東方遺骸王 (ジェームズ・リッチマン)
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遺骸王の覚醒 始

 目を覚ますと、そこは見知らぬ暗闇の中だった。

 

 私の部屋は、ここまで暗くない。

 深夜であろうとも、アパートの安っぽい磨りガラスの向こうにある街灯のせいで、いつでも室内は薄っすらと明るいのだ。

 完全な暗闇があるとすれば、それは私のアパートのトイレの中か、冬に包まれる毛布の中だけである。

 

 だが、この暗闇はそのどちらとも違うらしい。

 私はここに二つの足で立っているし、両手はしきりに辺りの闇を掻き分けているが、何に触れる気配もない。

 

「はて」

 

 私は不思議さに声を漏らした。そして、その声に驚いた。

 

「なんだ、この声」

 

 声が、酷い。

 枯れてるだとか寝ぼけているだとかではない。経験したこともないほどに酷かった。

 その酷さのあまりに、自らの置かれている謎の闇空間の現状さえ一瞬忘れかけたほどである。

 

「おお……」

 

 声が、低い。二日跨ぎのカラオケの後に扇風機の前で“宇宙人ごっこ”を一日中やっても、ここまで低く、醜い声は出ないだろう。そのくらい、低かった。

 しかもその声が、ただ低いというばかりではなく、ゴワゴワとしている。痰が絡んでいるわけではないのだが、なんとなく粗い麻布で濾したかのような声である。

 

 ……私は、普通に仕事から帰って、普通に眠った。ただ、それだけのはずなのだが。

 

 ここまで異常事態が重なり続けると、私もそろそろ正気ではいられない。

 私はどうなってしまったのか? ここはどこなのか?

 

 求めるものは、辺りを照らす輝きと、自らを見つめるための鏡だ。

 私は状況が転ずることを願い、闇の中で一歩、足を進める。

 

 ひんやりとした……石の感触。

 うん? 石?

 

「アスファルト?」

 

 屋外? 足下は、冷たい。なら、ここは外なのか。少なくとも室内であるはずがない。

 じゃあ、どこ。

 こんなにも暗いのに。月も星もないのに。

 この闇は一体、何なのだ。

 

 明かりが欲しい。自らの置かれた状況を判断する明かりが、とにかく今、欲しい。

 

「何か、光を……」

 

 その時、私の身体が緩やかな“何か”の流れを感じ取った。

 それと共に、私の右手がぼんやりと白く輝き出す。

 

「えっ」

 

 右手が光った。比喩ではない。物理的に、まるでライブの時にぶんぶん振り上げるサイリウムのように、内側から輝いているのだ。

 

「えっ、何……」

 

 輝く右手。闇より暴かれる、私が置かれた状況と、私の身体の状況。

 

 妖しい光によって照らされた床は、平らな石材。

 そして、光源に最も近い私の身体は……まるでミイラのように皺くちゃで、水気無く干物のようにやせ細っていた。

 

「ウギャァアアアアア!」

 

 世にもおぞましい自分の肉体を見て、私は醜い声で大きな悲鳴を轟かせた。

 リアル志向のホラー映画でもなかなか聞けないようなデスボイスが、周囲の空間に響いて、大きく反響する。

 

「……こ、怖っ」

 

 その時、私は自らの悲鳴が身体の見てくれ以上に恐ろしかった事に冷静さを取り戻した。

 こんなことで我に返りたくはなかったが、あまりの恐ろしさにパニックさえ一瞬で鎮まるほどだったのだから仕方ない。

 

 しかし、参った。というよりも、一体何が起こったのかが更にわからなくなってきた。

 

「……」

 

 自らの輝く手を見る。

 そして、それを光源として、床や身体を照らしていく。

 

 身体は、ミイラだ。黒ずんで、ガリッガリで、局所を隠すようにボロ布が巻かれている。

 けれども、身体を確認するために関節を動かしていても、痛みは感じられない。どこかに不調があるでもなく、腹が減っているわけでもない。

 はっきり言えば異常だが、今は異常の飽和状態。それらに一々驚いてはしゃぐほど暇ではない。

 

 ひとまず身体がなんともないなら、後回しだ。次は、自分の置かれている場所を確認しなくては。

 

 

 

「……石の部屋、だな」

 

 輝く右手をかざしながら歩き回り、私のいる場所が密室であることが判明した。

 空間は、一辺五メートル程度の立方体の総石造り。

 灰色の石に継ぎ目はなく、大きな石の中身だけを繰り抜いたかのような、完全な空洞だった。

 どうやってこんな空間を作ったのか。いや、そもそもどうしてこんな完全な密室に私は存在しているのか。そもそもここから出られるのか。

 

 疑問は尽きないが、自らの身体がひとまず無事らしいことに安堵した私は、それらを先送りにした。

 

 わからないことに躍起にやったり、翻弄されても仕方ないのだ。

 やるべきは、わかることを確実に遂行し、わからないことを追い詰めてゆくことであろう。

 

「……ううむ」

 

 自分の右手を見る。

 光ってる。それは良い。とても都合がよろしいから。しかし、何故光っているのだろうか。

 

 そういえば、私は明かりを求めていた。それと同時に、この右手が輝いていたのではなかったか。

 とすると、これは私の都合の良い仮説であるが、私の右手は、私の意志によって輝いているのではないか。

 つまり、私がこの光を制御できるのではないか……。

 

「……消えろ」

 

 意思を持って小さく呟くと、その瞬間、私の右腕は電池を枯らしたかのように、すぐに消灯した。

 空間が一気に真の闇に包まれたので、自分で言っておいてものすごく焦る。

 

「か、輝け」

 

 再び呟くと、やはり想像通り、腕が発光した。

 どうやら、私の意志が光に関わっているというのは間違いないらしい。

 

 ということは、つまり。

 

「……左腕、輝け」

 

 更に言葉を重ね、左腕に呼びかける。

 するとこちらも予想通り、言葉のままに忠実に輝きだした。

 

 眩く光る私の両腕。すごく明るい。

 

「イェイイェイ」

 

 私はなんとなく、両腕を使ってアイドルのライブでサイリウムを振る熱狂的なファンの真似事を一分くらい続けた。

 当然、虚しくなったので二度とやらないことにした。

 

 

 



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 頭を冷やし、しばらく座り込んで冷静に考えたところで、おそらく数分が経過した。

 腕が光る。まぁ、それも良いだろう。この際そんな不可思議な現象にすら目を瞑ろう。重要なのは、そればかりでもない。

 

 私が気にしなければならないことを、一度よく整理する。

 不可解なことは多いものの、私の望むことはただ一つだ。

 生きること。

 生きていれば、それでいい。生きていられるならば、この際突っ込みどころしか存在しない今に、何も言わないでおこう。

 

 現状、何か苦痛を感じているわけでもない。飢えてもいないし、体感としては健常そのものである。

 枯れ果てた身体に、石造りの密室。そして、謎の光る腕。疑問は尽きないが、この時において重要なのは、もはや私が従来より持ち合わせている常識などではないだろう。

 もっと動物的な、生きたいと望む本能。その成就こそが、私の成すべき目標である。

 

 ……要は、混乱し過ぎで今なにするべきかわからないから、生きているならひとまず落ち着いても良いんじゃないってことである。

 

 

 

「しかし、出ないことには始まらない、か……」

 

 身体は動く。腹も減ってない。なら、今私がやるべきことは、この真四角の石空間からの脱出のみだろう。

 ここが一体どこなのか……東京湾に沈んだか、ピラミッドの中の未知なる空間に転移したのかは定かでないが、とにかく密室というのはそれだけでマズい。

 出ないことには、生きるもクソも無いのである。

 

「出口、出口……」

 

 石壁に手を這わせながら、出口を探る。

 この謎空間が脱出ゲーム的仕掛け満載の部屋であることに望みをかけ、とにかく壁伝いに手探りし、可能性を見つけるしか無い。

 

 壁を叩いて、音の違う場所を探してみたり。

 壁に手をかざし、風が吹いてきそうな隙間を探ってみたり。

 はたまた、微妙なひっかかりを押し込むことによって、どんでん返し的なギミックが発動するのを期待してみたり。

 

 

 

「駄目だ、なんて美しい立方体なんだ……」

 

 二十分後、私の心は折れ、硬い地面に突っ伏していた。

 駄目であった。壁も床も、紛うことなき完璧な、ただの石だったのだ。

 継ぎ目も何もあったものではない。ここは完全無欠、見事に普通の石部屋であるらしい。

 

「……なら、どうやって出れば良い……」

 

 ここまで数多くの謎を撒き散らかしておいて、出られないまま謎の密室死を迎えるなんて、冗談にしたってタチが悪い。

 訪れるのは窒息が先か、餓死が先か。いずれにしたって、一縷の希望も無い点で言えば、どこぞの立方体謎空間に閉じ込められる某映画以上の不幸待遇である。

 

「ああ……私はこのまま、死ぬのか……?」

 

 私は固い石床に寝っ転がり、床と同じ材質の天井を見上げた。

 

 思い起こされるのは、つい数時間前まで過ごしていたであろう、退屈でありながらもそこそこ充実した日常の日々。

 仕事をして、アパートに帰って、寝て……。

 それで……あと……そう、そんな感じの繰り返しの、充実の日々……。

 

 ……虚勢はやめよう。充実と呼べるほど、充実はしていなかった。

 至って退屈、ただそれだけの日々だった。

 

 けど、私はそれで良かったのだ。

 私は平穏であれば、多くを望まない。ただ、毎日呼吸を許されて、三食のご飯を食べて、それさえあれば、そんな灰色の毎日でも良かったのである。

 

 私が何か、罰が当たるような悪いことでもしただろうか。この前、自販機の隣の缶専用のリサイクルボックスにペットボトルをこっそり入れたのが神の逆鱗にでも触れてしまったのか。

 この圧迫された空間が、そういった細々とした罪の結晶なのだとしたら……私は、我々人間はあまりにも、理不尽な罰を背負わされてはいないだろうか。

 

「ああ、神よ……この世を統べる神よ……」

 

 私は仰向けに寝そべったまま、輝く両腕を天井に掲げる。

 やるべきことは、全て試した。壁も床も調べた。あとに残されているものと言えば、私には神頼みしか存在しなかったのである。

 

「神よ……どうか私に、手を……」

 

 私はキリスト教徒でも仏教徒でもない。一年のうちのいくつかのイベントに便乗するほどのどっちつかずでもない。

 神仏とはほとんど縁のない、科学的な人生を送ってきたものである。

 しかし人間、こうなってしまえば、手を合わせるなり、十字を切るなりするしかないだろう。

 調子が良い奴だと罵られても構わない。もしもこの状況から救ってくれる存在が世に実在するのだとすれば、私は神でも悪魔でも信仰し、赦しを請う他に術はないのだから。

 

「どうか……」

 

 私は醜い声で呻き、醜い細腕で、ただただ闇の中をもがいた。

 

 

 

 その時、私の手に、暖かなものが触れた。

 

「え……」

 

 私の手に、私の手以外の、暖かな何かが触れている。

 私は、瞼があるかどうかもわからない瞼を開き、再び天井に意識を向けた。

 

「……あ」

 

 そこには、私の腕と同じように淡く光り輝いた、一人の美しい少女が浮いていた。

 

 銀の長髪に、紅いローブ。

 背中より広がる、大きな六枚の黒い翼。

 

 顔立ちは幼く、少女と呼ぶに相応しい程に見えたが、彼女が全身から醸し出す神々しさを前にしては、“美少女”という俗な一言は浮かばなかった。

 

 私は少しの間を開けることも無く、心の奥深くで確信する。

 目の前に現れた彼女こそが、神なのだと。

 

 その神が私の手を取り、宙に浮かんでいる。

 

 神は、私の声に答え、現れてくれたのだ。

 

「……神よ」

「……はい」

 

 私が彼女に言葉を投げかけると、そう呼ばれた彼女は時間をかけながらも、確かに私の言葉を肯定し、反応した。

 その仕草は気品と慈愛に溢れ、神々しい。間違いない。やはり、彼女は神なのである。

 

「……私は、死んだのですか」

「……あなたが、死んだ……?」

 

 神が可愛らしく首を傾げる。

 

 うん? 私は死んだのではないのか。

 

「えっと、私は死んだ……?」

「いえ、あの……多分、死んでないと、思います……?」

 

 疑問を煮え切らない答えで返された。

 もっとこう、神様なら、毅然とした態度で……“そう、あなたは子供を助けようとして、トラックに跳ねられて死んだのです……”とか言うかと思ったのに。

 

 私の中で、更なる疑問が湧いて出る。

 

「ええっと、あなたは、神で間違いない?」

「は、はい、多分、この世界の神……で、間違いないはず、です」

 

 えっ、本当に神なのかなこの人。

 

 ……ちょっと、しんみりとした態度を改めよう。

 よく見たら私の手を取る彼女の表情は困惑とおどおどした弱気に満ちているし、威厳も何もありはしない。

 

 私はひとまず、その場から起き上がって、石の上で胡座をかいた。

 すると私の正面に浮いていた神、らしき少女も床の上に降り立ち、そっと床の上で正座する。

 

 胡座を組む私と、ちんみりと正座する神。

 私の中で、疑惑が確信に変わる。この子、多分私が思うような神じゃない。

 

「あの」

「はっ、はい」

 

 私が再び声をかけると、少女は緊張したような素振りで返事を返した。

 

「私は、死んでいない?」

「死……って、あの、おっしゃることの意味が、私には……」

「ええと……じゃあ言い方を変えて……私って、何か貴女の不手際とか、神さえ予期しなかった不幸か何かで死んだとかではない?」

「ふ、不手際? い、いえ、ごめんなさい、多分違うと思います。私、今ここに現れたばかりなので……」

「あ、そうなんですか」

「はい……」

 

 どうやら、私は死んだわけではないらしい。

 トンデモな可能性のひとつとして、以前ネットで読んだような、トラックに轢かれて別の世界に送られる、なんて物語を想像したんだけど……そうでもないようだ。

 

 ……しかし、そうなると?

 

「では、何故貴女……神は、私の目の前に?」

「え」

 

 私が少女に問うと、彼女はあからさまに困ったような表情を浮かべた。

 

「どうして、あなたの前に、って……だって、それはあなたが私を創ったからじゃ……?」

「えっ?」

「えっ」

 

 私と少女は、しばらく疑問しか浮かばない顔を見合わせた。

 

 



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「私は、あなたの願いから生まれました。あなたの持つ大いなる魔の力によって、全能の神としてここに顕現したのです」

「はあ」

 

 目の前の少女は、そんなことをのたまった。

 曰く、全能の神である少女は、私から生まれたのだと。それって私が神の生みの親みたいな言い方じゃあないだろうか。

 

「……納得していないようですね……?」

「うむ」

 

 私は間髪入れずに頷いた。

 コンビニに入ればちょっとした神様気分にはなるものだが、私の人生の中で神様の神様にまでなった経験はない。

 

「そもそも、私のこの力は一体……?」

 

 私は右手を軽く掲げ、発光させた。

 白くぼんやり輝く、不気味な枯れ腕。

 どうやら言葉が無くとも、頭で考えるだけで光るようではあるのだが……。

 

「それは、万能の力……原初の力ではないでしょうか」

「原初の力?」

「……自在に操作できていながら、ご存知ないのですか?」

 

 自在にって言われても、まぁ、そりゃあこうして光るけれども。

 

「あなたが望めば、この世界はあなたの思いのままに変容します。願いをこの世界に反映させる、最も偉大で、唯一無二の力。それが、あなたの持つ原初の力の正体です」

「望めば、思いのまま?」

「はい」

 

 いやに真剣な顔で、銀髪の少女は頷いた。

 

「……つまり、私が願ったものは、現実のものとなると?」

「はい。それが現実となるべきだと強く望めば、あなたの力の根源が尽きない限りは、思いのままに」

 

 やはり、真剣な顔。

 茶化すでもそそのかすでもない、それが普通の事なのだと言わんばかりの顔で、少女は言う。

 

 そんな風に言われては、私も歳を考えずにやってみたくなるではないか。

 ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから、なんて躊躇もしていられない。

 

「……ビールを我が手に!」

 

 私は欲望のままに叫び、右手を掲げた。

 すると、右手の光が少しだけ千切れ、宙に浮く。

 蛍のようにぽやりと揺らいだかと思えば、次の瞬間にはそれは、一個の缶ビールに変化していた。

 

 ただし、私の貧乏性が発現したためか、安っぽい第三のビールなのだが。

 

「……おお……」

 

 現れたビールを見上げ、少女はどこか感動したような声を漏らしている。

 かくいう私も、自分に発現した謎の力を目の当たりにして、少々興奮気味だ。第三のビールではあるけれども。

 

 缶を掴み、カショッ、と小気味いい音を立ててプルタブが傾く。

 昨日も飲んだそれを、私はどこか懐かしむような思いで、一気に口の中へと流し込んだ。

 

 共に、頬や顎や喉元から、シュワシュワと強い泡の音を立てながら、ビールが外側へとこぼれ落ちていく。

 ……そうだった。今の私の身体は、ミイラ。いくつもの穴や裂け目が開いているそこからビールが抜け出るのは、半ば必然であった。

 

 創造したビールを飲みながら体中で零す私と、それをどこか尊敬した眼差しで見つめる少女。

 この世界の異常性は、相変わらずの平常運行である。

 

「……残り、飲む?」

「あ、いただきます……」

 

 身体を突き抜ける爽快感と虚しさに耐え切れず、私は残り半分ほどの第三のビールを少女に明け渡した。

 少女は飲みかけを恭しい手つきで受け取ると、茶を嗜むような両手付きでそれを傾け、コクリコクリと飲み込んでゆく。

 

「……ぷぁあ、美味しいですね、コレ……」

「それは良かった」

 

 飲みかけ、第三のビールであるにも関わらず、少女の惚けた顔は、大層ご満悦のようであった。

 

 

 

 さて、缶も丁寧に潰し終え、私達は再び向き合っている。

 私は胡座をかき、少女は正座。少女はちょっとだけ赤らんだ顔でいるが、顔つきは真面目なものに整えられている。

 

「……石の密室よ、拡大せよ」

 

 私は右手を掲げ、命じるように唱えた。

 すると言葉に応えるようにして、四方と上側の壁が、ぐーんと遠ざかってゆく。

 

「なるほど」

「お分かりいただけましたか?」

「なんとなく」

 

 暗い密室は、どうやらかなり大きく広がったらしい。何十メートルも拡大したのだろうか。学校の体育館を思い出すような開放感である。

 

「この世界は、あなたによって生み出された世界……原初の力は、この世界を思いのままに変容できるわけですね」

「ふむふむ……広がって暗くなっちゃったか。床よ、ええと……ほんのちょっとだけ輝け」

 

 私が再び命じると、石の床は淡い光を帯びて、空間全体に仄かな可視性を与えた。

 見えるだけでも、心に湧く安心感は大きいものだ。やはり光は、偉大である。

 

「私もあなたの力によって生み出された存在。あなたが神という存在を願って、私をこの世に生み出した……なので私もまた、この世界を変容する術を知っています」

「ほうほう……空間よ、もっと、なんか、こう……すっごい広がれ」

 

 両手を掲げてそう命じれば、四方を囲っていた壁はどこまでもぐーんと遠ざかってゆき、見えなくなった。

 天井も同じように高く広がったようで、見上げてみても闇が広がるばかり。あまり空間を広げすぎると天井が支えきれずに崩落するのではないかと、今更に心配になってしまったが、私に発現した万能の力を思えば、それは杞憂に他ならないだろう。天井が崩れ落ちた所で、私のこの力で何とかしてしまえばいいのだから。

 

「あのぅ……」

「ちょっと空が寂しいな……天よ、ちょっとだけ光れ」

「あのっ、聞いてますか?」

「うわっ、なんか赤くなっちゃっ……え、何? ごめん、なんだっけ」

「もう……」

 

 私は、しばらく自分の力に溺れていたらしい。

 少女は拗ねたように頬を膨らませて、私を可愛らしく睨んでいる。

 

「だから、私もあなたのようにこの世を変える術を持っているのです」

「ほう」

「私はあなたのお手伝いをするためにやってきたんです」

「お手伝い」

 

 メイド。何故かそんな言葉が頭のなかに浮かんで、消える。

 少女がずずいと私の前に擦り寄って、むっとした顔を近づけてきた。

 

「お役目をください」

「や、役目」

「はい。私はあなたのお手伝いをするためにやってきたのですから。役目がなければ、私が生まれた意味がありません」

「……う、ううん……?」

 

 私は、おそらくこけているであろう頬を指で掻き、しばし悩んだ。

 

 役目。そんな大層なものを人に与えられるほど、私は仕事上の役職も徳も高くない。

 しかし、目の前の彼女はどうしても欲している。

 

 ……うん。

 今の私は、とにかく不可思議な状態ではあるけれども、言い知れない全能感に満ちてはいる。

 それなりに力があるのであれば、それなりの責任もあるのだろう。

 責任があるならば、大人としてしっかり果たさなければなるまい。

 

「では、まず……」

「はい」

「私の相談役になってくれないかな」

「……はあ、わかりました」

 

 少女よ。なんだか釈然としていないような顔をしているけれど、私にとってはこれが急務であり、唯一求めていることでもあるんだよ。

 

 



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「元の世界に、帰りたい……?」

「ああ、そうだ」

 

 私は両手を振り、二人の間に丸テーブルを作り出す。

 同時に二つの椅子を生み出すと、少女はごく自然な動作で、そこに腰掛けた。

 やっぱり地べたに直接というのは、良くないから。

 

「私は、ここではない別の所からやってきたんだ。気がつけば、石で囲まれた、さみしげなここにいて……しかし私が元いた場所は、もっと……豊かな場所だった」

「豊かな……」

「そう。豊かな」

 

 何も無いテーブルは、寂しい。

 私は望むままに、そこにワインボトルと、二つのゴブレットを並べてゆく。

 

「……豊かな世界だった」

 

 私のアパートの一室が思い浮かばれる。

 殺風景だけど、色々な安酒や、菓子類や、漫画や雑誌に囲まれた、豊かな世界。

 部屋は狭く、街灯も窓のすぐ側で、夜眠るときは眩しくてたまらないけれども、仕事へ出かける時に通りかかる公園の僅かな緑は、私の心を癒してくれる。

 狭い世界だ。けれど、そんな世界こそが、私にとっては何より大切なもので間違いない。

 私はそこへ、帰りたい。

 

「……それは、外界の事でしょうか」

 

 私が出したゴブレットにワインを注ぎながら、少女が呟いた。

 

「外界?」

「はい。外界です。空には巨大な輝く星が浮かび、大地には豊かな水が広がる……そんな光景が広がっているようです」

「いるようです?」

「私は知識があるのみで、実際に見たことはありませんから」

「なるほど……」

 

 少女がゴブレットのひとつを私に差し出した。

 私はそれを受け取ると、唇に注ぎ、喉にかけてボタボタと零す。

 

 ……しかし、彼女の言う言葉を信じるなら、きっとそれは私の元いた世界……地球に間違いないだろう。

 太陽が浮かび、海がある。例えのスケールは大きすぎるものの、石で囲まれ、空と大地がぼんやりと光っているようなこんな場所よりは、ずっとマトモな世界だ。

 

 私が存在するべき豊かな世界は、きっとそこに……外界にあるに違いない。

 

「ですが、外界はあなたの存在するこことは違います」

「違う?」

「はい。そこはこことは違うので……あなたの原初の力が、果たして通じるかどうか……」

「……ふむ」

 

 考え込みながら、手元に雪のマークの六分割チーズを生み出す。

 少女が“それは何ですか?”と聞くので、そのままチーズと答え、渡してあげた。

 

「まぁこの便利な力が使えないのは残念だけど……それでも外界は、私のいるべき場所なんだと思う」

「……そうまでして、ここを離れたいのですね」

 

 チーズとゴブレットを両手に持った少女は、ご満悦ながらもどこか、淋しげだった。

 

「うん、私の居場所は、ここではないから」

「……わかりました」

 

 少女は椅子から立ち上がり、私の側に歩み寄った。

 その動きに戸惑ったけれど、少女は自然な動作で、私の醜い肩に手を触れる。

 

「……この世界は、あなたの思うがままです。外界へ繋がる扉は、あなたの思うまま、自由に生み出すことができるでしょう」

「そうなのか」

「ええ、原初の力は、強大ですから」

 

 言いながら、少女は片手を闇へ伸ばし、指で空間を弾いた。

 空間は水のように波紋を作って歪み、渦を巻き、薄い白色に濁ってゆく。

 次第に渦が目にも見えないほどに細かくなってゆくと、そこにはぼんやりと霧がかかったような、大きな姿見ほどのものへと変化していた。

 

「これが外界へと繋がる扉です。どこに繋がっているのかはわかりませんが……あなたの求める場所は、この前にあることでしょう」

「……ここを通れば、地球に戻れる」

「地球? ……はい、きっとそうです」

 

 私は椅子から立ち上がり、少女と肩を並べるようにして、白い靄の扉に向かい合った。

 扉の先は、全く見えない。けど、私にはその白い靄が、天高く広がる青空に浮かぶ、清浄な白い雲のようにも見えた。

 

「私はあなたによって生み出された神。あなたが外界へゆくことを望むのであれば、引き止めることはできません」

「……教えてくれてありがとう。すごく、助かったよ」

「いえ、それが私の役目ですから」

 

 少女は朗らかに微笑んだ。

 

「じゃあ、早速だけど……私はここから、すぐに出かけるよ」

「はい。どうか、御達者で……」

「この世界は、私にはよくわからないけど……ここの管理も、貴女に任せるよ。神様っていうのも、本当みたいだから」

「お任せください。あなたがいつか戻るまで、この世界を……そうですね、私なりに、豊かな世界にしてみせます」

「おお……戻るかどうかは別として、それは楽しみだ」

「ふふっ」

 

 私が戻るということは、つまり元のアパートに戻るということだ。

 わざわざここに帰るということもありえないだろうけど、少女がひとつの世界を創造するという言葉には、どこか頼もしさを感じてしまった。

 

「では……ええと、名前は……」

 

 最期の別れを告げる寸前で、私は重大なことに思い当たった。

 そういえば私はまだ、彼女の名前を知らないのだ。

 

「名前は、まだありません。名も無き、あなたの生み出したる、新たな神ですから」

「……名無しか」

「私は、そうおっしゃるあなたの名前も存じませんけど……」

「あ、そうだ。確かに」

 

 別れの時まで名前も知らないというのでは、ちょっと不便だ。

 短い出会いと別れにしたって、私の人生では衝撃的な瞬間であったことには違いない。

 その相手に名前が通っていないのでは、どうにも悲しいものである。

 

「では、貴女の名前……生みの親ということで、私がつけても良いだろうか」

「! お、お願いします! 是非!」

 

 私が名付けを提案すると、少女は食い気味に喜んだ。

 かなり嬉しそうである。

 

「……新しい神……綺麗な神……ふむ、新しい、綺麗な……」

「綺麗……私が……うふふ……」

「うん、決めた。ちょっと安直かもしれないけど……神綺(しんき)神綺(しんき)って名前は、どうかな」

神綺(しんき)……」

「あ、ごめん、嫌なら別のもの考えるよ、何とかエルとかそういうちゃんとしたっぽい……」

「い、いえ! 神綺(しんき)……良い名前です!」

 

 私がシンキエルとかタクマシエルそういう名前を新たに考えていると、第一候補が思いの外良かったのか、少女は目を輝かせて飛び跳ねた。

 神綺(しんき)。どうやらそれで、彼女の名前は決まったようだ。

 

「それで、あなたのお名前は?」

「私の名前」

「はい、どうかお聞かせください」

 

 少女、神綺(しんき)の言葉に、私は首を傾げる。

 名前。名前といえば、平凡な私の名前があるけれども。

 あいにくと私は、自分の名前に対してはそれほどの自信や、良い感情を持っていない。

 だから私は、良く聞いていたアーティストの名を借りて、この場で格好つけて名乗ることに決めた。

 

「ライオネル、それが、私の名前」

「ライオネル……」

 

 言ってて恥ずかしくなり、復唱されてさらに恥ずかしくなった。

 でも、私の生みの親が付けた罪深い当て字の名前を名乗るくらいであれば、こちらの方がよほどマトモである。少なくとも、神様の前で名乗る分には。

 

「ライオネル、どうか外界でも、お元気で」

「うん、神綺(しんき)も、元気で」

 

 今さっき決めたばかりの名前と、今さっき思いついたばかりの名前を呼び合って、私達はそれを別れの言葉とした。

 

 私は神綺(しんき)に振り返ることもなく、白い靄の扉に向かい、進んでゆく。

 これで、元の地球に帰れる。これで、私の日常が、きっと返ってくる。

 

 そう信じて、私は白い扉を一気にくぐり抜けた。

 

 

 

 まぶしい太陽の光と、青い空が広がっている。

 

 土の地面。すぐ目の前にある、綺麗な浅い海。

 どこの田舎かはわからないけれど、私は確かに、地球のどこかに戻れたようだ。

 

「……」

 

 戻れたらしい。それは、確信できた。

 だってここには太陽もあるし、青空に雲も浮かんでいる。それに波打つ海もあれば、疑いようはない。

 海の中に見覚えのあるものが漂っていることからも、外界への移動は成功であったと信じざるを得ない。

 

 けど、ひとつ不満があるとするならば……。

 

「……確かに、地球だけども……」

 

 なぜこの透き通った綺麗な海には、カブトガニのような生物や、アノマロカリスっぽい巨大エビ生物が泳いでいるのだろうか。

 

「なんてこったい……」

 

 私は頭痛と目眩を覚え、その場に崩れ落ちた。

 

 



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 青い空、白い雲。透き通った海。

 それに海の家だとか、灯台だとか、テトラポットだとかがあれば最も良かったのに。

 

 私の目の前の海に泳いでいるのは、アノマロカリス。

 アノマロカリス……で、ある。

 

 見た目は、エビに近いだろう。学名の由来は、奇妙なエビからきているらしく、その名の通り、まさに奇妙な見た目をしている。

 ニュアンスで表現するならば、一メートル近い巨大フナムシの頭に二つのフックがついているような生き物だと思っていただければ良いだろう。

 詳しいことは知らないが、アノマロカリスは海の王者であり、その世界の食物連鎖の頂点に立っていたのだそうだ。

 

 エビ。しかし、世界最強の肉食生物。

 何故私がこんなことを知っているかと言うと、答えは簡単だ。

 

「古代にも、ほどがあるだろう……」

 

 今は、古代だ。

 おそらく、何万年も、何十万年も……下手すれば、何億年も昔の地球である。

 

 人間がいないというどころではない。そもそもこの時代では、類人猿どころか、地上に上がった生物すらいないのではないだろうか。

 恐竜よりもずっと前、海の生物が大繁栄していた……寒ブリ……カンブリア紀?

 そんな感じの時代だったはずである。

 

「……ビールよ、この手に現れろ」

 

 試しに意志をもって唱えてみるが、手の中には何も生まれない。

 

「光れ」

 

 慣れた命令に変えてみても、変化はなし。

 あの世界で体感するような、右手に何かが流れてゆくような感覚は、表れない。

 ただ私の言葉がぽつりと響くばかりの、虚しさだけが込み上げてくる。

 

 私は、あの世界での不思議な……原初の力を失った。

 そんな私が、外界に……この地球の、“超古代”にやってきてしまった。

 

「……ええと、扉よ、開け」

 

 恥も外聞も捨てて、とんぼ返りする願いを唱えてみる。

 しかし、扉は表れない。あの暗闇の世界への道は、開かない。

 

 誰とも会えない

 神綺とも会えない。

 思い浮かんだ恐ろしい結論は、私の背筋を登って、脳を揺らす。

 

「う、ウギャァアアアアア!」

 

 おそらく今日二度目の、ホラーな絶叫が響き渡った。

 この地球上で人間が轟かせる、記念すべき最初の悲鳴である。

 

 ……少しもめでたくないわ!

 

 

 

 私は、歩いている。

 

 荒涼とした大地。謎の海藻。謎の海洋生物。

 しばらく彷徨って目についた生命は、あらゆる言葉を用いても表現のし難い、異形のそれらのみ。

 日は規則的に沈み、規則的に登る。遮蔽物のほとんどない世界で、昼間の太陽は煌々と輝き、夜は都会では見られないような満点の星空が、天いっぱいに広がる。

 

 これが一日なら、何にも代えがたい素晴らしい経験であるし、私としても大歓迎したい貴重な探検ツアーである。

 しかし、おそらく残りの一生を、何者もいないこの世界で過ごせと言われた日には、もう……なんか、もう……である。

 

 想像してみてほしい。この地球上での知り合いが、アノマロカリス(推定)とカブトガニ(推定)だけなのだ。名前を知っている種族は、その二つのみ。他は奇妙奇天烈、名も知らぬ奇形生物達である。

 これで孤独に苛まれない人間がいたとすれば、それはもう、すごい人であろう。

 

 こんなことになるならば、数億年過ごした後に百万円でも貰わなければ最低限の割にも合わない。

 私は一体、どうしたらいいのだろう……。

 

「……なんだか、嫌になっちゃったなぁ……」

 

 私は、赤っぽい土に身を転げ、暫くの間、そこで眠りこけた。

 

 

 

 それから、朝が訪れた。遮蔽物のほとんどない世界では、太陽の位置による時間の推測がしやすい。クッソどうでも良い発見である。

 おそらく、二日だ。この超古代、カンブリア紀の地球にやってきてから、二日が経過した。

 カンブリア紀とかいうわけのわからない時代である。二日など、たった二日でしかない。

 

 だが、重要なのは、二日ぽっちの経過などではない。

 私は、面白いことに気がついたのだ。

 

「……腹が、減っていない」

 

 空腹感を、微塵も感じない。

 ビールのせいでも、ワインのせいでも、チーズのせいでもないだろう。

 今の私は、満腹感とか、飢餓感とか、そういったものからは逸脱した状態にあるらしい。

 普通なら水でも飲まなければ死んでしまうような状態なのだろうけど、私はこうして生きている。

 

 餓死がない。それは、私にある一つの希望と不安を想起させた。

 

「不老不死?」

 

 水面に見た自分の姿を知っている。

 ミイラのようにやせ細り、黒ずんだ死体。エジプト系ゾンビ映画だったら出番がありそうな、そんな姿だ。

 およそ、生きている、という考えからはかけ離れた外観である。食に困らないということもあるし、ならば、老化ということからも、おそらく無縁なのではないだろうか。

 

 彷徨っている間には日射病もならなかったし、脱水症状も起こさなかった。

 熱にも渇きにも耐えた。つまりは、まさにミイラのような不老である。

 

「……私は死なない。死なないなら、希望はありそうだ」

 

 途方も無い話になりそうだ。

 しかし、死という絶望的な終わりさえなければ、私にはまだ未来がある。

 

 未来に平穏と安息があるならば、私はそのために生きてみよう。

 

「さて……どうしたものか」

 

 私は立ち上がり、再び歩き始めた。

 ここがどこかもわからない。というか、地名がない。そもそも、この世界の地図は、未来の現代に通用するものかどうかが定かでない。

 

 それでも、ここではない落ち着ける場所を探すべく、私はあてどもない旅に赴いた。

 

 

 



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 一人きりの古代の世界を、ただひたすらに彷徨い歩く。

 

 何日も、何ヶ月も、何年も。

 不死者の旅は、基本的に暇である。

 

 しかしその日に必要な食に困らないというのはありがたいことで、自らの境遇に辛さを感じたことはない。

 雨の激しい日も多いけれど、私の体は見た目以上に頑丈らしく、ちょっとスコールを被った程度ではびくともしなかったし、その後に風邪を引くこともなかった。

 一日、一日を、己のやりたいことに注ぎ込むことができたのだ。

 

 たまに海の中の生物を長い棒状の物で突き殺しては、その中身を観察してみたり。

 適当に巨大な貝っぽいやつらを乱獲しては、アクセサリーを作ってみたり。そんな狩猟の生活も、なかなかに充実したものである。

 特に食いたいとも思わないが、なんとなく食べてみて、味を確かめたり。

 なんとなく巨大生物に水中戦を挑んで、思いの外高い機動力に返り討ちにあってみたり。

 その時に、どうやら私の体は健康面での頑丈だけでなく、物理的にも頑丈らしいことが判明した。

 水中に引きずりこまれて数時間の格闘戦に発展したものの、私が掴み取った成果はそれなりのものだった。何せ、滅多なことでは死なないとわかったのだから。

 

 

 

 月日が流れる度に、私は新たな発見をし、発明をしてゆく。

 

 月の満ち欠けに、かつての変わらぬ風流を感じたり、満点の星空に浮かぶ星座に、広大な世界の目印を見つけたり。

 

 何年も何年も、私はこのだだっ広い箱庭の中で、旅を続けた。

 

 

 

 やがて私は、自らの身体が何ヶ月も水中にあったところで朽ちることがないことを知り。

 

 雷に打たれてもびくともしないことに驚き。

 

 日々の経過を、月の満ち欠けで判断するようになり。

 

 やがて、現代以上にこのカンブリア紀に関する事の方が詳しくなったんじゃないかなぁ、と思い始める頃になって、私は満月の夜、ある一つの、重大なことに気がついた。

 

「……これは」

 

 既に二百年ほど経つ頃になるだろう。

 つまり、およそ二千四百回目に訪れた満月の夜になって、私は自身の体に現れた兆候に、初めて気付いたのだ。

 

「……原初の、力……?」

 

 私には、オーラだとか気だとかは目視できない。

 だが、私は自分の腕からゆらりと迸る“何か”を、なんとなく感じ取ることができた。

 

 かつて、神綺と共にいた頃に使いこなしていた原初の力。

 それとよく似た力の流れを、今日の私は感じているのだ。

 

「満月が関わっているのか、それとも、私の力が戻っているのか……」

 

 ものは試しと“光れ”と腕に命じてみるが、光らない。

 しかし力は意志に反応し、少しだけ動いたようには見えた。

 

 原初の力ほど有効なものではない。しかし、それとよく似た力ではあるようだ。

 

「ふむ……これは、少し勉強してみる価値があるかもしれないな」

 

 その夜、私は自身の体を取り巻く不可視の力の研究に没頭することとなった。

 

 なあに、時間はたっぷりあるのだ。

 丁度、古代世界の観光にも飽きが回ってきたところである。これからしばらく、私の知らない分野に手を出してみるのも悪くはないだろう。

 

 あわよくば、この力を利用することで、神綺のいたあの世界に戻ることも可能かもしれないのだ。

 久しぶりに会って、人との会話に勤しむというのも悪くない考えである。

 

 ……ん? ああ、人じゃなくて神様か。

 

 

 

 そんなこんなで、私の“力”の研究は始まった。

 研究の初期段階はとにかく、私の力に意識を向けて反応を伺う事と、経過を観察することに集約される。

 場当たり的、体当たり的、総当り的……とにかく地味な作業と、モニタリングの繰り返しだ。

 

 やっていることは実に地味なもので、大抵の場合、ただ発見したことをつらつらと並べては、その中での共通性を見出し、精密な結論を求めてゆくのである。

 地道な作業のために、私のこの研究は膨大な時間を要することとなった。

 

 見つけたことといえば、力のひとつとして“月”や天体が関わっていることであろうか。

 特に初期から発見できた変調として、私が観測する“力”は月の満ち欠けによって左右されるらしいことが判明している。

 それからは、月や天体などの運行にもこの“力”の動きや大きさは変化していることも芋づる式にわかったので、以降は空を頼りにすることも多くなった。

 また、朝よりも夜、そして、曇りよりも晴れの方が、純粋な“力”の満ち欠けは顕著であることもわかった。

 金星や火星の輝きも無縁ではなく、それらとの共通性も見い出せたし、またそれらは月とはまた別種の力であるようにも感じられた。

 

 とにかく、そんな事を繰り返すのである。

 月と、星と、太陽と、空と……。

 そして、私の周囲に存在する地面や、海や、風や、時々見かける炎などにも、似て非なる力の片鱗を見い出してゆく。

 

 みつけては、まとめ。

 みつけては、まとめ。

 

 繰り返し、繰り返し……何年も何年も、それを繰り返し……。

 

 

 

「……手よ、輝け」

 

 そして私は、おそらく数万年程度の歳月をかけて、この力を手にするまでに至るのであった。

 

 天体、主に月の満ち欠けによって左右される部分の多いこの力の操舵法を、私は“月魔術”と呼称することにした。

 魔術という呼び名はオカルトチックではあるが、よくわからないのだから、“魔”という文字を当てるのは間違いでもないだろう。

 

 この世界には他にも様々な力の運用法があるものの、ひとまず月の力こそが最も大きく扱いやすかったので、月魔術を真っ先に習得するに至ったわけである。

 

「このまま、続けてみようか」

 

 力の動かし方は、なんとなく判明した。

 ならば後は、発展させてゆくばかりである。

 

 



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 月魔術を習得してから、また随分と時間が経った。

 月魔術の使用感はなかなか良いもので、不便はほとんど感じられない。

 

 効果の分類は多岐に渡り、衝撃や時間の経過、固着する呪いなど、様々だ。

 使えば使うほどに、新たな利用法が頭に浮かんでくるほど利便性がある。

 

 私が生み出した月魔術をいくつか紹介しよう。

 

 まずは基礎的な、光を生み出して辺りを照らす、“月の発光”。

 体の一部を光らせるだけの極々単純なものであり、魔法に分類していいものか疑問ではあるが、結構役に立っている。

 

 次に生み出したのが“月の蛍”で、これは“月の発光”を遠くに飛ばし、操る魔法である。効果はそのまま。単純なのでこちらの体得も容易であった。

 

 そして、次にはいちいち天体を確認しながら時間を測るのが面倒になっていたので、擬似的に今現在の天体を宙に映し出す“月時計”を、明かりの後すぐに発明した。

 月の魔術は時間、天体の運行に大きく関わるものなので、現在の天体を感知して形を変える魔法を生み出すのは、意外と簡単であった。

 発動すると、自分の頭上に簡略化された天体図が広がるので、そこそこわかりやすく、重宝している。

 

 また、月魔術は物や生物に固着する性質も持っているので、それを利用した呪いの開発も大いに捗った。

 呪いといっても、魔法の効果を持続させるだけのものであるので、単純に恨んで相手をコロリと始末するようなものとは、少し違う。

 私の利用法も、目印になりそうな大岩などに“月時計”を呪いとして固着化させるといった単純なものが多いので、危険性は微塵も存在しない。

 ただ、魔力を扱ったのが私であるためか、私がそこへ近づかなければ天体図が浮かばないというのが、唯一の難点であろうか。それと、夜でなければ光が薄すぎて全然見えない。

 

 ああ、それと同じく、呪いの性質を利用した“月の標”という魔術も開発したのだ。

 これは“月時計”の呪いから天体観測の機能を取り払い、ただその場で発光するだけ……というような、非常に地味な魔術である。

 ただしこの魔術は、近くに私がいなくとも光るように設定されており、月の鮮明な夜には、遠目からでもわかるほどの輝きでもって、呪いある場所にホログラムのような像を浮かび上がらせる。

 浮かび上がるのは、輝く頭蓋骨の像。実に不気味であるが、道標なので“これ作ったの私だからね”という主張は、あっても構わないだろう。

 どうせあと何億年も、この地球上でその不気味さを知覚できる者はいないのだから。

 

 

 

 もちろん、こういった生活や魔術研究の補助以外にも様々な魔法を開発したのだが、どうでもいいものから説明の難しいものまで沢山あるので、紹介はここまでとしておこう。

 長い間、本当に色々あったのだ。

 

 

 

 

 

「クラゲっぽい生物、とったどー」

 

 数十分の海中遊泳の後、海面に顔を突き出し、捕獲した獲物を高く掲げ上げる。

 透明なクラゲである。いや、クラゲ……っぽいような、何かである。詳しくはわからない。少なくとも形がクラゲではない。

 

 そのまま海岸を上がり、地上へ出る。カラッカラの体のあちこちに空いた穴や切れ目から、海水が滝のように落ちてゆく。

 ちなみに、長時間水中に潜っていても一切ふやけない体なので、全く気にする必要はない。

 

 ここ最近は、月魔術の研究は休憩中であり、別の方向に手を出し始めている。

 といっても、それはクラゲの酢漬けだとか、アノマロカリスの塩焼きといった創作料理などではなく、れっきとした魔術の研究だ。

 

 生物の組織や、海藻(珊瑚?)の一部を用いて、エネルギーや不可視の力の方向性、量を調整する魔術。

 生贄を用いてより効果的に魔力を運用する術法……。

 

 私はこの魔術を、ひとまずは仮として、触媒魔術と呼称している。

 

 用いる生物や海藻の種類、部位によって異なる結果が表れるため、最近の私はこちらの研究に没頭しているのだ。

 月魔術の研究を突き詰めていくのも悪くはないが、月からもたらされるエネルギーの他にも、自然界に漂う不可視のエネルギーの正体を究明することも必要なように感じられたので、こちらに比重を傾けることとしたのだ。

 

 だが、自然界のエネルギーとはいっても、それは単純な火力や水力とは違う、静かで、もっと小さなものだ。

 非常に解りづらく、扱い方も未だ定かでない力の流れ。

 それをどうにかして補足するために、私はこうして、様々な生物を研究材料としているのであった。

 

「さて、早速このクラゲを煮詰めてみようか」

 

 魔術の研究は体当たりが基本。

 何事も経験であり、それが答えを導く基礎の一粒となる。

 

 ……と、私は信じて、ここまでやってきている。

 なに、時間は畳の目を数え続けても足りないくらい、沢山あるのだ。

 少しも焦る必要はない。ひとまずは、神綺の存在するあの空間に扉を繋ぐべく、努力を続けていこうじゃないか。

 

 

 

 

 

 触媒魔術と、それによって導き出せるであろう環境による魔術……これを、属性魔術と名付けよう。

 それらの研究を続けて、何千年か何万年か経過した頃の事である。

 

 今日もまた環境に存在する、色の定かでない力を解明するためがんばるぞい、と意気込んだところで、私は海を歩いていた際に、不思議な事に気がついた。

 

「うん……? ここは確か、もっと陸が続いていたはずだけど」

 

 最後に訪れたのがいつかは、私も覚えていない。いや、ここに来た経験は確かにあるのだが、時間までは覚えようともしていなかっただけだ。

 この地形には見覚えがある。この体のせいなのか、私は非常に物覚えが良い。魔術などに関することであれば、どんな些細な物事でも全て覚えているくらいには、様々なことを記憶している。

 

 そんな私の脳が今、違和感を覚えている。

 それはこうして長い長い旅を続けて久しいことであり、興味深いことでもあった。

 

 消えた陸。陸が、消えた。それはきっと、間違いないことなのである。

 しかし氷山でもあるまいし、陸が一斉に崩れてドボドボと海中に沈んだ、なんてことはないだろう。

 水位は年々上がりつつあるとはいえ、ひとつの陸が消えるほどの影響力を持つなどとは考え難い。

 

「……こんな現象は、初めてだなぁ」

 

 私は疑問に思いながらも、それをどうこうできるわけでもなかったので、モヤモヤとした思いを抱えたまま、仕方なくクラゲ漁に赴くのであった。

 

 

 

 あ、ちなみに最近、久々に海中で名前を知ってる生き物を見つけたよ。

 ハルキゲニアとかいう、もう見た目よくわかんないやつ。だからなんだって感じだけど。

 

 

 



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 どうやら、私の思う以上にこの世界は、大変なことになっているようだ。

 

 ある日、私が菌類を培養して煮詰めていた頃の話である。

 この時点で私は既に属性魔術の片鱗を理解し始めていたのだが、そんな研究に熱を注ぎ込んでいる間に、事件は起きた。

 

 私はこの超古代の時代、地球上に存在する知的生命体は、この私一人だけだと考えていた。

 考えていたのだが、実はどうも、そうではなかったらしい。

 

 そして、それが類人猿だか爬虫人類などであれば説明も簡単で、納得もでき、大した危機感も抱かず、むしろこちらから歓迎したいくらいの微笑ましさは持ちあわせていられたのであるが、どうにもこの地球にいる私以外の知性というものは……難しいようなのだ。

 

 見たことを、見たままに吐露する他に、私が現状を説明する術はないだろう。

 なので端的に言ってしまおう。この世界には、“神が存在する”のだと。

 

 

 

 実を言うと、私は神という存在を、もう少し特別なものだと考えていた。

 もっと神秘的で、もっと天高く、もっと光輝き、神々しい……。

 

 だが私が“望遠”の月魔法で偶然見つけた“そいつ”は、確かに背中に白い羽衣のようなものを靡かせてはいたのだが、宙に浮かび何か道具を持っているという以外にはこれといって変な部分などは、全くと言っていいほど存在しなかった。

 言うなれば、宙に浮いたおばさんである。美しいと言えば美しいのかもしれないが、まぁ、それなりといった程度のものであった。

 

 ただ、やること自体はそれなりに高度らしく、天から舞い降りた女の神らしきそいつは、道具を振って大地をベキリと砕いては、それを海の遠くへと流したり、海の中から新たな大地を隆起させたりといった、そこそこ難しいことをやってのけている。

 とはいえ、それも私にとっては、“力を用いれば不可能ではない”ことであり、先達の技を見る以上の感嘆は持ち得なかった。ガッカリ神様である。

 

 しかしまぁ、神はいた。

 私が最初にいた神綺の世界だけではない。神とは、もっと普遍的な存在だったのである。

 

 きっと、ああいった神とは会話もできるのだろう。それは、私の抱くひとつの孤独を解消してくれるのかもしれない。

 だが私は神でもないし、ただの醜い、動く遺骸である。

 そんな私が神の前に現れたところで、“控えよ、汚れた者め”とか言ってものすごく眩しい光を照射してきて、たちまち私が崩れ去ってしまう、なんていう事になってしまうかもしれない。それでは大変だ。

 

 ……考えてみれば、大昔、人がまだ存在しなかった時代には、神々が争っていたり、暮らしていたりしたのだという。

 ともすれば、それは激動の世の中だ。もしも私が神に見つかってしまえば、私が現状のまま術の研究を続けられる保証などは、どこにもない。

 

 私の今の生きがいは、術の研究だ。

 術を研究し、もう一度神綺に会うことが、当面の目標だ。

 そしていつか、安心して眠れる豊かな場所を取り戻すことこそが、最終目標である。

 

 神聖なる神々の戦争とて、巻き込まれて死んだのでは、たまったものではない。

 

「穏やかにはいかないのかもしれんな」

 

 私は菌類を煮詰めた結晶体を革袋(海洋生物由来)に放り込み、再び旅へと赴くことにした。

 まぁ、基本は誰とも遭遇しない、過疎の世界だ。

 あまり警戒心を強める必要もないのかもしれないが。

 

 

 

 さて、属性魔術の話をしよう。

 私はこの属性魔術というものを体得するにあたって、自分の中に巡る力や、月の力、そして自然の力など、様々な力の流れを見てきたが、どれも一貫して言えるのは、それらが“魔力”だということである。

 あらゆるエネルギーは、突き詰めれば魔力。それが私が考え至った、仮の結論だ。

 もちろん、私の内に巡る力は原初の力というもので、ただの魔力と呼ぶには高品質すぎるのではあるが、それでも運用に際しては、大した違いは持たないと言える。

 そもそも外界では、私の持つ原初の力を運用できないのだ。自在に扱える魔力の方が、遥かに重要なエネルギーだと言えるだろう。

 

 属性はいくつかの種類があり、分類できる。

 火、水、風、土、というのもあれば、木、火、土、金、水、という考え方もできる。

 おそらく、後者の五行の方が正確であるように感じられた。

 

 何故私がこうした属性を割り出せたかと言うと、触媒魔術の研究によって生み出された属性が全部でこういった四、五種類の反応に大別できるからである。

 土と金があったりなかったりするのは、私には土と金の区別が微妙であるように感じられたからで、深い意味は無い。

 もしもこの五属性の中に強引に他のものを加えるとするならば、月魔術の月属性になるのだろうか。曜日が揃うので見た目はいい感じだけど、根源がどうにも別物である感じが強いので、私としては属性と月はしっかり分けたいところである。

 

 ともあれ、私は属性魔術を体得した。

 属性の魔術が扱えるようになったことで、私の研究効率や生活水準は飛躍的に上昇したと言えるだろう。

 しばらくの間は様々な魔術を生み出して我がものとし、行き詰まりを感じたら、また新たな分野に手を出すなりしてみたいと思う。

 

 ……しかし、神綺との再会か。

 果たして私は、あの空間に戻れるのだろうか。

 ここまで魔術を研究しても、糸口がなかなか見えてこないので、段々と不安になってしまう。

 

 

 

 



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 私が地球にやってきてから、果たして何年経ったのだろうか。

 天体の運行をつぶさに観察しているとはいえ、認識する者が私だけというのは、あまりにも心細い。

 

 体感でいえば、およそ……二十万年程度だろう。

 二十万年。人の身からすれば、途方もない時間の流れである。ところが今の私は人ではない。とても頑丈なミイラである。

 食に不自由せず、いちいち些末なことで怯える必要もない。他者もおらず、気を遣う必要などはないし、風景はそこそこ綺麗なので、飽きることはない。

 二十万年も孤独に、といえばやけに寂しく聞こえるが、人間、二十万年でも生きてみれば、なかなか面白い発見をするものである。私にとっては、それが魔術の研究だ。

 

「しかし、そろそろ触媒魔術にも限界が見えてきたな」

 

 私は青い炎を灯すかまどの前で、グツグツと煮えたぎる石窯を覗きこむ。

 中で粘度高く煮詰まるそれは、ハルキゲニアの組織液と、マルトゲムシ(仮称)の刺胞のスープである。

 

 ……触媒魔法には世話になった。

 有意義であったし、おかげで属性魔術を独力で扱う足がかりにもなった。

 実用性はある。現状でも、大魔術を発動させる際には世話になることも多い。

 

 しかし、供給源が不安定な魔術に依存するのは非常に危険だという結論を、つい最近になってようやく、私は打ち出した。

 

 使える魔術の研究を、なぜ止めるのか。

 

 ……だって、材料に使う生き物って、後々絶滅するんだもの。

 

「いくら強力でも、期間限定じゃなぁ」

 

 煮詰まったスープを石匙で掬い上げ、とろみを確認する。うむ。めかぶみたい。このくらいが丁度良い。

 

 ……確かに触媒魔術は強いのだが、こうした事前準備に並々ならぬ時間がかかる上に、生物も安定した供給が望めるかというと、微妙なところである。

 今はまだ使えるかもしれない。しかしあと数万年、数十万年……程もすれば、もしかしたら、ここ一帯の生物は絶滅に瀕するかもしれないのだ。

 例え絶滅とまでいかなくなったとしても、生態系に変化が訪れればその時には材料としても扱えないほど希少な生物になっているだろうし……。

 

 確かカンブリア紀というのは、恐竜よりもずっと前だったはずだ。

 恐竜……ジュラ紀とか、白亜紀とか、そういう時代だ。そういうものがこの先、まだまだずっと続いている。

 そう、今はまだ恐竜の時代の遥か前。陸に上がった生物が全く存在しないと言って過言ではない、地球生命の序の序といった部分でしかないのだ。

 

 これから地球上では恐竜が繁栄したり、その恐竜が謎の隕石やら何やらで絶滅するだろうし、それまた後にはマンモスが闊歩して、人っぽい何かはそいつらを食いまくって絶滅紛いな事をさせるだろう。

 

 移り変わる種族。移り変わる世界。

 人ならば、触媒魔術も良いだろう。だが私にとっては、一過性のブームでしかない。

 

「かといって、生きた化石を使いたくも……ゴキブリ魔術なんて冗談じゃな……」

 

 そんなことを一人グチグチとこぼしながら私が粘りのスープをかき混ぜていると、ふいに、視界が揺れた。

 

「およ?」

 

 ガクリ。

 大きな音を立てて、平衡感覚と石窯の水面が大きく傾く。

 

 地震か。

 呑気にそう思った次の瞬間には、私はボロボロと崩れた地面と一緒に、何十メートルも下の海へと落ちていった。

 

「ウギャァアアアア!」

 

 久々に聞いた自らのおぞましい悲鳴を響かせながら、私は飛沫の海へ叩きつけられた。

 

 

 

 

 およそ、三ヶ月。

 それが、私が土や石の堆積物から脱出し、再び陽の目を見るのに要した時間である。

 

「おのれ、あのエセ神めッ!」

 

 海面から浮かび上がって早々に、私は風魔法“露薙ぎ”によって飛沫を吹き飛ばし、憤怒の声を響かせた。

 

 突如として崩れ落ちた海岸。脆い大地。

 その心当たりといえば、ひとつしかない。

 ここ最近の数百年間、よく遠目から見かけることのある、あの“神様”だ。

 

 見た目の年の頃は三十代。そこそこ整った顔ではあるが、行き遅れた感の否めない雰囲気を醸し出す、女の神。

 私が見かける神といえば常にその女であり、そいつは空中に浮かびながら笏のようなものを振るい、大地を削ったり、創ったりといった意味のない行為を繰り返している。

 

 私が立っていた崩れた場所は、あの女神によって創造された地面なのだろう。

 でなければ、地質的にあそこまで不自然な崩れ方は有り得ないはずだ。地中を何千メートルも掘り進んだ私が言うのだから、間違いはない。

 

 だが、そのまま三ヶ月近く、月明かりの届かない海底に沈んでいたのは、私のミスだ。

 こういった事態に備えて、体のどこかに触媒を備えておけばもっと早く脱出できたというのに。

 私は、魔術こそそれなりのものをもっているつもりであるが、力だけは常人と大差もない。今回の拘束期間は、死なないことに慢心した私にも一片の責はあるだろう。

 

 ……しかし、元はといえば、あの女神のせいだ!

 

 何が天地開闢だ。中途半端なことをしおってからに。

 土を操るならばもっとしっかり固めるなどして、人が歩けるように補強しろというのだ。

 

 これではまるで、私から地面を奪おうとしているような……。

 

「……そんな、まさかな」

 

 魔術によって海面を歩き、しっかりと硬いことを確認しながら、大地に一歩踏み出す。

 

 ……現れた神と、海に沈められた私。

 まさか神は、大地を切り取っては、偽の大地で補強して……それで、地上にいる私を貶めようとしているのでは、ないだろうか。

 

 ……考えすぎかな?

 思い違いであれば、良いんだけど。

 

 しかし、慢心によってまた海底ミイラになることだけは御免である。

 

 これまでずっと神との不干渉を貫いてきたが、そろそろ、私の方からもアプローチをかけてゆかなければならないのかもしれない。

 

 ……まずは神を見つけ、観察するところから初めてみるか。

 

 

 



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 月魔術、“望遠”。

 そして、水魔術“均衡”。

 

 遥か彼方の目視を可能とする魔術と、水中で手足を振らずとも頭だけを静かに水面に出していられるという地味な擬似浮遊魔術の併用により、私は今、広大な海の一点より、遠方の神の様子を観察している。

 

 この広大な地球である。

 特定の一人の神を探すことは、数年、数十年以上はかかるであろうと予測を立てていたのだが、意外なことに数年で見つかった。

 

 一度相手の姿が見えてしまえばあとはこちらのもの。

 地上の遮蔽物の少なさは悩みどころだが、数十キロメートル以上にも及ぶ遠視の魔術と、豊富な海を利用した隠形さえ可能であれば、一方的な観察は何日にも渡って行うことができた。

 

 

 

 見た目天女に近いその女神は、常に一人だった。

 ふよふよと宙に浮かび、非常にゆるやかな速度で空を航行しては、時々思い出したように笏を振るい、地上を変成する。

 他の神々を探しているのかと思えばそうでもないようで、彼女の周りには誰もいない。

 

 ただ淡々と、ゆっくりと、地上を引き剥がしてはどこかへと流し、偽物の脆い地上を築いて、陸地につなげる。私の目から見て、あれは、ただそれだけの神であった。

 

 ……あれが、俗にいう天地開闢?

 巨大な大地を割って群島を創ろうというのか?

 

 だとすればあれは、あまりにもお粗末だ。

 

 悪戯に大地を消して、土を貼り付けるだけ。あれではただ、陸を崩しているだけに過ぎない。

 彼女は一体、何をしたいというのだろうか。

 

 それにあの女神、最初に見た頃よりも随分と顔にシワが増え、なんというか……老いたように見える。

 神が老いるというのは実感が沸かないが、私の優秀な記憶をたどってみれば、変化が顕れていることは間違いない。

 

 ゆっくりと老いる、無気力な女神。

 

 ……いくら考えても、謎まみれである。

 

 

 

 私は難問に悩むはげ頭を細腕で掻き、あ、と小さな声を漏らした。

 

「……しまった」

 

 望遠の魔術越し見える宙に浮かんだ女神が、いつのまにやらこちらを向いていた。

 こちらを向いている……だけではない。彼女は目線すらも私に合わせ、浴衣のような衣の裾をはたはたと風になびかせ……こちらに進んでいるらしい。

 

 見つかった。隠形がバレた。発見された。

 

「まずい」

 

 何がまずいのかは、私にもわからない。

 だが、あの老いた女神は私を目指し、一直線にこちらに向かってきている。

 

 観察していた最中の、心ここにあらずといった雰囲気は微塵も見られない。

 顔はどこか、切迫したような、鬼気迫るような気配を漂わせ、もう少し望遠の精度を上げれば、充血や血走り具合が観察できるほどに、目は大きく開かれている。

 

 何とかしなければなるまい。

 何をとは言わないが、あの女神は私を一時的とはいえ海底に封じ込めた張本人だ。

 

 自由に動く準備を整えても、不都合や不自然はないだろう。

 

「“浮遊”」

 

 月魔術により体を宙へと浮かび上がらせ、水を滴らせながら海面に降り立つ。

 その様子を見て女神は驚いたらしく、なんとも都合の悪いことに、宙を駆ける速度を上げてきた。

 

 これは、いよいよ穏やかではないか。

 波乱を悟った私は、女神から目を離さないまま、後ろ向きに海面を滑り、距離を取る。

 

 幸い、今は夜。月は上弦、十日余。汎用的な月魔術を扱う日として、最悪という程ではない。

 

「あ、ああ――あああッ!」

 

 私が全身に月の魔力を蓄えていると、こちらに接近する女神が声を上げながら、短い笏を振るってきた。

 叫んだ言葉は判然としなかったが、高速でこちらに向かい来る白く輝く“それ”には、明確な危機感を覚える。

 

「“月の盾”」

 

 私は咄嗟に防御魔術を選択し、危機迫る正面へと展開する。

 そして一秒後には、私の選択が正しい事が証明された。

 

「なかなかの衝撃じゃないか」

 

 防御魔術、“月の盾”。月の魔力によって壁を作り、接近する害から身を守る魔術である。

 その防御魔術が相手の放った光と衝突し、辺りに強い風を生んだらしい。

 海面は波立ち、しぶき、風はごうごうと鳴る。

 

 なんとなく作った防御魔術を咄嗟に使ってみて上手く成功したことには安堵したが、だが同時に、私の中で静かな戦慄も生まれる。

 

「やるということだな、名も知らぬ女神よ」

 

 奴は、私に攻撃を放ってきた。それも、なかなかの威力を持つ攻撃だ。

 おそらく私と同じで、月の魔力を利用した月魔法……の、かなり原型に近い、エネルギーを飛ばすだけの操舵であろう。

 術と呼べない程原始的なものではあるが、それだけにわかりやすい。

 あれは、れっきとした“攻撃”である。

 

「まさか、魔法を戦いのために使うなんてね」

 

 私は後ろ向きに宙を移動しながら、自分が陸地の上まで退避できたことを確認すると、すぐさま月の魔力の中に、他の属性の気配も取り込み始める。

 

 

 

 私にとっての魔術は、生活の補助であったり、研究の補助であることがほとんどだ。

 それでも時には暇に任せて、かつてよく楽しんでいたファンタジーへの憧れもあり、全くもって必要のない攻撃魔術も習得した。

 

 しかしまさか、こんな場所で使うことになろうとは。

 いいや、こうなると、全く予想していなかったわけではない。心のどこかでは、もしかしたらこうなるかもしれないと、危惧は抱いていた。

 できれば、手荒なことをしたくはなかったのだが……。

 

「……手を出したら、もう終わりだものな」

 

 ……相手は、攻撃の意志を示した。

 ならば、こちらは迎撃の意志を示すのみ。

 

 貴女が私を害するならば、私は貴女を、力づくでも捻り潰してやろう。

 

 貴女が神か、天女か……そんなことはどうでもいいし、どっちでも構わないよ。

 

 私の遠い未来にあるであろう平穏を邪魔するならば……例えこの世の創造神であったとしても、決して許さん。

 

「くらえ――“樵の呪い”」

 

 私は痩せ細った邪悪な腕を振るい、鈍く輝く光の紐を、女神に向けて無数に放った。

 

「あ、あ――!?」

 

 女神は、避けようとしたのだろう。

 だが広範囲に散りばめられた紐の全てを避けることは叶わず、そのうちの一本が笏を持つ右腕と、胴体に接触した。

 

 瞬間、ひも状の“樵の呪い”のひとつは女神の腕にぐるりと巻き付いて、もうひとつは胴をぐるりと囲むように、しっかりと固着した。

 そして、呪いの輪の鈍い輝きは、白い純粋なものへと変化する。

 

「あ、ぎゃッ!?」

 

 老いた女神の悲鳴があがる。

 “樵の呪い”が発動し、巻き付いていた女神の右腕と、胴体を切断したのである。

 

 複合魔術“樵の呪い”。

 月魔術の呪いをベースとしたこの魔法は、ひも状の魔術を任意のものに放つことによって接触部に巻きつき、呪いとして固着するものである。

 固着後呪いとなったこれは、定期的に“月魔術”や“金星魔術”、“火星魔術”、“属性魔術”などをそれぞれ最も効率的な時間で発動させ、呪いの輪が閉じるまで……対象が完全に切断させるまで“永続”する。

 

 本来は、大きな石材などを、使用魔力を限りなく抑えて採集するための魔術なのだが、神相手にもうまく効いてくれたようだ。

 威力もなかなか。比較的強い月の環境下にあるおかげだろう。まったくもって、運がいい。

 

 

 

 胴と腕を切断された女神は地に墜ちて、静寂が訪れた。

 私はしばらくの沈黙に勝利の確信を深めてから、女神が落下した方へとゆっくり近づいてゆく。

 

 



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 私が数十万年ぶりに間近で見た人型の者のその表情は、苦悶と憎悪に満ちていた。

 

「あ、あぁあああッ!」

 

 老いた女神は仰向けに倒れ、切断された腕と胴体から夥しい血を垂れ流しながら、言葉なき悲鳴を上げている。

 一応、まだ生きている。普通の人間ならばいくつかの理由で死んでいてもおかしくないような状態でも、この女神はまだ、命を繋いでいた。

 

「あ、あぁああッ……」

 

 とはいえ、重症に変わりはない。命が残り少ないことは、彼女の様子を見ていればよくわかる。

 だというのに、彼女はその僅かな命を、私への憎悪のために使っているようだ。

 

 恨みに満ちた視線と、おそらく痛みだけに由来するものではない、強張った表情。

 私の姿を見て、邪悪な敵と断じているのか。それとも、私がアノマロカリスやハルキゲニアを狩りすぎたことに怒っているのか。理由は定かでない。

 

 しかし、この老いた女神は言葉を発しない。

 全身で恨みを体現していながら、意味のある言葉は一つも確認できていない。

 服は、それなりに文化的な……とはいえ、天女のようなものではあるが、それだというのに蛮族のように言葉を発しないというのは、なんともおかしなことである。

 

「お前は、何者だ?」

 

 私は死にかけの彼女に、言葉を投げかけた。

 しかし反応は芳しくなく、これといった反応はみられない。

 相手が言葉を使えないのだ。私の言葉が伝わらないのも当然であった。

 

 口もきけず、暴力に任せるとあれば、それは例え天地開闢を成す神であったとしても、私にとっては蛮族だ。

 

「私は今日まで、様々な種の生命を捕らえ、殺し、材料として扱ってきた」

 

 私は屈み、女神に顔を近づける。

 老いた女神の荒い息が間近に感じられる。そして、その目に浮かぶ、様々な負の感情も。

 

「別に、私はマッドサイエンティストやシリアルキラーを気取っているわけじゃあないよ。私がマトモに生き続けるために、それらは必要なことだったんだ」

「あ、あぁああッ」

「だから私は、マトモに生きるために、貴女を殺す。私を脅かそうとした、貴女をね。言葉が通じているかはわからないが……一方的にだけど、こうして言わせてもらうよ」

 

 ああ、自分の顔に表情が浮かばないのが、悩ましい。

 もしも私の顔がこのように醜いものでなく、人らしいものであったならば、こうなる前に、柔和な態度を示せたというのに。

 干からびて黒ずんだ私の身体は、ただただ、おぞましいばかり。

 たとえ彼女のような神でなくとも、やらなければやられるくらいに考えてもおかしくない姿だろう。

 

 だが、私は悪くない。

 お前が死ぬのは、お前の失態だ。

 私を殺そうとしたのだ。ならば、お前も殺されてしかるべき。

 この、広大なる海の世界のやり取りと、全く同じように。

 

「ぁあああああああッ!」

「!?」

 

 私が引導を渡そうと手を向けたその時、最期の力を振り絞ったのか、老いた女神が残った左手を振るい、大きな輝きを投げてきた。

 人一人くらいであれば容易く飲み込めてしまうであろう、巨大な光の塊。正体不明の、強力な波動。当たればどうなるかは、全くの未知。

 

「“追い風”――!」

 

 弾ける風が私の背を叩き、一瞬ではあるものの、高い推進力を生む。

 私はギリギリ、あと数センチのところでなんとか光を回避し、一命を取り留めた。

 

 冷や汗混じりに回避を確信したと同時に、後ろのほうで岩が砕けるような大きな音が響いたが、よそ見をしている暇はない。

 

 やらなきゃ、やられる。

 ここで、こいつを殺さなくては。

 

「“月の槍”!」

「ぁっ」

 

 私の右手から一条の細い閃光が伸び、それはまっすぐ、老いた女神の心臓を貫いた。

 

「あ……」

 

 月の魔力を練り上げて、一点に集中させ照射するレーザー。

 それが、致命傷となったのだろう。女神は最期に細い声で呻くと、瞼を閉じて静かになった。

 

 最後の一撃に全てを注ぎ込んだためか、老いた女神は更に老けこんだようで、黒髪は灰色の白髪が半分以上混じり込み、顔にはいくつものシワが刻まれている。

 そして、その表情は老いてもやはり、どこか憎しみの最中にいるような鬼気迫るものであった。

 

「……終わったか」

 

 多くの謎を残したまま、名も無き神はここに死んだ。

 

 振り向けば、後ろの大岩は大きく削られ、ほとんどが消し去っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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 老婆の女神は死に、私はこの世界で再び、孤独の身となった。

 

「さて」

 

 死体になれば、神だろうと天女だろうと、ただの人にしか見えないものだ。

 惨殺された老婆。私が人間だった頃の感覚からすれば、とても見ていられない光景である。

 

 しかし数十万年もの時を生き、様々な生き物を捌き、研究材料として扱ってきた今の私には、こうして地面に転がる肉塊も、まだ赤みを残した鮮血も、ただの“素材”としか映らない。

 

 冷血で結構。だって、そもそも私には血が流れていないのだから。

 

「陸地を壊す悪魔が消えたと思って、前向きにやっていこうかな」

 

 謎は残る。だがその疑問が解決する見込みは無い。ならば、気にする必要はないだろう。

 

 私は老婆のパーツを抱え、最寄りの拠点に向かって歩き出した。

 早速鍋で溶かし込み、触媒魔術などの研究などに使おうと思う。

 

 

 

 

 石の釜と、石の匙。研究材料に用いる道具は、全て手作りだ。時に偶然手に入った金属で削ったり、魔術で整形したり。

 私の触媒魔術は、現代の日本では考えられないほどの労力によって行われている。

 実際の所は火加減を見て材料を液体と共に加熱するだけなのだが、なにせこの地球上には燃料が存在しないので、それも一苦労だ。

 

 侮る無かれ、カンブリア紀。

 まだこの地上には、一切の植物が存在せず、続く景色はひたすらに岩地のみなのだ。できるものなら素手によって伐採でもなんでもするつもりだが、生えていないのでは話にならぬ。

 そして生物の死骸が水底に堆積して……という一連の出来事すらもまだ起こっていないために、この世界には、化石燃料というものも存在しない。

 

 だから、火属性の魔術を修得するまでは、本当に大変だったのである。

 

「“青い火種”」

 

 私が魔力無しで風呂に入れるのは、果たして何時頃になるだろうか。

 どう考えても温泉の方が早いんだろうけどね。

 

 

 

 軽いどころのスプラッタではないので、女神の生体素材の加工内容について詳しくは語らないが、とりあえず日本人が当然の知識として有している範囲で、様々なものを分けたとだけ言っておこう。

 私はこの女神……と呼称してはいるものの、彼女が何者かすら、未だよくわかっていない。

 神というのもほとんど私の主観であり、そうだと名乗りを聞いたわけでもない。

 

 しかし、やはりただの人間ではないようで、捌いている間にも、すぐにおかしな点は見つかった。

 

「ふむ」

 

 まず、ピリピリする。刺激物云々というわけではない。女神の遺骸は死して尚、何らかの力の残滓を持っているらしく、それが接触している私の肌を刺激しているのだ。

 感覚の目を凝らして、その力の正体を探ってみるものの、どうも判然としない。

 魔力のようにも見えるのだが、月の魔力でもなければ、精霊(属性)の魔力というわけでもないようだ。

 

 おそらくそれらとは違うエネルギーなのかもしれない。

 彼女は、神、のような生物だった。ならば、神の力、神力なるものを持っていたとしても不思議ではないだろう。

 そう思い当たってみれば、ふむ、どこかこの力は、私が内側に持つ“原初の力”と似ているようにも感じられる。

 

「彼女は、この笏で力を操っていたようだが……」

 

 四角に整えた岩の上に乗せた笏に目をやり、私は考えこむ。

 

 女神を回収した私は、当然、彼女が右手で扱っていた笏のようなものも手に入れている。

 笏は三十センチほどの大きさで、材質はものすごくキメの細かい木材のようにも見えるが、感触や質感などはプラスチックに近く、不明。

 同様に、女神の纏っていた衣服や羽衣のような品々に関しても、材料は不明である。

 こちらはおそらく唯一無二、これから手に入らないであろう物なので、触媒にする予定は基本的に無い。

 

「彼女が原初の力を操っていたのであれば、私に使えてもおかしくはないのだが」

 

 私は女神の笏を手に取り、握ってみた。

 同時に魔力を纏ったり、魔力を通したりと、色々とアクションを試みるのだが、手に持ったそれがよりしっくりと来るわけでも、なければ、笏がキラーンと輝くわけでもなかった。

 

 これは、笏が女神にしか扱えないものであるためなのか、それとも、女神の持つ力が、私には存在しないものなのか……。

 

「……いや、諦めるにはまだ早い」

 

 私は頭を振って、後ろ向きな考えを否定する。

 

 諦めていては、研究などできやしない。

 例え人間にはできないような途方も無い奇跡であったとしても、私はもはや人間ではないのだ。躊躇する理由など、ありはしないはずである。

 私は長い年月をかけたが、ちゃんと魔術を習得した。人には不可能であろうと、幻想であろうと思っていたその力を、自力で切り開いた。

 

 ならば、この女神が持った不可思議な力でさえ、私は習得できるに違いないのだ。

 私には、おそらく神々をも超えた時間がある。その時間をつぎ込みさえすれば、神の力であろうとも、再現は不可能とは言い切れない。

 

「よし」

 

 また、目下の目標がひとつできた。

 未来の平穏を夢見るために、手近なところから片付けていこうではないか。

 

 



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 神を斃し、二年が経った。

 たった僅か、二年である。わたしはこの二年という刹那の間で、神という存在の核心に至ることができたわけだ。

 

 結論から言えば、おそらく、女神の持っていた力は、新たな力であった。

 仮にそれを、“神力”と呼称しよう。

 非常に残念なことに、私の内側にはその力がこれっぽっちも存在しておらず、右手から神の光をバーッと出したり、といった芸当を行うことは無理なのだが、似たような手段は手に入れた。

 

「大地よ、隆起せよ!」

 

 私は大きな骨の杖を掲げ、その先端に輝く頭蓋骨を魔力によって輝かせた。

 魔力は杖の柄の大部分を構成する背骨を通ることで、洗練され、変容する。

 私が送った魔力が頭蓋骨内部に埋め込んだ笏を通る頃になれば、魔力は擬似的な神力となり、それ相応の効果を発揮できるようになる。

 

 私の言葉と同時に、大地が動く。

 何らかの式によって、こういった動きを定めたわけではない。ただ私が言葉で命じ、魔力を送っただけのことだ。

 

 言葉を結果に反映させる。馬鹿けているほど単純なその力こそが、神力の正体だったのだ。

 今の私では、こうして女神の遺骸から取り出した骨によって作った杖を介して、かつ多量の魔力を注ぐことによってしかまともな結果を反映させることができないが、使えるのと使えないのとでは雲泥の差がある。

 

 これまではできなかった精密な石の加工ができるようになったというのは大きいし、赤い炎も簡単に生み出せるようになったし、あと、ちょっとした雷も打てるようになって、神の裁きごっこができるようになった。

 うん、最後のは結構どうでも良かったね。

 

 ともかく、私は燃費が酷いものの、女神の骸を利用することで、神の力を僅かながら行使できるようになったのだ。

 

 

 

 

 月魔術や属性魔術の方が、使い勝手がいいのではないか……そんな風に思われたかもしれない。

 けれど、この神力がもつ、“漠然とした言葉だけで効果をもたらす”という性質は、私にとって非常に大きな可能性を示すものであった。

 

 何故か。

 それは、この神力を利用することで、神綺の世界に戻れるかもしれないからだ。

 

 神綺の世界。私が原初の力を自在に振るう事ができる、不思議な空間。

 そこに一旦引き返すことが、遥か昔からの私の目標であった。

 今まで魔術の研究を続けてきたものの、帰還の術が全くと言っていいほど見いだせなかったのだが、こうして僅かな神力を振るえるようになり、状況は一変した。

 

 この杖があれば、私は言葉のままに、現象をねじ曲げることができる。

 それはつまり、あの世界へと続く“扉”を生み出すことも、可能だということだ。

 

 とはいえ、今のままでは杖の燃費がよろしくない。

 背骨と頭骨と笏、それらを魔術によってうまく接合固定し、羽衣などで飾り立ててはいるが、所詮は見てくれ。力の運用が強引であることは、どうしても否めなかった。

 現状、ただ杖に魔力を注ぎ込むだけでは、あの世界の扉が開くほどの出力を得られるとは思えない。

 もうひと工夫して、月からの最大魔力が供給されるであろう次の月食のために、様々な準備をしなければならないだろう。

 

 あらゆる方法で魔力を収集し、異界への扉を開いてやるのだ。

 月の魔力、星の魔力、環境の魔力、私の内にある魔力……全てをかき集め、杖に一点集中させ、こじ開けてやるのだ。

 

 そして、神綺と再会し、彼女と話したい。

 こんなことがあったのだと。私は、こんなことができるようになったのだと。

 

 海にはこんな生物がいて、こんな形をしているのだと。

 ああ、そうだ、土産物を用意してやるのも、いいかもしれないな。アノマロカリスのボイルなんて、喜ぶかもしれない。喜ばないね、うん。

 

 

 

「ふふふ、楽しみだなぁ」

 

 “月時計”の更に高度な術による計算で、次の月食はおよそ八年後に見られるのだそうな。

 八年後には準備も整うだろうし、その時にようやく、神綺と再会する目処が立つのだろうと思う。

 

 たったの八年。私はその事が何よりも嬉しく、思わず骨の杖の頭蓋骨を撫でてしまった。

 

 ミイラがスケルトンを撫でるとは、誰得か。

 

 



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 月は、太陽の光を受けることによって煌々と輝いている。

 そのため、月を照らす太陽光が何らかのものによって阻害された場合、月は翳り、輝きを大きく失う。

 

 月が輝きを失う時……それは、太陽と、地球と、月が一直線に並んだ状態。

 それが、月食なのだ。

 

 今日は皆既月食。月の光はあまり届かないものの、魔力は反して、跳ね上がる。

 私は、月と最も近い場所にあるであろう広い大地に、数多くの“月の標”を敷設した。

 サークルを描くようにして配置させた標は、魔力の補助。何日もかけて大地に刻んだ多くの呪いが、今日の大規模魔術の行使を補助してくれるだろう。ないよりはマシなはず。

 

 神秘的に青白く輝く大地。

 雲ひとつ無い夜空には、紅い月が不気味に浮かんでいる。

 何故紅いのかは、多分……光が薄いからなのだと思う。

 

「……失敗はしたくないなぁ」

 

 今失敗しても、次はある。けれど、何十年も後になるのは、やっぱり焦れったい。

 私はこれまで、沢山待った。

 何十万年も待った。

 そろそろ、私は報われても良い頃だろう。神綺と再会しても良い頃だろう。

 

 

 

 望みを託し、神骨の杖を高く掲げる。

 

 その行動に誘発されて、周囲を漂っていた魔力が銀色の輝きを帯び、煙のように揺れながら、渦巻き始めた。

 

 “月の標”の外側に配置した属性魔術の大サークルが風を呼び、魔力を励起する。

 属性魔力と月の魔力は私を中心に交じり合い、骨の杖の柄を通り、神力へと昇華され、笏へと流れる。

 

 意志によって現象を歪める神の力。神の魔術。

 杖の使い方は、これまでの数年間で十二分に研究した。あとは今日この時、大規模魔術を発動させるのみである。

 

「神綺……」

 

 銀色の輝きが収束し、力となって私に流れ込む。

 この日のために生み出した魔術、敷設された“魔力の対流”によって、力は真っ直ぐこちらへ集中する。

 私は魔力の流れを完全に制御しながら、それを手元の魔道具に注ぐばかり。

 

「今、そっちに戻るから」

 

 ひとつの空間に密集した濃密な魔力によって、景色が僅かに歪みを見せ始めた。

 月の魔力が生じさせる精神への干渉力が歪みを生み出しているのか、それとも実際に空間が歪み、扉が開かれようとしているのか、私にはわからない。

 だが、不可思議な現象は、それだけで希望である。

 

 これから行うのは未知の魔術。

 結果は、尽くが未知のものでなくてはならないのだから。

 

 視界が銀色の輝きに飲み込まれ、染まる。

 激しく空間を揺さぶる音が、聴覚を馬鹿にする。

 

 魔力よ、蓄積せよ。魔力よ、迸れ。

 私の二十万年の集大成、今この時こそ、真価を発揮するべし。

 

「異界の門よ……魔界への扉よ!」

 

 魔力の激流の中で、私は叫んだ。

 異界を、魔界と言い直した。

 そう、魔界である。

 

 あの世界を、私は、魔界と名づけた。

 何故ならば、あの世界は私が作ったもの。私が名づけて、何ら不都合はない。

 

 そして、意志を言葉にするならば、名前が必要だ。

 

 あの時の別れと同じ。事の寸前になってようやく名前を決めた。

 

 こみあげてくる懐かしさと共に、最後に見た神綺(しんき)の微笑みが鮮明に蘇る。

 

 

 

 ――必ず、魔界へと還る。

 

 

 

「開け!」

 

 私は叫び、輝きは意志を受けて、白熱へと変化した。

 

 

 

 

 広大な大地には、瘴気のように凄まじい魔力の残滓と、高密度の魔力による爪痕が刻まれていた。

 地面に付けられた多くの呪いは焼け切れ、その機能を失くし、消滅した。

 

 私はそこに存在しない。

 私は地球上から姿を消した。

 

 私は、魔界へと帰還したのである。

 

 

 

 

「――おかえりなさい、ライオネル」

 

 私は、涙を浮かべて出迎えてくれた彼女の言葉によって救われ、そして、自分の名がライオネルであることを思い出した。

 

 そうだ。私の名は、ライオネル。

 魔界を創り、数多くの魔術を生み出した……。

 

 外界で唯一の存在にして、唯一の大魔法使い、ライオネルなのである。

 

「ただいま、神綺(しんき)

 

 私は“原初の力”によって、二つの眼球無き瞳から、静かに溢れる涙を創りだした。

 

 



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遺骸王の創造 谷

 私はライオネルから生み出された、支配の神。

 名前は、神綺。

 名づけてくれたのも同じ、ライオネル。綺麗な神だから、神綺……なのだそうだ。

 

 綺麗だなんて、そんな……正直だわ。

 なんて私が感動している間に、ライオネルは外界へと旅立ってしまった。

 

 ライオネル。私を生み出した親であり、私にとって唯一の……存在。

 けどライオネルは、私を生み出してほとんどすぐに、私にこの世界を託して、豊かだと言う場所へと消えていった。

 

 ライオネルの最後の言葉により、私は世界の管理という大任を授かった。

 つい勢い余って、豊かな世界を創るだなんて言ってしまったけれど……ライオネルが去ってから、とにかく困り果てた。

 

 外界があるというのは知っている。けど、そこにどんな世界が広がっているのかは、わからない。

 私はこの世界で生まれた、この世界だけの神。神とはいえ、全知全能というわけではない。

 確かに、世界創造や世界改変のために必要な“原初の力”の使用法は、本能として知っている。

 でも、豊かな世界って言われても……全然わかんないや。

 

 

 

 ひとまず私は、空間を大きく広げたライオネルの思惑を汲み取って、とにかく広く、のびのびとした世界を目指すことにした。

 ライオネルは狭い状態の世界をひどく嫌っていたようだったので、これはまず間違いないはずだ。

 

「……うーん」

 

 ところが、既に空間は無限大とも言って良いほどに広げられており、これ以上いじる余地は見られない。

 じゃあ、次はどうしたら良いんだろう。

 ライオネルはどんな世界が好きなのだろうか。

 私は、別に今のままの、冷たい平坦な床がどこまでも広がるような世界でも構わないんだけど……。

 

「……私が好きに変えちゃっても、いいのかな?」

 

 ライオネルは、私に任せると言った。

 なら、私が全ての権利を握っているということで……。

 

「よーし……」

 

 これはもう、好きなようにやるしかないわよね!

