心当たりはない。わざわざ助けてもらえるような理由なら尚更。

 

「私の事は……多分学園のカメラをハッキングして知ったんじゃないですか。ダミー映像だろうがファイアウォールだろうが、あの天災の前じゃあらゆる電子機器は丸裸も同然だ」

「お前にコケにされたお偉方が、その理由で納得すればいいがな」

「納得して泣き寝入りするしかないでしょ。私が自由になるのを阻止する術も、博士との繋がりを証明する手段もないんですから。いいザマと言えばその通りですが」

 

 はい、大人の話はこれで終了。

 残った疑問もついでに片付けちまいましょう。

 

「……で、オルコット嬢。何でキミまでいるんさね。せっかくのパーチーはどしたのさ?」

「なっ……!? 今の今まで触れずにおいて開口一番それですの!? わたくしだって、小父様をお救いするために急ぎ馳せ参じましたのに!」

「地下にはレベル4権限を持つ関係者しか入れないんじゃなかったっけか」

「それは…………英国淑女たるこのセシリア・オルコットにそんな規則など無意味ですわ!」

「うん、その心意気は賞賛に値するけどもう少し言葉を選ぼうな」

 

 ほーら隣見て? 鬼教師が怒るに怒れなくて目元ヒクつかせてるよ?

 

「……オルコット、話を聞くのは明日でも遅くはないだろう? とにかくお前は寮に戻れ。それと反省文十枚を三日以内に提出するように。理由はどうあれ規則違反には違いないからな」

「で、ですが織斑先生、わたくしはまだ小父様にお礼を――」

「だから、明日でも遅くはないと言っている。文句を言うなら二十枚に増やしてやろうか?」

「うぐっ…………分かり、ました」

 

 オルコット嬢は渋々ながらも踵を返す。

 雨が降って散歩に行けなくなった子犬のようにしょんぼりと、ありもしない犬耳と尻尾まで幻視できてしまうのは……獄中生活で私の目がおかしくなった事にしておこう、うん。

 

「あー、オルコット嬢」

「…………?」

 

 だから、そんな捨て犬みたいな目で見るなってば。

 ともあれ、

 

「まあ……何だ、助けに来てくれたのは嬉しかったよ。また明日な」

「――っ! はいっ、また明日!」

 

 ……私もまだまだ甘いのかね、二十七点。

 それまでの暗さを何処かに放り投げ、ステップでも踏みそうな足取りで去るオルコット嬢の背を見送りながら、自分の未熟さを採点する。常に九十点台の私にしては珍しく赤点だった。

 

「………………」

 

 織斑先生の視線が刺さって痛い。

 

「……言いたい事があるなら遠慮なくどうぞ?」

「別に。ただ、改めて何処かの愚弟に似ていると思ってな。自覚のない女たらしな部分が特に」

「失礼な、少年と違って自覚がない訳じゃないですよ?」

 

 期待に応えてあげられないから気付かない振りをしているだけで。

 

「…………ふん、まあいい。冷えてきたしそろそろ戻るとしよう。私の部屋の隣が空いているから今夜はそこで寝ろ」

「人肌恋しいんで一緒に寝ませんかー?」

「死ね」

「こいつぁ手厳しい」

 

 私をその場に残してさっさと寮に向かうお姉様。

 だが途中で足を止め、こちらに背を向けたまま、

 

「――ありがとう」

「え?」

「大切な家族と生徒の名誉を守ってくれて、その……感謝する」

 

 顔は見えないけど耳が真っ赤ですよ?

 ふむ、つまりこれは――

 

「…………ちーちゃんがデレたゴハァッ!?」

「礼を言われた時くらい真面目になれ馬鹿者ぉ!!」

 

 鳩尾に突き刺さる照れ隠しのキチンシンク。

 いやはや、恥ずかしがる姉さんなんて久し振りだ。

 やっぱり私はこうあるべきだよねぇ。




ようやくセシリア編が終了。
次回から鈴編でござい。
ゴーレムも出ますけどオリ敵も出ますよー、人間じゃないけど。

追記。

いつも感想をくださる方々、本当にありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

012. チャイニーズ・キティ

パチモンって意味じゃないですよ?


 まだ空が白み始めたばかりの早朝。

 全裸の姉さんが隣で静かに寝息を立てていた。

 

 はい、ごめん嘘です。

 

 今の私はそこまで爛れた家族関係を望んではいない。少なくともこの時代では。

 だからと言って同性愛への扉が開いた訳でも、魔法使いと呼ばれるようになった訳でもないので誤解しないように。体調管理はテロリストの基本。超A級スナイパーの東郷さんだって仕事の時は発散しているし、男に生まれたからには上るべき階段くらい上っとるわい。

 ハッハッハ、どうだ羨ましいかこのヤロー共。

 

 閑話休題。

 

 久々のベッドは実に快適だった。

 地下で使っていた部屋も一流ホテルに負けず劣らずだったけれど、寮にあるのはさらにランクが上かも知れん。無自覚にこんな贅沢をしているのかと思うと、今すぐお嬢様方を叩き起こして一言物申したくなってくる。アルプスの少女なんか干し草のベッドで寝てるんだぞ?

 まったく最近の若者は――とぼやきつつ、テレビの電源を入れてみる。

 篠ノ之博士の一件のせいで各国政府は戦々恐々と言ったところだろうが、どうやらマスコミには情報を流さなかったようだ。その代わり矢面に立たされたのが――

 

「おやまぁ、どっかで見たツラだコト」

 

 画面の向こうでは、国際IS委員会の緊急謝罪会見が開かれていた。時差から考えて会見場所はヨーロッパかアメリカか――まあそれはどうでもいいとして。

 委員会のロゴが刺繍された垂れ幕をバックに、奇妙にひん曲がった鼻の禿頭男が壇上でカンペを読み上げている。忘れもしない、私が殴り飛ばしたあの屑だった。

 顔は真っ青を通り越して粗雑な蝋人形のように白く、額には脂汗がいくつも浮かぶ。震えた声で何度も文章を読み間違え、今にも泡を吹いてぶっ倒れてしまいそうだ。

 無理もない。

 これまで自分達が犯してきた罪を列挙しているのだから。

 長年にわたる横領、贈収賄による票操作、お決まりの談合、果ては推薦したテストパイロットや訓練生へのセクハラまで――いやもう、これでもかと出てくるわ出てくるわ、汚職の見本市かってくらいにホコリがボロボロと。しかも呆れた事にこのハゲ豚、少年とオルコット嬢の試合で賭けの胴元まで務めていたらしい。姉さんが見てたらフル装備で殺しに行きかねんぞ、コレ。

 

「もう起きて見てるよなぁ、多分」

 

 現に隣からリモコンっぽい何かを握り潰したような音が聞こえてくるし。

 さて、これから私は三週間ぶりの朝メシを食べて同伴出勤しなきゃならん訳だが、プレデターも腰抜かして逃げ出しそうな世界最強と一緒にとかどんなハードワークよ。

 朝っぱらからアンニュイになっているとノックの音が。誰が来たのか考えるまでもない。しかし死刑当日の受刑者みたいな心境になってしまうのはどうしてでしょうねぇ。

 

「……はいはーい」

 

 ま、このまま突っ立っていても仕方がない。

 手早く身支度を整えて白衣を羽織り、テレビのリモコンに手を伸ばす。

 記者団の質問責めに耐え切れなくなった男が『これは陰謀だ!! 何者かが我々を陥れるために仕組んだに違いない!!』と半狂乱で泣き喚き、警備員に取り押さえられている。

 悪因悪果、因果応報。

 地位も名誉も、財産も家族も過去も未来も――これまで積み上げ、手に入れるはずだった全てを剥奪され、もはや人生とも言えぬ最底辺の世界で死ぬまで這い回り続ける事になるだろう。

 だが、それがどうした。

 恥を晒して国の威信を失墜させようが、役員の首が半分以上すげ替わろうが、所詮は心の腐った有象無象――私にはもう何の関係もない。

 

「では――サヨウナラ」

 

 プツン、と。

 画面は黒く染まり、耳障りな声は聞こえなくなった。 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 朝練に行く生徒への配慮なのか、寮の食堂はかなり早い時間帯から開いていた。 

 それは良いとして、どうやら食堂のおばちゃん達の間で私は『キムチが大好物』と間違って認識されているらしく、日替わり定食三人前に加えて大盛りキムチ丼ご飯抜きのサービス再び。だから嫌いじゃないけどそんなに好きでもないんだってのに。

 でもって。

 食べている最中も食べ終えた後も、織斑先生はすこぶるご機嫌ナナメだった。

 どれだけ不機嫌なのかと言うと、私がほんの少しでもボケる素振りを見せるとすぐさま箸置きが飛んでくるほどだ。我が姉ながらニトログリセリンみたいに扱いが難しい人である。グルメ界でも普通に生きていけそう。

 

「……また失礼な事を考えていないか?」

「いえいえ全くこれっぽっちも。織斑先生なら50連釘パンチくらい撃てるよな絶対とかちっとも考えてませんよ?」

「そうか。ならできるかどうか後でお前の身体で試すとしよう」

「そりゃまた情熱的なお誘いですなぁ」

 

 明日まで生きてられっかな私。

 始業時間が五分後に迫り、廊下に出る生徒も少なくなってきた。

 例の会見からまだ数時間も経っていないと言うのに、二組のクラス代表が変わっただの中国から専用機持ちが転入して来ただのと、どの教室でも飛び交う話題は凰の事ばかり。女子高生ってのは世界情勢とかより身近な噂の方を選ぶのねーとオッサンちょっと呆れ気味。

 

「凰、か……」

 

 セカンド幼馴染。

 手足を圧し折ってでも私を止めると、戦場の空で泣きながら誓言した彼女。

 どちらかと言うと、謹厳実直な篠ノ之よりも性格的には合っていたような気がする。プロポーズ紛いの事までされたのに好意に気付けなかった少年を殴りたくなるが、気付いた後も十年以上目をそらし続けてきた私にその資格はない。

 篠ノ之、オルコット、凰、まだ舞台袖で待つデュノアにボーデヴィッヒに更識姉妹。

 私の過去は私だけのもの。けれど少年と少女達の未来はこれからが本番だ。アフターケアならぬビフォーケア、犯罪者に堕ちた私の助力など迷惑以外の何物でもなかろうが、せめて恋路くらいは真面目に応援してやろうと思う。

 その第一歩としてとりあえず、このままだと殺人出席簿の洗礼を受けてしまうラーメンガールを助けてやらねば。

 早足で織斑先生を追い抜き、一組の教室の前で騒いでいる凰に背後から近付く。少年や篠ノ之が驚いたりオルコット嬢が嬉しそうに手ェ振ったりしてるけど今は放置。

 

「はいはい話に花咲かせてるところスイマセンが、SHRが始まるんでちゃっちゃと自分の教室に戻りましょうねー」

「うにゃあ!? ちょっ、ちょっと誰!? 何なの!?」

 

 制服の後ろ襟に指を引っ掛けて、猫のようにぶら下げる。

 はーなーせー、とジタバタ暴れるが、手足のリーチが違い過ぎて私にはまるで届かない。つーか相変わらず軽いなぁこの子ってば。胸に肉がついてないからかね?

 

「ドーモ、ドーモ、ハジメマシテお嬢さん。私はジョン・スミス、またの名を田中太郎、あるいはハンス・シュミットと申します。仲良くしてね?」

「アンタの名前なんかどうだって良いのよ! あたしは一夏に用があるの!!」

「うん、それは重々承知してっけど、まずはこっちに注目」

 

 くるりと仲良く後ろを向き、爆発寸前の鬼教官とご対面。

 わあスゴイ、噴き出ている瘴気で周りの景色が歪んで見える。そのあまりの恐ろしさに凰自慢のサイドアップテールがピーンと逆立った。何その妖怪アンテナ。

 

「ド、ドーモ。チフユ=サン。凰鈴音です」

「…………織斑先生と呼べ。それと、その馬鹿も言った事だがあと二分でSHRが始まる。入口を塞いでないでさっさと教室に戻れ」

「戻ります、すぐ戻ります!」

 

 ジタバタ、ジタバタ、ジタバタジタバタジタバタジタバタ――!

 

「降ろしなさいよ!」

「ではキャッチ&リリース!」

「きゃあああああっ!?」

 

 色々と面倒臭くなったんでブン投げた。運動神経はズバ抜けてるし大丈夫だろ。ほら、ちゃんと綺麗に着地して――何故こっちに戻って来る?

 

「何すんのよ、にゃにすんのよ!?」

「私に噛みつく暇があったら逃げた方がいいんでないかい? さあ織斑先生リターンズ」

「あ゙ぁ゙ん?」

「ひやああああっ!?」

 

 殺意の波動を受けリンちゃん大絶叫。

 うっかり目撃してしまった少年も篠ノ之もオルコット嬢も、ついでに鷹月さんとか相川さんとか岸原さんとか夜竹さんとかのほほんさんまで――つまりは集まっていた一組のほぼ全員が姉上様のメンチ切りに悲鳴を上げ、小動物の本能に従い私ごと廊下に閉め出した。

 妙に寒々しい風が吹く。窓は開いていないのに。

 

「なあ…………私はそんなに怖いか?」

「先生ってのは怖がられてるくらいが丁度いいんじゃないッスか」

 

 消沈するグレート・ティーチャー・オリムラ。

 こう見えてメンタルは普通の乙女(?)なのである。

 ところで凰まで一組の教室に引きこもっちゃったけど、もうすぐ始業ベルがなるってのにアイツどうするつもりなのかね。




誤字・脱字などあれば報告していただけるとありがたいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

013. 結局自分が悪いのさ

 凰の登場により篠ノ之が授業に集中できなかったり、教室の後ろで見学中の私をオルコット嬢が気にしたり、美少女キャラのシーツを被った私がスリーパーホールドを食らったり、とばっちりで少年がネックハンキングツリーを食らったり――ちょっとした波乱こそあったものの、授業自体は普通に進んでいった。うん、普通だ普通。普通って言うな!

 そして待ちに待ったランチタイム。

 何だか最近メシ食ってる描写ばかりな気がしないでもない。しかし、既に一度学んだ授業内容を事細かに説明して誰が得すると言うのか。少なくとも私の得にはならん。

 

「小父様……と織斑先生も、わたくしの隣が空いておりますのでどうぞ!」

 

 特盛りラーメンライスが載るトレイを手に何処に座ろうか考えていると、早々にオルコット嬢に見つかって大声で手招きされてしまった。

 

「……あんなにはっちゃけてたっけかねぇ。淑女が聞いて呆れる」

「小父様ー!」

 

 ああ分かった、分かったから。

 こんな人目の多い場所で『小父様』と呼ぶんじゃない。湖の水とか飲み干さなきゃならなくなるだろうが。で、結局飲み切れなくて『今はこれが精一杯……ウプッ』とかオチつけなきゃならなくなるだろうが。大体この辺に湖なんかねーよ。海水でも飲めってか。いくら私でも死ぬわ!

 

「……随分と懐かれたじゃないか」

「いやいや懐かれ過ぎて困ってるくらいで。織斑先生こそ機嫌は直りましたか?」

「さっきまではな。今また少し悪くなった」

 

 はて、どうしてでしょうね不思議デスネー。

 とにもかくにも。

 別の席を選んで無視するっつー選択肢もあるにはあるけども、放っておくと隣に座ってやるまで何時までも『小父様オジサマおじさま』と連呼しそうで怖い。

 仕方なく、空けられていたスペースに織斑先生と並んで腰を下ろす。途端にオルコット嬢が肩が触れ合うくらい間を詰めてきた。もう私にどうしろと仰るのやら。

 できる事と言えば、同じ卓で篠ノ之と凰その他大勢に囲まれた少年に話を振る事くらいだ。

 

「悪いな少年、せっかく両手に花だらけなのにオッサンとオネーサンが水差しちまって」

「あ、全然大丈夫ですよ、皆で食べた方がメシも美味しくなりますから。ところで『花』って一体何の事ですか――イテェ!? 何で蹴るんだよ箒! 鈴も!」

「ふん!」

「アンタが悪いのよ!」

「俺のせいかよ!?」

「ってな感じで青春を謳歌してるようですが織斑先生、判定をどうぞ」

「心の鍛錬が足りん」

 

 チャンバラ時代が似合いそうなご感想をどうも。

 昔の自分がどつかれてるのを見る――正直あまり楽しい物ではない。じゃあ私自身がどつくのはどうなのかって? そんなの……面白いに決まってるじゃないか。

 それからしばらくは少年と少女らのやりとりを傍観しつつ、左隣より漂ってくるやたら熱っぽい視線の回避に努めた。おかげで味なんぞロクに分かりゃしない。

 キムチ?

 もちろんサービスされましたけど何か?

 

「ときにオルコット嬢、あれを見てどう思う?」

「どう、と言われましても……」

 

 テーブルを挟んだ向かい側で繰り広げられる恋愛喜劇。

 少年と凰が和気藹々と昔の話に興じる一方で、自分の想い人が知らない女と楽しそうに話すのを見せつけられた篠ノ之が小さく頬を膨らませる。何ともまあ、どちらも応援したくなる微笑ましい光景じゃあないか客観的には。

 

「確かに一夏さんは真っ直ぐで信念を曲げる事のない、わたくしの目から見てもとても魅力溢れる異性に思えます。篠ノ之さんや凰さんがああまで心惹かれるのも分かりますし、あのような殿方と願い叶って恋仲になれたら正に夢心地ですわね。ただ――」

「……ただ?」

「あそこまで女心の機微に疎いのは、ちょっと……」

 

 わーい、そこが最大のネックかよやっぱり。

 もう一人の『織斑一夏』――私という不確定要素が存在しているだけで、決められていたはずの物語がここまでややこしくなるのか。今のところ女の子に好かれてしまった程度だが、これが後でどんな形で影響を及ぼすのか想像すら難しい。

 過去への干渉。

 未来への冒涜。

 一個人が小賢しく動き回るには――

 

「――生憎だが、一夏は私とISの特訓をするのだ。放課後は埋まっている」

 

 あ、もうそこまで進んだ?

 さてどうなるか。現状の限りじゃオルコット嬢はあまり少年にご執心じゃないようだし、これはもしかしてもしかしなくとも篠ノ之と二人きりで特訓する展開!? リンちゃん編なのに!?

 

「でも、どうせ特訓するならセシリアにも手を貸してもらいたいよなー」

「おいコラ、ちったあ場の空気ってのを読む努力をしやがれ」

 

 じゃなきゃ、せめて幼馴染どちちかの想いくらい気付いてやれや。他の子達も『あー……』とか呻いて項垂れてんじゃねぇか。

 

「わたくしも一緒に、ですの?」

 

 流石にオルコット嬢も戸惑っているようだ。

 

「わ、私一人だけでは不十分だと言うのか!?」

「だって、俺も箒もどう考えたってガチガチの近接戦タイプだろ? だったら中距離射撃が得意なセシリアに協力してもらった方が弱点の克服できるかなーって思ってさ」

「……ふむ、一応理に適ってはいるな」

 

 あらら、今度は予想外の伏兵が登場。

 空になった器に箸を置き、食後の余韻に浸りながら姉さんは両手の指を絡める。

 ちなみに、今日のメニューは月見うどん一人前。私に合わせて暴食を繰り返していたら体重計が素晴らしい数値を叩き出してくれたらしい。外見は全くと言っていいほど変わっていないのだから気にしなくてもいいんじゃなかろうか――と、これも『女心に疎い』と酷評される原因か。

 

「千冬さ――織斑先生までそんな…………せっかく、一夏と二人だけで……」

「俺がどうかしたか?」

「何でもない!!」

「一夏さん、レディーの独り言には聞き返さないのが礼儀でしてよ?」

 

 そういうもんなのかなぁ、と首を傾げる馬鹿。

 もう同一人物と思いたくなーいー。 

 ともあれ、これでオルコット嬢が誘いを承諾すれば、道筋は多少異なるが大体は私の記憶通りに進行していく事になる。この後はえーと……特訓を終えて凰に篠ノ之との同室がバレて、例の酢豚味噌汁発言で傷つけてゴーレムさんイラッシャイまでプチ冷戦状態だったか。

 ……仕掛けてくるとしたらクラス対抗戦の当日だな。

 

「それでアンタはどうするの? 一夏を手伝ってやるつもり?」

 

 まだ納得のいかない篠ノ之に代わり、何時の間にかラーメンを食べ終えていた凰が尋ねる。

 彼女にしては口調に棘がなく大人しいのは、金髪お嬢様が恋のライバルじゃない事を乙女の勘で察知したからか。私にとっては非常に由々しき事態だ。是非とも少年には頑張ってもらいたい。

 

「そう、ですわね……」

 

 頬に手を添えて悩むオルコット嬢。

 こちらをちらりと見て、良いコト閃いたとでも言うように目を細める。

 生きながらヘビに飲まれるカエルの気持ちを理解したと思った――byシュトロハイム。

 

「小父様もご一緒してくださるなら、構いませんが?」

「ちょっと待て、どうしてそこで私が出てくるのかねオルコット嬢?」

「丁度わたくしも小父様にご指導をお願いしたいと考えておりましたので。小父様以上に実戦的な技術に長けた方は滅多にいません。一夏さんの言葉を借りるなら……わたくしのアキレス腱である近接戦闘の脆さの克服ですわ」

「そう言えばセシリアも武器を出すのが遅くてちふ――」

「………………」

 

 弟を無言で睨む姉。

 

「――じゃなかった、織斑先生に授業で注意されてたっけ? じゃあ俺もコツとか教えてもらえば雪片をもっと素早く展開できるようになるかな?」

「アホ。コツも何も、繰り返しイメージして慣れるしか近道はないっつーの」

「ぐっ……俺だって箒やセシリアにアドバイスもらってたりして訓練を続けてるんですよ? でもあんまり上手くいかないって言うか……」

 

 ほー、流石は昔の私。

 だが、それだけじゃ足りない。

 圧倒的に、経験が足りない。

 

「今は?」

「えっ?」

「だから、今はイメージしてるのかって聞いてんだよ。メシ食ってる時とか風呂に入ってる間とか寝る前とか、とにかく五分でも時間を見つけて続けなきゃ三日坊主と同じだろ。自分のISを肌身離さず身に着けてるってのが専用機持ちの利点なんだから、有効活用しなきゃ損だろう?」

「では、今こうしている時も小父様は頭の中で?」

「私の場合はそれくらいしか暇潰しの方法がなかっただけだ」

 

 捕まって長期間監禁されたり、追手を撒くため地面の下や廃屋に身を潜めた時とか。

 敵さんをぬっ殺して生還する度に妹から『いよいよ兄さんも人間離れしてきたな』と呆れられたものだが、今となってはそれも良い思い出である。

 

「ま、得物を振り回す自分の姿の想像なんてアブネェ奴のする事だからオススメはしない。少年やお嬢さん方にゃあ特に。アリーナの遮断シールドを『事故』でついうっかりぶっ壊すような人間にどうしてもなりたいってんなら……止めもしないけどな」

 

 そう忠告してやると、全員が箸やスプーンを止めて黙り込んでしまった。犯罪者に人生や倫理の何たるかを滔々と説かれたようなものだし、不快になっても仕方ないっちゃ仕方ないわな。

 

「そんなオッサンで良ければ、喧嘩の勝ち方くらいはレクチャーしてやる。申し込みはお早めに」

「……話は決まったようだな。そろそろ昼休みも終わる。各自、授業に遅れないよう注意しろ」

 

 そう言って織斑先生は席を立ち、さっさと食器を片付けに行ってしまった。私もトレイを持って姉貴の背中を追う。うーむ、これじゃどっちが監視役なのか分からんな。

 

「本当に良かったのか?」

「何がです?」

 

 学食を出て職員室に戻る途中、他に人がいなくなった時を見計らって姉さんが訊ねた。

 射抜くような視線は私の着ている白衣――その胸ポケットに注がれている。普段なら待機状態のランスローが差してある空の(・・)胸ポケットに。

 

「お前のISは今、倉持技研で精密検査にかけられている最中だ。いくらお前でも、ISを纏った織斑やオルコットに生身で付き合うのは流石に無理があるだろう? それに…………昨日の今日でまだまだ本調子では……」

「もしかして心配してくれてるんですか?」

「馬鹿を言え。余計な仕事を増やされたくないだけだ」

「なはははは……」

 

 どちらにしても余計な仕事は増えると思いますけどねー。

 

「別に本気で喧嘩しようってんじゃないですし、まあ何とかなるでしょう」

「だといいがな」

 

 …………あ。

 おばちゃん達に『キムチはもういいです』って言うの忘れた。 




実写版ぬ~べ~。
何と言うか別の意味で笑えました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

014. P and A

「うおおおあああっ!!」

 

 大上段から《雪片弐型》を振り下ろすその姿は、さながら姉さんの劣化版。

 劣化――速度も威力も気迫もまるで足りていないコピー。正直、戦隊ヒーローのポーズを真似る子どもと同じにしか見えない。他ならぬ昔の私自身だし姉の模倣をするなとは言わないが、せめて相応の実力を伴ってからにしてほしいものだ。

 

「狙いが甘過ぎ。一丁前なのはかけ声だけだな」

「どわっ!?」

 

 盛大に空振った刀身をブレードの柄頭で真横から打ち、バランスが崩れた少年を蹴り飛ばす。

 諸事情でランスローが休暇中のため、私は訓練機のラファールに搭乗している。右手に展開したコンバットナイフ型ショートブレードはアロンダイトに比べるとかなり貧相だが、本気で戦闘する訳でもないしこの二人相手には丁度良いかね。

 お次は背後から猪武者のごとく斬りかかって来た、

 

「隙あり!」

「ありませんって」

「ぬぅっ!?」

 

 打鉄を纏うサムライガールの眼前に、逆手に握った左の(・・)ナイフを振り返きざまに走らせる。

 カウンター気味の牽制で生まれた一瞬の空白。

 すぐにナイフを回転させて順手に握り直し、一回、二回、三回、四回、五、六、七――計八回の刺突を肩や肘関節、刀型ブレードを持つ手首に重点的にお見舞いする。シールドバリアーの恩恵で篠ノ之は無傷だが、衝撃によって保持できなくなった得物がクルクルと宙を舞った。

 弱々しく戻ってきた少年と、地面に突き刺さった武器を抜く篠ノ之。

 二人とも額には玉のような汗が浮かび、肩で荒い呼吸を繰り返す。

 

「……五分と十二秒。なっさけないねぇ、二人がかりなんだからもう少し気張れや」

「先生が、強過ぎるんです」

「一応それ、今までで一番長いタイムなんですけど……」

「あのなぁ、公式試合なんかだと余裕で一、二時間はぶっ続けだぞ? この程度で音を上げるからお前さんらは所詮イチカとモッピーなんだ」

「言ってる意味はちっとも分かりませんけど馬鹿にされてるってのは分かりました」

 

 はい、っつー事で午後の授業も終わって放課後ザンス。

 昼休みにちょいとばかし脅しをかけてはみたものの、流されやすい少年や二人っきりが良かった篠ノ之はともかく、どうやらオルコット嬢の熱意は私が思ったよりも強かったようだ。

 終業ベルが鳴るが早いか、地下にトンズラしようとした私を見事な手腕で捕縛し――と言っても後ろから抱きついてきただけだが、淑女の面影は何処に隠れなすったのやら。何を勘違いしたのかのほほんさんにまでハグされて状況はさらにカオス。前から後ろからぷよんぷよんと自己主張する部位については敢えて触れない方向で。

 ちなみに、本来はレベル4権限を持つ者しか立ち入りを許されない地下施設だが、私に関しては出入りする際に織斑先生か山田先生が一緒であれば問題はない。

 今のところ私の興味がそそられるような代物は石化状態の暮桜を除けば皆無に等しく――本当に嗅ぎ回られたくないならそんな場所を危険人物の仮住まいに指定するんじゃねぇって話だ。

 何はともあれ、付き合ってやると言った手前断る訳にもいかず、妙に上機嫌な金髪お嬢様と妙にやる気に満ちている鈍感と妙に気落ちしているサムライポニテを連れ立って第三アリーナへ。

 小一時間ほど折檻と休憩を繰り返し、今に至る。

 さて、これからどうしよう。

 教官っぽく咳払いでもしてみようか。

 

「えー……コホン、エヘン、ガハッ……ゴホゲホガホゴバァッ!?」

「何故いきなり吐血!?」

「グフッ――ああ済まない、持病の横隔膜痙攣が起きただけだから気にするな」

「つまりただのしゃっくり!? よく見りゃトマトジュースだし!」

「キミらも飲むかい?」

「「いりません!!」」

 

 断られちったよ。当たり前か。

 

「と言うか、今日はあの黒いISじゃないんですね」

「アレを使うとねー、研究機関とか政府とかの目が鬱陶しくなんのよ。力加減をちょっと間違うとこの前みたいにメチャクチャにしちまうし、これ以上設備とかぶっ壊したら織斑先生にどんな目に遭わされるか分かったもんじゃないっての。つか想像しただけでもおっかねぇ」

「あー、それは怖い。確かに怖い」

「でも千冬さんを何度も怒らせてるのに全然懲りてない先生の方が別の意味で私は恐ろしいです」

「はっはっは、どんどん褒めてくれ給へ」

 

 コラコラ、駄目だコイツ……みたいな顔すんな。

 この波乱万丈な世界を生き抜くためには、身内とのスキンシップとかその手の刺激が必要不可欠なんですよチミ達。仔ライオンが兄弟とじゃれ合って狩りの仕方を覚えるのと同じ感じで。つまり私と姉さんは常日頃から獲物を襲う修練を欠かしていない訳でなにそれこわい。

 

「じゃあ、質問とかありますか?」

「――はい」

「はい篠ノ之くん」

「さっき私が攻撃する直前、先生は確かに右手にナイフを持っていました。それは間違いないのに次の瞬間には左手にあって……」

「始める前にも言ったと思うが、私は一本しか使っていないからな?」

「しかしそれでもナイフを別に隠し持っていたとしか思えないお手並みでした。一体どんな方法を使ったのですか?」

「ふふん、良いポイントに目を付けたね武士っ娘ちゃん。と言うか、そこに気付いてもらわないとお前さんらをボッコボコにした意味がなくなっちまうトコだったぜ?」

 

 私はナイフを持った右手と空の左手を二人の前に出す。

 

「白式も打鉄もブルー・ティアーズも、もちろんラファールも、ISの武装は基本的に拡張領域に収納されている。操縦者はそれをイメージし実体化させて使う訳だな。キミらのようなヒヨッ子の場合だと選択してから展開するまでにある程度のタイムラグが生まれるが――」

 

 右手のナイフを一度拡張領域に戻し、すぐに左手に展開する。

 

「とまあこんな具合に、各国代表選手や熟練のIS操縦者――その中でもほんの一握りの実力者は文字通りの一瞬で武器を呼び出す事ができる」

 

 タネ明かしすればどうって事はない、デュノアが得意とする高速切替(ラピッド・スイッチ)の応用だ。

 本来は大量の武装をフル活用するための戦闘技法も、使い方と状況次第では相手の虚を突くのに非常に有効な手段となる。今は少年達に教えるためわざと速度を落としたが、本気を出せば姉貴の目だって誤魔化せる自信があるぜ?

 

「すごい……」

「まあ、覚えておいて損はない小技だな。他に質問は?」

「ハイッ」

「はい、少年」

「あ、いや、質問ってのもちょっと違うんですけど、俺達だけで良かったんですか? セシリアもスゴイ楽しみにしてたみたいですけど」

 

 少年が首を巡らせて、アリーナの隅で影を背負うオルコット嬢を見た。

 見られている事にも気付かず、本人は体育座りで地面にのの字を書き続け、六機のビットだけがそれぞれ別の軌道を描いて周囲を旋回している。

 

「私らとオルコット嬢とじゃ戦闘スタイルがまるで違うから仕方ねぇのよ。まずはビットの操作を完全に自分の物にしなきゃ、接近戦のノウハウを教えても応用できねぇだろうが」

「そうは言っても……」

「ISも自転車と同じだ。口で乗り方を教えたとして、それに意味があると思うか? 私ら大人の役目はすっ転んで怪我しないようにケツ押さえて支えるところまで。結局はキミらが補助輪なしで乗り続けないと何時まで経っても上達はしない」

 

 別メニューを言い渡してかれこれ四十分弱。

 操縦者の心境とは真逆に、ビットの動きは確実に精確さを増しつつある。

 そもそも適性や才能がなければブルー・ティアーズの操縦者、そして代表候補生に選ばれたりはしなかったのだから、オルコット嬢の成長はむしろ想定内。イギリス政府も見る目だけは人並みにあったようだ――いや、この場合は選ばれるだけの技量を持つオルコット嬢に感心すべきか。

 

「まあ、お嬢もお嬢で真面目に取り組んでるみたいだし、できるなら他にも色々と教えてやりたいところなんだが――残念ながら私にはもう時間が残されてない」

「時間がない……?」

「言葉通りの意味さ。命が尽きる前に……キミ達を鍛える事ができて良かった」

「まさか……何か病気ですか!?」

「た、大変じゃないですかソレ! 早く医務室、いや病院に!!」

「無駄だ。どんな名医でもこればかりはどうにもできない。つか医者なんぞ役に立たん」

「そんな――」

 

 ほぅら聞こえてくる聞こえてくる、私の命を削ろうとする死の足音が。

 ようやく気付いたらしい少年と篠ノ之も揃って顔を青褪める。

 

「いや実はさぁ、特訓に付き合ってくれって頼まれたの今日の昼だろ? 本来なら私は部外者だしあんまり急だったもんでロクな準備もできなくて――このラファールと武器、格納庫にあったのを勝手に拝借してきたヤツなんよ。これがどーゆー意味かっつーとだな……」

「――おい」

 

 押し殺せずだだ漏れなお怒りの声と共に、私の首根っこを背後から鷲掴みにする誰かさん。

 ギリギリギリッ――と常人ならば椎骨が砕けてしまいそうな馬鹿力だが、シールドバリアーさえ無効にするとは流石は私のお姉さんでいらっしゃる。見た瞬間に石になるかも知れんし、どれだけ怒髪衝天な形相をしているのか怖過ぎて確かめられん。もう既に動けないけどさ。

 

「余計な仕事を増やされるのは御免だと……私は言ったよな? ああ確かに貴様の目を見て言ったはずだとも。つまりは有罪確定だ。何か遺言があるなら一応聞いておこうか?」

「……盗んだISで走り出したいお年頃だったんです」

「よし、聞いてやったから安心して死ね。私自らの手で今度こそ殺してやる」

「だそうなんで、今日はもう自主練だけにしてちょーだい。オルコット嬢にも伝えといてねー」

 

 壊れたオモチャのように頷く少年少女をその場に残し、首を握り締められたまま私はずるずると引き摺られていく。行き着く先はピット、あるいは生徒指導室と言う名の処刑場だろう。

 まーったく、人に何かを教えるってのも楽じゃねぇや。

 

「――ふんぬわあああああああぁぁぁぁっ!!?」

 

 おおイチカよ、しんでしまうとはなさけない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 彼岸花が咲き乱れる河原から戻って来れたのは、すっかり陽も落ちた頃だった。

 時刻は午後九時前、場所は学生寮の廊下。

 若かりし私が超鈍感主人公補正その名も『イチカ』を遺憾なく発揮しやがり、凰が心の拠り所としていた数年越しの『約束』――本人にとって勇気を振り絞った告白を台無しにした場面である。

 思わず目を背けたくなる黒歴史、いや前科と言うべきか。何ともはや、二十年経ってから馬鹿な自分の尻拭いでフォローに回らなければならんとは……人生って分からんねー。

 ボストンバッグ片手にこちらに走って来なさる小猫を発見。

 怒りながら今にも泣き出してしまいそうな顔が、戦場での決別をフラッシュバックさせやがって罪悪感がガッシガシ削られる。

 では、やーれやれっと。

 

「はい、ちと止まれお嬢さん」

「わぷっ!?」

 

 正面衝突――しかし衝撃吸収に特化した着ぐるみによりダメージはゼロ。ぼふんっ、とベッドに倒れ込む時に似た音が腹の辺りから伝わってくるだけだった。

 軽く、小さく、弱々しく、まるで本物の猫にでも触れているかような感覚。

 我の強い性格でついつい忘れがちになるが、凰も篠ノ之もオルコット嬢もISに乗れる事以外は何処にでもいる普通の少女と全く同じなのだ。いくら女性の地位が向上し過度に優遇される世界であってもそれは変わらない。

 喜び、悲しみ、そして傷付く――恋が上手くいっていないのなら尚更に。

 抱き着いている事に気付き、凰はすぐに距離を取る。そして涙が浮かぶ鋭い視線で私を睨んだ。

 

「どうも、通りすがりのた○パンダです。特技はブレイクダンスです」

「全然たれてない!?」

 

 アグレッシブな性格なんです。後でのほほんさんと着ぐるみパーティーを予定しております。

 それはそれとして。

 

「…………何のつもり? あたしはアンタみたいな変人に用はないんだけど? てかそのカッコは喧嘩売ってるって考えていいの――」

「また記念写真? どうぞどうぞハイチーズ」

「あたしの話聞きなさいよ!?」

「ん、ああ悪い悪い。さっきからここでスタンバッててなぁ、おかげで人気者になっちまったい」

 

 友人と楽しそうに部屋に戻っていく名も知らぬ女生徒を見送り、改めて凰に向き直る。

 ……パンダの姿で。

 仕方ねぇでしょ、指が出なくて背中のチャックが下ろせないんだから。

 

「随分と機嫌が悪いじゃないか。小学生の頃にした結婚の約束を、少年にまともに受け取ってすらもらえなかったのかな?」

「……何で知ってるのよ。まさか覗いてたの!?」

「そんな無粋な真似はしない。オジサンは何でも知っているだけさ」

 

 さてさて、柄でもない人生相談を始めようかね。

 昔よりマシな展開になりゃいいが。




次回はゴーレム戦。

ですが大人一夏が戦うのは別の何かです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

015. 裏

前半、主人公がウザいです。


「うんばばうばうばめらっさめらっさ」

「めらっさめらっさ~♪」

「助けてくれー!」

「往生際が悪いぞ! 観念したまえ少年!」

「諦めたまえおりむー!」

「そっち壁! 俺はこっちです!」

 

 あら?

 

「なあ、あれは何をしているんだ?」

「……さあ。少なくともわたくしの目には、紙袋を被った小父様と布仏さんが吊された男(ハングドマン)よろしく逆さ吊りにされた一夏さんの周りをぐるぐる回っているようにしか見えませんけど」

「じゃーじゃ丸じゃじゃ丸」

「ピッコロピッコロ♪」

「ポロリは除け者ですの?」

「そこツッコむところか?」

 

 凰鈴音の恋の悩み、と言うより少年が如何に女心が分かっていないかをチューハイ片手に一晩中聞いてあげたあの日から早数週間。

 罪悪感に押し潰されそうになりつつ私なりにアドバイスしたつもりだが、それが功を奏したのかあるいは逆効果だったのか、クラス対抗戦を前にして、少年と凰の冷戦はこちらの記憶から大きく変化する事はなかった。

 ただ、いくらか凰の態度は柔らかくなったように思える。

 非は明らかに少年にあるが、勢いで平手打ちを見舞った事を謝りたくて、けれど気恥ずかしさに負けて未だに言い出せずにいるらしい。初々しいお嬢さんだぁねホント。

 

「めがっさめがっさ」

「にょろ~んにょろん♪」

「まるで獲物を仕留めて歓喜する原住民みたいな舞ですわね」

「布仏も布仏で楽しんでいるようだしな」

 

 しかしながら、それはそれ、これはこれ。

 状況に多少の好転があったとは言え、約束の意味を履き違えていた少年のニブチンさはいささか目に余る。かつての自分だからこそ、私自身も悶え転げるような相応の罰を与えなければならん。

 敢えて言うが、決して、断じて、興味本位で面白がっている訳ではない。ないったらない。

 

「ピーチクパーチクほーいほいほい」

「ほ~いほいほい♪」

「あ、今度は謎の彫像に向かって祈り始めましたわ」

 

 美術部の子達と茶をしばきながら数日で彫り上げた自信作です。

 その名もズバリ『頂点捕食者』であーる。

 

「人間ピラミッドの頂点で仁王立ちする千冬さんに見えるんですが……先生、これがバレたらまたヒドい目に遭わされるんじゃないですか?」

「気にしなーい気にしなーい」

「気にしな~い♪」

「どうでもいいから箒もセシリアものんびり見てないで早く二人を何とかしてくれ! 俺もうすぐ試合なんだけど!?」

 

 ISスーツ姿の少年が喚いたように、今日は対抗戦の当日だったりする。

 観戦席の熱気が私達のいるAピットにまで伝わってくるほどに、既に第二アリーナは満員御礼の様相を呈している。今回と言いオルコット嬢の試合と言い、今さらだが基本的にこの学園の連中はお祭り騒ぎが大好きのようだ。生徒会長からして面白けりゃOKって性格だしなぁ。

 まあ、試合以外が目当ての連中も紛れ込んでいるがね。

 

「さて、体操終了。スタンプ押すから並んで並んでー」

「は~いっ」

「夏休みのラジオ体操みたいなノリ!? てかのほほんさんスタンプ集めてたの!?」

「二十個集めると5パーセントオフになります」

「……? 学食の割引か何かですの?」

「いや、体脂肪率が5パー減る」

「あんな奇行にまさかの痩身効果が!?」

「ふっふっふ、実は一組の間で徐々に広まりつつあるんだぜ少年よ」

「イヤだよそんなクラス!? 俺不登校になっちゃいますって!」

「そうなったら学園物のドラマみたく皆で部屋まで迎えに行ってやるよ。呼ばれてのこのこドアを開けたら廊下に紙袋を被った女子がわらわらうじゃうじゃ」

「もはやホラーだ! そして俺は後ろです!!」

「あれま」

 

 やっぱり覗き穴を開けた方が良かったか。なーんも見えねぇでやんの。

 などとふざけている内に、試合開始の時刻まで残り三十分を切った。流石に凰を待たせる訳にもいかんし、何より遅刻などしようものなら織斑先生がスーパー野菜人3になる。

 

「仕方ない。とっとと本題に入るか」

「今までの全部茶番!?」

「当たり前だろ。何言ってんだお前は?」

「素で聞き返しやがったよこの人……」

 

 宙ぶらりんのまま愕然とする少年。そこは『なん……だと……?』とか言えよ。

 ちなみに、何故この場にのほほんさんが同席しているのかと言うと、凰の愚痴を聞いていた私が他の娘の意見も欲しくなり、何時の間にか着ぐるみパンダの背中にひっついていた彼女にも感想を求めてみたのがそもそもの発端だ。

 凰の涙ながらの訴えを聞き終えたのほほんさんは、

 

『それはおりむーが悪いね~?』

 

 と――普段と同じエンジェルスマイルを浮かべて穏やかに仰ってくれたのだが、細められた瞳の奥に底冷えのする迫力が込められていたのは……おそらく気のせいではない。ネコ科小動物の勘によるものなのか、白衣の裾を握る凰の手もぷるぷる震えていたし。

 そんな経緯で、私の脳内ランクで上位に君臨するクイーン布仏様もオシオキ、もとい、一夏クン人格矯正プログラムに参戦と相成った訳だ。

 

「少年、お前はとんでもない罪を犯したっ!」

「犯したっ!」

「故に罰を受けなければぁ……んならないっ!」

「ならないっ!」

「二人ともいちいちポーズまで取って――絶対楽しんでやってますわね」

 

 ふっふっふ、私は知っているんだぞ? 勇気を出して謝りに行った凰のお嬢ちゃんに、ついつい売り言葉に買い言葉で『貧乳』などと心ない罵詈雑言を吐いてしまった事をな。だって私はその時天井に張り付いて全て目撃していたのだから。

 ちっぱいで何が悪い!

 凰の名誉のためにも言っておくが、二十年後の彼女の胸はちょうど手の中に収まるくらいにまで成長してそれはそれはとても素晴らしい揉みごこゲフゴホンッ!!

 

「……さあ少年よ、骨の髄までとくと味わうがいい。あまりの残酷さに私でさえ今の今まで使用を躊躇っていた究極の苦痛を! のほほんさんスタンバーイ!」

「あいあいさ~」

 

 敬礼し、ぽてぽてぽて、と可愛らしい足音を立てて少年に近付くのほほんさん。その手には私があらかじめ渡しておいたメモが握られており、少年に触れるか触れないかの位置で彼女はぴたりと足を止め――書かれた内容を声に出して読み上げようとする。

 さて、ここで少し考えてもらいたい。

 少年は今、天井から逆さ吊りの体勢にある。そしてのほほんさんは一組でも低身長のグル-プに入り、双方が天地逆転の状態で正面から向き合った場合、偶然なのか必然なのか、のほほんさんの視線は少年の下腹部――もっと具体的に言ってしまえば両足の付け根、つまりは股関節部の周辺に一直線に突き刺さる事になる。

 ISスーツでボディラインがはっきり分かる股間に。

 

「『わぁ、おりむーのちっちゃ~い(笑)』」

「ぐっはぁ!?」

「げほぁっ!!」

「い、一夏ぁ!?」

「小父様ぁ!?」

 

 少年が血を吐き、私はアセロラジュースを噴出した。

 うーむ、想像以上の破壊力、いや殺傷力。

 

「『親指さんと同じくらいかな~?』」

「ごぼぁっ!!」

「ぶるああああああああっ!!」

「お二人とも気をしっかり持ってくださいまし!」

「布仏、止めるんだ! それ以上は危険だああっ!」

 

 人呪わば穴二つ。

 悩む女子を『貧乳』とあげつらい、貶めてしまったのなら、たとえどれだけ苦しかろうと一端の男として『粗品』の酷評を甘んじて受け入れるべきだ。

 もちろん、のほほんさんは直に少年の愚息を凝視している訳ではない。我が心の清涼剤にそんな生々しい物体をご覧いただいてたまるか。紙袋によって視界を保護された彼女は、ただメモ通りに主語をぼかしたセリフを言っているだけだ。

 もっとも。

 冗談のつもりだったこの提案に賛成してくれたのも、他ならぬのほほんさんだが。

 

「先生……アンタ、アンタなんて惨い拷問を……」

「ごふっ――く、くくく、甘いぞ少年。真の恐ろしさはこれからだ」

 

 万が一これを受けたら、少年は新しい世界の扉を開いてしまうかも知れない。

 

「よく聞きたまえ少年。これは凰のお嬢ちゃんとのもう一つの勝負だ。試合で勝てばお嬢ちゃんはお前に約束の本当の意味を教えると言っている。その前に自力で間違いに気が付けたならそれでも構わない。だが試合に負けて正しい答えも見つけられなかったその時は――」

「そ、その時は……?」

「のほほんさんと同じセリフを山田先生にも言っていただきまーす!! しかも『言ってあげると少年が泣いて喜ぶんで是非に!』とか唆して!」

「いいやああああああああっ!?」

「言うぞ、あの人だったら絶対言うぞ! 意味なんて全然考えずに優しい声で!」

「ぬわあああああぁぁぁぁ……――かふっ」

 

 あ、死んじゃった。

 まあせいぜい頑張れ若者よ。

 どうせ決着なんかつきゃしねーんだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「遅かったな」

 

 皆が試合観戦に出払って人気がなくなってしまった通路を奥へと進んでいくと、壁に背を預けて腕を組んでいる愛しのお姉様と出会った。

 出会ったと言うか、ここで待ち合わせてただけだったりして。

 

「……ごめ~ん、待ったぁ?」

「その首刎ね飛ばしてやろうか? んん?」

「すいませんマジ勘弁してください」

 

 スタイリッシュ土下座を披露する私。

 今さら感ハンパないけども、もう人間じゃねぇよこの姉。

 だってさ、スーツの袖の中にもう一方の腕を突っ込んだと思ったらお馴染みの打鉄用ブレードが出てきたんだぞ? 暗器使いもビックリするに違いないっての。

 

「まったく、こんな時くらい真面目にやろうと思わんのか」

「こんな時だからこそ、普段と同じように余裕を持つべきなんですよ。それで、外から来なすったお客さん方はどんなご様子なんで?」

「今のところ派手に動く様子はないな。あんな国でも面子や体裁がある。他の国も注目する場所で大っぴらに騒ぎを起こしたりはしないだろう」

「やるなら証拠も残さずこっそりと――ってな具合ですか。如何にもな黒服グラサン共をぞろぞろ引き連れておいて『何もしたりしませんよー』とか信じてもらえる訳ないでしょうに」

 

 身辺警護のためのSPという建前らしいが、たかが一人の官僚を守るのに四十人近い動員はどう考えたって多過ぎる。しかも姉さんからの情報では、来賓席を固めているのはせいぜい十人程度で他の黒服の姿は確認できなかったとか。

 では――残りの三十人は何処へ消えた?

 考えるまでもない。

 

「寮のセキュリティは大丈夫なんで?」

「他の先生方も無能じゃない。不審な輩がいればすぐに取り押さえられる」

「私は普通に這入り込めましたけど」

「…………その件については、事が済んでからみっちり聞くとしよう」

「あらやだヤブヘビ」

 

 クラス対抗戦ともなると、この前の少年とオルコット嬢のような模擬試合とはまるで意味合いが違ってくる。生徒達……特に一、二年生は単純にイベントと捉えているようだが、各国からすれば貴重な人材発掘の場になる訳だ。同時に、いずれ対立するかもしれない国の戦力を把握する絶好の機会でもある。何処もかしこも政治絡みで嫌になっちまうねぇホント。

 

「狙いは……どっちだと思います?」

「五分五分だろうな。お前もアイツも男性操縦者――どちらか一方でも確保できればそれで奴らの目的は達成されたも同然だ。ならば狙いやすい方を選ぶはず」

「優良物件の少年は試合の真っ最中で手が出せない。比べて私はISが倉持技研預かりで日本政府からも腫れ物扱いされている。いなくなったとしても表立って追及させる可能性は低い。とすればやっぱり『釣りエサ』の役は私が適任ですかね」

「任せていいか?」

「私以外に任せられる人間がいるってんなら辞退しますが?」

「……済まない」

 

 萎れるなよお姉ちゃん。らしくねーぞ?

 お気になさらずー、と手をぷらぷら振ってアピールし、用意された釣り場に向かう。

 目的地は第三アリーナ。

 さってさて~、な~にが~釣れるかな~。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 第三アリーナは全体が水を打ったような静けさに満ちていて、第二アリーナからかろうじて届く歓声だけが唯一の音であった。

 それ以外は何も聞こえない――今は、まだ。

 念のための保険として、無関係な人間が入ってこないように織斑先生が使用禁止の連絡を回してくれていたのだが、どうやらそんな事しなくても良かったようだ。昔の私って人気者なのね。

 私が立つアリーナ中央からは、観客席とそれに通じる全ての出入り口を見渡せる。トンネルでも掘って地下から強襲するか、あるいはそろそろ登場するゴーレムのように上空から遮断シールドをぶち壊しでもしない限り、私に気付かれずにアリーナ内部へ侵入する事はほぼ不可能だ。

 

「……一人見つけりゃ三十人はいるってか。ゴッキーかよテメェら」

 

 数分もしない内に黒服共はエサに食いついた。

 唯一残された手段は正面からの相対のみ。それ以外にないと理解しているからこそ、隠密行動が主体であるはずの工作員達は私の前に堂々と現れた。

 裏を返せば、姿を晒してしまった以上、彼らは形振り構わずどんな手でも使ってくる。学園内を動き回る時間はあっただろうし、爆弾でも仕掛けてやがったら面倒な事になりそうだ。ただでさえこれから天災絡みのイベントが発生するってのに。

 何にせよ、今ここでコイツらを片付けねーと生徒達にまで被害が及ぶ。

 

「我々と一緒に来てもらおう。大人しく従うなら手荒な真似はしない」

「私が宇宙人にでも見えるのか似非MIB共。ナンパなら他ぁ当たれ」

 

 地球基準で美人のエイリアンなら大歓迎だけども、これじゃあ人型に進化したゴッキーの群れに囲まれているのと大差ない。テメェラ地球語ツウジマスカー?

 

「…………後悔する事になるぞ」

 

 リーダー格と思しき男の合図で、全員が手に手に武器を取る。ふむ、サイレンサー付きの拳銃にスタンバトンね。その程度のオモチャでどうにかできると思われているのか私は。

 

「ハッ……テロリスト舐めんじゃねーぞ三流の飼い犬が」

「貴様――多少欠損(・・)させても構わん! 奴は丸腰で頼みの綱のISも今は手元にない! とにかく身動きを封じて眠らせるんだ!」

 

 一気呵成と言えばまだ格好はつくけれども、私にとっては火に飛び込む虫も同然。

 ランスローが私の手元にない――何処でその情報を入手したか知らないが、この連中は致命的な間違いを犯している事にまだ気が付いていないらしい。

 侍が刀を肌身離さないように。

 軍人が銃に命を預けるように。

 この私が、テロリストとして世界中から追われていたこの私が、

 

「信用できない相手に誰が大切な相棒(むすめ)を預けるかよ、あァ!? ランスロー!!」

 

 両腕のみを部分展開。

 掌中で輝きを放つ重力制御ユニットが地球上では有り得ない超重力を生み出し、私の数メートル手前まで迫っていた黒服共を地面ごと根こそぎ押し潰した。

 肉の裂ける音、骨の砕ける音に混じって、声にならない絶叫が響く。

 合成筋繊維と金属製骨格を移植した私でさえ膝をつくほどの過重圧だ。ボーデヴィッヒのような強化人間でもない生身の肉体にはさぞかし苦痛な事だろう。つか普通に展開すりゃ良かった。

 

「馬鹿な……! 何故お前のISがここにある!? 情報では倉持技研に――」

 

 サングラスの奥で目を見開くリーダー格だが、教えてやる義理はない。

 

「ぼけっと突っ立ってて良いのか? すぐにテメェの順番が回って来るぞ?」

 

 十五人ほど潰して、残りは半分。

 さあさあさあ、仮にもプロなら根性見せてくれ。

 ハンデとしてアロンダイトは使わずにいてやるからよぉ。

 

You ain't heard nothin' yet(お楽しみはこれからだ)!!」

 

 さあ、害虫駆除を始めよう。




次回はアダルト一夏用のオリ敵キャラ……というかオリ無人機登場。

しかし識別名というか機体名を考えていたのですが、スタンドっぽくなるのは何故だろう。第三部を見ながらなのがやっぱり原因ですかね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

016. 纏虎

珍しくシリアス。

オリISとの前半戦――というより顔合わせ回。

本番は次回からです。


 黒服共を再起不能にした直後。

 おそらく誰よりも早く察知できたのは、ある意味で必然だったのだろう。

 高エネルギーの熱線で遮断シールドを撃ち貫き、轟音を立てて舞台に舞い降りた異形――とあるウサミミ謹製のゴーレムⅠ。突然の乱入者に第二アリーナからは悲鳴やらサイレンやら、蜂の巣を突いたような騒ぎの様子が伝わって来る。

 だが、私が注目したのはそんな分かりきった事ではない。

 状況確認のため第二アリーナへ視線を移し――もう何もいないはずの空に、今まで見た事もない奇妙な空間が渦巻いているのを発見してしまったのだ。

 見たままに貧相な語彙で『渦』あるいは『穴』としか形容できない超常現象。

 想像がつかないのなら漫画やアニメで描かれるブラックホールか、もしくは青い猫型ロボットが所有するタイムマシンの出入り口でもイメージするといい。

 とにもかくにも、地球上ではまず有り得ない異様な事態が私の眼前で起きている。

 しかしながら、実を言えばおおよその見当はついていた。

 理解不能な現象は全て『彼女』の仕業なんじゃないかと疑ってしまうのは――もはや条件反射かトラウマと言わざるを得ない。

 それほどまでに強い、限りなく確信に近い予感。

 

「……何時かは来ると思ってたが、予想よりも早かったな」

 

 虚空の穴より突き出る両腕。

 人間と同じかそれ以上に滑らかに、そして淀みなく動き、けれど肌の質感とはまるで異なる金属特有の光沢。手首、肘、肩、頭部と続き、ずるりと前のめりに生まれ出た『何か』は重力に従って落ちる事もなく、威風堂々たる姿勢で緩やかに空を踏み締めた。

 じゃらじゃらと、無数のコードを長髪の如く背中に流す機械仕掛けの乙女。

 眼下で暴れるゴーレムⅠと同類――だが何世代も進化した無人機IS。

 断言しよう。

 あれは紛れもなく篠ノ之博士が――二十年後の天災が送り込んできた私への刺客だ。

 

「一体どうやって……って聞くだけ無駄か」

 

 仮に訊ねたとして、望んだ答えが返ってくるかどうかも怪しい。

 あのマッドなウサギさんは常人には理解できない行動力を発揮するのが大得意なのだ。そもそも対IS用に考案されたランスローでさえ酔った勢いに任せた挙句の産物なのだから、彼女に常識を求める方が根本から間違っている。

 凰と共にゴーレムⅠを相手取っているであろう少年には目もくれず、最新型の珍客は真っ直ぐに私ばかりを凝視し続ける。だがそれもほんの十数秒だけ――背後の穴が閉じると同時に戦闘体勢へ移行し、超高速を維持したままこちらへ向かって突撃してきた。

 設置した学園側には悪いが、遮断シールドなど最初から当てにしていない。私や旧式無人機にもぶち抜ける程度の代物が役立つとは思えなかったし、その事実を立証するかのように、シールドは新型機の爪によって障子紙よりも容易く貫かれてしまった。

 

「超振動クローか。おっかねェもん搭載しやがって……」

 

 新型の勢いは微塵も衰えず、それどころか迫力は増し続ける一方で、既に肉眼では捉え切れない速度にまで達している。仮に教師陣がこちらの異変に気が付いたとしても、打鉄やラファールでは性能に差があり過ぎる。それこそ姉さんでもない限り制圧はほぼ不可能と言っていい。

 もっとも、今頃システムクラックに大忙しな第二アリーナと同じく、この第三アリーナも完全な牢獄状態になって出る事も入る事もできないだろうが。

 

「こォ……んのぁ!!」

 

 右手に黒の突撃槍を展開し、唸りを上げて迫り来る十爪を迎撃する。

 並大抵の近接装備を用いたところで高周波振動の相手にすらならないが――耐久性と重量のみを徹底的に追求したアロンダイトならば真っ向からぶつかっても破壊される可能性は低い。

 それでもヂィィィィッ!! と耳障りな音を立てて表面に傷がいくつも刻み込まれ、絶え間ない振動が腕に伝わって来た。

 

「舐めんなコラァッ!!」

「――!!」

 

 猛襲の隙間を縫って腹に蹴りを入れる。

 かなり強めに――有人機ならば操縦者も多少は負傷するレベルの威力だったはずだが、新型機は数メートル弾き飛ばされただけで体勢も崩さず、動きにもダメージは見られない。

 流石にそう甘くはないか……。

 

『ターゲット確認。識別名:黒灰の反逆者(ガンメタル・トレイター)、搭乗者:織斑一夏。メッセージを再生します』

 

 さてどうすっべ、とアロンダイトを担ぐ私の耳に、そんな機械音声が個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)で届く。

 はて、メッセージとな?

 猛烈に嫌な予感しかしないのは何故でしょう?

 

『――こぉんのバカ一夏ああああああああぁぁっ!!』

「ふぬぁっ!?」

 

 鼓膜に想定外のダメージ!

 何なのか、何だと言うのか。つかさっきまでのと違ってめっさ聞き覚えのある声なんですが。

 

『このバカ、大バカ、非常識人! このメッセージが再生されているって事はアンタ本当に過去に飛ばされちゃったってワケ!? 束さんの言った通りじゃないのよ全く!』

『お前……もしかして凰か!?』

 

 周りにまだ黒服共が倒れているので私もプライベート・チャネルで返す。

 

『もしかしなくてもあたしに決まってるでしょ馬鹿助! ちなみにこれはアンタの質問をある程度予想して対応するメッセージを再生してるだけだから! 試しに何か質問してみなさいよ!』

『今パンツ穿いてる?』

『穿いてるに決まってるでしょ馬鹿! ってか真っ先にする質問がそれ!?』

 

 わあスゴイ、完璧な返答が用意されてる。

 

『アンタってば昔っからやる事なす事メチャクチャだったけどさぁ、タイムスリップしちゃうとかどんだけ常識外れなのよ! シャルロットや簪なんかアンタを殺しちゃったと思って自殺未遂まで起こしたんだからね!? もちろん他の皆で止めたけど!』

『…………申し訳なさ過ぎて返す言葉もねェよ』

『とにかく――もうこれ以上アンタの好き勝手にはさせないから!! 束さんが言うには時空間が安定してなくてまだ人間の転送は無理らしいけど、どれだけ時間がかかったとしても必ずあたし達全員で迎えに行くから、それまでこの「纏虎(チャンフー)」にボッコボコにされて大人しくしてなさい!』

 

 凰の怒りに呼応するように、新型機――纏虎とやらが両の爪を獣の顎の形に揃えた。無人機とは思えないほど堂に入った構えで、その気迫は熟練した武術家と比べても引けを取らず、かつて凰と生身で拳を交えた時の事を嫌でも想起させる。

 凰は誓言した。

 どんな方法を使ってでも――手足を圧し折ってでも私を止める、と。

 

『VTシステム、もちろん憶えているわよね? ラウラのISにも搭載されていたあのシステムを纏虎にも仕込んであるの。再現するのは千冬さんじゃなくて今の(・・)あたしのデータ。束さんはかなり渋ったけど、所詮プログラム通りにしか行動しない人工知能より、たとえ紛い物でもあたし自身(・・・・・)に任せた方が確実だものね』

 

 もはや質問など必要ない。メッセージの再生が終了したその時が開戦の合図となる。

 私と纏虎はステージの中央に向けて、お互いに距離を保ったまま歩を進める。踏み込むにしても飛び退くにしても、足元に転がる工作員の連中がどうにも邪魔で邪魔で仕方がなかったからだ。

 

『纏虎の左腕にも重力制御ユニット――長いからGCUって呼んじゃうけど、アンタのISと同じ装置が組み込まれているの。だから超重力空間を作り出しても無駄よ?』

『やる前にネタバレしてくれてドーモ』

 

 圧し潰しは無効化されるか。

 私が足を止めると纏虎も止まる。

 

『ねぇ一夏。あたし、アンタの事が大好き』

 

 ……ああ、知ってる。

 

『あたしだけじゃないわ。箒もセシリアも、シャルロットもラウラも楯無さんも簪も、千冬さんに束さんに山田先生だって、アンタの事がどうしようもなく大好きだから、だからアンタが自分から独りになろうとするのが許せないの。何が正しいとか何が悪いとか、全世界を敵に回すとかISの存在意義とかそんなのはどうでも良くて、ただアンタに置いていかれるのが怖くて堪らないの』

 

 人間の姿を取る虎が爪を鳴らす。

 私はアロンダイトの柄を握り直す。

 本当に凰のスペックや思考をそっくりそのままコピーしているなら、私のクセや戦闘スタイルは相手に筒抜けになっていると考えて良い。逆に言えば、私も凰の戦法を知り尽くしている。

 火蓋が切られたとして……おそらく勝負が長引く事はない。

 

『何が何でもアンタを止めて振り向かせてみせる。絶対に諦めたりしないから、言いたい事だってまだまだ沢山あるから――お願いだから待ってて』

「………………」

 

 返答はしない。

 録音された声にいくら弁明したところで意味などない。

 一方的に叩きつけられた幼馴染の言葉に対し、私に何らかの権利があるとするなら、

 

『――メッセージ終了』

 

 甲高く響き渡る金属音。

 再び交わる十爪と黒槍。

 何らかの権利がまだ残されていると言うのなら、それはやはり、何時の日かやって来るであろう彼女達に面と向かって行使すべきなのだろう。文句を言う権利か謝罪する権利かはさておき。

 

「ってな訳で、悪いがお前さんとのんびり人形遊びしてる暇なんざないんだよ」

「――――」

 

 突き出したアロンダイトの一撃を、太極拳じみた両腕の円運動で受け流す纏虎。

 単純に考えて相手の手数はこちらの倍。けれど高周波の攻撃有効範囲は指先のみ――それ以外は良くも悪くも中国拳法の使い手と変わらない。

 ランスローに飛び道具が備わっていない事を承知した上で、敢えて遠距離タイプの兵装ではなく肉弾戦で仕留めようとする――オリジナルの意固地な性格がこれでもかと反映されてやがる。

 右から左から、上から下から、超振動の爪撃が矢継ぎ早に繰り出される。

 学園に配備された第二世代のIS程度では到底歯が立たない。飛行能力を犠牲にして他の能力を向上させたランスローだからこそ、装甲を少々削られる程度で済んでいるのだ。

 何にせよ、時間が経てば経つほど状況は不利になる。

 凰の言葉を馬鹿正直に信じるなら、纏虎のGCUは左腕にしか搭載されていない。ランスローの両手足に仕込んだGCUの実質四分の一の出力しかない訳で、相打ち覚悟で使うなら過重力に縛り付ける事も――まあ一応可能ではある。

 しかし、そんな自爆特攻と変わらない戦法がこれから先も通用するのかと問われると、はっきり言って自信はない。

 

「そういう意味じゃあ、お前さんには感謝してるよ」

 

 自分の弱点を改めて省みる機会を与えてくれたのだから。

 アロンダイトを拡張領域に戻し、爪には触れないよう細心の注意を払いながら纏虎を抱き締めて拘束する。そのまま全てのGCUを反転起動――反重力の作用で私ごと射出した。

 遮断シールドを易々と突き抜け、IS学園全体を見下ろせる高度まで上昇。

 

「――? ――!?」

 

 機械でも驚く事があるのか、一対のセンサーレンズしかない顔に明らかな困惑の色が走る。

 

「『まさか』って目ェしてやがんな。そうよ――そのまさかよ!!」

 

 纏虎の頭部を鷲掴み、今度は最大重力を私の周囲に限定発生。

 二体まとめてさながら隕石のように、常軌を逸した速度で大地に引き寄せられて墜ちていく。

 墜落先は、遮断シールドが破壊された第二アリーナ。

 零落白夜で右腕を切り落とされ、ブルー・ティアーズの狙撃を受けて、それでもしぶとく少年を丸焦げにしようと頑張るゴーレムⅠ目掛けて――

 

「いっぺん死ねぇっ!!」

 

 叩きつけた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 恋に恋する可憐な乙女――凰鈴音にとって非常に重要な試合だったクラス対抗戦は、正体不明の無人ISによって修正不可能なほどに台無しにされてしまった。

 結果的にではあるが一夏と共闘して絆を深め、さらにはファースト幼馴染とかぬかすライバルに息の合った自分達の姿を見せつける事が出来たのだから、まあそれだけならばまだ許せる。

 しかし本日二度目の襲来となると話は別。元より喧嘩っ早い鈴音のボルテージは急上昇。

 無人機と同様に上空から降ってきた『何か』――いや、何であろうと殲滅確定である。

 

「い、一体何が……?」

「知らないわよ! 敵の増援でも来たんじゃないの!?」

 

 もうもうと立ち込める土煙の中で、無数のコードらしき影が蠢いている。

 鈴音が目を見開いたのはその直後――触手のように伸びた一本のコードが、一夏が切り落とした敵ISの右腕に巻き付いて引きずり込んだのだ。

 

「鈴……」

「油断しないでよね、一夏。あれ、こっち見てるわよ」

 

 状況は最悪だ。

 先ほどまでの戦いで一夏のシールドエネルギーは尽きる寸前だし、甲龍とてエネルギーの大半を削られていて万全の状態とはとても言い難い。

 必死に倒したと思ったら実は第一形態でした――なんてRPGじみた笑えない展開。

 双天牙月を構え直す暇もなく、唐突に土煙が内側から爆ぜた(・・・・・・・)

 しかしそれは新たな敵の攻撃ではなく、

 

「馬鹿っ! 二人とも早く逃げろ!!」

 

 黒灰の甲冑に身を包んだ魔人が、妙に切羽詰った声で叫ぶ。

 

「先生ぇ!?」

 

 驚愕を含んだ一夏の言葉で、鈴音は思い出す。

 そうだ、この声は。

 泣きそうになっていた自分の悩みを、親身になって聞いてくれたあの――

 

「クソッ、間に合わねぇ!!」

 

 ――警告! ロックされています!

 

「…………あ」

 

 地面に押し倒される直前に――鈴音は見た。

 黒鎧のISの背後から、虎の頭部を模した二門の砲塔がこちらに狙いを定めているのを。

 

 

 そして。

 

 

 虎の咆哮にも似た轟音と共に。

 最大威力の極太ビームが三人を飲み込んだ。




 本当に本気で戦う時はアダルト一夏の一人称視点ではなく、三人称視点での描写になります。次回の場合は少年一夏や千冬から見た戦闘風景でしょうか。

 珍しく真面目に戦っているのに心中では淡々と描写するというのも、個人的には苦手な部類の入るので。


CV:藤原啓治さんで定着してるっぽいので、それ繋がりで言わせてみたいセリフなどあればリクエストどうぞ。

2015.01.05 追記

いくつかご指摘を受けまして、どうやら感想欄にリクエストを書いていただくのは運営側の規約違反らしいので、ひとまずは活動報告ページに移したいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

017. 虎狩り

 閃光、爆炎、衝撃。

 一時的に五感が潰れた鈴音は、ただされるがままに押し倒され、上から覆い被さる一夏の重みを感じる事しかできなかった。場合が場合だったら――たとえば寮の自室や夕日に染まる保健室なら願ってもない展開だが、悲鳴が飛び交うこんな状況では頬を赤らめる余裕などあるはずもない。

 とにかく耳鳴りが酷い。視界も揺れる。

 絶対防御は搭乗者の命が危険に晒された時に発動する。裏を返せば、脳が揺さ振られた程度では発動せず――皮肉にも一夏に向けて放った衝撃砲《龍咆》と同様に、シールドバリアーを貫通して爆発の余波がダイレクトに伝わってしまうのだ。

 もしかしたら、ほんの数秒だが気絶していたかも知れない。

 いや――気絶だけで済んだのならむしろ御の字、これ以上ない奇跡と言える。

 あれだけ高出力のビーム砲撃に巻き込まれて五体満足、無傷で生還できたのは、やはり幼馴染の少年が身を挺して庇ってくれたからだろう。

 

「一夏、あ、ありが――」

「――先生ェ!!」

 

 だが、一夏の叫びによって、すぐに自分の予想が外れていた事に気付く。

 彼もまた、自分と同じように助けられていたのだと――否応なく気付かされる。

 

「…………え?」

 

 震える視線の先には、両腕を広げて立つ黒鎧の魔人。

 攻撃を受け止めたと思しき背中からは煙と肉の焦げたような臭いが立ち上り、その他にも損傷が酷く――特に左腕は装甲が完全に吹き飛んで、焼け爛れた肌が露出してしまっている。

 あまりにも凄惨な姿に、鈴音も一夏も言葉を紡ぐ事ができない。

 それは観客席で逃げ惑う生徒達や学園及び政府関係者――モニター越しに見ていた千冬も真耶も例外ではなく、悲鳴や喧騒が嘘のように止み、全員の視線がランスローに釘付けとなった。

 先のセシリア戦で有り余る力を披露した暴虐の化身。

 その彼でさえたった一撃で敗北したのかと、皆が悲嘆に暮れる中――

 

 

 

「いやーはっはっはっ、あー……ったくクソ痛ぇなゴラァ!!」

 

 

 

 ジョン・スミス、あるいは田中太郎、またの名をハンス・シュミット。

 他ならぬ、偽名しか名乗らない仮装好きの変人自身が――チンピラじみた台詞でもって絶望的な雰囲気を完膚なきまでにぶち壊した。

 

「はれ……?」

「すっごいピンピンしてる!?」

 

 これには鈴音も驚きを隠せない――と言うか、さっきから驚かされてばかりだ。

 流石に左腕は使えないのかだらりと垂れ下がったままだが、背中に負った重傷など何処吹く風と言わんばかりに黒槍を担ぎ直し、両足でしっかりと大地を踏み締める。

 直立不動、泰然自若。

 そして、およそ戦いの場には似つかわしくない、あっけらかんとした口調で笑う。

 

「おおスゲェ見て見て、私らの周りがかめ○め波食らったみてぇに抉れてんぞ」

「いや、あのっ! 先生大丈夫なんですか!? 腕とか背中とか!」

「ギャグパートじゃねーんだから痛いに決まってんだろ馬鹿。泣き喚いてそのまま山田先生の胸に飛び込んで優し~く癒されたいくらいだっつーの。だから早く逃げろっつったんだ。まあ、まさか奴さんがあんな風になっちまうとは思わんかったし、自業自得っちゃあ自業自得ではあるがね」

 

 変人は動かない。

 鈴音と一夏の前から、決して動かない。

 顔をこちらに向けて、へらへらと軽い態度を保ちながら、しかし背後の『敵』から一瞬たりとも意識を逸らさず、何らかの動きがあれば即座に対応できるよう気を張り巡らせている。

 鈴音とて代表候補生を担う身、実戦における最低限の知識くらいは本国で頭に詰め込んだつもりだったが、目の前の男はその有様と風格、立ち居振る舞いのみで、座学では到底得る事のできない経験と現実を――本当の『戦場』の姿を体現する。

 IS学園に突如として現れた特S級危険人物。

 噂だけは聞かされていたが、まさかここまでデタラメで――頼もしいとは思わなかった。

 

「さて、少年とおチビ。キミ達はアレ(・・)をどう見る?」

「どう……って言われても」

 

 返答に窮する一夏。

 無理もない。そもそもこの場この状況で完璧な答えを知る輩がいるとすれば、質問を投げ掛けたジョン太郎(仮)本人か、それこそ襲撃を企てた犯人くらいのものだろう。

 黒鎧が顎で指し示したソレ(・・)は、異形と呼ぶ他ない三つ首の怪物なのだから。

 

「まさか、第二形態移行(セカンド・シフト)?」

「ちと惜しい。どちらかってーと合体もしくは吸収と言った方が正しいかな。私と一緒にこっちに落ちてきた奴が、お前さんらとやり合ってた無人機を取り込んじまったようだ」

「アンタは、アレが何なのか知ってるの?」

 

 とにかく全身のタイガーパターンが鈴音の目を引き付ける。

 獣の四脚に女型の上半身を持ち、無人機の腕が変形したらしい両肩の砲身は、それぞれが獲物を探す虎の首のように周囲を見渡している。中央の首はコードを無数に生やし、その部分だけならばまるで魔物の皮を纏った長髪の女にも見えてしまう。

 肉食獣と機械人形の混合兵器。

 中国神話や絵巻物から抜け出た妖怪。

 これまで鈴音が見てきたどのISよりも生物じみている。

 

「どう説明すりゃいいのかちょっと困るねぇ。よりを戻したがってる元カノか、はたまた未来から折檻しにいらっしゃった戦闘マシーンか」

「……恋人くらいちゃんとしたのを選びなさいよ」

「だってさ少年」

「どうして俺に振るんですか」

「まーたまたぁ、心当たりしかないくせに。近い将来女難でスッゲー苦労すんぞ?」

 

 銃弾サイズまで口径を絞ったビームが三人の頭をかすめた。着弾した後方――アリーナの壁際で小規模なキノコ雲が立ち上り、破片混じりの爆風と衝撃波が頬を舐める。

 鈴音は一夏を、一夏は変人を、変人は鈴音を見て、

 

「……元カノさん、相当ご立腹のようです」

「『子守りよりあたしの相手をしなさい』だとさ。どうやら一対一(サシ)でのデートがご所望らしい」

「ちょっと待ちなさい、あんなのと一人で戦う気?」

 

 敵は三頭二手四脚の所属不明IS。

 対して、こちらはエネルギー切れ寸前が二名に負傷者が一名。

 鈴音達の疲労も連戦によって限界に近く、仮に三人同時――いや、狙撃ポイントに待機しているセシリアも含めた四人で攻勢に出たとしても、打ち勝てる可能性など万に一つもありはしない。

 それが、代表候補生・凰鈴音の出した結論だった。

 いくら負けず嫌いな性格でも、この状況はあまりに分が悪過ぎる。

 

「遮断シールドも一夏が壊してくれたし、ここは一度撤退すべきよ」

「確かにその通りだが――退くのは少年とおチビ、お前らだけだ」

 

 敵ISに向き直り、黒槍を地に突き立てて、変人は耳を疑う台詞を吐いた。

 

「そ――そんなの無茶だ!」

「文句も反論も受け付けません。さっさと上にいるオルコット嬢とポニテ娘も回収して織斑先生のところに戻れ。三つ数え終わるまでに出てかねーとケツ蹴っ飛ばすからな?」

「先生だってボロボロなのに置いていくなんて、できる訳ないだろ!」

「はい、い~ちっ」

 

 蹴撃一閃。

 身を案じて食い下がろうとする一夏だったが、もはや取り付く島もなく――流れるような動作の右足を尻に食らい、叫びさえ上げられずにボールの如く弾き飛ばされてしまう。進路の延長線上にいたセシリアが咄嗟に受け止めはしたものの、勢いを殺し切れず二人仲良くゴロゴロゴロ。

 

「……二と三は?」

「知らないなぁ。男は一さえ覚えておけば生きていけるのさ」

「何処かで聞いたようなセリフだわね……」

 

 様子見なのか牽制なのか、それとも威圧しているつもりなのか――敵ISはこちらに虎砲二門の照準を定めたまま、けれど攻撃に移る素振りを全く見せない。

 おそらくは、この場から確実に離脱できる最後のチャンスだ。

 

「さ、お前さんも戻りな。今なら多分大丈夫だろ」

「本当に……平気なの? その、あたし達のせいで怪我してるのに……」

「こう見えてもオッチャンはかーなーり場数踏んでんのよ。こんなんじゃあまだまだ怪我の内にも入らん。おチビみたいな可愛い子に『頑張れ』って応援でもしてもらえりゃあ、それだけで大人は意地貫いてカッチョよく頑張れるのさ」

「ひぅ――!?」

 

 籠手越しに頭を撫でられて、カッ、と顔に血が集まっていく。

 想い人の一夏(・・)に言われた訳でもないのに、かなり年上なのに、しかも普段だと着ぐるみとか着て馬鹿やって千冬を怒らせている変な奴なのに――どうしてか動悸が激しくなってしまう。

 振りほどくのは簡単なはずなのに、甘んじて受け入れている自分が何処かにいる。

 それがどうしようもないほど気恥ずかしくて、

 

「かっ、可愛いとかいきなり何言ってんのよこの馬鹿!」

「おいおい、その程度で照れてるようじゃあ少年を物になんてできねぇぞ――っと!!」

 

 鈴音が突き飛ばされるのと同時に、二筋のレーザーが黒鎧を爆炎で覆い隠した。

 しかし先ほどの悪夢とは異なり、横殴りの重力の奔流によって火柱が薙ぎ払われていく。

 現れ出でるは、右腕で黒槍を振るう悪魔騎士。

 

「ああ、そうだ。織斑先生に会ったら『気にするな』って伝えといてくれ」

「でもっ……」

「早く行け! そろそろ奴さんも嫉妬にブチ切れて誰彼構わず狙いかねんぞ!!」

 

 邪魔するなと言外に言われたような気がして、鈴音は唇を噛む。

 強引に残ったとしても、この状況では何かの役に立てるとはとても思えない。精々が盾代わりになる事くらいだが、それすらも彼は断じて許しはしないだろう。

 代表候補生だと息巻いていても。

 専用機を持たされていても。

 彼の前ではただの子どもに過ぎないのだと、否応なく自覚させられる。

 

「……っ」

 

 故に、鈴音は逃げた。

 大人しく逃がされた。

 頑張れ、頑張って、と心の中で何度も何度も繰り返しながら。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「…………それが委員会の決定ですか」

『――――』

「はい。織斑が遮断シールドを破壊したおかげで避難に支障はありません。所属不明機もあの男が抑えてくれていますので、生徒達に危険が及ぶ心配はまずないでしょう」

『――――』

「感謝の意を述べたところで受け取りはしませんよ。あの馬鹿はそういう男です」

 

 では――と通話を終え、携帯電話を胸ポケットに戻した織斑千冬は、学園各所を映し出している画面の一つを憎々しげに睨む。その瞳には明らかな敵意が宿り、自分に向けられた訳でもないのに隣の真耶がビクリと身を竦めるほどの、研ぎ澄まされた刃のような怒気を孕んでいた。

 

「……己の利益にしか見えない俗物共が」

 

 大勢のSPに囲まれて第二アリーナを後にする政府関係者達。

 国際規約によりいかなる国家や組織であろうと干渉を許さないIS学園だが、今現在アリーナで戦っているのは生徒でも教員でもない――学園の関係者ではないただの(・・・)要監視対象者だ。以前からランスローのデータを欲していた委員会の連中はそれを逆手に取り、ここぞとばかりに人を人とも思わぬ要求を突き付けてきた。

 俗物曰く、『現在戦闘中の両名は国家、引いては世界の平穏を脅かす存在であり、故に増援及びそれに類する行為の一切を禁ずる』――と。

 何と言う事はない。

 とどのつまりが、あの男と無人機のどちらが倒れても、結果的に有益な情報が懐に転がり込むと思い上がっているだけ――相打ちになってくれたら申し分ない、と腐った期待から救援を送る事に待ったを掛けたのだ。それどころか、轡木氏が交渉に尽力しなければ『鎮圧』の名目で各国政府の部隊が乗り込んで来る事態になっていたと言うのだから、怒りを通り越して眩暈すらしてくる。

 

「あの、織斑先生、本当に突入隊を待機させたままで良いんでしょうか」

「学園長の――上からの命令では仕方あるまい」

「でもあのままじゃスミス先生が……」

「……先生、か」

 

 そう言えば何時の間にか、あの馬鹿は皆から『先生』と呼ばれるようになっていた。

 授業中もふらふらと勝手に歩き回り、かと思えば、余計な茶々を入れる振りをして授業について行けない生徒に的確な助言を施す。経験を交えたその知識は専門の研究員や教師と比べてもかなり実用的で、休み時間や放課後、食事の時間にわざわざ同席して話を聞こうとする者もいるほどだ。

 委員会からの通達に『生徒』という単語は一言もなかった。

 凶悪犯のレッテルを貼られた男の方が、よっぽど生徒を気にかけている。

 何と皮肉な事か。

 

「――千冬姉っ!」

「千冬さん!」

「……織斑先生だ馬鹿者」

「そんな事より先生の様子は!? 向こうは今どうなってるんだ!?」

 

 息を切らして駆け込んできた愚弟と鈴音に、千冬は呆れて嘆息する。

 そして二人と、セシリアと箒の顔を順番に見やり、コンソールを操作して一番大きなモニターにアリーナ・ステージの状況を表示した。

 黒槍を駆使して舞う狂騎士と、両の刃を振るい虎の咆哮をもって迎撃する半人半獣が映る。

 

「戦況はやや不利だな。左腕が駄目になった上に、敵は武器まで使い始めた」

「あれって鈴さんの……」

「双天牙月!? 何であのISがあたしと同じのを持ってるのよ!?」

 

 セシリアが零し、鈴音が驚き叫んだように、半獣ISは青龍刀をモデルとした二刀一対の武装を展開し、流麗とすら言える巧みな技術で黒鎧を追い込んでいく。同じ双刃の使い手である鈴音さえ足元にも及ばない速度と威力は、徐々に、だが確実に相手の動きを削ぎつつあった。

 

「むしろ、凰さんの武装よりも凶悪ですね。あの刀身は高周波振動を起こしています。あんなので斬られたら防御特化型ならまだしも、並みのISの装甲じゃ太刀打ちできませんよ。あれを防いで食らいつく事ができるスミス先生の腕とISが――異常なんです」

 

 もう何合目かも定かではない刃の交わりの後、どちらからともなく二機は距離を取った。

 呼吸する必要性のない半獣ISとは違い、ランスローはモニター越しでも分かるほど荒い呼吸を繰り返す。激しい動きによって背中と左腕の火傷は大きく裂けてしまい、滴り落ちた体液が地面にいくつもの液溜まりを作る。

 

「凰。あの馬鹿はお前に何か言ってなかったか……?」

「……千冬さんに『気にするな』って伝えてくれって言われました」

「………………そうか」

 

 馬鹿者め、と千冬は嗚咽を噛み殺すように口の中で言葉を紡ぐ。

 増援が来ない事も、自分が見捨てられている事も――あの男は全て分かっている。理解した上で仕方がないと笑みを浮かべて達観し、立場と信念の板挟みに苦しむ千冬の心さえ慰めようとする。

 まるで、我が侭を言う子どもをあやすかのように。

 

「――スミス先生が構えました!」

 

 真耶の声に再び全員の視線がモニターに集まる。

 黒鎧が取るのは、右肘を大きく後方に引いた刺突の構え。腰を深く深く落とし、限界まで押さえ込んだ膂力をバネに貫き進む一撃必殺。腰布代わりに纏う余剰エネルギーが、彼の意思に感応して火焔の如く揺らめく。

 

「これで勝負を決めるつもりだな」

「先生は……勝てるだろうか」

「小父様は絶対に負けたりしませんわ」

『――オォォラアアアアアアアァァァッ!!』

 

 ランスローが動いた。

 一直線に飛ぶ瞬時加速(イグニッション・ブースト)――腕と覚悟さえ伴えば未熟者の一夏でも可能な技だが、その直後に見せたあまりにデタラメな行動が全員の常識を粉々に破壊した。

 消えた(・・・)のだ。

 

「……はぁ?」

 

 その呟きは誰の物だったのか。

 個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)ならまだ分かる。アメリカ軍にも使い手の代表操縦者がいる。

 しかし忽然と消えるとなると、そんな技術は世界の何処を探してもまだ確立されてはいない。

 連鎖する地面の爆発は線で結ぶとジグザグに――半獣ISに向けて突き進む。

 

「まさか……まさか瞬時加速(イグニッション・ブースト)で最高速を保ったまま、足をアンカー代わりにして強引に軌道を変えているのか!?」

「無理ですよ! そんなの有り得ません!」

 

 可能性があるとすればそれしかない。

 だが真耶が言うように、まず有り得ないと断言できてしまう。

 それほどまでに滅茶苦茶な裏技だ。

 

「普通はできないのか? セシリア」

「……理屈では可能かも知れませんが、まず脚部の装甲が負荷に耐えられませんし、下手をすれば小父様の両足の骨と筋肉が使い物にならなくなってしまいます。新幹線に乗り込んだままレールを掴んで進路を変えるようなものですわ」

「オルコットの言う通りだ。駆動系に特化したISなら話は別だが、やれと言われても私にだってできるものじゃない」

 

 呆然とする皆をよそに、とうとう爆発が半獣ISを攻撃範囲に捉えた。

 二門の砲身はランスローの動きについていけず首を巡らせるに留まり、両の手に握る双天牙月は瞬く間に弾かれ、半獣は完全な無防備となる。

 見守る誰もが彼の勝利を確信したその時――

 

『ごぁがっ!?』

 

 予想だにしなかった方向から不可視の一撃を撃ち込まれ、自身の加速の勢いに引っ張られる形でランスローはアリーナの壁に衝突した。

 彼を内包してガラガラと崩れ落ちる装甲壁。

 よくよく注視してみれば中央にある女型の首が、さながら歌うかのように口を開けている。

 

「嘘でしょ……? 衝撃砲まで……」

 

 一番に声を漏らしたのは、やはり鈴音だった。

 同じ得物と武装を持つ半人半獣IS、それが自分と一夏の命の恩人とも言える相手を滅多打ちにしている――彼女からすれば悪夢以外の何物でもないだろう。

 

「待て、凰。何処に行くつもりだ?」

 

 踵を返して部屋から出ようとする鈴音を、千冬は静かに呼び止める。

 

「あの人を、助けに行ってきます! あれはあたしの、あたしの(・・・・)――」

「気持ちは分からんでもないが、落ち着け。今行っても何の援護にもなりはしないぞ?」

「けどこのまま黙って見てるだけなんて、そんなの……痛っ!?」

 

 諦め切れない小娘の額に千冬のデコピンが突き刺さった。

 

「だから、落ち着けと言っている。向かったところで間に合わん」

「見殺しにしろって言うんですか!?」

 

 二発目のデコピンを食らわせる。

 今度は結構強めに。

 

「落ち着いて、もう一度良く観察してみろ。あの馬鹿は既に勝っている(・・・・・・・・・・・・)

「え?」

「千冬姉、それってどういう……?」

 

 千冬は黙って半獣ISを指差した。

 より正確には、半獣ISの腹部を刺し貫いた黒槍を。

 

「何時の間に……」

「衝撃砲で吹き飛ぶ直前だな。アイツめ、敵が隠し玉を持っていると承知の上で吶喊したらしい。最初から肉を切らせて骨を断つつもりだったんだ」

 

 モニターの向こうで半獣ISが苦しそうに悶え、黒槍を引き抜こうとする。

 だが、あの男が大人しく待つはずもない。

 

『こォんのドラ猫ガァ! 皮ひん剥いて三味線にしテやろうカァッ!!』

 

 ガレキを蹴り飛ばし、右手である物(・・・)を掲げながら黒鎧が高らかに吼える。

 

「今度は何だよ!?」

「アリーナを囲う装甲板の一部だな。普通のISなら持ち上げられるかどうかも怪しいが……」

『逝ッチマイナァー!!』

 

 投げた。

 おそらくはお得意の重力操作で無重力状態にでも変えているのだろうが――右手のみの投擲とは思えない速度で、鋭い切っ先の装甲板が半獣ISに迫る。

 迎え撃つは、連結して左手に握り直した双天牙月。

 回転に超振動が加わった青龍刀の刃が、風切り音を巻き上げて装甲板を両断し――両肩の二頭が死角に潜んで接近していたランスローに牙を剥いた。

 

「高エネルギー反応確認しました! 発射まで一秒もありません!」

「読まれていたぞ!」

「小父様ぁ!!」

『ところがぎっちょん!!』

 

 黒鎧は止まらない。

 退くためではなく進むために、さらに一歩踏み込んで。

 半獣ISに突き刺さったままの黒槍の柄を握り――鞘に納まった刃を引き抜く(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 それは一振りの刀だった。

 

 

「雪片……?」

 

 抜刀の流れを利用して独楽のように回転、下から上へ昇る斬撃が虎の右首を刎ね飛ばし、さらに上段から地へ落ちる一刀が音もなく左首を刈り取る。

 残された女型の首が衝撃砲と放とうと口を開くが、それすらも手遅れ。

 双天牙月を握る左腕までをも断ち切り、超重力を纏わせた彼の右拳が振り下ろされ――今度こそ半獣の命を頭から叩き潰した。

 

「…………スゲェ」

 

 愚弟の呟きも、もう千冬の耳には届かない。

 納刀し、蘇った黒槍を担ぐ姿に目を奪われ――未知の感覚にぞくりと身を震わせるだけだった。




よ、ようやく、ようや~く一巻目の終了が見えてきました。
シャル出してー、ラウラ出してー、秋さんとのオリ話も出してー、かんちゃん出してたっちゃんも出してー。
いやはや、キャノンボールファストとか学園祭とかまであとどれくらいかかるのやら。



ちなみに作中のアダルト一夏の台詞は、

・黒咲(崎)白亜さん 「ところがぎっちょん!」
・タヒチ人さん   「イッチマイナァー!!」

からのリクエストでした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

018. げに難しきは恋心なり

いわゆる『そして次の日』というやつである。


「――各国で試験運用中だったコアが何故か(・・・)一斉に機能しなくなり、国家プロジェクトがいくつか頓挫したらしい。損失総額は現時点で判明しているだけでも小国の国家予算並みだと」

「それはまた、ご愁傷様なコトで」

「まあ、流石に全てのコアを停止させたりはしなかったようだがな。束は天才と紙一重の馬鹿だが愚か者じゃあない。今回の報復をたった数個だけで済ませたのも、うちの訓練機や専用機持ちにも支障が出ると分かっていたからだろう。さしずめ、あいつなりの温情と言ったところか」

「なのに金銭的ダメージが半端ないってんですから、今の世の中がどれだけISに依存してるかの良い証拠になりますなぁ」

 

 IS学園、地下五十メートルにある特別区画。

 そこで私は監視役の織斑先生と毒にも薬にもならない世間話に興じながら、先日の一件で派手に傷物にされてしまったランスローの修理に勤しんでした。

 元々がISの解析・開発に使われているフロアだけあって、こっちとしては必要な設備や道具に不自由がなく大助かりだ。昔……っつーか未来だと、エムちゃんトコの『会社』に厄介になるまで部品や工具一つ調達するにも仲介屋を何重にも経由しなきゃならんかったし、それに比べたら痒いところに手が届きまくりで有り難いのなんのって話ですハイ。

 

「んー、やっぱ背中と左腕がズタボロだな。どーすっべ」

 

 不幸中の幸いなのか――ここなら代替パーツも目移りするくらい揃っている。しかも剥ぎ取りで得たとっておきの報酬も私の手の内にある。もう修理っつーよりガ○プラやミニ○駆とかの改造に近いなこれは。久し振りに腕が鳴るぜい。

 ではでは、電動ドリルをギュイーンっとな。

 

「つくづく器用な奴だな、お前は。技術屋になろうとは思わなかったのか?」

「私の場合はISを弄るのが得意なのではなく、修理してくれる相手がいなかったから得意になるしかなかっただけですよ。そもそも技術屋に転職しようにも、その頃にはもう悪い意味で人気者になってましたしねぇ」

 

 改めてよくよく考えてみると、ファントムでタスクなあの組織は本当に破格の条件で私を雇ってくれていたんだなぁ。メシは美味いし休暇はくれるし金払いも良いし美人は多いし、妹は可愛いしエムちゃんマジ天使だしマドカたんペロペロだし…………なんで永久就職の誘いを蹴ってパートを選んだのかね私ってば。

 

「これでも料理の腕には中々の自信がありまして、廃業したらそれを生かして食堂を、と一時期は血迷って考えた事もあるんです。裏社会の住人でも『食』は切り離せませんし、戦うコックという響きにも少なからず憧れがありましたので」

「……もうお前が寮の食堂で普通に料理してても驚かんな」

 

 実はもう既にマダム達に混ざって甘味を二、三品作ってたりして。

 更識姉やオルコット嬢経由の情報では、お嬢さん方の間で『幻のデザート』などと噂が広まっているらしい。他にも悪ノリで豚足のマシュマロ包みやカエル肉入りチョコなんぞを少年に食わせてみたのだが、その反応はまあ、推して知るべし。

 あ? ヤローがヤローにチョコ食わせんなって?