 

 

 

 

「それで、こういう景色になったっていうわけか」

「どうですか?」

 

 神綺が“えっへん”とでも言いたげに胸を張る。

 思わず“すごいねー”と頭を撫でながら褒めてやりたくなったけど、実際に目の前に広がる光景を前にしては、そんな思いも湧いてこなかった。

 

 言うなれば、それは……魔境。

 前方五百メートルの地点からずっと向こうの視界の果てにかけて、棘のように細長く鋭い岩の集合体が大渓谷を形成している。

 ドラゴンやワイバーンが空を飛び、天には常に稲妻が走っていたとしても何ら違和感のない、恐ろしげな絶景が、そこに広がっていた。

 荘厳というか凶悪な景色に、グランドキャニオンも思わず平らになってしまうレベルである。

 

「……すごいね」

「ふふふ、自信作ですからね」

 

 神綺と再会した私はしばらくの間、彼女と永きに渡る孤独が氷解したことを喜び合っていたのだが、その後ハッと思い出したような顔で誘われたのが、ここであった。

 

 魔界内は原初の力によって瞬間移動ができるらしく、神綺の手を握った数秒後にはこの場に到着していた。

 で、いきなり視界に飛び込んできた人外魔境に、私は言葉を失ってしまったのである。

 

 ……私、確か彼女からは別れ際に“豊かにする”とかなんとか聞いたはずなんだけど……。

 まぁ、自然が豊かといえば豊かではあるけどね、なんというか……もうちょっと朗らかな感じにはできなかったのかな。

 

「大きな高低差、激しい起伏……私なりに豊かな世界というものをイメージしてみたんですけど……お気に召さなかったでしょうか」

 

 ああ、そういう意味での豊か……。

 けど、彼女は大きく勘違いしている。勘違いしながらも、それを全く疑問に思わないまま突き抜けてしまったせいで、こんな景色が広がっているのだろう。

 

 ……そうか。外を知らないのでは、仕方ないよな。

 私が豊かだと思うような山や、樹や、川などは、これから何万年も、何千万年も先の未来の景色なのだ。

 それを最低条件として彼女に求めるほうが、どうかしているというもの。

 むしろ、今現在のカンブリア紀の岩場を部分的に表現できている神綺のセンスには、賞賛が与えられるべきだろう。

 

「……神綺、留守を守っていてくれて、ありがとう」

 

 私はそう言うと、神綺は一瞬だけびっくりしたような顔を見せた後、すぐに笑顔になって、

 

「私はライオネルの相談役ですから」

 

 と言ってくれた。

 



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 大渓谷の尖った岩山の中でも、一番高い場所。

 そこは平らに削り取られ、直径十メートルほどの円形の広場になっている。

 魔界全てを一望、とまでは言えないが、神綺の創りだした“豊か”らしい渓谷をざっと見渡すには、これ以上はない場所だった。

 

 私はそこに、前と同じようなテーブルと椅子を配置して、出会った時のように、缶ビールも生み出した。

 こんな時、記憶力の凄まじい自分の枯れた身が、とてもありがたい。

 二十万年以上も文化とは程遠い太古を彷徨い続けてきた今ですら、まだその酒の姿を鮮明に思い出せるのだから。

 

「ぷはぁ……」

 

 そのおかげで、こうして神綺のご満悦な表情を、再び拝むことができる。

 私の口や喉は、どうも酒をどぼどぼと零してしまうけれども。ほろ酔いと同じ満足を得るには、目の前で破顔する彼女の存在だけで十分だ。

 

 

 

 積もる話は、それこそいくらでもあった。

 途方もなく超大な空白の時間の某を、まずは神綺自身が聞き手に回ることを望み、私から話すことに。

 

「へえ……外界はそんな風になっているのですか……」

 

 外の世界の話は、神綺の好奇心を大いに刺激したらしい。

 彼女は(第三の)ビールがお気に入りのようで、その二本目をくぴくぴと飲みながら、私の体験談に聞き入っている。

 意外だったのは、彼女が海などの、基本的な地形の概念に関する知識が曖昧だったということだろうか。

 私が波打つ海にアノマロカリスという巨大エビが生命の頂点として跋扈していると話せば、目を輝かせて“エビってなんですか!?”と目を輝かせて聞いてくる。うん、ごめんね。エビも知らないよね。

 

「外の世界には様々な生き物がいて、そこで各々が命を繋いで暮らしているんだよ。例えば、私が見てきたのは……」

 

 話は、本当に尽きない。

 荒れた大地と、どこまでも広がる海。多種多様な動物たち。

 満点の星空、淀みなく輝く月。

 

 気が遠くなるような旅と観察の話を、つらつらと話してゆく。

 神綺はそれを聞きながら、外見に相応しい少女のように“うんうん”と頷きながら、とても楽しそうに微笑んでいる。

 

 そして、話は魔術に入る。

 

 魔術。そして、魔力。

 これは、私の永きに渡る旅の時間の中で、語るに欠かせない要素であり、今の私にとっては、一つの生きがいとも言えるものであった。

 

 私は、アノマロカリスよりも何十倍もの熱を込めて、彼女に語る。

 世界に満ちたる魔力。それを行使する術、魔術の神秘を。その強大な力と、可能性を。

 

 私は魔力を知覚し、それを操ることで、永遠とも呼べる長い時間の旅の中に希望を見出した。

 現に、私はあの世界での時間のほとんど全てを、魔術のために注ぎ込んでいた。

 それは魔術が私にとって必要不可欠なものであったし、単純に、興味を覚えるに足るものであったからだ。

 人間だった頃の私は、魔術というものへの知識など皆無だったので、とにかく新鮮である。まぁ、なんというか、架空の物語の中でも、魔術や魔法という者は多くあったし、それへの憧れもあった。

 自らのみで魔術が使えるというのであれば、持て余す馬鹿みたいな時間もあり、研究しない手は無い。それに、魔術という不可思議な力があれば、同じく不可思議なこの魔界へと還る手立てもあるかもしれないとも思えた。

 

 魔術は、私の希望。私の全てと言っても良い。

 この二十万年以上の外界探訪で培ったものは、私の魔術に対する、非常に高い愛着だったのである。

 

「なるほど、ライオネルは、魔術を使ってここへ戻ってきたのですね……」

 

 神綺はビール缶を片手に、感慨深そうに呟いた。

 

「ああ。しかしそれも、魔術というよりは神力と言うべきだろうか……偶然によってもたらされたコレのおかげなんだ」

「コレ……?」

 

 私は神骨の杖を軽く掲げ、神綺はそれを見て、すぐに怪訝そうな表情になった。

 

「なんだか、私と同じような力の気配を感じますね」

「ああ、私が外界で出会った神の骨で作ってある」

 

 やはり、同じ神である神綺には、この杖がどのようなものかが理解できたらしい。

 

「人型の骨ということは、やはりその神も、私と同じでライオネルによって生み出されたものなのですね」

「……え?」

 

 私は神綺の言葉に硬直した。

 

 

 



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「神とは、願いや想いによって生まれるもの……信じる者のイメージによって生じる存在です。それは、この私も同じように」

 

 神綺が自分の胸に手を当てて、そう言った。

 私の意識が、戸惑いに僅かに揺らいだ。

 

「他の神がどのようなものか……私には、詳しくはわかりません。ですが、私の姿形がライオネルとほとんど同じように創られている以上、ライオネルの思いが姿に反映されているであろうということは、疑いようはないかと思われます」

 

 そうだ、神綺は、私が創った神だ。

 それにはきっと私のイメージも入っていただろうし、その証拠に、こんなにも目の前の彼女は、私の中で“しっくり”きている。

 

「聞けば、外界に存在する生物はどれも、とてもおかしな形をしているらしいではありませんか。それに、想いの力もかなり低いものだと……」

「た、確かにそうだが」

「神は、何かが望んでこその神。ライオネル以外に望む者はなく、姿形の創りも、概ねライオネルと同じ。これが、神の存在がライオネルによって象られたと言わずして、何と言いましょう」

 

 あの老いた女神が、私から生まれた?

 いや、そんなことは有り得ない。有り得ないはずだ。

 

 原初の力とは関係ない、それはいいとしよう。

 純粋な願いだけで、神は出来る。仮にそういう存在だとしよう。時間もあった。その猶予はあったとしよう。それでもだ。

 

「だが、私はそのような、あの世界で神に会いたいなどとは……」

 

 そこまで弁明しようとして、はたと気付いた。

 

「会いたいと……思って、しまったな」

 

 私は、そうだ。

 神に、会いたかったな。

 

 またこの魔界に戻りたくて、孤独から逃れたくて、ただその強い意志だけを、魔術というはけ口こそあったが、滾らせ続けていた。

 

 全ては神綺と会うために。再び、彼女と話すために。

 

「……ライオネル、詳しく教えていただけますか? その骨の……神のことについて」

 

 神綺は、私を責めるような風でもなく、私の気遣いばかりを感じさせる優しい声で、そう促した。

 優しさにつられて、私は語り始めた。

 

 初めて女神と出会った時の事を。

 何度か遠目に見つけ、その度に様子を伺い、女神が段々と老いていった事を。

 そして、最後にはその女神と出会い、女神に攻撃され、返り討ちにし、殺した事を。

 

 その骸を使って研究し、結果として、神骨の杖を得て……この魔界へと、還った事を

 

 最後まで黙って聞いてくれた神綺は、合点がいったように“うん”と頷いた。

 そして手を差し伸べて、“見せたいものがあるのです”と、私の手を取り、移動を告げる。

 

 私は成すすべなく呆然と彼女に手を預け、目眩を覚える瞬間移動と共に、次の瞬間には、魔界ならどこにでもある平地へと降り立った。

 

 天高く広がる赤い空。平坦な、薄く輝く大地。

 自分の力がいくらでも使えるというのに、今の私はこの光景が、とても恐ろしい。

 

「ちょっと前に、ここでこんな物が現れたんです。それが何なのか、私は今日までわかりませんでしたが……今のライオネルの話を聞いて、確信に至りました」

 

 神綺は私の後ろ側にある“何か”を見ながらそう言った。

 私の後ろに、何があるというのか。答えを求める気持ちと、やめておくべきだという醜い心がせめぎあい、だが当然、見ないわけにはいかないので、私は振り向く。

 

 そこにあったものは……間違いなく、これまでずっと見慣れてきた、どこにでもある普遍的な“岩”。

 外界にしか存在しないはずの、まるで大きな丸型に繰り抜いたような、人一人分はゆうに包めそうな、大きな岩であった。

 

 

 

 忌々しくも記憶力に優れる私は、この岩を知っている。

 これは、老いた女神を殺す直前に見た、彼女が撃ち放った光弾が向かった先……そこにあった、大きな岩である。

 岩は光弾を受けて抉れ、奇妙な形を残してしまった。

 

 

 

 あの時は、敵で間違いないと思っていた。

 実際、相手の目つきは鋭かったし、言葉は通じないし、突然攻撃を仕掛けられたのだ。

 私に非はなく、罪は確実に、向こう側にあると考えてもいい。

 

 だがあの女神は……その光弾は、殺すためのものでないとしたら?

 光弾が、ただ私を魔界へと送り返すためのもので、私に執着を見せたのも、それで……。

 

 少なくとも私は、無意識だとしても、神にそう願ってしまった。

 心のなかで願い、実現すれば良いと、何日も、何ヶ月も、何年も、何十年も何百年も何千年も、そう願い続けた。

 

 

 

 ……神は、私を見逃していなかったのだろう。

 だからこそ女神は私を探していたし、私を魔界へ送ろうと、光弾を放っていた。

 

 けど、だけど。

 私はそんな彼女を殺し、あまつさえ、その身を実験材料としてしまった。

 

 他ならぬ、私が生み出した神だというのに。

 私が望んで生み出した神だというのに。

 

 

 

 神は老いていた。見かけるごとに老いて、見た目をみすぼらしいものに変えていた。

 元は、きっとあのような姿では無かったのだろう。きっと私が最期に見た時よりも若く、美しかったに違いない。

 ところが長期間にも及ぶすれ違いと、私の警戒が、それを許さなかった。

 

 女神はただの神でしかなく、その力は弱い。

 しかもそれが、信者のいない世界であったならば。唯一彼女を信じた私が、彼女に無関心であったならば。それは神にとって、恐ろしく存在を傷つけられるものなのだろう。

 不変であるべき外見を、老いさせてしまうほどには……。

 

「……なんということだ」

 

 私は岩の前で跪き、杖を取り落とした。

 骨の軽い音を立てて、硬質な地面の上に杖が踊る。

 

「私は、私で生み出した神を……自ら殺して、切り刻んだのか」

 

 海洋生物を何体も、何千体も殺しても、こんな感情は湧き上がってこなかった。

 老いた女神を殺した瞬間でさえ、こんなにも心は揺れなかった。

 

 しかしただひとつ、真実を自覚することによって、私は大きく揺さぶられてしまった。

 

 自分の犯した、歴史を記す者がいないとはいえど、あまりにも非情に満ちた行いに、気付いてしまったのだ。

 

 



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 それから、私は神骨の杖を祀ることにした。

 自分で切り刻み、加工し、くっつけて……さんざんと弄んでおきながら、いまさらなのかもしれないが。

 

 この神は、私が生み出したものだ。

 そして、この神は願いの主である私を探し続け、私を魔界へと還すために、おそらくずっと奔走していたのだろう。

 誰とも出会えない地球上を彷徨い、時に漠然とした神らしいイメージに従い、大地開闢の真似事を繰り返しながら、延々と。

 

 出会いと別れは、とても良いものとは言えなかった。彼女が死ぬまで、私は彼女を敬う気持ちなど、一片も持っていなかった。

 しかし私がこの魔界にいるのは紛れも無く、彼女が起こしてくれた奇跡の賜物。

 既に骨となってしまった彼女だが、それでも尚、ここにいるのは、そんな彼女のおかげだ。

 

 感謝しなくては。そして、それ以上に償わなくては。

 この神を、私は敬わずにはいられない。

 

 

 

「隆起せよ」

 

 神綺が創造した渓谷の深部を使い、墓廟を作ることにした。

 永きに渡る孤独な神を祀るのだ。恥ずかしくない作りにしなくてはならないだろう。

 私が神綺に渓谷をいじる許可を求めると、“墓というものはよくわかりませんが、是非作ってあげてください”と、概ね快諾してくれた。

 

 まずは、原初の力によって墓廟の本体である廟堂を作る。

 神綺から新たに聞いた話では、原初の力が万能とはいえ、実はこれにも限りがあるらしく、複雑すぎるものや自分で理解できないものなどは、作れないのだとか。

 そのため神綺は私が還る長い間、ずっとビールが飲めなくて悶々としていたのだそうだ。

 つまり、そのもの自体を知っていても、原理や詳細を知らなければ、作り様がないと、そういうことらしい。

 

 なので、ただ漠然と墓廟といっても、私が一度も目にしていないタージマハルを作れるかといえば、それは不可能だ。

 大まかな形くらいは作れるかもしれないが、それはきっとただ壁を貼りあわせて真上にスライムっぽい何かを配置しただけの、建築と名ばかりのオブジェとなってしまうだろう。

 それに、原初の力だけで創った墓など、誰も喜ぶはずはない。

 大まかな材料となる巨大な岩石こそ生成はするが、あとの加工は全て手作業にて行うつもりである。

 もちろん、それで許してもらおうとは……いや、できればそれで許してもらえたらいいなと思う。私なりに頑張って、作るから。

 

 

 

 着工から竣工までは、私一人。

 途方も無い建築プロジェクトが始まった。

 

 魔界に昼や夜の概念が無いために、地球での繊細な時間感覚が狂いそうだった私は、着工前に擬似的な暗い太陽と暗い星を創りだした。

 伴って、おおよその星星も生み出すことで、魔界の空に不思議な夜空が出来上がり、神綺はそれを見て、“綺麗です”と言ってくれた。

 天然の時計もできたところで、鉄のノミなど、地球ではほとんど手に入らなかったような硬い素材の工具をいくつか生み出し、岩を削る作業に入る。

 

 一日、一日。偽りの太陽と月が登りと沈みを繰り返し、何日も何日も、単調な作業を繰り返してゆく。

 岩を削り、柱に彫刻を施す。岩を削り、紋様入りの石レンガを作る。

 人間からしてみれば、非効率極まりない迂遠な作業であることは否めないが、ところが私の時間感覚は、人のそれとは大きく違う。例え私が一人であっても、サグラダファミリアを再現することは、きっと造作も無いことだ。いつ訪れるかもわからない氷河期までには、おそらく確実に間に合うはずである。

 だから、私は、私でも見たことがないような墓廟を作ることに決めた。

 かつての地球でも存在しなかったような、美麗極まる荘厳な石造建築。カンブリアの旅で培った彫刻技術があるとはいえ、私自身の美的才能が決して高くないというのが問題ではあったが、なんとかやってみようと思う。

 それこそ、時間をかけて。あの女神がさまよっていた時間以上を掛けて、つくり上げるつもりである。

 

 

 

 作業中は、ずっとそばに神綺がいてくれた。

 石を削る私の隣でじっと見ていたり、話をしてくれたり、しかし決して私の邪魔はしないように、多分気遣ってくれたのだと思う。

 彼女と昔話を交えながらの作業は不思議と捗り、何年も何年も続けることができた。

 あと、時々彼女もノミを握って石工に挑戦したりもしたのだが、絶望的に下手だったのか、出来上がったものはよくわからないオブジェだった。創造の力を持った神なのに、芸術性が無いって、どうなんだろうね。

 

 けど、そんな神綺も日々努力を続けることによって、煉瓦くらいであれば作れるようにはなった。この調子で、二人で完成まで頑張っていこうと思う。

 

 

 

 日が昇り、月が登る。

 時は流れ、石クズは砂となり、砂地が出来て、そして、墓廟が完成した。

 

 途方も無い時間が経った。およそ、五万年ほどだろうか。

 時の力によって生み出されたのは、見事と言う他無い、巨大な墓廟。

 廟堂の中央には神骨の杖が安置され、内部は魔術の光により、常に仄かな可視性で満たされている。

 

 ひとつの目的を達成した。

 私は神綺と頷き合い、お互いの納得がいったことを確認しあった。

 

 そして、

 

「ライオネル、もっと何か作りましょう!」

「おお!」

 

 私達は、建築と彫刻にハマることとなった。

 時間をかければかけただけ報われるという、この上なく自分たちのライフスタイルに合致したそのマイブームは、およそ数千万年続くこととなる。

 

 

 



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 人の芸術の歴史といえば、数千年程度。培われた結果として一万年に達するものではないのは、確かである。

 しかし、人はその数による淘汰と洗練によって、技術の進歩を飛躍的に推し進めてきた。

 結果、たかだか一万年とは言い切れない程の芸術を、世に多く残して見せたのである。

 

 人の強みは、資料の中に残される知恵や経験と、師だ。

 私には師といったものが無い分、出遅れたような感があるのは否めない。

 事実、私は何万年経っても、ロココだかロマネスクだか、記憶にあるような華美な造形を生み出せなかったのだから。

 

 が、数千万年となれば、話は違ってくる。

 人の歴史の及ばない、数千万年の研鑽。数千万である。これはもはや、師だとか積み重ねだとか、それどころの単位ではない。

 私と神綺は探究心の赴くままに彫刻を続け、忘れることのない経験を積み、技術を高めていった。

 

 長い時さえあれば、技は磨かれる。芸術は花開く。

 私達はお互いの作り出す造形に見惚れ合い、高め合う内に、私の記憶にある芸術を遥かに超えた、新たな高みへと上り詰めてしまったのだ。

 ちょっくら墓廟を作るだけ。そんな気持ちから始まった彫刻が、一大ブームになってしまった。

 後になって“墓廟の出来がイマイチだ”と改修工事も行い、もはや迷走を振り返ることもなく、私達は我が道を突き進んだ。

 

 結果、出来上がったもの。

 

 

 

「……なんだか、すごいの出来ちゃいましたね」

「……そうだね」

 

 大渓谷に、街が出来上がってしまった。

 いや、街と言っていいものだろうか。私と神綺のノリとしては、気長に進めていくレゴブロックっていう感じではあったんだけども。

 いざ熱中し、ここはこうだ。これはこうだ。ここにはパン屋を。ここには市場を。そんな試行錯誤を続けていくうちに、ヴェネツィアも水没してしまうくらいの美しさを誇る超美麗都市が完成してしまったのだ。

 

「街はいいけど、人がいないんじゃなぁー」

「人?」

「うん。あ、人っていうのは……ええと、まぁ、見た目は神綺とか、私のような感じの生き物だよ」

「そうなんですか」

 

 当然、街は無人だ。内装から家具に至るまで、素材から造形まで凝りに凝りまくったのであるが、しかし人がいなければ、イメージの中で躍っていた活気は欠片も見られない。

 そう思うと、せっかく作ったものが完成しないので、ちょっと残念だ。

 

 原初の魔法では、生物を生み出すことはできない。

 以前に何度も試したことはあるのだが、出来上がったのは人型の肉の塊で、ぴくりとも動きやしなかった。

 作り出した当初はあまりのグロテスクさに神綺が悲鳴をあげたほどで、それ以来は一人でやるようにしている。とはいえ、成果は見られない。

 見知ったものなら作れるのではないかとアノマロカリスを生み出してみたのだが、エビっぽい鉤爪のような何かができるばかりで、やはり生物は生まれない。

 

 しかし、神綺が作る場合は、少々挙動が違った。

 彼女が原初の力の扱いに慣れているせいなのか、彼女にダメ元で生物の創造を頼んでみたところ、なんと、神綺はちゃんと動くものを作ってみせたのだ。

 

 ただ、出来上がったものは、奇妙としか言えないものである。

 私のアノマロカリスの説明が悪かったのか、多分、“フックのように曲がっている部分がある”というのが変に伝わったのだろう。

 神綺が創り出した生物は、銀色のフック状の髪の毛のようなものに二本足が生えた、奇妙な……何かであった。

 奇妙な、やけに逞しい何かは、私が唖然とする間にどこかへ走り去ってしまい、今でもその行方は知れていない。

 ただ、創り出した時の神綺の輝く笑顔は、大儀を成したような、やけに充実感に満ちたものであったことを覚えている。

 

 

 

 神骨の杖を祀る墓廟は出来上がった。

 ついで、と言っては少々時間が経ちすぎてはいるが、街もできた。

 

 あとは、こうなれば、住人が欲しくなるというものだ。

 魔界の住人。地球ではない、全く未知である、魔界に棲む者達。

 

「……地球から、持ってこようかなぁ」

 

 神綺が次々に謎の生物を創る姿を眺めながら、私はなんとなく、そんなことを考え始めたのであった。

 

 

 



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 薄々感付いてはいたことだが、おそらく、私には寿命というものがない。

 数千万年も変わらずミイラをやっているのだ。これは、もう後の何千万年も変わらずにいるだろうということは、楽観でしかないにせよ、想像に難くない。

 とはいえ、死なないのかといえば、それは微妙なところである。

 人間だった頃を含めて、私は死んだことがない。なので私にも、私が死ぬかどうかはよくわからない。

 

 長い年月の間、自らの身に降りかかってきた数々の、自然災害という名の不幸を被っても、まだこうして無傷であるので、恐ろしく頑丈ではあるのだが。

 とて、ビッグバンをこの身に受けて死体らしくピンピンしている自信があるかといえば、全く無かった。

 

 これから永く生きていれば、きっと、人間だった頃の私の時代を目にすることとなるだろう。すなわち、一部の霊長類、ヒトの台頭だ。

 のんびりと古代旅行を満喫してきた私だが、その中で、決して少なくない数の生物を、研究目的で殺めてきた。地球上でたったひとりの虐殺者がいたところで、種族という大きな括りではこれっぽっちも影響はないのかもしれないが、しかし、長い目で見てどうなるかは、私にもわからない。

 

 私が何を心配しているのかというと、アノマロカリスをボイルしまくったせいでヒトが生まれない、という可能性も、もしかしたら、あるのではないか……ということだ。

 私は博愛主義者ではない故、殺生に抵抗はないのだが、ヒトの歴史が大きく変わるような生物群の変動が起こるのは、ちょっと困る。

 なので、つい先ほどまで、魔界に様々な生物を大量に移住させようとか考えていたのだが、すぐに思い直すことにした。

 

 ……絶滅する予定の生物だからといって、それをまとめてかっさらって良いとは限らない。

 私がよく知る生物が、かつて絶滅した奇っ怪な生物の子孫なのかもしれないからだ。

 

「やっぱり、自分で作るのが一番かなぁ」

「何をですか?」

 

 私の零した独り言を、煉瓦に彫刻を施していた神綺が器用にキャッチした。

 

「うむ、ちょっと、魔界の住民について考えていてね」

「うーん……生物の創造、ですか……なかなか上手くいきませんよねぇ……」

 

 気が向いたのか、手のひらをかざして神綺が力を込めると、そこにポン、とマヌケな音と共に、例のアホ毛生物が発生した。

 もう何百、何千匹目かわからない、魔界の隠れた先住民である。

 

「私が創っても、思うようにいきませんし……」

 

 浮かない顔で悩んでいるけど、神綺の言う“思うように”という言葉の元のイメージが私にはわからない。

 今もなお床で反復横跳びを繰り返してるこの逞しい何かは、一体何を手本として生み出したのだろう。

 もしもモデルが私だったら数百年間くらい立ち直れそうにないので、未だに聞いてはいないけども。

 

「ライオネルが修めた魔法で、何とかなりませんか?」

「私の魔法か」

 

 魔法、魔術。

 切ったり叩いたり、焼いたりしばいたりは、いくつかの編み出した魔法もあるし、得意である。

 しかし、生物を創ったり、生物を操ったりといった魔術は、そう多くない。

 というのも、まだ操るほどの立派な脳みそを持った生物が地球上に存在しないからだ。

 

「うーん、月魔術は駄目だし……となると、触媒魔術……いや、魔法生物……?」

 

 何かいい案はないものかと考えていく内に、二転三転してゆく。

 生物の創造。生物の生成。そのためには、何が必要か。

 いや、そもそもただの生物で良いというわけでもない。私達が欲しいのは魔界の住人であり、決して歩くアホ毛だとか、歩くアノマロカリスなどではない。

 できれば人型。人型の、ヒトっぽい、知能もあるような、そんな生物が欲しいのだ。

 そういった生き物たちに魔界に住んでもらって、慣れてきたら渓谷に作り上げた街にきてもらい、私が彫りあげた素敵なパン屋さんでバケットを焼いてもらうのだ。

 

 しかし、ヒト型の生物は、今の地球上には欠片も存在しない。

 飼って芸を仕込んでパン屋さんをやってもらうというのも、不可能な話なのだ。

 

「うーん、研究のためにも、一度地球に出向く必要があるのかも」

 

 

 



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 私は、地球へ赴くことにした。

 今度はしっかり準備を重ねた上での出発なので、前回のように無計画な旅立ちではない。

 とりあえずはと、いくつかの荷物を持った上での、万全を期した状態である。

 

「また、行かれるのですね……」

「……ああ」

 

 別れ際、神綺は涙ぐんだ目で、私の見送りに来てくれた。

 

 確かにここは自在に物を創造できるし、話し相手の神綺もいるので、退屈はしない。

 過ごそうと思えば、あっというまに何万年も経ってしまう。きっと神綺と一緒なら、私は遥か未来の人類史まで、苦もなく過ごすことはできるだろう。

 

 しかし、私には魔術という、ひとつの生きがいがある。

 

 魔術は内なる魔力を操舵する方法もあるし、魔界でも当然使えるものではあるのだが、あいにくと月や金星などは存在しない。

 星々の力を借り受ける魔術の場合には、どうしても外界へと行かなければならなかった。

 

 それに、外界には原始的とはいえ、数多くの生物がいる。

 魔界に生物を、果ては人を住まわせるという目的を達成させるためには、どうしても生物の傍らで研究しなくてはならないのだ。

 

 持ち物は、この日のために何ヶ月もかけて創った、純金製の道具類が揃っている。

 成金趣味と罵ることなかれ。純金は長期間錆びることはなく、非常に安定した金属なのだ。

 私の限りなく長いスパンの生活において、この素材をチョイスしたのは実用性を重視してのことに他ならない。

 

 ……もちろん、見た目の良さもあるけどね。

 今日のために、神綺と一緒に色々な彫刻を施したから。

 

「次お会いするのは、いつになるのでしょうか」

 

 神綺の表情は浮かない。

 私も、ミイラ顔だけれど、気持ちは同じだ。

 

 とても長い間、彼女と一緒に過ごしてきたのだ。

 一時の別れとはいえ、これまでの楽しい生活から、相棒が一人減る。しばらく孤独を忘れていた私にとって、今日から始まる旅は辛いものになるだろう。

 

「大丈夫、次も必ず会えるから」

 

 でも、と、私は神骨の杖を掲げて、彼女に見せた。

 

 前回、私の迷走を救ってくれたこの杖ならば、再び魔界へ戻ることも可能だろう。

 やり方は同じで良い。月食を待ち、術を敷設し、その時を狙って、一気に扉をこじ開けるのだ。

 願いが叶えば、ここへ戻るのは容易なはずである。

 

「信じて、待っていますからね」

「うん。申し訳ない。また、ここの留守をお願いするよ」

 

 目的は二つ。

 生物の研究と、魔術の研究だ。

 数千万年の歳月を掛けて、外の世界も大きく変わっているだろうと思う。

 新たな生物や素材との出会いは、それなりの時間をかけながら消化してゆくしかない。

 次にまた神綺と再会するのは、同じく数千万年後……だとしても、あまり不思議はなかった。

 

 

 

「扉よ」

 

 原初の力によって、外界への扉を創りだす。

 それと共に白い靄のようなゲートが生まれ、私の正面に広がった。

 

 ここをくぐれば、当分は神綺ともお別れだ。もちろんその気になればすぐに戻ることも可能だけど、向こう側から帰り道を作る都合上、最短でも百年はかかるだろう。

 

 百年。魔界では短い時間だが、こうして考え直してみると、超大な時間である。

 人間にとっての一生よりも随分と長いくらいなのだ。失念しがちだが、短いはずはない。

 

「また、一緒にビールを飲みましょうね!」

「ああ、また今度、乾杯しよう」

 

 神綺は涙を浮かべながら微笑み、私は小さく頷いた。

 事前準備は、整えるだけ整えたのだ。あとは一歩を踏み出すのみ。

 

 未練をたらたら引きずって旅立つのも格好がつかん。

 私は勢い良く、一気に扉をくぐり抜けた。

 

 いざ、地球へ。

 

 

 

「おろ?」

 

 そして私は、一面真っ白な世界へと躍り出た。

 しょーりゅーけん、とでも言いそうなポーズで、空中に固まっている。

 

 視界は、ホワイトアウト。しかし目を凝らせば、それが隙間なく吹きすさぶ大雪であることに気がつけた。

 

「ギャァアアアアアア!?」

 

 強烈な吹雪によって自らの手さえ見えない。

 視界を白に埋めつくされた中、ただただ、私は絶叫しながら落下する他に、術はなかった。

 

 

 

 これが、私が長い人生の中で初めて体験した氷河期である。

 

 

 



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 かまくら。

 雪で作られるその建造物は、風や降雪から身を守ってくれる。

 そのため、周囲全てが例え雪の塊であったとしても、わずかに外よりも温かいのだ。

 中央に七輪などを置いて、赤々と燃える炭などを投じておけば、真っ白な明るい壁面のお陰で、夜でもなかなか過ごしやすそうなものである。

 さぞや心地よいものであろう。適温ならば。氷点下二十度くらいまでなら、そこそこの建造物だと言えるだろう。

 

 私の人生はとてつもなく長い。

 この先、雪の日なんぞに出くわした時には、きっと人間だった頃の記憶から、かまくらと七輪のセットを思い浮かべることも、多々あるだろう。

 

 けど、私は断言できる。

 

 私は、もうこれから永遠に、かまくらを作ろうなどとは思わないだろう。

 

 

 

「……暇だなぁ」

 

 地下何メートルかもわからぬ、分厚い氷の中。

 月の光はもとより、星々の輝きさえも一切届かず、環境魔力も砂漠のように枯渇した、氷の牢獄。

 今私がいるのは、そんな氷の大地の中に作った、小さな空間である。

 およそ二立方メートルほど。非常に狭い空間だ。けど私は、こんなに狭い一人用の空間を作るためだけに、何十年もの時間をかけなければならなかった。

 

 地球へと再来した私は、何故か空中にいた。思えばこの時、地に足がついていない時点で、浮遊魔術を唱えておくべきだったのだ。

 そうすれば真っ逆さまにクレバスに落ちる事はなかっただろうし、そのクレバスが閉じて、全身をガチガチに固められるなんて不運にも見舞われなかったに違いない。

 

 まぁ、そんな考えも後の祭り。

 哀れ、氷壁によってぺしゃんこに押し挟まれた私は、星々の輝きの届かぬ地下世界で何年もの時間を過ごす事となったのである。

 その後、わずか数ミリ動く指を利用して少しずつ少しずつ氷を削ってゆき……上から氷の礫が落下して、その隙間を埋め立てる。

 空間を得るために、壁を削る。すぐに埋まる。削るまた埋まる。

 

 ただひたすら、その繰り返し。繰り返して、繰り返して……何十年も何百年も氷共と格闘し……。

 

 そう、そして私は、その戦いについに勝利を修めた。

 直立しても何ら不具合の無いスペースを確保し、近くに埋まっていた神骨の杖も回収済みである。

 杖を自在に扱える場所さえあれば、後は問題ない。少しずつ内なる魔力を捻り出し、蓄積させ、脱出を図るのみ。

 

 しかしまさか、氷河期だったとは。

 氷河期なんてものを実際に体験し、その猛威を余すこと無く体感することになってしまうとは。あろうことか、まさか氷に押しつぶされたらどうしようもないなんて、すごくしょうもない自分の弱点を見つけることになろうとは。

 

 私にもまだまだ、未知の領域があるということだ。

 前回の地球探訪で英知を極めてしまったかと錯覚していたが、とんだ笑い話である。

 

 石を彫れば、その美しさを極めるために何千年もの時を必要とし、氷に閉ざされれば、その掘り方で、また何千年もの時を必要とする。

 美しい掘り方も、崩れない掘り方も、どちらも難しい。何につけても、極めるとはとても、大変に時間のかかるものだったのだ。

 

「随分と時間を潰してしまったが……これでようやく、地球旅行に乗り出せるな」

 

 私は杖に力を込め、少しずつ氷を削りながら、氷河期の地球という未知の世界への想いを馳せるのだった。

 

 

 

「えっ」

 

 そして、また氷の天井が崩れ落ちてきた。

 

「……もうやだ」

 

 そろそろ私も、地球が嫌いになっても仕方ないと思うんだ。

 



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 氷河期が終わったのか、急速に氷が溶け始めたらしい。

 地上で何が起こったのかはわからないが、突如としてこの地球に、何らかの大きな力が降り注いだのは確かである。

 それが隕石か、なんとかフレアか、そこら辺は私にはわからないのだが、とにかく大きな異変が訪れたのは確かである。

 

 長い年月、時間もわからぬまま氷と一体となり続けてきた私にはわかる。

 氷が……私が……溶けてゆくのが……。

 

 

 

 とまぁ、ちょっと深刻そうな事を口走ったけれども、私は問題ない。別に正気も失ってはいない。

 ただちょっと、氷と共に過ごす時間が長すぎて、ボケていただけ。

 

 どれだけ掘っても常に真上から新たな氷が落ちてくるので、何年もやるうちについに脱出を諦めてしまったが、そのおかげとでも言うべきか、私は数字に強くなってしまった。

 何故氷の中で数字に強くなるのか。その理由については、語るまでもないだろう。

 ただひとつ、一度記憶したことを忘れない私の頭があってこそできる事ではあったのだ、とだけ、言っておこう。

 

 ともあれ、私はまたひとつ妙な特技を身につけた上、脱出の機会を得た。

 身体に不調はなし。時間がかかりすぎたことを抜きに考えれば、特に痛くも痒くもない拘束期間であったように思う。

 神綺のことは気になれど、特にこれといった変更はない。いつに帰るかは言ってなかったし、どうせ長くなるであろう人生なのだ。それまでは、今を楽しむとしよう。

 

 

 

「おお……」

 

 地上に出た私は、山の上から辺りを見回して、そして感嘆の声を漏らした。

 しかし、これも仕方あるまい。

 

 なにせ、私の視界の隅に、陸上に上がって繁栄する植物特有の緑色があったのだから。

 

「ついに植物かぁ」

 

 アノマロカリスと共に過ごしていた時、海には藻のような生物がいくらでも自生していた。

 しかし、地上に出た植物というものは限られていて、あったとしても緑色をしたカビのような、その程度の存在であった。

 それが、今では地上に出て、苔のような、シダのような生物として、仄かに繁栄している。

 今更だけど、途方も無い時間が流れたのだと、時の進みを体感できた。

 

 

 

 ぱっと目についた地上植物を分析し、早速調査を行う。

 調査と言っても科学的なものではなく、私独自の魔術的なものだ。

 なので、多分現代の感覚とは全く違った調査になっているだろうと思う。逆に私に近代的な方法でやれと言われても困ってしまうけれど。

 

「おお、これは……触媒にすると地属性か。水じゃなくなるんだなぁ」

 

 海の植物は水属性だったけど、地上の植物は地属性。これはわりと、大きな発見である。

 なにせ、今まで見てきた生物は全て、触媒にすると水の様相しか呈さなかったのだ。地属性としての傾向を持つ素材が、実の所一部の岩石にしかなかったので、数が増えてくれる分にはありがたい。

 

 ちなみに今最も不足しているのは、火属性の触媒である。

 植物も化石燃料も無い世界だ。燃える物が存在しなければ、例え雷が落ちたとしてもなかなか燃えるものではない。

 その上、これは酸素濃度の問題なのか、思うように自然の火も灯らない。

 今のところ唯一触媒となるものが一部の硫黄化合物のみなので、植物にはもっと進化してもらいたいものだ。

 

 

 

 新たに増えたものといえば、その程度。

 植物は陸に上がった。けれど、逆に海中の生物は様変わりしている。

 多分、氷河期の影響があったのだろう。水中にいる生物の多くが私の知らないものとなっており、興味は唆ったが、逆に悲しさもこみ上げてきた。

 調べていく内に、氷河期によって絶滅した種類も判明するのだろう。それを知る時がいつかやってくるのだと思うと、胸が締め付けられるような気分になってしまう。

 

「……まぁ、良いか。どうせ生物は進化するんだ」

 

 いずれ、今現在海中に存在する全ての生物が消滅するだろう。

 形を変えて、と言えば優しいかもしれない。けど、間違いなく原型を留めないくらいに変化して、彼らは消えてしまうのだ。

 私は彼らの多くを知っている。その性質や、習性など。何年もかけてつぶさに観察してきたそれらが、全て消えてしまう。

 

 

 

「……」

 

 私は、生物の研究を始めることにした。

 彼ら生物というものを魔術的に究明し、魔界の住人を生み出すために。

 

 

 

 ちなみに、純金製の道具類は全部おしゃかになりました。

 本来なら氷河期で氷の中だろうが何だろうが錆びないはずだったんだけど、魔界からこちらに移った瞬間に、何の影響か変質したらしく、全て黄鉄鉱に変わってしまったのだ。

 これらは火の触媒にはなるんだけど、劣化が早く、今では道具のひとつも残っていない。どうにも損した気分である。

 

 



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 最大の収穫を発見した。

 

「おおっ」

 

 虫だ。

 いや、虫と一口に言っていいものかはわからない。

 当然ながら、今こうして苔の上を這うそいつは私の見知らぬ存在であるため、そう呼称して良いものかは定かでないのだが……。

 

 それは私の知識の上では、ムカデに相当する姿を持っていた。

 

「陸上生物!」

 

 これが私の、記念すべき最初の陸上生物との遭遇である。

 欲しいのは魔界の住人なので、虫系統の生物が何らかの研究の助けになるとは思えないが、記念すべき初めての生物らしい生物だ。

 ウツボっぽい魚やサメっぽい魚もそこそこ材料にはなるかもしれないが、やはり住人としては陸上の環境に対応できる生き物を採用したいところである。

 今のままだと哺乳類が現れるまでは相当な時間がかかりそうなので、今では虫けら程度でも嬉しいものだ。

 

 乾燥していた大地に、菌や苔、そしてシダ植物が繁栄することによって、緑と湿気がもたらされた。

 やがてそのサイクルが続けば、陸にも海と同じように養分が蓄積し、様々な生物の地上進出を促すようになるだろう。

 

 いつの間にやら巨大な山脈も形成されている。雲がそれにぶつかることで雨が降り、川が流れ、そこにもまた、様々な生き物が住み着くはずだ。

 生物進化の躍進は、これからも加速し続ける。

 

「……研究、間に合うかな?」

 

 調査する者は、私一人。

 確かに不老不死ではあるんだけど、我が身一つで多種多様な生物群を調査しきれるのか、かなり不安になってきた。

 調査する後から後から、追加で生物が生まれてくるのではないか。そんな懸念も出てきてしまう。

 生物ひとつに限っても、部位一つ一つを対象とした総当り的な触媒の実験を行い、人工的な進化を促せるか調べなければならないし、そこまでするなら片手間で属性の調査を行う必要も出てくる。

 陸上植物が現れたとはいえ、黎明期の今ではそれを燃料に火属性の触媒実験を行うなど、生物進化の観点から見て、非効率極まりない。私の手で生物の進化を遅らせることだけは、なんとしても避けなくては。

 

「時間がかかりそうだ」

 

 やることは多い。

 月も星も出ているし、魔術の研究にも意識を向けなければならないだろう。

 

 それでも、久々に充実しそうな地球生活の予感に、私は内心で微笑まずにはいられなかった。

 

 

 

 

 いつも通り、触媒の保管は海洋生物由来の袋の中。

 純金の道具類は全てパイライトに変化し朽ち果ててしまったので、一から岩を削って作り直しだ。

 掘削用の土魔術、“精密な劈開”を使うことで以前よりも格段に加工は楽になったけど、それでも石製は石製。寿命が短いのは、相変わらずどうしようもない事だった。

 ならば植物を燃やして鉄鉱石や銅から金属を取り出せば良いじゃないか、と思われるかもしれないが、まだまだ火を扱うには難しい。水を沸騰させる程度の熱を保つのがせいぜいで、金属を熔かすまでのものにはなかなか至らない。

 火属性魔術の触媒となる硫黄化合物も数は限られるし、持続性のある火魔術“呪いの火”も、研究不足故にまだまだ完全とは言い難い。

 

 私の研究は総当りだ。こうして掻い摘んでダイジェストにまとめてはいるが、実際には人間の命では捉えきれないほどの長い時間を以って、長い研究に没頭している。

 自作の工房を構え、自作の道具類に囲まれ、日がな観察と研究と実践を繰り返すのだ。

 

 月の浮き沈みと、星の運行と、生命の脈動を見守りながら、私はここで日々を繰り返す。

 

 私の居場所は、ここではない。

 けど、これもまた一つの平穏だ。

 

 いつか私にも、ずっと安心して居続けられる場所ができると良いな。

 そんな事を思いながら、私は石鍋の中をかき混ぜるのであった。

 

 



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 私の中でもかなり優秀である月魔術、“月時計”が進化した。

 進化、というよりはより洗練されたと言うべきだろうか。要は、私が観測し続けた天体の詳細なデータを術に組み込み続ける事によって、これ以上無いほどに詳細なプラネタリウムを作成できるようになったのだ。

 星の見えない曇天の夜などにこれを使えば、見た目だけなら擬似的に夜空を作ることも可能。

 最初は頭上にちょっとした惑星図を映すだけだった“月時計”も、今では月の要素が月魔術を使用していることくらいしか見いだせない。

 その上、この“月時計”には私が天体を利用した魔術を使う際に必要な惑星の並びなど、二次的な情報も表示してくれる。

 無数に存在する星々の位置から、今現在の位置において最も効果的な術の構築法を示してくれるという、非常に便利な機能である。

 便利とはいっても、これらは全て私の丸暗記が成せる業だ。多分、遥かな時が流れても、きっと人間には使えないだろう。

 

 

 

 発展したのは、天体系の魔術だけではない。

 属性系の魔術も、長い年月を掛けてしっかり洗練された。

 

 氷河期が終わった当初は火属性の触媒が少ない事について困窮していた私だったが、時が経つにつれて、一体何が起こったのか、火属性の魔力が少しずつ地球上に増えていったのだ。

 酸素が増えたのか、それともシダ植物が繁栄し燃料足り得てきたのか、理由はまだはっきりとわかっていないが、勝手に火属性が使いやすくなってくれるのは嬉しい限りである。

 おかげで“呪いの火”も強化され、“青い種火”の火力も増した。

 炎の渦を操って魔法使いっぽい戦いができるようになったのは、私の中でかなり満足できる進歩と言えよう。

 複合的なものではあるが、雷や冷気を操作する魔術も習得できた。五属性魔術にも幅が広がり、月魔術を加えた創作魔術がまた一段と捗りそうである。

 

 

 

 そんなこんなで魔術の方はトントン拍子であるが、永きに渡る研究の末に、それだけに留まらない成果を、私はついに叩き出した。

 

「……“魔力の対流”」

 

 無手にて、一帯の魔力の流れを操舵する。

 内へ内へ。緑に満ちた陸上より、周囲の環境から魔力を削り取り、溜め込んでゆく。

 

 頭上には夜空、そして輝く“月時計”。

 流れこむ魔力と共に、天体の動きを観察しつつ、その一瞬一瞬に応じて最も高い効果を発揮する流れを選択し、内側に巡る力を加速させ続ける。

 胸の内に、焼けつくような奔流が駆け巡る。内に秘めたる魔力の渦を管理しながら、天と地の魔力を制御。

 

 途方も無い時間をかけて魔の道に長けた私だからこそできる、膨大な魔力の無限圧縮。

 やがて実態を持たない魔力によって風が吹き、景色が歪み、プラネタリウムの輝きが揺れ、ボケてゆく。

 視界から消える星々の運行情報。しかし、元はといえば“月時計”も私の記憶が生み出した魔術。発動したそれが消えたからと言って、私が術の継続を断つことはない。

 

 歪み続ける世界の中でも尚、魔力を圧縮し続ける。

 

 そして、マーブル模様の景色が完全に混じり合って灰色になった時、私は胸の内の魔力を開放した。

 

「“魔界の門”!」

 

 叫び、魔力の流れに乗り、灰色の世界の壁に穴を穿つ。

 それと共に、私は黒い穴の中へと吸い込まれた。

 

 

 

 

「とうっ!」

「きゃあ!」

 

 颯爽と穴へ飛び込んだ私は、驚く神綺の目の前で華麗な着地を決めた。

 

 そう、私は魔界に到着したのである。

 

 しかも、ただ魔界へ戻ったのではない。

 以前は月食時に神骨の杖を使わなければ戻れなかったところを、なんともない月の時分に、杖無しで戻ってみせたのだ。

 

 これこそが、私が長年の魔術研究によって編み出した魔術。

 超大な魔力を集積し、朽ちることのない身体の中に延々と限界まで溜め込むことによって、自らの周囲を魔の空間に巻き込み、魔界へと接続する。

 名づけて“魔界の門”。そのままである。

 

 魔界へ移動する方法というものは、実は結構前から解明できていた。

 現世と魔界は全く異なる世界でありながらも、その距離は非常に近い。言うなれば、裏と表の関係と言えるだろう。

 それさえわかれば、あとは応じた力によって移動のための手段を選択し実行するばかり。

 蓋を開けてみれば、必要な物は次元を歪ませるだけの“重い魔力”を精製するだけだったので、身につけた今となってはなんということもない結論だった。

 

 欠点としては、私以外が使うにはあまりにもリスクが大きいのと、やはり準備に時間がかかりすぎてしまうということだろうか。

 

「ら、ライオネル!? 戻られたのですか!?」

「うん、ただいま」

「び、びっくりしましたよ! 空間に変な歪みが出来たと思ってこっちに来てみたら、ライオネルが降ってきて……!」

「ごめんなさい」

 

 あと、どうやらこの転移魔術、魔界の方が結構騒がしくなるらしい。

 まだまだ改良の余地があるかもしれぬ。

 

「あ、神綺、帰って早速なんだけど」

「何でしょうか?」

「神骨の杖を忘れてきちゃったから、また外界に戻るね」

「……」

 

 ともあれ、私の身ひとつでも魔界との移動が可能になった。

 本来祀られているべき神骨の杖を外へ持ち出す必要がなくなったのである。

 

 これによって、あの女神も本当に静かな眠りにつけるはずだ。

 

 そう思うだけで、私はほんの少し、彼女に報いた心持ちになれたのだった。

 

 

 

 



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 人間、余裕が生まれると遊びに走るものだ。

 私が魔界で彫刻に執心したように、この緑が生い茂る地上においても、私は遊ぶ余裕というものが生まれつつあった。

 

「ふむふむ、やっぱりこう漉いたほうが良さそうかな」

 

 私の果てしない時間の過ごし方は、その全てが私の趣味と言っても過言ではないのだが、気分的には、魔法の探求が仕事で、他が趣味といったところである。

 なので今、私がやっている事は、完全な趣味の範疇であった。

 

「お、うまくいきそう」

 

 材料は、辺りに鬱蒼と生い茂るシダの樹木。これらは時代の流れと共にあっという間に繁栄し、大陸の中央をシダだらけに変えてしまった。

 巨大に育った個体も多く、中には樹高十メートル以上を記録するものまで確認できる。

 

 ここまで生えているならば、利用しない手はあるまい。ということで、私はシダを使った紙作りに挑戦しているのだった。

 

 いわば、和紙だ。

 繊維をほぐして、紙状にまとめ直すという方式での作成に、今のところ躍起になっている。

 最初のうちはビスケットのようにボロボロと崩れたり、硬すぎて使いようのない仕上がりばかりだったのだが、近頃ではなかなか上手くいくようになってきた。

 繊維方向と長さをまとめるコツを掴んでからは、紙の質も向上している。

 なるべく繊維を切らないように解すのは一苦労だが、苦労したなりの結果が紙の丈夫さとして現れてくれるので、なかなか馬鹿にできたものではない。

 

 最近では、長いシダの繊維を編みこむような漉き方も心得てきたところ。

 シダ紙作り職人のライオネルとは私のことだ。……今のところ、神綺にさえその異名は知られていないが。

 

 

 

 紙作り。

 どうして私がこのような作業に没頭しているのかというと、答えは簡単。本が作りたいからである。

 なんで古代に本作り? と思われるかもしれないが、そこは私の凝り性がそっちに傾いたというだけのことで、特に深い理由は無い。

 強いて言えば、忘却を知らない私の頭の中には、長い年月を掛けて培った様々な空想物語が出来上がっているので、その捌け口が欲しいといったところだろうか。

 本を差し出す相手が神綺のみというのが悩みどころだけど、まぁ、魔界にでも安置しておけば、やがて住民が入居(予定)すれば読んでもらえるだろう。

 つまりこれは、未来への先行投資。将来私の本を読んでくれるであろう人に向けた、遠い遠い、果てしない未来へのプレゼントなのだ。

 

 強引に理由をつけるならばそんなところで、まぁ所詮は趣味である私の本作りが続けられているわけだった。

 

 本といっても、当然ながらただの本ではない。

 作っても数百年の時を経て朽ち果てちゃいました、なんて当たり前で物哀しい事件だけは避けたいので、しっかりと魔法によって防護された、恐ろしく頑丈な本を作るつもりである。

 シダの繊維でそんなものが作れるはずはないが、不足分の大半は私の魔術が埋め合わせてくれる。なのでこちらの目標はただひとつ、綺麗に本の体裁を整えるために尽力することだ。

 

 分解、漂白、変質、強化、固着。

 多分、和紙作りの職人はもっと普通な工程を踏んでいるんだろうけど、材料からして私のオリジナルなのだから仕方ない。

 私の魔術の技量が許す限りにアレンジを加え、紙質をより上質に、高度なものへと変えてゆく。

 合わせて考えなくてはならないのが、本の保存法。基本的に魔界にあれば問題はないだろうけど、数千年や数億年は保たなければ意味が無いし、どちらの世界も、それだけの時間が流れて無事で済む保証はない。

 このシダの書(仮)には、私の力の限りを尽くした保護魔術を掛けねばならないだろう。

 本の内容も様々な候補があるが、ひとまず重要なのは本の耐久性である。

 当面は紙の見栄えの良さと、そちらの方に力を傾けるつもりだ。

 

 

 

 さて、この本に尋常ならざる耐久性を与えるということは、要するに“魔法”をかけ続けるということである。

 一度かけたら、あとはずっとそのままでいい。なんて都合の良い話は存在しない。

 魔法にだって電池のような寿命が存在するし、魔力が枯渇すれば消滅してしまう。

 呪いのように、物や生物に固着して効果を発揮し続ける魔法もあるにはあるが、それも魔力源があってこそだ。

 

 例えば持続性のある呪いである“呪いの火”は、付着した場所で炎を発し続けるというものであるが、これの魔力源は主に月光や、星の輝きである。

 触媒を含ませればもう少し長持ちはするものの、天を覆い隠す雲が現れれば火力は弱まり、悪天候が一日も続けば完全に消えてしまう。

 

 私の魔術にはそういった星々の運行に頼っている部分が多いために、天を隔てる屋内や、悪天候によって、魔術のエネルギーは大きく削がれるのだ。

 同じ事は本に掛ける魔術にも言えるだろう。

 屋内や悪天候でも揺らぐことのない魔力源の確保は、本の作成において必須項目と言えた。

 

 天体魔術の他にも、属性魔術のように、周囲の環境から魔力を取り寄せる方式もあるが、そちらも安定しているとは言い難い。

 ならば他に供給手段があるかと言えば、思いつかない。

 

「うーむ」

 

 私は数年間、紙を漉き続けながら悩むのであった。

 

 



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 紙を作って幾星霜。

 

「じゃーん」

 

 はい、出来上がった物がこちらになります。

 

 紙部分のメイン素材はシダのみ。表紙などは他の生物による素材を拝借し、素材によって様々な色合いが思いのまま。

 紙一枚一枚が樹高十メートル以上にもなる木生シダの繊維によって丁寧に編み込まれ、まるで上質紙のような靭やかさと光沢を実現。

 全ページの紙繊維には魔導書職人ライオネルが数百年かけて編み込んだ属性魔術式、算術式、天体式が常時発動し、隕石の直撃にも耐えうる強度を確保。魔力源は近場に存在する生命からでさえ強引に吸収、運用が可能。

 

 うん? でも魔力源が無いと、劣化するんでしょうって?

 奥さん、心配ありません。

 

 今回紹介致しますこれは、魔力源の喪失による強度の劣化を防ぐため、書物内の魔力が低下すると同時に、なんと本が自動で転移魔術を発動。

 魔力環境の整った地域へと瞬間移動するので、魔力源が尽きることは一切ありません。

 仮に地球上から魔力が喪失したとしても、ご安心下さい。魔本は最終的に魔界の専用本棚へと転移するので、例え地球がぶっ壊れても大丈夫。

 

 本の装丁は全工程が魔界一の美女神、神綺によるオーダーメイド。人智を超えた美麗なデザインは、きっと西暦三千年までの皆様にご満足いただけることでしょう。

 

 「一生懸命頑張りました。これ、皮っていうんですね。最初は戸惑いましたけど、やってみると楽しかったです。今度はこっちでも色々作ってみたいです」 一億代 女性

 

 

 

 はい、まぁ、そういうことで。

 不滅の本が作れるようになったわけである。

 

「ちょっとやりすぎたかもしれんね」

 

 今現在で私が持てる知識と人脈(神綺)を総動員した結果、生まれたのがコレだ。

 試作としていくつも失敗作を量産してしまったけれど、とりあえず納得のいくものとしては、十三冊ほどが仕上がった。

 神綺も嬉々として手伝ってくれたので、表紙などの見た目は最高品質。検証と実験を重ね、本の耐久性も問題無しだ。

 本の内容は、以前から私が頭の中に溜め込んでいたものを放出した形になる。

 無尽蔵かつ正確無比な記憶力を持つ私にとっては、自らのための本というものはまったく不必要ではあるのだけど、これは私以外の他者へと向けた品だ。

 なので内容も、他人向きのものとなっている。

 

 ズバリ、出来上がったのは“魔導書”である。

 

 ここまで丹念に作っていくと、さすがに私も、物に対して情が湧く。

 貴重な本に脳内妄想ファンタジーなどという陳腐な代物を書き記すわけにもいかないので、内容を変更し、魔術の指南書としたわけだ。

 

 読んだ相手に“魔力の存在”を知覚させる術を掛けるなんて品も出来上がった。本そのものが術を持ち、発動させるという特性を利用したのである。

 

 私は魔術が好きだ。魔術が様々な人や生物に広まってくれるのであれば、それに勝る喜びはない。

 まだ、そもそも本を捲るだなんて高等生物は存在していないけれど、いつか共に魔法を探求し、切磋琢磨できる相手が現れたらいいなぁ、なんて思う。

 ……いつになるのやら。

 

 ちなみに、記した文字は私が独自に発明した、いうなれば魔界文字である。ローマ字も漢字も不完全だなーと以前から思っていたので、別のものを使うようになった。

 なので、この魔導書を読むためには、まずは解読から入る必要がある。それだけでも高度な知性が要求されるので、そんじょそこらのショボい霊長では魔術の魔の字に触れることも叶わないだろう。

 また、魔力環境の薄い場所で本を広げると読者からも魔力を供給しようとするので、結構な危険物でもある。本は明るく、魔力のある場所で読みましょう。

 

「……なんか、当初の予定と違うような?」

 

 というかこれ、本って呼べるのだろうか。

 

 



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 本を一箇所にまとめて置いておいたら、いつの間にかそれら全てが消えていた。

 おそらく、同じ場所に置いたせいで周囲の魔力を取り合い、全ての本が魔力低下に陥ってしまったのだろう。

 彼らはそれぞれどこか別の場所へと自動転移し、よろしくやっているはずだ。

 傷ひとつ付かない仕組みになっているので、マグマの中に落ちたとしても大丈夫だけど、長年あの本達の制作に携わってきた私からすると、それでもちょっと不安になる。

 

 またどこかで偶然、ばったりと出会えたら良いな。

 地球上で旅を続けていれば、きっと巡り会うこともあるだろう。

 

 

 

 

「ですがライオネル、本当にあの本を読めるような生き物が、外界に現れるのですか?」

 

 馬乗りになった神綺は上下にゆっくりと浮き沈みしながら、怪訝そうに言った。

 

「ああ、今はまだ、虫とか魚くらいのものだけど……私にはわかるよ。きっと将来、私達のように手足を持った生物が地球上に現れるはずさ」

 

 仰向けになった私は、同じくゆったりと上下に動きながら言う。

 

「じゃあ、この虫は繁栄しないのですか?」

 

 神綺が自分の真下を指さす。

 

「うーん……ちょっと、生き残るにしては……大きすぎるからねえ」

 

 虫。それは今、私達が“乗っている”巨大生物のことである。

 全長2~3メートルはあろう、巨大ムカデだ。

 ムカデといっても甲殻がダンゴムシのような造りなので、一見するとムカデには見えないが、裏側を見るとわりとムカデな感じである。

 

 実は、ちょっと前からこのムカデのように、地球上からいくつかの生物を拝借し、魔界に住まわせている。

 

 原初の力を用いれば、それっぽい山岳もそれっぽい海も思いのままに創れるので、環境を整えるのはそう難しくはない。

 ただ、植物などは原初の力であっても作ることはできなかったので(その時も神綺はまたよくわからない銀色の謎生物を作り出していた)、地球から苗を持ってきて一から栽培している。

 山を作って一から植林するだなんて、人間からしてみれば一大どころでない無謀なプロジェクトだけど、植物の寿命などうたたね程度のノリで待っていられる私達の気長さをもってすれば、全く大したものではない。

 

 そんなこんなで、海や山を創り出し、大渓谷の周囲を自然豊かな世界に変えたのである。

 地球と魔界を何度も往復したおかげで、魔界の扉を開く作業にも随分と慣れてしまった。

 

「ライオネル、体が大きいと生き残れないんですか?」

「あー、うーん、そういうわけじゃないんだけど……」

 

 神綺の問いに、私は言葉を詰まらせる。

 

 私も専門家ではないので、詳しいことを知っているわけじゃない。

 ただ、マンモス然り、恐竜然り、巨大生物というのはほとんど古代特有のものである。

 哺乳類にせよ爬虫類(双弓類?)にせよ、巨大なものは淘汰されてしまい、現代に残るのはサイズを小さく変えた者達ばかりだ。

 

 ただ、その理由は定かでない。一説には酸素濃度が薄いからだとか、重力が変わったからだとか、気候の変動に弱いからだとか……様々な説がある。

 

 言うに困って、私は神綺が一番納得しやすそうな説を唱えることにした。

 

「ほら、身体が大きいと、食べる部分が多いじゃない。だから色々な生き物から狙われてしまうんだよ」

「なるほど!」

 

 わあ、神綺さん純粋だあ。

 

 

 

 

 魔界の酸素だとか、太陽の有無だとか、様々な疑問は私の中で尽きないが、大渓谷の周囲に広がる森林は、果てしなく広がっている。

 海に生きる十メートルくらいの巨大貝や、山林に住まう巨大サソリや巨大ムカデも元気そうなので、環境の違いについては、今のところ心配する必要はなさそうだ。

 ビオトープにしては広すぎる感じもあるけど、概ねこの魔界の庭も、地上と同じ形を保っている。

 

 最初に昆虫を持ち込んだ時などは、神綺も初めて目にする生物達にいたく感激していたようなので、魔界の動植物と地上の動植物の進化に違いが出てきた時などは、逐次地上からアブダクションしてもいいかもしれない。

 

「しかし、魔界の“住人”と呼ぶには、まだまだ知性が足りないよなぁ……」

 

 生物自体は、膨大にその数を増やしている。

 しかし、私と神綺が作った彫刻の都に住まわせるには、彼らにはちょっとばかし頭が足りない。

 生物の移転と同時に研究も行ってはいるものの、哺乳類のホの字の影も見られない現状では、知性ある生物を生み出すという課題は難題であった。

 

「でもライオネル」

「はい?」

「私、こういう生き物がいるだけでも、すごく楽しいですよ」

 

 巨大ムカデに揺られながら、神綺は微笑んだ。

 

「……喜んでもらえたなら、何よりだよ」

 

 まぁ、彼女が喜んでくれるなら、別に良いか。

 どうせ地球上では、数億年後ともなれば勝手に霊長が蔓延るのだ。

 それまでの間、こうしてゆったりと待っているというのも、悪くはない。

 

 そんなこんなで、私と神綺は、魔界でののんびりした時を過ごしてゆく。

 

 



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 森林の成長に、生物の進化。

 どちらも一朝一夕には立ち行かぬものであり、そればかりはこの大魔術師ライオネル(自称)の力をもってしてもうんともすんとも言わない、時の流れだけが御しきれる問題だ。

 そのため、そういった生物の研究が一段落する度に、私は新たなる発見が地面からニョキニョキと生えてくるのを待たなければならない。

 もちろん、何もせずに待つなんて無駄なことは、シダが炭化して石油になって猿に掘り起こされるほどの時間を持つ私でも、あまり好ましいものではない。

 

 なので私は、多少無理矢理にでも、他の研究に没頭することになる。

 

 

 

 

 魔界の中央と私が定めた、名も無き神の墓廟。

 その周囲に広がる彫刻の美しき都。

 それらを包むように延々と刺々しい景色を連ねる神綺の大渓谷。

 そのまた周囲を、更に超大な範囲に渡って勢力を広げ続ける、太古の大山林。

 

 私が今いる場所は、そのどれでもない。もっと外側の、未だに何の手も加えられていない、平たい地面の空き地である。

 

「“魔力の収奪”」

 

 そこで、私は枯れ果てた両腕を掲げ、魔力の風を発生させた。

 純粋な魔力の流れだけで巻き起こる風圧は、辺りの景色を陽炎のように歪めてしまう。

 しかし、このヒズミをなんとか安定させることこそが、大魔力を行使する上では重要なのだ。

 周囲一帯から強引に奪いとった魔力を身体の中に固め、数学的魔術……“算術”と呼称する私の新たな技術によって、それらを適度な大きさと役割に分割し、あらかじめ定められた順番によって稼働させる。

 

「“破滅の息吹”」

 

 そして、いかにも物騒な名前を告げると共に、手から力を開放した。

 

 ところがどっこい、この名前は決して格好つけでも背伸びでもない。

 実際に“破滅”でしかない魔術なのだ。

 

 手から放たれる灰色の風は、私の正面を駆け抜け、灰燼を巻いて吹き荒ぶ。

 巻き起こる灰燼は、風が通過した地面の残滓。

 私の“破滅の息吹”によって削られた地面が、塵となって崩れた姿である。

 

「……うーん」

 

 “破滅の息吹”。複合魔術として、この威力は申し分ない。

 実験上、あらゆる頑丈で安定した物質をもボロボロに崩し葬り去ってしまうことは確認済みだ。

 今見てみたところ、その効果範囲も何回か前の時と比べて格段に広がっている様子でもある。

 

「頼もしくはあるけど、実験材料を確保するという点ではなぁ……」

 

 どんな相手にも通用し、問答無用で粉砕できるこの魔術は、実に強力で頼りがいがある。

 しかし本来、こんな魔術を作り上げる前に気付くべき事なのだが……相手をコナゴナにしたら、材料にも素材にもならないよね。

 

 ……まぁ、でも作ってしまったものは仕方ないし……ゴミ捨て魔術として活用することにしようかな。

 

 

 

 

 私の魔術は、魔界の住人育成(作成?)プログラムのために、そちらの研究へと傾向していた。

 生物の研究なので、必要なものは既存の地球の生物である。

 生きているもの、死んでいるもの、どちらでもウェルカムだが、生きているものは強引に呪いによって動きを縛れば魔界へと移送できるので問題はない。

 

 重要なのは、むしろ死体の方である。

 今更、私が十メートルの魚類や両生類や爬虫類に遅れを取るということもないのだが、そういった巨大生物が相手だと、多少なりとも手荒な戦いになるのも当然だった。

 

 魔法使いの威厳にかけて、それらの生物を倒すのは造作も無いと重ねて言わせてもらう。だが、“月の槍”にせよ“樵の呪い”にせよ他の属性魔術などにせよ、相手を大きく損傷させてしまうのが、戦いの上での美点ではあるが、研究上の大きな難点でもある。

 いかに、相手を傷つけずに殺すか。

 毒や空気を操作する魔術を用いれば擬似的に同じ効果で相手を死に追いやることも可能だが、相手が水中であったり雨天であると使えない魔術では、確実性に欠けてしまう。

 なにより、そのような中途半端な魔術で問題の解決を図るのは、長年培ってきた凝り性が許さないというものだ。

 

 いつでもどこでも使える、汎用ぽっくり即死魔術。

 語感はゆるいけど意味は物騒極まりないこの魔術。これこそ私が目指すべき、生物素材収集のための、メインウエポンとなるだろう。

 

 

 

 

「……“蝕みの呪い”」

 

 地球上の、どこかの大陸。

 樹高三十メートルの巨大シダの傍らで眠りこける、オオサンショウウオのような巨大両生類に向けて、私は新作の魔術を放った。

 

 手のひらからにじみ出る黒い靄が、吸い込まれるようにして両生類の皮に触れ、中へと浸透してゆく。

 その瞬間、両生類がビクリと跳ねて、小刻みな痙攣を始めた。

 

「ああ、駄目か」

 

 両生類は全身から黒い靄を出しながらその場で苦しげにのたうち回り、数秒後にピタリと動かなくなった。

 時間にして、六秒といったところだろう。

 

「……死んでるけど、これじゃ駄目だ」

 

 オオサンショウウオは死んだ。外傷は無く、当然出血もない。私の魔術によってもたらされた死は、確かにその効果を遺憾なく発揮したのだろう。

 けど、私はこの威力に満足しない。

 

「相手が苦しまないよう、一瞬で仕留めないと」

 

 生物を死に至らしめるためだけに生み出された、凶悪な魔術。通称“蝕みの呪い”。

 理論の原型は組み上げたものの、完成までにはまだまだ時間が掛かりそうだった。

 

 時間はまだまだ沢山あるが……“あれ”が現れる頃までには、なんとか完全な形に持って行きたいものである。

 

 



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 私が生物を生み出そうとすると、肉塊が現れる。

 しかし他の、ただの物であれば容易に生み出せるし、物と言うには少々複雑なビールなんていうものでさえ作り出せてしまう。

 

 この偏りは何なのか。

 きっと、生物・無生物という違いはあるだろうと思う。

 

 魂と、魂なきもの。

 私は未だに、魂というものの存在をしっかりと掴みきれてはいないのだが、一部の生物そのものに対して理解を最大限深めつつある私にとって、未だに認識できないものがあるのだとすれば、それは魂だと言う他ないだろう。

 

 

 

 

「いでよ、“アノマロカリス”」

 

 私は魔界の海の上に立ち、右手から紫の輝きを放出した。

 輝きはすぐにひとつの形へと収縮し、見慣れた形となって姿を現す。

 

 アノマロカリスだ。

 ただし、どこか不完全で、作り物のようで、全く動かない物体である。

 

「駄目か」

 

 アノマロカリスがたの肉塊は水面に落ち、大きな飛沫を立てて海底へ沈んでいった。

 泳いでいる様子も、これから泳ぎだす気配もない。

 あの肉塊もまた、一時間もしないうちに海中の巨大魚類によって食われてしまう運命だろう。

 

 ……生物の創造。

 それは、原初の力を以ってしても成すことのできない、私の抱える大きな課題の一つである。

 

「神綺は、曲がりなりにも……一応……動くものは作れるのになぁ」

 

 あれを生物と呼ぶのは私としてはかなりの抵抗があるが、しかし神綺には間違いなく、生物を生み出す才能が備わっている。

 現れるものこそ、奇妙という言葉でさえ不足極まる謎のアホ毛二脚生物ではあるが、あの無駄な躍動感ある動きは不本意ながら、生物と言う他ないだろう。

 本来なら私がヘビでもゲジゲジでも何でも作り出して、生物とはこういうものなんですよお嬢さんとでも優しく教えてやりたいのだが、今の私ではミジンコでさえ創り出せる気配がない。

 

「もしかしたら……生物の創造は、神綺にしかできないことなのかもしれない」

 

 自分で生物が創れるのであれば、魔界の住人を生み出すのは非常に楽になる。それだけで私の目的が達成されると言ってもいい。

 しかし、創れるのが神綺だけとなればそうはいかない。そして、人間を知らない神綺には、きっと実物に近い何かがやってくるまでは、人間まがいの何かしか生み出せないだろう。(脚だけならあんなに忠実に創れるのに……)

 

 道を端折って楽をしようと思ってみたが、どうもうまく行く未来は見えてこない。

 ここはやはり、生物を良い具合に“くっつけ”たり、“合成”したりするのが一番だろう。

 なに、別に魔術的なキマイラを作ろうというわけではない。そっちの方にも興味はあるけれど、やること自体はただの品種改良みたいなものである。

 

 

 

 

「ライオネル、何を作っているんですか?」

「うん?」

 

 大渓谷の一際高い場所の一角にて、私がちょっとした作業に没頭していると、神綺が六枚の黒い翼を広げてやってきた。

 

「これは服だよ、服」

「服?」

「私のね」

「え? ライオネルって服をお召になるんですか?」

「神綺、私でも滝のような涙は創り出せるんだよ?」

 

 まるで私が常に腰にボロ布を巻いてるだけの存在みたいな言い方じゃないか。

 いや、事実一億年以上もこうしているから、何の反論もできないんだけどさ。

 

「まあ、いつも同じ格好だなとは思っていましたけど……どうして突然、服を作ろうだなんて?」

「うん……まぁ、魔界の住人向けに、ね?」

 

 魔界の住人。それはおそらく、ずっと先の話になるだろう。

 けど、それがいつになるかはわからない。

 もしかしたら、神綺が何かの拍子に“作れちゃいました、てへ”みたいな薄いノリで人間を生み出しちゃったりするかもしれないし、私の方こそ、“人間よ、現れよ”なんて言って出してみたら何か成功しちゃったりするかもしれないのだ。

 それがいつになるかはわからないが、少なくとも神綺の方は、彼女の才能が全く読めないだけに、明日にでも成功する可能性も否定できない。

 

 もしそんな時に、私がガリガリマッパに腰巻き一丁で居てみなさいよ。

 きっとその時も私の姿はこれがスタンダードなのだと記憶されてしまい、今の神綺みたいなやり取りが繰り返されてしまうかもしれない。

 つまり、ライオネルってその格好が基本なんでしょ、みたいな。

 

 ……そう、私はそれを回避すべく、悲劇を起こさないべく、服を作っているのだ。

 

「服だったら、原初の力で生み出したら良いじゃないですか。今やってる作業って、本の時と一緒のやつですよね」

「原初の力で生み出した物だと、強度が弱いんだ。というより、完全じゃないと言うべきか……うーん」

 

 今、私はシダの繊維を原料として、自前の服の生地を作っている最中だ。

 原初の力で作ろうと思えば、まぁものの数秒で生み出せるのではあるが、それだとどうしても生地が“綿っぽくない”というか……あまり服らしくない。

 それに、一度試してみて気付いた事として、服でも紙でも魔術を定着させるには、現世から持ってきたものが一番というのも、理由として大きい。

 

 魔界の住人として、せっかく自分の顔ともなる服を作るのだ。

 どうせなら得意の魔術を織り込んだ、オーダーメイドに相応しい逸品にしたいものである。

 

 あらゆる衝撃に耐え、あらゆる相手の魔術を無効にし、着ているだけで姿を隠せて音速で走れるようになり空も飛べて太陽光受けて二酸化炭素を酸素に変換してお菓子を食べても太らなくなり芳香剤代わりにもなって……。

 

「ライオネル、繊維が崩れちゃいそうですよ!」

「おっと、いけないいけない、ありがとう」

「いえいえ」

 

 

 

 

 結局、服作りは順調に進んだものの、生物方面の研究は数千万年経ってもほとんど進歩することはなかった。

 加えて地球がまたしても氷だらけになってしまったこともあり、研究が本格的に頓挫。

 そればかりか、魔界の動植物達は生態系や環境が緩やかなためか進化も退化もすることなく、単純な数を増やしたり減らしたりを繰り返すのみ。

 

 魔界に戻れなかったり、地球に行けなかったりといった分かりやすい問題は無いにせよ、進展が見られない、恐ろしく閉塞的な時代が続くのだった。

 

 



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 私が人間だった頃の現世では、二酸化炭素の排出量が多いために、地球が温暖化したのだという。

 大気中の二酸化炭素は、温室効果を持っているのだ。

 二酸化炭素は、ものすごくざっくり言えば炭素が燃えたもの。

 炭素が何かって言うと、そこいらの学生にすら殴られるくらいざっくり説明すると、つまり燃える物のことである。

 

 人間が地球上に広がり、石炭を始めとする地中に眠り続けていた化石燃料が発見されると、人はそれらを燃やして、ひたすらに湯を沸かし続けた。

 産業革命は人々を豊かにしたが、そのかわりに、大地に隠れていた炭素の塊が二酸化炭素となり、人類の未来に警鐘を鳴らしている……。

 

 ……今の私には、まぁ、関係のないことなんだけどね。

 

 

 

 今回訪れた氷河期は、温暖化の真逆を行くものである。

 

 シダ植物は、温暖な地球であまりにも大繁栄しすぎてしまった。

 その繁栄の規模たるや、生えては倒れ生えては倒れで、腐る前から伸びては倒れを繰り返すほどである。

 陸地を文字通り全て埋め尽くし、所によっては倒木が水中にすら侵略する、迷惑極まりないシダ無双。

 無尽蔵に行われ続けた光合成は、呼吸を行う全ての生物をあざ笑うかの如く二酸化炭素を酸素へ還元し続け、温室効果ガスをもりもり取り込んでゆく。

 

 それが原因かどうかは、確証が持てないのだが、しかしある程度まで地球を眺め続けてきた私は思う。

 今回の氷河期、絶対にシダ(こいつら)のせいなんだろうな、と。

 

 

 

「うわー、やっぱり良い思い出はないなぁ」

 

 私は扉を潜り抜け、氷の大地にやってきた。

 手には大きな杖も携えて、準備は万全である。

 

 杖といっても、神骨の杖ではない。あちらはもう二度と触れることはないように、墓廟の中で眠りについている。

 今私が握っている杖は、それとは別の魔界製の杖である。

 魔法使いといったらやっぱり杖なので、使うことにしてみたのだ。

 神骨の杖とは違い、機能性はあくまで魔力操舵の精度を補助する程度でしかなく、正直なところ私には無用の長物ではあったのだが、魔法使いのようなローブを作った手前、杖を作らずにはいられなかった。

 

 できれば、何百年経っても劣化しないような素材が一番なんだけど、魔界から地球に移動させた途端に物が変質してしまうという厄介なルールがあるために、金などを素材にはできない。

 かといって、私が書き上げた13冊の魔導書のように魔力を吸って強度を上げるのでは、魔法使いの杖としては趣旨が真逆である。

 

 なので、私が作ったこれには、特殊な“頑丈さ”を付与する大魔術が施してある。

 

 名づけて、“不蝕不滅の呪い”。

 

 以前に作った“不蝕の呪い”の更に一段階上をゆくこの呪いがかけられたものは、経年劣化などの軽微な損耗からは“不蝕”によってある程度自動的に守られる。

 とはいえ傷つかないわけではなく、強く叩けば凹むし、思い切り曲げてしまえば当然のように折れてしまう。

 この点は、魔導書よりも性能が劣る部分だろうか。

 

 しかし“不滅”の力が発動すれば、杖はいつでも呪いを起点として再構築することが可能だ。

 

 杖は辺りの適当な素材を、土でも砂でも氷でも、あらゆる物質を集めて、杖としての形と機能を再構築する。

 再構築に必要なのは、やはり魔力になるのだが、魔導書とは違って自分の意志で再構築できるので、魔力が奪われるといった心配がない。

 不要になったら壊せばいいので、持ち運びに困ることもない。

 

 杖を記録した“不蝕不滅の呪い”の大本は、私のローブの袖に刺繍としてかけられている。

 私が自分からローブを脱がない限りには、微弱な魔力供給が途切れることもない。

 

 私が生きている限りは、杖を生み出せるというわけである。

 

 これでいつでもどこでも魔法使いスタイルだ。

 急な魔界の住人と出会っても、大魔法使いライオネルの威厳は崩れないぞ。

 

 

 

「さあ、今日も練習だ! “極太極光極炎レーザービーム”!!」

 

 掲げた杖から、余波だけで凍てつく大地を溶かすほどの白い熱線が放たれる。

 

 つまり、私は暇だった。

 

 

 



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 新しい魔術を編み出してみたり。

 

 マジックアイテムを適当に作ってみたり。

 

 神綺と一緒に囲碁やってみたら楽勝すぎてすぐにやらなくなったり。

 

 再び彫刻に精を出して、大渓谷の高い場所に私専用の根城を作ってみたり。

 

 第三のビールよりももうちょっと美味しいビールを出せないかと頑張るものの、やっぱり出せなかったり。

 

 魔界の区画整備と称して、様々な実験場や地形を辺鄙な所に作ってみたり。

 

 まだ誰も住民のいない彫刻の都のパン屋さんで、なんとなくパン(みたいなもの)を焼いて、神綺に食べさせてみたり。

 

 神綺がパン(みたいなもの)嫌いになってたり。

 

 ちょっと目を離した隙に木生シダ共が樹高五十メートル近い大成長を遂げてたり。

 

 すっかり存在を忘れかけていた謎のアホ毛生物が墓廟の大階段に座り脚を組んでいたり。

 

 その話を神綺にしたら、“え、あれってまだ生きてるんですか”ってものすごく他人ごとな感じだったり。

 

 

 

 

 ……色々なことがあった。結局のところ、大概がしょうもない暇つぶしだったのだが。

 それでも、今となってはみんな輝かしい思い出である。

 

 凝る余地を残す分野においては、膨大な時間の中とはいえ、時間を忘れるほどに熱中できるものだ。

 特に彫刻による住居の作成などはやりがいがあり、神綺と一緒になって行う単調な作業は、私の心を癒してくれた。

 

 遊びも、研究も、他の色々も。

 

 神綺と一緒にいるから、私はこれまでやってこれたのだろう。

 きっと一人だったら、私の壊れるかどうかもわからない心も、きっと歪な形にねじ曲がっていたに違いない。

 

 だからこそ、私はなんとしてでも、魔界の住人を増やしたい。

 私がいない時でも神綺が退屈しないように、彼女と笑顔を共有できるような、そんな住人をもっと沢山増やしたい。

 

 

 

 

 だから私は、氷河期が明けたであろう時と共に迷わず、地球へ躍り出ることにした。

 しばらくの別れだが、それは永遠ではない。そして戻る際には、必ずや新たな仲間の礎となる成果を両腕いっぱいに抱え、凱旋するつもりである。

 

 氷河期という、過酷な環境の変化によって淘汰され、洗練された生物達ならば、きっと私の研究に光明を穿つ存在も現れるだろう。

 生命は、難所を迎えるごとに強くなり、多様化するもの。

 

 今回の氷河期によって、おそらく大部分の生物が死滅してしまったであろうが……私はそれを糧として、次の段階へと進ませてもらう。

 

 

 

 

「では、お元気で、ライオネル」

「ああ、行ってくるよ」

 

 私は扉を潜り抜けて、希望の広がる地球へと旅立った。

 

 

 

 

「……えっ」

 

 扉を潜ってまず最初に現れたのは、巨大な顔だった。

 

 人間ほどはあろう、大きな顔面。全体を覆う鱗。わずかに見え隠れする体毛。

 こちらを見定めた、ギラギラと輝く瞳。

 

 そして、大きく開いた、鋭い牙の並ぶ大口。

 

「ギャァ!」

 

 旅立ちと同時に、私は巨大な爬虫類……恐竜によって、上半身を噛み付かれたのだった。

 

 

 

 

「死ぬかと思った」

 

 私じゃなかったら実際のところ死んでいた。

 当然、これまでの間ずっと研鑽を積み続けてきたのだから、私が恐竜ごときに遅れを取るはずもない。

 咀嚼力が強いのと、振り回す勢いがそれ以上にすごいことにはびっくりしたものの、私の手から放たれる無慈悲な“蝕みの呪い”には為す術も無く即死する他なかったようだ。

 

 大きな音を立てて横倒れになった巨大恐竜の傍らに立って、そちらの方にも興味を惹かれながらも、私は高く聳える山を見上げる。

 

「……待ってたぞ、恐竜達よ」

 

 空には鳥のような影が浮かび、離れた遠くの地上では、首の長い影が列を成して歩いている。

 足元には虫と、かなり種類の増えた植物たち。

 

 いずれも現代ではまったく見られないものたちではある。

 しかし、この多様性こそがまさしく、私が想像する本来の地球らしい姿であった。

 

 種類を数えてみても数えきれない植物。

 どれだけ歩いても出会いが尽きない陸上の動物。

 深い海の中で泳ぎ続ける、海中の水生生物。

 

 多様性。まさにそれ。心が踊るような広い世界が、十歩も歩かぬうちに、視界の中に広がっていた。

 

「やっほーーーー!」

 

 何より、何といっても、恐竜!

 私はこれを待っていた! 恐竜だ!

 

 空想と仮説でしか語られていなかったこの存在を実際に目にすることができるなんて!

 

 私は嬉しさのあまり両手を上げて走りだし、

 

「ウギャァ!?」

 

 小型の肉食恐竜のタックルを受け、再び一悶着を起こす事となってしまった。

 

 

 

 ……まぁ、出だしはなんともいえないけれど、恐竜だ。

 ならば良し。そういうものである。

 

 神綺、必ず魔界に恐竜を……いや、そこから進化させたドラゴンを持って帰るからね!

 

 



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遺骸王の郷夢 造

 恐竜は強い。

 そりゃあ当然、一時代の名声を欲しいままにしていたのだ。強いに決まっている。

 大きな身体、大きな口。長いしっぽ。でかいイコール強いを地でゆく派手なビジュアルは、いつの時代も子供たちに大人気だ。

 実際、見た目だけでなく、細々とした部分で時代に有利だったというのもあるのだろう。

 世界最強というだけの理由は、もっと沢山あるはずだ。

 

 でもドラゴンはもっと強いからね!

 恐竜よりももっとでかいし! 飛べるし! 火吹けるし! 魔法効きにくいし! あと素材が色々使えて便利だし!

 

 そう、ドラゴンである。

 恐竜は私も好きだ。でもドラゴンはもっと好きです。

 当たり前だ。子供に聞いてみなさい。恐竜とドラゴンどっちが好き? って。絶対にみんなドラゴンって言うから。

 

 しかし、まことに残念ながらドラゴンは実在しない。人間が生み出した空想上の生き物である。

 見た目としては、いてもおかしくなさそうな感じではある。

 恐竜にもうちょっとエッジ効かせ、背中にプテラなんちゃらっぽい翼をつけて、口から炎のブレスが吐けるようになれば、それでもうドラゴンの完成なのだから。

 

 だが運命の悪戯か、地球はドラゴンという生物の存在を許さなかった。

 大きな胴体に飛行能力は不必要と翼はつかず、エッジの効いた格好良すぎるフォルムを持つ個体は他種の嫉妬と反感を買うために淘汰され、生物として生肉好きのために炎のブレスさえも封じられてしまった。

 

 地球は、もはやドラゴンを自然に生み出さない。

 ならば、私自身が作るしかないだろう。

 

 幸い、ドラゴンの近縁種であろう恐竜はたくさん存在する。

 彼らを観察、研究してゆけば、ドラゴンへと至る道が見えてくるかもしれない。

 現代的な感性からすれば多少、人道的でない方法も選択してゆかなければならないだろうが、この機を逃せば、恐竜は絶滅してしまう。

 恐竜が台頭する期間は長いとはいえど、悠長に構えてはいられない。恐竜がいなくなってしまっては、私はコモドさんやイグアナさんからドラゴンを作るしかなくなってしまう。そんなロマンの欠片もないドラゴンは嫌だ。

 

 と、いうわけで、当面の目標はこれだ。

 

 魔界の住人として、ドラゴンを作る。で、ある。

 

 

 

 

 魔界にある、神綺の大渓谷。

 豊かという言葉を勘違いしてしまったが故に生まれた、高低差と起伏の“豊か”な、広大な岩場である。

 周囲は大森林に囲まれ緑化されているのだが、大渓谷自体には植物は全く存在せず、過酷なままの岩肌がそのままだ。

 

 私も神綺も、基本的には魔界の大渓谷で活動している。変な虫が寄ってこないのは嬉しいが、やはり何の生物も居着かない風景は、若干の物悲しさがあるというもの。

 特に、空だ。魔界の薄暗く赤い空は、未だ何の生物の影もない。

 まだ鳥がいないのだからそれは当然とも言えるのだが、そんな景色の良さを知っている身としては、なんとか早めに、遠景に浮かぶ翼の影を拝みたいものだ。

 それが竜ならばなお良しというものである。

 荒々しい渓谷に、竜。この組み合わせほど雅なものはないだろう。

 

 なので、今回私がドラゴンを作る絶対の条件として、空を飛べる。これは絶対に外せない。

 当然滑空なんて軟弱な飛び方は認めぬ。羽ばたいて飛び立てるドラゴンこそ私の求めるものだ。

 

 そして、何よりも口から火を吐けること。これがなければ成体のドラゴンとは言い難いとも言える。

 とはいえ、さすがに私も生物が自然と炎を吐けるようになるとは思っていない。火を発生させる内臓なんてファンタジーやメルヘンみたいな便利機関を信じているわけでもない。

 なので、火吹きについては私の魔術でなんとかするしかないだろう。または、ドラゴン自体が魔術を使えるようになるとか。

 

 ……ファンタジーな世界においては、よくドラゴンは知能の高い生物として描かれることが多い。

 私もそれを狙って、ついでにドラゴンを賢くさせるのも良いだろう。

 

「……そうだ。なら、あれを使えば、もしかしたら」

 

 私は名案を思いつき、乾いた手のひらをポンと叩いた。

 

 “慧智の書”。あの本を使えば、もしかしたら――。

 

 

 

「ギャァ!?」

 

 考えてたら、またタックルされた。

 びっくりした。

 



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 ライオネル・ブラックモア著、十三冊の魔導書。

 十三冊がそれぞれ異なる効果を持ち、異なる力を発揮する。

 共通するのは魔力の存在に気付かせる効果がある事と、本を開くにも、ページを開くにも魔力が必要だということだ。魔力の無い者には、本を開く権利すらも与えられない。逆を言えば、それが読み手へのセイフティになっているということでもある。

 

 「新月の書」、「星界の書」、「生命の書」、「虹色の書」、「数珠の書」の五冊は、魔術に関する知識の伝授に比重を傾けた書物。

 内容は少々過激だが、最期まで読み進められれば、その読者は素晴らしい力に目覚めることだろう。

 

 「歩行の書」、「慧智の書」、「火種の書」、「棍棒の書」、「口伝の書」の五冊は、魔術とは多少異なる、生命としての格を押し上げるような効果を司っている。

 これらは内容も比較的簡単なものばかりで、魔術の五冊よりは読みやすい。ただしそのかわりに読むのに夢中になりすぎて、ページを捲る手が止まらなくなったりするかもしれない。

 

 そして「血の書」、「涙の書」、「骸の書」の三冊は、おそらく私でなければ、読むどころか開くことすら出来ないだろう。

 これらは特別製なので、そもそも他者に読ませるつもりはない。

 むしろ、あまり無理にこじ開けようとすると大変なことになるので、そっとしておいて欲しい三冊だ。

 

 

 

 今回、私が用があるのは「慧智の書」である。

 この本の内容を簡単に説明するならば、読む者に知恵を与える効果がある……と、名前そのままな感じである。

 もちろん読むだけですごく頭が良くなる、なんて都合の良いだけの代物ではないが、跳ね返りを覚悟してでも使う理由が出来てしまった。

 本来は何者かが勝手に拾って、勝手に読むという趣旨で作ったんだけど……それも時と場合という奴だ。

 さっさと回収しに行こう。

 

 本はそれぞれが持つ自動転移の術により、世界のどこかに散らばっている。

 周囲から魔力を取り込んで自己防衛を行う性質上、本は自然と魔力の流れの濃い場所を目指し、そこに定住しようとする。

 転移は自動のため、いつどこで、どこへ転移したのかは作った私にもわからない。

 しかし本の所在を全く調べようがないかといえばそういうわけでもなく、ちゃんと本を回収するための仕掛けは構築済みだ。

 

 本にはそれぞれ“目印”がある。

 私はそれを目安に、魔界から地球へ移動する際の、“着地点”にできるのだ。

 だから、やろうと思えば十何往復するだけで本を全回収できたりもする。本に果てしない旅をさせている割に、帰りはよいよい。

 つまりは、過保護な親の気持ちというやつである。

 仕方ないでしょう。せっかく作ったんだ。壊れてないかどうかを見守りたいじゃない。

 それに、もしも誰かが本を読んでくれているのだとしたら、“それ、どうだった?”って感想も聞いてみたいし。

 

 

 

 あ、ちなみにライオネル・ブラックモアの“ブラックモア”っていうのは、これも新しく決めた名前です。

 名前と同じく、私の好きなアーティストから取りました。

 神綺は“なんだか格好良いです”って言ってくれたけど、実際のところオリジナリティの欠片もありません。

 

 

 

 

「よしよし、回収っと」

 

 一旦魔界に戻り、目当ての本を着地点として扉を潜ると、イチョウの木が生い茂る森の中に、その本は不自然に落ちていた。

 傷ひとつない、作った時のままの綺麗な魔導書。うむ、保護魔法はしっかり機能しているようだ。

 

 それを手にとって、小脇に抱えれば、立派な魔法使いの完成である。

 灰色のローブに、妖しい魔導書に、長い杖。身体がミイラっぽいのが少々残念ではあるが、髭と髪の長さだけが魔法使いの誇りではない。こんなアンデッドちっくな魔法使いも、きっとアリだ。いや、私がアリにして見せる。誰もがミイラ姿を羨むような魔法使いになってやるぞ。

 

「さーて、じゃあ後は恐竜を見つけ……ギャァ!?」

 

 本と杖を持ってポーズを決めていたら、また背後から恐竜にタックルされた。

 痛みはないけどもの凄く驚いた。

 

 

 

「ふははは、手間が省けたわ」

 

 流石に何度も何度もタックルされたり噛み付かれたりされていれば、私だって頭にくる。

 渾身の風魔術“劈く轟音”を目の前で大出力でお見舞いしてやると、小型の恐竜は一瞬で硬直し、気絶して地に横倒れた。

 この魔術を使えば強烈な音によって意識を刈り取れるので、(あまり)殺めることなく生物を捕獲できる。問題があるとすれば、相手の耳が使えなくなったり、周囲から生き物が一斉に逃げたり、気絶してしまうといった所だろうか。あと海の中で使うと更に大変な事になる。

 

「さあて辻斬り恐竜よ。気絶しているところ申し訳ないが、お勉強タイムの始まりだよ……」

 

 私は倒れた恐竜の顔の近くで屈み込み、目が開いたままの恐竜の顔に、“慧智の書”の表紙を見せた。

 

「目が開いているなら問題ないよ。君に字が読めるかどうかも関係ない。“慧智の書”はアノマロカリスでも天才になれるように構成された、私の自慢の教材なんだからね」

 

 そして、本を開く。同時に溢れだしたドス黒い色の魔力の煙が、恐竜の顔にまとわりつく。

 さあ、勉強の始まりだ。

 これでもう、彼は本から逃げられない。

 

 慧智の書。

 それはいわば、強制詰め込み漢字ドリルである。

 魔力を用いて読者を操り、延々と読ませ、延々と頭の中に知識を叩き込む。

 暗記などでは脳に刻むなんて表現がされる事もあるが、私のこれは“脳に流し込む”であろう。

 その上、流し込むといっても湯水などではない。きっとそれは、ドロドロに熱せられた金属だ。

 

 当然、この“慧智の書”は読者に相当の負担を強いる。

 読むだけで脳などに干渉して身体を縛るのだから、実際のところ、効果は呪いのそれと同じと言って差し支えない。

 

 目を見開いたままの恐竜が、血走った目で本を睨み続ける。

 瞳孔は開き、眼球は震え、喉は小さく音を立てていた。

 

 数分後、次のページが開かされる。すると恐竜の身体はビクリと小さく跳ね、痙攣もより強くなっていった。

 それでも目は離れない。離せない。魔導書から目を背けることは許されない。

 

「あっ」

 

 しかしその次のページに移った時点で、本からの魔力の放出が停止した。

 ページを睨み続けていた恐竜が、死んだのである。

 

「うーむ……駄目だったか」

 

 小型の恐竜だったからいけなかったのか。成体だからいけなかったのか。

 それとも種族として受け付けなかったのか。

 

 原因は定かでないが、この恐竜が目を通したページはたったの三つ分。かなり手前の方で頓挫した失敗である事は、間違いない。

 

「もっと別の恐竜でも試してみよう」

 

 やっていることが、少々恐ろしいだろうか。

 でも実際のところ、これはいつもの作業と何ら変わらない。

 

 生物を使って魔術の研究を行う。

 それはテーマこそ異なるものの、私が過ごしてきた二億年以上の日々の延長でしかないのだ。

 

 



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 その後、何百年かかけて地球を歩き回り、世界中の恐竜達と出会い、観察し続けた。

 さすが恐竜の時代なだけあって、どこをゆけども恐竜と鉢合わせる。

 

 これまでの時代では、地上に生物が存在していなかったり、いたとしても動きの鈍い虫などの巨大生物ばかりであったので、普通に歩いているだけでも何とか素通りできた。

 しかし、恐竜共の速いこと速いこと。

 その上、自らがこの世界で最強の存在だと自負しているためか、とにかく好戦的だ。

 

 当然だ。一回りも二回りも小さい細身の動物がもそもそ歩いているのだ。肉食の野生生物として、襲わない方がどうかしている。

 食らいついてきた連中は大抵、私の硬い身体に挑んで歯を折ったりしているので、こちらに直接の害はないのだが、慎重を期して調査をしている最中に限って襲い掛かってくるものだから、精神的にはたまったものではない。

 この数百年間で、一体どれほどギャアギャア叫んだことか。

 

 大型、小型と、様々な恐竜を見てきたが、“慧智の書”の読み聞かせは、何が相手でも成功していない。

 海を泳ぐ恐竜っぽいワニっぽい何かにも試してみたものの、結果は同じだ。本を見た生物の尽くが、勉強を拒否して死亡している。

 一度に読ませるのが悪いのか、と考えて、細かく区切りながら本を見せた事もあるが、そちらも段々と衰弱し、挙動不審になり、やはり最終的に死ぬところは同じであった。

 

 前々から考えていたことだが、やはり、恐竜の脳では限界があるのだろうか。

 一代で劇的な知能を発達させようなどとは、土台無理な話なのかもしれない。

 近頃の私は、恐竜に“慧智”を与える作戦を絶望視しつつある。

 

 

 

 まぁ、そんなこんなでドラゴンの研究は行き詰まっているのだが、だからといって暇というわけではない。

 むしろこの時代にやってきてからは、多忙の連続であると言ってもいいだろう。

 

 なにせ、私は小さくか弱い二足歩行生物。

 前述した通り、地上を歩けば地上の覇者からつねに狙われるのだ。

 少々過ぎた言い方をすれば、世界が敵に回っているようなものである。

 ゆく先々、出会う者全てが敵。会う者会う者、全てが狩人。

 目線を合わせなくてもこちらに向かって全力疾走する戦闘意欲は常磐の森の虫取り少年を遥かに凌駕し、一対一など糞食らえだと群れを成して襲いかかる様は、世紀末なアーケードモードである。

 

 そう、この数百年は、研究の日々ではない。

 戦いの日々。それでしかなかった。

 

 

 

「戦いとは、虚しいものだな……」

 

 私は小型竜の亡骸の山の上で、不滅の杖を肩に掛けて空を見上げた。

 

 今日もまた、大きな一戦が終わりを告げた。

 三日に一度はこういった戦いに遭遇し、恐竜たちと死闘を繰り広げている。

 死闘といっても死ぬのは必ず向こう側で、私の方に死ぬ要素は微塵もない。

 

 最初の頃こそは“劈く轟音”や“打ち据える風”などで効率良く意識だけを奪っていたが、段々と遊びが混じり、色々な術の実験相手にするようになってしまった。

 生き物相手に悪いとは思うが、こちらも行く先ややるべきことがある以上、穏便なだけの戦いをしてはいられない。

 

 今日は大魔術“土の針山”によって決着した。

 どう足掻いても殺しは殺しでしかないので、その点を言い逃れするつもりは一切ないが、地面から伸びる無数の土の針によって死んだ生物は、通常よりも早く土に還ってゆくことだろう。

 

 

 

「……そろそろ、安心して研究できる拠点が欲しいな」

 

 屍の上から降り、顎を撫でで思案する。

 

 まだここに来てから数百年ではあるが、時間は着々と進み、いつか必ず“絶滅”という名のその時がやってくるだろう。

 その時にまでドラゴンが作れなければ、作戦は失敗。魔界はイグアナとコモドオオトカゲとカナヘビで溢れかえって私は死ぬ。

 

 ドラゴンを完成させるために、私のやるべき事は多い。

 “慧智の書”の強制読み聞かせ旅行だけでなく、もっと他にも、解剖を含めた様々な研究が必要だ。

 そのためには、先ほどのようにすぐに襲われるような状態では都合が悪い。

 何週間と引きこもっていても揺るがないような、頑丈で、要塞のようなラボが必要になる。

 

 少なくとも、ティラノサウルスの群れをガッシリと受け止めることができ、スーパーサウルスの長い首でも届かないくらいの、難攻不落なものでなくては。

 

「うーん、大工事の予感……」

 

 予感も何も大工事を行うのだが。

 

 とにかくこの日、私はようやく、本格的な研究ができる地球上での拠点を作ることに決めたのだった。

 せっかくだから、良い建物を作りたいね。

 

 

 



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 まず立ちはだかる問題が、建材である。建ってもいないのに立ちはだかるとはこれいかに。そんなことはどうでもいいや。

 この時代、もはや樹木などは珍しくもなんともなく、どれもこれも使い放題なわけだが、しかしだからといって、私は木材を好んでいるわけでもない。

 もちろん私は日本人なので、和の心とやらを持ってはいるのだが、しかし寿命が八十年ぽっちの日本人と同じ感覚を持っているかといえば話は違う。

 私の視野は人間のそれより広く、実に超大だ。誇張しているわけではない。単純に寿命が長い故の影響である。

 

 確かに木という素材は、魔術に適している。そも、生物の素材というものは、魔力を通しやすく出来ているのだ。魔法使いが木製の杖を携えている一般的なイメージは、あながち間違いでもない。

 かといって丈夫かといえば別段そんなわけでもなく、木製それなりの強度であり、耐久性であり、デメリットを抱えている。

 虫に食われたり、菌に侵されたり、脆くなったり。ある程度の保護をかけていたとしても、元が弱いだけにそういった問題には常に頭を悩まされてしまう。私が作った十三冊の不滅の魔導書並みの術が掛けてあれば話は別だが、あれはあのサイズだからこそ成せるものであって、巨大建造物には適さない。

 

 多少魔力が通りにくくとも、岩。最低でも土。それが、私の思うところの、建築素材のベストであった。

 土属性の魔法である程度の加工が効く所も、これらの利点である。

 

 

 

 ならば私のすべきことは材料探しなのだが、これがまた悩むものだ。

 

「土ならいくらでもあるんだけど」

 

 歩けど歩けど、陸地が続く。適度な石や岩はある。木材もある。

 しかし何故だか、どれもこれもしっくりこない。

 

 インスピレーションが沸かない、とでもいうのだろうか。

 なんとなくの勘ではあるけど、これではない。そんな直感を掴んでしまうのだ。

 

「うーん」

 

 私はしばらく自分の直感を信じ、この広大な大地を彷徨い歩くことにした。

 

 まぁ、どうせどこにいったところで恐竜はいるのだ。

 出会い頭に本を見せて撃退すれば、とりあえずはそれで良い。

 材料を探す程度であれば、気長に決めても影響は出ないだろう。

 

 

 

 足場の悪い高台を歩いているうちに、崖に出た。

 久々に見た、この大陸の海岸である。それにしても随分と広かった。

 

 懐かしの青い海はどこまでも続き、海岸線は遠くの方で白くぼけている。

 そこに豊かな緑が加わっているともなれば、私が見慣れていたかつての地球を想起せずにはいられない。

 

 これで更に植物が増えて、魚類が増えて、動物が増えて……そうなれば、きっと私の望む世界がやってくるのだ。

 私自身が元々人間だっただけに、人間への思い入れは未だに深く残っている。

 今のミイラな姿の私が人間達に受け入れられるとは思っていないが、それでもやはり、いつか未来の彼らの営みを見てみたいものである。

 

「お?」

 

 崖から景色を見下ろしていると、眼下に見慣れない地形が飛び込んできた。

 ここらでは珍しい、白い砂浜。いや、砂ではない。もっと別の、何かによって構成された地形である。

 

「あれはなんだろう」

 

 私は“浮遊”によって宙に飛び、見慣れぬ場所を目指して舞い降りていった。

 

 

 

「おー」

 

 私が着地した場所は、骨の塚であった。

 当然、誰かが人為的に積み上げたものではない。潮流の関係か、海からこの岸に打ち上げられたものなのだろう。

 白く大きな骨が無数に積み上げられ、海側を見てみれば、まだ肉のついた真新しい恐竜だか魚竜だかの死体も浮かんでいる。

 

 竜の墓場。誰かが作ったわけではないにせよ。そんな言葉が最もしっくりきた。

 

「すごいな。これ全部、骨か」

 

 海岸に貝殻が打ち上げられている光景はよく目にするが、今ここにある骨の量は、それの比ではない。

 それ相応の年数が立っているのだろうが、それにしたって積み上がりすぎだ。ぱっと見た限りではまるで丘のようである。

 しかし、これは好都合だ。

 

「建材になる」

 

 神骨の杖でもそうだったが、骨という素材は実に多種多様な使い道がある。

 魔力が非常に通しやすい上、材質それ本来の強度もなかなかのもの。魔術によって接着や接合ができるので、加工に関しても問題がない。

 私にとって生物の骨とは、木材以上に使い勝手のいい万能素材なのだ。

 

「ふむ、結構でかい骨もある……」

 

 見れば、首長竜なのかしっぽなのか知らないが、長い骨もかなり見受けられる。

 長い骨はそれだけで強度があるので、大歓迎だ。柱を作る際にもきっと、大いに役立ってくれるだろう。

 

 よし、決めた。

 

「骨の塔を作ろう」

 

 石でも岩でも土でもない。恐竜の骨より作り上げる骨の塔。

 何十年も材料集めに彷徨ったが、ここでようやく建築素材が見つかった。

 

 

 

 膨大な素材が見つかったものの、次はそれの運びだしと、組み上げ、加工である。

 私は魔法使いなので、魔力はあっても筋力はない。当然、肩に担いだとしても巨大な首長竜の骨を持ち上げることはできないので、作業は全て魔術で行われることになる。

 私は生半可な魔法使いではない。それを今、ここで早々に説明してやろう。

 

 私はおもむろに右腕を前に突き出し、呪文名を紡いだ。

 

「いでよ、“ロードエメス”」

 

 ローブの右袖に編み込んだ魔術式が光り輝き、魔力が形を成して、線香花火のようにボトリと地面に落ちて、沈む。

 すると土の地面は咳をしたように盛り上がり、人以上の高さまで隆起すると、手足の形を整え、体型を作ってゆく。

 

 右腕の袖に仕込んだ、もう一つの魔術式。必要な時にいちいち思い出しながら生成するのが面倒なので作っておいた、“ゴーレム生成”の魔術である。

 

 盛り上がった土の隆起は人型になり、仁王立ちの状態のまま私の正面に現れた。

 シャープな鎧を纏った、体長四メートルの土の巨人。戦いに優れ、繊細な作業にも対応し、そしてなおかつ美しい。

 このゴーレムの造形には、私と神綺による造形美の全てが込められていると言っても過言ではない。

 

「ま、やらせるのは土木工事なんだけどね」

 

 私は続けざまに、もう一体のロードエメスを生成する。土と魔力さえあればできる魔術なので、使用を躊躇う理由はない。

 ロードエメスは確かに美しいが、私にとっては便利な雑兵でしかない。

 

 彼らにはとりあえず、ここらに流れ込んでいる骨を運んで、建材の骨組み造り方から始めてもらおう。

 長い骨、大きい骨、とりあえずそれらを優先して運び、私のラボの土台を作るのだ。

 

「さらにいでよ、“ロードエメス”!」

 

 昼間のうちにゴーレムを作れるだけ作っておかなければならない。

 なにせ夜は、ゴーレムたちの本格的な稼働時間だ。月と星魔術によって稼働する彼らの作業が始まる前に、とにかく数を揃えなくては。

 

 

 

 



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 夕暮れになれば、総勢五十体の土製ゴーレム、ロードエメスの軍勢が私の周囲に待機することとなった。

 彼らは小型の恐竜程度であれば自動的に迎撃してくれるので、屍肉を漁りにやってきた連中などは近づくこともできない。環境魔力の弱い昼間であっても、パンチ一発や蹴り一発であれば問題なく稼働するのだ。

 

 彼らが守ってくれる昼間のうちに、空中に魔光を飛ばして設計図を描く。

 忘却を知らない私の脳内で組み上げるのも良いのだが、考える頭はひとつだけ。図面に書き起こすのと書き起こさないのとでは、全体的な作業効率に差が出てしまう。

 同時に、設計図を書くと共に、ゴーレムに作業の指示を送り、蓄積させなくてはならない。

 彼らは自動で動いてくれるが、指揮は私。ひとつの目的を達成させるためには、それぞれが競合しないように働かせる必要がある。

 誰かの上に立った経験がほとんど無い私には、従順なゴーレムが相手でも、命令を出すというのは難しい。これがそれぞれ物を考える人間だったらと思うと、やっぱり私は、こういうことには向いてなさそうだ。

 

 

 

 そうこうしているうちに、夜が降りて来た。

 従順な土の巨人、ロードエメスたちは目を赤く輝かせ、直立姿勢を解き、一斉に骨の塚に向かって歩き始める。

 

「さあ、頑張って立派な砦を築こうか」

 

 目指すは、地上三百メートル以上の骨の巨塔。

 地球が凍るほどの豪雪や地層を形成するほどの堆積物に埋まらず、マグニチュード十以上の地震に耐え、ティラノサウルスの群れの突進を跳ね除けるような、不滅の塔を築いてやるのだ。

 

 眼光を輝かせるゴーレムの歩兵が、大小様々な骨を担いで帰ってくる。

 

 聞こえるのは、足元の小さな骨や貝を踏みつぶす甲高い破壊音と、亡骸を運び続けるさざ波だけ。

 

 史上、誰も目にしたことのない、幻の大建築。

 満月の今日、伝説の幕開けとなる工事が、静かに始まった。

 

 

 

 

「ふむ……大型の方がいくらかは耐えるみたいだけど、やっぱり“慧智の書”では難しいか……」

 

 私はこの大陸で最も大型となる恐竜の亡骸を前にして、頭を掻いた。

 

「知能から先に、と思ったけれど……うーん」

 

 “慧智の書”による恐竜の知能上昇は細々と続けていたが、どうにも結果が表れない。

 全種族、あらゆる年齢、ページ数、色々と方法を変えて試してはみるが、1ページでも読ませれば衰弱や挙動の変化が生じ、短命となるのは変わらない。

 少しだけ読ませて次世代へ、という気長な実験も行ってはみたものの、強引に根付かせた知能は受け継がれるものではないらしく、そちらもいい結果を実らせることはなかった。

 

「やっぱり先に、形だけでも作っておくべきなのだろうか」

 

 出るわけでもないため息をついて、私は天高く登った太陽のすぐ近く伸びる、巨大な塔を見上げた。

 

 高度七百メートル。

 恐竜の骨によって作られた巨大な塔は、当初の予定よりも遥かに高く、立派になってしまった。

 

 

 

 塔の真下に戻った私は、半球状の底部に歩み寄り、塔に触れる。

 

 通常、タワーというものは根本ほど太く、頑丈でなければならないが、私の建築したこれは丁度ボールペンのような造りになっており、接地面はかなり少ない。

 それでも塔としての完璧な直立を完成から一万年過ぎた今でも保ち続けているのは、間違いなく私のかけた魔術による影響だろう。

 

 “大いなる力の均衡”。かつて開発した“均衡”の魔術の上位であり、物質や生物に固着し、取り込む魔力によって効果を発揮し続ける強力な呪いだ。

 この術の影響を受けたものは、その場から動かなくなる。もとい、動き辛くなる。

 土の上に立てた棒であればその姿勢を常に維持し続け、卵はコロンブスも拍手喝采で賞賛するほど立派に立ったまま静止し、ボロ屋にかければあらゆる風雨によっても吹き飛ばなくなる。

 “均衡”とは違って上下、重力の影響を受けてしまうという欠点はあるが、今回の塔は水の中から浮上するなどという秘密基地じみたギミックを搭載していないので大丈夫。

 何より重要なのは、塔が倒れないということだ。風も地震も、この術をかけた骨の塔を前にしては、何の問題にもならない。

 塔の表面に施された魔力の収集機構が、常に膨大な力を内部に供給し各種呪いを発動させ続けるので、気がついたらぱったり、ということもないだろう。

 

「ただいまー」

 

 塔に触れた瞬間、私は魔力によって内部へ転送され、広間に現れた。

 骨の組み合わせによって彩られた内装は、まだ誰にも見せていない。しかし磨き続けた私のセンスで見れば、納得のいく出来ではあると思う。

 骨が怖いなんて言う奴は論外です。そもそも私とお友達になれません。

 

「“浮遊”」

 

 だいたい東京ドーム一個分の広さはあろう広場の中央に立ち、呪文を唱える。

 すると身体が浮き上がり、エレベーターの数倍の速さで塔を登ってゆく。

 

 塔は、全てが骨で出来ている。どこを見ても頑丈だから、わざわざ中央に柱を作る必要は無い……のだが、外骨格だけというのも、逆に寂しい。

 なので大量の小骨を砕いて溶かしたもので七本の大黒柱を造り、それで中央の“浮遊空間”を囲むように、頂上までまっすぐ建てている。

 

 急速な上昇に寄って骨の塔の全景が瞬く間に過ぎ去り、そして数秒もしないうちに、頂上へと出た。

 

 最も天に近く、もっとも月の影響を受けやすい塔の頂上。ここが私の現ラボだ。

 

「さて……ドラゴンの制作、急がないと」

 

 骨製の巨大プレートの上には、冷凍保存されたいくつかの肉塊が転がり、隣では水瓶ほどもある大きな“骨壷”が、中身の液体をごぼごぼと合わせ立て、沸騰させている。

 

 研究は続けられる。

 何千年も、何万年も。

 

 



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 魔力の整った環境、尽きることのない材料。

 そんな最大限恵まれた状態であっても、研究は困難を極めている。

 

 まず、遺伝子であるとか、そういった根本的な生物的部分をどうこうするのは難しいという結論に至る。

 親子から子に受け継がれるドラゴンの遺伝子。確かにそんなものができれば素晴らしいとは思う。だが、現実には翼を生やすことすらできやしない。

 

 実際、現実に背中に翼があり、更に腕を持っているという頓珍漢な生物自体が存在しないというのが、何よりも大きな問題だ。

 翼を持つ生物というのは、ことごとくが“手”が変形、そのうちのいくつかの指の骨が伸びたものによって成り立っている。

 元々持っている腕に、更に翼まで加えるとなれば、それは腕が二本余分に無くてはならない事になる。腕の数が増えるということは、生物的に非常に大きな違いだ。

 遺伝子から弄っていたのでは、きっとかなりの時間が取られることは間違いない。私一人では、とてもではないが間に合わないし、総当りにしたって現実的じゃない。

 

 ならば、代替わりのしない、それ一代限りのドラゴン。恐竜からドラゴンへ、この後天的な変化であればどうだろうか。

 こっちは可能だ。むしろ、前者の遺伝子から創りだす方法と比べれば、何万倍も現実味があるだろう。

 

 生物として自然ではない、完全に人造生命であるというのが、ロマンの観点では残念なところだが……この際、ドラゴンができればそれで構わない。

 切り貼りを繰り返した生物であれ、それ一つが完璧であれば、一体何の問題があるというのだろう。究極生命体はそれ単体で十分なのです。

 

 幸いにして、私が開発した“不蝕の呪い”を入念にかければ、いとも簡単に不老不死になれる。

 翼をくっつけて、鱗をかっこよくして、炎が吐けるほどの知能を加えてやれば、それでもうドラゴンの条件はクリアしたも同然だ。

 

 しかし言うは易し。翼にせよ知能にせよ、これを個々クリアしていくだけでも相当難しい。

 

 現に、今やっている翼竜の翼を大型恐竜に移し付け加える試みは困難を極め、一度も成功していない。

 “慧智の書”による知能の植え付けも、また同様だ。“不蝕の呪い”をかけて少々頑丈にしてやっても、死亡率は変わっていない。

 

 この両方をクリアすれば、あとは鱗程度ならなんとかなるのだろうけど……成功の兆しは、見えていない。

 

「参ったなー」

 

 塔の中に作った植物園で恐竜の餌となる実を回収しながら、私は途方にくれていた。

 

 

 

 

 しかし、どれだけ巨大な迷路であろうとも、出口が決められているならばいつかは脱出できるもの。

 常人の感覚では“やっぱり無理でした”と音を上げる所であっても、私にそれは通用しない。

 何故なら私には、無茶を押し通すだけの莫大な時間がある。

 問題は全て時間と、無数の試みから生まれる一握の奇跡がなんとかしてくれるのだ。

 

 

 

「ほほほーっ」

 

 悍ましい低音で奇声をあげた私は、一匹の幼い竜をその手に抱いていた。

 

 そう、ドラゴンだ。

 紛うことなきドラゴンが、私の腕の中に包まれている。

 

「うーん、なんてチャーミングなんだ」

 

 長いしっぽ。細かな鱗。小さな腕。そして、触ると折れてしまいそうな、翼竜らしい膜付きの翼。

 何度も何度も実験と研究を続けた末に生み出されたドラゴンの幼体が、今私の腕の中にいる。

 

 ……と、まあ完成したはいいのだが、これは結構無茶な成功だったりする。

 

 

 

 苦節幾星霜、かなりの時間を掛けて有翼有知の竜を作ろうとした私だが、翼の段階で計画は頓挫しかけてしまった。

 翼も生えないのではドラゴンもクソもない。どうにかならぬものかと考えた末に、私はひとつの名案を思いつく。

 

 それこそが、翼のマジックアイテム化である。

 何を言ってるかわからないだろう。まあ、私が長年かけて辿り着いた強引な結論だ。一口に言ってわからないのも無理は無い。

 

 簡単に言って、翼を身体の一部とすることを半分近く諦めたのが、この結論の内容である。

 他種族の持つ腕や翼を、そう生物学的に無理矢理付け足すことができるはずもないという、ごく当たり前の壁にぶちあたって途方に暮れた私は、いつの日か、ならば無理に身体の一部に融和させなくともいいじゃないかという発想に思い至る。

 

 神経や筋肉の関係は複雑だ。私も生物の身体の構造には詳しくなったつもりだが、新たに神経を加え、かつ脳とどのようにつなげていいかなどは、まだまだわかっていない。

 ならばそういった小難しい部分を、全て魔術に押し付けることで解決すればよい。

 翼を、魔術的な力で操作できるような、いわゆる義肢のようなものにすればいいのだ。

 

 普段はただ、身体に生えたただの不要な機関。邪魔で重いだけの身体の余分なパーツでしかない。

 しかしそこに魔力を加えて操ることで、はじめて翼として機能させることができる。

 

 つまり、外付けの機能。嫌な言い方をすれば、寄生虫のようなものだ。

 ここを突き詰めていけば、意外と問題らしい問題はなく、拒否反応が出ない範囲で身体のパーツをつなぎ合わせることにより、竜に翼を付け加えることができた。

 

 生物学的に飛べるかどうか、動かせるかどうかはさして重要ではない。問題は、翼がちゃんとそれらしく動くかどうか、腐らないかどうかだけである。

 あとは全て、魔術に託せばいいだけなのだから。魔術マジ万能。

 

 もちろんこの跳ね返りは、その便利な魔術とやらにやってくる。

 意志によって、身体に存在するひとつの部位を動かす魔術。私が使うわけではないだけに、この魔術の研究は実に難しかった。

 

 だが、それもどうにか完成した。これまでに失敗した回数は数限りないが、命を保ちながら、かつ魔術的に翼を動かせる恐竜が完成したのである。

 

「よしよし、かわいいなぁ」

 

 小さな竜が、私の腕の中で翼を器用に動かしている。

 魔力を用いて動く機関だが、どうやらこいつが幼いためか、すぐに自分の手足のように、その使い方を体感で理解できているらしい。慣れてくれば、空を飛ぶ術も知ることだろう。

 

 翼は成長と共に魔力的に育つため、栄養の必要量は同じ恐竜と比べてもより多くなってしまうが……そこはまぁ仕方ない。

 作ったドラゴンたちは、ここで面倒を見てやればいいのだ。都合の良い植物園も、階下には何層も作ってある。

 

 コツは掴んだ。あとは翼を安定して付け加えられるようになればそれで万事解決。

 

 知能を発達させるという大きな問題は残っているけど、ひとまず一個片付いたことを祝っておこう。

 今はただ、彼らの成長が楽しみである。

 

 



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 塔の内部を、成体になった翼竜達が歩いている。

 腕と足を使い、時々翼を用いた独特な歩行法は、私が教えたわけではない。彼ら人造ドラゴン達が自ら編み出したのだ。

 まぁ、新しい腕が更に二本生えてたら、移動用に使い始めてもおかしくはないよね。

 正直、翼をどこぞの忍者竜みたいに歩行用に使っているところを初めて見た時にはがっかりしたけれど、今ではこれもドラゴンらしい生態の一つなんだろうと思うようにしてる。

 昆虫だって脚は六本なのだ。六本足なら仕方ない。

 

 人造ドラゴンの成体は、全長五メートルほどだ。

 基本となる種族によって多少のばらつきはあるが、だいたいがこのくらいである。

 欲張って大きい種族から作ったとしても、肝心の“飛行”がおぼつかないだろうという不安もあって、このサイズで妥協したのだ。

 私の妥協点が高かったのか低かったのか、彼らは未だ塔の中をうろつくばかりで飛翔をしないために、わからない。

 だが私が彼らに施した“不蝕の呪い”は、対象者の代謝を止め、劣化を防ぐ。魔力による延命が生み出す時間が、彼らに“飛行”を学ばせてくれることを祈るとしよう。

 

 五十匹ほどの人造ドラゴンが成体となったので、竜骨の塔は増築せざるを得なくなった。

 巨大な竜がひしめき合ってるのだ。とてもではないが、彼らの食糧事情を安定させるビオトープを保つためには、今までの塔では間に合わないのである。

 塔の表面積を増やすに従って、環境魔力の収集率は上がってゆくが、魔力を分配する内部面積にも限りはあるし、塔の強度と内部敷設の魔力供給を保つには、どうあがいても今の状態が最大。これ以上の増築は不可能だろう。

 

 故に、成体のドラゴンが四十匹。この数に留める他なかったのだ。

 

 ……塔内部の食糧事情が改善されれば、もっと上手くいく気もするんだけどね。

 生憎とこの時代の植物や虫などでは限界があるらしい。

 

 こうして竜の形が揃った今でも、まだドラゴンに知能を植え付けるには至っていない。

 翼を付け加えたからといって、頭が良くなるわけでもないから当然なのだが、こうも見た目がドラゴンそっくりになってしまうと、あと一歩勉強して賢くなりなさいと気持ちが急いでしまうのは、無理もないことだろう。だよね?

 色々と急いでしまって、成体を一匹死なせてしまってから、私の行動は慎重になっている。

 

 ドラゴンを殺すわけにはいかない。しかし、“慧智の書”無しには、知能を発達させるなど……。

 

 “慧智の書”を簡略化し、軽めに抑えた代用品などを使ってもみたが、そちらの方も結果は芳しくない。

 

 ドラゴン自体は完成しても、肝心要の中身が備わっていないのが、私のここ数千から数万年にも続く悩みの種である。

 

 

 

 

「お……」

 

 ある日、塔の最上階で慧智の書の書き替えを行っていると、強烈な揺れが私を襲った。

 

 地震である。

 高い建造物などでは、小さな揺れほど上層階に大きな揺れとして伝わりやすい。

 しかし私が立てた建造物は、特別製の骨の塔。塔自体が撓むことなど有り得ないはずなのだが。

 

「うっ」

 

 なんて呑気に思っている間に、今度は強烈な空震が襲い掛かってきた。

 読んで字のごとく、空中を伝わる震れだ。噴火や爆発などによって引き起こされる現象である。

 

 しかしこれは揺れというよりも、衝撃波に近い。

 間近にあった骨の瓶に深いヒビが走っている。

 

「なんだなんだ、何が起きた」

 

 ただ事ではない。

 

 何が起きたのか。それはさておきだ。

 気の長い私が感じる異変など、ろくなものでないことはわかりきっている。

 ふと見れば、見晴らしのいい外の景色の向こう側で、赤い輝きが見えている。

 

 うむ、原因は知らん。

 だが、間違いなくまずい自体が起こったのは、確定だ。

 

 恐るべきイベントがついにやってきてしまった。

 

 

 

 大規模災害である。

 

 

 

 私は平穏な空間に永くいたせいで鈍らせきっていた危機感を叩き起こし、部屋の中心へと駆け寄った。

 そこに一本伸びたポールに手を置いて、骨の塔全体に魔力を注ぎ込んでゆく。

 

「“越冬計画”」

 

 術の発動は、私自身の魔力はあまり必要としない。

 使うのは、骨の塔が溜め込み、蓄積した膨大な魔力である。

 

 “越冬計画”。骨の塔にのみ使える複合魔術。

 あらゆる災害を想定して作られたこの術は、発動と共に塔の外壁をより強固な格子状の骨格で覆い尽くし、更に表面を風、水、土魔術によって強堅に塗り固める。

 同時に塔の魔力供給が、塔の保護とビオトープの維持へと最優先で回され、私の研究施設への魔力供給が完全にストップされる。

 

 中生代に何度か起こるであろう、原因の定かでない大規模災害。

 恐竜達を絶滅寸前まで追いやったこの脅威を乗り越えるために選んだものが、この“骨の塔徹底強化計画”であった。

 

 巨大隕石、大噴火、津波、地震、雷、火事、おじや。

 なんでも来るがいいだろう。私が作り上げたこの“骨の塔”は、それら全ての災害を乗り越え、何万年もの時をやりすごし方舟とするだけの力を備えている。

 

 例え粉塵によって太陽光を隠そうとも、月の魔力までは隠せまい。

 この世に魔力がある限り、塔内部で回り続ける大骨車輪がある限り、一日のうちの半分が月のある夜である限り、骨の塔は不滅なのだ。

 

 

 

「……でも、研究がストップしちゃうんだよなぁ」

 

 瞬く間に外壁を覆い尽くした格子状の強化骨格が、普段は見晴らしのいい最上階の景色を覆い尽くす。

 代わりに天井で輝く“月の蛍”だけが、“越冬計画”中の唯一の光源となる。

 植物園ではより強い光を放つようにしてはいるが、はてさて。実際にこの機能を使うのは初めてなので、生物たちの環境は、これから果たして、どうなることやら。

 

「いい機会だ。私も久々に、魔界に帰るとしよう」

 

 ドラゴンたちのことは気になるが、理論上、ビオトープほど安全で、彼らの育成に適した環境は他にない。

 彼らはここに残すとして、私は一人、魔界に戻ることに決めた。

 

 魔界でしか出来ないことも、沢山あるしね。

 

 



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 魔界の扉を潜った私は、大渓谷の中心、岩の居城へと転送された。

 骨の塔の魔力収集機能を用いれば魔界への移動はかなり楽だが、これから地球は耐え凌ぐ時代に入る。そう何度も塔の魔力を使って往来を繰り返すのは良くないだろう。

 今回の魔界での休暇は、それなりに長く取らなくては。

 

「おかえりなさい、ライオネル」

「ただいま、神綺」

 

 久々の神綺との再会だ。

 彼女は顔だけでなく、六枚の翼をキラキラと輝かせ、体全体で喜びを表しているように見えた。

 もちろん、塔を作ってからも何度も顔を合わせているのだが、この再会は実に数百年ぶりだったりする。

 

「とりあえず、こちらへどうぞ。魔界の変成で、いくつか作ったものをお見せしたいのです」

「おお、何を作ったのかな」

 

 私の方も、ドラゴンというとっておきの話題がある。

 けど、楽しみは小出しに、小出しにだ。時間は長い。ゆっくりじっくり、最大限楽しみながらやっていこう。

 

 

 

 神綺の案内で宙を飛んでいると、大渓谷の様子がいつもと違っていることに気がついた。

 

「おお、これは……渓谷に水を入れたんだね」

「はい。海が綺麗だったので、ここにも同じようなものができないかなと思いまして」

 

 険しい渓谷の狭間を流れる、白く泡立つ早い水流。

 水流は激しく渦巻き、渓谷の中を縦横無尽に駆け巡り、回っているようだ。

 ただでさえ地上の生物が近寄りにくい環境だったのに、この水によってそれもまた絶望的になってしまった。

 まぁ、せっかく魔界の中心部ともなる渓谷なのだ。普通の虫とか爬虫類はいらないし、別に良いんだけどね。いるのはドラゴンだけで良いよ。

 

「あ、けど神綺。渓谷にある建物は大丈夫?」

「それは平気です。中央付近には、激流ができないようにしてありますから」

「ほう、どれどれ」

 

 言われてみて気になったので、彫刻の街に瞬間移動する。

 

「おお、本当だ」

「でしょう?」

 

 私と神綺の二人で作り上げた彫刻の街に、大渓谷全体を取り巻いていた激流の姿はない。

 かわりに、街の合間に緩やかに流れる水路が出来上がっていた。

 これはまた、ベネツィアが赤面して水没しそうなほどの美しい光景だ。

 

 うーん。尚更、魔界の住民が欲しくなってきたなぁ。

 

「せっかくなので、街のどこかに座ってお話しませんか? 私もライオネルの話が聞きたいです」

「おお、良いね。そうしようか」

 

 けど、まぁ、住民が出来るまでの間は、こうして閉店時間を気にせず、豪華な喫茶で話ができると思えば。

 今の時間も、結構貴重なのかもしれない。

 

 

 

 私はこれまでの研究成果を、なるべく彼女にもわかりやすい形で説明した。

 

 美味しそうにビールをくぴくぴ飲みながら話を聞く彼女は、時々私の使う魔法用語に首を傾けていたけど、翼をはためかせて大空を飛ぶであろうドラゴンの理想形について私が胸を熱くして語りかければ、目を輝かせて何度も頷いてくれた。

 興味はかなりあるようだけど、神綺としてはきっと、一緒に空を飛べる生き物がいるということが重要なのかもしれない。そして、その背に乗るということが。

 私達は既に最初から空を飛べるけれど、乗り物に乗って飛ぶ事には、また別の憧れをもっている。

 

 現代にいた頃は、私も飛行機に乗るような事が何度かあったけど、今やそれも遠い昔の出来事……いや、未来か?

 とにかく、久しいものは恋しいものなのだ。

 

「空をとぶドラゴン、見てみたいです……」

「私も見たいなぁ……」

 

 長期間を開けて、再び地球に戻った時。

 その時ドラゴン達がまだ生きていれば、もしかしたら、翼で空を飛ぶ術を身につけているかもしれない。

 ……それよりも有り得そうな可能性だけど、両腕両足に両翼を足した六足歩行形態を極めていなければいいなぁ。

 こればかりは運に委ねる他ないのだが。

 

 

 

 魔界に戻ってきたついでに、一緒に持ち帰った“新月の書”に新たな魔術を書き記す。

 月魔術は何億年も使ってきた今でさえ、日進月歩と進化し続けている。

 それに、ただでさえ魔力効率がよく、威力の高い分野なのだから、これを突き詰めない手は無い。

 私はこうして暇さえあれば、少しでも効率よくできる部分には何度も手を加えていた。

 記す際に用いる魔界文字は、魔力を込めて刻んでゆく。文字自体の濃淡にいくつか種類があり、重なるように記された部分も非常に多い。

 表面に一番濃く書かれている文字は本らしい説明書きだが、その後ろに薄く描かれた文字こそが、私の作った魔導書の真髄。文字の呪いである。

 

 ……が、“慧智の書”では少々威力が高すぎた。

 はりきって魔導書を作ったはいいものの、読む人全て傷つけ殺したのではどうしようもない。

 ピリッと脳に刺激を与え、受験勉強で有利になるくらいのレベルの魔導書も作るべきなのかも……それって参考書じゃないか。

 

 うーん。そもそも本命と定めた人間がどこにもいないから、全然わからん。

 

 

 私は今日も悩みながら、魔界に伸びる樹高七十メートルのシダを伐採し、魔導書モドキの制作に精を出すのであった。

 



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「ハァアアリィイイイポッタァアアアアア……」

 

 掠れるような低い声が、魔界の空を響かせる。

 

「……何ですか? それ」

 

 神綺はキョトンとした顔で、首を傾げた。

 

 うん、わからないよね。ごめんね。

 でもちょっとだけやってみたかったんだ。

 

 

 

 魔界の住人育成(生成)計画の傍らで、私達二人はそれに付随した催しなどを考えていた。

 

 人が住めば、いや、人でなくても良い。とにかく。知能ある者が生活を始めれば、魔界は賑やかになるだろう。

 そうして賑やかになった際、私達は彼らを大いに歓迎するつもりだ。

 しかし一口に歓迎と言っても、衣食住の住は徹底的に作ったものの、他二つに関しては、生物の特徴によって大きく左右されてしまう。

 私達は大概アバウトだし、食事も必要ないのだが、今現在影も形も無い魔界人候補は、一体どんな姿で、何を食べるのかが全くわかっていない。

 チーズを食べてビールを飲めればなんとかなるだろうけど、万が一そういった普通の食事ができない相手だと、せっかく準備したところで無意味だ。

 

 なので私達は、別の方法で魔界の住人を歓迎することに決めたのだ。

 すなわち、音楽である。

 

 

 

「らららー♪」

 

 神綺の声はとても綺麗だ。高く、美しい。

 いつ練習したのか、それとも最初から天才的な適性があったのか、既にプロレベルである。あなたが神か。

 

「ぼえー……」

 

 対する私は、こんな声。

 もしも私がアクション映画の声優をやるとしたら、敵陣営の一番腕力が強そうな、顔に十字傷のある男に抜擢される。ファンタジー系のゲームに出演するとしたら、ラスボスの魔王を倒した後に“やっぱり復活は止められなかった”感じで地面の底から出てくる邪神役になることは間違いない。

 つまりはとんでもなく低く、そして恐ろしいのだ。

 

「うーん、ライオネルの声は、歌には向いていないのかもしれません」

「そうだね……」

 

 私が歌ったら、相手の魔力を削って自分のものにしたり、相手に複数の状態異常をかけてしまうかもしれない。それは困る。魔界の住人が私を魔王か何かと勘違いしてしまう。……間違ってもいないのかな?

 しかし、神綺が正直に言うほどだ。他人からみても酷いのだから、手の施しようはない。

 

 

 

 けれど、音楽は何も歌ばかりではない。

 逆に、神綺が歌に向いているのであれば、私は別の方面を伸ばせば良いだけなのだ。

 

「じゃーん」

 

 と、いうわけで、木管楽器を創ってみました。

 当然、原初の力が全てなんとかしてくれました。

 ふんっ、と力を込めればこんなものなら一発なのです。

 

「へえ、すごい綺麗ですね」

「うむうむ。買うと高いんだよ」

「買う?」

「それより、どう。演奏してみない?」

「はい! やってみます!」

 

 取り出したのは、フルートである。

 構造もわりと単純なので、研究せずともすぐに創ることができた。

 一度演奏したこともあるので、きっとそれなりの音も出るだろう。

 

「指を、こうですか?」

「そうそう、こっちを押さえるほど高くなるから」

 

 純銀製のフルートを手に、神綺が演奏法を確認する。兎にも角にも、まずは音の出し方からだ。

 幸い、笛らしいものは一度私がいない時に作ったことがあるらしく、吹けば鳴るということは直感的に理解してくれた。

 

「じゃあ、やってみますね」

「おー」

 

 神綺の演奏会、はじまりはじまり。

 最初はぴーひょろろ、と適当に音を出して、音階を確認しているらしい。息の強弱、指の抑え、一つ一つのパターンを試し、手応えを探っている。

 音に集中する神綺の表情は真剣そのもので、目つきがいつものようにおっとりしていない。六片チーズの最後の一個に狙いを定めた時の、射殺すような鋭い目だ。

 

「ふう……良い音ですね」

「喜んでもらえたなら何より」

 

 しばらく試奏を続け、先ほどの歌のようにメロディを奏でると、神綺様はご満悦の表情を浮かべて、私にフルートを返してくれた。

 

「もっと練習して、改良を加えれば、更に良い楽器ができると思いますよ」

「そうだね。何でも作れるし、もっと立派なものでも良いかもしれない」

 

 それこそ私の原初の力があれば、超巨大パイプオルガンでも創りだすことはできるだろう。原理がいまひとつ調べるのが面……金属の生成は時間がかかるので、今からやる気はあまりしないけど。

 というかさすがにパイプオルガンは悪役っぽさが際立つから、できるなら私もフルートみたいな楽器がいいな。

 

「ライオネルも演奏してみては?」

「うん、私もやってみようかな」

 

 神綺から受け取ったフルートを構え、指の位置を確認する。

 

 こういう楽器を演奏するのも久々のことだ。記憶は鮮明に残っているけど、果たして今でも吹けるだろうか。高校以来だから、少し不安である。

 

「……!」

 

 フルートを口につけ、私は衝撃的な事実に気付いた。

 目の前では、固まった私の様子を見て、神綺が無邪気な、不思議そうな顔をしている。

 

「……ライオネル、どうかしましたか?」

「いや……その」

 

 うん、いや、大したことじゃないんだけどね。

 

「息が出てこない」

「……あ」

 

 神綺との間接キスだとか、そんな些細な問題ではない。

 管楽器を操るにあたって最も致命的なことに、私の口からは、音を奏でるための息吹が出てこなかった。

 

 私はこの世界に来て、歌ばかりでなく、フルートの才能も根本からごっそり失ってしまったらしい。

 

 



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 その後、私は弦楽器を作ったり、魔導書に書き足したり、マジックアイテムを作ったり、弦楽器を作ったり、植林に勤しんだり、弦楽器を作ったり、様々なことをした。

 熱中できるものがあるというのは、実に素晴らしい。それが未来に繋がるものであるならば、尚更だ。

 

 見てくれが怖く、声がおぞましく、威圧感を与えがちな私。

 神綺は最初から親身に接してくれたが、きっと私は、初めて会うような相手に、そう容易に受け入れられる姿をしていない。

 こちらとしてはフレンドリーに付き合っていきたくても、向こうの方から先に逃げ出されたのでは困る。

 

 芸は身を助ける。ならばほんの少しでも相手の警戒心を解けるようにと、私は弦楽器の練習を繰り返した。

 さすがに弦楽器は経験がなかったので製作の研究から入らなくてはならなかったが、管楽器は軒並みアウトだとわかっていたので、いっそすがすがしい気持ちで開発することができた。

 思いの外難しく、満足のいく道具を創るだけでも数百年ほどかかってしまったが、出来てしまえばこちらのもの。

 神綺と一緒に何年も演奏を重ねていくに連れ、奏法に関しては人間だった頃のフルートを遥かに凌ぐ腕前になってしまった。当然とはいえ、ちょっと悲しかった。

 演奏が上手くなるにつれて作曲という課題も逐次出てきてしまったが、それもそれで楽しい作業である。

 ……モーツァルトさんの曲をかなりパクってしまったけど、大丈夫だろうか。

 

 音楽に関しては、そんな感じ。これで魔界の住人の心を豊かにできる。地球での活動にも役立つかもしれないし、趣味なわりに、かなり有意義な時間の使い方であった。

 

 

 

 なんて、呑気に魔界でのひと時を過ごしていた私だったのだが。

 まさかそんなのんびりとした日々の中で、あんな大事件が起ころうとは。

 

 シダの梢に立ちバイオリンをギイギイと弾くその時の私には、知る由もなかった。

 

 

 

 

「ライオネル! 大変です!」

「うん?」

 

 いつものようにバイオリンの練習をしている私のところに、神綺が瞬間移動で現れた。

 珍しく慌てた彼女の様子に、サビ一歩手前のところでノリにノっていた私も、思わず手を止める。

 

「どうしたの。以前の十五メートル級のアホ毛生物を創りだしちゃった時みたいな慌てっぷりだけど……」

「それどころじゃありません!」

 

 何、五十メートル級でも創っちゃったのかい。

 

「ドラゴンです!」

「え」

「ドラゴンが、森に現れたんです!」

 

 そんな馬鹿な。

 思いつつ、私は神綺の手を握って、一緒に瞬間移動した。

 

 

 

 

 魔界の上空。大渓谷を囲む大森林を見下ろす形で、私達はそこに現れた。

 そして移動してから、すぐに神綺の訴えていた異常を理解する。

 “どうせアホ毛生物が空でも飛び始めたんだろう”なんて想いも、簡単に打ち砕かれた。

 

 私の眼下に映る赤い鱗のそいつは、紛れもなくドラゴンだったのだから。

 

「ええっ、なんでここに!?」

「あれ、ドラゴンですよね!?」

 

 私大慌て。神綺どこか嬉しそう。

 初めてみるドラゴンに喜ぶ気持ちはわかる。だって、あいつ翼をはためかせて、飛んでいるんだからね。そんな姿を見たら嬉しいに決っているとも。私だって嬉しいさ。

 

 でもその光景は、魔界で見られるべきものではないはず。

 ドラゴンがはばたく。大いに結構。

 

 けどそれは、私が地球に戻ってから見られるべきものではないのだろうか。

 

「ドラゴンは、全て地球にいるはずなのに……」

「どうやって魔界にやってきたんでしょうか……」

 

 神綺と一緒になって考えるが、答えは出てこない。

 骨の塔にいるはずのドラゴンが、魔界に迷い込んだ。はて、どういうことだろう。

 

 私がふーむと悩んでいると、眼下のドラゴンが首をこちらに向けてきた。

 

「えっ、嘘」

 

 ドラゴンがこっち向いてくれた。しかも翼をばさばさと動かして、こっちに近づいてくる。

 

 すごく嬉しい。嬉しいんだけど……ものすごく怖い!

 

「ら、ライオネル! あれって私達と遊びたいんじゃ……」

「ポジティブだね神綺! 良い事だけど、今はちょっと距離を取ろう!」

 

 今にもドラゴンに飛びつきそうな神綺を引っ張り、迫り来るドラゴンとは反対の方向に空を飛ぶ。

 

 ドラゴンの飛行能力は高く、本気を出して飛べばすぐに私達に追いつけそうなものだったが、向こうも警戒しているらしい。

 一定の距離を保ちながら、じりじりと距離を詰めている。

 

「……賢いな」

 

 ドラゴンの様子を見て、私は重く呟く。

 

 当然のように翼を動かして飛んでいることにも驚きだが、何より私は、ドラゴンがなにやら、思惑をもって飛んでいるという事が信じられなかった。

 

 翼をつけたのは私だ。だからそれを使って、長い年月をかけて空を飛ぶ術を得たとしても、別段おかしいことではない。

 しかし頭の良さまで備わっているらしいこの様子は、どうしてもおかしいのだ。

 

 私はまだ、恐竜を繋ぎあわせただけのドラゴンに高い知能を植え付けていない。

 植え付けようとしてはいたが、地球にいる時にはついぞ一度も成功しなかったのだ。

 

「ライオネル、なんだか……この子、大丈夫みたいですよ?」

「あ、こらちょっと、神綺!」

 

 神綺が私の手から離れ、ドラゴンのもとへと近づいてゆく。

 神綺は神。人造の竜にやられることはないだろうが、噛まれたりしっぽで吹き飛ばされる彼女を見たくはない。

 

 ところが私の焦りとは裏腹に、ドラゴンは接近する神綺を一瞬だけ警戒はしたものの、にこやかな彼女に害意がないと見るや、和やかにホバリングなどをし始める。

 神綺は動きを止めたドラゴンに好意でも感じたのか、長い首に抱きついたが、それでもなおドラゴンは動く様子がない。

 

 向こうにも、害意はない。温厚だ。

 そしてこちらの危険性を探り、測ることができる。

 

「……やっぱり頭がいいぞ、こいつ」

「当たり前ですよ。ねー?」

 

 ねー、じゃないよ。

 

「……一体、何が起こっているんだろうか」

 

 魔界に現れた一匹の竜。

 抱きつく神綺。されるがままのドラゴン。途方にくれる私。

 

 ……どうやら、早急に地球に戻る必要がありそうだ。

 

 



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 神綺はドラゴンを抱いて、ご満悦。

 ドラゴンの方も大人しく撫でられている。なんとなく寂しい気分になったけど、まぁ、あれはあれで良いだろう。

 

 そんなわけで、魔界にやってきたドラゴンの謎を調べるために、私は地球への扉を開くことにした。

 少しでも早く、この異常事態を把握しておかなければならない。

 地球で今、一体何が起こっているのか。

 

「じゃあ、神綺……」

「やーん鱗がザラザラしててかわいいー」

「……うん、いってきまーす」

 

 というわけで、調べに行こう。そうしよう。

 

 

 

 私は白い靄のゲートをくぐり抜け、地球へやってきた。

 

 場所は、骨の塔から少し離れた、別の場所である。

 ドラゴンが勝手に魔界にやってくるような異常事態だ。骨の塔に直接乗り込むような真似はできない。

 

「……ん!?」

 

 赤土の地面を踏みしめ、顔を上げる。

 地球の異常はすぐに、私の体全体が察知した。

 

「なんだ、これは」

 

 地球の姿は、少し変わっている。

 大きな絶滅もあったのだろう。生態系に大きな変化が生じたためか、植物が様変わりしているように思えた。私が留守の間に、進化したのかもしれない。

 

 だが真っ先に感じた異常は、視覚に飛び込むそれよりも遥かに大きかった。

 

「……ピリピリする」

 

 ここは地上だ。何の変哲も無い地面と、樹木。遠くには山も見える。至って普通の光景に違いなかった。

 しかしそれでは、痺れるような刺激を肌に与えてくるこの気配は、一体何だというのだろう。

 

 辺りの植物は正常なので、空気中に有害物質が充満しているようには思えない。

 特別私の身体に不調があるわけでもないし、地球の見た目がおかしいというわけでもない。

 じゃあこれは……。

 

 記憶を辿って、私は以前にも、この感覚を経験していることを思い出す。

 私の記憶は絶対だ。忘れるはずもない。

 

 確かあれは、私が生み出した女神を、私の手で殺め、解体している時に感じた……。

 ビリビリと痺れるような、仄かな刺激。

 

「まさかな」

 

 一抹の不安を抱き、私は“浮遊”によって浮き上がった。

 空中においても、尚も感じる圧迫感。まるで氷土の中に閉ざされた時のような息苦しさだ。

 

 肌を突く感覚は、主に背中から伝わってくる。謎の力の発生源は、背後ということだろう。

 身体を半回転させ、振り返る。

 

 そこには、骨の塔が高く聳え立っていた。

 

 高く……高く。そして、大きく。

 私が最後に増築した時よりも、遥かに高く、巨大に。

 

「……あれぇー」

 

 視界の向こうで、悠然と天を衝く巨大な骨の塔。

 あれは確かに骨の塔だ。私が建てたものであろう。朧気ながらも、面影はある。

 しかし、規模がおかしい。私はあそこまで高く建てたつもりはない。どう見積もっても、三千メートル以上の高さがあるのではないか。

 

 私は、骨の塔の建築に際して、かなり入念に計算を行い、強度の上限を探ったつもりだ。

 そりゃあ、私も完全ではない。計算に多少の誤差もあったかもしれない。それでも、あれほどまでに超大な建築がまかり通るほどの計算違いをした覚えは無かった。

 例えあの塔の中身がスカスカだったとしても、あの高さでは、底部から砕けて崩壊するのが目に見える。

 

 何故崩れない?

 いや、そもそも、あの塔は、何故成長している?

 

「……あ」

 

 よく見れば、塔の周囲では小さな影が躍っていた。

 私は最初、それを翼竜のものかと思ったが……おかしい。翼竜は滑空を主とする恐竜で、決して空中で何度もはばたくものではない。

 

「まさか、あれが全てドラゴン!?」

 

 魔界にやってきたくらいだ。塔の外に出ていたとしても、なんらおかしくはない。

 よく見れば、塔は既に“越冬計画”を解除し、優美な骨造りの姿でそこにある。なんとあの塔、勝手に成長しているばかりか、私の術まで勝手に解けているのだ。

 

 術を解く。それは、言うほど簡単なものではない。私の魔術は過保護とも言える魔力供給源の確保によって、半永久的に稼働し続けるはずなのだ。

 骨の塔が倒壊しないばかりか成長しているというのに、中に構築した“越冬計画”が解けるなど、有り得ないことだった。

 

「ありえない」

 

 私は“浮遊”による出力を高め、空を颯爽と飛びながら、塔へと近づいてゆく。

 

 超大陸パンゲア。地球上のほとんどの陸地は、今この場所に密集し、巨大な一つになっている。

 陸はここだけ。建てた塔を見間違うはずはない。

 だが、あれは……。

 

 力の波動を発し続ける、あの塔は、まるで……。

 

 

 

『――あら、戻ってきたのね』

 

 

 

 私はその時、世界中に響くかのような、凛とした女の“声”を聞いた。

 

 



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 大気中の魔力を震わせた声の波動に、飛行中の私は思わず動きを止めた。

 右手に不滅の杖を生成し、油断なく構え、魔力を蓄積する。

 

 声は正面に聳える塔からやってきた。

 大きな声だ。まるでサイレンのような、どこまでも響き渡る声である。

 

 

 

 ……女神。

 私の頭の中で、あの時の女神の姿が蘇る。

 

 私を憎悪し、私に殺された名も無き女神。

 

 肌に感じるこの波動は、紛れも無くあの時と同じ、神のもの。

 だとすると、この若々しい女の声は、つまり……。

 

 

 

『ちょっと、そんなところで止まってどうしたのよ』

 

 私が物思いに耽っていると、再び女の声が響き渡った。

 いかんいかん。ぼーっとしている場合ではない。

 相手は私に話しかけている。私は、それに応じなければ。

 向こうから言葉を使ってきた以上、あの時のように、一触即発の関係ではないのだから。

 

「……貴女は、一体何者だ」

 

 私は杖を握る右手に力を込めながら、重々しい声で訊ねた。

 

『ふっ……何者って、面白い事を言うのね』

 

 何が面白いというのだろう。

 私が首を傾げていると、

 

『あなた以外に、誰が私が何者かを知っていると言うのよ。私を作り上げた張本人じゃない』

「……えっ」

 

 思わず杖を握る手の力が失せて、杖が大地に墜ちてゆく。

 

『私が何者か……そうね、私も知りたいと思っていたのよ。前みたいに中に入って、ゆっくり教えてくれないかしら』

 

 ライオネル。

 最後に私の名を呼んで、声は響き渡った。

 塔を中心として、この広い世界に。

 

 ……私が会話していたのは、なんと、竜骨の塔そのものであったのだ。

 

 

 

 

 塔に近づき、遠目からでもわかるほど、以前よりも入り組んだ底部を目指すにつれ、地上には恐竜の姿が多く見られた。

 小型のもの、大型のもの、肉食のもの、翼あるもの……種類は様々で、驚くべきことに、それらは近くにいても、互いを攻撃しようとはしない。

 塔下の竜は誰もが穏やかで、食物連鎖の輪から逸脱しているかのように、平和な光景だ。

 

『前みたいに、そこから入れるわ』

「……うむ」

 

 塔の真下にくると、至近距離で声が響いた。

 やはり間違いなく、竜骨の塔そのものが声を発しているらしい。

 

 塔の真下には以前私が造ったドラゴンが数体うろついており、黄色い眼をこちらに向けて、様子を伺っている。

 間近に感じる神らしい波動も相まって、非常に落ち着かない。

 

「……何が何やら」

 

 それでも私は久々に、以前と同じように塔に手を当てて、内部へと転移したのであった。

 

 

 

 内装に変わりはない。

 私が組み上げた骨の飾りは同じようにそこにあるし、中央の縦の空間もそのままで、“浮遊”によって容易に上昇することができた。

 いくつかの階層ではドラゴンが二本足で歩き、植物園をうろついている姿が見られる。

 内部の植物たちも、無事に越冬したようだ。比較的以前と同じような種が保たれている。

 

『なんだか、不思議な気分ね。以前は、いつもそうやって私の中を登っていたのに。やっぱり、久々だから……なのかしら』

 

 ゆっくりと上昇しつつ内部を確認していると、再び声が響いてきた。

 

「……貴女は、この塔そのもの?」

『それ以外に何だっていうのよ』

 

 いや、色々……わからないじゃん。私、塔が喋ってるのなんて初めて見るし……。

 

『まぁ、そうね。他には神様、っていう呼び方もできるのかしら』

「神様」

 

 やっぱり神様なのか。

 

「貴女は、以前私を探していた……あの女神なのか」

『あなたを探していた? さあ。別に探していたつもりはないけど。私はずっと、ここにいるしね』

 

 塔の女神の声は特に思うところもなく、そう言った。

 

 ……私を探したことはない。特に、私に執着しているわけではないということか。

 となると、この女神はあの時、私が殺した神ではないのか?

 彼女自身、動いたことがないと言ってるし……。

 

 でも私は、あの女神を殺め、その墓廟を作ってからは、神頼みをしたことなど一度もない。

 新たに神ができるような考え方は、全て捨てたはずなのだ。

 

「じゃあ……貴女はどうして、神としてこの世に生まれたんだ。神は、誰かから望まれ、敬われ、恐れられなくては、生まれない」

『何寝ぼけたこと言ってるの。そんなのしょっちゅうだったわよ』

「えっ」

 

 浮遊する私の身体がかつての研究室……以前の最上階に差し掛かったところで、女神は呆れたような声を出した。

 

『荒む大地、乱れる大気……地上の生物は、滅びゆく世界の中で、必死に生きようともがき続けていたわ。それでも私は、私の中は平穏そのもの。どれだけ世界の平穏が崩れようとも、私だけは普遍の存在として、ここにあり続けたの』

 

 そうだ、私はそうあるように、竜骨の塔を作ったのだ。

 

『言語を使わない彼らの気持ちは、完全には理解できないけど……不変で、巨大な存在っていうのは、畏れられるものなんじゃない?』

「……あ」

 

 神は信仰によって生まれるもの。

 それは必ずしも、知能ある者によってのみ成り立つわけではない。

 

 恐竜達や、様々な地上の生命によって信仰されて、この竜骨の塔は、神となったのだ。

 

 



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 竜骨の塔の増築された部分は、はっきり言って粗雑なものだと言わざるを得なかった。

 私が作ったわけではないのでそれも当然のことだったが、しかし逆に、私と神綺以外の者が手がけたという事実には、改めて驚かされる。

 雑と言っても、それはあくまで建築強度や美的観点で見た場合の話。骨を魔力的に溶着させる接合法は踏襲されており、眺めてみれば、節々に私の建築技術の模倣が見て取れた。

 

 

 

『まあ、自分の身体だし。私も綺麗に作りたかったんだけどね。あなたほどのセンスがなかったって事かしら』

「……いや」

 

 最上部まで上がると、そこは四千メートル級の頂。

 この場所には、四体ほどの土製ゴーレム、ロードエメスが控えており、骨材を抱えたまま待機している。

 

 超大陸パンゲアを魔力無しに一望できる、太古の建築物。

 人の手ですら容易には届かない、巨大な塔。

 

「すごく、良いと思う」

『ふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ』

「お世辞じゃない」

 

 ……それにしても、なんだかやり辛い性格してるなぁ、この(ひと)

 悪いってわけじゃないんだけど……私が話す相手といえば、温厚な神綺だけだったから、ちょっと新鮮な気分。

 

 

 

 

「ああ、これか……」

 

 私は塔を降り、今や全体で見れば低い位置にある自分の研究階に戻ってきた。

 そこには、以前私がやり終えたままの研究の跡が残されており、いくらか名残が見て取れた。

 解体した恐竜の肉などは既に無かったが、骨壷や骨板などはそのままである。

 そして何より、開きっぱなしの“慧智の書”も。

 

『私は彼ら……恐竜達によって神格化され、身体に自我を宿したわ。けど、それだけだったらきっと、こうして話すことも出来なかったんでしょうね』

「……かもしれない」

 

 私が女神と対峙した時には、会話がこれっぽっちも成立しなかった。

 ただ生まれただけの神では、言語能力も低くなるのかもしれない。それは信者の影響なのか、信者の数の影響なのか、私にはわからないけれど。

 

 対して、竜骨の塔の神は言葉を巧みに操っている。

 それは紛れも無く、開きっぱなしにされていた“慧智の書”が原因だろう。

 書き直しの途中だったこれを回収し忘れるというミスのために、塔の神は“慧智の書”の影響を受け、言語を操るまでの域に達したのだ。

 

『それに意識を向けていると、なんかすっごく調子が悪くなるのよねぇ』

「申し訳ない」

『まぁ、いいのよ。最初のうちだけだったから。意識を向け続けていくうちに、段々と理解できるようになったしね』

 

 塔が本を見るなんて予想外にも程があるから、私が謝るっていうのもどこかおかしい話ではあるけれど、一応謝っておいた。

 向こうも向こうで、のんきなのか、あまり気にしていない様子だ。

 

『それに、こういう本がないと暇だったから。色々なものを作ってくれたあなたには感謝してるわ』

「色々」

『こういうやつよ』

 

 その時、私の肩がトントンと叩かれた。

 振り向くと、そこには一体のロードエメスが。

 

 ……さっきも思ってたけど、建築役として働いてくれた彼らも、すっかり塔の神によって操られているらしい。

 自分の従業員を引き抜かれる気分って、こんな感じなのかな。

 

「って、これ」

『そう、本よ』

 

 ロードエメスは、腕に二冊ほどの本を抱えていた。

 どちらも私の造った魔導書であることは、言うまでもない。

 

『ここには無いけど、他にもあと三冊くらいあるわね。読み応えがあるから、ついつい下僕の竜達を狩りだして、探させちゃったわ』

「おおお……」

 

 ロードエメスが持っていた魔導書は、“口伝の書”と“星界の書”。

 まさか私の書いた魔導書を最初に読むのが、建築物になろうとは……。

 しかも、他の巻を信者に探させるほどの熱烈的な読者……。

 

『どれも一筋縄ではいかなかったけどね。そこに書いてあるライオネル・ブラックモアってあなたの名前でしょ?』

「うむ」

『じゃあ、これからライオネルって呼んでも良いわよね?』

「も、もちろん!」

 

 やだ、なんかファンができたみたいで嬉しい。

 

『また会えて嬉しいわ、ライオネル。といっても、ほとんど初対面なんだけどさ』

「私も嬉しいよ。まさか喋ることになるとは想像してなかったけど。ええと……」

 

 当然ながら、私は彼女の名前など決めていない。

 竜骨の塔。そう呼んではいる。しかしそれは、ひとつの自我を持った相手に使うには、少々生気が足りないように思えた。

 

「……ええと、さすがに塔っていう呼び方は不便な気がするから、私の方から名前を付けても良いかな」

『私に、名前?』

「うん、よければだけど……」

『嬉しい。名前って、私だけのものでしょう?』

 

 塔の神の声は、少女のように弾んでいた。

 

『なんでもいいわ、あなたが付けてくれるなら』

「よし、じゃあ……何か、いい名前にしないと……」

 

 神綺もそうだったけど、名前っていうのはそれほど重要なものなのだろうか。

 私は適当にアーティストから取っちゃったんだけどな。

 

 ……名前。

 

 私は塔の神に名付けるため、考えを巡らせる。

 辺りを見回せば、どこも骨、骨、骨。塔の素材全てが恐竜の骨なのだから、当然であった。

 ほねこさん。さすがに人間時代に絶望的と言われた私のネーミングセンスでも、それは有り得ない。

 

 考えあぐねて、真上を見上げる。

 中央の空洞を通して、塔はどこまでも上へと続いていた。

 富士山よりも高く、天を衝き、どこまでも。

 

「……アマノっていうのはどうかな」

『アマノ』

 

 高貴で、神々しい存在。高みにある存在。

 私が思い浮かべた名前は、そんなニュアンスから生まれたものだった。

 

『アマノ、うん……良いわね。ありがたく貰っておくわ、ライオネル』

「どういたしまして、アマノ」

 

 竜骨の塔の神、アマノ。

 それが、私が地球上で長い時間を共にする、アマノとの最初の出会いだった。

 

 

 



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 やはり、地球は壮絶な環境に置かれていたらしい。

 地上にいた数多の生物は倒れ、植物は枯れた。

 激しい淘汰にあったのだと、アマノは言う。

 

 永きに渡って、滅びの時代は続いた。

 不毛の大地はどこまでも続き、地上の生物たちは残された者達と食料を奪い合い、殺しあった。

 食い繋ぎ、水を求め、息を求め、戦い、そしてさすらう。

 何代にも渡って繰り返される、過酷な絶滅期。

 

 そんな中、地上の生物が見上げるのは、決まって竜骨の塔であった。

 

 決して崩れることのない、骨の格子と土塗りの巨塔。

 それはあらゆる風を、揺れを、土砂でさえも防ぎ、その場所で佇み続ける。

 

 竜骨の塔は時に、強い日差しから生物を守るための日陰となり、時に、表面を覆う凍土によって、生物たちに命の涼を与えた。

 塔は、そこに佇み続ける力強さの余波によって、外側の生物の救いにさえもなっていたのである。

 

 次第に、塔の下に様々な生物が集まってくるのは、半ば必然であった。

 生物は塔に寄り添い、塔と共に過ごし、塔によって生かされ続けた。

 

 塔はあらゆる生物の命の源となり、原初の親となる。

 

 

 

 塔は崇められ……そして神として覚醒した塔、アマノは、魔導書の力によって強い自我を獲得し、“生き延びたい”という数多の生物らの願いを、叶えるようになったのである。

 

 

 

『もちろん、全ての命が救えるわけじゃない。不運な事故によって命を失う者も、沢山いるわ』

 

 竜骨の塔の外。

 塔から数キロ離れた場所であっても、アマノの声はここまで届いてくる。

 驚くべきことに、彼女はだいたい、三百キロメートル程までの姿や音を知覚できるのだとか。

 つまり、彼女は直径にして六百キロメートルもの距離を、面積にして二十八万二千七百四十三平方キロメートルもの範囲をカバーできることになる。わけわからん。

 

 彼女の範囲内にいれば、私のつぶやき声も彼女は拾えるようで、会話には全く苦労しない。

 むしろ彼女の手中にいる気がして、ちょっと怖いくらいだ。

 

『そういう時は、肉食の彼らを動員して、その命を戴くことにしてるの』

「ほー、動員するんだ。ていうか、できるんだ」

『ええ。彼らは、私の言うことには従順に従ってくれるからね。皆、私の声を聞くことで長生きできることを、本能的にわかっているのよ』

 

 私の目の前を、大きな草食恐竜達が群れを成して横切ってゆく。

 多少こちらを警戒しているものの、私が小さいために侮っているのか、神の庇護下にある安心感に包まれているのかは定かでないが、彼らは特に気に止めず、真っ直ぐに歩いて行った。

 

 

 

 長寿を願う彼らは、肉食であれ草食であれ、等しくアマノの信仰者だ。

 彼らは自らの天寿を全うすることを望み、アマノの“信託”を受けて行動する。

 アマノの誘導によって彼らは食に恵まれ、寝床に恵まれ、子孫を繁栄させる。

 

 特に繁栄が著しいのは草食竜達であり、肉食獣から逃れられる信託を受ける彼らは、豊富な食料を食みながら、次々に数を増やしてゆく。

 地上に栄える植物は、アマノの神力によってより良く成長し、実りに恵まれる。アマノの影響下に限られるものの、草食竜達が爆発的に数を増やすには十分な広範囲である。

 肉食竜はそうして膨大に増えた草食竜達の大きな――死期の近い――個体を食すことで、命を永らえるのだ。

 

「お、本当だ。口にくわえてる」

 

 草食竜に、肉食竜。

 アマノの信託によって、通常よりも遥かに長い命を得た彼らは、ひとつの使命を与えられる。

 

 それこそが“竜骨”の献上だ。

 

 全ての竜は、アマノの信託を聞くごとに、ひとつの竜骨を運ぶことを義務付けられる。

 骨はより巨大なものこそがより良いとされ、竜は同胞の遺骸を見つけては、その中の大きな骨を競うように抜き取って、竜骨の塔へと運んでゆく。

 

 今も私の目の前を、キリンよりも大きな恐竜が太い腿骨を口にくわえ、のしのしと塔へ向かって歩いている最中だ。

 

『彼らが私を助け、私が彼らに繁栄を約束する。私がより高く伸びる度に、私の支配圏は広がる』

「すごいな。時間をかければ、パンゲア全域をアマノの力で満たせるんじゃないか」

『パンゲアって何よ?』

「ああ、ええっと……この大陸だよ」

『ふうん、パンゲアっていうの。まぁ不可能じゃないかもね……けど、段々とこの陸地も離れていってるから、そうもいかなくなるかもしれないわ』

 

 ああ、そうだった。

 超大陸パンゲアは今でこそひとつにまとまっているが、時と共に分裂し、それぞれの大陸となってしまう。

 距離が離れ、アマノと陸続きになれなければ、その竜達は骨を運べずに、恩恵が途切れてしまうだろう。

 

『まぁ、自然のことだから、その時は仕方ないわよ。それでも、出来る限り皆を助けてあげたいって思ってるけどね』

「……アマノは、恐竜達が好きなんだな」

『もちろん。私を信じてくれる者達であり、家族なんだから』

 

 アマノは、人間の信者がいなくとも、立派な神様だった。

 

 ジュラ紀。パンゲアの一部は彼女の力によって、恐竜達の楽園を形成している。

 

 

 



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 私が作り上げた四十体の人造ドラゴンは、不老不死を得たまま長い時を過ごし、アマノと共にパンゲアで生き続けていた。

 残念ながら“慧智の書”による恩恵は得られていないが、長年の経験やアマノの神託によって、それなりの柔軟性を備えてはいる。

 

 翼と腕を持ち、他とは違った堅く鋭い鱗を持つ、不老のドラゴン。

 彼らは塔の守護者として、アマノの手足となり、様々な任務を遂行し続けてきた。

 

 魔界へ訪れたドラゴンも、任務の一環だったのだとか。

 

『驚かせちゃったなら謝るわ。どうしても試してみたくてね……』

「まぁ、驚きはしたけど……こうして私達が会う切っ掛けになったんだから、気にしてはいないよ」

 

 アマノは、自分を、つまり塔内部の機能を操作できる。

 それは、数多の生物の信仰を一身に受けているからこそ成せる、高度な力技だ。

 

 竜骨の塔はもはや、月や星々の運行によって魔力を供給する存在ではなくなった。

 アマノは常に莫大な魔力を行使することができ、その力は供給され続け、尽きることがない。

 魔力の使い方は現在勉強中であるとのことだが、魔界行きのゲートを起動できる域にまで至ったのだ。ほとんど最終機能に近いそれを使える時点で、アマノの魔力操作は完璧に近いと言えるだろう。

 

 

 

『へえ、それじゃあ魔界っていう所は、地球からはなかなかいけない場所なのね』

「そうそう」

 

 けど扉を開く能力的には、今最も魔界に近いのは間違いなくアマノだよ。

 

『何千万年も前の植物や虫がいる……なんだか、ワクワクしてくるわね』

「ああ、まあね……」

 

 とはいっても、いるのは可愛げのない虫ばかりだ。

 植物もほとんどシダばっかりだし。シダ、どういうわけか、やたらと高く成長するし。

 謎のアホ毛生物はたくましく生きてるし。

 

「そうだ。恐竜たちを住まわせるための森林区画を、この前作ってね」

『区画? 森林は元々作ってるんじゃないの?』

「うん、まああるんだけど。恐竜達だとほら、大きいだけの虫なんて、簡単に餌にしちゃうだろうから」

『ああ』

 

 古代の生物と、今現在の恐竜。戦ってどちらが勝つかといえば、考えるまでもないことだ。

 当然ながらそういった生物は、一緒の場所に放り込むわけにはいかない。恐竜が一人勝ちしてしまうよ。

 種の平等化を図るためには、しっかりと区画整備された場所で、別々に管理する必要がある。

 

「それでさ。できればこの大陸にいる恐竜たちを、いくらか魔界の方に分けてくれると嬉しいんだけど……」

 

 私は自信なさげに、アマノに訊ねた。

 アマノは恐竜たちに崇められ、恐竜たちを手助けし、神としてこの世に君臨している。

 恐竜の何体かを分けろというのはつまり、アマノの信者を拉致することでもあるのだ。

 

『私は構わないわよ』

「えっ、いいの」

『うん。だって沢山いるもの』

 

 そんなどんぶり勘定で良いんですか、神様。

 

『仮にライオネルが恐竜たちをバラバラにしたって、それは必要なことなんでしょ?』

「必要……うーん、まぁ、必要ではあるんだけど」

『なら、良いんじゃない。誰かに必要とされて、隅々まで使って貰えるなんて……この世界では、なかなかあることじゃないもの』

 

 アマノ、結構ドライである。

 いや、むしろ自然界の神様としては当然なのか。

 殺生はいけません、なんていうのは、むしろ人間が生み出すような倫理観なのだろう。

 

 アマノが許可を出すなら、何も気兼ねはない。

 既にドラゴンは完成と言える段階まで成長してしまったけど、恐竜たちにも魅力はある。彼らの一部には、是非とも魔界に移住してもらうとしよう。

 そして神綺を背に乗せて、ご機嫌を取ってもらうのだ。

 

 

 

 

 私が竜骨の塔の構内を歩いていると、よくドラゴン達とすれ違う。

 ドラゴンたちは二足歩行で歩き、体幹をわずかに左右に揺らしながら、しかし既存の恐竜とは違って両翼によってうまくバランスを取り持ち、なかなか上手に歩いている。

 

 実は、私が彼らとすれ違う度に、彼らはしばらく私をじっと眺めてくるのだ。

 しばらくじろじろ不躾に眺めると、フンと鼻息でも鳴らしそうな素振りでそっぽを向き、歩き去ってしまう。

 毎度のことではあるのだが、一応の生みの親であるだけに、これがまたショックなのだった。

 

「私、嫌われてるのかなぁ」

 

 心当たりはある。

 彼らにしたことといえば、身体に刃物を入れ、別の生物を無理矢理継ぎ足し、そして様々な魔術をかけたくらいのもの……。

 

 冷静に思い返せば、なかなかの極悪っぷりだ。嫌われていないほうがおかしかった。

 

『あら、そうかしら? むしろ彼らは、あなたに感謝してると思うけど』

「え?」

 

 アマノはどんよりと項垂れる私に、どこからともなく(内部だけど)励ましの声をかけてくれた。

 

『ドラゴン。翼と腕を持つ彼らは、私の近衛。彼らは他の恐竜とは違う自らの能力や生命力に、強い誇りを抱いているの』

「誇り……」

 

 ドラゴンに、誇り。どうしてかその二つは、私の先入観もあって、しっくりきた。

 

『さっきライオネルを見ていたのだって、偽物じゃないかって、入念に確認していただけよ

。彼らは塔の守護者として、侵入者にはとても厳しいからね』

「なんだか、格好いい役目だなぁ」

『言葉が通じるなら、言ってあげてほしいわ。彼ら、きっと喜ぶと思う』

 

 なるほど、私をよく見て確認していたのは、不審者かどうかの確認を取っていたわけか。

 任務に熱心な、忠実な塔の守護者。なるほど、その切っ掛けを作ったのが私だから、むしろ彼らドラゴンは私に感謝……ん?