 何も知らない女の子にあんなゲテモノ食べてもらう訳にいかないでしょうが。

 

 閑話休題。

 

 三割ほどしか残ってないランスローの左腕部を肩のアーマーごと取り外し、どさくさ紛れに回収しておいた『纏虎』の左腕と組み合わせる。使う部品が部品なのでかなり生物っぽいシルエットになってしまうけれども、その左右非対称のアンバランス具合もまた漢のロメェンと言えよう。

 

「今頃委員会の信用と威厳はガタ落ちになっているんでしょうねぇ私のせいじゃありませんが」

「私は元から信用などしてはいなかったがな」

 

 背中の装甲も同様に、纏虎のパーツを流用する。

 私の戦闘スタイルと合わない《双頭虎咆》は携行武器にでも作り直すとして、念願の背部内蔵型スラスターが手に入ったのは嬉しい誤算だ。

 ランスローの機動力について未来でも何度か改善しようと試してはいたのだが、これだと言えるパーツに出会えず断念した事がある。第三、第四世代の物では出力に耐えられないし、かと言って第五世代の部品を頂戴しようにも、それらが搭載されたISは篠ノ之達が所持していたため調達は困難だった――なのに過去でゲットする機会に恵まれようとは。

 人生ってどうなるか分からんもんだねー。

 

「では、織斑先生は一体何を信じていらっしゃるんで? まさか『神様』なんてマユツバな存在を狂信している訳じゃあないでしょう?」

「…………強いて一つ挙げるとするなら――」

「するなら?」

「――力、さ。神よりはよほど役に立つ」

「それは弟さんを護るための、という意味に捉えても?」

「さて、どうだろうな。結果としてそうなっただけに過ぎんし、もしかしたらただ単純に、私達を捨てた両親に復讐する手段を欲していただけなのかも知れん。現に、私が一夏にしてやれた事などほとんど何もないからな」

 

 微妙な沈黙が漂う。

 

「そう……でもないと思いますよ。少なくとも私はね」

「………………」

 

 ちょいとばかし複雑怪奇な人生を歩まされちゃあいるが、貴女が護ってくれたから私達は此処にこうして生きている。感謝こそすれ、恨みや怒りなどあるはずもない。

 文句があるとすれば、脱いだ下着をその辺にほったらかしにしたりゴミを溢れさせたりするそのだらしなさについてだろう。正直、女としてどうよと思う。何処のミサトさんだっての。

 

「アダッ!?」

「……また余計な事を考えていただろ」

「だからって何もレンチで殴るこたぁないじゃないッスか」

 

 殺人出席簿よりは弱めだけどさ。

 

「しっかし――他でもない世界最強(ブリュンヒルデ)が、IS社会の一翼を担う組織を『信用してない』とか言って大丈夫なんですか? 私が悪の首領なら、貴女はさしずめ連中にとっての正義の象徴でしょうに」

「正義なんてものがなくても地球は回るぞ?」

「仰る通りごもっとも」

 

 調べて分かった事だが、どうやら纏虎はランスローの設計データを踏襲して作られたらしい。

 そのおかげなのかパーツの噛み合わせが非常に良く、形状加工の段階をほとんどスッ飛ばす事ができた。外見やAI搭載型と全身装甲型(フル・スキンタイプ)の違いこそあるものの、同一の母親に設計された姉妹機と言える存在なんだから当然っちゃあ当然だわな。

 送り込んだ博士と凰に礼を言うべきか、そもそも送り込まなきゃ壊される事もなかったのではと文句を言うべきか――あ、壊されるで思い出した。

 

「そう言えば、そちらでの解析は?」

「お前に掠め取られた分以外は終了している。最初にアリーナに降って来た奴は、やはり無人機でコアは未登録の物だったそうだ」

「調べてみたら謎しかなくて何じゃコリャって感じですか」

「私からすれば、お前もかなり謎だらけの不審人物なんだが? 特に、あの時使っていた刀の事を詳しく聞きたくて仕方がない」

織斑先生(ブリュンヒルデ)の大ファン……って事にしておいてください」

 

 仕込み雪片のおかげで勝てたとは言え、あれは確かに迂闊だった。

 調子に乗ると周りが見えなくなる悪癖は直した方が良いかも知れんなぁ――と何度か反省しつつじぇんじぇん直ってなかったりする今日この頃。

 

「それにしても未登録のコア、しかも所有者が不明ともなれば、何処の国も喉から手が出るくらい欲しがっているんじゃないですか?」

「ああ。遠隔操作か独立稼動か――どちらにしても、お前が懐に隠し持っているもう一つのコアも含めてその技術的価値は図り知れん。ひとまずはIS学園で保管する事になるが、お偉方は牽制の真っ最中だろうな」

「笑顔で握手しながら、机の下では互いの足を蹴り合ってると。珍しくもない」

 

 キーボードを引き寄せて、更識妹直伝の指捌きでカタカタカタカタ。

 ふむ。システムエラーは検知されず、駆動系のエネルギー伝達率も向上っつーか何か知らんけど想像以上に大幅アップ。つまりはじゃじゃ馬がじゃじゃじゃ馬になった。決して岩手県の方言ではないのであしからず。凰の怨念が乗り移ったような気がしないでもないけど、後は実際に動かしてみてのお楽しみってぇトコロだな。

 ……呪い殺されない事を祈ろう。

 

「はい、とりあえず修理おーしまいっと」

 

 直立不動のランスローが光の粒に変換され、お馴染みの待機状態で私の手中に戻る。プルプルと細かく震える様子から察するに、お色直しをしてこの娘もすこぶる上機嫌っぽい――『他のメスの臭いがするわ!』とか言われなくてえがったえがった。

 ちなみに。

 倉持技研で精密検査を受けている(デコイ)は、こんな事もあろうかとランスローの装甲と同じ素材で作ったただの万年筆だったりする。あれはあれでお気に入りだったんだけども、まあいいか。

 それはともかく。

 

「さぁ織斑センセー、晩メシ食いに行きまっしょい」

 

 意気揚々と外に出ようとすると、後ろから控えめな力で右手を掴まれた。ナノマシンが治療中の左腕を握り締められていたら、痛みに悶絶して『URYYYYィッ!?』とか叫んだに違いない。

 振り返るとあらまビックリ、頬をほんのり朱に染めたお姉様が。

 私……また妙なフラグ立てたっぽい? 実姉に? うわぁ。

 

「……その、だな、実は一夏が絶対防御をカットしていたらしくてな、お前が庇ってくれなければ今頃あの馬鹿は病院送りになっていたはずだ。だから…………これで二度目だし言葉だけでは気が済まないしな、私からも何か礼を――」

 

 ――カシャ。

 

「…………おい、その手に持っている携帯は何だ?」

「いや、これぞギャップ萌えって感じだったんで記念に一枚……」

「…………」

 

 その時見た光景を、私は生涯忘れる事はないだろう。

 忘れたくても忘れらんねっつの。

 だって姉さんってば、真っ赤な顔でいきなり両手を合わせたと思ったら、フルメタルな錬金術師みたいに何もない空間からブレードを引っこ抜きやがったんだよ?

 

「もしかしなくても……怒ってます?」

「………………」

 

 若干涙目で頷く織斑先生。

 女性の気持ちを蔑ろにするのは恥ずべき行為ではあるが、しかしなぁ。

 姉だぜ? しかも年下の。

 

「まずは落ち着いて、お互いに感情の整理をですね――」

「――死んじゃえ」

 

 わあ直情的。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 学生寮の食堂にて。

 窓際の席を陣取った凰鈴音はテーブルに突っ伏し、行儀も悪く両腕を投げ出して某パンダの如くタレていた。気力体力共に燃え尽き、せっかく注文したラーメンもスープを吸いまくって台無しとなっている。控え目、ちっぱい、あるいはナイチチと大好評(?)の胸部のおかげで突っ伏しても息苦しくないのが幸いと言えば幸いか――

 

「ぶっ殺すわよ!?」

 

 ――失礼。

 ステータスや希少価値云々の話はともかくとして、鈴音の脳裏では夕暮れ時の保健室での場面がフラッシュバックし続けて、そりゃあもう大変な事になっているのであった。

 主に乙女の羞恥心的な意味合いで。

 

「うぁーぅあたしの馬鹿。何であそこで離れちゃったのよ……」

 

 敵の撃破を確認した後、鈴音と一夏は保健室に直行と相成った。

 疲労と軽傷、それまでの緊張が解けた事で睡魔に襲われ、目が覚めた時には既に夕方。室内には自分とまだ眠っている一夏だけで、養護の先生も当分戻って来そうにない。

 鮮明に蘇る一夏の寝顔。

 ムード満載だわ想い人は無防備だわ他に人目もないわでテンパッてしまったが故の暴走行為。

 一夏の目覚めがもう五秒遅ければ――と歯噛みして悔やみ、そして夢が叶っていた場合の光景を想像して頭頂部から湯気がも~やもや。これが自室のベッドの上だったならば、盛大に転げ回ってルームメイトから憐憫の目で見られていた事だろう。

 

「相席、よろしいですか?」

「んぁ?」

 

 ちらりと視線だけ移して確認すれば、トレイを持った金髪縦ロールがすぐ隣に立っていた。

 メニューは魚介のクリームパスタにサラダである。

 

「ああ、何だセシリアかぁ」

「何だとはご挨拶ですわね。夕飯も食べずに不気味に身体を揺すっていたからわざわざ話しかけてあげたと言うのに。それで、ここの席は空いてますの?」

「ど~ぞ」

 

 腕を曲げてセシリアの分のスペースを作る。

 名家の教育が染み込んだ振る舞いは、腰を下ろす仕草一つ取っても如実に現れる。聞いた話では自分や箒に負けず劣らずの性格らしいけど、こうして見れば優雅なお嬢様だ。この落ち着きのある雰囲気で柔らかく微笑みでも浮かべられたら、いくら鈍感で唐変木な一夏とて知らず知らずの内に心惹かれてしまうんじゃなかろうか。何より胸がデカい。箒も敵だがこいつも敵だ。貧乳派の。

 

「……ねぇ、アンタも一夏狙ってたりする?」

 

 唐突な質問に、セシリアはフォークを持つ手を止め、

 

「もう少し女心に聡ければ、まあ可能性はありますわね」

「アイツがニブチンで良かったのか悪かったのか……知ってる? 一夏ってば『付き合って』って言われたら『何処に?』って真顔に聞き返すほどの超大馬鹿の女泣かせで、中学ん時に付けられたアダ名が『人間旗折り機(フラグブレイカー)』だったのよ?」

「それはまた……もういっそ『好きです』とストレートに告白した方が早いのでは?」

「んな事できるならとっくにやってるわよぅ」

 

 本当に恋愛とは難しい。

 往々にして『初恋は実らない』と言うが、そんなバッドエンドなど真っ平御免被る。自分以外の女と仲睦まじく笑う一夏など絶対に見たくないし認めたくない。

 だから、と言う訳でもないのだろうが。

 再びパスタを食べ始めたセシリアを見ていたら、何だか無性にからかいたくなってしまった。

 

「そう言えばセシリアってあの男の人とよく喋ったりしてたわよね。ひょっとして好きなの?」

「くふっ!?」

 

 パスタソースか麺でも気管に入ったのか、これ以上ないくらい分かりやすくケホゴホと咳き込むセシリア。鈴音が手渡した水で強引に胃に流し込んでから、英国淑女は真っ赤な顔で喚く。

 

「いいい一体ななな何をいきなりっ!?」

「あーもういいわいいわ、アンタのその反応が答えになっちゃってるし。……後学のために聞いておきたいんだけど、あの人の何処が好きなの? ぶっちゃけ変人でしょ?」

 

 パンダの着ぐるみで背中にぽややんとした子を張っ付けてたり、試合前にいきなり紙袋を被った姿で現れたり、馬鹿やって千冬さんをいつも怒らせてたり――何気に一夏と顔が似てるし、本当に大変な時は助けてくれるし、一夏や千冬さんも信頼してるようだし、ふとした拍子に見せる大人の優しさが心地良いし……あれ?

 違う違う、褒めてどうする――と首を振って雑念を取っ払う鈴音。

 それを見たセシリアの乙女の勘が働いたのか、

 

「凰さん、まさか貴女も……」

「そ、そんなんじゃないわよ……まだ、多分。ただちょっと親以外に『可愛い』って言われたのも頭を撫でられたのも初めてだったから……一夏にだって言われた事なかったし」

「つまり凰さんは小父様に初めてを奪われてしまった、と」

「その言い方だととんでもない誤解を呼ぶから止めなさい」

 

 言葉の意味が分かっているのかいないのか。

 壁に耳あり障子にメアリーではないが食堂の席の半分以上は埋まっているし、万が一誰かの耳に入りでもしたら『教師とJK教え子の禁断の恋!?』とか洒落にならない噂話が学園中を席巻する大騒ぎになる。厳密には教師ですらないらしいけど、そんな事は何の慰めにもなりゃしない。

 

「好き、とかじゃなくてさ、何となーくお父さんを思い出して甘えちゃいそうになるのよね」

「…………失礼ですが、凰さんのご両親は?」

「昔は中華料理屋やってたんだけど、離婚しちゃったのよ。んで、母親と二人で日本を離れる事になっちゃって一夏とも会えなくなってさ。セシリアのお父さんとお母さんは元気なの?」

「わたくしの両親は、三年前に列車事故で……」

「……何それ、あたしん家の事情よりかなり重いじゃないのよ」

「遺産相続の話題が出た途端に親戚が二十人くらい増えたのは笑えましたわ」

「笑うトコ? ねえそこ笑うトコロ?」

 

 やっぱりこのお嬢様も何処かぶっ飛んでいらっしゃる。

 類が友を呼んでいるとは……考えたくない可能性である。

 現実逃避も兼ねて窓の外に目を向ける鈴音であったが、運が悪い事に、さらに追い打ちを掛ける存在が視界に映り込んでしまう。

 つぶらな瞳に黄色いクチバシ(?)が特徴的な白いペンギンだかアヒルだか――とにかくワケのワカラン鳥類じみた風貌の宇宙生物が駆け抜けて行ったのだ。加えて、その後を追うように近接用ブレードを携えた千冬らしき影が走り去り、最後に見知らぬ水色髪の女生徒が続く――かと思えば彼女だけ戻って来て、鈴音とセシリアの前でバッ、と扇子を開いた。

 力強い毛筆体で記されていたのは『自業自得よねっ!』の八文字。

 …………何のこっちゃ。

 

「いつもの光景よね……って言って流していいのかしら」

「よろしいのではなくて? 侵入者にしては緊張感が欠片もありませんし、あのペンギン(?)の中身は十中八九小父様でしょうから」

 

 二人、いや三人が見守る中、月明かりの下でエリザ○スと千冬が激闘を繰り広げる。

 一方は赤い顔で半ばヤケクソ気味にブレードを振り回し、もう一方は『話せば分かるっ!!』と殴り書きされたプラカードで猛襲を捌いていく。

 

『ちょっと待ってストーップ! ホントに死ぬ! 落ち着いて話し合いましょうって、ね!?』

『うるさいバカ! せっかくお前にならと思ったのに――死ね、死んでしまえ!』

『ギャー!?』

 

 何となしに『甲龍』のハイパーセンサーを起動して会話を拾ってみれば、届いて来るのはそんなアホらしい痴話喧嘩の応酬。セシリアもセシリアで耳に手をやり、風呂上りの牛乳が切れていたと知った時のような微妙な表情で聞き入っている。

 

「あたしの中で千冬さんのイメージがどんどん崩れていくんだけど……」

「織斑先生だって一人の女性だという事ですわね。昔ならともかく、今はISが浸透した女性優位社会ですし、殿方もブリュンヒルデの肩書きに気後れして言い寄って来なかったのでは?」

 

 一夏も『千冬姉って女からしかラブレター貰った事ないんだよなー』とか言ってた気がする。

 もっとも、その後すぐに千冬にバレて空中殺人コンボを食らっていたが。

 

「このままほっとくの? 想像するだけで怖いけどライバルみたいなもんなんでしょ?」

「見初めて想いを寄せる資格はどなたも平等に持ちうるもの。英国淑女として、貴族の末席に名を連ねる者として、オルコット家の人間として、応援こそすれ邪魔する気など毛頭ありませんわ」

「……おおー」

 

 何だか凄く輝いて見えるよこのお嬢様。

 一夏を巡って骨肉の争いを繰り広げていたかつての同級生達に聞かせてやりたいくらいだ。

 

「それに……『略奪愛』と言うジャンルにも少々興味がありますし」

「ジャンル言うな」

 

 最後の最後で良い言葉が台無しである。

 色々と疲れた鈴音はハイパーセンサーを切り、ゴツンッ、とテーブルに額を打ち付けた。

 ……この伸び切ったラーメンどうしよ。




 次回はちょっとオリ展開。
 と言いますか、二巻の冒頭で少年が弾の家に遊びに行った日曜日に、その裏側でアダルト一夏は何をしていたのかを詳しく。
 いよいよ元ヤンっぽいヒロイン枠登場の予定です。もちろん色々と騒ぎが起こります。ついでにゴーレム戦時の委員会に対する報復なんぞも進めちゃいやしょう。

 リクエストは、

 あだちさんより、

「廃業したら食堂(レストラン)でも……」(ヨルムンガンド:ボスドミニク)

 白銀色の黄泉怪火さんより、こちらは千冬のセリフを

「――力、さ。神よりはよほど役に立つ」
「正義なんてものがなくても地球は回るぞ?」(ブラック・ラグーン:レヴィ)

 内臓マグナムさんからは

 銀魂:エリザベスの着ぐるみを。

 それぞれリクエストいただきました。
 ありがとうございました。

 他にもACV:主任の名セリフも多数候補も上がっております。

 いただいたリクエストは蓄えてこれからも場面に合う物を(キャラの口調に合わせてちょっといじりますが)載せていきたいと思いますので、遠慮なくどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

019. 夏と秋

はい、シャル・ラウラ編直前の土日。
少年一夏が弾の所に遊びに行っている時の話です。


念のため注意を。


ぶっ飛んでます。


「…………誰だよお前。ここは何処だ? どうして私は素っ裸なんだ!?」

 

 眉間に照準を定めた銃口に対し、私は大人しく両手を上げた。

 一九五〇年にアメリカで開発された三十八口径リボルバー『S&W M36』――携行性の高さから護身用として今も根強い人気を誇る小型拳銃だが、彼女が隠し持っていたのは『Lady Smith』と呼ばれる女性向けモデルだった。弾丸が五発とも装填されているのは既に確認済み。

 とりあえず眼前にある物を適当に観察してみたものの、だからと言って事態に何かしらの変化が起こる訳でもなく――彼女がその白くて細い人差し指を少しでも動かせば、私の命は紙クズよりも容易く吹き飛ばされる事になるだろう。

 しかしまあとにかく、問答無用で鉛玉をぶっ放されたりISを展開されたりしなかっただけまだ救いはある方だ。多脚からの銃弾で蜂の巣にされる最期など御免被りたいし、日本男児ならやはり畳敷きの部屋で腹上死…………は、ちょっと違うか。

 何にせよ、気の短い彼女でも少なからず混乱しているのが幸いだった。

 

「ここは日本のホテルです。貴女は昨日、私と一緒にこの部屋に泊まったんです」

 

 真っ当な宿泊施設かと聞かれたら答えはノーだけども、それはさておき。

 カーテンで肢体を隠したまま訝しむ彼女に、私は冷静に事情の説明を行う。命を握られながらの綱渡りな現状だが、この程度の窮地は慣れっこだったりするので比較的気は楽だ。

 

「ホテル……それに日本だと……?」

「憶えてませんか?」

「知るかよ、こっちは頭が割れそうなんだ」

「相当飲んでましたからねぇ。そりゃ二日酔いにもなりますよ、オータムさん(・・・・・・)

 

 ――オータム。

 謎多き秘密結社『亡国機業(ファントム・タスク)』の一員。

 実働部隊に所属する我が妹マドカの同僚。

 そして、未来においては私も少なからず世話になった姐御肌の女性。

 

「お前、私のコードネームを……」

 

 はてさて、まず何処から話せばいいのやら……。

 以下回想!

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ゴーレム騒動から一月ちょい経って今は六月。

 座学が中心だった授業もいよいよ本格的になり――と言っても普通の高校に比べたら入学初日の時点でかなりハードだが――打鉄やラファールを使う実習も徐々に増えてきた。おっかなびっくり歩行訓練に勤しむ様子がヒヨコのように見えて初々しいやら微笑ましいやら。

 ちなみに二組との合同実戦訓練が始まるまでオルコット嬢はクラスメイトの補助を、基本知識がパッパラパーな少年は補習漬けの毎日である。専用機持ちだろうと楽させてはもらえないのだ。

 でもって、本日は土曜日。

 委員会から呼び出しがあったとかで織斑先生は不在らしく、私はと言えば轡木氏と将棋指したり二人で植木をファンシーに切り揃えたりして暇を潰していたのだが、やはりツッコミ役がいないと張り合いがない。……姉さんと一緒だったらそれはそれで今はちょっと気まずいんだけども。

 いつも陰から見守っている(?)更識姉も更識姉で、額に青筋を浮かべた布仏姉に引き摺られて生徒会室に連行されたため、本当に珍しく監視の目がない。

 てなワケで鬼、もとい姉ズの居ぬ間に何とやら――久々に外出してみようと考えた私はこっそり学園を抜け出し、歓楽街から脇道に入って進んだところにあるバーに来ていた。

 古色蒼然とした雰囲気を持つジャズバー。

 オネエサマ行きつけの『バー・クレッシェンド』とも違う独特の静けさを感じさせる――しかし実は此処、何を隠そう『亡国機業』が隠れ蓑に使っている店だったりする。

 曲がりなりにも『バー』と銘打っている以上もちろん一般客もアルコールや音楽を嗜みにやって来るけれども、それ以外のほとんど九割は表に出られない仕事人や亡国以下略との裏取引のために訪れる輩ばかりで、もうどうにもこうにも毎日がトラブル続出ダークネスなのであった。宇宙人は登場しないしラッキースケベなどまず起きないとこの場で言っておく。

 

「…………いらっしゃい」

 

 店内に一歩足を踏み入れると、すぐにマスターの鋭い視線が飛んできた。

 このマスター、まだまだ若いが中々の修羅場を生き抜いていると私は推測する。潜入捜査員とか見抜く眼力がなければこんな場所を任されてはいないし、未来でも白髪やシワが刻み込まれた凄味十割増しの風貌で店を切り盛りしているのだから、その実力は折り紙付きという事なのだろう。

 

「ギムレットを」

 

 マスターは黙って頷くと、グラスにジンとライムジュースを注ぎ始めた。

 それはまあ、良いのだけども……。

 

「…………ぅ~」

 

 私から空席を三つ挟んで、ロングヘアーの女性がカウンターに突っ伏している。

 薄い紺色のパンツスーツに身を包んだ姿は仕事のできる女秘書かバリバリのキャリアウーマンを思わせるが、時折聞こえてくる呻き声だか唸り声だかで色々とぶち壊しになってしまっていた。

 顔は分からないけど間違えようもない。

 ええと……何でこんな時間から酔い潰れてるのさ、オータムの姐御ってば。

 

「あの、彼女は何時から此処に?」

「……三時過ぎにお見えになって、それからずっとですね」

「飲んだ酒は?」

「ルシアンにオレンジ・ブロッサム、アレキサンダー、B-52にスコーピオンです」

「うわあ……」

 

 どれもこれもアルコール度数の高いカクテルじゃねぇか。

 何だ何だ、スコール姉さんが三行半でも残して実家に帰ったか? 何処だよ実家。

 ともあれシャットダウン寸前な姉貴分を見捨てる訳にいかないのも事実。このままじゃその辺のゴミ捨て場で爆睡して巡回中のお巡りさんに職質を受けるのは目に見えている。

 

「……もしもし、こんなところで寝たら風邪をひきますよ?」

「ぅ……うっせーなぁ、テメェには関係ねーだろぉが。てかこんな美人とおハナシできてんだから一杯二杯三杯奢って感情昂ぶらせて号泣しやがれよこの声だけ柱男」

「あァァァんまりだァァアァ――っ!」

「お客様、店内ではお静かに」

「あ、ハイ」

 

 しっかし、ネタ抜きにしてもあんまりな酒癖の悪さだ。

 流石は男嫌いで通ってる秋姉、女ジャイアンの異名は伊達じゃねぇな。まあ、そのアダ名を流布しまくったのは酔っ払った私とマドカなんだけどもね。やっぱり工業用アルコールのちゃんぽんはマズかった、色んな意味で。目が覚めたら組織の拠点の一つがほぼ全壊状態で、兄妹揃って記憶がすっぱり抜け落ちてたんだから。

 

「酒ー!」

「終わりですって。あと一杯でも飲んだら明日は一日中便器が友達になりますよ? はいはいはい撤収撤収、酒は飲んでも飲まれるなー!」

「はーなーせーよー!」

「いーやーでーすーっての」

 

 折角のギムレットを味わう余裕もなく一気飲みして二人分の料金を払い、お姫様抱っこと言うかほぼ羽交い絞めの体勢で店の外に秋姉を運ぶ。見方によっては紛れもなく誘拐犯である。

 

「スコールとも最近ご無沙汰だしさ、エムは新入りのクセに生意気だしさ、連携取れって言われたから部隊の奴らに話しかけたら怖がられるしさ、回されてくる仕事だって長くて面倒臭くて汚れて疲れるのばーっか! 偉そうに命令するんだったらまずはテメェでやってみろってんだ!」

「言ってる事が中間管理職のサラリーマンと大差ねぇぞ……」

 

 悪の秘密結社にもそれなりの苦労があるようだ。

 そんな戦うOLの気苦労には同情しておくとして、この荒ぶる飲んだくれをタクシーに乗せたりなんぞしたら道中でどんな内部情報を漏らすか分かったもんじゃない。そもそも私は送り届け先も知らんのだ。宛先不明とかでダンボールに入って戻って来たら目も当てられねぇわ。

 

「……まずは酔いを覚まさん事にはどうにもならんわな」

 

 幸か不幸か、立地が立地なので『休憩場所』には困らない。

 前後不覚の女性を連れ込むなど不本意ではあるが背に腹は変えられんし、一、二時間くらい横になって休めばマシになるだろうと安易に考え、彼女に肩を貸しながら私は――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 はい、そういう訳です。

 んで朝になって起こしたら、いきなり悲鳴を上げられてこうなっちゃってます。

 私一人じゃこれ以上どうにも――ならなくもないけれど、片っ端から電話してスコール姉さんに来てもらえば良かったじゃねぇか、と後悔する。二時間休憩コースから宿泊コースに延長しといて後悔もクソもないが。

 説明を終えると、秋姉(私より若い)は震える声で言った。

 

「じゃあ……何か? 私が裸なのはつまりお前が……」

「それに関しては全面的に肯定しま――」

 

 乾いた発砲音。

 九ミリの弾丸が頬に浅い擦過傷を作る。興奮のあまり狙いがズレたらしい。

 

「殺す――ぶっ殺してやる!!」

「どうぞご自由に」

 

 過程はどうあれ、結果的にそうなってしまったのは覆しようのない現実だ。

 全殺し確定の敵ならまだしも、紆余曲折あって信頼した身内相手に知らぬ存ぜぬ見て見ぬ振りを突き通すくらいなら、私は非を認めて撃ち殺される事を選ぶ。

 裸を晒す事も厭わず、秋姉(くどいようだが私より年下である)は硝煙を吐く銃口を私の眉間に押し付ける。目尻に浮かぶ涙を見ていると、申し訳なさで心が冷えていく錯覚に陥った。

 

『――そこまでよ、オータム。銃を下ろしなさい』

「スコール!?」

 

 通信回線から届いた声に秋姉が驚く。

 ついでに言えば私も少なからず驚いている。

 この時代で縁もゆかりもない初対面の私を擁護するような物好きなど――それこそランスローに興味を持っているだろう篠ノ之博士くらいだと思っていたのだから。

 

「けどスコール、この野郎は――」

『下ろしなさいと言ってるの。彼が本当に敵だったら、その銃も「アラクネ」も今頃貴女の手元になくて私の声を聞く事もできないはずよ?』

「――ちぃ!」

 

 銃口から解放された私は両手を下ろし、姿の見えない美女に声をかけた。

 

「……まさか止めてくれるとは思いませんでしたよ、ミス・ミューゼル」

『あら、まるで私が見ている事に気が付いていたような口振りね』

「バイタルチェックと監視用を兼ねたナノマシンでしょう? 注入された相手が見聞きした映像や音声を逐一送信するタイプの。外からじゃ分かりませんが、私はその……直に触れて調べる機会はいくらでもありましたので」

「テメェ……!」

『オータム、その話は後にしなさい。……じゃあ、どうして私が今になって通信を寄越したのかも大体の見当はついているのよね?』

「だから急いで彼女を起こしたんですよ」

 

 全く何処で嗅ぎ付けたのやら。宇宙人との交渉とか他にも仕事は山積みだろうに。

 

「スコール、一体何の話をしてんだ!? 私にも説明しろよ!」

『そうね――貴女の後ろにある窓からも見えるはず。ゆっくり下を確認してみなさい。くれぐれも連中に感付かれないように』

 

 秋姉は言われた通りにカーテンの隙間から外を見て、

 

「……何者だ、アイツら」

 

 ようやく周囲の異変を察知したようだ。

 元から人気に乏しかった裏通りはより一層静けさと不気味さを増し、向かいのビルの屋上や建物の陰から、まるで住人と入れ替わったかのように黒服共がこちらを監視している。国連が開発したパワードスーツ『EOS』――エクステンデッド・オペレーション・シーカーまで現場に引っ張り出してくるとか、城攻めでもする気かあのG軍団は。

 

『連中の狙いについて心当たりは?』

「あり過ぎる……ってのが正直な意見ですが、今回の最有力候補はコイツ(・・・)でしょう」

 

 ゴーレム襲撃事件から懐に入れっぱなしだったそれ(・・)を秋姉と、彼女の目と耳を通じて話し合いに参加しているスコール姉さんに見せる。

 

「おい、それって……」

『IS学園を襲った無人機の――二機目のコアね?』

「ご名答。一機目……織斑少年と交戦した奴のコアは学園の管理下にありますが、もう一機の分は大半の部品と一緒に私が掠め取っておいたんです」

『道理で連中の様子がさっきから慌しいはずよ。傍受した通信も物騒なのばかりだし、ホテルごと爆破してでも手に入れる気かしら』

 

 ラブホで爆死――ってのも滅多にない死因だわな。私ゃリア充じゃねぇってのに。

 

『じゃあそんな訳だからオータム、貴女は早く彼と共にそこから脱出なさい。合流ポイントまでのルートは送信しておくから』

「おいスコール! こんなゲス野郎と一緒に逃げるとか冗談じゃねぇぞ!? つーかアイツら程度ならIS使って蹴散らしゃ良いだろうが!」

 

 ……どうもゲス野郎です。

 止まる事を知らないイノシシ作戦に、スコール姉さんが溜め息を零す。

 

『貴女ねぇ、今回のお仕事はIS委員会メンバーの始末(・・)なのよ? アラクネで暴れて無駄に騒ぎを大きくさせちゃったら、ターゲットが巣に引き籠もってしまう可能性だってあるわ。そうなったらまたプランを一から練り直しよ? 絶ッ対寝不足なるわよ? 目の下に隈ができるのよ? お肌も荒れちゃうのよ? エムに「……老けたか?」とか真顔で言われるのよ? それでもいいの?』

「ぐっ……ぬ」

『だからISの使用は控えなさい』

 

 女らしいなぁ、と納得すべきなのか甚だ微妙である。

 と言うか、そんな理由で暗殺を強行されるターゲットが不憫でならない。

 

「――チッ、わーったよ! おいテメェ、私の足引っ張ったらその場で撃ち殺すからな!?」

『オータムのエスコートよろしくね、色男さん』

「……善処しましょう」

 

 こうして。

 私の日曜日が騒がしくも静かに幕を開けたのだった。




今回のリクエストは、

ライカミングさんより 

・「あァァァんまりだァァアァ」(ジョジョ第二部 エシディシ)

でした。

長引きそうだったので分割しました。

後編も早めに出せたらいいなぁと思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

020. サマー・ウォーズ

この一話に詰め込んだらいつもの倍の文字数に。
お楽しみいただければ幸いです。


『敵の人数は五十人前後。何班かに分かれてそれぞれが東側の階段とエレベーター、西と非常階段からも突入するつもりのようね』

「武装のレベルは分かりますか?」

『通信を傍受した限りじゃSMGにクレイモアやC4を含めた各種爆薬。一応実弾とゴム弾両方を用意してるみたいだけど、彼らに優しさは期待できそうにないわね。生身で相手しなきゃならない事を考えると一番厄介なのはEOSかしら』

「こっちは豆鉄砲が一丁あるだけですからねぇ」

「くっそ、ISさえ使えりゃものの数じゃねぇってのに……」

 

 現在私達は敵勢把握の真っ最中。

 ピンク色のベッドやらミニテーブルやら大人のオモチャ箱やら――とにかく動かせる物を入口に集めて即席のバリケードを作り、その陰に身を潜ませて相手が行動に移すのを待っていた。

 階下に降りる手段が全て相手側に掌握されている以上、無闇矢鱈に動き回ればそれだけ危険性が高まる。シーツやカーテンをロープ代わりにして窓から逃げる方法もあるにはあるが、降りている途中に狙い撃ちされたらどうしようもない。

 

『無茶難題だけど、どうにかして敵の武器を奪って数を減らしながら脱出するしかないわ』

「ケイシー・ライバックとかメイトリックス大佐とかなら可能かもですが」

「私はジョン・マクレーン派だな」

 

 ランスローのハイパーセンサーが階段を上る足音を捉えた。

 ますは東から四人、西から三人、エレベーターが上昇する音、ついでに非常階段がある方からもカンカンカンと響く足音が五、いや六人。合計二十人弱の第一陣ってトコか。

 

「始める前に……オータムさん、これ着といてください」

「いらねーよ、ンなダッサイ白衣なんか」

「これでも防弾性が高いんですよ? 夏は涼しく冬は寒いポリエステル百パーセント」

「その時点で防弾性ゼロじゃねーか! ISスーツの方がまだマシだ!」

「と言うのはまあ小粋なテロリストジョークで、裏地に特殊繊維を編み込んであるのでライフルの弾くらいなら『ちょっと痛い』程度で済みます」

「私が簡単に撃たれるように見えるってのかコラ!」

『着ておきなさいオータム。命を拾う確率は少しでも高い方がいいわ』

 

 他でもない恋人にそう窘められ、渋々白衣に袖を通す秋姉。似合ってますよ、と誉めたら虎でも殺せそうな目で睨まれた。トコトン嫌われちゃってるなぁ無理もねーけど。

 

「……つーかさスコール、さっきから妙にコイツの肩持ってねぇか?」

『あらヤキモチ?』

「違ぇよ!」

 

 こんな状況でも楽しそうな姉さん方の声に混じって、廊下を走る足音が複数。

 距離にして十メートル…………五、四、三、二、一。

 

「そぉら来た!」

 

 窓から催涙弾が撃ち込まれ、見るからに毒々しい赤色の煙が部屋の中を蹂躙する。それと同時に入口側からも無数の銃声が轟き渡り、木製のドアを貫通して立て掛けておいたベッドがブスブスと悲鳴を上げた。うひー怖ぇ怖ぇ。だから飛び道具は苦手なんだ。

 

「マフィアから恨みでも買ってんのかお前は!」

「いっそマフィア相手の方が楽しいと思いますけど!」

 

 マフィアに限った話ではないが、日本の極道のように裏社会に身を染めた人間の方が少なからず義理とか人情とか重んじて『生きている』感じがする。比べて、今廊下で銃ぶっ放してる黒服共は命令を聞くだけのロボットみたいで何と言うか……戦っていて面白味がないのだ。対人戦ではなくCPUを相手にしている感覚に近い。

 と、銃声が一斉に途絶えた。

 これが意味するのは――

 

『弾切れよ!』

「おら行きやがれ!」

「待ってましたぁ!!」

 

 窓付近まで後退し、拡張領域から装備一式を取り出しながら女装を――間違った、助走をつけてベッドごとドアを思い切り蹴り倒す。黒服が何人か巻き添えを食らって下敷きになったみたいだが気にしない気にしない。むしろ敵の人数が減ってくれたのなら好都合。

 ドアや壁の破片を蹴散らし、目をギュピーンと光らせながら、私は仁王が如く立ち上がった。

 

「出て来たぞ!」

「何だ……コイツは!?」

「ふもーっふっふっふっふっ!(待たせたな! ヒヨッコ共!)」

 

 これぞオリムライチカが提供する至高の一品。

 とある強襲機兵乗りの軍曹も愛用したと言われるファンシースーツ。

 強い意志を秘めた瞳に可愛らしい緑色の帽子、薬で小さくなった探偵のような赤い蝶ネクタイを締めた犬だかネズミだか分からん超近代兵器型万能マスコット、その名も――

 

「ふもっふ!(ボ○太くんだ!)」

 

 あるいは作者繋がりでモッ○ルでも可。BGMはもちろん『ター○ネーター』で。

 では諸君、道をあけてもらおうか? 嫌だと言うなら必殺のボン○くんナックルとかボン○くんキックとかボン○くんパイルドライバーとかボン○くん山吹色の波紋疾走(サンライトイエロー・オーバードライブ)とかが火を吹くぜ?

 

「くそっ……撃て撃て!」

 

 はい撃ったー、はい潰すー。

 いざ有言実行!

 

「ふもーっ!(きかねぇ納豆!)」

 

 鉛の雨を腕で薙ぎ払い、一番近くにいた黒服の顔面にパンチを一発。木っ端さながらに宙を舞う雑魚の下を潜り抜け、二人目には回し蹴りをプレゼント。壁にめり込んだお仲間に呆然としている三人目を頭から床に突き刺し、ようやくリロードを終えた四人目を波紋……は使えないから普通にボン○くんラッシュを叩き込む。相手が黒服にグラサンだから気分はまるでマト○ックス。

 ドアで踏み潰したのも計上すると、廊下にいる奴らは残り十二人。

 それでもまだ、生身なら制圧できると向こうは考えているのだろうが――

 

「よう、グラサン野郎。似合ってねぇから死ね」

 

 生憎と、こっちは動けるのが二人もいる。

 軽い銃声が連続で鳴り響き、私の背後にいた黒服五人が力なく崩れ落ちる。床に転がった二丁のSMGを拾い上げるのは、パンツスーツの上に白衣を羽織り、ボタンの目が縫い付けられた麻袋を被る何処ぞのイタリアンマフィアのような格好の秋姉だ。

 まずは特攻役の私が飛び出して連中の注意を引きつけ、その間隙を突いて部屋の中に残っていた秋姉が武器を奪い、ついでに何人か無力化する。

 三分で考えた作戦は結構効果的だったようだ。

 

「けどどうして私までこんなの被らなきゃならねーんだよ!」

「ふもふふふっ!(手持ちのガスマスクがそれしかなかったんですよ!)」

「いや何言ってるか分かんねぇからな!?」

『存外似合ってるわよ、オータム』

「嬉しくねぇ!!」

 

 随分ガラの悪いトリニティもいたもんだ。

 私に向かって怒鳴り散らす秋姉だが、荒々しい二丁SMGスタイルで狙いを外す事なく黒服共の増援を仕留めていく。さっすが実働部隊所属、専用機持ちの肩書きは伊達じゃないねぇ。

 私も負けじとボン○くんパイプ椅子アタックを繰り出し、EOS相手にヒールに立ち回る。

 

「ふもふっ!?(ミス・ミューゼル、外の様子は!?)」

『もう少しだけ堪えて。あと五人くらいよ』

「何で言葉通じてんだオイ!?」

 

 信頼以上の何かが原因だと思う。強いて言うなら……悪戯心?

 何にせよ、私達が外に出た時点で敵が全員ビル内にいなければ意味がない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。この作戦の仕上げが上手くいくかどうか――後はタイミング次第だ。

 

『今よ!』

「ふもっ!(了解!)」

「おい――ちょっと!?」

 

 合図と同時に秋姉を抱き上げ、近くの窓をぶち破って外に躍り出る。

 ランスローは飛行が苦手とは言え、高高度での戦闘の経験がない訳ではない――それに比べたら限りなく低所ではあるのだが、地上六階からISの補助なしでノーロープバンジーとなると流石に血の気が引いてしまう。ああ重力って素晴らしい!

 

「――キャアアアアアァァァァッ!?」

 

 あーら可愛らしい悲鳴だコト。

 などと思っている内に背中から地面に激突。落下地点に違法駐車中の高級車とかゴミ置き場とかあれば衝撃を吸収できたのだろうが、世の中そんなに都合良くはない。浅くバウンドして肺の中の空気を根こそぎ吐き出してしまった。まあ、秋姉が無傷なので結果オーライって事にしておこう。

 痛みに悶える暇もなくすぐに立ち上がり、ビルの壁面に両手を押し付ける。

 窓から顔を出していた黒服の一人が青褪め、急いで退避しろと仲間に大声で指示を出す。今から何が起きるか察知したらしいが――しかしもう遅い。

 両手首から先のみを部分展開、設定値五倍でGCUを起動。

 

『ご愁傷様』

「恨むんなら、自分らの上司を恨むんだな」

「ふー……もっ(それでは皆様……メギドラオンでございます)」

 

 ホテル全体に亀裂が走り、根本から砕けるようにしてガラガラと崩れ落ちていく。

 重力の性質上、質量の大きい物体ほどより影響を受けやすくなる。同質量の建物を補強もなしにいきなり四つも増築されたのだから、それなりの年月が経っている安普請じゃ圧壊して当然だ。

 かくして黒服共は全滅し、もうもうと粉塵を巻き上げるガレキの山だけが残った。

 目撃者を極力減らすために他の客も従業員も事前に強制退去させていたようだし、損害を受けた一般人はこのビルのオーナーくらいのものだろう。運がなかったと諦めてもらうしかない。

 

「……ホントに無茶苦茶するなテメェは。ISを使えるってだけでも信じられねぇのに」

「ふもももも(いやあ、それほどでも)」

『はいはい二人共、仲良しなのは結構だけどその辺にして合流ポイントまで急いで頂戴。また何時襲撃に遭うか分からないし、時間もあまり余裕がないんだから』

「これが仲良さそうに見えるなら眼科に行くべきだと思うぞ、スコール」

 

 両手に短機関銃を持つ麻袋と白衣の美女。

 それに併走する犬だかネズミだか判別不明のマスコット。

 老若男女問わず道行く誰もが振り返る、何ともシュールな光景だった。

 誰のせいかと言えば私のせいだが。

 

「ふーもふもふも、ふもっふもっ♪」

「「「ふもっふもっ♪」」」

『あらあら人気者ねぇ』

「こんのクソ忙しい時にガキ共大量に引き寄せてんじゃねぇ! 何処かの笛吹きかお前は!!」

 

 さーて残業といきますか。

 私ってばマジ働き者。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 そこは、地下二十メートルに設けられた広い空間だった。

 災害が発生した際の避難シェルターや非常食や飲料水の貯蔵庫、さらには雨天増水時に備えての巨大放水路など、現代日本において地下施設そのものは珍しくないが、それが高価な調度品の並ぶ会議室となると話はまるで変わってくる。

 一脚だけでも普通の会社員の月収を上回るであろう革椅子に腰掛けているのは、これまた高価なスーツに身を包んだ数名の男女だ。

 長大な楕円形テーブルの上、用意された資料やモニターの映像に目を通しつつ、ほとんどの者は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 

「また……失敗か」

「有益な情報は一つも得られず、こちらの被害ばかりが増えていく。これだから男は……」

 

 猫背気味の男がぽつりと漏らし、隣席の厚化粧の女がカカカと嘲笑う。

 

「言葉に気を付けたまえ。ならお前は奴をどうにかできると言うのか?」

「口を慎むのはそちらではありませんか? 敵はたった一人だと侮った挙句、頭数を揃えただけの力押しで解決しようとしたのがそもそもの過ちです。おかげであの兎の怒りを買い、大切なコアがいくつ使い物にならなくなった事やら」

 

 諌めるように言う口髭の男に、眼鏡の女が爪の手入れをしながら静かに反発する。

 男女合わせて十三名――金、人脈、実力の違いはあるが、いずれも国際IS委員会でそれなりのポストに就いている人間ばかりが地下に集められていた。

 そう、集められていた(・・・・・・・)

 さらに言うなら、とある男の存在が原因で立場が危うくなっているのも共通点か。

 

「とにかく何としてでもあの男の生体データとISを手に入れるんだ!」

「その通り。彼が持つ黒いISは篠ノ之束の制御下から離れている唯一の機体。その仕組みを解析できれば、もう二度とあの小生意気な兎の顔色を窺う必要もなくなりますわ」

「偽物を掴まされた倉持の連中も溜飲が下がるだろう」

「けど失敗続きで状況は悪化する一方よ? 来期の役員選考会議まで時間もないし、使える手駒の数もかなり減らされてしまったもの」

 

 窓がない部屋に重苦しい沈黙が満ちる。

 選りすぐりの精鋭と信じていた部隊が二度も敗北を喫し――しかも相手は傷らしい傷も負わずに易々と襲撃を掻い潜っていると言う現実が、彼らの心に暗い影を落としているのだった。

 誰も口火を切ろうとはしない。不用意に自分の意見を述べようものなら、他の連中がこれ幸いとばかりに便乗して責任だけを押し付けて来るからだ。

 

「――失礼します」

 

 と、互いに牽制し合っていた場を壊すように、たった一つしかないドアを押し開いて。

 ロングヘアーを首の後ろで束ねたサングラスに黒服の女が、少しばかり焦った様子で携帯電話を握り締めながら現れた。彼女から数歩遅れて、同様の格好をしたオールバックの男も入室する。

 

「おい、せめてノックくらいしたらどうだ!?」

「申し訳ありません。ですが、急を要する事でしたので……」

 

 怒鳴る口髭の男に、黒服の女は携帯を差し出す。

 画面には『通話中』と表示されており、女に促されるまま口髭の男が耳に当てると――

 

『いやぁどうも、こうしてお話するのは初めてでしたねぇ。そちらの天気は如何ですか雲一つない晴天ですかぁ? だったら血の雨でも降らせたい所存ですけども』

「貴様……!?」

 

 聞き間違えるはずもない。

 軽々しい口調で、しかし狂気を押し殺したような底冷えのする声音。

 まるで喉元にナイフを押し当てられたような息苦しさに見舞われ、口髭の男は思わずネクタイを緩める。そして、自分以外のメンバーにも聞かせるためスピーカーに切り替えると、それを黙ってテーブルの中央に置いた。

 

『アッハハハハハハハハッ、ねぇどんな気持ちです? 手下を大量に送り込んだクセに私達二人に簡単に逃げられるなんて――ねぇ今どんな気持ちですか?』

「この男を黙らせろ! 早く切ってしまえ!」

『おやおや、そんな事言って良いんですか? 私は交渉をするつもりでお電話したと言うのに』

「交渉だと?」

 

 その言葉に、メンバーの誰もが貪欲に目を光らせた。

 これで平和的な解決が望めるとか、大事な部下が負傷せずに済むとか――無論そんな事は微塵も考えていない。彼らはひたすらに、交渉にかこつけてどうにか有益な情報を入手し、それを武器に理想の地位に上り詰める事だけを頭の中に思い描いている。

 仮に織斑千冬が同席していたら、その醜悪さに不快感を露にした事だろう。

 

『実は、これ以上そちらの相手をするのが面倒に思えてきましてね。話し合いで互いに譲歩できるならそれに越した事はない』

「……確かに。事を荒立てず穏便に済ませたいと考えているのはこちらも同じだ。ならば聞こうか名もないテロリスト。キミは……我々に何を望む?」

 

 電話の向こうで男はしばし沈黙し――

 

『――IS学園、及び在籍する生徒と職員に対して、今後一切の干渉を止めていただきたい』

「何だと!?」

『そもそもIS学園は国際規約に守られ、どの国も企業も干渉を許されていないはず。しかし葢を開けてみればどうです? 泥に塗れた政治や金絡みの厄介事がまるでウィルスのように我が物顔で蔓延っている。一宿一飯の恩義ではありませんが、はっきり言って鬱陶しいんですよ。ちらほらと垣間見えるアンタ達の影が』

 

 突き付けられた要求は、この場にいる全員の政治生命を脅かす物だった。

 男が言うように、IS学園は外部から一切の干渉を受け付けない事になっている。しかしそれはあくまで建前であり、定めた規約も有名無実化しているのが現状だ。

 金を握らせた教員から開示前の情報を得て利権を貪り、もしくは有力者の娘を学園の各種行事でトップに仕立て上げ、その見返りとして重役の座を約束させるなど――この部屋にいるほとんどの者が社会的抹殺を逃れられない悪事に手を染めているのだ。

 だからと言って『はい分かった』と簡単に身を引けるなら苦労はない。

 要求通りに裏からの干渉を止めてしまえば、学園内の協力者は『切り捨てられた』と勘違いして身の安全を図るために警察に情報を流しかねないし、有力者からも『愛娘の経歴に傷がついた』と理不尽な怒りを買う事になってしまう。

 どう転んでも進む先は地獄だった。

 

『承諾していただければ、私もそちらの邪魔は致しません。札束の風呂に浸かるなりISを使って戦争を起こすなり反政府組織を皆殺しにするなり好きにすれば良い。ですがこれからも私の周囲で下らない真似をするつもりならその時は……言わなくてもお分かりでしょう?』

「ぐっ……このっ!」

『言い忘れてましたが私の目と鼻は利く方でして、特に貴方達に染み付いた鉄錆のような臭いにはとても敏感なんです。良からぬ事を企めばすぐ分かりますのでお気を付けください。良いお返事をいただける事を祈っております。では皆様――EYE HAVE YOU』

 

 不吉な言葉を残して通話は終わった。

 メンバーが浮かべる表情は実に多種多様であり、覚悟を決めて目を閉じる者、わなわなと怒りに震える者、今にもヒステリーを起こしそうな者、青褪めて冷や汗を流す者もいた。

 

「ふ――ふざけおってぇ!!」

 

 やがて耐え切れなくなった禿頭の男が携帯を床に叩きつけ、さらにガシガシと何度も何度も足を振り下ろし始める。

 他の面々が冷え切った視線を送る中、なおも怒りが収まらない禿頭の男は残骸と化した携帯には目もくれず、今の今までずっと部屋の片隅に控えていた黒服の男女に詰め寄ると、ツバを汚らしく飛ばしながらとんでもない事を口にした。

 

「おい、話は聞いていたな!? すぐにIS学園に人員を送れ!」

「待て貴様、何をするつもりだ?」

「決まっているだろう、もうこれ以上あの男の好きなようにさせてたまるか! 情報ではあの男に懐いている生徒が何人かいたはず! そいつらをここに連れて来て人質にする!」

「正気ですか!? そんな事をしたら学園側も黙ってはいませんよ!?」

「ならお前達はこのままあの男の言いなりになるつもりなのか!? 俺は絶対に御免だ! 今まで積み重ねてきた何もかもをテロリスト風情に台無しにされてたまるか!!」

 

 皆が押し黙る。

 口では反対しても、やはり自分の地位が脅かされるのを黙って見ている気はないのだろう。

 

「…………お言葉を返すようですが」

 

 オールバックの男が静かに言う。

 妙に機械じみた――あるいは台本でも読み上げているような声で。

 

「確かにIS学園には、電話の男と懇意にしている生徒が何人かおります。しかしその内の一人はあのブリュンヒルデの弟です。他はイギリスや中国の代表候補生、日本の対暗部――更識家当主の妹に仕えるメイドなど、学園外に連れ出すにはいささか手強い者ばかり。不可能ではないにしても実行した場合に生じるリスクが高過ぎるかと……」

「それをどうにかするのが貴様達の仕事じゃないのか無能め! この際手段は選ばん! 監禁して写真と削ぎ落とした耳でも送りつけてやれば奴の気も変わるだろう!!」

 

 もはや形振り構ってはいられないらしい。

 オールバックの男の胸倉を掴み、泡でも吹きそうな勢いで禿頭の男はまくし立てる。

 とうとう誰も止める者がいなくなった。

 

「どうあっても……要求には応えないおつもりですか?」

「当たり前だ!」

「そうですか――なら仕方ねぇよなぁ(・・・・・・・・・)?」

 

 言うが早いか、オールバックの男は右腕にISアーマーを部分展開すると、その黒い腕でもって禿頭の男の顔を、思い切り、微塵の手加減もなく、一切の遠慮容赦なく殴り飛ばした。

 生身の常人がISの全力の拳を受けた場合どうなるか――その結果は述べるまでもない。

 グチャリ、と。

 血と肉片を撒き散らしながら禿頭の男の身体はテーブルを飛び越え、そのまま白い壁に激突して真っ赤なグロテスクアートを作り上げる。

 

「電話でも言ったでしょうよ。いつも見ているってさぁ、ねぇ?」

 

 クシャクシャと頭髪を掻き乱してサングラスを外した男。

 その顔は誰あろう――

 

「ひっ、ひやああああああああぁぁぁぁぁっ!!?」

「まさか――そんな、貴様一体どうやって!?」

「SPの顔くらいちゃんと覚えておくべきでしたね。おかげで簡単に入れ替わる事ができました」

 

 集められた十三人それぞれが護衛を引き連れてやって来たのだ。

 全員の顔を覚える事など不可能に近い。

 

「だ、だったらあの電話は!?」

「得意なんです、腹話術。ところで――随分と刺激的な『お返事』をいただけるみたいですねぇ? 是非とも聞かせてほしいものですが」

「ま、待って、私達は貴方の要求を飲むつもりだったのよ! それをあのハゲが強引に……貴方もずっと見ていたでしょう!?」

「ええ見てましたよ、見てましたとも」

「じゃあ……」

「……しかしですね、私は別に要求が通ろうが通るまいがどうでも良いんですよ。強いて言うなら単なる前座――暇潰しですかね」

 

 全身に鎧を纏い、狂人は笑う。

 けらけらと、からからと。

 白くて黒い、貌のない髑髏のように。

 

「ひ、暇潰しって……?」

「言葉通りの意味に決まってんだろーがバーカ。そいつは単なるオマケだよ」

 

 問い掛けに答えたのは狂騎士ではなく、ドアの前に立ち塞がる黒服の女だった。

 束ねていたロングヘアーを解いて無造作に肩から流し、スーツ生地を破って背中から飛び出した四対の装甲脚がメンバーを捕食せんと禍々しく蠢く。

 秘密結社『亡国機業(ファントム・タスク)』の一員。

 第二世代機『アラクネ』を駆る女――オータム。

 

「つーかテメェら、どうして自分達がこんな場所に集められたのかまだ分かってねぇのか?」

「何……?」

「テメェらは見限られたんだよ。私らの依頼人にな」

「委員会本部じゃあもう後任が決まってる頃なんじゃないですかね?」

「し、信じられるかそんな事!」

「誰も信じてほしいとは言ってねぇよ。とにかくお前らはここでオシマイだ。助けを呼んでも誰も来ないし誰も気付かない。死体さえ見つけてもらえないのさ」

 

 言って、オータムは自分の携帯を使って何処かに電話をかける。

 直後――頭上から爆音と振動が届き、轟々と大量の水が流れる音まで聞こえて来た。巨大な獣の唸り声じみたそれは、段々とこちらに近付いているようだった。

 

「何だ……今度は何をしたんだ!?」

「この地下施設、中々に面白い構造をしてますね。ダムの真下にこんな馬鹿デカい空間を建造するなんて普通は考えない。まさに悪巧みをするにはうってつけの場所だ」

「質問に答えろ! さっきの爆発は何なんだ!?」

「ダムの底をふっ飛ばしたんだよ。すると真下の此処はどうなるか――言う必要はねぇよな?」

「ちなみに私達にはISがあるので普通に脱出できます」

 

 今度こそ、黒鎧とオータム以外の全員が絶句した。

 これからどんな死に様を迎えるか、容易に想像がついたからだ。

 

「いや、いや……いやあああああぁぁっ!!」

「金ならいくらでも払う! 二度とお前や学園にも手出ししない! だから頼む助けてくれ!」

「くっはははははっ――ナメてんじゃねぇぞオイ」

 

 足に縋りつくクズ共を蹴り飛ばし――

 

「「私達を誰だと思っていやがる」」

 

 黒灰の魔人と蜘蛛の魔女は、風貌に相応しい冷酷な宣告を突き付ける。その声からは感情らしい感情が全くと言っていいほどに感じ取れず、まるで人間にそっくりな『何か』が、淡々と機械的に仕事をこなしているかのような――そんな無機質な『音』だった。

 

「貴様等には水底が似合いだ。理想を抱いて溺死しろ」

「じゃあなクソ共。残りの余生を精々有意義に使うんだな」

「ま、待っ――」

 

 愚かで哀れな十三人――いや、十二人を残して無情にもドアが閉まり、ロックされる。

 既に施設への浸水は始まっていて、あと小一時間もあれば何もかもが完全に水没するだろう。

 

「………………」

 

 最後に、もう二度と開く事はないドアを一瞥して。

 二体の怪物は、調度品に埋もれた世界一高価な棺桶を後にした。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「本当に彼を帰して良かったの?」

 

 ――その日の夜。

 空港に向かって走る高級車の中で、ハンドルを握るオータムに助手席のスコールが訊ねた。

 

「……ンだよイキナリ」

「だって貴女、ホテルじゃ彼を撃ち殺そうとしてたじゃない。なのに仕事を片付けて戻って来たと思ったら『さっさと消えろ』とか言ってお尻を蹴っ飛ばしただけ。ちょっと驚いちゃったわよ」

「良いじゃねぇか別に。あの馬鹿と私の問題なんだから」

 

 話をはぐらかすようにカーステレオの電源を入れるオータム。長年の相棒であり同性の恋人でもあるスコールは、それが彼女なりの照れ隠しなのだと瞬時に見抜いていた。しかし、あの銃撃戦と委員会メンバーの始末の過程でどんな感情が芽生えたのか――それは分からない。

 分からないが……。

 

「そうねー、二人だけの問題よねー?」

「なーんか引っ掛かる言い方だなオイ」

 

 年のせいか嫉妬などは沸き上がらず、むしろ逆に、初めて異性に恋をした娘を見守る――そんな母親じみた不思議な高揚感さえ抱いている自分がいる。

 らしくないと自嘲しつつも、頬が緩むのを抑えられない。

 

「それにしても、彼も妙なところで義理堅いと言うか責任感があると言うか……」

「……? 何の話だ?」

「かなり酔ってたから記憶がなくても無理ないけど、彼が貴女を襲ったんじゃなくて、貴女が彼をベッドに押し倒したのよ?」

「はあっ!?」

 

 荒ぶる運転、猛スピードで蛇行するスポーツカー。

 時間が時間なだけに交通量が少なく事故には繋がらなかったが、もし万が一対向車が来ていたら間違いなく正面衝突で新聞に載る羽目になっていただろう。

 

「ちょっと、ちゃんと運転しなさい」

「ンな事より今何つった!? わ、私がアイツを押し倒したって!?」

「疑うなら記録(ログ)がまだ残ってるし飛行機の中で聞く? 激しかったわよー? あのエムが仏頂面を真っ赤に染めて聞き入るくらいだったんだから。でもまさか休憩なしで七回もするとは流石の私も想定外だったわ。よく体力続いたわね」

「何でエムまで聞いてんだよ!? しかもな、七っ!?」

「ハンドルから手は放しちゃダメよー? でね、ここから面白いところで、最初は強気だったのにあっと言う間に立場逆転されて彼の腕の中で甘えまくっちゃって……」

「ぎゃああああっ!? もういい聞きたくねぇ! 止めて、お願いだから止めてください!!」

「イヤでーす♪」

 

 うわあああああああああんっ!! と。

 若干一名が恥ずかしさに殺されそうになっていたが。

 それでも夜は静かに更けていった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 おまけ。

 

『うぇーいもしもし。こんな時間にどしたよ少年?』

「あ、先生! 良かった、ようやく繋がった! い、今ドコにいるんですか!?」

『いや何処っつっても……もうすぐ学園の正門が見えてくる頃だな。ああ、もしかしてずっと私に電話してたのか? 悪ぃな、ちっとばかし出られん状況でずっと電源切ってたんだわ』

「そんな事より正門前!? マズイですって、早く逃げて!」

『逃げるって何から?』

「何ってそりゃ――」

 

 

『……あは、やっと見つけたぞ』

 

 

「『うわあっ!?』」

『丸二日も何処に行ってたんだ、んん?』

『お……おおお織斑先生どうしたんですこんなところで――ぐえっ!?』

『スン……スン……他の女の匂いがする……』

『ああいやこれは満員電車に乗った時にですね!?』

『首筋の赤いアザもその女につけられたのか?』

『げっ!?』

『………………あは、あはは、あははははははははははははっ!!』

『ぬわーっ!?』

「先生? 先生ぇ!?」

 

 プー、プー、プー……。




 今回のリクエストは、

 秋郷さんより、

・「待たせたな! ヒヨッコ共!」(機動戦士ガンダムMS IGLOO:ヘルベルト・フォン・カスペン大佐)

 あだちさんより、

・「ねぇどんな気持ち?(以下略)」

 白銀色の黄泉怪火さん、蒼空淵さんより、

・「貴様等には水底が似合いだ」(ACfa:水没王子オッツダルヴァ)

 がんにょむさんより、

・「理想を抱いて溺死しろ」(Fate/:アーチャー)

 若尾さんより、ちょっと改変で、

・「俺を誰だと思っていやがる!!!」(グレンラガン:カミナ他)

 ARCHEさんより

・「きかねぇ納豆!」(テイルズオブヴェスペリア:ユーリー・ローウェル)

 MIKEさんより、

・「EYE HAVE YOU」(MGS4:ドレビン)






 パンダ三十六か条さんより、

・麻袋の被り物(キューティクル探偵因幡:ロレンツォ)

 あと大量過ぎて名前が載せられず申し訳ありませんが、

・ボン太くん、あるいはモッフル(フルメタル・パニック、甘城ブリリアントパーク)

 の着ぐるみリクを多数いただきました。
 ボン太くん量産型はまた出るかもです。
 皆さんありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

021. 金のエンゼル、銀のエンゼル

 最初に弁解させてくれ。

 いやまあ、誰が悪いのかと問われたらまず間違いなく私が原因だが、敢えて恥を晒して己以外の要因を挙げるとするならば、やはり不幸な偶然の連続か、あるいは秋姉のアルコールの過剰摂取がそもそもの発端だったのだと思う。と言うかあんな場所に建ってたホテルが悪いんだいっ!

 …………コホン。

 断っておくが、連れ込んだ時点で下心は一切なかった。それだけは天地神明に誓っても良い。

 しかしながら――水を飲ませようと意識を逸らした途端にベッドに押し倒され、さらに馬乗りの状態からそりゃもうディープな接吻をお見舞いされて迫られたら……ねぇ? こちとら経験豊富なクソヤローですし準備万端バッチコイな据え膳を食わないのも男として――いや漢としてどうかと思った訳ですよ、うん。だって秋姉も美人だし普段とのギャップが凄かったんだもん。

 幸いにして撃ち殺される事もなく、何故か尻を蹴っ飛ばされただけで済んだ。

 まあ秋姉からすれば、最近倦怠期に入ってご無沙汰らしいスコール姉さんへの当てつけの意味もあったのだろうが――もうホントさあ、次どんな顔で会えば良いってのよ。

 

「…………はっはー、知ってる天井でやーんの」

 

 時刻は午前五時半……ってトコだろう。長年の習慣から、時計を使わなくても大体それぐらいの時間に目が覚めてしまう。早起きは三文の何たらとは言うが、身に着けた理由が敵の襲撃に備えてとか監禁された際の時間の確認のためとかだったりするから我ながら微妙である。

 はい、某最終兵器少年が如き呟きを漏らして現実逃避終了――最優先で処理しなければならない問題に潔く目を向けようではないか。

 

「………………」

 

 ベッドで仰向けになっている私。

 そして、その上に覆い被さり安らかな寝息を立てている姉貴。

 すなわち、ベッドイン私ウィズお姉様。

 

 

 言う必要性もないが――敢えて言っておく。

 ヤッてねぇからな?

 

 

「……逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」

 

 つか両腕で抱き枕よろしくガッチリとホールドされちゃってるから逃げらんねーっての。

 唯一の救いは、私も姉ちゃんも素っ裸じゃない事くらいか――オイ誰だ『着衣プレイ!?』とかぬかしやがった奴!? ぬっ殺すぞ!? 確かに騎乗スタイルですか事後ですかぁと誤解されそうだけども! 美人女教師(実姉)と二人っきりなんてトンデモシチュエーションだけども!

 

「もしもーし、朝なんだけど起きてくれませんかー」

 

 黒髪を梳くように頭を撫でて目覚めを促す。

 

「ん、ぅ……?」

 

 素直に起きてくれた姉上だが――目の焦点が明らかに定まっていない。ふらつく瞳でぼんやりと私めを見つめるその様子は、何故だか獲物を狙うハンターを彷彿とさせる。しかもあどけない顔でゆっくり首を傾げるもんだから、何考えているか読めなくて余計に恐ろしい。

 などと油断したのが不味かった。

 胸倉を掴まれて引き寄せられ、その進路上には待ち構えるお姉ちゃんの顔ががががが――

 

「…………ちゅぅ」

 

 唇を奪われた。姉に。

 いやいやいや何なのカネこの状況は。先ほども言ったようにキス『された』のは別に初めてって訳でもないが、肉親からとなると三十五年の人生でも未知の経験だ――と思う、多分。

 エムたんが何時の間にか布団の中に潜り込んでいた時もあったしちょっと自信ないなー。

 赤らめた頬に両手を添えて『き、昨日はとても激しかったな兄さん』と言われた日にゃ、冗談と笑い飛ばす余裕もなく首を括りたくなった。カメラと『ドッキリ大成功!』のプラカードを持って乱入してきたスコール姉さんらに必死で止められたけど。

 大性交じゃなくて本当に良かった。

 やっぱりね、そーゆーのはちゃんと手順を踏んでからでしょ。

 

 閑話休題。

 

 唾液も空気もエナジーも吸い尽くされそうな勢いで、音にすると『じゅるるるるっ』とかそんな生々しい感じに口吸われ続行中。熱い舌が口腔内を蹂躙し、歯ぐきまで丹念に舐め回していく。

 くどいようだが私達は姉弟である。

 

「ぐ……む、ふ……」

「……は、ぁ…………ん……ぅ」

 

 それから五分ほど舌を絡め合っただろうか――顔を離した姉さんは口元から垂れた唾液を妖艶に舐め取ると、そのまま胸を押し付けるように私の頭を抱きかかえた。

 いやもうね、とんでもなく柔らかかったり息ができなかったりで、無我の境地っつーか飼い主に服着せられてるワンちゃんの心境ですよ。男の朝の生理現象に気付かれない事を切に願う。

 

「……うわきもの」

 

 拗ねたような声音。

 浮気者ったってねぇあーた、私らまだ付き合ってすらいませんの事よ? てかマドカにも言った覚えあるけど法律の壁がある限り付き合ったらアカンのよ残念無念。

 何つーか、織斑家の倫理観のタガが外れ過ぎてる気がしないでもない。

 頑張れ少年、キミだけが最後の砦だ。未来にゃ崩壊すっけども。

 

「スケベ、へんたい、おんなたらし、ロリコン、ハゲ」

 

 言われ放題である。あとハゲじゃねぇ。断じてハゲじゃねぇ。

 

「……しんぱいしたのに…………ばか」

「返す言葉もねぇですな」

 

 そろそろ息がヤヴァい。

 それにしても家族の胸の中で溺れて息絶えるとは、テロリストにしちゃあ随分と綺麗な終わり方じゃないか。ほら見て、川の向こう岸でおばあちゃんが手ェ振って……誰だあのバアちゃん。

 言うだけ言って、姉貴は再びすぅすぅと寝息を立て始めた。もちろん私の頭を抱えた状態で。

 もしかして、もしかしなくても、完璧に寝ぼけていらっしゃったと?

 …………起きたら本気で亡き者にされるんじゃなかろうか。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 昨日が日曜日だったのだから、今日は当然月曜日。

 加えて言えば、男に仮装したデュノアと銀ロリボーデヴィッヒが転校してくる記念すべき日でもあるのだけれども――スマンね二人共、朝っぱらからうちの姉ちゃんがはっちゃけ過ぎてすっかり忘れちまってたよ。

 結局、あの後は拘束から抜け出せず――

 

『ななな何でお前が私の部屋にいるんだっ!?』

『そんな理不尽な……』

 

 てな感じである意味予想通りな事態に陥り、散らかり放題の寮長室で脱ぎ捨てられたパンツやら機密書類やらブレードやら信楽焼の狸やらが飛び交うプチバトルに発展。

 二度寝した者の宿命として朝メシを食らう時間すらなく、とりあえず最低限の身嗜みだけ整えて同伴出勤と相成った。一緒に部屋から出るところを目撃されなかったのは奇跡だと思う。

 早足で教室に急ぐ姉貴の背を追いながら、ふと私は小さな疑問を抱いた。

 

「……あの、織斑先生ちょっと――」

「あれは夢だ」

 

 時間も差し迫っているのに、わざわざ足を止めてきっぱりと断言する姉上。

 どうやら全てなかった事にしたいらしい。大嘘憑きとか使えりゃいいのにねぇ。

 

「あれは夢だ、疲れたからだ絶対そうだ。じゃなきゃ、じゃなきゃあんな事……ぅぅ」

 

 そこまで言って、記憶を掘り起こした姉さんは盛大に自爆した。

 砂漠に放り込まれた温度計のような勢いで耳やうなじまで朱に染め上げ、頭頂部からはボフッと小さなキノコ雲。私に見られまいと両手で顔を覆い隠し、しゃがみ込んで唸り続ける――その姿に普段の怜悧な雰囲気は欠片もない。随分と可愛くなっちゃってまあ。

 しかしながら、私が聞きたかったのはその事ではなく――

 

「ああいえ、そっちの道からだと一組の教室まで遠回りになるんじゃないですか、と言いたかっただけなんですけど。他に寄らなきゃならん教室でもあるんで?」

「………………」

「そんな泣きそうな顔で睨まれても……」

 

 幼児退行が進みつつある姉。

 これはこれで面白いし存分に愛でてやりたい衝動に駆られるが、こんな場所で道草食っていても仕方がない。担任が来なくて何時まで経ってもホームルームが始められず、山田先生があわあわと挙動不審になりデュノアやボーデヴィッヒが廊下に立ち尽くす光景が目に浮かぶようだ。

 

「とにかく急ぎましょう。ね?」

「……うん」

 

 コクンと頷き、手を差し出す姉さん。

 こいつは……うん、唐突に私と握手したくなったとか腰が抜けたから引っ張り上げてほしいとかそんなんじゃなく、やっぱりそーゆー意思表示なのだろう。

 鍛え抜かれてなお柔らかさを保つ手を握ると、控えめな力でキュッと握り返してきた。

 でもって、おてて繋いで仲良く移動開始。

 何故か知らんが某おつかい番組のテーマソングが頭の中で鳴り止まない。弟くんがお姉ちゃんを励ましながら目的地まで連れて行きます――ってか。やかましわ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 幸いと言うか何と言うか、教室の前で手持ち無沙汰に待つデュノアとボーデヴィッヒを視認したところで、織斑先生はかろうじていつもの落ち着きを取り繕う事に成功した。まだまだヒヨッ子な生徒の前で――しかもドイツ軍にいた頃の教え子の前で痴態を晒すなど、姉貴の性格からして何が何でも避けなければならないのだろう。見栄っ張りなんだからもー。

 

「あ、織斑先生、おはようございます」

「おはようございます、教官」

 

 並んで立っていた位置関係からデュノアが先に私達に気付き、それに反応したボーデヴィッヒが学生らしからぬ――軍人らしい冷め切った口調で姿勢を正す。まあ何にせよ、進んで挨拶するのは良い事なのでオジサン花丸あげちゃう。つか私はスルーなのね二人共。

 

「ああ、おはよう。面倒をかけて済まないが、ホームルームを始めるまでもう少しだけここで待機していてくれ。それと……この馬鹿はあまり気にするな。いつもの事だ」

「よろしくーねっ」

「え……あ、はい」

「分かりました、教官」

 

 姉さんは教室に入り、頭がつかえて入れず特に目的もない私は、ひとまず若き日の金銀コンビの隣で案山子の真似でもする事にした。昨日も一昨日も女関係で色々大変だったからねぇ、たまには考えるのを止めてリラックスするのも大切だ。

 時間が時間なだけに廊下は人気がなく、三人でぽつんと立っていると、まるでトト○のバス停のシーンに迷い込んだような錯覚に陥る。その内ネコバスでも突っ込んで来るかも知れん。

 

「…………あ、あのぅ……」

「はい?」

 

 控えめな呼び掛け。

 はてさて何じゃらホイと視線を右に移せば、キミは本当に男に変装している自覚があるのかねと問いたくなるくらい女っぽい仕草でデュノアがこちらを見上げていた。よせよぅ、何か変な気分になっちゃうじゃないか。

 

「ふむ、何かねオスカルくん。質問があるならこの三角サマーに遠慮なくどうぞ」

「ぇと、三角様?」

「ノンノン、三角サマー。様じゃないのサマーなの。ここ大事」

 

 みんな大好きレッドピラミッド○ング。

 ちなみにボーデヴィッヒは姉さんに言われた通り、私を視界に入れようともしないで我関せずを貫いている――と言うより、少し青褪めた顔でこっちを見ないよう頑張っている。サブカル副隊長あたりに唆されて静丘映画でも見たかゲームをプレイしちゃったか。強がりで意地っ張りのクセに幽霊とかクリーチャーとかホラー物がてんで駄目だからねぇこの子ってば。

 

「あの、先生は中に入らなくて良いんですか?」

「私は教鞭を執っている訳じゃあないからねぇ。まあ織斑先生のオマケのようなものさ。ついでに言っておくと、本来は監獄にぶち込まれて当然の人間でもある」

 

 白衣の両袖を捲り上げ、デュノアに見せる。

 手首から肘の辺りまで覆い隠すように装着されたいくつもの無骨なリング。すっかり存在を忘れ去られてただの中二病アクセサリーと化していたそれは、学園に戻ったその日の内に委員会命令で追加された代物だった。

 先の一件で首がすげ替わり、メンバーのほとんどに機業の息が掛かっているとは言え、犯罪者を首輪なしで野放しにしておくと各国政府に示しがつかないのだろう。ちなみにこの問題に関してはスコール姉さんと話し合って了承済みだったりする。フォロワーだとこういう時に便利だ。

 

「実はこれ、逃走防止用の爆弾なのよね」

「爆――ええっ!?」

「大丈夫大丈夫、もう爆発しないから。針金一本で簡単に解除できる玩具だし、こんなんで身動き取れなくなるようなオッサンじゃありませんのコトよ」

 

 実際、ここに来るまでに位置情報を送信するダミー以外の全ての機能を停止させておいた。

 隙を見計らって姉さんの分まで解除する時は流石に気を張ったが、三代目ルパンのファンとしてこれくらいは朝飯前。フィアットでの垂直崖走りを再現しようと改造に改造を繰り返し、途中から篠ノ之博士も加わって最終的にはトランスフォーマーが完成して『あるぇ??』と二人仲良く首を傾げたのも――今となっては良い思い出である。

 

「じゃあ、先生は悪い人……なんですか?」

「この世の『正義』ってのが間違ってないならな」

 

 少なくとも世間一般的に言う『良い人』ではない。

 それでも、自分は善人だとのたまう人間よりはマシだと思う。

 山田先生に呼ばれてデュノアとボーデヴィッヒが入り、私も後ろのドアからそろりと滑り込む。

 一瞬の静寂の後に沸き立つ教室。

 

 さーて。

 また楽しくなりそうだ。




東方キャラをカードの精霊化させてオリ主無双の遊戯王SSとか考えてみたんですが、
今さらカードの効果やら原作キャラの戦略やら見直すのもアレなんで頓挫しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

022. ロリビンタと四対二

 パシンッ――と。

 いっそ小気味良いとさえ言える音が教室に響く。

 音の発生源は右手を振り抜いたボーデヴィッヒと、頬をぶっ叩かれて唖然とする少年だ。

 

「いきなり何しやがる!」

「ふん……」

 

 金髪美少年(偽)の転入で沸き立っていたお嬢さん方も口を開けて呆けてしまい――織斑先生は頭痛を堪えるように目頭を揉み、山田先生は突然の事態におろおろと視線を彷徨わせる。ついでに篠ノ之が目を見開き、オルコット嬢はあらあらと上品に静観し、のほほんさんはミニ▲様ヘッドを被っているせいで周りが見えていないようだった。HR中は取りなさいねあげたの私だけど。

 ボーデヴィッヒの暴挙を――止めようと思えば止める事もできた。

 しかしまあ、ここで第三者の私がしゃしゃり出たとしても遺恨が残る事に変わりはない。それに何より、私は叩かれたのに少年だけ無傷で済むだなんて納得がイカんでゲソ。

 と言う訳で、殴らせた後にいけしゃあしゃあと声を掛ける私がここにいる。

 

「ちょっと待ちたまえよ銀髪お嬢さん」

「……何だ」

 

 腕を組んだまま片目で睨んでくるボーデヴィッヒ。うん、ゾクッとくるね――じゃなくて。

 少年らは私がすんばらしい説教でもするのかと勘違いしているようだが、生憎と私は『自分』が殴られた程度で道徳云々を垂れ流すような人間ではない。聖書にだって『右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ』とあるし片方だけではバランスが悪かろう、うん。

 

「今のはあまり良い一撃ではないね。もう少し手首のスナップを効かせるべきだ」

「む……そうか?」

「そうだとも。あれじゃあキミの気持ちは伝わらない。さあ、Versuch es noch einmal(もう一度やってみよう)

「うむ、一理あるな。分かった」

 

 軍属の経験がある姉さんを含め、ドイツ語が分かる数名のクラスメイトが『…………はい?』と再びフリーズする。それを尻目にボーデヴィッヒは頷いて席を立つと、当たり前だがゲルマン言語なんぞロクに理解しちゃいない少年にすたすたと歩み寄り――

 

「今度は何――ふばっ!?」

 

 びったーんっ!!

 

 流れる灰銀の髪、閃く黄金の右手。

 手首どころか全身の捻りを乗せた会心のビンタ。すなわちロリビンタ。

 その凄まじい威力たるや、最初の快音など足元にも及ばず、見た者聞いた者――織斑先生ですら思わず自身の頬を押さえてしまうほど強烈な一撃だった。流石はウサギ隊長、バニーガール部隊を任されているだけはあるねぇ。

 

「どうだ?」

Fantastisch(よくできました)

 

 自信満々に成果を示すボーデヴィッヒに、私はグッとサムズアップ。

 良かったなぁイチやん、小さな紅葉が男らしさを引き立ててるぜい。

 

「『ファンタスティッシュ』――じゃねぇ! 先生アンタ余計な事言ったろ絶対!」

「ハッハー、なーにを根拠に」

「その立てた親指が何よりの証拠だぁ!」

「じゃあ中指を立てよう――」

「アウトー、それアウトー! そして何で皆そんなに嬉しそうなの!?」

 

 腐女子的には少年が受けか。うん、裏で発行されてる薄い本がまた分厚くなりそうな予感。

 にしても今の若者はキレやすくてイカンなあ、親の顔が見てみたいぜ――もし相見えたとしたら親子の情など関係なく姉上と仲良く九割殺しにする所存でございますデス。

 

「少年! キミは次に『てかどうして俺が殴られなきゃならないんだ』と言う!!」

「てかどうして俺が殴られなきゃならないんだ……ハッ!」

 

 セルフ漫才と言おうか一人ボケツッコミと言おうか――打てば響くように私の話に乗ってくれる少年は、本当にお人好しで付き合いが良い。できればもう少し楽しみたいところだが、いい加減にしないとお姉様の堪忍袋がブチ切れかねん。そうなれば待っているのは私と少年の二重死だ。

 ジョセフ氏の名セリフに硬直する鈍感男を捨て置き、ボーデヴィッヒが席に戻ったのを確認して織斑先生に目配せする。

 

「あー……各自言いたい事はあるだろうが、HRはこれで終わる。今日は二組と合同で模擬戦闘を行うので、すぐに着替えて第二グラウンドに集合するように。以上!」

 

 多少混乱していても、そこは織斑先生率いる一年一組。

 怖い怖い教官殿の合図で表面上は騒ぎも鎮静化し、女子はきゃいきゃいと賑やかに会話しながら着替えの準備を始める。少年もデュノアの手を引いてさっさと更衣室に行ってしまった。

 私も『一度でいいから思い出をください』とか言われてよく引きずり込まれたよなぁ行為室(・・・)に。

 何があったかはご想像にお任せする。

 生徒以上に時間の余裕がない姉上と山田先生も教室から出て行く。一方、着替えが必要ない私は教室に残り、猫じゃらし片手にのほほんさんの相手をしながら若い花々の観賞を――

 

「させると思うか?」

 

 すぐに戻ってきた黒髪の修羅に首根っこを掴まれた。のほほんさんは逃げた。賢い。

 

「堂々と覗きとは良いご身分だな。アァ?」

「い、いけませんよスミス先生、生徒の着替えを見たりしちゃ! めっ、です!」

「じゃあ生徒じゃなければ問題ないんですね? では山田先生、一緒に着替えましょう」

「ふええええええええっ!?」

 

 真っ赤になる山田先生。ふふふ、愛いのぅ愛いのぅ。

 

「…………」

 

 そして能面のように感情が消え去る姉上。ヤベェ、調子乗り過ぎた。

 

「私より山田先生か…………ふぅん?」

「ぬががががっ!? 逝ってる、骨がギシギシメキメキ逝ってます!」

「ひいっ!? スミス先生の身体が痙攣して……お、落ち着いてください織斑先生!」

 

 目のハイライトが消えた担任(姉)が三十半ばの男(弟)の首を掴んで持ち上げ、それを童顔で小柄な副担任(胸)が半泣きになりながら止めようとする。

 あっははははははは、いやいやいやいや。

 いい年こいて、生徒の前で何やってんだろうね私らは。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ――そんなこんなで。

 理性がかろうじて残っていたのか、どうにか姉さんは授業に遅れる事もなく、整列した生徒達を前に教師としての威厳を存分に振り撒いていた。

 二クラス合同の授業ともなれば指導する教員の苦労も倍増だが、そこはそこ、ブリュンヒルデのかりちゅま(笑)とでも言うべき気迫で見事に統率している。

 

「では本日より、格闘及び射撃を含めた実習に移る。つまらんミスで怪我などしないよう全員気を引き締めて取り組むように」

「それは良いんですけど…………あの、千冬さ――じゃなかった織斑先生。そっちで地面に頭だけ埋められて放置されてるのって、もしかしてもしかしなくても……」

「あの馬鹿の事は気にするな凰。自業自得だ」

「ああ、やっぱり……」

「助けてけれー」

 

 声はすれども姿は見えず。

 うわぁん暗いよ狭いよ怖いよー。埋めるなんてヒドいよお姉ちゃーん。

 あー自分で言ってて寒気がする。

 

「ね、ねぇ一夏、オルコットさん、あの先生っていつもあんな風なの?」

「してると言うかされてると言うか……深く考えない方がいいぞ、シャルル。並大抵の事じゃ全然堪えないし、千冬姉とは違う意味で非常識に分類される人だから」

「織斑先生の本気の一撃を受けても、次の瞬間には平気な顔で立ち上がりますわよ?」

「うわぁ……実は未来から来たサイボーグだったりする?」

 

 何やら失礼な会話が聞こえてくるのは気のせいでしょうか。

 オノレ昔の私のクセに…………少年め、授業が終わったら覚えておけ。貴様のケツの穴に白くてドロッとした液体(木工ボンド)をブチ込んでやるからな! しかもゾンビか巨神兵の如くお腐れなすった女子達の前で! イケナイ本のネタとなるがいい――って痛ェ!? ケツ蹴られた!

 

「お前も何時まで埋まっているつもりだ?」

「埋めたのは織斑先生じゃないッスか」

 

 何処かのブス専忍者みたいに痔になったらどうすんのよ、もう。

 頭や肩についた土くれを叩き落とし、まだちょっと拗ねてるっぽい姉さんの隣に立つ。座学では常に後ろで眺めているだけだったため、こうやって授業中に正面から生徒と顔を合わせると奇妙な懐かしさを感じる。視線フェチだったら涎を垂らして喜びそうなシチュエーションだぁね。

 

「ではまず最初に手本として、戦闘と連携の実演でも行ってもらおうか。凰、オルコット、それに織斑とデュノア――今呼ばれた四名は前に出ろ」

「「は、はいっ!」」

「わたくしも?」

「僕もですか?」

 

 おやまあ意外な展開に。

 記憶ではおチビとオルコット嬢の二人だけで山田先生と戦うはずだが、いよいよもって私の知る過去との齟齬が大きくなりつつある。まあ、実の姉から友愛を超えた好意を向けられた時点で既に正史は破綻しちまってるし、今さらと言えば今さらかもだけど。

 とにもかくにも、これまで通り観察を続けるのが現状では得策か。

 

「……専用機持ちを選ぶなら、ドイツのお嬢さんも頭数に入れないんで?」

「今のラウラでは連携など不可能だからな」

「確かに」

 

 少年達が協力しようと歩み寄ったとしても、ボーデヴィッヒがパートナーを邪魔者扱いするのは目に見えている。姉さんが私にしか聞こえないほどの小声で返したのは、憧れを健気に抱き続ける教え子への――せめてもの配慮だったのだろう。

 と、オッサンとオネーチャンが嘆息したその時――

 

「――あわわわわわっ!? ど、どいてくださあああいっ!?」

 

 風をつんざく音と共に、重くなった空気をぶち壊す悲鳴が降って来た。

 ホント、あの先生は良い意味で真面目な話に向いてないよなぁ。

 では私も。

 

「親方、空からおっぱいが!」

「せめて『女の子』と言ってやれ!」

「女の『子』って年ですかねぇ!?」

「スミス先生ヒドいですうきゃああああっ!?」

 

 律儀にツッコミを返しつつも山田先生は止まらない。

 しっかし仮にも元日本代表候補生だろうに、何をどう間違えたらラファール程度でコントロール不能に陥るのやら。アクセルとブレーキを踏み間違えたとかそんなレベルじゃねぇぞ。

 と言うか、

 

「よく考えたら山田先生より織斑先生の方が年上じゃね?」

「だぁれが行き遅れの年増だあああっ!!」

「気にしてらしたのねっ!」

 

 いらん事を言ってしまいブレードで打ち上げられる私。

 その進路方向には当然のように落ち迫るやまやんがいらっしゃる訳で。

 

「ヘルミッショネルズッ!?」

「ああっ!? すすすスミマセーン!?」

 

 少年のようにどさくさで胸を揉みしだく役得もなく、わたわたと振り回していた装甲展開済みの腕でふつくしいプロレス技を頂戴してしまった。正しくフライング・ラリアット。やあ川岸にいるおばあちゃん、ボクまた来たよ。だから誰だよアンタ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いやははは、やっと授業が始められますねぇ」

「ほとんどお前のせいで中断していたんだがな」

 

 数分後。

 本日二度目となる頸椎のダメージから回復した私は、山田先生とお揃いのラファールを装着して専用機持ち四人と向かい合っていた。

 構図としては四対二の状況だ。

 できれば追加改造した兵装の実験も兼ねてランスローを使いたいところだが、織斑先生のご要望により量産機での模擬戦である。おかげで胸ポケットの相棒ちゃんがさっきから不機嫌そうに震え続けて仕方がない。あたし以外の女に乗ってんじゃないわよ――ってか。凰に似てきたなぁ。

 

「……いくら先生二人でもさ、あたし達四人を相手になんてできるの?」

「その馬鹿の戦闘力は知っての通りだ。それに山田先生も元代表候補生――所詮は訓練機だからと見くびらないほうが良いぞ? 今のお前達ではまず間違いなく勝てない」

 

 おやおや、私の腕も随分と買われているようだ。

 勝てないと断言されてしまった坊ちゃん嬢ちゃんズの反応はそれぞれで、少年とオルコット嬢は私の顔を見て『だよねぇ……』みたいな表情を、おチビはプライドを刺激されたらしく双天牙月を構え直し、唯一事情を知らないデュノアくん(仮)は何とも言えずただ苦笑を浮かべる。

 四十八口径ハンドガンを両手に一丁ずつ握り、姉上に問う。

 

「んーで、織斑先生。今回は常識の範囲内でって事でよろしいんですよね?」

「ああ。ついでに言っておくとそのラファールは学園の備品だ。無理な機動を要求していらん傷を付けてくれるなよ?」

「無理を通して道理を蹴っ飛ばすのが私の信条なんですけどねぇ」

 

 つーか爆弾付きの犯罪者を手本にさせる事自体間違ってないか?