 

「でもアマノ。彼らが私に感謝してるなら……別にジロジロ見るまでもなく、すぐに通してくれても良かったんじゃ……?」

『ああ……彼らも、頭がいいわけじゃないからねぇ。思い出せば感謝するだろうけど、ライオネルのことはもう忘れてるんじゃない?』

「……そっかー」

 

 アマノは結構、適当な神様だった。

 

 



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 アマノの無尽蔵な魔力のおかげで、竜骨の塔内部の転移機構は使い放題だ。

 これからはいつでも何度でも、魔界と地球を行き来できるだろう。

 動物の運搬はかなりの魔力を消費するので、魔界への生物輸入は辛いものであったが、これからはそんな労力も減るということだ。

 アマノに頼んで恐竜を誘導してもらえば、塔に運びこむ事だってスムーズにいくだろう。

 

 想像以上の収穫に、私はホクホク顔(ミイラ顔)で魔界に戻ってきて、さっそく神綺に報告したのだった。

 

「へぇー、建物が神になったんですか」

「驚いたよ。いつの間にか大きくなってたしね」

 

 魔界への帰還は、およそ一ヶ月。

 その間は塔内部の確認と、竜の観察。アマノの影響の調査をじっくりと行っていた。

 

 とはいえ、私が地球に行くと何年も戻らないことがザラだったので、神綺は油断していたのだろう。

 私が魔界に戻ってきた時、彼女は下半身を宙に高く浮かせた状態でドラゴンに頬ずりしている真っ最中だった。

 

 だから何だっていうと、何でもない。ただ神綺の恥ずかしいことを公にしたかっただけです。

 

「それじゃあ、そのアマノという神も、いつかこっちに?」

「いや、アマノは……どうだろうなぁ」

 

 神綺の考えは基本的に魔界優先だ。

 しかし、彼女は何年も魔界の住人を待ち望んでいたのだ。それも無理らしからぬことだろう。

 

 とはいえ、アマノをこちら側へ転移させるのは、非常に難しいことだと、私は考えている。

 

 なにせあの規模の塔だ。

 信仰の力によって魔力は有り余るほど残っていても、あれほどの巨大なものを転移させた経験は、私にはない。

 それに、信者たる恐竜たちのこともある。アマノは博愛主義ではないものの、さすがに自分の信者を見捨ててこちらに来る可能性は、ほとんど無いに等しかった。

 実際、私が地球を見て回った一ヶ月の間に、アマノに魔界や神綺の話をしたこともあったのだが、反応は薄かった。

 “ああそう、ふーん、すごいわね”。そんな感じ。事実そうなのだが、他人事である。

 神綺っていう人がいてねー、なんて私が友達紹介をしても、“こっちに来れたらお話したいわね”とか言っていた。アマノが魔界へ行くという発想は、これっぽっちも無いらしい。

 

 なら、アマノのご希望通りに神綺が地球に行けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、それも別の意味で難しいだろう。

 神綺は魔界で生まれ、魔界のために存在する神だ。

 前にも彼女を地球へ誘ったことがあるのだが、“ここから離れると良くない気がします”と断られたことがある。それは外界が嫌というよりも、実際にこの世界や、神綺自分自身の存在を危惧しているようだった。

 それに、神が持ち場を離れて異世界へ行くというのは、それだけで確かに、不吉な予感は感じられる。

 

 アマノも神綺も神様だ。そう簡単には動けない。二人が対面するのは、ものすごく難しそうだ。

 

 ていうか、私の出会う相手はことごとく神様だなぁ……人類まだなのかな。

 むしろ哺乳類どこにいるんだよ。それっぽいちっこいのは見かけたけど、本当にこいつらしかいないのかな。そこからの進化となると、まだまだ先が見えないぞ。

 

 

 

 

「“眺望遠”」

 

 私は竜骨の塔の最上部に立ち、月魔術を基本とした遠視魔術を発動させた。

 光を歪ませる巨大な円形空間が何層にも形成され、宙に浮かぶ。

 

 これは、かつて開発した“望遠”の上位魔術だ。

 せっかく巨大なアマノという塔があるのだから、そこから地上の景色をじっくりと眺めたい。

 だから、より遠くを見渡せる魔術を作りたい。ある意味、当然の成り行きで強化された魔術だった。

 

『それで遠くが見られるのね。“新月の書”はまだ途中までしか開けないけど、その魔術は書いてなかったわ』

「そりゃあ、まだ本に書いてない魔術だからね」

『あら、そうだったの』

 

 追加される魔術は多いけれど、月魔術は特に、入れ替わりや追加が激しいのだ。

 その気になれば数十年ごとに書き加えていけるけど、何度も修正するのは面倒くさいので、数千年に一度、いっぺんに改稿作業を行っている。

 

「おー、やっぱり良く見える」

 

 アマノの上から見下ろすパンゲアは、やはり広大だ。

 性能の良い望遠の魔術は、豊かに茂る植物も、大地を歩く恐竜たちも、その姿をくっきりと映し込んでいる。

 更に倍率を上げれば、葉や鱗の枚数までも数えられそうである。

 

『どう? ライオネル。新術とやらの性能は』

「我ながら、素晴らしい出来かな」

『……あなたって、魔術のことになると、結構偉そうよね』

 

 地上での生活中は、有り余る時間を使って、アマノとの交友を深めている。

 彼女は私の本の影響を受け、それなりに魔術に対して理解がある。なので、魔術好きなこちらとしては、神綺とはまた別の、絶好の話し相手なのだ。

 アマノもアマノで、言語を解するコミュニケーションは、“それなりに”楽しいらしい。

 “それなり”って……まぁ、いいけどさ。

 

「私は、魔術に関しては一切の妥協をしないのだよ」

『はぁ……』

 

 こうして他人と魔術について語らうのは、永く生きながらにして初めての経験である。

 アマノはまだまだ、私の知識と比べれば入門生といったところだったが、それでも彼女との会話の中で、新たな発見をすることも多い。

 一方的に教えていくだけだろうと考えていた私の誤算であったが、得られるものは多く、そういった意味でも、私はアマノに感謝していた。

 

『ところでライオネルのその魔術……』

「“眺望遠”?」

『そうそれ。それを使って空を見ると、どうなるのよ』

「空……」

 

 空と言われて、ハッとした。

 

 私のこの魔術って、既にほとんど宇宙望遠鏡みたいなものじゃないか。

 考えてみれば、どうしてこの術で空を見上げなかったのだろう。“望遠”では何度も夜空の観察をしていたというのに。

 いくら“月時計”がほとんど完成しているからといって、星々のおおよその位置と運行を知っているからといって、それで宇宙が完結したわけではないのだ。

 

「……そうだね。今夜でも、夜空を見上げてみようかな」

『今じゃないのね』

 

 今は昼だからね。

 それはそれで、オツかもしれないけども。

 

 



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 暗い星。明るい星。

 “眺望遠”は、あらゆる星を映しだし、宇宙の姿を私に見せてくれる。

 

 アマノの最上部で術を覗き、夜空を見上げる。

 一切の淀みがない澄んだ大気は、巨大な塔の頂点にて更に薄く、闇の世界を克明に見せてくれる。

 

 今まで存在を知れなかった星を見つけては、記憶の中に書き留める。

 遠すぎる星はなかなか魔術の手助けにはならないが、果てしない宇宙の情報は、どれだけつぶさに観察しようとも、果てがない。

 長い時間の中にいる私にとって、こうして広い世界をぼんやりと眺める時間は、なかなか心地よいものである。

 

 見慣れた星をよく眺めてみるのも、また格別だ。

 

「おや」

 

 そんな軽い気持ちで、月を覗いたのだ。

 月は魔術において、大きな力をもたらしてくれる重要な衛星である。

 ちょっくら大きなクレーターの様子でも観察してみようと、私が“眺望遠”を月に向けたところ……。

 

「なんか、変だな」

『何がよ』

 

 “眺望遠”にて見られる月が、どうもおかしい。

 最大のズームでクローズアップされた月の表面には、かつて聞いたことのある“月の兎”の影絵が、どうしても見られないのだ。

 数億年経って初めて気付いた事実である。

 

 しょうがないでしょう。月の模様を疑ったことなんて、一度もないんだから。

 

「んー……月の表面って、そんなに変わるものなのかな」

『月がどうかしたの?』

「どう、ってわけでもないんだけど……私が以前に見た時と較べて、随分と様変わりしてるなと思ってね」

 

 月の表面は、兎が手杵を持って臼を小突いている影絵が特徴的だ。

 しかし今私が見ている月には、その兎らしいものが、断片的にしか存在しない。

 模様全体で見れば似てなくもないが、兎としての面影はほとんど皆無だと言えた。

 

『随分、悩んでるわね』

「うん、気にし始めると、どうしてもね」

 

 これから巨大な隕石が月に墜ちて、表面の模様がガラリと変化してしまうのだろうか。

 それとも、月では表面の模様が変わるような現象が起こっているのだろうか。

 

 ……想像はいくらでも膨らむ。

 これだから、宇宙は飽きなくていいのだ。

 

『気になるなら、見に行ってくれば良いんじゃないの?』

「え」

『月に』

 

 あっけらかんと言い放つアマノに、“そんなコンビニとかスーパーじゃないんだから”と思いつつも。

 

 “ああ、行けばわかるか”とも思ってしまう私なのであった。

 

 

 

 

 魔法使いは宇宙に行けるのか。

 そう問われると、私はすぐには頷けない。正直、可もなく不可もなくといったところだからだ。

 

 では、私は宇宙に行けるのかといえば、答えは即答で、イエスである。

 

 人間にとっては、気温や空気の問題があって非常に難しい宇宙旅行でも、私ならば全く問題ない。

 実際に行ってみたことこそないけれど、無重力かつ真空空間であっても、きっと私は生きてゆけるはずだ。呼吸は必要としていないし、身体だって膨張するまでもなく、既にカラカラなのだから。

 

 なので、問題は月へ行くまでの動力と軌道だけだと言って良い。

 いや、むしろその問題すら、“月時計”や“浮遊”を持つ私にとっては、無意味なのかも。

 

 月は魔力の源だ。その源に近づくということは、それだけ魔力供給が増すということである。

 宇宙空間では地球ほどの重力もないだろうし、むしろ月へ行く最中の方が楽かもしれんね。

 

「盛大なプロジェクトになるかと思ったんだけどなー」

 

 じっくり考えて一時間ほどで、私は月への旅行を決定したのだった。

 なんていうか、失敗する気がしないです。

 

 

 

 

「じゃあアマノ、今から月に行ってくるから」

『行ってらっしゃい。どんな様子なのか、後で聞かせてよ』

 

 月へ行くってのに、行ってらっしゃいかつ後でときましたか。

 まぁ、実際私もそのくらいのノリで言ったんだけどさ。

 アメリカとソ連が見てたら地団駄踏んで足跡を残しそうなやり取りだ。

 

 計画は、こうである。

 “月時計”と“算術盤”を発動させながら、高出力の“浮遊”で空を飛び、大気圏外を目指す。

 大気圏外を出たら、“月時計”の指示に従い、引き続き飛ぶ。長旅になるので、加速できるだけ加速する。

 “算術盤”は算術の基礎的なもので、魔力分割によって動く計算機のようなものだが、今回はこれを正確な秤として用い、安定した飛行の補助装置とする。

 

 以上。最終的に月に着陸(着弾)する。それだけ。

 

 うん、特に説明もいらない計画だったね。飛ぶだけじゃないかと。実際飛ぶだけなんだけどさ。

 ただ、軌道を逸れて地球とは全く別のところへ飛ばされることを考えると……万が一そんなことになってしまったら、ちょっと怖くなる。

 鉱物と生物の中間的な存在になって宇宙空間を彷徨い続けて最終的に考えるのをやめた人にはなりたくないものだ。

 それを防ぐための“月時計”ではあるのだが……。

 

 

 

「行ってきまーす」

『はいはい』

 

 色々と思うところはあったが、私は宇宙へ向けて出発したのであった。

 あ、月の石も拾ってこなきゃ。もしかしたら神綺の作った謎生物が進化するかもしれないし。

 

 



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 難航。その一言に尽きた。

 

 月を追っているのだから、魔力が尽きることは無い。燃料切れで宇宙を彷徨う、ということにはならなかったのだが、少々計算が甘かったらしい。

 傾斜。自転。月の公転。考えるべき点はいくらでもある。

 

 もっと入念に月時計を観察しながら、出発位置を吟味すれば良かった……。

 

 

 

 

「やっとついたかぁ」

 

 結局、到着したのは二十日後だった。

 遠回りしたり、月を追いかけたり、諦めて逆側から行くことにしたり、そのせいで月の魔力ではなく星々の魔力を使うことになったり……当初の予定は原型も残らなかった。

 とはいえ、なんとか月に到着できたので、良いとしよう。着陸の際にも“浮遊”が上手く勢いを殺してくれたので、クレーターを増やすなんてことも無くて何よりである。

 

 少々遅れたが、月に着いた。それは良い。

 宇宙綺麗。地球綺麗。それも良い。

 それは良いんだけど……。

 

「……なんで海があるの?」

 

 現代では月の表面に浮かぶ黒っぽい玄武岩の模様を、“静かの海”など様々な“海”と例えて表現するが、それは岩であるので、当然本物の海などではない。

 実際、アポロが着陸したという場所は“静かの海”であったのだし。

 

 ……そう、水を湛える海などではない、はずだったんだけど。

 

「海だ」

 

 白の浜辺にて、足元の水を枯れた手で掬うと、細い指のせいでどぼどぼと溢れ落ちる。

 

 なんと、海である。

 これは比喩ではない。月に降りてみると、黒っぽい模様は実際に“海”だったのだ。

 

「うそーん」

 

 うそーんである。そうとしか言えなかった。なんで海あるんよ。おかしいでしょ。岩じゃないのかよ。

 えー。アポロは本当は月に着陸してなかったとか、陰謀説とかそういうのはよく耳にするけどもさ。月に行ってないばかりか、月がどうなっていたのかまで全部適当だったってこと?

 誰だよ玄武岩とか言ったやつ。大法螺吹きめ。

 

「……生物は……さすがにいないか」

 

 月の海をじっと観察し、おそるおそると中へ入ってもみるが、生物のようなものはいないらしい。

 もしかして月特有の生物でもいるんじゃないかと思ったけど、残念。微生物もいないみたい。水質は、とても綺麗なんだけど。

 

 しかし、海とは……意外や意外。

 荒涼とした大地に思いっきり足跡をつけたり、静かの海に先んじて旭日旗を立てたり、はたまた恐怖の大王の予言の一節を刻んで人類を恐怖のどん底に落としたり……色々と考えていた悪戯はあったのだが、その悪巧みが全て吹き飛ぶようなインパクトである。

 

 生物はいない。

 しかし、海はある。

 

「うーん……第二の地球……いや、良くないよな」

 

 一瞬、この月を第二の地球として、緑化したり生物を輸入したりと、色々と考えてもみたのだが、そう上手く事が運ぶとは思えない。

 それに、月の表面を下手にいじると、真っ白な反射力の高い土地が減り、地球から月光が減る危険がある。

 月は地球にとって、切っても切れない重要な天体だ。

 表面の白さひとつとっても、安易に手出しはできなかった。

 

「仕方ない、月の石だけ拾って帰ろう……」

 

 ともあれ、月の表面がどうなっているのかは、よーくわかった。

 模様が違っているのは、そもそも表面が全く違っていたからなんだね。

 

 ……でも将来には、月の表面にはウサギの模様が実際にできてるんだよなぁ。

 それは双眼鏡くらいのものでもわかることなので、間違いない。ってことは、これからの未来、月の表側が大きく変わるほどの衝突でも起こるのだろうか?

 

 まさか実際に、月で兎が餅つきするなんてことはあるまい。

 

「……ちょっと気になるし、今度転移用のマジックアイテムを設置しようかな」

 

 月には何もないけど、地球から最も近い天体であることには違いない。

 魔力も十分に満ちているし、何か私なりの用途は残っているかも。

 

 セーブポイントを作る意味で、私は再び月に訪れることを決意したのだった。



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 その後、私はアマノの恐竜大国を見守りつつ、様々な実験や月の往復に時間を費やしていた。

 恐竜をいじるような生物実験や研究は、アマノが別に構わないと言ってくれてはいるものの、なんとなく遠慮してしまう。

 気を遣いすぎとはわかっているのだが、それでも私は、恐竜を避けるように過ごし続けている。

 平和で平穏な恐竜たちの楽園を荒らすのは、差別ではあるが、ちょっと忍びない。

 

 

 

「“上弦飛行”」

 

 星と星の間の魔力を捉え、それを弓の弦に見立てる。

 番える矢は私自身。矢の軌道は、宇宙に浮かぶ月までの道にある、放射線状に広がる膨大な魔力だ。

 

 術の発動と共に私の身体は跳ね上がり、一瞬の間に大気圏を突破した。

 全身から吹き出た白煙は宇宙空間に到達すると同時に霧散し、氷の粒による煌めく尾を引きながら、私は月へと一直線に飛んでゆく。

 

「ほっ」

 

 で、着地。

 月へと到着である。所要時間は五時間弱。まだまだ短縮できそうだけど、最初期の頃と較べてかなり早くなったものだ。

 

 月へと転移して移動するのも有りだけど、今はまだこうして、月まで自力で飛んで行く技術を身につけたい。

 月の他にも、火星や金星だって存在するのだ。宇宙を飛行する能力は、あるに越した事はない。

 まあ火星はともかく、金星に赴く用があるとは思えないけど……。

 

 

 

「“破滅の息吹”」

 

 月に漲る豊富な魔力を利用し、突き出した右手から灰色の風を呼び出す。

 風と言っても魔力の風。空気の無い月においても、私の魔力は吹き荒れる。

 万物を崩し散り散りにする風は月の表面をサラサラと崩し、そこに大きな窪みを形成した。

 

 私が今削っているのは、月の裏側。地球からは見ることのできない、闇の部分だ。

 

「さて……“月の標”」

 

 作った窪みに、呪いを仕掛ける。月の呪いが月そのものにあるので、効果は永続と言って差し支えないだろう。

 ただ魔力を残し、ドクロ模様の輝きを放つだけの呪いであるが、長年の改良によって、“月の標”は正確な位置を私に知らせる役割を兼ね備えた。

 これを月に仕掛けることで、いざという時には月に移動することも可能だ。

 もちろん大規模な転移魔術になるので、地上で集める魔力の関係上、アマノの内部機構を利用しないことには、そう気軽にできるわけでもない。

 

「“灰塵の凝集”」

 

 仕上げに周りの塵を集めて固め、元の地面を再現する。

 散ってしまった砂が多く、完璧に元通りとは言い難いが、衛星写真などで見る分には、そこらの窪みと大差ない見た目のはずだ。

 

「ふう」

 

 一仕事を終えて、地球を見上げる。

 青い星の中で存在感を放つ、超大陸パンゲア。

 これから長い年月をかけて、あの陸地が分かれ、様々な大陸として、地球上を散らばってゆく。

 分割された環境が生み出す生物の多様な進化は、世界の大いなる恵みであり、知的生命にとっての未来だ。

 

「……アマノ」

 

 けど、今は恐竜の時代。

 竜骨の塔の神、アマノが大陸を支配し、その勢力圏は平穏で、一個の完成した世界とも言える。

 

 これから先、アマノの庇護下にあるこの世界が、果たして隕石ごときで滅ぶのだろうか?

 

 史実では恐竜は白亜紀末にて何らかの影響によって滅ぶらしい。

 原因は隕石、噴火、酸素、様々なものがあるが、そのどれもが、アマノという存在ひとつでどうにかできてしまう。

 

 つまり、恐竜の時代の終わりなど、有り得ないのだ。

 

 ならばこの先、人の時代は、果たして本当にやってくるのだろうか。

 

「未来、変えてしまったかなぁ」

 

 私はほんの拠点とばかりに塔を作り、しかしそれは時とともに神となり、世界の生命に多大な影響を与えている。

 死ぬべき生物が生き残っている。それはつまり、他の本来いるべき生物が居場所を失うということ。

 

 私が作り、意志を持った竜骨の塔は、もしかしたら、人類という存在を、今後永遠に葬り去る、禁断の塔だったのかもしれない。

 

 

 

 

 と、色々考えたけれど、私は未来が変わっても良いかもしれないと思い始めていた。

 別に、知的生命が猿である必要はない。猿でなければ知恵を持てないというのであれば考えものだが、きっと知恵とは、そんなものではないだろう。

 

 話し、考え、工夫し、研究し、魔術を扱う。

 そういったことができるのであれば、私はその存在が恐竜であってもワニであってもゴジラであっても、全く構わない。

 

 史実と異なる。大いに結構。

 巨大な建造物がある。良いじゃないか。

 地球に聞いたこともない唯一神が生まれてしまった。よきにはからえ。

 

 その世界が平穏なものであるならば、私は受け入れよう。その世界の形に、大いに賛同しよう。

 

 私は長い年月を生きてきた。

 寂しくなければ、一人じゃなければ、別に何だって良いんだよ。

 

 



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 全生命が、生きることの喜びを祝して、盛大な祭りを催していた。

 恐竜他様々な生物による、唯一神アマノを崇める祭りである。

 

 祭りは六十年に一度行われ、開催中は全ての生けとし生ける者がアマノの方角を向いて、各々好き勝手に歌うのだ。

 

 祭りの参加者は、恐竜だけではない。

 陸上生物は虫を含めた全てが声や音を張り上げ、海の中でさえも、魚竜や魚類が甲高い鳴き声を響かせている。

 

 歌とはいうが、メロディも何もあったものではない。

 辛うじてタイミングが合っているだけの、ただの咆哮だ。

 実際のところこれは、ただ喧しいだけである。まるでアマノに向けた、全世界からのストライキのようである。軽く怖い。

 この騒音が三日も続くのだから、なかなか気が滅入るものだ。

 

「もうこんな時期になったのか」

『早いものよね』

 

 六十年。まるまる還暦一個分。

 しかしそれも、私達にとっては短い時間の中の一区切りでしかない。

 今でこそ私はこうして気長になっているが、二十万年程度で音を上げそうになっていた時期があったのだから、やはり人とは、変わるものである。

 

 

 

『……そういえばライオネル。あなたは近頃、月に行ったり来たりで知らなかったと思うけど』

「うん?」

『三年くらい前から、皆の様子がなんだか、おかしいのよね』

「おかしい……? 具体的には、どういう感じなんだ」

 

 アマノは世界全体に響く不思議な声で“うーん”と唸った。

 

『なんだか……たまに、自分自身を捧げにやってくる子がいるのよ』

「……自分自身を?」

 

 なんだか話が穏やかじゃないなぁ。

 

『私も考えが全て読み取れるわけじゃないから、合ってるかどうかわからないんだけど……そういう子たちはみんな、永遠だとか、捧げるだとか、そんな事を言って、私の真下で自分から横たわっていくのよね』

「ああ……」

 

 永遠。捧げる。それって多分、アマノに自らの骨を捧げることで、永遠の象徴でもあるアマノと一体になりたい……と考えているんじゃないだろうか。

 これまで恐竜たちはすすんで骨をアマノのもとへ運んでいたが……まさか、生きていながらにして、アマノに身を捧げる奴が現れるとは……。

 

『ねえライオネル。こういう時、私ってどうしたらいいのかしら。彼らは死にたい。でも私は、彼らに生きてて欲しい。長い間、ずっとこうして、彼らと共に生きてきたけど……こんなに悩んだのって、初めてなのよ』

「……そうかぁ、確かに、難しいなぁ」

 

 いつも何事にもどこ吹く風と、脳天気なアマノが、珍しく悩んでいる。

 

 私は、“本人が望んでるなら食料として肉を分け与えてから骨を貰えば?”と即答しかけたが、深刻そうに考えている彼女と一緒に、真面目に考える事にした。

 

 といっても、私だって恐竜の気持ちがわかるわけではない。

 恐竜が“アマノと一体になれば永遠に生きられる”と勘違いしているなら、ただちにやめろと言って止めるべきだ。

 しかし、恐竜が“死んで骨となってもいいから、アマノの一部となりたい”と、自らの死を理解した上で自らを捧げているのなら、それを無理に止めるのは……正直、したくない。

 つまり、恐竜がしっかり理解した上で自分の死を選択するのなら、構わない。死ねばよろしい。私はそう思っている。……これはあくまで、私の考えだけども。

 

 だが恐竜は、何をどこまで考えているのか、正直よくわからん。

 一度認めると、他の恐竜たちが“俺も俺も”と続々自らを捧げにきそうである……それはちょっと困る話だ。

 

「アマノとしては、恐竜にはなるべく生きていてほしいんだよね?」

『もちろんよ。天寿を全うした上で、眠るように逝ってほしい。私の袂で、自ら命を終わらせるだなんて……そんなの、見たくないわ』

「だよなぁ」

 

 アマノにとって、恐竜とは子供のようなもの。

 生まれから育ち、老いから死までの全てを見守る、まさしく神らしい神だ。

 

 彼女が、もっと神らしければ。

 生贄を受け入れるほどの厳格な神であれば、悩む必要はなかっただろう。

 

 けどアマノは、神らしい神であっても、その母性は人間に近い。

 子供の死をすすんで受け入れるほどの神らしさを、彼女は備えていなかったのだ。

 

 

「うーん……」

『ねえライオネル、どうすればいいと思う?』

「……私は……」

 

 仕方ない、生贄としてもらっちゃえ。

 いいや、アマノがしっかり拒絶すれば大丈夫だよ。

 

 ……どっちの答えもしっくりくる。

 悩みどころだ。

 

「あっ」

『え?』

「そうだ、ならせっかくだし、私の研究材……実験体として使わせてもらうっていうのはどうだろう?」

『今なんか言いかけたわね』

「実験体は丁度欲しかったところだし、骨は後でアマノに捧げればいいし、これって一石二鳥じゃないかな?」

『……まぁ、確かに、そうねぇ……』

 

 アマノは無為に殺すことには、強い抵抗を持っている。

 けど、私の実験や研究による殺生に関しては、不思議なことに、肉を食らうための捕食ほどの抵抗も持っていないらしい。

 

『確かに、名案かも。お願いできるかしら』

 

 人造ドラゴンの成功が、アマノにとってプラスのイメージをもたらしているのだろうか。

 

 ともあれ、私はアマノからお墨付きをもらい、ようやっと気兼ねなくジュラ紀の恐竜たちを解剖できるようになったのだった。

 まぁ、やろうと思えばいつでもできたんだけどね。

 

 



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 身を捧げた恐竜達から部位を借り、実験と研究は進められる。

 研究は触媒魔術と同じで、総当りと同じ要領で行わなくてはならないが、材料が向こうからやってくるのであれば、カンブリア紀の手間と比べて、かなり楽になった方だろう。

 

 自らを生贄に捧げにやってくる恐竜の種類は様々だ。

 ティラノサウルス。ステゴサウルス。トリケラトプス。その他名前のわからない様々なものまで。あらゆる恐竜が命を捧げにやってくる。

 私はそのことごとくを解体し、一部の骨を奪い去り、残りをアマノの一部として差し出した。

 

 長い時間の中での話だが、魔術も、人造生物も、全ては順調だ。

 

 無数に増えた土ゴーレムのロードエメス達は、絶え間なく送られる骨をアマノの建材として運び続け、塔の最上階では、高度八千メートルを超えた今でも尚、増築が続けられている。

 

 アマノの影響範囲は鼠算のように加速度的に増えてゆき、今では彼女の影響力は大陸全土に及んでいた。

 全ての生物がアマノを敬い、崇め、奉るのだ。

 塔下には日夜、自らを捧げ永遠と共にあらんと願う者らが列を成し、骨を持ち込み、あるいは、不要になったアマノの一部を咥え、遠方の地へと帰ってゆく。

 

 ある日から、パンゲアの各地において、アマノを模したかのようなちょっとした塔が出来始めた。

 大きさはオベリスクほどの、単純なモニュメントであるが、これらの製作者はアマノでも私でもロードエメスでもなく、恐竜たちであるというのだから驚きである。

 恐竜たちはアマノの布教のために、各地に擬似的な骨の塔を作り、アマノの分社を汲み上げているのだ。

 アマノの影響範囲が増えたのには、きっとそんな背景が関わっていたのだろう。

 

 竜は実り豊かな世界を生き、身近な骨塔を崇め、寄り添い、幸せを噛み締め、時を経て、死んでゆく。

 それは実に緩慢で、平穏な日々の繰り返し。

 発展も争いもない、生と死を紡ぐばかりの、原始的な地球の日々。

 しかし生物は元来、それを望んでいる。

 生を受けた者は、技術の極みも、宇宙の果てにも、一切の興味がないのだ。

 

 慧智など必要ない。

 ただ生きて、天寿を全うする。自らの母の袂で死に、寄り添い逝けるのであれば、他には何も必要ない。

 

 何千年もの時間が流れ、おそらくジュラ紀から白亜紀に移った現在。

 “慧智の書”を拒み続ける彼らを見て、いつからか私は、そのようなことを考えるようになった。

 

 

 

 

「……」

 

 “眺望遠”で夜空を見上げ、“月時計”にない星をじっと見つめる。

 傍らには“算術盤”を起き、それを片手で操作しつつ、ただただ観測を繰り返す。

 

『最近、夜空を見上げてばかりね。ライオネル』

 

 アマノは地上の歌声に耳を傾けながら、無感情にそう言った。

 私がアマノの最上階で天体観測に熱中してから、これで三日になるのだ。

 天文に関しては、いつもはサッと見てパッと書き留めるだけに留めるのが普通だったから、やはり今の私の行動は、疑問に思えてしまうのだろう。

 

「星が……綺麗だからね」

 

 私は“眺望遠”を消し、アマノに答える。

 そして、悩んだ。

 

 眼下には数多の竜達が歌を歌い、昔と同じように命に感謝を捧げている。

 小さな骨塔と各所に増えるばかりで、じきにパンゲアが骨の都に埋め尽くされたとしても、何らおかしくはなかった。

 信者の数に比例してアマノの神力も増幅し、今の彼女であれば大陸をまるごと一つ作ることさえ、不可能ではないだろう。

 

 人間が反映する歴史とは大いに異なる。

 だがこの世界は、平穏と繁栄を両立した、この上なく素晴らしいものだ。

 

 それでも……私は、アマノに告げなくてはならないことがある。

 満天の星空を見上げ続け、私はそれを確信した。

 

「……アマノ」

『うん?』

 

 アマノとの付き合いも長くなった。一億年以上も一緒にいるが、アマノに対する印象は初期の頃と比べて変わりがない。

 彼女も不変。平穏である証拠だ。

 

 ……それでも。

 

「アマノ、……貴女はもう、この世界を自在に作り変えるほどの力を持っているね」

『まぁ、そうね。自在といっても、私がイメージできる範囲で、だけど』

「それさえあれば、私にはできない高等魔術さえ行使できるはずだ」

『うーん……ライオネルの考えた魔術の全てを理解できるわけじゃないから、なんとも言えないけど……魔力だけで言ったら、確かに不可能はなさそうね。それで、どうかしたの?』

「うむ」

 

 星を見上げ、しばらくそれを睨みつけてから、私は意を決した。

 

「アマノには、魔界に来て欲しいんだ」

『……は?』

「貴女なら転移できるはずだ。自分の内に超大な魔力を生成し、ヒズミに触れ、転移するだけ。神力はそうでなくとも、不可能を可能にするんだ。私の見立てでは……」

『ちょ、ちょっとちょっと。やめてよ。魔界……神綺のことは気にはなってるけど、私は行かないわよ』

「恐竜たちが心配なら、みんな来れば良い。魔界の森林は広大だから、場所には困らないはず。食料だって、アマノが来れば問題ないだろう」

 

 アマノはしばらく沈黙し、唸った。

 

『……全ての恐竜を、魔界へ移すっていうの?』

「そう。アマノが望むなら、恐竜以外も。全て」

 

 少々無茶だが、それは不可能ではない。

 アマノの全世界規模の信仰の力をもってすれば、常に魔界への扉を開き続けることなど造作も無い。

 彼女が声を掛けてやれば、生き物たちは嫌がることなく、最短距離を取ってアマノの下までやってくるだろう。

 

『……ライオネル』

「なんだい、アマノ」

『私はこの星が……地球が好きよ』

 

 ああ、ダメか。

 

『ライオネルが魔界のことが好きなのは知ってる。でも、私の居場所は地球であり、パンゲア……それはきっと、一生変わることはない』

「……そうか」

『ごめんなさい。私はこの身が果てるまで、ここから動くことは有り得ないわ』

 

 ……わかっているさ、アマノ。

 貴女がこの星を愛しているということくらい。

 

 

 

 だけどアマノ。貴女はきっと、知らないだろう。

 

 あの果てしない夜空に浮かぶ、私さえ知らない巨大な星のことを。

 とてつもない速度で地球に接近し、軌道を逸らさぬまま、やがて近いうちに、この世界を抉る、巨大隕石の存在を。

 

 そうだね。その大きさが、十キロメートルほどであれば、何もしなくとも大丈夫だったかもしれない。

 無防備なままに待ち構えていたとしても、被害は氷河期“程度で”済んだかもしれない。

 

 けど、宇宙の果てに存在するあの星の大きさは、測ってみたところ、少なく見積もっても数百倍はある。

 

 あんなのが地球に落下すれば、パンゲアはおろか、地球でさえも危ないだろう。

 辛うじて地球が形を保ったとしても、きっと表面に生きる生物たちは……全滅だ。

 

 それは、私のような現代人が推測するような恐竜の絶滅とは規模が違う。文字通り、全生命の絶滅が訪れるだろう。

 それはね、アマノ。貴女でさえ、例外ではないのだ。

 

 

 

 ……アマノ。貴女は、地球を愛している。

 私も長い間、貴女と一緒に恐竜たちの営みを見守り続けてきた。気持ちは十二分にわかっている。けど私が想像できるそれ以上に、貴女の地球への愛は、きっと尊いものだ。

 

 アマノ。貴女は全ての生命の母であり、希望だ。

 そしてこの地球はあなたの子であり、守るべき、完成された平穏の園だ。

 

 良いだろう、アマノ。貴女がそれを望むのであれば。

 貴女は魔界に行く必要もない。

 

 私が必ず、地球を救ってみせようじゃないか。

 

 



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 魔法を使って、直径数千キロメートルの岩石を破壊できるかと言えば、イエスだ。

 数千キロ。超大なサイズではあるものの、今の私であれば、そんな効果範囲に力を及ぼすことも、不可能ではない。

 

 ただ、それは時間があればの話。

 魔術発動のために、“魔力の収奪”と“魔力の対流”を惜しみなく使い、範囲内のあちこちに呪いを敷設して魔力を蓄え、高度な式を描き、展開し、そういった長い準備時間を経てた上で、放たなければならない。

 発動までのプロセスには多大な準備と時間と集中が必要であり、いざ準備が整ったとしても、発動にこぎつけるまでには五時間近くかかるだろう。

 

 さらに、破壊できるとはいえ、一瞬の内にというのは無理だ。

 確かに、破壊だけなら難しくはないのだ。けど、そんな巨岩を一撃一瞬のうちに消し去るなど、さすがの私でも不可能だろうと思う。

 

 ……隕石の軌道を逸らすには、一瞬のエネルギーが足りなさすぎる。

 私が、その僅かな一瞬を見極められるとも思えない。

 

 隕石の対処は、真正面から行うより他に方法はなかった。

 

 

 

 

「神綺はおられるか」

「はいはい、おられますよー」

 

 魔界の辺境にて、神綺を呼び寄せる。

 するとぽやぽやした返事をしながら、黒い光とともに神綺が目の前に現れた。

 私が呼べばすぐにやってくる辺り、やはり彼女も彼女で、この世界の神なのである。

 

「ライオネル、何かありましたか? 恐竜の森は今なお拡張中ですが……」

「うん、今日はちょっと他の用があってね」

「他の用……それもこんな、何も無いような魔界の平地で……はっ、まさかライオネル、もしかしてそれって……」

「はいはい、真面目に聞いておくれ」

 

 わざとらしく赤らめた頬を抑えて空中をぐるんぐるん飛び回る神綺をなだめ、私はさっさと本題を切り出すことにする。

 

「近々……おそらく十七日後なんだけど」

「?」

「地球が滅ぶ」

 

 神綺の顔が一気に冷めて、無感情な、平坦なものへと急変した。

 

「私はそれを止めようと思う」

「……」

 

 神綺は私の言葉に対して、すぐには言葉を返してくれなかった。

 普段の抜けた雰囲気からは想像もできないような真顔を保ったまま、何かを考えているらしい。

 

「それに際して、私はこの場所に特殊な仕掛けを施そうと思っている。原初の術による強力な封印を何重にも重ねて、地球を崩壊させるエネルギーを受け止める予定だ」

「原初の力は無限ではありません」

 

 毅然とした態度で、神綺は言い放った。

 

「そうだね、無限ではない」

「仮に私とライオネルが十七日間、休まず封印空間を構築したとしても……地球を崩壊させるだけのエネルギーを防ぐには至らないでしょう。魔界に大禍が及びます」

 

 神綺は冷静だった。

 地球の滅び、外界の巨大な岩石球を打ち砕くに必要な強度を頭の中で計算し、十七日間で組み上がる大封印の強度と照らし合わせてみせたのだ。

 

 やはり、神様は違うな。

 皆とても賢くて、とても優秀だ。

 

「けど神綺、それは全ての破壊エネルギーをこの魔界へと移した場合の話だ」

「と、いいますと?」

「私はその前に、自らの持てる全ての魔力と術を用いて、破壊エネルギーの相殺を試みる」

「……」

 

 神綺は原初の力に関しては頭の回りが早いが、魔術になると少々苦手らしい。

 難しく考えるように真上を向いて、“んー”と唸り始めた。

 

「原初の力と魔力は、別のものだ。私の原初の力は大封印の構築として使い、魔力は丸々、エネルギーの相殺に充てられる」

「……私にはライオネルの魔力の程がわかりません。それでも、きっと足りないのでは?」

 

 うむ、察しが良い。神綺の言う通り、確かに私の魔術と大封印を併せたとしても、巨大隕石のエネルギーを相殺することは叶わないだろう。

 

 きっと、魔界にも大きな被害が及ぶはずだ。こうして可能な限りの距離を取って大封印用のスペースを確保してはいるが、隕石の余剰威力によっては、余波が大渓谷にまで届いても可笑しくない。

 何より、魔界そのものが強大な隕石の破壊力に耐えうるかが心配だ。

 

 けど、私が講じる対策はそれだけではない。

 隕石の力を弱化させるエネルギー源は、他にもあるのだ。

 

「神綺は外界に出られないから、上手く想像できないかもしれないが……外の世界の宇宙には、様々な物が漂っているんだ」

「はあ……ライオネルが以前お話した、流星とか、彗星でしたっけ?」

「そうそう。……けど、漂っているのは何も、物だけではない。実は宇宙空間には、純粋な魔力そのものも存在する」

「うーん……」

 

 長い間宇宙を観測し続けて、私は宇宙空間で時折見かける魔力に気付いていた。

 それは宇宙空間を彗星のように旅する、強大な魔力の塊だ。

 

 どうして魔力が単体で宇宙を遊泳しているのか。それは私にもわからない。星の引力や、星から発せられた魔力の作用によって、そんな現象が起きているのかもしれない。

 だがとにかく、宇宙に魔力彗星が存在することは確かだ。

 

 やってくる巨大隕石も似たようなもので、莫大な魔力を持っている。だがそちらは、今から利用するのは難しい。なにより隕石としての実体がある。

 

「そういった魔力やエネルギーを利用できれば、私の魔術に更なる力を上乗せできる」

「……けど、そう上手くいくとは」

「もちろん思ってない。魔力彗星は滅多に見られるものでもないしね」

「じゃあどうして……」

「まぁまぁ。あくまで魔力彗星は一例だよ。うまい所からやりくりすれば、魔力には困らないだろうって話さ」

 

 そういって私は、ローブの上から自分の骨ばった胸板を叩いてみせた。

 一瞬、神綺の顔が強張った。私はその些細な変化を見逃さない。

 

「……神綺、私の身体はね」

「やめてください!」

 

 最終的な提案を挙げようとした時、神綺が切羽詰まった表情で腕に抱きついてきた。

 私の骨ばった腕など、抱き心地悪かろうに。

 

「お願いします! それだけは……それだけは!」

「……私の頑丈な身体は、今でさえ、その成分の詳しいことはわかっていないけど……おそらく魔力に由来するもので構成されている」

「ライオネル!」

「私にはわかるんだ。この身体は痩せっぽちだけど、内に秘めた魔力の量は、凄まじいものなのだとね」

 

 私の黒く枯れた身体は、四億年近い年月を経てもなお、ひとつの傷さえ負っていない。

 傷つかないし燃費もいいから、特に追究することもなく酷使することは多いけれど……私が自分の身体から興味を失った日などは、一日として無い。

 研究を続け、観察を続け、自分のミイラな身体についてわかったことは少ないが、それでも私は、辛うじてひとつの答えにたどり着いていた。

 

 それが、私の身体を構成する物質……それが、魔力によく似たものであるということだ。

 それ以上はどれだけ考えてみても難しすぎてわからないが、自らの身を削ることによって生まれるエネルギーが莫大なものであることは、私の本能として察することが出来た。

 非常に安定した、いわば固形の、目視できる魔力。これを解放した時に生ずるエネルギーは、この私にも計り知れない。

 ……どうやら、神綺はそのことを、私以上に知っていたらしいけど……。

 

「ライオネル……自らの身を削ってはなりません。それだけは……絶対に……」

「ごめんね神綺、決めたことなんだ」

 

 隕石は落下する。

 

 塔として聳え立つアマノでは、何か出来たとしても地球を硬い外殻で覆うか、空気の層を尋常じゃないほどに厚くするか、きっとそれだけだ。

 隕石に対処できるのは私一人と考えたほうがいいだろう。

 

 自分の身を削って魔力を生み出せば、きっと凄まじい力を開放できる。

 捨て身の魔術の行使と、神綺と私による魔界の大封印。使えるのは、この二つだ。この二つをやってのければ、巨大隕石を破壊するのも、きっと難しいことではない。

 

「ライオネルぅ……」

 

 障害らしい障害といえば……そうだなぁ。

 目の前で今にも泣きそうな神綺……くらいのものだろう。

 

「神綺、私は魔界が好きだけど……やっぱり、外の世界も愛しているんだ」

「……わかっています」

「あの地球を守るためなら、私はこの身全てを魔力に変えても良いと思ってる。だから、十七日後は、もしかしたら、私と神綺とのお別れになるかもしれない」

「やだー……」

 

 やだー、ってわかってないじゃないか。

 

「……まぁ、私の身体が全て消えると決まったわけじゃないからね」

「ううぅ……」

「いざ当日になってみたら、案外皮一枚で済んで……あっさりここへ戻ってくるかもしれないよ」

 

 私は泣きじゃくる神綺の頭を抱きしめ、枝のような手で彼女の髪を撫でた。

 

 

 

 ……もちろん、中途半端に魔力を解放するつもりは、毛頭ない。

 大封印の防御で抑えきれるギリギリの範囲にまで、隕石の威力を魔術によって相殺し尽くすつもりである。

 きっと私は、致命的なくらいにまで己の身を削るのだろう。

 

 大封印によって威力を逃がせる範囲にも限界があるので、どれだけ頑張っても地球に影響が及ぶのは避けようもないが……それでも、私は全力を尽くしたい。

 

 

 

 子供のように涙を流す神綺と共に、魔界の辺境に大封印空間を作る日々が始まった。

 私はその広大でいて荒涼とした場所を、法界と名付けた。

 

 



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 法界の構築には時間がかかる。

 原初の力も無限ではないので、休み休みで使わなければならないのだ。

 なので私は、法界の大封印を構築する傍らで、地球にて別の事を行う必要があった。

 

 普段は何年間でさえもすぐに過ぎ去ってゆくのに、今この時は、一分一秒ですらも惜しい。

 切羽詰まる状況というものを、久々に体感した気分だ。

 こういうのを、人心地がつくって言うのだろうか。言わないか。

 

 

 

 地球に飛来する隕石は、大気圏の突入によってその大半が燃え尽きる。

 燃え尽きるサイズは隕石の成分によってまちまちではあるが、私の経験上の見立てでは、おそらく二、三メートルまで小さければ、どんな材質でも燃え尽き、無害の範疇に収まるはずだ。

 大きいものでも材質が軟弱であれば、四十メートル近いサイズであっても蒸発するかもしれない。

 

 私の役目は、大気圏の直前、宇宙空間で隕石をコナゴナに砕くことだ。

 破片を小さくすることで、各個を大気圏で消耗させやすくし、地球への被害を最小限に留める。

 これがベストであり、唯一の対処法と言えるだろう。

 

 ……隕石に正面から立ち向かうっていうのは恐ろしいものだが、やるしかあるまい。

 

 

 

 私は地球を守ることに決めた。

 そして、地球を守るためには手段を選んでいられない。

 

 なので私は、巨大隕石を燃やす大気圏……それに多少なれ影響力を持つであろうアマノに、協力を呼びかけることにした。

 

 アマノに内緒で地球を救うというのも格好いいけれど、格好つけたからってどうなるものでもない。

 私が格好つけたせいで地球が滅亡とか、小学生の洒落でもそこまでスケールは大きくならぬ。

 

 私は、アマノに巨大隕石が接近しつつあることを話した。

 

 

『……そう……そんなものが……』

 

 予想される隕石の質量。速度。その破壊力。私の説明する隕石の詳細を、アマノは終始真剣に聞いていた。

 アマノは、私の書いた魔導書による影響を受けている。

 彼女とは魔術について語らうこともあり、つまり、私に近い魔術的、理学的感性を備えている。

 私の話が通じるのは当然、早かった。

 

「私が宇宙空間で隕石を可能な限り破壊するから、アマノには地球に降り注ぐ小粒の対処を頼みたい。アマノの神力なら、大気に干渉して強度を高めることも可能なはずだ」

『それで、ライオネルは……いえ』

 

 それ故にか、やはりアマノの察しも良いようだ。

 

『聞かないでおくわ』

「そうか」

 

 アマノは神綺よりもドライで、そっけない。

 けれど彼女は何者よりも慈悲深く、母性に溢れていることを私は知っている。

 

 深く追求してくれなくて、助かった。

 私は正直に答えてしまいがちだから、自分の身を削って止めることを話したら……優しい彼女は、それを止めようとするかもしれない。

 もしかしたら、アマノはそんな自分を自制するために、聞かなかったのかもしれない。

 

 私は沈黙を消す言葉の代わりとして、静かにヴァイオリンを生成し、演奏を始めた。

 ヴァイオリンといっても、私がヴァイオリンと呼んでいるだけで、実際の構造はちょっと違うかもしれない。

 けど、まだ誰もこの楽器を発明していないので、私はヴァイオリンと呼んでいる。

 

『……静かな夜ね』

 

 ささやくように繰り返される恐竜たちの控えめな歌が、夜のパンゲアに響く。

 祝祭は六十年ごとに行われていたが、今では夜になると毎日のように歌が奏でられ続けている。

 もちろん六十年ごとの大々的な催しは健在で、その時には本当に容赦無い咆哮が続くので、相変わらずやかましい限りだ。

 平時のこのような唄声であれば、むしろ心地いい。

 

 恐竜たちの歌に、弦楽器の音楽。

 美しい夜空に、見知らぬ凶兆の星。

 

 奏でられる曲は、私の胸中にある悲しみと不安と、何よりこの世界への賛美を乗せて、重く、荘厳に流れてゆく。

 

『……ねえ、ライオネル』

「なんだい、アマノ」

 

 私が凶兆の星を見上げていると、アマノが話を切り出した。

 

『私、近頃ね。幻を見るようになったの』

「……幻」

 

 神が見る幻。

 突然のアマノの告白に思わず音が外れかけたが、どうせ曲などあってないようなもの。

 外れた音からうまい具合に繋げ、曲を紡ぎ続ける。

 

『そう、幻……私が誰かの目線に乗り移って、誰かの見る景色を眺めている……そんな幻』

「……」

『そこには、私の見たことのない樹があって……私の見たことのない生き物たちが遊んで……そして……笑っていたわ』

 

 ヴァイオリンの調べが、私の見知った他人の曲に成り代わる。

 オリジナリティが損なわれてしまう。

 

『ねえライオネル』

「なんだい」

『ライオネルは、この世界が……この地球が好き?』

 

 曲が私の思い出に当てられ、曲としての美しさを失い、想いだけが残る。

 かつて聞いた、故郷の曲。私が子供の頃に好きだった、単調な曲。

 

「もちろんさ」

 

 日が過ぎる。

 夜が明ける。

 

 私はその毎日を、ただ守るつもり。

 

 



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 日に日に、隕石は巨大に見えてくる。

 私のサイズ計測は、不幸なことに正確だったらしいことは、肉眼でもはっきりとわかるようになってきた。

 直径数千キロ級の隕石を相手取る未来は、どうやら覆りそうにない。

 

 

 

 宇宙空間に魔力の風が渦巻く。

 青白く輝く地球の熱圏に立った私は、こちらに近づく巨大隕石を見上げていた。

 

 接近速度は、秒速五十から七十キロメートルといったところ。

 今更な懸念だけども、あれが私に直撃したとして、果たして私は無事でいられるのだろうか。

 地球をぶち壊すほどの衝撃だ。無事でいられる保証などどこにもない。

 

 私の背後で地球が粉々に砕け散るのは嫌だ。

 やはり、魔力は出し惜しみせず全力で立ち向かうのが得策か。うむ、それがいいだろう。

 

 

 

 私は灰色のローブを着こみ、右手には黒曜石から生み出した不滅の杖を握っている。

 熱圏の下、足元には魔力の渦が細長いパイプを作り、地上から力を巻き上げ、私の元まで届けている。

 

 “魔力の収奪”と“魔力の対流”を利用した魔力供給機構だ。

 この日のために全力をかけて準備したものであり、この渦の流れが、宇宙空間にいる私へ力を与えてくれる。

 ただし、これ以上宇宙空間に出てしまうと魔力が届かなくなったり、著しく減衰する恐れがあるので、今私の立っている位置が本当に、限界ギリギリのラインだ。

 

 天体からの魔力だけなら問題ないが、今回は万全を期して臨みたい。

 地上から抽出される属性の魔力も吸い上げて、総動員だ。

 

 

 

「……」

 

 自分の腹の中に魔力が圧縮されてゆくのを知覚しつつ、足元の地球を見る。

 

 地球では、白く輝く骨の塔が一際高くそびえ立ち、強い存在感を放っていた。

 

 

 

 唯一神アマノ。

 今日この日にかけて彼女も魔力を蓄積し続け、大気をより強固にするための力を溜め込んでいる。

 彼女は近頃、幻を見るとか、恐竜たちの声を聞いているとかで、上の空でいることも多いが……魔力の蓄積自体はしっかりやっているはず。

 

 私が全力を振り絞り、身を削って隕石を破壊すれば、アマノの力で、余波も防げるだろう。

 地上に影響が出なければいいのだが、そこは運否天賦といったところ。

 

「結局、全ては私次第というわけだ」

 

 高密度に圧縮された魔力が、私の中で昏い輝きを放つ。

 臨界に達した魔力が、魔界に接続を果たしたのだろう。

 汲み上げた魔力だけでこれだ。天体の魔力はまだ周囲で渦を巻き、余剰の力として存在し続けている。

 

「“魔力の全解放”」

 

 力の準備は整った。

 

 

 

 さあ、隕石が来るぞ。

 

 隕石は、既に巨大な姿をこちらに向け、視界の全てを覆い尽くさんとしている。

 

 秒速七十キロメートルの豪速で、地球を貫きにやってくるのだ。

 

 だが、そうはさせぬ。

 ここに私がいる限り、地球には指一本触れさせはしない。

 

 

 

 左手の魔導書、“血の書”を展開。

 朱い表紙が解き放たれ、周囲の魔力渦を魔界文字に変えてゆく。

 

 広域破壊魔術、“黄昏時”を選択。

 渦巻く魔力文字が散開し、私の周囲に魔法陣を構築する。

 

 的は巨大だ。わざわざ狙いを定めなくとも命中するだろう。

 

 “黄昏時”……陸地一つを消し去るほどの威力を持った、禁忌の魔術。

 暇を持て余した末に作ってしまったはいいが、実際に使うことなど、それこそこの世の終わりまでは無いだろうと思っていた。

 ……しかしまさか、本当にこの世の終わりに使うことになるとはね。

 

「“黄昏時”」

 

 杖を差し向け、渦巻く魔力を前方へと解き放つ。

 灰色の輝きは巨大なビームとなって宇宙を駆け、迫り来る隕石へと光速で到達し、その表面を照射した。

 

 その瞬間、隕石の表面に巨大な亀裂が走り、輝く。

 直後に大爆発が視界を青白く染め上げ、私は魔術の成功を確信した。

 

 “破滅の息吹”と“劈開”を織り交ぜた、多層構造の破壊魔術だ。

 “劈開”が硬い岩盤を切り開き、“破滅の息吹”が隙間を取って内部を砕く。それの繰り返し。

 魔力が尽きるまで、どのような固い物体にも効果的に浸透し、深部まで徹底的に破壊し尽くす、恐ろしい魔術だ。

 

 しかし一度だけの発動では、到底あの隕石を破壊し尽くすことはできないだろう。

 あと2、3回か……そのくらい、命中させる必要があるはずだ。

 

 私は一発目を撃ち終え、二発目に向けて、もう一度魔力の集中に意識を向けた。

 

 

 

「……な……」

 

 そんな時、信じられないものを見つけてしまった。

 

 依然としてこちらに迫る巨大隕石。

 魔術によってその一部が剥がれ落ち、隕石の内部をこちらに向けている。

 

 岩石か、隕鉄か……そこに見えたものは、私の予想を裏切るものだった。

 

「そんな」

 

 銀色に輝く、重厚な金属塊。

 隕石の中には、金属が詰まっていた。

 

 それも、おそらくただの鉄ではない。

 もっと質量の高い、重金属だろう。

 

 ――大気圏で処理するには、融点が高すぎる

 

 このまま私が全力で隕石を細かく砕いたとしても、その欠片が形を保ったまま地上に降り注ぐかもしれない。

 きっと、二メートル……いや、一メートルであったとしても、燃え尽きることはなさそうだ。

 

 

 

 浅慮だった。もっと可能性を講じるべきだった。

 

 いや、後悔する暇など無い。ただの岩の塊ではなく、重金属の塊であったとしても……私が本気を出すことには変わりないのだ。

 

 全身を魔力に変えて迎え撃て。より効果的な破壊によって、地上の被害を最小限に留めろ。

 それでも足りなければ、砕き損ねた大きな欠片を法界へ転移させ、魔界で処理するのだ。

 

 大丈夫。私ならできる。

 私しかできない。

 全てを守るために――

 

 

 

『ライオネル』

 

 魔力を吸い上げ、術を構築する最中、アマノの声が地球から響き渡った。

 

 ふと眼下を見れば、アマノが強く光輝き、いつも以上の神々しい力を湛えているのがわかる。

 常時展開させている“眺望遠”で見れば、アマノの表面には高濃度の魔力が満ちているのが確認できた。

 

 だが、あの光は……大気を強化する力というよりは……。

 

『私に任せなさい』

 

 ――魔界転移の輝きだ。

 

 私がそう認識するとほとんど同時に、アマノに纏わる輝きが一段増して、骨の塔の内部に見える植物や、土や、石材や、護衛である人造ドラゴンなどが、この世から姿を消した。

 

 アマノが、魔界へと転移したのか!?

 

 一瞬そう思ったが、アマノ自体は消えていない。

 巨大な骨の塔は相変わらずそこに顕在し、内部にあるアマノ以外の全てが転送されたようだった。

 

「何故……」

 

 私はアマノの不可解な行動に、思わず漏らしてしまった。

 アマノには声が聞こえたのだろう。熱圏の薄い大気は、“ふふ”とアマノの笑い声を響かせる。

 

『この数日で、色々な子の目線で、色々な景色を見て……色々な考え方や、色々な願いを見てきたわ』

「アマノ、貴女は……」

『私にはわかるわ。これからは、恐竜(あの子達)ではない、もっと別の生き物が、この世界に繁栄する未来がやってくるの』

 

 竜骨の塔が小刻みに震え、表面に罅が走る。

 未だかつて、少しも崩壊の兆しを見せたことのない塔に、亀裂が入ってゆく。

 

『私にはわかる……きっとそれは、私のいない、残酷な世界……』

 

 白く輝く骨の塔が、生き物のように形を変える。

 塔全体が蛇のようにうねり、熔け、中心部に“背骨”のような柱を構築してゆく。

 

『生命が飢え、生命が争い、生命が死に……残酷な……だけど、とてもとても、美しい未来だったわ』

 

 アマノは大地から切り離され宙に浮かび上がり、尚も骨の欠片を巻き上げて身体の一部としながら、形を変え続ける。

 

 骨によって恐竜のような頭部を模した、細長いその姿は、まるで……龍のようであった。

 

「……アマノ」

 

 塔は、巨大な龍となった。

 どこまでも超大な白い骨の龍が空を駆ける。

 龍は輝きを保ったまま、宇宙空間に浮かぶ私のすぐ傍までやってき大きな顔をこちらに向けた。

 

 左目に太陽のような黄金の輝きを湛え、右目には月のような白銀の煌めきを宿している。

 

 美しい。私は、素直にそう感じた。

 

『こうして向い合って話すと、ちょっと照れくさいわね』

「その姿は……いや、待つんだ。アマノ、一体何を」

『当然、私の地球を守るのよ』

「駄目だ!」

 

 私は叫んだ。

 

 アマノが自らの姿を創造した理由は、明白だ。

 決まっている。この地球を守るためである。

 それも……きっと私と同じく、命がけで。

 消極的な守りではなく、積極的な守りに出ようとしているのだ。

 

『あの星は、ライオネルには壊せないわ。私でも怪しいかもしれない』

「アマノ! 今からでも遅くない。地球はもう危機を回避できそうにない。アマノの力で、地上の生物たちと……そしてアマノ自身を、魔界へ転移させるんだ」

『お断りよ』

「何故!」

『地上のあの子達も、それを望んでいるから』

「え……」

 

 愕然とする。

 思わず、術を構築する集中力が解けてしまう程に。

 

『私が見た幻を、私の加護を通じて……あの子達にも伝わったのかもしれないわね』

「……幻って」

『新たなる時代の幕開け。自分たちではない、別の生物がもたらす、今とは違った世界の繁栄』

 

 アマノはゆっくりと宇宙を蛇行し、私の前に巨大な身体を構えた。

 

『“我々は栄え、生の喜びを謳歌した”』

「……」

『“我々は次の時代に命を繋ぐため、ここに残る”』

「そんな、あの恐竜たちがそんなこと」

『本当よ。事実、今でも地上の生命達は……こうして私に、祈りの力を捧げているもの』

 

 アマノは地球から離れた宇宙空間においても、燦然と光を保っている。

 すると今、地球上では、数多の生命がアマノのために、唄を歌っているとでもいうのだろうか。

 

『彼らと私の力で、星を砕く。地球の命は、私が繋ぐ』

「……アマノ、やめてくれ」

『ライオネル。これは、彼らと私の意志よ』

「貴女に死んでほしくない」

 

 私が弱音をこぼすと、アマノは龍の頭をこちらに向ける。

 骨でできた長い髭はふわりと波打ち、その時、彼女が“ふふ”と笑ったような気がした。

 

「もう、私は……死んでほしくないんだ」

 

 私は、私が生み出した神を殺してしまった。

 再び私によって生み出された神が死ぬなど、見たくはない。

 

 わかっている。地球を守るにはそれしかない。

 アマノがやらねば、地球は壊滅的な死を迎えるだろう。

 

 でも私の、四億年かけて培った未熟な感情は、それを素直に受け入れてくれないのだ。

 

『……ごめんね、ライオネル』

 

 アマノは一言謝り、宇宙を駆けた。

 

 

 

 視界一杯に広がりつつある巨大隕石。

 それに立ち向かう、一匹の龍神。

 

 アマノは宇宙を泳ぎ、その速度は隕石に近づくにつれて、上がってゆく。

 

「ああ……アマノ……」

 

 私は彼女の背を見ながら呆然とつぶやき、左手に持った“血の書”を捲る。

 

「アマノ……」

 

 新たな広域殲滅魔術を選択。

 ページを指定すると同時に、私の周りの魔力が新たな魔術を構築し始めた。

 腹の中に開いた魔界への扉が、魔力の供給に合わせて、強く鳴動する。

 

 一本の白い弓矢となったアマノが、白銀の隕石に衝突する。

 アマノはその瞬間、強烈な輝きとなって爆散し、隕石全体に全身の破片を撃ち込んだ。

 

 ひとつの神が、その身を賭した尊い一撃。

 神の力を帯びた破片は隕石を貫き、内部を破壊し、大小様々な欠片に砕いてみせた。

 

 隕石は大部分が破壊された。

 そして、同時に、アマノが死んだのだ。

 

 アマノは自らの命を使って、隕石を壊してみせた。

 あとの仕上げは、私がやらなくてはならない。

 

 アマノの……彼女の願いを果たすために。

 この地球の命を、次の存在へと繋げるために。

 

 わかったよ。貴女がその身を捧げるならば、私も共に逝こうじゃないか。

 

「……“魔塵(まじん)複唱(ふくしょう)”」

『――お任せください。共に戦いましょう、ライオネル――』

 

 私の中に開いた魔界の扉から、神綺の声が響いてきた。

 

 準備は整った。

 もう躊躇はしない。全力で立ち向かってやる。

 

「いざ――」

 

 破滅をもたらす灰色のビームと、楔型の破滅の弾丸が、縦横無尽にばら撒かれる。

 ビームはより巨大な隕石を貫き、楔の弾丸は中小サイズの隕石を撃ち抜く。

 神綺が上乗せしてくれる力も解放すれば、視界は私が放つ魔術の輝きによって埋め尽くされてしまった。

 

 隕石は近づき、こちらへやってくる。地球到達までもう時間がない。

 

 それでも私は高負荷の魔術を継続し、広範囲に散らばった欠片を処置していった。

 

 壊す。壊す。壊す。壊す。

 全て全て、アマノを滅ぼした憎き重金属の欠片共を、残らず全て撃ち抜き続ける。

 

 地球を滅ぼしてなるものか。

 このような通りすがりの、ただのモノ風情に。

 アマノが望んだ世界を壊してなるものかよ。

 

 

 

 小さな欠片が、私の横をかすめてゆく。

 隕石の破片が到達したようだ。

 それでも私は魔術を続ける。

 

 自らの身体の一部を源として、最後の力を振り絞り、残りの大きな破片を消し飛ばす。

 

「“魔界降誕”!」

 

 礫が豪雨のように降り注ぎ始めると、私は体内の魔力を更に強く解放し、魔界の扉を大きく広げた。

 広大な魔界へ続く扉はいくつもの隕石を吸収し、大封印を施した法界へと隔離されてゆく。

 

「ぐ……」

 

 自分の腹部が削れてゆくのがわかる。

 腹から胸部にかけて、じりじりと、紙が端から黒く燃えて失われてゆくように、自分の存在が目減りしてゆく。

 

 まだだ。まだ足りない。

 自分の存在を全て損耗してでも、もっと扉を大きく広げなくては。

 

 アマノはやった。次は私の番だ。 

 

「――あ」

 

 だが、私がより強い魔力を解き放つ前に、一際大きな魔力の塊が、時空の歪みごと私の身体に衝突した。

 

 魔界へ続く扉を前方に広げていたにも関わらず、その破片は転移することなく私を打ち据えたのだ。

 

「アマ、ノ」

 

 私の腹部にぶつかったもの。

 それは、神力を帯びた、アマノの骨の破片であった。

 

 

 

 私は、隕石と何ら変わりないスピードでやってきた骨片に押しやられ、地球に落ちた。

 法界への封印も不完全なまま、まるでアマノに“これ以上は良い”と止められたように、叩き返されてしまったのだ。

 

「ああ……」

 

 無力感に苛まれる中、豪速で地上へ落ちゆく私が最後に見たものは、数多の隕石が大気圏で煌めき消滅する幻想的な空模様と、その中で特に大きく残ってしまった一つの塊が、光の尾を引きながら地球に衝突する瞬間であった。

 

 

 

 大きな衝突による轟音と、破滅と、閃光。

 

 巨大隕石――それでも地球を壊すほどではないそれにより、世界は灰塵と、アマノの遺骨と、多大なる死に包まれた。

 

 

 

 パンゲアは完全に分裂し、竜たちの時代は終焉を迎える。

 



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遺骸王の遭遇 闇

 

 巨大隕石の衝突。生物の絶滅。ひとつの時代の終焉。

 

 氷河期、新生物……様々な時代の終わりを見てきた私だが、こうしてはっきりとした線引を見たのは初めてのことだろう。

 

 白亜紀……中生代は終わりを迎え、新生代に突入したのだ。

 

 

 

 地球は今、どうなっているのだろう。

 アマノと私が身を挺して守った地球は、今、どのような姿でいるのだろう。

 

 アマノの遺骨に吹き飛ばされ、隕石の衝撃によって地面に叩きつけられた今の私には、それを知る術はない。

 もしかしたら、今こうして深い土の中にいると私が思っているのも勘違いで、実はここは地球などではなく、隕石によって破壊された地球の破片のひとつ……なのかもしれないのだ。

 

 地球は無事か。私は今どこにいるのだ。

 

 灰と金属の入り交じった、魔力の希薄な暗闇の中においては、それすらも知覚することはできなかった。

 

 

 

 ……アマノは死んだ。

 

 またひとつ、神の命が失われた。

 

 一つ目は私の恐れと無知が、二つ目は私の無力が招いたことだ。

 

 確かに隕石は強大で、アマノが身を賭しても破壊しきれないほどのものではあった。

 そのようなものに対して私が身を削り、全力で挑んだとしても、地球を庇い切れたかどうかは疑問がある。

 

 だが仮定の話をするのであれば、何故私に力が無かったのかと、嘆かざるを得ない。

 もっと私の術に、力があれば。この果てしない時間の中で、凄まじい破壊を成す魔術を構築していれば。

 隕石……いいや、それ以上の、それこそ惑星ひとつ分をまるごと消し飛ばすくらいの魔術を覚えていれば。

 このような悲劇は、起こらなかったはずなのだ。

 

 全ては結果論だ。後の祭りだ。しかし、事実である。

 考えようによっては、果てしない時間の中で起こり得る大いなる災いに備えなかった私の過失と取れなくもない。

 

 私の非力が、アマノの死を、彼女の民草の根絶を招いたのだ。

 

 

 

「……地球は、同じ未来をなぞるのだろうか」

 

 恐竜が滅び、哺乳類が栄える。

 私が最後に見た哺乳類は小さく、人間の面影などこれっぽっちもないようなものであった。

 

 はたして彼らが遠い未来において、ちゃんと二本の脚で歩き、物を深く考え、半導体の微細なる芸術を生み出す存在へと昇華するのだろうか。

 

 時の流れを見てきた私には若干の不安があるが、こうして隕石によって大いなる滅びを迎えたことを考えると、これからの未来の広がり方にはひとつの確信が持てる。

 つまるところ、霊長類の進化と、ヒトの出現だ。

 

 奇しくも私の非力さとアマノの犠牲によって、地球は元通り、私の知る形に向かい、変容を続けている。

 

「……運命というやつなのかもしれぬ」

 

 運命は、我々を同じ場所へ戻そうとする。

 まるで狙ったかのような世界の変遷に、神の予定、なんて言葉が頭の中に浮かんできたが、残念なことに責任を押し付けられるような便利な神様は、もうこの地球に存在しない。

 

 もしくは、かつて私が人間だった頃に見聞きしてきた地球の歴史とは、こうして私が土台を組み上げたが故のものであったのかもしれない。

 呑気にビールを飲みながらぐうたらしてた私という人間の存在が、実は私やアマノの存在あってこそのもの……だとすると、なかなかに面白いというか、馬鹿けた話である。

 

 

 

「はぁ」

 

 魔力と光の暗闇で、私は風なきため息をつく。

 沈黙と孤独の世界でできるのは、自分を見つめることだけだ。

 

 四億年過ぎたこの人生で数えるのもバカバカしいくらいに何度も考えてきたことが、再び頭の中に湧き出てくる。

 

 どうして私は、ここにいるのだろう。

 唐突に過去に追いやられ、魔力のしこりとも言うべき姿となり……一体何がどうしてこうなったのだろうか。

 

 こんな奇想天外な境遇に、自らを不幸だとか、永遠に続く地獄だとか思ったことは、不思議なことに一度もないけれども……神の死を見てきた私には、私という存在の意味が、全くもって理解できなかった。

 

 いや、結局のところ、あるのは私が過去に投げ出されたという結果というだけで、特に深い意味などないのやもしれぬ。

 私はただ、宇宙でも極端に珍しい転び方をしただけで、そこには何者かの意志も、予定などという陰謀じみたものも介在していないのだ。

 

 私に都合の良いありきたりな生の理由は、与えられていなかった。

 ならば私の意識は、何に向かって邁進してゆけば良いのだろうか。

 

 

 

「……」

 

 心の中で瞑目し、想う。

 生の理由。四億年もの間、とんと答えは出せないでいたが、今ならばはっきりとわかる。

 命を投げ出そうとした私は、アマノによって生かされた。

 ならば私は、アマノの意志を受け継ぐべきなのだ。

 

 この地球の行く末を見守り、新たな生の歩みを見守る。

 地球を守り、その歩みが途切れることを防ぐ。

 

 きっとそれが、長い命を持った私にようやく与えられた、生きていることの理由なのだろう。

 

 

 

「……ああ、任せてくれ」

 

 私は心の中で暖かな未来を夢想し、新たな魔術の理論を構築し始めた。

 

 もう二度と、この世界に悲しい滅びをもたらさないために。

 二度と、私の大切なものを殺さないために。

 

 いつか、私が地上へ戻るその日まで。

 

 新たな魔術を作ってやるのだ。

 あらゆる破滅を跳ね除け、壊し、滅ぼす……人知を超えた力のもった大魔術を。

 

 不可能ではない。きっとできる。きっと次は、守ってみせる。

 そう、私は大魔法使い……ライオネル・ブラックモアなのだから。

 

 

 



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「……ライオネル?」

 

 魔界の片隅に作られた法界で、流れ込む破壊の力を大封印に抑えこんでいた私は、唐突に嫌な予感に襲われた。

 そしてすぐに、それが気のせいではない事を確信する。

 

 消えた繋がり。消えた圧迫感。

 意味のある二つの変化を認識して、それらが合わさった瞬間、最悪の答えが導かれる。

 

「ライオネル、あなたは……」

 

 魔界の空に開いた大きな扉が閉じ、外界との繋がりが完全に途切れる。

 それは、彼が事前に立てた魔力運用の予定より、ずっと早い時間切れだった。

 

「そんな」

 

 法界は、正常に機能している。

 ここはまだ破壊の力を受け入れるだけの余力を残している。

 最初に岩の破片が突入してきた時は、外界を滅ぼすに値する威力を実感して驚いたものだが、それでも法界を一撃のもとに崩すには至っていない。

 耐久力は健在。まだまだ、あと数百から数千ほどの欠片を受け入れる余裕が残っていた。

 

 私自身だって、まだ扉越しに魔弾を放つだけの余裕がある。

 扉の向こうのライオネルに向かって力を放つことで、ライオネルが組み上げる魔術の出力を後押しできるのだ。

 最近は、力を法界の構築に割り当てていたが、今日は全力でライオネルの支援ができるように、力を多く残しているつもりだった。

 

 法界は生きている。魔弾も撃てる。

 しかし、それらを活かすための外界への扉が、真っ先に閉じてしまった。

 

 

 

 ライオネルはなんとしてでも、外界を守りたいと言っていた。

 ライオネルの外界に対する思い入れは知っている。

 だからライオネルがこのような、中途半端な妥協をするとは思えない。

 

 つまり、外のライオネルに、何かあったのだ。

 

「そんなぁ」

 

 ライオネルは死なない。

 ライオネルの身体や心は、不変たる“魔”そのものであるからだ。

 けれど、ライオネルが自らの意志でその魔を力に変えたとすれば、話は変わる。

 

 ライオネルが、己の魔を使い果たしたならば……。

 

「嫌……」

 

 涙がこぼれ落ちる。

 

 ライオネルが私に計画を打ち明けてから、そんな予感はしていた。

 けれど、心のどこかでは、無事でいるかもしれないと願っていた。

 ライオネルがまたこの魔界に戻ってきて、一緒に世界を創り、音楽を奏で、民を生み出せるのだと、そう願っていた。

 

 それが、本当にただの願望だったなんて。

 

「嘘よね、ライオネル……」

 

 もう逢えないだなんて……そんなの嫌だよ、ライオネル。

 

 私はあなたの相談役。

 あなたを孤独にしないための神なのに。

 

 戻ってきてください。一緒にいてください。

 ひとりにしないでください。

 

 

 

 

 

 

 世界は、果てしない混沌に包まれている。

 

 巨大な流れ星によって数多の死が犇めく大地の上に、竜骨塔の唯一神、龍神アマノの遺骨が降り注いでいる。

 神聖なる遺骸の雨は地球全体に蔓延し、その力は長い年月をかけて、地球そのものに浸透した。

 

 砕け散った神の力と、砕け散った星の力が交じり合う。

 

 それを太陽が何百日もかけて焦がし、月が何百日もかけて照らし続ける。

 火は噴き出し、水は流れ、風は逆巻き、土は移ろう。

 

 

 

 やがて混沌の中で、地球を漂う大きな力はその概念のいくつかを分離し、個を持つようになった。

 しかしその個に明確な自我はなく、当然ながら知性もない。

 一見すればその個らは、漂いの中に生まれた力の対流のようにしか見えなかった。

 

 ところが更に途方もない時間が流れると、最初はただの流れでしかなかった個が、形を取るようになる。

 力の残滓、または力の流れでしかなかったそれが、はっきりと生物たちの目に映るほどの像を獲得し始めたのだ。

 

 

 

 それらの個らは、神ではない。

 少なくとも、今はまだ。

 

 

 



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 掠れることの無い記憶力を頼りに、机上にすら置けぬ空論を蓄積し、頭の中に魔術を築く。

 

 新たな魔術の創造は、私にとって急務であり、新たに生まれた生きがいの一つである。

 

 現在は灰の底、魔力の欠片もない大地に埋もれている私だが、いつか必ず、地上に戻る時がやってくるだろう。

 その時のために、今は力の使い方を学ばなくてはならなかった。

 

 戦闘、または破壊に特化した魔術を記す“血の書”は、先の大災害を経て未だ不完全であると判明した。

 

 あの時の如き魔術では、来る大いなる災いを跳ね除けることができない。

 地球を救うためには、地球を破壊できるだけの力がなくてはならないのだ。

 島をひとつ滅ぼせる程度では、この宇宙の広大さからして、全くもって役には立てないだろう。

 

 “血の書”の強化。そして、油断なく“涙の書”も強化せねばなるまい。

 

 とにかく、力だ。なんとしてでも、力を手にしなくては。

 

 

 

 

 暗闇の中で魔術を編み出し、時には改良する。

 

 より効率的な“魔力の全解放”の構築法。

 より強い破壊特化の魔術。

 不毛な土地から魔力を抽出する方法。

 魔界を最大限に利用した攻撃魔術。

 

 長い時間、そんなことばかりを考え、発案し、磨きながら過ごしてきた。

 

 こんな考え方が健全でないことくらいは私も承知だが、全ては必要なことである。

 

 何も、絶対の暴力によってこの世界の頂点に君臨しようなどと考えているわけではないのだ。

 あくまで、いざという時に地球を守るため、考えているだけ。

 そこらへんを勘違いしてはならない。

 

 しかし、こう何年も暗い土の中に閉じ込められていると、さすがに気もおかしくなるというものだ。

 今回は地球が無事かどうかも定かではないだけに、ずっとやきもきした感情が頭を旋回している。

 

 私の感情は至って平和的ではあっても、現状が健全でないことは理解している。

 

「そろそろ出たい」

 

 分厚い氷の中でなら、まだ小さな空間を作り出すことも可能だった。

 しかし今回はまるで、身動きひとつも取れやしない。真の不自由である。

 

 それに微かな魔力を持った氷の環境ならまだしも、灰の中では属性らしい属性も見当たらず、魔力の砂漠も同然。

 魔術はこれっぽっちも発動できなかった。

 

 私は痛みを感じないし餓えもしない。

 もっといえば、人の言うような退屈も善しとできるだけの度量は持っているつもりだが、望まぬ拘束を甘んじて受け入れるほどのお人好しでもない。

 

 破壊魔術の開発を頭の中でひと通り押し進めた私は、現状をなんとか打破するための手法を模索するようになっていた。

 

 

 

 結果、私が辿り着いたのが、魔力ならざるものから、魔力に似た力を得る方法である。

 これは、“灰魔術”とでも呼称すれば良いのだろうか。何もない虚無にも等しい灰から力を得たので、そう名付けることにした。

 

 灰“魔術”とはいうが、別に灰を操る魔術というわけではない。

 月も星も太陽もない灰だけの大地でも使える。だから灰魔術なのである。つまり、どんな場所であっても使えるということ。

 

 これは既存の魔術とは違い、魔力を必要としない。魔力は必要としないが、擬似的な魔力無き魔力の流れを操る魔術である。

 うん、言ってる意味がわからないよね。私もどう説明したものかと悩むところなんだ。

 

 喩え話が下手な私だが、たとえば、O字型の(とい)があるとしよう。

 

 この樋に水を注ぎ、O字型の中を満たすとする。これが、辺りの環境に“魔力がある”という状態だ。

 今度はその水で満たされたO字型の樋の中に、水の流れができているとする。淀みなく流れる樋の中の水は、ぐるぐると回り動いている。これが、魔力が使われている状態だ。

 

 魔力を使う、つまり魔法を使うということは、魔力を動かすということ。樋の中の水に流れを作るということだ。

 しかし、今私がいるこの灰色の地中は魔力がなく、例えでいうところの、樋の中に水の無い状態にあたる。

 

 通常、水がなければ流れはできない。魔力がなければ魔術は扱えないものだ。

 しかしその考えに風穴を穿つのが、私の新たな魔術。灰魔術なのである。

 

 灰魔術は水の無いからっぽの樋の中に“流れ”を生む。

 何も無いのに流れるってなんじゃそりゃと思われるかもしれないが、流れがあるというそのことが重要であって、流れるものがあることはさして重要ではないのだ。

 

 無の流れは力を運ばず、何も押しやったりはしないが、逆に言えばそれは何もロスすることのない途切れぬ運行であり、決して止まったり、先細りすることはない。

 逆に、灰魔術においては魔力という存在こそが邪魔な要因であり、弛まぬ理想的な流れの中にノイズと不和を齎す障害にすら成り得てしまう。灰魔術において重要なのは絶対なる枯渇した魔力環境であり、そしてそこには……。

 

 

 

 だから……であり……。

 

 理論的には……画期的で……。

 

 魔力は……すばらし……くぅ……たまらん……。

 

 で、あるからして……うん? おっと、もうこんな時間か。

 

 

 

 参った参った。一人でいると、どうしても自分自身と向き合って、ぼんやりしてしまいがちだ。

 時折自分の中にいる誰かに話しかけている気分になってしまう。あまりいい癖とは言えないね。

 

 何が言いたいかというと、果てしない時間をかけて灰魔術を習得し、ようやく私は地下世界を脱出する目処が立ったということである。

 

 この灰魔術の素晴らしさを語ろうとすればざっと数十万年は私のデスボイスを響かせなければならなくなるが、要約すれば“もう二度と地中に埋もれることはない”という一言に魅力が体現されるだろう。

 もうクレバスに挟まれてもマントルに埋まっても地核の中に封印されても大丈夫。

 何者も、私を封じることはできないはずさ。

 

「さあ、久々の地上だ」

 

 灰魔術により、身体を圧迫する硬質な灰が、サラサラと音を立てながら下方向に沈んでゆく。

 反対に、沈む砂に包まれる私は相対的に上へと登り、ゆっくりとではあるが、地上を目指し始めた。

 

 砂に沈むのとは真逆の、砂から浮き上がる感覚だ。

 

 

 

 どれほどぶりになるのだろうか、地上への帰還である。

 アマノが滅び、恐竜が滅び、果たして世界は今、どのような形になっているのだろう。

 

 哺乳類は繁栄しているのだろうか。

 それとも、まだ恐竜が残っているのだろうか。

 

 神綺は何をしているだろう。

 魔界は今も無事に存在するのだろうか。

 

 新たな魔術の習得により恐れるものが無くなったであろう私は、多くの不安と、不明瞭故に残る恐怖を抱えて、果てなき地獄の底から、地上へと登ってゆく。

 

 

 

「……およ?」

 

 そして、出た。

 荒廃を乗り越え、緑が命を吹き返した地上へと。

 

『出てきた! 殺せ!』

『うおおおお! 殺せ殺せ!』

『食い殺せ! 出てきた! 食い殺せ!』

『殺せええええ!』

 

 コールタールのように真っ黒で……ベトベトしていて……四つの足で地を這い歩く魑魅魍魎が犇めく、地上へと……。

 

「ぎゃ、ギャァアアアアア!?」

 

 ええええ!? ここどこ!?

 なにこれどういうこと!? ええええええ!?

 

『殺せえええええ!』

「ギャァアアアアアッ!」

 

 えええええええええ!? とりあえず逃げます!!

 



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 異形のヘドロ怪物から逃げ切るのは、かなり容易であった。

 外に出るなり私に襲い掛かってきた奴らであるが、動きは恐竜たちと比べても緩慢だし、サイズも大型種ほどではない。

 

 “浮遊”で飛べばそれだけで相手の攻撃はやり過ごすことができたし、少し距離を離せば、奴らは目が悪いのか、すぐに私の姿を見失ってしまった。

 声を掛けられ、追われた時こそパニックだったが、冷静に上から眺めてみれば、なんてことはない。

 

 なんてことはないのだが……。

 

「……うーん」

 

 地上は、混沌に満ちている。

 這いずりまわるコールタールの怪物、空を飛ぶ灰色の……グライダーのような生き物。

 幹の表面を歩く小さな石のような虫。

 

 目に映る全ては、見たことも、聞いたこともないような生物……のような何かで、埋め尽くされていた。

 

「……奴ら、言葉を話していたな」

 

 食うだとか、殺すだとか、とても正気とは思えない状態ではあったが、言葉は使っていた。それも、私の知っている言語で、である。

 ……まさか、この目に映る数多の生物全てが、私の心が生み出した新しい神様、なんてことはあるまい。

 だが、これらが私と完全な無縁であるとは思えない。

 

 奴らは何者なのか。

 地球は今、どうなっているのか。

 

 ちょっと、調べてみる必要がありそうだ。

 

「面倒な事になっていなければいいが」

 

 一体何が面倒なのかはこれっぽっちも想像できていないが、なんとなくそう呟いて、私はひとまず、世界を見て回ることにした。

 何事も円滑に進めるためには、まずは冷静な観察から始めるのだ。

 

 

 

 

「それにしたって、まさかここまで変わっているとは」

 

 恐竜が去った後の地球は、哺乳類の天下だという話を聞いたことがある。

 詳しくは知らない。私は、古代史の専門家ではなかったから。

 

 でもそれにしたって、これはおかしいだろうと思う。

 お前に古代史の何がわかるんだと言われても、この状況はどう考えたって“変”だ。

 

「なんなのこの生き物たちは……」

 

 見渡せど見渡せど、怪物ばかり。

 悍ましい姿のものから、どこか神々しいような、無機物的なものまで多種多様。

 少なくともそれらのほとんどは、昆虫や魚や哺乳類から進化したような原型を持っていない。

 まるで宇宙から降り注いだかのような、突拍子もない姿がほとんどだ。

 

『食わせろ!』

『殺す!』

 

 そんな奴らが、同じくらいの大きさの相手を見つけては、出会い頭に衝突したり、身体の鋭い部分や尖った部分を使って攻撃している。

 どこが弱点でどこが何を司っているのかもわからない体だが、争う者達は皆、相手が動かなくなるまで戦い続けている。

 

『食う!』

 

 そして、片方が動かなくなると、勝った者は負けた方を飲み込み、我がものとする。

 

 数時間ほど地球を“浮遊”にてさまよっていると、そんな光景があちこちで見られた。

 

 

 

 生物らしい弱肉強食と言えば、確かに同じかもしれない。

 でもあんな生物達を、私は知らない。化石も、生きた痕跡も、現代には残っていないはず……。

 

「……いや、まてよ……」

 

 “望遠”を用いて、異形の生物の様子をよく観察する。

 

 ほとんどヘドロをデンと地面に叩きつけたような、富士山のような形のバケモノがいる。

 黒くドロドロしたその生き物の上を、今、小さなネズミのような哺乳類が通り、走っていった。

 

 富士山型の化け物は死んでいない。呼吸しているように、静かに上下に膨らんでいる。

 ネズミに気付こうと思えば、気付けていたはずだ。

 

 それに、よく見れば、法則がある。

 化け物達は確かに生物らしく争い、捕食してはいるが、それは同じ化け物同士。

 哺乳類や昆虫を襲ったり、植物をこわしたりといった様子は見られなかった。

 

「なるほど、同じような奴しか狙わないのか……いや?」

 

 と思いきや、ネズミが灰色の巨大なクラゲっぽい化け物に飲み込まれた。

 

 ……そしてすぐに、吐き出された。

 ネズミは慌てた様子で、その場から逃げ去ってゆく。

 

「……同じようなやつしか殺さないけど、区別はつかないみたいだな」

 

 私が襲われたのも、区別がつかなかったが故のことなのだろう。

 そして、彼らは言葉は使うが、聞く限りではどれも稚拙なものばかり。

 

 ……言葉を扱うのは、アマノの影響だろうか。

 

 いや、そもそもこの地球に跋扈する化け物たちは皆、アマノの灰がもたらした存在なのかもしれない。

 

 一時の地球を支配していた神の遺骨だ。それが何の作用もしないとは思えない。

 私と同じ言語を扱うことも、アマノ。それで理由が付けられる。

 

 とすれば彼ら化け物達は、アマノの化身とも取れるのかもしれぬ。

 

 ……まぁ、姿は多種多様で、似ても似つかないけれど。

 

 

 

「……とりあえず、今のところは平気ってことでいいのかな」

 

 “望遠”を解除し、一息つく。

 

 確かに見た目にはおぞましい世界の様相だが、かつて住んでいた生き物らが平気であれば、何も問題はない。

 姿が醜いからと襲いかかるのはミイラとしてどうかと思うし、何より彼らがアマノの力の欠片だと考えると、やたらと殺す気にもなれなかった。

 

 ……彼らのことは、そうだな。

 “原始魔獣”とでも呼ぶとしようか。“魔獣”と呼ぶには、姿にテーマらしいものが見られないしね。

 

 ともあれ、もう既に何年もこうして、普通の生命と彼ら原始魔獣の間で不干渉が続いているなら、良いことだ。

 このまま放っておいても構わないだろう。

 

 とくれば、後は私のやることはひとつ。

 

「……魔界に戻るか」

 

 地に埋もれてから、かなりの時間が空いてしまった。

 魔界に戻り、神綺と再会しなくてはなるまい。

 

 

 

「……あ」

 

 そうして魔界へ戻るための魔力を身体の中にかき集めようとして、私はひとつの異変に気付いた。

 

「肋骨が……」

 

 ローブの裾をたくしあげ、腹と胸の辺りを見てみると、私の腹から胸骨あたりにかけての骨や皮が、ごっそりと削げ落ち、消滅していた。

 何億年も形を保ち続けてきたミイラの身体が削れ、中の空洞から背骨が、はっきりと見えてしまっている。

 

 隕石を止める際に、私の身体を魔力に変えた結果引き起こされた、魔力体の損耗である。

 

「……安心させてやらないと」

 

 こんな状態になっても、私に痛みはない。しかしあの時は、やはり随分な無茶をしたものだ。

 早く魔界に戻り、神綺に報告しなくては。

 

 



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 魔界への扉を開き、久方ぶりの心の家へ。

 大絶滅の際、アマノは魔界に向けて、塔内部にいる多くの恐竜やドラゴンを転送していたはずだ。

 神綺と一緒に、彼らとも会うことになるだろう。言葉が通じるかは怪しいが、彼らにもアマノのことを報告せねばなるまい。

 

 

 

「ただいまー……」

 

 靄の扉を潜り、いざ魔界へ。

 

「きゃー! やめてー!」

「えっ!?」

 

 入って早々、森林の広がるいつも通りの魔界の奥から、神綺の悲鳴が聞こえてくる。

 魔界が無事だという安堵感と、神綺の声から伝わる危機感に、私の身体は反射的に動いていた。

 

「神綺!」

 

 原初の力で宙に浮かび、声のする方へと一直線に飛翔する。

 一体神綺に何があったのか。全く想像つかなかったが、万全を期して右手には魔力を込めておく。

 

「来ないでー!」

 

 風を切り、木の葉を巻き上げ、颯爽とその場へ訪れると、そこには今にも神綺に襲いかかろうとする大きな青いウミウシのような化け物と……。

 

「えっ……」

 

 その巨大ウミウシと直線上に並んだ私に対して、真空波動拳っぽい輝きを放たんとする神綺がいた。

 

「えーいっ!」

「ギャアアアアアア!?」

 

 私は巨大ウミウシと一緒に、神綺の真空波動拳に巻き込まれた。

 

 

 

 

「ライオネルーっ!」

「ぎゃあ」

 

 その後、焦げ焦げしい煙を出すウミウシを背景に、パニックから回復した神綺に抱きつかれた。というより、タックルされた。

 

「うーわん! 私、もう会えないかと思ってぇええ……」

「ごめんよー」

 

 しかし私も彼女の気持ちはわかる。

 私も神綺に会いたかった。こうして何年も間を開けて再会できたのは、とても嬉しい。

 一時は地球を守るために自らの消滅も覚悟したものだから、ひとしおだ。

 

「……ところで神綺」

「ぐすぐす……はあい」

「あのウミウシ、何?」

 

 私は泣きじゃくる神綺をそっと引き剥がし、黒い煙をもうもうとあげているウミウシを指さした。

 青色だったウミウシは、神綺のビームを真っ向から受け、真っ赤に変色している。

 これが低体力になったが故の第二形態でなければ、きっと死んでいるのだろう。

 

「あれは……私が創りだした生物です」

「えっ!?」

 

 神綺が創りだした生物だって!?

 あのたくましく歩くアホ毛生物以外を創りだしたっていうのか!?

 

「……何か失礼なこと考えてません?」

「そんなことない! いや、ともかくそれは凄いことだよ!」

 

 なんと、私が知らぬ間に神綺が生き物すら創れるようになっていたとは驚きだ。

 

「でもどうして、せっかく創った生き物が神綺を?」

「はい……実は、生き物を創りだすこと自体は結構前から成功していたんですけど……」

「けど?」

「創りだした生き物が、なかなか言うことを聞いてくれないんです……」

「あー……」

 

 私は神綺と同時に、腕を組んで俯いた。

 

 

 

 

 創造生物の事は気になる。

 だけどそれよりも先に、順序通りに話を整理してゆく必要があった。

 

 なので私達はまず、落ち着いて話せる大渓谷の根城に場所を移した。

 神綺に隕石襲来時の戦闘の仔細や、アマノの死についても報告しなければなるまい。

 

 

 

「……そうですか。アマノとは、もう会えなくなってしまったのですね」

 

 神綺は頬に手を添え、悲しげに呟いた。

 神綺は、アマノと会ったことがない。しかし話だけなら私から何度も聞いており、その度に会いたそうにしていたものだった。

 

 私も、できることならば、アマノと神綺には会ってほしかった。

 神綺はおっとりした天然さんで、アマノはクールなマイペースさんだ。性格こそそっくりではないけど、同じような性格ではないからこそ、二人の神は気が合ったかもしれない。

 

 ……なんて、これ以上考えても虚しいだけか。やめておこう。

 

「アマノは、私の代わりに命を投げ出したんだ。地球を救ったのは、アマノだった」

「……そして、ライオネルの命も救ってくれた」

「……そうだね、確かに、その通りだ」

 

 アマノがいなければ、巨大隕石は地球を貫いていただろう。

 そして彼女の遺骨が私を突き飛ばしていなければ、私さえも身体を削り果たし、死んでいたに違いない。

 

 地球と私が今なお健在であるのは、全てアマノのおかげだ。

 

「うおっ」

 

 最後に龍となったアマノの姿を思い浮かべていると、私の顔に大きな影が落ちた。

 何事かと上を見上げてみると、そこにはかつて見慣れた、紅い鱗のドラゴンが私を見下ろしていた。

 

「その子たちは、その時のアマノが送り込んだドラゴンですね。法界からここへ戻った時、森林に沢山現れていたので、びっくりしましたよ」

「……ああ、彼らは無事に魔界に来れたのか。良かった」

「恐竜たちは、新たに植林した森の中で暮らしています。みんな大人しくていい子達ですよ。彼ら、ドラゴンも」

 

 ドラゴンはしばらく私を観察するかのようにじっと眺めていたが、すぐに興味をなくしたのか、首を戻してのしのしと歩き去っていった。

 

 ……彼らは、アマノの内部で塔を守る、護衛の竜だった。

 魔界に送られると同時に彼らは、アマノを失った。彼らは今、何を思い、この魔界で生きているのだろうか……。

 

「……ライオネル、アマノの骨は残っていないのですか? また、大渓谷に墓廟を作ってあげたいのですが」

 

 私がドラゴンの背を見送っていると、神綺が六枚の翼をしょんぼりと畳みながら訊ねてきた。

 

「骨か……私も探してみたんだけどね。アマノの骨はどれも細かく砕け散ってしまっていて、どれも大気圏で燃え尽きてしまったみたいなんだ」

「鯛危険……?」

「うん、あれから随分と時間も経っているだろうし……」

 

 できることなら私もアマノの墓を作りたいが、肝心の骨がどこにもないのでは、それも難しい。

 墓廟だけであれば、作れることは作れるのだが。

 

 私を突き飛ばした時の骨も、地球へと突入と共に燃え尽きてしまった。

 

 ……しかし、燃え尽きたとはいっても、地球にアマノの面影が消え去ったとは思えない。

 

「……アマノは細かく砕け散って、燃え尽きてしまったけど……彼女の欠片は、地球全体に降り注いだ」

「アマノが、地球全体に?」

「うむ。そのせいかわからないけど、私が長い年月をかけて地中から這い上がった時、地球上には、私が見たこともないような生き物が蔓延っていた」

「それは、ライオネルの言う生物の進化ではなくて?」

「ああ。あれらは進化ではない。突然、不思議な力で湧いたようだった。私にはその原因が、アマノくらいしか思い浮かばない」

 

 というか、コールタールのような生き物たちも私と同じ言葉を喋っていたし、アマノの影響で間違いないはずだ。

 

「……ライオネル。だとすれば、あなたに見せたい生き物がいるのです」

「ん? 私に見せたい生き物?」

「はい。かなり昔に……七百万年くらい前から見かけるようになった生物達です。私は、それらがライオネルの言っていた生物の進化だと思い込んでいたのですが……」

 

 神綺の目は、真剣そのものだった。

 

「もしかしたらその生物たちは、地球からやってきたのかもしれません」

 

 



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「こちらです」

 

 神綺に連れられて、魔界を飛ぶ。

 どうやら、瞬間移動を使うまでもない程の近場らしい。

 

 複雑な大渓谷へ降り、生物のいない激流の谷底を眺めながら、神綺の後を追う。

 長い間ここの様子を見ていなかったけど、激流のおかげで未だに生物はすみついていないようだ。

 

 ……しかし、神綺の先導する方向は、ここ。

 草木も生えぬ渓谷に、一体どのような生物が迷い込んでいるというのだろう。

 

 

 

 

「うおおお」

 

 私はそれを目の当たりにして、感嘆の声をあげた。

 

「ある日突然、空間の歪みと共に、この生き物が現れたんです」

「……なるほど、それにしても……」

「大きいですよね」

「うむ」

 

 見上げるほどの大きさの、灰色の生物。

 四本の脚は大木のように太く、胴体は色も相まって岩のように大きい。

 顔からは一本の長い鼻が……って。

 

「ゾウみたい」

「像?」

 

 それは、ほとんどゾウに近い風貌をした生物であった。

 大渓谷の枯れた小さな谷の壁面に巨体を横たえて、死んでいるのか、眠っているのか、そのような格好で沈黙している。

 

「うん、ゾウに似てる。だけど……」

 

 ゾウに近づき、よく観察する。

 

 そこで、すぐに気付いた。

 これはゾウではない。

 

「あんまり似てないな」

 

 長い鼻。大きい耳のようなものもある。

 しかしこれは、ゾウとは似ても似つかない生物だった。そもそもこれは、哺乳類ですらないだろう。

 

 肌は灰色で艶もなくくすんでいるが、どこかのっぺりとしており、ゾウのように荒れているわけでもない。

 四肢はあるもののそれらに蹄はなく、全てが皮膚だけで出来ている。

 頭部らしい部分に鼻かと思われたパーツも備わっているが、それは単に長いだけのものであるようで、穴が開いてない。耳も同じで、裏側には穴もなく、ただの飾りのようにも見える。

 

 それは、図体こそより巨大で、部分部分も細かく、より生物的ではあったが……地上に溢れかえる、原始魔獣に酷似していた。

 

「神綺、これが魔界に?」

「はい。この子がひとりでやってきて、渓谷を歩いていたんです」

「この図体で渓谷を……」

「はい……だから、すぐに脚を踏み外して、ここまで転げ落ちて……」

「死んだ、と」

「いえ、生きてます」

「生きてるの?」

「はい」

「すごい」

「ですよね」

 

 大渓谷から滑落してもまだ生きているとは驚きだ。

 さっきは死んだものと思って色々触って調べていたけど、そんなに生命力のあるものだとは思わなかったぞ。

 

「……なるほど。たしかにちょっと、動いてるなぁ」

 

 ゾウはわずかに、身体をゆっくりと起伏させ、心臓だか呼吸だかに似た動きを見せている。

 とはいえ、ゾウの脚の二本や、胴体の一部は落下の衝撃によってか折れているようで、重い図体をその場から動かせずにいるようだ。

 

「ライオネルが魔界にやってきた時に見た生物、あれは私の創り出したものですが……実は、この子を元にしているんです」

「このゾウを?」

「はい。見た目ではありませんよ? 参考にしたのはあくまで中身……生物の作りの方です」

 

 なるほど。魔界に戻ってきて初めて見た巨大ウミウシは、このゾウを参考にして創られたのか。

 確かに外見は似ていないが、神綺は参考にしたらしい。普通の生物では参考にならないけど、このような摩訶不思議というか……原始魔獣であれば参考にできて、しっかりした生物のようなものを創り出せる、と。

 

 神綺には、既存の一般的な生物より、魔力などに由来する生物の方が創りやすいのかもしれない。

 

「ここ以外にも、色々な場所に似たような生き物がいますよ」

「ほー」

「ただ、どうやって来たのかはわからなくて……アマノ……ではないんですよね」

「そう、だろうね」

 

 アマノは最期に龍となって、自らを犠牲に隕石を破壊した。

 あのスピードによる衝突だ。内部にあった魔界転移の機構は破壊されて欠片もないだろうし、何よりアマノが変形した時点で、それが無事だとは思えない。

 

 では、これらの原始魔獣は、どうやって魔界へやってきたのだろうか。

 

「……神綺、もっとよくこれらの生物を見てみたい。案内してもらえるだろうか」

「はい、喜んで」

 

 今はあまり問題にもなっていないようだけど、地上に蔓延っていた殺意に満ちた生物が魔界へ迷い込んだら……。

 ひょっとすると、魔界が大変なことになるかもしれない。

 

 神綺や私がああいった生き物に殺されたりやられたりするとは思えないけど、私達の住処を荒らされるのは、ちょっと嫌だ。

 積もる話はあるものの、取り返しの付かない事が起こる前に、調査を急がなくては。

 

 



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 魔界にやってきた原始魔獣たちは、合計で約二百匹だった。

 

 いずれも何らかの事故の影響によって手負いになっており、まともに動けるものはいなかった。

 それでも全てが辛うじて生きていたので、彼らの生命力は相当なものであることが伺える。

 

 ひとつだけ、わかったこと、というか、共通していることを発見した。

 それは、神綺に案内してもらった原始魔獣たちはいずれも、巨大であるということだ。

 

「巨大であることが、魔界へ流れ着く理由、なのかもしれない」

「巨大、ですか」

 

 発見された原始魔獣は、いずれも巨大だった。

 みんながみんなシロナガスクジラのように巨大な図体であり、感じられる魔力の気配もなかなかのもの。

 

 ゾウのようなものからカメのようなもの、カバっぽいものからウマっぽいものまで、様々な形の違いこそあったが、ありえないくらいの巨体であることは共通しており、湧き出すような豊富な魔力も、概ね同じ程度。

 

「私が思うに、これらの魔獣たちは……自分の中に溜め込んだ魔力を制御しきれずに魔界への扉を開いてしまったんじゃないのかな」

「あ」

 

 神綺が“なるほど”と言いたげに手を叩いた。

 

「膨大な量の魔力を圧縮し続けると、ここ、魔界への扉が開く。もちろん魔力の圧縮というのは非常に難しいもので、やろうと思ってできることではない。私は長い間外を旅してきたけれど、自然現象として魔界への扉が開くようなことは一度もなかったよ」

「……この子たちは、無意識的に魔界への扉を?」

「そうだろうね」

 

 生物の内にある魔力の量は、生物によって違う。

 もちろん、その量は種の大きさ一括りで言えるものではないのだが、大型の動物ほど比例して大きな魔力を持つという側面は、確かに存在する。

 

 それに、彼ら原始魔獣はアマノの残滓から生まれたであろう、魔力的な生物だ。

 内包する魔力量は、通常の生物よりもずっと大きいに違いない。

 

 その大きな魔力が、原始魔獣の成長と共に自然とヒズミを生み出し、魔界への扉を開けてしまったのだ。

 

「うーむ……」

 

 では、何故彼らはそこまで多大なる魔力を貯めこんでしまったのか。

 

 それはきっと、彼らの生態が大きく関わっているのだろう。

 

 彼らが地球で見せた、争いと共食い。

 あれによって巨大化を繰り返しているのだとしたら、ちょっと困る。

 あの行動に歯止めがかからなければ、どんどん魔界へ入り込む原始魔獣が増えてしまうからだ。

 恐竜も通った道だし、巨大化するのは構わないんだけど、だったらせめて魔界には来ないでほしいものである。

 いつかゴジラのような巨大原始魔獣が魔界に攻めこんで来るんじゃないかと思うと、気が気でない。

 

「ライオネル、ライオネル」

「うん?」

「いつもはライオネルがやっていることですけど……少しだけ、この子たちの身体をよく調べてもいいでしょうか?」

「おや」

 

 神綺が研究らしいことをするとは、なんとも珍しいことだ。

 いつも彼女は私と同じことばかりをするのだが。

 

「そうだね、酷い瀕死の個体もあるし、苦しませるよりは……でもこの原始魔獣を、一体何のために?」

「はい……最近熱中していることなんですけど、また生物創造に傾倒してみようかと思いまして」

「おお、そのための勉強を」

「そういうことです」

 

 どうやら神綺は、自分で生物を創り出すことに興味がお有りのようだ。

 私としては、それはとてもいい事だと思う。

 これまで神綺は謎の二足歩行生物しか作れなかったので、それが進歩するのであれば、彼女の研究を止める理由はない。

 

 巨大な原始魔獣について知りたいことは山ほどあるし、中には解剖など踏み込んだ調査が必要な部分も出てくるだろう。

 魔界へと無尽蔵に流れ込んでくる彼らの処理も必要だ。こっちは建前だけど。

 

 まぁとにかく、私達の早期理解によって、彼ら原始魔獣という未知なる存在を上手い方向に転がしてゆけるのであれば、それはとても素晴らしいことである。

 

「神綺、この原始魔獣たちの研究……私もやろうと思う」

「ライオネルも一緒にですか! やったー」

「新種の生物群だしね。どのような生き物かは全然わからないけど、これらはじっくり調べる価値があると見たよ」

「やっていけば、魔界の住人が創れるようになるかもしれませんしね!」

「うむうむ」

 

 そんなわけで、少々脳天気な始まり方ではあるが、私と神綺は原始魔獣の研究を始めることにした。

 

 

 

 アマノの欠片が遺してくれた、新たな生命の息吹。

 

 原始魔獣。彼らの生態は謎に包まれているけれど、彼らはある意味で、アマノの子供でもあるのだ。

 

 よく理解し、よく導き、最良の関係を築けてゆけたら良いなと思う。

 

 

 

 だけど、この時の私は……。

 原始魔獣という存在を、あまりに楽観視しすぎていたのかもしれない。

 

 

 

 

 私の見知らぬ地球のどこかで、一匹の異形の存在が地を這いずり、歩き回っている。

 豊かな緑、清らかな水。

 現在の地球では別段珍しくもなんともない、自然に恵まれた一角だった。

 

『痛い!』

 

 異形が動き回っていると、突然、何の前触れもなしに、何か硬いものが、その頭の上に落ちてきた。

 

『食い物?』

 

 異形の上には何もない。崖も、木々も、落ちてくるであろうものは、何もなかった。

 しかしそれは間違いなく異形の頭に落ちてきたし、彼の前に形を成して、存在している。

 

『食い物……?』

 

 とある一匹の異形の前に現れた、一冊の書物。

 

 “慧智の書”。

 

 私はまだ、この一冊の書物が徐々に、少しずつ世界を変容させてゆくことに、これっぽっちも気付いていなかったのだ。

 

 

 



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 恐竜のかわりに発展する哺乳類。

 新たに湧いて出た原始魔獣。

 地球は今、大いなる進化の過渡期にある。

 

 哺乳類が台頭してくれば研究も忙しくなるだろうとは思っていたが、原始魔獣も現れたことによって、その忙しさは二倍である。

 ただでさえ、植物やその他様々な生物達の観察なども平行して行わなければならないというのに、メインテーマが二倍というのは、こちらの手にも余る量だ。

 

 神綺はいる。彼女も原始魔獣の調査に付き合ってくれているので助かるのだが、それでも研究は、なかなか追いつかない。

 

 原始魔獣の研究を初めて数万年経っても尚、未知な事は後から増え続ける一方なのだ。

 

 

 

 総評として謎だらけという結論ではあるが、わかったことはいくつかある。

 

 まず、原始魔獣は不定形であるということ。

 魚のような形、陸上生物のような形、姿は様々で、頓着しない。

 そして驚くべきことに、動物以外の形を取ることもある。つまり、岩や樹木などだ。そういった彼らの形態や、生息する地域を見比べるに、原始魔獣達は周囲のものを真似しているのだと思われる。

 

 器用なことに、魚であれば魚らしい泳ぎ方をするし、ゾウであればゾウらしい歩き方をする。

 ところが原始魔獣の物真似も完璧ではなく、中には名状しがたい形状の個体もいて、そういったものは全く未知の移動法を取ったりもする。そういう生態は、見ていてまったく飽きないものだ。

 偶然だろうが、大きなトカゲに鳥の翼が生えたような原始魔獣を見た時には、ちょっとだけ驚いてしまった。彼らは複数の生物からも姿を参照するので、たまに幻獣っぽい個体もいるから、なかなか紛らわしい。

 

 

 

 原始魔獣の生死についても、いくつか判明した。

 

 まず原始魔獣がどのように生まれているのか、といったことであるが……それはもう、“発生している”としか言いようがないだろう。

 事実、彼らは最初、何も無いような場所からポンと生まれるのだ。

 おそらく霊的、魔力的なものが溜った場所から発生するのだろうが、詳しいことはわかっていない。

 

 生まれた当初の原始魔獣は、まるでスライムのような形態を取り、そこから時間を掛けて己を変形させることにより、魔獣と呼ぶにふさわしい格好を取る。

 姿は完全にランダムで、一つとして同じ姿はない。翼を手足のようにして歩く鳥もいれば、しっかり翼で空を飛ぶ鳥もいる。ちなみに面倒なので鳥と言っているが、そこまで鳥に似ているわけでもない。

 

 

 

 原始魔獣は長命で頑丈であるが、死なないわけではない。身体を大きく破損すれば息絶えるし、彼らにも血肉のようなものもある。

 実際に何匹かの若い原始魔獣の一生を追い、観察し続けたことがあったが、その生涯は、実に動物らしい捕食と生存の毎日であった。

 

 彼らの身体は非常に魔力的な性質が強く、通常の肉体とは異なる。

 そのためか、彼らは生きるために一般的な生物の血肉を必要とせず、常に同類である原始魔獣の血肉を求めてさすらっていた。

 原始的な欲求の言葉を張り上げながら、彼らは己の牙や爪や身体を使い、相手を絶命させる。

 そして喰らい、相手の肉から骨に至るまで、余すこと無く己のものとしてしまう。

 

 捕食を終えた彼らは一回り大きくなったり、形状を変化させたりと、自身に変調が訪れる。

 基本的には変調によって、確固たる姿へと近づく者が多いだろう。つまりは、現在生息している生き物のような、動物らしい姿だ。

 

 大きく、姿もしっかりと動物らしくなった者達は、原始魔獣の覇者とも言える。

 魔界へ流れ着いた原始魔獣たちの正体は、そんな地球での猛者であった。これは予想通り。

 

 対して、食われた方は消滅するのであるが、原始魔獣の死は、捕食だけとは限らない。

 中には、地球を歩いている間に高所から滑落して息絶える者もいる。

 そういった間抜けな原始魔獣たちは、当然屍肉を同類に食われることもあるのだが、中には原始魔獣に見つけられることもなく、時の流れと共に消滅してしまうような珍しい個体もいた。

 

 私は二、三回だけ、そんな魔獣を見かけたことがある。

 食われること無く死んだ原始魔獣の身体は、次第に靄のように霞み、煙となって宙に霧散し、消えてしまうのだ。

 

 それは、原始魔獣が生まれる際の“発生”を逆回しで見ているような、不思議な光景であった。

 

 

 

 原始魔獣は生まれ、食らいあい、そして大きく育ったものが、魔界へと消えてゆく。

 

 しかしそれは、大きく見れば魔界への一方通行。原始魔獣は魔界へと転移するばかりで、彼らの源である不可思議な気配は目減りする一方だ。

 

 となると、彼らはいつか、地上から姿を消してしまうのではないだろうか。

 全ての力は魔界へ送られ、原始魔獣の住処は魔界となってしまうのではないか。

 

 その可能性は、高い。

 いつの日か、原始魔獣達は皆、地球から姿を消すだろう。

 

 そこに何か不都合があるわけでもないのだが、地球の中に溶け込んでいる彼らを見る私としては、少々寂しい気持ちにもなるのであった。

 

 

 

「きゃー! ライオネルー!」

 

 ああ、また神綺が生物創造に失敗したようだ。

 

 今度はどんな珍獣を創りだしてしまったというのか……やれやれ、忙しいったらありゃしない。

 

 



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 魔界へと転送される原始魔獣は多い。

 そのため、魔界での研究は常に大忙しだ。

 

 年月を経るにつれ、迷い込む魔獣の数は増加し続け、私と神綺はその対処に追われる。

 原始魔獣達は魔界のどこにでも現れるので、下手な場所で長時間放置し続けると、そのまま死ぬこともあるのが困りものだ。

 特別足が早いわけでもないが、回収しなくては無駄死にさせることになる。

 彼ら大型の原始魔獣達の数には限りがあるし、貴重な資料だ。できることなら、命を持ったまま、無傷で移送したい。

 

 そんな彼らを相手に奔走していると、地球の探索は疎かになりがちだ。

 魔界に閉じこもって原始魔獣のデータを集めている間に、おそらくは時間をかけて進化したのだろう。久々に地球へ行くと、どことなく猿っぽい哺乳類を見かけるようになったのには驚きである。

 猿っぽくなる前はどのような姿だったのか、ちょっとずつ生き物が変化してゆく様子を見たかったのだが……。

 とても大事なものを見過ごしてしまった気がして、数日間は悔しさのあまりに、宇宙旅行に出かけてしまったほどだ。

 金星は地獄です。

 

 

 

 しかし、私が見過ごしていたのは生物進化の課程だけではなかった。

 

 もはやこれ以上は何も見過ごしようがないだろうと思っていた矢先、私は地球にて、大きな異変を目にしたのである。

 

 

 

 きっかけは単純。

 私が原始魔獣を求め、“浮遊”で空を飛びながら“望遠”で地上を見ている最中のことだった。

 

「うん?」

 

 過ぎった違和感は些細なものだ。

 一瞬だったし、気に留めるほどのものでもない。“気のせいか”と自分に言い聞かせれば、知らぬ振りして数秒後には忘れられるような、小さなものである。

 

 しかし鮮明な記憶を反復させると、やはり違和感は確かなものだった。

 小さかろうとも確かに感じる、視界の端に黒くテカテカする虫を捉えてしまった時のような確信が、からっぽの胸を締め付ける。

 

「今のは何だ」

 

 私は途中で止まり、引き返すようにして飛んだ。

 その道中は慎重に、ゆっくりと。違和感を探るように、神経を研ぎ澄ませながら。

 

「おおお?」

 

 すると、やはり気のせいではなかったのだろう。

 飛んでいる途中で、何か薄い膜を通り抜けるような感覚に襲われた。

 

 オーロラを突き破ったわけでも、ダウンバーストにぶつかったわけでもない。

 もっと魔力的なものに触れたのを、私は感じ取った。

 

「何かあるみたいだけど」

 

 何度か往復してみて、間違いでないことを確信する。

 空間に境目らしきものが存在し、そこを通る度に感じる魔力的な違和感。

 更に広範囲に渡って動いてみれば、境目は湾曲した立体的なものであることも判明した。

 

 まるで壁のように平面的ではあるが、僅かながら湾曲している。ペシャンコに潰したコンタクトレンズ、とでも表現すればいいだろうか。

 

「……どれ」

 

 不可視の境界から距離を置き、手のひらの上に魔力を集める。

 渦巻く魔力の球体は青く輝き、物理的なエネルギーを持つ光弾と化した。

 

「魔力をぶつけたら、何か反応があるだろうか」

 

 まずは弱めの魔力弾で、小手調べ。

 魔力弾をぽいっと軽く放り投げ、見えざる境界をじっと見守る。

 

 そして弾と境界が触れたその瞬間、魔力弾は弾け、いびつな割れ方をして霧散した。

 

「ほお」

 

 魔力弾が壊れた。これは、なかなか見られない現象である。

 魔力弾は頑丈というわけではないが、何もない空中で壊れるほど軟なものでもない。

 少なくとも先ほど生成した魔力弾は、同じ径の樹木を破壊できる程度の力を持っていたのだ。

 何もない空中で壊れることがあるとすれば、相応の強い風が吹くか、それ以外の要因しか考えられない。

 

「さらに威力を高めてみるか」

 

 私は未知という珍さを目の当たりにし、調子に乗って更に強い魔術を練り始めた。

 右手を掲げ、魔力を集中。昼間の上空は魔力も薄いが、少しだけ時間をかければなんてことはない。

 

 力を込めてすぐにバランスボール大の魔力球が出来上がり、禍々しい紫色のオーラを内部に渦巻かせながら、それは真球の形へと整えられた。

 

「ほい」

 

 そして特に何も考えず、私は魔力球を投擲した。

 

 球が境界へと衝突し、魔力の弾ける音が辺りに轟く。

 漏れ出た魔力は迸り、紫の風を巻き起こしながら、散ってゆく。

 

 ああ、この攻撃でも割れてしまうのか。

 私は、じゃあ次はもうちょっと強い攻撃を当ててみようかな、とか、一体この境界はどのような現象なのだろう、とか。呑気にそんなことを考えながら、辺りへ拡散する魔力の風を受けていた。

 

「えっ」

 

 ところが魔力の風が止むと、そこにあったのは大きな亀裂であった。

 空間に砕けたような穴が空き、向こう側には見知らぬ自然の景色が広がっていたのである。

 

 割れた? 空間が?

 どうして? 何故?

 

 というより、これは一体何が?

 

「あ」

 

 思いつく限りの疑問を浮かべている間に、空間に入ったヒビはどのような力か、ふさがり始めてゆく。

 

「ちょ、乗ります乗ります」

 

 私はつい人間だった頃の癖で、閉じる寸前の亀裂へと飛び込んでしまった。

 

「あっ!?」

 

 なんとなく取り返しのつかないかもしれないことだと気付いた頃には、もう遅い。

 私の背後で亀裂は完全に修復され、私は異空間へと閉じ込められてしまった。

 

 

 

「……なんで入っちゃったんだろう」

 

 反射的に謎の空間に飛び込むなど、我ながら正気の沙汰とは思えない。

 しかし、こうして未だに宙に浮いてられるところを見るに、私は無事なのだろう。予想外の出来事には見舞われたが、そう深刻な状態でもなさそうだ。

 

「……それにしても、ここは?」

 

 私は一旦心を整理して、ひとまず辺りを見回した。

 

 一見すると、ここは地球と何ら変わりのない世界である。

 ここは空中で、上には青空が広がり、下には陸地が存在している。

 

「うん!?」

 

 と思ったけどちょっと違った。

 陸地はある。でも陸地というよりも、それは上空から見下ろした時、島に近いものであった。

 

 島が、空中に浮かんでいるのだ。島の端には水がなく、陸地だけの岩の塊だ。

 その下には真っ白な靄のような空間が広がっており、見通すことはできない。奈落を彷彿とさせる真っ暗闇ではないだけ気が楽だが、島の下は未知である。

 

「……なんだろう、ここ」

 

 視線を動かしてみると、同じような浮島がいくつも点在している。

 白い雲の上に浮かんだ島々には細々と木々が生えており、それらはどこか、中国っぽい雰囲気が感じられた。

 

 まるで、ファンタジーの世界である。

 ……魔界に住んでる私が言うのも何だけどね。

 

 

 

 魔界ならば、こうした浮島を作ることも可能だろう。

 帰ったら一度、ここのような浮島を作って立体的な世界を構築することも視野に入れてみたいところだ。

 

 しかし、ここは魔界ではない。

 原初の力は私の中に感じられるが、発動する兆しは見られない。

 

 はて、それではこの空間、一体何なのだろうか。

 

 ……そもそも私、ここから出られるのかな。

 

 



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 ものは試しと、巨大な浮島のひとつに着陸する。

 地質は平常。植物の種類は少ないが、地上にあるような普遍的なものだ。

 

 ただし、空に浮かんでいるためか地形は少々異なり、皿のように平たい地面がいくつも重なったような作りになっており、山のような傾斜は非常に少ない。

 見渡して視認できる限りでも、そのようにして生まれた壁面は多く、そこから生える植物の様子も相まって、まるで大きな棚田のような光景だった。

 神秘的かつ牧歌的。眺めていて飽きが来ない。よし、この光景も魔界にパクろう。

 

 ……まあ、綺麗なんだけど。

 この世界は、明らかに異常だ。

 

 ここもまた、アマノの影響によって生まれたものなのだろうか……。

 

 

 

「止まれ」

「!?」

 

 声をかけられた。

 

 えっ、声をかけられた?

 

 びっくりしすぎて身体が竦みきってしまった。

 止まれという命令口調に忠実に従ったのも、この驚きがあってこそのものだろう。

 

「貴様は何者だ」

 

 こっちの台詞だわ。

 全力でそう思いつつ、私はゆっくりと声のする方に振り向く。

 

「……なっ……!」

 

 そこには、驚き顔の若い美男子が立っていた。

 

 長い銀髪に、法衣のような裾の長い服。手には木から削りだしただけの素朴な杖を握り、こちらへ向けている。

 材質は何だろうか。杖は勢い良く空を切り――

 

「穢れた者め!」

「ギャァ!?」

 

 私は殴られ、謎の衝撃によって吹き飛ばされた。

 

「何故殴る!?」

 

 が、そのような不意打ちは恐竜時代にいくらでも経験した。

 すぐさま“浮遊”を発動させ、空中に留まり、静止する。

 

「効いていないだと……!」

 

 うん、駄目だ。このままだと何のモノローグも挟む余地なく、熱いバトル展開にもってかれそうだ。ちょっと考える時間を設けようか。

 

 ……まず、私は謎の空間に入り込み、浮島に着陸した。

 そして、歩いていたら突然男が現れて、殴られたと。

 

 殴られたことはしょうがない。この人の住処に突然私が侵入したのだとしたら、それは私の過失だ。不法侵入。人としていけないことである。殴られても仕方ないかもしれない。

 しかしその前に、じゃあお前は何なんだっていう話を挙げなくてはなるまい。

 

 地球の地上には、人型と呼べる生物はまだ猿しかいない。当然、どいつもこいつもけむくじゃらだ。

 だが私を険しい表情で睨んでいるこの銀髪美男子は、白人のような真っ白な肌に、この世のものとは思えない、神綺のような銀髪。猿の時代を遥か昔に置き去ったような、いっそ現代人より未来的な風貌を整えているではないか。

 

 つまり、猿から生まれたものではないのだ。

 彼はもっと、急激に発生した存在に違いない。

 

 要するに……神とか。

 

「あなたが神か」

「違う」

 

 尋ねたら二つ返事で否定された。

 あれえ、おかしいな。てっきり神様だと思ったのに。

 

「貴様、どうやってここに入り込んだ」

 

 私が首を捻っていると、杖を構えている男が警戒心を強めながら訊いてきた。

 こちらの質問に、向こうは答えたのだ。こちらも答えるしかないだろう。

 

「空を飛んでいる最中に、境界を見つけた。そこを開いて入ってきた」

「……強引に天界への道を開くだと? 有り得ん」

「天界?」

「いや、仮に有り得たとして、外界の者の侵入を許すわけにはいかん」

 

 男が決意を新たに杖を強く握り、そのうちに私の疑問のひとつが氷解する。

 

 どうやらここは天界という空間らしい。

 そして男の口ぶりからして、どうも組織立っているように思えた。つまり、この神様っぽい男の他にも、複数の同じような存在がいるのだ。

 

 驚くべきかな、私の全く知らぬ間に。

 

「今すぐに、ここから立ち去れ。神の怒りに触れる前に」

「……神?」

 

 男は凄んでみせるが、言葉の中に混ぜられた単語が私の中から“とりあえず撤退”という選択肢を奪った。

 

 神。そう、神と聞いては、私も容易く引き下がるわけにはいかないのだ。

 

 神とは私にとって、特別な存在である。私の一生は、神によって大きく変化し、左右されてきた。

 そして、神とは例外なく尊いものでもあった。

 

「神とは一体、誰のことだ」

 

 もしもこの男の言うところの神がアマノだとすれば、私には彼女に言わねばならぬことや、やらねばならぬ事がある。

 少々、魔力を用いてこの男を“動けなくする”ことになろうとも。

 

「! ……貴様、魔力を扱えるのか!?」

「ほほ?」

 

 私が両の手に魔力を集めていると、男は不可視であるはずのそれを感じ取ったのか、額に汗を浮かばせた。

 魔力を知っている者の反応。そして魔力を感じるということは、同じく魔力を扱える者でもある。

 

「なおのこと、見過ごすわけにはいかん!」

 

 つまり私と同じ、魔術を扱う同志ということだ!

 そんな同志が、私に敵意を向けている!

 

 とはいえ魔術を扱って立ち向かおうとしている!

 何故かよくわからないけど、それはすごく……嬉しいぞ!

 

「我が究極の秘技の前に消え去るがいい! “月の槍”!」

 

 ああでも駄目だ! これ私の初級呪文だ! 相手になんねーや!

 期待したけど多分この人すごくよえーや!

 

「“月の盾”」

「な!?」

「からの“風の循環”」

「ぐはぁ!?」

 

 終わったわ。防御魔術を使った以外に特筆すべきところもなく普通に終わったわ。

 

 



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 相手が射出した“月の槍”を“月の盾”で防御し、衝突によって起こる瞬間的な爆風を、“風の循環”でまとめ、指向性を持たせ、相手に当てる。

 そりゃあ当然、やろうと思えば“月槍見て旭日砲余裕でした”なんて方法もあるけれど、私は相手を殺すつもりはないし、無駄な魔力を使いたくもない。

 諍いはスマートに決着できれば、それがベストなのである。

 

「ぐぅ……まさか、お前がここまで戦えるとは……」

 

 銀髪の男は、腹に直撃した風のダメージが大きかったのだろう。

 起き上がったはいいものの、声は苦しげだ。今ので、私との力の差を思い知ってくれたなら良いのだが。

 ついでに、手加減したのだから、こちらに敵意がないということも汲み取ってほしいところ。

 

「さあさ、そっちが負けたのだ。私の質問に答えてもらおうか」

「……何だ」

「貴方の言うところの“神”とは、一体何者だね」

「……それを知ってどうする」

「知り合いだったら、是非ともお会いしたい」

 

 相手がどのような神であれ、取って食うわけではない。

 神殺しのやるせなさは、もう懲り懲りだ。

 

「……お前の言う、神の名は」

「名?」

「なんというのだ」

 

 ふむ、名前が合ってれば、会わせてくれるのかも。

 ありがたい。私としても、排他的な赤の他人と無理に会いたくはない。

 

「名前は、アマノという」

「……」

「心当たりはあるかな?」

「いいや、私は知らないな」

 

 隠すと為にならないぞ、と言ってやりたい気持ちになったが、彼の表情は本気で何も知らないようだったので、言わないでおく。

 

 それに、私も多分アマノではないのだろうなと思っていた。別の神様であっても、別にそこまでショックではない。

 むしろ逆に、その新たな神に対する興味が湧いてくる。

 

「そうか……じゃあ、無理に会うのはやめておくよ」

「……」

「いい加減、そんなに警戒しないでくれないかね」

 

 私はそろそろ和やかに話したいというのに、この男はずっとピリピリしっぱなしだ。

 この天界についてはまだまだ色々聞きたいことがあるのに、こうも緊張されては困ってしまう。

 

「うーむ……」

 

 しかし、私の外見も悪いのだろう。

 声も含め、私の姿や振るまいは、初対面の人に対してはかなり挑戦的なものだ。

 

 今までは神綺やアマノだったから無反応だったけど、服を着用する文化的な人が相手では、なるほど警戒されて当然かもしれぬ。

 

「……私は、魔界という場所からやってきた……遣いの者だ」

「魔界の……遣い?」

 

 未知だから恐怖する。未知だから警戒する。

 ならば、相手に教えてやればいいのだ。

 知ることによって靄は晴れる。知識の明るさは安心を生むだろう。

 

 私の、世界を調査したいという目的は嘘じゃないし、魔界の代表として来ているのだから、遣いというのも間違ってはいない。

 一応、魔界の神様は神綺だしね。神綺を生み出したのは私だけども。

 

「貴方は、魔界をご存知かな」

「……聞いたことはある」

 

 あるんかい。どこ情報よ。

 

「外界の者が喰らい合い、殺し合い……最終的に行き着く場所。それが、魔界だ」

「……ほう」

 

 どこの魔界かと思って聞いてみれば、どうやらうちの魔界らしい。

 しかも、特徴まで正確に言い当てている。これは驚くべきことだし、面白いことだ。

 

「この世で最も穢れたものが集う場所……その遣いが、天界に何の用だ」

 

 ああ、そういう認識か。

 どういう場所かは知っているけど、良いイメージはないということね。

 私はてっきり、“原始魔獣の強者しか立ち入る事を許されない秘境”みたいな扱いをされているのかと思ってたけど。

 

 ……まぁ、印象は悪いけど、曲解されているというほど間違っているわけでもない。

 ここは話を進めておこう。

 

 こちらの天界とやらが幅を効かせているのであれば、私達の魔界の方だって、自らの言い分を持っても良いはずだ。

 

「なに、随分昔からになるんだけど、その穢れた者が魔界に来るようになったからね、私達も外界の様子が気になるんだ」

「ふん……」

「私がここを訪れたのは、その調査もあってということ」

「ここは清い天界だ。外界や魔界とは違う」

 

 ここもアマノの影響から生まれた世界だろうに。あんたの使ってる言語は私達のものだぞ。

 成り行きを知ってる私からしてみたら、天界も地上も大差ないがな。

 

 ……けど、まぁ、一応ここは天界を褒めておこう。

 

「確かに、美しい景色だ。地上では見られない」

「うむ、そうだろう。天界はどこよりも美しいのだ。無秩序な地上には無い風雅が、ここにはある」

 

 魔界の方がずっと……いや……まぁ、確かにここみたいな自然の美しさはないけどさ。

 おのれ、建造物なら絶対に負けない自信があるというのに。

 魔界の自然といったら、大森林と大渓谷しかないじゃないか……これは、新スポットを要検討せねばならないか……。

 

「だが、ここはまだまだ序の口だ。天界の中でも、ここはあくまで下層に過ぎない」

「下層?」

「ここより遥か上には、更に美しい島があるのだ。私も謁見の際にしか訪れることはないが、あの美しさといえば、まさに神にこそふさわしい場所と言えるだろう」

 

 ほう、まだまだ上にも島があるのか。

 確かに、見上げてみれば小さな雲が所々に浮いている……そこに島が隠れているのだろうか。

 

 というかお兄さんアナタ、勝手に情報をポロポロ漏らしているみたいですが、言っても良い情報だけを喋ってるんですよね。

 詳しく説明してくれるのはありがたいから、文句はないけども。

 

 とりあえず、上の方に偉い人がいるというのはわかった。

 

「……で、その……ええと」

「どうした、何を聞きたい」

 

 私から魔術を受けて悶絶したことなど忘れたように、男の表情はどこか明るくなっている。

 最初は警戒していたけれど、今ならちゃんと話が通じるだろうか。

 

「じゃあ調査も兼ねて、色々と聞かせてもらったり……この天界を色々と案内してもらってもよろしいかな?」

「……うむ、魔界の遣いとはいえ、天界の美しきを分かる者。見たところ、穢れもないようだし……調査というのであれば、構わないだろう。上層へ連れてゆくことはできないが、下層内であれば案内する」

「おお、ありがとう。助かるよ」

 

 よし、どうやら話は通じたらしい。

 条件付きだったり、穢れとかよくわからない事も言われたけど、なんとか説明を聞く時間はもらえそうだ。

 

 天界のこと、神のこと、原始魔獣のこと、この男が使った魔術のこと……全部聞けるなら、聞いちゃおうかな。

 人に聞けるって良いね。自分で調べたり研究しなくて良いんだもん。

 

「さて……では、このような何もない島で話すのもなんだ。もう少し、華のある場所に移動しよう。ついてこい」

 

 男はそう言って、青い法衣の背中から一対の白い翼をバサリと伸ばした。

 翼竜のものとは違う、始祖鳥のように立派な羽根の翼である。

 三メートルを超える神々しい巨翼は、まるで天使のようだ。

 

「魔界の者、お前の名はなんという」

「私はライオネル。貴方は?」

「私はサリエル。ライオネルよ、先程は突然すまなかったな」

 

 いいってことよサリエルさん。

 でもなんだか貴方、本当に名前も天使みたいだね。

 

 



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 “浮遊”を使っているのだろう。サリエルは、私と同じ原理で宙に浮かんでいるようだった。

 しかし月魔術を用いたその飛行技術はまだ未熟と言う他なく、推進など動力は全て背中に生えた翼に頼っているらしい。

 上昇と下降を“浮遊”で、それ以外を翼で賄っている、といったところか。

 

 そんなサリエルの斜め後ろで、私はほとんど完成されきっている“浮遊”にて自由移動を行っているのだから、彼からしてみれば、私は異質なものに見えていることだろう。

 

 だが、今はサリエルが私を案内しなければならない立場。

 既に見せつけられた力の差もある。

 彼は自らの疑問を胸中に収めながら、私の疑問の解決に務めていた。

 

「天界は大昔、地上に存在した陸地が浮き上がって出来たものだ」

「地上に存在した、陸地……」

 

 私は宙を飛びながら、辺りに浮いた島々を見やる。

 まぁ、確かに自然に生まれたと呼ぶには無理がある光景だ。

 現在の地上とは植物の形態が異なるとはいえ、この天界で生い茂るものたちは、かつて私が見てきた植物だったのだから。

 

「神は、それを“地上の栓が抜かれた”と言われている。そのせいで、地上に災いが起こり、世界が混沌に包まれたのだ、とも」

 

 地上の栓が抜かれた。つまり、その栓とやらがこの天界だということか。

 

 ……いや、違うな。

 神だかなんだか知らないけど、彼らの言うこと全てを真に受けてはならない。

 

 確かに、かつて地球上には巨大な塔が天高く聳え、世界の安定と平和のために存在していた。

 その塔が地上から消えたと共に災いが起こり、こうして原始魔獣が世に蔓延ったのも、また事実。

 

 ……だが、サリエルの言葉の通りだとすると、その“栓”とやらはまるでアマノそのものを指しているように思えてしまう。

 アマノが地上を離れて天界になったのだと、そう言っているかのように。

 

 けれど、ここはアマノそのものとは違う。

 アマノは骨そのものであり、大地ではなかった。そして何より、アマノは巨大隕石を砕くためにその身を捧げ、砕け散ってしまった。

 このように広大な浮遊群島として存在できるわけがない。また、私自身が彼女の強い気配を感知できていない。

 

 サリエルの言うところの神とやらが、根っからの嘘をついているとも思えないけど……。

 

 

 

 いや……もしかしたら、ここはアマノが建っていた土地の名残なのだろうか。

 

 竜骨の塔、アマノ。そこはかつて、地球上の全ての生物にとっての聖地であり、その土地は見上げるアマノと共に、平伏すべき神聖な場所でもあった。

 ふむ、そう考えると、土地自体が不思議な力を有していたとしてもおかしくはない。

 アマノを支える大地が、長い時間をかけて神聖を得て、それがアマノという押さえを無くしたと同時に、浮かび上がって島となった……。

 

 ……それが、天界。

 なるほど。栓そのものとは言えないかもしれないが、サリエルの言うところの神が言い伝えている予想は、あながち間違いでもないかもしれぬ。

 

 

 

「天界は地上を離れると共に、地上の穢れを嫌って姿を隠した。それが、この天界が外界と隔絶されている理由だ」

「穢れを嫌う、か。ここは綺麗好きなんだね」

「喰らい合う者の未来には破滅しか残されていない。誰がそのような場所に留まりたいと考えるだろう」

「ふむ……うん? 喰らい合う者というのは、原始魔獣を指しているのかい? それが穢れていると?」

「原始魔獣? ……地上に存在する、姿を真似る連中のことだろう」

「そうそう、それ」

「それが、穢れさ」

 

 サリエルはその時、忌々しげな表情で吐き捨てていた。

 

「そして、それらは我々と近しい存在でもある」

 

 

 

 サリエルに導かれて辿り着いた場所は、小さな川が棚田のような大地を伝って無数の滝を作る、幻想的な浮島だった。

 絶え間なく落ちて弾ける飛沫は霧となり、島を白っぽく覆っている。

 水はどこへ向かうのかと下を見れば、滝は島から溢れ落ちているらしい。

 美しい光景であったが、それよりも島の水はどこからやってくるのかという疑問に、私はしばらく黙り込んでいた。

 

「言葉も出ないだろう?」

 

 多分そんな意図を汲み取ったわけではないサリエルは、私にドヤ顔を向けていた。

 

「天界は下層でも、こういった美しい景観に富んでいるのさ」

「……けど、上はもっと美しい?」

「そうだとも、そうだとも」

 

 よほど誇らしいのだろう。サリエルは自分のことのように得意げだ。

 そこまで自慢されるとちょっと見てみたくなるけど、立ち入り禁止だと言うのだから、なんとも煮え切らない気持ちになってしまう。

 

「でも、ここだってこんなに美しいのに、人の気配は感じないなぁ」

 

 私は辺りを見回し、気配を探る。

 が、ここには鳥もいなければ、猿っぽいものもいない。川には魚らしい影も泳いでおらず、生物といえば植物だけの、寂しい土地だった。

 

「そんなこと、答えは簡単だ。ここにはまだ、誰も住んでいない、ただそれだけのこと」

「誰も住んでいない……みんな上の方にいるから?」

「そうでもあるし……単純に、天界に住まう我々のような者が少ないということでもある」

 

 サリエルの表情から笑みが消えて、真面目なものへと変わった。

 

「……それは、サリエルが外界の原始魔獣……穢れと近い、ということに関係がある?」

 

 私が訊くと、サリエルはしばらく躊躇うように押し黙った後、静かに頷いた。

 

「私も元々は、地上を彷徨う穢れのひとつに過ぎなかったのだ」

「……ほう」

「私は、穢れだが、翼を持っていた。空を飛び、世界を彷徨う穢れ……地上において、空を飛べるということは、穢れにとっては優位だった。そうそう奴らの争いに巻き込まれることもないからな」

 

 サリエルは自分の白い翼をいじり、羽根を毟り取る。

 すると羽根が白い光の玉に変わり、すぐにサリエルの翼へと戻って、同じ羽根として再生した。

 

「だが、その時の私には、今の私のような知能は無く……愚かだった。意味もなく世界を彷徨い、飛び回る。地上の争いにこそ巻き込まれることはなかったが、ただそれだけ。無意味な存在であることには変わりない。あの頃の事は薄ぼんやりと覚えているが……実に汚らわしい時期だったよ」

「しかし、今の君には知性が備わっているように見える」

「……神が授けてくださったのだ」

「知性を?」

「そうだ」

 

 信じられない。知性を授ける。それがどれほど難しいことか、私は知っているのだから。

 それ故に、私は彼の言う“神”とやらが、まさか本物の創世神なのではないかと思ってしまった。

 宇宙を創り、地球を創り……全てを創造した、正真正銘、本物の神なのではないかと。

 

「その知性を与えてくださった存在というのが……」

「これはこれは、外来の方とは珍しい」

 

 その時、サリエルの言葉を遮るようにして、幼気な声が空から舞い降りてきた。

 

 また、言葉を扱う存在だ。

 私は途中まで続けていた思考を放棄して見上げると、そこにはサリエルと同じ、有翼の人影が浮かんでいた。

 

「あなたは……」

 

 サリエルが言葉らしい言葉をかけようとする前に、私達の近くに舞い降りてきた子供は笑みを浮かべ、私のもとに近づいてくる。

 紅い髪に、白い肌。灰色の貫頭衣。そして、サリエルと同じ一対の白い翼。彼もまた、天使のような見た目をしていた。

 

「はじめまして、外界のお方。僕はサリエル様の下で書記官をさせていただいている、ミトと申します」

「私は魔界の遣いライオネル。……書記官、そんなものまであったのか!」

 

 私は新しい人が来たことよりも、そんな高度な役職まであることの方に驚いた。

 書記官があるということは、もっと沢山の役職もあるに違いない。

 すると、天上にあるという神が住まう領域とは、一体どれほど高度なのだろうか。

 

「ええ、神の計画を記す役目です。サリエル様のように大いなる存在を司っているわけではありませんが、僕はこの役目を誇りに思っています」

 

 ミトと名乗る少年はそう言って、入試や就職なら一発合格間違いなしの朗らかな笑みを浮かべた。

 

「……」

 

 そんなミトの後ろでは、サリエルが真顔で黙りこんでいる。

 まるで一対一で話すなら饒舌だけど、三人以上の集まりになると押し黙ってしまう人のようであった。つまりかつての私みたいだった。

 サリエル、君の気持ちはよくわかるよ。よく喋る人と一緒にいると会話に入れなくなっちゃうよね。

 

「じゃあ、君の抱えているそれは本なんだね」

「はい! これに今までの出来事などを記しているのです。とても大切なものなので、お見せすることはできませんけどね」

 

 ミトは小脇にしっかりと一冊の本を抱えていた。

 分厚く、カバーもしっかりした、立派な本である。

 紫色の表紙、きめ細やかで均一な、芸術的とすら言える紙の束。

 

「おおー……」

 

 題は見えなかった。

 けど、表紙の美しい色合いを見て、私は硬直した。

 

 

 

 私は、この本を知っている。というより、覚えている。

 これが神の計画表? 出来事を記す書物?

 

 それは、嘘だ。私にはわかった。

 

 だって、ミトが抱えているそれは、紛れも無く私の作った魔導書……“慧智の書”に相違ないのだから。

 

「サリエル様、主より言葉がありました。世界設計の事について話さねばならないことがあるので、ただちに戻るように、とのことです」

「……そうか。それは、今すぐでなければならないのか」

「はい。なので、こちらにいらっしゃった方には申し訳ないのですが……」

 

 ミトとサリエルが、私に目をやる。

 サリエルは、どこか感情を消しているかのような、能面じみた表情で。

 ミトは、実に申し訳ないといった感情を表したような顔で。

 

 私は直感する。

 彼らにとって、ここにいる私は不都合な存在なのだと。

 

 それは、“慧智の書”を持った者が自らを偽り、隣に立つサリエルが緊張するほどに。

 

「今日のところは……私、帰った方がいいだろうか?」

「申し訳ございません。せっかく外界からいらしてくださったのに」

 

 このミトとかいう子供は、なかなかの演技力を持っている。

 しかし、そんな書物を小脇にして、よくもまぁ書記官などと。その書物には、私が記す文字以外は受け付けず、油性のインクでさえ弾いてしまうというのに。

 隣のサリエルも冷静さを繕ってはいるが、お前が一言を発する度に身を固めているじゃあないか。

 

「そうか。忙しそうだし……それなら仕方ない。私は魔界に戻るとしよう」

 

 だが、その嘘のおかげで色々とわかったぞ。

 サリエル達の存在や、彼らが知能を得た理由も。……おぼろげではあるが。

 

 ならば無理に問い詰めることはすまい。

 ミト、彼の抱える書物、そして彼がついた嘘。それは、私が求めてやまなかった“知能ある生命”そのものの姿であるからだ。

 彼らの生やこれからの行いに、今ここにいる私が不都合であるというならば……いいだろう。私は喜んで立ち去ろうとも。

 

 私は支配者になりたいわけではない。あくまで、平穏で平和な世界がほしいだけ。

 君たちの行いによってそれが達成するならば、その世界に乗っかるのもやぶさかではない。

 

「申し訳ございません、魔界のお方」

「いやいや、いいんだ。こちらにもこちらの事情があるだろうし、それに干渉しすぎるのは良いことじゃない。すぐにでも帰らせてもらうさ」

 

 これ以上の長居は不要と、私は“浮遊”を発動させて浮かび上がった。

 高く高く飛翔して、私のローブの影がミトとサリエルの二人に重なる。

 

「ああ、でも最後にひとつだけ」

「なんでしょう?」

 

 ミトは可愛らしく首を傾げた。

 

「あまり外界を……地球を壊さないようにね。そうしたら魔界の方も、きっと穏やかではいられなくなると思うから」

「……」

 

 私は最後に言い残し、最大出力の“浮遊”によってその場から飛び去った。

 それまでの空中移動を遥かに凌駕するスピードで離脱する瞬間、サリエルの口を半開きにした間抜け面と、ミトの動かない笑顔がちらりと見えた。

 

 

 

 

「……神よ」

 

 視界の彼方へ消え去った影が、空間に亀裂を作って去ったのを見届けて、サリエルが小さく零した。

 

「狼狽える必要はない」

 

 声に答えたのは、傍らに立つ少年。しかし先ほどまでの笑みは消え、顔には無表情が張り付いている。

 

「……あの、ライオネルとかいう魔界の手先は……」

「私の指示通りに動けば良い。これまで通り“あの力”を修め、この天界の上層を守護してさえいれば」

「……私の力が、全く及びませんでした」

「“書物”の力は、全てを読み解かない限り万全には与えられぬ。修練を積むことだ」

 

 少年、ミトは背中から更に翼を生やす。

 二対、三対、五対。翼はまるで植物の成長を早送りに見るかのように、次々と生えてくる。

 

 やがて少年が体中から合計で三十六対の翼を生やし終えると、その姿は翼によって完全に隠れ、真っ白な球体となっていた。

 

「臆することはない。私の言葉は神の言葉。我々を生み出した根源たる神が“善き世界”を望んでいることは疑いようもないのだ」

「……は」

「“善き世界”のために、今は力を蓄えよ。外界を治めるためには、まずはそれこそが必要であり、避けようの無い道なのだから」

 

 翼の球体は宙に浮かび、ゆっくりと天高く登って、見えなくなった。

 

「……仰せのままに」

 

 サリエルは決意するように零し、深く目を閉じた。

 

 



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 それは、大昔の話。

 

 地を這い、獲物を求めて彷徨う。

 敵性的な同族を見つけては返り討ちにし、時に存在の力を奪い、その日を生きる。

 

 私は強かった。地を這いずるのみの凡庸な個体ではあったが、私は他の者に負けること無く、勝ち続けた。

 勝てば勝つほどに私の力は高まり、尚更負けることは無くなった。

 

 私は穢れなりに、生を謳歌していたのだろう。

 存在の重さが膨れ上がるにつれて、自らの身体が顕界から剥がれつつあることを自覚しながらも、私は幸福を実感していたのだ。

 

 

 

 しかし本当の始まりは、天より舞い降りた一冊の書物だった。

 

 私という存在の本格的な生涯は、地を這い闘い続けた四百年間ではなかったのだ。

 四百年後に空から落ちてきた、書物との邂逅。それこそが私という知的生命の創始であり、天界支配の始まりでもあったのである。

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 食料だと思い込んで触れた書物の表紙が偶然開かれたことにより、私の知能は第一次進化を始めた。

 

 開かれた本からは不可解な文様が浮かび上がり、私の力を食らいながら、代わりに情報を流し込んでくる。

 この世界の法則。理由。裏付け。

 考えもしなかった世界の基盤が、次々に私の魂に刻まれてゆく。

 

 私は恐ろしかった。あらゆる未知で私の思考を蹂躙し、めまぐるしい速さで再構築してゆく、この書物の存在が。

 だが私は動けなかった。この書物には不可思議な力があり、読む者を絶対的に拘束するような、恐ろしい能力があったのだ。

 

 だから私は、この書物に向き合い続け、力を貪られ続ける他になかったのだ。

 何日も、何週間も。

 一ページ一ページ、ゆっくりと捲られ続ける書物と向き合い、慧智を植え付けられるしか……。

 

 

 

「……神」

 

 書物を中程まで読み解く頃になると、私はこれと向き合い続けてから二ヶ月が経過していた。

 不眠不休の読書によって私の存在力は大幅に削られ、息も絶え絶えであったことを覚えている。

 

 しかし不思議と後悔はなく、嫌悪も無い。

 私は書物より知能を得たことで、逆にこの書物を読み解く事に喜びを感じていたのである。

 

 力こそ大幅に薄まってしまったが、それ故に異界へ落ちる可能性が遠ざかったことを思えば、むしろそれはメリットでさえあるという考えも芽生えた。

 自分で制御できない過ぎたる力を持つなど、辺りに跋扈する穢れた者と変わらない。

 私は、私に知能を与えたこの書物と、それを授けてくれた“神”に感謝した。

 

 神とは、私を……いや、私を含む穢れどもを作った存在だ。

 神とは全ての始まり。全ての頂点。

 

 私が穢れであった時には何も疑問に思わなかったが、我々の存在は、地上に住まう物質的な生命とは全く異なるルーツを辿っている。そのルーツこそが、神である。

 

 そして神は、我々の中に断片的な力や想い、記憶を残していた。

 それは穢れである時には気付け無い、とても小さなものである。とても小さな想いの揺らぎである。

 

「世界を、平定する……」

 

 神が我々の中に残した微かな使命。

 それは、この世界を治め、管理すること。

 神の如き者となり、この混沌とした世界を平穏のうちに治めることだ。

 

「それこそが、私に与えられた使命」

 

 その時、私は無意識的に姿を変え、書物のいうところの二足歩行と呼ばれる姿へと変化していた。

 腕という名の骨格を仕込んだ触手によって書物を抱きしめ、己の中で決意を新たにする。

 

 この書物は、神が私に与えた大いなる知恵。

 私はこれによって確固たる存在を確立し、管理者の座に侍る権利と力を得た。

 

 だが、書物は、神は言っている。

 この世界にはまだまだ多くの書物があり、そこにはさらなる力が眠り、何者かの中で覚醒する時を待っているのだ。

 

 私が最初に出会った書物が“慧智の書”で良かった。

 もしも他の異なるものであったなら、私は過ぎたる力に呑まれ、消滅していたか……もしくは世界に災いを齎す存在に成り果てていたかもしれない。

 

「書物を……管理しなければ」

 

 書物を集めなくてはならない。

 書物を管理しなくてはならない。

 

 神の意志を遂行し、世界を平穏に導くためには、まずはこの書物を集めることこそが肝要だ。

 

 そしてこの地上に跋扈する神の眷属たる穢れを統率し、彼らにも知能を与えなくてはならないだろう。

 役職を決め、応じた力を得なくてはならない。安全な住処を定め、そこを守らねばならない。

 そして全てが全て、上手くいくとは限らない。

 中には私から離反する者もいるだろうし、私の知らぬ所で勢力を築く者だって現れるだろう。

 

 やるべきことはあまりに多い。

 だが、これも全て、我々を作った原初の神の意志だ。

 

「お任せください、必ずや……」

 

 私は背中に翼を創り、新たな書物を求めて羽ばたいた。

 

 それが、凡庸な穢れのひとつにすぎなかった私が、書記(メタトロン)となる全ての始まりであったのだ。

 

 

 

 長い時を経て、私はいくつかの書物と隔絶された天界を見つけ、多くの眷属を従え、その頂点に君臨することとなる。

 

 私の使命はこれで終わらない。

 全てはここから、また新たに始まってゆくのだ。

 

 これから続々と生まれるであろう、知能を持った眷属達同士による、天上世界の覇権を巡る争いが……。

 

 



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 天界からの脱出は容易で、入ってきた時と同様、空間に強い魔力を衝突させることによって強引に突破できた。

 そのまま天界から魔界へ戻ることも可能だろうけど、なんとなくあの二人のために、正面から出てやらなければならないだろうと思ってしまったのだ。これは無駄な気遣いかもしれない。

 

 天界の障壁を抜け、空を駆け、“魔力の対流”によって力を掻き集めながら着地する。

 飛行中に集まった豊富な風の魔力により、既に私の胸中にはそこそこの魔力が溜まっていた。

 

「“魔力の収奪”!」

 

 あとは強引に辺りから魔力を小削ぎとって、丁度魔界への扉が開く頃合いだろう。

 魔力の輝きと共に、景色が白く歪み始めた。

 

 久方ぶりという程でもない、魔界への帰宅。

 しかし今日、私の心は踊り、年甲斐にもなく急いでいる。年甲斐もなにも無いくらい歳を召してはいるんだけどもね。

 

 

 

 

「神綺! 神綺はおられるか!」

「おられまーす」

 

 私が声を張り上げながらズンズンと歩むと、すぐ上の方から神綺が出現した。

 その手には、最近見かけなかった謎のアホ毛生物で雑草抜きでもしていたのか、引っこ抜くような感じで握りしめている。

 直前に何をしていたのかが全く想像できないからコメントに困る。

 

「神綺、私は地球で知性ある生き物を見つけたぞ! しっかり自分の考えで話すことのできる、立派な知的生物だ!」

「おおーっ! そ、それはすごいっ!」

「しかも、二人も!」

「二人! どんな形なのです!?」

「少なくとも今神綺の握っているような形ではないよ! ちゃんと私達と同じような、人型さ!」

「ですよね!」

 

 神綺は高いテンションのまま、全力でアホ毛生物を放り投げた。

 素晴らしい投球フォームである。アホ毛生物が魔界の彼方に消え去ってしまったよ。

 今更だけどアレって死ぬのかな。

 

「それで、その生物たちと、どのようなことを話したんです!? 魔界へ移住するんですか!?」

「まぁ、まぁ、落ち着きなさい。順を追って話すから」

 

 魔界へやってこれるであろう存在。

 それは、神綺にとって非常に魅力的なものである。

 

 なにせ、神綺は魔界の神だ。彼女はここから動けないために、誰かと会って話すためには、向こうから来てもらうしかない。

 アマノの時は両者とも神様だったので、互いに会うこともできず、私が情報を共有するための交換ノート代わりになっていた。

 しかし今回は、魔界へやってこれるであろう者の出現である。彼女が興奮するのも無理はない。

 

 私はいつもよりバサバサと激しく動く神綺の六枚羽をなだめながら、天界に訪れた時のことを丁寧に説明していった。

 

 

 

 サリエル。ミト。

 神と呼ばれている存在。私の前で扱われた魔術。そして、慧智の書。

 

 天使のような翼を備えた彼らが賢い理由……それは、間違いなく慧智の書によるものだ。

 そしてその本を持っている以上、彼らは“慧智の書”の能力と重要性を理解しているはず。

 

 自らの存在を高めた書物を、下っ端の書記官程度が持ち運べるだろうか。

 それに、“神”の名を軽々と引き合いに出して、私からサリエルを引き離そうとしたのも気にかかる。

 サリエルやミトたちの価値観は、私にはわからないが……あのミトと名乗った少年は、確実に怪しい。

 

 私の予想が正しければ、彼こそが“神”とやらに最も近い存在だ。

 天界に君臨し、知識を管理する……重要な役目を担った者であることは間違いない。

 

 そして、おそらく彼らは、まだまだ派閥を大きくするはずだ。

 それを智慧でもって管理し、運営してゆくはずである。

 

 具体的に、どのような形になるのかはわからない。

 だけどきっと、それは国となるだろう。

 

 大きくなる分には歓迎だ。賑やかになることは素晴らしい。

 サリエルのように魔術を扱える者が増えれば、私としても研究の張り合いがあるというもの。

 

 しかし……。

 

「彼らは間違いなく大きくなる。けど、彼らは魔界をよく思っていないらしい。これから考え方が変わってゆくかどうか……」

「そんな……私とライオネルが頑張って作った場所なのに」

 

 彼らは魔界を、穢れた者の終着点と表現していた。魔界出身の私からしてみたら地元ディスられ過ぎててマジふぁっきゅーな感じなのだが、実際大型の原始魔獣が集まってきているのだから、天界の人達が間違った事を言っているわけでもない。

 かといって、魔界が穢れに満ちているかのような言い方は、さすがに不本意である。

 

「神綺の言う通り、魔界は素晴らしい場所だ」

「そうですよね、ライオネル!」

「だけど来たことの無い人にとっては、魔界は恐ろしい場所なのかもしれない。だから……」

「だから……?」

 

 私は両手を広げ、原初の力を発現させた。

 すると空中に小石が出現し、くるくると回りながら、まるで雪原を駆ける雪だるまのように堆積を増してゆく。

 ディスク状になったそれは更に速度を増して回転し、私達の上空で大きく広い“陸地”を形成した。

 

「……魔界を、更に魅力溢れる場所に創り変えようと思う!」

「ええっ!?」

「悔しいけど、今の魔界は天界と比べると殺風景だ……私は実際に天界を見てきたけれど、あれは凄かった……」

「そ、そんなに……」

「空に浮いている島、無数の雲、流れ落ちる滝……」

 

 魔界が穢れているだのなんだのというのは、つまりそういうところからも来ているに違いない。

 人は見かけが十割と言われている。ならば、見かけを磨くしかないということだ。

 

「さあ神綺、大渓谷の根城に移動するぞ! 私と一緒に、魔界七大名所を考えるんだ!」

「は、はいっ!」

 

 天界よ、そちらが美しい世界だというのであれば、こちらも負けるわけにはいかない。

 

 なるほど、立体的に存在する群島という斬新な発想には驚かされたが、だからといって私達がそちらに心酔するかといえば、答えはノーだ。造形という分野において、そう簡単に私達の心を掴めるとは思わないことだ。

 

 サリエルからさんざん自慢されまくったおかげで、私の競争心は真っ赤に燃えている!

 

 見ていろ! 天界の連中がどのくらいの数いるかは知らないが、お前達が魔界へ視察にくるまでに、ぎゃふんと言わせるだけの名所を取り揃えてやるからな!

 



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 私の名はサリエル。

 神の下僕であり、守護天使の一人だ。

 

 天界の頂点に君臨する我が神、メタトロンの指示に従い、天界の保全に務めている。

 

 私の役目は天界の監視と、異物の排除。

 天界に入り込んでくる知性無き穢れを討ち、追い払うのが、主な仕事である。

 数百年前から、神より“封じられるべき書物”の存在を聞かされ、同時にその収集も任務のひとつに加えられた。

 野蛮な穢れが跋扈する外界で小さな物を探すというのは、天界に慣れた私としては少々辛い作業であった。

 それでもほとんど幸運にも近い形で、一冊の書物の発見に成功した私は、神より最上級のお褒めの言葉と、更なる高貴な役目を賜った。

 

 月の秘密の守護。

 それが、最近になって私に与えられた、新たな役割である。

 

 

 

 神は、“新月の書”と呼ばれる書物を持っている。

 それは平時、神が私の前で開いてみせるだけのものであったのだが、月の秘密の守護者となってからは、書物を持つことも役目のひとつだということで、私に授けられることとなった。

 秘密の守護とは、“新月の書”を守ることと同義なのである。

 

 天界には、我々以外にもいくつかの派閥がある。

 そいつらもまた自ら神を名乗る者を内包しており、独自のコミュニティを形成している。

 

 奴らは単体でこそ私のような守り手の敵ではないのだが、放っておくと勝手に太陽や月を自らのものだと名乗り出してしまうほどの愚か者なので、“月の守護”を命じられた以上は、彼らの手からも書物を守らなくてはならないだろう。

 まあ、奴らが書物の存在を知っているかどうかは、未知なのだが……。

 

 

 

「しかし……私に、守りきれるのだろうか」

 

 長い経験を積み、私の翼は三対、六枚にまでなった。

 翼の数は格の高さ。私は天界上層部の者としては神を除いた最上位の存在として君臨しており、今や私に従う部下の数も、両の手では数えきれない。

 

 魔術の練度も相応に上がり、“新月の書”の半分近くまで読めるようにもなった。

 天界内では既に敵もなく、時々天界へと忍びこむ穢れの討滅も、一瞬のうちに片が着いてしまう。

 

 だが、私は知っている。

 私は覚えている。

 

 私はかつて、ある一人の魔界人によって大敗を喫したことを。

 

 確かに今の私の力であれば、この天界において敵らしい敵はいない。

 しかし、天界の外ではどうだ。そこでは私の眼術も完璧には通用せず、魔力の通りも不完全。未知なる生物に遭えば、思わぬ苦戦の末に負けてしまうかもしれない。

 それに、魔界人。

 魔界と呼ばれる穢れた場所には、当時私を一瞬で倒してみせた者が棲んでいる。

 あの時に受けた反撃魔術は未だに私に想像のつかないもので、常々悩みの種となり、私の思考を止めてしまう。

 あの一件以来、魔界の使者と名乗った彼は天界を訪れていないようだが……魔界人が何を考えているのかは、私にはわからないことだ。

 私にできるのは、もしもあの魔界人が天界に牙を剥いてきた際、それをねじ伏せるだけの力を蓄えておくことだけであろう。

 

 

 

 そう、外には未知が多い。

 そして、私は強い者を知っている。

 

 だから私は、慢心できないのだ。

 

 

 

 故に、新たに興った小勢力たちも、私の重要な監視対象の一つ。

 

 高天原(たかまがはら)

 平穏な下層の孤島で暮らす、呑気で小規模な派閥である。

 争いらしい争いを好まない温和な者達であるが、彼らもまた、我々とは少々異なる“起源”を崇拝する、異教の者だ。

 

 神は荒事を好まないためか、計画のうちなのか、そういった勢力を天界内に捨て置いているが……監視役の私としては、あまり心地の良いものではない。

 

 高天原では最近、外界に繰り出して、地上に自らの運営する国を作ろうと目論んでいるらしい。天界に己の土地があるというのに、穢れた地上の一体どこに魅力があるというのか、全くもって謎である。

 

 ……私としてはできれば、そのまま全員外界へ下り、天界から消えてほしいものだが。

 外界へ干渉する異教者達の考えは、私には理解できない。

 

 高天原の交渉役は、確かヤゴコロオモイカネノカミといったか。

 珍奇な行動の延長で天界に火種を持ち込まぬよう、前もって釘を差しておくことにしよう。

 

 



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 神綺と共に案を出し合いながら、魔界の新たな地形を作成する。

 テーマは浮島、立体、壮観、である。

 

 とにかく、パッと見て圧倒されるものでなければ意味が無い。テーマのうち、特に“壮観”は重要だ。

 第一印象で天界の景色を超えなければ、こうして頑張る意味もないのだから。なので、見た目重視の創造になるだろう。

 

 尚、これは建築に留まる作業ではなく、原初の力をフルに活用した地形の創造になるので、その点で言えば、私よりも神綺の方に活躍してもらうことになるだろう。

 神綺には新生物の創造もやってもらってるから、それと平行して、ということに……神様って過労死しないよね?