 学園も良く許可したもんだ。

 

「ほんじゃま山田先生、よろしくお願いします」

「あ、ああいえ、こちらこそっ」

「では…………始めっ!」

 

 授業としては参考にはならないだろうが、そもそも私は長引かせるつもりなど毛頭ない。

 合図と同時に瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使い、丸っきり油断していた少年とオスカルくんの懐に潜り込む。

 

「ハロー」

「へっ……?」

「うわっ!?」

 

 銃器や刀剣類に慣れた専用機持ちでも、いきなり目の前に銃口を突き付けられたら硬直する。

 本物の戦場ではその一瞬が命取りだ。

 

「まあアレだ。とりあえず、強くなりたきゃ喰らっとけ」

 

 ダンダンダンッ、と弾丸を吐き出すハンドガン。

 訓練用の弱装弾がシールドバリアーに阻まれて無力化されるが、元より銃弾でのダメージなんぞ当てにしちゃいない。私の狙いは、バリアー発動時に生じる強烈な光とマズルフラッシュで二人の視界を一時的に塗り潰す事だった。

 

「一夏っ!」

「くそっ、目が……」

「そこで何もしないようじゃ……まだまだだな」

 

 全弾撃ち尽くしたハンドガンをその場に放棄して二人の腕を掴み、最大出力のスラスターで得た運動エネルギーを用いて上空へと投げ飛ばす。視覚を封じられ、それでも何とか体勢を整えようと試みるお坊ちゃんズだが――悪いね、今回は攻撃すらさせないって決めてんだ。

 右手にショットガンをコール。弾種は散弾ではなく一粒弾(スラッグ)で。

 

「ぐっ……どわっ!?」

「こうも両腕を正確に……!」

 

 ブルー・ティアーズのような遠隔操作タイプの兵器ならまた違う戦法を取るが、オスカルくんの場合は両腕を、少年は雪片を握る利き腕を撃ち弾いておけば問題ない。要は、狙いをつけられないようにすれば良いだけの話だ。

 さて、あっちのお嬢さん方もそろそろ頃合いかね。

 

『山田センセー、少し早いですが仕上げにしますよ』

『はいっ!』

 

 白式とラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ(長ぇなしかし)のスラスターに数発お見舞いして二人の軌道を修正――そこに山田先生の銃撃で誘導されたオルコット嬢とおチビが激突する。

 

「ちょっと! 何でアンタ達こんなトコにいるのよっ!?」

「しょうがないだろ先生に撃たれっ放しなんだから!」

「喧嘩してる場合じゃないよ二人共!?」

「そうですわ! 小父様の性格ですからこのまま固まっていたら――」

「はーいオルコット嬢だーいせーいかーい! 鬼は外ってなぁ!!」

「「「「へっ……?」」」」

 

 周りが見えないってのは致命的だ。

 だからこうして簡単に接近を許してしまう。

 自分達の周囲にばら撒かれた大量のグレネードを見て、四人は一斉に青褪める。

 

「や、ヤバッ!?」

「落ち着いて! このタイプは接触しなければ――」

 

 ――とはいかないんだな残念ながら。

 

『山ぴー、後よろしく』

『山ぴーは止めてくださいよぅ!』

 

 文句を言いつつも《レッドバレット》で照準を定める山田先生。

 狙うのは四人組ではなく、

 

「「「「うひゃああああっ!?」」」」

 

 五十一口径の弾丸がグレネードの一つを綺麗に撃ち抜き、十個以上の全てに誘爆を引き起こして色とりどりの専用機を飲み込んだ。

 

「やぁまやー……じゃなかった、たぁまやー!」

「あわわ!? み、皆さん大丈夫ですかーっ!?」

 

 その後。

 落っこちて黒コゲになった少年達の前で、私と山田先生が『やり過ぎだ!』と姉上にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。




いやいや遅くなりまして。

多少弄りましたが、今回のリクエストは、

 久遠♪さんより、

・「お前は次に、○○と言う」→「○○…ハッ!」(ジョジョ)

 若尾さんより、

・「無理を通して道理を蹴っ飛ばす」(グレンラガン)

 マーシーさんより、

・「強くなりたくば喰らえ」(刃牙)

 でした。



 今年もあと10日。
 ちょっと早いですが皆さん良いお年をー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

023. 毒料理とルームメイト

今回はちょっと駆け足です。


 グレネードで真っ昼間から花火ごっこをしたり少年が黒コゲアフロになったり山田先生と仲良く正座して姉貴の説教を食らったり――色々あったが模擬戦そのものは問題なく終了した。もちろんおチビやオルコット嬢、デュノアくんには傷一つない。

 そして授業は進み、現在私は鎮座するラファールの前でパンパンと手を叩いていた。

 他にも用意された訓練機に一人ずつ、歩行訓練の指導役として少年やオルコット嬢達がそれぞれ割り当てられている。ちなみに一番騒がしいのが少年の列で、一番静か――と言うか重苦しい空気なのがボーデヴィッヒの列だ。足して二で割ったら丁度良くなりそうな気がする。

 

「はーい並んで並んでー。あんまり遅いと夜中に部屋行って襲っちまうぞー」

「真顔で何をほざくか貴様はー!!」

「少年バリアー!」

「ふぬぁっ!?」

 

 投げ縄で引き寄せた少年の股間に、殺人出席簿が深々と突き刺さる。

 

「マ、マモレナカッタ……がふっ」

 

 昔の私の息子が戦闘不能で一大事。

 

「少年が死んだっ!」

「「「この人でなし!」」」

 

 つーかネタに走る少年もだけど、二組の子も混ざってるのにノリ良いねキミ達。

 血染めの出席簿と青白い顔で半死半生の少年を姉上にクーリングオフし、何やかんや騒ぎつつも素直に並んでくれたISスーツ姿のお嬢さん方を見やる。ふぅーむ、それなりに大きいのから手に収まるサイズまでよりどりみどり。こんなに沢山いると選べなくてオジサン困っちゃう――なんてアホな事考えてるから誰かさん達に睨まれちまうんだよなぁ。

 

「センセー、まだ織斑センセーとセッシーがこっち見てるよ~?」

「うん、後で私が殴られたりビーム撃たれたりすると思うから今は気にすんなー。そんじゃまずはのほほんさんから乗ってみようかー」

「はーいっ」

 

 元気良く挙手して返事をする、やはりISスーツ姿ののほほんさん。

 そのほんわかした雰囲気に似合わない超凶悪ボディをお持ちであらせられるため、柔らかそうな部分が揺れに揺れちゃって汚い中年には目の毒だ。煩悩を追い払うために一旦山田先生のお胸様をじっくりしっかり網膜に焼き付けて、着ぐるみ大好きのんびり娘に視線を戻す。うん、とりあえずしばらくは大丈夫になった。毒をもって毒を制す。

 

「む~……センセー、とってもしつれーな事考えなかった~?」

「いやいやまさか。じゃあちょっとその辺を歩いてみようか」

「はぁーい」

 

 いやはや乙女の勘ってのは相変わらずおっそろしいねぇ。昔からやましい隠し事があるとすぐにバレちまうでやんの。でもだからって……コンビニの店員のねーちゃんと手が触れ合ったくらいで監禁されて去勢されそうになるのは絶対に間違っていると思う。いやぁあん時のデュノアは怖いのなんのって、涙目で『…………一夏は僕のだもん』とか言われた日にゃどんな顔をすれば良いのか分からなかった。

 

「ゆっくりで良いから転ばないようになー。まあ転びそうになったら支えてやるけどねー」

「胸揉まれそうだから遠慮しま~す」

「はっはっはー……しまいにゃ泣くぞチクショウ」

 

 まあ、警察のご厄介になりそうなやり取りはこのくらいにして。

 授業で何度か動かした経験が生かされているおかげか、多少ぎこちない歩みではあるものの特に大きなトラブルも起きず、比較的すんなりと一巡目は終了した。教え役の私が慣れていたって事もあるかも知れんが――そいつは昔取った杵柄だぁね。

 時間も余ってるしもう一巡させてみようかとぼんやり考えたところで、二組の生徒にくいくいと白衣の袖を引かれた。

 

「シュミット先生、あれ……」

「どれ?」

 

 彼女の指差す先には直立不動の打鉄があり、白式装着済みの若サマーが同じグループの女の子を抱き上げている真っ最中だった。ちょっと内股気味なのは触れない方向で。

 それを目の当たりにした篠ノ之が不機嫌顔になり、おチビも露骨に口を尖らせ、オルコット嬢が優雅にお茶会を開いてデュノアが宝塚を演じてボーデヴィッヒは何時の間にかグループメンバーに可愛がられてもにゅもにゅされていた。授業しろやヨーロッパ勢。

 んでもって、非常にイヤナヨカンがしたので振り返ってみれば――

 

「……何と言う事でしょう」

 

 屈ませたはずのラファールがジョジョ立ちしてらっしゃるではあーりませんか。

 笑えねぇよこの悲喜劇的ビフォーアフター。

 プリンセスダッコーをやりやがってる阿呆一名を指して、

 

「私にもあれをやれ、と……?」

 

 頷かれた。

 ものっそい期待した目で頷かれちったよ。

 胸触られるから遠慮するとか言ってたのに――いっそ本当に揉んだろか。そうなったら私の頭が大量のブレードで生け花みたいに飾り付けられる羽目になるだろうが。

 ええい、こうなりゃ男は度胸だ。

 

「よぉし、お望み通りにしてやるから覚悟しやがれ。まずは右端のキミからだ」

「さっきと順番が違いませんか?」

「胸の大きい順」

「「「さらっとセクハラ発言!?」」」

「でで~ん。田中先生、アウト~」

「好きに言えや。開き直った私はもう何も怖くない――おやどうしたの織斑先生にオルコット嬢もそんな重くて硬くて斬れそうな物で念入りに素振りなんか始めちゃってギャアアアッ!!」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 何処かの馬鹿が尻を四分割された授業も終わり、現在は昼休み。

 織斑一夏、篠ノ之箒、凰鈴音、そしてシャルル・デュノアの四人(・・)は男子目当ての好奇の視線から逃げ隠れるように、欧州情緒漂う屋上で丸テーブルを囲んで持参した弁当を広げていた。

 誘われてまんざらでもなさそうな鈴音とシャルルに比べ、さりげなく想い人の横に陣取った箒は浮かない顔――と言うより明らかに不満げだ。

 言わずもがな、女心を分かってくれない隣の幼馴染が原因である。

 

「あのー……箒? 箒さん? そろそろ俺も弁当をいただきたいのですが――」

「ん……」

「……何で怒ってんのさ」

「怒ってなどいない」

 

 二人きりでの仲睦まじい昼食風景を思い描いていたのにこの仕打ち。

 恋敵の心境を悟った鈴音は一夏の鈍感具合に溜め息を吐き、シャルル――シャルロットも多感な少女特有の観察眼から状況を把握し、この場に同席している事を視線で箒に詫びるのだった。

 しかしまあ――それはそれ、これはこれ。

 まだ一夏の毒牙にかかっていないシャルロット(もう面倒なので本名で)はともかく、手遅れな鈴音としてはわざわざ敵に塩を送るのも面白くない。

 好機と見たらすぐ行動に起こすのが凰鈴音の長所であり短所。

 一夏が篠ノ之印の弁当を受け取る前に――先手必勝とばかりにタッパーを彼の前に放る。

 

「ほら、アンタの分の弁当」

「――っと。コラ、食べ物を投げるなよ」

「味は変わらないでしょ」

 

 飲食店の娘なのにその発言と行動はどうなのだろうか。

 ともあれファースト幼馴染よりも一歩リード(?)したのは事実。現に、先を越された箒は己の踏ん切りの悪さを悔やんでいるようだった。

 そんな箒の気持ちも知らずに、一夏が特製酢豚に箸を伸ばそうとしたその時――

 

「待ティ!」

 

 何処からともなく、ギターとトランペットの奏でるメロディが流れてくる。

 

「美味シクデキタダロウカ、喜ンデクレルダロウカト、大キナ期待ト不安ニ心揺サブラレナガラモ健気ニ想イヲ込メタ乙女。ソノ花ノ如キ愛情ニ気付カヌ罪深サ――人、ソレヲ『愚鈍』ト言ウ!」

「だ、誰だ!?」

「貴様ラニ名乗ル名前ハナイ!」

「……こんな登場の仕方するのはあの人くらいでしょ」

Exactly(そのとおりでございます)

「名乗らないけど肯定はするんだ……」

 

 一夏達を見下ろせる場所から、逆光を背負って立つ人物。

 それは案山子のような、あるいは鳥避けバルーンのような一つ目マスクを被った全身黒タイツの変人であり、どう控え目に見ても『正義の味方』と言うより『悪の下っ端戦闘員』としか思えない風貌をしていた。

 口上を言い終えた怪人は、近くのハシゴから普通に降りて来る。

 

「飛び降りたりはしないんですね……」

「メシ食ッテルンダシ埃トカ入ッチャウデショウガ」

 

 妙なところで常識的な男である。

 

「と言うか、その喋り方苦しくないんですか?」

「ウン、ブッチャケスッゲー苦シイ」

 

 首元のロープを緩めて素顔を晒す変人。

 被っても脱いでも不審者の立場から逃れられないのは、間違いなく普段の言動が影響している。

 人、それを『自業自得』と言う。

 

「んむ? オルコット嬢は一緒じゃないの?」

「オルコットさんなら僕達におすそ分けしに来て、先生を探しに行きましたけど……」

 

 丸テーブルの中央に置かれた小さなバスケット。その中には一口サイズのサンドイッチが綺麗に並べられているのだが、刺激的かつ芸術的な味を知る一夏、箒、鈴音は元より、あのシャルロットでさえも手を付けようはしない。

 食べてもらえないからか、それとも内に秘められた毒性からか、サンドイッチは食品らしからぬドス黒いオーラを漂わせている。

 

「あーららら、そーゆー展開っすか」

「展開?」

「いやいや、こっちのハナシよムグムグ」

「あっ、俺の酢豚!? 何時の間に!?」

「篠ノ之からの弁当もあんだろが。うん……上出来。おチビ、お前良いお嫁さんになれるぞ?」

「お嫁――い、いきなり何言ってんのよ! てかおチビ言うな!」

「おチビはおチビだからなぁ」

「ふしゃー!」

 

 変人に飛び掛かろうとして簡単に頭を押さえられる鈴音。

 傍目には親子のようにも見える微笑ましい光景に、愚か者の一夏は――

 

「ホント、先生って羨ましいくらいセシリアや鈴に好かれてるよなぁ」

「…………」

「…………」

「ど、どうしたんだよ二人揃って怖い顔して。箒とシャルルまで……」

 

 一体どの口がほざきやがるのか――と阿呆以外の四人の思考がシンクロする。

 ここまで鈍感となると最早ショック療法しかない。

 

「……一夏、ちょっと口開けなさい。早く」

「お、おう……?」

「ふんっ!」

「もがっ!?」

 

 避けられないよう箒が脇から一夏の頭を固定し、シャルロットがバスケットを持ち上げ、鈴音がサンドイッチを引っ掴んで馬鹿正直に開けた口に突っ込み、ダメ押しに変人がマスクを被せる。

 先の授業での失態を挽回できるほどの――電光石火の連携プレー。

 含んだ劇物を吐き出す事もできず、奇怪なマスク姿のまま、少女達の想いに気付けない若輩者は哀れにもひたすら悶えるだけだった。作ってもらったお弁当は美味しくいただきましょう。

 素敵な味にぴくりひくりと痙攣する一夏の末路を見届け、タイツ姿の怪人は静かに踵を返す。

 

「今日の私は紳士的だ。運がよかったな……」

「変態紳士の間違いでしょ」

「そーともゆー」

 

 IS学園は今日も平和である。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あ、小父様! やっと見つけました!」

「……わぁお」

 

 女子が溢れる廊下の向こうから、花を振り撒く笑顔でオルコット嬢が駆け寄って来る。

 うん、もうこの際懐かれるのは非常に嬉しいと甘んじて受け入れる覚悟ではあるが、終了間近の昼休みと言う状況――そして彼女が手に持つバスケットを見て思わず身が強張ってしまう。

 屋上で少年を苦しめた一口サンドイッチよりも、さらに禍々しいオーラ漂わせる暗黒物質。

 これで見かけだけはレシピ本の写真通りに完璧だから余計に落差が激しく、視覚と味覚が受ける正反対の衝撃もさぞかし大きい事だろう。

 ちなみに二十年後のオルコットだが、料理の腕は全くと言っていいほど上達していない。むしろ悪化の一途を辿っている。火中に投げ込むと即席の催涙弾と化し、一部の地域では持込禁止になり英国首相と女王陛下を悩ませるレベルなのだから、その威力は推して知るべしと言う他ない。

 もぢもぢと頬を赤らめながらオルコット嬢は言う。

 

「その……実はわたくし……」

「あー……少年達から話だけは聞いてる。弁当作って私を探してたんだろ? スマンね、ちょいとばかしやらにゃならん事があったんだ」

 

 おチビと篠ノ之の応援をしたり少年にポイズン料理食わせたり一人ババ抜きしたり。

 一つ嘘だけど。

 

「い、いえ謝っていただくほどでは。小父様も色々とお忙しいでしょうし……わたくしの身勝手な都合でお手間を取らせる訳には参りませんわ」

 

 そこまで忙しくもないんだけどねぇ。

 

「あの、ところで小父様。食事の方はもうお済みに……?」

「……いやいや流石にねぇ。お前さんが弁当作ってくれてるって言われたのに、普通にメシ食って腹一杯になる訳にもいかんでしょ。照れてないで早くソレ渡しなさい」

「――っ、はいっ!」

 

 受け取らない、と言う選択肢は元からない。

 BLTサンド(仮)を食べた瞬間に悪寒が走り、味覚の異常を察知したナノマシンが危険信号を発信してきた。ワーニン、ワーニン、この物質は大変危険です。それがどうしたコンチクショウ。

 表情筋を総動員して取り繕い、どうにか口元だけでも笑みを形作る。ふふぉーう、顔面の神経がこれでもかと痙攣してらっしゃるぜ。甘いとか辛いとかもう超越してんだもの。

 

「ど、どうですか……?」

「うん……まあ、飛び上がりそうな味?」

 

 としか言えなかった私は意気地なしだろうか。

 でもまあ、嬉しそうにはにかむオルコット嬢が見れたから良しとしよう。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「言い忘れていたが、お前には部屋を移ってもらう事になった」

「いよいよ独房行きですか? できればトイレくらいは付いてる部屋が良いんですけど」

「お前の普段の言動を鑑みると鎖で縛り付けておくのが最適だと思うが…………内装自体は今まで使ってきた地下の部屋と変わりはない。いや、むしろそれ以上かもな」

「『ベッドもシャワーも冷蔵庫もある好物件! ただしシルバニ○ファミリーのお家!』みたいなオチじゃないでしょうね? 人形遊びをするには年食い過ぎてますよ私は」

「馬鹿。ちゃんと人が住める部屋に決まっているだろうが」

「ですよねー。言ってみただけです」

「…………ちなみに二人部屋だ」

「何ですと?」

 

 ――なんてやり取りが放課後にあって、夜。

 移住先として指定された学生寮の一室で、する事もなかった私は顔も分からないルームメイトに心中で断りを入れ、とりあえずシャワーを浴びていた。

 降り注ぐ熱い雫に打たれて思考が加速する。

 

「いきなり部屋替えたぁね……」

 

 全寮制の学園なら別に珍しくもない話だが――生憎と私は学生でもなければ職員でもない。

 そもそも私に地下の部屋を宛がったのは学園の上層部とIS委員会だ。となれば、今回の異動もそっち方面からの指示と言う事になる。先日の粛清でメンバーが一新した今となっては、つまりは裏で納豆みたいに糸を引く亡国機業の意向と受け取れる訳だが……謎の同居人までオマケに付けるとかあちらさんも何考えてんのやら。

 含み笑いのスコール姉さんの顔が浮かぶ。

 

「……まあ、次の委員会は上手くやってくれるでしょうよ」

 

 組織である以上一枚岩とはいかないだろう――それでもスコール姉さんと秋姉、そしてマドカの実力は十分信頼に値する。譲歩と交渉の結果で左右されるのはやむを得ないが、同盟を組むまではいかなくとも敵対関係になる事はないだろう。

 結局はいつも通り、なるようになるしかない訳だ。

 と、自己完結してシャワーを止めたところで、

 

「…………ん?」

 

 シャワールームの外、もっと言うなら脱衣所の外から、ドサッ、とそれなりに重量のある何かが落ちる音が聞こえた気がした。

 はて、念のため鍵を掛けたはずだが?

 スウェットパンツを穿いただけの状態で頭を拭きつつ脱衣所を出ると――

 

「……はい?」

 

 食べかけのサンドイッチを手に、魂が半分抜け出た山田先生が倒れていた。




 衝撃的ルームメイト登場。
 そして次回は人命救助してチッフーとちょっと修羅場。
 おそらくは今年最後の更新となります。


 今回のリクエストは、

 namcoさんより、

・「今日の俺は紳士的だ。運がよかったな・・・」(テイルズオブデスティニー2のバルバトス・ゲーティア)

 ネギ・グラハムさんより、

・「マモレナカッタ……」(テイルズオブシリーズ)

 サルベージさんより、

・ロム立ちでの説教(マシンロボ・クロノスの大逆襲)

 ニコ虎さんより、

・「Exactly(そのとおりでございます)」(ジョジョシリーズ)

 あだちさんより、

・「次の委員会は上手くやってくれるでしょう」(AC:セリフ改変、あるいはTRPG『パラノイア』)

 パンダ三十六か条さんより、

・12thのコスプレ(未来日記)

 でした。

 それでは皆様、良いお年を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

024. 姉弟+αの夜

明けま、以下略。

今回は体質によっては心身に異常をきたす場合がございます。
読む前に、もう付き合っちまえと叫びながら殴るための壁を用意しましょう。

追記

 運営側の規約に引っ掛かりそうなので、リクエストの受付ページを今後は活動報告欄に移したいと思います。登録済の方はできれば活動報告ページにお願いいたします。

 未登録の方でも活動報告にコメできないらしいですが……どうしましょう。


 非常事態に直面した時に一番やってはいけないのは、パニックに陥り冷静さを失う事だ。

 逆に言えば、慌てず状況をきっちりと見極めさえすれば大概の事には対処できる訳で、つまりは百戦錬磨、常勝無敗であるところのワタクシ織斑一夏にとって、この程度のハプニングは恐れるに足りない些末な出来事なのだ。

 そうだとも、じぇーんじぇん大した事はない。

 シャワーを浴び終えて脱衣所を出たら山田先生が倒れていただなんて――目覚めたら隣で全裸の幼馴染や知人友人が幸せそうに寝ていた時に比べりゃ可愛いもんだ。

 シーツに垂れた血痕を洗い落とせなくて焦ったの何のって、しかも対抗心を燃やして一日おきに一人ずつ来るから誤魔化す事もできず……その後どうなったのかは語るまでもないだろう。

 

 閑話休題。

 

 仰向けで目を回し、身体を小刻みに痙攣させる山田先生。

 その手には口をつけたサンドイッチの残りがあり――何故わざわざ私の食べかけ(・・・・・・)を選んだのかはともかくとして、愛らしい同僚(仮)をこんな目に遭わせた犯人はこれではっきりした。

 

「犯人は……お前だ!」

 

 必要のない化粧台の鏡の中で、半裸の私が私を指差す。

 はい、危険物を如何にもな感じでテーブルの上に放置していた私が悪いんでございます。見た目だけは美味しそうだからなぁ。何も知らなければ思わず手を伸ばしてしまうのも無理はない。

 どうやら味に驚いて誤飲してしまったらしい――何度も同じような症例を目にしてきたが、今回ばかりは少し急がなければならんかも知れん。

 すぐに山田先生の体勢を座位に変えて背後から腹部に両手を回し、片方の握り拳を鳩尾に当てて押し上げるように圧迫――ハイムリック、あるいはハイムリッヒ法と呼ばれる窒息時の応急処置を施してみるが、しかし一向に彼女は吐き出してくれない。

 口を強引にこじ開けると、喉の奥に食パンらしき白い影を確認できるが――何にせよこの方法で効果が見込めないとなると手段は限られてくる。

 

「…………後で謝らねぇとなぁ」

 

 躊躇いは一瞬。

 そして私は彼女の唇を奪った。

 同時に豊満で柔らかい双丘を指でかき分け、掌底で肺に圧力を加える。心臓マッサージの要領で内部の空気を押し出すために、胸骨越しに何度も何度も。

 

「――っ!? く、ふっ……ぁ、ん……」

 

 熱い口腔内に差し入れた舌先に、肉質とは明らかに違う感触がある。

 それを捉えたまま一気に吸い上げると甘いような辛いような苦いような、とにかく形容しがたい味が口全体に広がり、反射的に床に吐き捨てたそれはシュウシュウと不気味な色の煙を立てながら崩れ落ちて――って怖っ!? 何コレ怖ぁ!? 時間が経つとこんな風になるの!?

 その光景に愕然とするも、ともあれ山田先生の呼吸は回復し肌に赤みも戻ってきた。残る問題は山積みだが、尊い人命が一つ救われたのだからひとまずは良しとしよう。

 

「……何を、やっているんだ……?」

 

 バサッ、と紙の束が落ちる音。

 抜き身の刀のように冷え切った声。

 神様……テメェは本当に試練とやらを与えるのが好きらしいなこのドSヤロウ。

 

「山田先生と……何をしていたんだ?」

 

 ドアの前に立つ姉さんの顔は蒼白で、足元には書類が散らばっている。

 さて何をしているのかと問われると――上半身裸の男が無防備な女教師を押し倒し、小さな唇に吸いついておまけに胸を好き勝手に揉みしだいている……ように見えなくもない。しかも山田先生ちょっと内股擦り合わせちゃってるし。

 はっきり言って、この画だけ目撃したなら十人中十人が有罪死刑の札を上げるだろう。

 私、完全に犯罪者である。

 またブレードの教育的指導が来るのかと痛みに身構えるが――現実ってのは想像の遥か斜め上を突っ走ってくださるようで。

 

「………………」

「いいっ!?」

 

 声もなく唇を噛み締める姉上――その黒真珠のような瞳から頬を伝って零れ落ちる一筋の涙。

 泣いちゃった! 泣かせちまった!?

 誤解をしたまま立ち去ろうとする織斑先生の手を咄嗟に掴んで室内に引き入れたのは、我ながらファインプレーだったと自画自賛して喜んでいる場合じゃねぇっての!

 顔だけ廊下に出して左右確認……幸いな事に目撃者はない。

 ドアを閉めて施錠して、ついでに山田先生をベットにほっぽり投げて、気が動転しているせいか腕力が普段の半分も出ていない姉さんを壁に押し付ける。

 ああもう、余罪がどんどん増えていっちゃうね畜生め。

 

「良いですか織斑先生、落ち着いて聞いてください」

「いやっ! 何も聞きたくない!」

「だぁから誤解なんですってば!」

「何が誤解だ山田先生とキスして胸まで揉んでたクセに! 馬鹿、スケベ、ド変態!」

 

 癇癪を起こした子どものように振るわれる拳は少しも痛くない。むしろ殴った手の方が傷付いてしまうのではと思えるほどに華奢で、いつもは凛としている顔が涙と鼻水でくしゃくしゃ。

 何年振りだろうな、姉貴の泣き顔を見るのは。

 可愛いけどもこのままじゃ一向に話が進まない。

 

「いーから話を――」

「あっ……」

 

 悲しみに震える身体を背後からキツく抱き締め、諸共に後方へ――

 

「聞かんかい!!」

「ふぐぅ!?」

 

 空いているベットにジャーマン・スープレックスを叩き込んだ。

 ホント、ロマンチックにゃ縁遠い姉弟だね私らは。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ぐすっ…………つまり山田先生が死にかけていたから助けていたと?」

「まあ、そういう事になりますねぇ」

「下心や不埒な感情は断じてないんだな?」

「ありませんありません」

 

 口の中がすごく熱かったとか、指が沈み込むくらい胸が柔らかかったとか、肌色成分多めの夢に出て来そうだとか、そんな邪な思いは神に誓って持っちゃいませんのコトよ?

 あれからおよそ三十分後。

 落ち着いた織斑先生に事の顛末を説明し、どうにか誤解を解く事に成功した。それでもまだ私を睨め付ける視線には多少の疑念が含まれているが……まあそれは日頃の行いの悪さ故か。

 とにもかくにも一段落して私は空のベッドに、姉貴は山田先生が眠りこけてるベッドにそれぞれ腰を下ろしてコーヒーを啜っていた。もちろん私は白衣に着替えて、だ。

 

「しかし……オルコットの料理はそこまで酷いのか?」

「情けないですが、私の口で言い表すにはちょいと語彙が乏し過ぎるお料理でして。ある意味では既に芸術の域――生きているのなら、神様だって殺してみせる。誇張だと疑うならそのテーブルに残りがあるんでお一つどうぞ。天にも昇っちまう味が体験できますよ?」

「そうなったらお前が助けてくれるのか?」

「口を吸われて胸を揉まれても良ければ」

「………………」

「………………」

 

 何でそこで嫌そうでもない顔で黙っちゃうのかなお姉ちゃーん?

 

「……冗談だ」

「でしょうね。私も二回目は御免被りたいです」

 

 そう言うと、今度は頬を膨らませてあからさまに不貞腐れた。

 我が姉ながら考えている事がいまいち読めないから困る。あれか、思春期か。遅過ぎね?

 

「にしても、どうして山田先生がこの部屋に来たのかが分かりません。鍵だって確かに掛けていたはずのに――山田先生に限ってまさか強引にこじ開けたって訳でもないでしょうし」

「二人部屋だと言ったろう。合鍵を持たせているのだから不思議でも何でもない」

「……一番有り得ないと思っていた可能性だったんですけどねぇ」

 

 部屋割りと同居人を決めたのは委員会……の後ろにある亡国機業。

 これもスコール姉さんの『老婆』心――なぁんてうっかり口が滑らせようものならどんな報復が待っていらっしゃる事やら。年齢に関する単語には敏感だからなぁあの人も。

 

「ぅ……う、ん……あれ、私……?」

「ようやく起きたか山田先生。気分はどうですか?」

「織斑、先生――っ!? あの私、いきなりスミス先生と同じ部屋って言われて来たらテーブルにサンドイッチで美味しそうでお腹が空いてたからつい……その、ごめんなさい!」

 

 別に謝ってもらうほどの事でもないのだが。

 

「あー……それに関しては出しっ放しにしてた私にも非があるんで気にせんでください」

「そうだぞ山田先生。この馬鹿にキスされたのだって犬に噛まれたと思えば――」

「織斑先生……」

「……あ」

「キ、キキキキ、キスですか!? じゃああれはやっぱり夢じゃ――はぅ」

 

 山田先生、思考が追い付かなくなりオーバーヒート。童顔をトマトのように真っ赤に染め上げて再びベッドにぶっ倒れてしまった。忙しいお嬢さんだ全く。

 何と言うか……色々あり過ぎて流石の私も疲れた。

 

「もう…………今日は寝ましょう」

「そう、だな。私も休みたい気分だ」

 

 言うが早いか姉上はスーツの上着をぞんざいに脱ぎ捨てると、わざわざ私の隣まで来てごろんと横になった。汗で湿り気を帯び、胸元が大きく肌蹴たシャツに黒い下着が透けているのを弟として注意すべきか、それとも紳士として観賞すべきか――何とも迷いどころである。

 と言うかこの部屋でお休みになるつもり? 私は何処で寝ろと?

 仕方なくソファで寝ようとするも、白衣の裾を掴まれてしまう。

 振り返るとそこには案の定、非難がましい目で私を見るお姉様が。

 

「お前はベッドのある自分の部屋でソファに寝るのか?」

「……私の目には両方使用中に見えますが」

「スペースならまだあるだろう? 良いから早く横になれ」

 

 ダブルベッドじゃないんだけども、他ならぬ姉さんがそこまで言うなら――諦めるしかないか。

 ではでは失礼をばして遠慮なく。

 

「あタッ」

 

 目覚まし時計が飛んで来た。

 

「どうして山田先生の方で寝ようとするんだ馬鹿!」

「だーってこの前みたいに寝ぼけて殴られちゃ割に合わんでしょ」

「あ、あの時は――あの時だ! こっちにしろ!」

「殴らない?」

「くどい!」

 

 からかうのもそこそこに、姉貴とは反対側――壁を向いて寝そべる。大人が二人で使うには少々手狭なベッドの上で、何かの拍子に触れ合う度に、ガキの頃はただ追うだけだった背中がビクッと弱々しく震えた。

 

「……一つだけ、聞きたいんだが」

「はい?」

「お前は、その……小さい女が好きなのか?」

 

 また唐突な質問である。

 

「小さいってぇと背丈的に? それとも年齢的な意味で?」

「両方の意味でだ。そう……世間で言う小児愛好者じゃないよな?」

 

 え、何? 私ってば知らない内に実姉からロリコン扱いされてるの?

 オルコット嬢やのほほんさんと仲が良いのはセーフ? アウト? 一周回ってチェンジ?

 

「……真のロリコンは、決して自身をロリコンとは認めないそうです。何故なら彼らはあどけなき少女を既に立派な大人の女性として、認めているそうですから。つまり逆説的には、二十歳年下のお嬢さん方が普通に可愛らしく思えて『これじゃロリコンじゃね?』と苦悩している私はロリコンではないと言う訳です。安心してください」

「そ、そうか、それなら………………ん?」

「深く考えない方が良いですよフゲゲゲッ!?」

 

 女性の薄着でのチョークスリーパーは大変危険なので止めましょう!

 何故なら超やーらかい物体がワタクシめの背中に自己主張してくださるからです!

 

「小娘如きに現を抜かす暇はあるのに……少しは私を見ようとは思わんのか!」

「ちょっと調子乗り過ぎましたごめんなさいギブギブギブッ!」

「いーや許さん、絶対許さん! 私をイジメてそんなに楽しいかこの変態!」

「ヌゴゴゴゴ……」

 

 楽しいって言えば……姉貴と遊ぶのは確かに楽しいやね。

 デュノアさん家の親子関係やらボーデヴィッヒの存在意義やら――行列必至のイベントが多くて遠足前の小学生みたいにワクワクが止まらないが。

 

「でも、織斑先生もとても魅力的だと私は思ってますよ」

「…………うるさい、ばか」

 

 しかしまあ、今夜は珍しくぐっすり眠れそうだ。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

 

 

 ――と、格好つけて締めくくったけどもさ。

 

 

 

 

 抱き着かれたまま寝息立てられてぐっすりできるかっての。

 ああ性欲を持て余す。




姉弟の自覚なきイチャイチャ回。

今回のリクエストは、

ヌホホさんより、

・「真のロリコンは、決して自身をロリコンとは、認めないそうです。何故なら彼らはあどけなき少女を既に立派な大人の女性として、認めているそうですから」(物語シリーズ:八九寺)

クリティカルさんより、

・「生きているなら、神様だって殺してみせる」(空の境界:両儀式)

ニコ虎さんより、

・「性欲を持て余す」(MGシリーズ:スネーク)

でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

025. 未熟な黒

真打にハマってました。
なまはげマジ頼もしい。

25話、始まりマース。


「スミス先生、今日の晩御飯は何にしましょうか」

「昨日はパスタでしたし、和食もいいですね」

 

 機業連中の余計な根回しだかご厚意だかのおかげで山田先生と同居する事になり、真っ赤な顔の彼女に『ふ、ふちゅちゅか者ですがよろしくお願いします!』と姉上が聞いたらまた誤解しそうな挨拶をされてから今日で早五日。

 そりゃ最初こそ油の切れたブリキ人形のようにギクシャクしていたが――山田先生は誰だろうと分け隔てなく接する好人物だし、私も同居人ができた程度で日常生活に支障が出るような繊細人間ではなく、そもそもこれまでだって学園では四六時中一緒にいたのだから、打ち解けるには三日もあれば十分だった。今では夜に何を食べるかについて話し合う仲である。

 ちなみに食事は私が気まぐれに男メシを作る事もあれば、そのお返しにと山田先生が腕を振るう日もあるが、しかし普段は食堂のマダム達のお世話になる事がほとんどだ。料理はそれなりに得意とは言え、世界各国から集まったお嬢さん方の舌を満足させ続けているご婦人軍団には敵わない。

 

「でも、昼メシを食ったばかりなのにもう晩メシが気になるたぁ……山田先生は意外と食いしん坊なんですねぇ。気を付けないと体重計の上で悲鳴を上げる事になりますよ?」

「うぅ……じょ、女性に体重の話は禁句です! めっ、ですよ!」

「まあ山田先生の場合、余分なお肉は全部そのおっきな胸に行っちゃってるようですが」

「えっちぃのもダメですー!」

 

 教材と両手を使って私の視線から胸をかばおうとするが、学園でも一、二を争う至宝が腕の中でぐにゅりと形を変えて余計に色っぽく見えてしまう。狙ってやってないのが山田先生の良いところと言うか恐ろしいと言うか――無視してくれても構わないのに、赤ら顔でいちいち律儀に反応してくれるから私もつい弄んでしまう。

 

「神聖な学び舎で堂々とセクハラをしているんじゃない馬鹿者!」

 

 そして彼女をからかうと必ず何処からか織斑先生が現れて私に制裁を与える――周囲から呆れや生温かい目で見守られる事もしばしば。だがそれが面白くないのか、特にオルコット嬢などは私に擦り寄って張り合う事も多く、女子生徒と女教師に挟まれると言う夢のような体験をこれでもかと満喫できる訳でございます。幸か不幸か、今回は金髪お嬢様の姿は見えないが。

 

「同居人との単なるスキンシップですって……」

「……ならせめて常識の範囲内にしておけ。当初は私と同室にする話も出ていたんだ。万一の時にお前を取り押さえられるのは私だけだからな――なのにあの石頭共が山田先生を推したんだ!」

「ひうっ!? 何か良く分かりませんけどゴメンナサイ!?」

「別に山田先生が謝る事でもないでしょうに」

 

 それは……多分アレだよな。

 世界最強(しかも部屋が魔窟)の猛獣の檻に放り込むより、人畜無害な小動物(巨乳)と一緒にした方がストレス感じなくて良いんじゃね――的な亡国お姉さんズのご配慮なんだろう。

 しかしまあ、こっちが動きやすいよう手を回してくれるのは嬉しいけれど、代わりに織斑先生のストレスが溜まって爆発しそう気がする。単なる怒りか乙女の如き思慕かはさておき、ストレスの原因が私である事は間違いない。やーれやれ。

 

「ゴホンッ! と、とにかく、同室だからとあまり馴れ馴れしくするんじゃない。委員会の方針が変わってもお前が要注意人物である事に変わりはないんだ」

「へーへー、仰せのままに。ところで山田先生――外ではツンツンしてるけど、二人きりになると構って欲しくてじゃれついてくる猫(のような女性)をどう思います?」

「え……? 普通に可愛いと思いますけど、猫ちゃん飼ってるんですか?」

「飼ってるんじゃないですかねぇ……」

 

 そこで頭から湯気噴き出してる織斑先生が心の中とかに。

 篠ノ之姉がウサ耳なら、うちのお姉ちゃんは対抗してネコ耳でも良いと思うんだ。しかもピンと立っているのじゃなくてスコティッシュ系のへんにゃり曲がってるヤツ。色はもちろん黒で。

 

「織斑先生、顔真っ赤ですよ!? と言うかあぶっ、危ないですって! 色々壊れちゃいますから早くそのブレードしまってくださいぃ!」

「止めてくれるな山田先生! 今日こそこのウスラトンカチの首を刎ね飛ばしてやるんだぁ!!」

「おんやぁ? あそこにいるのはボーデヴィッヒのお嬢さんじゃありませんか」

「聞けーっ!!」

 

 だってー、窓の外に視線を移したらちっこい銀髪がてこてこ歩いているのが見えたんだもん。

 行き先は第三アリーナ、でもってデュノアと奴さんが転入して今日で五日――少年に喧嘩売る日だっけねぇ確か。今ようやく思い出したけど。年食いたかねぇなホント。

 さーてどうすっべかね。

 

「スミス先生、に、逃げっ――」

「はい?」

 

 山田先生の切羽詰った声になんじゃらホイと振り返ると、彼女の拘束を強引に破ってブレードを大上段に振り上げた姉上様の荒々しい御姿が。

 わあ、スサノオノミコトみたーい。

 

「……言い残す事は?」

 

 血色が良過ぎてまるで赤鬼。

 あの姉上大好き銀髪娘っ子にちょっかい出すにせよ出さないにせよ、まずはこの鬼姉の折檻から生き延びねぇ事にはどうにもならんわな。

 では、遺言代わりに一言だけ。

 

「……私も可愛いと思ってますよ? 猫ちゃん」

「あ……う、うううるさい、バカ! どうしてお前はこんな時ばっかり……ああもう、死ね!」

 

 ぎゃーす。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「おい、私と戦え」

「……俺には戦う理由がねぇよ」

「貴様にはなくとも私にはある」

 

 真っ先に目についたのは機体のカラーリングである漆黒。

 大口径レールカノンの砲身が周囲を威圧するように右肩から伸び、さながら重戦車のようなそのシルエットは、これまで一夏が見てきたどのISよりも如実に『兵器』のイメージを植え付ける。

 けどそれだけ(・・・・)なんだよなぁ、と驚くほど冷静に推し量る自分に一夏は驚く。

 操縦技術や実戦経験などの話ではなく、何と説明すれば良いのか……軍隊っぽい兵装であるにも関わらず、明確な『敵』としての脅威が微塵も感じられないのだ。

 学生以前に、ラウラはれっきとしたドイツ軍人のはずなのに。

 自分はもちろん、単純な実力ではセシリアや鈴でさえおそらく敵わないはずなのに。

 あの銀髪の少女は――明らかに迫力が欠けている。

 

「なあ……アイツって強いんだよな?」

 

 我ながら何を、と呆れる馬鹿げた質問。

 しかしながら箒に鈴音、セシリアの三人――いや、シャルロットを含めた四人の少女らも一夏と同じように、奥歯に物が挟まったような、腑に落ちないと言わんばかりの表情で首を傾げる。

 

「それは……ドイツの代表候補生だから強いんじゃないのか?」

「少なくともあたし達くらいの腕はあるでしょ」

「そもそも弱かったらISに乗る軍人として致命的なのでは……」

「そのはず、だよね?」

 

 うーん、と唸る五人の少年少女。

 決して、断じて、ラウラが弱いと言う訳ではないのだろうが、生憎とこの学園には、彼女以上に強くて怖くて凄まじくて足元にも及ばないと誰もが思う実力者が二人もいるのだ。

 一人は言わずもがな――現役を退きながら未だに世界最強と謳われる織斑千冬。

 そして、そんな最強の隣にありながら、懲りる素振りすら見せずに傍迷惑極まりないトラブルを引き起こす『彼』もまた、いざとなれば圧倒的な武力を躊躇いなく振るう強者の一人だ。

 

「これってアレか? 俺達が千冬姉や先生の強さを見慣れちゃったって事か?」

「その言葉には語弊がありますわね。小父様も織斑先生も、わたくし達の前で本気を出した事など一度たりともないでしょうし」

「しかし何にせよ、結局は一夏の言う通りではないか? 専用機も持たず代表候補生でもない私が同意するのはおこがましいとは思うが……」

 

 三者三様――イメージカラーが同じ『黒』でも、あの二人とラウラでは纏う気迫が雲泥の差だ。

 前者二人が飢えて殺気立つ狼だとするなら、ラウラはさしずめご機嫌ナナメな子犬――レベルがあまりに違い過ぎて怖くも何ともない。

 

「どうした? 戦う前から負けを認める気かこの腰抜けめ」

 

 うん、挑発してるつもりなんだろうけどちっとも悔しくない。日頃から悪戯に巻き込まれ続けて妙な耐性がついてしまった事を誇れば良いのか嘆けば良いのか。

 

「ラウラ……って言ったわよねアンタ。別に心配してる訳じゃないけど、そろそろそこから降りてこっち来た方が良いと思うわよ? 多分、絶対悲惨な目に遭うから」

「……ふん、中国の代表候補生か。そんな戯言など私には通用しない」

「どうしよう、アイツ本気で話が通じない部類の人間だわ」

 

 親切心から鈴音が呼び掛けるも、取り付く島もなくバッサリ切り捨てられてしまう。

 お手上げー、とチャイナ娘は早々に哀れな被害者(確定)の救助を諦める。

 

「でもなぁ、どうなるか分かってて見て見ぬ振りするってのもなぁ」

「どの道……もうそろそろ時間切れだろうがな」

「ねえオルコットさん、一夏達は何を心配してるの?」

「……まあ強いて言うなら『出る杭は打たれる』ですわね」

 

 人外魔境たるIS学園に来てまだ日の浅いシャルロットに対し、実際に見た方が早いと判断したセシリアは宝石のような瞳でラウラの背後を指し示す。

 促されるままに視線を移すシャルロット。

 アリーナに集まっている生徒の大半もラウラに注目し、さらに彼女の後ろから音もなく忍び寄る人影を認め――これから何が起こるのか察した少年と少女達は、可哀想に……と周りが見えてない新参の同級生に憐憫の念を抱くのだった。

 

「揃いも揃って平和ボケした顔だな。来ないのならこちらから行くぞ!」

 

 右肩の実弾砲が一夏に狙いを定める。しかし砲口を向けられた当人と他の面々は避けようとする素振りすら見せず、どころか『○村……じゃなかったラウラー! 後ろ後ろー!』と某国民的人気コント番組のお約束のように声を飛ばし続ける。

 当然、苦し紛れの愚策と決め付けていたラウラは応じるはずもなく。

 

「――マシンガンはこう使います。ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ」

「イタタタタタッ!?」

 

 こんな面白そうな展開を見逃す訳がない変人の餌食となってしまったのだった。

 

「あーあ、だから言ったのに」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒを襲った突然の悲劇は、車のCMで有名な鳩人間の格好をしていた。

 正体を隠す気などさらさらないのか首から下はいつもの白衣で、ラウラに向けてオモチャにしか見えないプラスチック製の機関銃をこれでもかと乱射する。

 ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち――と気の抜ける音。

 ちなみに実弾ではなく大豆である。節分でもあるまいし、何故に大豆?

 

「あれを日本では『鳩が豆鉄砲食らったような』と言うのでしょうか……」

「鳩が撃ちまくってる側な時点で破綻しちゃってるけどね」

「えーっと……僕の目にはシールドを貫通してるように見えるんだけど、それは気のせいって事にした方が良いのかな?」

「ええい鬱陶しい! 何なんだ貴様は!!」

「ぽぽっぽぽぽっぽぽぽっぽぽぽっぽぽ~っ、ぽっぽ」

「歌いながらおデコを狙うなー!」

 

 人をおちょくる事に関して右に出る者がいない学園屈指の怪人。

 最優先事項だったはずのレールカノンでのズドンも放棄し、左右のプラズマ手刀でがむしゃらに薙ぐラウラだが――鳩の被り物を焼き焦がして繊維片を散らすだけに留まり、脱皮した『中身』はいとも容易く手刀の攻撃範囲から逃れてしまう。

 ファンシーかつシュールな鳥キャラから一気にホラーテイストへ。

 白く塗りたくられた肌と耳まで裂けた真っ赤な口――流石に特殊メイクだろうが、リアリティを追求し過ぎて不気味極まりない。

 わざわざ白衣をリバーシブルに改造して暗い紫を強調する、その姿は正しく道化。

 コウモリ男の宿敵と化した男は、かなり引いてるラウラを指差して居丈高に言い放つ。

 

「さあ――お前の罪を数えろ」

「私の罪って何だ!?」

「先生、それジョーカー違いです」

「てかあの人が変身するとしたらスカルかエターナルでしょ」

「どちらにしても色んなトコから怒られそうだよね……」

 

 ツッコむボーイアンドガールズを尻目に、変人は豆切れになった機関銃を投げ捨てると、懐からロケットに銃把(グリップ)を付けたような――これまたオモチャにしか見えない光線銃を取り出す。

 今度はテレビのリモコンかそれとも懐中電灯か。

 しかし、努々忘れる事なかれ。

 この男は常人の想像に縛られたりはしないのだ。

 

「必殺☆脱げビーム」

「ふなああああっ!?」

 

 先端からズビズバーッ!! と光線が迸る。

 

『ホントに何か出たーっ!?』

 

 驚愕する生徒一同。

 これも演出の一環なのか、攻撃を受けたラウラの足元からボフンッと煙が立ち昇り、不意打ちを食らって膝をつく彼女の姿を覆い隠す。

 

「フフーフ、聞いて驚け見て笑え! これぞ漢の血と汗と涙とロマンと言っちゃいけない欲望汁とその他諸々を煮詰めて型に流し込んで冷蔵庫で冷やして完成のドリームウェポン! 狙った相手は傷付けず着衣だけを強制的に量子変換して素っ裸にしてしまう――」

「マジで!?」

「――つもりだったんだけども、早々に織斑先生にバレちゃって殺されかけたから仕方なくISを強制解除するだけに設定し直した『剥ぎ取りくんZ』です。いやー怖かった」

 

 道理で変人の尻にブレードが突き刺さっている訳だ。

 誰もが首を傾げつつ聞けずにいた疑問が、今解明された。

 

「ねぇ皆。今あの人とんでもない事言ってなかった?」

「……確かにな。たとえ先生でも婦女子を裸に剥くなど言語道断だ」

「わたくしは小父様が望まれるのなら…………ああダメですわ小父様まだ陽も高いのに!」

「はーいセシリアー、妄想に浸ってないで帰って来なさーい」

「じゃなくて――いやそっちも聞き流せない話だけど! 生身でISに対抗できちゃう携行武器をチョコ作るみたいに一人で完成させちゃったって事でしょ!? どうして驚かないの!?」

 

 荒ぶるシャルロット。

 そんな彼女の肩に一夏がぽんっ、と手を乗せて、

 

「現実を見るんだシャルル。この学園じゃ何が起きても不思議じゃない」

「そんな真面目な顔で言わないでよ一夏! と言うかさっき『裸になる』って聞いた時ものすごく食い付いてたよね!? 男って皆そうなの!?」

 

 まだ学園に染まり切っていないシャルロットにはショックが強過ぎるらしい。混乱のあまり男に化けている事も忘れ、乙女と常識人の代表として徹底抗戦の構えを取る。

 うっかり口を滑らせた一夏が箒と鈴音にゲシゲシ踏まれまくる中、ラウラと変人の間でも新たな動きが生まれようとしていた。

 

「くっ、まさかレーゲンをこうも簡単に……!」

「信じられない現実が世の中にはゴロゴロ転がってるもんさ。巣の中から外をチラ見したくらいで何もかも理解したと勘違いするのは三流の証拠だぜ、黒ウサギちゃん?」

「言わせておけば――私が世間知らずだとでも!? 早くレーゲンを返せ!」

 

 レッグバンド形態の『シュヴァルツェア・レーゲン』を右手でぽんぽん弄ぶ変人と、返せ返せと飛んだり跳ねたりするも絶望的身長差に阻まれるラウラ。

 毛色はまるで違うが、傍目からは親子のように見えてしまうから不思議だ。

 

「さあさあさあ、取れるもんなら取ってごらんなさーい?」

「ふぬっ、このっ、あっ――くそっ!」

「女の子がくそなんて言っちゃいけません。ほーらガンバレ、もうちょっとで届くぞー」

「なーっ!!」

 

 完全に遊ばれている。

 さながら猫じゃらしで飼い主のいいようにされる小猫の如く。

 実を言えば、ラウラ・ボーデヴィッヒの心は既にいっぱいいっぱいだった。

 鉄の子宮から生まれた彼女は軍人としての知識と技術こそ身に着けているものの、出生の経緯や常識の欠如、軍内部での人間関係や環境が原因で煽り耐性が常人よりかなり下――はっきり言って小学一年生と同等かそれよりも低かったりする。

 明確な敵ならば軍人らしく実力で制圧するのだが、戦場と訓練だけが己の『世界』の全てだったラウラにとって、ただ遊ばれているだけのこの状況は未知の領域に他ならない。

 自分の有するあらゆる力が全く役に立たない悪夢。

 故に、限界を迎えたらうらちゃん(精神年齢:六歳)に残された手段は、

 

「うっ…………ひっく、ふぇ……」

 

 絶対に手が届かないと諦め、俯き、矮躯をぷるぷる震わせながら嗚咽を零し、眼前の大人気ないいじめっ子(三十五歳)に涙ながらに訴える事だけだった。

 外見相応の、小学生のように。

 

「かえしてぇ……わたしのれーげん、おねがいだからかえしてよぉー!」

『泣かせちゃったー!?』

 

 これには静観していた一夏達ギャラリーも大混乱。

 つい先ほどまで触れたら切れてしまいそうな鋭い雰囲気を纏っていた眼帯少女が、たった数分で見事なお子ちゃまへと変貌を遂げてしまったのだ。驚くなと言う方が無理な注文である。

 やっちまったよーあの人、とジットリ湿った視線を浴びる変人。しかしこの男に限って女の子を泣かせた場合の対処法を考えていない訳が――

 

 

 

 

 

「………………ヤッベェ、ちょっとからかい過ぎた!?」

『ノープランかいっ!!』

 

 

 

 

 ――考えていなかったらしい。

 いい年こいて真性のアホである。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――よろしいですか小父様。場を和ませるための多少の冗談は良いとしても、今回ばかりは度が過ぎます。あんなに小さくて健気なレディを泣かせるだなんて」

「はい……全てお嬢様の仰る通りでございます」

 

 ピッと指を立てた十五歳の少女に説教されて項垂れる中年。

 メイクを落として服装も元に戻し、言われるがまま固い地面に正座する後ろ姿は何とも情けない哀愁を漂わせていた。リストラされて公園で途方に暮れる父親と言う表現がしっくり来るほどに。

 ぷんすかぷんぷんと腰に手を当てながら、セシリアはさらに続ける。

 

「英国に限らず、紳士たるもの常に淑女の心に気を配り、尊厳を重んじ、咲き誇る花にそっと手を添えるが如く慈しむ事を至上の誉としなければなりません。手折るなど――まして踏みにじるなど論外にして愚の骨頂。子々孫々、末代に至るまで蔑視される罪悪とお考え下さいまし」

「はい、はい、ごもっともでございます」

 

 セシリアの株が遠巻きに見守る少女達の間で急上昇していく。

 物理的な抑止力では織斑千冬以上の適任者は存在しないが、どうやらセシリア・オルコットには精神的な抑止力としての才能があったようだ。

 世界の敵と豪語する男を屈服させ猛省を強いる――もしかしたらセシリアは今世紀最大の偉業を成し遂げたのではなかろうか。ノーベル平和賞レベルの。

 

「もう泣き止めって。な?」

「……うー……」

 

 少し離れた場所では全身足跡だらけの一夏がラウラを慰めている。

 傍らには少し不機嫌そうな箒や鈴音、シャルロットが控えており、専用機持ちの二名は何時でも一夏の盾になれるようISを展開したまま事態に注目していた。

 

「ああほら、そんなに目を擦ったら腫れちゃうだろ」

「でもあいつが……あの男がぁ……」

「先生もちょっとした冗談のつもりだったんだし、そろそろ許してあげようぜ? ちゃんとISも返してくれたじゃないか」

 

 そう諭して一夏は待機形態のシュヴァルツェア・レーゲンを差し出すが、プライドを粉砕されたラウラはその手を弾くように愛機を奪い返すと、唖然呆然とする一同に礼も言う事もなくそのままアリーナゲートへと逃亡した。

 

「つ、次は覚悟しておけ! 貴様など無能な凡人に過ぎないと思い知らせてやるからなー!!」

 

 そんな捨て台詞を残して――

 

「へみゅっ!?」

 

 そしてコケた。

 近くにいた女子に助け起こされ、ついでにアメ玉をもらって逃げていく。

 まーた個性的で面白い奴が転校して来ちゃったなぁ、と叩かれて痺れる手を擦りながら、一夏は他人事のように思うのだった。

 

「そもそも、小父様は誰彼構わず優しくし過ぎなんですわ! まずはもっと身近にいる――例えばわたくしとかわたくしとかわたくしとかともっと関係を深めても良いと思います!」

「論点がズレてきてますぜお嬢様!」

 

 もう一生やってなさい。




今回のリクエストは、

スルメさんより、

・「マシンガンはこう使います」(漫画版ビッグオー:ノーマン・バーグ)

無限正義頑駄無さんより、

・ハトパパのコスプレ(ポルテのCM)

アラクネになりたいさんより、

・ダークナイト版ジョーカーのコスプレ

警備さんより、

・「さあ――お前の罪を数えろ」(仮面ライダーW)

でした。

諸事情によりリクエストの受付を活動報告欄に移しました。
お手間を取らせるとは思いますが、了承していただけるとありがたいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

026. 颯爽登場グリーンマン

百鬼姫来てくれなーい。
なまはげ強ーい。
ひょっとこ怖ーい。

はい、二十六話です。


 織斑一夏はかつてない危機に瀕していた。

 現在の彼の状況を『苦境』と表現した場合、全国の女に縁のない男子からゴルゴタの丘で磔刑に処せられた聖人と同じ痛みをプレゼントされてしまう訳だが――本人が万事休すと言わんばかりの表情で解脱しかけているのだから、普段通りのラッキースケベだとしても、とにかくピンチな事に変わりはないのだろう。

 背中に意識を傾けると、シャワーを浴び終えたばかりの少女の体温が伝わってくる。

 首を巡らせて思わず背後を見やれば、金髪のルームメイトも同じ事を考えていたのかばっちりと目が合ってしまう。いやはや何とも、わたわたと焦りながらお互いに視線を逸らす様子は初々しいと言うか甘酸っぱいと言うか……この世の野郎共が血の涙を流して決起しそうな光景だった。

 

「………………」

「………………」

 

 気まずくも、決して不快ではない沈黙。

 早鐘のように脈打つ鼓動が雰囲気を盛り上げる。

 

「「…………あのっ!」」

 

 これまたお約束なパターン。

 

「あっ――シャルルから先にどうぞ!」

「う、ううん一夏からで良いよ!?」

 

 まるで示し合わせたかような完璧なタイミングで重なってしまい、話を切り出すためにようやく固めたはずの決意がぐわんぐわんと揺らぎまくる。

 例えるならばそう――このままではマズいと姉離れを誓ったその日の夜に、脱ぎたてほやほやの姉の下着(下半身用、色は黒)を発見してしまった時の葛藤に近い。

 嗅ぐべきか、嗅がざるべきか。

 あの日ほど自分自身との戦いに苦しんだ事はない。

 結局は理性に軍配が上がり、泣いて馬謖を斬る思いで洗濯機にぶち込んだが。

 

 閑話休題。

 

 一夏が重度のシスコンかどうか――有罪か無罪かの判定は後日改めて審議するとして、今はまず何よりも、同性だと信じていたルームメイトに詳細な説明を求めるのが先決だ。

 何せ女だ。女の子なのだ。

 濡れ滴る女体を直視してしまったのは箒の時以来だが、だからと言って慣れる訳もなく。

 艶やかに流れる金の髪に、潤いを湛えたアメジストの瞳。後ろからでもスタイルの良さが分かる身体はとても柔らかそうで、嗅覚をこれでもかと刺激する湯上りの芳香により小さな脳内一夏達がエラッサエラッサヨイヨイヨイとお祭り騒ぎになっている。

 

 

 

 そんな魅力溢れる心優しい少女に。

 自分は一週間近く無自覚にセクハラしてました。

 

 

 

(うーわ……詰んだなこりゃ)

 

 上半身裸で部屋をうろつくのはしょっちゅうだし、心の距離を縮めるためとは言え恥らう彼女に下ネタをぶちかました挙句、一緒に着替えようだの何だのと犯罪者一歩手前の発言を連発した。

 陪審員が揃って『死刑』の札を上げるに違いない愚行である。

 姉に合わせる顔がない。

 幼馴染二人に罵られても仕方がない。

 考えれば考えるほど己の罪業に身も心も深く沈み込み、さっきまで大興奮していた脳内一夏達も断崖絶壁からレミングの如く次々に身を投げる。

 

「…………ハァー」

「ちょっ、ちょっと一夏、身体中の穴から黒くてもやもやしたのが出てるけど大丈夫!?」

「だいじょーぶだいじょーぶ。男はたまーにこうなる時があるんだ」

「そうなの!?」

「織田信長だってきっと本能寺の変で炎に包まれた時こんな感じになったと思う。じゃなかったら釜の上に立たされた石川五右衛門とか。だから全然平気ダヨ?」

「平気じゃない、ちっとも平気じゃない!! 自害するか処刑される寸前だよ!? お願いだから現実に帰って来てー!?」

「ふぬぎがごげごごごっ!?」

 

 唐突にダウナーモードに入った一夏を元に戻すべく、先ほどまでの羞恥をかなぐり捨てて見事なキャメルクラッチを披露するシャルロット。彼女も彼女で混乱の極みにあるようだ。

 掛け値なしの美少女に大きな胸を押し付けられながらプロレス技を食らう――鈴音が目撃したら色々な意味で嫉妬に狂いそうな天国と地獄を同時に味わい、身体を襲う激痛と二つのマシュマロで自虐の海底から一夏の意識が引き上げられる。

 

「シャルル、ギブギブッ! 裂ける! ブロッケンマンみたいに身体が裂けちゃう!」

「えっ、うわっ!? ごごごごめん!?」

 

 やっている事はどうであれ、雰囲気だけは付き合い始めたばかりのカップルに見えてしまうから救いようがない。これが男同士なら薄い本を書く女子達がさらに色めき立ち、一夏に想いを寄せる幼馴染らは彼を衆道から引き離すべく大胆な行動も辞さなかっただろうに。

 ベッドの上で汗だくになりハアハアと息を荒げる二人の男女――と言い表すと誤解を受ける事は間違いないが、とりあえず話題を最初まで巻き戻す事にしよう。

 

「それで、どうして男の格好をしてたんだ?」

「デュノア社の……父の命令だったんだ。突然制服を渡されて『IS学園に転入しろ』って」

 

 物静かな口調で滔々とシャルロットは語り始める。

 デュノア社の現社長と愛人の間に生まれ、ずっと母一人子一人でひっそり暮らしていた事。

 母親の死を機に呼び戻され、本妻からは泥棒猫の娘として目の敵にされている事。

 どれもこれも、一夏を憤慨させるには十分なものだった。

 

「量産機ISのシェアが世界第三位って言っても、結局リヴァイヴは第二世代に過ぎないんだ」

 

 確かにラファール・リヴァイヴはその汎用性から人気が高い。

 だが、各国でのライセンス生産と正式採用で得た利権は、時に慢心と油断を生む原因となる。

 次世代ISの開発に心血を注ぐイギリスやドイツなど欧州諸国に比べ、現在の地位に胡坐をかくデュノア社は技術面で大きく後れを取ってしまい――フランス政府から予算を大幅カットする旨の通達が届いてようやく危機感を抱いた時には、既に経営は崖っぷちにまで追い込まれていた。

 さながら、アリとキリギリス。

 これが戦車や戦闘機、あるいは銃火器などの『一般的な兵器』ならば、市場に食い込んで再起を図るだけの猶予はまだあっただろう。

 しかしISに限ってはそうもいかない。

 ISをISたらしめる中枢――コアの総数が五百にも満たない以上、大衆車のように大量生産の薄利多売で損失を埋める事も不可能。

 残された起死回生の道は、他国よりも先に第三世代機を完成させる事だけだった。

 たとえ、どんな手を使ってでも。

 だから――とシャルロットはこう結論付ける。

 

「ああしろこうしろってはっきりと指示された訳じゃないけどさ、僕をわざわざ男装させて学園に潜り込ませたのも…………多分、隙を見て白式のデータを盗ませるためだと思う」

 

 一夏は絶句した。

 ルームメイトに裏切られたから――ではない。

 何の罪もないシャルロットばかりが苦しむ現実に。

 誰も手を差し伸べようとしない冷酷非情な大人達に。

 到底言葉では形にできないどす黒い『何か』が、身の内で大蛇のように鎌首をもたげる。

 まだまだ未熟で幼稚ではあったが――それはかつて、とある男(・・・・)が世界に対して抱いたのと同質の憤怒であり、自分でも御し切れないほどの激情が荒れ狂う。

 

「もうどうしたら良いか……分からなくなっちゃった」

「シャルル……」

 

 慰めの言葉さえ見つからず、せめて落ち着かせようとシャルロットの震える肩に手を伸ばし――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――話は聞かせてもらったぞぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわああああああああっ!?」

「きゃああああああああっ!?」

 

 肩に触れるどころか、互いを抱き締めて飛び上がる一夏とシャルロット。

 何の予兆もなく、いきなりベッドの下から緑のマスクに黄色いスーツの怪人がコンニチハしたらそりゃ誰だって驚く。シリアスな場面で心の準備などまるでできていなかったのだから尚更に。

 

「ん゙ん゙~っ!」

 

 関節の限界なんぞ知るかと言わんばかりにぐるんぐるんと身体を回転させて、ポーズを決めたと思ったら何処からともなくスポットライトがビカーッ!!

 

「――絶好調!!」

 

 状況について行けず目が点になる若者二人の前で、緑の怪人は土曜日の夜にフィーバーしそうなハイテンションのまま、時間帯や隣室への迷惑も考えず高らかに叫ぶ。

 何なのか。何なのだろうか。

 いや、正体は問い質すまでもないのだけども。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 大浴場の使用について少年と話をすると山田先生から聞いて、そこでやっと、今日はデュノアの秘密が少年にバレる日である事を思い出した。

 大体この辺り、とおおまかな時期までは憶えているが、流石に詳しい日付や時刻は忘却の彼方でホコリを被り――『しゃるるんの裸を初めて見た日』なんてメモも残してないから、下手をすればこんな面白そうなシーンをスキップしてしまう凡ミスだって有り得た。紳士諸君、イベントCGは忘れずに回収しましょう。

 

「キミが落としたのは金の女の子でぃすかー? それとも銀の女の子でぃすかー? まあどっちも落としちゃうんだけどねー!」

「なっ、いや違っ――先生誤解です! シャルルは男なんかじゃないですよ!?」

「一夏逆だよ逆!」

 

 おうおうおう、よろしい感じに慌てちゃってるねぇお二人さん。ところで……金の女の子一人か銀の女の子五人で大人のオモチャの缶詰と交換してもらえるんだろうか。私だったら交換しないで一緒にいるけど。

 

「別にそんな必死に隠さんでもよろしいって。女の子だってのは最初から知ってたし」

「そう……なんですか?」

「おいおい、これでも軽くオメェらの倍は生きてんのよ? コルセットやサラシ巻いてチパーイに偽装したくらいじゃ私の目は誤魔化せねぇって。何その隠れ巨乳。おチビが知ったら怒りのあまりワープ進化して少年をズタボロにしかねんぞ?」

 

 それはそれで面白そうな気もするが。

 私に指摘されて、やっと大胆に開いていた胸元を隠すデュノアちゃん。その様子をついうっかりガン見して『……一夏のえっち』とご褒美をもらい悶える少年。

 初々しいけれども――しかし、甘い。甘過ぎる。未来のチミ達は人気のない路地裏とかでもっととんでもない事してるぞ? 小さい子どもが見たらトラウマになりかねんゴニョゴニョをな!

 

「織斑先生もおそらく気付いてる。その上で放っているんだろう」

「千冬姉まで……」

「つーか少年よ、こんだけ近くにいて気付かないテメェもテメェだ。どうよこのぱっちりお目々にやーらかいプニプニほっぺに良い匂い。どうして男だって馬鹿正直に信じちゃうかな」

「それは……だって男子の制服着てたし」

「じゃあ私がポンパドゥール夫人みたいなドレス着てたら女だと勘違いするのか?」

 

 うぇっぷ、と男二人で仲良く青褪め吐き気を催す。

 想像しちまったじゃねぇかよ畜生。やれと言われてもやらねぇぞ? やらねぇからな!? 

 

「あー……これ以上考えると気持ち悪ぃから本題に入るぞ」

「思いっ切り脱線させたのは先生ですよね?」

「なーんか仰いましたかスケベ小僧」

「ふぐぅ!?」

 

 そして私はスケベなオッサンです。文句あっか。

 

「じゃあここからは真面目な質問タイム入りまーす。はい姿勢正して傾注!」

「先生が一番真面目じゃない格好だと思うんですけど……」

「黙れ小僧!!」

「ミワさん!?」

 

 二人をベッドに正座させて、ピッ、と人差し指を立てる。中指は立てちゃいけません。

 

「まずは一つ目の問い――デュノアのお嬢ちゃん、キミはさっき『白式のデータを盗めとはっきり指示された訳じゃない』って言ってたが、これは本当か?」

「……はい。いきなり『IS学園に転入しろ』と言われただけです。他には何も」

「なるほど。では二つ目――デュノア社から、私について何か説明を受けたか?」

「学園に軟禁されているとしか聞いてません。でも、正体を見破られる危険性があるからなるべく接触は避けろと言われました。無駄だったみたいですけど……」

 

 命令、ねぇ。

 性別詐称の件はともかく、代表候補生の安全を考慮して、私の罪状と処遇を知るフランス政府もデュノア社に対して警告を送ったはずだが…………こいつは言葉の捉え方の問題だな。

 

「先生、シャルルは父親から道具みたいに――」

「だぁってろ少年。後で気が向いたら教えてやる。三つ目――社長夫人から一方的に敵視されてるらしいが、キミと会って罵ったりする時、社長夫人はどんな顔になる?」

「どんな……って今にも泣いてしまいそうな、とても悲しそうな顔をします。夫が自分以外の女に産ませた子なんだから当然、ですよね……」

「その人の写真とかあったりするかい?」

「……ちょっと待ってください。一年くらい前にパーティーで撮ったのがあるはずです」

 

 デュノアが携帯電話を操作して見せてくれた画像。

 立食形式らしい優雅なパーティー会場で、金を持ってそうな数名の男女がワインやシャンパンのグラス片手に談笑に興じている。

 はい、ビンゴ。

 

「一番真ん中にいる口髭の男の人が父で、その右隣にいる人が――」

「社長夫人ね。ものスゲェ金髪の美人さんじゃねぇのよ」

「はい。父がどうして母とそんな関係になったのか不思議なくらい、綺麗で素敵な人です」

「でも何でこんな写真をシャルルが?」

 

 少年の疑問ももっともだ。

 険悪な関係で上手くいってないのなら、そもそも携帯で隠し撮り(・・・・)する理由はない。

 

「僕もこれに出席してて、その時こっそりとね。一枚だけでも父の写真を撮って、母さんの写真の隣に並べてあげたかったから……」

「……ごめん、無神経な事聞いた」

 

 再び空気が重苦しく濁る。

 だが母親思いなデュノアのおかげで、憶測を確信に変わるだけの大きな収穫があった。

 歯車同士が綺麗に噛み合ったような、パズルのピースが隙間なく嵌まったような――ゾワゾワと鳥肌が立つ感覚が頭の中を埋め尽くす。

 二十年前は気付けなかった真実が鮮明に見えてくる。

 あっはははははは。

 ワタクシただ今スッゲー悪い顔してんぜ多分。元からだから気にすんな。

 

「さて四つ目――最後の質問だ。今ここでとても都合良く、お前さんの抱えている問題がキレーに片付いてしまう夢のような方法を閃いたと言ったら……賭けてみるつもりはあるか?」

「……え?」

「確率的には九割九分。だが絶対じゃあない。もし私の考えが間違っていたら……きっと今よりも辛い人生を歩む事になる。それでも私の賭けに乗る勇気はあるか?」

 

 デュノアは躊躇う。

 躊躇いながら、迷い悩みながら、冷静に『現在(いま)』と『未来(これから)』を天秤に掛ける。

 それからたっぷり十五分は沈黙が続いただろうか。

 やがて彼女は口を小さく開いて、

 

「僕、は……先生を信じて、みたいです。代表候補生から降ろされても良い。卑怯者と言われても構わない。でも僕はまだここにいたい。だからお願いします。僕に――居場所を下さい」

 

 …………うん。

 

「その言葉が聞きたかった」

 

 これで私も、堂々と動く理由ができた。

 やっぱり女の子を助けるためとかじゃないと張り合いがねぇんだよなー。

 

「じゃあ少年、後はよろしく」

「カッコいい事言っといて全部俺に丸投げ!? よろしくって何すればいいんです!?」

「まだ何もしなくてもよろしいんだっつーのアホンダラ。そのオメデタイ頭よーく冷やして必死に詰め込んだテキストの中身を思い出してみやがれ。特記事項を利用すりゃ、少なくとも卒業までの三年間は国も企業もお嬢ちゃんに迂闊に手出しできなくなるだろうが」

「………………あっ! 特記事項第二一!!」

 

 ったくこのスカポンタンめ。

 私はぱっと思い付いたってのに。

 

「……ああそうだ、準備っつーか調べ物にちょい時間がいる。あまり重く考えたりしないで、私が動くまでは学年別トーナメントに集中しとけ。そっちも色々と楽しい事になりそうだからな」

「先生が楽しいって言う時は必ず俺達が大変な目に遭うんですけど……」

「え…………ちょっと早まっちゃった、かなぁ?」

「かははははっ」

 

 言ってくれるじゃないかコンニャロー。

 けどまあ、どいつもこいつも大船に乗ったつもりで安心してなさいよ。

 私が――私達が、必ず助けてやるから。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ピッポッパーのペペポペパー。

 プルルルルーっとな。

 

「――もっしもーし。私ですけどしばらく振り。ああ? ちっげーよワタシワタシ詐欺じゃねぇよ語呂ワリィだろそれ。じゃなくてですね、ちょっとお宅の組織力を見込んで調べてもらいたい事がありやして。料金が掛かる? フォロワー割引とかねぇの?」




今回のリクエストは、

アラクネになりたいさん、サルベージさんより、

・緑のマスクのコスプレ(洋画:MASK)

でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

027. 命短し悩めよ乙女

 ちとばかし連絡をば。

 現在受け付けているリクエストについてですが、ユーザー登録されている方は活動報告にある受付ページにおねげーします。
 登録されてない方のリクは、感想ページにいただいたのを私の方で活動報告のネタ貯蔵庫に名前付きでコピペしてストックします。

 なお、未登録の投稿者の分でコピペが済んだものは、返信して数日ほど経ったら感想欄の方は削除するかもです。

 感想は感想、リクはリクで分けていただけるとありがたいです。

 元々は私が言い出したこととはいえ、いろいろとご面倒をかけてしまい申し訳ありません。


 オルコット嬢とおチビがボーデヴィッヒと戦って負傷したらしい。

 しかし、けれどもまあ、こちらとしては起きると分かり切っているイベントを改めて報告されただけなので――ああやっぱりなぁ、などと頭の片隅でぼんやり思考を巡らせつつ、すっ転びそうな足運びで知らせに来た同居人の観察を優先する事にした。激しい息遣いに合わせてぽよんぷるんと揺れ震える母性の塊を重点的に。おっぱい県民万歳。

 

「で、ですからねっ、保健室が怪我して、オルコットさんに凰さんでっ」

「……言わんとしている事はとりあえず分かりましたが――その前に山田先生、まずは深呼吸して落ち着きましょう。はい大きく息を吸ってー」

「すぅー」

「吐いてー」

「はぁー」

「吸ってー」

「すぅー」

「吐きながらちょっと舌を出して、谷間を強調するように両腕で胸を抱えて前屈みになってー」

「はぁー」

 

 カシャッ、と。

 ――はい、良い画が撮れました。

 

「はぇ? あ……ああっ!? わわわ私ってばこんなえっちぃポーズをして……!? ダメですよ見ないでください恥ずかしいです早く消してくださーい!」

「それはもったいない! 私はこの写真を家宝にして後世に伝えていくつもりです!」

「そんな事されたら私オバケになって末代まで祟りますからね!? う、うらめしや~って!」

「何それスゲェ! 喜べ私の子孫共、オパーイオバケが夜な夜なやって来てくださるぞー!!」

「どうして喜んじゃうんですかー!!」

 

 感性が子どもに近い山田先生ならきっと、昔話にあるような薄手の白装束(下着なし)で枕元に立ってくれるに違いない。でもって自分が幽霊なのに暗闇を怖がって涙目になるはずだ。

 そうなったら生身だろうが霊体だろうが関係ない。

 演目『牡丹灯籠』のように幽霊と乳繰り合う話も珍しくないし、和装は貧乳の方がより似合うと言うのが通説だが、個人的には巨乳でも構わないと思う。衣装のサイズが全然合ってなくてお胸が今にも零れ落ちそうになってたら悶死するよ私。でも代わりに女武者スタイルで抜刀済みの姉上が仁王立ちしてたら別の意味で――本当の意味で死ぬかも。

 ……そろそろ本題に戻さないと山田先生だけじゃなくオルコット嬢やおチビにも悪いわな。

 

「今回の件について織斑先生は何と?」

「ぁう……いきなりそんな真面目にならないで下さいよ……」

 

 これでも私なりに頑張ってシリアス顔を取り繕ったつもりなのだが、山田先生は頬を紅潮させてもごもごと口ごもってしまう。はてどうしてでしょうかフシギデスネー。

 

「こ、今度の学年別トーナメントまで私闘を一切禁止する事になりました。ボーデヴィッヒさんと織斑君がまた喧嘩しないようスミス先生にも見張っててほしいそうです……」

「どうせなら大舞台で決着をつけろ、と。監視されてる男に監視を任せるなんて、織斑先生も実は結構参ってらっしゃるようで」

 

 そこんトコどう思うよ、久し振りに物陰で任務中の更識姉。

 えぇと何々……『お気の毒に』ッスか? 

 でも貴女は今からもっとお気の毒な事になりそうよ? ほらまた後ろから近付いて来た怖い顔の布仏姉に捕まって連行されちゃった。ドーナドナ。

 

「織斑君は家族ですし、聞いた話だとボーデヴィッヒさんもドイツ軍で教官をしていた頃の教え子らしいですから、織斑先生には弟と妹が喧嘩してるように見えちゃうんじゃないでしょうか」

「かはっ、お姉ちゃんの辛いところですなぁ」

 

 昔の私がご迷惑お掛けしてますって事で。

 とにもかくにも。

 金銀コンビにのみ限定して言えば、未だに大幅な歴史の改変はなし――か。

 まあ、データを得られないデュノア社が自棄になって強硬手段に出たりとか、ボーデヴィッヒが責任取らされて軍に帰ったりとか――私の不都合な方向に進むよりはマシだが、望み通りの未来に変えるってのも存外大変だな全く。

 だからこそ、やり甲斐があるんだけどねー。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ちわー、三河屋でーす」

「……最近の御用聞きは原付ではなくアイ○ンマンスーツで訪ね回るんですの?」

「どんな紛争地帯よソレ。商魂たくましいってレベル超えてるじゃない」

 

 あーら、お嬢さんズの反応が思ったより薄い。やっぱり怪我人を見舞うんだからBJ先生にしてのほほんさんをピ○コ役に誘った方が良かったかね。あっちょんぶりけ。

 甲龍とブルー・ティアーズが守ってくれたおかげか、アザと軽い擦り傷くらいで二人に目立った外傷は見られない。それでも痛みが引くまで安静は必要だし、ISの損傷が激しくトーナメントに出場できないのは二人にとってむしろ幸いだったように思える。

 

「にしても……吹っ飛ばしたんなら戻していけっての」

 

 保健室のドアだった物体が、役目を果たせなくて打ちひしがれている。

 さながらエサ場を求めるヌーの大移動、あるいはバーゲンセールに総攻撃を仕掛ける血気盛んなマダム達を彷彿とさせるぶっ壊し具合だ。

 とすると、少年と男装中のデュノアちゃんはさしずめ青々と生い茂る草原か。そう考えると急に自分が安っぽく見えてくる。いやまあ確かに雑草根性丸出しだけども。

 仕方なく冷たい床に放置されたドアの嵌め直しを試みるが、みなぎる女子高生パワーに敗北してレールが性根と一緒に歪んでしまったらしく、どうにも素直に言う事を聞いてくれない。

 ああもうメンドクセェ、要は元のスペースに収まりゃいいんだ収まりゃ。

 

「ふんっ!」

 

 メギョッ!!

 

「…………うーし直った。直ったぞ、うん」

「ドアを直すのに苦労してるアメコミヒーローとかシュール過ぎるわ……」

「しかも最後はかなり強引でしたし。膝蹴りって……」

 

 うっせーやい。

 そんな『お父さんって日曜大工ヘタクソだったのね』みたいな目で見るんじゃねぇ。

 

「少年とデュノアの坊ちゃんはもう戻っちまったのか?」

「……そーよ。一夏ってばトーナメントがタッグマッチだって聞いた途端に嬉しそうにデュノアとペア組んじゃってさ、あたし達なんて眼中にないって感じでさっさと帰っちゃったの! 何よあの薄情者! 死ぬほど女に鈍いとは思ってたけどついにホモにでも目覚めたワケ!?」

 

 おチビ、鈍感は認めるが頼むから同性愛疑惑だけは止めてくれ。

 ただでさえ最近女子の間で蔓延してるカップリング論争が『私×少年』と『少年×デュノア』と『私×デュノア』の男色三国志状態に陥って洒落にならんのだから。

 

「……ホントに嬉しそうだったん?」

「わたくしにはそうは見えませんでしたけど……」

「嬉しそうだったのー!!」

 

 両腕とツインテールをぶんぶん振り回して怒りを露わにするおチビ。

 痛くないのかねー、と思いつつオルコット嬢と一緒に眺めてたら『ぴゅい!?』とか頓狂な声を上げて倒れてしまった。時折ぴくりぴくりと身体を震わせているから生きてはいるんだろう。

 

「もう、鈴さんったら無茶をするから……」

「そう言うお前さんもかなり無茶をしたように見えるが?」

「それは……」

 

 お手製アイア○マンスーツを脱ぎ脱ぎしながら痛いところを突いてやると、おチビの一人芝居に苦笑していたオルコット嬢も日向に置かれた菜っ葉のように萎れてしまう。

 その様子から察するに、何故ボーデヴィッヒに後れを取ったのか――その答えを得られないままただ黙って叩きのめされた訳ではなさそうだ。

 ふーむ、赤点ギリギリの合格ってトコかね。

 

《誰にも負けぬ情熱を――しかし己を焼く事なかれ》

 

 未来においてオルコットが至った極致。

 明鏡止水にも似た、苛烈でありながら波風一つない水面の如き心こそが、ブルー・ティアーズを理論値以上に使いこなすには必要不可欠な鍵なのだ。

 当然と言えば当然だが、オルコット嬢の『鍵』はまだ育ち切っていない。

 

「何を言われたのか想像はつくがな、安い挑発に簡単に乗せられてどうする。BT兵器が冷静さを欠いたまま操れるような代物じゃない事はキミが一番分かっているはずだ」

「はい……」

 

 俯いたオルコット嬢は掛け布団をキツく握り、己の未熟さを苦々しく噛み締める。

 前髪で隠れた双眸からは止め処なく涙が溢れ、か細い嗚咽と共に零れ落ちて布団を濡らす。

 その一滴一滴に込められた感情は――怒りか、それとも失望か。

 

「申し訳ございません小父様。セシリアは御信頼に背きました……」

「…………私に謝る必要なんてないだろ?」

「けどわたくしは教えも活かせずに負けて、小父様の顔に泥を塗ってしまいました! わたくしはわたくし自身が憎くて憎くて堪りません!」

「頑張る女の子の顔に泥塗っちまうよりは何倍もマシだよ」

 

 言って、私はオルコット嬢の頭を優しく抱き締めた。

 自分でもらしくもないと思う奇行にレディは一瞬ビクリと身体を震わせるが、やがておずおずと両腕を私の背中に回し、精一杯の力できつく抱き締め返す。

 衣服越しにじんわりと伝わって来るのは、冷たくも温かい涙。

 

 

 

 両親と死別しなければ。

 名家の血筋の重荷を背負わされていなければ。

 ISに乗る事を選ばなければ。

 

 

 

 この気高くも儚い少女は……一体どんな人生を歩んだのだろうか。

 

 

「悔しいと思うのは頑張ってる証拠だ」

「……ぅ」

「泣きたければいくらでも泣きゃあいい。だがこれだけは覚えておけ。子どものように泣き続けて心の中の水が枯れ果てたら――後はもう立ち上がるしかないんだ」

「ぅ……ぁ、あ……ひっ…………ぅぇ……」

「お前は受け入れ、決意し、選択した。だから私が保証してやる」

 

 未来を知る私だからこそ断言する。

 

「泣いて、それでも立ち上がり続ける限り――お前はまだまだ強くなれる」

 

 頭を撫でてやりながらたっぷり数十分は抱き締め続けて。

 ようやっと落ち着いたらしいオルコット嬢はゆっくり頭を離すと、白くきめ細かい指で控え目に白衣の袖をつまんだまま、涙と鼻水でぐっしゃぐしゃな顔で私を見た。

 

「おじざまぁ……」

「ああもう英国淑女の欠片もねぇな。はい、ちーん」

「ぢーん」

 

 本当に父ちゃんやってる気分だ。足臭くなるのだけは勘弁だなぁ。

 

「……なーんか一段落したみたいだから言っちゃうけどさぁ」

「ひうっ!?」

 

 ……で、そこで痛みから復活したもう一人が口を挟んできた。

 我らがステータス――じゃない、希少価値――でもなかった、おチビ(平たい胸族)である。

 こっ恥ずかしい場面の一部始終を目撃された事に気付き、瞬間沸騰したオルコット嬢は勢い良く布団を被って天岩戸の真似をし始める。おチビもだけど、そんな急に動いて痛くないんかね?

 忘れ去られていたチャイナ娘は私をジト目で見上げて、

 

「先生も一夏並みに女をたらし込むわよね……」

「少年並みって絶対誉めてねぇよな。んで何さ? そんな『あたしにも……』みたいな顔して」

「だ、誰もセシリアが羨ましいなんてこれっぽっちも思っちゃいないわよボケェ!?」

「今からでも遅くない。すぐに少年を呼び戻して――」

「そうじゃなくてあっち、外! 早く窓見なさい!」

「窓?」

 

 おチビの指差す先、果たしてそこにいらっしゃったのは――

 

「…………ぅえっはー……」

 

 窓にべったり張り付いてこっちを凝視する、首から下がお姉様のプレデターでした。

 特徴的なヘルメットから漏れる荒い吐息が窓ガラスを白く染め上げ、三本の赤いレーザーが私の眉間にしっかりと狙いを定めている。

 身悶えするイギリス産の布団妖怪を指してみる――こくりと頷く姉貴。

 次に私自身のアホ面を指してみる――力強く頷いて準備運動を始める狩猟者。

 手刀で首を切る仕草をしてみた――強く強く頷いて親指を下に向けるモンスター。

 はい、死刑判決いただいちゃいました。

 

「……逃げた方がいいんじゃないの?」

「そーしましょ」

 

 嫉妬に狂った姉ちゃんが窓をブチ破る前に逃亡を図るも、今日も私には『因果応報』と言う名の相棒が付き纏ってくださっているようで。

 

「うぇーい! ドアが歪んで開いてくれねぇでやーんの!!」

「そりゃあんな強引に嵌め込んだら開かなくもなるでしょ」

 

 押しても引いてもビクともしない。ええいおチビみたいなツンデレかこの可愛い奴め!

 反抗期に突入したドアと裏腹に窓はするりと開きやがり、実姉の皮を被ったハンターが音もなく保健室の床に降り立つ。そして私の腕にも鳥肌が立つ。

 おチビは顔を背けて耳を塞ぎ、オルコット嬢はまだ布団妖怪で、退路が断たれた私はドアを背にホールドアップして辞世の句を読む。 

 さあ皆でカウントダウンしよう。

 さーん。

 にーい。

 いーち。

 

「………………フ、フフ、フフフフフフフ」

 

 あ、肩に手がががががが――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「残念。ところがどっこい生きてます」

 

 保健室の血痕やら破壊の跡やらを片付けた私は、残るもう一人の泣き虫を探して屋上に来た。

 花壇とテーブルをいくつか挟んだ、およそ七、八メートルほどの距離を隔てて。

 ドイツで生まれた寂しがり屋な甘えん坊――黒ウサギことボーデヴィッヒちゃんが静まり返った庭園の片隅で一人ぽつんと、まるで都会に馴染めず友達が作れない田舎っ子のように、憮然とした表情のまま両膝を抱きかかえてベンチに座っている。

 右に左にゆ~らゆらと身体を傾けて、時々傾け過ぎてバランスを崩し慌てて体勢を戻す。

 発見してかれこれ二十分――ずっと同じ事の繰り返しだ。

 

「…………それ、やってて楽しいか?」

「わひゃあ!?」

 

 驚いて飛び上がってベンチからすってんころりん。

 涙目で打ち付けた尻を擦る姿は可愛らしいが、それで良いのかドイツ軍人。

 

「き、貴様……一度ならず二度までも!」

「はいはいびっくりさせちゃってゴメンナサイネ。いいからそのナイフをしまって座りなさい」

「誰が貴様の命令など――」

「――座れと言っている」

「っ……!?」

 

 雰囲気だけ真似て凄んでみたが、どうやら教官殿の教育は完璧だったらしく――ウサギちゃんは赤い瞳に怯えを湛えながら、油切れのぎこちない動きで私の隣に腰を下ろす。

 ふーむ予想以上の効き目。

 もっとも、覇王色を使えない私じゃこの程度が精々だが――どちらかってーとエムちゃんの方が脅しの素質があるように思える。名前まで書いて楽しみにしていたプッ○ンプリンを私がうっかり食べちまった時なんか、この世の終わりみたいな死んだ目で威圧してきたからなぁ……。

 

 閑話休題。

 

 借りてきた猫のようにしゅんと大人しくなってしまったボーデヴィッヒに、下の自販機で買った赤いラベルの炭酸飲料をポケットから出して手渡す。

 軍用レーションならともかく、ジャンクフードに類する飲食物を好む娘ではない。しかし過度の緊張から水分を欲していたらしく、小さなお嬢さんは何の疑いもなくプルタブに指を掛けた。

 その瞬間――

 

「ふやーっ!?」

 

 缶内部から黒い砂糖水が盛大に噴き出し、無防備なボーデヴィッヒに降り注ぐ。

 当然、黒ウサギ部隊でこんな馬鹿馬鹿しいイタズラを考える猛者など――考えたとしてもまさか処罰覚悟で隊長相手に敢行するアホなどいるはずもなく。

 缶を持ったまま呆然とするおチビシルバーは、たっぷり時間を使ってようやく人生初ドッキリをプレゼントされた事に気付くと、ハムスターみたいに頬を膨らませながら私に向かってポカポカと拳を振り下ろし始めた。

 

「んーっ! むーんーっ!!」

「あはははは――あ、止めて、股間は蹴らないで! 急所はアカン急所は!!」

「んむーっ!」

 

 ベンチから転げ落ち、背中に馬乗りになったボーデヴィッヒに叩かれ続ける。

 シュヴァルツェア・レーゲンが展開されていないのでまだ洒落で済んでいるが、遊園地に連れて行く約束を反故にして娘に泣き喚かれる父親の気分だ。

 

「……ここまでコケにされたのは生まれて初めてだ」

 

 ――数分後。

 コーラでずぶ濡れの頭や顔を私に拭いてもらいながら、落ち着きを取り戻したボーデヴィッヒは恨みがましい視線をタオルの隙間から覗かせてそう言った。

 

「ヒヒッ。まさか私もお前さんがあそこまで取り乱すとは思わなかったよ。この前オルコット嬢に叱られたばかりだし、ちょっとばかしやり過ぎたと反省はしてる。けどな――」

 

 油断していたところを力任せに引き寄せ、額を合わせてボーデヴィッヒの目を見据える。

 逃げられないよう彼女の首を両手でがっちりと押さえ込みながら。

 

「――今保健室で寝ている二人はな、お前さんの八つ当たり(・・・・・)でもっと酷い目に遭ったんだ。それに比べたらこの程度の『不幸』なんてどうって事ない。そうだろ……?」

「…………」

「ちょっと突き放されたぐらいで誰彼構わず当たり散らすようじゃ一人前にはほど遠い」

「貴様に……何が分かる」

 

 低い声に込められた敵意。

 先にナイフを取り上げておいて正解だったなぁ、これは。

 

「分かるとも。少なくともキミよりはしっかりと現実を見ているつもりさ」

「なら何故あの時私の邪魔をした!? 織斑一夏が教官の足枷でしかないのは明らかなはずだ!」

「確かに少年が原因で織斑先生はモンド・グロッソ連覇を達成できなかった。だがキミは根本的な現実を見落としている」

「……何?」

「あの日、少年が誘拐されなければ――誘拐されたとして織斑先生が救出に行かずそのまま試合に臨んでいたら、果たしてキミは織斑先生と出会う事ができただろうか?」

「っ……」

 

 ボーデヴィッヒは言葉を詰まらせる。

 

「少年を助ける際にドイツに借りを作ってしまったからこそ、織斑先生は一年もの間教官役として従事する羽目になったんだ。だが救出作戦か、あるいは誘拐そのものがなかったとしたら?」

「それは……あくまで一つの可能性に過ぎない! 現に私は教官と――」

「そう、可能性の話だ。今となっては『かも知れない』で終わりのな。しかし、断言できないのと同じくらい否定できないのも事実だ」

 

 むしろ『誘拐事件』などのファクターがなければ、自国の代表操縦者――世界大会二連続覇者となっていただろう姉さんを今の狭量な日本がそう簡単に貸し渡すはずがない。多少暴論である事は否めないが、ボーデヴィッヒと姉貴の師弟関係はあの事件の発生が大前提だったと言える。

 

「寝ても覚めても教官・教官・教官と壊れたレコーダーのように喧しいが、お前さんは誘拐された人間の気持ちを――少年の気持ちを一度でも考えた事があるのか?」

「あんな無能な奴の気持ちなど――!」

「じゃあ、ちょっと考えてみよう。キミは今、謎の組織に連れ去られて何処とも分からない場所で拘束されている。当然ISなど持っていないし、他に武器もない。助けを呼ぶ手段もない」

「……織斑一夏と同じ状況か」

 

 察しが良くて助かるねぇ。

 

「その通り。そして少年と同じように、二連覇確実の大会を放棄した織斑先生が救出に来てくれて一件落着はいオシマイってなる訳だ。さぁて、ここで一つ簡単な質問をしよう。優勝を逃してまで駆け付けてくれた織斑先生に対し、キミはまず最初に何を思う?」

「決まっている。私など助けて汚点を残すより大会を優先して………………まさかっ!?」

 

 とある結論に至り愕然とするボーデヴィッヒ。

 

「――そう。おそらく(・・・・)少年もキミと同じような感情を抱いたはずだ。姉の晴れ舞台を台無しにして悔やまない弟はいない。何もできなかった無力な自分を憎まない男はいない」

「…………だが私は、私は……」

「それでも織斑一夏が許せない――って顔だな。何もいきなり手の平を返して仲良くしやがれとは言わない。ただ、お前以上に不器用で己を許せずにいるガキがいる事だけは覚えておいてくれ」

 

 下らん話を聞かせた詫びにスポーツドリンクを渡すと、いたたまれなくなったボーデヴィッヒはそれを持ったまま脱兎の如く屋上庭園から逃げ去ってしまった。

 私もさっさと部屋で休みたいのだが……さっきからこちらを見てらっしゃる誰かさんを無視して帰る訳にはいかんよなぁ、やっぱり。

 

「姉弟揃って覗き見が好きなんですか? あまり誉められた趣味じゃないですねぇ」

「……気付いていたのか」

「そらまあ、慣れ親しんだ気配だったもので」

 

 物陰から現る姉上様。

 痛みを堪えているかのような、悲しみを押し殺しているかのような――普段とまるで違う表情で両肘を抱く立ち姿からは、色濃い疲労がありありと読み取れた。

 山田先生の言葉通り、少年とボーデヴィッヒの事で随分と気を揉んでいるらしい。

 悩み事ばっかり作って申し訳ねぇですよ、ホント。

 

「こんなところで油売ってて良いんですか」

「問題ない。雑用は山田先生に任せてある」

「いやそれ問題しかないでしょう」

 

 職場環境の愚痴――と言うほど大したものでもないが、寝る前に山田先生の小さな小さな不満を聞いてあげるのが私の最近の日課になりつつある。でろ~ん、とベッドにおっきな胸を押し付けて脱力する『たれやまだ』を見れるから役得と言えば役得だけど。

 

「煙草、吸ってもいいですかね?」

「…………学園内は禁煙だ。一本だけにしておけ」

 

 隣に腰掛けた姉さんに申し出ると、意外にもあっさりと許可が下りた。

 綺麗な黒髪や服に臭いが染みないよう、少し離れた風下に移動してから火を点ける。お世辞にも美味いとは言えない紫煙が肺を満たし、口や鼻から毒のように漏れていく。

 

「お前も吸ったりするんだな……」

「吸いますよー? 猛烈に自分が嫌になった時だけですけど」

 

 初めて他人を殺めた時とか、紛争地帯で子どもを救えなかった時とか。

 禁煙しようとも思っているが、吸う度に服毒自殺している気分になるから止められない。これも依存症の一種と言えるのだろうか。

 半分くらい灰に変わったところで――いきなり何を思ったのか、近寄って来た姉貴は私の手から煙草をむしり取ると、そのまま口に咥えて残りを一気に吸い込んだ。

 

「っ!? ぐっ――ぐふっ、げほっ!」

「ああもう、初めてなのにそんな吸い方したら咽せるに決まってるでしょ。大丈夫ですか?」

 

 点いたままだった煙草の火を揉み消し、蹲ってげしょごほと咳き込む姉さんの背中を擦る。

 

「えほっ、これは……酷いな」

「そりゃ味なんぞ期待できない安物ですし、かなり前に買ったヤツの残りですから」

 

 最後に吸ったのだってこの時代に飛ばされる前ですし、とは言わない。

 ほどなくして咳は治まったものの、姉貴はベンチに戻らず私の胸にぼすっと顔を埋めてしまう。

 

「……甘やかしたつもりはない。むしろ嫌われても構わないくらいの気持ちで、私なりにラウラを厳しく鍛えたつもりだった。それがこの有様だ」

「だからと言って、必ずしも間違っていた訳ではないはずですよ。現にあのお嬢さんはドイツ軍が誇るIS部隊の隊長にまで上り詰めた。織斑先生の教えがあったからこその成果でしょう?」

「だが、まず何よりラウラには軍人としてではなく少女としての、子どもとしての生き方を教えてやるべきだった。弟を日本に置き去りにして気が動転していたとは言え、これでは教師失格だ」

「………………」

「辛いよ……」

 

 声が震えている。

 姉さんも不安で仕方がないのだろう。

 

「ラウラは……まだ取り戻せると思うか? 私ではない――本当の『ラウラ・ボーデヴィッヒ』になれると思うか?」

 

 慰めも励ましもしない。

 そんな空虚な言葉を望んではいないはずだ。

 だから私は――

 

「…………なれますよ、絶対」

 

 だから私は――それ以上は何も言わなかった。

 何も言わず、誰にも甘える事ができず一人苦悩し続ける姉を、ただやんわりと受け止めた。




たまには綺麗なブラックワンサマー。
次からはいよいよ原作第二巻の佳境に入ります。
ランスローの新装備も御目見えの予定です。


今回のリクエストは、

アキさん、童虎さん、アキ二式さんより、

・アイアンマンのコスプレ

八代敬重さんより、

・プレデターのヘルメット

白銀色の黄泉怪火さんより、

・「申し訳ございません小父様。セシリアは御信頼に背きました……」(ACfa:リリウム・ウォルコット)

でした。

誤字脱字などあればそちらも遠慮なくどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

028. Dark Hero Show ― 舞台袖 ―

真面目な戦いが始まる前のボケ成分充電。

シスコン当主と変人の、ちょっとした一幕です。

批判も酷評もバッチコイやー!

……あ、でも少しはお手柔らかにお願いします。


 更識楯無(本名:刀奈)は自分が『できる女』だと自負している。

 頭脳明晰にして容姿端麗、快刀乱麻を断つ才色兼備。イタズラ好きの猫のような性格と行動力を腹心の布仏虚に窘められる事も多いが、それすらも彼女の魅力の一つと言えよう。

 更識家当主の称号『楯無』を十七代目として正式に襲名し、ロシア代表操縦者とIS学園最強の代名詞でもある生徒会長まで兼任する楯無。けれどもそれらの肩書きは、血を吐きかねないほどのたゆまぬ努力の果てに成し遂げられた――至極当然の帰結に過ぎない。

 

「邪魔するんじゃねぇよクソガキがぁ!!」

「乱暴な男はモテないわよん?」

 

 およそ少女には似つかわしくない多種多様の技を――物心ついた頃より更識の後継者となるべく研鑽を重ねてきた楯無にとって、たかが軍人崩れの傭兵なんぞ取るに足らない雑兵に等しい。

 横薙ぎに振るわれるナイフを半歩下がって躱し、そのまま愛用の扇子を用いた合気術で男の腕を絡め取って地面に引き倒す。流れるような動作で関節を極められ、男が野太い悲鳴を上げた。

 周囲には意識を刈り取られて無力化された侵入者達が何人も転がっており――粗野粗暴ながらも鍛え抜かれた肉体と染み付いた銃火器の扱い方から、元々は職業軍人か、あるいは警察の特殊部隊出身だろうと楯無は冷めた思考で推測する。

 

「この、離しやがれっ!」

「離してもいいけど……あっち(・・・)に行ったらもっと酷い事になるんじゃないかしら?」

 

 いくら経験を積もうと。

 どれだけ裏社会に身を浸そうと。

 織斑千冬然り『彼』然り、この世界にはどう足掻いても真似できない――真似したくないほどに常識から逸脱した存在がいる事を思い知らされる。

 自分では、ああも楽しそうに戦えない。

 

「オラオラオラ! ぎっちょんちょんってなぁ!!」

《SWORD VENT》

 

 あっち――と楯無が男を取り押さえながら指差した場所で。

 メタリックパープルのアーマーを身に纏うライダーが、何処からともなく飛んで来たドリル状の剣でバッサバッサと敵を斬り伏せていた。

 殺陣自体は『暴れん坊○軍』とか『子○れ狼』など――勧善懲悪をテーマとした時代劇を彷彿とさせる見事な腕ではあるものの、お世辞にも正義の味方とは呼べそうもない雰囲気と風貌と言動が彼に『人斬り』のイメージを植え付ける。どちらかと言うと主役の方がかなり悪っぽい。

 斬り捨て御免もそこそこに、悪人はバックルのデッキケースからカードを引き抜くと、コブラを模した杖に慣れた手つきで装填する。

 

《FINAL VENT》

 

 電子音声の直後に現れたのは、体長六メートル以上はある巨大な紫色のコブラ。

 頭部両脇には無数の刃が生えており、外見は生物よりも機械に近い。

 

「ハァァァァァ――!」

 

 猛然と敵の一団に走り迫る主人を追随し、跳躍して後方へと身を翻す彼を捉え――黄色い毒液のエフェクトを正面に押し出すように吐き浴びせる。

 契約モンスターの援護を背中に受けて炸裂する連続蹴り。

 打撃なのに何故か爆発で吹き飛ばされる哀れな侵入者達。

 

「話が……違うじゃねぇか。これ(・・)を使えばISを役立たずにできるはずだろ!?」

 

 あまりの光景に、楯無の尻の下で男は唖然とする。

 おそらくは男達の切り札であったのだろう――大きさ四十センチほどの金属製のボディに四本の脚を持つ物体が、役目を果たせないまま虫の死骸のように無造作に転がっていた。

 剥離剤(リムーバー)――対象に取り付いてISを強制解除させる悪夢の装置。

 ISが深く根付いたこの社会においては、国家最高重要機密として『存在しない兵器』の烙印を押された代物だが、

 

(…………『危なくなったら使え』って言われたから使っただけで、肝心要の標的の情報は何一つ知らされてない。雇い主からすればコイツらはただの使い捨て、か。傭兵家業も世知辛いわねん)

 

 このご時世、情報こそが何にも勝る武器だと言うのに。

 剥離剤よりもさらに使い勝手の良さそうな装置を、あろう事か一人の少女をからかうためだけに自作してしまった男が、それが自分に向けられた場合の対策を考えていない訳がない。強制解除に対する耐性など、予防接種のような気軽さでつけているはずだ。

 そもそも、彼はこの『遊び』でISなど一切呼び出していない。

 特撮スーツの早着替えに拡張領域(バススロット)こそ利用しているものの、使う武器もベルトも市販されている普通の玩具――彼曰く『折角買ったんだから遊ばなきゃ』とか何とか。

 

「おほー、どうよおっさんのこの仮装! さっすが浅倉さんは痺れるぜい! テメェらもワルならこの気持ち分かるだろ、んん? ほいじゃどんどんいってみよう!」

「私は女の子だからちょっと理解できないんですけどねー」

 

 本音や簪ちゃんだったら夢中になって見てるかもだけど……と、男を座布団代わりに一人ごちる楯無そっちのけで、侵入者達にとっての悪夢のような遊びはまだまだ続行される。

 手始めに金の装飾が印象的な重厚感溢れるベルトを巻いたかと思えば、

 

《Standing by》

「変身」

《Complete》

 

 携帯にコードを打ち込んで『Ω』を象徴とする漆黒の帝王(オーガ)となり、

 

《HENSHIN》

《Cast Off》

《Change Beetle》

 

 黒いカブトムシ型コアを使い、羽化するかの如く外装を弾き飛ばして悪しき成虫(カブト)と化し、

 

《GAOH Form》

 

 電車の定期入れのようなアイテムとベルトで全てを喰らう暴君(ガオウ)を名乗り、

 

《ガブリッ!》

 

 厳格な雰囲気漂う蝙蝠に腕を噛み付かせ、魔種族を束ねる魔界の王(ダークキバ)の称号を継承し、

 

《Eternal》

 

 地球の『永遠』の記憶を収めたメモリを差し込み、人間に絶望した純白の狂気(エターナル)を演じ、

 

《チェンジ、ナウ》

 

 左中指のリングで呼び出した魔方陣を潜り、破滅を企む金色の魔法使い(ソーサラー)を蘇らせ、

 

《ブラッドオレンジアームズ! 邪ノ道・オンステージ!》

 

 禍々しい果実の力に縋り、士道を捨てた血染めの鎧武者にまで堕ち果てて――

 

「こいつで最後だ。さあとくとごろうじろってな!」

《ブレイク・アップ》

 

 バイクのハンドルグリップにも似た、極端に銃身が短い拳銃型ツール。

 その銃口を手の平に押し付け、バイクを意匠化した装甲で全身を包み込む。

 骸骨の全身にエンジンパーツを融合させたかのような――右目がシャッターで隠されて隻眼にも見えるその異様な姿は、その名の通り追撃する死神(チェイサー)を彷彿とさせるものだった。

 

《チューン・チェイサースパイダー》

 

 言うまでもないが、この場で繰り広げられているのは単なる『遊び』でしかなく、年甲斐もなくはしゃぐ中年が悪役ライダーのコスプレをしながら大仰に必殺技を再現しているだけである。

 不憫なのは『手頃なサンドバッグ』と認識されてしまった雇われ共だ。

 うわーうぎゃーと断末魔の叫びを上げながら、噛ませ犬の群れが木っ端のように舞う。

 そして、二人以外にまともに話ができる人間がいなくなったところで、

 

「先生、やり過ぎ」

「けど言われた通り死人は出してないぞ?」

 

 呆れたように非難する楯無に対し、死神ライダーは飄々と嘯く。

 殴られ、蹴られ、斬られ、撃たれ、挙句の果てに爆発にまで巻き込まれた哀れな傭兵達。しかし負傷の度合いに大小の差はあれど、いずれも立ち上がれなくなった程度に留まり、仕事上その手の知識に長ける楯無の目から見ても致命傷を負っている者は皆無だった。

 無駄に器用と言うか何と言うか……。

 

「ま、死体片付けるよりテメェらの足で歩いて帰ってもらった方が手間なくていいわな」

「それ以前に! 監視対象者が学園内で殺人を犯すのを黙って見過ごせる訳ないでしょ、もう!」

 

 見せ付けるように広げた扇子には『ぷんすか!』と今の彼女の感情を表す五文字。

 実際、彼が本当に息の根を止めるつもりで行動していたのなら、それこそ楯無が止める暇もなく全員が超重力によって床と一体化した血みどろオブジェに変えられていただろう。

 事前に釘を刺しといて正解だったわね……と、楯無は引き攣った笑みで冷や汗を拭った。

 自分とて決して短くはない年月を家業に費やしてきた。けれど現在進行形でふざけやがっているこの男は、それ以上に裏の世界を熟知している怪物だ。

 場の空気を掻き乱すように三枚目な道化を演じながらも。

 いつも馬鹿をやって手酷いオシオキを食らいながらも。

 時折垣間見せるその本質には――楯無ですら思わずたじろぐほどの危険な『純粋さ』がある。

 

(……本名、国籍、血液型に家族構成、学園に現れる以前の経歴も全て不明。自称している年齢も鵜呑みにはできないし、カルテ狙いで探りを入れてみた裏の病院や闇医者でも収穫ゼロ。更識家の情報収集能力にも限界があるのは認めるけど、各国の諜報部も総力を挙げて調べているのに正体の片鱗すら掴ませないなんて――そんな事が可能なの?)

 

 単にデータを削除して回るだけならそう難しい事ではない。どんな経緯で庇護下に収まったのか定かではないが、彼のバックにはあの篠ノ之博士が付いているのだから。

 けれど、彼を知る人間が誰一人として存在しないとなると明らかに異常だ。

 大秘境の奥地で誰とも会わずUMAのように生きてきたと言うならともかく、持ち合わせている知識量も――ほとんどノーブレーキぶっちぎりで無視しているが一般常識も――現代社会で普通に生きる人間と同じ。真っ当な教育機関で相応に学ばなければ得られない物だ。

 にも関わらず、あるはずのデータがまるで手に入らない。

 

(皮膚片や血液からDNAを採取してデータベースで照合しようにも、先生から削り取ると細胞がすぐに自壊して使い物にならなくなるらしいし……)

 

 ナノマシンの作用によるものと考えられるが、それすらも確たる証拠はない。

 風景画に人物像を無理矢理合成したかのような違和感が楯無を苛んだ。

 そんな彼女の心中を尻目に、白衣姿に戻った彼は、

 

「にしても、奴さん達も金ケチらないでもうちょっとマシなのを雇えばいいだろーに。どう見ても中の下が精々だろコイツらの実力は」

「奴さんって……心当たりでも?」

「まあオジサンてばモテモテですし? 慣れるとドギツいプレゼントを送ってくる熱烈なファンの素性くらい簡単に見当がついちゃうんよ。今回のは……女性利権団体の急先鋒ってトコだぁね」

「……確かに、他国や大きな組織が今回動いたって情報は私の耳に入ってないけど、どんな連中が雇ったかまで分かるものなの?」

「雇う側にもよるが笑える共通点があってねぇ。女性優位を強調したがる過激派であればあるほど腕の立つ男を選ぼうとしないんだ。専属料理人もお抱え運転手も――もちろん傭兵も」

 

 何故だか、その理由が分かる気がした。

 

「連中は『男が自分達よりも優れたところがある』と死んでも認めたくないのさ。認めちまったら負けた事になると考えているんだよ。それが私を目の敵にして狙う動機でもあるんだが、安っぽいプライドに縛られるってのも女尊男卑思想の弊害だわな」

「……一夏君が織斑先生の弟で幸いだったわ」

「でなきゃ、今頃少年の部屋は脅迫状とか動物や虫の死骸とかで溢れ返ってただろうねぇ」

 

 織斑一夏に『ブリュンヒルデの弟』の肩書きがなかったら。

 最悪の展開を想像してしまった楯無の背中に、ゾクリと冷たい物が走る。

 もし仮に一夏がこの世の『悪意』に狙われた場合、まずは脅迫の材料として彼の親友やその妹が人質に取られてしまったはず。

 

(先生は確信してるのね。敵が先生しか狙えない事を……)

 

 友人知人、親類縁者を複数の国家総掛かりでも探し出せないこの男だからこそ、迫り来る刺客を学園の一画に残らず集結させて一網打尽にできたのだ。

 守る者が『外』にいない幸運。

 不安要素の一切を排した強さ。

 世界中を敵に回して孤独になったが故に、誰かを失う恐怖をも握り潰した化け物。

 

「ISはな、言っちまえば侍が持つ刀みたいなもんだ」

「刀……?」

 

 楯無の本名を知ってか知らずか、白衣の男はケタケタ笑って己の見解を述べる。

 

「それを動かせるって事自体が一種の特権階級の証。下々の人間には何をしても文句を言われない免罪符と勘違いしてるのさ。そりゃプライドも刺激されるわなぁ。素性も分からん馬の骨と二十歳にもなっていない小僧が、自分ら女にしか使えないはずの、しかも専用機まで持ってるんだから」

「………………」

 

 楯無は黙り込むしかなかった。

 全ての女性がそうだと言う訳ではないが、彼の言い分も否定できなかったからだ。

 嫌うでもなく憎むでもなく――それすらも生温いと思えるほどの狂気に満ちた嘲笑。

 

「……先生は、一体何と戦うつもりなの?」

「この世の全て。腐ったルール。ついでに未熟者な自分自身かね。けど今は――」

 

 彼がそこで言葉を区切ると同時に、尋常ではない悲鳴とどよめきが届いた。

 そして数秒遅れて、アリーナで警戒していたはずの腹心から通信が送られてくる。

 

『――お嬢様』

「虚? そっちで何が起きたの?」

『それが……私もどう説明したら良いのか……』

「ドイツのお嬢ちゃんの機体が、素敵に愉快にトランスフォームしてくれやがったんだろ?」

 

 その声で視線を戻した時には既に遅く、彼の背中は楯無からどんどん離れていく。

 進む先にあるのは、騒動が巻き起こっているであろうアリーナ。

 

「あ、ちょっと待って私も行く! 虚、とにかく生徒の身の安全を最優先で! それとこっちで寝っ転がってる奴らを片付ける人員を寄越して!」

『了解しました。中々に旗色が悪そうなので急いでください』

 

 通信を終え、ドリルと独楽を掛け合わせた怪人に楯無は叫ぶ。

 

「先生! 何をするつもり!?」

「いやいやちょっとお手伝いをねぇ!」

「そんな格好で!?」

「大丈夫大丈夫、コマサンダーは強いのだー!!」

「わあ不安しかなーい!!」

「もんげー!!」

「コマさんだ!? と言うか着替えるの早っ!? でも可愛い!!」

 

 やっぱり、この人は分かりたくないくらいの変人だった――と。

 はぐらかされている事にも気付かず、会長として事態の収拾に努めるため、ぼてぼてぼてぼてと全力疾走する狛犬っぽいプリチー妖怪の後を追う楯無なのであった。




はっちゃけ悪役ライダー早着替え。
次からはちゃんと少年やラウラやオリ敵ISとか登場して戦いますよー。


今回のリクエストは、

 ARCHEさんより、

・「ぎっちょんちょんっ!!」(EXVS:サーシェス)
・「おほー、どうよおっさんのこの仮装!」(テイルズオブヴェスペリア:レイヴン」

 ディムさん、BFerさんより、

・「先生! 何をするつもりですか!」「いやいやちょっとお手伝いをねぇ」(ACV:主任)

 アキさんより、

・魔進チェイサーのコス(仮面ライダードライブ)

 ジオ社社員Nさんより、

・コマサンダーのコス(仮面ライダースーパー1)

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

029. Dark Hero Show ― 共演 ―

 ――この程度か。

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒは落胆を隠せずにいた。

 切り取られた視界、まるで画面越しに傍観しているかのような――自分が自分でなくなっていく幻痛に苛まれながら、彼女は諦めにも似た感情に浸る。

 あれほどまでに憧れた強さ。

 美しく、気高く、凛とした刃の如き極東の女傑。

 あの人の栄光に泥を塗った織斑一夏が許せず、だからこそドイツに連れ戻すべく、遠路はるばる平和ボケした日本まで足を運んだと言うのに。

 

 ――私が思い描いた『力』とは、この程度の物だったのか。

 

 この学園に来て、その決意が鈍ってばかりいる。

 考えずにいた――頑なに考えまいとしていた織斑一夏の過去の傷跡。

 かの少年も自分と同じく、力を持たない弱者であるが故の苦しみに悩まされていたのだと変人に教えられ、それからは元々抱いていた嫌悪感以上に、奇妙な共感が心を占めるようになった。

 その思いの正体が分からぬまま譲れぬ戦いに臨み、挙句に押し負け――そしてこの醜い有様だ。

 

「うおおおおああああっ!!」

 

 白と黒――二振りの《雪片弐型》が切り結び、火花が散る。

 パートナーのデュノアからエネルギーを譲渡されて再生を果たした白式。しかし完全と呼ぶにはあまりにも弱々しく、一極限定モードで右腕と武器の形成が精一杯のようだった。

 それでも一夏は立ち向かう。

 ラウラが歪んだ姿で呼び起してしまった紛い物に、死をも恐れず血気盛んに。

 

 ――何故そこまで戦える? お前のその強さは何処から……。

 

 己を蝕み続ける繭の中、無意識の内にラウラは問う。

 この危機的な状況、こちらの声など届く訳もない――返答など求めてはいない、独白と懺悔にも似た単なる自己満足に過ぎないはずだった。

 

「ラウラぁっ!!」

 

 だが一夏は叫び、答えを返した。

 身体中に幾筋も傷を刻みながら。

 姉の誇りを踏み躙る偽の剣を、猛然と捌きながら。

 

「お前が千冬姉に憧れようが俺を馬鹿にしようが、そんなのお前の勝手だけどなぁ!」

 

 振り下ろされた一撃を、愛刀を頭上に掲げて受け止める。

 歯を食いしばり、血を滴らせ、踏み締めた両足が衝撃で地面に埋まりつつも、その両の瞳だけは爛々と輝き続けて光を失う事はない。

 少年は尚も叫ぶ。

 

「『自分の握る剣に怯えぬ者に剣を握る資格はない』――俺はそう教わった!」

 

 強引に押し上げるのではなく相手の力を利用する形で、刀身の上を滑らせるようにして黒雪片を受け流し、僅かに生じた隙を狙い撃つべく斬撃を放つ。

 けれどその一撃も、世界最強を模倣した『黒』に容易く弾かれてしまう。

 一夏は諦めない。

 

「最初は意味が分からなかったけど今なら分かる! 先生は俺に『千冬姉の剣を守れるのか?』と聞いていたんだ!!」

 

 ――教官の、剣……?

 

「俺もお前も千冬姉を尊敬している! 俺達が振るうこの剣には、戦い方を教えてくれた千冬姉の厳しさと優しさが込められてる!! だから絶対、俺達の身勝手な真似事で千冬姉の教えと誇りを汚して台無しにするなんて――そんなのあっちゃならないんだ!!」

 

 剣そのものに怯え、恐れ、躊躇う。

 無駄な争いを避け、生命を重んじよと諭す意味合いも当然含まれているのだろうが、それよりも何よりも、無様な技をひけらかして師の名を傷付けてはならないと言う訓戒が心に響いた。

 ラウラが千冬を慕い、一夏を許せずにいる気持ちも。

 命の危険を顧みず、一夏が果敢に立ち向かうのも。

 平行線を走る二つの道――けれど根幹にある想いは全く同じなのだ。

 

「俺は皆を、千冬姉を守りたい! 千冬姉を大切に思ってくれているお前を守りたい!」

 

 ――だから、斬るのか?

 

「だから、斬るんだ! お前をそこから助け出すために!」

 

 その意思を汲み取り、雪片に変化が起こる。

 柄だけを残して実体の全てを排し、零落白夜のエネルギーを一点に収束した日本刀。

 闇を裂く一筋の光とそれを振るう男の貌にラウラは目を奪われ――

 

 ――綺麗……。

 

 そして、斬られた。

 剣の猛襲を先ほどの意趣返しとばかりに打ち弾かれ、頭から割断される黒き紛い物。その内よりラウラがズルリと零れ落ち、地面に倒れる前に抱き止められる。

 ひんやりと冷たく、決して放すまいと全身を包み込むような感覚。

 

 ――え……?

 

 そう――不気味なほどに冷たい。

 体温や血の巡りなどおよそ感じられない、無機質かつ機械的に淡々と、ただ零れたパーツ(・・・)を拾い集めて修復するかのような蠢き。

 

「何っ!? コイツまだっ……!!」

 

 抱き止めたのは、一夏ではなかった(・・・・・・・・)

 装甲の一部が変化した触手でラウラを絡め取り、シュヴァルツェア・レーゲンだった『何か』はさらなる変貌を遂げようと、輪郭が崩れて形を成していない機体を流動させる。

 それは孵化する直前の卵か、あるいは心臓のようであった。

 

「レー、ゲン……?」

 

 ラウラは初めて恐怖した。

 何だこれは。何なのだこれは。

 こんなのは知らない――こんなのは望んでいない!

 

 ――嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!

 

 再び取り込もうとする黒いISに逆らい、ラウラは必死に手を伸ばす。

 白式が消えて膝をつき、呼吸を荒げながらも真っ直ぐに自分を見てくれる彼に向けて。

 

「助けて……」

 

 直後に。

 ラウラ・ボーデヴィッヒの意識は現実から奪い去られた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「助けて……」

 

 銀の少女が流動体に飲み込まれるのを、一夏は這い蹲って見ているしかなかった。

 立ち上がろうとしても身体は言う事を聞かず震えるばかり。筋肉が鉈でぶつ切りにされたような耐え難い激痛を発し、ギシミシと悲鳴を上げる骨は今にも砕けてしまいそうだ。

 正真正銘、あの零落白夜が最大最後の一撃。

 勝利を確信して全力を出し尽くし、そして裏切られた一夏にこれ以上打つ手がないのは、戦いを注視する誰の目から見ても明らかだった。

 

「ラウラぁっ!!」

 

 少女の名を呼ぶ。

 ボコリボコリとマグマのように表面を膨張させる異形を前にして、一歩も退かずに。

 耳には聞こえずとも心にきっと届いてくれるはずだと――そう思い信じて、徐々に人間の形態に固まりつつある化け物の、その腹の中で眠らされているラウラに声を投げる。

 恐怖、羞恥、後悔、自責――泥のように重苦しく積もる感情を必死に押し殺しながら、どうにか彼女を助け出そうと動かない四肢に力を込める一夏。

 そんな諦めの悪い少年を、ボディの再形成が終了した『それ』が捨て置く訳もなかった。

 

「一夏っ!?」

「一夏ああああっ!!」

 

 幼馴染とパートナーの声が何処か遠くに聞こえる。

 時間が巻き戻ったかのように、同じ軌跡を描いて振り上げられる黒刀。

 ただし先ほどとは異なり、剣を失った一夏にはもう攻撃を防ぐ手立てがない。

 

「くそっ……」

 

 一秒一秒がやけに長く感じられる。

 一夏の首が斬り落とされて死を迎えるまでの数瞬を、断頭の刃どころか周囲の風景さえも緩慢になった世界が――さながら処刑台へと続く十三階段のようにじっくりと指折り数えていく。

 止まらない無音のカウントダウン。

 せめて逃げ傷だけは残すまいと、正面切って敵を睨み付ける一夏の精神に、

 

 

 

 

 

「――動くなよ少年。当たるぞ?」

 

 

 

 

 

 その声だけは、はっきりと届いた。

 直後に沈黙をつんざき破る発砲音が鳴り響き、衝撃によって一夏の首筋を食い千切る寸前だった凶刃が大きく弾き逸らされる。

 それを機に正常な速度に戻る時の流れ。

 二発、三発と続け様に銃撃を受けた黒いISはたたらを踏んで後方へ下がり、その隙に声の主が一夏の首根っこを掴んで壁際へ投げ飛ばす。

 

「一夏、大丈夫か!?」

「あ、ああ何とか。俺の事よりも……」

 

 箒に助け起こされた一夏が見たものは、ショットガンを敵に向ける男の背中だった。

 白衣の尾を風にたなびかせながら悠然と立ち、常人ならばISに乗らなければ持ち上げる事さえ困難な大口径の銃器を、身体の一部であるかのように右腕のみで軽々と支えている。

 

「ハハハッ! 見てたよ、ルーキー。随分こっ酷くやられてんじゃねーの」

「先生……」

 

 紛い物も警戒するように動きを止めている。

 黒い雪片モドキを正眼に据えたまま、相手の出方をじっと窺う――先の一夏との鍔迫り合いではその素振りすら見せなかった、怯えさえ感じ取れる受け身と防御の構え。

 言い換えればそれは、敵が彼の戦闘力を正当評価している事に他ならず――その実力差を改めて思い知らされた一夏は、安堵よりも先に悔しさを覚えた。

 

「先生、あの中にラウラが……」

「ああうん、知ってる。つかちょいと予想外でオッサンも驚いてるし」

 

 まさか二度も取り込まれるたぁなー、と一度目の暴走は予見していたような口振り。

 そもそもこの男は、一体何時から『見てた』のだろうか。

 

「先生……あれは何なの?」

「VTS――ヴァルキリー・トレース・システム。モンド・グロッソ各部門受賞者の動きや技術を真似して簡単お手軽にパァウァァァァァァァーを手に入れられちゃう夢のようなシステムなのだ」

「だから千冬姉みたいに……」

「ボーデヴィッヒのお嬢さんにとって織斑先生は特別中の特別みたいだからねぇ。ちなみに諸々の事情によりアラスカ条約で開発する事も使う事も禁止されちゃってます」

「じゃあ何故、ボーデヴィッヒのISにそれが組み込まれているんですか?」

「さてねぇ。でも――」

 

 そこで一度言葉を区切り、彼は来賓席に視線を送る。

 

「あっちでブルーマンみたいになってるドイツのお偉いさん方なら、その辺の事情をよーくご存知なんじゃない? 国ぐるみなのか軍の独断なのかまでは知らんけど、少なくともボーデヴィッヒのお嬢ちゃんには伝えてなかったみたいだし」

 

 一夏の視界が怒りで赤く染まる。

 そんなシステムで偽りの力を与えるなど、ラウラや姉に対する最大の侮辱だ。

 それでもかろうじて冷静さを取り戻し、連中の間抜け面をぶん殴りに行きたい衝動を抑える事ができたのは、傍らに寄り添う二人の少女が自分以上の激情を露にしていたからに他ならない。

 

「……外道共が」

「……女の子を何だと思ってるんだ」

 

 曲がった事や卑劣が心の底から大嫌いな箒は元より、シャルルも物のように扱われる事の辛さを知っているが故に――何より同性であるが故に、一人の少女を苦しませている大人達の自分勝手な行いが許せないのだろう。

 

「んーで少年、テメェは何時までそこで寝っ転がってるつもりなんだ?」

「…………」

「早く立たねぇと、お嬢ちゃんが待ちくたびれちまうぞ?」

 

 立ち上がれるならもうとっくに立ち上がっている。

 それができないから一夏は歯痒い思いをしていると言うのに、この男は――

 

「そ、そんなの無茶だよ先生! 一夏はさっきからずっと戦いっぱなしで傷だらけで、白式だってエネルギー切れでもう使えないのに!」

「あぁそうなの。で? それが何か問題?」

「先生っ!!」

 

 シャルルの悲痛な叫びさえも無視し、白衣の変人は言う。

 

「あのお嬢ちゃんは少年に『助けて』と言ったんだ。なら絶対に助けねーと。傷だらけ? 白式が使えない? そんなのは助けない理由にゃあならない」

 

 ショットガンが轟音と共に一粒弾を吐き出す。

 一瞬の隙を突いて斬り掛からんとしていた紛い物の刀身を弾き、姿勢が崩れたところへ容赦なく追加の弾丸を浴びせていく。ラウラが内包されていると思しき胴体部は狙わず、四肢や刃先だけを的確に撃って猛襲を凌ぎ続ける。

 世界最強を模した怪物に生身で挑む――彼もまた、怪物と呼ばれる者の一人。

 

「腕を切り落とされようが足を吹き飛ばされようが知った事か! 救える命が目の前にあるのならとにかく這ってでも救いやがれ! できるできないじゃない! やるかやらないかだ!!」

 

 黒鎧を敢えて呼び出さないのは、白式が沈黙した一夏に対する彼なりの叱咤激励なのか。

 

「さっさと立てよ織斑一夏! 意地があんだろ!? 男の子にはっ!!」

「…………ははっ」

 

 思わず笑みが零れる。

 その言い方はずるい。

 そんな風に言われたら、何が何でも男を見せるしかないじゃないか――!!

 

「そうだよ……先生の言う通りだ」

「一夏……」

「意地があんだよ……! 男の子にはなァッ!!」

 

 箒とシャルルの手は借りない。

 両足に力を込め、骨と筋肉の悲鳴を気力で捩じ伏せて、目を血走らせながらも一夏は立った。

 不可能だと思っていたのに手厳しい挑発一つで起き上がってしまえるのだから、我ながらなんて単純な心と身体なんだろうと呆れてしまう。

 だが、まだやれる。

 まだ救えるだけの力が残っていた。

 ラウラを助けたい――その二人(・・)の叫びが『奇跡』と言う名の必然を呼び起こす。

 

『――――』

「これって、先生の……」

 

 少年を待っていたかのように、威圧的な存在感を放ちながら宙に浮かぶ黒い万年筆。

 ペン先にあたる部分から自動的にケーブルが伸び、ガントレット形態の白式に接続される。

 有無を言わさず強引に流し込まれるエネルギーは、シャルルのラファールから渡されたそれとは比べ物にならないほど暴力的で、もしISに心や魂があったなら、気に食わないけど仕方ないから力を貸してやる――とランスローの溜め息が聞こえて来るような荒々しさがあった。

 見えない手に背中を押してもらい、一夏は力強く一歩踏み締める。

 

「起きろ白式ィッ!!」

 

 ひたすらに求め望むは、少女の元へ飛ぶための白き翼。

 恐れは消えた。

 刀も必要ない。

 何故なら――

 

「カァッコいいーッ!! 惚れちゃいそうだぜぇ少年!!」

 

 自分の前には、何者にも勝る『最強』がいるのだから。

 黒刀の一閃を容易く避けた白衣の男が、懐から取り出した何かを紛い物のボディに蹴り埋める。

 

 

 それはロケットに銃把(グリップ)を付けたような――オモチャにしか見えない光線銃だった。

 

 

 ラウラの記憶を読み取り、そして何をしようとしているのか勘付いたのか――機械であるはずの醜い贋作は目に見えて狼狽え、変人を剥がそうと滅茶苦茶に黒雪片を振り回す。

 けれど――もう遅い。

 既に狩人は狙いを定め、三日月の笑みを浮かべている。

 

Hasta la vista(さっさと失せろ), baby」

 

 放たれた弾丸が光線銃を撃ち貫く。

 余興の産物として『剥ぎ取りくんZ』などとふざけた名前を付けられた玩具だが、しかしISに対して凶悪極まりない性能を誇る悪魔の武器である事に変わりはない。

 破壊された衝撃でエネルギーが暴走を始め、紛い物のボディを蝕み本来の力を発揮する。

 すなわち――ISを強制解除する『剥離剤(リムーバー)』としての力を。

 

『ギ――ゴッ……!?』

「少年んんんっ!!」

「はいっ!!」

 

 ゴポッ、と黒い粘体より吐き出されるラウラ。

 手放してなるものかと殺到する触手を変人が撃ち千切り、気を失っている少女を翼を得た一夏がしっかりと抱き締めて離脱する。

 中核を奪われスライムと化した模造品――これでもう遠慮は無用だ。

 すれ違い様に投げ渡された万年筆が主の手に戻り、大気を歪めるほどの重力場を作り出す。

 

「――暴飲暴食(いただきます)ってなぁ!!」

 

 頭上で交差させた、鎧を着込む悪魔の両腕。

 そこから放たれる力任せの平手打ち――左右より同時に『×』の字を描いて抉るように、しかも超重力の加護まで受けた一撃ならぬ二撃。

 刀はおろか手足すらも形にできない軟体物質に、防ぐ術などあるはずもなく。

 巨大な鉤爪さえ幻視できてしまうほどの衝撃を受け、黒い血肉を盛大に撒き散らされた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ……さて。

 この世の全ての獲物(しょくざい)に感謝を込めたまでは問題ないとして、胸騒ぎと言うべきか虫の知らせと言うべきか――そんな感じの電波を受信してゴチソウサマデシタができない私がいる訳で。

 少年少女らはまだ何も感じ取っていないらしく、ボーデヴィッヒのお嬢ちゃんを無事助け出せてえがったえがった一件落着と安心し切っている。

 私の単なる思い過ごしならそれはそれで全然構わないのだけども………………悪い予感ってのは往々にして当たっちまうもんなんだよなぁ。

 何気なく空を仰ぎ、そこに浮かぶ未来からのお客さんを見つけた時とか、特にそう思う。

 はっはっは、つまり今だよチクショウ。

 

「うーわ、何かいるし」

 

 ISを解除した私を不意打ちするでもなく、じっと無機質な視線を送る――おそらく無人機。

 遮断シールドなんぞやっぱり意味を成さず、拘束衣に鎖を巻き付けたようなスタイルの闖入者はゆっくりと高度を下げて私の前に降り立つ。

 アメジスト色のセンサーアイが誰を表しているのか……つまりはそういう事なんだろう。

 喜びから一転、絶望と驚愕の表情を浮かべる少年達。

 

「アイツって、この前先生が戦った奴と……」

「迂闊に動くなよ少年。篠ノ之の嬢ちゃん達もだ。何して来るか分からん」

 

 実際、あれが本当にデュノアの技術をトレースしているのだとしたら非常に厄介だ。挑む相手に合わせて自在に戦法を変える彼女の恐ろしさは、私が一番良く知っている。

 おまけに、その手に持っている代物がよろしくない。

 五角形を組み合わせた正多面体のISコア――そいつを一体どうするつもりなんですかねぇ?

 

『………………』

 

 握り締めたコアを、足元のレーゲンスライムの塊にぶち込む無人機。

 するとまあ、何という事でしょう。スライムがブルブル痙攣したかと思えば、アリーナステージ全体に散らばった破片が一気に集まって来るではありませんか。

 ぐじゅるどぷりと凄い音を立てて三度目の再誕を果たす元レーゲン。

 いやはや、魔人ブウ並みにしぶとくてらっしゃる。

 

「じょ……冗談でしょ?」

「だったら笑って済ませられるんだけどねー」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンとは似ても似つかない、全身を波打たせる女性型の二機目。

 当然のように右目は赤、左目は金のオッドアイで――まさかのボディ現地調達作戦にオジサンは脱帽するしかありませんよ?

 何にしても、あの二人の狙いは私以外にない。

 予想はしてたが凰に続いて二対一とは、あちらのレディ達もいよいよ本気になったって事か。

 

「下手に援護しようなんて考えるなよ少年。今のキミらじゃ役に立たん」

「だけど先生っ!」

「とにかく邪魔をするんじゃない! そこで大人しく見てろ!!」

 

 少年達に意識を割くのも難しい。

 あの二機はそこまで優しい相手ではない。

 やーれやれ、今回も腹ぁ括らないといけないかもなぁ。

 

「……もう誰も近付くな。ここから先は、私のケンカだ!!」




熱血一夏くんと焼け野原ひろしの共演でした。
次はいよいよ大人組の戦いですよ。

今回のリクエストは、

 ARCHEさんより、

・「『自分の握る剣に怯えぬ者に剣を握る資格はない』――俺はそう教わった」(BLEACH:檜佐木)

 WRYさんより、

・「ハハハッ! 見てたよ、ルーキー」(ACV:主任)

 賽銭刃庫さんより、

・「パァウァァァァァァァァァァー」(ボディーソープの妖精)

 ヘタレな名無しさんより、

・「あぁそうなの、で?それが何か問題?」(ACV:主任)

 ネギ・グラハムさんより、

・「できるできないじゃない! やるかやらないかだ!!」(テイルズシリーズ)

 七日八月さんより、

・「意地があんだろ!? 男の子にはっ!!」
・「意地があんだよ……! 男の子にはなァッ!!」(スクライド)

 昆布さん、ROMEdgeさんより、

・「カァッコいいーッ!! 惚れちゃいそうだぜ○○!!」(とある~:木原数多)

 namcoさんより、

・「さっさと失せろ。ベイビー」(ターミネーター2)

 特亜消尽さんより、

・「ここから先は、俺のケンカだ!」(ストライク・ザ・ブラッド)

 でした。
 まだまだ二巻が終わりません(汗)





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

030. Dark Hero Show ― 真打 ―

ほぼ一か月ぶりの更新。
お待たせしてしまってスミマセンでした。
だってマイクラ面白んだもん。


 拘束衣に似た軽装甲に鎖を巻き付けた紫眼の異形。

 女性型の黒いボディに波紋を描く、元はレーゲンだったオッドアイの流動体。

 

 相手にとって不足がないどころか明らかに過剰戦力だから是非とも未来にクーリングオフしたい私なのだけれども、そもそも送り返すと言うか帰る方法があるなら自分で使うわ阿呆となる訳で。

 何つーか、例えるアレよな。本妻と愛人がご対面、からの二人揃っての修羅場ラバー。

 どっちが本妻役で愛人役なのかは明言を避けるとして、装備が装備なだけに何番煎じですかーと笑い飛ばすにゃ物騒過ぎて苦笑いしか浮かばない。

 確かに昔っから姉妹みたいに仲が良くて息もぴったりだけどさー、こんな時まで二人一緒に来る必要ないんじゃねーの? まさか3《ピー》がお望みなのか? それ前にやったやんけ。

 

「……色気もへったくれもない複数プレイだなぁ」

『この非常時に何を言っているんだお前は』

「モテる男は辛いって事でして。ドイツのお客さんの機嫌はどうでした?」

『知らぬ存ぜぬの一点張りだ。やれ軍部の独断だの政府側の強行だのと責任を押し付け合うだけで話にならん。面倒だから山田先生に任せた』

「そりゃあ山田先生も気の毒に。ちょっとくらい労ってあげないと反抗期突入しちゃうんじゃないですかねぇ。何なら私が一肌脱いで一晩中慰めてあげても――」

『――去勢スルゾ?』

「わーお」

 

 馬鹿話に興じている間も、二機はじっと動かず様子見を続ける。

 デュノアにしてもボーデヴィッヒにしても突撃一辺倒の単細胞ではない。技術と思考パターンをトレースしたあれらもその辺りの用心深さをしっかり踏襲しているらしい。

 ますますもって、やりづらい。

 装備も機能も向こうは未知数、しかしこっちはほぼ素っ裸――こちらだけカードを晒して相手の役が揃うのを待っているようなもんだ。

 

『今度は二機同時か。増援は必要か?』

「織斑先生か、最低でも山田先生クラスの援軍なら有り難いですが、他の先生方じゃ奴さんらには敵わんでしょうよ。おまけに奥の鎖付き、おそらく相手のISの機能を奪えます」

 

 まだ『~かも知れない』の域を出ない推測ではあるものの、レーゲンの二度目の暴走と変貌から考えてまず間違いないだろう。何より、先ほどからコアネットワークを通してランスローのコアに干渉しようと頑張っている者がいる。拒絶され続けるその正体があの鎖付きなら全て納得がいく。

 

『……にわかには信じられん情報だな。遠隔操作や無人機ですら各国が躍起になって研究している段階だぞ? まさかハッキング能力まで備えているとは……』

「下手な応援は新しい敵を増やすだけ、と考えた方が良いですね」

 

 私の後ろには戦えない少年少女が四人。

 若い己自身を躊躇いなく狙うのは凰――纏虎との戦闘で既に確認済み。

 デュノアはともかくとして、軍人の鑑のような合理性と冷徹さを併せ持つボーデヴィッヒが一番効果的な『人質』をみすみす見逃すはずもない。

 全くどいつもこいつも、何故私が少年達を助ける事前提に行動を起こすのか。

 過去の自分に取り返しのつかない傷を刻み込む可能性――もしかしたら、自身の存在が消失する恐れさえある危うい綱渡りだと言うのに。

 

「何にせよ、現状この場でまともに動けるのは私だけ。ま、一人でどうにかしなきゃならないのはいつもの事なんで慣れちゃあいますが」

『こちらでも打開策を考える。少しだけ時間を稼いでくれ』

「ふむ、なら私はこう答えましょう。別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう――ってね」

『…………済まない。弟達を頼む』

 

 そう託されたのを最後に、姉さんとの会話が切れる。

 代わりに秘匿回線で届いたのは、聞き覚えのある機械音声。

 

『ターゲット確認。識別名:黒灰の反逆者(ガンメタル・トレイター)、搭乗者:織斑一夏。メッセージを再生します』

 

 わざわざ伝言を残す彼女達も。

 それを少なからず楽しみにしている私も。

 覚悟を決めたと意固地になって嘯いているくせに――未練がましいったらありゃしない。

 

『よう、お元気?』

『……変わらんなお前は。いや、昔に比べたら大分変わってしまったが――ともあれ息災のようで何よりだ。不甲斐なく野垂れ死んでいたら地獄まで連れ戻しに行こうと考えていたところだ』

『篠ノ之博士の仮説も半信半疑だったけど、これを聞いてくれているって事は僕達は最初の賭けに勝ったって事だよね。こんな形でもまた会えて嬉しいよ……一夏』

 

 シャルロット・デュノア。

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 懐かしい……ってのも変な話か。私の後ろにもいるし。

 凰の話では私を殺してしまったと思い込み自殺未遂まで起こしたらしいが、しかし当事者であるデュノアの声から動揺や極度の緊張は感じられない。

 不自然と思えるほどに平淡な、仮面を被った口調。

 私が歪んでしまい――未だ諦め悪く戻らずにいると言うのなら、デュノアの方こそ二十年前から相変わらずだ。自分の心を奥底に閉じ込め、仮面を被って取り繕う事に慣れてしまっている。

 何ともはや、いっそ凰のように感情に任せて怒鳴り散らしてくれれば私も少しは気が楽になるのだけども、こうも気丈な態度で接されると罪悪感ばかりが募る。

 

『もっと他に……私に言いたい事があるんじゃないのか?』

『ないはずがない。だが単なる記録に過ぎないこの応酬に、一体どれほどの価値がある?』

『生きてて良かったって言いたい。どうして僕達を頼ってくれなかったのか聞きたい。けどそれはもう一度、本当に会えた時のために残しておくよ』

 

 そりゃまた、盛大な恨み言をプレゼントされそうな予感しかしない。

 

『嫁よ、私とてお前の気持ちを理解してはいるつもりだ。しかしあの事故(・・・・)が原因でこの世の全てを憎むに至ったのだとしても、二十年前、否定し拒絶するだけでは何も生まれないと私を諭したのは他ならんお前ではないか。かつての私と同じ過ちを、何故お前が再び犯そうとする?』

『一夏、今ならまだ間に合う。僕達も今度こそ力を貸すから……他にも方法はあるはずだよ?』

 

 目を閉じれば、あの光景が容易にフラッシュバックする。

 飛び散る破片、必死に伸ばす華奢な手――私を呼ぶ悲鳴に近い声と、絶望に染まった瞳。

 何があっても消えない、消したくない記憶。

 

『人が一番怖いのは自分の死じゃない。目の前で誰かを失い、それを忘れてしまう事が怖いんだ。失わずに済む可能性がわずかにでもあるのなら、たとえ虚構だろうとそれに縋るさ』

『そのために、全てを捨てて外道を選ぶのか?』

『……選ぶんじゃねぇ、もう選んだんだよ』

 

 知らず知らず、私も感情が昂ぶっていたらしい。

 あの子の顔を思い出す度に自分を見失いそうになる。

 息を深く吐くに合わせて、茹だった思考が冷え固まっていく。

 冷徹に、残酷に、彼女達の想いが宿った二体の無機物を『敵』と認識する。

 

『一夏。幸せだった世界を取り戻す――僕達はそのためだけにここにいる』

『命さえ捨てようとするお前を、救うためにここにいる』

『『――心の底から愛してる。だから一切の容赦はしない!!』』

 

 標的の行動開始を示す警告音と共に、待機状態のランスローが一定の間隔を空けて激しく振動を繰り返す。モールス信号のようなそのパターンが意味するのは――

 

『抱擁をくれてやれ! 雷雨の処女(ゲヴィッター・ユングフラウ)!!』

『虜にして! 暴風の傀儡姫(ミストラル・マリオネット)!!』

 

 ボーデヴィッヒとデュノアが利口なお人形さんに命令を下した直後。

 完全に無防備だった足元――左右の地面を勢い良く食い破り、表面に無数の釘を生やした葉状のトラップが私を包み込んだ。

 ぐしゃり。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 意識を取り戻したラウラの目に映ったのは、表面が不気味に波打つ巨大な黒色の卵だった。

 

 鉄の処女(アイアン・メイデン)

 

 言わずと知れた中世ヨーロッパ時代の拷問道具、あるいは小バエを捕らえたばかりの食虫植物(ハエトリグサ)が何故か脳裏を過ぎり――卵の繋ぎ目からはみ出した白衣の裾を見付け、そのイメージが間違いではなかったのだと思い知らされる。

 

「ラウラ、気が付いたか?」

「……ああ。だが、身体が言う事を聞かない……」

 

 自分を守るように寄り添い、抱き支えてくれている少年――織斑一夏。その傍らには篠ノ之箒とシャルル・デュノアの姿もある。

 心配そうにこちらを覗き込む三人に対して小さな喜びと安らぎを覚えながらも、ラウラは感謝の言葉を述べるよりも疑問を口にする事を優先した。

 

「この状況は一体……何がどうなっている?」

「私達も良く飲み込めてはいないんだ。一夏と先生が協力してお前を助けた後、アリーナの外から何者かが現れて……お前の機体だったモノが無人のまま三度動き出した」

 

 嬉しそうに頬張る食虫卵の向こう、直立不動の二体の敵。

 クラス対抗戦、一夏と凰鈴音の試合の最中に襲来した半人半獣IS。出国前に映像で見たそれに勝るとも劣らない異形達が目の前に並んでいる。

 外見上は兵装の類を備えていないようだが、あれらがISである以上、両手に何も持っていないからと言って『丸腰』と考えるのは愚の骨頂だ。

 

「なあシャルル、ラウラのISが変身した奴――両足が埋まってないか?」

「推測だけど……地面の下を掘り進んで先生の所まで伸ばしているんだと思う。今は女の人の姿に落ち着いているだけで、本当は決まった形なんてないみたいだし」

「そんな無茶苦茶なIS、見た事も聞いた事もないな」

「そもそも無人機って時点で世界中が驚いてるはずだよ?」

「俺、その世界が驚くような奴と戦ったの今日で二回目なんだけど……」

 

 エンカウント率高くない? と嘆く少年はさておき。

 ようやく『先生』――あの男が話題に上がったと言うのに、一夏もシャルルも箒も、黒卵の中で苦しんでいるであろう彼の身を案じている風には見えない。

 絶対防御があるが故の余裕か。

 それとも単に、あの男とは『他人』の域を超えない関係でしかなかったのか。

 

「た、助けなくて良いのか!?」

「先生に『邪魔するな』って言われるからなぁ。下手に動いたら後で何されるか……」

「どの道、エネルギーが尽きてしまった私達じゃ猫の手よりも役には立たん。生身でISと対等に渡り合うなど、それこそ千冬さんか先生でもなければ不可能だ」

「大丈夫だよラウラ。先生なら何とかしてくれる」

「……その根拠は?」

 

 そう尋ねると一夏と箒、転入して日の浅いシャルルまで一様に苦笑して、

 

「「「――だって先生だから」」」

 

 その信頼に応えるように――

 

 

 

『WRYYYYYYYYYY――ッ!!!』

 

 

 

 反響する狂声。

 繋ぎ目から蒸気の如く溢れる幻想的な色合いの火焔。

 元々人間を簡単に飲み込めるほどの大きさだった卵が、さらに一瞬で数倍にも膨張し、ついには内側からの炎圧に耐え切れなくなって破裂する。

 さながら不死鳥の孵化を思わせる光景――アリーナを守るシールドどころか天を突かんばかりの勢いで昇る光の柱が、神々しい以上に禍々しくさえある当人の力を如実に表していた。

 

「な? 言った通りだろ?」

「…………」

 

 あの男が本気で(・・・)戦った記録は、公式非公式を含めてたったの二度しかない。

 一度目はラウラが敬愛して止まない織斑千冬との模擬試合。彼の危険度を計るために仕組まれた一戦においては、実力が伯仲しながらも互いの武器が破損する結果で幕を下ろした。

 二度目は先にも述べたクラス対抗戦での無人機との戦闘。この戦いでISが破損し、彼は初めて手傷らしい手傷を負ったが、それでも正体不明の襲撃者を下した功績は大きい。

 

「あ゙ー…………べっくらこいた」

 

 極東の戦乙女と対を成す、名実共に世界最強の一角。

 一夏に抱いたような敵愾心さえ湧き上がらない。

 あまりにも立っている世界が――次元が違い過ぎる。

 

「……虎の、首?」

「前に先生が斬り落とした無人機のだな」

 

 シャルルと箒が言うように、黒灰の魔人の姿には明らかな変化があった。

 右に比べて二回りほど肥大化した左肩部装甲。

 半獣IS戦を経て新たに追加改修された武装なのだろう――凄まじい貌で牙を剥く黒虎の双頭が陣取っている。タイガーパターンを模した溝孔より毛皮状に織り上げられた高密度のエネルギーが放出され、腰布と融け合ったそれは下半身のみならず、首元と左腕部全体をも柔らかく包み込む。

 たった一人で獣を討ち取り、その皮を褒美として賜った狂騎士。

 

「さて……次はどう愛してくれるんだ?」

 

 漆黒の突撃槍を地に突き立てて、兜の奥で不敵に嗤う。

 対し、これからが本番だと言わんばかりに相手側も動き始める。

 紫眼の拘束機体が指揮するかのように腕を振るい、それに合わせてドーム型に形状を変化させた流動体が相方を覆い隠す。一見すると完全な防御態勢に思えるが、ドーム表面に生えた射撃兵装がその予測を容易く撃ち砕く。

 シュヴァルツェア・レーゲンの倍近い口径のカノン砲――それが少なくとも十門以上。

 

「あんなのに撃たれたら蜂の巣どころか骨も残らないぞ……」

「じ、じっとしてた方が良いんですよね先生!?」

「分かっているなら言わなくていい。死にたくなかったらそこから一歩も動くなよ?」

 

 一斉に火を噴く実弾砲。

 音を裂いて殺到する弾丸を、黒灰の魔人は――

 

 

 

「刺激的な投げキッスだなぁオイ!!」

 

 

 

 エネルギーが過充填された右足で地面を踏み付け、灼熱の障壁を生み出す事で全て溶解させる。

 音速超えの金属塊を着弾する前に跡形もなく蒸発させるなど……あの光の毛皮は一体どれほどの熱量を有していると言うのか。

 攻撃する側が非常識なら、防御する側もまた非常識。

 拘束機体の踊るような指揮の下、次なる一手も十二分に常軌を逸したものだった。

 

「ウニ!?」

「どっちかってーとイソギンチャクだろ!!」

 

 射出されるはワイヤーで繋がった無数の棘槍。空中を走り地面を滑る動きは飢えた大蛇の群れを連想させ、その本数と速度は当然ながらレーゲンのワイヤーブレードより格段に多く、速い。

 合間を縫って本体達を狙おうにも、ドーム状の流動壁は健在で薄くなった様子もない。

 複雑な軌道を描いて降り注ぐ槍雨の中、黒の魔人は最小限の動きで躱し続け、背後のラウラ達に当たってしまいそうなものだけをアロンダイトと腕で弾いていく。

 

「む、無茶苦茶だ……」

 

 手数では圧倒的不利な状況を力業で強引に捌く――無茶苦茶以外の何と形容すればいいのか。

 一方、銃火の演奏に切り替えた敵も容赦がない。

 レールカノンに始まりアサルトライフル、ガトリング砲、ショットガン、クロスボウ――弾種も徹甲弾に炸裂弾、焼夷弾からフレシェット弾に至るまで多種多様。

 軍人であるラウラの目から見ても異常な、兵器の見本市のような応酬が繰り広げられている。

 

「……分かり切っちゃいたがキリがねぇな。やっぱ元を断たねぇと――」

 

 撃ち尽くした銃身が一度沈み込み、別の兵器に再形成されるまでの一瞬の空白。

 その隙を見逃さず、騎士は強く地を踏み締める。

 右手に握り振り被る突撃槍――超重力の他に魔獣のエネルギーまで加わった投擲姿勢。

 

「荒れるぜぇ? 止めてみなァッ!!」

『――――……!!』

 

 全力で放たれる魔槍。

 拘束機体が両腕を振って地中から生み出すのは、槍の射線上にずらりと並べた流動多層障壁。

 アロンダイトは耳障りな金属音を奏でて一枚目に着弾すると、まるで障子紙でも突き通すように易々と穿ち貫き、そのまま二枚目、三枚目、四枚目と次々に突破していく。量が量なだけに多少は威力が減退させられたが、それでも破った壁の数は二桁に達し――ついに全ての障壁を貫けた。

 届く。

 これが届けばあるいは――

 

『――ッ、――!!』

 

 ドームより伸びた幾本ものワイヤーが槍に絡み付く。

 それらを灼熱で焼き、引き千切り続けた果てに完全に勢いを殺されたアロンダイトは、惜しくも敵本体を目前に投げ捨てられてしまう。

 しかし、無力化される事もあの男の計算の内。

 戦術構築と武装選択の役目を担っているらしい拘束機体、あるいは流動体が、捨てられて無用の長物と化したアロンダイトを注視していたなら、柄が――いや、中身(・・)がない事に気付いただろう。

 

「お返しだよ。お返しだよ! お返しだよ馬鹿野郎め!! ちったぁ手前を大事にしやがれ!!」

 

 刺突は囮。本命は一閃。

 たった一歩で間合いを詰めた魔人が、愛刀を振り抜かんと腰溜めに構える。

 しかし――往々にして逆転劇とは二転三転するもの。この寸劇も例外ではない。

 刃がドームに届く寸前、半端な抜刀の体勢のまま騎士は中空に固定される。

 

「はんっ――AICか。そりゃ使えねぇ訳がねぇよなぁ!!」

 

 怒号と共に半球状に陥没する地面。

 重力操作能力による圧し潰しを試みたようだが――けれど二体の敵は屈する様子を見せない。

 

「チッ、やっぱり効果なしか……」

 

 ずるりと不快な音を立ててドーム表面に顕現する女型の上半身。数えるのも馬鹿らしくなる量の刀剣類を従えながらわざわざ姿を見せたのは、確固たる勝利宣言を突き付けるためか。

 一度AICに捕らえられたら脱け出すのはほぼ不可能。撤退すら選べない孤立無援――ましてや二対一の戦闘で身動きを封じられた場合の未来などただ一つ。

 それを裏付けるように披露される紫眼とオッドアイのコンビネーションは――

 

「あれは……『盾殺し(シールド・ピアース)』!?」

 

 拘束機体の左腕に泥のように滞留し形作られる、リボルバーと杭が融合したパイルバンカー。

 シャルルの専用機――ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡに備わった《灰色の鱗殻(グレー・スケール)》をさらに数倍凶悪したデザインの杭打機が、流動体に抱き締められた狂騎士にぴたりと狙いを定める。

 連射どころか、一発でも食らったらその時点で敗北が決定してしまう窮地の中で、

 

「クハッ……」

 

 黒灰の騎士は、確かに笑った。

 まるで、この瞬間を待ち望んでいたとでも言うように。

 

「少年、お嬢さん方、良い機会だからよく覚えておきな。相手が勝ち誇ったとき、そいつはすでに敗北しているもんさ」

 

 杭が撃ち込まれる瞬間――荒れ狂うエネルギーの奔流が地面の下より噴き上がり、油断していた拘束機体と流動体を飲み込んだ。

 見落としていた。

 尾の如く伸びた毛皮の一部が大地を侵食するのを、勝利に惑わされて見落としていた。

 足元からの奇襲に想定以上のダメージを受けた無人機達は、なす術もなく落ちてゆく。

 

「ハッハァッ!! またまたやらせて頂きましたァん!!」

 

 眼下で待ち受けるのは右に握る凶刃と、電光纏う左の貫き手。

 そして――三機が交わった次の瞬間には既に決着がついていた。

 拘束機体は刺し貫かれてアリーナの防壁に縫い付けられ、胸部の大半を抉られた流動体は魔人の腕の中でびくりびくりと痙攣を繰り返す。コアを破壊された両機にもはや戦闘を続けるだけの力は残ってはおらず、やがて動きが止まり、あるいは雪解けの如く崩れ落ち――

 

「悪いな。それでも私は、道を進む事を選ぶよ」

 

 二つの亡骸を一瞥し、騎士が言葉を手向けたのを最後に。

 後にはシン――と静寂だけが残った。

 

「…………ラウラ。あれが、俺がいつか超えたいと思っている(ひと)の背中だ」

 

 ぞんざいに納刀して槍を担ぎ直す姿は邪悪そのもので。

 それ故に、ラウラ・ボーデヴィッヒの幼心に甘美な毒のように染み渡るのだった。




さてさてタッグマッチの何やかんやもこれにて終了。
けれどもアダルトサマーにはまだ仕事が残っております。
つまり原作二巻はもうちっとだけ続くんじゃ、ってコトで。

今回のリクエストは、

 マーサーさん、真っ赤な弓兵さんより、

・「別に、アレを倒してしまっても構わんだろう?」(Fate:アーチャー)

 ケツアゴさんより、

・「人が一番怖いのは自分の死じゃない」(マテリアル・パズル;ライト)

 ARCHEさんより、

・「選ぶんじゃねぇ、もう選んだんだよ」

 KZFMさん、i-pod男さんより、

・「WRYYYYYYYYYY――ッ!!!」(ジョジョシリーズ:DIO)

 sinyaさんより、

・「分かっているなら言わなくていい」(境界線上のホライゾン:ノリキ)

 サルベージさんより、

・「荒れるぜぇ? 止めてみなァッ!!」(キョウリュウレッド)

 ポポカリプスさんより、

・「お返しだよ。お返しだよ! お返しだよ馬鹿野郎め!!」(BACCANO!:ラッド・ルッソ)

 久遠♪さんより、

・「相手が勝ち誇ったとき、そいつはすでに敗北している」(ジョジョシリーズ)

 i-pod男さんより、

・「またまたやらせて頂きましたァん!!」(ジョセフ・ジョースター)

 でした。

 次からは以前と同じ更新速度に……戻ったらいいなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

031. フライングなすび

織斑姉弟、精神的に疲れるの巻。

ドイツに乗り込むまでが長い……(汗


 カポーン……と響いた音は誰も桶に触れていないので幻聴である。ここが大浴場だと言う事さえ理解していただければそれで良い。

 陽も完全に落ちて、夜。

 手早く夕飯を食べ終えて質問攻めから逃れた黒髪の少年と金髪の少女が、だだっ広い湯船の中で顔どころか全身を真っ赤に染め上げている。特に少女に至ってはフランス人自慢の白い地肌に朱が混じっているため、さらに艶かしく『薄桃色』と表現した方が的確かも知れない。

 

「い、良いお湯だね……」

「ああ、そ、そうだな……」

 

 会話さえも何処かふらついていて危なっかしい。

 わざわざ敢えて言葉にする必要もないほどに明白な事だが、彼と彼女の色彩異常は湯の熱による単純なものではなく、互いの背中に直接伝わる生々しい体温と肉感が原因だった。

 女体特有の柔らかさに少年の心臓が破裂しそうなビートを刻み、少女も少女で硬い筋肉の感触に興奮を隠し切れず、思考だけがぽぽぽぽーんと体操競技の如く飛んだり跳ねたりの七転八倒。

 二人の周囲だけ湯の代わりに砂糖と蜂蜜をぶちまけたような甘ったるい空気が漂い、かと言って背中を離す事もできずドロドロと深みに嵌まっていく。

 どちらもまだ学生、男女七歳にして席を同じゅうせず――と故事成句にもあるが、そんなものは建前に過ぎないと言わんばかりに、生まれたままの姿の二人の心は急接近の一途を辿る。

 

「一夏や先生を見て決めたんだ。これからは自分に正直に生きてみようって。愛人の子どもだとかそんな関係ない、僕だけの、ほんのちょっとだけワガママな人生を歩んでみようって、ね」

「シャルル……」

「その名前も、女だって疑われないようにするための偽名なんだ。僕がお母さんに付けてもらった本当の名前は……」

 

 そこで一旦言葉を区切った少女は少年の耳元にそっと紅唇を寄せると、まるでふしだらな秘密を共有させるかのように、

 

「――シャルロット」

 

 ぞくり――と肌が粟立つほど色気のある声で囁いた。

 はてさて、分かってやっているのか天然小悪魔なのか。

 無自覚に告白された事は多々あれど、こうもあからさまに攻め寄られた事などない若干十五歳の少年にとってその魔声はどうにも抗い難く――例えるなら骨まで溶かしてしまう猛毒に等しい。

 

「ねえ一夏……僕の名前を呼んで?」

「……シャ、シャルロット」

「もう一度、お願い」

「シャルロット」

「…………はい」

 

 いやはや、場の雰囲気とは恐ろしい。

 あの朴念仁を体現した織斑一夏でさえ、少女の無垢な微笑みを受けこの有様なのだから。

 本能に導かれるまま肩に乗せられた華奢な手を取り、指を絡ませ合い、張りのある双丘と突起を押し付けて瞳を潤ませる彼女の唇へと、引き寄せ、られ――

 

「はいそこまでー。そーゆーのは部屋に戻ってからにしようなー?」

「どわっはあああああああっ!?」

「ふきゃあああああああっ!?」

 

 はーっはっはっは。

 何っつーかデジャヴな光景だ。今回は少年が絶好調だけど。

 実は氷風呂でした、みたいな感じで飛び上がる爛れた思考の若者二名。女とバレないよう咄嗟にデュノアを背後に隠した少年には及第点をあげたい。

 

「せ、先生何時から!? と言うかみ、見てっ!?」

「言っとくが先客は私だぞ? いくらデカい風呂に入れるのが嬉しいからって周りが見えなくなるくらいはしゃぐんじゃねーっての。てかお嬢さんも入ってくる時に気付きなよ」

「あわ、はわわわわっ!?」

 

 さっきまでの大胆さは何処へやら、デュノアは少年の陰で小さく小さく縮こまってしまう。

 

「私としちゃ止めなくても良かったんだけどね? 少子化対策っての? でも流石に良いムードでおっ始めたのに『初めて』が私とかに見られながらってのは可哀想だと思ってさぁ。それに男子の使用時間だからって誰か来ないとも限らんだろ?」

「山田先生は『一番風呂ですよー』って言ってたのに……」

「そりゃこっそり入ったからねぇ。仮にも女子寮の共同風呂だし」

 

 手拭いを頭にビバノンノンな私の言葉なんぞ聞こえちゃいない。

 人間はここまで赤くなれるのかと心配になるくらい真っ赤も真っ赤。二人の前世は郵便ポストかトマトかハゲウアカリで間違いないのではなかろうか。

 

「とっ、とにかく誤解、誤解なんですって!」

「五回もするつもりか。デビュー戦にしてはハードだな。湯を汚すなよ?」

「違う違う違う違う! 絶対分かってて言ってるでしょ!?」

「それ以外の何だっつーの」

 

 命の洗濯もそれなりに満喫したので湯船から出る。

 古傷や手術痕だらけの私の身体に二人が息を飲むが、深い関係にあった女の子と昔の自分自身に見られたところで別に何とも思わん。てかデュノアちゃん、『わっ、わっ、わっ!?』と顔隠して指の隙間から覗くくらいなら堂々と観察して良いのよ? オジサンちっとも恥ずかしくないから。

 

「……やっぱり、俺なんかとじゃ全然鍛え方が違う筋肉(カラダ)してるんですね」

「必要なトコに必要な分がついてるだけさ。死に物狂いで生きてりゃお前さんもこうなる」

 

 ま、そんな未来にならない方が幸せに決まっているのだが。

 気付いたらこんなガタイになっちまってるような世界なんざロクなもんじゃない。

 

「……ところでお嬢さん、そろそろ少年から離れてあげなさい」

「えっ……ダメ、ですか?」

「ダメですかって……キミも良い感じに汚れてきたねぇ」

 

 私はとある一点を指差し、至極残念そうなレディに簡潔に事実だけ教えてやった。

 

「少年の雪片が零落白夜」

「ぬわああああああああっ!?」

 

 湯船から飛び出して冷水シャワーを浴び始める少年だが――まだまだ経験が足りないなぁ。

 マイサンがスタンダップした程度で取り乱してたらこの先大変だぞ色々と。朝方に目が覚めたら鍵掛けたはずなのに隣に誰か(確実に女)が寝ていたりとか、上目遣いの『お願い』に根負けして明らかに夜型ハッスル系のおクスリが入った酒を飲まされたりとか。

 

『何してるの一夏、風邪引いちゃうよ!?』

『止めないでくれシャルロットー! 当たってる、当たっちゃってるから!!』

 

 脱衣所と風呂場を隔てる曇りガラスの向こうで肌色の人影がくんずほぐれつ。

 わーかいっていーいねぇ。オッチャンにゃあとても真似できねぇよ初心者向け過ぎて。

 

「ああ少年、私これからドイツに出張だけど土産はソーセージで良いよな? 小さめの」

『アンタ何処まで俺を追い詰めれば気が済むんだ!? と言うかいきなりドイツ!?』

「ベルリン行ってくるぅー♪」

『そんなコンビニ行くみたいな気軽さで!?』

「失礼、噛みました」

『噛みましたで済むレベル!?』

「ファミマ見た?」

『この辺ねーよ!!』

(ファミチキください)

『こいつ直接脳内に……!』

 

 ほとんど条件反射で返してくれる。これだから少年をからかうのは止められない。

 願わくばこれを励みに、私など足元にも及ばない強かな傑物になってもらいたいものだ。

 

「零落白夜、冷却中……クククッ」

『うっがああああああっ!!』

『一夏ーっ!?』

 

 いやもう止めらんねぇわホント。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「さてボーデヴィッヒのお嬢さん。準備が終わるまでここにぶら下がっててねー」

「その前に……この状況と格好について説明を」

「今から二人でドイツに日帰り旅行。それ防護服の代わり。OK?」

「なるほど分からん」

「まあそう言うなよ。ほれ、アメちゃんあげるー。何味がお好き?」

「……イチゴミルク」

 

 仲良くチュッパ○ャップスをもごもごするラウラと変人を眺めながら、千冬は思う。

 この男の本質は一体どちらなのだろう、と。

 

 息をするが如く騒動を呼び込むエネルギッシュな変態トラブルメーカー。

 世界中から自然災害並みに問題視される危険分子(アンタッチャブル)

 

 しかし、固定観念を砕かれたセシリアと着ぐるみ仲間の布仏本音は言うに及ばず、一夏を一途に想い続ける箒や鈴、図らずも同室になった真耶、接する機会が多い一組の生徒達など、恋愛感情の有無に関わらず彼を『先生』と呼び父兄のように慕う者は多い。

 無自覚ブラコン一級の千冬の目から見ても精悍な顔立ちで評価は高い方だし、ふと何かの拍子に浮かべる『年上の男』の表情と遠回しだが温かな優しさ、そして他を寄せ付けない類稀なる強さは女心をくすぐって弄ぶのが非常に上手い。不覚にも守ってもらいたくなるその厄介な毒性は千冬が誰よりも一番、小娘共なんぞ敵じゃないと自負するほどによぉーく理解しているつもりだ。

 だからこそ、千冬の中で小さな小さな嫉妬心が渦を巻く。

 軍時代の教え子に何を馬鹿なと自嘲するも、一度自覚してしまうとどうにも治まらない。

 

「……教官(ひょうはん)? (わらひ)(はお)(はひ)か……?」

「何でもない。気にするな」

 

 アメをもらってご満悦なラウラも、遠からず自分と同じ感情を抱くのだろうか。

 精神的に年頃の少女らしく育っている事を嬉しく思う反面、夫の関心を娘に独占されてしまった妻のようなモヤモヤと寂しさが――

 

「って誰と誰が夫婦だ!!」

「ふぐぁっ!?」

 

 照れ隠しに、ワケのワカラン機械を弄っていた馬鹿の頭をブレードの峰でぶん殴る。

 突然の奇行に驚くラウラの視線が痛い。

 

「何なんですかいきなり……」

「あ、いや……ほ、本当にラウラにアレを着せる必要があるのか聞きたかっただけだ!!」

「そんな理由で殴られたの私?」

「そうだ悪いか!? 文句があるのならもう一発見舞うぞ!?」

「ジャイアンもビックリな理不尽さッスな」

 

 強引過ぎる誤魔化し方だが、質問自体は衝動的に口から出た嘘ではない。

 彼が『防護服代わり』と言った代用になりそうもないその衣装――『代わりになるかっ!!』ともうはっきりツッコむべきそれは、例によって例の如く着ぐるみだった。

 ナスである。

 もう一度言う。

 植物界・被子植物門・双子葉植物綱ナス目ナス科ナス属。浅漬けや天ぷらや煮浸しや麻婆茄子でお馴染みの、百人中百人が満場一致で断言するであろう――ナスだった。

 

「……どうもナスです」

「改めて言わんでも良い」

 

 携帯のストラップ程度の大きさなら可愛らしいが、少女を飲み込んだ状態で木に吊り下げられた光景はユニークの一言では片付けられない。

 顔しか出ていないラウラも不快ではなさそうで、ぶーらぶらと左右に揺れて暇潰し続行中。

 加えて恐ろしい事に、ナスはもう一つ存在した。

 

「っかしいなぁ、部品がかなり余っちまった」

 

 かなり不安になるセリフを吐いて頭を掻く変人の横。

 ラウラ入りナスストラップに比べると材料の関係で随分機械的だが、それでもやはりナスにしか見えないシルエットの物体が芝生の上に鎮座している。こちらはさらに輪を掛けて大きく、全長は優に二メートル以上ありそうだ。

 こんな馬鹿げた物を寮の裏手で、しかも地下区画から材料を失敬してプラモデル感覚でこっそり作っていたと言うのだから、呆れ果てて怒る気にもなれない。

 

「……何故ナスなんだ?」

「ニンジン型ロケットじゃ丸被りですから」

 

 聞き間違いであって欲しい単語が出た。

 

「ロケット、だと?」

「スクラムジェットエンジンってヤツですよ。超音速燃焼を行うラムジェットエンジン」

「………………」

 

 絶句する千冬に構わず、変人はマイペースに説明を始める。

 

「ジェットエンジンは吸入した空気を圧縮して燃料を燃焼させる事により爆発的な推力を得るのが基本なんですけども、ラムジェットエンジンはインレット部において高速航行に伴うラム圧により十分な空気の吸入・圧縮を行なう事ができる訳です。従って――ラムジェットエンジンの動作域は超音速などの高速領域に限られ、マッハ3から5の間が最も効率が良いとされています」

「ちょっと待て、もう少し噛み砕いて分かりやすく――」

「マッハ5を超えてしまうと吸入した空気を亜音速に減速させる事が困難になり、エンジン内部で減速と圧縮を行っても空気流は超音速を保ったままになります。そこでインテイクから吸入された大気を燃焼機に直接導く事で超音速燃焼を行い、燃焼ガスが超音速でノズルから噴射されるようにしたのをスクラムジェットエンジンと呼びます。このように、吸入から排気までのエンジン全域に渡って作動流体が音速以下に減速されないため、広いマッハ数域で高いエンジン性能が維持される結果に繋がり、マッハ5程度から理論値上限であるマッハ15まで、スクラムジェットエンジンは広い速度域での利用が期待されています」

「……ラウラ、お前は何を言っているか分かったか?」

「とにかくすごいエンジンだという事しか……」

「ですが――」

「「まだ続く!?」」

「スクラムジェットエンジンは超音速の気流内で燃焼させなければならないため、エンジン内部で燃焼が完了しなかったり、通常の燃焼とは違う意図していない化学反応が起こったりなど、実現が極めて困難でした。研究には高温衝撃風洞が一般に使われますが、この装置で得られる試験時間はほんの数十ミリ秒。数十秒オーダーの燃焼実験が可能な真空槽を用いた極超音速風洞は、大規模な施設のため実験コストだけでも非常にお高くなってしまいます」

「…………………」

「…………………」

「また、燃料に関しては燃焼速度の速さが要求されるので水素を用いる事が多いですが、その他の利点として、ケロシンなどの炭化水素系燃料は高温になると粘性が変化して供給が難しくなるのに対し、液体水素はエンジンの冷却も可能である事が挙げられます。反応速度を速めるため点火機も特殊なプラズマトーチが研究されています――byウィ○ペディア!!」

「無駄に詳しいと思ったらただ丸読みしてただけだったのか!?」

 

 道理で説明の最中に携帯を見ていた訳だ。

 それに気付かず最後まで拝聴してしまった自分が情けない。

 

「むぐぎぎぎ……私の時間を返せー!!」

「なーっはっはっはっは」

 

 胸倉を掴んで揺さ振るが、変人は堪えた様子もなくヘラヘラと笑う。

 何時だってこうだ。

 人を食ったような態度で自身すらも俯瞰し、悩んでいる他人の心にはズカズカ上がり込むクセにこちらから歩み寄ろうとすると壁を作って距離を取る。

 目の前にいるのに、そこにいない――触らせてくれない。

 まるで蜃気楼を相手にしている気分になってしまう。

 

「…………ハァ。もう良い、さっさと行って野暮用を片付けてこい」

「そーしましょ。織斑先生と山田先生へのお土産はバウムクーヘンで?」

「ビールも忘れるな。一番高いのだぞ?」

了解(ヤー)

 

 敬礼を返し、嬉々として黒鎧を纏う変人。

 ナス型ジェットエンジンをリュックサックのように軽々と背負うのを見て、あの格好のラウラをどうやって連れて行くんだろうと疑問が浮かぶ。

 

「まさか、ドイツまでラウラを抱きかかえて飛ぶつもりか?」

「いやいやいやいや。確かにお嬢ちゃんが着てるそのナスぐるみはISスーツよりも頑丈な素材で作っちゃいますが、流石に超音速航行には耐えられませんて」

「ならどうする?」

「こうします」

 

 バシュゥゥ、と空気の抜ける音と共にランスローの胸部装甲が開く。千冬の前でパーツの一部があっと言う間に組み変わり、ラウラ一人くらいなら楽に入れる空間ができあがってしまった。

 まだどの国も実現に至っていない展開装甲――その応用。

 つくづく馬鹿げた性能の機体である。

 

「言うなれば、世界一狭くて小さい核シェルターってトコですかね。紛争地帯で逃げ遅れたガキを抱えてチャンバラする訳にもいかなかったので、だったらいっそ中に入れちまえば安全だし両手も空くじゃんと判断しまして」

「……もう驚かん、驚かんぞ」

「そんじゃま、パイルダーオンだぜぃ」

「だ、だぜぃ」

 

 立て続けの初体験にワクワクしているラウラが収納され、今度はゆっくりと、銀髪や着ぐるみの生地を噛まないよう細心の注意を払いながら閉じられていく。閉まり切ると同時にセンサーアイがギュピーンと閃光を発し、

 

「フハハハハハハハハハハ!!!! 爆誕!! プァーフェクトゥ・ルァンスルォー!!」

 

 時代を駆けるマルチフォーム・スーツ――インフィニット・ストラトス。

 その研究開発の最先端であると同時に、少女達の未来を育む教育機関――IS学園において。

 背中には巨大なナス、胸部には少女の顔が覗く滑稽な姿のまま決めポーズを取る馬鹿がいた。

 

「本当に…………どうしてこんな奴に惚れてしまったんだろうな……」

「何か言いましたー?」

「うるさい早く行け!!」

「おお怖い怖い。では――点火!」

 

 冗談としか思えない花火のような導火線にチャッ○マンで火を点け、

 

「………………」

「………………」

「………………あら?」

 

 導火線が完全に燃え尽きてもウンともスンとも言わない事に首を傾げ――虚を突く形でいきなり炎を噴き出したロケットに引っ張られ、

 

「にゃああああああああああっ!?」

 

 錐揉み回転を繰り返しながら、ラウラの叫びを残してそのまま夜空へと消え去った。

 馬鹿はともかく……ラウラはまあ、大丈夫だろう、多分。ドイツで何が起ころうと後は知らん。

 

「……………………一杯やって寝よ」

 

 お疲れ様でした。




出典:Wikipedia スクラムジェットエンジンのページより。

次回は塩素系漂白剤と酸性洗剤みたいな二人+αの報復に燃える珍道中です。
ついでに、ラウラ入りのナスの着ぐるみは『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』が元ネタです。分かる人には分かるネタですな。


今回のリクエストは、

 クーマンさんより、

・(ファミチキ下さい)「コイツ、直接脳内に!?」

 zeke01さんより、

・MGS3のシギント風に解説をする。

 kuroganeさんより、

・「フハハハハハハハハハハ!!!!」(無双シリーズ:司馬懿)

 でした。

 二巻が終わらなーいー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

032. 兎達の挽歌 ― Mad Tea Party ―

キリよく纏めようとしたら日数も文字数もいつもの三、四倍くらいに(汗

お待たせしちゃって申し訳ないです。


『粗雑な木偶人形を提供しくさりやがった店にクレームをつけに行きたいんで、ちょっとドイツに飛んでも良いですか? ボーデヴィッヒのお嬢ちゃんも一緒に』

『……言葉の意味とお前の今の立場を理解した上で言ってるんだろうな? 国際条約違反とは言えドイツ軍直轄の施設に殴り込みをかけるなど、正気の沙汰じゃない』

 

 学園に突如ふらりと現れ、それ以前の経歴の一切が不明。

 おそらく自分以外には作れない装備と性能のISまで所持する男。

 一見すれば他の凡人共より少し頭の切れる、しかし執心するほどでもない変人。 

 前もって情報を得てはいたが、流石の束も当初は彼の存在を半分疑っていた。

 

『女の子が怪我しそうになったのに平然としているのを「正気」と言うなら、確かに私は正気ではありませんよ。大人な対応? 何それ食えるの? だったらそんなもんは犬に食わせとけってね』

『学園に籍のあるラウラは無断外出の反省文程度で済む。だがお前は……』

『問答無用で脱走扱い。他国への明らかな破壊活動ともなれば、平和ボケした日本政府も重い腰を上げざるを得ない。良くて連日連夜の取調べ、下手をすれば独房に逆戻りってトコですか』

 

 転機が訪れたのは一夏と小生意気な金髪の、クラス代表の座を賭けた決闘があったあの日。

 一夏が初陣で華々しい敗北(・・)を飾ったのを見届けて、零落白夜の発動に満足してモニターの電源を切ろうとした。けれど、何故かその日に限ってスイッチに指を伸ばす気が起きず、画策された彼と金髪との一戦をなし崩し的に観戦する事になってしまった。

 結果は……見る価値もなかったとだけ言っておく。まあ、彼が『ランスロー』と呼ぶISの力の一端を確認できただけマシだったが。

 問題はその後。

 ついでに親友の顔も見ておこうとアリーナピットの監視カメラに切り替えると、彼が豚のようなクズ共に詰め寄られている光景がモニターに映し出されたのだ。

 唾を飛ばして罵る豚の群れに対し、彼は口を三日月にして笑った。

 自分が無能に向けるのと同じ表情で邪悪に嘲笑い、殴り飛ばし、そして言ってくれた。

 ISは篠ノ之束の夢を乗せた可能性の翼だ――と。

 それを踏み躙るようなら世界を敵に回し、全てを破壊する事も厭わない――とも。

 

『そこまで分かっているのに行くつもりか? しかもラウラまで連れて』

『……自分が何に利用されたのか知る権利が彼女にはあります。それに、織斑先生に対する憧れをあんな歪んだ形で表してしまった。そのショックと後悔の念はどれだけ大きいものになるやら』

『……だからラウラのために?』

『せめて、ケジメだけでもつけさせてやりたいと思っているんですよねぇ』

 

 親友以外誰も理解してくれなかった夢を、まるで犯すように乱暴に抱き寄せて、有無を言わさず認めてくれて――ああ、これは恋に落とされた(・・・・・)のだと自覚するのに時間は掛からなかった。

 感情のベクトルが一度好意に傾いてしまうともう止まらない。

 監禁された彼を助けるべく各国に自分名義で脅迫メールを送り付け、駄目押しとばかりにコアをいくつか機能停止に追い込んだ。

 仮初めの自由を手に入れた彼に会いに行こうと思い立つも、初恋であるが故にどんな顔で会えば良いのか分からず、恥ずかしさに負けて泣く泣く断念した回数は両手の指より遥かに多い。

 そんな束の気持ちなど知る由もなく、彼の周囲にはいつも自分以外の女がいた。

 彼との関係が日に日に良好になる千冬にハンカチ咥えてキィーッと妬いたり、身体を擦り寄せるイギリスの小娘の馴れ馴れしさに卓袱台をひっくり返したり、彼と仲が良い着ぐるみ娘に対抗して全裸に白衣や手ブラジーンズなどのエロ系コスプレ(?)を試したり、同室になった戦艦クラスのおっぱいお化けに『垂れろ~垂れてしまえ~』と藁人形で呪いを掛けてみたり――これほど他人を羨む日が来るとは思いもしなかった。

 

『ま、今回はボーデヴィッヒのお嬢さんもいますしそこまで無茶はしませんよ。要は私の仕業だと断定される証拠を残さず、今までと同じように泣き寝入りさせれば良いんです』

『………………』

『バレなきゃ犯罪じゃないんですよ。それこそ、私の得意分野だ』

 

 中でも一番耐え難かったのは、学園をこっそり抜け出した彼が『介抱』と称して金髪の泥酔女をその……ゴニョゴニョするために使うホテルに連れ込んだ時だ。

 学園と違って室内を覗けるカメラもなく、監視用のドローンを向かわせようにも何処かの馬鹿な連中が飛ばした妨害電波で上手くいかず、コアネットワーク経由でどうにか映像と音声を拾えたと思ったら中身は顔から火が出そうな十八禁のオンパレード。ノーカット完全版で覗き見して妄想に歯止めが利かなくなり、彼に壊れるまで抱かれる夢を見ながら二、三日寝込んでしまった。

 

『…………分かった、好きにしろこの悪党め。本当にお前も一夏も、どうして私の周りにいる男は心配ばかり掛けさせてくれるんだろうな』

『重ね重ね、申し訳なさ過ぎて言葉もないですよ』

『この見返りは高くつくぞ』

『じゃあ、今度の休みにデートでもします?』

『――っ、ばか…………』

 

 若干ムキーッとなる密室での内緒話を聞けたのは偶然か、あるいは必然だったのか。

 ともあれ何にせよ、VTシステムの一件でぶっ潰す事に決めた研究所に彼も殴り込みを掛けると言うのだから、これはもう神が与えたもうた最大のチャンスと考えるしかない。

 告白からベッドインまで、脳内シミュレーションは完璧。

 身体も念入りに洗い、睡眠も十分に取ってお肌の手入れは万全。

 肝心なところで噛まないよう発声練習もした。

 

「あっ……」

 

 雲が覆い隠す夜空の中、ジェット噴射の赤い火焔が見える。

 さながら、白雪姫を目覚めさせるべく馬を走らせる王子様のように。

 余計なオマケも一人ついてきたけれど――やっと来た。

 彼が、来てくれた。

 

「おーい、おーいっ! あのっ、い、いーくん――」

 

 果たして、気恥ずかしく手を振る人生初デートの乙女(?)目掛けて飛来したのは、

 

「あーらあら敵機発見! 先手必殺!!」

「へに゙ゃあ!?」

 

 顔面への、強烈なライダーキックだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「これはもう裏切りだよ!? ユダ級どころかディーバダッタ級のがっかりさんだよ!? 百年の恋も冷めちゃってパーフェクトフリーズで氷河期突入な仕打ちでごじゃりますよ!? 珍しく色々悩んで頑張った束さんの純情を返せようわーん!!」

 

 問、どうして私ははるばるドイツまで来て説教されているのだろうか。

 答、出会い頭に遠慮なく飛び蹴りを食らわせたから。

 

「うん、意味が分からん」

「束さんだってどうしたら良いか分かんないよコンニャロー!!」

 

 膝をついて喚く無人IS――いや、『無人機』と言うと少し語弊があるか。

 確かに人が乗ってない状態で稼動こそしてはいるが、それを操っているのは優れた人工知能でもVTシステムでもなく、ISの生みの親、篠ノ之束本人なのだから。

 Telexistence――遠隔臨場感、遠隔存在感と訳される技術。

 機体の各種センサーが読み取った情報をオペレーターの五感に反映させ、離れた場所にいながらリアルタイムの操作を可能とする、とどのつまりが一種のバーチャルリアリティ。いまいち想像がつかなければ『ト○コ』のGTロボか『Gガン○ム』の操縦シーンを思い浮かべれば良い。

 もっとも、この時代の科学力じゃ漫画やアニメの実現にはほど遠いが。

 天災たる篠ノ之博士だからこその再現力と言える。

 

「彼女があの篠ノ之博士? 何と言うか、性格が思っていたより……」

「ギャップが凄いか? ほとんど人前に出ないからイメージだけが一人歩きしてるしねぇ。無駄に頭の良い子どもがそのまま大人になっちゃったような人だし……何故そこで私を見るー?」

「あぶぶぶぶぶっ」

 

 失礼な銀髪娘のやーらかいほっぺを両手でモニモニしてやる。着替え途中だろうと知った事か。

 

「ひぐっ、ぐすっ……」

 

 赤いセンサーアイから涙代わりにレンズ洗浄液を流す無人機は、背丈だけならボーデヴィッヒのお嬢ちゃんとほぼ変わらない――ISにしてはかなり小柄な機体だった。剣や銃器類の武装らしい武装はなく、ロップイヤー種を連想させる全長約ニメートルのウサミミを地面に垂らしている。

 童話の世界から抜け出した、篠ノ之印のオーダーメイド。

 とするとやっぱり、敵か味方か確認もしないで蹴りをぶち込んだ私に非があるわな。

 

「しくしくしく、えぐえぐえぐ」

「あー、博士? 謝ります、謝りますから、そろそろ泣き止んでくれると嬉しいんですけど……」

 

 時間も押してるし。

 

「…………博士じゃないもん」

「はい?」

「博士じゃなくて、束って呼んでくれなきゃ許してあげないもん」

「……いや、それはちょっと、これまでの私のアイデンティティが揺らいでしまうっつーか過去の自分に対する誓いを反故にしちゃうっつーか……」

「早くしないと『傷物にされて泣かされた』ってちーちゃんにメールしちゃうぞ!?」

「うーわそれ止めてマジで止めて」

 

 ブレードで名状し難いミンチのようなものにされちゃうから。

 姉ちゃんの場合、んなメールなぞ読まれたが最後――私が学園に戻るのを待たずミサイルにでも乗ってここまで飛んで来るのが容易に想像できちまう。

 だったら、どちらを選ぶか答えは決まっている。

 駄々をこねる子ども大人(無人機)の顎を押さえて真っ直ぐに目を見つめ、この十数年、雑誌の袋とじを綺麗に切り開く時くらいしか使う機会のない真面目な顔で、

 

「…………束」

「はうぅっ!?」

 

 無人機の全身が赤熱してあちこちの隙間から白い煙を噴き出す。オペレーターの感情をここまで人間らしく忠実に表現するとは……無駄に高性能なだけはあるなぁ。

 ぐわんぐわんと左右に揺れた後、たばちゃんはウサミミを支えにしてどうにか立ち上がり、

 

「あ、危うく束さんの頭脳がオーバーヒートするところだった……」

「実際してるよたばちゃん」

「女の部分はもうキュンキュンしてるけどね!」

「はーい小さな子どももいるから早く冷却しちゃいましょうねー」

 

 一応ここ敵地のド真ん前だから。熱探知機でスキャニングされたら一発で発見されるから。

 効果がありそうもない氷嚢を頭に乗せつつ、良くも悪くも兎さんなたばちゃんは言う。

 

「ふ、ふふ、流石は凶悪ジゴロのいーくん。束さんのATフィールドはもうボロボロだじぇ」

「逸般人かと思ったら使徒だったのか? 大体『いーくん』って、いの字の要素は何処よ」

「んー……何となく雰囲気? いっくんはいっくんで、ちーちゃんはちーちゃんだし」

「まあアダ名ってのはそんなもんだろうけど……」

「いーくんの『い』は淫靡の『い』!」

 

 うぇっへっへっ、完全には否定できない自分がいて悲しいぜ。

 にしても薄い本での掛け算ならともかく、私と少年を等号(イコール)で結び付ける物好きなど――それこそ機嫌の直ったこのラビット篠ノ之くらいだけども、付けてもらった呼び名が本名にニアピン過ぎて流石に冷や汗が止まらない。ホールインワンじゃなかっただけマシとも言えるが。

 いい加減、そろそろ本題に入ろう。

 

「で、たばちゃんは何故ここに?」

「もっちろん、いーくんと同じ目的だよー?」

 

 ……じゃなきゃこんな山奥でぼーっと浮かんで飛び蹴り食らったりせんわな。

 場所は南ドイツとオーストリアの国境付近――白髭のおじーちゃんやセント・バーナードと共に暮らす少女で有名な山脈の、どの登山ルートからも意図的に外された一帯。環境保全と言う名目で関係者以外の立ち入りが禁止され、地形図では急勾配の岩肌に囲まれた窪地となっている。

 ところがいざお邪魔してみれば、私ら一行を出迎えたのは大型搬入車両のためにアスファルトでキッチリ舗装された道路と、山を掘り抜いて蟻の巣のように広がる研究所――その正面ゲート。

 

「何だって悪い事してる連中は地面の下に潜りたがるのやら。お嬢ちゃんはここ知ってた?」

「……いいや。こんな施設がある事さえ知らされてはいなかった」

「軍部でもトップシークレットって訳か」

「それで、これからどーすんの? 邪魔されたくなかったから研究所のシステムを全部乗っ取って閉じ込めちゃったけど、面倒だし消火用のガスでも流して駆除しちゃう?」

「逃げられないよう外に通じる出入口だけロックして、残りのシステムは連中に返してやれ」

 

 そうしなければ意味がない。

 

「良いの? 絶対抵抗してくるよ?」

「だからさ。袋の中の鼠共がどうもがくのか――乗り込んで観察するのも面白そうだろ? 奴らが保持する全ての戦力を真正面から踏み潰して、二人で徹底的に心を砕いてやろうじゃないか」

「………………にゅっふふふふふ、くひひひひ――」

 

 一瞬の沈黙の後、無人機たばちゃんは肩を小刻みに震わせて笑った。

 昆虫の足を捩り切る、無邪気な子どものように。

 

「知ってたけど、いーくんって筋金入りの外道だねぇ」

「いやいや、たばちゃんほどじゃあないさ」

 

 着替えを終えたお嬢ちゃんに少し下がるよう指示する。

 ゲートはシュヴァルツェア・レーゲンの砲撃でも撃ち抜けない特殊合金製。重要施設なんだから襲撃に備えて頑丈に作られていると踏んでいたが――期待してたほどじゃあないな。

 光学式儀礼兵装《シュラウド》起動。エネルギーを右腕部に一点集中。

 

「ほんじゃま二人共、ちょっと揺れるから気ぃ付けなよ」

「ぅえ……?」

「やったれいーくん!」

「ノックしてもしもぉーしっ!!」

 

 山々に木霊する轟音。

 右ストレートが突き刺さった箇所を中心として、合金の塊に蜘蛛の巣状のヒビが入る。浸透した灼熱の奔流が内側から食い破り、ゲートを真っ赤に溶けた瓦礫の山に変貌させた。

 

「ようし開いた。突撃隣の晩ご飯!!」

「『ただし今夜が最後の晩餐』み・た・い・なー!!」

 

 意気揚々と正面玄関に踏み込む黒鎧と機械兎とその他一名。

 警報がけたたましく鳴り響き、奥へと伸びる通路を埋め尽くすように、鎮圧用ガードロボットが壁の中からわんさかうじゃうじゃと姿を現す。形は――例えるならあれだ、家電量販店で売ってるお掃除ロボットにカニの足を六本生やして違法スタンガンと銃器を装備させた感じ。

 

「うーむ多脚型か。男のロマンだ」

「けど愛想がないねー」

「でもってあんなところに監視カメラだぜ、たばちゃん」

「あんなところに監視カメラだね、いーくん」

「「…………貴様! 見ているなッ!」」

「『混ぜるな危険』とはこの二人の事を言うのだろうな……」

 

 カメラに同時に指を突き付け、擦り寄るル○バもどきを蹴飛ばしながらイェーイとハイタッチ。

 後ろでお嬢さんが何か言ってるけど気にしない気にしない。

 

「さあ、良からぬ事を始めようぜぇ!」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 クラリッサ・ハルフォーフがその研究所の存在を初めて知ったのは、隊長の留守中に上層部から特命として警備任務を与えられた時の事だった。

 部下が揃えてくれた資料にはIS関連、特筆すべき点では搭乗者の操作技術向上に関する研究を行っているとあり、案内役を買って出た若い女性――この施設の最高責任者である所長も、研究が完成すればIS社会は飛躍的な進歩を遂げるに違いないと息巻いていた。

 具体的な内容は分からない。

 案内されたのは所員達が利用する食堂やリフレッシュルームなどの居住区画ばかりで、足の下に広がる肝心要の研究区画には一切立ち入らなかったからだ。クラリッサの胸にある来客用IDでは最上階――第一層での自由しか許されず下層へのエレベーターも動かせない。

 

(用心に越した事はない、と言われてしまえばその通りだが……)

 

 軍人特有の観察眼を持つクラリッサには、違和感と言うか異物感と言うか…………ここの連中が上っ面ばかり取り繕って後ろ暗い秘密をひた隠しにしているように見えるのだ。

 仮にその直観が正しかった場合、下層には一体何があるのか。

 磔にされた第二使徒とかだったら日本通(自称)として是非とも見たいが、ドイツ国民の血税で建造された施設にそんなユーモアを求める方が間違っている。

 

『――ハルフォーフ大尉。目標は隔壁を破りながら依然侵攻中。二分ほどでそちらの視界に入ると思われるので、確認でき次第迎撃をお願いします』

「……了解した。殲滅ではなく捕縛を優先するんだったな?」

『検体は生かし続けた方が長持ちするので、こちらとしては生け捕りが理想的です。特に今回のはとても希少なサンプルですから。でもまあ、死んでしまったらそれはその時考えましょう』

 

 クラリッサは眉をひそめた。

 

「検体、か。聞いていて気分が良くなる話ではないな」

 

 プライベート・チャネル越しに話すこの女が、どうにも好きになれない。

 前世で天敵同士だったのか、単なる自分勝手な嫌悪感なのか――とにかく、友人になりたいとも思わない人種な事だけは確かだ。

 しかし、それはそれ、これはこれ。

 一人の軍人として与えられた任務の遂行は絶対であり、何より、この程度で精神を乱していては鍛えてくれた教官殿――敬愛する織斑千冬の顔に泥を塗る事になってしまう。

 専用機『シュヴァルツェア・ツヴァイク』を展開し、第二層へ続くセキュリティ・ゲートの前で敵が現れるのをじっと待つ。

 賊は二人、もしくは三人。

 あまりに少数精鋭が過ぎるその侵入者達とは果たして――

 

「あ~る~晴れた~ひ~る~○がり~、い○ば~へつづ~く道ぃ~!」

「に~ば~しゃ~が~ゴ~ト~ゴ~ト~、ウサギ~を乗せ~てゆく~!」

「か~わ~い~いウサギ~、売られてゆ~く~よ~ぃ!」

「かな~しそ~なひ~と~み~で~見~て~い~る~よ~ぅ!」

「ドゥナドゥナドゥ~ナ~ドゥ~ナ~!!」

「Yeah~Ha!!」

「「ウサギを乗~せ~て~ッ!!」」

「…………………………はぇ?」

 

 思わず変な声が漏れてしまった。

 白衣を着た中年の男とウサミミを生やした小柄なISが、ロック調にアレンジした歌に合わせてガックンガックンとヘッドバンギングしつつやって来たのだ――呆気に取られる以外にどうしろと言うのか。おまけに彼らが引く小さな荷車に乗せられているのは、

 

「ボーデヴィッヒ隊長!?」

「クラリッサ!? 何故ここに!?」

 

 変人二名が仔牛ではなくウサギを荷車で運んでいて、それが黒いウサミミリボンを着けた我らが隊長殿で、日本のIS学園にいるはずなのに何故か侵入者扱いで――もう訳が分からない。

 彼らが傍若無人な暴風雨のように通過した後には、無力化された常駐の警備員達と踏み砕かれたガードロボットの破片、ドロドロに溶け崩れた隔壁の成れの果てが無残に散乱している。

 対し、二人と銀髪の少女には傷一つない。

 

「ねぇねぇいーくん、コイツも敵?」

「じゃあないんだな残念ながら。けど邪魔されてもアレだから――」

 

 黒鎧を部分展開した右手がクラリッサの腹部に触れる。

 自然な動きで容易く懐に入られた事に驚く――それよりも早く、触れられた箇所に半透明の鎖が伸びて繋がり、シュヴァルツェア・ツヴァイクは強制的に待機状態へ戻されてしまった。

 

「ほい、返すよお嬢さん」

「あ、あ……」

 

 混乱の極みに達しつつあるクラリッサを尻目に、いーくんと名を呼ばれた男はまるで障子戸でも開けるように片手でセキュリティ・ゲートを引き千切ると、その向こうに並ぶエレベーターの前で足を止めた。そして神妙な面持ちの銀髪少女を優しい手つきで荷車から降ろし、

 

「たばっちゃーん、開けゴマ」

「ほーい」

 

 ウサギISが軽く指を振っただけで従順になるエレベーター。

 システムがあっさり奪取されたと言うのに女所長からの指示はなく、それどころか、この三人と接触した直後からあちらとの通信の一切が途絶えてしまっている。

 

(こちらに連絡する余裕さえないのか、あるいは…………)

 

 自分で見極めて行動しろという事なのか。

 このままむざむざ見逃して任務を放棄するなど、軍人にあるまじき恥ずべき行為。上官の命令は絶対であり、この現場においては所長からの指示が最優先される。

 なのに、頭の何処かで芽生えた小さな疑問が身体の動きを鈍らせていく。

 ここで判断を誤ったらきっと後悔する――そう確信できるほどの直感。

 

「おいおい、考え込むのは後にしてくれよ時間がないんだから。さあ乗った乗った」

「えっ!? ちょっ、ちょっと待て私は!」

「お前さんの任務はこの研究所の警備。今は侵入した私達の迎撃と捕縛ってトコだろ? だったらエレベーターに乗って下に逃げる(・・・・・)私達を追い掛けても――別に不自然じゃあないはずだ」

「物は言い様だよねぇ」

「……諦めろクラリッサ。この二人に逆らうだけ無駄だ」

「し、しかし、いくら隊長が一緒でも敵に同行するなど――」

 

 軍規に反すまいと食い下がるクラリッサだったが、

 

「自分が何を守ろうとしていたのか、知りたくないか?」

「いーくんに捕まって人質にされちゃったって言い張ればモーマンタイでしょ?」

 

 結局、抵抗も空しく彼らの悪魔のような甘言に押し切られ、三人と一体を乗せたエレベーターはゴウンゴウンと重苦しい音を立てて降下し始める。操作パネルの形状から見て、どの階で止めるか指定するにもIDチェックと指紋認証をパスしなければならない仕様のようだが、そんな小細工はウサギISの前では無意味に等しいものだった。

 ウサミミリボンを装備したままの隊長を着せ替え人形にしながら、男は言う。

 

「こっから先は一階ずつシラミ潰しか? ほい、島風ちゃん一丁上がり」

「うんにゃ、残りは全部一番下の階に集まってるよ。途中の階にも撃ち漏らしが何人かいるみたいだけど、外には逃げられないし最後に丸ごとぶっ壊すんだから放っておいても良いよね。あ、同じ眼帯キャラだし木曾とか天龍とかも似合うんじゃない?」

「……この前判断ミスって轟沈させちまったから心の傷が痛むんよ。改二が、私の嫁達が……!」

「おおう、そいつぁ……ご愁傷様でした」

 

 この二人には緊張感と言うものが存在しないのだろうか。けれど、クラリッサもレーベを喪って泣き腫らした苦い思い出があるので何も言えなかったりする。やっとマックスも建造できて両脇に侍らせられると思ったのに!!