 もちろん私も原初の力による創造には加わるけど、神綺の疲れが心配だ。

 

 

 

「じゃあ神綺、そこの光線を埋めるように岩を頼むね」

「はーい」

 

 空間に張り巡らせた光線の下書きを頼りに、神綺が物質創造で岩石を生み出してゆく。

 設計図自体が空間に魔力の光として残せるので、紙の図面に起こす必要はない。ただ私が骨組みを書いて、神綺がその通りにやっていくだけだ。

 墓廟とは違い、これらは手彫りで時間を掛けて作るものではない。

 建造物ではなくほとんど地形のようなものなので、むしろ荒っぽく創られていた方が、雰囲気が出て良いのだ。さっさと作れるし風合いも加味され、一石二鳥というやつである。

 

「ライオネル、岩敷き詰めましたよー」

「ほいほい」

 

 岩石や土は、原初の力の中でも最も簡単に生成できる部類の物体だ。

 神綺は力の扱いに慣れていることもあって、仕事が早い。こちらの図面引きがすぐに追いつかれてしまう。

 

「じゃあ次は、こっちの骨組みを作ってもらおうかな。内部に仕込む一番大きな支柱だから、石材で丁寧に作ってもらえるとありがたい」

「はーい……って、本当に大きいですねぇ。大渓谷の根城を超えてますよ」

「ふっふっふ、この巨大な球状物体が魔界上空をゆっくりと旋回するのだよ」

「うーん……」

 

 浮遊機構は魔力的な補助で再現すると難しいが、魔界であれば原初の力によってある程度の融通が効く。

 とくると、今度は石材の内部に複雑な機構を埋め込みたくなってしまうのが私というものだ。

 

 内部にアマノにも搭載したものと同じ大車輪を組み込んで、回転させる。

 回転のエネルギーは魔力的な補助によって、微量ながら途切れること無く送り込まれる。魔界上空を移動する飛行制御としての動力にはもってこいだろう。

 

 同じようにして、魔界の昼夜によって上下をぐりんと半回転させて入れ替えるギミックも搭載。

 おかげで球状物体には容易に建築物などを建てられないが、そこはそれ、見るだけのオブジェということで。

 

 急に上下反転する球体……近くで見る人はびっくりするだろうなぁ。

 

「……ライオネル、これが壮観、というものなんですか?」

「うむうむ、その通り。これを見れば天界の驕った連中の美意識を粉々に打ち砕いてやれるはずだよ」

「なるほどー」

 

 おおまかに組み上がった上下反転浮遊球体を見て、神綺が気のない返事を漏らす。作っている最中に、感動もゆっくり磨り減ったのだろう。創る者の性というやつだ。

 球体は巨大だが、かなり上の方で浮かせているので、地上にぶつかることはない。

 大渓谷中央の私達の根城くらいの高さまで来られると少々危ないが、ルートは制御しているので大丈夫だ。

 私の計算では、球体は大渓谷や大森林の上空を楕円軌道でゆっくりと旋回し、およそ一ヶ月ほどで最初の軌道に戻ってくる。

 

「さあさ、次は巨大浮遊氷土を作ろうか。南極もびっくり、近くを通るだけで壮絶な冬を体験できる予定だよ」

「はあ……」

「ふっふっふ、見ていろ天界民め。浮島は魔界の十八番と知るが良い」

 

 大規模な創造計画はまだまだ続く。

 

 



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 神より周辺警備の任を授かった私、サリエルは、“新月の書”と“生命の杖”を手に、天界を飛び回っていた。

 警備とはいえ、力の差が如実に現れてきた今更になって下々の勢力が歯向かうことはないので、下層に気を使っているわけではない。むしろ仲間内、メタトロンの下に集った私達最上層の者達こそが、一番に警戒すべき相手である。

 私は神より周辺警備という役目を与えられてはいるが、実際は仲間内の監視と呼ぶのが正しいだろう。

 神の秩序に背き、他の勢力に迎合しようとする愚か者や、外界の穢れ多き世界に堕天しようと考える者を捕縛すること。それが、事実上の私の役目である。

 

 私が長年に渡って“新月の書”から解読した戦闘能力は他の者の追随を許さず、また、私が持つ眼術によって、広範囲の監視も行える。

 怪しい者がいれば天界のどこにいても察知できるし、相手が何人いようとも遅れを取ることはない。

 

 私はもう既に、月にさえ赴くことも可能だし、実際に月の土地を支配するだけの力を持っている。

 警戒はやめていない。だが、それでも私が張り詰めるような警戒をやめるには、あまり時間がかからなかった。

 事実それで、私の警備は十二分に成り立つものだったのだから。

 

 

 

「来たぞ、ヤゴコロ」

「あら、これはこれは。サリエル様」

「久しぶりだな」

 

 私は三対の翼をはためかせることなく、“浮遊”によって静かに着地した。

 すぐ傍には銀髪の女が一人、篝火にくべようとしていた骨を土の上に置き、こちらに向き直っている。

 

「お会いできて光栄です」

「なに、こうして巡回することも、神より与えられし私の役目の一つだ。気にすることはない」

 

 ここは高天原。

 天界の下層、その辺境に位置する、呑気な連中が住まう土地だ。

 そして私が降り立った場所にいた彼女の名は、ヤゴコロオモイカネノカミという、彼らの派閥に属する参謀役である。

 

 下層や中層にも派閥はあり、そこには組織の頭脳たる参謀役や丞相役と呼ばれる連中がいる。

 だがそれらの大半は、実際には大したことがない。頭脳とは口ばかりで、組織を誤った道へと誘う害虫がほとんどだ。

 

 だが彼女、ヤゴコロだけは別である。

 彼女には元より高度な知慧が備わっており、それは私に引けを取らぬどころか、それ以上のものを伺わせる。

 時々、抜けているような言葉を漏らす事もあるが、それもまた、彼女の魅力なのかもしれない。

 

 ……魅力というのは、知慧とは関係のないことだったか。

 だが、事実だ。彼女は麗しく、魅力的な女性であったのだ。

 

 それは、この私が“なぜ神の下に従わないのか”と悩むほどに。

 

「卜骨の最中だったか」

「いえ、これから行おうかと思っていたところです。まだ一つも投じていませんよ」

 

 彼女は火の中に骨を投じ、走った亀裂の場所や数、形や長さによって吉凶を占うことができる。

 その結果を見て、高天原の行く末を判断するのだという。

 

 最初は私も疑わしいものだと思っていたのだが、現在の高天原の平穏を見るに、あながち適当とも言い切れないのだろう。

 それに彼女も占いだけに判断を委ねているわけではなく、ほとんどの決断は自己の判断なのだそうだ。つまり、占いは彼女でも決断しかねるような問題を決するための、最後のひと押しということである。

 

 今は占いの最中ではないようだ。

 重要な仕事を邪魔していないようで、良かった。

 

「そうだ、サリエル様。以前お話してくださった空のこと……」

「ああ、宇宙の話か」

「はい。月のお話は出来ないということでしたが……」

「そうだな、私は月の秘密を守護しなくてはならない。月についての秘密を明かすわけにはいかないが……そうだな。私が宇宙を飛んでいた時の話でもしようか」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 

 こうして私が話すのを、彼女は心底楽しそうに聞いてくれる。

 彼女は非常に賢く、様々な物を知っているが、当然、全知であるわけではない。

 だが知らない物事を前にした時の彼女はとても純粋で、無邪気だ。

 

 普段は物静かで落ち着いている彼女が、私の前では純朴な表情を見せてくれる。

 私はそれが嬉しくて、時々こうして高天原を訪れては、彼女に智慧を授けてしまうのだ。

 

 もちろん、それは神より与えられた戒律を破らない範囲での話である。

 彼女は魅力的ではあっても、それが神を裏切る理由にはならない。

 

「まず、宇宙というものはほとんどが暗闇であるが、その闇とは……」

 

 高天原に通うようになり、彼女と話すようになり、もう随分と経つ。

 ヤゴコロは高天原でかなりの高い地位に当たる者の娘であり、そんな事情もあってか、最初の事は私の存在も警戒されていた。

 だが、今ではこうして一人、何の伝えもなしに訪れても、誰も出てこようとはしない。

 それが慣れか諦めかはわからないが、私という存在が彼らの中に馴染んでいることは確かだった。

 

 高天原の彼らに馴染む。

 ……まぁ、下層、下々の連中とはいえ、悪い気はしないものだ。

 

 

 

「……む」

「それで、サリエル様。その後、地球に降る流星はどうなったのですか?」

「待て」

 

 盛り上がる話を……彼女が好みそうな話をしている最中だった。

 ここで話を途絶えるには、確かに酷である。それはわかる。

 

 だが、私は両目に走った違和感に、会話を中断せざるを得なかった。

 

「……!」

 

 そして悪寒は気のせいではなかった。

 私の邪眼が月空間への異物の介入を察知し、警報を鳴らしている。

 

 守護すべき月に、侵入者が現れたのだ。

 

「すまない! ヤゴコロ、私はしばらくここを離れる!」

「な、ど、どうされたのです? 緊急事態ですか」

「ああ。不味いことになった……一体何故……!」

 

 月は魔力の源。悪用されれば、平穏な世界は力によって脅かされるだろう。

 

 ただちに侵入者を排除する必要がある!

 

 私は六枚の翼を広げ、“生命の杖”を両手で握り込み、“浮遊”のための魔力を溜め込んだ。

 今すぐにでも月へ向かわねばならないのだ。

 

「……ヤゴコロ、戻ってきた時に続きを話す。それまでここで待っていてくれるか?」

「ええ、当然です。このままでは続きが気になって、眠れぬ夜を過ごすことになりそうですから」

「ふっ……それは良いことではない。急いで終わらせるとしよう」

 

 軽口を叩き、内心の焦りを誤魔化した。

 

 

 

 月へ現れる侵入者など、今まで聞いたことがない。

 それは、誰も月まで行くことができなかったためである。

 

 つまり今現れた侵入者は、月へ届くほどの力や技術を持っている……ということだ。

 単純な力によって月まで来れる者がいるとは思えない。当然、私と同じで魔術に精通した相手である可能性が高いだろう。

 

 そのような相手に心当たりは……一人しかいない。

 

「……お前が何者であれ……月は私の守護すべき星だ」

 

 ライオネル。謎の魔界人。

 私は一人の異形の者を想いながら、速度ある“浮遊”によって月を目指した。

 

 

 

 

「……サリエル様、行ってしまったわね。早く帰ってきてくれると、嬉しいんだけど……話の続き、とても気になるし……」

 

「……って、あら、これは……サリエル様が忘れていった本かしら?」

 



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 月の魔術による加護と、神より授かった六枚の翼があれば、宇宙の航行は難しいことではない。むしろ月への航路よりも、我々がいる地上の重力圏から離脱することの方が面倒なくらいだ。

 

 光の障壁を身に纏い、暗黒の世界を突き進み続ける。

 焦燥をある程度の猶予の間に落ち着ければ、すぐに白銀に輝く月の大地は見えてきた。

 

 そして、そこに一人のシルエットが佇んでいる。

 迫り来るこちらに対して隠れようとも、身構えようともしていない。丸っきり無防備な、ローブ姿の人影……。

 

 魔界人、ライオネルだ。

 

「そこで何をしている」

 

 私は月の大地に降り立って、“生命の杖”をライオネルに差し向ける。

 着地した距離は離れているが、奴の眼窩はしっかり私を確認し、首を動かしていた。

 

 ライオネルがこちらに気付いている以上、私は最大限の警戒を敷く必要がある。

 手にした杖には、既に豊富な魔力を帯びさせ、魔術を打ち出す待機状態を整えていた。

 

「おお、サリエルか。久しぶり」

 

 だが私が身構えていることなど何かの冗談であるかのように、奴は気さくな素振りで手を上げた。

 

「ずっと待ってても面白いくらい誰も来なかったから、こっちから天界の人を誘おうと思って来たんだよ」

 

 意味がわからない。

 

「けど前と同じ場所に天界が無かったもんだから、どこにあるかなーと思ってね」

「……それと月に何の関係がある」

「ほら、月からだと地球の様子がよく見えるでしょうよ。久々の全貌も確認しておきたいから、来たわけ」

「……つまり、地球を見るためだけに、月へ?」

「そうそう」

 

 驚いた。

 いや、月へ移動するだけの力があるであろう事は、最初からわかっていたことだ。そう驚くことでもない。

 

 だがこうして正面から、そのような些事のために月へ来たなどと言われるとは、予想外であり……。

 やはり私はこの者の底知れぬ力を畏れているのだと、実感させられてしまう。

 

「ところでサリエル、翼の数増えた? 前は確か一対だったと思うけど」

「私も……以前と同じままではないということだ。時を経て成長もするし、強くもなる」

「なるほど……随分と時間が経ったみたいだし、当然か」

 

 ライオネルは小さく“これからは時間も気にしなきゃいけないな”と零したが、私はその真意に気付けなかった。

 

「で、サリエルはどうして月に?」

「……私は、神より月の守護を命じられている。お前は知っているだろうから隠すつもりはないが、月とは魔の力に満ちた神秘なる場所だ。ここを、そして魔術を悪用されては、世界の平和が脅かされる。だから私は、月と魔術の番人として、ここを守らねばならないのだ」

 

 そう、月と魔術には密接な繋がりがある。

 

「ライオネル、お前もまた例外ではない。神はお前でさえ、月への立ち入りを許可されていないのだ」

 

 月に存在する豊富な魔力を悪用されないためにも、私は月の守り手として存在し続けなければならない。

 相対的な力の差は関係無いことだ。相手が強かろうとも、守る事には変わりないのだから。

 

「そうか……貴方達の神は、そういう考えを」

 

 ライオネルは下顎に手を添えて、しばらく神妙に考え込んだ。

 彼の唸り声は低く、重い。まるで地上に跋扈する獣たちの、血に飢えた声を聞いているような気分になる。

 

「うん、魔導書を作っておいて良かった」

「何?」

 

 魔導書だと?

 

「貴方達のような善き一族が“慧智の書”を手に取ったことは、偶然なのかもしれないけど……もしかしたら、それもアマノの残滓の導きなのかもしれないね」

「“慧智の書”だと……お前、何を……」

 

 魔導書。そして慧智の書。それは、私を含む極僅かな者にしか存在を知らされていないはずだ。

 この世にはいくつかの魔導書が存在しているため、ライオネルが他のまだ見つかっていない書物を持っていたとしても不思議ではないが……。

 

 魔導書は基本的に、それぞれ一冊ずつしか存在しない。だというのに、何故こいつはメタトロンが持っている“慧智の書”の存在を知っているのだ。

 

「まあ、私がライオネルだからね。ライオネル・ブラックモア……ああ、そういえば署名文字には魔力を込めていなかったんだっけ」

「何の話だ!? お前は……!」

「本を見ればわかる。魔力的な補助無しに読めるかはわからないが……そこには書いてあるはずだよ。私の名前が」

 

 馬鹿な。名前だと。

 魔導書に、名前……しかし、つまり、ということは、この者が……。

 

 思考が困惑に濁り、杖を落としそうになる。だが、堪える。考えなければ。しかし……。

 

 ……本の表紙に、名前だと?

 確かに、魔導書には題名の他に、同じ文字だが読めないものが一行分だけ備わっていた。

 

 あれが、ライオネルだと?

 いや、ありえない……ありえないが……だが……。

 

「文字がわからないか。じゃあ、これでどうだろう。こんな文字が書いてあるはずだけど」

 

 そう言い、ライオネルは指を立てて、そこから輝く月の魔力を文字に変えて私に見せてきた。

 ……言われてみれば、その文字はどこかで見たことがある。覚えはある。

 だが確信はない。

 

 ……そうだ、本を見れば良い。私の持つ“新月の書”を見て、それを確認すれば良いだけの……。

 

 私はそう思いついて、懐にあるはずの書物を確認するが……。

 

「あっ」

 

 私は本を持っていなかった。

 

「あーっ!?」

「えっ、なにどうしたの」

「も、戻らねば! うわぁあああああ!」

「えええちょっと!? サリエル君!? せめて天界への行き方――」

 

 ライオネルが何か叫んでいたが、私はいてもたってもいられず、月を飛び立った。

 

 本が手元に無い。それは私にとって、目の前のライオネル以上に、重大な問題であったのだ。

 



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 来た時以上の全速力によって、地球を目指す。

 月へ侵入者がいるかどうかは定かでなかったので、緊張感もある程度といったところであった。

 しかし、この問題は違う。明らかに“マズい”ということがわかりきっている。

 それだけに、私は翼の動きの中に無駄な焦りを隠しきれなかった。

 

「なんてミスを……!」

 

 まさか、“新月の書”を地上に、それも高天原に忘れてしまうなんて……!

 

 あの魔導書は、ただの書物ではない。

 “新月の書”は神から授かった力であり、守るべき神秘そのものだ。

 

 あの本は、開き読むだけで、多大なる力を自らの手に収めることができる。

 しかし未熟な存在が読もうとすれば、流れこむ力によって思考を焼かれ、自ら魔導書を手放せない場合には、そのまま本によって殺されることもある。

 

 得られる力が大きい分、代償は大きい。

 あれは、ただ知識を独占したいがために我々が管理している物ではない。

 正しい管理をしなければならないほどに、危険な代物でもあるのだ。

 

「ヤゴコロ……!」

 

 私が最後に立っていたあの場で、最も近くにいた彼女。

 ヤゴコロは賢いが、知的欲求には抗えない奴だ。私が地球を脱した後、興味によって本を開いていたとしてもおかしくはない。

 

 

 

 次第に地球が大きくなり、重力が強まり始めた。

 そろそろ大気にぶつかる頃だろう。神気を身を纏い、発熱から身体を保護しなければならない。

 そして天界への入り口を作るためにも、神気は必要だ。そのまま何もせずに突入するだけでは、たどり着くのは穢れた大地である。

 

 ……ヤゴコロ、どうか無事でいてくれ。

 

 私は内なる神聖な力を解放し、眩い輝きと共に地球へ突入した。

 

 

 

 天界は広い。宙に浮かぶ大地は無数に分かれ、それぞれが白い空の中にぽつんと浮かんでいる。それはまるで、広大な宇宙のよう。

 慣れぬ者は時としてこの天界の中で道なき道に迷い、自らの住処に戻れぬまま力尽き、落ちることもあるのだとか。

 天界で落ちた者は、地上へ落ちる。力の弱き者が一度天界から溢れ落ちてしまえば、再度天界へと戻る事は困難だろう。

 

 だがその点、私は天界に慣れている。

 六枚の翼は何ヶ月でも何年でも飛行を続けていられるし、天界の島々の位置なども隅々まで記憶している。

 高天原は天界の辺境だが、通い慣れた私にとっては一瞬も判断に迷う場所ではない。

 

 六枚の翼に光を纏わせれば、ほぼ一瞬のうちに目標地点へ到達した。

 

 いくつかの木造の神殿以外には何もない、自然をそのまま残した辺境の島、高天原。

 

「……あれはっ」

 

 見晴らしの良いそこで幽玄の眼を発動させれば、異常はすぐに見つかった。

 

「ヤゴコロ!」

 

 丁度、私が飛び去った時と同じ場所で、ヤゴコロが立ち竦んでいる。

 手には悪い予想通り、“新月の書”。彼女はそれを両手で持ちながら、額に浮かべた汗を顎から滴らせながらも、歯を食いしばって凝視し続けていた。

 

「大丈夫か!?」

 

 危険だ。私は直感する。

 翼による最大速力を解放してヤゴコロに接近し、すれ違いざまに強引に魔導書を奪い取った。

 すると魔導書による呪縛が解かれたためか、ヤゴコロの身体から力が抜けて、その場に倒れそうになる。

 

「おいっ」

 

 私は本を手にしたまま、後ろへ倒れ込みそうになったヤゴコロの背を支える。

 彼女の息は荒く、眼は虚ろだ。しかし意識はあるようで、彼女は私に何か伝えたいのであろう。目線だけはこちらに向けていた。

 

「すまなかった、ヤゴコロ。私の不注意のせいで……」

 

 神より授かった危険な魔導書を、まさか他の派閥の領土に置き忘れてしまうとは……。

 緊急時で気が動転していたとはいえ、なんとも酷い失態である。

 

「サリエル、様……ありがとうございます……助かりました……」

「礼など言わないでくれ。本を置き忘れた私が悪かったのだ」

「いえ……私が、本を見てしまったから……そのせいで……」

「良いのだ、そのようなこと。ヤゴコロは、知らないものを見るとじっとしてはいられないのだからな。最初からわかっていたことだ」

 

 ……あと一歩遅ければ、どうなっていたことか。

 本は読者の意識と関係なく中身を展開し、効果を発揮し続ける。

 魔導書を読んでいる間は、よほど強固な精神が無い限りには身動きひとつ取ることもできず、まぶたの動きでさえも制限されてしまうのだ。これより一時間も遅れていたなら、きっとヤゴコロの精神力でさえも保たなかったに違いない。

 

 いや、それでもここまで長時間、ヤゴコロが本に向き合えたのは奇跡と言える。

 “新月の書”の毒は強力すぎて、私でさえも最初はその反動によって何度も命を失いかけてきたのだ。

 その時はメタトロンが近くにいたからこそ安全であったし、私も安心して魔導書に臨むことができた。

 だが、ヤゴコロはこの魔導書と一人で……。

 

「……やはり、お前は凄いな、ヤゴコロ」

「なんですか……サリエル様、突然……」

「いや……」

 

 ヤゴコロは頭がいい。賢く、聡い。

 初めて魔導書と対峙して、長時間耐えたのだ。

 

 異教の者とはいえ、彼女ならば、もしかしたら……。

 

 

 

「……ああ」

 

 地面にちらつくいくつかの影に気付いて、私は空を見上げた。

 

「サリエル様……あれは……」

 

 空では、背中に翼を備えた無数の天使たちが宙を舞い、私達に向かって近づいているようだった。

 二十、三十……数えてみれば、キリがない。ここまで大勢の天使達をこのような辺境で見るなど、私でさえ初めて経験することだ。

 

「あれは……私を迎えにきてくれたのだろう」

 

 動き出した天使の大隊。目的は、わかりきっていた。

 彼らは、私を罰するために……罪を告げるために、迎えとしてやってきたのである。

 

「ヤゴコロ、本のことは済まなかった。できることならもっと語らっていたいのだが……」

「サリエル様、何……」

 

 私はヤゴコロの身体を平たい岩の上に預け、翼を広げた。

 彼女は何か訴えかけようとしているが、重なった疲労のためか、言葉は長く続かない。

 

「何だ、その……。……元気でな」

 

 私の方も、歯切れは悪かった。

 そして、それは私からヤゴコロへと贈る、最後の言葉なのだった。

 

 



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 天界最上層部、メタトロンの居城たる白亜の大神殿で、最高位天使達が一同に会していた。

 

 四年に一度の評議会までは、あと一年ある。ではなぜ最高位天使たちが集まっているのかといえば、今日は臨時の議会なのだ。

 平たく言えば、私の犯した罪を審問し、裁くための集まりである。

 

「大天使サリエルの堕天を決定する」

 

 そして集まりは、中央に座すメタトロンの第一声によって、早くも意義を失った。

 左右の六席にはまだ一言も発していない大天使たちがいたが、彼らはメタトロンの言葉を遮らないよう、瞑目し沈黙を守っている。

 それは、天使にとって最大級の罰である堕天を宣告された私も同様であり、一言も異論を挟む余地はない。

 神の言葉は、それだけで絶対であるのだから。

 

「“新月の書”の神秘は、守護すべきサリエル自らの手によって破られた。サリエルの故意、不意に関わらず、知識を下々の女司祭に伝えた罪は重い」

 

 何より、その通りだ。

 私が口を挟めようはずもない。私は、それだけの罪を犯したのだから。

 

 月の秘密の漏洩に至った経緯はどうあれ、そのきっかけとして、ヤゴコロに心を許しかけていたことは事実なのだ。

 月の秘密を守るべき大天使である私が、下々の領域に本を持ち込むこと自体、気が緩んでいると糾弾されても仕方がない。

 

 堕天は、あまりに当然の結論であった。

 

「異論はあるか、サリエル」

 

 ひと通りの言葉を終えて、メタトロンは私に訊ねた。

 36対72枚の純白の翼によって全身は覆われ、その表情は読み取れない。

 だが私には、この方が私を注視していることがわかった。

 

 天使長メタトロン。神の代行者であり、または神の意志そのもの。

 私の愚かによって、慧敏なるメタトロンの計画の一端を挫いてしまったことは、これから堕天したとしても、とても悔みきれるものではないだろう。

 

 だが、こうして罪を問われている今はまだ、私も一人の大天使である。

 ならば、最後の最後まで、悔やまぬよう、役目を果たさなければ。

 

「ひとつ、最後に報告しなければならないことが」

 

 私は天界の監視者。月の神秘を司る者。

 

「魔導書の表紙に記載された文字について、判明したことがあります」

 

 せめて最後に、月で出会ったあの者の存在について、少しでも報告しなくては……。

 

「報告は不要だ、サリエル」

「……な」

 

 しかし、メタトロンは聞き入れてくださらなかった。

 

「堕天は決定した。もはやお前には、何の義務も役割もない。堕天に関する異論がなければ、その他の一切は不要である」

「そんな……しかし!」

 

 それは、確かに……そうではあるがっ。

 だが、これは別問題。これは、天界の大事に関わることだ。

 

 たった今堕天が決定したからといって、伝えないわけには……!

 

「堕天に際し、背に宿る帆翼の加護が解かれる。これにより、お前の翼は二度と風を掴むことはない」

「メタトロン! どうか……!」

「穢れの地に堕ちるがいい」

「お願いします、どうかッ……」

 

 叫ぶ間に、私の身体は光に包まれた。

 ここではないどこかへ送り出すための、神秘の光。旅路の陽光。

 

 全身を暖かく包み込む優しい力は、言葉を告げる権利さえも剥奪し、速やかに天界から私を連れ去っていった。

 

 

 

「そん、な」

 

 光が収まれば、そこは宵闇の大空。

 私は天より落とされて、風を掻くことのできぬ翼を備えたまま、凄まじい速さで地面へと向かっていた。

 

「神よ……私は……」

 

 無防備なまま地面に衝突すれば、私は死ぬだろう。

 だが今は、そんなことさえどうでも良かった。

 

 これが最後と、メタトロンに伝えようとした言葉を、しかしあのお方は聞き入れてはくれなかった。

 私にとってそれは、あと少しのうちに迫る死よりも惨い現実だ。

 

 堕天した天使は、天界の住民ではない。穢れた地上の者と同じである。

 ……そのような者とは、一切口を聞きたくないのだと。耳を貸す価値など無いのだと。

 

 そう、言われたような気が、してしまったのだ。

 

 

 

 私は目を閉じ、重力に任せた。

 月よりも遥かに強大な重力は、地面に直撃した私の頭部を粉々に砕いてみせるだろう。

 醜く潰れた私の遺骸は、地上の穢れ共によって漁られ、食われ、そして彼らの一部となって、最後には魔界へと落ちるのだ。

 

 神は、私にそれを望んでおられる。

 堕ちた私に、そのような終わりを望んでおられる。

 

 ふむ、私の言葉が神にとって何の価値も齎さないのであれば、それも良いだろう。

 このまま神の思し召しのままに、頭を砕かれてみるのも悪くはない。

 

 それが、私が叶えられる唯一の、神の望みとあらば……。

 

 

 

 全てを受け入れようとしたその時、私の手に暖かなものが触れた。

 何事かと瞼を開け、自らの手を見た。そこには……。

 

「……な、これは……生命の杖!?」

 

 それは、私がかつて神より授かり、評議会の前に“新月の書”と共に剥奪されたはずの、生命の杖そのものであった。

 

 神聖なる樹木を模して作られたそれは、使用者に強力な魔の力を与える。

 しかしこれは神の代行者であるメタトロンが認めた者にしか扱えず、メタトロンが不適格だと判断する者が触れれば、逆に使用者を聖なる炎によって燃やし尽くしてしまう。

 

 本来、この杖は私と共に堕ちているべきではない。

 そして、私がこうして、片手のうちに触れていて良いものでもない。

 

 私は、メタトロンに見放されたのだ。だから私は……。

 いや……。

 

「……私は、まだ何か……神に求められているのか?」

 

 共に堕ちる杖。力は失っても、形までは失っていない六枚の翼。

 そして、健在な魔力。健在な命。

 

「ああ、メタトロン、私はまだ……」

 

 私が見失いかけた己の役割を思い出した時、手にした生命の杖の先で、赤い炎が一瞬だけ瞬いた。

 

 見間違えるはずもない。それは、メタトロンが生み出す聖なる炎だった。

 炎は私を焼くことなく、一瞬だけ瞬いて、すぐに消えた。まるで、私にその存在を伝えたかったかのように。

 信じろと、言っているかのように。

 

「……承知しました、神よ。私は天を離れ、地に墜ちるとも……それでもただ天のため、この力を使いましょう」

 

 私は神に見放された。だが、命と全ての力までは奪われなかった。

 

 ならば、贖罪するのみだ。

 私の罪は永遠に贖え無くとも、神がそれを望んでおられるなら……。

 

 

 

 そうして、私は堕天した。

 天界から追放され、強大な穢れがひしめく地上に落とされた。

 

 だが力を残された以上、私は戦わなければならない。

 力を使い、戦うこと。そして、生きること。神が最期に与えたこの杖こそが、その証なのだから。

 

 

 

 果ての見えない、危険ばかりの旅が始まった。

 

 



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 翼が風を掴まなくなったために、私の飛行能力は激減した。

 月魔術によって“浮遊”することは可能であるが、それだけでは少々不安定なのである。

 

 浮かぶにしても力を浪費するし、集中力を削る。そして困ったことに、強い“穢れ”が存在するせいで、空は危険だ。

 

 私の長い旅路は、そのほとんどが陸上であった。

 

「はあっ!」

 

 杖の先に月の力を込め、振るう。

 

『ギャンッ!?』

 

 反発力と保護力を増した殴打は駆け寄る狗型の穢れの胴に直撃し、見た目以上の衝撃によってその身体を吹き飛ばした。

 

 黒い狗が樹木に叩きつけられて、一瞬動きが止まったのを見逃さない。

 力を込めたままの杖から魔力を手繰り寄せ、杖を握らない左手へと移動させる。

 

「“月の槍”!」

『ギャッ……!』

 

 魔力消費は最小限に。かつ、相手を確実に仕留める程度で。

 左手から鋭い輝きが放射され、それは地面に堕ちようとしていた狗の頭部を撃ち、樹木まで貫通する。

 

 狗は静かに土の上を転がって、それきり動かなくなった。

 

「……」

 

 敵を倒したら、次は状況確認だ。一体倒しても、まだ他に潜んでいるかもしれない。

 

 森の中に、影の中に。はたまた、土の中に。

 奴らはどこにでも潜み、こちらの隙を伺っている。

 そう思わなければ、地上で生き延びることは不可能だ。

 

「……ふう」

 

 慢心ではない。魔力を張り巡らせて探知した結果、周囲に敵が潜んでいないことを確認した。

 この様子なら、しばらくは休憩できるだろう。

 

 だが、そろそろ夕暮れになり、夜が来る。

 今は太陽も登っているが、暗闇が訪れれば、地上の穢れ達は活発化するだろう。とても危険で、朝まで一睡もできなくなる。

 その頃までぼんやりしてはいられない。休憩は、短めで切り上げておかなければ。

 

 ただでさえこの辺りには、“空の悪魔”が出るという噂が広まっていて、危険なのだから。

 

 ……噂といっても、出所は穢れ達なのだがね。

 

「やれやれだ……」

 

 大岩の陰に背を預け、座り込む。

 

 少し歩いては闘い、少し歩いては闘った。

 日の出に休みを入れて、歩き始めてから……さっきの奴で、八体目だろうか。今日はまだ少ない方だろう。

 多い日には徒党を組んだ穢れが襲いかかってくる事もあるのだ。それと比べれば、なんということもない、平穏な一日である。

 歩いた距離もそこそこだ。このまま、奴ら穢れが言うところの“空の悪魔”が支配する領域から脱出できれば良いのだが……。

 

 ……魔界に堕ちる寸前の巨大で強大な穢れほど、恐ろしいものはない。

 奴らと闘えば、魔術を扱えるとはいえ、私でも身の危険があるほどだ。

 

 噂の“空の悪魔”とやらが巨大な穢れであるかは定かではないが、安全は第一だ。

 万が一にも遭遇しないよう、現在はコソコソと隠れながら、ゆっくり森を離れている次第である。

 

「……天界にいた頃のように全力で闘えれば、ここまでの危険もなかったのだが……」

 

 実は今現在の私は、ただ翼の能力を失っただけではない。

 私は数百年前に堕天し、この地上へ降り立ってから、翼の他にももう一つのものを失ってしまったのである。

 

「……この身体ではな」

 

 私は自分の肩に触れ、そっと身を撫でた。

 丸みを帯びた、小柄な身体。長く伸びてしまった髪に、細い手足。

 

 私は堕天と同時に、男という性別までも失い、女にされてしまったのだ。

 

「ううむ……やはり、ヤゴコロに気を許しすぎたことへの罰なのだろうか……」

 

 男の身体とは違い、女の身体は非常に不便だ。

 歩幅にしろ腕のリーチにしろ、男の頃と比べると格段に能力まで劣る上、胸には邪魔なものまで付いている。

 最近はある程度慣れてきたとはいえ、長年身につけてきた魔術の使用感が異なるというのは、正直、翼が使えないこと以上に辛かった。

 

 男から女への変容。これもまた、メタトロンの意志なのだろう……しかし、その意図については未だ、確信が持てない……。

 

 私がヤゴコロに対して気を緩めた事への戒めなのか、以降女に好意を抱くことを禁ずるための処置なのか、単純に能力を引き下げるための処罰なのか……。

 別段、この身体に嫌悪感を覚えるわけでもないのだが、そういった部分が気になって仕方ないのである。

 

「……ヤゴコロ、今頃どうしているだろうか」

 

 とはいえ、心配なものは心配だ。

 私は堕天した。それはもっともなことであるので、別に良い。だが、累はどこまで及んだのだろうか。

 “新月の書”を読んでしまったヤゴコロは、神の裁きを受けてしまったのだろうか。

 

 いつか私が死ぬ時までに、どうかそのことだけは知りたいものだ。

 つまり、それを知るまでは、絶対に死ねない。

 

 あまりあり得ることではないが、もしもヤゴコロまで堕天の裁きを受けていたとするならば……地上へ堕ちた彼女は、私が守ってやらなければならないだろう。

 それが事を引き起こした私の責任で、命を賭してでも遂行すべき義務である。

 

 

 

 

 夜が来た。

 穢れが支配する夜が来た。

 

 この時ばかりは、一時ですら気を抜いてはいられない。確かに私は百戦錬磨ではあるが、不意を突かれても平気なように出来ているわけではないのだ。

 夜が明けて朝が来るまでは静かに移動するか、できることなら身を隠せて迎撃も容易な場所に隠れた方がいい。

 月下において私が引けを取ることなどはあり得ないのだが、同じく力を強めた穢れを複数体相手取るにはリスクが高い。

 

「早く平坦な場所ヘ移らなければ……」

 

 しばらくの目標は、森を脱して平原へと移ること。

 そうすれば、開けた視界が不意打ちをされるリスクを減らしてくれる。怖いのは敵に見つかることそのものではない。見えない場所から一方的に攻撃されることが怖いのだ。

 

「!」

 

 草むらの中で、物音が聞こえた。

 



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『夜が来た』

『夜が来たぞ』

 

 弾んだ言葉とともに、大きな穢れが歩いてゆく。

 声は大きく、足音も凄まじい。全長は八メートル近くはあるだろう。

 

 二本の腕に、二本の脚。我々と同じ、人型の穢れだ。

 昔は不定形で蠢動するしかなかった穢れも、時の流れと共に姿を変え、進化し続けた。

 

 地上の生物を模倣し、経験と共に動きを洗練させる。

 私のような天界の者もまた、地上の存在からある程度の形を模倣しているが、地上の穢れもそうした智慧をつけ始めたということだ。

 

「見つかれば厄介だな」

 

 数は、巨人が三人。決して負けることはないだろうが、相手にするには難しいサイズと数だ。

 できればそのまま過ぎ去るのを待ち、移動して難を逃れたい所だが……。

 

 

 

『何かいる』

『食い物だ』

『近くにいるぞ』

 

 巨人たちの声が色めき立つ。

 

 ……こういったことも珍しくはない。

 穢れは巨大に、強くなるたびに、周囲の気配を敏感に感じ取るようになる。隠れていた私の存在を悟っても、何らおかしくはない。

 戦闘は少々面倒だが、こればかりは運である。

 

「やるか」

 

 “生命の杖”を握りこみ、音を出さずに立ち上がる。

 不本意だが、今日もまた長い夜になりそうだ。

 

『敵だ!』

『いたぞ! くるぞ!』

 

 巨人が叫んだ。

 しかし、どうにも奴らの様子がおかしい。

 叫ぶ割にはこちらを向いていないようで、声は明後日の方へ投げられていた。

 

『“空の悪魔”だ!』

 

 一人が恐怖混じりに叫ぶ。

 

『殺される!』

 

 一歩遅れて私の中にも恐怖が湧き出てきた。

 

 “空の悪魔”。それは、ここ一帯で噂されている、非常な強さを持つ者の通り名である。

 あらゆる穢れがその者の影を噂しており、恐怖の対象となっている。

 

 なんでも、そいつは自由自在に空を飛び、どのような強い穢れでも対抗できないほどの力でもって、瞬く間に目につく者を皆殺しにしてしまうのだとか。

 私は未だ、その“空の悪魔”を目にした事がない。

 

 これは、お目にかかる良い機会だろうか。

 夜闇の中で未知なる敵に恐怖を感じつつも、私の中ではそう考える余裕も存在していた。

 

『ヒィイイイ!?』

 

 巨人たちが青い炎に包まれ、おぞましい叫び声を上げるその時までは。

 

「むっ」

 

 私のすぐ近くで、巨人が倒れた。

 地響きが草木を揺らし、巨人を取り巻く青い炎が辺りに散らばる。

 

「なんという火力か……!」

 

 夜の闇は突如広がった炎によって暴かれ、青白く照らされていた。

 火を扱う穢れは居ないわけではないが、しかしここまで洗練されてはいない。

 

「これはまずいな」

 

 一瞬のうちにここまで莫大な量の火炎を生み出し、穢れを一撃で焼き払うなど、並大抵の個体ではない。

 “空の悪魔”。未だどこにいるかわからない以上、ここも危険だ。

 私は念を押して、“月の盾”によって自らの周囲に保護結界を構築する。

 

「……“月の眼差し”」

 

 同時に、月の魔術と私の眼術を組み合わせた秘術、“月の眼差し”を発動。

 これは魔力の通った月明かりの下に存在する者を感知し、把握する、地上監視の魔法である。

 “新月の書”にもない、私が独自に編み出した魔法。

 効果範囲は広く、この術によって捉えきれないものはない。

 

 発動と共に私の認識範囲が大幅に拡大し、森を俯瞰する景色が脳裏に写り込んだ。

 

 

 

 暗闇の中に佇む二人の巨人が、腕を振り回して暴れている。彼らは先ほどから叫び声をあげている、巨大な穢れだろう。

 そして、その付近にひとつの大きな影がおり、鳥のような動きで空中を飛び回っているのが見える。

 あの影こそが、“空の悪魔”と呼ばれる者なのだろう。

 

 大きさは、五メートル前後といったところか。動きの速さと暗闇故に明確な姿までは掴みきれないが、二枚の翼を持ち、長い首を持っていることはわかった。

 

「なんだ、あれは……」

 

 それは、私が今までに見たどのような穢れとも似ていない、奇妙な姿だった。

 

 穢れは姿を模倣する。身の回りのものや、生物に擬態し、その生態を真似ることによって、より高い生存率を確保しようとするのだ。

 

 故に穢れは、特定の生物の姿に酷似する他ない。

 だが、私が見るその影は、地上に生きるどのような生物とも、当然、天界に住まう者たちとも似ていなかった。

 

「あれは一体……!?」

 

 私が注意深く“空の悪魔”を監視していると、そいつは顎を開き、顔の正面に青白い輝きを生み出した。

 一瞬“炎か”とも思ったが、私の眼はしっかりとそれを捉えていた。

 

 あれは、魔法陣。

 特定の魔術を発動する際に浮かび上がる、魔術を構築するための起動式だ。

 

「そんな、まさか。魔術だと」

 

 直後、“空の悪魔”の口から青い炎が噴出し、背後を取られた穢れ巨人が炙られた。

 魔力的な炎は二体の巨人の全身を覆い尽くし、勢いを弱めること無く焼いてゆく。

 

 間違いない。それは通常の炎とは違う。

 明らかに魔力によって生み出された、現実のものではない炎だった。

 

「魔術を扱う穢れが、地上にいるなど……!」

 

 守護結界を維持したまま、私は急いで浮上を始めた。

 強大な敵とは戦わずにやり過ごすことを善しとしてきた私だが、今の戦闘を見て事情が変わったのだ。

 

 魔術は、天界上層部が握るべき神秘である。その神秘が地上で猛威を振るっているなど、あってはならない。

 地上で魔術が幅を効かせるのを黙認していては、いつ天界にその牙が及ぶともわからないのだから。

 

 故に、対処しなくてはならない。

 どのような魔術を扱う穢れなのかは知らないが、見つけてしまった以上、天界のために排除しなくては!

 

「“空の悪魔”よ、止まれ!」

 

 私は樹高の高い森を突き抜け、“空の悪魔”が旋回する夜空へと出た。

 掲げて声を上げると、向こうも気付いたのだろう、動きを止めて、私に向き直ったようだった。

 

 正面に見据え、“空の悪魔”の詳しい全貌が明らかとなる。

 

 五メートル近い大柄な体躯。

 表皮は鋭い赤い鱗で覆われ、四肢には屈強な筋肉が通い、首は長く、その先の頭部はトカゲのようだったが、凶悪そうな面持ちはまるでそれらとは異なっている。

 なにより、そいつの背には膜を張ったような、大きな翼が生えていた。

 超重量の身体の高度を保つためにはばたく度に風が巻き起こり、休むこと無く動き続けるそれは、地上のどのような生物にも存在しない、奇妙な翼であった。

 

 “空の悪魔”は先程までの戦闘が嘘であるかのように静まり、私のことをじっと見つめていた。

 私もまた、目の前にいる奇妙な穢れを見て、動きを止めている。

 

 初めて戦う相手だ。観察しなくてはならなかった。それもある。

 だが同じくらい、気圧されてもいたのだろう。全く未知で、しかも魔術を扱う相手と向き合うことは、それだけで私の中にある勇気を牽制していたのだ。

 

 どう動くべきか。どう戦うべきか。

 莫大な炎を吐き出してくるだけならば、勝機は十分にある。

 しかし相手は魔術を扱った。向こうの手札がそれだけだと判断するのは危険であろう。

 “新月の書”に記された魔術だけでも、ありとあらゆる芸当が可能なのだ。向こうの攻撃方法は自由自在なものであると仮定しなくては、一瞬のうちにこちらがやられかねない。

 

 しばらく、沈黙が訪れた。

 空中で睨み合い、互いに動くことのない戦闘前の沈黙である。

 

 杖を握る手に力が籠もり、発動した“月の眼差し”の効力が薄れてきた。

 “月の眼差し”が消えて新たな眼術を発動できるようになったその時、闘いは始まる。

 

 眼術によって先手を打ち、一気に畳み掛けるのだ。

 

 

 

「あっ、いたいた。おーい」

 

 いざ、勝負。

 そんな時だった。

 

 あの、呑気で間抜けな、低い声が聞こえてきたのは。

 

「ようやく見つかった。探したぞサリエル」

「……」

 

 “空の悪魔”の後ろ側から、何でもないようにその真横を通って私に近づいてきたのは、奇妙で謎の多い魔界人……ライオネルであった。

 

「あれ? サリエル、なんか変じゃない?」

 

 お前よりは正常だと思っているが。

 

 



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 魔界の観光名所を整えた私は、一向にやってくる気配のない天界の住民をお誘いするために、地上へ乗り出した。

 何千万年も、何億年も、誰に見せることもない建築を行っていた私ではあるけれども、見てくれる人がいるというのであれば、その美しさをひけらかしたくなるものだ。

 

 しかし地球のどこを探しても、天界が見つからない。

 前にはあったはずの場所に空間の境目らしきものもなく、天界へ入れないのだ。

 それはちょっと困る。というわけでもう一度、地球を更にくまなく探してみたのだが、やはり天界は見つからない。

 

 万策尽きた私は、ならば月から地球を観測して探してみようという根拠の薄い奇策へと乗り出したのだが、これが意外にも功を奏した。

 月へと向かった私は、その後すぐに、サリエルと再会したのである。

 

 久々に会ったサリエルは、背中に生えた翼の数が増え、手には見知らぬ杖を持ち、何よりも魔術の扱いが段違いに上手くなっているようだった。

 魔術を修めた人がいるというのは、嬉しいことだ。アマノの時もそうだったけど、自分と同じ趣味を持っている相手と話すのは、すごく楽しい。魔術の話はなかなか神綺とはできないだけに、私にとっては貴重なのだ。

 

 と、私は内心でサリエルとの再会を喜んでいたのだが、彼は突然に月を飛び立ち、私の言葉を聞かぬまま地球へと帰ってしまった。

 追いかけようにもサリエルの移動速度は全力であるのか非常に速く、簡単に追いつける気はしない。また彼自身も焦っているようだったので、強引に止めることは憚られる。

 ならばせめて天界へ行く方法だけでも訊いておきたかったのだが、そうして私が悩んでいる間に、航行するサリエルの姿は光に包まれ、地球のどことも知れない場所へと消えた。

 

 万策ともう一策が尽きた。これが本当の手詰まりというやつである。

 

 

 

 そんなわけで、私はうなだれた。

 探しても誰も居ない、ただちょっとだけ“喋るかなー”程度の乱暴な気質の原始魔獣ばかりがひしめく地球に背を向けて、魔界へと戻った。

 魔界は、私と神綺で創った新たな地形と創造物により、見た目にも豊かになっている。

 

 空中を旋回する球体ミニ惑星。

 地上へ水分を、滝や雨として供給するための空中大氷土。

 特殊な重力場を展開し、魔界の空をフワフワと無秩序に飛び回る煉瓦の街。

 生態系の増加に伴い、区分けを増やした大森林群。

 同じく生態系ごとに分けた、海っぽい湖。

 大渓谷の根城も増築し、アマノが遺したドラゴン達にとっても住みやすい環境を構築した。

 

 やれることはやった。あとは人を招くだけなのだ。

 でも誰も来てくれない。せめてサリエルだけでもいいから見て欲しかったんだけども。

 

 そんなこともあって、私がテーブルの上でファラオっぽいポーズで無気力にしていると、人造の竜の一匹が大きな顔を私にこすりつけ、何かを訴えかけてきた。

 竜たちが私に対して何かを要求したことや伝えようとしたことなどほとんどなかったので、その時の私はとても驚いたことを覚えている。

 何だ、一体どうしたんだと私が訊ねると、さすがに竜達も言葉は扱えないのか、翼や腕を使ったジェスチャーにて、私に意志を伝えようとした。

 

 しかし竜のジェスチャーを読み取るなど、容易なことではない。

 こうか? それともこうか? とたっぷり数週間分も悩み、竜達の意志を汲み取ろうと努力し、彼らがジェスチャーを初めてから三週間目くらいで、ふらりと根城に立ち寄った神綺が彼らの意識を読み取り、“地球で探しものを探すのを手伝う”と言いたかったのだと判明した。

 竜たちの言葉の翻訳に私はこれっぽっちも必要なかったのだ。それはまあいいさ。

 

 竜達は、住民の居ない魔界を退屈に思っていたのだという。

 いるのは知識なく、連帯感のない原始的な生物や、既に枯れ果てた、ただ生命を維持するだけの大型原始魔獣のみ。彼らも大概気の長い性格をしているが、変化が得られるならば欲しかったのだと、神綺は代弁する。

 

 そういうわけで、四十匹にも及ぶ人造のドラゴン達が、天界探しを手伝ってくれることになった。

 

 よくよく考えてみれば、彼らにとって地球は故郷だ。久々に自らの生まれ育った、慣れ親しんだ地球というものを満喫したいだろう。

 竜らは魔術的な補助によって強靭な翼を得ているし、火を吹いたり風を起こしたりといった基礎的な魔術を扱うこともできるので、原始魔獣が多い外の世界でも、これといった心配は必要ないはずだ。

 私は竜達に“じゃあお願いできますかね”と確認を取ると、神綺は“やぶさかではない”と返してくれた。

 竜とコミュニケーションが取れる神綺が羨ましくなったと同時に、竜達ってやっぱり偉そうにしてたんだなと確認できた。これは進歩である。

 

 

 

 そんな経緯を経て、私はまた再び、サリエルと再会することとなったのだ。

 

 一度目は私が迷い込んだ天界で。

 二度目はなんとなく立ち寄った月で。

 三度目は竜達による捜索のもと地球で。

 

 どれも遭遇する場所がばらばらだけど、こうして何度も同じ相手に会えるのは、何かの縁かもしれないと思えてくる。

 

 ……けど、サリエルって会うたびに見た目が変わるなぁ。

 翼が増えてたり、性別が変わってたり。原始魔獣由来の生き物だから、何が起こってもおかしくはないと思っていたけども……イケメンから美少女になるなんて俗っぽい変身をしてみせるなど、まさかのまさかである。

 

「なるほどな、“空の悪魔”とはお前の使役する幻獣だったか……」

 

 サリエルが竜の顔に触れ、興味深そうに表皮を撫でた。

 竜は何を考えているのかわからない仏頂面のまま、サリエルの綺麗な手を受け入れて大しくしている。

 

「空の悪魔か。悪い竜というわけでもないと思うんだけどなぁ」

「彼らがそうでなくとも、穢れにとってはそうなのだろう。先ほどの火炎魔術は見事なものだった」

「ああ、“呪いの火”ね。着火すると魔術抵抗がない限りは燃えるから、地上だと強いかもしれないねえ」

 

 サリエルは、前と変わらず六枚の翼を持っていたのだが、どうやらそれで羽ばたけないらしい。

 移動は専ら浮遊のみで、月魔術のみで数百年もの間、地上で闘い抜いて来たのだという。

 

 今でこそ私はどんな相手が出ようとも怖くはないが、それは様々な魔術の恩恵があるからこその話だ。

 使えるのは月魔術だけ、かつノーダメージで数百年生き延びろというのは、正直“そんな殺生な”と言いたくなるほどの無理難題である。私だったら間違いなく曇天の半月の時に死ねる。

 そんな絶体絶命の状況を、何百年も月魔術のみで切り抜けて来るとは……魔術の使い方だけなら、私よりもサリエルの方が優れているのかもしれない。

 

「でもサリエルは、どうして地上に何百年も? さっきは翼が使えないって言ってたけど、それと関係が?」

「……」

 

 サリエルはしばらくの間、じっと口を噤んでいたが、何度か私の顔をチラチラと見た後、決心をしたように大きな息を吐いた。

 

「……そうだな。私も、お前には色々と聞きたいことがある。ここは隠し事をせずに話すとしよう」

 

 竜の背にまたがり、夜空の向こう側を見つめるサリエルの横顔は、どことなく疲れているように見えた。

 

 

 



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 意外なことに、というよりは、やはりというべきことなのだけども、サリエルは天使と呼ばれる種族だったらしい。

 彼……いや彼女は、天界で秘密を守護するという役目を果たせなかったために、地上へ堕天したのだという。

 そのためサリエルはずっと地上を彷徨っていて、果てしないサバイバルに身を投じていた、と。

 

 つまり、サリエルは堕天使だったというわけだ。

 そして彼女の居た天界とは、天国だった……と。

 これは、彼らを原始魔獣と呼ぶのは少々失礼だろう。これからは、彼らのように知識を獲得したものについては、神族とでも呼ぶことにしようか。

 

 それにしても、いつの間にか、天国が出来ていた。

 知らずのうちに、天使と会っていた。

 そのことだけでも私にとっては衝撃だったのだが、何よりも驚きなのは、私の作った本によって、サリエルがそのような苦境に立たされていた、ということである。

 

 書物を抱えているであろうことは私にも解っていたが、まさかその管理をサリエルが任されるようになっていたとは。

 しかも、よりによってそれを置き忘れてしまうなんて……口が軽いだけでなく、彼女は結構なうっかりさんらしい。

 

 うっかり天使……うーん。

 

 

 

「しかし、まさか本当に……魔導書にお前の名が刻まれているとはな」

 

 が、うっかりで言えば、私の方も大概だ。

 表紙の文字には意味が伝わるように暗示魔術をかけてあったけど、署名には施していなかったのだから。

 ライオネル・ブラックモアの名を広めようとわざわざ署名を刻んだというのに、魔導書を持つ人のほとんどがその意味がわからないというのだから、まったく大ポカである。

 

「ああ、じゃあ堕天する前に本を見たんだ?」

「見たとも。最後になるかもしれないとは、薄々気付いていたからな」

「そうか」

「まぁ、月でお前が見せたものと同じ文字列だったということしかわからないし、名前だという確証があるわけではないのだが……今更になって疑いはしないさ」

 

 サリエルは長い髪を鬱陶しそうに後ろへ流しながら、それでも清々しい風に言った。

 その様子からは、本を作った私に対して特別な感情を抱いているようには見えない。

 

 

 

 私は魔術で空を飛び、そのすぐ隣には竜の群れが追従する。

 サリエルは人造ドラゴンのうちの一匹の背に乗り、休む暇もなかったであろう身体を癒しているようだ。

 

 朝日が空を青白く染め始め、眩い輝きを覗かせた。

 闇の中にあった森や大地は輝きに暴かれ、地上を彷徨う夜型の原始魔獣達は、暗がりへと逃げてゆく。

 もうすぐ、明るい世界がやってくる。

 

「……ライオネル」

「うん?」

 

 朝日を受けながら空を飛んでいると、サリエルが私の名を呼んだ。

 

「神とは、一体何なのか……お前はそれを知っているのか?」

 

 そして、彼女らしい真面目そうな面持ちで、訊ねてきた。

 

「私やメタトロンのような起源に穢れをもつ存在の、その大本を……ライオネル、お前は知っているのではないか?」

「ふむ……」

 

 私は悩んだ。それは、初めて訊かれることだったから。

 

 しかし、神とは何か。サリエル達の大本は何か。

 その答えは簡単だったので、すぐに浮かんできた。

 

「それはとても……とてもとても、尊いものだよ」

「……尊い、もの」

「この世の平和を願い、命の連なりを尊び、そして、それらのために、自らを投げ打つことさえ迷わなかった……君たちの神様は、そういう存在だった」

「……そうか。神は、我々の起源は……やはり、尊いものなのだな」

 

 きっとその意志は、サリエルを含め、多くの神族達に受け継がれているのだろう。

 だからこそ私は、彼ら独自の発展を阻害しようとは思わなかったし、本がそちらにあることを善しとした。

 その気持ちは今でも変わらないし、むしろサリエルのような善い神族がいることを知って、更に強固になったくらいである。

 

 

 

 ……でも、今回はそのおせっかいのせいで、サリエルが貧乏くじを引いてしまった。

 彼女の自己責任だと言えばそれまでだけども、本を創ったのは私。サリエルの注意を本から月に向けさせ、堕天の原因となったのも私だ。

 こういうことになってしまうとさすがに、終始しらんぷりはできないものだ。

 

「ところでサリエル、そろそろ天界に到着するのかな?」

「……そう焦るな。もう少しで入り口に到着する」

 

 今、私はサリエルの先導によって、天界への入り口へと向かっていた。

 天界は私が最初に訪れた時とは違い、かなり高度な神秘性によって帳が張られ、その入口を隠しているらしい。

 彼ら神族にとってはその入口がなんとなく見えるらしいのだが、私にはさっぱりであるし、今も“望遠”によって観察してはいるが、それらしき兆候も見られなかった。

 

「ライオネル。助けてもらった礼だ。書物の作者であろうという確証もある……だからこそ、お前を天界へと案内するのだが……」

「うん、本当にありがたく思ってるよ」

「……もうひとつだけ、頼まれてくれないだろうか」

「ん?」

 

 サリエルは目を閉じ、気難しそうな顔で杖を抱きしめる。

 

「もしも向こうで、天界の事情に詳しそうな者を見つけたのなら……ヤゴコロ、という者が無事にやっているかどうかを、訊いてはくれないだろうか」

「ヤゴコロ」

 

 なんか日本人っぽい語感だ。

 いや、そんな苗字、見たこと無いけどね。

 

「ああ、ヤゴコロという。……私からは、それだけだ。頼めるだろうか?」

 

 サリエルは可愛らしく首を傾げた。今までの真面目な雰囲気から一転、どことなく媚びたような仕草である。もちろん、本人にその気は無いだろうけど。

 

「ああ、そのくらいなら大丈夫。私の用事も、大したことではないし。すぐに済ませるついでに、調べておくよ」

「……すまない、ライオネル」

「気にしないでいいよ」

 

 サリエルが深々と頭を下げる。

 本当、真面目な堕天使さんだこと。

 

 



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 顕界の境界を越え、私は久々の天界へとやってきた。

 引き連れていた竜も、サリエルも、ここには居ない。私一人での訪問である。

 

 現実の世界とは違った、どこか全体的に明るい、小島が幾重にも浮かんだ世界。

 天は見た目以上に高く広がっており、きっと際限はないのだろう。

 

 アマノが死後作り出したこの異空間は、彼女の意志を継ぐ者達によって管理されている。

 そう思うと、やはり嬉しくなるものだ。

 ここに住む者のほとんどが、私のことなど少しも知らないとしても。

 

「さて……じゃあ早速」

 

 以前は天界に入ってすぐに、サリエルが警告をしにやってきた。

 今回もまた、誰かが来る可能性は高いだろう。それはそれで話が速く進んで嬉しいのだが、門番に捕まった人間が王様に謁見するのは非常に面倒である。

 

 なので私は不滅の杖を掲げ、魔力を集めることにした。

 あまり効率の良い魔術とは言えず、発動までにタイムラグがあるので場面を選ばずに使えるわけでもないが、この魔術にしかできないことがある。

 

「“慧智の栞”」

 

 魔界を経由することのない空間転移。

 目的地や目的の人物の居場所がわからずとも、魔導書に仕込んだ目印が、自動的に私を導いてくれる。

 

 

 

 効率の悪い転移は無事に発動し、光に包まれた私の身体は大理石のような硬い床に降り立った。

 天界の外、顕界ではいくら発動しても転移しなかったけれど、同じ天界であれば正常に作用してくれるらしい。

 最悪の場合、つまり天界内でも転移魔術が使えなかった場合には、頑張って自力で探そうかと思っていたのだが、手間が省けて助かった。

 

「お、ちゃんとあった」

 

 辺りを見回せば、石造りの台の上にはしっかりと分厚い書物が安置されている。

 それは紛れも無く“慧智の書”だ。

 以前に私がサリエルと出会った時、書記を名乗るミトという天使が抱えていたものである。

 

 しかし、あるのは本のみだ。

 石造りの、おそらく神殿であろうここには“慧智の書”しかなく、人がいるような気配もない。

 

「留守かな」

 

 突然中に踏み込んでから、留守だのなんだので文句を言うつもりはさすがにないけど、できればちょっと話してすぐに帰りたかったから、誰か偉い人が居てくれれば良かったんだけどなぁ。

 

「ようやく来たか」

 

 と、私がこれからどうしようかと悩んでいると、丁度神殿の反対側の方から、真っ白な球体が現れた。

 

 なんだあれ。

 と目を凝らしてみると、どうやらそれは翼の集合体であるらしい。全身を翼で包みこんだ、百パーセント翼の生命体である。

 内部には人の形だったり鳥の形だったりといった本体があるかもしれないが、それは私からは確認できそうにない。

 

「ようこそ、ライオネル・ブラックモア」

「お邪魔してます」

 

 どう挨拶したらいいのかわからなくて、迷った挙句にこれである。

 間違ってはいないけど、もうちょっと良い挨拶なかったか、私。

 

 ……というか、この翼の人、私の事をフルネームで呼んだな。

 一応、月でサリエルと会った時には名乗っているけど、魔導書の名前を読み取った、という可能性も無くはない。

 

 なにせこの翼の人は、“慧智の書”があるこの場所に踏み入る事を許されているのだから。

 

「直接会うのは、これで二度目になる」

「二度目?」

「ミトと名乗った時の私を覚えているか」

「ああ、ミト」

 

 もちろん覚えている。私に物忘れなどというものはないのだ。

 でも名残もへったくれもないから、言われなきゃ絶対にわからなかった。

 

「名乗る名は多い……立場も、顔も、私は自らを自在に作り変える力を持っているからな。だが、ここではミトである以上に、メタトロンと呼ばれる事が多い」

「メタトロン。じゃあ、私もそう呼べば良いかな」

「ああ」

 

 ミト、じゃなくてメタトロンね。

 なるほど、彼がサリエルの上司であり、天界の頂点に君臨する天使長というわけか。

 

 そして、サリエルの堕天を決定づけた本人である、と。

 

「予想はつくが、来訪の理由を訊いておこうか」

「それより、突然私がやってきたことについて、何か文句とかは?」

「無い。お前の書物によって私やこの天界が成り立っている以上、一体何者がお前に文句などを言えようか」

「あ、それもサリエルから聞いてるんだ」

「私の解釈だ。奴の報告によるものではない」

 

 メタトロンは真っ白な球体のままふわふわと近付き、石壇の上の“慧智の書”に光を振りまいた。

 すると書物は浮かび上がり、ゆっくりと木の葉が落ちるような速度で、私の手元に舞い込んでくる。

 

「私は、お前と再び出会える時を待っていた」

「私と」

「そうだ。天界の秩序が構築され、我々による管理と保全が盤石なものとなったその時から……ずっと」

 

 それはいつくらいの話か、私にはわからなかった。

 ただ、きっと最初にサリエルと出会った時よりも後だということはわかる。

 その後に長い時間をかけて天界が整備され、今に至ったということか。

 

「それで、もう本は不要になったから返すっていうこと?」

「その通りだ」

「ふむ」

 

 私は慧智の書を受け取り、表紙を開く。

 魔力を急激に吸い込み、術式に巻き込む懐かしい感覚が現れるが、著者である私を認識した書物はすぐにそのモードを取りやめて、平時の待機状態に回復する。

 その大人しい様子が珍しかったのか、メタトロンは“おお”と声を漏らした。

 

 ぱらぱらと飛び飛びにページをめくり、書物を進める。

 長い間、ずっと人に預けていたにも関わらず、総読者数は驚くほど少ないけれども、しっかりと奥の方まで読んでいるらしい。

 メタトロンが一人でこの“慧智の書”を抱え、高度な知性を長い間独占していた証である。

 だが、それが悪いことだとは思わない。彼がこの慧智をしっかりと抱きかかえていたからこそ、今の秩序に守られた天界が存在するのだから。

 

「おお、読破したんだ」

「途方も無い時間をかけたがな」

 

 まさか、魔導書を最後まで読み切っていたとは思わなかった。

 正直、“慧智の書”をはじめとする指南系のものは、最後まで読んでも高度な魔術が乗っているわけでもないし、全部読んだからって天才になれるというわけでもないので、メリットは小さいんだけど。

 ただ延々とクロスワードと魔法陣を解き続けるようなものなのに、よくもまぁ最後までやりきったものだ。

 

「……これと出会ったのは、私が地を這う穢れだった時代のことだ。読み始めた当初は終わらない苦しみに強く後悔したものだが、今ではその苦しみにさえ、感謝しているよ」

「いやいや」

 

 それが私の目論見だったのだから、礼を言われるようなことじゃない。

 私としては、この書を読んだ人からの感想を聞けて、むしろ大満足である。

 

「……ライオネル・ブラックモア、訊かせてもらってもいいか」

「うん? 良いよ」

 

 なんだろう。著者の気持ちでも聞きたいのかな。

 

「お前は一体何者だ」

「ああ……」

 

 そういう質問か。

 

「お前は魔界の民だと言ったな。その使いであると。それは真実なのか」

「あーうーん、魔界の民というか、うーん……」

「魔界の存在は我々にとって不明瞭なものだ。そこにどのような景色が広がっているのかは、私にはわからない……だがこの書物を見る限り、魔界はこの天界以上に発展した場所であることが伺える」

 

 魔導書は時間を掛けて作ったものだから、あまり魔界そのものとは関係ないんだけどね。

 

「だとしても、お前がただの魔界の使いであるとは、到底思えない。お前ほどの力を持った者が、この書物を広めた者が、単なる使いなどとは」

「……まぁ、そうだね。使いっていうのはあの時咄嗟についた嘘で、実はもうちょっと複雑な立場にいる」

「やはりか」

 

 メタトロンは自分の考えが当たっていたことに、小さく笑ったようだった。

 

「多分、私は魔界の中でも一番か二番目に偉いと思う」

「……」

 

 ていうか、実際二人しかおらんのですけど。

 魔界の最初は石造りの狭い空間だったし、神綺はその後生まれたから私が最初の存在であったことは間違いないんだけど、けどそのもう一人は神様だから、私よりも偉いと言えば偉い。

 魔界での私の立場を問われると、ちょっと困るのは本当のことであった。

 

「何者か……そうだなぁ、それでもあえて言うなら……私は“偉大な魔法使い”ってことになるのかな」

「偉大な魔法使い、か」

 

 神様は神綺だ。だから私は、魔法使いで良い。

 どうせ私のやっていることは、ほとんどが魔法なのだ。神を名乗ろうとは、さすがにおこがましいというものである。

 

 けど、だからこそ“魔法使い”だけは譲れない。

 世界で一番最初に生まれた魔法使い。それが、私なのだから。

 前世らしい人間だった頃は、ただのドケチな一般人だったとしてもね。

 

「なるほど。答えてくれてありがとう、偉大な魔法使いよ」

「うむうむ」

 

 おお、実際に言われるとすごく嬉しい。本当に偉くなった気分だ。いいなこれ。

 

「じゃあ、この“慧智の書”は返してもらうとして……本当に私に返しても良いの? 別にこっちに置いても良いんだけど」

「構わない。もはや何者がその書物を読もうとも、天界の地位は揺るがないものとなっている。お前に返したいのは、形としてのけじめ……私の望みだ」

「……ふむ」

 

 別に、この智慧の書物自体はもうどこに行ってもいい。

 誰が智慧をつけても大丈夫なようになっている、と。

 

「わかった。なら、この本は魔界の書庫に納めておくよ」

「ああ」

 

 となると、“慧智の書”はお役御免ってことか。

 わざわざ世界を彷徨わせておく意味もないし、いたずらに生き物の命を奪うだけの呪いの道具になっても後味が悪いだけだ。

 役目を終えた本として、魔界に帰ってもらうことにしよう。

 

「……他にいらない本はあるかな? あるなら一緒に魔界へ持って帰るけど」

「……本はあるが、まだ返却はできない。だがライオネル、持ち主であるお前が望むのであれば……」

「ああいやいや、使うなら良い。読んでていいから」

 

 さっさと回収したいわけではないのだ。読んでくれるなら、どうぞ好きなだけ読んでいてほしい。

 

「ライオネル、それについても聞きたいのだが……魔導書は一体何冊存在するのだ」

「ああ、魔導書の数かぁ」

「私は黎明期に天使団を率いて、書物の捜索のために長きにわたって旅を続けてきたが……見つかったものは六冊だった」

「えっ、六冊だけ?」

 

 うそん、もっと集めてるかと思ってた。

 “血”、“涙”、“骸”の三書は別にしても、全部で十冊もあるから、時間さえあればコンプリートできると思うんだけど。

 

「だけ、か……まだまだ、私の知らない脅威は残っているということか……」

 

 メタトロンは純白の羽毛の向こう側で、憂鬱そうな表情を浮かべているのかもしれない。

 彼の声は、疲労感に満ちていた。

 

 

 

 

「……魔界は安全であり、通行しても問題はない場所である、と」

「そう。ここのみんながどう思っているのかは、詳しくは知らないけど……そこまで危ない所でもないから、暇な時は来てみなよ」

 

 私は神殿から見渡せる天界の眩い景色を眺めながら、メタトロンに魔界についての説明を行った。

 これが、私が天界へやってきた第一の目的。魔界へのお誘いである。

 

 せっかく魔界に無数の名所を作ってやったのだ。それには天界の景色に対抗するという意味も強いので、彼らに来てもらわないことには作った意味がないというもの。

 そのためには、まず魔界が安全であるということ。来ても帰れるということ。

 穢れはいるけど、襲われるようなことはないということ。

 いろいろな角度から説明し、メタトロンを説得しにかかっている最中だった。

 

「……考えておこう。一応、興味を持っている連中には、声をかけてみるが」

「おお、ありがとう、ありがとう」

 

 天界のトップであるメタトロンが進んで動いてくれるなら、これほど効果的なことはない。

 一度魔界に来れば、その良さもみんなに伝わるはずだ。

 あとは口コミで広まって、一躍観光名所になったり、それが高じて移民なんかが出てきたり……。

 そう考えるだけで、今から楽しみでしょうがない。

 天界の観光客をお出迎えする曲を、また神綺と一緒に練習しなくちゃいけないな。

 

「あ、それと……」

「まだ何かあるのか」

 

 そうだ、魔界へのお誘いの他にも、聞いておかなくてはならないことがあるんだった。

 

「ヤゴコロ、っていう人は……元気にしてる?」

「……」

 

 私がそれとなく訊ねてみると、メタトロンは翼の動きの一切を止め、沈黙した。

 

「……ライオネルよ」

「う、うん?」

 

 あれ、なんだろう。メタトロンの声が心なしか怖いんだけど。

 

「奴に伝えておけ……“それだから堕天に処したのだ”と」

「……はい」

「全く……」

 

 サリエル、ごめん。なんか、すぐにバレちゃったよ。

 聞いた相手が悪かったのかもしれないね。本当にごめん。

 

「……そうか、サリエルはまだ生きているのか」

「え?」

「一応、伝えてやってもらえるか。“お前よりはずっと立派でいる”とな」

「……なんだか厳しいね?」

「当然だろう」

「まぁ、そうか」

 

 堕天使サリエル。天使長メタトロン。

 両者は袂を別った仲ではあるけれど、サリエルは未だに天界を想っているし、メタトロンもまだ、サリエルのことを気にかけているようだ。

 なら、仲直りでもなんでもして戻ればいいのに……と思うのは、私が他人だからなのだろうか。

 

 ともあれ、訊くことは訊いたし、言うことは言った。

 天界への訪問、これにて完了である。

 

 

 

 ……さて、あとはサリエルだが……。

 

 



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 ライオネルが境界を越えて天界へと移動し、私は待ちぼうける事となった。

 一人は慣れている。ただじっと待つくらい、危険な夜と比べればなんということはない。

 それに、厳密に言えば、今は私一人というわけでもなかった。

 

「……うーむ」

 

 ドラゴン。

 ライオネルが作りだしたという、有翼有知の生物。

 驚くべきことに、彼らドラゴンは私よりも遥かに長生きであるのだとか。

 

 とはいえ、失礼ながら、彼らがそれほど賢そうには見えない。

 私を背に乗せて大人しくしてはいるが、ライオネルの指示を聞いて、それを忠実に守っているという様子でもないのである。

 

 その証拠に、ドラゴンの何匹かは群れを離れ、勝手に飛び去っている。

 私は部外者であるし、彼らの事情については何も聞いていないので、それを止めることもできない。

 飛び去る何匹かの雄々しい後ろ姿を、ただ見送るのみ。

 

「ん……」

 

 風が吹き、髪が流れる。

 私の翼が風を掴まなくなってから、こうして不意に吹き付ける風には疎くなってしまった。

 時にはその隙が仇となり、身の危険を被った事もある。

 

 だが、私は今日まで生き延びた。

 闘いに闘い続け、今日まで生き残ってこられた。

 

 こうして私がのんびりと待っていられるのも、外界で生きることをやめなかったからこそのものである。

 

 少し、休んでも良いのかもしれんな。

 私は、小休止に入ったからこそ見える自らの疲労を思い、心のうちで密かに甘えを享受した。

 

 

 

「ただいまー」

「早いな」

 

 ほとんど間を開けずして、ライオネルは帰ってきた。

 彼の用事は、到底これほどの時間で済むものではなかったはずだが。

 

「まだ昼にもなっていないぞ」

「ああ、魔術を使ったからね」

 

 理由になっていないのだが……。

 

「……ところで、天界の様子はどうだった。何か、変わった様子は……と、お前に聞いてもわからないことだったか」

「うん。生憎と、見て回ったわけではないから。でも、メタトロンには会ってきた」

「なっ!?」

 

 いきなりメタトロンに会っただと!?

 そ、それならこの時間で帰ってくることにも納得できるが……。

 

「……そもそも、メタトロンの神殿は最上層部だぞ。そこへ行くまでに何人の天使団や大天使に遭遇すると……」

「いやだから、直接会ったからそういうのは無くて」

「……」

 

 ……あまり考えないようにしよう。話が進まん。

 

「メタトロンが言う感じでは、天界の様子はあまり変わってないはず。特別、変な気配も無かった」

「そうか、それは何より……」

「魔界へのお誘いもしてみたら、わりと好意的な返事も貰ったしね。あの羽根……あの人主導なら、話もちゃんと進むでしょう」

「……」

 

 そんなことのために、わざわざメタトロンへ直接出向いたのか。

 あの方もあの方で、よく騒ぎを起こさずに応対できたものだ……いや、メタトロンならば、既にライオネルの本質を見抜いているのかもしれん。

 

 ライオネル、魔導書、それら全てを見抜いた上で、メタトロンはあの時私を堕天させたのだとすれば……。

 あの裁きの場で私にライオネルの名を出さなかったのは、熾天使達にさえその存在を秘匿すべきだった……という事なのだろうか。

 

「あ、そうだ。メタトロンから言葉を預かっていてね」

「むっ、何!? なんだそれは!」

「ヤゴコロの事を聞いたら、まぁ……結構丁寧に答えてくれたんだよ」

「おお!」

 

 なんと、メタトロンの言葉であれば間違いはない。

 あの方ならば、ヤゴコロの現状を最も正確に把握していることだろう

 

「それで、ヤゴコロは今、どのように!?」

「“それだから堕天に処したのだ”」

「えっ」

「“それだから堕天に処したのだ”」

「……そう、です、か……」

 

 ああ……メタトロンよ、どうかお許し下さい。

 いや、しかし、ヤゴコロは私の気懸かりで……。

 

「“それだから堕天に処したのだ”」

「うおおおおお許し下さい! 自らの罪を認めなかった私をお許し下さいッ!」

 

 私はドラゴンの背の上で勢い良く五体投地し、その衝撃を煩わしく思ったドラゴンによって地面に振り落とされた。

 

「ぎゃふっ」

「……サリエルって、退屈しない性格してるなぁ」

「ど、どういう意味だ……」

「いや、結構そのまま」

「ぐぬぬ……」

 

 “それだから堕天に処したのだ”、か……。

 確かに、私はヤゴコロに気を奪われすぎたが故に過ちを犯したと言える。

 こうして彼女の安否を気遣うことは、私の罪に罪を上塗りするようなもの。

 

 私は今まで、地上で何をしてきたのか……。

 自らの罪を考える時間など、いくらでもあったというのに……。

 

「……“お前よりはずっと立派でいる”」

「え?」

「メタトロンは、“お前よりはずっと立派でいる”とも言っていた」

「……」

 

 不意に、私の目から涙がこぼれ落ちた。

 

「あ……」

 

 それは、久しく見ることのなかった……堕天した時でさえ見ることのなかった、己の涙である。

 ……気づけば、私の胸は張り裂けそうなほどに熱く、燃えているようだった。

 

「そう、か。ヤゴコロは、立派でいるのか」

 

 メタトロンは、私のこんな未熟な心を叱責したのだ。

 女一人の安否を気遣い、涙する……その如きの心では、秘密など守りようもないのだと。

 

 でも、私は今、素直に喜ばしいと思う。

 ヤゴコロが無事であることに。

 そして、こんな未熟な私に、メタトロンが未だ言葉を与えてくださるということに。

 

「はは……」

 

 私は土の上で、涙を流しながら小さく笑った。

 

 

 

 

「おお、つまり魔界に来るってことかい? サリエル」

「ああ」

 

 しばらく泣いて落ち着いた後に、私は彼らに頭を下げた。

 暗い骸の魔界人ライオネルと、有翼有知のドラゴン達に。

 

「私の気懸かりは晴れた。天界は安泰であり、ヤゴコロも息災である……それがわかれば、もはや私が、地上で要らぬ節介を焼くこともないのだ」

 

 長い前髪を掻き分け、西に沈み始めた陽光を眺める。

 茜空に黄金の輝き。地上の世界は絶え間なく移ろい、いくつもの美しい姿を私に見せてくれる。

 だがそれも、今日で終わりだ。

 

「ライオネル……ライオネル・ブラックモアよ」

「はい」

 

 私が姿勢を正して彼に向き合うと、彼はおどけているのか本気なのか、私以上に姿勢を改めた。

 

「私は魔界へ移り、新たな世界を見てみたい。様々な魔術を編み出し、遥か古代を見つめてきたライオネル……お前の故郷を」

「おお……」

 

 聞けば、ライオネルは天界と魔界との間に繋がりを作りたがっているのだという。

 メタトロンはその話に、乗ったのだか乗ってないのだかは知らないが、色良い返事をしたというではないか。

 ならば私が先んじて魔界へと移り、彼らを安全に出迎える手はずを整える必要があるだろう。

 堕天した私にできるのは、もはや、そのくらいのものだ。

 

「どうか……私を魔界の民として、迎え入れてはくれないだろうか」

 

 私は両手で生命の杖を握り、頭を下げた。

 

「もちろんだとも! 魔界は……私と神綺は、いや、魔界の全ての生命は、喜んで君を受け入れよう! サリエル!」

「……ありがとう」

 

 それに、私個人の興味というものもある。

 魔界という新たな世界を見たいという気持ちは本当だ。

 私は未だ、天界に対する誇りを失ってはいないが……ライオネルが長い時間をかけて魔界を整備したというのだ。

 

 地球から月にかけて奔走して回るほどの世界。

 間接的にではあるが、私が堕天するきっかけともなった世界。

 これは、見なければ損というものである。

 

「そういうことなら、早速魔界への扉を開こう! 記念すべき第一移民だ、もう、すぐにでも!」

 

 私が頷くや、ライオネルは手を掲げ、目にも止まらぬ速さで周囲の魔力を収奪し始めた。

 魔力を一箇所に集め、凝集し、空間に歪みを与える。

 

 理屈の上では簡単ではあるが、行おうとすれば非常に難しい技術だ。

 それを一瞬のうちにやってみせるのだから、やはりこの者の底は計り知れない。

 

 次第に集まる魔力は現実の風を作り、妖しい光を放ちはじめた。

 通常、穢れが己の内の魔力を制御できなくなった時にのみ起こる、魔の者の死。

 その大規模な儀式が、今ここで、人為的に行われようとしているのだ。

 

「……さあ、サリエル。そろそろ扉も入れるはずだ。準備が整っているなら、ここを潜ってくれ」

「ああ」

 

 眩い白の異空間が、目の前に広がる。

 ここに向かって進んでゆけば、もはや外界は遠い場所となるだろう。

 天界も、すぐ近くに存在する場所ではなくなる。

 

 だが私の心は動き出した。

 もはやここに留まる理由は無いのである。

 

「……さらばだ、外界よ」

 

 私は一歩を踏み出した。

 

 天界から、顕界へ。

 顕界から、魔界へ。

 

 堕ちて堕ちて、きっとここが、私の終着点となるだろう。

 

 だけど、それはただの終わりではない。

 これは同時に、私の始まりでもあるのだ。

 

 魔界文明との遭遇。

 天界人の記念すべき最初の一人として、魔界にて最善の行いをしなければ。

 

 

 

 

「ゆゆっ! まっさおなおようふくなんて、あなたゆっくりできないゆっくりね!」

 

 足元で、私のような銀髪の、ふっくらと肥えた生首生物が喋っている。

 

「ゲベベベ、ゲベベベベ……グジュルグジュル……」

 

 巨大な青いナメクジのような生き物が、遠くのほうで木々をなぎ倒しながら進んでいる。

 

「あ、丁度観光名所が上に……」

 

 私の真上で、おどろおどろしい珍妙な建築物がぐるりと反転している。

 

「きゃー! やめてー! その森は蹴らないでー!」

 

 銀色の髪を生やした、十五メートルはあろう巨大な生足が疾走し、その後ろから六枚羽根の女が飛んでゆく。

 

「……こ……ここは一体……」

 

 私の手から、杖が離れたのだろう。

 床を打ってからんと高い音が、異音の集まる世界の中に虚しく響いた。

 

「いらっしゃい、サリエル! 魔界へよおこそ!」

「ゆっくりしていってね!!!」

 

 どうしよう……帰りたい……。

 

 



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遺骸王の交流 慰

 

 魔界の改築工事を行う傍らで、神綺は生物創造の研究にも精を出していた。

 というより、私の方の設計作業に大分時間がかかってしまうので、神綺としたらむしろ、そちらの研究を主としてやっていたように思う。

 

 私の目から離れた場所でやっていたので、神綺の行っていた研究や実験などの内容は、私は関知していない。

 

「ゆっ、ゆゆっ」

「ゆっ! にんげんさんがもどってきたよ! しんきたちのゆっくりぷれいすからでていってね!」

 

 なので、いつの間にか彼女が生み出していたこの……なんだ。

 この……生首? ……生物についても、私は詳しく知らないのである。

 

 故に、質問があったら神綺に訊くように。私に訊かれても困るし、自分で調べたいとも……あまり思わない。

 

「あおいふくなんてせんすないわね!」

「ゆっくりあるいておかえり!」

 

 “ゆっくり神綺”が二体、いつものようにぎゃーぎゃーとわめき、スライムの如く飛び跳ね、サリエルの足下で暴れている。

 ゆっくり神綺達は初めて目にするサリエルに対して、何やら不満があるようだが……あれらの考えることは正直、私達まともな者からしてみれば常軌を逸しすぎているので、マトモに対応しないことが吉である。

 

 サリエルが魔界にやってきてから四日。

 来ると決めた時は意気揚々としていた彼女だったが、どうもこちらへ来てからというもの、あまり元気が無い。

 

 

 

「……サリエルは今日も、こもりきりですか?」

「うーん……まぁ彼女の私生活には、あまり干渉するべきではないんだろうけど……さすがにちょっと、気になってくるよなぁ」

 

 サリエルは魔界の森林の片隅で、座り込みながらじっとしている事が多い。

 最初に神綺と顔合わせをして挨拶した時にも、目線があっちこっちに行って心ここにあらずといった様子だった。

 神綺にとってサリエルは、初めて出会う外界人であり、かつ私以外で初の知的生物である。

 神綺はサリエルを大いに歓迎していたが、サリエルの様子がおかしかったので、どうも喜びが消化不良に終わってしまっている。

 

 せっかく住人が増えたのだから、盛大にお祝いをしたいのだ。それは、私も同じ。

 けど今のままだと、パーティをやっても中途半端な結果に終わることは間違いない。

 

 どうにかサリエルを、元気づけられればいいのだが……。

 

 

 

「どうしようか」

「どうしましょうねえ」

 

 私と神綺は根城に集まり、密かに作戦会議を行うことにした。

 

 サリエルはもはや魔界の住人である。ならば、私達は住人が快く住める環境を提供しなくてはなるまい。

 魔界は決して、生首や生足だけが住まうユートピアではないのだから。

 

「サリエルの事は、私もライオネルから色々な話を聞きましたが……本来は、無気力な人ではないんですよね?」

「うむ、もっと真面目で、キビキビ動くような印象が強かったんだけども」

「けど……」

「何であんなふうになってしまったのだかねえ」

 

 今のサリエルは、森林の中で何もせず座り込むだけで、ゆっくり神綺達に絡まれてばかりだ。

 幸い、大型の原始生物らに襲われてはいないようだし、彼女自身もかなり強いはずだから、心配はいらないだろうけど……。

 このまま何もせずに隠居生活に入られるのはちょっと嫌だなぁ。

 

 彼女もせっかく魔界へ来たのだ。何か話したり、共に活動したい。

 

「あの、ライオネル。もしかして、サリエルは……」

「ん、神綺、もしかして何かわかった事が?」

「はい。けど、あくまで想像なんですけど……」

「大丈夫大丈夫、何でもいいから、思いついたのを言ってみて」

 

 神綺は真面目な顔つきで咳払いし、二呼吸ほど置いた。

 

「……サリエルは、新しい環境にやってきて……故郷のことを想っているのではないでしょうか」

「故郷……ふむ」

 

 つまり、ホームシックということか。

 なるほど、確かに見知らぬ土地で一人……それはかなり寂しいものだ。私にも経験があるので、よくわかる。

 

 勢いづけてやってきたはいいものの、孤独に気付いて気落ちして……。

 

「確かに、神綺の言う通りかもしれない」

「ライオネルも、そう思いますか?」

「うん。来る直前には、私から天界の話を聞いていたし……」

「ああ、それではやっぱり……」

 

 サリエルがホームシックに罹っている可能性が微粒子レベルで存在している。

 

「……よし! 神綺、サリエルを元気づけるために、ちょっと協力してくれるかな?」

「ええ、喜んで。私も、あの人が落ち込んでいる様子を見るのはあまり好きじゃないですからね」

 

 こうして、私達はおせっかいのために動き出した。

 

 



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 サリエルを元気づけるためには、どうすればいいか。

 彼女がホームシックだと仮定した場合、天界を模した建造物やイベントなどで里心をくすぐるのは、逆効果であると言えよう。かえって天界に戻りたくなるのは明白だからである。

 

 どうせ魔界で生活することになるのだ。いつまでも天界の事を引きずってはいられない。

 すっぱりと故郷への未練を忘れ去れるよう、私達が魔界の良さを全力でアピールしなくては。

 

 そういうことで、私達はサリエルのために魔界のPRを行うことにした。

 やってきて早々に面食らった彼女には、まだまだ魔界の良し悪しは完全には解っていないことだろう。

 せっかく再構築した魔界だ。隅々までじっくりと見てもらい、魔界の魅力を堪能してもらおうではないか。

 

 

 

「ゆっ! ゆゆっ! あおいにんげんさん、あまあまちょうだいね! びーるでもいいよ!」

「にんげんさん、ここはしんきたちのなわばりっだよ! でなおしてきな!」

 

 とりあえずサリエルに群がっているゆっくり神綺の二匹を両手で確保。

 

「ゆっ?」

「ゆゆっ?」

「からのー……飛んでけぇー!」

 

 そして、明後日の方向へ全力投球!