 

「何故クラリッサまで泣いているんだ?」

「ぐすっ……失礼しました、ついもらい泣きを……」

 

 未だに過去を乗り越えられず、部隊のボーイッシュな娘にコスプレさせて抱き枕にしているのはクラリッサの恥ずかしい秘密の一つである。

 

「ふむ。上官も部下も、強者も弱者も関係なく、生きとし生けるもの全てに比較する事のできない悩みが存在する、か。やはり私は世界が見えていなかったのだな……」

 

 何やら壮大な哲学に目覚めつつある隊長だが、ぜかましのちょっと大胆な衣装に連装砲ちゃんのぬいぐるみまで抱き締めているため可愛さ爆発で鼻血が出そう。

 

「ところで篠ノ之博士。これから向かう場所に……何があると言うのですか?」

「おやおや、うーちゃんったら知りたがりさんだねぇ」

「うーちゃんって……」

「『ラウラ』だから『うーちゃん』! まあそれはともかくこの下に何があるのか――残念だけど教えてあげられないんだよにぇ。見た方が早いし……束さんにも言いたくない事があるんだよ?」

 

 その言葉を最後に、エレベーターの中を沈黙が支配する。

 男は白衣のポケットに手を突っ込んだまま階数を刻む液晶画面をぼんやりと眺め、篠ノ之博士が操っているらしいウサギISは直立姿勢で微動だにせず、制服姿に戻った隊長は変人が護身用にと渡した拳銃の点検や残弾の確認中。

 主犯格二人の騒がしさが突然消えて困惑するクラリッサだが――かと言って盛り上げられそうな話題もなく、とりあえず気を落ち着かせようと、強制解除されたシュヴァルツェア・ツヴァイクにバグがないかチェックする事にした。

 

「………………いーくん」

「ん?」

「コーヒー飲み過ぎちゃったからお花摘み行っても良い?」

「……一回トイレ休憩入りまーす」

「お、お花摘みだもんっ!!」

 

 本当に……この二人は真面目にする気があるんだろうか。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 束が慌ててトイレ――

 

「お花摘みっ!!」

 

 ――から戻って再びログインした時には既に、彼らはエレベーターを降りて通路で待っていた。

 目であり耳である愛機は米俵のように彼の右肩に担がれ――ロマンチックからおよそ掛け離れた自分の状況に、夢見る乙女(笑)な束は不満を感じずにはいられない。仰向けで天井しか見えない運ばれ方って何だよそれ。

 

「いーくんいーくん、束さん的にはお姫様抱っことかオススメなんだけど?」

「おやおかえり。見かけによらず重いんだから、運んでやっただけでも有り難いと思いなさいよ」

「お、重くなんかないじょ!? これでも他のISより軽いもん!」

 

 釣られた魚のようにジタバタと抗議する束だが、彼はそれを気にも留めずラウラと、まだ難しく考えているらしいクラリッサを連れて、シンと静まり返った白い通路の突き当たり――残り全ての戦力が待ち構えている一室の前まで歩を進める。

 他のどの部屋よりも明らかに大きくて分厚く、一際セキュリティが厳重な扉。

 この先に胸クソ悪い光景が広がっているのを束は知っている。

 

「たばちゃん、鍵、鍵開けてくれ…………たばちゃーん?」

「ふーん。女の子に重いって言う人なんか知らないよーだ」

「……たばえもーん。軽くて可愛くてスタイル抜群で頭が良くて危ない大人の色気を醸し出してる結婚したいヒロインNo.1のたばえもーん、あいつらをギャフンと言わせたいから扉を開けてよー」

「……………………んもー、しょうがないなぁいーくんは」

「こいつ、ちょれぇ」

 

 ボソッと最後に何か言われたような気もするけど、そんな事よりも。

 お願いされるまま指の一振りで煩わしいロックシステムを解除。十字に交差する太い鉄柱が床と左右の壁の中に沈み込み、三層からなる合金製の扉が口を開く。

 暗い室内を淡く照らし出す青白いライト。

 その発光源は――等間隔に並ぶ巨大な試験管だ。

 

「……映画とかで見た事あるなぁこんな光景」

「あー、あったねぇ『マトリックス』とか『バイオハザード3』とか」

 

 様々な機械に接続されたそれらは横に二列、奥に五列の合計十本。

 カプセル内は透明で粘度の高そうな液体に満ちており、銀髪の少女達が幼い身体を胎児のように丸めて浮かんでいる。栄養摂取と排泄用の管、さらに無数の電極を貼り付けられて『子宮』本体と繋がる姿に、束はホルマリン漬けの標本でも見せられている気分になった。

 クラリッサが叫ぶ。

 

「篠ノ之博士、これは……ここは一体何なんですか!?」

「何って見たまんまだよ? 人間を育てている畑。うーちゃんのお父さんでありお母さん」

「はっきり言っちまえばクローン製造施設。んでもってお嬢ちゃんの妹達。七、八歳くらいか?」

「……それで私と瓜二つなのか」

 

 てっきり取り乱すか泣き叫ぶかすると思っていたが、己の『生まれ故郷』を目の当たりにしてもラウラは落ち着いた態度を崩さず、あるがままを受け入れているようだった。

 

『――お気に召したかしら?』

 

 束よりもラウラよりもクラリッサよりも早く――この場の誰よりも気が抜けているように見えた彼が真っ先に反応し、右手がブレるほどの速度で懐から拳銃を抜き放つ。ほとんど同時に銃口から吐き出された数発の弾丸は、けれど声の主の命を奪う事はなく壁や天井を穿つだけに留まる。

 中空にふわりと浮かぶ、髪を無造作に伸ばした若い女。

 彼と同じく白衣姿だが、こちらは如何にも『研究者』な雰囲気を纏っている。

 

『挨拶にしては随分と無礼ね。これだから男は……』

「ハッ! 茶の一杯も出さないで立体映像(ホログラム)で出迎えるような女に、上から目線で偉そうに無礼とか言われる筋合いはねぇな。んで……たばちゃん、キミはそこで何しとんのよ」

「…………いーくんてぇへんだ! これスカートの中まで完全再現!」

「マジで!?」

 

 女のホログラムを真下から見上げてみると、赤いレース地の極薄下着がばっちり確認できた。

 衝撃的な事実を知った彼は何処からともなくプロ仕様の一眼レフカメラを取り出し、女は悲鳴を上げながら慌ててスカートを押さえ、ラウラとクラリッサはシリアスなムードが長続きしない事にガックリと肩を落として溜め息を吐く。

 少しでも優位に立とうと頑張っているようだが無駄な努力だ。

 相手のペースを乱す事において、自分と彼の右に出る者はいないのだから。

 

「所長、ここで行っている研究とは何だ? 隊長のクローンを使って一体何をするつもりだ!?」

「さてはエッチな事するつもりだな!?」

「篠ノ之博士! お願いですから少し黙っててください!!」

 

 怒られたので彼の隣で黙って見ている事にする。

 

『…………ハルフォーフ大尉、こんな結果になってしまって非常に残念です。私はこれでも貴女に期待していたんですよ? そこにいる……「越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)」も制御できない失敗作と違って、貴女はまだマシな方でしたから』

「失敗作、だと? 貴様……!」

『なのに敵を見逃し、一緒にここまで下りて来てしまうとは――ドイツ軍人の崇高な矜持は何処に行ってしまったのやら。オリムラチフユが知ったらさぞかし悲しむでしょうねぇ』

「貴様如きが織斑教官を語るな!」

『銃を振り回すだけの軍人如きが粋がるな!』

 

 見事なまでの売り言葉に買い言葉――シュヴァルツェア・ツヴァイクを呼び出して今にも突撃をかましそうなクラリッサだが、そんな彼女の腕を掴んで冷静に引き止める者がいた。

 ラウラだ。

 

「クラリッサ、ひとまず落ち着け。気を荒げても得る物はない」

「隊長、ですが――!」

「落ち着けと言っている」

「……っ!」

「おおー、今のはちょっとちーちゃんに似てたかも」

 

 副隊長を氷のような視線で沈黙させ、所長と相対すべく前に出るラウラ。

 

「……所長、とか呼ばれていたな確か。では一番偉いらしい貴様に、先ほどクラリッサがしたのと同じ質問を投げ掛けよう。私のクローンとやらで貴様達は何を企んでいる?」

『私の、ねぇ』

 

 宙に映る所長は少女に対し嘲りの笑みを返す。

 

『フフン、まさか……自分がオリジナルだとでも思っているの? お前もベースとなる遺伝子から作られたクローンの一体に過ぎないのよ。と言ってもお前は最初期のシリーズだしそこの人形共に比べたら型は古いから……さしずめプロトタイプと言ったところかしら』

「私の出自など今はどうでも良い。質問に答えろ」

『………………VTシステムに使われた(・・・・)気分はどう? 実験に使って生き残ったクローンはお前が初めてだから、是非とも感想を聞きたいのだけど』

 

 数歩下がった束の目には、ラウラの小さな背中しか見えない。けれども――血が滴り落ちるほど強く握り込んだ拳から、今の彼女の心情は容易に窺い知る事ができた。

 未熟ながらも荒々しい、まるで癇癪を起こした子どものような憤怒。

 

「レーゲンにあれを仕込んだのは貴様達か。誰がそんな事をしてくれと頼んだ? あのまま暴走が続いていたら誰かを殺してしまう可能性だってあったんだぞ!?」

『研究に犠牲は付き物よ。たかが学生教員の一人や二人や十人や百人、手に入ったデータの価値を考えれば些細な代償に過ぎないわ。どうせ死ぬのは平和ボケした国の赤の他人なんだから』

 

 ラウラの怒りなど意にも介さず、女所長は得意げに語る。

 聞くに堪えない幼稚でお粗末な理想論を。

 

『このIS社会が更なる発展を遂げるためには、導き手となる頂点が――オリムラチフユの存在が必要不可欠なのよ。彼女が持つ気高い精神、見た者を惹き付ける品位、カリスマ性、そして何より他を寄せ付けない圧倒的な強さ! VTシステムが完成して全ての再現が可能になれば、見上げて憧れるだけだった世界最強の高みに手が届く! 私の言ってる事をちゃんと理解できているかしらお馬鹿な失敗作ぅ? 私達は進化する……オリムラチフユになれる(・・・・・・・・・・・)のよ!!』

 

 ……馬鹿馬鹿しい。呆れ果ててからかう気にもなれない。

 この程度で躍起になっている無能の凡人が、あの親友と同じ頂に立つだと?

 性質の悪い冗談にしても分不相応が過ぎる。

 それでも侮辱に耐える事ができたのは、自分以上にブチキレている者がいたからだ。

 

(こっちもこっちで、本気で怒ったちーちゃんそっくり)

 

 黙々と携帯を弄る様子はあくまで自然体だが、しかし彼は怒っている。

 怒鳴るでもなく物に当たり散らすでもなく、やたら鋭い歯牙を剥き出しにしてただ静かに笑みを湛えているだけだというのに――般若の面を思わせるその凄絶な笑顔が、波乱万丈な束の人生でも数えるほどしかない『恐怖』の記憶を呼び起こす。

 

「嘘だな」

 

 笑顔のまま彼は言った。

 独り言でも呟くように、しかし全員の耳に届く声で。

 

『……何ですって?』

「自分じゃ気が付いてないかも知れないが……お前さんのキレーな顔な、織斑千冬と口にする度に目元がヒクつくんだよ。本当はあの人の事が嫌いで嫌いで仕方がないんだろ?」

『…………』

「ふん、図星か」

 

 彼は言うなれば『蛇』だ。

 霧のような言葉の劇毒で弱らせ、心骨を容赦なく粉微塵に締め砕き、絶望に崩れ落ちたところを頭から丸呑みにする――獲物に対して一切の慈悲を与えず食らう大蛇。

 既に独壇場と化した舞台で、鎌首をもたげた怪物は毒を吐く。

 巣の奥で怯えるネズミを溶かし殺すために。

 

「所長さん、お前はさっきこう言ったよな? 私達は進化する、織斑千冬になれる(・・・)――と」

『そ、それがどうしたって――』

超える(・・・)、とは言わないんだな」

 

 その一言は心臓を抉る牙であり刃であり、楔だった。

 女所長は目に見えて動揺し、彼は笑みを深めてさらに続ける。

 

「既に存在するどれよりも優れたモノを創り出す。それが科学者の肩書きを持つ人種に定められたルールであり存在意義であり誇りであるはずだ。なのにお前さんは『なれる(・・・)』と言った。これから猿真似をすると嬉しそうに言い切った」

 

 ホログラムの質が良過ぎるせいなのか、土気色になって脂汗を幾筋も流す所長の顔がはっきりと識別できる。それはすなわち、彼の毒が全身に回り始めている証拠に他ならない。

 束でさえ気にも留めなかった小さな精神の綻びを、蛇の眼は見逃さなかった。

 

「社会の発展のためとか人類の進化のためとか、テメェの中にあるのはご大層で万人受けしそうな大義名分なんかじゃなく、モンド・グロッソで織斑先生に敵わなかった自分(テメェ)の劣等感を誤魔化して正当化しようとする――ただの見苦しい虚栄心だ」

『……こ、のっ――』

「女は男よりも理知的で、合理主義かつリアリスト。一般にはそんな事を言われているけど、私はそう思ってない。お前ら女とやらのお題目は、結局のところ感情論に過ぎないのさ。疎外が怖くて流されるままの奴ら然り。優越感に酔って下らん因習を謳う奴ら然り。そして当然お前然り。別にそれが悪いとは言わんがね、敢えて一つ言わせてもらおう」

 

 蛇の化身は大仰な動きで両腕を広げ、カクンと首を傾けて、

 

「……お前らはアホか?」

 

 およそ人間らしからぬ毒の舌を伸ばす。

 

「何だそりゃ? 私には欠片も理解できないな。自分の人生、赤の他人と同じ道を進んで一体何が楽しい? 一人で自分を維持できないなら、端から生まれてこなけりゃ良い。生まれちまったなら死ねば良い。とまあ色々と理由はあるが、噛み砕いて言っておく。要するに、織斑先生に執着するお前はすごく目障りで気に食わない…………何だ、私も結構感情的な理由だね」

『……だったら、だったらそのガキはどうなのよ!? そのでき損ないもオリムラチフユの強さに惹かれて結局はVTシステムに頼った! 私と何も変わらないじゃない!!』

「一緒にするな、馬鹿」

 

 ラウラの頭を優しく撫でつつも、彼は追撃の手を緩めようとはしない。

 

「超える事すら諦めやがったお前と違って、この娘は『自分』になる事を選んだ。誰かの模倣でも劣化コピーでもない、ラウラ・ボーデヴィッヒとして生きる道を選んだ」

『それはクローンで! でき損ないの失敗作よ!』

「誰が生物兵器の話をしろって言った!? 今はこの可愛い女の子(・・・・・・)の話だろうが!!」

 

 耳障りな戯言を一喝で黙らせ、煙草に火を点けながら、言い放つ。

 

「心の底から笑って、恋をして、怒って甘えて支えて愛して悲しんで――精一杯幸せに生きる事ができればそれは立派な人間(おんな)だ。テメェの狂った物差しで完全だの不完全だの決め付けんじゃねぇ」

『造られた人形風情に恋をするですって!? 本当に幸せになれるとでも!?』

「なれるさ、ああなれるとも。確かに、この娘が惚れたクソガキは曲がる事を知らない単純馬鹿で女心の分からん朴念仁だが、私やお前のように誰かを不幸にする汚い人間じゃあない」

 

 ああ……やはり彼は同じだ。

 道化と毒蛇を演じる仮面の下に、親友やその弟と同一の心を秘めている。

 それぞれ生きる世界が『(シロ)』であるか『(クロ)』であるか――ただそれだけの小さな違い。もし仮に立ち位置が逆だったとしても、彼らはまるで鏡写しのように肩を並べて在り続けるだろう。

 そう確信できるほどの黒と白の表裏一体。

 

『何よ……何者なのよ貴方は!?』

「通りすがりのテロリストだ。覚えておけ!!」

 

 そして姿を現す黒灰の騎士。

 琥珀色に燃える虎の毛皮を揺らめかせ、黒槍の切っ先を女へ突き付け嗤う。

 

「――さあ、今宵の恐怖劇(グランギニョル)を始めよう! 小便は済ませたか? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はOK?」

『…………殺す、殺してやるわ、殺した後で細胞の一片までバラバラに解剖してあげる!!』

 

 声を荒げる所長。それに呼応するかのように奥の壁が吹き飛ばされる。

 瓦礫を蹴り砕きながら室内に踏み込んできたのは、鈍刀を引っ提げた三体の紛い物。

 親友を粗雑に真似た唾棄すべきVTシステム――見ているだけで虫唾が走る黒人形は即座に彼を敵と認識し、少女達が眠るカプセルを破壊しかねない勢いで刀を振り回す。

 

「……ちっ」

 

 性能差から考えれば三対一だろうと十対一だろうと彼の勝利は揺るがないが、しかし予想に反し戦況は防戦一方の様相を呈している。

 三方からの刺突斬撃を最小限の動きで受け防ぐ彼――その体捌きは不自然にぎこちない。

 苦戦する騎士にラウラが吠える。

 

「何故反撃しない!? 貴方ほどの力があれば――!!」

「……したくてもできないんだよ。いーくんのあの武器じゃ、反撃したら周りにいるあの子達まで怪我しちゃうかも知れないからね。それが分かってるから奴らはカプセルまで狙ってる(・・・・・・・・・・・・・)んだよ」

「そんな……」

 

 あの三機のコアを停止するなり全システムを奪うなり、援護の手段がない訳ではない。

 だが、それでは彼が信条とする『悪党殺しの定義』――相手の全力を真っ向から叩き潰す流儀に水を差す事になってしまう。

 故に束は静観する。

 求められたら何時でも応えられるよう、準備を万全に整えながら。

 

『あっはははははは! そうよねぇ! 優しい優しいテロリストさんは女の子を見捨てたりなんかしないものねぇ! ついでに教えといてあげるけど、そのモルモット達はまだ不安定で外に出たら五分と生きられない身体なの! 大事な実験体を守ってくれてどうもアリガトウ!! カプセルが壊れないよう盾になって嬲り殺されてしまえ!!』

「子どもを人質にするなど……所長、貴様それでも女か!? 恥を知れ!!」

『黙れ失敗作! アイン、その目障りなガキを狙いなさい!』

「隊長!?」

 

 一番目(アイン)と呼ばれた模造品がラウラに狙いを定め走り迫る。

 残りの二機からカプセルを守る彼は動く事ができず、ツヴァイクを呼び出したクラリッサや束が助けに入るには取り返しのつかない距離がある。

 このままではラウラが凶刃の餌食となるのは明白だが――

 

「誰がンな事させるかよ――《矛盾(パラドクス)》!!」

 

 それを覆すのが彼だ。

 拡張領域より召喚されるは巨大な円形盾(ラウンドシールド)

 ラウラの前に一瞬で飛んだそれは彼女を守護する壁となり、のみならず、盾表面に彫り込まれた女の魔眼が輝きを放ち――刃を振り下ろす寸前のアインをその場に縫い止めてしまう。

 

「これ、は……」

『AICをシールドビットに組み込んだと言うの!? まさかそんな、二機を同時に相手しながらそれだけの力を使えるだなんて……! 起動するにもかなりの集中力が必要なはずよ!?』

「女の子のためなら不可能の一つや二つブチ破るのが男って生き物なんだよ。記憶したか?」

「……いーくんらしいなぁ」

 

 本当に、驚かされてばかりいる。

 AICとBT兵器を融合させるとは――プラモデルの改造じゃあるまいし、考え付いたとしても本気で作って実戦で使いこなす馬鹿は彼くらいのものだ。

 

「たばちゃん、調整(・・)頼む!!」

「おっまかせあれっ! いーくんとの初めての共同作業だぜぃ!!」

 

 調整。

 その言葉が意味するのは――未だ人として扱われない少女らの解放。

 もはや何度目かも分からないシステムの掌握により、研究所のありとあらゆるデータが束の下に集約する。その中には眠る少女達の生体情報も当然含まれており、成長過程から投与された薬物の種類に至るまで全てが記録されていた。

 いくら束でも、つい数分前に会ったばかりの人間を十人一度にチェックする事は難しい。

 だが、彼女達の『設計図』とも言えるデータが手元にあるのなら――

 

「……うん、何時でもOKだよ!」

「よっしゃ、片っ端からやってくぞ!」

「ほらほらさあさあっ! せっかくいーくんがISを組み立て直してくれたんだからうーちゃんも早く手伝う! はーちゃんもボサッとしない!」

「組み立てたって、何時の間に……」

「はーちゃんって私の事ですか!?」

 

 彼から預かっていた黒のレッグバンドをラウラに投げ返し、すぐに調整作業へ戻る。

 

「黒は良い、黒は……だが、乗り手がな! 気に入らねぇ!!」

 

 しつこく攻め続ける二機――おそらく呼び名は二番目(ツヴァイ)三番目(ドライ)――の一瞬の隙を突いて腹を蹴り飛ばし、黒灰色の騎士はパラドクスを呼び戻す。しかもただ呼び戻すのではなく、原型を留めない大質量の黒い流動体(・・・・・)に変化させ、空中に固定していたアインを巻き込んでの帰還命令だ。

 

『BT兵器じゃ……なかったの!?』

「だぁれがそうだと仰いましたぁ!? こいつは遠隔操作できる可変式多機能武装だよ!」

 

 与えられたイメージを忠実かつ的確に遂行し、体勢を立て直そうとしていたツヴァイとドライにアインを激突させる流動体――パラドクス。

 主人の手に戻り武装としての形を再構築するが、しかしそのシルエットは盾ではない。

 凶悪も凶悪、並みのISなら一薙ぎで両断できそうな大鎌(デスサイズ)だった。

 

「んじゃ一丁、キャベツ畑のコウノトリと参りましょうか!!」

 

 下から上へ抉るように、禍々しい曲刃が近くのカプセル二つを根本から『収穫』する。

 産声代わりに鳴り響くのは、中身を失ったガラスの子宮が砕け散る音。

 保護液と共に零れ落ち、姉にしっかりと抱き止められる幼い少女達。

 束の施した調整はあくまで現状を打破するための一時的な応急処置に過ぎないが、呼吸も脈拍も安定しているのですぐに死んでしまうような事態にはならないだろう。

 

「うん、この子達は大丈夫だよいーくん!」

「素晴らしい、ハッピーバースデー! 終わったらケーキでも焼いてやらなきゃなぁ!!」

『有り……得ない、有り得ないわ絶対!! そいつらを造り出した私達でもホルモンの分泌配分や細胞の分裂速度の調整にはかなりの時間が掛かるのに、そ、それをこんな簡単に…!!』

 

 絶対に有り得ない? 自分達でさえ時間が掛かる?

 この凡人は一体誰を相手にしているつもりだったのか。

 

「ふん…………舐めるなよ無能。私は篠ノ之束だぞ(・・・・・・・・)?」

『っ!!』

 

 女所長が無様にたじろいでいる間も彼は忙しなく立ち回り、実験動物の世界から少女達を次々に解放してはラウラとクラリッサに投げ渡していく。

 三体の模造品も命令に従って彼を迎撃するが、モーニングスターに形状変化させたパラドクスで床に叩き付けられ、どうにか起き上がったところを斬馬刀で薙ぎ払われ、斬られ、突かれ、殴られ蹴られ、最後の一人が救出された時にはどの機体も立つのがやっとの状態となっていた。

 

『まだ……まだよ!! まだ私達は――』

「いや、もう終わりだ」

 

 じゃらりと擦り鳴る鎖の音を、束も確かに聞いた。

 音の発生源は彼の黒い右腕。指を伝うように半透明の鎖が伸びて人形の腹に繋がり、かと思った次の瞬間に問答無用で強制解除を実行――後には無造作に転がるコアが三つと、身も心も酷使され力尽きた操縦者達だけが残った。

 

「効果が出るまで十秒弱……こりゃ手練れにゃ使えんな。ま、雑魚相手には丁度良いか」

 

 流動無形の魔眼の盾と、獲物を支配する傀儡の鎖。

 IS世界の常識を根底から覆し踏み躙りかねない彼の装備に、女所長はもはや声を発する事すらままならず、パクパクと酸欠状態の魚のように口を開閉するばかり。

 地下に巣食うネズミの四足は断ち切られ、息の根を止め丸呑みにするべく、大毒蛇は崩れた壁のさらに奥へと身をくねらせる。

 

「ま、待って、私も行く!」

「うーちゃん。お前が今しなきゃならんのは妹達の面倒を見る事だろ? それに悪いが、ここから先はR指定だ。過激なシーンがございますので見るのも聞くのも『黒ウサギちゃんをもみくちゃに愛でる会』名誉会長のこの私が許しません! んじゃたばちゃん、その子ら外に運ぶのよろしく」

「ふんとにもー、ウサギ使いが荒いんだからいーくんは」

「ハートの女王さんよりはマシだと思うがねー」

 

 そう彼は言い残すと、つい今し方までの邪悪な雰囲気は何処へやら――それこそ時間に追われる時計ウサギよろしくスタコラサッサと穴の向こうに消えて行った。

 

「ういさー、したらばお外にレッツラゴーだじぇ! お家に帰るまでが遠足ですよー!」

「……これが遠足なら、世界大戦だって小学校の運動会に成り下がりますよ、博士」

 

 未だに起きない少女達を手分けして抱きかかえ、意気揚々と地上を目指す。

 カメラの映像やら通信記録やら、ついでにドイツ軍と政府のコンピューターにも特製ウィルスをばら撒いて――彼や束、ラウラやクラリッサがいたと分かるような証拠の完全削除も忘れない。

 その過程で、とある部屋のとある音声を拾ったのだが、

 

『――ではではではではそれじゃあまあ、素敵で愉快な大人のお医者さんごっこを始めましょうかネズミのクソ共。殺して解して並べて揃えて、下水の底に晒してやるよ』

 

 まあ、これは気にしなくても良いだろう。

 足の下から聞こえてくる地獄のような断末魔の叫び声。しかしその耳障りな雑音は束が鳴らした非常ベルによって掻き消され、幸いにもラウラやクラリッサが気付く事はなかった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「とりあえず、この子達は束さんが預かって面倒見るね。長生きできるようにラボでもうちょっと調整し直さなきゃだし。いーくんと束さんのベイビーちゃんだと思って大事に育ててやるぜぃ!」

「まあ、うん、常識的な範囲で頼むッス」

「ウッサッサー、この貸しはおっきいよー? 見返りに何お願いしようかにゃー?」

「私のできる事なんてたかが知れてるんで、お手柔らかに」

 

 ネズミの駆除を終え、研究所全体を圧し潰して全てを片付けた私ら一行。

 回収用リトルニンジンロケットが待機した地点に仲良く移動し、白いソーセージと自動車産業で有名な街の夜景を遠目に眺めながら、たばちゃんと今後について話し合う。

 しっかし……死ぬほど眠い。

 やっぱ三十路も半分過ぎると夜更かしが辛くなってくるわー。

 

「…………はひわふひひろはへるはへー」

「欠伸しながらじゃ何言ってるか分からないよ、いーくん」

「とにかく一度帰るかねーっつったのよ。私はいくらでも好きなだけ居眠りできるけど、あちらのお嬢ちゃんは明日も学校だ」

「もうとっくに『今日』だけどね」

 

 向こうで副長さんと何やら話し込んでいるうーちゃん。

 とても真面目な顔で感心したようにしきりに頷いている――また副長さんに余計なオタク知識を詰め込まれてるなありゃ。少年もお気の毒に…………って、あ、こっち来た。

 

「部下と連絡が取れました。迎えのヘリが三十分ほどで到着するらしいので私はそれに。お二人と隊長も早くここから離れた方がよろしいかと」

「ふーん。だったら――」

「――お言葉に甘えてそうしますかね。目撃者は少ない方が良い」

「クラリッサ……皆を頼むぞ」

「はっ! お任せください!」

 

 敬礼する副長さんを残し、たばちゃんロボは少女達と一緒にニンジンの中に。私はうーちゃんを胸部に収納して再びナスロケットを背負う。

 改めて見ると、とんでもなくベジタリアンな光景だわね。

 

「いーぃくぅーん! まったねー!」

「まったねー!」

 

 具体的には臨海学校の時に、今度は生身でねー。

 お姉ちゃん達用にバウムクーヘンとソーセージとビール、ザワークラウトも買ったし、さてさてチャッ○マンを取り出しまして――点火!

 

「にゃああああああああああっ!?」

 

 わーい、今度は上手く動いてくれたぞーっと。

 ……ところで。

 うーちゃんの私を見る目が少し変わったような気がするのだが、ドウシテナンダロウネー?

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 シャルロットとの嬉し恥ずかし混浴体験+αから一夜明けて。

 天国から地獄とばかりに、織斑一夏は朝っぱらから命の危機に瀕していた。

 

「鈴、待て! 落ち着けって!!」

「問答無用!! 死ねっ!!」

 

 デュノアくんは実はデュノアさんだったんだよーの眠気が吹っ飛ぶサプライズに始まり、直後に誰かが一夏達の大浴場の使用に気付き、耳聡く聞きつけたセカンド幼馴染が衝撃砲持参でご登場。

 もしあの時邪魔が――もとい、常識あるオジサンに不純異性交遊を窘められなかったら。

 そう考えると言い訳にも力が入らず、暗殺された某首相のように『話せば分かる』の一点張りで押し通すしか生存の道は残されていない。もっとも正直に話したところで、コンビナートの火災に余計なガソリンを撒く結果にしかならないのだが。

 キュインキュインキュインキュイン――と不可視の砲身が死へのカウントダウンを刻む。

 明日の朝刊の一面を飾る自分の死亡記事が一夏の脳裏を過ぎり――

 

「少女の想いを伝えるために、出席日数を稼ぐために! 学園よ、私は帰って来たらばっ!?」

 

 ラウラを抱いて窓から飛び込んで来た変人にフルチャージの砲弾が直撃し、吹き飛ばされて教室後方の壁に大の字でめり込んだ。

 寸前に放られたラウラは一夏が反射的にキャッチしていたため、あれだけ凄惨な事故だったにも関わらず、安らかな寝息を立てる彼女には傷一つ付いていない。

 乙女パワーによる騒乱に混沌の権化が追加されてもう何が何やら。

 と、その騒がしさで起きてしまったのか、ラウラは幼子のようにこしこしと右目を擦り、自分が一夏に抱えられている事を寝ぼけ顔で確認すると、

 

「あ、ラウラ起きたか! い、今ちょっと大変で……むぐっ!?」

 

 一夏の唇に、何の前置きも断りもなく吸い付いた。

 箒がわなわなと肩を震わせ、セシリアが上品に口に手を当て、鈴が怒りを一瞬忘れるほど呆気に取られ、シャルロットが笑顔のまま殺気立ち、のほほんさんが瀕死の変人を棒で突っつき、その他大勢のクラスメイトが興奮だったり悲嘆だったり絶望だったり――十人十色の表情を浮かべる。

 そんな坩堝の中でじゅるりくちゅりと唾液を混じり合わせるラウラ。

 ようやく唇を離した彼女は一夏の顔を指差すと、まだ眠気が残る声でぼんやりとこう言った。

 

「…………嫁」

「は? え? 婿じゃなくて?」

 

 ある意味的を射ているリアクションはさておき。

 朴念仁の腕の中から何時の間にか抜け出したラウラは、乙女達の間をふらふらと揺れる足取りでモーゼさながらに割り進み、変人の白衣の中に潜り込んで猫のように丸くなる。

 そして甘えた声で、さらなる混乱を招くメガトン級の爆弾を投下するのだった。

 

Vater(おとーさん)……」

「ふぁっ!?」

 

 予想外の流れ弾に飛び起きる変人。

 彼にとっての不運は、ドイツ語の分かる生徒がこのクラスにもいた事だろう。

 

「ねえ、ボーデヴィッヒさん今何て言ったの?」

「聞き間違いじゃなかったら……『お父さん』って」

「ええ!? あの二人そういう関係だったの!?」

 

 新たな火種を投げ入れられて少女らはキャアキャアとヒートアップするが、当事者の一人である一夏はそれどころではない。

 

「「「一夏ぁ……?」」」

 

 真剣を抜き、衝撃砲を構え、杭打ち機を起動させる阿修羅が三人。

 あんな物を三連続で食らったら死ぬ。間違いなく死ぬ。

 助けを請おうと変人の方を見やるも、

 

「おおお織斑先生、目が怖いんですけど!? オルコット嬢もそれ人に向けちゃアカンて!」

「ふ、ふふふふふ、たった一晩で随分と仲良くなったじゃないか、んん? いやいや、私は決して怒っている訳じゃあないんだ。ただちょっと、近付き過ぎじゃないかと注意したいだけでな?」

「ええ、ええ、ボーデヴィッヒさんが凄く羨ましいとか、わたくしにはしてくださらないのにとか思っている訳ではないんですのよ?」

「じゃあこのブレードとライフルは何なんですかねぇ!? 完全に殺る気じゃないの!!」

 

 あっちはあっちで首筋ギリギリの白刃取りと照準を眉間から逸らすのに忙しく、一夏の事にまで気が回らないらしい。

 退路は完全に断たれた。

 キスされたのは事実だから弁解の余地すらない。

 

「「「さあ、覚悟は?」」」

「…………い、痛くしないでね?」

「「「無理っ!!」」」

 

 人工島に建てられたIS学園。

 本日は予鈴の代わりに、スプラッターな効果音と男二人の絶叫が木霊したのだった。




オジサマーがお父サマーになりました。
長かった原作二巻もようやく終わりを迎えました。次回は三巻との間の、残りの宿題を片付けるみたいな感じでシャルのお家事情を何とかする話です。

 今回のリクエストは、

 首輪つきさん、月読神無さんより、

・「バレなきゃ、犯罪じゃないんですよ」(這いよれニャル子さん)

 クアンタズムさんより、

・「さあ、よからぬことを始めようぜぇ!」(遊戯王ZEXAL:ベクター)

 がんにょむさんより、

・「こいつちょれぇ」(とある:木原?)

 神薙之尊さんより、

・「キミら女とやらのお題目は~(細部改変)」(PARADISE LOST:ジューダス・ストライフ)

 きょ~へ~さんより、

・「通りすがりのテロリストだ。覚えておけ!」(仮面ライダーディケイド:門矢士)

 めんどくさがりやさんより、

・「さあ、今宵の恐怖劇(グランギニョル)を始めよう」(Dies irae:メルクリウス)

 アイリアスさんより、

・「小便は済ませたか? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタふるえて命乞いをする心の準備はOK?」(ヘルシング:ヤン、ウォルター)

 あだちさんより、

・「記憶したか?」(KH2:アクセル)

 昆布さんより、

・「黒はいい。黒は……だが、乗り手がな!」(ビッグオー:ロジャー・スミス スパロボにおける戦闘会話)

 なーき2号さんより、

・「すばらしい! ハッピーバースデー!」(仮面ライダーオーズ:会長)


 ROIさん、suzuki00さんより、

・「ここからは、R指定だ」(DMC:ダンテ)
・「悪いが、ここから先はR指定だ」

 八代敬重さんより、

・「殺して解して並べて揃えて晒してやるよ」(戯言シリーズ:零崎人識)

 あささんより、

・「○○よ私は帰ってきた!」(機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY:アナベル・ガトー)

 尚識さんより、

・島風のコスプレ

 でした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

033. 嘘つきFamille

いやホント、妄想主体のオリ展開は書くのに時間がかかりますね(汗
お待たせしてしまいスミマセン。


 シャルロット・デュノアにとって、異性と待ち合わせは日常的なものではなかった。

 故郷にいた頃は友達と遊ぶより母を手伝う事の方が多かったし、デュノア社に引き取られた後は存在をひた隠しにされテストパイロットとして生きてきた。

 故に『待ち合わせ』の行為自体がほぼ初体験であり、場所が人気のない寮の裏手な事も相まってドキドキワクワクが止まらず、頭の中では変なあの人とラウラが白黒クマとその妹っぽいウサギの着ぐるみ姿で息ぴったりのブレイクダンスを披露する光景が延々と……って何だこれ。

 

「い、いくら浮かれてるからって何を考えてるんだろうね僕は! 可愛いし凄いけど!」

 

 ブンブンと首を振って消去(デリート)消去(デリート)

 とにもかくにも、本当の性別をカミングアウトして学園中を騒がせた一件から早二週間。

 誰にも気兼ねなく、大きな胸を張って堂々と買い揃えた女の子らしい衣服の数々――その中でも一際気合の入ったコーディネートに身を包み、校則に抵触しない程度に化粧もして、恋する乙女は想い人がやって来るのを心待ちにする。

 それから数分ほど経っただろうか、

 

「――待たせたな」

 

 渋い声と共に現れたのは女心に気付いてくれない罪作りな少年――ではなく、頭に伝説の傭兵のバンダナを巻き『GU○DAM』と書かれたダンボールを着てポーズを決める変人だった。

 蛇で機動戦士なコスプレ魔人を無言のまま冷めたジト目で一瞥し、リアクションを返す事もなくシャルロットはその場から立ち去ろうとする。

 

「ちょい待ちストップストップ。無視されるのがオジサン一番辛いから」

「……先生。僕、一夏を待ってるんですけど」

「ああそれ、少年の携帯をちょっと拝借して私が呼び出したのホガァッ!?」

 

 織斑先生直伝の対変人用シャイニング・ウィザードをぶち込んだ。ええ、思い切り助走をつけて出せる限りの全力でぶち込んでやりましたとも。スカートだろうと知った事か。

 

「期待してたよ? すっごく期待してたんだよ!? 早起きして準備したのにもーっ!!」

「すまん悪かった謝るゴメンナサイダダダダッ!?」

 

 涙目の膨れっ面で変人に飛び掛かって馬乗りになり、沸々と込み上げる純情乙女の怒りに任せてこれでもかと引っ掻いたり叩いたり揺さ振ったりパロスペシャルを極めたり――誰かに見られたらまた厄介な誤解が生まれそうなオシオキ風景だ。

 ショートしたように両耳からプスプスと煙を吐き出しながら、けれど変人は疲弊した様子もなく平然と立ち上がる。一体どんな身体の構造をしているのやら。

 

「こんな手を使わなくても、僕に用があるならそう言えば良いのに……」

「あらそう? じゃあこれから一緒にフランスに行こうぜー!」

「買い物に誘うみたいな軽さで言う事じゃないよねそれ!?」

 

 そもそも、何故にフランス?

 

「約束したでしょうよ。キミん家の何やらかんやらを片付けてやるって」

「確かにそうですけど、でもこんないきなり……」

「思い立ったが吉日ってね。せっかくだし、そのめかし込んだ勝負服も見てもらおうや。さあさあこちらへどうぞお嬢さん、キュウリの馬車が待ってるぜい」

「せめてカボチャが良かったなあ!?」

 

 訳も分からぬまま背中を押されてさらに奥へ。

 恋仲でもない男女――しかも年齢差が一回り以上もある成人男性と女子生徒が人目を忍ぶように密会しているなど、改めて考えるとかなり問題な状況なのではなかろうか。

 まあ、この人から犯罪者臭がするのは何時もの事だから気にしないとして。

 案内された先に鎮座していたのは…………キュウリだった。

 より正確には、全長三メートルはあるキュウリ型のロケットだった。

 

「…………ええー」

「古来より日本では、お盆の時期にキュウリの馬とナスの牛を供える風習がある」

「馬の方は死んだ人の魂が早く家に戻って来れるように、牛の方は死後の世界に帰るのが少しでも遅くなるようにって願いが込められているって何かの本で読んだような……」

「その通り。一週間前、歯を磨いていた時にふとそれを思い出して、私はとある結論に至った」

 

 変人先生は白衣をばさりと翻し、芝居じみた大仰な動きで両腕を広げながら高らかに言った。

 

「すなわち――ナスよりキュウリの方が速度が出ると!!」

 

 この人は一回日本人とかご先祖様とかに謝るべきだと思う。

 と言うか、その口振りからするとナス型ロケットを作った『前科』があるのか。

 そして、これからフランスに行くぞと言われて自分はここに連行された。

 それはつまり――

 

「さっ、さよならっ!!」

「はっはっはー、逃がさないぞぉー☆」

「ひやあああああああっ!?」

 

 危険を察して即座に転身、青褪めた顔で逃亡を図るも時既に遅く。

 何時の間に身に纏ったのか――黒い騎士鎧の胸部が開き、そこから溢れ出た無数の触手によって装甲内部へあっと言う間に格納されてしまう。手足はまるで動かないのに、意外と閉塞感がなくて快適なのがとても腹立たしい。

 

「いーやーだー! 絶対途中で爆発しちゃうに決まってる!」

「決め付けるなよ失礼な! もしかしたら平穏無事なフライトを楽しめるかも知れないだろ!?」

「もしかしないと無事に目的地に着かない空の旅なんて御免だよ!? 誰か助けてー!」

 

 そんなシャルロットの訴えを心優しき天が聞き届けた、と言う訳ではないのだろう。

 だってキュウリ型ロケットの陰からひょっこりと顔を覗かせたのは、丸い目と三角形の口を持つ夏休みの工作のようなダンボール製ロボット――の格好をしている誰かさんだったのだから。

 今朝から姿が見えなかったルームメイト(・・・・・・)と目が合ってしまい、思わず沈黙する。

 何だろう、森の中で妖精と出会ったみたいな雰囲気になっちゃった。

 

「……ラウラ、だよね? 眼帯してるし」

「ノンノンノンノンノンノン! 彼女はうーちゃんではない! ドイツが技術の粹を集めて作ったお金で動く強くて可愛い素敵ロボット『ダ○ボー』なのだ! さあうーちゃん……じゃあなかったダン○ーよ、その証拠をデュノアちゃんに見せ付けるが良い!」

「ふぇっ!? あ、えぇと…………ド、ドイツの科学は世界一ィィィィィイイイイ!!!」

 

 両手を上に伸ばそうとするも、大きな頭部が邪魔で『前へならえ』の体勢になるラウラロボ。

 ああラウラ、キミも先生の色に染まってしまったんだねと嘆くシャルロットだが――実は変人が原因ではなく、自称日本通の副隊長が見せた漫画とアニメの影響である事を彼女は知らない。

 このダンボール父娘だけでも場をグダグダにするには十分だと言うのに、よりにもよって学園が誇るキグルミストまでダンボールロボの姿でぼこぼこ走って来ちゃったからさあ大変。

 

「あ、せんせー。言われた通りおりむー縛って部屋に置いてきたよー。お昼ご飯とかもせっしーにお願いしたから問題なーし。褒めて褒めてー」

「父よ、父よ、私だって頼まれたロケットの整備をちゃんと頑張ったぞ? 何故かパーツがかなり余ってしまったが……それでも頑張ったぞ! だから私も褒めてくれ!」

 

 現実逃避でうっかり聞き流しかけたが、ちょっと待て。

 下手すると死人が出る危険ワードが飛び出した気がするのだけど。

 

「ねえ、さらっととんでもない事を言わなかった!?」

「余ってしまった物は仕方ないだろう!? 渡された紙と同じに作ったもん!」

「違う違う違うそっちじゃなくて――いやそっちもかなり恐ろしいけどさ! 布仏さんセシリアにご飯作るの任せたの!? 一夏が危ない!!」

「よーし、じゃあそろそろ出発すっかー」

「なのに全部スルーしちゃう気だよこの人!?」

 

 懸命なツッコミも空しく状況は悪化の一途を辿り、先生は部品が足りない恐れのあるロケットを背負って発射までの秒読み段階に入ってしまう。

 どうにか抑え込んでもらおうと一縷の望みをかけて涙混じりの視線を飛ばすが、ルームメイトとクラスメイトは煽るように両腕を上げ下げするばかりで止める素振りを見せない。

 

「待って、止めて!? 空の藻屑になんかなりたくなーいー!!」

「デュノアくん、空に藻が生えてる訳ないだろ常識的に考えて」

「この期に及んで常識を説かれた!?」

「そう怯えるなシャルロット。慣れれば一瞬で夢の世界に旅立てるぞ…………主に重圧の影響で」

「それってつまり気絶するって事だよね!?」

 

 もはや何を言っても手遅れ。

 無駄に長い導火線がカウントダウンを刻むかのように燃え進み、前しか見えないシャルロットは背後からバチバチと近付く不吉な音に血の気が下がり、やがて――

 

「無限の彼方へ、さあ行くぞー! フランス美女が私を待っているー!」

「お母さあああああああんんっ!!」

 

 涙の帯を力強く描きながら、何時ぞやと同じように青空の向こうへと消えていった。

 

「同志シャルロットに――敬礼!」

「けーれー!」

 

 それを見送るダンボール娘達は、腕を曲げられないのでやはり『前へならえ』になってしまう。

 混沌が飛び去って小鳥が再び囀り始める中、シャキーンとポーズを取る少女二人。

 IS学園は今日も平常運転なのであった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 学園を出ておよそ四時間弱。

 耐久性に問題のあったロケットに上空で自爆処理を施したのが二時間前。

 どうにかフランスに辿り着いた私はホテルでシャルロットを美味しく頂き、身嗜みを整えさせた薄幸のお嬢さんを連れ立って、目的地であるデュノア社の玄関前まで足を運んでいた。

 今回の敵の居城とも言える、天高くそびえる本社ビル。

 ラスボスの待つ最上階まで全フロアを行儀良く回る……ってのがRPGの王道だが、生憎と私は嫁選びに迷う勇者でも喋るイタチが相棒の風来人でもない。故に律儀に守る必要もない。

 

「さ、て、突っ立ってても仕方ないし、そろそろ乗り込むか」

「…………うん」

 

 お嬢さんはまだ諦め悪く渋っているらしい。

 ああ、ちなみに『シャルロット』とは女性の帽子に見立てたフランス生まれの洋菓子の事だ。

 良からぬ妄想を膨らませた紳士諸君には私の外道スマイルをプレゼントしてやろう。フヒヒッ。

 

「誰も、いない……?」

「私らにとっては好都合だけどな」

 

 吹き抜けの一階エントランスホール。

 お嬢さんの言うように、ビルの中は閑散としていて一般社員も受付嬢も、警備員さえいない。

 学生ならばともかく、世界的に有名な企業の勤め人達が一人残らず一斉に休むなど――それこそ災害発生か宇宙人の襲来でもなければ有り得ない光景だ。

 実を言えば社長命令による人払いだと私は知っているのだが、それをお嬢さんに教えたところで何がどうなる訳でもないので黙っておく。説明すんのメンドイし。

 

「にしてもさ、どうして偉い人ってのは一番上に居座りたがるんかねぇ。社長さんが受付に座ってニコニコしてりゃあ、会いに来た客だってわざわざエレベーターに乗らずに済むだろうに」

「それだと社長だって名乗っても信じてもらえないと思うけど。と言うか社員証も持ってないのにどうやってエレベーターを?」

「社員証はないけど会員証はあったりして」

 

 操作盤に社員証を読み込ませないと上に行けないのだが――そこはそれ、私のような人間だけが使える裏技がある訳で。TSU○AYAのカードを穴に強引にねじ込んでやったりとか。

 そんなのらめぇっ、な方法で動いたエレベーターは素直に最上階へ到達。

 金のプレートで『社長室』と銘打たれた扉の前で、私達は一度足を止めた。

 

「腹ぁ括ったか?」

「ここまで来たら覚悟を決めるしかないでしょ」

「上等だマドモアゼル。じゃあ乗り込むぜ」

 

 お嬢さんの決意を確認し、ドアノブに手を掛ける。

 部屋の中では、一組の男女がソファに座って私らを待っていなすった。

 一人は口髭が似合うダンディな初老の男――デュノアお嬢ちゃんの実父とされる人物。

 もう一人は警戒心剥き出しの金髪の女性――愛人の子を目の敵にして罵り続けるマダム。

 どちらも、この家族芝居を終わらせるのに欠かせないキャストだ。

 

「…………ノックくらいしたらどうかね?」

「そいつぁどうもスミマセンねぇ。私らの業界じゃあ、ノックってのは『どうぞドア越しに鉛玉をぶち込んでください』って言ってるのと同じなもんで」

「ふん、なるほど噂通りの男だなキミは。まあ座りたまえ」

 

 促され、二人の向かい側に腰を下ろす私と気まずそうなお嬢さん。

 さて、切り崩しを始めるとしますか。

 

「それで、あんなメールをわざわざ寄越して、今日は一体何の用かしら? しかも泥棒猫の娘まで連れて来るだなんて……下らない話なら失礼させてもらうわ」

「一緒だと伝えたらこうして会ってはくれなかったでしょう? 特にマダム、実の娘を守るために一生騙し続ける気でいた貴女はね」

「――っ!」

「…………え?」

 

 大人二人の変化は小さなものではあったが、気付けないほどではない。

 マダム――お嬢さんの実母は僅かに顔を強張らせ、口髭の紳士は腕を組み瞑目、お嬢さん本人は私と母親達を戸惑いの表情で交互に見やる。

 信じられないのは分かるが、そう考えれば全ての辻褄が合うのだ。

 命令に背いて女である事を暴露したお嬢さんに対し、何らかの制裁を与えるでもなく、その後も追加装備を惜しみなく提供し続けた――その不可解な援助の理由も。

 

「実の娘って、この人が僕の……? 嘘、そんなの嘘だ! だって僕の母は二年前に――」

「母親だと思っていた。その前提自体が間違っていたとしたら?」

「……………」

 

 嘘を嘘で塗り固めた哀れなデュノア家。

 複雑に絡まり合った無数の糸を解くため、時には力任せに引っ張る事も必要だ。

 

「二年前に亡くなったのはお前さんの本当の母親じゃあない。だが…………血の繋がりが一切ない赤の他人、と言う訳でもない。いくら何でも、それじゃあ嘘を吐き通すには無理がある」

「だったら…………だったら僕を育ててくれた母さんは一体誰だって言うのさ!? その人の目はブルーだけど、僕の目の色は母さん譲りで顔も似てるんだよ!?」

「そりゃ似てて当然だ。キミを育てた女性とマダムは――姉妹なんだからな」

 

 ここまで大掛かりな嘘を仕掛けた以上、愛娘を託す相手は信用に足る人物でなければならない。

 血を分けた肉親――妹。

 部下や友人知人より信頼でき、秘密を共有するに相応しいパートナー。

 亡国探偵社から届いた情報によれば姉妹仲は良好であり、二年前――妹さんが亡くなる直前まで頻繁に連絡を取り合っていたらしい。

 

「お嬢さんの近況がどうしても知りたかったんでしょう? 身元が判明しないよう回線を何重にも経由して……『本職』によれば痕跡はしっかり残ってたそうですがね。そして妹さんが亡くなって孤独になったお嬢さんを憂えた貴女達は、十三年振りに娘に会う決意をした」

「…………」

「強請るつもりはありません。その気なら最初からそうします。私が今日ここにいるのは、純粋にお嬢さんを助けたいからです。信じて頂けるのなら――何があったのか話してもらえませんか?」

 

 二人からの反論はない。ただ黙って私の話に耳を傾ける。

 静かに聞き続け、やがて観念したようにマダムはブルーのカラーコンタクトを外すと、隣に座るムッシュに指示を出した。

 彼の目を真っ直ぐ見つめる――その瞳の色は引き込まれそうなアメジスト。

 

「…………オーバン、二人にお茶を淹れてあげて」

「畏まりました、奥様」

 

 一礼して立ち上がり、紅茶の準備を始めるムッシュ。

 その所作は熟練の老執事さながらの見事なものだった。

 

「妊娠していると気付いたのは、病床の父から社長の座を継いで一年が経った頃でした」

 

 泥棒猫の娘と罵ったとは到底思えない、棘のない柔らかな口調。

 おそらくは、これが彼女本来の性格なのだろう。本当に娘とよく似ていらっしゃる。

 

「当時私はまだ二十歳を過ぎたばかりで、若輩者が手綱を握ったとしても重役達に反発されるのは目に見えていました。混乱を回避するため、父に長年仕えて周囲からの信頼も厚かったオーバンが社長として表に立ち、その裏で私が実務を取り仕切っていたんです」

「影武者ですか。IS学園でも同じような事をしてますし、特に珍しくもありませんが」

「でも……でもそれなら僕を預ける意味なんて……」

「――ご主人に、認知してもらえなかったんですね?」

 

 マダムはこくりと頷いた。

 そして上質な白磁器に注がれた紅茶を一口飲み、続きを語り始める。

 

「恥ずかしい話、昔の私は社長令嬢の立場に酔ってかなり派手に遊んでいたんです。結婚相手まで勝手に決めた父に対する、私なりのせめてもの反抗でした。その父が倒れてしまい、デュノア社と社員の生活を守るため、実家が名のある資産家だった夫との結婚を決断しました」

「そしてお嬢さんを身籠ったものの……」

「ええ。遊んでばかりだったと言っても、簡単に身体を許す方ではなかったのですが――時期的に微妙な事もあって、疑いを抱いた夫は私達二人の子どもと認めてはくれませんでした」

 

 何時の間にか、お嬢さんが私の手をギュッと握り締めていた。

 怒鳴りたいのを堪えているような、泣き喚きたいのを抑え込んでいるような――ふとした拍子に決壊してしまいそうな顔で、それでも一言たりとも聞き逃すまいと懸命に母と向き合う。

 

「このまま産んでも、この子は夫とその親族から冷たい目で見られ続けてしまう。そう考えた私は一人暮らしをしていた妹にシャルロットを託そうと考えました。子どもの作れない身体だった妹はまるで自分の子のように育ててくれて…………半月に一度送られてくる写真の中でシャルロットが笑っているのを見る度に、この子がどれだけ妹に愛されているか手に取るように分かりました」

「…………」

「後は貴方が言った通りです。独りになったシャルロットを引き取り、母親だと勘付かれないよう酷い言葉まで浴びせて――家族を失って悲しむこの子の気持ちも考えず、苦しませてしまった」

 

 ……紐解けば何と言う事はない。

 この一件の根幹にあったのは、母親の不器用な優しさだった。

 流石に男装させたのはやり過ぎだと思うが、少年のデータを手に入れろともっともらしい理由をこしらえてIS学園に転入させたのも――全寮制の共同生活なら、少しでも孤独を紛らわせる事ができるかも知れないと考えたからなんだろう。

 

「先生、お願い。少しの間……この人と二人だけにして」

「大丈夫か?」

「うん……これは僕達の問題だから、向き合わなきゃ」

「オーバン、貴方も席を外して」

「……承知致しました」

 

 母親と娘を残して席を立つ。

 確かにお嬢さんの言う通り、後は当人達でケジメをつけなければならない。

 結局のところ、部外者の私はただ場を引っ掻き回しただけなのだった。

 

「待って、一つだけ聞かせてください」

「はい?」

「貴方は…………どうしてシャルロットのためにここまでしてくれるんですか?」

「……ただ単に、大人の身勝手で子どもが苦労するのを見過ごせなかっただけですよ」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……何故話さなかったのです?」

 

 社長室前の廊下――母娘が話し合いを終えるのを待ち続けていると、扉を挟んだ反対側の壁際で姿勢正しく立つムッシュに話し掛けられた。

 

「何がです?」

「この期に及んでとぼけないで頂きたい。貴方は気が付いているはずだ。私が……シャルロットの本当の父親だという事を。何故あの場で話さなかったのですか?」

「………………話したところで、何がどうなるって訳でもないでしょう?」

 

 マダムは経営を立て直す目的で資産家との結婚を決めた。しかしその本当の理由が、お腹の子の父親が誰かなのかあやふやにするためだったとしたら。

 数多の苦難を共にした若き女社長と腹心の部下。

 二人の間にどんな悲恋があったにせよ――それを勘繰るほど私は無粋じゃないつもりだ。

 

「お嬢さんは二人の母親(・・・・・)に愛されて、貴方にも大切に思われていた。それだけで十分なはずだ」

 

 社長室の扉が開き、飛び出してきたお嬢さんが私の腹に顔を埋めた。

 小さな身体は内から溢れる感情で小刻みに震え、止め処なく流れる涙が私の服を濡らす。

 

「……先生」

「ん?」

「僕は――みんなに愛されていたよ」

「……そうか」

 

 密室の中で二人が何を話したのか…………それは彼女達だけの秘密。

 扉越しに微かに聞こえた会話の断片は、私の心に仕舞っておくとしよう。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ……ああ、それと。

 学園で携帯の写真を見て、私がお嬢さんの母親の正体に確信を得た理由だけどね。

 二十年後のデュノアと瓜二つだったんだよ。




 シャルパパの本名は適当です。
 『フランス 人名』で検索したら一覧が出てきたのでそこから拝借しました。

 これで本当に原作二巻目まで終わりました。いや長かった。
 次回から原作三巻突入です。
 福音の本格的な襲撃までは文字数を減らして更新速度を上げようかなーと思っていたりいなかったり。

 今回のリクエストは、

 HIRO◆Evm/BqHhbMさんより、

・ダンボールを着た状態で「待たせたな」(MGSシリーズ:スネーク)

 アスモおばさんより、

・アダルトサマーにシャイニング・ウィザード

 i-pod男さんより、

・ラウラが「ドイツの科学は世界一ィィィィィイイイイ!!!」

 ヌシカンさんより、

・モノクマ、モノミのコスプレ(スーパーダンガンロンパ2)

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

034. 父娘の休日

今回は短めです。


 これは、私にまだ彼女達の名を呼ぶ資格があった頃の記憶(ユメ)

 

 

 銀糸の髪を振り乱しながら、私の上でラウラ(・・・)が淫らに腰をくねらせる。

 漏れる息は熱く湿り、肌は薄暗い室内でもはっきり分かるほど桜色に上気して、玉のような汗が胸の間や小さなヘソを伝って流れ落ちていく。

 学生時代からあまり伸びなかった背丈と、相反する強烈な色香。

 それがこの上なく――獣欲をそそる。

 

『ん……お前と二人きりになるのも、随分と久し振りな気がするな』

『まあ、お互い忙しい身の上だから仕方ないだろ』

『……とか言いつつ、他の皆とは頻繁に会って楽しんでいるそうじゃないか。私だけ除け者にして浮気三昧など……嫁のくせに生意気だぞ?』

 

 綺麗な爪を肉に浅く食い込ませ、首筋に強く吸い付くラウラ。

 はて、ここに吸い跡を残したのは鈴だったかセシリアだったか刀奈さんだったか。シャルや簪は吸うより吸われて悦ぶ方だし、箒と千冬姉達は好みの体位がアレとかアレとかアレとかで体勢的に不可能だとして――それに上書きするかのように、負けじとばかりに自分の印を刻み付ける。

 

『私だって、お前を独り占めしたい』

『なら独占すれば良い。私に見えているのはお前だけだ』

 

 そう言ってやると、彼女は金と赤の双眸を細めて恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

 

『…………昔は女心に気付いてもらいたいと本気で願ったものだが、今のお前は年を重ねるごとに女たらしになっていくな。酷い男だ。酷くて卑怯なクセに……優しいから始末に負えん』

『皆の気持ちに正直に応えようとしてるだけだぜ?』

『女はな、惚れた男の特別になりたい生き物なんだ』

『欲深いねぇ』

 

 貪るように。

 啄ばむように。

 私の首や鎖骨に赤い痣をいくつも作ったラウラは、仕上げに深く唇を重ねて唾液を味わうと、

 

『今夜は寝かせないぞ、先生』

『望むところだ。今まで待たせた分きっちり可愛がってやるよ、教官殿』

『おい、今日は私がお前を――んぁっ!?』

 

 ドイツ軍にその人ありと謳われ、一睨みで泣く子も黙るボーデヴィッヒ大佐は、やだ、待ってとあられもない嬌声を上げながら快感にひたすら身を震わせるのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「…………」

「ようやく起きたか父よ。おはよう」

「…………おはよう。で、キミは何してんの?」

「父親を起こす時はこうするのが一般的だと教えられたのだが?」

 

 私に跨ってゆさゆさと身体を揺らすうーちゃん。当然裸じゃないし発情もしていない。

 うんまあ、確かに休日の朝とかによくあるシチュですけども……さっきまで見ていた夢のせいで背徳感と罪悪感が凄まじい事になっちゃってるのでゴザイマス。

 改めて現実を再確認する。

 デュノア家の諸事情を片付け、パパさんに『娘をお願いします』と頼まれたのも先月の話。

 時刻はまだ六時前、隣のベッドでは山田先生が涎を垂らしてぐっすりお休み中。彼女のお胸様に挟まれているクリーパー抱き枕が羨ましい。

 

「ほれ、もう目は覚めたから降りた降りた」

「わぁー」

 

 オデコを軽く小突いてやると、うーちゃんは楽しそうにころんと引っくり返った。

 そうなると当然、この娘の背中に私の下半身の感触が伝わって来る訳で――

 

「む、背中に何か硬い物が」

「いざって時のデザートイーグルだから触るなよ。暴発するかも知れん」

 

 するほど初心者でも旺盛でもないつもりだが、やっぱり溜まってんのかなぁ私ってば。

 純真無垢――かどうかはともかく、周りで生活するお嬢ちゃん達や同居人に配慮して、これでも節制っつーか性欲をコントロールしていると思ってたんだけど。

 

「白衣じゃないんだな。何と言うか……新鮮だ」

仕事中毒(ワーカホリック)でもあるまいし、寝る時まで着てたら流石に変でしょうが」

 

 洗面所に行く――トテトテとカルガモの子どもみたいに後に続くうーちゃん。

 気にせず歯を磨く――自前の歯ブラシを取り出して隣でシャコシャコ磨くうーちゃん。

 髭を剃る――その様子をキラキラした目で興味深そうに見るうーちゃん。

 最後に顔を洗う――びしょ濡れの顔で『拭いて拭いて』とアピールするうーちゃん。

 

「……私と同じ事すんのがそんなに楽しいか? 共同生活なんて軍隊で慣れっこだろ」

「自分でも不思議だと思ってる。けど……お、お父さんと何かを一緒にするのがな、その、何故かどうしようもなく楽しくて――嬉しくて仕方がないんだ」

「…………」

 

 照れるっつー人間らしい感情も遠い昔に置き去りにしたワタシではありますが、年頃の女の子にそんな事を言われて嬉しくも何ともないと言えば嘘になる。

 うーちゃんもうーちゃんで、自分で言ってて恥ずかしくなったらしく――真っ赤に染まった顔にタオルを押し付けて隠してしまう。ちょいとお嬢さん、それ私のタオルなんだけど。

 

「……ちと早いが、朝メシでも食いに行くか?」

「うん……」

 

 みんなお休み日曜日。故に寮の食堂が開く時間も遅い。

 けどま、きっちり寮内で食べなきゃならん必要も、学園外で食べてはいけないって校則もない。

 すっかりトレードマークとなった白衣を羽織り、携帯と財布をポケットに突っ込んで、ついでに山田先生に簡単なメモ書きを残してうーちゃんと部屋を抜け出す。

 こんな関係になってから初めてな気もする、父娘二人水入らずのお出かけ。

 さぁて、何を御馳走してやろうかね。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 働き過ぎな日本の因習だろうか、早朝から営業している店は存外多い。

 軒を連ねる飲食店の中から我が娘がチョイスしなすったのは、世界規模でチェーン店を展開する某ハンバーガーショップだった。らんらんるーのアレね。

 たとえ選んだのが牛丼屋でもラーメン屋でも回転寿司でもコンビニのサンドイッチでも、本人が食べたいと思ったのだから別に構わない。

 構わない、のだけども――

 

「……どうしてわざわざ私の膝の上で食べるのかねぇ」

 

 朝陽が差し込む窓際の席。

 もしゃもしゃと美味しそうに頬張る銀髪娘を眺めて心がほっこりするが、それを相殺するように周囲から視線が突き刺さって煩わしい。

 テメェら何だその犯罪者を見る目は。その通りだよ。

 

「父よ、父よ」

「んー?」

「あーん」

 

 何処ぞの女王感染者みたいな笑みでフライドポテトが差し出される。

 受け入れるか断るかっつったらさぁ、前者しか選択肢はないでしょうよ。だって、この子ってば絶対食べてくれると信じ切っている顔してんだもの。

 膝に乗せた欧州系美少女に『あーん』される、どう見ても日本人の中年。

 通報されないだけ御の字だが、夜勤明けのサラリーマンやら早朝シフトの店員やら――こっちに注目する野郎共が血の涙を流したりヤケ食いしたりでとんでもない事になっている。

 

「ふむ、何やら周りが騒がしくなってきたな」

「主に私らが原因だけどな。それでどうする? 腹も膨れたし学園に戻るか?」

「それなのだが……実は今日、一夏とシャルロットが出掛けるらしくてな、私としては嫁の行動に興味があると言うか何と言うか……」

「……要するに、少年とお嬢ちゃんのデートが気になる、と」

 

 こくんと頷かれる。

 しっかし、そんなに心配するもんでもないと思うが。

 人前で堂々と手を繋いだり、一緒に水着を選んだり、パフェやケーキを食べたり――客観的には十分にイチャついているが、少なくとも少年にデートしているって自覚はないだろう。

 何ともはや、女心を弄ぶ天才でございやがりますねぇ昔の私ってば。

 

「でも、少年とお嬢ちゃんが出掛けるって良く分かったな」

「鏡の前で『これなら一夏も……』とか言ってニヤケながら服を選んでいたら誰だって気付く」

「おやおや、そいつぁお嬢ちゃんの不手際だな」

 

 紛らわしいお誘いを受けて相当浮かれてたんだろうねぇ。簡単に想像つくわ。

 

「けどそうなると、どっかで時間潰さねぇと。流石に今行っても誰もいねぇだろうし」

 

 現在の時刻、七時過ぎ。

 尾行するにしても、当のターゲット二人はまだベッドから出てすらいないだろう。およそ大体の待ち合わせ場所と時間は覚えてはいるが、そこでずっと張り込んでいても仕方がない。

 公園で二度寝をするか、ハッピーセットでもらったオモチャで仲良く遊ぶか――まさか時間まで近所一帯のメシ屋をハシゴする訳にもいくまい。

 

「では父よ、一夏達が来るまで私とデートしよう!」

「いいよー」

 

 特に考えが浮かばなかったから娘の提案に賛成する事にした。

 野郎共がコーヒーを拭き出していたが、そんなに熱かったのかね?




最近、黒い砂漠というネトゲにハマッてます。
オープンワールドでクエストが無駄に多いから何から始めればいいのやら……。
今はロバに乗ってあちこちにカッポカッポ移動してます(笑)

次回は水着選びです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

035. おいでませレゾナンス

買い物するだけなのにこれである。


 戦場のみならず、日常にも危険はたくさん潜んでいる。

 たとえば不慮の事故、たとえば落雷や突風などの自然災害、そして昆虫や動植物――当然ながら我々人間も、捉えようによっては大多数の危険分子と言える。

 数が集まれば巨大なうねりとなるのは自明の理。 

 多数派とはこの世の『正義』を構築すると同時に、それ以外を徹底排除する『暴力』なのだ。

 つまり何が言いたいのかってーと、ロリコンだろうとミッ○ーマ○スだろうと、群れを成したらどんなものでも結構怖いよねって事で。

 

「――助けてええええっ!!」

 

 それを現在進行形でうーちゃんは味わっていた。

 わらわらと迫る集団に、恥も軍人の矜持もなく悲鳴を上げつつ逃げ惑う。ドイツの冷氷どころか外見相応の幼さ全開である。

 五十前後の敵はさらに増え続け、このままでは捕まってしまったが最後、全身を弄られた挙句に路上で恥ずかしい姿を晒してしまう事になるだろう。

 血走った目に涎を垂らす口――三大欲求の一つに従って美少女を追い掛ける姿は、ホラー映画のゾンビ共にも引けを取らない。と言うか、生きているから足はこっちの方が断然速い。

 

「おとーさーんっ!!」

 

 都会の荒波に鍛え上げられ、欲望に染まった屈強な猛者達は止まらない。

 見据えるのは、泣いて逃げる華奢な少女(エモノ)の背中のみ。

 定職にも就かず、風呂にも入らず、公園を根城にして気ままに生きる、その敵の正体とは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『くるっぽー!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ハトだった。

 公園中から集まったとしか思えない数の平和の象徴が、うーちゃんの両手に盛られたパンくずを狙って大行進。しかも鳥類のくせに飛ばないで駆け寄ってくるもんだから、普通に襲われるのとはまた別の――ヒッチコックじみた異様な迫力がある。

 しかしまあ、それもあくまで主観で見ればの話。

 うーちゃん本人にとっては恐怖以外の何物でもないのだろうが、山盛りのエサを持って走り回る光景は実にほのぼの。向こうのベンチに座ってらっしゃる老夫婦も微笑みを浮かべている。

 エサを捨てれば追われずに済む。けれどその事に頭が回らないのか、それとも私が落とすなよと言ったのが悪かったのか――軍で鍛えた抜群のバランス感覚を遺憾なく発揮して、パンくずの山を器用に維持したままうーちゃんは追われ続けた。律儀で素直な娘である。

 

「へびゅっ!?」

 

 あ、コケた。

 

「ひにゃあああああっ!?」

 

 そして天然羽毛布団に埋もれた。

 今度は奈良に行って鹿と戯れさせようと思った私は悪い大人だろうか。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「…………むー……」

 

 私の頭上でうーちゃんが恨みがましく唸る。

 

「……そろそろ機嫌直してくんねぇかなぁ」

「やっ!」

「やっ、ってあのねぇ……」

 

 膨れたまま髪の毛を結構強めに引っ張ってくれるもんだから、ナノマシンの恩恵があるとは言え三十過ぎのオッサンとして生え際のダメージが非常に気になってしまうところ。今日の晩ゴハンは海藻類を多く摂取しなければ。

 何はともあれ、うーちゃんがハトで……じゃねぇな、ハトがうーちゃんと戯れてくれたおかげで予想以上に暇を潰せた。時間的にも少年達を追跡するのに丁度良い頃合いだろう。

 ってぇ事で、ご機嫌ナナメなうーちゃんを肩車して周囲から変な目で見られつつ、目的地であるレゾナンスに向かっている私達だったが――

 

「…………一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す…………」

 

 少年の背中を睨み付け、白昼堂々殺人予告をするツインテール娘とエンカウントしてしまった。

 え、何この娘すっげー怖いんですけど。目がマジなんですけど。露骨過ぎる殺意にうーちゃんや一緒に隠れていたオルコット嬢もドン引きなんですけど。

 

「あー……二人して買い物かい?」

「少なくともわたくしはその予定だったのですが、運悪く学園の正門のあたりで鈴さんが出掛ける一夏さんとシャルロットさんを見つけてしまって……」

「それでこの有様か」

 

 おチビの背後に虎の化け物の幻影が浮かんで見えるのは……私の気のせいだと思いたい。何それスタンド? 石仮面なぞ被らなくても人間辞めかけちゃってるよこの子ってば。

 

「ところで、小父様とラウラさんは何故ここに?」

「嫁を尾行するついでにデートしていた! ハトがいっぱいで怖かったぞ!」

「あ、おバカ……」

 

 私が言い訳を考える前にうーちゃんが馬鹿正直に説明してくれやがった。しかもつい今し方まで不機嫌だったのに自慢げに話すもんだから、おかげでオルコット嬢の額に太い青筋が浮かび、私の後頭部にはでっかい脂汗が漫画のように浮かぶ。

 ああもう、般若が増えちゃったじゃないの。

 

「あら…………あらあらあらあら、そうでしたのデートしてらしたんですの。わたくしとではなくラウラさんと……へぇー? 楽しそうで良かったですわねぇ?」

「……デート、って言うほどのもんじゃあなかったけどな。一緒に朝メシ食って、暇潰しに公園で動物に戯れられて、少年ぶっ殺しちゃいそうなおチビとお前さんを見っけて」

「『あーん』もしたぞ!」

「キミはちょっと黙ってような?」

 

 お父さんの命が風前の灯火よ?

 イギリスお嬢様の笑顔がハリウッドの特殊メイクみたいになっている。じゃなきゃ人形浄瑠璃で使われてるアレだ、クワッとかキシャーッとか効果音付きで鬼の顔に変化する奴だね。嫌過ぎるわこんな和洋折衷。

 

「何か、申し開きはございまして?」

「一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す一夏殺す…………」

 

 怖い怖い怖い怖い。

 私と私が二重に大ピンチじゃねぇのよ全く。

 とりあえずおチビ、衝撃砲を戻しなさい。そんなん生身に撃ったら鼻血出ちゃうでしょ。

 

「父よ、早く一夏達を追わねば。見失ってしまう」

「流石はうーちゃん、全然空気読まねぇでやんの。けどナイス話題逸らし! さあみんなで少年を追い掛けよう! 標的を亡き者にするまでが追跡ですよう!」

「後でじっくりとお話を伺いますからね?」

「…………へい」

 

 娘同然の女の子とほのぼのしていただけなのに、何時の間にか浮気バレした旦那みたいな窮地に立たされている。あるいはキャバ嬢の名刺を発見された野原ヒ○シ。

 とりあえず、警察のご厄介になりそうなおチビを縄で縛り上げて小脇に抱え、さも当然のように反対側の腕に抱き付いたオルコット嬢を連れて雑踏に消えた少年達を追う。

 親子の団欒なのかデートなのか誘拐なのか――我ながら判断に困る状況である。

 

「あ、どうも皆さんお騒がせしてます保健所の者でーす。この猫っぽいお嬢さん噛むからなるべく近付かないでくださーい。胸の大きい人は特に注意してー」

「がるるるるるるっ!! うなーっ!!」

「鈴さん……」

「とうとう人語まで忘れたか」

 

 恋する乙女達は恐ろしいものだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ……それからどーした!

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 危機的状況と言うなら、それを『受難』と呼ぶか『女難』と呼ぶか、はたまた『いつもの事』と呼ぶかはさておき、一夏少年は現在間違いなく危機に瀕しているのだろう。

 俺はただ、シャルと買い物(・・・)に来ただけなのに――と嘆く若者。

 もっとも、どうにかデートの形に持って行こうと頑張る初恋乙女の気も知らず、相も変わらずの朴念仁を発揮している以上、この少年に救いの余地はないのだが。試着室に連れ込まれた事自体に非はなくとも、これまでの余罪や前科を考えれば陪審員総意の完全なるギルティだ。

 

「何をしているんだお前達は……」

 

 姉は眉間を指で揉み解しながら呆れた声を零し、初心に純情を足して二乗した小動物系副担任の山田先生は真っ赤な顔であわあわあわわ。

 何にせよ、シャルと一緒に試着室に入っているところを見られてしまった。

 いつも唐突に出現するあの変人先生に見付かるよりはまだマシ……なのだろうか。女物の水着に囲まれて説教されるのとからかわれるのとでは、果たしてどっちが気楽なのやら。多分、どちらも同じくらい疲れるのは間違いない。

 

「…………まあ何だ、仲良くするなとは言わんが時と場所を選べ。休日でもIS学園の生徒として恥ずかしくない行動を心掛けろ」

 

 あれ、とそこで少年一夏は首を傾げる。

 学外とは言え、家ではズボラでぐーたらな姉も今はスーツ姿で教師の顔のままだ。なのに普段の説教らしい説教もなく、まるで理解ある人格者のように無難に諭し説くだけとは。

 読心されたら鉄拳制裁確実の疑問を抱く一夏だったが、その謎は他ならぬ姉自身によってすぐに解明される事になる。

 

「――そこに隠れてる馬鹿一匹と不審者三名! お前達もさっさと出て来い!」

 

 …………果たして。

 ディスプレイされた水着の向こう側からぬぅっと顔を出してコンニチハしたのは――季節外れのハロウィンを楽しむ四人組だった。

 それ以外にどう言い表せば良いか分からない奇天烈集団だった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「待て待て待て、恥ずかしそうにまた隠れようとするんじゃない! 森の不思議な妖精さんか!」

 

 シンプルにデフォルメされた骸骨の仮面と全身を覆う黒い衣装――ショッピングモールとは何の関連性もない死神コスの変人先生は、まあいつもの事だと捨て置くとして。

 肩車されてご満悦のラウラが梨の妖精ふなっすぃ~なりきりパジャマを着ているのも、可愛いは正義だから何も言うまい。血走った目で歯を噛み鳴らす鈴はキツネリスの着ぐるみで、先生の腕に抱き付いているセシリアに至っては……もはやコスプレと言うよりただの変装だった。

 

「あー……オルコット? お前はその格好でここまで来たのか?」

「……? これが正しいジャパニーズスニーキングスタイルではありませんの?」

「確かにお前には見えない、と言うかお前だと思いたくない変装だが……」

 

 姉が呆れるのも無理はない。

 セシリアが掛けているのは――マヌケ臭い鼻メガネだった。

 今はもう宴会の席でも使われなさそうな、百均で売られていそうなパーティーグッズを、貴族の血を引くイギリス令嬢が真面目に着用している。それ以外は普通に制服姿。

 変人の口車に乗せられたのは明らかだが、被害者本人は心の底から信頼し切っているようなので笑うに笑えず、一夏も千冬もシャルも山田先生も憐憫の目で見るだけに留めた。

 

「そ、それよりもスミス先生、ヒドいですよ黙って出掛けるだなんて! いつもみたいに起こしてくれなかったから織斑先生との待ち合わせに遅れるところだったじゃないですかもー!」

「たまには自分で起きる癖をつけましょうよ。同じ部屋になってから毎日じゃないですか」

「だって、だってスミス先生だとすごく気持ち良く起こしてくれるんですもん……」

 

 大きな胸の前でもじもじと指を絡めて赤くなる山田先生。

 彼女をそんな顔にさせる先生が羨ましい――と一夏は思うがそれを言葉にはしない。口が裂けたとしても絶対に言わないし、頼まれたって言えない。

 だって、鬼より怖い姉とクラスメイトが髪を揺らめかせながら殺気を漂わせているんだもの。

 

「ほほう。気持ち良く、なぁ?」

「どう気持ち良いのか是非ともお話を伺いたいのですが。ねぇ、小父様?」

「……普通に起こしてるだけッスよ? いやマジで」

 

 と言いつつも、説明は無意味と判断して逃げる死神。

 弾かれたように追う鬼教師と鼻メガネ。

 そして逃走も空しくクロスボンバーで床に沈められ――それでもラウラと鈴を器用に庇いながら倒れるのを眺めていると、どれだけの芸人根性が染み付いているのか興味さえ湧いてくる。

 

「ところでセシリア、鈴の奴どうかしたのか? 凄い顔で俺を睨んでるんだが」

「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ぐるるるるる……!」

 

 これではもはや『凰鈴音』の名を持つ猛獣だ。

 ほら、怖くない……とか冗談半分で指を出したら間違いなく噛み千切られるだろう。縦に開いた瞳孔が雄弁に物語っている。

 

「貴方のせいでしょうに……命が惜しければ近付かない方が賢明でしてよ? 天草式の女教皇やら胸革命のハーフエルフやら第3十刃やらデビルーク星の王女やら狐耳のサーヴァントやら例の紐の竈の神やら海賊女帝やら、鈴さんからすれば天敵のような方々とばかり遭遇しましたから。何でもこの近くでコスプレイベントが催されてるとかで」

「幅広くやり過ぎだろレゾナンス……」

「ちなみに織斑先生。その方達とすれ違う度、小父様はわざわざ足を止めてそれはもうじっくりと堪能してました。しかも浮かれ顔で記念写真まで撮って。ご覧になります?」

「……ふぅーん?」

「いやいやいや、誤解しないで下さい織斑先生。それはほら、アレですよ、着ぐるみとコスプレを愛する者として参考にしたいなあと思っただけでごぜぇまして」

「で、本音は?」

「胸とか尻とかスゲェ眼福でしたグヘァッ!?」

 

 床さえぶち抜きそうな勢いで死神モドキの顔を踏み潰し始める姉。

 ああ言ったらどうなるか分かっているはずなのに神経を逆撫でするのだから、やっぱりあの人は筋金入りの変人である。あんな大人には絶対なるまい。

 

「ちょっ、止め、死ぬ死ぬホントに死んじゃう――あ、今日は白!」

「~っ!? 何処を見た? 何を見た!? 今死ね、すぐ死ね、骨まで砕けろ!」

「ギャー!!」

 

 店内での痴話喧嘩は他のお客様のご迷惑になるので止めましょう。

 

「しかし嫁よどうする? これをどうにかしないと本当に保健所に通報されかねんぞ?」

 

 さりげなく避難して来たふなっすぃ~ラウラが言う。

 これ――と彼女が指したのは言うまでもなく丈夫な縄に繋がれた鈴であり、ガジガジとリードを噛み切ろうとする姿はいよいよもって人間の範疇を逸脱しようとしていた。

 何よりも恐ろしいのは、鈴がまだISを起動させていない事だ。このまま勢いに任せて衝撃砲をズドンされた日にゃ笑い話じゃ済まなくなってしまう。

 せめて意思疎通が可能になるまで戻ってくれれば――

 

「はぁーい! 動物と会話してみたい――そんな時はこちら!」

「何事もなかったようにこっちに混ざらないでくださいよ」

「しかも鈴さん動物扱いですし」

「と言うかあれだけ踏まれてよく平気だよね」

「鍛えてますからっ!」

 

 グッ、とサムズアップする変人の向こうでは、山田先生に羽交い絞めされた姉が抜け殻と化した死神様コスチュームを踏み続けている。ラウラは目を輝かせて『カワリミ・ジツだ、ジャパニーズニンジャだ!』と大興奮しているが――まあ彼女に関しては勝手に楽しそうだから放っておこう。

 

「それで小父様、この事態をどう収拾するおつもりですの?」

「フフーフ、こんな事もあろうかと暇潰しに作ったニャウリンガルの出番さ!」

「……セーフかな、商標的に」

「アウトだと思うぞ」

 

 ンなこたぁさておき。

 先生が取り出したるは手の平に収まるサイズの機械。それを荒ぶる鈴の口元に近付け、頭や腕を齧られながらスイッチを押した。

 ピピッ、と安っぽい電子音。

 

【おなかがすきました】

 

「そんなしょーもない理由でこんだけ怒ってんの!?」

「違うよね、絶対違うよね!? 翻訳が間違ってるか壊れてるよこの機械!」

「む、失礼な。じゃあもう一回やってみよう」

 

 ピピッ。

 

【ふっかつのじゅもんがちがいます】

 

「まさかのドラクエ!?」

「と言うか何を復活させるおつもりですの?」

 

 ピピッ。

 

【あかまみまみ、あおまみまみ、きまみまみ】

 

「言えてねぇし!」

「やっぱり故障しているのでは?」

「変だなぁ。デュノア嬢ちゃん、試しに『にゃー』って言ってくんない? 少年の事考えながら」

「えっ!? えっと…………に、にゃー?」

((あ、普通に言うんだ……))

 

 ピピッ。

 

【いちかだいす――】

 

 読み終わる前にシャルに目を塞がれた。

 

「わーわーわーわー!? 壊れてる! 絶対これ壊れてるよ、うん!!」

「今さら恥ずかしがらんでも良いのに。本人以外にはバレバレよ?」

「は、恥ずかしがってなんかないもん!」

 

 真っ暗な視界の中、妙に切羽詰ったシャルの叫び声。

 シャルの愛らしい猫語がどう翻訳されたのか、非常に気になるのだけれども――それよりも今はムニムニと押し付けられた二つの塊と柔らかな匂いで一夏の意識は熱暴走寸前に陥る。

 蘇る大浴場での一件、そして先ほどの試着室での密着。

 鈍感だの朴念仁だの――女の敵の代名詞のような一夏でも、これだけ大胆に女体の神秘と言うか素晴らしさを強調されたら焦りもする。だって男の子だもん。

 

「シャル、その、胸が……」

「へ? …………きゃああああああっ!?」

「へばぁっ!?」

 

 ビンタ一閃。

 さらに不幸な事に、ぶっ飛ばされた先には牙を剥き出しにして待ち構える鈴の姿が。

 好きな幼馴染が他の女とデート。そして自分にはない数多の巨乳を見せ付けられ、挙句の果てに一緒に試着室に入ったりべったり抱き付いたりしてイチャイチャイチャイチャイチャイチャと。

 彼女の怒りのボルテージは限界をとっくに通り越し、メルトダウンさえ起きていた。

 

「イィィィィィィチカァァァァァァァッ!!」

「ままま待て鈴、まずは落ち着ヌガアアアアアアッ!?」

 

 ガジガジ、ガジガジ、ガジガジガジガジガジガジ。

 頭部を重点的に噛み付かれ、ゴロゴロと痛みに悶えながら二人仲良く床を転げ回る。

 

「僕達、何しに来たんだっけ……」

「おそらく水着を買いにかと。わたくしもすっかり失念してましたけど」

「それについては心配無用、事前に私がみんなの分をポケットマネーで買っといたから。サイズもぴったり、今年の新作とか貝とか紐とか例の競泳水着とか水に溶けるのとか種類も豊富!」

「待って、ねえ待って。百歩譲って僕達のサイズを知っているのはツッコまないけど、今明らかに水着に結び付けちゃいけない危ない単語が出たよね!?」

「これでビーチの視線を独り占めっ!」

「ヤだよそんな注目!!」

「着たら少年が喜ぶかも」

「うっ……それなら……」

「シャルロットさん、そこで乗り気にならないでください」

 

 何やら男にとって理想郷のような会話が聞こえて来たが――結局、変人先生は囮に気付いた姉に空中即死コンボでぶちのめされ、全員分の水着(各自で選んだ)を改めて買わされたのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 おまけ。

 

「父よ、その機械は何だ?」

「んんー? 猫っぽく喋るとその時心の中で思っていた言葉に変換してくれるオモチャ……のはずなんだけど、どうも壊れてるっぽいんだよなぁ。帰ったら調整せにゃ」

「ふーん。……ニャーニャー」

 

 ピピッ。

 

【おとうさんだいすき】

 

「おお本当だ。良かったな父よ、壊れてないみたいだぞ」

「……キミって時々こっ恥ずかしい事を平気でやってくれるよね」

 

 自分から進んで言ったのに照れるなよぅ。

 お小遣いあげたくなるじゃねぇかコンニャロー。




実はもうちょっと続いたりして。
次回はちーちゃんとセッシーの女の戦いがあったりなかったり。

今回のリクエストは、

 落葉肩上さんより、

・ふなっしーの仮装

 押し売り設定屋さんより、

・死神様のコス(ソウルイーター)

 地獄飛蝗さん、サルベージさんより、

・「鍛えてますから」(響鬼)

 elf5242さんより、

・「今死ね、すぐ死ね、骨まで砕けろ!」(テイルズオブディスティニー2:バルバトス)

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

036. 修羅場Lovers

本当にお待たせしました。

この季節になると忙しくなる仕事なもので……。

あとはブレイダーの育成に忙しくて(オイ

てな訳で36話、始まりまふ。


 女が男二人に挟まれて『嬲』と読むが、男が女二人に挟まれても『嫐』と読むらしい。

 親友などが聞いたら血の涙を流すか絶叫するかして羨ましがりそうな――けれど常人の神経ではとても耐えられそうにない空気漂う光景を眺め、一夏はふと、そんな益体もない事を思った。

 

「……おい鈴、あんまり押すなよ気付かれるだろ」

「そんな事言ったって狭いんだから仕方ないでしょ!」

「シーッ、静かに。先生耳も良いんだから聞こえちゃうよ」

 

 店員や客に不審な目で見られながら物陰に潜んで追跡する一夏、鈴、シャルロットの三名。

 彼らから二十メートルほど離れた場所で、そこそこ年のいった白衣の男が金髪縦ロールの少女と黒髪の女性に両腕を引っ張られている。

 ジョン・スミスだの田中太郎だのハンス・シュミットだの――偽名がすっかり定着してしまった我らが変人先生だが、流石のあの人も額に『♯』マークを浮かべたセシリアと姉には完全降伏するしかないらしい。処刑台に送られる囚人のように見えるのは……多分一夏の気のせいではない。

 

「何気にさ、先生ってあの二人の言う事には従ってるよね」

「波長が合うって言うか、単純に頭が上がんないんじゃない? 何だかんだで馬鹿やったあの人を止めたり叱ったりしてるのってほとんど千冬さんかセシリアだし」

「あとは山田先生くらいだもんなぁ。千冬姉達に比べたら効果は薄いけど」

 

 容疑者の連行か、はたまた拷問部屋へご招待か。

 およそ世間一般的なそれとはかなりかけ離れた構図だけれども、渦中の本人達――特に連行役の女性二人は『これはデートだ(ですわ)』と頑として言い張るだろう。

 もっとも……デート『させてやっている』のとデート『してもらっている』という個人の認識の差異はあるが、傍から見れば大した違いはないので意識の片隅にでも置いておこう。

 

「けどデートかあ。先生あれで結構モテるから羨まし………………あのー、お嬢さん方? 何故にそんな『殺ったるぞテメェ』みたいな据わった目でワタクシめを見ているのでせうか?」

 

 半殺しどころか九割九分殺しにされそうな視線に、思わず先生のような口調になってしまう。

 

「…………一夏、あたしがする質問に嘘偽りなく正直に答えなさい。じゃないと殺す」

「お、おう……?」

「今、千冬さんとセシリアは先生の手を引っ張って何してる?」

「何って、デートだろ?」

「じゃあアンタはさっき、シャルロットと手を繋いで(・・・・・)何してた?」

「買い物」

 

 すっきりきっぱり単純明快、要望通り正直に答えたというのに――鈴は呆れ果てたような視線をこちらに突き刺し、シャルはしょんぼりと肩を落とす。はて、思春期特有の情緒不安定か?

 完全な余談だが、ラウラと山田先生は私服を買いに行ってこの場にはいない。

 付き合いの長さからいえば姉と一緒の方が自然だと感じるものの、その辺の紆余曲折については大岡裁きのようなあの状況から察してほしい、色々と。

 意外に仲良さそうな小動物系コンビが母娘のようにも見えてしまい、すぐに血気盛んな姉上様とセシリアが『ラウラの母親役=変人の奥さんポジションじゃね?』の式に気付いて彼をボロ雑巾にジョブチェンジさせたのも――まあ自然な流れと言えばその通りだった。

 

「……あ、先生の服を買うつもりみたいだね」

 

 何かから立ち直ったらしいシャルが言う。

 見れば三人は有名ブランドを数多く取り扱う洋服店の前で足を止め、店頭にディスプレイされたジャケットなどを眺めながら話し込んでいる。姉とセシリアの視線が交わる度にバチバチと物騒な火花が散っている気がするのは……もはや何も言うまい。

 セシリアは積極的に、姉は仕方なくとでも言いたげな風を装いながら――まるで競うように服を選んでは先生に勧め、すぐまた別の服を手に取ってを繰り返す。

 

「にしても千冬姉大丈夫かなぁ。男物の服なんて今まで興味持った事もないのに」

「昔のアンタの服とか千冬さんが買ってたんじゃないの?」

「基本的に俺が好きなの選んで千冬姉が支払うだけって感じだったな。中学に上がる頃には財布を任されてた俺一人で買ってたし」

「でも、織斑先生だって女の人だしそれくらいは……」

「仕事中はいつもスーツで、家ではジャージか下着姿でビールかっ食らっててもか?」

 

 暴露してやると、シャルは引き攣った笑みのまま言葉を詰まらせてしまった。

 立てば教師休めばズボラ、だらける姿はダメ女。

 かなり甘めの身内贔屓でも流石に弁護し切れない……どころか敗訴確定だ。ましてや異性の服を選定する審美眼ともなると、あの姉にその機能が備わっているかどうかも疑わしい。

 おまけに、

 

「千冬姉さ、あれでかなり緊張してるぞ」

「緊張? 千冬さんが? 壁よりデカい巨人や火星で進化したゴキブリの大群に遭遇しても眉一つ動かさないで駆逐しそうなあの千冬さんが?」

「お前の中で千冬姉はどんな存在になってんだよ……」

 

 実弟としては姉の悪いイメージを払拭してあげたいところだが、悲しい事に、超大型種だろうと害虫系黒マッチョだろうと一刀両断に斬り捨てる姿が容易に想像できてしまう訳で。

 しかし不安要素と言うなら、反対側に陣取る英国淑女も対抗馬として負けてない。

 必殺料理人のセンスがファッション方面に悪影響を及ぼしていないとも限らないし、変人の腕にしがみ付くその様子からは姉以上の緊張がありありと読み取れる。

 とどのつまりが、二人揃って内心慌てふためきまくっちゃっているのである。

 

「勢いでデートする事になっちゃってどうしようどうしよう――って感じかな」

「何だかんだで一番落ち着いてるのは先生なんだよなぁ……」

「まあ確かに場数踏んでるっぽく見えるわよね」

 

 てっきりはぐらかして有耶無耶にすると考えていた一夏達の予想に反して、変人は至極まともに二人の相手をこなしていた。

 不慣れな状況に戸惑う姉を気遣い、白衣の袖を引くセシリアにも柔らかく話し掛ける。

 身も蓋もなく言ってしまえば『……いや誰だよアンタ!?』と叫びたくなるほどの二枚目振りを発揮している訳だが、それが不思議と良く似合っていて――普段の奇行と言動こそ演技なのではと未熟者なりに勘繰ってしまう。

 

「…………実は先生そっくりのロボットってオチだったりして」

「有り得そうだから止めろ」

 

 本当に、洒落にならない。

 ただでさえ彼のバックには頭の中が不思議の国なオネーサンがいらっしゃるのだから。

 そんなこんなで観察を続けていると、ついにと言うか何と言うか……二人がそれぞれ選んだ物を変人が試着してみる事になった。激しく不安なのが何とも……。

 けれど同時に、常日頃白衣なあの人がどんな服を着るのか、ちょっと以上に興味があった。

 最初にセシリアが服を手渡し、そして二分も経たない内に試着室のカーテンが開き――

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 黒衣と仮面の出で立ちは、先ほどの死神コスに近しい。

 しかしながら前者のような剽軽な雰囲気はまるでなく、空虚な心に無気力と諦観が満ち、得体の知れなさに拍車を掛ける。

 あーとかうーとか言いつつ湯屋内を徘徊し、小学四年生の少女を慕って偽砂金をばらまいた挙句他人をパックンチョした異形の存在――カオ○シが、試着室の中にぬぼーっと突っ立っていた。

 

「……………………なんでさ……」

 

 ぽつりと零れたシャルの一言は、一夏と鈴の見事な代弁だった。

 どうやらセシリア・オルコットはジブ○ファンだったらしい。

 毎度の事ながらどんな小細工を使っているのか、影のように輪郭が揺らいでいるが――その奥に隠れた先生は珍しく気疲れしているようで熱意があまり感じられない。背が高いせいでカ○ナシと言うより大虚(メノスグラ●デ)の親戚にしか見えないし、あの先生の事だし口から虚閃(ビーム)をぶっ放すくらい平気でやってのけそうだ。自分が的にされて『ウマイゾー!』ズビズバーッとかそんな感じで。

 どうですか織斑先生、とでも言いたげに腰に手を当てて英国お嬢様は何故か勝ち誇る。その目はやっぱり過度の緊張で焦点が合わず、オホホのホホホと鳴門の大渦が如くグ~ルグルしたまま。

 

「僕も傍から見たらあんな風だったのかなぁ……」

「へー、シャルもデートした事あるのか」

「…………うん、うん。そうだろうなって予想してたけどさ、一夏はいい加減自分の発言に責任を持つべきだと思うよ? じゃないと何時か酷い目に遭うと言うか僕が(パイル)ぶち込むからね?」

「何故に!?」

 

 純粋な好奇心(あとは自分でも理解不能なちょっとしたモヤモヤ)に突き動かされて聞いてみただけなのに、返って来なすったのはおっそろしい制裁宣言だった。

 何だかんだで後攻、実力未知数(悪い意味で)な姉上様のターン。

 姉が選んだ分を押し付けられ、再びカーテンを閉めるカ○ナシ・ザ・グランデ。

 

「せめて『衣装』じゃなくて『服』を選んでてくれよ千冬姉ぇ……」

「あの様子じゃ望み薄だけどね」

 

 …………結果だけ先に述べるなら、セシリアのよりかは人の形を保っていた。

 一人の男の子として格好良いとも思うし、少なからず憧れて日曜の朝を待ち望んだ事もある。

 だからと言って――それが一般的な服屋で購入するに相応しい代物であるかと問われたら、まず間違いなくNOと即答で断言できてしまう。

 禍々しいデザインの剣と楯を携え、両肩に狼の頭部の意匠が施された紫色の騎士鎧――何処から持って来たんだ、つか売ってたのかとツッコミを入れたい魔法(マジ)なレンジャーのウ○ザードさん。

 姉のチョイスもセシリアとは別の方向にぶっ飛んでいた。

 

「見てたけどさ、俺に付き合って千冬姉も見てたけどさ! どうしてそれ選ぶかな!?」

「何だか凄く気の毒になってきたよ……」

「……もっと厄介な問題が向こうから来たわよ」

 

 鈴の言葉に視線を巡らせて――見付けてしまった。見なければ良かった。

 ああ神よ、何故貴方はこのような試練をお与えになるのですか?

 視界の片隅に入り込んだのは、シーツ(?)とコンニャク(?)のお化けが二匹。

 何時からこのショッピングモールは水木し○るワールドになった?

 

「ラウラはともかく、どうしてのほほんさんまでいるんだ……?」

 

 まあ、突飛な行動力を誇る彼女ならどんな場所にも座敷童みたいに出現しそうだが。

 ボテボテッと通路を走るチビ妖怪少女らは明らかに先生を目指していて、合流を許してしまえば確実にデートではなくなってしまうだろう。今さらっちゃあ今さら過ぎる気もする。と言うか一緒だったはずの山田先生は何処行った?

 

「どうする? どうするの!? このままじゃさらに変な事になっちゃうよ!?」

「とにかく先生に連絡して別の店に行ってもらうしかないでしょ!」

 

 言うが早いか鈴は携帯を取り出し、素早い手つきで先生に電話を掛ける。

 

 ――鈴ちゃんペッタンコ、イェイ♪

 ――鈴ちゃんペッタンコ、イェイ♪

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 二度目の沈黙が襲来。

 …………聞き間違いだと思いたい。切実に。

 

 ――鈴ちゃんペッタンコ、イェイ♪

 ――鈴ちゃんペッタンコ、イェイ♪

 

『はいもしもし、どーしたぁおチビ?』

「ケンカ売っとんのかオンドリャアアアアアッ!!?」

 

 いかん、とんでもない着メロのせいで鈴がまた壊れ始めた。

 確かに鈴の特徴を捉えていてイメージぴったり――とはまかり間違っても、口が裂けても絶対に言ってはいけない。そんな勇気は流石にない。死にたくないし。

 再び獣化した中華娘々はシャルに任せ、握り潰されかけて亀裂が入りながらも奇跡的にご存命な携帯を奪い取る。『おーい?』と暢気に声を投げる中年(魔導騎士)が憎らしい。

 

「え……と、先生! 詳しく話してる暇はないんスけど、とにかくそこから今すぐ移動して――」

『ももんがー♪』

『ふぉーっ!? 何ぞや!?』

 

 しまった、手遅れか。

 こちらの尽力も空しく、鎧コスの中年に飛び掛るなんちゃってシーツ妖怪。

 その笑顔たるや、嬉しさ満杯の楽しさ無限大ってな具合で――同じ男として顔面に抱き付かれて羨ましいだなんて思っちゃいない。ないったらない。

 未だ通話中の携帯から向こうの会話が漏れ届く。

 

『むむむっ、この隠れきょぬーはのほほんさんとお見受けする!』

『いえーす、あいあむ一反木綿ちゃんなのだー♪』

 

 どうやらシーツではなく、鹿児島弁が特徴の反物妖怪だった模様。よっくと見れば申し訳程度にちょろんと尻尾(?)らしき部位も。とすると、転んで起き上がれず、うつ伏せでジタバタしてるラウラ入りコンニャクはもしかしてぬりかべのつもりか?

 

『むもももも…………』

 

 ジタバタジタバタジタバタジタバタ――

 

『ああもう、ラウラ大丈夫か?』

『――はふっ、あ、ありがとうございます教官』

『だから教官と呼ぶんじゃない。そうだな……「お母さん」でも良いぞ?』

『ふえっ!?』

 

 ……どうやら、そろそろ本気で姉の回収に向かわねばならないらしい。

 混乱のあまり自分でも何を口走っているのか分かってねーぞアレは。

 

『お、織斑先生! どさくさに紛れて何を言ってるんですか!?』

『……? …………っ!? いいいや待て待て!? そんなつもりで言ったんじゃない! 母親がいないのは不憫だと思っただけで――』

『顔赤くして言われても説得力ありませんわ! 将を射んとせばまず馬からですの!? 外堀から埋める気ですの!? 織斑先生にとってラウラさんは所詮利用するだけの存在だったと!?』

『勝手に盛り上がりながら私を陥れるなー!!』

 

 喧々諤々、漫画チックに目を回しつつ女の言い争いが勃発。

 あの姉に真正面から喧嘩を売るなんて、セシリアさんったらマジパネェ。

 でもってその隣では、

 

『父よ、私は馬なのか?』

『じゃあ私は鹿だな』

 

 まるで他人事のように草食動物の被り物姿で肩車する『馬』『鹿』父娘。おまけにモッコモコなアルパカに着替えたのほほんさんまで引っ付いちゃってもう何が何やら。

 微妙な面持ちで静観するシャルが言う。

 

「……もうさ、知らない振りして帰った方が良いんじゃない?」

「俺もあの中に割って入る勇気はないなぁ。って言うかシャル、鈴どうした?」

「ん? そこ」

 

 そこ――とヘリウムの如く軽い口調でフランス少女が指差した先、魂が半分はみ出て昇天寸前のセカンド幼馴染が柱に縛り付けられていた。

 しかもISの自重さえ支える特殊鋼ワイヤーでの逆さ吊り亀甲縛りで、それでもほとんど胸部が目立たないのが……アレである。エセ関西弁な軽空母並みに哀れである。

 

「当て身って実際やってみると結構難しいんだね。四回くらい失敗しちゃった。あ、でも母さんに教えてもらった縛り方は上手くできた方だと思うよ?」

 

 スッゲー良いお顔でシュッ、シュッと手刀を閃かせる社長令嬢。

 まだ見ぬシャルロットのお母様、貴女は娘を一体どんな風に育てたいのですか?

 

 ――ぴんぽんぱんぽーん。

 

「ん……?」

『迷子のご案内です――IS学園からお越しの山田真耶ちゃんの保護者様、IS学園からお越しの山田真耶ちゃんの保護者様。真耶ちゃんがお待ちです。至急迷子センターまでお越しください』

『ま、迷子じゃないですっ! 迷子なのはボーデヴィッヒさんと布仏さんの方で……!』

『はいはい。すぐにお父さんかお母さんが迎えに来てくれますからねー?』

『違うんですってばー!?』

 

 あちらもあちらで何をやってるんだろうか……。

 結局、口喧嘩もそこそこに皆で山田先生を迎えに行き、半泣きの彼女とラウラにお子様ランチを奢って解散となったのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 目前に迫る臨海学校。

 とある少年は海で泳げる事を単純に喜び、とある少女達は恋心の進展に期待し、とある女性達は各々の思惑を胸に秘め、そしてとある男は――

 

「あ、織斑先生。一応こっちのエロ水着も買っちゃいましたけど着ます?」

「着るか馬鹿者!!」

 

 相も変わらず、へらへらと馬鹿の仮面を被り続ける。

 その作られた笑顔の奥で刃のように瞳を輝かせながら。




 次回からはようやく海です。
 でも福音が暴走するまではオジサマーとその他が暴走する基本ギャグですよ(笑

 今回のリクエストは、

 無限正義頑駄無さんより、

・魔導騎士ウルザードのコス(魔法戦隊マジレンジャー)

 なーき2号さんより、

・鈴ちゃんペッタンコ、イェイ♪(ビーストウォーズ・アドリブ集)

 ARCHEさんより、

・「なんでさ・・・」(Fate/stay night:衛宮士郎)


 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

037. Summer Sparking ― 弾ける『夏』 ―

そう言えば原作最新刊が発売されましたね。
……追いつけるのにあと何年かかるやら。

あと今回は最初に注意を。

だって○○だから何してもいいよねって事で(笑


 織斑千冬は白い砂浜に仁王立ちしていた。

 眉間に軽くシワを寄せ、溜め息を吐き、胸を隠すように腕を組む。

 着ているのは自分で選んで買わせた(・・・・)黒のビキニではなく、あのちゃらんぽらん男が『山田先生に着せようかなー』などと真剣な顔でほざきやがっていたフロントジッパーの競泳水着。競技用にも関わらず胸元が大きく開放されて、ジッパーなのに何故かこれ以上閉める事もできず、結果として余計に胸を強調するデザインと化してしまっている。

 なるほど確かに、男なら食い付きそうな水着だ。

 これを自分より胸が大きな山田先生に着せようとしていた――と。

 自分じゃなくて、山田先生に。

 

「…………ふぅーん?」

 

 唐突にイラッとして胸の奥がキュッとなって、あの馬鹿を殺したくなった。

 まあ、それは何時でも執行できるから後回し――ついでにこのモヤモヤの正体についても全力で無視を決め込むとして、とりあえず現状を把握しなければ。

 日本の砂浜であれば心ない利用客が残したゴミが多かれ少なかれ散見するものだが、踏み締めた砂浜にはゴミどころか小石一つなく、砂粒の一つ一つが磨き抜かれた極小の宝石のように日差しを反射させている。しかも陽光降り注ぐ晴天だと言うのにちっとも足の裏が熱くない。

 爽快に澄み渡る青空と、それに負けず劣らずの海原、延々と続く砂浜と……自分。

 この世界はたったそれだけ。

 地球上の何処を探してもこれほどの絶景はお目に掛かれないと断言できる――そんな世界。

 以上の点を踏まえ、千冬は一つ頷いて単純明快な結論を出した。

 すなわち――

 

「これは夢だ」

 

 ――と。

 夢と自覚できる夢、所謂『明晰夢』と呼ばれるものだ。

 けれど如何せん、明晰夢だろうと白昼夢だろうと千冬からすれば感動も喜びもない。むしろ逆に小さな焦りと自責の念さえ生まれてくる。

 夢を見ていると言う事はつまり、現実の自分は眠っている事に他ならないのだから。

 臨海学校の引率として、担任教師として、生徒達の前で惰眠を貪るなど言語道断。

 生徒達と愚弟(+馬鹿一名)と共にバスに乗り込んだのは確かだ。馬鹿を隣に座らせようとするオルコットと睨み合い、最終的に教師権限で自分の隣の席に蹴り込んだのも覚えている。

 とすると自分は今、あの馬鹿の横ですやすや寝息を立てている事になる。

 

「まさか、もたれ掛かったりしてないだろうな……?」

 

 あいつの肩に頭を乗せてたりとか、もしかしたらそのまま倒れ込んでひ……膝枕みたいな状態になっていたりとか、それはそれでしてもらってる実感がないから残念――じゃなくて!!

 ぼふんっ、と赤熱化した頭を振り振り。

 何にせよ、一刻も早く目覚めなければと思うのだが、躍起になっている時に限って思考は余計な方向へと舵を取ってしまうらしく。

 

「あ……っ」

 

 不意に背後から抱き締められた。

 顔は見えてないのにあの馬鹿だと分かる。

 鞭のようにぎっちりと筋肉の詰まった硬い両腕が、千冬の肩を包み込むように交差する。背中に伝わる熱は太陽のそれとは違って生々しく、ほとんど強引なのに確かな優しさを感じてしまう。

 ああこれはよろしくない、ひっじょーにマズイ。

 心臓はトクントクンと早鐘みたいに喧しいし、身体は強張りつつ弛緩するばかりで言う事なんぞちっとも聞いてくれやしない。そもそも振り解こうとする気すら起きない。

 自分が今どんな表情をしているのか、鏡があったら叩き割るか恥ずかしさで死ぬ。

 緩んでいるであろう顔を見られたくない、けど彼の顔は見たい――そんな二律背反の葛藤。

 こくり、と生唾一つ飲み込み、意を決して首を動かし視線を背後へ巡らせる。

 

「…………」

「…………」

 

 某アメコミで世界的に有名な、赤いタイツを被った蜘蛛男(東○版)と目が合った。

 

「……少年少女に味方する男、スパイダーマばらっ!?」

「私の夢の中でさえ空気を読まんのかお前はー!!」

 

 何故か近くに生えていたプロレス用リングのコーナーポスト、そのトップからドラゴン・ラナを見舞い、さらにファイヤーマンズキャリーの要領で担ぎ上げた変態馬鹿を前方に落として、頭部を打ち貫くようにフィニッシュの膝蹴り――Go2Sleepをぶちかます。

 

「ああもう……あーもうっ!!」

 

 何にもかもこいつが悪いんだ。

 かなり…………いやいや、ほんのちょーっぴり淡く期待してしまったのも、最近のマイブームが風呂上がり(首掛けタオル&パンツ一丁)に一杯やりながらのプロレス観戦で、自分でも女として正直どうよと悩んでしまうのも、全部こいつが分かってくれないからいけないんだ。

 

「ふーむ……じゃあ織斑先生は私に何をして欲しいんです?」

「何ってそれは――」

 

 バネ仕掛けのように跳ね戻った馬鹿に言い返そうとして、はたと気付く。

 もし、馬鹿がおふざけ全開のコスプレ姿ではなかったら。素顔をイメージしたまま抱き締められ続け、ずるずると爛れた夏の雰囲気に流されていたとしたら。

 望み通りに変化するこの夢の世界で――私は一体何をさせる気でいた(・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………っ!?」

 

 全身の血液が集まったんじゃないかと思えるくらい顔が熱くなる。

 

「う――わああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 外聞もへったくれもなく、普段のクールな仮面も投げ捨てて千冬は逃げ出した。

 波打ち際をひたすらまっすぐに、気持ちの整理がつかないと言うか欲望塗れの自分に驚いていると言うか――とにかく一度馬鹿から距離を取って仕切り直しを図りたかった。

 しかしながら、馬鹿の幻影はわずかに心に残った別の願いを聞き入れてしまったらしく。

 

「はっはっはー、待て待てー☆ 蝶・脱皮!!」

 

 蛹から成虫へ羽化するが如く、赤タイツを破って現れる毒々しい黒タイツ。

 パピヨンマスクの奇人が虹色の光の羽を生やして宙を舞う――その光景は正しく悪夢。

 いやまあ確かに、海辺のカップルっぽく追い掛けてほしい願望もあるにはあったけども!

 

「ふぅーはははは、月光蝶であるっ!」

「変態だー!?」

 

 何時の間にか右手で握っていたブレードを振り回す。

 風○傷だか月牙○衝だか百八煩○鳳だか自分でも分からん謎の斬撃を受け、バタフライ飛行中に股間から五等分される蝶絶馬鹿。それでもしぶとくプラナリアみたいに五体に再生するもんだからもうどうしたら良いのやら。

 希望より絶望を感じる非常にシュールな面を着けた赤フンドシ。

 一昔前に有名だったメタリックマッチョ(ボディペイント)な炭酸飲料ヒーロー。

 パンティを被り、無理矢理伸ばしたブーメランパンツに網タイツの通報確定男。

 ダンボール製の仮面以外は全裸(千冬の羞恥心によりモザイク修正)の自由の騎士。

 パンダを意識したマスクとユニフォームを纏う、国民的海賊漫画の背景キャラ。

 

「「「「「ユーニバァァァァァァァァス!!!!」」」」」

 

 ポーズを決めた背後でショッキングピンクの爆煙がドーン!!

 それに巻き込まれて馬鹿共(同一人物)がボーン!!

 そしてすぐに起き上がりル○ンダイブで飛び掛かって来る。

 

「「「「「ち~ふゆちゃ~ん!」」」」」

「どうして平気なんだーっ!?」

「「「「「爆発を………我慢したんだ!!」」」」」」

「いやあああああっ!?」

 

 次から次へとホームラン級フルスイングで返り討ちにするものの、しぶとさは本物並みのようでゾンビさながらに生き返るからキリがない。この際愚弟でも良いから助けに来てほしい。もしくは身代わりになれ。

 そんな投げやりな望みが具現したのか、二つの人影が太陽を背負って砂浜に降り立った。

 

「千冬姉ぇ、大丈夫か!?」

「ここは私達に任せてください」

 

 ……多少異色ではあったが。

 

「一夏と、篠ノ之か……?」

 

 片や、赤を基調とする迷走仮面ドライバー。

 片や、1号よりもライダーらしい白の2号ライダー。申し訳程度にポニーテール付き。

 色的には逆にした方が合う気もする。

 

「やあ先生、ひとっ走り付き合えよ!」

「追跡! 撲滅! 悪・即・斬♡ いずれも……マッハ!!」

「やっぱり悪夢だなこれは……」

 

 篠ノ之が姉に憑依されたみたいに魔法少女のポーズ取ってるし。

 予期せぬ妨害に変態共は一瞬たじろぐも、すぐに立ち直ってスクラムを組む。顔を突き合わせてヒソヒソと作戦を練ってるっぽいのだが、格好も相まって極めて不気味だ。

 あ、いきなり喧嘩が始まった。

 

「くそっ、仲間割れしたように見せて動揺を誘うつもりだな!?」

「違うと思うぞ……」

 

 どう見てもあれは本気の同士討ちだ。

 殴る音に混じって『おっぱい』だの『尻』だの『へそ』だの『鎖骨』だの『腋』だの、一体何について言い争っているのか知りたくもない単語まで聞こえてくる。

 やがて拳混じりの話も終わったのか、猥褻物五人衆は再び思い思いのポーズを取ると、

 

「「「「「しゃらくさいわぁ!! 合・体!!」」」」」

 

 五人の身体がビガビガーッと派手に発光し、次の瞬間には十メートル近い巨体が砂を巻き上げて目の前に立ちはだかる。メカメカしいデザインなのに馬鹿の面影が残っているのが腹立たしい。

 対峙する変態合体ロボ一機とライダー二人。

 だが、勝負は双方が激突する前に終わりを迎える事となった。

 突如飛来したロケット弾によって。

 

『…………へ?』

 

 爆発四散するロボ。巻き添えで沖まで吹き飛ばされフレームアウトする愚弟と幼馴染の妹。

 

「ったく、人の顔使って何してんだっつの」

 

 振り返れば彼がいた。

 大きく『半魚人』と書かれたシャツと色褪せたジーンズに白衣を羽織り、舞台がビーチだからか安っぽいサンダル履き。ロケットランチャーを肩に担ぎながら歩み寄って来る。

 咥え煙草で気だるげで、ついでに少し眠そうな表情。

 自然に振る舞う彼に何だかとてもホッとして――

 

「お待たせしてすみません、織斑センセ」

「あ、ああ…………お前は『本物』なの、か?」

「貴女がそう思うなら、そうなんでしょうねぇ。だってここは織斑先生の夢なんですから」

 

 気付けば彼はもう目の前にいて、暴れる鼓動さえ聞かれてしまいそうだ。

 さっきまでの馬鹿騒ぎで余計に意識しちゃって顔もまともに見れない。ああ止めろ、頭を優しく撫でるんじゃない。年下だからって子ども扱いしないでくれ。

 ぐずる赤子のように首を緩く振ると、その右手は頬へと伸びて焦れったいむず痒さを生み出す。

 

「それで、私に何をしてほしいんです?」

「ぅ…………」

 

 同じ質問でも『本物』と『偽物』ではこうも違うものなのか。

 今度は逃げ出す余裕もない――いや、逃げ出そうとする感情も湧き上がらない。

 一度目が『自覚』だったのに対し、二度目は『決意』が心を支配する。どうせこれは夢、誰かに知られる事もない……と自分自身に言い訳する逃げ道もある。

 彼の胸にそっと手を添え、目を閉じて顎を上げる。

 恥ずかしさから声は出なかった。ただ唇だけを静かに震わせて吐息に願いを乗せる。

 

 ……して、と。

 

 音のない言葉を紡ぐと同時に乱暴に抱き寄せられ、互いを貪るように――

 

「――織斑先生? もしもーし?」

「………………ぇあ?」

「あ、起きました? そろそろ着くみたいなんスけど……」

 

 ぼんやりと思考に靄が漂うまま、緩慢な動作で周りを見る。

 青く輝く海原に歓声を上げる生徒達、自分の代わりにそれを収めようと頑張る山田先生、大量の菓子を与えられてリスのようにモシャモシャ頬張っているラウラ、愚弟を巡って恋の火花を散らす篠ノ之とデュノア、なかなか堂に入った殺気をこちらに飛ばすオルコット。凰は知らん。

 あと――自分の隣に座る馬鹿が一名。

 馬鹿の白衣の右肩部分には涎の染みがあり、自分の口元にも垂れた痕跡。

 あー…………あーあーあーあーあーっ!!!

 

「…………し」

「し?」

「死ねぇぁド変態!!」

「何なのいきなり!?」

 

 顔面に拳を食らい、馬鹿は窓を突き破って車外へと落ちていった。

 何かに乗り上げたようにバスが一度バウンドする。

 

「わああああっ!? 先生が轢かれた!!!」

「そんな事でいちいち騒ぐな馬鹿者! あれくらいで死ぬ男か!!」

「いやいやいやかなり無茶苦茶言ってるよ千冬姉!?」

 

 

『おーい待ってけれー!!』

 

 

「ホントに生きてたー!?」

「しかも走ってバス追い掛けてるし!?」

 

 やっぱり馬鹿は馬鹿だった。

 あれは一時魔が差しただけだ。うん、そうだ、そうに違いない。

 顔から火が出そうな記憶を厳重に封印するために、千冬はきゃあきゃあと騒ぐ教え子達の鎮圧に勤しみ逃避を決め込むのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……前が見えねぇ」

 

 寝てた姉貴を起こしたらご褒美に拳を頂戴した。

 殴られる理由は――まあ身に覚えがあり過ぎてどれか分からんけども、今回ばっかりはまだ何もやらかしてない……と思う、多分。だってバス乗ってただけだし。

 ふーんむ、全くもって謎である。

 

「しっかし、たった二泊三日なのにお嬢さん方は荷物が多いねぇ」

「レディには身支度を整えるのに欠かせない物が多いんですのよ、小父様?」

「それに、そう言う先生だってバックパッカーみたいな大荷物だよね」

 

 荷台から自分の荷物を降ろしたオルコット嬢とデュノア嬢ちゃんが、呆れ顔でそんな事を言う。

 

「一体何が入ってるのさ……」

「んーと、お菓子の他にトランプとかUNOとか人生ゲームとか、あとは――ぬおっ!?」

「布仏さん!?」

「…………(むぐむぐもぐもぐ)」

 

 何時の間にか菓子の大半を食い荒らしたのほほんさんが入ってた。

 

「……オルコット嬢、デュノアちゃん。この娘さん向こうに連れてってくれん?」

「う、うん分かった」

「ほら、行きますわよ布仏さん」

「…………(さくさくぽりぽり)」

 

 二人に両手を引っ張られて運ばれるハムスターのほほん。

 恐るべしキグルミスト、やはり彼女は侮れんな……。

 そう思っていると、うちの眼帯ド天然娘も水着姿で颯爽登場してくれやがった。

 

「海は何処だー!?」

「いや目の前にあるから。逃げんから。制服に戻って皆と一緒に整列してらっしゃい。ビニールのイルカもまだいらんいらん!」

 

 着替えさせたうーちゃんを山田先生に押し付け、車内に忘れ物がないか確認した後、少し離れた木陰に腰を下ろして私はようやく一息ついた。

 何っつーか、この辺は女子高生パワーって奴やね。

 慣れてたつもりだが流石の若さにゃあオジサンも勝てんわ。

 

「あの、すみません。花月荘と言う旅館はこの先で良いんでしょうか……?」

「え? あー、向こうですけど、私らも同じ旅館なんで一緒に行きま、す……か…………」

 

 美人と分かる声に俯けていた顔を上げ、そして私は絶句した。

 何故なら――

 

「どっ、どうしてテメェがこんなところにいやがるんだ!?」

 

 外国人観光客を装った秋姉が、パンフ片手に私と同じくらい驚いた顔で立っていたからだ。

 ……えーと、うん、久し振り?




 今回のリクエストは、

 なーき2号さん、あいーんチョップさんより、

・スパイダーマンのコス、および「少年少女に味方する男、スパイダーマン!」

 せぶん☆すた~さんより、

・KENTA選手の技「go2sleep」
・ドラゴン・キッド選手の技「ドラゴン・ラナ」

 マーサーさんより、

・パピヨンのコス(武装錬金)

 ディジェさんより、

・「月光蝶である!」

 神薙之尊さんより、

・赤褌一丁で東方のこころが持つ『希望のお面』を装備した変態スタイル

 act3さんより、

・ペプシマンのコス

 賽銭刃庫さんより、

・変態仮面のコス

 無限正義頑駄無さんより、

・自由の騎士ゼンラーマンのコス(ミスマルカ興国物語)

 kuroganeさんより、

・パンダマンのコス(ワンピース)

 きょ~へ~さんより、

・「ユーニバァァァァァァァァス!!!!」

 警備さんより、

・「ち~ふゆちゃ~ん」でホームランを食らう(ルパン三世のノリで)

 ディストピアさんより、

・「爆発を………我慢したんだ!!」(怪盗天使ツインエンジェル:ミスティナイト)

 ブ、ブヒィさん、黒亀さん、クロウシさん、アキさんより、

・仮面ライダードライブ、マッハのコス
・「ひとっ走り付き合えよ!」
・「追跡! 撲滅! いずれも……マッハ!!」

 ヌシカンさんより、

・「悪・即・斬」(るろうに剣心:斎藤一)

 監督提督さんより、

・「前が見えねェ」(クレヨンしんちゃん:原作漫画)

 でした。

 今回採用したもので、自分もリクしたのに名前がないと言う方がいたらご連絡お願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

038. 女狐の策謀。あるいは余計なお節介

「スコォォォォル!! テメェ私を嵌めやがったなコラァ!?」

 

 絶好の海水浴日和に似つかわしくない怒声が轟く。

 予想外の再会を果たしてしまった私と秋姉。

 一晩だけ、そして要人暗殺を手伝ったとは言え、アルコールの勢いで肉体関係を持った仲だから気まずいったらない。例えるならそう――篠ノ之(未来)を抱いていると思って朝を迎えたら実は凰(未来)だった時のように。薄暗かったにしても胸で気付けよ私って話だ。

 

 閑話休題。

 

 何故海に、それもタイミングを計ったように今日この場所にいるのか――取り敢えず落ち着いて情報交換してみれば何の事はない、秋姉はスコール姉さんから指令を受けて来たのだそうだ。

 別命があるまで指定された場所、つまり花月荘で観光客を装って潜伏する手筈らしいが、改めて組織に確認してみれば有休扱い(あるのかよ)だと返され、その申請をしたのがスコール姉さんと判明した時点でようやく事の真相が見えたのだった。

 

「……やり手ババアってのは、あの人のためにある言葉なんだろうねぇ」

 

 全く、お見合いさせるのが好きな親戚のおばちゃんじゃあるまいし。

 まだまだ興奮が収まらないのか、秋姉は携帯に向かって喚き続ける。アラクネでの通信ではなく破棄が前提のプリペイド携帯を使用しているあたり、どれだけ冷静じゃなくても流石は筋金入りのエージェントと言ったところか。

 専用機の所持を許されているのは各国の代表操縦者及び候補生、テストパイロットなどを含めた政府や軍の関係者だが、何事にも例外は存在する。

 私がそうだったように、手段さえ選ばなければISの奪取は案外簡単なのだ。裏社会での幅広いネットワークと影響力を有する亡国機業なら尚更に。

 しかしだからと言って、誰の目があるか分からない状況で馬鹿正直にプライベート・チャネルを使えば『今IS持ってるんですよー』と大声でバラすようなものだし、注目を集めた挙句公安やら諜報機関やらの耳に入ったりなんかしたらそれこそ仕事どころじゃない。

 故に亡国機業においても、よほどの緊急事態か必要性がない限りは普通に携帯やメールで連絡を取り合っていたりする。まあ、この状況もある意味かなりの緊急事態なんだけど。

 

「チッ…………おい、テメェに代われだとよ!」

 

 などとつらつら思考を巡らせていると、顔を赤くした秋姉から携帯を投げ渡された。蜘蛛の巣を模したストラップが秋姉らしいっつーか何つーか。

 耳に当て、数ヶ月振りのスコール姉さんの声を聞く。

 

『ハロー、毒蛇(パイソン)。夏の海を満喫してる?』

「貴女のおかげで退屈しそうにないですよ、女狐さん」

 

 毒蛇と女狐――私達は互いをそう呼んでいる。

 亡国機業に喧嘩を売ったとか弁当のおかずを奪い合ったとか血生臭い理由ではなく、私の場合は裏業界で広まっているらしい『白毒蛇(ホワイトパイソン)』の通り名から、スコール姉さんに至ってはツ○ッターの登録名である『荒天女狐』から取っただけだ。たまにこの名を使ってフロンティアで狩猟デートと洒落込んでいたりする。ついでに『私に似て美人でしょー?』と姪っ子も紹介された。

 ンなこたぁともかく。

 

「真面目な話、彼女をここに寄越してどうするつもりなんです? 身元は委員会経由でどうとでも誤魔化せるでしょうが、今回メインは『ISの非限定空間における稼働試験』――そんなところに部外者が偶然を装って現れたら警戒されちまいますよ?」

『どうするも何も本当に有休取らせるつもりなのよねぇ。ほら、オータムってばあんな風に見えて仕事の虫なところがあるし、休んでも部屋で下着のままお酒飲んでプロレス見てるだけ。そりゃあオフに何しようが勝手ですけど女としてオッサン化は問題でしょ? 出会った頃のツンツンしててデレると可愛い小猫ちゃんなオータムは何処行っちゃったの!?』

「私に言われてもなぁ……」

 

 小猫ちゃんて、言葉の端々に世代を感じるなぁこの人も。

 にしても秋姉の深刻なオッサン化……うちのダメ姉と同じですねと大笑いしたらどちらに対して失礼になるのだろうか。きっとどちらからも殴られるに違いない。八本の装甲脚とブレードで。

 

『そんな訳でー、オータムの女子力を取り戻す手伝いをよろしくね色男さん。押し倒してキスとかおっぱい揉んだりとか全然OKだから! 帰ってきたらお腹が膨らんでて薬指に指輪してたとかの超展開でもいいから! 普段はああだけど結婚して心を許したらベッタベタに甘え上手な奥さんになるわよきっと! 七回と言わず十回でも二十回でも前みたいにズコバコヤりなさい!!』

 

 デキ婚を推奨する悪の組織の女幹部。

 うん、何てエロゲだこれは。

 

「大声で言うな生々しいわ!! つーか学校行事の最中にそれ本気で実行したら間違いなく確実に私が殺されるっつーの!! 未亡人にしろってか!?」

『据え膳を食べるのがサムラーイなんでしょ!? つべこべ言うなら次の狩りの時一切戦わないでずーっと小タル爆弾で邪魔ばっかりし続けるわよ!? たまに大タルも使うわよ!?』

「恐ろしい事を考えやがるなアンタも!?」

『とーにーかーく! 無理通してセッティングしたんだから二人で頑張ってね! それじゃ!』

「あっ、ちょっ、もしもーし!?」

 

 言うだけ言ってスコール姉さんは一方的に切りやがった。

 何度か掛け直してみるが着信拒否されているのか一向に繋がらない。

 

「……スコールの奴、何だって?」

 

 秋姉はまだ頬を紅潮させたままだ。

 よっぽど怒り心頭なのかそれ以外の理由からなのか、ちらちらと私の顔を窺い見るものの視線を合わせようとはしない。確かにちょっと人見知りな小猫っぽくて可愛いと言えば可愛い。

 細かく説明すると火に油を注ぐ結果になりかねないため、要点だけを簡潔に述べる事にした。

 

「早く孫の顔が見たいわー、だそうで」

「行き遅れの娘心配する母親かアイツは!? てかテメェもあっさりと言うな!」

 

 こう見えても結構テンパッてるのよ?

 あ゙あ゙ー!! と第二の人格でも現れそうな感じで吠えて悶える秋姉。重要な任務でもないのに恋人から『他の男と寝ろ。つか子ども作れ』なんて言われたら誰だってそうなるわな。

 歌舞伎の連獅子よろしく金髪を振り乱す姉貴分をどうしたものか。

 十秒ほど悩み、とりあえず面白いからこっそり携帯でムービーを撮る私なのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 この男ととんでもない出会いを果たしてから、どうにも調子が狂い続けている。

 思い出すだけで顔から火が出そうになる――あの日を境に周りの雰囲気が一変した。

 スコールはヒラヒラした服を最近やたらと勧めてくるし、あまり親しくなかった同じ実働部隊の部下達(いずれもまだ少女と呼べる年齢)は妙に色めき立って話を聞きたがるし、エムに至っては廊下で出くわす度に真っ赤になって逃げ去る始末。

 スコールはともかく、部下やエムから向けられたのが悪意や敵意なら殴るなりぶっ殺すなりして黙らせるのだが、興味本位なだけのガキ共を折檻するのも後味悪い。エムに関しては口を開く前に逃げられてしまうのでどうにもならない。あれ(・・)を聞かれて逃げたいのはこっちの方だと言うのに。

 居心地の悪さを感じていたそんな時に極秘の単独任務を言い渡され――極秘のはずなのに誰かとすれ違う度に『頑張ってくださいね!』と激励された時点で疑いを持つべきだった。

 汚名返上……と忌避するほど不快ではないのだけれども、普段の調子を取り戻すため意気揚々と出向いてみれば、待っていたのはIS学園の一行と驚く馬鹿が一名。

 問い質し、情報のパズルを完成させたらあ~ら不思議――『テヘペロ♪』と笑う若作りな女狐を幻視できてしまうではないか。しかもしっかり有休を申請する徹底振り。

 一体何考えているんだあの野郎、いや女郎。

 

『オータム貴女ねぇ……その様子じゃあもしかしなくても自覚ないんでしょうけど、お酒が入って酔っ払う度に彼の話してるのに気が付いてる?』

 

 怒鳴る自分を宥めるように、電話の向こうでスコールは言った。

 言われて危うく何かを噴き出しそうになり、気合で喉奥に押し戻した自分を褒めてやりたい。

 

『また織斑千冬とじゃれ合ってたとかドイツの代表候補生を甘やかしてたとか、ほとんどヤキモチ焼いてるようにしか聞こえない愚痴ばーっかり。おかげでこっちの耳はマリネかカルパッチョでも作れそうなくらいタコだらけ――そりゃみんなで一芝居打って協力したくもなります。IS学園でスパイしてる私の可愛い姪っ子なんか、最近じゃ貴女に渡す用の報告書までわざわざ別々に分けて送ってくるのよ? もちろん中身は彼の動向に関するデータだけ』

 

 もう手遅れなレベルで外堀が埋められていた。

 仮にも自分とスコールは恋人同士なのに、何故こうも根回しが手早く進んでいるのか。そもそも酔っ払った時の話云々が本当だとして、他の男に現を抜かしているのにスコールは平気なのか?

 

『もちろん私だって誰にも負けないくらい貴女を愛しく想ってるわ。けど恋人だからこそ、貴女の本気の恋愛を応援したいと考えているの。酸いも甘いも噛み分けちゃって自分の人生さえ味気なく感じてる私だからこそ、ね』

 

 後悔してからじゃ遅いの。自分に正直にならなきゃ――と。

 トーンを落としたスコールの声が、何故だか妙に心に残った。

 

『それにねそれにね? 私と彼が仲良くベタベタくっ付いたりしたら、両方にヤキモチ焼く可愛いオータムが見れるかも知れないじゃない? いえ、是非見てみたいわ!』

 

 最後の最後で台無しにしてくれやがったが。

 女尊男卑の不平等が世界中に蔓延って以来、女同士での恋愛が急増したと聞く――そして自分もその風習に染め上げられた一人なのは言うまでもない。

 だからだろうか。

 異性に……男に少なからず興味を持ち、それを指摘されて戸惑う自分がいる。

 

「まあ、有休だってんなら湯にでも浸かってのんびり羽を伸ばしたらどうです? 海を一望できる絶景だそうですよ、花月荘自慢の露天風呂は」

 

 スコールとのやり取りが演技だったと思えるほど、白衣の馬鹿は随分と余裕そうに見えた。

 これまで自分に近寄る男と言えば、明らかに身体目当てと分かるクズ共ばかりだった。潜入先のパーティー会場だろうと組織内だろうとそれは変わらない。おかげで男嫌いに拍車を掛かっていた訳だけれど、目の前の馬鹿からは下心らしきものは全く感じられなかった。馬鹿ではあるが。

 先日の暗殺の一件で、五十人は下らないSPを素手で無力化した技も。

 どろりとした狂気を垣間見せる笑顔も。

 裏の世界に染まった自分には、むしろ好ましく思えてしまう。

 

「…………おい、分かってんだろうな?」

「私と貴女は初対面。道を聞かれただけの赤の他人って事で知らん振りを決め込む。私だって裏の人間ですからそれくらい心得てますよ」

 

 まるで長年の相棒のように心が伝わる。

 歯車がカチリと噛み合う――そんな感覚。

 けどそれを認めるのがどうにも癪で、何だか負けた気にもなるからもどかしい。いやまあ、この馬鹿と勝負なんてした覚えはないのだが――『ベッドの上では全戦全敗だったわよねー♪』と囁くスコール似の脳内悪魔は意識の彼方に蹴り飛ばしておく。

 

「スミス先生ー!」

「はいー?」

 

 馬鹿の偽名を呼ぶ声。

 見れば、学園の一団から離れてこちらに駆け寄る眼鏡女が一人。

 …………何だアレは。胸にメロン型爆弾でも仕込んでいるのか? そう言えばスコールの姪から送られてきたレポートにも『同室。キョウイ度:織斑千冬以上。要注意』と脅威なのか胸囲なのか分からんけど色々書いてあった気がする。つーかあの揺れる大玉スイカと相部屋だと? 何処かの触手教師みたいにニヤニヤ見てんじゃねーよこのスケベ野郎!!

 

「私と寝たクセに……」

 

 口の中で転がした呟きは、しかし彼には届かない。

 恥ずかしいから届いても困る。

 

「スミス先生、あの、これから皆さんに部屋割りや注意事項の説明をするので、スミス先生も一度旅館の方に来て下さい。織斑先生も『さっさと来い!』ってちょっと怖い顔してましたから……」

「ああすみません、彼女に花月荘の道を聞かれていたもので」

「あ、そうだったんですか。えっと……外国の方ですよね?」

「……コンニチハ、ドウモ初メマシテ」

「わあ、日本語お上手なんですね!」

「ハハハ、ソレホドデモアルヨー」

 

 エージェント舐めんな、日本語どころか六、七ヶ国語はペラペラだっつーの。テメェも顔背けて笑い堪えてんじゃねーよこの白衣馬鹿。

 臨海学校とは言え実地訓練も当然カリキュラムに含まれている。そんなところに偶然(・・)同じ旅館に泊まる外国人旅行者が現れたら――普通なら疑うだろうに。これだから平和ボケした日本人は。

 

「山田先生、どうせ場所は同じですし彼女も一緒にで構いませんか? 案内すると言ってしまった手前、このままハイさよならじゃあ体裁が悪い」

「分かりました。先に行って織斑先生に伝えておきますね!」

「お願いします」

 

 任せて下さい、と自信満々に叩いた胸がぷるんと揺れる。

 それを見たスケベ馬鹿がまた音速タコのようなだらしない顔になり――ついぶち込んでしまった脇腹狙いの貫手で瀕死のイモムシみたいに悶絶中。手首から先だけアラクネを部分展開しちゃった自分は悪くないと思う。

 

「痛い……真面目に痛い」

「自業自得だろバーカ。それより良いのか? あの女を追い掛けなくて」

 

 おっぱいお化けの背中を見送りながら馬鹿に問う。

 無関係を装うつもりなら、自分を残してすぐに立ち去るのが理想的だったはずだ。確かに馬鹿の言い分も律儀な日本人らしくて不自然ではないが、あまりに前言撤回が早過ぎる。

 万が一、自分が他の任務でしくじって顔を知られた場合、あの時二人で話していたから――とかそんな理由でこの馬鹿にもスパイ容疑が掛けられてしまうかも知れない。

 

「もしかして、私が疑われるかもって心配してくれてるんですか?」

「っ、ンな訳ねーだろ殺すぞ!?」

 

 殺せるはずもないのに虚勢を張ってしまう。

 守られたり庇ってもらうだけの弱い女だと思われたくなくて。

 せめて隣に並び立つだけの資格と力があると認められたくて。

 

「特に深い理由とかありませんよ? ただ――『案内してもらったお礼に軽く一杯』とか、一緒に晩酌するくらいの関わり合いなら問題ないでしょ。未成年の嬢ちゃん達もいるんで上物のワインやウィスキーなんかは無理ですけど、海を眺めながらの缶ビールってのも意外と乙なもんです」

 

 隣に美人が座ってくれるなら最高だ。

 そう言って彼はクククと笑った。

 口説き文句でもなく媚を売るでもなく、身内をからかうような砕けた軽口。

 この馬鹿にとって、肌を重ねた自分は『何』なのか――その答えを知るのが恐ろしい。我ながら柄じゃないと自覚しているけれど、聞いたら後戻りできなくなりそうで…………怖いのだ。

 だから――

 

「…………テメェの奢りだったら……少しくらいは付き合ってやるよ」

「そいつぁ楽しみだ」

 

 今はまだ、これくらいの距離が居心地が良い。

 遠過ぎるようで近く、近過ぎるようで遠い――さながら蜃気楼のような馴れ合い。

 スコールに唆されて魔が差しただけなのか、それともあの時(・・・)から既に毒されつつあったのか。

 

「楽しみ、か……」

 

 微かに口元を緩ませる自分がいる。

 何気ない一言に一喜一憂させられて悔しいやらムズ痒いやら。

 スコールの思惑通りに事が進んでいる気がしないでもないが――騙される形で強引に取る羽目になった有休だ、当て付けも兼ねて組織の独り身連中が羨むくらい満喫してやるとしよう。

 そう意気込み、さりげなく荷物を持ってくれた彼の背中を追うのだった。

 

「ところで、何で背中にタイヤの跡がついてんだ?」

「最近流行のデザインなんです、ハイ」




お待たせしました。

次回からいよいよ臨海学校と言う名の暴走が始まります。
あの人が来たりあの子達まで来たり、秋さんまで巻き込まれたりちーちゃんがヤキモチ焼いたり、中年がシバかれたり少年もボコられたり。

まあ、いつも通りですねw


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

039. 『混ぜるな危険』リターンズ

二か月ぶりの更新……覚えている人はいるかしら……。


 赤の他人(秋姉)に道を教えていただけ――と目がヤヴァイお姉様を納得させるのに十分。

 お近付きの印に女将の景子さんを口説こうとして姉に拷問され、再起動を果たすのに九分。

 曲がり角で待ち構えていた秋姉からもレバーに一撃頂き、復活の呪文を入力するのに七分。

 お嬢さん方の大半が海に突撃かましているであろうその時、私は人気のなくなった廊下の片隅でひっそりと、通り過ぎる仲居さん達に怪しまれながら燃えないゴミのようになっていた訳だ。

 そんな毎度の事はどうでも良いとして。

 

「……小父様、こんなところで一体何を?」

 

 危機的状況は現在も続いていた。

 何か知らんけどオルコット嬢が怒ってらっしゃるっぽい。ぽいぽい。

 青いビキニの上下に薄手のパーカーを羽織った若者らしいスタイルだけど、雑誌の表紙を飾っただけあって腕を組む姿は一流のモデルのようだ。目が据わってなければもっと良かったのに。

 

「何って聞かれりゃあ……裏口や窓の配置なんかを外から確認してただけでございますが?」

 

 嘘偽りはない。強いて言うなら習慣だ。

 大まかな構造や非常口の場所は旅館の案内図で知る事ができるけれども、私が確認しているのはそれ以外の侵入、あるいは逃走に使われる可能性がある『出入口』の類だ。まあ――東南アジアに潜伏してた時のボロっちいホテルとかならまだしも、花月荘に限っては一時期毎年のように訪れていたため必要ないと言えば必要ないのだが。

 これはあくまで保険。

 何処ぞの国家が私目当てで余計なちょっかい出してくるかも知れんし、女の子達を守るためなら労力を惜しむ理由もない。ただし少年、テメーはダメだ。こちらについても理由は特にない。

 

「小父様、もう一度お聞きします。女子更衣室の窓の前で(・・・・・・・・・・)……一体何をしていらしたのですか?」

 

 どうやら発見された場所が最悪だったらしい。あれは絶対勘違いしてらっしゃる。

 彼女のあの目……養豚場のブタでも見るかのように冷たい目だ……残酷な目だ……『かわいそうだけど、明日の朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね』って感じの。

 返答を間違えたら死ぬな。いや、死ぬね! 冗談抜きで! だってもうブルー・ティアーズ全機展開済みで今にもビームぶっ放しそうだしね! 白衣が穴だらけになっちゃう!

 

「あいや、いやいやいや待たれいオルコット嬢殿。誤解、誤解でござるよ? 某は女人の着替えを覗くような外道では断じてござらぬ! ほら某ってばもう立派な大人だし? 二十歳にもならない発育の良い女の子の着替えになんか微塵も興味ないでござる!」

「……先ほど山田先生が更衣室に入るのを見ましたが?」

「マジで!? …………あ゙」

 

 イカン、壁の向こうに広がる桃源郷を想像してついつい紳士メーターが振り切ってしまった。

 オルコット嬢の顔を見れば、両頬を熟れたアッポーのようにぷっくり膨らませて不機嫌を前面に押し出していた。あら可愛い。

 

「……ヒドイですわ」

「はい?」

「ヒドイですわあんまりですわ生殺しですわ不平等ですわ! わたくしにだって乙女のプライドがあると言うのに――ただでさえ山田先生と小父様は寮でも同じ部屋なのですから、こんな時くらいわたくしの事も見てくださいまし!!」

「ふむ、具体的には?」

「水着が似合ってるとか誉めてもらいたいですわ!」

 

 あ、そんなんで良いの?

 じゃあご要望にお応えして男らしく――

 

「オルコット嬢……今すぐここで押し倒したいくらい似合ってるぞ」

「はうあっ!?」

 

 軽く抱き寄せて耳元で囁いたらオルコット嬢が爆発した。この子もリア充だったのか。

 フードを思い切り引っ張って顔を覆い隠し、しゃがみ込んでうーうー悶えるお嬢様。イギリスの妖精にこんなのがいたような、いなかったような。一家に一匹ぷちオルコット、五個ぐらい重ねた空き箱の上に乗って頑張ってネクタイとか結んでくれます。グラグラ揺れるからハラハラします。

 にしてもさぁ……そんなに照れるくらいなら誉めてとか言わなきゃ良いだろうに。将来悪い男に引っ掛かりそうねぇこのお嬢さんってば。

 …………ああ、私か。

 

「いーぃくぅーんっ!!」

「今度は何よ……」

 

 私を『いーくん』などと呼ぶ人間は一人しかいない。

 オーバーヒート中のオルコット嬢を放置して、喜びに満ち溢れた声っつーかヌーの大移動じみた足音のする方へ視線を移せば――もうもうと土煙を上げ、邪魔な木々を重機の如く薙ぎ倒しながらこちらに走り迫るたばちゃんの姿があった。

 

「いぃぃぃぃぃいくぅうううううんんんんっ!!!」

「たぁあああばちゅわあああああんんんんっ!!!」

 

 両手を広げ、相撲でも取るみたいに真正面から抱き合う――が、勢いに押し負けそのまま地面を転がっていき、一際太い木にぶつかってようやく止まる。

 うーん、大型ブルドーザーでも相手にしてる気分だぜ。

 

「いーくんいーくんいーくんいーくんっ!!」

「たばちゃんたばちゃんたばちゃんたばちゃんっ!!」

 

 互いに頬を密着させて上下にスリスリ。

 ソフトボール大のタンコブができて医者に診せたら即刻手術な後頭部とか、タイヤ跡に土汚れも追加されて可哀想な見た目になってる白衣とか、結構悲惨だけどまあいっかー。ほっぺも赤ん坊に負けないくらいプニプニもち肌だしー、おっぱい柔らかくて申し分ないしー、ぐへへへへ。

 

「――なななな何をしているんですの小父様!? 篠ノ之博士も!」

 

 あ、オルコット嬢が復活した。

 

「何って、生いーくんを堪能してるんだよ? 頬擦りずりずりずり~」

「私はまあ、親愛の証みたいな? あ、怒られるから織斑先生には内緒ね。ずりずりずりずり」

「怒られるのがイヤなら最初からしないでください! 篠ノ之博士わたくしと交代――じゃなくてふしだら、そう破廉恥ですわ! はーなーれーてー!!」

 

 何処かの風紀委員のような台詞を叫びながら、オルコット嬢は私とたばちゃんを引き剥がそうと躍起になる。わーお、前後からマシュマロにサンドされて極楽だぜー……とか言うから未来で凰に睨まれちまうんだよなぁ。ちなみに凰のおっぱいも大好きです。あれはわしが育てた。

 

 閑話休題。

 

 言うまでもなく、離れてと要求されて素直に従うたばちゃんではない。

 意地でも手放すもんかと抱き締めは強くなる一方で、合金製の強化骨格が悲鳴を上げる。そしてオルコット嬢よ、お前さんも張り合ってブルー・ティアーズ展開したまま私の首を引っこ抜こうとするんじゃあない。レゴブロックの人形じゃねぇんだぞ私は。

 

「ぶー……何さ金髪! お前だっていっつもいーくんに引っ付いてエロい顔してるクセに!」

「え、エロっ!? そんな顔してませんわ!?」

「いーやしてたね! 証拠ならあるじょ!」

 

 たばちゃんのメカウサミミから光が放たれ、更衣室の外壁一面に何かが映し出される。

 それは何時の間に録画しやがったのか――白衣を着たスタイリッシュでダンディな超イケメンを後ろから抱き締めて、眉尻やら口角やら、表情をこれでもかと緩め切って夢心地なオルコット嬢の衝撃映像だった。うーむ、あと十秒もあれば熟睡しちまいそうな感じだなコレ。この辺のユルさはうーちゃんと大差ない。

 

「いぎゃあああああああああっ!!?」

 

 女子が上げちゃアカン系な絶叫が響き、五筋のレーザーとミサイルが映像を焼き消す。

 当然ながら一般の旅館の外壁がBT兵器の攻撃に耐えられる訳もなく、シルバニアファミリーの家みたいに更衣室の中が丸見えになっちまった。ちなみに山田先生はもういなかった。チッ。

 恥ずかしさで泣き出しそうなオルコット嬢と、立体映像まで駆使して弄ぶたばちゃん――傍から見れば完全にいじめられっ子といじめっ子の図である。

 

「小父様の馬鹿ーっ!!」

「あ、悪いの私ッスか?」

 

 でもって、縄張り争いに負けた猫みたいに逃げ出すオルコット嬢。

 の○太くんみたいな噴水涙を流して虹を描く彼女の背を眺め、

 

「うーさっさっさっさっ、勝ったぜ!!」

 

 元凶の兎は高らかに笑うのだった。

 

「大人気ねぇなぁオイ」

「大人の毛なら生えてるぜぃ。か、確認してみる……?」

「とてもアダルティで魅力的なお誘いではありますが、織斑先生にバレたら殺されるのでそいつはまたの機会に取っておきましょう」

 

 だからパンツ脱ごうとすんなや。スカートは穿いたままとか非常にマーベラス。裾を咥えながらもじもじ恥らうのも高得点。男のロマンだ。もう一度言う。男のルォメェンだ。

 まあ、それはそれとして。

 

「たばちゃんや、可愛い妹ちゃんを探さなくていいのかね? 何か頼まれてたんじゃねぇの?」

「おっとそうだったそうだった、早く箒ちゃんもハグハグすりすり揉み揉みせねば! ご存知かねいーくん、この二ヶ月で箒ちゃんのおっぱいが三センチも大きくなった事を! ヒャッハー、もう我慢できねぇ! 今行くじぇー箒ちゃん! I want to caress my sister's breasts!!」

 

 街中だったら職質どころかタイーホ確定な叫びを上げ、ウサミミをヘリのように高速回転させて飛び去るたばちゃん。下からだと白地にニンジン柄のおパンツが再び丸見えになるんだが……このアングルも素晴らしいので両手を合わせて拝んでおくとしよう。ありがたやありがたや。

 美少女と美女がいなくなり、残されたのは役割を果たせなくなった元更衣室と中年が一人。

 

「…………私としちゃあ、行方知れずなはずの姉が胸のサイズを知っていて、しかもそれを勝手に暴露されている篠ノ之が不憫で仕方ねぇよ」

 

 と言うか、後片付けとか修理とかって私がせにゃならんのだろうか。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「さあ始まりました名付けて『ポロリもあるよ! おにゃのこだらけの水上大運動会』! 進行を務めるのは私、篠ノ之束! そして解説は――!」

「……無理矢理ここに座らされた通りすがりの旅行者です」

「もーテンション低いなあオーちゃんは! そんなんじゃ夏が逃げてっちゃうよ!?」

「オーちゃん言うな。つーかアンタと同じテンションでいられる奴なんてそうそういねぇだろ」

 

 水着に着替えた一夏を待ち受けていたのは、右腕を振り回してやけにフィーバーしてらっしゃるファースト幼馴染の姉と、頭痛に苛まれていそうな表情の知らない金髪美女だった。

 何なのだ。何なのだろうかこれは。

 確かに奇人1号(遭遇率:ツチノコレベル)とはさっき会ったばかりだから、ビーチにいる事に関してはさほど驚かないけども――白い簡易テントまで建てて司会者っぽく振舞っているとなれば流石にワケがワカラン。

 水上大運動会って何? 隣の椅子に座っているのはどちら様?

 状況を飲み込めない一夏ら生徒一同の事など気にも留めず、マッドなウサギ姉さんは場の流れをぐいぐい押し進めていく。この様子じゃあ、唯一の抑止力である我が姉こと鬼教官がやって来ても止まりはしないだろう。

 

「えー、今からちょっと殺し合いを――じゃなかった、いくつか競技を行ってもらうよん。詳しいルールは競技毎に説明するから省いちゃうけどー、上位入賞者にはちゃんとゴージャスなご褒美も用意しちゃってるから気張れよ野郎共コラーッ! ヒーハー!!」

「野郎共って、今此処には俺しか男がいないんですけど……?」

 

 もうあの人のキャラが掴み切れない。もはや躁状態を言っても良い。

 

「ほにゃらば早速第一競技! まずは軽ーく泳いでみよっか! 200メートル先に浮かべといたあのブイを折り返して、最初に砂浜に戻って来た子が勝ちだよー! さあGOGO!!」

 

 パンパンパンパンッ、とスターターピストルを撃ち鳴らすトリガーハッピー束さん。バカ○ンに出てくる乱射魔警官かアンタは。どちらかってーと逮捕される側だろ。

 しかしながら『さあ!』と言われても、頭上に疑問符な一夏や少女らがスタートラインに素直に整列できるはずもなく、互いに顔を見合わせて困惑するばかり。

 さもありなん――遊ぶ気満々だったのにいきなりこんな珍騒動に巻き込まれたのだから。

 だが……、

 

「あ、そうそう。言い忘れてたご褒美の内容だけど……頑張った子には束さんやいっくんが何でもお願い聞いてあげちゃうよん?」

 

 その一言で場がシン――と静まり返った。

 

「篠ノ之博士、何でもって……何でも?」

「文字通りも文字通り、な・ん・で・も、だよ? ギャルのパンティーをくれとかー、大金持ちになりたいとかー、世界征服も……まあできない事はないかなー? 他にはそうだねー……」

 

 そこで言葉を区切り、ちらりと一夏の顔を見て、

 

 

 

 

「例えば、誰にも邪魔されずにいっくんとデートできる権利とか?」

 

 

 

 

 耳を塞ぐ暇もなく一夏は吹き飛ばされた。

 音を超えた音によって精神的に、主に鼓膜が吹き飛ばされた。油断していた金髪のおねーさんも椅子ごと後ろにひっくり返ってしまっている。

 途切れそうになる意識の片隅で思い出すのは、入学直後の頃、姉が威圧的な自己紹介をした際のクラスメイト達の異常な興奮具合。ああ恐ろしや恐ろしや――女子の歓声とはソニックブームさえ引き起こす兵器だと言うのか。戦闘機か何かかよキミ達は。

 

「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ! 一夏とデ、デートって…………鈍感でスケベで朴念仁で女の気持ちなんか分かってくれないこの馬鹿にそんな事できるワケないでしょ!?」

 

 ああ鈴よ、いつもなら口うるさいと思うお前の声もまるで小川のせせらぎのようだ。名誉毀損で訴えたら勝てそうな感じではあるけど。スケベなのは自分じゃなくて先生の方だと思う。

 

「ふふーん、できなくてもしてもらうよん♪ こぉれを見よ!!」

 

 胸の谷間に指を突っ込んで取り出したのは、チケットくらいの大きさの紙切れ。

 それはどうやら黄色の画用紙らしく、美女の谷間汗でも吸ったのかよれよれで、水性マジックで書いたと思しき文字も少しばかり滲んでいた。

 だが、そんな事はさほど重要ではない。

 問題は書いてある文章、その内容だ。

 

 ――『おねがいなんでも間いてあげる巻(たばねおねえちゃん専角) おりむら一か』

 

 …………多分、精一杯背伸びしたくて漢字で書いてみたのだろうけど、恥ずかしいくらい盛大に間違っている。コンバット越前と越前リョーマくらい違う。

 そう言えば昔、肩叩き券っぽいノリでプレゼントした覚えがあるようなないような――とにかくこの状況でそれを出されたという事は、つまり今になって使われようとしている訳で。

 

「にゅっふっふー、いっくんは約束を破ったりしないよねぇ? 男の子だもんにぇ?」

 

 悪魔の契約書を再び挟み入れ、深い谷間を強調させながら指を舐めるインモラルラビット。

 

「いや、まあそれは…………はい」

「簡単に懐柔されてんじゃないわよエロ一夏!!」

「あげちゃった物はしょうがないだろ!?」

 

 ご丁寧に小さく『きかん・むきげん』と書いてあるため無効とも言えないし。

 決して、おねえたまの大人の色気に屈したのではない。ないったらない。

 海パンでのデストロイモードは前屈みで誤魔化せるレベルを超えてしまっている。最悪の場合は熱された砂浜にうつ伏せになる覚悟だが、そうなったら未来創造器官がヒートエンドのお陀仏だ。

 そんな事態は絶対に避けなければ。

 

「ほらほらボサっとしてていいのかな? スタートの合図は……もう鳴ってるよ?」

 

 博士の言葉を受け、真っ先に動いたのは鈴だった。

 未だ混乱の中にある女子達の間をネズミ花火の如く走り抜け、戦場と化してしまった大海原へと身を躍らせる。おお速い速い、やっぱり胸部装甲の凹凸が少な――もとい、身体が綺麗な流線形を描いているだけはある。水の抵抗がなさそうだなぁ。

 

「一位はもらったー!!」

「あ、おい鈴、準備運動――」

「ああっ!? 凰さん抜け駆けはズルいわよ!?」

「追えぃ、皆の者追うのじゃー!!」

 

 何だかんだ言いつつ、お祭り騒ぎが大好きなIS学園のお嬢さん達。

 その上ご褒美(という名の人身御供(おりむらいちか))があるとなれば盛り上がらない理由はない。

 遠ざかる鈴の背中を追って海に突撃する光景を眺めていると、エサを取るために大群で飛び込むペンギンのイメージが頭に浮かんだ。とすると自分はイワシかアジか。

 

「あ、ちなみにいっくんは参加不可ね? 自分が優勝してうやむやにしようとか考えてそうだし」

「ハハハ、マサカソンナ事チットモ考エテマセンヨー?」

 

 景品扱いからはどう足掻いても逃げられないらしい。

 もうできる事と言えば、優勝した誰かが無難なお願いをしてくれるのを祈るくらい――

 

「お、織斑君! 大変だよ凰さんが溺れてるっ!」

「へっ?」

 

 浜辺に残った女子の一人が切羽詰った声で沖を指差す。

 そちらを見れば、折り返し地点のブイを目前にバシャバシャともがく鈴の姿があった。

 

「――っ、あの馬鹿!!」

 

 筋肉を十分に解さないまま泳いだのだから当然の帰結ではある。

 かと言って自業自得と放置したら手遅れになりかねない。

 助けに行こうと慌てて海に入る一夏の耳に、

 

「ねえ見て! 海の向こうから何か来てる!」

「鮫!? 救助船!?」

「いえ違うわ! あれは――!」

 

 

 

 

「ふははははははっ! イルカに乗った中年!!」

 

 

 

 

「「「スミス先生だー!?」」」

「わっほーい! いーくんカッチョイイぜー!!」

「いやカッコイイかアレ……」

 

 奇人2号、満を持してご登場。

 カリビアンなパイレーツのコスプレをして、背中からは『第三黒真珠丸』と達筆で書かれた旗をたなびかせ、イルカ型サーフボードに乗って沈みつつある鈴へと滑り寄る。

 その途中でバランスを崩して見事な空中三回転を披露し、かと思えばそのまま異常なスピードで水面を突っ走り、何処からか取り出した巨大なたも(・・)網で少女を海中より助け上げた。

 

「おチビー! 獲ったどー!!」

 

 声高らかに釣果を掲げる中年。

 たも網から足と尻だけ出して目を回しているセカンド幼馴染が、縁日で運悪く掬われてしまった金魚のように見えてしまい、一夏はそっと同情の涙を拭うのだった。

 だから準備運動をしろと言ったのに……。




そんな訳でいよいよ海です。
福音が出るまでそりゃハッチャけますとも、ええ。

今回のリクエストは、

 ヌシカンさんより、

・「ヒャッハー、我慢できねぇ!」(北斗の拳)

 久遠♪さんより、

・「あ…あの女の目……… 養豚場のブタでもみるかのように冷たい目だ…残酷な目だ… 「かわいそうだけど、あしたの朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね」 ってかんじの!」(ジョジョシリーズ)

 F.S.さんより、

・「死ぬな。いや、死ぬね!」(とんねるず)

 ホワイトリバーさんより、

・ジャック・スパロウのコス

 Tomaharkさんより、

・アダルトサマーがイルカ型のサーフボードでサーフィンしながら、「イルカに乗った中年!」と言いながら登場(GTO 沖縄臨海学校の鬼塚登場シーン)

 神薙之尊さんより、

・アダルトサマーの水上走り

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

040. 集結、くーちゃんず12

 書いてみたいけど頓挫したss

・『スーパーナチュラル』のウィンチェスター兄弟が幻想入りしたら。
 紅魔館に居候とかしたら面白そうだけど、更新がもっと遅れるだろうから棄却。

・ハイスクールD×Dと『鬼灯の冷徹』のクロスオーバー。
 鬼灯無双で最終的に暴力で何でも解決しそう。同上の理由で棄却。

 4ヵ月以上お待たせしてすみませんでした(汗


「少年! 人工呼吸の準備じゃああっ!!」

「いやでも先生、鈴の奴普通に息してますけど!?」

「じゃかあしぃヴァカめ! 女子が溺れたら何はともあれマウストゥマウス! さあやれ一思いにブチューっと幼馴染の唇奪ったれ! 気を失っている今がアタックチャンス!」

「人聞き悪いなぁ!?」

「おりむー…………据え膳は食べなきゃダメだよ?」

「黒い! 何時にも増してのほほんさんの笑顔が黒い!!」

 

 砂浜に寝かされた少女の横で、馬鹿と織斑一夏がそんな会話を繰り広げる。

 足が攣って溺れかけた中国代表候補生、凰鈴音。

 傍目には気絶したままに見えるけれど、目蓋が緊張でぴくぴく震えているし、あれは間違いなく意識を取り戻している。なのに狸寝入りを決め込む理由は――まあ分からないでもない。

 ぶっちゃけ、彼女は今からキスされようとしている訳だ。

 しかも恋焦がれ続けているらしい幼馴染に、合法的(?)に。

 

(初々しいっつーか青っちょろいっつーか……ガキは気楽だねぇ)

 

 オータム自身も遠路はるばる日本まで来て馬鹿騒ぎに巻き込まれた訳だが、この解説席とやらに座らされている内は傍観できるから意外と余裕があったりして。

 その余裕も、二匹の悪魔の気まぐれですぐ吹き飛びそうな予感がするから油断ならない。矛先がこちらに向かない事を祈るばかりである。

 

「ケッ……意気地のねぇ奴。こーれだからヘタレ童貞は……」

「ど、どどど童貞ちゃうわ!?」

『えっ、織斑君経験あるの!?』

 

 いきなりのカミングアウトに女子共が驚きの声を上げ、そして何故か嬉しそうに目を輝かせる。

 しかし、それ以上に過敏な反応を示した人物がいた。

 

「いぃぃちかぁぁっ!!! ははは初めてじゃないってどういう事!!? 何時ヤッたの? 誰とヤッちゃったの!? まさか箒!? シャルロット!? それともラウラ!? あたしという者がありながら……こぉんの浮気者ー!!」

「うわ鈴!? おま、目が覚めて――!?」

 

 言わずもがな、鈍感小僧にご執心の爆裂中華少女(チャイニーズニトロガール)である。

 気絶した振りから獲物に一気に襲い掛かる――その一連の動きはさながら蜘蛛。アラクネを駆る自分にとって、妙に親近感の湧く捕食光景だった。あるいは犬も食わない夫婦喧嘩の一場面か。

 馬乗りになり、今にも絞め殺してしまいそうな剣幕で初恋相手を揺さ振る凰鈴音。左右の二尾も動きに合わせて荒れ狂い、どれだけご立腹かが窺える。このまま放置したら『アンギャー!』とか吠えそう。それはそれで見てみたい気もする。

 

「コラコラおチビー、落ち着きなさいって。少年が本当に大人の階段上ってたら、そん時ゃあ私が校内放送で知らせて食堂のメニューを赤飯三昧にするわぃ。殺るのはその後でも遅くねぇだろ」

「俺の卒業=公開処刑!?」

 

 ……初体験どころか、誰かと付き合い始めただけでも各国のマスコミが押し寄せる大ニュースになりかねない――全世界でたった二人の『男性IS操縦者』の肩書きは、それほどの情報的価値を生み出す金の卵なのだ。公開処刑というのも……あながち間違いではないのかもしれない。

 まあもっとも、実際にそんな事態になったとしたら――何処かの馬鹿がスキャンダルになる前に裏で動いて、小娘達のプライバシーと平穏をどんな手を使ってでも守ろうとするだろうが。

 あの馬鹿は……そういう男だ。織斑一夏の方はどうなろうと知らん。

 

「……流石にマズいんじゃねぇのか? アイツが助けなきゃ、あのチビ溺れ死んでたかもだぜ?」

 

 有休を取ってる時まで死体とご対面したくはない。

 

「にゅっふっふっふぅ、こぉの束さんがその程度のハプニングに備えてなかったとでもぉ?」

 

 変人博士はにんまりと顔を緩ませ、絶妙にイラッとする口調でそう言った。

 そしてマジシャンのようにパチリと指を鳴らして高らかに――

 

「みーんなーっ! 出ーておーいでー!!」

 

 鬼が出るか蛇が出るか――海中より隊列を組んで現れたのは、思わず顔が引き攣る存在だった。

 強い意志を秘めた瞳に可愛らしい緑色の帽子、薬で小さくなった探偵のような赤い蝶ネクタイを締めた犬だかネズミだか分からん珍生物型マスコット――裏社会では『ラブホの悪魔』なる異名で恐れられ、返り討ちに遭った某国の秘密工作員達が今も病院のベッドで悪夢にうなされ続けているらしいが、その原因を作った当事者の一人としては何とも微妙な気分である。

 

「ふもっふー」

『ふもっふー!!』

 

 先頭の、何故か赤いカラーリングで一本角が生えた個体が変人博士に敬礼(?)し、他の個体もそれに倣う――その数合わせて十一体。ファンシーな見た目なのに、歴戦の軍隊みたいな雰囲気が漂っているからギャップが凄まじい。

 

「……量産したのか、あれを……?」

「いやぁ、インスピレーションがグチョブシャーッと迸っちゃってね!」

 

 嫌な迸り方もあったものだ。

 篠ノ之束に私兵がいるという話は聞いた事がないけれど――IS技術の応用なのか、着ぐるみは光の粒となって消え去り、波打ち際には横一列に並ぶ少女達が残った。

 幼児体型とアホ毛を除けばドイツの代表候補生ラウラ・ボーデヴィッヒと瓜二つの、可愛らしい水着姿の銀髪少女達だった。

 騒々しかったIS学園の連中もこの光景に目を見張り、痴話喧嘩を煽っていた馬鹿はぼけーっと幼い少女達を眺めるだけで無言を貫いたままだ。

 一番年長と思しき、赤い着ぐるみを解除した少女が言う。

 

「束様、付近一帯の探索を完了しました。潮流も穏やかで、クラゲやアカエイなどの危険な生物も生息していません。この子達が遊ぶには申し分ないかと」

「うむうむ、ご苦労じゃったくーちゃん。じゃあ自己紹介しちゃおっか!」

「承知しました」

 

 くーちゃんとやらが一歩前に出て、恭しく頭を下げた。

 

「IS学園の皆様、お初にお目にかかります。長女を務めるくーちゃんことクロエ・クロニクルと申します。そして私の後ろに控えているのが三女から十二女の……」

「あーちゃんですっ」

「いーちゃんですっ」

「えーちゃんですっ」

「おーちゃんですっ」

「かーちゃんですっ」

「きーちゃんですっ」

「けーちゃんですっ」

「こーちゃんですっ」

「さーちゃんですっ」

「しーちゃんですっ」

「以上十一名、故あって篠ノ之束様の下に身を置いておりますが――そちらでご厄介になっている二女のうーちゃん……もといラウラ共々、どうぞよろしくお願い致します」

 

 ……めっちゃ礼儀正しい。面の皮を外交モードに取り換えたスコールがテストして、満点花丸をあげそうなくらいには礼儀正しい。自称『保護者』の人間性が奇特過ぎるから余計にそう感じる。

 子は親を見て育つと言うが、見事な反面教師だった。

 ともあれ、長女(?)のご丁寧な挨拶は済んだものの――幼女達の関心はどうやら白衣の馬鹿に向いているらしく、もぢもぢと躊躇い気味に視線を送るばかり。

 見かねたウサミミ奇人が馬鹿の胸に引っ付いて頬を擦り寄せると、

 

「ほらほらぁ、黙ってないで何か言ってあげようよ。ねぇ、パ・パ♡」

((((……パパ!?))))

 

 とんでもない爆弾を落としてくれやがった。

 ウサミミが勝ち誇った顔をしているから、何だかひっじょーに面白くない。

 

「……ちょいとたばちゃん、なして私がこの子らの父親になっているのでせうか?」

「だって二人のラヴの結晶なんだもん、私がママでいーくんがパパなのは当然でしょ? ドイツで過ごしたあの熱くて激しい夜……思い出すだけで束さんゾクゾクしちゃう……!!」

「確かに、熱くて激しかったのは認めますがね(色々と燃やしたりぶっ壊したりしたから)」

(…………ふぅ~ん?)

 

 認めるのかよ。認めちゃうのかよ畜生め。

 

「おいテメェら、その話――」

「その話、是非とも詳しく聞かせてもらいたいものだな」

 

 親近感と言うか、妙なシンパシーを感じる――かなり機嫌の悪そうな声。

 見れば、腰に手を当てた織斑千冬が仁王立ちし、その後ろには山田真耶、フランスの代表候補生シャルロット・デュノアとラウラ・ボーデヴィッヒまで揃っている。

 

「おやちーちゃん、おっひさー! ご機嫌いかが!?」

「良いように見えるか?」

 

 当然四人も水着を着ており、織斑千冬は胸の谷間を強調させた黒のビキニを、ボーデヴィッヒもそれに倣ってかレースをあしらった黒の上下、デュノアは夏の海に映える黄色、そして山田真耶に至っては……もう男を引き寄せる『凶器』と呼ぶ他ないメガトン級の怪物だった。スタンダードなビキニタイプなのに何だあの圧倒的存在感は。

 

「わぁ……織斑先生きれ~」

「分かってたけど山田先生の……おっきいわね……」

「織斑先生、一緒にビーチバレーしましょー!」

「サンオイル塗るの手伝わせてくださーい!」

「むしろ束さんのあんなところやそんなところに塗りたくってー!」

「激しく責めながら罵ってー! 冷たく笑って蔑んでー!」

「そこの馬鹿二人! どさくさ紛れに変な事を言うんじゃない! その意味深なビニールマットと撮影機材は何処から持って来たんだ!? いやそんな事よりも束、あの大勢の子ども達は何なんださっさと説明しろ!! まさか、本当にお前とこの馬鹿の……!?」

 

 あの(・・)ブリュンヒルデが取り乱している。

 一人は今日まで行方知れずだった何でもありの天才、もう一人は経歴さえ不明の凶悪不審者。

 息もぴったりで、篠ノ之束の彼に対するこれまでの過保護具合も考えれば――否定できるだけの根拠などないのだから、もしかして(・・・・・)と勘繰ってしまうのは自然な流れではあった。似ている他人がいる程度には……似てない親子だって世の中にいるのだし。

 ……もしそう(・・)だったら、自分はどうしたらいいのだろうか……。

 

「ふっふふふ。信じるか信じないか、それはちーちゃんしだ――」

「私のこの手が真っ赤に燃える! お前を倒せと轟き叫ぶ! 爆熱! ゴッ○フィンガー!!」

「に゙ょほおおおおっ!?」

 

 あ、その可能性はなさそうだわ。

 

「本っ当に人を苛立たせる天才だよなぁお前はあああっ!!」

「ほぎゃあああっ!? い、いーくんヘルプ、ヘループ!! 束さんの明晰な頭脳がちーちゃんの愛あるアイアンクローで存亡の危機ぃいぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!」

「あ、山田先生、その水着とても良くお似合いですよ」

「ふえっ!? あああの、あ、ありがとうございますっ。でもスミス先生、じっと見つめられるとその……褒められて嬉しいですけど、は、恥ずかしいです……ぁぅ……」

「まさかのスルー!? 私より牛女が良いのかコンニャロー! イチャイチャすなー!!」

 

 それには激しく同意したい。

 頭を鷲掴みにされ、宙吊り状態で頸椎が死にそうな天災はともかく、一晩中抱いた女の目の前で別の女を口説くとかどういう了見か。牛女もまんざらでもなさそうに顔を赤らめているし、何だかひっじょーに面白くないパート2。

 面白くないのは織斑千冬も同じらしく、虫の息のウサミミを投げ捨てて間に割り込むと、鼻先が触れるか触れないかの距離まで顔を寄せ――馬鹿を上目遣いで睨み付けた。夫が構ってくれなくて拗ねる新妻……いやいや、年の離れた『兄』の気を引こうとする『妹』だな、あれは。あの二人が夫婦に見えるだなんて意地でも認めるものか。こっちにも女のプライドがあるのだ。

 

「結局、ラウラに似たあの娘達は何者なんだ?」

「ご覧の通り、うーちゃんのかわゆい姉妹達ですよ。私とたばちゃんとでドイツのとある施設からゆーかいして来たんですが……後は察してくれると助かります」

「……詳しくは聞くな、と言う事か」

 

 そう言って、安堵したように息を一つ吐くと、

 

「本当にお前は、面倒事ばかり抱え込む性分なんだな……」

 

 呆れを含んだ、しかし確かな優しさも込められた苦笑を浮かべた。

 織斑千冬(わたし)が一番の理解者なのだと言わんばかりに、周囲を牽制するかのように二人だけの空間を作ろうとしている――気のせいだと断じてしまえばそれまでだが、女の勘を舐めるなと言いたい。

 

「それ、で……だな……ど、どうだ……?」

「どうとは?」

「だ、だから……ん……」

 

 改めてポーズを決めるのも恥ずかしいらしく、半端な立ち姿で馬鹿に感想を求める織斑千冬。

 それが分かっているのかいないのか、馬鹿は彼女の肢体をじっくり観察して一つ頷くと――

 

「その腹筋を撫で回して思い切り悶えさせたい」

「だぁれが私の腹についての感想を述べろと言ったあああ!?」

「アックスボンぶへぁっ!?」

 

 首に痛烈な打撃を受け、馬鹿が後頭部から砂浜にぶっ倒れる。

 顔から湯気を出しながら両手で腹をガードする織斑千冬だが――もしかすると撫で回されるのを想像しているのかも知れない。怒りつつもあまり嫌そうじゃないのが気に入らない。

 

「まぁーったく、素直に褒められたら照れて何も言えなくなるくせに、ちーちゃんったら……」

「……顔がピカソの人物画みたいになってんぞ? つーか、アンタは水着に着替えないのか?」

「ギクリッ」

 

 天災が苦虫を噛み潰したような顔のまま固まった。額には脂汗さえ浮かんでいる。

 

「い、いやぁこの私とした事が、あの子達全員の水着を用意するので手一杯で自分の分まで考えが回らなくってね? それにほらぁ、夏の紫外線も海水もお肌と髪に悪いし? 束さんだって立派なレディであるからして常日頃からの予防とケアを重んじちゃってたりそうじゃなかったり……」

「――嘘は感心しませんね束様」

 

 言葉を遮ったのは、先ほどクロエ・クロニクルと名乗った少女だった。

 

「束様が着替えないのは単純に、いーくんさん(・・・・・・)に水着姿を見せるのが恥ずかしいからでしょう?」

「そそそそんな事ねぇし!?」

「そうですか? それは失礼致しました。私はてっきり、服の下に隠しているそのムチムチお腹やお尻を見られていーくんさんに幻滅されたくないからだと――」

「うわーっ!! わーわーわーわーわーわーっ!!!」

 

 耳を両手で塞いで大声を上げ、髪を振り乱しながら篠ノ之束は懸命に聞こえない振りをする。

 表も裏も、新参も古参も――世界中のあらゆる機関と組織が血眼になって行方を追うIS時代の最重要人物が、たかが小娘一人に見事に弄ばれ悶絶している。オータム自身、この場に居合わせて一部始終を見ていなければ、つまらない冗談だと笑って絶対に信じたりはしなかっただろう。

 苦しむ保護者に対し、クロエはトドメの口撃を放つ。

 

「体重計に乗る度に悲鳴を上げられても迷惑ですし、これ以上八つ当たりで破壊されるのも掃除が面倒なだけなので…………良い機会ですからこの際はっきりと申し上げましょう」

「や、止めて、くーちゃん止めてっ!?」

 

 犯人を追い詰めた推理小説の主人公のように、しなやかな指を突き付けて。

 

「束様――貴女は明らかに太りました。体重は一割強、ウエストは五センチほど増です。私の指がぶにっと埋まるレベルですね、ぶにっと」

「げふあっ!?」

 

 あ、天災が血を吐いた。

 頭を揺らして砂上に倒れ伏すが、格闘ゲームの負けキャラのように『げふぁ……げふぁ……』と自前のエコーを付けるくらいの余裕は残っているらしい。それでも口からは霊魂らしきモヤモヤが顔を出していて、受けた精神的ダメージは中々に大きいようだった。

 

「でも、クセになる柔らかさで妹達には大人気だから良かったじゃないですか」

 

 全然フォローになってない。

 

「………………いいもん」

「はい?」

 

 ゆらぁり、と。

 幽鬼のように天災は力なく立ち上がった。

 目は虚ろで口は細い三日月を描き、今にもケタケタ笑い出しそうで少し怖い。

 

「いいもんいーいもぉーん。どぉーせ私は自己管理できなくて兎からイベリコ豚に転職しちゃっただらしないムッチムチ美女ですよーう。おっぱいデカくなったぜヨッシャアって喜んでたらお腹やお尻にも無駄肉が増量しててムギャーってなった不憫な女ですよーだ」

 

 分かりやすく不貞腐れると、彼女はおもむろに服を脱ぎ始めた。

 童話の世界から抜け出したような青と白のワンピース――何処かで着替えていたのか、その中は髪と同じ色に合わせたチューブトップ型ビキニだった。マイクロビキニやスリングショットなどのバカ水着じみた過度な露出ではないが、ぷよんと揺れる余りの肉が獣欲的な色香を漂わせている。

 

「しゃーないじゃん!? あーちゃん達が作るご飯とっても美味しいんだから! しかも得意料理それぞれ分担してるからレパートリーも豊富でさ、おまけに『頑張ってるママにご褒美!』なんて言われたらさ…………食わねぇワケにゃあいかねぇだろうがよぉ!? 優しさが嬉しくて嬉しくて毎食おかわり三杯余裕でしちゃうだろうがよぉ!?」

「そして運動を怠ったから、行き場のない栄養が蓄積されてしまったと」

「……ってか、あんな子どもに家事任せてる時点で色々とどうよ……」

「シャラップ!!」

 

 ふんすー、と鼻息を荒く吐き出すウサミミ。

 そしてそのまま、再起動して首の据わりを確かめている馬鹿まで歩み寄ると、

 

「さあいーくんっ! 束さんのこのワガママボディ、揉むなり漬け込むなり好きにしろぃ!!」

「そこは煮るなり焼くなりじゃねぇのか……?」

「揚げ物を美味しくする一工夫みたいですね」

 

 唐揚げかトンカツかはさておき、ビーチにいる全員が固唾を飲んで状況を見守っている。

 特に、織斑千冬とセシリア・オルコットなどは『スケベな事したらぶっ殺す』と言わんばかりの鋭い眼差しを馬鹿に送っており――おそらく自分も彼女達と同じような表情をしているだろう。

 尻や胸を見せつける天災に対し、馬鹿は首をゴキリと鳴らして一言、

 

「……まロい」

「何ですと!?」

「いや何も。それよりたばちゃん、なんか自棄になってない? 涙目だし」

「だって、だっていーくんはおデブな女は嫌なんでしょ!?」

「んな事言った覚えは一度もねぇんスけど」

「嘘だッ!」

「何処のかぁいいものお持ち帰り魔ですかアンタは……」

 

 柄の部分に『道の駅・雛見沢』とタグが付いた鉈を振り回しながら、天災はさらに喚く。

 

「嘘だ嘘だ絶対嘘だぁ! ちーちゃんの腹筋ベタ褒めしてたじゃんかよぅ! ムキムキじゃなくてムチムチで金華豚な束さんなんてもう見向きもされないんだうわぁあああんっ!!」

 

 高級ブランド豚ばかりなのが往生際が悪いと言うか何と言うか……。

 

「まあ、横綱狙えそうなボリューミーなお嬢さんは流石に守備範囲外だけども……今のたばちゃんくらいだったらエロさ倍増でむしろストライクゾーンド真ん中だって」

「ぐすっ…………ほんどぉ?」

「ああ本当だとも。私の愛は変わらねぇぞたばちゃんっ!!」

「うゔっ……い゙ーぐぅん!!」

 

 愛だのエロだの、色々と聞き捨てならない単語が飛び出しはしたが、これでこの感動的(?)な茶番劇もようやく終わりを迎えるのか――と思いきや。

 感極まって抱き付こうとするウサミミの肩を押さえ、極上の獲物を前にした結婚詐欺師のような笑みを浮かべて、とても楽しそうに馬鹿は口を開いた。

 

「ところでたばちゃん。さっき『私の好きにしろ』って言ったよな?」

「はえ?」

「言ったよな?」

「え、えーと……?」

 

 間抜け面のまま一瞬固まり、自分がどれだけとんでもない事を口走ってしまったのか理解するに合わせて、天災の顔がどんどん紫色に変化していく。何故に紫色?