 

「おそらをとんでるみたいぃぃぃ……」

 

 ゆっくり神綺達は風魔術を込めた力によって彼方へ吹っ飛び、キランと光って見えなくなった。

 あの生物は地味に翼を出して飛ぶこともできるので、特に心配はいらないだろう。

 脚だけの連中も大概だけど、あれもあれで、なかなかしぶとい生き物なのだ。

 

「おーい、サリエルさーん」

「サリエル、お話良い?」

 

 生首を退け、岩の上に座り込んだサリエルの背に声をかける。

 すると彼女はしばらく間をあけた後、冷め切った顔だけをこちらに向けた。

 

「……何か用か」

 

 うわあ、なんかすごいぶっきらぼう。

 彼女がこもり初めてからあまり口を聞いてもいなかったので、かなり怖い。

 

「ええとね……実はサリエルのために、魔界の色々な場所を紹介しようかなと思っているんだけど……」

「……場所か。私には、このくらいの普通な森が丁度良いと思っているのだが」

「いやいや、森以外にももっと沢山、いい場所があるんだよ」

 

 いくら地上での生活が長かったからって、それはないでしょうよ。

 仮に本当に好きだったら、もっと歩きまわったりするだろうに。

 

「サリエル、魔界は嫌いなの?」

 

 私が腕を組んで困っていると、神綺が前に出て訊ねた。

 その口調は私に使うものとは違い、随分と砕けたものである。数億年も見ることのなかったギャップに、私がちょっとだけ驚いたのは内緒である。

 問いかけを承けて、サリエルはこちらに向けた顔を逸し、静かにため息を零した。

 

「……さあ、どうだろうか。私は、まだまだこの魔界の深淵を覗いてはいないからな。まだまだ、嫌いというわけではないのかもしれん」

 

 深淵ってなんだ深淵って。大渓谷のことか。むしろおすすめスポットだよ。

 

「だったら、一度私達と一緒に見て回るのはどう?」

「……君たちとか」

「ええ。それだったら、魔界の生物に襲われることもなく安全に移動できるわ」

「安全……私はここの生き物に引けを取るとは……」

「なら、尚の事外に怯える理由はないわよね?」

 

 すっごい誘導してる。

 

「……まぁ、たしかにな」

 

 明らかに誘導でも、サリエルは真正面から正直に受け答えするタイプだった。

 

「じゃあ、決まりね。ついてきて、サリエル。私とライオネルが創造した魔界を見せてあげるから」

 

 神綺のストレートな誘いによって、サリエルは渋々ながらも、しっかり縦に頷いた。

 私、無言でガッツポーズするだけ。

 もう全部神綺だけで良いんじゃないかな。

 

 

 

 サリエルは原初の力を使えない。

 それはつまり、魔界における瞬間移動ができないということである。

 

 そのため、移動は空中を浮遊しながら、まったりと観光する運びとなった。

 まぁ、その方が魔界の表情もよく見えるので、丁度良いだろう。

 

「あれがライオネルの作った“空中儀”よ。魔界の空を巡回しながら、定期的に全体を半回転させるの。中に複雑な術式と機構が入っていて、自然の魔力だけで動くの」

「……技術は認めよう。どういった目的で作られたものなんだ」

「表面にはいくつも居住空間があって、そこに人が住めるようになってるわ。回転しても、重力魔法で調節してるから大丈夫なんだって。あと、私は詳しくないけど、外付けの半永久機関としても使えるとか……」

「ふむ……」

 

 そして、神綺の説明は丁寧で、聞き取りやすい。私のマミ(ゾンビ)声とは正反対で、まさに天使のようである。

 サリエルと神綺は互いに六枚の翼を備えているだけあって、並んで飛ぶ姿も神々しい。私だけ闇属性。ちょっと疎外感。

 

「向こうの空に見える赤レンガの建造物群が、“ブックシェルフ”と呼ばれている街。空を飛べる人にとっては便利な場所にあるわ。今は私達が作った本が沢山置かれてるだけで、無人なんだけどね」

「あれも、漂っているのか」

「一定範囲をね。けど、大きく逸れることはないから、不便ではないかな。むしろランダムに近づく分、自分で移動する労力が少なくて済むし、私は便利だと思ってるわ」

 

 空に浮かぶ、巨大な赤レンガの集合体。不安定に傾いたりなどしているが、重力制御によって内部に問題はない。

 あれも作ったはいいけど、まだ無人だ。まぁ、高い空に飛んでいる分、ゆっくり神綺たちに侵入されなくて、都合は良いんだけど。

 

「……住人がいない建物ばかりだな」

 

 サリエルはブックシェルフを見上げながら、何気なくぽつりと呟いた。

 

「魔界の住人といったら、私と神綺しかいないからね」

「え」

「サリエルが三人目なのよ。だから、私達すごくうれしくって……」

「待て」

 

 サリエルは険しい顔で、私達の言葉を制した。

 

「……お前達は、いつからここに……この魔界の民として、存在しているのだ」

 

 その問いかけに、私と神綺は顔を見合わせる。

 そして二人同時に、全く同じ言葉を発した。

 

 

「「四億年とちょっとかな」」

 

 



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 神綺の丁寧でわかりやすい説明もあってか、次第にサリエルは、真面目な面持ちで私達の案内についてくるようになった。

 

 果てなく続く大氷土。

 古代生物の蔓延る大森林。

 激流轟く大渓谷。

 

 それぞれの成り立ちや役割、歴史などを説明すると、サリエルはそれらを、食らいつくかのように真剣に聞いてくれた。

 時には“それはどういった生き物なのか”とか、“ずっとここにあるものなのか”とか、意欲的に質問も投げかけてくる。

 

 どうやら、なんとか興味をもってくれたらしい。

 私と神綺は大いに喜んで、紹介にエピソードを交えながら、どんどん魔界の中心部へと進んでゆく。

 

 

 

 大渓谷を奥へ進めば、そこには街が広がっている。

 石造りの彫刻都市。私と神綺とで、長い長い歳月を掛けて作り上げた、手掘りの街だ。

 

「……ここは」

 

 サリエルは粗っぽい岩陰から一歩踏み込んで街へと入ると、その光景に圧倒されたらしい。

 一歩目から動けずに、そこで立ち止まっている。

 

「ここは彫刻の街。ありとあらゆるものが石で作られてるから、綺麗なかわりに、ちょっと寒そうだけどね」

 

 この街には不滅の魔術がかけてある。

 不蝕不滅。保護魔術ではあるが、誰も住まない街を風化から守るだけならば、対して魔力を消費することもない。

 街の各所に備えた機構で魔力を収集すれば、十分に賄えるレベルだ。

 

「サリエル、先に行きましょ。この先に、私達の使っている根城があるのよ」

「……ああ」

 

 私達の催促を受けて、サリエルはゆっくりと回り見渡しながら街を出た。

 

 ここも確かに傑作ではあるけど、一番知ってほしいのは実用性のある場所だ。

 まずはそこへ案内しなくてはなるまい。

 

 

 

 大渓谷の中央。最も巨大な岩山の頂上に、私達の根城は存在する。

 これもまた総石造り。

 時代の流れと共に改築と増築を繰り返し、今では魔術機構を複雑に内蔵した、一種の結界のようになっている。

 

 魔界の中において、私達は移動というものをする必要がない。瞬間移動ができるからだ。

 故に、様々な研究や実験は、全てここで行われる。器具や機材も揃っているので、困るようなこともない。

 

 ただ、内装の利便性にこだわりすぎたせいで、彫刻の街ほど内装に拘れていないというのが、ちょっとした欠点である。

 今日のようにお客さんを呼ぶなら、もう千年くらい、改築を頑張っておけば良かったと思う。

 

「ここが、お前達の……」

「拠点といえば拠点だね。便利、ただその一言に尽きるよ」

 

 周囲には渓谷がいっぱいに広がり、根城の中には人造ドラゴンも徘徊している。

 たくましい生足おばけや生首ゆっくりまんじゅうでも立ち入ることのできない、険しい立地だ。

 その険しさのおかげで、根城の中では平穏な時が流れ続けている。

 

「……ここがライオネル、お前の……最も安心出来る場所というわけか」

 

 サリエルは、納得するようにつぶやいた。

 

 それは彼女の自己完結だったのかもしれない。

 けどその一言は、私の心の中に強く突き刺さる。

 

 

 

 最も安心できる場所。

 私はそれを聞いて、“違う”と言いそうになってしまった。

 

 でも本当は、違わない。

 なぜなら、私に家と呼べるような場所はここしかないのだから。

 

 ……それでも、私はやっぱり頷けない。

 私にとって、最も安心できる場所。

 

 この根城は、とても安心できる。

 誰にも邪魔されないし、好きなことができるから。

 

 けど最も安心できるかといえば、それは多分、ここではないのだ。

 私にも、何と言えばいいのか、わからないけれども。

 

「ライオネル?」

「ああ、ごめんよ」

 

 慣れない考え事をしていると神綺が心配そうな顔で私を覗きこんできた。

 サリエルもどこか怪訝そうな目で、私を見ている。

 

「どうした?」

「いや、どうというわけでもない」

 

 本当に、別にどうってことないことだから大丈夫。

 

「そうか、なら良いのだが……ところで」

「うん?」

 

 サリエルは根城の屋上で大渓谷を見渡しながら、この根城のほとんど真下の場所に杖を向けた。

 

「この根城の真下にも、何か建築物があるようだが、それは?」

「ああ、墓廟か」

「墓廟?」

「うむ」

 

 根城。その真下、渓谷の谷の底には、大きな墓廟が存在している。

 それは、私が殺した神を祀る場所。神骨の杖を安置するための、魔界で最も静かであるべき場所だ。

 

「墓というと、死体があるのだな。そこには、一体誰が……」

「サリエル」

 

 サリエルは質問で追及しようとしたが、それは神綺によって阻まれた。

 神綺の翼はいっぱいに広がり、私とサリエルの間に壁を作っているようにも見える。

 

「この下の墓廟は、軽々と入ってはならない場所よ」

「……む、そうか」

 

 神綺の言葉に、サリエルは悟ったのか、察したのだろう。

 簡単に引き下がり、それ以上聞くことはなかった。

 

 ……ちょっと、なんだか重い雰囲気。

 神綺! いや、まぁ確かにあの墓廟は私も入らないような場所ではあるけど、ようやく来てくれた人にそんなぶっきらぼうな答え方はないよ!

 

 こ、この空気をなんとか変えなくては……。

 

「そうだ、神綺。せっかくこんな見晴らしの良い場所に来たんだし」

「え?」

「サリエルのために、演奏会を催すのはどうだろうか!」

「……ああ、それ、とても良いですね!」

 

 私が少々強引に提案すると、神綺は顔を綻ばせて頷いてくれた。

 演奏会。それは、私と神綺が練習に練習を重ね、これまた長い時間をかけて準備してきたものである。

 彼女はフルートによる演奏を気に入っており、常々それを他人に聞かせたがっていた。

 ようやくその出番がきたことを思い出し、気分が高揚したのだろう。翼をみればわかる。

 

「演奏会?」

「ええ! こうしちゃいられないわ、早くフルートを持ってこないと! お気に入りの、どこに置いたかしら……」

「よーし、それじゃあサリエル、ここで待っててちょうだいな」

「え? あ、ああ、うむ……」

 

 そんなこんなで、いつもの調子だ。

 

 建築物を作り、音楽を奏でる。

 そんな日常の中に、サリエルが加わった。

 

 けれど私達にとって、それはとても新鮮な、新たな風であった。

 

 研究も、実験も、遊びにしても企画にしても、そこに一人加わるだけで、新たな彩りが芽生え始めるのだ。

 

 

 

 未だ名も無きバイオリンとフルートの音の祝福の中で、サリエルは私達の仲間として輪に加わった。

 天界に住まう神族であろうと、穢れなどと呼ばれていようと、堕天使だろうと関係のないことだ。

 彼ないし彼女の中に、人の心があるならば。

 

 



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 サリエルが魔界の住民となり、長い時間が流れた。

 

 彼女はまず、魔界における自分の立ち位置を探すために右往左往していた。

 根が真面目なのだろう。何か役割を与えられなければ落ち着かない性質なのだった。

 

 しかし役割と言われても困るのはこちらの方で、私達は特別、魔界において“何々をしなければならない”という事は決めていない。

 その場その場で“何がしたいか”で自分の行動を決めていくので、ノルマらしいものは定めていないのだ。

 そもそも急がなければならない用事もなかったのだし、当然である。

 

 とは説明したものの、サリエルはサリエルで融通が聞かず、何か役目をくれと言って聞かない。彼女は私と神綺をこの魔界の管理人であるのだからと、その役目のいくつかを譲ってくれとしつこかった。

 

 結局私が根負けして、“それなら、まぁ”というような軽いノリで、彼女に一つ、魔界での役目というか、仕事を与えることにした。

 

 それが、“魔界ヘ来る者の監視”という役目である。

 

 

 

「“幽玄魔眼”!」

 

 サリエルが生命の杖を突き出すと、先から稲妻が迸った。

 

 おお、雷魔法かぁーと一瞬だけ感心しかけたが、それが通常の魔法でないことはすぐに判明する。

 雷の帯は5つに分かれ、拡散し、魔界の空へと登ってゆく。

 

「おおー」

「すごーい」

 

 しばらく雷が進むのを待つと、際限なく伸びる雷の帯は空に5つの帯電域を作り出し、そこにそれぞれ一つ目らしきものを現していた。

 空に浮かび上がる、5つの巨大な眼。ギョロギョロと動きながら、魔界の様子を睨んでいる。

 

「これが邪眼だ。私が先天的に持っていた力のひとつだな」

「目玉だ」

「あの目はどこまでも見通す力がある。私は魔界の中を自在に瞬間移動することはできないが、その代わりに、魔界の様々な場所を同時に見ることはできるぞ」

 

 おお、それはすごい。

 魔界の中での異常の察知は、神綺にもある程度ものが備わっているが、彼女だって全てを知覚できるわけではない。

 瞬間移動はできても、自分の居ない場所まではカバーできないというのが、私達にとっての唯一弱点らしい弱点だったのだ。

 

「すごいなサリエル、そんな力があったなんて」

「ふふん。魔眼を通して攻撃することだってできるぞ」

「こんなすごい事ができるなら、もっと早めに言って欲しかったわ」

「いや、その……うむ、必要ないかなと」

 

 今更ながら、サリエルは特別な力を持っていた。

 それが今放ってみせた“幽玄魔眼”だとか、そういった様々な眼術……“邪眼”なのだという。

 

 今披露してくれたのは、雷の眼を通すことによって、遠方の様子を探る、感知するという邪眼らしい。

 邪眼にはいくつか種類があって、中には相手をゆっくりと石化させるような、物騒なものもあるのだという。

 元天使なのに、随分と物騒な奴である。

 

「ともあれ、この眼術があれば侵入者の監視など容易なこと。ライオネル、そして神綺よ。魔界の保全は私に任せておくといい」

 

 ドヤァ。

 ……なんか、こういう顔をする時のサリエルって、不思議とすごく……信頼できないんだよなぁ。

 

「まぁ、うん。ほどほどに頼むよ。当分は誰も来ないと思うけど……」

「なに、来てからでは遅いのだ。私は常に油断なく、監視の役目を果たしてみせるぞ」

「そうか……うん、サリエルがやってくれるなら、安心だ」

「そうだろう、そうだろう」

 

 まぁ、サリエルが生き生きしてるから、これはこれで別に良いか。

 

 

 

 サリエルは魔界の監視に没頭しているために日頃の付き合いは悪くなったが、それでもたまに根城にやってきては、私や神綺とともに研究の手伝いなどをしてくれた。

 研究というのは主に原始魔獣に関するもので、元原始魔獣であるサリエルの目線から投げかけられる意見は、実に新鮮で、有意義なものであった。

 

 神綺は生首だけの謎生物“ゆっくり神綺”を創れるようにはなったものの、その知能レベルや生物としての次元はかなり低い。

 というより、生物とは別方向の存在であるような気がして、このまま進んでも望むような結果は得られない気さえしていたのである。

 その点、生物創造に関するアドバイスをしてくれたサリエルは良い風となった。

 もしも彼女がいなければ、私達は謎の“ゆっくり神綺”の先にある、更に混沌とした生物を生み出すところであった。

 

 サリエルの言うアドバイスとは、単純に“大型原始魔獣”を手本にしてはならない。というものである。

 大型原始魔獣は、穢れが穢れを溜め込んだ最終形態であるため、サリエルら神族にとっては死体にも近い状態らしい。

 見た目こそは生きているかのように見えるが、彼らからしてみればそれは大間違いなのだとか。

 

 では神綺は何を手本に生物を創造すればいいのかと私が問うと、サリエルは可愛らしく首を傾げて、こう言った。

 

 “私でも手本にすれば良いだろう”と。

 

「ふーむ……」

「そっか、サリエルを手本……」

 

 これのやりとりをきっかけに、長年に渡る神綺の生物創造の迷走に、一定の目処がつくこととなった。

 

 肉体だけで動かない死体生物、脚とアホ毛しかないたくましい謎生物、ゆっくりゆっくりうるさい生首生物。

 神綺の生物創造は様々な名状しがたい歴史を重ねてきたが、この日を境に、彼女の力は一変する。

 

 



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「はい、じゃあもう一度ね。神綺」

「……しん、ぎ」

「神綺よ、神綺。し・ん・き」

「し、ん、き」

「そうそう、上手ねー」

 

 質素な貫頭衣だけを身にまとった女性を前にして、神綺は優しく声をかけ続けている。

 女性がどれだけ言葉を詰まらせようと、悩もうとも、神綺は怒ったりしない。常につきっきりで、まずは自分の名前からと、発音を教えこんでいるのだ。

 

 

 

 神綺は、ついに人を生み出した。

 

 それまでの部分的な脚とか、髪とか、顔とかだけの生物ではない。

 五体満足、しっかりそれなりの知能まで兼ね備えた、毛むくじゃらではない人間だ。

 

「……驚いた。メタトロンも、我々穢れに知能を分け与えることは可能ではあったが、一から創り出すことまではできなかったぞ」

 

 遠くから神綺達の様子を見守る私とサリエルは、二人で感心しきっていた。

 特にサリエルなどは、生物を一から生み出すという非現実的な能力を前に、強い畏れを抱いているようだ。

 

 生殖でもクローンでもない、一からの生物の創造。

 確かによく考えてみれば、それはまさに神と呼ぶに相応しい能力である。

 

 神綺は生物創造を更に高次元のものへと高めるために、サリエルの身体の性質を模倣した。

 その結果、彼女の生物創造の力は飛躍的に高度なものとなり、ほんの少しの段階を経て、数百年ほどで立派な人間を生み出せるまでになってしまったのである。

 

 今の創造体は、およそ2万人目の個体。

 改良を初めてから最初期の頃こそ、足腰の立ちも悪い不完全な人間が生まれてしまったが、今では何の障害もない、元気な人間が生み出せるようになった。

 

 ちなみに、サリエルをベースにしているとはいっても、それは内面的なものである。

 見た目や能力などは神綺のさじ加減でいくらでも変更できるらしいので、サリエルの子供がうじゃうじゃ増える、ということにはなっていない。

 

「しかし、そろそろ地球上でも生物が生まれそうだっていうのに、魔界の方が先だったかぁ」

 

 私がしみじみそう零すと、隣のサリエルは怪訝そうな顔をした。

 

「……地球には天界があるだろう。私達神族がいる以上、私達が先なのではないか?」

「ああ、違うんだ。天界の人達とはまた別で」

「うん?」

「地上。天界の外、外界……そこに生きる生物が、近い未来、人になるんだ」

「はは、そんな馬鹿な。まぁ、我々神族も、遠い昔に地上のサルの形を真似たことはあるかもしれないが……地上の生物如きでは、そのような高度な生物は出るはずがない」

 

 いやぁ、まぁね。私も覚えてなかったら、同じ事言ってたかもしれないんだけどもね。

 でも、きっともうそろそろ生まれるはずなんだよ。高度な智慧を持つ霊長類達が。

 

 

 

 神綺は新生人類……魔界生まれだから、魔人と呼称することにしよう。

 魔人の世話にかかりきりで、他の事に携われる状態ではない。

 私も新たに生まれた魔人のことが気になるので、まだまだ知能の未成熟な魔人達とコミュニケーションを取ろうとしているのだが、どうも私の姿や声が怖いのか、魔人達は私に懐いてくれなかった。

 あまりに魔人たちが私に懐いてくれないので、神綺から直々に“ちょっと距離を置いていただけると”……なんて言われてしまった事もある。それは過去百年中で最もショックな事件であった。

 

 なので、私は結局、暇なままだった。

 魔界の住人候補が生まれたというのに、困ったことである。

 

「……マスクでも作ろうかなぁ」

 

 ゾンビ顔のままでは、地上に人類が現れたとしても、きっとその中に混じることはできないだろう。

 今のうちに良い印象を与えるような仮面でも作っておくべきかもしれない。割と真剣にそう思った。

 

 

 

 

 それからもうしばらく、時間が流れる。

 

「侵入者がきた」

「え?」

 

 私が木彫の仮面を作っている最中、真剣な面持ちのサリエルが部屋に飛び込んできた。

 

 彼女の両目は薄く輝いている。きっと、彼女の操る幽玄魔眼による視界がリンクされている最中なのだろう。遠くに存在する者の存在を、ここにいながらにして知覚しているのだ。

 

「侵入者というのは、どんな?」

「人型だ。こちらに転移した影響があるのか、姿はよく見えん。大型原始魔獣ではなさそうだ」

「おお? 人型……あ、それってまさか」

 

 私は仮面を手放し手を叩き、閃いた。

 

「ついに天界からお客が来たのか!」

「天界……? ああ、そういえば、メタトロンから寄越すかもしれないという話を聞かされたのだったか」

「こうしちゃいられない、すぐにお出迎えしなければ!」

「おい、ライオネル。お前自ら行くというのか。相手はまだ誰だかもわかっていないのだぞ。私が行っても……」

「サリエルも来たいなら、一緒に来てもらえると嬉しいな」

 

 私はローブについた木くずを払い、風魔術と水魔術による洗浄を行い、身支度を整えた。

 そうしてサリエルの方へ向き直ると、彼女は首を横に降っている最中だった。

 

「いいや、私はやめておこう。天界の住人であったならば、堕天使である私に合わせる顔はない。天界の者でなければ、私にどうこうできる相手かもわからん」

「あー……なるほど」

「私にも敵だとわかりきっている相手を迎撃することは可能だが、現状では不明だ。今の私にとっての最善は、お前に侵入者の報告を届け、位置を教えることのみだ」

 

 思わず頷きたくなってしまった。

 なるほど、サリエルも彼女なりに、自分のできることを考えながら動いているんだな。

 

「そういうことなら、わかった。それじゃあサリエルは、根城で待っていてくれ」

「ああ、了解した。このことは、神綺に?」

「うーん、そうだね。一応、彼女にも報告してもらえると助かるな」

 

 私が行っても生まれたての魔人達に泣かれるだけだけど、サリエルなら六枚の綺麗な翼もあってか、みんなに懐かれやすいしね。この前みたいに羽根モフモフされてきなさい。

 

「場所はここだ。以前に地方都市を作ろうと画策していた……」

「ああ、そこね。随分辺鄙な場所に現れたなぁ……まぁいいや、とにかく行ってくるよ」

「気をつけろ。用心に越したことはない」

「心配症だなぁ」

 

 人型相手なら話も通じるだろう。

 そんなノリで、私は特に警戒することもなく、杖も無しに瞬間移動した。

 

 目指すは都市建設予定地(空き地)である。

 



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 そこは以前に“法界付近にも都市があれば便利ではないか”と提案し、基礎工事を始めた場所であるのだが、着工から数十年ほど経ってから“緊急時の結界として使う法界の近くに都市を作るのはいかがなものだろうか”という極々真っ当なサリエルの言葉により、工事を中止した場所である。

 

 名前はまだ、決まっていない。

 工事を始めていたとはいえ、そのほとんどが基礎工事と建築計画だったので、建造物らしい建造物も出来ていない。

 都市周辺に植林し、水源を生み出して終わっただけの、もはや大きな公園と言っても良いほどに、何もない場所だ。

 

 だから私が魔界の辺境に降り立った時、見晴らしの良いそこにおいて、来客の者をすぐに見つけられたのは、当然の結果であると言える。

 

「おお」

 

 遠方、およそ三百メートル向こう側に佇む人影を見て、私は感嘆の声を漏らした。

 枯れ枝のような細い指で輪を作り、そこに簡易の“望遠”を組み上げて覗いてみれば、なるほど確かに、そこには確かに人型の者がいる。

 

 魔界に来たばかりで、まだ周囲の環境に戸惑っているのだろう。不安げに周囲を見回しながらも、鋭い目つきで警戒しているようだ。

 そのうちに私の姿を認めると、男は更に目を鋭くさせ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。

 

 友好的……では、ない。

 むしろ、今は歩いているものの、あと数秒のうちに段々と走り始め、腰に差した剣を抜き放って襲いかかってもおかしくはない気迫である。

 

 が、それもきっと私の姿が最大の原因だ。

 魔界と呼ばれる地でスケルトンに出会ったら、そりゃ私だって先制攻撃をかますだろう。

 

 こういう時には第一印象を覆すような、親しみを抱かせるジェスチャーが有効だ。

 

「おーい」

 

 私はおもむろに片腕を挙げて、手を振った。

 当然、挨拶である。

 

 挨拶はどんな世界でも、たとえ動物の世界であっても重要なコミュニケーションだ。

 こちらに知性が有り、害意がないことを示すための最低限の証明、それが挨拶である。

 

 するとほら、どうだろう。

 表情の険しかった男は口元をニイィと釣り上げて、鋭い目つきのままこちらに歩いてくるではないか。

 

 ……あれ? おかしいな。あの人、ちょっと怖いぞ。

 

 あ、でも手は振ってるし、大丈夫なのかな……。

 いや、どうだろう、近づいてきたら剣を抜いて斬りかかるってこともあり得なくはない顔をしてるぞアレ……。

 

 ……ま、まぁ、私は不死身みたいなものだから、いざ斬りかかられてもきっと大丈夫だろう。きっと……多分……。

 

 

 

 

「いやぁ、転移を試みた時は不安で仕方がなかったが、無事に魔界に来れたとは、実に僥倖!」

「ははは」

 

 お互いに歩み寄り、いざ言葉を交わしてみれば、男は想像以上に明るい性格だった。

 私やサリエルの予想通り、男は天界の出身で、向こうのお偉いさんから話を聞いて、いてもたっても居られず魔界へとやってきたのだという。

 

 男の身なりは、サリエルのような西洋寄りではなく、もうちょっとエキゾチックな感じがする。

 丁度インドかそこらの僧衣が着るような服装に、錫杖とカンテラを手にした、旅人というよりも修行僧に近い出で立ちだ。

 

 しかしこの男、眼力が強い。

 朗らかに笑っているであろう今この時でも、男の目だけはどうしても怒っているようにしか見えず、ものすごく怖い。

 正直、こうしてのんきに話している今でも、一瞬後には居合さながらの抜刀術で斬り殺されるんじゃないかって疑念が拭い切れない。

 それは言い過ぎだとしても、この男は絶対に既に何人か殺してる。そんな確信を抱かせるような目つきである。

 

「と、ところで、あなたのお名前は?」

 

 つい恐ろしすぎて、私の口調も改まってしまう。

 サリエルやメタトロンにさえ丁寧語なんか使っていないのにこれである。

 けどこのままの口調でいくと相手と上下関係がついてしまいかねないので、自然に戻さなくては。

 

「私か? 私はクベーラという。何、しがない天界の商人だ」

「はあ、商人……」

 

 それは死の商人か何かでしょうか、って冗談めかしたら懐から拳銃取り出されて眉間を撃ちぬかれそうなのでやめておく。

 

「うむ、天界の暮らしは愉快ではあるが、同じ土地に留まっていては娯楽に欠ける。そこで、私は天界を渡り歩きながら、方々の宝や芸術をやりとりしつつ、交易を行っているのだ」

「ほおー、それは本当に、商人らしい」

 

 なるほど、つまり物々交換をして回っているということか……それはなかなか、面白い発想である。

 天界の人々がどう暮らしているのかは知らないが、様々な文化を運ぶ役目というのは貴重だし、重要だ。

 日本も外国からやってきた人々の影響で、技術を急速に発展させていったわけだしね。

 

「ということは、クベーラは魔界へ、商いをしにきたと?」

「いかにも! 魔界とは未知で、暗い噂や話ばかりしか聞かない土地。私もこの地に足をつけるまでは恐ろしい場所だという先入観が拭えなかったが、それでも商売の一番槍を取れるのであれば、賭けてみるのも悪くはないと思ってな!」

「おおー……って、やっぱり魔界の印象って、まだまだ悪いんだ……」

「悪いも何も最悪よ。黄泉の国と何ら変わらぬ場所とも、それそのものとも言われているくらいだからなァ」

「ひどいなぁ」

 

 これまで何百年も、何千年も天界からの人が来なかったのも、そういう印象があるせいなのかもしれない。

 通りで誰も来ないと思ったよ。やっぱりそういう理由があったのね。

 

 しかし、クベーラは自分が死ぬかもしれないというリスクを冒してまでここへやってきた。

 そうまでして先んじようとする商売魂、それは実に素晴らしいと思う。

 

「そういうわけで、えーと、お前、名前は何だ? ここの神か?」

「私はライオネル。神は別に、神綺って子がいるんだけど……」

「よしライオネル、ならばその神綺という奴の所に案内しろ。早速、魔界の品々を見繕いたいのでな!」

「あ、はい。うん」

 

 こうしてこの魔界に、初めての商人がやってきた。

 これから彼を皮切りに、外の世界の神族達が度々行商にやってくるかもしれない。

 

 でも最初からこちらの住人になるつもりできたわけでは無さそうなので、私のテンションはちょっぴり下がった。

 



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 クベーラの言うところの取引とは、物々交換であった。

 共通の貨幣がないのだ。仕方のないことである。

 

 客人とはいえ私達の根城へ直接案内するのはどうなのだと思った私は、一度根城へ瞬間移動して神綺に事の次第を説明した後、ひとまずクベーラを応接用の館へと案内することにした。

 

「おお、おお! 魔界と聞いてどのような邪神が来るかと思えば、かような麗しい神がお出ましになるとは!」

「あら、ふふふ、ありがとう」

 

 神綺は褒められたこともそうだけど、外来の人と話せて嬉しいのだろう。

 クベーラの目つきに動揺すること無く、実に神らしい態度で彼を案内していた。

 私は後ろでこそこそついていくだけ。なんかちょっと情けない。

 

 

 

 館は、海の側にあるリゾート予定地を利用する事にした。

 不蝕不滅の魔術を施した巨大ログハウスへとクベーラを案内すると、彼は館の外観を見て感動したり、扉を見て感動したり、とにかく何を見ても驚いたり、感動してくれたりした。

 工夫を凝らして作った私達の側として、そういった反応は嬉しい限りである。商談も大事だけど、こんな自慢話にも花が咲く。

 

「いやはや、なかなか卓越した技術を持っているようだ。正直な所、魔界だからと侮っていたぞ」

「えへへ……」

「いやぁそれほどでも……」

 

 クベーラは褒め上手である。

 いや、実際にそれだけ他人を感動させるだけの技術を私達が持っているのかもしれないけれども。

 それにしても彼は妬みもせず、感動をストレートに私達へと伝えてくれる。それは存外に嬉しいものだ。

 

 しかし、気を緩めてばかりではいけない。

 これから始まるのは、商談なのだ。褒められ乗せられては、もしかしたら向こうの良いように話が進んでしまうかもしれないのだ。

 気をしっかり持ち直し、相手の駆け引きの仕方に目を光らせなくてはならぬ。

 

 

 

 木製の館の広い一室で、大きなテーブルを挟み、私達とクベーラが向かい合っている。

 クベーラと一通り、魔界や天界の自己紹介などを交えつつ、今ははてさてといった感じで、早速商談が始まろうとしていた。

 

「うーむ、ここまで色々と見て回っただけでも、随分と目ぼしい物が見つかったが……」

「目ぼしい物? まだ何も見せてないけど……」

「うむ。私からしてみれば、天界にはないそこらの植物ひとつをとってみても、非常に価値のある珍品だ」

「えええ、そのくらいならいくらでも持って行ってくれてもいいのに」

「やや、こちらにもこちらの矜持というものがある。小石ひとつにも、タダというわけにはいかん」

 

 最初は商売根性の据わった狡っ辛い人かなとも勘ぐったが、どうもクベーラは、そんな性格ではないらしい。実直で、誠実そうな人柄だ。

 まぁ、だからこそ神族なんだろうけども。

 

「それで、だ。私としては、魔界の品であれば何だって欲しい。であれば、逆に私は、そちらが求めるものを伺いたいのだが」

「私が欲しいもの?」

 

 おお、そう来るとは思わなかった。

 足元を見られない商談であれば、初回だから適当に魔界の品々を太っ腹に渡して、どうぞおみやげです、また来てねっていう取引でも良いと思ってたんだけどな。

 

「そうだ。これでも私は天界の豪商として名が通っているのだ。ちょっとばかし、興味がある品があれば、見てくれんか」

「……じゃあ、ちょっと見せてもらおうかな? 神綺は、どう?」

「ええ、私も見てみたいですね」

 

 そんなわけで、二人で頷き合い、クベーラから商品を見せて貰うことになった。

 

 しかしクベーラの持ち物と言えば、カンテラと錫杖の二つだけ。他に荷物のようなものは見当たらないのだが……。

 

「では、少々散らかすが……失礼」

 

 そんな事を考えていると、クベーラは徐ろに、腰に備え付けた薄っぺらな革袋のようなものを取り出して、そこに深く手を突っ込んだ。

 中に宝石でも入っているのかなと思ったが、どうも様子がおかしい。

 袋はせいぜい三十センチほどしかないというのに、クベーラの腕がまるごと中に入っている。

 

「よいっと」

「うおお」

 

 彼が袋から腕を抜き取ると、その手には長い刀剣が握られていた。

 それは、明らかに革袋に収まるようなサイズの代物ではない。

 

「まだまだあるぞ」

「おお、おおおー!」

「すごいすごい!」

 

 私達が驚く間にも、クベーラは袋から次々に宝物を取り出しては、机の上に並べてゆく。

 

 刀剣、杖、かんざし、鈴のような楽器、笏、装身具、宝玉、それはもう様々な者が机上に置かれ、隙間が埋まる。

 どれもこれも、なかなか高度な技術と手間をかけて作られていることがわかる、精密なものばかりだ。

 中には魔力が通っていると思しき品々もあり、それらは特別私の興味を惹いた。

 

「おー、これは……熱線が出るのかな」

 

 術式の込められているであろう鏡を取り上げて、私はそれをちらちらと観察する。

 原始的な式を使ってはいるけれど、鏡にそのまま組み込むとはなかなか面白い事を考えたものだ。日常でも使える便利アイテムといったところだろうか。

 

「……ほう、ライオネル、お前はその鏡の力がわかるのか」

「え? うん、まぁ」

「ライオネル、それはなんですか?」

「これはヒーターだよ」

「はあ、ヒーターですか」

 

 鏡を神綺に渡し、別の品にも目を着けてゆく。

 

 刀剣類には魔力的要素はない。ただの美術品か、実用品だろう。

 杖にも魔術的要素はないが、材質は神族由来のものだろうか。原始魔獣の擬態の延長にあるものと思われる。

 鈴など金属系の楽器は、現代的な感覚からするとちょっと拙い感じがする。

 装身具系は、自然石を用いたアクセサリが中心ではあるものの、一部には強い魔術が封じられているようだ。

 

 魔導書にも載せてないような、しかし理論的にはその上にある、発展の仕方だけ独自の道を歩んだであろう魔術の結晶。

 私の興味は、主にそういった品々に向けられた。

 

「……お前」

「うん?」

 

 私が大まかな星の位置を図る魔術具の機構に目をつけていると、真剣な面持ちのクベーラが声をかけてきた。

 

「随分といい目をしているじゃないか」

「え、そう? ……まぁ、私はこういう、魔術関係の品の専門だからね」

「……専門、ほう……」

 

 クベーラの目つきが、私を睨むように狭められた。

 ちょっと威圧的で、怖い。

 

「なるほど、中途半端なものでは、見抜かれるということだな……ならば、ライオネルよ。ひとつ、見て欲しいものがあるのだが、どうだ」

「見て欲しいもの?」

「おう。とっておきの品だ。お前を試す意味で、それを見せたいと思う」

「試すって……それって、魔術関係の品?」

「お前が先ほどまで目をつけていたものと同類といえば、そうだな」

「おおー、なら、ぜひとも見せてほしいなぁ」

 

 どうやら、クベーラは秘蔵の品物を温存しているらしい。

 しかも魔術関係。であれば、見ない理由は無かった。

 

「お前の目に適えば良いが……」

 

 袋の中に手を突っ込んで、クベーラが言葉の割に、不敵な笑みを浮かべている。

 

 



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 正直、私はこれっぽっちも期待はしていなかった。

 

 テーブルの上に広げられた品々は、確かに宝物と呼ぶに相応しい技巧と装飾が凝らされており、それらは確かに美しくはあるのだが、何分、何千万年も下積みを続けた私の目に敵うほどのものではない。

 仕方ない。こればかりは、時間の流れが残酷であったと言わざるを得ないのだ。

 

 だから魔術関係の品と言われても、まぁ興味がないわけではないのでどうでもいいとは言わないが、さして興奮はしなかった。

 

 クベーラが、袋の中から書物を取り出すその時までは。

 

「……ん?」

 

 クベーラの袋から、角を閊えるようにして、大きな分厚い本が出てきた。

 見覚えの無い品である。“私の作った魔導書だったりして”なんてコントみたいな可能性も考えていたが、それはどうも外れらしい。

 

「これは」

 

 タイトルを見て、ついに私の興味は一気にそちらへと引っ張られた。

 悠長に背もたれでリラックスしてもいられない。

 

 何故なら、表紙には魔界文字で、“読める人は読める魔導書”などと書かれていたのだから。

 

「どうだ。この書物はなかなか興味深いだろう」

 

 興味深いどころじゃない。私の中で一気に最重要研究材料に変わってしまったぞ。

 

 なんだこれは。魔界文字で書いてある……いや、文字はある程度、天界と魔界は共用ではあるが。

 しかし、それで魔導書を作ってみせるとは、なかなか出来ることではない。

 

 魔界文字を完全に解読できた者がいるとでもいうのか?

 

「ふふん、そちらの優秀な魔術使いも、どうやらこの品はお気に入りのようだな」

「ええ、本当。ライオネルがここまで興味を示すなんて、珍しいわ」

 

 サリエルが作ったわけでもないし、当然私も作っていない。私の知らない第三者が作った魔導書なのだろうか。

 

 ページをめくり、中身を見やる。

 開いても魔術は発動しない。どうやらこの書物は、ただ魔術の使用方法を指南するだけの書物であるようだ。

 

 中は魔界文字がびっしりと書き込まれ、ところどころが拙い文脈で構成されてはいたが、仕上がりは立派なように見える。

 

 魔力感知、知覚の手引き。基礎理論。事前知識。魔力の分布に関する考察……。

 

 これは、一から始められた研究だ。

 魔力の存在を手探りで突き止めながら、段々とその運用法を解明ゆく、その集大成……。

 

 読んでいくと、私が初めて魔力を操った時の事が思い出されるかのようである。

 昔は私も、このような方法を使って魔力を集め、使っていたものだ。

 

 なるほど確かに、この魔導書のような方法を使えば、魔力への気付きも早くなるかもしれない。

 読んでいくごとに、私にとってはただの反復ではあるものの、教える立場から見た限りでは新鮮な解釈が、この魔導書には沢山散りばめられていた。

 

 ……しかし、私も独自で魔導書を作成したりはしたが、ここまで優しく文字だけで手引するような書き方はしていない。

 これはこれで、完全にオリジナルの魔導書だ。

 一体誰がこのようなものを書いたのだろうか。

 

「どうだね、ライオネル」

「……凄いな」

 

 私はただ、そう返すしかなかった。

 事実、この魔導書はよく研究され、詳細に纏められている。

 机の上に並ぶ品々が魔術の結晶だとすれば、この魔導書はその結晶を生み出すまでの課程の全てと言えるだろう。

 無論のこと、物としての価値は、机上のそれらを遥かに上回るのは間違いない。

 

「これは、地上のとある国で、とある者から譲り受けた品なのだ」

「地上? 国?」

「うむうむ、最近では、地上に進出し始める天界人も多くてな。物好きと揶揄される者も多いが、私はなかなか善い試みだと思っている」

 

 ずっと魔界にいたから気付かなかった。

 天界の人達、地上に降りたりしてたのか。知ってれば私も地上へ遊びに行ってたのに。

 

「以前そこへ商いに赴いた折、珍妙な雰囲気の男に出会ってな。その者が私の持っていた秘薬を譲ってくれと頼み込んできたものだから、かわりに私は、男の持っていたそれを譲り受けたというわけだ」

「なるほど……」

 

 男、か。じゃあその人もやはり、神族ということだろう。

 大判の魔導書の裏側を見てみると、そこには魔界文字で、おそらく“オーレウス”と書かれていた。

 

 オーレウス。それが、この本の著者の名か。

 

 ……この本の中に、そのオーレウスという男の所在も載っているのだろうか。

 載っているならば、彼に会う事も可能だろうか。

 

「さて……どうだね、神綺。そしてライオネルよ」

 

 私が本の続きを読もうとすると、クベーラは魔導書を強引に手に取り、ページを閉じた。

 彼の気迫に満ちた笑顔は、“続きは有料版で”と言っている。

 

「ど、どうだね……とは」

「この本だ。素晴らしいだろう」

「そ、そりゃあもう、うん……」

「価値があるだろう?」

「……」

 

 私はしばらく“む~ん”と悩んでいたが、がっくりと項垂れるしかなかった。

 

 だめだ。一度価値のあるものだと思ったら、それを故意に貶めることはできない。

 魔術関係の品であるだけに、それは余計に。

 

「……はぁ、わかった。クベーラ、この本は素晴らしいものだ。代わりに、何が欲しい?」

「よしきた! おい、ライオネルはこう言っているが、神綺よ。そちらはどうだね」

「え? はあ、ライオネルがそう言ってるなら、良いと思うけど」

「よしよし……! では、今度はそちらの品々を見せてもらおうか!」

 

 うおおお……い、致し方ない。

 こうなったら、魔界の品々を送りつけて、是が非でもこの魔導書を手に入れてやる。

 

 

 

 



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 オーレウス。顔も姿も知らぬ、地上の魔法使い。

 その彼が執筆した魔導書が今、クベーラの手の中にある。

 

 もっとオーレウスに関する情報を引き出したい。

 そして、願わくばそのオーレウスに会い、魔法について語らいたい。

 

 そのためには、あの本が必要だ。

 どうにか取引して、クベーラから魔導書を譲って貰わなくては。

 

 

 

 私達三人は、今度は魔界側の品物の説明を行うために、空に浮かぶ巨大赤レンガ建造群、ブックシェルフへと移動し、そこの応接間にて、魔界の道具の説明を行っていた。

 やはりというか、魔界に来れるくらいだから当然というか、クベーラは私と神綺と一緒に、空を飛んでついてきた。彼自身は魔法をつかっていないようだけど、それに似た力で飛んでいるようだ。おそらくその動力は、サリエルが以前持っていたという“風を掴む翼”と近い力なのかもしれない。

 

「ええと、じゃあまずはこの魔方磁針とか、どうだろう」

「……説明を願えるか」

「ええもちろん」

 

 さて、まずクベーラの前に取り出したるは、魔方磁針。

 丁度北を示すコンパスのような形をしているが、作りはそういったものと全く異なる。

 

「これはより身近な場所に存在する、強い魔力の方向に反応する道具だよ」

「強い魔力の方角……?」

「そう。でもこの魔方磁針は月や天体系の大きすぎる魔力に対しては反応しない作りになっていて、属性系の環境魔力を効率よく使う時には特に……」

「すまん、別の物にしてもらえるか」

「え? あ、そう……じゃあこっちのが良いかな」

 

 おかしいな。便利だと思うんだけどなこれ。

 月の魔力の薄い昼間や曇天の時とか、魔法工房の拠点を決める時なんかには重宝するのに。

 

「なら、こっちはどうだろう。分星秤」

「……その球体は何に使う物だ」

「よくぞ聞いてくれた。この分星秤は、星々の魔力を扱う際に、月の魔力に対して丁度同じ魔力を集める時に、そのために必要な供給役の星を、この魔導式ピンの上昇と下降の具合によって示す……」

「ちょっと待ってくれ」

「うん?」

「もっとわかりやすい物はないのか?」

「えええ」

 

 いやいや、性質の異なる二つの大きな魔力を扱うのは精密な制御系の術や魔道具ではかなり重要なのに……。

 他にわかりやすい物っていうと、なにかあったかなぁ……。

 

「うーむ……神綺、お前は何かないのか」

「私?」

「ああ、私は商人だ。商品は、万人にわかりやすいものでなくてはならんだろう」

「そうなの? えー……わかりやすいもの、ねぇ」

「もっと、地上や天界にはない、わかりやすいものをだなぁ」

 

 困り顔で、クベーラは言う。けど困り果ててるのは私の方だよ。

 こんなに譲歩してるのに、何故首を縦に振らぬのだ。

 

「なら、こういうのはどう?」

 

 次は秘蔵の真水鍋でも取り出してやろうかと思った所で、神綺が指を立てて提案した。

 

「魔界に住んでる生き物。それなら、外界や天界にもいない珍しいのが沢山いると思うわ」

 

 あ、そういう手があったか。

 神綺、よくやった! ありがとう!

 

 

 

 クベーラの割りと上機嫌な返事を承けて、私達は更に場所を移すことにした。

 生物、ということなので、やってきたのは当然、森林地帯である。

 

 長い年月を経て尚進化することのない、古代の巨大木生シダの群生地。

 ここの生態系であれば、今や地上にはいない生物も多いだろう。

 時代ごとに森を平穏に区分けし、災害もなく環境が安定しているためか、なかなか生物が進化しないのだ。

 

「おお、これはすごい!」

 

 森にやってきて、クベーラは遠足に来た小学生ばりにはしゃいでいた。

 けど顔は怒り笑いしてるみたいで、ちょっと怖い。

 

「素晴らしいな、どこを見渡しても未知の植物……おっ、これは虫か? なかなか……ほうほう」

「なかなかいい場所でしょ? ここではないけど、もう少し進むと恐竜っていう生き物がいる区画になるわ」

「恐竜! なんだそれは……いや、しかしここはここで、もう既にすごい場所だが……」

 

 結構足を運んでいて、しかも記憶のすり減らない私としたら、クベーラのように新鮮な感動を覚えることはかなり少ない。

 彼のワクワクが止まらないような姿が、ちょっとだけ、羨ましく思えた。

 

「ゆゆっ? にんげんさんがいるよ?」

「ゆゆゆっ、しんきたちのゆっくりぷれいすになんのようかしら!」

 

 しばらくのんびりと歩いていると、木陰から二つの丸っこい……何かが現れた。

 普段から出会うと面倒くさいけれど、今みたいな大事な時には特に面倒くさい奴ら。

 通称、ゆっくり神綺である。

 

「おお……これは?」

「さあ」

 

 私はありのままに答えた。これはと言われても、私達としてもよくわからないのだから仕方ない。

 

「クベーラ、そこにいる子達はどうです?」

「いや、なんとなく腹が立つ顔をしてるからな。商品には向かないだろう。やめておく」

「どぼちてぞんなごどいうのぉおおおお」

「はいはい」

 

 商品にはならないか。ならば仕方ない。

 厄介払いもできないなら、商談の邪魔なのでどこかへ言っててもらおう。

 私はゆっくり神綺二匹をむんずと掴み上げ、魔力の風とともに彼方へと投げ飛ばした。

 

「随分と扱いが雑だな」

「大丈夫大丈夫、結構頑丈な生き物だから」

 

 事実である。押し付けようとしたわけじゃないですよアピールを忘れてはならない。

 

 さて、続けて色々探してみよう。とりあえず、生き物だったら何でも良いんだ。

 彼の興味を引くような生き物を一匹か二匹でいい。それを見せてやれば、魔導書が手に入るのだ。

 

 

 

 しばらく歩いているうち、巨大ウミウシやら生足アホ毛生物やら、呼んでもいないのに珍妙な魔界生物ばかりに出会い続けた。

 もっと普通の、古代の生物を紹介したいというのに、なかなか目立つものに出会えない。

 ようやく出会えた巨大サンショウウオは、クベーラの目には“気持ち悪い”と映ったらしく、交渉は成立しなかった。

 

 この分だと、恐竜を差し出さないと頷いてくれないのかもしれない。

 個人的に、恐竜はアマノの庇護下にある者達の末裔だから……あまり、商品として差し出すのは気が進まない。

 もっと、他の生物を気に入ってくれるといいのだが……。

 

 そんなことを考えているうちに、クベーラの足が止まった。

 

「む……」

「クベーラ?」

「どうしたの?」

 

 彼が足を止め、森の外れをじっと見つめている。

 鬱蒼と茂る森の中に、何か彼の目に敵うものがあったのだろうか。

 

「あれは……なんだ?」

「あれ? ……ああ」

 

 クベーラが指さした先にあったもの。

 それは、黒い甲殻に長大な全身を覆った、巨大な甲虫。

 古代生物のひとつ、超巨大ムカデであった。

 

 なお、ムカデと呼んではいるものの、ものすごく長いダンゴムシのようにも見える。

 ムカデかダンゴムシか、実際のどころどっちなのかは、未だにわかっていない。

 

「ふむ……足が……なるほど」

「あのムカデに興味が?」

「うむ、そうだな……うむうむ、その通り。正直に言えば……かなり、興味がある」

 

 ……オオサンショウウオはダメでムカデが良い理由が、全くわからないんだけど。

 けど、彼が気に入ったのなら、その感性に疑問を呈する必要はない。

 

「あのムカデがほしいなら、連れて行ってもいいけど」

「本当か? かなり大きく、立派に見えるが……」

「一匹は一匹だからね、大丈夫大丈夫」

「おおー!」

 

 そんなにテンションが上がるほど気に入ったのか。

 魔道具を断った時といい、天界人の趣味ってどうなってるんだろう。

 

「では、あのムカデと魔導書! これでどうだ、神綺よ!」

「え、私? ライオネル、どうなんです?」

「全然大丈夫だよ。むしろ、あと何かおみやげをつけてあげてもいいくらい」

「なんと、良いのか? 神綺よ、あのムカデを譲ってもらった上、さらに受け取っても良いと?」

「え、だからなんで私……そういうことは、全部ライオネルに聞いてほしいわ。私が決めるようなことじゃないし」

「ほう……ライオネル、本当に良いのかね」

「うんうん、大丈夫大丈夫」

 

 むしろ存在感のない、自然発生するムカデ一匹程度で魔導書がもらえるなら、こっちのほうが申し訳ない気分になるよ。

 ムカデよりももうちょっと良い感じの生物も、ひとつくらいつけてあげないとなぁ。

 

 まぁ、恐竜はやらんけどな。

 

「うーん……」

 

 辺りを見回し、生物の影を探す。

 巨大昆虫。原始ゴキブリ。ワニっぽい何か。

 水辺に近い場所なので生物は沢山いるが、どうもそれらはしっくりこない。

 それに、あまり巨大なやつばかりをクベーラに渡しても、魔界から出て無事に持って帰れるかが心配だ。ムカデはでかすぎるし、おまけに付けるのは小さい奴の方がいいだろう。

 

「あ、これなんかどうだろう」

 

 私は草むらの根本でちょこまか動く影をひょいと捕まえて、それをクベーラの前に運んだ。

 

「……これは……?」

「ネズミ」

 

 多分だけど、ネズミ。

 指で摘める程度のサイズの、超極小ネズミである。

 

 これは私が恐竜の時代辺りに遭遇した生物で、多分だけど、初めて出会った哺乳類である、と思う。

 もしかしたらその以前にも哺乳類がいたのかもしれないけど、これより少し前の時代のサンプルは、採集不足のため、欠けている。

 なのでこのネズミこそが、私にとっては最古の哺乳類だ。

 

「……ふむ、普通のネズミとは全く……見たこともない……」

 

 クベーラはネズミを手に取り、じーっと観察を続ける。

 興味深そうに細められた鋭い目は恐ろしいが、それだけ真剣に品定めしているのだろう。

 

「……ライオネルよ」

「うん?」

 

 ネズミを掌の上に乗せたまま、クベーラがこちらに好戦的な笑みを浮かべた。

 

「……ありがたくいただこう。この取引、成立だ」

 

 やった! オーケーをもらった!

 魔導書ゲット!

 

 



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 魔術による催眠をかけ、巨大ムカデと極小ネズミをクベーラに引き渡した。

 それと同時に魔導書を受け取り、お互いにほくほく顔で取引成立と相成ったわけである。

 私の顔のどこがほくほくしているのかという疑問も湧いてくるだろうけど、魔導書を前にそのような疑問は些細すぎた。

 

 別れ際、クベーラは“またいつか来る”というような事を、神綺に対してかなり前向きな表現で伝え、魔界を去っていった。

 ただ、その時に“もう少し簡単に魔界へたどり着く手段はないものか”という事を言っていたのが、少し気になる。

 考えてみれば、魔力を圧縮して圧縮して、という魔界への扉をつなぐ工程が、他の人には高度だったのかもしれない。思えば私も、自由自在に魔界へ来れるようになったのは、かなり後の話しである。

 ううむ、魔界への行き来をしやすくする……そういったことも、考えなくてはならないだろうか。

 

 ……外界や天界との交流については、神綺やサリエルともよく話し合っておかなくてはなるまい。

 あまりにオープンにしすぎても、外の世界から暴れん坊な人がやってきて、魔界をめちゃくちゃにしてしまう、といった事もあり得なくはない。

 また逆に、こちらから外界への進出を簡単にしても、恐竜やドラゴンが外に出て行ったり、魔界人が知性を蓄えて文明を発展させ、外界探索ツアーと称して、地球に迷惑をかけたり……なんて、そんな事はさすがにあり得ないか。

 

 ともかく、忙しくなりそうだ。

 

「……むふふ、この魔導書もあるしなぁ」

 

 オーレウスの書き記した魔導書。

 これを読み解いて、著者と会う。それもまた、やらねばならない必須事項だ。

 

 

 

 

 クベーラと別れて数日間。

 私は根城の自室に引きこもり、ずっとオーレウスの魔導書を読み続けていた。

 大判で分厚いオーレウスの魔導書は、そのわりに文字が小さく、文量が多い。

 拙い用法の文脈を解読、脳内で補完する作業もあり、その上内容まで濃密なものだから、私の時間はガリガリと削られてゆく。

 

 内容は、主に最初期の魔法についての指導。

 魔導書の後半へいけば上級者向けの魔術が記されているかといえばそういうこともなく、一貫して様々な初等魔術について述べられている。

 しかしその密度は高く、初心者向けとはいえ、所々にある魔術の発想や着想などは、斬新なものが多い。

 私もこの本を最初に読んでいれば、もっともっと早く、様々な魔術を習得できたかもしれない。ちょっと悔やまれるが、仕方ない。

 

 驚きなのはこの魔導書に一切の魔法がかけられていないということである。

 執筆内容は非常に高度でハイレベルなのだが、保護魔法すら掛けられていないこの魔導書は茶色く変色しており、そこかしこに年季の跡が残っている。

 

 もう何百年もすれば、この魔導書も風化してしまうだろうか。ちょっと残念である。

 しかし逆に言えば、まだこの魔導書は制作されてから何百年と経っていないということだ。

 著者が生物らしい寿命に囚われない神族であれば、まだまだ生きている可能性は高い。

 

 魔法使いオーレウス。

 まだ見ぬその著者に、会えるかも。

 

 

 

「それじゃあ、行ってくるから」

「ああ、魔界の番は任せるといい」

 

 創造された魔界人を甲斐甲斐しく世話する神綺とサリエルに別れを告げ、私は魔界から外界へと移動した。

 目的は当然、オーレウスに会うことである。

 

 ただ、前にクベーラの言っていた地上の国というのも気になるので、そっちの方もできれば寄ってみたい。

 ……が、至上の目的の前に、寄り道は禁物。

 

 結局魔導書にはオーレウス個人に関する話はあまり記されていなかったのだが、彼を探る上でのヒントはあった。

 魔導書の材料として使われている紙の繊維質に覚えがある。その原料たる木材の生息地を当たれば良いのだ。

 いくつかの地域へ移動し、オーレウスの足跡を辿ってみよう。

 うまくいけば、この消去法だけでオーレウスに出会えるはずだ。

 

 

 

 ひとまず、私は外界へ出た。

 豊かな緑、青い空。そして、段々と馴染み深い形状へと変化しつつある、野生の生物たち。

 しばらく目を離しているうちに、世界の様子はまた一段と変わってしまった。

 

 古代生物や植物を見かけなくなるのは少々寂しいものだが、私が人間だった頃の世界へと戻るのであれば、それはそれでいい気もする。

 ただ、ここからはあまり目を離していると、人類が生まれて文明を作り、そして加速度的に成長する瞬間を見逃してしまうかもしれない。

 百年に一度くらいの小刻みで、外界の様子をしっかり観察しておく必要があるだろうか。

 

「まぁ、とりあえずオーレウスだな」

 

 考え事もいいけれど、今はオーレウスだ。

 

 私は鬱蒼とした緑だけが生い茂るこの場所から、ひとまず歩き始めることにした。

 

 



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 魔導書の素材の原産地へと赴いた。

 その道中は、平穏と言えば平穏であったが、波乱に満ちていたといえば、そうかもしれない。

 

 まず、以前にサリエルを見つけた時もそうだったけど、地上の原始魔獣が凶暴だ。

 神族になり損ねた原始魔獣、通称“穢れ”は長い年月を経たためか、更に姿を変えていた。

 しかも神族と似た、二本脚二本腕の人型となり、知恵までつけ始めている。

 

 ……彼らを魔獣と呼ぶには、もはや獣っぽさもないから……かといって、魔人と呼ぶと、魔界の住民と混同してしまう。

 狡っ辛い連中なので、ううむ。よし、彼らは魔族と呼称することにしよう。

 

 魔族はとにかく乱暴で、凶暴で、残忍だ。

 連中は、同じ魔族や原始魔獣を見つけると、取って食おうと考えなしに襲いかかる癖がある。

 殺した魔獣や魔族は自らの血肉として取り込み、更なる力として蓄えるのだ。それは、以前と同じである。

 

 違いは、その手法だ。とにかく、悪知恵がついたというべきか。賢くなったと言うべきなのか。

 闇討ち、騙し討ち、奇襲、強襲、なんでもあり。

 使えるものは枝きれでも石ころでも砂でもなんだって投げつけてくるし、自分が助かるためなら森に火を放つ。

 群れで行動しているような魔族たちは平気で仲間割れして共食いを始めるし、仮に連携してひとつの獲物と戦えたとしても、自らのためなら味方を盾にすることにも何ら躊躇がない。

 

 なんというか、もう、最悪な生き物である。

 どうしてアマノからこんなものが生まれてしまったのか……私がもう少し短気だったなら、彼らを“悪魔”と名づけているところだ。

 

 道中は魔族たちが執拗に襲いかかってきたり、追いかけて嫌がらせをしてきたりと、まぁ、暇をしなかったのだが、巨大動物の糞か何かを投げつけて来た時は流石の私も怒りが込み上げ、実行犯を“蝕みの呪い”で永眠させてしまった。

 流石の私もうんこは許せない。

 

 そんなこともあり、渋々と高空を飛行する移動法に切り替えたのだが、魔族たちの中には翼を備えた個体もいるようで、私はそこでも嫌がらせに遭った。

 コウモリの翼を模したらしい翼人は、お前もう完全に悪魔でしかないだろうというような見た目なのだが、性格も極悪となれば、これはもう悪魔以外の何物でもない。

 空中から石銛で突いてきた魔族達も、同じく“蝕みの呪い”で撃退したのだが、空の上は目立つのか、地上を歩くよりもひっきり無しに魔族が襲ってくる。

 

 

 

 そんなこんなで、私が出した結論はこれだ。

 

 

 

「やっぱ宇宙って、静かで良いな……」

 

 大気圏脱出。

 月に行ってから直接、目的地に降下する。

 

 そんな哀しい方法に落ち着いてしまったのだった。

 

 

 

 地球から月へ。月から地球へ。

 高尾山を眺めるために富士山を昇るようなバカバカしさがあるが、旅というものは、時に新幹線に乗るよりも、鈍行で向かったほうが良い場合もある。

 そんな言い訳を心の中で唱えながら、華麗に到着。

 私は静かな山岳地帯に到着した。

 

「……ふむ」

 

 魔族の騒がしさを感じさせない、静かな森。

 小鳥のさえずりと、虫の鳴き声。原始魔獣の存在すら匂わせない平和な世界が、そこに広がっていた。

 

「なんだか、落ち着くな」

 

 鳥のさえずりが、あちこちで聞こえてくる。

 魔界には巨大生物が多いせいなのか、こういった繊細な鳴き声というものに縁が薄いように思える。

 彼ら鳥類も、いくらか魔界へと持ち込むべきだろうか。

 

「……」

 

 巨大隕石の被害を乗り越えた恐竜らの子孫、鳥類。

 魔界にはアマノが守った恐竜達の、姿の変わらない子孫が沢山いる。

 けれど、地球に存在する鳥類は、姿や生態を変えることによって生き延びてきた。

 

 私は人為的な力によって恐竜に翼を植えつけたが、彼ら鳥類は永い時間と無意識の試行錯誤の中で、自ら翼を獲得した。

 自分の力で生き延び、自分の力で空を飛んだのである。

 

「おお……」

 

 一羽の白い鳥が、木の葉に遮られた狭い青空の上を横切った。

 

 ……やっぱり、鳥類を持ち帰るのはやめておこう。

 これは私の身勝手な考え方であるが、彼らの翼はこの青い地球の空にこそ美しい。

 

 現在の魔界は、神綺によって、生物の創造が可能となっている。

 もうそろそろ、地上生物の輸入は取りやめにするべきかもしれない。

 

 魔界は魔界なりに。地球は地球なりに。

 そう、身勝手に思うのだった。

 

 

 

 その後、空の安全を知った私は、近くに聳える適当な高い山へ登り、“眺望遠”によって地上を見渡した。

 するとそこで、かなり遠くの山林に、ぽっかりと禿げたような場所を発見する。

 

「うん?」

 

 なんだろなと思って“眺望遠”の倍率を高めてみると、あっと驚き。

 

「街だ?」

 

 思わず疑問形になってしまったが、私の目はしっかりと、集落の姿を捉えていた。

 石造りであろう箱っぽい建造物に、道路っぽい整った地面。

 そしてチラリとではあるが、人型の生物の姿もこの目に見えた。

 

 間違いない。あれが、天界から地上へと降りてきた神族達であろう。

 けど地上に住んでいる分には人間にしか見えない。しかし、人間ではない……うーん。彼らは、果たして何と呼べばいいのやら。

 

「と、とにかく行って、彼らに接触してみるしかないな」

 

 あなた方は誰ですか。そんなこと、聞けばわかるだろう。

 そう、相手が知的な生物であれば、わからないことは聞けるのだ。自分で呼称付けしたり、研究する必要など無いのである。

 

 私は石造りの原始的な集落に向かって、悠々と飛んでいった。

 

 

 

 

「穢れが来たぞぉー!」

「迎え撃てーッ!」

「ここの大陸は安全なはずなのにーッ!?」

「この穢れめぇー! 消え失せろーッ!」

 

 痛い! 痛い! 痛……くはないけど弓を撃たないでください!

 

 ごめんなさいごめんなさい! いきなり来てごめんなさい!

 すいません! 出直してきますんで! ほんとすいませんでした!

 

 



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 ないたライオネル。

 

 著者、ライオネル・ブラックモア。

 

 ライオネルは人間に会うために、村へ行きました。

 

 石をなげられました。

 

 どうしようもないので帰ることにしました。

 

 おしまい。

 

 めでたくなし。

 

 

 

「ライオネル、随分薄い本を書きましたねぇ。一枚だけなんて」

「うん」

「今は何をされてるんです?」

「ちょっと、衣装をね……」

 

 地上はとても素晴らしい場所だった。

 けれど今の私には少々、風当たりが強いというか、居づらいというか、まぁ、これも地球の環境の変化なのだろうけども、適していないらしい。

 

 まぁ、確かにね、私も自分の顔や身体がどうなっているのかを忘れていたよ。

 けどね、ああもあからさまにね、人を野生のスケルトンだかゾンビだかみたいにね、罵倒したり攻撃されたりするとね、私だって少しは傷つくんだよ。

 

 といっても、ゾンビ姿のままそんなことを主張したところで、私がうさんくさい姿をしているのは変わらない。

 立てばゾンビ、座れば死体、歩く姿はレブナント。

 神綺をはじめ、今まではこんな私を認めてくれるような感性の持ち主が常にいてくれたから感覚が鈍っているけれど、これからはそうもいかなくなるだろう。

 

「衣装って、今のローブはどうするんです?」

「これはもちろんとっておくよ。お気に入りだからね」

 

 古代の木生シダの繊維から作り上げた、私のローブ。

 このローブは灰単色で味気ないけれど、よく見れば細かな刺繍が施してある、素晴らしい芸術品でもある。

 それに、内側に仕込んだ魔法陣で様々な事が行えるので、ただの服というわけでもない。

 

 ……巨大隕石の衝撃を受けて地面に埋め込まれた時、少々裾や袖の先がボロボロになってしまったけれど……まぁ、便利なものだ。捨てるのは惜しい。

 

「できた」

「おおー」

 

 それに、服程度なら原初の力を使えばちょちょいのちょいである。

 デザインを凝るために少々時間はかかるものの、何の仕掛けも施さない、ただの服を作るならば、ただ出すだけで良い。

 

「なんだか、賑やかな服ですね」

「うむうむ、いい感じ。この派手さが良いんだ。どうせ全身を隠すなら、このくらいじゃないとね」

 

 綺麗な赤地の外套が出来上がった。

 鮮やかな赤に、暗い赤の幾何学模様が全体に走り、どこかお金持ちな大人っぽさを演出している。

 生地はビロードを意識してみた。手触りよし。まるで赤絨毯のようである。

 

「けど、それじゃあライオネルの全部は隠せませんよ?」

 

 神綺がマントを手に取り、裏側をちらりと見ながら言う。

 もちろん、この外套だけで済まそうとは思っていない。他にも色々用意するつもりだ。

 

「身体が骨ばってるけど、言っちゃえばスリムだからね。だから無理に着膨れで補おうとせず、細身に似合うような感じの、こういう……」

「おおー」

「で、これだけだと寂しいから……」

「なるほどー」

 

 色々作り、色々着て、さて、どうだろう。

 

「……うーん」

 

 全てを着こなした私の全体像を眺めながら、神綺が唸る。

 顎に指を当て、むむむと悩む顔つきは、かなり真剣だ。

 

「良いと思います!」

「おお、やっぱり?」

「ええ、赤色には合ってると思います!」

「おお、ありがとうー」

 

 私は赤マントの下にダークグレーのローブを着ていた。

 ただローブといっても、先ほどまで私が着ていたねずみ色雑巾ローブではない。

 もっと身体に密着するような、若干の伸縮性を保たせた生地の、スリムなローブである。

 マントと同じように、生地には色の濃度が異なる模様が刻まれている。せっかくなので、模様はマントと同じく、植物と鳥をモチーフにしたものを選んでみた。

 魔界風の模様でも良いだろうとは思ったけど、もしかしたら相手におどろおどろしい印象を与えてしまうかもしれない。こういうのは第一印象が勝負なので、細かいところにも気を配った。

 

 そして、グレーのローブの上から身体に巻きつけるようなタイプのアクセサリーを沢山身にまとっている。

 首からは大きな金がゴテゴテとついたペンダント。

 手首にも金がゴロゴロついたブレスレット。

 腰にもベルト代わりの黄金と、金ピカづくしだ。

 なんかもう、見てるだけで怪しい成金がやってきたっていう感じの姿だけど、金はたいてい、どこに行っても高級なものである。こうして明らかに高価なものを身につけることで、私は偉いんだぞ、だから攻撃しちゃだめなんだぞっていう主張をしてるわけだ。

 そりゃあ私だって金持ちアピールなんてしたくはないけど、事が事だ。

 もしも地上の神族の感性と私の感性が違っていたらと考えると、念押しせずにはいられない。

 

「それで、外界の人達に会いに行くんですね?」

「うむうむ、早速今から出ようと思う」

「顔はいいんですか?」

「あ」

 

 そうだ、顔があったね。

 すっかり忘れてたよ。

 

 

 

 というわけで、悩んだり葛藤したりすることおよそ二分。

 私は“どうしても顔がミイラ”という問題を解決するために、最善の方法を選んだのであった。

 

「こう!」

「……なんだか、すごい感じになってますね」

「うん、こうするしかなかった」

 

 手足はまだ、靴や手袋で隠しようもある。

 しかし服というものの都合上、首から頭頂部にかけては、どう頑張っても自然に隠しようがない。

 なので私は、鎖骨辺りから頭頂部にかけてを、真っ白な包帯でぐるぐる巻きにすることにしたのだった。

 

「なんか変です」

「うん、変だ」

 

 わかっていた。

 これではミイラがよりミイラに近づいただけである。

 けど、他に隠す方法もないのだから仕方がない。

 

「過去にものすごい火傷を負ったということにでもするよ」

「えー……」

「駄目だろうか」

「駄目というわけじゃあないんですけど」

 

 解けた包帯の端を結び直しながら、神綺が釈然としない顔を見せる。

 

「ライオネルなら、魔術か何かで姿を変えられるのでは?」

「うーん……それも考えたんだけどね」

「何か不都合が?」

「そんなにうまく嘘をつき続ける自信がないっていうか」

「ああ、なるほどー。ライオネル、うっかりですもんねー」

 

 そうなんだよねぇ。

 

 



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 おしゃれな服を着こみ、素肌を包帯で隠し、その上からマスクを被って、準備は完了。

 言い訳や小道具の準備を整えた私は、逃げ帰ってきた時の悲しみを振りきって、再びあの集落を目指すことにした。

 

 場所はわかっている。一応、逃げ帰る際に目印となる術を残してきた。

 そこに向けて転移すれば、一発で到着するだろう。

 あとは野となれ山となれである。

 

 

 

 というわけで、特に時間も経たず、一瞬のうちに野山に降り立った。

 小鳥のさえずる静かな山林。紛れも無く、私が前回訪れた場所だ。

 

 あの騒動から、一月ほど時間をあけている。

 さすがに昨日の今日で訪れたのでは、怪しまれるに違いないからだ。

 

 とはいえ、向こうの集落がどのようなものかも、私はわかっていない。

 姿を変えても、私を迎え入れてくれるかどうかは怪しいものだ。

 

 まぁ、とにかく行ってみるしかないんだけどね。

 

 

 

 前回は空を飛びながらの登場だったけど、多分あれは良くなかった。

 誰だってミイラが空飛んでたら怖がるに決まってる。

 故に、今回は多少面倒でも、山からとぼとぼ、徒歩で向かうことにした。

 

 えっちらおっちら、荷物を背負い、金の飾りでしゃなりしゃなりと音を鳴らしながら、森を抜ける。

 歩いている途中で、私の身につけている金の装身具が、すべて黄鉄鉱に変容していることに気がついた。早速うっかりである。魔界から黄金を地上へ持ち込もうとすると、パイライトになってしまうのを失念していた。

 

 ……見た目の上では、そんなに変わらない。ゴージャスな輝きが、ちょっと偽物っぽくなったくらい。

 うん、まぁ、大丈夫だろう。

 

 

 

「おお……」

 

 徒歩で集落に近づくと、村と言うべきか、街というべきか、そんな場所の全貌が明らかになった。

 総石造りの、一階建て。見た目もこらず、ただ頑丈さと作りやすさを念頭に置いたかのような、そんな建物だ。

 

 簡素である。

 しかし飾り気がないというわけでもないらしく、壁際にはひっそりとした小さな白い花の鉢植えなどが置いてあるし、木板を使った雨戸のようなものも、壁の側面に据えられている。

 

 生活臭がする。

 それだけで、私の中でここの住民に対する親近感が湧いてきた。

 

「止まれー!」

 

 見回しながら近づいていると、前から二人組の男が近づいてきて、遠くから呼び止めてきた。

 

 サリーのような簡素な服を身に纏い、手には槍を握っている。矛先は金属でできているようだが、この距離だと材質はよくわからない。

 仮面の中で魔術を使い、瞳に“望遠”を生成することもできなくはなかったが、そこまで警戒することもないだろう。

 何より、下手に魔術を使って、向こう側に気づかれた時のややこしさを思うと、あまり下手なことはしたくない。

 

 私は言われた通りに立ち止まり、停止する。

 はいはい、言葉はわかりますよ。なんとなく、そんな素振りを交えながら。

 

 その様子を見て、男たちは二人でこそこそと話しあったり、しばらく私の様子を伺っているようだったが、まもなく、男の一人が何かを決心したのだろうか、再び口に手を添え、大きな声を上げた。

 

「お前は誰だー! ここにやってきた目的を言えー!」

 

 ええ、いきなり目的とか言わせるの。

 ていうか、ここから? いや安全を確保するには確かに間違ってないけども。

 もうちょっと近づいて話してくれると思ってたのに。

 

 声を張り上げるのは、正直得意ではないけれども……まぁ、これもコミュニケーションだ。

 私は仮面越しでも向こうへ声が届くよう、少し張り切った。

 

「私は……魔法使い!」

「魔法使いぃ!?」

 

 なんか大声で聞き返されると逆ギレされてるみたいで嫌だなぁ。

 

「ここへは、行商のためにやってきた!」

 

 これは、嘘というわけでもない。

 ちゃんと品物は魔界から持ってきたし、他人に与えられるだけの相応以上の知識は備えているつもりだ。

 

「ちゃんと売り物もある! 中へ入れてもらえないだろうかー!」

 

 懐から不滅のネックレス(魔力を込めると適当に自己修復するだけのもの)を取り出し、遠くから見せてやる。

 すると二人はようやっと信用したのか、また二人で話し合い、うんうんと頷きあった後に、私を手招きした。

 

 誘われるまま、私は二人に歩み寄る。

 

 男たちは手にこそ武器を持っているが、顔立ちは険しいものではなく、温和そうだった。

 少なくとも、外敵から街を守るために日々神経を尖らせているような顔つきではない。

 

「入ってもよろしい?」

 

 私は無駄に高い背を少しだけ屈め、丁度、猫背になるような姿勢で訊ねた。

 元々私の背は彼らよりも低いけれど、こうすることで更に頭を低くしていることが伝わるだろう。

 

「まあ、穢れではないようだし、良いだろう。ここは新たな住民を歓迎しているからな」

「ただし、俺らにも責任がある。途中まで同行させてもらうぞ」

「どうもどうも」

 

 なんだ、話してみれば結構簡単に入れるじゃないか。

 この様子なら、中に入ってから魔界の出身であることを告白しても大丈夫そうだな。

 

 嘘をついていないとはいえ、大事なことを言わないというのは、どうも騙しているみたいで落ち着かないしね。

 

「すごいな。それ全部、金か?」

「金ではないけど、綺麗でしょう。これも魔法の材料」

「おおー」

 

 嘘ではないよ。火の触媒だしね。うん。

 



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 集落に入った。

 柵を超える際に、全身にピリッとした違和感を覚えたが、おそらく検知魔法か何かだろう。

 

 侵入者を迎撃するほど大掛かりではないが、集団を守るために警報としての役目を担うのであれば、このくらいの魔法でも十分である。

 

 術は、柵全体にかけられているのであろうか? 魔力源は、一体どこから引いているのだろうか?

 そんな些細なことを気にしている間に、集落の住民らしき神族が顔を出し始めた。

 

 石造りの家の、木の実の暖簾でつくった入り口から顔を出し、住民たちが私を伺っている。

 通りにいる人も足を止め、衛兵さんに連れられて歩く私をじーっと見ている。

 

 ……さすがに、格好がまずかったのだろうか?

 いや、そんなことはない。変装自体は変だろうけど、怪しくはないはずだ。

 これはただ、目立っているだけ。仕方のないことだ。私はよそ者なのだから。

 

 そして、私はよそ者であると同時に、魔法商人でもある。

 なに、魔界にやってきたクベーラと同じだ。こっちの商品を相手に見せて、売りつけ……売り込むだけである。

 貨幣は無いだろうから、おそらく物々交換になるだろう。この集落の出す品物というのも、純粋に気になるところだ。それ以上に、こちらの差し出す魔法商品によって住民たちが魔法に興味を持ってくれるのであれば、尚の事良しである。

 

 だが今回は、確固たる目的がある。

 私はそのために動かなくてはならない。

 

「ところで、ここに魔法使いはいるのだろうか」

「ああ、もちろんいるとも。オーレウスさんだろう」

 

 私が聞くと、衛兵さんは特に隠す風でもなく、私が求めていた名前を出してくれた。

 

「この町はオーレウスさんのおかげて成り立っているようなものだ。あの人の魔法には、いつも助けられてるよ」

 

 なんと。オーレウス、ベタ褒めされてる。

 あんな魔導書を書くような人物だから、並大抵の人ではないと思っていたが、そこまでの高評価を受けていたとは。

 となると、オーレウスはこの集落における魔術の開祖か、唯一の魔法使いなのだろうか。

 

「そのオーレウスさんの他に、魔法使いは?」

「いないなあ。あの人は使えているから、正しいことを言ってるとは思うんだが、誰も真似できないんだよ」

「ほうほう」

 

 教えてはいるが、広まってはいないと。

 なるほど。確かに、魔術は単純に難しいからなぁ。強い目的意識も無しに習得しようとするのは、かなり大変だろう。

 私はそれしかやることがなかったから、熱中できたけれども。

 

「じゃあまずは、オーレウスさんに会うかい?」

「おお、是非とも」

 

 トントン拍子に事が進む。ありがたいことだ。

 私は二人の衛兵に挟まれながら、石造りの町の奥へ奥へと進んでいった。

 

 目指す場所は、集落の中央。大きな樹木に寄り添うようにして建てられた、ここで唯一の木造建築物である。

 

 

 

「オーレウスさん、お客さんだよ」

 

 ノックもなしに扉は開かれ、こじんまりとした家の内装が露わとなった。

 

 玄関付近の石畳に警戒魔術、扉に再施錠魔術、窓に自動洗浄魔術。

 部屋の中は、木張りの床に耐久魔術、扉に繋げられた紐の先の鈴に弱めの防腐……強化? よくわからない魔術。

 

「お客? 呼んだ覚えはないんだがなぁ」

 

 そして、この老人自身に、何度も重複して掛けられた、謎の魔術。

 間違いない。この老人こそが、神族の魔法使い……オーレウスだ。

 

「じつはさっき、魔法使いを名乗る人がやってきて……そういえばあんた、名前は?」

 

 ああ、そういえばまだ名乗ってもいなかったか。これはいけない。

 

「私の名はライオネル。はじめまして、オーレウス」

 

 私は老人に対して深々と頭を下げて、敬意と常人っぽさを表した。

 

「魔法使い……?」

 

 が、彼の様子はどうにも思わしくない。

 首を傾げ、何か疑問に思っているような素振りである。

 

「おいおいオーレウスさん、また忘れちゃったのか。魔法だよ、魔法」

「魔法……? 魔法……」

 

 えっ、なに。忘れるってどういうこと。

 というか、魔法そのものを忘れるって本当にどういうことだ。

 この人はオーレウスさんじゃないのか。

 

「少し待っといてくれ」

 

 オーレウスは私達にそう言って、部屋の奥へと引っ込んでいった。

 窓際のベッドの近くには木製のテーブルが置いてあり、そこには私が少し前にも見たような、大判の書物が一冊、乗せられている。

 

 ……間違いない。あれは私が持っているオーレウスの魔導書と同じ製法で出来ている。

 関連性はあるはずだ。しかし、何故この老人は“忘れている”などと……?

 

「魔法な、魔法……」

 

 老人は立ちながら、テーブルの上の本を開き、ぱらぱらと適当に読み始めた。

 途中、ふむふむだとか、なるほどだとか言いながら、カクカクと頷いている。

 

 そうしてしばらく待っていると、“よし!”と清々しそうな声と共に本が閉じられて、オーレウスは戻ってきた。

 

「やあやあ、ようやく思い出した。ワシ以外にも魔法使いが居るとは、びっくりしたわい」

「はは、本当にオーレウスさんは忘れっぽいなぁ」

 

 えっ? なに、もう思い出したってことでいいのか、これは。

 

「ようこそ……ええっと、名前はなんだったかのう」

「……ライオネル」

「おお、ライオネルだったな。ワシはオーレウスじゃ。よろしくな」

「よ、よろしく」

 

 忘れっぽい老魔法使い、オーレウス。

 これが、私とオーレウスとの最初の出会いであった。

 



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 歳を感じさせる、ふわふわに縮れた長い銀髪に、もっさもさの立派なお髭。

 オーレウスは、どこからどう見ても、熟練の魔法使いである。

 

「今から茶を入れるでな」

「おや、じゃあオーレウスさん、我々にもひとつ」

「ほいほい」

 

 そして、今更わかったことなのだが、彼らの雰囲気はかなりユルい。

 警備という仕事をしているから、まぁ初対面で得体のしれない私を見て遠くから声をかけるのは正しい対応だったのだが、その後が総じて、ユルすぎる。

 

 今も二人は、私の付き添いだといいつつも、オーレウスさんと一緒にお茶の準備などを始めている。

 陶器のようなゴブレットをいくつか、木製の簡素な棚から下ろし、テーブルに並べてゆく。

 オーレウスさんが取り出した小さな壺は、茶筒だろうか。

 

「あ、私は大丈夫。お構いなく」

「うん? なんだ、うちの茶は美味いぞ?」

「ああいや、私、あまり食事などは得意ではないから……」

「そうかぁ」

 

 私がお茶を断ると、オーレウスさんはあからさまにしょんぼりとした様子で、ゴブレットのひとつを棚に戻した。それでも他のものを片付けないようなので、お茶会はやるらしい。

 本当だったら断らずに飲みたいところだったんだけど、今こんな場所で、いきなり素顔を見せるわけにもいくまい。

 それに、私はこういう物を嗜む時、ひどく床を汚してしまうのだ。初対面の人様の家の床に茶をぶちまけるのは、ちょっと気が進まない。

 私の口の中や喉が、ちゃんとしてれば良かったんだけどね。

 

 

 

「ふぅうむ、格別」

「……」

 

 私がこじんまりと椅子に座る間、テーブルの向こうのオーレウスさんや衛兵さん達は思い思いに一服し、一息ついている。

 来客中だというのにリラックスタイム。なかなかのマイペースっぷりだ。いや、こういう方のが堅苦しくないし、いいんだけどね。

 おかげさまで私も、室内の魔術的機構をじっくりと観察できるというものだ。

 

 室内は、様々な魔術でごちゃごちゃとしているというか、賑やかである。

 様々な物に魔術がかけられ、あるいは製作段階で魔術的な要素を加えられ、ある意味で洗練されている。

 どれもこれも簡単なものばかりではあるが、すぐに汚れが落とせる仕掛けの食器といった、私でも思わず唸りたくなるようなアイデアがそれぞれに込められており、見ていて飽きが来ない。

 私の魔術が探求のための魔術だとするならば、このオーレウスの生み出す魔術は、実生活のための魔術であろう。

 

「ライオネル、といったかね。魔法に興味があるようだの」

「え、あ」

 

 私がきょろきょろ見回しすぎていたのか、顔を戻すと、オーレウスがにこやかな笑顔をこちらに向けていた。

 

「魔法の品ばかりを見ていたからのう、すぐにわかったわい」

「ははは……いや、あまり他人の作ったマジックアイテムを見たことがなくて、つい」

「おお、そうなのか。わしも、マジックアイテムの区別がつく者に会ったのは、お前が初めてじゃよ」

 

 基本的に、魔界でマジックアイテムを作っているのは私だけだ。

 神綺やサリエルも作れないことはないのだろうが、彼らは魔術的なものに対して、あまり乗り気ではない。

 アマノがいた頃はそんな話もできたのだが、彼女は話ができるだけで、マジックアイテム自体を作れるわけではなかった。

 なので、マジックアイテムを自身で発明して作れる人は、このオーレウスが初めてだったりする。

 

 ……けど、私の作ったマジックアイテムもすごいぞ!