 

「恥ずかしさで赤くなりながら青褪めた結果かと。器用ですね束様」

「チアノーゼ起こしてるようにしか見えねぇ……」

「ままま待って待って待ってぇ! しばし待つのじゃいーくん! 束さん的にはいーくんの好きにされちゃうのもやぶさかではないと申しますかバッチコイではありますが! でもでもほら、まだ明るいし? ちーちゃん達にも見られちゃってるし? 束さん変な汗かいてるし!? 時と場合とムードを考えるのも大事だと思うなぁ!?」

 

 空気を読まない選手権優勝のお前がそれを言うか。

 

「じゃあ暗くなって、二人っきりで、シャワー浴びた後なら問題ないんだな? その柔らかそうな腹と尻に顔埋めてトロトロになるまで揉み溶かして……イイ声で鳴かせてやるから覚悟しろ?」

「にゃー!?」

 

 人類最高の頭脳ともなれば、両耳から蒸気を噴き出せるようになるらしい。

 紫色だった篠ノ之束の顔は徐々に赤みが優勢になり、トマトの如く真っ赤に染め上ったところで限界を迎えてぶっ倒れた。少しにやけているが、一体どんな夢を見ているのやら。

 傍観していた周りの小娘達は、まるで自分が口説かれたように色めき立ち始める。

 

「悪い人だ! あれは悪い大人の顔だ!」

「スミス先生……すっごい。私あんな事言われたら逆らえないかも……」

「年上の彼氏かぁ。強くて頭もルックスもレベル高くて……ちょっとエッチで……良いなぁ」

 

 一方、世界最強の女と世界最狂の女を一度に弄んだ恐るべきスケコマシは、大仕事をやり遂げた職人の表情で額の汗を拭った。

 

「ふ……仇は取ったぜ、オルコット嬢」

「何故そこでわたくしの名が出るんですの!?」

「えー、だってたばちゃんに泣かされたじゃん?」

「もうっ、原因の半分が小父様にもある事を自覚してくださいまし!!」

 

 頬を膨らませるオルコットと、それをあやす馬鹿。

 織斑千冬との奇妙な信頼で結ばれた距離感とは違う。篠ノ之束との悪友以上恋人未満の関係ともまた違う。さながら…………何だろう、飼い主と小型犬(チワワ)? 犬用ジャーキーくらい、あの馬鹿なら普通に持っていそうだから余計にそう思えてしまう。

 

「千冬姉と束さんをあんな風にできるのって先生くらいだよなぁ。俺には怖くて絶対できねぇ」

「僕やラウラとしてはできなくて一安心だけどね。一夏が先生みたいな性格になったらライバルが山盛りになる未来しか見えないもん……」

「同感だな」

 

 ああ、おかげでこちとらヤキモキしっ放しだよ――と言えたらどんなに楽か。

 旅行者を装うため、旅館に残した荷物には水着(スコール厳選)も含まれている。この暑さなら今から着替えても不自然ではないが……褒められたくて、似合っていると言われたくて着替えたと思われてしまうのが癪で仕方がない。着てくれと懇願されたら考えてやらなくもないけど。

 特別な関係。

 他の誰とも違う、あの馬鹿と自分だけの関係。

 硝煙の匂いに満ち、返り血に汚れていても、それでも他の女になど渡したくない繋がり。

 

(……お前が頑なに守ってるその『宝箱』の中に、私は入ってんのか……?)

 

 肩を並べて歩けるほどの強さがなくても。

 企みに付き合えるほどの頭脳がなくても。

 守りたいと思えるほどの愛嬌がなくても。

 あの馬鹿の『イイ女』でいたいと無意識に考えている自分はやっぱり――もうどうしようもなく手遅れで、後戻りできないところまで来てしまったのかも知れない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「さーて、どうしたもんっかねぇ……」

 

 ビキニの姉上様が撫で応えのありそうな腹筋を持っていたり、脱いだたばちゃんが美味しそうなお腹とお尻に育っていたり、山田先生は相変わらず素晴らしかったり、大変眼福な光景でオジサンたまらんですたい――とか馬鹿やってオシオキされるまでが一連の流れなのはお約束だとして。

 問題はこっちのちっちゃな銀髪お嬢ちゃん達なんだよなぁ。

 

「私をパパ扱いする割に、近寄ろうともせんのよねあの子ら」

「頭からブレードを生やしたまま平然と立って話す人間がいたら、そりゃあ誰だって驚いて距離を取ると思いますが。と言うか、そんな血だらけでよく生きてますね?」

「私が私で私だから」

「それで納得させてしまうところが流石いーくんさんですね」

 

 はっはっは、よせやい照れるじゃねぇかくーちゃんよう。

 とまあ、用意してたトマトケチャップが早々に役立ったのはともかく、動物園で初めてライオン見た遠足中の小学生みたいな反応されてもこちらとしても困る訳で。肉食系って意味ではあながち間違ってもないが、せめてキリンとかゾウのポジションが良い。女の子に『わぁ、大きい……』と言われるのは男にとって最高の名誉――いやいやいや、今重要なのはそこじゃなくて。

 ブレードをくーちゃんに引っこ抜いてもらい、これからどうするかを二人で考える。

 

「……くー姉様(・・・・)の立場から提案させてもらえるなら――誰か一人適当に選んで、高い高いするなり頭を撫でるなりして甘やかせば、他の妹達も羨ましがって近寄って来ると思いますけど」

「そうけ? んじゃあ遠慮なく――くーちゃん高い高ーいっ」

「うわぁ人がゴミのようですー……ってどうして私なんです?」

「一番近くにいたから」

「なるほど。では仕方ないですね」

「そう、仕方ないのです。そんでもってー、抱っこして頭なーでなで」

「むにゃっ」

 

 うーむ、想像以上の撫で心地と抱き心地。あー癒される。

 未来(あっち)ではこの子にこんな事できなかったし――頼めばできたかも知らんけど、抱き締めた瞬間に日本刀とか青龍刀とか銃弾とか飛んで来る日常だったからなぁ。婚期を逃しそうで必死になるのは分かるが、単なるスキンシップにまで殺気立つなと何度叫んだ事か。なーでなで。

 

「うみゅ……ふにゃあ……」

 

 三十路が目前になるといよいよルール無用になってさぁ、確か二十代最後の年だったか、口裏を合わせたように――いや実際合わせてたんだろうけど『誕生日くらい二人きりで過ごしたい』とかそれぞれにおねだりされて、一流ホテルでディナーからそのままご宿泊コース、大量に注文されたシャンパンは何か仕込んであるのが見え見えで、極め付けに『今日はこれ(・・)……使わないよね?』とベッドの上で既成事実狙っちゃってます宣言。こっそり中和薬混ぜてなきゃヤバかった。

 

「んっ……そこ、くすぐったいです……」

 

 新婚夫婦とかなら『誕生日プレゼントは赤ちゃんが欲しい……な?』でも全然構わないと言うか少子化対策で頑張って励んでくださいと応援するが、酒の勢いに任せて順序無視して――ってのは間違っているだろう、やっぱり。なーでなでなで。

 その点で言えば、凰は彼女なりに手順を踏もうと考えていたらしい。なでなでほにほに。

 いきなり私の家に来て『一夏! 右でも左でもいいから親指寄越しなさい!』と要求された時は開いた口が塞がらず――婚姻届を握り締めているのに気付かなかったら『チャイニーズマフィアは小指じゃなくて親指でオトシマエつけさせるのか?』とかツッコミを入れちまうところだった。

 

「ふぁっ!? 耳の裏こしょこしょしちゃ、駄目っ……」

 

 私に言わせりゃあ、子どもより大人達の方がよっぽど自分勝手でワガママな生き物――

 

「独逸黒兎流潜入奥義! 必殺! ダンボールスライディング!!」

「極東布仏流即席秘儀! 究極! ゲシュペンストキィィック!!」

「背中痛あっ!?」

 

 思い出に浸ってたら、うーちゃんとのほほんさんからツープラトン攻撃をプレゼントされた。

 もう何なのよ一体。私キミらに何かやったっけ?

 理不尽な奇襲に対する非難を込めて彼女らを見やると、我が娘(義理)とキグルミスト(狐)は仲良くプンスカしながら私の腕の中を指差した。なでなでなーでなで。

 ……なでなで?

 あ……くーちゃんの事すっかり忘れちまってたよそう言えば。

 

「………………」

 

 息は絶え絶えで声もまともに出せず、蕩けきった金の瞳には涙が溜まり、唇の隙間からは今にも涎が零れ落ちそう――画的にも倫理的にもヤベェ状況になっちゃいましてさあどうしましょ。

 ひとまず撫でるのを止めて自分で立つよう促してみるが、下半身の力が完全に抜けているらしく私の方に倒れ込んでしまう。くそっ、ナデポ検定二級の弊害がこんなところで出るとは!

 

「日陰でちょっと休むか?」

「………………」

 

 私の胸に顔を押し付けたまま、くーちゃんはふるふると首を横に振った。

 

「もう少しなでなでしてください、とぉさま……」

「おおぅ……」

 

 やっちまった? やっちまったねぇ(自問自答)。

 怖ぁいお姉さん方とイギリス令嬢が依然として睨みを利かせてやがりますし、初心な山田先生は濡れ場ありの洋画を見た時みたいに両手で顔隠しちゃってるし、青春してる坊ちゃん嬢ちゃんズは恥ずかしそうにざわざわそわそわ。

 

「父よ! 次は私をなでなでして欲しいぞ!」

「せんせぇ私もなのだー!」

「キミ達は本当にブレないねぇ。欲望に正直で大変よろしい」

 

 んで、正直になったのはこの子らだけじゃないようで。

 甘える姉二人と着ぐるみのお姉さん(・・・・)に触発されたのか――私の娘とやらの何人かが、白衣の裾を両手で引っ張って存在をアピールし始めた。どうやら生まれ(・・・)が同じ十つ子でも、性格や嗜好などは各自で違いがあるらしい。えーとこの三人は……きーちゃんにえーちゃんにしーちゃん、か?

 

「くー姉様とうー姉様ばっかりずーるーいー! しーちゃんもパパと抱っこするぅー!」

「えーちゃんも! えーちゃんも!」

「高い高い、して……」

 

 えーちゃんとしーちゃんときーちゃんが私を引っ張って。

 あーちゃんがえーちゃんを引っ張って、いーちゃんがしーちゃんを引っ張って。

 さーちゃんがきーちゃんを引っ張って、かーちゃんがいーちゃんを引っ張って。

 けーちゃんがあーちゃんを引っ張って、おーちゃんがさーちゃんを引っ張って。

 やーれやれ、私の白衣は大きなかぶでもテーブルクロスでも地引き網でもないってのに。そしてこーちゃん、何故キミだけ私の頭によじ登ってスヤスヤ眠り始めちゃうのですか? 

 うーむ、子どもライオンにじゃれつかれるお父さんライオンの気分であーる。

 

「モテる男は辛いですねぇ先生」

「鏡見て言うこったな、少年」

 

 かくして。

 私を父と慕う女の子が、一気に十一人も増えてしまったのだった。




 今回のリクエストは、

 XXFAMIGLIAさんより、

・「ヴァカめ!!」(ソウルイーター:エクスカリバー)

 多くの方より

・ボン太くん(量産型)のコス

 狐禍野ハルさんより、

・千冬がアイアンクローの前に「私のこの手が真っ赤に燃える!お前を倒せと轟き叫ぶ!爆熱!!ゴッドフィンガー!!!」

 アスモおばさんさんより、

・アダルトサマーが千冬からアックスボンバー。

 マグロステイシスさんより、

・「まロい」(終わりのクロニクル:佐山)

 シラバカの樹さんより、

・「嘘だッ!」(ひぐらしのなく頃に、竜宮レナ)

 毛玉野郎さんより、

・ダンボールスライディングで体当たり

 めーりんさんより、

・「究極!ゲシュペンストキィィィィッッック!!」

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

041. 旗立て少年と旗立て中年

風音ユウさんより誤字報告と訂正をいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。


「ほんぢゃあまあ! 気を取り直して第二競技を始めちゃうぜぃ!! 文句あっかコラァ!?」

「「いや、別に何も言ってないッスけど」」

 

 荒れる気配の欠片もない澄んだ青空と海原の中に、たばちゃんの溌剌とした声が響く。

 私に辱められてヤケクソになったムッチリ兎さんもエロ可愛いからまあ良いんだが、開き直って何やらかすか分からんのが不安要素だわな。この水着のおじょーちゃんだらけの運動会に関してもたばちゃんの完全な独断だし、私と少年の今の格好も何ぞコレってな具合だ。

 

「……お子様ランチのチキンライスにでもなった気分です」

「そう言いなさんな少年。私らより『旗』の似合う男はまずいねぇぜ? 色んな意味で」

 

 決闘を始めるガンマンのように背中合わせに立ち、旗付きの水泳帽を被らされた私と少年。

 砂浜にずらりと並ぶのは、うつ伏せに寝そべる幼女と女子高生の尻、尻、尻。反対側――少年の目の前にも同じ光景が広がっている。私らに見られて恥ずかしいのは分かるけども、タ○リ倶楽部でもあるまいし、尻をもぞもぞ揺らさないでほしいなぁ目の毒だし揉みたくなるから。

 旗、砂浜、うつ伏せとなれば、これから何をするのかはお察しの通り。

 

「第二競技の内容は『人間ビーチフラッグ』だじぇ! ルールは単純明快、いっくんといーくんの頭に付いた旗を最初に取るか、さっき配った水鉄砲で撃ち落とした人が勝ち! でもそれだけだと普通のビーチフラッグとあんまし変わらなくて面白くないから、いっくん達は旗を取られないよう頑張って逃げ惑ってね!」

「何の因果で逃げ惑わなくちゃいけないんですかね、俺達……」

「ふん――贅沢な愚痴だなオイ。水着のおねーちゃん達に追い回されるどころか、石コロみたいに見向きもされない野郎共がこの世にゃ何千何万といるってのに」

 

 にしても水鉄砲……水鉄砲、ねぇ。

 少なくとも私の曇りなき目ん玉には――インクで塗り潰し合うイカしたシューティングゲームのブキにしか見えないのだが、まあ液体を飛ばすって点では同じだから別に良いか。バケツやフデやローラーまで『鉄砲』と定義できるかどうかは無視する方向で。

 競技に参加しているのはくーちゃんうーちゃん以外の銀髪娘十人と、クジ引きで見事に当たりを引いたお嬢さんら十九人、そして特別参戦させられた秋姉の計三十人だけだ。それが十五人ずつに分かれて私と少年を挟み撃ちにする構図になっている。

 あまり大勢でしても怪我の元だし、そもそもこの競技に限っては、初めて外に出た幼い愛娘達に楽しんでもらいたいという――たばちゃんの母性本能全開な親心の意味合いが大きい気もする。

 

「でもどうしてビーチフラッグに水鉄砲?」

「そりゃあれだろ、少年の水着が濡れると溶ける材質でできてるから」

「どーりで腰回りに違和感あると思ったよ! よく見りゃ買ったのと微妙にデザイン違うし!!」

「ハッハッハッ、すり替えておいたのさ!」

「いーくん、それスパイダーマンやない、デッドプールや!」

 

 おや、私とした事が使うコスプレを間違えてしまった。だって似てるんだもん――とか言ったらアメコミファンからのブーイングは必至だ。つーかこのマスク蒸し暑っ。

 

「やっぱ貴重な水着回だし、たばちゃんだって『ポロリもあるよ』って言ってた訳だし、どっかでポロッとかないと看板に偽りありじゃん? 有言不実行じゃん?」

「ポロリどころか全面開放じゃねぇか! 俺じゃ誰の得にもならんでしょ!!」

「そいつぁどうかなぁ……」

 

 外れクジを引いた子達は観戦組に回り、勝者を予想してポイントを得る仕組みになっている。

 裏で少年のポロリ情報を流したおかげなのか、息を荒く吐き、携帯やら望遠仕様の一眼レフやら表紙に『冬コミ用』と書かれたスケッチブックやらを構える水着のお嬢さんズ。鼻血を流しながらぼそぼそと呪詛のようにカップリングを呟く様子は――色々とアカンかもしれない。目が熟練したスナイパーのそれになっちゃってるし。

 余談だが、少年ラヴァーズは狙い澄ましたように外れクジを引かされて観戦組である。

 

「と、とにかく別の、代わりの水着とか持ってないんですか!?」

「あるっちゃあるよ。葉っぱと貝、どっちにする?」

「よりによってその二択!?」

 

 貝の方が形状的に収まるっつーかフィットするからオススメです。

 ブリーフ派かトランクス派か……どちらにしてもポジショニングは大事だよねって意味で。

 

「いやぁ、実は部屋で一度試着してみたんだけどもね? オッチャンの場合、女の子に披露したら確実に国家権力のお世話になっちゃいそうでさ、考え直したんよ」

「そんなのを俺に押し付けないでください……」

「バナナの葉とかでフンドシっぽくすれば良かったかなぁ」

「もはや原住民!?」

 

 ともあれ。

 

「諦めろ少年、今からじゃ着替える時間もない。何とか濡らされないようにするんだな」

「ひ、他人事だと思って……!」

「さあ果たしていっくんは宝物をポロッちゃうのか!? そして勝利の旗は誰の手に!? いくぞ小娘共、インクの貯蔵は十分か!? 求めよ、さらば与えられん!! ネタが欲しけりゃ力ずくで剥ぎ取ってその目に焼き付けるのじゃー!!」

『おおー!!』

「それではよーい……スタート!!」

 

 ボパンッ、と。

 たばちゃんのウサミミがクラッカーのように破裂し、秋姉の代役で解説席に座らされた姉上様を紙テープお化けに変えたのと同時――女戦士達は一斉に起き上がり、ブキを構えて走り出した。

 一方、うちの可愛いちびちゃんズはルールをそれほど理解していないらしく、まるで見当違いの方向にインクを撒き散らし――予想外の襲撃に観戦組やたばちゃんが悲鳴を上げていた。

 

「びゃあああっ!? 違う違う、ママじゃなくてパパにバシャーするんだよ!? ちなみに人体や自然に配慮して無害な特殊インクを使用しております! 主に食紅とか!!」

「ドッキリ番組で下にちっちゃく出るテロップみたいだな」

「のんびり言ってる場合じゃないでしょ先生!! もう囲まれちゃいますよ!?」

 

 少年が言うように旗……っつーかもう完全にポロリ目当てのお嬢さんらは、統率の取れた動きで私と少年の包囲を進めていた。どうやら一人一人無計画に突っ込むのではなく、大人数で逃げ場を塞いでから徐々に範囲を狭める算段のようだ。目が血走ってる割に冷静だねぇ。

 

「くくっ、織斑君にスミス先生、潔く我らが潤う為の生贄となるのじゃー! 者共かかれぃ!!」

『ヒャッハー! そのパンツ寄越せやコラー!』

「さぁてさてさて、てな訳で第二競技が始まりましたが――どうでしょうか、紙テープとインクでとんでもない姿になっちゃってる解説のちーちゃんさん、気になる子はいらっしゃいますか?」

「……とりあえず束、後で一発殴らせろ」

「いやん、ちーちゃんったら情熱的っ! でもそこが好きっ!」

「もうヤダこの学校ー!!」

 

 会話が通じているようで噛み合ってない逸般人コンビはさておき。

 少年が嘆いたくらいで我を忘れたアマゾネス連中が止まるはずもなく、四方八方から膨大な量のインクが降り注ぐ。分かっちゃいたけど誰一人として旗取る気ねぇなオイ。

 んでもって、マイペースに遊んでいた銀ちび軍団もママの説得でやる気になったようで、装いも新たに参戦の気配を見せる――のは良いんだけど何だろうねあの格好。

 

「パパ見てー、パパの着てるのと同じー!」

「うんそうねー、でも暑くないー?」

「だいじょぶー!」

「大丈夫そうに見えねぇから聞いてるんだけどなぁ……」

 

 白衣と特攻服。

 まあ似てるっちゃ似てるが――せめてもう少しサイズ合わせてあげたら良かったんじゃないかねたばちゃんもさぁ。袖とか余りまくってミニのほほんさんみたくなってるし。背中の『月兎組』の文字も何と言うか……バスターズか? 退治(バスター)されちゃうのか私?

 あ、さーちゃんに裾を踏まれておーちゃんがコケた。

 

「うぇぇ。パパぁ、目に砂入ったぁ……!」

「ああもう、だから言わんこっちゃない。擦るな擦るな、取ってやるからおいで」

「あーい」

「この状況でよく普通に会話できますね!? しかも避けながらとか!!」

 

 そこはそれ、大人の余裕って奴よ、少年。

 

「くぅ……やっぱりスミス先生には当たらないわね!」

「諦めないで! 何時かは隙ができるはずよ!」

「ふぅはははっ! ちょろいっ!! 少年とは違うのだよ、少年とは!!」

 

 嘘泣き用に持ち歩いている目薬で砂を洗い落としてやり、そのまま無抵抗の子ウサギを捕獲してテディベアのように両手で持ち上げる。高い高ーい。

 ふむ、子ども用のオモチャだからか、おーちゃんの体重を含めても見た目より軽い――とにかくブキも手に入ったし、そろそろ反撃といきますか。

 

「どぉぉぉらぁぁぁぁ!! おーちゃん撃て撃てー!」

「はーいっ!」

「きゃああっ!? 撃ち返してきた!?」

「だっしゃぁぁぁぁ!!」

「ちょっ、先生何で俺までぶふぉぁっ!?」

「これも戦略のうちよ! そいやっさぁぁぁ!!」

「衛生兵、衛生兵ー!! ボーデヴィッヒさんの妹の裏切りであるぞー!!」

 

 阿鼻叫喚である。

 うちの娘っ子達も目つぶって闇雲にぶっ放してるし、もう誰が誰の敵なのやら。

 

「パパ当たってーっ!」

「しかし当たらぬぅっ! 秘技、少年バリヤー!!」

「やっぱりかぁぁぁぁ!! でも海パンは死守!!」

 

 雄叫びを上げ、股間周辺を防御しながらインクを浴びる若かりし頃の私。変態か。

 

「おいコラ審判、じゃねぇ司会! 旗役が攻撃してくるってそんなのありか!?」

「ふーんむー……撃ってるのはいーくんじゃなくてあくまでおーちゃんだからなぁ。普段は勝気でお姉さんぶってるけどぉ、実はだぁい好きないーくんに甘えたくて構ってほしくて――自分の事もちゃんと見てもらいたくて仕方がないんだよねヘバアッ!?」

 

 赤くなった秋姉がその剛腕でバケツをぶん投げ、頭部に直撃したたばちゃんがウサミミ博士からウサミミバケツ博士にメガシンカした。バケツを被った後にウサミミを装着し直すあたり、彼女の芸人根性も中々のもの――着ているのが露出高めの水着だから余計にシュールだ。

 バケツヘッドをガコガコ揺らしながらたばちゃんは叫ぶ。

 

「な、何するのさオーちゃん!?」

「うっせぇ!! 今明らかに別の誰か(・・・・)の事を言ってたろうが!!」

「そいつぁ気のせいって奴だぜぇオーちゃん!! 私はオーちゃんじゃなくておーちゃんについて熱く語ってるだけで――仮にオーちゃんの事のように聞こえたとしてもそれはオーちゃんの主観に過ぎないのであっておーちゃんとオーちゃんはおーちゃんがオーちゃんという訳でもオーちゃんがおーちゃんという訳でもないんだよっ! それとも何かい? 思い当たる節でもあるのかな?」

「ぅぐっ……」

 

 臨海学校とは無関係なはずの秋姉を巻き込んだ時点で、たばちゃんが彼女に興味……っつーより子どもみたいな悪戯心を抱いていると分かっていたが、弄り方がどうにも普段のたばちゃんらしくないんだよなぁ。オルコット嬢を泣かせた時のような心の余裕がない、とでも言えば良いのか?

 原因に心当たりがあるっちゃあるけども――自意識過剰だったら恥ずかしいから自重しよう。

 何にせよ、たばちゃんと秋姉の一連のやり取りを見て、インクべったべたのもずく妖怪と化したうちの姉が色々と把握しちゃったらしい。夫の浮気を疑う春日部市在住の主婦(29歳)みたいな目でワタクシめを睨んでらっしゃる。

 

「あの、束さん!? これって俺らが旗取られるまで終わらないんですかねぇ!?」

「そりゃビーチフラッグだもん当然でしょ。でも、んー……いーくんが反撃するのは読めてたけどいっくんも意外にやりおるね。だったら旗をゲッチュした強者にはいーくんかいっくんのほっぺにチューできるご褒美も追加しちゃおう! ほれほれエサが増えたぞ皆の衆!!」

 

 少年の余計な一言で地獄が追加された。

 銃撃が一瞬止み、悲鳴に近い大歓声が砂浜を波立たせる。

 

「……少年、てめぇ自殺願望でもあるのか?」

「……俺も言ってから激しく後悔してます……」

 

 参加者にとっては願ってもないボーナスかも知れないが――その中に織斑先生もオルコット嬢もおチビもデュノア嬢ちゃんもうーちゃんも含まれてない事を忘れてはいけない。

 

「一夏ぁ! 何が何でも死ぬ気で逃げなさい!! じゃないと――殺すわよ!?」

「さらっと恐ろしい事言うなお前!?」

 

 今回ばかりはおチビの言う事を冗談と笑い飛ばせない。

 もし万が一、旗を奪われてほっぺにチューされた場合、私と少年を待っているのは斬撃や狙撃や青龍刀やパイルバンカーや砲撃での公開処刑である。姿の見えない篠ノ之嬢ちゃんも後で知ったら介錯の準備を始めるだろうし、秋姉なんぞはその場で発砲しかねない。

 いよいよこのゲーム、終わりが見えなくなってきやがった。

 

「本当にどうします!? もう足が限界なんですけど!?」

「パパー、お水出なくなっちゃったー」

「おまけにおーちゃんはインク切れ……万事休すだねぇ。力で制圧する訳にもいかんし……」

 

 私らが殺されずに済む方法――ない訳ではないが、エンターテイナーを自負する身として観客を落胆させる手はあんまり使いたくないんだよなぁ。かと言って、何時までも避け続けたらそれこそ千日手だし、臨海学校初日の貴重な自由時間を使わせてもらっている以上、双方が納得するような単純明快な決着が一番好ましい。

 好ましい……のだが、うーん。

 

「…………しゃーない、観念してブーイング食らうかぁ。少年、一瞬で良いからそこ動くなよ」

「はい?」

 

 思い立ったら即実行。

 抱いているおーちゃんに負荷を与えないよう柔らかく静かに、しかし目標物までの最短の軌道に沿って下から上へ――身体を回転させた薙ぎ払いの動きで右足を伸ばす。

 この変則ビーチフラッグ、手段はどうあれ旗を奪取すれば勝者になれる。

 そしてたばちゃんは『旗役が旗を取ってはいけない』とは言っていない。

 要するにだ――私が少年の、少年が私の旗を取っちまえばゲームは終わる! 男同士でほっぺにチューなんぞするのもされるのも御免だが、そんな権利は放棄しちまえば良い!!

 

「苦情なら後で受け付けてやる! とにかくこの競技、勝ちは貰った――」

「あ、言い忘れてたけど、旗役同士で旗を取ったりしたら無理矢理にでもチューさせるからね?」

「――と見せかけてくたばれオラァ!!」

「ぶへっ!?」

 

 寸前で軌道を下方修正。

 頭部をかすめながら旗を取るはずだった右の足刀――それを顔面に受けた少年がバドミントンのシャトルみたいに綺麗な放物線を描き、そして落ちた。

 …………えーと。

 

「とりあえず、少年狙うなら今がチャンスだぞー?」

「いやいやいやっ、アンタいきなり何しやがるんスか!?」

 

 あ、生きてた。

 若いからか、流石のしぶとさと生命力――十数年後には裏の世界で『ホワイトコックローチ』と恐れられるだけの事はあるなぁじょうじじじ。

 こちらに詰め寄る少年を手で制し、これまでに得た情報を簡潔に伝える。

 

「まあ落ち着くのだ少年。たった今、どう足掻いてもチューされんと終わらん事が判明した」

「落ち着ける要素皆無!? それ言うためだけに蹴り飛ばしたと!?」

「じゃあ私にチューしたりされたりするか?」

「死んでも嫌です!!」

「私だって嫌だよ」

 

 さて、進退窮まったとはこの事か。

 おーちゃんに当たらないよう無理な体勢を続けてたから、腰も悲鳴を上げ始めてヤバい。

 

「パパ、旗ってこれ?」

「そう、それそれ……」

「…………」

「…………」

「…………?」

 

 少年と間抜け面を見合わせてから、もう一度おーちゃんを見る。

 ちょいとおーちゃん、その手に持っている物は一体なぁにかな?

 

「旗っ!」

「……何時取った?」

「今っ!」

 

 むふー、と私に抱きかかえられながら、両手に一本ずつ持った旗を誇らしげに振るおーちゃん。

 自分が勝者だと自覚している風もなく、私の関心を引きたくてつい取ってしまった――ついでに少年のまで取ったのは勢いか、それとも一本より二本の方が良いと幼いなりに考えた結果なのか。

 

「おおーっと! これは大番狂わせ、いや予想通りか!? 競技そっちのけでいーくんにべったり甘えてたおーちゃんがまさかのダブルキル! 無邪気、故に無敵! いーくんの父性をくすぐって見事に勝利をもぎ取りました!」

 

 たばちゃんが競技の終了を告げてホイッスルを高らかに鳴らし、ブキを下ろした参加者側からは落胆の声が、ギャラリー側からはおーちゃんを称える黄色い歓声が上がった。一際喜んでいるのはおーちゃんが勝つのに賭けた子達かね? 

 一方、当事者のおーちゃんは現在の状況がいまいち分かっていないようで、他の姉妹達と一緒に疲れて寝転んだ少年を囲って遊んでいた。鼻や耳の穴に旗を挿し込んでみるとか、将来の有望性を感じさせる高尚な遊びだな。けどパパが寝てる時にはやらないでね、お願いだから。

 

「そいじゃお待ちかね! 頑張った――かは微妙だけどおーちゃんにはご褒美じゃ!」

「ごほーび!?」

 

 何かもらえると勘違いしてるらしいおーちゃんを、たばちゃんが私の顔の高さまで持ち上げる。

 いやあのね、おーちゃん? パパはあげる側じゃなくてされる側だから、ンなキラキラした目で見つめられてもどうにもならないのでありますのコトよ?

 でも実際、年頃のお嬢さんらにされるよりかは姉貴もオルコット嬢も怒らない気がする。つーか幼い娘にキス(しかも頬に)されてるのを見たくらいで怒るほど子どもじゃないと願いたい。

 

「あ、いーくんっ!!」

「ん?」

 

 などと、織斑先生に意識を向けたのが不運だったのか。

 視線を戻した時にはもう手遅れで、軽く触れる程度の拙いキスをおーちゃんから頂戴した。

 …………唇に。

 

「うぉぉぉぉい!? おーちゃんオヌシなんばしよっとね!?」

「にゃ? だってママがパパにチューしていーよって」

「ほっぺにね!? く、唇になんてママだってした事ないのにぃぃっ!! ――いーくんっ!!」

「はいな」

「今からでも遅くないじょ、さあ束さんともブチューっとぎゃん!?」

 

 タコのように唇を突き出して迫るたばちゃんだったが――唐突に倒れ伏し、その背後には彼女の後頭部に大きなタンコブを作った張本人が君臨なさっていた。

 言わずもがな、織斑家の最終兵器こと我が愛しの姉上様である。

 インクを乱雑に拭い取った形相は鬼と見紛うほどに凄まじく、愛用のブレードも何時にも増して妖刀じみた迫力を漂わせている。

 足元でおーちゃんが『ママ、おもいー!』と苦情を言っているけれども、残念ながら救いの手を差し伸べる事は今のパパには不可能な訳でして。ってか助けてほしいのはパパの方なのよ。

 

「……あの、織斑先生? 子どものした事ですし、海外では挨拶程度ですから……」

「分かっているさ……ああ分かっているとも。分かってはいるんだが――その子どもが羨ましいと思ってしまう自分に無性に腹が立つ!! ムシャクシャするから斬らせろ!!」

「何そのジャイアン理論!?」

 

 オルコット嬢の方を見れば、ハムスターみたいな膨れっ面でそっぽを向き。

 秋姉も秋姉で、私にだけ見えるように親指を下に向けて不機嫌具合をアピール。

 目を回したたばちゃんはくーちゃんズにズルズル引きずられて回収されちゃったし、白刃取りで対抗する私の味方は誰もいないようだった。

 

「ちょっと一夏、アンタ大丈夫? 鼻と耳から旗生えてるけど」

「あ、あんまり大丈夫じゃない……」

「あはは……でも何もなくてホッとしたかも。そう言えば、ラウラは平気な顔してたよね?」

「私と嫁が将来結ばれるのは決定している。接吻程度で動じても仕方あるまい? それに、嫁には私の生まれたままの姿も包み隠さず見せて同衾もしているからな、既成事実は完璧だ!」

 

 わあ、そっちも楽しい事になりそうね少年。

 主にうーちゃんのとんでもねぇ一言で。

 

「……一夏、ねえ一夏? あたしの気のせいかしらねぇ? 今とっても聞き捨てならないセリフが飛び出さなかったかしらぁ!?」

「そうだよねぇ? 僕のだけじゃなくてラウラの裸も見たって事だもんねぇ? 初耳だよ?」

「いぃぃちかぁ?」

「一夏ぁ?」

「ひいっ!?」

 

 疲れ切った少年は走って逃げる余力もなく、砂浜に尻餅をついたままじりじりと後退する事しかできずにいた――って観察してる私の方こそ、のんびりしてる余裕なんかないんだが。

 少年が折檻される音を背景に、私は姉貴の怒りが一刻も早く鎮静化するのを願う。

 果たして、私と少年が無傷で過ごせる日は訪れるのだろうか。

 

「鈴、待て! 衝撃砲フルチャージは洒落にならね――ふんぎゃあああああぁっ!?」

 

 …………無理だろうなぁ、きっと。




今回のリクエストは、

 なーき2号さんより、

・「すり替えておいたのさ!」(東映版スパイダーマン)

 テンゼンさんより、

・マーベルのデッドプールのコスプレ

 ザインさんより、

・葉っぱ隊のコス

 sdカードさんより、

・「ドォォォラァァァァ!!!!」
・「ダッシャァァァァ!!!!」
・「ソイヤッサァァァ!!」
・「ヤッパリカァァァァ!!!」(ACfa:チャンピオンチャップス)

 パンダ三十六か条さんより、

・「ちょろいっ!!!」(未来日記)

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

042. 悪党父娘と夏の花火

もしISに魔装学園H×Hの要素があったら。
これ幸いとオジサマーがエロい事しまくる光景しか思い浮かばない今日この頃。


ともかく、遅くなってしまい申し訳ないです。


「私の熱血を送り込みィィィィ!」

「おくりこみー!」

「火を灯して焼いてくれるぜ!」

「くれるじぇー!」

 

 水飛沫を上げてはしゃぐクラスメイト達と、真上で燦々と輝く太陽――それらに負けず劣らずの熱気を放ちながら、変人先生と彼の娘の一人が炎の前で忙しなく動き続けている。

 先生はトレードマークの白衣を脱いで頭にタオルを巻き、息の根を止めたばかりの獲物の胴体に素早く刃を走らせて、隣に立つラウラの妹(こちらは『しーちゃん』と書かれた三角巾とマスクと白衣の給食当番スタイル)が慣れた手付きで竹串に刺し焼き網の上へ置いていく。

 光景そのものは別段不自然ではないのだけれど、先生が何かしてる時点で裏があるのでは……と勘繰ってしまう。ほとんど条件反射に近いがちっとも嬉しくない。

 

「張り切ってるね先生……」

「お、デュノア嬢ちゃんも何か食べるかい? 色々あんぞ?」

 

 視線を向けながら、手は止まる事なく焼いたり炒めたり刻んだり煮込んだり。

 一体何処から材料一式を調達してきたのか、ジャパニーズ・エンニチで並んでいるような屋台を数軒組み上げて――焼きトウモロコシに焼きそばに焼き鳥、各種ラーメンやカキ氷、寸胴鍋一杯のカレーとキンキンに冷えたスイカまで取り揃えた海の家をあっという間に完成させてしまった。

 本当に、どんな仕事をしていたのか気になる人だ。

 聞いたとしても、のらりくらりとはぐらかされるだけだろうが。

 

「どうして急に海の家? お昼ご飯なら旅館で出してくれるって聞いてたけど」

「世知辛い話、馬鹿やるにも色々と先立つもんが必要なんでねぇ。食材は女将さんに頼んで格安で分けてもらったし、織斑先生も明日の打ち合わせで花月荘に戻ったし。鬼がいない内に稼がんと」

 

 変なところで所帯じみた男である。

 

「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり、じっと手を見て尻を掻く」

「あまり真剣に悩んでないよね、それ」

「まーね」

 

 そもそも、この人が悩む姿自体想像もつかない。

 出発前日、廊下を行き来しながら『光学迷彩……ドローン? いっそ軍事衛星をハッキングして撮るか……』とシリアスに考え込んでいるのを目撃したが、うん、あれはノーカウントで。直後に織斑先生に成敗されたし。軍事衛星を乗っ取って何を撮影する気だったのやら――断末魔の叫びに混じっていた『女湯』の単語から考えるに、少なくとも単なる集合写真とかではないだろう。

 ……やっぱり一夏もそういうの(・・・・・)に興味あるのかなぁ。

 

「さっきの、あの綺麗な金髪の人は何処行ったの?」

「疲れたから部屋帰って寝るとさ。続きは夜になってからのお楽しみ、ってな」

「……織斑先生に怒られても知らないよ?」

「海で野郎がする事なんざ、泳ぐか昼寝するかねーちゃんナンパするかのどれかだよ。馬鹿やって痛い目見て――全部ひっくるめてが夏の醍醐味さ」

 

 泳ぎも昼寝もせず――ナンパだけはしっかりして――調理に勤しむ人が目の前にいる訳だが。

 

「ねぇおねーちゃん、見て見てー」

「ん、なぁに?」

「ほらぁ、タコさん♪」

 

 おねーちゃんなんて呼ばれるの初めてだぁ、と感動できたのはほんの一瞬だった。

 しーちゃんがシャルロットの足元に押し運んだ巨大なクーラーボックス――銀髪幼女がそのまますっぽり収まってドラキュラごっこでもしそうな箱の中で、みっちりと押し込められたミズダコが感情のない目でジーッとこちらを見つめていたのだ。

 伸ばせば体長は7メートルに達するだろうか――まかり間違っても『タコさん♪』と可愛らしく呼べるサイズではない。ほらぁと言うかホラーである。

 

「――わあああああああっ!!?」

「そんな驚くなよ。今日びフランスでもタコくらい食べるだろ?」

「オスシのはね!? こんなのいきなり眼前に出されたら日本人でも軽く引くよ!? ほらなんか這い出て来ちゃったし!? 僕に巻き付いてるし!? なんか、ヌメヌメするぅ!!」

 

 水着の中にまで入り込む触手。

 お約束とばかりに独特の弾力と滑り気が全身に纏わり付いて――無数の蛇に弄ばれているような感覚が背筋を駆け巡る。敏感な太腿の内側や脇腹を吸盤で吸われたり撫で回されたり、乙女としてかなりマズいこの状況。色々な初体験の相手が軟体動物とか悪夢でしかない。

 

「あ、ママの絵本みたい」

「……ママが同じの持ってるの?」

「ん、男の人がタコさんと遊んでるの。あとね、お風呂じゃないのにね、はだかんぼさんなの!」

「…………しーちゃんさんや。今度ママと一緒に寝る時、その本持ってって『これ読んでー』ってお願いしてみ? きっとママ、とっても面白い顔になると思うから」

「うにっ!」

「いーから早く助けて!?」

 

 天災の知られざる趣味が流れ弾気味に暴露されたが、その本の内容を(女だけど)フルコースで味わう羽目になりそうな身の上としては、篠ノ之博士が無垢な幼子に辱められようが奇声を上げて悶えようが正直知ったこっちゃねぇのである。

 結局、巨大ダコは先生によってクーラーボックスの中に強制送還された。しばらくヌルヌルしたものには近付きたくもない。

 

「パパ提督! お手伝い任務遂行しました!」

「うむ、大義であった! 皆と遊んできていーよー。あ、日差し強いしこれ被ってけ」

「うにっ!」

 

 彼が愛娘に被せたのはクラゲのような宇宙人のような――麦藁帽子の代わりとしては奇怪過ぎる触手付きの黒い物体。目と口、ついでに砲身らしきものもあり中々に不気味だ。直前に触手生物の代表格とゴールデン伝説さながらの格闘をしたからなおさらに。

 武装とも呼べる妙な格好をしているのは彼女の姉妹達も、一夏やクラスメイト達も同様だった。

 

「Burning Love!!」

「気合! 入れて! いきますッ!!」

「うおあああっ!? ちょっと待て、当たる! 当たる当たる!!」

 

 高々と上がる水飛沫と悲鳴。

 海面からにょっきりと突き出た全長4メートルほどの丸太――その頂近くに縛り付けられている一夏は海軍将校を思わせる白い軍服姿で、皆の中で唯一の丸腰だ。一夏の私物ではないだろうから無理矢理着せられたのは間違いないが……平時なら見惚れるくらいには似合っているかも。

 他にもブレザーやセーラー服、果ては巫女服やら際どいさらしやら、砂浜が大人の欲望丸出しのコスプレ会場と化してしまっていた。それでも皆楽しそうなのが何ともはや。

 

「いやぁ、眼福ですなぁ目の保養ですなぁたばちゃん」

「そうですなぁいーくん! 焼きそばンマー! くーちゃん達もガンバレー!!」

『はーいっ!』

 

 そしてそれを満足そうに見物する大人が二名。

 

「いーくんの注文通り、艦載機はBT兵器操作の練習に、他は射撃訓練になるようコスチュームを作製しといたよん♪ もちろん安全性は保証します!」

「結構結構。楽しく学ぶってのが私の教育方針だからねぇ」

「あ、そういう意味もあったんだね……」

 

 意外とまともな事を考えていたようだ。

 

「ま、音声認識型だから、勝ちたきゃ恥ずかしくてもセリフを言わなきゃいけないんだけどねー」

「中破したら?」

「当然、脱げます! って事で金髪2号、おヌシも夕立に強制お色直しじゃー!」

「きゃー!?」

 

 砂中から飛び出した無数のロボットアームに水着を剥ぎ取られ、素っ裸を恥ずかしがる暇もなく黒の制服やハイソックスに着替えさせられてしまった。仕上げにプロ顔負けのメイクまで施された自分を見てハイタッチするこの二人は、もう大人として色々と駄目なんじゃなかろうか。

 口の周りを青のりやソースで汚したまま、握った割り箸をマイク代わりにして、ウサミミ博士は声を張り上げる。

 

「最終競技『提督奪還・棒倒し!』もいよいよ大詰め! 果たして艦娘達は深海ちびーズから無事提督(いっくん)を助け出す事ができるのか!?」

「とうとう最後までこんな扱いですか俺!?」

「だってぇだってぇ『疲れたから動きたくない』って駄々こねたのはいっくんじゃーん。だぁから動かなくて済むようにしてあげたのにー」

「縛られたいとは一言も言ってないですけどね!?」

 

 喚く一夏の足の下、丸太の周囲で砲弾や艦載機を飛ばす深海ちびーズ(天災命名)とやら。

 こっちはこっちでモノトーン調の衣装――ゴスロリや白のワンピースを着ており、どういう訳か二頭身にデフォルメされて見える事も相まって、チョロチョロ動き回る姿は大変微笑ましい。

 もっとも、角が生えていたり、巨獣と機械を融合させたような兵器を従えていたり、統率された動きで大勢の『おねーちゃん』達を相手取ったりしているのでギャップも凄まじいが。

 

「ひやあぁ!? ダメです引っ張らないで! み、見えちゃいますー!?」

 

 保母さん代わりなのか山田先生もちびーズ側で――額の角と両手の巨大な鉤爪はさておき、肩と腋が露出したデザインのリブ編みワンピース(裾短め)を引っ張られて、同性さえも目を奪われる豊かな母性の塊やお尻が半分ほどはみ出てしまっている。それを見た海の家のおっちゃん(仮)とダメ博士は『おおっ!』とガッツポーズ。

 ちなみにラウラはセーラー服に加えて黒いマントを羽織り軍刀を携え、

 

「弱過ぎる!! お前等の指揮官は無能だなぁ!」

「うー姉様、怒ってるの……?」

「あっ……いやいや! 怒ってない、怒ってないから泣くな! なっ!?」

 

 軍人の気質からか、妹達を半ば本気で相手して怖がられてオロオロし、

 

「ぱ、ぱんぱかぱーん! ぅぅ、恥ずかしいですわ……」

「似合ってるよ~セッシー♪」

「布仏さんは恥ずかしくありませんの?」

「ぜ~んぜん? あいあむ叢雲ちゃんなのだー♪」

 

 キャビンアテンダントを思わせる青い制服と帽子のセシリアは、不参加なのにばっちり着替えたのほほんさんにスマホで動画を撮られ、

 

「ちょっと! あたしの格好何か悪意を感じるんだけど!?」

 

 鈴のは確か水干だったか、オンミョージのような紅色の服にサンバイザーを被り、大きな巻物を小脇に抱えていた。何故彼女が不機嫌なのかと言えば、コンプレックスである特定部位が鉄板でも仕込んであるのかってくらいに平たく表現されているからで――

 

「メイン盾きた!」

「これで勝つる!」

「盾って言うか壁ね、凰さん!」

「鉄壁の絶壁ね、凰さん!」

「揃いも揃って宣戦布告と見なすわよおどれらぁ!! 脂肪の塊がそんなに偉いんかー!!」

『そーだそーだ!! 巨乳がなんぼのもんじゃあ!!』

 

 周りの暖かい声援(?)に対し式神札で無差別攻撃を行い、ブルジョワ組とプロレタリア一家の仁義なき抗争を勃発させたりしていた。夏は人を狂わせると言うが、貧乳軍の猛攻は日頃の妬みを発散するかのように苛烈で狂気すら感じるものであった。気持ちは分からないけど剣呑剣呑。

 

「全く、どうして私までこんな格好を……」

「箒おばちゃんは……遊ばない、の……?」

「お友達いないの? ぼっちさんなのー?」

「お、おばっ!? いや姉さんの『娘』で姪だからおばちゃんで良いのか……? それより、私はぼっちじゃないぞ!? 私にだって友人の一人や二人くらい……いるはずだ! きっと!!」

「でもママが『箒ちゃんはぼっちだから仲良くしてあげてね』って! ね、きーちゃん!」

「うん……」

「………………姉さん? ちょっとお話があるのですが?」

 

 姿の見えなかった箒まで何時の間にか参加させられていて、多少ぎこちないながらも突然できた姪っ子達に懐かれている――それは別に良いし、姉に寂しい子扱いされて怒るのも当然の権利ではあるのだけど、その戦艦クラスの主砲をこっちに向けないでほしいなぁ、とシャルロットは思う。

 一方、標的にされたウサミミ博士は焼きそばを飲むように完食し、さらに数本の焼き鳥を串ごとバリバリと平らげた後――

 

「うーさっさっさっさっ! ほぉらほら、捕まえてごらんなさぁーい!」

 

 若干ウザい感じに、両手を広げて脱兎の如く逃げ出した。

 でもって、ブチリ、と太い綱を引き千切ったような音が確かに聞こえた。

 

「――こぉの馬鹿姉! 今日こそ引導を渡してやる!! 第一、第二主砲。斉射、始め!!」

「ふっふーん、束さんの半分は箒ちゃんへの優しさでできているのだよ!」

「頭痛を鎮める薬じゃなくて頭痛を起こす薬でしょうが姉さんの場合!!」

「箒ぃぃっ! こっちに流れ弾飛ばすなーっ!!」

 

 流石、世界を煙に巻く要注意人物だけはある。

 妹を手玉に取る事など彼女にとっては朝飯前、赤子の手を捻るよりも容易いのだろう。追い回す箒も箒で真っ直ぐな――悪く言えば闘牛用の牛みたいな性格なのだし。

 

「……何だかんだ言っても仲良いんだね、箒と篠ノ之博士って」

「愛情表現が下手な姉妹だからねぇ。マイナスにマイナス掛けたらプラスになる、みたいな?」

「あー、だから先生ともマイナス同士気が合うんだね。あははは」

「そうそう。あっははははは――言うようになったじゃねぇかオメェも」

「ごめんなひゃい」

 

 つい口が滑り、ほっぺをムニムニされてしまった。

 

「パパー! トウモコロシください!」

「えーちゃん、トウモロコシな」

「うんっ、トウモコロシ!」

「……もう良いや、うん。トウモコロシねトウモコロシ。丸ごとじゃ多いから半分な」

 

 えーちゃんが差し出した硬貨はプラスチック製の玩具だったが、先生は薄く笑みを浮かべながら切り分けたトウモコロシ(・・・・・・)を渡し、ハムスターそっくりに食べる娘の頭を愛おしそうに撫でた。

 その光景が――幸せそうな幼子が何だかとても羨ましくて。

 

「えへへ……ぱぁぱ♪」

 

 そう言って娘を見送る大きな背中に抱き着いたのは、魔が差したとでも言おうか、ちょっとした悪戯心や仕返しの意味も込められていたりいなかったり。

 一夏なら慌てふためくか真っ赤になって固まるかのどちらかだろうが、先生は動じた様子もなく呆れ顔になって軽く溜め息を吐いただけで、引き剥がす事も突き放す事もしない。

 

「父親絡みで悩み事でも?」

本当のパパ(・・・・・)の事で、ちょっとね。もうとっくにバレちゃってるのに、何時になったら打ち明けてくれるのかなぁって思って」

「………………ほぉ」

 

 驚きと感心が半分ずつの声音。

 

「良く気付いたな。予想よりも大分早い」

「だってオーバンさん(おとうさん)ったら、電話する度に一夏と何かなかったか聞くんだよ? 一昨日も一緒にレゾナンスに行った事を教えたら『年頃のレディがみだりに異性と出かけてはいけません!』って大慌てでさ。そりゃ気付きもするよね」

「長い間会う事もできなかった実の娘と、ようやく気兼ねなく話せるようになったんだ。父親だと言い出せないからこそ、極東で一人きりの娘が心配で仕方ないんだろうよ。男親にとっちゃ、娘に近付く男はみぃーんな馬の骨だしな」

 

 ラーメンの出汁くらいにしか使えんわ、と先生は言う。

 

「ママもママで『あの人が自分から言うまで待ってあげなさい』だって。だから、先生をパパって呼んでヤキモチ焼かせようって今決めちゃった♪」

「ついでにこれを見て少年も妬いてくれたら一石二鳥ってか? 悪女だねぇ」

 

 その強かさは間違いなく母親からの遺伝だろう。

 かつて浴びせられた辛辣な罵詈雑言さえ、自分を想うが故の愛情の裏返し。

 憎まれ役を演じた心優しい母――性格が似ていると実感する事が、家族との明確な血の繋がりを意識できる事が、こんなにも幸福に思える。

 女心は分かってくれないけれど、真っ直ぐ真摯に向き合ってくれる一夏。

 嘘つきで気まぐれで一夏以上の女たらし、それでも誰よりも頼れる先生。

 この二人に出会えたから、今も自分は笑顔でいられる。

 

「つーか、そろそろ離れてくんないかなぁ。織斑先生に見られたらどうなる事やら」

「――そうだな。どうなるんだろうなぁ?」

「……あーららら」

 

 だから、だろうか。

 少しだけ、ほんの少しだけ、二人を独り占めしたいと考えてしまうのは。

 箒にもセシリアにも、鈴にもラウラにも、山田先生にも篠ノ之博士にも――織斑先生であっても渡したくないという欲が出てしまうのは。

 

「あー、織斑先生? 打ち合わせの方はもうよろしいんで?」

「滞りなくな。で、お前はデュノアと何をしていたんだ?」

「何をと言われましても、何と申しましょうか……」

「ねぇパパ、僕、買って欲しい服があるんだけどなぁ♪」

「おーいデュノア嬢ちゃん、この状況でその冗談は笑えねぇって!」

 

 母からの教えその一、イイ女になりたいなら男を困らせて手玉に取るべし。

 その二やその三は思い出すのも恥ずかしいピンク色の教えだったので割愛するとして、なるほど確かに、滝のような汗を流して狼狽する先生は――さながら飼い主に叱られる大型犬。別に悪女の道を志すつもりはないが、困っている姿はちょっと可愛いかな、と思えてしまう。

 

「あのですね織斑先生、これは決して援助交際とかそういういかがわしい何かではなくて、親睦を深めているとでも言いましょうか――だからとにかくその物騒な小道具は片付けましょう!?」

「やかましいこの性犯罪者! 目を離した途端に性懲りもなく、オルコットに続いてデュノアまで誑かしおって! スイカ代わりにお前の頭をカチ割ってやる!!」

「ぎゃー!?」

 

 一夏だったら……どんな可愛い顔をしてくれるのかなぁ。

 そう考えると、小悪魔的な女を目指すのも案外悪くないのかも知れない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「えー、以上をもちまして全競技を終了致しやす! おつかれっしたー皆の衆!」

「おつかれさんっしたー」

「……なんで篠ノ之博士とスミス先生が一番ボロボロになってるんだろ」

「さあ……?」

 

 大和モッピーに撃たれて自慢のウサミミが穴あきチーズみたいになったたばちゃんと、お茶目なデュノア嬢ちゃんのおかげで姉上に折檻されて顔面が潰れたアソパソマソに変貌した私。

 まあそれはいつもの事だとして、我らがウサミミ博士が主催なすったお祭り騒ぎも、名誉なんぞ欠片もない表彰式を残すだけとなった。

 

「続いて表彰式に移りまーす。自分が優勝だと思う子足上げてー」

『はーいっ!』

「はいノリが良くて大変よろしいー、特にうちの娘達。約束通り、私とたばちゃんが優勝した子のお願いを何でも聞いたげるんでー、自信ある人は今のうちに考えとくようにー。あ、おっちゃんにエロい事されたいってお願いの子は――」

 

 音速を超える速度でこめかみにブレードが突き刺さった。

 ついでにたばちゃんに向こう脛をゲシゲシ蹴られ、オルコット嬢は愛銃を構え、旅館の方からは小口径の弾丸が飛んで来た。割り箸で摘まんでぽーいっとな。

 

「――こんな風に織斑先生にオシオキされるので止めておこうねー」

 

 正直な話、成績上位の面々については意外っつーか納得っつーか。

 

「気を取り直して、まずは銅メダルから発表しちゃうぜい! 血で血を洗ったおにゃのこだらけの水上大運動会、第三位は――つるぺた怪獣ツインテール!」

 

 全員が一斉におチビを見た。

 つるぺたとツインテールの属性なら、持ってるお嬢さんは他にもいる。しかし加えて怪獣っぽい性格となると、この場でそんな三拍子を兼ね備えているのはおチビくらいだから、満場一致なのも仕方ないっちゃ仕方ない。

 

「怒っていいわよね、あたし怒っていいわよねコレ!?」

「怪獣ちゃんにはいーくん特製巨乳パッドを贈呈!」

「一度は売れたんだけどキャンセルがほとんどでね、在庫有り余ってるから好きなだけ持ってけ」

「いらんわー!!」

 

 これで皆も山田先生、ってのが売り文句の力作なんだが……いくつになっても女心は分からん。

 ちなみに三位の理由は、最初の遠泳競技で一着だったからだそうな。私と一緒にゴールっつーか網に入った状態だったけど、たばちゃん的には面白けりゃ何だって良いらしい。

 

「続いて第二位――おーちゃん!」

「うにっ!」

 

 もう足は上げなくて良いから。

 

「人間ビーチフラッグで二人分の旗をゲットできたのが大きいね! 誰かさんが旗と一緒に唇まで奪われちゃうとは流石に思わなかったけどぉ?」

「はっはっはっ、いやいやいや」

「おーちゃんには前から欲しがってた象さん等身大ぬいぐるみをぷれじぇんと! くーちゃんずも頑張ったから好きな動物さんのぬいぐるみをあげちゃおう!! 予算の都合でこっちはちっちゃいサイズになっちゃうけどゴメンね!!」

 

 三徹してぬいぐるみを作るのは別に問題じゃないんだが、等身大ともなると材料費も結構馬鹿にならんのよなぁ。娘達のご褒美にその辺から失敬した汚い金(主に裏金とか裏金とか裏金とか)を使う訳にもいかんし――まあ、シロナガスクジラさんのが欲しいとか言われないだけマシか。

 

「でゅわいよいよ第一位! 願いを叶えてもらえるのは一体誰なのか!? いっくんにあーんな事してもらったり、いーくんにいや~んな事されちゃったり!? 何じゃそりゃスッゲェ羨ましいぞコンチクショウ! さあ目をかっぽじって聞け皆の衆! 栄えある優勝者は――」

 

 目ェかっぽじったら『痛い』じゃ済まないし、未成年にいや~んな事したらそれこそ織斑先生に目玉抉り取られそうなんだが。

 

「ゆーしょーしゃは……………………いーくんこれどう読むの?」

「……『のほとけ』だよ」

「せんせー呼んだ~?」

 

 いまいち締まらないご指名を受けて前に出るヨタロウ、もとい、キリクマ装備ののほほんさん。

 競技には参加せずマイペースにコスプレで遊んでいた彼女だが――驚いた事に、各競技でどんな結果になるかをことごとく的中させて外野のままポイントを荒稼ぎしていたのである。それさえも何となく適当に賭けただけと言うのだから、賭博師にとっては恐ろしい話だ。競馬予想師になるかブックメーカーにでも投資すれば大儲けしそう。

 

「……なんちゅーか、想像以上にぽやんとした子だね。のんびりのんちゃん?」

「妙にしっくりくるアダ名ですな」

「ま、いっか。とにかく一等賞おめでとう! ランプの魔人や神龍より万能なこの篠ノ之束さんが責任を持ってのんちゃんのお願いを叶えてしんぜよう!」

「んー……お願いかぁ……」

 

 カポッ、とキリクマの頭部を脱ぎ、のほほんさんは珍しく悩むような素振りを見せる。

 

「ねぇ博士、せんせー、それって今じゃないとダメ?」

「いや、すぐに思いつかないなら晩飯の後や学園に帰ってからでも構わんけど」

「じゃあ考えておくのだ~♪」

 

 どんなお願いにしようか考えてすらなかったらしい。

 人間の原動力は欲望だと言うが、無欲な子が一番強いのかねぇ、やっぱり。

 他のお嬢ちゃん方もノリ良く拍手したりのほほほんさんを羨ましがってはいるが、妬みや嫉みの感情を抱いている様子はない。これもある種の人徳だわな。

 

「それではこれにて閉幕! ありがとごじゃましたー!」

「あのー……」

「片付けは束さん自慢のマッスィーン達にお任せ! ウミガメも思わず産卵しに来たくなるようなビューティフルな砂浜にしてやるぜい!」

「ママー、けーちゃんもお手伝いするー!」

「かーちゃんもー!」

「あのー!!」

「何だよいっくん、うるっさいなー」

「うるさいって……叫ぶ事しかできないこの状況で他にどうしろと!?」

 

 深海ちびーズの奮戦で時間切れを迎え、助け出されずにいる少年。

 一方で、満潮の時刻が近い影響から水位が上がり、少年の足元まで波が届こうとしている。

 

「……このままほっといたらどうなるかね、たばちゃん」

「んー、どんどん水かさが増えて…………溺死?」

「そんなに海水が増えたら俺が溺れ死ぬ前にまず日本が水没しちゃうでしょうが!」

「いやだなぁ、軽いジョークじゃまいか。ところでいっくんや、運動会の締めくくりには一体何が必要だと思う? ――そう、打ち上げ花火です!! って事でポチッとな♪」

「せめて答える時間を下さい! と言うか今さらっと何押した!?」

 

 振動する丸太、ゴボゴボと泡立つ水面。

 

「おぉおおぉぉおぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 でもって提督姿の少年を縛り付けたまま、丸太型ロケットは天高く駆け昇り――ちゅどーん、と大輪の花を咲かせた。それを眺めながら、私とたばちゃんは某野菜人の戦闘プロテクターを着て、

 

「「――きたねぇ花火だ」」

「アンタらそれが言いたかっただけだろ実は!?」

 

 あ、生きてた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 さて、うちのがんばった大賞が空の星になりかけたのはどーでも良いとして――もう一人、今も頑張ってる子に三位の副賞をあげねぇと。

 

「もうすぐ晩ご飯だってのにこんな人気のない場所に連れて来て……まさか、あたしにいやらしい格好でもさせるつもり!? エッチな雑誌みたいに!」

「読んだ事あんの?」

「ななな、ないわよアホンダラァ!? どんなポーズなら一夏が喜ぶか参考のために毎晩熟読とかしてないんだからね!?」

「……持ち物検査で引っ掛からないよう気を付けなよ?」

 

 おチビが女豹のポーズをしても威嚇する小猫のイメージが精々だろうが――受け身で誘うよりはベッドに押し倒した方が、あの鈍感小僧にはよっぽど効果的なんじゃなかろうか。事実、私の時はほとんど夜襲っつーか狩りをする虎に近い勢いだったし。すぐに反撃して存分に鳴かせたけど。

 まあ、何処を撫で回すとマタタビ漬けの猫みたいになるかはともかく、

 

「ほれ、これやるから有効に使えや」

「何よこれ、メモ帳?」

「少年が好きなおかずのリストとそのレシピだよ。和食がメインだけど中華風にアレンジしたのもあるから、お前さんでも多少は作りやすいだろ。さっさと腕磨いて嫁の座かっ攫っちまえ」

「よ、嫁って……!?」

 

 流石に作れるのが酢豚一品だけじゃあ、男の胃袋ワシ掴みにするには頼りないからなぁ。仮にもセカンド幼馴染だし、これくらいのアシストはしてやらにゃ。

 さーて晩飯食い行くべ。




次回は臨海学校、夜の部。
そう、温泉です。入浴シーンです。オジサマーのあれが固くておっきくなります。
なるべく早く更新できればなぁ…。


今回のリクエストは、

 尚識さんより、

・「なんか、ヌメヌメするぅ!」(艦これ:鈴谷)
・「バァァァァァァニングゥ、ラァァァァァヴ!!」(艦これ:金剛)

 無限正義頑駄無さんより、

・大和のコスプレ(箒)、愛宕のコスプレ(セシリア)、夕立のコスプレ(シャル)、木曽のコスプレ(ラウラ)、港湾棲姫のコスプレ
・「Burning love!!」
・「ぱんぱかぱ〜ん♫」

 リーライナさんより、

・叢雲のコスプレ

 M@TSUさんより、

・「メイン盾きた!」「これで勝つる!」

 suzuki00さんより、

・きたねぇ花火だ。

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

043. 血戦前夜 ―湯けむり痴情―

 唐突に思いついたけど本編にするまでもないネタ。


チビちゃんず 「「「箱の中身はな~んじゃ~ろな~?」」」

きーちゃん 「ん~、クマさんのぬいぐるみ!」

チビちゃんず 「「「当たり~!」」」

オジサマー 「……何しとんの、あれ」

たばちゃん 「箱の中身当てゲームだって。あ、今度のはかなりおっきいね」

チビちゃんず 「「「箱の中身はな~んじゃ~ろな~?」」」

えーちゃん 「むに~……すっごく怒ってる千冬おばちゃん!」

チビちゃんず 「「「当たり~!」」」

オジサマー&たばちゃん 「閉じて閉じて早くフタ閉じて!?」

おばちゃん 「私はまだ二十代だああああっ!!」

オジサマー&たばちゃん 「ぎゃああああっ!?」



「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!」

「…………部屋で飲んでた方が良かったか」

 

 賑やかながらも珍しく平和だった夕食も終わり、時刻は午後八時半。

 後は露天風呂で絶景を楽しむなりガールズトークに花を咲かせるなり、就寝時間まで思い思いに過ごすだけとなったが――大浴場に隣接する遊戯場に見回りも兼ねて足を運んだ千冬は、卓球台を挟んで繰り広げられている馬鹿二名の奇行を見て、早急に踵を返したくなる衝動に駆られた。

 古めかしいゲームの筐体や卓球台がいくつか並んだ、よくある旅館の遊戯場――食い入るように観戦する生徒達の輪の中で、そのまま竹トンボみたいに飛んで行くんじゃなかろうかという勢いで大馬鹿と極馬鹿はラケットを振り回し続ける。

 片や、金と赤のパワードスーツに身を包み、何故か車のバッテリーを担いだアメコミヒーロー。

 片や、シルバーメタリックの鎧を纏った、断頭台(ギロチン)が代名詞の超人将軍様(ウサミミ付き)。

 もう何処がどう変だとかツッコむ気にすらなれない。

 

「あれ、どっちがどう優勢なんだ?」

「僕に分かるワケないでしょ。速過ぎて何してるのかもよく見えないんだから」

 

 長椅子に腰を下ろし、呆れ顔で試合を眺める篠ノ之とデュノア。

 

「ふむ、変わったぬいぐるみでいっぱいだな」

「鈴さん、これはどうやって遊ぶんですの?」

「ここに百円入れて、上のアームをこのボタンで操作するんだけどさ……これを景品に選んだ奴の気が知れないわ」

 

 オルコットとラウラの関心はもっぱらクレーンゲームに向けられているようだが――凰が小声で漏らしたように、満員電車さながらにギッシリと押し込められたその異様な景品は、千冬の目から見ても万人受けするとは到底思えない代物だった。腹から臓物らしきものがこぼれ出ている動物のぬいぐるみなど、一体誰が欲しがるというのか。

 

「コオォォォォォォォッ!!」

「ホヤァァァァァァァッ!!」

 

 ゾンビのような雰囲気漂うモツ出しアニマルの群れはさておき。

 奇声を発して天井近くまで飛び上がり、宙に浮かんだままチャンバラしたり殴ったり蹴ったりのデビルジェネラルと鋼鉄男。天下一武闘会の決勝戦か何かか。

 

「木ノ葉隠れ秘伝体術奥義・千年殺し!!」

「刺激的絶命拳ッ!!」

 

 卓球と関係のない技名を叫び、位置を入れ替えるように降り立つ馬鹿二名。

 

「時は動き出す……」

 

 アイアン男が背を向けたままラケットを一振りすると――将軍の鎧兜が頭から両断されたが如く弾け飛び、何故かバニーガール姿の束が現れた。

 ……どうやら決着がついたらしい。

 

「にゃああああああっ!? はずかちっ!」

「またつまらぬものを斬ってしまった……」

「…………気は済んだか馬鹿共。終わったのならさっさと部屋に戻って大人しくしていろ」

 

 ああ頭が痛い。

 明日は丸一日使ってISの試験運用やらデータ取りやらをしなければならないのだ。こいつらがハイテンションぶっちぎりで翌日ヘロヘロになろうがどうでもいいが――ただでさえ昼間の騒ぎで生徒達の疲労が溜まっているのに、これ以上巻き込んで余計な体力を使わせる訳にはいかない。

 

「えー? でもちーちゃん、夜は始まったばかりだよ? これからがオトナの時間だぜ!?」

「そうですよ織斑先生。せっかくピンポンしてたのに……」

「テニスとバドミントンのラケットでか? そもそも玉なぞ使っちゃいなかったろうが」

「「最初の一振りで木端微塵になりました」」

「旅館の備品を壊すな!!」

 

 と、そこでふと違和感。

 メタルスーツを着込んで素顔を見せようとしないスケコマシが――どうにも目の前にいない気がしてならないのだ。もっと言えば、中身のない風船人形とでも話しているかのような。

 

「おい貴様……今何処にいる?」

「なっ、何の事でっしゃろか織斑先生?」

 

 あからさまな動揺と、よくよく聞けば気が付くスピーカー越しの声。

 つまり……コレ(・・)はそういう事か。

 

「あや? ちーちゃんどちらへ?」

 

 どちらへだと? 

 そんなの決まっている。

 傀儡まで使ってしょうもない根性を発揮しやがっているあの浮気助平が、鼻の下を伸ばしながら息を殺して潜伏しているであろう場所だ。

 遊戯場と大浴場を結ぶ渡り廊下を駆け抜け、途中ですれ違った仲居の奇異の視線も、興味津々に後をついて来る生徒達の事も気にせず、ただ目的地へとひた走る。

 そして咄嗟の判断が功を奏したのか――中に忍び込もうとガサゴソ蠢いている不自然極まりないダンボール箱を、女性用脱衣所の入口の前で発見した。ちなみに今は山田先生が入浴中のはず。

 

「こ、の――なぁにをやっとるか貴様ぁぁっ!!」

 

 沸点突破。

 床に触れそうな低い抜刀姿勢からの逆袈裟斬り。

 並みの相手なら到底避けられるものではないし(使う気もないが)、千冬自身も何時にも増して冴え渡っていると実感できる太刀筋だった。

 しかし、どれだけ馬鹿で阿呆でスケベで女心に気付いてくれなくても、千冬や束が認めるだけの実力者である事に変わりなく――斬り裂かれて微塵に飛び散ったのはダンボールばかりで、寸前に飛び出した中身は五体満足で傷一つないのであった。

 ……上映前にスクリーンに現れる映画泥棒そのままの格好で、最近何かと縛られている事が多い簀巻き状態の愚弟を脇に抱えてはいたが。

 

「おのれ、まさかこうも早く看破されるとは……!」

「だから千冬姉には絶対バレるって散々言ったじゃないですか! つか殺される! このままじゃ冗談抜きで殺されるー!」

「馬鹿野郎、少年テメェ馬鹿野郎! 露天風呂って単語だけで増すエロさ! 湯煙の中にうっすら見える艶めかしい女体! それを目と脳髄に焼き付けずして何が男だ! 痛みも恐怖もその代償に過ぎねぇだろうが! そう、これは安い言葉で説明できるような理屈じゃあない! 強いて言葉にするなら、これはもう……妖怪の仕業と言うしか――!!」

「妖怪は貴様だろうがこのエロガッパぁっ!!」

「ぶふぉっ!?」

「「「牙突零式イッたー!?」」」

 

 渾身の刺突を顔面と言おうか目と言おうか、とにかくカメラのレンズ部分に叩き込まれ、膝から崩れ落ちる変態――恐らくそれすらも演技でさしたるダメージもないだろう。

 

「ぐっ……こうなったら致し方ない! 行け、少年!! 生きて未来を切り開け!!」

「死ぬ未来しか見えませけどぉぉぉっ!?」

 

 縛られたまま、脱衣所の中にジャイアントスイングで投げ込まれる愚弟。

 

「男が男に夢を託して何が悪い!」

『悪夢じゃねぇか!! あ、ゴメンナサイ山田先生お邪魔してま――…………うわぁ』

『ぁれ……? お、おお織斑君!? え、こっち女湯……どどどうしているんですかぁ!?』

 

 どうやら、風呂から上がったばかりの山田先生と運悪く鉢合わせしたらしい。

 女難の類には枚挙に暇がない弟だが、内容がエスカレートしている気がする。このままの状態が続いたら一体どんな大人になる事やら。でもってその『うわぁ』は何を見ての『うわぁ』なのか。

 

「…………さて、そろそろ乗り込むとするか」

「奇遇ね。あたしも同じ事を考えてたところよ」

「あは、もうしょうがないなぁ一夏は。あっははははは♪」

「む、なら私は……」

 

 篠ノ之は土産売り場にあった木刀を。

 凰は喫煙コーナーの大理石製の灰皿を。

 デュノアは柱の陰に常備されていた消火器を。

 馬鹿に気を取られて出遅れたラウラは、少し悩んでから木彫りの熊の置物を選んで。

 全然笑っていない笑顔を浮かべて周りを引かせながら、だらしない愚弟を折檻すべく脱衣所へと消えていった。中からは肉を殴る鈍い音と山田先生の短い悲鳴が聞こえてくる。

 過程はどうあれ、見てしまったのは事実。

 弟への仕置きはこのままあの四人に任せるとして――

 

「束、あの馬鹿は何処だ?」

「はにゃ? そういやいないね」

「織斑先生、篠ノ之博士。小父様ならあちらに……」

 

 不機嫌全開なオルコットが睨む先では、騒ぎを聞きつけてやって来た女将を馬鹿が口説いている真っ最中だった。コスプレを解いて浴衣に着替え、彼女の両手をしっかり握って――この距離だと会話は届かないが、女将もまんざらでもなさそうに頬を染めてるし、こっちをほったらかしにして何をやってやがるのだあの女たらしは。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 わざわざ言葉にしなくても、三人の意見は一致していた。

 本気で斬り殺すために愛用のブレードを抜刀し、オルコットも拡張領域からレーザーライフルを呼び出すが――それよりも束が「ふぅんぬらばぁー!!」と自動販売機を投擲する方が早かった。

 咄嗟に女将をかばって壁と自販機にプレスされる馬鹿。だがその程度では腹の虫が収まらない。

 さあ――風呂の前にひと汗流すとしよう。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「はぁ……」

 

 お湯が疲弊した身に染み入り、セシリアは思わず息を漏らした。

 湯船の大きさなら寮の大浴場も負けてはいないが、夜色の海と星空が無限に広がるこの開放感は露天風呂でしか味わえない。夕食で出された海鮮和膳も絶品で、日本の温泉旅館の秘められた力をまざまざと見せ付けられた。これが学業の一環である事さえ忘れてしまいそうになる。

 問題があるとするなら、生徒に割り当てられた入浴時間を過ぎている事くらいか。

 

「騙したのは気が引けますけど、こうでもしないと落ち着いて入れませんもの……」

 

 大人数で入ると、必ずと言っていいほど身体の触り合いになる。

 スキンシップで済むなら良いが、やれ『アンタまた肥えた?』だの『そうなのよ、お気に入りのブラがキツくなっちゃって』だのと乙女の意地やプライドも少なからず含まれていて、最終的には胸や腹回りの肉を揉みしだき合う羽目になるのがお約束だった。

 賑やかで和気藹々とした風呂も嫌いではないが――巻き添えを食って揉み倒される場合が大半なセシリアとしては、一人でゆっくり入浴したいという欲求もあるのだ。それこそ『ちょっと実家に電話を……』と嘘を吐いて部屋を抜け出す程度には。

 まあ、どんな理由にせよルール違反には変わりなく――因果応報とでも言おうか、脱衣所の戸を開ける音が聞こえ、セシリアは慌てて身を隠さなければならなくなってしまった。

 入ってきた人影は二つ。

 

(……よりにもよって織斑先生と、あの女性は昼間の……?)

 

 総岩造りの露天風呂――その一角を形成する巨岩の陰からこっそり様子を窺う。取水口が間近にあるため熱くてのぼせそうだが、見つかって夜通し説教されるのに比べたらまだマシだ。

 どうやら脱衣所で鉢合わせしたらしいが、黒と金の二人は会話もなく――視線さえ交える事なくかけ湯をして、妙な距離感を保ったまま湯に浸かり始めた。

 出るに出られないこの状況、一刻も早く上がってくれる事を祈るセシリアだが――

 

「昼間は、申し訳なかった。うちの馬鹿共が迷惑を掛けて……」

「……別に。元々予定なんかない旅行だし……暇も潰せたからむしろ助かったさ」

 

 何の変哲もない世間話。

 だが何故だろう。

 千冬が刀の鯉口を切り、金髪女性が銃の撃鉄を起こす――そんな幻覚(ビジョン)が一瞬垣間見えた。それが気のせいではなく生存本能からの警鐘だったのだと、セシリアはすぐに思い知る事となる。

 

「まあ、明日は他の女に誑かされないよう私がずっと(・・・)捕まえておくさ。だから、そちらはそちらでのんびり一人旅(・・・)を楽しんでくれ。あの浮気者の事なんか綺麗さっぱり忘れてな」

「…………あァ?」

 

 戦いのゴングが高らかに鳴り響いた。主に頭の中で。

 タイガーなマスクを被ったのほほんさんが木槌でもって楽しそうに連打する光景が脳裏に浮かぶあたり、自分も毒されてどうしようもない末期状態なのかもしれない。何このイメージ。

 それはともかく。

 

「……いやいや、そこまで気を回してもらわなくても平気さ。生徒の面倒も見ないといけないのにアイツの見張りも、とか大変だろ? 首輪も着けられないなら、何時でもこっちに寄越してくれて構わないぜ、先生? そんじょそこらの女じゃアイツの相手は務まらねぇもんなぁ?」

「…………ほぉ?」

 

 千冬の口角が吊り上り、見た事もない獰猛な笑みを浮かべる。対する金髪の女も負けじと凄絶に口元を歪ませ、その空間だけ気温が絶対零度になったような錯覚に襲われた。

 一夏を巡る箒と鈴の小競り合いなどとは、レベルが明らかに違い過ぎる。

 

(ひいいいっ!? メーデーメーデー! 上は洪水、下は大火事、一寸先は極寒地獄(コキュートス)ですわ!?)

 

 ぶっちゃけ超怖い。

 愛しの小父様の争奪戦となれば是非とも参戦したいところだが、龍と虎が睨み合っている状況にチワワが乱入したところで――おそらく相手にすらならないだろう。前足で軽くペシッ、とされて一発退場が関の山だ。やはり小動物は小動物らしく、猛獣にはない愛くるしさで勝負すべきか。

 その猛獣二名は、周囲を凍結させながらさらにヒートアップしていく。

 

「何時だったか、私の留守中にあの馬鹿が学園から抜け出した事があってなぁ。帰って来た時には女の匂いがあちこちに染み込んでいて鼻が曲がりそうだったぞ。そして不思議な事に、同じ匂いをついさっき嗅いだ気がするんだ。場末の娼婦のように品がなくて甘ったるいだけの体臭を、な」

「…………へぇ、そりゃあまた奇妙な偶然もあったもんだな。けどよ、アイツが別の女を選んでも仕方ないんじゃねぇのか? 彼女面してるクセに何もしない冷凍マグロみてぇな女より、ベッドで満足させてくれる女の方が良いに決まってるもんなぁ? ああ、この国じゃ『鬼の居ぬ間に』とか言うんだったか?」

 

 そこが臨界点だった。

 ほぼ同時に立ち上がり、同性でも息を飲む美しい裸体を月下に晒す二人。しかし形相は女神から遠くかけ離れた、悪鬼羅刹も腰を抜かして這いずり逃げそうなもの。日本には『ナマハーゲ』なる怪物の伝説があるらしいが、あれがそうなのか。

 

「なます切りにするぞヤンキーの売女風情が」

「鉛玉で『使える』穴ァ増やしてやんよ。男共が悦ぶぜ?」

 

 言う事がいちいち恐ろしい。

 このまま放置したら本当に血が流れかねない雰囲気だが――岩陰で身を縮めるセシリアに救いの手が差し伸べられたのは、二人が拳を交えようとした正にその時だった。

 脱衣所の戸を開ける音が、今度は高い仕切り板の向こう側――男湯の方から聞こえた。

 そして、後を追って飛び込んで来る大勢の幼子の声。

 

『パパ、おっきなおフロ誰もいないよ。泳いでいーい?』

『ラッコさんごっこはー?』

『こーらー、泳ぐのもラッコさんごっこも桃型潜水艦もダーメだっての。露天風呂にゃ露天風呂のマナーってもんがあるんだ。みんなもう七歳なんだから、くー姉ちゃんとうー姉ちゃんの言う事を聞いて喧嘩とかしないで入るよーに』

『『『はーいっ♪』』』

「む……」

「…………チッ」

 

 とんでもない皮肉もあったものだ。

 いい年して風呂で喧嘩していた成人女性二名は、子ども達の素直な返事を聞いてばつが悪そうに顔を背け、どちらからともなく再び湯の中に身を沈めた。ああまで言われては、礼儀を弁えている大人として流石に矛を収めざるを得ないか。

 

『先生やこの子らは生徒じゃないから良いとしても、俺とかとっくに入浴時間過ぎちゃってるからマズいんじゃないんですか、これ……? あとどうしてラウラとクロエまで男湯にいんの!?』

『私とくー姉と父は親子、そしてお前は私の嫁だ。家族なのだから一緒でも問題はなかろう?』

『問題だらけだっての! せめてタオルで前を隠すくらいしろよ!?』

『私達は別に恥ずかしくありませんが?』

『俺が恥ずかしいんだってば!』

 

 シャルロットは前に一夏と一緒に入ったらしいから強くは言えないだろうが、箒や鈴に知れたらまた血の雨が降りそうである。降水確率ならぬ降血確率100パーセント、的中したところで別に嬉しくも何ともない。

 

「……おい、大事な弟が混浴してんぞ。止めなくて良いのか?」

「それで間違いを起こせるような甲斐性が弟にあるなら、身内としてはむしろ一安心だな。石鹸で滑って押し倒すくらいはするかも知れんが、何処かの女たらしと違ってあいつは――」

(ヘタレ、ですものねぇ一夏さん……)

 

 

『『へーくしょいっ!!』』

 

 

「…………」

「…………」

(…………)

 

 …………息ぴったりですコト。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ……せめて。

 せめて、風呂に入っている間くらい羽を伸ばしたい――そんなくたびれたサラリーマンのような願いさえ叶わないのかと、オータムは満天の星空を仰ぎながら辟易した。

 定時連絡ではスコールがあの馬鹿と何か進展があったか聞きたがるし、露天風呂に来たら来たで織斑千冬とまさかの遭遇。部屋に戻るのも逃げるみたいで癪だから、そのままなし崩し的に並んで入浴している訳だが――どうやら世界最強の座に今なお君臨し続けるこの女は、世間が抱いているイメージとは裏腹に喧嘩っ早い性格だったらしい。

 

(……まあ、私も他人様の事ぁ言えねぇけど)

 

 潜入工作員に必要なのは技術より何より忍耐力。それこそ、パーティー会場でスケベ親父に尻を撫で回されても笑顔で返し、後でこっそりブチ殺す程度の我慢強さは必須になる。

 けれども、あの馬鹿絡みとなるとどうにも感情的になってしまう。身分や性格を偽らなくて済む解放感からなのか、それとも、もっと分かりやすい理由で素直になってしまうのか――誑かすのはこちらの専売特許なのに、逆に誑かされてしまっているのだから苦笑しか浮かばない。

 もっとも、岩陰からこちらを覗き見ている英国の金髪令嬢(セシリア・オルコット)も含めて、あの馬鹿が誑し込んだのは自分だけではないようだが。それについてはかなり腹立たしいものがある。

 

『ねーねー、パパのここ、おっきくなってる』

『ほんとだぁ、おっきくなってカタくなってるー』

 

 

(((!!??)))

 

 

 女湯に緊張と戦慄と、ついでにピンク色の妄想が駆け巡る。

 いやまさか、いくら何でも、両手の指で足りる年齢の娘達に対して下心を抱くような、ましてや触らせて悦に浸るような男ではないと信じているが――

 

『いちかにーちゃのはちっちゃくてぷにぷにしてるね』

『そりゃあまあ、流石に先生のと比べたらなぁ。だけど俺だってトレーニングとかしてるし、実は結構自信あるぞ? ほら』

(((ほら(・・)っ!?)))

 

 板一枚隔てた向こう側で、一体何が行われているのか。

 イギリスの令嬢は情報処理が追いつかなくなってオーバーヒート寸前だし、織斑千冬に至っては顔を湯に浸けてブクブクさせてるし――まあ、馬鹿だけではなく、血を分けた弟まで鍛えたらしいナニか(おそらく中サイズ)を幼女に見せびらかしている現状なのだから無理もない。

 

『いーくんといっくんのアレがおっきくなっちゃったと聞いてー!!』

 

 そして最悪な事に、男湯にさらなる起爆剤(おバカ)が投下されたらしい。

 その直前に大きな水音がしたから、飛び込んだか潜って隠れていたか――どちらにせよ、男湯も女湯も安らぎからは遠くかけ離れてしまった。

 暗殺対象(ターゲット)をベッドに誘い込んだ時は何やかんやする前に天国か地獄へ手早く送るし、スコールとイチャイチャするのにオモチャは使った事はない。

 仕切り板をぶち破って怒鳴り込んだとして、臨戦態勢になったアレ(大きいのと中くらいの)が向こうで待ち構えているのは確実。いやまあ、うん……記憶にないが大きい方とはそれなりの事もやったけど、改めて、面と向かって見ちゃったら多分恥ずかしさでフリーズするか最悪死ねる。

 結局のところ、オータムは自分で思っている以上に――それこそ、のぼせてぐでっとタレているチワワなお嬢様並みに、惚れた男限定ではあるが下ネタに対する免疫がないのであった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いーくんといっくんのアレがおっきくなっちゃったと聞いてー!!」

「ぶふぉっ!?」

 

 興味津々なあーちゃんに、固くした上腕二頭筋――いわゆる力こぶをぺちぺちぺたぺた触らせて遊ばせていると、湯の中からほとんど素っ裸のお母さんウサギがご登場しなすった。とすると私はお父さんウサギになる訳だが、中年男性のウサミミなど需要皆無だろう。じゃなきゃ罰ゲームだ。

 洗髪中のうーちゃんも不意の出来事にビクッとなってカノン砲を召喚しちゃうし、チビっ子達は床に伏せて白桃のような尻を風呂桶で隠してるし――前者はともかく後者は何がしたいのか。

 

「束様、成人した女性が男湯に乗り込むのはどうかと……」

「てか何なのよそのカッコは」

「何って、たばかっぱちゃんだぜぃ! 似合うかしらん?」

 

 頭にシャンプーハット、背中には甲羅、口にはクチバシ型酸素マスク。それ以外はタオルすらも身に着けていない生まれたままのお姿。相撲が大好きでキュウリをむっしゃむっしゃ頬張りそうな出で立ちだが、もろに見てしまった少年が鼻を押さえて顔を背けるくらいの破壊力はあった。

 

「頭の上じゃなくて頭の中に花が咲いてそうですね」

「昔の日本酒のCMにいたなぁこんなキャラクター……」

 

 ンな事言ってたら冷酒が飲みたくなってきたが、それは風呂上りの楽しみにするとして。

 

「腹見せるのも恥ずかしがってたのに、こーゆーのは躊躇わないのね?」

「だってぇ、私のお腹が好きっていーくん言ってくれたし、おにゃのこな部分にはバンソーコー貼ってるから見られてもへっちゃらなのです!」

「……ああ、そうッスか」

 

 道理で隠そうとすらしない訳だ。ってかまだ気付いてないなこりゃ。

 胸を揺らす18禁東北妖怪に、私と長女はやるせない気持ちになり同時に溜め息を吐いた。

 ここで脳と下半身が直結した行動がとれるなら、そもそも学生時代に『朴念神』なんてアダ名は付けられなかった。それ以前に、父親が娘の前で張る意地と見栄はオリンポス山より高いのだ。

 

「たばちゃんや……非常に言いにくいんだけどもさ……」

 

 という事で、紳士の皮を被った狼らしく色々目に焼き付けながら、ぷかぷか漂う『それ』を指で摘まんで彼女に見せた。

 

「絆創膏、ふやけて全部剥がれちゃってんぞ?」

「…………………………んんー?」

 

 まずは胸、次に下を確認し、私とくーちゃんの呆れ顔を見て――

 

 

 

「ふんに゙ゃああああああああああっ!!?」

 

 

 

 たばちゃん大絶叫。

 熱さをおっかなびっくり確かめていたうーちゃんがバランスを崩してドングリの子どもよろしく湯の中に転がり落ち、チビちゃんズはやっぱりうつ伏せになって風呂桶で尻を隠す。だからそれに何の意味があるのかと。

 

「見んといてえぇっ! こんな恥ずかしい私を見んといてえぇっ!!」

 

 言うが早いか、仕切り板を軽々飛び越えて女湯へ逃げる天災UMAもどき。そんなところばかりウサギっぽいんだから……あ、今はカッパか。最早何の生物なのかよく分からん。

 

「……散々見せ付けといて何を仰るんだか」

「束様が恥ずかしい人間なのは今に始まった事ではないですしね」

「さらっとヒドい事言うねキミも」

「うー姉様がおぼれてるー!」

「えーせーへー! えーせーへー!」

「いちかにーちゃんどーして逃げるのー?」

「俺のそばに近寄るなああーッ!!」

 

 お揃いの暗視ゴーグルではなくピポヘルを被った妹達(シスターズ)に救助されるうーちゃん。

 自前の雪片の零落白夜を見られまいと、前傾姿勢でちょこちょこ逃げ回る少年。

 たばちゃんが逃げ込んだ隣もバシャバシャと何やら騒々しい。

 だからキミ達、お風呂は静かに入りなさいと言ってるだろうに……。




 はい、遅くなりまして。

 今回のリクエストは

 落陽天狐さんより、

・アイアンマンのマーク42
・「せっかくピンポンしてたのに」(ラケットを持っていない手で車のバッテリーを持って)

 RaijinPXさん、i-pod男さんより、

・「無駄無駄」「オラオラ」の応酬

 ヌシカンさんより、

・悪魔将軍のコス
・「木の葉秘伝体術奥義、千年殺しー!」

 和道さんより、

・臓物アニマルのぬいぐるみ(けんぷファー)

 真庭猟犬さんより、

・「刺激的絶命拳」(ギルティギア:ファウスト)

 ナナシの狐さんより、

・映画どろぼうのコス

 ケツアゴさんより、

・臨海学校で大人一夏がワンサマーにのぞき提案、殺されるという反論に
・「痛みも恐怖もその代償にすぎねぇだろうが!」(ブリーチ)
・ばれたときにワンサマーを投げ入れる
・「男が男に夢を託してなにが悪い!」(ワンピース)

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

044. 血戦前夜 ―私を見てくれる人―

はい、半年ぶりですね。お久しぶりでございます。

何とか年内更新…

遅くなってすみませんでした。


「なんで俺達、いきなり部屋追い出されたんですかね……」

「さぁてねぇ。女同士積もる話でもあるんだろうよ、きっと」

 

 土産売り場の近くで、浴衣姿の馬鹿と織斑一夏を見つけた。

 長椅子に座って足をだらしなく投げ出し、横の自販機で買ったらしいナッツ類を二人でポリポリやってるその姿は、何と言うか――動物園のニホンザルがドングリでも食べている光景と重なって仕方がない。あるいは、女所帯で肩身が狭い父親と長男のような哀愁さえ漂っている気がする。

 まあ、女ばかりなのはここでも学園でもほとんど変わらないのだろうが、ビーチの時とは打って変わって、珍しく――本当に珍しく、周囲に他の女の姿が見当たらない。天災か銀髪幼女あたりがここぞとばかりに現れそうだが、今のところその予兆もない。

 スコールに初孫(?)に期待されちゃってるから、という訳ではないのだけれど、このまま踵を返して部屋に戻るのも、それはそれで躊躇いの方が勝ってしまう。

 だから――

 

「……そうしてるとホントに親子みたいだな」

「せめて兄弟と言ってほしいですね」

「あ、どうも」

 

 こちらに気付いていたのか馬鹿はさして驚きもせず、若造は若造で律儀に会釈をする。

 さて……どうしたものか。

 思わず声を掛けてしまったが――特に織斑一夏とは、このままのんべんだらりと他愛もない話に興じられるような親しい間柄じゃない。むしろ決して小さくない因縁さえある。

 馬鹿に視線で援護を求めるも、缶ビールに口を付けたまま『ん?』と返される始末。

 本当に、どうしたものか。

 

「……あー、えーと……それじゃあ俺、もう一度風呂入って来ますね。さっきもほとんどまともに入れなかったんで……」

「おーう。頑張って覗きリベンジしてきな」

「だからしませんって! ジュースごちそうさまでした!」

 

 浴場での一件を色々と思い出したのか、酔っ払いにからかわれて顔を赤くしながら、織斑一夏はタオル片手にそそくさと廊下の向こうに消えた。

 天井のスピーカーから降る緩やかなBGMの中で……これで二人っきり。

 

「……意外と気が利く奴じゃねーか」

「その気遣いをもうちょっとだけ自分の近くにも向けりゃあ、今頃パラダイスだったろうに」

「女の園で手当たり次第にとっかえひっかえってか? ハッ、どうだか。ありゃあいざ迫られたら尻込みして一歩引いちまうタイプだぜ」

「いやいやぁ、あーゆーのに限って中身は飢えた狼だったりするもんですよ。その点私は、可憐に咲き誇る花々を慈しむ、まるでアルプスの羊のように牧歌的な男でして」

「羊の皮を被った悪魔だろうがテメェは」

 

 もしくはアナコンダか。

 どちらにせよ狼よりタチが悪い。

 大体、女を花に喩えたのなら草食動物の方が逆に天敵だろう。食い散らかす気満々じゃねぇか。

 酔っ払いが平常運転な馬鹿と話していると、色々考え込んでいた自分がアホらしくなってくる。

 何もかもあるがまま――隣に居たければ居れば良いし、話したければ話せば良い。丸ごと全てを呑み込み溶かすように、この男は好意も悪意も拒まない。

 

「……で、なんでこんなトコで安酒かっ食らってたんだよ」

「初めは織斑先生の部屋で飲もうと思ったんですが、お嬢さん方が来てしまいまして。私としては一緒に一杯やっても良かったんですが、織斑先生が、ね。私や少年抜きで腹を割って話したいとか何とかで――つまるところ女子会って奴ですな」

「女子会……ンなもんに興味あるような女にゃ見えねぇが」

 

 他人の事を言えた義理ではないが、そう思う。

 

「山田先生も見回りに出ちゃって部屋に誰も居なくてですねぇ。どうせなら仲間外れの野郎二人で時間潰そうかーってな具合だったんですよ。ま、ご覧の通り早々に独り酒になりましたけど」

 

 …………ふーん。

 あらぁそうなの、じゃあおやすみなさい――なんて選択肢が出るはずもなく、オータムは馬鹿と同じ長椅子に静かに腰を下ろしていた。

 肩を並べるのではなく、彼の背に背を預けて。

 他人の振りを取り繕う事など、今となっては何の意味もない。ただ、何となく、今の自分達にはまだこの距離が相応しいような気がしたのだ。互いに顔は見えなくとも、しかし確かにそこに居て体温を感じられる――そんな関係が。

 

「……ん」

「ん」

 

 肩越しに伸ばした手に伝わる、缶ビールの冷たく固い感触。

 一息で飲み干したのは単に喉が渇いていたからで――受け取った後で間接キスに気付いて初心な少女のように動揺したからじゃない。断じてない。そこまで若く……若いけど若くないし!

 手慰みに空き缶を鳴らしながら、言う。

 

「……やっぱり安物は美味くねぇな」

「これでもコンビニとかで買うより高いんですけどねぇ」

「こちとらパーティーに潜入したり何だりで舌が肥えちまってんだよ」

「タダ飯タダ酒より美味な物は無い、か。羨ましい事で」

「連れてってやっても良いぜ? スケベ親父共に尻を撫でられるのを我慢できるんならな」

 

 半ば本気で誘ったつもりだったのだが、馬鹿から返って来たのは意外にも真面目な声音だった。

 

「……それが任務(しごと)で行くなら、失敗するのは覚悟した方が良いですね」

「あ?」

「もし、貴女が尻を撫でられたら……撫でやがったクソ野郎を殴り飛ばさずにいられる自信なんてありませんから」

「………………おう」

 

 そう返事できたものの…………どうしよう、顔が綻ぶのが止められない。

 茶化す訳でも口説き文句でもなく、不意打ち気味に淡々と――惚れた男に『お前は俺の物だ』と言外に言われて心を揺さ振られない女はいない。

 

「そして人気のないところに貴女を連れて行って私が思う存分撫で回します」

「台無しだよ馬鹿野郎」

 

 訂正。

 こいつも立派なスケベ親父だった。

 

「――あのっ、スミス先生!」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「どうした、飲まないのか?」

「いや、飲まないと言いますか……」

「飲めないって言うか……」

「そもそも飲み物なのかも怪しいと言うか……」

「逆に興味深いです」

 

 箒が言い淀み、鈴が気まずそうに視線を逸らし、シャルロットは口元を引き攣らせて、ラウラはふむふむ……と成分表を物珍しそうに読んでいる。

 口を付けられずにいるのはセシリアも同じだった。

 備え付けの冷蔵庫から千冬が手渡したのが、およそ一般的ではない飲料ばかりだったからだ。

 

 ロボビタンA。

 ドーピングコンソメスープ。

 スーパーゲル状デロドロンドリンク。

 まロ茶。

 山田印のモーモーミルク。

 

 片田舎のマイナーな自販機でも見かけないであろう謎ドリンクの数々。

 別のが欲しければお互いに交換して良いとも言われてはいるが、味の想像ができず当たり外れが分からない以上、目隠し状態でババ抜きをしているようなもの。

 故に、ベッドに座り美味そうにビールを煽る千冬を余所に、誰一人飲めずにいるのだった。

 

 

 なぜこんな事になったのか――時は十分前に遡る。

 

 

 アルデンテに茹で上がる寸前のセシリアが湯船から抜け出せたのは、奇々怪々な格好で男湯から飛び込んで来た天災を、千冬と金髪の女性がそれぞれ持っていたタオルで縛り上げ、そのまま海に放り捨てた後の事だった。

 芯まで温まった身体を、ワザマエの国日本が誇るマッサージチェアで『あ゙あ゙あ゙あ゙っ……』と念入りに揉み解してもらい、よく冷えたミルクティーを腰に手を当ててキュッと一杯――『これぞジャパニーズ・セントウの醍醐味ですわ~』などと一人で感動し、揚々と部屋に戻ろうとした。

 その矢先に、尻を見つけた。

 

「……何してるんですのあの人達は」

 

 一夏を巡るいつものメンバー、いつメンの四人が鬼の根城、もとい『教員室』の張り紙がされたドアに耳を当てて中の様子を窺っている。

 率直に抱いたイメージが――『桃園』だ。

 自分に同性愛の気はないはずだが、浴衣に包まれた形の良いヒップが並んでいるのを見ていたらそう思えたのだから仕方がない。ついでに『小父様なら喜んで撫でそうですわねぇ……』とも。

 

「「「「へぶっ!?」」」」

 

 盗み聞きを咎めるべきか逡巡していると、四人がドアに殴り飛ばされた。

 鬼教師と目が合ってしまったのは、唸る帯が四人を瞬く間に捕縛したその時だ。

 言葉はなく顎で部屋の中を指し示すだけでも、彼女の言いたい事は容易に理解できた。

 入れ替わりに部屋を蹴り出された一夏と小父様がちょっと気になったけれど、最大の恋敵(ライバル)からの折角のご指名だ――ここで乗り込まなきゃ淑女が廃る。

 

「Keep your friends close. Keep your enemies closer……ですわ」

 

 意を決し、セシリアは敵陣へと一歩踏み入れた。

 

 

 そして現在。

 

 

 困惑する一同を眺めながら、二本目のビールを開けて喉をグビグビ鳴らす千冬。

 十秒と経たずに空になった缶をサイドテーブルに置くと、浴衣の裾から覗く長くしなやかな脚を艶めかしく組み替えて、品定めする肉食獣のような目のまま本題を切り出した。

 

「良い機会だからな、あいつらの何処に惚れたのか聞かせてもらおうじゃないか」

 

 あいつら――誰と誰の事か、わざわざ言う必要もない。

 全員が分かっているからこそ、箒も鈴もシャルロットもラウラも上手い答えを返せない。それはつまり、競争相手達の前で自分の想いを赤裸々に告白するのと同義なのだから。

 ここまでは完全に千冬のペース、彼女の独壇場だ。

 だが、愛玩動物(チワワ)にも牙がある事を――失念されては困る。

 

「私達よりも、まずは織斑先生が話すべきでは?」

「……ほう?」

 

 好戦的な物言いに友人達は絶句し、担任は口を細い三日月の形に歪めた。

 さて……今の自分はどう映っているのだろう。太陽に向かって飛び続けるイカロスか、または秘密道具抜きでジャイアンにドロップキックを食らわせたのび太くんか。

 

「ふっ、ふふふ……確かにオルコットの言う通り、私から話すのが筋だな。良いだろう」

 

 千冬は三本目のビールを器用に片手で開けてから、

 

「最初に質問しよう。お前達にとって、織斑千冬(わたし)とは何だ?」

 

 それは、予想外の問い掛け。

 

「何だ、って聞かれると……」

「一夏のお姉さん?」

「モンド・グロッソの初代優勝者?」

「担任の先生、かなぁ」

「尊敬する教官です」

 

 各々が答えると、予想していたとでも言うように千冬は頷く。

 

「まあ、大体そんな所だろう。私があの馬鹿に惚れてしまった原因はそこにある」

 

 惚れてしまった――と彼女ははっきり言った。

 酔いが回ったせいで饒舌なのか、それとも彼が同席していないからなのか、普段なら躍起になり暴力を使ってでも否定しそうな事を、むしろ誇らしげな口調で言い切った。

 

「お前達の前にいる今の私はな、言わば卵の殻みたいなものだ」

「殻……ですか?」

「そうだ。しかも、長い間上っ面ばかり取り繕い過ぎて…………自分でも割るのが難しくなるほど分厚く凝り固まってしまった殻だ」

 

 世間や自分達が抱く織斑千冬のイメージは間違っていると、そう言いたいのだろうか。

 

「……私がこうして教職に就いたのは、一種の使命感があったからだ」

「使命感、ですか?」

「ああ……束がISの存在を世界に公表した時から危険性について考えてはいたが、ドイツで教官になってその危機感は一段と強くなった。だってそうだろう? 職業軍人でさえ私のような部外者に教えを請わなければならないのに、その一方で、十五かそこらの小娘が自転車か何かと勘違いしてファッション感覚で乗ろうとする。初めて見た時は悪夢かと思ったよ」

 

 IS操縦の第一人者が嘆いているのだから、当時の教育環境はよほどのものだったのだろう。

 専用機持ちとしては耳に刺さるお言葉だ。

 

「そんな訳で、教師として赴任したまでは良かったんだが、そこからが大変だった。下手をすれば何十人、何百人も殺傷できる代物の扱い方を素人同然の生徒に教える――軍人相手とは勝手が全然違うそれが、私の想像を超えるほどの重圧だったんだ」

 

 そこで千冬はビールを口にして、ふぅ、と息を吐いた。

 セシリア達は何も言わない。

 

「世界最強? とんでもない、私は弱い女だよ」

 

 何も言えなかった。

 誰かに何かを教える責任の重さなど、これまで考えた事すらなかったからだ。

 

「失敗したらどうしよう、間違えたらどうしよう、怪我人が出たらどうしよう。そんな不安を隠し通すために私は殻を作った。規律と規則を重んじて、生徒が素直に言う事を聞いてくれる、強くて怖くて厳しい『織斑先生』を演じるための殻をな。幸い、それでどうにか今までやって来れたよ」

 

 気を抜く事も甘える事も許されない。

 それは奇しくも、両親を失って誰も信用できずにいたかつてのセシリアと酷似していた。

 いや、セシリアだけではない。

 全てを聞き及んでいる訳ではないが――この場にいる全員が、それぞれ何かしらの事情によって孤独を味わい、他人との間に壁を作って生きてきた過去がある。

 

「そしてある時思った。もしISがなかったら、私には何が残るんだろう――とな」

「………………」

「答えは出なかった。別の居場所さえなかった」

 

 だから、たった一つに固執して。

 奪われまいと、壊されまいと意固地になって。

 それでも変わる事ができたと、本当の自分を少しでも見てもらう事ができたと思えるのは――

 

(箒さん達には一夏さんが、わたくしや織斑先生には……)

 

 あの人が、いてくれたから。

 

「あの馬鹿に振り回されるようになって、抑え込んでいた心を吐き出すようになって、受け入れてくれている事に気が付いた。強さも弱さも、肩書きも立場なんかもどうでも良くて、何もない私が偽っていた仮面も剥ぎ取って抱き締めるみたいに……な。あの馬鹿に甘えて、甘やかされていると気が付いた時にはもう手遅れだった――取り返しがつかないくらいあの人(・・・)を好きになってた」

 

 笑うなよ、これでも初恋なんだ――と。

 照れくさそうに後頭部をポリポリ掻いてそう締め括り、アルコールとは別の理由で火照った顔を冷ますかのように、三本目のビールを一気に空にした。

 顔の熱は箒達にも伝染していた。

 鬼も裸足で逃げ出す女傑の想い――まるで少女漫画を思わせる恋心の吐露に、うら若き乙女達は言葉すら忘れたように口を半開きにしたまま沈黙し、しかし内心で黄色い悲鳴を上げる。

 

「……さあ、私の話はこれで終い。次はお前達の番だ」

 

 静かな興奮も冷めやらぬうちに、再び肉食獣の鋭い眼光と笑みを取り戻す千冬。

 今までの恥じらう姿こそ演技だったのでは、と思えるほど美女と野獣(ビューティ&ビースト)な豹変ぶりに、女子一同は根掘り葉掘りどころか骨の髄まで穿られるように白状させられる事を覚悟した。

 

「存分に吠えるが良いさ……なあ、小娘(オルコット)?」

「……望むところですわ」

 

 威嚇するに値する相手だと認識してもらえたのは光栄だ。

 精々キャンキャン吠えながら噛み付いて――恋愛に大人も子どももない事を証明してやる。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――あのっ、スミス先生!」

 

 呼び止めた。

 呼び止めてしまった。

 自室以外の場所で珍しく白衣を着ていない彼が、昼間会った綺麗な金髪の女性ととても親しげに話しているのを見て――何だか胸の奥がチクリとして、考えるよりも先に口と足が動いていた。

 少し驚いたように、そして不愉快そうに真耶を見た後、彼に耳打ちして何処かに立ち去る女性。

 秘密を孕んでいるその様子が、二人が男女の関係にある事を見せ付けられたみたいで、言葉では言い表せない複雑な感情が澱のように溜まっていく。

 しかしながら、例えば千冬やセシリアのように心情を発露できるかと言えば、答えは否だ。

 だって自分と彼は寮の同じ部屋で暮らしているだけで(事故でキスはしちゃったけど)……まだ恋人ではないのだから、詰め寄る勇気はないし特権だって持ってないと考えてしまう。

 

「山田先生、どうかしましたか?」

 

 そんな真耶の気持ちを知ってか知らずか、逢瀬の現場を見られたというのに、こちらに歩み寄る彼は慌てる風もなく飄々したいつも通りの佇まい。

 それが寂しくて――自分の事も見てもらいたくて。

 

「あ、あの…………見回り、その、い、一緒に見回り、してくれません、か……?」

「ええ、構いませんよ?」

 

 浴衣を握り締める両手も、かろうじて出せた言葉も震えていたけれど、彼と並んで歩き始めるとその震えもすぐに治まってしまう。その代わりに学園の外、普段と異なる場所だからか――鼓動がトクントクンと徐々に速くなるのを感じる。

 自分よりも高い位置にある彼の横顔を窺い見れば、視線が偶然交わって顔に熱を帯びていく。

 これではまるで――

 

「……と、まずはこの部屋からですかね」

「へ? あ、はい、そうですっ」

 

 彼に言われて、慌ててドアをノックする。

 部屋の中から『うぇいうぇ~い♪』と応えてにゅっと顔を出したのは、着ぐるみパジャマの上に浴衣を羽織っている布仏本音だった。

 二人の姿を半開きの目で認めると、彼女は笑みを一層深めて、

 

「あ~、スミス先生とやまやんだ~」

 

 嬉しそうにそう言った。

 その声に反応して、室内がにわかに騒がしくなる。

 

「嘘っ!? スミス先生もいるの!?」

「やだ、服とか脱ぎっ放し!」

「このパンツ誰のー!?」

「……やれやれ」

「あ、あはは……」

 

 彼は呆れ顔で、真耶も苦笑せざるを得ない。

 何故だろう、自分の事でもないのに、男性が聞いていると思うと恥ずかしくなってくる。

 ツイスターゲームやトランプが床に広がってはいたものの――日頃の指導の賜物なのか、煙草やアルコールなどの持ち込み禁止の品はなく、チェック自体は何の問題もなかった。

 

「それじゃあ、皆さん早く就寝してくださいね? 明日は大変なんですから……」

「はぁーい」

「先生達もデートはほどほどにして寝なよー?」

「でっ、ででデート!?」

 

 冗談だと分かっていても、違う、と否定できない。

 だって……自分でもそう思っていたから。

 色恋沙汰を面白がってはやし立てる生徒達に言い返せず、水揚げされた魚みたいに口をパクパクさせていると、部屋の外で待っていたはずの彼にいきなり肩を抱き寄せられた。

 彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、

 

「オジサンとオネーサンは大人だからまだまだ起きててもいーの。と言うか、キミらが何時までも夜更かしして遊んでるせいでイチャイチャできないんだから、散らかした玩具も片付けてさっさと寝ちゃってちょうだい。さもないと…………全員裸にひん剥いてベッドの中で食っちまうよ?」

「「「きゃあああああっ♪」」」

 

 セクハラ紛いの発言ではあったものの。

 教育者としての場数や心構えの違いなのか、それとも貫禄の有無によるものなのか――とにかく彼の一言は効果的だったらしく、あれだけ騒がしかった少女達が素直に寝床に潜り込んでいく。

 それを見届けて部屋を後にした彼と真耶だが、真耶の脳裏では先ほどから彼が言った『ベッドの中で食べられてしまう』光景が浮かんで、彼の顔すらまともに見れなくなってしまっていた。

 しかも、次の部屋、その次の部屋でも、同じようにデートだ何だとからかわれたため、見回りを終えた時にはもう心臓の鼓動が限界に近い状態だった。

 

「…………やっぱりスミス先生は凄いです」

「はい?」

「生徒の皆にとても慕われてますし、授業で分からない箇所を教えるのもお上手で、いざって時は落ち着いていて頼りになって――さっきだって私一人じゃからかわれて慌てるだけで、全然言う事聞いてもらえなかったと思います……」

「…………」

「織斑先生やスミス先生に比べたら私なんて――」

「――それ以上は言っちゃいけない」

 

 静かに、けれど有無を言わさぬ口調。

 

「それ以上は言っては駄目ですよ、山田先生。自分なんて――とか、そんな言葉は、誰かに何かを教える立場にある者が、ましてや教師なら絶対に口にしてはならない禁句です……って、今の全部恩師の受け売りなんですけどね」

「恩師、ですか?」

「ええ……教師になった時に指導してくれた先輩でもあるんですが、私の教師としてのノウハウは全てその人から教えてもらったもので――実は山田先生にとても良く似ている(・・・・・・・・・)んですよ」

 

 だからって訳じゃないですが――と。

 彼は立ち止まり、こちらの目を真っ直ぐ見て、言った。

 

「生徒に慕われている私が凄いなら、その私が尊敬している貴女はもっと凄い先生です」

「スミス先生……」

「自信を持ってください。じゃないと生徒達まで不安になってしまいますよ?」

「……はいっ!」

 

 ああやっぱり、と真耶は思う。

 やっぱり、この人といると心が安らいで笑顔になるのを感じる。

 

「まあ、一つだけ文句を言わせていただけるなら……夜寝る時、ベッド横の明かりとか全部消してくれると嬉しいですねぇ。私、真っ暗にしないと熟睡できないタイプなんですよ」

「だっ、だって、暗いと怖いんですもん……」

 

 芽生えたのは安らぎだけじゃない――異性と親しくなる事自体、父親以外ではそれこそ小学生の頃くらいしか記憶にないけれど、このまま一緒にいてほしいと、もっと言えば、あまり他の女性を見ないでほしいと思ってしまう男性は、間違いなく彼が初めてだった。

 それが何を意味するのか……答えは既に真耶の中で出ていた。

 

「じゃあ、あの……真っ暗にしても良いのでその、これからは、い、一緒のベッドで――」

 

 

 

 ――寝て、くれませんか。

 

 

 

 暗闇が怖いから。

 子どものように臆病な自分の隣で、ずっと手を握ってて欲しいから。

 貴方の温もりをもっと強く感じたいから。

 まるで男を誘うふしだらな女のようだが、たとえ幻滅されたとしても、それでも何か――彼との特別な『何か』が自分も欲しいのだと本能が訴える。

 彼からの返答はない。

 当然だ――俯けていた顔を上げた時には既に、前にいるはずの彼の姿はなかったのだから。

 

「…………ぁれ?」

 

 失望して先に帰ってしまったのか、と一瞬泣きそうになったが、

 

 

 

「ヒャッハー! いーくんゲットだっじぇー!!」

 

 

 

 だっじぇー……だっじぇー……と廊下に反響させながら、彼の両足を脇に抱えて連行する天災の背中を発見し、ああ嫌われた訳じゃないんだ……と大きな胸を撫で下ろす真耶。

 と同時に、いざ冷静さを取り戻してみれば、男女の一線を越えかねないお願いをしそうになった事実に恥ずかしさが蘇って顔から火が出そうになり、結果的に彼に聞かれなかった幸運を喜ぶ。

 今日は――悶々と眠れない夜になる予感がした。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「もうわったしは誰にも止めらんねぇぜー! アクセル全開、インド人を右にゃー!!」

「あだだだだだっ」

 

 神妙な面持ち、あるいはちょっとエロい顔の山田先生のお言葉を待っていると、いきなり現れたたばちゃんに見事な手際で拉致られた。

 つーか熱っ、背中と後頭部が燃えるように熱いんですが。このままだと目的地に到着する頃にはカチカチ山のタヌキみたいな背中になっちゃうと思うのですが。個人的にはカラシ味噌を使うならレンコン揚げやホタルイカの和え物がベスト。酒に合うのよね、あれ。

 

「んで、女子会は楽しかったかね、うーちゃんや」

「うん。何と言うかこう……凄かった!」

「凄かったのかー」

 

 両手の指をイソギンチャクみたいにうねうねさせて『凄かった感』を表現するうーちゃん。

 ちなみに彼女は並走してるのではなく、仰向けで引き摺られている私の腹にちょこんと行儀良く正座してたりする。拝一刀も思わず二度見しちまうわな、こんな子連れ狼。

 

「ほい到着!」

 

 とある部屋の前でたばちゃん急ブレーキ。

 その反動で後ろに倒れたうーちゃんの石頭が私の股間に玉突き事故。ぐぎゃあ。

 

「ここが私とくーちゃん達が泊まってる部屋だよん♪ どうせならファミリー皆で寝ようと思っていーくんとうーちゃんを連れて来たのっさ…………あや? どったのいーくん?」

「……とりあえず衛生兵呼んで。ゴールデンがボンバーしちゃってるから」

 

 もしくは美人の女医さん呼んで。歯科衛生士の格好の山田先生でも可。

 股間を押さえて蹲る私に、怪訝な顔をする浴衣を着たたばちゃん略してゆかたばちゃん。しかし特に問題ないと判断されたらしく、私の未来創造器官ハングアップ問題は「ま、いっか」の一言であっさり流されてしまった。ああ無情。

 その報い、ってな訳じゃあないのだろうが、

 

「みんなー、パパとうー姉ちゃん来た――もぎゃああああっ!?」

 

 ドアを開けた瞬間、彼女の顔面に枕が直撃した。

 たかが寝具と侮るなかれ、一度に十個も食らえばそのダメージは半端じゃない。反対側の壁まで吹き飛ばされて枕に埋もれたゆかたばちゃんがその証左だ。スケキヨの死に様みたいになってる。

 枕の回収に出て来たくーちゃんも、悲惨な状態の育ての親を一瞥すると、

 

「ああすみません束様。枕投げがついつい白熱してしまいまして」

「その割に全部こっちに飛んで来たよね!? 集中砲火だったよね!?」

 

 いえいえまさか、単なる偶然でございますですよ――と黒さが漂う笑みを浮かべながら、私達を部屋に招き入れる長女。デビルーク星の王女みたいな尻尾が生えているように見えたのは、パパの気のせいって事にしておこう。小悪魔枠はデュノア嬢ちゃんだけで十分だ。

 

「あっ、パパだ!」

「うー姉様ー♪」

 

 比べて、こちらは天使のような笑みを輝かせる三女から十二女。この笑顔を公開したら世界から争いがなくなるんじゃなかろうか。

 生徒達は九人で一部屋を使っているが、ベッドではなく十四人分の布団が敷かれたこの大部屋はそれよりもさらに一回り広い。当然ながらオーシャンビューで、洗面所と繋がるドアの向こうには家族用の小規模な露天風呂まである。

 

「随分と奮発したんだな」

「だってそりゃあ初めての家族旅行だもん、楽しい思い出たっくさん作らないとねん♪」

「私としては部屋よりくー姉や妹達の格好の方が記憶に残りそうなんですが……」

 

 うーちゃんの言う事ももっともだ。

 のほほんさんのような動物パジャマ……なのだろう。これから寝るしパジャマなのだろう。

 デフォルメされたその生物は、動物界節足動物門、軟甲綱等脚目ウオノエ亜目、スナホリムシ科オオグソクムシ属、学名Bathynomus giganteus――要するにダイオウグソクムシだった。

 

「ふふふ、ただのパジャマじゃないよ? 防毒防弾防刃は当然として、耐熱耐寒もばっちりだからどんな絶対零度や高温高圧な環境下でも快眠に最適な温度を保つし、圧縮酸素と栄養補給も含めた生命維持システムも完璧! 宇宙空間や噴火口、1万メートルの深海でも爆睡を保証するぜい!」

「それもうパジャマじゃねぇよ」

 

 グソクムシっつーかクマムシだよ。

 

「わーい」

「わーいわーい」

 

 うーちゃんまでくーちゃんに勧められてもう着てるし。

 深海の掃除屋が合わせて十二匹、布団の上を飛んだり跳ねたりぴょこぴょこはしゃぎ回る光景は中々にシュールだ。口っぽい部分からチビちゃん達の顔だけ出てるので余計に。捕食中か?

 とりあえず山田先生に別の部屋で寝る事をメールしておく。

 

「はーいっ、それじゃ皆そろそろ寝るじょ。好きなお布団選んでね」

「じゃあママはパパの隣だねー」

「そだねー、だってママ、いつもパパの名前言ってるもんねー」

「ふぉい!?」

 

 何故か激しく動揺するたばちゃん。

 私やうーちゃんは一緒に首を傾げ、事情を知らないらしいくーちゃんもそれに倣う。

 さーちゃんが袖を引っ張って屈むよう促し、周りに聞こえるくらい全く潜めてない声量で、私にヒソヒソと説明してくれた。

 

「パパ、パパ。あのね、ママね、お家で寝てる時ずっとパパの事呼んでるんだよ? お布団の中でカメさんみたいになって『いーくぅん、ハァ、ハァ……』って。あとねー、ビクンッ、ってなって絶対パンツお着替えするの」

「…………」

 

 …………さて。

 この状況で私はどんな顔をすりゃ良いのやら。

 くーちゃんは冷めた半目だし、うーちゃんは真っ赤だし、家ではハァハァしてビクンッとなってパンツを着替えるらしい当の本人は、両手で顔を隠してカブトムシの幼虫みたいに丸まってるし。

 いやはや何とも、無邪気な子どもっておっそろしいね。

 

「たばちゃん……」

「束様……」

「博士……」

 

 さん、ハイッ。

 

「「「……子どもが寝てる横で何してるんですか」」」

「ちっ、違う、違うんだよ誤解だよ!? まさか起きて聞かれてるなんて思わなくって――!!」

「つまりそれ以外はお認めになると」

「「「「「ママはエロいなぁ」」」」」

「ホントに意味分かって言ってる!? あうあうあ~!!」

 

 娘達からの容赦ない一斉攻撃に耐え切れなくなったたばちゃんは叫び声を上げると、一番壁際の布団にズボーッと頭から突っ込んで引き籠ってしまった。

 からかう相手が先に寝たので流れでお開きとなり、一番目のお姉ちゃんの隣だったり、二番目のお姉ちゃんと同じ布団だったり、数人で身を寄せ合ったりと、自由な場所で就寝の体勢に入る。

 消灯直前に見えたのは、ダイオウグソクムシの群れがモゾモゾしてる光景だった。

 夢に出そうだなぁオイ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

(勝った……計画通り……)

 

 深夜一時。

 娘達が寝静まり、想い人もすぐ横で寝息を立てているのを高性能ウサミミで確認し、束は女性にあるまじき悪人面を浮かべた。

 ぶっちゃけ計画通りもへったくれもなく、行為の意味まで分からなかったとは言え、娘に一人で慰めているのがバレていたのも完全な想定外であり――あまつさえ彼に知られてしまった。

 束のペースだったのは彼とラウラを部屋に連れて来るまでで、それ以降はイレギュラーの連続。

 正直、無理矢理にでもネタに走って自分を奮い立たせないと、このまま朝を迎えて美味いご飯を食べて軍用ISを暴走させて妹の専用機の稼働率をチェックするだけ終わって、男女関係の進展的な意味で『何の成果も!! 得られませんでした!!』なんて結果になりかねない。

 

(なのでこれからいーくんのお布団にお邪魔しようと思うのです、まる)

 

 そしてあわよくば、二人で寝てるところを撮影して一斉送信したい。

 音を立てないよう細心の注意を払いながら、川面を潜み進むナイルワニのように、あるいは人類最大の天敵である台所の嫌われ者(コックローチ)のように、布団から布団へと侵入する。

 ごつごつした手、布の上からでも分かる引き締まった腕、鋼鉄の如く鍛え抜かれた胸板や腹筋は自分が上に乗っても余裕で支えてくれて、男らしさに思わずときめいてしまう。

 

(うふふふふ~、いーくんの寝顔拝見~♪)

 

 のそりのそり……にゅうっと、カタツムリじみた動きで布団から顔を出すと――目が合った。

 

「…………」

「…………」

 

 彼の右目が『何しとんじゃオメェ』と雄弁に語り、左目は『うっひょー、チラ見せ浴衣おっぱいプニプニでエロくて最高だぜー!!』と自分の魅力にメロメロになっていて――

 

「人の心に勝手にアテレコしない」

「……ごめんなしゃい」

 

 素直に謝ると彼はそれ以上何も言わず、胸に乗せた束の頭をやんわりと撫で始めた。

 子ども扱いされるのは何だか癪だけど、されるがまま、驚くほど静かに――しかし力強く脈打つ彼の心音を聞いていると、仔猫のように頬をすり寄せてずっと甘えていたくなる。

 実の父親に甘やかされた記憶も、叱られた記憶さえ束にはない。だが……何故だろう、不思議な懐かしさを感じる。

 本当は人見知りな娘達がすぐ懐いたのも納得だ。

 

「…………あのですねいーくん。実はいーくんに謝らないといけない事があるのです」

「あるのですか」

「あっちゃうのです」

 

 明日もしかしたら、いや間違いなく、一夏や妹を含めた専用機持ちの中で怪我人が出る。それは一夏か箒か、でなければラウラか別の誰かか、ひょっとすると全員かも知れない。

 そうなる原因について、束が犯人だと分かる証拠はない。

 だが彼と、聡明な親友は、自分の仕業だとすぐ気付くだろう。

 そして…………彼に愛想を尽かされた未来を想像して、背筋が寒くなった。

 

「……それは、詳しくは話せない事?」

「うん。何が起きちゃうか明日には分かるけど――もうプログラムは動き始めてる。でも悪戯とか暇潰しとかじゃなくて、箒ちゃんのために必要だと思ったからで……その、私、いーくんにだけは嫌われたくないのです……」

「…………」

 

 出るのは弁明にすらなっていない子どもじみた言い訳ばかり。

 彼はじっと束の顔を見つめていたが――不意に掛け布団を剥ぎ取ると、束の身体を抱え上げた。

 

「い、いーくん?」

「…………」

「いーくん、目が怖いよ……?」

 

 お姫様抱っこしたまま、彼は娘達を踏み付けないよう慎重な足運びで束を運ぶ。そして洗面所に着くと、家族風呂へと続くドアを足で器用に開けた。

 左右は板壁で遮られていて、真正面には大海原。背後は今しがた入って来たドアと、観葉植物の向こうの窓から自分達が泊まる部屋の中――幼い少女らの愛らしい寝姿が見える。

 

「きゃっ!?」

 

 まさか、昔のバラエティ番組みたいに熱湯に放り落とす気かと心の準備をする束だったが、彼はあろう事か、浴衣を脱がずに束を抱きかかえた状態で一緒に湯に浸かり始めた。

 もう彼のやりたい事が分からない。

 

「い、今から何するの……?」

「んー……オシオキの先払い?」

「オシオキって――」

「これも取っちまおうな」

「ふぇっ!? だ、ダメだよこれは……!」

 

 抵抗も空しく、頭のウサミミを取られた。

 眼鏡やマスクを着けると気が大きくなったり性格が変わる人間が世の中にはいるが、束にとってあのウサミミは『天災・篠ノ之束』に不可欠なアクセサリーなのだ。あれを取られたら自分は顔が濡れたアソパソマソ――ではないが、精神的にはただの『しのののたばね』に逆戻りだ。

 ただでさえ、彼の前では素直になってしまうのに。

 

「あっ、ぃやぁ……」

 

 そうこうしている内に帯を解かれ、それで後ろ手に縛られる。胸を張るような体勢になったため浴衣は着崩れてしまい、自慢の双丘にかろうじて引っ掛かっている状態だ。

 

「……なんでブラ着けてないんだ?」

「あぅぅ……」

 

 言えない。家で寝る時はいつもショーツしか穿いてないなんて、恥ずかしくて言えない。

 さらに彼の帯で目隠しまで施されて、チャパチャパという水音だけが束の感覚を支配した。

 束だって年齢相応に18歳未満は購入できない本を持っているし、読んでいる。その中には肢体を拘束されて男に弄ばれるシチュエーションも少なくない、と言うか多い。すごく多い。

 常日頃、無能な凡人共を下に見て蔑んでいるからこそ、反対に自分が辱められる状況にある種の憧れを抱いている束。

 勿論、そんじょそこらの男に身体を触られるなど気持ち悪いが、相手が彼なら拒む理由はない。

 拒まないのではない――拒めない。

 

「んむぅっ!?」

 

 口の中に彼の指が挿し込まれる。

 人差し指と中指がぐにぐにと蠢いて、歯茎や舌を丹念に蹂躙される。たったそれだけの刺激でも視界を封じられているため、想像以上の電流が全身に駆け抜けた。

 指の動きに合わせて腰が右に左に動いてしまい、バシャバシャと湯が波打つ。

 

「んぅ! ふー……ふー……へぇぁ……」

「あんまり騒ぐと、くーちゃん達が起きるかもよ?」

「んんーっ!?」

 

 もし見られちゃったらどうしよう――と焦りが生まれると同時に、背徳的で危険な欲望も芽生え始めている事を自覚して、頭の中がどんどん痺れていく。

 湯の熱さなのか、身体の芯が熱くなっているのか、それすらも分からない。

 彼が与える甘痒い刺激は口内だけに留まらず、耳は甘噛みされ、首筋には舌が這い上り、腹肉を丁寧に揉みしだかれ、触れるか触れないかの絶妙な加減で脇腹を撫で回される。

 加えて――

 

「ふひゃっ!?」

 

 全く無警戒だった穴にも指を突っ込まれて、乱暴にほじくられる。

 

(そ、そこ、おヘソなのに――!)

 

 胎児が母体と臍の緒で繋がって栄養を分け与えられている事から分かるように、かつては内臓と直結していた部位であるため、筋肉や脂肪といった防壁がなく、今みたいに奥を突かれると内部にピンポイントに響く。じれったい悦びが際限なく蓄積されてどうにかなってしまいそうだ。

 こねくり回されている舌が解放されても、呂律が回らず唾液と熱い息が零れるだけだろう。

 これが彼の言う『オシオキ』なのか。

 

「このまま朝までずっとたばちゃんで遊ぶぞ。パンツをお着替えする暇もないくらいに、な。楽になれるなんて思うなよ?」

「ふっ、ふっ……んぃ!?」

「明日、何が起きるのか、たばちゃんが何をしたいのか。それを問い詰めたりはしないけど、私に謝るような事になるってんなら――先にお前を責めて、焦らして、狂わせて、弄び尽くす」

 

 これから何がどうなっても……たばちゃんを許せるように。

 そう耳元で囁いた彼の声は冷え切っていて、だけど優しさも確かに感じる。

 身体中まさぐられているのに、胸や女の大事な部分には一切触れない。絶対に触ってくれない。

 狂おしいほどに煮えたぎった欲求を満たしてもらえないまま、本当に朝日が昇るまで――娘達が起きる直前まで、精神がおかしくなる寸前まで、身も心もドロドロに溶かされて。

 

(朝までずっと……いーくんにいじわるされて、(こわ)されちゃうんだぁ……♡)

 

 初恋、母性、そしてマグマのような悦び。

 誰にも与えられなかった幸せをくれた彼に、束は全てを委ねた。

 夜は――まだ長い。




今年最後の一言。

ヘソならセーフだと思ったんや……
次回には続きません。


次の話からいよいよ原作3巻の本番ですぜ奥さん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

045. 急襲

だらっしゃああああっ!
一月以内に投稿!
MHWやるぞコラあああああっ!!

……はい。
四十五話、お楽しみいただければ幸いです。


「何故……何故だ先生!! どうしてなんだ一夏ぁ!!」

 

 闇を背負う師と幼馴染に、箒は叫んだ。

 駆け付けた仲間達も彼ら二人の攻撃を受けて地面に倒れ伏し、まだかろうじて軽傷で済んでいた箒一人だけが、皆の盾になるようにして対峙する事ができていた。だがしかし、それは二本の足で立っていられるだけ――その程度の小さな幸運でしかない。

 頼みのISは破壊され、他に武器もなく、残された手段は涙ながらの説得のみ。

 どれだけ人望に溢れた教師なのかを。

 どれだけ皆に好かれているのかを。

 けれど、血のように吐き出したその言葉さえ、彼らの心には届きはしない。

 

「愛とか……人望とか……そんなの何の意味もないんだよ」

「俺も、兄貴に教えてもらってやっと目が覚めたんだ。所詮俺は闇の世界の住人、光を求めるだけ無駄だってな。箒……お前も俺達と一緒に堕ちよう」

「一夏……くっ」

 

 白を捨て、黒のロングコートを纏う彼らの周囲を飛び跳ねる小さな影。

 緑と茶色のショウリョウバッタを模した小型の変身アイテム――『ゼクター』と呼ばれるそれが主の手に収まると、先生と一夏はベルトのバックルを開け放つ。

 セシリア達を容易く打ち破った二匹の悪魔が、再び呼び起こされようとしていた。

 

「……行くぞ、相棒」

「うん、兄貴」

「「変身!」」

 

 先生が緑を、一夏が茶色を前面にして、ベルトにスライドさせるようにゼクターを装着する。

 

《HENSHIN》

《Change…Kick Hopper》

《Change…Punch Hopper》

 

 皮肉にもISの展開に似た光が二人を包み、メタリックカラーの装甲が現れた。

 気怠げに、面倒臭そうに項垂れながらも、全身を突き刺す針のような敵意を放ち、その赤と灰に光る複眼は昆虫以上に感情を感じられない。

 見据える先にあるのは箒ではなく、各国が増援として送り込んだ選りすぐりの連合軍。

 彼らに全てのISが機能を停止させられた今、陸海空軍が動かせるのは重装備の歩兵の一個師団や戦車、イージス艦に空母、戦闘ヘリなど旧時代の兵器ばかり――それでもたった二人に向けるにはあまりに常軌を逸した物量だ。

 悪鬼羅刹も裸足で逃げ出す地獄のような光景を前に、先生と一夏は怯みもしない。

 

《Rider jump》

 

 跳び上がり、軍勢に襲い掛かるその様は、草木を貪り荒土に変える害虫(バッタ)そのもの。

 恐怖すらも喰い尽くす――絶対破壊の権化。

 

「神に会うては神を斬り!」

「悪魔に会うてはその悪魔をも撃つ!」

「戦いたいから戦い!」

「潰したいから潰す!」

「「俺達に大義名分など無いのさ!」」

 

 放たれるは必殺の蹴りと拳。

 

《Rider Kick》

《Rider Punch》

 

 その一撃で地が抉られ、先頭の一団が吹き飛ばされる。

 弾薬や燃料に誘爆して衝撃波と炎が荒れ狂う中、魔人達は世界を相手に高らかに咆哮した。

 

「「俺達が、地獄だ!!」」

 

 

 

 ――むぎゅ。

 

 

 

「ふにゃ……?」

 

 足の裏に何やら柔らかい感触。

 クロエ・クロニクルが片目を開けて確認すると、グソクムシーズな妹達に圧し掛かられ、さらに同じくグソクムシなパジャマの自分に顔面をグソクムシキックされているラウラがいた。

 そもそもが、寝相の悪い妹達が風邪を引かないようにと作成されたこの着ぐるみグソクムシ。

 毛布が役に立たないどころか、ベッドから数メートルは離れた場所に転がっていたり、酷い時はタンスの中にすっぽり収まってスヤスヤと寝息を立てている時もあった――血は繋がってないのに変なところだけ母親そっくりに育ってしまったものだ。

 足に付いた一番目の妹のヨダレを布団で拭い、目をこしこし擦るとようやく意識が覚醒する。

 

「……起きます」

 

 何だか、面白い夢を見ていたような気がする。

 辞書に万歩計にカレンダー、クッ○パッドも見れる専用ISの時計は午前五時半を指している。

 大広間に朝食が用意されるのが八時だから――とりあえず、十一匹集まってキンググソクムシに合体変身しそうな妹達はまだ寝かせておくとして。

 

「あ、束様がちゃんと布団で寝てる」

 

 三つ隣の布団がこんもりと盛り上がり、隙間からウサミミが生えている。

 いつもならエジプト壁画も腰を抜かす体勢で寝てるのに、今日は嵐でも来るのだろうか。

 まあ、本当に嵐になろうがミサイルが降ろうが、その程度で新型機のお披露目を中止するような人ではないだろうし、とにかく着替えて顔を洗おうかと背中側から脱皮する。

 洗面所に移動したところで、家族風呂から誰かの気配を感じた。

 

「あー、くーちゃんおはよう」

 

 パパだった。

 

「おはようございます父様。朝風呂ですか?」

「朝風呂っつーか、夜通し入ってたっつーか…………くーちゃんも入るかい?」

「わーい、はいるはいるー」

 

 どうして二人分の浴衣が干してあるのかちょっと気になったけど、それより今は大好きなパパと一緒にお風呂に入るのが最優先だ。パンダさんパンツなんてその場にぽーんと脱ぎ捨てる。

 自分でも珍しく浮かれていたから、気付かなかった。

 風呂から脱衣所、部屋へと。

 まるで誰かがクロエが起きる直前に(・・・・・・・・・・・・・・・・)濡れた足で慌てて走り抜けたような(・・・・・・・・・・・・・・・・)跡が――そしてそれが束の布団にまで続いていて、全裸のまま息を殺して寝たフリをしている事に、気付けなかった。

 もっとも気付けたとして、

 

「平和だねぇ……」

「平和ですねぇ……」

 

 クロエにとっては『新しい弟か妹が増えるかもだねわーい』ってな話にしかならないのだが。

 名前は絶対すーちゃんだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 合宿一日目がアメだとするなら、二日目はムチだ。

 学園での授業も決して手を抜いたり甘やかしているつもりはないが、こうして雁首並べて学園の外まで足を運んだのだから、普段は教えてやれない事も骨の髄までみっちり叩き込んでやりたいと思うのが――親心ならぬ教師心というものだろう。しばらく足腰立たなくなるかも知れないが。

 四方を崖で囲まれたIS試験用のビーチ。

 ISスーツに着替えたヒヨコ達が整列したのを確認し、気持ちも新たに千冬は小さく頷いた。

 それにしても心が軽い。

 昨晩、本人にではないが、自分の本音を吐き出す事ができたのが良かったのだろうか。

 

「パパー、この箱はドコー?」

「あー、それはそっちの青い奴の隣に置いといて」

「うにっ!」

 

 その想い人は頭にタオルを巻いて簡易テントを設営したり、装備が入ったいくつものコンテナを機体の種類別に分けたりと、力仕事をテキパキこなしている。周りでは彼の子ども達も手分けして観測装置や計器類を設置し、ドラムリールから伸ばしたケーブルを接続する――その手際の良さは専門職にも引けを取らない。やはりカエルの子はカエルという事か。

 

「織斑先生、こっちは終わりました」

「…………」

「どうかしました?」

「別に。お前が神妙に仕事してるのが不気味だと思っただけだ」

「そんな事言ったら、仕事熱心な大概の日本人が不気味な集団になっちまいますよ」

 

 何にせよ、準備がこんなに早く完了したのは彼のおかげではある。

 このまま今日一日静かでいてくれるなら、こちらとしてもとても助かるが――逆に大人しくしていればしているほど、何か企んでいるのではと怪しまなければいけない人間も存在する。

 その代表格たるウサミミは現在、ビーチパラソルの下で日差しを避けながら、心ここにあらずな表情でぽけーっと体育座りの真っ最中だった。

 各班ごとにISの装備試験を行うよう指示してから、千冬は箒に尋ねた。

 

「篠ノ之。お前の姉は一体どうしたんだ?」

「それが、今朝からずっとあの調子なんです。話し掛けても生返事しかしなくて……」

 

 山田先生経由で、束があの馬鹿と同じ部屋で寝たのは知っている。

 女子会(笑)中にメールを読む自分の顔を見て篠ノ之達が震え上っていたが――束のあの様子を見れば、二人の間に何かあったのは明白だった。

 問題はその『何か』がどの段階まで至っちゃったのか、だ。

 

「おい、束」

「んぃ……? どったのちーちゃん」

「昨日はお楽しみだったようだな」

「ぶほぉっ!?」

 

 カマを掛けてみると、必要以上の反応が返って来た。鼻から蒸気を出すのはこいつくらいだが。

 休憩中だった馬鹿はスポーツドリンクを吹き出し、運悪く近くにいた愚弟は打鉄の装備が入ったケースを足に落として絶叫し悶絶、耳聡いオルコットは早々に新装備である全長ニメートル超えのレーザーライフルを手入れし始めた。

 

「べべべ別にお楽しみとか、そんなのなかとですよっ!?」

「本当にか?」

「本当じゃとも! 楽しいのじゃなくて………………お、オシオキされただけだもん」

 

 言って、ほぅ……と溜め息。

 言葉とは裏腹に、同性の自分ですらゾクリとするほど『女』の色気を漂わせる親友。

 ああ、これは――

 

「ヤッたな」

「ヤりましたわね」

 

 青筋を浮かべてオルコットと共に断言してやると、周囲の時間が一気に凍り付いた。

 山田先生も篠ノ之も凰もデュノアも、ラウラや布仏でさえも――言葉の意味を知る者は皆一様に手を止めて顔を赤らめ、信じられない物を見る目で自分とオルコットを見やる。まだ足を押さえてのた打ち回っている愚弟を除けば、マイペースなのは手伝う仕事がなくなって砂の城作りに興じるラウラの妹達だけだ。ブルタング要塞とはまたマニアックな……。

 

「お、織斑先生、ヤッたって……」

「セシリア、アンタまで何言ってんの!?」

 

 お年頃な篠ノ之と凰が挙動不審になるが、こっちはそれどころじゃない。

 拷問……じゃなかった、詳しく問い詰めようと馬鹿を探す。

 

「さらばだ織斑君、また会おう!!」

 

 何処に用意していたのか――ジェットパックを背負った大馬鹿が、昭和の大怪盗みたいな台詞を吐きながら、崖を飛び越えて大海原に逃げようとしていた。

 つまり、逃げ出すだけの理由があるという事だ。

 

「オルコット」

「はい?」

「――殺れ」

「――はい」

 

 命令を受けたオルコットは迅速だった。

 二脚(バイポッド)代わりのコンテナにレーザーライフルの銃身を載せて固定し、豆粒ほどの大きさになったスケベの背中に照準を定めて――小さく息を一つ吐き、引き金を引いた。

 一筋の光が空を裂き、ジェットパックを正確に撃ち貫く。

 

「メインブースターがイカれただと! よりによって海上で……クッ、ダメだ、飛べん!」

 

 煙を吹きながら、殺虫剤を食らったハエみたいに崖の向こう側へ墜ちていく馬鹿。

 

「馬鹿な、これが私の最期と言うか! 認めん、認められるか、こんなこと――」

「スミス先生ー!?」

 

 オルコットは対物ライフルよりも長大な得物を軽々と右肩に担ぐと、とある超A級スナイパーを思わせる特徴的な眉毛と鋭い眼つきのまま、依頼完了とばかりに踵を返した。

 そして馬鹿の末路を告げる爆発音。

 

「Easyですわ」

「「「セシリアさんマジパネェ!?」」」

「……最近、セシリアが千冬姉化してる件について。超怖ぇ」

「教官みたいになる……素晴らしい事じゃないか。なあシャルロット」

「ラウラまでああなっちゃったら先生多分泣くよ?」

「さあ、無駄口はそれまでだ! 遅れた分を取り戻すぞ!」

 

 ほとんど千冬姉の無駄口が原因で遅れたようなもんだと思うけどなぁ――と、ボソッと漏らした愚弟を神威の断頭台で即座に黙らせる。

 砂粒を払って生徒達を睥睨すると、顔を真っ青にしてコクコクと首を縦に振り、落ち着きのない危なげな手つきで滞っていた装備のテストを再開した。

 

「ああそうだ、篠ノ之。お前はこっちに来い」

「私も殺されるんですか!?」

「そんな訳ないだろう、阿呆。……お前の姉から贈り物があるそうだ」

「そう、そうなんだよ! 束さんにとってはそれこそがメインなんだよ! さあさ皆の衆、目ン玉かっぽじってとくとご覧あれ! ポチッとな♪」

 

 いつもの調子を取り返すように、それまでの何やかんやを誤魔化すかのように、束は矢継ぎ早にまくし立てるとチープなデザインのリモコンのスイッチを押した。

 重苦しい音を立てて砂浜の一角が左右に開口し、下から何かがせり上がってくる。

 巨大ロボットでも緊急発進(スクランブル)しそうな雰囲気に皆が『おお~っ!』と注目する中、黄色い回転灯の光とサイレンを浴びながら姿を現したのは…………緑色が鮮やかなスイカだった。ご丁寧に氷水が張られた桶の中でキンキンに冷やされて――少し小振りだがまあ美味しそうではある。

 

「「「………………」」」

「……まちげぇた。後で皆で食べようと思って隠してたんだった。こっちだこっち」

 

 別のリモコンのスイッチを押すと同時に、今度は海面がゴボゴボと泡立つ。

 浮上したそれは銀色の巨大な箱で、上陸用舟艇のようにビーチに乗り上げると、正面の装甲板が倒れて内部に鎮座する機体が露になった。

 

「姉さん、これは……」

「これこそ夜も寝ないで昼寝して造った束さん謹製IS、その名も『紅椿』なのっさ! 箒ちゃんのイメージカラーに合わせて真紅にしました! 情熱の赤い薔薇、そしてジェラシーだね! 全ての性能が現行ISを上回ってるし、戦い方や条件にもよるけどいーくんの『黒灰の反逆者(ガンメタル・トレイター)』が相手でもそう簡単にはやられないと思うよ! 仮にも第四世代機だからね(・・・・・・・・・・・・)!!」

「「「今さらっと凄い事言わなかった!?」」」

「それとやっぱり女の子が乗る機体だから、肌年齢と体脂肪率測定機能とか、あとは花粉情報とか恋愛占いとかGPS対応お勧めグルメスポット情報とか盛り込んでみました! アプリも遊べるから刀剣○舞やFG○だってできるよ!」

 

 いらんいらん、特に後半がいらん。ISをスマホ代わりにするんじゃない。

 研究者連中が絶望しかねない重要な情報と、どうでも良い情報を一気に詰め込まれて、篠ノ之はおしどりのオスは実は浮気性だと教えられたような、何とも微妙な顔になっていた。

 

「ほにゃらば早速フィッティングとパーソナライズをやっちゃおう! ある程度箒ちゃんの体型に合わせてあるけど……大丈夫? おっぱいだけじゃなくてお腹回りとか増えちゃってない?」

「姉さんと違って節制してるから大丈夫です」

「あらやだ辛辣っ! 辛辣って文字見ると麻婆豆腐とか食べたくなるよね!」

「心の底からどうでも良いです」

 

 などと取り留めのない会話をしながら、束は空中にディスプレイをいくつも投影し、常人ならば頭がパンクしそうな量のデータに素早く目を通していく。同時に、空中投影型のキーボードも複数呼び出して指を走らせているのだが、そのどれもがピアノの鍵盤(キーボード)だったりするので、傍目からは音楽ゲームで遊んでいるようにしか見えない。

 

「ボォクぅぅぅぅドぉざえもーーーん!!」

 

 調整が終わるのを待っていると、水没した馬鹿が海から戻って来た。

 右手でズルズル引き摺っていた白衣を適当な場所に放り投げ、千冬の横に精根尽き果てた様子でごろんと仰向けに倒れる。

 

「いやもう、白衣(アレ)着て泳ぐもんじゃないですね。重くて死ぬかと思った」

 

 この人が戻った事に気付いていないのか――そんなはずはないから、おそらく恥ずかしくて顔を合わせられないだけだろうが、束は妹の関心を引こうとしたり、愚弟が展開した白式を弄ったりと忙しい振りをして、こちらに視線を向けようとはしない。

 実際の言葉はなくとも、真っ赤に火照った耳とうなじが雄弁に物語っていた。

 

「……お前は、あれをどう見る?」

「あれ、と言いますと……」

 

 陽光を受けて輝く篠ノ之の紅椿。

 他ならぬ束本人が『第四世代機』だと宣言した即時万能対応機(リアルタイム・マルチロール・アクトレス)

 第三世代機開発に躍起になる各国を嘲笑するかのような、生みの親の傍若無人な気質を形にした現状トップクラスの性能を持つ機体――その情報的、技術的価値は小国の国家予算に匹敵する。

 そんな代物が、一人の少女に与えられた。

 篠ノ之の身の安全も含めて、学園に帰ったらまた大忙しになる事は明らかだった。

 馬鹿もそれが分かってるらしく、大の字になったまま頷き、真剣な口調で言う。

 

「美味しそうですけどちょっと小振りですね。山田先生のおっぱいの方が大きい」

「スイカじゃなくてISの話をしとるんだ馬鹿たれ! もう一回泳いでこい!!」

 

 蹴り飛ばした。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 崖の上から学園の連中の動向を覗き見ていると、携帯にスコールから着信があった。

 

『ハロー、おはようオータム。日本(そっち)の様子はどう?』

「……馬鹿が海に蹴り飛ばされた」

『つまり異常なしって事ね』

 

 水切りの石のように十二回くらい跳ねて、尻と背中が三分の二ほど出たうつ伏せ状態でぷかぷか浮かび、普通なら溺死するそれ以前に蹴りの一撃で確実に死んでいるはずの光景を『異常なし』と言うなら、異常なしの平常運転なのだろう。すっかり慣れてしまった自分も含めて。

 

「ああそれと、ウサミミ女が妹のために第四世代のIS組み立てて持って来たっぽい」

『あらそうなの、プレゼントにしては奮発したわねぇ…………………………ダイヨンセダイ?』

「私が読唇ミスってなきゃそう言ってたぜ。早口で読みにくいんだよなぁあの女」

『ちょっ、ちょっと待って、待ってね――熱ぁっ!?』

 

 電話の向こうで書類の山が崩れる音やカップが割れる音。

 一方、茂みに潜むオータムの頭上では、件の紅椿が試験飛行に入っていた。

 右に握った刀で刺突を繰り出すと、周囲に光の球体が無数に出現してミニガンのように漂う雲を貫き飛ばし――左の刀を横薙ぎに振るい、帯状に広がった攻性エネルギーで十六連装のミサイルを一度に全て撃ち落とした。

 対単一、対集団のどちらでも相手取れる武装か。

 

「はしゃいじゃってまぁ。スコール……こっちもそっちと同じくらい騒がしくなってんぞ」

『そ、そうなの!? あ、エム、丁度良かった! コーヒー拭くの手伝って!』

 

 受話器まで放り投げたのか、遠くで『ああもう徹夜で仕上げたのにー!』と嘆くスコール。

 もう第四世代とかどうでも良さそうだった。

 実際オータムも、IS乗りとして自分でも驚くほど興味が湧かなかった。

 拳銃だろうと戦闘機だろうとISだろうと、どれだけ性能が高かろうが、結局はそれを使う人間の腕前が戦場での勝敗を決める。スペックばかりにかまけて天狗になっているあの調子では、仲間を見殺しにしてしまうのは目に見えていた。

 何より、そこらの量産機に乗っても第四世代以上に強い馬鹿を――自分は知っている。

 

『……もしもし、オータム?』

「あぁ? お前……エムか? スコールは何してんだ?」

『今日の会議で使う資料がコーヒーで駄目になったとかで、慌ててプリントアウトしに行ったぞ』

「あっそ……」

 

 入社したてのOLかあいつは。

 どちらかと言えばお局さん側だろうに。

 

「んでお前は何の用なんだよ。私と仲良く長電話な間柄でもねぇだろ」

『私もそこまで暇じゃない。今本部(こっち)に届いた情報をお前に伝えろとスコールに頼まれただけだ』

「ああそうかよ……………ちょい待て、下でも何かあったみたいだな」

 

 今まで紅椿が飛ぶ上空ばかり注視していたが、下の砂浜に目を向けると、織斑千冬に駆け寄った眼鏡ホルスタインが慌てた様子で小型端末の画面を指差しているのが見えた。

 二人はすぐ手話に切り替えたが、寸前にかろうじて読めた口唇が状況の悪さを語っていた。

 

「特命……対策……ハワイ沖……機密……?」

『ハワイ沖だと?』

「らしいぜ。ガキ共に伝わらないよう手話まで使ってるし、大事なのは確かだな」

『タイムリーだな。こっちの情報も恐らくそれだ。読み上げるぞ』

 

 エムから伝えられた情報は、オータムを辟易させるには十分な内容だった。

 ハワイ沖で試験稼働中だった『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』――その暴走。

 アメリカとイスラエルが共同で開発したという第三世代型軍用ISが、あろう事か制御下を離れて洋上を勝手気ままに動き回っているのだとか。

 それだけでも十分性質の悪い冗談なのに、その始末を専用機を持っているだけ(・・)のガキンチョ達に付けさせようとしているのだから、お粗末にもほどがあり過ぎて呆れる事すらできない。

 

『潜り込んでいる鼠の話じゃ、米軍上層部は電気椅子の前の死刑囚より真っ青になってるそうだ』

「だろうよ。じゃじゃ馬がこの調子で領空侵してその辺の都市を砲撃してみろ。国防総省(ペンタゴン)どころかホワイトハウスのお偉方全員の首がシャンパンのコルクみたいに吹っ飛ぶぞ」

 

 共同開発と言ってもコアやプログラム関係は合衆国(ステイツ)主導で大きな顔していただろうから、無理に難癖つけてイスラエルの責任にするのも苦しいものがある。

 世界の警察(ワールド・ポリス)世界の笑い者(ワールド・フーリッシュ)になるのは時間の問題だった。

 

『近海を航行中だったり日本に駐留中の米軍が戦闘に介入する可能性は?』

「私の勘じゃあほとんどゼロだな。ブラックバード(SR-71)ほどじゃないにしても、超音速で飛んでる奴を追って狩れるだけのISや装備が出張組にあると思うか? んなもんがあったら試験中も隣に置いて領空から取り逃がす前に撃墜なり捕獲なりしてたはずだろ」

『……確かに。そもそも、現行機の性能を超えるよう開発されたのが福音な訳だしな』

 

 そこらのISじゃ止められないか――と。

 エムの言葉を何気なく聞いていて、突然、頭の中で歯車が噛み合ったような気がした。

 そうか……だから今なのか(・・・・・・・)

 

「…………」

『オータム?』

「ああ悪ぃ……考え事してた。対岸の火事に水ぶっ掛けに行く必要もねぇし、組織(うちら)が動くにしても福音が停止した後だろ。私はこのまま静観するっつー事で、仕事があるならまた連絡してくれってスコールに伝えとけ」

『分かった。お前は存分に休暇を満喫するが良いさ。……それじゃあな』

 

 携帯をポケットに戻し、改めて下に広がる砂浜を見た。

 織斑千冬の一喝を受け、テスト装備やISを片付けて旅館に戻ろうとする少女達。その喧騒の中に銀髪のチビ共を集めて指示を出す天災の姿もある。

 娘達に心からの笑顔を向けるその裏で、人を人とも思わぬ悪事に平然と手を染める。

 

「……まるでマフィアのボスだな。つくづく食えねぇ女だ」

 

 全くもって、悪の組織に身を置く自分が言えた事ではないのだが。

 嵐の前の静けさなのか――荒れる気配のない紺碧の海と空が、オータムには不気味に見えた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「無理だな」

 

 旅館最奥の大座敷――風花の間。

 大型のホロディスプレイが浮かぶ急ごしらえの対策本部にて、私は少年からの推薦を一蹴した。

 

「でも俺達の中じゃ先生が一番……」

「強くて確実ってか? 否定しないが問題はそこじゃねぇ。戦う場所と条件を考えろってんだ」

「戦う場所……って海の上ですよね?」

「そうだ。ゲームクリアの条件は福音の撃墜あるいは捕獲、そして――」

「――意識があるかも分からない操縦者の救出、よね」

 

 言葉を引き継いだおチビに、私は軽く頷いた。

 人命第一、お優しくて大変結構。その優しさ(デレ)をもう少しだけ少年にもくれてやれ。

 

「幻滅させるようで悪いがな、はっきり言って、ランスローは救助活動には向いていない。敵をぶっ潰すためのゴリッゴリの殲滅用だ。さらに海上ってのが最悪極まりない」

「それってどういう……?」

「……こいつの馬鹿力も十八番の能力も使えないという事だ。それくらい気付け未熟者」

「うぐ……」

 

 それまで成り行きを見守っていた姉上様が、弟の察しの悪さに呆れた様子で口を挟んだ。

 

「私のスタイルは基本的に少年の白式と同じ近接戦闘。今すぐ準備できるテスト用の遠距離装備を使い回す事も…………まあできない訳でもないが決定打に欠ける。ミサイルにしがみ付くなりしてどうにか接敵できたとしても、機動特化の特殊射撃型が相手じゃこっちが殴る前に距離を取られてそれで失敗――ヒグマがジャンプして鷹と戦おうとするようなもんだ」

単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)が使えないのは、重力で空から墜としても拘束できる地面がないからだな」

「それに、先生も重力の影響を受けるから海に沈んじゃうよ」

 

 うーちゃんもデュノア嬢ちゃんも、理解が早くて先生助かるわぁ。昔の私も見習えよ、と。

 

「相手が本当に私の敵なら、最悪空中で抱き締めて、そのまま一緒にエイハブ船長に会いに行けば良い話なんだが――暴走してる福音はともかく操縦者はまだ敵じゃない。エネルギー切れか何かの拍子に福音の絶対防御まで解除されてしまったら、操縦者は水圧で潰されて死ぬか溺れて死ぬかのどちらかだ。その可能性がある以上、今回ばかりは私も使い物になりゃしねぇよ」

「おまけに、この馬鹿はアメリカを含めた世界中から目の敵にされている。最重要軍事機密である福音の撃墜までこいつの手で行われてしまえば、今度こそ各国も強硬手段に出かねない」

「……ではやはり、一夏さんの零落白夜による一撃必殺が最善手ですわね」

 

 オルコット嬢の一言が決め手で満場一致となり、織斑先生もそれを採用。

 当初は、ブルー・ティアーズに強襲用高機動パッケージ『ストライク・ガンナー』を装備させたオルコット嬢が少年を運ぶ算段になっていたのだが――カラオケ用に置かれていた大型テレビからたばちゃんが貞子のように現れ、今作戦に紅椿が如何に適しているかを熱弁したため、最終的には少年と武士っ娘のツーマンセルで福音に挑む事となった。

 

「………………」

「どうしたよ少年、黙りこくちゃって。賢者タイムか?」

「んなワケあるかぁっ! 実戦だから緊張してんですよ!!」

「いざ始まったら緊張する暇もねぇよ。なぁに心配するな、しくじってもたかが死ぬだけだ」

「そうですね畜生!」

 

 

 

 

 ――そんな会話をしたのが、今から三十分ほど前の事。

 

 

 

 

 で、現在の時刻は午前十一時四十分ちょい過ぎ。

 

「おー、やられたやられた」

 

 制限解除したハイパーセンサーが、白式と紅椿が爆発に呑まれて海に墜ちるのを捉えた。

 福音の予想以上の攻撃力と回避性能、少年と武士っ娘の実戦経験の乏しさ、密漁船の発見というイレギュラーな事態に直面してのコンビネーションの齟齬――それらが積み重なって、記念すべき第四世代機の初陣は拭いようのない黒星を飾ってしまった。

 タイムパラドクス的な問題で私が消えてないのだから、少年も死んではいないだろう。

 後はこのまま再戦の時が来るのを待ち、少年が『第二形態移行(セカンド・シフト)』を、武士っ娘が『絢爛舞踏』を発現するのを見届ければ良い。

 

「ヒデェ先公だな。生徒が怪我したってのにこんなトコで高みの見物かよ」

「野次馬なのはお互い様でしょう、レディ?」

 

 戦場が見える崖の上――背後に生える木々の合間から、秋姉が姿を現した。

 花月荘も含めて、周囲一帯の空域と海域は訓練機に乗った教師陣で封鎖済みだが、事件が起こる前からその封鎖区域の中にいた秋姉には何の意味もなさない。どれだけ念入りに宿泊客の出入りを監視していたとしても、潜入工作が本職の彼女にとっちゃ『ご自由にどうぞ』だ。

 私の隣に立ち、最新式の軍用単眼スコープを覗き込んで秋姉はぼやく。

 

「あれが噂の福音かよ。派手っつーか何つーか……」

「八本足のタコ型ド派手IS使ってる人の言う台詞でもないと思いますけどねぇ」

「タコじゃねぇ蜘蛛だよ。三味線屋の勇次みてぇに首吊りすんぞコラ」

 

 どうして日本屈指の時代劇に詳しいんだろうかこの人は。

 

「テメェが手を出さなかったのは、あのウサミミに頼まれたからだろ?」

「必要だと思ったから――なんて言われちゃ余計な茶々を入れる訳にゃいかんでしょ」

「はぁ……やっぱりこいつは『お披露目』だったか。やる事なす事いちいち無茶苦茶だなあの女」

「妹の晴れ舞台だから豪勢にしちまったんでしょ。白騎士事件に比べたら、ISが暴走してるだけでミサイルが何百発も飛んでは来ないし、これでもまだ控え目な方だ」

「あん時はうちんトコの上層部も相当泡食ったらしいぜ。巻き添えにはなりたかねぇな」

 

 福音が沖合へと飛び去り、駆けつけた先生方の手によって満身創痍の少年と武士っ娘が海中から救助されたのを確認して、私はハイパーセンサーを切った。

 秋姉はまだ崖の際で海を見ている。

 風に弄ばれる髪を押さえるその姿は、非常に絵になる光景だった。

 この人も何気に凄い美人なんだよなぁ。

 

「……んだよ、私の顔見て呆けやがって。惚れちまったか?」

「こんな状況でもなきゃデートに誘いたくなるくらいには、ね」

 

 見るものも見たし旅館に戻ろうかと考え、私は秋姉を残して林の中に入ろうとした。

 

 

 

 

 ――その時、どうして足を止めて振り返ったのか、理由は自分でも分からない。

 

 

 

 

 漠然と、ただ何となく、心の何処かで『行っては駄目だ』と叫んでいるかのような感覚。

 自分の直感が即生死に繋がる職業柄、この手のイヤナヨカンには素直に従うようにしていた。

 振り返った先、立ち去る私を見送るつもりだったらしい秋姉の背後に――

 

『――――――』

 

 ――それ(・・)はいた。

 

「秋姉ぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

「きゃっ!?」

 

 秋姉の手を掴み、位置を入れ替えるように、彼女を海とは反対側に投げ飛ばした。

 刹那。

 

「ぐぅっ!?」

 

 後ろから前へ、身体を貫き抜ける激痛。

 肉を突き破って左胸から生えた、私の血に塗れた見えない(・・・・)刀身。

 口から溢れた血が邪魔で、逃げろ、と秋姉に上手く伝えられたかも分からない。

 刀が引き抜かれてバランスを崩した私は、そのままたたらを踏むように崖下へと身を躍らせて。

 

 

 

 

 ――意識を手放した。




今回のリクエストは、

 パトラックさんより、

・「戦いたいから戦い、潰したいから潰す」「俺達に大義名分など無いのさ!」(マジンカイザーSKLより)

 蒼空奏さん、紅葉@夢想家さんより、

・「メインブースターがイカれただと!? よりにもよって海上d(ry」
・水没王子の有名なアレ(ACシリーズ)

 山猫二号さんより、

・ゴルゴ13のコスプレをするセシリア

 オイオイヨさんより、

・ISでスイカ割り
・「Easyですわ」(手裏剣戦隊ニンニンジャー:加藤クラウド八雲)

 ヌシカンさんより、

・「ボォクぅぅぅぅドぉざえもーーーん!!」(行け!稲中卓球部:前野)

 昆布さんより、

・ケツと背中の下3分の2ほどが水上に出るようにしてうつぶせで水面にぷかー。(ガンダムW:ヒイロ・ユイ)

 でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

046. セイセン――荒れ狂う乙女達

最近の一言。

血小板ちゃんが素晴らしい。


「馬鹿者が……」

 

 吐き出したその言葉は、一体誰に向けられたものなのか。

 敵の力を見誤り仕損じた愚弟にか、専用機を得て浮かれていた篠ノ之にか、安易な判断を下して生徒の命を危険にさらした己自身にか、作戦失敗の一因となった心汚い密漁者達か、本来の目的を見失って軍用ISなぞ開発した馬鹿共か、それとも――

 いくら悔いても、いくら唇を噛み締めても結果は変わらない。

 昏睡状態となり、全身に包帯を巻いた痛々しい姿でベッドに横たわる一夏。傍らで目覚めるのをずっと待ち続けている篠ノ之も、この数時間ですっかり憔悴し切ってしまっている。

 想い人が自分をかばって生死の境を彷徨っている――そのショックは一体どれほどのものか。

 千冬自身、もし自分とあの人が同じ目に遭ったら、と嫌でも考えてしまう。

 きっと恐らく、仕事や飲酒に逃げる事すらできないまま、目の前でうなだれる少女と同じように悲嘆に暮れ続けるか、修羅の道に堕ち果てて復讐に身を焦がすのだろう。

 

「篠ノ之。何時また福音が捕捉されるかも分からん。お前も少し休め」

「………………」

 

 何かしらの反応も、返事すらない篠ノ之。

 不安は残るものの、今後の方針を考えるために千冬は部屋を後にした。

 昨日まではあちらこちらから生徒達の賑やかな雰囲気が漂って来ていた旅館内も、現在はまるで葬儀場のように静かで冷たい空気に満ちている。詳しい事情は分からなくとも、室内待機の命令を受けて、ただ事ではないと皆が理解しているのだろう――弟が負傷したと知られて不必要に騒ぎが起こらなかっただけ、まだ救いようがある。

 急ごしらえの対策室に向かう足取りは重い。

 作戦の失敗が及ぼした影響は、もう責任の所在がどうこうの域を超えていた。

 篠ノ之の手前ああは言ったが、アメリカが衛星でも使って福音を捕捉できたとして、その情報をこちらにも教えてくれるかどうかすらも怪しい。

 最新鋭機を使っても止められなかった軍用IS――そんな代物を何時までも野放しにしておくほど政治屋も軍関係者も愚かではあるが馬鹿ではない。

 有効な手段が他に何もないと判断されてしまえば、今度こそ、日本の領海を米軍が埋め尽くして大規模な討伐戦が始まってしまう。少しでも戦力を増やすために、生徒達も訓練機で駆り出される可能性すらある。

 

「……こんな時、あの人なら…………」

 

 どんな状況でも不敵でいる彼は、数時間前から姿が見えない。

 助言を賜りたい訳ではない――ただ傍にいて、脆い自分を支えてほしいのに。

 あの人が、今はいない。

 壁を殴った左手が、心の内を表すように鈍い痛みを訴えていた。

 

「お、織斑先生! たいっ、大変です!!」

 

 廊下の向こうから山田先生が走って来る。

 その慌て振りは福音暴走の情報がもたらされた時よりも切羽詰まっていて、彼女自身にとっても看過できない事態なのだと容易に見て取れた。

 

「す、スミス先生が玄関に、大怪我してるみたいで、血塗れでっ!! 今、篠ノ之博士にも――」

 

 聞き終わる前に駆け出していた。

 現場指揮を執る自分と補佐の山田先生を除き、ほとんどの教師は今も哨戒を続けていて、旅館の従業員にも必要最低限の業務以外は控えるよう通達してあったため、泣き出す寸前の幼児のようになっているであろう顔を誰かに見られる心配はない。

 息せき切って玄関に辿り着いた千冬が見たものは、到底受け入れ難い現実だった。

 

「ぉい、おい! しっかりしろ! 死ぬんじゃねぇぞ!!」

 

 見知った金髪の女が、上がり口に寝かされた彼に懸命に声を掛けている。

 何故か女も彼も髪の先までぐっしょりと濡れていて、身体に巻き付けた白衣を染め上げる大量の血液が、今すぐ治療が必要な重傷であると訴えていた。

 

「あ、あ――」

 

 言葉にならない音ばかりが口から零れる。

 傷だらけで運ばれて来た一夏を見て実は崩れる寸前だったが――それでも努めて冷静であろうと押し留めていた千冬の感情の壁が、あっという間に内側から破壊された。

 荒れ狂う衝動に突き動かされて女の胸倉を両手で掴み、冷たい石畳の上に押し倒す。

 

「お前、お前が…………この人に何をしたぁっ!!」

「うるっせぇ! テメェこそ何もしなかった(・・・・・・・)くせに!! 退けよ馬鹿女!!」

 

 右頬を思い切り殴られ、鼻の奥から熱いものが垂れるのを感じる。

 安全な場所で偉そうに指示を出すだけで、何もしなかった――大事な弟と好きな人が死にそうになっているのに何もできなかった。助けてやれなかった。

 そんな事は今、自分を殺してやりたいほど思い知っているというのに!!

 

「この……っ!!」

 

 馬乗りになったまま、お返しとばかりに女の顔面に一撃を見舞う。

 後はもう、拳に拳を返す、子どもの喧嘩のような醜い暴力の応酬でしかなかった。

 

「織斑先生!? その人はスミス先生を運んで来てくれたんですよ!?」

「ちーちゃんもオーちゃんも何してんのさ!? ああもう馬鹿なんだから! 眼鏡女、いーくんは私が部屋に運んで治療するから二人の事は任せたんだよ!!」

「わ……分かりましたっ!」

 

 殴り合いに混乱する山田先生と、紅椿の調整にも使った機械腕で彼を運ぶ束。

 二人の声が、何処か遠くで聞こえるように感じる。

 我を忘れるとはこの事か――目の前が真っ赤に染まり、自分でも止まらなくなっていた。

 怒りと共に渦巻くのは憎しみではない。

 いざという時にあの人の傍らにいて、支える事ができる得体の知れないこの女が――肝心な時に動けない自分とは違う、彼と同じ闇の世界に染まっているであろう彼女が、どうしようもないほど羨ましくて、妬ましくて仕方がないのだ。

 もう何度振り上げたかも分からない右腕を、山田先生が全身で抱き締めるように拘束する。

 

「だ、駄目です織斑先生! こんな時に喧嘩だなんて……!」

「放せ、邪魔だ!!」

 

 強引に振り解いて再び殴りつける。

 このまま誰にも止められず、ボロボロに疲れ果てるまで続くのだろうか。

 そう思った矢先に、女から力任せに引き離され、バチンッ――と頬を強かに打たれた。返す刀で女にも平手打ちが襲い、突然の事に二人揃って呆然となる。

 平手打ちの主である山田先生は、涙の溜まった瞳でこちらを睨み、

 

「スミス先生だったらこうすると思ったので!! ひっぱたきました!!」

 

 普段の彼女からは想像もつかない、有無を言わせぬ強い口調と力。

 

「今すべき事は喧嘩じゃないでしょう!? スミス先生もきっと草葉の陰で泣いてますよ!?」

「…………」

「…………」

 

 …………いや、いやいやいや。

 

「山田先生、草葉の陰って……」

「アイツ、まだ死んでねぇだろ」

「え……ああっ!? そ、そうですね、ごめんなさい!!」

 

 何故か、一番正しい事をしたはずの山田先生が謝る状況になってしまっていた。

 ひとしきり謝り倒してから、でも、と彼女は顔を上げて揺るぎなく続ける。

 

「スミス先生ならきっと……きっと大丈夫です! とてもお強いですし、誰かを本気で悲しませるような人じゃありませんから!」

「…………ふっ」

「…………ケッ」

 

 あの人は誰よりも強い。それに、やられっぱなしで眠り続けるような男じゃない。

 そんな事は――

 

「「私が(・・)一番良く知ってる」」

 

 ……………………。

 

「あぁん?」

「おぉん?」

「はい喧嘩しない!」

「「すみません……」」

 

 年下なのに、お母さんと呼んでしまいそうになる気迫の山田先生。

 いざ我に返ると、戒めのように顔に痛みが走って何とも情けない気持ちになってしまう。

 口の端や鼻から血を流してアザだらけなこんな姿――あの人が見たら何と言うのだろうか。

 呆れられても構わないから、早く目を覚まして欲しい。

 それは、この場にいる全員の願いだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「歯ぁ食い縛りなさい!!」

 

 部屋に乗り込んで、ぶっ飛ばした。

 悲劇のヒロインを気取っている箒への発破やら日頃の鬱憤やら色々と込めたビンタで、椅子から転げ落ちるくらいぶっ飛ばした。ちょっと危険な感じに頭から落ちたので、やり過ぎたかと内心は冷や汗だったが、箒はすぐに上体を起こすと鈴に虚ろな目を向けた。

 

「ついでに千冬さんの分も殴ったわよ。本当ならグーでいきたかったけど、そこまで野蛮じゃないあたしに感謝する事ね」

「…………」

「文句なら受け付けないわよ。そもそもアンタには落ち込んでる暇なんてないんだから」

「私、私は……」

「『もうISは使わない』とでも言うつもり? ざっけんじゃないわよ!! 今戦えるのはあたし達だけなのよ!?」

 

 一喝。

 床にへたり込んだままの馬鹿女――その襟首を引っ掴み、強引に立ち上がらせて、数時間以上もベッドで眠り続ける一夏の顔に近付ける。

 ああ……イライラする。

 箒の紅椿はあの福音にリベンジできるだけの力を持っているはずなのに、過ぎた事を何時までもうだうだうだうだうだうだと、結局は目の前の現実から逃げているだけではないか。

 

「一夏がこうなったのがアンタのせいだとしても! 仇を討ちたいと思わないの!? 悔しいのに何もしようとしない腰抜けなら、最初(ハナ)っから専用機なんてもらうな!!」

 

 言い切り、箒を突き飛ばすのと同時――ドアが開き、黒い軍服姿のラウラが部屋に入って来た。

 いまだ消沈の箒を一度だけ隻眼でちらりと見たが何も言わず、ブック端末を片手で掲げ、彼女は軍人らしい口調で淡々と報告だけを述べる。

 

「衛星からの目視で発見した。ここから沖合へ三十キロ、その上空に奴がいる」

 

 それと、と前置きしてラウラは続ける。

 

「信じがたい話だが、福音は現在戦闘中(・・・)だそうだ。正確には、福音が一方的に狙撃されて足止めを食っている状況らしい。スナイパーの詳細は一切不明。弾道から逆算して狙撃地点の特定を試みたそうだが、飛ばした無人偵察機どころか、各国が所有する軌道上の衛星まで一基残らずレーザーで撃ち抜かれて被害総額が数十億を超えたとか」

「……日本円で?」

「ドルに決まってるだろう」

 

 超音速飛行を続ける福音の動きを先読みして足止めを行い――のみならず、宇宙空間を移動する衛星すらも破壊するほどの狙撃技能とパワーを有する謎の存在。

 徹底した正体の隠蔽具合から考えると、福音と同様に、何処ぞの国で秘密裏に造られた軍用ISの可能性も否定できないが、それにしては他への損害が大き過ぎる。

 

「どちらにしても、まんま化け物ね。あたし達の邪魔になると思う?」

「味方と判断するのは早計だろうな。直接狙い撃つのではなくただ進路を妨害しているだけなのも腑に落ちん。これが単なる暇潰しだとするなら、私達も撃たれるかも知れない」

「…………待て。鈴もラウラも、さっきから一体……何の話をしているんだ……?」

「決まってんじゃん。福音をぶちのめすのよ」

 

 箒の目が見開かれる。

 

「あたしとラウラだけじゃないわ。セシリアもシャルロットも、今パッケージをインストールして戦う準備を進めてる。後は……アンタが乗るか乗らないかだけ」

 

 どうするの、と意地悪く箒に問い掛ける。

 瞳の中に宿るのは、心の奥底で燻っていた反撃への火種。

 こうでもしないと魂が燃え上がらないなんて、本当に……本当に面倒臭い恋敵(ライバル)だ。

 

「……それこそ決まっている。私だって戦いたい! もう一度、今度は皆と一緒に戦って、そして勝って一夏に謝りたい!!」

「そうこなくっちゃ」

 

 にやりと笑みを浮かべ、ドアを開ける。

 人気のない廊下では、セシリアとシャルロットが待機していた。

 セシリアは新装備のレーザーライフルの銃身を布で磨き上げ、シャルロットに至っては自動装填されるはずのショットガンの弾を一発一発手動で込めている。

 それはまるで、獲物を前に包丁を研ぐ山姥のようで――

 

「あら箒さん、元気になられたようで何よりですわ」

「あ、ああ、お陰様で……」

「すまないけど、もう少しだけ待ってね。すぐ終わらせるから」

 

 言って、銃身磨きと弾込めを再開する二人。

 シュッ……シュッ……カチャリ……カチャリ……と、一心不乱に己の銃と向かい合うその様子は鬼気迫るものがあり、正直言って、友人でありこれから共闘する仲間じゃなければ近寄りたくない雰囲気をこれでもかと漂わせていた。

 箒が助けを乞うような視線で、鈴に説明を求めてくる。

 

「…………さっき言ったでしょ。今戦えるのはあたし達だけだって。ラウラがアンタの姉さんから教えてもらったらしいんだけど……アンタと一夏が運ばれて来たすぐ後に、先生も背中を刺されて担ぎ込まれたそうよ。こっちの敵も正体不明だってさ」

「それを知って二人はこうなったのか……」

 

 激しい恋情を抱くセシリア、一夏と先生に己の過去を救われたシャルロット、ラウラも声音こそ平淡だが、転入当初のナイフを思わせる眼差しを取り戻している。

 大切な人達を傷付けられて燃え盛るその怒りは、自分と箒にも負けないだろう。

 ジャキン――と、一際大きな音を立てて、シャルロットが装填の終わったショットガンに最後に祈りを込め、青を湛えたレーザーライフルがセシリアの手の中で光となって消えて行く。

 

「万端ですわ」

「何時でも出れるよ」

「では始めるとしようか。私達の百鬼夜行(パンデモニウム)をな」

 

 ラウラが先頭を歩き、セシリア、シャルロットと続く。

 恐れなどない。

 ただ狂おしいほどの愛のみが足を――身体を突き動かす。

 

「皆、強いんだな。私よりも、何倍も……」

「当たり前でしょうが。こちとら変に期待させるあのニブチン相手にいつもいつもやられっぱなしなんだからさ。あたし達もアンタも、たった一回負けたくらいでヘコんでたらキリないでしょ」

「……ああ、そうだな!」

 

 最後に残った鈴と箒も、肩を並べて歩み出す。

 暴走する福音と、謎の狙撃手と、さらにもう一機。

 あれほどの力を持っている先生が不覚を取るなど想像すらできないが――これだけ想定外の事が起きている以上、もう何が現れても驚きはしない。揺るぎはしない。

 神や悪魔が相手だとしても知った事か。

 恋する乙女の恐ろしさ、存分に刻み込んでやる。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「おやおやお二人さん、随分と男っぷりが上がったようで何よりなんだよ」

「……ふん」

「うっせ」

 

 皮肉たっぷりに出迎えてやると、親友と恋敵は、試合終了後のボクサーのように絆創膏や湿布でデコレーションされた互いの顔から視線を逸らしつつ、居心地悪そうにぼそりと一言だけ零した。

 今回ばかりは正当な批判だと彼女達も猛省したのか、それ以上いがみ合う様子はなく――純粋に彼を心配しているようだった。

 抜き身の刀とホローポイント弾のような性格の二人をここまでしおらしくさせるのだから、彼も罪作りな男である。本当に。

 

「……それで束、治療の方はどうなんだ?」

「正直言って、手の施しようがないってのが現状だぁね」

「そんな……」

 

 早とちりして顔を青く染めるおっぱい眼鏡。

 

「落ち着きなよ眼鏡。施しようがないってのは、何もする必要がないって意味だよ。これを見て」

 

 ベッドに寝かされ、腕には点滴が繋がっている想い人。

 その身体を隠す毛布をめくり上げると――

 

「うおっ!?」

「ひえっ!?」

 

 悲鳴を上がった。

 無理もない――体長一メートルを超えるダイオウグソクムシが、まるで寄生するかのように彼に覆い被さっていたら、並みの神経を持つ人間なら驚くに決まっている。

 親友の鋭い視線が突き刺さるが、妹や娘達以外の他の誰かならまだしも、意中の彼が傷を負って意識不明になっているこの状況――流石の束も悪い冗談を披露する気にはなれない。

 

「あー……きーちゃんや。お主は何をしとりますのかね?」

 

 宇宙服より頑丈なグソクムシスーツを着た娘を抱え上げ、真っ直ぐに目を見て問う。

 

「パパのお見舞い。パパおケガしたってくー姉様とうー姉様話してたから」

「ラウラの奴め、余計な事を……」

「まあ、半分はくーちゃんの責任でもあるけどね。他の皆は?」

「お部屋で待ってる。じゃんけんぽんして、きーちゃん一等賞だったから来た」

 

 ぶいー、と右の人差し指と中指をチョキチョキさせて得意げな八女。

 要するに、ジャンケンで勝って代表になったから潜り込んだらしい。娘全員で部屋に乗り込んで来なかったのは素直に褒めてあげるべきか悩むところだ。

 

「ねぇ、ママ」

「んー?」

「パパ、朝になったら、おはようしてくれるよね?」

 

 その無垢な問いに、束は心臓が握り潰された気がした。

 目を覚ましてくれる保証など――そんなもの何処にもありはしない。

 それが否応なく分かってしまうからこそ、束だけでなく、親友ももう一人の恋敵も、何も言えず案山子のようにただ立ち尽くすだけだった。

 そんな中、彼と同室のあの女だけが動いた。

 

「そう、ですね。明日になったら――もっとたくさん遊んでくれるはずですよ」

「ほんとっ!?」

「ええ……きっと」

 

 幼子を不安にさせまいと気丈に振る舞うその姿は、母親(たばね)よりも母親らしくて。

 言えなかった事を先に言われて――つまりそれは彼を心底信頼している証左であり、借りを作る形になった束の中で、安堵混じりの仄暗い感情が渦巻いた。

 凡人に嫉妬していると認めたくなくて、払拭するためにパンッ、と手を鳴らす。

 

「さあ、それじゃあママ達はこれから大人の作戦会議をするのであります!」

「おー、作戦会議! 大人の!」

「きーちゃん隊員にはおやすみなさい作戦を命令するであります! よろしいでありますか!?」

「らじゃー、なのであります!」

 

 ビシッと敬礼して姉妹達の元へ戻るグソクムシスーツの愛娘――何度も立ち止まっては手を振る彼女に振り返しながら、思う。

 果たして、今の自分はちゃんと表情を取り繕えているのだろうか。

 笑顔の仮面など、幾度となく被り慣れているなずなのに。

 見送り、部屋の中へ戻ったところで、親友が重い口を開いた。

 

「……実際のところ、どうなんだ?」

「いーくんの胸の傷をよく見てみなよ――いや、もう傷痕(・・)か」

 

 背中から刺し貫かれたらしいが、決して小さくないその傷口は既に血が止まり、ピンク色の肉が盛り上がってほぼ塞がってしまっている。この様子なら縫合さえ必要ないだろう。

 束の目から見ても異常な治癒速度、これはもはや『再生』だ。

 

「ありえねぇ……ツバ塗ってほっときゃ治るような傷じゃなかったはずだ」

「いーくんの体内を循環してるナノマシンの仕業なんだろうけど、致命傷さえ高速修復するほどの性能を持つ代物なんて、そんじょそこらの凡人や組織が作り出せる訳がない。つーか今の私でさえ作れない。極端な話、その気になれば不老不死さえ実現し得る悪魔の芸術品だよ」

「不老……」

「不死、ねぇ……」

 

 あまりに現実味のない単語に、皆一様に微妙な顔。

 口にした束自身も唇がむず痒くなっているのだから、夢物語を吹聴しているような気分になる。

 

「いーくんを旅館(ここ)に運んだのは賢明な判断だったね、オーちゃん。下手にテキトーな病院なんかに担ぎ込んでたら、動けないいーくんを狙って害虫共がわんさかだったトコだよ」

 

 医者や看護師に化けて身柄を掻っ攫おうとするか、それともつまらない国家権力に物を言わせて正面から拘束しようとするか。

 どちらにしても、彼の意識がないと凡人連中に知られたら、今以上に面倒な事になる。

 

「とーにーかーく、初めに言った通り、いーくんの事に関しては私があーだーこーだと考えたって仕方がないって話だよ。ナノマシンでの治療の補助のために栄養剤でも点滴するのが精々だぁね」

「……分かった。ならこの馬鹿の事はお前に任せる」

 

 少しは安心したらしく、普段の落ち着いた雰囲気を取り戻した千冬はそう言うと、去り際に彼の顔をちらりと一瞥してから部屋を出て行った。

 叶うなら、彼が目を覚ますまで傍らにいたい事は表情からありありと読み取れたのだが、現場の最高責任者として、親友にはやるべき事が山積みになっている。

 

「あの、オータムさん、でしたか? 念のため、事情をお聞きしたいんですけど……」

「チッ……わーったよ。手短にしてくれよな」

「は、はい! それじゃあ向こうの部屋で――」

 

 眼鏡女も、聴取のためにオータムを連れ立って退室する。

 残されたのは彼と束だけ。

 

「……ごめんね、ちーちゃん」

 

 零れた謝罪の言葉は、何処へも届かずただ虚空へと消える。

 手早くドアを施錠し、今にも鼓動で破裂しそうな心に後押しされる形で、束は汗に塗れた衣服を次々に脱ぎ捨てていく。

 正直、もう限界だった。

 昨日の夜から昂ぶり続ける身体が、無防備な彼を見た事で完全にタガが外れてしまったのだ。

 

「いーくんが悪いんだからね? 私にあんな事するから……」

 

 生まれたままの姿で彼に馬乗りになる。

 抵抗はない。されるはずもない――想い人が意識不明なこの状況で、親友の弟が死にかけている状況だからこそ、命の危機に直面して性欲が増すように、異常な興奮と背徳感が束を狂わせる。

 バレたらどうなるかなんてもう考えられない。

 

「私が大切に守ってきたもの……貴方に差し上げます」

 

 かろうじて繋ぎ止めていた鎖を自ら断ち切って。

 束は己の欲望に身を任せた。

 




日に日に異常な暑さとなっております。
皆さんも十分お気をつけください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。