 

「私が作った中には、こういう物もあるよ」

「ほう?」

 

 私は早速、懐からハンドベルを取り出して、テーブルの上に置いた。

 すると無警戒な衛兵さん達は興味を持ったのか、ゴブレットを片手に身を乗り出すようにハンドベルを凝視し始めた。君たちは少し自分の仕事を思い出そう。

 

「ふむ……これは、どういった物じゃろうなぁ」

「オーレウスさんでもわからないのかい?」

「いやいや、どうだろな。ちょいと待ちなさいな」

 

 オーレウスさんがハンドベルを手に取り、澄んだグリーンの瞳でじっと見つめる。

 年老いても尚、その目には好奇の輝きが宿っているように見えた。

 

「これは……」

 

 まさか、見ただけで看破できるのか。

 

「楽器じゃな」

 

 そう良い、オーレウスさんはカランカランとベルを鳴らす。

 ……うん、正解! 楽器だよ! なんたってハンドベルだからね!

 だけど私としては、もうちょっと突っ込んだ答えが欲しいかも!

 

「さすがオーレウスさんだ」

「詳しいなぁ」

 

 そして君たち二人は本当におめでたいね。

 

「およ?」

 

 楽しそうにハンドベルをガラガラ振っていると、オーレウスさんは異変に気づいたようだ。

 ベルを止めて、再び手元に、興味深そうな視線を持って行く。

 

「おお、この楽器は、魔力を散らす力を持っているのか」

「!」

 

 お、今度は気付いた。正解である。

 というか、鳴らしただけで気付けるっていうのも、なかなか鋭いぞ?

 

 オーレウスさん、ちょっと呆けたようなところもあるけど……実は私の予想以上に、魔法に詳しいのかも。

 

「なんだそら。一体それが何の役に立つんだい、オーレウスさん」

「魔力なんて俺には見えねえよー」

「うむうむ、まぁ、ワシしか見えんからな。この町では、あまり役には立てんかもな」

 

 ぐさり。あまり役に立たないと言われてしまった。

 ……けど、確かにその通りである。このベルは振った者の持つ魔力をちょっとだけ借りて、音と一緒に散布するというものだ。

 

 “魔力の喚び鈴”。

 鳴らすことによって簡易結界の下地を作ったり、魔力を感知できる相手に見つけてもらいやすいといった利点に繋げられるのだが、何分魔力を扱える者同士でなければ役には立てない。

 作ったはいいものの、対応する相手がいないので泣く泣くお蔵入りにさせた哀しいマジックアイテムなのである。

 

 ……オーレウスは、このハンドベルの特性を、そこまで見抜いているということなのだろうか?

 



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 ひとつだけでは、オーレウスの観察眼がどれほどのものかはわからない。

 なので、私は相手を知るため、更にもういくつかの小道具を取り出し、テーブルの上に並べてゆく。

 

 お茶会から一転、自然な流れで商品説明だ。

 人間だった頃も外商なんかやったことはないけど、もしかしたら私にも才能があったのかもしれない。

 

「へえ、こんなのも魔法の道具なのか」

「綺麗だなぁー」

 

 衛兵さん達が選ぶ人気ナンバーワン商品は、“混濁の水差し”。

 傾けるだけで魔力を水に変換し、力のある限り水を流し続ける。見た目の小ささとは裏腹に、なかなか豪快なアイテムである。

 ただ、注ぎ口が小さすぎるせいで出る量が少なく使いにくい。外側のレリーフに凝り過ぎたせいで、入れるべき浄水機能を付け忘れた。これまたちょっと残念な代物だ。

 ただ、今回はそんな装飾が、彼らの目には良いものに映ったらしい。

 

「ほら、水ー」

「おー」

 

 ちょろちょろとゴブレットに注げば、衛兵さんたちは喜んでくれる。営業は完璧だ。

 しかし、重要なのはこんなわかりやすいマジックアイテムをみせびらかすことではない。

 机の上の他のアイテムに目をやるオーレウスの反応こそが、私にとっては重要だ。

 

「ふむぅ、これはなんじゃろなー」

「……」

 

 オーレウスは鉄製のリングを手に取り、手の中でくるくると回したり、撫でたりと、色々なやり方でいじっている。

 その仕草は研究者や探求者というよりは、遊び道具をこねくり回す、好奇心旺盛な子供のようである。

 

「おお、こうか。なるほどなるほど、空気を押し固めて、熱を作るのじゃな」

 

 なんて考えている間に、もう正しい使い方を見つけ出したようだ。

 鉄の輪を机の上で、コインのように回転させる。そのまま手をかざし、鉄の輪に魔力を流し込む。

 すると鉄の輪の回転は加速し、持続し、わずかに宙に浮かび上がる。

 

「おおっ」

「なんだなんだ」

 

 高速回転によって球状となった鉄の輪は、周囲の空気を少しずつ取り込み、中心へと圧縮を開始した。

 巻き起こる風は部屋の中をガタガタと騒がしく揺らし、球体の中心に赤い輝きが生まれ、熱を帯びてゆく。

 

 これぞライオネル式、“吹き込み炉”。

 いかに火属性を使わずに火を起こせるかを探求する過程で生まれた、風から火を生み出すためのマジックアイテムである。

 ただの輪っかというコンパクトさは売りなのだが、実際はもっと簡単に火を起こす方法があったので、これは失敗作の代表格であるとも言える。何故にもっと早い段階で気付けなかったのか。

 

「ほいっと」

「おお、すごいなオーレウスさん!」

 

 オーレウスは勝手知ったる風に、鉄の輪をキャッチして火種を机の皿に落としてみせた。

 火種は煌々と灯りを放ち、皿の上で燃え続けている。

 

「なかなか面白い道具じゃのう」

「ははは。まぁ、見た目ばかりなんだけどもね」

「ま、ちょっち派手かもしれんの。ほほほ」

 

 まぁ、宴会芸用のマジックアイテムである。巻き起こす風やら見た目がやらが派手で、割にあわない魔力を取られるばかりの、ただの火おこし器だ。

 しかし、派手は派手なりに見ていて楽しいもの。無用の長物には変わりないのだが、ひとつの良さは、ちゃんとオーレウスもわかってくれるらしい。

 知識だけでなく、なかなかに器も広いお人だ。

 

「オーレウス、貴方はかなり、魔法に精通しているように見える」

「うむ……そうだったかのう?」

「いやあ、俺らに訊かれても……」

「貴方はこの町で、かなり高い地位にあるらしい。それは、貴方の魔法の力が関わっているのだろうか」

「……ふぅむ」

 

 町の外側、街の中、そしてこの家の中。様々な場所に、様々な魔法が散りばめられていた。

 そして、衛兵たちの様子を見るに、彼が町の人間から慕われているのは間違いない。

 オーレウスは、この集落唯一の魔法使いであると同時に、長老でもあるのだ。

 

 しかし、同時に疑問も浮かんでくる。

 何故オーレウスは、この土地に住み着いたのか。

 何故彼ら天界の神族達は、彼らの嫌う“穢れ”が跋扈する地上へとやってきたのか。

 

 純粋に、私はその理由を知りたかった。

 

「それはその通りだのう。ワシがいるからこそ、この土地に皆が集まってきたのじゃから」

「集まってきた?」

「そうだよ。この場所は元々、オーレウスさんが一人で住んでいたんだ」

「えっ、そうだったの……」

 

 そいつは驚きだ。つい、不思議な先入観で、皆一斉にここへ移り住んできたものだと思っていたけど。

 

「一人、また一人と迎えていくうちに、こうも大勢の集まる場所になってしまったのじゃよ」

 

 それはまた、なんだか器の大きそうなエピソードがありそうだなぁ。

 



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 オーレウスは、かつて天界に住んでいた神族の一人であったのだという。

 今でこそ彼は老人のような姿になってしまったが、当時の姿は若く、ボケも無く、非常に聡明であったらしい。

 所属していた領土においては、領土の運営を左右するほどの要職についていたようだ。

 もっとも、本人はそのことさえ、忘れているようなのだが……。

 

「天界のう、そんな場所もあったかもしれんな」

 

 もう、こんな感じである。

 オーレウス本人がこんな有り様なのだから、話は後からやってきた彼ら、衛兵さんから聞く他に術が無かった。

 

「俺が覚えているのは、オーレウスさんが追い出されたってことかなぁ」

「追い出された?」

「おう、それは俺も聞いたぜ」

 

 衛兵二人は互いに頷きながら、記憶の答え合わせをしている。

 

「要職についていた者が追い出されるなんてこと、あるのだろうか」

「ひどい話じゃな、ほほほ」

 

 貴方の話ですよ。

 

「オーレウスさんは昔、魔術が原因で追い出されたって言ってたよ」

「ああ、俺もそれを聞いたことがある」

「……魔術が原因で?」

 

 オーレウスの顔を見ると、彼は面白そうに笑っていた。

 それは過去の憂いなど一切感じていないかのような、心からの笑みであるように見える。

 

 

 

 オーレウスは、自力で魔法を発見した。

 その過程は、失われた彼の記憶の中にのみあるのだろうが、それはきっと長く、単調で、険しい道のりであったことだろう。

 きっかけはわからない。だが、月や周囲の環境から力を取り出す術を発見したオーレウスは、ともかく、それを扱い、研究することを決めたのだった。

 

 魔力の存在に気づき、運用しようとまで考えたのだ。そんなオーレウスの奇抜な発想が、数百年、数千年をかけて、数多くの有効な実験や、魔術理論を生み出したのは、当然の結果であると言える。

 彼は次々に魔法への理解を深め、魔法使いへの道を突き進んでいった。

 

 だが、どうもそんな姿が、オーレウスの上の人達からは、あまり良いものに見られなかったらしい。

 神族は元々何かしらの神的な力を持っており、彼らの序列はそういったもので決定づけられるのであるが、オーレウスの発見した魔法というものは、場合によっては、そのような先天的な力の差を、後から簡単に覆してしまいかねない。

 神族の有力者達は、魔法を恐れたのである。

 

 同じような動きは天界のあちこちでも見られているらしく、魔法に対する風当たりは強い。

 魔法そのものが、魔力という、穢れの持つ力に類似するものであることもマイナスイメージになっているのだろう。

 クベーラのように先入観を持たない者はともかく、神族たちの多くは、魔法に対して否定的な見方をする者が多かったのだ。

 

 それ故に、オーレウスは迫害された。

 魔法を扱えるが故の、優秀すぎるが故の迫害である。

 

 彼は天界を追われ、穢れ……原始魔獣や魔族が蔓延る地上へと落とされたのだ。

 そうして彼は安全なこの地へと流れつき、同じような境遇の者も集い、集落が出来た、と。

 

 

 

「そんなこともあったかのう」

 

 衛兵さんからの話が終わると、オーレウスは他人ごとのように笑った。

 この話が真実であれば、彼は天界のために力を尽くしていたというのに、忠義を向けたその天界から裏切られたことになる。

 かなり、辛い思いもしたはずだ。

 

 だというのに、彼は笑い飛ばす。

 全てを忘れ、過ぎ去った過去のことであるのだと言うように。

 

「とても立派な、魔法使いだったんだなぁ」

「ほほほ、やめてくれい。恥ずかしいわい。大したことはしとらんよ」

 

 天界を追われ、地上に堕ちてもなお、彼は人のために力を使い続けている。

 この集落に住む人々の彼に対する信頼を見れば、それはすぐにわかることだ。

 

 よくある、堕天したから復讐を、などという悪魔じみたドロドロした気持ちは、彼らにはない。

 彼らは地上に足を降ろし、ここで生きようと決心している。

 そんな気持ちにさせるのも、ひとえに彼の、オーレウスの存在があればこそなのかもしれない。

 

「お、今日はいい天気じゃの……どれ、散歩にでも出かけるとしようかの」

 

 明るい窓を見て、オーレウスは立ち上がった。

 衛兵の二人も、すっかり日差しの強まった外を見て、いい加減忘れ続けてきた自分の役割を思い出したらしい。

 

「それじゃ、オーレウスさん、また!」

「おじゃましました!」

「ほいほいー」

 

 衛兵の二人は今更ドタバタと慌てて、持ち場へ帰ってゆく。

 マヌケなことに、よそ者の私をここに置き去りにして。

 

 あまりの警備のゆるさに、いい加減呆れる気持ちもなくなってきた。

 

「ほほ、明るくて、なかなか良い奴らじゃよ」

「まあ、確かに。一緒にいると、楽しそうだ」

 

 きっとこの土地は、こんな雰囲気なのだろう。

 基本的に、ゆったり、まったりと。自然とともに、時間を過ごしてゆくような。

 

「どうだね、ライオネル。一緒にキノコでも採りに行かんか? 魔法の材料になるんじゃよ」

「おお、是非是非」

 

 聞きたいことは山ほどある。言いたいことも沢山ある。

 けど、忙しく一度に言うこともない。

 彼らの中に流れるゆったりとした時間に合わせ、少しずつ、彼らと関わっていこう。

 私はそう決めたのだった。

 

 

 

 

 



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 オーレウスの里。

 族長がオーレウスなので、私は彼らの住まう集落を、そう呼称している。

 

 この里はとても平和だ。

 天敵らしい天敵はおらず、里の住人は誰もが平穏。

 食というものそれ自体をあまり必要としない神族達は、時折果物や茶などを嗜むことはあれど、それらを断ったところで飢えることはない。

 そこはある意味、地上における極楽浄土なのかもしれない。

 

 延々と続く長い寿命。代わり映えのない、質素な生活。

 ぐっすり眠り、たっぷり話し、その繰り返しだ。

 

 それを怠惰だと思うかどうかは人によるだろう。だが私は、彼らのような生活を、非常に好ましく思っている。

 日がな一日好きなことをして、明るく楽しく過ごす。それは実に、良いことではないか。

 

 彼らの遊びといえば、棒きれに糸と針をつけただけの竿による釣りや、野花を摘んだり、立ち話をしたりというものである。

 それらは全て趣味の範疇。人間であれば、採集や狩猟は糧を得るための手段であったが、彼らはそれを遊びで行っている。

 遊び故に、それらは長く洗練されることもなく、形をそのままに保ったまま、今日まで続いてきたのだ。

 逆境は人を育てるが、長閑な暮らしの中にいると、逆に人が育たなくなるらしい。

 魔界人の物覚えの悪さも、もしかしたらそこら辺から来ているのかも。

 

 ……などと考えながら、私がこの里へやってきてから、一週間が経過した。

 行商人が物を売りもせずに一週間も留まるのはどうかと思ったが、これも市場リサーチのためである。

 商売相手のことを知っておかなければ、物を売る真似さえできないのだ。

 

 

 

「で、こっちのキノコは使えるものじゃからな」

「ふむふむ」

「頼んだぞぅ」

 

 そういうことで、私は今、森の中でキノコ採集に勤めている。

 魔法使い然とした格好に網籠を背負い、その中に色とりどりのキノコを詰めて、のっしのっしとキノコ狩りである。

 オーレウスから“一緒に来ないか”と誘われてしまったのだから仕方ない。里の長の頼みだ。断れるはずもない。

 

 この一週間はまさに採集採集と続く毎日で、来る日も来る日も、キノコや野草を引っこ抜いては研究材料としてすりおろしたり、煮詰めたりを繰り返している。

 私も昔はこういった作業が得意であったが、それも随分前の話だ。今や私の知らない植物や動物や菌類が繁栄し、私の持つ触媒知識は何一つとして役に立つことがない。これだから絶滅する動植物は困るのだ。

 

「オーレウス、このキノコは?」

「む? おうおう、そいつは似とるがな、裏側のヒダをよく見てみなさい」

 

 その点、オーレウスは森に関して、非常に詳しい。

 彼の知識量は、まるで森の主のようである。時折物忘れにでも陥ったかのように口を半開きにして呆けることもあるが、そんな時は大判の本を開き、米粒よりも小さな文字列を読んでいくことで、どうにか思い出しているようだ。

 そういった記憶力については怪しいところもあるが、基本は聡明そのものである。

 

「ああ、本当だ。形がちょっと違う」

「うむ、気をつけるのじゃ。それを使うと、大変なことになるからのう」

 

 彼の書いた本を見ればわかることだが、オーレウスは実践する人だ。

 何度も何度も実験と実践を繰り返し、根気よく答えを煮詰めていく。そんな人なのである。

 こうして得た数々のキノコや野草の知識も、全ては経験で成り立っている。

 彼は、基本的に私と同じなのだ。

 

「オーレウス、草の方はこれでいいかね」

「む? ……おお、ライオネルよ、お前はシダになると強いのう、どうやって見分けるんじゃ」

「はっはっは。曲線かなぁ」

 

 まぁ、もちろん私だって負けないですけど。

 辛うじていくつかの得意分野が生き残っているのだ。

 オーレウスの知識への欲求は尊敬に値するが、私だって彼の知識を吸収し、自らをより優秀な魔法使いへと高めていきたいと思っている。

 

 ここ数日、森の中で行われている採集活動には、そんな意味もあったのだ。

 

 

 

「はあ、大漁大漁」

「すまんの、大荷物を持たせてしまって」

「いやいや、私の身体は頑丈だから、気にしないで結構」

 

 籠二つに様々な物を一杯になるまで詰め込んで、里へと戻る。

 空も赤みが差し、もう数十分もすれば闇が訪れる時間帯だ。

 

 私は仮面の中に小さく限定的な“月時計”を展開し、時間を確認した。

 ……現在、午後五時だそうです。

 

 時間なんて見なくたって、彼ら神族はそんなもの気にして生活してないんだけどね。

 

「オーレウスさんおかえりー!」

「おかえり! オーレウスさん!」

「あと商売の人!」

 

 私達が里の中へ入ると、進入時にどこかで知らせる音が鳴ったのだろう。

 背の低い子供の神族たちが三人、走ってやってきた。

 

 三人共オーレウスの脚にしがみついて、思いっきり甘えている。ちょっとうらやましいなと思った。

 というか、商売の人って。

 

「こらこら、この人はライオネルというんじゃ。人はちゃんと名前で呼ばなければならんぞ、セラ」

「はあい」

「すげー、カゴいっぱいだ!」

「見せて見せてー!」

「ああ、ちょっとちょっと、今は駄目。崩れる、崩れるから」

 

 そう、この里には、子供もいる。

 神族が子を成すこと自体は、以前にサリエルから聞いていたので驚きはしなかったが、しかしこうして実際に見てみると、本当に子供そのものだ。

 一見して、彼らがあと数年もすれば、自分の意志で自在に空を飛べるようになるのだが、とてもそうは見えない姿だ。

 

「ねえオーレウスさん。お母さん、この薬で治るかなぁ」

 

 オーレウスの服の裾を握り締めた子供が、悲哀混じりの顔を彼に向けた。

 

「……ああ、治るとも」

 

 オーレウスは、静かにそう呟いた。

 

 



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寿

 里の神族たちに混じって生活し、彼らの輪の中に溶けこむことによって、私は少しずつ、彼らを取り巻く状況を把握していった。

 何も考えずにオーレウスとキノコ狩りしているものだから、里の住人も私への警戒心を解いてしまったのだろう。重要らしい話も、いくつか聞き出せている。

 

 さて、周囲には天敵である魔族がおらず、平和であるはずのオーレウスの里には、実はたったひとつだけ、頭を抱える問題があった。

 それはたったひとつではあったが、神族たる彼らにとっては、とてもとても悩ましい問題である。

 

 何せ、それは自分たちの“死”に関わる問題なのだから。

 

 

 

 里には原因不明の“病”というものがあるらしく、それは伝染る、伝染らないというよりは、地上にいる者全てが等しく罹るもの……なのだと、里の皆は口々に言う。

 曰く、病にかかった者は、段々と活力を失い、やせ衰え、やがて死ぬのだとか。

 

 私は最初にそれを聞いた時、“殺人犯の100%はパンを食べたことがある”などというような言葉を連想した。

 思ったのだ。“当然じゃないか。生き物には寿命があるんだから”と。

 

 そして、はたと気付いたのである。

 彼らには、本来であれば寿命らしい寿命が存在しなかったことに。

 

 

 

「地上は、必滅の病に冒されておる」

 

 オーレウスは石鍋の中に乾燥させたキノコの粉末を振りまき、300ccの水に11グラムの貝灰を入れて、石匙でかき混ぜ始めた。

 カラカラと石同士がこすれ合う音の中で、オーレウスは続ける。

 

「ワシが天界にいた頃には、それは魔術や魔界が原因であると言われておった。だが、ワシはそれは間違いだと考えておる」

「それはまた、どうして?」

「確証はない故、あくまで勘じゃがな。地上が死の病に冒されているというよりは、天界という土地そのものが長命の要因そのものだと思っているのじゃよ」

「ほう」

 

 オーレウスは石匙を振って水滴を落とし、私にニコリと微笑んだ。

 

 なるほど、地上の生物が死の病に冒されているのではなく、天界が不死の力を持っていると、そう考えているわけか。

 私は天界の事情に詳しいわけではないが、きっとオーレウスの予測は正しいだろう。

 アマノの力によって宙に浮かぶ巨大な隔離大陸、天界。それがどのような不思議パワーを持っていたとしても、私は何も驚かない。

 それに、神族という種族的特性もある。天界にいる間は何らかの力が影響して不老不死となるが、力の弱い地上では少しずつ衰えてゆく。実にあり得る推論だ。

 魔族達がお互いに喰らい合うという行動も、多分それで説明できる。

 

 ……そして里の住民は、神族としての力が供給されていないために、少しずつ衰えている、と。

 

「ある程度、木の実などを食す事によって回復はするし、時間稼ぎにはなる。だが、根本的な解決にはならんのじゃ」

「普通の食べ物でも、延命が?」

 

 それは初耳。原始魔獣のように、同類しか食べられないのかと思っていたけど。

 

「本当に、ある程度じゃ。気の持ちよう、本人の精神力、様々な要因によって、“病”の進行も変わってくる……悪い方向に全てが揃ってしまえば、とても食事だけでは抑えきれるものではない」

 

 石鍋が真っ赤な火にかけられる。

 同時にオーレウスは棚から瓶を取り、粉末状のものを鍋へと振り撒いた。

 

「原因は、地上というわけではない。天界ではない、それが原因なのじゃ。だが……これは、まさに“病”と呼ぶに相応しい」

 

 沸騰し泡立つ鍋に目を落としながら、オーレウスの表情は暗く、しかしそれ以上に真剣だった。

 

「堕天した我々にはどう足掻いても避けられ得ぬ、必滅の病なのじゃよ」

「……」

「なんてな」

「え」

 

 私が彼の表情を真正面から受け止めていると、不意にオーレウスは無邪気に笑った。

 

「まぁ、死ぬ。しかしそれだけじゃ。確かにそれは恐ろしい。しかし、我々は心のどこかで、それを受け入れてもいるのじゃよ」

「死を受け入れている」

 

 神族が、死を受け入れる。

 ……神様が自分の死を、か。

 

「もちろん、そのような病、治せるならば治したいとは思っておる。ワシの研究のほとんども、今はこれに注がれておるからな。だが地上に住まう生物たちのように、有限の時の中で生きてみるというのも、悪くはないのかもしれんじゃろう」

 

 オーレウスは気軽に言ったのかもしれない。

 けど今の一言は、私の空洞の胸へと、強く、深く突き刺さった気がした。

 

「自らの生に感謝する。その事を言えば、逆に永遠の命など、無い方が良いのかもしれん」

 

 最後にそう言って、オーレウスは簡易発火魔術の火を止めた。

 出来上がったのは、魔術的触媒を多量に含んだ、触媒スープである。

 

 オーレウスはこの液体を用いて、これから薬の作成に入るのだ。

 

「オーレウス、私も手伝おう」

「おお、それは助かる。ライオネルの手際は、ワシよりも格段に良いからのう」

 

 神族の死生観。それは、何億年も生きてきた私には、容易に想像できるものではない。

 だが、これから薬の作成を手伝うにせよ、手伝わないにせよ、この先に待ち受ける結果を、深く想像しなければならないだろうと思った。

 

 



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 元を正せば、神族とは“穢れ”……原始魔獣だ。

 だが神族は特殊な進化により、大元たる原始魔獣とは大きく異なる生態を獲得した。

 それは、両者を参考に生物を創造した神綺の結果を見れば解るだろう。大型原始魔獣を参考にするとウミウシに、神族のサリエルを参考にすると魔人が出来上がったのだ。

 

 ここらへんは少々、私の専門外ではあるのだが、神族と原始魔獣の間に大きな種族性の隔たりがあるのは、まず間違いない。

 実際、原始魔獣は同じ存在を捕食しなければ延命できないのに対し、神族は何を食べずとも、かなり長命なのだから。

 

 種族的な差。実際、それはある。

 しかし、そこに“天界”という地質の影響が関わっていないとも思えない。

 

 永きに渡って同じ土地の上に鎮座し、世界を見守り続けてきた竜骨塔の唯一神、アマノ。

 彼女が座していた大地が浮き上がり、作り出した異空間……天界。

 天界が持つ異質な力には、まだまだわからないことが多い。私からしてみれば、天界がどこにあるかも未だ、謎が多いのだ。

 神族達には、感覚的に天界の位置や入り方がわかっているようだが、私などはどこに位相があるのかも見分けられないし、入り口を作るのだって、前回はサリエルの補助がなければ不可能だっただろう。

 そこらへんの隠蔽は、きっとメタトロン辺りが施したのだろうと思っているが、ひょっとしたら天界そのものが隠蔽機能を持っているのかも……。

 

 とは思いつつ、天界への行き方はわからない。

 サリエルは堕天した後だし、私は入り口を察知できないのだ。

 なので、今は別の方向からアプローチをかけてみることにしよう。

 

 

 

「これが魔力増幅薬じゃ」

「ほほー」

 

 仕上がった薬を見上げ、私は仮面越しにニンマリと微笑んだ。仮面がなくても、ニンマリとしているようには見えないだろうけど、心の中では笑っている。

 

 キノコ採集を続けて三ヶ月。

 目当てだったらしいアブクアワダケ(仮名)が見つかったおかげで、ようやく“必滅の病”の治療薬が完成した。

 

「前にも説明したが、これを飲めば魔力が増える」

「しかし、非常にゆっくりと」

「うむ。まぁ、一度に魔力が増えても困るじゃろうしな」

 

 オーレウスは、出来上がった瓶を机に置き、額の汗をぐいと拭った。

 やはりというか、薬は非常に貴重な品であるらしい。

 作る行程は私をして面倒の一言で済ませたくなるものだったし、件のアブクアワダケも消滅しやすく、とても養殖できる類の材料ではないので、仕方ないのだが。

 

「これがあれば、老いが治る、と」

「そうじゃな。飲めばかなりの間、老いが止まる。個人差もあるが……少なくとも、死ぬことは無くなるのう」

 

 私は包帯まみれの手で瓶を掴み、薬を掴みあげた。

 中身は無色透明。より洗練された効果の薬品というものは、大概は無色になる。

 だからというわけではないのだが、この薬品は確かに完成度の高い品物だ。

 

 私は魔力を周囲から掻き集めるタイプなので、自らの魔力を増幅する事はない。

 なのでこういった薬品を作る機会は、気が遠くなるほどの時間を数えても、今の今まで一度も無かった。

 そんな素人な私ではあるが、オーレウスから教わったお陰で、どうにか薬の作成法をマスターできた。

 材料が都合よく揃うはずがないという問題こそあるが、今度は一人で作ることも可能だろう。

 

「しかし、これをひとつ作るにも大変なんだなぁ……」

「ほほほ、そうじゃろう。だが、ライオネルが居てくれて助かった。すまんのう、商売人というのも、忙しいのだろう?」

「いやいや、全く」

「そうかね?」

 

 そもそも今のところ、お客さんがここにしかおりませんでな。

 

「……そうじゃ、ライオネルよ。今更ながらではあるのだが、お主が持っていればでいい。譲って欲しいものがあるのじゃが……」

「おっ? おおー、なんでしょなんでしょ。何をお求めでござんしょう」

 

 正直、ここまで貴重な品の製作法を見せて貰ったので、そこらへんの魔道具だったらタダであげちゃってもいいんだけど……まぁ、こっちも商売人という体だ。無料であげる、というわけには、一応いかない。

 

「瓶をくれぬかのう?」

「え? 瓶?」

 

 私は仮面ごと“ぐりん”と首を傾けた。

 

「ほほほ、以前ここにきた商人から貰った秘薬の瓶が、なかなか使い勝手がよくてなあ」

「……欲がないなぁ」

「ほっほっほ、ワシゃ欲深いさ。このような薬を頼らずとも良いよう、誰より長く、こうして生きてるんじゃからな」

「……」

 

 私はおどけたように腕を広げ、“ははは”とでも言いたげに振る舞ったが、声は出なかった。

 その時のオーレウスの顔は、とても寂しそうだったから。

 

 

 



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「オーレウス、本当にここから探しても良いのかい。すごい埃だけど……」

「ああ、構わんよ。ワシもそこに何があるかは忘れてしまってな。もしかしたら、対価となり得る何かが出てくるやもしれん」

 

 きっかけは、そんなやり取りであった。

 オーレウスの住まう家の隅に置かれた、古びた戸棚。

 

 ここを開いたことにより、私の中で全ての謎が噛み合ったのだ。

 

 

 

 オーレウスは遥か昔、地上へ堕とされた当時から、地上の環境によって起こる“必滅の病”の研究を行っていたらしい。

 これは、オーレウス彼自身から聞いたことではない。

 私が彼に渡した小瓶の代わりにと、彼の戸棚から探し出した、古い皮製の手記に書かれていた事から判明したものである。

 

 

 

 手記によれば、彼は地上に堕ちてすぐに自身に起こった老化の異常を察知した。

 自らの身体が老い、数十年単位でゆっくりと衰えてゆく緊張感が事細かに綴られている。

 そのため、これではまずいと、彼は対策に乗り出したのだそうだ。

 

 老化の速度が、その神族の神格や存在がどれだけの者に認知されているかが深く関わっている、というような推測。

 現在の魔力増幅薬へ至るまでの延命法の試行錯誤が。

 皮製の紙には、小さな文字がびっしりと綴られている。

 

 それ以降も、様々な媒体に研究結果を綴り保管していたのだろう。古い棚からは、同じような手記がまとめて見つかった。

 

 地上へ堕ちて数千年。

 オーレウスは優秀な頭脳で様々な延命手段を講じたが、天界にいた頃のような無尽蔵の命を手にする策は見つからなかった。

 外敵の居ない土地を探し、秘薬の原料となる植物が自生する山林を探し、魔術の研究を続け……。

 それでも彼は、着実に老い続けた。

 金髪は銀に染まり、皺は深く刻まれ、身体能力は低下してゆく。

 

 

 

 しかしそんな中、彼は打開策を見つけた。

 つい最近、およそ数百年ほど前のことである。彼は老衰によって死ぬ前に、どうにか自身の命を永らえる魔法を発見し、自らに施すことができたのだ。

 

 それは決して剥がれることのない、呪いにも似た魔法。

 自らの不要な記憶や思い出を代償に、肉体的な衰えの“記憶”をも一緒に忘れ去る魔法。

 異なる二つの“記憶”を擦り合わせることで、自らの成長を忘れる魔法。

 “研忘の加護”という名の魔法を、彼は編み出したのだ。

 

 この魔法によって、オーレウスは不老の身となり、現在はこの集落の長老として、皆に慕われている……というわけだ。

 

 もちろん、オーレウスが発明したこの魔法は仮の物だ。

 記憶を忘れながら生き続ける、つまりボケ続けながら生きるこの魔法を、オーレウス自身が最終形態の延命措置として認めているわけではない。欠陥品だ。

 彼はより一層、より天界にいた頃に近い、完全な長命を求めて研究を続けることにした。

 

 だが蝕まれてゆく記憶が、それを許さない。

 研忘の加護は彼の研究をことごとく阻害し、苦しめ続けた。

 それまでこつこつと積み上げ続けられたものは、少しずつ崩れてゆく砂城へと変わり、次第に魔法の知識が彼のもとから離れてゆく。

 

 オーレウスは、もはやある程度の知識を保つ以上のことは不可能だと、いつかの一枚の手記に書き殴っている。

 理性的な彼が書き残した悲痛な叫びは一枚の紙に遺され、それは棚の奥深くに封じられていたのだった。

 

 

 

「なにか、小瓶の代わりになりそうな物はあったかのう」

 

 私が部屋の隅で沢山の手記をまさぐっていると、オーレウスはガラス瓶を嬉しそうに見つめながら私ヘ呼びかけた。

 

「何分、この家も古くてな。価値のあるものが見つかれば良いのじゃが」

 

 オーレウスは、もう手記のことも覚えていない。

 断片的ないくつかの経緯や出来事は覚えているのだろう。

 

 しかし彼はもう、この手記に遺されているような悲痛な感情も、いくつかの進めかけの研究も、その記憶を生命の蝋燭の代わりに、燃やし、散らしてしまったのだ。

 

 私はこの時、何故オーレウスがあのような魔導書を作ったのかが理解できた。

 あの魔導書は、決して他人のために作ったものではない。

 彼が、自らのために、自らの魔術の歩みを忘れないためにと書き綴った、自分のための指導書であったのだ。

 

 だがオーレウスはもはや、そのようなことさえも忘れてしまったのだろう。

 集落を訪れた商人に、その場しのぎの秘薬代わりにと、魔導書を差し出してしまうほどに。

 

「……そうだな、それじゃあ、この布を貰えるかな」

「ほう、布とな。そんなものがあっただろうかの」

 

 私は古びた棚の奥にしまわれていた、ひとつの白い生地を取り出した。

 おそらくリボン程度にしかならないような小さな、白い布である。

 しかし作りは丁寧でしっかりしており、なめらかで手触りもよく、強い保護魔術も掛けられていた。

 

「ふむ、そんなものでいいなら、持っていってくれ。瓶の代わりにしては、不足だろうが……」

「いやいや、私はこれが良いんだ」

「なら、是非」

「ありがとう、オーレウス」

 

 この棚の中は、オーレウスの古い記憶を閉ざした場所だ。

 挫折の記憶と共に封じられていた、ひとつの白い布。

 私はこの小さな布に、オーレウスが遠ざけたかった強い想いと、同じくらい大切にしていたであろう何かを感じるのだ。

 もしも私がこの布を手がかりとして何かを探し出せたなら、それはもしかしたら、オーレウスのためになるのかもしれない。

 

 

 

「瓶、どうもありがとう。それと、材料探しもな。感謝しておるよ」

「こちらこそ。ここはとても静かで、良い場所だった。魔法の話も出来て、すごく有意義だった」

「ワシもだ。ありがとう、ライオネル」

 

 私とオーレウスは、固い握手を交わした。

 向こうは皺くちゃの、老いた手で。私は醜さをぐるぐる巻きに隠した、包帯だらけの手で。

 

 こうして、オーレウスの集落で過ごす時間には、ひとまずの区切りがつくこととなった。

 長いようで短い時間だったが、私は商人であるし、魔界のことを放っておくわけにもいかない。

 今回はひとまず、オーレウスの事情を沢山知ることができたので、良しとすることにした。

 

 帰り際、私は不老の魔法、“不蝕”をオーレウスに教えようかと迷ったのだが、あれは今のオーレウスが習得するには難しすぎるし、私がこの集落の神族全てにかけるというのもどうかと思ったので、やめることにした。

 軽々と不老を振り撒いて、命の尊さを悟りつつある彼らの心を歪めるのが怖かったのである。

 

「では、またな」

「うむ、また」

 

 だから、私は彼と別れ、魔界へ帰ることにした。

 神族たちの地上の集落とも、しばらくの間、お別れだ。

 

 



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遺骸王の波紋 生

 

 魔界へ戻った私は、オーレウスとの出会いや、地上での様々な出来事などを、神綺とサリエルに話した。

 特にこれといった土産はないものの、話だけなら沢山だ。

 外に生えている植物、神族が築いた集落、そして天界での魔術の扱われ方など。

 

 特に、天界に対して強い想いを抱くサリエルにとって、今回の私の報告は大きな意味を持っていた。

 

「そうか、魔術がそのような扱われ方を……」

「うむうむ」

 

 彫刻の街の無人ベーカリーで、私達三人が集い、お茶を飲んでいる。

 といっても実際に茶を飲んでいるのはサリエルだけで、私と神綺はいつものビールだ。

 

「確かに、魔術は天界において、強く秘匿、管理されてきたものだ。私やメタトロンであればその力の性質を理解できるが、下層の者達が発見したとなれば、そうはいかず、悪しき力と誤解するのも仕方ない、かもな……」

 

 サリエルは天界で、月魔術の秘密を守り続けてきたという。

 しかしオーレウスが扱う魔術は、彼が独自に編み出し、発見したものだ。自ら発見した魔術までは、いくらメタトロンでも塞ぎようは無いだろう。

 また、オーレウスの他にも様々な神族が独自に魔術と出会い、少々誤解があるとはいえ、魔術の存在自体は段々と天界に認知されてきたらしいので、これから天界は、魔術という新たな力と付き合っていかなくてはならなくなるはずだ。形はどうあれ。

 

「オーレウスが天界を追放されたくらいだし、天界の魔術に対する理解は、かなり低いのかもしれないなぁ」

「いや、下層は私にもわからないが、少なくとも我々のいる上層では、そういった偏見は……」

「魔術って難しいものねぇ」

 

 そもそも神族には、固有の能力が備わっているらしい。

 それこそ魔術並みのものから、一部ではそれさえ凌駕する力もあるのだとか。

 サリエルの持つ邪眼なども、固有の能力の一種だ。

 

 神族の能力は、大なれ小なれ強力である。彼らの場合は、そもそも努力して魔術を体得する必要などない。魔術という力に、長い間自力では気づかないのも、無理のない話だ。

 生まれ持っての力の差を参照する上下関係は、長い間、一部神族たちの原器として扱われてきたが、しかしそれも、魔術の登場によって揺らぐことは必至であろう。

 

 ……まぁ、そこからのことは、正直私もどうだっていいけどね。

 神族同士の諍いは、彼らで好きにやってもらえばいい。

 魔法が悪者のように扱われるのは、ちょっと悲しいけどさ。

 

 

 

「ところで神綺、魔人達の様子はどうかな。元気にやってる?」

 

 私はしばらく放任していた(私の子ってわけでもないけど)神綺の創造生物、魔人達の様子を訊ねた。

 すると神綺はぱあっと笑顔になり、嬉しそうに彼らの近況を話し始めた。

 

「とっても元気ですよ。皆、なかなか私の言うことを聞いてくれませんけど、自分たちの意志で動くし、喋るし……それに、賢くて。一緒にいると、全然飽きません」

「ほほー……」

 

 魔人なら神綺が母としてしっかり手綱を握れると思ったけど、やっぱり言うことを聞いてくれなくなっちゃうのね。

 まぁ、彼女は嬉しそうだし、それでもいいのかな?

 

「けど、最近みんな勝手に出歩くせいで、いなくなっちゃった子がいたりするんですよね」

「えっ」

 

 それって大丈夫なのか。

 

「まぁ、魔界を出れるわけじゃないので、あまり心配はしてないんですけどね」

 

 あ、駄目っぽい。

 

「……神綺、ちなみに、今魔人ってどれくらいの人数になった?」

「え? 二万人くらいでしょうか?」

「そんなに増えたの?」

「はい。創るのも慣れてきたので、一度に十人くらい創る練習を何度かやっていたら、そのように」

 

 なってしまったわけか。なるほど。

 ……まぁ、まぁまぁ、住民は多い方が賑やかで楽しいもんね。

 

 でも急にそんなに増えるなんて、ちょっと私不意打ち食らった気分だよ。

 もうちょっとなだらかに増えて、少しずつ少しずつ文明が発展して、ってなるかなと思ってたんだけどね。うん。

 

 いや、増えちゃいけないってわけではないんだ。

 ただ、その増えていく過程を見れなかったのは、少し残念だなーって思っただけで。

 

 ……なんて口をすべらせると、神綺が“じゃあ消します”とか言って次の瞬間に魔人大虐殺を初めてしまう可能性がゼロとは限らないので、言わないけどもさ。

 

「なんだか、地球も魔界も、人が増えてきたなぁ」

 

 最初は誰もいなかったのに、随分と賑やかになったものである。

 神綺が生まれ、名も無き神が生まれ、アマノが生まれ、そして消えて……。

 

 地上、天界、魔界。

 魔族、神族、魔人。

 

 全てを把握しながら過ごすのは、もう非常に難しくなってしまった。

 四億年前は、全ての生き物を記憶に留め、全ての海藻の性質を事細かに覚えていけたというのに。

 

 ……けれど。

 

「ねえ、サリエルの方にはあの子たち行ってない?」

「魔人か? いいや、私の方には来ていないな。幽玄魔眼を通して見る限り、まだまだ行動範囲は狭いようだぞ」

「あ、そうなの。なら安心だわ」

 

 様々な生命が呼吸をし、様々な想いに従って行動する。

 それが地球の形作った自然の摂理だ。それが地球の尊い姿だ。

 

 手の届かない、目の届かないものが増えて、これからもっと不安にもなるだろう。

 だけど私はそれを当然のものだと受け入れて、自然のひとつとして、一緒に生きていこうと思う。

 その先にきっと、私が求めてやまない、完成され、満たされた世界があるはずなのだ。

 

 人類さん、早く生まれてきてもいいんだよ?

 

 

 



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 魔力増幅薬。

 環境から魔力を集め、抽出し、利用する私の魔術形態からしてみれば、なんとも非効率的な薬品ではあるが、自らの漏出魔力に限って効果を及ぼしたいのであれば、これ以上のものはないだろう。

 そして、神族は何よりもこの薬が有効である。

 地上を生きる通常の生物よりもずっと霊的な彼らは、この薬による魔力の増幅作用に伴い、自らの格を一時的に上昇させるのだ。

 消耗品ではあるが、地上に生きる神族に達にとっては、命の薬と言える。掛け替えのない万能薬だ。

 

 自前で使う予定は無いが、次にオーレウスと出会う時や、また別の神族と交流する際には、役に立つかもしれない。

 なので私は、しばらく魔界にて、薬品の製造に腐心することになった。

 

 

 

「魔力増幅薬よ、現れよ」

 

 呟き、右手の中に瓶入りの水を出現させた。

 

「どれどれ」

 

 その蓋を開け、一気に口の中へと流し込む。

 

「うん、ただのハッカ水だ」

 

 効能なし。予想はしていたが、原初の力では生成できないらしい。

 横着せずに、普通に作りましょう。はい。

 

 

 

 地上から新たに持ち込んだ植物を魔界の空き区画に植林した後、私は魔界に自生する植物をめぐり、薬品の材料となるものを探すところから始めることとした。

 オーレウスの集落の付近では稀にアブクアワダケ(仮名)が見つかり、それを材料とすることで魔力増幅薬を作れるのだが、生憎と魔界にはそのようなキノコは存在しない。

 かといって、あれは一夜も経たずに消えてしまうほど脆く珍しいキノコなので、地上で探すにはかなり難しい。養殖するにしても、キノコは繊細で、一筋縄ではいかないのだ。

 なので、代用品を主原料とした、オーレウス式とは違った、また別の魔力増幅薬を発明しようと思う。

 

 なに、私には数億年前のあらゆる動植物を調査し尽くした経験があるのだ。

 魔力の振れ幅を大きくして効果を広げるだけであれば、そういった薬を作るのは難しくはないはずである。

 

「今度、オーレウス達にプレゼントしてもいいかもなぁ」

 

 薬をあげるだけなら、“不蝕”を教えるよりは影響も軽いだろう。

 私はそんな軽い気持ちで、魔力を増やす薬品の製造を始めたのであった。

 

 

 

 それから数百年。

 もしくは、数千年が経過しただろうと思う。

 

 とにかく少しだけ間を開けて、久方ぶりに魔界へ客人がやって来たのである。

 

 私はその時、魔界の森から集めてきた菌類の培養のために右往左往していたのだが、サリエルが慌ただしく飛んできて知らせを届けてくれたので、その珍事に気付くことができた。

 

「来客」

「ああ、幽玄魔眼で姿を捉えた。以前魔界へ来た、クベーラという者だろう。格好は少々変わっているが、纏っている気配や雰囲気は同じだったな」

「そうか、クベーラが……それじゃあ歓迎しないといけないな」

 

 前に来てもらった時には、オーレウスの魔導書を売ってくれた。

 こちらが代わりにと差し出したのは、ほんの少しの物ばかりである。向こうには言えないが、なかなか良い取引をさせてもらったものだ。

 また再び魔界にやってきたということは、それなりに商品も整ったということなのだろうか。

 とにかく、天界の品々が見れるというのは楽しみである。

 

「行くのか?」

「うん。サリエルは今回どうする?」

「遠慮、しておこう」

「そうか」

 

 でもまだまだ、サリエルは天界の人達と交流するつもりはないらしい。

 彼……彼女なりの考えもあるのだろう。

 

 

 

「おお、ライオネルだったか。久しぶりだ、また会えて嬉しいぞ」

「やあクベーラ、どうもどうも」

 

 サリエルから教えてもらった座標をイメージしながら魔界の辺境へ跳ぶと、そこにはクベーラが立っていた。

 以前と同じ装いに、以前よりもずっと大荷物を抱えての登場である。

 手にした杖とカンテラの装いは健在だ。こうして変わっていないところを見ると、やはり天界の神族は代わり映えしないということか。

 

「今回も様々な商品を持ってきたのだ。各地を周り、前よりもずっと沢山の物を仕入れてきたつもりだ!」

「おおー」

「早速、商談にも入りたいが、色々な話も持ってきた。この前のように、落ち着ける所へ移動したいな。神綺のいる場所へと案内してもらえるか?」

「神綺ね、わかったわかった」

 

 魔界で過ごし、時々来客を迎える。

 こんな暮らしも、悪くはないものだ。

 けどできれば、もうちょっとだけ別の人達にも来て欲しいかな。いや、クベーラが嫌いなわけではないけれど。

 

 



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「さあ、どうだ! 前回の傾向を踏まえ、今日は魔術関連の品々を持ってきたぞ!」

 

 クベーラを前と同じログハウスへ案内すると、また以前のような商品発表会が行われた。

 今度はテーブルを三台も動員した、選り取りみどりの大風呂敷である。

 

 私と神綺は、机上に置かれたそれらを眺めながら、天界産のめぼしい品物を見繕っている。

 

 クベーラが胸を張るのも頷ける、錚々たる面々が連なっており、以前より質も量も段違いだ。

 彼のような商人が活躍しているために、品物の供給も増えているのかもしれない。

 

 しかし、魔術的に前回より上質とはいえ、並んでいるのは簡素な仕組みの品々ばかりだ。

 作り上げた事自体は凄いと感心はするものの、私個人が欲しいと思えるような品物は、一見して見当たらない。

 前回はオーレウスの著書というイレギュラーがあったから交渉に応じたが、はて、今回はどうしたものだろう。

 

「目移りするかね。するだろう。特上のものばかりだからな」

 

 それだけに、クベーラに満ち満ちている自信を見ると、ちょっと申し訳なくなる。

 だが、彼もあまり魔術に詳しくないのだ。自分でもあまりよくわかっていない物を売りつけるわけなのだから、相手が買い取ってくれないという可能性も考慮すべきだろう。

 

 今回は丁重にお断りして、また数千年後に来てもらおうかな……。

 

「ライオネル、これを見てください」

「うん?」

 

 私が眼力の強いクベーラに、どうお断りを申し上げようか悩んでいると、神綺が品物のひとつを指さし、私を呼んだ。

 

「これ、魔術的なものではありませんよね」

「うーん……?」

 

 言われるがままに、神綺の指差す場所にあるそれを手に取った。

 確かに、彼女の言うように、魔力的な機構があるとは思えない手触りだ。

 

 杖のような棒きれだが、そこに触媒が備わっているわけではない。

 魔力の消費機関のない、ただの棒。いや、むしろ節くれだった、ただの枝である。

 それが、第一の感想であった。

 

「む?」

 

 が、手は途中で止まった。

 何気なしに枝の表面を撫でていただけだったのだが、指先が違和感を感じ取ったのだ。

 

「クベーラ、これは?」

「む、それか。それは確か、辺境の土地で手に入れたものだったな。穢れに対抗するための試作、だという説明を聞いたが」

「穢れに対抗……? 何かの研究の成果、ということか……?」

「うむ。まぁしかし、なかなか上手くいってないそうだぞ。それも、製作途中で諦めた物だそうだ」

「……」

 

 穢れに対抗する道具。

 それは、原始魔獣に対抗する道具という意味だろうか。

 

 それにしてはこの枝切れは、あまりにも攻撃力に乏しいと言わざるを得ないのだが……。

 

「クベーラ、少しこれをいじってもよろしい?」

「……壊したら、買い取ってもらうが」

「わかった」

 

 まぁ、壊したら壊したでそういう実験だったということだ。

 試すことに価値がある。ともあれ許しが出たので、早速色々な反応を伺ってみよう。

 

「まずは魔力との反応」

 

 左手に枝を握り、右手をかざし、様々な部分に力をあてがう。

 予想通り、枝は魔力に対して何らかの反応を示すわけではなく、作動する様子は欠片も見られない。

 しかし魔力自体の通り道はあるらしく、植物の持つ道管に近い部分を通るようにして、魔力は綺麗に流れていった。

 

 反応するわけではない。しかし、これで魔力の経路が判明した。

 

 経路があるということは、魔力を通す前提の道具であるということだ。

 これはただの枝ではない。普通の枝では、ここまで綺麗な一方通行で魔力を運ばない。

 繊維状の中に、人為的に造られた管があるに違いない。

 

 この時点で、枝が只者の手によって生み出されたものでないことが判明した。

 よしよし、こうでなくては。面白くなってきたぞ。

 

 次は、出力方向の特定だ。

 魔力の通り道がわかったなら、その正しい方向を理解しなくてはならない。

 この枝に魔力を消費するための機関は存在しないが、通り道がある以上、正しい方向は定められているだろう。

 

「……魔力注入」

 

 握った枝の根本から、魔力を注ぎ込む。

 すると道管を通り、枝の全体を過ぎ去って、私の押し込んだ魔力は枝の上部からいくつかの穴を通り、抜けていった。

 やはり、発動する様子はない。

 しかし、おそらく植物の枝を模しているのであれば、魔力方向はこれで正しいはずだ。

 

「……興味深い」

 

 私は総評として、一言、そう零した。

 

「気に入ったようだな、ライオネルよ」

「あっ……」

 

 そして、呟きはクベーラにしっかりと聞かれていたのだった。

 

 悔しい。でもお買い上げである。

 仕方あるめえ。

 



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 此度の取引は、魔界産大判上質紙五十枚で成立した。

 樹の枝一本に対し、樹木ほとんど一本分の紙との取引である。これが損か得かは、まだわからない。

 

「全ては、この枝を詳しく調べてみてからだな」

 

 クベーラから買い取った、不思議な枝。

 一見するとただの枝だが、こんな植物は見たことがないし、いてたまるものでもない。

 何者かが人為的に、高度な技術で作り上げたものであろう。

 

「クベーラ、最後にちょっとだけ聞いて良いだろうか」

「うむ? なんだ、どうした」

 

 クベーラは他にも取引があるということで、すぐに魔界を離れるつもりらしい。

 今回手に入れた紙だけで満足したようだ。彼の審美眼の基準がよくわからない。

 

 だがいなくなってしまう前に、聞いておくべきことがある。

 

「この枝は、一体どこで手に入れた物? 誰が作ったか、わかる?」

 

 辺境とは聞いた。だが、具体的にどこかは聞いていない。こいつの製作者の名も。

 

「ああ、そりゃあ高天原のものだな」

 

 クベーラは特に考える素振りもせず、即答した。

 高天原。聞いたことがあるぞ。

 

「辺境だが、最近は格の高い者達が現れたのか、勢力が拡大している。ちょっと前から、地上に陸地まで作っているからな。大方、そちらに勢力のいくつかを移住させるつもりなんだろう」

「ほほう……陸地を作るなんて、それはまた実に神らしい……」

「ああ。イザナギだかイザナミだかいうやつらが産んだのだとさ。けどまぁ大きさで言えば……どうした?」

「ライオネル? どうされました?」

 

 あかん、思わずのけぞって頭だけでブリッジしてしまったよ。

 

 い、イザナギとイザナミだって? 日本神話の世界じゃないか……。

 流石の私でもその名前くらいは知ってるぞ……。

 

 ……ま、まてよ。ということは高天原って……やっぱり神の国か。

 それも、日本の神々の住まう国ってこと。

 

 っそいてイザナギとイザナミが陸地を作ったってことは……日本ができたってことか?

 いや、作っていると言ってるし、途中か……?

 

「な、なんでもない。ちょっと魔力酔いしただけだから」

「そうか。魔界人も大変らしいな」

 

 ……日本か。いや、大和と言うべきなのだろうか。わからん。今は日本の、どのくらいなのだろう。

 いやいや違う、思考を逸らすな。今の問題はそこではない。

 

「クベーラ、その、高天原の誰が、この枝を?」

「……ライオネル、ひとつ忠告しておくぞ」

 

 私が気を取り直して尋ねると、クベーラは急に真剣な面持ちとなり、私を真っ直ぐに見据えてきた。

 

「高天原へ、その者を訪ねようと考えているのなら……それだけはやめておけ」

 

 なんでバレた。いや、それよりも。

 

「何故?」

「都合が悪いのだ。あの派閥は、穢れや呪術に対しては、特にうるさい」

「……魔界に対して、あまり良い印象を持っていない?」

「ああ。向こうのイザナギという権力者が、穢れや呪いを嫌っている。疑わしきものは近づくだけで射られてしまうだろうよ。実際、俺も悲惨な目に遭いかけた」

 

 射るって、また弓みたいな……いや、本当に弓なのかもしれないな。

 そして、ただの弓でもないのだろう。

 クベーラもそんな場所を訪れてしまうのだから、よくやるよ。

 

 ……けど、参ったな。

 それだと、魔界出身の私は高天原に行けない、ということになるわけか……それは困る。

 製作者に会い、枝の具体的な使用法や、どこで行き詰まっているのか、どのような場面で使うのかを聞きたかったのだが……。

 

「一応、作った奴なら知っている。確か、“ヤゴコロ”という女だった」

 

 ヤゴコロ。

 

「だが、くれぐれも直接訪れるのはやめておくことだ。魔界と天界を巻き込むような、大きな抗争になりかねんからな」

 

 彼は私に脅すわけではない、単純に釘を刺すような意味で、そう言った。

 

「……わかったよ。ありがとう、クベーラ」

「うむ。神綺よ、くれぐれも、頼んだぞ」

「まぁ、はい」

 

 

 

 直接赴くことはできない。

 又聞きで、見知らぬ私が研究成果を聞き出すようなことも難しいだろう。

 

 だが、ヤゴコロ。

 私はその名を知っている。

 サリエルが口にしていた神族の名がそれだった。

 

 日本の神族の一人、ヤゴコロ。

 

 ……興味深い枝のこともある。コンタクトが取れないからと諦めるのは、早計だ。

 



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 当然その後、枝の製作者であるヤゴコロについて、サリエルにも話しておいた。

 

「ヤゴコロが!?」

「落ち着け」

「うむ!」

 

 そしてご覧の有様である。けど予想はしてた。

 サリエルは本当にヤゴコロが好きなんだな。そのせいでメタトロンに女にされたようなものだってのに。

 

 まぁ、サリエルも天界を離れてから結構経つ。気にするなというのも難しい話だろう。

 

「私は、ヤゴコロという者が作ったこの枝の研究に入ろうと思う」

「ライオネル、それ少し触っても良いだろうか」

「うん。で、研究するに当たって、さすがにノーヒントで始めるのは厳しいところがあるから、サリエルに話を聞いておこうと思ってね」

「これがヤゴコロの……」

「落ち着け」

「おっと、すまん」

 

 そういうおっちょこちょいな所をもっと……まぁ、いいけどさ。

 

「……ヤゴコロについて、サリエルはどれくらい知ってる? 高天原の事情とかでもなんでも良い。とにかく、教えて欲しいんだ」

「ふむ……それが、この枝の研究に役立つのか?」

「まぁ、これを輪切りにして調べていくよりは、ずっと有意義だと思う」

 

 枝はあるが、これはヤゴコロが作りかけた物だ。

 どういう機構が備わっているのかは大まかに理解できたが、本人の口から聞いたわけでもない。全ては化石を見るがごとく、予想する他に解明の手段はない。

 だがそんな予想も、様々な関連知識を身につけていくことで、ある程度精度を高めることは可能だ。

 そのために、ヤゴコロをよく知っているサリエルから、まだ聞いていない高天原に関する話を聞き出しておこうということなのである。

 

「……その枝は……ヤゴコロが諦めた研究の遺物、と言ったか」

「らしい」

「あの聡明な彼女が諦めてしまうほどの研究……私には、想像できない次元だな」

「……」

「もちろん、喜んで協力しよう、ライオネル。この魔界にて、私が彼女の助けになれるのであれば、いくらでも」

「おお、ありがとう、サリエル」

 

 こうして、サリエルが研究に協力してくれることとなった。

 敵を知るには、まず身近な人に聞いてみよう。

 

 

 

 さて、サリエルからの話は、神綺を加えたいつもの三人で聞くことになった。当然、神綺もまた研究協力者の一人である。

 サリエルからの話は、一部ヤゴコロを持ち上げすぎているような部分も見受けられたが、彼女の協力によって得たものは多かった。

 

 曰く、ヤゴコロは高天原(タカマガハラ)におけるかなり上位の存在であり、位としてはイザナギ、イザナミよりも上なのだという。

 日本神話ってアマテラスとかいうのが一番偉いわけじゃなかったのねっていう新鮮な驚きがそこにあった。まあそれはどうでもいいや。

 

 ヤゴコロは高天原に存在する高位の神の娘で、知能を司っているらしい。言ってみれば、高天原の頭脳的な役割を担っているのだそうな。

 重要な決め事がある際には必ずと言って良いほどヤゴコロが乗り出して、事態の解決、改善を模索する。基本的に、高天原は彼女の決定や口添えによって動くのだと。

 

「なるほど……そこまでの知能を持った神様が直々に開発をしているとなると、相当重要な研究なのかもしれないなぁ」

「うむ。合理主義の彼女が手を出すくらいだ。無意味であるとは思えん」

 

 日本神話。いずれ、日本という国を創りだす神様達。

 その神様の研究対象が今、私の手元にある。

 

 無意味ではない。それは、私だってそう思うとも。

 贔屓目もあるが、日本の神様にはなんとなく、そんなことをしてほしくない。

 

「けど、この枝、一体何に使うんでしょうねえ」

 

 そう、問題はそこだ。

 無意味でないのは間違いないが、何に使うものなのか。それが重要である。

 

「観賞用ではない……かな?」

「ヤゴコロは……あまり、そういった方面に興味を示さないな」

 

 ふむ、なんだか私の中でのヤゴコロさんが理系女子って感じのイメージで固まってきたぞ。

 

「枝の中には、魔力を通す管があるんだけど、二人はこの通り道……どう思う?」

 

 魔力は不可視だが、二人ならばある程度は感じ取れるだろう。

 私は枝の中に魔力を流し込み、その様子を二人に見せた。

 

 するとサリエルは興味深そうな顔になり、神綺は“ほえー”みたいな顔になった。

 

「どう、とはどういう意味だ?」

「何に使うのか、とか。そういう予想?」

 

 聞いておきながら、ごめん。実は私もよくわかっていない。

 

「ううむ……何か、いくつかの箇所から漏れているようだが……これだけでは、なんとも……」

 

 そうだよなぁ。

 これだと、ホースの適当な場所にブスブスと穴を空けただけみたいな感じだ。何もイメージできない。

 

「それって、植物なんですよね?」

「え?」

 

 私とサリエルが悩んでいると、神綺が淡々とそう言った。

 

 確かに、植物である。それも人為的に造られた植物だ。

 しかしそれだけでは、この枝の利用法が……。

 

「だったらその穴のある部分から、もっと細い小枝が生えてるんじゃないですか?」

「あ」

「で、葉っぱや実の方まで魔力がつながってたりだとか……」

「それだ」

 

 何故にこんな簡単なことに気付かなかった、私。

 

 そうだ。ただの一本の枝状の部品というわけではない。

 これは植物なのだ。何らかの機能が持たされているのであれば、植物全体で機能すべきである。

 

 そして、これはまだ未完成品。予定されている植物の姿とは違い、欠損している姿である。

 この枝が、植物が完成しているとすれば、それは……。

 

「……研究室に行こう。ここだと試せないことも多い」

「はい!」

「うむ、行こう」

 

 

 

 こうして、枝の研究が始まった。

 

 

 



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 謎の植物の研究は、日夜続けられた。

 とはいえ、最初は手探りである。まずこれがどういった目的で作られたのか、どういう働きをするのかを解明しなくてはどうにもならない。

 

 しかし、私達はこと手探りに関しては、絶大なる自信を持っている。

 一から探求するのは楽しいし、ある程度の勝手もわかっている。時間はかかるかもしれないが、迷宮入りのまま出られないということはないだろう。

 それが魔界の時間というものだ。

 

 

 

 さて、これは創られた植物だ。普通のものにはない機構が備わっていることは間違いない。

 だが、完璧に一から創られたものであるとは思えなかった。植物という形態をここまで再現している以上、きっと、何かしらのものをベースに作っているはずなのだ。

 そのベースとなった植物を特定すれば、何かヒントがあるかもしれない。

 

 という結論に至った私達は、ひとまずこの植物と類似している品種を探し出すことに決めた。

 

 

 

 ぱっと見たところ、それほど古い樹木ではない。古いというのは、古代という意味である。

 だが、近頃植物を調べきれていない私は、この植物に強い見覚えというのもない。

 神綺やサリエルも同様のようで、普段からさほど植物を気にしてもいないのだろう。心当たりを探る段階では、かすりもしなかった。

 

 ならば仕方ないと、手分けで探すことにした。

 サリエルと神綺は魔界、私は地上の植物の捜索である。

 

 

 

 さて、似た植物探しはそれから数年に及んでしまったものの、目当てのものはどうにか発見できた。

 その最中の私の苦労について語ることは多かったが、見つけたのは地球上を探していた私である。

 

 結論から言って、ヤゴコロの開発していた植物のベースとなっているものは、桃の木である可能性が非常に高い。ということとなった。

 木目、材質、性質、属性、様々なものが、桃と合致する。

 他にも様々な木材が各所から集められ、私達三人の前に並べられたのだが、誰もが最終的に指さしたのは、桃の木であったのだ。

 

 とりあえず、桃の木であることは判明した。

 ならば次は、桃の木が持つ魔術的性質の研究である。

 私一人で研究するのはもったいないので、期間中、サリエルには私の研究の手伝いを、神綺には桃の木を真似た生物創造を頼むことにした。

 

 

 

 桃の木の研究は更に時間がかかり、数十年にも及んだ。テーマを一つに絞ったにも関わらずこれである。

 全ては桃の成長を待っていたのがいけなかったのだが、それも含めた研究だったので致し方なしであろう。

 

 様々な木材とも比較して研究した結果、桃の木は他の植物と比べ、非常に強い対魔力を持っていることが明らかとなった。これには長年魔力研究を行っていた私も、ちょっとだけ驚いた。

 対魔力……というよりは、魔力に対する親和性だとか、反発力だとか……影響を与えやすいとでも言うべきだろうか。

 とにかく、マジックアイテムを作る際には非常に役立つということである。

 

 加工も容易で、マジックアイテムの材料として優秀……私の中で色々な構想が広がっていたが、今はその時ではない。ここからヤゴコロの意図を想像し、桃の木をどう役立てようとしたのかを探らなくては。

 

 

 

 桃の木は、魔力を扱う上で優秀だ。

 ヤゴコロの制作した枝も、桃の木をベースとした植物であり、その作用は中央の道管部分に顕著に現れている。

 とはいえ、これが杖のような魔道具であるとは思えない。実際に土に植えるなどした、設置物である可能性が高い。

 

 神綺も言っていたが、これは植物だ。植物のまま目的とする機能を持たせれば、それはオートで動くマジックアイテムにも等しい。

 ヤゴコロはこの植物をマジックアイテムとするべく品種改良しようとしたのである。

 ……と、仮定する。

 

 さて、この桃の木は魔力を通す。

 おそらくそれは、地中から吸い上げるようなルートだ。

 

 地中から魔力を吸い上げる。私の魔法知識で言えば、それは可能である。

 地面であれば微量の土属性の魔力を吸い込むことはできるからだ。

 

 しかし、それはおそらく微量となるだろう。

 “魔力の対流”、“魔力の収奪”などといった周囲から魔力の流れを操作できるならともかく、定点設置の状態から吸い上げるのは、かなり効率が悪いと言わざるをえない。

 それにそもそも魔力を吸うのであれば、月でもなんでも使うべきだ。

 

 なので、発想を変えた。

 この植物は根の部分から魔力を吸う。それはきっと間違いないが、主な目的はそこにはないのだと。

 

 高天原では今現在、穢れを嫌っているのだという。

 ヤゴコロはその穢れをどうにかするためにこの植物を研究していたであろうことは、きっと間違いない。

 まさかこの桃の木が、原始魔獣に直接ぶっさして体内魔力を根こそぎ奪うというような代物ではないだろう。

 だからこれは、穢れを退治するというよりは、穢れを浄化する役目を持っている……のでは、ないだろうか。

 

「ライオネル、分かる言葉で喋って下さい」

「ごめん」

 

 ……そろそろ神綺がついてこれなくなってきた。

 

 



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 穢れの浄化植物。私のこの見立ては、外れていないはずだ。

 しかしその先はどうにも、難しい。

 

 私のいた時代では、ケナフという植物が二酸化炭素を削減してくれるということで、もてはやされていた時期があった。

 ケナフは成長が早く、その分だけより多く二酸化炭素を吸収し、体内中に留めておける。燃やして再び炭素をばら撒いてしまっては意味が無いが、燃やさずに利用すれば確かに、地球には優しい植物だと言えるだろう。

 

 成長が早い、という点では、桃も共通する。

 桃栗三年、柿八年。桃は植えてから実を結ぶまで、たったの三年だ。樹木としてはなかなか成長が早い。

 

 ……が、成長の早さで言えば、他にも沢山の植物が存在する。

 仮にヤゴコロの開発しようとした桃の木を、ケナフのような浄化植物だと仮定するならば、この植物の成長率は非常に高くあるべきだ。その点、桃は不向きである。

 桃の木の魔力を通しやすい性質を贔屓目に見ても、それは確か。魔力を吸って幹の中に留めておくならば、それこそケナフのような植物をいじって作るほうが、効率は良い。

 

 ……ヤゴコロの考えがわからない。

 彼女は、一体どのようにして、地上の“穢れ”を取り除こうというのか。

 そして、どこで諦めてしまったのだろうか。

 

 研究が、大きな壁にぶつかった。

 

 

 

 

 私一人による研究が続けられてから、数千年が経過した。

 サリエルや神綺に手伝ってもらえないこともないのだが、私の記憶力だからこそ成せる次元というものもある。

 彼女らには彼女らのすべきことがある。そう説得して、私は個人での研究を進めていた。

 

 いや、進めていた……という表現には語弊があるかもしれない。

 なにせ、研究は未だ、終着点を見せずにいるのだから。

 

 

 

「吸魔の樹、試作サンプル……ツタノゴウ1020、投擲」

 

 一粒の種を軽く放り投げ、粉々に砕かれた魔界の地面に落とす。

 種は広大な地面の中央付近に力なく落ちて、しばらくの間、沈黙が訪れた。

 

 しかし、状況はすぐに一変する。

 あらかじめ地面に施しておいた土属性の魔力が蠢き、中央の種のあった場所に向かって収縮を始めたのだ。

 種は魔力を吸い、根を出し、幹を出し、枝を振り、ニョキニョキと早回しのような速度で育ってゆく。

 

 そう、樹木が魔力を吸い取り、急成長しているのである。

 

 あっと言う間に、荒野の上には一本の樹木が出来上がり、見事なおどろおどろしい葉無しの枝を振りまいている。

 が、これだけでも終わらない。まだまだである。

 

 樹木が根本から小刻みに震え、同時に地面も小さく振動する。

 低い轟きと共に樹木は段々と地面から抜けて、根をズルズルと上方向へ露出させ始めた。

 

「よし、発射!」

 

 やがて地面に留まろうとする力と、上へ抜け出ようとする力の均衡が崩れると、樹木は勢い良く、魔界の空を目指して吹き飛んでいった。

 軽い爆発のような衝撃と、樹木が飛翔することによる巨大な風圧が、私のローブをばたばたとはためかせた。

 

 高度は十分。

 もう少し改良すれば、大気圏を突き破って宇宙空間へと放り捨てる植物……全自動魔力宇宙排出植物が完成するはずだ。

 

「……でも、絶対にこういう物じゃないんだよなー」

 

 私はキランと光って見えなくなった桃の木を見上げながら、自分の心の内で研究の失敗を悟ったのであった。

 

 

 

「で、結局振り出しに戻ってきたというわけか」

「申し訳ない」

 

 長々と研究をした末に失敗を報告すると、さすがに神綺とサリエルの二人は呆れ気味であった。

 当然である。出来上がったものが謎の宇宙ロケット植物なのだ。こんなトンチンカンなものをヤゴコロさんとやらが考えるはずもない。失敗は目に見えていた。単に私が作ってみたかっただけである。

 

「そもそも、魔力を吸ってどうするんだ。魔力自体は穢れとは直接の関係が無いのだろう」

「うっ」

「ライオネルは、魔力が絡むと暴走しちゃうからー」

 

 サリエルの言うとおり、魔力と“穢れ”というのは、同じというわけではない。

 ある意味、魔力は密接に関わっているだろう。だが“穢れ”……原始魔獣と土属性の魔力とは、ほとんど関係ないと言っても良い。

 実際、私が作ったロケット植物は、ただ地球から土属性を吹っ飛ばすだけの傍迷惑な存在に過ぎないのだ。

 

 ……わかってはいたんだけどね。

 作ろうって思ったら、どうしてもね……。

 



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 きっと、ヤゴコロの作ろうとしているものはもうちょっと単純なものだ。

 しかし、完成目標がわからないのでは、私としても考えようがない。

 私はこの数千年間で様々な魔力収集植物のサンプルを作ったが、どれもパッとしないものばかりだった。

 

 ヤゴコロは日本の神だ。

 日本の領土は、ちょっと前に生まれたばかり。

 彼女は日本の大地を浄化しようとしている。

 はて、彼女は一体何をどう浄化しようというのか。

 

「そうだ、聞いてみるか」

 

 もちろん日本神の住まう高天原ではない。

 この前訪れた、オーレウスの集落へと行くのである。

 

 あそこも、穢れ……原始魔獣や魔族達の被害から逃れてきた歴史がある。

 彼らなら、そしてオーレウスなら、何か知っているかもしれない。

 

 私はわずかなヒントを求め、再び魔界の地を後にした。

 

 

 

 

 

「ライオネルは、また外界に?」

 

 私がサリエルのもとを訪れると彼女は頷いた。

 

「オーレウスのもとへ行くのだという。行き詰っていたからな、懸命な判断だろう」

「オーレウス……そう」

 

 サリエルは魔界を見通す眼を持っており、誰がどこに居るのかがすぐにわかる。

 私も似たような力は持っているけれど、精度は彼女に遠く及ばない。

 何より、私は神綺。魔界の神だ。外界へ出ることができないので、サリエルとは違って外でライオネルの力になれない。

 これは、神として生まれた私の、唯一の欠点であるとも言えた。

 

 私はいつも、肝心な時に、ライオネルのお傍にいられないのだ。

 

「まぁ、彼もまたしばらくすれば帰ってくるだろう。そう落ち込むことはない」

 

 表情に出ていたのだろう。サリエルは励ましてくれた。

 

「ライオネル、今回の研究はかなり力を入れているように見えるわ」

「私も付き合いは長くなってきたように感じるが……いつもあれくらいではないのか」

「ううん、最近のは特に、という感じなの」

「ほう」

 

 確かに、ライオネルはいつも研究熱心だ。特に魔術が絡むと、時間を忘れて何年も同じ部屋に篭もることだって多い。

 今回の植物だってそうだ。彼は何百年も同じ建物の中に入ったまま、戻ってくることがなかった。

 

 ……ライオネルは、外界が好きなのだろう。

 前に恐竜をたくさん連れてきた時も、度々外界へと移動しては研究を続けていた。

 

 ……魔界が美しく、豊かであれば。

 ライオネルはずっと、こちら側にいると思ってたのにな。

 

「……ライオネル、桃の木で何を作りたいのかしら」

「さあな。それを外界へと探しに行くのだろうさ」

 

 外界。いつも、外界。

 

 ライオネル、あなたは最初から外の世界を求めていたけれど……では、この魔界は、あなたにとって、一体何なのでしょうか。

 私にはわからない。

 

 

 

「……神綺」

「え?」

 

 落ち込んでいると、サリエルが瞳に強い魔力を宿し、私の名を呼んだ。

 彼女の表情は、いつになく固い。

 

「魔界に誰かが来た」

「誰かって? ……ああ、確かにそんな感じがするわね。クベーラかしら」

「いいや、違う」

 

 私にも進入を感知する能力はある。けど、見通せるわけではない。

 サリエルは何を見通したのだろうだろう。

 

「今までに見たことのない奴がやってきた。……それも、堂々と威圧的な力を湛えてな」

「……あら」

 

 サリエルがその手に生命の杖を握り、六枚の翼を大きく広げた。

 

 ここは“堕ちたる神殿”。サリエルが作った、魔界の中の彼女の居場所。

 彼女はここで魔界のあらゆる場所を見通し、警戒し続けている。

 

 彼女の幽玄魔眼がその姿を、魔力を捉えたのだ。

 侵入者の特徴は、きっと正しいのだろう。

 そして、サリエルが警戒することも、きっと。

 

「魔界に侵入者だなんて、懐かしいわ」

 

 昔、原始魔獣が沢山やってきた時の事を思い出す。

 彼らは皆動けない者達ばかりだったけど、今回の侵入者は、まだ動く。それも、敵意を持っているらしい。

 

「神綺よ、私はライオネルとの盟約により、魔界の秩序を守るために出動する。お前は?」

「もちろん、一緒に行くわよ」

 

 私も背中に黒い六枚羽を広げ、宙へ浮かんだ。

 

「ライオネルの不在に魔界を守るのも、私の役目だもの」

 



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 私もサリエルも、同じ六枚羽。

 ただ、サリエルの方は鳥類のような造りをしており、私のもつ“翅”とは少々成り立ちが異なる。

 そもそも、私は神で、彼女は神族と呼ばれる種だ。根本的な違いがあるらしいことは、ライオネルも言っていた。

 

 けど、今はこうして二人が並び、目的地を目指して飛んでいる。

 不思議なものだわ。サリエルは、私と同じような忠誠を、ライオネルに抱いているわけではないのに。

 

「神綺、まずは私が前に出る。お前はいざという時、後方から援護を頼む」

「わかったわ。任せるわね」

 

 ……魔界は、もうライオネルと私だけの場所ではない。

 ここにはサリエルがいて、魔界人たちが居て、沢山の動植物が息づいている。

 私も、意識を切り替えていかなきゃ。

 

 

 

 

 以前、ライオネルが広域破壊魔術を練習していた場所までやってきた。

 辺り一面が砕けた石材で満たされたここは、岩石の荒野と呼ばれている。

 

 当然、ライオネルが魔術の実験をするような場所は魔界の中央から離れているので、周りには何もない。

 ただただ、淡く発光する岩石の墓場。

 

 そんな只中に、小さな人影が見えた。

 ライオネルが着るものとは違う白いローブのようなものの上に、赤い服を重ね着したような姿だ。

 

 長い黒髪を後ろで束ね、額から赤い一本の角が生えている。

 そして、左手には鋭利な刃物……剣を握っていた。

 

 剣は、工具ではない。切りつけ、突き刺す、闘いのための道具だ。

 闘いのための道具を手にしてやってきたあの者に、当然だけど、私は良い印象を抱かなかった。

 

 それはサリエルも同じだったらしい。

 

「殺気を感じる。敵だ」

 

 彼女がそう断じた直後、空に浮かぶ私達の存在に気づいたか、剣を握った男がこちらを見上げた。

 彼の顔は無表情だったが、滲み出る静かな闘志は、私にも伝わってくる。

 

 やがて闘志は実際の力に変化し、彼の体を取り巻いていた魔力は赤い炎となり、その身を包んだ。

 

「なかなか、手強い相手だな」

 

 サリエルは小さく、自分にだけ聞こえるくらいの声でそう呟いて、一気に翼をはためかせ、男の元へと急降下していった。

 

 炎の剣士に、魔界の天使。

 ひとまず、私は両者の闘いを見守らなくてはならない。

 

 

 

「“月の槍”!」

 

 男の頭上に急降下する最中、サリエルは生命の杖を伸ばし、真っ白な光線を撃ち放った。

 

「ふん」

 

 普通なら一撃で決まる。しかし、男はそれを容易く剣で弾き、払ってしまう。

 この時点で既に、男の力量はかなりのものだと伺える。

 

 サリエルもそれを察したのだろう。剣が光線をかき消した瞬間に降下をやめて、空中に留まった。

 そのまま翼を広げ、杖を構え直し、魔法陣を組み上げてゆく。

 

「挨拶は返しましょう」

 

 が、相手の男も黙って見ているわけではない。

 宙に浮かんでいるからといってサリエルに手出しができないはずもなく、彼は容易に一度の跳躍でサリエルと同高度まで飛翔すると、左手の剣を素早く薙ぎ払ってきた。

 

 サリエルは展開しかけた魔法陣を素早く防御用の魔術に転用し、半透明な力場を生み出して剣閃を防ぐ。

 

 青白い火花が空中に散らばり、力場に刃が食い込んだ。

 しかし、力場は割れない。サリエルの防御魔術が、相手の剣の威力をわずかに上回ったのである。

 

「貴女は……まさか、“死の天使”サリエルか」

「!」

 

 男が言い当てた。名乗ってもいない、サリエルの名を。

 

 まさか彼は、外界でのサリエルの知り合いなのでは……。

 私は一瞬そう思いかけて、判断を遅らせた。

 

「ならば、尚の事放っておくわけにはいきません。天界を追われ、地上を追われた貴女の行く先は……地獄であるべきだ」

「なっ……」

 

 男の身に纏う炎が大きく膨らみ、爆発となってサリエルごと周囲を飲み込んだ。

 炎は真っ赤だが、その温度は色とは違い、かなり高いように感じられる。私が余波を受けただけでも、かなり熱いと感じたのだ。サリエルにとってはたまったものではないだろう。

 

「くっ……!」

 

 爆風に煽られ、サリエルが吹き飛ばされるように煙から姿を表した。

 まだまだ元気だ。戦えるだろう。

 

「そこの貴女もです」

「うん?」

 

 炎を纏い、宙に浮かぶ男が、どうやら私に声をかけているらしい。

 

「後で貴女も、地獄へ来ていただきます」

 

 あらあら、お誘いされちゃった。

 サリエル、こうなったら貴女に勝ってもらうしかないわね。

 

 



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 サリエルは魔法で、名も知らぬ男は剣と炎で闘っている。

 無数の光弾をばらまくサリエルは自在に宙を舞い、男はそれをどうにか避け、捌きながら接近を試みている形だ。

 

 簡潔に説明すればそんなところ。でも実際には、光弾の一つ一つが岩石質の地面を砕き、鋭利な石片が業火によって真っ赤に溶かされ、剣の一振りがそれら全てを吹き飛ばすような、壮絶なものだったりする。

 それは私が魔界で見る、初めての“闘い”というものだった。

 

「火生!」

「ぐっ」

 

 男の纏う火炎がその勢いを増し、火柱となって噴き上がる。

 丁度その真上を飛行していたサリエルは巨大な炎に飲み込まれてしまったようだ。

 

「サリエル、大丈夫?」

「手出しは無用っ!」

 

 ちょっとだけ心配したけど、サリエルは炎を吹き飛ばすことでそれに答えた。

 ダメージはある。少し強がっている風に見えなくもないけど、彼女が大丈夫だと言うのなら、信じてあげるとしよう。

 彼女はライオネルから魔界の警備を任されている。なのでこの仕事の優先順位は、サリエルが一番高いのだ。

 

「諦めることです、死の天使サリエル」

「私は月の大天使サリエル。そのような名で呼ばれたことは一度としてない」

「地上で数多の穢れを焼き払い続けた貴女には相応しい名だと想いますが」

 

 一本角の男が冷淡に言い放つと、サリエルは不愉快そうに眉を潜めた。

 

「撤回しろ」

「しませんね」

「そうか」

 

 ああ、サリエル怒ってる。

 もう知らない。

 

「ならばお前も死ぬが良い」

「!」

 

 サリエルの目が赤く輝き、彼女の持つ105度の視界範囲内に灰色の衝撃が走り抜ける。

 男は、その範囲の丁度真ん中に立っていた。運の悪い人だ。

 

 サリエルの目の前は、亀裂が走ったような音と共に灰色の石となって凍り付いた。

 足元で赤く燃え盛る炎は一瞬にして消失し、巻き上がる軽い煤は石片となって地に落ち、古びた石の香りが辺りに広がってゆく。

 

 男は全身が灰色に染まり、微動だにしない。

 手にした剣も、服も、髪の毛も、全てが石に変化して、動けなくなってしまったのだ。

 

 知っていれば、ある程度の抵抗は出来たかもしれない。けど知らなければ、避けることはもちろん、防御することも難しい攻撃。

 それこそがサリエルの持つ“眼”の力。邪眼の脅威なのだ。

 

「……ふう」

 

 サリエルの目が邪眼を解いて元に戻り、放出され続けていた古臭い気配も霧散した。

 彼女が扱う石化の邪眼は、視界全てを石に変えるほど強力だけど、その半面、自らの力を多く使ってしまうのが難点なのだそうな。

 一度使ってしまえば満身創痍になるし、避けようと思えば実際結構簡単に避けられるし、決して燃費の良い技とは言い難い。

 

「サリエル、怒りすぎ」

「……すまない、つい」

 

 本当なら、あの場面で使うべき技ではなかったはず。

 いくら相手がサリエルの“眼”を知らないからといって、特に手負いでもない動ける相手に対してそのまま邪眼を使うなんて、冷静さの欠片もない判断だ。

 彼女もそれに気づいているのだろう。闘いには勝利したものの、どこか悔やむような顔で、サリエルは俯いていた。

 

 ……よほど、死の天使だなんて言われたことが許せなかったのかしら。

 そういう気持ちって、よくわからないわねえ。

 

 まぁともあれ、侵入者は石にされて動かなくなった。仕事は完了。

 無力化はできたので万々歳だけど、どうしてここに来たのかについてお話できなかったのは、ちょっとだけ残念かな。

 かといって、サリエルも苦戦していたようだったから、責めたりはしないけれど。

 

「はあ、やってしまった……あの場面ではまだ……」

 

 私が言わなくても、サリエルは自分で自分を責めちゃうしね。

 

 

 

「待……て」

 

 あら。

 

「まだ……終わってません」

 

 顔を向けると、そこには小火に包まれた石像が立っていた。

 

 男の原型を色濃く残した灰色の石像。

 けれど、石像は小さな炎に包まれるうちに、その表面についた呪いが焼かれ、元の体を取り戻しつつあるようだった。

 

 あの炎には、解呪の力があったみたい。

 そしてサリエルの邪眼を持ってしても、あの男の内にあった炎は消せなかった、と。

 

「貴方、頑丈なのね」

「……」

 

 サリエルは力の大部分を使ってしまったために、正直に不味そうな顔をしているけれど、それは向こうも同じようなもの。

 石化を無効にする能力があるとはいえ、一度受けた“邪眼”によって、彼の体力も大部分が削がれてしまったようだ。

 

 お互いに消耗した、サリエルと侵入者。

 ……これは、いいタイミングかもし